1 :
:
新羅と倭・日本の関係ってどんなだったの?
2 :
聖徳太子〜十七条の憲法〜:03/05/29 17:51 ID:4PZ7ibzY
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
||||||||||||||||||ii | 1.鼻毛を抜かない。
,,|||||||||||||||||||| | 2.カツラをかぶらない。
i||||||||||||||||||||||||||||i | 3.人前で靴下を脱がない。
i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i | 4.屁をこく時音を立てない。
||||||||||||||||||||||||||||||||||| !||. | 5.ワキを嗅がない。
|━- -━━━ |||||||| ||| | 6.ケツをかかない。
,・=-| -=・=- / ̄||| ,|||| | 7.鼻糞をほじらない。
| / _!|||||!! < 8.垢と消しゴムのカスを混ぜない。
. | (_,  ̄||||| | 9.小指を立てない。
| ━__━ |||| | 10.小指の爪を伸ばさない。
ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__ |||| | 11.立ちながら寝ない。
|||||||||||| | 12.アリを踏まない。
!|||||||!! | 13.アソパソマソを食べない。
!||||! | 14.しぃをホームレスと言わない。
| 15.8頭身とは関わらない。
| 16.AA職人は私の顔をもっと似せる。
| 17.但し、グロくしない。
\_______________
3 :
nimda:03/05/29 17:51 ID:AbkVjki8
あの半島邪魔だなぁ。
そうだ。直接隋に遣隋使を遣わそう!
by 聖徳太子
4 :
小野妹子:03/05/29 17:56 ID:hgjSjWoJ
5 :
史学科在学中:03/05/29 18:00 ID:ipxFt+KY
>>1〜
>>3 遣隋使に関して言えば当時、高句麗が生意気にも隋に侵攻し、隋としては
日本と外交を結ぶことで高句麗を牽制する必要に迫られた。聖徳太子はそ
んな国際情勢を良く見て取り、隋に有名な「日出る所の天子〜」という国
書を送ったのです。
ちなみに「倭」は中国人が歴史書の中で使った漢字の当て字で、この漢字
には差別的な意味合いが込められています。中華思想では伝統的に、周辺
の国々に対して差別的な漢字を故意に用いていました。
6 :
:03/05/29 18:09 ID:KjKVfrju
新羅は倭人勢力が建国したが、その後、倭人王権は韓人勢力に打倒され、
新羅の倭人は出雲に脱出したと推測される。
7 :
nimda:03/05/29 18:10 ID:AbkVjki8
8 :
史学科在学中:03/05/29 18:11 ID:ipxFt+KY
我ながら、IDに「KY」が出てしまった・・・・
俺は、アサヒか・・・
/|
//(
// (^
⊂⊃ // (^ /
∧_∧ < <---->< 我こそは、ペンを持つ片翼の天使、
(-@∀@) \ヽ ( \略して「左翼のペ天使」
( つ つφノノヽ (^
彡 朝ミヽ / ヽ (
ミレ レ ミ⌒∨\(^
9 :
仙人:03/05/29 18:18 ID:sJ9oHt/0
まあ、でも”にんべん”がついてるからイイほうでないの?
あくまで巴とか蜀にくらべてだけど
10 :
史学科在学中:03/05/29 18:33 ID:ipxFt+KY
今から、合コンに行ってきます。
明日、またこのスレを見てみます。
11 :
加藤:03/05/29 18:37 ID:41inxO8i
>>7 >煬帝から小野妹子を通じて倭王に宛てられた親書を
>百済で奪い取られた、という記述が日本書紀にあることです。
これは「日出国の〜」の返しなので、
内容は恐らく“お前は無礼だろ!”って内容なので
日本に帰国 して見せる前に“取られた”にして捨てたと考えられます。
この事でそれほど罰を受けなかったのも、
持ってくるはずの手紙の内容をうすうす分かってたからではないでしょう。
まあ形だけは対等外交になれたので、一応目的は達成したんではないでしょうか?
12 :
訂正:03/05/29 18:43 ID:41inxO8i
×持ってくるはずの手紙の内容をうすうす分かってたからではないでしょう。
○持ってくるはずの手紙の内容をうすうす分かってたからでしょう。
13 :
:03/05/29 18:47 ID:tbU8hZtS
昨日の実況板で聖徳太子は韓国人と言った香具師がいましたな。
最後は「聖徳太子が韓国人じゃないと言うのは、坂本竜馬が日本人ではない
と言ってるのと同じだ」と火病発動。
14 :
:03/05/29 18:55 ID:OGTeh0PF
>>5 よう、昨日の「その時歴史は動いた」面白かったよな?
にしても、高句麗が生意気にも随に攻めてくれて助かったぜ。
当時の随の帝王なら怒り狂って倭国まで攻めて来てもおかしくない・・・。
実際は「天子は朕ただ一人!」と言って怒ったのではなく、誰が「日の沈む国」
って言ってんだ(#゚Д゚)ゴルァ!!と怒ったと言われているらしい・・・。
まぁ歴史の先生に聞いた話だからソースは出せんな・・・誰か調べて?
15 :
:03/05/29 20:00 ID:/x1/xqlZ
おまいら、「倭(わ)」じゃなくて「委(い)」な。
志賀島の金印は親漢「委」奴国王。
邪馬台国の記事は三国志魏書東夷伝「委」人条。
倭と言うのは当時でも朝鮮人だけ。
16 :
:03/05/29 20:27 ID:TQjhn1Y4
>>7 >>14 『隋書』には「帝これを覧て悦ばず」とあるので、
激怒させたというより不興を買ったということでしょう。
>>15 百衲本(宋代版本の影印本)の『三国志』では「倭」字に作ってるよ。
「委」に作る本もあるの?
17 :
:03/05/29 20:54 ID:HNn5xrYI
奈良は、聖徳太子の時代の朝鮮からの帰化人が奈良の風景に思わず
「ウリナラ」(我が国)と叫んだことから奈良と呼ばれるように
なったのだそうです。
高麗、百済、新羅、任那、加羅といった勢力が乱立して
情勢の混沌とした朝鮮半島からやってきたのですね。
この奈良時代には任那から日本への移住民が日本書紀を記し、
加羅からの移住民が古事記を記してこの野蛮人しかいなかった
今の日本列島で歴史を刻む事業が始まりました。
天皇家も朝鮮からの渡来人だといわれています。
日本は朝鮮民族が蛮地を切り開いて築き上げた国家だったのですね。
奈良をはじめとして日本には当時の朝鮮人たちの思いが今でも息づいているのです。
↑
これでいいの?
>>17 トンデモ説
だいたいにして、朝鮮の歴史書である三国史記にすら倭が新羅百済を攻めたという記述はあっても、
まったく逆はなし。新羅王が「倭に攻め入りたい」と将軍に語ると「うちの国力じゃアレなんで……」
って諌めていたという記述すらある。
19 :
:03/05/29 20:57 ID:pvz2UKvl
奈良の語源は、平す(ならす)で、
平定するという意味だよ...
韓国人の歴史解釈は違うわけで...
日本の文化の本流は、長江文明圏で
朝鮮半島は、黄河文明圏の分流。
日本の神社の起源が新羅というのあったな・・・。
新羅神社、高麗神社、百済神社とかあるからとか・・・。
トンデモ説だと埼玉の飯能は”ハンナラ”からきてるとかあったな・・・。
21 :
:03/05/29 21:07 ID:MIeIjcjQ
>>1 『倭国 東アジア世界の中で』(岡田英弘/中公新書/ISBN4-12-100482-5)がお薦め。
ちなみにこの著者、まえがきで「半島は韓の字をあてるのが正統」と主張している。
最初はデムパか?と疑ったが、
> なお本書では、英語でKoreaと呼ばれている地域の名称として、初出の箇所では「朝鮮=韓国」を
>使用した。「朝鮮」はわれわれ日本人に親しまれた名称だが、半島の国号が「朝鮮」になったのは
>一三九三年からのことで、七世紀に新羅王国の統一のもとに形成された民族や文化の名称としては
>あまり適当ではない。それに古く中国かして消滅した半島北部の原住民の「朝鮮」と混同しやすい。
>その点、四四年に初見した「韓」のほうが新羅、高麗、朝鮮時代を通じた名称としては便利である(後略)
p.7より
つまり「 Korea の文化・歴史は1393年頃から始まった(半万年ではなく約600年だ)」と主張したいらしい。
妙に納得させられたよw
22 :
10代目:03/05/29 21:11 ID:C4rMMspp
>>17 仮に奈良の語源が半島の言葉だったとしても、たんに「日本アルプス」みたいに、
外来語をおもしろがって付けただけじゃないかと思う。奈良は本来平城京近郊の
山(奈良山)の名前なので、本物の半島出身者なら、山に「国」なんて名前を付け
たりはしないと思うのですが。
私が聞いた説では、崇神天皇の兵士達が土地を踏みならしたことが語源だと
いうことですが、なにぶん古い話なので本当かどうかは分かりません。
23 :
:03/05/29 21:31 ID:WrSXZRDt
きのうの「その時歴史は動いた」は渡来人の
おかげ的表現が多すぎ。
NHKにも工作員がいるのか。
24 :
nimda:03/05/29 22:07 ID:xATttfbb
>>23 朝日新聞読者投稿欄「声」では、「NHKは偏向しているから
民放のニュースの方がいい」という投稿があった。
極左から見れば左のNHKですら「右より」になるといういい例ですね(w
25 :
:03/05/29 23:21 ID:6+eMf3xT
おまいら、地鎮祭に吊られ過ぎだろ、でも、乗り易い文なんで俺も乗る。
まぁ、任那、加羅の移住民の話で、
>>17は日本人の創作臭い。
聖徳太子の時代の野原の奈良見て、何で我が国というんだ?
その時代の明日香なら地形建物で、まだ分からんでもないんだが。
また、開拓地であてがわれたなら、関東にもきっとあるはずとなり
>>20に飛ぶ。
鮮人の考えとしては合わせたかったんだろう。気持ちは察するが、いい加減に(ry
(このトンデモを俺流にすると、「お前たちナラセ」と言われて勘違いしたかも w )
奈良の語源については、有名なコピペがあるからそれに譲るが、
他スレで、王都として平す(ならす)意味が薄いんじゃないか?のレスがあったが、
多少漏れも感じたんで、少し万葉を調べてみた。
で、「なら」には「成り」「移り変わる」の意味がある様だ。
・あたらししき、年の初めに、豊(とよ)の年、しるすとならし、雪の降(ふ)れるは
・おくれ居(ゐ)て、恋ひば苦(くる)しも、朝猟(あさがり)の君が弓にも、ならましものを
唐の首都「長安」と肩を並べようとする、日本の悲願の成立が平城京に込められたと見る。
まぁ、これがスレタイのテーマ、日本の華夷思想と新羅との関係につながるんだが。
26 :
:03/05/29 23:58 ID:lxzJT0Ce
>17
どうしてキムチ野朗て論破されても論破されても同じ意見をだすのかな?
これって掲示板だけではなくて、複数の在日と論議すると顕著に現れる習性なんだけど。
同じ内容の話を目の前で論破されてんのにまた繰り返し主張する。
酷いときには最初に論破された奴が後からまったく同じ事をいいだすんだよな。
今回の>17は釣り臭いけどね。
ほんものはもっと毒々しい電波がでるからね(藁
うちの会社の近所に「焼肉ハウス・しらぎ」という店がある。
だから何と言われても困る・・・。
28 :
:03/05/30 11:18 ID:crh8FF8T
>>27 いいことか、悪いことか、よくわからんが
シンラと書いて何故シラギと読むのか知ってて使用してるのかな?
29 :
:03/05/30 17:01 ID:tc2c0L7b
白村江の後も日本と新羅って関係あったんでしょ?
30 :
:03/05/30 17:10 ID:pKNaPf2I
>>28 確かシンラ⇒シラギは百済系が侮蔑の意味を込めてつけた名前でしたな。
シラギは「シンラめ!」みたいな感じだったと思う。
31 :
:03/05/30 17:36 ID:SrAUoYVV
>>29 そうだよ。
白村江の後も新羅の海賊連中がしょっちゅう来ては、人さらいしたり
泥棒を働いたりして、日本にさんざん迷惑をかけたんだよ。
朝鮮人が日本人を拉致してたのは、昔からのことなんだよ。
32 :
:03/05/30 17:39 ID:NyBe60bL
あの肖像画って聖徳太子じゃなくて、聖徳太子と思われる肖像画じゃなかったっけ?
すれ違い、細かいことスマソ
33 :
:03/05/30 17:50 ID:SrAUoYVV
>>32 一応、伝聖徳太子ということなんだが、最近は怪しいとされている。
伝源頼朝や伝足利尊氏と同じで、恐らく別人だろうな。
>28
遅レスすみません。
うーん、どうなんでしょうね?(w
『しらぎ』とひらがな表記なのが微妙ですね。
ひょっとしたら『白木』さんのお宅なのかも・・。(w
36 :
:03/05/30 18:52 ID:SrAUoYVV
>>35 奈良時代なら聖徳太子の時代とは隔たりがあるな。
37 :
10代目:03/05/30 20:15 ID:Q9hQ8+pK
新羅は、最初、斯廬(サロ、倭の読みでシラ)という都市国家だったので、
倭人は斯廬城(シラギ)と呼んだ。後に斯廬が周辺都市国家を併合して
新羅になっても、やっぱり日本人はシラギと呼んだ。という話を聞いた
ことがあります。侮蔑の意味があったかどうかは知りません。
38 :
30:03/05/30 20:28 ID:pKNaPf2I
>>37 侮蔑の意味って説は、漏れの高校時代の世界史の先生と大学時代の国史の講師から習った。
まあ、そう言う説も有るって所かな?百済人の「恨」のあらわれなんじゃないかと(w
39 :
:03/05/30 20:41 ID:Ri5KWOIG
元々は「しらぎ」じゃなくて「しらき」と発音したらしいけど。
40 :
10代目:03/05/31 23:23 ID:8P8bMiky
>>41 × 置用船中央通信
○ 朝鮮中央通信
朝鮮中央通信は「倭」は侮蔑的な意味があるとしています。
ちなみに「倭」は朝鮮語で「ウェ(Wae)」なので、ウェー、ハッハッハッハ
と日本人に笑われてしまいました。
43 :
倭奴国王印:03/06/03 19:39 ID:AJg2L48l
朝鮮人は日本人を侮蔑して、倭奴(ウェノム)といいます。倭奴国から
きているのでしょう。歴史的な背景を調べると面白いね。
46 :
◆mhVmhVsXuY :03/06/05 01:00 ID:KYEfN6LZ
age
47 :
◆mhVmhVsXuY :03/06/06 15:32 ID:EHk6CBvh
age
48 :
===嫌韓派の集会■6月12日■===:03/06/06 15:32 ID:RUqJw5nk
49 :
===嫌韓派の集会■6月12日■===:03/06/06 16:58 ID:F05ZNuC5
50 :
◆mhVmhVsXuY :03/06/08 10:16 ID:3j3dFqWV
age
51 :
:03/06/08 10:32 ID:jfS096F8
>>43 昔から不思議に思ってたんだけど、
これって、耕作中の農民が見つけたんだよね。
その農民って、よくこの金の塊をがめなかったよね。
俺だったら、つぶして女買いにいくけどな。
52 :
:03/06/08 12:11 ID:UKVl+Vyn
>>51 江戸時代に金の流通ルートなんてあったか?
ましてや農民が利用出来るようなのが。
53 :
51:03/06/08 13:34 ID:jfS096F8
>>52 そうなんだ。申し訳ないが、ソースがあったら教えてほしい。
それに、正規のルートがないとしても、闇のルートは
いくらでもあると思うのだが。
54 :
:03/06/08 17:37 ID:Sw6eDAQu
>>52 良く知らないくせにDQNな発言はやめろよ。
金の流通ルートはいくらでもあったよ。
鍛冶屋、両替商、歯医者などなど。
おまえ、どれだけ江戸時代の流通網とか経済の発展をわかってる?
まぁ、わからないからこうした書き込みになるんだろうが。
ちょっとした小金持ちが金歯を装填してたのも知らないのだろうな。
55 :
:03/06/08 17:42 ID:9traHM5L
今月号の「諸君!」の歴史特集や西尾幹二論文は面白いよ。
特に、百済や新羅は中国の国家で、領土の多くも中国にあり、人口面でも韓人はそのごく一部
にすぎなかったという衝撃的な新史観は西尾・金の対談本「日韓大討論」で詳しく語られている。
これがもし本当なら、新羅が国を挙げて住民の姓を中国式に改めたり、漢文しか文献が残って
いない事実は、新羅の支配層が中国人だったからではないか?
56 :
_:03/06/08 17:47 ID:e5cfi3RP
闇のルートがあったにしても、どこかでバレたり密告されたりする
虞は確実にあるわけで、そんなリスクに賭けるよりは届け出たほうが
良いと思ったんでしょ。
57 :
_:03/06/08 17:48 ID:e5cfi3RP
58 :
:03/06/08 18:04 ID:+ZYeL3k9
倭の矮小説は後に作ったデマ。何の関係もない。
59 :
:03/06/08 18:04 ID:9traHM5L
>>57 対談本「日韓大討論」を読んだら、地名とか、あながち否定できない内容だったぞ。
60 :
:03/06/08 18:08 ID:+ZYeL3k9
倭が侮蔑であったら魏なんて言うに及ばないでしょ
61 :
:03/06/08 18:20 ID:tFppZkik
62 :
:03/06/08 18:25 ID:9w5WkmCn
推古も聖徳太子も朝鮮半島。
63 :
774でEかい?:03/06/08 18:27 ID:dFIk3JFH
451年 倭王済、宋から使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事の称号を
与えられる(宋史日本伝)
478年 倭王武、宋から使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大
将軍に任ぜられる(宋史日本伝)
479年 倭王武、斉の高帝より使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事
鎮東大将軍の号を授けられる (河出書房新社:日本史年表より抜粋)
・・・は、どう説明するのかな?
64 :
:03/06/08 18:33 ID:9traHM5L
>>55 領土が中国にあるといっても、百済の領土は山東半島にもあったというような感じ。
そういやあ、「倭」という国が中国大陸沿岸にあるという記述が中国史書にあり、
「倭人」はそこから朝鮮半島南部と日本列島に渡ったという見方もある。黒岩重吾が
TVでそういうことを言ってたな。
西尾によると、古代の朝鮮半島人は、日本を海の向こうにあるもうひとつの大陸と
みなしていたそうだ。
65 :
ピース ◆V3KZpKd3B. :03/06/08 19:02 ID:7sni08kP
1文字国名は中華の専売特許で蛮夷の国には認められなかったと
聴いた事がありますが実際にはどうだったのでしょうか。
何方かお詳しい方が居ましたらご教授願います。
66 :
~:03/06/08 19:56 ID:4ra4sj9+
山東半島は、昔から朝鮮半島人の難民の真っ先の逃げ場だったんだよ。
半島では戦乱や飢餓のたびに大勢の朝鮮半島人が大陸に逃げた。
9世紀初めには、遠く浙東(浙江省紹興。上海より南)まで百数
十人の新羅人が「食を求めに」押し寄せたそうだ。それ以外の、もっと
半島に近い地域への難民流出の人数は推して知るべし。
中国大陸も、治まっている時はそんな難民を帰化人として受け入れる
わけだけど、大陸の統一王朝が弱体化すれば地方が自立傾向を強めるので、
そうなると、半島系帰化人を束ねている官吏や軍人(そんな指導者自身が
難民の出だったりすることもあるわけで)が、半島の王権に近づくことも
あった。
67 :
774でEかい?:03/06/08 20:08 ID:dFIk3JFH
>使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事
>>63 の加羅は=弁韓,秦韓は=辰韓,慕韓は=馬韓という解釈は異論のないところ。
であれば、任那≠弁韓,新羅≠辰韓である外、百済が除外されてるのか?それとも慕韓=百済と
宋史の筆者が捉えていたのか?つう疑問もでてくる w
この合理的な解釈は、新羅(元は辰韓12ヶ国の1つ斯廬国)の下から辰韓の小国家の一部が独立を
回復したか、乃至は新羅に服属していない小国家が在ったでは?。同様に馬韓にも百済(元は馬韓
55ヶ国の1つ伯済国と見られる)に服属していない小国家や独立を回復した小国家が在ったの
では?。百済の国名がないのは、宋と百済が別の外交関係を結んでいたことが理由か?とも考え
られなくはない。もちろん任那と加羅=弁韓とが併記されているから、それら2つは分けて記す
必要を認められてた訳で、任那が本来は弁韓の1小国なり1地域なりを示す名称だったとしても、
『任那』の存在を軽視していいはずはない。では「任那日本府とは何?」という疑問もでてくる w
ともあれ、この出所は宋の青史で大和朝廷が丁稚上げた訳じゃないから、これを無視できない w
68 :
_:03/06/08 21:11 ID:QHsN6vR7
百済が山東半島にも領土をもっていたというのは昔から有名な電波説。
今ごろそんなのにひっかかる西尾幹二はかなりのDQS。
昔からあった「アポロは月面着陸していない」というトンデモ説に
今頃になって大発見のように騒いでいる副島隆彦と同様ただの恥さらし。
69 :
:03/06/08 21:16 ID:UKVl+Vyn
>>54 ただ単に疑問に持っただけだが何ムキになってるんだ?
江戸経済に相当詳しいようですのでお聞きしますが、そうゆう所が福岡の田舎に有って
農民が出所不明の金塊を持っていって怪しまれずに買い取って貰えるもんなんですか?
70 :
:03/06/08 22:30 ID:+ZYeL3k9
日本は昔朝鮮に銀を輸出していました。
71 :
((:03/06/09 16:46 ID:dl8NqbLg
>>69 54ではないが、江戸時代は金は西日本でもそこそこ通用してた。
また田舎でも農具などの製作修繕で冶金技術は、庶民にも近しい技術だった。
溶かして彼らのルートで長崎・大坂に流すことは可能だったろう。江戸時代は
そういう職能での横のつながりが強い社会だったから、盗品売買のルートも
整備されていた(w
ただ江戸時代の農民の知識でも、地金で鋳潰すより、骨董品としての価値の
ほうが遥かに大きいことは気づいたろう。 どれほどの価値かははっきりと
判らなくても、殿様からの褒美だけでも地金より美味しいとわかる程度の
教養はあった。 貴重品を鋳潰したのがばれて処分されるリスクを含めれば、
殿様に届け出るのは当然。 そりゃ大坂や江戸で好事家に直接売れれば儲けは
莫大だ位は判っていたろうが、それこそ危険すぎるしばれる可能性が大。
賢い選択をしたんじゃないかな。 欲張りすぎては碌な事がないよ(自戒
72 :
51:03/06/09 22:54 ID:uw/s6wYV
73 :
:03/06/09 23:01 ID:JWlQUkUR
>>71 ご丁寧にどうもです。
なるほど、ルートはあるって事ですね。
でも農民が急に金回りが良くなったら怪しまれるよなぁ。
74 :
68:03/06/09 23:37 ID:dCJ7QlGy
>>55,
>>64,
>>66 元ネタの『諸君!』今月号みたら、かなり違ってるじゃんよ。
韓国には新羅・百済・高句麗が実は半島じゃなくて大陸の国だったという電波説があって
キムワンソプがそれを真に受けた上、どう間違ったか、
「中国人の国だったのか、じゃウリの先祖の“半島の”歴史はどうなるんだ?」
と訳の分からない倒錯した悩みを西尾幹二に打ち明けて、
西尾幹二が面喰らったか呆れたかした、という話。
(とはいえ西尾はこれが二重に屈折している倒錯だということは気づいてない模様)
だから、半島にあった百済が、大陸“にも進出”していた
という「軽い電波」とはぜんぜんキボがちがう、こじれきった重症の電波だったぞ。
75 :
せいら・ます・おおやま:03/06/09 23:43 ID:DfoL+EAD
まあ、韓国人は皆デンパだということで。
ワダシも西尾とワンソプの対談本よんだが、電波ユンユン。
76 :
:03/06/10 00:43 ID:PZXRdaCP
百済は白村江後軽〜く支配されたからあながち嘘でもないようにおもえるけど。
日本におけるアメリカによる戦後統治みたいだったらしいから(もっとひどかったかもしれないけど)
77 :
転載くん:03/06/10 01:10 ID:GbBdDwaE
>>67 61 名前:名無しかましてよかですか? 投稿日:03/02/02 02:57 ID:f5x2xYcQ
>60
>秦韓、慕韓はそのころ存在していなかったとか言うところや、
>任那は加羅諸国の一つだ、とか言うのがあったんだけど、
それは昔の説。倭国にかんすることはなんでも過小評価して、倭王が夜郎自大であった
かのような印象を与えるところが70年代までの空気では当たり障りのない言い回しだったんだよ。
昔はそういう説がまかりとおってたけど、さすがに今時そんなことをいう学者は少ない。
秦韓というのは、辰韓と同じ。まだ新羅に併合されてない旧辰韓諸国がまだ若干残っていた。
(具体的には新羅の北の「優中国」(慶尚北道蔚珍郡)などが秦韓にあたる
という説もあるがこれには反論もありいまだ確定した説ではない)
慕韓というのは馬韓と同じ。馬韓諸国のうち北の諸国は百済に併合されていたが、南の諸国は
任那日本府の管轄下にあり、諸国に国司(当時は「宰」(みこともち)と書いた)を派遣して治めていたが
後に6ヶ国となり四県二郡ともいわれる。今の全羅道。百済に割譲された。
加羅と任那は、もちろん別。加羅諸国は、
伴跛国(はへ。北加羅、大加羅ともいう。慶尚北道高霊)を中心とする北部諸国と、
金官国(そなら。南加羅、駕洛国ともいう。釜山あたり)を中心とする南部諸国にわかれていた。
78 :
:03/06/10 01:17 ID:F9btYJYa
>>68 そんなに電波でもない。
史書に載っている記録だ。
79 :
:03/06/10 01:27 ID:wWYnk89d
百済は東扶余国の王子が宋かなんかの後押しで馬韓を平定して
建国とか聞いてるんだけど。だったら中国東北部に何かしらの
影響力はあったかもしれない。どうなんでしょ?>知ってる方
80 :
_:03/06/10 03:21 ID:WCaeqotd
>>79,
>>78 78のいってるのは“山東半島”の中に百済の領地があったという説、
79のは“遼西”地方に百済の領地があったという説。
もともと出所もちがうし、否定のされ方も、信憑性の無さの度合いもちがう。
山東半島領有説については、
百済王の臣下が、中国の南朝から清河太守に冊封されたことがあるんだが
清河郡というのは今の山東省の一部。なので、百済が山東半島に領土をもった
ということになるんだが。
しかし、山東半島は当時の南朝の勢力圏外なので、これはカラ手形。
敵対する北朝の領地を勝手に書類上、百済にくれてやったということ。
もし、百済の清河太守が北朝から冊封されたというなら現実性がなくもないが
南朝の認定ではまったく形式的なものでいわば名誉職にすぎない。
遼西地方領有説については、
宋書や梁書に「百済はもともと高句麗とともに遼東の東千里の地にいたのだが
晋の時代に高句麗が遼東半島を併合した頃、百済も遼西を征服して「百済郡」を置いた」
というような意味の記事がある。(「遼東の東千里の地にいた」というのは
要するに百済はもともとは夫餘から分かれたという意味)
遼西地方は当時、鮮卑族の燕の勢力圏だったからこんなところに
百済が領地を得ることは不可能と考えられてきたが、かなり混乱していた時代でもあった
ことから、最近は一時的あるいは局所的に容認するような意見もいくらか出てきている。
81 :
_:03/06/10 03:24 ID:WCaeqotd
>>79 >百済は東扶余国の王子が宋かなんかの後押しで馬韓を平定して建国とか聞いてるんだけど。
後漢書や隋書など諸書によると、
夫餘(東扶餘とは別の国)の王で「尉仇台」(2世紀頃の夫餘王「尉仇台」とは
同名の別人でこっちは「仇台」ともいう)という王がいたんだが、
これと、(宋じゃなくて)三国志の時代の一人で「公孫度」という群雄がいた。
このふたりは、政略結婚で同盟関係となり、
公孫度は、南満洲・山東半島・朝鮮半島までを勢力圏にするほどになった。
尉仇台は、帯方の地(つまり馬韓)に進出して百済を建てた。…という話になる。
しかしこれだと百済の建国史は、後世にできた「三国史記」「三国遺事」
などに書かれている建国神話とあまりに食い違ってしまうため、
三国志などの、公孫度と同盟した夫餘王「尉仇台」(2世紀の「尉仇台」とは別人)と
周書などの、帯方の地(つまり馬韓)に百済を建国した「仇台」とを
混同してできた話だとする説もある。(「尉仇台」「仇台」別人説)
>だったら中国東北部に何かしらの影響力はあったかもしれない。どうなんでしょ?
そのとおり。晋の時代じゃなくて三国志時代なら百済が遼西を得るのは可能かも知れない。
もっとも、百済がたしかに実在したと確認できる史料上の初出は342年の
「高句麗・百済・宇文・段部の人々が前燕の都(遼西の竜城)に居住してその戸数十万」
という記事だから、三国志時代はまだ「百済国」ではなく、あくまで「夫餘」の一部としての
「白済郡」だったのだろう。遼西には、白檀[bak-dan]白狼[bak-lan]など、
伯済[pak-tser]/[k-da-la]に似た地名がある。(馬韓の伯済国はさらにその分家または出先機関?)
82 :
_:03/06/10 05:52 ID:0X9OOgCg
【倭について】
「倭」は後世には蔑称に転落したが、もともとから侮蔑語だったわけではない。
倭は7世紀に日本と改名するまで国名として何百年間も自分らで堂々と使ってた上に
その後も平気で今の奈良県を「大倭国」と書いたり
初代天皇の名前を「神倭伊波礼毘古」と書いてた。
>>5 中国では異民族に必ず差別的な漢字を使うというのは誤り。
差別的な漢字を使うこともあるし、そうでないこともある。
>>9 巴とか蜀はヘビの意味の字なので蔑称と思うかも知れないが、
古くは土地の部族のトーテムを表し、後に漢人に同化されて
本当の意味が忘れられてしまったという説もあるよ。
>>15 金印の例から、漢代までは「委」だったと推測できるが、
その後は
>>16のいうとおりニンベンがついて日本でも中国でも朝鮮でも「倭」。
83 :
_:03/06/10 06:00 ID:Y3a1wkFe
>>42,
>>44 「倭奴」についてだが、うしろに「奴」がついてるけども、
たとえば匈奴なんかも「奴」がついてるわけだが、
中国を圧倒したり逆に朝貢させたりしたこともあったのに
やはり堂々と「匈奴」で通して、別に恥じたりはしていないし、
後世に漢文化に同化してからも改名なんてしてない。
その上「倭奴」は、もとは「倭の奴国」からきてるんで。
だからうしろに「奴」がついたから蔑称だということではない。
朝鮮人が「倭奴(ウェノム)」というのは蔑称だが、
それは蔑称として使うから蔑称なわけで。
日本人がチョウセンといっても蔑称だというのとちょっと似てるね。
>>65 蛮夷の国でも1文字国名はいくらでもあるよ。
まず蛮・夷・狄・戎・倭・韓、はもちろんだが、それ以外にも、
穢(に似た字)、填(に似た字)、夏、低(に似た字)、羌、狛、閔(に似た字)、
巴、蜀、越、胡、理、羯、蝉(に似た字)、奚、驃、習(に似た字)、塞・・・・
84 :
_:03/06/10 06:08 ID:TN1Rl3c6
【奈良の語源】
>>17>>19,
>>20,,
>>22,
>>25 奈良というのは、朝鮮語のナラ(国)だというのは
70年代に金達寿という在日の爺さんが広めた電波説。
地面を“均(なら)して”都を造ったから「なら」という、
というのも、大昔からある俗説。
「ウリナラ」説も「均して造った」説もどっちもおかしい。
それなら、藤原京も平安京もみんなナラになってしまう。
なぜ平城京だけがナラなのか説明できない。
奈良の語源は通説では「那羅山」と考えられている。
那羅山は平城京の北に接する丘陵で、ナラ(楢・枹)の木の広大な林があった。
ナラ林は東日本ではありふれているが植生の異なる西日本では珍しいため
地名となったと考えられる。古い地名で日本書紀の仁徳天皇の巻にもみえる。
那羅山は山といっても実体はなだらかな丘陵で、その裾野と平城京が造られた地域とは
曖昧に重なって境界が不明瞭。もともとは平城京ができる前から「なら」と
呼ばれていた土地だったのだろう。
85 :
_:03/06/10 06:15 ID:2OT1hTJn
>>84 「奈良」の語源としては植物の「楢」から来たという可能性ももちろん考えられる
ところですが、楢の木が畿内では珍しい存在だったというのはどうですかね。
楢の木は栗の木同様、北は北海道から南は九州まで広く分布する落葉広葉樹
ですし、西日本の古地名でも、「楢原の郷(岡山県美作町、奈良県御所市)」
「楢原の里(京都府京都市、兵庫県小野市)」「楢本の里(京都府向日市)」が
知られているほか、『播磨国風土記』にも「楢原の里(中略)楢原と号(なづ)くる
所以(ゆゑ)は、柞(なら)、此の村に生(お)へり。故(かれ)、柞原と曰(い)ふ」と
あり、飾磨郡の草上の村には「柞巨智(ならのこち)」と称する一族がいたことも
記されています。また、楢の木は奈良時代にこそ詠まれることは少なかったです
が、平安時代になると、楢の葉が歌人の注目を集め、『古今集』以降「楢の葉」が
題材として好んで歌に詠まれるようになるという事実も知られています。こうして
見ても、古代の畿内に住む人にとって楢の木が決して珍しい存在だったとは
言えないように思うのですが、いかが。
87 :
774でEかい?:03/06/10 22:42 ID:PxARijQf
>『倭-ワ-』の語源
大した根拠がある訳じゃないのだが w、
倭-ワ-の語源は、大和言葉てか原・日本語の1人称かも知れないな。
つまり、吾-ワレ/アレ-,我-ワレ-,私-ワタシ/ワタクシ-の原型は wa と見られなくはない。
『私』とは、ワ(1人称)+タチ/タクティ(=達)で We という意味だったのが、後代になって
1人称単数形に転訛したのではないか?と。
そして、新潟県新潟市周辺(≒中越地方)では、私たち/あなた方を意味する方言としてワッタ/
ナッタ(汝のナか?)があり、富山・石川両県には1人称単数形を意味する方言としてワ乃至
バがある。方言に言葉の古型が残っている例が多いので、新潟〜石川の方言に祖型たる大和言葉
が残っている可能性は否定できない。
因みに、ワレ-我-=1人称,ナレ-汝-=2人称,カレ-彼-=3人称,タレ-誰-,ソレ-其れ-,
モレ=ネタ w になる。
で、倭の使節が初めて後漢を訪れた際・・・
後漢の係官「そちらの国名は?」
倭の使節A「えっ!?、国名って聞かれてもなぁ・・・(困」
倭の使節B「ワ(俺たち)の国としか言いようがないんだけど・・・(惑」
後漢の係官「は?、ワの国ですか?、それでよろしいですね?(苛々」
使節A/B「えー、いや、そのぉ、ワの国には違いないんだけどぉ(汗」
後漢の係官「んじゃ、ワの国でいいんですね!(キパーリ。はい、次の方ぁ・・・・」
・・・てな具合でなかったかと?w
88 :
名無しさん:03/06/10 22:49 ID:pgefqh2c
>> 87 カンガルー説 (w
89 :
:03/06/11 00:23 ID:XpgojAkp
>>80-81 キムワンソプが「日韓大討論」で言ってるのは、三国志みたいな感じで百済や新羅は
中国の国で、推定人口の巨大さからも半島の国ではありえなかったということ。
そしてそんな国々が朝鮮半島にも領土を有して争っていたという考え。
中国では認められているそうだ。
90 :
:03/06/11 01:02 ID:zvksj8Ut
>>87 「倭」は古代の(中国)で、発音はwaだったの?
91 :
>>89:03/06/11 01:05 ID:j9OM1l7/
中国で認められていれば、日本の中国学者が確実に紹介している
はずですが、そんな説を紹介している人はほぼ皆無なので、キム
の電波だと見なしてOK.
92 :
:03/06/11 01:11 ID:heNZ2uAU
93 :
:03/06/11 02:30 ID:RFcOWsEo
なんで倭ばかりで委の話せんのだ?
94 :
・:03/06/11 07:04 ID:YMPDSvBF
>>90,
>>92,
>>93 「倭」は上古音(後漢の中期?)で[uar]だとされるが、
その前の光武帝(AD1世紀)の頃は「委」[iuar]だろう。
前漢のシルクロード開拓の頃(BC2世紀)まで遡れば[yu/yuar]に近くなるかも。
95 :
_:03/06/11 14:44 ID:fLHHvdfB
>>86 >「奈良」の語源としては植物の「楢」から来たという可能性ももちろん考えられる
じゃそれで十分です。ちなみに漏れの説ではなく、よくわからんがたぶん国文学界の通説。
>ところですが、楢の木が畿内では珍しい存在だったというのはどうですかね。
じゃ、それは撤回します。ただし那羅山が広大な楢林だったのは本当。
(お疑いの筋はご自分でソース探してください)
>>95 認めて下さってありがとう。奈良山の楢林については自力で調べてみます。
ただ、奈良の語源説については、現在の国語・国文学界では「平(なら)」説
の方を通説扱いにしていると思いますよ。日本最大の国語辞典である『日本
国語大辞典・第2版』(小学館)には、「奈良」について「平(なら)の地の意」と
説明しています。尤も、私個人は別に『日本書紀』の説話に基づく「均(なら)す」
由来説を支持しているわけではありません。もしそうなら、生まれる語形は
「ナラシ」にならなきゃおかしいですから。今は「奈良市」だからええやんって
のはなしね(^^;。そんだこんだで、その辺の矛盾を解決するために、私は
「奈良」の語源は「なる(慣・馴)」から生まれたという風に考えております。
古代日本語には、
むる(群)→むら(村) つく(築)→つか(塚) なぐ(投)→なが(長)
ある(荒)→あら(荒) くる(暮)→くら(暗) あく(明)→あか(明・赤)
まぐ(曲)→まが(禍) たむ(矯)→たま(玉) つる(連)→つら(列)
たく(長)→たか(高) ふく(更)→ふか(深) やす(痩)→やさ(優)
あつ(当)→あた(咫) なふ(綯)→なは(縄) をす(治)→をさ(長)
などのように、動詞の活用に関わらず、-a終止型の名詞や形容詞語幹を派生
するという造語法が存したことが知られていますからね。「なる(慣・馴)」から
「なら(平)」のような名詞が派生する可能性は十分あるのではないでしょうか。
まぁ「ならす(均)」そのものが「なる(慣・馴)」の派生語ですから、「均す」説も
あながち私の考えとそう違っているというわけでもありませんが(^^;。
97 :
ピース ◆V3KZpKd3B. :03/06/11 18:13 ID:dd7LU2Mr
>>83さん有難うございます。 中国は奥が深いですね、自分でも勉強してみますね
98 :
:03/06/11 19:16 ID:sDiXSWUy
>>96 (見/下/上/中/戸)奈良、
奈良(井/屋/橋/原/阪/子/瀬/沢/津/田/尾/尾郷/物/本/野/毛/木/梨/林/輪/渕/元/榊/サグリ/口/部)、
押平(オシナラ)、
楢(田/戸/井/橋/原/崎/山/沢/川/町/谷/津/尾/本/葉/岡)、
習志野、
南良津(ナラヅ)、
北風原(ナライハラ)
という具合に全国に「なら」を地名に持つものがある。
それらに共通するところは開墾地が多いのではないか?
とすれば、あながち「均す」を語源としても無理はないとおもうが。
99 :
:03/06/11 19:23 ID:sDiXSWUy
日本書紀崇神天皇条における奈良山の由来
すなわち戦いで山で草木を踏み均す。したがって奈良山と奈良山の由来。
及び平城京の平といったぐあいに記述者および命名者が奈良と均すと見
ていたことは間違いがないのではないか。
100 :
:03/06/11 19:59 ID:CZL5XVxY
100grtto
>>98-99 『日本書紀』の編者が奈良山の語源を「均す」に求めていたことは
私も否定しませんが、だからと言ってそれが正しい語源であるという
保証にはなり得ません。総じて地名語源説の多くは単純な音の類似
に基づくフォルクス=エティモロギー(民間語源説)で占められてい
ます。例えば、「樟葉(くすば)」という地名の語源として、『古事記』
(『日本書紀』も)は崇神天皇に反逆した建波爾安王の兵士が天皇
の軍勢にしたたかに追い詰められて糞を漏らしたので、それに基づき
その地が「屎褌(くそばかま)」と名付けられ、それが更に訛って今の
地名になったと説明していますが、これがとても信頼するに足る説とは
言えないことは多言を要しないでしょう。記紀や『風土記』に登場する
地名語源説にはこの手のこじつけが実に多いのです。
あと、「ならす(均)」の語源は「なる(慣・馴)」です。「なる(慣・馴)」
やその他動詞形「ならす(慣・馴)」が心理的に打ち解けた状態に
なる(する)という意味なのに対し、物理的に打ち解けた状態にする
という意味に特化したものが「ならす(均)」なのです。
>>96で私が
「ならす(均)」説もあながち私の説とそう違っているわけではないと
言ったのはそういう意味です。全国の「ナラ」を含む地名の中には、
樹木の「なら(楢)」に基づいたものもあれば、私のいう「なら(平)」に
よるものもあるでしょうし、中には「ならす(均)」に基づいたものもある
はずです。例えば
>>98であなたが挙げられた「北風原(ナライハラ)」
なんてのは、いかにも「ならしはら(均し原)」が複合に基づく音便化
(さききる→さいぎる→さえぎる等)を起こして「ならいはら(北風原)」
となったように見えますね。
102 :
総角:03/06/11 20:49 ID:pEvGI/QR
おまいら、新羅についてもちっとは議論しる!
ヽ<`Д´>ノ
103 :
:03/06/11 20:52 ID:sDiXSWUy
>>101 こじ付けであるかないかは合理性があるかないかでしょう。
奈良と均すには合理性がないとも思いませんが。
そもそも確定しうるようなものでもないのでしょう。
104 :
:03/06/11 20:55 ID:FnYANUi5
「おなら」じゃなかったんだ。
105 :
87の774でEかい?:03/06/11 21:15 ID:HY26wdNU
「倭」は上古音(後漢の中期?)で[uar]だとされるが、
>>94 富山県・石川県の発音は、まさしく[uar]でカナ書きだと「ォワー」、
それが濁ると「ッバー」になる。新潟県の方言も類似している。
「オラ」や「オレ」も、「ォワー」が原型のように思われなくはない。
んで、「倭国とは、俺達の国という意味だった!?」つう珍説ぶちageたりすて w
>>103 >こじ付けであるかないかは合理性があるかないかでしょう。
御意。
>奈良と均すには合理性がないとも思いませんが。
個人的にどうしても引っかかるのが、「ならす(均)」から生まれた名詞なら
普通は「ならし」となるはずなのにそうなっていないという点です。その点を
解決して頂ければ、私も合理性を認めるに吝かではないのですが。
>そもそも確定しうるようなものでもないのでしょう。
それを言っちゃあ、おしめぇよ(w。
いいかげんスレ違いのようですから、これくらいで私は退散します。>おおる
107 :
質問くん:03/06/11 23:25 ID:7prvhQDW
奈良って、いつから奈良なんでしょう?
大和ではなく、奈良が採用されたのはなぜ?
108 :
_:03/06/11 23:49 ID:qU4f8jX+
>>96 おいおい、いくらなんでも「辞書にかいてあるから」はないでしょう、厨房じゃあるまいし。
辞書には勢いでオマケ的に俗説を付す場合もあるし、そうでなくても言語学板なんかでは
辞書には単純に間違いも多いという指摘が多々見受けられますが。
ナラ林説は昔ニフやってた頃に教えてもらった説で、
論文や出典も具体的にあげられてたので国文の通説だと思うと書いたんですが
ニフはかなり前にやめてしまったので、詳細はわかりません。
だから「よくわからんが・・・と思う」という表現にしたのです。
これ以上は責任もてない。
娜々志娑无氏の主張は「知識さえ豊富ならこういうパズルごっこ(≒こじつけ?)も
できるよ」という見本ではないでしょうか?なぜかというと、
>「なる(慣・馴)」やその他動詞形「ならす(慣・馴)」が
>心理的に打ち解けた状態になる(する)という意味
で、それがどうして地名になったかの経緯が考慮されてないからです。
森林の多かった日本で、各地に林の樹木の種類に基づく地名があるのはまったく自然なことだと思いますが。
なぜ唐突に「心理的に打ち解けた状態」が地名になるのかわからない。
個人的な感想を率直にいえば、1)ウリナラ説と2)土地を「均して」都を造った説と3)軍隊が踏みならした説と
4)「なる(慣・馴)」心理的に打ち解ける説は、どれも同等に思いつきの域を出ていないと感じます。
>>18 高句麗好太王碑文には、391 年に「倭が新羅や百済を臣下とした上、
高句麗に攻め入って来た」と解釈される文言がある。 好太王は倭の
攻撃を撃破して高句麗の隆盛を築く訳だから、高句麗の立場から
すれば極めて誇るべき功績だが、この前半を認めてしまうと、倭が
朝鮮半島で大きな勢力を持っていて、新羅や百済を臣下としていた、
ということを認めないといけない。これは、韓国、朝鮮の国民感情から
とても受け入れられる内容ではない。 そのため北朝鮮の謀略による
好太王碑文改竄説を唱えたけれど、中国に一蹴されたことがあったよね。
110 :
_:03/06/12 00:48 ID:f4Ja6guz
広開土王の最大の功績というのは、諡号の由来ともなってるとおり新領土の獲得だが、
広開土王は倭に阻止されたため南韓の地を領有できなかった。
「広開土境」というのは実際には、遼東半島の併合をさしている。
ところが不可解にも、碑文ではその輝かしい成果には、どうしたわけだかまったくふれず、
反対に、実際には敗北だった南征を讃えるという、かなり政治的なシロモノになっている。
>>108 >おいおい、いくらなんでも「辞書にかいてあるから」はないでしょう、厨房じゃあるまいし。
>辞書には勢いでオマケ的に俗説を付す場合もあるし、そうでなくても言語学板なんかでは
>辞書には単純に間違いも多いという指摘が多々見受けられますが。
いえね、貴殿が「通説」「通説」とやたら「通説」ということにこだわって
おいででしたので、それにふさわしいものを紹介しておきましょうという
ことで、日本語学界内では現段階で最も信頼の置ける辞書であると定評
のある『日本国語大辞典・第2版』の記述を挙げたまでのことです。辞書
の説明には時に誤りや不十分な点があることはお説の通り。何せ私の
ような三流の研究者でさえ堂々と解説を書いていたりしているくらいです
から、前述の辞書にしたって疑えばきりはないです罠(w。
>それがどうして地名になったかの経緯が考慮されてないからです。
そのご批判は誠にご尤も。これが論文の類なら用例の検討を含めて
最低でも400字詰め原稿用紙で4、50枚分は書きませんことには、
貴殿を含めて賢明な方々はご満足頂けないところでありましょう。私と
致しましては、こういう掲示板ですからカナーリはしょらせて頂いた(それ
でもこの板では非常識なほど長文レスだったりしますが)わけですが、
まっこと、世の中は厳しいものですな(^^;。
貴殿が突っ込みなさった通り、確かに私は「なる(慣・馴)」から「奈良」
という地名が生まれた経緯についてはまだ述べておりませんでしたね。
この辺の事情に関しては、私は一応次のように考えています。既に
述べましたように、動詞「なる(慣・馴)」の本義は「主体が他者と心理的
に打ち解けた状態になること」 であると考えられますから、それが
>>96 で示した造語法によって名詞化した「なら」は「その主体にとって打ち
解けた存在」のような意味になると推定されます。更にそれが物理的な
空間を指して使われれば、「人の住みやすい土地=平坦な土地」という
意味になるのは自然な流れでしょう。地名の「なら(奈良)」が「寧楽
(平和で楽しく暮らすこと)」「平城(平坦な都市。平和な都市)」と漢字
表記されるのも、地名として固有名詞化する以前の一般名詞「なら」の
意味に基づいたものと考えれば納得が行くのではないでしょうか。
勿論本説にも弱点はあります。何より最大の弱点は、「なら」という
語が普通名詞として使用された用例が文献上に一切存在しないこと
です。ただ、-a終止型名詞を生み出す造語法は奈良時代の段階で
さえ既に用法・用例が限定的であったことを考慮すれば、普通名詞
「なら」も当時既に古語となっていた可能性が高いので、そういう意味
では奈良時代の文献に残らなかったのも仕方がない、と一応言い訳
することは可能です。正直、ちょっと苦しい言い訳であることは確か
なのですけどね(^^;。
114 :
774でEかい?:03/06/12 01:07 ID:Y0m/1oQQ
>倭が朝鮮半島で大きな勢力を持っていて、新羅や百済を臣下としていた
>>109 >実際には敗北だった南征
>>110 そこで再び、
>>63 また、日本書紀にも符合する記述があるよな。
で、日本書紀に相応の信憑性を認めざるを得ない、と。
115 :
_:03/06/12 01:50 ID:vKefyzaR
娜々志娑无殿。
あなたの説はわかったが、ナラ林説そのものへの具体的な反論はないの?
あなたの説明はやや煩雑でわかりにくい所があるが
奈良という称は、
>>112をみると平城京とともに起こったという説に一瞬思える。
それでいいの?
でも平城京ができる前から那羅山だよね?
「枹」説というのは厳密にいうと那羅山の語源なわけですが
奈良(平城京)が(仮に「なる(馴・慣)」説が正しいにしろ)直接には那羅山からきてる
って部分には同意しますか、しませんか?
>>115 ん〜。「楢」説については、
>>86に「可能性ももちろん考えられる」と
書いてある通りで、私は否定していませんよ。日本語の語源研究、
とりわけ古い時代のものに関しては、いまだ同系の言語が確定して
いない関係上、条件的に非常に厳しいものがあります。とりわけ地名
の語源ということになりますと、厄介な点がてんこ盛りです。ですから、
こういう場合のやり方としては「消去法」しかないと私は考えております。
私のつたない日本語学の知識と、それより更につたない朝鮮語学の
知識を駆使した結果、「ウリナラ説」はもとより、「均し」説も「奈良」の
語源としては非常に苦しい部分が多過ぎると判断せざるを得ないと
いう結論に達しましたので、これらの説についてはもはや顧みる必要
はないと判断するに至りました。残った説で何とか可能性を認め得る
のは「なら(平)」説と「楢説」くらいであるというのが私の認識です。
(続き)
問題はそれから先どうするかなわけですが、奈良山と奈良とどちら
が先に命名されたかというのは確かに重要なファクターですよね。
おそらく貴殿は無条件で奈良山(=楢山)が先! 奈良はその後!と
主張なさりたいのでしょうが、実際にどちらが先に命名されたかは、
確固とした記録がない以上、何とも言えないのではないでしょうか。
奈良(都としてではなく、奈良盆地一体を指す地名として)にある山
だから奈良山と名付けられた可能性もあるでしょうし、仮に奈良山が
先だったとしても、山に生えている樹種からではなく、山自体の形状
からそう付けられた可能性も否定出来ないと思うのです。私の知る
ところでは、奈良山は山というよりは丘陵と言った方がいいくらい低く
なだらかな山でしたよね。そういう意味では、まさに「なら(平)やま」
と名付けられるにふさわしい山と言えるのではありませんか。私自身
は奈良盆地の形状から付けられた名称ではないかと思ってはいます
が、確証があるわけではないので、現状ではどちらの可能性も留保
しているところです。
(最後)
そんなわけで、貴殿のご質問である「直接には那羅山からきてるっ
て部分には同意しますか、しませんか?」には、現状ではどちらとも
判断はしかねるとお答えするしかありませんが、こんなお答えでは
貴殿は多分ご不満でしょうねぇ(^^;。
119 :
_:03/06/12 03:40 ID:W6KMSRsK
いや。ぜんぜん「ご不満」ではありませんよ。
いろいろ勉強させていただいて深く感謝しております。
それより退散するて逝ったじゃんYO?
>おそらく貴殿は無条件で奈良山(=楢山)が先! 奈良はその後!と
>主張なさりたいのでしょうが、実際にどちらが先に命名されたかは、
>確固とした記録がない以上、何とも言えないのではないでしょうか。
確固としてるかどうかはなんとでもいえましょうが記録(つーか伝承)は
ありますね。ご存じでしょうが日本書紀には磐之媛を「那羅山に葬りまつる」と。
もし那羅山という地名が奈良以後にできたとすると、日本書紀とほぼ同時にできたばかりの地名となり
これは伝承自体を捏造した可能性が高まりますが、どうもありえないと思いますがね。
>奈良(都としてではなく、奈良盆地一体を指す地名として)にある山
>だから奈良山と名付けられた可能性もあるでしょうし、
そうです。だから、
>>84では、平城京ができる前からナラとよばれていたと推測しました。
120 :
:03/06/12 04:16 ID:+QkTW5Ls
うわっ、どうしよう。あっちからさんちゃん呼んでくればいいの?
121 :
119:03/06/12 04:32 ID:VlZ+/2lX
(続き、というか感想)
>仮に奈良山が先だったとしても、山に生えている樹種からではなく、山自体の形状
>からそう付けられた可能性も否定出来ないと思うのです。
だから、もちろんそりゃそうなんですが、平(なら)説の可能性があるのと
同じように樹種からきてる可能性もあって、そのへんはどっちもどっちなわけでしょう?
あとは感覚的なこといいますが、丘陵ともいえないような凸地でも「〜山」という地名はけっこうありますね。
なだらかな丘陵は日本中あちこちにあるし、昔はナラ林もあちこちあったでしょう。
>>96さんのあげてくれた地名にしても、その両方あるだろうとおっしゃるとおりでしょうし
賛同もしますけど、さて。奈良盆地の住人が盆地のかなりの面積を占める裾野をさして「平らな山」と
わざわざいうかどうか、やや疑問ですが、このへんは皮膚感覚に類することなのでアレですが・・・
>私自身は奈良盆地の形状から付けられた名称ではないか
盆地で、ですか?
>>119 >それより退散するて逝ったじゃんYO?
そんなあ(泣)。それは貴殿が
>>115で私に対して、
>あなたの説はわかったが、ナラ林説そのものへの具体的な反論はないの?
とか、
>奈良(平城京)が(仮に「なる(馴・慣)」説が正しいにしろ)直接には那羅山からきてる
>って部分には同意しますか、しませんか?
のような問いかけをなさったので、それを無視するのは失礼かと存じ、あえて
前言を翻して
>>116-118のようなレスを書き込ませて頂いたのですが、これは
また、あまりと言えばあまりのお言葉(ノДT)・゚・。
残念ながらスレ誘導には従って頂けないようですので、またこちらでしばらく
お付き合い願います。>おおる
奈良及び奈良山に関する古い記録としては、結局『古事記』と『日本書紀』
に拠るしか手はありません。もしかすると、木簡資料あたりに記紀よりも古い
記録があるかも知れませんがね。とりあえず『古事記』『日本書紀』から奈良
及び奈良山に関する記述を時系列順に抜き出してみました。なお、漢字の
読みは岩波古典大系のそれに基本的に従っています。
(1)崇神紀十年九月条
山名「那羅山(ならやま)」が初登場。崇神天皇の兵士が草木を踏み均した
ことからその名が付いたとの語源説あり。
(2)垂仁記
大和から山城へ抜ける道の入り口という意味で「那良戸(ならと)」という語が
登場。
(3)仁徳記、仁徳即位前紀
大山守皇子の死骸を「那良(なら)山《記》」「那羅山(ならのやま)《紀》」に
葬ったことを記載。
(4)仁徳記、仁徳紀三十年九月条
皇后磐之媛が仁徳天皇と仲たがいして山城に帰る折、「那良(なら)の山《記》」
「那羅山(ならのやま)《紀》」を越えて行ったことを記載。なお、その時に詠んだ
歌謡に地名として「那良《記》」「那羅《紀》」が登場。
(5)仁徳紀三十七年十一月条
亡くなった皇后磐之媛を「乃羅山(ならのやま)」に葬ったことを記載。
(6)武烈即位前紀
天皇の命により大伴連が鮪臣(しびのおみ)を「乃樂山(ならやま)」で殺した
ことを記載。鮪臣の妻が死骸をその地に葬った際に歌った歌謡に地名「乃樂
(なら)」が登場。
(7)天武紀元年七月条
壬申の乱で天武側の将軍・吹負(ふけひ)が弘文側の兵と戦った場所として
「乃樂山(ならやま)」が登場。
(続き)
このように、記紀の記述をそのまま信ずれば、いかにも山の名が先行して
いるように見えますが、記紀そのものが8世紀になって作られた文献であり、
その当時はもう山名としての「奈良山」はもちろん地名としての「奈良」も存在
していたことが確実な時代です。よって、「奈良山」が記紀の内部で先に登場
するからと言って、それを「奈良山」が「奈良」に先行していた証拠とするわけ
には行きません。言ってみればこれは、『日本書紀』で「日本」という国号が
まだ存在しなかったはずの欽明天皇の時代の記述に「任那日本府」という
表記があるからと言って、実体としての「任那日本府」の実在までも疑うような
ものです。
ついでに言えば、少なくとも記紀に関しては奈良山を万葉仮名で一字一音
表記した例は1例も存在しないので、その読みは「ならやま」なのか「ならの
やま」なのか確定出来ません。『万葉集』になると「奈良夜麻」(巻17・3957)
があり、また音数律から見ても「ならやま」であったことは確実ですが、7世紀
以前においても本当にそうだったかどうかは請け合えないのです。
と、これでは奈良山先行説を一方的にくさしているように見えてしまいますので、
奈良山先行説に有利な情報も提示しておきます。(2)の垂仁記「那良戸(ならと)」
の箇所ですが、原文には次のようにあります。
即ち曙立王、菟上(うなかみの)王の二王(ふたはしら)を其の御子に副へて
遣はしし時、那良戸(ならと)よりは跛盲(あしなへめしひ)遇はむ。大坂戸より
も亦跛盲遇はむ。唯木戸ぞ是れ掖月(わきど)の吉き戸と卜(うらな)ひて出で
行かしし時、(後略)
息子の本牟智和気(ほむちわけ)王が大人になってもしゃべれないのを憂えて
いた垂仁天皇が、出雲の大神の霊夢のお告げにより王を出雲に向かわせた時に、
どの道を取るべきかを占った結果、「那良戸(ならと)」「大坂戸」「木戸」の三戸の
うち「木戸」のみが吉と出たのでそこを通って行ったという一節ですが、大坂戸は
大和から河内へ抜けていく道のある大坂山の入り口、木戸は大和から紀伊へ
抜ける道の意ですから、「那良戸」は大和から山城へ抜ける道のある奈良山の
入り口を指す語であると解されます。垂仁天皇の宮は奈良盆地の南西の磯城に
ありましたから、「那良戸(ならと)」の「なら」は地名としての奈良とも解せないこと
もないですが、大坂戸が大坂山の入り口という意味であることを重視すれば、
「那良戸(ならと)」の「なら」は山名としての奈良山を指していた可能性が高くなり
ます。即ちこの「那良戸」の存在を以て、単に「なら」と言えば「奈良山」を指すと
いう時代がかつて存在したことを示す証拠として扱うことが出来るかも知れない
わけです。
尤も、「大坂戸」の「大坂」を山名ではなく大坂山のある一帯の地名であると主張
することも出来なくもないので、そういう意味ではこれも必ずしも決定的な証拠とは
言えないかも知れませんが、一応。
>>120 それはなにとぞご勘弁を(^^;。あのさん君に二正面作戦を強いるのは
酷というものでしょう。まぁ彼も今は近代史関係で忙しいようですし、また
古代韓国語云々と言い出さない限りはほっとくつもりです。それに、私は
今は高句麗語のデータを作るのに忙しいので。そのうち総督府でスレ立て
して公開するつもりですが、これさえ完成すれば、今後この問題について
議論する上でまず参照すべき基礎資料となるでしょう。私にとっても皆さん
にとっても、勿論さん君にとっても有益なもののはずです。
127 :
774でEかい?:03/06/13 01:29 ID:hJdk/9NT
>奈良という地名の起源
それを論ずることは相応の意義があるとは思うけれども、元は、渡来人ないし帰化人の政権関与の
度合を議論していたのではなかったかな?
で、奈良の起源が朝鮮語であれ大和言葉であれ、何れの側にしても決定的な材料にはならないと
思うのだが。
そして奈良の起源にしても、例えば「近頃、都を奈良と韓-カラクニ-の言葉で称-ヨ-ぶ若者が目立つ。
近頃の若者の言葉の乱れときたら・・・」とか「お上が平城京と命名されているにもかかわらず、
いまだに奈良という昔の地名を好んで使う者がいる。はてさて不思議なことだ・・・」とか記して
ある木簡竹簡など第1級資料が出土しない限り、複数の仮説が並立している現状は変わらない
と思うのだが w
128 :
_:03/06/13 05:43 ID:TFhuadxG
ちょっと待ってよ娜々志娑无さん。
もうこないといったりしたからダメもとで呼び掛けてみたんですよ。
スレ誘導した主旨は理解できなくもないですが、
総督府は優良スレ度が高いので、あちこちで気軽に誘導するのは頂けませんね。
嫌韓厨や朝鮮電波をよびこむ原因になりませんか?
日頃敬愛する娜々志娑无先生に対して、2chで質問を無視されたからって
いちいち腹を立てたりするほど初心者ではないのでご心配なく。
それよりも、つい長々と力説してしまうあたり好き者ですね。いや、感謝、感謝。
(本題に続く)
129 :
_:03/06/13 05:55 ID:TFhuadxG
さて。
まず、任那日本府などは文上、表記上の問題ですから例として不適切です。
文献上語彙としてみえないからといって宰(みこともち)が8世紀になって突如捏造された官職だとはいいますまい。
しかし那羅山は漢字の字面が問題になるのではない。またナラヤマという地名が8世紀についたというなら
以前になんと呼ばれていたのか。わざわざ8世紀についた地名だというのは、そうとも考えられなくもない、
という程度で、積極的な蓋然性に乏しいと思いますが。(ヘーゼーヤマならあるいはそうでしょうが)
8世紀の編纂された記録の地名ですが、ややループ気味になりますが、すでにさりげなくのべたとおり
もしナラヤマという地名が8世紀に突如でてきたならば、元の伝承においてなんと呼称されていたのか?
8世紀の人々にとってナラヤマがそんなに新しい地名であれば、伝承の信憑性自体が当時の人にとって問題になるのでは。
崇神天皇の時代に軍隊が踏みならしたから「なら」だ、という地名起源説話が伝承として8世紀に存在しうるためには、
8世紀の段階で「最近できた地名ではない」という一般的理解が前提となるでしょう。
それでも8世紀の地名であってそれ以前のものかどうか不明だというなら、つまり
魏志倭人伝などの海外史料を除けば、7世紀より古い時代の日本の地名はすべて存在したかわからないから、
とりあえず「なかった」という前提ですか?
むろん、純粋に単純論理的には、8世紀になってできた地名かそれ以前からあった地名か、わかりません。
しかしそれはあくまで一般論です。ナラヤマ(もしくはナラ)という特定の地名について、
決定打に欠けるとはいえ、娜々志娑无さん自身があげた例証からは、ナラが古くからの地名であるな印象を受けるし
いかにも8世紀についた名であると思わせるような、いかなる疑問点もみいだせない。
130 :
:03/06/13 09:01 ID:7UifWDSS
出雲の土地は新羅からパクったらしいな
131 :
:03/06/13 10:04 ID:n8rp+QrV
132 :
��:03/06/13 15:15 ID:luajAIne
> 357 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/11 19:42 ID:j8Yd1BsF
>
>>206 >>282 > 朝鮮最初の統一国である、新羅の重臣が倭人。
> 三国史記によると、新羅三王家の一つであり、初代新羅国王となる朴赫居世は
> 倭人瓢公の助けで国王になった。
> 第二代国王、昔脱解は多婆那国(倭国の東北一千里にあった国、倭の一国かも
> しれない)で生まれたが、 箱に入れて捨てられ、辰韓の海岸に流れ着いたと
> ころを拾われた。後に成人し瓢公を騙して国王になる。
> 第三代国王の金閼智は、林の中で金の箱に詰められている赤ん坊を瓢公が発見
> し、二代国王の昔脱解が養子として育てた。彼が統一新羅の金王朝の始祖であ
> る。
> なぜ新羅建国当時の国王すべてに倭人が関わってるのか?
【引用者注】
このレスにはいくつか誤りがある。
まず、昔脱解は二代王ではなく、四代王である。
もう一つ、金閼智は三代王とあるが、金閼智自身は
王位についていない。金王家の祖になっただけ。
そして金閼智を養育したのは、昔脱解ではなく、
朴赫居世である。
しかし、ここに書かれているのは、
非常に気がかりなことである。
新羅の王位に即いた三つの王家の来歴には、
すべて倭人が絡んでいるという記述が、
「三国史記」「三国遺事」等、韓国史書に
実際にあるからだ。
133 :
��:03/06/13 15:39 ID:luajAIne
> 360 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/11 19:44 ID:j8Yd1BsF
>
>>206 >>282 > 新撰姓氏録に新羅王家は
> 神武天皇の兄の稲飯命の子孫であると書いてあります。
「新撰姓氏録」には、実際にそれに近い記述があった↓
「姓氏録、右京皇別、新良貴之条
彦波□武鵜□草葺不合尊、男、稲飯命之後也。
是出2 於新良国1 即為2 国主1。
稲飯命出2 於新羅国1 王者祖合。日本紀不 v見。」
>>128 そうでなくてもスレ違い気味なので、これ以上ここに書き込むのは
憚られますが…。
>嫌韓厨や朝鮮電波をよびこむ原因になりませんか?
総督府は管理が行き届いているからいいかなと思ったのですが、
なるほど、管理側から見れば確かに迷惑な話です罠。この辺は反省
致しますです。
>つい長々と力説してしまうあたり好き者ですね。
時々自分でも「アフォだなぁ」と思うことがあります。まぁ実際ただの
アフォなんですけどね(^^;。
>>129 私は何も奈良乃至奈良山が記紀の成立した8世紀初頭以降に名付けられた
新しい地名であると主張したいわけではありません。どんな分野でもそうだと
思いますが、ある仮説を論証しようと思うなら、まずは事実関係をきちんと整理
する必要があります。その上で、推論を組み立てていくわけですが、そうやって
推定されたものの中には、極めて確度の高いものからそうでないものまで入り
混じっていますから、その辺を見極めて一つ一つ積み上げて行かないことには、
それこそ結論が明後日の方向に飛んでいってしまいかねません。
>>123-124は
記紀という古代文献をもとに、そこに書いてあることを適宜整理したもので、これ
は言わば第一段階(事実関係の整理)に当たります。そこで確実に言えることは、
「奈良」については一字一音表記されたものがあるが、「奈良山」については一字
一音表記されたものが存在しないので、少なくとも記紀では「ならやま」なのか
「ならのやま」なのか確定出来ないということです。文献上「ならやま」という語形
が最初に登場するのは『万葉集』からであるということはやはりきちんと押さえて
おく必要があるでしょう。
(続き)
続いて推論に入ります。『万葉集』が成立したのは8世紀末ですから、最低でも
この時期までには「ならやま」という語形は存していたことがわかるわけですが、
実は「ならやま」の下限は更に遡らせることが可能です。柿本人麻呂作の長歌
(巻一・29)に「平山乎越」という一節が見え、音数律から見てこれは「ならのやま
をこえ」ではなく「ならやまをこえ」」と読むことが確実です。柿本人麻呂は生没年
未詳ですが、天武朝の宮廷歌人であり、天武9年(680)に詠んだ和歌が『万葉集』
に見えますから、遅くとも7世紀後半には生まれていた人物であると判断出来ます。
よって、『万葉集』から「ならやま」の下限は7世紀後半と推定することが出来ると
いうわけです。
次に記紀ですが、記紀に収められている古代歌謡(記紀歌謡)は一見『万葉集』
の長歌と似ていますが、多くは音数律が一定しておらず、長く伝承されて謡われて
来たことを窺わせる記述のあるもの(来目歌など)も含まれており、『万葉集』に収録
されている和歌や歌謡よりも明らかに古いものと見なせます。長歌は柿本人麻呂が
完成させ幕を引いたというのが定評ですから、記紀歌謡の多くは柿本人麻呂よりも
古い時代(7世紀前半以前)のものを伝えている可能性が高いわけです。その記紀
歌謡に「なら」が見えることから、「なら」の下限は7世紀前半あたりに持ってくること
も可能になってくるでしょう。まぁ実際問題として重要なのは下限ではなく上限の方
なのですが、一応下限で比べれば「なら」の方が「ならやま」よりも古いということは
言えるだろうと思います。
(続き)
問題は上限ですが、これは中々難しい問題です。読みについてはひとまず
措くとして、古代に「那羅山」「那良山」「乃楽山」と呼ばれる山が存したことは
確かですし、「那良戸」(これも「ならと」なのか「ならのと」なのか確定出来ず)
のように奈良山を意識したらしい表現も存するわけですが、それがいずれも
崇神天皇以降の記録・伝承に見えることは注目されます。崇神天皇は「所知
初国(記)」「御肇国天皇(紀)」と記されている天皇であり、事実上大和朝廷の
初代の王(おおきみ)だったとも言われています。そういう意味では、「那羅山」
の地名語源説がこの天皇の伝記の部分に収録されているというのは自然な
ことのように思えます。大和に本拠を置いた古代人にとって、「那羅山」はさぞ
馴染み深い山だったことでしょう。さてその大和朝廷の始まりは4世紀頃と見る
のが通説のようですから、「那羅山」の上限もその辺りに持って来られるかも
知れません。尤も、先住民の言語は地名に残るという経験則もありますから、
大和朝廷が成立する以前から「那羅(山)」という地名が存したことも十分考え
られるところではありますが。
さてそうなると、「那羅山」の読みがどうしても気になるところですが、これに
ついては一字一音表記した新資料でも発見されない限りはどうしようもないよう
です。「かぐやま(香具山)」のように二文字名は「〜やま」、「へぐりのやま(平群
の山)」「かづらきのやま(葛城の山)」のように三文字以上は「〜のやま」という
規則でもあるかと思い、記紀歌謡を調べてみたのですが、「はさのやま(波佐の
山)」のように二文字名でも「〜のやま」の例がありますし、三文字以上でも「うね
びやま(畝傍山)」「くらはしやま(倉梯山)」のように「〜の」が付かない例もあり、
その辺は一定していないようです。いやはや、世の中、そううまくは事が運ばない
ものですね。何か妙案はないものか。
138 :
_:03/06/15 03:52 ID:wyEa6PEH
このスレで那羅山説にこだわってた者ですが。
娜々志娑无さん、もう十分です。
いささか知的興奮を味わえて感謝しています。ナラ地名語源問題についてはとりあえずきりあげましょう。
ありがとうございました。
139 :
名無しさん:03/06/16 17:57 ID:66nj1ADF
では、スレタイどおり日羅関係について語り合うとして、何を話題にしましょうか。
神功皇后の三韓征伐、倭への人質派遣、帰化人、白村江の戦い、遣新羅使・・・
いろいろありますが。
140 :
:03/06/16 18:18 ID:1M6zcKFV
新羅のローマングラス
142 :
:03/06/18 07:32 ID:gDrmqXW+
スサノオは新羅の何が気に食わなかったんだろう。
ちゃんと理由書いとけよ日本書紀。
143 :
:03/06/18 07:46 ID:AhaDagSU
144 :
:03/06/18 09:17 ID:Rk+WIg7j
>>142 三国史記・新羅本記と照らし合わせて読むと出雲神話に
出雲の新羅攻略がくっついた話では?
新羅本記には「東辺」から倭の侵攻受けていることがかかれている。
東辺とは出雲だろう。
そもそも高天原から出雲に行くまえに新羅にも行ったとするのは
日本書紀にある7つ?ある異説の一つ。古事記にはない話。
145 :
:03/06/19 10:01 ID:9p8frDa7
146 :
倭人:03/06/19 12:23 ID:CyO6vw5W
倭が蔑称であることの考察
これってどんくらい意識されてたんでしょうな。
ニッポンチャチャチャ史書の『神皇正統記』には次のような用例もあります。
大日本トモ大倭トモ書コトハ、此國ニ漢字傳テ後、國ノ名ヲカクニ字ヲバ大日本
ト定テシカモ耶麻土トヨマセタルナリ。
てな感じで、特に蔑称とも思っていない。
『神皇正統記』には、あと30例ほど倭が出てくるが、避ける意識は皆無。
147 :
��:03/06/19 23:07 ID:1CRkxTly
>>146 古事記なんかでも、確か「やまと」は
「倭」という字を使っていたような。
148 :
_:03/06/20 05:54 ID:4CLWhsX+
>>139 >神功皇后の三韓征伐、帰化人、
それは日本史板に専用のスレがあるな。帰化人については二本か三本あった。
>倭への人質派遣、
すぐ終わりそう
>白村江の戦い、
そのネタは飽きた
>遣新羅使・・・
ネタある?
>>146,147
倭について
>>82-83
149 :
:03/06/27 07:42 ID:rtaumINh
ニダーさんたちにとって、倭寇は海賊だけど、
新羅海賊は貿易商なんですね。
150 :
百済と新羅は日本の植民地でした。:03/06/27 08:01 ID:LzB+GAd8
>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
>考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。
>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述
>が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、
>新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
>「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を
>広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
>などの軍事権を認めた叙任がある。
>これらの文献資料は、全て調和的。
>考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代
>中期〜後期(5〜6世紀) になると、朝鮮半島南部にいくつも
>見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
>と言うわけで、全く問題ないのである。
151 :
:03/06/27 08:03 ID:r2doGISI
倭寇は半島人が日本人のフリして海賊行為をした連中ってのが真実
少なくとも初期倭寇以外は
152 :
百済と新羅は日本の植民地でした。:03/06/27 08:03 ID:LzB+GAd8
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。
こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。
153 :
百済と新羅は日本の植民地でした。:03/06/27 08:04 ID:LzB+GAd8
朝日新聞ニュース
前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘
された。現在、確実な前方後円墳は九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。
このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一男・宮崎大学
教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が
公開されている。調査の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。
西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形
古墳」とか「前方後円形古墳」などとも呼ばれている。九基の規模は、最大で全長
七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古墳の中では
比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に
出現する日本の前方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になって
いるという。
154 :
百済と新羅は日本の植民地でした。:03/06/27 08:05 ID:LzB+GAd8
読売新聞ニュース
韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。
朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見さ
れていなかった。
松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと
論争になった。
一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)
」と呼ばれる。
沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも考えられる」と話している。(10月2日15:34)
155 :
:03/06/27 08:07 ID:xHSujOJ5
>>151 後期倭寇に至るまで頭目が日本人で手下が中国人と朝鮮人だった時期があったが
次第に頭目から手下まで全て中国人と朝鮮人になったそうだが。
156 :
:03/06/27 10:14 ID:9vk31cg+
>>151 そんな昔からアイアムザパニーズ…
アイアムザパニーズは半島の伝統なのか…
157 :
:03/06/27 11:54 ID:twlmd/Zz
>>151 わざわざ丁髷結って日本人のフリしてるから救いよう無い
158 :
:03/07/04 11:40 ID:/zxID4k8
>>146 倭の意味は元々1.従順なさま 2.つつしむさま 3.まわり遠いさま(逶)。
とあるから、特に気にしてなかったのかもしれない。
背が低いとか小人を意味するのは矮。
159 :
空揚げはアレなのでコピペ:03/07/09 08:24 ID:BiXCqS+h
160 :
山崎 渉:03/07/12 09:45 ID:gadRhocs
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
161 :
:03/07/14 07:03 ID:lGGuu3Eh
日本人があっと驚くようなトンデモ史観が韓国には多い。
そしてそれは多分に日本にも関わったものだ。
韓国の大手・東亜出版社は94年に「大朝鮮帝国史」という本を出版した。
(中略)同様の内容が、韓国陸軍の「民族史教育」で教えられており、
もちろん正規の歴史学者からは「考古学的な裏付けがない仮説を
全軍に事実かのように教育するのは性急なこと」と批判されている
大朝鮮帝国史
http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm って訳で全軍すなわちこのサイトに書かれてる内容をほぼ成人男子全て
が教えられてます(苦笑
162 :
:03/07/15 14:18 ID:LZenzcit
ヤバ618位よりage
163 :
邪魔崎渉:03/07/15 14:18 ID:20RKJTpA
∧_∧
ピュ.ー <ヽ ^^ > <これからもウリを応援して下さいニダ<^^>。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 邪魔崎渉
164 :
_:03/07/18 13:44 ID:xYJy+Qq2
voyage
165 :
_:03/07/19 10:03 ID:hRXvJOd4
166 :
_:03/07/21 07:53 ID:m8KK/jsW
「百済」は、なぜ「クダラ」と読むのか?
167 :
:03/07/21 09:05 ID:XPy+O5sj
>>161 笑い事じゃないかもしれないがワロタ!
A.本なみの電波だな。
168 :
保守系:03/07/31 15:52 ID:vuqezQi2
良スレ保守
169 :
:03/07/31 16:17 ID:xY4SHMn9
ジプシーと朝鮮 ユーラシアの野蛮
ジプシーには、信仰がなく、歴史も伝わっていず、向上心がない。法を無視する。イスラムでは神の法に触れ、問題となる。
要領のつもりだろうが、巧妙な作り話をする。ジプシー研究でやっかいなのは、彼らの答えがどこまで正しいのか、外部の
者にわからないことだ。でたらめは、生き延びる知恵である。どこから来たかも、相手が最も気を許しそうな地名を言う。
カソリックの洗礼を受けろと言われれば、そうする。名前もたくさん持ち、時に応じて使い分ける。登記が必要となると、
親子の関係などでたらめで、真実は仲間しか分からない。意味ありげな、身分証明書や保証書を偽造する。仮病を装い、
周囲をこわがらせるのなど、簡単なことだ。またでまかせで一般人をからかうのは、楽しみであり、迫害への仕返しでもある。
ジプシーの民話集など、信用するほうが悪い。自分たちを神秘化するための、その場での作り話と思うべきだ。
170 :
山崎 渉:03/08/01 23:59 ID:Es+GQ8Hl
(^^)
171 :
キムチ:03/08/02 03:25 ID:7L1bginY
キムチ
172 :
SONY質問フォームで匿名抗議可:03/08/06 15:39 ID:h/k7uIDs
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良スレ
175 :
柳:03/08/09 17:03 ID:6QZbtlQA
保守sageニダ プ
176 :
_:03/08/10 04:16 ID:XjSoqpbX
おい、藻前ら。ちゃんと新羅の話しませんか?
177 :
:03/08/10 06:30 ID:VCqyrVSo
「◆ ファミリー劇場 9」
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/skyp/1059898718/l03 103 :てってーてき名無しさん :03/08/09 10:57 ID:???
>>70 君もチョソだよ、関東人ならね
関東人の大多数が 400年以内の ■ 帰 化 人 の 子 孫 ■
そもそも江戸の背景となった
武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、★百済人による入植地だった。
府中は国の司(つかさ)が百済人 と決められていた時期があります。
崩壊した百済の支配層を受け容れ亡命させるためですね。
桓武天皇以来、東夷(あずまえびす!!)が住む関東の姿とは
朝鮮の百済の人の入植地であり、時代ごとの政権からの派遣の
源氏や平氏が割拠する土地だった。 ( 「 海老〜 」、「 蝦〜 」 姓は特に。)
7世紀後半以降、 新羅が朝鮮半島を統一するという情勢を受けて、政治的には、
これまでの日本各地の渡来人を東国の 武 蔵 にまとめる必要がおきた。
〓 666 年 「 百済人男女 2千余人 東国移住 」
〓 716 年 「 高麗郡の設置 関東の高麗人 1779人を武蔵国に移す 」
〓 760 年 「 新羅人131人を武蔵の地へ移り住む 」
1600年 1700年 1800年 1920年 1960年
15 万人 85 万人 130 万人 400 万人* 1000万人*
武家に対し、 町人は江戸の全体面積の 15 〜20%の土地に65万人が生活。
多摩川以西はおろか新宿区、世田谷区、目黒区なども帰化大陸、朝鮮人だらけ!
隅田川以東の足立区〜江東区は 上総の国 で、 江戸ではない。
外堀以外の地、 埼玉、 千葉、 神奈川も帰化系の人間が大多数にのぼる。
明治以降の不法入国者(関東)も100万以上にものぼる。消えるどころか増殖したのだ
178 :
:03/08/10 06:47 ID:GXXM9m5L
馬鹿馬鹿しい。計算するのもいやになるが
( 2000 + 1799 + 131 ) / (600000 or 7000000 ) * 100 = 0.065 or 0.056 %
かりにそれらを現在の日本の総人口に当てはめると
130000000 * ( 0.065 or 0.056 ) / 100 = 84500 or 72800 人
渡来人全部一箇所に集めたところで 7 - 8万にしかならん。
逆に現在の在日がいかにおおいのか良く分かる。
179 :
:03/08/10 07:02 ID:Si16G5Zq
ここも頭の悪い連中が集まっているな。
歴史を都合の良いように捏造するな。間抜け。
180 :
:03/08/10 07:12 ID:GXXM9m5L
181 :
:03/08/10 07:15 ID:Si16G5Zq
全てのぼけ小僧。
182 :
:03/08/10 07:23 ID:GXXM9m5L
うまぁ、朝だからな。ボケるわな
183 :
10代目 ◆DpPTJAuQVk :03/08/10 08:22 ID:gRNjInvm
>>177 今の東京人(千葉や神奈川も含めて)の多くは、東北などから出てきた縄文系
日本人の子孫でしょう。埼玉県日高市のように韓国系の多い町もありますが、
関東全体では、入植したのはたかだか1万人程度、増えたとしても数十万人
では、1%程度と言ったところです。
関東には他に、韓国/朝鮮籍が20万人、おそらく帰化者同じくらいいるでしょう
から、関東の韓国系はせいぜい50万と言ったところです。一方、近畿の場合、
韓国/朝鮮籍が40万、新撰姓氏録では人口の1/3が渡来人ですから、韓国
系が仮にその1/3程度と仮定すると、人口の1割強が韓国系と、これまた
決して多くはありません。
184 :
:03/08/10 08:35 ID:GXXM9m5L
>>183 >新撰姓氏録では人口の1/3が渡来人ですから
これは新撰姓氏録記載中氏族数のことでしょ。
人口ではありません。
185 :
:03/08/10 08:42 ID:swgo4EGO
>>179は、偉そうにいうけど、内容の批判ができない情けないやつ。
Si16G5Zqみたいなのはスルーするがよろしい。
186 :
_:03/08/10 09:17 ID:Tqq1xxah
新撰姓氏録に記載中の氏族のうち訳三分の一が渡来系というのは本当だが、
ほとんど大陸系(中国系)。残りわずかな氏族も高句麗系や百済系ばかりで
新羅系や任那系はかぞえるほど微々たるもの。
新撰姓氏録は人口調査ではなく五畿内の有力氏族のリストだから庶民もふくめた人口比率は不明だが
美濃国などいくつかの律令戸籍が残っており
それから一般庶民の様子をみると、秦人系がやたら多い。
ところで藻前ら、こっち↓もよろしく
韓国の百済=日本の蝦夷(エミシ)
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1051197401/l50
187 :
10代目 ◆DpPTJAuQVk :03/08/10 18:46 ID:5zd8Qtoh
確かに、正確には氏族数ですから、氏族毎の人口の違いも考慮に入れなければ
なりませんが、ちょっと推計は難しいでしょう。秦といえば、自称「始皇帝の末裔」の
中国系氏族で、数が多かったそうですね。
百済系 多々良・百済・和・葛井・船・三善氏
高句麗系 高麗・狛氏
新羅系 三宅氏
渤海系 高氏
といったのが主な古代の韓国系移民だそうです。むろん、韓国に中国式名字が導入
される以前の移民が大部分ですから、金とか朴とかいった姓ではありません。
>>187 高師直とかの高氏って、渤海系の高氏のことですか?
>>188 違います。高師直は高階(たかしな)氏。
高階氏は天武天皇の孫長屋王の裔で、摂家や院に近侍して勢力を保った氏族です。
190 :
_:03/08/10 20:12 ID:qQ50mTM3
>>187 新撰姓氏録、全1182氏
皇別335氏(28%)
神別404氏(34%)
諸蕃326氏(28%)
├漢、133氏(11%)
├百済118氏(10%)
├高麗048氏(04%)
├新羅017氏(01%)
└任那010氏(01%)
未定雑姓117氏(10%)
渡来系の総数で28%、しかしそのうち大陸系(中国系)が11%で
残り17%のうち、新羅とは民族系統の異なる高句麗・百済などをのぞくと、
現在の韓国人の直接の先祖である新羅からの渡来は1%
191 :
:03/08/10 20:21 ID:9tvSnrfP
>>187 今ちょっと確認できないがそれはすこし数え方が違うのではないか?
諸蕃が28%くらいでそれはいいとしても漢がちょうど半分のはずだとおもったな。
192 :
191:03/08/10 20:22 ID:9tvSnrfP
193 :
190:03/08/10 20:30 ID:qQ50mTM3
>>191 え?そうだったかな?かぞえまちがったかな?
漏れはもう疲れたから自分で調べてくれい。結果報告してくれるとありがたい。
194 :
191:03/08/10 20:35 ID:9tvSnrfP
多分、諸蕃中326氏の分類は
漢 = 163
百済 = 104
高麗 = 41
新羅 = 9
任那 = 9
( 注 未定雑姓からは数えず )
195 :
193:03/08/10 20:42 ID:qQ50mTM3
196 :
195(改訂しますた):03/08/10 20:49 ID:qQ50mTM3
新撰姓氏録、全1182氏
皇別335氏(28%)
神別404氏(34%)
諸蕃326氏(28%)
├漢、163氏(14%)
├百済104氏(09%)
├高麗041氏(03%)
├新羅009氏(01%)
└任那009氏(01%)
未定雑姓117氏(10%)
渡来系の総数で28%、しかしそのうち大陸系(中国系)が14%で
残り14%のうち、新羅とは民族系統の異なる高句麗・百済などをのぞくと、
現在の韓国人の直接の先祖である新羅からの渡来は1%
197 :
:03/08/11 18:13 ID:m62Q1oIJ
>>161 史実ですな。日本書紀より100倍正しい。
198 :
:03/08/11 18:16 ID:mCxY7ib+
本日の賎天ID:m62Q1oIJ
199 :
:03/08/11 18:25 ID:s58VyiHg
よーし、パパ課題の資料にしちゃうぞ〜
200 :
:03/08/11 18:34 ID:4saSqyQV
>>197 『史実』とは『民族の夢』の意なりし乎?
コリアンエンジェルってこんなにアンポンだったか???
別の香具師じゃないの?
あれがまともだったことがありますか?
まあ、どっちにしろ去年の9・17から壊れちゃったんでしょうがないでしょ。
203 :
:03/08/11 21:29 ID:feCs+tOs
Morte al Giappone Corea anela!!!
204 :
*:03/08/11 21:36 ID:1ILNCkEz
>>161 すげえーーー
キチガイ民族の粋を集めた感じだな。。。。。
しかも今現在ならってんだ。。。。。。
馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン
馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン
馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン
馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン馬鹿じゃねえのチョン
205 :
��:03/08/11 23:07 ID:vhjcNhaX
新撰姓氏録の「新良紀」氏の項に、
新羅の王様は、日本人である、と書かれてましたな。
>>205 韓国では、日本の古文書は取捨選択されますから(日本語訳=都合の良い
ところだけ抜き出す)、その部分は採用されないでしょう。
207 :
山崎 渉:03/08/15 09:09 ID:Kw2NnElN
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
208 :
:03/08/15 09:20 ID:mFuT08pq
>>204 ほんと。よくみると「このためにその後の国史が歪曲された」と
書くあたりが笑える。司馬遷のような人物が輩出しなかっただけだろ。
まあ、あの国柄じゃ無理か。
209 :
:03/08/22 19:59 ID:4BK9egl8
210 :
_:03/08/23 09:59 ID:F7Ofm0z9
>>205 神武天皇の兄、稲飯命が新羅にわたって王になったって書いてあるね。
211 :
:03/08/23 11:29 ID:RKr8T8ew
シラ免税店は綺麗だ。
212 :
:03/08/23 11:32 ID:3QADV7+X
「新良貴(しらき)。
彦波瀲武ウ草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)の男、稲飯命(いなひのみこと)の後なり。是は新良国(しらきのくに)に出まして国主と為りたまふ。稲飯命は新羅国(しらきのくに)に出まして王が祖に合ひたまふ。日本紀に見えず。」
(右京皇別下)
三国史記・三国遺事 の脱解、瓢公といいなにかあったんだろうな。
213 :
アホな倭人:03/09/04 08:11 ID:iAOnoZ4N
天皇が新羅の王になった?アホか。古代日本には、ろくに文化も伝わっておらず、馬もなく土人しか居ない地域なのに?半島の亡命者が大和を造ったんだよ。それとも何か?古代日本は、エジプトや黄河文明みたいな文明が興ったのか?笑そんなの日本学校の歴史で教わらなったぜ爆
214 :
:03/09/04 08:12 ID:HIocBc+u
天
命
の
うん?
215 :
アホな倭人:03/09/04 08:13 ID:iAOnoZ4N
天皇が新羅の王になった?アホか。古代日本には、ろくに文化も伝わっておらず、馬もなく土人しか居ない地域なのに?半島の亡命者が大和を造ったんだよ。それとも何か?古代日本は、エジプトや黄河文明みたいな文明が興ったのか?笑そんなの日本学校の歴史で教わらなったぜ爆
>>215 マジレス
当時の日本は極東地域最大といってもいい軍事国家
文化的には確かに朝鮮半島のほうが上だっただろうが
当時三つに分裂していた朝鮮半島が日本の軍事力を得る為に大和朝廷に朝貢していたのは事実
217 :
竹埼委長 ◆JmPatBlE76 :03/09/04 08:31 ID:8hIN6ieE
>>216 上といっても上ということを証明するのは日本の資料。
よって日本のほうが文化は上。
218 :
:03/09/04 08:34 ID:dMHCfyoj
>>217 日本側の資料に頼らざるを得ないのは、次の時代の半島人が資料を
保存しなかったからで、当時の半島人の文化が低レベルだったという
論拠にはならないのでは? 高レベルであるという論拠も思いつきませんが
中国に近かったから中国文化は先に朝鮮に入ってくるのでは?
だから文化は朝鮮のほうが上かなと思うんですが
220 :
:03/09/04 08:38 ID:HIocBc+u
過去の蓄積(資料保存)も出来ないようじゃ、レベルもどんなもんか知れてるような・・・
221 :
:03/09/04 08:43 ID:rhdnfMPo
>>216 何をもって文化的とおっしゃりますか。
新羅では既に円周率を1000桁計算していたとか。
223 :
:03/09/04 08:53 ID:dMHCfyoj
>>220 ごもっとも。でも朝鮮の場合、後継国家どころか同一民族かどうかにも
疑問が提示される、いわば「接木の歴史」なわけですから、資料保存が
なされているほうが変と言えば変かもしれません。
もしや、現代でも歴史に空想を接木するのはその伝統を引き継いでいるのか?
224 :
:03/09/04 08:54 ID:wn9a6F5Z
新良貴(しらき)氏。渡来系の新羅氏族が、実は日系であると主張したと
いうことだろう。自分たちの出自を飾ったわけだ。自分たちを新羅王族の
出であるとし先祖を神武天皇の兄にしてしまった。はくづけになった。
新撰姓氏録だけみれば、このように解するべきだろうが、脱解、瓢公
の件もあるし、なかなか厄介だ。ただ新良貴が先祖を神武天皇の兄にしたのは、
日本のなかで生き、あわよくば「主流」になろうという意図があるのは
間違いないが。皇室にとって代わろういう野心もかんぐろうと思えば
かんぐれる。
225 :
:03/09/04 09:37 ID:+8kvPDp7
>>215 > 馬もなく土人しか居ない地域なのに?
それは暗にお前らの事を言っているのであは無いか?(激藁
お前らの住む半島は、馬が駆けずり回り、周りの連中が皆、両班みたいな身分のものばかりだったとでも?
お前らは、北の騎馬民族に征服された土人が先祖である事を忘れるな。
冗談は休み休み言え、半万年属国民たちよ。
226 :
一徳:03/09/04 10:41 ID:u7tIAvhX
朝鮮半島から来て大阪で土着民を使役して応神天皇陵を
造ったんだけど何か文句ある。
227 :
四郎:03/09/04 10:42 ID:VfwPw2yi
228 :
秀治:03/09/04 10:45 ID:HIocBc+u
229 :
一徳:03/09/04 10:47 ID:u7tIAvhX
>>228 つまらん言われても・・・
それで文化勲章もらった人いるわけだから・・・
一応は許容範囲内の話であるはず。
イマドキ騎馬民族襲来説ねぇ(w
231 :
金太郎:03/09/04 12:09 ID:citsWdrY
>>229 おい、腑抜けたこと言ってないで面白い話をしてみろ。
希望に満ちた物語を聞かせろ。
俺達に夢をみせてみろ。
232 :
:03/09/04 12:14 ID:zKR6kjeP
233 :
:03/09/04 12:30 ID:citsWdrY
>>232 乙、
なんっつーか・・・・日本モテモテだな
234 :
一徳:03/09/04 12:43 ID:u7tIAvhX
>>232 「日本人旅行者は南大門、東大門を見て加藤清正とかを思い出して
優越感に浸ってるんだな・・」とかの話になって取り潰す事になったら
この日本人学者の責任ニダよ。
235 :
_:03/09/04 14:04 ID:LBpWCyl2
>>215 文化が高いとかえって軍事的には弱くなるわけだが。216のいうとおり。
モンゴルと中国の例もそうだし、高句麗の歴史とかみてるとよくわかる。
>>224 箔付けになるのかな?
ろくなカバネもない馬の骨がいきなり「神武天皇の兄の子孫で・・・」
と言い出したところで新撰姓氏録に収録されるどころか
その前に編纂局が所属していた式部省の役人が相手にしないだろ。
出自を飾ったなどと安直にいうのは左翼学者に洗脳されすぎ。
その程度のどうでもいい代物なら新撰姓氏録はぜんぜん史料として役に立たないことになる。
3分の1が帰化人でどうたらという話も水の泡になってしまう。
>>229 文化勲章をもらったのは江上波夫の功績がトータルで評価されたから。
別に騎馬民族説だけで文化勲章になったわけではない。
江上波夫は社会活動にも積極的に寄与し、特にモンゴルとの友好に関与したのは有名。
権威主義的で陰険な大御所の多い学界の中で、江上は後進への面倒見がよくて
騎馬民族説を否定する学者でも江上波夫を慕う若手は多かった。
236 :
:03/09/04 15:14 ID:citsWdrY
文化の高低は判定しにくいと思うんだが
「文化は高い所から低い所に流れる」 で良いのかな?
237 :
アホな鮮人 :03/09/04 15:24 ID:W9Uf0VoV
>>215 朝鮮人が日本の王になった?アホか。古代朝鮮には、ろくに文化も定着せず、力もなく奴隷しか居ない地域なのに?
日本の渡来者が新羅を造ったんだよ。それとも何か?古代朝鮮は、エジプトや黄河文明みたいな文明が興ったのか?笑
そんなの朝鮮学校の歴史でしか教えてないぜ爆
238 :
_:03/09/04 16:47 ID:MthrIsC6
文化の高低はちと難しい。半島の文化が上だという印象は
継体朝から推古朝にかけて儒教や仏教を輸入したことからきてるんじゃないか?
他になにか具体的な例ってある?
縄文、弥生、古墳時代の考古学では日本の方が劣ってる印象はまったくないけどな。
古墳時代の騎馬文化はもとは大陸からきてるんだろうけど、
軍事的に必要な技術だから急速に普及しただけではないの?
それも弥生時代以来の技術文化の蓄積があったからできたことで。
ついでに上の方で話題になってる新良貴氏だけど、新羅人で日本に帰化したのはわずかしかいないが
みな天之日矛の子孫だから、この新良貴氏も、おそらく天之日矛の子孫だろうな。
天之日矛が渡来したのは風土記は神代とし、日本書紀は垂仁朝とし、古事記は応神朝とするが
系譜の世代数からみてあわない。それで古くから孝昭・孝霊・孝安朝あたりと推測する説がある。
しかし三国史記などでいう新羅の歴史は崇神朝くらいから始まるわけで、
日本史板に昔あったスレにでてた説で、初代新羅王・赫居世(朴氏の祖)は日子坐命、
第4代・脱解(昔氏の祖)は多遅麻前津建(天之日矛の子孫で、日子坐命の甥)、
第14代・奈勿の祖、金閥智は本牟智和気王とする説が紹介されていたが、
これらはみな崇神朝から垂仁朝の人で、三国史記とは時代があう。
あれこれ総合すると、神武天皇の兄・稲飯命の子孫のシラギ王家は、その子孫の天之日矛が
日本に亡命してしばらくしてから滅亡したんだろう。その後、復興したのが後の新羅。
復興する前は真番郡で、中国の領土だから、新羅という国は存在できないわけで、
真番郡以前に単に真番とよばれていた頃も衛氏朝鮮の勢力圏。
そうすると神武天皇の子孫のシラギ王朝は、衛氏朝鮮に
滅ぼされたのかも知れないが、そういう形跡もないように思われ。
むしろ、もうこのへんは神話伝説にすぎないのでまじめに詮索するのもどうかという世界。
239 :
コウネリアス:03/09/04 16:55 ID:iAOnoZ4N
極東一の軍事大国?大和に朝貢?任那府?日帝の他律性・停滞論による歴史史観に影響されてるね笑。なら尋くけど、日本に居た土人が独自の文明から大和朝廷に発展したのか?笑。その時代から日本は国風文化だったんだね?呆。なんか君達は猿の惑星の博士みたいだね爆。
240 :
コウネリアス:03/09/04 16:58 ID:iAOnoZ4N
極東一の軍事大国?大和に朝貢?任那府?日帝の他律性・停滞論による歴史史観に影響されてるね笑。なら尋くけど、日本に居た土人が独自の文明から大和朝廷に発展したのか?笑。その時代から日本は国風文化だったんだね?呆。なんか君達は猿の惑星の博士みたいだね爆。
241 :
ハンウォンスンイ:03/09/04 17:02 ID:+8kvPDp7
>>239 あの土人て中国やモンゴルに淘汰され、文化軍事とも外国に踏みにじられた結果できた
自称韓民族が日本の事、言えるのでしょうか?あなた達の先祖は、縄文人よりも土人で
未開な猿国民だったんですよ。中国に感謝する気は無いのでしょうか?百済文化も全て
中国、モンゴルの騎馬民族達がもたらしたものであなた方独自の文化でもなんでもない。
あなたの国の名前を見て見なさい。李とか金とか趙とか中国のものばかりでしょう?
仏教だってあなたの国の起源ですか?笑わせますね。大和朝廷の前から倭の勢力はあ
る程度形成されていました。なぜ?百済王、武寧王の生母が日本へ使者としてやってこよ
うとしていたではないですか?まったく無知な朝鮮猿とはこのよな者の事を言うのでしょう(嘲笑
桓武の生母、高野新笠は、生粋の朝鮮人だとおおもいか?呆れますね。
数百年前に帰化した百済の人間を持つだけで、純血の朝鮮人認定されるとはね。
朝鮮人のレベルというものが知れます。大和朝廷を形成した人物が純血の朝鮮人
のはずが無いだろう。混血児を朝鮮人だとすれば、あなた達、朝鮮人は皆、中国
モンゴル人ということになりますね。朝鮮人は日本人よりも歴史的に混血を繰り返
しているのですから。君達は、中国、モンゴル人と呼ばれたいのですか?
百済の王室は中国人を迎え入れています。
高句麗の王室はモンゴル人を積極的に受け入れています。
百済王室は中国王室ですか?
高句麗王室はモンゴル王室になるのですか?
笑わせます。世界の王室を勉強してから大口を叩いてください。
244 :
_:03/09/04 17:18 ID:MthrIsC6
>240
>軍事大国?大和に朝貢?任那府?
まあこのへんは史実だからしょうがないね(w
納得できない奴はろくに知らないくせに朝鮮学校でしこまれた民族史学(=ヒガミ妄想電波)に影響されてるね笑。
>なら尋くけど、日本に居た土人が独自の文明から大和朝廷に発展したのか?笑。
>その時代から日本は国風文化だったんだね?呆。
誰もそんなことはいってないが?中国文化の影響を認めない日本人はいないだろ。
なんか猿の惑星の博士でも朝鮮人よりは理解力ありそうだね爆。
新撰姓氏録の話がでてるのでおそレスですが
>>187秦氏姓って新羅系じゃなかったでしょうか。たしか平野邦雄
辺りが書いてたような。
先祖を中国に由来するようにするのはよくあったことですし。
246 :
バカな日本猿:03/09/04 17:21 ID:iAOnoZ4N
半島から日本に文化が伝わったが、一言も半島が文化の発祥地だと言ってないだろう。所詮、2チャンネラーのレベルだから仕方ないか…最期に日本書記・古事記は神話じゃなかったけ爆。それと知識を伝える側の人間が無知な土人に使えて大和が誕生したんだね呆。
247 :
バカな日本猿:03/09/04 17:24 ID:iAOnoZ4N
半島から日本に文化が伝わったが、一言も半島が文化の発祥地だと言ってないだろう。所詮、2チャンネラーのレベルだから仕方ないか…最期に日本書記・古事記は神話じゃなかったけ爆。それと知識を伝える側の人間が無知な土人に使えて大和が誕生したんだね呆。
248 :
:03/09/04 17:24 ID:VPK31Wsz
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
「徒然草第85段」
あぼーん
250 :
:03/09/04 17:27 ID:pgxBhjaa
知識を伝えるギリシャ人は、当時無知な土人であったローマ人に使えて、
ローマ帝国が誕生しましたが何か。
さらに、ローマは無知な土人であったゲルマン人に滅ぼされたあげく、
ローマの知識を備えた、知識を伝えるローマ人が、無知な土人である
ゲルマン人に使えて、ヨーロッパ中世のゲルマン諸国家は運営されて
いたわけだが。
251 :
間抜けな朝鮮猿:03/09/04 17:27 ID:+8kvPDp7
>最期に日本書記・古事記は神話じゃなかったけ爆。
そのくらいの知識で語るな朝鮮猿
>それと知識を伝える側の人間が無知な土人に使えて大和が誕生したんだね呆。
大和の前が欠けてるのはお前が土人の子だからだろう(激嘲笑
252 :
:03/09/04 17:27 ID:mFxACxow
半
な
ん
ハンナン?(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
253 :
名無し:03/09/04 17:27 ID:5Zwy9ixW
>半島から日本に文化が伝わったが、一言も半島が文化の発祥地だと言ってないだろう。
只の「通り道」って事だねw
さて何故極東のはっきり言って小国である古代日本が軍事大国になったのか?
これにはちゃんとした理由があります
それは島国であったこと
島国であるがゆえに防衛のための軍隊を常時おく必要がないのです
ゆえに事が起これば集中的に軍を召集することが出来た
すなわち朝鮮半島に何らかの動乱が起こった場合
日本は全戦力をそこに投入することが出来たわけです
255 :
:03/09/04 17:30 ID:pgxBhjaa
ちなみにその当時の日本が朝鮮半島に対して動員できた兵士数は約15万〜20万人
当時の朝鮮半島の人口を考えるとこの規模がどれだけ大きいものかはお分かりいただけると思います
257 :
アホな日本猿:03/09/04 17:43 ID:iAOnoZ4N
土人だった・日本人は半島渡来系と土人との混血。の認定有り難う笑。司馬遼太郎の著書でも読んで参考にして下さい。別に信用しろとは言いませんよ。 猿と真摯に議論できないので失礼します。
258 :
_:03/09/04 17:44 ID:MthrIsC6
何度も連続投稿してパソコン慣れしてなさそうだな。
このチョンは発狂してるみたいだからまともにレスしても期待できないような気がちらほらと・・・
259 :
アホな日本猿:03/09/04 17:45 ID:iAOnoZ4N
土人だった・日本人は半島渡来系と土人との混血。の認定有り難う笑。司馬遼太郎の著書でも読んで参考にして下さい。別に信用しろとは言いませんよ。 猿と真摯に議論できないので失礼します。
260 :
間抜けな朝鮮猿:03/09/04 17:46 ID:+8kvPDp7
>>257 司馬遼太郎?(禿藁!!!!!
笑っちゃってはらいてーよ。さすが土人を先祖にもつ朝鮮猿。猿は司馬遼太郎が教科書か?
ガハハハレベル低い猿よ。
お前は、小説の中でオナニーしてなさい。だからいつまでたっても半万年属国民と笑われるのだろうな(呆笑
261 :
:03/09/04 17:48 ID:Vzq5tYtM
確かに、時間差連続投稿は珍しいな。
書き込むをダブルクリックしてたりするのかねぇ?
ちなみに「韓のくに紀行」を読むと、実はけっこう呆れてるんだよね。あの国に対して。
263 :
韓信:03/09/04 17:48 ID:wGDg4YOD
>>260 引用する本を選べない君は些か問題がある。
264 :
韓信:03/09/04 17:50 ID:wGDg4YOD
すいません。
>>257の間違いでした。
間抜けな朝鮮猿さん、謝罪します。
265 :
名無し:03/09/04 17:51 ID:5Zwy9ixW
小説がソースとはなw
俺なら恥ずかしくて、書けねーよw
266 :
アホな日本猿:03/09/04 17:52 ID:iAOnoZ4N
土人だった・日本人は半島渡来系と土人との混血。の認定有り難う笑。司馬遼太郎の著書でも読んで参考にして下さい。別に信用しろとは言いませんよ。 猿の歴史史観には偏見と蔑視が源になってるし、猿と真摯に議論できないので失礼します。
267 :
:03/09/04 17:52 ID:h7e0oexB
あぼーん
269 :
間抜けな朝鮮猿:03/09/04 18:03 ID:+8kvPDp7
土人と中国人、モンゴル人征服民族との出来損ない、朝鮮人ご苦労様。
ファビョーンなら薬でも飲んどけ。猿だから無理か。猿は発狂すると手に負えないもんな。
さすが服従民。元寇のように、身元を隠して日本に攻めてくる卑怯な民族性は、ここでも
発揮されてますね(キャキャキャ
271 :
間抜けな朝鮮猿:03/09/04 18:07 ID:+8kvPDp7
朝鮮猿の愛読書
司馬遼太郎の自虐史観の入った小説
「悲しい日本人」 田 麗玉
猿は読む本まで捻くれてますね(Fu~
272 :
キィティガイ日本猿:03/09/04 18:08 ID:iAOnoZ4N
司馬遼太郎は小説なのは分かるけど、一つ名を出せばそれだけがバイブルと思われるのか?やっぱ猿だね笑。 それなら日本の図書館に行け爆。 古代日本に15〜20万の軍隊???狂ってるね。基地害と話してて恥ずかしいわ。
273 :
:03/09/04 18:08 ID:mFxACxow
桃クリ8年
チョソ半万年
274 :
_:03/09/04 18:10 ID:iP/ZqDRD
「猿」って煽られて猿真似ですか。 しょーもな。
275 :
キィティガイ日本猿:03/09/04 18:10 ID:iAOnoZ4N
司馬遼太郎は小説なのは分かるけど、一つ名を出せばそれだけがバイブルと思われるのか?やっぱ猿だね笑。 それなら日本の図書館に行け爆。 古代日本に15〜20万の軍隊???狂ってるね。基地害と話してて恥ずかしいわ。
276 :
厨房朝鮮猿:03/09/04 18:11 ID:+8kvPDp7
>>270 Jomonですか?(プハハハ
これを土人といわずになんと言う?
猿は司馬遼太郎が大好きです。これ定説ですか?
お腹が痛くて仕方ありません。司馬遼太郎は歴史家ですか?
図書館だってよー(ギャハハハハ~
夏は終わったんだよ。中学生よ。まあ、猿だから何言っても無駄か(w
278 :
キティガイ日本猿:03/09/04 18:26 ID:iAOnoZ4N
それならもっと研究して…日本も他の古代文明発祥地と同列に加えて貰う様に尽力して下さい。古代に15〜20万の兵力を擁していたとかetc爆。ノーべル賞ものですね呆笑。 ハハハ!
朝鮮猿のお馬鹿な頭の中
司馬遼太郎の小説>>>>∞>>>>三国史記、新羅本記、高麗史、日本書紀、古事記、魏志倭人伝、随書、唐書
さすが猿(w
>>278 ただ単に軍事力が強かっただけであって
他の面では特に目立ったものはなかったのだが
あったとしても古墳くらいだ
それから歴史を研究してもノーベル賞はもらえないと思うぞ
281 :
海底人:03/09/04 18:28 ID:k9v7fWDz
1690年頃ヨーロッパでは、朝鮮人は日本人の血を引くか、
または子孫と伝わっていたという。
出ところは、「朝鮮幽囚記」
282 :
キティガイ日本猿:03/09/04 18:29 ID:iAOnoZ4N
それならもっと研究して…日本も他の古代文明発祥地と同列に加えて貰う様に尽力して下さい。古代に15〜20万の兵力を擁していたとかetc爆。ノーべル賞ものですね呆笑。 ハハハ!
>>278 > それならもっと研究して…日本も他の古代文明発祥地と同列に加えて貰う様に尽力して下さい。
その前にお前の故郷の発祥を学んでからにしろ(キャキャキャ
檀君は偉大ニダってか?(禿嘲
284 :
:03/09/04 18:30 ID:pRWYW+wa
キィティガイ日本猿
あぼーん
あぼーん
キィティガイ→日本語ですか?朝鮮猿語ですか?
三国史記、新羅本記、高麗史、日本書紀、古事記、魏志倭人伝、随書、唐書
全部読むこと。猿には無理か(禿藁
朝鮮猿君。
自国史ばかり読んじゃ駄目だよ。歴史は客観的にみなければ駄目。
まあ、オナニー猿に何言っても無駄か(Fu~
>>朝鮮猿氏
同じレベルでやり取りするのヤメレ
292 :
:03/09/04 18:46 ID:mFxACxow
>>281 ああだからチョーセン人は幽囚ミンジョクなんだw
293 :
:03/09/04 18:52 ID:FAUvyog7
エユ.
|_;;| ニ/ニ プオォォーー ( )
_| :|___//__ ( )
_┝..| :|┳┳┳┳┳┥ ̄"─-、 ( )
| ̄~| :|" ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄""─--i≦..+
|.. ロ.| :| ロ ロ ロ ロ ロ | ロ ロ ロ ロ|★|_|__. ワケのわからんこと言ってないで
| ロ | :| ロ ロロ ロロ ロ| ロ ロ ロ ロ.|_;;)_,;;)_,;) 日本が嫌ならとっとと帰れ!!
| ロ.| :| ロ ロ ロ ロ | ロ ロ └─----i/|祖国を住みやすくしてこい!!
,, -───--、| :::| | o o .:::.|. ___ 。
i  ̄ ̄ ̄ ̄""─----!、ロ ロ ロ ロ | ̄ ̄|.oo..|/// °。ヽ ||
ヽ:::ヽ .........万景峰-92  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Λ_Λ // ∧_∧ウリは日本を変えるニダ
ヽ:ヨ)ヽ (∈:::::::::.. | ̄| ( ・∀・)/ ___< ;;`Д´>⊃ 住みやすくするニダ
ヽ:::::ヽ ::::::::::::::::.... |;;;;;| ( ⊃⊃レ ___ つ
ヽ::::::ヽ ::::::::::::::::::..... ,....└‐  ̄....> >, \ レ~ ||
ヽ::::::i :::::::::::::::::::::::... __,,-‐''" :::::::(_) (_) ::::::::...... ||
'''"~~"""'''~"'''"~~""'''""'_,,-‐''" .  ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
294 :
:03/09/04 19:23 ID:GE75R5sA
隋や唐に留学した日本人はたくさんいたけど、その時代の半島に留学した日本人はいるの?
295 :
_:03/09/04 19:34 ID:sp4sSJsw
日本は古代文明発祥地だなんて誰もいってないのに、このチョンは何をいってんだ?
自分たちの「半島は古代文明の発祥地ニダ」って電波が失笑を買ってるのを
このニダ人はかなり気に病んでるみたいだな(w
297 :
:03/09/04 20:05 ID:anXMAs58
298 :
天皇ちゃん:03/09/04 22:02 ID:iAOnoZ4N
288のアホ猿よ。 随・唐記、新羅本記?爆。何処で読んだの?呆。全部読んだのでちゅか〜 仁徳ちゃんの綾の中は何故、公開しないのかな?ばれるから?笑。猿は日帝猿が掻いた歴史書で満足してなさい。終わり。
299 :
天皇ちゃん:03/09/04 22:04 ID:iAOnoZ4N
288のアホ猿よ。 随・唐記、新羅本記?爆。何処で読んだの?呆。全部読んだのでちゅか〜 仁徳ちゃんの綾の中は何故、公開しないのかな?ばれるから?笑。猿は日帝猿が掻いた歴史書で満足してなさい。終わり。
あぼーん
301 :
10代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/04 22:06 ID:CqnB15YQ
継体天皇陵から発掘された高官の埴輪達は、大陸風の服を着ていましたが、
頭は日本式のミズラのままでした。どうやら、渡来した騎馬民族達は、文化は
伝えたものの、政権の頂点には立っていなかったようです。あと、力士の姿は
なぜか今とまったく同じでした。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
305 :
:03/09/04 22:09 ID:mFxACxow
プハー火病かよwnaverみてーだな
306 :
○:03/09/04 22:12 ID:1DEW5vOo
> 随・唐記
『唐書倭国日本伝』、『随書倭国伝』、ともに岩波文庫から出てます。
307 :
天皇ちゃん:03/09/04 22:13 ID:iAOnoZ4N
288のアホ猿よ。 随・唐記、新羅本記?爆。何処で読んだの?呆。全部読んだのでちゅか〜おどれはアホやろ。仁徳ちゃんの綾の中は何故、公開しないのかな?ばれるから?笑。猿は日帝猿が掻いた歴史書で満足してなさい。終わり。
あぼーん
あぼーん
310 :
ひみつの検閲さん:2024/12/23(月) 10:34:34 ID:MarkedRes
ああ、そうか。ID:iAOnoZ4Nはふかわスレからきたんだ。
あそこは同じことを2度繰り返して言わなくちゃならないっていう鉄の掟があるらしいよ。
こないだ、一度しか言わなくてボコボコにされてた。
あぼーん
313 :
:03/09/04 22:22 ID:aC3X/kch
372 :娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :01/11/21 22:55 ID:e2dGukEG
韓国人は朝鮮語の「国」を意味する[nara]という語が日本の「奈良」という地名
になったという説を好んで主張するわけですが、実は日本語にも「大地」を意味する[na]
という語がかつて存在したという説があります。この説について言及すると話があまりにも
煩雑になるので、前回はわざと検討対象から外したのですが、今回朝鮮語の[nara]
について検討する以上、避けて通るわけには参りませぬ。よって、まずはこの説について述べ、
次いで日本語以外の言語を交えて検討することにしませう。
日本語に「大地」を意味する[na]という語が本当に存したかどうかについては、
学者により異論はありますが、「地震」を意味する古語「なゐ」という語を分析する
ことにより、[na]という語を導き出すことは十分に可能です。「なゐ」は、
古くは「なゐふる」「なゐよる」の形で「地震が起きる」の意味で用いられており、
「ふる」や「よる」は「震る」「揺る」でしょうから、「なゐふる」は「ナヰがふ(震)る」
と解されます。このナヰの意味を推定するとしたら、「大地」しかありません。
こうして「大地」を意味する「なゐ」という古語が導き出せるというのです。
「地震」の意味は後世に語源俗解によって生じたものとして処理します。
さて、この「なゐ」の語構造ですが、「くもゐ(雲居=雲のこと)」
「たゐ(田居=田んぼのこと)」などとまったく同じ構造ですから、そこから「なゐ」
は「な(大地)+ゐ(居)」であり、上代以前の非常に古い日本語として「大地」を意味する
「な」という語が存在したと推定することが可能になるわけです。
大国主命の別名オホナモチが「大+地(な)+持ち」と分析できることも、
いささか消極的ではありますがこの推測を裏付けてくれます。
314 :
:03/09/04 22:24 ID:aC3X/kch
372 :娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :01/11/21 22:55 ID:e2dGukEG
次に、朝鮮語の[na]系の語ですが、『韓国語の歴史』(李基文著)によれば
高句麗語には「土壌」を意味する[nua]という語が存在したことが、
『三国史記』の地名表記から導き出せるのだそうです。この語は新羅語の「世」を
意味する[nu][nuri]中世朝鮮語の「国」を意味する[narah]
南方ツングース諸語の「地」を意味する[na]、そして日本語の[na]
と相互に関連付けられると李氏は主張するのですが、新羅語については意味的に
相違が大きいのでしばらくおくとしても、他の言語のものに関しては、
意味的にも音韻的にも非常によく似ていると言ってよいでしょう。
将来、日本語と朝鮮語やツングース諸語との間に言語的な系統関係を
云々する必要が生じた際には、本例は有力な証拠となることは間違いありません。
しかし、だからと言って「奈良」の語源が朝鮮語の[nara]であると
主張するのは無理があり過ぎでしょう。半島のことばが日本の奈良の語源に
なるためには、遅くとも7世紀には[nara]という語が半島に存在した
ことを証明しなくてはなりませんが、前述のように、高句麗語は[nua]、
新羅語は[nu][nuri]であって[nara]には程遠いのです。しかも、
現代朝鮮語の[nara]にしても中世には[narah]と余計な語末の子音
[-h]が付いていたのですから、奈良と発音がまったく同じとは言えないのです。
315 :
:03/09/04 22:26 ID:aC3X/kch
仮に百歩譲って[narah]が7世紀の日本語の中に入ってきたとしても、
当時の日本語には[h]という子音が存在しませんでしたので、このままの形では
受け入れることができなかったことは確実です。日本人は中国語の[h]を
受け入れる際に発音の近い[k]または[g]で受け入れています
(好hau→カウ、河ha→ガ)ので、[h]はとりあえず[k]で受け
入れるとして、音節末が子音で終わるのは当時の日本語としては甚だ具合が
悪いので、高句麗語の「鉛」を意味する[nam∂r]という語が日本語では
[namari]、同じく「谷」を意味する[tan]という語が日本語では
[tani]となっているように、語末に母音[i]が付加され、[narah]
は最終的には[naraki]のような形になったと推定されます。
これではどうしようもないですね。
あ。上の「ナマリ(鉛)」や「タニ(谷)」について、私は別に高句麗語から
の借用語であると考えているわけではありませんので。日本語と高句麗語が
言語的に近い関係にあることは、以下に示す数詞との比較からも十分に窺えます。
316 :
けせらせら:03/09/04 22:26 ID:Jvq0Fin4
まぁ、なんだ。
どんなに日本びいきな歴史書を読もうが、
チョソ御用達の電波ブリバリな歴史書を読むよりは数倍ましだと思うぞ。
> ID:iAOnoZ4N
続きをどーぞ↓
317 :
:03/09/04 22:27 ID:aC3X/kch
何せ高句麗語の資料が乏しいものですから比較できるのは4語だけですが、
それでも私の言わんとするところはおわかり頂けるでしょう。結局、上記の語は、
数詞とともに両者が言語的に極めて近い関係にあることを示す格好の
例であるというのが私の考えです。
ついでに、中世朝鮮語の[narah]の成立について、専門外ではありますが、
ひとこと。本語については、李基文氏は[-rah]を接尾辞と認定しておられますので、
[na]が語の中心部分であることは間違いのないところでしょう。
問題は、この[na]がどの言語に由来する語なのかですが、ご存知の通り、
半島を最初に統一したのは新羅ですから、一番の候補は新羅語ということになります。
しかしながら、残念なことに新羅語の「土壌」乃至「国」を意味する語は不明ですので、
それを立証することはできません。ただ、新羅の次の王朝である高麗が、建国の際に
高句麗の故地である開京に都を置いた関係で、新羅語の中にある程度高句麗語の語彙が
流れ込んだという事実を考慮に入れると、[narah]は高句麗語の[nua]に
接尾辞[-rah]が付き、母音調和の関係で母音[-u-]が脱落して生まれた語で
ある可能性もあるのではないかと思います。もしこの推測が成り立つとすれば、
[narah]という語自体を7世紀にまで遡らせることはできなくなりますので、
当然奈良の語源となることも不可能ということになりますね。さてさて、真実は那辺にありや。
>ID:iAOnoZ4N
>仁徳ちゃんの 綾 の中は何故
朝鮮学校じゃ本当に漢字を教えないんだな、綾(あや)じゃなくて陵(りょう)だ
一つ漢字を覚えられて良かったな。
319 :
オタク右翼:03/09/04 23:32 ID:kvfe1D30
>>318 >綾(あや)じゃなくて陵(りょう)だ
訓読みすると「みささぎ」だがな。
仁徳って言うのも陵って言うのもなんか中国っぽくて気に入らんねぇ。
320 :
_:03/09/04 23:42 ID:zHE5aUMh
iAOnoZ4Nの連続投稿はパソコン慣れしてないんじゃなくて、スレを潰したいだけだろ。
議論で妄想ぶりが暴露されそうになると、言論封じ。
そこまでして妄想を守ろうとするガラスのアイデンティティー、あわれだな(w
>>391 >「みささぎ」
一応知ってるけれどあまり一般的では無い…。つーか久しぶりに見るコテハンだ
昔居たオタク右翼氏と同じ人?
322 :
名無し:03/09/05 00:18 ID:LaJdNzkV
>>294 学問僧が仏法を学びに百済や新羅へ留学している。
遣唐使が送られるようになってからは、留学先はもっぱら唐になった。
323 :
梅毒明治天皇:03/09/05 00:57 ID:twy+tiZZ
320の鼻なし猿よ。何時、おまえと議論したのか?ここが議論の場か!アホ! それと288のアホ猿よ。結局、岩波書店の倭伝の部分だけか呆笑。ハハハ。自分でアホだと露呈するなよ爆。 陵を変換間違いしただけで騒ぐな!帝国猿!さょうなら。
324 :
:03/09/05 01:18 ID:mnK0Flbi
>>323 お!?勝手に勝利宣言、そして「さょうなら」。
典型的なわかりやすい逃亡パターンだな(w
どうせまたすぐAA荒らしにでも来るんだろ?(w
326 :
オタク右翼:03/09/05 01:19 ID:yTYLFPR7
>>321 同じだ。
まだ知ってる奴がいるとは相当古いな。
327 :
:03/09/05 01:26 ID:mnK0Flbi
>>324 そろそろ、文化(といっても中国文化だが)を朝鮮半島から伝えてもらったと
いう誤った歴史を見直さないとな。
半島を支配していた倭人が自分で受け入れたんだろうが。
328 :
オタク右翼:03/09/05 01:26 ID:yTYLFPR7
中国人は日本人の事を徐福の末裔だとか言うし、
韓国人は天皇の百済のゆかり発言で大騒ぎするし。
何もそんなに必死にならんでも。
日本人は間違っても中国人や韓国人は自分たちの末裔だなどとは言わない。
恥ずかしいから。
329 :
スサノオウ:03/09/05 01:27 ID:twy+tiZZ
301のアホよ。先日NHKで観たよ。埴輪?あの埴輪の服の形が大陸のものと判るのか?寝ぼけてるのか?その埴輪は陵墓の中にあったのか?俺は陵墓の中を指したんだよ。おまえミズナが倭人固有のものだと思ってるの?アホ笑。
あぼーん
331 :
オタク右翼:03/09/05 01:31 ID:yTYLFPR7
>>327 そっとしといてやれ。
そういう事でしか自尊心を満たすことができないんだから。
332 :
凄ノ王:03/09/05 01:32 ID:G5rbr9HT
豪ちゃん好きみたいね
あぼーん
>>329 ミズラ
倭系独自のものですよ?(あと鉢巻を巻く)服装についても魏志倭人伝
その他に記載がありますし、大陸系(黄河流域系)とは区別がつきます
がなにか?
335 :
日本神:03/09/05 01:48 ID:twy+tiZZ
↑のアホ。墓の中にあったの?呆。 日本の神(渡来)を土人だったと歪曲してバカにしているので、天罰が下されるでしょう。終わり。
336 :
日本神:03/09/05 01:49 ID:twy+tiZZ
↑のアホ。墓の中にあったの?呆。 日本の神(渡来)を土人だったと歪曲してバカにしているので、天罰が下されるでしょう。終わり。
338 :
o:03/09/05 01:52 ID:SORPsuKc
新羅(シラギ)という発音はそーとー憎んでたという証拠らしい。
ラギっていうのが蔑称っていうかそんなかんじらしいよ。
NHKでやってた。
だから仲良くはなかっただろうね
339 :
名無しさん4周年:03/09/05 01:52 ID:QpmG4Zam
朝鮮半島で、朝鮮人の異常性格に耐えられず、
みんな、逃げ出してきたのですよ。
>>338 元はシラの城からきているだけでしょう?
342 :
_:03/09/05 02:19 ID:zvHE1rds
>>338,
>>341 「しらぎ」の「しら」は新羅もしくは斯蘆からきていることが明白だが、語尾の「ぎ」は不明。
(ちなみにシラギというのは後世の訛りで奈良時代まではシラキと清音だった)
1)蔑称語尾とする説(シラギ=シラの奴め)は、70年代の在日ライター金達寿が広めた説で
有名ではあるが、学問的には明らかな誤りで、学界ではまったく相手にされてない電波説。
2)「城」とする説(シラギ=シラ城)は、これも有名だが、検証されたわけではない憶測説。
ただ他に代案がないのでよく引用されるだけ。かならずしも通説とか定説というわけではない。
ほかにもマイナーな説がいくつかあるが、今のところ結論はでていない。
>>336 負け猿だな。いくら言っても駄目だこりゃ。歴史書の名前すら間違う間抜け猿。
馬鹿朝鮮猿君。仁徳と応神は発掘許可下りないだろうね。天皇陵かどうかも分からない
古墳を発掘しても意味が無いから。仁徳天皇陵ではなく、最近では、仁徳陵と呼ぶのが正しい。
応神も同じ。天皇家の権威失墜を危惧して宮内庁が許可出してないだけだろう。
一度ここは天皇陵だと決めてしまったからには、訂正が効かない悪しき体質について批判しろ。
>>344 > 馬鹿朝鮮猿君。仁徳と応神は発掘許可下りないだろうね。天皇陵かどうかも分からない
訂正:仁徳天皇陵かどうかも分からない
346 :
?朝鮮猿:03/09/05 04:21 ID:/jGpggqh
>>333 >おまえミズナが倭人固有のものだと思ってるの?
ミズナ?美豆良だろう?朝鮮猿君。ミズラなら日本固有のものである説が濃い。
347 :
:03/09/05 04:40 ID:/jGpggqh
日本固有のものというと語弊があるか。日本起源とはいえないがを付け加えて。
韓人が美豆良をしていたかどうかを魏書東夷伝では確認困難である
349 :
氏神:03/09/05 17:24 ID:twy+tiZZ
中国からみた古代倭とは、半島南部と日本を示していました。倭を造ったのは日本の先住民ではなく、文化的技術・知識を持つ半島から来た人々です。 日帝の他律論は、それを利用して日本人が新羅の王と捏造せしめたのです。
350 :
氏神:03/09/05 17:26 ID:twy+tiZZ
中国からみた古代倭とは、半島南部と日本を示していました。倭を造ったのは日本の先住民ではなく、文化的技術・知識を持つ半島から来た人々です。 日帝の他律論は、それを利用して日本人が新羅の王と捏造せしめたのです。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あーあ、こりゃアク禁だな……。
355 :
:03/09/05 17:32 ID:cdALIMbZ
↑ スジみたいでしょ?
356 :
:03/09/05 17:37 ID:4yaD//FS
まあ、どっちにしろ日朝同祖論を持ち出した時点で、
「朝鮮併合は正しい」と言っているようなもので(w
同祖論なんて所詮は電波と同じレベルだな。
日本人が雑多な混血種なのは誰も否定しないので、
同祖なんてナンセンスもいいところ。
357 :
:03/09/05 17:40 ID:/jGpggqh
つうか大陸と陸つながりの半島を考慮すれば、朝鮮人は雑多で混血種ってーのは小学生でも分かりそうだが。
358 :
10代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/05 18:24 ID:3D7eh0QN
>>329以下
確かにNHKでも一部は放映されていましたが……埴輪は墓の中、正確には
1番目の堀と2番目の堀の間から発見されました。当然、墓そのものの頂上
にも埴輪があるはずですが、まだそこまでは解明されていません。
なお、埴輪の髪型は、中国(資料多数)や韓国(古墳の壁画あり)の方式とは
明らかに異なるので、日本独自だと考えられています。その後、大陸式の
冠が普及し、美豆良は使われなくなりました。
継体天皇陵は、本物の古墳時代の天皇陵としては初めて発掘されたため、
さまざまな新事実が明らかになりつつあります。韓国人には残念でしょうが、
天皇家そのものが韓国から来たという仮説は、今のところ否定的です。
359 :
:03/09/05 18:39 ID:SBeDvPCy
>>351 中国の史書でも、半島南部に居住していた倭人と韓人は明確に区別されているけどな。
>>359 そりゃさ、新羅初代から数代の宰相の倭人コ公とか、
新羅で倭軍がわんさかといるからね。それを
ごまかすにはそういわざるをえんのだよ(w。
361 :
_:03/09/05 19:28 ID:hDt7099f
新羅だの百済だのぜんぶ倭の属国じゃねぇかよ。
すっとぼけてもこの世に学問ある限りチョンの妄想は必ず崩壊するよ。
362 :
日本猿の調教師:03/09/05 19:37 ID:twy+tiZZ
誰が、棺の中に埴輪があるのか?と尋ねた?笑。埴輪野郎はバカなので、これ以上論ずる価値は無いと判断します。 359。その史書は何?その史書の文を引用して‘明確’という部分を紹介してみてよ笑。
あぼーん
364 :
:03/09/05 19:46 ID:CzCEdOYY
このスレは勉強になるな。マジで。
365 :
地球市民@ ◆iAfsEadC/U :03/09/05 19:51 ID:oDvt2gVY
>>364 愚かな、もっと面白いオモチャがある事を理解すべきですね。
366 :
:03/09/05 19:52 ID:YdM7SofW
日本人拉致、北朝鮮への不正送金、韓国による竹島の不法占拠、等、
現在日本と南北朝鮮との間には、さまざまな問題が山積みです。
しかし在日韓国・朝鮮人がマスコミに圧力をかけているため、マスコミは
国民に真実を報道しないどころか偏向報道を行い、正常な世論形成の為の
大きな障害になっています。ですのでこれらの問題の解決をするためには、
在日韓国・朝鮮人の圧力を排除しなければなりません。
しかし世間には「在日韓国・朝鮮人に対しては批判することすらタブー」
という風潮があり、在日韓国・朝鮮人も、必ずと言っていいほど自分たちへの
「批判」を「差別」にすり替えるために、在日韓国・朝鮮人への批判や対処を
ためらいがちになっています。
ですので南北朝鮮との数々の問題を解決するためには「まず国民に真実を知らせ、
在日韓国・朝鮮人への批判や対処をしやすい風潮を作っていく」ことが最優先課題だと思われます。
我々の力だけで全ての国民に真実を知らせること、法律や制度を変えることは
困難かも知れません。しかし、
「在日韓国・朝鮮人に対し、真実に基づいて正当な批判をしている多数の人間がいる」
ということを世間に知らしめるだけでも、風潮を変える大きなきっかけになるのです。
「社会の風潮を変えていく」だけなら、我々一般市民でも決して不可能ではありません。
そういった風潮を、我々の力で作っていくためにビラとHPを作りました。
是非ともたくさんの方に印刷&ポスティングして頂きたいと思います。
これ印刷して近所に配りまくれ! 極東支部part4
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1062073898/ ビラのHP 本家
http://posting.hp.infoseek.co.jp/
367 :
日本猿の調教師:03/09/05 19:58 ID:twy+tiZZ
345の怒り猿。頭が悪いのがバレるぞ。要するに帝国野郎の勝手で公開できないだうろが。 356同祖論?おまえは日帝か?俺は韓国のアイデンティティで論じてない。誤解のない様に。古代日本は渡来人と先住民と融合て新しく誕生した国であり、決して韓国ではない。
あぼーん
いまいちいじりがいがないですねぇ。
ま、とりあえず
>>335の埴輪の出土場所の疑問については片付いたのかな?
よかったね。
370 :
:03/09/05 20:05 ID:S3W8uapY
>>365 さんちゃんはバックアップのリストア中かな……。
あぼーん
372 :
帝脳猿@低脳の調教師:03/09/05 20:21 ID:twy+tiZZ
日帝の捏造史観に冒されてる帝脳猿の359・361よ。では尋ねるが、古代日本に於ける航海・製鉄技術等は、どの様に修得したのか? 中国大陸から直接、日本独自で発明しました。なんて言わないでくれよ笑。
あぼーん
374 :
:03/09/05 20:23 ID:j814PuvH
昨日帰国した屑が来てるの?
375 :
:03/09/05 20:30 ID:3yhsCg/O
>>372 「新羅百済倭を以って大国と為す」って言う記述はいかんとも
しがたいからねぇ。
三国史記にも新羅と百済が人質を差し出しているってちゃんと記述あるし。
弥生人は中国の呉人だって言う話だし。どうかねぇ。
376 :
:03/09/05 20:31 ID:7sirs8H4
マンギョンボン号で来た厨。
377 :
:03/09/05 20:34 ID:3yhsCg/O
一生懸命になるのはいいけど、中、朝、日の史料が全部倭>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>新羅、百済って言う
力関係になってるんで、動かしようがないよねぇ。
製鉄技術に航海術?さぁ、わかんないけど、南朝鮮が未開の地だった
時から倭人は半島に進出してるからねぇ。
378 :
_:03/09/05 20:37 ID:hDt7099f
なんで連続投稿すんだよ!この糞チョンが!
379 :
:03/09/05 20:37 ID:3yhsCg/O
まぁ、韓人から習得した可能性は限りなく低いよねぇ。
可能性があるとしたら、帯方郡や楽浪郡の役人とかからじゃないの?
韓人はその時は未開の野蛮人だしねぇ。
紀元1世紀には既に日本から百数十人の生口が漢に送られてるしねぇ。
380 :
374:03/09/05 20:38 ID:j814PuvH
訂正
×帰国
○再入国
381 :
:03/09/05 20:42 ID:3yhsCg/O
先に半島に技術が伝わったって言うのもあやしいよねぇ、実は。
紀元前から倭人が半島に進出してるんだもの、技術としては先に倭人が持ってた
って言う可能性も高いよねぇ。
だってその時は韓人は度々帯方郡や楽浪郡の守備隊を襲撃するような、
アメリカで言えばインディアンみたいな存在だったんだもの。
その時から国交を持ってた倭とは随分趣が異なるよねぇ。
韓人や半島の原住民をスルーして伝わってると見た方が自然だよねぇ。
382 :
鄭聲之:03/09/05 20:45 ID:hDt7099f
日本列島は島国なんだからいちいち大陸から伝来しなくても航海術ぐらいあるだろ。
その証拠に三国史記の新羅本紀には倭が頻繁に新羅に侵攻してるじゃんよ。
航海術もないのに新羅に攻め込んだのか? それとも三国史記は捏造文書だからデタラメなのか?
製鉄については弥生時代のタタラ製鉄の遺跡があちこちあって、河北から半島経由できた技術と
江南の技術と二通りの技術が混在していたことが判明している。
383 :
:03/09/05 20:45 ID:3yhsCg/O
(修好)漢人→→→→→→←←←←←←倭人(修好)
↑
↑
↑
韓人(反乱)
これじゃどう見ても技術は先に倭人が持ってるよね・・・。
可哀想に。
384 :
鄭聲之:03/09/05 20:54 ID:hDt7099f
あ、忘れてた。
鉄器についてはこないだ弥生時代が繰り上がって
日本の鉄器が極東最古になったばかりじゃんか(w
日本史板でも少し前に大騒ぎになったばかり。
中国人に失笑されながらも妄想だけで一生懸命「鉄器の起源はウリナラニダ」とか
ぬかしてたのに。ニダ人のヒガミ電波のボルテージが今後ますますあがりそうだな(w
385 :
鄭聲之:03/09/05 20:59 ID:hDt7099f
おい、チョン猿!いねえのか!漏れは今夜はもう飲みに出るぞ・・・
386 :
鄭聲之:03/09/05 21:01 ID:hDt7099f
くれぐれも連続投稿はするな。わかったな!
387 :
:03/09/05 21:53 ID:77I00Orm
っていうか古代日本に航海術をもたらしたのは縄文人の元となった南方民族じゃないの?
388 :
日本猿の調教師:03/09/05 22:00 ID:twy+tiZZ
半島では紀元前4世紀頃から鉄器文化が普及しているし、『委鬼略』には、古朝鮮は燕に立ち向かう程成長して‥王朝があるけど、何故未開の地なのだろうか?呆。卑弥呼の時代に鉄器あったのか笑。それから大和政権が誕生するって不思議だね笑。
389 :
:03/09/05 22:02 ID:4yaD//FS
あぼーん
391 :
:03/09/05 22:09 ID:j814PuvH
律義な小心者なのか・・・?
(w
書き込みの間隔が、長くなってるような気がする。
古朝鮮なんて中国にも日本にも記録に残ってない脳内史を語られてもなぁ(w
あぼーん
あぼーん
396 :
:03/09/05 22:23 ID:S3W8uapY
勝利宣言来ました(w
指摘されて、ムキになってる(w
398 :
:03/09/05 22:42 ID:j814PuvH
やっぱり律義な小心者なんだ。
(w
399 :
通行人:03/09/05 22:51 ID:Oins6yb4
まあ、親戚だとか本家だとか言うんだから朝鮮併合は正しかった
ということだ。御本家がロシアに取られそうになった窮状を救ったのだから。
これからは”侵略”だとか”賠償するニダ”なんて言わないように。
400 :
_:03/09/05 23:05 ID:Ftfl6hia
奈良が朝鮮語の「ナラ」と関係あるとすれば、
固有名詞の奈良が半島に渡って一般名詞「ナラ」になったとも考えられるのでは?
本家・奈良と区別するために「ウリ・ナラ」といっているのでは?
ガンダムをロボットの一般名詞にするような感じでは?
とんでも説スマソ。
ところで、朝鮮語「ナラ」の語源て何?
401 :
:03/09/05 23:17 ID:qijVfIPm
燕に立ち向かう程って、その燕の3倍の人口を持ってたのが卑弥呼の時の倭国連合
なんだけどねぇ。
鉄器も卑弥呼の時代にはもう普及してたけどねぇ。
と、言うか鉄器自体は紀元前からあったんだけどねぇ
402 :
:03/09/05 23:22 ID:qijVfIPm
まぁ、何を言っても自由だけど、中、朝、日の史料が倭>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>百済、新羅、って同じ事書いてあるから
別にいいけどねぇ。燕なんてリャオトン半島にあったしょぼい地方政権なんだけど
ねぇ。それに立ち向かう程成長って言うのも笑える表現だよねぇ。
403 :
:03/09/05 23:33 ID:VoXLrIqw
衛氏朝鮮って燕人が建てたんでしたっけ。
>>400 >固有名詞の奈良が半島に渡って一般名詞「ナラ」になったとも考えられるのでは?
ヤ〜・メ〜・テ〜!!((C)横山弁護士)
>ところで、朝鮮語「ナラ」の語源て何?
「na」が語の根幹で、「ra」は接尾語の類らしいが詳しいことは不明。
少なくとも「nara」という語形では李朝語までしか遡れないことは確か。
それどころか、李朝時代は「narah」と、語末にhの付加された形で登場
することの方が多い。李朝以前では、新羅語の「世」を意味する「nu¨〜
nu¨ri」という語との関係が取り沙汰されているが、意味も語形も今イチ
一致しないのがネック。
ちなみに、高句麗語の「nua(土壌)」や南方ツングース語・満州語の
「na(土地)」、日本語の「na(大地)」等、周辺の言語に意味的・語形的
に類似する語が存するので、「na」は極東アジア語の共通語彙である
可能性も指摘されている。
405 :
鄭聲之:03/09/06 00:10 ID:KL/evcv7
うぃー。今日は酔ったんでもうねるが。
>>388 おいおい。卑弥呼の時代に鉄がなかったって?
もう少し勉強してから来いよ。こっちもやりがいないじゃないか(w
ヒガミ鮮人がわかって言ってるかどうか疑問だが、燕にも古朝鮮にもいろいろある。
「古朝鮮は燕に立ち向かう程成長して」といってるのは
戦国時代の燕と箕子朝鮮のこと。ともに前3世紀頃。
この場合の箕子朝鮮は説話上の存在で実在しなかったというのが有力。
>>399 古朝鮮にもいろいろある。
1)檀君朝鮮→中国にも日本にも記録に残ってない。捏造のたぐい、いわゆる中世神話。
2)箕子朝鮮→中国にも日本にも記録あり。ただし同時代史料はなく、記述のおかしさから
説話上の存在で実在しなかった説が有力。モデルとされた「箕侯」は
満洲西南部の弱小な都市国家で西周時代の燕の属国だったがすぐ滅亡。
3)衛氏朝鮮→中国にも日本にも記録あり。とくに史記は同時代史料で、確実に実在
したと考えられている。ただし植民してきた中国人がつくった国で、原住民はあんまり関係ない。
>>401 401のいってることはそのまま正しいが、401は後3世紀の公孫氏の燕をいってる。
チョン猿がいってるのは前3世紀の戦国の燕。
406 :
鄭聲之:03/09/06 00:12 ID:KL/evcv7
>>403 衛氏朝鮮を建てたは衛満は燕人ともいえるし漢人ともいえる。
彼は漢の高祖・劉邦の幼馴染みの廬綰が燕王になった時、その下で大相国(総理大臣)。
したがって、劉邦や廬綰と同郷だった可能性もあるし、廬綰が現地で拾った人材なら
河北出身かも知れない。
>>404 >ヤ〜・メ〜・テ〜!!((C)横山弁護士)
なつかしいネタだな(w
高句麗語、しっかりやってネ(はあと
407 :
:03/09/06 00:32 ID:Voa185Oy
卑弥呼の時代に鉄器がなかったなんて、ホント、笑い話だよな。
388は、鍛冶製鉄と箱形炉による製鉄の区別が付けられないんだろう。
半島人によくあるパターンだ。
日本の製鉄は、6世紀からニダ!とか良く言うんだよ。馬鹿半島人は。
日本の製鉄は、新説を含めないで言うと、紀元前5世紀くらいから始まっています。
水稲作の伝来と共に始まったとも言われているのだ。
>>407 すまない、私も半島人並の知識のようだ。鉄器の導入については
当初からあったが、製鉄史跡は6世紀以前までさかのぼれるのだろうか?
紀元前5世紀というと、中国での製鉄に匹敵してしまうのではないか?
製鉄が朝鮮を凌駕するのは奈良期たたら製鉄以降かと思っていたが。
>>408 自己レス。私が間抜けすぎたようだ。鍛冶製鉄ね。
410 :
:03/09/06 01:42 ID:Vywa81TG
娜々志先生 ご降臨
http://inoues.net/yamataikoku/tango/enjyo_iseki.html >■遠所(處)遺跡(えんじょいせき:弥栄町)
>古墳時代後期から平安時代にかけての複合遺跡で、特に奈良時代における製鉄から精錬・加工までの一貫した生産工場があったことが
>わかる貴重な古代遺跡である。丘陵の尾根に階段状に続く24基の古墳群、鉄生産の始まりを考える上で重要な資料となる製鉄炉、鍛
>冶炉とともに、燃料に使う炭を生産する大量の炭窯が住居跡などと一緒に出土し、古代の製鉄コンビナートとでもいうべき大製鉄跡で
>あったと考えられている。 平成元年(1989)から発掘調査が進められた遠所遺跡は、5世紀末あるいは6世紀前半の遺跡と思われるが、
>この遺跡からわが国最古の、砂鉄を原料とした「たたら式」の製鉄炉跡が発見された。
> 製鉄関連の遺構が多数見つかったことから、「最古の製鉄遺跡」として一躍有名になった。製鉄炉は8基見つかり、うち2基は6世紀
>後半のものだった。鍛冶炉は12基見つかり、すべてが奈良時代に属している。ほかにも炭焼窯や工房跡などが見つかっており、鉄の
>生産に関わるすべての遺構がここで確認されている。遺跡の年代は6世紀後半の遺構が確定できる最古のものであるが、炭窯は5世紀
>末までにさかのぽるものがあり、我が国最古の製鉄遺跡になる可能性も残されている。丹後地方では、すでに弥生時代前期末から中期
>初頭の峰山町扇谷(おうぎだに)遺跡から鉄器生産に伴う鍛冶滓(かじさい)が出土しており、鉄器の生産が行われていたことが知ら
>れている。このため丹後が古代の鉄生産の一つの根拠地として位置していたのではないかと考えられている。この鉄をめぐる社会的、
>経済的状況も、丹後が大和政権に支配される大きな要因になったのではないだろうか。
中略
>弥生時代に製鉄はなかった、というのが現在の定説である。しかしここ(遠所遺跡)の多数の製鉄、鍛冶炉からなるコンビナートの形成
>を考えると、少なくとも5世紀には製鉄が始まっていたと考えられる。弥生時代の確実な製鉄遺跡はまだ発見されていないが、(現在の
>ところ、確実と思われる製鉄遺跡は6世紀前半の広島県カナクロ谷遺跡、戸の丸山遺跡、島根県今佐屋山遺跡など)5世紀半ばに広島県
>庄原市の大成遺跡で大規模な鍛冶集団が成立していたことや、6世紀の遠所遺跡の隆盛ぶりを思うと、その萌芽は弥生時代にあったので
>はないかという想いを強くする。実際、弥生時代に製鉄はあったとする根強い意見もある。それは、製鉄炉の発見はないものの、
>(1)弥生時代中期以降急速に石器は姿を消し、鉄器が全国に普及する。
>(2)ドイツ、イギリスなど外国では鉄器の使用と製鉄は同時期である。
>(3)弥生時代にガラス製作技術があり、1400〜1500℃の高温度が得られていた。
>(4)弥生時代後期(2〜3世紀)には大型銅鐸が鋳造され、日本は東アジアでも屈指の優れた冶金技術をもっていた。
>というような事実から類推されるのである。広島県三原市の小丸遺跡は、3世紀、すなわち弥生時代後期の製鉄遺跡ではないかと、最近
>マスコミに騒がれたし、同じく広島県の京野遺跡(千代田町)、西本6号遺跡(東広島市)などは弥生時代から古墳時代にかけての製鉄
>址ではないかといわれている。今まで、弥生時代の鉄原料はそのすべてを朝鮮半島に依存していたという説が主流だったが、これらの遺
>跡の発見と今後の研究の進展により、いままで謎とされてきた「弥生時代後半の鉄器大普及」の謎が解き明かされる事になるもしれない。
そういや弥生時代の繰上りの話も出てるな
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/ >九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期(年表参照)にかけての土器(夜臼U式土器・板付T式土器)に
>付着していた炭化物などの年代を、AMS法による炭素14年代測定法によって計測したところ、紀元前約900〜
>800年ごろに集中する年代となった。
>考古学的に、同時期と考えられている遺跡の水田跡に付属する水路に打ち込まれていた木杭2点の年代も
>ほぼ同じ年代を示した。
>これらの年代の整合性を確かめるために、前後する時期の試料、同時期の韓国や東北地方の試料の年代
>を測定した結果、以下のことがわかった。
>1) 韓国の、この時代に併行するとされる突帯文土器期と松菊里期の年代について整合する年代が得られた。
>2) 考古学的に、この時期と前後する土器の型式をもつ土器の試料の年代値と考古学的編年の間にはよい
> 相関が得られた。
>3) 遺跡における遺物の共伴から、同時代とされる東北地方の縄文晩期の土器の年代と強い一致が得られた。
>以上のように、夜臼U式土器・板付T式土器を使用していた時代は紀元前9〜8世紀ごろ、すなわち日本列島の
>住人が本格的に水田稲作を始めた年代(夜臼T式)は、紀元前10世紀までさかのぼる可能性も含めて考えるべきで
>あることが明らかとなった。
>なお、この成果は平成15年秋に開催の「歴史を探るサイエンス」において展示される。
列島での水田稲作は紀元前9世紀までさかのぼれるそうだが、半島の水田耕作はいつ頃始まったのか
教えてくれんかね?朝鮮猿君よ
414 :
:03/09/06 09:08 ID:Voa185Oy
479 ◆08fzSg1VhQ様
日本の鉄器使用と小規模な製鉄(鍛冶製鉄)は、
水稲作と同じころに始まったとされています。
それが紀元4〜5世紀です。このころは中国では、製鉄はもう始まっています。
中国で製鉄が始まったのは、山東半島近辺とか楚の地域だとか言われていますけど、
このころの鉄は粗悪で、青銅より価値の低いものでした。
だから、中国でも一気に広がっていたわけではないようです。特に武器に関しては。
しかし、農具などには使用されており、それが日本にも伝わった。
日本で行われていた製鉄は、とても小規模なもので砂鉄を溶かし、
粗悪な鉄を作り、それらを鉄器として使用した、これが最初です。
その後、鉄は、鉄塊を作る大規模なものになります。
これら、大規模な製鉄を行うには、箱形の炉が必要になります。
日本では、6世紀のものが最古で、半島では、2世紀のものが最古です。
半島人はこの差を利用し、日本は、6世紀以前は鉄器文化がなかったニダ!と良く言います。
しかし、日本は、半島南部の鉄の生産地帯を、6世紀まで押さえていました。
三國志に出てくる弁韓で倭人が鉄を取るという記述もあり、
半島南部の倭人勢力地域で生産されていたわけですから、
6世紀以前の箱形炉が日本で見つからななくても、
日本が鉄を使用してなかったという理由にもなりません。
また鉄、製鉄という意味では、弥生時代の始まりが鉄の始まりでもあるのです。
先頃、弥生時代の始まりが遡るなんて話がありましたけど、
そこで問題にされたのが、製鉄、鉄器の使用でした。
弥生時代が、製鉄の幕開けと言うことを物語っています。
415 :
:03/09/06 13:53 ID:OuPHJMOp
古朝鮮って今の朝鮮人と連続性なんて全然ないじゃん。
今の朝鮮人は3世紀まで未開の土人。
416 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:04 ID:MfUMYi9L
405の幻想日本猿よ。しょうもない自慢すな〜。何が飲みに行きますや。安酒場で汚く飲んできたか?笑。歴史本引用しての必死のレスご苦労(爆。 しかし、著者の結びを無視した主観は愚かなおまえ(猿)だな笑。
417 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:08 ID:MfUMYi9L
405の幻想日本猿よ。しょうもない自慢すな〜。何が飲みに行きますや。安酒場で汚く飲んできたか?笑。歴史本引用しての必死のレスご苦労(爆。 しかし、著者の結びを無視した主観は愚かなおまえ(猿)だな笑。
418 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:20 ID:MfUMYi9L
405の猿よ。ムチャ言うたらあかんわ〜。 衛満は朝鮮人と『委鬼志』に記されってまっせ〜。俺に卑弥呼の時代に鉄器がない。と言われたら、自分の事は棚に置いて勉強しろか?笑。おまえがもっと古代韓国史を勉強しろ!他の猿共も。
419 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:24 ID:MfUMYi9L
405の猿よ。ムチャ言うたらあかんわ〜。 衛満は朝鮮人と『委鬼志』に記されってまっせ〜。俺に卑弥呼の時代に鉄器がない。と言われたら、自分の事は棚に置いて勉強しろか?笑。おまえがもっと古代韓国史を勉強しろ!他の猿共も。
420 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:25 ID:MfUMYi9L
405の猿よ。ムチャ言うたらあかんわ〜。 衛満は朝鮮人と『委鬼志』に記されってまっせ〜。俺に卑弥呼の時代に鉄器がない。と言われたら、自分の事は棚に置いて勉強しろか?笑。おまえがもっと古代韓国史を勉強しろ!他の猿共も。
3連続書き込みは、辞めたようだな。
423 :
:03/09/06 17:26 ID:CYAXYrSv
チョン猿は火病か?w
>>422 言ったそばから、やられてしまいますた(鬱
425 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:41 ID:MfUMYi9L
卑弥呼の時代に鉄か?笑。大和だったよな笑。日本書記・古事記の天ちゃん系統も実在の人物は推古からで、王仁と阿直岐が『論語』と『千字文』を持って来て聖徳太子の師になった事も否定するのかな?笑。
426 :
:03/09/06 17:41 ID:l5YewGh5
427 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:43 ID:MfUMYi9L
卑弥呼の時代に鉄か?笑。大和だったよな笑。日本書記・古事記の天ちゃん系統も実在の人物は推古からで、王仁と阿直岐が『論語』と『千字文』を持って来て聖徳太子の師になった事も否定するのかな?笑。
428 :
日本猿の調教師:03/09/06 17:44 ID:MfUMYi9L
卑弥呼の時代に鉄か?笑。大和だったよな笑。日本書記・古事記の天ちゃん系統も実在の人物は推古からで、王仁と阿直岐が『論語』と『千字文』を持って来て聖徳太子の師になった事も否定するのかな?笑。
429 :
:03/09/06 17:47 ID:r6kdZ7AR
王仁が聖徳太子の師になどなれるわけがないのだが。
朝鮮人の妄想史観では時空すら越えるのかしら
430 :
:03/09/06 17:47 ID:GwA991Tx
3連カキコがかっこいいと思っている、
ダサいチョンがいるスレはここですか?
431 :
:03/09/06 17:48 ID:l5YewGh5
>>429 フィクションなんで、なんでもアリアリです。
432 :
:03/09/06 18:10 ID:mzAr5g9l
つーか王仁が来るはるか以前から金印貰ったりして中国と交流があったわけで
当然漢字を解する者は沢山居たわけだが。
433 :
10代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/06 18:16 ID:EyaTXHJh
>>387 青森の遺跡で、船着き場と、港と集落を結ぶ道が発見されていますから、
縄文時代に船があったことは確実です。たぶん、筏か丸木船でしょう。
>>425 現在の歴史学では、少なくとも崇神天皇(3世紀か?)は実在したとされて
います。もちろん、「崇神」という名はずっと後のものですし、日本の統一
政権ではなく、近畿の小勢力でしたが。崇神天皇の崩御は、古事記及び
住吉大社神代記によると西暦258年だそうですが、さすがにこれはあまり
信憑性は高くはありません。
そもそも漢人だしな>王仁
卑弥呼の時代の製鉄に関してソースを貼ってやったのに、
長文が読めないコピペ猿が居るな。
436 :
(゚△゚ ):03/09/06 18:49 ID:+2Ivu13K
>>414 ご丁寧にありがとうございます。
鉄滓であれば縄文晩期の遺跡で見つかってますね。
勉強になりました。
>>420 『委鬼志』
良ければコピーしてお使いください → 『魏』
魏志のことだったのか(w
なるほどね。
439 :
アホ日本猿@狩人:03/09/07 01:38 ID:m0PD3YXF
脳タリン日本猿達よ。釣られるなよ笑。王仁を紹介した話しは、日本書記・古事記に記録されてる事だ。あ!それらの記録は虚構な小説だったよな爆。所詮。おまえら2チャンネラーはアホなマイノリティーなんだよ笑。楽しませてくれて有り難う!
440 :
アホ日本猿@狩人:03/09/07 01:40 ID:m0PD3YXF
脳タリン日本猿達よ。釣られるなよ笑。王仁を紹介した話しは、日本書記・古事記に記録されてる事だ。あ!それらの記録は虚構な小説だったよな爆。所詮。おまえら2チャンネラーはアホなマイノリティーなんだよ笑。楽しませてくれて有り難う!
割り込み(w
442 :
puku:03/09/07 01:45 ID:VQRUAgGB
うわあ恥
443 :
:03/09/07 01:47 ID:0SXRYJGb
いちいちハンドル変えたり、わざわざ多重カキコしたり、二度の勝利宣言したり、
全くご苦労なことで……。
444 :
アホ日本猿の狩人:03/09/07 01:52 ID:m0PD3YXF
アホ日本猿共釣られるなよ笑。王仁の話しは日本書記・古事記の虚構な記録だよ。猿人書記は複雑だよな爆。 おまえら2チャンネラーを世間(権威のある大卒者・知識人含む)から、どう言われてるか?知ってまっか?無知な基地外だとよ笑。
今度こそ割り込みかな?
446 :
アホ日本猿の狩人:03/09/07 01:53 ID:m0PD3YXF
アホ日本猿共釣られるなよ笑。王仁の話しは日本書記・古事記の虚構な記録だよ。猿人書記は複雑だよな爆。 おまえら2チャンネラーを世間(権威のある大卒者・知識人含む)から、どう言われてるか?知ってまっか?無知な基地外だとよ笑。
流石、事大主義者、権威がお好きなようで。
448 :
アホ日本猿の狩人:03/09/07 01:54 ID:m0PD3YXF
アホ日本猿共釣られるなよ笑。王仁の話しは日本書記・古事記の虚構な記録だよ。猿人書記は複雑だよな爆。 おまえら2チャンネラーを世間(権威のある大卒者・知識人含む)から、どう言われてるか?知ってまっか?無知な基地外だとよ笑。
たぁっ。あがってると思ったらナイスタイミング。
便乗割り込み!
451 :
puku:03/09/07 01:55 ID:VQRUAgGB
あー・・・ぐみの。ボク世間。つかだかr2「ちょんねるあとゆう特別ま人がいる訳でyあないと難解行ったら判るのか2ちゃんネラーアホ日本猿の狩人は1
452 :
:03/09/07 01:55 ID:ymVUZRIf
本物半島人はさすが違うな・・・。
453 :
:03/09/07 01:55 ID:BG5MUz41
ここまで誉められると、なんか嬉しいぞ。
朝鮮に都合のいい部分だけの史書を中途半端に読んでるんだな(w
しかも、最新の考古学には一切興味がないときたから困ったもんだ。
455 :
puku:03/09/07 02:02 ID:VQRUAgGB
>>454 そゆう寝ただからでそ(思い槍の無い言葉
間に合わなかった…。
恥ずかしいので王辰爾の名前だけ出して去ろう…。
しかし王仁を否定するのは珍しいパターンかと。
457 :
:03/09/07 02:13 ID:0SXRYJGb
>>456 でつねぇ。
むしろ「誇らしいですね。サ、サ、サ」と来そうなもんだけど。
458 :
地球市民@ ◆iAfsEadC/U :03/09/07 02:32 ID:qjNmBbqL
>>454 愚かな。
半島には最新の古文書(自称3000年前の紙製)がある。
また、最新のコンクリートで作った5000年前の古墳があるのだ。
もっと歴史を学ぶべきですね。
460 :
_:03/09/07 05:11 ID:zI06DRN3
どんな電波もスキにしてって感じですが
資源の無駄遣いだけは辞めて欲しい物だ…
461 :
朝鮮猿:03/09/07 08:22 ID:ASKI0STo
Naverがお好きなようで(苦笑い)
IDのネタが全部Naverなのは笑うところか?
462 :
朝鮮猿:03/09/07 08:25 ID:ASKI0STo
>>431 >日本書記・古事記に記録されてる事だ。あ!それらの記録は虚構な小説だったよな爆。
既成概念から抜け出せない朝鮮猿は醜いニダね。お前はおっさん朝鮮猿と見える。
463 :
朝鮮猿:03/09/07 08:31 ID:ASKI0STo
なんでこの朝鮮猿は連続投稿できるのかね?
464 :
:03/09/07 08:49 ID:ASKI0STo
>王仁と阿直岐が『論語』と『千字文』を持って来て聖徳太子の師になった事も否定するのかな?笑。
朝鮮猿の面白い説には笑いしか出ないのだが..
465 :
:03/09/07 09:04 ID:H0oZ6qoB
>>454 >朝鮮に都合のいい部分だけの史書を中途半端に読んでるんだな(w
>しかも、最新の考古学には一切興味がないときたから困ったもんだ。
自分の主張こそが“最新の”考古学と・・・
>>464 だめですよ、釣りらしいので引っかかってあげなきゃ。釣りにしても原文無視
していいんですかとか、古事記のどこに王仁がでてくるんですかとか、魏志の
どこにウィマンが朝鮮人と書いてあるんですかとか、魏志と魏略の区別ついて
ないんですかとか、突っ込んではいけません。
ちょっとスレタイに沿うように方向修正。
新羅と倭って、単なる敵対関係だけでなく、交流も多いんですよね。
7世紀後半から735年までは特に関係が深かったですし。遣新羅使も、遣唐使、
遣隋使よりも回数が多いですし、新羅からも金万物などの使者がきています。しかも
白村江以降も。新羅関係はハン版でもまだ話題が少ない気がします。于老殺害
なんてハン板では真っ先に出そうな話だと思うんですけどね。
>>466 歴史の話が分散しちゃってるから、このスレでは出てないだけでさんざん出てるよ。
于老の話をするとファビョる韓国人多いよー。で「そんな話は日本の捏造に決まってる
ニダ!」って言い出すんだけど、「これは三国史記に載ってる話だよ。自分ところの歴史
書も読まないの?」でさらにファビョン。
468 :
_:03/09/09 04:36 ID:F0HcpRfS
>>448 一応知らない人のために説明しとくと、この朝鮮人は
応神天皇の時代に王仁が論語と千字文を持って来て宇治若郎子皇子の家庭教師になった話と
聖徳太子が高句麗人僧侶から仏教を学んだ話をごっちゃにしてる。
ちなみに王仁というのは楽浪系漢人つまり中国人。王という姓は楽浪郡の中国人に多かった
ことで有名な姓。この王仁を派遣したのは百済の肖古王だが、三国史記百済本紀によると
百済には文字がなく、この近肖古王の時代に高興という博士が漢字を伝え、
これより書き記すということが始まったとある。つまり王仁と高興は同時代の人物。
この情況からすれば、倭国と百済は、まったく同時に漢字が伝来したのであって、
百済から漢字が伝わったというのはどう考えても百済は「ただの」通り道にすぎない。
>>466-467 三国史記昔于老伝には「倭国大臣」だったか「倭使臣」だったかという名辞で
駐在官らしきものがでてきて、任那日本府との関係が指摘されてる。
ちなみに神功皇后が矢田宿禰を新羅に駐在させたという伝説が新撰姓氏録かなんかにあったはず。
------------------------
ところでこのスレ、なんか典型的な朝鮮人の見本として保存したくなるようなスレだな(w
これ翻訳してみせたら世界中の人々の朝鮮人への認識に寄与するだろう。
469 :
:03/09/09 05:25 ID:9+wTChr+
>>460 高句麗王室の王姓ニダ。
今は、王姓討伐のため現在は、迫害から逃れるために玉姓や全姓になってるニダ
って言い訳しそうだけど。
470 :
461:03/09/09 05:32 ID:9+wTChr+
訂正:王姓迫害から逃れるために、玉姓や全姓になってるニダ。
471 :
_:03/09/09 06:32 ID:963rJ00E
>>469-470 おいおい。マジ電波か?それとも釣りか?
高句麗は高氏。あんた高句麗(高氏)と高麗(王氏)を混同してるよ(w
しかも高句麗が姓(高氏)を名乗ったのは広開土王が慕容氏燕の高雲と宗族関係になってから
始めて高安と名乗ったんで、王仁の時代(百済の近肖古王の時代)より後。時代がぜんぜんあわないぞ(w
于老が捏造扱いなら、未斯欣なんてなかった事になってるか
大使として倭にいっただけといわれてそうですね。
日本書紀だけでなく三国史記、遺事にものってますけど。
473 :
:03/09/09 19:21 ID:Lub5Cc0/
于老も未斯欣も日本書紀と三国史記両方に出てますから史実なんでしょう。
でも年代がばらばら...いつなんだろう?
神功紀あたりが120年繰り上げられてるとしても、史記や遺事と合わないし。
そもそも史記と遺事で食い違いがあったりするし。
>>468 >ちなみに神功皇后が矢田宿禰を新羅に駐在させたという伝説が新撰姓氏録かなんかにあったはず。
真野臣(まののおみ)
天足彦国忍人命の三世孫、彦国葺命(ひこくにぶくのみこと)の後なり。
男(こ)、大口納命(おほくたみのみこと)の男、難波宿禰(なにはのすくね)の男、
大矢田宿禰(おほやたのすくね)、気長足姫皇尊(おきながたらしひめのすめらみこと)[謚は神功]
に従ひて新羅を征伐(うち)て、凱旋(かへらむ)としたまふ日、すなはち留めて鎮守将軍と為たまふ。
時に彼の国王(こきし)、猶榻(いうたふ)の女(むすめ)を娶(めと)りて、二男を生めり。
二男、兄は佐久命(さくのみこと)、次は武義命(むげのみこと)なり。佐久命の九世孫、
和珥部臣鳥(わにべのおみとり)、務大肆忍勝(おしかつ)ら、近江国志賀郡真野村に居住れり。
庚寅の年に真野臣の姓を負ふ。
これですね。猶榻って誰だろう?
474 :
山瀬功治:03/09/09 19:24 ID:PMdy63n6
ブッシュの訪倭は訪韓のついでだよ
よかったな
スレスト?
477 :
はぽねす ◆BBx90lwzdU :
なわきゃない