● zu の意味(2)
『永遠平和について』がタイトルの本来の意味ですが、
カントは、Zum ewigen Frieden を二重の意味で使っていました。
岩波文庫訳の冒頭はこうなっています:
> 永遠平和のために
>
> 「永遠平和のために」というこの風刺的な表題は、
> あのオランダ人の旅館業者が看板に記していた文字で、
> その上には墓地の絵が描かれていたりしたが、
訳文ではわかりやすく“「永遠平和のために」という”という部分を補っていますが、
原文ではタイトルの後、「この風刺的な表題が...」と、いきなり本文が始まります。
“Zum ewigen Frieden”
Ob / diese satirische Ueberschrift //
〜かどうか / この風刺的な表題が //
(どういう表題かというと:)
auf dem Schilde / jenes hollaendischen Gastwirts, / worauf ein Kirchhof gemalt war, ...
看板の上の / あのオランダの旅館[経営者]の / その[看板の]上には墓地が描かれていた …
(試訳:
墓地の描いてあったという例のオランダの旅館の看板には、この皮肉めいた屋号がついていたというが…)
要するに、Zum ewigen Frieden というのは旅館の名前なわけです。(=第2の意味)
(オランダ語で書かれていたら文言は違ってくるはずですが)
上で書いたように、zu という前置詞の基本用法は「移動の到達点」なのですが、
そこから単に「場所」を表わす用法も出てきました(現在ではやや古い用法です)。
例: die Universitaet zu Berlin (ベルリン大学[=ベルリンにある大学])
この意味から派生して、zu の後に建物の標識や目印、由来や沿革などをつけ、
建物、特に旅館などの屋号に使うという用法が生まれました。
例:
Kirche zu St. Joseph (聖ヨセフ教会[=聖ヨセフにちなんだ教会])
Gasthaus zum Roten Ochsen (料理店・旅館「赤牛亭」)
主人が紀州の出身だから屋号を「紀州屋」にするとかいう例と近いかもしれません。
Zum ewigen Frieden も看板に墓地が描かれていたオランダの旅館ということですから、
無理やり屋号風に訳せば、「永遠平和亭」という感じでしょうか。
ただし、これが「風刺的な表題」と呼ばれていることに注意する必要があります。
看板に墓地が描かれていたというのですから、「永遠平和」は「死」の婉曲表現なわけです。
日本語でも「永眠」とか「永久[トワ]の眠り」と言うので、すぐに連想が働きますが、
ドイツ語には、in den ewigen Frieden eingehen または zum ewigen Frieden eingehen の形で
「永遠の眠りにつく、死ぬ」という意味の熟語があるのです。
タイトルだけでずいぶん長い説明になりましたが、おそらくこれからたびたび指摘するように、
カントのテクストは案外こういう細かい言及や暗示があちこちに散りばめられています。
そのことを知らなくても理解できないことはないにせよ、こういう点に注意して読むと、
カントの主張がいろいろ微妙なニュアンスを含んでいることがよくわかってきます。