出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世★4

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1日本@名無史さん
出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世というふうに流れて行った日本の創成期。
これを語ると、日本創世記の真相が見えてくる!? 語れ。

本当のアマテラス 2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1285333836/l50
本当のスサノオ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1304225092/l50
古代出雲王朝は実在した
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1320722760/l50
【葛城氏】葛城王朝と丹後王国【海部氏】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1321981690/l50
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/l50
【妖怪】 土蜘蛛 【国巣】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1325574407/l50
【隼人司】畿内隼人【隼人舞】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1343569437/l50
【移配】蝦夷と佐伯と俘囚の歴史3【別所】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1348065526/l50
坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1329022431/l50
国津神嫡流の諏訪氏について語る
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1348373784/l50
豪族について
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1301977167/l50
地名の日本史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1357479968/l50
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1295856332/l50
日本と紀元前中国王朝の関係性
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1319740417/l50
2日本@名無史さん:2013/03/07(木) 18:14:06.34
過去スレ

■出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世■
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1338802868/

出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世★2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1341346582/

出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世★3
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1349024254/
3日本@名無史さん:2013/03/08(金) 20:23:22.39
インチキくさい吉備王朝(笑)と違い、ちゃんと資料がある出雲ってスゴイ!
4日本@名無史さん:2013/03/08(金) 20:28:08.70
御所市高天が高天原って無理があるでしょ?
そこからどうやって九州高千穂に降臨するのよ?
5日本@名無史さん:2013/03/08(金) 20:44:37.12
江戸時代には御所市高天が高天原だと言われていたよ
6日本@名無史さん:2013/03/08(金) 20:51:49.46
>>5
いや、だから御所市高天からどうやって九州高千穂に降臨したのかと。
江戸時代の事は聞いてない。
7日本@名無史さん:2013/03/08(金) 21:00:24.96
高天ってすぐ雪隠詰めにされそうだよな
8日本@名無史さん:2013/03/08(金) 22:05:47.04
土蜘蛛の巣にふさわしいですねw
9日本@名無史さん:2013/03/08(金) 23:05:32.16
>>5
ほら、何か言いなさいよ。
10日本@名無史さん:2013/03/09(土) 00:38:19.49
平安時代でも、高天原は、高天村のこととされていた。
今の御所市一帯。

それが、時代がたつことによって、異なる説が出てきた。
なぜかというと、過去の記憶が薄らいできたから。
11日本@名無史さん:2013/03/09(土) 00:50:47.75
で、高天で何か見つかってるの?
12日本@名無史さん:2013/03/09(土) 04:55:04.69
御所市高天が高天原の伝承地とかいっても
あそこだけがそう言われていたわけではないだろう。
あそこだけに高天という地名が残っただけで。

高天原には、天香久山とか、天岩戸とか、天安川とかあるんだよな。
だとしたら、現在の御所市、橿原市の広範囲が
高天原と呼ばれていたのだろう。
また、この当時は、水深10mくらいの大和湖が存在していて
今と土地勘がかなり違った。
大和湖の南岸が高天原、東岸が山処(やまと)と言われていた。
13日本@名無史さん:2013/03/09(土) 05:07:47.12
あの辺りって、忍海とか船宿とかという地名が残っているよな。
あの近くまで海につながる湖があり、
水上交通が活発だった。
14日本@名無史さん:2013/03/09(土) 07:45:53.34
弥生時代終末期の北部九州、筑紫・博多。

 漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国【銅鐸祭祀】も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)
の邪馬台国【銅鏡祭祀】に国を譲る【銅鐸処分→九州=銅鏡に鋳直し/九州以外=埋納】。
 これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と全面戦争になり、「和」国が分裂、卑弥呼は急死(男弟/魏の将軍張政/狗奴国による暗殺説)。

-分裂した「和」国
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)筑紫/宇佐┃→安芸→吉備→「大和」朝廷
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向┃↑ ≧神武東征ルート≧
...................隅国(鹿児島)┘

 卑弥呼の跡を継いだ♀女王「台与」は投馬国長官♂を婿として迎え、旧奴国&隅国(隼人)とも同盟を結び、肥後狗奴国(後の熊襲)を
一網打尽にし、倭「和」国を再統一した。
 「和」国再統一の偉業をなした男系先祖の出自を後世に伝えるため、神武は日向(投馬国)から出航し、中原における五胡十六国の
内戦の影響から距離を置くべく、都を筑紫・博多から先遣隊長ニギハヤヒが拓いた奈良・三輪山麓(纏向)へ東遷し、その女系先祖・
卑弥呼(アマテラス)&台与以来の【銅鏡祭祀】「大和」朝廷を創始する。

※古事記・日本書紀が、日向長官の先祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)を
その姉としたのは、「大和」朝廷・天皇家(♂日向長官と♀筑紫女王「台与」夫妻の子孫=神武の末裔)による系図操作。
 銅鐸祭祀をしていた漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は、倭(和)建国の偉大な功績を消され出雲に祀られる。
15日本@名無史さん:2013/03/09(土) 07:48:00.94
-「大和」朝廷における、♂日向(投馬国)系大王と♀筑紫(邪馬台国)系大王の(双方の男系男子途絶による)政権交代

4世紀〔前期古墳〕三輪(銅鏡)王朝(1神武〜14仲哀)=♂日向(投馬国)系大王【四道将軍派遣→国造任命→ヤマトタケル九州討伐】
5世紀〔中期古墳〕河内(鉄剣騎馬)王朝(15応神〜25武烈)=♀筑紫(邪馬台国)系大王【神功の三韓征伐→倭の五王(讃珍済興武)】
   →(高句麗の南侵に脅かされた)金官伽耶(任那)・百済・新羅への軍事支援により「鉄の大量供給ルート」を確保し、王権強大化
6世紀〔後期古墳〕近江王朝(※26継体〜38天智〜50桓武〜現在)=♂日向(投馬国)系大王【仏教伝来→白村江の戦い→律令国家】


-26継体・27安閑・28宣化=日向系大王〔樟葉宮→筒城宮→弟国宮→磐余玉穂宮〕
  …継体大王の「大和」入りが筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫国造・磐井の乱」を誘発
-29欽明〜♀35皇極(37斉明)=筑紫系大王〔飛鳥・板葺宮〕
  …筑紫系大臣、蘇我氏(娘達を続々大后に→外戚として大王を操縦)による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」(大化の改新)へ
-38天智・39弘文=日向系大王〔近江大津宮〕
  …「白村江の戦い」完敗→百済・任那滅亡で半島権益(鉄の大量供給ルート)を喪失。国力低下→「壬申の乱」へ
-40天武〜♀46孝謙(48称徳)=筑紫系「天皇」〔飛鳥・浄御原宮→藤原京→平城京/恭仁京/難波宮〕
  …両系和解の古事記・日本書紀・風土記編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「長屋王の変」「道鏡事件」へ
-49光仁・50桓武〜南北朝〜現在=日向系天皇〔長岡京/平安京〕
  …筑紫系天皇の奈良〔平城京〕から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの〔長岡京/平安京〕に遷都
16日本@名無史さん:2013/03/09(土) 09:26:28.99
完全にオリジナルストーリーだな
17日本@名無史さん:2013/03/09(土) 09:41:43.27
『八雲立つ』の和歌では「出雲」のことを
古事記:伊豆毛
日本書紀:伊弩毛

と書いてあるが、豆も弩も「ど」と読むのに、なぜ「いども」じゃなく「いずも」なの?
出雲=委奴国?
18日本@名無史さん:2013/03/09(土) 12:15:37.17
イヅモ=イドゥモ
19日本@名無史さん:2013/03/09(土) 14:57:26.00
古代エジプトと神道は共通性がある。
連絡があった訳ではなく、本来が遠い過去に同じ宗教の枝分かれなのだろう。
古墳の石室に描かれてある文様には非常に似たモチーフが描かれている。

そこで注目すべきは船だ。
元々、棺は古語でフネという。また、奥津捨戸ともいう。
読んで字のごとく、沖に流したのである。「へ」は船のことで、現在での地名にその名残がある。
エジプトの有名な太陽のフネは、ファラオを常世に連れて行くために玄室埋葬された。
古墳の場合は、玄室自体がフネの形をしている場合が多く、壁にフネの絵が描かれている場合も多い。
天皇家の墓は一切公表されていないが、恐らく棺がフネの形をしているであろうと推測されている。
天応が死ぬとき「フネイリ」というのはそのためだ。

さて、では何が注目に値するのか。
出雲と北九州の墓制は甕棺だ。王墓も同じである。
これは広く半島・中国北東部に共通の墓制で明らかなる大陸由来である。
つまり、出雲と天皇家は全く墓制が違う。
墓制の違いは、出雲勢力と天孫族が祭祀やその血統が全く異なることを示している。
20日本@名無史さん:2013/03/09(土) 15:06:44.57
これは実に奇怪なことであると言わざるを得ない。
多くの点で出雲と近畿はかなり似た集団で、広い意味では同族と言っても良いからだ。

では、墓制として、フネ型の棺は日本のどこに多いのか。
それは、伊勢・尾張の太平洋沿岸だ。
最古の現存木棺は弥生時代中期。
それを考え合わせると、やはり、天皇家は出雲勢力などの大陸からの侵略者の末裔ではなく
日本太古からの、縄文勢力である可能性が極めて高い。
21日本@名無史さん:2013/03/09(土) 16:22:41.79
エジプトに居たイスラエル民族かもしれんし。
目の周りの入れ墨とかは?
22日本@名無史さん:2013/03/09(土) 17:14:55.80
>縄文勢力である可能性

これには大いに同意するが
甕棺自体は縄文時代から幼児に用いられているし、埋甕の習慣などもある
屈葬も縄文時代に多い埋葬
もっと幅広く比較しないと、銅鐸が消滅したから征服されたなどと同じような
話になってしまう
23日本@名無史さん:2013/03/09(土) 18:14:25.33
>>21
人面文は先月末に大垣で見つかった弥生時代末期の
東町田遺跡でも見つかった。ヤマトではないんだよね。
中国地方や九州にあるのに。
24日本@名無史さん:2013/03/09(土) 18:16:24.11
ついでに船型の棺桶は荒尾南遺跡で見つかってる。

これらを総合すると、大垣にはヤマトと相入れない
勢力が当時あった。しかも出雲系
25日本@名無史さん:2013/03/09(土) 19:41:05.80
船型木棺が見つかった名古屋の平手町遺跡の隣が志賀町だから
海人族の安曇族の可能性があるな
舟型木棺は今のところ中国南部、東南アジアの文化の伝播だろうけどな
木棺は残りにくいから、今後の日本での発見しだいではかわるかもしれんが
26日本@名無史さん:2013/03/09(土) 19:48:08.69
荒尾南遺跡のは組合せ式箱形木棺じゃない?
船型木棺もでてる?
27日本@名無史さん:2013/03/09(土) 20:18:57.26
安曇族はエジプトあたりから船で来た海人族
http://lunabura.exblog.jp/16860839/

安曇目(あずみめ)
イスケヨリ姫はその大久米の命が目の周りに入れ墨をして鋭い目に見えるのを見て、
変わってるなあと思って、歌にして、返事をしました。
 「つばめ、せきれい、ちどり、ほおじろ。それにあなた。
どうしてそんなに縁取りのくっきりとした目なの。」
                              古事記より
28日本@名無史さん:2013/03/09(土) 20:33:08.50
>フネ型の棺は日本のどこに多いのか。
>それは、伊勢・尾張の太平洋沿岸だ。

渥美半島も安曇系かね。
29日本@名無史さん:2013/03/09(土) 21:57:48.92
>>26
勘違いでした。組み合わせ式でした。さすがこのスレの住民ですね。
30日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:38:31.28
>>19
出雲大社に直接聞いてくればよい
ニギハヤヒが出雲の国を統治していたんだろって、ついでにニギハヤヒ=ニニギの尊ってねw
古文書を開いて、どのような解答するのかワクワクが止まりませぬってねw
31日本@名無史さん:2013/03/09(土) 23:05:15.36
出雲に有った古文書はヤマトが全部燃やした気がする
神宝も全部奪ってるし
あと期待できるのは、ヤマトに奪われる事を避けるため
どこかに埋めた神宝とか有る気がする
32日本@名無史さん:2013/03/09(土) 23:19:41.80
出雲の神宝を奪った崇神天皇や武諸隈は、物部系じゃないの?

振根が討伐された後、
出雲国では大和朝廷を畏れ出雲大神を祀らなくなった。
そのために崇神天皇の勅命が出され、再び祭祀が
行われるようになった・・・

これは、大国主を封じたということだよね。
33日本@名無史さん:2013/03/10(日) 09:15:42.00
出雲系の神社のほうが全国には圧倒的に多いんだよね
34日本@名無史さん:2013/03/10(日) 13:00:03.91
>>32
出雲の隣、石見の一宮は物部神社なんだけど、なんか関連あるのかな
35日本@名無史さん:2013/03/10(日) 14:40:17.48
八幡神社は宇佐、
稲荷神社は佐賀、
水天宮は久留米

九州しかよくわからんが、こんなふうに
日本中に広がっている神社がいくつかある。
多分他の地方にもあるだろう。

これは、そこをルーツとした氏族の一派が、
地方に落ち着いた後に、祭ったものだろう。

丹生神社なんかも、きちんと水銀鉱脈のあるところに、
鎮座しているのが興味深い。
36日本@名無史さん:2013/03/10(日) 15:46:01.09
>>35
分詞なんかも調べると面白いだろうし、出雲で言えば大国主系とスサノオ系の神社も色々あるようだし、
国引き神話の残滓みたいなのも神社名と風土記を見比べると色々見えて面白い。
それはそれで興味あるけど、一宮が物部でしかも出雲の隣ってとこに引っかかっただけだよ。
37日本@名無史さん:2013/03/10(日) 16:12:25.24
結局、何にも解らないってことだね!>日本古代史
38日本@名無史さん:2013/03/10(日) 17:25:33.04
大体把握しました。

実際には「神武東征〜崇神〜出雲国譲り」・「ニニギ降臨」が正しく、
ニニギ降臨は持統文武を正統化する為に日本書紀にて後付けされたものですね。

神武=崇神=依羅(イリ・扶余王族、2C末〜3C初)で、
扶余滅亡により九州に敗走するも、
当時北九州〜山陰・瀬戸内〜近畿・北陸の豪族グループは全員渡来人(精々混血)であり、
大陸側の覇者に逆らう気概など到底持ち合わせていなかった。

彼等に冷遇された上に大陸側に売られそうになった依羅は熊蘇(南方系)の勢力圏まで落ち延びたところ、
何と沿岸部には熊蘇と混淆しながらも大陸での貴賤の序を残した豪族が居り貴人として迎えられた。

しかし既に復讐鬼と化していた依羅はその地に骨を埋めるを善しとせず、
従う様になった者達に舟を操らせて憎き大陸の走狗に気取られ無き様太平洋岸を移動して、
当時の地理感覚では東端と考えられていた熊野に上陸、最も東の文明国(地域だが国扱い)ヤマトを捲土重来の起点として攻め取った。

中国瀬戸内海近畿の有力豪族達はすぐに連合軍を編成して反撃を始め、
狭隘な大和盆地の出入り口(多分南河内)で戦線は膠着した。

崇神と化した依羅は講和会議の場でも連合軍首領の出雲物部氏を圧倒、
更に依羅の血筋の良さをも見て取った物部は何と依羅を担いで統一国家を建てる気になり両方は結託、
自らを熊蘇に既存の熊野伝説の神武皇に重ねた依羅=崇神と物部により復讐者国家ヤマトはここに遂に建ち、
日韓併合へと突き進んで行くのであった。

でおk?
39日本@名無史さん:2013/03/10(日) 17:27:56.32
すぐ在チョンが湧くからな、この板は
40日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:00:30.89
津島神社はスサノオの由来は半島って言ってるけどな。
41日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:01:23.11
八幡神社は東大寺大仏の建立の時、援助の託宣を出し、豊前香春から銅を献上している
781年仏教保護の神として八幡大菩薩の神号が与えられ、全国の寺の守護神として
八幡神が勧請されるようになった
源義家は岩清水八幡宮の社前で元服し「八幡太郎義家」と名乗り
源頼朝が幕府を開くと鶴岡八幡宮を源氏一門の守護神としたため、全国の御家人たちも武家の主護神として領内に勧請した

稲荷神社の総本社は、京都市伏見区の稲荷山の西麓にある伏見稲荷大社
秦氏の氏神で、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった
東寺では、真言密教における荼枳尼天(インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、
真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなった
稲荷神社の数が急激に増えたのは江戸時代、関東を中心に東日本で多く信仰されている
佐賀の祐徳稲荷は鹿島藩主鍋島直朝の夫人花山院萬子媛が嫁いだ際に1687年社殿を建立

水天宮は、1185年壇ノ浦の戦の後、高倉平中宮に仕えていた官女 按察使局が源氏の追っ手を逃れて筑後川に辿り着き
祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰めたのが創始、
1650年久留米藩主有馬忠頼が現在の地に7000坪の敷地と社殿を寄進
42日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:06:28.20
津島神社は延喜式神名帳には記載されていない
43日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:14:12.71
>>39 38だが知り得る限り江戸時代以前からこっちw

熊蘇には北からの圧力を東から潰してやると持ちかけたんだろうし、言葉など取り次いだ者も居た事だろう。
44日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:42:28.78
>>38注釈

因みに天磐船(アメノイワフネ)は何時の何れの時代の現代人にも有りがちな線形的発展史観から最新鋭の大型船が想像されがちだが、
実はアウトリガーの丸木舟だった。

大波に呑まれても一木削り出しの半分筏みたいな代物だから絶対に分解しないし沈まないので磐舟(イワフネ)。

それを屈強なポリネシアンの血を引く熊蘇が神使の如く操りまさかの長距離を正確に航海し、
みごと紀伊半島に上陸したので、
神出を為さしめた天磐舟となった(後前述の邪念が蔓延り→船)

プランキングシップ?
ずっと後代の鑑真和上も4回仕挫ったねw
太平洋岸じゃまだまだだったでしょう。
45日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:46:54.61
遺伝子的に見て、日本は渡来人が侵攻してできた国ではない。
言語も縄文人のものが優位でつくられている、アイヌはおそらく北方の言語とクレオールだろうけどな
沖縄は遺伝子的に見ても渡来人の影響を受けてないが
琉球語と本土日本語との分岐が2200年位前だそうで、本土に渡来人が来る前。
にもかかわらず、本土の言語が沖縄と基本的に同じだということは、言語上本土日本語は縄文人優位で形成されたということ。
そもそも騎馬民族征服説のような戦後思想の洗脳をバリバリうけたようなカビの生えた言論は
いちいち反駁するのもめんどくさいくらいナンセンスなんだよなぁ(迫真
46日本@名無史さん:2013/03/10(日) 20:06:25.79
>>41

佐賀の祐徳稲荷神社は、さらにその勧請元となった、金立公園(九州横断道金立SA)の北にある、
正現稲荷神社がありまして、その由緒は、景行天皇が伏見稲荷神社から勧請して、
建立したものという由緒があります。

ただし、伏見稲荷の建立は8世紀ですが、景行天皇の時代は、記紀に合わせるならば1世紀、
伝承に合わせるならば4世紀に、正現稲荷が建立されたことになり、伏見稲荷神社より前となります。

もっとも、伝承なので、内容的にはどうにでもなるといえばいえます。
47日本@名無史さん:2013/03/10(日) 20:08:37.40
西暦起源前後に於いては、
より優れた土木建築技術や冶金を筆頭とする工業技術を携えて来る機会はやはり朝鮮半島経由の渡来人にあり、
その何波目かが皇統を築いたのは間違い無い。

しかし日本の皇統が大陸・半島に対して独立傾向があり他経路の祭祀を毀釈しないで(少なくとも全くにはw)混淆・独自化し、
大陸側から見て有り得ん割れと成り得たのは、

依羅が滅亡した王朝の敗走者且つ復讐者であり、
当時航行不可能とされていた、
延岡〜宿毛間や阿南〜白浜間の、
航路をワープ航法で往来できた熊蘇のポリネシアンボートというAlienwareが存在したからである。

スペクトルマンに於いては

 熊蘇=ゴリ
 依羅=ラー

であり、
スターウォーズに於いては

 依羅=ハン・ソロ
 熊蘇=チューバッカ
 ミレニアム=ファルコン号=千年隼(人)号=熊蘇ポリネシアンボート


なのである。

ユダヤ人までそうだったんだろうと考えているんだから間違い無いでしょうw
48日本@名無史さん:2013/03/10(日) 21:31:01.14
荒らすのやめろよw
49日本@名無史さん:2013/03/10(日) 22:31:27.12
>>48 悪乗りしちゃって済みません。

しかし充分矛盾無く辿れるストーリーですし、>>45

>琉球語と本土日本語との分岐が2200年位前だそうで、本土に渡来人が来る前。

としていますが、
その前後に半島からの弥生人の進入が始まっていますので、
南方系は当にその頃に北九州〜瀬戸内〜奈良盆地以北を塞がれてしまい琉球と四国瀬戸内海側以北で言語の分化が生じたとして何ら不都合は無い、
と云った程度の知識は伴って客観視しようとしています。

文書取り分け史書の類は頻繁に改竄焚書の憂き目に会いますしね。
50日本@名無史さん:2013/03/10(日) 22:41:28.89
荒らしで無い科学的証拠をもう一つ

アウトリガーはビーチングができるので沿岸が砂浜続きの日向灘でも土佐灘でも無問題w

御理解頂けましたでしょうか?
51日本@名無史さん:2013/03/10(日) 22:55:03.78
難しすぎる
52日本@名無史さん:2013/03/10(日) 22:59:43.85
弥生人が半島から???
53日本@名無史さん:2013/03/10(日) 23:17:18.20
長野の山中にポリネシア調の鯱紋様が残ってるくらいですからほぼ間違い無いと思っています。

現在の琉球のドラゴンボートは中国系の琉球王朝貴族が持ち込んだ代物ですから帆が有りませんが、
コンティキ号ですら帆船だったのですし、
熊蘇が帆走に長けていたと考えるのは至極自然な発想です。

崇神(=神武=依羅)自身は熊蘇を大事にしようとしたかも知れませんが、
崇神の死後ヤマトの権力は完全に物部氏の手中に落ち、
建国の功臣熊蘇の行く末は一転して韓国人の好きな政治金言「兎亡狗烹」の筋立てになってしまい、
不遇に音を挙げた熊蘇系豪族が次々と討たれて行ったのが後代の熊蘇征伐の真実ではないでしょうか?
54日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:07:45.24
>>53
海岸のそばでは鯱紋様はどこにあるんだい?
55日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:10:50.07
>>49
ところが
当時の半島の南部は倭だったんだよ

『三国志魏書』馬韓伝
「韓在帶方之南、東西以海為限、南與倭接、方可四千里。」
56日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:29:42.14
>>52 違うんですか?

縄文人は熊蘇と蝦夷とその混血から成り、そこへ弥生人が半島から冶金と大規模灌漑と麦作を輸入したんですよね?

ジャポニカ米の分布を遺伝子レベルで調査したところ、
米は日本列島から朝鮮半島に入ったそうですから、
米作は熊蘇が九州から朝鮮半島に持ち込んだのであり、
弥生人が日本への渡来以前に米作を知っていても不思議では無いものの、弥生人が無から有を産み出したかの様に日本列島に持ち込んだのは、
米では無く麦なのですw
当時の農業技術では米の収量などたかが知れてますから、
裏作で麦を収穫すると殊に兵糧の調達力に決定的な差が出ます。
乱暴に言えば2倍になるのですからw

三足烏は扶余高句麗のシンボルだったそうで赤道域のガルーダにも相通じますが、
一方では朝鮮半島の何処を探しても19世紀以前の鳥居は存在しません。

ところが神社に類似した様式の神殿がヒマラヤの南麓に見つかり海洋民族紋様まで発見されたり、
ボリウッド映画(更に南のタミール人の地域)の時代劇には鳥居が出て来ます。

重ねますが日韓併合物より前時代の韓ドラには唯の一度も出て来ません。ですから三足烏はユーラシアの内陸部から扶余に伝わって来たものでしょう。

つまり神武(三足烏ブランド)は、
北九州に侵入していた半島系に虐められていた熊蘇(八尺口烏※)に担がれて、
半島系に取っては不通の地だった太平洋岸を、
熊蘇伝統の帆走アウトリガー航海術で神速にて移動して熊野から大和に出現してみせたのですが、
多分に漏れず代替わりを経るに熊蘇は半島系に蹂躙され、
以来神社は熊蘇の器に扶余そして出雲の神を祀る事態に陥って行ったのです。
57日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:32:15.99
>>56
八尺口烏は三目三脚の姿で表されますが、これは老人や身体障害者と言った社会的弱者を指して居ます。
彼等は不遇に堪えかねると征服者のパイロット、即ち水先案内人になります。
ギリシャ神話にも同じ説話があり映画になったところでは「300」があります。
58日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:32:18.83
鯱って想像上のじゃなくて、海にいるシャチのこと?
シャチは比較的冷たい海に多いが、日本では北海道でも和歌山でも度々目撃されている
アイヌ民族は、シャチを「レプンカムイ」(沖の神様)と呼んで信仰の対象となってるし
福井の縄文貝塚からはイルカ、サメ、シャチ、クジラの骨が発見されている
半島と何の関係がある?
59日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:38:09.89
>>56
横だが、弥生人は江南の可能性が最も高い
呉越戦乱の難民な

戦乱を避けて海に逃げて、九州と半島南部に大量に流れ着いたと考えられる
おそらく半島に流れ着いた人の中には
温暖だった日本を再度目指した人も居ただろう
日本には越と言う国が有るんだよ、呉もある
60日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:39:30.75
>>58 神話由来ですが中国経由では無いとの意味では海のシャチで善いと思います
61日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:41:44.35
>>59 4元論でも未だ行けますねw
62日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:55:27.99
日本に来たジャポニカと長江流域の亜ジャポニカは、
台湾の対岸以南で伝播経路を分かったそうですから、
九州及び朝鮮半島にジャポニカを持ち込んだのは熊蘇でしょう。
63日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:01:52.94
>>54 神社の社殿です。
実を言うと修験道系統の所に良く残っている様でちょっと自信有りませんw
64日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:04:32.90
>>59
言葉が違うな。
日本語と中国語は基本的な文法が異なる。
日本に来たとしても、比較的少数であり、同化したのかもしれない。
65日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:05:18.25
>>58 鯱紋様は熊蘇由来では無いかと考えています。
66日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:08:37.71
君が言ってる熊蘇ってのは日本列島にいた縄文人のこと?
67日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:17:29.94
>>64
だから日本の先住民が渡来人を吸収し同化させたんだよ
勝ったのは縄文人

来た証拠なら有る
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1358946122/

長江付近の古代遺跡から
九州の弥生人と同じ遺伝子が見つかっているし
弥生人と同じ抜歯した人骨も見つかっている
68日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:24:48.30
>>67補足
弥生人と言われる渡来人が来た時、半島南部には倭人が住んで来た

稲の道
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-25.html

北朝鮮は稲作が不可能なので
半島北部を経由したルートは有り得ないから
南部をかすったか直接来たかのどっちか
問題は半島最古の水田遺跡が釜山辺りなことで半島経由は不利
69サガミハラハラ:2013/03/11(月) 07:07:14.49
北朝鮮は稲作が不可能?そんなことはございません。稲作ならもっと北の満州の松花江
でさえ収穫できます。近くの西友でうっていました。
70日本@名無史さん:2013/03/11(月) 07:45:01.65
これだからデンパは・・・。
支配民族が吸収されることはありえんよ
Y型遺伝子というのは男性を通して遺伝していくもので支配者層が女性を差し出すような習慣がないかぎり
つまり支配層が入れ替わらない限り、こうした遺伝子の逆転はおこらない
南アの遺伝子みればわかるけど、すでに白人の遺伝子優位の社会に変化している
圧倒的に数でおとるはずの白人が奴隷であった黒人の遺伝子に優っているということ。
よって渡来系が縄文人を支配したという論理は成り立たない。
71日本@名無史さん:2013/03/11(月) 07:47:11.13
>>69
東北部で稲作はされてないよ
72日本@名無史さん:2013/03/11(月) 11:58:32.92
>>69
品種改良って知ってる?
古代から朝鮮半島北部で米が取れたとでも思ってるのかこの馬鹿チョン
73日本@名無史さん:2013/03/11(月) 17:19:02.35
>>56
ヤタガラスって記紀の時点じゃ三足烏じゃないでしょ
平安時代に漢学者が言い出した説で、大衆に広まったのは戦後のはず
74日本@名無史さん:2013/03/11(月) 17:39:53.66
>>69
それ日本で明治以降に品種改良された米で
しかも日本人が懇切丁寧に技術指導して、その結果最近作れるようになった米だぞ
そこの中国人はその日本人を恩人と尊敬している
朝鮮人に中国人の爪の垢でも呑ませたい
75日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:57:35.74
>>73
だいたいそんなところ。
それ以降、画像に三本足が描かれるようになった。
(中国の神話の影響)
それと、騎馬民族侵入説なんて、もはや基本的知識の欠如ゆえの
デンパ説以外の何ものでもない。
76日本@名無史さん:2013/03/12(火) 09:27:54.37
半島への騎馬民族の侵入自体は皆無ではなかったでしょう、
万里の長城の外だしキョウド辺りが稀に。

しかし大勢に於いては大陸の内部から潤沢に種々の家畜を調達できた歴代中国王朝に屈した地域が、
主権の喪失と引き換えに中国の最新社会資本を平和の配当として受け取り高度文明化して日本側に対して充分に優位になった時期に進出したと考える方がやはり自然ですね。
77日本@名無史さん:2013/03/12(火) 09:58:29.96
スターウォーズエピソード4の種本は日本書紀

ハン・ソロ=韓寇一人皇=亡命扶余王子依羅
チューバッカ=取り敢えず皆「忠!!」は覚えた=熊蘇
ミレニアム=ファルコン号=千年隼人号=当時既に千年以上も太平洋を移動して来たポリネシア系倭人の丸木舟
ジャバ・ザ・ハット=出雲グループの一員で対馬海峡の交易を牛耳る豪族=邪馬台

レイヤ姫=話にレイヤー作ってる=投馬国王女(依羅を婿に迎えた=アマテラス)と持統天皇のダブルキャスティング
ルーク・スカイウォーカー=草壁皇子
ダース・ベイダー=劉高徳
78日本@名無史さん:2013/03/12(火) 10:44:34.38
神武東征

半島への直接再起を図る依羅は環日本海豪族小国家群の北九州〜北陸を統べる出雲グループの西端の邪馬台国を攻めたが敗れ、
四国南岸を逃れて山戸を獲得、
出雲グループ主流と講和・連合しヤマト建国に至る(正妻アマテラスは投馬国に健在だったが物部第一夫人冊立の為うやむやに)が、
依羅の死後に南九州グループの勲功と勢力圏は出雲グループ総帥の出雲物部氏により簒奪される。
--------------------

崇神建国

出雲物部氏の専横を快く思わない邪馬台国は山陰道を東進するが出雲で言いくるめられて講和。
しかしその後も物部氏の専横は更に止まず邪馬台国が業を煮やしていた処、
日本に興味を持った百済が邪馬台国を水先案内に瀬戸内を東征、
ヤマトを屈服させて属国化した。
邪馬台=蘇我

--------------------

日本書紀編纂

その後百済は滅亡、共に白村江で戦い壊滅的敗北を喫した日本にも唐軍が進駐したが、
新羅が唐と所得再分配交渉で決裂したか高句麗が騒がしくなったかで唐軍は離日、
日本は這々の体で独立を回復したのでそんな不名誉な歴史は日本書紀に記載出来なかった。

--------------------

GHQは既に皇族から真相の事情聴取を済ませてあったのだろう。
79日本@名無史さん:2013/03/12(火) 10:53:16.37
マジで面白いと思って書いたの?
80日本@名無史さん:2013/03/12(火) 10:56:13.02
>>79 一番スッキリした筋書きだと思って書いた。
81日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:05:00.34
>>66 蝦夷(アルタイ)も熊蘇(ポリネシアに雲南被り)も縄文人で雪の少ない地域では混淆しまくりで最早区分不能だったと思います。
82日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:09:49.44
もうちょっと論を組み立てる努力をしようぜ
いつまでたっても妄想レベルを超えられない
83日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:13:35.05
>>78補記
ヨーダ=語部=S・スピールバーグにネタを吹き込んだ=依田某氏=依羅の末裔?! 
84日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:41:57.13
大陸の三足烏は雄々しく三国の民意に依る鼎立を象徴する様に高次に権威化された概念で、
八尺口烏はユーラシアに遍在する説話に先祖帰りさせた概念。

三つ目三つ足は目盲い・居去り(先天性奇形や頼病等に拠る)を意味しており、こういった描写は現地の被虐者が征服者のパイロット(水先案内)に転ずる伝説にしばしば出現します。

と同時に、唐物を引き込んで権勢を誇った蘇我氏自体を醜く貶めたかったのかも知れませんね。
85日本@名無史さん:2013/03/12(火) 12:42:05.79
>>82 調べ物が全くに不足しているのは承知していますが、
この手の話が事実視されると、

  戦前の神州皇国史観も、

  東京裁判史観も、

  中韓の一方的被害者史観も、

 全て誤りとなり消し飛んでしまいますからねw
まあ専門家がじっくり正確に真実を解き明かしてくれるのを待ちます。
86日本@名無史さん:2013/03/12(火) 13:09:25.53
>>85
専門家じゃなくても、しっかり史書にあたって他人にわかるように論を展開していけばいいだけでしょ
あなたの書き方は結論ありきで政治的意図があると言ってるようなもの
87日本@名無史さん:2013/03/12(火) 13:40:41.53
依羅にとっての九州

邪馬台国=言語も通じ首長一族は洗練されているが、やはり大陸の息が掛かっており追討を恐れてとは言え依羅を冷遇し受け入れなかった。船で国東方面へ向かう羽目になる。半島からここまでの敗走経路で財産の殆どを失う。

投馬=馬を投げ打つ国即ち「行き先、終点、最終到着地(The boundery destination)」、と言う事で実際には馬では無く船と徒歩だったろうが兎に角もここで王族から王女を嫁を貰う。嫁に頭が上がらず呑んで不善を為す日々(アマテラスとスサノオ)を送る。

熊蘇(熊襲)=熊の様に襲って来たが、平定してみると若干言語が通じる上に見事に統率が取れており意外に使える連中。

隼人=既に熊蘇に平定されていたので熊蘇に指示すれば従った。

邪馬台国A=半島への直接反攻に出た依羅を阻む。つくづく馬の歩みを邪魔する大陸の部局(台)の様な国。
88日本@名無史さん:2013/03/12(火) 15:12:40.06
>>83>>77補記スマソ
89日本@名無史さん:2013/03/12(火) 15:15:22.61
へんなのに取り付かれたな、この粘着は長そうだ
90日本@名無史さん:2013/03/12(火) 15:28:08.51
>>89 失礼しました終わります。
91日本@名無史さん:2013/03/13(水) 12:41:17.23
なんで、このへんの話って、すこし油断したら
トンデモ満載なんだ?
もう、ほとんど文献も関係なしのファンタジーだらけじゃんw
92日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:13:31.27
ニギハヤヒが高天原から天野川を天岩船にのって進み
現在の大阪府交野氏の天岩船神社あたりに降臨した。

高天原とは、どこか?
それは、現在の御所市、葛城市のあたり。
このあたりまでは、紀元0年ころは、大和湖があり、大阪湾まで流れていた。
大阪湾も現在に比べて奥まで入り込んいた。
93日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:22:53.93
94日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:26:34.07
>>91
ぶっちゃけ戦前よりひどくなってる気がする
95日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:31:52.77
土蜘蛛伝承
96日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:35:47.89
記紀は意外に信頼できる。
日本書紀に饒速日命は天磐船でやって来たと書かれている。
船でやってきているんだな。
一方で、瓊瓊杵尊の日向降臨には船は出てこない。

高天原は、大和に行くには船が必要で、
日向に行くには船は必要ない場所にある、ということになる。

もちろん、神武東征は船で出かけたことが書かれている。
97日本@名無史さん:2013/03/13(水) 14:33:56.75
高天原とかこの情報量じゃ信長の遺骨を探すようなもんだろ
98日本@名無史さん:2013/03/13(水) 16:11:47.75
>>96
ニニギは北部九州から徒歩で縦断したということになるな。
「ソジシのムナクニ」は、九州島を巨大な獣に見立てたときの背中部分=九州山地のことだろう。
99日本@名無史さん:2013/03/14(木) 11:18:30.40
ニギハヤヒのケースは、記紀には書かれていない。
船に乗ったかどうかなんて、書かれているか書かれてないかの違いに過ぎない。
ニニギのケースも同じようなもん。
書かれてないか書かれているかは、ことの是非に関係ない。

よって、記紀にニニギの降臨に船が書かれているかどうかは
意味のない話だ。
ニギハヤヒのほうは、記紀には降臨すら書かれてないのだから。
100日本@名無史さん:2013/03/14(木) 11:20:49.73
>>94
戦前と違って、戦後は初歩的な記紀の知識すらない人が多いので
それにかこつけて、トンデモいう人が激増していると思われ。
また、トンデモいう人も、初歩的な記紀の知識すらなく
ちまたにあるトンデモ歴史読み物で知識を蓄えているから
ますますトンデモを加速させている感じ。
101日本@名無史さん:2013/03/14(木) 12:55:45.92
ただの高原地帯の事じゃね?w
102日本@名無史さん:2013/03/14(木) 13:09:22.70
神武神話って朱蒙伝説によく似ていると言う話を聞いたけど。

「じんむ」と「しゅもう」て、良く似ているような気がす。
天神から貰った神器を饒速日と神武が見せ合う場面があるけれど、
三種の神器とは違い、朱蒙の得意な弓の道具と言うのはどう言う訳だ。
103日本@名無史さん:2013/03/14(木) 13:48:21.08
基本は古事記と日本書紀。あらすじの本で良いからこれを先に読まなくてはならない。
しかし、時としてとんでもない市販の本から入る人がいる。
行き着く先は、記紀は間違っているということになる。
記紀という規範がなくなってしまったら、何でもありになってしまう。

記紀神話は、よその国の神話に似ているなんて、読んだこともないのに熱心に主張したり
するのが出てくる。天照大神は持統天皇がモデルだとか、神武東征は作り話だとか
トンデモ本の受け売りが出てくるようになる。

その意味では畿内説自体が記紀の間違いを前提にしたトンデモ説といえるかもしれない。
ある意味、記紀の基本は神武東征であり、これを否定したなら、記紀そのものが成立しない
要素があるわけだから。
104日本@名無史さん:2013/03/14(木) 16:54:16.30
>>102
似てないよ。無理からだ。あれで似ているのなら、何でも似ていることになる。
それに「神武」は後世につけられた漢風諡号。
記紀の原文にすら記載されてない名前。
なまじ、あとから神武とか崇神とか雄略って漢風諡号の天皇名をつけたので
後世の人間が大混乱
105日本@名無史さん:2013/03/14(木) 16:55:52.96
>>101
一度、奈良盆地にいってみればよい。
橿原市、御所市、葛城市あたりから、南に行くほど
どんどん土地が高くなっている。
106日本@名無史さん:2013/03/14(木) 20:32:05.29
>>102
東明聖王の生い立ちは神武天皇より大国主命に似てる
107日本@名無史さん:2013/03/14(木) 21:07:56.31
>>106
だから、その程度で似ていたら、
世界中のあらゆるものが似ていることになる。
無理があるすぎるんだよ。
108日本@名無史さん:2013/03/14(木) 21:15:05.22
上で御所市高天が高天原だという説があるけど
たしかに、高天原の地名や伝承は、あそこに高天彦神社が残ったから
あそこが高天原の一部だったことに間違いないと思うけど
でも、実際には、あそこだけが高天原だったわけではなくて
御所市、橿原市、葛城市など、大和盆地南部一帯の全域が
高天原だった可能性が高い。

記紀神話でも、高天原には、天香久山、天岩戸、天安川があると書いてあるし、
また、出雲から高天原の途中に
ヤマト(元々は三輪山の麓の地域だけの名称)があると出てくる。
これに該当する地域は、御所市、橿原市、葛城市など、大和盆地南部一帯の全域しかない。
また、この当時、大和湖の中心部には、大和湖があり、
湖によって、大和盆地の中でも明確に土地勘が分かれていた。
大和湖の東岸部がヤマトであり、南岸部が高天原といわれていた可能性が高い。

http://stat.ameba.jp/user_images/7c/38/10023077719.jpg
109日本@名無史さん:2013/03/14(木) 21:52:03.27
土蜘蛛伝承
110日本@名無史さん:2013/03/14(木) 21:57:34.87
長野まで追い詰めて出雲に国譲りさせたほどの勢力が
大和からどっか行って、四代目になってやっと「東方にはもっと良い土地がある」
と言って大和に戻って来るってマヌケな話やねw
111日本@名無史さん:2013/03/14(木) 22:23:10.00
出雲の建御名方(タケミナカタ)神は、高天原から派遣された建御雷(タケミカヅチ)神
に負けて、信濃まで逃げて行った。そこでつかまり、この地以外のところには
行きませんから殺さないでください、と嘆願した。

出雲から信濃に逃げるというのが味噌だな。普通は敵の本拠地の方には逃げない。
112日本@名無史さん:2013/03/14(木) 22:31:14.29
>>111
建御名方の生母は、高志の出身。
113日本@名無史さん:2013/03/14(木) 22:33:37.38
しかも、その諏訪は大和で日本を統治する場合、越と関東への陸路の重要地で
そして多くの武将達が諏訪明神を軍神として信仰している
8世紀の政権の中枢が創ったストーリーはどうもそのまま受容れ難い
114日本@名無史さん:2013/03/14(木) 22:44:47.08
魏志倭人伝をみたら分かるけど、この当時の倭国では
陸運よりも水運のほうが重要。
そもそも、馬や牛を使った交通すらない時代だし。
いや、馬や牛がいた戦国時代や江戸時代ですら、水運のほうが
圧倒的にメインだった。

魏志倭人伝の時代は、まだまだ河内湖や大和湖があったくらいだし、
魏志倭人伝を読んでも分かるけど、海岸線を沿うように船で移動するほうが
安全でなおかつスピーディーだった。
115日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:05:55.89
それは物流の話だろ
倭人伝では見て周ったのは北部九州で、その他の国のことはよくわからないとしている
116日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:07:12.64
投馬国(ヅモ国=出雲国)、邪馬台国(ヤマト国)
日本海沿岸ルート。
117日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:09:41.80
>>113
建御名方神には、建御雷神に負けたというエピソード以外に何か
勇ましいエピソードでも残っているのかな。
118日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:09:45.19
http://stat.ameba.jp/user_images/7c/38/10023077719.jpg


大和湖と金剛山の間に平原が、高天原。
大和湖の東の三輪山麓の古墳群のある地域が、ヤマト。
119日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:13:56.48
建御名方神は出雲から高志まで日本海沿岸ルートを逃げた後
高志から諏訪まで逃げている。
あるいは、最初から高志にいたかもな。
母親が高志の出身の沼河比売だから。
120日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:19:03.48
>>119
お母さん助けてってわけでもないだろう、子供じゃあるまいし。
121日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:21:55.89
>>120
だから、外戚の影響だよ。
母方の一族との関係。
父方は出雲の王族だろうけど、母方は高志の豪族の出身だったかもな。
122日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:23:19.04
出雲国譲り伝承は、もう一つ、播磨国での争いの伝承もあって。
出雲国譲りは戦争は、日本海沿岸部と播磨国の両方で
天津神と出雲が激突したとある。
123日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:25:30.90
三輪山麓の古墳群のある地域が、邪馬台国の中心地のヤマトなら
南側はただそのはずれだろ
地名の語呂合わせしか根拠がないし、土蜘蛛はいるし
124日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:40:18.49
高志のヒスイが弥生時代の倭国のメインの輸出品だよ
125日本@名無史さん:2013/03/14(木) 23:43:58.50
>>122
青谷上寺地遺跡の様子はその痕跡ではないかと思っているのだが。
鉄剣らしき鋭利な切り口なんてのは、ぴったり来る。
126日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:01:25.98
青谷上寺地の人骨は渡来人だし、妻木晩田のほうは戦闘の痕跡がないから
出雲国譲りで大規模な戦争があったとは考えにくいけどね
127日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:06:12.01
>>123
大和湖の南側には葛城があるし、神武天皇が即位したという伝承があるのも
南側の橿原市。
そして、初期の天皇の御所のあった場所は、大和湖の南側の
葛城市、御所市橿原市などに集中している。
高天原神話で登場する高天原にあった
天香久山、天安川、天岩戸はすべて大和湖の南側にその山や伝承地の神社がある。

もともと、畿内王権の中心地は、大和湖の南側(葛城市、御所市、橿原市など)にあったが、
欠史八代の終わりごろに、大和湖の東側の三輪山山麓に移動した。
そこを山処(やまと)といった。
128日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:10:19.21
>>126
人骨が渡来人なんて根拠はない。
厳密にいえば、新アジア人種系の特徴の人だったというだけ。
でも、それは現在日本人にもある特徴に過ぎない。
最近では、弥生時代の開始時期は3000年以上前にさかのぼるようになっているので
普通に見て2000年前の遺跡である青谷上寺地移籍の時代は
弥生時代が開始されて1000年くらいたった時代ということになる。
129日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:13:35.54
よく、出雲国譲り戦争の遺跡を考古学上の物的資料で探そうとする人いるけど
考古学上物的資料でどうやってそれを区別するんだいw?

たとえば、あの時代の武器が出土してくるけど
その武器をみて、この武器は強力そうだから、戦争があったのだとか、
この武器はさほど強力ではなさそうだから、戦争がなかったとか、
そういう風に判断するのか?
なんて曖昧な基準なんだ。
そんなもん、考古学者の先生のさじ加減だろうw
130日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:20:08.39
>>128

DNAの調査結果が出てるよ

>新アジア人種系の特徴の人だったというだけ

これの根拠は何?
131日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:26:32.14
>>129

考古学者でそういう判断してる人がいるのかな?
自分で妄想して曖昧な基準って言ってないか?
132日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:31:48.99
>>127

全部降臨後四代目以降のことだよな
高天原の根拠は地名語呂合わせだけなんだろ?
記紀に高天原に戻って日本を統治したっていう記事がある?
133日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:43:01.51
>>130
DNAの結果でどうやって分かるんだよ?
もう、あほかと。
DNAをみても、日本人と白人ぐらいなら明らかに違いがあるけど
日本人と大陸アジア人には明確な違いはなく、かなりダブっているんだから
DNAだけでは区別できないぞw
そのDNAは、日本人にも中国人にも韓国人でもみられるものだったしな。
134日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:47:41.06
>>130
でもその人骨は虐殺されてたぞ
バラバラにされ杭を打たれ、さらに焼かれてた

どうみても出雲の仲間には見えないな
135日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:49:16.28
>>132
神武が河内に上陸しようとして戦った時に,
わざわざ、自分は天津神の子孫なのに
それを向かいにして戦うのは縁起が良くないとか言っているしな。

そして、それこそが皇室のまずいことだろう?
何で、出雲国譲りの後、皇室の祖先は、わざわざ畿内から九州南部に
いかないとダメだったのか?
136日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:50:14.73
>>133
民族コア血統集団は父系母系数種類のグループ構成なのよw
137日本@名無史さん:2013/03/15(金) 00:52:00.58
>>133

ダブってるのは当たり前で、君が区別できないだけだろw
日本人にも見られるのは在日がいるからだろ
138日本@名無史さん:2013/03/15(金) 01:01:04.98
弥生時代の人骨では
戦勝傷のある縄文系は無いんだよね
だたひたすら弥生人だけが殺されまくっている

これは渡来人が縄文人に完全敗北した事を表している
139日本@名無史さん:2013/03/15(金) 01:04:52.02
協力的で天皇家を支えた渡来人と、調子に乗ったのがいたんだろうw
140日本@名無史さん:2013/03/15(金) 01:20:50.33
>>129
正確な年代や具体的な出来事の姿は完全に文献の世界。
考古学は基本的に推定の学問だから、歴史学的なことはわからない。

ということならば、出雲の国譲りという文献の世界から青谷上寺地遺跡を
切り込んでみるのが良いと思われるな。考古学が必要以上に絡んでくると、
都合の良い年代合わせに終始するから嫌になってしまう。
141日本@名無史さん:2013/03/15(金) 01:26:15.14
それも推定だろw
142日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:17:20.44
鎌倉時代、考古学の観点からみたら
博多と京都が二大都市な。
それこそ、博多王朝と京都王朝があったといってもよい。

しかし、この時代は文献が豊富だから、誰もそんなこと言わない。
文献によると、この時代は、京都に祭祀王がいて、博多はただの貿易上の玄関口、
そして、なんと、はるか東の鎌倉に俗世王がいて、日本全土を政治的
軍事的に支配してましたとさ。

いかに、考古学の物的資料で物事を判断するのが困難だという事例だよ。
143日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:19:59.25
そもそも、縄文弥生の転換期って、いまや
遅くとも3000年前以上に遡らせるようになってきているのだが...
一方、出雲国譲りとか神武東征なんて、せいぜい2000年前ぐらいの出来事だろう?
縄文から弥生に転換しはじめて1000年倉くらい経過した時代の話。
もう、とっくに弥生時代に移行してしまった後の話。
144日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:43:00.87
やはり隼人籠はカタマランセイラーに違い無い
145日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:44:52.91
>そもそも、縄文弥生の転換期って、いまや
妄想かよ。
シュメールでも稲作やっていたし、お前らの記述は矛盾だらけなんだよ。
馬鹿馬鹿しいから相手にせず放置していた。

>一方、出雲国譲り
国譲りはやっていないし、そもそも侵略後、勝手に記紀に書き込んでいるだけ
ニギハヤヒは天空浮船から下り立ったニニギの尊の別名

目の前の試験問題に書き込む為、決まった答えを求め、記紀のインチキな記述を
信じ込み、これが正しいとか言い出しているようなクズに何が判るのだよ。

それと、藤原家とコリアンは1セット、一心同体になっている。
今でも藤原紀香と明仁(コリアン)は1セット(一心同体)。
源氏は、エルサレム第一神殿まで辿り着いているのに、偉い相違がある。
146日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:50:08.38
>>145
おまえ、もしかして、糖質??

だったら、相手しないけど。。。
おまえの妄想には興味ないよ。
147日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:57:35.98
出雲国譲りの真相って、出雲が畿内勢力に国譲りした話。
では、国譲りが何だったのかというと、
出雲の王だった大国主が、畿内の王だったホアカリ命に国譲りした話。
大国主の娘は、ホアカリ命の正室になっていた。
つまり、大国主は娘婿だったホアカリ命の国譲りした。

その後、このホアカリ命が、地方に司令官を配置したけど
その中で、九州南部の統治を任されたのが、ニニギ命。
ホアカリ命の兄弟にあたる人物。

これが真相。
だからこそ、大和朝廷は、出雲の祭祀も大切にしてきた。
ただし、その国譲りされた相手が、皇祖ニニギではなく、
ニニギの兄のホアカリ命だったから、ややこしい話になるのだよ。
このホアカリ命には直系の男系子孫が存在していて
それが、熱田社の尾張氏だった。
尾張氏こそが、畿内王権の正当な創業者家系であり、本来の正当な倭王の王家だった。
神武皇統は、創業者ではなく、創業者の弟の家系であり、完全なる傍系だった。
148日本@名無史さん:2013/03/15(金) 09:34:42.04
>だからこそ、大和朝廷は、出雲の祭祀も大切にしてきた。
本当の「大和朝廷は」の話。
>出雲国譲りの真相って、出雲が畿内勢力に国譲りした話。
譲っていないのが正解で、出雲国がニセ大和朝廷に付き付けた嫌がらせは
10月(神無月)に神が出雲国に集まる為、神様が不在になると語っている。
実際、10月は安倍晴明が死去した月なので神無月が妥当。
水無月は、ニニギの死去した月と考えた方がいい。
>ニニギの兄のホアカリ命だったから
兄弟がいたかな? 記憶にないけどねw。
>神武皇統は
情報が不足しているので、今世の中に出ている情報を元にすると恥かくよ。
149sss:2013/03/15(金) 10:09:05.90
朝廷で出雲の祭祀が始まったのは崇神天皇の時代。
それまで宮殿に祀られていたのは天照大神と倭大國魂。
倭大國魂は初登場だが、恐らく高皇産霊尊のことだろう。
天照大神と倭大國魂は、その後宮殿を離れる。

民の半数以上が死ぬような疫病が発生し、反乱するものが後を絶たないと
いうような大きな災いのあとで出雲系の大物主が祀られ、なぜか皇祖が宮殿を
遠ざけられたわけである。

出雲の国譲りがこれにどのように関連するかを考えれば自ずから答えが出てくる。
出雲の国譲りがどのようなもので、その後、皇室がこれをどのように考えてきたかも
記紀を読むとわかると思われる。
150日本@名無史さん:2013/03/15(金) 11:06:32.95
>出雲の国譲り
出雲は、国譲りしていない。出雲の国譲りしたと記述しているのは記紀だけ。
仏像を盗んだ韓国はの話になるけど、ほぼ理由同じだよ。

歴史侵略した釜山出身のコリアン(恐らく、李の家系)が勝手に繰り広げた妄想歴史と記述。
朝鮮史の李王朝が全てを語っている。

出雲国を治めていたのは、ニニギの尊 本人。
天空浮船は、UFO=タイムマシン。
武内宿禰が長寿とか言われているけど、時間移動していたと考えれば長寿になりますよね。
 
全ての答えは暗号化されている。着眼点を間違えれば妄想歴史に呑まれる。
151日本@名無史さん:2013/03/15(金) 11:20:52.89
>>149
出雲系の大物主、
この認識自体がいい加減だよ。
古事記では、大国主≠大物主だから。

また、なぜ、崇神が出雲の祟りを恐れたのか、それどころか、
皇祖神である天照の祟りまで恐れたのかというと
出雲国譲りの真相と関係しているから。

出雲の大国主が国譲りした相手は、火明命であって、
その弟のニニギ命ではないから。
現在の皇室は、ニニギ命の男系子孫。
そういう意味で、崇神こと三巻入り彦に正当な倭王の継承権はない。

大国主の皇女の天道日女命は、火明命の正室になっており、
大国主は娘婿の火明命に国譲りをし、火明命による天下統一が達成された。
そして、この火明命はその後、通称を天照国照彦といった。
出雲国譲りによって、はじめて天津神と国津神の全ての支配者になったので
天照国照彦とよばれた。
そして、崇神時代に皇祖天照とされていたのは、この天照国照彦だからだ。
もともと、天照は男神だったという説は、ここにある。
152日本@名無史さん:2013/03/15(金) 17:20:51.54
>>150 天空浮舟=御輿だったら目も当てられないなw
153日本@名無史さん:2013/03/15(金) 17:40:13.72
単に大船は大汐の日取りや時間帯に襲撃されると拙いから
積んであったか随伴してたかの小舟を艀にしてビーチング
乃至止ん事無き(限度や程度をわきまえない)御方の場合には乾いた所まで漕ぎ手が艀に乗せたまま搬送したんで
海艀(アマノウキフネ)だったんだよ、あボスが来た、(敬礼)「忠!!」
154日本@名無史さん:2013/03/15(金) 17:42:55.33
長髄彦は火明命の子孫ってことでいいの?
155日本@名無史さん:2013/03/15(金) 18:09:57.29
後代我々の後輩は貴殿の内郭まで御輿を受け運ぶジュダーイの騎士にまで上り詰めたんだがそれはまたのお話、あボスが来た、(敬礼)「忠!!」
156日本@名無史さん:2013/03/15(金) 19:31:11.83
>>154
違う。
ナガスネヒコは、出自は分からないけど
天津神の出身だろう?
神武やナガスネヒコ、ニギハヤヒの時代に
記紀に登場するもので、火明命の子孫で有名なのは、高倉下命、ヤマトスクネ。
ヤマトスクネは、イツセとワカミケヌ(神武)の軍隊のために
畿内で案内をした。
157日本@名無史さん:2013/03/15(金) 21:26:24.59
天照が男神だとすると
弟が来るのを怖がって洞窟に隠れ
ストリップが見たくて出て来た
・・・最悪だな
158日本@名無史さん:2013/03/16(土) 08:05:40.64
昔は出雲のほうが優勢だったんだろう?
159日本@名無史さん:2013/03/16(土) 09:13:06.26
長髄彦は躯櫓怨戦争に於ける帯一毛伸臂卿
160日本@名無史さん:2013/03/16(土) 09:52:30.44
復讐鬼と化した亡命扶余皇子依羅始め半島から敗れて日本に押し出されて来た一連の征服者を纏めて象徴して居るのが穴錦酸ヶ湯烏嗚ヶ禍蛙
161日本@名無史さん:2013/03/17(日) 03:22:29.17
>>160
お前の妄想に興味はない。
162日本@名無史さん:2013/03/17(日) 07:07:36.83
>>161 でもあなた達は今日本の大学で地歩を固めつつある半島の学者に、
大人向けには謙虚で地道な検証、
子供向けにはアメリカに負けるまで無敗国家、
といった、
幼稚なプライドをくすぐるイメージ戦略で日本史の全てを列島内に押し込められ、
中世以降の大陸への侵略行為だけあげつらわれて古代から一貫して泥棒であるかの様に扱われている現実に気が着かないのですか?

日本人は本当にナイーヴですなw
163日本@名無史さん:2013/03/17(日) 07:16:02.09
惜しみなく資源を投入するアメリカ様みたいにディスカバリーチャンネル方式で検証すれば一発で判明すると思いますが貧乏って嫌ですねw
164日本@名無史さん:2013/03/17(日) 11:40:03.22
ディスカバリマンセーか、痛いな相変わらず
165日本@名無史さん:2013/03/17(日) 13:03:53.89
>>162
はい、正体を表しましたw
半島の学者など、トンデモの偏屈学者しかいないw
正当なアカデミックの場の認められてからしとけよ。
166日本@名無史さん:2013/03/17(日) 13:08:11.34
中国では紀元前に兵馬庸自体がディスカバリーチャンネルレベルに達していたのに21世紀に尻込みとは嘆かわしい貧乏は嫌だぁああ
167日本@名無史さん:2013/03/17(日) 13:27:39.20
古代史の謎の要因とは

国内にリアルタイムの文献がないこと

考古学では、それだけでは歴史を推測するのに限界があるのに
やたら、それだけで歴史を解釈しようとすること

日本書紀は対中国外交のためにみせる正史だったが、
古事記にあるように、編纂当時は明確な年代など分からなかったのだが
対中国外交で必要だったので、
無理に実年代を割り出さなければいけなかったこと。

ヤマト王朝初期の時代は、現在とは暦が違っていた。
春秋で一年と計算していたので、現在の半年で1年と計算していたので
記紀にある登場人物の年齢がやたら高い

あと、皇室については、出雲国譲りの時が王朝の始まりなのに
なぜか、日向のワカミケヌ(神武)の東征を持ち出して
彼を初代天皇にしたこと。


これらが大きな要因。
168日本@名無史さん:2013/03/17(日) 14:30:10.72
ふつうさ、日本て四季があるから、一年を二分するとかありえないんじゃないの?
二期作だったから、一期を暦の単位数としていたのだとしても、
雪の降る冬と野分の来る夏を字に表さないことはありえないだろ
暖期だの、寒期だの言葉がつかわれてるはずだよ、
そういう想像力もない考古学者のパズルの解答がいまだに一人歩きしてるってことが信じられないよ
169日本@名無史さん:2013/03/17(日) 15:12:19.26
魏志倭人伝によると
倭人は四季を知らない、春耕秋収で一年としている。
だから、半年で一年は正しいだろう?
こういう暦の計算の仕方は、日本に限らず、世界中どこでもあったらしい。
中国でもローマでも、古い時代は暦を半年で計算していた。
170日本@名無史さん:2013/03/17(日) 16:11:45.07
耕すのは一年に一回の春で、収穫するのは一年に一回の秋
一年サイクルだろ?
171日本@名無史さん:2013/03/17(日) 16:56:15.96
じゃあ一年が一年になったのはいつのことなのさ
172日本@名無史さん:2013/03/17(日) 17:39:25.04
>>169
おいおい、地中海には雪は降らんぞ
173日本@名無史さん:2013/03/17(日) 18:13:02.08
大祓が夏と冬の2回だったり、休暇が「盆と正月」だったり、
「半年で一区切り」という感覚は後の世にも残っている。
174日本@名無史さん:2013/03/17(日) 18:13:20.38
倭人は四季を知らない、春耕秋収で一年としている。
の次に、倭人はやたら高齢者が多いみたいな記述になっているよな
魏志倭人伝では。

要するに暦の計算が違っていたつーこと。
175日本@名無史さん:2013/03/17(日) 18:21:24.19
日本に住んでて四季を知らないとか有り得ないだろ
176日本@名無史さん:2013/03/17(日) 18:23:40.94
感覚的に、一年ごとに、暑い年と寒い年が来るって感じだろう?
気温的や日の長さに関しては、春と秋は同じだから
春=秋と考えて、そこで一年と計算するのは間違ってない。
177日本@名無史さん:2013/03/17(日) 18:25:12.55
>>170
たぶん半年区切りの暦感覚は稲作普及以前に遡る古い感覚なんだろうと思う。
古代には1日も昼と夜を個別に数えていたようだが、それと同じように、夏が何回・冬が何回…って具合に勘定していたのではないだろうか。
178日本@名無史さん:2013/03/17(日) 18:27:29.37
中国でも、昔は春と秋を同じだと考えて
半年で1年と計算していたらしい。
179日本@名無史さん:2013/03/17(日) 19:15:35.04
>>174
今の日本も高齢者が多いけど、暦の計算が違うのか?

そもそも、暦の計算が間違ってるなら、実年齢の倍になるらしいんだから
倭人は高齢者が多いってのはおかしいだろ?
書類上ならともかく、実際に見たらわかる事だ
8歳児が16歳とか、40歳が80歳とかを見て「倭人は高齢者が多い」って?
もし、そうなら、倭人は実年齢の倍を名乗ってると書かれてるさ
180日本@名無史さん:2013/03/17(日) 19:42:19.36
ヒント

一陽巡再来
水温草木黒
候人報垂頭
老益撫鬆髷
181日本@名無史さん:2013/03/17(日) 19:48:58.89
ヒント2

眞子様
佳子様
悠仁様
182日本@名無史さん:2013/03/17(日) 19:51:20.44
中国の暦法は殷、周の時代でも1太陽年を基準にしてるみたいだけどな
春秋戦国時代には二十四節気が暦に導入されて、閏月を入れて調節するようになってる

「其俗不知正歳四節、但計春耕秋收為年紀」倭人伝

一年に四季があることを知らない。ただし、春に耕し、秋に収穫をすることを計って年紀としている
半年で1年としてるなんてことは書いてないけどな
183日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:09:26.43
チョイと主旨は違うけど、三、四十年前頃までとこの二十年位では日本人の寿命の延びは勿論、特に高齢者の見た目の若々しさ、年の取り感が異なります。
概ね昔に比べて二割程度若返っている感じ。(昔の人々に比べて実年齢に八割をかけたのが現代人)
これは、一つに労働生活住環境が改善(機械化自動化)され様々場面における重労働や苦役から解放されたこと
食糧栄養事情が飛躍的に向上したこと
(肉食など食の欧米化による高動物蛋白の摂取)

てな事で太古、特に食糧事情が満ち足りていたシナの知識人(官僚、貴族層)が
倭人(小さな人々の意味も)を見たら例え実年齢が四十歳位でもかなりお疲れ様なご様子に見えたに違いのではないかと。
184日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:27:40.51
インドでは乾期と雨期だが、中国で二期だったとかありうるのか?
二つセットで一周期だろ普通、jk

倭人が長寿ってのもすべての人がそうだとは書かれてないし
温暖な気候で華北より長寿だってだけとも考えられるだろ
具体的に何歳とは書かれていないし
単に記紀とのつじつまをそこで解消しようとしてる、考古学者のパズルの解答だろ?
倭人伝以外の思惑からんでるじゃねえか、ずいぶん雑だなあ
185日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:29:43.48
>>183
…そのシナの知識人は自国で貴族以外の一般人を見たこと無いの?
186日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:38:12.46
日本だと春分の日と秋分の日が祝日
これは事実
この日は太陽が真東から昇るので神聖化している
これが暦の区切り
つまり魏志倭人伝の記述には証拠がある

学問の区切りも3月末と9月末だし
過去の色んな文明も春分の日と秋分の日を基準にしていた

正月は後の時代に入って来たもの
今じゃ日本は新正月を祝う
187日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:46:30.96
確か仁徳天皇の没年が
古事記と日本書紀で丁度2倍違う
これが古代日本が春と秋の2回歳を数えていた証拠になるだろう
そしてその区切りは、春分の日と秋分の日だ
188日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:57:19.39
>>187
つまり、古事記では一年に一歳で数えていたけど
日本書紀の時は一年に二歳で数えていたから
古事記と日本書紀で丁度二倍の差が出た訳か?
189日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:04:25.76
旧世紀クルシステリヲン
190日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:06:46.91
春分の日と秋分の日が祝日なのと暦と関係あるのか?w
祝日になったのは1948年だぞ
1年に春分の日「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と秋分の日「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」があるんだろ
4月に入学して10月にはもう2年生になってたのか?w
191日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:09:32.67
訂正

休日としては、1878年(明治11年)改正の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治11年6月5日太政官布告第23号)からだったw
192日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:09:41.48
日本語の数詞も倍数になってるな

1 hito
2 huta

3 mi
6 mu

4 yo
8 ya

5 itu
10 two
193日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:35:12.99
古代の日本人は四季がわからなかったので
去年は雪が降って寒かったけど、今年は暑いな〜と思いながら暮らしていた
7歳に満たない子供でも暦上は13歳なので元服して大人になった
食糧事情が悪かったので、40歳で80歳の見た目をしていたし
8歳児は16歳相応に逞しかった
古事記では一年、日本書紀では半年で暦を区切っている
古代から春分の日と秋分の日は祝日だった
暦が半年区切りだった証拠として、数詞が倍数である
194日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:43:06.75
なんか知らないけど1年おきにしか花が咲かないんだよな〜
もすかして2年で1年なんじゃねぇの? みたいなw
どこの原始人だよw
195日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:01:23.70
にっぽんとにほんてどっちが正確な発音だと思う?

上古では、「はひふへほ」は「ふぁふぃふぅふぇふぉ」だったんだろ
一本、二本、三本、四本、五本は
いちふぉん、にふぉん、さんふぉん、よんふぉん、ごふぉん、で訛って
いっぽん、にほん、さんぼん、よんほん、ごほんになった
だから
日本は、上古、「にちふぉん」であって、何度も発音していればにっぽんが正確な発音に近いんじゃないかね
にほんというのは、にっふぉんからさらに訛ってにほんの気がする
196日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:04:51.46
>>190
それは古代の行事を復活させたから
天皇の悲願だった
彼岸だけにw
197日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:16:53.54
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、やあ、ここ、とぉ
ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と
だな

ひとり、ふたり、みたり、よたり、いたり
ひとつ、ふたつ、みとつ、よとつ、いとつ

八百やお、五百いお
198日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:23:28.62
完全に忘れてたがwそう言えば夏と冬で一年ずつ数えてた話は随分昔に聞いた事がある。
但し小中高の学校の授業ででは無い。
定説になったのなら西暦の方も改訂されてるの?
199日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:28:08.61
夏至冬至の日出没点を起算日にするより中日を基準にする方が観測地点毎の地平線の形状による誤差が小さかったんだろう
200日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:30:53.43
>>195
日本の元々の読み方は、ジツポン⇒ジッポンだから
それが転化してジャパンに成った
201日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:31:10.17
定説にはなっていないが
2chの一部では支持が有るw

ちなみに春分の日と秋分の日を神聖視する古代文明は多い
エジプト(カルナック神殿はその日だけ朝日が差し込む)
マヤ文明(その日だけチチェン・イッツァのピラミッドに蛇の影が出来る)
マチュピチュ(その日だけ日時計の影が消える)
202日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:43:33.84
>>200
ジツは漢音だから、呉音からはじまったにちふぉんのほうが早いはずなんだなぁ
だからにっぽんが正確だな
じつぽんという漢音読みをマルコポーロが聞き取りジパングになったのはそのとおりだけどな
203日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:45:39.96
だけど、そもそもにっぽんていうのは漢字表記であってあくまで外国向け
やまととかひのもとってのが大和言葉として好ましいところだろうな
204日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:51:50.97
大豆は依羅が持って来たとしてw米粟黍は南方系だから麦稗を誰がいつ頃持って来たかだな(粘
205日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:37:18.28
昔から暦は絶えず変わっている。
江戸から明治に変わっても、暦は大きく変わった。
206日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:42:01.70
其俗不知正歳四節、但計春耕秋收為年紀。

そこの風習では、一年に四季があること(歴)を知らない。ただし、春に耕し、秋に収穫をすることを計って年紀としている。


其人壽考、或百年、或八九十年。

そこの人々は長寿で、あるいは百年、あるいは八、九十年を生きる。
207日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:09:12.79
>>206
彼らは一年が四節に区切れる事を知らないが
ちゃんと、春に耕し、秋に収穫して、一年を計ってる


春 耕す

秋 収穫(これで一年)

正歳四節の理屈は知らないが、一年の流れはちゃんと把握していると言う内容だな
208日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:12:43.86
「其人壽考、或百年、或八九十年」倭人伝
(そこの人々は長寿で、あるいは百年、あるいは八、九十年を生きる。)

と書かれているということは、
四分暦(220〜236年 1太陽年=365.25日)か景初暦(237〜444年 1太陽年≒365.24688日)を使っている魏の人間は
倭人の80歳〜100歳の年齢を、魏の人の年齢と同じ数え方のものと考えているということであり
倭人が半年で1歳の数え方で、実際はその半分の年齢だとは考えていないということ

「其俗不知正歳四節、但計春耕秋收為年紀」

よって、この部分も半年で1年としているという意味では書かれていない
209日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:21:52.86
残念だが『晋書』倭人伝には
「不知正歳四節、但計秋收之時以為年紀。」と書いてある
210日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:33:44.65
魏志倭人伝が
「其俗不知正歳四節、但計春耕秋收為年紀。」

つまり魏(3世紀)と晋(4世紀)の間で日本の暦の数え方に
変化が有ったと考えられ
それは記紀からも読み取れる
211日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:37:08.51
百歳が多くいるという時点で、暦の計算方法が違うということだろう?
人生50年の時代で、60歳以上が少なかった時代に
百歳が多いという時点で
212日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:40:43.69
春に耕し、秋に収穫で一年ということは、
一年は、春に耕した時に始まり
秋に収穫した時点で終わっているという意味だろう?
つまり、半年で1年が終わっているということ。
213日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:41:30.76
今の1年と同じ計算だったら
春に始まり、次の春に終わった時点で、年季をなすとなるはず。
214日本@名無史さん:2013/03/18(月) 02:50:28.56
>>211
それは分からないぞ
平均寿命は用事の死亡率に影響されるが
一旦大人になると長生きする
江戸時代だって80歳100歳は普通に居た
215日本@名無史さん:2013/03/18(月) 03:14:59.18
>>211
人生50年は戦国時代の話か?
そもそも、80歳以上の人間がいたから長寿だと書かれている訳で
計算が間違ってるだけなら、長寿だとは書かれない
倭人は歳の数え方を知らないと書かれてる

>>212>>213

春 耕す

秋 収穫(一年)
なんだけど…間に冬と夏があるんだけど…

何処に
春〜秋(一年目) 耕す、収穫する。今年は暖かい!
秋〜冬(二年目) 収穫出来ない…。何故か今年は寒い…。
って書いてあるんだよ?
216日本@名無史さん:2013/03/18(月) 03:23:21.20
九州では二期作が可能
分かる?

年に2回米が取れるから、それを期としたほうがいいに決まっている
1年を2期とするのは南方系の習慣だろう
年に2回ある天体現象は、春分と秋分がぴったりなんだよ

まあアトランティスも年に2回収穫できたと伝わってるぞw
217日本@名無史さん:2013/03/18(月) 03:47:47.92
>>216
だから、春に耕して、秋に収穫するって書いてあるだろ?
シナ人が書いてるんだよ。収穫するのは秋だと
倭人は二期作だから、一年を半年で計算しているなんて書いてないの
なんで、秋以外にもちゃっかり収穫してる事になってんだ?

>年に2回米が取れるから、それを期としたほうがいいに決まっている

…知らんがな
お前がいいと思えば、歴史も書き換わるのか?
218日本@名無史さん:2013/03/18(月) 06:40:58.95
半年を一年で計算していた例って
世界中にあるけどな。

1年は春に始まり秋の終わるんだろう?
半年で一年じゃねえか?
219日本@名無史さん:2013/03/18(月) 10:22:09.61
>>217
魏志 但計春耕秋收為年紀
晋書 但計秋收之時以為年紀

じゃあ何故書き分けているんだ?
220日本@名無史さん:2013/03/18(月) 10:51:24.54
>>219
前の王朝の書をそのまんまパクッたといわれちゃかなわぬからな
221日本@名無史さん:2013/03/18(月) 12:15:22.09
倭人伝には年の始まりとか終りだとかは書いてない
耕すのは年1回春、収穫するのも年1回秋としか読めない
中国人が日本のことをよく知らなかった、倭人伝の内容は信頼できない
というのならまだわかるが
222日本@名無史さん:2013/03/18(月) 12:50:56.80
人生五十年云々は実際近代(昭和初期頃)まで一般的な概念。
223日本@名無史さん:2013/03/18(月) 16:37:09.20
同じアジア人の中国人が見て倍の年齢に見えるほど
倭国の栄養状態が悲惨な状態だったのなら
人口密度はかなり低かったろうね
倭国が西日本全体でも無理っぽいなw
224日本@名無史さん:2013/03/18(月) 17:04:21.68
>>186
春分・秋分は中国の思想だよ。
日本は古代から冬至・夏至が最も重要な日。

神社や古墳はこのラインに並べられてることが多いし、
埋葬頭位もそう。
伊勢神宮は冬至の日の出に正面するようにいろんなものが配置されている。

日本は古代から、この法則にそっていろんなものを造営してるのだから
一年の巡行を知らないと言うことなどあり得ない。
魏志がいってるのは、
「中国式の、太極思想に基づく4季(青龍・白虎・玄武・朱雀)の暦」を知らないと言うことだろう。
この思想はこの時代既に中国の周辺国にはかなり浸透していたから、
田舎者めと言う侮蔑と、倭がその極天思想の影響下に無かったことに自尊心が傷ついたのだろう。
225日本@名無史さん:2013/03/18(月) 17:32:31.13
http://desktop2ch.info/scienceplus/1289664063/
縄文時代、65歳以上生きた人間が3割を超す。

これは、普通に考えて同時代では相当な長寿の国だ。
魏志倭人伝では「作物の実りが少ない」とある。
これを現代人の解釈を行うため、貧相なイメージとなる。

実際には、初期農耕の社会は脚気やその他の病気が蔓延する。
これは、植物ばかり食べているために栄養バランスが崩れるためだ。
縄文人は温帯域では世界的にも珍しい、狩猟採取で定住生活を送っていた民族で
これは日本の風土の卓越した豊かさを示す。
一面渺茫たる荒野に、畑を耕すことでしか人間が生きる道の無かった中原の民にとって
倭が「畑の作物があまり無い=貧しい国」に見えたとしても不思議ではない。
226日本@名無史さん:2013/03/18(月) 22:31:21.65
>>224
じゃあなんで
夏至と冬至が祝日じゃないんだよ
朝廷行事に夏至冬至なんて無いぞ、神社でも夏至の行事なんてほとんど無いぞ
227日本@名無史さん:2013/03/19(火) 00:49:18.02
四季を知らなくて、春耕して秋収めたところで
年をカウントしているとなっているんだから、
春から秋までで1年ということだろう?
そのあと、100歳とか90歳が多いと書いているわけだから
案に暦の変え方が違うことを現している。
228日本@名無史さん:2013/03/19(火) 01:29:24.46
そんなこと書いてない
229日本@名無史さん:2013/03/19(火) 02:25:35.04
台与は6歳くらいで女王になったのか。
230稗田朝臣無礼:2013/03/19(火) 06:45:46.89
四季がはっきりしている日本で二倍暦というのはありえない。
日本書紀の紀年を合理的?に解釈しようするあまりの
トンデモ説。
231日本@名無史さん:2013/03/19(火) 08:18:45.62
南中高度を測る器具すら無い状況を考えると、
適当な数と位置の日出没点を任意に選び、
其処から日出没点が南に移って戻って来るまでの日数と北に移って戻って来るまでの日数が同じである日出没点を、
数年程度費やして特定すれば、
それが東西であり春分秋分の日出没点であるとするのは適当である。

現代の暦の一年間に於いては二度有る、
その春分秋分の日出没点にて日出没のある日から、
南に日出没点が移動して戻って来るまでを暑年や夏の年、
北に日出没点が移動して戻って来るまでを寒年や冬の年とし、


    各々の半年年の始まりを春とし終わりを秋とした、


ので二毛作でも古書に在る記述と相成った、
で自然な解釈とできるんじゃ無いかw?
232日本@名無史さん:2013/03/19(火) 09:20:14.72
二毛作は鎌倉時代くらいから
233日本@名無史さん:2013/03/19(火) 09:35:28.69
倭人伝しか根拠を出してないのに、倭人伝に書かれてないことばかりをレスしている
日本は夏の年と冬の年が交互にあったと書かれている文献や
日本では3世紀には二期作が普及していて、一年は春に始まり秋に終り
次の年は秋に始まり春に終ることが書かれている文献を出して論じればいい
234日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:01:25.85
>>233
春分の日と秋分の日が国民の休日である
論破終わり
馬鹿じゃね?
235日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:10:48.13
>春分の日と秋分の日が国民の休日である

何の根拠にもなってない
チョンだろお前
236日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:23:37.01
>>235
休日の由来ぐらい調べろよ
天皇の強い要望で採用された古代の伝統だぞ
日本人なら常識レベルだろ

あと東南アジアでは二期作が普通
刈り取れば勝手に芽が出て帆を付けるんだよ
稲は草だからな
あと日本には早生まれ、遅生まれとう区切りが有るぞ
237サガミハラハラ:2013/03/19(火) 10:25:22.31
二倍年暦は、古代中国からきたようで、初めは春収秋収で各一年であったようである。
春収は麦の収穫の年であり、秋収は米や高粱、粟の収穫の年である。
しかし日本では、麦の栽培が廃れ、秋の収穫だけとなって、魏略にいう春耕秋収となったようである。、
238日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:43:28.33
>>237
その理屈だと
春収秋収で各一年だから春耕秋収も各一年と読むしか無いが

あと南方の水田は刈り取るだけで年2回収穫できる
同じ場所に麦を植えるとか馬鹿げてる
239日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:53:27.02
>>232 ええっ?そうなの?(´Δ`)

ところで二期作って高知が北限だっけ
240日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:55:33.34
>>236

クソチョンのお前のは何一つ暦の根拠になっていない

クソチョンの癖で先に結論をカンだけで決めて、後は根拠にもならんようなことを

あっちこっちから拾ってるだけ

そして、自分の主張が認められないと相手を馬鹿だという

ビックバンはチョンが起こしたと言うだけのことはある

何でチョンが糞を食うのか、糞酒を飲むのかでも調べとけ
241日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:56:12.88
>>238 弥生時代の途中で浅田が登場しているから>>237は無かったとは言えないのでは
242日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:09:40.16
半島で二毛作が始まっていないと来島者の列島への上陸後の兵糧を確保できないから、
当時の貧弱な海運では計画的な入植など到底不可能であり、
半島からやって来た弥生人は全員漏れ無く落人難民だった事に成る。

それであんなに勢力を伸長できたものだろうか?
243日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:18:38.03
弥生の墓地では縄文人形質と渡来人形質が混在してるから、
半島と往来していた倭人が連れてきた渡来工人と勝手に来てしまったのがいるだろ
244日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:25:51.60
>>240
出せと言われたから出したw
とりあえず、春分の日と秋分の日の祭日の由来から否定してもらおうかw
次に、「春耕秋收為年紀」と「秋收之時以為年紀」の違い
そして、南方の水田は勝手に二期作になるぞ

日本は正月が旧暦だったり新暦だったりこだわりは無い
お盆もいろいろな日が有る
だけど彼岸は変わらない

太陽暦は中国から日本に渡って来たものだから
年2期はそれ以前の古代の伝統だったと言える
それが今でも残っている日本すげーよ
245日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:29:55.90
年2期は南方の習慣であり
北方で発展したヨーロッパや中国文明にはその習慣は無い
246日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:38:09.57
>>244
春分の日、秋分の日は皇霊祭で、五穀豊穣などを祈るのは2月の祈年祭、収穫祭は11月の新嘗祭だろが
倭人伝のどこに春に収穫もし、秋に種撒きもすると書いてあるんだ?
247日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:39:05.01
つまり実は

 二期作可能な地域=熊蘇

であり耕作を知らない蛮族のイメージは渡来人が幅を利かせる様になって以降の畿内大和政権が捏造したイメージって事ですか?
248日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:39:45.36
>>226
え〜とね・・・・
>じゃあなんで
>夏至と冬至が祝日じゃないんだよ

君は 正月 のない国の人ですか?
現在の(西暦による)一月一日と現在の冬至がずれたのは
地球の自転がわずかずつ遅くなってるから。本来はクリスマスも冬至祭。
249日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:55:59.30
つまり

  爾盛者即偸盗哉

と言う事ですねw
250日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:59:44.35
耕作者本人が課税対象である米麦食える様になったのはいつ頃までといつ頃からでしたっけ?
251日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:07:08.64
>>250
弥生時代でないから?
もしかすると縄文時代かもしれない
252日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:08:12.55
>>250
米を食えたから人口が増えた
おわかり?
253日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:16:42.97
おまえら本当にテキトーだな
ふつー夏至冬至をはじめに見つけるのが世界的に自然な感情だよ
太陽が一番高い日と一番低い日だからな
立春、立秋がは夏至冬至の中間として位置づけられるもんだよ
しかも中国でも、一年のはじめを立春にしたのはずいぶん後、はじめは冬至だったから
254日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:20:23.08
>>250は駁問では無いので悪しからず

でも奈良時代には耕作者は山端の斜面に植えた粟黍稗と云った雑穀や畦に植えた豆しか食えず均田の収穫物は全て納税者(≠耕作者)と国の物になっていたんですよねw
255日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:25:54.96
>>253 一次的に発見されるのは夏至冬至が普通だろうが
地形や天候により正確に測量できないので
テクノロジーとしての暦法が成立する為には
春分秋分の発見とその日の日出没点の測量法の確立が先だって必要だったのでは。
256日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:27:11.07
口分田が唐由来のものであるなら
正方形をタテヨコ3分、9等分にして、9区画のうち、中央を8家族が住む住宅・寄合場所・日常食用の畑をつくって
残り8区画を8家族がそれぞれ、一区画うけもって租庸調の税をうけもつもののはずだけどな
257日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:29:16.87
>>255
すまんが何が言いたいか分からん
正確に測量することが難しいのは立春立秋のほうであって
冬至が一年の始まりでなくなったのは寒すぎるから
258日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:49:57.58
月はだいたい30日周期12月で360日だから
だいたい12月で一年とするのは太陰暦ではどこでも同じ。
5日しか誤差がないからな、だから6年に一度閏月を入れればしばらくは問題なくやっていける
実際、地球の公転周期である一年は365と6時間と少しだし、
月の周期は29.5日と30日より短いから、ズレが大きくなって農業に影響がでるし
暦の計算てのは朝廷の重要な仕事だったんだよね、
実は中国の暦もかなり杜撰でインドのほうが正確
259日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:52:15.53
直角が90度なのは、一年がかつて360日だったからだろうね
260日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:53:58.38
12進数や60進数が発達したのも、時計が12進数なのも、それらが360を素因数分解可能だから
261日本@名無史さん:2013/03/19(火) 13:16:25.09
謎な言葉が出てきたな。
262サガミハラハラ:2013/03/19(火) 13:38:26.43
二毛作などというのは、近世にはいってからです。
田んぼに畑作物がうえられるようになったのは、関電になってからです。
それまで、田んぼと畑の耕作は区別されていました。
263日本@名無史さん:2013/03/19(火) 13:53:09.32
>>255
だから、その測定のテクノロジーとして神社があったんだってば。
例えば大神大物主神社から冬至の日の出を拝むと、それはちょうど三輪山の山頂になる。
この神社は延喜式の最高位である名神大社だ。

>>258
清の時代だけど、西洋人と暦博士が競争して中国側がボロ負けしたんだよね。
264日本@名無史さん:2013/03/19(火) 14:35:51.13
>>262
もの分かりの悪いヤツだな
二毛作でなくて「二期作」。つまり1年に2回米を収穫した

これは南方では難しくとも何ともない
水田で稲を年に2回刈る。これだけ
稲は草なので切り株から勝手に生えて来る
タイ辺りだと1年で3期作もしてる

1年1期は北方小麦文化で
1年2期は、南方稲作文化だなあ
265日本@名無史さん:2013/03/19(火) 15:21:42.15
夏至冬至を最初に見つけて
その次に見つけるのが、太陽が出ている時間が同じ日。
それにより、1年と計算するのは、常識。
266日本@名無史さん:2013/03/19(火) 15:44:09.08
人類がまず最初に見つけるのは、日照時間の最長と最短の日。
そこから夏至冬至を見つける。

その次に見つけるのが、日照時間が同じ日。
春分、秋分をみつけ、日照時間が同じことから、当初は
これを同じ季節だという風に、人類は考える。
これが、昔は一年を半年として計算していたという話につながる。

人類も、日照時間から判断するので
夏至と冬至は日照時間が異なることから違うものと認識するが
春分と秋分は日照時間が同じことから、これは同じ季節だと考える。
よって、春分、秋分が繰るごとに季節が一周して戻ってきたと解釈して
そこで一年とカウントするのだ。
267日本@名無史さん:2013/03/19(火) 16:17:03.54
よくわからんのだがww
夏至と冬至が分かるのなら、影の長さが最短と最長の間の春分、秋分は
同じ季節だとは思わんだろ、暑さ寒さの中間地点だと思うだけだ
寒から暑へ、暑から寒へ、その中間であるから、周期を考えるなら、
寒→中間→暑→中間→寒の周期だろう
そもそも二期作は夏と冬にはしない
3月に一回目、 7月に二回目
半年に二年分がかたまることになる
268日本@名無史さん:2013/03/19(火) 16:20:03.55
弥生時代は、穂の部分だけ刈ってたのだよ。
すると、また穂が生えてくるのだよ。
269日本@名無史さん:2013/03/19(火) 18:34:01.76
根拠がないなら一部の支持は得ても大多数からは認められない。
270日本@名無史さん:2013/03/19(火) 18:54:09.22
そういえば、稲が実ると、一面黄金色に枯れていくわけだが、
刈ったあとで温かいと、ひこばえが生えてくるよな。

刈らなくても、生えてくるんだろうか?
271日本@名無史さん:2013/03/19(火) 19:41:53.38
時計も無い、
四分儀も無い、
方位磁針も無いじゃ、
日照時間も、
南中高度も、
南中方位も判りませんよw

よって日出没点が何処かのチェックが最初に見つかる確かなチェックポイントで、
夏至冬至の日出没点を見つけて余所の土地に行って神技を振るおうとしたら山が邪魔で正確に測れず詐欺師扱いされる者が続出し、
その内から夏至冬至以外の出没点は必ず年2回同じ地点になる日がある事を見つける者が現れ、
その内の者がその2回の間隔を複数地点について計っている内に前後の日数が互いに補数関係になっている対の2点の組を一組乃至複数組発見し、
その中点が同一点であり彼岸の中日であるとの合意を得られたと想像してみてください。
272日本@名無史さん:2013/03/19(火) 20:04:38.30
仮に日時計を知っていたとしても、
南北から観測により夏至冬至が見出されるより早く、
補助線としてでも東西が幾何学的に導き出されれば春分秋分が基準日になりますよねw
273日本@名無史さん:2013/03/19(火) 23:02:01.81
遡り日本史で卑弥呼やってるぞ!
274日本@名無史さん:2013/03/19(火) 23:04:33.53
日本の古代には日置部と言う測量を事とする職能集団、役所があって、
275日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:22:14.86
夏至と冬至とか
宮廷とか神社で行事有るのかよ

無いのに季節の区切りとか大事だとか言うなバカw
276日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:41:02.91
夏は蒸し暑く、冬は雪が降る日本で
「春、夏、秋」と「秋、冬、春」が同じ一年だと思う奴はいないだろ
その上、半年で一年としていたと言う資料が存在しない訳だし
春に耕し、秋に収穫する以上、半年で一年に違いない!とか
春分の日と秋分の日が祝日だから、半年で一年に違いない!とか
こじつけとごり押しだけで歴史を語るなよ
277日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:46:19.67
>>276
仁徳天皇の没年が古事記と日本書紀で2倍違うのが資料だが
無いと言い張るとは無知だな
278277:2013/03/20(水) 01:56:33.94
わりい
古事記と日本書紀の没年齢ではっきり分かるのは雄略天皇だな
仁徳天皇は推測できるが微妙だな
279日本@名無史さん:2013/03/20(水) 07:40:31.04
>>275
普通にあるわ
280日本@名無史さん:2013/03/20(水) 08:52:21.64
七支刀の銘文と記紀の記述を比較して計算すると雄略、清寧、顕宗、仁賢天皇のいずれかの代で年の数え方の変化があったと推測できるがいつなのか特定できない。記紀に記録がないからだ。
奇数年は1〜6月、偶数年は7〜12月の日付しか存在しなければ十分証拠になりうると思ったがそんなことは全くなかった。
281日本@名無史さん:2013/03/20(水) 09:16:13.26
古代の権力者、為政者/(大王/大国主/天照国照神)の重要な責務の一つとして
農事(稲作)の様々な頃合いを見定め民に指示する仕事があります。
いにしえに三輪山の麓に都を置いた王権は、周辺にその為の目印を定めて観測所(神社)が設置されていました。
282日本@名無史さん:2013/03/20(水) 09:40:05.23
>>279
無いよ
283日本@名無史さん:2013/03/20(水) 11:49:14.63
夏至、冬至がある6月、12月の晦日は節折の儀 大祓の儀だな
陛下の背丈、手足の長さを測った後、ツミ・ケガレを祓い清める儀式
翌元旦早朝、一年最初の儀式の四方拝(四方節)が行われる
284日本@名無史さん:2013/03/20(水) 12:34:14.33
一年というのは、地球の公転が基本になっている。
だから、春夏秋冬の季節感は、その公転の一年で完結する。
今でもそうだが、古代人もこの季節感のほうが重要だったと思う。

種をまく、収穫をするといった農業の基本もこの季節感で決まる。
それだけでなく、朝鮮半島に船出する時期も決まっていく、など
様々な行事がこの季節感で決まっていく。

今、倍暦をやれとか言われたら煩わしくてたまらない。
昔も同じだろう。
285日本@名無史さん:2013/03/20(水) 12:50:15.80
現に12時間制も使ってるし
意味は違うが表年・裏年という考え方があったのかも
286日本@名無史さん:2013/03/20(水) 13:41:58.67
>>283
その大晦日や元旦は、新暦だぞw
287日本@名無史さん:2013/03/20(水) 13:45:20.00
古代日本は、
10進法使っているかも分からんぞ。
20進法かもしれないし、12進法かもしれない。
288日本@名無史さん:2013/03/20(水) 14:32:20.08
ひふみよ・・・は縄文語らしいね

◆縄文人の数の観念
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/wharchive21lecture.htm
289日本@名無史さん:2013/03/20(水) 14:39:36.08
租税の徴収も年2回やってたのか
290日本@名無史さん:2013/03/20(水) 14:54:16.44
二期作が可能な南国では、二倍歴、
二期作ができない地方に移ってくると、
一倍歴になっていく。ってことはないかな?

日本人のルーツの一つとされる長江住民は、
村の最後の収穫が終わると正月で、区切りとされたそうな。

二回収穫があれば、正月も二回やったとか?
291日本@名無史さん:2013/03/20(水) 14:55:50.96
ひょっとして、お盆が二期作の名残りか?
292日本@名無史さん:2013/03/20(水) 15:24:21.25
二倍暦ありきで話されてもな
293日本@名無史さん:2013/03/20(水) 17:36:38.84
二倍暦はあったか?
今の所、有ったが有利

理由
神武天皇の詳しい年齢に矛盾が無くなる
記紀の初期の天皇の年齢に矛盾が無くなる
中国の史書で魏志と晋書で書き分けが有る
雄略天皇の没年が記紀でちょうど2倍違う
神武東征が紀元前2世紀頃になり奈良の遺跡発掘結果と矛盾が無くなる
朝廷の行事は春分と秋分にこだわりが有る
日本に彼岸の習慣が有る。年に2回先祖を供養するのは何故か
 彼岸の習慣は中国・インドには無い!

これだけ有るのに、無い理由が、無いから無いじゃ話しにならんな
294日本@名無史さん:2013/03/20(水) 17:54:29.70
でも、別の天皇の説明はつかないし、それどころか逆にややこしくなるというオチもつくからな
都合のよい部分だけをピックアップしても説得力がない
結局、我田引水、針小棒大、竜頭蛇尾のしょうもない仮説になっちまうんだよなあ
そもそも彼岸て、仏教用語だし、春分秋分のこだわりも中国由来だろ
律令以来、儀式のほとんどが唐のものに則ってるんだから
正直、ググれば分かる程度の知識もないのに、よくそんな強気でいられるなって思う
295日本@名無史さん:2013/03/20(水) 17:56:24.62
>>291
太陽暦に移行したときの名残だろうな
仏教も同時に入っているから
正月は神社にお参りし
お盆はお寺にお参りすると、微妙に変化したのだろう
もとは似てたと考えられる

彼岸 → 太陽暦導入、新年に何かしなければ → お盆・正月が発生し役割変化
でも彼岸も残ってしまった
296日本@名無史さん:2013/03/20(水) 17:57:12.25
>>294
じゃあ彼岸を唐から探してくれ
297日本@名無史さん:2013/03/20(水) 18:25:28.84
>>286

日本が和暦を使う以前の1年の始まり終わりの習慣が、現在の宮中祭祀に残っているか、
何を基準にしているのかってことだから、新暦、旧暦は関係ない
298日本@名無史さん:2013/03/20(水) 19:51:57.43
>>297
関係大ありだろ
旧正月だと冬至からかなり離れるぞ

>夏至、冬至がある6月、12月の晦日は節折の儀 大祓の儀だな
299日本@名無史さん:2013/03/20(水) 20:20:24.95
>>298
だから、日本が和暦を使う以前の1年の始まりのはいつで、基準は何だったのかなんだろ
旧暦の旧正月がそれ以前から年初なら、そもそも春分と年初は関係ないだろ

中国でも年初は変わっている

冬至節

http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2007-12/11/content_89768.htm

(周の年初は建子(冬至の月)の月、殷の年初は建丑(冬至の翌月)の月、夏の年初は建寅(立春の月)の月)
300日本@名無史さん:2013/03/20(水) 21:23:40.46
>>296
彼岸会つうか祖霊祭な
これは日本の土着信仰からくるものだろ
春分・秋分にかぎらず過去には
霊魂を鎮めるために御霊会が夏至に、新嘗祭が冬至に行われていた。

あと、唐にも春分・秋分に皇帝の儀式はあるよ
そもそも支那では周代から春分に儀式が行われている
王朝が変わっても儀式はつづいている
開元礼あたりにも書いてあるだろう
301日本@名無史さん:2013/03/20(水) 21:46:41.71
古代、都/宮居が動く都度その東西線に太陽神(東に旭日の神格(天照大神/異名同神)。西に降日(夕日)の神格(イザナギ/異名同神))を配置している気配濃厚なんですが?
春分の日(今年は今日)と秋分の日は
宮中では春季(秋季)皇霊祭(天皇霊、御先祖さまの祭祀)が催行。
全国の神職在所の神社では宮中皇霊祭を遙拝。
302日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:04:07.22
>>299
魏志
歳四節を知らず、但々春耕秋収を計りて年紀と為す

冬至は冬、秋ではない
しかも四節を知らないから、3世紀の倭は正月は無いはずだ
つまり「秋収」は秋分の日だ
303日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:10:03.46
秋収って特定の日を表すのか?
304日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:23:55.02
邪馬台国の時代は、日照時間の長さも基準にしていたんだろう?
倭人は、日照時間の長い季節と短い季節を知っていた。
この場合、秋と春は同じ日照時間なので、同じ季節とカウントされる。
その場合、春分、秋分が繰るごとに年をカウントする。
結果的に半年で一年とカウントしていた。
その時が、まさに、春耕秋収の季節。
305日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:25:58.35
>>293
神武東征はせいぜい紀元1世紀くらいだよ。
また、出雲国譲りで、紀元元年前後くらい。
306日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:39:12.32
春分の日と秋分の日は、ある地点から観測すると
朝日と夕日が一直線になるので観測が楽だろうな
夏至冬至は観測が微妙、その辺は太陽の動きが止まる

>>303
さあ?
だったらいいなってレベルw
307日本@名無史さん:2013/03/21(木) 07:42:00.00
雄略天皇以外の天皇でも古事記と日本書紀で没年齢が違う天皇はいるから雄略天皇が二倍だったのは偶然だろ
他の天皇がどうして二倍ではないのかの説明もできないしな
308日本@名無史さん:2013/03/21(木) 08:51:40.74
正歳四節但計春耕秋収爲年紀

要するに、天文学的な知識を一切もっていなかったってことだろ
春に田植えをして秋に収穫してって一連の営みの中で一年というものを認識していたということ
寒い冬があり、暑い夏があることは実感しているのだから、一年という気候の移り変わり、日の巡りがあることは知っていた
漢人と認識を共有していたものであるが、その認識の仕方というものは、
田植えをはじめて、それを収穫するという営みの中で実感される漠然としたものであり
漢人のように陰陽宿曜の理に通じていない、劣った文化の者たちだと言いたかったのじゃないかね
309日本@名無史さん:2013/03/21(木) 11:42:05.87
雄略ぐらいに暦を変更したんじゃね?
中国に上奏文送って、安東大将軍に任命されたぐらいなので
その時に暦を中国式に変更したと思う。
310日本@名無史さん:2013/03/21(木) 12:08:44.12
倭人伝の風俗記事には下層民の身なりしかない内容だから
暦に関しても「其俗不知正歳四節」とか倭人伝だけを盲信するわけにはいかんよw
中国暦は段階を経て採用されていったんだろうが
311日本@名無史さん:2013/03/21(木) 12:20:50.98
民俗描写は国家の血統に直結するからよw
民俗学はDNAに素直に近似する今も昔も重要なファクターだw
312日本@名無史さん:2013/03/21(木) 13:32:30.75
要するに農繁期と農閑期を各々一年として勘定していたか否かという事ですね?
313日本@名無史さん:2013/03/21(木) 21:52:30.31
いや、春分と秋分の日を暦の区切りにしていたかどうかだ
314日本@名無史さん:2013/03/21(木) 22:25:46.87
>>313 いやだから古書には倭奴国は碌に暦も無く余所の例で言うとモグラの陰がはっきり映ったら春が来たぞさあ耕せ的な調子で万事解決するところだって書いてあったって話でしょw?
315日本@名無史さん:2013/03/21(木) 22:34:07.75
>>314
じゃあなんで彼岸の祭事が未だに残っているんだよ
しかも先祖の霊を祀ると言う最も重要な祭事が

単なる耕起や収穫祭でいいだろ
史書には中国の四節は無いが暦が有ると明言してるぞ
316日本@名無史さん:2013/03/22(金) 04:49:59.15
>>314
そんなこと書いてない。これだから、ちゃんと原文読めって話。

魏志倭人伝を読めばわかるが、邪馬台国(まあ、大和朝廷の事だが)では
ちゃんと戸籍を取っていたことが分かる。
かなりのもん。
317日本@名無史さん:2013/03/23(土) 01:57:32.45
太陽暦を作るにしても
春分秋分は最も観測が簡単である
夏至冬至は高度な観測技術が必要

春分の日3/20。日の出方角が1日あたり0.5度動く
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2012/hdni13121.html
これだと地面に棒を立てて観測しても日にちを特定できる

夏至6/20。日の出方角が6/10〜6/30で0.5度しか変化しない!
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2012/hdni13122.html
特定は無理ですw

農業をするために必要な、正確な暦を作るには
春分秋分を観測して日付を特定する
これが知識と言うもの

春分秋分を基準にしいていた古代文明は高度な知識を持っていたと言える
夏至を重要思惟していた古代文明は馬鹿
まともなカレンダーを作れるわけが無い
318日本@名無史さん:2013/03/23(土) 02:32:52.73
山で日の出日の入りが隠れても平気なの?
大和なんて山の中だろ
319日本@名無史さん:2013/03/23(土) 02:57:26.96
一番簡単な方角の知り方は、
垂直の棒を用意して、北極星を見つけて、棒の先端と重なる場所に立つ、
そこから棒の根元まで線を引けば、南北線だよ。
南北線が判れば、適当な紐を用意してコンパスの要領でパッパッとやれば
東西線も判る。
このほうがよっぽど簡単。
年単位で太陽を観察する必要なんて全くない。
320日本@名無史さん:2013/03/23(土) 09:28:35.44
>>319
儀式をする日をそれで正確に分かるのか?
何日後と特定できて天皇に報告できるのか?

>>318
山の上に上ればいい
日本人は元旦に山頂に登り朝日を拝むじゃないか
321日本@名無史さん:2013/03/23(土) 11:06:06.79
               嫌なら見るな嫌なら見るな
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322日本@名無史さん:2013/03/23(土) 12:29:11.84
全国規格の前方後円墳があっちゃこっちゃ向いてるから、国家的にはまだ東西のラインは意識してないな
十方浄土の大乗仏教のうち西方極楽浄土は阿弥陀如来、東方浄瑠璃世界は薬師如来
明治以前は、仏式により寺院や宮中のお黒戸に霊碑を奉祀されていたが
明治からこれを神式に改め、皇霊殿において春秋ニ季の皇霊祭を行うことを制定した
春秋の2月,8月(陰暦)に7日間の仏事を行うことは,806年(大同元年)が最初
323日本@名無史さん:2013/03/23(土) 12:58:23.88
>国家的にはまだ東西のラインは意識してないな

古墳の起源は宗教・祭祀目的でなかった可能性を推測させる
324日本@名無史さん:2013/03/23(土) 16:16:39.62
文字情報がないのだから、前方後円墳が何の目的で作られたのか
墓だという意味ぐらいしか分からんよw
325日本@名無史さん:2013/03/23(土) 17:54:51.96
>>320
>儀式をする日
んなもん、だいたいな適当でいいんだよ。偉いさんなんてどうせわからないんだからよ。
現にいまだって春分の日秋分の日は昼のほうが時間が長いし。
ある意味適当だろ。
326日本@名無史さん:2013/03/24(日) 07:51:01.52
>現にいまだって春分の日秋分の日は昼のほうが時間が長いし。

物理的には昼夜同じ時間だけど、太陽がちょっと頭を出せば、日の出、
完全に姿を隠して日の入りの定義の違いで、昼が長くなるんじゃなかったかな
327日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:15:43.45
>>319 そりゃ貴方21世紀にもなればねらみたいな余剰人材でも二次情報あれこれ知っててやる時には最初から方角なんて抽象的概念に思い至るけどねw
328日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:18:29.81
>>322 実は死んだ日の黄道十二宮がバックになってたらみんな真っ青だなw
329日本@名無史さん:2013/03/24(日) 15:32:29.48
古墳は東西意識してないけど
宮殿の向きはむしろ東西意識していたらしいし。

律令体制導入後は、南北を軸とした都市つくりに変わった。
330日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:01:18.42
古墳の向きは結構バラバラだけど、埋葬頭位は東向きが多い。
必ずしも冬至夏至ではないが、死んだ日の日の出を向いてるとの説もある。
331日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:14:08.91
ちなみに頭位も時代が下がるにつれ、東向きよりも北向きが増えていく。
332日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:29:25.93
方格規矩鏡が舶載されてるから天円地方の概念や十二支がある程度伝わってるだろうな
当時の土木技術の粋の古墳の向きに何か意味は込めてるだろうとは考えられるな
333日本@名無史さん:2013/03/25(月) 07:28:07.71
>>327
じゃあ、日の出日の入りの方角から東西がわかったとして、
そのあとどうやって南北を割り出すんだよ。
古代人は幾何学的な知識無しに導き出せるわけなんだろ。
やり方を教えて欲しいものだな。
334日本@名無史さん:2013/03/25(月) 07:32:42.89
東西が分かれば南北は必要ないだろ
335日本@名無史さん:2013/03/25(月) 07:43:29.33
直線と直角くらいはわからんと、
竪穴式住居もできない。
336日本@名無史さん:2013/03/25(月) 09:56:34.32
東(ひがし)=日がさし
337日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:08:25.38
>>333
日の出の方向に右手を伸ばし
日没の方向に左手を伸ばす
これで正面が北
338日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:14:37.52
828 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 12:16:00.58 ID:pUByzXYn
キャーッ 3年ぶりだって


【社会】 "偽名で宿泊容疑" 革マル派幹部3人を逮捕…大阪府警・警視庁
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1362365622/

50 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 12:05:55.31 ID:iWyU+OZf0
革マルアジト摘発は「3年ぶり」だと
さっきTBSで言ってた
59 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/03/04(月) 12:08:41.93 ID:pFeC4OeP0 [2/2]
>>50
wwwやっぱり!!!
67 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/03/04(月) 12:10:22.29 ID:Ki8Dbsot0
>>50
わかりやすいねぇw

民主に投票した馬鹿は腹を切れ。
69 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/03/04(月) 12:10:39.44 ID:OhEOkH090
>>50
3年ぶり・・・・・・・・・・・あっ!w
339日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:39:24.37
>>333
お前は古代人をチンパンジーか何かだと勘違いしてるだろ・・・・
340日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:42:27.24
ちなみに、現代人の方が頭が悪いと言う説もある。
http://science.slashdot.jp/story/12/11/15/0855243/人間の知能は2000〜6000年前がピークだった?
341日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:51:47.35
まさに>>333が劣化人類の見本
342日本@名無史さん:2013/03/25(月) 11:56:58.43
現代人の多くはロボット化しているのでIQは低くなっているという指摘がある。
創意工夫など要らない言われたことを詰め込むつまり奴隷である。
日本人はこれを武士道と言って好む傾向すらあった。
343日本@名無史さん:2013/03/25(月) 12:18:56.65
日本で二期作できるところは文化水準低いところだもんな
冬に備える必要ないから
344日本@名無史さん:2013/03/25(月) 12:38:36.95
最低限生存が保証される程度の余裕がないと文化は生まれない。
345日本@名無史さん:2013/03/25(月) 13:27:38.01
豊か過ぎて戦うことも忌避し蛮族と侮っていた民族に滅ぼされたローマ
346日本@名無史さん:2013/03/25(月) 19:09:38.56
ローマ帝国ねえ。。。
直角がわからんとかいう話しとるのにからwww
347日本@名無史さん:2013/03/25(月) 23:12:15.86
フィリピンは森に行くといつでも食べ物があるから
努力する必要が何も無いと言ってた
348日本@名無史さん:2013/03/26(火) 00:19:00.62
航海民が北の固定点知らんわけないだろw
349日本@名無史さん:2013/03/26(火) 10:56:55.94
吉本興業

株式会社フジ・メディア・ホールディングス 60,000 株 12.13%
日本テレビ放送網株式会社 40,000 株 8.09%
株式会社TBS テレビ 40,000 株 8.09%
株式会社テレビ朝日 40,000 株 8.09%
大成土地株式会社 40,000 株 8.09%
京楽産業.株式会社 40,000 株 8.09%
BM 総研株式会社(ソフトバンク子会社) 30,000 株 6.07%
株式会社テレビ東京 20,000 株 4.04%
株式会社電通 20,000 株 4.04%





┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐                ┃
┃│.ワイプ.│        テロップ..  ┃ 
┃│ 画面 │        テロップ.. ┃ 
┃└───┘               ┃  <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃  【やらせ・ステマ垂れ流し】   ┃
┃                     ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛       ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
   /\     /\     /\
 SE:え〜  SE:あははは  SE:へぇ〜
350日本@名無史さん:2013/03/27(水) 11:05:10.27
日本のような気候でコメを作ってるんだから、暦の知識がないなんてありえない。
九州北部も奈良も出雲も、冬は雪が降る。
縄文のころからある程度の天文の知識がなければ暮らせない。

古代人ってさ、俺たちが想像する以上に賢いんだと思うよ。
でなきゃ、あの氷河期の酷寒の地で、体毛もないのに生きていけるわけがない。
現代人のほうが退化してるかも。動物は家畜化すると脳が小さくなるそうな。
狼と犬なんかでいわれてる。人間は自分で自分を家畜化した。

ご先祖様は、賢く勇敢で好奇心旺盛だった。そのおかげで世界に人間が
広がった。だけど、今の人間が同じくらい賢いかというとどうかな。
50人でオーストラリアにいきなり放り込まれたら、10年も経たないうちに
絶滅しそう。
351日本@名無史さん:2013/03/27(水) 23:14:53.76
半年で一年と考えるのは、何も日本だけではなく、
中国や欧州でもかつてはそうだった。
その場合、日の長さを調べて、同じ日の長さである春と秋を同じだと考え
春、秋がやってくるつど、
そこで同じ季節が返ってきたとカウントしたんだろう?
だから、半年で一年と計算していた。
日本の場合は、それはかなり遅くまで残っていたのであろう。
352日本@名無史さん:2013/03/27(水) 23:34:46.25
時計のない時代に、どうやって時間を比較するんだぞっと
353日本@名無史さん:2013/03/28(木) 02:17:33.48
旬の食材を食べない家庭で育ったんだろうw
354日本@名無史さん:2013/03/28(木) 02:28:21.18
半年で一年と考えるのは、半日で一日と考えるようなものだ。
355日本@名無史さん:2013/03/28(木) 11:58:54.68
>>352
そんなもん太陽の通り道を調べるんだろう?
そうしたら、春と秋は同じ。
356日本@名無史さん:2013/03/28(木) 12:01:13.25
季節によって、太陽の通り道が異なることが分かった。
その場合、秋分と春分は、太陽の通り道が同じ。
よって、それは同じ季節だと解釈され、その通り道に来た時
1年とカウントした。
357日本@名無史さん:2013/03/28(木) 12:34:43.80
古代中国やエジプト、ローマの文献には80とか100以上の高齢の表記がある
しかしエジプトは1年が365日であることは早くから知られていた
日本の宮中祭祀に夏と冬の年2回、節折の儀、大祓の儀で陛下の健康に関わる儀式があるが
1年が365日周期であることは知っていたが、古代の年齢の数え方が
地域によって、人間にとって厳しい季節を越える度に1歳カウントする考え方があったのではないだろうか
358日本@名無史さん:2013/03/28(木) 14:12:22.68
今みたいにテレビや新聞もないし。
暦に関しては、戦国時代ですら、
地域にによって異なっていたこともあるしな。

魏志倭人伝によると、日本人は四季を知らない、春耕秋収で年季とするとあって
そのあとにすぐ、倭人は80〜100歳位の長寿が多いと書いてある。
要するに暦の数え方が違うと暗に言っているだろう?これ。

でも、記紀の編纂者たちは、そういう風に解釈せず、
そのまま日本人は古来、寿命が長かったと解釈した。
359日本@名無史さん:2013/03/28(木) 17:19:39.10
四節の節ってさ、季節じゃなくて、二十四節気の節だと俺は思うんだよね。
二十四節気の中から4つを選ぶとすると、冬至、夏至、春分、秋分あたりになるじゃん。
だから、「四節を知らず」っていうのは、「冬至、夏至、春分、秋分を知らない。」っていう意味だと考えるんだが。
360日本@名無史さん:2013/03/28(木) 18:27:39.00
24節気てのは
太陰暦が太陽暦とくらべて、ズレやすいから季節の一つの目安としてつくられたもんだろ
15日に一節なのはよく分からんけどさ
361日本@名無史さん:2013/03/29(金) 09:39:47.33
ヒント。
月の満ち欠け
362日本@名無史さん:2013/03/29(金) 13:55:56.65
もしかして、 二倍月暦 ですか?
363日本@名無史さん:2013/03/29(金) 14:30:25.13
>>361
意味が分からんのだが、
24節気は太陽暦基準なので、月の満ち欠け基準の太陰暦とはまったく別だぞ
朔日だから、節気とはかぎらないし
月の真ん中に春分などがくるわけでもない。
太陽暦は太陽が黄道のどこらへんを通るかで決めるもんなので、
単純に天球を二十四等分して、そこらに星座というか星宿を決めるのが適当だったから
くらいの理由なんでは?
364日本@名無史さん:2013/03/29(金) 17:32:03.29
洋の東西を問わず、鉄を押えた者が王となる。

建国の神々(=倭王)スサノオ、大国主、アマテラスも例外ではありえない。

みんな土器や祭祀具(銅鐸・銅鏡)に目が眩んでるから古代史が見通せないのだ
金属器に注目しろ、金属器に!

縄文時代は新石器時代、弥生時代は青銅器時代、古墳時代は鉄器時代と考えれば、
金属器時代となった弥生時代・古墳時代の倭王も当然、青銅器・鉄器を押さえていたからこそ、
並み居る他豪族を出し抜いて(大)王になれたのだ。

【王=鉄】これを忘れるな!
365日本@名無史さん:2013/03/29(金) 18:26:51.44
弓だけじゃ支配できんの?
366日本@名無史さん:2013/03/29(金) 18:38:00.87
ttp://mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/iron_history/kuiper_section4I.htm#section4IX

日本は鉄が算出しにくい国土だったからねー
刀の名産地ってさ、山陰出雲、備前長船、大和、相模とかぐらいかね
砂鉄でこつこつ製鉄とか需要にとても応えられないよ

今は新日鉄が、鉄鉱石にコークスまぜて世界に輸出するほどの技術力と安さをもってるけどさ
あれって溶鉱炉ってばかでかい炉でいっきに製鉄するから大量生産できるわけであって
要するに、明治期以降だよ、日本でどこでもそこでも鉄製品をお目にかかれるようになったのは
鎌倉時代でさ、鉄器農耕具て少なかったんじゃないか?
367日本@名無史さん:2013/03/29(金) 18:38:20.81
>>364
倭国大乱ならぬ、20世紀の世界大乱(世界大戦)では、 前半線(第一次)は鉄と石炭、後半線(第二次)は鉄と石油を争ったわけだが、

いずれも良質な原材料(鉄鉱床)の争奪戦である以外に、
それを溶かして鉄に鍛える良質な燃料としての石炭(火力・弱)と石油(火力・強)の争奪戦でもあった。
それは、ワットの蒸気機関の発明以来、インドの石炭を押さえていたイギリスから、
中東の石油を押さえたアメリカに世界の覇権が移ったことでも判る(アメリカのイスラエル贔屓も)。

つまり、出雲の国譲りとは、
弥生時代の青銅器を押さえていたスサノオ、大国主から、古墳時代の鉄器を押さえたアマテラスへの国(覇権)譲りともいえそうだぬ。

スサノオも韓半島から鉄を輸入していたが、
おそらくアマテラス率いる日向の豪族が出雲スサノオ・大国主の政権下でこれを担当させられていて(鉄輸入担当大臣)、
スサノオ・大国主から始まる倭王統宗家で跡継ぎ争いが起こったのに乗じて、
韓半島からの鉄ルートを握るアマテラスが国譲りを迫って、倭王統を乗っ取ったというのが真相ではないか?
368367:2013/03/29(金) 18:50:34.25
もちろん、これはスサノオや日向豪族を率いていたアマテラスが韓半島出身であることを意味しない。

中東から石油や天然ガスを輸入する日本商社ニッキがアラブ出身でないのと一緒。
つまり中原の漢民族王朝も朝鮮半島の良質な鉄を求めて楽浪郡や帯方郡を置いたことでも判る通り、
周辺の鮮卑も越南もみな良質な鉄を求めて韓半島の各国に進出し、現地の王家と仲良くする競争を繰り広げていたという図式だと思われ。
アラブ首長国連邦の王族であるビンラディン一族とブッシュ家が仲良くしていたのと一緒。
369日本@名無史さん:2013/03/29(金) 18:53:41.79
アメリカは石油抑えてないだろ
というか当時の石油算出国の一番がアメリカだったわけだし
他に出るのは東南アジアだったはずだぞ
まだ中東の石油はそれほど影響力はない

で、日本は東南アジアの石油を手に入れようと、破竹の勢いでシンガポールと蘭印手に入れたが
空挺師団活用したわりに、焦土作戦つーか、石油精製機械とか全部壊されて逃げられたもんだから
良質のオクタンが手に入れられなかったらしいな
それで、誉エンジンも本来の性能を発揮できなかったとか。
満州の経済が発展するのは1940年代になってからだし、もう少し技術力と生産性が追いついてれば
少しの戦術上の失敗くらい補えるくらいの勝負はできてたろうねぇ
370日本@名無史さん:2013/03/29(金) 18:59:52.23
>>368
なるほどね

市民レベルで欧米社会でのイスラム教徒は忌み嫌われて孤立しているらしいが、
名門ブッシュ家とビンラディン家は家族ぐるみの付き合いだもんな、表面上は(爆

古代日本と朝鮮半島もこれと似たような図式なのかもしれん
371日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:01:08.62
日本では9世紀頃から出雲地方を中心に、砂鉄と木炭を原料に「たたら」と呼ばれる独特の小規模な製法で、鉄づくりが行われていました。
明治時代のはじめ頃までこの「たたら」による製鉄が行われ、世界的に有名な日本刀や、様々な農耕具の鉄がつくられました。
江戸時代の終わりには、ヨーロッパの進んだ製鉄技術が取り入れられ、日本最初の洋式高炉が今の岩手県釜石市に完成しました。
規模の大きい製法で鉄がつくられるようになりました。

弥生時代の鉄器の量なんてたかが知れていると思うが
372日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:06:05.25
紀元前3世紀頃 青銅とほぼ同時期に日本に伝わった。製鉄技術はなく、当初は輸入されていた。
一方、青銅は紀元前1世紀頃から日本で作られるようになった。

近年の製鉄開始についての一般的理解は、弥生時代後期後半(1 - 3世紀)に溯るといわれる備後の小丸遺跡(三原市)や
九州地方北部であり、それから時代が下り出雲地方や吉備の製鉄が行われる、ということである。総社市の千引かなくろ谷遺跡は
6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。鞴(ふいご)を使い、原料は鉄鉱石である。
製鉄炉の作り方は、これまで朝鮮半島からの導入と推定されていた[16]が、近年の研究により、中国北東部から伝わったとされている。
また日本人支配地域であった任那においても日本に遅れて製鉄が開始され、鉄製品の生産拠点となった。

日本の製鉄法はある時期以降は「たたら」と呼ばれる一種の鋼塊炉 (bloomery) を用いた、砂鉄を原料とする直接製鉄法である。
直接製鉄法とは、砂鉄または鉄鉱石を低温で還元し、炭素の含有量が極めて低い錬鉄を生成するもので、近代の製鉄法が確立する前は
(漢代以降の中国などの例外を除いて)広く世界的に見られた方法である。日本の製鉄法の特色は、鉄の含有量が砂鉄を原料に用いていることであろう。
古代、中世においては露天式の野だたら法が頻繁に行われていたが、16世紀中葉から全天候型で送風量を増加した永代たらら法に発展した。
この古代以来の日本独自のたたら製鉄法では、玉鋼や包丁鉄といった複数の鉄が同時に得られるために、それが後の日本刀を生み出す礎となった。
以後、出雲は一貫として日本全国に鉄を供給し、現在でも出雲地方にその文化の名残が認められ、日立金属などの高級特殊鋼メーカーへと変貌を遂げている。

農器具が鉄器で作られるようになると、農地の開拓が進んだ。中世日本では鉄は非常に貴重であり、
鉄製の農機具は政府の持ちもので、朝借りて来て夕方には洗って返すことになっていた。
373日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:10:48.77
「最初、鋳鉄は民間の投機家が独占し、彼らはそれによって裕福になった。しかし、漢王朝はBC119年にすべての鋳鉄所を国営化し、
皇帝がその製造を独占した。当時は、全国に46の国営鋳鉄所があり、政府の役人が鋳鉄製品の大量生産を管理していた。
古代中国における鋳鉄の普及には、多くの副次的な効果が伴った。農業の分野では鉄製の鍬やその他の道具とともに、
鋳鉄製の犂先が開発された。小刀、斧、のみ、鋸、および突きぎりもすべて鉄製のものが手にはいるようになった。
食物は鋳鉄の鍋釜で料理できるようになり、玩具まで鉄のものができた。」R.K.G.テンプル『中国の科学と文明』河出書房新社、p.73
374日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:13:50.64
>>368
>つまり中原の漢民族王朝も朝鮮半島の良質な鉄を求めて楽浪郡や帯方郡を置いたことでも判る通り、

なるほど!
魏の将軍司馬氏によって公孫氏が滅ぼされてから、楽浪郡・帯方郡を通じて魏に使者を派遣した理由が判る希ガス

つまり遼東半島を支配を任されていた公孫氏と懇意にして楽浪郡・帯方郡から鉄を輸入していた事実を魏皇帝の曹氏から咎められるのを恐れて、
急遽使者を立て公孫氏にもう未練がないことと恭順の意を示さねばならなかったんジャマイカ?
375日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:14:05.29
●前漢(前1世紀)
〜河北省鉄生溝の製鉄遺跡では海綿鉄を生産した炉と銑鉄を生産した炉のほかに銑鉄を
脱炭して鋼とした製鋼炉や炒鋼炉と呼ばれるものが出土。

●後漢
大量量産が可能な溶融銑鉄法による銑鉄生産が中心になるとともに、鍛錬技術も発達
製鉄炉の改良がすすみ大型化する。
省古栄鎮製鉄炉では内容積50m3にも達する。(直径5.95m、高さ4.59m)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
世界にさきがけて、溶融銑鉄法が中国でいち早く始まった理由はさまざまに推測されているが、
紀元前15世紀頃から始まったと言われる青銅の溶解や陶器の製作で、炉を高温にする技術が発達していたことや、
石炭を使うことが原因だったと考えられている。
中国の鉄の製造はその後の大量生産に繋がる間接製鉄法を早くから導入した華北と
直接製鉄法の技術を高度化しながら発展した江南地方の北と南に大別される。

華北では、青銅の溶解に用いた合理的な製陶窪(くぼ)は1,280℃の高温を得ていたといた事がわかっており、
この技術を利用して早くから鋳鉄技術が始まり、春秋戦国時代では大半が鋳鉄製で利器に使われていく。
紀元前5世紀頃には鋳鉄の脆さを克服する焼き鈍し技術も発見された。
一方で江南地方では初期に中国に伝わった海面鉄の直説法がそのまま発達し、
紀元前2−3世紀頃より皮鞴に替わり手押し〜足踏みフィゴが登場して炉内温度が改善され品質が向上し、
海綿鉄を洗練した錬鉄で武器を、鋳鉄で農工具を造るという2つの製鉄法が広がっていく。漢の時代には製鉄技術は完成の域に達していた。
その後、近代までは大型炉で大量安定生産ができる溶融鋳鉄法が製鉄の中心になる。
376日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:20:09.02
溶鋼炉
華北地方では鋳鉄製造も早くに始まった。
これは、紀元前15 世紀頃から始まった銅製錬と製陶技術を応用したものである。
新石器時代に発達した合理的な製陶窪(くぼ)は1,280℃の高温を得ていた。
1,200℃を超える製錬温度でまず、溶融銑を製錬した。

箱形炉,円筒炉
中国の河南、湖北では水成岩の赤鉄鉱、鏡鉄鉱、褐鉄鉱、砂鉄がり、華北の磁鉄鉱に比して概して低い温度で還元できたため、
原始的な床型や竪炉で充分還元できた。この製法が朝鮮や日本に伝わる。いわゆるたたら製鉄である。
匈奴,インドでも同じ製法であった。この方法は、海綿鉄・塊錬鉄を人力鍛練に依って鋼にしなければならない。
大変効率が悪く量産には向かない。だが、同時代の西洋の鉄と比べれば非常に丈夫だった。製造コストは高い。
当時の鉄製品のランクとしては、中国を筆頭に、次点が匈奴,インド、次が月氏,康居,大宛、その次がパルチア、ローマや
シリアは粗末であり、他のヨーロッパ、ケルトなどはもはや、製品とは呼べない。
377日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:21:20.85
専門書の転載やめれ!
378日本@名無史さん:2013/03/29(金) 19:32:48.30
>>367
世界に先駆けて産業革命を果たしたイギリスが中国へ進出してアヘン戦争を仕掛けたのも、鉄と石炭目当てだよな

日本も満州国という対ソ緩衝帯を兼ねた植民地を作って朝鮮半島の鉄と石炭を採掘していたが、
東南アジアで良質の石油が見つかってからというもの、満州国は総崩れ
379日本@名無史さん:2013/03/29(金) 20:14:19.74
頭悪いな、朝鮮満州にはろくな資源がなかった
ゼロからインフラ整備していった
満州は大豆。それをヨーロッパに売って生計を立てた。
380日本@名無史さん:2013/03/29(金) 23:34:21.62
日本は世界一の砂鉄の産地なんだぞ
量が少ないとかほざいてるバカが居るが
戦国時代の鉄の武器はほとんどが砂鉄が原料だ

出雲、諏訪、鹿島。これが砂鉄の特産地だ
古代の有力者が砂鉄の産地を抑えていた
九州のヤマトは砂鉄の産地が無かった。だから半島から輸入した
ヤマトが出雲を支配したら、半島の鉄が不要になった
381日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:12:52.00
>>380
嘘つけ、三番目じゃねえか
しかも、砂鉄をとるって言っても日本刀の保存目的に使うから産出してるだけで
中国のレアアースと同じ理屈なんじゃねえのか
近くに使う国があるから、近隣で安く手に入る場所が使われるだけで
探そうと思えば、産地はいくらでもあるっつーオチだろ、どうせ
382日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:17:20.63
糸島元岡遺跡の高炉跡の近くの海岸では、
砂鉄の層がある。

また、鍛冶遺跡の今宿遺跡も比較的近所だが、
この近くの長垂海岸でも砂鉄がとれる。

まあ、あるところにはあるということだろう。
383日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:22:47.02
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1246309847

日本刀で言われる五伝の山陰以外の大和・山城・美濃・相模の刀は、多層構造の日本刀ができる以前のころの名前なんだな
やはり、山陰の砂鉄の方が出来がよかったようで、岩手の南部鉄瓶のようなものは刀作りに向いていなかったのかも
地方産出の鉄も軟鉄として使ったのかもしれんが。
384日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:22:49.69
更にどうでもいいことだが、
神社で子どもと磁石で砂鉄を集めて遊んでいると、
磁石にくっつく石がある。

磁鉄鉱なわけだが、この神社の砂利が何処から運び込まれたのか
よくわからない。

佐賀在住だが、嘉瀬川の川砂利じゃないかと思っているのだが。
385日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:30:05.63
南部鉄瓶などは炭素が多い鋳鉄で4%程度、高炉から取り出したばかりの銑鉄に近い。
炭素を抜いて、0.3%〜2%の範囲で調節すると鋼になる。
もっと炭素を抜くと軟鉄になる。

炭素が抜けるほど柔らかくなり、炭素が多いと硬くもろくなる。

刀は硬い鉄と柔らかい鉄を張り合わせたり多層構造にして、
硬く切れやすく、柔らかく折れにくい性質を作り出している。
386日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:49:50.87
まあ、鉄鉱石から大量生産できる近代製鉄法には砂鉄は向いていないわけで
古代において、日本に鉄器が不足していたのは明らかなわけで。
当時、ヨーロッパの鉄器は青銅器にも劣るシロモンだったわけで。
日本においても、戦争を左右するよう要因にはなってなかったで決定。
この話はもう終わり。
387日本@名無史さん:2013/03/30(土) 02:08:21.11
>>381
もう砂鉄は一般的な鉄の原料にはなってない
ただ世界一のカミソリとかの原料になっているが
明治になるまで日本は砂鉄で刀や鉄砲などほぼ全ての鉄器を作って来た
砂鉄はヨーロッパやアジアでは産出しない

>>386
おいおい
スサノオが見つけた草薙の剣を忘れては困る
ちなみにこの神話は、大国主の国譲りの前
もちろん神武東征の前の前
388日本@名無史さん:2013/03/30(土) 02:16:19.48
>>386
古代こそ小規模製鉄が向いて居たと思うが
出雲の野だたらは野外の製鉄だが、ふいごの代わりに強い季節風を使う
そして数キロの鉄を作る
こっちこそ古代に相応しいと思うが
砂鉄だと完全に溶けなくとも鉄器に出来る

近代製鉄に砂鉄が向いていないのは確かだが
それは古代の製鉄には何の意味も無い
389日本@名無史さん:2013/03/30(土) 02:23:00.55
>砂鉄はヨーロッパやアジアでは産出しない

吉田光邦氏は「中国科学技術史論集」で「華北は火山岩系の磁鉄鉱、赤鉄鉱が多く、磁鉄鉱は融点が高い為に、炉は一層高温に向
かわなければならなかった。高温を得る為に各種送風装置が考案され、排(はい)という鞴を発明した。一方、河南、湖北では水成岩の赤鉄
鉱、鏡鉄鉱、褐鉄鉱、砂鉄である。華北の磁鉄鉱に比して概して低い温度で還元できる。原始的な床型や竪炉で充分還元できた」と
埋蔵資源の観点でこの差異を考察している。
390日本@名無史さん:2013/03/30(土) 02:30:29.86
>>388
古代に大規模な製鉄は行われていない
たいていは舶来ものの鉄で、出雲や備前で製鉄は認められてはいるが
当時日本において、鉄の主な供給地とはなっていない。
391日本@名無史さん:2013/03/30(土) 02:42:16.11
戦争が無ければ鉄は大量に必要ではない
日本最古の鉄器も農具だ
392日本@名無史さん:2013/03/30(土) 06:55:31.26
江戸時代でも木製の農具とかあるのにな。。。
鉄を過大評価しすぎているんじゃね?

あと、考古学者はやたら年代を割り出したがるけど
農耕の年代を一つとっても、考古学者と植物学者では年代に
大きくずれがあるのにな。
393日本@名無史さん:2013/03/30(土) 06:57:24.15
>>367
おまえのトンデモ説には興味ない。
394日本@名無史さん:2013/03/30(土) 07:00:11.80
大和王権の発祥地は、現在の御所市、葛城市、橿原市一帯であり、
その当時は、現在の奈良盆地のあたりには、大和湖があり、
その南岸がこれらの地域だった。
そのあたりを高天原といった。

皇祖ニニギ命は、この高天原から、九州高千穂に地方官として派遣された王族。
395日本@名無史さん:2013/03/30(土) 07:15:41.72
大和湖南岸から南に行くほど高くなっていて高原状とも言えなくはないしね
396日本@名無史さん:2013/03/30(土) 07:51:14.13
現在、あのあたりで高天という地名は、
金剛山(かつては高天山といった)の麓の御所市高天の高天彦神社のところしか残ってないが
もともとは、大和湖の南岸だった御所市、葛城市、橿原市の広範囲を
高天原といったのであろう。

一方、大和湖の東岸の三輪山の麓のことは、山処(やまと)といった。
これが、のちの大和朝廷のヤマトのもとになった名前。
397日本@名無史さん:2013/03/30(土) 07:52:47.44
高天原には、天安川、天香久山、天岩戸があったというけど、
これらの史跡が全部がそろっているのは、
御所市、葛城市、橿原市の一帯だけだしな。
398日本@名無史さん:2013/03/30(土) 12:03:31.06
>>397
高天原と主張する場所にそれらの地名が無いぞ
バラバラに存在するだけだな
399日本@名無史さん:2013/03/30(土) 12:05:10.09
御所市、葛城市、橿原市の一帯が高天原だとするなら
なぜヤマトと呼んだのか?
まるでダメだな
400日本@名無史さん:2013/03/30(土) 21:44:04.55
そこら辺は土蜘蛛の巣だろ
401日本@名無史さん:2013/03/30(土) 23:06:40.44
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
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402日本@名無史さん:2013/03/31(日) 04:46:14.87
>>399
狭義のヤマトは、三輪山周辺。現在の桜井市、天理市のあたり。
古代の大和湖があった東岸の地域だけ。
現在の奈良県全域をヤマトといったのは後世の話。

>>400
ちゃんと地図を見ましょうよ。
御所市、葛城市、橿原市は、広範囲にまたがるぞ。
403日本@名無史さん:2013/03/31(日) 13:12:55.47
そもそも、三輪山周辺がヤマトと言う話は、
何か文献があったんだろうが、
どんな文献で、どこまで遡れるのか知りたいな。

記紀では場所まではわからない。
風土記、続日本紀あたりにあるんかね?

思ったよりは資料がない印象がある。
404日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:04:20.10
尋ねたいんだけどマジキチ系なカキコで申し訳ないんだが、自分、霊と交流する能力あるんだわ。
それで、イスラエル命名に関係する大天使とも何度か接したりもあるし、最近ではイザナミ様縁の日本の女神様がなんか枕元で知らない言葉を繰り返すから調べてみたら、
それって少なくとも古代エジプトぐらいまでは遡る神官長とか族長とか争ってた二つの神の子とかを表す神器みたいなもんなんだわ。
405日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:21:04.98
>>404 それで続きなんだけどさ、
先祖は安倍族の吉士系っぽくもあり天穂日命系っぽくもあるんだけど、
城跡はヤマトタケルを信奉してたみたいでこの方は白鳥になったというから物部系でしょ?
でも物部(出雲)系の権威ある神官長って本伊勢(籠神社)の海部氏でしょ?
大彦命が伊賀で拾った子はイスラエル王家の安日彦系で安倍晴明の祖先になったっていうけど物部なの?同じ物部なら海部氏とどっちが上なの?
出雲神社は亀で伊勢神社は鶴(白鳥)だとかもいうし...
406日本@名無史さん:2013/03/31(日) 16:28:11.69
籠神社(丹後一宮。元伊勢、豊受大神宮、与謝の宮)の海部宮司家の本宗家(本家)筋は、
尾張氏(葛城氏、高尾張氏。)。
天火明命を祖とした原初の統一大倭国の大王家。
言い換えると出雲族。
407日本@名無史さん:2013/03/31(日) 16:36:59.62
大和なの?出雲なの?
408日本@名無史さん:2013/03/31(日) 16:41:02.13
豊受って出雲系?

じゃあアマテラスだけ違うってこと?
409日本@名無史さん:2013/04/01(月) 08:47:10.04
天穂日命はアマテラスの子だけど大和朝廷に神宝を差し出せと迫られたという記述があり、
アメリカ・インディアンのホピ族の祖先でもあるといい、
ホピ族は自分達が過去の大洪水で人類が滅亡する以前から存在したシリウス星人がどうのとか言っている。
出雲大社の亀甲紋だとかイスラエルのシンボルマークはシリウス系なのでナガスネヒコや安日彦とか天穂日命が旧約聖書系シリウス系天孫族で、
イエス・キリストが金烏に姿を変えて肩を持ったという東征日向族神武天皇系が新約聖書の天孫族っぽいんだけど。
410日本@名無史さん:2013/04/02(火) 18:38:20.29
国譲りってさ。

縄文人が弥生人に負けたって事なのかな?
弥生人が大量に来たというなら弥生人と縄文人の争いはあったわけだよね?
411日本@名無史さん:2013/04/02(火) 19:23:19.97
時代が違う
縄文人弥生人は文系が作った言葉に過ぎない
大量の弥生人渡来は科学的に否定されているがいまだに文系連中が唱えている
自分の目と耳で見て考えなよ
412日本@名無史さん:2013/04/02(火) 19:50:43.60
>>411
>大量の弥生人渡来ッて
5、6世紀頃の百済人の王朝移民団しか浮かばない・・
413日本@名無史さん:2013/04/02(火) 19:54:31.49
秦氏のようなのがもっと前にもあったんじゃないの?
414日本@名無史さん:2013/04/02(火) 20:14:21.93
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数はせいぜい1万人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.25% ほどに過ぎない事が分かる。
415日本@名無史さん:2013/04/02(火) 20:43:43.93
>>413
皇統系譜で観ると
それぞれの古代氏族に
 支那(秦)裔流
嶋津系譜(秦-惟宗姓)宗氏系譜(秦-惟宗姓)高丘系譜(秦-高丘姓)高丘系譜(秦-高丘姓)松尾系譜(秦姓)羽田系譜(秦姓)長曽我部(秦姓)
支那(漢)裔流
坂上系譜(漢-坂上姓)丹波系譜(漢-坂上姓)田氏系譜(漢-坂上姓)原田系譜(漢-大蔵姓)江上系譜(漢-大蔵姓)秋月系譜(漢-大蔵姓)
美気系譜(漢-大蔵姓)原氏系譜(漢-大蔵姓)三原系譜(漢-大蔵姓)高橋系譜(漢-大蔵姓)小金丸譜(漢-大蔵姓)波多江譜(漢-大蔵姓)筑紫系譜(漢-大蔵姓)
支那(燕)裔流
赤染系譜(燕-公孫姓)
支那(明)裔流
武林系譜(明-孟姓)千原系譜(明-千姓)
扶餘(高句麗)裔流
高麗系譜(高句麗-高)
扶餘(百済)裔流
三松系譜(百済-餘姓)葛井系譜(百済-餘姓)船氏系譜(百済-餘姓)津氏系譜(百済-餘姓)菅野系譜(百済-餘姓)宮原系譜(百済-餘姓)蕃良系譜(百済-餘姓)
大内氏(百済-多々良)佐波氏(百済-三善姓)赤穴氏(百済-三善姓)
朝鮮(新羅)裔流
李氏系譜(新羅-李姓)李家系譜(新羅-李姓)田中系譜(新羅-朴姓)秋月系譜(新羅-朴姓)新井系譜(新羅-朴姓)新田系譜(新羅-朴姓)木本系譜(新羅-朴姓)
安本系譜(新羅-安姓)安田系譜(新羅-安姓)
朝鮮(高麗)裔流
田中系譜(高麗-申姓)
朝鮮(耽羅)裔流
高田系譜(耽羅-高姓)
朝鮮諸流
呉東系譜(呉姓)吉田系譜(姜姓)柳川系譜(梁姓)柳川系譜(柳姓)大迫系譜(沈姓)木下系譜(李姓)徳山系譜(李姓)徳山系譜(洪姓)張本系譜(張姓)大山系譜(崔姓)
白山系譜(白姓)金沢系譜(金姓)金本系譜(金姓)金田系譜(金姓)和田系譜(金姓)孫氏系譜(孫姓)脇田系譜、鮫嶋系譜、玉井系譜、河東系譜、河島系譜
西欧諸流
瀬堀系譜、上部系譜
http://www.geocities.jp/tajima73/hatashi.html
416日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:06:03.85
ぶっちゃけ、皇室の祖先もアマノヒボコみたいに渡来して領土を得たんだろ?
「国譲り」ってのはそういうことよ。
417日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:16:11.13
話を鉄に戻して申し訳無いが砂鉄に捕らわれて褐鉄鉱の存在忘れて無い?
縄文土器が焼ける設備があれば余裕で還元出来るんだぜ
国譲りで何故諏訪に逃げて来たのかはこれが答えじゃないかな
譲ったのは出雲じゃく葦原中国だし諏訪(信濃)も葦原と呼んでも差支えの無い地方だしね
俺の想像で申し訳ないが建御雷之男神達は諏訪がそういう地域だと知らずに建御名方神の作戦にまんまと乗ってしまったのでは無いかと
で、意気揚々と諏訪に来て建御名方神の蛇行剣(枝)の製法vs守屋の鎌(鉄輪)の製法勝負で目出度く諏訪平定
時がたって信濃を直轄後それを知った朝廷が悔し紛れに建御名方神は泣きながら諏訪に逃げたとさって古事記に書いちゃったと
でも時遅く東日本では軍神扱いされてましたとさ
どう?国譲りで欲しかった物から蛇行剣の分布、負けた神が何故軍神なのかまで更に言うと最古の蕨手刀と毛抜型太刀が信濃で出土してる辻褄は合うでしょ
418日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:18:13.36
>>415
のは、帰化姓索引でした。
で・・皇統系譜で観ると・・
孝元天皇の三男筋の武内宿禰の中央氏族蘇我氏は代々、百済姫を妻にしている。
おそらく、新羅から百済人たちを移住させたのも、この、中央蘇我氏族の指示も考えられる。
孝元天皇嫡子の大彦命の末の子にも波多(秦)と言う名が観られる。
波多武彦命・・その裔には、難波氏と三宅氏とある。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208.htm

神功皇后(170-269)の母が葛城高額媛で天日槍命系譜末代で新羅の始祖王の末裔。
桓武天皇(737-806)の母が高野新笠で扶餘 初代百済王の温祚王の末裔。
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
419日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:21:17.93
>>418
>蘇我氏は代々、百済姫を妻にしている。
については、蘇我氏でウィキーペディア参照。
>>416
それが、神武天皇でしょう。
420日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:27:46.64
あと忘れてたけど欲しい物が農作物と褐鉄鉱が収穫出来る湿地帯なら天孫族が渡来系で無い証明になるんじゃないかな
むしろ湿地帯を持たない高地などの山の上に住んでた一族では無いかと
もちろん神として影響力は持ってたから知識はあるけど資源は交易などに頼ってたみたいなさ
欲しくなるよね
産出する地域をさ
421日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:27:58.08
服部氏は高句麗時代の渡来人で
吉川氏は高麗時代の渡来人です。
422日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:40:45.83
なので、近代帰化人・在日と古代渡来系譜の大和民族をゴッチャにしてネットでイジメは辞めましょうネ。
古代渡来の血は
>>414の言う様に、0.25%誰かしらに混じっているのですから・・。
古代の大陸や半島の人たちと、今の大陸や半島に居る人たちにも同じ理屈が当てはまる訳ですしネ。
彼ら大陸や半島の人たちも、古代の我々と共通の祖先の血が僅かしか流れて居ません。
別民族として、海を距てて別進化した民族なのですから・・。
423日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:41:04.40
>>411
いやいや、否定されていない
紀元前6世紀頃に大量渡来が有った
おそらく江南からで縄文人の家来になった
国譲りではない

国譲りは縄文人渡来の記憶だろう
424日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:47:36.05
大陸や半島の彼らとは明らかに違う血は、アイヌ系の血・・遺伝子が大和民族の証と成ります。
アイヌの血を誇りましょう。
425日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:57:11.08
>>423
中国の長江文明の遺跡の場所に九頭竜河と言う地名が日本の富山だかにあるよね。
426日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:58:56.39
>>425訂正
福井県大野市の九頭竜川だったネ
427日本@名無史さん:2013/04/02(火) 22:47:38.81
神武が初代「天皇」だと思うからおかしくなるんだよ。

欠史八代とかも、何か変。何も書いてないから作ったんだろとか。
二代から9代の姫妃の出身を見るとさ、当時の天皇家の先祖の立場がよく分かると
思わんか?神武は盆地へは入れたが、そこで大きな権力を持ったんじゃなく、
ヤマトの一部族として入り込めただけ。
二代目からは戦国時代のように、盆地内の近隣の有力部族と政略結婚してる。
岡崎時代の徳川家のように。

それが広い範囲で婚姻関係を結ぶようになり、9代開化が丹波から
嫁取りし、崇神は紀伊、尾張だ。この頃にはヤマトの中で特出した力を持つよう
になっていたんだろ。

つくり話というよりも、非力だった先祖の昔の言い伝えを正直に伝えていると
思うがな。
428日本@名無史さん:2013/04/02(火) 23:21:01.37
>>417
もともと諏訪には出雲からの入植が古くから(ひょっとすると縄文時代ころから)あって、
その両者の関係を神話化する際に「国譲り」の段に挿入しただけだろうと思う。
429日本@名無史さん:2013/04/03(水) 00:10:44.06
>>427
ニニギに繋がる天孫だから高貴なんであって
神武を抜かしたらただの成り上がり
天皇じゃなくて王
430日本@名無史さん:2013/04/03(水) 20:25:55.21
>>428
挿入しただけなら守屋と戦う必要無くね
諏訪の伝承では建御名方神が侵略者だから
まあすぐに共存体制になってるぽいから面識があったとしてもおかしくないけどさあくまでも宗教の上書きしようとして結果包容してるからね
安曇氏による穂高の天孫降臨擬きも神の誕生から天孫族を見てる安曇氏が真似たと考えると信濃には古代的に重要な資源があって拠点的に出し抜いてでも抑えたかったと考えた方が自然じゃないかな
431日本@名無史さん:2013/04/04(木) 02:15:15.19
>>422
たった0.25%なの?
朝鮮人の20〜25%に一人は高麗時代に帰化した中国人なのに

高麗時代に異民族が帰化した数字は23万8000人(新羅時代の人口は80万人〜100万人)

(初等教科書、高麗の時「23万帰化」言及もしない『京郷新聞』2007年8月21日)

高麗時代前時期にかけて朝鮮に異民族が帰化した数字は23万8000人余りに達するという。
帰化した漢族は国際情勢に明るく、文芸にたけていて官僚にたくさん進出した。
帰化した渤海人は契丹との戦争に参加して大きい功績を立てた。
チェ・ムソンに火薬製造技術を伝えた人物の以遠も中国、江南地方出身帰化人である。
帰化した女真族は北方情勢を情報提供したり城を築いたり、軍功をたてて高位官職になった者もいる。
李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を自身の支持基盤とした。
開国功臣だった二至欄はこの地域出身の女真族指導者として同北方面の女真族と朝鮮の関係を篤実にするのに重要な役割を担当した。
李氏朝鮮時代、同北方面の領域で領土拡張が可能だったことは女真族包容政策に力づけられたことが大きい。
なお、京仁教育大学校教授朴チョルヒは、韓国の社会教科書が過度に民族中心的に叙述され、
これら帰化人の存在と文化的影響に対し教科書は沈黙していると批判している。

http://news.nate.com/view/20070821n11817
432日本@名無史さん:2013/04/04(木) 02:17:00.28
訂正

朝鮮人の20〜25%に一人は高麗時代に帰化した中国人なのに

朝鮮人の20〜25%、4〜5人に一人は高麗時代に帰化した中国人なのに
433日本@名無史さん:2013/04/04(木) 02:40:35.76
現代韓国人のY染色体からすると、妥当だね
434日本@名無史さん:2013/04/04(木) 02:43:19.87
日本の場合は帰化人は少ない
海が有るからどうしても船が居る
船に乗って移住すると残された人は船が無い状態になる
だから限度が有る

大量に来れるのは日本と半島間でピストン輸送が機能してるときだけだな
朝鮮戦争みたいにね
百済が滅んだ時も半島から日本に逃げて来て終わりだろう
日本からはもう船が行かない

例外は弥生人
かなり大量に来ているが、当時の半島に争乱は無いし強国も無いから
半島からの渡来は考えられない
江南からいかだや船で逃げて来た難民だろう
中国が戦争すると何十万単位で皆殺しにするからな
435日本@名無史さん:2013/04/04(木) 02:51:45.76
三国志で荊州を攻められた玄徳が、民衆を引き連れて逃げるけど
日本の感覚だと民百姓は安全だろ?なぜ逃げる?とか思ってしまう

ところが中国は、占領したら丸ごと皆殺しにして自国の民衆を移住させる
だから逃げるのが常識
百万人居ても皆殺しにする
だから古代の中国人は、あっちこっちにひたすら移住した。半島にも
436日本@名無史さん:2013/04/04(木) 13:24:20.02
稲作渡来民の移動ルート
http://img.guideme.jp/i/EexUOtxJAkptMXnCSvB8pmWESwQ/YFzh1EhJCzKi8zl3/hc7qcoL1s27v+uHjOfSzMiCIol5BaucK2xuVsrckQ==

半島南部に流れついた集団と日本列島に流れついた集団がいる。
437日本@名無史さん:2013/04/04(木) 15:48:57.39
民は逃げたんじゃないよ。
劉備に連れ去られたんだよ。
農民は飯の種だからな、それを置いていくわけない。
董卓が遷都のときに都の人間を連れ去ったのと一緒。
劉備を聖人にするための偽装に騙されちゃダメ。
438日本@名無史さん:2013/04/04(木) 19:27:16.48
敗走していく劉備がそんなに連れて行けるかね。
439日本@名無史さん:2013/04/04(木) 20:05:43.96

歩みが遅くて自動的にしんがりになる
あと囮に使える
440日本@名無史さん:2013/04/05(金) 00:50:52.62
遷都は行く当てが有るが
劉備はただ逃げただけ、しかも10万人?が皆殺し

中国は大虐殺が普通
中国人の認識も大虐殺が常識だ
南京大虐殺も30万人は少ないと思っている
中国人ならもっと殺すのにおかしいとw
441日本@名無史さん:2013/04/05(金) 11:36:07.10
>>431-433
高麗(918〜1392年)って
日本じゃ平安末期〜鎌倉時代だな
その時代にそんなに中国人が帰化してたんだな
442日本@名無史さん:2013/04/05(金) 12:18:16.16
当時の渡海・日本帰化には、今でいえば月に移住するくらいお金がかかったと思う(ま、宇宙旅行するくらいかな)。
そんな王侯貴族・富裕層・知識人の帰化だから、その後の日本でどういう社会階層を形成したかが大きな問題。
わずか0.25%といえどハイソだったら影響は莫大じゃないかな。
443日本@名無史さん:2013/04/05(金) 17:59:04.69
>>442
金持ちや知識人なら日本へ来なくても生活できる。むしろ一発逆転を狙う貧乏人や国を追われた連中だったのではないか。もちろん政争に敗れた貴族なんかも渡ってきただろうな。
実際にアメリカへヨーロッパから移民してきたのはプロテスタントや貧困層だった。アメリカ英語はイギリスの身分の低い人々が話す言葉の影響が強いらしい。
444日本@名無史さん:2013/04/05(金) 18:49:25.31
>>442
ちと説明不足だった
大陸で戦に勝った人たちはそのまま住めばよいが、敗戦で追われた人は必死放浪の身となる。
しかし海を渡るには自前の武装船を手配し、関所関所では税金や賄賂も必要、夜盗から身を守るには護衛と武器も必要。
そうなると下級兵士や庶民が海を渡るのはむずかしかったのではないか(アメリカ移民のころは平時の乗合連絡船)。

結局、無事に海を渡ってこれた人たちの多くは、敗戦の王侯、軍事貴族・護衛兵・庸人・奴隷などの一族一団だったのではないか。
(高天原神話では、高貴な神も、下賤の神も生まれてる。それは生死をかけて共に渡来した一族の人たちをすべて神として祀ったからではと思う)
そう言う人たちがわずか0.25%の半分いたとしても、
大陸での経験を生かし、のちのち日本で政治・軍事的に大きく成長したということはなかったのか・・。
そういう意味です。
445日本@名無史さん:2013/04/05(金) 19:26:09.38
動乱で押し出された人間が居たのは確実だが
それが直接やってきたと思うのは早計だろう。
我々が思う以上に、この時代の時間は遅い。
流民がどこかに定住し、勢力を拡大して
その結果、元々そこに住んでた連中が押し出された。
それは恐らく100年単位の話。
446日本@名無史さん:2013/04/05(金) 19:32:32.76
船団の建造は非常に金がかかるし、意思統一の元、
指揮権を持つ人間がいて、建造技術を持つ職人集団が数年かけて行うもの。
もしくは、そういう職人や船がある大きな港を襲う事になるが、
当然相手にも軍隊はあるので逃げてる途中の烏合の衆が出来る事ではない。
逆に、それが成功したのなら、わざわざ日本までやってこないで
その街を支配して生活すれば良いだけの話だしな。
447日本@名無史さん:2013/04/05(金) 23:38:23.45
残ってたら皆殺しになるんだから
丸太でもタンスでも
浮く物は何でも浮かべて川や海に逃げる
流れ着いたのは半島南部と九州北部
448日本@名無史さん:2013/04/05(金) 23:46:57.66
ぽっと来たからって、生存できるのか?
よそ者なんて殺すだろ。
449日本@名無史さん:2013/04/05(金) 23:54:25.12
季節や日によって海流の方向や速さは変わる
ttp://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/db/kaikyo/daily/current_jp.html
450日本@名無史さん:2013/04/06(土) 00:05:33.93
スレッドタイトルにあるアマテラスだけど、こういうの読むと正直面白いし、
アマテラスが朝鮮半島渡来の皇后だとか卑弥呼だとか言説がつまらない横道に入って真実から通ざかって行くように思えて興味が失せてしまう。
アマテラスがイエス・キリストや更にその雛型になった人じゃないかとも思えて来る...↓

「伊勢神宮の配置の秘密(グランド・クロス)」
http://kojiki.imawamukashi.com/05kosatu/05isejingu2.html
451日本@名無史さん:2013/04/06(土) 00:10:02.77
8世紀の鑑真和上は6回目の渡航でやっと成功。
当時の遣唐使船は、4隻600人体制だったそうで、かなり大きな船だな。
452日本@名無史さん:2013/04/06(土) 09:13:36.34
当時ってまだ国境が全然はっきりしてなかったんでしょ?
インドネシアあたりとかから人きたりしてたとか聞いたけどどうなの?
453日本@名無史さん:2013/04/06(土) 09:21:07.51
鑑真とガンジーって語感が似ているよね。
454日本@名無史さん:2013/04/06(土) 09:42:44.60
熊野から大和までの東征ルートを辿りたいな
455日本@名無史さん:2013/04/06(土) 13:00:25.92
そういえばスサノオ神話でさ。やまたのおろち
を倒したあとに尻尾から草薙の剣を作るみたいなくだりがあるじゃん

あれって当時すでに鉄の精製方法がわかってて鉄で武器作るようになってたって事なのかな?
時代的に日本に鉄が来たのってどれくらいなんだろ?
456日本@名無史さん:2013/04/06(土) 13:13:03.40
そもそもヤマタノオロチを切った剣もあっただろう
457日本@名無史さん:2013/04/06(土) 13:23:20.03
>>455-456
考古学的には、刃物の材質で(旧新)石器時代→青銅器時代→鉄器時代に分けるけど、
BC3000年頃メソポタミアで青銅器時代が始まり、中国に伝わったのがBC1300年(縄文晩期)、
BC800年頃メソポタミアで鉄器時代が始まり、中国に伝わったのがBC500年(弥生時代中期初め)
日本にはBC400年頃に青銅器と鉄器が同時に伝わったとされている。
つまりメソポタミアで2200年間、中国で800年間続いた青銅器時代がないのが日本史の特徴だとさ。
458日本@名無史さん:2013/04/06(土) 13:42:33.40
>>455
違う素材を見つけたと言うことだろう。
出雲の斐伊川の砂鉄で玉鋼を作り、それで剣を作ったところ良い剣が出来た。
日本刀の素材も砂鉄だったはず。

http://www1.kcn.ne.jp/~jn3bpc/katana.html
http://nicoviewer.net/sm7165419
459日本@名無史さん:2013/04/06(土) 13:50:41.65
>>457
あれ?けど銅剣とか銅鐸とか銅矛とかは発掘されてなかったっけ?
鉄があるのに銅の武器作ってたの?
460日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:00:06.78
>>459
鉄と銅は使い分けが出来ていたんだと思われ。
実用品としては銅は鉄にはかなわない。
武器としても道具としても鉄の圧勝。
ただ、銅はきれいなので、威信財としてあるいは装飾品のように使われた。
461日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:01:46.61
鉄と言っても鍵はノウハウだらけのたたら技術にある
砂鉄をとかすには一段の高温を要する、高温は、リンク先にもあるように松炭(赤松で作る高温木炭)で初めて得られる、
またそこいらでとれる不純物の多い砂鉄はせいぜいクワ・カマ用
刀剣用には赤目という土からとれる高純度の砂鉄を使う
砂鉄があっても簡単には草薙の剣はできなかった
462日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:03:37.13
>461:訂正   赤目 → 真砂
463日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:13:44.78
>>460
ってことは沢山出土された銅矛も儀式というか宗教用なのか。
出土されたのはボロボロだけどたしか当時はキラキラしてたらしいね。
464日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:16:41.77
>>463
銅はさびて青緑になるから青銅器と言われるが、もともとはすずが入っているから
金色に近い。祭祀用としてはふさわしいかも。
465日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:29:35.09
>>461
不純物が多いとか高純度とか砂鉄には不向きな言葉だ
産地により鉄以外の成分が混じっていてそれが品質になる
クロムが入っている砂鉄も有る
これだと溶かして整形すればステンレスに近い鉄器になる

あと高温で溶かすというのも誤解
もともと粉末なので低温でも叩けば整形可能だ
つまり構成の製鉄炉の様な高温を必要とせず鉄器を作る事が可能
剣なんて単純な形だからな
466日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:35:17.55
そうなの?なんか鉄を作るのは強い風を起こすのが必須だった
みたいなのを聞いた事があるんだが。古代では風の強い地域で鉄を作ってたとか。

もののけ姫だとたたら場とかで女たちがずっとなにか踏んでたけどあれも良く意味が解らないな。
踏み続けてないと鉄は作れないって事なんだろうけど。どういう仕組みなんだろ。
467日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:37:42.05
>>465
クロムやチタンとか、そりゃ、そもそも高純度の砂鉄です。
世の中にはしょうもない砂鉄もありんす。
468日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:43:40.29
469日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:55:39.14
>>465
それは野外の野だたらのことかな。
こちらは屋内で行う大がかりなたたらの話↓
http://www.wakou-museum.gr.jp/tetsu1.html
470日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:04:55.59
頭骨の変化はほとんどが食生活の変化と、あとわずかな混血。
471日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:07:06.21
>>466
古代は風を利用したみたいだ
炉を作ってふいごで風を送るとより高温になる。炉が大きいと大きなふいごで風を送る
でも砂鉄ならふいご無しでも製鉄可能って感じ
ただの焚き火だと無理に近いが

>>467
でもそれ分別不可能だからw
だから砂鉄は産地で差が出る、良質な砂鉄の産地は貴重

>>469
そうそう、昔は渓谷に炉を作って季節風を利用していたようだ

朝鮮半島の鉄を利用していたのは一時期のみなんだよね
あとはずっと砂鉄
その前は不明だが、製鉄と刀作りは神事だし古来からの神社が砂鉄の産地に有る事を考えると
古墳時代以降に始まったと考えるのは不自然に思う
472日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:12:35.79
幕末とか明治時代の反射炉ってのはやりすごい鉄を作るためのもの
って事でいいの?
473日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:13:35.75
そもそも、たたらってのは、足ふみ式のフイゴを指す言葉。
操業中は休みなく安定して風を送り続けなければならない。
474日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:16:20.96
>>457
青銅器は城壁都市国家を、鉄器は統一国家を産むと言われるが、日本に城壁都市国家が発達しなかったのは、
青銅器と鉄器が同時に伝わったという考古学上の史実が裏付けているな

中国に鉄器が伝わって秦という統一国家が生まれるまで500-221で300年弱
日本に鉄器が伝わって大和朝廷という統一国家が生まれるまで400+250で650年弱
両国の350年の時間差はまさに青銅器時代(城壁都市国家)があったかなかったかだろう
475日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:19:56.22
炭素の多い銑鉄を作るのが高炉。

銑鉄は脆いので、炭素を抜いて鋼にするのが、
反射炉や転炉。

銑鉄に空気や酸素を吹き込んで、炭素を燃やす。

いきなり鋼を作ることができるたたらは、生産量が小さい。
高炉は連続的に鉄を作り続けられるが、銑鉄しか作れない。

この銑鉄を、反射炉や転炉で鋼にすることで、
大量生産が可能になる。
476日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:23:10.16
>>474-475
春秋戦国時代も、弥生の倭国大乱(高地性集落?)も、鉄とそれを溶かす燃料の争奪戦だろうね
477日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:49:33.65
「い+さ行」=いさ(伊佐、イザ)、いし(石、医師)、いす(伊須、伊豆、五十鈴)、いせ(伊勢)、いそ(磯、石)。
これらは景教(東方キリスト教/ユダヤ教)の救世主を意味した言葉。

キリスト教は西洋だけのものと思っていたら大間違い。
神道の深層底流には景教(古代東方キリスト教)が習合していると考えて差し支え無いかと

ユダヤ教や西洋の勇。ローマ帝国の勢力圏内ではイエスキリスト以降、
約四世紀に渡り異端の宗教(ユダヤ教の異端分派)として禁教とされ弾圧を受ける暗黒な歴史が有りますが、
片やキリスト教が成立間もなくの一世紀中庸には早くもアジア大陸のシルクロードを東へ渡った一団により
当時、劉秀光/武帝が打ちたてた後漢帝国に到来。
幸いに後漢帝国では中東、西洋のような禁忌も弾圧もなく
キリスト教は景教と呼ばれて都の洛陽を始め後漢帝国全域ほか周辺各地で教会を建設して盛んに布教活動を展開していた云々。
また、景教では救世主イエスは「イーサ(いさ)」や「イーシェ(イシェ)」などと呼ばれていた云々
(中国の正史、「後漢書」)

この景教徒が後々時代の変遷や動乱の民族的な玉突きにより極東の島国に渡来していても何ら不思議は無い話。

極早ければ二世紀頃から遅くとも仏教公伝以前の五世紀頃までには・・・
実際に一番クサイのは秦氏ではないかと。
一族郎党が(小国レベルで)数万人〜の大挙して当時人口が200万人程の日本列島に押し寄せてきて、各地(要衝地)に入植定住。
文化宗教産業に与えた影響力は多大であったはず
各地に数多の神社を創始創建しましたが、
一説には敬虔で熱心な景教徒であったとも。
478日本@名無史さん:2013/04/06(土) 15:57:22.66
ていうか日ハムって昔は最下位常連じゃなかった?なんか
北海道行ってからやたら強くなったけど。
479日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:01:52.73
ごめん間違いレス。
480日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:13:11.80
強い風、、で思い出したのが、淡路島の鉄器鍛冶工廠遺跡の垣内・五斗長遺跡の立地条件。

淡路島の西海岸側は夏場はひねもすのたりのたり哉の穏やかな風情ですが
反対に冬場は一変して日本海側並みの強い北西の季節風が吹き付ける場所。
遺跡の場所は更に高台地域。
この季節風を製鉄炉に利用していたのかも

因みに北西の季節風が吹いて海(播磨灘)が荒れると海沿いには道路への越波や海潮が泡となった「汐の花」がフワフワと・・・
当然、鉄製品は潮風による塩分(塩害)によってかなり内陸部でも寿命がかなり短いです。
ステンレス製でも一般に思われているよりも早くサビを招来。
(地元では家屋に鉄製品を多用するのは不文律的なタブー)
車の傷みも早め。
481日本@名無史さん:2013/04/06(土) 23:28:58.06
砂鉄ってなんで錆びないの?
482日本@名無史さん:2013/04/06(土) 23:37:30.21
赤錆ではないが、黒錆に近い酸化鉄だから。
状況によっては赤錆にかわることもある。
483日本@名無史さん:2013/04/08(月) 00:33:55.01
なんで魏志倭人伝に出雲が出てこんの?
484日本@名無史さん:2013/04/08(月) 00:52:46.67
朝貢しなかったからだろう
485日本@名無史さん:2013/04/08(月) 14:39:56.07
|:  民主党・元民主党議員に とどめを刺すのは   :|
|:                                :|
|:      /| ̄ ̄ ̄∧,,∧ あなたの一票です!!  :|
|:     /| ̄ ̄ ̄|..(ω・` )                   :|
|:   /| ̄ ̄ ̄|....|φ ∪ )        ∧,,∧     :|
|:   | ̄ ̄ ̄|....|/ `u-u´       (    )   . :|
|:   |___|/ ∧,,∧ミンシュチネ     ( o ∪ .    :|
|:   ||    ||  (´・ω・) ∧,,∧      `u-u´ .    :|
|:         ( つロと) (´・ω・)             :|
|:          `u-u´ (∪  つロ____      :|
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 総務省・中央選挙管理会・都道府県選挙管理委員会
486日本@名無史さん:2013/04/08(月) 18:58:23.90
出雲とは狭義の島根県ではなく、広義では大倭国=大日本国の事。
傍系の天皇家に簒奪されるまでは日本全国(西日本)を統治した正統王朝。
本拠地(ヤマト/都の意味)は奈良の葛城高尾張(吉野〜御所市、葛城一帯、河内)。
葛城族や尾張氏(どうやら本宗家)系が後にいわゆる出雲族とされる。

卑弥呼や台与(とよ)ほかの歴代の女王=大倭媛命たちはこの一族(天火明命(天孫)の子孫末裔たち)。
487日本@名無史さん:2013/04/09(火) 08:54:13.56
このスレ、ちょっと油断すると、トンデモ説だらけになるねw
まじで、うんざり。
488日本@名無史さん:2013/04/09(火) 08:58:24.76
出雲国譲りって、出雲が畿内に国譲りしただけの話だろう?
その後、畿内王権の命令で、九州高千穂に派遣されたのが皇祖ニニギ。
つまり、現在の天皇家の先祖は、出雲国譲りの時の主役ではない。
脇役程度の存在。
489日本@名無史さん:2013/04/09(火) 11:14:02.61
出雲が譲ったのは九州の支配権だけどな
490日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:06:36.11
弥生時代は九州と近畿では中期まで百年ほど時間がずれてる。
九州に入ってきた文化が近畿に到達するまでそれだけの時間がかかった。

ところが、後期だけは同じだ。時間差がない。
いっきに百年もの壁を取り払った革新とは何か?
発掘調査から、東征が弥生後期であった事は間違いない。
491日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:16:40.43
東征はそもそもの目的は何か?
これは、間違いなく対出雲包囲網だ。

東征は、出雲地方を避けるように九州東岸から行われる。
弥生後期は、出雲勢力が最大級に勢力を伸長した時代だ。
その事に危機感を覚えた周辺国が、大同盟を組むために動いた。
492日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:19:25.85
天皇家が記紀を編纂するときに自分たちの先祖の
イワレ彦を初代天皇にしてしまったから
後世の人間が大混乱する原因になっているのだろう?
少なくとも、西暦5世紀の倭王武の上奏文には、
神武東征らしきことは全く書かれてない。
あれ読んでも、近畿を中心に東に西に国家統合されたとしか解釈できない。
493492:2013/04/10(水) 12:23:31.48
事実、記紀をよく読んでみると、大和朝廷の国家統一の第一弾は
神武東征ではなく、それよりも前の出雲国譲りからであり、
これは、どうみても、畿内が出雲を降伏させた話にしか思えない。
よって、倭王武の上奏文の内容が十分に連想できる。

そして、出雲国譲りののち、畿内から九州高千穂に降臨したのが
皇祖ニニギだったのであろう。
当然、出雲国譲りの時の畿内王権の国家元首の地位に
皇祖ニニギはいなかったのであろう。
だから、誰かした国家元首(たぶん、ニニギの兄のホアカリ)だった人物に命令されて、
皇祖ニニギは九州高千穂に派遣されたのであろう。
494日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:25:13.85
>>491
もう、時系列が無茶苦茶だ。
出雲国譲りは、神武東征よりも前の時代に行われている。
495日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:28:41.47
しかし、その墓制の変遷と祭祀器具の特徴から、少し面白いドラマが見え隠れする。
東征を行った人物は、恐らく出雲の外戚だ。

北部九州は弥生中期、倭国大乱でその実権を失っていた。
出雲はその間隙をついて北部九州を支配下にいれ、
朝鮮半島からの大陸利権を手に入れて勢力を伸長していく。
出雲と同じ祭祀形態が弥生中期以降に九州北部で見られるのはこうした理由だ。

やがて、北部九州と本家出雲が仲違いを始めた。
巨大鏡、幅広銅戈など、出雲本家にない祭祀が目立ち始める。
これは、恐らく、古くからの「正統」が九州にあったためだろう。
その血統を武器に、反乱を起こして東征に踏み切ったと見られる。
496日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:36:45.85
>>495
もう、何でも、ありだな。
497日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:38:32.97
>>494
出雲の国ゆずりとは、その外戚に本家が屈した事の比喩だよ。
しかし、実際にはその後も戦争は継続されたから東征が行われた。

そもそも、近畿勢力が何を持って先進地域である出雲を下す事が出来たのか?
支配は強者が弱者に行うと言う当たり前の論理に従えば
この当時の近畿が、出雲を下せる理由が無い。
498日本@名無史さん:2013/04/10(水) 12:54:12.56
>>497
前近代に先進国も後進国もあるのかよw
前近代は基本、国や地域によって経済水準に差もないし。

近畿は出雲よりも動員兵力が多いのだから、仕方がないだろう。

戦国時代も、畿内の織田家よりも、九州の島津や大友のほうが
早くから大砲が鉄砲を多く導入していたけど
あとから導入が進んだ畿内の勢力に勝てなかったしな。
499日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:06:10.56
古事記の区分
上の巻 天使開闢から始まり、国譲りはこの神話の時代に属する
中の巻 神武天皇から始まり、いわゆる人代に入る
下の巻 仁徳天皇から始まり、当時の近代に属する

上の巻きの代は、中や下の巻の様な親子関係では無い
ニニギはイザナミから数えて4代目にすぎない
500日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:12:07.90
>>498
それはすでに近畿が日本の中心否っていたから。
弥生時代はその規模から見て確実に九州北部が第一勢力、
次に出雲、近畿は敵か味方か微妙な吉備まで含めてようやく第三勢力。
501日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:13:55.71
>それはすでに近畿が日本の中心否っていたから。

否って無いw
信長が覇権をとれたのは既に近畿が中心になってたから。ね。
502日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:21:44.09
弥生時代って、歴史じゃなくて、考古学だからw
後世の人間が、土器の種類を基に考えたものだし
そもそも、絶対年代なんて殆どわからない。
503日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:26:46.56
箸墓が卑弥呼の墓ならば、卑弥呼=モモソ媛命で
皇室の事実上の最初の先祖である天忍穂耳命がせいぜい紀元前1世紀くらいの人物。

最近の学説では、弥生時代の始まりは遅くとも紀元前10世紀なので、
大和朝廷が出来たのは、弥生時代が開始されて1000年以上たった時代であり
これぐらいだと、大和朝廷は普通に近畿より勢力を拡大させたのであろう。
おそらく、その時の大和朝廷の初代の王は、天忍穂耳命の嫡男の天火明命。

現在の皇室の先祖は、天忍穂耳命の庶子のニニギ命。
504日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:31:40.31
神とは実在した人でなければならないのか
505日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:45:48.97
記紀は壬申の乱以降に書かれたものだから、その補正を考えていかねばならない。

壬申の乱は、伊勢・近江・信濃の勢力が政権を奪取した乱で、
それを正当化するために古くからの土着信仰が見直され、編纂された。

つまり、逆に言えば、「それまではそうではなかった」という事。
506日本@名無史さん:2013/04/10(水) 14:08:35.01
>>505
理解できん。

壬申の乱は大きかったとは思うが、壬申の乱を一つとっても
古事記、日本書紀と、続日本紀とでは、内容が大きく異なる。
古事記、日本書紀では、尾張連の活躍がほとんど伏せられているが、
のちに書かれた続日本紀には、尾張連の活躍が大きく書かれている。
実質的に、大海人命(天武天皇)の軍隊の主力は、尾張連の軍隊。
そもそも、大海人命(天武天皇)の乳母は、伊勢の大海氏の出身で
これは、尾張連の家臣の豪族。

この尾張連の先祖こそ、天照国照彦こと天火明命。>>503にある人物。
507日本@名無史さん:2013/04/10(水) 14:10:48.93
神武皇統たる大海人命(天武天皇)にとって
尾張氏は目の上のタンコブだった。
その理由は>>503でもわかる。
実際に三種の神器の天叢雲剣は熱田社の尾張氏が保管している。
神武皇統が保管しているのは、そのレプリカだ。
508日本@名無史さん:2013/04/10(水) 19:38:35.08
まさか日本全土が紀元前10世紀から弥生時代に突入したとは思ってないよな?
509日本@名無史さん:2013/04/10(水) 19:43:24.28
尾張はかなり緻密に調べた人間から見ても
製鉄の始まりは7世紀後半。どう考えてもど田舎すぎるだろ。
田舎豪族が天皇の娘を一匹もらって、
人身の乱以後にそれを根拠にしゃしゃり出ただけだよ。
記紀の中でも完全の無視されてる。
510日本@名無史さん:2013/04/10(水) 20:05:04.87
>>509
おいおい、話を変えるなw
511日本@名無史さん:2013/04/10(水) 21:43:27.25
国譲りって権利をすべて放棄したイメージだけどどうなんだろうね

日本の昔話の多くは抽象的で掴みどころのない展開になっていく事が多い
俺はクラスで一番馬鹿だったから簡単に理解できない日本の昔話は嫌いだった
好きな本はアンパンマンの絵本で小さい頃はいつもアンパンマン目的で図書館に通っていた

国家がお墨付きを与えた教育を受けたにも関わらず、その高い評価に見合った面白さを日本の昔話には見つけることができない
その距離感が毎日の葛藤に繋がった

あれから何十年経っただろうか…
大人になると、なぜアンパンマンに惹かれたのか、小さい頃の心境を整理することは難しくなってしまう
ただ、包み隠さず来たものに自分の頭のパンを与える、その素直で優しい精神が子供の人気に繋がったのではないか、そう思うのである

大人になれば、昔話も実はそうではないか、そう思うようになったのである
だから、昔話の作り手をアンパンマンのような素直で優しい精神を持つ作り手だと理解してあげることが大事なような気がする

核心に触れるには相手の心を理解すること、そこだと思うな
512日本@名無史さん:2013/04/10(水) 22:08:47.80
尾張は平野部なんだし、昔から都会だろう、あそこはw
壬申の乱でも、大海人命側の兵力の主力が尾張や伊勢の兵力で
大海人命は、尾張氏にかくまわれていたわけだから。
513日本@名無史さん:2013/04/10(水) 22:15:56.64
播磨国風土記みたら分かる。
大国主は、娘婿の天火明命に国譲りをしました。
以上。
戦国時代において、斎藤道三が娘婿の織田信長に
美濃を譲るみたいなもん。

一方、現在の天皇家の先祖はニニギ命で、
天火明命の弟(兄という説もある)。
514日本@名無史さん:2013/04/10(水) 23:50:51.55
壬申の乱が端的にわかる本って何だ?
特に尾張氏関連
515日本@名無史さん:2013/04/11(木) 05:23:36.91
名古屋人はほんとに厚かましいな。
自覚しろよ
516日本@名無史さん:2013/04/11(木) 07:26:17.75
尾張氏の発祥地は、現在の葛城市にあった高尾張邑。
このあたり一帯は、古代に奈良盆地にあった大和湖の南岸に位置し
大和湖の南岸(現在の葛城市、御所市、橿原市)を高天原といった。
517日本@名無史さん:2013/04/11(木) 07:46:30.33
いつもの子か
518日本@名無史さん:2013/04/11(木) 08:23:02.77
大和政権は皇統を絶やさないための保険で、あらゆる所に種をまいててる。
尾張は伊勢の母系皇統の保険。
その程度の分際で、何を抜かすかという感じ。
519日本@名無史さん:2013/04/11(木) 08:30:52.06
天武天皇が最も心を砕いたのが、東国経営であった事は確か。
取りやめにはなったが一時期、岐阜か長野に遷都しようとまで言っている。

それは、東国勢力が彼の権力地盤であったからだが、
それ以上に、東国の騎馬を恐怖していたのだろう。
具体的には、現在の多摩辺りの勢力で、これは旧出雲系列だ。
尾張氏は古くからの東海道の要衝を抑える役目で重用されたが、
結局は近江に兵を入れないための盾にすぎない。
520日本@名無史さん:2013/04/11(木) 08:53:35.10
東国に馬が輸入されたのがいつ頃かわかる?
521日本@名無史さん:2013/04/11(木) 09:08:23.47
どんなに遅く見積もっても、5世紀だろう。

4世紀には既に近畿でも古墳から馬具が見つかっている。
九州ではまだ見つかってはいないものの、
弥生中後期にはあった事は確実だ。
それは、銅戈の発達だ。銅戈は本来、馬に乗ってる武将を引っ掛けて
引き摺り下ろすために鉤が付いてる。
近接する出雲もすぐに導入しただろう。
関東は弥生後期に出雲の伸張で彼らの勢力下に入るが、
その原動力は鉄器とともに馬であった公算は大きい。
実際、縄文系が残した土偶には馬がある。
彼らが早くから馬の存在を知っていた事は確実だ。
522日本@名無史さん:2013/04/11(木) 09:27:50.55
6世紀には蕨手刀が登場している。
これは、騎馬ですれ違い様に薙ぐように東国の刀鍛冶で作られた刀だ。
その発掘量の多さから、
この頃にはすでにかなりの長い騎馬運用期間を経て、
大規模な騎馬での戦いが状態化していたと考えられる。
523日本@名無史さん:2013/04/11(木) 12:38:02.66
日本在来馬と言えば、宮崎県の御崎馬と長野県付近の木曽馬が有名。
どちらもモンゴル系で、御崎馬は2000年ほど前に入ってきたとされる。
木曽馬は3世紀頃らしい。だから、いわゆる古墳時代には東国にも
入っていたものと思われる。
524日本@名無史さん:2013/04/11(木) 13:01:14.62
1万5000年前は北海道と大陸が地続きだったんだが
馬は来なかったのだろうか・・・
525日本@名無史さん:2013/04/11(木) 14:33:04.92
というか、日本って騎馬戦はあってないだろう?
国土の八割は山岳地帯だし、人口密集地帯だから
市街戦がメインなので。
また、前近代の日本の輸送の主役は水上交通だよ。
幕末ですら水上交通が交通がメインなんだし。
526日本@名無史さん:2013/04/12(金) 00:39:16.07
金持ちが高級外車に乗りたがるのと同じような目的で導入されたんでねえの>馬
527日本@名無史さん:2013/04/12(金) 01:17:18.35
初期の馬は農業用じゃないの?
528日本@名無史さん:2013/04/12(金) 01:36:28.80
日本にも平地はあるし、人が走るより馬の方が速くて楽チン
山岳地帯が多いと言いながら、そこから急ぎの使いをするのに
水上交通しか無いとか馬鹿げてる
馬がただの飾りなら、鐙等を実用的に改良する必要も無いし
馬で走りながら戦う技術も発展しない
鎧を着たまま泳ぎ、馬を走らせながら弓を射るのが日本の武士
山岳地帯が多いので馬は無理と言う連中は自然淘汰されそうだが…
529日本@名無史さん:2013/04/12(金) 03:42:53.84
その騎馬戦術を使いこなしていたのが
北のエミシ
530日本@名無史さん:2013/04/12(金) 05:17:29.56
>>528
日本で使われていた馬は欧州ではポニーという部類のもので
小柄で牛みたいなもんだよ。
だから、日本では騎馬から降りて戦った。
531日本@名無史さん:2013/04/12(金) 06:18:41.97
>>530
鈴木眞哉乙
532日本@名無史さん:2013/04/12(金) 06:46:22.68
>>530
それはかなり、誇張されたものだよ。
センセーショナルな言い方の方が注目集めるからな。
君みたいにキャッチコピーに騙される。

幕末の写真などみても十分大きいし、
古い血統を受け継ぐ野生馬である宮崎の都井岬の馬も普通に馬。

大体ね、日本刀は馬上で扱う事を目的に作られている。
降りて戦ったんなら、始めから世界一とまで言われるほど発達なんかしない。
ちなみに、日本刀は騎馬が誉れだった鎌倉時代が最高峰。
鉄砲が主役になると良い刀鍛冶がいなくなり
藩や幕府は奨励金を出して養っていた。
533日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:03:51.41
昔の日本の馬は今の馬と違うからな
対馬経由の小型種の馬だよ
ロバに少しスピードが入った程度の馬
高さがないから騎乗するのも楽だし荷物を積むのも煩わしさがない
性格も大人しいし現代でいう原付バイクのようなお手軽さを兼ね備えていた馬だった
日本の狭くて急な山山を荷物積んで動くにはこういう馬でなければ無理だったんだよね
534日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:09:08.89
日本は平野が無く、騎馬戦の場所が無い、というのは、其れこそアホな話だよ。

考えてみてほしい。
田舎に行くと、今でもどこも空がとても広い。
なぜか。そこには田園が広がっているから。

畑は普通に平野だよ。
水田は、冬になれば初夏まで水を抜く。
そして、戦争は基本的にこの農閑期に行われる。

もうひとつ、大きな要素がある。
昔は、日本の平野は草深い葦のハラだった。
そして、山には木があまり生えていなかった。
特に本州の山は、現在全て人工林だ。
これは、早い時期から製鐵等によって森林破壊が進んでいたから。
意外だが、今の日本は森林面積が史上最大なのだと言う。
昔の山はもっと木が少なく、起伏の緩やかな草原のようになってる
九州には、今でもそういう場所が多く残る。えびのや、熊本など。
535日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:15:31.67
http://mc.matome-complate.com/archives/12529742.html

ここの下の方に馬がいるよ。
大きいのもちゃんといた。
536日本@名無史さん:2013/04/12(金) 08:19:57.04
>>534
日本の平野は平野のうちに入らない。
日本で地平線が見えないくらいの平野部なんて、ぎりぎり
関東平野ぐらいだろう?
だいたい、西日本はのきなみ山と海に挟まれたような地域だらけ。
近畿も中国地方も九州地方も、のきなみ、そんな感じ。
だから、日本では大陸のように城壁都市が存在しなかった。
537日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:10:53.14
>>533
それは江戸時代に小さく品種改良された馬でないかな
昔は日本の馬もモンゴルの馬もナポレオンが乗った馬も小さかったが
ポニーとは別の馬だよ
今のサラブレッドは別格だがそれに近い馬も居た
特に東国や東北産の馬が高値だった

それと勘違いが多いが騎馬による戦い方の基本は機動力
日本刀や流鏑馬見ても分かるだろ
乱戦になったら馬を下りるだろうが、それまでは最大限に騎馬を活かす
538日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:16:25.99
そういや、日本じゃ気が強い馬が人気があった
乱戦で主人と一緒に戦う馬が名馬とされた
蹴りや噛みつきで敵をやっつけた
戦う馬はある意味猛獣
539日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:25:19.67
ナポレオンが乗っていた馬
身長167cmなので馬はかなり小さい事が分かる
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/Napoleon4.jpg
540日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:35:39.63
>>537
体高145cm以下の馬の俗称がポニーなんだから、
日本の馬もポニーで間違いはない。
ただ、体高100cmのシェトランドポニーをイメージするから、鈴木眞哉のようにヘンテコなことになる。
http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-entry-883.html
541日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:53:55.65
元寇のとき、モンゴルは前に日本の国土を調査していた。
その結果、彼らは歩兵を中心とした軍を編成してやってきた。
そういうこと。

日本の騎馬を貶しているのではなく、日本の国土は大陸とは違うので
大陸での戦いに優れていた蒙古軍も編成を歩兵中心にかえてきた。
542日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:59:20.61
>元寇のとき、モンゴルは前に日本の国土を調査していた。

初耳なんだが根拠は?
元史かなんかに書いてあるのか?
543日本@名無史さん:2013/04/12(金) 12:11:54.13
>>540
だからポニーなんて俗称はその時代に無い

清の始皇帝はポニーに乗った騎馬軍団を率いていたw
三国志の武将はポニーに乗っていたw

チンギスハーンはポニーに乗っていたw
モンゴル軍はポニーに乗って大帝国を作ったw
中国人はポニーに乗ったモンゴル騎馬軍団に敗北したw

昔の馬をポニーと呼ぶのは誤り
あれは軍馬だ
544日本@名無史さん:2013/04/12(金) 12:18:08.82
今でもモンゴルの原野を走っている馬は、いわゆるモンゴル種の小さな馬。
しかし、抜群のスタミナを持っている。
545日本@名無史さん:2013/04/12(金) 12:39:11.53
>>536
>日本の平野は平野のうちに入らない。
平野は平野。地平線まで平野でなければ平野ではないとかこれいかに
ヨーロッパやモンゴルみたいにけた違いの平野でなくとも騎馬突撃も馬上弓もできる
546日本@名無史さん:2013/04/12(金) 15:36:23.05
>>537
戦いで重要になるのは食糧だからね
運搬(食糧)がうまく機能しなければ戦争なんてできない
だから、馬というのは気が荒くなくコントロールしやすく
荷物の荷卸しのしやすく小回りの利く座高の低い馬が重宝される
だから対馬馬のような馬が好まれたわけで…
ただ古代の権力者や豪族の展示になるとサラブレッドの馬が展示されてる
なんかな…という感じはあるのだが
これがある意味シュールというか不思議さというか面白さというか…
547日本@名無史さん:2013/04/12(金) 15:38:38.48
だからでかい奴もいるんだって。日本に。
548日本@名無史さん:2013/04/12(金) 16:25:49.63
日本の平野でも騎馬突撃できたりするが、
大陸における騎馬戦と日本における騎馬戦の意味が違うだろう。

蒙古が強かったのは騎馬戦が強かったというよりも
彼らが生活基盤事、移動できる遊牧民だったので
敵の攻撃から、生活基盤事、避難できることにあったわけだから。

実際の戦闘では、馬上に乗って戦うよりも、歩兵の集団戦法のほうが強いだろう。
馬に向かって槍でついたりしたら、馬が暴れまくって、
落馬したり、身動きできなくなったりするわけだし。
549日本@名無史さん:2013/04/12(金) 16:28:58.77
日本でも蒙古でも、戦争における騎馬の意味は
実際の戦闘よりも、武器食料の補給に意味があった。
蒙古のように大陸での補給の場合、ますます騎馬の意味が大きかったけど
日本のように森林で囲まれた人口密度が高い島国だと
騎馬の輸送も重要だけど、それ以上に水上郵送のほうが重要だった。
550日本@名無史さん:2013/04/12(金) 16:37:50.79
対馬馬なんて武将には人気無いぞ
名馬の産地でもないし

奥州の豪族は背高が150cmを超える馬を
朝廷に献上してご機嫌を取っていた
日本の騎馬軍団の活躍が表に出るのはアテルイからだけど
551日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:02:37.59
鎌倉や室町のころの馬の体高四尺(121cm)が標準なんだけどね
名馬でも140cmぐらい。これはおおきすぎると武士が制御できなくなるからなんだけど
おおきさのソースは室町の塵添?嚢鈔より
552日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:07:06.55
>>546
荷馬と軍馬の用途ごとに好まれる気性は変わるだろうに
なぜひとくくりで論じてるんだ?そもそも古代・中世にかけて
馬の名産地は東北地方なんだけど
553日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:28:20.16
輸送車両と戦闘車両を統一する必要は無いし
水上輸送がどうこう言っても、水上戦闘はメインじゃ無いし
日本には馬があり、馬具は馬上戦闘に適した形に改良されていたし
馬上戦闘技術も発展していたし、武士は弓馬の家と呼ばれるし
馬上から矢を雨あられと射てくる集団に歩兵で突撃した方が強い!とか
馬は食糧輸送に使うべき!いや、むしろ水上輸送だ!とか
馬を槍で突いたら!なんて最早、日本がどうこうの話じゃ無いし…
世界中の騎馬戦が間違ってるって話をしてるのか?
554日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:28:48.44
>>236
とんでもなく遅いレスなんだけど東南アジアの主流の浮稲はどうやっても二期作無理だと思うよ
大規模灌漑設備はカンボジアが発展させて以降のものだし
555日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:38:59.25
>>552
東北が馬?
ねえわw
元々は欧州や中国から済州島経由してはいってんだよ
ばーかw
556日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:45:42.85
馬の名産地は信濃。
理由は、あの高原地方で養育された馬は
険しい山道を登るのが得意だったから。
国土の8割が山岳地帯の日本では、傾斜のある山道を重い荷物をもって
運んでくれる馬が重要だった。
とくに、戦国時代なんかの初期の段階では、内陸部の諸大名なんかは
山岳馬の保有が重要だった。甲斐の武田家がそう。

それが、戦国後期、国土の大半を統一した勢力になると
内陸部での戦いではないので、海上輸送が重要になってきた。
豊臣秀吉の九州征伐、小田原征伐がそう。
557日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:46:13.64
>>555
日本の古代から中世の馬の名産地を確認してきな
ツングース系の森林馬の流れと推測される馬がもてはやされてたよ
草はやすにしてももう少しまともなこと言え。そもそも中央アジアで家畜化された
馬が欧州行ってそこから日本に入ってきたって何を言ってるんだ?ローマの
品種が四散した後イベリア半島からアラビア馬が入ることでヨーロッパ
中世軍馬の系譜ができたのに
558日本@名無史さん:2013/04/12(金) 18:09:34.43
>>556
脳内ソース乙w
そんな山岳馬の系統なんてねーよw馬の歩き方は幼獣時の教育によるもんだろ
しかも山岳地帯でどうやってうまの数そろえんだよw馬鹿な与太話も休み休み言え
木曽馬のこと言いたいならあれは盆地内の牧で飼育されてた馬だろにカスw
>>557
東北地方と言ったりツングースと言ったりどっちなんだよw
地域示す言葉くらい統一してつかえよ
低能w
559日本@名無史さん:2013/04/12(金) 18:27:17.83
>>554
多年草や再生茎からの再収穫を言いたいんだろ。品種改良される前の野生種に
近い状況ならもとの収穫量が少ないから馬鹿にならん
560日本@名無史さん:2013/04/12(金) 19:52:01.39
まだ、日本の馬はポニーって昔話を信じているやつがいたんだなwww
561日本@名無史さん:2013/04/12(金) 19:55:18.69
>>558
そだね、関東平野のほうが名馬の産地として有名だった
あのへんは家康が干拓するまで農地に使えない広大な湿地が牧として使われていたからだろうね
たぶん田舎だから木曽だけが、現代まで馬の生産地として残った。
562日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:33:54.73
>>465
日本の刀鍛冶は低温なんだよね。900℃位で根気よく延々と続ける
おかけで作業効率非常に悪く、精練量も40分の一ぐらいとばかばかしいくらい
少ないけど結果として使う鋼の質が良い。いわゆる古代の先進国の中国だと
高炉で1200℃位の高温で一気に精練するんでs行や燃料の効率は良く大量生産できるけど
どうしても不純物が多く含まれてしまう。大量生産の武器の品質は満たせるけどね
563日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:48:33.85
アホかw
刀鍛冶と精錬量は何の関係もないだろww
564日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:49:51.28
>>563
砂鉄から精練するところも製法に入ってるよ
565日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:59:03.56
かわいいポニーの話をするスレはここですか?
566日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:06:37.52
いちおう日本馬はポニーだとしても『大型ポニー』のカテゴリで、
体高はそう大きくないが、ずんぐりしていて体重は重いんだけどな。
567日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:17:50.35
低温製鉄法は品質悪いよ。
溶融しないから、不純物そのままだし。

スラグになって分離もしないし。
568日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:18:38.78
在来馬は小さいけど筋肉隆々のパワー型だよ
ポニーとは違う
蹄が丈夫だから蹄鉄が無くても良かった
それと西洋の馬と違って走る時に縦揺れが少なくて前に伸びるように走るから走りながら弓を射るのに適していた中々優秀な馬だよ

蕨手刀は馬に乗って使う物では無く生活必需品の鉈
小さいとは言え馬上から脇差の半分位の蕨手刀で斬りつける事は不可能
時代が下って武器として特化した物ですら脇差より短い
完全に歩行用です
569日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:20:32.83
>>567
だから叩いて分離させて、藁あててそっち側で還元させるんだろ。確認のために見てもえらく効率悪いな
だからこそ職人芸の水準まで発達したんだろうけど
570日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:23:25.83
北欧の沼沢地から炭と哲宏って来るものその系統だね
571日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:43:53.12
>>558
ツングース系の馬が東北に輸入されたってことだろ
アスペか
山岳系の馬の系統もあるぞ
アホか
日本古来の在来馬の系統にどの位影響してるかは解らんがな
東北は外国だった訳だし信濃の馬は大和の管理下だから当時にツングース系の影響は無いと思うけど山の斜面を駆け回るのに適していたのは間違いなく盆地以外でも生産されてたのは間違いなく義仲挙兵まで同じ系統だったみたいだよ

最後に動物の走り方は教育じゃなくて持って生まれた物だと言う事は覚えといた方が良い
572日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:45:24.71
>>571
ペルシャとスキタイががん泣きしてるぞw
573日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:59:13.56
>>569
出典あるなら教えてくれ
574日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:00:12.08
日本の馬をモンゴル系っていってるのはよく聞くけど、ツングース系ってのは初めて聞いた
575日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:04:02.02
日本で行われていた、たたら製鉄法は、1300度くらいまで上がります。

これは、低温製鉄ではありません。

ちなみに、今でも刀剣需要などで、年数回操業しています。
576日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:04:18.11
蒙古系かタルパン系統かって書いてあった
タルパン系統ってどこやねんw
577日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:05:37.51
>>575
近世たたらだと1200から1300まで上がるね
古代が何度だたのか俺は知らんけど
578日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:12:42.32
>>575
そんだけ高温出したらずくが育たないんだけどw寝言言って楽しいか
ずくが育つってのは低温で分離してるからだろうに
579日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:17:43.28
>>575
煽る気はないが日本のたたら製法は取り出す玉鋼に不純物混入するの防ぐために
温度あげすぎないように調節してるはず。ん遠出参照できるいい資料ないんだけど
ttp://www.jspe.or.jp/iinkai/henshu_wg0/2004_12_report.pdf
ここでも具体的な温度は書いてないけど、はっきりと炉内温度は低いと言ってる
580日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:21:13.69
たたらは銑鉄を作る高炉と、鋼鉄を作る転炉、反射炉を併せ持ったようなもの。

酸化鉄を一酸化炭素で還元して酸素を奪う製鉄では、酸素はご法度。
一酸化炭素は生成しても、酸素が余らないように調整する。
これが高炉の機能。

できた銑鉄に酸素を当てて、炭素やその他の不純物を酸化させて、
酸化物のゴミとして取り除くのが、転炉反射炉。

酸素を当てない作業と、酸素を当てる作業がある。

たたらは、上部で還元して銑鉄を作り、
炭や鉄鉱石の隙間を流れてきた銑鉄を下に貯め、
その、溶けた銑鉄に空気を当てて、炭素や不純物を取り除く。

貯めた鉄がいっぱいになったら操業終了。

だから、一回あたりで作られる鉄の量はそう多くはないし、
貯めた鉄のうち、鋼鉄の割合もそう多くはない。
581日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:21:42.96
>>579
そりゃ低いよ現在の溶鉱炉だと1400から1600度だもん
鉄の融点は1500度以上だし
582日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:26:36.00
>>581
その直前の鉄の結晶粒が粗大の下りちゃんと読んでほしい
873Kで粒が大きくなるんだからそれより低温だよ
583582:2013/04/12(金) 22:27:58.81
訂正873k→およそ1100度
584日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:29:19.06
ちなみに、ズクは炭素の多い銑鉄、
ケラがいわゆる玉鋼。

温度で言うなら、ズクといわれる高炭素で脆い鉄が銑鉄であり、
これは1200度ちょいで溶ける。

炭素が抜け、ケラと呼ばれるようになると1300度くらいにならないと溶けない。

たたらでは、空気が鉄貯まりの上面に当たるように設計し、
貯まったズク=銑鉄に空気が当たるようにする。

これによって、炭素や不純物が抜け、重くなって沈んでいく。
また、融点が上がるため、ケラ種という半固体、いわゆる飴状に固まって、
下部に集まってくる。

これがケラ、玉鋼である。
585日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:32:06.59
純鉄の融点は1540度である。
炭素を多く含むと融点が下がり、
1200度より少し上くらいになる
586日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:33:29.00
ずくって長野の方言でも言うね
長野と言えば信濃
信濃と言えば弓とお歯黒
お歯黒と言えば褐鉄鉱
褐鉄鉱と言えば高師小僧
高師小僧と言えば愛知
愛知と長野の南側は似た方言が多い見たいだし古代製鉄と関係ありそうだね
長野含む東側は朝廷の大刀と比べて刀の鉄の品質が低く不純物が多いって結果もあるし
587日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:33:34.44
>>582
結局何が言いたいのかわからん
588日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:33:46.41
>>584
その説明はだいたい正しいけど、もののけ姫に出てくるような溶けた鉄の状況に
日本の刀鍛冶はしないってこと言わないと思いっきりミスリードになるよ
塊の状況に段階踏んだ還元反応で不純物削っていくこと説明しないと
589日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:36:48.76
ずくおし法とけらおし法の違いわからん
まあたたら内部というか溶鉱炉内部の化学反応は詳しくわかってないようだが
最近発見でもあったのかね
590日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:37:37.56
>>587
簡単に言うと日本のたたら製鉄は鉄を溶かして純粋な鉄を取り出す作業でなく
還元反応を利用して酸化鉄から不純物を分離する作業だから高温じゃないよ

鉄の結晶粒が育つのは1100℃前後だから育たないように低い温度と書いてあるなら
それより低い温度だね
591日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:39:52.88
>>560
今日の読売新聞みてみ
大山古墳(仁徳天皇陵?)の所から馬の埴輪がでてるから
ポニー系だよw
592日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:42:47.80
お前らの話してるたたらって平安以降だから時代がちがくね?
野たたら未満の製鉄方法だから800度位で製鉄する事前提にしないとゴッチャになるよ
593日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:46:21.06
>>590
古代日本の超技術にはっきり1200-1300度と書いてあるのよ

まあ上でも描いたけど近世たたらだけどな
それ以前は薪使ってたらしいしそんな温度上がらんわな
594日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:48:46.66
ある本には、400度程度でも還元はできると書かれているものもあるが、
表面の還元が出来るだけで、鉄鉱石や砂鉄に含まれるケイ素(砂)や
他の成分が分離できないため、実用性は低い。

また、刀鍛冶の段階で、表面を焼いて、表面の炭素だけを取り除いて、
折鍛えることを繰り返すことで、低炭素鋼と高炭素鋼の、
多層構造を作るという手法もある。

ダマスカス鋼はこの手法ではないかと推測されている。

逆にねばりのある低炭素鋼に、炭を挟んで、長時間800度程度においておくことで、
表面だけを硬化する方法もある。

これは、車のクランクやギヤ、軍艦の装甲などに使われている。
595日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:52:56.31
現代の鉄は高炉法という製鉄法で作られます。この鉄はコークスを熱源として2000度以上の高温で作られますが、
高い炭素量と多くの不純物を含んでいます。通常は二次精錬をおこなって不純物を除去しますが、
これらを完全に除去することはできません。これに対し我が国古来の製鉄法をたたら製鉄と呼びます。
たたら製鉄は1500度以下の低温度でおこなう製鉄法で、その熱源には木炭が使用されます。
現代の高炉鉄(洋鋼)に対し、たたら製鉄で産み出される鉄をケラと言います。ケラは不純物が極めて少なく、
その清浄性は現代の技術を結集しても作り出すことのできないものです。

らしいよ
596日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:56:51.59
>>595
ネットならURLくれよ
597日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:59:07.38
あと、日本刀は刃先としのぎを別の鉄でつくることもさりながら
焼入れによって刀表面全体にマルテンサイトをつくることも必要のようだよ
598日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:00:34.93
まあ昔の人はそんな分析的に作業していたわけじゃないとおもうけどね
おっさんが「こっちのほうが丈夫な気がする・・・」てな感じだろ
599日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:04:10.88
燃料や材料にも良し悪しあったみたいだからな
人間の感覚って恐ろしい…
600日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:04:45.01
半導体の材料に使われるシリコン。
これは非常な高純度が要求される。

日本でこの研究が行われた時の高純度シリコンを作成する際に、
しばしば用いられたのが、部分溶融法だった。

氷などを考えて見ればわかるだろうが、溶けたものが、
ゆっくりと固まるときには、不純物を溶けた方に追い出すようにして固まる。

冷蔵庫の氷の中心部に空気の泡やゴミが集まっているのは、
周囲から高純度で固まり始め、溶け残った空気やゴミが、
また固まっていなかった中心部に追い出されてきたせいである。

たたら製鉄の玉鋼は、炭素の抜けた玉鋼、ケラが、先に固まり始め、
不純物がまだ固まっていない周囲のズク、銑鉄に押し出されることによって、
高純度になる。

たたら製鉄おそるべし、である。
601日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:06:13.47
明大の先生が公開してるのあったなと探したらトップページからたどれなくなってた
ネット上に残ってるから晒しても問題ないだろ
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/History_of_Iron/History_of_Iron_background01.html
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/History_of_Iron/History_of_Iron_19990324.html

自分はたたら炉の推定温度、もっと低いと思ってるけれど下のページの説明が分かりやすいかな
602日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:20:47.04
たたらだと送風で温度上がって吸風で温度差がるんじゃないかとは書いてある
流石にそんなに細かく温度測れんのか
というかどうやってはかってるのか知らんが
603日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:29:03.44
評論家ぶってわかったつもりになってもものづくりはできない
伝統工芸や伝統芸能を前にしてそんな講釈垂れても恥ずかしいだけ
ここで語ってる人が多いけどさ、物事の本質はそこじゃないんだよ
604日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:29:30.73
なんで中世の製鉄の勉強会してんだよw
一回砂鉄信仰から離れろよ
んで、土器焼く設備で出来る製鉄考えてから砂鉄に戻れ
あと古代は鉄の延べ棒輸入して削り出しで刀作ったりもしたみたいだから製鉄の前に砥石が発達したと思うぞ
605日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:37:05.04
現在は2000度なのね
ttp://www.shimabun.co.jp/iron_story/iron_story03.shtml

砂鉄以外にも8世紀ごろに磁鉄鉱使った炉の後とかあるけどね
六、七千年前の縄文時代の鴻の木遺跡から炉の跡みたいなものもみつかってるらしい
古い情報だが結論は出てるのかなぁ
606日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:37:19.95
言ってる意味がわからん。青銅器作れる技術と比較じゃないのか?
607日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:48:26.46
>>606
青銅器作る設備で製鉄でもいいよ
最初期の大刀の時代に太刀以降の製鉄の話しても意味無いじゃん
所謂日本刀が存在し無い時代で大刀から釣針作ったりした時代だよ
めちゃくちゃ柔らかい鉄なんだよ
おっさんなら経験あると思うけど鉄の釘を石で叩いて釘ナイフ作ったり出来る程の硬さ
場合よってはもっとローテクで加工出来る硬さの鉄を作る方法にたたらは関係無いし時代が違いすぎる
608日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:53:21.40
>>607
焼き入れ・焼きなましによる硬度強化と製鉄技術のは直接の関係ないよ
単に大刀を溶かして釣り針作っただけだろ。もとの刀の強度をそこから読み
取るのは無理ある
609日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:55:49.13
ちなみに
>>605の鴻ノ木遺跡の跡は千度前後の温度があったとさ
縄文土器は八百度前後で焼けるそうな

それから六世紀以後と以前だと以前の方が不純物が少ないんだとさ
610日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:58:03.79
>>609
低温で精練する方が著しく効率は落ちる代わりに生成物の純度高くなるのは当然かと
鉄は他の金属に比べ不純物の量による匈奴の変化が極端だから魔法金属扱いされてたし
611日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:03:27.18
>>608
焼き入れとかなましとかそんな新しい技術無いだろ
国譲りの頃ら辺のスレだろ
大陸では鋳型で刀作ってたんだよ
焼き入れの概念の無い時代だよ
なんで現代の常識で考えるの
612日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:07:20.36
>>611
まず鋳型で作ってる武器に関しても焼き入れは行われてるという指摘ね
威信財としての実用面から離れた武具は置いといて
613日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:08:45.23
日本では弥生中期以降は鍛造が中心みたいね
614日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:10:25.60
あと不純物だらけで柔らかいって調査結果も出てるし錆びやすくて日本の土壌で残りにくいとの報告もある
今残ってるのが奇跡なんだよ
そんなローテクの今で言う刃つけの無い刀だから現代の常識で言うと刃物じゃ無いんだよ
615日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:12:04.17
>>614
仮にそうだとしてそれがなんなんだ
616日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:14:41.50
>>613
高炉が作れなかったから鍛造するしか無かったみたい
鉄で鋳型みたいな高度な技術が無かったからしかたないけどそれが後の日本刀に繋がるから結果オーライ
617日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:14:54.89
>>614
古墳の埋蔵品から出た刀は表面のさび落とせば十分実用に耐えたとの報告は気のせいかな
刀身加工の技術は金属器が石器に取って代わるために必須の技術だから刃物じゃないなんて
暴論は吐けないぜ
618日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:15:58.91
>>615
だから今で言うたたらから一度離れた方が良いって言ってるの
619日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:17:48.14
>>616
でも中期までは鋳造もおおかったみたいよ
620日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:20:52.14
>>611
そうかな〜
出雲、諏訪、鹿島は砂鉄の産地だぞ
国譲りでは出雲から諏訪に逃げた
記紀に鹿島神も時々出て来る
621日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:22:59.48
砂鉄は溶かさなくとも
赤く熱して叩けば鉄器になる
622日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:24:52.52
>>617
それは主に半島、任那からの輸入品や輸入原料だって調べは付いてるだろ
あの辺は相当良い鉄が取れて独占してたのは朝廷だ
そんなとんがった超高級品を引き合いにだしても意味ないだろ
それが輸入出来なくなってから大和伝の時代になるんだし
刃物は暴言じゃない
石器だって刃物あるけど今で言う刃物じゃないだろ
今で言う刃物はキチンと焼き入れされた硬度の高い物じゃん
同じ物差しで比べちゃ駄目だよ
623日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:26:25.54
鉄器が伝わったとされる五世紀の時点で砥石も一緒に見つかってるのはどうお考えで
624日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:30:31.28
五世紀ってだいぶ遅いな
625日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:30:57.22
>>623
だから製鉄技術の進化よりも早く研ぐ削るが進歩早かったと思ってる
倭人は磨くの大好きだからね
626日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:32:08.38
>>622
五世紀の鉄器が伝来した時点で九州にある古墳が??お前言いたくないが頭大丈夫か
ついでに言えば刃物の焼き入れは刀身加工の最も初歩なんだがそれがされてない武具
の刃物の存在示せよ。漢代の時点で農具の水準でさえ刃先にはされるようになったのに
その知識持ってきた渡来人がなんで一から金属加工の技術日本で作り上げなければいけないんだ?
627日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:32:25.50
あ後それが西日本の蛇行剣に繋がってると考えてる
628日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:32:39.94
>>625
渡来人が一緒に持ってきたのが答えなんだけどw
629日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:35:34.65
>>624
板状鉄斧の話とかならまた別だけど刀剣としての鉄器は五世紀伝来だと思ってたけれど違うか?
630日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:36:01.31
>>626
環境と設備が違うだろ
それにそんな高度な技術は権力者が独占して普及し無いだろ
631日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:39:47.81
日本の製鉄法はそもそも産出する鉄の種類に左右されるわけで
砂鉄じゃなく鉄鉱石が出てたら、高炉で大量生産されてたろ
632日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:40:07.07
日本の製鉄は中国の超技術と違ってローテクを長い年月かけて積み上げて磨き上げて培った錬金術なんだよ
633日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:44:09.15
>>631
日本では技術的にも環境的にも中国見たいな高炉が作れなかったって言われてるじゃん
まあ倭人の場合鉄鉱石が大量に産出されれば何とか工夫して独自の高炉作ったと思うけど
634日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:44:19.89
>>631
鉄鉱石も使ってるよ
平安末期から鎌倉時代には砂鉄が主流になったらしいが
635日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:45:23.89
以前、放送大学が一時限使って、たたら製鉄をやってるのを見た。
粘土で高炉を作って砂鉄と炭を入れるだけだった。
あとフイゴが必要だが、これは弥生の技術でも作れるだろう。
636日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:46:19.27
>>633
よくわからん
何故中国から伝わらなかったんだ
637日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:47:13.49
>>630
技術持った方が使える相手を選ぶから権力者が単独で技術を独占
できるような権力持ってないのよ
しかも因果関係をひっくり返してとらえてる。技術の取得や育成に努めた
勢力が威信財として周囲に技術や産物を提供し、その結果として
覇権を握れるほどに強大化できたのにどこの時点で抱え込むんだよ
638日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:47:45.11
>>635
ふいごは室町時代から
639日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:50:26.70
>>636
硬く作るイコール焼き入れと考えればつたわってる
刀、例えば蕨手刀は手で簡単に曲げられる硬さだから所謂焼き入れはされて無いとかんがえる
640日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:51:59.67
>>639
いや、高炉法の雪は簾を掲げてみる
じゃない高炉のほうな
641日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:52:59.74
>>639
お前、焼き入れによる刃先の強化と現代日本刀の刀身に鉄使ってることごっちゃにしてるだろ
642日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:55:24.74
>>636
古代日本で石炭が出なかったのと木炭に使う木の種類が違うから
高炉に必要な温度出せる燃料が当時の日本になかった
643日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:01:28.73
石炭は確かに使ってないなぁ
硫黄分がガンガンはいるから燃料としてどうかと思うが
644日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:06:44.84
>>640
そこに突っ込むと想像の範囲になって叩かれて無くしか無くなる
ただ今分かってるのは土器焼く技術で製鉄が始まって少しづつ進歩してスレ的には終わり
時代が変わって蛇行剣や蕨手刀の柔らかい国産刀剣の時代になって時代がまた変わって丸焼きの日本刀の原形が出来て大和伝が出来て日本国内での技術交流で日本刀の時代になって時代が変わってフイゴでたたらするようになったて言う事実だけ
そこにスレの年代に今の刀剣の常識を当てはめるのはマズイんじゃないかって言いたいだけなんだよ
645日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:06:53.33
>>643
それが普通の鉄製武器の品質。そのリスクがあっても非鉄武器には圧倒的なアドバンテージ
誇れるし、品質良い鉄製武器あっても普通なら数の暴力で押し勝てる
ゲリラ的に少人数同士で戦う倭寇相手にした人はまあ、御愁傷さま
646日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:09:19.67
>>641
質問がごっちゃになってるぞ
流石に眠いか
647日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:14:20.18
>>644
やっぱりよくわからんな
高炉がないと否定する理由とじゃあ代わりにどうやって精錬したのか
648日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:26:30.20
クヌギ、楢、シデ、カシ、シイのことを説明できない人は島根からお帰り下さいw
649日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:30:22.45
どうしてもシデンカイかカイシデンが読み取れてしまう
…寝るか
650日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:43:42.92
>>530
おいおい
渡来騎馬民族の秦氏や劉備氏の坂上田村麻呂を無視ですか・・
>>415を改めて見てみよう。
651日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:45:59.04
それも眉唾だと思うけれど、7世紀以前の後続の強要に汽車が含まれていなかったか
652日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:46:28.90
なんだこの誤字の群れorz寝ないとだめだ
653日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:58:52.28
中国の高火力の木炭の開発は宋代以降だった気がするが5世紀の時点であったか?
開発されたことで磁器が発展したんであってるよな
654日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:18:10.74
高温で焼く須恵器窯が日本に入ってきたのは、5世紀後半以降
655日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:23:38.69
日本が騎馬民族のわけなかろう。
馬の虚勢の仕方すら知らなかったんだからw
656日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:48:30.61
そのへんつっこまれると弱いから、
遊牧民族じゃなく、騎馬民族だとかお茶を濁してたんだろう
657日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:14:34.22
ヤマトって地名は、のちに奈良県全域、日本国全域に意味が広がっていたんだけど
もともとは、三輪山の麓の狭い地名からきている。
ヤマト自体は、山処って意味だから、一般名詞で、日本全国の山の麓をそういったのだが
大和朝廷のヤマトは、三輪山の麓のヤマトからきている。

そして、古代、現在の奈良県全域の真ん中には、大きな湖があり
それは、大阪湾へとつながっていた。
この湖の東岸の三輪山の麓をヤマトといったが
この湖の南岸(御所市、葛城市、橿原市の一帯)を高天原といった。
神話の発祥地の高天原とは、ここのことだ。

皇祖ニニギは、この高天原の出身であり、そこから、
九州高千穂へ派遣されるにいたった。
これを後世、天孫降臨という。
658日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:48:07.60
鋳造技術は多分、一度伝わってたとは思うんだよね。
けれども、日本は鋳造のメリットである大量生産に必要な原料も燃料も無かった。
大規模設備を投資してもリターンが無いため断念したんだろう。
同じ事は戦国時代、大砲の製造やフリントロックでも起こってる。
戦国末期だったから需要が急減してて技術導入やめてしまったんだよな。
659日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:58:04.51
古墳期の馬具は半島から直接来てる事が解ってるし
大阪にあった馬場もその設備様式から、渡来人が直接指導したと思われる。
当然、虚勢の概念も伝わったはずだが、おそらく、日本固有の感覚でやめてしまったんだろう。
多分、うまく調教する事よりも、産めよ増やせよの産土神信仰のほうが幅を利かせた結果だろう。
石女は凶、石と同じで、石を持って撃てとまで言われてたんだから。
660日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:35:13.48
実際、渡来人が文化を保持できないってどういう状況だろうね
上から命令がきてやめさせたのか
日本人が職掌に流入して、日本人的感覚に支配されたのか
そもそもお雇い外国人みたいな扱いだったのか
661日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:40:00.74
高千穂からの東征は後付けの話じゃないかな。
662日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:51:45.49
>>658
伝わってるみたいだね

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020101.htm

安心の日立金属の解説によると古代は砂鉄系と鉄鉱石系で分かれてるみたいだから
違う技術体系(文化かな)がどう融合して行くかが国譲りからニニギ〜神武の時代かもね


http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0202.htm

軽く調べてみたら諏訪周辺は鉄鉱石も砂鉄もあったみたいだし
諏訪に伝わってる建御名方神と洩矢神の戦いも関係ありそうだよね

いろんな文化が長い時間掛けて融合してるからどれか一つ抜き出して議論しても答えは出なそうだね
663日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:55:33.78
>>655
日本は人は宦官を導入してないから
その理屈は当てはまらない
単に去勢を嫌っていただけかも
664日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:01:10.35
馬具は馬に不慣れな人が使った
遊牧民は馬具が無い時代でも馬を器用に操った
だから軍事的優位が有った

馬具の有無と馬は厳密には一致しない
馬具は農耕民族が馬に乗り始めた証拠なだけ
665日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:17:21.42
>>663
御珍棒や御万甲も信仰してたから去勢は無いよな
されそうになったら全力でそいつの首を掻っ切るはず
666日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:21:17.90
>>663
馬の去勢をしない騎馬遊牧民族っているの?
667日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:25:23.79
>>663
騎馬民族に宦官いねえだろ
668日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:31:03.88
馬具は農耕民の文化。あれは中国人の発明。
669日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:35:19.80
多くの人の誤解の一つが、馬具の発明だよ。
これを発明したのは、中国の農耕民たち。
遊牧民たちではない。
馬の乗るのが下手な農耕民たちが、自分たちでも馬に乗りやすいように
馬具を発明した。
670日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:36:24.42
671日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:43:25.56
>>667
いや、支配した民族を宦官にして使った
672日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:44:35.19
馬の背に乗る際の足がかりとして使われたものと思われる片鐙は、紀元前の時代からインドや
中央アジアのステップ地域にはあったが、 騎乗時の保持を目的としたペアでの使用が確認できる
最古の物は、302年・322年に埋葬された鮮卑や東晋の墳墓から出た陶馬俑であり、実物として
最古の物は北燕貴族の馮素弗の副葬品である。5世紀には朝鮮半島や日本でも使用されていた。

パルティアンショット
パルティア民族は、幼い頃から弓馬を嗜み、その技術の高さは周辺民族からも称賛されていました。
正倉院にはパルティア由来の絵柄が残っている。
すでに鞍があるのがわかります。
673日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:54:58.43
>>671
その理屈だと、宦官のいなかった日本には騎馬遊牧民なんていなかった、ってことにならない?
674日本@名無史さん:2013/04/13(土) 11:01:51.91
>>673
日本に騎馬遊牧民は居ないだろ
日本人は森と海の民族
ただしこれが馬が居なかったには繋がらない
何しろ北海道と大陸は地続きだったし

馬が居なかったとしても、蝦夷が馬が欲しかったとしたら
半島経由で手に入れるより
北海道や沿海州から手に入れたかもしれん
675日本@名無史さん:2013/04/14(日) 09:50:45.66
>>658
本筋から逸れるけど、西洋でもフリントロックが出回るのは17世紀に入ってからよ
日本の戦国時代には間に合わなかった
676日本@名無史さん:2013/04/14(日) 09:58:07.96
>>674
東北地方にいた馬がツングース系だったと推測のレベルでしてるのがあったな
677日本@名無史さん:2013/04/14(日) 14:46:23.82
>>657
大和は宇宙戦艦ヤマトのヤマトと一緒

>>658
鋳造技術というのは古代から秘伝
だから表に漏れない
真実の歴史は我々の知る範疇ではないし、その歴史の流れは決して表に出ない
なぜなら現在があるから

>>660
渡来人という言葉の定義を教育では教えない
大陸から来た人だって…
これでどう歴史を解釈するんだろうね

ある人は朝鮮半島からきた貧しい百姓の集団だろうと思うし、
ある人は朝鮮半島から来た技能職の集団だろうと思うし
ある人は朝鮮半島から聖職者集団とヤクザ集団が来たと思うし、
ある人は中国や欧州から人種の違う集団が来たと思うし

その解釈の差が個人個人でありすぎて歴史の解釈に共通の理解が得られない
同じ日本人でも全く話が通じない たった一つの単語でこの有様だからね…
教育者は混乱をきたすことが分かってるのに定義を一切教えない
学生の多くの頭がお花畑になるように必至に育てる日本の教育には笑うしかない

分かる者にはわかる 分からないものには絶対にわからない
先祖代々継いできた家の者にだけわかるような教育しかしない
そりゃ京都や奈良の多くが優等生になるのはあたりまえだ

そこが狙いなんだろうけどね…
678日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:01:42.50
>>677
もう、トンデモには興味ないよ。いい加減にしろうや。
まじで、ちまたのトンデモ歴史読みののが
古代史を無茶苦茶にしている。
679日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:14:58.68
>>676
酒田で殷の時代の青銅刀子が出てるからねえ
http://homepage2.nifty.com/hekisui/choukaisan/choukasan%20%2004%20seidoutousu.htm

たしか岩手には馬を北から連れて来たという伝承もある
アテルイは阿久利黒という愛馬を帰順の印として坂上田村麻呂に贈ったし
東国産の馬が宝扱いだった。莫大な額で取引された

馬が西から広まったとすると理屈に合わないんだよ
680日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:24:13.20
例えば秦の始皇帝は何者だと聞かれれば日本人のほとんどは中国人と答えるだろう
しかし、それは国家、人種の言葉の定義を曖昧にした最大公約数的な答えに過ぎない
現地を知る中国人ならそんな言葉のマジックで物事を捉える愚かなことはしない

しかし、日本の多くの人達はその言葉のマジックを自分なりにいいように解釈する(誰も教えてないのにw)
例えば、ある人なら秦の始皇帝は中国人民の大地主の農民の代表が決起して中国全土を掌握したと理解する
そんなことは経済的にも思想的にも絶対にありえないのに、そう思い込んでしまっているのである

それぐらい日本の教育者は幅を持たせて日本人の脳をお花畑にしている
色々な都合で幅を持たせて指導することは悪いとは言わない…
しかし税金で直接食べてる倫理性を考えれば、策略的な指導は最低限にとどめるべきだと思う

指導者が心の中で高笑いしている姿を幼少のころから感じて生きている人もいるのだとわかってもらわないとさ…
681日本@名無史さん:2013/04/14(日) 19:40:55.75
国家の文明史的な血統は重要だなアフォだとつけ込まれ滅ぶ。日本にはマヌケ学者しか居ないだろ残念だが。
682日本@名無史さん:2013/04/14(日) 20:29:40.08
【嫌韓】 北原みのり氏、在日認定され、否定 「事実を言うだけで、これだけ叩かれるのか。気持ち悪い。この空気こそ差別だ」★2



http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1365925715/
683日本@名無史さん:2013/04/15(月) 00:58:20.74
日本畜産歴におけるロバの謎
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1365910909/l50
684日本@名無史さん:2013/04/15(月) 01:01:51.36
ロバは馬以上に高温湿潤への耐性がないからそこがネックになったんだろうね
685日本@名無史さん:2013/04/15(月) 10:22:30.43
★★ネット工作員による造語「ネトウヨ」という言葉とは?

もともと「ネトウヨ」という言葉は
在日韓国人の公式組織であり民主党の支持母体でもある韓国民団が、
ネットで高揚する政治的保守に対して
一括りにネガティブなレッテルを貼るために作った言葉です。

所謂「ネット工作員」は、民団の構成員や協力会社の中に実際に存在し、
民団新聞にも、それを認める記述があります。

彼らは、幾つか書き込み内容を指示されていますが
最も重要なのは「ネトウヨ」という言葉を多用し、
他のネガティブな言葉と併用することです(例えば、「ニート!」「ヲタ!」「低学歴!」「無職!」など)。
これにより、虚栄でも民族的自尊心を保つとともに、保守層そのものを否定し、日本国益を害することを目的としています。
(韓国人の多くが、日本国益を損ねることを運命のように強いられ、
また洗脳されているという事実を疑う人は、勉強してください)

したがって、「ネトウヨ」という言葉を使う書き込みは、
そのほとんどが実際の世論誘導工作員と、
教養がない故に工作員の誘導に騙された思考することができない白痴によるものです。
686日本@名無史さん:2013/04/17(水) 08:47:29.70
>>679
馬自体は、石器時代から日本にいるだろうけど
それらは途中で絶滅してしまっただろう?
687日本@名無史さん:2013/04/17(水) 09:41:32.86
>>686
骨は地層から出てきたらしいが、
それは後の時代のものだってケチがついて
今のところ石器時代にはいなかったというのが学界の意見らしい。
やっぱ倭人伝の記述が大きいと思う
688日本@名無史さん:2013/04/17(水) 11:08:39.15
>>677>>680
まったくだが、現状では真の歴史の「絞り滓」から真実を突き止めるしかないわけで。。。
古代中国人が恐竜の骨を見て、身の周りにいた生き物と合わせて「龍」という想像上の生き物を想像したようにw

始皇帝が西戒の騎馬民族出身だというのはNHKスペシャルで見たが、そういう細かいことがいろいろ判っても、
結局歴史オタクの世界で留まって、一般市民は一生知らぬままで仕方ないと思う。
ただ、興味を持った人が手軽に真の歴史が判るようにしておく必要はあるだろうね。
689日本@名無史さん:2013/04/17(水) 14:08:10.08
>>687
いや、石器時代ぐらいならばいただかもしれんぞw
その時代はゾウもいただろうし。
でも、いっとしても、人類のエサぐらいにしか
ならなかったんじゃないの?
690日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:36:36.01
バカじゃないの。
古代中国人が恐竜の骨を知っていたわけ無いだろ。
そのうえ、真の歴史を教えてないとか共通の認識が無いだとか、
妄想も大概にしとけよ。
691日本@名無史さん:2013/04/17(水) 20:07:15.40
>>677>>680
もしかしてあんた、川本博之さん?
692日本@名無史さん:2013/04/17(水) 23:39:47.30
石器時代は牛もゾウも日本に居た

http://ja.wikipedia.org/wiki/花泉遺跡
>花泉遺跡は金竜川南岸の段丘上に位置し、厚さ2.5メートルほどの粘土・泥炭・砂層からなる化石床から
>ヤギュウ、オーロックス(原牛)、野牛の一種ハナイズミモリウシ[1]、ヘラジカ、オオツノジカ、ナウマンゾウなどの化石骨が多量に出土している[2

岩手からは数万年前の馬の化石も見つかっている
3万年前なら馬も牛もゾウも確実に日本に居た
693日本@名無史さん:2013/04/17(水) 23:57:19.00
ナウマンゾウ、は長野、千葉、岩手、北海道で見つかっているから
ほぼ東日本全域に居ただろう
694日本@名無史さん:2013/04/18(木) 00:42:38.53
今の人はとかく古代の人を文明の劣った人だと思っている
しかし、それは違う

現代人の多くは学問を多く習って賢くなってるつもりになっている
しかし古代人もあなたが現在持ってる知恵ぐらいは持っていた

嘘だ! そんなことはない、俺はファミコンもしたし、車も乗ったし、飛行機も乗った
古代の人達はそんなことしてないだろ だから俺の方がずっと賢い文明人だ、そう思っているだろう

例えるなら、古代の馬も現代の馬も遺伝子上全く変わらないのと一緒なことなんだ
つまり全く同じ思考をしていたということなんだ
そもそも、あなた方の遺伝子を持った分身が古代からいたわけでね

じゃ歴史を学ぶ意味ってなによ? ってことにになるよね
それは今を知ることなんだよ
695日本@名無史さん:2013/04/18(木) 07:43:08.40
>>690
石切り場とか谷間、山麓に恐竜の骨結構出てくるよ。つい最近も小学生が恐竜の骨を見つけてたジャン!
古代人も当然、石を切り出す時や山麓の畑を耕してると現れる、何か得体の知れない巨大生物の骨が生前どんな姿だったのか?
ということは疑問に思ったはず。 現代では恐竜ということが判っているけど、古代人にそんなことをする術がないから、
イマジネート(想像)して出来たのが西洋ではドラゴン(サラマンダー)、東洋では龍(麒麟+鹿角+鰐+鯉+大蛇)ということ。

真の歴史(恐竜)と、(ここを含めて普通の人が知る)表向きの歴史(ドラゴン/龍)の違いを判りやすく言えばこんな感じ
http://p.twpl.jp/show/large/cDgZH

>>694
そうそう。
情報の質/量が違うってだけで、古代人と現代人の違いは、生まれた年代の違いでしかない。
生物学的にやっていることは縄文時代と何一つ変わらないってことだね。
つまり生物学的に現代人と何一つ変わらない古代人の行動を見ることは、そのまま現代人の行動を知るってことだね。
696日本@名無史さん:2013/04/18(木) 07:47:42.86
むしろ、今まで進化を積み重ねてきた人類の体から見れば、
現代の体の使い方のほうが、例外かもしれない。
697日本@名無史さん:2013/04/18(木) 10:56:35.19
今ではアノニマスがNHK職員多数が北朝鮮工作員の疑いだとかウジTVが明らかに韓流洗脳とかもうみんな気付いてる訳だけど、
ひと昔まえはマスゴミやTVを支配下に置く電通の背後に、
コリアン勢力とか中共とかそれらと密約結んだ記事が存在する草加学会とかいるなんて言ったら、
すぐ統合失調症だとか隠滅にかかったりする輩がいて妄想扱いだったっけ。
なんか、この国のネットって、明らかに国外とか国内政党やカルトの為に言論統制工作して生活してるっぽい低学歴でニートっぽいのたまに出て来るよねえ。
的外れな歴史的知識不足とかひやかしとは違う。
698:2013/04/18(木) 12:13:57.78
川本さん、相変わらず病んでますねw
699日本@名無史さん:2013/04/19(金) 07:22:36.38
神社鎮座法がどうとかって喚いてる人格破綻者のこと?
700日本@名無史さん:2013/04/19(金) 13:17:49.79
>>695
古代人は恐竜がすでに絶滅していることも知らなかったわけだから、
実際にこの世界のどこかに生きてると思ってしまったわけだね
妄想が更なる妄想を生む図式は、日本の古代史と似たところがある
701日本@名無史さん:2013/04/19(金) 23:42:07.46
>>695
> イマジネート(想像)して出来たのが西洋ではドラゴン(サラマンダー)、東洋では龍(麒麟+鹿角+鰐+鯉+大蛇)ということ。


根拠は?
702日本@名無史さん:2013/04/20(土) 09:12:30.54
>>699
一級建築士らしいが、あんな情緒不安定な真性基地外に建築頼む香具師なんているのかね?
ちょっと気に食わないようなことを言われようもんなら、逆上して施主をボロクソ貶し、欠陥住宅建てられそうだよ。
703日本@名無史さん:2013/04/20(土) 09:17:35.07
>>701
根拠(ソース)は釣られた本人が探す

それが2ちゃんねるの鉄則でつw
704日本@名無史さん:2013/04/21(日) 09:01:56.08
結局古代史解らない日本人て、幼少時代の記憶を亡くしたピアノマンみたいなもんだね。
705日本@名無史さん:2013/04/21(日) 13:27:02.88
神武の時代って日本の人口どれくらいだったの?
706日本@名無史さん:2013/04/21(日) 16:27:03.27
神武 30万人
崇神 100万人
応神 150万人
推古 300万
707日本@名無史さん:2013/04/21(日) 16:50:00.92
30万しかいなかったの?それじゃ首都でも5万ぐらい?
708日本@名無史さん:2013/04/21(日) 21:47:32.18
>>704
税金で世界中に金貸しやってる天皇家が、21世紀になっても納税者に真の歴史を公開しないなんて、
どう考えても民主主義じゃないよな?
リッチな北朝鮮みたいな国だよ、ったく
709日本@名無史さん:2013/04/21(日) 21:49:31.08
それも変な話だな
古代から現代と同じような集落が1万以上あるんだよ
一つの地区で平均30人とかまずないわ
山のどんぐりとか色々たべてりゃ300人近く入るはず
いくら古代でも300万人近く日本列島にいたと考えた方がいい

日本列島で30万人なら一つの地方でみんな近い親戚筋になる
遺伝子が弱くなるからな
710日本@名無史さん:2013/04/21(日) 22:04:19.93
日本国民=日本銀行(皇室)と日本経団連(薩長)の使用人

使用人の分際で、欧米人のような人権、歴史を知る権利などありませぬ。
711日本@名無史さん:2013/04/21(日) 22:52:13.21
邪馬台国九州説の難点も人口だな
あの時点で九州限定に域を狭めるなら、戸数が異様に多すぎる
邪馬台国で7万、そのとなりの投馬で5万。単純にあわせると12万だ
九州だけでは考えられない戸数になる

邪馬台国だけで当時の高句麗はおろか朝鮮半島の全部の国を足したより人が多いのは
さすがに考えられないんだよな。投馬が出雲あたりに比定すれば、まだリアリティもありそうだが
712日本@名無史さん:2013/04/21(日) 23:47:40.53
朝鮮の土地に人口養えるだけの生産力在るのか?
713日本@名無史さん:2013/04/22(月) 06:22:13.25
そういえば邪馬台国出雲説とかないのはなぜなんだろう?
古代は出雲は都会だったはずだよね。
714日本@名無史さん:2013/04/22(月) 06:44:29.82
投馬国出雲説ならある
715マリー・アントワネット:2013/04/22(月) 07:04:08.26
>>713
なければ創ればいいじゃない!♪(゚▽^*)ノ⌒☆出雲説
716日本@名無史さん:2013/04/22(月) 10:57:17.73
広義のいわゆる出雲国とは、
後の天皇家(出雲/大倭国の外戚)が勢力を伸ばして大王権を簒奪し統治する以前の日本全体、、大倭王国(大王/大国主(オホナムチ))

奈良県の葛城・高尾張(高天/御所市)・吉野辺りがヤマト(=大王の坐す宮都)で国譲り?の舞台

特に葛城の高天地区は後世(十世紀)の延喜式では
記紀の高天原であると朝廷が認定した場所。

神聖な神山の吉野山の麓。東に2つの元伊勢(滝原宮、伊雑宮)、西に淡路島の先山(淡路富士。霊山/神奈備山/伊弉諾尊、伊弉冉尊)。南に熊野の聖地群
古代の死生観と宮都の立地条件に合致した場所。
この宮都の立地条件は後々の王権にも引き継がれた大事、(三輪山、春日山、比叡山(日枝山)・・・)

名古屋中京地域へ放遂された尾張氏流が本宗家と思われます。(始祖は天火明命(天照皇大神)。)
籠神社海部宮司家は早い時期に分かれた尾張氏の同族分流。
(海部家の系図の当初十数代部分は(高)尾張氏と同じ系図で主に丹波と丹後の支配者の系図)

ただ、出雲(大倭王家)族と天皇家は祖を同じくする同族関係。
浦島太郎が出雲(天火明命流/海部族。高尾張)。

記紀には海部族/海洋民との深い関わりが時代背景を変え手を変え品を変えて度々記述されていますよね。
717:2013/04/22(月) 13:19:15.94
読む気がしません
718日本@名無史さん:2013/04/22(月) 20:26:32.03
年表とかってどうなってるんだろ?
邪馬台国が魏に使いを送った時は神武時代なの?
719日本@名無史さん:2013/04/22(月) 20:29:58.33
天照=卑弥呼時代です
720日本@名無史さん:2013/04/22(月) 23:31:06.08
>>711
投馬は吉備の鞆の浦でしょ
721日本@名無史さん:2013/04/23(火) 00:42:00.08
>>719
それは無いなー
722日本@名無史さん:2013/04/23(火) 07:50:49.57
>>14-15の言ってる歴史が普通の人の最大公約数なんじゃないの?

それ以上のことなんて、普通の人に判りゃしないよ
記紀が寓話(神話)化してるのは、
1世紀の漢委奴国王から4世紀の大和朝廷成立に至る1〜3世紀の300年間(≒江戸時代)の範囲なんだからさ
723日本@名無史さん:2013/04/23(火) 08:05:30.62
まぁ、この日ノ本から天皇制が消滅するまで愚民が建国の歴史を知ることはないんだから、
のんびり妄想トークを楽しもうぜ!

天皇制が消滅し、建国の経緯を知った時代の日本人から見たら、この頃の日本人はこんなこと想像してたんだぁ!なんて笑いのネタになるよ
まるで(恐竜だと知った)現代人が(ドラゴンや龍を妄想した)古代人を見るようにw
724日本@名無史さん:2013/04/23(火) 09:04:12.92
だから、ドラゴンや龍は恐竜とはなにも関係ないってことを、少しは理解して覚えておけよ。
古代人には石と化石の区別はできないし、石の中から化石なんて取り出す能力はないし、
風化作用で化石は露出なんかし続けられないんだから。
725マリー・アントワネット:2013/04/23(火) 09:09:28.24
一般に公開されている文献史料や考古学成果からは、1〜4世紀の歴史が判らないなら、
「どの説がより多くの現象を説明しているか?」で賭けて楽しんじゃえばいいじゃない?!♪(゚▽^*)ノ⌒☆
726日本@名無史さん:2013/04/23(火) 10:49:17.33
>>723
いや、逆だな
記紀を調べて分かる事は、かなり正確に事実を反映してるってことだ
世界一価値のある歴史書と言っても良い
考古学者も含めてその事実にまったく追いつけていない
727日本@名無史さん:2013/04/23(火) 12:23:16.95
>>723
そんなのイヤだ
今すぐ本当の歴史が知りたい!
728日本@名無史さん:2013/04/23(火) 13:07:21.46
ここには、
より突飛なものや、より間違っていそうな説を、好んで言っている奴ばっかりだろ。
「俺はそんな説を支持しているんだぜ!」っていう優越感に浸りたいだけ。
どうしてそんな事に優越感を持てるのか不思議だが。
729日本@名無史さん:2013/04/23(火) 18:33:06.12
天皇家は日本の創世記の事を知ってるのかな?
皇居に神武天皇の日記とか残ってるんだろうか?神代文字で。
730日本@名無史さん:2013/04/23(火) 18:44:52.38
記紀以上のことはわからんと思うよ
731日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:03:01.02
記紀の成立が600年〜700年ごろだっけ?

たしかそれより前に国紀と天紀だかがあるとか聞いたんだが。
それは宮内庁が持ってるんじゃないかな。もしくは古墳に埋蔵されてたり
するのかな?
732日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:13:58.86
国記は焼失しなかったと書いてあるのだけどな
733日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:28:39.93
古墳に本を副葬する例ってあるの?
734日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:34:49.77
死地に向かうのに本はないだろ
735日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:40:09.29
天皇制がなくなれば宮内庁も神社庁も必要無くなり、箸墓始め、すべての天皇陵の石室も徹底的な学術調査が可能となる。
納税者の血税で形成された皇室財産はすべて納税者に公開される。
一刻も早く天皇制をなくして欲しい。
君主制廃止万歳!共和国万歳!日本共和国万歳!
736日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:40:48.95
じゃあまあ、邸宅跡から見つけるしかないか
737日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:41:11.36
スレ違い
738日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:47:41.90
>>736
国記なら天智天皇に渡ったと記されておるよ
739日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:53:26.74
>>729
皇太子に立太子されると、日本の国の本当の歴史を教えてもらえるらしいが、
当然のことながら門外不出で、国民(納税奴隷)には一切知らされない。
国民に真相を知られると、原発推進の既得権益にとって不都合なことになる福島第一原発事故と同じw
740日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:15:22.40
ただでさえ胡散臭い分野なんだから、政治をもちこむな
741日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:18:17.45
ていうか当時ってすでに紙はあったの?竹巻ってわけじゃないでしょ?
742日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:20:22.36
>>739
既得権益を一旦手にしたら手放せないよ
現代日本を牛耳る薩長支配勢力による「明治維新」礼賛番組の多さを見れば一目瞭然だろう
743日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:25:40.66
自分たちの先祖を「神」として全国に神社を建てさせ、民に拝ませてる天皇家は既得権益の権化。
744日本@名無史さん:2013/04/23(火) 21:56:43.78
「チャリ〜ン、パンパン、お金持ちになりますように」w
745日本@名無史さん:2013/04/23(火) 22:17:30.05
既得権益も悪い事ばかりじゃない
外国に自慢できる
在日利権は最悪だけどな
746日本@名無史さん:2013/04/24(水) 00:55:08.41
>>745
フィフィさん在日特権のカタカナ横文字業界から干されてるネ。
747日本@名無史さん:2013/04/24(水) 07:12:16.68
>>742
正確には近代日本だな
>>745
在日利権は世界に冠たる人権国家・日本の象徴だよw
日本人だとなかなか支給されない生保も、在日○世ならほぼ無審査で支給され遊んで暮らせるw
748日本@名無史さん:2013/04/24(水) 10:12:57.13
私はクラスで一番馬鹿だったから今でも見識がない
ここに来ている人たちは見識ある人ばかり 恐縮するばかりだ

学生時代の馬鹿話だが…
古文の授業で「和泉」を「わいずみ」と読み続けたことがあった
教員は怒るのを諦め露骨に嫌な顔をして無視し続けてた
周囲はそんな自分に「だから〜イズミ!だと言ってるだろwww ちゃんと読めよwww ばかだなwww」と忠告してくれた
こんな調子でテストでも欠点を取り続け教員に留年するよう叱られた

英語の授業でもそうだった
授業を聞かず、もし医学生になれたらどんな単語を使うのだろうって…(妄想の世界)
医学に関与する英単語を辞書から引き出したり得にもならないことばかりして遊んでいた
心臓、肺、腎臓、…アキレス腱 
へ〜色々な単語があるんだ おもしろいな
次はどんな単語を引こうか…次は建築にしよう
そうやってくだらない主題をきめて毎日過ごした

そんなことばかりやっていたから偏差値も下の下になってしまった
だから歴史も世界も全然わからなくなってしまった
ここにいる人たちは見識がある人達ばかりだ
真似をしないようにしっかり授業は聞きましょうね

ごめんね 自分の愚痴話して 退散するよ
749日本@名無史さん:2013/04/24(水) 10:21:39.33
●ていせい

イズミ→いづみ
アキレス腱→腱
750日本@名無史さん:2013/04/24(水) 20:49:57.55
最古の日記っていつ頃のなんだろう?

700年頃にすでに一般に文字と紙が流通してて
それから知ってる限り過去の事を書き残したとして
せいぜい500年ごろぐらいまでしか残せないかな。
751日本@名無史さん:2013/04/24(水) 20:57:04.54
たぶん、楔形文字やインダス文字で書記が今日の昼飯を書き記したのが最初なんじゃないかしら。
752日本@名無史さん:2013/04/24(水) 21:02:42.71
ボクシング】元世界王者逮捕 徳山昌守(本名・洪昌守)容疑者、傷害容疑で★3




http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1366772401/
753日本@名無史さん:2013/04/25(木) 23:12:38.17
神武東征はあったと思うんだよな。初代はいるよね。
754日本@名無史さん:2013/04/26(金) 14:06:37.03
崇神天皇が同殿同床による親祭の祖法をなぜか敢えて枉げ、
皇居から遠ざけた天照大神と倭大国魂大神。
この件のあとに唐突に大物主神の荒び祟る話が挟まれ、
結局、苦心惨憺して大物主神の末裔、太田田根子を探し出して神主に任じて鎮祭させた云々。

他にも本当に意外な神様が度々荒び祟りを為したと言われます。
それは、皇室の大御祖大神のはずの伊弉諾尊。

子孫たるわが国の皇室や朝廷を愛でて御加護してくれる筈の皇大祖神様であるはずの伊弉諾尊が祟るとは、、?
755日本@名無史さん:2013/04/26(金) 14:09:42.17
>>748-749
俺は一般公務員試験よりは難しいと云われる使えない中堅国家資格も、
本屋で買った本で働きながら一ヶ月内程度で合格ったり、
FPとか本屋で買った本も時間が無くて10ページぐらいしか完全には覚えずに資格試験受けて不合格通知来て、
後からよく見てみたら一次は合格って何年間免除だったりよくあるけど、
酷い草加被害で学歴とか冴えなくされて結局あんたと一緒だよ。親の優良会社も潰されていろいろ苦労させられてる。
だからみんな一緒。
人生万事塞翁が馬、気にしなさんな。
756日本@名無史さん:2013/04/26(金) 14:15:02.08
>>754
三輪の大物主も初期大和王朝によく祟ったとか。
明治天皇は伯家神道を何故封印したのか。
757日本@名無史さん:2013/04/26(金) 15:01:48.32
皇祖神である天照大神もスサノオや大物主同様、最初は奈良に祀ろうとしたけど、雄略天皇(だっけ?)が伊勢に祀ったのはなぜなんだろう?
758日本@名無史さん:2013/04/26(金) 15:17:32.61
津波被害を調伏してもらおうと
759日本@名無史さん:2013/04/26(金) 15:55:27.78
九州から大和に神武が東遷した理由が、五胡十六国の悪影響から距離を置くためではなく、
津波に襲われない内陸の盆地だったからだとしたら悲しすぎる… _ト ̄|○
760日本@名無史さん:2013/04/26(金) 16:29:52.33
神武東征は熊襲のと争いにウンザリしたからだろうな
正確には神武移民だがw
761日本@名無史さん:2013/04/26(金) 16:55:18.18
>>755
見識とはある意味諸刃の剣である

そのことを言いたかったんだ
だから真似をしないようにと書いたんだ
だれとは書いてないだろ
フフフ
762:2013/04/26(金) 16:57:59.10
川本さん、やっぱり病んでますねw
763日本@名無史さん:2013/04/26(金) 17:19:34.06
伯家神道は言わば、藤原(中臣)氏の神道。
764日本@名無史さん:2013/04/26(金) 18:26:09.34
古代史が人を惑わせる面白い理屈とは…
自分は正しい 他人は間違ってる、
そこだろう

自分は愚かだ、他人は偉い
そう考える方が理に適っているのではないか
私はそう思うのである
765日本@名無史さん:2013/04/26(金) 19:37:13.84
>>759
東征の理由は熊襲との争いにうんざりしたってのが現実的。
じっとしていても攻めて来るだろう、しかも得る物が何も無い。
どうせならって気になったのと違う?
766日本@名無史さん:2013/04/26(金) 23:27:08.57
何百年に一度やって来るか来ないか分からない津波を理由に東征するわけなかろう
ではなぜ茨城千葉神奈川静岡は西征せなんだ?
生産や居住の場を沿海低地に過度に依存していた証拠がなければ津波を理由にするのは無理だ
767日本@名無史さん:2013/04/26(金) 23:31:38.99
東征なんて格好いいこと言ってるけど。もしかして
九州で敗れて東に落ち延びただけなんじゃないだろうか?
当時一番の都会であるはず九州を捨てる理由がわからないんだよな。
768日本@名無史さん:2013/04/26(金) 23:58:02.90
>>767
>>765
無益な戦いを繰り返していたんなら、どうせ命懸けなら…って考えになりそうじゃないですか?
769日本@名無史さん:2013/04/27(土) 00:10:58.93
ところで奈良に都、築いたわけでしょ?
なんで奈良なんだろうな。場所的に不便じゃない?

平地があったからなのかな?当時日本は原生林だらけで
都築く場所すらなかったんだろうか?
770日本@名無史さん:2013/04/27(土) 00:25:27.70
湖があって何時ごろ干上がったのかはともかく
植生遷移が進んでいないのなら開拓に最適だ
771日本@名無史さん:2013/04/27(土) 02:00:00.71
陸地の幅が狭くなっていてしかも険しすぎない交通の要衝。
欠点は水不足になりやすいこと。
772日本@名無史さん:2013/04/27(土) 02:40:32.32
>>769
そりゃ、それ以外の条件がいい所は
先住者がちゃんと支配してたからさ

>>771
どこに行く気だよw
773日本@名無史さん:2013/04/27(土) 06:48:48.28
飛鳥板葺宮も、藤原新益京も、平城京も、平安京も、国土の中心地点だったからという説があるよ。
これら4つの中心建物(大極殿)は南北に一直線で結ばれるらしい。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/111210.htm
774日本@名無史さん:2013/04/27(土) 21:46:36.90
日向の高千穂ってアンデス?
出雲ってエジプト?
775日本@名無史さん:2013/04/28(日) 08:25:55.50
大和朝廷の虎の威を借る基地外建築士
776日本@名無史さん:2013/04/28(日) 15:14:51.90
神武の時代って人々の生活はどんなレベルだったの?
平城京みたいな屋敷みたいのはすでにあったのだろうか?

刺青はしてたみたいだけど。
777日本@名無史さん:2013/04/28(日) 21:42:23.83
>>776
竪穴建物(住居)と掘立柱建物(倉庫)
掘立柱建物の巨大なやつを卑弥呼の住居だとか祭祀を行った建物だとか言っていたけど
どうなったんだろうね
778日本@名無史さん:2013/04/28(日) 23:23:48.98
奈良は外来語のナラの当て字。
ナもラも国とか領土/領域の古語
779日本@名無史さん:2013/04/28(日) 23:25:34.05
どこ由来の外来語なんだよ。
インドとかペルシャあたりか?
780走 ◆VWCBut9QG7q4 :2013/04/28(日) 23:57:02.73
韓国人は、朝鮮語でナラは国の意味と。
だから朝鮮が日本を造ったとか。
万葉集は朝鮮語で解読するとすごいことが書いてあるとか。
独島だけではなく、対馬も韓国領ですとよ。
781日本@名無史さん:2013/04/29(月) 00:19:35.32
ナーラ サンスクリット語で水
ナーガ 蛇
782日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:11:05.77
>>778
新羅はシラでアイヌ語だぞwww
783日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:12:46.21
実は新羅も奈良もアイヌ語(縄文語)
784日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:15:00.99
ところで、新羅百済は朝鮮語でどんな意味なの?
785日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:22:18.64
ヒラ、タイラとか
〜ラが付く地名は日本語に幅広く存在する
つまり朝鮮語のナラは日本語由来だな
古代に日本に支配された証しだよ
786日本@名無史さん:2013/04/29(月) 10:01:53.58
ていうか神武の時代はまだ国境が定まってなかったんでしょ_?
白村江の戦いで国境が定まったという話じゃん。
787日本@名無史さん:2013/04/29(月) 22:36:32.23
神武さんてエジプト統一王朝ですよねー?って話は駄目なん??
788日本@名無史さん:2013/04/29(月) 23:32:25.93
事代主は国家存亡の危急時に釣りをしていた。。。       器が違う。
789日本@名無史さん:2013/04/30(火) 00:07:15.52
790日本@名無史さん:2013/04/30(火) 05:08:46.84
熊曽=原縄文+江南人

で、これが神武の出身地。
のちに熊曽が蛮族とされたのは王朝が入れ替わったからだね
万世一系を鵜呑みにしてたら日本史は解けませんて
791日本@名無史さん:2013/04/30(火) 06:55:45.05
>>790
日本の古代の歴史に関心のある奴で、
万世一系を信じてる者などおるまいて!
792日本@名無史さん:2013/04/30(火) 07:09:56.48
皇統は万世一系である。
継体天皇も応神天皇の5世孫でありさらに応神系皇女を皇后としており問題は無い。
793日本@名無史さん:2013/04/30(火) 07:17:36.54
>>73
邪馬台国、円熟の新説 「出雲の勢力が大和で築いた」
http://book.asahi.com/booknews/update/2013040400002.html
794日本@名無史さん:2013/04/30(火) 09:04:28.11
朝鮮人てほっとくとゴキブリみたいに珍説をあげてくるよな
795日本@名無史さん:2013/04/30(火) 15:53:49.44
事代主神は諱を伊毘志都幣尊(いびしつぬのみこと)と奉り。
諡号(神号)は玉櫛入彦厳之事代主尊(たまくしいりひこいつのことしろぬしのみこと)
//神戸の長田神社の御祭神(事代主神)の正式な御神名に伝わる。

また、積羽(都美歯)八重事代主神とも
又云、飛鳥大神とも奉る。

大国主/大己貴命の末子。母は多紀理姫(美保津比売)。

出雲本宗家の正当な後継者(末子相続の慣習による)。
事代主神(恵比寿神)祝詞には、出雲が危急存亡の秋にたまたま美保津に鳥狩りと魚取りを為さっていた云々。
これはただ単にバカンスを為さっていただけではなく、
貴人(事代主神はこの時点では大国主に即位済みかと)が着の身着のままでのほほんと動く事は無いはずで、
水軍や近衛軍などと共に軍事調練の一環と愚考拝察するところ
796:2013/04/30(火) 16:36:01.49
読む気がしません
797日本@名無史さん:2013/04/30(火) 16:44:55.35
事代主は国家存亡の危急時、水軍や近衛軍などと共に軍事調練が行われている傍らで釣りをしていた。。。


器が違う。
798日本@名無史さん:2013/04/30(火) 19:06:45.47
自大主義の朝鮮人気質はともかく
人間をゴキブリ呼ばわりするコミュニティの異常さに気づけなくなったら末期

こういう連中がネット中にうじゃうじゃいる任天堂信者コミュがまさにそれ
http://hissi.org/read.php/ghard/20130426/RXEyMEFtSHAw.html?thread=all
799日本@名無史さん:2013/04/30(火) 20:15:12.48
800日本@名無史さん:2013/04/30(火) 20:38:20.23
>>793
こんなもんで6万部も売れとるのか・・・
801日本@名無史さん:2013/05/01(水) 07:25:54.17
日本古代史は虚学orオカルトであることがよく解るね
802日本@名無史さん:2013/05/01(水) 15:59:03.72
>>800
完全にコロンビアだな
803日本@名無史さん:2013/05/01(水) 17:17:41.23
民放各局日テレ・TBS・フジに韓国資本が入ってると噂される前、オカマ、お笑い芸人やらが流行る前の昔ニュース系板
内部業界関係者らしき書き込みで、

「これからテレビに出す日本人のタレントは、お笑い芸人とオカマ・オネエと草食系ばかりにする。
その対極として男らしくカッコイイ韓国人を相対的に売り出して、韓国人を日本人の憧れにする」

という書き込みがあった。
今思えば、全部その通り(成功してるとは言い難いが)になってるから、案外そういう計画自体は本当だったんだろう。

なんか怖い。
ミッツとかマツコが韓流批判の高岡の事件の時、精神病扱いしてボロクソ言ってたけど、
犯罪犯したわけでもないのに酷かった。
804日本@名無史さん:2013/05/01(水) 20:01:58.32
昨日飲み屋で、隣席の77歳だというじいさんが、
天照大神と神武天皇は朝鮮半島から来たとかトンデモ話してきた。
何言ってんだど思い反論したら、そのじいさん、プルプル震えながら顔真っ赤にして
『若者はもっと歴史を勉強しろ!!』と怒鳴られた。
昭和11年生まれですらこんなデタラメな歴史を信じてるとは衝撃と悲しみを感じた。
805日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:12:36.82
>>804
大和朝鮮同祖だろその年代w
詰んでんのよ。意識と軍事力による牽制しかないが不可能に近い。
806日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:29:28.17
天照はむしろかなり新しい部類の神。
よって、朝鮮起源はない。

だが神武が実在していたと想定するなら朝鮮か大陸からの渡来人であることは
これはもう、ほぼ確実。紀元前のあの時代に強大な武力で一挙に版図を広げる力は原日本人にはなし得ない
ちなみに朝鮮といってもむしろ三韓時代は今の朝鮮人よりむしろ日本人のが近いから
基地外じみたアレルギー反応を起こす必要もない

倭人伝の百済条を一度見てみるといい。住民は道ですれ違うと互いにえしゃくをする、礼儀正しく風呂が好き
とかもう完全に日本人のことが書いてあるからな。不倫は死罪ってのもそっくり同じ内容で書いてある
807日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:36:16.86
ちなみに縄文時代は1万5000年以上続いた

世界の中でもずば抜けて古い歴史を積み重ねてきたのが日本であり、
同時に、外部からの影響がない閉ざされた世界ではいつまでも進化がないという証明でもあるな

渡来人を起爆剤に、圧倒的な人口を誇った縄文人の価値観を反映させた八百万の神話が生み出され
それをもって日本原住民が共同体を作り上げていきはしたろうが、朝鮮人や大陸人に忌避感情をむき出しにしては
日本の歴史は紐解けわせんよ。
808日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:40:25.10
なにより重要なのは、日本にわたってきた渡来人は
白人文明のように「皆殺し政策」は取らなかったということ。

これに関しては日本は本当に恵まれている
なぜなら、日本に渡ってきた人間も結局は大陸なり半島での敗残者であったから
そして結局、大陸や半島における勝ち組勢力というものは紀元前から今にいたるまで一度も日本に侵攻しなかった
まさに、神に守られた大地であろうな。
809日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:51:18.16
【縄文時代の人口】〜東高西低は本当か?
http://www.jyoumon.com/blog/2010/11/001163.html
縄文遺跡の立地性向
http://www.gisa-japan.org/dl/17-1PDF/17-1-63.pdf
火山国ニッポンと土壌肥料学
http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/103/mgzn10306.html
火山がもたらした東北の縄文
http://www.jyoumon.com/blog/2012/08/001440.html
810日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:53:20.69
【縄文時代の人口】〜東高西低は本当か?
http://www.jyoumon.com/blog/2011/02/001206.html
811日本@名無史さん:2013/05/01(水) 22:29:15.34
>>805
大和朝鮮同祖って初めて聞いた言葉だったからググってみた。
こんな所説があったのか〜
この説で学んだ世代は考えを変えるのは難しいってこと?
812日本@名無史さん:2013/05/01(水) 22:30:21.14
>>811
米中の対日戦略が働いてる。
813日本@名無史さん:2013/05/01(水) 23:13:24.91
>>812
今の朝鮮は米中の傀儡政権だからな

>>806の言うように今の朝鮮人と三韓時代の朝鮮では
もうまるっきり別な民族っていっても過言じゃないだろうな。
814日本@名無史さん:2013/05/02(木) 02:51:42.86
東夷伝弁韓条
http://www.seisaku.bz/sangokushi/30_touiden.html
五穀や稲の栽培に適している。蚕を飼い、縑布を作る。
大鳥の羽根を用いて死者を送る。死者を天空に飛揚させるという意味である。
鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していた。市場での売買では、鉄が交換されており、中国での金銭使用のようである。
また倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていた。武器は馬韓と同じであった。
礼儀がよく、道ですれ違うと、すすんで相手に道を譲った。

「貴族は急ぐときも腰から上は平素のまま、足だけを小走りにして移動する」などを見ても
昔の百済は完全に、日本人の気質と似ているのがハッキリとわかる。



礼儀よく進んで道を相手に譲る民族なんて、日本人しか世界中にいない。
815日本@名無史さん:2013/05/02(木) 09:13:58.30
>>808
皆殺し政策をとらなかったんじゃなくて、現地人に服従したってことだろ
シナ大陸にD型Y遺伝子がないのは皆殺しにされたからだし。
816徐福 ◆JBaU1YC3sE :2013/05/02(木) 11:44:09.70
最新の鉄器文明を持った人間と先住民で後者が支配層になる可能性はありえないな
海の彼方から太陽の光に照りはえながらやってくる彼らを見て、縄文人は素直に神と信じた
そして、心から暖かく歓迎した。

本土での遊牧騎馬民族特有の虐殺により人間への疑心暗鬼に陥り
海を渡っている間は、新天地での戦いも想定していたであろう渡来者らも
現住縄文人の精一杯の食事や祭りに心をいやされ、彼らの持つ文化を伝え始めた

なんせ縄文文明はいまだ戦争を知らない。
人に害意を与えられた体験のない動物の純然たるまごころを知らぬものはおるまい
あのような心こそが日本人の本質であり、それは弥生時代千数百年近く、長い長い平和の時であったろう
http://www.youtube.com/watch?v=1Y2IkZULXo8
817日本@名無史さん:2013/05/02(木) 12:33:50.26
>>816
新モンゴロイドの増殖はあとの話だろw
万里の長城南下人種
818日本@名無史さん:2013/05/03(金) 17:53:26.13
イングランド王ウィリアム1世の発音

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/49/316.html

神武天皇の発音に極めて近いことがわかった。
819日本@名無史さん:2013/05/04(土) 15:09:28.37
秦氏って結局何者なの?始皇帝の子孫とか言われてるけど。
820日本@名無史さん:2013/05/05(日) 21:42:09.18
秦氏は本当に謎だな
完全に記録から消されてるというより、自ら歴史の裏に潜んだ気配すらある
821日本@名無史さん:2013/05/07(火) 10:03:03.20
秦氏の「秦」はおそらく「旗」。

北九州の海神信仰につきものだった旗信仰に繋がっていると見ている。
秦の始皇帝は典型的な出自隠しだろう。嘘はより大きい方が目くらましになるからね
822日本@名無史さん:2013/05/07(火) 22:00:09.65
>>821


波多
八太
波田
羽多
畑ムツゴロウ
823日本@名無史さん:2013/05/07(火) 23:04:29.88
20歳
824日本@名無史さん:2013/05/08(水) 00:33:55.64
波多野敬雄
825日本@名無史さん:2013/05/08(水) 07:26:43.99
シメオン族
826日本@名無史さん:2013/05/10(金) 23:29:05.80
秦sinは月
秦hataは火星
827日本@名無史さん:2013/05/11(土) 17:38:26.96
名無しさん@13周年 New! 2013/05/11(土) 17:32:06.48 ID:l4JF8ncM0
出雲大社の遷宮だそうだけど

出雲氏は不思議なんだよな 神代から出雲大社の祭祀をしてるのに
天照大神の子孫なんだよな
神を祀る側がその神の子孫じゃないってことはよくあるんだけど
古代の氏族が神武以降大和朝廷に組み敷かれて 大和系の豪族を受け入れた様子がないのに
なぜか天照大神の子孫
尾張氏も天照大神の子孫なんだけどこっちのほうは熱田に草薙の剣が来る前は
祖先である天火明命を祀ってたみたいだからそれぞれの祖先神の統合ってことなんだろうけど

出雲氏がどういう過程で天照大神の子孫を名乗り始めたのが気になる
828日本@名無史さん:2013/05/12(日) 01:49:20.22
アメノワカヒコが大国主に婿入りしてなかったかな?
829日本@名無史さん:2013/05/12(日) 09:04:02.39
>>828
うん 系図上はそうなんだけど
それが歴史的にどういう経緯をたどったか興味あるよね
830日本@名無史さん:2013/05/12(日) 09:12:19.47
>>828
出雲氏の先祖はアメノホヒノミコトだね
831日本@名無史さん:2013/05/12(日) 09:58:01.25
>>830
大国主に心服して家来になったと有ったが
婿入りしたのか乗っ取ったのか?
国譲り後にニニギから国造という役職を任せられた可能性も有る

出雲国造が天孫の家系を名乗ったのは有り得る話しだが
大国主も祀っているから融合の可能性が高いな
832日本@名無史さん:2013/05/12(日) 14:05:36.61
出雲氏=出雲臣族は元々大和側だと思われる。
出雲王家=出雲神族は国譲りで大和へ連行。後の三輪氏。
天皇家は大物主の祟りを怖れ三輪山に祀った。
同様に、出雲でも祀り続けたのではなかろうか。
統合された国の大王になるには、出雲神族を蔑ろにできない。
で、出雲族との政略結婚によって国を統治。
別格でありながら、三輪氏は、蘇我氏、藤原氏ほど目立たない。
天皇家に嫁入りさせてのし上がろうとしない。
もっと早い段階で天皇家と融合しているからだろう。
つまり、天皇家にとって出雲は元々は畏怖の対象であり
後々には母系の祖先としてリスペクトの対象となった。
833日本@名無史さん:2013/05/12(日) 16:52:49.88
出雲大社は国譲りをした大国主をお祀りしている
譲ってもらった側の出雲国造はアマテラスの系統

しかし、祭祀行事においては出雲国造は大国主として振る舞う

これは、当初、地元民の人心掌握のためであったであろうが、次第に
中央から分離し、自らが出雲国の主となったのではないか
834日本@名無史さん:2013/05/12(日) 19:54:54.20
>>832
>出雲氏=出雲臣族は元々大和側だと思われる。
>出雲王家=出雲神族は国譲りで大和へ連行
>>833
>次第に 中央から分離し、自らが出雲国の主となったのではないか

いつごろ大和側から出雲へ派遣されたかだよね
紀によれば崇神天皇のころには神宝渡す渡さないで出雲氏が内紛して
大和から介入受けてるから
それよりはるか前だろうね

大和朝廷傘下に各勢力が組み込まれて行く過程が
吉備や毛野みたいに皇別氏族が送り込まれるとか
尾張氏みたいに自らの祖先神を皇室の祖先神と習合させるとかだと
倭国の統一が進む様子が想像しやすいけど
出雲は複雑なんだろうね
835日本@名無史さん:2013/05/12(日) 20:06:56.24
初期に派遣したのは天孫であって大和では無いと思う
大和の初代が神武だし
アメノホヒもワカヒコも高天原から直接派遣している

崇神が出雲を侵略したのは間違いないと思う
その後は占領済みでもう大和が人を送る必要も無くなり
歴史に埋もれたのだろう
836走 ◆VWCBut9QG7q4 :2013/05/12(日) 21:03:13.85
今年は伊勢神宮の遷宮ですよ。
4月に行って来た。日本の神社の総元締めなんで大きいですね。
熊野、高野山も行った。熊野でなぎの葉っぱを頂いて財布に入れていたら
BIGで4千数百円も当たった。千円以上当たったのは30年ぶりくらい。
女房ももなんかのくじで1万円当たったって。これは鰯の頭も信心かな。
兎に角日本人には生活、文化、思想の中に神道が行き渡っていますからね。
海外で直ぐ日本人は宗教を持っていないと言います。
今私は次のように言います。「日本人はポジティブではありませんが
生活の中にシントーとブッディジムを持っていますと。
大概はお祝い事には神社に、死んだ時にはお寺に行きますと。
837日本@名無史さん:2013/05/13(月) 14:21:27.08
>>835
天孫族が出雲族を取り込んで「大和」が成立するわけだよな。

当時は機内まで出雲の勢力圏内で、大和の地には既に出雲族がいた。
諸説あるが物部も出雲族と考えていいのかな?
838日本@名無史さん:2013/05/13(月) 16:00:13.93
>>837
物部って後の橘氏=楠氏だよね。
839日本@名無史さん:2013/05/13(月) 18:05:01.59
記紀では天孫の天若彦(天雅彦)は大国主神に取り入って
娘婿(下照姫と結婚)となり天下の主たらんとした云々。

これは事実/史実だったかも。
国宝の海部氏勘注系図からは、
大己貴命(大国主神)と多岐都比売命の姫御子が天道媛命。亦名、高光媛命/手名屋乎止女(八乙女)。
が見え、
天孫、彦火明命(天之忍穂耳命と梯幡千千媛命(高皇産霊尊の姫)の第三御子)
に嫁いで天香語山命(高志神火明命/手栗彦)を産んでいます。
彦火明命のまたの御名は天火火出見命!(ホホデミ!)

この後に延々と続く華麗なる系譜は、どう斟酌しようとも紛うことなく何がしかの大王家のそれ。
(早い時期から葛城族とコラボ。本拠地は葛城高尾張。)

この系譜のおとぎ話が浦島太郎の物語の元ネタだと思います。
840日本@名無史さん:2013/05/14(火) 21:38:33.46
ギリシャ神話と記紀は似てるみたいな事聞いたんだが。
どうなの?
841日本@名無史さん:2013/05/15(水) 00:34:56.06
身内の争いと色事が良く出て来る天は似てるが
それ以外は似てない
842日本@名無史さん:2013/05/15(水) 01:35:50.19
イザナキとオルフェウスみたいな事を言ってるんじゃないの?
843日本@名無史さん:2013/05/15(水) 15:24:13.98
>>840
おそらく同根
竹内文書視点や占星術視点?でギリシャやエジプトの神話を読むと面白い
844日本@名無史さん:2013/05/15(水) 15:33:38.56
>>842
それだとポセイドンが海神でスサノオも海神だから似ているとか成り立つな
海神と太陽神の並立型も似ているかも
ゼウスも建御雷神も雷神だし似ていると言える

ギリシア神話は神々が争い、たまに人間に手を出しをしたけど神は消えたって設定
人間は土から生まれたw
ギリシア人はゼウスやアポロンやアテナの子孫ではない
ウーラノス→ティターン→クロノス→ゼウスと神も3回変わった

記紀では日本人は突き詰めるとイザナギの子のスサノオとアマテラスの子孫になる
スサノオが地上に降り子孫が国を作り、アマテラスの子孫がそれを奪った
根幹が大きく違う
しかも記紀はしっかりと纏められているから分かりやすい
ギリシア神話も纏めてあるが逆に何がなんだか分からん状態
似ているのかなあ
845日本@名無史さん:2013/05/15(水) 19:12:35.60
須佐之男命の一方の嫁さん(政略結婚)が大日霊女貴命/天照大神。
(日本書紀では本編ではなくソース不詳の「一書に曰く」で「何でも大日霊女貴命のことを世間では天照大神とも言うらしい。」と
後々に天照大神を女神と錯誤させるための小狡い手品の始まり)。
その様な伝承が確かに有った証が、須佐之男命と櫛名田姫命のハネムーンハウスの一つで
先立って八岐大蛇から櫛名田姫命を匿った場所と伝わる
島根県松江市の八重垣神社所蔵の中世に巨勢金村により描かれたとされる障壁画(国宝)。
中心に左側を向いた須佐之男命。右手に櫛名田姫命とその両親、足名椎と手名椎。
問題は左手。天照大神(♀)に連れられて来た幼少の市杵嶋姫命が再会した父親の須佐之男命に思わず走り寄っているのを、にこやかに見守っていて、遠来の母子を出迎えているかのような構図。

取り上げられる須佐之男命のご尊顔の絵はこちら様の障壁画のもの
846日本@名無史さん:2013/05/17(金) 02:43:15.66
>844
ウラヌス 天照朝廷
クロノス 鵜萱不合朝廷
ゼウス 神武朝廷
847日本@名無史さん:2013/05/17(金) 07:31:09.62
>>846
神武天皇ってトロイア戦争より最近の人物だぞ
848日本@名無史さん:2013/05/17(金) 15:00:54.86
>>847
とは言ってもミトラ教とかクロノスから神権が移動してるしな
ゼウスって名称も本来は天神を指すものだし神(笑)とかは明らかに創作だから
実際にゼウスって神も居た訳じゃないだろうからね

ゼウスをクロノス王朝の次の王朝と考えるとそんな当て嵌めになる
849日本@名無史さん:2013/05/17(金) 19:06:00.15
ゼウスがニニギの世代
アテナがアマテラス
850日本@名無史さん:2013/05/17(金) 19:12:10.29
正確にはアテナの元になった
アルテミスがアマテラスだな
851日本@名無史さん:2013/05/17(金) 20:02:23.40
>>849
でも山幸彦って洪水起こしてるしウラヌス扱いじゃまいか?
ニニギはカオス?
852日本@名無史さん:2013/05/17(金) 20:54:23.04
>>850
アテナはイメージ的に、戦いの女神で神功皇后だけどネ。
853日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:09:12.04
>>851
源氏=ティターン神族
平家=アルカディア神族
源氏・平氏で考えると
桃太郎伝説の四道将軍(7代:孝霊天皇と8代:孝元天皇の皇子)
崇神帝が、派遣したとされる四人の皇族将軍を
日本書紀の崇神九年九月九日
孝霊天皇の皇子の吉備津彦命と丹波道主命らを西海へ
孝元天皇の皇子の大彦命・武淳川別命親子らを東海に派遣。
の焼き回しの関係だけどね。
クレタ島のミノタウロス=午頭天王=スサノオ
854日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:10:52.00
ヤマトタケルは、スサノオの焼き回し
855日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:17:14.63
北欧神話のオーディンはゼウス的位置だけど、ロキのキャラはスサノオ。
856日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:45:47.89
>>854
大蛇退治 スサノオ
鬼退治 ヤマトタケル

で焼き直しとは言っても相手は違うけどな
スサノオ=牛=鬼
と驕る平家は久しからずな事になっちゃいましたよとも言えるw
857日本@名無史さん:2013/05/17(金) 22:20:07.50
みんな好きだなw

>>851
まあ流れから行くと
混沌→最初の神→天地創造→神々の時代→人と神の混在→英雄の時代→人の時代
こんな感じで多くの神話は流れる
ギリシア神話も記紀もこれはほぼ同じ、旧約聖書なんかも近いかも
つまり記紀は神話として完成度が高い方

ギリシア神話では圧倒的な力を持つ神としてゼウスは書かれているけど
ゼウスの時代は神と人が混在しているので時代的にニニギに該当し
記紀だと「(アマテラス+スサノオ)+建御雷神+天鳥船神」=ゼウス

山幸彦は人と神の間の子だしゼウス後のエピソードの一つ
ウラヌスは記紀だと洪水を起こせる海神(龍神)かな
858日本@名無史さん:2013/05/17(金) 22:51:47.84
>>857
プロメテウスでもありラーでもありウラヌスでもある

ぶっちゃけヤハウェってコイツだろ
859日本@名無史さん:2013/05/17(金) 23:28:33.49
>>856
鬼退治で家のルーツだと・・
桃太郎の大彦命・武淳川別命親子らと
嵯峨源氏の源綱だな。
860日本@名無史さん:2013/05/18(土) 09:51:16.22
ニニギを、ペルーの浦賀来航だとすれば、
あまりにも技術力が高く、文化の進んだ相手に、もはや戦う気力さえ失せて、無条件降伏。
なんてことはあってしかるべきなんじゃないのか?
ニニギは、中国の三国志時代だから、巨大な軍艦をひきいて錦の御旗を満帆にして、
天の羽衣を来たきらびやかな美女を従えて来たわけだし、次元が違うと思ったのだろう。

国譲りと言っても、驚くほどの出来事ではない。
861日本@名無史さん:2013/05/18(土) 19:52:56.59
ニニギは神話の時代
神武天皇は人の時代
神武の時代は三国志のずっと前
862日本@名無史さん:2013/05/18(土) 22:12:29.70
そしてカナン人と会ってヤハウェの宗教の元ができたりカナン人がフェニキア人と名乗り始めたり

ブラジルにあった古代フェニキア文字の碑文

 フェニキア人は紀元前に地中海で活躍した航海民族で、その文字は当時、海の商業民族の国際文字として使われていました。
そのフェニキア文字の碑文が、なんとブラジルで見つかりました(発見は1870年代初め)。
「パライバ碑文」といいます。内容は「私たちは商業の支配する都市シドンから来たカナン人。
私たちはこの遠い、山々を後に控えた海岸の地に投げ出され、ここでいと高き男女の神々に若者を供えものとした。…
(紅海に船出した後、アフリカをまわってその後2年間海上にいた…)…
私たち男12人女3人はこの新しい海岸に到達した。…」というものである。
 出航した年は前523年、碑文は前521年に書かれたものです。コロンブスの大西洋横断の約2000年前の出来事でした。
863日本@名無史さん:2013/05/19(日) 16:35:22.25
日本武尊/倭建命の幻像?は素戔嗚尊と第二神子とされる五十猛命がモデルでは?

五十猛命にかんして古紀古系譜で大変類似した御方が、
イタケ命と言われた天村雲命。
五十はこれで「イ」ともよむので五十猛命のモデルと思われ、
またイタケを倭建(イタケ)と書換も可能。
もう一つこの天村雲命には神武天皇のモデルなのかも知れないという疑惑の案件があります、
というのは九州に出向いて娶ったとされるお后さまの御名前が
なんと神武天皇の九州でのお后さまとほとんど同じで瓜二つ。設けた二方の御子の数も同じ。
864日本@名無史さん:2013/05/19(日) 17:35:48.86
>>863
五十はシュメール神話のエンリルが持つ数。
このシュメールの神々は位に応じた数を持ち、
またその持ち数は、バイキングの兜のように、
頭に被る兜のようなのに持ち数に応じた本数の角を付けて示した。
これが古代人には牡牛のような頭に見え、牛頭大王やスサノオが牡牛神とされた由縁では。
このエンリル達シュメールの神々が角を付けて頭に被っていたものに一番近いのは日本の武将達が被った兜なのかも知れない。
865日本@名無史さん:2013/06/01(土) 11:57:47.67
現代の大国主命=出雲充氏
大国主といえば、大黒様。日本に五穀の種と最新式の水田稲作を持ち込み、日本を豊葦原瑞穂の国に変えた。
出雲氏は、ミドリ虫(学名:ユーグレナ)で太陽光をバイオエネルギーに変える革命を起こそうとしている。
まさに大風呂敷。
国譲りとは、大化の改新、明治維新のようなものだで、日本の産業構造に一大革命をもたらし、高度成長のきっかけになったことは間違いない。
橋下のような、口先だけのクソとは違う。
866日本@名無史さん:2013/06/04(火) 01:58:21.57
やっと規制あけた

>>846
普通に

ウラヌス=イザナキ
クロノス=スサノオ
ゼウス =オオクニヌシ

だと思うんだがどうだろう。
867日本@名無史さん:2013/06/17(月) 00:11:50.89
アマテラス=アマデウス・モーツアルト
868日本@名無史さん:2013/06/17(月) 00:14:37.26
陽のあたる場所=テラス
日が照ること=照らす

偶然の一致ではないのです。
869日本@名無史さん:2013/06/17(月) 01:46:52.93
出雲国譲りってガチンコ対決を避けて連立政権作ったようなもんかな
ただし両雄並び立たずなので出雲側のトップは引退
閣僚クラスはかなりの数が入閣して後々まで影響力を維持したってことか
870日本@名無史さん:2013/06/17(月) 08:18:12.29
出雲人はオハグロするのか?
871日本@名無史さん:2013/06/18(火) 13:47:29.92
出雲は嫁を貰いまくって国を広げたんでね〜かな
872日本@名無史さん:2013/06/18(火) 14:06:56.71
大和朝廷は出雲に対してかなり配慮してる
特に宗教面で
武力で征服した他の地域とは扱いが違う感じがする
873記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(2+0:5) :2013/06/21(金) 10:38:28.10 BE:1368708645-2BP(333)

おれは、
天照は、皇室の神。
だから、国譲り以前の出雲系には太陽崇拝はない。

つまり、卑弥呼=日巫女が出現した時期は、すでに、国譲り以後。

という説が気になっている。
874記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(2+0:5) :2013/06/21(金) 10:43:17.77 BE:2874287467-2BP(333)

だが、
出雲には太陽崇拝がない、
大和には太陽崇拝がある、
とすると、出雲と大和は、まったくの別文化圏ということになってしまう。

そこが、難しい。
875記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(3+0:5) :2013/06/21(金) 10:50:59.30 BE:1094966944-2BP(333)

出雲と大和が別文化圏であったら、

出雲の神と大和が尊敬し祭ることはないだろう。
やはり、出雲を同じ国の正統な本流と見るから、出雲の顔を立てているのであり、
大和は、出雲と同じ文化圏にあった傍流と見るのがよいのではないだろうか?

つまり、出雲にも太陽崇拝はあった。
876日本@名無史さん:2013/06/21(金) 15:02:27.48
太陽信仰というと九州の日足紋を使うグループは
原始信仰の名残で使っていたと思われる
877日本@名無史さん:2013/06/21(金) 18:56:56.39
出雲は元々、「海」の信仰があったんじゃないかな?
スサノヲが先祖なんだから。
白兎の話とかもあるし。

大和と同列にするために、先祖(もしくは祭神)のスサノヲとアマテラスを兄弟にしたんじゃない?
みんな元は同じだよってことにしようと。

実は「月」信仰の第3のグループもいたとか・・・

あと、気になるのは八百万の神々信仰と、太陽崇拝のどちらが先にあったんだろう。
仮に八百万信仰が先なら、太陽崇拝か違うかで別文化圏とは言えない気がする。
878日本@名無史さん:2013/06/21(金) 23:19:33.74
八百万の神は古来からの日本の信仰
天照信仰は大和朝廷が広めた信仰
879日本@名無史さん:2013/06/22(土) 15:06:58.90
出雲の信仰は、古代シュメール文明の影響を受けていると思われる点が多い。
八百万の神とはシユメールの個人神と共通点も多く、
アッカド人の侵入でメソポタミアの地を追われたミュメールの王が造った国が出雲。
シュメールで最も高い地位にあった大腸神を持つ王が日本にやってきたので国を譲った。
というか先遣隊として大王を受け入れる準備をしていたのだろう。
880日本@名無史さん:2013/06/23(日) 09:34:16.75
イズモ族はユダヤ十支族が一
シオニズムと縁結び
881日本@名無史さん:2013/06/23(日) 09:37:26.03
縁結びの神社がシオニズムと縁が結ばれてまうとはこりゃあえらい難儀やなあ
882日本@名無史さん:2013/06/28(金) 18:11:25.43
初期の高地性集落は、大阪湾岸、瀬戸内海沿岸に多く、九州北部、出雲には少ない。
883日本@名無史さん:2013/06/29(土) 13:31:08.80
>>806
ニギハヤヒは渡来系だが、長スネは縄文人か
884日本@名無史さん:2013/07/10(水) 23:31:43.83
>>877
>出雲は元々、「海」の信仰があったんじゃないかな?

確かに日本神話ではスサノオは海を治めるとなってます。
宗像三女神はスサノオの娘だから、元々出雲系ですね。
これは出雲の勢力が宗像に及んだというよりも、
宗像の方が最初のスサノオの本拠地で、
北九州での権力闘争に負けて出雲に亡命したとする方がいいんじゃないかな。
885日本@名無史さん:2013/07/11(木) 00:02:23.89
スサノオはインドラ
牛頭天王って別名はヴリドラハンの事で
結局はヤマタノオロチ退治の事
886日本@名無史さん:2013/07/20(土) 10:20:34.55
ずんぐり型の弥生人に対して、足の長い縄文人。脛長彦は背が高くてハンサム、足も早いので戦いに有利で女にもモテたので子孫もたくさん作った。
縄文系の日本人は今でもモデルなっかやってるし、中田や本田のように海外で活躍するスポーツ選手も多いです。
887日本@名無史さん:2013/07/20(土) 12:27:47.20
海を治める、すなわち天を治める
あま、あめ
888日本@名無史さん:2013/07/25(木) 22:30:38.91
あまちゃん大人気。
邪馬台国は三陸だべ?
889日本@名無史さん:2013/07/25(木) 22:42:19.24
女王國東渡海十萬餘里復有國皆倭種
アメリカが倭人の居住地なら
890日本@名無史さん:2013/07/25(木) 23:12:29.38
東渡海千餘里復有國皆倭種に合うのは大分、徳島、三重、神奈川くらいしかない。
南至邪馬壹國の南が東で東至邪馬壹國だとすれば、東渡海でなく北渡海になり、大分、愛媛、香川くらいしかない。
さらに、又有侏儒國在其東去女王四千餘里、又有裸國黒齒國復在其東北船行一年可至、となる。
原文では南至邪馬壹國、又有侏儒國在其南去女王四千餘里、又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至。
891日本@名無史さん:2013/07/26(金) 12:33:36.93
http://www.escude.co.jp/product/kanosora/img/chara14.jpg
出雲の暗黒イメージは加速して行くだろう…
892日本@名無史さん:2013/07/26(金) 12:48:11.04
なんですかこの中二病キャラは
大国主?バカなw
どこかのドラクエの魔王さんでしょ
893日本@名無史さん:2013/07/26(金) 15:40:04.23
出雲国譲りをニニギより前とするのは完全に矛盾してる
ものの道理を考えれば小学生でもわかる
894日本@名無史さん:2013/07/26(金) 17:37:16.03
>>893

???
895日本@名無史さん:2013/07/26(金) 21:01:11.71
ヒント
大国主命はどこの誰に出雲を譲ったかを考えよう
896日本@名無史さん:2013/07/26(金) 21:59:47.79
高天原です
建御雷神に負けました
897日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:26:01.56
高天原は出雲と交渉していたのに、
なぜ、天孫を日向に天下りさせたのか
898サガミハラハラ:2013/07/26(金) 22:35:40.56
記紀のへんしゃの、日向の比定地が間違っているのです。
日向は宮崎県ではなく、福岡市西区日向(ヒナタ)なのです。
そうすると地理的な矛盾はなく、天孫降臨や神武の東征がすんなり理解できます。
899日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:49:06.79
まず高天原とかアマテラスとかは大和朝廷が作った空想の産物でしょ
だから出雲国譲りは大和朝廷が成立した後だってことは疑いようがない
天孫降臨→神武東征→大和朝廷成立→出雲国譲りの順に起きたってこと
もし、出雲国譲り→天孫降臨→神武東征→大和朝廷成立の順だと、
大国主命は出雲を大和朝廷ができる前に大和朝廷に譲ったとなって訳ワカメになってしまう
900日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:50:31.21
>>897
そりゃ、出雲がアジア全域の大王だったからだよ
もちろん今の中国は出雲の支配下

だから日向に天下りした
九州を中心に全アジアを支配した
901日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:54:24.76
日向は南アメリカ

出雲は中東
902日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:01:45.40
芦原中国とは
中国が領土だった言う意味である
903日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:08:58.04
>>902
山陰と山陽?
904日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:42:08.24
>>897
天孫降臨の時には畿内から瀬戸内海を通って日向まで畿内を中心とした緩やかな連合関係にあった。
その後に出雲は国譲りをしたが、国譲りの話は日向時代の話には無い。
そのころの日向の天孫は磐長姫を実家に突き返したり木花咲耶姫の不義を疑ったりでそんなことは与り知らないところ。
国譲りの相手は畿内。
905日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:45:39.99
そういえば、中国地方出身の空手家で芦原っておったな
906日本@名無史さん:2013/07/27(土) 12:45:01.91
譲ってもらったと言うには嘘っぱち。
圧倒的な力でねじ伏せた。
奪い取ったのは呉の孫堅の配下。
親魏倭王の政権が邪魔だったのだ。
そして呉の傀儡政権、大和が誕生した。
907日本@名無史さん:2013/07/27(土) 13:27:24.89
最初はもちろんガチンコ勝負に出た
だが力の差がそれほど大きくなく双方にダメージがあり共倒れになる可能性があった
そこで調停に動き、出雲勢の家臣の領土をある程度安堵するなどかなり出雲側にも十分受け入れ可能な条件とした
大和朝廷のその後の出雲への配慮は異常ともいえる
とても征服地に対する態度とは言えない
武力制圧ではなかった証であろう
908日本@名無史さん:2013/07/27(土) 14:13:09.57
そのころは怨念とか祟りとか信じられていたから
制圧された(そしてたぶん処刑された)国、王が大なほど大きな鎮魂施設で鎮めたと思われ
909日本@名無史さん:2013/07/27(土) 14:39:29.56
>>902
シュメール
910日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:10:55.52
なんの根拠もない思いつきだけどさ、
日本全体が一旦統一

分裂(大和と出雲とその他とかに)

再統一(大和王朝)
って学説とかないのかな?

古事記の流れに沿って、イザナギの代くらいまで統一されてて、
3兄弟の時代で一旦分裂して、
国譲りで再統一されたみたいな。

聞いたことないから多分ないんだろうけど。
911日本@名無史さん:2013/08/11(日) 07:50:47.16
>>899
大和朝廷統一の過程でそれぞれの神話が統合されたんじゃないかな?
高天原や天照は創作というより大和王家(皇室)の祖先神話で
大和朝廷の拡大に伴い出雲氏や尾張氏の独自の祖先神が天照に習合していったってとこでしょ
祖先神が同一になったので国譲りも天孫降臨以前ということになったんだろうね
本来は四道将軍くだりや出雲振根の話からも崇神天皇の頃に諸勢力が大和の軍門に下ったってとこなんだろね
912日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:23:19.49
>>910
日本レベルじゃなく世界レベルだと割とある

ヴィシュヌのアヴァターラとかの話


古来日本はミルキーウェイで中東と繋がっていた
913日本@名無史さん:2013/08/12(月) 01:33:32.69
銅鐸祭祀文化は出雲から畿内まで広まっていた。
そのゆるやかな統一体=弥生出雲王権は、鏡と矛を祭器とする侵入者によって脅かされた。
「天孫降臨」とは、このように弥生時代に半島から新たな勢力=天孫族が来寇してきたことを、本来指していたと思われる。
「国譲り」とは、元々は侵入者である天孫族に領土を割譲して居住を許したというだけの意味。政権を譲ったのではない。
914日本@名無史さん:2013/08/12(月) 01:40:29.33
天孫降臨と、アマノヒボコやツヌガアラシトの渡来説話は、
元来は同一の時期に起こった、ある程度共通性を持った勢力の来寇であったと思われる。
しかし、それらの勢力のうち一部のみがヤマトの王権へと発展したため、
自らの歴史は「天孫降臨」として描き、
その他については単に地方豪族の渡来説話として記紀に取り込んだのであろう。
915日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:58:39.22
天孫とは、シュメールの王家という意味でしょうか?
916日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:25:53.22
違います
917日本@名無史さん:2013/08/13(火) 14:47:49.95
>>914
そんなこといったら、何とでも言える。
アマノヒボコが渡来したのは、欠史八代の時代くらい。
918日本@名無史さん:2013/08/14(水) 16:00:27.66
     開化
      ├─────────────┐
T世代 祟神                @彦坐王         天之日矛(新羅王子)
       │                    │            │
U世代 垂仁                A山代大筒木真若王  多遅摩毛理(田道間守→但馬守)
       │                   │             │
V世代 景行                B迦邇米雷王      多遅摩比多詞
     ┌┴────┬───┐      │             │
W世代 五百城入彦 成務/日本武尊  C息長宿禰王─┬──葛城高額比売
     │               │              │
X世代 品陀真若王       仲哀 ┬─────D神功
     │                 │ 
     仲姫─────┬────応神    
             仁徳
919日本@名無史さん:2013/08/14(水) 18:42:57.47
>>910
最近の俺の妄想だと

イザナギ・イザナミ(北陸・東海〜九州まで支配)

三貴子(みはしらのうずのみこ / さんきし)に分割
アマテラス - 高天原(本拠、おそらく四国)に残留
ツクヨミ - 畿内に派遣・分国
スサノオ - 朝鮮に派遣・分国のち出雲に追放

天孫降臨 四国から日向に派遣、出雲・北陸も制圧
神武東征 九州から畿内へ(同祖ツクヨミの国を征服)

以上が一番整合性があるとおもう
920日本@名無史さん:2013/08/14(水) 19:40:31.20
高千穂で数万年いたって神話をどうしておまえらはなかったことにするわけ?
ホアカリばかも人物を抽象表現としてでなく、実在者として扱おうとするけど
どうして、一世代が数万年を生きたとか仮定するくせに、欠史世代は実はいなかったとか言うわけ?
武内宿禰とかは実在すんのか?
921日本@名無史さん:2013/08/14(水) 19:57:57.75
 
阿蘇山の噴火で九州以下西日本が壊滅したのは
何万年前だったかな

縄文人を弥生人が駆逐したというよりは
無人の地になっていた西日本に弥生人が入植した
というほうが納得できる

で、これは数万年も前の話なのか?
922日本@名無史さん:2013/08/15(木) 09:55:35.42
最大級とされる9万年前のaso4噴火では、火砕流の痕跡が山口にまで達し、
北海道まで厚さ数センチの火山灰層があるそうな。
923日本@名無史さん:2013/08/15(木) 13:17:19.51
「空白の4世紀」実年代化チラ裏=古事記の没年情報(※神功のみ日本書紀)

台与(235年〜?)…248年13歳で邪馬台国女王に共立/266年西晋武帝・司馬炎へ最後の朝貢
★三輪(佐紀)朝
10祟神(〜318年)…四道将軍派遣300年頃?
11垂仁(情報なし)…330年頃没?新羅王子「天之日矛」帰化、田道間守 、野見宿禰vs当麻蹴速
12景行(情報なし)…343年頃没?日本武尊の熊襲討伐・東征340年頃? 大臣・武内宿禰
13成務(〜355年)…国造/県主設置  
14仲哀(〜362年)
神功(※〜389年)…「旨」(石上神宮「泰和4年」369年銘七支刀→百済・近肖古王より「神功52年」372年贈呈)
★河内朝
15応神(〜394年)…「禰(でい)」
16仁徳(〜427年)…「讃」(413年/421年/425年)
17履中(〜432年)…「倭国王」(430年)
18反正(〜437年)…「珍」(438年)←没後朝貢?
19允恭(〜454年)…「済」(443年/451年)
20安康(情報なし)…「興」(460年/462年)
21雄略(〜489年)…「武」@(477年/478年)←「獲加多支鹵大王」…辛亥(471)年銘埼玉県稲荷山鉄剣+熊本県江田船山鉄剣
22清寧(情報なし)/23顕宗(情報なし)/24仁賢(情報なし)
25武烈(情報なし)…「武」A(502年)
★近江朝
26継体(〜527年)…「男弟王」癸未(503)年銘人物画像鏡(和歌山県隅田八幡宮)
924日本@名無史さん:2013/08/19(月) 15:20:37.74
>>899
>天孫降臨→神武東征→大和朝廷成立→出雲国譲りの順に起きたってこと
これは間違い

出雲国譲りではなく、チカラでねじ伏せ宝を奪い取ったと考えるべきでしょう
なぜならば、出雲神社に天皇が参拝できないが語っている
出雲国は、古文書に記述があるように宇宙人が創建、天孫降臨、宝物を出雲国へ手渡した

つまり、
出雲国創建→天孫降臨 、 大和朝廷成立→神武東征→出雲国譲り  となります
925日本@名無史さん:2013/08/19(月) 21:10:30.90
日本語でok
926日本@名無史さん:2013/08/19(月) 21:45:22.34
924
意味わからん
国譲りではないが、国譲りとなります
はあ?
927日本@名無史さん:2013/08/19(月) 22:13:57.35
その「日本語でおk」とか使う人を見るにつけ、
この人こそ本当に日本人なのだろうか?いつも疑問に思う。
まあ、それはいいとして、
ニニギは、どんな言葉を話していたのだろう?
現在の日本語に繋がる言葉を発していたのだろうか?
むしろ、古代朝鮮語もしくは新羅語を話していたのではないだろうか。
アメリカインデアンがアメリカ人の祖先ではないように、
今の日本人は、天照やニニギの子孫ではないのかもしれない。
928日本@名無史さん:2013/08/19(月) 22:39:55.12
>>927
歴史を1から勉強し直せよwww
929日本@名無史さん:2013/08/19(月) 23:27:20.17
>>927
なんというブーメラン
930日本@名無史さん:2013/08/20(火) 00:45:48.26
高天原には、天香久山、天安川、天岩戸があったんだろう?
こんな場所って、全国にも世界も一つの場所しかない。
現在の大和盆地の南部だ。
古代、大和盆地には、大和湖があり、その南岸にあたる場所。
現在の橿原市、葛城市、御所市のあたり一帯。
931日本@名無史さん:2013/08/20(火) 07:53:37.78
>>926
書き方が可笑しかった、申し訳ない

記紀表記の分解
出雲国創建→天孫降臨 、 大和朝廷成立→神武東征→出雲国譲り

正しくは、
出雲国創建→天孫降臨 、 大和朝廷成立→神武東征→出雲国から宝物を略奪

でした
932日本@名無史さん:2013/08/20(火) 08:10:09.59
>>931
大和朝廷は神武東征の後だな
ニニギは九州に降臨し九州に宮殿を建てた
これを大和朝廷とは言えない
933日本@名無史さん:2013/08/20(火) 08:31:30.66
>>932
それの詳細について、憲法改正後、某所にて詳しく説明します。
934日本@名無史さん:2013/08/20(火) 09:49:57.80
>>931はニギハヤヒが大和朝廷を作って、神武が横取りしたっていう説なんじゃないか?
たまにそういう変な解釈してるやつがいるじゃん
935日本@名無史さん:2013/08/20(火) 11:42:52.37
国譲りとは、武力で国を奪ったが疫病が流行ったりしたので祟りを恐れて出雲大社を建立して
出雲の旧支配層を神として祀り神話を作ったってこと
ほんとは武力で奪ったって誰もがわかってるのに、あえて出雲国から宝物を略奪とか書く意味がない
936日本@名無史さん:2013/08/20(火) 19:04:26.34
大和朝廷の前身が誕生したのは、出雲国譲りの直後。
その当時は、ヤマトという名前ではなく、タカマが王朝の名前だが。
場所は、現在の橿原市、御所市、葛城市一帯の地。
937日本@名無史さん:2013/08/20(火) 20:23:45.42
>>936
そんな小勢力に対して出雲が国を譲る理由がない
国力が10倍も20倍も違う
938日本@名無史さん:2013/08/20(火) 20:45:07.36
>>937
王都がそこにあっただけ。現在の橿原市、御所市、葛城市一帯だけが
畿内王権の版図ではない。

そもそも、出雲だって、そんなに大きくないぞ。
939日本@名無史さん:2013/08/20(火) 21:09:37.90
出雲には神無月と神在月の伝承が有る
日本中の神様が集まったのが出雲
畿内には無し
江戸には参勤交代がある

出雲で逃げた建御名方神は諏訪まで逃げた
つまりニニギの時代は諏訪も出雲の配下だろう
940日本@名無史さん:2013/08/20(火) 21:11:47.65
>>938
文脈から最初は勢力範囲のつもりで書いていたのは明らか
矛盾を指摘され苦しまぎれに都の大きさだと言い逃れしただけ
都だげだとすると今度は大きすぎる
滅茶苦茶
さらに、もし畿内一帯から出雲にかけて支配する国が出来上がっていたら
後から来た神武軍が勝てる可能性は全くない
941日本@名無史さん:2013/08/20(火) 22:21:18.26
全国に所在する、和泉、出水、泉、伊豆見、伊豆、蝦夷、江戸、江連、江副、夷隅、居住、墨絵、住之江、住吉・・みんな出雲の拠点。
942日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:44:33.98
>>940
神武東征の真実をつかんでないね、きみは。

あの戦争は、あくまでも畿内王権本国で起こったクーデター。
畿内王権初代倭王の天照国照彦ホアカリ命のご落胤だとなる
ニギハヤヒという人物を義理の兄のナガスネヒコが担ぎ出して起こしたクーデター。

そこに畿内王権の九州分家にあたるワカミケヌ(神武天皇)が
援軍の一つとして駆けつけただけ。

あくまでも、
畿内王家軍(ホアカリの後胤たち) VS 畿内謀反軍(ニギハヤヒ、ナガスネヒコ)
の戦いで、そこに畿内王家軍の援軍の一つとして、
ホアカリの弟のニニギの曽孫であるイツセ・ワカミケヌ(神武)軍が
かけつけただけ。
943日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:49:01.52
もともとは、出雲のほうが、畿内よりも大国だったんだろう?
沿岸部で交通網の発達した出雲のほうが、はるかに広範囲に勢力があったけど
徐々に、内陸部の高天(後のヤマト)が統一強大化して
両者の力関係が逆転した。

その時の高天の王のホアカリ命は、妃に天道日女命(出雲の大国主の皇女)がいて
大国主は娘婿のホアカリ命に国譲りすることで、勝負がついた。
944日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:52:36.47
>>942
記紀に行程まで詳しく書かれた神武東征を無視ですかw
九州から何年も掛かってるぞ
945日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:58:38.92
>>942
記紀を無視したそんなデタラメ説を誰が信じるんだ
自分のブログでやれ
946日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:00:38.00
>>944
九州から何年もかかった遠征なんて現実的ではないだろうw?
補給とか兵站を考えたら、もうむちゃくちゃw
つまり、これは、ただ単に、畿内王権の命令で、
地方官としての赴任地が変わっただけw

ワカミケヌの家系は、九州分家のニニギの後胤の中でも
宗家ではない。
ニニギの第三皇子の子孫だっただろう?たしか。

それで、ニギハヤヒのクーデターが起こったときは、
岡山に赴任していて、そこから援軍として駆けつけただけ。
947日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:02:29.80
とんでもない電波が1人来てるな
948日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:06:27.92
>>946
そのために、宇佐、岡水門、安芸、吉備と経由しているんだろう。

面白いと思うのは、どうして宇佐から直接、安芸に行かずに、
道草するかのように、岡水門を経由したのか。

吉備で三年(古事記では八年)もの間、長期滞在した理由は何か。
ということかな。
949日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:13:06.38
九州を追い出された神武は移住先を探してあちこち放浪してただけ
だから3年も滞在した場所があったりする
最終的に定住できたのが奈良だった
950日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:13:20.92
>>948
それらの地で、何の抵抗もなく平穏に経由できた意味を考えたら分かる。
神武東征のあった当時、畿内を中心とした全国政権があって
ワカミケヌらは、その畿内王権の王家の親族の地方官として
様々な地に赴任していただけだろう。

吉備は大国だし、そこで赴任が長かったんだろ?
951日本@名無史さん:2013/08/21(水) 05:15:29.37
>>949
劉備みたいに食客しながら国盗りできそうな地方を探してたってのが真相だろうな
952日本@名無史さん:2013/08/21(水) 05:19:56.87
畿内厨は日本の歴史に夢見すぎだな

ほとんど原始人みたいな生活をしてた時代だぞ?
古代においては北九州〜出雲がだんとつの最先端地域だった
なんでそれらをすっ飛ばして、畿内に中央集権的強大な国家が沸いてくると思うんだ

ここは記紀を素直に読んで、九州からゆっくりと畿内に文明が及んだと読むべき
神武はその歴史の動きの象徴みたいなもんだろ
953日本@名無史さん:2013/08/21(水) 05:21:00.02
>>951
自己レス
劉備の取った蜀と神武の入った奈良は地政学的に似た位置にあると思うんだな
どっちも辺境の内陸で広大な後背地を持ってる
(当時の日本列島の先進地域は出雲と筑紫)
954日本@名無史さん:2013/08/21(水) 08:20:03.90
>>952
原始人?
そりゃ九州は暑いから裸足で裸だろうか
北は縄文時代でもちゃんと服を着ていた、染料も確認されている

縄文ファッション
http://blogs.yahoo.co.jp/t_h_mackys179/62023551.html
http://coolsummer.typepad.com/photos/uncategorized/jyomon2005082401_1.jpg
955日本@名無史さん:2013/08/21(水) 11:42:34.46
>>952
農耕社会は揺るやかな進歩の時代だぞ。
近代は100年ほどでも、物凄く進歩した時代だけど
前近代は、古墳時代だろうが、鎌倉時代だろうが、江戸時代だろうが
貴族や庶民の生活も大して差がない。
邪馬台国の時代は基本、その後の平安時代や室町時代なんかと
そんなに大差がない。
956日本@名無史さん:2013/08/21(水) 11:44:15.31
>>952
先進国とか発展途上国とか国や地域によって経済格差ができたのは
英国で産業革命がおこった近代以降の話。
それ以前の農耕時代においては、国や地域によって経済格差はない。
957日本@名無史さん:2013/08/21(水) 17:10:43.08
出雲の国譲りという時、あたかも、出雲は丸ごと国を献上したように聞こえるけれど、実は違う。
秦の滅亡で土地を追われた王族に国を割いて建国を許したということです。
まあ、使っていない土地なので自由に使ってくれと大和の地を与えたわけです。
もちろん、先住民はいるので、支援はしますが、基本的に自分で成敗してくださいという条件で。
では、国を譲った出雲とは誰かというと、いわゆる、緩やかな意味での徐副集団。
譲った相手は、もとの主君である秦の始皇帝の子孫。ということなら全て辻褄が合う。
譲られた土地が咸陽と気候が似ている奈良盆地、つまり大和。
958日本@名無史さん:2013/08/21(水) 18:19:14.68
>>957
もう、とんでもはいらねw

出雲国譲りの真相は
出雲の大国主が、娘婿のホアカリ命(高天の王)に
出雲の勢力圏を譲渡したということ。
959日本@名無史さん:2013/08/22(木) 06:25:16.43
>>958
それ、トンデモだぞ
960日本@名無史さん:2013/08/22(木) 16:16:02.09
>>957-958
出雲の国譲りの真相は、宮内庁らが没収した竹内文書に記載されていると考えられる
961日本@名無史さん:2013/08/23(金) 21:24:14.88
劉邦の子孫は和邇吉士。
劉邦は客家。客家は古代ユダヤのルベン族末裔。
962日本@名無史さん:2013/08/24(土) 00:15:06.15
出雲神族の話は本当のことなの?
963日本@名無史さん:2013/08/24(土) 12:37:22.09
ここまでトンデモ説が出回るのは、
皇室の責任も重い。
964日本@名無史さん:2013/08/24(土) 14:22:34.29
徐副はchina本土を出航しなかったし、始皇帝に処刑されたものと思われる。
秦の王族などは処刑されたし、記されていない王族も項羽に処刑された。
城の住民すら皆殺しにする項羽が秦皇帝の親類縁者を逃すかずがない。
965日本@名無史さん:2013/08/24(土) 15:40:12.20
皇室だって昔の事は古すぎて覚えてないんだよ
でも昔の人は真実を書き残して居たと思う
天皇や天津神を始祖に持つ家系は
空から飛来して来た人の子孫だ
国津神と天津神が混じって日本が出来た

弥生系の渡来はは比較的最近の事で
国津神でも天津神でもない、ただの移民
966日本@名無史さん:2013/08/24(土) 15:58:53.52
国津神は縄文時代から続く族長の家系
967日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:37:52.07
学校の歴史教育であんまり古代のことしないからな。
だから、トンデモいう奴が続出する。
弥生人、縄文人という概念自体、いい加減なんだがね。
だって、土器の種類で民族や人種を分けるなんて暴論でしょう?

国つ神、天つ神の違いって、ヤマト朝廷を中心として考えて
外様=国つ神、譜代=天つ神ってぐらいだから。
渡来系というか帰化人は、諸番っていう。
968日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:46:48.22
弥生時代を水稲農業の開始ととらえるのなら
それは、今から3700年〜3300年前後の話だそうだ。
稲とか人の遺伝子は一定の期間で突然変異するらしい。
それを計算してみると、それぐらいになるそうだ。

ここ10年で歴博が水稲農業の開始を約3000年前にしていたけど
ジョジョに考古学と科学の間が差異がなくなってきた。

記紀神話にある天津神と国つ神の戦いなんて、せいぜい2000年ぐらい前。
日本で水稲農耕が開始されて1500年前後の時間が経過した時の
倭国の政治情勢が、記紀神話になった。
969日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:52:15.60
>>966
天孫や天津神が縄文の系統なんだよ
国津神は更にその前

日本の名字分類でも、皇別(天皇)、神別(天孫、天津神、国津神)、諸藩(渡来系)に分かれている
970日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:28:52.27
>>969
おまえ、勘違いしているけど

弥生=縄文+渡来だからな。
弥生は、縄文と渡来が混血だから、縄文の子孫でもあるんだよ。

というか、土器の種類で民族分けるのは、全く科学的ではないともいえる。

どっちにせよ、縄文から弥生への移り目が3500年前ならば
天津と国津の話は2000年前くらいの話であり、
日本が弥生時代に移行して1500年くらい経過した時代なんだよ。
971日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:51:16.69
>>970
ところが日本書紀で神武天皇は「天祖ニニギが天降って179万2470余年」と語っている
沖縄の天孫降臨伝説では天孫降臨から1万7千年経ったと伝わっていた
また弥生期は温暖だから山幸彦海幸彦のような現象は起きない

天孫降臨を2000年前だとすると全てが成り立たない
972日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:55:40.73
>>971
言っている意味が分からない。
理解不能。。。

もっと詳し説明してくれ。
973日本@名無史さん:2013/08/24(土) 18:25:08.99
>>972
ニニギが神武の曾祖父なら「179万2470余も昔」と言うと思いますか?
しかも山幸彦は580歳で没
国譲りが2000年前だとすると
海幸彦は西暦何年頃で死んだのは何時ごろでしょう?

国譲り→ニニギ降臨→海幸彦→→→神武東征
海幸彦までが神代、神武以降が人代
つまり国譲りと神武には壮絶な時間差があると考えられる
974日本@名無史さん:2013/08/24(土) 18:37:48.46
>>973
ああ、なるほど。そういう意味で言っていたのか...

ただし、自分はそうは考えず、忍穂耳〜神武までも、
普通の人間の時代として
適正年代で考えると、2000年くらいになると解釈しました。

神代、人代と明確に分けたのは、日本書紀からで、古事記では明確に分けてません。
そういう風な観点から、忍穂耳までは、普通に人の世として考えた。

ただし、それ以前の天照とスサノオはずっと前の神話と解釈しました。
というのは、忍穂耳以降は、性交渉によって子孫ができているのに
それ以前は、アマテラスとスサノオの誓約によって、刀から玉がでてきて、
忍穂耳や穂日になったという記述なので、
実質的に忍穂耳や穂日の兄弟から実在で
アマテラスは、彼らが敬う祖先神ぐらいの扱いではなかったのか?と思います。
975日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:09:43.86
神武が同時代に確かにそう言ったという確証があるならともかく
何百年も下った史書にそう書かれているからと言って
無批判に信用するのは実におりこうさんとしか言いようがない
976日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:13:22.80
あのさ...日本の姫氏(紀氏・松野氏・岸氏)達って須佐之男とかを祖神にしてるのね。
で、その祖先と云われる説のある周王朝は巨人の足跡を踏んで(アヌンナキ?)、
卵が産まれて農業好きの人気者に育った逸話があって、
更に遡った祖先は龍神から生まれて頭に角が二本ある牛頭人身(エイリアン?)の炎帝神農氏で、
赤い鞭で草木を叩いては薬効を調べたり市場(流通経済)を教えたりしてたけど、
この炎帝神農氏が須佐之男っぽくもある訳だ。

で、出雲やら古代天皇家やら物部やらニギハヤヒやらと何があった???
関係が分からん。
977176:2013/08/24(土) 19:23:09.08
>>975
だから沖縄の例も出した
檀君wも出そうかw
978日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:50:58.57
>>977
楽しそうで何より
いつまでもお元気で
979日本@名無史さん:2013/08/25(日) 09:23:53.11
このスレ的には神武天皇を「初代天皇」にしなければいけなかった理由って何だろう?

やっぱり中国皇帝の天帝思想に外交的に対抗するため、
日本の天皇の祖先も「神」にする必要があった?
980日本@名無史さん:2013/08/25(日) 09:35:30.09
>>979
畿内に移住したから新しい代になった
これだけ
981日本@名無史さん:2013/08/25(日) 09:57:14.89
>>980
そんなバナナ。
歴代天皇は何度か遷都してるけど、遷都だけで王朝交代のようなことが起こるのは有り得ない。
諸外国の例でもそうだけど。

なんかもっと別の理由があったように思う
なぜ神武天皇が「初代」でなければならなかったのか。
彼の父も祖父も、普通に考えたら先代天皇だ。
982日本@名無史さん:2013/08/25(日) 10:02:43.91
>>981
神武は遷都してないしw

たとえるなら戦後に功績を剥奪された皇族がブラジルに移民して
その子孫がブラジル皇帝になった
初代は誰かな
983日本@名無史さん:2013/08/25(日) 10:11:44.44
たとえがイマイチだったw

戦後に日本に見切りを付けた皇族が、家来を引き連れてブラジルに移民した
開拓を頑張り実力を付けた
次々と支配地を広げ戦乱を制覇
移民十世でブラジルの半分を支配し皇帝を名乗った

こんな感じだな
984日本@名無史さん:2013/08/25(日) 11:02:31.21
>>983

なるほど。
しかしそれならもっと直接的な話をしよう。

昔二人で国を共同統治しようとした兄弟がいて、
兄は奈良のあたりに暮らし、弟が火山の多い九州の高千穂くんだりに灌漑農業を普及させる旅に出たって感じでしょう。

時が移り九州組の子孫は熱心に火山地帯で灌漑工事や農業指導を続けていた。
すると何やら良くない噂を聞くことになる。
奈良の親戚さんが「俺達こそがこの国の王だ、従えい!」と圧政しているらしいじゃありませんか。

『あはー、こりゃーちょっと戻ってどうにかしないとマズイよね?』
というのが神武東征。つまり親族同士の戦いだよね?
985日本@名無史さん:2013/08/25(日) 12:12:00.89
>>984
おまえのトンデモ電波いい加減うざい
みんな迷惑してるから消えろ
986日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:14:48.77
ニギハヤヒとホアカリは別だとも言われている。
だとしたら、神武とニギハヤヒは同族ではないな。
神武と同族なのは、ホアカリのほう。
987日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:26:35.50
ニニギも大国主も渡来系の神だろう?
どこから来たかっていえば、そりゃあ韓国に決まっているだろうが。
ようするに在日帰化人集団。
988日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:32:20.78
>>987
その発想が大間違いなんだってば
989日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:37:25.14
ニニギとニギハヤヒは、同一人物だよ。
出雲の国と関係しているので後で。
ニニギ生誕の地が日本国内にある。
頭と尻をとって、神郷になる。
しかも、市町村の合併が許されない。

>>973
>国譲り→ニニギ降臨→海幸彦→→→神武東征

ニニギ降臨→海幸彦。  (千年の時間差) 神武東征→(出雲国の)秘宝強奪。
990日本@名無史さん:2013/08/25(日) 18:00:42.46
>>987
渡来系ならば、諸蕃というかカテゴリになっている。

ニニギは天津神、大国主は国津神なんだから、違う。
991日本@名無史さん:2013/08/25(日) 18:01:53.40
>>989
そんな説、初めて見たw
もう、何ともでも言えるねw
言ったもん勝ちみたいな。
992日本@名無史さん:2013/08/26(月) 00:36:20.58
>>181
> 彼の父も祖父も、普通に考えたら先代天皇だ。

普通に考えたら、ただの南九州の豪族の長だけど?
そっから一族郎党引き連れて、まったく未踏の奈良盆地に武装入植果たしたんだから、立派な初代じゃん。
まあ、神武の時点でも相変わらずただの奈良の豪族の長だったがな。
子孫がたまたま「天皇」になれたから、遡って初代の「天皇」ということにされただけだよ。
普通に記紀を読めば、誰だってわかるはずなんだけどな。
993日本@名無史さん:2013/08/26(月) 00:38:33.16
>>992
あれ?アンカミスったな
>>981へ、だ。
994日本@名無史さん:2013/08/26(月) 11:52:51.92
>>992
神武を畿内に先導したのは、神武の親戚たち。
つまり、神武が畿内に東征するより以前から、
神武の親戚たちが多く畿内在住で
そこで畿内の様々な地域で領主をやっていた。
995日本@名無史さん:2013/08/26(月) 13:32:34.23
946=950=984=994
こいついい加減しつこい
996日本@名無史さん:2013/08/27(火) 00:51:23.78
日本の深部
997日本@名無史さん:2013/08/27(火) 00:55:19.98
>>995
> 946=950=984=994
> こいついい加減しつこい

こいつの主張って、「徳川家康より以前から江戸幕府はあった」
くらいのトンデモだよな
998日本@名無史さん:2013/08/27(火) 12:52:04.09
ちょいと思ったんだけど、戦国時代の北条早雲でさえ何代かが一人で置き換えられたって説があるくらいなんだから、
神武とか100年以上生きてる人も数代にわたっている人が一人になっただけなんじゃないかと。

あと、昔の暦が半年で一年だったっていうのはどのくらい信憑性があるの?
999日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:02:33.22
>>998
魏志倭人伝によれば、当時の倭人には百歳以上がざらに居たらしい
種まきと収穫をもって年とすると書いてある

記紀に書いてある初期の天皇の寿命が長い
古事記と日本書紀で没年齢が二倍違う天皇がいる

とりあえずこれぐらい
信憑性はありありだよ
1000日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:17:21.00
>>999
なるほど。
ありがとう。

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