先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@

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1大室寅之スレ
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。

先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
2日本@名無史さん:2011/01/10(月) 14:30:36
dna データベースを作って比較する。
現存する歴史上の遺体すべてと全国民のデータを保存する。

最終的には復元し、比較する。
3日本@名無史さん:2011/01/10(月) 20:10:06
前スレにもどれ
4日本@名無史さん:2011/01/14(金) 10:31:30
ここは水呑み百姓スレか

武家、大店は養子が常識
5日本@名無史さん:2011/01/20(木) 01:41:38
つまり、ヨーロッパ風に、俺ー父ー祖母ー曾祖母ー高祖父とかそういう血族もok?
6日本@名無史さん:2011/01/25(火) 11:04:17
みなさんに質問ですが
私の高祖父の父は1844年に満19歳のとき満13歳の女の子と結婚してますが
こんなロリコン当時は許されてたのでしょうか?
7日本@名無史さん:2011/01/25(火) 12:16:17
前スレにもどれ
8日本@名無史さん:2011/01/28(金) 15:12:30
僕のご先祖様は戦の途中で嫌になって農村に逃げ込んでそれ以来農民になった。
鎌倉時代前に農民に紛れちゃったから財産は残ってない。惜しかった。
でも元々はかなり身分が高かったことを親父から聞いて誇らしく思ってるよ。
本当は身分が高いから江戸時代から名字があったし立派な家系図もある。
従兄弟が医者になったから名家ってことがよくわかるようになったし。
なんていうか僕って庶民とは違う感じがあるんだよね。
そういうのってやっぱりあるんじゃないかと思うし実際あるよね。
9日本@名無史さん:2011/01/28(金) 16:44:18
>>5
つまり、
天皇家でいうと、今上天皇−昭和天皇−九条節子−野間幾子−野間頼興
近衛家でいうと、近衛忠W−細川護貞−池田博子−島津充子−島津忠義
徳川家でいうと、徳川恒孝−松平一郎−鍋島信子−広橋栄子−広橋胤保
ってとこだな。
10日本@名無史さん:2011/01/28(金) 18:47:54
>>10
そんでもって次世代なら
徳仁親王−今上天皇−久邇宮良子女王−島津俔子−島津忠義
近衛忠大−近衛忠W−近衛温子−毛利千代子−毛利高範
徳川家広−徳川恒孝−徳川豊子−島津正子−島津忠義

おそるべし島津忠義w
11日本@名無史さん:2011/01/30(日) 20:30:26
みんな自分の高祖父までしかわからないだろ
12日本@名無史さん:2011/02/08(火) 06:57:20
高祖父って自分の祖父の祖父=四代前?
うちは4件分さかのぼったがいずれも除籍謄本で五代前までわかったぞ
ちなみにその先の調査で一件は十代前(江戸初期)、
もう一件は鎌倉時代までさかのぼれましたw

友人も江戸や戦国からわかってる家系多いかも(住んでる地方は様々)
13桓武から万世一系w:2011/02/14(月) 18:09:19
血のつながりなければ自分の先祖とはいえない。よって戸籍が残る5代前までしかわからんw
14日本@名無史さん:2011/02/14(月) 23:47:44
前段と後段に何の関係が有るのかまったく分からん。
15日本@名無史さん:2011/02/15(火) 00:39:09
自演スレッドの典型だな
16日本@名無史さん:2011/02/16(水) 17:41:49
>>6
徳川家茂と和宮ちかこもそんくらいじゃなかったっけ?
勘違いかもしれないが
よくわからないけど普通じゃない?
17日本@名無史さん:2011/02/16(水) 18:31:54
>>16
徳川家茂と和宮親子内親王が江戸城で婚礼をあげたとき、
両者はともに17歳だよ。
家茂と和宮は同い年の夫婦。両者とも誕生日が分かるが、
誕生日が2週間しか離れていない。
和宮が家茂よりも14日だけ早く生まれている。
18日本@名無史さん:2011/02/17(木) 00:40:56
>>17
何かで和宮13、家茂19と見たんだよな
勘違いすみませんです…
↑はなんだったのかググってきます…
訂正ありがとうございました!
19日本@名無史さん:2011/02/17(木) 01:05:27
あのさ、さかのぼるっていうか、普通にきちんとした家系なら、家系図もあるし、
墓みりゃ一目瞭然でわかるだろ。
俺に関して言えば、家系図が二十何代分残ってるし、墓みりゃ先祖代々十数基残ってるから戒名までわかる。

つーか、これすら簡単にわからないやつの先祖なんてさかのぼらないほうが身のためだろww

20日本@名無史さん:2011/02/19(土) 17:42:29
ほー、なるほど
21日本@名無史さん:2011/02/20(日) 06:34:58.37
>>19
捏造?苦労してるんだね。
22日本@名無史さん:2011/02/20(日) 10:59:50.57

血統厨はハエかネズミかエンドウ豆の研究でもやれwww

23日本@名無史さん:2011/02/20(日) 11:43:50.72
別にヒトでやっても良いんじゃね?
24日本@名無史さん:2011/02/27(日) 23:48:15.34
除籍謄本を遡ってみようと思うんだけど、それって親子の繋がりしか分からないの?
例えば、曾祖父の兄弟とかは調べる方法はある?

あと、調べる流れなんだけど、うちの場合は曾祖父が他県からの移住なので、とりあえずは曾祖父の除籍謄本を入手して、そこから元の土地でその先を調べていくと良いのかな?
25日本@名無史さん:2011/02/28(月) 00:19:17.43
俺の親には両親が二人。その祖父母達にも両親が二人。
俺の三代前の先祖は八人。その八人にも両親がいる。
六代前だと六十四人。それぞれ二十五歳で子供を生んだとして六代前が百五十年前。
十代前だと二百五十年前、先祖の数は千二十四人。
二十代前だと五百年前、つまり戦国時代突入前。先祖の数は百四万八千五百七十六人。
遺伝子は両親から受け継ぐ。男系だけの遺伝でもなければ長男と次男の区別も無い。
二十代前の百万人からたった一人からの流れだけを先祖とする。
これに価値を見出す科学的根拠が無い。
26日本@名無史さん:2011/02/28(月) 00:31:09.24
そういう人はこのスレ覗かないほうがいいよ。
みんな「生物学的な血の繋がり」に興味があるのではなく
イエ(一族)の歴史を知りたいんだ。
その区別がつかないのなら歴史に手を出すのはよしなよ。
27日本@名無史さん:2011/02/28(月) 00:42:23.51
>>25
科学的には無いだろうが人文的にあるだろう。
多くの国や社会、時代に、父系を基本とした相承文化は見られるわけで。
科学的根拠が無いから無価値、ってのはちょっと淋しいよ。
この前森卓が、「記念日なんてのは無意味だ。暦的にはうるう年の分だけズレてるわけだから」
とか言ってたけど、ちょっと淋しい意見だと思ったなあ僕は。
28日本@名無史さん:2011/02/28(月) 01:48:37.20
霊能力者が「貴方の先祖の業が貴方に災いをもたらしている。供養のため壺を買いなさい。」と言ったとする。
その先祖が戦国時代の人だと言われたなら貴方は供養すべきだろうか?
先祖との因果を一本の線として捉えると霊能力者の言葉に説得力を覚えるかもしれない。
29日本@名無史さん:2011/02/28(月) 04:38:54.05
>>25
なんねぇよ、バカ
30大室寅之生活スレスレ:2011/03/06(日) 16:46:01.56
age
31日本@名無史さん:2011/03/06(日) 20:07:12.05
みんな何処かで同じ先祖を共有してるんだろう。
32日本@名無史さん:2011/03/08(火) 22:25:36.46
古来から在る家って大体が渡来人の関係なんだよな。
藤原・大江・秦等、天皇家の周りは渡来人ばかり。
33日本@名無史さん:2011/03/16(水) 06:01:48.58
イエの歴史を語るといっても、祖父母の生まれたイエなんかは
自分と濃厚に繋がっているものだよな。
子供は母親に育てられるものだから、母方の家風に影響される。
母親に影響を与えたのは母方の祖母。
俺自身、母方の祖母の家系に強く影響を受けて育った。
だから母方の祖母の一族への同族意識が強い。
もはや父親の家系の歴史だけを受け継ぐ時代じゃない。
自分を構成する4血統くらいは視野に入れてもいいと思う。
34日本@名無史さん:2011/03/16(水) 12:02:06.29
庶民が墓をもつようになって先祖を意識するようになったのは江戸時代から。
幕府が政策としてキリシタンの取り締まりと戸籍作成の手間を省くため、
すべての国民をどこかの寺の檀家として登録するように義務付け、
人が死ねば寺が葬式を取り扱うようになり、埋葬する墓を管理するようにしたからだ。
古い家では江戸時代ごろからの墓石が残る家もあるが、たいていは男系しか遡ることができない。
遺伝子は両親から受け継がれ、母親からしか受け継がれない(ミトコンドリアなど)もあるにもかかわらず、
墓を守るのは長男から長男への役割で、女系による相続がされなかったためだ。
庶民に関しては、江戸時代に寺受け制度が始まるまで先祖という概念はほとんどなく、
人が死ねば葬地へ持って行って風葬が当たり前だった。
35日本@名無史さん:2011/03/16(水) 13:14:33.92
つまり、女系は先祖としてカウントしないものだった。
しかし、それは現代では事情が異なるのである。
36日本@名無史さん:2011/03/16(水) 16:30:39.08
>>33
そういう人は「家系の歴史」という概念を捨てた方が早いと思う。
なぜなら、あなたがおっしゃってるように、祖父母にもそれぞれ両親がいるのであって、
「4血統」ってのはあり得ないから。
37日本@名無史さん:2011/03/16(水) 17:59:19.19
迷信だけど『男は女親に似る、女は男親に似る』ってのがある。
その場合、貴方が男なら母親に似ている割合が高い。
貴方の母親は男親、つまり貴方の母方の祖父に似ている割合が高いことになる。
すると貴方は二代前の先祖四人の中で母方の祖父から受け継ぐ遺伝子が現れやすいってことになる。
これが女なら父親似、そして父方の祖母の流れに入る。祖母はその父親似でループ。
実際にはそんな統計は無いとは思う。でも人間の体感が迷信を生んだとすれば遺伝的には女系が強く出るのかもしれない。



38:2011/03/16(水) 18:54:09.57
>>26
うちの場合のようにムチャクチャな破綻した人間(自分でいうのもオカシイが)どうなっちゃうの?

以下
>>親や祖父母の住所が本籍地というのならわかるが、 縁もゆかりもない、赤の他人

戸籍謄本なんてどこまでホントかわかりゃあしないって。うちのおやじ昭和20年生まれ
で戦争のどさくさに生まれてきて知らなかったけどうちのじいさんバツ一らしい。
〇〇家から児玉家の養子に入って子供が生まれた。だけどその子は爺さんの子ではなかった。
爺さんの嫁が彼女の「おじ」さんにレイプされて生まれた男の子でじいさんと血のつながりがなかった。
さいわいその子は若くして病死し奥さんも病死して爺さんが離婚し〇〇家に戻って今のばあさんと再婚して
父が生まれた。さらに僕には20歳の時彼女を妊娠させて今中学3年生になる隠し子が横浜の本籍地に
いるけど苗字は〇〇家ではなく真田××という苗字になってるが戸籍上は彼女と今の彼女の旦那の間の子ということになってるし
戸籍なんてどこまでホントかわかりゃあしないって。



39日本@名無史さん:2011/03/16(水) 19:03:36.13
>>1
血縁がつながった先祖なんて曾祖父母あたりまでさかのぼれればいいほうじゃね?
家系図が残っている家でも養子や猶子まで丁寧に書かれてあるものは少なく、
「本当に血縁がつながっているのか」と言われれば微妙すぎる。
天皇家、五摂家あたりはいいとして、武家でも眉唾ものだろ。
徳川家康も源氏だというのは嘘で間違いないらしい。
40日本@名無史さん:2011/03/16(水) 19:06:41.36
伊藤・加藤・佐藤‥(籐)の字がつくのは藤原氏の子孫だと言ってた奴がいたなぁ
41大室寅之スレ:2011/03/16(水) 19:17:03.64
>>39
このあいだ近衛家の現当主がオモロイこといってた。「近衛家」のイエが平安時代から1000年
続いているのであって「血統」は幕末のころ途中で途切れていて
(えっ!近衛家と言えば公家の名門で1000年血統が続いているのではないの??)
今の当主は5代目くらいしか血統は続いてないのだそうだ。(幕末の動乱期に五摂家も『天皇家』も断絶してる!?)
42日本@名無史さん:2011/03/16(水) 19:24:26.58
天皇家も実際には100%父親は間違いないと確定できるはずは無い。
天皇位に就いた人を生んだ母親でさえ医学的に判断できない時代は確定できない。
昔だと当時の貴族の日記や源氏物語なんかだと天皇の后連中でも実家で暮らしていて奔放な性生活をしている。
権力志向の家の娘なら天皇の子を身ごもったと言うだろうから。
100%絶対は不確実な人間社会には当てはまらない。
43日本@名無史さん:2011/03/16(水) 19:28:33.42
近衛家といえば昭和天皇の出自疑惑があるね。
病弱な大正天皇の子供とされる昭和天皇だが、近衛と顔がそっくりなのは実は近衛家から...
44日本@名無史さん:2011/03/16(水) 19:39:28.19
>>41
だから、天皇家や五摂家ならば血統がつながっているといっているのではない。
天皇家や五摂家ならば養子、猶子も丁寧に書かれてあるので
血統がつながっているか、つながっていないならばどこの家から養子に来て、
どこの家をたどっていけばいいかが比較的わかるという話。

近衛家でいえば、まず江戸時代初期に絶え、天皇家から養子が来ている。
(父は後陽成天皇、母は近衛家出身の前子)。
江戸時代末期には絶えず、そのまま後陽成天皇の血筋が続いていたが、
現在の当主が細川家からの養子(父方が細川家、母が近衛家)。

他の4つの摂家もすべて養子が入ったことがあり、直系相続だけで来てはいない。
45日本@名無史さん:2011/03/16(水) 21:39:10.21
>>43
ねーよw あったとして昭和天皇は近衛の誰の子よ?
46日本@名無史さん:2011/03/16(水) 21:51:38.03
そんなの別に天皇家だけじゃないっしょ。
徳川家だろうとハプスブルク家だろうと漢王朝だろうとあんたの家だろうと、
どこだってそんなことは起こり得る。
だけどいちいち「本当の父親は分からない」とか言って断りを入れてたんじゃ話にならない。
またそうした観点において、天皇家だけ「特別視」するのもおかしな話。
47 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/03/16(水) 22:42:12.42
オヤジがやけ酒のんで暴れまくって
「お前は『オレの子じゃねーよ』というから俺だって
「親父の子ではないけどおじいちゃんの孫(おじいちゃん優秀だから)であることにはまちがいねーよ。」
とギャグでよく言ってる。ホントならシャレならないけどさw
48日本@名無史さん:2011/03/16(水) 22:54:42.93
>>36
俺は祖父母の家全てに直接影響を受けて育った。
それぞれが歴史のある旧家で、それぞれから引き継いだものがある。
祖父母と疎遠になってる家もあるのだから、誰もが採用すべき基準ではない。
これは人それぞれ。たまたま俺は4系統全てと深く繋がっている。
その前の8、16、32…に広がってしまう〜なんて
非現実的な屁理屈で否定されても困る。
家系図の話と有機的な人の繋がりの話は別。後者だって家系の話。
少なくとも、このスレにおいて筋違いなわけでもない。
個人として、直接繋がる複数のイエの歴史を引き継いでいる
ということは今ここにある現実なわけだ。
祖母の祖母の祖母…なんてのを引っ張り出して来るような話とは違う。
直接関係した祖父母のイエを自分とは関係ないなんて…
そんな薄っぺらい意識で歴史を語りたくない。
49日本@名無史さん:2011/03/16(水) 23:06:36.74
>>40
四民平等の時に平民に苗字許可
→1番人気は藤原(藤原は庶民の憧れ)
→藤原姓大量増加で藤原姓規制
→加藤、佐藤、伊藤などの「藤」の付く姓が人気に

だったかな
50 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/03/16(水) 23:21:13.25
>>44
伏見宮邦家家が江戸時代断絶し「カジヤ」の見ず知らずの男に伏見宮家
を乗っ取られた話さんざんガイシュツだけどさ。。。(ということは竹田宮家も久邇宮家も北白川宮家も「カジヤ」の子孫???)

>>43
昭和天皇が近衛を脅したことがあったね。昭和天皇が「近衛、オマエすりかえるぞ!」と言った話?
(愛子ちゃんすりかえ影武者説みたいな話w)
51日本@名無史さん:2011/03/16(水) 23:38:08.32
>>48
私は、父方祖父系(すなわち父系)を除いて他の祖父母のイエを関係なくしろ、とは言っていないのですよ。
たとえばあなたが祖父家・祖母家・外祖父家・外祖母家の4系統を
自分のイエの歴史として受け止めたいというのは、それはそれで良いけれど、
結局その4系統の「家系」を語るとすれば、それは多分に父系がバックグラウンドに付いてくるでしょう?
ってことを言ってるんです。
多分あなたは上の方で「父系家系」のみを尊重することに価値は無い、って書いてた人だと思うけど、
あなたのような考えの人の場合は、「家系」というよりも、各祖父母(及び親)「個人」を、
自分の構成要素として引き継いでいく、という哲学で生きていけば良いのだと思いますよ。
52 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/03/16(水) 23:54:15.15
血は争えないだろw
53日本@名無史さん:2011/03/16(水) 23:58:30.22
>>43
肖像ヲタの私からすれば、大正天皇と昭和天皇の容貌の近似性(つまりは父子関係)は否定できないね。
当人同士だけじゃなく、もし二人に血のつながりが無いとすると、
昭和皇女の照宮とか孝宮が大正生母の柳原愛子と近似しているのはどういうわけ?ともなってくる。
また、天皇家と近衛家との近似性については、>>44さんが書いてるように、
そもそも先祖が後陽成帝+近衛前子まで同じであり、
かつ後水尾皇女・霊元皇女・同皇孫女などが近衛家に嫁いで子孫を儲けているので、
そうした血的近縁性が影響しているのだろう。
54日本@名無史さん:2011/03/17(木) 00:32:08.92
>>51
家系を合併吸収する話を誰がした?。話をねじ曲げるなよ。
俺個人に限り、直接影響を受けた祖父母のイエの歴史は
無関係なわけがないって言ってるんだよ!
「祖父母のイエ」として「自分のイエ」との関連事項として扱うと
「それはあんたの先祖じゃないよ!」と切り捨てるのは馬鹿でしょ。
人間の歴史ってそんな平面的なものじゃないってことだ。
第一、違う人のレスと勘違いして、勝手に話を混ぜてる時点で…。
勘違いで勝手に立腹されても困るんだよ。
「受けとめたい」という願望でも、勝手な哲学でもなく
事実として、そういう歴史の引き継ぎ方もあるってこと。
もっと柔軟な、広い視野を身に付けてくれ。健闘を祈る。
55日本@名無史さん:2011/03/17(木) 00:48:28.95
>>54
別人だったですか。それは済みません。
匿名の世界なのでどうしようも無いのですが、
私は基本「4系統」の話を否定しているわけでも、それから怒ってるわけでもなく、
ただ、家の歴史を語るときに「父系」は主要な要素であって、
さすれば4系統の中でも「父系の父系……」にある種格別の価値を見出すことを
上の人のようにことさら否定するまでも無かろう、といったニュアンスで書いたのですが、
別人ということでしたら御容赦ください。
56日本@名無史さん:2011/03/17(木) 00:53:49.59
>>46 >>50
水戸黄門だって暴れん坊将軍だって、その出生・育ちからすりゃすり替えられてる可能性あるもんなw
葵の御紋ひけらかして周りを平伏させてるけど。ほんとはそんな資格無し?w
57日本@名無史さん:2011/03/17(木) 01:12:16.79
>>55
どう見ても別人でしょ。主張が全く違うんだから…。
大半の人間は父親のイエに生まれる。生まれ育ったイエが自分の
直接のルーツに決まっていて、それは特別なものに決まっている。
それでも、家父長制の時代とは事情が全く変わってしまった。
子育ての主導権は母親が握っていて、母親の影響を強く受ける。
父親の方針で母親が育てるのではなく、母親の方針が、子育てどころか
その家の全体の方向性さえ左右しかねない。
こんな時代に「母方は関係ないよ」はナンセンスでしかない。
父系のイエ制度とは別の切り口があっても全然問題はないはず。
ちゃんと区別して、時代背景を考慮して個々に論じればいいだけ。
58日本@名無史さん:2011/03/17(木) 01:18:13.15
昔は死産も多かったでしょ。
我が娘が天皇の子を身ごもった。だが残念ながら死産!
そんなときは近時に生まれた赤子を貰ってくる可能性が高いわな。
その子が皇位に就けば外戚はウハウハだから。
その程度の機転利かさなきゃ権力に疎くなる。
59日本@名無史さん:2011/03/17(木) 01:23:10.91
>>55ですが、
一応書いときますけど、
私も「男系以外は先祖じゃない」とか「母方なんて関係ない」
という意見の持ち主ではありませんので、悪しからず。
60日本@名無史さん:2011/03/17(木) 01:37:53.77
>>37
X染色体が知能に大きく関わっているので
母親のX染色体をそのまま貰う男子は
知能=精神面が母親に似る可能性は高い。
女子は半々だけれど、男子との対比で
父親似の場合が強調されるのかも。
61日本@名無史さん:2011/03/17(木) 13:14:02.81
>>60
なるほど、面白いね。
みんな色々な知識持ってるんだな。
62日本@名無史さん:2011/03/17(木) 16:01:41.91
学問的には別枠でも、遺伝というファクターを考慮するのは現代人としては当然。
となると、「母系」を軽視できないんだよな。学際的研究があってもいいんだしな。
継承すべきは血ではなく観念的なもの。長男(当然男子)の精神が遺伝的に母親寄りなら…
しかも母親が教育して、母系の家風にどっぷり浸かってしまうという現実があるなら…
時代に合わせた新しい考え方が必要になってくるのは当たり前。
63 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2011/03/17(木) 19:56:00.00
うちもどちらかというと父がたのいとこ親戚おじいちゃんより
母がたの親戚いとこおばあちゃんと仲よかった。だけど母がたの家柄は
はっきりいって2代前(つまりおじいちゃんおばあちゃん)までしかわからない。
母は4人姉妹の末っ子でおばさんたち全員結婚してるからみんな苗字違うし
曽祖父とおじいちゃんは血のつながりがないから(ようはじいさんが養子)もう
何が何だかわからない。戸籍とっても曽祖父までしかわからない。しかも福岡県から
山口県に大正時代か昭和初期ころに移住してるから福岡の墓はもうわからない。
母の実家は断絶し墓ももうじきおばさんが処分するらしい。2000年に道路区画整理
で母の山口県の実家はとりこわされあとかたもない。いとこは18年あっていない。アメリカに
移住したおばさんやドイツにいったいとこなどもう年賀状すらこなくなった。(おばさんは僕の子供のことなどしらない)
はとこどうしなんて「はぁ?」ってかんじ。(あかの他人に近い)
もう40歳になったらいとこの付き合いどころかもう10数年に1度あえばいいほう。
おじいちゃんの父の家はぼくにとってはとこにあたるが本籍山口県なのに
名古屋 愛媛 福岡 大阪 京都 東京 北海道とそれぞれバラバラにすんでいる。
明治時代から先祖代々住み続けている神みたいなやつすくないのでは?ぼくは35年の人生で9回は引っ越し経験してる。
4年に1回は引っ越す計算。こんなに移動してるのだから江戸時代の先祖なんてわかるわけないだろうよw
64イケメン2号:2011/03/18(金) 08:25:01.70
漏れの爺さんの母方の先祖は庄屋で農民に土地を譲る代わりに先祖伝来の墓地を
守れと農民に遺言していたから、農地改革や区画整理や市道が通って墓地は狭くなったけど
子孫が大き目の一族の墓を立て直し、その中に古い墓石を置いているよ。
65日本@名無史さん:2011/03/18(金) 09:01:03.25
上流階級の子孫は色んな上流に繋がる。
父方だけでも十分なのに母方まで有名な血筋。
百姓の子孫には面白くないわな。
で、父方以外にまで触れるなよって話になる。
66日本@名無史さん:2011/03/18(金) 09:25:48.91
そういう理由かよw
67日本@名無史さん:2011/03/18(金) 15:11:36.21
意外とそれが本音だったりするぞw
68日本@名無史さん:2011/03/18(金) 18:53:35.06
妙に必死に噛みついてくる奴には、そういう劣等感があるよな。
傍系は傍系で語る価値があるのに、全否定するバカなんかは(笑)。
69日本@名無史さん:2011/03/18(金) 23:41:05.17
母方の先祖がどうだとかわざわざ書く奴って、ようは父方が不明とか取るに足りない庶民だからなんだろうな
70日本@名無史さん:2011/03/18(金) 23:49:40.83
父方と母方はつり合ってる家がまだ多いんじゃね?
いまのガキ共の親はごちゃ混ぜになってるけどな。
71日本@名無史さん:2011/03/19(土) 04:12:21.75
>>65
 なるほどw

 麻生はあくまで庄屋でよくて、吉田茂とか大久保利通とか母方なんか先祖に入らないと必死で主張すると。
 でも実際には、「吉田の孫」だから取り立てられた面は否定できないw
72日本@名無史さん:2011/03/19(土) 05:43:58.33
何系だろうと祖父祖母は明らかなルーツ。そう捉えるのが一般常識。
73日本@名無史さん:2011/03/19(土) 15:14:25.11
先祖の情報を2チャンネルでカキコむことが理解不能
74日本@名無史さん:2011/03/19(土) 15:40:47.30
↑底辺層の僻み
75日本@名無史さん:2011/03/19(土) 15:45:28.75
某村の〇〇兵衛とか出してるわけじゃないので、別に問題ないのでは。
76日本@名無史さん:2011/03/19(土) 16:07:08.93
2ちゃんねるに先祖の断片的な情報出しただけでヒントを得られるとでも思ってるのかもね
77日本@名無史さん:2011/03/19(土) 17:01:05.38
先祖代々貧乏だった連中の、感情的な反応を楽しむスレですからw
78日本@名無史さん:2011/03/19(土) 19:48:28.58
漏れの先祖は福岡県久留米市の昔の町名で鉄砲小路町と言う町に住んでいました。
鉄砲小路と言うことは下級武士で尚且つ鉄砲隊に所属していたと言うことでしょうか?。
79日本@名無史さん:2011/03/19(土) 20:17:03.28
>>78
一般的に町名に道具や職業の名がついてる所は職人が多く住んでいたので、
ご先祖は鉄砲鍛冶職人であったのではなかろうかと推察します。

例:大工町(鋸町、おがまち)、樽屋町、石町、など
80日本@名無史さん:2011/03/19(土) 20:56:09.79
江戸時代の家系図見ると何代か襲名してる。だから身分が高かったと思った。
81日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:29:12.29
>>80
あくまでも個人の一般的な推察でしかないので、市立図書館で郷土史を探してみる事をお勧めします。
町名の由来や時代背景なども地元の郷土研究者が編纂してあるので、いろいろとわかる事が多いですから。
82日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:34:54.72
「江戸時代に身分の高かった、ある人」
その人から遺伝子を受け継いだ人は何千人もいそうだな。
83日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:52:55.17
試しに鉄砲小路でググってみたら、熊本の鉄砲小路の由来がヒット。
熊本のそれは鉄砲衆を集めて住まわせてた所みたいで、平時には農作業に従事してた人達らしい。
福岡の鉄砲小路も同じとは言えないけど、参考にはなりそうかな。
84日本@名無史さん:2011/03/20(日) 01:56:46.71
襲名するのは偉い人?
むしろ、職人とか商人じゃね?
85日本@名無史さん:2011/03/20(日) 02:09:42.37
小路とは下級武士の家が並んでいた
86日本@名無史さん:2011/03/20(日) 05:40:31.82
武家はフルネームを襲名しないよ。継ぐべきは家であって個人名じゃない。
87>>78です。:2011/03/20(日) 09:30:34.18
鉄砲鍛冶職人か下級武士か
出来れば武士で有って欲しいw。
有難う御座いました。
88日本@名無史さん:2011/03/20(日) 10:56:09.91
>>77 すでに爺さんの名が石松の俺、涙目
  たぶん辿ってもむりぽ
89 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/03/20(日) 14:16:12.05
パート2はこっちが本スレですか?
90日本@名無史さん:2011/03/20(日) 18:28:22.08
兵農分離まで武士も農民もないわな。
江戸期だけの士農工商。
明治になって徴兵制になったら軍人は成人男子皆の義務。
敗戦後は自衛官。

江戸期の武士も公務員的。安月給が多かったし。
91日本@名無史さん:2011/03/20(日) 18:41:13.79
>>90
兵農分離まで?それはいつの時代ですか?
92日本@名無史さん:2011/03/20(日) 19:02:28.12
通説では秀吉が兵農分離を完成したってことになっているけど、怪しいとの見方もある。
武士が軍事専門になったのは江戸時代からが今は多いのかな。

ですが説は様々にありますから正解はこれと断定できません。
信長や秀吉の軍隊も不明な点が多く実態は把握しづらいようです。

93日本@名無史さん:2011/03/20(日) 19:34:46.38
兵農が一致したのは明治以降ですよ
94日本@名無史さん:2011/03/21(月) 03:08:13.13
屯田兵の話かい?
95日本@名無史さん:2011/03/21(月) 03:16:04.57
>>92
分離政策推進しても各地方、各都市には土豪や町衆みたいな存在が武装待機してたからな。

更に朝鮮出兵やら各地での紛争鎮圧にはそういう武装した「農民・町人」を動員しないと大名も頭数揃えられなかった。

幕末になって起きた戦いで諸藩の動員数が少なかったのは兵農分離が限りなく進み、土豪や武装町人を戦いに動員できなかったから。
96日本@名無史さん:2011/03/21(月) 07:43:36.19
源平でもなく、豪族でもなく、鎌倉以前に帰農したと主張する友人がいます。
江戸期の記録さえ曖昧な庶民が、鎌倉云々を語る時点でアレなわけですが…。
97日本@名無史さん:2011/03/21(月) 08:55:22.17
今の自衛隊のように戦闘員が身分として固定されていなくても多くの人は戦闘行為とは関係なかったかもよ。
98日本@名無史さん:2011/03/21(月) 09:51:10.91
>>95 北前船の寄港地だけど、戦国時代、ここには武士がいなくて、堺みたいに
  寄合での自治だったらしい。
  でも四国から来た海賊とか撃退してるんだよね。きちんと夜襲とかして。
  うちの歴史からみて、君が正しい、と思うよ。
99 忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/03/21(月) 12:19:40.32
99
100日本@名無史さん:2011/03/21(月) 12:46:44.35
通常、大名は農民を動員しない
101日本@名無史さん:2011/03/21(月) 12:53:25.81
百姓の武装や村の武力と、武家の武力・兵員は別物で、
兵農が一致したのは維新後の国民皆兵以後の事だよ。
戦国大名が危機的状況に迫られた時に、百姓が例外的に徴発されたりしたが戦闘力として期待はされなかった。
102日本@名無史さん:2011/03/21(月) 12:59:23.24
>>100
兵農分離の途中段階の話ってのを理解しようね(*´∇`*)
103日本@名無史さん:2011/03/21(月) 14:15:20.62
鎌倉以来、兵と農は分離状態だったろうね
104日本@名無史さん:2011/03/21(月) 15:07:10.02
平安時代なんて大半の期間死刑廃止されていたくらいだし。
105日本@名無史さん:2011/03/21(月) 15:24:14.46
防人の歌なんて農民が軍役にかり出される状況だよね。
106LELE:2011/03/21(月) 15:33:00.53
ちょうど読みました。日本での歴史の中での镰仓幕府が好きです!
107日本@名無史さん:2011/03/21(月) 15:49:49.83
皆さんにお力をお借りしたいと思いまして、初めてこの板に来ました。
相談をさせて下さい。

私はごく最近に、母方の家系のルーツが西郷隆盛という事を母から聞きました。母方の姓は長崎と言い、渋谷区に土地を持ち居住していたのですが、元々九州(長崎)からきた華族の系譜を持つらしいのです。
財閥?富豪の家系だった、という話は以前から聞いた事があったのですが、母は駆け落ちして親元から絶縁されていたので、母方の親元(私の祖父)に近づく事を許されておりませんでした。
また、祖母は既に亡くなり、祖父も痴呆で施設に入所しているものですから、実家も処分したと聞いています。ですので、ルーツに関わる物はなにも確認はできないのですが、幼少時の記憶から、確かに母方の親元はお金持ちだったと認識しています。

話は戻りますが、その西郷隆盛、もしくは長崎家?貴族のルーツを辿る事はできるのでしょうか。
またその、確認方法などありましたら、是非ご教授をお願いします。
108日本@名無史さん:2011/03/21(月) 16:08:05.43
俺の祖先も海部氏に繋がるって言われる。
でも血の繋がっている先祖なんて物凄い数いるんだからその中の有名人をピックアップしても仕方が無い。
今を生きている人は多分全員どこかで有名人と繋がっている。
祖先の中の一人よりも自分の両親や子供達、そして自分自身を誇れるようにしたいものだ。
109日本@名無史さん:2011/03/21(月) 16:18:32.80
有力者の子孫として「別格の家」を維持してきているかどうかだな。
そういう家に生まれ育った人は、身に付いているものが違う。
110日本@名無史さん:2011/03/21(月) 16:25:19.76
母は法政大学に通っていたのですが、青山学院大学の父と交際を始めた際に、何処の馬の骨と罵り、門前払いをしたそうです。
別格かどうかはわかりませんが、祖父は学習院大学に通っていたそうです。
111日本@名無史さん:2011/03/21(月) 16:38:38.77
>>110 人を評価するときに人格や能力で判断するのが普通です。
だけど、世の中には着ている服のブランドや身に着けている装飾品のような見栄の張り具合で評価する人もいるのです。
貴方の母親が飛び出した家は言動からして、違う意味で普通じゃありません。
貴方の母親は形式だけの空虚で人が生きていない空間を飛び出した人間味のある方なんでしょう。
母親を誇りに思い、両親を大事にしてあげて下さい。
112日本@名無史さん:2011/03/21(月) 19:42:04.00
ある程度以上の年齢の人が
父が、母が、祖父が○○大学にと言うなら
庄屋以上の家である可能性が強いが
二十歳そこそこの場合は成金の可能性も出てくる。
と思ったりしました。
113日本@名無史さん:2011/03/21(月) 20:12:59.09
武士とか軍人てさ、平和な時代と違って荒れた時代にはなりやすかったんだろうな。
そんな時は需要があるからね。江戸時代のように平和な時代だと維持費が大変だけどな。
駅で勧誘してくるような自衛隊は別ね。
114ヤスマサ:2011/03/21(月) 21:17:01.99
地家さん仕事できるからある人●●おばさんが「地家くん子ども作れる?ウチの2女と
結婚して3人作ってくれる??」というから
「おいらスケベだから8人でも子どもいけるけどなにせ月収30万年収500万しかない貧乏で
しばらく不況が続くから無理だよ。ごめんね」とことわった。
そのひとは実は「福田赳夫総理と愛人の間に生まれた子が●●さんでその娘さん(2女)28歳ということは
ようは福田赳夫総理の孫にあたる。」明治天皇の遠い親戚のおいらと福田赳夫総理の孫娘が結婚するのかな。おいらめいわくだなw
115日本@名無史さん:2011/03/21(月) 21:50:34.05
ほー、そりゃ大変だ。
116日本@名無史さん:2011/03/21(月) 22:35:37.49
>>107
華族の一覧の中に長崎という姓はない。
母親の長崎という旧姓が間違いないのならば、華族ではないはず。
西郷隆盛には妻と愛妾との間に四男一女があったが、
息子はすべて西郷姓、残る娘も華族の大山家に嫁いでおり、
やはり長崎という親族は見当たらない。
117日本@名無史さん:2011/03/22(火) 11:56:30.10
徳川15代のうち 正式み台所の生まれは 3代家光と15代喜信のみ
あとの13人は側室バラ しかし将軍職の家名は連綿とし繋がり 一家系
として築いている 天皇家にしても然り 北条時代からはご小松まで一時
南北朝に分散したが やはり連綿とし繋がり 125代まで家系ちゅうモン
がある これを「生物学的な血の繋がり」としたら無理ですよ
118117:2011/03/22(火) 12:09:08.42
喜信=あやまり
慶喜=ただしい
119日本@名無史さん:2011/03/22(火) 19:13:17.29
今現在存在している人は人類誕生から血の繋がりで今に至る。
でも天皇家は人類誕生より遥か後に神話の泉から沸いて出た馬の骨って事を言いたいんだろう。
120 忍法帖【Lv=7,xxxP】 :2011/03/23(水) 08:05:46.64
日本人全員「アマテラスオオノカミ」(太陽神)の子孫w
太陽に感謝しろよ
121日本@名無史さん:2011/03/23(水) 15:31:05.24
>>120
存在しない事が100%わかっているアマテラスの子孫

それが世間で「オカルト」と呼ばれる。
122日本@名無史さん:2011/03/24(木) 23:54:14.99
私の家系は江戸時代後期に武士の本家(宗家)から分かれた分家です。
分家を作った理由は本家の跡取り息子が1人しか生まれなかったことが理由らしいのです。
跡取り息子の兄弟の女2人に養子を迎えて分家とし、本家の孫に生まれた女は分家に
嫁いでいたようです。
分家を創った理由は判りませんが、家系が途絶えるのを防ぐこと、財産が赤の他人に渡ることを
防ぐ意味が有ると婆さんから聞きましたが、将軍家でも無い一般家庭でそんなことが有るのでしょうか?。
123日本@名無史さん:2011/03/25(金) 00:03:33.50
旗本御家人や諸大名の家臣なら普通にある話しだよ
124日本@名無史さん:2011/03/25(金) 00:39:21.73
武家としての分家はないだろな
125日本@名無史さん:2011/03/25(金) 01:00:35.19
>>124
武家でも普通に分家はあるよ
126日本@名無史さん:2011/03/25(金) 01:06:08.02
ブラッド・ピッド&アンジェリーナ・ジョリーの家に入ったアジア人養子にとって、
先祖は遺伝子的には無関係でもブラピの男系の先祖ってことになるのか。
127日本@名無史さん:2011/03/25(金) 01:30:41.82
>>125
本家が禄高を減らして格下げになるのを納得ならあるだろ
128 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/03/25(金) 01:32:03.62
tesuo
129日本@名無史さん:2011/03/25(金) 01:53:33.23
>>127
分知なんだからそれは当たり前だよ
武家がないリスクは大きいから
130武士の末裔が日本を崩壊させる:2011/03/25(金) 04:47:39.73
学歴社会よりももっと怖い「家柄・血筋社会」
ttp://blog.goo.ne.jp/retsu-zetsu/e/8797d5cc61525b949b436e213fc1b43d
武士の末裔こそ本質として寄生虫・蛆虫・ゴキブリ
ttp://blog.goo.ne.jp/retsu-zetsu/e/7128fa86a6d6d1b0a6fac859c2ab2299
1311:2011/03/25(金) 07:00:31.94
>>57
おれ母がたのおばさんいとこと仲よかったけど(父系のいとこもおじさんもおじいちゃんもおばさんもハッキリ言ってウザイ)
母かたの先祖は僕のおじいちゃんおばあちゃんまでしか知らん。こんな俺みたいなやつ多いのでは?
3代前すら不明の奴。結婚するときカナイの父の代までわかるがカナイの祖父の名前も不明だし
何県に本籍地があるのか知らないし興味なし。ただカナイが「美人」だからそれでいいだけ。家柄なんてかんけーねえだろw
オンナは美人ならいいわけでさ。せいぜい紀子さまクラスの美人でも3代くらい前の女系(美人の血筋)DNAのつながってる『血統』先祖調べればそれだけでいいのだw
132日本@名無史さん:2011/03/25(金) 07:40:37.22
純粋に自分の血統先祖のみでどこまでさかのぼれるか調査するスレです

こんなことやってると 自分が犯罪生物学でいうカリカックの悪の家系

にゆきついちゃうよ 石川五右衛門の直系だったてなコトがわかる
133日本@名無史さん:2011/03/25(金) 13:02:07.57
>>131
政略結婚や見合い結婚が主流だった時代には男も女も家柄第一だよ
女は美人であれば〜なんて言い出したの最近だろ
ちなみに最近は女も男を顔で選ぶ
134日本@名無史さん:2011/03/25(金) 14:19:48.04
顔より年収では
135日本@名無史さん:2011/03/25(金) 15:09:56.08
政略結婚も見合いも過去の話なんでしょ。
今の時代では通用しない腐った価値観。

顔や年収で選ぶことができる今は恋愛が自由な時代だからだ。
自分の価値観に合う相手を選ぶ。家とか関係なく個人として自立できるようになったから。
136日本@名無史さん:2011/03/25(金) 15:56:03.54
>>134
年収より顔らしいよ。
今は、学歴や年収が生涯安泰な保証にならないかららしい。
だいぶ話がそれてしまったが、テレビで女性が結婚相手を選ぶ基準は
60代は家(家や土地などの先祖伝来の資産があるか)、
40代は3高(本人が高学歴、高収入、高身長か)
そして20代は顔(本人のルックス)だと言っていた。
137日本@名無史さん:2011/03/25(金) 17:05:35.27
本気で好きだと無職でも関係ないけどね。
相手に依存して生きていくわけじゃなく、一緒になって未来を創っていくんだから。
138日本@名無史さん:2011/03/25(金) 17:33:03.35
>>137
wwwwwwwwwwwwww ん?
139日本@名無史さん:2011/03/25(金) 18:07:53.28
そろそろ話を元に戻そうぜ。
140>>78 で御座います。:2011/03/26(土) 05:22:33.83
>>78で御座います。
>>78の書き込みで私の先祖が福岡県久留米市の鉄砲小路町出身で武士か?鉄砲鍛冶職人か?
判断が分かれましたが、グーグルで「御先手足軽長屋」で検索すると
上から4番目に「久留米城下(近世)とは-辞書辞典解説」に

御先手足軽長屋(鉄砲小路と言う)〜の記述が有りました。
御先手足軽と言うことは戦いが有れば最先端で突撃する下級武士と言うことに成ります。
皆様有難う御座居ました。
141 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/03/26(土) 19:57:09.63
141
142日本@名無史さん:2011/03/26(土) 20:22:56.83
いや顔が美人ということは安心して「正常位」できるからそれだけ美人な子孫
イケメンな子孫を残せるわけだからこのスレ的にいえばDNAはよりキレイなものへと
選別されブサ(光浦靖子のような)は自然淘汰され死滅するだろw
成城大学が『一番』美人が多い大学だって。成城ということは「お金」=「美人が寄り付く」
ということだろうか?美人は徳の高い人だよ。お金持ちと結婚できてキレイな子孫残せるからねw
143日本@名無史さん:2011/03/26(土) 21:43:12.27
>>142 その割には天皇家は見栄えが悪いし不細工すぎる。
144日本@名無史さん:2011/03/26(土) 21:49:49.28
現代の結婚観は板違いだから。
145日本@名無史さん:2011/03/27(日) 01:24:00.94
なんでこの手のスレって荒れやすいんだろうね。
146先祖探し中年:2011/03/27(日) 05:10:23.26
私の先祖の墓が有る寺に春の彼岸(春分の日)に初めて行って来ました。
墓地の何処に先祖の墓が有るのか判らず
住職に尋ねると、「忙しくて一々案内する訳には行きません
墓地への立ち入りは自由ですから勝手に探して下さい」と言われました。
一般的に寺は敷地内の檀家の墓の場所や埋葬者等の管理はキチンと行って無いのでしょうか?。
147日本@名無史さん:2011/03/27(日) 05:33:58.44
おっさんの先祖探しに興味なし!!
148日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:45:00.86
>>1
これわ政令にも違反する893の隠れたすがた すなわち
ケーズ屋の姿だ 注意するように
149日本@名無史さん:2011/03/27(日) 09:40:15.17
>>147
興味ないスレ覗かなければいいだけ。
150日本@名無史さん:2011/03/27(日) 12:49:06.03
戸籍法に反しますよ 日本人なら自国の法律まもってください
151日本@名無史さん:2011/03/27(日) 14:07:21.47
>>146
中年にもなって先祖の墓参りが初めとは
檀家の墓と言うより無縁墓だろ
152日本@名無史さん:2011/03/27(日) 15:14:11.33
>>146
貴方は住職が貴方の先祖の御墓まで案内してくれなかった事に不満を感じているのでしょうか?
彼岸の日の住職が忙しいのはおそらく事実だと思います。
そして案内できなかったのも管理がなっていないからではなく住職の都合もあったのではないかと思います。
153 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/03/27(日) 17:33:06.67
w
154先祖探し中年:2011/03/27(日) 19:46:59.78
>>151 >>152
私が訪ねて行った寺を紹介する印刷物に寺の主な埋葬者(その地区の著名な人物)が
記載されていますが、その中に私の遠い先祖の名前が有りました。
確かに江戸時代からの墓で中には倒壊している物や刻印文字の判別が
難しい物も有るでしょうが....
文献や戸籍から探して、やっとその寺を探し当てたのに残念です。
次の機会には懐中電灯等を準備して必ず発見するつもりです。
155日本@名無史さん:2011/03/27(日) 19:52:41.28
>>154
今、その墓を受け継いでいる家の人の立場からすると、見知らぬ来訪者に我が家の墓をホイホイと教える住職では困るかもしれない。
156先祖探し中年:2011/03/28(月) 00:58:48.84
赤の他人ならともかく、私は血の繋がっている子孫なのですから
権利は有ると思うのです。
その日に訪ねた別の寺は埋葬者の名前を告げるとパソコンで1発で検索し、
案内して頂いたのとはエライ違いで...
157日本@名無史さん:2011/03/28(月) 01:52:01.40
>>155
なぜ困ると考えるのだろう?
困る理由が思いつかないんだけど。
158日本@名無史さん:2011/03/28(月) 13:21:37.70
傍系の除籍は弁護士にいえば取ってくれるの?
159日本@名無史さん:2011/03/28(月) 13:45:29.92
お墓の俗名見たら
藤原朝臣って書いてないけど
名字の下に藤原○○って書いてたけど藤原氏になるのかな?
160日本@名無史さん:2011/03/29(火) 13:56:02.12
江戸から明治にかけて、
○○衛門という名前は改名しなきゃいけなかったのかな?
たとえば新右衛門→新太郎のような。
似たような例が結構あるので不思議に思った。
161日本@名無史さん:2011/03/29(火) 16:06:05.79
>>160
しなきゃいけないんじゃなくて、改名自由だったからじゃない?
162日本@名無史さん:2011/03/29(火) 17:26:18.36
>>160
うちの江戸年間の先祖は代々○○衛門と名乗っていて(通称)、
それとは別に信が系字の「信×」という名があったらしい(扱いは本名か?)
明治生まれからはそれらとは全く別の名前になっている。

安政に亡くなったじいさまに至っては、通称○○衛門、本名?信×、戸籍には○○兵ヱで、
戸籍に載せた名前は衛門が兵ヱに変わっていた。
墓には○○衛門と信×。
その子(幕末生まれ明治没)の戸籍の名前は信×の×部分だけになっていて、墓には×のみ。
衛門が兵ヱに変わった理由が気になるw
163162:2011/03/29(火) 18:20:11.70
>>160
ちょっと色々調べてみたら明治3年に旧官禁止令というのが出されてて
内容は、「衛門」「兵衛」などの官名にあたる名前をそのまま付けることは許されないので改名をしなさいというもの、とあった。
改名の例がいくつか載っていたがどれも>>160さんみたいな感じ。
これかな?
164日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:21:14.38
>>163 支持します。うちのひいじいさまの家系に「太郎」さんがいたんだけど、
墓には「衛門」とあるのね。そのころまで、「徳衛門」さんだったことは確実で
あだ名は徳さん、で通ってたって。徳の字省いたのは、よくわかんない(笑)。
165160:2011/03/30(水) 20:06:41.08
レスありがとうございます。
やっぱり禁止令が出てたんですね。
あまりに似たような例が多いので不思議に思ってたんです。
これでスッキリしました。ありがとうございました。
166日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:31:28.16
いまテレビで苗字のルーツを放送している。
明日から聖徳太子の子孫とかが大量に増えるよ。
明日からみんな有名人の子孫。
167日本@名無史さん:2011/04/01(金) 00:16:16.69
俺だってミトコンドリアイブの子孫やし
168日本@名無史さん:2011/04/01(金) 01:48:56.20
戸籍って明治とかのも現存する?高祖父が明治後期の没なんだが、戸籍調べられるかな?本籍が遠方なのでいずれにせよ手間がかかるが…

あと、除籍謄本のに記入された名前全てが「法(永)」と書かれており(もちろん縦書き)、(永)の右横に「作」の字が書いてあるが、これはどう言う意味?
法作か法永どっちが戸籍上の名前なんだろ?
改名したらこんな記述の仕方する?
169日本@名無史さん:2011/04/01(金) 07:28:11.64
前にも同じようなこと聞いてる人いたよね
戸籍の有無は行かなきゃわからないのでは?
諸事情で出せないこともあるんだからこんなところに書き込む暇があるならサッサと手続きしなはれ
うちの戸籍で()付いてるのはは単なる誤字の修正
170日本@名無史さん:2011/04/01(金) 23:05:18.90
明治新姓の先祖探しほど醜いことはない。
平民は平民の子孫ってこと()笑
171日本@名無史さん:2011/04/01(金) 23:08:25.34
取り合えず平島氏ねって感じ
172日本@名無史さん:2011/04/02(土) 00:43:47.24
何件分か戸籍をたどっていてちょっと気になったんだけど、地域や職業(身分)で流行りというか定番の名前ってあったのだろうか。
士族(笑)だった家に○助は多いんだけど、おそらく平民だったであろう家に助はいない。
代わりに幕末の人含めやたら○吉が目立つ。
どちらにもあるのは○藏という名前。
といっても少ないデータからだからたまたまなのだろうか。
みなさんはどんな感じですか?
173日本@名無史さん:2011/04/02(土) 01:25:22.98
伍助とか伝助とか士族っぽくないな
174日本@名無史さん:2011/04/02(土) 08:22:18.03
内蔵助(蔵之介)の助で官名を禁止されて省略したのでは?
175日本@名無史さん:2011/04/02(土) 10:40:02.50
士族の方は実名(諱)を戸籍に登録されてる例が多いんですかね?うちは○兵衛は普通にいますけど、○治郎○吉○之助など…実名系はいない…多分庶民だな…
176日本@名無史さん:2011/04/02(土) 16:49:21.82
うちはてっきり平民だと思ってたけど
もう一つお墓あるって聞いて行ってみたらご先祖さんがずらーと並んでた
そのほとんどに苗字○○藤原○○と書いてある今まで見たことない変わった俗名だった
177日本@名無史さん:2011/04/03(日) 09:44:38.61
>>175
どうだろう?いろんなパターンがありそうだからね。
うちの士族家系を見てみると、幕末生まれの人(A)は実名から系字を抜いたもの、その父(B)は2つあった通称のうちの一つを少し変えたもの(衛門が使えなくなったから?)が戸籍に残ってる。
面白いなと思ったのはAの子(明治生まれ)にAの通称とBのもう一つの通称を付けていること。
どちらも古い名前だが衛門や兵衛が付かない通称名だよ。
178日本@名無史さん:2011/04/03(日) 14:00:37.46
>>158
弁護士も職務上必要でないと取れない。
つまり依頼者が手続きでその傍系の人の戸籍が必要(相続とか)でないと無理のはず。
ただ知りたいというだけの依頼をうその理由で戸籍請求したら違反行為。
179日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:32:27.87
戸籍が残っていない時代まで遡ったらその先はどうやって調べてるの?江戸末期までは遡れたが墓なんて検討もつかない…

あと、仏壇の過去帳と戸籍の名前が違うのって一般的?
例えば、女性は戸籍上は漢字があったり、平仮名なのにカタカナで表記されてる。
生まれてすぐに亡くなられた男性は頭文字は同じだが名前の末尾が違ってる。読みも違う漢字。
昭和初期の話。
180日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:37:23.53
本当に名前だけで身分わかるの?
俺の先祖名主だけんど、○兵衛忠高とか、勘由とかいるど?
名主なのに武士のなをかたっとるで。きちんと墓や過去長や家系図にのこっとる。
181日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:50:32.33
↑訂正 勘解由じゃっタ。
名主でも武士的な名前ごろごろおるでわしんとこ。

182日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:54:53.43
181の続きじゃが、ほかにも大蔵とかもあるで。
普通に上級武士の名前つかっとるで名主なのに。
183日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:58:27.59
逆に名主でもわしんところが何気に上級武士波の名主だったと解釈してもええのか?
184日本@名無史さん:2011/04/04(月) 02:17:06.95
名主は百姓だよ
185日本@名無史さん:2011/04/04(月) 10:30:38.20
177さんレスありがとうございます。板垣退助みたいに士族系の方でも通称を選択されてる人もいるし色々ですよね…
186日本@名無史さん:2011/04/04(月) 21:51:59.75
庄屋も色々な階層があるけど戦国期武士であった家系が帰農したのなら武士的な
名前を付けるのは当然。二本差で丁髷結って闊歩する庄屋ってのが本当の姿だろ
187日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:08:39.05
たかだか庄屋が二本差しで闊歩したら役人にしょっぴかれるよ
苗字帯刀の特典を幕府や藩から与えられた庄屋でも婚礼とか祭でしか二本差しできないよ
188日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:27:01.52
そうでもなさそうなんだよね。黙認されてることも多いのかなって・・
庄屋が二本差ししててしょっぴかれた記録ってある?

 肖像画だと庄屋って二本差しして丁髷結ってるの見るし特に許されてた記録も
なさそうな場合もある(藩によっては几帳面に帯刀者名簿なんてものもあるが)
189日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:34:44.62
藩によっては大庄屋が日常的に帯刀してもよい例はあるが単なる庄屋が日常から帯刀したのは土佐藩以外に知らないな
また百姓が儀式以外で帯刀する必要もないからな
190日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:47:30.81
はっきりはわからんだろ、足軽が二本差してたか、苗字を名乗っていたかどうかで揉めてるぐらいだから
191日本@名無史さん:2011/04/05(火) 00:27:39.67
普段から帯刀してる名主なんていねえよ
192日本@名無史さん:2011/04/05(火) 00:54:30.27
ていうか帯刀を許されてる名主や庄屋は幕府領では極少数なわけだ
そいつらが日常的に帯刀してた記録は私は聞かないな
旗本領なら苗字帯刀の百姓はたくさんいるが旗本の家臣に取り立てられてないなら苗字帯刀でも武士ではないから普段は帯刀しなかったろうね
193日本@名無史さん:2011/04/05(火) 00:57:47.42
まあ苗字帯刀の百姓なんて全人口に対する武士の数以上に稀有な存在だったろうな
194日本@名無史さん:2011/04/05(火) 01:11:14.01
うちはかなり前まで遡れるよ
先祖の代々当主は少なくとも戦国末期からは記録にある。祖母の家系だけど。
祖父のほうは戦国武将で某大名に主家を滅ぼされ
その後、城こそ取られたけど土着して(主家を滅ぼした大名がよくしてくれたらしい)
戦後GHQに土地をかなり没収されて今に至る。
195日本@名無史さん:2011/04/05(火) 13:32:41.91
お決まりの燃料投下

ttp://www.touhoku.com/to-siba14-edo.htm
196先祖探し中年:2011/04/05(火) 21:50:17.50
「帯刀御免」とは帯刀を許されていたと言うことですか?。
197日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:08:48.31
一代帯刀御免の百姓でもその家族は帯刀できない
198日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:53:03.70
百姓の苗字帯刀はあくまで個人資格の栄典だからな
単に帯刀がしたいならお咎め覚悟で刀さえあれば誰でもできたし
何主庄屋なんて帯刀より脇差しだけ御免の方が多い
199日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:05:00.30
いやいや、君たちの見解はぜんぜん違うから。
庄屋は戦国時代が終わった直後、主家が滅びた家臣団の再就職先として用意されたのが始まり。
だから、山内家のような入植外様との間で、地元の旧武士団との間で小競り合いが西日本では多発してる。
グぐれば結構出てくるよ。
その証拠に、
→ウィキ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A%84%E5%B1%8B
(名主とは)
近世初期の庄屋は、身分は百姓であったが、中世以来の在地有力者が多く、
戦国大名の家臣だった者も少なくない。
したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあり、
初期村方騒動で、領主と対立するもの多く、権限に規制をするようになった。
            



www.kaku-net.jp/kakuh/usanomiti.pdf
国人・地侍としては俸禄をもらって武家奉公人になるか、農民にな
るか(この家系から江戸期、庄屋・名主が出た)、それとも第三の道をえらぶか
だった。第三の道とは、反乱(一揆)である。九州はとくにかれらの不平で大地
が地鴫りするように沸騰してした。
                   ↓
 江戸初期、こういった庄屋が、新領主層の受け入れを拒否し、いたるところで反乱が起きてる。

しかし、江戸中期以降はもはやこういった庄屋の権限が強くなりすぎる反面、戦国期の威厳も落ちてきたことで、粛清の嵐となって権力がかなり弱まって、
君たちのところで言うたかが百章というようなイメージになってしまってる。



200日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:08:57.47
寺や百姓の女房が庄官って場合も多いから武士ではない
201日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:11:08.21
各地の名主や庄屋も江戸時代の中期以降は目まぐるしく入れ替わってるんだが?
202日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:13:46.57


>>199の続き

さらに、名主の邸宅は長屋門を有する庄屋が非常に多い。
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/kamoso.htm

これらは基本、下級武士葉もちろんだが、中級武士にすら許されてないのに、名主には許されている。

武士と名主の境界は非常にあいまい。
屋敷や石高、権限は完全に名主のほうが中級武士より同等か、上。
由緒も同等以上の武家崩れも多い。
だが、武士ではない。
形だけとはいえ、名主に名字帯刀があればもはや、ただの中世の小豪族。

下級武士等と庄屋の境界の最後の砦が帯刀くらいだからなw。
名主が台頭を完全に許されたら、下級武士はもはや面目丸つぶれだろw
何にも勝てないどころか、劣ってるんだから。

帯刀というところにさほど意味はないだろ。
実態で見ていかなければ。

203日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:20:35.65
>>201
新田開発等はそうだが、めまぐるしくなんて、またおおげさにいうなよ。


名主等に帯刀許せば、一揆が起きる可能性が非常に高くなる。
江戸期の大名は大半が小大名だから、一番恐れるものは名主の反乱。

名主に帯刀許さないなんて当たり前。これは家柄の問題ではなく、
天下泰平にあって一番の脅威は名主の反乱と飢饉だからな。
204日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:26:40.35
>>190
いやいや、足軽は二本ざしなんか許されてないのは当たり前だが?
ましてや苗字も。www
あやふやなのは、あんたの頭の中だけだろw
>>193
そりゃそうだろ、武士の数より圧倒的に名主の数のほうが少ないんだから。
205日本@名無史さん:2011/04/06(水) 00:22:18.75
>>202
>庄屋であったことがわかります。その頃は手作りの稲作を行っていましたが、江戸中期の享保の頃より小作地が増え、江戸末期、弘化の頃には六十四名の小作人から「五六六俵」を収納した

566俵はすごすぎ。この庄屋の石高は200石並になる。
206日本@名無史さん:2011/04/06(水) 00:29:03.22
200石か。そこから何石を領主様に収奪されたのだろうか?
207日本@名無史さん:2011/04/06(水) 00:43:16.65
>>206
いや、庄屋は村の納税の税率を、藩へ納税する税率よりさらに上乗せして徴収できるとされてるんだから、
庄屋自体の石高は200石として、村全体の石高から庄屋は藩主以外に唯一、上乗せして搾取できるんだよ?
じゃなくちゃあれだけの屋敷なんか構えられるわけない。
事実上の石高は恐らく300石以上はあったろうな。
さらに、石高のみならず、村内のあらゆる権限は名主のみに一極集中して与えられてる。
それらの権限すべてもあわせて考えれば、想像を絶するよ。
208日本@名無史さん:2011/04/06(水) 01:37:15.85
>>205   正式には250石以上だよ
209日本@名無史さん:2011/04/06(水) 08:06:09.40
庄屋じゃなくても地主なら小作料取れるんだけどね
高持ち百姓の収穫高と武士の知行石高はまったくの意味の違う別物だし
210イケメン2号:2011/04/06(水) 11:49:20.53
名前で普通の農民か庄屋かの判断は可能でしょうか?。
211日本@名無史さん:2011/04/06(水) 12:16:24.90
小金井公園のなかにある「江戸東京たてもの園」に移築されてる
名主さんの家は立派なもんだよなー
212我こそは先祖供養者:2011/04/13(水) 09:19:22.83
土地台帳は取得した。
除籍謄本も取得した。
過去帳も調べた。
遺牌も全部調べた。
墓は殆ど納骨堂に替わった。
除籍謄本の住所は新しい地名に替わって判らない。
電話帳で先祖らしき人物に電話をかけても手掛かりなし。
寺の住職からは過去帳の閲覧を拒否される。

今後どの様に先祖探しを進めるかのアドバイスをお願い致します。
213 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/04/14(木) 13:02:08.36
このスレは人気スレですね。
214日本@名無史さん:2011/04/17(日) 05:42:41.95
>>209
お前は相変わらず馬鹿だなw
一緒の意味なんだよ。
逆に何が違うか言ってみろ?
実際知行石高は収穫高より少ないことがほとんど。
見栄のために水増しの粉飾決算しているということ。

1+1=2と、3−1=2はぜんぜん違うといってるのがお前ナw
相変わらず知識足らずだなw
215日本@名無史さん:2011/04/17(日) 06:54:03.19
>>209
>庄屋じゃなくても地主なら小作料取れるんだけどね
相変わらずの知識足らず。w
地主は地代賃貸料として小作料を取ってるだけで、法律上の平等だろ。

名主は村内全世帯から半に収める納税額以上に上乗せして私欲で徴収できるとされてるんだよ。
これは法の下の平等か?

ぜんぜん違うだろうが。
216日本@名無史さん:2011/04/17(日) 18:56:48.11
>>203
「帯刀」じゃなくても武器ぐらい持てるでしょ

うちは当時、ただの名字持ちの百姓だったみたいだけど
*銀拵大小 一通り、 *脇差 計6腰、 *道中ざし 計6腰、
*鑓 壱、 *長刀 一振、 *鉄砲 一挺
外に矢2本なんてのも(享和二年の「当家什物帳」より)

因みに「什物帳」の筆頭は、○○氏系図(もちろん仮冒)、同由緒記.
この他、乗懸道具や紋付の幕なんてのも有ったようなので、ちょっとした武士気どりですなw
今は記録だけで何も残って無いけど(ry
217日本@名無史さん:2011/04/20(水) 15:11:33.89
除籍謄本では安政生まれの先祖が○○久太郎となっていて、
(○○は今の自分の名字)
旧土地台帳をみたら、××久太郎となっていました。
(××は私の高祖父の生家で○○家に養子にきました、その後を久太郎の三男が養子と
なって継いでいます、それが私の曾祖父です)
この場合、本来は××姓を○○姓に変えたということなんでしょうか?
明治の途中で改姓とかあったのでしょうか
218日本@名無史さん:2011/04/23(土) 21:45:21.07
>>217
養子に来たら当然氏は変わります。
土地の登記をした時にはまだ××氏でそのあと○○の養子になったけど
土地台帳の名前を変える手続きを取っていないのでは?
219日本@名無史さん:2011/04/23(土) 23:30:00.31
除籍謄本取れるものは全部取った。
たいしたことのない人たちだったけど、
生まれて養子に来て相続して結婚して子どもができて退隠して死去した日付がわかるのはおもしろいね。
どうやら先祖は引っ越すときは律儀に転籍を重ねていたようなので住所もわかって興味深い。
これからはDNA配列なんかも載せてくれればより面白いのに。
自分の体質や病気なんかの由来が見えてくるかも。
220Pureaudio香具師:2011/04/27(水) 12:41:23.44
昨夜テレビで「何でも鑑定団」を観ていたら
九州で先祖が大庄屋で苗字帯刀を許されていたと言う老人が出演していたけど
漏れの先祖は農民だったが、遺牌の墓誌を見ると全部名字が有るけど
何か間違って無い?
221日本@名無史さん:2011/04/27(水) 16:15:46.21
とっくりwwww
百姓が云うご先祖様の話ほど信用できないものはないな!!
222\a:2011/04/29(金) 06:14:30.22
@
223日本@名無史さん:2011/04/29(金) 06:51:34.05
本家の過去帳には慶長19年まで名前がある
100年前くらいのご先祖が書いた家系に関する書物もある
本家の邸宅も田舎に残ってる

ところで西行法師、藤原定家とかの古い和歌をけっこう所蔵してるんだが
こういうのって売っちゃだめなの??(鑑定済み)
750年ぐらいまでは遡れる旧家なんだけど、これって結構すごいの??
自分が成人して最近親父からいろいろ詳しく教えられたんだけど。

あんまり興味ないからみんな消えたら所蔵物全部現金化したいんだけど売れるかな
博物館とかに没収とかされるのかな
224日本@名無史さん:2011/04/29(金) 22:23:14.92
>>221
それいうなら武士も同じだろ。
ほとんどの藩士は江戸期以前なんて由緒すら残ってないのに、
現時の末裔とか行っちゃってるのがほとんど。

大名家自体が出自捏造だらけなのに。
225本能に従いフェロモンだろ:2011/04/29(金) 23:47:52.30
 ブス ブ男 と感じるならばだね。
 自分と、その個体との先祖が、「遺伝学・繁殖学」的に、著しく違うことを意味する。
  
◆ 同化とフェロモン  【元祖フェロモン学】 フェロモンは合流する!
   
  フェロモン学 (Pheromonelogy)  リスト
  http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/01_pheromonelogy/00_list.html
226十市衆:2011/04/30(土) 00:26:49.01
うちは大和の小大名十市氏の家臣団で大和大納言秀長の直臣だった十市衆の1家。
大坂夏の陣では成人男子が皆討ち死にして縁者が名跡相続して現代に至っている。
途中婿養子はあったようだが、血統はつながっている。
227日本@名無史さん:2011/04/30(土) 01:50:44.89
>>223
すんっっっごい事だよ!
捨ててゴミに出すのだけはやめてほしい!
古文書類はセットで揃って価値のある物だしなぁ
うわぁ〜その資料達、超興味あるわー
内容次第では譲って頂きたい感じです。
228マジ相談です。:2011/04/30(土) 02:35:15.61
私は25代近く続く家系です。
ずいぶん前火事で由緒や家系図が燃えてしまいました。
現存の由緒は墓だけです。

その墓の詳細は下記↓
229日本@名無史さん:2011/04/30(土) 02:36:13.55
>>227
>古い和歌
和歌集なのか短冊なのかは知らんが、たぶん模写だろ。

ただ模写でも時代の古くものや、名のある能筆家の署名があったり、
その署名の裏付けがとれる史料文献が同時にあれば値はつくけどね。
230マジ相談です:2011/04/30(土) 05:37:15.81
私は25代近く続く家系です。
ずいぶん前火事で由緒や家系図が燃えてしまいました。
現存の由緒は墓だけです。

その墓の詳細は下記↓


231マジ相談です:2011/04/30(土) 05:45:50.17
>>230の続き
戦国期から1600年代の墓は宝篋印塔が4基
これはこの地の大名家の童女のものと高さや形がほとんど同じです
1700年代以降は笠付家紋付の院号が各代でついております。
また、代によって諱(いみな)もありますし、墓に刻まれています。
それで↓
232マジ相談です:2011/04/30(土) 05:58:19.95
>>231の続き
宝篋印塔とはこれとまったく同じ形や大きさです。
http://www.vivere.jp/hiroba/group/31.php(中央の3つ)
1700年代以降は笠付角柱型です。
うちは、元は武士でその後名主になったといわれていますが、
この墓から郷士だったということで考えてよろしいでしょうか?
233十市衆:2011/04/30(土) 07:54:10.95
墓だけでは何とも言えないでしょうが、以下のようなことがあります。

名主にも色々あって、幕府直轄地や地方、各藩によって扱いが違います。
武家→名主でも、特に由緒のある家は中途半端な武家よりも格式も由緒も
上の扱いを受けることがあります。領主の領内巡検や狩りの時に仮屋になったり、
本陣を運営した家などもあります。
百町歩地主の分家が領主の直参になったりすることもあります。、
上級武士並みの扱いを受けている家もあり、領主への献金や便益供与によって
「殿様以外には頭は下げない」格式の名主もいます。
234日本@名無史さん:2011/04/30(土) 15:42:59.75
おまえら自分の『高祖父』の代までしかわからねーだろ。
うちのひいじいさんは69歳で昭和20年に死んだことになってるが
死の直前なぜか愛人つくって村からにげてしまった。おかげでひいじいさんの墓すら不明?
235マジ相談です:2011/04/30(土) 23:42:24.17

確かに墓だけではなんともですよね。
しかし、由緒書等は捏造も可ですので、墓のほうが信憑性や
また由緒が正確なものだと思います。
石墓は相当当時は高価ですし、
院号や傘付など半に見つかれば確実に処罰されますから。
現実、墓以外由緒等は火事で焼失してます。
あと、刀や槍等は火事を免れたモノが数本残ってます。
あっ戦国期までの由緒ですが、下記↓
236マジ相談です:2011/04/30(土) 23:51:01.69
・・・上記続き
元々は地域の守護大名家に使えていたようです。
その守護大名からの書状など残されていたんですが
やはり焼失してしまってます
わが25代より続く、近くに住む同じ苗字の35代続く家があるのですが、
その家の由緒は市の歴史書に詳しく乗っており、
やはり守護大名に仕える上級武将だったようです。
七郡近い所領を与えられていたようです

続きは下記↓
237マジ相談です:2011/04/30(土) 23:56:27.92
・・・上記続き
しかし、そこと初代が同筋なのか正直分かりません。
家は近所すぎ、逆に聴きにいけませんし、
格式が違いすぎて近寄れません。
その守護大名が滅び、その後江戸期新たに大名が入ってきました。
そしてこの家は守護大名が拠点としていた一つの神社の神主を
代々任ぜられました。
それから当時の守護大名に使えていた武家は
ほとんど名主になっているようです。
続き↓
238マジ相談です:2011/05/01(日) 00:44:59.46
・・・上記続き
以上のことから、
私の家は元武士でその後名主になったと
祖父が由緒書に書いてあったといっていましたが、
祖父も他界し、由緒書や家系図も消失してしまい、
あとは現状の手がかりは墓だけです。
続き↓
239マジ相談です:2011/05/01(日) 00:50:15.58
・・・上記続き
しかし、我家は城下には住んでおらず、在地なのです。
しかし、一般藩士や他の豪農や名主も墓に、
宝篋印塔や家紋入傘付角柱型の院号が代々あるのはなく,私のうちだけです。
それどころか居士すら私と他の数件の元守護大名家家臣の名主くらいです。
このことから、武士だったとは郷士と断定してもよろしいのでしょうか?
      誰か詳しい方アドバイスください
240日本@名無史さん:2011/05/01(日) 01:41:21.92
>>229
おっしゃる通り、模写でもいつの時代に誰が書いたかっていうのと、保存状態がポイントだからね。
でも何にしろ現金化するなら、古本屋(解ってると思いますが、ブックオフ系以外のね)が無難
あと、博物館に没収とかはないから大丈夫。
俺の知り合いに、学芸員の資格持ってる人がいるので、なんか本格的に相談したいなら言ってくれ
241日本@名無史さん:2011/05/01(日) 03:31:19.12
俺の名字...河野
嫁の旧姓...村上

はい、終了〜
ってか、水軍同士かよ
242223:2011/05/01(日) 06:55:28.04
>>229>>227

短冊ですな。
西行法師、藤原定家、寂連法師etcのがある。
模写なのかな??でもなんかそういうの載ってる本買って調べたら
○○家所蔵って書いてあってその○○家がうちの事なんだよねw

これってオリジナルじゃね??
ほかにも享保人形も所蔵されてる。(文化庁鑑定済)
15年前に土蔵破りで紛失したが重要文化財級の屏風も所蔵してた。
これも歴史関係の本にちゃんと○○家所蔵って写真付きで掲載されてた

その屏風が一番高そうなのにwっくそおおおw
その他江戸時代の久隅守景、柳沢基園他の有名作家の真筆等も○○家所蔵
って書いてるんだがこれも値打ちあるのか??

そもそも本家が僻地で誰も本邸に住んでないし、蔵とか誰が管理してるのかも
わけわかんなくなってる。
夏休みに爺ちゃんの許可もらってみてくるわw
243223:2011/05/01(日) 07:22:05.75

ちなみに750年続く家ってことで戦国武士でも藩士でもなく公家の家系です
なんか公家の家柄だから藤原定家とか西行法師の和歌があるみたい。
公家の家系だから、屏風とか短冊、真筆を大切に保管してたみたいだね


個人的には武家の家で槍とか鎧を所蔵してるほうがカッコよかったのにw

僻地なもんで空襲もあわないで資料が残ってるのがありがたいわ。
だいたいそういう古文書とかは消失、紛失して今になって困ってる家が多いけど
うちの場合は明治時代の当主がこのスレでみなさんが先祖さがししてることを
してるw
歴史家人も、この○○翁先生(曾曾曾おじいちゃん)は先見の明があるって
絶賛してるw

「子孫が自分の出自に迷わぬように当家の歴史を明確にしよう」って
明言して古文書や所蔵品整理してくれたから助かったw
244十市衆:2011/05/01(日) 08:10:21.30
マジ相談ですさん、どうもお宅は単純に郷士といえる家ではなさそうですね。
御墓の件から判断して、相当の格式が許されている。と、いうことは、
新領主から見て、新領地を支配するのに無視できない力を持っていると目された。
つまり、領地支配のまとめ役をさせられたのではないかと推察されます。
城下住まいではなく、在地住まいということがそれを物語っています。
おそらくは一定の範囲の司法権と警察権も委ねられていたと思われます。
一般的には大庄屋とは大名主とか言われる家に相当するのでは?と思いますが。
郷士というものは、士分未満の扱いが多く、士分扱いは受けていても門の様式
等で上級武士未満の格式しか許されていない例が多く、上級藩士>郷士が一般的です。

門の建築様式等はわかっていませんか?出格子長屋門で開き戸の扉だったら
間違いなく上級藩士と対等の扱いです。

うちの場合は1万石の小藩だったこともあり、出格子長屋門だったのですが、
引き戸の扉しか許されておらず、家老・奉行よりは格が下の位置付けです。

うちの場合もやはり大きな寺(廃寺)や大きな神社(式内名神大社)の総代
を代々務めていたようで、寂れた創建1100年の神社の祭祀権も継承しています。
245日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:29:33.96
すげー馬鹿だなこいつ
246日本@名無史さん:2011/05/01(日) 13:03:29.23
うちの田舎の場合山口県なんだけど古い墓から順番に無縁化(みんな東京 大阪に移住したので)
したので古いものから順番に徹底的に処分化されてて江戸明治の墓がどんどんなくなってるっす。
247日本@名無史さん:2011/05/01(日) 22:58:54.80
>>242>>243
なんという、俺のwktkスイッチを、くそぅwwwwww

由緒正しい家柄で羨ましいです。

というか、重文レベルなら、国が買ってくれんじゃね?
ちなみに普段の骨董品等の交換は、各ジャンルごとに組合があって、そこの業者市で安価に競り合いされてます。

それこそ、お宝鑑定団(今も放送してるのか?)に出たら一発じゃね??

とりあえず、お前んちの所蔵物が、どう思うか他の人にも聞いてみた。

夏休みにじいちゃんに聞いてきたら、是非とも報告して下さい!


248日本@名無史さん:2011/05/02(月) 02:31:54.53
公家っておもっきり渡来人じゃないの?
249日本@名無史さん:2011/05/02(月) 02:59:08.44
渡来人の血を引いてない日本人なんていません。
たとえ先祖が渡来系だったとしても、「公家」とよばれる時代の頃までには、
かなり混血が進んでます。
まあ、渡来系の血が濃い人薄い人、そのパーセンテージの差はあるけどね。
250日本@名無史さん:2011/05/02(月) 06:16:05.27
>>249
それは確立の問題であって、確証とは違うでしょ。
いうならば、それは説と憶測の域を脱しないわけ。
しかし、公家は確証として最も色恋渡来人でしょ
251日本@名無史さん:2011/05/02(月) 07:07:47.55
訂正 確立=確率
252日本@名無史さん:2011/05/02(月) 10:28:56.52
「確証」ってどんな「確証」だよw
それと渡来人ていうけど、どの時点の渡来との確証があると言ってるのかな?
まだ国家の枠組みなんて無かった弥生の渡来?
それとも古墳時代に入ってから? 
253日本@名無史さん:2011/05/05(木) 21:41:54.30
日本が陸続きの頃から(ry
254日本@名無史さん:2011/05/05(木) 21:57:21.50
畿内から九州の古墳の壁画見れば埋葬者は渡来系が多いだろうね
船の絵とか多いし
255日本@名無史さん:2011/05/05(木) 22:23:26.25
高松塚とか見るとそうとしか思えないね
256日本@名無史さん:2011/05/08(日) 00:33:10.96
逆に公家が渡来人じゃない証拠出すほうが難しいくらいのもんだろw
257日本@名無史さん:2011/05/08(日) 12:12:37.36
壁画や副葬品は当時の流行だから、壁画をして被葬者が渡来人だったと断定するのはやや無理。
現代なら、@-MACが副葬品なら被葬者はアメリカ人か?と言ってるようなもの。
258日本@名無史さん:2011/05/09(月) 20:11:18.14
>>239
江戸期に、名主・庄屋だと地方史・郷土史(旧村誌、町誌)辺りに
普通に出てくると思われるんですが調査なされましたか
また藩の古文書等の資料集にも藩士名以外に郷士・名字帯刀者名や
大口御用金納入者等が記録として残っている場合もあります

259日本@名無史さん:2011/05/18(水) 08:34:58.30
漏れの先祖伝来の墓地はJRや新幹線が開通して三回も移設され
現在は納骨堂に変わってしまいました。
遺牌や墓誌は残っているので江戸初期まで先祖は遡ることは出来ますが
先祖の遺骨が曾爺さん以降全く有りません。先祖の地では死者は土葬と聞きました。
墓を移設する場合、埋まっている遺骨はどうするのでしょうか?。
260日本@名無史さん:2011/05/21(土) 23:26:32.98
普通は骨壷に入れるだろww
261日本@名無史さん:2011/05/22(日) 05:58:25.67
>>1
血筋(血統図)よりも「家系図」の方が大切なのは多分みんな「メシ」食って
いかないと「生活」なりたたないからかな?むかしは一握りの「家」が資産(財産)もってたから
大庄屋の家で貧乏人がバイトさせてもらってるうちに認められて「お前仕事できるからうちの家の養子にきてついでくれないか?」
みたいな話になって血のつながった貧乏な親捨てて「血筋先祖」なんかよりも血のつながらない「家系」の方を重視するようになったのかな?
262日本@名無史さん:2011/05/22(日) 11:08:57.92
多摩の日野宿の名主佐藤彦五郎の家(下佐藤)は元々は江戸初期から続く日野宿の名主、上佐藤家の奉公人だったらしいよ。
263日本@名無史さん:2011/05/22(日) 12:44:12.39
>>162
その辺の事情、司馬さんの本に載ってたよ
司馬さんの爺さんか誰かが、惣衛門?を惣八に変えさせられたって
国の方針で庶民に衛門使わないことになってたらしい

立ち読みしただけだから手元に本がなくてアレだけど
つい数日前に平積みにされてた文庫本だった
264日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:52:23.21
>>263
ありがとうございます!探してきます。見つかるかな〜
265日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:09:09.02
先祖は某藩公の御抱え刀鍛冶だったのですがこれって凄いことなのでしょうか?

藩士名簿に多田源左衛門(仮名)の脇に但し書きがあり「但し馬場(仮名)姓」とあります
現在は馬場(仮名)を苗字にしています
江戸時代に苗字を2つ持っているというのは
武士の次男三男坊の馬場源左衛門が士分刀工の多田家の名跡を継いだのでしょうか?
多田家の方は戦国時代からの旧家であり馬場家は幕末頃に多田源左衛門になったようで源左衛門が初代として扱われています
地元の郷土資を観ると多田家の職業銘である「正宗(仮名)」の系譜は現在馬場家が持っているとのことです
これはどういうことなんでしょうか?

他の家の藩士系譜を閲覧すると渡部家「但し本名は多田」とあり源三位頼政を元祖にしている系譜等が沢山ありました

馬場家もそういう理由なのでしょうか?
266日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:25:42.06
その辺りの歴史調査してる人にアプローチできない?
藩によって違うかもしれないし、確実な答えがもらえそうなのだが。
267日本@名無史さん:2011/05/23(月) 11:23:55.12
うちの先祖も新右衛門が新右、儀之右衛門が儀之右になってた。
衛門はどこいったんだと思ってたら、国の方針だったんですね
268日本@名無史さん:2011/05/23(月) 13:15:39.69
司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈8〉ある明治の庶民 (中公文庫)

これだったような気がする、間違ってたらゴメン
269日本@名無史さん:2011/05/23(月) 13:26:32.99
江戸末期の家督相続について分かる人がいたら教えてください

戸主A (〜1850
戸主B (1855〜

AとBの間の戸主は戸籍上いません

これって戸籍上どういう手続きになってるの?
一時無戸主ってありなんですか?

というかここまで書いて気付いたけど、戸籍自体明治になってからのものだから
明治になって戸籍を作った時、戸主Bが前戸主はAと言えばそれで済むのかな

間違っていたら指摘してください
270日本@名無史さん:2011/05/23(月) 15:56:38.32
>>269
あくまで推測ですが、一度絶えた家に
養子が入って、再興したのではないでしょうか
271日本@名無史さん:2011/05/23(月) 21:22:30.83
>>270
ありがとうございます
考えがまとまってきました

Bは戸籍上Aの実子ということになっていますが生年からそうではない可能性が高いです
そしてB、Aの間に養子らしき方もおります
この方が早く亡くなったので記録に残らず記録上A→Bとなったと思います
このあたりの事情はルーツ調査する上で最もデリケートなところですね
272日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:38:15.12
>>268
助かりますありがとうございます!
今日観てきたけど見つからなくて;
出直します!
273日本@名無史さん:2011/05/24(火) 09:21:27.77
2chで出てくる先祖は都合よく殆ど武家か豪農が多いんだな。
軍スレでレスする奴の爺様が将校の割合が高いのと同じか。
締めくくりは戦後没落のパターン。
274日本@名無史さん:2011/05/24(火) 10:14:39.86
うちは、代々田舎の百姓だぜ
275日本@名無史さん:2011/05/24(火) 12:51:59.49
明治時代は職業とか住所とかわかるんだが、江戸時代は戒名しか分らない
戒名から職業って推察できないもんだろうか?
276265:2011/05/24(火) 18:17:10.82
でも実際に先祖が武士なんだからしょうがないじゃん
田舎の方じゃけっこう源平藤橘の系譜持ちはいるものだよ
自分の先祖は大中臣朝臣だが今の俺はといったら非正規労働者だがな
しかもクビになりそうだ会社に居場所がない
そんな出来損ないの自分の唯一の誇りといったら御先祖様しかいないんだよ
277日本@名無史さん:2011/05/24(火) 18:29:50.88
真相はともかくしがない庶民でも源平藤橘以外が稀だよ
278日本@名無史さん:2011/05/24(火) 18:46:27.98
真相はともかくってのが問題だ
証明ができないと系譜学とはいえない
とは言っても真実の歴史は重たいものだから
夢をもたせようという気持ちが伝言ゲームになるのはある意味人間らしい
279日本@名無史さん:2011/05/24(火) 18:59:30.66
武士や豪農、庄屋でないと記録が残ってないか、
宗門改帳など記録があったとしても簡単に見られないことが大きいと思うよ

うちの田舎も江戸時代のなんとか帳が元庄屋さんの家にありそうだけど
付き合いもないし問い合わせもできない
県の文書館が収集してくれるのを待つしかない
280265:2011/05/24(火) 19:44:52.93
嫉妬されたか
伝言もなにもそれなりの信憑性があるから武士だったわけなんだが
281日本@名無史さん:2011/05/24(火) 19:55:48.60
武士だから誇れる、という感覚は分かりませんな

海外のルーツ番組見るといいよおもしろいよ
ひとりひとりの人生とそれを取り巻く社会と、全体としての歴史と
それが自分につながってるという重みがわかるよ
282日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:19:59.32
>>265
多田家・馬場家が併存していたなら、両家が姻戚関係にあり馬場家から多田家に養子に入ったのでは
多田家は士分格の刀工で馬場家が非士分格の刀工のため資料では多田家しか把握できないのでは
両家が併存していないなら、本来の姓が馬場で、原因はわかりませんが多田姓に改姓し、明治に馬場姓に戻したのでは

ただ、藩士名簿より、墓・位牌・過去帳とかで照らし合わせて確認した方がいいと思われます
283日本@名無史さん:2011/06/02(木) 21:35:21.69
age
284日本@名無史さん:2011/06/04(土) 21:21:30.21
佐藤斎藤工藤が藤原はわかるんだが鈴木って何朝臣?
285日本@名無史さん:2011/06/04(土) 21:37:38.14
穂積朝臣
286日本@名無史さん:2011/06/05(日) 02:18:59.63
穂積って朝臣?
287日本@名無史さん:2011/06/05(日) 09:19:33.33
積み木の小屋
288日本@名無史さん:2011/06/05(日) 13:09:56.41
物部朝臣
村主朝臣
秦部朝臣
大伴朝臣
日奉朝臣
津守朝臣
建部朝臣
289日本@名無史さん:2011/06/06(月) 03:21:28.35
うちは、吉備の秦部朝臣?かな
日本書記にでてるように、先祖が、始皇帝15世の弓月王という伝承なので、
いまも夏に川で1000人規模の弓月フェスタというのを行政で開催している。
地元の研究者には応神天皇と秦氏との関係から、初期の前方後円墳の原型を
捜索している人もいる。
このまえ、相続で帰郷した折に、明治の秦村の村長ら一族が創作した渡来の
歌(出雲族、天孫がらみで10番まである)を同族の爺さんが教えてくれて驚いた。
うちは秦氏直系で、どうも五胡十六国の前秦政権の亡命一族みたいだな・・・

新羅系という研究者が多いが、伝承では中国、シルクロードの奥地から来ている
のを自慢している。竈、蚕、土木、製鉄、ヤギを連れてきたらしい。
290日本@名無史さん:2011/06/06(月) 14:43:46.24
宮本武蔵。
らしいが真相は不明。
新免本家には武蔵が書いたとされる絵かなんかが伝わってた。
しかし火事で焼失。
あればお宝鑑定団に出せたのに・・・
291日本@名無史さん:2011/06/07(火) 15:19:09.11
嫁ぎ先の家系図作ってるんだけど、明治時代にも協議離婚て結構あったんだね。
たまたまこの家に離婚する人やあとで認知された人が多かっただけかもしれないけど、
自分の家の方は離婚そのものがないから昔の人は離婚なんてしないのかと思ってた。恥ずかしい・・・
292日本@名無史さん:2011/06/07(火) 17:58:53.00
外国行くと、よく中国人と間違われる
先祖中国人?w

DNAでアジアのどこからきたかあるいは原住民か分かるようになったら
ルーツ探しが日本でもブームになるかな
293日本@名無史さん:2011/06/07(火) 19:03:44.17
>>292
最近テレビでやってたよ、くりぃむの有田はド日本人のDNAだったっけか。
13万くらいで調べられた気がする。
あるにはあるよ。やってみたいよね。
294日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:35:32.73
もうあったんだ
しかし、13万!高い
295日本@名無史さん:2011/06/08(水) 19:51:47.68
宮部鼎蔵
296日本@名無史さん:2011/06/08(水) 20:40:15.85
>>289 弓月氏って渡来系古代ユダヤ人が祖だね。天皇もそう。
297日本@名無史さん:2011/06/08(水) 20:51:30.35
ユダヤは論外
298日本@名無史さん:2011/06/10(金) 22:24:13.02
俺も先祖調査しはじめてから結局ユダヤやシュメールに辿り着いた感じがする
自分の先祖が神代まで辿り着いちゃうと何故かそうなった
ニビル星の宇宙人からはじまってダビデの子孫が継承する三種の神器を持った天皇家

の子孫の俺

先祖が山伏やってたからすぐにユダヤと関係があるってわかったよ俺の場合は
299日本@名無史さん:2011/06/11(土) 05:27:45.36
へんなオカルト話で、弓月のイメージを壊さないでほしいねw
ユダヤ羊軍団もいたが、主体はチベット・チュルク系鮮卑河西政権(前秦符氏亡命)
であり、旧約伝承、イエス伝はあくまで教養。

吉備の弓月の君は、後に赤穂、河内、山城に移動し、秦氏は全国へ植民し天皇領
を拡大する。皇室祭祀の基盤、神道の体系を形成し、仮想聖徳太子の参謀、秦河勝は
同族鮮卑拓筏の隋の煬帝に有名な「日いずる天子の書簡」を送り、成り上がりをけん制し
ライバル高句麗挟み撃ちを提案。
隋、唐も日本を古来から秦氏が拠点化していたことを知っていたそぶりもある。
当時の漢人は植民地階級で、長らく混血化していく。ユーラシアは天皇家、秦氏とも
繋がるので、チベット、ウイグル、トルコ、カザフスタンあたりまで日本人と兄弟。
300日本@名無史さん:2011/06/12(日) 11:43:14.72
馬場家か
武田信玄の重臣の馬場信春と関係あんの?
301日本@名無史さん:2011/06/12(日) 21:42:02.28
弓月氏は天皇のとりまきだったわけだし秦氏を名乗っているんだよね?
渡来人だからユダヤと関係ないと言い切れないと思う。
ユダヤと言っても古代10支族ユダヤ人ね。
302日本@名無史さん:2011/06/14(火) 13:07:29.04
本当にユダヤ人が来てるのなら遺伝子研究で何か出そうなものだけど
303日本@名無史さん:2011/06/19(日) 01:02:30.74
戸籍整理してて出てきた疑問があります。

祖父は長男ひとりっこだと思ってたんだけど曾祖父の戸籍を見たら、
他に同じ父親(本籍が曾祖父と同じことから同一か)と思われる姉、妹計3名が生まれて間もなく亡くなっていて、そのだいぶあとに生まれた女の子だけ最初から私生児扱いになっている。
曾祖父自体も生まれてからしばらくして認知されたクチだが亡くなった3名に関しては認知もされず父親欄は空白。
こういうことって普通にあることですか?
ついでに言うと曾祖母にはそれより昔別の男性との間に男の子がいるがこれまた認知。
普通に結婚して生まれた人が少なすぎてなんとなく違和感が・・・
304日本@名無史さん:2011/06/20(月) 04:04:13.40
アゲアゲ
305日本@名無史さん:2011/06/24(金) 00:55:51.20
>>303
昔は戸主制度なので、その家で養ってる人は全員同じ戸籍になる。
子供、孫、兄弟やその妻子、祖父母いとこなども一緒に住んでて財産管理同一なら一緒に載ってる。
なので、祖父母の子供とは限らないし、私生児が父親側の戸籍に載るのは認知されてないと無理なので
父欄空欄ということは、この家の女性が産んだ子供。
昔は戸主が認めないと結婚届出せなかったので、何人も認知だけでいて代替わりでようやく結婚とかあります。
子供が産めることをお互い確認してから結婚てのも多かったようです。
306日本@名無史さん:2011/06/25(土) 07:16:47.53
めずらしい苗字は注意した方がいいよ。10世帯しかいないような明治新姓は
それまで(江戸時代まで)苗字もなかったような漂泊の民(サンカ)=「非人」の可能性があるから。。。
307日本@名無史さん:2011/06/25(土) 11:30:58.59
ユダヤ人とかサンカとかもう電波大会だね
308日本@名無史さん:2011/06/25(土) 20:52:35.17
>>303
あるかも
うちも祖父母、曾祖父母は子供が先
ちなみに典型的な地方の農村
309日本@名無史さん:2011/06/26(日) 16:26:47.48
江戸時代ほとんどの人 名字なんてないのでは?
310大室寅之スレ:2011/06/26(日) 21:56:25.45
戸籍廃止血筋先祖調査スレ江戸庶民名字なしは5%

ここスレオーナー大室寅之スレのショートメッセージ

親類の年寄りがうちのご先祖さまはといって誇る話が鎌倉か平安か
それ以前かのような話なので興味をもって調べたら明治のはじめ頃のささいな
エピソードが脚色されて膨らまされただけだったとわかった。という話もあったと聞いたことがある。
まあ歴史はそんなものだろうね。
311日本@名無史さん:2011/06/28(火) 00:00:37.43
>>308
うちの曾祖父母は子どもが3人できてから結婚してる。これも理由は同じなのかな?一番目と三番目は8歳も差がある。
ちなみにどちらも陸の孤島みたいな田舎で近畿と四国なので、どう言う馴れ初めや背景があるのか本当に謎。
312日本@名無史さん:2011/06/29(水) 04:08:01.63
昔は跡継ぎたる男児が生まれるまで籍は入れん!ということはよくあったらしいけど、違うかな?
313ロックンロール:2011/06/29(水) 05:25:52.55
一言で言えば、殺し、殺され戦ばかりしかすることの無かった時代と違い、
現代は、パチンコ、サッカー、野球とすることがいくらでもある。
家系だの、血統の拘らずにしようではありませんか。
皆さん、名の知れた武士や華族に突き当たっただけでいいのですか。それ
より先は無視するのですか。
とどのつまりはアダムとイブか分からないはずですね。
名家すなわち権力の集中。権力を得るため相当あくどい事をしたはず。
 現在の戸籍は99.9%信用できる物と思います。
だから、現在の氏名から個々に家系図を作ったらどうなんでしょか。
 父A 政治資金規制法違反で懲役、息子 東大卒 商社に勤務横領で解雇
懲役、娘 歌手で成功 とか。
314日本@名無史さん:2011/06/29(水) 10:49:30.27
>>309
公式に名乗ってはダメだっただけで名字は持ってた
315日本@名無史さん:2011/06/29(水) 22:55:46.79
このスレの最初のほうにあったレス

25 :日本@名無史さん:2011/02/28(月) 00:19:17.43
俺の親には両親が二人。その祖父母達にも両親が二人。
俺の三代前の先祖は八人。その八人にも両親がいる。
六代前だと六十四人。それぞれ二十五歳で子供を生んだとして六代前が百五十年前。
十代前だと二百五十年前、先祖の数は千二十四人。
二十代前だと五百年前、つまり戦国時代突入前。先祖の数は百四万八千五百七十六人。
遺伝子は両親から受け継ぐ。男系だけの遺伝でもなければ長男と次男の区別も無い。
二十代前の百万人からたった一人からの流れだけを先祖とする。
これに価値を見出す科学的根拠が無い。

自分の先祖を現代から逆算すればネズミ算的に拡散する。
誰が自分の先祖なのか?自分は誰の子孫なのか?
誰にだって自分が望む身分の人が必ず先祖にいるし、
自分の遺伝子はあらゆる人々から受け継いでいる。
316日本@名無史さん:2011/06/30(木) 06:48:53.00

その場合、「はとこ」どうしが結婚したなどはどうなる?
317日本@名無史さん:2011/07/02(土) 20:57:46.93
>>312
そうなんだ びっくり
今と事情が違っててなかなか分かりづらいこと多いよね

昔は男女7歳にして・・とか、顔も知らずに結婚とか、そういうイメージが強いけど
実は、その逆の自由な恋愛の風習の裏返しで潔癖なイメージが強調されてるのかな
318日本@名無史さん:2011/07/03(日) 19:22:16.36
先祖調査をやるなという人間はサヨクが多い
もしくは都合が悪い人間
319日本@名無史さん:2011/07/04(月) 08:16:26.45
戸籍の取得って年々難しくなってるんだろうな。俺がやった5年前に比べたら
320日本@名無史さん:2011/07/04(月) 12:19:55.07
>>317
さすがに312は聞いたことがない。
未婚のまま男が通ってきてセックスし、生まれた子の性別によって
積を入れるかどうか決めるのが普通だったなんてことはない。
未婚のままあらゆる男を受け入れてたら
それこそ子供の父親が誰かなんてわかったもんじゃないしね。
321日本@名無史さん:2011/07/04(月) 20:59:46.43
>>320
いや、家長の許可が出るまで籍を入れない=その間はだれとでもやっちゃうってのは
考えとしてぶっ飛びすぎ。
322日本@名無史さん:2011/07/05(火) 00:11:48.93
長男が生まれるまでは(例え女児が生まれようと)今で言う事実婚状態。
一緒に暮らすけど籍だけ入れない。
女性弁護士の自伝にそんな記述があったよ。
自分は長女だったが弟が生まれるまで父は籍を入れなかったと。
母がおめかけさんだったわけではないとね。
本のタイトルも必要ですか?
323日本@名無史さん:2011/07/05(火) 01:21:51.53
わりとおおらかに恋愛して
子供の父親が誰かは母親が指名する
みたいなことは司馬さんの本で読んだ
この国のかたちのはじめの方の巻

こういう自由恋愛は今じゃ全くピンとこないな。。
324日本@名無史さん:2011/07/11(月) 09:55:55.88
明治の戸籍っていう制度が新しいからね。戸籍に入れない=普通恋愛、というのは
ちょっと違う。
明治民法が出来た頃は離婚率は高かった。江戸時代も離婚は多かったらしい。
しばらく一緒に暮らしてみて、合わなければ別れるというのが一般的だった
のではないか。

江戸時代の上流階級である大名家でさえ婿養子がたくさんあったんだから、
男にこだわるのも一部だったんじゃないかな。

>>323
田舎の庶民のちょっと歴史のある家だけど、昭和・大正・明治のご先祖さんで
それはないな。親が決めた結婚、ってやつだ。
325日本@名無史さん:2011/07/11(月) 19:16:04.74
士族と平民が婚姻するようになるのはいつごろ?
明治初期? もしかして藩政時代でも通婚してた?
326日本@名無史さん:2011/07/11(月) 20:40:43.45
下級武士なら百姓上層や商人と婚姻関係があった
旗本でも長谷川平蔵みたいに母が百姓出もあったし大名や歴代将軍にも母が百姓などの平民層の場合もあった
327日本@名無史さん:2011/07/11(月) 22:04:01.00
綱吉や吉宗といった歴代将軍の中でも大物は生母が平民だな
328日本@名無史さん:2011/07/12(火) 03:00:39.47
ひいひいじいちゃんが広島にいて警察をしてた証拠もあり、武士の家系図も一応あるけど名字が新井
一応戦後のどさくさに紛れた朝鮮人ではないが名字が新井なのが気になって仕方ない
ちなみに読み方はあらいじゃなく にい です
329日本@名無史さん:2011/07/12(火) 03:02:30.54
警察ってのは家系や家の筋目には関係なくなれるよ
330日本@名無史さん:2011/07/12(火) 03:04:48.11
>>329
まじでか
昔は日本人以外はなれなかったってきいた
とりあえず農民でもいいから日本人認定がほしい
331日本@名無史さん:2011/07/12(火) 03:08:07.35
>>329
なんどもごめん
警察のそこそこ偉いさんだったみたいなんだけど関係ないのかな
332日本@名無史さん:2011/07/12(火) 10:13:55.93
>>315
統計の理屈だとそうなるけど、同じ血族集団同志で結婚しないと権力の争いと分散に繋がるわけでね
誰構わず結婚するわけじゃなく、権力のある一族同志で結婚するのが普通だと思うよ
つまり一万人の一族集団がいれば、その中だけで結婚を繰り返すってこと
だから、権力者に限って言えば等比数列のような人数には全くならないだろうね

ただ、政略結婚が多くなればなるほど血が濃くなって遺伝的な危険性を孕むわけで、
できるだけそうならないように家系図を見て結婚相手を探してたと思うけどね
あくまで憶測の域だけどね
333日本@名無史さん:2011/07/12(火) 10:52:11.91
>>327
まぁでも彼女らは大奥で働いててお手つき→側室になったシンデレラタイプだからちょっと意味合い違うかもね。
うちは大正生まれのじいちゃん世代まで、もらった嫁さんのほとんどがいわゆる城下町の出。
身分は知らんが会津だ唐津だ川越だ、一体何の縁でどうやって知り合ったのか等非常に興味があるのだが、今となっては調べる術はなしw
334日本@名無史さん:2011/07/12(火) 12:17:55.59
正直言って私の場合、自分で把握できるのは祖父母まで。
その祖父母の兄弟の詳細や現状なんて知らない。
また従兄弟までならわかるがその配偶者や子供なんてよく知らない。
ハッキリしてるのは養子が多いってこと。
だから本屋も分家も養子が継ぐたびに血の繋がりは途切れる。
まったく養子が入っていない家なんて多分珍しいと思う。
自分の先祖は家系と血の繋がりは違う人が大半じゃないかな。
335日本@名無史さん:2011/07/12(火) 12:53:10.38
うちの母がた祖父も曽祖父も養子だとは知りませんでした
336日本@名無史さん:2011/07/12(火) 12:57:31.75
昔の武家なんて血の繋がりよりも家の存続が大事だったから養子が多い。
337日本@名無史さん:2011/07/12(火) 14:56:33.54
養子って言っても
完全な養子と娘婿の養子は区別しないと
338日本@名無史さん:2011/07/12(火) 19:36:34.13
区別しなくていいよ
339日本@名無史さん:2011/07/12(火) 20:24:24.47
俺の親父の地元は平家の落人部落
340日本@名無史さん:2011/07/13(水) 16:25:21.59
>>339
うちも平家の落人の末裔と言われた。(岐阜・飛騨の山中)
でも家紋は武田菱だし家系図は爺さんが調べて作った。
爺さんの時代は部落とかで差別する人が多かったから、
自分は良い血筋だと差別する側になり優越感が持てたのだろう。
でも今時家系を云々する人なんて逆差別の利権屋程度だろう。
341日本@名無史さん:2011/07/13(水) 16:30:51.39
俺は大分の豊後大野市の落人部落
342日本@名無史さん:2011/07/13(水) 16:35:13.62
壇ノ浦から行き着く先として考えると大分なら本当に平家の末裔かも知れないな。
343日本@名無史さん:2011/07/13(水) 19:25:20.97
うちの田舎はモロに平家落人と落人狩り源氏の部落で有名な椎葉村だよ
344日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:39:53.14
正直自分の祖先って5代前しかわからないよね :01/09/09 05:51
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/999982281/

★★私のルーツを尋ねて三千里 2〜ご先祖探し★★ :02/11/30 20:40
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1038656451/

正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねB :03/01/17 23:30
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1042813804/

正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねC :03/09/04 21:45
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1062679527/
345日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:43:29.21
正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねD :2005/04/04(月) 12:49:25
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1112586565/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るス :2005/04/07(木) 01:22:22
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1112804542/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレA :2005/11/21(月) 21:41:12
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132576872/

先祖探しのテクニックエピソードを語るスレB :2005/12/20(火) 23:03:49
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135087429/
346日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:45:56.82
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレC :2006/01/19(木) 21:56:55
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137675415/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレD :2006/04/04(火) 02:20:22
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1144084822/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレE :2006/06/07(水) 18:11:08
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1149671468/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレF :2006/10/23(月) 23:32:25
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1161613945/
347日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:48:23.12
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレG :2007/02/26(月) 20:08:06
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1172488086/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレH :2007/07/10(火) 23:55:00
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184079300/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレI :2007/10/08(月) 16:56:15
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1191830175/

正直自分の血統祖先って5代前でわからないんだよE :2007/11/20(火) 15:35:14
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1195540514/
348日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:55:28.25
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ J :2007/11/22(木) 16:29:32
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1195716572/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレK :2007/12/05(水) 13:57:48
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1196830668/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 13 :2008/01/26(土) 05:13:58
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201292038/

先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 14 :2009/03/02(月) 02:46:23
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1235929583/
349日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:57:40.10
壬申戸籍・・ご先祖様調査スレ・・明治19年式戸籍 :2010/09/12(日) 14:05:14
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284267914/

先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@ :2011/01/10(月) 12:53:19
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/
350日本@名無史さん:2011/07/13(水) 21:59:57.61
>>344,345,346,347,348,349です。
このスレのご先祖スレを探してみました。
この板では大量書き込み出来ないので分割連投となってしまいました。
尚、私自身の先祖探しはこれからであります。
351日本@名無史さん:2011/07/14(木) 00:08:22.19
>>343
那須大八郎と鶴富姫の話の所ですね。

俺の先祖は多分みんな貧乏な暮らしだったんだろうなと思う。
土地も資産もないし自慢話も聞かない。
死なない程度で必死に生きてたんだろうなと思うと本当に先祖が有り難く思える。
352日本@名無史さん:2011/07/14(木) 00:46:02.23
うちの先祖の故郷も近くに平家落人伝説がある。
他府県にはうちの苗字と同じ地名が何ヵ所かあるが、そこも落人伝説がある。
やっぱり平家なのかなぁと思って家紋の文献調べたら、やはりうちの家紋はルーツが平家だった。
353日本@名無史さん:2011/07/14(木) 14:30:46.04
俺の名字は宮崎県の高千穂にある滝と同じ名前なんだよな
354日本@名無史さん:2011/07/14(木) 20:43:34.43
 七月二十七日は、岩屋城戦四百二十六年目に当たります。
   遺族ほか関係者による法要を営みます。
   御参詣下さいますよう、御案内申し上げます。

                   太宰府市 岩屋山   西正寺

http://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/bu/date/date002.htm

  今年も暑そう。
355日本@名無史さん:2011/07/17(日) 00:51:42.67
戸籍で調べたら養子がいくつかあって驚いた。
金持ちってわかでもなかったようだ。
職を世襲できるような時代でもないのになんでそんなことしてたんだろ。
356355:2011/07/17(日) 00:56:06.43
あと父の父の父が養子に来て今の自分が使ってる苗字になったんだけど、
養子前の苗字のほうがかっこいいし珍しいしでもやもやしてる。
357日本@名無史さん:2011/07/17(日) 02:58:24.18
>>355
婿養子のことを「養子」って記入してるから
358日本@名無史さん:2011/07/19(火) 01:50:36.20
落人部落ってよくきくけど日本全国にいくつあるんだろ

源平にかかわらず戦で負けて逃げのびてきたっていうエピソードありがちだよね
敗走は不名誉な(隠すべき)歴史じゃないんだなといつも不思議に思う
359日本@名無史さん:2011/07/20(水) 18:39:41.83
>>326-327
ありがとう

確かに農民(藩政時代)や平民(明治)の女が侍・士族に嫁ぐ例は結構ありますね

では、男が平民で女が士族の場合は?
士族が嫁にやるのは士族じゃないととか、嫁にやるのは何処でもいいとか
何か考えはあったんでしょうか
360日本@名無史さん:2011/07/20(水) 20:30:41.66
金がある家に縁づかせる
361日本@名無史さん:2011/07/20(水) 23:11:19.93
士分格である幕末の頃の先祖の戒名が△△□□居士
近所の同時期の士分の人の戒名が○○軒△△□□居士
城下町の同時期の上士の人の戒名が○○院△△□□居士
城下士との格差は納得できるとはいえ
藩士名簿には同格として扱われている我が先祖と近所の先祖の格差は納得できない
やっぱり士分格だと格下げになるのかな?
362日本@名無史さん:2011/07/21(木) 01:54:22.97
>>361
身分の他に、寺社への寄進の多寡によって差別化したのでは
363日本@名無史さん:2011/07/21(木) 13:40:12.53
>>355
時代がわからんが明治には養子になって徴兵逃れできる時期があった。
また年金がない時代なので貧乏な家同士でも子供のいない人は養子をもらったので男の養子は現代よりかなり多い。
364日本@名無史さん:2011/07/21(木) 18:18:53.22
>>362
でも単なる檀家じゃないんだよ
そもそも家系は菩提寺の住職家の分家だし
365日本@名無史さん:2011/07/21(木) 22:52:58.80

>>364

親子だろうが兄弟だろうが、嫌いな奴・虫の好かない奴は存在する


366日本@名無史さん:2011/07/21(木) 23:26:53.42
うちの母の実家にも合戦で逃れてきた平家の落ち武者を弔ったとされる祠がある。
主人と家来で二つ。
合戦って壇之浦かな?
貧しい農家だがそんな頃からあのあたりで米作ってたのだろうか?
だとするとさらに古いと思われる近くの神社(社があるだけで無人)は一体いつからあるのか知りたい。
しかし方法がない。
何を奉ってあるのかも不明。
367日本@名無史さん:2011/07/22(金) 13:32:30.43
>>366
「平家」と「平氏」では意味が異なることはわかってるよな?
言い伝えの中で言葉が変わってしまっている事も考えられる。

神社の由来は社名によってある程度推測できる。
368日本@名無史さん:2011/07/23(土) 11:47:27.08
http://9104.teacup.com/funnyara/bbs/446

廃棄されても復活する例はあるのね。
369日本@名無史さん:2011/08/06(土) 09:29:22.07
うちの先祖は代々院殿号が付いてる
小国の家老にすぎないんだけどなんか畏れ多い感じがする・・・
それと田舎だから墓が30基近くあって掃除が大変すぎる
370日本@名無史さん:2011/08/06(土) 23:46:47.23
役所の戸籍だと当然ながら明治初期に亡くなった先祖までのデータしか無かった。
電話帳調べたらまだ傍系の人の家があるみたいだから一度行って墓や寺を紹介してもらう予定。
ただ、仮に協力を仰げたとしても、寺に行って過去帳見せてくれって言うとスッと見せてくれるもん?
371日本@名無史さん:2011/08/07(日) 00:04:32.66
個人情報保護法とか職務上知った個人の情報を洩らすとやばいぞ、と
会社のコンプラでうるさく言われる。
坊さんも教えないんじゃないかな。
372日本@名無史さん:2011/08/07(日) 00:24:31.93
150年前に死んだ人の情報を漏らして誰が被害を受けるんだろうかw 直系の子孫で身分を証明出来ても無理なんだろうか…?
373日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:06:45.38
>>372
>>150年前に死んだ人の情報を漏らして誰が被害を受けるんだろうかw
以前著名人の先祖を勝手に調べた記者がいてそこから厳しくなった。
それ以前にその寺の檀家なのか?

>>傍系の人の家
とかあるけど相手方からすればすごく迷惑だよね。
374日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:22:28.70
>>373
確かに。ある日突然「私はあなたの先祖の直系の子孫です。」と訪ねて来られても胡散臭いな。
そんで「私は直系です。あなたは傍系です。でも墓は傍系のあなたが管理している。」
そんなこと言われてもな。
んで、そんな人と今後連絡を取ったりするのも嫌だしめんどくさいな。
>>370さんはもう電話帳で調べて紹介してもらう予定なんだから失礼のないようにしたほうがいいね。
直系なのに外された理由とかは知ってても言い辛いだろうしね。
375PureAudio香具師:2011/08/10(水) 10:53:22.65
漏れの江戸時代後期の先祖は嫡男が1人しか生まれなかったので
心配した親が2人の娘に養子を迎え入れ分家を2つ創りますた。
本家は武士ですが分家は儒学者と農民?又は職人?です。
武士の分家は武士ではないのでしょうか?。
376日本@名無史さん:2011/08/10(水) 11:46:11.07
>>364
いつの時代のこと言ってる?
江戸時代までは僧侶の妻帯は許されなかったし(浄土真宗は例外)
住職が優秀な弟子や気に入っている弟子を次の住職にするという流れで寺院を守ってきた
だから住職の出家する前の実家とかまったく関係ない
377日本@名無史さん:2011/08/10(水) 17:02:29.03

>>375
>>武士の分家は武士ではないのでしょうか?。

もちろん武士ではない。殿様と主従関係を結んでこそ武士。
殿様は無制限に部下を増やすことは出来ない。自分の蔵入りが減ってしまう。

新規召しだしされるか、他の大名に仕えることが出来れば武士
378日本@名無史さん:2011/08/11(木) 03:11:43.82
そういや藩士は分知って出来ないわけ?
新恩じゃなければ殿様も腹は痛まないわけだが
やはり田分けは家の弱体化に繋がるからやらなかったのだろうか
379日本@名無史さん:2011/08/11(木) 05:34:56.01

>>378

本家の家格低下につながるから、めったにやらない
380日本@名無史さん:2011/08/12(金) 08:11:26.41
>>375
藩主の家老などならともかく、普通の武家では嫡子以外は農民がほとんどだろう。
我が家も300年くらい前に嫡子の弟が一度町人になって、すぐに新規召出されて
武士に復活したと文書に書いてある。
381日本@名無史さん:2011/08/12(金) 08:55:31.08
>>367
神社名で調べてみたら意外な事実が浮上しました。
整合性を考えるとやはりそれなりに古くから住んでいたと思います。
ありがとうございました。
382PureAudio香具師:2011/08/12(金) 13:05:56.67
分家を創った理由は財産が他人に渡ることを防止する為だったらしぃのですが
一般的に武家より資産が少ない?と思われる儒学者や職人の家から
婿を取るのでしょうか?
漏れが分家を創る親なら武士の家から後継ぎの必要の無い2男や3男を
貰うと思うのですが?。
383日本@名無史さん:2011/08/12(金) 16:15:40.96
御用学者などだと下手な士分より社会的地位が高いし
平侍より学者の方が人脈広いから何かと有利に働く場合かある
有力な百姓は家老などよりも遥かに財力があったから百姓から養子を取る場合も結構あった
例えば江戸時代も後期になると御三家の家老でさえ百姓から養子を貰ったりしている
逆に武家の娘を百姓が妻に迎える例もある
大身の武家でさえそうなのだから、分家ならさして不思議ではないかと
384日本@名無史さん:2011/08/12(金) 18:06:12.94
ここの方々、歴史史実に詳しそうなので質問させてください。
私の先祖は元々江戸時代に武士身分だったのですが
自分の直系の先祖(次男)が明治の中頃に本家から分家してからも
士族と言う族称が消えずに付いておりました。
正確には山形県士族から千葉県士族に変わっています。
通常は士族の家の者であっても分家をすると平民に編入されるらしい
のですがなぜなのか・・・? と疑問に思った次第です。
因みにその直系の分家した先祖は陸軍の軍人(将校)でした。
385日本@名無史さん:2011/08/12(金) 19:41:12.10

>>382

格下から養子を取ったほうが持参金が入ると思うが?

386日本@名無史さん:2011/08/12(金) 21:14:21.56
>>383
御三家のどこのなんていう家老?
387日本@名無史さん:2011/08/12(金) 21:27:28.88
388日本@名無史さん:2011/08/12(金) 22:05:58.14
>>386
水戸藩の市川家とか
389日本@名無史さん:2011/08/13(土) 13:01:13.96
お盆だから墓参りに帰る。
俺の直系の先祖は農民。
ひい祖父さんは徴兵され南方で死亡。
同郷の部隊の人の話では病死だったらしい。
残された家族も空襲で焼きだされ、
数年前亡くなった祖父さんは10歳で右腕をなくした。

俺の先祖は必死に生きてきた。そして今の俺がある。
先祖の身分を誇るような卑しい感覚ではなく、
自分の存在は先祖からのつながりだと思いをはせ先祖に感謝しよう。
390日本@名無史さん:2011/08/13(土) 23:38:55.05
■■■■■■■■■■■■■■■■
日本人は『必ず』見て下さい。
『あなたの将来』に関する事です。
■■■■■■■■■■■■■■■■

これはテレビでは流されない『現実』です。
あなたの家族・恋人・友人達そして『日本人の未来』に関係する重要な事です。

マンガ、人権救済法案
http://image01.wiki.livedoor.jp/p/5/pinhu365/9578cc749ec9a47b.jpg
http://image02.wiki.livedoor.jp/p/5/pinhu365/1b567e1b8accb3ce.jpg
危険!外国人参政権
http://livedoor.2.blogimg.jp/netamichelin/imgs/c/0/c02bfd6b.jpg
日本人を滅ぼす人権侵害救済法案に反対!
http://www.youtube.com/watch?nomobile=1&v=zRlxrGNVjIs
マスコミの偏向報道に抗議する人々
http://www.youtube.com/watch?v=izv8AKw3tKY
着実に進む「人権侵害救済機関 設置法案」
http://www.youtube.com/watch?nomobile=1&v=AeSdS8oFRXs
シミュレーション「もしも外国人地方参政権が成立したら?」
http://www.youtube.com/watch?v=NlsikmAlAE4
『朝鮮人制連行論説』の実態
http://www.youtube.com/watch?nomobile=1&v=Udb67I75MSA
人権擁護法案(人権侵害救済法)は外国人参政権とも関連している
【民主党】人権救済機関は権限強い「3条委員会」に 人権擁護委員の要件は「地方参政権を有する者」と将来的に外国人も
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1307503337/
【正論】 日本大学教授・百地章 震災のかげで「悪法」を通 すのか
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110729/plc11072903070000-n1.htm
あなたは気付きましたか?
http://www.youtube.com/watch?v=ZfzI4pnUpVg&feature=feedf
http://www.youtube.com/watch?v=j-ttK-KEl6w
391イケメン2号:2011/08/16(火) 11:35:40.17
Yesterday親戚の葬式に出席して来ますた。
火葬直後に行われた初7日の法要で坊さんがお教を読み終えた後
戒名の説明をしてくれますた。
戒名は凡字 ●●●●居士で坊さん曰く、〜居士と言う戒名は
江戸時代なら最低でも庄屋以上にしか付けることが許されないと。

それで急いで漏れの先祖の戒名を墓誌で調べたら、漏れの父の父方は
歴代農民の筈で〜居士なんて居ない筈なのにゴロゴロ何人も出て来ますた。
宗教の違いで戒名の付け方も違うのでせうか?

392日本@名無史さん:2011/08/16(火) 13:24:35.95

>>391

坊主は歴史家ではない

393日本@名無史さん:2011/08/16(火) 16:03:08.99

仏の嘘を『方便』という
394日本@名無史さん:2011/08/18(木) 09:21:46.61
江戸中期、養子とだけあって血縁関係が全く分からない人がいます。ちなみに先代には
実子(男子)が3人以上いたのにも関わらず養子を迎え、その子孫が代々家を継いで現在に至っています。
当時の社会現象として、このような例はあったのでしょうか?どう解釈すればよろしいでしょうか。
395日本@名無史さん:2011/08/18(木) 18:43:39.56
実子が短命だったとか?
396日本@名無史さん:2011/08/18(木) 19:17:54.90

>>394
>>実子(男子)が3人以上いた

どのような根拠があって確定できましたか?

家業は何ですか?



397日本@名無史さん:2011/08/18(木) 19:19:20.07
明治以前に苗字が無かった人の除籍謄本ってどんな感じなの?
本人は苗字があったとしても、その前の代は苗字が無かったわけだから、例えば「前戸主 ○○太郎」とだけ書いてあるの?
398日本@名無史さん:2011/08/18(木) 19:55:50.57
>>396
武家(在地御家人)です。根拠は過去帳と墓と古文書です。
399日本@名無史さん:2011/08/18(木) 20:20:41.69

>>398
>>在地御家人

寡聞にして知りません。鎌倉時代の話ですか?

400日本@名無史さん:2011/08/18(木) 20:29:57.51
>>399
いいえ。江戸以降、城下住まいで仕官していた藩士ではなく、地方にて士分を有していた郷士という意味です。
401日本@名無史さん:2011/08/18(木) 20:48:34.63

>>400

失礼しました。通常、御家人といえば徳川幕府の家臣で御目見以下のことですので

402日本@名無史さん:2011/08/18(木) 22:07:39.91
在地御家人ってどこの?
下田とか佐渡にいた御家人?
403日本@名無史さん:2011/08/18(木) 22:13:54.75
肥後国細川藩です。
404日本@名無史さん:2011/08/19(金) 00:11:22.25
大国主命
正確にいうとその子供の建御名方命の子供がご先祖様だそうだ
ぶっちゃけ神官をやっていたご先祖様がそういうことにしたらしいけどw
実際は長野の豪族の分家らしい
405日本@名無史さん:2011/08/19(金) 18:12:12.11
大国主の子孫ならば大神姓なの?
406日本@名無史さん:2011/08/19(金) 19:00:12.34
江戸中期までは何とか母系は遡れる。酒造りをしていたため きっちりとした古文書やら菩提寺に過去帳がある。
浮世絵に扱われた絵柄の背景に看板が書かれていたので大凡の場所も分かっている。
父系は全く明治以前というか曾祖父以前が解らない。
苗字で探すと「瀬戸内海の水軍(海賊)」らしい。曾祖父は「山師」で石炭を探していたが当たらず、亜炭を当てている。
407日本@名無史さん:2011/08/19(金) 22:04:26.65
肥後熊本細川家の郷士っていわゆる一領一疋ってやつ?
408日本@名無史さん:2011/08/19(金) 23:59:14.51
>>406
そうです。
409日本@名無史さん:2011/08/19(金) 23:59:58.91
アンカー間違えました
>>407
そうです。
410日本@名無史さん:2011/08/20(土) 01:17:23.10
今度お寺で過去帳を見せてもらう予定だけど、必要なマナーなどありますか?

あと、過去帳ってどんな書式なんですか?家ごとにまとめられ、親子や兄弟の関係などもわかる物なんでしょうか?
先祖の出身地では同じ苗字が沢山いるので混乱しないか心配です
411日本@名無史さん:2011/08/20(土) 02:03:35.71
>>410
寺の許可は取れているんですか?
412日本@名無史さん:2011/08/20(土) 08:14:24.63

>>410

今は見せてくれないんじゃね?

413日本@名無史さん:2011/08/20(土) 08:31:02.24
>410
通常は長いこと檀家だという事が分かっている家でも 該当箇所だけを見せてくれる。
それも先祖の供養の時に戒名を調べるとか ちゃんとした理由は必要ですよ。
414イケメン2号:2011/08/20(土) 20:00:21.93
昨日市役所の市民課に逝って除籍謄本を請求して来ますた。
除籍謄本を請求する時に漏れと被請求者との血縁関係を証明する必要が有りますが
結局、全3通請求して血縁関係を証明することが出来ず1通しか入手出来ませんですた。
血縁関係を証明出来る位なら除籍謄本なんか請求しないのですが
何とか市民課の受付嬢を騙して入手する方法やテクニックは無いものでせうか?。
415日本@名無史さん:2011/08/20(土) 20:12:29.48
>>414
そんな方法はありません
仮に祖父や祖母の除籍謄本を請求する場合は
祖父・祖母の子供(両親)と本人が血縁関係があるという書類(戸籍謄本)のコピーが必要です。
416日本@名無史さん:2011/08/20(土) 23:22:56.28
>>405
大国主命の孫の子孫という設定だし、その神様とも全然関係無い名前です
417日本@名無史さん:2011/08/21(日) 04:05:48.04
過去帳の続柄はうちは記載ある人とない人がいた
戸籍じゃ分からない情報があったりしたよ
418日本@名無史さん:2011/08/21(日) 07:57:44.79
それって常識だよ
419日本@名無史さん:2011/08/22(月) 18:26:59.08
享保からの墓があります
初代以降とその妻の墓は残っていますが、2代目とその妻の墓のみが崩壊して読めません
残っている石には文字が書かれた形跡も読み取れないので墓石が持ち去られたか、故意に破壊されたように見えます
このようなことの理由として考えられることに何がありますか?

初代と三代目の間に台座は残っていますし、時代も一代飛ぶのでそこが2代目の墓であろうことは間違い無いと思います
また、少し離れたところには初代の息子の子孫(分家)と思しき墓が並んでいます

家としては関ヶ原で負けて没落し、江戸時代には苗字帯刀を許された農民でした
420日本@名無史さん:2011/08/23(火) 02:42:02.40
>>419
地震で壊れたとか

しかし、みんなよく菩提寺が残ってるな
昔って物凄くたくさん寺社があったよね
うちの地元じゃ約300戸の集落に14の寺があったが、廃寺や統合になって今残ってるのは2つだけ
我が家の菩提寺は今やどの寺だったかも定かではない
当然、過去帳などは紛失してしまって調べようがない
421日本@名無史さん:2011/08/23(火) 11:36:38.82
>>420
うーん、確かに周期的に地震のある地域なんだけど、周期が合わないんだよね
大きな地震は初代の数年前と、3代目(4代目?)の後

並んで建ってるのに2代目とその妻の墓だけ文字も読めないほど完膚なきまでに墓石が壊れてる
なにか2代目がやらかしたとかかとも思うんだけど・・・
一代目と二代目だけ台座は大きく作ってある
3代目は戒名書いた墓石と本名の墓石、嫁の墓石が4つ纏められている
それ以降は特に異常なし
422日本@名無史さん:2011/08/23(火) 19:40:58.64
>>421
石質が違うとか?

うちの墓は、三月の地震ですべて倒壊。
この内、天明から文化にかけて、そして明治以降の墓は御影石だったので、
多少の欠けはあっても積み直してなんとか元の格好になったが、
慶応の墓石は砂岩質だったので元々風化していた上に今回見事に分解した。

この際、新しく墓碑を建て直した方が良いのでしょうか?
423419:2011/08/23(火) 23:02:12.79
>>422
うーん、石質悪くて劣化の酷い分家の墓石も崩壊したのは無いからなぁ・・・
残ってる墓石をひっくり返してよく見ても文字を書いてあった形跡すら見当たらないから何らかの事情で文字を書いてあった部分が持ち去られた、もしくは元から無かった辺りだと思うんだ

建てなおすべきかは分かりません
地域差もあると思うのでお寺さんに聞くのが一番とは思いますが、誰かよろしく


>>420
廃仏毀釈は地域によって遭ったりなかったりらしいですね
うちも廃仏毀釈で明治初期に菩提寺がなくなっています
調べようとすると苦労しますよね
424イケメン2号:2011/08/24(水) 11:27:52.74
図書館の郷土資料室で漏れのルーツを探していると日頃の行いが良いせいかw
運良くラッキーに漏れの爺さんの母方の資料をハケ〜ン出来ますた。
「●●●藩旧家由緒書」と言う本の中に大庄屋の当主が藩の役人に
漏れの先祖の庄屋の歴代党首の歴史を紹介している文章が有りますた。

「嘉永四咳年 今般被仰渡候 相続の分明仕候者書上帳
 五月 ●●郡 ●●組」

「旧家」と言うと武士の家のことだけと思っていましたが
漏れの様に庄屋でも「旧家」と呼べるのでせうか?。
425日本@名無史さん:2011/08/24(水) 19:29:55.20
>>424

つまらない釣りみたいな書きこみばかりされている方のようですが・・・w
「旧家」が武士に限るわけがないでしょう
公家や神官や商家にだって、旧家はあります
ただし嘉永くらいじゃ幕末ですし、旧家の内に入るかどうか?
426日本@名無史さん:2011/08/24(水) 19:53:57.67
たしかに>>424さんには、もう少しセンスを磨いて欲しい
427イケメン2号:2011/08/24(水) 20:17:59.08
[嘉永四咳年 今般被仰渡候 相続の分明仕候者書上帳]が書かれたのが
嘉永四年で
庄屋はずっと前からですよ〜ん❤
因みに中身の最初の部分を少しだけカキコのサービス❤

●●郡●●●両村庄屋 ●●衛
右の者家筋の儀、天智年中の頃より●●村庄官の由←(この列重要w!)
旧記等も御座候由ニ御座候得共、大伴一乱の?、
如何の故ニ候?及紛失候由申伝ニ御座候て、天正年中以前の儀相分り不申候。

天智年中の頃から庄屋なら旧家?www。
428日本@名無史さん:2011/08/24(水) 21:28:59.03
旧家ってのはその地域ではみな知ってるような家のことだと思うんだが。
調べなきゃわからんような時点で違うかと。
あと祖父の母方っていうと血はつながっていても家はつながっているとはいえないんじゃないかな。
429日本@名無史さん:2011/08/24(水) 23:43:02.90
イケメン2号赤っ恥w
430日本@名無史さん:2011/08/25(木) 00:45:55.58
母方は
431日本@名無史さん:2011/08/25(木) 04:20:24.42
他県の藩の飛び地領じゃ武士なんか住んでないよね?
墓は元禄からあるけど信士。名主はご近所さん。
うちの先祖は間違いなく百姓ですか?
432日本@名無史さん:2011/08/25(木) 07:40:14.73
>>431

何を言いたいのか分からない
433日本@名無史さん:2011/08/25(木) 10:52:40.86
>>431
うちは武家で墓は元禄からある。最初居士だったけど、途中で宗派がかわったみたいで信士になってる。
元禄から墓が残ってるなら結構古い家柄じゃないの?農民で元禄から残ってるなんて聞いたことないから。
434日本@名無史さん:2011/08/25(木) 12:04:03.85
お墓ね
お寺にある場合と、家のそばにある場合があるじゃない?
その違いって何だろう
うちは近所にお寺があってそこに墓地があるにもかかわらず
そこじゃなく家の裏山にお墓があったの
だいたい18世紀後半〜
他所者とかかな?
435イケメン2号:2011/08/25(木) 13:05:34.61
>>428
漏れの父方の曾爺さん/婆さんが爺さんを生んだ後、2年以内に死んだので
爺さんは遠縁をたらい廻しで育てられ先祖なんて全く知らずに育ち、
父親は爺さんから先祖のことは全く聞いてなく興味も無いので
漏れが一から調べた結果、やっと父方や父の母方の先祖が判ったのw。

それと、漏れから数えて5代前の父の母方の夫婦は彼らの男女の子供に
それぞれ嫁と夫を迎え入れ出来た男女の孫同士を結婚させて生まれたのが
漏れの爺さんだったことを除籍謄本を取得して発見した時は驚きますた。
多分庄屋時代に築いた財産を赤の他人に相続させることを嫌った為だと
婆さんから聞きますた。
436日本@名無史さん:2011/08/25(木) 14:33:23.68
>>434
昔は二ヶ所作ったのだよ
基本的にお寺の墓地は供養の為のもので遺体は埋めてない
遺体は自分の土地に埋葬する
これを両墓制と言う
地域差があるから一概には言えないけど、うちの地元はどこも両墓制だった
437日本@名無史さん:2011/08/25(木) 14:37:26.12
墓って規制なかったのかな?
百姓はあまり大きいの建てたら駄目とか
もっとも昔は武家でも案外地味な墓だよね
戦国時代までは大名の墓でさえ小さいもの多い
438日本@名無史さん:2011/08/25(木) 17:08:32.70
五輪の塔とかは咎められたかもだね
439日本@名無史さん:2011/08/25(木) 18:45:19.21
>>435
庄屋だのなんだの言ってるけど男系女系問わずにさかのぼればだれにぶつかったっておかしくないよ。
祖母から聞いていたのに一から調べた結果とかわけわからん。

>>曾爺さん/婆さんが爺さんを生んだ後
このように記述すると曽祖父と祖母が祖父を産んだようにも読めるので注意、口頭なら問題ないけど文章ではだめ。

>>それと、漏れから数えて5代前の父の母方の夫婦は彼らの男女の子供
あとこれもわからん。
先祖を調べるのもいいけどそのまえにやるべきことが多そうだね。
440日本@名無史さん:2011/08/25(木) 22:21:50.92
5代前だと32人いる内の1人か。
441イケメン2号:2011/08/27(土) 19:59:38.07
漏れの場合は5代前でも近親婚の為、全30人しか居ません。
442日本@名無史さん:2011/08/27(土) 22:19:17.38
明治初年の士族帳とは何ですか!?
鹿児島藩のはどこにあるんですか
443日本@名無史さん:2011/08/27(土) 23:02:02.52
うちのばあちゃん家に
明治3年の「宗門人別帳」@
明治4年新7月の「戸籍」A
明治4年8月の「戸籍」B(※AとBでは内容としてはAの方が新しい、またAには印形が押してある)
(明治5,6年〜9年頃)の「戸籍」C、及び明治5年の屋敷・牛馬取調帳
が一冊に綴られた文書がある

これによると@殆んど苗字無し、A・C全ての戸主に苗字あり(亡父にも苗字あり)、
B「穢多」のみ苗字無し、(因みに@・Bでは「穢多」表記、Aでは「雑業」を消して「農」
Cでは、ほかの家と同様に「農」の上に「平民」と朱書きがありました。)

たった一冊の文書ですが、近世から近代への変遷が垣間見えてとても興味深かったです。
444すごい:2011/08/28(日) 06:15:00.44
>>443
壬申戸籍ですよねえ。
壬申戸籍は戸主の『高祖父』の代まで記載されてるという噂があったけど
筆頭戸主の何代前までの名前の記載がありますか?
445日本@名無史さん:2011/08/28(日) 06:32:00.43
http://www.geocities.jp/you_funnyara/jinsin1.html
○戸主名
○続柄の記載の順番は戸主、高祖父、高祖母、曽祖父、曾祖母、祖父、
祖母、父、母、妻、妾(明治15年廃止)と続き、最期に附籍者
(明治31年廃止)が記載されました。
446443:2011/08/28(日) 21:34:58.05
>>444たしか、Cは「父斎藤○兵衛亡」といった感じで肩書きには父だけだったような・・・
ちょうど>>445のリンク先にあるような書式です。
447日本@名無史さん:2011/08/29(月) 20:47:36.76
>>443 うぉ凄い。一度でいいから拝見してみたい。
画像アップなんかできないよね?
448443:2011/08/29(月) 23:17:01.90
>>447うーん、さすがに自分家の物では無いのでねぇ、なかなかうpは難しいかと。

その時は古文書整理作業中だったので運良く見る事が出来ましたが・・・、
残念ながら画像は撮ってなかったのです。
449日本@名無史さん:2011/08/30(火) 00:16:46.60
藤原鎌足 ・・中略・・ 宇都宮宗綱 ・・・・ 八田知家 ・・・・ 小田知重 ・・中略・・ 俺
450日本@名無史さん:2011/08/30(火) 16:29:35.89
皆、先祖が侍とか豪農ってすごい。

先日、墓参りの際に先祖の墓の文字を読んでみました。
一番古いのは元和2年で享和まで禅定門です。
俗名は書かれていませんでした。
享和の墓の戒名に「忠儀」と書かれていていました。

江戸中期の平農民の夫婦墓はよくあるケースですか?
451イケメン2号:2011/08/30(火) 18:11:51.76
漏れの先祖の庄屋の墓は夫婦別々で何故か妻の方が墓石が大きい。
墓を案内してくれた市役所の教育委員会のオネエ〜チャンに確認したけど
間違いないそ〜な。何故だろぅ?。
452日本@名無史さん:2011/08/30(火) 19:27:39.63
初めてカキコするのですが…

今、自分のご先祖を調べたいと思っています
母方の実家には、家系図ではありませんが母方の先祖について書かれた掛軸があります。
その掛軸が書かれたのは昭和初期で、掛軸には源義経の家来であり、もっと遡ると藤原氏とかが出てくるのですが、その記録が本当なのかが気になります。

この場合、自分のご先祖を調べるのは、やはり母方の実家のある地域の図書館で調べたりするのが一番なのでしょうか?
453イケメン2号:2011/08/30(火) 19:55:04.48
先祖が普通の農民だと図書館に行っても
何も発見出来ないと言うか何も残ってないよ。
例え先祖に関する資料が有ったとしても
古い資料はそのままでは一般人が簡単には読めないからねw。
先ずは市役所で除籍謄本を取得して家系図と照合しなくちゃね。
454日本@名無史さん:2011/08/30(火) 19:58:12.50
ありがとうございます。
除籍謄本は学生でも普通に取れますか?
455イケメン2号:2011/08/30(火) 21:29:26.03
そりゃ〜学生でも問題は無い筈だけど
いきなり江戸後期や明治初期に生まれた先祖の除籍謄本を取得することは
除籍謄本申請者と被請求者との血縁関係を証明する必要が有るので
あなたから二代前、三代前と取得することが望ましい。
1通750円。それと何の為に除籍謄本を取得するのか理由を聞かれるので
差し障りの無い答えを準備して置くことwww。
456日本@名無史さん:2011/08/30(火) 22:14:49.66
源三位頼政−(中略)−俺
摂津源氏だから源氏嫡流を宣言したい
江戸時代の某藩では
藤原姓の藩士が「これからは源姓を名乗れ」と藩主に言われ
藤原姓から源姓に変えた人もいる
それくらい源氏の血統は高貴なものだったらしい
ちなみにその変えさせられた人の家の家系図は
「藤原○○−源○○」という
どうもおかしな系図になっちゃってる
昔って適当だったんだね
俺の先祖の系図は正しいが
家紋はその横暴な藩主に変えさせられてる
うちは家紋だけで良かった
457日本@名無史さん:2011/08/30(火) 22:35:00.45
昔は源氏ってだけで住居が御所と呼ばれたぐらいだから
やはり源氏には皇位継承があると思われてるんだろうな
458日本@名無史さん:2011/08/30(火) 22:54:33.84

頭がクラクラする。早く学校が始まって欲しい

459日本@名無史さん:2011/08/31(水) 08:31:46.82
征夷大将軍になれるのが、源家じゃないといけなかった希ガス
460日本@名無史さん:2011/08/31(水) 12:29:05.24
>>459
それは俗説
将軍職に氏族の規定はない

百姓でも図書館で調べるのは有効だよ
納税の記録見れば名前載ってるし庄屋組頭辺りは藩史にも頻繁に出てくる
ただし、大概は苗字が書いてないから過去帳などで照らし合わせないと何処の誰だか分からない
でも元武家なら郷士になっている場合が多いのだけどね
郷士なら苗字も記載される事が多いから簡単に見つかる
何かしら役に就く場合があるし
うちの場合は村の相談役や検地の添役に名前を発見できた
461イケメン2号:2011/08/31(水) 13:07:10.42
図書館の郷土資料室がどの程度資料を整理しているかに拠るけどね。
初めての香具師は一体どの資料から調査してよいのか判らないだろうけど。
462433へ:2011/09/01(木) 18:37:32.58
>>433
は?
うちは庄屋だけど、室町時代から続いてて、代々墓も残ってますが?
元は旧武家。墓も江戸初期まで「宝篋印塔」です。
その後江戸期は代々院号と居士が許され、傘付角柱型の墓に彫られてますが?
母方も元は江戸期まで地元を治めてた旧守護大名家の重臣で旧家臣帳に「○○但馬守」
と記され、その守護大名家が滅びた後は庄屋にやはりなってますが、居士が許される豪農です。
いまだに土地を十五町ももってますが?
農民で元禄からの続く家見たことない?ww
463433へ:2011/09/01(木) 18:44:31.21
>>433
信士程度しか許されない下級武士の家では,
庄屋豪農より格が上だと勘違いしてらっしゃるのですか?
農民というだけで、下級でも武士と付けばみんな格が下とか思ってるわけ?
あなたの元禄下級武士の江戸期以前の先祖って何してたかわかるの?w
それにうちやおばあちゃんの長屋門見れば、違いに唖然としますよw
それにうちが、本当に武士になりたいと思えば、財力と土地と引き換えに、
藩士どころか後家人程度にもなれるんですけど?
464433へ:2011/09/01(木) 18:51:23.29
>>433
さらに明治時代の親戚の藩士の家でもうちは,
居士の戒名持つ中級武士と親戚ですが?
少なくともうちの直系の親戚で信士の戒名程度の家は一家しかいないんだけど?
いつから下級武士の信士様より、室町時代から続く旧武家の宝篋印塔、傘付格中型の院号居士の庄屋が
格が下になったわけ?本当に教えてほしいんだけど!!ねえ?
ちなみに墓の大きさも全部1.5メートルくらいありますけど。
465433へ:2011/09/01(木) 19:03:43.67
ちなみに蔵の中には、戦国期に使ってた甲冑から刀から槍までごろごろあるよ。
うちのばあちゃんの実家には滅亡した旧守護大名家の重臣だけあって、
蔵の中に無数の甲冑がぶっちらかってる。
馬の鞍とか近隣に出城を構えてたらしく、その古地図、巻物とか無数に。
蔵の中は蛇がうようよいるからそうそう出入りできないが。
なんで下級武士の家程度の人って庄屋豪農を格がしたと見る日とばかりなんだろ?
こちらからいわせれば、下級武士程度と一緒にしてほしくないんだけど。本当に。
レベルが違いすぎるだろ下級武士程度なんかと。
466433へ:2011/09/01(木) 19:19:26.39
よく普通に考えれば、庄屋豪農クラスのように土地を何町も持ってる時点で、
下級武士のような土地すら持ってない職業武士(傭兵)あがりと格が違うとわからないのかね?
ばあちゃんの実家に至っては江戸期は二十数町の土地保有という、旗本クラスの土地もってるわけで、
それだけの土地をを持てる家とは戦国時代までどれほどだったのかというのがわからないのかね?
うちらクラスの豪農が武士になりたいと思えば、信士武士どころか軽く居士武士になれるっつーの。
なりたいと思うやつもいないだろうけど。農村の独裁者だから。
467日本@名無史さん:2011/09/01(木) 19:26:52.03
三下り半の内容で充分
468433へ:2011/09/01(木) 19:34:28.94
長文でごめんなさい。今後気をつけます。
でも、あまりにも勘違い君が多すぎてついつい・・・
どうしてこれだけの何町も土地持つ室町以来の旧家庄屋が、土地すら持てない傭兵程度の下級武士に見下されなければならないのかわからなくて....
469日本@名無史さん:2011/09/01(木) 19:48:38.46
この手のスレにありがちなこと

・先祖の武士率が高い。
(リアリティを持たせるために郷士や豪農の場合あり)

・主君や地名・経歴など具体的な名前や事例を出す割にカマトト臭く歯切れが悪い。

・現代では落ちぶれてしまったと自虐風自慢。
470433へ:2011/09/01(木) 19:53:36.53
うそと思いたいのでしょうが、その後明治時代は戸長、村長にもなってますよ。
町史にもうちのおばあちゃんの実家も隣村の戸長になってるし。

それから武士率高いというが、うちの地元でも豪農や庄屋はなんらかしかで滅亡した旧守護大名家の旧家臣帳に
ながのってますよ。じゃないとそれだけの土地を戦国の動乱期より守り抜いてこれるわけないでしょ。
471日本@名無史さん:2011/09/01(木) 19:56:12.74
あてはまらないんだったら無視してればいいのに。
472433へ:2011/09/01(木) 20:00:17.00
まあそうですが、上級武士が庄屋豪農を見下すなら許せるが、
なんで下級武士や信士程度に、庄屋豪農が見下される要素が存在するのか聞きたいんですよ逆に。
武士じゃないからというならいくらでも財力土地と引き換えに御家人程度でも興されるのに。
勘違いもはなはだしいんですよ下級武士の人って。
473日本@名無史さん:2011/09/01(木) 20:21:46.47
>>472
あなたの家系を指して嘘と言ったのではありませんが
あまりにも武家や豪農を自称するレスが目に付くのでつい疑ってしまいました。
失礼しました。
474433へ:2011/09/01(木) 20:33:25.57
というか、普通になんらかしかで豪農や武士の家じゃないと、
ここまで先祖に対して執着しないと思いますが?
小さいころからなんらかしかで旧家だからこそ大人になっても執着するんだと思いますが?
私は以前から付き合ってる女性に自分の家の話しても、なんら興味なんて抱かれませんよ。
旧家の家なら結構話が合いますが、男でもほとんど、(だから?)ってかんじですよ。
なんらかしかで旧家だからくるんでしょ?
でも絶対数からいえばここにいる人なんで0.01パーくらいでしょ。
475433へ:2011/09/01(木) 20:38:16.06

幕末の日本人の人口の7割が町人や水飲百章と言った土地を持たないものだったといわれてる。
土地に寄生してなければ、まず先祖なんて早々さかのぼれないですよね。
うちは600年近く同じ住所です。
なんらかしかで旧家の歴史に興味を抱かせるものとの遭遇のある方だから、
ここにくるんでしょ。ましてや直系でもないのに、見ず知らずの他人と化した家まで遡ってこじつけたいんでしょうねw
476433へ:2011/09/01(木) 20:54:50.40
というか、ほかの人たちにも言いたいが、
他人の家と化した、直系でもない家に自分の根拠を求めても、
直系でないなら、なんら関係ないでしょ?
そんな言葉すら交わしたことない家にたとえルーツがあったとしても、
その恩恵を江戸時代受けられますか?受けられないどころか江戸時代も他人でしょww

直系の人くらいにしてよ先祖云々とか言うの。もしくは2親等以内とかさ。
恥ずかしくないの?そんなまったくの赤の他人の家が先祖でしたとかいってて。

江戸時代でもその家とあなたたちは他人ですから。その家がどうでもあなたに関係ないから。w

477日本@名無史さん:2011/09/01(木) 20:57:31.00
おい、もうやめとけよ。
武士か郷士か知らないが心の余裕くらい持って生きろ。
478日本@名無史さん:2011/09/01(木) 21:05:47.67

心配するな。財産よこせと言ってるわけじゃなしwww
479433へ:2011/09/01(木) 21:17:34.25
大体先祖遡るんだったら、それこそ範囲なんてないんだったら、俺にも先祖で藩主いるぞ?
明治期のひーひーばあちゃんの実家は中級藩士の家系。
その家は上級武士からの養子が先祖にいる。その上級武士は家老と親戚。その家老は藩主と親戚。

で俺は藩主と親戚といっていいの?

ばあちゃんの実家は旧守護大名家の重臣だった直系。
そのいえは守護大名家の分家の重臣と親戚。よって守護大名とも親戚。
で、俺は守護大名が先祖か?違うでしょ。

君たちがやってることはこういうことだろ。直系だけでしょ先祖かたれるのは。

480日本@名無史さん:2011/09/01(木) 21:28:15.55
>>479
自称したいんならすればいいだろ。

友達や恋人に家について話したみたいだけど
「先祖は立派ですね。で、あなたは?」って聞かれたらどう答えるの?

自分の人生なのに先祖の功績に縋るってむなしいよ。
481433へ:2011/09/01(木) 21:30:00.50
>>479
>そのいえは守護大名家の分家の重臣と親戚。
訂正
そのいえは守護大名家の分家が大名家の重臣となった家と親戚。

で、もとは旧武家でも、私の家は江戸期庄屋。
、皆さんで言うところの糞農民ですが、藩主も自分のルーツといってもいいですか?
482433へ:2011/09/01(木) 21:36:06.50
>>480
そうですよ僕はあなたと同じことがいいたいの。
直系でその伝統をじかに受け継いでるものなら、先祖語ってもいいが、
糞農民の庄屋の私でも、先祖の範囲がないなら簡単に藩主や守護大名まで余裕でいける。

でもそこに意味は皆無なわけじゃん?俺の家は庄屋だし。
それをいいたいの。先祖云々を遡って赤の他人に行き着いても、
ただの赤の他人でしょと。俺がミクロンクラスの血の量が藩主の家と同じですといって、
その藩主の家に家系図もってっても、警察呼ばれるだけでしょ。基地外がきたということで。
483433へ:2011/09/01(木) 22:16:31.81
とりあえず、下級武士程度の家が、庄屋豪農を馬鹿にするというのは、身の程知らずということはいいたい。

江戸時代、下級武士程度が庄屋豪農を馬鹿にできるはずもなく、土佐の下級武士岩崎は庄屋にフルボッコにされた挙句、
評定でも庄屋は無罪、岩崎は投獄でしょ。

484433へ:2011/09/01(木) 22:21:51.14
いつから下級武士などの類は庄屋豪農を上から目線で威張れるまでの時代劇の世界に浸れるようになったの?
現実は江戸時代でも庄屋豪農にも見下されてたくせに。

由緒、格、土地、財産、門構え、屋敷、親類、墓、戒名、明治以降の功績・・・・

何を争っても下級武士の家程度とならガチんこ勝負できるが?
しかも全勝で!!  

武士身分?wwこっちは室町の武家だが?
 
何か勝てる要素あるの?下級武士が庄屋豪農に?


485433へ:2011/09/01(木) 22:34:17.44
しかも下級武士程度の徒士身分程度なら、
うち程度の庄屋でもかたでま財産で株買えるが?

御家人株も、土地財産と引き換えなら手に入れられるが?

村内の百章集めて一揆起こせば、相手は小大名とでも争えますが?

ほんと、下級武士が庄屋豪農を現代の価値観で見下してるのを見ると悲しくなるよ。
二本ざしすら許されなかったり、苗字も許されないような下級武士なんて腐るほどいるのに。

しかも長屋住まい。庄屋は長屋門ね?ww勘違いしないでほしいわ・・・
486433へ:2011/09/01(木) 22:48:51.64

ていうか、江戸期、下級武士程度が庄屋豪農を切り捨てにしたとか、
もしくは馬鹿にしてたという事実あるなら、揚げてくれないか例を?

庄屋が下級武士をフルボッコにしてたり、家老と企んで騒動を興したり、
大名家の本陣に指定されたり、一揆起こして版と争ったりというのは腐るほどあるが、
下級武士程度とかかわってることなど少ないんだが、逆に。

その分際で何を持って下級武士程度が庄屋豪農に優越感感じられてるわけ?
事実を知らないからだろ。
時代劇の中の下級武士の作られた存在像しかしらないからでしょ。
487日本@名無史さん:2011/09/01(木) 22:56:08.89
 藩主の生母(側室)の実家とか、公家の生母(家女房)の実家とかって
実は結構自慢できそうだけどあんまり聴かないよね。家の誇りとして受け
継がれてないのかな。そういうサイトとかあったら知りたい。
488イケメン2号:2011/09/02(金) 00:03:06.70
漏れの先祖の一人は代々続いた庄屋職を放棄し弟に家督を譲り
苦労して武士に成り御徒歩並みまで成りますた。
489日本@名無史さん:2011/09/02(金) 00:17:48.87
俺の知ってる庄屋は、旗本に養子に行ってるけど。
でも、麻生元総理も大庄屋で21カ村所有してた元戦国大名崩れだが、
なぜこういう家が藩士になぞならないかわかるよね?w
なろうと思えば簡単だよ。
でもその藩士程度より何千倍もおいしい職と地位だからだろw
490日本@名無史さん:2011/09/02(金) 00:27:01.07
>>488
君の家は名ばかり庄屋だったんだろうな。
もしくは庄屋でもないとか。だから徒歩に価値見出したんだろ。
れっきとした室町よりの旧武家なら、徒歩に価値など見出さないから。
491日本@名無史さん:2011/09/02(金) 00:34:49.89
通常室町よりの列記とした真の武家なら、間違っても徒歩にはならないよね。
旧熊本城主加藤家も大庄屋だが、徒歩になんぞなってもいなければ、藩士にもなってもない。
あくまで最後まで庄屋。
そりゃそうさ、腐っても旧戦国大名。狂っても藩士や、ましてや徒歩なんぞ望む分けない。
新田開発の入植新興極小庄屋もどき。
492日本@名無史さん:2011/09/02(金) 00:44:15.05
私の家も郷士になってる次期もありますが、徒歩なぞありえないわ。
そこまで職業武士になる理由は、無視への憧れが強かった平百章の成り上がった庄屋もどきだからでしょうね。
武士身分なんて、うちは飾り程度にしか思ってないから郷士だった。
庄屋と言い張るなら否定もしないが、うちらと同じような室町武家よりの庄屋と一緒の列で語らないでほしい。
493イケメン2号:2011/09/02(金) 00:57:41.73
それじゃ〜庄屋から徒歩並みに成った先祖の事が記載されている
人名辞典の一部をカキコしてア.ゲ.ル。

故有って妻子を連れて家を出て、生母の家近くに住み、皮笠を縫い習って
生計を立てた。次に●●に移り傘張りなどやっていたが、後に質業、刃物商に転じ
寺社奉行の手代となり天保12年御徒歩並みに成った。


494日本@名無史さん:2011/09/02(金) 01:13:45.72
まあ、庄屋ってあくまで百姓身分だから家格で言ったら下士以下どころか足軽以下なんだけどね
495日本@名無史さん:2011/09/02(金) 01:13:49.66
おそらく新撰組のような武士に憧れを抱くような農家の家系だったんでしょうね。
武士はなりあがりの手段という価値観の農家だったんでしょ。
うちも庄屋ですが、藩士にはならず郷士等で、
苗字大刀、長屋門御免、院号居士御免、傘付石墓御免、でしたよ。
庄屋という以外、上級武士と変わらぬ待遇をすべて許されてました。

藩士と違い、誰に服従するわけでもなく、
武士に順ずる身分で村を牛耳ってた中世の地侍スタイルをそのままやってました。
まず職業として徒歩等の下級武士を選択する理由がわからないしありえない。
496日本@名無史さん:2011/09/02(金) 01:18:53.16
>>494
そんなの、士農工商は絶対だといってるあほと一緒じゃない。
財閥系商人の豪商は、町人以下ですか?w
なんだかんだで町人足軽以下だったんですか?ww
で、何でその足軽下級武士は主君に謁見できないで、
豪商や本陣庄屋は謁見できるの?ww
あれれ?士農工商絶対じゃないの?
497日本@名無史さん:2011/09/02(金) 01:30:23.98
>>494
庄屋と徒歩、株を買う場合どっちがどれほど高いかわかる?w
足軽奉公人の株じゃとても庄屋の株と値段が違いすぎるから出さないけどw。
498イケメン2号:2011/09/02(金) 01:45:28.11
庄屋から徒歩並みに転身した先祖はその後長くは生きて無く
その長男も大した武士としての業績は挙げて無い。
然し孫は若くして江戸に留学して西洋砲術及び歩兵操練を学んだ後
勝海舟の海軍氷川塾に入り航海術を学び藩が購入した洋船で物資を運び
明治維新を迎え、廃藩置県後は旧藩主の命を受け教育者として一生を捧げたアルヨ。
499日本@名無史さん:2011/09/02(金) 01:48:11.02
俺は下士の子孫で大中臣の一族
武将に自称源氏や自称藤原氏等が沢山いたが
中臣を自称する武将は皆無だった
それだけ中臣を自称することに価値がなかったんだろう
だがちょっとまってほしい
たとえ中臣一族に血統の価値が無かったとしても
正真正銘の血統の血筋があればいいじゃないか
できるなら足利一族にうまれたかった
徳川家みたいな自称源氏よりかは
俺の先祖みたいな嘘をつかなかった系譜、血筋のほうが
すごいと思う
500日本@名無史さん:2011/09/02(金) 01:55:31.54
ていうかさ、その源氏の子孫だの藤原の子孫というのになんか意味あるの?w
で、下級武士ジャンww
関東八屋形や高家のように、列記とした正当な源氏や藤原家の本物の末裔ならきちんと幕府から評価されてるでしょ何も功績なくても。
で、何で下級武士なの?
そんなところに誇り持つのは自由だけど、本当かどうか実証することもできず、
それを公から認められたわけでもなければ評価されたわけでもなく。
別にあなたがというわけではなく、源氏の末裔とか本気で言ってる人多くてさ。
誰がそれを認めてくれるの?幕府が認めてくれなかったんなら自称満足ジャンとしか思えないわ。
501499:2011/09/02(金) 01:56:21.59
俺のいう自称というのは
系譜があやしいという意味の自称
502日本@名無史さん:2011/09/02(金) 02:02:30.84
で、源氏の末裔というなら、幕府がその末裔の正統と認めた「高家や八屋形、寄合矢御家人なんでしょ?
それすら認めてもらってなくて、家紋がどうのだの家系図がどうのなの、
なぜそれを徳川幕府は評価しなかった?公は認めなかった?
で、それでも吉良家や足利家につながる源氏と言い張るなら、その足利家や喜連川家、吉良家の真の末裔の家いって、
それを伝え、どう反応するか調べてきたら?
恩恵もあやかれる?親戚として扱ってくれる?なわけないだろ。現実みなよ。自称源氏の末裔さんたちw
503499:2011/09/02(金) 02:03:57.34
>>500
幕臣ではない
某藩士だが藩公には認められてる
ま、何人もいる家臣の系譜なんて藩公はスルーしてるだろうが

なぜ公家の支流が下士なんだかって?
あまりきかないでくれ
一度下野したんだ
504日本@名無史さん:2011/09/02(金) 02:09:06.20
もう、事実上正統な末裔は幕府が何の功績なくとも公認してるわけ。
で、それもされてなくて源氏の末裔ってww
悲しくならないのかな?うそをついてないってどうしてうそついてないとわかるのに、
徳川家は源朝臣じゃないと分かるのかよく分からないし。

悲しくならないのかな、約千年前の血筋自慢て。
何の信憑性とか具体性あるの?旗本として認められ照るならまだしも。
505日本@名無史さん:2011/09/02(金) 02:12:37.80
藩から認められてるって・・・
別にいんですよあなたがどうのこうのじゃないんですから。
やたらと源氏の末裔という輩の話。
徳川家も朝廷から源氏と認められてるわけだし。何の信憑性なくとも。
わかりますよね?蜂須賀家も源氏として調停から認められてますよ?
506499:2011/09/02(金) 02:13:55.99
だって
郷土資料にものってるくらいなんだもん
俺の先祖のこと
507日本@名無史さん:2011/09/02(金) 02:18:53.81
だからさ、徳川家は日本中の資料に源氏の正統と乗ってますよ。
蜂須賀家も。で、その専念も昔からの家系図も残されてるの?
蜂須賀家も家系図必死に作成してたようですが、
なにをもって、そのあなたの大本の先祖から紛れもなく血を受け継いでるといえるの?

それから、仮に遺伝子調査でミクロレベルまで調べて、何億ミクロンの源氏の血があったとしましょう。
で、その結果下級武士だの、商人だの町人だの平百章だのなってるからなに?
508499:2011/09/02(金) 02:19:39.15
>>505
俺には他人の先祖のことはあまり興味ないな
下士と庄屋の格付けなんてのもどうでもいい
俺にとって大事なのは血筋
509日本@名無史さん:2011/09/02(金) 02:27:01.68
コンプレックスの塊なの?>庄屋
必死すぎてキモイからもう来ないでマジで
510日本@名無史さん:2011/09/02(金) 03:01:59.25
>>508
それはそうでしょうね。そこに根拠としてのプライドがもてないんだから。
だから千年も前の先祖自慢という途方もないことにしがみつくわけでしょ?w
血筋って、仮にあなたと同じその大元の血を引く末裔、何百万人いると思ってるの?
そこにプライドとなる何があるのかな?しかもその直系の末裔なの?
直系なら必ず旗本御家人として公から認められてるはずだけどな。
何百万もいる、しかも途中養子がいるかもしれない、そして何の根拠も証拠もない、
その源氏やら何やらという千年前の血統自慢という名は少しどうかとおもうよ。
511日本@名無史さん:2011/09/02(金) 03:13:21.72
>>509
だってみんなそう思うと思いますよ私だけじゃなく?
だって私が>>479に書いてあるとおり、藩主の末裔といってるくらい途方もないことじゃないですか。

で、誰もが思う当たり前の突っ込みすれば必死とかきもいといっちゃうんでしょ?
誰が芯から信用するのかな?言ったもんがちじゃない。あなたが言うように徳川家みたいに。
その程度のことで、しかも千年も前の血筋自慢て・・・・
512日本@名無史さん:2011/09/02(金) 08:01:57.79
いちいち筋違いな反論するなよめんどくせーなー
513日本@名無史さん:2011/09/02(金) 08:16:06.11
武家や庄屋か郷士ってよく喋るなぁ。

もしその家系が本当なら、どしっと構えてればいいのに。
自分の先祖を引き合いに出して、他人の先祖をバカにするって最低だぞ。
よく考えてみろ。
いわゆる家柄が良い人ってこんな普通の考えも出来ないの?
514日本@名無史さん:2011/09/02(金) 14:19:06.89
家柄が悪いから少しでもよく見せたくて必死なんだよ
うちは武士だったと自慢するのは足軽が多く
うちは庄屋や郷士だったと自慢するのは水呑に多い
515日本@名無史さん:2011/09/02(金) 15:32:01.65
>>496
だから家格の話しだよ
豪農だろうと豪商だろうと家格でいったら下士より劣る(まあ、豪と付くほどなら大概士分になってるけど)
これは絶対なのさ
武家に対するコンプレックスてのは今でも結構強いんだよな
君がそんなに噛みついて来るのもコンプレックスが強いからだよ
本当に大したことないと思っているなら眼中にないから気にならないはずなのに
かくいう私も武家が羨ましい
516イケメン2号:2011/09/02(金) 17:30:58.36
豪農と呼ばれる農家は土地を
どの程度所有していれば豪農と呼ばれるのでせうか?。
土地台帳を法務局から取得しますたので全部の面積を計算してみます。
517日本@名無史さん:2011/09/02(金) 19:32:56.56
自称で良いなら俺はハプスブルグ家の末裔だよ。
518日本@名無史さん:2011/09/02(金) 21:26:29.43
俺の先祖も戦国期からの武士で幕末期は某藩で小納戸頭やってたくらいだから
そこそこの身分だったようだけど、結局みんな現在に至っては明治以降に平民と
ごちゃ混ぜの血筋なんだから、生粋の武士(士族)の家系なんてほぼ100%無い
訳で、自慢もなにも無いでしょ。

ご先祖さんたちの身分がどうのこうのではなく、みんなその時代を一生懸命生きて
後世へ繋いでいったくれたとてもりっぱな人達ばかりってことさ。
519日本@名無史さん:2011/09/02(金) 23:03:10.78
苗字が無かった人って除籍謄本にはどん記載されてるの?
520日本@名無史さん:2011/09/02(金) 23:22:38.54
いや、戸籍作られた頃は全員苗字あったし

>>516
田畑なら100町歩もあれば豪農の部類だと思う
521日本@名無史さん:2011/09/02(金) 23:33:52.93
>>518
血筋は問題じゃない
日本の場合は武士でも農民でも血統は同じたからね
だから「家」が重用なんだ

まあ、どこの家も先祖が立派だと言うとこは同意だ(悪事を働いてない限りは)
歴史を知れば知るほど家を繋ぐって大変な事だとつくづく思うよ
誰もが先祖から受け継いだもので生きているのだから
先祖を敬い、そして家を守って子孫に繋いでいく事が大事だよ
522日本@名無史さん:2011/09/02(金) 23:36:19.97
>>520
それは解ってるんだけど…
戸籍を作った人の父親が苗字が与えられる前に既に死亡してる場合、前戸主の名前は苗字が無いのかが気になったのです。
523日本@名無史さん:2011/09/02(金) 23:48:32.89
>>518
ごちゃまぜではない家も多いと思いますが?
うちの家は
父方祖父母、母方祖父は下級武士か豪農の直系で、3家ともに江戸の中期までは遡れ、やや途中が怪しくなります戦国中期まで遡れます。
母方祖母は水呑なので不明ですが、、、
このような家の方はそれなりにいるのではないでしょうか?
524日本@名無史さん:2011/09/03(土) 00:07:02.79
まぁ最終的には血統だよな
そんな俺は薩摩平氏の末裔
525523:2011/09/03(土) 00:21:47.25
うちの先祖も養子を貰ったりしていますが、貰い先は分家や娘の嫁ぎ先など、濃い血縁関係からとなっていますね。
田舎なことも関係すると思いますが、親戚間での結婚も多かったようです。
526日本@名無史さん:2011/09/03(土) 03:02:32.63
最終的には個人の現在の力だね
527日本@名無史さん:2011/09/03(土) 05:23:44.56
珍しい苗字の人は郷土史で探した方がいいと思う。
うちの祖先は単なる士族だと思っていたが代官出もいたし。
物心ついたときから先祖代々の墓に参っていたから
先祖には特別な思いがあった。
528周榮:2011/09/03(土) 06:44:32.38
めずらしい苗字の人は江戸時代まで苗字がなかったサ×カなどの
人たちの末裔だから注意した方がいいよ
529日本@名無史さん:2011/09/03(土) 06:54:15.39
>>526
東京最強家系の「服部セイコー家」(浩宮のお妃候補家)でも日本の相続税のシステムなら
3代100年で没落するからね。鳩山のスポンサーの石橋ブリジストン家でも麻布の3000坪の自宅が
3代でアボーン。吉本興業の林家は大崎さんが暴力団追放と同時に林家3代目(部長)が香港に飛ばされるのを
嫌がって会社辞めて林家アボーン。
だから家系も「個人の力」プラス「3代100年」くらいは影響あるかもよ。
530日本@名無史さん:2011/09/03(土) 09:49:34.83
地位や財産は努力次第で誰でも手に入るけど歴史は永遠に手に入らない
だから名家は貴重で尊いものなんだよ
531イケメン2号:2011/09/03(土) 10:51:54.57
>>520
土地台帳を観ました。
今まで所有質取主氏名ばかり気にして観ていたので、土地の広さは興味が
有りませんですた。
土地台帳の中の内書/外書の数値が所有土地の広さでせうか?。
土地台帳の中の判別/地償/地租の数値が所有土地の広さでせうか?。
532日本@名無史さん:2011/09/03(土) 20:16:12.04
>>531
台帳はよく見たことないから分からない
所有地の面積は固定資産税の納付書見れば書いてあるけど
533イケメン2号:2011/09/03(土) 22:02:54.79
>>532
取り合えず取得した8通の土地台帳の土地は漏れの3代前に
他人に渡っているので現在は固定資産税払っ鳥まへん。
534日本@名無史さん:2011/09/03(土) 22:14:24.06
>>528
誰が江戸時代まで苗字がなかったって?
18世紀の墓標があるわ!!
535日本@名無史さん:2011/09/03(土) 22:42:33.48
>>528
苗字が変わってれば君の言うさ×かというのは、君のきめ付けだよ。
逆にそのさ×かの人のみょうじなんて、ほとんどの人が一般人と変わらない苗字ですよ?
とある村の人の苗字はみんな近隣の大名達の苗字と全員同じ。
それは明治新姓でこぞって近隣の大名と同じ苗字を申請したそうだよ。

536日本@名無史さん:2011/09/03(土) 22:48:27.95
>>528
そうそう、あとは名主と同じ苗字がその村の7割とういう村。
これは苗字なかった村人が名主から苗字買ったんだって。

それに君系の人が必ず言う、川原とか川にちなむ苗字はそうだとか言うけど、
武士の分限帳見ればいくらでもいるよ?調べてごらんよ。
武士もびっくりするくらい変わった苗字の宝庫だから。
苗字でその家の由緒なんて絶対わからないよ


537イケメン2号:2011/09/03(土) 23:39:02.78
漏れの先祖で名前が判る一番古い人物は明暦4年からだけど
遺牌の墓誌に全員苗字が有るよ。
538日本@名無史さん:2011/09/03(土) 23:45:25.97
ウチらの地区に限らず、その地区の住人宅の苗字がほとんど同じ。
安直に地区名を名字としたもんだから名字では個人宅は探せません。
因みにウチらの地区では電話帳記載で100軒以上。
事実上、どこも名字同じで名字は機能しません。(名前も似通っていたりするので尚更、新人の宅配や郵便やさんには迷宮状態。)
一応、屋号と言うのが名字以前からの風習。
具体的には、その家の爺様や曾祖父様もっと古い顔も知らない高祖父などの名前で判別。(商売していればその屋号)
539日本@名無史さん:2011/09/03(土) 23:57:20.93
漏れで分家して九代目?これも必死扱いて母親が調べた結果。
それでも分家した初代の爺様、婆様の名前が不明。
お寺さんの過去帳には何やら書いてあるものの、文字の呈を為していない墨跡鮮やかに蛇がウネウネ状態。
書道家でもあるお寺さんの奥さんにも全く判別不能。
結論は字が書けない生くら坊主だったのではないかと

ただ一つだけ、代々家紋だけは受け継いでいます。
現在の苗字はたまたまつけた模様。
540日本@名無史さん:2011/09/03(土) 23:58:47.23
>>537
苗字はある人はあるよ。村内の中位百章以上は大体持ってたんじゃない?
それは村内の税金を取るための合理化する理由でもたされてた。
由緒云々とは関係ないよ。
541日本@名無史さん:2011/09/04(日) 00:08:19.23
>>538
それに似たようなケースで、
ある村は名主以外苗字がなく、新姓で名主に村民がどうしたら言いか駆け寄った。
その名主は面倒くさくなって、自分の屋敷の方角それぞれに北さん、南さん、西さん、とし、
自分の屋敷より上に田んぼある人は上田さん、下は下田、中田とした結果、
一門なのに違う苗字で、一族じゃないのに同じ苗字という形で、村内の冠婚葬祭やお坊さんは、
本当に大変な思いしてるというのをテレビでやってた。
542日本@名無史さん:2011/09/04(日) 00:31:22.10
私の家の先祖は戦国時代にその地帯一帯の領主であったと伝えられています。
web上で公開されている古い文献を複数調べても私と同じ苗字なことは確認できます。
戦国期に滅亡したため本家筋かは判りませんが、多くの分家が裏紋やその他の家紋を受け継いでいるためそれなりに本家に近いと思われます(と分家筋の詳しい人に言われた)
私の家の家紋は本家の戦紋、苗字も江戸中期からの墓石から確認でき、幕末ならいざしらず、丁度ほとぼりが冷めた頃の江戸中期にで詐称する価値はなく、本家に連なる家で有ろうと調べています。
以上のことは本題ではないので置いておくとして、我が家の本拠地は別姓の上士がいます。
(私の家は我が家の以前の、1つ前の本拠地です。更に言うと、その上士の娘は私の祖母であり、上士と庄屋の関係でありながら血縁を結んでいます)
上士の血筋については明らかではなく、直接尋ねたところ理由は解らぬが明らかでないとのこと。
一説によると、その家は我が家の苗字は邪魔であるため上士になるため別姓を名乗ったとも言われています。
このような状況を踏まえた上で、本拠地には私と同じ苗字が多くいます。
具体的には上士の分家以外は殆ど私と同じ苗字です。
このような場合、どのように理解したらよいのでしょうか?
1,私の家自体が詐称である
2,本拠地の家が詐称
3,私の家も本拠地の家もどちらも本家の末裔

村民が名主の名前を名乗るということが話題になっているので便乗させてもらいました。
私自身は調べ始めたばかりで無知に等しいので分かる人がいたら少しでもいいので教えて下さい。
543日本@名無史さん:2011/09/04(日) 00:48:52.32

伝えられてる
思われる
言われている
多くいる

きちんとした家ならこういうことはありえません。
大体が捏造詐称の類だからそういう信憑性がないことになるんですよ
544日本@名無史さん:2011/09/04(日) 00:56:36.92
長文で具体的な名前が出る割に歯切れが悪いしな。
545542:2011/09/04(日) 01:22:42.46
>>543
『言われている』とのことに関してはその通りです。
(私の先祖と言われている苗字を仮にAとします。)
Aの子孫が苗字を変えたとの事は根拠が乏しいです。
根拠としては本拠地の別姓であるにも関わらず上士であること、Aの苗字から一文字受け継いでいること、Aの名前を名乗ることhが憚られたことのみです。
このような状況では捏造詐称であると理解して良いのでしょうか?
ちなみに先祖の支城には、江戸時代に創建した、Aの名前から一文字取った別の名の神社が建っています。

『伝えられている』、と『言われた』にに関しては、このような場であるための謙遜であると思ってください。
当時としてAの名前で庄屋としての家を新たに建てるには憚れる時代背景があったとのこと、睨まれることはあれども少なくとも利点は有りませんでした。
かつての本拠地でA姓を詐称することはお上睨まれこそすれ、利点は少ないです。なので捏造詐は考えにくいと理解している次第です。

『多くいる』についてはどのような理由なのか知りたいのことです。少なくとも私の家の周辺、徒歩一時間で行ける範囲には私の分家と古い分家筋の子孫以外には同じ苗字はいません。なのに何故本拠地には平民で姓がいるのか疑問なのです。

きちんとしたことが伝わってない理由は廃仏毀釈が厳しい地方であること、曽祖父が戦死したため、当時子供であった祖父に相続が上手く出来なかったこと、その結果残っていた文書の価値が解らず処分してしまった事にあると理解しています。
(古くから残っている数少ない寺に行って話を聞いたのですが相当厳しかったとのこと。
事実、殆どの寺がなくなり隣にあった神社のみ残っています)近隣の古老に聞くと、名家であったこと、かつては周辺一帯を所有していたと言っています(周辺一帯を所有に関しては文書で確認済み)
546日本@名無史さん:2011/09/04(日) 01:43:21.83

考えにくい
利点が少ないから
理解している
〜〜に聞くと
いいですか?あなたの創造の域を出てないのです。
苗字の組み合わせなんて、詐称されてる家が一番都合よく解釈している一般例です。
547日本@名無史さん:2011/09/04(日) 13:36:28.69
なんでバカっぽい思い込み系のカキコミしてる奴ってみんな庄屋や名主など豪農の子孫なの?
コンプレックス?
548日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:18:49.97
他家を貶めることに必死だな、543も546も揚げ足取りばっかりだし
余裕なさすぎじゃねーの?
549日本@名無史さん:2011/09/04(日) 15:17:54.52
庄屋かゴーヤか知らないけど
アンカの付け方くらいいい加減覚えればいいのに。
550日本@名無史さん:2011/09/04(日) 15:36:04.19
うちは筑前黒田藩士の家系で明治時代に福岡市郊外に農業をするために転居して今に至るんだけど、系図によれば初代は東北の葛西氏の一族で東北の伊達氏に仕えたりしてたのが何故か豊前時代の黒田長政に鉄砲足軽として仕官して福岡に来たらしい。
先祖が東北人ということで今回の震災ではちょっと多めに寄付金したりした。
近いうちに東北、葛西地方に行ってみようと画策中。
551日本@名無史さん:2011/09/04(日) 15:38:27.59
>>547
いや、水呑の妄想だな
武家を自称してもすぐにバレるから庄屋や郷士豪農を自称する人は極めて多い
552日本@名無史さん:2011/09/04(日) 15:49:11.13
我が家のように全国にただ1件の苗字なら間違いようがないのにな
553日本@名無史さん:2011/09/04(日) 17:07:58.34
>>549
俺にも揚げ足取りか?
偉そうにするなら中身のある発言しろよな
554日本@名無史さん:2011/09/04(日) 17:25:59.43
>>553
アンカ付けろってそのままだろ。
内容もなにも文の通りだよ。
555日本@名無史さん:2011/09/04(日) 21:15:47.01
>>554
だから必死すぎだろって
アンカのつけ方くらいでどーしてそこまで噛み付く?
>>548のが図星で悔しいのか?
556日本@名無史さん:2011/09/04(日) 22:19:11.33
>>555
アンカの付け方知ってるならスルーしとけば?
言っとくが俺は>>543や546じゃないからな。
見境なく好戦的な態度を改めたら?
わざわざ時間差でレスする程でもないしな。
557日本@名無史さん:2011/09/04(日) 22:42:03.19
>>556
それもそうか
すまないな、ありがとう
今後は気をつける
558日本@名無史さん:2011/09/04(日) 22:54:52.90
俺ももうこのスレには来ないよ。
家柄云々の話題は年を取って組織に所属しなくなってから縋ればいいし。
やっぱり後ろ向きは歩きにくいな。
気分や話題性もどんよりするし。
559日本@名無史さん:2011/09/04(日) 23:09:04.12
まあ、そう言わずに俺の自慢話し聞いてくれよ
560日本@名無史さん:2011/09/04(日) 23:51:05.86
自慢話=庄屋名主→元は武士だった
561日本@名無史さん:2011/09/05(月) 00:39:01.31
>>558
554の人?すまなんだな
詐称が多いのは知ってるが、このスレの流れが否定的になってるのが嫌だったんだ

>>560>>542の人?
身分の浮き沈みは多かっただろうから武士→庄屋ってのは多いらしいね
武士→庄屋のあたりはちゃんと辿れる?
562日本@名無史さん:2011/09/05(月) 09:28:02.11
庄屋自体が地侍のガス抜きの為のものだからね。以前話題にもなっていたけど
途中から新田開発で庄屋になった家でさえ元を辿れば地侍な資金力のある農家
なわけで果たして小作人程度から庄屋に上り詰めた家なんていくらあるのかと?

また、郷士自体も定義がいまいちで先祖が武士であっただけで(藩によって認められていない)
郷士と名乗ってる家も多いし
563日本@名無史さん:2011/09/05(月) 09:49:11.30
>>562

>庄屋自体が地侍のガス抜きの為のものだからね

↑こいつはバカですか?
564日本@名無史さん:2011/09/05(月) 11:19:08.16

しょうじき辟易もの、無駄スレの代表
565日本@名無史さん:2011/09/05(月) 16:50:10.14
「元武士」とか聞き飽きたな
これ言う奴はリアルにも腐るほどいるよな
うちの近所にも「清和源氏で元武士」がいる
本人曰く「我が家は清和源氏の名門で元武士だったが江戸時代に百姓になった。」
でもこの家、まだ4代目なんだ
すぐ近くにこの家の本家がある
そして本家は百姓だった
江戸時代以前に存在すらしてなかった家が元武士とはこれいかに
因みに昔は町会議員やってて、その時の経歴書にもちゃっかり書いてあるんだよコレw
5年ぐらい前に長屋門なんか立てたりしてるし捏造に必死w
566日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:22:49.86
>>565
まぁそうなんだろうけども、ここへの書き込みに対して捏造なことを前提にして考えるのは良くないと思うのですよね。
捏造ならば本人がちゃんと調べれば明らかになることであろうから、疑問な点、調べるべき所を指摘するように留めてはどうかと。
567日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:35:43.61
詳しく調べないとわからないってことは、おそらく武士や豪農とは無縁かもね。
568日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:49:15.51
>>567
江戸時代に武士であったなら地域の図書館や資料館などで調べたらと思います。
存在しない地域もあるでしょうが。
『武士と言われている』であれば不明だから、先祖の名前が出てくるか調べればはっきりすると思うのです。
家に証拠がない事はあり得る話ではと思います。
豪農に関しても、誰に『言われてる』かによって変わってくるのではと思います。
自分の親族だけなのか、近所の人達も言っているのか。
569日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:59:43.33
>>568
いわゆる名家であれば近所の人からも一目置かれていそうですね。

皆の家が旧家であるならば屋号はありますか?
我が家は築百数十年経っていますが屋号はありません。
近所には屋号のある家が多いです。
570日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:24:47.82
>>569
屋号があるのは、分家が密集していて苗字で家を判別できない場合だと思う。

うちは約400年同じ場所に住んでて市内では旧家として知られてるるけど、
同じ苗字が少ないから(?)屋号が無い。
571日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:28:36.54

江戸時代に武士だったというのはともかく、
室町時代に武士とか、鎌倉時代に武士とか、やめませんか?
300年以上百姓やってたら、百姓でいいじゃありませんか?

572日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:48:25.26
>>571
うーん、苗字が変わっていないならばアリかと思うのですがどうでしょう?
極端な例ですが、宇喜多家(漢字は浮田に変更)の例もありますし・・・
確かに先祖が武士だと自慢するのは見苦しく、辞めるべきだと思うのですが、興味を持って調べるのはいいのではないでしょうか。
573日本@名無史さん:2011/09/05(月) 21:23:04.01
庄屋や郷士だった家は近所の人は誰でも知ってるね
といか200年ぐらい前までならどこの家も情報を共有している
574日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:05:58.84
幕末まで武士で明治以降は士族で大中臣氏の子孫の俺に反論していた庄屋さんはどうなった?
資料にものっていて確実に武士の子孫の俺に
何であんなに変に反論されたんだろ?
俺の先祖のことを非難されたくないな
他人の先祖を非難しないでください自称庄屋さま
575574:2011/09/05(月) 22:20:15.42
自称庄屋さんは偏見のもちすぎ
それでは本物の武士の子孫がこのスレからいなくなっちゃうよ
俺はもう来るつもりないけど
先祖が百姓だろうが武士だろうがいいだろ
先祖供養に先祖の身分なんか必要あるのか?
自称庄屋さまには信じられないだろうけど
世の中には珍しくないほど旧士族の家があるんだよ
珍しくない他人の先祖を嫉妬しても面白くないだろ
先祖の供養に身分なんか関係ないね
くだらない
576572:2011/09/05(月) 22:20:26.69
>>573
誰でも知ってるかは分かりませんが、多くの方が知ってるはずですよね
(うちの近所(ド田舎)は若い方は知らないように思う。そういう話をあまりしないから私が聞いてないだけかもしれませんが)
で、確かに庄屋らしいけども詳細が分からないからここに来ている方がいるのではと思います。

>>575
幕末まで武士だった>>575さんと、反論された庄屋さんとはどれでしょう?
本気で尋ねたいならばアンカをつけてください。でないと評価のしようがないので。
577日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:21:07.59
自分の父系の先祖ならだいたい素性も伝わってて様子がわかるというもの。

でも、母系で少し遠いと本当に関係が途絶えていて事実なのかよくわからないものもある。

俺の母の母の母の母の父は、彰義隊の隊士であったらしい。
母の母の母の父は田舎から出て出世した医者だったので羽振りが良く、格上の没落武家?で
ある、その彰義隊士の娘を妻にしたとのこと。

これは母の母の母の父の孫たちから聞いたので、近い世代のことだから信じてもよいのかも
知れないけど、物的なものは特に無し。

彰義隊関係の本に出てこないので、事実だとしても末端か何かで幹部では無かったのだろう。

→っていうのは、俺の例だけど、そういう武家との関わりはザラにあるよね?
ちなみに彰義隊関係の子孫の人っていますか?今までそう名乗ってる人見たことない。

ちなみに俺の父系は天保当時は4反+α(5反無い)しか農地の無い、貧しい郷士
だか百姓だかだったらしい。一応士族になったけど、幕末に手柄を立てた事実が
無かったら平民だった可能性大。(献金郷士がいる藩だから、郷士だったとしても、
献金の可能性あり。)
578日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:22:02.10
右や左の庄屋さま
安っぽい煽りにのらないでください
579イケメン2号:2011/09/05(月) 22:35:51.80
漏れの先祖の庄屋の功績
     ↓
http://kurumenmon.com/mizuma/kuromatu/siryou1.html
(みずまの松の由来の項目参照)

580572:2011/09/05(月) 22:57:07.16
>>575
あぁ、庄屋が下級武士より上だと言っていた人のことですか?
どっちが上とかはこのスレの趣旨ではないし、仰られるようにどうでもいいことなので無視しておきましょう。
そもそも先祖が偉かったと自慢するとのは現在の自分が残念な裏返しで・・・

>>578
すみません。私のことですか?
素で尋ねてしまいました。

>>579
先祖の事を調べるのはいいと思うけど、自慢するには遠すぎる事、先祖の功績を自慢することは恥ずかしい事なのでこの2つは忘れないでください。
更に、その家に近ければ>>573のようになってる事と思いますし、>>577のように他にも名前の残っている家系が幾つも出てくる事と思います。
明治時代は結婚時には身分に拘った時代なので結婚相手も同様の身分が多いですので。
では、先祖を誇りに思うのならば、ご先祖を恥じない人間になるように頑張ってください。
581565へ:2011/09/05(月) 23:10:02.19
何捏造してるの?俺が>>470とかで書いた先祖の経歴をそのまま、
いかにも捏造風に書いてるだけジャンw。
源氏の末裔なんて俺は一言も言ってないけど?
一番源氏の末裔と偽造してる身分は下級武士ですけど?
何でうそばかりつくの?そんなに庄屋が下級武士より優遇されてるのが受け入れられないの?
よっぽど庄屋にこきつかわれてたの?
何でそこまでして貶めたいわけ?w
582571へ:2011/09/05(月) 23:23:34.40
それから私は一言も武士だったなんて言ってませんよ?
旧武家だったといってるんですよ何回も。盲目なの?
きちんと書いたはずですよ?
旧守護大名家には室町期に書かれた家臣帳と、
江戸期にその末裔が編纂した旧家臣帳が残されています。
そこに記されている家はわずか40家弱。
いい?武士じゃないんですよ。そんな雑魚じゃなく、武将なんですよ。
これら40家のうち6家は守護大名家の苗字違いの一門。
後の30家弱は在地の豪族や国人、地侍なんですよ。
583574:2011/09/05(月) 23:27:45.19
>>581
庄屋さまですか?
584571へ:2011/09/05(月) 23:31:57.96
室町期の大名家は藩士のような雑務係りなんて直接雇用してませんよ?
江戸期で言う直参旗本のような存在で、完全に在地で独立してるものたちと、
請負契約のような関係ですよ。服従じゃないですよ?歴史知ってますか?
だから、分限長と違い、武将しか、うちの旧守護大名家は乗ってない。
で、そこに、>>462で書いたとおり、
当時下級武士なんていう奉公人まがいなど名門室町大名は直接雇用してませんからね。
おばあちゃんの実家は「○○但馬守」と記され書いてあります。
そしてこの旧守護大名家の一門分家とは縁戚関係です。
585571へ:2011/09/05(月) 23:40:07.98
みんな武将は在地の領主なので、記されてる住所にそのまま今でも住んでる家が多いです。
で、私の家はばあちゃんの実家よりは身分は低い地侍でしたので〜守ではなく名前だけです。
でも、旧守護大名家の43将にきちんと在地の場所と名前載ってますよ。
でも、その旧守護大名家が滅び、その本家と分家は旗本と大名家の上級武士になっていきました。
しかし、その家臣である在地の領主たち大半が帰農し、庄屋になってます。
なぜならみな在地にかなりの土地を持ってますのでそれを捨てなかったということ。
586571へ:2011/09/05(月) 23:47:52.13
で、墓も、室町期、戦国期、江戸初期まで「宝篋印塔」のはかが何基も残されてると書きましたよね?
江戸期は宝篋印塔なんて大名家しかほとんど作られてませんよ?
さらにその後は傘付石墓の[院号居士]の戒名が許され、苗字帯刀、長屋門等、
上級武士と同じ待遇を許されたといってるだけですが?。
で、何で私たちの家は、その足軽より圧倒的に待遇がいいんですか?
下級武士程度で院号居士やこういった上級武士や大名家と同じ墓の形許されてるわけ?
長屋門許されてるんですか?
どうしてそんなに身分の高い足軽や武士とは名ばかりの下級武士は、私の家よりはるかに冷遇された福利厚生なの?
教えてもらえませんか?
587572:2011/09/06(火) 00:01:31.33
>>586
だいぶ上にも書かれていますが、心の余裕を持ったらどうでしょうか?
貴家がどうであったかは分かりませんが、一般的には庄屋<武士であったというのが共通認識でしょう。
それが絶対ではなかったと指摘するに留めては?
ここは身分の上下を議論する場ではないので、別のスレッドを探していただけたらと思います。

あと、単純な質問ですが、現在15町の土地を持ってるとのことですが、仰られるような家であれば少ないように思われます。
農地改革や相続、分家等で失われたのですか?
588575へ:2011/09/06(火) 00:05:37.97
知ってるよ。
だって前にも書いたでしょ?
うちはその後明治初期も県知事である旧藩主から村長や戸長に任命してもらい、
さらに当時のばあちゃんの実家は中級武士の士族できちんと「居士」の戒名だと。
下級武士程度なんて腐るほどいるでしょ。
珍しいと自分であなたが思いたいんじゃないの?
相手にしたくないと書いたでしょ?下級武士なんて。
とりあえず、どうでもいいよ下級武士の先祖のことなんて。たかがしれてるし。
589日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:06:13.83
>>580
煽りにのらないでと言うのは皆様のことです。
590574:2011/09/06(火) 00:09:03.57
下士が足軽だと思ってたんだ
だから庄屋が下士より優遇されてたと言ってたんですね
俺のいう下士は、庄屋さんのいう上級武士相当だと思うわ
庄屋さんみたいな経緯で戦国時代に帰農した他人の家と
自分の家は江戸時代は同格扱いされてたし
591587へ:2011/09/06(火) 00:10:02.15
あなたは上で、豪農とは100町持ってる家だといった方ですか?

あなたは農地の単位知ってますか?
当時、千石庄屋といわれてる大身庄屋で30町といわれてるのに、頭おかしいの?
百町なんて旗本で百町もの自己所有の土地持ってる人教えてくれませんか?
もう少し勉強しなよ。何にも知らないで先祖がどうの言ってる前に。
100町とか、馬鹿だとおもわれるよ?
592574:2011/09/06(火) 00:14:56.19
×庄屋さんみたいな経緯で戦国時代に帰農した他人の家と
○庄屋さんみたいな経緯で戦国時代に他の大名(自分の先祖も仕えた大名)に仕えた他人の家と

間違えた
593日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:15:26.46
>>584庄屋の先祖も戦国期はOO守だし中級武士も戦国期はOO守を名乗ってるが・・・
594旧武家:2011/09/06(火) 00:16:17.57
あの、いちいち名前まねするなよ。誰が誰だかわからないだろ。
>>590
何でそういう揚げ足しか取れない?
いつ下級武士が足軽と一緒って書いた?どこ?
実際は同じ長屋住まいが大半だけど、ひとこともかいてないだろ。
似たようなものだといってるだけだよ出自も。
いいよ別に下級武士なんてどうでも。親戚が中級藩士だし。
595587:2011/09/06(火) 00:19:11.46
>>591
その人とは別ですが町の単位ぐらい知ってますよ?
・・・というのは嘘で、最初に見かけたときに調べました。
なので馬鹿と言われても仕方有りませんが、それが解った上で書きました。

どうしてそんなに攻撃的なのですか?繰り返しますが余裕を持って下さい。
先祖が立派なのに本人の性格が残念だとどうしようもないですよ?
あなたの言いようを見ていると大庄屋といっていい身分かと思っていたのですが違うのですね。
596旧武家:2011/09/06(火) 00:21:42.11
>>593
先日も書きましたよね?俺のばあちゃんが旧守護大名家家臣で、
明治時代の村長に任命された当時の時代の先祖のばあちゃんの親戚が中級藩士だと。
よく読めばわかるでしょ。
597旧武家:2011/09/06(火) 00:31:03.89
>>595
そうですね。すこし厚くなってたかもですww
大庄屋ではないので大庄屋とは書いていません。
ですが全国規模でいえば一町もの土地持つ農家自体、農民人口のわずか10パー未満ですよ?
おそらく7パーくらいもいませんよ。
ましてや、中級武士以上でも知行地のなかの自分の土地ですら一町持ってるものなんてたかが知れた人数名はずです。
上には上がいますが、中クラスの庄屋の土地量だとおもいますよ。
地域によってもぜんぜん違いますよね。2町持ってれば大庄屋という地域もあるし。
598574:2011/09/06(火) 00:34:14.20
>>594
いや長屋住まいじゃない、足軽は長屋だけど
俺の先祖は馬にのれた身分の武士なんだぜ
いや、自慢話になるかもしれないからもうやめた
先祖の話って疲れるな
599旧武家:2011/09/06(火) 00:40:04.71
>>587
>>貴家がどうであったかは分かりませんが、一般的には庄屋<武士であったというのが共通認識でしょう

これは今現代の認識ですよ。当時のリアル江戸時代はそうじゃないから、
私の家のような上級武士並みのあらゆる待遇が許された庄屋豪農が存在するんではないのですか?
私のみならず、うちの旧守護大名家に使えていた最上級の重臣だった庄屋はもっとすごいですよ。
家老との養子関係が江戸期にありますし、屋敷は悶絶するような大名顔まけの屋敷が今でも残されてますし。
家老クラスの屋敷とはレベル違いますよ。
600日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:45:32.68
>>597
冷めてくれたようでなによりです。

むぅ、そうなのですか・・・
うちの父方の祖母の家が豪農で、明治期には金貸しをしていたため(?)かなりの土地を持っていました。
今でも毎年のように役所から連絡が来ます。
(貴家の土地なので権利放棄するなり相続するなりの手続きをしろとのこと。)
祖母の家は珍しい苗字戦国期の豪族の末裔かと思われるのですが調べがついておらず、いずれにせよたいした家ではありません。
なので、自家を調べるにあたってアドバイスがありましたらお願いいたします。
601旧武家:2011/09/06(火) 00:46:15.51
>>598
下級武士という時点でなに言ってもそれは蔑みですよ。
私は庄屋ならいいが、とても下級武士なんて恥ずかしくてもしそうならいえませんよ。
冗談抜きで。うちには下級武士の親戚なんていないよ。
中級武士や庄屋の親戚がいても。
縁談は昔よくあったらしいが全部断ってるよ。財産狙いとばればれだから。
それに下級武士と親戚になってもなんの、なにひとつのメリットないし。
だったら、うちの旧守護大名家最上級の武将だった庄屋さまと縁談氏他方が数億倍ましだわ。
602日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:51:00.33
>>599
そうです、今の価値観ですね。
江戸時代のことは藩によって事情が異なりそうに思います。
この分野について勉強したいと思っているところなので、書き込みではなく信頼できる本屋やURLがあればサクッと教えてくださればと思います。
603旧武家:2011/09/06(火) 00:54:30.41
>>600
そうなんですか。どれほどの土地所有されてたの?

珍しい苗字も室町の武家に結構多いですよね。
旧守護大名家家臣帳にも珍しい名前の人がかなりいました。
だから調べれば本家は室町武家なのでは?
アドバイスですか。うちは600年も同じ住所だから全部家に何でも残ってて。
珍しい苗字なら、おそらく高確率で辿ればその先祖だと思いますよ。
守護大名くらすでないかぎり旧家臣帳などは残されてないでしょうから、
自分の家の所有する関連のものが蔵にのこされてませんか?
604日本@名無史さん:2011/09/06(火) 01:17:49.90
武家は土地を所有しません
605旧武家:2011/09/06(火) 01:19:04.42
>>602
江戸初期の村方騒動などを調べてみては?
江戸初期の庄屋名主は、私のような旧室町武家が圧倒的なので、
いたるところで江戸成り上がり入植大名との間で小競り合い合戦してますよ?
特に吸収は圧倒的に多いです。
606日本@名無史さん:2011/09/06(火) 01:24:00.85
俺は>>600ではないけど
>>603
な〜に〜!旧家だな!
俺んちにあるのは!
納屋!

数ヶ月前に家の納屋で
「韓国が併合されたからお知らせするね♪これってお祝い事だね♪」
from村長
な内容の手紙を見つけたwww
607旧武家:2011/09/06(火) 01:25:52.62
>>602
大規模なものでは、名門守護大名佐竹家が徳川家から秋田転封させられたとき、
佐竹家は数十人の一門郎党のみしか移転を許されず、その家臣団のほとんどが帰農されてます。
そのうちの重臣だった在地豪族でその後庄屋になったものが、
水戸藩から下級武士が税金を催促しに来たとき、その旧武家庄屋は
態度が無礼だと2人とも切捨て、水戸城下に送り返したようです。
水戸藩は怒り、藩兵1500程で出陣。
その後、
608日本@名無史さん:2011/09/06(火) 01:29:28.66
>>603
すみません、途中文が乱れてました。
土地については詳細が分からなくないのですが、家の周辺は山間部なのこともあり、5キロ四方は越えそうです。
金貸しをやっていたため、大部分は飛び地で遠くに持っていたようです。人を雇って管理させてたところ、先祖が急死してうまく相続できなかったとの話です。
結果、上手く相続できず、使い道もない土地が未だにぽろぽろ見つかっているとのこと。

家については、役所発行の町史で同姓の豪族が滅ぼされて守護大名格(この意味もよく判りません)に臣従して祖母の実家へ送られたとの記述があります。
その守護大名格の家臣帳には同姓が出てきますが、確信が持てず・・・
その地域には他に同姓の家はなく、そもそも日本中でも100件程度しかない姓のようなので間違いないかとは思うのですが、このスレを見てると推測に過ぎないのかな、と考えたり。
蔵については管理ができていないので物は残ってなさそうです。

>>605
ありがとうです。村方騒動とは一揆のようなものでしょうか?
入植大名の弾圧の厳しかった藩なので、うちの地域では難しそうです。
609旧武家:2011/09/06(火) 01:33:46.26
>>607の続き
水戸藩は怒り、藩兵1500程で出陣。
その後、
庄屋は、ならばとばかりに、村人700人近くに武器武具を配り迎え撃ってます。
数ヶ月に合戦は及んでおり、結果はもちろん水戸藩が勝ってますが、数百人の死傷者が出たと残されてます。
その村も庄屋も跡形もなく消滅してしまってはいますが。
調べればいくらでも、江戸初期、旧武家庄屋のこういった活躍がでてきますよ。
これが本当の現実。
610日本@名無史さん:2011/09/06(火) 01:35:05.92
旧武家って変な奴だな
611旧武家:2011/09/06(火) 01:41:30.40
>>609の続き
しかしあまりにもこのような新興江戸江戸入植大名にたてつく庄屋が非常に多く、
さらには島原の乱で、幕府は制度改革を進めてます。
結果、足軽ごときでも旧武家庄屋は対面上は一律下だというような形には試みたようです。
しかもあくまで江戸中期になってやっとです。
が、実際は財産も屋敷も待遇も矛盾だらけで、何も変わってなかったようです。
612602:2011/09/06(火) 01:42:18.62
>>609
庄屋や農民が絶対服従でなかったことと、武家→庄屋が自然である事、庄屋もきちんとプライドを持っていたことはわかりますが、それだと庄屋が下級武士より身分が上だという説明にはならないように思いますが、どうでしょうか?
…明日があるので今夜はもう寝ます。
613旧武家:2011/09/06(火) 01:46:13.81
>>611の続き
ただ、庄屋が下級武士や足軽を切り捨てることや、
おもてだって佐竹騒動のような挑発行為を下級武士にすることは徹底禁止されたようです。
その名残が庄屋<下級武士見たいなイメージで残されてるのでしょう。
あくまで現代人のイメージとして。

614旧武家:2011/09/06(火) 02:10:24.57
>>612
ヨーク考えてみてください。
水戸藩に、たかがいち庄屋が合戦してるんですよ?数ヶ月も。
現代の価値観で考えられますか?実際はそれが可能だったんですよ庄屋の力は。
これ、庄屋以外の身分でここまでのことできる身分いますか?
現実にいないでしょ?それだけの気概のある身分もいないし。
江戸初期、庄屋が合戦してるのは、大名であって、下級武士程度なんかじゃない。
下級武士程度の家ひとつ、庄屋なら即日ぶっ潰せますよリアルに。
615日本@名無史さん:2011/09/06(火) 02:33:01.89
ばあちゃんが守護大名の家臣WWWWWW
616日本@名無史さん:2011/09/06(火) 02:40:42.67
佐竹は秋田移封後でも家臣を新規召抱えしてるがな?
617旧武家:2011/09/06(火) 02:46:34.57
>>612
もし幕末、黒船や外国の介在がなかったとしましょう。
どの道徳川幕府は内乱によっていずれ崩壊するでしょうね。
そのとき、譜代親藩の大半が小大名。それらの権益を保障していた
幕府が崩壊すれば孤立無援の一豪族に過ぎなくなる。
そしたら、急速に豪族化していく身分は何でしょうか?何だと考えられますか?
庄屋ですよ。藩にメリットがないとわかれば、自分の村と利権を自ら武装して守らなければならない。
庄屋がそのために武装し始めたら、完全に事実上の戦国時代に突入ですよ?
618日本@名無史さん:2011/09/06(火) 02:53:15.15
佐竹旧臣のほとんどは庄屋になってないけどな
619旧武家:2011/09/06(火) 02:53:40.01
>>612
水戸藩だから藩兵1500も一瞬で差し向けてきますが、
というより、水戸藩が1500も兵隊出すほどの対抗力を事実上有してるのが庄屋ですよ?
小大名程度など、いち大庄屋が、
リアルに豪族化しちゃったら勝てないでしょ?
村民という名の私兵は一家の大庄屋だとへたすりゃ1万人くらいいますよ?
財力はリアルに旗本クラスを個人単位で持ってますから。
620旧武家:2011/09/06(火) 03:04:14.61
下級武士なんて、先祖帰りしてまた山にこもって山賊化、野党化するのが関の山でしょ。
何一つ庄屋より持ってないんだから。

>>618
またそうやって貶めたいんだな。
佐竹旧家臣は水戸藩から一部以外ほとんど登用されず、
旧佐竹の家臣は主に御山横目庄屋、組頭などの村役人に採用されてますが?
だけど、これに任命されたのも、上級家臣のみ。
ほとんどが普通の平百章か役なし豪農一般農民になってますよ。
621旧武家:2011/09/06(火) 03:12:21.88
>>618
そもそもこの水戸藩兵1500と対峙した旧佐竹家重臣庄屋の村人の農民自体が、
ほとんど佐竹家の旧家臣団ですからね。
この重臣の直属の兵隊がそのまま帰農してるんですから村ごと。

それに比べ江戸下級武士なんて、大半が信長の根来衆雑賀衆などの村からあぶれた雑多と
戦場の死体から武具かっぱらって野党化した足軽が非常に多いですが?。
由緒は歴然ですが?
622旧武家:2011/09/06(火) 03:27:38.84
ようは、幕府は、当時の旧武家層の不平や反乱を恐れ、中世の権益をそのまま保障する代わりに、
武装という武家の部分を剥奪した。
だって庄屋の権益のまま武士だったら、旗本御家人と変わらないからね。
ただそれだけのこと。江戸中期、足軽にも挑発行為や逆らうことを禁じたのは、
それまで散々庄屋から散々やられてきた事実があるからだから。
よかったね?散々江戸初期は庄屋から馬鹿にされ虐待されたおかげで、
江戸中期、やっと一律底上げで体面上は庄屋以上になれてww
それだけのことだよ現実は。ただそれだけ。
会社の社長である藩主に目通りすらできない社員の癖に。ただの契約社員だろうが。
623日本@名無史さん:2011/09/06(火) 07:46:40.15
なにこの基地害の連投は?
624日本@名無史さん:2011/09/06(火) 10:52:48.68
>>623
否定的なレスをすると何故か下級武士の子孫だと決めつけられるよ。
625日本@名無史さん:2011/09/06(火) 13:39:04.64
>>621
その騒動調べてやるからどの年代の事件か教えてくれ。
水戸藩の歴史でそんなに大きい騒動なら茨城県史に載ってるだろう。
拒否るならすべて嘘と取る。
626日本@名無史さん:2011/09/06(火) 14:48:50.04
彼の言ってるのは生瀬一揆の事だと思う
資料は覚書ぐらいしか残っていないから詳しい事は不明ですが
通説では水戸藩と年貢のトラブルで小生瀬村人が水戸藩吏を殺害してしまった為に報復を受けて皆殺しにされたと言うものです
この事件は一揆であって別に庄屋と藩が戦争した訳ではありません
627日本@名無史さん:2011/09/06(火) 15:56:00.19
因みに討伐兵は1500人ではなく芹沢出羽守率いる150人です。
それと佐竹氏が帰農させたのは基本的に100石以下の者
次男以下は常陸に留まった者も少なくありませんが、重臣はほぼ秋田へ移りました。
義宣に従った者は93騎(93人ではなく城持ち級の重臣家の数)で
秋田藩士の分限帳を見ると上士が約3000家、下士が約2000家、陪臣が約1000家となっています。
下士以下は良く分かりませんが上士は殆んどが常陸から移った家ですので
少なくても3000家以上、家人を含めると1万人以上は義宣に従ったものと思われます。
一方、常陸残留組を佐竹旧臣録などの資料で見ると
事件が起きた生瀬村近辺に佐竹旧臣は数人しか確認できません
禄高は50石程度です。
なので村民の殆んどが佐竹旧臣とか、庄屋が旧佐竹重臣とかは有り得ません。
628日本@名無史さん:2011/09/07(水) 05:34:17.12
先祖はどうあれ、現代は身分なんかに拠らず
みんなと会って楽しく酒が飲めるって良いことだな。
629日本@名無史さん:2011/09/07(水) 06:32:37.51
>>462->>466 >>474->>476 >>481->>486
このスレの人間からしても、キチガイが来たいう感じだわ
630日本@名無史さん:2011/09/07(水) 07:00:38.37
おっと間違えた

>>462-466 >>474-476 >>481-486
このスレの人間からしても、キチガイが来たいう感じだわ
631日本@名無史さん:2011/09/07(水) 11:11:49.91
まあ、家格と言うのは変動するものだから維持するのは大変だね
例えば足利氏
言わずと知れた武家の棟梁で源氏の長者であるが
江戸時代になると武家の棟梁も氏長者も徳川氏に移り没落した
他にも佐竹氏、島津氏などは鎌倉以来の守護大名だが
桃山時代以降は前田氏などに追い抜かれた
江戸以降の家格は徳川>前田>島津>佐竹>足利となる
その江戸時代の武家達も明治維新後にまた家格が変動した
要するに名家も努力しなければ名家でいられないし、普通の家でも努力していけば名家に成りうると言うことだ
632日本@名無史さん:2011/09/07(水) 18:20:21.28
先祖探しのテクニックの話題のはずが、何でこんなに荒れてるんだ?
誰かが成りすましてるのか、本当にそうなのかは知らんがホドホドに。
2chだとしょうがないだろうけどな。
633日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:24:35.98
適当な事を書くやつが多すぎる。
なんで郷士と自称する者が百姓になるんだ?w
うちにも天明の墓石があるがその時米の値段がいくらだと思う?
一俵(60kg)で17銭だぞw
少なくとも当時は相当な金持ちとしか思えんね。
634日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:38:15.00
適当なことしか知らんのだから仕方ないのでは?
で、そういう人の矛盾点を探して詐称認定するから荒れるんだと思う
ここに来て聞く人なんて、素人なんだろうから、そういう時代の常識がなくても仕方ないのに、常駐してる人がいじめすぎ
武士とか庄屋の子孫でも昔の事に無知でもおかしくないわけで

書き込みのおかしいところを指摘するなら、指摘にとどめて真贋見極めるためを教えないとね
それができないならこのスレは落とすしかないように思う
635日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:54:43.09
小説みたいな落ちぶれた名家ってのに憧れがあるんだろうか。

大抵こんなスレでは
俺の家は有力農民(取って付けた様な自虐自慢)だけど戦国時代は…ばあちゃんちは(ryだもんな。

数百レスも同じ人が書いてんのってくらい同パターンだしな。
636旧武家:2011/09/07(水) 22:10:53.92
>>627>>635
すいません、昔の記憶なので間違えがあったようです。
旧守護大名家の旧家臣帳みたら家臣団が53家乗ってました。
ばあちゃんの実家は但馬守ではなく河内守でした。
そして私の家は、末端ではありますが、きちんと在地と名前かいてありました。
そして医師も兼務していたようです。
それから江戸期、その守護大名の末裔の方が花印おした旧臣であるという書状もきちんと残されてます。
637日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:13:56.77
人を傷つけない嘘は美しい
638旧武家:2011/09/07(水) 22:15:37.96
>>633
意味がわからない。郷士なんてかなりの数が有力庄屋が江戸期授かってるものだが?

>>634
どうして庄屋というだけで逆にこのように詐称認定するの?いつ私は大名家といいました?
庄屋といってるだけでなんでうそになるの?庄屋程度も信じられないほど親戚にいないの?
で、私の何が歴史知らないわけ?ただ馬鹿だの無能って言ってるだけジャン
この世の中に庄屋の直系の子孫なんていないと思ってるわけ?



639日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:24:42.12
うーん、似たようなレスってより、>>19に対して>>21みたいな流れが最初っから続いてることが問題だと思う
>>21の書き込みなんて荒らしでしかありえないわけで、捏造と言いたいならもう少し詳しく聞いて根拠を示すべき
少なくとも最初っから捏造と決めつけて読んで、捏造と決めつけて書き込んでたら荒れるしかない

>>落ちぶれた名家
って少ないのかい?中途半端な家が落ちぶれたら家に証拠となるものが残ってなくてもおかしくないように思う(間違ってたら指摘よろしく)
確かにそれに付け込んだ捏造も多くて、書き込みにも先祖が詐称したものを本人が信じ込んでるのも多そうだけども、それならそれで調べ方を教えるべきだと思う
似たようなことばっかりでウンザリするのも、毎回同じこと書くのが面倒なのも分かるけど、それならテンプレ的な物を作るべき
そもそも、落ちぶれてない名家ならはっきりしてるからここで聞く必要ないわけでさ
640旧武家:2011/09/07(水) 22:25:12.92
>>633
なにがいいたいのかわからないけど、前にも書いたとおり、
室町期からの宝篋印塔の墓と、
院号居士の戒名が許され、笠付の墓が何期もあるといってるのに、
それも信じられないといってるのあなたでしょ?
この世の中にいないと思ってるの?
この世の中に、明治初期期から藩知事から村長、戸長に任命されてる家など存在しないと思ってるの?
みすぼらしい考えはあなたでしょ。自分の家計にいないからと、他人もありえないと思ってるんじゃない。
641日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:29:39.16
>>638
えーと・・・落ち着いてください
私は庄屋→詐称認定はおかしいと思って書いています
庄屋>郷士
ということは関しては納得できていないけれども、>>638の後半に関しては同じ立場です
庄屋>郷士 に関しては、旧武家さんの家はそうであったかもしれませんが、全国的には一般的ではなかったのではと思います
642旧武家:2011/09/07(水) 22:31:43.10
>>641
はいわかりました。
すこしはきちがえてるようですが、私はそのようなことはいってません。
郷士と庄屋は基本属性が同じですから。
下級武士より上田といってるまでです。
643日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:50:55.57
>>642
すみません、履き違えてるというか詳しくないためのミスです、郷士は下級武士と読み替えて下さい
ってことで合ってますか?

郷士についてですが、庄屋と同じ属性とはどういうことでしょうか?
郷士も土地を持っていたということですか?
母の家系が郷士の直系なのですが、土地を持っていた様子はないのですがどうなのかと思いまして
(郷士であったことは郷士年譜などで確認済み)

ちなみに私=>>587=>>634=>>639です
644旧武家:2011/09/07(水) 22:52:01.08
>>627
かなりそれ違いますよ。

佐竹家支流名門長倉家。帰農してますが?
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/satake3/oomiya2.htm
久川城主河原田氏 機能してる末裔が存在してますが?
http://yaminabe36.tuzigiri.com/fukusima/aizuhisakawa.htm
常陸豪族鹿島氏族 機能してるものきちんといますが?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E6%B0%8F
佐竹家旧家臣加藤木家 庄屋
http://www.katogi.com/history/senzo/senzo16.htm
645旧武家:2011/09/07(水) 23:01:01.10
>>627
それに93騎がほとんど城持ちとかも大間違いですよね?
佐竹氏には侍大将クラスですら60前後もいなかったはずですが?
名門武田家ですら侍大将クラスで45家程度なのに、城持ちが90前後とか・・・・
どうしてそういうわかりやすいうそ書くのか・・・
それに上士だって、あくまで久保田へ移った家臣団の中で大半が上士になったというだけで、
そもそも移ってないもの多いし、さらに移った家臣が分家を何個も成立させた上での3000なんですよ?
646旧武家:2011/09/07(水) 23:06:11.49
私は佐竹旧臣ではないから詳しく知らないけど、ほかにもいっぱいいますよ機能した庄屋?
なにをもって100石以下といってるのかしらいないけど。国人、地侍はほとんど帰農してますが?
まだまだあげてほしいいなら、佐竹家旧臣や常陸豪族、常陸国人、地侍で帰農庄屋のもの、出しましょうか?

647633:2011/09/07(水) 23:28:13.93
>>638
それは結構昔からある話ですよね。
あとは武士だから土地を持たないというのも俗説ですね。
>>640
それは人違いです。
ただ貴方の家は結構珍しい方では?。
648日本@名無史さん:2011/09/07(水) 23:30:01.07
>>646
その前に藩兵1500人VS村人700人の根拠史料出してくれ。

これだけの人数が出てくれば水戸藩末史や水戸藩史、茨城県史に載るだろうということだ。

それを確認するから教えてくれと言ってるのに根拠を出さない。

嘘つくならもっとうまい嘘を吐け。

ちなみに庄屋が偉いとかなんとかには興味がない。地域によって様々だからね。
649643:2011/09/07(水) 23:41:16.64
>>646
佐竹氏に限らず、一般的に帰農にはあったのではないかと思っています
ですが、佐竹氏の話で庄屋がその地域で権力を持っていたことは示せても、藩として公式な身分が 庄屋>下級武士 であることの説明にはならないように思います
佐竹氏の事情はよく分からないので議論を見守りたいと思いますが、双方、落ち着いて書いて欲しいと思います
650日本@名無史さん:2011/09/07(水) 23:52:18.62
>>649
 ちなみに水戸藩には水府系纂というのがあって、これに該当するのは士族。それ以外は卒だったりする。

 卒と庄屋はどっこいどっこいだが、少なくても水府系纂に入ってる下士よりは下だな。

 ちなみに水戸藩は上士と下士では墓所も別れている。なのでその下士より身分が上ということはない。

 また佐竹旧臣や大予馬場氏の家来豪族なんかは独自に寺を創建してたりするな。

 このうち旧来の豪族なんかは水戸藩から郷士取立てになっていたりする。
651旧武家:2011/09/07(水) 23:54:34.89
常陸鳥名木城主鳥名木家 帰農庄屋
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/ibaraki_kasima/namekata2.htm
名門守護土岐氏傍流常陸土岐氏 帰農後滅亡
http://www2.ocn.ne.jp/~so-sweet/pedigree/kochi/
佐竹重臣江戸家家老加倉井氏  帰農庄屋
http://ww36.tiki.ne.jp/~taketyan-512/siro3/ibaragi.html
和田城主支流平戸氏 帰農庄屋
http://www1.plala.or.jp/papa/enkaku.html

まだほしい?いくらでも常陸土豪、佐竹家直参旧家臣の帰農庄屋あるんだけど。
652旧武家:2011/09/08(木) 00:02:22.61
んだから間違えたといってるじゃないですか。
それから、水戸黄門もこの事実を隠していますので水戸藩は出してませんよ。
>>649
全国でいったら果てしないですよ。北条家旧家臣や大友家旧家臣 田村家旧家臣
もいえばきりないほど、旧家臣は庄屋だらけですよ
653旧武家:2011/09/08(木) 00:10:56.36
鎌倉期に勃興した常陸豪族芹沢家 佐竹移転後のち郷士 屋敷跡
http://rover.seesaa.net/article/138704531.html  

これが下級武士より身分の低い郷士の屋敷です。現実を見ましょう
654日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:11:43.47
下士だろうが領主と主従関係が結ばれている者と、主従関係が無い被支配階級の庄屋等の村役人とではそもそも土俵が違うのであって、それぞれ単に生活水準を以て比較できうる対象ではない。
ようは支配体系上で階級が違うということで、先祖の出自生や生活水準、また武士階級との婚姻関係があろうとも、大名の家中である現職の下級武士と、あくまでも村役人の名主・庄屋とでは、領主側からはこれは即座に峻別される。つまり百姓は百姓である。
例え百姓である名主・庄屋が藩より扶持をもらって帯刀の名誉を与えられていようとも、初めから帯刀が前提の下級武士に支配・監視・命令をされる階級が名主・庄屋だ。
655日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:19:35.69
つまり生活が誰だろうが幕藩体制下でどの階級に属していたのかだな
どんなに金持ちで村のボスでも百姓は百姓だ
656旧武家:2011/09/08(木) 00:21:05.80
>>654
下級武士岩崎は庄屋にぼこぼこにされても、藩は庄屋を無罪放免、下級武士を牢獄送りにしてますが?
http://www.geocities.jp/edo_jii_4039/sonotoki_iwasaki.html
657日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:21:07.42
つまり先祖が誰だろうが幕藩体制下でどの階級に属していたのかだな
どんなに金持ちで村のボスでも百姓は百姓だ
658日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:24:31.30
>>653
芹澤家は上席郷士で水府系纂に列挙されている下士(当然明治以後も士族)なので庄屋よりは上だな。
ちなみに芹澤村の庄屋は芹澤家の家来出身じゃなかったかな?
659旧武家:2011/09/08(木) 00:27:38.81
>>654
dで、>>653にある鎌倉期以来の豪族で、佐竹崩壊後没落郷士は、
水戸藩内で、下級武士程度に監視支配命令された事実はひとつも存在しないんだが?
庄屋に対しても、藩命による統制であって、下級武士程度が自己裁量で庄屋や郷士を
どうのこうの、実効支配していたなんていう藩政なければ、
全国どこの藩でもそんな実態名存在してませんが?
660643:2011/09/08(木) 00:29:15.96
>>656
岩崎弥太郎の数代前に郷士の身分を売っているので、弥太郎自体は郷士ではないのでは?
それから、郷士は下級武士の一種ということでいいですか?
最後に、一揆の話がどのように身分と関係するのか、説明をお願いします

>>654さんが言うことが私の認識です
661旧武家:2011/09/08(木) 00:34:24.98
>>660
ですから、いつどの藩が、下級武士が小や野村を実効支配していた事実があるのでしょうか?
藩命、実質藩執政である家老が藩の村々を統括管理しているだけで、
下級武士程度が監視支配命令できた藩ってどこ?
そんな村を実効支配してた旗本御家人クラスの下級武士がいたならぜひ教えてください。
ひとつの村の石高は、差に寄れど、100石から300石くらいが平均で優にあるのに、
下級武士が支配してたとか・・・・歴史無能すぎて開いた口がふさがらないよ。
藩政を何だと思ってるわけ?下級武士って石高何石だよ・・・
662643:2011/09/08(木) 00:39:08.84
>>661
あぁすみません、下級武士が庄屋を支配していたとは思いません
そこについては>>654さんとは違います
そもそも命令系統が別だと思います

ですが、裏を返すと庄屋が下級武士に命令していた事実はあるのですか?
あと、>>660の残りのことは私の言うことが正しいということでいいのでしょうか?
仮にも旧武家を名乗るのであればもう少し余裕を持って下さい
何故そんなにも攻撃的なのですか?
663旧武家:2011/09/08(木) 00:39:12.25
大体下級武士なんて地高知なんてほとんど持ってるもの以内でしょうが。
庄屋が藩命以外で支配されてた事実、あるなら教えてもらえませんか?
私は聞いたことがない。
ましてや知行地も持たない、役も持たない、何にも持ってない下級武士が
なんで村々を実効支配命令監視してるわけ?歴史しらなすぎでしょ
664日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:43:51.39
 こうした変な抵抗勢力を殺ぐために水戸藩では大山守や小山守なんかを作っている。
 庄屋は監視対象にあり、また一揆防止のためにときの領主徳川斉昭が各領内の村々を巡見してる訳だ。
 ちなみに水戸藩に下級武士なんて役職はない。上士、下士、上席郷士までが士族。それ以外は平民。
 庄屋は当然平民。
 言ってくが、藩領ということ自体ですでに藩の支配下になっているのだから、役命できた藩士なら庄屋は支配地の管理人であって、支配者の藩士に逆らうことや拒むことは出来ない。
 さきほどから言ってるが早く藩士1500VS村人700の根拠史料を明示して欲しい。
 載ってないとか言ったら、その文言はなにを根拠にしてるのか教えて欲しい。まさか
口伝とかは言わないよな。
 
665日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:46:16.15
ちなみに>>653の家は鳥名木家と婚姻関係にある。
666旧武家:2011/09/08(木) 00:49:59.60
>>662
すいません、あまりにも歴史知らなすぎで、でたらめいう方がいるので・・・
わたしは、下級武士を庄屋が支配していたから上田とはいってませんよ。
実質、武士は在地にいませんよね?
それで、村の個別の管理、運営、自治、警備、裁判、これらすべて、庄屋に委託されてるんですよ?
すべて。
さらに、藩からの税率にさらに、上乗せして、庄屋が税率を上乗せしてピンハネしてもいいと決まってるんですよ?
667日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:50:41.28
百姓ならば領主の支配を受ける領民=領主の家来である下級武士に監視命令される立場とう事だ
はっきりいうと百姓は支配体系上、領主の家来である地方役人に下達される立場なのだ
668643:2011/09/08(木) 00:51:36.39
>>664
>>藩士1500VS村人700
は間違いって旧武家も認めてますよ?
ちゃんとレスを読んであげて下さい

単純な疑問ですが、『下級武士』という身分は公式にあったのですか?
便宜的にまとめて呼んだものかと思ってました
669日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:54:05.91
下級武士は領主の命を領民=庄屋など百姓に実施させる立場
例えば地方役人である下級武士は百姓に対する監督責任を領主に問われる立場
670旧武家:2011/09/08(木) 00:55:23.57
村という単位が小さいだけで、これだけの権限権益を独り占めできた身分は、
大名や上席家老、大身上級武士以外いますか?旗本並みの待遇ですが?
で、下級武士は、何石?扶持のみのも大勢いますよね?
役もそもそも庄屋クラスのあるの?立場は?給金武士が腐るほどいる身分で。
>>664
下級武士は藩命の末端の実行役にすぎず、いつから藩主名代での村政藩政管理人になれたわけ?
そもそも藩政口出しも、それどころか藩主に謁見も許されてないだろ。
藩主の巡検であって、いつから下級武士が管理人になった?


671日本@名無史さん:2011/09/08(木) 00:56:49.50
>>666
在郷の武士もいたよ
庄屋などの村のボス階級とは交流があっても領主側からは家来か百姓かで峻別されてた。
672旧武家:2011/09/08(木) 00:59:32.93
>>668
基本便宜上でもありますよ。
上士と菓子の徹底的違いは、藩政にも口出すこともできなければ、
藩主謁見も許されない。世襲的地位の保証もしていない。
単純に社員と準社員的立場に分けてるわけですよ。
673643:2011/09/08(木) 01:04:00.06
>>666
えーと、在地(城下町ではなく田舎、という認識でよいですよね)には武士の家は会っても住んではいなかったとのことですか?
ちょっとよく分からないのでもう少し説明願いたいです

村の管理等の後半については同意します
言ってることは分かるのですが、それは藩の公式な身分に直接反映されないのでは?と思います
暮らしぶりや実質がどうであれ、『士農工商』の序列であったのでは?

>>672
ですよね、ありがとうございます
世襲的地位の保証がない、とは藩の承認が必要という理解でいいですか?
674日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:06:25.06
いくら豪農で金持ちでも領主である大名の家来じゃなかったら大名の命令を役儀として百姓に下達する下級武士には村役人としては意見できないのよ?わかる?
意見したいなら支配筋の代官なり郡奉行なり町奉行なりを通して段階をふんで願いを上申せねばいけないわけ。それが支配ってものだから。
あえて直訴なでのショートサーキットを強行した義民も歴史上いたけどね。
ともかく下級であっても領主の正規の家来は領民ではないから。
675日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:09:39.43
>>673
生活のために在地に居を構えた武士は幕末などは多くの藩でもいたんだよ。
郷士なんていう曖昧な身分でなく正規の武士でね。
676日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:13:22.44
>>668
まぁ、1500VS700の話は=生瀬一揆かということ。
間違いでも架空の話でなければその「覚書」というのを見ればよいのか?
正確な書名が解れば見れるかもしれないから教えて欲しいということだ。
677日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:18:10.02
>>675
ですよね
どちらも私の地元にいるので、どういう意味なのか聞いてみた次第です

>>676
そういうことですか、確かに「覚書」なりの情報源は見てみたい
旧武家は佐竹旧臣ではないと書いてあるので、恐らく公開されているものだと思われるし
ですが、そもそもそれに関わりなく、一揆では 庄屋>下級武士 であることの証明はできないと思うのです
678日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:18:53.96
671
一部の例外いるだけでしょ
それこそ、旧戦国大名家のような藩に納税する免除されてる庄屋もいますよ?
藩主も気を使い、治外法権にしていた庄屋もいますよ?
事実上の庄屋という名の大名が事実上存在してますよ。
例外言えばきりないでしょ。
>>675
だから例外をいうなよ。大半の下級武士は内職が大半だが?
在地に構えられた下級武士は全体の何パーセントだか言ってくれよ。
679日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:20:59.17
>>672
水戸藩の場合はそれと違うな。
まず下級武士というものの定義がムチャクチャ。
前にも書いたが水戸藩は上士、下士、上席郷士までが士分。
強引に下級というなら上席以外の郷士、同心等が該当する。いわゆる卒。
その中間層にいたのが大山守や小山守。
それに幕末には佐竹旧臣でも郷士取立てなんてのは普通にあったよ。
なお、勢力があるのと身分階級は別。逆らえば討伐なんて普通。
ちなみに水戸藩の歴史ご存知?
米の不作続きの藩だから藩はけっこう領民に圧政を敷いてるの。
680日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:23:33.46
庄屋という名の大名が存在した?
中学生でも思いつかない妄説だな
地元に絶大な影響力を持った大庄屋は勅任の武士の頭領から支配を委任されたのか?
681旧武家:2011/09/08(木) 01:26:54.76
>>673
ですから、江戸幕府はいつ、士農工商という序列だとお触れ出してるの?
そういうお触れが実在するなら出してよ。

http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/kamoso.htm
これ、庄屋屋敷だけど、上でも書いた下級武士より下っ端の郷士の屋敷といい、
本当に実質下級武士より下だったと思う?
実質したが、なぜ藩はその下の雑魚にこれだけの屋敷や戒名や門を許す?
すべての行き着く先に矛盾を感じないですか?本当に士農工商なのって?
下級武士が許されてる範囲の屋敷だそうか?平百章以下だぞ?
682日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:27:09.80
双方落ち着け

名前もつけてくれると助かる

どれだけ人がいて誰に言ってるのか、さっぱり分からん
683旧武家:2011/09/08(木) 01:34:10.97
>>680
めんどくさいですねあなたw水戸藩の一部の藩の身分の序列言ってるわけじゃないんですよ。
それに旧加藤家等の庄屋の例を自分で調べてみてください。
いちいち全部説明するのめんどくさい。
684日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:36:41.58
>>681
農民については徳川幕府が慶安2年(1649)のお触書として発布されている。
685日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:40:18.44
>>681
内容が違うので分けるが、掛川藩と水戸藩を一緒に述べないように。
庄屋(名主)の扱いは藩によってバラバラだから水戸藩に限定するように。
話が拡散して収拾がつかなくなる。
686旧武家:2011/09/08(木) 01:42:32.84
>>684
農民についてはなんていってないが?
士農工商という序列をいつ幕府は出してるのか言ってくれといってるんですよ。
687日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:56:29.84
まだやってんの?
旧武家って人、もう来ないでくれる?邪魔だから
専用スレ立ててそこで勝手にやっててくれ
688日本@名無史さん:2011/09/08(木) 01:57:51.57
苦しくなったら自演かよwwww
689日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:02:13.78
>>686
勘違いするな。庄屋(農民)なんだからコレで問題ないだろう。
ちなみに武家諸法度も公家諸法度もあるぞ。
概ね幕府から問題があるたびに触書が出ている。それによって封建時代は統制されている。
高校レベルの教科書を読め。
690日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:19:59.85
>>689
だから、いつ、諸法度いえといった?
俺が知らないとでも思ってるのかよ
いいから士農工商の序列が江戸身分制だとどこにかいてあるんでしょうか?
で、下級武士なんて実質なんちゃって武士という対面面目以外、庄屋に何一つ大差で勝てないのに、
何で庄屋ならこれで問題ないというあなたの妄想につながるの?
本当に下級武士が庄屋を見下してたのなら、下だと思ってるのなら、
普通暴動起きるよね?。なぜ一切おきてなかったのでしょうか?
691日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:27:46.71
>>690
その前に下級武士の定義を述べよ。
ほかの藩ではなく水戸藩だけでいい。
詳細とは言わないがどの身分からどの身分までを「下級」としているかが知りたい。
石高が上級なのか俵米取りが下級なのか、それとも役職集成で変わるのか。
たぶんほかの方々も知りたいだろう。
ちなみに芹澤家は上席郷士で下士だが世襲は許されていることは述べておく。
692日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:32:04.71
この庄屋屋敷や権益許してるのは、あなたらの上司の藩主や家老であって、
下級武士が庄屋どころか平百章よりみすぼらしい生活や待遇を定めてるのもあなたらの上士藩主ですよ。
でも当時の下級武士は庄屋屋敷がすごすぎるぞとか、
何であんなに庄屋は俺たちより、権益や役がすごすぎるんだ?なんて反乱は起きてない。
納得してるんだよ。自分たちは庄屋に口出しできる身分じゃないと。

何で水戸藩限定なんだよ?都合よすぎだな。
いいから、早く士農工商が江戸身分というお触書あるなら出してよ?
693日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:41:34.11
>>692 の旧武家さん
逆ギレする前に

御触書集成1〜5高柳真三,石井良助共編 岩波書店

という本が出ている。これ読め。
これらの規律によって農工商が取り締まられ、士分がいることで「士農工商」と教えているだけ。

水戸藩限定なのはあんたが佐竹旧臣とのたまってるからだよ。都合が良いわけではない。
拡散して誤魔化されないようにしてるだけだ。ちなみに一切の説明がないな。
勉強してるんだろ。1500VS700みたいに。

要はあんたが自分勝手に暴れてるから傍証取って直してるだけ。

実質の権益と封建制度を取り違えてはいけないということ。
694日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:48:30.22
693だがひとつ助け舟を出してやる。
佐竹旧臣や大予馬場氏系の豪族なんかは自活のために水戸藩が年貢を免除している土地を持っていたりする。
年貢免除だからその範囲で取れた収穫高によって裕福になる場合はあり得る。

だから身分とかではなく実質の権益で比べたら命令系統は別にして下士(士分)より裕福なのは普通だよ。

これらの土地は明治政府になって奪取されたから落ちぶれた家もけっこう出たがな。
695旧武家:2011/09/08(木) 02:57:15.44
さらに幕末、彰義隊士になってるものは、旗本御家人以外では庄屋名主が大半。
下級武士などいないんだよ。
さらに、幕末の奉行や旗本に庄屋からの養子もいるんですよ。
下級武士からは一切いないだろ!!現実はこうなんだよ。
それから、私がどこに佐竹家旧臣と書いたのか教えてください。
そしてお触書にも士農工商という身分序列だなんて書いてませんが?
696日本@名無史さん:2011/09/08(木) 03:15:47.65
>>695
693だが
正確には庄屋名主の息子が彰義隊に入っている。天野八郎も豪農の子。
ちなみに水戸藩領の百姓で彰義隊士になった奴は知らんが。天狗党や浪士組はいるがな。

「下級武士などいないんだよ」
下級武士はいないんだ。じゃあその名称を使うのはよせ。

庄屋から旗本へ入る場合、下士にいったん養子入りし、それから縁組する。武家諸法度を読んでない証拠だね。

ちなみに旗本は石高取り。下士は俵米取りのこと。

で、いないと述べてるのに「下級武士からは一切いないだろ」という言葉は矛盾する。

触書を読んでないのに読んだふりするのはよせ。せめて高校の教科書程度は読め。
697旧武家:2011/09/08(木) 03:22:42.30
いいですか?本当に下級武士に必然性があるなら、こういう矛盾は絶対生じないんだよ。
なぜ矛盾がこれだけ生じるかわかるかい?
封建制と実質権限にすら矛盾が生じてるのはなぜだといってるんだよ。
実質権限がまるで違うのに、何を持って封建制だと抜かしてるの?
実質権限が備わってない封建制ってなんですか?教えてくださいよ。

さらにその徒歩身分など庄屋株より安い値段で簡単に売り買いされてるのに。


698日本@名無史さん:2011/09/08(木) 03:27:38.59
693だが、
>>607で佐竹旧臣と書いてごたいそうに1500VS700の例を出した時点でそう思うだろ。
特に芹澤家や鳥名木家のような豪族系の名前が出れば普通はそう思う。

あと中学高校レベルの「日本史」の教科書は読め。高校の教科書でも触書のことは述べられてる。

なお、オレは庄屋の身分が下士の生活より裕福だったことは認めてるんだ。
そして自身が滅ぼされないように金を貢いで上士に縁組させたり殿様に女中奉公で上げて圧政を敷かれないようにする事例はあることも認めている。

ただ基本的な身分制度としては藩士>庄屋ということだ。

だから水戸藩下の庄屋は郷校建設のときに積極的に応援して「苗字帯刀」の身分を得たりと、努力している訳だ。

もう少し冷静に勉強しろ。江戸時代に努力した先祖が泣くぞ!
699旧武家:2011/09/08(木) 03:32:40.60
>>696
なにいってるのこの人?
都合悪いことは全部スルーで、今度は屁理屈揚げ足でごまかして。
話にならないよ。紺だけ付き合ってやってその屁理屈揚げ足でごまかしかよ。
読んでない証拠?赤ら早く士農工商という身分序列が絶対封建的身分制となす、とどこに書いてあるのかいえって?
で、(と思うだろ)・・・・そんなのお宅の勝手でしょ。何を言ってるの?
もう少し冷静になりなよ。焦ってるよあなた。落ち着こうよ大人なんだから。
700日本@名無史さん:2011/09/08(木) 03:46:51.23
>>697 >>699
693だが、

焦っているのはお前だ。

第一「御徒」は卒だぞ。士分ではない。徒頭なら士分だが。

例を出してやる。時代劇で大名行列等で「下に〜」って叫んでるさなかに袴履いてないのが並んでいるだろう。あれが徒。
ちなみに籠棒を担いでいるのが六尺。ともに卒。士分じゃない。

徒は中間同様主人に雇われている身分だからせいぜい良くいって陪臣。

御徒と庄屋ならどっこいどっこいだ。

本当にわかってないからこんな回答するのがよく解るわ。

イタイ子孫を持った先祖が可愛そうだな。

触書読んでないから士「農工商という身分序列」とか言う。ともかく教科書読め。それくらいは出来るだろう。

徒を下級武士と同列にするなら庄屋とたいして変わらないか、あるいは役職(期間雇いだから)をはずれたら庄屋未満だわ。
701日本@名無史さん:2011/09/08(木) 03:51:32.13
693だが、旧武家、無理して付き合わなくてもいいぞ。

黙って消えてくれればソレで言い。

書けば書くほど頭が悪いことが露呈するぞ。
702旧武家:2011/09/08(木) 03:51:56.08
で、その下士から上士と縁組など基本できないんだよ。わかりますよね?
基本的身分制がそうなった背景も説明したでしょ二日前くらいに?

いい?封建制にはここまでの矛盾というのは存在しない歴然とした旧態依然だから封建制となすわけ。
下級武士は封建制から完全に逸脱した存在なわけ。

 お分かりですか?
で、それから、いいから言えよ。いい加減。なんでもいいから、
封建制とのた打ち回ってるお前さんから教えてくれよ。
士農工商という絶対的序列による封建制が江戸の身分制と書いてあるところを。
何百回言った?いいなよ。
徒歩が下士身分の藩なんていくらでもあるんだが?
703旧武家:2011/09/08(木) 04:18:35.56
さらに、庄屋から→下士、旗本の養子 御家人勃興
     なんていくらでも出てくるが、

    下級武士→庄屋  なんてほとんどない。みんな町人工人と成してる。

なぜかわかるか?いつから下級武士が庄屋を見下してた時代が存在するのか教えてほしいわ。
逆ならいくらでも存在するのに・・・・  
704日本@名無史さん:2011/09/08(木) 04:22:16.69
それは長屋の貧乏人が裕福なエッ〇を見下してるのと同じ論理だよ。
705旧武家:2011/09/08(木) 04:29:40.53
で、いつから長屋住まいが大半の下等武士もどきは、
庄屋が村内や近隣の豪農の中から一番美人を選びたい放題状態を見下せた?
現代の庄屋の子孫も、ウィッシュのDIGOや後藤田正嗣のせがれの水野真紀と結婚した代議士だの、イケ面だらけだろ。
いつから貧困内職長屋住まいの下級武士はそんな贅沢を見下してた事実があるんだよ?
706日本@名無史さん:2011/09/08(木) 04:33:01.76
>>704に同意。つか旧ボケうざい。
707日本@名無史さん:2011/09/08(木) 04:44:31.33
>>705
あなたの先祖がどれほどの権力者か知らないが
それを笠に着て他人の先祖を見下す道具にするって最低な事だぞ。

あなたの先祖が残した偉業は、他人を見下す道具に成り下がってるんだぞ。
自身が書いたレスを読み返して落ち着いてよく考えてみろ。

708旧武家:2011/09/08(木) 05:02:43.87
下級武士と庄屋の現実の歴然とした違いを言ってるんだよ。
下級武士が庄屋を見下せていた時代も事実も存在しない。
逆なら腐るほどある。
江戸時代、士農工商などという身分序列など徳川幕府は定めてもいないし、
そんな事実もこのように存在しない。それだけですよいいたいのは。

庄屋は、事実上、大名、旗本御家人、大身上級藩士に次ぐ第三の勢力に決まってるジャン。
もし、幕府が外圧による崩壊ではなく、内乱で戦国期が来たとき、第三勢力として下克上がおきる層は庄屋だと
馬鹿でもわかるでしょ。

709日本@名無史さん:2011/09/08(木) 05:06:52.62
>>707 に同意。
旧ハゲにはさっきから笑わせてもらったがもうウザイから消えれ。
710旧武家:2011/09/08(木) 05:16:11.98
それから、庄屋の語源は庄の屋形ね?在地の屋形。

レベルが違うんだよ、江戸下克上武士でなく、
室町武家の旧土豪をそのまま受け継ぐ、旧武家庄屋は。

在地の屋形。これすなわち庄屋。

さようなら。
711日本@名無史さん:2011/09/08(木) 05:39:32.77
>>710
よし、もう戻ってくるなよ偽武家。お前の嘘はもう秋田。
712旧武家:2011/09/08(木) 05:51:27.95
捨て台詞はくなや。お前ホント卑怯だなW

で、士農工商という序列を定めたお触れ書だせよ。
封建制の定義も知らない馬鹿は、話そらすのが必死で、
いつになったら、絶対的士農工商という序列による統制の幕府がお触れを出すのか?

しかも下級武士が村々を実効支配してたとか、偏差値低すぎじゃねーかWW。
下級武士に役などねーよWWW
早く出せって。出せないなら知識足らずはすっこんでろよW
713日本@名無史さん:2011/09/08(木) 06:08:51.59
なにか勘違いしてるな。エセ武家さんよ。俺はさっき参戦したばかり。このスレがトップにあったから見たらあんたみたいなキ印がいたのでからかっただけ。
巻き戻して見たら本当に嘘だらけのニートくんな。
俺は起きたばかりだからバカの相手はいくらでもできるぞ。
714日本@名無史さん:2011/09/08(木) 06:16:56.63
みなさんに質問ですが
私の高祖父の父は1844年に満19歳のとき満13歳の女の子と結婚してますが
こんなFC2動画みたいなロリコン当時は許されてたのでしょうか?
715日本@名無史さん:2011/09/08(木) 07:39:45.35
>>714
同じこと何度も聞くなよ
716日本@名無史さん:2011/09/08(木) 07:44:37.09
旧武家とかいう基地害は人権板にお帰りください
717日本@名無史さん:2011/09/08(木) 09:21:06.13
教科書的には郷士と庄屋の基本属性は違うが・・・
郷士・・・武士が帰農したもの
庄屋・・・地侍の末裔

 ただ江戸初期の資料なんだが中部地方の藩で百姓と郷士が同義で使われていて
当時はおそらく百姓は土地持ちの地主のことを指していたんだろうけどね。
718日本@名無史さん:2011/09/08(木) 13:50:17.52
戦国末期の小田原北条氏の発給文書では武士ではない豪農を大百姓とか里正などと書いている
また地侍も百姓と同じ扱いになっていて被官や給人とはまるで扱いが違う
719日本@名無史さん:2011/09/08(木) 14:14:39.32
>>718文書に地侍、百姓の場合、姓はある?
720日本@名無史さん:2011/09/08(木) 17:37:12.68
徒歩衆なんぞは庄屋の次男三男坊を押し込む役職だろ。
721日本@名無史さん:2011/09/08(木) 17:50:33.86
>>718
地侍は分限帳にも載ってるし、馬で出撃してるぞ。
722日本@名無史さん:2011/09/08(木) 21:09:15.83
>>712
横槍だが、下級武士の定義がおかしいから叩かれてるんだろう。
うちは御与力格で禄高70石だけど、下級武士と言われる場合が多い。
役にもついてたし、庄屋を支配していた。
723日本@名無史さん:2011/09/08(木) 21:57:18.64
地方三役(村方三役)のうち、庄屋と組頭は割と子孫を名乗る人がいたりしてわかるんだけど、三役のもう1つの「百姓代」の子孫を名乗る人って見たことない。
三役ってぐらいだから、全国的には相当数いると思うんだけど、実際どんな感じだったのか知ってる人っていますか?
724日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:06:29.97
>>721
どこの大名家の分限帳?
725633:2011/09/08(木) 22:12:27.67
>>722
それは封建時代の話だからね。
まあ実際のところ庄屋や名主が低く思われ過ぎている。
なぜ江戸時代に名主の選挙が始まったかだよ。
726日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:15:39.84
>>724
秀吉政権下の宇喜多な。
国人の流れで地侍として苗字も載ってるで。
727日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:20:59.04
>>718>>724
>>721ではないが、土佐藩の山内家史料で郷士年譜なるものがある
こういうのって分限帳とは被官とか性格が違うもの?

郷士については下っ端まで書いてあるらしく、庄屋と郷士の扱いが全然違うように思う
728日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:31:28.39
庄屋ってのは結局百姓だからな
729633:2011/09/08(木) 22:51:22.76
階級闘争史観に埋没している人が多すぎる。
百姓と言っても
名主をやっていて貧しいなんて人は滅多にいないが。
730日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:57:46.25
庄屋は一代限りで郷士は世襲だからな(実際は世襲になっていたが表向きは一代限り)
庄屋は富農層で郷士は地侍層の出身が多い
あくまで庄屋は百姓の代表であって武士階級ではない
郷士は武士に近い特権を与えられていた
庄屋と郷士の一番の違いは禄と役職だな
郷士は禄を受けて役職にも就けるが庄屋は禄を受けられないし役職にも就けない
これが百姓と武士の違いでもある
731日本@名無史さん:2011/09/08(木) 23:47:40.73
2万石の家に仕えて石高300石なら家中でどのくらいの位置だったのでしょうか?
732日本@名無史さん:2011/09/08(木) 23:56:41.32
各藩での成立状況がことなるからな。
例えば天領なんか郷士はほぼ認めていないので(八王子千人同心は農民身分、
十津川郷士は多分に維新の功績、甲州における武田旧臣等は諸役免除名字帯刀で
おそらく農民身分)地滑り的に武士→庄屋となったので天領の庄屋は格式が高いと
俗に言われるのかもしれない。
 急成長した藩などは家臣団を形成する為旧臣を吸収せざるを得なかったので
そういった場合残った有力農民が庄屋になったのかもしれないし

 もうひとつ、郷士に軍役負担なんて期待してるのは薩摩とか九州系の大名地で
人数的には多いだろうけど全国的に見れば稀では?
733日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:01:50.60
>>644
長倉氏は秋田へ移っています
常陸に残ったのは次男
それ以前に長倉氏は没落していて既に重臣ではありませんでしたが。
河原田氏、鹿島氏は佐竹氏の家臣ではありません。
加藤木氏も陪臣のようなので佐竹氏の重臣ではないでしょう。

>>645
奥七郡及び南郷・下野などの佐竹本領(天正18年以前の領地)だけでも数百の城館があったのだし何の不思議もないでしょう
延宝五年の軍役帳によると物頭以上が96家とほぼ一致します
また、武鑑や家臣録を見ると廻座以上の家が約80家あります
これは所謂与力家来などと言われた家で元は洞中に属していた領主です
その他にも奉行などを勤めていた一騎格の家も約300家あり
これらの中にも元は館を構えていた領主が含まれています。

>>646
100石以下と言うのは転封の時に発した佐竹義宣の命令です(秋田藩採集文書14)
この中で100石以下の者と陪臣については常陸に残る様に指示しています
>>651>>653の家もそうですが、あくまで残留したのは陪臣か相続権の無い一族の者
転封にあたって新領の石高が呈示されなかった為に
所領が減るのを見込んでなるべく少人数で移る様に指示されたからです
家譜などによると常陸へ返り咲く事を考えて家人を何人か残した家もあったそうです
残ったのはあくまでそう言う者達であって重臣の家自体は殆どが秋田へ移っています
734日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:02:40.69
>>731
家老級
かなりの重臣
735日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:13:49.91
>>732
土佐藩では幕末に郷士も京都藩邸勤務とかあったけども、これも稀ですか?
それとも幕末だから?
736日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:16:32.68
>>732
郷士は基本的に名字帯刀を許された百姓と言う感じだからね
たいした役には就けないし、幕末の例で見ると合戦でも藩士と違って総動員と言う事はないみたいだ
会津戦争や西南戦争末期のように余程切羽詰まった状態でもなければ戦力としては見てない感じだ
737日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:22:15.22
>>735薩長土肥は例外でしょ。様々な理由から武士、武士もどきが多い。
そのことが維新に原動力になった
738日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:24:37.92
水戸藩も京都在住は郷士が多い。
739日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:30:38.53
>>737
そうなんですか
よく言われる、長宗我部旧臣が郷士や庄屋になったってのは事実なんでしょうか?
確かに、郷士の身分を売買したことも多いようですが、古い家はどうなのかと思いまして
740日本@名無史さん:2011/09/09(金) 01:18:33.68
>>736
ありがとうございます。江戸初期に2万石の家が無くなって、50余万石の「本藩」に吸収された後、
本藩の分限帖が300石だったのです。50万石の家中では300石の人はどのくらいの位置にいたのでしょうか?
質問ばかりで申し訳ありません。
741日本@名無史さん:2011/09/09(金) 01:52:52.33
薩摩藩は表高77万石で西郷隆盛は50石ぐらいの御小姓与。下から二番目
742741:2011/09/09(金) 02:50:00.30
ごめんずっと書けなくて試しに送信したら書き込めた。書ける内に

西郷家は士分としては下から二番目とされてるんだけど、
別姓の庶流でも300石くらいのもいる。
仙台藩62万石だと連歌師医師でも300石もらってる。
石高より家格役職によるんじゃないかな?

郷士についてなんだけど、うちは血縁だったけど最終的に仇敵になった真田家が
上田から松代に移封になって、仙石氏が入ってはじめて番格、二本ざしを許された。
それまでは公的には「侍じゃないよ、頭下げなさい」ってことだから、
(多分真田には年貢収めてなかったんじゃないかと思うけど)
少なくとも家格と職分は藩ごと分けて考えないと駄目だと思う。
一族(と名乗るもの?)で江戸期に真田家に雇って貰ったものは卒だし、
隣の小藩で50石以上になったのもいた。
当たり前の意見ですみません・・・
743日本@名無史さん:2011/09/09(金) 03:20:31.20
ま〜〜た庄屋さんが暴れてるのか
マジキチだなコイツ 旧武家じゃなくて庄屋って名乗れやボケ茄子
744日本@名無史さん :2011/09/09(金) 05:20:19.32
江戸時代の人の名前は幼少時や青年期、壮年期に名前が異なる場合が
有ります。
除籍謄本に記載されている名前は壮年期の名前と考えて良いのでしょうか?
745日本@名無史さん:2011/09/09(金) 08:02:15.35
>>744

>>162 うちはこんな感じ。
完全に同じではなかったよ。
746日本@名無史さん:2011/09/09(金) 09:44:04.11
面白いものを見つけた 天保の御制
ttp://shinshu.fm/MHz/90.97/images/7fk6sgJb.jpg
747旧武家:2011/09/09(金) 15:27:59.75

http://www.oct-net.ne.jp/~miyuki32/rekisi/souran.htm
●大友家没落後の稙田
@稙田主要所は府内領となる。
 新領主・・・福原直孝府内領主 12万石

A稙田荘宗方郷 名家 安東家7代当主 貞吉は太閤検地に竿役(責任者)をつとめる。

B領主 福原直孝の任官勧進を貞吉は辞退し、野に伏し帰農の民となる。安東氏にならい多くの武士が百姓に帰す。

C安東貞吉、宗方郷の庄屋となる。(実質名主)

 豊後方・・・・・大野泰基(神角寺)、阿南惟家(高崎山城)、阿南家親(鶴ヶ城)
   鎌倉方・・・・・古庄重直、安東常輝、稙田有綱
※この阿南家のち庄屋
748旧武家:2011/09/09(金) 15:36:46.51
http://dayzi.com/zisyo/y-isshikitou.html (名門一式家)
◎江戸時代の一色党(伊予)・・・一色右馬三郎の末裔
 ・一色右馬三郎重之の子重勝は、文禄二年(1593)村の長(郡代官)になりました。
 ・その長男重次は周布三谷の庄屋になりました。
 ・次男重直が三津屋の庄屋になりました。
 ・重次の長男重政は、慶長十九年十月(1614)大阪冬の陣に三津屋港から
軍平二百余人とともに出陣しましたが摂津国尼崎で25歳をもって戦死しました。
  
749日本@名無史さん:2011/09/09(金) 15:57:03.52
750旧武家:2011/09/09(金) 16:49:22.84
 http://dayzi.com/zisyo/y-isshikitou.html (名門一式家)
さらに源氏の正統名門一式家は
・次男重昌は、周布村一色大庄屋お祖となりました。
  ・三津屋村庄屋は、三男の重行が継いで大庄屋になりました。
  ・彼の五男重好(新兵衛範好)は、明理川村の入庄屋になり、貞享元年(1689)には高橋氏に代って壬生川村の入庄屋になり貞享三年から大庄屋になりました。
  ・明理川の方は、彼の次男が継ぐことになって、一色家は四ヶ村の庄屋を勤めて繁栄しました。 

751旧武家:2011/09/09(金) 17:01:03.19
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n121.htm
大友氏の旧重臣を1000石庄屋に任命

名門武家竹田津氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/takedatu.html
統直の死後、あとをついだ子の永行は竹田津村の庄屋に任ぜられ後世に家系を伝えた。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/syoudenn01.html
佐竹家旧臣
山寺館主遠藤壱岐守勝高の嫡男。
官途名雅楽頭。
二階堂四天王。元服して左馬助勝久と名乗り、その後前田川村に移り庄屋



752旧武家:2011/09/09(金) 17:21:26.42
<改易大名、主家滅亡後の重臣>

戦国大名肥後五十万石加藤家 → のち、「5000石」庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%BF%A0%E5%BA%83
(他にも庄内藩内に本間家等1000石超える旧武家庄屋多数。)

大名田村家改易後の家中 →庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E6%B0%8F

戦国大名益子家  滅亡後庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%AD%90%E6%B0%8F
753旧武家:2011/09/09(金) 17:39:59.75
後北条家の旧臣、清水隼人介 →本陣庄屋
http://homepage3.nifty.com/y-masae/heisei_22/07aikoukai/hyousi/02obara/obara.html

旧柴田家重臣 大鐘家 →3000石庄屋
http://special.mapion.co.jp/local/datespot/info/1603/

超名門源氏の正統の足利一門上野氏の三代 上野頼兼の次男 上野直兼を祖とする豊後上野氏→ 以後庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%B0%8F

いくらでも出てくるわ。もうさすがにめんどくせ・・・・
754旧武家:2011/09/09(金) 17:56:36.90
いい?大体いつから武士代表みたいな面して武士を語れる立場になったの下士は?
そもそも鎌倉以降武士は政治をつかさどる政武一致でしょ。
で、いつ下級武士は政治をつかさどる役職として存続許されてる?
上士と同じのような今で言う労組にすら入れないだろうが。
いつ、上士等と同じくくりでの武士を語ることが許されたよ?
似て非なるどころか、別物だろうが。上士でもないのに武士を語らないでよ
それはあなたらが一番自覚してることだろ下肢w
755日本@名無史さん:2011/09/09(金) 18:03:40.44
>>754
下士は何石何人扶持から下士なんだ?
756旧武家:2011/09/09(金) 18:12:55.16
そもそも下士なんぞ室町期に存在しないだろ。
なんだよ下級武士って。

さらに、江戸期、士農工商という序列だと幕府は唄ってない。
たとえば、武士の頂点の藩主上級武士、
農の頂点の庄屋名主
商の頂点の豪商問屋
それぞれがその分野の頂点であって、この頂点は互いに密接してる。
で、下級武士は武の末端でしょ。登り詰めないどころか末端がなんで、
他の分野の頂点に威張れるんだよ?ならなぜ武士を上り詰めなかった?
ひとつ聞きたいんだが、戦国期、いつから下級武士という職が、
立身出世や憧れの的になった?教えてよ?
757旧武家:2011/09/09(金) 18:28:11.55
食い扶持もとめての土地すら持たない村からあぶれたもの等の、
給金傭兵の常勤化が下級武士でしょ!!
さらには、大名に金魚の糞みたいに寄生しないと存在すら確立できないんだろ?
その大名家にすら軽輩と一括されてるのに。

いつから、下級武士に上記のようにいくらでも挙げれる由緒名門の庄屋みたいな下級武士がいるよ?
あなたら下級武士は室町期はなにしてたんだよ?
758日本@名無史さん:2011/09/09(金) 18:32:42.36
旧武家ウザイよ。知能低いのバレてるんだから消えな。お前の書いたことを信用する奴はいないからな。
759日本@名無史さん:2011/09/09(金) 18:45:49.89
だから上級とか下級とかどこで分けてんだ?
760旧武家:2011/09/09(金) 18:46:20.11
で、そこまで下級武士が偉かったら、
解雇下士はなんで庄屋にすらなれない?wwなれよw。なれてから見下せば?ww
庄屋から下士取立てどころか、上士や御家人旗本との縁戚や養子なんてくさるほどあるぞ?
御家人勃興も。
で、なんで下級武士の成れの果てはあなたらが見下す庄屋にすらなれない?
で、江戸初期、庄屋に任命されるより下級武士になるほうが大変だったという文献示してくれないか?

江戸初期、下級武士より庄屋に任命されるほうがはるかに由緒や財産、地域の権力基盤等の審査が大変とわからないのかね。
761旧武家:2011/09/09(金) 19:12:45.84

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E6%B0%8F

帰農した旧田村家中は敗北感を持たず、

剛腹で武勇に富み、各々家門を称して「御屋形様」と呼ばれた。

彼らはその高い誇りゆえに、新領主の蒲生氏や上杉氏の武威の前にも容易には下らず、

家中の士を軽んずる風さえを呈した。

そこで新領主は旧田村家中を 【庄屋】 に任じ、

身分を在郷の士分として扱い懐柔した。

そのため、彼らは在地の実力者として大いに権勢を誇ったという。

★どこに下級武士に取り立てたと書いてあるの?
762日本@名無史さん:2011/09/09(金) 19:34:57.28
このスレはキ印の旧武家に乗っ取られました。
763旧武家:2011/09/09(金) 19:46:03.57
僕は江戸初期の現実を言ったまで。
で、江戸初期、庄屋に任命されるより下級武士になるほうが大変だったという文献示してくれないか?

江戸初期、下級武士より庄屋に任命されるほうがはるかに由緒や財産、地域の権力基盤等の審査が大変とわからないのかね。
ということ。

僕はAKBと少女時代のライブの用意あるから。


764日本@名無史さん:2011/09/09(金) 19:52:18.90
このスレでわかったこと

旧武家は
@茨城県在住のニート
A先祖は庄屋ではなく水呑み百姓
B近所に立派な庄屋の墓がある
CAKBと少女時代に嵌るオタク

ということだ。
765741:2011/09/09(金) 20:00:49.72
そんなにたくさん書き込まなくても大丈夫ですよ。
武田滅亡後の信濃だと、たくさん例があります。
再独立をめざした家(うちとか)、真田家等他大名臣団に組み込まれた家等。
とくに徳川についた家はたくさん残っていますが、
先祖と同じ頃真田家に謀殺された家は、徳川に付き、
名跡を継いでいた分家が1万石の大名、本家は5千石を超える大身旗本となっています。
それ位の力は残っていたわけです。
当家は結局帰農ということになったのですが、
松平から嫁してきた姫等と同じ菩提寺であることが許されている等
権威は維持していたのは間違いないと思います。
それでも権能上、郡奉行やは郡代の差配は受けなければなりません。
あくまで庄屋の役割というものがあります。
幕府において4200石の吉良家が高家として大名並み以上の待遇を受けていたことや、
ぽっと出の猿楽士にたいへんな権力があったことにも似ています。
権威、権能は微妙なバランスで存在していて、
人手を出さなければならないときなどは、互いに頭さげまくってたと思いますよ。
766日本@名無史さん:2011/09/09(金) 20:14:15.43
土佐藩独特の制だから例外的ではあるが庄屋は下士より下に置かれている
ある意味土佐藩では下士の最下級が庄屋

小倉藩では大庄屋は準武士扱いだが苗字は担当地域名を名乗るのが決まりで(例として六角氏が小倉藩家中では糒氏)
公用で外出の際は中間1人に槍を持たせる事が許されていたが拝謁の資格は無く下士である歩行衆より下に置かれた
一般庄屋に至っては苗字すら名乗れない
767旧武家:2011/09/09(金) 20:20:48.55
ちょっと、面倒ですが仕方ないので教えますが、
それら庄屋は下というのは、江戸初期から決まっていたものではありません。
江戸初期は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%B1%8Bにも書いてありますが

>>近世初期の庄屋は、身分は百姓であったが、中世以来の在地有力者が多く、
>>戦国大名の家臣だった者も少なくない。
>>したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあり、
768日本@名無史さん:2011/09/09(金) 20:20:50.04
尾張藩の御筒同心の場合、濃尾平野各地の庄屋から擦り寄ってきて縁組を持ち掛けていた
庄屋など豪農層は娘を御筒同心に嫁入りさせることで名誉心を大いに満足させていた
769旧武家:2011/09/09(金) 20:32:58.56
>>767の書いてあるように、初期の庄屋は藩に絶対服従している存在ではありませんでした。
しかし、江戸新興大名が入夫により、やはり旧家臣団や地侍土豪との争いが非常に多いですよ九州は。
ですから、大友家旧臣のように1000石も与える庄屋に任命して
下級武士以下の身分に必要もない千石も認めてるんですよ。

しかし、島原の乱以降は一変しました。幕府は急速に制度改革に乗り出し、
庄屋等を一律足軽以下のように対面上の身分を一切逆らうことを禁ず問いう風にしました。
あくまで江戸中期以降の幕府の政策によるもの。あくまで。
770日本@名無史さん:2011/09/09(金) 20:38:13.50
土人の子孫でニートのくせに武家だったと言い張るのが1名混じってるな。
771日本@名無史さん:2011/09/09(金) 20:39:31.70
>>764
ABは当たってそうww
旧武家のレスは支離滅裂だし。
つまらない煽りに乗せられすぎて
名家の余裕も感じられない。

あと、信憑性云々は百歩譲っても、推敲ぐらいして書き込んでね。
772旧武家:2011/09/09(金) 20:41:34.44
さようなら。
773日本@名無史さん:2011/09/09(金) 21:14:22.01
朝鮮時代観てニートしてるのが一番♪
774日本@名無史さん:2011/09/09(金) 21:14:36.24
>>740
大藩でも300万石ともなると堂々たる上士
大名家の家臣禄を見ると分かるけど50万石クラスの大名家でも300石以上の家臣はそれほど多くはないです
中堅クラスと言って良いでしょう
馬廻役などは200〜300石ぐらいの家が勤める事が多いです
775日本@名無史さん:2011/09/09(金) 21:18:19.45

キチはNG推奨

776日本@名無史さん:2011/09/09(金) 21:25:17.31
>>774
水戸藩や大垣藩なら100石が馬廻格。このあたりは中士だね。あるいは下士の最上位。
777日本@名無史さん:2011/09/09(金) 21:38:50.04
水戸藩は郷士にも上下(4段階)があったのだが他の藩もそうだったのだろうか
778633:2011/09/09(金) 22:14:25.16
江戸時代は一律じゃないよ。だって士分は
一時期人口の10%とか。全く同じ権限にはできないだろうな。
まあそれはそうと、江戸時代の墓石は歴史の旅社サイトの
「除籍謄本を超えた家系図の調べ方」でやはり少数派らしいので
旧本籍地で除籍謄本の請求まで考えた方がいいよ。
一部せいぜい750円だし。
779日本@名無史さん:2011/09/09(金) 22:19:13.05
自分の家は士族と思いたい方々が多いのに確認したら夢が壊れるでしょ。

それでも自分の家が士族でないと解ると旧武家みたいなマッドな奴が生まれる。
780日本@名無史さん:2011/09/09(金) 22:48:34.75
士族かどうかなんて年配に聞けば判るだろ。
終戦まで制度があったわけだし。
781日本@名無史さん:2011/09/09(金) 22:54:42.34
いや、昭和改正戸籍から士族記載はなくなってるよ。

それと郷士のような微妙な立場(士族や平民のどちらの可能性のあるもの)だと、平民であっても士族と信じている人。
782日本@名無史さん:2011/09/10(土) 00:20:55.31
田舎ならどこの家でも知ってる
まあ、旧武家などは聞くまでもなく見ただけでも分かるけどね
今でも家の構えが違う
783741:2011/09/10(土) 02:13:48.29
>>384
の解答にもなりますが、偉そうに書きましたが、うちは明治以後の分家です。
それでも「士」と書いてあります。
有力者だったらそうする慣習があったのか、官吏の計らいなのか分かりませんが。
>>781
郷士は意味が藩ごとに違うので一概にはいえませんが、
問題は城下に住んでいた下級武士で、卒族、平民とされたり、
明治5年に卒族が廃止になり平民となる折に、
各地で武力を伴った抗議活動が行われたりしたそうです。
これは藩によって鎮圧されたり、抗議が通って士族とされたらしいです。
ここにも認識の差が生まれます。
真田家の例をまた引きますが、江戸初期だったと思いますが、
真田幸隆の子の金井高勝という人が上田で帰農しています。
これに戦国期の真田家家老格を含め、幾人かが従うわけですが、
金井氏の子孫は百姓になっても隣藩の藩主の一族の子孫であり、
皆で墓を守るわけですから、百姓でも先祖は武士であるという
認識になると思います。
784741:2011/09/10(土) 02:16:14.01
>>384
解答じゃなくて「もう一例」でした。珍しくなかったんだと思います。
785日本@名無史さん :2011/09/10(土) 02:44:33.65
土地台帳記載の土地所有者の名前の姓が同じなら
血の繋がりは有ると考えて間違い無いでしょうか?。
786日本@名無史さん:2011/09/10(土) 03:01:26.76
>>781郷士は基本的に平民。薩長土肥は維新の功績ということだろう。
太政官公布に「郷士由緒ある家は士族に編入す」とあるけど
由緒は各藩異なるだろうし相当な名家で無いと厳しいと思われる

又、藩の公認の無い郷士(浪人)も多いだろうし、家伝だけではなんとも
787633:2011/09/10(土) 03:11:45.98
>>785
本当に妙な事を主張する人が多いな。
たとえ珍しい苗字だとしても郷土史の名前を
祖父に聞いたらそれは別の世帯だという事が判明したりもしますし、
土地所有者は時代によっても変わるでしょう。
血の繋がりなら旧本籍地で除籍謄本を手に入れるべきでしょう。
788日本@名無史さん:2011/09/10(土) 03:20:25.22
平という字の、上の横棒の真ん中上に
「・」がある字はどういう読みですか?
789日本@名無史さん :2011/09/10(土) 09:04:05.45
たとえ先祖かも知れない同姓の人物の除籍謄本を入手する為には
市民課の窓口で戸籍/除籍謄本等を示して
血の繋がりを証明しなければ成りません。
既に入手済みの戸籍/除籍謄本に名前が無く
土地台帳には記載されている同姓の人物の除籍謄本はどんな方法で
血の繋がりを証明すれば良いのでしょうか?
790日本@名無史さん:2011/09/10(土) 10:11:27.88
>>789
それなんですが、まことに失礼ですが
本当に血のつながりがお有りなんですか?
前にも書きましたが私は郷土史を調べていて
自分が珍しい苗字なのでその江戸時代の名主であろう世帯の方を
先祖だと思っていましたがその方はまた別の一族だったもので
祖父に聞いて本当に良かったと思いました。
でそういうケースではないんですか?それは難題ですよ?
791日本@名無史さん:2011/09/10(土) 10:15:15.42
入手済みの除籍謄本と土地台帳は同年代ですか?
また、墓石などから先祖の名前はたどれないのでしょうか?
土地台帳が作られたのは古くても1880年頃だと思うので、はっきりしないのであれば無関係な可能性も高いかもしれません。
比較的最近のことなので、血縁が辿れないというのは疑問です。
792789です。:2011/09/10(土) 10:31:58.02
私も筑後地方発祥の4〜5万有る苗字の1万9千番目位に有る珍しい苗字です。
入手したい人物の苗字も私と私の先祖の苗字も同じです。

除籍謄本の最古の人物は弘化/安政時代生まれの人物で
土地謄本に記載の所有者は生年月日の記述が無いので判りません。

先祖伝来の墓地は新幹線開通の為に移転を余議なくされて納骨堂に替わり
墓石の跡かたも有りません。
793日本@名無史さん:2011/09/10(土) 10:59:34.60
>>789さんの言う「土地台帳」は法務局で調べてきたものでしょうか?
土地台帳が作られたの(古くとも1880頃)は安政(1854)より後になります。
なので、公式な土地台帳なのであれば名前が除籍謄本に名前が載っていない理由は二つ考えられます。
1.無関係
2.土地台帳に載っているのは除籍謄本で遡れた弘化か安政の人の親
2であればその人の除籍謄本は存在しません。
窓口で事情を話して土地台帳の人の除籍謄本が見れないか、もしくは存在するかだけでも聞いてみてはどうでしょうか?もし存在するのであればご先祖ではありません。
794日本@名無史さん:2011/09/10(土) 11:03:07.55
やっと「先祖探しのエピソードを語る」流れに戻って来たw
喜ばしいことだ。先祖探しに直接関係無い庄屋や郷氏、下級武士の
話は要らない。
795日本@名無史さん:2011/09/10(土) 11:13:27.77
それは庄屋や下級武士という単語に異常に反応する方がおられることが問題なのてはないですか?
今回の方も、先祖は庄屋、も書いてたならば詐称捏造との書き込みにさらされたことと思います。
796日本@名無史さん:2011/09/10(土) 11:16:42.00
そっか、結局庄屋は下級武士よりずっと格下ってことだね。( ´∀`)アハハ

一般的なイメージって恐ろしいよね、庄屋なんてただの百姓に毛が生えたもんにしか
思ってなかったけど、ホントにそうだったのかwww
797795:2011/09/10(土) 11:19:04.35
すみません、旧武家たちの事ですね、でしたれ同意です。
スレチだし、すぐ怒る方が多く、見苦しいですね。
798日本@名無史さん:2011/09/10(土) 11:25:07.48
下級武士でも武士であることには変わりない
明治維新の志士たちも多くは下級武士出身。
俺の庄屋のイメージは卑しい半端者商人。
武士と比べる事自体がそもそも迷惑な話w
799日本@名無史さん:2011/09/10(土) 12:50:42.80
折角「先祖探しのエピソードを語る」に戻りつつ有ったのに
どうしても庄屋、下級武士の話をしたいのなら
別スレ建ててそちらでやってよ。
800日本@名無史さん:2011/09/10(土) 12:55:16.12
どん百姓に毛が生えた庄屋の子孫なのる者が高貴な武士を侮辱するような
ことをするからこうなる。
801789です。:2011/09/10(土) 13:04:20.06
土地台帳は法務局から取り寄せた本物です。

お盆で先祖の墓参りに行った時に当地の市役所の市民課の窓口で
相当粘ったつもりでしたが、申請書が不備と言う理由で門前払いを喰らいました。

もう1点質問ですが
古い戸籍に「養父/養母」と言う名前が有りました。
この養父/養母の除籍謄本を請求する時も
血縁関係を証明する必要が有るのでせうか?。
802日本@名無史さん:2011/09/10(土) 13:49:56.12
ちょうどいいやオイラも聞きたい
自分の高祖父が養子に来ているのだが、その実父の除籍謄本をとりたいが
問題が、高祖父自体の謄本はすでにとってあるのだが・・・OO村名前長男
としか記載が無い、また法務局の管轄も違う。
 OO村名前だけで謄本取れるだろうか?まあ、その家はかなりの名家ではあるのだが
当時はそれだけで分かっただろうが今では・・・
803日本@名無史さん:2011/09/10(土) 13:58:26.41
>>802 
直接法務局や役所に聞いた方が早いんじゃない
つか、そもそも高祖父の親の代の謄本が取れるのかどうか
嘉永6年生まれの俺の高祖父の謄本は無理だったよ。
一応、80年だかで建前上処分されているようだ、本当かどうかは知らんが。
804日本@名無史さん:2011/09/10(土) 15:26:47.26
150年に延長されたんじゃなかった毛?
805日本@名無史さん:2011/09/10(土) 16:05:45.32
>>804
去年の6月にそうなったようだけどね。
俺の場合は明治23年生まれの祖父までの除籍謄本は取得できたが
嘉永6年生まれ(明治34年没)の曾祖父の謄本は残ってないと言われたよ。
もちろん祖父の謄本には曾祖父の名前もはっきり記されている。
まあ、いちいち古い資料を探すのが面倒でそう言ってるのかも知れん。
粘って言い続けるのも一つかもね。
806日本@名無史さん:2011/09/10(土) 17:36:59.40
>>790
お祖父さんは何を根拠に別の一族だと断言したのでしょうか。
一般的には、同じ地域で同じ苗字を持っている場合は、先祖をたどるとどこかで結びつくと思われます。
その二家の結びつきが証明できないからと言って、結びつきが無いと確定することはできません。
807795:2011/09/10(土) 19:58:39.09
>>801
除籍謄本は窓口で粘られても得られなかったのであれば難しいですね。
弘化の人の父親の名前を探す別の方法を考えた方がよさそうです。
養子の場合に血縁の証明を求められることはないと思います。親子であることに変わりないので。

>>806
私も同姓で古い家であれば関係があるのではと思っていますが、このスレの人達の考えは違うようですよね。名前が一緒でも、地主などとは繋がらない言う書き込みばかりです。
実際のところはどうなのでしょうね。
808741:2011/09/10(土) 21:28:17.11
自分の場合繋がりを明らかにして、先祖の養父母は取れました。
それをさかのぼるのは血縁ではないからという理由で駄目でした。
>>807
自分も関係あると思います。
田舎では地主の苗字を勝手に名乗ることはできないと思います。
ただし、ですが、私の一族も「本家」と呼ばれる家が複数あって、
元をただせば今の苗字を名乗った一人から始まっているのですが、
「親戚だけど別家族だから」みたいな感じです。
深入りは難しいかもしれません。
さらにただしで、私の母方ですが、一人が中心となったことで一族会ができ、
女系、婿まで会に呼ぶ楽しい一団になることもあります。
自分の場合は「先祖調査をしている」というと、高齢の方は皆喜んでくれてました。
繋がりを証明するのは難しいかなとは思いますが、
何とか糸を手繰るのがこのスレの醍醐味?
809日本@名無史さん:2011/09/10(土) 21:28:35.25
西日本のとある部落の者なんですけど部落民でも役所に行けば安政生まれの先祖まで調べられますか?
810日本@名無史さん:2011/09/10(土) 21:49:59.31
>>809
自治体によっては残っているか消滅しているかわかりません。
一度、役所で申請してみてください。

それと、正直なあなたが好きです。
811日本@名無史さん:2011/09/10(土) 22:10:30.15
>>807うちは同姓のお隣さんから「我が家とは関係無い」と言われますた。

実際は江戸後期の本家分家関係ですが、うちは明治に養子が入ったので
お隣さんと血は繋がっていません。
現在親戚付き合いはしていないので、お隣さんの言う事も尤もだと思います。

その代わり、同市内、他地区出身の同姓の県議さんからは
「我が家と君のうちは親戚だから」と言われますた。
(確か400年位遡らないとならないような伝説の域の話です。
有権者へのリップサービスでしょうが、何も、そんなに無理しなくても・・・ねぇ)
812日本@名無史さん :2011/09/10(土) 22:35:18.53
漏れは部落民が日本一多い福岡県南部出身者で部落民に多い姓だけど
市役所の市民課に漏れが古い戸籍謄本の廃棄の件を聞いた所
廃棄しても良いがしなくても良いと言う認識で
廃棄はしてないと言う返事で一番古い記載者は江戸時代後期の
除籍謄本が取れたよ。
813日本@名無史さん:2011/09/10(土) 22:43:29.42
>>812
福岡県南部=筑後地方は部落民は多くない地域なんだけど?
814日本@名無史さん :2011/09/10(土) 23:20:05.08
でも福岡県南部の都市で八女市の市役所には
同和問題専門担当者が居るよ。
815日本@名無史さん:2011/09/11(日) 01:01:18.87
>>806
いや、それは私の勝手な推論ですねw
いずれにしろ我が家の墓石の年代は天明にまでさかのぼりますから
やはり300年以上前の本家、分家関係あるいは親戚関係という
謎多き仮定はできます。私が郷土史で調べた家は祖父によると
どうやら寺院のようなので謎は深まるばかりですね。
816日本@名無史さん:2011/09/11(日) 01:21:53.60
http://onuka.bbs.fc2.com/
ここで調べるべし。
817日本@名無史さん:2011/09/11(日) 02:52:25.96
みんな簡単に分家っていうけど百姓が分家を出すには相当な用意が必要で、次男以下は小作人として暮らすか都市部に流出していた者が多い。
818日本@名無史さん:2011/09/11(日) 04:24:35.81
>>811
戸籍に養子と書いてあるのは婿養子だったりしますが、
本当に血が繋がってないんでしょうかね?

一般的に、女系血族の可能性も考慮すべきだと思います。

>>817
同姓の集落が日本各地にあることから、それなりの用意をできる家が少なくなかったと思われます。
後半の部分は、その可能性が高いと思いますが。
819日本@名無史さん:2011/09/11(日) 06:26:28.54
血筋だけの面で言うと、戦国期からの純血な血を引き継いでる子孫など
かなり少数派、いやほぼ居ないと言っても良いだろう。
うちの家も幕末期や江戸中期に同じ家臣団の他の家から養子に入ってる。
でも士族は大抵同じ藩の同じ家格の家同士で養子のやり取りしてる事からも
同じ藩内でかなり血が行き通っている状態だと思う。
そういう意味では同じ藩の同じ位の家格の家同士はみな兄弟みたいなものか?
820イケメン2号:2011/09/11(日) 08:15:47.81
漏れの先祖の下級武士だった男は子供が4人を設けたが男が1人だったので
男の姉2人に養子を取って分家を2ケ作った。
分家の1つは儒学者が継いで、もう1つは鉄砲小路の住人(鉄砲隊又は職人)が継いだ
それ以来分家の跡取り息子は本家(荘家)に生まれた女の子を嫁に貰っていたよ〜だ。
821日本@名無史さん:2011/09/11(日) 11:38:14.48
確かに江戸時代までは百姓もそう簡単には分家を出せなかったようだ
だから今ある分家は幕末以降に出た家が多い
それでも田舎はかなりの数いるけどね
同姓の家が固まっているけど、元を辿れば皆親類とみていいだろう
我が家は一子相続を鉄則にしてきたから、この地に住み着いて約800年になるけど分家は1軒しかない
でもこの一軒のお陰で土地争いになり近所と不仲になった
やはり家訓は守らないと駄目だな
822日本@名無史さん:2011/09/11(日) 12:33:45.61
武家もよほど大身でないと分家なんて出せない
823日本@名無史さん:2011/09/11(日) 13:25:46.53
田舎の場合は庄屋の苗字を貰っててことがあるからね・・・
824日本@名無史さん:2011/09/11(日) 14:33:25.78
昔の女性の名前って何でカタカナばかりなの?
825日本@名無史さん:2011/09/11(日) 15:27:30.85
>>823
よく言われるが実例はあまり聞いたことが無い
826日本@名無史さん:2011/09/11(日) 15:34:29.15
>>825
我が家の地域(中国地方)では見かけるよ。

悲しいかなその庄屋の家と子孫は、大正末期に絶家になったけど。
827日本@名無史さん:2011/09/11(日) 16:25:28.78
中国地方のどこ?
828日本@名無史さん:2011/09/11(日) 17:15:58.25
山ばかりで陰湿だから山陰
829日本@名無史さん:2011/09/11(日) 18:12:15.86
やたら庄屋の子孫が多いが、なんで?
830日本@名無史さん:2011/09/11(日) 18:29:29.21
不思議だ。名主の方が多いはずなのに。
また組頭や年寄の子孫がいないのも不思議だ。
831日本@名無史さん:2011/09/11(日) 19:17:22.06
庄屋さま〜オラの田んぼを返してくだせぇ〜
832日本@名無史さん:2011/09/11(日) 21:51:48.40
水呑殿〜、農地改革で奪った農地、耕作しないなら返してください。
833日本@名無史さん:2011/09/11(日) 22:05:50.13
>>832
しょ、庄屋さま〜
オラと庄屋さまは苗字が同じなので親戚ということにしてね☆

小作人的土下座フォームでのお願い
834日本@名無史さん:2011/09/11(日) 22:23:19.15
庄屋の次男は水呑みってパターンも多いからな
835日本@名無史さん:2011/09/11(日) 23:03:10.61
だって名主とか組頭って交代制じゃん。
郷土史とかみてると単に「庄屋」の呼び換えだったりするし、
「何年から何年まで名主をつとめた」とかでてくるけど、
惣村の名家(結局庄屋)間の代表権の交代だけ。しかも期間2年くらい。
交代制のところは明治の町村制になっても町長、村長は庄屋の間を
ぐるぐる交代してるだけ
836日本@名無史さん:2011/09/11(日) 23:22:19.35

俺の在所は天領で村の名主は二人
ほかの自作農と五十歩百歩
超越的な地位なんて全然ないよ
837日本@名無史さん:2011/09/11(日) 23:33:42.07
村が相給地だと1村に旗本の領地が7つあると名主も7人いる。ひどいところだと総高50石しかなかったりするから名主でも貧乏だったりする。
838日本@名無史さん:2011/09/12(月) 00:24:44.47
名前で身分ってある程度わかるのかな?
除籍謄本調べてたら江戸時代でも右衛門っか1人もおらず、昭和生まれとほとんど変わらない名前ばかりでびっくりした。

女性は大名の妻とかは仰々しい号がついていたりするけど、普通の人は殆どがカタカナなのには理由あるのでしょうか?
男性が漢字ばかりなのを見ると、識字率なんかは関係無さそうですが。
839日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:10:09.47
>>838
平仮名片仮名は女性らしいという風潮があったのでは?
女性の書く手紙はほとんど平仮名のイメージです。
840日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:51:00.60
なぜ庄屋の子孫が多いのか=自称しやすいから
841日本@名無史さん:2011/09/12(月) 02:21:42.61
>>830-5-836名主は大体交代制で4家ぐらいで交代でやるから残りは組頭とか
また、年寄りは藩によって扱いが違うからね
>837総高50石”も”あれば貧しいってことは無いだろ。人口が以上に多いとかなら別だが

>>840田舎での元庄屋や公立学校のステータスの高さを都会人は知らないんだよね。
田舎貴族貴族ですよ
842日本@名無史さん:2011/09/12(月) 04:02:26.73
>>841
単純計算で年貢を納める支配百姓が名主含めて10名しかいなければひとり当たり5石しかない。
だから単純計算比率で3石が一般、組頭2名が5石としても名主の石高は19石しかない計算になる。
この程度の石高なら使用人はせいぜいひとりで充分賄える。小作も2〜3人いれば充分に足りる。
なので余禄はあまりないから裕福にはなれないでしょ。
特に旗本領に関しては年貢徴収が激しかったから代官領以上に一揆が勃発している(特に天保飢饉のとき)。
なので名主によっては領主次第で富裕層だったり貧乏だったりする。
843日本@名無史さん:2011/09/12(月) 04:35:41.83
現実にはそんな零細庄屋は存在してないだろ
844日本@名無史さん:2011/09/12(月) 04:45:47.04
8(^p^)8「オラァ!庄屋!朝やぞ〜!はよワシの古墳造る作業音頭とらんかい!」
845日本@名無史さん:2011/09/12(月) 05:46:06.22
>>843
旗本領ならいくつもある。だから古文書なんか見るとそういう地域だと名主が領主に年貢が払えない代わりに借用書を書いている。こういった名主は群馬と東京を除く関東各県に存在する。ちなみに名主ね。庄屋じゃないから。
846日本@名無史さん:2011/09/12(月) 07:54:58.82
貧しさのあまり名主を辞めさせてほしいと嘆願した名主もいた
847日本@名無史さん:2011/09/12(月) 15:28:14.12
名主も庄屋も同じだろ
848日本@名無史さん:2011/09/12(月) 17:02:13.82
岐阜県の村だと名主と庄屋は別にいる。理由までは知らんが。
849日本@名無史さん:2011/09/12(月) 19:17:09.55
それは別々の職があった訳じゃなくて両方の呼称が混在していただけだと思うが
うちの藩も江戸時代初期は名主と書かれているが
次第に庄屋に変わっていって中後期には庄屋に統一された
850日本@名無史さん:2011/09/12(月) 19:25:39.26
肝煎のことも思い出してね
851日本@名無史さん:2011/09/12(月) 20:04:45.09
僕の先祖は組頭さんと豊後から江戸に登り日田代官の暴政を目安箱に投じた豊後日田馬原村庄屋、義民 穴井六郎右衛門です。
代官に処刑されて庄屋役も他家に移りました。近在に子孫を称する家はたくさんあるので特定される恐れは無いと判断しました。
852日本@名無史さん:2011/09/12(月) 20:30:18.75
>>849
領主宛の文書に名主と庄屋がそれぞれ署名捺印している文書がある。その村には庄屋と名主が別々にいることになる。ちなみにその文書は幕末のもの。
853日本@名無史さん:2011/09/12(月) 20:39:24.59
うちの地元だと1村に名主3人と浦庄屋が1人いる
854836:2011/09/12(月) 21:18:12.87

関東は名主、関西は庄屋って思い込んでたよ、並存ありか〜。
勉強になった。感謝
855日本@名無史さん:2011/09/12(月) 22:24:58.12
天領や大名領私領の相給地だと同じ村で名主と庄屋の併存もあるでしょう
856日本@名無史さん:2011/09/12(月) 22:33:26.03
うちの村は2家が支配してたけど庄屋はいなかったよ
隣村の庄屋が兼務していた
857日本@名無史さん:2011/09/12(月) 22:45:06.36
襖を破ったら出てきたのでアルバムへ挟んだ。

人名に役職(?)っぽいのがありますが何が書いてあるのか分かりません。

http://imepic.jp/20110912/816530
858日本@名無史さん:2011/09/12(月) 22:50:55.38
>>855
相給地の場合、その領主ひとりに宛てるから文書にはその管轄以外の庄屋名主は書かない。
領地ひとつにつき庄屋と名主がいたことになる。職分までは不明だが。
859日本@名無史さん:2011/09/13(火) 00:56:01.59
同じ苗字が密集する集落って自分の家はまさにそれで、隣だったり村内あちこちに同姓の家があるけど
親戚付き合いみたいなのがあるってのは聞いたことがない…
ちなみにお墓も同じ苗字同じ家紋の物がある程度固まって建っているが、どこが本家でどこが分家かって話も聞いたことがない
一応村史を読んで調べてみたが同じ苗字で庄屋や名主を務めていた家はなかった
860日本@名無史さん:2011/09/13(火) 01:33:55.67
>>857
うーん。右下は亀吉と末吉?
861日本@名無史さん:2011/09/13(火) 02:03:38.08
>>857です。このスレを一通り読んで勉強してみました。

左下の役職は庄屋と百姓代っぽいですね。
庄屋とは言え百姓だから苗字を名乗れないのかもしれません。
862日本@名無史さん:2011/09/13(火) 06:17:33.23
>>861
中間下には氏子中とあるから氏神に関する文書でしょ。
863日本@名無史さん:2011/09/13(火) 06:52:24.89
江戸時代、ここにカキコしてるほとんどの奴の先祖が「水のみ百姓 (ブルーカラー)」だと思ふ。
864日本@名無史さん:2011/09/13(火) 07:52:12.36
>>863
残念ながらウチの父方は博徒。身分は年貢農家。庄屋じゃないけど水呑みでもない。まったく血族結婚はない。

母方は農家だけど組頭格。こちらも血族結婚なし。

運よくウチは市史に載ってたりするので判明してる。
865イケメン2号:2011/09/13(火) 10:44:11.33
漏れの先祖の庄屋の跡取り息子は大庄屋の娘を嫁に貰っていたようだ。
866日本@名無史さん:2011/09/13(火) 15:42:16.20
俺の先祖も庄屋だった。
俺の知人は9割が武士の子孫で藩主の血筋や没落した大店の子孫が残り一割。

なぜか農民の子孫はいない。
多分俺以外の奴は嘘つきだ。とみんな内心でおもっている。
867イケメン2号:2011/09/13(火) 15:49:08.28
漏れのように武士や庄屋の子孫と称する香具師は
自ら古文書等で証明しなければならない。
868日本@名無史さん:2011/09/13(火) 17:04:48.09
>>867
ブーメラン刺さってますよ
869日本@名無史さん:2011/09/13(火) 17:31:49.81
うちの先祖は水呑百姓だよ。
ただ明治期に旧庄屋家から嫁をもらうなどして裕福になって、
大正期には曾祖父が村長を務めたりしてる。
870日本@名無史さん:2011/09/13(火) 17:58:38.23
>>865庄屋と大庄屋は格式においては同一らしい。だから珍しくない
藩領(大庄屋は天領は途中で廃止になってるが)では大庄屋と長く庄屋を
勤めた人や世襲してる庄屋が名字帯刀。
871日本@名無史さん:2011/09/13(火) 18:15:26.46
先祖を辿るキーポイントは明治期にどんな職に就いていたかで
ある程度推測がつく。
曾祖父またはそれ以前の者が明治初期〜中期に軍人の将校だったら
ほぼ間違いなく士族(武士)だね。
また、同時期の官吏(警察官や役人)でも士族が大半だと思う。
872日本@名無史さん:2011/09/13(火) 18:25:39.82
爺様が近衛師団の将校だった。
入隊の際、家系に関する書類を宮内庁に提出したから、
いざとなったらそれに当って利用しろよと爺様は言ってた。
873日本@名無史さん:2011/09/13(火) 19:21:51.78
>>587添削宜しくおながいします

安政四巳年十一月
           譲主 亀吉㊞
       請人与かしら 末吉㊞
    山崎住吉明神
         氏子中
前書御座候、令加印候、以上
      庄屋 平太㊞
     百姓代 又三郎㊞
874873:2011/09/13(火) 19:26:00.88
すみません、
>>857でした。
875日本@名無史さん:2011/09/13(火) 19:56:18.53
俺の先祖は高天原から降臨した。
我が家で編纂した「誇示記」に記述がある。
それによればアマテラスは高天原では嘘つきで有名な下民だったそうだ。
876日本@名無史さん:2011/09/13(火) 20:06:22.07
多いのかな?士族が将校なのって
うちもそうだ

でもやっぱり陸軍より海軍だよね
純白の軍服を着てると
それだけで高貴さを感じるよ
877日本@名無史さん:2011/09/13(火) 20:09:56.49
>>873
調べて頂いてありがとうございます。

先日、親類から聞いた話ですが私の先祖(高祖父の父)
は明治初期に現住所へお引越して来たそうです。
878日本@名無史さん:2011/09/13(火) 21:53:46.69
考えてみれば天皇家の言う先祖はアマテラスなんて100%嘘なんだよな。
記紀を捏造してでっち上げただけ。
過去の記録が事実を裏付けるわけじゃないのは天皇家が証拠だな。
879日本@名無史さん:2011/09/13(火) 22:24:35.09
>>876
明治中期までなら陸軍も警察も夏服や二種軍装は白では?
880日本@名無史さん:2011/09/14(水) 00:23:37.54
うちは百姓だけど高祖父は騎兵少尉、曾祖父は海軍中佐、祖父は陸自一佐
軍人一家でみんな将校だったよ
親父は婿養子でただの市役所職員だけど
自分も空自に入りたかった・・・
881日本@名無史さん:2011/09/14(水) 01:33:57.83
先祖が裕福だったってのはあながち嘘でもないだろう。

裕福なら複数の妻妾を持てた可能性が高まり、医療や健康的な食事を継続して摂れた可能性が高まる。
結果的に生産力が高いんだから、貧乏人より子だくさんになるだろう。
でも、全員を裕福にさせるのは至難の業だから、出来の悪い庶子はそこそこの暮らしに留まり、というのが続き、その子孫の身分は下落方向へ向かう。
そんな身分の低い家々の唯一のプライドが、「先祖は裕福で複数の妻妾を持っていた身分」であるという事実である。
嫡流とは身分がかけ離れてしまった庶子の系統にとっても、直系の先祖であるという事実は変わらないので代々の誇りとして語り継がれる。
で、結局多くの貧乏庶民の家の先祖が、「実は○○城の家老の家柄で…」ということになるんだと思う。
882日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:21:43.39
みんなたいがいにしろよ。せいぜい自分の高祖父の代までしかしらんだろw
883日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:55:45.44
ウチは調べるまで曾祖父の代までしか知らなかった。
本家の場所さえ知らなかったよ。
おかげでウチは市史等で確認できる家だと解って安心したが。
884日本@名無史さん:2011/09/14(水) 18:01:53.34
>>880
もちろん、稀には居るよ。
明治初期はさすがに居ないと思うが中期頃になると本当にポツポツ出てくる。
でも明治中期辺りで平民出身将校だった人って稀少である意味凄いと思うよ。


885日本@名無史さん:2011/09/14(水) 18:13:26.17
>>882
高祖父の除籍謄本を取ることができれば、少なくとも前戸主の名前が分かる。
生前に家督を譲っていればさらにその父親の名前が分かるし、
その兄弟まで分かることもある。
書き方が統一されていなかったので、もっと分かることがある。
うちの妻の家系は百姓だけど、高祖父の父(文化2年(1805年)生まれ)の
実父と養父が分かった。
それとは別の妻の女系の家だと高祖父の父とさらにその父、
その高祖父の父の妻と、妻の父母まで分かった。
ちなみに嫁さんアラフォーなので、若い人なら高祖父の父なんて超余裕。
886日本@名無史さん:2011/09/14(水) 18:21:03.25
>>882
自分の曾祖父辺りが何処何処出身の士族だと分かれば、
後もうすいすい面白いように戦国期まで辿れる。
やっぱりそういう点じゃ士族と平民の違いは大きいのかな?
887日本@名無史さん:2011/09/14(水) 20:06:27.65
武士も中級以上で役付なら分かるが・・・某妃の家系とか、下級だとそんなには
分からんよ
888日本@名無史さん:2011/09/14(水) 22:47:49.90
某妃の家は足軽の分家だっけ?
足軽、中間、小者なんかは流れ者が多かったからある意味百姓より分かりにくい
土着系(郷士など)なら下士でも簡単に先祖をたどれるんだけどど
889日本@名無史さん:2011/09/14(水) 22:58:59.59
嘘の家系図なら江戸期から売りに出ていたから。
890日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:12:06.06
庄屋の娘と足軽の娘か・・大変だな
891日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:13:03.02
>>888
幕藩政期に大名は流れ者なんて足軽に召し抱えないよ
892日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:20:40.12
>>891
いや、元々の話し
戦国時代は傭兵が案外多かった
その連中がそのまま足軽として使えて城下に居住すると元の出身地など分からなくなる
足軽は家譜もないし、地元から離れていると菩提寺も分からなくなるから出自不明に陥る
893大庄屋:2011/09/14(水) 23:28:30.08
大庄屋様が来てやったぞ
小作どもは頭が高い!控えぃ!控えぃ!
894日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:31:32.48
>>892
江戸以前に遡るのって難しそう・・・
うちの先祖も流れ者だったようで、戦国後期以前は不明
家系図の最初の人は某大名の兄弟が武者修行に来て、そのままいついたと書いてある
襲名している名や、大名家の軍記物に手柄を立てた時の名前が出てくること、藩にある戦で討死した時の名簿から実在したと思われるが、出自詐称で不明(笑)
家系図には、10万石程度の藩で、300石貰っていたと書いてあるけど、信用できるのでしょうか?
895日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:33:26.63
>>893
テメーコラ!!
今年の年貢は半減しちゃいます☆by大庄屋

つっただろうが!(ボコッ ドスッ バキッ
896日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:58:32.75
>>894
300石なら藩の記録に何かしら残っている
地方なら都道府県立の図書館や歴史館に行って探してみるといいよ
897日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:09:03.58
>>896
関ヶ原で負けた側の藩で大名は飛ばされていますうちの家も没落し石高はかなり減った(一時は農民に没落?)ようです。
といっても江戸時代にも藩の記録で名前は確認できます

地方ですが、戦国時代の藩の記録も図書館や資料館で調べられるのでしょうか?
図書館では江戸時代のものはありましたが、戦国時代のものはありませんでした。
もしかして戦国時代の史料は殆ど残っていないのかもと考えています
898日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:16:26.06
近所ではうちが一番古い家と言われているけど出自不明
うちの人は古いものを何でも捨ててしまうから何も残っていない

・母屋と門がかなり古い(幕末に立てられたらしい)
・土地を他の家よりは多く持っている
・墓は一番古いもので文化年間
・菩提寺は廃仏毀釈で消滅、よって過去帳はない

これだけの情報で一体どうやって遡れば・・・
899日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:23:42.57
>>897
古い資料は閉架書庫にある事が多いけど確認しましたか?
今はネットや図書館にある端末で検索できると思う
幸い主家が改易ではなく転封のようなので、転封先の自治体の図書館を調べればそちらの方にも資料は残っている
むしろそっちの方が多いと思う
900日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:42:51.95
>>899
すみません、改易です。
図書館は検索かけて閉所架もあたってみました
資料館は当たってないのですが、整理されていないようなので検索かけたりはできなく、係員の方にお願いして出してきてもらう形式なので、求める史料を探すのは難しいのかなと思っています。
901日本@名無史さん:2011/09/15(木) 02:11:23.83
>>897戦国期の資料は難しい、研究されてないものも多いだろうから。どこかの寺等で眠ってるかも
>>898墓は地方だが大きくてね。意外と関西って古い墓残ってないんだよね
902日本@名無史さん:2011/09/15(木) 02:40:38.81
角川の『角川日本姓氏歴史人物大辞典』
日本全国各地の姓の家伝とかが今まで発行された『姓氏辞典』の
内容のまとめ的内容。言い伝えレベルのものにプラスして、
郷土史や資料なんかの出典が明記してある場合がある。
それをそのまま信用することはできないので、
原典に近づくヒントにはなります。
今はもっと良い本が出てるのかな?
大学図書館とか、各中央図書館にあります。
というかこのスレでは当たり前でしょうか?
当たり前だったらすみません。
903日本@名無史さん:2011/09/15(木) 02:43:34.06
家伝のみの場合は裏づけがないのであまり信用しないほうが
良いと思いますが、何故そのような家伝になったか、歴史的背景や
家の事情とかの考察にもなると思います。
うちは郷土史家の方がまとめた本がいくつか発行されているのが
分かったので、そこに載っている資料にあたることができました。

904日本@名無史さん:2011/09/15(木) 03:06:07.65
>>902うちも載ってたけどあっさりしすぎで・・・近くの同姓の家なんて城の城主だったらしい
けど、年寄りに聞いたらうちの方が古くて格上って言われた、うちの先祖は何者?
905日本@名無史さん:2011/09/15(木) 03:53:43.04
このスレには先祖が小作人の子孫ってやっぱりいないね。

小作人は国の宝だぞ。←すいません、心にも無いことを書きました。
906日本@名無史さん:2011/09/15(木) 03:54:33.79
文章をちょっと間違えたごめんね
907日本@名無史さん:2011/09/15(木) 04:21:10.17
郷土史を調べていて思ったが、武家って案外多いな
うちの近辺(旧村)で約800戸なんだけど主家が転封した後に残った地侍だけでも70戸
元は100戸ぐらいはあったようだ
武家とは違うが、江戸時代になると庄屋が7戸、組頭が45戸、横目が4戸
庄屋と横目は上記の地侍と被るが組頭は殆どが百姓から選出されている
そしてこれらの役職は世襲ではないから年代によって家が替わっている
したがって、ずっとただの百姓だった家って半数ぐらいなんだよな
因みに水呑百姓は60戸程度

あまり家柄の差ってないんだなと
結局は財産がどの程度あるかだわな
908日本@名無史さん:2011/09/15(木) 06:04:01.69
>>907
一番は現在の社会的地位だろ。
先祖が天皇だろうが神だろうが現在の地位が低い奴はゴミ。

909日本@名無史さん:2011/09/15(木) 06:22:26.52
>>908
まあまあ。
このスレで名家を名乗る人には
自身の社会的地位に対する不満を解消したいという需要があるのです。
910日本@名無史さん:2011/09/15(木) 06:49:30.67
>>905というか小作人の子孫はこんなスレには来ないのでは?
士族会と同じように過去の栄光にすがってる人間が自身を慰める為、
もしくは虚栄心を満足させる為でしょ。
 おそらく、普通の小作人の子孫なら先祖に興味が無いだろうし
成功して家柄が欲しくなったら興味持つぐらいじゃね?
911日本@名無史さん:2011/09/15(木) 06:52:20.49
>>907私の田舎は広い盆地なのだが藩領が点在してるだけで大方天領な為
戦国期のまま明治に・・・みな百姓だが元武家の家系が存在する
912日本@名無史さん:2011/09/15(木) 08:00:30.59
旧士族で小作農もいたのだが・・・
913日本@名無史さん:2011/09/15(木) 08:01:36.42
>>907
庄屋も百姓なんだが?
914日本@名無史さん:2011/09/15(木) 09:20:53.21
うちの先祖は明治の半ばまで小作農だよ。
915日本@名無史さん:2011/09/15(木) 10:49:25.01
平凡な貧乏百姓の末裔だと思ってたけど都会に出てから話ししてるうちに
案外自分の家って資産家だったのかと思うようになってきた
土地とか持ってる人って意外と少ないのね
家屋も市街地の人が見るとみんな驚く
916日本@名無史さん:2011/09/15(木) 13:44:43.48
>>913
だから武家とは違うっていっとろうが(#° д゚)
917日本@名無史さん:2011/09/15(木) 14:32:24.17
昔は都市に働きに出るというのは極少数のエリートと農村の貧民だったからな。
今の今まで田舎に残っていればそれなりの家だろう。
918日本@名無史さん:2011/09/15(木) 15:03:55.02
地方でも小作が多かった地域は土地を殆ど持ってなかったりする
某市で2町歩や3町歩程度で自慢してる人が結構いて驚愕した事がある
919902:2011/09/15(木) 16:50:21.57
>>904
御一新でリストラされて先祖の地元に血縁を頼ってきた家じゃないでしょうか。
土地に残った人には土地屋敷を継いだ=本家でしょうし。
城下である程度の地位についてはいたけど、
リストラ後は屋根があるだけまし、みたいな生活の人も多かったらしいです。
戦国なら長男が別の名跡を継ぐ→残った子が家を継ぐ(本家)→
長男の子孫が没落して元の姓に戻して分家(または新本家)
ていうのもあるかと思います。
そういえば、婿養子(なぜか長男)が入って、子供が成長したら離縁して元の家に
復したって例もありました。完璧な中継ぎです。


920902:2011/09/15(木) 17:02:02.12
あと戦国期ですが
名家の子が別の苗字を名乗る→本家滅亡
近所の力のある国人が息子とかに勝手に名跡を継がせる
対抗して名家の子が本家の姓に戻す

というもともとの血筋がまったく関係ない場合もありました
921日本@名無史さん:2011/09/15(木) 18:31:01.09
西日本は古い家ほど分割相続しまくって何町も持ってるのは少ないね。
もっているのは商売で富を膨らませた比較的新興になる家が殆ど。
922日本@名無史さん:2011/09/15(木) 19:08:49.72
>>921
うん。本家・分家の格差というか身分差もあまりないし。
既女板で東日本の「本家」の読むと、別の国かと思えるからな。

うちの先祖なんか、誰々は酒で身上潰したとか、誰々の代には他人の土地を
踏まずに隣村へ行けたとか、幕末の一揆多発の頃、打ち壊しにあったとか、
いろんな話がある。ある時は金持ちで、ある時は貧乏だったらしい。

名門の子孫が多いのは、先祖のいい時の話だけ忘れないようにしてるんだと思う。
落ちぶれた時は無視wだから先祖は武士や庄屋ばかり。

鬼頭氏の本を読むと、貧乏人は子孫を残せない確率が多く、そのあいたところへ
子だくさんの富裕層の一部が埋めていくらしい。
だから、先祖はみな庄屋や地主というのも、ある意味正しいんだと思う。
923日本@名無史さん:2011/09/15(木) 19:16:47.57
>>915
うちも田んぼも畑も山も持ってるよ。
ただ、買い手もないし、売れたとしても二束三文だと思う。
近所のうちが150uの山で訴訟を起こされた。おっさん、そんなもん
欲しかったらただでくれてやるのにって笑ってた。
924日本@名無史さん:2011/09/15(木) 19:41:58.19
うちの地元だと江戸期に2町歩持ってたらまず庄屋。
925日本@名無史さん:2011/09/15(木) 19:53:38.18
外様大名の武士だけでなく譜代大名でもお目見え以上の家格ながら生活のためにあえて農村部に転居した武士は多い。
そういう場合でも武士だから本人名義で田地の耕作を請けられないので百姓の田を小作してたりしてる。
だから武士でありながら小作してた者も当然いた。
926日本@名無史さん:2011/09/16(金) 02:53:02.74
土地は一歩踏み込ませると際限なく踏み込んで来るからいくら土地をいっばい持ってても横領は絶対に許すべきではない
うちは曾祖父から父親までが適当な人だったから家の前の土地を600坪ばかり横領された
面積的には微々たるものだけど家の入り口が取られてしまったのだよ
お陰で車で庭まで入れない
歩いて入るのでさえ「うちの土地に勝手に入るな」とか言われて月に2万の金を払っている
元々、家が建っている場所も含めて全てうちの土地だったのに
土地を横領された挙げ句、逆に金払ってるなんて馬鹿げた話だ
927日本@名無史さん:2011/09/16(金) 05:42:45.78
>>926
軒先を貸すと母屋を…というやつですね。
私の地方ですが小作人の子孫風情が藪に「許可なく敷地を踏むことを禁ず 地主」
という看板を立てているのをよく見ます。
車2台分程度の土地でセコいものです。
その小作人の子孫達はやはり無気力で程度の低い職に就いています。
血は争えないと言うことです。
928大室寅之スレ:2011/09/16(金) 07:43:00.74
ぱあとAを誰か作ってください。おながいします。
929日本@名無史さん:2011/09/16(金) 07:45:57.17
次スレは
庄屋のフリした小作が先祖自慢する

か?
930日本@名無史さん:2011/09/16(金) 10:39:58.00
>>929
自己紹介乙〜
931日本@名無史さん:2011/09/16(金) 11:16:31.66
950超えたら立てるよ

>>927
没落地主も少なくはないけど、今でも力関係が変わっていない所も多いね
それと小作農は僻みっぽい人が多いのも事実
932日本@名無史さん:2011/09/16(金) 11:24:46.27
庄屋の次男が小作ってパターンは?
933日本@名無史さん:2011/09/16(金) 11:41:26.18
>>932
そりゃもちろんあるさ
どの家でも次男以下は養子先でもない限り小作になるしかない
武家はある意味もっと悲惨かもしれんが
養子先ないと部屋住みか寺に入れられるかだし
世界から抹消されるわけだ
934日本@名無史さん:2011/09/16(金) 11:47:08.38

どんな家でも栄枯盛衰がある。その家の最大最良の時代を本来あるべき姿と考えるから
大名や家老や庄屋になるわけだ
ほんとうの貧乏人は先祖さがしどころではないから、庶民がそこそこ中流化したお蔭だね
935日本@名無史さん:2011/09/16(金) 13:52:24.32
今も昔も権力者の我が家は最強です (^-^)v
936日本@名無史さん:2011/09/16(金) 13:57:24.83
何故か家柄がよい家って自慢したりしないよね
ネットでさえこの手のスレで本物って一度も見たことない
俺だったら自慢しまくるのに!と思うのは、家柄の良くない証拠なんだろうな
937日本@名無史さん:2011/09/16(金) 14:13:17.42
やっぱり本物の名家は周囲からも認められてるから
わざわざこんな所まで来て先祖は武家だ庄屋だと慰める必要は無いのかも。

自称名家が事細かに先祖の功績を説明しだすレスの内容は貧乏くさいし。
938日本@名無史さん:2011/09/16(金) 15:21:42.12
確かにw
本物は本人から言う必要ないもんな
周囲が認めてるから名家なんだし
939日本@名無史さん:2011/09/16(金) 15:29:38.89
>>923
山自体はともかく木は結構売れる事は売れる
昔と比べれば二束三文だけど、量があればそれなりの金額になる
うちでも今年始めに二山ぶん杉を売却したよ
940日本@名無史さん:2011/09/16(金) 16:11:39.21
零細庄屋なんているんだな
うちの方は一つの大名が支配していたから1村に1人しか庄屋いなかったし200〜300戸ぐらいは支配していた
大庄屋となると5村ぐらいを支配していたから1000戸以上だ
だから大庄屋ともなると大したものだよ
近所にいるのだが、今でも家屋5棟に長屋門、土蔵が4つ残っている
しかも明治維新で活躍して華族になってるんだよこの家
でも俺は全く知らなかったし、近所の人も知っているのか謎
たまたま図書館で知って驚いた
この家の人はそう言うこと全然話さない
941日本@名無史さん:2011/09/16(金) 18:48:00.94
いや本物でも自慢しまくってるよ
あまり本物に妄想しすぎ
有名な華族の子孫の知り合いがいるが
手当たり次第自慢しまくってる
初対面にはまず先祖の話をするくらいに
先祖が有名人だからこそ話のネタにもなるんだしね

ちなみに俺も先祖自慢はする
俺の先祖も武士
942日本@名無史さん:2011/09/16(金) 19:00:02.79
華族でも
勝ち組の殿様
負け組の殿様
公家
勲功華族
この4種類に分けられる。ここではいまも普通に差別がある。
943日本@名無史さん:2011/09/16(金) 19:51:31.45
俺の親父が士族の家系と知ったのはつい最近で、それまでは親父本人も
まったく知らなかったそうだ(笑)
たまたま昔の史料が出てきて親父のお爺さんの兵籍簿に某県士族と言う文字が
あったのがきっかけ。
だからって、別に今となってはどうでも良い事なんだけどね。
944日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:07:07.58
うちのキョウタも先祖は武士。
因みに柴で8歳のオス。
945日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:10:08.88
しかし血統書って面白いね。
祖父が「信州○司」父親が「信州○○」母は「○○姫」
946日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:30:20.52
>>941
そいつは没落華族だろ
没落すると過去の栄光にすがって自慢するようになる
自慢する奴は貧乏ばかり
947日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:32:00.24
あと成金ね
948日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:34:19.65
あまりにもな苗字だと本人が言わなくても相手が聞くだろ。
近衛とか徳川とか。
で、言われるから答える。
内容が凄いから相手は自慢に聞こえる。

というパターンでも、自慢しまくっているっていうのか?
949日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:40:45.55
我が家は神を祖とする家系。記紀の紛い物じゃなく本当の神。
950日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:46:40.32
>>949
よかったね。よいこは休む時間ですよ。
951日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:49:33.64
次スレの名称は

先祖自慢のエピソードを語る妄想者たち

小作が庄屋を語る妄想者たち

先祖は武士だと思い込みたい妄想者たち

かな?
952日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:00:59.84
我が家の神祖は約5000年前地上に降り立ち人類に文明を与えた。
んで、神やってるのも厭きたから大国って小僧に国をくれてやった。
これは口伝で伝わる真実だ。
953日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:10:06.46
>>952
旧武家さんですか?
954日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:23:41.01
一日武家?
955日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:42:22.28
うちはどん百姓だけど金持ちだからいいもんね
祖父は事務次官で父は警視正で母は製薬会社の社長で俺はニートだもん
下手な華族ごときじゃ我が家には勝てんぞ
956日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:51:45.39
>>955
特定した
957日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:54:10.91
>>955
へー、お祖父さんがどこかの省の事務次官閣下とはおそれいったね!まあ誰だか知らないから興味ゼロだけど。
ところでお父さんが国家公務員で警察庁での階級が警視正ってのはわかったが、役職はなんなの?待命ポストで勧奨退官?wとかですかぁ?
958日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:56:10.01
ていうか上級職国家公務員の時点で百姓じゃないんやないの?
959日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:00:33.83
>>955
階級が警視正で奥さんが製薬会社の社長をやってるやつなんて今の日本にいないけど?
君のお母さんはその警視正殿の内縁の妻ってやつですか?
960日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:01:26.85
まあまあ、百姓の妄想なんだから、そっとしてやって。
自身が公務員に落ちて程度の低い職業だから身内の成功を心のよりどころにしてるんだよ。
961日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:03:41.71
すげええ!このスレの住民の本質がむき出しに!
妬みパワー全快モードじゃん。
962日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:03:50.59
人に威張れるほどの「製薬会社」の女社長で、旦那が警視庁の階級警視正ってそんな会社日本にあったか?
963日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:05:37.61
百姓お手!
964日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:05:51.77
俺の先祖は卑弥呼
965日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:12:37.00
皆さんお薬飲んで寝ましょうね。
966日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:12:47.24
百姓お手!
コラ!バカ百姓!それはおかわりだろうが! 殴)
こんな百姓飼うんじゃなかった
967日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:14:07.22
次スレタイトル

祖(おや)は名主か大名かA
(元ネタ:末は博士か大臣か)

968日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:15:11.41
嘘つきばっかなんだなWWW
969日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:17:36.21
本当かるい感覚で嘘書くやつがおおすぎるよここは
970日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:19:10.56
キリストの子孫の俺以外みんな嘘つき
971日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:20:36.96

子が親を産み、子孫が先祖を産むのが当スレです

972日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:23:54.61
安徳天皇の直系子孫だと思う。
973日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:24:05.94
こりゃ次スレいらないね。
974日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:25:12.19
小作人「先祖代々小作人だと子孫に示しがつかないお…」
小作人「!!家系図を作ればいいんだ!!」
小作人「え〜っと、オラの先祖は大名でしばらく庄屋様…いや庄屋を務めていた…っと」
975日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:30:50.58
祖父は某省の事務次官
母親は製薬会社社長
父親は警察庁警察正(役職不明)
息子はニート
今のところこんなやつは存在しないね
976日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:31:24.37

(先祖ネタの)嘘には税金もかからず、罰則もない
977日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:33:12.93
200年後…

小作子孫(32)「俺んち大名家の血縁じゃん、しかも庄屋www2chで自慢したろうでwww」
978日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:34:21.56
ドラえもんの唄だね。
こんなこといいな、できたらいいな〜♪
小作だってバレないから作るけどバレバレなことを書くから突っ込まれる。
979日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:39:39.27

ねらーが嫌いな筈の「ウリは両班の家柄ニダ」の論理だな
980日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:42:31.51
基本的にここで偉そうなことを書く奴ほどニートが多い。
981日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:42:59.69
現在は平民とか士族とか公式に記されてる書類は無いの?
982日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:44:37.14
差別に繋がるから消されてます。
983日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:45:17.87

先祖探しのエピソードを語る、但し男系男子血族に限るA、でヨロ
984日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:48:24.85
庄屋とかあほらしいが嘘がバレないとでも思ってんのかねぇ・・・
985日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:48:59.58
先祖探しの妄想を語る、但し血族に限るA

かな?
986日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:55:39.23
>>941
今は没落して誰も知らないから、自分で自慢するしかないんだろ。

あるお殿様の子孫(現当主)を知ってるが、自分からそんな話を
することはない。
想像だが、ご本人は、先祖の七光りで有名になるなんて嬉しくない
んじゃないかな。自分の実績で世に知られるならいいけど。
あ、地元じゃ知られてるけど。

987日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:01:04.24
本当の有名人の子孫はそういった話はしないね。突っ込まれても本人が知らなかったりするから。
988日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:01:07.54
オヤジが若い頃一時期自衛官だった。
現代の武士である自衛官の息子だから武士の子孫。
989日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:04:42.42
士族がすべて名家という訳じゃないよ。
990日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:06:30.05
>>961
これが真実だよね
昔は水呑で今も貧乏人が、先祖がそこそこで自分がまともな地位になってる人を貶めるレスばっか
基本クズばっかだよね
991日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:11:07.38
>>959
そりゃもう退職してるもん
親父は戦前生まれだし
ちなみに祖父は農林相に勤めてた
992日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:15:24.80
自分が程度の低い職業だから親の偉業にすがってんの?www
みっともな〜いwww
お前も立派な職に就けるといいねwww
993日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:16:39.31
ここはニートの集合体か?
994日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:17:22.73
立てたお

先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/l50
995日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:18:17.97
うめ
996日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:18:25.80
>>992
仕事したくない
面倒だしキリッ
997日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:19:38.31
ニートニートニート……
998日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:20:13.64
武家
999日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:20:36.56
庄屋様
1000日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:20:56.60
1000なら武家
10011001
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