「純粋理性批判」精読スレッド

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933考える名無しさん:2008/10/25(土) 04:37:20 0
   価値の世界

 各界の最高の事柄を表示してみる。
 理性、方針、真、法、国、血筋や出会いなどの縁、イデア、金銭、神、まだあるが、こういった
事柄が最高なのである。最高の事柄に課せられた使命は価値自身でもって他の最高のものを
説明付けてくれるというものである。他のものもあるけど、単に価値があると認めるこは重要では
あるけど、最高ではない。
 こういう働きを価値は持っています。
934考える名無しさん:2008/10/29(水) 23:26:22 0
 何故なら、本質的であることを説明にあてるとすると、続いてさえいれば、それ自身から
説明しなくてもよいのだし、内容はどうであれ、表象はそれ自身から説明するからなので
あって、同じくしたり、一致や反対ということも、自分自身から説明付ける使命を持っている
からである。よく、実際にそうなってしまったらどうするつもりなのか、と疑問を持つ人がいる
けど、そうなると最高なんです。
935考える名無しさん:2008/11/03(月) 00:42:00 0
1カントは認識を判断で考えました。ヘーゲルは概念で考えました。
2「ア・プリオリ」は「先天的」で問題がないのですが、カントは自分の認識を
transzendentalと形容しました。これは普通「先験的」と訳されるのですが、訳語で
考えると「先験的」と「先天的」とは、日本語としては、違いはないと思います。
しかし、カントのtranszendentalはカント自身の定義によりますと「先天的な認識能力
の根拠を検討する」という意味であり、「先天的な認識論に関する」ということですから
「先天的」とは違いますし、そもそも「先験的」と訳すのは間違っているとすら思います。
「先験論的」と訳すならまだ分からなくはないですが、ともかく日本語を見ても意味が
ピンときません。私は「認識論的」と訳してもいいと思っています。
又、カント自身このtranszendentalを常に自分の定義した意味では使っておらず、
「ア・プリオリ」(先天的)と同義に使っている場合も多いと思います。
                         牧野紀之再話(『西洋哲学史要』波多野精一著)
936考える名無しさん:2008/11/08(土) 22:57:38 0
>>935

 私は先天的ということを先験的と考えておりました。何故なら、ヒュームの経験論や
ライプニッツの合理論が対立しているからです。飽くまで経験よりも前にあるというものです
のですので、先験的であるということです。
 経験を排した合理論と同じあるのか。合理論は推論の連続といいますか、当然考えられる
ようなことから、更に導き出した答えで問い詰めていくものであると思います。たぶん、先験的
というのは、合理論者が考えてた共通部分であると思います。だが、前提を提出して議論を
重ねてあるべきものを結論する合理論とは、骨子を抜き出したということが違うようです。
飽くまで、学問の方法を使ってますから、カントは判断という訳でもないかもしれませんね。

 判断というと趣味の問題と聞いたことがありますね。

 判り易く理解力を養成してくれた思想であったのだと思いますよ。
937考える名無しさん:2008/11/09(日) 09:52:14 0
質問です。時間と空間が人間の感性の形式に過ぎないとするならば、
人類が存在する前にあるはずの「時間・空間」とは何なのでしょうか?
938考える名無しさん:2008/11/09(日) 10:44:49 0
>>937

 人間に空間や時間が依存しているという考えてですね。
 空間や時間は人間の先験的形式である。人間の考え得ることであり、先験的形式で考え
得るものを経験するのだ。

 では、先験的形式という訳でないものがあるのか、こういう疑問であると考えました。
空間と時間ではないといいながら、尚、答えが空間と時間にあると考えているようですね。
空間や時間から導き出した何らかの回答に対しても空間や時間で考え得る何かです。
議論の仕方でしたら、論理の教本などありますので、自由に考えていただいて良いと思いま
す。
 もっと考えたいものがあると思われます。対象は空間や時間で証明できるものがあるのか
、と考えるでしょう。もう少し、対象を自分自身でもっとよく考えて欲しいです。
 しかし、対象が無いと判る訳がありません。ちなみに、身近な物がありますと、端も見えない
ような広大な土地や歴史などありますかね。

 ですから、まだ937さんは自分自身の考えを整理する段階であると思いました。
939考える名無しさん:2008/11/09(日) 12:28:28 0
>>937
>人類が存在する前にあるはず

何かがあるけれど、原理的に人間にはどうなってるか分からんちんというのがカント。
940考える名無しさん:2008/11/09(日) 17:44:57 0
カントの時代には「何かがある」という考えはなかったのでは。
単純に人間の認識がなければ時空間も実体としてない、と考えていたんだ。
941考える名無しさん:2008/11/09(日) 18:46:27 0
いやカントの場合は物自体(noumena)は、人間の認識ではそれとして捉えられないけれど
建前としては要請として存在するし、実際の所カントはそれなりの仕方で存在すると考えていたでしょ。
それを時間や空間と全く無関係なものとして考えていたかどうかは、意見が分かれるところではないですか?
942考える名無しさん:2008/11/09(日) 19:19:17 0
現代は宇宙論から実体としての時空間の存在は疑い得ないものと
なっているが、そこのところとの整合性はどう?
943考える名無しさん:2008/11/09(日) 19:31:29 0
>>942
>実体としての時空間の存在は疑い得ないものと
>なっているが

実体として、ということの意味と
疑い得ないもの、という表現の意味を詳説して下さいな。
944考える名無しさん:2008/11/09(日) 22:09:10 0
だってビッグバン理論から宇宙は膨張して現在に至ってるんだから、
空間的な広がりがあるのは明らか。つまり実体として確かにあるということ。
945考える名無しさん:2008/11/09(日) 22:13:40 0
宇宙の外に別の宇宙があるとすれば、それも宇宙だ。
だから宇宙といった場合は概念でしか考えられない。
逆に実体は確かめようがないばかりか確かめなくていいもの。
時間を考える場合宇宙の起源や始まりがあるとして、その前に時間が
存在していたか、と問う。答えは始まりという言葉を使ってしまった以上
時間の概念以上のことは答えられない。
始まりが無ければ時間の概念そのものは無に帰する。
946考える名無しさん:2008/11/09(日) 22:17:17 0
>>944
カントは別にそういうことを否定していません
947考える名無しさん:2008/11/09(日) 23:35:21 0
その実体をそのままの形では認識できないということ?
948考える名無しさん:2008/11/10(月) 00:18:03 0
基本的には、私たちが自然科学的に記述しているような世界は
私たちの認識形式に従って現れるものなのだから
実体そのままの形とか考える必要はないよね、って話です

そもそも最初の話に戻るけど
>だってビッグバン理論から宇宙は膨張して現在に至ってるんだから、
>空間的な広がりがあるのは明らか。つまり実体として確かにあるということ。
これは、与えられた現象から、科学的に、理論的に再構成された知識であって
別にビッグバン理論自体は「宇宙が実体として確かにあるかどうか」は問題にしていません
949考える名無しさん:2008/11/10(月) 23:13:21 0
>>944

 私の考えなんですが、理論は或る方向を持っている、ということです。
物とは区別されるような自分として意識されることです。こういったことが議論や理性として
考えられています。
 ですが、純粋概念から物を追求しますと、何を目的に考察を深めていったのか理解でき
なくなります。志半ばで踵を返すようなものになります。
 私見に都合を良いものを集めて行くというのでもないと思います。
 順調に行くとこうなるということが理論であると考えます。

 世界に向かうとすると、理由があるからです。そういったことは私が起源を持っていること
です。
 私から爆発に向かうというのは考えがたいかもしれませんね。
 もし私の考えがないと、大事なものがあり得ないという考えを持っていたのでしょう。
 これが実践という方向であると考えます。

 宇宙の法則は複雑ではありませんか。何故なら、先ずどうであると考えながら、始まりを
考えただけで満足して空間に向きを変えるのですから。考える暇も与えずに入り口で満足
してしまうとは、話を広めたかったに過ぎないでしょう。
 関わりあった時間も僅かですから、世界は何キロで充分であります。

 世界は広いのでまたチャンスがありますよ。今度は漏らさず記録しておいてください。
950考える名無しさん:2008/11/11(火) 04:07:55 0
やっぱり、カントが間違っていたんでしょう。
951考える名無しさん:2008/11/13(木) 16:11:43 O
952考える名無しさん:2008/11/15(土) 06:32:09 0
ライプニッツ>カント
 定言と選言と仮言で考える。
 法則からどうやって分析するのか。
 法則を分解しようにも予め決まっている答えが出るだけである。その前に持っている印象で
区別する偏った意見でしかない。法則から物事を分けるにはどうするのだろう。

 1、目的を加えた仮定から分ける
 方法と目的の中間に判断を考える。方法ならば、結論する。
 方法を目的に照らし合わせて考えると、行為者と被行為者が判る。
954考える名無しさん:2008/11/17(月) 01:26:59 0
 どういう配置にすると最も美しいのか。
 善よりも美が高いとすると、美的なことでは善いとも悪いとも判らないことをするはずだ。
美よりも善が高いとすると、善いことに限って美的なことをするのである。
ただ美しいばかりで善悪の区別が知れないようなことであると奔放である。
悪ではなく、善いことにおいて美しくあるべきであるとすると、善良で健全な美である。
 美しさと正しさをどちらを高いとするのだろうか。正しさを高いとした美は作法を守ることで
美的な振る舞いをするものである。美を高いとした正しさは正しい基準の上で美的な表現
をすることである。正しい基準の上で美的なことをあらわすと技巧的である。

 最高に美しいことは何か。奔放であり、技巧的な美なことである。これが美的なだけで
他の理想よりも高いことである。
955考える名無しさん:2008/11/19(水) 18:13:01 0
   或る理性  或る理性に対立する反価値

○正と妖
 正しさは形式的であり、範囲を持っている。法則では主導的なことであり、法則と違うこと
を認めない。
 妖しさは質料的であり、中身を持っている。形の中に魂や命が宿る。中身が形式を変える。
表面的には物だけど、中身は何かである。
○聖と魔
 聖は持続的である。行き詰っても、継続する。
 魔は一点に向かう過程である。時間的に将来であろうとも、過去であろうとも、一点に向かう
過程である。他の目的を認めず、挫折せず、その先の展望のない、将来の希望は一点の目的
である。過去の記憶を基に時間の流れと共に一連のものを作り続けたり、過去の一点より離れ
て継続していく。
○正と邪
 正しさは先述した。
 邪は否定的なことに従属して好まれるものがある、条件的には脇に逸れたり、合流する。
相互の関係が反転逆転しており、自分がやらされて相手にやらされる、絶対というより自殺的で
ある、こういうのは邪というのです。
○真と幻
 真は概念の計算結果である。そのままのであることであり。その通りになる考えである。
 幻は余計なことで形作っている。上辺だけ。別のところに通じている。実体が無い。こういう
ものを幻と言う。
956考える名無しさん:2008/11/19(水) 18:19:23 0
訂正


 自分がやられて相手にやらされる、本来、私が能動であり、相手が受動であるところ
が誘導であるということ。又は、相手が能動であり、私が受動する時に、私から求めさせ
られて、相手が引き出されるという時。
957考える名無しさん:2008/11/19(水) 18:44:35 0

 聖に対しては終了。正しさに対しては侵犯、僭越。美に対しては反発。
真に対しては滅亡。
 例えば、聖に対して性欲や権力や俗世というと悪である、正しさに対しては正しさの範囲の
不確定や主導することを侵害して従属するものにするというと悪である。美に対しては寄り集
まって結合するものに、反発して人が離れていく醜さなどを悪という。真に対して失敗するよう
に仕向けると悪という。
958考える名無しさん:2008/11/21(金) 20:24:51 0
美と妖 妖艶。結びつきをさとし、中身に宿るものが命である様子。
美と正 節度のある美、折り目正しい美。グラマー。結びつきをさとし、範囲が確定している様子。
美と聖 清純。結びつきをさとし、持続する様子。
美と魔 誘惑的な美。結びつきをさとし、或る点に向かう様子。
美と邪 略奪的な美。結びつきをさとし、幾つかの物が加わる様子。
美と幻 儚い美。結びつきをさとし、何も無い様子。
美と真 真実の美。実際に美しい様子。

 よく使う理由というのはこういうことである。今まで考察してきた論理は理性と異なるものが
ある。理性まで考えると、理性の論理を作るべきである。理性と悟性をどうやって考えるべき
なのか。
959考える名無しさん:2008/11/21(金) 20:38:54 0
美と悪 性悪の美。
 結びつきをさとし、終わり、侵害し、上下の秩序が逆転し、反発して、滅亡へ向かわせる。
960考える名無しさん:2008/11/22(土) 03:26:11 0
「純理」は失敗作だな。
無かったとしても、カント研究者以外は、誰も困らない。
961考える名無しさん:2008/11/22(土) 11:04:36 0
『純理』がなければ近代哲学は無に等しかっただろう。
962考える名無しさん:2008/11/22(土) 12:04:09 0
「純理」がなくても、
ソシュール、ウィトゲンシュタインは出てきたと思うが。
963考える名無しさん:2008/11/27(木) 16:18:25 0
物自体=相対性理論
964考える名無しさん:2008/11/27(木) 23:11:26 0
純理がなかったらフレー毛もなかったの?
965考える名無しさん:2008/11/28(金) 04:02:09 0
ここまでの原理整理

カント この力の方向のどちらに傾くかを区別する能力が批判

           総合
           ↑
           │
           │
           │
           │
合理 ←────┼────→ 経験
           │
           │
           │
           │
           ↓
         分析

俺 カントは合理・経験・分析・総合・批判の五次元時間だが、俺は選択、それらを考察した価値を加えて7次元
            選択 (左右スケール)
                 ↑
合理 ←───総合・分析(上下スケール)────→ 経験
                 ↓
            選択 (左右スケール)
966あまのじゃく:2008/11/28(金) 04:27:32 0
アインシュタインの相対性理論はこの本をから受けた
インスピレーションに影響されたんだよね
967あまのじゃく:2008/11/28(金) 04:54:13 0
カントは時間と空間をアプリオリな直観的形式としたが、よく考えてみると
カントは自分の生きた数十年間の経験則からこの事を導き出したわけで、時間
と空間が別々の先験的な形式であるということは実は先験的ではなくまだカン
ト自身もそこから抜け出ることができなかった経験的知識にすぎないのではないか。
実際ビッグバンの直後は時間と空間がまだ未分化の状態があったという。
時空間は実在するものではなく直観的形式なのだという真理がいまだ無傷なんだと思う。
物自体をカント自身は何故か客観自体と捉えていて唯物論的な誤謬から抜けきれない感じ
がある。
968考える名無しさん:2008/11/28(金) 05:17:57 0
>>966
だとしたら、アインシュタインの方が一億倍すごい。
969あまのじゃく:2008/11/28(金) 05:19:09 0
2倍くらいでは
970考える名無しさん:2008/11/28(金) 07:09:13 0
分析 妖的
総合 正的
合理+経験 魔的と聖的
合理 真
経験 幻
合流 邪的
選択 価値

原理というのは考えたいものを或る仕方で考え抜く本になる事柄だ。そうなることでもいいね。
原理と理念を対応させてみるとこういうようになるんじゃないのかね。
こういうのを化粧を抜いて書生っぽくやってうると学者で飾ると創作家だと、そういうのは値打ち
で決まってくると。
971考える名無しさん:2008/11/28(金) 17:22:13 0
純粋理性批判の超訳ってでないのかな。
ニーチェの反キリストは『キリスト教は邪教です』という超訳が出てるし、
マルクスの資本論も第1部だけ超訳『資本論』が出ている。
入門書よりもずっと初心者のためになると思うんだけど。
972考える名無しさん:2008/12/01(月) 01:30:18 0
理想の対立

正と妖
 正しさは、量の指定、肯定否定の区別、関係の尊属、必然、図の周縁、結合、
これらを反省してどちらとも判断する能力だ。
 妖しさは、内容、レベルを下げたものへの言及と高レベルの事柄の下でのものへの
言及、中身の高低の調整である。

 正しさは、妖しさを規定できない。量を指定しても、要素や全体のレベルの話をして、
関係的な従属をしており、可能的であり、図に囲んだ中にあり、色々なものと結び付く。
 妖しさは、正しさの下には居れない。性質を指定しても、量を多くしたり、少なくする、
限定してもそうとは限らないものがあり、図で囲っても敷詰めて囲えないようにしたり、
囲んだ中に少なくなったり、支配することと物を結合させたり、中身や大なる法則において
言及するものがあるので、正しさを守れない。

 正しさは妖しさに厳密さを持っている。詳細に厳密な規定を設けなければならない。
要素があると、必要な指定を設けることである。これが最小の単位になるまで続いて、
型どおりに物事が進むまで続くまで必要である。
 妖しさは様式を持っている。法則で扱うことであり強制するものがある。中身のものに
注意しながら形式を論じる。世の中にはもっと大なることであるから、あり得ないものがある。
少しのものがあるので、形式ではないというのである。高低の調整で規定しなくなるまで登り
下がる。
973考える名無しさん:2008/12/01(月) 10:36:54 0
純理は認知科学の聖書。
カント=認知科学の祖
974考える名無しさん:2008/12/02(火) 03:30:55 0
>>973
哲学でないということか。
975エビルマウンテンさん:2008/12/06(土) 01:56:40 0
邪 邪的な仮説 合流 悪の理念を加えて邪を考察
 条件に影響する場合 外れたら本当のところ駄目になる 加わったら本当のところ駄目になる
 相互の場合 取って持って行ってしまう 都合の悪いものを持っていってもらう
976考える名無しさん:2008/12/06(土) 02:32:34 0


 量 特称
 質 否定
 関係 仮説 推理
 様相 可能

 一致 自我との一致
 反対 自我との反対
 同じ 相手と同じ
 違う 私が違う
 内 外のものと入れ替え
 外 内的なこと入れ替え
 質料 度が強い
 形式 毒々しい

 理想 邪悪 邪魔 性悪(女) 収賄 結合法 押し付けの善意(ありがた迷惑)

 纏り 恣意
977考える名無しさん:2008/12/06(土) 06:12:03 0
宗教ということか。
978考える名無しさん:2008/12/06(土) 09:30:31 0


 量 単称 特称
 質 肯定 無限
 関係 仮言 選言
 様相 現実 可能 必然

 一致 対象と一致
 反対 対象に反対
 同じ 併置
 違う 通い分け
 内 思い遣り
 外 外見、体面
 質料 否定的なことにおける消えない一つ
 形式 少ないものを含んだ壮大な形式

 理想 妖艶 節制 清純 誘惑 共同作業 遊び 美

 纏り 統摂
979考える名無しさん:2008/12/09(火) 00:09:34 0
>967
「感性論」の実在的究明をお読みになればと。
980考える名無しさん:2008/12/09(火) 00:14:43 0
↑実在論的の間違いでした。

981論理学の予備学さん:2008/12/09(火) 08:10:17 0
 善の推理
 善の推理は都合の良くなることを選び出す。

 正の推理
 正しい推理はやるべきことを結論するように与えたり、受け取ったり議論することである。

 邪推
 推理は一つ一つ連続させて、始まりと終わりを一本のラインにする考えだ。一致するだけで
直ちに始まりと終わりが結論する論理は理性の世界では邪だ。

 真の推理
 真の推理は論理規則を計算して真であると受け入れ、偽であると判定するに留まる。

 
982考える名無しさん
 邪の理念を消そう、考えないようにするとどうなるのか。
 考え合わせて結論する考えを持たない、流れに加わる考えを持たない、形式的な推量
をしない。他のものが抜けると、立ち行かなくなる。本来のものに、駄目なものが加わって
いるという考えを持たない。邪だとみなせない。
 何かの理想であろうとして、邪念をなくしてしまうと、これらの働きを認めない。こういうも
のを正しいとか、美しいとか、こういうことで置き換えてしまう。

 悪の理念を消そう、考えないようにするとどうなるのか。
 途中で止めさせることがない、気を紛らわさない、限定を越えない、反発しない。悪だと
みなせない。
 これを他の理想で説明してしまう。

 世の中で邪や悪は他の理想と兼ね合いを考えなければならないが、理念としてもってお
かないと見抜けなくなるので駄目だ。

 だから、理想としては考えておかなければならないようですね。