ウェー、ハッハッハッハ Part5

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例の「日本が北朝鮮と呼ぶなら、日本を『倭(Wae)』と呼ぶぞ」の一件。
朝鮮労働党機関誌、労働新聞の論評、朝鮮語原文が見つかりました。
自動翻訳で和文にしてみました。

朝鮮語原文 ムンヤングホ博士の文
日本反動たちの我が国の国号歪曲策動は許容されることはない
http://www.kcna.co.jp/calendar/2003/05/05-19/2003-05-19-003.html

長文です。一部、和訳できない箇所がありましたがそれらは朝鮮語のままに
しておきました。

倭(Wae)、ハッハッハッハ。
>>882

朝鮮語原文 ムンヤングホ博士の文
日本反動たちの我が国の国号歪曲策動は許容されることはない
http://www.kcna.co.jp/calendar/2003/05/05-19/2003-05-19-003.html

(平壌発 5月17日 朝鮮中央通信)17日、「労動新聞」は「日本反動
たちの我が国の国号歪曲策動は許容されることはない」という題目で、
ムンヤングホ博士の文を載せた。

彼の論評(?)は次のようだ。

日本の出版報道関係者たちが尊厳高い我が共和国の国号を「北朝鮮」、「北鮮」
と冒涜して歪曲表現するビリョルした策動をもっと悪辣に敢行している。

報道されたことによると、去年12月を最後に、日本の朝日新聞とNHK放送が
我が国の公式国号を「北朝鮮」に変えて呼称する決定を採択した。これで日本の
あらゆる出版報道物では我が共和国の名称を冒涜歪曲することをゴングシック
ファハヨッウルのみならず、数多い右翼報道物たちと保守人士たちが我が共和国を
「北朝鮮」と冒涜する、破廉恥で、ビリョルした行為を躊躇なく敢行した。

自主的な主権国家の象徴である我が共和国の国号を蔑視歪曲して、過去、植民地
時代の冒涜的な呼称を復活させて(?)使うことは国と民族の尊厳を踏み付けて、
我が国の存在と権威を無視する、許すことのできない、民族蔑視、国権侵害
行為だ。
>>882-883
我が共和国の国際的地位と権威がビハルバなしに高くて、至高、世界に数多い
国国が我が国と国交を結ぶのに相次ぎ、歴史的な朝日平壌宣言が採択された
新世紀の時代的流れにさからって行って、日本反動たちが反共和国騷動を
ミチンドッが敢行した。残り後には尊厳高いチュチェ朝鮮の国号に対して、
マージャー過去、日帝が彼らの植民地地域に対する名前を呼ぶように蔑視的な
表現を復活させて(?)生かして使っている。これに対して朝鮮人民は聳える
激憤を押さえきれずにいる。

偉大な首領、金日成同志は次のように教えた。

「去る日、日本帝国主義者たちは我が国の歴史を歪曲して、民族文化を踏み
にじったし、朝鮮人民の民族意識を抹殺しようと、いろいろな策動をつくし
ました。」
>>882-884
歴史的なでボールの時の日本はどの時代のときにも、我が国の国号を完全に
呼んだときがなかった。古朝鮮から高句麗、百済、新羅、高麗、朝鮮という
我が国の国号が一つのピズルと言語を持って半万年の長い間の期間きらめき
輝いて美しい歴史と文化伝統を自慢ふるって来た、賢い朝鮮民族の象徴である
というのにびっくり仰天した。日本は古代から我が国の国号を捏造する始めた。
日本は過去、荒唐で極みな「神宮皇后」の「三韓征伐」による「林裸婦」
お正月を構えて出すよ私たちの古代国家たち中のひとつの三韓が彼らが征服
統治した属国だったと歪曲の日早夏だった。彼らはこの夢をつかむ捏造説に
根拠して、長い歴史的な期間、がむしゃらに敢行されるようになった。
彼らの朝鮮侵略行為をオーソライズ(正当化)した。

近代に入ってからは李氏朝鮮王朝が「朝鮮」という伝統国号を受け継いで
数百年間使って来た。ある時にも日本は「征韓論」という強盗的な侵略教理を
基礎にして、朝鮮は古代から彼らの属国だったという夢をつかむ意味を盛って
我が国の号を「限り」と歪曲して呼ぶビリョルした行為を恣行した。
彼らは「征韓論」載せてください、「韓土」敷布団するなんかの冒涜的な
言葉を構えて出すなど、露(あらわ)に使った。
>>882-885
日本は李氏朝鮮王朝が対外的に標榜した「大朝鮮国」、「朝鮮国」に対しても
「大鮮」、「鮮」で冒涜捏造する行為を躊躇しなかった。倭寇たちが古代から
捏造した「限り」これ彼らの「属国(彫工国)」という意味を持ってあったら
近代に来て日帝が構えて出した「朝」銀「朝鮮」という国号のリャックオイン
ゴッではなく、朝鮮が自主独立国家なのを不正で「朝日湧く国」という
本質的意味を去勢しようとする捏造品であるものだ。

日帝の我が国の国号捏造行為は20世紀超に我が国を植民地で強点してから、
もっと悪辣で狡賢く、頑強(?)だった。 侵略の怪獣、寺内は1910年8月
我が国の封建政府と「合併条約」を強迫する談判場で、国号問題が上程される
と「合併する庭先で、国号は何の国号だ」、「植民地朝鮮には国号がない」
などとしながら、国号抹殺をたくらんだ(?)。日帝は植民地統治期間、
公文書と出版物を通じて我が国の名前を「北朝鮮」、「西鮮」、「南鮮」など
植民地地域の名前で捏造して固着させた。日帝が作り出した、「北朝鮮」、
つまり当時の咸境道と鴨緑江上流、豆満江類暦日台を意味して「西鮮」、
つまり今日の平安南北道一帯を示す言葉として、当時、日帝の植民地地域に
対する別称に付加したことだった。
(参照:「1910年 韓国強点 資料集」214月、「北朝鮮
ゲチォックサ」民衆時事評論士 1938年7月 出版 )
>>882-886
このように我が国の国号代わり「北朝鮮」、「内鮮」、「電鮮(予朝鮮)」、
「満鮮」なんかの植民地統治地域の捏造された名前たちがガングアブリュポドエ
で公文書と図書、新聞、放送によってゴングシックファドエだった。

このような植民地時代の遺物が日帝が滅びたあとにも日本でそのまま使われ
たし、今日に至っては日本の右翼新聞、放送は勿論、閣僚級の高位保守人士
たちまで公式席上で「北朝鮮打倒」敷布団、「鮮人」であってくださいする
陰口をぽんぽんしている。

21世紀に入って来ても、一世紀前、日帝の我が国の国号捏造行為をそのまま
再現して、再び破廉恥で鉄面皮した他民族蔑視と主権国家の尊厳を侵害する
ことをより一層熱をあげてある日本反動たちの文言(?)は「大東亜共栄圏」
などイェックムで覚めるよ実現できなかった愚かな者等の「対照選管」を
そのまま見えて酒庫ある。

強盗的論理だけが骨髓に満ちた日帝は我が国を侵略しながら当初、朝鮮を彼らの
永遠な植民地で満たし、その野望のもと、朝鮮人の言葉と文、成果名前、地名
と国号まで完全に抹殺しようとしたし、その理由に対して次のように解釈した。
>>882-887
「日中戦争が日本語出ると、同化政策の極限として、内鮮一体がスローガン
(?)だった。当時朝鮮とか朝鮮人という話は朝鮮人たちの民族感情を活かして
ネンダして半島、半島である、内鮮、鮮人(せんじん)と呼ぶようになるように
なった。」
(「日朝関係史を思う」歴史ハックヨングフェピョンジブ青木書店
1989年 出版)

今日、日本反動たちは私たちの共和国の国号冒涜行為に対して、日本と朝鮮
二国間に国交がなくて、慣習によって呼称するのだから問題なることがないと
鉄面皮するようにトボルである。

国交問題と慣習は日本にだけあるものではない。 日本とは私たちも国交が
ない。朝鮮人民には日本の呼称に対する根深い慣習がある。果たして国交がない
と言って、主権国家に対する呼称を冒涜することはありえるのか。これ問う
には歴史的なサシル一こまだけでも十分に答えることがある。

今から40余年前である、1961年10月、在日朝鮮公民たちの帰国を保障
するための朝日赤十字団体間の会談最終日にあったことだ。
>>882-888
「ところはヒデオ」という人物は日本の団長で参加した。彼は数ケ月間
続いてきたきた会談が今、合意文に署名さえすれば結束される段階へ来て、
どうにかひとつ、それを破綻させようと、最終手段で国号問題を持って出た。
彼は「日本は北朝鮮と外交関係がないので、朝鮮民主主義人民共和国を認める
ことはない。合意文には北朝鮮だと書く」などと言い張り続けた。「これならば
合意文(に対する、北朝鮮側の熱意)は冷めるよ。(朝鮮側は会談から)負けて
でていってしまうだろう」と確信した彼の姿勢はトゴしたし、日本側代表たちは
大喜びしていた。

「国交がないから国号を略して(?)使ってもよいか」と言う問いに対する
返事は次のようだった。我が方団長は鋭い目つきで先方を曲がっていて見ながら
叱るように反撃した。

「よろしい。私たちも日本とは外交関係がないから(日本の正式国号を)
認めることはない。北朝鮮だと明記するならばそうしなさい。私たちは
(日本を)倭国だと明記する」などと言いながら、漢字で「一寸法師、
蛮夷、倭(Wae)」とを殴り書きして、「さあ、ここに署名して世の中に
公布する」と烈火のように突き付けた。
>>882-889
「ところはヒデオ」はびっくり仰天して、瞬間、姿勢を崩しながら、
「倭(Wae)」に関して(?)そのまま卑屈に取り入る態度で出た。
「…団長様、そのようにまで出るつもりでありますか。私たちはお互いに
悶着なしに署名するようにしましょう」などと言いながら、彼は屈服して、
合意文の(日本国と朝鮮民主主義人民共和国という)公式国号に署名した。

民族排他と他民族抹殺思想にどっぷり浸かった日本右翼勢力が(日本が朝鮮と)
国交がないという言い立てのもとに敢行している我が民族に対する敵視政策と
冒涜行為を集めて、片付けなかったら、それから招来される後日の禍はより
おびただしいだろう。日本反動たちの同類(?)の「慣習」をおいて見れば
問題はより深刻だ。
>>882-890
ずいぶん前から朝鮮人民は日本を「倭(Wae)」だと認識している(?)。
我が国のあらゆる歴史記録文(?)で「倭(Wae)」増えた日本に対する公式
呼称だったし、一般でも日本という話は知られなかった。セナラグァンギェ
歴史文本類(?)とグァンゲトワングルングビを含めた金石文たちからはじめ、
今まで伝えて来る私たちの歴史文本類(?)と周辺国の歴史記録文(?)でも
日本の呼称は「倭(Wae)」である。海の彼方の隣りに対しては何か「倭(Wae)」
という名前が付いたし、そこにそのように軽蔑に満ちた意味が込められて
背負子になったのかは彼ら、当事者がもっと寝る粒数あるはずだ。ただ、
私たちが「倭(Wae)」に関して、歴史オンオハックゾックで、通俗的な説明を
加えてある単語は「倭寇(日本海賊)」と載っている。なぜなら朝鮮人民が
倭人と初めて出会った(?)のは海の彼方から来る海賊たちだったから
だったし、「倭寇」は在野(民間人?)では長い歴史的な期間、「倭(Wae)」は
(日本の)代名詞だったからだ。

「倭(Wae)」に対するこのような歴史ウィミロンゾックヘソックは今日の日本人
たちも違わないように敍述してある。

「ウェラヌンゴッは朝鮮や中国で日本を示して使っていた。その意味は倭(Wae)
に関しては『一寸法師』のことで、日本民族を見下して侮蔑語だ。漢字意味が
分かって、調査した日本人たちがこの字を憎悪すたことは当たり前のことで、
わざわざ『日本』という名前を作って捏造した(?)と考えられる。」
(「大日本エンサイクロペティア」14冊 28廃止 1970年)
>>882-891
「文禄の役(文禄 1592年)を壬辰の乱だと呼んで慶長の役(慶長 
1597年)を壬辰倭乱だと呼ぶ。

それでは倭(Wae)という(のは)何なのか?

倭(Wae)と言うのは日本を軽蔑する用語だ。実例で倭寇という表現の場合には
海賊行為をしたからそういう軽蔑の用語を書いてもどうすることないか
分からない。。。。そうなのに倭乱だってどうするつもりか。」
(「朝鮮の悲劇誰も知らない真実」ゴムでナオキ1985年出版)

これらは過去のことであるが、今でも「倭(Wae)」に対する朝鮮人民の認識と
慣習では大きく変化がない。

「倭寇」、「倭敵」、「倭風」、「倭人」、「倭コング」科みたいな固くて
ジン文節たちはもっとマルハルゴッもなくて、慣習によって使うことを見たら
推論ではなく、数多い表現を持つことある。
>>882-892
これを直観的に見えて与える資料が言語学辞書だ。最近出版された朝鮮語辞書
だけ振り返って見ても、「日本」という文節と結合された一般単語は唯一、
「日本刀」(刀)だけだが、「倭(Wae)」の付く一般単語は80余個もある。
言語学辞書が当時の社会と朝鮮人民の言語生活を正確に反映して、集大成した
語彙集だとすると、この数字は朝鮮人民の言語生活慣習に「倭(Wae)」はよほど
根深く、定着していた(?)ということが明確に見えてくる。

日本反動たちが主張しているように、他の国の国号を慣習どおり使うとしたら
私たちが公式言語生活で使う「日本」という単語は論議する余地がなく、
瞬く間に旧態の「倭(Wae)」に変わるはずだ。

私たちは日本反動たちの我が国の国号歪曲策動を絶対に黙過することない。

日本が朝鮮人民に(対して)心から罪を清算しようとするなら、オルバルン
姿勢とリブザングを持って、はっきりしなければならない。我が国の国号歪曲
策動を即時中止しなければならない。

(終り)
>>882-893
朝鮮中央通信のこの記事は英文で簡単にまとめられたのは>>850-857
とおり。

朝鮮新報のコンテンツには日本語はおろか、朝鮮語ですら、この論評は
書いていなかった。

想像できる理由として、載せたら、日本人に倭(Wae)、ハッハッハッハ
されるからであろう。