【隼人司】畿内隼人【隼人舞】

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33日本@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN
温泉権不正集金の黒岩容疑者
34日本@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN
隼人は海幸、海人。
山幸、山人と戦い、従い、後に一部は神武に率いられて東征していった。
35日本@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN
神武の息子タギシミミが2代綏靖天皇との皇位争いに敗れた。
隼人たちはタギシミミ側についただろう。
そして敗れた。
以降、過酷な運命が待っていた。
「橋のない川」の舞台は敗残隼人の地。
36日本@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN
100%タギシミミ側だったと思われる。
男系としてはどちらでも良いのだが、海幸系としてはそうはいかない。
タギシミミが討たれた事は海幸系としては皇統への姿勢が真逆にひっくり返る出来事だったはず。
37日本@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
インドネシア、ケイ諸島の神話

昔、三人の兄弟が二人の姉妹とともに、天上に住んでいた。
ある日末弟のパルパラは長兄のヒアンから借りた釣針を使って、雲の海で魚釣りをしているあいだに、魚に針を取られてしまった。
パルパラが帰宅すると、ヒアンは激怒し、何としてもなくした針を取り戻してこいと要求した。
パルパラはしかたなく小舟に乗って雲の海に潜り、方々探しまわっていると、そこに一尾の魚が現われ、彼の苦境に同情して、助力を約束した。
そして、ひっきりなしに咳をしている魚を見つけて、その喉からパルパラのなくした針を抜き取り、彼に返してやった。
帰宅したパルパラはヒアンに針を返した後で、無理を言って彼を苦しめた兄に仕返しをするために、ヒアンの寝床の上に、椰子(やし)酒が入った竹筒を結びつけ、兄が起き上がるとひっくり返るようにしておいた。
そしてヒアンが酒をこぼすと、その酒を元通りにして返せと要求したので、ヒアンは困って、酒が沁みこんだ地面を一生懸命掘って行くうちに、とうとう天に穴があいてしまった。
兄弟たちは、下の世界に何があるか知ろうとして、犬に綱をつけて穴から下界に下ろし、また引き上げてみると、犬の足に白い砂がついていたので、下界にも住める陸地があることがわかった。
そこで彼らは、下界に移住する決心をし、四匹の犬をともない、綱を伝って下界に降り、地上の人類の祖先となった。
ただ姉妹の一人は、このとき降りる途中で兄弟に下から見上げられたのを恥じ、綱を動かし天界の住人に合図して、また天上に引き上げられてしまった。

隼人は天孫
天=海
38日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
1932年生まれの東京大学名誉教授笹山晴生は、1975年の著書「古代国家と軍隊」に、次のように述べてある。(2004年刊 講談社学術文庫より 96頁)

 『隼人は九州南部、大隅・薩摩地方に住み、大和政権から異民族と考えられていた人々である。かれらはこのソバカリのように、古くから大和政権の軍兵として、あるいは王族の護身として、東北地方のエミシとともに利用されていたらしい。

 異民族を軍隊に組織し、権力の保持にあてることは日本に限ったことでなく、ローマなどの場合にも見られることである。

 辺境で粗野な環境にある人々が武力的にすぐれているということは、おそらく一般的な現象なのであろう。

 しかしまた異民族の武力としての特質は、専制者にとって、他の氏族や階層などからの制約を受けずに手兵として自由に駆使しうる、体制外(アウトサイダー)の武力だったことにある。

 異民族のほうも自分の係累のないところで、その腕をふるうことができる。

 凶暴な傭兵としての異族の優秀性は、そのようなところから生まれてきたのであろう。

 人にたのまれて王を殺し、自分もまたあっさりと野良犬のように殺されてしまった隼人ソバカリの話は、このような異民族の傭兵の悲哀を象徴しているように思われる。』

 通説的に説かれてきた「賎視される隼人野族」観に基づく「隼人論」で、「ソバカリ」はその象徴的な人物と取り上げられている。東京大学教授のこんな「高邁なご高説?」に接すると、昭和の、あの南島や沖縄戦の悲惨さも、

 こんな人間観?で教育された「日本の指導層」が浮かび出て、嫌悪を覚えずにはいられない。
39日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
というか神武自体が隼人の血を引いてるのだろ。
系図的にも祖父の代で血が繋がってたはず。
熊襲や隼人の反乱というのは、
皇統において自分たちの血が薄れていく事への反抗であったかもしれない。
タギシミミが2代天皇になってたら全然違う歴史になってただろう。
40日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
紀元前の北海道人がアイヌではないように、
神武天皇の時代の南九州人も隼人ではない
41日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
>>40
呼称の問題で人種的には変わってないでしょ。
隼人も熊襲も同じかな。
42日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
雑すぎ
43日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
雑ったって隼人と熊襲の違いなんて誰もわからないでしょ。
平城宮の隼人の盾とチプサン古墳だったかの絵画が色彩的によく似てる。
44日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
隼人の血をひいてるとは書いていない。
弟の海幸が隼人の祖になった、つまり隼人と皇統は同祖だとは書いてある。
45日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
海幸彦(火照命)は長兄だよ
46日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
天皇家のルーツを人類学的に探るスレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1371406235/l50
47日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
>>46
最近テレビに出てる竹田恒泰さんのY染色体を判別できれば話が早いのだがなw
48日本@名無史さん:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN
海幸と山幸は各々の道具を交換する。
山幸は海幸の釣針で一の魚も得ず、さらに海に失う。
海幸怒りて曰く俺の釣針を返せと。
山幸は剣を釣針にしてたくさんの釣針を作ったが、海幸は本の釣針に非ずと受け取らず。
山幸が泣いて海辺に居ると…
…山幸が海神の教え通りにやると海幸貧窮して荒き心を起こし攻め来たり。
山幸は海幸を鹽盈珠で溺れさせ、鹽乾珠で救った。
海幸「私めは今より以後あなたの昼夜の守護人として仕え奉らん。」
49日本@名無史さん:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN
海幸と山幸って、エピソードの冒頭にしかでてこない表現だから、名前っぽくない
50日本@名無史さん:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN
タギシミミが討たれたから隼人が抵抗勢力と化した
51日本@名無史さん:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN
時代が違うだろw
52日本@名無史さん:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN
タタライスズヒメの前の嫁御のアイラツヒメの親父殿は隼人だったのかな
鹿屋のあたりにも伝承があるみたいですが
53日本@名無史さん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN
高天原って阿蘇だと思うけどな。
日向に近い、高い天の原だからぴったりだ。

ただ、記紀にそう書かれてないのは、
景行天皇の時に熊襲征伐してるわけだが、
祖先の土地を征伐に行ったという不義理で恥知らずな事を、
後世に残さない為じゃないかな。

したがって高天原の場所を濁した。
俺はそう考えてるけどね。
54日本@名無史さん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN
>>53
根拠が
>日向に近い、高い天の原だからぴったりだ。
これじゃあ、ねえ
55日本@名無史さん:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN
阿蘇に近い高千穂峰や天岩戸伝承があり、古来そう考えると人は多かったということでしょう


考えたんですが、北部九州政権で政治対立が起き、吉野山の南朝のごとく阿蘇山麓に逃げ込んだ勢力がいて、
日向より大和に進出して、大和を拠点にやがて九州を再征服した

源頼朝や小田原北条氏を考えても西側出身の者が流れ着き、最初は勢力はなかったが、
徐々に地元豪族の支持を得て基盤を築いた
56日本@名無史さん:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN
歴史は繰り返す
薩長が江戸幕府を倒し、新政府ができ、薩摩は海軍の主力となったが、
薩摩で旧勢力の反乱(西南戦争)がおき、討伐の対象となる
57日本@名無史さん:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN
>>55
>日向より大和に進出して、大和を拠点にやがて九州を再征服した

いやニギハヤヒとかの伝承を見る限り、
北部九州の方が先に畿内入りしてるでしょ。
58日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
なほ、奈良時代初期の時点で、天孫降臨の地は臼杵か曽於かわからなくなっていた模様

日向の國の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(=高千穂)の郷。天津彦々瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。
時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色別き難たかりき。
ここに、土蜘蛛、名を大くわ・小くわと曰ふもの二人ありて、奏言ししく、
「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ」とまをしき。

風土記ノ心ニヨラバ、皇祖?能忍耆命(ほのににぎのみこと)、日向ノ國贈於ノ郡、高千穗ノ漶生ノ峯ニアマクダリマシテ、
コレヨリ薩摩國閼駝(アタ)ノ郡ノ竹屋ノ村ニウツリ給テ、土人、竹屋守が女ヲメシテ、其ノ腹ニ二人ノ男子ヲマウケ給ケルトキ、彼ノ所ノ竹ヲカタナニツクリテ、臍ノ緒ヲキリ給ヒタリケリ。
ソノ竹ハ今モアリト云ヘリ。此ノアトヲタヅネテ、今モカクスルニヤ。
59日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
ニニギの死後、
子らの権力争いが海幸、山幸の話に投影されている。
日向の山地は貧しいので、水産物の豊かな海岸沿いを与えられた兄に対して、
弟がそこを奪って服従させた。
それが隼人として、後々まで仕える。
同族として考えなければ、草創期間もないヤマト王権の親衛隊に任じられることはない。
60日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
海幸って釣り針のことで、山幸って弓矢のことなんだぜ
名前じゃない
61日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
宮崎県南の方では余興で弓で的を射ることがある(あった?)ようだ
薩摩が攻めてきたら百姓も総出で撃滅するぞ!と酒飲みながら
わざと当て難い弓にして正月とかの大人の遊びでやっていたらしい
62日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
座ってやるというやつですか。
63日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
>>61
飫肥の四半的(しはんまと)?
64日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
65日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
>>63
そのことだろうね。
66日本@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN
神武天皇が即位したのは今の橿原神宮ではない。
あれは明治新政府が強引にあの地に建てた。
実際に神武天皇が即位したのは御所市柏原という有力な説があるが、
その御所市柏原のすぐ東に、高取町「薩摩」という地名があるのな。
知ってた人いる?
67日本@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN
高取町には薩摩の他に、土佐、吉備といった国名地名もある。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_03_31.htm
68日本@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN
奈良盆地の地図を見ることがあるから気付いとったよ
美濃とかもあったんじゃなかったっけ
69日本@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN
鹿児島に肝属郡串良町ってあるけど、
奈良盆地にも御所市櫛羅(くじら)って地名がある。
串良・櫛羅の語源はクジラだと思うのだが、
海のない奈良にクジラって変だ。
でも櫛羅が麓にある金剛葛城山系は、
奈良盆地から見れば大きなクジラのように見えるのだ。
この櫛羅も隼人ゆかりの地名だと思う。
70日本@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN
串良の割合近くの串間というところは櫛間と書いた
櫛は呪術的な意味を持っていて墓に埋葬されもした
意味は自分(生者)の分身を死者に持たせることだろうか?
離別と親和性が高いアイテム
また櫛は奇しに通じて神秘的とかそんな意味を持ってる
あんま関係ないか…
71日本@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN
以前、私も不思議に思って葛城山に登り四方を見渡したが、見えるのは大阪湾か
奈良盆地だった。しかし、九品(くぽん)寺からは櫛羅が見えた。櫛羅からは葛の山が見えた。
このあたりはクジラみたいに水が噴出でもするのかな。櫛、葛(藤)って水の湧出の事だから
今考えてみると本当にクジラを連想してつけられた地名だった事が分かった
72日本@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN
くじらのように見えそうだ
ttp://goo.gl/maps/HIOTD
73日本@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN
クジラの語源も櫛(尖った物)で仕留めることからではないか?
74日本@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN
宮崎って南部と北部で顔立ち違うね。
おいら九州系関西人なんだが、
北部は関西によくいる顔立ちが多いよ。
75日本@名無史さん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN
隼人ってルーシのワリャーグみたいなもんか
76日本@名無史さん:2013/09/17(火) 22:30:38.40
77日本@名無史さん:2013/12/28(土) 09:50:17.55
>>52
>アイラツヒメの親父殿・・・・・・・・・・・・・・
狭野こと後の磐余彦の妻で多芸志美美、岐須美美の母阿比良比売の実家
阿多之小椅君のことだね。「阿多之」というからには、薩摩半島西岸に
播踞しておった阿多隼人族の酋長だったのかな?
78日本@名無史さん:2013/12/28(土) 22:22:00.91
平安時代に廃止されたり、いつの間にか消え去ったり、
廃止されてないけど誰も任命されなくなった官司は多いのだが、
なぜかちゃっかり生き延びた隼人司。
隼人正はともかく、12世紀辺りでも隼人令史までちゃんと任命されてるもんな。
隼人を従属させている形式にそこまで重たい意味があったのだろうか?
まあ、楽人の府生のすぐ上、官人最下位肩書きに過ぎないんだけど。
79日本@名無史さん:2014/10/04(土) 12:23:47.23
隼人が厚遇されたのは訳ありなのかね
天皇の一族とか対支那を睨んでとか一つ一つそれだけでは疑問に思うが一緒になると説得力を持つ
単に反乱を起こすだけじゃ理由にはならない
80日本@名無史さん:2014/12/23(火) 17:54:16.97
隼人族は大和に九州で一早くついた
それにより日本神話に隼人は組み込まれた

今でも熊襲が悪名であるのに対して、隼人は美名であり男らしさや勇敢さを表す程に
81日本@名無史さん:2014/12/28(日) 05:56:17.14
土方歳三
父母 父:土方隼人、母:恵津
本人の偽名は内藤隼人

隼人は武蔵の国に生まれた人も使う名前
82日本@名無史さん
「隼人」という名前は、隼人司の官職名に由来する名前だから、全国の人が使うさ