【Immanuel】 カントだよ全員集合!3 【Kant】

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1考える名無しさん
あのカント綜合スレッドが帰ってきた!

カントだよ全員集合!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1000981664/

【Immanuel】 カントだよ全員集合!2 【Kant】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1083335329/

カント『純粋理性批判』を読みませんか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1068346442/

カント『永遠平和のためにpart2』
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099868561/

玄人志向の新カント派
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1080958757/
2考える名無しさん:04/12/10 16:56:55
ヒュームマンセー
3考える名無しさん:04/12/10 17:02:07
そういやヒュームスレってなかったよな
ロックスレもないし。
4考える名無しさん:04/12/10 17:14:39
【ベーコン・ロック】 イギリス経験論スレ 【バークリ・ヒューム】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1087936258/
5考える名無しさん:04/12/11 09:22:47
即死防止age
6考える名無しさん:04/12/11 09:27:33
 \\\\       ;:;;:::''''   l /;:;;:::'''  \             ////
   \\\\    /;:;;:::'''            ヽ       /// 
 ヾヽ\ヾ\     /         ノ(      'ヽ      ////  //
\丶\\     ;/         ⌒        ヽ         ////
  ゞヾゝヽ\  ;:;:ヽ i し  |・\          /・>      ///
ヽ\ヾ\\\   / ノ (  ミ\.\ヽ|||liiiii||/ /./彡    ///
          |  '~ヽ .::    \\|||iii||l//彡::ヽ
           |     ::      ( ,-、 ,:‐、  ,.-、  i
          ,,―   ::       \\\\ ,,.ヽ i
          // ̄.  ::    _,,,..--‐''\\\\へ )       \\\
         ( |  {.  ::    /  ,,____,,...\\\\! l   .;∵
         ヽヽ_/.. ::   / ,,;/`i  l  ゙!\\\\     ;∵・ ;
           \_ ::   ,' ;ノ\|ー‐'^`''"  \\\\ +・;*;∵;  ;∵
            ヽ ::  / ノ           \\\\  ∵・;*;∵  ;∵;
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7考える名無しさん:04/12/11 23:27:19
認識が成立するイメージはこんな感じで良いんですか?

物自体→{感性形式(空間、時間)→感性的経験}→悟性判断(カテゴリー)→現象界
8考える名無しさん:04/12/12 14:10:24
>>7
>→現象界

これが余計。
9考える名無しさん:04/12/12 14:20:12
常設に
10考える名無しさん:04/12/13 11:51:10
現象界は好みに過ぎないよ。どっちでもいいんだよ。
コレ本当だよ。
11考える名無しさん:04/12/15 01:41:28
新刊出てますた。

別冊『情況』2004年12月

牧野英二編
特集 カント没後200年

情況出版
12考える名無しさん:04/12/15 01:47:29
東京の書店ならありそうですね。
13考える名無しさん:04/12/15 01:54:38
一応、フォローで上京ね
1411:04/12/15 01:55:55
目次もここで紹介したかったんだが、
情況のHPは機能してないらしくて、
目次をネット上では見つけられなかった。
15考える名無しさん:04/12/15 03:17:34
情況は情況を捉えてないな
16考える名無しさん:04/12/15 19:06:47
早速"除去"しませうか?
17考える名無しさん:04/12/15 19:11:11
"余興"にはなるだろうけど、できるのか?
18考える名無しさん:04/12/18 18:43:02
出来ねーでかい。
19考える名無しさん:04/12/19 10:06:50
一般教養の哲学でカントの思想を参照しつつ自我について2000字論じなきゃいけないんですが、どんな形で話をもっていくといいですか?
20考える名無しさん:04/12/26 22:42:55
情況別冊カント没後200年

巻頭 カント没後二〇〇年を迎えて 牧野英二

理性は光か 石川求
「統覚」と「私」のあいだ 中島義道
カントの時間論--世界分節の規則の二重性 植村恒一郎
カントの自然観 犬竹正幸
埋れたア・プリオリ 山根雄一郎
カントとリアリティの問題 桧垣良成

羅針盤としての定言命法--カント道徳哲学の意味 新田孝彦
規範としての〈自然〉 木阪貴行
行為主体であることの不自由 高橋克也
カントと環境倫理 御子柴善之
「人格の尊厳」と「生きるに値しない」生--カントと生命あるいは医療の倫理 福田俊章
カントのエゴイズム批判 --哲学者が教壇でこだわり続けたこと 宮島光志

小中学生にもわかるカント『永遠の平和のために』(2004年度版)大橋容一郎
カントのコスモポリタニズム--世界市民とは誰か 寺田俊郎
啓蒙・他者・公共性--「グローバルな公共性の構築」に向けて加藤泰史
カント実践哲学のコミュニケーション的転回へ向けて 舟場保之
自由への教育--カント教育論のアポリア-- 小野原雅夫

存在と意味をめぐる二つの態度 若きベンヤミンとカントの別れる場所 勝西良典

カント 年譜と文献 相原博 平井雅人
21考える名無しさん:05/01/06 00:23:50
カントだからage
22考える名無しさん:05/01/06 01:02:53
>>19
カントと自我ねぇ
「統覚」と「図式」でぐぐってみな。
23考える名無しさん:05/01/06 02:19:24
カント総合スレ、そういやあったねえ、、、
ていうかカントスレもないなんて哲学板とは言えないしね。上げ
24考える名無しさん:05/01/06 02:20:19
>>23
クソスレあげんな
25考える名無しさん:05/01/08 15:41:39
牧野英二という人について何か教えて下さい。
26考える名無しさん:05/01/08 16:37:02
男ならオッパイが好きであると思われます
27考える名無しさん:05/01/12 18:21:50
「永久平和の為に」は本当は「安らかに眠れ」と訳すと言ってた人が
いるんだけど本当ですか?
28考える名無しさん:05/01/12 23:23:51
当時墓碑銘の言葉だったらしいですね。
石川さんが書いているので知りました。
29考える名無しさん:05/01/13 03:19:33
30考える名無しさん:05/01/17 11:00:23
あげ
31考える名無しさん:05/01/19 03:40:15
カントの言う目的ってさぁ、いわゆる一般的な意味での目的?
32考える名無しさん:05/01/21 18:48:08
カント学者の高峯一愚氏が亡くなられたそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050120-00000135-mai-peo

合掌。
33考える名無しさん:05/01/21 19:41:19
高峯さんの純理は最も思い出深い哲学書のひとつだ。
ご冥福をお祈りします。
34考える名無しさん:05/01/27 20:23:35
カントの考えが日常のなかで顕著に現れる事例等が分かりやすく書かれてるおすすめ本はなんですか↑?わたしはユングを学んだだけなのでカントに関してまたまだ素人です。
35考える名無しさん:05/01/28 13:07:08
36考える名無しさん:05/01/28 13:08:43
>>34
『道徳形而上学言論』(岩波文庫)
3734:05/01/28 13:23:00
ありがとうございます☆★早速本屋にいって買ってきますゥ
38考える名無しさん:05/01/30 22:54:51
むずかしいですね。
39目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :05/02/06 23:03:12
「純粋理性批判」のスレが沈んだ。アゥゥ
40考える名無しさん:05/02/07 00:48:10
dat落ちした『純粋理性批判』のスレの最後でこういうこと
言ってた人がいたけど、どうする?

991 名前: 考える名無しさん Mail: sage 投稿日: 05/02/05 11:56:36

次スレは、これの再利用で良い気がしてきた

京大法学部ですが純粋理性批判を理解できない
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1090473461/
41考える名無しさん:05/02/07 01:08:12
↓読んだ方いませんか?感想&批評など聞かせてください。

◆カントを読む―ポストモダニズム以降の批判哲学―◆
                   牧野英二
    岩波セミナーブックス87
42考える名無しさん:05/02/07 01:19:45
>>41
その本は以前に読みましたが、カントそのものをしっかり理解するというよりは、
カントをめぐって論じられている現代の哲学の様々な問題を要約・紹介
してみせるという性格の本でした。そういうものとしては便利な本だと思います。
が、私自身の読後感としては、著者自身の立場や主張については、
焦点が定まらないというか、ちょっと散漫な印象が残りました。
43考える名無しさん:05/02/07 02:51:11
カントと形而上学の問題 ハイデッガー全集

などはどうでしょう。ご意見お聞かせください。
44考える名無しさん:05/02/07 03:03:00
>>43
一方的に教えて呉れ呉れは嫌われるぞ
4543:05/02/07 03:12:15
そんなことはない。
46考える名無しさん:05/02/07 03:19:14
>>43
人に訊く前にまず自分の意見から書き込んだらどうだ。
47考える名無しさん:05/02/07 03:33:24
>>46
まったくだ。
48考える名無しさん:05/02/07 10:27:43
>>46
そんな必要はない
49考える名無しさん:05/02/07 11:18:42
読んでないので感想書けません。すみません。
50考える名無しさん:05/02/07 18:39:03
>>41
そうですか。ありがとうございました。
現代哲学の根本的な問題をカント的な視点から理解するのには便利な本なのでしょう
か。
51考える名無しさん:05/02/07 23:48:22
根本的な問題かどうかは分からないが、カント絡みで手広くやってる。
その意味では確かに便利。
52考える名無しさん:05/02/07 23:56:16
平凡社ライブラリーから純理の文庫が出てるぞ!
ヤターーーーーーーーーーーーーーーーー!
53考える名無しさん:05/02/08 10:14:28
へ〜〜〜。ま、俺は岩波でいいと思う派なんだけどね。
54考える名無しさん:05/02/08 10:35:05
>>52
やっぱ原祐先生が一番だよね。
55考える名無しさん:05/02/08 15:43:11
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card34332.html
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card35063.html
を読んでヤコービの哲学に興味を持ったのですが、
モーゼス・メンデルスゾーン等とによるスピノザをめぐる汎神論論争の経緯
を知るために有用な日本語文献を教えて下さい。

少し調べてみたのですが、ヤコービは邦訳がないようです。これは困った・・・
といっていきなり原文をあたるのは、語学力の乏しい私めには敷居が高い。
どこから手をつけたらよいか分かりません。

どうか宜しくお願いしますm(_ _)m
56考える名無しさん:05/02/08 20:13:33
誰か、解読できるか?
「現象に属すべきものを仮象に仕立てる事はできない。だが、感性的
直観が観念性を持つという原理に従う限り、現象を仮象に仕立てると
いう事は決して起こる事がないものである。」
57考える名無しさん:05/02/08 21:13:48
解読できない。

前半と後半が「だが」でつながっていないヘンな日本語だから。
58考える名無しさん:05/02/08 21:17:35
私たちは何を知りうるのか

第1版と第2版を比較して読める独自の編集。
補訂=渡邊二郎によるさらに精確な訳文。
59考える名無しさん:05/02/10 16:45:43
★最新のカント全集★岩波書店★1巻〜20巻のうち6巻を除く19冊
http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k15193727
60考える名無しさん:05/02/11 04:16:53
てか何でカントみたいな変なことを考えた哲学者がこんなに話題になるのだろう。
それが疑問だ。
61考える名無しさん:05/02/11 04:19:27
その疑問にいかんともし難い
62考える名無しさん:05/02/11 11:12:25
別のスレにも書いたのですが、ここには有識の方がいらっしゃるようなので再掲させてもらいます。

こうして嘘をつくという私の格律を普遍的法則に仕立てるや否や、この格率は自滅せざるを得ないだろう。
(道徳形而上学原論 篠田秀雄訳 岩波文庫 P45 1-2行目)

これに関連して、
「格律を自滅させたくないならば、定言命法に従え」というのは、
仮言命法なのでは?と思うのですが。みなさんはどう思いますか?
63二酉:05/02/11 15:50:31
>>62
自分も勉強中の身ですが、その二つはチョト飛躍してるというか、命題的に同値とは言えないと思うです。

上の、「嘘をつく」って例はP42の「初めから守るつもりのない約束してはいけないのか」
の流れで出てきたものです。意志の自律の原理に従いつつ、その意志が無条件に
善とされるような普遍的法則ってどんなの?と考えた時に、前者には従うが後者には従わない例として出されてるです。
もともと普遍的法則たりえない格率を普遍的法則にしようとするんだから、
それは自滅するって言ってるんじゃないかと思うのです。

下の命題は、意味は分かるんですが、どういう推論で出てきたのか自分には分からないのです。
宜しかったら教えてくだちぃ(・∀・)
64考える名無しさん:05/02/11 18:16:38
関連スレ:

【新刊】カント『判断力批判』と現代:佐藤康邦著[2/25]
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1108053287/
65考える名無しさん:05/02/11 19:55:10
>>63
横レスだけど、こういうことじゃないかな。

普遍的法則となる格律の作られ方までは納得できるが、
今度はそれに「従う」というレベルで従うための根拠が必要になる。
そしてそれに「〜だから従え」と答えるなら仮言命法となる、と。
66考える名無しさん:05/02/11 20:51:51
平凡社ライブラリーの純理出てたね。
買った人がいたらその内レポよろ。
67考える名無しさん:05/02/11 20:53:58
>>55
そんな質問は、カント研究者には答えられんよ。
スピノザスレの方がよかったかもしれんな。
68Taku(80):05/02/11 22:24:16
>63、65
ありがとうございます。
65さんが指摘したように、僕の中では、
仮言明法と定言命法が”実践”レヴェルでそれほど明確に区別されるのか。?
カント自身、それが定言たる所以を説明するときに仮言的な要素を持ち出してしまっているのでは?
という感があります。

議論をより深めるために、この問題については、以下のスレッドに一本化させてください。
これからもよろしく。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1100687267/l50
69考える名無しさん:05/02/11 22:34:50
>>62
その観点で言ってしまえば、確かにカントの定言命法には、
「もしあなたが理性の普遍的法則としての格律を求めるなら」
という条件節が隠れている、という言い方も可能です。

ですが、まあ、理性の普遍性そのものを示す条件節というのは、
例の定言命法だけじゃなくて、カントの理性論全体にかかってくる
条件ともいえるわけで。

「別に格律とか理性なんて人それぞれでいいじゃん」となれば、これはもう
カントの思索の地平を外れた、別の話になるということではないでしょうか。
70Taku(80):05/02/11 23:39:32
>69
ありがとうございます。

鋭い視点だとおもいますが、
>「別に格律とか理性なんて人それぞれでいいじゃん」
これを批判できないとしたら、
道徳法則の”普遍化”など可能なのでしょうか?
カントの限界はそんなすぐそばにあったとは思えないので、もう少し考えてみたいです。
続きは以下のスレで
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1100687267/l50
71考える名無しさん:05/02/11 23:51:24
ここで続けりゃいいじゃんw
72Taku(80):05/02/12 00:13:52
平行して議論するよりも、複数の意見が参照できたほうがよい議論になると思ったので。
73二酉:05/02/12 10:03:36
>>65
そゆことか。アリガトー(*´∀`)ノシ
74駒場生:05/02/13 01:39:04
みんなで考えよう!ーカント哲学への問題提起

以下、駒場のノートから

・カントの道徳哲学が排除した問題として、“人格を持たない存在者をすべて物件(可能な善意思の主体でない)として扱うことになる”ことが挙げられる。
→人格は物件として(手段として)意のままに処理できる。
この考えは“自然支配”というデカルト以来の欲望につながる。デカルトによれば、“人間は自然の主人(master)にして所有者(possessor)”である。自然支配の思想が帰結するものについては、
近年の環境問題・多くの動物絶滅を見ても明らかである。
動物、精子、卵子、受精卵、胎児、脳死者、、、これらのいったいどこからが人格を持った存在で、どこからが物件なのかという問題 → カントではこれらは物件と帰結されるはず、、、
・ナチスのeuthanasie(good death)・・・重度の障害者を殺害。1939年、数万人の精神障害者がガス室で殺害される(T4作戦)。(これに続き、アウシュビッツでのユダヤ人大量虐殺。)
ニュルンベルク軍事裁判で、虐殺を正当化する論文を発表した二人の学者が責任を問われる。
学者K.Binding(ビンディング)とA.Hoche(ホッヘ)は「生きるに値しない生命の絶滅の自由化について」という論文を発表し、これがナチの作戦の背景にあるとされた。この論文によれば、
“精神的に死んでいる障害者は、自らの人格を意識する可能性を欠如しているもの(物件)に他ならず、殺してはならぬ理由は見当たらない”とされる。
カントがこのような思想を推奨したとはいえないが、カントの人格主義からはビンディングやホッヘの思想を批判することはできない、といえる。(カントの哲学からは認めざるを得ない。)
これは道徳的主体としての人格に問題があることを意味するのでは?
75考える名無しさん:05/02/13 01:41:46
>>74
読みにくいし、ごちゃごちゃしてる。
内容を整理してくれ。
76駒場生:05/02/13 01:45:20
ほんとに単純化すると、
どこまでが”人格”なの?
”人格”主義に問題はないのか?
ってことかな
77Joy:05/02/13 01:50:12
別に魚や鳥に人格を与えてもいいじゃん(それを人格と呼ぶかどうかは別だけど)

ただカントはそういう問題を扱ってないけど
道徳の根源を考えることがカントの問題だったからで、違う問題で批判されるのはどうかと
78考える名無しさん:05/02/13 01:54:19
>>74
>・カントの道徳哲学が排除した問題として、“人格を持たない存在者をすべて物件(可能な善意思の主体でない)として扱うことになる”ことが挙げられる。
人格として“扱う”としても、人格がモノのように扱われているように感じるよね。
“扱う”の言葉自体に、モノとしての主語が混入しているだけだと思われるがどうかな?
単なるの主題者側の問題だと思うけど、如何だろう?
79駒場生:05/02/13 01:55:02
では、目的の王国の主権者は誰なのでしょうか?
誰に、それが可能なのか?可能でないならば排除されるのか?

そういった問題についてカントが答えていなかったことに、
彼の思想の限界、というか人格主義をビンディング&ホッヘに利用された点で責任が問われても
、不当とは言えないと僕は思います。
80駒場生:05/02/13 02:01:11
>78
これに関しては原典ではどうなっているか知りませんが、
”汝の人格の中にも他のすべての人の人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、
決して単に手段として用いない、というように行為せよ”
という記述があり、”用いる””というカントの言葉があるので、
”扱う”は主題者側の問題ではないと思います。
81Joy:05/02/13 02:01:22
>不当とは言えないと僕は思います。

ごめん、「不当」って何?
82考える名無しさん:05/02/13 02:02:41
とんちんかんなこと言ってたら悪い。
(カントあんまり知らないで言うのも何だが・・)

ナチスのやったことを裁くのはカントの理論を根拠として裁くんじゃなくて、
歴史的に出来てきた法律に基づくんじゃねーの?法律は多数決で決まるから、
正しい哲学(が仮にあったとして)で決まるわけではない。
んで、カントの理論はそういうあらゆる時代を見越した超歴史的なものだから、
土俵が違うってんじゃ駄目?
83駒場生:05/02/13 02:06:53
>81
当を得ないこと。道理に外れたこと。(広辞苑第五版)
84考える名無しさん:05/02/13 02:07:28
>>76
そう単純化してしまうと、問題を見失うことにはなるまいか?

前者は現行法制度において、ペットが飼い主の所有物とみなされる問題、
後者は、発展途上国において幼時に淘汰されてしまうため、重度の障害者が
いないという現代的問題に直接繋がるという事ができると思う。

「どこまでが人格なの」という問いの立て方は良いと思うのだが、
「人格主義に問題はないのか」という問いの立て方をすると、前者の問題のみ
強調し、後者の問題を看過することになって、あまり宜しくない。

カントは”人格”を後天的に獲得されるものという考え方をしていないと思う。
同時に”人間は教育されなければならない唯一の被造物である”とも言っている。
(どっちかというと、ペットは眼中にない。)
85駒場生:05/02/13 02:09:28
うーん。超歴史的であればなおさら、”現歴史”において批判の視座を与え得るものでなければ、、、
とおもうのですがどうでしょうか、、
86考える名無しさん:05/02/13 02:10:26
>>80
うーんと、発話者自体の物件に対する述語と人格に対する述語は融和しないんだって。
その言語の使用状況がカテゴライズされるの。
つまり物件や動物に尊敬語や謙譲語を使うかというと使わないでしょう?
むしろ、カントがそういった差異を確然として分けたところに驚きを隠せないのだが。
87Joy:05/02/13 02:11:12
>>83
カントとズレるけど質問していい?
どのような場合に「不当性」を示すことができるの?
論理的にはまると思うんだけど
88考える名無しさん:05/02/13 02:11:29
どっちかのスレに専念してくれや。
スレをまたいで同じネタの議論をするなよ>駒場
89駒場生:05/02/13 02:13:31
>84
すみません。問題を見やすく、という要請があったので、安易に単純化してしまいました。
カントは確か”人格”=”可能な善意思の主体”という言い方をしているのですが、
”可能”ってのが曖昧です。例えば、精神障害者は善意思の主体にはなりえるのか?
そこらへんに明確な基準がないので、イデオロギーに利用されてしまう側面を持ってい¥いる、ということでしょうか、、
90考える名無しさん:05/02/13 02:13:58
>>88
いやこの方が面白い。
91考える名無しさん:05/02/13 02:15:37
>>89
カントは“理性的存在者”を“人格”と呼んでいるよ。
92考える名無しさん:05/02/13 02:17:41
カントとズレないけど、
感性に根拠の無いものは形式だけであり内容が無い。それが正当であると言われたならば、それは不当だと考えられるのではないか。
93駒場生:05/02/13 02:22:00
>88
カント哲学への問題提起としては同じですが、同じネタではないと思います。
一本でやると逆に議論の本質が錯綜してしまうような気がします。
94考える名無しさん:05/02/13 02:23:03
>>89
人間の判断は人間に独自であり、人間以外の判断を人間は知り得ないとされているようだ。
つまり、蝙蝠やげっ歯類や犬が同様の内部の構造であるか分からないという事だ。
障害となると、多様であり、肉体であるならなんら問題ではない。だが、精神であるなら、
前提にされる自分と異なる精神構造をどのように考えるのかだ。
あなたは障害で困っているんですね?
95駒場生:05/02/13 02:25:31
>Joyさん
不当という言葉そのもの(不当性の定義)についての質問なのか、
この板のコンテクストにおいての質問(カントの不当性はどうやったら示せるか)なのかが分かりません。
96考える名無しさん:05/02/13 02:29:44
>>89
単にこっち側が相手をどうみなすかにかかってるんだと思うが。

どういう用件をみたすと人格とみなせるのか、という問いはもうカントから離れているんじゃないかな。
その根拠は経験に求めるしかないから原理になりえないし。
カント的には、(障害者とかのレアケースは無視して)全て人間は人格とみなす、というしかないんじゃない。
97駒場生:05/02/13 02:32:05
>94
そうですね。人間以外の動物はとりあえず於いておくとしても、精神異常者は
仮に現在は善意志を持ち得ないにとしても、将来において善意思を持つ可能性がある点で、
可能な善意思の主体=人格なのか、否か、という問題意識があります。
98考える名無しさん:05/02/13 02:32:10
>>96
カントはレアケースを無視していない。
だって宇宙人を@@@@@んだからね。
99考える名無しさん:05/02/13 02:33:54
>>97
あのどこで、可能な善意志の主体=人格、と定義したのか教えてくださいな。
100Joy:05/02/13 02:34:40
>>98
純理の文章だろ
ありゃ、膨大な宇宙のどこにも宇宙人が存在しないと考えるほど人間がすごいと考えることはわたしはできない
って感じじゃん

きっとどこかにはいるだろうって
発見されるとは一言も言ってないぜ
101考える名無しさん:05/02/13 02:35:59
>>98
宇宙人だって理性的存在者でそ。
どの程度感性に縛られて行為するかはともかくとして
理性的存在者とみなされる限り十把一絡げで人格としてあつかうほかないべ。
102考える名無しさん:05/02/13 02:38:44
>>98
漏れが言いたいのは、
(その人が実際に理性を持ってんのかどうかの)存在論的な議論はしないだろう、
ってこと。
103Joy:05/02/13 02:43:37
>>95
>不当という言葉そのもの(不当性の定義)についての質問なのか、
俺は道徳も何もないところで「不当」なんてものを言うことはできないと思ってたからビックリしたのさ
できれば、「不当性」の定義について教えてくれないか?
どういう文章ならば「不当」と言えるのか?

104考える名無しさん:05/02/13 02:44:15
>>102
だから、人格の主人格は人間だけではないじゃないかなと。神に人格を与えるし、子供にも時には与える。
カントの倫理がキリスト的であるとしても、キリスト圏内(教義内)だけで通用するものとは
とても思われない。人格の優劣を付けているようには思われないってこと。
そこまで行くと思想の範疇になると思うけど。
105駒場生:05/02/13 02:49:11
>99
ごめんなさい。出典が分かりません、、、(どなたか知っていたらサポート願います)

実践哲学の講義で以下のように説明されました。
人格:可能な善意思の主体(道徳的に善き行為をすることが可能な主体)
   =道徳的に帰責可能(imputable)な存在者(道徳法則に照らして批判することが可能)
106考える名無しさん:05/02/13 02:54:06
>>173を読むと「ユダヤ人を殺せ」はますますただの他律なんじゃないの。
いいことしようと思ってやってたんだし、
道徳法則を否定しようなどとは考えてもいなかっただろう。
107考える名無しさん:05/02/13 02:54:43
>>105
>実践哲学の講義で以下のように説明されました。
>人格:可能な善意思の主体(道徳的に善き行為をすることが可能な主体)
>   =道徳的に帰責可能(imputable)な存在者(道徳法則に照らして批判することが可能)

そんなものイコールで結ぶなよ。

108考える名無しさん:05/02/13 02:56:28
善意志の自体存在を認めている点で、それは人格の要素とかけ離れる。
109考える名無しさん:05/02/13 02:56:37
>>106は誤爆。ダメだ。もう寝よ。
110Joy:05/02/13 03:05:23
ナチス親衛隊の元幹部たちは、正しいことをしてるつもりだったと認めはじめているらしいよ
111駒場生:05/02/13 03:05:24
>103
なんとなく、いいたいことが分かりました。
客観的な議論をしたいのに、”不当”という言葉は適切でなかったように思えます。

不当だ!というとき、そこには個人の主観的な”当”が前提とされてしまいますね。
すなわち不当性とは、当然あるべきものに反している性質と定義されうるでしょうが、
”あるべき”というところに主観性が混じってしまいますね。
最も”当”はある程度、公共性を持っているとも思います、、、
その意味で、カントがこの点で彼の限界を非難されるべきではないとは、(皆さん)言えないのでは?
というニュアンスで使いました。

脱線してすみません。
112駒場生:05/02/13 03:09:30
>107
道徳的に行為できる主体であるからこそ、道徳法則に照らして帰責可能であるというのは、
説明にならないでしょうか?

というか「なぜイコールで結んではいけないのか」という説明なしに非難するのはいかがかと、、、
113考える名無しさん:05/02/13 03:16:16
人を食い殺す習癖のある犬は、そいつの道徳的意思がどうであるかに関わりなく
その習癖の不都合性ゆえに処分されるだろうが、同じ習癖のある人間であれば、
そいつの道徳的意思がどうであるかによって罰せられねばならないのかねえ。
カントならばそうなるのかねえ。
114Joy:05/02/13 03:22:19
>>113
罰するかどうかと道徳的かどうかは別なんじゃないの?

カントは「人を殺してはいけない」って義務を出したけど、あれ多分死刑囚にも通用するよ

だけど、カントは刑としては、
「人の命を奪った人間に見合う刑はその者の命だけだ、それが論理的な考えだ」
とか書いてなかった?
115考える名無しさん:05/02/13 10:45:46
大学の講義ってのは、全てが正しいとは言えないからこそ自分が勉強しな
ければいけないのだろう。

>>74
これを要約すると、以下の二点に集約されるだけのように思う。
1.生命倫理が必要
2.アウシュビッツの反省が必要

教官の思惑を強硬に主張したいがために、カントをやみくもに否定しようと
しているだけというように見える。カントに対する批判にもなっていないし、
当然あるべき自己の主張を裏付ける根拠もない。
なぜドイツ人ではない我々がアウシュビッツの反省をしなければならないだろう。
カントを批判する前にその教官の言ってる事が正しいのかどうか、まずそこを
自ら吟味してみるべきだろう。

私には限りなくデムパに近いように思えるが・・・カント依存症というビョーキ。
116考える名無しさん:05/02/14 04:22:01
アプリオリからやり直そうか。
アプリオリって何さね。
117考える名無しさん:05/02/14 04:27:22
ア・プリオリにおいて必然となるようなものであり、先験的というには過大であるようなものだ。
118考える名無しさん:05/02/14 04:38:24
サツマイモの食べすぎでアプリプリ
119考える名無しさん:05/02/14 08:59:48
とりあえず『人倫の形而上学の基礎づけ』の読書会から始めた方がいいように思われ。
120考える名無しさん:05/02/17 12:50:09
良スレあげ
121考える名無しさん:05/02/17 13:13:53
>>120
サツマイモの食べすぎでアプリプリ
122考える名無しさん:05/02/19 19:37:23
関連スレッド:
「純粋理性批判」精読スレッド
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1108778530/l50
123考える名無しさん:05/02/21 00:48:35
「性犯罪者の情報を公開すること」は
義務論としては「非」なのでしょうか??
124考える名無しさん:05/02/21 23:51:03
>>123
ああたがそれを普遍的格律と見なしてOKだと思えば是。
OKだと思わなければ非。

ちなみに、普遍的ということは
自分自身が性犯罪者であるケースも含まれることを
お忘れなく。
125考える名無しさん:05/02/22 00:02:39
解釈しだいということですか。
なかなか難しいですね・・・。
126考える名無しさん:05/02/22 01:28:05
純粋理性批判 (上) 平凡社ライブラリー (527)
イマヌエル・カント (著), 原 佑

は、どうなんでしょうか?岩波文庫は誤訳が多いと聞きました。

127考える名無しさん:05/02/22 21:45:55
>>125
カントが提唱しているのは義務が人類普遍のものとして
共有されるための形式的条件であって、
具体的に何を義務とすべきかという「中身」の話は
していませんしね。
128この本良さそうです:05/03/04 13:12:21
山根雄一郎『〈根源的獲得〉の哲学 ─ カント批判哲学への新視角』

A5判 304頁 税込7980円/本体7600円 ISBN4-13-016023-0
没後200年がたついま,再評価の高まるカント.その「ア・プリオリ」という概念
を,1790年の論考に現れる「根源的獲得」の概念へと収斂するものと解釈し,カ
ント哲学の全体像の刷新をもくろむ.国際的なカント研究において評価を得た諸論
を収める力作.

序 章 本書の意図と構成
第一章 批判的認識論における「ア・プリオリ」の概念の<位相性>
第二章 批判的思考の根本構造としての「ア・プリオリな綜合判断」論の確立
     ――批判的形而上学生成史の観点から(1)
第三章 もうひとつの「コペルニクス的転回」
     ――「生得的」の概念の<批判的変容>
第四章 「獲得」から「根源的獲得」へ
     ――批判的形而上学生成史の観点から(2)
第五章 批判的認識論における「直観」の「根源的獲得」
     ――「可能な経験」の構成の具体相(1)
第六章 幾何学と「根源的獲得」の視点から見た批判的自我
     ――「可能な経験」の構成の具体相(2)
第七章 「概念」と「法式」――定言命法における二つの位相と,「根源的獲得」
第八章 神なき予定調和――趣味判断と「根源的獲得」

http://www.utp.or.jp/shelf/200502/016023.html
129考える名無しさん:05/03/04 14:23:50
Norman Kemp Smith についての詳細希望(;;)
130考える名無しさん:05/03/04 15:22:32
ノーマン氏はスミス氏を飼育している
131考える名無しさん:05/03/04 18:40:06
例題 例文の四角に入る規則を答えなさい

 Ex: 1□1=11
132考える名無しさん:05/03/04 18:45:04
×10+
133考える名無しさん:05/03/07 22:38:12
>>131
"&" (1は文字列)
134新刊:05/03/10 13:13:09
----------------------------------------------------------------------

『プロレゴーメナ 人倫の形而上学の基礎づけ(中公クラシックス W42)』

カント〔著〕

中央公論新社刊 ¥1,500(税込:¥1,575)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02532775

----------------------------------------------------------------------
135考える名無しさん:05/03/10 22:53:33
>126の割付を手伝ったものです。
じつは、割付中に中島義道『カントの時間論』を読み、やな気分になったのです。
早稲田なので一文の哲学に進んだクラブの先輩が、高峯がいいといっていたことも頭の
隅にありました。

平凡社ライブラリー版は何よりも初版と第二版の読み比べがやりやすいということに特徴があります。
ハイデガーが初版を評価したとか、古くはショーペンハウエルが初版を評価して第二版をけなしたということを考えても
意味があると思います。買ってね!
136考える名無しさん:05/03/11 13:29:57
>>135
書き込み乙です。
そうですね初版と第2版のテキストが同時的に並行して割り付けられているのが
平凡社ライブラリー版の特長ですよね。
あと何より、安くてハンディなのがいいです。
以文社版も良い訳ですが、大きくて高いのと長めの注解のせいで
使いづらい。
その点で平凡社ライブラリー版は優位に立っていると思います。
岩波文庫版を使っている人にはこちらに乗り換えて欲しいですよね。
137考える名無しさん:05/03/11 21:59:17
漏れと高名な哲学者のカント哲学の理解度が違うのは漏れの理性が未発達だからなのですか?
138考える名無しさん:05/03/11 22:10:05
それもあるかもしれないが、それ以前の問題として、おまいはカントの著作を
きちんと読んだのか?
139考える名無しさん:05/03/15 20:52:58
このスレも訳の比較の話題だけですね。
140考える名無しさん:05/03/19 19:08:36
やっぱり初めは「プロレゴメナ」読んだ方がいいの?
141考える名無しさん:05/03/20 12:05:10
日曜のこんな時間に地震とは、リスボン大地震を思い起こしますね
142考える名無しさん:05/03/20 21:15:33
ぜんぜん
143考える名無しさん:2005/03/22(火) 12:36:16
>>140
純理に目を通したあとでプロレゴメナ読むと
あまりに内容がすっきり整理されてるので
ある種爽快ではあった

周囲に理解してもらえないカント先生の愚痴も楽しめる
144考える名無しさん:2005/03/22(火) 12:46:37
(続き)
純理読み通すのがちと辛く感じたら
先にプロレゴメナ読んでから純理読み直せばいいんじゃないの
個人的には、道徳形而上学うんぬんより、初めとしてはいいと思うが
145考える名無しさん:2005/03/22(火) 22:00:53
プロレゴメナ、新訳でたね。

しかし、大きい本屋に行って「中公クラシックスはどこにありますか?」
と、店員さんに聞くと、たいてい
「は?」
「出版社はどこですか?」
ってかんじ。
本屋なのに、しらないの?
146考える名無しさん:2005/03/22(火) 22:03:00
>>143
サンクスです。
宇都宮版買ってきて積ん読状態です。えらいもったいない。
147考える名無しさん:2005/03/23(水) 13:41:41
カント哲学のテーマは「自立オートノミー」

アンチノミーからオートのミーへ
これがメッセージです
148考える名無しさん:2005/03/23(水) 14:03:14
自立じゃなくて自律ね
149考える名無しさん:2005/03/24(木) 22:48:14
http://book.asahi.com/review/TKY200503220174.html

カントなどが人間は生得的に持っていると考えた
「時間」「空間」「因果性」などの概念が、
誕生後の経験から構成されることを立証した

↑ピアジェ本の書評で初めて知ったよ。おもしろいかも。
150考える名無しさん:2005/03/24(木) 22:54:18
>>149
生得的と超越論的は違うのだが。
カントだって、「我々の認識が経験をもって始まるということについては
いささかの疑いもない」とはっきり言っとるし。
151考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:00:24
でも認識の条件としての空間と時間は、
カントはアプリオリだと言っているわけでしょう。

超越論的に見えたものが生得的だったというわけ。おわかり?
152考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:05:04
>>149
立証なんかしてないだろ。言語習得についてだって、チョムスキーの説と
ピアジェの説のどっちが正しいか決着がついたなんて話は聞いたことないが。
153考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:05:22
えーっと、「アプリオリ」という単語を
どのような意味で解釈されていますか?
154考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:19:18
えーっと、「超越論的」という単語を
どのような意味で解釈されていますか?
155考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:24:34
>>152
しるかよそんなもんw 書評書いた奴に言えよ。
チョムスキーもピアジェも俺は知らないってのw
156考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:25:18
>>151
>超越論的に見えたものが生得的だったというわけ。おわかり?

君は、客観的実在に見えた時間・空間が実は人間主体の側の直観の形式だった、
とカントは主張した、と書きたかったのでは?
157考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:08:25
>>156
違う。156に書かれていること自体は間違っていないと
思うが、俺はいまぜんぜんそんなことを書きたかったのではない。
たんにピアジェ本の書評文を紹介したかっただけだ。

149に書かれている引用についての俺の要約(151)が
問題なら具体的にどこが引っかかるのか書いてほしい。
引用文自体に問題があるなら俺にケチつけても仕方なかろう。

つーかまともに日本語も読めない(ピー)しかいないのか、ここ?
158考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:23:12
ケチをつけてる、と取ること自体が自意識過剰だと思うが。
159考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:25:09
カント自体を読んでからおいで>149
160考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:43:52
>>158
ちゃんと反論してよ。ほら知恵しぼって。
>>159
おまえはカント以前にまず日本語から勉強しておいでw
161考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:49:47
すみません。一から出直します。
162考える名無しさん:2005/03/25(金) 01:50:24
・・・冷静になってみると確かに自意識過剰のところもあったみたい。
152は書評文を書いた人に言ったものかな。とするとアホは150と
153-154と159だけかw おやすみ
163考える名無しさん:2005/03/25(金) 02:03:13
>>160
君がリンク先のピアジェの本の書評の要約をしただけだというのなら別に文句ねーよ。
でも、「超越論的に見えたものが生得的だった」という文章はピアジェの本の書評の要約
に間違いがあってもなくても関係なく意味不明だろうが。
超越論的な哲学、もしくは超越論的態度とは、「(超越的な)対象について考証すること」
ではなく、「対象の認識を可能にする我々の側の認識の条件について考証すること」だから、
「超越論的に見えたものが生得的だった」という文は「対象の認識を可能にする我々の
側の認識の条件を吟味していく態度に見えたものが生得的だった」という文章に置き換えられる。故に正しいか
間違っているかという問題以前に全く意味不明。
しかし、君が超越的という言葉と超越論的という言葉の差異に無知なのだったのだとしたら、
誤解だが、誤解した意味は解る誤解。
164考える名無しさん:2005/03/25(金) 02:11:10
160は煽り専門。正体は某コテハン。
釣れそうな書き込みを見つけては煽りまくってる。
相手するだけ無駄。
165考える名無しさん:2005/03/25(金) 10:28:19
アプリオリかと思われたものが実は成長とともに身につくものだった、ってだけの話でしょ。
言語習得ともまた違う話。なんでもめてんの?立証されてないといえばカントのほうだしw
166考える名無しさん:2005/03/25(金) 17:46:18
カントの墓碑に刻まれているという
「我が上なる星空と内なる道徳律」。
この言葉は個人的に好き♪
167考える名無しさん:2005/03/25(金) 18:16:39
>>165
しつこい奴だな。
経験に伴っていることと経験に依存することは別だっての。
168考える名無しさん:2005/03/25(金) 20:25:08
>>167
なんかおまえだけ蚊帳の外だよねw
169考える名無しさん:2005/03/25(金) 21:47:17
いろんな推理小説とかの意外な結末、
SF小説のびっくり仰天のセンスオブワンダー、
それらすべてひっくるめて、
一番世界がひっくり返るような衝撃をおぼえたのは、
カント先生の、コペルニクス的転回でした。
びっくりしたなあ、もう。でも、一度聞いたらそうとしか考えられない。
170考える名無しさん:2005/03/27(日) 07:25:31
カントの篠田訳はいろんなところで評判悪いね。

純粋理性批判理>135がいってるように高峯一愚のがいいといわれるね。
平凡社ライブラリーの原佑&渡邊二郎訳はこないだ買った。

判断力批判は、他のスレで以文社の宇都宮訳と岩波全集版の
牧野訳が薦めらられていた。

実践理性批判は誰の訳がいいのかな?
171考える名無しさん:2005/03/27(日) 20:57:29
>>143
その後でまた視霊者の夢に戻って読むといいかも
永久平和のためにも大事な本だと思う


>>170
d
172考える名無しさん:2005/03/27(日) 21:08:22
慣れるとそれなりに快感なんだけどねw<篠田文体
173考える名無しさん:2005/03/27(日) 21:25:45
I want to touch young girl's cant!!
174考える名無しさん:2005/03/27(日) 21:29:04
Kant can't can cant !
175考える名無しさん:2005/03/27(日) 21:31:56

笑わせたいのか荒らしたいのかしらないけど、
スペル間違えたらバカ丸出しだな。
176考える名無しさん:2005/03/27(日) 21:33:18
>>172
俺も世間で言われているほど悪くないと思う。
直訳したほうがカントの場合は読みやすい
177考える名無しさん:2005/03/27(日) 21:46:14
Kant can't count a cunt.
178新刊情報:2005/03/29(火) 14:44:37
内田 浩明 著

カントの自我論
理論理性と実践理性の連関

A5判・275頁・定価3990円(本体3800円)
ISBN 4-87698-643-6


カントの自我論は、近代哲学において理論理性と実践理性とに関連する最重要な問
題であるが、本書は、日本のカント研究でほとんど顧みられなかった遺稿『オプス・
ポストゥムム』を徹底的に分析し、カントが夢想した超越論哲学の全貌を明らかす
ることによって、カントの初期から晩年に至るまでの自我論の展開を明快な筆致で
跡づける。

内田浩明(うちだ ひろあき)

[現 職] 日本学術振興会特別研究員(哲学)
1970年 兵庫県加古川市生まれ
1995年 立命館大学文学部哲学科卒業
1997年 京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了
2002年 京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、京都大学博士(人間・環境学)
http://www.kyoto-up.gr.jp/body/tosyo/tsy_sin.html
179目次:2005/03/29(火) 14:47:22
凡例

第一章 カントにおける対象と主体
    ――超越論的対象と超越論的主体という二つのXの観点から――
 はじめに
 第一節 超越論的対象と超越論的主体
 第二節 自己触発
 第三節 超越論的主体の認識可能性
 むずびにかえて
 註
第二章 実体的自我から主体的自我へ
    ――カントの自己認識論をてがかりに――
 はじめに
 第一節 『ぺーリッツの形而上学講義』と批判期における自己認識論
 第二節 実体的自我の超克
 第三節 自由な主体としての実践的統覚
 むずびにかえて
 註
第三章 カントにおける自由の実在性の問題
 はじめに
 第一節 蓋然的観念としての自由
 第二節 「理性の事実」による「自由の演繹」
 第三節 実践理性の内在的・構成原理と自由の実在性
 むすびにかえて
 註
180目次:2005/03/29(火) 14:48:26
第四章 カント実践哲学における感情の諸問題
 はじめに
 第一節 道徳の第一原理としての感情批判
 第二節 尊敬の感情とは何か
 第三節 尊敬の感情の二側面と人間の有限性
 むすびにかえて
 註
第五章 『オプス・ポストゥムム』におけるカントの自己定立論
 はじめに 『オプス・ポストゥムム』の成立とその解釈史
 第一節 批判期の「自己触発論」と『オプス・ポストゥムム』における「自己定立論」
 第二節 自我の論理的活動としての自己定立
 第三節 自我の形而上学的活動による空間と時間における自己定立
 むすびにかえて
 註
第六章 カント最晩年の超越論的哲学
 はじめに
 第一節 批判期における超越論的哲学
 第二節 『オプス・ポストゥムム』における超越論的哲学
 第三節 超越論的哲学の最高の立場
 おわりに
 註
  後記/謝辞
  初出一覧
  文献表
  索引
181考える名無しさん:2005/03/29(火) 14:48:33
カントは僕を救ってはくれない。
182考える名無しさん:2005/03/29(火) 20:11:04 ID:
こういうカント論を書く人って、たとえばハイデガーによる
カントの自我についての考えの批判とか、構成に出てきた
批判を踏まえて書いてんのかな。それともただのカント馬鹿?
183考える名無しさん:2005/03/29(火) 23:05:20
十中八九ただのカント馬鹿でしょうね。
184考える名無しさん:2005/03/30(水) 00:36:02
>>182
それを言うなら後世だろってのw

ま、カント学者なんて十中八九ただのカント馬鹿だろう。
でも若いねこの人。オプス・ポストゥムム?
185考える名無しさん:2005/03/30(水) 01:01:04
>>184
>オプス・ポストゥムム

というのはカント最晩年の未完の草稿群ですね。
ここにこそ、第二の『純粋理性批判』が胚胎しつつあったとみなす研究者もいます。
186考える名無しさん:2005/03/30(水) 09:48:24
プロレゴーメナは中公と岩波、どちらの訳が良いですか?
187考える名無しさん:2005/03/30(水) 10:25:45
>>186
岩波の篠田訳は読んでないけど、
中公版は読みやすかった
188考える名無しさん:2005/03/30(水) 11:02:08
篠田訳は避けるが吉
189考える名無しさん:2005/03/30(水) 15:56:44
中公にします
ご意見有難うございました
190考える名無しさん:2005/04/05(火) 07:55:35
篠田訳好きなんだけどなぁ〜
191ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 10:48:31
篠田訳しか読んでない香具師は厨
192ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 21:40:11
哲学プロパーじゃなくて、
しかも篠田訳が肌に合うのだったら、
それはそれでいいんでないかい。
193ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 02:53:18
好きにしな。
194ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 22:33:06
人稲
195考える名無しさん:2005/05/06(金) 22:44:14
保守age
196考える名無しさん:2005/05/12(木) 11:22:37
兵庫県尼崎市のJR脱線事故をめぐり、現場のカーブについて、JR西日本に
「速度超過になった場合、現在の左右のレールの高低差(カント)では十分で
はない恐れがある」との認識があったことが十一日分かった。

 関係者によると、十分なカントをつけるには、カーブ進入とともに徐々にレー
ルの高低差をつけるため、カーブ導入部の「緩和曲線」の距離を取ることが必要
になる。しかし、現場は十分なカントをとることが難しかった。
197考える名無しさん:2005/05/14(土) 02:58:25
精神的自動機械(Automaton spirituale)について教えてください。
198考える名無しさん:2005/05/15(日) 00:40:34
カントをドイツ語で読みたいのですが、テキストにお勧めのものありますか?
199考える名無しさん:2005/05/15(日) 00:41:05
純粋理性批判です。↑
200考える名無しさん:2005/05/15(日) 02:31:47
200
201考える名無しさん:2005/05/16(月) 21:49:59
>>197
スピノザですか?
カントにもそういう概念があったのなら不勉強でごめんなさい。
202考える名無しさん:2005/05/16(月) 21:54:04
あ、ごめんなさい。いま手元の第二批判調べればありました。
ライプニッツに由来するみたいですね。
203考える名無しさん:2005/05/29(日) 15:54:36
俺の頭ではカントは、学問的にはサッパリ0%わからないが、
『道徳形而上学原論』の「善と悪」「義務」等
善く生きようと実践する上では、人間の心理の動きを鋭く
観察してあり、とてもためになる。
(どれだけ自分が理解出来ているかは不明だが・・・)
204考える名無しさん:2005/05/29(日) 17:55:20
膣にちんぽを入れる以外にどんな感性が存在するんだ?
すなわち膣とは唯一認識できるもの自体である
205考える名無しさん:2005/06/01(水) 17:00:26
カントのア・プリオリな総合判断とア・ポステリオリな総合判断の
区別は正しいのでしょうか?

間違っているならば、なぜ間違っているのでしょうか?
206考える名無しさん:2005/06/02(木) 01:13:04
『永遠平和のために』を読んだ人いますか?
207考える名無しさん:2005/06/02(木) 01:16:07
カント『永遠平和のためにpart2』
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099868561/
208考える名無しさん:2005/06/17(金) 16:22:41
認識論ってバカが勝手に問題意識感じてやってるだけって感じ
カントが学問のレベルを酷く押し下げた現実だけは直視しないとな
209wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/06/17(金) 17:22:37
>208
押し下げたのではなく、認識論の構築の困難さに挑み、
とりあえず、当時としては、画期的な認識論たりえていると思います。
現在の地平から、「純理」の整合性、矛盾等、
もろもろが表出してくるのであって、
この著作が無かったとしたら、認識論も、アンチテーゼとしての一般論理学も、
英国経験論、等も、そのありようにおいて、
随分と低いレベルから開始せざるをえなかったものと想定されます。

210考える名無しさん:2005/07/07(木) 16:30:35
asada
211考える名無しさん:2005/07/18(月) 13:47:50
>>208
同時代のほかによほどひどいのがあったのしらんのか?
212考える名無しさん:2005/07/26(火) 05:20:53
岩波の純粋理性批判の訳がアマゾンであまり評判良くなかったんですが、
その他の本は岩波で読んでも大丈夫ですか?
213考える名無しさん:2005/07/26(火) 19:43:56
>>212
岩波って全集?文庫?
214考える名無しさん:2005/07/26(火) 20:44:55
>>213
文庫です。
215考える名無しさん:2005/08/02(火) 22:23:26
「道徳形而上学原論」と「人倫の形而上学の基礎づけ」って同じ本?
216考える名無しさん:2005/08/02(火) 22:51:51
>>215
同じだよ。
217考える名無しさん:2005/08/02(火) 22:59:03
>>216
ありがとうございます。
218考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:05:33
岩波文庫のプロレゴメナも、避けといたほうがいいんですか?
219考える名無しさん:2005/08/28(日) 14:50:32
越智:6ページで、構成的ルールと統制的ルールというカントを彷彿とさせる言葉が出ていますが、
これはどのように違うんですか。

坪井:カントというより、サールですね。言語行為論の。regulative ruleとconstructive ruleです。

越智:もともと構成的ルールと統制的ルールといえばカントですけどね。サールですか。
それで、どう違うんですか。

坪井:サールの、事実から価値への推論の話がありますよね。
その議論で、例えば約束をしたという事実は、約束というものを成り立たせるルールというものがあって、
つまり約束というものは守ることを前提にしているというのが暗黙のルールであって、
それが約束が成り立つためのルールである。
そういうルールが構成的ルールですよね。
その約束をどのようにして守らせるかとか、そういうことが統制的ルールです。
220考える名無しさん:2005/08/28(日) 14:57:09
プラトンは理念(Idee)を物自体の想像的表象と捉えたのに対し、
カントはそれをそのような真なる世界の観念というよりは、
あらゆる理念化を仮象として斥けるために物自体を用いた。
そして、理念の使用を構成的理念としてではなく、
統制的理念としてのみ用いることを許したのである。
221考える名無しさん:2005/08/28(日) 14:58:26
超越的な倫理は裏返りやすいもので、ちょうどマルクス“主義”では「人間」や「歴史」
という言い方が構成的理念化されて、大変抑圧的な働きをしたわけです。
構成的理念はだから、背中合わせになったプラス・マイナスの両方のエネルギーの源泉である、
という風に理解できるかもしれません。

柄谷氏は、この双方の危険性にマルクスは自覚的であって、
その考え方を表すために「統整的理念」という言葉を用いたのだと思います。
統整的理念は、言わば裏返らない倫理を求めることであり、形而上学を実践的なもの、
着実なものとして回復しようとする営みだったと言えるのではないでしょうか。

(このあたりがわかりにくいのは、柄谷氏の理解では、マルクスにとってコミュニズムが
倫理的問題であったとされることに関係しています。経済的平等や豊かさ、失業問題の解決は
福祉国家や社会民主主義でも可能なことで、必ずしもコミュニズムに要請されることではない、
社会構造の変革は倫理的な要請にもとづくものである、という認識です。
柄谷氏によればここにおいてマルクスはカントと急接近することになるのですが、
氏の解釈するカントの「自由」や「道徳法則」は高尚であるだけでなくなかなか独特なもので、
残念ながら正確な理解はわたしの能力の及ぶところではありません)

いずれにしても、統整的理念とは(つきつめれば個人の「自由」の次元からもたらされる理念であるとされるのですが)、
資本主義を個々人の内なる「倫理」によって、急進的ではなく漸進的に社会を動かす動因となるものである、
という風にひとまず理解できるのではないでしょうか。
222考える名無しさん:2005/10/02(日) 17:30:33
age
223考える名無しさん:2005/10/02(日) 19:42:53
>>212
岩波って全集?文庫?
224考える名無しさん:2005/10/03(月) 19:31:42
今日学校でカント全集の純粋理性批判を借り、
ふと気付いたのですが、『宗教論』はどんな感じなんでしょうか。
三大批判書で語られていなかった事は多くあるのでしょうか?
225考える名無しさん:2005/10/03(月) 23:29:05
特にない。実践理性批判の補足だよ。
226考える名無しさん:2005/10/04(火) 18:04:35
カントって文才ゼロだろ
227考える名無しさん:2005/10/04(火) 18:58:47
っていうかカントって文才ゼロだろ
228考える名無しさん:2005/10/04(火) 20:57:55
229考える名無しさん:2005/10/05(水) 15:35:55
ていうかカントって文才ゼロだろ
230考える名無しさん:2005/10/05(水) 22:52:13
文才ある哲学者って誰?
ベルクソンあたりは有名だけど。
231考える名無しさん:2005/10/05(水) 23:04:14
カントの文章はそれほど分り難いというわけでもなくない?
それよりも、哲学書って自分の持ち合わせた想像力をフル動員して
読まなくちゃならないから、そっちの方が辛い。
232考える名無しさん:2005/10/05(水) 23:26:36
>>230
ショーペンハウアー、ニーチェなど
233考える名無しさん:2005/10/06(木) 08:36:35
「カントの人間学」って新書まあまあ面白い
234考える名無しさん:2005/10/06(木) 20:55:01
現代の時代に比べたらカントなんか常識人そのもの
面白くも何とも無い
235考える名無しさん:2005/10/07(金) 10:02:35
>>231
いやあの文構造はやばすぎる。
日本の大学生には辛い。ドイツ人にも「変だ。(構文が)難しい」なんて言われるくらい。
訳書は全体に日本語として読みやすくなってる。
236考える名無しさん:2005/10/09(日) 23:23:59
或る程度通り越しちゃっている人なんだよ
237考える名無しさん:2005/10/10(月) 02:07:30
メンデルスゾーンって音楽家以外にも居るんですか?
238考える名無しさん:2005/10/10(月) 05:55:52
「判断力批判」読もうと思ってるんだけど、
岩波から出てるカント全集が良いとは聞いたけど、
以文社から出てる「判断力批判」の方はどうなの?
239考える名無しさん:2005/10/10(月) 12:10:57
>>238
岩波版全集の訳は殆ど以文社版を踏襲して訳されていると思う。
結論としては、どちらでもOK
240考える名無しさん:2005/10/10(月) 17:05:54
>>239
ありがとう。助かりました。
241考える名無しさん:2005/10/11(火) 11:15:50
>>237
音楽家フィリップスのおじいちゃんのモーゼスがカントと同時代の啓蒙思想家だお
242考える名無しさん:2005/10/13(木) 18:54:58
カントの文章ダメだあああああ無駄にわかりずれええええええええ
243考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:21:59
カントの文章見るとかなり理詰めで文章を構成するタイプだったんじゃないかと思われる
244考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:51:25
それは敢えて言うような事かいな、と。
245考える名無しさん:2005/10/14(金) 15:10:57
あえて言うことだと思う
246考える名無しさん:2005/10/15(土) 21:37:16
自家本の訳本ってありますか?

わざわざ自家本を引用してる研究者がいるけど、
A・B版とどういった違いがあるのかな・・・
247246:2005/10/15(土) 21:47:34
>>246 自己レス

すいません、スレを間違えました
248考える名無しさん:2005/10/28(金) 01:10:54
カントの生誕地、旧ケーニヒスベルクのGoogleEarth座標です。
Kaliningrad (Koenigsberg)
54.6921494926, 20.5230464917

リトアニアになったのかな、と思ってたらロシアのままですた。カントの家がどこかまではわかりません。。。
249考える名無しさん:2005/11/25(金) 13:49:03
>>248
凄い僻地ですね
250考える名無しさん:2005/11/27(日) 16:32:44
カントって純理だけじゃだめ?
哲学史の一応の理解のために一気に近代までの哲学者の主著読んでるんだけど、
カントは重要だしもっと読むべきか悩む。でも純理だって無駄に量多いし。
251考える名無しさん:2005/11/27(日) 18:11:55
>>250
どういう読み方なのかいまいち分からないけど、三批判書はカントのいわば
「方法論」だから、カントの思想を理解したいのなら、
 ・啓蒙とは何か
 ・道徳形而上学原論
あたりを読んだ方が良いように思いますが。方法論を知りたいと言うことであれば、
三批判書とも読んだ方がいい・・・のかな。純粋理性批判を読むのなら、プロレゴメナを
先に読む方がいいですよ。
252考える名無しさん:2005/11/28(月) 10:47:15
「生前の大学からの給料を株式投資して、2倍に増やし、没後その貯金額に皆が驚いた」という話を大学の授業で聞いたことがあります。
伝記や全集のどこかに書かれているのでしょうか?知ってらっしゃる方いらっしゃいましたらソースを教えてください。
253考える名無しさん:2005/12/12(月) 21:17:32
ラッセル(哲学入門)によると、カントの誤りはアプリオリな知識を人間の本性に求めたところで、
もしもそうだとするのなら、人間の本性次第で数学や論理が瓦解するというおかしなことになるのだそうです。
なんとなく納得できもします。
みなさんはどう思いますか?
254考える名無しさん:2005/12/13(火) 08:11:10
>>253
どの章のどのあたりでそう書いてあるのですか?
255考える名無しさん:2005/12/13(火) 15:01:45
第8章です。
256考える名無しさん:2005/12/14(水) 14:36:58
age
257考える名無しさん:2005/12/14(水) 17:15:13
私はラッセルのその本も見てますが
>人間の本性次第で数学や論理が瓦解する
瓦解という表現の妥当性はともかくとして、ある意味これがまさにカントの重要な指摘でしょうに
258考える名無しさん:2005/12/14(水) 22:57:22
「人間の理性には運命的な欠陥がある」、って言ってるわけだから。
259考える名無しさん:2005/12/15(木) 21:31:32
すまん。そもそも、ラッセルって数学や論理というものが実在していると考えてるの?
260考える名無しさん:2005/12/16(金) 19:10:23
そう言っていいと思う
261考える名無しさん:2005/12/17(土) 11:05:14
それはちょっと・・・
262考える名無しさん:2005/12/17(土) 16:07:30
ちょっと何よ
263考える名無しさん:2005/12/24(土) 12:23:08
264考える名無しさん:2005/12/24(土) 19:31:29
>>263
マンコ呼ばわりされてるぞ…
アナルカント聴いてるが、さすがにカントとCuntを結びつける発想なかったわ。
ニュー速住民のエロへのこだわりはすげぇと思った聖夜。
265考える名無しさん:2005/12/25(日) 09:59:01
>>264
>カントとCuntを結びつける発想

映画『羊たちの沈黙』ではカントとCuntを結びつけていたっけな。
266考える名無しさん:2005/12/26(月) 21:38:26
高峰一愚の訳はどうでしょうか?
267考える名無しさん:2005/12/26(月) 21:54:21
平凡社ライブラリでいいじゃん
268考える名無しさん:2005/12/31(土) 17:53:26
>>266
〈高峯〉ね。比較的評判はいいほうだと思います。
269考える名無しさん:2005/12/31(土) 17:56:10
こっちがいいよね〜
270考える名無しさん:2006/01/13(金) 23:31:05
コペルニクス的転回の意味を調べれば調べるほど分からなくなってきたのですが…
本当の意味ってなんでしょーか…?わからなくて頭おかしくなりそーです。
271考える名無しさん:2006/01/13(金) 23:33:10
主観があるから客観が存在するという意味でしょうか…?
272:2006/01/14(土) 08:36:58
形式論理学みたいなのとは違うの?
273ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/14(土) 08:53:57
教えてちゃんばっかだなー

判断力まで熟読する暇なんか普通ねーだろ
踊らされんなはげ
274wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/14(土) 13:54:50
>>273
純理の弱さがわかったら、実践、判断まで熟読するモチベーションは、普通は、失せる。
275考える名無しさん:2006/01/16(月) 20:10:52
カントの先天的総合判断の西洋哲学における意義と
その後の展開を教えてもらいたいのですがどなたかおねがいしますm(__)m
276考える名無しさん:2006/01/17(火) 00:10:25
純粋悟性概念の客観的妥当性とは
どういうことなのでしょうか?
277考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:43:59
プロレゴーメナすら読めないんだが……
なに言ってるのか分からん。30分で2ページぐらいしか進まん。
もう投げ出しそうだ。
278考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:54:15
>>240
「世界の中に俺がいるんじゃなくて、俺の脳内に世界があったんだ」って
・・・・・・「コペルニクス的転回」というより「逆コペルニクス的転回」ってゆうほうがいくない?
279考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:56:59
道徳は「定言命令」であるとはどういう考えですか?
280考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:08:54
>>270
俳優=精神、役柄=対象、演技=認識、と置き換えて考えてみよう。

・演技とは俳優が脚本に書いてある役柄をまねすることだ(認識がもとからある対象をとらえる)
と考えられていたが、カントはこれを逆にして

・役柄は俳優の演技から作られる(認識によって対象が生じる)
としたのだ。
281考える名無しさん:2006/01/25(水) 02:17:57
>>279

定言ってのは無条件っていうこと。

道徳的な「うそついちゃだめ」っていうのは、
「人から嫌われたくなかったらうそついちゃだめ」という形のやつ(条件的・仮言的命法)と
ちがうぞ、ってことらしい。
282考える名無しさん:2006/01/25(水) 21:59:00
>>279
道徳というより、定言命法にかなった行為指針が道徳的だということ。
現行の道徳とされてるものでも定言命法にかなわないものは道徳的でないとされるようになる。
283考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:44:20
カントは感覚が実際に存在しなくても我々の真意識における単なる感覚の形式としてアプリオリ(先)に成立するとしているがこの中での純粋直感とは何か説明しなさい。これだれか教えてください!!
284考える名無しさん:2006/01/26(木) 13:15:14
自分で調べるか読むか何かしような。一年生。
285考える名無しさん:2006/01/26(木) 14:40:32
石川文康『カント入門』ちくま新書

286考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:25:12
先験的演繹っていうのと、一般論理学・純粋論理学っていうのが分からない
んだよね。これに引っかかって分析論どまりの俺。原理論は読めたのに。
287考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:27:22
ふつうは飛ばしてまずアンチノミー読む。
288考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:29:54
>>287
まじっすか! 愚直に順番に読んでいたんですけど……
アンチノミーは簡単なのだろうか・・
289考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:32:30
>>287
それはちと無謀かと。
先験的感性、統覚、悟性、カテゴリー表等、
カントのいう先験的認識論(純粋理性)の定義をインプットしておかずに、
いきなりアンチノミーに行くと、かなりあぶないよ。
290考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:32:48
いや簡単じゃないけど、カントが最終的にやりたかったところのひとつだから、
あそこだいたい読んでから他の部分読んだ方が、全体の見通しがよくなる。
読む興味や意欲もわいてくる。でないと無味乾燥に見えちゃう。

昔の人はちゃんと前から読んであそこでがまんした汁を飛ばすような強い快感を
あじわったらしい。

291考える名無しさん:2006/01/26(木) 17:17:50
>>290
一段落目、石川文康『カント入門』ちくま新書にも同じようなこと
書いてあった気がするな。
292考える名無しさん:2006/01/27(金) 18:49:18
いま一愚さんの純粋理性批判入門よんでおります
293考える名無しさん:2006/01/27(金) 20:29:40
>>290
ハニヤ雄高もそうだね
294手塚 ◆kZ3T7x69ws :2006/01/28(土) 23:47:37
カントスレなんて2ちゃんにあるんだね。

カントは、熊野純彦さんの新書が入門にはいいんじゃないのかな。
アンチノミーからカントを読みこんでいる。

カントの場合、カテゴリーの演繹は、じつは演繹じゃないっていう論点もあるからね。
とっとと解説書ニ三冊読んで直行したほうがいい。

295考える名無しさん:2006/01/29(日) 00:07:20
熊野純彦はレヴィナスです。
296手塚 ◆kZ3T7x69ws :2006/01/29(日) 00:22:08
いや、新書書いてるでしょ。新書っつーか最近の洒落たシリーズの。

カントって結局バークリー、ヒュームの流れから入ったほうが理解しやすい。
297考える名無しさん:2006/01/29(日) 00:26:48
NHKのやつか。すまんな。
298考える名無しさん:2006/01/29(日) 00:45:42
手塚てどんだけバカなんだ?
299考える名無しさん:2006/01/29(日) 19:34:04
Critique of criminal reason
by Michael Gregorio

カントの弟子が殺人事件を捜査する、というミステリ。
日本では『純粋理性批判殺人事件』とかいう題名で翻訳が夏頃出るらしい。
300考える名無しさん:2006/01/29(日) 19:51:49
純粋理性批判殺人事件ってwwwwwwwwwww
301考える名無しさん:2006/01/30(月) 10:25:45
>>299

ネタだろ?
302考える名無しさん:2006/01/30(月) 10:33:43
邦題は「犯行理性批判」としたほうが売れそう
303考える名無しさん:2006/01/30(月) 13:14:34
Critique of criminal reason
by Michael Gregorio
http://www.faber.co.uk/article_detail.html?aid=34565&clid=33
304考える名無しさん:2006/01/30(月) 18:24:26
カントの晩年は悲惨なものだったらしいけど
ボケが進んでとか
詳しい人教えて
305考える名無しさん:2006/02/05(日) 01:50:17
>>294
あんがと。入門書をききたいと思っていたんだ。
NHK出版のシリーズですね。良作揃い。
306考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:26:36
アンチノミーからのカント入門はちくま新書の石川文康のやつだぉ
307考える名無しさん:2006/02/07(火) 22:49:08
308考える名無しさん:2006/02/11(土) 01:51:14
↑ちがうよ
309考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:22:19
ちがうの?
310考える名無しさん:2006/02/13(月) 01:14:33
石川文康『カント入門』ちくま新書 だよ。
311考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:21:29
ウィル・デューラント『世界の歴史』

Z 死後

哲学者の散歩道

肉体的には当時としてカントは最も小柄な一人で、−身長は5フィートちょっとしか
なく、脊椎が前方に湾曲していたため背はさらに低かった。彼は胸部が弱く、胃の病気
にも悩まされたが、それでも生き長らえたのは規則正しい節度ある食養生のおかげだった。70歳で彼が論文「決断による病心支配の精神力について」をあらわしたのは、彼特有の
性格のあらわれであった。彼は鼻で呼吸する利点を強調した。口を閉じれば風邪を引かず
にすみ、災いを免れる場合もある。こうして、彼は日々の散歩を会話を避けながら一人
で行なった。就寝はきまって十時で、起床は五時だったが、30年の間寝過ごした経験は
なかった−と彼は確信している−。彼は二度結婚を考え、二度とも身を引いた。しかし、
人付き合いが悪かったわけではない。彼はよく一,二の客を招いて午後一時の昼食を共に
したが、ほとんどは弟子たちで、婦人を招いたことはなかった。彼は地理学の教授であり
ながら、ほとんどケーニヒスベルグを離れなかった。彼は山を見た経験がなく、おそらく
近くにあった海も見ていないであろう。

彼は貧しさと検閲を、誇りによって耐え抜いた。彼は理性以外の権威には、うわべだけ
の譲歩しかしなかった。彼は寛大な心の持ち主ではあったが、判断はきびしく、まじめに
取られすぎる哲学を救うユーモアの感覚に欠けていた。彼の道徳感覚は、ときとして倫理
の衒学にまで高まることがあった。それが高潔と判明しない限り、彼はすべての快楽に
疑問を投げかけた。
312考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:24:08
ウィル・デューラント『世界の歴史』(続)

彼は組織化された宗教に、ほとんど関心を示さなかった。そのため大学での職務上必要
な場合だけしか、教会には顔を出さなかった。彼は円熟した人生を念じたことはなかった
ようである。カントの学生たちが抱く宗教への懐疑は、カント自身の教えに原因があると
ヘルダーは報告している。カントはメンデルスゾーンに、「私は多くの事柄をはっきりと
確信を持ちながら納得がいくまで考えますが、考えないことは述べる勇気もなく、口にも
出しません。それは偽りのないところです」と書いている。
 
彼は晩年に至るまで、仕事の改善をはかって努力した。1798年に、彼はある友人に
こう言っている。「私がいま忙しく手がけている問題は、自然科学の形而上学的根底から
物理学に至る推移と密接な関係があります。この問題は解決しなければなりません。そう
でないと、ここで批判哲学の大系に亀裂が生じるからです」。しかし同じ手紙で、彼は自分
のことを「知的な仕事には無能です」とも述べている。彼は長い老衰期に入って病いが
高じ、さびしいやもめ暮らしを続けて、1804年2月12日に世を去った。彼はケーニヒ
スベルグ大聖堂に埋葬されたが、そこはいまでは「カントの柱廊」として知られている。
彼の墓には、次のような彼のことばが刻まれている。

「わが頭上には星くずに輝く空、わが心には道徳のおきて」
313考える名無しさん:2006/02/25(土) 23:46:29
実際にカリーニングラード(旧ケーニヒスベルグ)で
大聖堂やカントの墓をお参りにいかれた方、いますか。
314考える名無しさん:2006/02/26(日) 23:40:59
カントを読むときの最大の力点

存在者の概念とその現実的存在を区別し、前者から後者を導き出す
ことはできないという、近代認識論の飛躍的前進に注意することである。
「存在は決して実在的述語では無い」と彼が語るとき、このことを簡潔に
述べている。これさえつかんでおけば、ジャーゴンのカント全書は、
翻訳でも十分読みこなすことができよう。
315考える名無しさん:2006/02/27(月) 00:53:32

こいつバカ
316考える名無しさん:2006/03/01(水) 14:30:18
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
317考える名無しさん:2006/03/06(月) 23:16:03
講談社学術文庫版・天野貞祐訳の純粋理性批判、復刊ドットコムからメールが来たな。
復刊なったらいいなぁ……
318考える名無しさん:2006/03/15(水) 18:59:32
■「純粋理性批判 1〜4 (講談社学術文庫版)」(イマヌエル・カント著/天野貞祐訳)
■ 最近の特集ニュース(1件)

復刊特集「哲学」
http://www.fukkan.com/group/?no=1028
2006/03/06 『純粋理性批判 1〜4 (講談社学術文庫版)』が規定数に到達しました。

ばんじゃーい∩(・ω・)∩ばんじゃーい
319考える名無しさん:2006/03/16(木) 01:25:15
おめ
320考える名無しさん:2006/03/17(金) 17:03:22
婚約指輪、賠償金

相手があげたい、あげたくないと思っているから価値がある(物自体に価値はない)
321考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:36:56
純粋理性批判を読みたいんですが
Guyer and WoodとNorman Kemp Smith
どちらの翻訳のほうがいいですか?
322考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:48:18
>>321
>Norman Kemp Smith

専門家でないならこちらの方が無難かと。
323321:2006/04/04(火) 16:07:32
私は専門家ではないですし、
無難というのがどういうことかよくわかりませんが
どういった違いがありますか?
324考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:37:03
それにしても、何でまた英訳で読みたいんだ?
325考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:42:45
ドイツ語と日本語より
ドイツ語と英語のほうが近いから
ドイツ語は読めません
326考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:01:31
哲学やってると英語なんかよりにドイツ語のほうがはるかに大事になってくるよね
327考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:28:41
>>325
素人はそう思うんだけどね。
訳者の文献学者の資質が大事。
それに、翻訳してある時点で英語も日本語も変わりなし。
よりなじみの深い日本語のほうがいいだろう。
なじみの浅い言語でこういう難しい本を読んでも時間の無駄か弊害。
思考が大事だからねぇ
328考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:44:42
たとえば、「absolut」と「絶対の」。 文中で、この語に遭遇すると、日本語ではそこだけ思考ベクトルが逆転されて原意の思考の流れはめちゃくちゃ。
329考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:53:35
>>326
> 哲学やってると英語なんかよりにドイツ語のほうがはるかに大事になってくるよね

お前は日本語を大事にしろ。
330考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:58:09
文献的にきっちり読まなくちゃならない研究者と違って、
一般人はてけとーに日本語訳で読めばいいんじゃないの?
訳に拘ってる人ってなんなの?大事なのは内容を理解することだろ?
それとも内容を理解するには数学を始めとしたいろんな知識経験が
求められるから、訳書の吟味をすることでお茶を濁しているのか?
そんなことならそもそも哲学書など手に取る必要もなさそうだし。
この板でたびたび出てくる訳の話題は正直不可解。
331考える名無しさん:2006/04/04(火) 21:51:42
訳に拘ってる人ってなんなの?大事なのは内容を理解することだろ?
そのとーり!
332考える名無しさん:2006/04/04(火) 21:59:03
>>330に同意
母国語での理解が一番いいのは間違いない
わざわざ外国語で読むことは時間と内容を無駄にしてる

>>329
陰険だねw
333考える名無しさん:2006/04/05(水) 01:50:06
俺は学部時代に教授から「きみ、○○さんの訳で読んだでしょ?」
「これこれこういう誤解をしてるから○○訳だとすぐわかったよ」
と言い当てられて以後なるべく原語で読むようにしてる
334考える名無しさん:2006/04/05(水) 02:02:12
教授の誤解だろwwwwwwwwwwwwww
335考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:44:49
>>333
すげーな。
336考える名無しさん:2006/04/05(水) 12:37:31
教授の誤解のほうが可能性は高いな
337考える名無しさん:2006/04/05(水) 16:33:57
>>328
 哲学関連の和製漢語の弊害。 日本人が西欧型の抽象思考に苦手な理由。
338考える名無しさん:2006/04/05(水) 16:37:17

 ば か や ろ う

339考える名無しさん:2006/04/06(木) 08:22:50
>>337

したがって原語で読むのが最も効率的。

それが困難なら、関連キーワード群の和製漢語について、その原語のみならず、その語源にまで遡って究極の原意を必ずおさえておく。
340考える名無しさん:2006/04/06(木) 12:54:03
んで結局スミスとウッドの違いは?
341考える名無しさん:2006/04/14(金) 01:22:29
しね
342考える名無しさん:2006/04/18(火) 06:16:09

「わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則が賛嘆と畏敬をもって心を充たす」

何だろコレ
343考える名無しさん:2006/04/18(火) 14:34:39
別巻っていちばん最後に配本すもんだろ、何やってんだよ
訳者が税金対策で延ばしてんのか?
344考える名無しさん:2006/04/22(土) 22:46:09
純理読み途中のものですが、空間と時間のアプリオリな感性の認識形式であることの
の証明は圧巻でした。あれは歴史に残る証明だ、などと考えていましたが…評価はどうでしょう?
凄い綿密で、今までの哲学をズバっと斬った感じじゃないでしょうか
345考える名無しさん:2006/04/23(日) 02:01:10
今では割と無理矢理なデタラメってところで落ち着いてると思うが。
まぁ熱心なカント信者は怒るだろうけど。
346考える名無しさん:2006/04/23(日) 07:11:23
>>344
フリーターなのに評価にこだわる理由は何ですか?
347考える名無しさん:2006/04/23(日) 09:28:02
まだ学生です^^;
>>345 そうなんですか…
観念論の空間時間については一応あの証明で落ち着いたって事でいいんですかね
348考える名無しさん:2006/04/23(日) 10:36:22
この前はフリーターって言ってたと記憶してるんだが。
349考える名無しさん:2006/04/23(日) 16:26:12
カントの本は本人が書いたもの以外はちょっと読んだことあります。
カントって今までの時代の幹や根みたいなものですね。
カント以降の他の哲学者は風潮こそ起しもすれ万人に共有されてない
と思いましたカント自身の本で入り易いものは何でしょうか?
やっぱり世界の名著でしょうか?
350考える名無しさん:2006/04/24(月) 20:34:03
>>349
プロレゴメナからカントに入ろうとしてコケた私としては、それはお勧めできません。
いきなり純粋理性批判にかじりつく方が、「虻蜂取らず」にならずに済むでしょう。

純粋理性批判を噛み砕いたところで、プロレゴメナも読む、というのが定跡だと思います。
351考える名無しさん:2006/04/26(水) 03:53:58
『啓蒙について』(岩波文庫)
352考える名無しさん:2006/04/29(土) 08:55:32
カントの祖先はイギリス人で、祖父の代にドイツに移住したという話は本当でしょうか?

353考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:44:36
一般論理学の中の純粋論理学と応用論理学。それとオルガノン。
この三つの具体例挙げてホシス
354考える名無しさん:2006/04/30(日) 17:00:35
カント読まないと、やばい?
355考える名無しさん:2006/05/02(火) 10:55:09
規則、規準、規定
356考える名無しさん:2006/05/02(火) 17:32:06
別の板での書き込みを見て来てみたんですが、カントが考えたアプリオリな理性?ってものは、
今の哲学界では、どのように考えられてるんでしょうか?

神が等しく与えた人権、なんて概念はそれがないと意味無いと思うんですが。
357考える名無しさん:2006/05/02(火) 18:30:10
おもしろい人ですね。
358考える名無しさん:2006/05/02(火) 18:55:26
ここまでくるとネタだろ。
359考える名無しさん:2006/05/02(火) 20:17:28
カント読んでないが、噴いたw
360考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:19:13
いやネタじゃなくて、
哲学はあまりやってないんでね。

今の社会的事象には、そういう前提(人は理性的存在という)があるでしょ?
361wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/05/02(火) 21:36:38
>360
人はつねに合理的に判断する、というのは、経済学でも否定されつつあるみたいだよ。
ミクロでも、マクロでも。
362考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:40:25
カントなんてドイツの片田舎のひきこもりじゃん。
そんな人間の妄想につきあって大事な人生無駄にするなよ。
そうでもしなきゃ自我が支えられないってなら別だけどさ。
363考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:45:29
>>361
そうかもしれないが、例えば、最近の事件絡みで、少年院での「矯正」、「教育刑」なんて考えの背後にあるのは、
人は理性的な存在であるはずだ、という思いこみでしょ?

それは、イギリスからドイツの観念論、フランスの人権思想から来てると思うんだが、それは、
今の思想界で、とう処理されてるのかと思ってね。
政治的、文化的な世界では、否定されてはいけない前提のような気がするけど、哲学の世界ではどうなのかと。
364考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:51:31
>>363
あるはずだ、じゃなくて、あるべきだ、なのでは?
>政治的、文化的な世界では、否定されてはいけない前提のような気がするけど、哲学の世界ではどうなのかと。
経済学も政治学も「こうあるべきだ」を語る規範的な学問だから、合理性を前提とするのは当然だと思う。
哲学は一応「現にこうなっている」を語る実証的立場でしょ?人間の性的な側面や不合理性を語って臆する必要がない。

365wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/05/02(火) 21:53:38
>363
少なくとも、政治的には、有権者がみな理性的であっては困る、という前提はありますよね。
カントのア・プリオリな理性というのも、経験論から打破されていると思います。
人間の認識、理性を楽観視するのは危険だと思いますよ。
366考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:55:16
>>365
アプリオリって論理的に前提しちゃうってことでしょ?
それを経験論的に打破できるものなんですか?
367wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/05/02(火) 21:57:01
>366
ア・プリオリのアンチノムはア・ポステリオリだとして、それは経験に基づくものですよね。
368考える名無しさん:2006/05/02(火) 22:06:18
>>364
しかしですね、フランス啓蒙思想の影響(特に人権の面で)を政治的世界(憲法とか)も受けてるわけで、
哲学の世界と政治の世界は別世界だ、と言うわけにもいけないのでは?

特に刑罰の世界では影響が悪い方に強く出てると思うんですけどね。
被疑者の「人権」、死刑反対、少年の矯正とか、直接的にどこから発しているのかは不明だけれど、
フランス啓蒙思想が一つの出発点には違いないのではないかと。
で、同時代のカントの理性論はどう関わって、現代において、どう始末が付けられてるのかが知りたかったんですが。
369考える名無しさん:2006/05/02(火) 22:12:15
>>367
うん、そうなんだけど。それでいいのか…
よくわかんないからままいいや
370wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/05/02(火) 22:20:58
>>368
社会の秩序維持を第一義にすれば、人を殺してはいけません、という契約/規範をかぶせる必要がありますよね。
これは、従来の宗教に基づくものではなく、ヒトの理性に依存します。
では、この理性が本源的にどのようなものであるかを語ろうとしたのがカント。
カントは、「純理」で、本来の意図に反し、先験的理性の壁/限界にぶつかり、理性に対し、その越権を誡めていますね。
371考える名無しさん:2006/05/02(火) 22:44:57
>>370
そうですか。神が万人に与えた人権、という考えの元になったのは単なるキリスト教なのかな。
何か他にありそうな気がするんですが。
372wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/05/02(火) 23:16:31
>371
「一般意思」(ルソー)にしても、フランス革命にまで影響を与えてはいますが、ヒトの理性に依存するものではありませんよね。
おおまかには、過度の私有を誡めたものだと理解してます。
また、キリスト教に、「神が万人に与えた人権」という思想は、ありましたっけ?
寡聞にして知りません。
「神が」という主語を取れば、英国経験論辺りからそういう思想はあると思いますが。
373考える名無しさん:2006/05/04(木) 20:19:31
『 テ エ ゲ と ト ン カ 』 著 ル メ ム ジ ・ ク ル オ ゲ
374考える名無しさん:2006/05/18(木) 13:01:43
突然ですいません。悟性という言葉をわかりやすい現代語にあらわすと、どういう言葉になるんですか?おしえてください。おねがいします。
375考える名無しさん:2006/05/18(木) 20:17:42
>>374
哲学生を卒業してから○十年経つので、哲学のことなんかほとんど忘れている
から、大きな口はたたけないんだけど、現代語では「知性」が一番近いと思います。
376考える名無しさん:2006/05/22(月) 16:57:48
純粋理性、理論理性、悟性、理性、判断力、実践理性の違いが分かりません。
教えてください。
377考える名無しさん:2006/05/22(月) 17:15:13
「彼は,幻想的世界観,虚偽の論証を駆使し,新しい神学,論理的
御伽噺を形成したのです。濁世,痾世の中で,幼蒙,病態の主体は,
幻想,空想,虚偽,独断,頑迷の対極・中間的世界を独善的に
反動,反復し続けているのです。低次の理念・実態,理想態・
現実態,本質・現象,理性・感覚,イデオロギー・脱イデオロギー,
哲学・反哲学,科学,反科学,思識・不可思議,観念・止観,
可知・不可知・・・を究明,超克することが必要です。」
『更新』p.137「カント」より 遠ъ翁

意味がわかりません
378考える名無しさん:2006/05/22(月) 17:44:33
>>377 これはひどい
379考える名無しさん:2006/05/23(火) 00:04:18
遠ъ翁

誰だコイツ
ググっても一件もヒットしなかったけどネタ?
380考える名無しさん:2006/05/23(火) 00:13:43
381考える名無しさん:2006/05/23(火) 00:22:55
382考える名無しさん:2006/05/23(火) 01:50:17
なんだかよくわからないけれど一ついえるのは、キモイってことだな
383考える名無しさん:2006/05/28(日) 23:45:36
実践で、理解できないところがあるんですけど、
格率と命法を峻別するには、どういうように行為しなければならないのでしょう。
384考える名無しさん:2006/05/30(火) 01:09:51
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。
日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、
「ドイツ哲学の学者達」の悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、
偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。この病気は今でもなかなか治らない。
本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、
ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)
を使いたがる読んでいる方はいやになる。
こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。
どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。
やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。

http://www.soejima.to/ 副島隆彦の学問道場
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/株式日記と経済展望
http://geopoli.exblog.jp/地政学を英国で学ぶ
http://kyuuri.blogtribe.org/ Libertarianism @ Japan
http://www.aynrand2001japan.com/index1.html アイン・ランド研究会
385考える名無しさん:2006/05/30(火) 01:23:29
でもカントはあなたよりはわかりやすい言葉使えるからいいと思う(´・ω・`)
386考える名無しさん:2006/05/31(水) 02:49:40
Recently I am reading Kant's KdRV, as well as P.F. Strawson's 'The Bounds of Sense'
and H. Allison's 'Kant's Transcendental Idealism'. I am trying to understand how Kant himself
would justify his own applications of the famous yet notorious concept of Ding an sich
in his epistemological theory through studying the debates between two great interpreters mentioned above which focuses
on the real claims Kant makes about transcendental idealism, which, according to different
understandings, could be determined to be either an essential or incoherent element in the First Critique.
387考える名無しさん:2006/05/31(水) 20:40:27
↑のヤフー翻訳。

「最近、私はカントのKdRV(P.Fと同様に)を読んでいます。ストローソンの
『感覚の境界』とH.アリソンの『カントの超越論的観念論』。私はカント自身
がどのようにカントが超越論的観念論について本当の主張に関してどの焦点を
作るかについて言及される2人の偉大な通訳の間で議論を研究することを通し
て物自体の有名であるが、悪名高い概念の彼自身のアプリケーションの彼の認
識論の理論を正当化するか理解しようとしています。そして、それは、異なる
合意によって、First Critiqueの必須であるか首尾一貫しない要素であると固
く決心していることがありえました。」
388考える名無しさん:2006/05/31(水) 22:16:35
incoherentはinherentのタイポとして見逃してあげるとしても、典型的なジャプの英語モドキだな
389ポコ:2006/06/07(水) 20:22:59
アプリオリな総合判断を誰か、分かり易く説明して貰えませんか?
カント好きの方、お願いします。
カント…苦手なんです。
390純理!:2006/06/11(日) 21:33:44
これから半日で純粋理性批判の超越論的感性論の空間を読みますので
協力してください。一時間ごとに現われます。
材料は、以文社の宇都宮芳明訳の純粋理性批判とカント純粋理性批判入門(黒崎政男)です。
ご協力お願いします。
391純理!:2006/06/11(日) 21:36:55
本スレがありましたので、そちらに移動します。
マルチで失礼しました。
392考える名無しさん:2006/06/12(月) 18:24:39
カントが哲学史上どうしてこんなに名高いのですかね?
393中西克徳:2006/06/12(月) 19:19:21
二律背反に悩んだことがあるからさ!!
394考える名無しさん:2006/06/13(火) 12:51:09
イマヌエル・カントをカント派の詩人シラーはこう絶賛してる―――


見よ!いかに一人の豊かな人間が、多くの乞食に生きる糧を与えたかを!


395考える名無しさん:2006/06/15(木) 19:05:25
カン・ナオ・ト
396考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:38:10
人間は幸福のみを求めて生きるのではない。カントは、アリストテレスとは違って、人間の生き方の究極目的は幸福のみではないと考えている。
カントは、幸福のみを求める生き方を否定して、理性によって道徳的法則に基づく「善い意志」を実現していく生き方を追求する。善い意志とは、
義務の法則に基づいて行為することを志向する意志である。道徳的法則は、善い意志を実現させるための、理性的存在者すべてに普遍妥当性をもつ法則である
。したがって道徳的法則の遵守によって「善」が実現する。
われわれは、自己の幸福を求める欲求や傾向性を克服して、道徳的法則を根拠にして直接に意志を規定することよって、行為の道徳的価値を成立させるのである。
人間は、自らの行為を規定する場合、自己の利益や幸福を得ることを目的として、そのために何を為すべきかを考えるのみでなく、何を為すことが道徳的価値を
もつことになるのか、つまり、何を為すことが道徳的に正しいかを考える。


397考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:40:15
道徳的法則が普遍妥当性を有するのは、それがア・プリオリな原理から導かれるからである。
仮言的命法は、(幸福)を獲得することを目的として、この目的を達成するための手段としての行為を命令する。
これに対して定言的命法は、絶対的にその遵守を端的に「〜をすべし」と命ずる。定言的命法であるがゆえに、
われわれは道徳的法則を遵守することがわれわれに課せられた義務である。そして、道徳的法則に従った行為が、
「善い意志」を実現させるのであり、実現される「善い意志」が「善」である。カントは、道徳的法則を「汝の意志の格律を
同時に普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ」と表現している。普遍的立法と一致する格律によって、
意志を規定しなければならないのである。道徳的法則は、自己立法に基づいて自己の意志を規定するという意志の自律を命令するのである。


来週、試験があるんですけどこれで意味通じますか?・・命法ってよくわかりません・・
398考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:40:45
難しいですね
399考える名無しさん:2006/07/23(日) 17:17:34
カントの問いの一つ「私は何を知ることができるか」
っていうのは純粋理性批判で応えられていると聞き、いろいろ調べたのですが、
ア・プリオリな総合的判断ができるかどうかが純粋理性批判の内容だとしたら、
これと最初の問いはどう関係するのでしょうか?
400考える名無しさん:2006/07/23(日) 19:19:11
哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去する事にある。
401考える名無しさん:2006/07/23(日) 19:25:33
という幻想も除去しねーとな。
402考える名無しさん:2006/07/28(金) 14:01:45
純理でプラトンを暇人呼ばわりしてたのはワラタ
403考える名無しさん:2006/08/01(火) 06:33:06
>399
先天的総合判断
=学問的知識
404考える名無しさん:2006/08/04(金) 21:03:26
初心者です
『道徳形而上学原論』読んでいます
やはりカントは凡人には歯ごたえあります
405考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:30:45
ttp://www.honya-town.co.jp/hst/HT/kinkan/bunko/02_b.html
光文社古典新訳文庫
永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 カント 中山 元
406考える名無しさん:2006/08/18(金) 00:08:08
学問的認識の普遍性と必然性は、あらゆる経験から独立に、理性が
その自発性によって対象に投げ入れるア・プリオリな認識によって
のみ保証される。
407考える名無しさん:2006/08/18(金) 00:11:48
>>406
数学的構造の実在への適用(例えば物理学)はまさに、そのようなケースと
言えますね。
408考える名無しさん:2006/08/21(月) 19:36:35
とうとう翻訳が出ますが、駄作なので読む必要はありません。

ttp://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_search.php?pcd=200507000157
409考える名無しさん:2006/08/21(月) 19:51:39
>>408
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!wwww
410考える名無しさん:2006/08/22(火) 00:01:54
純粋理性批判殺人事件 上

哲学者カントが連続殺人事件の謎に挑む!
[ 著者 ]
マイケル・グレゴリオ

なんじゃこりゃーっ!
411考える名無しさん:2006/08/27(日) 20:32:58
>>408
ちょww詳しく頼むwwwwww
412考える名無しさん:2006/08/27(日) 20:46:33
馬鹿やったぞ。それでも上がって笑いあっていたぞ入れなかったけど俺
413考える名無しさん:2006/08/27(日) 20:48:24
日溜まりでな
414考える名無しさん:2006/08/28(月) 16:12:14
>>408
なんだろ?カントがシャーロック・ホームズにでもなるのかな?
415考える名無しさん:2006/08/28(月) 20:35:10
>>408
二律背反に陥って解決できないという結末なんだろ。
416考える名無しさん:2006/08/28(月) 22:50:41
超越論的仮象ってなによ?
417考える名無しさん:2006/08/28(月) 23:00:32
超越論的ガチョーンのことなら
谷啓に訊け
418考える名無しさん:2006/08/30(水) 20:44:21
>>408
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_search.php?pcd=200507000157

1804年といえば、カントの死去の年だ。
カントは晩年、ひどいアルツハイマー病の症状があり、知的活動はほとんど
全くできず、妹に看護されて家にこもったまま、その年の2月に死んでいる。

この小説はボケ老人が主役の小説か??
419考える名無しさん:2006/08/30(水) 23:12:43
言われてみれば……。
420考える名無しさん:2006/09/04(月) 18:35:46
>>408
多分、それほど面白くはないんだろうけど、Amazonで注文したわ。
421虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2006/10/01(日) 18:17:19
ラッセルのネタはおもしろいと思う。

(1) ラッセル→カント
カント「空間は無限のものとして表象される」
ラッセル「これは、ケーニッヒスベルクのような平坦な土地に住んでいる人の見解である。アルプスの渓谷に住む人にはそのような見解は採用し得ないと思う」
(2) ラッセル→カント
カント「因果関係概念に対するヒュームの批判が、私を独断論のまどろみから目覚めさせた」
ラッセル「その覚醒は一時的なものに過ぎなかったのであり、まもなく彼は催眠剤を発明して、再び眠りにつくことができたのである」
422考える名無しさん:2006/10/01(日) 20:40:59
トンチンカント
423考える名無しさん:2006/10/05(木) 18:55:10
カントに詳しい方に質問です。
「カントと労働」について論じなければならないのですが、フリーターをやってる人にとって、正社員として働くことは自己に対する完全義務(正社員になれば評価されるが、別にならなくてもいい)なのでしょうか。
ならなくても責任は問われないので、完全義務ではない気がするのですが…、ならないと社会からの実質的不利益がありますよね…。
労働の義務は、完全義務、不完全義務どちらなのでしょうか?
424考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:00:32
>423
「不完全義務」って何?
425考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:20:43
>424
423です
すいません間違いましたm(_ _)m 「やれば評価されるが、やらなくても責任を問われない」のが不完全義務でした。労働の義務は、破っても責任は問われないですが、社会から不利益を被り、間接的な義務ですよね?
このようなものはカントはどちらにカテゴライズするのでしょうか?
426考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:38:47
(「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。

「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、
とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。
これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。
室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、
何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。
これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。
じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、
フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは
アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。

 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、
考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(引用おわり)
427考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:40:10
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。
日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、
ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。
読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。
どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。
やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。
副島隆彦「属国日本論を超えて」

(副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋)
私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と
いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、
というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。
このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。
全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。
この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。
(抜粋おわり)
428考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:40:44
(副島隆彦「今日のぼやき」2001.11.18より抜粋)
これが、14世紀のイギリスのノミナリスト(個物派)神学者ウイリアム・オッカムの、
「オッカムの刃 Occum's Razor オッカムズ・レイザー」と言います。オッカムの剃刀(かみそり)とも言います。
「すべてを、ばっさりと大きく、大きく、簡単にして、ぐさりと、切り裂いてみせる態度、および、言葉の使い方」のことです。
このオッカムの刃、の凄(すご)みが分からないようでは、日本の知識人階級などというものは、東アジアの土人だ。
土人のまじない師階級だ。「お前だってそうだろ」と悪罵を投げつけられるなら、「当たり前だ」と即座に答えます。
(抜粋おわり)
429考える名無しさん:2006/10/05(木) 19:42:05
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの
古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。
全くヒドいものだの一語につきる。
日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの
でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は
「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。
現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ
の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」

前ページに神学対近代学問(サイエンス)の壮大な対立図式を示した。これ以外に下等学問としての
「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの日本語訳である。
ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という意味である。
だから人文は、簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他には歴史学があり、その内容は
古文書や石碑の文の解説などを行うことだ。これらは、学問としては下等学問である。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
430考える名無しさん:2006/10/07(土) 02:10:36
前に読みたいなと思っててすっかり忘れていた中島義道『空間と身体:続カント解釈の冒険』が、ちくま学芸文庫から出たね。
「続」じゃないほうは講談社学術文庫だったのに。
しかも『カントの法論』って題名が変わってたから、最初『空間と身体』だとは気づかなかった。
431考える名無しさん:2006/10/08(日) 09:05:01
道徳形而上学の基礎付けの、第一章22以降に出てくる、直接的な傾向性って何?
義務?
432考える名無しさん:2006/10/09(月) 02:24:47
test
433考える名無しさん:2006/10/10(火) 01:18:19
>>423
完全義務と不完全義務を分かつ境目は、格率が普遍化可能かどうかによる。
例えば『基礎づけ』に示されてる例では、
「生きるのが辛いときは自分の生命を絶つ」という格率は、
普遍的法則となりえないので、自殺をしないことは完全義務とされる。
一方、「他者が困窮してるときでも援助しない」という格率は、
普遍的法則となりうるが、それを「欲する」ことはできないので、不完全義務とされる。
ニートの格率(メンドクさいから、といったような理由で働かないという格率)は
普遍的法則とはなりえないと一応は考えられる。
よって働くことは完全義務。

ってことで、「労働の義務」は完全義務だろうけど、
「(非正規雇用ではなく)正規雇用で働く義務」となるとどうかね。
個人的には不完全義務ですらないと思う。
つーか社会的状況に依存すると思う。
434考える名無しさん:2006/10/10(火) 01:50:07
>>431
道徳法則に対する尊敬じゃないでしょうか。
義務を遵守しようとする意思とも言えるかもしれませんが。
435考える名無しさん:2006/10/12(木) 14:43:08
今、私が簡潔に言えることは、理性(リーズン、reason) と合理(ラチオ、ratio )の思想が、その一番残酷な性質である
強欲と拝金の思想としてユダヤ教(ユダヤ思想 Judaism)の中心に横たわっていることが、遂に、副島隆彦の研究
によって、日本人にも分かってきたので、このユダヤ思想の「理性と合理の思想」の強さが、キリスト教の愛の思想
(「人間を人間らしく扱え。動物のように扱うな」という思想)と正面からぶつかるようになって、それで、2千年がたつ、
といことです。そして、今も激しくぶつかっている。
今は、イスラム教もこの闘いの当事者になってきた。キリスト教の方は、ボンクラ知識人が多くなって、ただの信仰
(宗教)となって、ユダヤ思想の「理性と合理の思想」に相当敗北して、アメリカ合衆国内のレリジャス・ライト
(宗教右派)のように低脳で反インテリの、土俗的な新興宗教団体であるために、「旧約聖書」への劣等感から
ジュディオウ・クリスチャニティ(ユダヤ=キリスト教主義 Judeo-Christianity )で、ユダヤ思想に屈服している者
たちが多い。「自分たちアメリカ国民に、ご飯さえ食べさせてくれるなら、ユダヤ人のいうことを聞く。9.11は
権力犯罪(捏造)であることも薄々知っているが、そういうことも皆でしゃべらない。自分たちの生活が第一だから」
という醜(みにく)い態度に出て、居直っている。

私、副島隆彦が、今、もっとはっきりと簡潔に書くなら以下のようになります。 イマヌエル・カントは、この理性と
合理を追究して、自分も遂にはユダヤ思想に屈服した。それで、彼は、あの『純粋理性批判』という、何を書いてい
るのか、意味不明に近い、どうしようもない大著を書いた。 ’Kritik der reinen Vernunft , 1781'(クリティーク・
デア・ライネン・フェアヌンフト 『純粋理性批判』)を書いて、それで、グチャグチャと、「キリストの愛(グレイ
ス、恩寵)の思想も大事だけと、ヨーロッパ近代人は、それではもう生きてゆけないので、理性と合理の経済主義
(強欲、拝金のユダヤ思想)を受け容れるしかないのだ」と、書いているのだと、最近、読み直して、はっきり分
かってきました。
436考える名無しさん:2006/10/12(木) 20:25:36
cuntと聞いてすっ飛んで来ました。
437考える名無しさん:2006/10/13(金) 00:15:00
相変わらず電波ってるな副島は。

つーかこんなのがよく助教授になれたな。
438考える名無しさん:2006/10/13(金) 01:39:07
423です
>433 さん、ご丁寧なレスありがとうございますm(_ _)m なるほど、アルバイトなどと正規雇用は分けて考える必要がありそうですね。参考にさせていただきます。ありがとうございます!
439考える名無しさん:2006/10/14(土) 01:46:51
[332] 宇根康裕(うねやすひろ)君とのやりとりの文を載せます。私の「ヨーロッパの近代と、近代思想について」論です。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2006/09/02(Sat) 07:35:50
http://snsi-j.jp/boards/sample1/89.html
1776年に創設した、神学者(宗教学者)のアダム・ヴァイスハウプトは、「カントに反対して、ジョン・
ロックの思想に賛成した神学者である」と説明されている。この一行の重さを分かる人は、ヨーロッパ近代
というものの重みが分かります。それが分からない人が、何を言っても無効です。 

ですから、日本人として、はじめて、私は、ついに、カントを読み解いた(読解した)のだろうと、思います。
どんな日本人を相手にしても、全て私が説明し尽くすでしょう。
ですから、理性と合理のユダヤ思想に、新教徒(プロテスタント)思想が、敗北したので、そのことを指して、
マックス・ヴェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と近代資本主義の精神』(1904年)を書いて、
このことを説明したのです。

それで、キリストの愛の思想を裏切って棄てた、ヨーロッパの「理性と合理」の知識人たちは、もはや、「愛」
は問題ではなく、「倫理」と「道徳」(すなわち、社会秩序、支配の正統性、体制の擁護)こそは大事だと、
思考(思想)の駒を進めたのです。

このとき、ヨーロッパ知識人たちは、「真理の探究と信仰(宗教)の研究」を諦(あきら)めて、ユダヤ思想
の本態である理性(リーズン)と合理(ラチオ)に総敗北したものだから、それで、お茶を濁すかのように、
「倫理と道徳」(これをカントは実践理性と呼んだ)の研究の方に逃れ出ていったのです。

ですから、スピノザは、「倫理学(エチカ)」を書き、カントは、倫理学の本である、『実践理性批判』を書
いたのです。 こういう大きなことが、ようやく私に分かるようになりました。私は、自分の人生の40年間
をかけて(15歳の頃から岩波文庫の青帯をずっと読んでいました)、この日本語と言う東アジアの一雑種
言語で、この大きな読解に成功しつつあります。
440考える名無しさん:2006/10/21(土) 04:39:30
岩波文庫純理(中)P159の最後の段落。
「それだから」が「それたから」になってます。


以上報告終わり
441考える名無しさん:2006/10/21(土) 16:02:35
ええええええええええええええええええ
442考える名無しさん:2006/10/21(土) 23:47:58
実践理性批判を高校の頃読もうとして3ページで妥協した俺がきましたよ。
443考える名無しさん:2006/10/24(火) 00:00:09
岩波の判断力批判も序文で誤字があったな
「気ずく」だっけ
改版しないにしても増刷時に誤植の訂正くらいすりゃいいのに
444考える名無しさん:2006/10/24(火) 00:11:23
>>443だが
誤「植」じゃないから訂正できないのか
さすがに訳者も死んでるだろうし
校正抜きの訂正は無理だね
445考える名無しさん:2006/10/25(水) 09:45:36
Still Punk
446考える名無しさん:2006/11/24(金) 03:42:47
Yeah
447考える名無しさん:2006/11/25(土) 05:41:46
カントの哲学用語には法律用語からの転用があると聞きました。具体的にその単語がなにか教えてくれませんか?
448考える名無しさん:2006/11/25(土) 07:49:25
演繹
449考える名無しさん:2006/12/03(日) 13:48:03
カント哲学では匂いとか味とか音とか、
認識と絡めて、どういう位置づけなの?
450考える名無しさん:2006/12/04(月) 14:13:50
判断力批判で詳しく述べられてる
が、どんな内容だったかは忘れた
451考える名無しさん:2006/12/04(月) 15:58:16
カントの提起した定言命法は現在の法学でも重要な役割を果たしている。なぜなら現代法学の基礎となっている功利主義や民主主義だけではバランスのとれた正義を実現するのは困難だからだ。
多数決万能主義では少数意見が無視されてしまう。基本的に多数決主義でいく場合でもそれなりの納得できる道徳性は必要だ。
452考える名無しさん:2006/12/12(火) 15:22:36
黒崎政男 『屹立する理性 言語に対するカントの沈黙』 勁草書房
ってどうなったんだろう。

平成2年に出版された本に近刊って書いてあるんだが。
453考える名無しさん:2006/12/12(火) 15:35:39
>>251
最高位の「論」なんか見たことないがね。
膨大なウンチクならあるが。
454考える名無しさん:2006/12/14(木) 18:44:26
理性なんぞ置き忘れて来い。
屹立させるのは男性器だけでいい。
455居酒屋店員:2006/12/14(木) 21:21:02
蓼食う虫も好き好きってこった
456考える名無しさん:2006/12/26(火) 02:56:05
test
457考える名無しさん:2007/01/15(月) 22:20:48
カントってスピノザに言及したことないの?
知れば知るほど、この二人の哲学は正反対という感じがするけれど。
458考える名無しさん:2007/01/17(水) 20:52:29
自由のリアリティーと認識のリアリティーについて教えてください
459考える名無しさん:2007/01/17(水) 22:41:57
構想力と統覚の関係、よくわからん。
460考える名無しさん:2007/01/17(水) 23:13:25
構想力のおかげで統覚が働くと考えてよいのかしら?
461考える名無しさん:2007/01/17(水) 23:18:02
>>459,>>460だけど、それともう一つ、構想力と統覚は、感性、悟性の両域で作用するのかな?
462考える名無しさん:2007/01/18(木) 13:11:33
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』 を紹介します。
浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。2006.12.24
副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401

この日本の土人の知識人階級の人間たちには、この「ネイティヴズム 対 ビヘイビアリズム」という、
ヨーロッパ近代思想の土台 ( 基礎、岩盤、インフラ、基本枠組み)が分かっていない。この基本の
土台のところの、思想用語は、今、日本全国で、合計500人も理解していない。この国は、その程度
の土人の国なのです。そのくせに、高度情報社会で、高度技術大国だとまだ、勝手に信じ込んでいる。
もうすぐ同じ東アジア土人国である、中国にも、韓国にも追い抜かれるだろう。
日本の全国の大学知識人のうちの、社会学・政治学・政治思想あるいは「哲学」などの 専攻 の大学
教授たちであっても、この Nativism (ネイティブズム、人間の知能の生来決定主義)と、Behaviorism
(ビヘイビアリズム、人間は学習で知能が増す主義 ジョン・ロック主義) の巨大な対立軸のことを
知らない。かすかにも知らない。本当だよ。彼らと話してみるとよい。だから副島隆彦の本を自ら進んで
読んで、粗(あら)っぽくでも、西欧の近代学問の枠組みを知った君たちは、日本の国内水準は、軽く
抜いたのだ。
(中略)
私の書いた主著の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社プラスアルファ文庫刊、
2000年)をしっかり読んで震えるような感動を味わった者たちだけが、共有できる、日本における
世界政治思想理解の、素朴な基本段階の、初歩ではあるか、荒削りの世界水準に、何とか到達している
段階だ。
この思想勉強の作業が出来ていない者が、いくら、この学問道場に近寄ってきても、どうせ、土人
(原住民とも言う)だから、何も分からない。 分からないものは、分からない。分かったふりさえ
も出来はしない。私に、堂々と対論を申し込む人間もいない。臆病者どもの、卑屈な人間たちだ。
463考える名無しさん:2007/01/24(水) 20:57:22


純粋理性批判とは、純粋に理性を批判することである。
464考える名無しさん:2007/01/24(水) 21:02:48
そうですか
465考える名無しさん:2007/01/24(水) 22:02:40
>>459
構想力と統覚の根本は一つ。統覚では知覚刺激に対し、構想力では想像的イメージに
対して適用される「まとめ、整理し、形作る能力」である。
466考える名無しさん:2007/01/25(木) 23:35:01
根本は一つ。明快、納得。サンクス。多元入力に対して一つの出力を与えるニューラルネットのようなものかと思ってましたが、こうして明快に、おそらくその方面の方に云って頂けてほんとにありがたい。
467考える名無しさん:2007/02/25(日) 19:01:15
あげ
468考える名無しさん:2007/03/29(木) 15:34:56
だ〜れもカントを語ろうとする人が居ないな。
カントってもう時代遅れなの?
469考える名無しさん:2007/03/31(土) 18:29:09
安易に講釈たれようとしたらバカにされるだろうし、質問したところで誰が答えてくれるって
期待もまったくないし、2ちゃんねるで大真面目な議論するってやっぱり難しいね。
470考える名無しさん:2007/03/31(土) 19:53:27
江原がカントの言葉を引用してた。
471考える名無しさん:2007/03/31(土) 19:54:54
カント煮
472考える名無しさん:2007/04/09(月) 23:44:51
都知事選で、「(略称)カント平和で親ナチ的改憲阻止最高裁訴訟会」の山口候補に投票したヤシいる?
473考える名無しさん:2007/05/06(日) 23:32:50
物自体=形相

物自体=質料
のどっちですか?
474考える名無しさん:2007/05/06(日) 23:35:50
baka?
475考える名無しさん:2007/05/07(月) 00:59:03
>>473
カントによれば、
認識とは、「物自体」に、先天的かつ万人が共通して持つ「認識形式」を付与することによって、
「現象」として合理化されることです。「質料」に「形式」を付与することと言い換えても良い。

したがって、「物自体=質料」の方が適当でしょう。
476考える名無しさん:2007/05/07(月) 11:43:40
カントを本質的に誤解してるやつは、書き込まないで欲しいんだが・・・
477考える名無しさん:2007/05/07(月) 23:58:00
そもそも、哲学なんてものが既に行き詰ってるんだからしょうがないのか・・・
478考える名無しさん:2007/05/08(火) 14:37:16

コペルニクス的転換とは、
われわれの認識が対象に従うのではなく、対象がわれわれの認識に従っているのだというアイデア
だそうですが、どう考えても理解できません。

わかりやすく具体的な例でいうとどういうことなんでしょうか?
ご教授いただければ幸いです。
479考える名無しさん:2007/05/08(火) 14:47:23
カントによれば、人間の認識は経験とともに始まるけれども、
すべての認識が経験から生まれるわけではない。人間の認識
能力には、ある先天的な形式が存在している。感性は、確かに
外界の「物」に触発されてその働きをスタートさせるが、単に
外界の物をコピーするのではなくて、時間と空間という、感性が
先天的に備えている形式を通して、認識するのだ、とうこと。
感性が先天的形式を通して認識した物は、悟性に受け渡される。
悟性にも、先天的な認識の形式が備わっている。カントはそれを
12個挙げて、アリストテレスにならって「カテゴリー」と名付けた。

カント以前のイギリス経験論では、認識が対象に従う、つまり
我々の認識は対象を受け取って、対象に従うままその認識を完成
させると考えられていたが、カントによれば、我々は単に外界の
対象をそのまま認識するのではなくて、先天的な形式に従って、
つまり対象を我々の認識の先天的形式で「加工して」から、それを
受け取る、とした。
480考える名無しさん:2007/05/08(火) 14:53:50
481考える名無しさん:2007/05/08(火) 17:06:56
>>478
入門書に載っていた簡単な例。
赤いサングラスをかけて物を見ると、物は赤く見える。
しかし、物自体が赤いわけではない。
我々が裸眼で見ていると思っている物自体の世界も、
実は何らかの色メガネで見られているとしたら?
取り外しのできない自然科学という色メガネで世界を見ているとしたら?

誰も裸眼で物自体を見ることはできない。

よって、対象を正確にとらえているなんてウソ。
認識である色メガネが対象をころころ変えて見せてるんだ。
てな感じかな。
482考える名無しさん:2007/05/08(火) 17:33:53
コペルニクス革命の件ありがとうございました。

日本では月の陰影がうさぎにみえるけど
ヨーロッパではロバという話を聞いたことがあります。
こんな感じでいいのでしょね。
483考える名無しさん:2007/05/08(火) 18:02:20
>782
うさぎとロバの違いというのでは、ちょい違う。
そこに月がある、という事実が、月に起因するのか、または、それを見ている「主体の感性/統覚等」にもとづくのか、という違い。
484考える名無しさん:2007/05/08(火) 18:13:55
言葉足らずでした。

「月を客観的冷静に見る」(月に起因)
という従来の考えから、
コペルニクス的転回で
「月をウサギがいると思って見る」(主体の感性)
でどうでしょうか?
485考える名無しさん:2007/05/08(火) 18:30:13
>484
まだ違う。
月がそこにあるのは、月自体がそこに存在しているからなのか、
あるいは、それを感性/統覚で認識している主体がいるからか。
486考える名無しさん:2007/05/08(火) 19:20:45
>>485

「それを感性/統覚で認識している主体がいるから」
と答えれば合格なのかもしれませんが、まだピンときません。
じっくり考えます。
ありがとうございました。
487wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/09(水) 11:08:53
>486
私は教師ではないから合格も不合格もないよ。
ただ、月自体がそこに「存在していた」として、それでもって、そこに月が「存在している」ことの十分条件たりえる、という「常識」に対し、ちょっと待ってよ、というカントの思考のありようが好きなだけ。
即ち、それに淡い疑問を抱いたカントが、アリストテレスや自分のカテゴリー表等の(ア・プリオリ「もどき」の/総合判断)=(経験に依らない、所与の「認識モデル」)を駆使しても、真であるとも、偽であるとも「いえてしまう」、
即ち、アンチノミーに陥ってしまう、という人間の理性の臨界点のありどころにまで問題意識を突き詰めていった、そのカントの基本姿勢が嫌いではないだけ。
488考える名無しさん:2007/05/09(水) 11:36:29
>>487
随分萌えてるんですね。
カントを犯したいんですか?
489wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/09(水) 12:48:55
>488
自分のまわりに「純理」を読んで自死したやつが多いからね。
難物だよ。
「純理」は。
490考える名無しさん:2007/05/09(水) 21:54:58
近世哲学史の本を読んでいたら、カントの『純粋理性批判』が有名に
なった頃、それを論難するものとして、カントの「物自体説」に対する
因果律への批判があったそうです。
すなわち、物自体が感官を触発することで感性が外界を認識受容する、
という論理は、実は「因果律」に基づいている、因果関係に基づいている
論理であるが、カントによれば因果性とは純粋悟性概念における
カテゴリーの1つであって、感性界−物自体界に適応させているのは
おかしい、という批判です。
なるほどと思ったんですけど。
491考える名無しさん:2007/05/10(木) 11:55:37 0
>490
カントが、因果律を、感性界−物自体界に適応させている文章ってどこにあるのですか?
492wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/05/10(木) 12:01:38 0
>>490
>491
カントに、物自体「界」なんてないですよ。
493考える名無しさん:2007/05/10(木) 14:58:21 0
>>490
それってヤコビの反対説だろ?けっこう有名
物自体による触発は、因果のカテゴリーを物自体に適用することだが
カントでは因果のカテゴリーは現象内部にのみ妥当するにすぎない、ってやつね

当時の批判者ではラインホルトとか、マイモンとかのほうが本格的だと
思うけどね
494考える名無しさん:2007/05/10(木) 20:12:40 0
ラインホルトってカント哲学の良き理解者じゃなかったの?
495カント初心者:2007/05/15(火) 23:33:41 0
De mund. sens. sct.
というのはカントの著作なの?
496考える名無しさん:2007/05/16(水) 17:15:18 0

カントの学問の基礎づけは、百年前ならまだしも、現代の科学論として、あまり有効だとも思えない。
『純粋理性批判』より「実践理性批判」。

という風潮があるようですが、本当でしょうか?

497考える名無しさん:2007/05/28(月) 06:41:27 0
>>496
なことはない。
オレは
カント=『純理』
だと思うけど。
『純理』以外はカントにとってマイナス点。
「人にしてもらいたいことをしなさい」などくだらん。
498考える名無しさん:2007/05/28(月) 06:47:29 0
>>497
その言い方ではまるでカントが共感を基礎において道徳を定義してるようじゃないですか。
あなたがカントの功績をどう評価するのは勝手ですけど。
499考える名無しさん:2007/05/28(月) 09:09:26 0
>>498
同意。
『純理』は色あせたが、『実理』はいまこそ必要とされている。
500考える名無しさん:2007/05/28(月) 09:09:50 0
『実践理性批判』を読んで
「人にしてもらいたいことをしなさい」
と言ってるものと読めてしまうのではな・・・
そんなことでは『純粋理性批判』も
どんな誤読をしてることやら
501考える名無しさん:2007/05/28(月) 11:13:31 0
>>497
意見の分かれるところだね。
最近は君のようなヘーゲル派が多くなってるようだな。
よく知らんが、そういう本でも出回っているのかい?
502考える名無しさん:2007/05/29(火) 08:13:47 0
>>501
自分を生きるための思想入門(竹田青嗣)では、
『純理』◎
『実理』×
ということになってるね。
というか、最近はこれが普通かも。
503考える名無しさん:2007/05/29(火) 14:09:20 0
>>502
評価なんて、スカートの丈と同じさ。
3年後にはまた逆転さ。
504考える名無しさん:2007/05/29(火) 14:41:23 0
熊野純彦のカント本では判断力批判が最高傑作とか言ってた。

カントの現代的評価は、どの本が最高かというよりも三批判書全体のコンセプトにあると思うけど。
505考える名無しさん:2007/05/30(水) 11:49:52 0
ウィトゲンシュタインなんかは『純理』派だよね。
あとの2つは
「語りえぬことを語っちゃってる」
からね。
506考える名無しさん:2007/05/30(水) 11:51:17 0
ウィトゲンシュタインっても「論考」のウィトゲンシュタインね。
後期のウィトゲンシュタインも「語りえぬことを語ってる」よね。
507考える名無しさん:2007/05/30(水) 12:15:00 0
いやあ。まいったなあ。
前期のウィトゲンシュタインは正しかったけど、

そうすると
ズーッと沈黙してなきゃいけなくなっちゃて、
沈黙に耐えられなくなって、ついにしゃべっちゃったんだね。後期に。

後期ウィトゲンシュタインは
「人間は沈黙することには耐えられない」
ということを実証したわけだ。

「哲学とは沈黙することなり」
は絶対の真理なんだが。
この真理を実践すると、埋没して「非存在」になっちゃうわけだ。


508考える名無しさん:2007/05/30(水) 13:33:49 0
大学の同級生で天才がいたが、
「語りえぬこと」を沈黙しちゃって、結局芽が出なかったよ。
こういうヤツって世界中では1万人ぐらいいるんだろうな。
509考える名無しさん:2007/05/30(水) 16:38:56 0
俺なんか神秘体験でアウグスティヌスの表現と同じ、
点にして無限なる神を観たが、現代ではそれを信じる
ことも語ることもできなくて、哲学に絶望した。
510考える名無しさん:2007/05/30(水) 16:58:52 0

カントは重過ぎるかもな。
ポモみたいな無責任な奴等の時代だってことさ。
511考える名無しさん:2007/05/31(木) 15:12:37 0
>>510

(「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。

「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、
とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。
これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。
室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、
何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。
これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。
じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、
フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは
アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。

日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、
考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(引用おわり)
512考える名無しさん:2007/05/31(木) 15:14:33 0
さてユージェニックスにしろ、学問方法(メソドロジー)としては、 social engineering ソシアル・エンジニアリングである。
このソシアル・エンジニアリングなるものの怖さを知らないで、「自分は日本の社会科学者だ」などと信じている土人学者たち
全員を、私は、激しく、蔑(さげす)んできた。この言葉の意味も重要性も知らずに生きてきた、馬鹿たちの群だ。
自分たち日本人(日本部族)白身が、『菊と刀』で真っ裸にされたのち、ロボトミーに等しい、文明化外科手術、すなわち、
ソシアル・エンジニアリングを敗戦後に受けたのだ、と自覚すべきである。

ソシアル・エンジニアリング(社会工学)は、アメリカのリベラル派の学者たちの秘技秘伝であって彼らはこれを肯定する。
しかし、シカゴ学派の本物の保守派やアイン・ランド女史のようなリバータリアンは、ソシアル・エンジニアリングの学問を唾棄
して否定する。未開の現住民たちに施してはならない文明化外科手術である。それをやられたら、原住民たちは、おかしく
なるのだ。 だから、敗戦後にこのロボトミーを施された日本部族の若者が金茶髪にして成人式でも暴れるのだ、とみんな
分かればいいのに。 どうしても、どうしても、敗戦後のアメリカ軍(占領軍、マッカーサー・ニューディーラー)による、
日本国民洗脳がその原因だと、認める訳には行かないのか。そうか、どうしてもいやか。

先生の小室直樹だけが、これが、日本人が敗戦期に天皇=神を否定されて起こした「急性アノミー」だと、はっきりと解明した。
今の私ほどは、あからさまには書かないが。

ソシアル・エンジニアリングというものは、これほどに恐いものなのだ。それが、ソシオ・バイオロジー(社会生物学)と
いう別の名前も持つのだ。ソシオ・バイオロジーについては、コンラッド・ローレンツについて本書の別のページ
でも書いた。だから、シカゴ学派で過激派フェミニストの元祖のひとりであるソニア・シャンクマンが、ウルトラ・
リベラルであるからこそユージェニックス(優生学)をやり、ソシアル・エンジニアリングを治療・方法・政策学
として実践したのだという事実を私たちは確認すべきだ。
513考える名無しさん:2007/06/01(金) 19:22:07 0
20世紀は「反・哲学」だったが、
プラトンからカントまでは不要だったということだろうか?
514考える名無しさん:2007/06/04(月) 07:43:17 0
>>513
「反・哲学」の張本人がカントなのだが。
515考える名無しさん:2007/06/04(月) 11:03:43 0
>>514
カントは確かに批判哲学だけど、それは言い過ぎだろうよ。
516考える名無しさん:2007/06/04(月) 20:58:10 0
>>514
「反・哲学」の張本人はカントではなく、ウィットだよ。
517考える名無しさん:2007/06/05(火) 22:26:17 O
実理こそカントの嗜好の強弁であり、無用どころか有害な書物

岩波的バカサヨがカントを有り難がる風潮はいい加減消滅してもらいたい
518考える名無しさん:2007/06/06(水) 02:57:06 0
>>517
カントに対してはいろいろな意見があるんだね。
それだけ、カントは奥深いということかね。
519考える名無しさん:2007/06/06(水) 13:48:41 0
>>518
一義的に理解できない存在ってことだね。
520考える名無しさん:2007/06/06(水) 16:07:37 0
>>517は暗に柄谷を批判している
521考える名無しさん:2007/06/06(水) 16:58:35 0
批判が一周してるのか、周回遅れなのか・・・
522考える名無しさん:2007/06/06(水) 17:37:43 0
一番の馬鹿はいつも同じ所にいて、
二番目の馬鹿がその周りをぐるぐる回る
523考える名無しさん:2007/06/07(木) 08:47:44 0
二番目の馬鹿=柄谷 か。
批評は運動だからね。
基本的に人の逆を行く。
524考える名無しさん:2007/06/08(金) 19:30:52 0
ドッカント
525考える名無しさん:2007/06/08(金) 22:04:32 0
善にていっけん落着
526考える名無しさん:2007/06/11(月) 01:45:57 O
あのマルチしていっすか?
527考える名無しさん:2007/06/11(月) 21:28:22 0
「副島隆彦の学問道場」 気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板
[569] 以下の一連の投稿文に、私の考えを書きます。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/05/31(Thu) 05:30:06

大事なことは、日々、読書して、そして、それが楽しくて、発見があって、「ああ、そうだったのか」
「なるほどなあ」と、驚く喜びに満ちていることです。それ以外の学問は邪道だ。自分たちだけ
偉いお坊様だと気取って、哀れなことに信じ込んだ、天台密教のクソ坊主たち、新カント学を
名乗って、アホダラ経の、自分たちにも意味不明のことを書き続けた、東大のクソ学者たちの
やったことだ。 私たちは、あの悲惨な轍(てつ)は、絶対に踏まない。

528らむ:2007/06/13(水) 18:40:01 O
カントの近代倫理学の完成について説明できる方いますか?
529考える名無しさん:2007/06/14(木) 13:01:29 O
=るそー
530考える名無しさん:2007/06/14(木) 18:28:44 0
>>528
カント倫理学=「人にしてもらいたいことをしなさい」
531らむ:2007/06/15(金) 00:07:41 O
>>530
ままぢですか?
倫理学詳しい方いらっしゃらない?
532考える名無しさん:2007/06/15(金) 06:21:35 0
つーか
女どもも いくらそうとはいえ 気分はよくねーだろ
こいつにナダメさせろよ
533考える名無しさん:2007/06/18(月) 20:26:37 0
>>531
倫理は哲学じゃあないからな。
534考える名無しさん:2007/06/22(金) 07:49:43 0
素朴な質問なんだけど、
カントにおける客観は直観的な表象なのか?
客観は感性に受容される感覚的な表象とは全く別の部門の表象と考えるべきか?
535考える名無しさん:2007/06/22(金) 10:54:24 0
全く別
536考える名無しさん:2007/06/23(土) 09:45:33 0
あたし、カントの「我思う、ゆえに我あり」って言葉が好きなんです
537考える名無しさん:2007/06/23(土) 12:52:54 O
かっこいいよね
538考える名無しさん:2007/06/23(土) 14:14:11 0
>>531
全員が自分と同じ生き方をしている社会を想像してみたとき、
その社会が望ましいと思えるような、そういう生き方をせよ、
という方がカントの倫理学の要約として正確なんじゃなかろうか。
539考える名無しさん:2007/06/23(土) 14:15:20 0
もっと簡単に言えば、
「みんな俺と同じように生きろ」と胸を張って言えるような
そんな生き方をせよ、か?
540考える名無しさん:2007/06/23(土) 19:03:54 0
>>531
カントの倫理学の要点は
「(唯我独尊でなく)他人に評価をゆだねよ」
ということ
541考える名無しさん:2007/06/25(月) 01:55:32 0
「我思う、ゆえに我あり」ってカントだっけ?
542Hannibal ◆xxXOwilhUI :2007/06/25(月) 02:23:59 0
全ての表象に伴いうるのでなければならない
からカントです
543考える名無しさん:2007/06/25(月) 11:51:17 0
「我思う、ゆえに我あり」って
だから何なの?
544考える名無しさん:2007/06/25(月) 13:56:55 0
我思う、ゆえに我あり?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1162403480/

こっち池
統覚と結びつけて語りたいのならちゃんと結んでから話題を提示しろ
545考える名無しさん:2007/06/25(月) 14:16:40 O
皆を啓蒙の頂点に導くのはむりだが
今の日本には必要な思想だ
ネットウヨ見てるとそう思う
546考える名無しさん:2007/06/30(土) 06:20:19 0
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき)SNSI研究員の新刊『グズな大脳思考デキる内臓思考』を紹介します。
浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401

日本の知識階級が「ヨーロッパ近代思想と哲学」について、知っていることと言えば、本当にわずか、以下の、
「大陸合理(たいりくごうり)主義(デカルト)vsイギリス経験論(エンピリシズム)思想 」というコトバだけだ。
本当に、このコトバだけだ。
本当に、これだけしか知らない。インテリを気取っている連中でも、たったこれだけしか知らない。それほどの
土人どもです。そして、その中身の、「では、デカルトという思想家は、何を言った人ですか」と言うと、
「我思う、ゆえに、我あり」コギト・エルゴ・スム Cogito ergo summu .で、”I think , therefore I am ." だ、
と答える。これだけだ。たったこれだけだ。
今の今でも、これ以上のことは誰も知らない。知る気も無い。誰も教えられない。だから誰も分からない。
本当に、実感を伴って、デカルトや、スピノザや、ジョン・ロック や、ヒュームの言った(書いた)ことが、
「分かる」日本人は、知識人層を含めて、ほとんど存在しない。
だから、副島隆彦は、いつも怒(いか)るのだ。「この程度の土人どもの国だ。この程度の!」と。
それで、私の周りにいる弟子たちにあたり散らすことになる。彼らにしてみれば、いい迷惑だろう。
547考える名無しさん:2007/07/15(日) 17:21:44 0
物自体とは何かを知りたいんですが、例えば、
物理的には「波長8000Åの光子」を見ると、人間は「赤」と感じる訳ですが、
この例で言えば「波長8000Åの光子」が物自体ということですか?
548考える名無しさん:2007/07/15(日) 18:54:03 0
>>547
「物自体」とは、「単に私の認識能力と関係なくそれ自体としてあると想定される場合の物」のことである。
(中島義道「カントの自我論」p314)それは、われわれの認識能力が対象世界を思惟として構成しなければ、
対象世界を認識できないからなのだ。認識は、内官の形式としての一つの時間と外官の形式としての一つの空間
(これを直観の形式という)があってはじめて可能となる。認識とはわれわれが身体をもち、外界を構成する統覚を
もつことが前提である。その統覚には経験的と超越論的の二つの統覚がある。超越論的とは、もちろん経験上不可能な
飛び越えをするからそう名づけた。
 超越論的観念論には物自体はさけられないものだ。世界の森羅万象すべては私の表象であるかぎり、
物自体はその外にある。私の表象とは関係のない実在するものなのだから。
549考える名無しさん:2007/07/15(日) 18:58:53 0
で、光子は?
550考える名無しさん:2007/07/15(日) 22:00:33 0
そんな女は知らん
551考える名無しさん:2007/07/16(月) 13:18:32 0
物自体は存在すら確定できないんだぜ。
光子が物自体かどうかなんて問いは、リンゴは物自体かどうかというのと同じレベルの話であって
どちらとも確定できる事項ではない。
観念論ではないから、超越論的哲学的には物自体はあるということなってる。
552考える名無しさん:2007/07/16(月) 14:34:17 0
>>551が頭悪いのは確定できた
553考える名無しさん:2007/07/16(月) 16:18:20 0
>>551
物自体は存在が確定できないとすると、
光子は存在が確定されているので物自体ではない、
という事になると思いますが。
それなら一体、光子って何なんですか?
554考える名無しさん:2007/07/16(月) 16:31:11 0
^^;
555考える名無しさん:2007/07/16(月) 16:35:29 0
うんうん
556考える名無しさん:2007/07/17(火) 10:16:44 0
>>553
光子が存在することに関してカントが寄与するものは何もない。
人間が自然科学を考えることの妥当性を提供しているだけであって、光子といった「物」が
私たちの外部を飛び回っていることを証明しうるものは何もない。
なぜなら私たちの認識と無関係に存在するものを、私たちの認識が確定できるわけがないからだ。
単に理論的水準で物自体は存在するということを言っているに過ぎない。
カントの言説なんか関係なく光子が存在するのは当たり前だといいたいのなら、別にカントなんか
気にする必要ないから勝手にやってなさい。
557考える名無しさん:2007/07/17(火) 20:17:26 0
>>556
>人間が自然科学を考えることの妥当性を提供しているだけであって、光子といった「物」が
>私たちの外部を飛び回っていることを証明しうるものは何もない。
>なぜなら私たちの認識と無関係に存在するものを、私たちの認識が確定できるわけがないからだ。
>単に理論的水準で物自体は存在するということを言っているに過ぎない。

要するに、光子は私達の認識と無関係に存在しているので、
光子が私たちの外部を飛び回っていることは証明できない、
ということですか。
この言説から判断すると、光=物自体と考えているという事ですね。
558考える名無しさん:2007/07/17(火) 20:20:06 0
訂正: 光=物自体(誤)→ 光子=物自体(正)
559考える名無しさん:2007/07/17(火) 20:43:16 0
お前らほんとにアホだな。
人間が対象物として考えたものは、すべて
カテゴリーの枠にはまってるってのは、カントの
基本だろ。

光子をどのように捉えようが、人間の悟性が
もの自体を捉えることはないんだよ。
560考える名無しさん:2007/07/17(火) 20:59:21 0
>>559
>>7の分類だと、

物自体→{感性形式(空間、時間)→感性的経験}→悟性判断(カテゴリー)→現象界

となる訳ですが、「波長8000Åの光子」と「赤」はそれぞれ、
この図式のどこに当てはまりますか?
561考える名無しさん:2007/07/17(火) 21:27:49 0
>>559
光子は「対象物として」捉えられるんでないの?
562考える名無しさん:2007/07/18(水) 11:31:28 0
>>560
赤色は感性、光子は悟性判断。
そして、光子も物自体ではなく、ヒトが統覚の機能により受け止めた現象を説明した「概念」である。
もちろん、それは、人間の感性にはア・プリオリには与えられない。
563考える名無しさん:2007/07/18(水) 11:51:15 0
>562
ア・ポステリオリな総合判断とはいえる。
しかし、それも、物自体ではない。
564考える名無しさん:2007/07/18(水) 12:22:28 0
>>559
しかし、「霊視者の夢」だって「人間が対象物として考えたもの」ではないの?
565考える名無しさん:2007/07/18(水) 13:14:11 0
悟性がもの自体を捉えるのがいわゆる悟性直観、か。
566考える名無しさん:2007/07/18(水) 14:20:11 0
はたして光子が存在するの
567考える名無しさん:2007/07/18(水) 15:52:04 0
>>565
悟性は、もの自体を追わない。
追うのは、脆弱な理性の方。
568考える名無しさん:2007/07/18(水) 16:11:21 0
>>566
ヒトの悟性の機能は、カテゴリーを駆使し、そのようなもので光という現象を説明することが可能である、という点まで。
そのようなもの自体の有無を問うことは理性の越権。
赤色という直感がヒトに与えられる。
そして、それは光子により説明できる。
そのように説明できたとして、それ以上の何を求めているの?
569考える名無しさん:2007/07/18(水) 18:12:42 0
>>567
人間の悟性ではなくて、いわゆる神の悟性だよ。
神が自分の創った物を認識できてないわけないじゃん。
570考える名無しさん:2007/07/18(水) 20:30:59 0
>>566
他スレでもさかんにやりあっているが、>>568が書いているように、
「認識主体としてのヒトの認識を捨象した物自体」を措定し、
それがそれ自体としてヒトの認識から独立して存在する、
と考えることは自由ではあるにせよ、
そういう認識方法に何か意味があるとするタダモノ主義には、
到底、組することはできない。
認識主体としてのヒトの悟性から独立して存在するものが有る、
として、それは、観察/実験/数式として実在するとした方が、
その現象をより説明しやすくはなるにせよ、
ヒトの認識の物理層である感性/直感に何かを与えるもの、
という、ヒトの認識にとってのmotiveとなるもの以上の、
自立したなにものかではありえない。
571考える名無しさん:2007/07/18(水) 20:37:28 0
きれいな水を湛えた湖の水にヒト以外の認識主体が集まり、さかんに喉を潤す。
そのとき、その水は、物自体として存在しているではないか、と主張することと、
ヒト以前の生物が、その水の恩恵により延命してきた、というヒトの認識とは、
まるで異なるものである。
572考える名無しさん:2007/07/18(水) 20:42:27 0
つまりは、認識主体を欠いた物自体など、存在するとも、しないとも言えない、即ち、語りえないもの、ということじゃね。
納得。
573考える名無しさん:2007/07/18(水) 21:09:17 0
>572
では、あのスレは、語りえないものに関し、徒労に終わるだけのエネルギーを発散させているだけなの?
574考える名無しさん:2007/07/18(水) 21:11:42 0
>573
あのスレから、火の粉が飛んでくるから、火中の虫になるか、消火できるか、楽しみだね。
575考える名無しさん:2007/07/18(水) 21:21:10 0
>>562
光子が「概念」に過ぎないという発想がよく分かりません。
人間の瞳に入って網膜に到達してるのは、物理的実体ではなくて、
単なる「概念」なんでしょうか?
576考える名無しさん:2007/07/18(水) 22:50:06 0
>>575
「人間」も「瞳」も「網膜」も、単なる「概念」だということだろ。
577考える名無しさん:2007/07/18(水) 22:53:45 0
>>575
「批判期カント哲学において実在するものは、あえて分類すれば次の五種類に分かれる。
 (1)物自体
 (2)道徳法則
 (3)純粋直観である空間に位置する数学的対象
 (4)時間・空間において観察可能な物理学的対象
 (5)統覚」(中島義道「カントの自我論」p42)
光子は物自体かなど言わば位相の違うことを言ってはいけない。
光子はカントの考えでは「(4)時間・空間において観察可能な物理学的対象」である。
ただ、カントの生きた時代に光子は発見されたなかったのではないか。物自体は物理学的対象ではない。
578考える名無しさん:2007/07/18(水) 23:18:11 0
人間が自然科学を考えることの妥当性を提供しているだけであって、光子といった「物」が
私たちの外部を飛び回っていることを証明しうるものは何もない。
なぜなら私たちの認識と無関係に存在するものを、私たちの認識が確定できるわけがないからだ。
579考える名無しさん:2007/07/21(土) 03:26:34 0
「ダイハード4.0」開演まで時間があったので
純粋理性批判の序文だけ読んでみた
理性で理性を吟味しようだなんて、原器で原器を測る行為にも似て
普通のひとは、まずかんがえない
しかし、人間にはそれしかない
できるできない以前にやらなねばならないのだ
がんばれ、カント!がんばれ、われらのドン・キホーテ!!
580考える名無しさん:2007/07/21(土) 03:43:12 0
ちなみに、「ダイハード4.0」おもしろかったよ
一作目のようなどんでん返しはなかったけど、
アクションシーンだけでもみる価値あり
それに、ウィルス(B・ウィリスじゃないよ)でパソコンが
爆発したり、つっこみ所もちゃんとある
581考える名無しさん:2007/07/21(土) 16:02:25 0
なに、いってんだよ
オマエ、サンチョ・パンザだろ
はやくお供しろよ
582考える名無しさん:2007/07/21(土) 18:04:16 0
>>581
2ちゃんねるらしからぬ上手い返し方だなぁ。教養が鼻についてる感じもしないし。
583考える名無しさん:2007/08/01(水) 22:48:46 0
こんな本、わざわざオクで売るなよw

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n53797784
584考える名無しさん:2007/08/02(木) 00:11:48 0
普通の本でもオクに出すのはありだけど、この組み合わせで欲しいと思う人が
どれだけいるかは疑問。
585考える名無しさん:2007/08/02(木) 00:50:46 0
こういうのはせどり(古本転売屋)が買ったりする。
586考える名無しさん:2007/08/06(月) 19:48:34 0
カントの構想力とはなんですか?
587考える名無しさん:2007/08/13(月) 03:25:03 0
>>586
感性的なもろもろ(最近、茂木とかいう人がクオリアと読んでいるやつ)を
悟性的カテゴリーとかによってフィルタリングして、客観的な概念に
仕立て上げる能力。だと思う。あんまり自信ない。
588考える名無しさん:2007/08/15(水) 05:11:04 0
すいません、分析的命題とアプリオリな綜合的命題の区別が
いまいちわからないんですけど、わかりやすく説明してくれませんか。
プロレゴーナメの例だと「物質には重さがある」は後者だそうですけど、
重さがなければ物質ではない(質量は物質の定義に含まれている)のに、
何でこれが矛盾律だけでは成立しないことになるんでしょうか。
あと「5+7=12」っていうのも後者らしいですけど、これを論述すると
「5と7を足した数は12である」となると思いますが、5と7を足した数は
12であってそれ以外の何者でもないんだから、これも矛盾律のみで
成り立っている気がするんですが。
589考える名無しさん:2007/08/18(土) 02:34:02 0
「このリンゴは赤い」←綜合的命題


「この赤いリンゴは、赤い」
「労働者とは、働く人である」←分析的命題
590考える名無しさん:2007/08/18(土) 02:41:08 0
>>589間違えました。
「このリンゴは赤い」はアプリオリな命題じゃないわ
>>588
7までしか数えられない人ならどうだ?
その人に7に1を足せと言ったら、7という概念の外にでなければならない。
それは直観によって行うから、数学的命題は全て綜合的命題。
述語である12って数は主語に含まれてないってわけ。
多分こういうこと
591考える名無しさん:2007/08/18(土) 04:00:09 0
7までしか数えられない人間が数とか加算とか
7に1を足すのがどういうことかとか理解してるのかねえ

だいたい7までしか数えられない人間は
7までの数を理解してるんですかねえ
592考える名無しさん:2007/08/20(月) 07:33:13 0
数を数として理解するってのはまた別の問題だろ。
それと「足す」ことを当人が理解する必要はないな。
順序が逆。「数える」段階で指7本と相関させてもまだ残った物が
ある、それを残りの指と対応させて「同一」「多い」「少ない」の概念を
まず生み出したんじゃね?そのあとで数という概念を抽象して作り出してから
和算ができた…、以上俺の妄想
これ微妙にカントの議論じゃない気がする
593考える名無しさん:2007/08/20(月) 11:16:42 0
>592
最も重要な部分ですよ。
分析にせよ、総合にせよ、ア・プリオリな認識がそもそも成り立つのか、そういうもの(悟性一般)を措定できないのかが、その点に凝集されています。
594考える名無しさん:2007/08/20(月) 12:37:23 0
>「数える」段階で指7本と相関させてもまだ残った物が
>ある、それを残りの指と対応させて「同一」「多い」「少ない」の概念を
>まず生み出したんじゃね?そのあとで数という概念を抽象して作り出してから
>和算ができた…、以上俺の妄想

何を何と「相関」させるのかも、相関させるというのはどういうことなのかも
これではまったく分からない。
だいたいこの話は、指が何本あるかという数に関する理解を
前提してるんでないの?
595考える名無しさん:2007/08/20(月) 12:43:51 0
>594
>だいたいこの話は、指が何本あるかという数に関する理解を前提してるんでないの?

カント自身が純理の序章で指で数を数えている。
596考える名無しさん:2007/08/20(月) 12:52:19 0
>>595
そんなの当然だろ。
数の概念とか理解の発生を問題にしてるわけじゃないんだから。
597考える名無しさん:2007/08/20(月) 13:28:50 0
>596
>数の概念とか理解の発生を問題にしてるわけじゃないんだから。

では、カントは純理で何を問題にしているの?
598考える名無しさん:2007/08/20(月) 14:17:37 0
>>590
>7までしか数えられない人ならどうだ?
>その人に7に1を足せと言ったら、7という概念の外にでなければならない。
>それは直観によって行うから、数学的命題は全て綜合的命題。
>述語である12って数は主語に含まれてないってわけ。
>多分こういうこと

こうした理由で「7+5=12」が綜合的命題ということになるのだとしたら、
「7-5=2」の方は、7という概念の外に出る必要がないので
分析的命題ということになるんですか?
599考える名無しさん:2007/08/20(月) 14:18:16 0
>>597
あんたねww
600考える名無しさん:2007/08/20(月) 16:38:39 0
おまえもねww
601考える名無しさん:2007/08/20(月) 23:08:08 0
なんだこりゃ
602考える名無しさん:2007/08/21(火) 02:02:12 0
ワハハ
603考える名無しさん:2007/08/21(火) 10:13:01 0
>>597
「アプリオリな綜合的判断はいかにして可能か」じゃないっけ?
>>599
そうなんじゃないの?でもわからなくなってきた・・・
そうだという理由:
「7」という概念の中に含まれている要素を分解するだけだから分析的
そうでないという理由:
@分析的命題は単なる主語の要素の分解(≒同義反復?)だから直観を利用する
「7−5=2」は綜合的判断。
A確かカントは「数学的判断は全て綜合的である」とか言ってた気がするから

てか、直観てなんか胡散臭くね?「直観の公理」までまだ読んでないからそう思うのか。
604考える名無しさん:2007/08/21(火) 10:19:52 0
「1+1=2」
「1+1+1=3」
「1+1+1+1=4」
これらは総合的命題ですか。
2とか3とか4という言葉の「意味・定義」を述べているだけのような
気がしますが。
605考える名無しさん:2007/08/21(火) 10:53:43 0
カントの主張(緒言:X.理性に基づく一切の理論的な学にはア・プリオリな綜合的判断が原理として含まれている)
に従うなら、私は綜合的判断だと思います。
604についての回答は特に「直観を援用しているから」「これらの概念を分析するだけではその和がいくらになるかは
どうしても知ることができない」の二文に集約されている気がします。

それらの命題の左辺と右辺を逆にするとどうなるんだろうか。
606考える名無しさん:2007/08/22(水) 20:24:29 0
>>598
>こうした理由で「7+5=12」が綜合的命題ということになるのだとしたら、
「7-5=2」の方は、7という概念の外に出る必要がない

足すことが7という概念の外に出ることであるとすれば、引くことも同じですよ。
607考える名無しさん:2007/08/22(水) 20:27:10 0
じゃあ何の説明にもなってないと言うのも同じこと
608考える名無しさん:2007/08/22(水) 20:29:54 0
阿呆をいじると面白い
609考える名無しさん:2007/08/22(水) 20:49:57 0


608 名前:考える名無しさん :2007/08/22(水) 20:29:54 0
阿呆をいじると面白い

610考える名無しさん:2007/08/22(水) 21:25:13 0
面倒だから「それは言語ゲームだ」で片付けちまおうぜww

まあそれは冗談としても(でも半分本気)。
後付けでペアノの自然数公理なんてのも出てきたけど、
そもそも自然数論が何らかの基礎づけ(内容は何でもいい)の
元に構築されていると考えた場合、
それは総合判断に当たるのか、それとも分析判断なのか?
ってところからよくわからないんだよな。

時間的(経験的?)に基礎づけが(数学の)使用の後からやってきたとしても、
理論上は基礎づけが使用に先行する、という扱いになるわけで。
そうすると、公理主義における公理は
「分析」なのか、それとも「綜合」なのか?

あー書いていて頭がこんがらがってきた。
611考える名無しさん:2007/08/22(水) 21:52:47 0
なにこの阿呆
612考える名無しさん:2007/08/22(水) 22:54:44 0
みかん3個+りんご5個=果物8個

これが、より高度な綜合判断というものである。
613考える名無しさん:2007/08/23(木) 00:32:31 0
白痴ですかww
614考える名無しさん:2007/09/05(水) 17:46:53 0
>>612
> みかん3個+りんご5個=果物8個
> これが、より高度な綜合判断というものである。

同意。
みかん3個+りんご5個=果物8個
これこそ、哲学史上最大の問題だ。
615考える名無しさん:2007/09/10(月) 18:59:37 0
安藤春雄訳の『純理』ってどうなんだろう。
非売品だからか、話題にならないけど。
616考える名無しさん:2007/09/19(水) 22:10:13 0
>>615
国会図書館にある。
世界大思想全集第15巻
春秋社1931年刊
戦前の出版だね。
617考える名無しさん:2007/09/21(金) 12:16:50 0
>>616
古本として出たら、いくらくらいになるんだろう。
コレクターズアイテムとして、けっこうな値段になるんじゃないだろうか。

見たことないもん。
618考える名無しさん:2007/09/21(金) 17:13:15 0
学としての形而上学ということばを使ったのは
カントがはじめてなのですか
619考える名無しさん:2007/09/22(土) 06:34:48 0
   ∧ ∧    ┌────────
  ( ´ー`)   < シラネーヨ
   \ <     └───/|────
    \.\______//
      \       /
       ∪∪ ̄∪∪
620考える名無しさん:2007/09/24(月) 15:44:47 0
『実践理性批判』読了。
621考える名無しさん:2007/09/25(火) 21:59:14 0
>>620
成果をみせなさい。
うそをついてはいけないという道徳律を
守るために、たとえば、こんな例。
警察に追われた友人が君の部屋にかくまってくれと言ってやってきた。
警察に、「Aさんがこの部屋にいるね」と問われた。
さあどうするか。
警察に真実を言うか。あるいは友のために嘘をつくか。
カントは真実を言えと言ったが、そうすると、君を信頼していた友は
裏切られたと思うが、それでいいか。
622考える名無しさん:2007/09/26(水) 15:58:32 0
   ∧ ∧    ┌────────
  ( ´ー`)   < シラネーヨ
   \ <     └───/|────
    \.\______//
      \       /
       ∪∪ ̄∪∪
623考える名無しさん:2007/09/26(水) 18:32:37 0
超越論的演繹むずかしすぎ。。。
624考える名無しさん:2007/09/26(水) 18:39:12 0
>>294
現代的な論理学的意味でいう演繹じゃないってことならもちろんそうなんだけど、
当時はむしろカントみたいな使い方のほうが多いらしい。
語源的には当時の法学かららしいっすね。
625考える名無しさん:2007/09/27(木) 07:15:31 0
>>623
超越論的演繹=思い込み
だよ。
626考える名無しさん:2007/09/27(木) 12:51:09 0
? 仮に思い込みだとしても、
どのような内容の思い込みかを理解するのが難しいってことは変わらないと思いますが。

おまけ。
そのような多様(超越論的演繹、思い込み)の同一性(=)を言うためには
そのような多様が統一された客観がなければならず、
そのような客観が成立するためには実体のカテゴリーが演繹されねばならない?
627考える名無しさん:2007/09/28(金) 23:24:19 0
>>623
超越論的演繹:形而上学的演繹=神の実存・事象性:神の誠実だよ。
628考える名無しさん:2007/10/01(月) 14:54:42 0
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人は、どうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。自分の仲間うちからも捨てられる。 日本の知識
業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、そのことが周りに
バレたくないばっかりに、やたらと、象徴語と、ドイツ式観念語
(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。約500語)
を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。 だから、最後には捨てる。
私は、そういう、本来学者になるべきではないのに、学者になっている人たちの、どうしようもない
下手くそで、難解なだけの論文を、30代のこと付き合いでたくさん読んだから、
このことが、よく分かる。エリート銀行員か、官僚にでもなれば良かったのに。
こんなに自分に向かないことで苦しんで、しかも、こんな下手な誰も説得できないような文章を、
苦しみながら書いてると、あとあと大変だろうな。どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。
50歳ぐらいで自分に絶望するのではないか、と、ひそかに、同情した学者の卵たちを私は
たくさん見かけた。
当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回して、それが
「するどい批評になっていなければいけない」と、勝手に思い込む。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P35〜36
629考える名無しさん:2007/10/01(月) 22:21:29 0
>>628
副島氏の言いたいこと、引用者の言いたいことはよくわかるが、
同じことを何度か書いたが、
超越論的も表象、観念論などは日常用語に対応するものがないから
使わざるを得ない。
捨てられるぞといわれても、ちゃんと自覚していれば大丈夫だ。
このコピペ張りすぎ、もっとべつの新しいのをコピペしろや。
630考える名無しさん:2007/10/01(月) 22:24:38 0
>>625
思い込みでなんでもかたづける奴
何々とは思い込みだという言い方は
なにも語ったことにはならない。
不毛だ、不毛の度合いは君の方がひどい。
631考える名無しさん:2007/10/02(火) 03:07:12 0
>>629

628は同じじゃない。前によく貼っていたのは簡略化したバージョンだ。
628はさらに文章を付け加えた新しいバージョンだよ。

同じだと思ったのはよく読んでないからですね。
声に出して読まないと覚えられないですよ。
632考える名無しさん:2007/10/02(火) 06:51:17 0
哲学ってすべて「思い込み」なのだから、
>>625
は解答にならんよ。
633考える名無しさん:2007/10/03(水) 14:11:55 0
フィヒテの人間はフィヒテの神である。
カントの純粋統覚はもごもご……
634考える名無しさん:2007/10/30(火) 08:34:36 0
ヘーゲル弁証法によれば、正と反の次に合が導かれますが、
カントの感性と理性の次に悟性が導かれるのでしょうか。
それともカントでは、まだ感性と理性と悟性は対等の扱いなのでしょうか。
635考える名無しさん:2007/11/02(金) 00:28:40 0
(゚Д゚)ハァ?
636考える名無しさん:2007/11/02(金) 05:10:24 0
とりあえず基本だけ。カントの認識論。

感性と悟性で日常的な対象を認識できる。パソコンとか本とか。
理性では超感性的な対象? を思惟できる。神とか魂とか世界全体とか。
認識と思惟の違いに注意。
んで思惟は認識を統制的に導く。

まあ感性は低級で理性が高級ってのは
通俗的にも講壇的にも漠然とではあれ蔓延しているだろうが、
カントが悟性が没落してうんぬんとかいう発想をしているかどうかは知らない。
637考える名無しさん:2007/11/02(金) 23:23:02 0
アリソンまーくの観念論。
638考える名無しさん:2007/11/03(土) 02:04:04 0
>>636,637
分かりやすい説明ありがとうございます。
専門でないので、一応ウィキは一般教養としては読んでいます。
すこし以外だったのは、カントで言う理性は、
感性(と場合によっては悟性)でないもの全ての概念を言っているようです。
理性はもう少し限定された概念、例えば(経験ではなく)体験とかと思ってました。

対等の扱いって質問が悪かったのだと思いますが、
では言葉を変えて、それら3つの概念は互いに独立しているのでしょうか?
(明確に分離できる何かしらの条件を持っているのかどうか。)
それとも相互に重なり合う部分があるのでしょうか?
(相互に関連しているのは当たり前ですけど)
639考える名無しさん:2007/11/03(土) 05:32:05 0
とりあえず次の本あたりを読んでないなら読むか、
読んだなら読み返したほうが速いかも。

石川文康 『カント入門』 ちくま新書
黒崎政男 『カント『純粋理性批判』入門』 講談社選書メチエ

理性は基本的には類比する能力だったはず。a:b=c:dみたいなことをする。
たしか後者の本で理性とか悟性とか知性とかの概念史にすこし触れてたはず。

それぞれの能力が独立しているか否かだけど、
感性と悟性が構想力を共通の根とするなんて解釈もあれば、
直観と概念は形式を異なる観点から眺めたものだなんて説もある。
そもそも知性体だとかいうのがあらゆる能力の根本なのかも。

感性と悟性を区別する条件だけど、
文字を見たり声を聞いたりする能力があっても意味を理解する能力がない場合を考えるといいのかも。
その場合感性はあっても悟性はないってことになるのかね。
あと幾何学の問題と代数の問題を相互に重ねないで(代数幾何を禁止して)解くとして、
それぞれで働く能力は異なるかもしれん。感性的直観と理性?
640考える名無しさん:2007/11/03(土) 12:39:42 0
>>639
また分かりやすい説明ありがとうございます。
私がもつであろう悟性のレベルでは丁度いいぐらいです。

3つの語句は完全独立でなくて類比とは驚きました。奥が深いですね。
これでは分類のやり方によって分派が起こってもおかしくありません。

個人的には、すべての表象におけるカントの見方・捉え方は、
現在では数学において一公理と同レベルの域・権威があるので、
3語句は独立にして欲しかったと思いました。
類比だとしても、3つの独立性は導出可能ではありますけど(例えばヘーゲル弁)。
641考える名無しさん:2007/11/03(土) 12:55:36 0
悟性・感性・理性の3語句が類比であり重なり合うところも否定できないのであれば、
そのところは隠された4つ目語句で概念化すれば、完成するでしょう。
4つ目の概念が「共通の根」かもしれないし「知性体」かもしれません。
知性体って名前付けは誤解がありそうであまりよくないですね。

>文字を見たり声を聞いたりする能力があっても意味を
理解する能力がない場合を考えるといいのかも。

分かりやすいですね。ではせっかくなので反例として、
目が見えないなど障害がある人は
そもそもその部分での感性が閉じらているのだから、それによって悟性も働かず、
一概に感性・悟性で捉える事は出来ないがどう説明がなされるのか?

人がある部分(分野)で感性・知性・悟性を持っていない場合はどう扱うのかという問題に抽象化される。
生まれながらの障害と、途中で事故等で障害になった場合では時間の位相も考える必要が出てくる。
まあ、別に答えが知りたいわけではありませんけど…
642考える名無しさん:2007/11/03(土) 12:58:50 0
最後の代数幾何云々ってのは、少し誤解してるのかもしれません。
同じ現象(表象といってもいいですけど)を違う書き方で表しているだけです。
よくある例えば、
1 = 0.9999.....
1 = 1/1 = 0.9999..... = 1+i0
は同じって話。
643考える名無しさん:2007/11/03(土) 13:00:07 0
>感性的直観と理性?

カントの本読んでませんが、これが類比、
ここでは感性と理性を別ける分類条件の一つなのでしょうね。
ありがとうございます。
644考える名無しさん:2007/11/03(土) 13:13:23 0
表象って語句は適切じゃないですね。
ここでは、表象が生まれ、それが自分外に外出し外に現れた状況を
適切に示す語句が浮かばなかったので、
普通に言うところの「表現」と置き換えて下さい。
645考える名無しさん:2007/11/04(日) 03:19:48 0
>>641
>知性体って名前付けは誤解がありそうであまりよくないですね。

Intelligenz のことだけど、たしかにヌーメノンとかと紛らわしいかも。
感性とか感情は含まなかったかも。

後半。正直その例がなんで反例なのかがわからぬ。
まあ「働き」よりも「対象?(客観的な認識のそれに限らず)」を考えたほうがいいのかも。
内容ない思考とか概念のない直観とか。

認識でも思考でもなく戯れになっちゃうが、
ジョジョのカーズの末路とか寄生獣のミギーの進んだ先とか想像するとおもろい。
ミギーなんかは客観的な時間の認識はないんだけどぼんやりとした変化の内にいるのかね。夢?
646考える名無しさん:2007/11/04(日) 14:38:56 0
ジョジョとか寄生獣だと年が知れますね。
「思念体」とかでどうですか。
宇宙人が言ってた「情報統合思念体」からの借用で。
647考える名無しさん:2007/11/04(日) 15:22:34 0
それだったら普通にあらゆる時点と空間に対しての知性的直観能力を持つ
いわゆる神とかでいいんじゃ。あと純粋に理性だけの存在者ってことなら天使。
648考える名無しさん:2007/11/04(日) 15:48:56 0
↑それじゃカント以前に逆戻りじゃないか?
思念体=神ってのは賛成だけど。
649考える名無しさん:2007/11/04(日) 15:51:04 0
日本人ならやっぱり「巨人兵」好きだよね?
650考える名無しさん:2007/11/08(木) 02:35:15 0
ドイツの論文読んでたら
Ueber den Gemeinspruch
というカントの論文が引用されてた。
これって「理論と実践」だよね?
651考える名無しさん:2007/11/10(土) 10:11:55 0
カントの自我論を2回精読して純粋理性批判を読んだが
まったく理解できなかった
どうすれば?
652考える名無しさん:2007/11/10(土) 19:45:46 0
もうちょっと緩い本読むか、違う哲学者探す。
653考える名無しさん:2007/11/25(日) 21:13:51 O
哲学史読んでカントの位置付けから入れば分かった気分になれる
654考える名無しさん:2007/11/26(月) 16:52:18 0
前の時代から読まないと後から読むと迷う
知性論と知性新論を読むのが一つの手
655考える名無しさん:2007/11/26(月) 21:15:38 0
逆に現代に近い方から遡っていくのも手かも。
社会科学の方法論とかポパーあたりの科学哲学は
基本的にカントの発想が下敷きになっているから、
そっちのほうが判りやすければそちらから攻めていくのも可。
656考える名無しさん:2007/11/28(水) 06:12:03 0
これからは山本道雄氏のカント研究の集大成を待ちながら
静寂なる幸福のうちに生きるとするよ……
657考える名無しさん:2007/12/06(木) 19:49:21 0
過去に純粋理性批判を読みました。
現在、判断力批判に関心があるのですが、
やっぱり実践理性批判を経てからにしたほうが良いんでしょうか?
658考える名無しさん:2007/12/06(木) 22:22:49 0
岩波の『啓蒙とは何か他4編』はわかりやすくて面白かった
他の岩波文庫版は読みにくいらしいね
659考える名無しさん:2007/12/07(金) 11:21:06 0
時間は超越論的には観念的なもの。しかし経験的には実在的なもの。
これはどういうことか?またなぜそうなるのか?

これってどう答えたらいい?質問されたんだが…
660考える名無しさん:2007/12/07(金) 16:18:44 0
想像の中では時間は関係なく、想像している自分は時間の中にある。
人間は超越論的な存在でもあり実在的な存在でもあるので、こういう言い方が許される。
661考える名無しさん:2007/12/08(土) 00:32:36 0
超越論的観念論

経験的実在論

基本だろw
662考える名無しさん:2007/12/08(土) 01:34:15 0
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101
副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
663考える名無しさん:2007/12/08(土) 14:10:35 0
↓一読した人はいるんだろうか?あまりにマイナーすぎる研究書

フリッツ・ガウゼ 「カントとケーニヒスベルク―1974年4月22日のカント生誕250年を記念する書」
664考える名無しさん:2007/12/08(土) 18:24:14 0
>>659
「時間は超越論的には観念的なもの。しかし経験的には実在的なもの」とはなにか。
(カント哲学の単位取得のために受けた試験問題かな)
665考える名無しさん:2007/12/08(土) 18:26:24 0
>>664
超越論的観念論と経験的実在論の違いについては、中島義道がわかりやすい説明をしている。

(最近出た岩波現代文庫版の「カントの自我論」の序章あたり)
この概念は地動説と天動説のコペルニクス的転回にたとえるとわかりやすい。
天動説(経験論的実在論)は見えるがままにあるという一重の視点であり、経験的に納得しやすい。
地動説(超越論的観念論)は見えるようにあるのではない。しかし、太陽からの視点で見える世界
の光景を表象することで、二重の視点を持つことができる。地動説はあくまでも概念であり、
観念であり、表象である。しかし、物理学的数学的実在世界を開く鍵である。
666考える名無しさん:2007/12/16(日) 16:32:20 O
時間論の問題として存在論的には実在を確認することが出来ないため観念的であり、
認識論的には実在的なものってことではないのか
667考える名無しさん:2007/12/16(日) 17:42:17 0
>>666
全然違います。
668考える名無しさん:2007/12/17(月) 21:50:40 0
47 名前: ◆mgNCaLKg6. 投稿日: 2007/12/17(月) 18:50:06 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1197640265/l50
>>
>我々の手で新しい思想の創造を行いましょう
>嫌だよ 功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない
>私は京都大学の文学部で博士課程まで哲学に関する研究を行いました。現在は金融に就職しているので研究室での研究とは疎遠な状態ですが、私も独自の体系を日々完成に近づける努力を続けています。
>この思想は私が学部の卒業論文で最初に提起し、修士、博士課程において主に研究、精錬を重ねたものです。
>また、高名な教授と議論をすることができますし、永井均先生等、第一線で活躍しておられる哲学者の方に直接触れる機会も多いです。
>最後に、これから哲学(ないしは哲学的思索)が社会において有効性を発揮する分野としては環境倫理学、生命倫理学があると思います
特に生命倫理に関しては京都大学の研究室では万能細胞を皮膚から作ることに世界で初めて成功しましたが、
このことによって生命倫理的なより精錬された議論が必要となると思われます
<<

あー、おまえは「永井均」ほんにんだろうwもしくは、せいぜいかんけいしゃとかしそうにかんかされたやつにしといてやるかwww

で、そういうせこいことで「じせつ」をせんでんするのやめないか?
おなにーなら「ぶろぐ」ですきなだけやればよろしい。
そこならすきなだけでんぱ「ゆんゆん」していいから。

ちょっとしらべてみたけど、ひでーな。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140442849/l50

「永井均関係者=純一 ◆Fn0dptrDJw=精神病一歩手前」

「嫌だよ。功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない。」

669考える名無しさん:2007/12/18(火) 09:04:31 0
「超越論的観念論=思い込み」
と読めばカントは理解できるよ。
670考える名無しさん:2007/12/18(火) 12:35:15 0
>>669
賛成。
哲学者は言葉を愚弄しているだけ。
671考える名無しさん:2007/12/18(火) 14:10:34 O
カントは刑而上学を
どーやって解体したの?

(´Д`)ハァハァ
672考える名無しさん:2007/12/18(火) 14:16:41 O
>>670
解釈する連中が教条化するのが問題なだけ
673考える名無しさん:2007/12/18(火) 17:32:05 O
>>671

カントはドイツ人
ドイツ革命に便乗しただけ
解体してない
674考える名無しさん:2007/12/18(火) 18:07:09 0
空間ではなくて時間に限ってたずねるところがなんか鋭いかんじ。
675考える名無しさん:2007/12/18(火) 19:50:10 0
「理解=思い込み」
と読めば2ちゃんは(ry
676考える名無しさん:2007/12/18(火) 21:47:12 0
>>666
時間論というけど
時間と空間は感性的というか直観の形式なのだ。
つまり、時間と空間はセットで、
われわれの認識を可能にするものなのだ。
よく考えれば、当たり前のことを言ってるに過ぎないのだ。
「現象の中の物」が実在するなあとわかるのは、
一つの時間と一つの空間がなければわからない。
きわめて日常的。
677考える名無しさん:2007/12/18(火) 23:15:00 0
>これはどういうことか?

超越論的ってのは方法的に限定されてる観点で、
経験的ってのが日常的な観点ってことがポイントか。
あと各々の観点での現象と物自体の区別とか。


>なぜそうなるのか?

空間については方位論文の議論が重要っぽい。
時間についてなぜなのかをいわゆる空間化とかしないで
説明するには純粋自己触発とかが関係あるのかなあ。
678考える名無しさん:2007/12/19(水) 19:54:51 0
>677
純粋自己触発ってア・プリオリということですか?
679考える名無しさん:2007/12/19(水) 20:39:56 0
なんですか、その「純粋自己触発」って???
680考える名無しさん:2007/12/19(水) 23:15:08 0
>>679
中島義道「カントの自我論」(岩波現代文庫p231)
ここで中島はハイデガーを批判してる。
カントの自己触発論について理解したいひとは必読かな。
681考える名無しさん:2007/12/20(木) 06:49:19 0
君たちは662をちゃんと読んでるのか?

682考える名無しさん:2007/12/20(木) 16:45:02 0
面倒だから三行にまとめてくれ
683考える名無しさん:2007/12/23(日) 23:43:00 0
>>681
っち。
また副島のコピペ貼り奴か。
自分のことばで語れ。
684考える名無しさん:2007/12/25(火) 21:53:18 0
自分自身の悟性を使用する勇気を持つように
685考える名無しさん:2008/01/02(水) 15:26:27 0
カントは死刑を肯定したらしいけど
どんな論理で肯定したの?
686考える名無しさん:2008/01/09(水) 02:40:59 0
絶対的応報刑論というやつでしょ。「目には目を・・・」のカント版
687考える名無しさん:2008/01/10(木) 23:15:45 0
『純粋理性批判』に再度挑戦してみようと思うのですが、
その前に、『純粋理性批判』についての解説書を挟んでみたいのです。
自分のような初学者に、カント理解の指針となるような本はないものでしょうか。
初読時には、感性悟性理性のぼんやりとした捉え方しかわからなかったのですが、
理性の働きについて、もっと深く理解しておきたいので。お願い致します。
688考える名無しさん:2008/01/11(金) 18:29:23 0

キリスト教に影響受けまくりの西洋哲学では何も解決しない
689考える名無しさん:2008/01/11(金) 20:23:37 0
>>687
カントを読むことがそのまま哲学することになる、と言う人もいるくらいなんだよ。流し読みしないで悩みながら読むといい。
690考える名無しさん:2008/01/11(金) 22:14:32 0
アンチノミーあたり読んでるがもう限界だ!
鬱が再発し出した!誰か励ましてくれ!!
691考える名無しさん:2008/01/11(金) 23:38:26 0
頑張れ!頑張れ!頑張れ!
692考える名無しさん:2008/01/12(土) 12:11:40 0
『純粋理性批判』のWikipedia(日本語)の項目ってなんであんなに酷いの?
693考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:48:22 0
なんでこのスレは活気がないの?
694考える名無しさん:2008/01/12(土) 19:36:02 0
カント先生が難しい本をお書きになったので、みんな悩んでいるようです。
695考える名無しさん:2008/01/12(土) 20:56:49 0
>>694
だから、
フッサールがカントをわかりやすく説明してるわけだ。
696考える名無しさん:2008/01/12(土) 23:33:04 0
カント=>ヘーゲル
カント=>ショーペン
ぐらいの流れしか知らないのですが、そういう系列・思想進化をまとめたサイトをご存知ないですか?
697考える名無しさん:2008/01/13(日) 00:06:36 0
私は、日本知識人として、己を失うまい、と心に決めている。己の立っているこの貧困なる知識の土俵が、
どんなに、東アジアの一種族としての劣悪なるものであるとしても、それは構わない、と腹を据えてきた。
しかし、嘘はつくまい、と念じきた。
この土俵と劣等な知識環境の中にあっても、知ったかぶりの高踏知識遊戯―即ち、やたらと気まじめぶった
学者の論文のこと。この知識環境で友人たちさえ読んでくれないような難解な文章を書くこと―はすまい、
決めてきた。日本の文科系の大学講師たちのほとんどは、アホである。
彼らの知識は外国に持ち出して、全く通用しない。言語の壁を横に置いたとしても。この書き方を、私は
これからもやめない。どんなに嫌われようが、煙たがられようが、やめない。
副島隆彦「日本の秘密」P43
698考える名無しさん:2008/01/13(日) 00:12:19 0
この国は、学者と称する、土人のまじない師どもの国だ。その土人(原住民)のまじない師どもが
支配している愚か極まりない国だ。この土人のまじない師たちの体制を、かならす、事実 facts
ファクツ の力で打ち倒してみせる」と。
私は、今でもあのときの苦汁を思い出す。何十年かかっても、私は、全てを明らかにし続けるぞ、と。
私は、あのとき自分の書いたものを、一行も訂正することなく、かならず、再び、この国民の前に、
示してみせる。私の深い決意に付き合ってくれる人などいなくてもよい。私は、鬼になってもやりとげる。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P74
699考える名無しさん:2008/01/13(日) 00:26:47 0
>>697
おのれの糞スレでやっとれ
700考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:44:39 0
カント『純粋理性批判』入門
黒崎政男/著 講談社 (ISBN:4-06-258192-2)

これってどうなんだろう?
地雷臭がしなくもないので、買うか買うまいか迷い中。
701考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:50:01 0
アマゾンのレビュー見て地雷と判断した。
カント入門講義―『純粋理性批判』読解のために (叢書・ウニベルシタス) (単行本)
のほうが良さそうだ。
702考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:55:38 0
>>696
ここはダメ?
勝手に哲学史
ttp://www.geocities.jp/enten_eller1120/philindex.html
代表的な哲学者の主張を概観できる。
哲学に限らず正当な評価を加えつつ学説史を形成するのは難しい仕事だから鵜呑みは禁物だけど。
これ以上は邦訳でもいいから実際にテクストを読み著者と共に考えることをオススメするヨ。
カントの主著は岩波文庫等で読めるし、ショーペンハウアーも同じ。ヘーゲルはその仕事が多岐にわたり、しかも独特の混乱(といっていいのかな)を伴っているから難解だ。解説書を読みつつ、図書館等で全集を読んでみればいいと思う。
まあ、読書を大いに楽しんでみてください。
703考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:34:58 0
そこみたんですけどね。
哲学や思想の人に多いんですけど、そこは、やたらと文章が長いので調べる程度には適してません。
カントの影響を受けてカント(批判でも)から派生した人たちを適当にまとめてくださればいいんですけど。
カントやそれらの人の哲学を知りたいわけではなくて、どういう系譜なのかということなので。
その系譜も哲学・思想史ってもんだと思うんですけど…
704考える名無しさん:2008/01/13(日) 04:33:57 0
>>699

副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
705考える名無しさん:2008/01/13(日) 04:49:57 0
カントを分かりやすく説明してないのは理解できてないからだ。
わざと難しく分かりにくい表現を使うのはカント宗教の信者みたいなものなので
カルトの信者と同じで冷静な思考ができない非論理的な人だから読む価値が無い。
ただカントの文章をコピー機で印刷してるだけの文章。

1カントの言ってることを理解する
2分かりやすく説明する。
3カントの思想を発展させる。
4カントの思想をヒントに何かまったく違う新しい思想を生み出す。

君たちは1のカントを理解するができていないんじゃないかな?
理解できてる人も考えをまとめられない。だから2ができない。
よって3にも4にも行けない。

706考える名無しさん:2008/01/13(日) 05:06:30 0
>>701
それも地雷だ。誤訳もあるし。
707考える名無しさん:2008/01/13(日) 05:14:20 0
初心者向けには、何がいいんだろうな。
708考える名無しさん:2008/01/13(日) 10:38:32 0
石川文康のカント入門は定評があるよ。
709考える名無しさん:2008/01/13(日) 13:06:15 0
もう読んだのはずいぶん前だが、黒崎氏の入門は地雷ってほどアレだったかな。
某偉業な辞典に一枚噛んでたこともあってか、
概念史とか当時のドイツの議論を重視してたような印象があったが。
710考える名無しさん:2008/01/23(水) 12:22:17 0
カントの「対象認識の成立は認識対象の成立」って
どういう意味ですか・・?
711考える名無しさん:2008/01/23(水) 13:26:30 O
EHカーの事実と解釈の関係と同じことだろ
712考える名無しさん:2008/01/28(月) 02:27:22 O
論文書く必要があって『純理』を熟読してる
ゼミで読んで以来久しぶり
94年の本だが小林利裕の『カント「純粋理性批判」研究』手に取ってみた
たくさん原文引用してあって、それも全て対訳にしてあるから頭の体操に良い

ただしミスが多すぎ
誤植じゃなくて調べ間違いやら写し間違い
713考える名無しさん:2008/01/28(月) 08:05:53 0
根源的獲得〜は必読
714712:2008/01/28(月) 10:55:21 O
>>713
山根著も今読んでる
良い論文だが、表現がちょっと鼻につくかな(笑)
いや、ま、内容とは関係無いのは承知してるけれども
715考える名無しさん:2008/01/28(月) 21:38:13 0
>>705
カントを読むなら、あの中島義道がよい。
まさしくわかりやすく説明している。
「カントの自我論」岩波現代文庫
「観念的生活」文藝春秋
カントがからだでわかるには中島しかいない。
716712:2008/01/29(火) 09:57:14 O
中島氏の各書は評判いいね
ただしおれの場合今主要な関心は超越論的論理学の成立に関してだから、
関連する近年(90年代)の未読著作と、ここ数年注目集めた若手の学位論文を集中的に読んでる
前者では石川文康『第三の思索』とか何とかいう(法廷論、トリア大の博士論文が元になったやつ 名大出版会刊)がいいね
717考える名無しさん:2008/02/01(金) 20:36:00 O
カントに燃えを感じた
718考える名無しさん:2008/02/02(土) 00:17:35 O
三国志に出てくる人ですよね
719考える名無しさん:2008/02/02(土) 05:25:52 0
【ロリ顔なのに爆乳!】 LUCY C 画像集 【CD-R】
http://www.auction.co.jp/mem2/item/mem_itm_item.asp?LOT=725039
720爵の話:2008/02/03(日) 05:37:44 0
721考える名無しさん:2008/02/03(日) 05:38:32 0
722名無し:2008/02/04(月) 15:23:27 0
カントの物自体はどのような点でライプニッツのモナドと同じであるといわれるのでしょうか?
この初心者に教えください。
723考える名無しさん:2008/02/04(月) 21:50:40 0
>>722
誰が「同じ」って言ってるの? ソースは?
724考える名無しさん:2008/02/05(火) 01:31:49 0
>>722
宿題は自分でやれよ
725考える名無しさん:2008/02/05(火) 02:17:03 0
プ
726考える名無しさん:2008/02/05(火) 02:29:59 0
>>722
両方とも、「よくわからない」という意味では同じ。
727考える名無しさん:2008/02/05(火) 02:48:25 0
>>722
マジレスすると全然違う
728考える名無しさん:2008/02/05(火) 03:44:26 O
客体と主体ほど違う
729考える名無しさん:2008/02/05(火) 07:03:19 0
>>722
カントの物自体は正しい。

ライプニッツのモナドは誤り。
730考える名無しさん:2008/02/06(水) 11:57:58 0
地道に原書(の翻訳)と入門書と研究論文を要約しながら読めば在野でもカントって手が届きますかね?
文系のゼミって具体的に何やってんの?
731考える名無しさん:2008/02/06(水) 12:03:44 0
>>730
うちのゼミではひたすら精読。一コマ90分で3ページずつくらい。
独学でやるなら入門書や論文よりも逐語的なコメンタリーのほうがいい。
732考える名無しさん:2008/02/06(水) 13:39:06 O
純理の論理学のところの逐語訳に近いのは小林裕行(日大教授)の『カント純粋理性批判研究』(たしか近代文藝社)
ミスも目立つが文法に関して一番詳しい
直前のおれが書いたレス読んでみそ
733732:2008/02/06(水) 13:42:49 O
小林利裕だった
>>712を見よ
734考える名無しさん:2008/02/06(水) 18:23:34 0
ケンプ・スミスのコメンタリも日本語で読めるから、参照してみるといいよ
735730:2008/02/06(水) 18:59:55 0
逐語的なコメンタリーを一コマ90分3ページずつ、ですか。
小林利裕『カント「純粋理性批判」研究』と翻訳と原書を並べてそのペースで読んでいこうかなぁ。
ありがとうございました。
ケンプ・スミスも調べてみます。
736733=712:2008/02/06(水) 21:48:48 O
コンバヤシ著には技術的誤植(?)が多いからくれぐれも気をつけれ
また、ケンプスミスの山本訳書は、恐るべきことに目次は上巻のみ、訳注は下巻のみに付いているんで、くれぐれもご注意を(苦笑)
737考える名無しさん:2008/02/09(土) 01:05:00 0
>>729
中島義道「観念的生活」p23
物自体は誤解されているようだ。
カントは「時間・空間における諸現象が生起する世界の基本構造」(p203 )は
しっかり認識できるが、時間空間における現象や事物以外のものは認識できる
はずがない、と言っているにすぎない。
738考える名無しさん:2008/02/10(日) 19:40:40 O
中公の『哲学の歴史』シリーズ7『理性の劇場』福谷茂の書いたカントの章すごくいいよ
739考える名無しさん:2008/02/15(金) 19:10:46 0
今世紀のカントに帰れという運動は十八世紀に帰れという運動である。
古い理想と古い感溺とへの権利がたびたび回復されようとしているのである。
それゆえに、「限界を設定する」、言いかえれば、理性の彼岸を勝手気ままに設定することの認識論・・・(ニーチェ)
740考える名無しさん:2008/02/16(土) 06:27:32 0
「918」ある若い学生からのメール。それに対する、副島先生の返信。2008.2.8
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi

私だって、20代の頃は、君と同じような、勝手な妄想とは言わないが、勢い込んで、自説のような文章を、
山ほど書いた。内容と質は、君が今回、書いて寄越したものとおなじぐらいの出来だろう。私は、25年間、
もの書きをやってきて、それで、ようやく一人前に世の中から認めらるようになった。君も頑張りなさい。
きちんと文献(ぶんけん)を引用しなさい。
 その際は、学者たちの論文のように、文末に、脚注(きゃくちゅう、フットノート footnotes)形にする
のはやめなさい。読み手にとって不便で、煩雑ですから。きちんとした引用文の形で本文の中に織り込む
のがいいです。

 それでです。私が、君の文章をやや邪険(じゃけん)に取り扱ったのは、それは、私、副島隆彦の思想や、
本に対して、どういうことを考えているのか、副島隆彦の文章のどういうところに共感したり、反論したく
なったのか、を何も書いていないことだ。それは、やはり文章を勝手に送ってきた者の傲慢(ごうまん)だと
思いますよ。
 評論文(論文)も、それを読んでくれる相手を想定して、手紙のように書くのです。それが、ヨーロッパの
近代知識人たちの始まりなのです。「我は、天下国家に向かってものもーす」のような、アジア型の土人
(どじん)知識人のスタイルはやめなさい。
ヨーロッパの近代の知識人たちは、自分のパトロン(生活資金の援助者)に対して、「○○公爵殿。このたびは、
私は、このような発見を致しました。ご報告します。・・・」と書いたのだ。文科系だけでなく、ライプニッツも
ニュートンたちも同じように書いている。モーツアルトたち音楽家(当時は、洋服の仕立て屋の職人などと同じ
低い階級)だってそうやって、曲をやオペラ劇を書いている。
741考える名無しさん:2008/02/16(土) 23:05:36 O
742考える名無しさん:2008/03/03(月) 19:19:56 0
哲学を学問とするよりこういうマナーを学問とした方がいいんじゃないか?
社会人なら社交辞令とかそういう生きていく類のマナーも当然会得してるのに、
社会から隔離りされている、それも哲学!では論文の作法とか文章術とかは、
どうも脇役になってる。
文章が変だから、ヘーゲルとかなにいいたいのかのかさっぱり分からんし、ノストラダムスの詩集みたいにいくらでも解釈できる。

哲学に行っちゃう奴ら(学生)は多分に空想的・理想的な思い込みちゃんが多いし、
文章も下手なら食ってくの大変だ。
743考える名無しさん:2008/03/03(月) 19:25:52 0
原文以外でちゃんんとやりたいなら、下手な日本語訳読むよりは英語の訳を読んだほうが理解は早いかなと思う。
翻訳するときも独自の方法じゃなくて、英語で定評があるのをまず参考にやってくれよ。
日本じゃないのか!とか、言う人の哲学は学問の世界では下らないから。

別にカントに限らないけど、最近じゃ日本語じゃなくて英語で情報を探すようになってしまうよ。
744考える名無しさん:2008/03/04(火) 17:00:47 0
いい曲です きいてみて

【初音ミク】White Letter
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1028001

http://www.youtube.com/watch?v=JmvOuyeqoLw
745考える名無しさん:2008/03/04(火) 19:13:45 0
私としてはそのテクノロジーの方が気になりますけど
746考える名無しさん:2008/03/05(水) 12:14:49 0
>>739
カント以降に哲学などないんだよ
747考える名無しさん:2008/03/05(水) 20:21:00 0
>>746
つまりカントのせいで哲学はオワタと
748考える名無しさん:2008/03/06(木) 00:22:12 0
認識論は終わったけど。
749考える名無しさん:2008/03/12(水) 20:44:04 0
カント初心者どころか哲学初心者で、
言語哲学大全を一応通読した程度なんだが、ケンプスミスの
純理註解を読むのは無謀?一応命題論理は野矢の論理学と、前原の
数学基礎論かじってるから慣れてる。述語論理も野矢さんのでそれなりに。
黒崎の入門書が手元にあるからそれ読んでからの方がいい?
750考える名無しさん:2008/03/12(水) 22:39:29 0
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理 (ratio ラチオ)と
「理性(reason リーズン)」について、再掲載します。お読みください。2007.6.18
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html#1101

アホダラ経の有り難い、お経を読むように難解な日本語翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は
高学歴で、知識階級に所属する」と、勝手にうぬぼれてきた。私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、上記の
私の「真実読み破り訳」にケチを付け、異議を唱える者がいたら、その者は、どうどうと名前を名乗った上で、私に問答を
提起してきなさい。私が、10時間ぐらいかけて、懇切丁寧に説明します。分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、
どんなコトバを使ってでも、すべて解明されなければならない。
自分が分かったふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、その自分自身の、脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり
打つから、覚悟しなさい。私には、いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、一切ないのです。
751考える名無しさん:2008/03/18(火) 19:04:50 0
「世界の名著カント」でプロレゴメナ読んでるんですが、よくわかりません。

「いかにして純粋数学は可能か」のところなのですが
1・経験的直感 と 直接直感(アプリオリな直感) 
2・アプリオリに可能である直感は、決して我々の感官の対象以外の事物とは関係しえない。

の意味がわかりません。この語彙は理由付けとしてこの後も幾度も使われるのですが、いくら読み返してもよくわかりません。
どなたか教えて下さい。おねがいします。
752考える名無しさん:2008/03/19(水) 13:50:21 0
まだレスなしか。。。過疎スレか?
753考える名無しさん:2008/03/19(水) 17:24:00 0
>>752
アプリオリな認識=いっさいの経験によらない認識。
アポステリオリな認識=経験的認識。経験によってのみ得られる認識。
アプリオリな綜合的認識の例は純粋数学

それではアプリオリな綜合的認識による学は可能か?そういった形而上学は成立しうるのか?ということがテーマになっている。
754考える名無しさん:2008/03/19(水) 21:46:22 0
>>753
・・・それはそうだけど。それって独り言だろ。カント入ってる人なら言われなくてもさすがにそこは知ってるよ。無関係なレスなのにアンカーつけないでよw。

すいません。それと>>751訂正です。
×直感→〇直観

要は
@直観の意味、および経験的/直接直観の意味
A「アプリオリに可能である直感は、決して我々の感官の対象以外の事物とは関係しえない。」の意味と理由
が知りたいです。
どなたかよろしくお願いします。
755考える名無しさん:2008/03/19(水) 21:48:48 0
訂正 Aの直感→直観
756考える名無しさん:2008/03/19(水) 22:30:57 0
純理で詳細に書いてるよ
757考える名無しさん:2008/03/19(水) 23:31:53 0
>>756
直観はアプリオリ、経験の集積ではない。
時間と空間は直観の形式。
758考える名無しさん:2008/03/19(水) 23:38:57 0
>>754
直観はわれわれの身体の内官(感官)の機能。われわれの感官
は一つの時間と空間によって対象を表象する。
感官の対象外のものとは
この時空のなかに位置づけられないもの=神、幽霊、などなど。
759考える名無しさん:2008/03/20(木) 00:06:12 0
>>758
感官(内官)−時間認識
感官(外官)ー空間認識 でしたね。

758ではいまいち分からないんですが、
「一つの時間と空間によって対象を表象する」は例えば
ある時ある地点でじぶんが心にイメージしている事、つまり例えば今この瞬間に頭に浮かんだこと、が直観ということですか?
(で、ちなみに直"感"はそれが5感によってなされた場合、ってこと?)
しかし、それでは神、幽霊は除外できませんし・・・。
もう少し具体的に説明お願いしてもいいですか?
760考える名無しさん:2008/03/20(木) 00:16:51 0
>>759
感官に対する誤解があるようだ。
日常語の直観は「第六官」のように使われるが、
カントの直観は悟性のことだ。
悟性は神も精霊も超自然現象も認識できない。
神やそれらは物自体とカントが名づけたものだ。
761考える名無しさん:2008/03/20(木) 00:24:31 0
>>760
直観=悟性ですか。分かりました。
では、754の@の前半は一応クリアしたとして、後半がまだわかりません。
経験的直観(経験的な悟性)と直接直観(直接の悟性)とはそれぞれどういうものでしょうか?
762考える名無しさん:2008/03/20(木) 00:54:50 0
『純粋理性批判』のなかで、カントは、人間がどうやってものごとを認識するのかを明らかにする。
それは、直観の能力としての感性と、思惟の能力としての悟性の共同の働きである、と。

認識をおこなおうとするとき、思惟の能力が必要であることはいうまでもない。
けれども人間は神ではないので、なにもないところから思惟を生み出すことはできない。
思惟が可能になるためには素材が必要で、それを与えるものが、感性による直観である。

人間の認識が普遍的であるということは、私たちの内側に、アプリオリな認識形式が存在しているからだ、とカントは考える。
人間は先天的に空間と時間を直観する能力が与えられている。直観が集めてきたデータを分類し、判断するのが悟性である。
この悟性に与えられた先天的な概念が、カテゴリーと呼ばれるものだ。

さて、悟性は、どうやって判断をおこなっているのか。
人間が判断を下すためには、直観の能力で拾い集めてきたデータに目を通し、それを総括しなければならない。
単に直観のみで判断の対象が与えられるのではなく、人間の主観の自発的な働きが、対象を作り上げる。
この働きをカントは「覚知の総合」と呼ぶ。

まず、直観が集めてきたデータが、一瞬にして消えてしまわないよう、頭の中に留めておかなければならない。
眼前になくなったとしたら、その表象をもう一度再現しなければならない。
この再現の動きが「構想における再現の総合」であり、ものを再現する能力が「構想力」である。
ところが構想力によって再現した表象が、元の表象と同一であるとどうしたらいえるのか。
これを再認識する働きが「概念における再認識の総合」である。
そして、意識が瞬間、瞬間に離ればなれになってしまわないよう、「わたしは考える」という意識を統一させているはたらきが「先験的統覚」である。

この先験的統覚の働きのもとで、直観によって集められたあらゆるデータは、産出的構想力によって「対象」となり、カテゴリーに適用される。
これが人間がものごとを判断していくメカニズムである、とカントは考えた。
763考える名無しさん:2008/03/20(木) 07:15:31 0
>>762
transzendental(先験的)は、いまは、超越論的と訳す。
764考える名無しさん:2008/03/20(木) 10:29:17 0
悲惨なスレだな。。
765考える名無しさん:2008/03/21(金) 13:11:47 0
コペルニクス的転回と言語論的転回の関係はどうなっているんでしょうか?
766考える名無しさん:2008/03/21(金) 18:34:21 0
>>762 人間は先天的に空間と時間を直観する能力が与えられている。

のところがどうしても理解できません。これがカントのアプリオリな総合的認識の理由つけの元となっており、ひいては純粋理性批判の元となっているんですが。。。

カントが細かく説明しているその手の能力は、学校でならっているから知っているのだと思えてならないんですが。
例えば、カント没後でも構いませんが、アフリカやアジアや中南米の未開民族を文化人類学的に調査して、彼等にも西欧文化人同等のそういう能力を具有しているのが確認されているんでしょうか?
もし確認されているんなら、私の最大の疑問は払拭され、カントの理論を受け入れる準備ができるのですが。。。
767考える名無しさん:2008/03/21(金) 20:16:02 0
はぁあああああああ
768考える名無しさん:2008/03/21(金) 22:56:55 0
>>764
>>767
気持ちはわかるが、この「機械坊や」(ボブディランの歌に出てくる
質問攻めの坊や。なんで空は青いの?と問う、いらつくガキのこと)
の質問に答えられるかどうかが、
ほんとにカントを理解しているのかの
試金石ではないか。
769766:2008/03/21(金) 23:26:01 0
>>768
すまぬ。でも、カントも主張しているように、純粋理性批判では、仮象をあばく=理屈をつけて根本からの説明を試みる、のが最大のポイントだと思ってるのです。
私もそこを期待してわざわざカントを読んでいるのです。

だから、その根本の部分(直観や感性や悟性の意味、経験的直観と直接直観の意味、いかにして純粋数学は可能か、アプリオリな総合的認識の証明等)だけはきっちり押さえておきたいです。

ちなみに766の質問で、”人間は”ってとこもひっかかります。これは他の動物(猿や鳥や魚)には触れていないだけなのか、それとも人間だけという意味なのか?
770考える名無しさん:2008/03/22(土) 01:16:45 0
>>766
>人間は先天的に空間と時間を直観する能力が与えられている。
>のところがどうしても理解できません

これは知識社会学の仕事であって哲学者の仕事じゃないよ。
もっといえば日本にまともな知識社会学者はほとんどいないし
知識社会学兼哲学者なんて日本では絶対にいないから。
771考える名無しさん:2008/03/22(土) 01:17:30 0
大森庄三(漢字忘れた)が似たようなことやってたけど奴が死んでからは、ない
772考える名無しさん:2008/03/22(土) 05:51:36 0
空間と時間の直観すらほとんどの人間に共通じゃなかったらそもそも共同作業が不可欠な学問なんて成立しないでしょ。
先天盲人の開眼とかそれらの直観に関わる感覚が制限されてる場合の議論は哲学史的にはもちろんあったけど。
仮に直観が習慣とか学習に依存するなんてことを示そうとするなら、
自然誌とか文化人類学とかじゃなくて特別に統制された心理学の実験とかじゃないと無理だろ。人権を侵害するような。
つうかそれらの学問もそれらの直観くらいはだいたいの人にとっては一緒じゃないと成立しないだろ。

それらの直観がなんで主観の形式なんじゃって疑問なら素朴にありうると思うが。
直観とカテゴリーを混同してる気がする。
773考える名無しさん:2008/03/22(土) 08:26:54 0
大森は社会学の講座に論文載せてた頃は発生的現象学っぽくって、
カントならどちらかというと超越論的演繹とかそういう系統の話だったはず。
774考える名無しさん:2008/03/22(土) 12:34:25 0
>>763
今まで岩波の文庫で純理を読んできたんですが、
現代的に価値のある訳ってどの出版社のだれの
訳があるのでしょうか?

みなさんの個人的な意見でよいので御教授下さい。
775766:2008/03/22(土) 17:20:26 0
レスどうも。
カント邦訳を幾つか繰り返し読んで、なんとなく分かってきました。かなり勘違いがありました。("経験的"や"直観"や"アプリオリ"の意味、カントがやろうとしている事について。)
時間と空間がアプリオリな直観による認識であるのは、別に原理から導いたり直接証明する必要はなく、数学や自然科学をしている人にはそのようにして備わっている能力ということですね。
カントはあくまで数学や自然科学や形而上学の大元を分析(ゼロから確認)しているのではなく、形而上学が数学や自然科学並の方法で学問されうるかどうかを分析しているわけですね。
で彼の方法に従う限りにおいて形而上学は十分成り立つ、と。でも現存していないところをみると何か不具合があったのかな?まあ、そこは今は知る必要はないですが。
776考える名無しさん:2008/03/23(日) 01:11:41 0
「超越論的統覚」「意識一般」「超越論的主観性」「超越論的自我」。

いろいろないわれ方をするけれど、結局のところ、超越論的理論において
こういった用語が指し示しているのは、ニュアンスの差こそあれ、
主観と客観(現象としての)という構図を可能にする存在者・実体を意味している、
というだけのことなのですか?

それとも個々の用語に決定的な違いというものがあるのでしょうか?
777考える名無しさん:2008/03/23(日) 09:10:06 0
>>776
全部同じと思っていいけど、
主観と客観の話ではない。
778考える名無しさん:2008/03/23(日) 18:14:47 0
>>765
コペルニクス的転回
地動説と天動説
地上からの視点と太陽からの視点
見えるものからの判断と見えないものを表象することで得られる判断
この二重の視点をもつことこそ、超越論的統覚の特徴である。
(by中島義道「カントの自我論」)
779考える名無しさん:2008/03/23(日) 18:29:11 0
>>774
中島義道によれば
高峯一愚訳が正確だそうだ。
岩波文庫篠田英雄訳「誤訳や極端な意訳が多い」(「カントの自我論」)
780考える名無しさん:2008/03/23(日) 23:06:37 0
中島義道以外で、定評のあるカント専門家っていったら誰なんでしょう。
中島以外の視点でも、カントを勉強してみたいのです。
781考える名無しさん:2008/03/24(月) 01:28:04 O
質問まとめて答えます

現役の主なカント研究者
牧野英二
石川文康
大橋容一郎
黒崎政男
加藤泰史
薮木栄夫
北岡武司
平田俊博
河村克俊
湯浅正彦
福谷茂
御子柴善之
檜垣良成
山根雄一郎
あと誰か足しといて


純理の定評ある邦訳
古いけど高峯訳…正確、でも言葉遣いが古い。註がほとんど無いが、『純粋理性批判入門』と併せて読むのがコツ。
高いけど宇都宮訳…北大勢で完成。監訳者はカント研究の大御所。
全集だけど有福訳…一応これが今日のスタンダードと目されてる。さすがに権威。
改訳だけど原訳…元は古い理想社版だが、渡邊二郎が東大勢、それも全国的に活躍してる主力を結集させた企画。メンバーは文句なく最強。
本邦初訳だけど天野訳…字句は古すぎだけど良訳。昔はみんなこれで勉強した。しかし高峯訳が新鮮に思えるくらい古い。
782考える名無しさん:2008/03/24(月) 02:53:40 0
>>775
>でも現存していないところをみると何か不具合があったのかな?まあ、そこは今は知る必要はないですが.

知る必要が最もある部分だと思うが。

783考える名無しさん:2008/03/24(月) 19:41:45 0
>>779
おお、ありがとうございます。
参考にさせていただきます!!
784考える名無しさん:2008/03/27(木) 00:30:17 0
ドイツ語でおk
一年もやれば読めるだろ
785考える名無しさん:2008/03/27(木) 05:14:05 0
木村相良と一緒に
786sage:2008/04/08(火) 17:47:47 0
亀レス失礼します。
>>55
汎神論論争に関しては理想社版カント全集第12巻所収の「思考の方向を定める問題」とその解説が日本語文献のなか
では一番詳しいでしょう。
関連文献は英訳↓されているので、岩波文庫で復刊された『賢者ナータン』とともに必携でしょう。
http://www.amazon.com/Spinoza-Conversations-Between-Lessing-Jacobi/dp/081917016X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1207643930&sr=8-1
スピノザと批判哲学の相性は悪く、カントにとってスピノザは常に仮想敵ですが、『オプス・ポストトゥム』ではスピノ
ザへの接近が見られます(福谷茂の論考以外にこの遺稿の重要性を理解できている論文は見当たりません。180で
紹介された本は批判哲学側の論考に留まるのであまり参考になません)。
岩波版新全集に所収されなかったのは残念です。

物自体と超越論的仮象との混同を避けるためにも精査するべき遺稿なのですが、、、
787考える名無しさん:2008/04/08(火) 18:15:51 0
>>786
何年前の書き込みにレスしてんだという突っ込みはおいといて、
ヤコービのメンデルスゾーン宛書簡は『モルフォロギア』という
雑誌に翻訳が連載されてたけど、あれってもう完結したんだっけ?
788sage:2008/04/08(火) 18:18:38 0
>>786
自己レスで追記です。
ヤコービ及び汎神論論争に関してはヘーゲルが『ヘーゲル哲学史講義』(河出書房新社版だと下巻)でも少し触れています。
当然ながら当時まだ未刊行のカントの『オプス・ポストゥムム』に関してはヘーゲルは触れていませんが、、、
789sage:2008/04/08(火) 18:23:36 0
>>787
失礼しました。それにしても反応が早いですね、、、、
スピノザとカントとの関係が明確になっていない現状をどうにかしたいというのが超亀レスの真意です。
『オプス・ポストゥムム』の岩波版全集未収録はかなりショックでした。
坂部恵さんの方針なのでしょうか?経済的な問題なのでしょうか?

>『モルフォロギア』

情報ありがとうございます。至急調べてみます。
790考える名無しさん:2008/04/09(水) 03:06:25 0
>>789
どっかで Opus Postumum の邦訳を出す予定とかないんかな?
以前に南山大の加藤泰史氏のとこで読書会が行われてたみたいだけど、
そのあたりはどうなんだろう?
791考える名無しさん:2008/04/10(木) 01:25:45 0
Allison and Grier
というカント研究者が主役のアニメ番組がMHK-BS2で放送されているという。
792考える名無しさん:2008/04/12(土) 12:49:28 0
超初心者です。
大陸合理主義とイギリス経験主義を統合したのが
カントと言われているそうですが、
この意味がわかりません。
特に 大陸合理主義とカントの関係が。

どなたかこのことをご存知の方ご教授ください。
793考える名無しさん:2008/04/12(土) 15:33:28 0
とりあえず「生得観念」と「超越論的演繹」でそれぞれ検索してみ。
794考える名無しさん:2008/04/12(土) 17:46:45 0
>>792
考え方としての「演繹」と「帰納」を組み合わせたようなもんだと思っとき。
795考える名無しさん:2008/04/13(日) 13:38:00 0
「演繹」と「帰納」を組み合わせで成功したのは
ニュートン力学
だろう。
796考える名無しさん:2008/04/13(日) 13:58:56 0
まあカントにしてみれば
ニュートン力学の基礎づけって意図もあるので
あながち間違ってはないかもね
797考える名無しさん:2008/04/13(日) 14:02:49 0
>「ニュートン力学の基礎づけって意図もあるので」

本当?

カント哲よりニュートン力学の方が基礎的と思うが。。。
798考える名無しさん:2008/04/13(日) 14:39:12 0
本当
799考える名無しさん:2008/04/13(日) 15:09:21 0
>>797
「哲学の常識は世界の非常識」かもね。
貴君がまともかも。

フッサールの現象学ってわかりにくし、
エポケーを免罪符に重箱の隅をつつく事に
終始してるように(哲学者以外は)誰だって思うよね。
それが、哲学の中では
「すべての学問の基礎付けのために現象学がある」
と信じられているんだから。

カントも同じだよ。
800考える名無しさん:2008/04/13(日) 15:14:27 0
学問(笑)
全認識の基礎づけだよ。
801考える名無しさん:2008/04/13(日) 15:15:05 0
ヘェー
802考える名無しさん:2008/04/13(日) 15:38:33 0
松山壽一。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0674500369/
 3. Metaphysical Foundations of Newtonian Science
を特に。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0801489814/
 4. Infinity and Kant's Conception of the "Possibility of Experience"
 5. Kant's Philosophy of Arithmetic
を含む。

ttp://books.google.com/books?id=gJ3AfqmQJsAC
803考える名無しさん:2008/04/13(日) 15:52:47 0
『プロレゴメーナ』から抜粋。最近の岩波全集版。久呉高之訳。

 人は、常識を所業によって、
 すなわち、自分が考えたり言ったりする、熟慮された理性的な事柄によって、証明せねばならず、
 自分の正当化のために何ら怜悧なものを持ち出すすべを知らないときに
 常識を一つの神託として引き合いに出す、ということによって証明してはならない。
 洞察と学問とが衰退すると、そのときより前にはそうしないのだが、
 普通の人間悟性〔常識〕を引き合いに出す〔常識に控訴する〕というのが、
 近時の狡猾な発明の一つであり、
 そのさい、最も浅薄は饒舌家が、最も深遠〔根本的〕な頭脳の持ち主と安んじて張り合い、
 これを相手に持ちこたえることができる。
193頁あたり。

 あらゆる人が形而上学を研究することは必ずしも必要でないということ、
 〔また、〕根本的で、奥深くさえあるが、
 もっと直観に接近する学問においては、まったくうまくやっていくが、
 抽象的諸概念ばかりによる探究では成功しそうもない才能が多く存在するということ、
 そして人はその天賦の才を、このような場合には他の対象にふり向けねばならない
199頁あたり。
804考える名無しさん:2008/04/14(月) 06:13:05 0
『プロレゴーメナ』
805考える名無しさん:2008/04/15(火) 10:55:30 0
教えて!

カントの「純理」は
演繹と帰納を統合したらしいのですが、
演繹はどの部分で、帰納はどの部分ですか?
806考える名無しさん:2008/04/15(火) 13:11:06 0
>>805
>演繹と帰納を統合した
誰から聞いたの?
カントは「演繹」や「帰納」という言葉を使わないよ。(先験的演繹論でちょっと「演繹」という言葉が出てくるくらい。)
あえて対応するものを探せば「分析的判断」「綜合的判断」かな。
でも同じ意味じゃないよ。
807考える名無しさん:2008/04/15(火) 20:22:53 0
Thanks
総合的判断=数学的判断
でしたね。
808考える名無しさん:2008/04/24(木) 20:14:40 0

「物自体」はイデア界のパクリだと思うけど。
809考える名無しさん:2008/04/24(木) 20:52:07 0
>>808
それをいうなら、物自体じゃなくて叡知界でしょ。
810考える名無しさん:2008/04/24(木) 21:41:59 0
物自体がイデア界? 形相と質料が逆転?
811考える名無しさん:2008/04/24(木) 21:53:58 0
プラトンのイデア界=カントの物自体界(=叡智界)=デカルトの物

812考える名無しさん:2008/04/24(木) 21:59:37 0
なにをいまさら。
デカルトもカントもプラトン主義者だっちゅうの。
813考える名無しさん:2008/04/24(木) 22:01:55 0
どこがなにをいまさらなんだ?

物自体には想起されうる内容があることになってるか?
デカルトの物に形はないのか?
814考える名無しさん:2008/04/24(木) 22:37:09 0
よく知らないけど、プロティノスの純粋質料ってのに近いんじゃねえの?
815考える名無しさん:2008/04/24(木) 22:40:07 0
>>811
カントで
物自体界=叡智界
こうなる理由がよくわからない。
物とイデアは一緒なのか?
816考える名無しさん:2008/04/24(木) 22:58:16 0
お前ら純理くらいきちんと読んで参加しろよWWW
817考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:07:12 0
カントが言っているのは、自由である「かのように」振舞えということなんだが。
818考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:17:42 0
にちゃんでは全角の等号によって
その書き込みが悪い冗談であることを示唆することにでもなってるのか?

純理は辛いだろうから入門書に目を通すだけでいいからお願いしたいよ。
819考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:27:30 0
英語板でキチガイが暴れてるんですが、ちょっとお灸すえてもらえませんかね・・?

こういうこと言ってる奴なんですが。
中高生の英語の宿題・質問に答えるスレlesson57
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/english/1209008122/

> 東大や京大や早稲田や慶応でた人間と、
> それ以外のくず大学出の有象無象どもとは
> 人間の組成がちがうのだよ。
> 思い知りなさい。

> >>236
> じゃあ、大学生レベルの説明をしてやろう。
> カントの分析判断と総合判断という概念をしっているかね?

> ある命題において賓辞の特性が主語に含まれているものを分析判断。
> 賓辞にえいて新しい特性が主語に対し追加されたものを総合判断という。

> まず第一文型というのは、分析判断の命題の代表的なもの。
> そして第二文型というのは、総合判断の命題の代表的なものということになる。

> 第三文型、第四文型も、賓辞が主語に由来するという点で
> 第一文型と同じく分析判断と一種とみなすことができるだろう。
> そうすると、英語のセンテンスには、
> 第一、第三、第四の、分析判断の命題を形成するグループと、
> 第二文型の総合判断の命題を形成するものの、二つが存在することになる。

> では第五文型とは何か。
820考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:29:22 0
ちなみに、「真の英語のプロ」とか「心の英語のプロ」とかいうコテハン付けてる奴です
821考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:44:49 0
>>819
論破しておいたぞ。
822養老武:2008/04/24(木) 23:47:53 0
わらったぞ
823考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:48:25 0
>>821
ありがと
あいつ頭狂ってるから、あー言えばこーいう繰り返すんだけどね
824考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:50:35 0
>>811
本質存在という意味では
プラトンのイデア界=カントの物自体界(=叡智界)=デカルトの物=アリストテレスの質量
でもあるけど、君は何処で知ったんだい。
825考える名無しさん:2008/04/25(金) 11:28:40 0
>>818
ここでは「A=B」というのは、「AはBを連想させる」というような
独特な意味なんじゃないか?

よくしらんけど
826考える名無しさん:2008/04/25(金) 11:40:45 0
>>825
そうみたいだね。
mod(2)
ならば
2=8=44=100、 3≠4, 5=11=17
みたいく。
本質存在と事実存在でmodをとれば
プラトンのイデア界=カントの物自体界(=叡智界)=デカルトの物=アリストテレスの質量
だよ。
827考える名無しさん:2008/04/25(金) 16:07:45 0
不思議の国では可能的な百ターレルが物自体だったりするのか……
ハイレベルすぎてついていけんぜ……
828考える名無しさん:2008/04/25(金) 16:38:10 0
>>827
違うw
可能的な百ターレルは「百ターレル」という概念。
829考える名無しさん:2008/04/25(金) 17:08:45 0
俺じゃなくてハイデガーかその用語を独特な仕方で使ったひとに言ってくれよw
830考える名無しさん:2008/04/26(土) 08:50:24 0
何かの本で、「フレーゲは『カントは分析判断というものを狭く考えすぎて
いたために、認識の基礎としてアプリオリな総合判断の存在を求めたが、
実はアプリオリな分析判断で十分なのである』と批判した」ようなことが書いて
あったのですが、どういう意味なのでしょうか。
もしくは、その辺のことが書いてあるフレーゲの本または解説書を教えてください。
831考える名無しさん:2008/04/26(土) 09:53:43 0
『算術の基礎』にそういう感じの議論があるよ。
ただし認識じゃなくて算術の基礎についてで、
幾何学については最終的に総合的って考えたらしい。
832考える名無しさん:2008/04/26(土) 09:58:33 0
あれ、違うか? 幾何学によって数学の基礎づけを試みたんだったかな? ごみん。
833考える名無しさん:2008/04/26(土) 10:18:53 0
『純理』に書いてあることって、

あなたが犬を連れて散歩に行くとしましょう。
そのときに、あなたが感じる風景と犬が感じる風景では、
かなり違ってますよ。

所詮これだけで、これ以上のことは書いてないのではないでしょうか?
「時空」については、認知科学で否定されていますし。

変な質問で、ご立腹のむきもあるかもしれませんが、
私は真剣です。ご教授のほどよろしく。
834考える名無しさん:2008/04/26(土) 10:36:09 0
真剣なら入門書くらい読むだろ常考
835考える名無しさん:2008/04/26(土) 10:43:01 0
客観的なものとは何か?とか、世界は主観的なものか客観的なものか?などなど
それまでの認識論は大騒ぎしてきたわけですが、
実は主観(の構成のされ方)こそが客観的なのである、といって、それまでの
認識論論争を大きく転回させた功績が「純理」にあると思います。
それと、「純理」はあくまで、人間(理性的存在者)の学的認識についての本です。
犬は関係ないですねw。
836考える名無しさん:2008/04/26(土) 10:43:53 0
>>834
はい。読みました。

>「時空」については、認知科学で否定されていますし。

の部分でお察しください。
837養老武:2008/04/26(土) 10:52:43 0
とりあえず、全部読んでみなよ。
838考える名無しさん:2008/04/26(土) 10:55:23 0
なんて認知科学者がどのようにカントの時空についての考えを否定したのかの詳細希望。
839考える名無しさん:2008/04/26(土) 11:15:36 0
>>836
無理。ふつうに読んでたら「所詮これだけ」とかそんな馬鹿なこと言えるわけがないから。
840考える名無しさん:2008/04/26(土) 12:13:39 0
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人は、どうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。自分の仲間うちからも捨てられる。 日本の知識
業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、そのことが周りに
バレたくないばっかりに、やたらと、象徴語と、ドイツ式観念語
(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。約500語)
を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。 だから、最後には捨てる。
私は、そういう、本来学者になるべきではないのに、学者になっている人たちの、どうしようもない
下手くそで、難解なだけの論文を、30代のこと付き合いでたくさん読んだから、
このことが、よく分かる。エリート銀行員か、官僚にでもなれば良かったのに。
こんなに自分に向かないことで苦しんで、しかも、こんな下手な誰も説得できないような文章を、
苦しみながら書いてると、あとあと大変だろうな。どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。
50歳ぐらいで自分に絶望するのではないか、と、ひそかに、同情した学者の卵たちを私は
たくさん見かけた。
当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回して、それが
「するどい批評になっていなければいけない」と、勝手に思い込む。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P35〜36
841考える名無しさん:2008/04/26(土) 15:19:56 0
>>835 適切なご回答ありがとうございました。

認知科学からカントを見るとき、「認識論」の人として見てしまいます。
そうでなくて、「主観・客観とは何か?」を考えた人なんですね。
「認識論」ならば、心理学、動物実験、脳科学、コンピュータを総動員
すべきと思って、カントを小さく思っていました。

ついでに、どなたかに教えていただきたいのですが、
今度は言語論的転回です。

「赤ちゃん言葉でしゃべると、また別の世界が見えてくる」

これ以上のことを言語論的転回は言っているのでしょうか?
言語論的転回では「主観・客観」のことはあまり
気にてないようなので。
842考える名無しさん:2008/04/26(土) 17:15:13 0
カントも読んでいないやつはことごとく馬鹿である。
843842:2008/04/26(土) 17:30:12 0
言い過ぎたおスマン(´ω`)
844考える名無しさん:2008/04/26(土) 19:11:27 0
ダメットなら言語論的展開についてそんなアホなことは言わんだろ。
ローティとかが言ってるのか? つうかソシュールとかの言語の恣意性のこと?

あとなんて認知科学者がどのようにカントの時空についての考えを否定したのかの詳細
をちゃんと答えてよ。

自然主義者がカントの心の理論はひとつのよく考えられた仮説に過ぎず、
実験による検証が必要であるとか言ってることをもって否定されているとか言ってるのか?

正直カントも認知科学も知らんやつが「真剣だ」と言うだけの馬鹿げた冗談を言っているようにしか見えん。
845考える名無しさん:2008/04/26(土) 19:43:45 0
科学に携わる者ならば、カントの時空を否定はしないよ。
相手にはしないだろうけど。
846考える名無しさん:2008/04/26(土) 19:52:22 0
入門書とかの導入でカントの偉大さを印象づけるためもあってか、
英雄的な科学者がカントを真剣に読んだってことが紹介されたりしてるわけだが。
847考える名無しさん:2008/04/26(土) 19:55:01 0
つーか認知科学者にもカントの仮説をテストするっていろいろ実験したひともいるだろ。
848考える名無しさん:2008/04/26(土) 20:00:25 0

 ミ
  糞
849考える名無しさん:2008/04/26(土) 20:01:10 O
>>845
無知だなw
ニュートン⇒カント⇒マッハ⇒アインシュタイン
の流れも知らないのか
850考える名無しさん:2008/04/26(土) 20:09:40 0
東⇒岡田斗司夫⇒宮崎勤
851考える名無しさん:2008/04/26(土) 22:31:00 0
久保って元彦? その本で久保の本全体を越えたの?
時間についてのまとまった言及は
「内的経験(四) 超越論的観念論と超越論的観念性(下)」
くらいにしかなくて、全体の10分の1以下の分量だったと思うけど。

まあ読んだほうが早いか。
852考える名無しさん:2008/04/26(土) 22:33:18 0
誤爆推理。
853考える名無しさん:2008/04/26(土) 23:35:50 0
>>849
普通
ニュートン⇒アインシュタイン

ニュートン⇒マッハ⇒アインシュタイン
だろう。
854考える名無しさん:2008/04/27(日) 00:06:37 O
>>853
マッハはカントの影響を受けている
知らんの?
855考える名無しさん:2008/04/27(日) 06:08:05 0
「言語を哲学しよう」という哲学の動向。
856考える名無しさん:2008/04/27(日) 15:36:15 0
ニュートン⇒カント⇒マッハ⇒アインシュタイン
については↓を参照。
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/188301.html
カントはいうまでもなくニュートンから影響を受けてる。
857考える名無しさん:2008/04/27(日) 15:55:07 0
>>856
Thanks
それにしても、よく探したものだ。
貴君の努力に免じて、ケチはつけんよ。
858考える名無しさん:2008/04/28(月) 18:55:30 0
最近『純理』読んで思ったんだけど、
感性、悟性、理性
って心理学か脳科学じゃないの?
『純理』が哲学書とは思えなくなったんだけど、
オレみたいなのっているのかな?
859考える名無しさん:2008/04/29(火) 09:13:19 0
>>858
多分同意。
「世界説明」でなくて「認識メカニズム」に興味が行っちゃったからね。

「哲学はプラトンから心理学になった」
って誰か言ってたね。
誰だったけ?
860考える名無しさん:2008/04/29(火) 13:45:12 0
>>858
心理学とか脳科学は<神><宇宙><魂(心、私)><倫理>の問題まで行かないじゃん。
純理はそこまで行ってるから哲学。
861考える名無しさん:2008/04/29(火) 14:02:37 0
「『純理』内でない」
と『純理』は言ってるよ。
862考える名無しさん:2008/04/29(火) 14:04:56 0
>>861
短すぎて意味が分からないよ。
863考える名無しさん:2008/04/29(火) 14:54:43 0

「<神><宇宙><魂(心、私)><倫理>は『純理』の範囲外」

と『純理』は言ってるよ。
864考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:03:27 O
言ってないよ
それら3つの理念に向かう自然的傾向を持つし、統制的理念として働かせるべきだと言ってる
865考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:14:24 0
否。
たとえば、<神>のことについては言わないんじゃなかったっけ。純理では。
866考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:34:50 O
>>865
言ってるよw
神の存在は証明不可能と言ってる
しかし不在も証明不可能
理神論的神を統整的に使用するのは有益だと言ってる
それは体系的統一の図式だと
単なる心理学・脳科学程度のものじゃないよ純理は
ちゃんと読め
867考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:36:45 0
あんたら、「言わない」とか「言ってる」の意味が噛み合ってないことに気づけよ。。。
868考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:39:18 0
何か噛み合ってないのか?
単に866が正しくて865が間違ってるようにしか見えんが
869考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:40:30 0
神について理論的なことは「言えない」ということを「言っている」んだなw
870考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:46:41 0
なんでカントが言ってもないことを
「言っている」ことにするんだ
871考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:50:33 O
神そのものを言ってないが、神についてはたくさん言ってる
そして心理学や脳科学には神という言葉すら出てこない
872考える名無しさん:2008/04/29(火) 15:57:05 0
あんたら、『純粋理性批判』を読んだことあるなら、もっとちゃんと説明すれば。。。?

カントは科学的学問を基礎付けるために『純粋理性批判』を書いたわけだから、
心理学や脳科学そのものではなくて、それらを基礎付けるためのものだということだな。。。
873考える名無しさん:2008/04/29(火) 17:30:53 0
それって何か説明してるつもりじゃないよね?
874考える名無しさん:2008/04/29(火) 18:56:34 0
心理学者だって
「神について何もいえない」
と言ってるよ。
875考える名無しさん:2008/04/29(火) 19:00:46 0
>心理学や脳科学そのものではなくて、それらを基礎付けるためのものだということだな。。。

カントはそういってるけど、
物理学者も心理学者も
カントによって基礎付けられたなんて思っていないよ。
876考える名無しさん:2008/04/29(火) 19:00:47 0
カントは言ってないけどな
877考える名無しさん:2008/04/29(火) 19:10:36 0
「カントは科学的学問を基礎付けるために『純粋理性批判』を書いた」

けど失敗したんだよね。
878考える名無しさん:2008/04/29(火) 20:08:06 0
かつて哲学は、「諸学の学」として、即ち、諸々の学を基礎づけ、
それを支える唯一の学として君臨していました。
一言で言えば「真善美」の理念を支える学として。
ですが、もはや、そうした理念から出発するデカルト的-カント的基礎づけ主義」哲学を求める声はありません。
何故なら、そうした行為が不可能であることが露呈してしまったからです。
或いは、そうした行為が持つ権力性や、地域的-文化的-時代的制約性が呈してしまったからです。
なので、今や、哲学の役割は失われつつあると思います
879考える名無しさん:2008/04/29(火) 20:13:40 O
純理すら読まずに知ったかすんな
基礎付けは知らなかろうが基礎づけなんで
880考える名無しさん:2008/04/30(水) 02:40:36 0
よくわからなくなったが、

「結局、『純理』に書いてあることはデタラメだった」

というのが>>858-879までの結論ですか?
881考える名無しさん:2008/04/30(水) 04:54:05 0
結ばれる論などなくて、理性の夢想家は早めに病院に行ったほうがいい
ってことが示唆されてるくらいだろ。
882考える名無しさん:2008/04/30(水) 05:07:23 0
そんな高級なもんじゃないか。理性の夢想家たちに謝っとこ。
883考える名無しさん:2008/04/30(水) 07:44:04 0
ここの皆さんはキビシイですね。
ウィトゲンシュタインみたいですね。
昔の人は素直だったんですがねぇ。
教育が悪いんでしょうね、

            by カント
884考える名無しさん:2008/04/30(水) 14:46:05 0
純理も読んでいないやつらが多すぎるな。
>>880
純理は正しいよ。
885考える名無しさん:2008/04/30(水) 15:51:25 0
ただの空想だと思いますが、何か?
886考える名無しさん:2008/04/30(水) 15:55:02 0
純理くらい読めよwww
887考える名無しさん:2008/04/30(水) 16:02:11 0
ウィトゲンシュタインは『純理』が読めなかったそうだ。
888考える名無しさん:2008/04/30(水) 16:04:11 O
>>887
まじで?
ソースは?
889考える名無しさん:2008/04/30(水) 16:34:22 0
ウィトゲンシュタインは「古典」を一切読まなかった(読めなかった?)
というのは何度か聞いた有名な話なので、
きっと.,>>887は正しいと思う。
しかし、オレもソースが知りたい。
890考える名無しさん:2008/04/30(水) 16:56:58 O
>>889
デマだよ
ニーチェ、ショーペンハウアー、カント、ドストエフスキー、スピノザ、アウグスティヌスは読んでる
891考える名無しさん:2008/04/30(水) 17:45:29 0
>>890  >ニーチェ、ショーペンハウアー、カント、ドストエフスキー、スピノザ、アウグスティヌスは読んでる

ありがとう。
貴君のソースは?
892考える名無しさん:2008/05/01(木) 15:02:26 0
>>876
カントの『純粋理性批判』をニュートン物理学の基礎づけと解したのは誰ですか?
893考える名無しさん:2008/05/02(金) 05:08:05 0
>>892
多分カント自身。

「純粋理性批判」はニュートン力学が唯一可能な力学であることを、
人間が直観できる形式の 限界という視点から「論証」を試みたものであるはず。

しかし、その後に、アインシュアタインの相対性理論が出てきて、
純理の根底が崩れた。
しかしそれでは、カントのファンの気が治まらないわけで、
「カントは言わなかった」等の言い訳をしている。

と思う。
894考える名無しさん:2008/05/02(金) 06:49:57 0
>>893
何言ってんだよアホw
読みもせずに知ったかすんなカス。純理を読んでから言え。
カント→マッハ→アインシュタイン
と書いただろ。相対性理論とカントは矛盾しないんだよ。
時間と空間を直観の形式と見なすカントの発想があったから、アインシュタインのような考えが可能だったわけで、むしろ相対性理論を可能にしたんだよ。
895考える名無しさん:2008/05/02(金) 19:47:28 0
感性、悟性については、ある程度どのようなものか理解できた(つもり)なのですが、
理性とは、つまるところ、何なのでしょうか?
人間から理性を抜き去ると、どうなってしまうのでしょうか?
896考える名無しさん:2008/05/02(金) 21:59:17 0
>>895
推論ってことだよ。
897考える名無しさん:2008/05/02(金) 22:05:20 0
>>895
理性を抜き去ると死にます。
898考える名無しさん:2008/05/02(金) 22:29:06 0
>>894
相対性理論をわかってないだろう。
899考える名無しさん:2008/05/02(金) 23:19:06 O
>>898
純粋理性批判を分かってないだろう?
900考える名無しさん:2008/05/03(土) 01:59:49 0
だいたい、ニュートンが自然科学的な理性的世界観を樹立して、アインシュタインがその細かい厳密な補正をしたってことが判っているのかな。
そう考えれば単純極まりない似非ニュートン理解から遥かに超えたところにカントがいたのかもしれないな。
901考える名無しさん:2008/05/03(土) 02:22:19 0
お薦めのカントの入門書ってありますか?
902考える名無しさん:2008/05/03(土) 03:28:30 0
>>892
> カントの『純粋理性批判』をニュートン物理学の基礎づけと解したのは誰ですか?

一部の狂信的カント信者。
903考える名無しさん:2008/05/03(土) 03:34:01 0
ラッセルなんかはカントをまったく理解できてないから、相対性理論は非ユークリッド幾何学でカント哲学の枠組みは無効になったと考えてたみたいだな。
相対性理論だろうが非ユークリッド幾何学だろうが、依然として我々は時間と空間で直観しているし、直観の形式が時間と空間であることは揺るがないのにな。
904考える名無しさん:2008/05/03(土) 04:22:41 0
初心者です。
カントを読む意義がよくわからないです。
理性や判断力について知ろうとしたら、認知心理学や大脳生理の方がよくないですか?
905考える名無しさん:2008/05/03(土) 04:35:43 0
世界の根源的な真理を仏教では涅槃寂静と言いキリスト教ではGODと言い自然科学では対称性と言う。
その揺るぎない心を正確に悟性を使って詳述したのがカント。
906尊き一念を!:2008/05/03(土) 04:38:50 0
>>1
【追儺】胡錦濤の日本接近阻止祈願スレ2【退去】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209634194/

皆さんの尊き祈願を一日一つでも二つでも書いてください。塵も積もれば山となります。
この国を護りましょう。どうか一度だけでも良いので貴方の国を護りたい思いをこのスレに
打ち込んでください。5月5日までに20スレ完成で願いは実現します。世界中の人達が
中国の横暴に対して怒りに燃えているので我々日本人は先駆けてその怨念の通る道筋を
神仏に祈願するだけで良いのです。神風は吹きます。雷も落ちます。天変地異、災い
何でもありで天にお任せしながら祈りを捧げてマコトを形にしましょう。

尊き1票を!尊き1レス祈願をお願いします。

中国はチベットと同様な侵略を政治的威圧で行って来ています。今、阻止しないと
日本の数年後は悲惨です。真剣に気が付いてください。この日本の危機を!

907考える名無しさん:2008/05/03(土) 06:36:26 0
たぶん知りかたが違う。
哲学は何であるかという概念的探究をしてて、
心理学は主に量的に測定してる。少なくとも学部レベルではそうだった。

心理学でも実験する前提として測定する対象を確定するとかのために
概念的探究をする場合はあるいみ哲学的なことしてる。
908考える名無しさん:2008/05/03(土) 06:36:47 0
>>903
おまえのカントの理解はラッセルの足元にもおよばないぞ。

「カント哲学なんてどうせいい加減なんだから、何を言ってもOK。」
と思っているだろうけど。
909考える名無しさん:2008/05/03(土) 06:55:44 O
>>908
批判するなら具体的にやれよ。言いがかりなら猿でもできる。
910考える名無しさん:2008/05/04(日) 00:48:41 0
初心者です。日本語訳は誰の訳が一番読みやすいですか?ご教授下さい。
911910:2008/05/04(日) 00:52:43 0
純粋理性批判です。失礼しました。
912考える名無しさん:2008/05/04(日) 01:17:04 0
>>910
一通り、出版されているものに目は通した?
913910:2008/05/04(日) 03:16:58 0
>>912一冊も見ていません。申し訳ありません。
914考える名無しさん:2008/05/04(日) 03:28:29 0
910さん
岩波の篠田訳が嫌だったら平凡社ライブラリーの原佑訳はどう?あとは高価だけど宇都宮訳。

どの訳で読んでも純粋理性批判は比較的難しい哲学書だから、ひとまずは手に入ったものを読んでみたほうがいいよ。
ボクが大学の先生に「岩波文庫の篠田訳はあまりよくない翻訳だという話を聞いたんですがどうなんでしょう?」と聞いたら
「とにかく一度最後まで読み通すことが大切。篠田訳が悪いということはないよ。翻訳の問題は言い出したらきりがない。」という
ことをおっしゃってましたよ。
915910:2008/05/04(日) 22:57:30 0
>>914ありがとうございます。篠田訳で挑戦してみたいと思います。
916考える名無しさん:2008/05/05(月) 22:28:39 0
純粋理性批判は読み進むのが遅いけど読めるとすっきりする
ストレス解消にいいなぁ〜
917考える名無しさん:2008/05/06(火) 00:43:15 O
またカントが読みたい。
918考える名無しさん:2008/05/06(火) 10:01:30 0
>>903,904
ラッセルの「西洋哲学史」では、「純理」は糞みそですけど、
今の時点では、カントなのかラッセルなのか、
どちらの言い分に理があるのでしょうか?

というか、ラッセルの言い分の方がまともと思いますが、
だとしたら、カントを読む意味があるのでしょうか?
919考える名無しさん:2008/05/06(火) 10:44:22 0
噂のおもしろ哲学史をまともとか言ったら、
まともだったころのラッセルが浮かばれないだろう。
無粋な奴め。
920考える名無しさん:2008/05/06(火) 12:37:35 0
>>919
一般に通用する意見なのか、このスレ内だけの「身内的」意見なのか?
どっちかな。
921考える名無しさん:2008/05/06(火) 12:43:10 0
とりあえず後者じゃあないな
922考える名無しさん:2008/05/06(火) 13:28:59 0
>>918
衆人に訴える論証http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%A8%B4%E3%81%88%E3%82%8B%E8%AB%96%E8%A8%BC
頭が悪くてもラッセルは読めるがカントは読めない。
カントも読めないような頭で具体的な反論ができるわけがないし、現にできていない。
923考える名無しさん:2008/05/06(火) 17:02:39 0
>>922
納得。
これでカントは無敵。
924考える名無しさん:2008/05/06(火) 18:09:13 0
>>918
衝撃的な本だね。
さすがラッセルと思ったよ。
925考える名無しさん:2008/05/06(火) 18:14:51 0
 つねに多様のうちに統一をもとめるわれわれの哲学は、近代ヨーロッパがカント以来
むなしくもとめてきた高所に、はるか以前に達している。彼らの経験的方法は、彼らには
加算できないような計算を必要ならしめ、彼らの形而上学は、分析の中にうしなわれた
分類である。なまかじりの者には、彼らの単純な観念が明解として訴えるが、考え深い者
には、半真理の羅列はあいまいさを暴露する。

 芸術においては、創造は模倣ではないこと、美は普遍が特殊のなかに吹きこむ個的生
命にあるのであって、特殊そのものの描写にはないこと、芸術精神はそれじしんのリズム
と調和をまとっているのであって、解剖学あるいは遠近法の異質な付属物ではないことを、
西洋はいまだに認識できないでいる。ここでもまた、性崇拝と肉体にたいする過度の偏向
が、芸術を、官能主義とまではいわぬにしても、感傷にひきおろしている。われわれの詩
人、われわれの画家は、彼らの詩人、画家たちよりも高潔な気持で自然にたいした。
われわれの伝統的技芸も、精妙な仕上げと、西洋の美術家たちよりも高度な形体および
色彩感覚を発達させた。文芸においては――しかし、われわれの広大な銀河の綺羅星の
ような名前をあげる必要があろうか?
926考える名無しさん:2008/05/06(火) 18:15:54 0
 産業的征服はおそるべく、道徳的征服はたえがたい。われわれの祖先の理想、われわ
れの家族制度、われわれの倫理、われわれの宗教は、日に日に色あせてゆく。あいつぐ
各世代は、西洋人との接触によって、道徳的根性をうしなってゆく。廉潔のかわりに業績
が重んぜられ、人格のかわりに才気が尊ばれる。われわれは、心ならずも、のこされたも
のを破壊しつくす手助けをする。われわれは、崩壊をもたらす改革をくわだてる。われわれ
は、社会実験をおこない、滅亡にむかって進行を早める。われわれは没落と戦おうとして、
外国の知識をもとめ、異国人のあやまった見地から視るようにわれわれの心を訓練する。
われわれはしばしば、絶望のあまり、廉潔は便利にまさることを忘れる。われわれのもっと
も偉大な知識人さえ、奇妙な仮定にとらわれている。詭弁は、男が借りることを憎む多くの
ものを弱さに貸しあたえる。あるものは、静観して行動を放棄すべきだと主張し――すべて
のものが、再興の時は熟していないという考えに賛成する。
 ヨーロッパの模倣と崇拝は、ついに、われわれの自然な制度となった。ロンドンの最新流
行を誇示するカルカッタや東京の貴公子連の姿は、滑稽をとおりこして悲しくなるほどだが
、彼らは、一般的なこの観念のあらわれにすぎない。流行を追うわれわれの学者たちが近
代哲学の借り物の文句のなかにもとめる保護色を、彼らは衣装にもとめているのである。
927考える名無しさん:2008/05/06(火) 18:18:14 0
 西洋は進歩を信じているが、いったい、何にむかっての進歩であろうか?
アジアは尋ねる――完全な物質的能率がえられたとして、そのとき、いかなる目的が
はたされたというのであろうか?友愛の熱情がたかまり、世界の協力が実現されたとして、
そのとき、それは何を目的とするのであろうか?もしそれが、たんなる私利私欲であるなら
ば、西洋の誇る進歩は、はたしてどこにあるのか?
 西洋の栄光には、不幸にしてこの裏面がある。大きいだけでは、真の偉大ではない。
贅をつくした生活が、すなわち文化であるとはいえない。いわゆる近代文明を構成する
個人は、機械的慣習の奴隷となり、みずからがつくりだした怪物に容赦なく追いつかわ
れている。西洋は自由を誇っているが、しかし、富をえようと競って、真の個性はそこな
われ、幸福と満足は、たえずつのってゆく渇望の犠牲にされている。西洋はまた、中世の
迷信から開放されたことを誇っているが、富の偶像崇拝にかわっただけのことではない
のか?現代のきらびやかな装いのかげにかくされている、苦悩と不満はどうなのか?
社会主義の声は、西洋経済の苦悶――資本と労働の悲劇――の声にほかならない。

岡倉天心
928考える名無しさん:2008/05/09(金) 17:19:13 0
ラッセルに敗れたり。
929考える名無しさん:2008/05/09(金) 17:46:32 O
ラッセルよりカントの方が数段上
だいたいラッセルはカントを理解できなかった
本を読めば分かってないのが分かる
930考える名無しさん:2008/05/09(金) 18:41:10 0
>>928
論理学は数学であって哲学じゃない。
ラッセルは数学者であって哲学者じゃない。
931考える名無しさん:2008/05/09(金) 20:46:36 0
何でも順位付けたがるサルの群れ感覚も、
何でも項目別に分類したがる図書館司書的感覚も、
うんざりだ。
932考える名無しさん:2008/05/09(金) 20:49:38 O
>>931
順位分類は重要だ
933考える名無しさん:2008/05/09(金) 20:53:04 O
カント読んでないラッセル厨wはスレ違い
934考える名無しさん:2008/05/10(土) 05:03:20 0
カントを読むと感情的な性格になる
という傾向があるらしい。
935考える名無しさん:2008/05/10(土) 06:40:40 0

せっかくカントが哲学の地位を上げたのに、
最近は哲学と関係ない「ポスモ」たちが「哲学」を名乗っている。

看板を取られた。悔しい。
936考える名無しさん:2008/05/10(土) 10:14:01 0
あー、そうそう、そうなんだよ、そう、その通り。

看板を戻すべきだ。

ジョンイルの失政だよな
937考える名無しさん:2008/05/10(土) 11:12:17 0
>>935
カントが神学を堕落させたという発想も出来るのだが。
お前にカントの何がわかってるんだよ。権威だけを振りかざして、ポモ批判
をしても仕方ないんだよ。
938考える名無しさん:2008/05/10(土) 11:39:15 0
ラッセルとかヤコービとかヴォルフ派とかもそれはそれでいいけど、
ヘンリッヒとかハイムゼートとかも読もうぜ。
939考える名無しさん:2008/05/10(土) 11:45:38 0
ウニベルシタスの復刊希望リストに
ハイムゼートとヒュームの宗教論があがっとる。
ルソーについてや浜田氏の邦訳もあるぞ。
940考える名無しさん:2008/05/10(土) 12:17:34 O
>>937
神学なんぞなくてけっこうだろw
啓蒙されろよ
941考える名無しさん:2008/05/10(土) 12:45:56 0
>>940
啓蒙主義の神学だな

無神論が可能だという神学
942考える名無しさん:2008/05/29(木) 01:53:21 0
物自体なんて意味無いんだよ
943考える名無しさん:2008/05/29(木) 07:09:08 0
否、それなりの意味はあるよ。
ただ、
「ア・プリオリな総合判断」と「ア・ポステリオリな総合判断」
の分類は現代では疑問視されているが。
944考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:13:09 0
「アプリオリな総合判断」は文献学的には重要。
945考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:36:47 0
アプリオリな綜合判断はあるだろ。
数学がそうだし。自明じゃん?
え、まさかいまだに公理主義とか論理実証主義を引きずってるわけ?
946考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:51:03 0
数学は、分析判断だろうに。
947wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/05/29(木) 17:36:34 0
>>943
確かに、実験/検証等は人道的にも不能ですから、ア・プリオリ、ア・ポステリオリの識別は、認識論のロジックを組み立てる上での便宜的なカテゴライズと解釈するしかないですね。
カントは純理で随分と苦闘していますが、その論のスキームにも、ほころびが目立ちます。
948考える名無しさん:2008/05/29(木) 19:47:37 O
数学は綜合判断
純理読めよ
949考える名無しさん:2008/05/29(木) 20:55:49 0
>>948
数学が総合判断なんて言ってるのはカントだけ。
クワインや分析哲学の一派に批判されただろうに。

950考える名無しさん:2008/05/29(木) 21:17:40 O
そして公理主義や論理実証主義は失敗した
アプリオリな総合的判断の存在を認めなかったからな
951考える名無しさん:2008/05/29(木) 21:33:02 0
>>950
どういう意味で失敗したと言っているのか?

アプリオリな総合的判断の存在をどのようにあなたは解釈しているのか?
952考える名無しさん:2008/05/30(金) 00:53:04 0
カントだって人間。間違いだってあるよ。
宗教じゃあないんだから、
「まちがったこと」は認めなくちゃ。
953考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:03:21 0
自明だろw?
5+7=12
5や7という概念に、12という概念は含まれていない。
綜合判断じゃん。
954考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:32:54 0
>>953
あいたたたwww
やっちゃったねw
955考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:35:13 0
は? なんなの?
956考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:38:33 0
>>953
+という記号の概念が、両者を足し合わせる意味だから、分析的に5+7から12が出てくるというの?
それは浅薄な考え方だと思うよ。
実際に、足し合わせるためには、現象(直観)の助けが必要だよ。
5に6、7、8、9、10、11、12と足していって、12を導かなければならない。
そのためには直観がどうしても必要になる。直観を介在させなければ、述語を付加できないのだから、綜合的判断なのは自明だよ。
957考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:46:55 0
例えば幾何学にしろ、どこかに補助線を引けば答えが出る問題がある。
どこに補助線を引けばよいかは、分析的には出てこない。
一種の閃きが必要だからね。
補助線を引くという直観の助けを借りて、答えを出すしかないのだから、綜合的判断だよ。
958考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:50:20 0
>>956
それは計算を理解するときの経験的なレベルの話でしょ。
確かにカントはそのレベルで考えていたふしがある。

だが、そんなこととは無関係に「+」を足し合わせることとして
定義して 5+7=12 と導くのは分析的に可能でしょう。
二進法にすればもっと分かりやすいんだろうけれど。
現に計算機の演算過程はそうなってるし。
計算機に現象や直観の助けは必要ない。
959考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:53:01 0
「2+3=5」は分析
「因果」はアプリオリな総合
が常識だが。
960考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:59:28 0
>>958
二進法だろうと、直観の助けは必要でしょ。
計算機はすべて分析的にできるように公理主義的に定義を組み立てたんでしょ。
主語概念に考えていなかったものを、あとづけで主語に付加するようなことだよ。
順序を転倒してはいけないと思う。
その手続きでさえ、直観の助けなしにはできないだろうし。
数学がすべて分析的とは言えないよ。

>>959
「2」や「+」や「3」の概念に、「5」は含まれないじゃん。
「1498535+532543」ならどう? 答えを分析的に求めることができる?
紙に書いて筆算するでしょ。直観の助けを借りているじゃん。綜合的判断だよ。
961考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:11:25 0
ニュートンの3法則は総合

3法則を使って、計算するのが分析
962考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:16:49 0
みんなカントの綜合と分析の定義をおさえてるの?
963考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:17:01 0
>>958
>計算機はすべて分析的にできるように公理主義的に定義を組み立てたんでしょ。

そうだけど、まさに直観なしで公理主義で組み立てうるからこそ数学が可能になるわけでしょ。
非リーマン幾何学とか現象レベルでは理解できないと思うし。
足し算はたまたま人間の現象界に対応した演算だから経験に即して理解できるが、
足し算であれなんであれ直観不要の分析的な公理系として組み立てることは権利上可能だ。
それだけで十分に反論になっていると思うが。

直観は現象界に生きる人間にとっての実際の学習過程として必要なだけ。
習得過程や理解の段階論と、構造の存立の議論とは区別しなければならない。
964考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:18:49 0
>>963
おいおい、単に数式を書くのだって、規則に従って数式でもって計算していくのだって、直観を使っているわけだぜ?
常識を捨てて、純粋に考えろよ。
どうかんがえても、綜合的判断だろ。
965考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:19:31 0
>>963
ていうか『純理』読んでないんじゃないの?
966考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:27:28 0
>>964
そりゃ現実に生きる人間だからね。だからといってそれが公理主義の否定になるのか?
事実問題ではなく、あくまで権利問題の議論をすべきでしょ。

>>965
いまはあえて反カントの立場で議論してる。つーか少なくとも、
数学を総合判断とした純理への反論はこれまで無数にあったわけでしょ。
別に特別な話をしているわけではないよ。
967考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:29:14 0
>>966
カントが事実問題と言ったのは、悟性の超越的使用についてだろ。
やっぱり『純理』読んでないな。
『純理』にがっつり取り組めば、数学が綜合的判断であることに納得できると思うよ。
968考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:42:44 0
>>967
「悟性」なんて「曖昧なこと」を言い出したら、まともな議論にならんよ。
『純理』は聖書ではないよ。哲学なんだよ。
969考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:52:03 O
>>968
何が曖昧だ
純理読んでたら明確に理解できるだろ
読んでない奴は書き込むなよ
970考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:01:40 0
感性、悟性は心理学・脳科学的で
総合・分析は哲学的なんだ。
だから、総合・分析の議論に「悟性」など持ち出すのは初心者。
『純理』をしっかり読んでいれば、そういう間違いはしないよ。
971考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:04:31 0
>>970
いや、俺がいったのは、事実問題権利問題という言葉が出てくるのは、カントが悟性の超越的使用について語った場所だけだ、ということ。
このことだけでも、お前が純理すら読んでないことは明らかなわけよ。
恥の上塗りしてないで、さっさと読んでこいよ。それが無理なら、書き込むな。
972考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:09:38 0
別にカントの解釈話をするのはいいが、カントがこう言ったってだけでは議論になってないんだよ。

数学が綜合判断だというなら、なぜ分析的というだけではダメなのかを
事柄として正しいということを説明してもらわないと。

>『純理』は聖書ではないよ。哲学なんだよ。

そういうことです。
973考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:11:52 0
プゲラッチョ
純理も読めずに、数学が分析的判断であることにこだわるわけ?WWW
まず読めよ。基本文献だろ。
974考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:15:20 0
通りすがりの者だが
分析的判断=数学
総合的判断=その他
でどう?
975考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:15:49 0
カントは敬虔なクリスチャンですけど、
純理には無関係?
976考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:21:54 0
『純理』をかじると、「嫁嫁詐欺」になるみたいですね。
977考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:26:41 0
分析的判断なんてほとんどないよ。無意味だし。
「未婚者は結婚していない」とかが分析的判断。
978考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:42:02 0
純理を読んだことと、それを理解して他人にも説明できるようになること
とは全然別だからなあ。
それを混同しているのが「嫁嫁詐欺」。
純理を真面目に読んだんだからその努力を褒めてもらいたいという厨に多い。
自分で説明できるようにまでならないと、哲学書をどんだけ読んでも仕方ないだな。
嫁嫁言うことこそ読んでなくても言えるからね。
979考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:58:09 0
は? 労力使って説明する義理ないし。めんどいわ。
ってか読んでないことを認めなよ。
980考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:00:39 0
初心者ですが
感性=ア・ポステリオリな総合的判断
悟性=ア・プリオリな総合判断
理性=分析的判断
でどうでしょうか?
981考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:05:13 0
>>980
ぜんぜん違う。純理嫁
982考える名無しさん:2008/05/30(金) 06:48:30 0
>>980
感性、悟性、理性はいい加減なものでどうにも解釈できる。
事実、現代心理学ではその区別は公式には認めらていない。
と思って、感性、悟性、理性を再定義したと思えば、グー。
983考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:28:37 0
>>982
いい加減じゃねえよw
感性→現象(多様)
悟性→現象(規則)
理性→物自体or現象(統一)
だろ。明晰すぎて曖昧さは欠片も残らない分類だろ。
984考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:29:06 0
純理も読んでないアホはこのスレに書き込むなよw
985考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:31:39 0
>>982
てか心理学じゃなくて哲学の認識論なんだがw
マジで馬鹿すぎるなコイツ
986考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:32:53 0
>>984
そういう嫁嫁発言は全然純理の精神にそぐわない。お前こそ純理嫁
987考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:33:55 0
純理の精神ってなんだよ。
お前ってさ、純理純理言いながら具体的に純理の内容を話さないよねw
そりゃそうだ。頭が悪くて読もうとしても理解できないからねw
988考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:39:47 0
>>987
「哲学を学ぶことはできない、哲学することを学びうるだけである」
989考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:55:17 O
プロレゴメナ読んだだけの駄目学生ですが、思うに分析的判断/総合的判断って概念レベルで行われる以上、後期ウィトゲンシュタインの言うような言語ゲームにすべて包摂されると思うんですが、みなさんどう思いますか?
990考える名無しさん:2008/05/30(金) 20:07:41 0
>>989
頭が悪くて『純理』が読めないダメ学生ですが、
言語ゲームって、
「人間は言葉をしゃべれる生き物だ」っていってるだけ。
と思いますが。
991考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:15:57 0
哲学者の多くは、問題探究の手段であるはずの文献研究が目的になってしまうという罠。ミイラ取りがミイラになる!
もちろん、ちゃんと分かっている学者もいくらかはいるが。

文献研究の専門家はどうかといえば、訓詁学がきちんとできる専門家も少ない。
目的であるはずの文献研究(訓詁学)ができていない。

つまり、思索探究家(哲学者)であろうと、文献研究家(哲学学者)であろうと、徹底できている人が少なすぎる。
どちらも中途半端な偽者が多い。
哲学するという営みと、偉大な哲学を整理・解明するという営み、自覚的に区別してそれぞれの専門を徹底しないといけない
992考える名無しさん:2008/05/31(土) 03:23:36 0 BE:1815324487-2BP(0)
  7゚|
  | ミヽ_
  `TT
993考える名無しさん
>>990
>「人間は言葉をしゃべれる生き物だ」っていってるだけ。

これを言ったから、20世紀最大の哲学者と言われてるんだよ。