【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】

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1秦氏末裔
全国の秦氏末裔、マニアよ、日本建国に貢献したわりに地味な秦氏だが、逆襲といこう。
秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
宇佐吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷成立、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、中国に独立宣言?
17条憲法、12階位制度で天皇ヒエラルキーを祭司政治経済で確立。豪族の隷属民を
解放し、機織、須恵器、竈、文字を普及。テラや神社に束ね、律令国家経済を模索?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東文化は、ユダヤ景教徒説秦氏の証明?

前スレ【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/
2日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:43:53
それがしがAGETでござる
31:2006/12/17(日) 02:11:19
古墳研究から断定されるのは、3世紀前半の大和マキムクの中心は吉備勢力。
その前の1〜2世紀の最大の初期墳墓は吉備タテツキ。古墳文化は吉備が主導。
4世紀以降の半島、日本列島の古墳巨大化を技術的にも資金的にも推進
できたのは、渡来系殖産国際組織をもつ秦氏&応神大王の吉備河内連合
大和朝廷派。
族長太秦の任命権は天皇が所持していたらしい。
天皇の祭祀を司する少子部も「秦氏の子供たち限定」だったらしいので、
神道、仏教整備以前から秦氏が呪術的な天皇祭祀のマニュアルを管理か?
41:2006/12/17(日) 02:21:30
東大京大の不毛な学閥(邪馬台国候補地合戦)対立の中で、無視されてきた吉備に注目。
日本で最初の「ハダ(秦)」は、日本書紀他にみえる。応神天皇が后の兄媛(吉備)を
追って吉備国まできて、ハダ(総社市秦村)の地に逗留し、ミトモ別(妃の兄)の接待
に預かり 吉備の地を与えるという日本書紀の話。
私はその地の一族の末裔だ。

2世紀最大の墳墓は吉備のタテツキ。それが大和のマキムクに引き継がれる(邪馬台国首都論争で有名)
4世紀当時最大の造山古墳 (非天皇陵では国内最大、墳墓全体でも4位)は吉備の王稜。
河内にいたとされる応神、仁徳から急速に古墳が巨大化するが、この土木技術は、他の堤工事実績から
秦氏以外には候補はいない。各種資料から当時の「ハダの支配地=吉備」なので、
少なくとも380年当時、応神の時代には、日本書紀の弓月王の渡来を応神が兵を出して助力したのは史実
だろう。秦氏京都移住は後年の話。初期の秦氏コロニーは宇佐、吉備、瀬戸諸国だろう。
51:2006/12/17(日) 02:27:54
「仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。
后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
金銀玉はく等の宝物を献上す。 」日本書紀、古事記

後に天智天皇の時代に、白村江の会戦に、秦氏は吉備のニマ(吉備真備生誕地)
に国内から2万人!の将兵を結集し、秦水軍をつくり派兵している。
一夜で敗北した後に、多くが中国まで捕縛されるが、後に2000名ほどが吉備にも
帰郷してる。そのときに唐から進駐軍が福岡まで来たらしい。
そういうのをみると、秦氏渡来は、単純な難民亡命じゃないだろう。
6日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:47:26
聖徳太子の活躍した時代、「日本独立」
を認めさせるための日中軍事協定を提唱したブレーン=自称始皇帝末裔の秦川勝と小野妹子。
彼らの盟友たる隋大使が招かれ、帰国後わざわざ隋書倭人伝に残した「秦王国」記述にも
「ハダ(秦)=吉備」は符合する。この時代の瀬戸内の軍事交易権力は、まだ吉備が保持していた。

早くからの開拓地である吉備には「紀元8年頃の新時代の王蒙の貸せん」も大量にでるし、
邪馬台国時代の朱(水銀)も、国内に例のない大量使用の痕跡が発掘されている。

ちなみに、聖徳太子の顧問だった秦河勝(末裔の世阿弥うつぼ船モデル)と日本一有名な
桃太郎伝承は、共通の河から流れてきた卵誕生伝説。
ダビデと同じ葦船バージョンもある。日本書紀の聖徳太子=イエス伝承混入と同じか?
71:2006/12/17(日) 03:32:44
8、9世紀の木管発掘の人名の多くが、秦氏名。文字を独占していた天皇官僚、祭祀、
建築、金属、機織職人=秦氏=納税者=天皇臣民 だから当然といえる。
福岡在住の住民(奴隷でなく市民)の8割が秦氏説。
初期納税者の大半が秦氏。ていうか、欽明天皇時代に創設した初代大蔵は太秦の
秦大津父卿で、彼らが模範となり律令制度と天皇直轄領地を全国に広げていった。
軍事は抵抗する在地豪族がもつが、経済殖産、祭祀宗教、文化芸術は秦氏が優位。

つまり、もともと華僑や海人らの交易コロニー都市が河川主要地にあり、
そこを拠点に半島南部、北九州〜西日本の倭人と秦氏が、周辺の古い地元民
(縄文と原弥生混血)と混じっていき、現在のわれわれに繋がる
「日本民族のプロトタイプ」を形成していったとみたほうが自然ではないだろうか?
8日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:48:52
>>4
日本で最初の「ハダ(秦)」〜
日本書紀では「吉備の葉田」とあるので、ハダと呼ばれていたことがわかる

>>5
日本書紀、古事記ーー誤記(若干異なる記述)
秦氏系神社解説ーー訂正   だったと思う

>>6
隋書倭人伝ーー誤記
隋書東夷伝ーー訂正
9日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:52:30
秦氏族でわかりやすいのは旧住友財閥系企業や新日鉄などです

住友財閥の住友家の起源は越前・福井県にある。
越前は白山信仰の大元の地
「白」は斯羅、即ち新羅という意味
白浜は能登国鹿島郡田鶴浜の西に隣る
『延喜式』白比古神社此所にあり(『神祇志料』)

白日神、白比古神社、白山神社、白浜、白山信仰、白水など

住友グループ主要企業の社長会=「白水会」

もともと秦氏は古代から鉱山に深く関わっており
経営者というよりも採掘技術や加工技術を知っている氏族だ。

鉱山資源を必要とされた時に
住友家の養子となって大きくなったが
住友家は桓武平氏だろう。

新日鉄だって昔は官営だった。
10日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:53:10
秦氏は技術者集団であると同時に
朝廷の財務官僚としての活動もしていたり
かなり多芸多才な氏族っぽい

秦といえば、京都の蚕ノ社の再建をした三井や幕末に土佐勤皇の
秦河勝系譜の長宗我部遺臣の蜂起集団、竜馬や岩崎の三菱だろ、普通。

秦氏は三菱三井住友安田いわゆる四大財閥すべてに
深く関わっているでしょ…恐るべし

西武コンツェルンの堤一族も秦氏(近江秦氏=依智秦氏)
秦氏族だから旧宮家の邸宅や別荘跡地にホテルを建てる特権得られた
だからホテル名はプリンスホテルとなった

上流社会と下層社会を同時に支配してるのかよ
いったいなんなんだよ秦氏ってのは
超すげー!最強

皇宮警察だけでなく、普通の警察も秦氏が支配してるよ。
秦氏族による「秘密結社」を利用して治安を維持してるのが日本の警察庁。
秦野章なんて警視総監もいたしね。あいつは秦氏。
東京オリンピックの時に治安を強化する必要があり、秦氏のボスの秦野章を警視総監にした。
そして現在の学習院の院長は波多野敬雄、やっぱり秦氏だね。
11日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:56:03
能登半島は越の国や山陰地方及び北九州と並び、古代大陸や朝鮮半島の先進文化を直接に吸収し、大陸や半島と同質の文化圏を形成していた地域である。
従って、当地方は渡来系といわれる人々が多く住み着いていた。
中でも新羅・加羅系の文化が栄え、渡来人の中では新羅系の秦氏が多かったようである。
神社については、能登半島の神社の八割が渡来系の神であるといわれている。
新羅神社に関係が深いといわれるのは田鶴浜町の白比古神社で、古くは新羅神社といわれていた。
中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社も、新羅の天日槍と同一人物といわれている都怒我阿良斯等神を祭神としている新羅(加羅)系の神社である。


能登を含めた越前・越中の地方は古代、越(高志)の国といわれ、対馬海流を北西の季節風に乗り対岸の朝鮮半島から多くの渡来があった。
なお、当地方も越の国と同様に、弥生時代には水稲耕作と玉造りの兼業が行なわれていたようである。

能登半島の神社で有名なのは気多神社(羽咋市)、白比古神社(田鶴浜町)、久麻加夫都阿良加志比古神社(中島町)、更に渡来人の子孫といわれる秦澄の創建した白山比刀iしろやまひめ)神社である。
白比古神社と久麻加夫都神社の由緒は夫々新羅系と高句麗系といわれているが、現在に残る祭りの形態等から考えると、二社は共に新羅系の渡来人が祭った神社であると思う。
12日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:56:46
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。

当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、越前・若狭地方と関係している。
両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。

継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。
13日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:15:26
新潟県は弥生時代の古代から新羅(加羅)系氏族が勢力を持っていた。
越の国といわれ、中でも新潟県は越後と称された。

新羅明神を祭る神社は頸城(くびき)郡妙高村関山の関山神社である。
妙高村関山は、正式には新潟県頸城郡(久比岐)妙高村関山といい、長野県との県境に近い。
妙高山の麓にあり、妙高山やそれに連なる山岳地帯を流れる関川に沿った街である。

元々当地方を開拓したのは日本海を渡って移り住んだ朝鮮半島や中国大陸の人々であり、
新羅(加羅)系の人々が本格的開拓を行ない、従前の信仰の対象である妙高山や関川と共に祖神を祭ったのであろう。
従って、当地方の開拓神は恐らく素盞鳴尊であった。
つまり出雲族と同族である。
14日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:16:14
京都府には北部から南部まで新羅の神々が祭られている。
北部では丹後地方、南部は山城地方の宇治市である。
南部の京都盆地には「新羅牛頭(ごず)山に座す素盞鳴尊」を祀る八坂神社や新羅系渡来人秦氏とつながりの深い賀茂神社がある。
丹後地方は古来、大陸や半島との往来が頻繁にあり、弥生時代には王国があったといわれている。
特に弥栄(やさか)町の新羅明神(溝谷神社)は渡来の人々(特に新羅系、或いは秦氏系の氏族)が祭ったといわれる。
丹後地方は但馬の出石郡に隣接しているが、出石郡は地理的には丹後の一部であり、新羅の渡来人、天日槍(あめのひぼこ)と縁の深い土地である。
また、京都府の太秦や園部町から続く丹波地方も新羅系渡来人の痕跡が非常に濃い。
15:2006/12/17(日) 04:17:10
秦氏のあまりに有名な京都平安京開発の300年前に、すでに河内のまんたの堤、
吉備秦にも高梁川のたたら堤がある。吉備平野の水利開拓という土木工事や
田園開発を行ったのは秦氏。秦風の川の神を祭祀した巨大な20メートルを超える
イワクラと12村に水流を整備した堤は今でも活用され健在だ。

天文機関でもあったタテツキ遺跡で暦を導入し、水の管理と農場開拓指導
をしたから自立経済市場が登場し、テラを拠点に中国産の貨幣なども使用するようになった。
秦氏渡来で文字、竈、須恵器が普及し、家族が自宅で食事をしるスタイルが一般にも
誕生し、鉄の鍬や牛馬の増産で水利の計画生産が向上した。

延べ150万人動員規模の造山古墳など墳墓の巨大化、殉死の悪習を吉備誕生の
埴輪で中止させて「豪族間の戦争経済」から公共事業経済に転換し、経済成長、
人口増加が日本でもいよいよ開始していく。

380年当時の秦氏渡来は、1250年も早い「古代日本のメイフラワー号」だ。
16日本@名無史さん:2006/12/17(日) 09:42:41
17日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:47:01
>「仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
>日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。
>后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
>百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
>金銀玉はく等の宝物を献上す。 」日本書紀、古事記


これは日本書紀、古事記の文章じゃないだろ。
大酒神社の由緒書きで、後世の創作だよ。

そもそも九州の半分しかない偏狭な百済に127県もあるのか?
百済・高句麗滅亡時の亡命者でも数千人規模なのに何で18000人も来るのか?
18000人も持っていかれるのを百済が容赦するのか?

完全に創作だよ。
18日本@名無史さん:2006/12/17(日) 19:03:35
■失われた古代日本領=耽羅国は倭人の国であった■

 済州島は7世紀まで日本領土だった。もともとは倭人が住んでいたのだ。言葉も日本語が使われていた。
古代においては「耽羅(タンラ=タムラ)」と呼ばれていたが、タムラとは、「タムロ(屯)の地」という意味であり、
人間が大勢集まる場所ということから、そのように呼ばれたのだ。
 耽羅の最高行政官は、日本の天皇によって任命された。また、日本天皇の代理人である百済国主によって
任命されることもあった。
 耽羅国の最高行政官は、政主、または祭主と呼ばれた。韓国式の表記である「星主」は、セイシュの当て字であり、
オリジナルの称号「セイシュ」の名残りなのだ。島の統治者を「星主」と呼ぶのは不自然だが、もともとは「政主」
「祭主」と呼んだのである。
 星主は、日本語「政主」の当て字だと言われているが、別の説では、日本語の「村主」の音、ソンジュに間違った漢字を
当てたものという説もある。
 当時の記録によれば、耽羅には星主と呼ばれる支配者が存在していた。朝鮮・韓国では、この称号は新羅=文武王が与えた
とする中世朝鮮の文献を根拠に、新羅王が耽羅の支配者に与えた称号だと信じられている。
 いずれにせよ、耽羅支配者は、耽羅星主(ソンジュ)と呼ばれていたのである。韓国では、この称号が耽羅王を意味すると
信じられている。

 三国史記(韓国の歴史書)には、耽羅が476年に百済=東城王に服属したと書かれているが、以後百済に朝貢したという。
しかし、本当は百済ではなく、百済の宗主国である倭国(ヤマト)に服属したのだ。
 660年、百済が唐軍の侵攻によって滅亡すると、日本領=耽羅は大混乱に陥った。日本書紀によると、
このとき唐から帰国する日本の遣唐使船が、耽羅に寄港したところ、唐軍の侵攻を恐れる耽羅は日本に保護を求め、
朝貢を続けた。だが、新羅が半島を統一すると、新羅の勢力は耽羅にも及び、耽羅は統一新羅に服属することになった。

19日本@名無史さん:2006/12/17(日) 19:14:56
>9
>住友グループ主要企業の社長会=「白水会」

この白水というのは、豊臣秀吉の時代に中国の明の王族の「白水善」というのを
招いて、金山の開発精錬をやらせた それによって産金量が飛躍的に上がった
そのとき、住友の初代が「白水善」から精錬技術を学んだ
住友はその後、別子銅山で当てて財閥に成長した
住友は「白水善」の恩義を忘れないようにと、白水、泉、泉グループとも呼ぶ
白水会の白水は白水善から来ている 白山とは関係が無い
20月光仮面:2006/12/22(金) 14:25:35
ほだれ祭りレポート cf Baydara 頭付きの馬毛皮(アルタイ馬生贄儀式)を指すアルタイ語。
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/hodare/hodare.htm
「つぶろ」さしレポート cf Tubalaryとはアルタイ・トゥーバ人の呼称。
ちなみにアルタイの銅山は埃及・シュメールに並行するBC2800年代の世界最古級で
あり、鹿児島・東北・佐渡の産金地帯にナマハゲ、百足など類似風習伝承の残るのが
気になる。
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/tsuburo/tsuburo.htm
鼓を持ち、歓喜躍動たる姿の魔多羅神と二童子像。頭上に北斗七星を配している左の
童子・爾子多(にした)はシシリシニ、シシリシと歌う。右の童子・丁令多(ていれいた)は
ソソロソニ、ソソロソと歌う。これは殊勝の本尊である生死や煩悩の極致を行ずる姿を
舞い歌うのである。は殊勝の本尊である生死や煩悩の極致を行ずる姿を舞い歌うので
ある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyougyou.html
たませせり、スセリ姫、ササラなど多くの古代語にでてくるs*s*r*
はそそるという言葉にもあるが励起するといった意味であろうか。
秦氏と古代鉱山冶金技術集団になんらかの関係があるようだ。
21月光仮面:2006/12/22(金) 14:34:03
秦氏牛祭り呪文シシリシニ、シシリシ、ソソロソニ、ソソロソは何語なのか、何の意味な
のかと考えているうちに佐渡のツブロサシでかなり見えてきた。佐渡の対岸とか表日本
川崎にファロス祭典のあること、川崎ではこれを金山神の祭りとしていることでかなり
しっくりしてきた。
22月光仮面:2006/12/22(金) 15:20:38
今思いついたんだが、「ハタ」とは白い衣装をまとった神官、古代においてはシャーマン、
を意味した言葉ではなかっただろうか。さもないとあまりにも多様な職業に関連してくる
理由がわからない。
23日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:32:23
四国高知の土佐郡に秦泉寺(じんぜんじ)と言う一族が今も集落をなしていると言うが、これも秦一族とつながっているのだろうか?
ちなみに長曾我部の家臣秦泉寺掃部が落ち延びた末裔と聞いている。
又、高知市秦泉寺町内付近では飛鳥時代の遺跡として秦泉寺廃寺跡というものが発掘されているが、これは何教の寺だったのか気になるところではある。
土佐の秦泉寺は現在神道系であるようだが、このあたりについて何か見識のある方はいらっしゃらないだろうか?
24日本@名無史さん:2006/12/22(金) 19:14:15
>>18
最近コンビニの回りに、数人の若い奴らがタムロして邪魔だな。
25日本@名無史さん:2006/12/22(金) 20:26:40
羽太氏は働き者で立派な業績を残したがいまひとつ表彰されないでいるのはおかしい
26日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:37:43
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ
27月光仮面:2006/12/23(土) 14:57:50
今朝のNHK三徳山・御幸行列・投入寺などを見ているとこの辺にも秦氏のルーツ
を見る気がした。出雲鰐淵寺の摩陀羅神社にも秦氏の秘密が隠されているはずだ。
多分それは秦氏が信奉した摩陀羅神の神話構造が吉備楯築墳丘墓の後卑弥呼により
銅鐸文明と共に政治的に葬り去られたことの反映にあると見ている。このとき卑弥呼は
狗奴国との深い対立を抱え込んだのではないかと見ている。
28月光仮面:2006/12/23(土) 15:23:11
卑弥呼は多分九州と本州の宗教的統合をアメンホテップ4世のように唯一の太陽神、
銅鏡、古墳、土器の規格統一で実現しようとし、従わないものに対しては吉備津彦が
見せた鬼退治のような仮借ない懲罰行為を行ったのであろう。そうした余韻の残る時代
に倭国に入った魏使は、卑弥呼はよく人を惑わすという風評として聴取、歴史に残した
のではないだろうか。アマテラスはそうした伝説を基に誕生するのであろう。
29日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:00:10
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ
30日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:24:56
波田氏はまじめにこつこつと働いたがむくわれなかった、
31日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:58:58
>>29
有名人はコテ変えても何も変らんよねwww
32日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:28:35
羽田氏は不幸なのか
33日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:54:24
矢田亜紀子の矢田は八田、秦だよな。確かに不幸だ
34日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:50:40
菊池ももこなんかは幸せなんかな、正確がびびりでこわい話はいやらしい
35日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:45:58
>>月光仮面この話どう?

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。こ
れをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」という
結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説と合わなか
ったからだ。

 さらに同遺跡の下層には別の遺跡があり、推定で二万dから三万dにものぼる鉄滓(て
っさい‖製鉄した後の残留物)が発見されたほか、縄文式とも弥生式とも異なっていて、
中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土し
ている。
http://www.minyu.co.jp/shasetsu/0305gatsu/0523s.html
36桃太郎:2006/12/26(火) 05:38:37
1986年 岡山県岡山市江道遺跡(えどう)で、紀元前4世紀の水田跡などが発見される。
1992年 以前から、九州では縄文土器の中に稲のモミの圧痕(モミが押しつけられた痕跡)があるものが発見されていたが、新たに岡山県総社市の南溝手遺跡(みなみみぞて)で、縄文時代後期末の形式の土器にモミの圧痕が発見された。、
  ※寺沢薫著『日本の歴史02 王権誕生』(講談社 2000年)P22−24

 これらの結果、以前の「紀元前3世紀初めころ水稲農業が伝わり、弥生時代が成立した」という説明は改められ、次のようになったのです。
 
○ 水稲耕作の伝来と弥生文化
遅くとも紀元前5世紀には、水稲稲作農耕が中国長江下流域から朝鮮半島南部を経由して九州北部に伝わり、各地に伝播。「短期間の試行段階」で、西日本院定着。
紀元前4世紀初めころには、西日本に水稲農業と弥生式土器を作る文化、弥生文化が成立。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n01-6.htm
37桃太郎:2006/12/26(火) 05:49:34
>>27
吉備楯築王説もある吉備の英雄、鴨(カモ)別の伝承では、隼人ら薩摩勢力
(狗奴国か)に侵略された阿蘇の皇女から助けがあり、鴨は女装して敵陣に
乗り込み平定し、阿蘇=吉備同盟が成立するらしい。
造り山か楯築じゃなかったかな、墓石が阿蘇産出。
この逸話は、大和朝廷のヤマトタケルの英雄伝としていまに伝わる。
38月光仮面:2006/12/26(火) 10:10:21
>>25
鉄はアッシリア時代のコーカサス南麓で始まり、ヒッタイト時代に拡散が開始、
東方草原のノマドを経由して東トルケスタンで広まった後又西方に向かう。
一部は東トルケスタンから日本海沿岸、朝鮮半島、九州経由、呉・越に至った
のではなかろうか。極東の通過地点においては全くの異民族として周辺とは
交流せずに移動したのだろう。消滅した情報としては沿海州におけるBC10世紀
頃の鉄、東是人等、又、博多湾方面の杭の加工遺物等がある。
39月光仮面:2006/12/26(火) 10:47:26
殷商の青銅器文化に距離的に最も近いのは中国・アルタイ・モンゴル・
カザフスタンの国境の交差する南アルタイ山脈の西麓にある:
BC3千年紀のチュド銅山遺跡中のズメイノゴルスク地区銅山遺跡
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph2.jpg
ズメヨーワ銅山遺跡出土採鉱工具
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph3.gif
BC17-15世紀アルタイトレチャコフ地区の青銅器
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph4.jpg
この地方にコーカサスから鉄が伝わる可能性はある。
40月光仮面:2006/12/26(火) 10:57:47
中国における五山信仰、スサノオにおける蘇民将来、楚国はアルタイ鉱山文化の
南進を意味するのではないかと思わせるのがChudと言う知名だ。ロシア語にも
類似の言葉はあるがこの場所としてはつながらず、語源は不明とのこと。
41月光仮面:2006/12/26(火) 10:59:27
地名が知名になっていた↑
42月光仮面:2006/12/26(火) 11:25:16
岡目八目であるが、アルタイのこの時代はオークネフ彫刻石像↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image009.gif
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
の時代だ。そしてこの神像の不可思議を説明するのは↓この下にある
銅の考察という行だ。
http://members.jcom.home.ne.jp/4313532601/page006.html
神像の髪型は百足のようで後のパジリクミイラの髪型、銅鐸の耳飾と似ており、
日本における百足・俵藤太伝説、スサノオ・オオクニヌシの百足と符合する。
早い話がアルタイ鉱山族は岩手の金山にまで来ているのだ。
43月光仮面:2006/12/26(火) 11:42:56
ベツのスレなんだが、ご参考まで↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066237353/529
>529 :月光仮面 :2006/12/18(月) 11:20:45 ID:rdnk/Pnb
>燕人衛満時代列島に到着した馬韓月支族の中にはアルタイ・パジリク時代
>のクマン(白鳥人)がおり、そのシャーマンの髪型に銅鐸の飾り耳
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
>飾耳 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko10doutaku.html
>を見ることができる。刺青もこの頃のアルタイにはあるし、
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/tatu.jpg
>後の後漢・魏志韓伝でも三韓に刺青の到着していたことは読み取れる。
>この時代アルタイは馬の犠牲が活発でスサノオの馬皮生剥ぎはナマハゲ
>等の伝説になったのかもしれない。
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/pogreben1.gif
>
>
44月光仮面:2006/12/26(火) 11:55:45
日本人・チベット人とユダヤ人がなぜYAPなのか。YAPは縄文時代以来ずっと日本
にいて分岐したと言うが、そうではなく分岐したのは中央ユーラシアでではないのか。
そして日本には移住してきたのではないのかと言うのがこの話の出発点であった。
今、約12000年前のヤンガードリアス時代に中央ユーラシアで細石刃の元になる
遺伝子の突然変化が起こり、東南アジアとレバントから米・むぎなどの農業が始まっ
たのではないか。日本のYAPは中央ユーラシアで分岐の終了した集団が朝鮮半島で
中国オリジンの遺伝子と合流して弥生時代の日本に入ったのではないかとの推論
を持つに至った。
45月光仮面:2006/12/26(火) 12:49:46
>>37
>阿蘇の皇女
こういうお方ではないでしょうか。パンジャブ方面の美女といった感じ。↓
熊野座神社の神像(プルダウン)
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-Higo.html
「木葉山は石灰岩の山、稲佐の近くには白木村や白木八幡宮も存在する。
白木は『新羅』となると、木葉山も豊前香春岳と同じように新羅からの渡来人
が鉱物資源を探索、採掘した山。そして、稲佐に伝わる女神の御神像!
香春岳の阿曾隈の女神もこのようなお姿だったのではないでしょうか?」
参考 http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#新羅
46月光仮面:2006/12/26(火) 14:27:46
>>39
アルタイに背衛銅器文化をもたらしたのはアファナシエフ文化ではないかと言われるが
この文化の後は大体:
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
・・・モンゴロイド
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800・・・モンゴロイド
パジリク(盛土クルガン墳)以下の2時期に分かれる:
パジリク・クルトゥースカヤBC800-600
パジリク・マイェミルスカヤBC600-500
パジリク・ボリシェレチェンスカヤ(パジリク最盛期)
(石囲い・積石土盛クルガン墳)BC600-200
パジリク・シビンスカヤ BC200-0
と言う風にモンゴロイド・コーカソイドが交代に入れ替わっているが、これが
楚・蘇・倭の祖先であって、西周から燕の時代に内蒙にいたのように山海経が
言っているのが朝鮮半島・日本に入ったのではないかと思う。パジリクはコーカソイド
のようだ。
47日本@名無史さん:2006/12/26(火) 15:13:37
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-2.htm

雲南省の古墳から出た貯貝器のレリーフ鳥・家(2千百年程前
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/senga1.jpg

奈良県の古墳から出た銅鏡絵の鳥・家
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/senga2.jpg

雲南省タイ族の民家(高床で千木、かつお木、テラス?がセット)
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/houce1.jpg
48月光仮面:2006/12/26(火) 15:35:18
>>35 >>38
参照を>>35とすべきを間違え、25とし、しかもとんでもない脱線をしてしまいました。
平にご容赦、ご理解賜り度。
さて、九州北東は箱式石棺墓、石蓋土坑墓と、アルタイ、モンゴル方面の文化が
いち早く集中しており、古代の海洋交通の要所であったのではないかと見られる。
墓制の変遷と題して箱式石棺墓、石蓋土坑墓、方形周溝墓の分布を研究した↓
http://www2a.biglobe.ne.jp/~haruki/homepage/story/b0002.html
これは大分県の国東半島にある重藤遺跡からの鉄剣、鉄滓を考える時に、これら
の文化を残したのが箱式石棺墓、石蓋土坑墓文化であったのではないかと考えたく
なる。この箱式石棺簿は沖縄に波及しているのでその直ぐ先の会稽・呉越へと技術
移転が行われた通過地点と解釈することもできる。ちなみに、東海に迦葉原ありという
高句麗の地名命名方法と香春というのがよく似ている。これは渡来したものが
そうした神話を持っていたということだろう。


49月光仮面:2006/12/26(火) 15:53:36
>>47
日本に千木・堅魚木の神社建設が始まるのは奈良時代だが、当時既に雲南省とは
文化的に完全に分断されており、技術交流は不可能。では、なぜこうしたパラレルが
見られるかを説明するには雲南省・日本は弥生時代の末辺りに中国西部の同一文化
を持つ民族が二派に分かれてそれぞれ渡来したと想定するしかない。
50日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:22:03
羽田氏はまじめにコツコツ働いたが、あまり出世しないままやや不幸せな
退職後生活を送ってるのかもしれない
51日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:38:27
>>50
羽田氏よりアンタの方が大変不幸な人生を送ってるんじゃないか!
幸せな人はストーカーみたいな事しない。
52日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:52:49
迦葉原=香春=カバラ=カッバーラ  ?
53桃太郎:2006/12/27(水) 06:18:29
秦氏と応神八幡神・天日槍・神武東征伝説(日本の中の朝鮮文化(10)、金達寿著、講談社文庫、1993年)
 「宇佐在来の比売神と合休して七世紀以後の応神八幡神ができあがった」ということには、
大変大きな意味が含まれる。安藤輝国氏や小島信一氏は「応神天皇は秦族の大王」で、
「女王国を征服したのは秦族の誉田別命、のちの応神天皇である」というのである。
応神天皇は秦族の大王であったといわれると、奏氏族がそれから出た新羅・加耶系渡来人集団
である天日槍集団の天日槍と、応神とのからまりが気になる。

---- う〜ん、金達寿だからな
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor1961849
54日本@名無史さん:2006/12/27(水) 06:20:11
まず、「古事記」応神段に天日槍(天之日矛)の渡来伝承がながながと書かれていて、
息長帯比売の神功皇后はその天日槍の外孫であるとしていることがある。そして、
「神武東征」伝説というのは、九州で生まれたという応神の「東征」または「東遷」のこと
をそのような形で語ったものではないかとみているが、すると、さきにみた(筑前の
「九州における天日槍」の項など)林屋辰三郎氏の「天日槍と神武東征伝説」という副題
をもった「古代の但馬」に、「私は、はっきりいって天日槍伝説というものは、神武東征
伝説という日本の国の、また、日本文化の最初にどうしても理解しておかなければならない
伝説と同形のものと考えている」とあるのも気になる。
55日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:12:58
応神と神功が、宇佐の比売大神の両隣だよな・・・
本当に謎が多い・・
しかし大分は秦性本当に多いよ〜
56月光仮面:2006/12/27(水) 08:05:35
神武東遷、神功帰還、天日矛は急激な前方後円墳の発生、それの瀬戸内海における
日向、吉備、大和間の移動と関係するもので、それ以前の箱式石棺墓、四隅突出型
墳丘墓、方形周溝墓と違い、三韓の支配層であったスキタイ騎馬民族、特にサカ族、
を含むもので、アルタイ西麓のサカ族の千木を持ち、樹皮で屋根を葺いた木造家屋
型の神殿が秦氏と共に登場するのは、この前方後円墳時代で、最初が天日矛、本格的
なのが神功皇后・応神時代であろう。
57月光仮面:2006/12/27(水) 08:14:24
しかし、これは三韓征伐により百済との関係が深まり、移民の形で神官・傭兵を受け入れ
大王の配下に置いたということであり、国内的には大和朝廷内部で相続争いがあったと
言うことに過ぎないのだろう。
58月光仮面:2006/12/27(水) 09:47:32
>>35
>中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土

これは、時代的に見て多分燕の領域を通過したか、あるいは、山海経において倭は燕に
属すとされた燕の北方の内蒙綏遠地方にあった倭人が燕を経由して西周が殷から継承
してきた土器デザインを継承したものではないかと思われる。古代の製鉄は最近吉備
http://www1.harenet.ne.jp/~sugi/kouko/tetuiseki.htm
でも鉱石を融解する製鉄の遺跡が出てきたようであるが、砂鉄-タタラではなかったようだ。
こうなると倭人が弥生時代の日本のように裾野産業というか、窯業の伝統のないところで
いくらノウハウを持っていても生かしきれず、古代より窯業の発展している長江下流域
に生産基地を求めたと考えてもおかしくはないのではないかとおもわれる。中山和敬著
三輪神社でも天理教敷島大教会、三輪小学校辺りが磯城瑞垣宮あとである公算が大で
付近からはカナクソ、ふいご口などが出土するにもかかわらず考古学調査を経ずに
建設の行われたことをくいておられる。列島に到来したものはノウハウは持っていたの
ではないだろうか。
59月光仮面:2006/12/27(水) 09:58:50
呉は大分県人の末裔と言うことになり、陳寿さんには気の毒だが考古学的
物証があるんだからなー。
60月光仮面:2006/12/27(水) 11:36:24
沖縄の久米島 http://www.town.kumejima.okinawa.jp/kumejima%20no%20iti%20rekisi.html
これって正に東冶会稽の東に当たるのだが、島の名前の語源を米とするのはチト浅すぎる。
重要なことは養蚕を古くから行うことであり、三韓、阿蘇方面へ呉の養蚕を導入したのは
気候的にこの地を中継地とするのが最適である。島の名前は大和朝廷の警護兵と同様
山岳戦闘民族久米部隊であろう。それはこの島が倭国の最前線であった頃の名残だ。
つまり、四郡、弁辰に鉄を残した倭人はこの島を経由し、呉越に製鉄ノウハウと鉱石
サンプルを導入した。この記憶が斎の孔子、秦始皇帝、徐福、呉の銅鏡工人の脳裏に
残っていたのだろう。
61日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:49:05
>>59
いや、十分ありそうだな。。。。

大分は九州の北中部とでもいうのかな。それにしても不思議なのは
中世のフランシスコ・ザビエルやオランダの商船など.....
瀬戸内海向いているのに、初めて日本に上陸した場所が大分なんだよ。
大分北部。

どうしてわざわざ大分北部の瀬戸内海まで回り込んで初上陸したのか本当に謎。
長崎、鹿児島じゃなく国東辺りで上陸してるんだよ。
数年前かな、オランダの皇太子が来日してわざわざ再現したよww

中世まで日本に入港するのに国東、ってルートがあったのかな?と思うんだが。
しかし決して穏やかなルートではない。宮崎を北上したりする必要性が感じられない。
不思議なんだが。

62月光仮面:2006/12/27(水) 12:05:53
「唐や大和の船が銭・黄金を持ち寄せる城(具志川城)・・・
この久米島伝承により、具志堅、串木野、クシフル峯が金に関連することがわかる。
同時に鹿児島、香具山、香具土などのカグには鉱山とか、鍛冶屋、ふいごの意味が
あったのではないか、また、カワという言葉には交わす、交易という意味があるという線が
出てくる。トルコ語でカワチには鍛冶屋、ジプシーの意味があるとの説もあり、河内に
ついては未だはっきりしないが、交易地点の意味も捨てきれない。
63月光仮面:2006/12/27(水) 12:08:44
>>61
今でも外国船の検疫は関門の六連、これって海流の関係かな。
64月光仮面:2006/12/27(水) 12:17:56
>>62
しからば、神武の祖は甑島あたりを橋頭堡として串木野の金鉱を探査し、霧島連山
を縦走、高千穂に天下りしたことになる。逆矛は敵地占領の印、又、鹿児島、大分
にはタンカンサーが多いが、トルコ・モンゴル語で天神はタンリ・タングリ・テングリ、
ジンギスカンのジンギスとは大洋という意味でバイカル湖などを指すようだ。北部
九州の渡来系が九州南部を征圧したと言うことだろうか。神武関連の山口県タギリ
宮は天神宮ということになるんだが。
65月光仮面:2006/12/27(水) 12:20:46
神武の嫡子、タギシミミとはモンゴル的に解釈すると大洋の国の国王と言うことになり
鹿児島あたりの出身かと言うことになる。
66月光仮面:2006/12/27(水) 12:28:24
これは日本人が三韓及び縄文国を征圧するプロセスであって、当時朝鮮族というのは
漢の植民地で呻吟していたと言うのが実体であることを付言しておかないと曲解される
恐れがあるなー。
67日本@名無史さん:2006/12/30(土) 04:10:06
意味不明。一レスに纏めてくれ
68月光仮面:2006/12/30(土) 08:47:10
神功三韓征伐の後秦氏がどっと押し寄せたように、帥升の後漢訪問の後にも
多くの渡来人が随伴してきた。これは当時山彦と海彦の抗争の時代で、特に
九州南部の戦場に渡来した山戎傭兵が投入されたのではなかろうか。博多勢と
友好関係にあった出雲勢が周防灘勢力に外人傭兵でもって襲い掛かることも
あり、戦闘は吉備に移り、一度は吉備を中心として安定するかと思われたが、
最終的には海部系が大和に首府を移すことになった。とりあえずこの線で行こうか。
69月光仮面:2006/12/30(土) 11:00:19
山戎文化のルーツは北京から瀋陽に向かう途中の山中かな↓
http://www.shanrong.com.cn/g7.htm
これは牛頭天王とか、鳥居のルーツだと思う。
詳しくは↓
http://www.shanrong.com.cn/
70日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:00:20
>>68
秦氏好きは、
思考回路に欠落が多いのかな?w
71日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:06:37
いや
豚肉は美味しいだけじゃないよ
頭をよくするからお勧めだよ
72月光仮面:2006/12/31(日) 08:49:39
高千穂の天孫降臨という焼酎を飲み、夢で神楽を見ることにする。翁のお面のしたから
上野が原の博物館の先生が出てきて、鹿児島・大分の照葉樹山岳民こそ三内丸山の
子孫ですたいというような夢を見るだろうか。
73日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:53:01
豚肉食べてないんだねきっと・・・
74月光仮面:2006/12/31(日) 09:16:43
75日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:36:52
豚タコだな〜
76日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:58:35
豚は頭がよおくなるのか
77日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:00:03
>>72
意味が分からない
78月光仮面:2006/12/31(日) 14:09:26
今年は天孫が降臨された年なのでそのほうもいっぱい呑んだらどうじゃ。
意味がわかるぞ。
79日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:13:54
>>78
馬鹿大将太国さん!
別コテでご苦労さんw
馬鹿さ加減がそっくりですね。
80月光仮面:2006/12/31(日) 14:29:46
↑神罰てきめんじゃわい。
81日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:31:05
>>78
あなたの書きこみはスレ違いなので消えて下さい。真面目に議論したい人達に迷惑です。
82日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:53:57
肉ダレダレじゃん
83月光仮面:2006/12/31(日) 16:03:20
http://homepage3.nifty.com/mori2/up/480/siromi_20.jpg
そこには霊芝が生えていて、宮殿や楼閣が目に入り、仙界の使いの者がいらっしゃり、
銅の色をしていて龍の形をし、体から発する光が輝いて天を照らしておりました。
そこで、わたしは再び拝してお尋ねしました。『どのような品物を御献上致したら宜しい
のでしょうか。』と…。すると海神さまは、『良家の少年少女たちと、さまざまな横械や
道具類を献上すれば宜しい。そうすれば延命長寿の薬は、得ることができるであろう。
』とおっしゃったのです。」と。秦の始皇帝は、非常によろこばれて、少年少女三千人を
送りだし、そのうえに五穀の種々と機械や道具類をそえて、貢ぎ物として、大神さまの
ところへ行かせた。徐福は、平らかで広い平野と、豊かで湿潤な沼のあるところにたど
り着き、その場所に留まって、そこの王となり、再び還ってくることはなかった。
・・・これが徐福が八幡神から貰った秦王国なのか。
http://www.soc.hyogo-u.ac.jp/tosuzuki/data/jyohuku.htm
84月光仮面:2006/12/31(日) 16:16:29
大分県人は霊芝・椎茸販売にかけては古来からかなりのノウハウを持っていたという
ことなのであろうか。
85日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:36:44
馬鹿大将太国さん!
別コテでご苦労さんw
馬鹿さ加減がそっくりですね。
86日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:43:45
>>84-85
意味不明。誰も読んでないからオナスレでも立てて一人でやってくれ。
87日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:44:41
訂正
>>83-84
88日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:47:17
>>83
千木と鰹木についての歴史がよく分からん。

がいやまんの知っている限りの知識を教えてくれ。

89日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:50:30
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
90日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:50:01
羽田氏はまじめに働きすぎて嫌われてたみたいです、いまは畑仕事をやってよすてびと
として元気でやったはるのやろか
91日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:56:16
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
92月光仮面:2007/01/01(月) 17:02:04
>>88
謹賀新年

BC2300年頃までバサラビア(ジプシー発祥地とされることもある)にあったトリポリエ
の神殿は千木付で八幡、日吉方式、BC5世紀頃のアルタイ西麓に到来したサカ族の
住居は檜皮ようの樹皮で葺いて千木を持ち、峡谷部に立地、清水寺の坂上田村麿、
飛鳥バレーの蘇我氏と立地が似ている。小河墓遺跡の棺の上には横板が並べてあり、
棟持柱のようなものがあり、牛皮で包まれ、スサノオがアマテラスの小屋に上げた
ぶち馬の生剥の毛皮と同じで、現在も突厥系に習俗が残るようだ。これに関して
コーカサスに同様の牛の生贄を描いた青銅器があるようだが、墓制としては小河墓
より西部では見られないのでアルタイの旧石器、マンモスハンター時代からの葬礼
形式で、ウクライナのコステンキ・マンモスハンターキャンプなどと同じ起源ではないか。
アルタイ・トルケスタンには未発見であるが相当早くから鉄器文化があったのかもし
れない。雲南に千木高床が入るのはトルケスタン・甘粛方面から南下するのだろう。
小河墓遺跡には小麦の他に粟もあり、崑崙の蛇紋石も入っており、被葬者は西部
欧州人のようであるが、実際に作業をしたのはアルタイ人であった可能性が強い。
93日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:07:09
スレ違い。いい加減にしろ
94月光仮面:2007/01/01(月) 17:07:27
正月の獅子、龍、これらは共にスサノオの生剥(頭付き)風習が中国西部から日本、
江南に分流したことによるもので、倭人と呉人の風習の類似もこの辺にあろう・・・
今年はこの辺で走るか。
95月光仮面:2007/01/01(月) 17:25:58
小河墓遺跡の横木はアルタイ地方であれば箱型石棺墓とするべきところ、タクラマカン
には適当な石材がなく胡楊を加工し、AD HOCな、そしてユニークな葬制様式が出来上
がったと言うのが自分の所見だ。これがひょっとして堅魚木になるのでは?
96日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:38:08
羽田氏は真面目にきっちりとごまかしなしで働いたので嫌われたが、立派な人でした
97月光仮面:2007/01/02(火) 09:40:23
古墳とは石器環境における神社・仏閣であり、特に首長・豪族の埋葬されるものを
指したが、完全な宗教的用途のものとしては秋田・唐松神社、吉備・熊山遺跡などが
ある。出雲の形式が拝殿と本殿を階段、橋立でつなぐ前方後方墳である。後方という
のが本殿、前方と言うのが拝殿。拝殿がなく本殿の前に鹿石、神木、回向柱を配する
形態もある。後方部分はお賽銭箱がおいてあると考えるとよかろう。前方後方墳は
方形周溝墓、四隅突出型墳丘を基に出来上がり、後にモンゴリア西部・新羅・西都原
等を経由する西戎の太陽崇拝宗教の持ち主、これが秦氏の先祖で円墳をもたらし、
円墳をモンゴロイドの大地崇拝の方墳に置き換え前方後円墳ができる。古墳時代が
終わると八幡・日吉などの形体となる。つまり拝殿、橋立がない。さて、ポイントを
抑えると、秦氏とは前方後円墳祭儀を持ち込み、AD250年頃、箸j墓を建設、日本の
国土を築いた民族と言うことになる。
98月光仮面:2007/01/02(火) 09:50:14
で、出雲系統は縄文人かというととんでもない。これも渡来人なんだが宗教が大地と
天(太陽でなく)を崇拝するもので、言語的にアルタイか、形質的にモンゴロイドである。
秦氏のほうは言語的に印欧語、形質的にはコーカソイド。この2つの対立する集団は
二大政党のように対立を含有したまま朝鮮半島を南下、三韓に到着。最終的に統合
が完成したのは日本建国、箸墓の完成時であろう。自分は箸墓着工は卑弥呼の使い
が初めて公孫を訪問した時でそれはAD240年頃、これが布留式土器の開始と見ている。
99月光仮面:2007/01/02(火) 10:02:53
なぜ二大政党かと言うと、氏子、檀家といったものがなければ神主、僧侶、サムライ
だけでは経済が成り立たないからだ。インドにアーリア族が侵入したりする際、
ダリウス、アレキサンダーのように多国籍編成とするのと同じで、その際カーストと言う
階級制度が生まれるのであろう。軍隊の階級とも似たところがある。
100日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:15:32










月光仮面=豚













101日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:44:22
>>100
空気よめ
102月光仮面:2007/01/02(火) 14:00:30
さて、楯築墳丘墓、これには拝殿が2つある。月神、日神だな。これはフン、タタール
のヒゲ・クルガンとしてカザフスタン方面に残る。日本では月読命が失脚、月山関係は
裏日本と東北、例外として、土佐の西端に限定される。伝承的にはキビツヒコによるウラ
の征伐があり、どうやら、このフン、タタール的連中は東北に追っ払われたようだ。で、
秦氏はというと豊前から西都原に至る九州東岸から吉備に入ったと考えるのが順当。
吉備において出雲と国土分掌(神主の地割と言うか)が成立したようだが、もう一つ
銅鐸宗教勢力をたたいて鏡作りに転換させなくてはならない。秦氏は琵琶湖周辺で
豪族を口説き落とし、その結果息長氏などが生まれる。こうしたことが神代紀の裏に
あるんだろう。
103月光仮面:2007/01/02(火) 14:02:19
ただ裏日本の出雲その他にコーカソイド要素がまったくなかったかというと、そうでは
なく、関西神武、賀茂氏などの鳥トーテム(安倍氏のアビというのが極地水鳥の意味
なら安倍氏もそうなるが)ウグロフィン又はアルタイ語を話すコーカソイドであった
可能性は残る。九州神武はちゃんと奥さんもおり、秦系の人であって、関西神武とは
別人であろう。九州神武の嫡男がどこかで殺されると言うのはありえる話だなー。
104月光仮面:2007/01/02(火) 15:38:37
記紀の神武紀は単に資料を集めただけの感じが強い。やはり魏志倭人伝の描く
女王国を持って建国とする記述が正鵠を得ているのであろう。倭人伝では卑弥呼の
後継をイヨとし、その後も女王が元首のようであり、崇神は引き続いて、男王のような
存在を脱却できていなかったのであろうか。
105日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:33:16

>>101
どのように空気よむの?
106日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:40:30
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ

107月光仮面:2007/01/03(水) 12:15:13
テレビ放映あった皇室のポロ・打毬
http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-02.html
http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-02-01.html
http://www.sportpolo.com/History/default.htm
はサカ族(大避・大酒)の風習なのであるからその起源は言われているよりも
古い可能性があり、少なくとも西欧の王朝よりは日本の皇室の方が古いのには
間違いはなかろう。
108月光仮面:2007/01/03(水) 12:19:22
サクソンと言うのはサカ族がなまったもの、あるいはサカ族の末裔と言えるのだろうか。
東方起源のノマドであろう。そうすると出雲のウルフ(狼)神社というのは英語よりも古い
英語であったのかなーと思うのであるが。
109月光仮面:2007/01/03(水) 12:29:59
日本の天皇陛下は馬術部の主将ということであるから、国際王族の位を決定するのが
馬術であるのなら、世界の元首の主将ということになる。格式にマッチしているのかな。
110月光仮面:2007/01/03(水) 12:38:42
ちょっと言い過ぎたが、昭和天皇が騎馬民族説ファンであったということは、こうした
宮内庁行事を見るにつけよくわかる気がする。
111月光仮面:2007/01/03(水) 12:50:27
継体、その昔の、綏靖(カムヌナカワミミ)等は皇統が八ヶ岳の黒曜石、姫川のヒスイを
基にした中部・越・縄文文化につながることを示唆している。三韓・高句麗の日本亡命とは
日本史における一瞬の出来事であり、渡来系は一切臣下として大王に仕えたという
事実には揺るぎはないであろうが。
112日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:39:13


頭わりー
113日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:53:33
>>92
THX

ふーん、千木はBC23C頃にはベッサラビアなどの黒海北部に既に
出現していたのだな。

だったら地理的に近い西シベリアの高床式倉庫文化には余裕で
伝わっているわな。

そうなると東シベリアやアムールの高床式倉庫文化にも西シベリアから
千木は伝わっていたと見て良いだろう。
114日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:32:40
波田氏はさべつされてしまい つらい人生を送ったのでしょうか
115月光仮面:2007/01/04(木) 10:05:48
>>113
夏場の永久凍土地帯は熱帯雨林同様高床、ボート暮らしだし、ツングースは
湖南オリジンとも言われるしなー。生活環境にアドホックに適合させたとする
考えもできるし、高床をもって判断基準とするのは難しいところもあるね。で、
ベッサラビアはジプシー、これはロマ、コヴァチ、ルリなどいろいろ呼ばれるが
ナイル川の石工がスピンオフしたとも考えられる。昨夜の吉村さんの番組にあった
ピラミッドのうねる蛇は纒向の繞道祭、香港の龍踊りを見る想いだ。アステカ、
アマゾン(2つの隼人紋様)等にもこれを感じている。
116月光仮面:2007/01/04(木) 10:13:24
相当ずれるかも知らんが天日矛というのはアメンの日置部であり、アスカ・ナスカ
の石を大洋の天測の基に置いていたシャーマン、これが東上線比企で島津の祖と
なる。こういう因果で昭和天皇の御陵などもこの方面となっているのかな。
117日本@名無史さん:2007/01/04(木) 14:06:51
どうでもいいけど、普通に読めば理解できるように文章を書けよなぁ。。。
118月光仮面:2007/01/04(木) 16:57:14
大避神社の井戸と関連するのは秦氏関連でヨセフということになるが、アメノヒボコ
という言葉だけで考えるとウラルの殷並行時代のヨセフと同一視されるアミンベクという
発音の方が近い。アバーシェフ文化は独自にエジプトと接触しており、同じ話をユダヤ
人と共有している可能性がある。秦氏はユダヤ人であり、大避;大酒、サカ、アミンベク
とは関係ないとは言い切れない。中国の開封へユダヤ人が到達するのは相当遅れる。
エジプト文化はジプシー系ラピスラズリ商人、青銅器・石材加工関係民族などによって
日本に伝えられ、秦氏とはジプシーをも含む多様な集団であったとした方がよさそうだ。
119日本@名無史さん:2007/01/04(木) 22:16:27
渡来人がやって来なくても文化は伝達すると何度教えれてやれば良いのかね。

渡来人がやって来て定着すれば確実に渡来人の文化は伝達するが、

隣人から隣人へと何百年何千年もかけながら文化自身の移動でも伝達されるし、

こちらから行って持ち帰っても文化は伝達されるし、

渡来人がやって来て短期滞在で帰ってしまっても文化は伝達される。
120日本@名無史さん:2007/01/05(金) 00:49:49
太国鯖落ちさせるなよ
いつもながら馬鹿だな
121日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:48:45
この大国って奴は何者なの?
職業は?
122日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:55:09
古神道の権威w
123日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:01:15
捜聖記 みんな読んでるんだねぇ・・・
124日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:57:34
秦氏がもたらした技術で代表的なのは養蚕・機織、醸造、土木技術なので
日本の大企業のほとんどが波田氏なのかもね
125日本@名無史さん:2007/01/05(金) 11:00:55
>>121
月光仮面=太国
馬鹿コテ連合自演中w
126日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:12:35
ここではふといくにはぜんぜんでてないので、関係がないとおもうけどもさ
127日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:26:19

日本史板の常識

コテ=馬鹿

128日本@名無史さん:2007/01/06(土) 09:33:20
池田市の即席ラーメンの神様の安藤氏が天才だったのは偶然ではなく、池田市と言えば
呉服神社があり渡来人の古里みたいなとこで、酒もごしゅんと言う名酒があっていずれも羽田氏ががんばったのかも
129日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:50:57
語源:Hat= アイルランド語 hatter (帽子)から 中英語 h ae t → hatt 頭のための覆い
(形作られた王冠及び縁を備えたもの) ... この偉業を達成した人に
「栄誉を称えシルク.ハット ( Silk.Hat ) が贈られた事」に由来します。 ...

秦氏=ハタ氏=埴輪の帽子、とんがり帽子(ハット、Hat)をかぶった人物??
130日本@名無史さん:2007/01/07(日) 05:30:06
糞コテといい>>128といい、日本語下手な奴が多いスレだな。
131日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:17:29
呉の国の春で、ごしゅん
132日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:39:38
月光仮面さん
おめでとうございます

>>102
ここらあたりは勉強になります

応神天皇=秦氏 説というのは、実際どうなんでしょう?
彼らは広い意味での「古墳好きな一族」でしょうが、かなり性急に
半島を南下してきたのか、その速度はどうなんでしょう。

>>118
大避神社=ダビデ祭神 はどうみればいいのか? 単純な聖書伝承ではないだろうし
歴代末裔神主、宮内庁雅楽秦氏一族のいうように血統的にもユダヤ末裔なのか?
133月光仮面:2007/01/10(水) 08:05:01
>>132
おめでとうございます。
エジプト経済と言うのが今で言えばアメリカ経済。これに隣接するメソポタミア
シュメール経済。こうした消費地と金属・色石等のミネラル資源供給地であった
パミール・ウラル・アルタイとの間にシルクロードのような通商メーンストリート
が形成された。つーか、草原ノマドの風習が統一化される傾向が生じた。これに
インダス、ガンジス、黄河、長江といったものが次第にジョインを始めた。
そうしたノマドの一つがユダヤ人であり、長江方面黄河方面との間に入った羌、姜
等の部族だった。黒曜石、細石刃、青銅器、鉄器といった技術改革を基にして
鉱山開発、石切、土砂を使用したドルメン、メンヒル工法等が発展、エジプトにあった
ホルス、ラー等の神々とか、中近東の神々、神話の交流が行われた。と、こういう
序曲があって、秦氏が登場すると思うんですね。
134月光仮面:2007/01/10(水) 08:18:16
秦氏がやってきた新羅には単に中近東と言うのではなくローマ・ケルト方面
の西欧との交流の痕跡があるが、これは古代においてバルカン・カルパチア・
ブリテン等とも交易があり、その頃からのしがらみでいわゆる白人種も相当
ステップ地帯に入り込んでいた。これとは別に旧石器時代にマンモスを追って
シベリアに入り込んでしまっていたのもいる。そういうものとモンゴロイドが
共存しながらインダス峡谷、中国、朝鮮半島に入り込んだ。特に有名なのが
サカ、賽族であり、これが大避、大酒の語源でしょう。ところでウラルにある
アミンベクというヨセフと同じ話はユダヤ人とウラル人が同じイベントを共有
していたと言うことかもしれません。アメノヒボコというのはヨセフと同じくらいの
存在が次第に神格化されたものかなと思います。
135月光仮面:2007/01/10(水) 08:29:35
トルコ等には多少アジア系も見られるが、ハンガリー、フィンランド等は言語が
膠着語ではあるのに完全な白人であると言うことは、いわゆるフンと呼ばれるものが
アジアに古い時代に侵入してきた白色人種が騎馬民族として里帰りしたと言う方が
適切なのかもしれません。ところが、日本に入ってきた坂上田村麿等は名前からして
サカ族ターメルラン、チムールといった感じなのに加えて、形質も、肉食傾向も
白人であった模様です。今でもほんのわずかですが大鵬親方のような古い白人系
と見られる人がいますね。
136月光仮面:2007/01/10(水) 09:03:00
毘沙門天像にエリツィンそっくりなのがいて、多分、ロシアを追われたエリツィン
の先祖がオホーツクから日本に亡命して毘沙門天になったのではといわれますが、
ことさように、ウラル方面にはモンゴロイドの痕跡が残るし、フィンランドとの国境
沿いのロシアカレリア地方には7000年前からモンゴロイドがコーカソイドと共存
していたようです。つまりユーラシア北部では白人・黄色人種が相互乗り入れを
やっているようですね。
137日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:12:09
確か日本海北部(秋田とか)の一部の人からは白人が持つ遺伝子が出てるよ。
138月光仮面:2007/01/10(水) 09:55:56
>>134
アメノヒボコは単にアメン日神、つまり、エジプト起源の太陽神アメンということで
アミン・ベクもそうした意味があったのかも。こうなるとアマテラスがアトンということに
なるんだが。秦氏は歴史の台本も用意していたのかもしれない。
139日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:06:09
115 名前: 名無しのひみつ 投稿日: 2007/01/05(金) 00:28:38 ID:cPctGueS


福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)
黄泉の国と、黄泉の国へ向かうための船
http://cyber.infoware-d.jp/kikaku/pictures/uzu02006.png
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat2.gif

エジプトのピラミッドの壁画
死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat1.gif
ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。

ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。
これはキリスト教の聖母子像の原型とされる。


両者が全く関係ないというほうが無理がある。
珍敷塚壁画を描いた人々は、どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の
構図を知っていたのか
140月光仮面:2007/01/10(水) 12:12:27
布留の御霊がホルスの御霊でないかと思っていたんだが、ありそうだな。
141月光仮面:2007/01/10(水) 15:29:41
秦氏のマダラ神、そのシンボルは茗荷というが、これは女性性器、佐渡でみられる
類似の神事からしてそれは性行為を表すようだ。そして牛と関係するこれは小河墓
遺跡の墓標が男性は軍配型女性性器、女性は赤いとがった六角柱。極めて生殖
を重視。これは綏遠の山戎が女陰と手の形を崇拝するのと同じ。又、小河墓の埋葬
形態は基本的に箱式石棺墓に似ている。そして小河墓は数百年後のトカラ族の故郷。
トカラ人は飛鳥時代の推古・斎明時代に大挙来日している。記紀によれば形質が白人で
キモイために海に捨てようとしたが、須弥山、石橋等の建造能力を売り込んだとある。秦氏はこの民族とさほど遠い関係にはなかったと考ええられる。現在ロシアの学者には
このトカラ人はカラスク青銅器文化を殷に導入したものとしている。サカ族というのは
これより時代が下るスキタイ時代のイラン系の部族であり、秦氏をサカ族とするのは
問題があるかもしれない。ただ、秦氏が古代の銅鐸、つまり、出雲とは何らかの関係が
あるようであり、出雲大社の裏に鰐淵寺というマダラ神の神社がある。
142月光仮面:2007/01/10(水) 15:46:32
イラン系、特にサカ族ではイラン神話のフマイという太陽の鳥、これがなまって
ウマイと呼ばれモンゴル高原のモンゴロイドの神様になったが、これが女性の
太陽神であるという。日本語にもウマシマジとということbがあるがこのウマと
いうのはサカ系の言葉かもしれない。そしてテングリというのが天神地神であり、
方墳なのに対してウマイの方は円墳、盆踊りも輪踊り、天神地神は二列縦隊
だそうである。
143月光仮面:2007/01/10(水) 15:54:59
ここでちょっとアルタイの考古学タイムラインを見ると↓
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800
パジリク(盛土クルガン墳)以下の2時期に分かれる:
パジリク・クルトゥースカヤBC800-600
パジリク・マイェミルスカヤBC600-500
パジリク・ボリシェレチェンスカヤ(パジリク最盛期)(石囲い・
積石土盛クルガン墳)BC600-200
パジリク・シビンスカヤ BC200-0
ここでカラスクの上と下はイラン系統のようであるが、オークニェフというのが
非印欧系であり、セト神、スサノオのように百足に絡んだステラが多い。これが
銅鐸をもたらしたのであればカラスクとは人種が違っていたのかもしれない。
144月光仮面:2007/01/10(水) 16:33:33
生殖重視・女陰崇拝の山戎文化、これとエジプトのピラミッドで見られる磐舟
これには生殖を通り越した太陽の再生という概念があるようだ。顕著には加賀の
潜戸のキサカ姫、タケルガ峯近辺の岩戸を含む物部遺跡、熊本のトンカラリン
等で秦族も教義を理解しない縄文人にはさぞや閉口したのではないかと思うが
釈迦の嘘も方便の気持ちで地域住民に溶け込んでいったのであろうか。
145日本@名無史さん:2007/01/10(水) 19:39:56
9日まで正月休みだったのでしょうか、アメリカは2日から仕事らしいですね
146月光仮面:2007/01/11(木) 16:05:29
>>139
↓スレタイはずれを恐れちょっとよそに回ってました
ユダヤ人消えた10支族は日本に来たか?
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/min/1130193271/menu478
秦氏にある、例えば、雅楽であるとかのジプシー的タレントは秦氏が
ジプシー、北部インドの地中海的形質、
↓これは熊本県の熊野神社御神像(これって本当にジプシー系統と見える)
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-Higo.files/image002.jpg
アーリア系言語、であったかというと、例えば、金海伽耶の金首露王とか
http://enkan.fc2web.com/kantan/kr/kr_07.html
書紀推古・斎明紀の吐火羅(都貨羅)・舎衛の関係とかで、通婚する2つの
民族というあり方がわかり、また、芸術とは遺伝子の壁を越えて移動することから
秦氏をインド系とは言いにくいかなとの感じがするんですが、熊本県とか福岡県
等にはジプシー系の形質の人はいないでしょうかね。
147月光仮面:2007/01/11(木) 16:37:37
「私は阿踰陀(アユタ)国(インドにあった国。今のアヨーディヤとされる)の王女で、
姓は許(フォ)、名はファンオク)とと申します。年は十六になります。
・・・私はアメンのフォファンオク、アメノヒボコ、御許神社、宇佐神宮、こんな関係で
秦氏が担いだということがあるかも。アマテラスの起源かな。

148月光仮面:2007/01/11(木) 16:43:03
まー、いずれにせよ、後漢に時代からユーラシア・キャラバン・チェーンの主役は
スキタイ・トカラから現在のジプシーへと選手交代が行われたと考えるべきでしょうか。
149月光仮面:2007/01/11(木) 17:09:06
日韓両国後で金首露さんの結婚相手を考えてみると神武がイスケヨリヒメとであった
ような始祖王の女性太陽シャーマンとの新婚ということになるのでは。つまり、
許(=陽)黄玉←アメノヒボコ→天日矛・・・玉垂の起源もこの辺か。
150日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:38:27
羽田氏はまじめにこつこつと働いたが、利用されただけに終わった、最高の
位をもらえなかった理由はイケズをされたからかも
151日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:48:55
秦っていうとヤクルトの捕手、後に外野手 しか思い出さないw
152日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:19:52
>>133-149
月光仮面さん、ありがとうございます

この時代のユーラシア知識はまったくないので、イメージが弱いのですが、
トーテム信仰の遊牧民=秦氏部族(イラン、トルコ、一部白人系)にユダヤ的
文化が混入したと考えればいいのでしょうか?

始皇帝の秦と秦氏の関係は弓月王子孫が公称しただけで、無関係ですか?
それとも始皇帝滅亡以降、多くの秦国家が大陸には再登場するので、一族末裔
伝承を信じてもいいのか?
私は、五胡十六国時代の後秦(チベット系、鮮卑系説)などは、時代的にもかなり
怪しいと感じています。日本語とチベット語の類似や彼ら遠征軍のイエス文化伝承
とか、合理的な都市整備、国際的な宗教容認、屯田兵、住民移動政策などは面白い。
あと地名、王名称の移動とか。
153月光仮面:2007/01/12(金) 11:04:25
秦氏と言うのは、大分県人、長野県人にある教育投資性向、これは、岡山県も
そのようですが、これの非常に強いものがあった。そして、遣唐使で入唐、多くの
先進文化を身につけ、重要なことはこれを消化する能力があったということではな
いかということです。景教は「中国には,唐の太宗治世の635年(貞観9),ペルシア僧
のアラホン(阿羅本)を団長とする伝道団が堂々と長安に到着するや,太宗は宰相の
房玄齢らをして宮中に迎えしめ,その経典の翻訳を勅許し,布教を勧めた。3年後には
長安の義寧坊に一寺を建立させ,僧21人を出家させた。つぎの高宗も景教を保護し,
諸州にその寺院をおかせ,アラホンを崇(たつと)んで鎮国大法主とした。仏教に傾斜し
た則天武后の治世には少し衰えたが,玄宗によって保護され,アブラハム(羅含)やガ
ブリエル(及烈)といった有力な僧侶によって大いに教線を拡大した。

 
154月光仮面:2007/01/12(金) 11:21:28
コピペですが↓光明皇后はキリスト教の感化を受けて看護婦をおやりになった
ということで、今のハンセン病差別からは隔世の感があります。記紀の内容ので
あるとか、秦氏関連の寺社仏閣にもフィーフォバックで各種のメリハリがつけられた
のではないでしょうか。
「京都大学の池田栄教授によると、じつは聖徳太子の側近には、景教徒がいました。
聖徳太子の時代には、すでに非公式に少なからず景教徒たちが日本に入っていた
のです。
 池田教授によると、その景教徒の名は「マル・トマ」といい、これはアラム語で、
マルは先生、トマはトマスのことです。使徒トマスと同じ名前だったわけですが、
れは景教徒たちの間ではよくつけられた名前でした。
 つまり、聖徳太子の福祉・慈善事業は、景教徒たちの感化を受けたものと解せら
れるのです。
 また実際、その後736年に景教徒「李密医」らが日本にやって来て、天皇を訪問
しました(続日本紀)。その天皇の皇后、光明皇后は、この李密医から深い感化を
受け、やはり「施薬院」「寮病院」「悲田院」をつくっています。
皇后はそこで、自ら看護婦として働きました。奈良の法華寺には、光明皇后が患者
の膿を吸って吐き出したという浴室が残されています。
 光明皇后もまた、仏教界では篤く仏教を信仰した人であったと宣伝されていますが、
じつは彼女のことを深く調べてみると、景教の深い感化を受けていたことがわかります。
彼女はじつは景教徒であった、と述べる研究家もいます。
 そのほか、日本仏教界で有名な空海や、親鸞も景教にふれています。彼らの思想
を読むと、
「これは基督教の教えによく似ているなあ」
と思わされるものが非常に多いですが、これはそのためです。
 また景教徒は日本の文化・伝統にも計り知れないほど多くの影響を与えました。
詳しく書き記す紙面はここにはありません。しかし興味ある方は、拙著『日本・ユダヤ
封印の古代史2 仏教・景教篇』(ケン・ジョセフと共著 徳間書店刊)に詳しい記述が
ありますので、それをお読みください。」
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2000/2000.09/2000.09.report.htm
155月光仮面:2007/01/12(金) 11:43:39
ユダヤ人がアウシュビッツジェノサイド、ポグロムの対象となるのはこの教育
投資による選民化であり、これは中国の客家も同じです。しかし、これは先天的
遺伝的というよりむしろ伝統的なものを重んじる傾向にあり、韓国人が洗礼をする
というのは韓国人が遺伝子的にユダヤ人というよりも、彼らはどちらかというと
儒教文化の影響を強く受けそれのアプリケーションとしてキリスト教に向かうのに
過ぎないと思います。秦氏をユダヤ人に限定してしまうと仏教、拝火教、古代エジプト
太陽神教が日本に導入するに当たって秦氏が果たしたであろう役割を解明する上で
大きな障害となり、秦氏の持つジプシー文化伝達等を考ええると、秦氏を単純に
ユダヤ人と決め付けてしまうのは早計だと思います。
156月光仮面:2007/01/12(金) 11:59:18
韓国人が割礼というのを間違えて洗礼としました。要はディープインパクト
のオーナーのように種付けでいい血統を増やすのが勝ちで、春うららとか
道産子のような馬は馬肉にでもなれといった精神がジェノサイド、ポグロム
を生むのでしょう。社会全体では狂牛病のようなものといえるでしょうか。
157月光仮面:2007/01/12(金) 12:19:32
脱線しますが、稲作とか、牧畜の人間価値が単純に偏差値表示可能である単一カル
チャー社会でニートにならないためには教育は重要。ユダヤ人などはいち早くこの
問題に取り組んだ民族ともいえる。人間の多様性を発揮するには芸術にも社会が
金を支払う社会構成、秩序、文明がファンダメンタルズとして必要。この点、秦氏を
取り巻く環境にはこういうものがあった。そしてこれは遺伝子ではなく情報として
伝達できるもの。すると、儒教の起源はユダヤと類似の思想が西方から伝わって
きたからだとすることもできる。・・・おっとっと、脱線。
158月光仮面:2007/01/12(金) 16:29:43
>>152
コウマン、ユウズウと名乗るハタと、素性が非常に怪しく秦と名乗る始皇帝Ying政
はともかく、後秦とかをつなぐものは姜、羌族です。又、チベットに入るタングート
も姜のようです。羌族の神話に金属加工に関連する共工があることを考えると、
アルタイの青銅器文化を殷に伝えたのはロシアの言うようにカラスク・トカラ系
というか、羌ではないか。戎とは祭壇でまつりごとをするという意味もあると聞き及び
ますので、羌と戎がダブってもおかしくないかと思うんですが。始皇帝も秦に成りす
ますパターンとしては羌、姜系の匂いがする。ハタというのは白人系統の血が入って
いるのではないかという感じが強い。ユダヤというのはどちらかといえばジプシー
に近いんじゃないのかなー、例えば↓
スペイン、ルーマニア
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Spanish_Gypsy_Girls_NGM-v31-p267.jpg
ポーランド、日本熊本県御神像にある、ナチスドイツが公認、合作映画に入れた
原節子にも似た長頭アーリア純正品↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:RomaWAPoland.jpg
159月光仮面:2007/01/12(金) 16:40:24
現在の2CHの古代史レベルは半世紀前の日本誕生-天照大神-原節子-
にたどり着くにははるかに遠いレベルですね。
http://www.jmdb.ne.jp/1959/ci004670.htm
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/joyuu12/setsuko2.jpg
http://club.pep.ne.jp/~shigmats.1/utusback/harasetsuko.htm
http://club.pep.ne.jp/~shigmats.1/utusback/harasetsuko.htm
160月光仮面:2007/01/12(金) 18:09:26
>>152
女性性器を印鑑の朱肉いれとかのデザインには現在も使用されており、
トーテムというか魔よけのような効用があるのでしょう。秦氏の広隆寺
牛祭りマダラ神神事も佐渡で行われる類似の呪文の性的な神事の
ようなものでこれは全国的に稲作の豊作を祈る儀式となったものと
同じでしょう。しかしその起源は太陽の再生を願うエジプトの太陽神
信仰にあっ多のではないかと思わせられたのが正月の吉村さんのテレビ・ピラミッド
の特集でした。広隆寺の儀式はキリスト教開始前にローマにあったミトラ
神事と似ているのではと思われ、ユダヤ文化ではなくエジプト起源のものかと
思うのですが。秦氏の三つ鳥居もユダヤの類似の曼荼羅のようなものではなく
井戸に捨てられ、エジプトに売られるアミンベク、これがユダヤではヨセフですが
そうした、秦氏の井戸掘り技術者としての過去を物語る可能性もあります。
161月光仮面:2007/01/12(金) 18:41:26
>>158 秦氏が白人であるかもしれないのは↓
「これについて、中国の考古学専門家は28日「最近行われたDNA鑑定で、始皇帝陵
兵馬俑坑には、2200年前の『ユーラシア西部の特徴』を備えた人類の遺骨が埋葬
されていることが判明した。死者は生前始皇帝陵の」建設に従事した労務者である」
と述べた。
http://www.china-news.co.jp/culture/2006/06/cul06062902.htm
162日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:40:15
シルクロードかあ
163日本@名無史さん:2007/01/13(土) 09:21:21
秦氏はなんで差別されてしまったかやわね、土木技術とかですごい日本に貢献したのに
位は低いし、まさか使い捨てされたんやろか
164月光仮面:2007/01/13(土) 11:04:04
DNAのロンダリングというか、姓と父系遺伝子のリンクがはずれたというか。
それと、(1)バラモン 他人のための祭式執行,ベーダ聖典の教授,布施の受納。
(2)クシャトリヤ 政治や戦闘による人民保護。
(3)バイシャ 農業,牧畜,商業,金貸。
(4)シュードラ 隷属的労働や手工芸による上位3バルナへの奉仕。
こういう風にすると秦氏はバラモン、しかし、天皇家の下に置かれ、サカ一族
などはクシャトリアとなろうが、頭でっかちでは国が滅びる。徳川時代も同じ。
白人遺伝子は上下から挟み撃ちにあったのだろうか。公家階級の斜陽化に
そうしたプロセスが残っているのか。
165月光仮面:2007/01/13(土) 12:42:10
物部、蘇我と古代豪族は没落した。氷山の一角のごとき頂点にいた白人遺伝子は
次第に消えてしまった。しかし、その頂点をのぞく渡来人集団のダークマターというか
モンゴロイド要素とはどんな遺伝子なのか。ここで一つの仮説であるがそれらは
チベットにはいった羌族同様YAP型ではなかったのかと思う。日本のYAPは縄文時代
からだとされる。だが縄文時代のTAPとは別に弥生時代に別のYAP、羌族が流入した
かもしれない。遺伝子分野の専門家と歴史学者の知識でこの謎が解かれることを望む。
166月光仮面:2007/01/13(土) 12:49:53
YAP以外に弥生時代渡来のはっきりしているY遺伝子にO-47xがある。これは、
韓国に残り、中国には残らない、中国オリジンのものであり、東夷としての倭が
これであり、YAPは羌、つまり、倭と羌が弥生時代の日本に入ったのではないか。
167日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:12:53


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。


1681:2007/01/14(日) 02:02:34
1ですが、万が一2ちゃんねるが閉鎖になったら、どこに行けばいいでしょうか?
月光仮面さんとか、日本史板の常連さんたちが移民する先にここも移動しますので
教えてください。

閉鎖になったら、またどこかでお会いしましょう
この課題は、将来の日本国文化を考える上でも重要な話しだし、末裔関係者全体の
関心事ですので、ぜひ継続していきたいと思います。
よろしくご協力お願いします。
169月光仮面:2007/01/14(日) 14:23:21
スレ主さん、はじめまして。おめでとうございます。
「おー 闇の彼方 
 聞けよ 星のあゆみ 月の唄
 未知なる海に辿り着かん」 ってなことで
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs?BD=1&CH=5
↑こういうのはどうでしょう。
170日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:48:29
このスレ難しすぎるよ!
月光仮面よ、もっとわかりやすく言ってくれ。
171日本@名無史さん:2007/01/14(日) 22:25:55
2ch避難掲示板
http://levelup.jp/

2ちゃんねるプラスClone掲示板
http://networks.servebbs.net:9685/2chpls/

3ちゃんねる
http://www.3ch.jp/
1721:2007/01/15(月) 01:17:55
>>169
渡来人研究会清談掲示板ですね。
いいのですが、使い方がいまいちよくわからないです。最近の書き込みしか
みえないし、ティーカップはどう使えばいいのでしょう?

形式が同じほうがよいかも
173月光仮面:2007/01/15(月) 08:13:55
>>172
このスレと内容が最も一致しているようなんですが。詳しいことはわかりません。
他にもないか探して見ます。
174月光仮面:2007/01/15(月) 10:58:34
>>170
このスレタイはユーラシアから新大陸に至る細石刃、巨石、太陽崇拝から
エジプト、中近東文明とインド・中国文明・東南アジア・朝鮮半島・日本文化、
印欧語族、アルタイ語族の日本到来という議題を内在させている。つまり、
完新世世界史の中でもアジア文明の起源、そのエジプト・メソポタミア・欧州
文明との関連と日本の起源という問題を提起している。そういう意味でちと難し
すぎるところがある。勢い、断片的にならざるを得ない。こんな内容を簡単に
と言っても無理な話で、このスレの問題提起があまりにも核心を突きすぎた
ものということなんだろう。多少のことは我慢してフォローするしかない。
175日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:21:30
羽田氏はまじめにコツコツ働いたが、報われなかった、ろくに仕事もしてない氏族が
しゅ世していきました
176日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:50:42
あくまで秦氏は外様だもの仕方がない。
177月光仮面:2007/01/16(火) 08:10:56
羌の国チベットでハタグ・ハダは白布であり、神をくるむ。現在も白のネッカチーフ
を贈答する。細烏女は新羅に白布を送り、神功の腹帯は秋田唐松神社に送られる。
腹帯の水天宮は石上神宮から出ているようだ。こうした白布を織る職業として羌の
秦があった。秦と羌は中国の五胡十六国時代にもよく出ている。ところが、日本では
この羌ハタ、蘇我のコバンザメである。この蘇我というのは立地が飛鳥川沿いであり、
アルタイのIsi River・Katun Riverに立地するKumandin (Swan Tribe)と似ている。
葛野・鹿角等の地名、石川と言うことで先祖の地名にこだわっている。石板墓時代
つまり匈奴時代のアルタイからモンゴリア高原の主役はコーカソイドである。従い
これらは羌とは別であり、白狄のようなものであろう。クタラというのはScythiaという
意味だから、馬韓と言う漢字よりも日本語のクダラが適切であり、百済という漢字は
日本語のハセと同じ、モモソヒメノモモソというのがこれで、多数の移動民族の意。
物部は中国で言う戎の意味で、武具をもつ集団、日本の考古学的には銅剣銅矛
集団ということになり、石上神宮はそうした戎の社である。が、ここに収められるのは
主として武具のはずなんだが、そこから出た水天宮が腹帯とはちとおかしい。

178月光仮面:2007/01/16(火) 08:23:02
ツーことは、石上神宮には武具を奉納するが、本来水天宮のように腹帯を売っていた
と考ええるべきかもしれない。話は変わるがモモソヒメの刺したホトというのは逆木又は
宝刀(乃至は獣のデザインの柄を持つ銅剣)の柄の部分から地面に刺した、つまり、
土地の権利を掌握するという呪いで、これは鹿柱をさかさまに刺し、墳墓の上に墳墓
を築くという匈奴のしきたりによったものであり、もし、モモソヒメが刀剣を使用したもの
であれば、それは式典後石上神宮にホト・フツの御霊として奉納されたであろうと推理
できる。
179月光仮面:2007/01/16(火) 08:33:05
ハタというのはクタラ/サケ(=スキタイ)の神官である羌/秦と考えると馬韓には
幼児の頭に石を載せ頭蓋骨を平たくする大月氏トハラ族と同じ習俗のあることは
トカラ人が居住していたことを示すが、このトカラ人を月氏とすれば翻訳・通訳に
優れており、秦氏と共通する点が大きい。秦氏は羌であり、月氏であったが、狄、
白戎ではなかったようである。
180月光仮面:2007/01/16(火) 08:40:26
九州が常に上流であることからすれば久留米の水天宮の末社が石上神宮で
ある可能性が強い。平家物語と言うのはサダマサシの弾き語りの類である。
181日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:10:05
このように羽田氏が日本に来てからの話がいいと思います、
醸造の技術を持っていたのでさけ造りはとうじが田舎からきて酒を造っていましたが
やはり羽田氏がとうじには多いのでしょうか
182月光仮面:2007/01/16(火) 09:10:28
秦氏は神社・仏閣作りであるから何を造ってもいいのだが、松尾大社と言うのは
鏑矢で有名な冒頓単于、これをオオヤマズミとしており、ヤマズミというのが山戎
であることを示唆している。中国では山戎以外に西戎、犬戎と言うのがあるが、秦氏
等は西戎か。犬戎と言うのは犬飼ということであろうが、邪馬台国時代には狗奴国
といって倭から独立していたようである。これは日本における狛犬とかの分布に
関連するのかもしれない。
183月光仮面:2007/01/16(火) 09:23:29
「うまさけ みわのとのの あさどにも 出でて行かな みわのとのどを」 崇神天皇
宮中から御所に朝帰りするほどご公務が激しかったということであろうか。
下戸では勤まらんな。
184日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:25:36
AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し
政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした
そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのが有力な説
新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので
そのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった
卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた

新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で
日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である
八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり
現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系
学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている
ちなみに仏教を日本に伝来させたのも秦氏で古代は神仏分け隔てがなかった
185日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:28:00
クーデターで身分を落とされたのかな、かわいそうな新羅系羽田氏
186月光仮面:2007/01/16(火) 11:31:03
磔は左右からそれぞれ30回槍を指すのだが、それに先立って槍を交差させている。
これは荒神谷の銅矛の埋納方法が銃剣部分と言うか、広幅銅剣をクロスさせている。
おまけにX型の刻印を付す。これは小河墓の人形棺でも見られた辟邪方法、終戦後
まではいなかのまじないばあさんが鎌でXを切って邪気をはらってくれた。多少痴呆性
があり、暗いところの早業だから首をかききられる危険が大きく、子供心に怖かったの
を覚えている。フーフーと口から息をかけられ、唾液が冷たく額にかかった。
キリスト教もないのに磔だけは高度に発達していると言うことは多分
戎はイニエというのは四角の祭壇で生贄を殺し、神に捧げるのが職業であったの
であろう。未明に牛の四足を祭壇に打った御柱に縛り背中の真ん中によいとまけで
杭を刺し込み、太陽に噴出する血を捧げる儀式である。これを人に応用キリスト等の
磔も行ったのであろう。であるから、方墳、四隅突出型を持つ文化というのが戎である。
そして馬の首と生はぎの毛皮をつけたものを春駒に使用し、天照の葬式等で屋根に
かける。この風習が日本では禁止となったようであり、スサノオはツメ、ヒゲをはがされ
出雲に流される。
187月光仮面:2007/01/16(火) 11:37:13
逆にインドアーリア、イラン系統はこの祭壇部分がなくて太陽崇拝の円墳だけである。
モンゴロイド・アルタイ系の方墳における儀式はあまり歓迎しなかったようだ。が、崇神
のイニエというのはどういう意味なんだろう。
188月光仮面:2007/01/16(火) 12:00:27
ここで円墳と言っても日本の円墳は頂上に埋葬部のあるタタール式であるが、イラン系の
起源は地中に木槨とか木屋根で外装した棺の上部にクルガンというマウンドを作るという
ものだからどちらかと長野のニカゴ遺跡等に近いというべきであろうか。ところが韓国の
武寧王陵とかは横穴式であり、タタール式ではないようだ。
189月光仮面:2007/01/16(火) 12:29:19
>>183 >>187
崇神天皇の日本語は現代人以上にきれいな日本語だから、それが本当だとすれば
アルタイ人の野蛮な風習等とんでもなく、黒塚、ホケノヤマ等から出土する破鏡のように
銅鏡を忌部が銅矛のようなもので叩き割るといった供献儀式が行われたと考えるのが
順当なのかな。
190月光仮面:2007/01/16(火) 13:56:15
朕が三輪の殿戸と二度も歌う意味は三輪山西麓で東の戸に朝日が差し込む
のは午前10時頃なので、それまで酒盛りを続けその後公務にかかるので
心して呑めという意味なのじゃ。
191日本@名無史さん:2007/01/16(火) 19:18:42


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。

192月光仮面:2007/01/17(水) 13:25:31
参考↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/539
>539 :月光仮面 :2007/01/17(水) 13:15:34
>>>536
>>応神、仁徳、履中が百済王家みたいに「余」姓を名乗ってたってわけか…
>>扶余系大王・蘇我馬子と言う事だが、何故「蘇我」姓になったのだろう?
>仮説
>1)高句麗の農務相・ソガ(牛加)と言うのは牛頭天王とか、神農に似て頭に
>角をもつ。
>2)出雲大社の裏の古い岩に起源を持つ素鵞(ソガ)社、全国の素鵞神社に
>ある素鵞は白鳥と見るのが自然だ。一方、アルタイ・Kumandin族は白鳥族
>の意味であるが、御柱のような4本の柱で太陽に向けて馬の四足を縛り、背中
>に杭を打ち、「クルイ・クルイ」と言う呪文を唱え、噴出する鮮血を陽光に捧げる。
>生剥ぎにした頭付きの毛皮は冠婚葬祭に使用する。これはスサノオが天照に
>贈呈し、逆恨みをされたものだ。ナマハゲ、馬頭春狛、白鳥等は主として四隅
>突出古墳と箱式石棺墓と共に沖縄・九州・日本海沿岸・東北に分布し、欧州
>ではハンガリーのクマン族、スイスのナマハゲ、ポーランドクラコフのタタール・
>レイコーニク祭り等に多分フン族が導入したものと見られる。日本においても
>kum*及びkom*という要素を持つ地名、神社名などは非常に多いが、何らかの
>形でKumandinの結びつくようだ。久万高原近くの大月神社のはだか祭り等も
>その月型、舟形の巨石を初めとし全国に類例の多いものである。
>3)従って飛鳥川流域に陣取った蘇我というのは、もし、百済方面からの新参
>渡来人であるとすれば、それは百済には相当早くから南下し古くから倭国とも
>関係のあった有力なアルタイ系騎馬民族で、フン族の主力な部分をなすもので
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/
>あったのであろう。
この出雲大社の近所に鰐淵寺というのがあり、そこには秦氏のマダラ神が祭られる
が、これは秦氏が騎馬民族、蘇我氏と行動を共にすることの証左の一つではあるま
いか。
193日本@名無史さん:2007/01/18(木) 04:02:21
どうだかな?
194月光仮面:2007/01/18(木) 09:34:02
ソガの語源明確化はマジに考えなくっちゃな。ソガを素鵞、白鳥と考えることは素鵞社
と素鵞川がセットになっていることから曾我川、畝傍山一体が神武・欠史八代時代の
中心地とされていることを想起しよう。蘇我氏問題とは別に曾我川一体を精査する必要
があろうか。特に天香具山の巨石には月を作るつまり、時空創造主としてのイワレビコ
という伝承があったのではないだろうか。↓
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/kg/tukiwais1.jpg
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/map/sanzan-map.html#香久山
http://asukakaze.gozaru.jp/pt80/0505050011s.jpg
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/kg/sanzan-k1.html
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/kg/sanzan-k3.html
http://yujiwww.web.infoseek.co.jp/h-na10.htm
195月光仮面:2007/01/18(木) 09:45:03
ソグド人が蘇我ではないかとの話があったが、ソグド人というのは唐の時代の
お経の翻訳等で活躍したもののようであり、後のパタン・パシュトゥン人などとの
関係から新羅の波旦と言うのとか、日本のハタノというのとかは関係あるかもしれ
ないがハタとは簡単に同一視できないのではなかろうか。何でもかんでもハタ
ではなかろう。
196日本@名無史さん:2007/01/19(金) 09:05:49
4万人の技術者集団を呼び寄せた先遣隊長の
1971:2007/01/19(金) 10:07:56
どうやら、2ちゃんねる継続で渡来移民はしなくてよさそうですね
それはそれとして、最近宮内庁が天皇稜の公開調査を解禁しつつある
のは、どういう判断なのだろうか?
198日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:16:58
政治的に利用されたりするのかしらん?
1991:2007/01/19(金) 10:23:38
>>154
インドに布教した使徒トマスのイエス伝承が、チベット遠征軍経由で
後漢時代には皇帝のもとに届いていたらしいですね。
景教流行は7世紀でしょうが、イエス伝承自体は2世紀には流入していたらしいです。
当時すでにユダヤ教会、学校が中国にあったという説をアイデルバーグや
ジョセフ親子は提唱しています。
200日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:34:09
景況がそんなに影響力を持っていたのなら、なぜ仏教が
栄えて景況は広まらなかったのですか?

最近ユダヤとかキリスト教と日本の繋がりに興味持った
何も知らない素人ですが、素朴なギモン。。
201月光仮面:2007/01/19(金) 11:02:22
>>199
秋田唐松神社の愛子神、これは銅鐸の神香具土を読み替えたようですが、
神功皇后の腹帯を賜ったことに由来するそうです。
http://www.genbu.net/data/dewa/karamatu_title.htm
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ao1krmt.htm
銅鐸破壊の犠牲となった古代日本の神を愛子、イエスともよめる名称に
改めるこの神功時代は倭国と百済が接近した時代でもあり、ここにも
当時のキーワード・イエスが流れているのかもしれません。
2021:2007/01/19(金) 11:22:35
>>174
>>このスレの問題提起があまりにも核心を突きすぎた

自分自身、日本史業界の者ではないのでよくわからないのですが、政治、思想関係
からみても、防衛、外交、教育、宗教方面からみても「日本建国の文化基盤やルーツ」が
ここまで曖昧なままで、よくやってこれているなと思いますね。しかし民族としての
心理的な不安定さ(贖罪意識など、へたれ文化?)が、21世紀に入りこの国を揺さぶっている。

政治文化的な「国連核独占平和主義=米中歴史史観=日本属国・洗脳状態」と
日本民族始祖論争=半島史観、中華地方政権亡命説、曖昧なユーラシア・南北融合神話
の曖昧さはつながっいている感じがします。
戦前の富国万世一系神話でもなく、戦後の流行的な騎馬民族説でもない「建国論争」が
あるべきだと思います。さきの男系女系議論など、空想的ていうか漫画的でしたし。
2031:2007/01/19(金) 11:30:16
>>200
中国では一時期、長安で異常に流行して「国教」扱いされ
その反動でその後弾圧されていったときいています。

日本には、空海の密教などの形式を通じて、コンセプトは仏教の啓蒙に
応用されていますよ。仏教がイエスの思想を飲み込んだ形。(弥勒創世とか)
宗教が市場で力を持つときは、よりその民族の風土や土着の神々にとりいる
、入れ替わる形で浸透するので、ザビエル以前からイエス教は受け入れてる
と思いますよ。中世の宣教師もそういう認識をしていたらしいし。
204月光仮面:2007/01/19(金) 13:26:11
基本的に先ず日本の天皇制、神社仏閣を考古学的に武装すること。この過程で
現出する価値をできるだけ世界に提供すること。このためには英国王室とか、
各国の観光資源のように観光ビジネスの発展を図る必要がある。
次に考古学があまりにも対象分野が狭すぎ、巨石学とかその他
数知れない隙間分野が存在する。また世界史、日本史等あまりにも細かく分か
れすぎており、横の連絡がない。
基本的には宗教団体に対する課税が不明瞭で、報告責任が果たされていない。
完全に透明化して文化遺産の保護、観光資源の開発、皇室の経営が十分に
採算が取れるようにするべきである。史学、考古学、宗教、観光の宣伝費も
こうした経済の枠組みでキャッシュフォローを円滑にしなくてはならない。
宮内庁・神社本庁・創価学会も、パチンコ業界もこのままにしておけば今に
不二家のペチャンコとなるのは必然である。神罰をごまかしても社会のおきては
ごまかせないのだ。とまー、こんなことの上で歴史問題も子供がハリーポッター
を読むようなレベルまで面白いものにしてゆく必要がある。こんなことがいえるのも
2CHのいいところですね。議員さんに聞いてもらいたいなー。
205日本@名無史さん:2007/01/19(金) 13:43:20
>>203
なるほど。基本的には、仏教を広めるために
キリスト教(景教)エッセンスを取り込んだんですね。
軸足は、仏教からずれることはなかったのか・・
よく分かりました。ありがとうございます。


>>204月光仮面さん
いいですね〜 私ももっと皇室は宣伝すべきだと
思っています。絶対にああいうの好きな人は多いし、
国内外にファンが増えこそすれ、害にはならないと思う。
宮中参殿の引越しとかめちゃくちゃ興味深かったです。

でも、海外に宣伝すると、「八紘一宇の復活だ」とか
いちゃもんつける人が出てくるからムリか(^_^;)
206月光仮面:2007/01/19(金) 13:47:22
ロシア、中国、北朝鮮、イラク等ではちょっと怖いですね。
2071:2007/01/19(金) 14:52:48
>>204
基本的に同意。
実は終戦後、オリエント協会を創設した三笠宮時代からヘブライ文化と
シルクロード、天皇をつなぐ研究は、皇族みずから真剣にやっていた。
海部氏、元伊勢や天皇家に伝わる伝承や、やたの鏡のようなロマン。
秦氏にも詳しいユネスコ国連文化外交の平沼郁夫。
いままでの日本文化の流れをどの方向に向けて集約するのか。
たとえば、遺伝子研究で「一部日本人=トルコ系遺伝子」説が証明
されつつあるが「日本=シルクロード・東欧までみんな部族的な親戚」
となった時代の天皇文化、政治経済、文化戦略とか。
戦前のようなへまはすべきではないが、脱欧米主義など避けて通れない課題もある。
2081:2007/01/19(金) 14:54:13
平山郁夫の間違いでした。
209月光仮面:2007/01/19(金) 15:21:23
>>207
それを言われると一番頭の痛いのはイスラム原理主義民族運動の問題。こうなると
相当なレベルの人でないと妙案はないと思う。やってみるしかないが日本人のような
非原理主義、汎神論のような考えが、イスラムvsユダヤキリストといった対立構造
では生まれない水平思考的のものが生まれるかもしれない。タイ、インド、台湾、豪州
等との友好を重ね、そのうちにモンゴル、中央アジア、東欧等で仲間を募りなんとか
国連でも意見の通るようにしたいとは思うが。
210日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:11:21
シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、
「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を
表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定
するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者
ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し
“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証した
のである」という内容の論文だった。

>>「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統る」とも記す。ちなみに
沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」
の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?
211月光仮面:2007/01/20(土) 08:34:24
スメラミコトの淵源はスバルでしょう。出雲大社のモデルはピラミッドに封印されて
いましたね。本殿への階段はタレントの方が登りましが、正月の番組でも紹介された
ように本来は太陽の精が蛇の力によって社に入り、天に登ることから来た祭祀、
出雲大社に天孫が遣わすアメノホヒこそ、天孫がこの祭祀を実する主体であること、
すなわち、天孫はピラミッド、極北人の地アルタイ、アステカのマチュピチュ・ピラミッド
等に流れる太陽神アメンの孫であると言うことを意味します。このピラミッド建設に
携わり、万里の長城を築いた石工、メーソンの流れこそ秦の渡来であったのだと思い
ます。石工においては白人であるフン、タタール、トルコ族も活躍しましたが、太古の
姿を維持し、それを生きながら実行しているのが日本の皇室です。昭和天皇の葬儀に
各国の国賓が列席されたあの時の姿こそ日本の本来のあるべき姿だと思います。
212月光仮面:2007/01/20(土) 08:53:36
皇太子の立太子礼のときのあの長い帯は太陽の精をバックアップする蛇であり、
帯、タラシとなっている。オキナガタラシ姫と言うのは沖津宮と中津宮、天界と地上界
を蛇、タラシで結ぶ女王ということで天孫の機能を表すが、これは幻の出雲大社の
階段、天の橋立を上ることで、オズの魔法使いのドロシーは乱暴な竜巻によって
虹の大橋を渡り果たされるのですが、天地を行き来することを意味するのでしょう。
秦氏とはこのタラシを製作する機能を持った部民と解釈すべきでしょう。
東龍日百磯姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)が橋墓で登られたのもこの天上への階段
であったはずです。
213月光仮面:2007/01/20(土) 09:08:46
太陽とは繞道祭の日が村々をめぐるようにして天空を登るものとする光のページェント。
蛇の習慣のないアルタイ人が旧石器時代からの鹿の剥製毛皮をまとい、シシ踊りと
称して今も岩手ではおどりますが、獅子舞(正月のテレビのかくし芸では中国のもや
った)、龍の踊り・・・太陽を追っかけたり、咥えたりするものですね。大事なことは
アルタイ人が龍と鹿を変換することで夫与(鹿)、晨国/辰国間の変換が行われ、日本
には鹿飼いは来たが、夫余は来ていないんだなんて書面審査のようなことが行われて
いる。裁判官が書面審査だけなら世の中楽なもんだよなー。
214月光仮面:2007/01/20(土) 09:29:23
大避神社の井戸はヨセフの話と似ているが、実は、ウラルにもアミンベクという話があり、
井戸が出てくる。これは井戸を作る石工と言うのがピラミッド建設に関与し、アルタイの
銅山開発、殷商青銅器文明の創造に関わっているのだと思う。大避神社の井戸を聖書
のヨセフよ結びつける人もいないが、あまりユダヤばかりではいけない。ユダヤ以外にも
パミール、アフガニスタン等の交易人種がエジプトに出入りしている。
215月光仮面:2007/01/20(土) 10:32:42
本日は天上界にお招きあり丹波哲郎さんの同時通訳とのことで、ヨセフ元エジプト首相
にインタビューをさせていただきます。ヨセフさん、早速ですがこれは正月に放映された
大避神社の井戸でございますが、なにか思い出のようなものはございますか。
いやー、脅かすなよ。これってずばりわしが投げ入れられたものだ。歌劇アイーダさな
がらの閉所恐怖による地獄の責め苦じゃった。が、こうした井戸と言うのも各国の俘囚
の民がエジプトのために掘ったものだったんじゃ。エジプトとかその近辺に行けば腐る
ほどあるとは思うがのー。しかし、これが大避神社にあるとはのー。で、政府はその井戸
とか、文化財に幾分かのことはしているのかのー。一等地のマンション官舎、終身高額
年金には金をまわすが、そんなのはどうもといっているとか。ふーん。苦労が足りんよう
じゃ。よし、直ぐにもわしの子孫に見学させて見ようぞ。・・・とこのへんで目が覚めた。
216日本@名無史さん:2007/01/20(土) 10:50:15
夢かよっ!
217月光仮面:2007/01/20(土) 11:20:54
論理が破綻すると夢の回路を作り、正常の回路につなぎ、更に展開を続け、
ある時点で夢の回路の部分を除去し、正常回路のみで作動することを確認し、
論理を完結さすというトリックはよくあるよな。で、マジレスというのか、やや、そうすると
カツシカ、カツウラ、カツラギ、カドノ、アマカツ・クニカツ、カスガ・・・ここあるカツという
共通部分は鹿=龍と言う過程によって、光る龍のくねる道=繞道祭等をヒントにカツが
倭語ヒムカと同意義であることがわかる。カスガと飛鳥山から筑波に刺す日を見た時
更に飛び立つものが鳥ではないかと言うことになる。これから筑波、鳥羽、投馬、吐蕃
拓跋、トクハツなどが鹿、と同時に、泉、龍源の意味を持つのがわかるんだが、ちょっと
買い物に出る。忙しいなー。
218月光仮面:2007/01/20(土) 12:08:31
間違えて暴投隣のレーンに入った↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/579
>579 :月光仮面 :2007/01/20(土) 12:05:35
>さて、【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】でおなじみの白馬青牛さんの↓
>引用
>ミ・ニャク族は、西夏王国支配者の末裔でしょうね。
>羌(チャン)族は、中国戦国期に秦が四川省の岷江の都江堰という
>水利施設を作ってから現代に至る二千年間、毎年冬から春にかけて、
>都江堰の修理工事に活躍し、また冬に山を降りて、山の産物の薬草や
>麝香を漢人に売り、春になって山へ帰る時は日用品を買って帰る。
>羌族は、堤防工事と井戸掘り技術に巧みで、成都平野の井戸の大半は、
>羌族の職人が掘ったものらしいのです。
>これ等は、日本の山と里の交流と似ておると思います。
>草原の遊牧民と違い、五胡時代に活躍した羌、?や高句麗等、
>山地農牧・農猟民は防御施設を持っており、それには土木・水利技術が
>必要であったのではないか。と考えております。 引用終わり
>ここで言われる羌族こそ秦氏の先祖で大避神社の井戸を掘ったもの、そして
>アルタイの熊野(白鳥)族/蘇我・素鵞族と関係するものであろう。
219月光仮面:2007/01/20(土) 12:30:35
ドラゴンと龍 Part2
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/min/1115005436/menu634-643
をしばらく参照願いたし。最近中国最古の龍は確か夏の時代という中国発
の考古学ニュースがあったはずなんだが、ちょっと探して見る。
220月光仮面:2007/01/20(土) 13:03:09
あったぞ、
http://www.ufoarea.com/aas_archaeologists4.html
Khufu王(BC2553-2530)時代北極にあったThubanつまり、龍、この思想をいち早く
キャッチしたのは夏王朝。幾百年の歳差を経てそれは多少移動を開始していたこと
であろう。約千年後のことであった (3700BP=BC1700)
しかし、中に対するこの解釈は高度に発達した文明が誕生しつつあったことを物語り、
後には龍の踊りとなるのであろう。これに反しアルタイの旧石器時代から続く部族は
それを鹿踊りとして表現した。ここに文明の規模の違いを見る想いがする。そして
朝鮮半島も南端に達した頃、鹿民族は龍民族に変身するがそれは台頭する漢民族
の影響であろう。そして岩手に残る鹿踊り、出雲大社、箸墓はやがて誕生する日本
の基となる。
221月光仮面:2007/01/20(土) 13:04:55
あれ、龍と打ったら中となっている。又、家事があるのでこのへんで。
222月光仮面:2007/01/20(土) 14:32:42
さて、羌族は青銅器原料の錫を求めインドネシア、バヌアツ、ニュージーランド、
アマゾン、北・中南米にまで足を伸ばしたのではと疑わなくてはならない。ミャンマー
には失われたユダヤ部族がいて現在イスラエルに帰っているらしいが、テレビ番組
ウルルン滞在記ではドルメンを造る山岳民族を紹介。これは欧州・極東の巨石文化
と同じ。アンコールワット遺跡には偽扉があり、エジプトの石工羌族のもの、石造建設
技術は錫生産地、インドネシアに渡り、ボロブドール遺跡を生んだのであろう。
ユダヤ・キリスト系ウェブサイトはこの地に残るYAP遺伝子を日本人の商活動とするが、
そうではなくこれは羌族とするのが順当。バヌアツとか中南米の縄文土器については
羌族と同じYAPの縄文人が遠征したのかもしれない。アマゾンの地底から超巨人
モンゴロイドと隼人の文様が発見されている。アステカのピラミッドでは蛇が稜線を
下る仕組みであり、エジプト建設に参加した羌族の石工が赤道反流を利用して渡米した
可能性がある。殷商の青銅器文明はこうした背景において誕生したと考えるべきでは
ないか。ナスカに残るハチドリと偽扉には関連がありそうに思える。勿論日本に到達した
戎、物部には日置部というのがある。筑紫でも、大和でも鳥型に同名集落を配置した
ようだ。
223月光仮面:2007/01/20(土) 14:38:50
肝心なことを言いそびれてしまったが、タイのバンチェン青銅器遺跡と言うのがあり、
アッシリアの鉞のような青銅器を作っているが、三星堆等も考慮すると殷商に青銅器が
始まるのはこの後か、同時期かと言う感じもする。殷の二輪車は明らかにスキタイ、
ギリシャ、アナトリア、エジプト等の影響だろう。
224月光仮面:2007/01/20(土) 15:28:38
しかし、YAPと言うのが新大陸にまで行っていないことは明確なので、もし縄文人
が新大陸に入ったとすればCとかのY遺伝子タイプになろうか。が、羌/秦氏系をYAP
とすれば東南アジアに入ったのは彼らである可能性はある。
225月光仮面:2007/01/20(土) 16:19:26
>>220
男鹿半島に鬼が上陸したのは前漢・武帝に時代だと言う現地伝承があり、石段
を造ったと言う伝承あり、鹿角に行けばクロマンタピラミッドが造られている。
月山、湯殿山、鳥海山の出羽三山もこうした文化の上に築かれたものだろう。
庄内平野には天神祭りと言う踊りがあるが、天神思想はタンカンサーと同じ
ルーツである。ナマハゲとトシドンは同じ。沖縄とポ^ランドには同じフン族の
春駒があり、スイスにはナマハゲがある。ボスニアでもピラミッドが発見された。
日本人ももっと商売気を出さないとピラミッド土産はボスニアで買わされる
羽目になる。
226日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:33:06
>>いよいよユダヤは本気だよ!

『新潮45』 2007年2月号
■ロスチャイルド、世界経済を総べるものたち……落合莞爾
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/

記事によると、ロスチャイルドの当主は、昨年から日本のホテルに宿泊することが
多くなっているが、六本木の防衛庁跡地に建設中の超高層マンションに入居する
ことが決定しているらしい。
227日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:55:10
>>226
何の話だか忘れたけど、ロスチャイルド家の一派の若い男性が
日本人の奥さん貰っただか、新婚旅行が日本だったかで、お伊勢さんに
いったとかネットで読んだことがあるんだけど、その関係の話でつか?
228日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:57:31
aaa
229月光仮面:2007/01/21(日) 07:50:39
>>227
卑弥呼の邪馬台国よりやや古い時代、対馬の対面ではインドとの国際結婚で
姫が来ているが、その顔については手がかりがない。ところがこの御神像の
鑑定をさせていただくとアレクサンダーの末裔かなとも見受けられる風情がある。
しかし東洋的でもある。そして何より金海伽耶とは地理的に離れていない。
何かつながりはないだろうかと言うことから始まっている。
230月光仮面:2007/01/21(日) 08:01:18
ユダヤ人と日本人は同じYAPであり、天皇家は太陽神を祀る点でユダヤの仕えた
エジプトのファラオに似たところはある。ユダヤが伊勢神宮に参拝、古代の姿を
回復しようとする気持ちはわかる。が、ユダヤのYAPはYAP-Eだが、日本・チベット
はYAP-Dであり、コイサン、ブッシュマンもYAP-Eに近かったと思う。ちと、違うかな。
231月光仮面:2007/01/21(日) 08:19:28
神武天皇がリレーしたかのようなフツの御霊と言うのは、平原、石上神宮出土品
から見て素環頭太刀であろうが、フツの語源が不明。歴史考古学的前後関係
からすれば箸墓を護る兵主神・蚩尤、仏教時代の毘沙門天信仰から見て、後漢
の時代の流行語・浮屠の可能性はあろう。これは金冠伽耶首露王にインドから
姫が嫁ぐと言う伝承、首露王遺跡にある極めてアーカイックな仏塔を考えると
払拭しきれない可能性といえる。
232日本@名無史さん:2007/01/21(日) 13:58:17
>>229
いや、そんなふるい時代のことじゃなくて
最近のこと言ってるんだよ。
233月光仮面:2007/01/22(月) 09:22:34
羌族がエジプトで働くと言うこともなかろう。しかし、ユダヤ民族に非常によく似たウラル・
アルタイ地方の部族がユダヤ同様エジプト社会に入り神官となり、北極星信仰の
一環として或いは金属・鉱物資源交易、取得のためにエジプトからウラル・アルタイに
入り、その際にピラミッド内部の出雲大社のごとき構造、コブラが階段を登るような
儀式とかを伝え、それをウラル・アルタイの羌族/秦族が継承する、乃至は、コーカソイド
形質であるそうした神官を上部構造におく民族移動形式で半島・列島に伝わったと
考えるのが順当かと思う。ユダヤ人がこのプロセスに入っていると言うことは時代が
古すぎて考えられない。
234日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:15:25
はじめは新羅系羽田氏の社会だったが、途中から百済系氏族にクーデターで
追放された羽田氏はくやしい思いをして生きてきた
235月光仮面:2007/01/22(月) 11:16:01
とりあえずこの辺でこのスレの課題をまとめてみれば、
エジプト石造建築・太陽神信仰の日本木造建築・日本各宗教への変転を背景と
する日本国家の誕生・・・ということになり、歴史・考古学的調査が必要な地域は、
エジプト、コーカサス、バシコルスタン、旧ソ連中央アジア、BMAC、パンジャブ、
チベット、ヒマラヤ、アルタイ、新疆ウイグル、ヤクーチア、ブリャートモンゴル、
モンゴル、内蒙、中国東北・・・ということになろうか。

236月光仮面:2007/01/22(月) 11:23:29
吉村作治-エジプト、中近東、石坂浩二-アフリカ、コーカサス、欧州、
松平定知-シベリア、中央アジア、モンゴリア、ヒマラヤ、インド、苅谷俊介-日本、
江守徹-極東、東南アジア、オセアニア、米州
こうしたメンバーによる放談会のような番組を作り、面白おかしく最終目的のハイビ
ジョンDVDサイズの大作を目指すのもいいと思うが、国連、各国大学を引き入れた
国際バージョンの製作のためにはわが国の教育・文化機関を動員する必要も
あろうか。
237月光仮面:2007/01/22(月) 11:30:10
ユダヤ人の金持ちがいるというのなら、多少なりと趣旨にご賛同を頂き、ご協力を願え
ればアブラハムへの供養にもなると思うのだがね。
238月光仮面:2007/01/22(月) 11:37:59
東儀さんの雅楽知識の薀蓄の一端でも例のロックフェラーとのテレビ討論の形で
聞かせれば相当効果はあると思うが。まー、日本には他にもジョンガラをとっても
大変なもんだし、目にみえないものはいくらでもある。
239月光仮面:2007/01/22(月) 12:23:08
NHKも金が集まらないんならプロジェクトファイナンス乃至はプロジェクト
ごとに番組を債権化して金融市場に売り出し、債権・番組海外に輸出して
経営を立て直すくらいの頭はないのかなー。キリストも財テクを奨励しているし、
秦氏の関連の大月氏では卑弥呼時代からコインを発行している。経営感覚は
2000年ほど遅れとるぞ、。
240日本@名無史さん:2007/01/22(月) 14:13:04
ABE=エイブ=アブラハムと言うシンクロニスチックな流れも無視できまい。
241月光仮面:2007/01/22(月) 14:51:38
ダイアゴナルな、ダイアクロニクな関係、パラレルだろうな。
242月光仮面:2007/01/22(月) 14:58:18
安倍と言うのは鳥見山の巨大古墳、桜井茶臼山、メスリ山だっけ。あの関係で
大王クラスかもしれんぞ。
243日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:16:30
月光仮面よ、
仕事しろよwww
244月光仮面:2007/01/23(火) 13:24:17
東国原というのは神武の名前にふさわしいと思わんか?
245日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:35:40
はじめは新羅系秦氏の独断社会だったが、途中から百済系氏族にクーデターで
追放された波田氏はくやしい思いをして移住したがそこは平和な土地でした
246白馬青牛:2007/01/24(水) 01:22:13
>>218
に関連して、「四川省を訪ねて」に、ミ・ニャク族と近い
嘉戎(ギャロン)族小学生や羌(チャン)族の女性が出ております。
http://kishuu.cool.ne.jp/sisen4/13s.htm
羌系の女性は背が高く美人も多いとありますが、西夏王国を築いた
タングート羌族も「身長が高く鼻が高い」という特徴と類似しています。
247月光仮面:2007/01/24(水) 08:50:33
>>246
よくわかりました。日本人のルーツが雲南に至ったということがよくわかります。しかし、
類似の形質は日本人の全てではなく、一部の弥生時代に流入したものであり、水稲
経済の膨張などに連動するのだと思います。戎と羌が共通なんでしょう。
秦氏が秦を称したことをなりすましと見るよりは、一般的に羌は秦と名乗り、日本に
秦として渡来したものも羌であったと見たいですね。
248日本@名無史さん:2007/01/24(水) 10:48:30
秦と名乗ったのは権威ずけしないと、ライバルに負けてしまうので適当なことを
言ったかも
249月光仮面:2007/01/24(水) 12:21:54
秦とは秦韓でも言っているし、嘘ではないだろうが、始皇帝の末裔の辺が多少
気になる。秦韓ではそうした発言は見られない。ただこれは日本を甘く見たと
言うのではなくたまたま秦韓のほうにはそうした記録が残らなかったともいえる。
ここで秦氏について多少考えて見ると形質的にはコーカソイドが残っていないので
モンゴロイドの羌族が主体。ただし宣教師団、騎士団的な集団のトップにはコーカ
ソイドがいたものと考えられる。で、完新世早期、秦氏の祖である羌は照葉樹林
文化圏よりの中国西部にあって西方からの宗教、農業、工業を漢族にリレー
したもので、他方、出雲に到来した白狄は膠着語を話すコーカソイドで、エジプト系
天地崇拝宗教を持っていた。これに対して天孫秦氏はこれよりは時代の下るスキタイ
時代にインドアーリア文化圏にあった太陽崇拝宗教を持ち込んだのかもしれない。
これは拝殿・階段のある出雲造り、トリポリエ神殿によく似た八幡造りの神社の
相違から推測される。基本的にいえることは宗教・技術の流れがあり、形質人類学的
民族移動と言えるものではなかったものの、カリスマ的な要素の渡来はあったと言うこ
とだと思う。
250日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:22:56
高杯や三足土器の源流は三星堆文化にあり、という中国研究者も
いるようです。少なくともこの土器と三苗との関係はありそう。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/l_bbs/kkzod01.htm
251日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:40:44
三足彩文土器 イラン B.C.1500〜B.C.1200年頃
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/045.html
三足彩文壺 イラン B.C.1500年頃
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/043.html
252日本@名無史さん:2007/01/24(水) 15:28:36
2. 長江流域は約1万年前からすでに米が栽培され、約8000年前には稲作が発達しました。
土器は丸底が主流で、約6000年前には三足の鼎(かなえ)が登場します。
3. 黄河流域では、約1万年前から粟やひえの栽培が始まり、約7000年前以降には平底、
丸底、三足の土器が出現。 約5000年前から土器が一変し、中流域では灰色土器、
下流域では黒色土器が現れます。
4. 北方地域西北地方では、約6000年前以前の土器は発見されませんが、彩文土器が
発達したことが大きな特色です。
5. 北方地域東北地方では、約6000年〜5000年前に窯を使用し、彩文土器が出現しました。

 これらをまとめると、中国新石器時代の土器づくりは約1万2000年前に始まり、各地域
で形や種類、技法、文様などがかなり異なります。 また、農業の発達によって土器
づくりの技術も発達し、約6000年前には三足土器が登場。 中国の漢時代まで代表的な
土器の一つとなりました。土器はもちろん日常生活用品でしたが、一部は祭りに関連
したものと推察されます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html
253月光仮面:2007/01/24(水) 15:53:32
このスレの価値は、秦氏がユダヤ人ではないかとする極めて衝撃的な発想に
端を発し、思いつきもしなかったところ、エジプト文明と日本文化の関係にわれわれ
の目を開いたことにあり、現在、ブリャート考古学会でも、モンゴル高原と中国の
戎、白狄との関係に言及している程度で、アルタイの学会も同じレベル。ウラルには
エジプトとの関係を論証するサイトがあり、モルダビアにはシュメールとの関係を
論じるサイトがある。しかし、日本とエジプトという発想はどこにもない。このスレだから
こそ出てくる。つまりユダヤ人と日本人と言う一切を飛躍した想像力がエジプトと
日本と言うアイディアを生む。これが立証できれば中国の夏・殷商文明の成立を
解き明かすことができる。極めて大きな賭けではあるが。幸いなことにわが国には
優れたエジプト研究があり、真面目にやれば立証できると確信する。
254月光仮面:2007/01/24(水) 15:58:08
古代対馬海峡にノルマンジーとか、元寇のような動きを想定すると世界の物笑いと
なろうが、ユーラシア大陸に駅伝、リレーのように正倉院、新羅のローマン・グラス
のような物と価値観の流れがあったことは全く自然なことであろう。
255日本@名無史さん:2007/01/24(水) 16:20:13
このスレ、ほとんど一人で盛り上がってるのね。
真実を書いてやろう

秦氏=弓月王ってのは、 
三日月をシンボルとする王という意味で、
三日月はトルコの国旗のように中東に広くシンボライズされている。
ここの王族。

天照大神という伝承は、後の朝廷書記が秦氏出身だったように、
そもそも秦氏の祖先伝承から来ている。
中東出身の先祖が、記載する伝承は、当地の神話を見れば明確。
それは、 アルテミスである。 アルテミス神殿があるように

女神アルテミスの伝承が、時を経て、 女神アマテラス に変わったのだ

 
256月光仮面:2007/01/24(水) 16:38:31
エンジンブレーキも必要かと思う。ユダヤ・キリスト・イスラム・仏教等の教義を根底から
覆す可能性があり、世界に与える衝撃も決して少なくはない。宗教とは人間の生命その
ものであり、動かしてはならない価値観だからだ。慎重にやる必要がある。
257日本@名無史さん:2007/01/24(水) 17:41:16
珍敷塚については吉村作治に見てもらいたい
258日本@名無史さん:2007/01/24(水) 18:51:07
秦氏はライバルが権威付けに成功してるのですぐに後れをとらずに権威付けに成功した
ゆみずきの王なのでトルコ出身だったが今日までばれなかった
259白馬青牛:2007/01/25(木) 02:19:12
>>247
日本人のルーツが雲南に至ったとは考えておりません。
渡来系弥生人は一部の地域でしょうが、渡来系古墳時代は広い範囲に
拡散しております。四川省に近いチベット系と日本人の容貌が似ておると
云うんは、河口慧海氏や西川一三氏も云われてますけど、確かに縄文系より
も渡来系の面長な容貌ですね。青海青銅器人と渡来系弥生人の類似も
あり、羌系と日本人は近いとも思います。
260月光仮面:2007/01/25(木) 07:47:33
>>259
日本のもともとの先住民、縄文人など・・・これをルーツとすれば、それが雲南に至る
と言うことはないということですね。よくわかりました。そして渡来系弥生人と青海青銅器
人が似ている。羌系と日本人が近い。よくわかりました。ありがとうございました。
261月光仮面:2007/01/25(木) 10:52:24
>>255
吉備楯築墳丘墓(中円双方型)はトルコ・タタールと共通する形式。
松江・田和山遺跡頂上には半月(弓月)の壇あり。又、
日御碕神社には
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/hinomisaki.htm
 月支国王玻瓊が兵般数百艘を率いて、日御碕に攻めてきた時、日御碕神社の
小野宮司の祖先が勇敢に防戦に当たり遠祖の須佐之男命も式上から大風を起
こしてこれを助けられた。これには月支国の軍勢もかなわず大軍はことごとく藻屑
となった(伝承) これは孝霊の頃といわれる
http://kankou.pref.shimane.jp/news/h_n/f_walk/course/izumo_PDF/33taisya02.pdf
http://www.genbu.net/sinmon/index.htm
日月紋は、菊花紋とともに皇室の紋章、錦旗に用いられた。
http://www.genbu.net/sinmon/hi.htm
http://www.genbu.net/sinmon/hoshi.htm
月星はトルコ共和国
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/tr.html
にもあるが、日本では壱岐のデザインがこれに一番近く、やはり
馬韓月支国出自かな↓
http://www.genbu.net/sinmon/tukihosi.htm
262月光仮面:2007/01/25(木) 11:07:05
>>258
トルコ人はトルコに侵入してきたもので、多分日本にも島根・鳥取方面から入ってきた
もので、膠着語・アルタイ語を話すコーカソイドが上層にいた集団。秦氏が属したのは
印欧語のイラン又はトカラ系の言語を話す集団。前者はアマテラス・クニテラスの思想、
後者はアマテラスの思想。天地vs太陽。
263月光仮面:2007/01/25(木) 14:18:48
秦氏は菊花紋で、イスラエル、中近東、インドにも広がっているもの、出雲系は
日月紋でトルコ、フン等。神話に出てくる白鳥はアルタイ系に関するもの。記紀は
各種のオリジンのメドレーの感があり、古墳時も各種豪族間のリレーがあった
のだろう。
264日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:32:44
菊の歴史は古く西暦600年ころ朝鮮から伝わりましたので
265日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:26:15
日本の国章および天皇は朝鮮起源ですね
日本人は素直に自分の血がわたしたち朝鮮人によって生かされていると自覚してほしい
266日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:01:59

朝鮮人は朝鮮半島の歴史はすべていまの朝鮮民族のものと勘違いしている。
朝鮮半島は中国と日本の狭間にあり、文化も人も通過点であることを知るべきだな。
朝鮮という言葉そのものが中国人国家の名前だ。
朝鮮半島の文化は古代から中国文化のコピー文化だ。
だから、朝鮮の文化の起源を探ればすべて中国にいきつくだろう。
明治以降は日本文化のコピーをしている。

朝鮮国旗は中国陰陽思想の太極と日本国旗の白地に日の丸のミックスだ。
中国、日本という大国に影響されるおのれの様子を端的に示している。

267日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:14:11
菊の紋章をいますぐに日本由来の草花に変更できますか、でないと負けそうなので
いったいどうすればいいかな
268日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:38:51
>>267

朝鮮人よ、日本語が上手いな。それとも在日か?
日本人の下手なコピー版のような奴だな。
朝鮮語も勉強しろよ、母国語だろう。


269月光仮面:2007/01/26(金) 10:40:17
日本も海という自然の防壁があればこそ、半島の轍を踏まずに済んでいる。
その防壁のない半島は極めて哀れ。太国の地雷原となって国を消滅させてゆく
哀れさに同情を禁じえない。が、陽は朝にはさす。朝鮮の字のごとく美しく生まれ
変わることを望みたい。
270太国:2007/01/26(金) 10:41:59
271月光仮面:2007/01/26(金) 11:03:32
太国追随だけではなく、朝の太陽を拝み、大きな気持ちを持てということだ。
しまった、大国というのが太い国となっていたなー。ズマソ
272日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:59:53
269 日本は天然の防壁があるから自然に防衛できてるだけで、半島は気の毒すぎる
古代からとなりの怖い大男におどされたりなでられたりして生き抜くためには
しなんの苦労があったはずで、それをけいべつできようか、いや同じ人類としては
百済滅亡時のように救援の軍をはくすきえに差し向けるべきだ
273日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:21:33

>>272

乞食根性、たかり精神はもうやめろ!
おまえは醜い朝鮮人か?

高句麗、百済はいまの朝鮮人の先祖じゃないぞ。
274日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:29:18
>>267
日本は椰子の実の歌が象徴するように、
潮の流れに乗って、世界各地から色々な文化が
流れ着くところです。

どこぞの半島と違って人類や文化が、唐突に
自然発生wするわけじゃありませんので、「経由」と
いう単語が存在するのですよ。

「経由」は「Ke-i Yu」と読み、「目的地へ行く途中、
ある地点を通ること。」を言います。つまり言い換え
ると、「通過」のことですね。
275日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:30:49
>>269
毒や臭気や棘のある植物みたいなもんですよね。半島って。
276日本@名無史さん:2007/01/27(土) 10:24:05
朝鮮の意味はあざやかなあさひと言う意味でしょうか
277日本@名無史さん:2007/01/27(土) 10:56:25

ちがいます。超賤、ウルトラ賤です。
278日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:12:52
>>276
朝鮮という漢字を見れば一目瞭然だと思うんですが、
なぜ敢えて聴くのか。漢字が苦手にもほどがあるというか
「朝日」ではない。朝だ。
279日本@名無史さん:2007/01/27(土) 19:55:30
すがすかしい朝を迎えたよの意味でしょうかねえ
280日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:01:30
韓は井戸の枠
倭は矮小
朝は朝献の朝

結局中国の属国をアピる
281日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:05:06


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。

282日本@名無史さん:2007/01/28(日) 19:58:57
シルクロードの終着点が日本で出発店がローマでした、途中には色々な国があり
そこを
283日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:23:00
そこを…なんだ?
284日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:31:44
上げてやったぞ。
285日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:55:21
ありがとうございます、
286日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:01:47
伊賀組紐が着物の帯締めで高麗織り、古代をひらいた服部氏、さなぐ氏
287月光仮面:2007/02/05(月) 16:39:45
NHKで昨日ネパール政情不安の件のニュース中、ダビデの星マークがネパール
にもあるので驚いた。ミャンマーにも失われたユダヤ支族がいたわけだからあって
もおかしくないが、いきさつがいまいち。ところで、伊勢神宮にもあるがどうもこれを
寄付したのはユダヤ人で、皇室も絡んでいるようだ。つまり、皇室にもユダヤと日本は
関係あるんじゃないかと言う考えがあるようだ。ところが、私も同じ考えなんだが、私の
考えはシュメール語とか、ウグロフィン・アルタイのような膠着語を話すコーカソイドで、
フルリ人というのがいて、これが多民族集団でエジプトに侵入した時に、付近にいた
ユダヤ人も一緒に入ったのではないかということだ。で、このフルリ系がウラルアルタイ
地方、パミール地方に銅、色石(ラピスラズリ)を求めて、或いは、北辰信仰によって移動し
新疆ウイグル、モンゴリア高原で後に鮮卑とか、秦になるモンゴロイドと接触し、この際に
後に天皇家に入る宗教形式が形成される。それはエジプトの太陽崇拝を基にしたもの
ではなかったのかということなんだ。ちと、乱暴なところもあるんだが大体この線で、なぜ
ミラミッドの中に出雲大社とか、磐船のモデルがあるのかの説明が付くと考えている。
288月光仮面:2007/02/05(月) 16:49:54
キリスト教、イスラム教の信者が多いもんだから、初めにユダヤありきで、ダビデ
紋、菊花紋も皆ユダヤのブランドだなんていう考えが横行しているが、注意深く
向こうのウェブサイトを見ていると、そうではなく、ユダヤがどこからとなく拾ってきた
ものだということになっている。ベドィンのような連中にそんなに高度な文化が生まれ
るわけがない。善光寺の菊紋の方が由緒正しいのかもしれないのだ。
289月光仮面:2007/02/05(月) 17:01:09
その後日本では奈良・平安時代にあたるが、ユダヤ教を信じる膠着語、これは
既にトルコ語みたいな物になっていたようであるが、これを話すハザールというのが
大きな勢力を持ってくる。先ほどのネパールなんかもこうしたユダヤ教文化の影響が
飛び込んだのかもわからない。ただ、日本に来たような話はない。
290月光仮面:2007/02/05(月) 17:13:05
皇室は時代と共に色んな宗教を取り込まれるが、それでいて日本古来のものは
ちゃんとやっておられるようであり、なかなか、さすが世界一の長寿皇室である。
しかし、無理をしてユダヤ・キリスト教に接近しなくとも歴史はそれより一回りも
格が上であることを証明してくれるはずである。
291七色仮面:2007/02/05(月) 19:30:16
八田氏は新羅系なので冷遇されてしまい、働き者でしたが歴史から消されました
消す方法は神社なら領地のとり上げでガタガタにしてしまう
292月光仮面:2007/02/08(木) 10:22:50
エジプト、ギリシャ、インド、中国に馬、二輪戦闘馬車、青銅器などを持ち込んだのは
同一の中央ユーラシア騎馬民族で、この最後の動きが万里の長城で跳ね返され
朝鮮半島南端に至る。これを引き受けたのが日本というわけで、アマテラスがスサノオ
の馬による耕作等に基本的に反対であったことは日本の史書の記すとおり。しかし、
車輪を表すヘロデ紋を初めとする大陸からの多くの文物と、思想、宗教の流入で
三韓経由日本に入ったものがユーラシア文化の中核的なものであったことがわかる。
日本とエジプトをつなぐのも、互いに受動的にこうした中央ユーラシア文化を受け入れ
たということであろうが、エジプトには形骸が残り、日本には精神が伝わったようである。
293月光仮面:2007/02/08(木) 13:06:08
エジプトにおいてユダヤ人は羊飼いであり、「嫌悪すべき存在以下のの存在」とされて
いたよし。このユダヤ人の「ヨセフ物語」というのは盗作のにおいが強いが、こうした
ユダヤの立場からすればアメリカンドリームというファンタスティックなはなしであるが、
ユダヤと同じく、エジプトに入ったと見られるウラルのバシコルドの伝説にある。
エジプトの史家マネトンの解釈に寄ればヒクソスとは馬王の意味だそうで、馬韓国王
といったものに非常に似ている。騎馬民族の王が羊飼い集団を率いて侵入するわけで
中国・殷商、馬韓等と同様のパターンのようである。面白いのはエジプトではユダヤ人
を羊飼い、(羌と同じだ)、「アミ」、「アメ」と呼ぶことで、アルタイの大王が羌族の神官
をアミ、アメと呼んだのかもしれない。ただエジプト人はその言葉に抱いたのは現在の
テロリストであるとか、戦前のナチスドイツとかスターリンの持っていたのとよく似た
KKK的感情のようだ。
294月光仮面:2007/02/08(木) 13:15:25
日本人はこうした西域の羊飼いの宗教をアマテラス、天御中主として伊勢神宮に
奉っているわけで、しかも、ガス室送りのユダヤ人を救出した実績すらあるんだから
伊勢神宮に灯篭がどこともなく献灯されても全く不思議ではない。これは日本人の
神徳というべきであろうか。
295月光仮面:2007/02/08(木) 14:50:52
>>287
出雲には古い青銅器製造遺跡が多い。銅鐸には古代出雲神殿のような
図案がある。そのルーツはエジプトのピラミッド内部↓
http://www.guardians.net/articles/images/Plan_Great_Pyramid.jpg
にあるのではないかと思う。ついでであるがここにある地下室、黄泉の国
遍歴の宗教体験ができるように工夫されているのが信濃の善光寺だ。
他にも熊本県等にはトンカラリンという宗教遺跡のようなものがある。
日本の銅鐸は内モンゴルにおいて発見されている。すなわち青銅器文化という
共通項がエジプト・殷商・日本を結んでいるのだ。勿論、青銅器文化はテン国、
タイ・バンチェン等にもあり、古代羌族の行動範囲も広かったのであろう。
そしてし、日本と長江下流の銅緑山の関係は邪馬台国・魏の時代に再燃する。
話は変わるが、ピラミッド内部の社殿は八幡・日吉・トリポリエククテニ神殿型
であり、出雲式ではないのが面白い。出雲人には何らかの癖があったようである。
296月光仮面:2007/02/08(木) 14:59:28
出雲は銅鐸
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=01&col_id=J37433&img_id=C0003178&ref=2&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=________1_41_&Q5=&F1=&F2=
この形式に忠実であるようだ。銅鐸教のバチカン的存在であったのだろうか。
297月光仮面:2007/02/08(木) 15:40:07
去年、一昨年、吉村さんのテレビ番組でピラミッドをやったとき、龍が階段を
横波運動をしながら登る廊下の説明をされ、さすがに工学博士、着想が
違うわいと思っていたんだが、横浜中華街の龍踊り、獅子舞等、三輪神社の
繞道祭等を見るに付け、空中飛行には水上遊泳同様横波運動を想定する
古代人の物理学者的発想の奥深いことに感じ入った。龍踊りとは新疆ウイグル
方面でエジプトピラミッド思想の中核部分が展開されて蛇、龍、鹿、獅子の踊り
に変化したのではないかと思う。
298月光仮面:2007/02/08(木) 15:46:39
この龍のようなものが天橋立、浮橋を昇るのに帯、タラシ、を利用するということで
沖(天界)中(地上)タラシヒメが生まれ、アマタラシヒコ、アマテラスが生じるのであろう。
するとこうした概念は弥生墳丘墓が立体化する古墳時代に始まったのだろうという
推測が付く。
299日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:56:18
百済系氏族は堺や鶴橋に巨大な百済寺やがあったが、枚方の百済王神社や高槻の方にも
いったが
300日本@名無史さん:2007/02/08(木) 20:25:43
高麗神社は関東に移住させられた理由はなんでやろ
301桃太郎:2007/02/09(金) 06:09:27
月光仮面は、相変わらず凄まじいな
ひさしぶりに読んだら、目がくらくらして、酔った。

誰かまとめサイトを!
酔い止めを
302日本@名無史さん:2007/02/09(金) 08:44:10
新羅系の羽田氏がいちばんつよい時代が最初みたいですね、その後に
百済系がはいってきて日本の在来の氏族と共同で開発していったかも
303月光仮面:2007/02/09(金) 10:04:59
【夏王朝】歴史の証明【伝説】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1087694006/menu311
古代、中国西方には羌と呼ばれる民族があり、こうした文化をリレーしていたが、その
子孫が歴史時代に秦の子孫を名乗るものになったのが多いようだ。ハタ氏のなかにも
こうしたものの子孫はいるんじゃなかろうか。
304日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:24:31
羽田は権威ずけのために名乗っただけで、本名はちがうかも
305日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:27:42
そんなこというのはてんさいてきなばかかも
306月光仮面:2007/02/09(金) 10:29:36
ハタ氏の場合、秦というよりも、タケシ(チクシ・ツクシとか言う意味ではなかろうか)ウチ
王朝時代の渡来人の一つであり、その語源は機織りなどのハタにあるようだ。ところが
ハタとは聖なる呪具、タラシ、等と関係し、単に繊維・縫製技術者ではなく、神主・伎楽・
芸術・防衛等の分野でも活躍したようである。ところで、伊勢神宮のヘロデ、ダビデ紋、
大避神社のヨセフの井戸、洗礼のプール、記紀に残る多くの聖書からの引用は秦氏が
ユダヤ人ではないかと思わせる。ユダヤ人はYAP+E、縄文人がYAP+Dとされる。チベット
雲南にもYAP+Dが多い。ところが顔を見比べたら直ぐにわかることだがユダヤ人は
白人、つーか、白人とアラブの中間程度。秦氏とか、雲南・チベットはどう見てもモンゴ
ロイドで関係はないと見るのが当然だ。
307月光仮面:2007/02/09(金) 10:43:21
ユダヤ文化がらみの問題は秦氏にあるのではなく、秦氏が仕えた功満王、融通王
といった王族にあるのだ。ロシア・アルタイ・トゥーヴァ共和国をヒュペルボレオイ
(極北人)の聖地とし、ギリシャのアポロを一年教育したクマンジン(白鳥)族は
タケシウチ王朝の立役者であり、ヒクソスの王であった。アポロン、エジプトには
旧太陽数は合い宗教を打破し、政権を獲得することを教える、エジプト、ギリシャ、
殷には青銅二輪戦車・馬をもたらす。スサノオとはこうした勢力の中心であり、
馬韓・百済に前線基地を置いていたようである。日本においてもホアカアリ、アカルヒメ
等の旧勢力の上にアマテラスという唯一太陽神で国家統一を図ったのだ。
308月光仮面:2007/02/09(金) 10:59:08
エジプトと羊飼い、これにはユダヤだけでなくウラル地方のもいたらしいが
相当羊飼いはイジメを受け、釣り馬鹿の西田は社長に釣りで取り入るように
ユダヤのヨセフは夢占いで取り入り、ウラルのアミンベクはギャンブルで勝つ。
ヨセフのお棺 http://www.freemaninstitute.com/images/joseph4.jpg
こうした釣り馬鹿話が旧約聖書にはいっているようだ。羊飼いはは「アメ」、「アミ」
等と呼ばれインドにおける不可触選民のようなものだったらしいが、大王であった
ヒクソスはウラルに引退した後も、周辺の羊飼いをこう呼んでいたのであろう。そうして
そうしたノマドを糾合し中国北辺経由朝鮮半島南端に達したものと考えられるのだ。
309月光仮面:2007/02/09(金) 11:06:35
>>307 ちょっと乱れてるようだ。
古い太陽教を打破する、唯一神の太陽教、アマテラスとか、アテンの神とかを導入し、
政権を掌握する。・・・日本ではアマテラスに足元を見られ出雲に追放されてみたり、
アマテラスもエジプト同様うまく働かなかったようである。太陽に税金を取られたのでは
当時のニートもどえらいことであったのであろう。しかし税収確保、税制改革こそ国家
存続の条件であることは永遠の真理だ。
310月光仮面:2007/02/09(金) 11:16:06
>>307
アルタイ・ヒュペルボレオイ(極北人)はアポロにオロチを退治し、自分で新神殿
を開けと教育している。スサノオなんかは出雲と大和で二回もオロチ退治を行っている。
ギリシャに水田があるわけはないが乾燥地のことなので日本同様水脈確保は
利権確保につながったのだろう。
311月光仮面:2007/02/09(金) 11:33:14
http://www.touregypt.net/featurestories/heli1.jpg
これはエジプトの太陽崇拝遺跡、注目すべき点としては全体的に石段を持つ日本の
神社社殿配置に酷似していること、及び、日本の神社の祖形と思われるモンゴリア高原
ケレクスルと基本的に同じであることだ。
http://www.touregypt.net/featurestories/heliopolis.htm
ヒクソスがヒュペルボレオイ(極北人)であったこと、それが馬韓経由日本に入ったことに
間違いはないと思う。又ピラミッドの起源を示唆するのがオベリスクの先端部分で
琥珀金で塗られ朝日に輝くのだという。カイラス山の朝日といってもいいのではないかな。
312月光仮面:2007/02/09(金) 11:43:40
>>310
ヒクソスへ移行期、アルタイ・オークニェフ文化ステラ(石碑)には天に登る
二輪車の絵がある。ギリシャ留学生アポロン君の黒板代わりであったのか。
が、後の高車丁霊の高車、かぐや姫の牛車のような感じも多少あるんだが。
313月光仮面:2007/02/09(金) 15:48:24
>>307
エジプト人が、ユダヤ人を憎み、いじめ、劣等民族の烙印を押した。これはユダヤ人の
選民思想が原因であったのかもしれない。いずれにせよ、時のヒクソス王にとっては、
「アメは愛い奴じゃ、頭が切れるのう。エジプト人は河馬か、馬鹿じゃのー。」なんて
言っていたんだろう。このヒクソス王がウラル・アルタイに帰国して周辺の東洋の羊飼い、
羌に対しても同様の態度で接し、自分を王とする集団を形成したのだろうが、満州に
入った頃は羌よりも、鹿飼いツングースの夫与等を引き込んだこともありえよう。高句麗
では諸加といって家畜別にサブグループとか、管理職を決めている。日本の加賀、甲賀、
伊賀などというのも鹿加、狗加、猪加であったのかもしれない。
314日本@名無史さん:2007/02/09(金) 16:17:23
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
315月光仮面:2007/02/09(金) 18:25:09
殷の湯王は太陽神の末裔ということなのでアルタイ語を話す白人であったのかも
知れないが、生贄に羌を殺すのが殷の習性なので、上記のユダヤ人への態度とは
少々違ったかも。卑弥呼政権は魏に生口を送っているが、羌はなかなか美男美女
だそうなので、卑弥呼の銅鏡見返り輸出の生口も相当のイケメンであったのかも
しれない。殷の崩壊にはこうした生贄役の羌族の不満もあったことだろう。
316日本@名無史さん:2007/02/09(金) 18:37:55
クジラ尺の名前は渡来人が来た時に四天王寺を造ったかもしれない金剛組の
こましゃくと同じで、
317月光仮面:2007/02/10(土) 12:15:18
ロシアの学者は殷をカラスク並行と考えている。
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800
私は、夏と殷初頭にアンドローノフスカヤ文化が到達、戦闘二輪馬車、小麦
青銅器、彩陶などの文化が伝えられ、その後にエジプト・コーカサスの箱舟信仰の
影響を受けた箱式石棺墓が殷に伝えられ、殷はこの頃に崩壊し、箱式石棺墓
はモンゴリア、満州、半島経由九州沿岸に到達するのではないかと見ている。
アンドローノフスカヤと類似のスルーブナヤはスキタイ・キンメリアになってバルカン
半島をアドリア海・エーゲ海・トロイ方面、もう一派はアナウ近辺から近東経由パレス
チナ、エジプトに、もう一つはヴェーディック・アーリア族としてインダス峡谷に、
もう一つは河西回路を二里頭へと進むのであろう。そうして初期青銅器原料をウラル、
アルタイに依存したことで殷の王族にアルタイ系乃至は印欧系が入ったことが考えら
れるが、銅緑山等長江下流の鉱山開発と自国の窯業の発展と共に輸入依存はなくなり、
殷の体制は崩壊するのではないか。
318月光仮面:2007/02/10(土) 12:22:44
>>311
日本では次第に見られなくなってゆくが、福井県南部にあるこの日野宮神社
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/gazou/hi-miya21.jpg
この石垣が四角であることに上記のエジプト神殿との共通点を見出す。
日本ではこうした遺跡の保全は一切民間の浄財で行われるが、限りなく重要な
世界遺産だと思う。
319月光仮面:2007/02/10(土) 12:30:14
日本史が世界史の一部であり、日本の国民も、朝廷も一丸となって全ての世界で
失われたこの歴史を保存したことを世界に発信し、世界の人がそうした日本を理解
してくれることこそ、私の望むところなのだ。そしてこれが子々孫々に伝えられたとす
れば、これまで歴史を残してくれた日本の先人も必ず喜んでくれることであろう。
320月光仮面:2007/02/11(日) 08:04:59
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 ・・・繰り返すが、このスレタイは世界
史観を根底から覆す衝撃の事実を簡潔に述べたのだ。ヒクソスはユダヤ、クルド・・・
バシコルトスタン、トゥーバ、商(殷)、纒向(邪馬台国)に通じる。色即是空でいうなら
色とはヒクソス王国、殷、邪馬台国といった結晶化した状態のこと、空とはさまえよる
ユダヤ人、ジプシー、犬戎、西戎、北狄、倭人のような流動化した、分離電子の状態
ではあるがその本質は一つ、商、それは三輪そうめん、金屋子神、神農、スクナヒコナ
という商なのである。それはベニスの商人であり、結晶してはクシャン王朝を築き、
中間状態としてはハザール王国を現出した。
321月光仮面:2007/02/11(日) 08:24:14
史観の顛倒はコペルニクスの天動説さながらに、ピラミッド、聖書、コーランの世界の
呪縛を打ち破る。そして宗教がいかに史実をバイアスしたかを知らされる。全ては
砂に化した中央ユーラシアにあり、その無から欧州、中近東、インド、中国の文明が
生まれた。そしてそれはいまこの日本で復元される。
「殷の戦争は呪力と呪力の戦いだった。戦いには「媚」と呼ばれる巫女を伴った。巫女た
ちは軍鼓を打ち鳴らし敵に向かって呪詛を唱え攻撃した。甲骨文字には鬼方と呼ばれ
る強大な異民族を攻撃したときの様子が記されており、動員兵力数万人のうち投入さ
れた「媚」は3千人に達した書かれている。敵の「媚」を捕らえることは最大級の功績で
「蔑暦」と呼ばれたと記されている。「媚」は呪力を封じるために真っ先に殺された。また
異民族の地を進軍するときは道を整備し、土地かけられた呪詛や悪霊を祓うために異
民族の生首をかかげた。祓除を終えたところを「道」と呼んだ。甲骨文字は祭祀の過程
において発生したもので天意を記すために作られたものである。ごく一部の限られた
階層のものだけが読める神聖文字で一般の生活とは無関係だった。 「媚」に含まれる
眉の文字は顔料で眼の回りをくまどりし呪術的な化粧を施した象形であり、後世に転じ
て「媚びる」となった。「蔑暦」の「蔑」は「媚」を戈(ほこ)にかけて殺す形で「蔑む」などの
語源となった。 「道」に首の文字が含まれているのは祓うために首をかかげたことに
よる。」 http://lonelynight.blog66.fc2.com/blog-entry-3.html
多数の女官を擁する卑弥呼、名草の姫を八つ裂きにし、数々の女性シャーマンを
誅殺する神武は商の価値観(パラダイム)を持つ聖王であり、神武は簡狄に頼るが
ごとく鴨、ヤタガラスにたよる。簡狄の地には蚩尤があるが、兵主神として箸墓を
守る。後の世の毘沙門天もアルタイ、新疆ウイグルの神であろう。
322日本@名無史さん:2007/02/11(日) 08:31:01
クジラ尺というのはなんでクジラというかみなさん知ってますわね、
ヒントは焼き肉です
323月光仮面:2007/02/11(日) 08:35:42
記紀には新約、旧約、拝火教等のパラレルが多いというが、これは実は
顛倒夢想であり、旧約、新約、拝火教こそ、記紀の原典というべき思想から
派生したものというのが正鵠を得ている。アメノヒボコがアメンベクであり、
その分身が旧約創世記のヨセフである。アミンベクが黄金を得る井戸こそ
大避神社のいどである。つまり、アメノヒボコの井戸であり、これが秦氏の
神なのである。
324月光仮面:2007/02/11(日) 12:03:06
英国女王が中国大使に・・・先日差し上げた犬は元気ですか?中国大使・・・ハハー、
とても結構なお味でございました。・・・これは有名なジョークであるが、極東北部
では犬を食べる。10年ほど前に米国大学考古学チームはロシア・ウラル・サマーラ
川アーリア人遺跡のウグロ・フィン族シャーマン(もっとも危険な人種らしい)キャンプ
の脇の井戸から毛の付いた犬の骨を発掘した。これに関し米国学会では北欧オーディン
神が年末に12匹の犬を連れて吼えまわる、ローマには犬僧というのがいて犬皮の紐で
町に注連縄を張ることに関係があるのではという声があったという。ところが地元の
バシキール・クルド族は犬トーテムをもっており、どうやらエジプトに侵入したヒクソス
とか、パレスチナのユダヤ人の元になった種族のようだ。これが犬戎となり、山東半島
と遼東半島の高句麗の起源となたのではないかと考える。例の井戸の骨は生贄を
毛皮、骨ごと叩き潰し、生で共食する習慣のようだ。エジプトではシリウスが犬と関係
あり、ナイルの氾濫予想になるというがこれはヒクソスであるバシコルト族が教えたらしく、
この辺の功績が創世記のヨセフの手柄となっているのではなかろうか。話は長くなった
が、>>318 の日野宮神社にも大きな犬の伝承があり、キクリヒメ(高句麗)逃さん神社
にも近い。天孫卑弥呼とは仲が悪いが、付かず離れずする狗奴国というのはどうも
この辺ではないかと思う次第である。高句麗にはエジプト・熊野・浅草酉の市を結ぶ
ヒントがある。これだ↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Korean_three-legged_bird_mural.jpg
325月光仮面:2007/02/11(日) 12:09:18
月山神社というのが乱れてしまった。ついでだが、クングール、カンガール
というのはトルコ語で川、町という地名らしい。高句麗というのは川のほとりの
町という普通名詞に過ぎないのかもしれない。
326月光仮面:2007/02/11(日) 13:04:57
>>320
商というのは、雄略のような尾根縦走による探鉱、穴師とか、赤城の百足のような
資源開発、そして、奥州藤原三代、徳川の甲州、佐渡のような金鉱開発のようなスパンの
活動であり、現代で言えば豪州鉄鉱山のような山を当てるとそれを資源として交易をし、
国家を運営するということであり、例えば無錫旅情のような観光地となるともはや殷は
商というフェーズに移行する、蝶が変態するようなユーラシア-北アフリカに存在した
人の群れの流れなのである。ちなみに、俵藤太は松江に上陸、近江を経て赤城、奥州
へと向かうようである。
327月光仮面:2007/02/11(日) 14:13:25
>>324
太陽を追う龍、その前脚が馬脚を現しそうな思想、それはエジプト・ウラル・アルタイの
アポロンとも接点のある馬の思想、それは馬韓を生んだものであり、蘇我馬子を生んだ
騎馬民族思想が、別途中国に到達した龍の思想に切り替えられる心理状態を表して
いるような気がする。古代人は心憎い。
328日本@名無史さん:2007/02/11(日) 15:48:05
相変わらず、月光仮面のものを読んでると、とても眠くなる。小出しに語っても良いが、せめてもう少しだけ、文章力を鍛えてほしい。
329日本@名無史さん:2007/02/12(月) 03:16:06
俺も月光仮面の言ってる事がわかりにくいよ、
でも、月光仮面は嫌いじゃないけどな
330月光仮面:2007/02/12(月) 10:14:53
シルクロードはエジプト、バルカンと極東を結ぶ最も南よりの陸路であるが、
銅資源はこれよりやや北よりにあった。10年ほど前に米国大学調査団の
行った調査にある地図 http://users.hartwick.edu/iaes/map1.htm
にSamaraという川があるが、この辺からも銅が取れる。この地図の2本の破線に
囲われた部分がステップという草原地帯で、これから未だはるか東方にアルタイ
がある。ここも重要な銅の産地だ。
331月光仮面:2007/02/12(月) 11:09:47
これはSrubnaya(木槨墳)文化拡散の地図↓
http://users.hartwick.edu/iaes/map2.htm
北部の森林地帯と南部の草原(ステップ)地帯の境界線が右上に延びている。
その先にアルタイがある。アルタイに達する同時期の同様文化にアンドローノフスカヤ
文化がある。銅の産地を中心として発達する文化と馬、戦闘二輪車、後のスキタイ
文化が関係してくる。これが殷商、そして、千年の時間差で大和盆地に流入する。
最近進んでいるSintasgta-Arkaim遺跡の研究で大和盆地開発同様、宗教に基づく
地形の利用、蘇我氏の甘樫岡のようなもの、が特徴的であることが判明した。
参考までであるが、イランの考古学者はアーリア族は北方黄色人種に圧迫され
イランへの南下を開始したという。Sintasgta-Arkaim遺跡に近いバシコルスタンでは
トルコ系バシキール語とイラン系クルド語が共存している。バシキール人というのは
恐ろしい鬼のような顔をした人だそうである。
332日本@名無史さん:2007/02/12(月) 11:16:50
>>255
アマテラスと同じ、三貴神の一人、月読神は?
333月光仮面:2007/02/12(月) 11:21:11
スペルが難しいなー。正しくは→Sintashta-Arkaim複合遺跡というらしい。
334月光仮面:2007/02/12(月) 12:31:16
>>332
月読神とは秦氏が半島から壱岐経由、秦王国香春に持ち込み、南九州に入り
隼人となり、それが東遷し、吉備のあたりで卑弥呼に先行する男王となり、河内、
大和、紀伊、伊勢を攻略するも諸国乱れ終には卑弥呼共立となる、この男王
神武を支えた集団ではないかと思う。その神紋は左に月、右に星でトルコ族の
先祖であろう。
http://www.hayato.com/mado/f_menu.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/ishiushi_to_tsuki/ishiushi.html
http://www.genbu.net/data/yamasiro/tukiyomi_title.htm
http://www.genbu.net/sinmon/index.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/rekisi.html
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/gaiyo.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/hayato_gesshin/01futatsu_no_tsukuyomi/01futatsu_no_tsukuyomi.html
そして、月読神とは天神であり、アマテラスとは形式上はシンメトリーを成すものの、
別個の宗教を持つものであった。集団的にはアマテラスが天皇集団、月読神はそれに
従属するものであったと考える。
335月光仮面:2007/02/12(月) 12:41:53
天皇の渡来といえば、これは横綱のようなものであって、モンゴルの朝青龍も
何とか部屋に入ってふんどし担ぎからのし上がらなければ急になれるものではない。
天皇は北陸・近畿・中国の政治的均衡、女王共立の厳しいシステムの中から、難産の
末に生まれたもので、もはや日本独自のものとしか言いようはないのではなかろうか。
336月光仮面:2007/02/12(月) 13:25:25
「14年春2月:
弓月君が百済からやってきて、
「私は我が国の百二十県の民を率いて来たのだが
新羅に阻止され今加羅の国に留まっています」
と進上した。
そこで天皇は、葛城襲津彦を遣わしたが
3年経っても帰京せず
今度は16年8月:
平群木菟宿禰 と 的戸田宿禰 の二人を加羅に遣わし
兵を進めて新羅の国境に陣を敷いた。
これに恐れ慄いた新羅の王は速やかに罪に服した。
これだけの大集団で渡来したのだが、、
一帯この場所がどこなのか
大半は朝廷の近隣に控え多種多様な文明の利器を
伝授した事は容易に推察される。
京都の「太秦」近辺にはその伝承が多々散見されることを
念頭に入れ精査していきたい。
秦氏については次のような説が現在では一般的だが。
海外(中国や朝鮮)への格付・権威付の呼称として
「秦の末裔」を名乗った。
実際は、加羅の民であったそうだ。
この加羅は6世紀には新羅に変る」
http://www.hayato.com/shinwa/jofuku/23hata.html
加羅みたいな小国にこんな大勢の人間がもとからいるわけはない。
百済にいたと見るのが当然。それにしたも、倭国への渡来を当然のことと
考えているようであり、これは神功時代に百済と倭国間領民往来に関する
約束が成立していたのであろうか。
337日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:47:59
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
338月光仮面:2007/02/12(月) 15:00:10
>>335
たとえば、ギリシャの場合、アポロンがヒュペルボレオイ(極北人)から持ち帰ったのは
馬、白鳥伝説、八咫烏、二輪車、オロチ退治などであるが、日本に入ってくるのは
オロチ退治、白鳥(素鵞)、馬はスサノオ、神武は八咫烏、又、アポロの時代、地方には
なかった銅鏡などであるが、ばらばらに入ってきている。つまり、このことからも、三韓
から日本に征服王朝のようなものは来ておらず、ばらばらな集団が入ってきたことは
わかる。しかし国家として体をなすにはこれらを統合する必要があるが、日本では
3種の神器という独特のやり方を創造したのであろう。
339月光仮面:2007/02/13(火) 10:56:07
秦氏はユダヤ人というのは極めてホールインワンに近いショットだった。しかし、もっと
すごい発想は韓国人は英国人の祖先という発想↓
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/sanggo.htm
この2つとも天才と気違いは紙一重に似ているが、2CHで論議するには格好のテーマ。
これに私の提唱するミッシング・リンクは中央ユーラシア草原に埋まっているという説を
適用すると、全てが、多少の齟齬を除き、有効になってくる。大相撲黒海君の故郷に近い
ソチの支石墓群と、遼寧省、韓国、九州の支石墓が結びつく。競馬で本命を中心に
各種の二番手を想定して流す時の二番手のみをとって選ぶと確率的にとんでもない
めちゃくちゃになるが、これをタテメというらしい。これは絶対にあたらない。私の言う
のはブラックボックスの本命を想定し、それを中心に流すという論理なんだ。前置きが
長くなったが、エジプトのピラミッド建設に参加した多くの地方の住民が帰国して、
同じような概念で始めたのがドルメン、巨石文化ではないかというのが私の仮説だ。
340月光仮面:2007/02/13(火) 11:04:14
で、殷商と遼寧ドルメンを考えて見ると西方から極東に到達したのは南回り、北回り
と、2つのルートがあり、ヒクソスの王族のような2輪車型のものが殷商に、石工・農業・
戦闘要員的なものが遼寧にという結果となったのではないかと思う。そして日本には
そうしたものが朝鮮半島でミックスして到達する。
341月光仮面:2007/02/13(火) 11:23:25
弥生時代は稲作というが、稲作は極めて不合理、不経済な食料生産、量産システム
であり、日本のような亜寒帯気候ではそば、大麦が有利。稲作は王権、政治体制が
出来上がってからとか、広域流通とか、保存などにはある程度有効ではある。従って
渡来人が新たに生活を営んだ地方にはうどん、そば文化があるはずである。三輪そうめん
とか、稲庭うどん、麦きり等には裏の歴史があるようである。
342月光仮面:2007/02/13(火) 11:39:15
ブリャート共和国の仏教・考古学の大御所の卓見では蒙古高原を南北に縦断する
境界があり、その西部はエウロペイド、太陽、円形指向、東部はモンゴロイド、天地、
方形指向だそうである。今言う西方からの2本の道はどうやらこの辺で分岐している。
カラスク・オルドス・殷商への道、カラスク・遼寧への道、これは東胡ではないかと
言われている。この東胡は高句麗、出雲、若狭湾・三河方面、そして日向、瀬戸内は
公孫方面からの流れで、そこに秦氏が位置づけられるのではないか。
343日本@名無史さん:2007/02/13(火) 12:15:11
大阪の地が古代は新羅津と百済津で埋め尽くされてたけども
これは漢字が使える渡来人が付けた名前なので倭人の出るまくはなかった。
344月光仮面:2007/02/13(火) 14:35:52
モルダビア、トリポリエ・ククテニの高床式千木付き八幡造りの神殿モデルの焼き物
について、不思議な思いがしていたが、ちょうど、アポロンがヒュペルボレオイ(極北人)
から帰国する道筋、というか、東方草原のインドイラン族がバルカン、北中欧に侵入する
道筋にあるので、神殿の起源はアルタイの森林地帯と見るのが良いのかもしれない。
345月光仮面:2007/02/13(火) 16:32:51
アポロンはこの↓レンガ色の部分の一番右端、そこにはスサノオも、いたはずだが、
そこから、左の方に黒海北岸経由ギリシャに入った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Indo-Iranian_origins.png
アンドローノフ文化と総称されるこの文化の中心がピンク色のシンタシュタ-アルカイム
文化であり、東方のグリーンの部分がアルタイ・アファナシエヴスカヤ文化であり、後に
カラスク文化となり、オルドス地方を経由して殷商、遼寧地方を経由して日本に向かう。↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Andronovo_culture.png
シンタシュタ-アルカイムがユーラシアのへそといってもいいのではなかろうか。
346日本@名無史さん:2007/02/13(火) 19:24:27
秦氏は権威付けのためにつけた名前で本名はちがう名前だった
347日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:35:57
秦河勝の顔見てみたい。太秦の広隆寺にある木像は見たことあるけどね。濃い顔だったんだろうか?
348日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:16:16
秦氏所属の部民のかつ部は仕事はなにをやっていたのかな
349月光仮面:2007/02/15(木) 07:35:40
>>346 >>347
「秦は伝説によれば殷の紂王に仕えた奸臣悪来の末裔とされる。しかしこの始祖伝説は
おそらくは秦が中国に入った後に作られたものと思われる。秦の本当の出自は後に
穆公が西戎の覇となることから考えて、西戎そのものではないかと考えられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
楯築遺跡ご神体石・・・この顔は大避神社雅楽面と似ている。
http://www11.ocn.ne.jp/~jin/TATETU.html
推定される盾築における秦王国の部民
参考資料「吉備における郡別部民分布表」
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm
しかし、ここに勝部はなくそれが出てくるのは↓
http://www.pref.shiga.jp/minwa/08/08-02.html
http://nttbj.itp.ne.jp/0775834085/index.html?Media_cate=populer&svc=1303
蘇我氏滅亡による物部、特に、神武に滅ぼされたウマシマジ、ホアカリそして、物部の
布津神、三輪の繞道祭が復活している。シンタシュタ-アルカイム遺跡では住居を
意図的に焼き払い、式年遷宮のごとく元の形を再建築した遺跡が謎とされている。
そしてそこは拝火教の発祥の地でもある。勿論、ユダヤ、仏教ヴェーダなど一切の
宗教の発生地でもある。
葛飾、勝浦、葛城、葛野等は何らかの平原、川などの東部である。勝には朝日、
輝き等の意味があったのではないかと思う。勝部は拝火祭祀集団ではないかと
考える次第。
350月光仮面:2007/02/15(木) 07:54:25
ついでに言えば、上記の春秋期の秦氏は西戎、アーリア系、であり、犬をトーテム
とする犬戎集団をその下部構造として持っていたものだと思われる。これは既述の
シンタシュタ-アルカイム文化圏のサマーラ峡谷遺跡で、良い土地はアーリア(西戎)、
悪い土地は多分タタールの祖であろう犬戎(井戸に残る犬の毛付骨)が発見されている
ことからこうしたことが考えられる。日本に狼、狛犬、巨大犬とか、地名の残るところは、
山陰から福井県、岐阜県、愛知県から関東にかけてが多い。秦氏とは異なる分布の
ようだ。狗奴国とか、関が原をはさむ合戦が多いことと関係があるのかも。
351月光仮面:2007/02/15(木) 08:10:11
世界中に残る天狼星伝説 http://socyo.high.hokudai.ac.jp/More_HTML/buturi/news/bsn9903/a15.htm
徳川時代のお犬様、現在も続く水天宮の腹帯、沖縄のシーサにも残る狛犬と、
犬の信仰もアヴェスタ・ヴェーダといったレベルよりも奥深い広がりがあるようだ。
352月光仮面:2007/02/15(木) 08:22:47
秦氏は確かに渡来人ではあるが、かりにその後産のようなものが百済の故地に残って
いるにせよ、本体は日本以外にはいない、れっきとした日本人集団であり、そこから
神武が出ても決しておかしくはない。むしろ自然なんだが、西都原の伝説ではオオヤマ
ズミが鬼をだまして古墳を作らせたと言うこともあり、原住民を天皇に擁いたことも
ありえる。しかし、参考資料「吉備における郡別部民分布表」
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm
こんなに部民が勢ぞろいをしている場所に天皇がいなかったわけはない。
353月光仮面:2007/02/15(木) 14:01:30
秦氏は、多分、商の中枢部にいたものが、箕子朝鮮として朝鮮を支配、その後、
衛氏朝鮮に追われ、三韓の支配層となり、多分、倭面土国王帥升の訪漢を契機に
筑豊、周防、安芸、そして吉備に至り、そこから大和、紀伊を攻撃するのであろう。
殷の女性シャーマン制度、奴隷制度の片鱗を留めるのは神武と卑弥呼であり、この辺
間では有力であったものの、卑弥呼の没後は、近畿以東の旧出雲勢力がぶり返して
くる。しかし、神功・応神移行、近畿・九州方面が強くなる。といった東西バランス型
になるが、出雲と共に秦氏も全国に拡大して行ったのであろう。いずれにせよ、秦氏は
単なる機織りではなく日本文化の基礎を築くのに最も大きな力となったものであろう。
354日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:15:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
355日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:36:49
>348 カツ丼を造っていたわけどもなく、
356月光仮面:2007/02/18(日) 12:39:31
ちょっと、暴投してしまった↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/330
357日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:53:20
358月光仮面:2007/02/19(月) 12:38:12
「これほどの量の大型建物を出土した弥生集落の例はほとんどなく、当時、この遺跡が
近隣に比べて、大規模な勢力を有していたことが見て取れます。」「楼閣や方形区画を
中心として、これら7基の大型建物跡が円周上に配されているという点が指摘できるの
です。」
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/iseiseki.html
http://pit.zero-city.com/ise/ise.html
http://www.sakai.zaq.ne.jp/roman/ise2.htm
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki37.htm
「客家(ハッカ、北京語 : Kejia /客家語 : Hakka)は、中国の南部に住む漢民族のエス
ニック集団である。唐から元のころに華北から移住してきた人々の子孫であると伝承
されている。福建省の山間部では、外部からの襲撃を防ぐために、「土楼」(円形のもの
は円楼、正方形など四角形のものは方楼)と呼ばれる独特の集合住宅を築いて、一族
がまとまって居住している。また、広東省や香港では「圍」と呼ばれる、城壁のような壁
の中に村を築く方法も取られていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
Sintashta-Arkaim Archeological Complex
http://www.oru.ru/forum/uploads/post-1900-1146499680.jpg
http://www.4ygeca.com/arkaim.jpg
http://www.bashedu.ru/encikl/aaa/str124_2.jpg
http://www.bashedu.ru/encikl/aaa/str124_1.jpg
これは近江に入った新羅からの渡来人天日槍(Sintashta-Arkaim Archeological
Complex地方ではイスラエルのヨセフ同様ヒクソスのアミンベクの話があるが
天日槍はこれであり、ハッカ、秦氏、ユダヤ人は機能的にヒクソス・殷の神主)であり、
秦兵馬俑を含む全てを通し一角獣、とんがり帽子、烏帽子の戦闘帽、死者、亡霊の
葬送装束が特徴的であり、ターリム盆地小河墓遺跡でも同様。ターリム盆地小河墓
遺跡の御棺は堅魚木(ハッチビーム状)・前後の棟持柱を有し、伊勢神宮の祖形である。
波多神社の角凝命もなんらかの関係があるのではなかろうか。
359月光仮面:2007/02/19(月) 12:44:26
垂仁が天日槍に対して、出石と淡路のどちらに国を提供しましょうかとの申し出に
対し、天日槍は自分で決めるから良いとして近江に入っている。つまり、多分近江の
オキナガ等と事前に打ち合わせ済みの行動であったようである。多分天日槍軍団は
多分に工兵師団のようなもので、箸墓建設に参加したものだろう。
360月光仮面:2007/02/20(火) 08:56:38
>>349
伊勢遺跡近辺には勝部の地名があり、勝部は拝火集団と推定。一方伊勢遺跡には
キャラバンサライ・拝火教祭祀の特徴がある。逆に、キャラバンサライが伊勢遺跡、
客家の圍、アルカイム遺跡から派生するものと考えるべきかもしれない。2世紀末頃
には、伊勢遺跡において銅鐸から鏡への転換、改鋳、卑弥呼共立があったと想定され
る。また、伊勢神宮的社の式年遷宮のスタートも考えられる。新太陽崇拝祭祀の樹立
による建国というヒクソス・商の戦略の実現が合ったのではないかとも考えられる。
また、国譲り儀式があったとすれば、オオクニヌシへのヨット、勝鬨橋、マリナー等の
天孫側のコミットメントはこの地で行われたと考えると天の安川は野洲川となる。
烏丸半島、和邇川という地名はその後の大和朝廷と和邇氏の関係の起源を語る
ようでもある。対岸の和邇川方面は丹後半島の籠神社・元伊勢から琵琶湖経由
大和に入る、魏使も通ったことであろう、要路に当たる。ヒコイマスというのが今津との
関連でなんとなく絡んでくくるのである。
361月光仮面:2007/02/20(火) 09:57:51
死人、幽霊の三角額当て、これをやってると、小河墓ミイラのように3800年後に生き返り、
赤頭巾ちゃん、おばあちゃんのように狼に食べられても出てこられる。だからKKKは
スキタイ、兵馬俑、日本の烏帽子のようなとんがり帽子をしている。これらの全ては
シンタシュタ-アルカイム複合遺跡にその起源がある。洋画の「怒りの葡萄」、「駅馬車」
は民族がなぜ移動するかを見事に描いている。ユーラシアのうねりは確かに日本列島に
到達している。波多神社角凝命とは落語家の頭のてっぺんに毛を立てた人がいるが
あんなものかナーと思ったりする。秦氏問題は奥が深い。
362月光仮面:2007/02/20(火) 10:16:32
人が生き返るには、血の滴る牛の生皮で覆った伊勢神宮の棟持柱2本、堅魚木付の
棺に入るのだが、これを真似たのがターリム盆地の北方にいたスサノオの先祖。
馬の首付生皮を霊屋の脇の柱に掲げた。唐津湾沿岸平原での女王葬儀に出席
したスサノオはこういうこともやらかして、八百万の神々の仕置きを受けたようだ。
ターリム盆地の方がスサノオよりはるかに正確な儀式をしている。ただ頭付の毛皮は
獅子舞、龍踊り、蛇踊り、鹿踊り等になって残っている。
363月光仮面:2007/02/20(火) 10:23:31
>>360
卑弥呼は、こうした動乱の山城、近江、大和、摂津、吉備では生まれ得ない。
孝霊が狩をした淡路、モモソヒメの神社が残る讃岐、それらを結ぶ阿讃播の
播磨南方の黒田こそ、卑弥呼、モモソヒメの生まれたところではないかと思う。
そしてこの地名が黒田の庵というように移動しながら大和南部に移ったと考えたい。
垂仁が天日槍に淡路とか出石を提供すると言えるのは、その辺の王族出身であった
からであろう。
364日本@名無史さん:2007/02/21(水) 07:55:13
↑疲れる…。
365日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:38:56
新羅系がほとんどなので出雲にいた邪馬台国女王卑弥呼は気候が温暖な大和に移住しました。
366日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:12:28
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
367月光仮面:2007/02/21(水) 12:41:17
>>363
神武記にシイネツヒコ、大和宿禰が神武艦隊航行のために明石海峡防衛線
を開くし、神功もこの敵対水域航行には非常な苦労をしていることからもわかるが、
阿讃播とは明石海峡-鳴門海峡を結ぶ近畿の防衛線であり、この地方の石積墳は
西都原他の模倣。ホケノヤマ、萩原1号、綾部出土の楽浪出土とドウハンの画文帯
同向式神獣鏡は楽浪と友好関係にあった出雲辺りから奪ったもので、阿讃播、
それから出たと見られる卑弥呼、孝霊等は土着人であり、秦氏のような渡来人では
なかったと見るべきであろう。日本の元首ナンバーワンは当時の日本人武人の出だ
ったと考えられる。
368日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:01:01
>>362
えひめ県には牛の頭、胴体を模した牛鬼と言う祭りがありますよ。
369月光仮面:2007/02/21(水) 18:06:05
>>368
阿讃の大滝山の首なし馬伝承といい、四国にもなんかありますね。
370日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:38:21
出雲にいた邪馬台国女王卑弥呼は四国によってから大和にはいりました。
371日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:31:15
>>367
>この地方の石積墳は西都原他の模倣。

ソースあったら教えてほすい
372月光仮面:2007/02/22(木) 07:45:03
西都原の模倣とは言い過ぎであった。阿讃播は中小の前方後円、中円双方等を
含む石積墳が多いが、これは各地の中小在地首長が西都原、吉備等の先進文化を
模倣して始めたもので、やや遅れて東海の中小首長が前方後円墳、前方後方墳を
始めるのと似ているのではないかといいたかった。しかし、↓
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2003/k030320.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2003/a030320.htm
阿讃播に共通する古墳文化があり、積石技術がある程度統一されていることは、例えば
捕虜とか、難民とかが吸収されて在地の首長に働かされたということも考えられる。
373日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:43:16
あぁ、言いすぎだったのか
でもレスありがとん
374月光仮面:2007/02/23(金) 08:50:33
>>367
>ホケノヤマ、萩原1号、綾部出土の楽浪出土とドウハンの画文帯
>同向式神獣鏡は楽浪と友好関係にあった出雲辺りから奪ったもので、
↑これもいいすぎだな。こういうことらしい↓
http://members3.jcom.home.ne.jp/wakokunosobo/hougen/gishiwa/dokyo.html
375日本@名無史さん:2007/02/23(金) 09:29:09
100枚の鏡は有力氏族に5枚ずつ分けてプレゼントされましたので
京都のあや部からもでて当たり前ですよね。
376月光仮面:2007/02/23(金) 11:18:59
画文帯同向式神獣鏡だけから何らかの特定地域は出せないでしょうね。古墳の形式
とかも加味する必要がある。しかし、孝霊、キビツヒコ、卑弥呼等の関係する時代と
すれば、倭国大乱(1)のHP↓
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-18tairan.htm
に描かれているよなことが背景にあるのかも。
377日本@名無史さん:2007/02/23(金) 12:14:02
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
378月光仮面:2007/02/23(金) 12:54:33
韓国情報↓
[原文]後漢書曰 : 倭在朝鮮東南大海中′依山島(為)居′凡百余国
[翻訳文]後漢書に至るのを 倭が 朝鮮 東南 大海 中にあるのに 山と島に頼って 住居
を する. 凡そ 百余国だ.上の記録を見れば 楽浪海 中にあった 倭 人らが大挙 日本
列島で 渡って暮しているということを分かる.
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1671751
倭国乱直前には鮮卑檀石槐の射程距離にあったものが、倭人伝では日本に
来ているので、倭国乱時代に日本に入り、天孫の配下に入り、その玄界灘、播磨征圧に
協力したものとも考えられる。この民族は春秋時代にはモンゴル方面にいたと山海経に
残っており、それより先に朝鮮半島に入った燕系の箕子系統とは違うものだろう。
379月光仮面:2007/02/23(金) 13:46:16
ただ、委奴国
http://www5.ocn.ne.jp/~ryutaiin/kininnituite.htm
も倭人国であるとすれば、金印出土地の志賀海神社に奉納された膨大な
鹿の角とナマハゲで有名な男鹿半島、ナマハゲ類似風俗の鹿児島、沖縄方面
への伝来(匈奴・フン的)なものも倭人ということになり、倭国乱時代の倭人が
海浜漁労生活者であるということでは倭人の内容が非常に広くなる。古墳前期
には裏日本の四隅突出墳丘墓と表日本の積石墓という二手に分かれる文化圏が
あるのも複雑である。倭人というのも韓人同様多民族集団ということであろうか。
スサノオは騎馬民族、鮮卑等と同様の系統で倭人らしいところがない。オオクニヌシも
アルタイ色が強い。
380日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:07:14
藤原氏最高!
381日本@名無史さん:2007/02/23(金) 21:50:22
小柄な倭人の女はは人気があるが、新羅系の大柄な女は味がわるいのできらわれる
382日本@名無史さん:2007/02/24(土) 09:27:46
そうだよねパチンコ屋でも男よりも手の大きい大柄な女もいててあれは怖いよね
383月光仮面:2007/02/25(日) 09:02:27
山海経の倭、楽浪海中の倭人、鮮卑檀石槐に拉致された倭人、魏志倭人伝
の倭人が同一であるとしたら、渤海湾北西から日本の沿岸部に倭人がいたこと
になる。一方委奴国が倭奴国であるとすれば、ウェーノムという日本人蔑視の
朝鮮語と同じ字となる。ところが委奴国の頃までに、既に、前漢の武帝の頃、男鹿
半島には鬼が来て、石段作りをしている。鬼についての伝承は東北から日向を初め
とする九州に広がる。鬼とウェーノムの意味は似ている。これは匈奴などのように
攻撃性、体力が強く、赤鬼、青鬼というように皮膚の色も違う異民族、ただ、天狗の
面はナマハゲ、トシドンなどのように異民族が持ち込んだお面であった可能性がある。
他方、東北、九州には河童の伝承が多い。これは高句麗神話に出てくる河伯と似た
言葉であり、先住の専業農民とは異なり、河川沿いに住み分かれざるを得なかった
後進渡来人で、これが一番最初の倭人かもしれない。委奴というのは後の匈奴と
同じタタール・トルコ系統ではなかっただろうか。そして倭人伝に出てくる倭人は
かなりの部分弥生化された縄文人を含む、弥生人であったのではなかろうか。
384日本@名無史さん:2007/02/25(日) 09:19:34
天狗とか酒天童子とか猿田彦とか鬼とか
明らかに西洋人
伝説だとか架空の存在だとかいうのは大間違い
385月光仮面:2007/02/25(日) 11:01:47
イケメン面ではゴジラ面に勝てない↓
蘭陵王 (らんりょうおう)http://www2.kenyon.edu/Depts/Religion/Fac/Adler/Reln260/Vimalakirti.htm
しかし、BC1800年頃の小河墓白人老女ミイラの辟邪仮面も鼻は尖り、歯をむいている。
東北の鹿島様というのは陽根を水平にできるだけ長く突出させたわら人形で、賽神。
386月光仮面:2007/02/25(日) 11:06:01
蘭陵王↓
http://www.kyoto-ap.ne.jp/gagaku/bugaku/bu-ranryouou.htm
上のは間違って維摩経が出てしまった。
387月光仮面:2007/02/25(日) 11:48:04
参照→謎多き存在、物部氏について語るスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/menu337
出羽一ノ宮大物忌神社大御幣祭<陵王(りょうおう)>
http://senshohamada.hp.infoseek.co.jp/oomonoimi-ryoou.htm
これと、南北朝斉国蘭陵王を比較する時、この遊佐の地には、殷の青銅刀子
があることを考慮すると、どうも殷を逃れ燕経由朝鮮に入る箕子の方が古形
を保っていた、つまり、垢抜けした本国の伎楽面より、出羽一ノ宮大物忌神社
の方が古く、上記でも述べた鹿島様などとなり、東北一体に拡散したのでは
ないかと考えるのである。

388月光仮面:2007/02/25(日) 11:54:18
勿論、エジプト・殷を建設、世界の宗教を編み出した秦族が、その本拠地の大避神社
の門外不出の伎楽面を出羽に持ち出すという筋もあるが、現在の大避神社の伎楽面
の取り扱い方が昔からのものであるならば、それはありそうになく、出羽のものは極めて
古い西周初期のものであり、こうした文化が伝わるということは民族移動もあったと考え
ざるを得ない。
389月光仮面:2007/02/25(日) 12:27:31
>>387
山海経の地理誌では、蓋國在鉅燕南倭北 倭屬燕(蓋國は沿海州、咸鏡北道にまた
がって地名が残るので吉林省・沿海州、すると鉅燕というのは黒龍江省、アムール、
チタ、イルクーツク州、蒙古、アルタイであり、倭は内蒙古となる) 朝鮮在列陽東 
海北山南 列陽屬燕(朝鮮は遼の東方、海北山南、これは咸鏡北道か、燕に属す) 
列姑射在海河州中(列姑射は海河州、これすなわち、黒竜江河口浅瀬の彼方、
つまり、樺太) 射姑國在海中 屬列姑射 西南 山環之 大蟹在海中(射姑國は
樺太西南、大きな蟹、すなわち、タラバ蟹の取れる北海道積丹半島、山環之とは
積丹半島に包囲される洞爺・長万部あたりか)陵魚人面 手足 魚身 在海中  
大居海中 (そしてこれはとど、オットセイ等か) 明組邑居海中 (これは津軽
あたりかな)蓬山在海中(これが鳥海山・出羽一ノ宮大物忌神社か) 大人之市在海中
 (これが壱岐・原の辻あたりか)こういうことも考えられる。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sengaikyo/frame/kaidaihokkyo_frame.htm
390日本@名無史さん:2007/02/25(日) 13:07:54
慶州博物館の
http://inoues.net/korea/newsiragi3.jpg
真ん中にある新羅の装飾宝剣に注目。
三つ巴紋がある。
秦氏が創建した八幡神社も同じ三つ巴紋。
これと同形の宝剣がカザフスタンでも見つかってるらしい。
秦氏の弓月国があったカザフだ。
391月光仮面:2007/02/25(日) 13:12:05
上記の燕とか、斉が歴史に登場するよりも早くから出羽には殷文化が到達し、
陵王の伎楽が伝来されていたとすれば、陵王伝説は斉のものではなく燕以前
の遡ることが考えられるし、伎楽の起源も同様である。はっきりしているのは
山海経にいう燕の北方にあった倭と出羽とは地理的に離れていることである。
もっとも、遼河→松花江→黒竜江→間宮海峡→礼文島→大島→鳥海山→壱岐
→黄河河口→洛陽といったコースがあれば話は別だが。
392日本@名無史さん:2007/02/25(日) 13:42:53
近江の愛知川周辺地域 依智秦氏
393月光仮面:2007/02/25(日) 15:45:02
>>390
馬韓月支国< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8F
この辺だね。
394日本@名無史さん:2007/02/26(月) 09:15:59
近江に入った新羅からの渡来人の天日槍は秦氏
395月光仮面:2007/02/26(月) 09:48:09
出石袴狭遺跡出土墨書土器に秦部、平安前期年号等があり、天日槍が秦氏ではないか
といわれているようだ。
396月光仮面:2007/02/26(月) 16:12:52
月支の漢籍初出はBC645年管仲の管子で、月氏とは、中国北西部にあり、甘粛山中の
禺氏Yuzhiから中国に玉を供給する禺氏Yuzhi又は牛氏Niuzhiのこととされている
ようだ。商の婦好墓地からは新疆ホータンの玉が750個も出土。月氏は、BC1500年頃
から中国農耕地帯支配者と玉貿易を行っていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Yuezhi
この牛氏Niuzhiとは、秦氏の広隆寺牛祭りとか、ヒンズー教とかと関係するのかもしれ
ない。更に、ターリム盆地のミイラは玉のブレスレットをしており、銅のブローチの縫い
取り、牛頭にドーマン・セーマンのごとき卦のようなものが赤白黒で描かれていた。
他方、後漢書六夷伝韓伝では「土室を作るが、その形は冢(墳墓)のようであり、開き戸
が上にある(シンタシュタ-アルカイム同様)」、「ただ瓔珠(玉に似た石)のみを重んじ、
衣に縫いつけて飾りとし、首に掛けたり耳に垂らしたりする(小河墓同様)」、「子が生ま
れるとその頭を平らにしようとし、皆これを石で押さえつける。(バクトリア-トカラ人
同様)」、「その人々の体は皆大柄で、美しい髪を持ち、衣服は清潔である。刑律は峻厳
である。その国は倭に近く、故に入れ墨をしている者が非常に多い。初め、朝鮮王準が
衛満に破れると、その残りの部下数千人を率いて逃走して海に入り、馬韓を攻めて
これを破り、自立して韓王となった。準の子孫が滅んで絶えると、馬韓の人間がまた
自立して辰王となった。」・・・等とある。
こうしたことから、秦氏、弓月とは、こうした西方の月氏要素を含んでいたと考えられる。
397日本@名無史さん:2007/02/26(月) 17:13:04
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
398プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 17:49:37
>>225

>名前:日本@名無史さん :2007/02/26(月) 17:17:12
あっちの225です。
従郡至倭にしても、
「基点って何?なぜ従来は今が基点で従郡至倭だと郡が基点になるの?」
ってところが説明が無い。

→どのレベルに合わせて説明したらよいか解らない  
中には『魏志倭人伝』って何?的レベルのヤシもいるだろうし、私の説明だけで
理解でき、間違いを指摘できるヤシもいる。
決してムズイ事でもなく、主観も入っていないはず。全て辞書からそれていない内容なので
そちこちで見かける想像で組み立てた理論よりは、かなりまともと自負している。


>  >>224
二つのレベルで肝心なことを書かないね。
一つ目は、普通のレスでのこと。
>>223で書いてることを>>204で最初から書いておけば、
サガミハラハラさんの誤解もなかったろうに。
文章の書き方の癖なのかな。

→あれはサガミさんに宛てたレス  彼にはあれで十分すぎるレスなの
一から十まで説明しなければ解らないほどの馬鹿ではないよ
それに、彼に至っても私からの反論だけで「ピ〜ん」とくるんだよ
付き合いもかれこれ二年以上になるからね

399月光仮面:2007/02/26(月) 17:53:43
天日槍の遺跡とされる製鉄遺跡が5世紀のものが多く、天日槍は5世紀ではないかと
いう説もあるんだが、秦氏が天日槍を先祖として5世紀に製鉄遺跡を作ったということも
ありえるのではないかと思う。天日槍の子孫のタジマモリも徐福伝説等を信じて全国に
ばら撒き、秦氏がこれの上塗りをしたということもあるのでは。記紀を曲解するのは
用心が必要と思うのだが。
400日本@名無史さん:2007/02/26(月) 17:56:36
秦氏は天日槍をご先祖なんかにしてないじゃないだろアフォ
401月光仮面:2007/02/26(月) 18:37:46
>秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
>秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
エジプトのピラミッド内部に神殿を入れたのも、夏・殷を建国したのも、インダス・
ガンジスにヒンズー、仏教を入れたのも秦氏ではないかと大鉈を振り上げているのに
天日槍は無関係なんていわれるとがっくり来るぜ(www
402日本@名無史さん:2007/02/26(月) 18:58:31
天日槍と秦氏は名前が違うので別人だ、が近江がなぜか気になる
403月光仮面:2007/02/26(月) 19:06:55
神と人、名前が違って当然だよな。近江が気になるのはよくわかる。日本最大、最後の
銅鐸生産地であり、信楽焼きでも有名な窯業の盛んな土地柄。そして、丹後の宮津と
直結している。東西南北の要の地でもある。
404月光仮面:2007/02/26(月) 19:19:43
神様が渡来するわけがなく、実際のところは、秦氏の先祖のような存在が、豊前/吉備
あたりで既に秦王国的なものを築いていたのが飛び出したのだと思う。いくらボーダー
レス時代とはいえ玄界灘、瀬戸内海は飢えた海賊で充満していただろう。
405プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 20:12:47
>>389の投稿者です

スレを間違えて投稿してしまい申し訳ありませんでした。
406日本@名無史さん:2007/02/27(火) 04:33:02
>390
秦氏の弓月国があったカザフだ。

う〜ん、三つ巴か
賀茂神社

出雲や伊勢のの三柱信仰とも関係がありますか?


407日本@名無史さん:2007/02/27(火) 05:07:29
>396
秦氏、弓月とは、こうした西方の月氏要素を含んでいたと考えられる。

すばらしい
408日本@名無史さん:2007/02/27(火) 05:17:18
4世紀のメイフラワー号と天皇誕生ファンタジー
***********************************
吉備と大和の連合による「天皇の誕生・大和朝廷時代の幕開け」とは、
こんな感じでは?

●熊襲討伐遠征の途上、三輪の仲哀王がなくなり、河内のホムタワケ
(後の応神天皇)は急遽、吉備王と葛城王に同盟の使いを出し、神功皇
后は、大和三輪に戻る軍団を吉備で応神天皇=吉備王同盟の保護下にい
れる。将軍武内宿禰の仲介で、新王朝は平和裏に「現代に続く大和朝廷
連合体制」を創設し、三輪王朝の血縁の忍熊王は宇治で破れ、近江で琵
琶湖に身を沈める。
 
 吉備王は、新王朝の始祖応神に兄媛を与え、代々有力な外戚として
瀬戸内の軍事権を大和に供与するかわりに、従来どおり加那諸国、
金官加羅(後の任那日本府)の安全保障を大和連合に保障させ、北九州
勢力と新羅、百済をけん制しる。
409日本@名無史さん:2007/02/27(火) 05:19:24
 初代応神天皇は葛城襲津彦を遠征させ、百済から始皇帝15世を自称する
弓月王らテクノクラート系の秦氏移民団をまねき、殖産や古墳の巨大化
などの土木、漢字普及をさせる。
公共事業=前方後円墳造営を通じて、吉備と秦氏が後のテラ創設につな
がる「宗教祭司の制度化=天皇制度国家」へ向け、地方政権の豪族の
土俗祭事吸収・祭祀統合をはかっていくこととなる。

卑弥呼論争でも有名な、大和初期の首都マキムク遺跡には、
出雲=吉備が後の埴輪のプロトタイプとなる吉備式特殊器機を中心に
列島の有力墳墓の祭祀様式を、徐々に編集し制度化されていく検証が
なされている。
410日本@名無史さん:2007/02/27(火) 05:21:53
世界史的にも異常ともいえる巨大陵墓文化のノウハウは、中国地方の
出雲=吉備古墳形式と始皇帝陵墓にみる大陸北方遊牧系説もある、土木
好きな秦氏の先端技術が合体したものかもしれない。

 ちなみに遺跡、日本書紀などを吟味すると、遅くとも380年代には吉備
(当時の呼称はハダ・秦・葉田)に入植している。神武伝説は、地元で
は吉備王朝の傭兵扱いなので、あまり人気はない。
それでも神武が8年滞在したといわれる高島宮の大和への出立の日時が、
2月11日なので、朝廷は吉備で建国を祝い、東征に旅立ったという声
(九州東征説ならぬ、吉備東征説)もある。つまり、天皇家万世一系の
始祖のことは、彼らより古い歴史と伝承をもつとみられる日向、出雲、
吉備、三輪の末裔にも、正直よくわからないのだ。
411日本@名無史さん:2007/02/27(火) 07:22:29
http://kobunken.web.infoseek.co.jp/20060815/ujishi.htm
日本最古の須恵器が京都・宇治で発見されたが、
秦氏が絡んでるのは間違いないのではないだろうか?
日本で焼かれた物ではなく窯は半島にあるらしい。
韓国の須恵器は4世紀後半なんで、
韓国に根付くやいなや、すぐ日本に来た文化という事になる。
412日本@名無史さん:2007/02/27(火) 07:28:25
朝しか書けないんで連カキすまん。
大阪泉北ニュータウン近辺は昔、陶邑と呼ばれ、
日本の一大窯業地だったが、
やはり周辺に八田荘など秦氏ゆかりの居住地がある。
413月光仮面:2007/02/27(火) 07:44:50
朝、歩いていると、缶ビールを勧めてくれる人がいたが、先立たれた。しかし、今は
朝から焼き鳥や、飲み屋を開いている店が多い。ところで、陶邑というとかの有名な
スエツミミ、また、摂津の名前も陶津ではないでしょうかね。ここにも秦がいるか。
414月光仮面:2007/02/27(火) 08:07:54
>>409 >>410
政策、プロジェクトを立案し実行する能力というものは、弥生社会のように自然体で
出来上がった社会には生まれない。戦後の日本では、重厚長大部門からエンジニア
リング集団がスピンオフする。こうしたものがソフトハウスのようなものに発展する。
殷の箕子が滅び行く政権に見切りをつけるスピンオフすることが極めて示唆的だ。
そして、このスピンオフするものこそその昔、殷、ヒクソス等の古代王国を建設したもの
であったのではないかという感じがしますね。
415日本@名無史さん:2007/02/27(火) 09:47:33
記紀を書いた時が百済系が新羅系を追い払った後ならば、当然自己に都合がいいようにつじつまをあわせるよね
416日本@名無史さん:2007/02/27(火) 10:40:48
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
417月光仮面:2007/02/27(火) 11:51:58
>>404 >>414
記紀では天日矛に先立って思兼命が登場するが、常世思兼命とも呼ばれ、
「高皇産靈尊兒思兼神妹萬幡豐秋津師姫栲幡千々姫命」であるが、栲と
いうのは豊後風土記「栲の皮を取りて木綿(ユウ)を造る」とあるが通り、
豊後の名産、そして思兼命が日鏡、日矛の設計製作土地は秦王国、豊前、
更に、天照大神のイメージで造った日鏡とは、唐津前原平原遺跡出土の
国産内行花文鏡とするのが妥当。思兼命が伊勢神宮に祭られるのは、その政治、
経済、芸術、宗教、建設、建築分野における設計者、システムエンジニアとしての
才能のため。広島県との県境に近い岡山県にはこんなものがあるようだ。↓
http://www.city.ibara.okayama.jp/kaitou/contents/4/2/point/b/point4.jpg
http://www.city.ibara.okayama.jp/kaitou/contents/4/2/index.html
由布院に妹がいて、豊前香春にいます思兼命こそ秦王国の出身で、これを
伊勢神宮に祭る古代日本人はことの真価を知る国民だった。と思うのである。
418日本@名無史さん:2007/02/27(火) 12:36:41
全部先に秦氏が治めていた土地しかなかったので後からきた渡来系は
少しだけ譲ってもらい住んだ。
419日本@名無史さん:2007/02/27(火) 13:14:17
神道の「熨斗口(のしくち)」ってメノラーなのか
http://www3.tokai.or.jp/mikinokuchi/buriki.jpg
http://www3.tokai.or.jp/mikinokuchi/shihanshinchuu.jpg
もしくはハヌッキーヤー。

天狗の団扇とかもおそらく。
大雄山最乗寺の天狗の団扇
http://park3.wakwak.com/~kame/saijyouji/d43.JPG
http://www.diana.dti.ne.jp/~morooka/ryokou1/tenngg.jpg
420月光仮面:2007/02/27(火) 19:55:23
>>419
榊、クリスマスツリー、メノラー、ハヌカーに共通のものを感じます。
421バルタン星人:2007/02/27(火) 21:17:31
四国ですらアイヌの国だったので渡来人が攻め上った時は容易に関東まで行けたし
地名も全部渡来人が付け放題でした。かろうじてアイヌの付けた地名だけがチョビットだけあります。
422唐松山:2007/02/27(火) 21:49:18
思兼命...これを伊勢神宮に祭る
思兼命の入植地は、長野県伊那地方阿智であり。
伊勢の神が一時期 思兼の元へ非難していた関係で神宮に祭られたのではないでしょうか
思兼命の息子は、手力男で 長野辺りを本地とするが、普段伊勢か其方の方面に住んでいた。
と想われます
神武以前は、私には、解りませんが
423日本@名無史さん:2007/02/27(火) 23:04:57
>410 続き
 吉備(ハダ)では紀元8年の前漢クーデター政権の「王蒙の貸せん」
(当時の国際通貨)も国内で唯一大量に発掘されている。2世紀以前の
最大のタテツキ遺跡(天文系)からは、大量の祭祀用の水銀(朱)痕も
見つかっている。つまり、神武や応神天皇が歴史に登場する以前から、
当地には華人らとの交易や大陸からの入植都市が存在している。なぜか
日本史はこの事実に触れたがらない。

「神の国」といってもたかだか始祖は4世紀の地方政権。当時の大陸は、
漢人すら南朝に退けられ、首都中原では、チベット、鮮卑、匈奴系の
ペルシャ・トルコ系遊牧人種のインテリがイエス伝承や仏教、儒教を
融合させたり、高度な解釈学、書道などというオタク学徒までが花開
いていた時代なのだ。
424日本@名無史さん:2007/02/27(火) 23:07:55
大陸で、吟遊詩人が竹林に遊ぶ、すでに中世的な清風の時代。日本列島
にようやく帽子をかぶったツーピース服装の馬に乗り、文字を操る移民
団が登場する。住居にオンドル(暖房装置)を持ち、ポシェットから
鉱石探しの地図をとりだすことができたこの一群こそが、1600年前の
メイフラワー号、弓月王に率いられた秦氏なのである。

秦氏は後世、自らが建設する「千年の王都・平安京」の地、京都山城に
も移住し、後に初代大蔵卿となる秦大津父や聖徳太子の顧問として有名
な秦河勝など代々の太秦(族長)が憲法17条、12階制度を補佐実施し、
一挙に天皇近侍として朝廷領地と公権力の拡充を図る。
 
「天皇制度=律令・公地公民」普及では、抵抗する在地豪族の隷属民を
、軍事威圧ではなく、機織、須恵器、竈、文字などの先端文化のインキ
ュベーション普及による「儲け話」で解放しる姿は、なにか現在のグロ
ーバルスタンダード手法を彷彿とさせる。市場的な投資、教育の意義を
知っていた、シルクロードの殖産ビジネス集団ならではのことだろう。
425日本@名無史さん:2007/02/27(火) 23:12:29
 軍事ではなくピースフルな商売により土俗豪族から解放された「天皇の公民」
をテラや神社に束ね、律令殖産国家経済を模索することから「日本人」という
「和の民族」が誕生したとしたら、どうだろう。
 
 ローマ化される以前の12使徒時代の思想を残す「原始ユダヤ・キリスト教
徒説」(佐伯博士他)のある古代最大の渡来氏一族は、正倉院、宮内庁雅楽に
残るペルシャ・トルコ中東繋留文化の保護者でもある。(能の始祖、世阿弥や
宮内庁の東儀家、「君が代」制作の林家は、秦河勝末裔といわれる)

 男系論で万世一系を人類的遺産として保護することに、無論反対ではない。
しかし、戦前のような曖昧で稚拙な天皇論では、「グーグル化していく世界」
に、抵抗すらできないで天皇の住む場所は消失していくだけだろう。
426日本@名無史さん:2007/02/27(火) 23:15:54
 日本民族にあまねく流れる雄大な縄文や渡来民族の血流。
我々のシンボルである天皇とは?

謎の4世紀。メイフラワー号の彼らと応神天皇軍団のつながりこそが、
日本建国のファンタジーであり、200年後に煬帝をうならせた「日出づ
る国の天子」の秦河勝と聖徳太子コンビによる、日本独立宣言への序章
なのだ。

 戦後60年、敗戦により米中の属国といわれても仕方のない立場である
日本。民族の危機を見つめるためにも、我々自身が、今こそ先祖たちが
歩んできた遠大なユーラシアの風を思い出すべきだろう。

(とりあえず 終了)
427日本@名無史さん:2007/02/28(水) 01:05:51
>>423-426
素晴らしい、ほぼ同感!
428月光仮面:2007/02/28(水) 09:24:52
>>423
吉備で「王莽の貸泉」が発見されることは、楯築遺跡と妻木挽田の東方の青谷上寺地http://www.nnn.co.jp/tokusyu/yayoi/051120.htmlとの関係に重大なヒントを与える
青谷上寺地では、銅鏃を受けた戦死者が埋葬されているが、銅鏃を使用しえるのは
河内方面の東奈良生産地か、九州の須玖方面とかの青銅器を支配する権力者である
可能性が強い。二世紀末の楯築墳丘墓は、日月に祭壇を設けるタタール風中円双方墳
であり、墳丘の上部にはモンゴリア匈奴文化のメンヒルが巡らされている、当時としては
前代未聞の巨大遺跡。「大量の祭祀用の水銀(朱)痕」が出土しており、http://kamnavi.jp/ym/suigin.htm これに類するのは、福岡県三雲遺跡で中国産の
辰砂の原石が出土。この大量の辰砂の物語る期間、この地方にあった王権は、箸墓を
卑弥呼の墓とすれば、その前に時代にあったが倭国乱に滅びた、倭人伝では倭国
最初の男王とされるものだろう。これについては孝霊の山陰征伐、吉備津彦の吉備
征伐
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-18tairan.htm
が参考になる。いずれにせよ、貸泉のヒントは青谷上寺地と吉備の深いつながり、というか、同一性を物語るのではないかと考える次第。
429月光仮面:2007/02/28(水) 10:33:47
貸泉は、漢周辺国においては後漢光武帝の頃までは流通していたと考えられるので、
伯耆、吉備の豪族は金印を授与された委奴国であるとか、その周辺で辰砂を埋納され
た三雲遺跡との関連を考えざるを得ない。しかし、日月に祭壇を設けるタタール風中円
双方墳であり、墳丘の上部にはモンゴリア匈奴文化のメンヒルが巡らされている事実
は、王権を支えたのが、鮮卑とか、曹操に討伐された烏丸敗残兵で、これが後に秦氏
に同行し、山城、近江に入るのではないかと思う。
430日本@名無史さん:2007/02/28(水) 10:46:33
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
431月光仮面:2007/02/28(水) 11:29:21
>>423
>2世紀以前の最大のタテツキ遺跡(天文系)からは、大量の祭祀用の水銀(朱)痕も見
>つかっている。つまり、神武や応神天皇が歴史に登場する以前から、当地には華人ら
>との交易や大陸からの入植都市が存在している。なぜか日本史はこの事実に触れた
>がらない。
それは、天孫が渡来人秦氏系統とすることになり、藤原氏独裁体制の史観にも反する
からだ。限定された王権といえども九州には秦王国があった。その頂点にあったのは
三雲遺跡に代表され、仲哀に始めて八咫鏡、白銅鏡を渡したウルサン出身の伊都県主
家であり、豊の国、八井の国を支配し、「八意心」(八幡、太陽神崇拝宗教)を持つ思兼命
による倭国建国史を否定するもの。多分、歴史はこの藤原史観の通り動いたであろう。
しかし、秦王国の存在を抹消するのは姑息である。たとえその末裔が新羅であったに
せよ、事実は事実だ。アングロサクソンはブリタニア人にあらずというのでは大英帝国は
成り立たないのだ。
432月光仮面:2007/02/28(水) 11:43:15
秦氏を下支えした熊鰐、岡県主の祖というのがあり、これが隠岐(オオクニヌシノワニ
ザメ)、近江、大和の和邇で、これは烏丸の漢字読みウアン、ウアニから来ている。
これがモンゴリア高原のメンヒルを伝えた「岩立たすスクナヒコナ(高句麗の天神と同じ)」
の民であろう。ということは倭人伝の魏使張政などは岡港から対馬海流に乗り琵琶湖を
南下して大和に入ったので、乗船港フミについては船団編成、気候待ち時間の余裕が
あったのか戸数の計算が綿密である。
433月光仮面:2007/02/28(水) 11:59:16
平原の女王崩御後のことであろう。
時有高皇産靈之息思兼神云者。有思慮之智。乃思而白曰。宜圖造彼神之象而奉
招祷也。故即以石凝姥爲冶工。採天香山之金。以作曰矛。又全剥眞名鹿之皮。
以作天羽(鞴)。用此奉造之神。是即紀伊國所坐日前神也。
宜圖造彼神之象・・・これは後に三種の神器となる平原大型内行花文鏡を思兼命
が鋳造したのではなく、オリジナルから踏み返して、レプリカを作成、紀伊国の豪族
に与え、彼はこれを大和で行われる卑弥呼の大喪儀礼に使用し、崇神はこのレプリカを
宮殿に祭っていたということであろう。つまり王権のタブレットは伊都国に残っていたのだ。
そしてそれを手にするのが仲哀の御宇なのである。
434バルタン星人:2007/02/28(水) 12:02:18
新羅系が早くから国土を整備開発していたが、後輩の百済系の氏族が運のいいことに派遣先の東北で金を発見して
一躍中央政権に着いて、新羅系を蹴散らしていき蹴散らし切れない秦氏も差別の対象にしたりして
百済系の者一色の社会を実現させた上で記紀を書いたのなら
435月光仮面:2007/02/28(水) 12:51:55
>>422
思兼命は大工の神様となっており、伊勢神宮に祭られるのも、伊那地方阿智も
木工との関係もあろうかと思いますが、秩父では後の和同開珎ニつながる神社
に祀られています。ここで、阿知使主というのは呉(高句麗・楽浪)の出自のようですが
アルタイにはアチ族とか、地名がありますので、東胡経由高句麗に入った部族で、
同様にアルタイパジリク文化経由西方から入ってくるスキタイサカ族(坂上氏)と密接
に関連した東漢氏の一員でしょう。
436日本@名無史さん:2007/02/28(水) 14:56:34
前方後円墳とは円墳と方墳それぞれを象徴とする2つの別々の
巨大勢力が1つに融合したことを示している形式なのではないか
437月光仮面:2007/02/28(水) 15:29:04
円墳は伽耶地方、西都原等にあり、木造建築で表現すると八幡造り。拝殿、つまり、
前方後方墳にあるお供え物を祀ったり、お賽銭を上げたりする設備を特別に作るこ
とはしない形式。多分秦氏は基本的にこの方式。これに対して出雲大社のような
複雑な連結構造は、東海地方、大和などに多い前方後方墳であり、地の恵みを
天神に捧げる設備が祭壇、後方墳付いている。これは基本的に丸と四角、西と東、
太陽と天地、天孫と地祇の対立と考えられる。楯築遺跡は中円双方墳であるから
折衷案、妥協案で南北朝鮮が連合して高麗連邦を作るといった構想であったので
あろうが、それが月読命失脚ということで、アマテラス独裁となって箸墓が建設される。
しかし、更に妥協として方墳を付け、或いは、中円双方墳の一つの方墳を落とした形と
なったのが、前方後円墳の始まり。であるから、四隅突出、前方後方墳の方形にこだわ
る出雲、東海と円墳にこだわる九州の妥協の産物といえる。
438月光仮面:2007/03/01(木) 08:05:48
楯築の天孫地祇連合構想を打破、三上山の銅鐸金神、香具土に母なる大地の
産道に火傷を負わす罪を着せ生まれながらに切り殺す呪詛と共に、銅鐸圏から
の地上から銅鐸の気配すら抹消し、鏡神社と式年遷宮する伊勢遺跡を開始し、
近畿から筑前に至る庄内式土器経済圏を樹立するということが、電撃的に行われた。
この影響は東海の廻間土器も受けており、纒向では布留式土器も始まる。こういう
動きを行った主体は垂仁のところで登場する天日矛しか考えられない。これはその
企画性からしても、又、重要なことは、その後に発足する卑弥呼政権が鏡配布という統治
構想を展開することからも、秦氏的発想が読み取れ、彼らのの遠い祖先と考えるのが
当然。
439日本@名無史さん:2007/03/01(木) 15:19:07
>426
ユーラシアの風か、いいね
このさい、もう先祖にならい独立しよう!


>月光仮面
いいよ、いいよ〜。

>天日矛しか考えられない。
長年の疑問が氷解していくよ。
440月光仮面:2007/03/01(木) 15:30:59
電撃的革命とか、天日矛の個人プレーというのではなく、天照大神は最初、天雅彦
の命を摂津に送り込み、天孫による銅鐸圏の支配を目指すが、天雅彦が天孫を裏切る
腹であることが思兼命の謀略で露見、暗殺され、經津主神、武甕槌神が銅鐸圏東方の
関東勢と合従連衡を組み、反天孫の首魁大国主命との非常に厳しい交渉を行い、
「又汝應住天日隅宮者。今當供造。即以千尋栲繩。結爲百八十紐。其造宮之制者。
柱則高太。板則廣厚。又將田供佃。
又爲汝往來遊海之具。高橋、
浮橋、及天鳥船
亦將供造。又於天安河亦造打橋。
又供造百八十縫之白楯。又當主汝祭祀者天穗日命是也。」
つまり、出雲大社を初めとする各種インフラ整備を約束して、出雲神賀詞
http://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html
の合意に至ったようだ。わが国の建国が流血なしに激しい交渉の上に成立
したことは世界史上に類を見ない、極めて文明的な手法であったといわなくては
ならない。そして全体として息詰まるようなドラマチックな展開であったことは
記紀が雄弁に語っている。世界にこれくらい劇的で、美的な建国があろうか。
441月光仮面:2007/03/01(木) 15:35:12
>>439
天日矛とは主として鏡鋳造、古墳建設等の特殊技術部隊であり、秦族は天孫参謀
本部として九州を離れていなかったと見るんですがね。
442日本@名無史さん:2007/03/01(木) 17:06:00
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
443月光仮面:2007/03/02(金) 10:42:21
>>419 >>420
19世紀英国発明家ジェームス・ナスミスの「ピラミッド太陽光線起源説及び鏃型楔形
文字起源説によると、雲間をこぼれる太陽光の開いたものがピラミッド、狭いものがオベ
リスク
http://www.bibliomania.com/2/9/70/117/24613/p433.gif
私は、このピラミッド型をユーラシア森林地帯の人々が蝦夷松、樅の木の樹形に見たも
のが、西方ではクリスマスツリー、日本では神籬、賢木、榊
となり、これが呪具となり、一つには、神道の「熨斗口(のしくち)」
http://www3.tokai.or.jp/mikinokuchi/buriki.jpg
http://www3.tokai.or.jp/mikinokuchi/shihanshinchuu.jpg
《地蔵十王経》は偽経であるが、天地を揺るがす轟音と共に、エニセイ川を下る氷塊の
山はアルタイでは現在も続いている。翁(けんえおう)という鬼形の姥と翁がいて,姥は
亡者の衣服を奪い取り,それを翁が受け取って衣領樹に掛ける。亡者の生前の罪の
軽重によって枝の垂れ方が異なるという。この話がと、ナマハゲが欧州と奥州、鹿児島
に残る。この衣領樹がクリスマスツリー、神籬、賢木となるのではないかと思う。
444バルタン星人:2007/03/02(金) 10:50:58
騎馬民族系の渡来人が来るまでは全国がアイヌの国でアイヌ人だらけでしたが
渡来人が来てからは下僕になったり追放されて死んでしまったので毛深い人は
北と南にいてます
445月光仮面:2007/03/02(金) 10:59:03
天狗の団扇とかもおそらく。大雄山最乗寺の天狗の団扇→葉団扇
http://park3.wakwak.com/~kame/saijyouji/d43.JPG
http://www.diana.dti.ne.jp/~morooka/ryokou1/tenngg.jpg
獅子との闘いの劇中での使用からして、起源は西アジアであろうが、八手は太陽の
象徴、加えてその色が真紅であることにの太陽を表現するものとして留意する必要が
ある。
前のスレに帰るが、高皇産霊神、高木神が太陽神であることもこのピラミッド型をユー
ラシア森林地帯の人々が蝦夷松、樅の木の樹形に見た結果であると考える。なお、
ジェームス・ナスミスはシリアにおける樅の木、蝦夷松ノ木の松かさが王者に対する
司祭者からの受福の贈り物であり、司祭者がそれほど神聖であるという意味を表す
としている。シリアの樅の松かさについては↓参照。
http://www.zyworld.com/Assyrian/Assyrian%20sacred%20tree%20of%20life.htm
446月光仮面:2007/03/02(金) 11:34:30
メノラーなのか もしくはハヌッキーヤー。
ジェームス・ナスミスは、英国儀典教会、欧州大陸教会におけるランプ、キャンドル
重視、特に、ローマカトリック教会では聖像の前にピラミッドスタンドを設けることに固執
したとしているが、同氏はパリルーブル博物館で見た古代エジプト民俗太陽崇拝信仰
場面の壁画拓本↓を参照、
http://www.bibliomania.com/2/9/70/117/24613/p434.gif
1)エジプト風習で表現されている太陽から伸びるビーム(高良玉垂、オキナガタラシ
の帯、御幣参照)
2)眼前に手を差し出すのは太陽光をさえぎる所作(太陽畏怖の表現)(縄文遮光土器
参照)
を太陽崇拝として留意している。季節的に大要再生の冬至に近いことを考えるとなる
ほどと思う。メノラー/ハヌッキーヤーは実に上記の蝦夷松、樅の木の樹形と光明信仰
を繋ぐものである。
447月光仮面:2007/03/02(金) 12:06:09
>>428
秦王国との関係は不明なんだが、貸泉時代に高句麗から香春(迦葉原(カソヴォル))、
http://enkan.fc2web.com/kantan/kr/kr_03.html
これは八上の川原とか、飛鳥の橿原、摂津の柏原などと同じ意味であろうが、に東夫餘
族が移動、その中にはエニセイのケタ(鹿飼い)も交じり。気多大社ができる。これが
基地としたのは豊前
http://keiko65.sakura.ne.jp/yamaaruki2/kubotesan.htm
これは途中英彦山、佐渡方面で鹿とか、陽根儀式を残した後、北上男鹿半島に入った
のであろうが、その後岩手でクロマンタを築き、後代には塩釜経由、鹿島、香取、春日に
入る。
http://www.city.buzen.fukuoka.jp/minwa/minwa-2/oninoabumi.htm
http://www.oganavi.com/data/035.htm
倭国乱時代に青谷上寺地から吉備にかけて大きな勢力となったものの支配層がこれで
あり、墳丘墓・古墳参加したのは当時曹操に追われた烏丸が多かったのかなと感じる。
千客万来であり、四隅突出・箱式石棺墓等はどっちに付くのか不明。
448月光仮面:2007/03/02(金) 12:16:24
>>446
古代エジプト民俗太陽崇拝信仰
場面の壁画拓本↓を参照、
http://www.bibliomania.com/2/9/70/117/24613/p434.gif
ここに出てくるエジプト人が角凝命といったイメージであることと、
男鹿半島に黒鬼が入ること、沖縄でもアカマンタ・クロマンタといって、赤鬼が白人
であるのは、ジプシー系かなとも思われる黒鬼が入っているのに留意の用がある。
ちなみに、高句麗には瑠璃明王というのがいるが、中近東ではジプシーのことを
瑠璃と呼ぶらしい。
449月光仮面:2007/03/02(金) 12:23:50
古代の夜は手を伸ばせば星に届く時代であり、人々は山岳、塔、高木、高層建築で、
日月星の世界にッ近づけると考え山岳宗教が起こるとジェームス・ナスミスは考える
ようだ。さすれば豊前の石段は後の英彦山の起源であり、男鹿のものは出羽三山の
起源ともいえよう。少なくともクロマンタの起源ではありえよう。
450月光仮面:2007/03/02(金) 15:11:25
>>423-426
秦氏とは埴輪にはない弥勒菩薩であるとか、古墳にはない法隆寺、東大寺、等の
神社仏閣、伎楽、絵画、仏像、律令、宗教と言った、それまでにはなかったものを
と考え方を日本に持ち込んだ。記紀においては、このことに対するフォーカスが抜け
て、ピンボケになっているので、日本には世界に示せる歴史もなければ、子供に教えら
れる歴史もなく、国民は実に莫大な有形無形の損失を続けてきたし、このままではもは
や国を滅ぼしかねない。政府も教育の重要さには気付いてきているが、何が問題なのか
いまいちはっきりしない。この秦氏に対するバイアスの是正はそうした極めて重要な
教育問題、文化問題の一つである。若い史家がこの重要な使命に覚醒し、絶大な活動
をすることに期待し、この2CHで陰ながらの支えになる必要があり、この点で
>>423-426 の投稿に大いに期待する。
451月光仮面:2007/03/02(金) 16:53:21
>>443 若干、樹種名に間違いがあった。
アッシリアのはきっと椴松松ぼっくり↓
http://homepage2.nifty.com/mokuseisha/meiboku.files/meiboku_pht.files/todomatsu000817_41.jpg
これに対して、衣領樹、クリスマスツリーが蝦夷松↓だろう。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c5/Picea_jezoensis.JPG/240px-Picea_jezoensis.JPG
452月光仮面:2007/03/02(金) 20:21:47
>>445
>高皇産霊神、高木神が太陽神であることもこのピラミッド型をユー
>ラシア森林地帯の人々が蝦夷松、樅の木の樹形に見た結果であると考える。
細かいことを言うと椴松、樅の木となる。が、これは天皇家、秦氏は、ピラミッド型、
高句麗の将軍塚型、東胡、鮮卑型ではなく、スキタイ型であることとも関連する。
つまり、これは伽耶、西都原等に見られる円墳の起源と考えられる。これはウラルで
発生し、バルカン半島をギリシャに侵入したものであり、エジプトにあったピラミッド
とは異なる。いずれにせよ、天皇、天孫も、出雲の地祇も、クロマンタも渡来人であり、
縄文人ではない。東北の遮光土偶は天皇家の先祖だと主張するのもこじつけくさい。
453日本@名無史さん:2007/03/03(土) 08:07:21
俺は日本の古墳時代中期の馬具などは、
時期的にも5世紀前後だし、
また半島の伽耶にいたという理由からも、
秦氏が日本にもたらしたと思ってるのだが、
この十字紋の杏葉
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2003b_t2.png

島津家にみられるように秦氏の家紋は十字だね。
やはり景教か?
454日本@名無史さん:2007/03/03(土) 08:36:23
>>419
http://www.e-spc.co.jp/cgi-bin/mkfilenopng.cgi?bango=674&color=0&R1=90

丸に立ち束ね熨斗

「熨斗は延長・発展に通じ、縁起が良いものと考えられており、
語源は、火熨斗で日で布をのす事で、
熨は日を当てる事、斗はその柄つきのひしゃくを意味します。」
らしい。

メノラーかもなぁ…
455バルタン星人:2007/03/03(土) 09:30:50
王族は王族同士で婚姻したので新羅から王妃をいれたら、高麗から王妃をいれたら
百済から王妃をいれたら同時に文化も人もはいるしだから古代は最初から国際国家と国際人だった。
ので
456月光仮面:2007/03/03(土) 11:23:11
太陽崇拝が伽耶から日本に渡る経緯であるが、
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinkan-siragi/siragi.-king8-adara.htm
倭人は先ず月読命(月精延烏郎)を招聘し、その後に天照大神(日精細烏女)を招聘す
ると言うことで、政策に変化があるが、これは安曇海人族の政策に対して、豊・日向
方面、或いは、大和方面から異議が申し立てられた結果であろう。
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/iseki/hirabaru.htm
http://inoues.net/ruins/itokoku.html
月読命(月精延烏郎)は多分鬼のウラとして吉備で粛清され、秦氏渡来の
時代に壱岐で拾い上げられ、京都に祭られるのであろうか。いずれにせよ太陽崇拝は
スキタイの日本進出ではなく、日本の政治勢力が国内統一のため新羅阿達羅王の
意向にかまわず、強引に伊都国に導入したもので、これはこの当時に始まっていた
大和・河内方面の政治力が沖ノ島、壱岐、対馬、勅島に広がったことを示しもので、
その証左が平原遺跡が方形周溝墓、舟形木棺等の近畿系リチュアルによることで
わかる。天皇が渡来人というのは坂上氏のような渡来人との姻戚関係を通じてはい
えるが、太陽宗教の起源はあくまでも倭人が採用したものであり、スキタイが侵入
したものではないことは三国遺事が国際的文書として立証している。
457日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:37:37
延烏郎/細烏女なんてAD150年前後でしょ

近過ぎるわ

何もわかってないな
458月光仮面:2007/03/03(土) 11:39:18
しかし、楯築の中円双方墳は、日精月精連立を前提として建設されており、ウラは
楯築竣工後に粛清されるのであろう。これに先立ち孝霊がヒンターランドの隠岐、
妻木挽田、青谷上寺地、出雲を徹底的に殲滅し、その後にキビツヒコがウラを惨殺
する。後の世のキリシタンバテレン虐殺のように日本人は邪宗門に対する苛酷な
対抗措置を講じたようである。現在のイラク・レバノン情勢を思う時、日本人の歴史的
宗教に対する安全保障感覚の鋭敏さには感心する。
459月光仮面:2007/03/03(土) 11:43:03
>>457
アクセル全開で走っているから、なんかあったら詳しく頼む。
460月光仮面:2007/03/03(土) 11:57:10
余談ではあるが、島をも動かすような倭人海人族の動員力には、沿岸部に兵站
補給基地の設置がなくては不可能。そうすると帥升が楽々と洛陽に入れたり、
鮮卑檀石槐が倭人を捕虜にするのは、日本海渤海湾沿岸に倭人の補給基地が
黄河を遡り洛陽に至るまで整備されていたか、或いは、海人族集団安全保障条約
のようなものがあったのかナーと思うんだがね。
461月光仮面:2007/03/03(土) 12:22:54
三国遺事【日本帝記を按ずるに、前後に新羅の人を王と爲すこと無し。これすなわち
邊邑の小王にして真の王に非ざるなり】・・・これほど雄弁に外国文書によって日本
建国が全くの外因によるものではなく、内因によって成立したことを物語るものはなく、
三国遺事は倭人伝と同様に国際的に日本建国を証する文書としては極めて重要
である。日本は庄内土器経済において、布留式土器発祥地を中心として、縄文・弥生人
の子孫によって建国されたのである。
462月光仮面:2007/03/03(土) 12:41:18
上記の日月神を伽耶から日本に招聘するプロジェクトを完工したのが
小伽耶吹上津命(ウガヤフキアゲズ)であり、任那日本総督といった役職
であり、神武が岡の港から消息不明になるのは勅島方面に援軍要請に
出向いたのではないかとも、或いは、伊都国政府に三種の神器のうちの
フツノミタマだけでも貰えまいかと請願に行って失敗したのではないかと思われる。
失敗談は掲載しなかったのでなかろうか。
463征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/03/03(土) 13:54:29
三国遺事での延烏郎と細烏女の話の新羅阿達羅王の四年がAD157年

日本書紀で一世三十年で計算すると垂仁天皇の実年代がAD270-300前後

記紀ではアメノヒボコの系譜に違いがあるが
タジマノマモリがアメノヒボコの四世孫と云うのは共通しているから

垂仁とタジマノマモリを同期として逆算すると、垂仁の四世代前はAD150-180年
(更にはここで同期とすると、後の神功の世代でも系譜上の整合が取れる)


次に垂仁の四世代前は孝霊天皇と同期…と言いたい所だが、記紀の欠史八代で系譜を改変していて
記紀以外の系図や紀年の復元計算上孝霊と孝元が同世代の筈だから

垂仁の四世代前は孝安天皇
孝安天皇の代の想定年代のAD150-180年にアメノヒボコが来た事に当初はなって居た筈だ


つまり三国遺事の延烏郎・細烏女伝承と、記紀等のアメノヒボコ等の新羅から渡来伝承は本来同期で、
想定年代上の天照大神・月読命はそれ以前である筈だから、ここが単純なイコールとは言えない


次に、孝霊天皇は設計上凡そAD180-の天皇だから、吉備の鬼退治伝承が
霊帝(168-188)光和年間(178-184)の倭国大乱で、鬼が一部の伝承通りに渡来系の支配勢力だったとして、
其れをキビツヒコが倒したとしても年代上の問題は全くない。

そして孝霊伝承関連の情報からすれば、倭迹迹日百襲姫命は後に大和に送り返されるようだ
この一連の孝霊伝承が倭国大乱その物だとすれば、大乱終結後に共立されるとすれば
倭迹迹日百襲姫命しか伝承上の候補が居ない。しかも年代上の問題を全てクリアしている。

そして日本書紀では彼女は、崇神十年AD247年に死んだように設計している筈だ
464日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:19:21
 騎馬民族征服論者がおかしいのは、
彼らは、古事記や日本書紀に登場する神武天皇や崇神天皇、応神天皇などが馬に乗って
行動する記述が記紀に無いことについて、沈黙していることだ。



465日本@名無史さん:2007/03/03(土) 17:30:17
古墳から出る馬型埴輪とか馬具だとか
神社の絵馬だとか流鏑馬だとかを見れば
大きな影響はあっただろうということは分かる
しかも天皇稜から馬具とか出ればそれはかつて
天皇が使ってたものだということもわかる
それが征服と聞かれれば、同化が正しいと答えたい
466月光仮面:2007/03/03(土) 18:55:57
>>463
大筋で合ってるようですね。基本的に日本書紀には銅鐸という制限が付いているので
非常に心強い。
467月光仮面:2007/03/03(土) 19:52:40
天孫を円形、地祇を方形とすると、モモソヒメは出雲系大物主の司祭に就任し、
その儀式が暗闇で行われることを批判し、天孫思想に照らして宗教改革を
思い立った矢先に突然死、しかも、神罰による突然死を受けている。そして
その死は大和平野を人のリレーが埋めるほどの革命的追悼を受けている。
これには極めて出雲側による謀殺の疑いが強い。神武の嫡子謀殺に続く
二度目の出雲側の逆襲である。モモソヒメは謀殺を受けた後、死体に身の毛も
よだつ騎馬民族系の陵辱を受けたのかもしれない。全ては暗闇の中の完全犯罪
であったであろう。
468月光仮面:2007/03/03(土) 19:58:16
しかし、古代のことであり、これが出雲側の犯罪と見せかけた天孫側の謀略である事も
否定できない。ちなみに、この時代に勝者となるのはオオタタネコ、河内の人間である。
469月光仮面:2007/03/03(土) 20:37:50
魏の使節団は卑弥呼の謁見も得られなかったのに、卑弥呼は鬼道をよくし、
人を惑わすなんて、誰から吹き込まれたのか詳しい情報を知っている。
確かに内行花文鏡の幾何学模様時代は終わり、道教的な神獣鏡時代に
入ろうとしていた。しかし、老女卑弥呼にそんなに神獣鏡にこだわる必要が
あったであろうか。彼女は古きよき内行花文鏡、一歩譲っても画文帯神獣鏡
の時代に思いがあり、オオタタネコ等の新陣営による本物の神獣鏡、鬼道
の到来には抵抗があった。そうした人間であったように思えてならないのである。
470征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/03/03(土) 21:16:41
先代旧事本紀を見れば、神武と崇神までは計七世代程度までしか許されない
即ち、垂仁の七世代前が神武天皇と云う事になる。つまり上位十世十代の現存の記紀の天皇の系譜は改変されていると見て間違いない。

この想定年代を逆算すれば神武の年代は凡そAD60-90になる。

但しこれは先代旧事本紀がフツノミタマの剣を皇軍に授けた熊野の高倉下命を
饒速日尊(≒火明命)の一世孫である天香語山命とイコールとする記述依存する。

しかし勘注系図では、神武と同期の尾張/海部氏を天孫火明命三世孫と同期としており
もしその通りなら、この年代は二世代分の60年繰り下がって神武はAD120-150でなければならない。

ここでは詳細は省くが、勘注系図は系図の同期関係にズレが発生しており、
この二世代分のズレは合理的に解釈する事が可能なので、「現時点」では単純な同期ズレとして処理出来る問題で在るが、常に留意すべき箇所でもある。

もう一つ。石上神宮の禁足地から鉄剣が発掘されたが、
これをフツノミタマの剣と比定する考えが在るが、
もしそうならこれがAD60年頃までには作刀されて居なければならないが
現在の考古学的見地からはそれでは問題があるようだ


次に別の観点から。神武元年は崇神十年から書紀の3年を実年代の1年として逆算すればピッタリAD57年になる。倭奴国遣使年だ。

この年代は三国史記の新羅4代目の脱解や、新撰姓氏録の皇別氏族の新良貴氏の記述とも一致する。
更には、先代旧事本紀や勘注系図の記述から
崇神天皇の七世代前、つまり想定年代AD30-60の天孫火明命が貰った筈の
海部氏伝世鏡の一枚、息津鏡(後漢鏡)の鑑定上の年代とも整合する。

先代旧事本紀、勘注系図、海部氏伝世鏡、新撰姓氏録、三国史記の全てが
神武元年がAD57年である事を許容している

今日の現存日本書紀以前の、そもそも設計上の神代と人代の切り替わりは一世紀と考えてほぼ間違いないだろう
当然フツノミタマの剣の伝承も、史実から派生した伝承とするならば、やはりこの年代でなければならない
471月光仮面:2007/03/03(土) 22:46:50
神武の紀伊・大和遠征があり、天香具山の土で土器を作る、これが弥生式土器時代が
終わり、吉備、河内、大和で庄内式土器時代の始まるAD200年の頃と見たい。記紀の
神々はは銅鐸消滅後、倭国乱の終わり頃に生まれるのであろう。それは、近畿で銅鏡
の始まる頃で庄内土器時代とほぼ並行するのではないであろうか。神話とか神々は
それを支える神官、神社、氏子、農民、商人のコミュニティーの発生が基になるが、神話の
統一、整合性が生まれるのは、例えば、環濠集落といった障壁がなくなる時代であろう。
472征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/03/03(土) 22:59:01
AD200年頃じゃ孝霊/孝元ってトコですよ
473日本@名無史さん:2007/03/03(土) 23:34:43
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
474月光仮面:2007/03/04(日) 08:36:54
>>472
神武は一日にして成らずですよね。
ただ、近畿の庄内式土器統一時代は「東遷」ではなく、むしろ文化の西進。
しかし、北部九州、出雲、吉備には近畿に先行する弥生遺跡がある。更に、伽耶方面
には王朝の歴史があり、丹波人が新羅の王となったと言う伝承もある。要するに、
記紀が銅鐸以前の伝承記録を抹消している。だから、神社伝承、風土記、中韓の史書、
巨石遺跡類に頼らざるを得ない。神武を三国遺事の時代と、親子関係くらいで、つなげる
気がします。
475月光仮面:2007/03/04(日) 08:57:48
近畿に銅鏡配布統治方式を導入したものは誰であったか。国産方製鏡はなぜ
内行花文鏡ではなく、三角縁神獣鏡にしたのか。思兼命がそのレプリカを造り、
最終的には崇神の手に渡ったようであるレガリアとしての神鏡はどういう経路を
経たのか。西都原に渡来した円墳文化のもつ太陽崇拝思想は何時ごろ畿内に入る
のか。これらは非常に大きなグレーゾーンです。記紀でいう神功応神時代が
太陽崇拝思想の九州から近畿への伝達のような気がします。
476日本@名無史さん:2007/03/04(日) 08:59:12
ママ〜
477月光仮面:2007/03/04(日) 09:38:53
>>472
当時の年齢、年代感覚というのは、入社したての人間が、あいつは古そうだ、若そうだ
と言ってる程度のことでしょうが、孝霊孝元なんていうの名卑弥呼より入社年次で
やや上と言った感覚でしょうか。ホケノヤマ、黒塚なんていうのがどうもくさい。卑弥呼
ファミリーと言ったものがあったのか。鏡のプロはなんと言っても豊前、香春方面の
渡来人、秦氏の先駆者的なもので、これが吉備に到達していて、倭国乱の際に
オオヤマトの豪族について大和に入った。天日矛集団というか。どうもこんな感じが
します。
478月光仮面:2007/03/04(日) 09:52:43
卑弥呼なんですが、どうも崇神、オオタタネコといった新入りで要領のいい人間に
大物主の神妻等と言う夜のお勤めの閑職、窓際族に追いやられ、終には神罰で
殺される。つまり、彼女はもともとは政治宗教の両分野での共立倭国王で、纒向
にいたものが末年は地元の三輪祭祀をやらされる羽目になったということで、これは
共立に参加した諸国に対する大いなる裏切りではなかったかと思われます。
倭人伝の伝えることと、記紀の伝えることにはおおきな開きがある。
479バルタン星人:2007/03/04(日) 10:09:37
摂津の大田氏が紀伊から移住したのは東征に追い払われたからでしょうか、摂津からまた岡山あたりに移住したらしいけども
480月光仮面:2007/03/04(日) 10:41:44
オオタタネコはオオ・タタ・ネコとも読めるんでねー。こうなるとタタの神と関係が
あるのかもしれないし。どうなんでしょう。
481唐松山:2007/03/04(日) 11:35:50
月光仮面さんへ
おおきな開きがある=設定まちがい
という事では?
482月光仮面:2007/03/04(日) 11:36:13
>>478
大物主神を奉る磯城集団は、古来から姉弟の司祭システムを持つ集団であり、これに
隣接して纒向に卑弥呼をトップとする集団を置くことは、ワシントン特別区連邦政府、
各州政府という政治理念を消化できなかった邪馬台国にとっては大きな矛盾であり、
天孫はこれを極めて憂慮していた。
「是時歸順之首渠者。大物主神及事代主神。」「時高皇産靈尊勅大物主神。汝若以國
神爲妻。吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穗津姫配汝爲妻。」
天孫は、大物主の神妻には特別に「三穗津姫配汝爲妻」とすることとした。ところが、
この重要な建国、共立宣言に背いたのが卑弥呼、百襲姫の神妻就任であった。
卑弥呼はこれに抗議、逆立てされた剣に腰から載せられ虐殺された。イザナギ特捜
検事団が墓を暴いて真相究明に乗り出したとき、死体は既に腐乱し、白骨化しかけて
いた。こういうことであろう。
483月光仮面:2007/03/04(日) 11:40:51
>>481
根底から間違えることもあります。その節は根底から是正してください。
484日本@名無史さん:2007/03/04(日) 11:51:50
スクープキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
Mr.オクレがユダヤ人に!
昨年末、吉本興業のMr.オクレがユダヤ教に改宗していた事実が明らかに!
ソース:民俗板http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1166498286/l50
485唐松山:2007/03/04(日) 11:57:31
それで 大物主の初子 たたねこ(多分まだ幼児)の逆鱗にふれ
虐殺された と
486月光仮面:2007/03/04(日) 12:13:05
>>482
この三輪大物主集団王朝に対しては全国的な反対運動が起きるのは当然のことで、
特に九州の天孫司令部、参謀本部はゲリラ戦に出たであろうし、東海でも陰湿な抵抗は
続いたものと考えられる。時代は救世主を待ち望んだ。そこに登場したのが近江出身の
オキナガタラシヒメであったのであろう。なんと、三韓をも巻き込んだ新王朝を作り上げ
たのである。神功皇后とは卑弥呼の生まれ変わりであったのだ。
487月光仮面:2007/03/04(日) 13:48:44
>>482
天孫の起源は一大率の機能に残るが、葛城志摩宿禰、武内宿禰と言った伊都国志摩
地区、「伊都国は筑前国怡土郡で、糸島半島は志摩郡ですから、魏志倭人伝時代にも
異なる行政地域、志摩国だったと思われます。」
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/10/ito/ito.htm
に駐在した倭国最精鋭部隊で、これが伊都国政府に同調して邪馬台国に対峙する
ことになったのであろう。関東軍の独走というか、鎌倉幕府的なものが成立したのでは
なかろうか。これが葛城、河内、近江の豪族と組みオオヤマト旧政権の打倒に向かうの
が神功の時代であろう。
488月光仮面:2007/03/04(日) 13:52:47
ただ浦の島子(浦島太郎)、奴国のシマコなどというのは例えば伽耶勅島総督といった
ような重要な島の行政官と言った意味であろう。
489唐松山:2007/03/04(日) 15:20:05
関東軍って かんとん軍?
それとも 関東のエミシ軍?
浦島太郎 の昔話は、田島守に置き換えれば史実である。
490日本@名無史さん:2007/03/04(日) 15:31:35
■ 朝鮮人の先祖=ワイ族は狩猟民族 ■

 朝鮮人の先祖であるワイ族は、シベリア出身の北方系民族だが、狩猟民。
彼らはアラスカのエスキモー(イヌイット)と同じように、動物の毛皮で作った衣服を着ていた。
 寒冷地の出身であるため、冬はほとんど服を脱がず、3〜4ヵ月も風呂に入らないのは普通だった。
そのため、体臭がキツく、臭かった。

 そういうワイ族に対し、漢人がワイ(穢=汚いの意味)と名づけたのである。
朝鮮人は今でも風呂嫌いな民族だが、あまり風呂に入らない生活様式は、ワイ族時代に形成されたのだろう。

【国立民族学博物館】
http://www.minpaku.jp/museum/exhibition/americas/inuit.html

【ヤクート族= ワイ族の同種民族】
http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/j/shinai/ykt.htm
491月光仮面:2007/03/04(日) 17:38:35
>>489
たとえが悪いね。筑紫派遣軍が大和の意向を無視することかつての満州日本軍の如し
と言いたかったんだが。
492日本@名無史さん:2007/03/04(日) 17:53:55
神武は紀元前1世紀、
畿内王家の婿養子として皇位を継いだ。
493月光仮面:2007/03/04(日) 20:02:10
>>486 >>487
しかし、筑前はオキナガタラシ姫時代もオオヤマトと同じ状態。↓
<日本書紀>に「仲哀天皇九年秋九月・庚午朔己卯(の日)、(神功皇后)諸国に令し
て船舶を集めて、兵甲を練らんとせし時、軍卒集い難し、皇后曰く必ず神の心ならん
とて、大三輪社を立て、刀矛を奉りたまいしかば、軍衆自ずと聚る」とあり、九月二十三
日(旧暦ゆえ、現在の十月)祭礼ありて、この日神輿御幸あり。御旅所は村の西・十町ば
かりの処にさやのもとというところあり、これなり。その他、年中の祭礼たびたび有り
しとか。いまはかかる儀式も絶えはてぬ。然れども夜須郡の惣社なれば、その敷地広
く、産子(氏子のこと)殊に多くして、人の尊敬浅からず」との記載がみられる。
http://www.genbu.net/data/tikuzen/oonamuti_title.htm
この後どうなるんだろう。
494月光仮面:2007/03/04(日) 20:08:06
「スサノオと誉田別命を一体化させて,大和に挑むしか方法がなかったと考えられる。
スサノオは大物主の神の父親であり,九州・中国・四国地方では,大物主の神以上の
尊敬を集めている存在であるから,誉田別命と一体化させれば,大物主の体制を崩し,
豪族を動かすことは可能であったと考えられる。
鏡作り一族の消滅
 このようにして,神功皇后が大和を破り,新大和朝廷を成立させた。その結果,
旧大和朝廷勢力に加担した豪族は処罰を受けた。その中に鏡を作る一族があっ
たため,新大和朝廷が以前のような鏡を作ることができなくなり,踏み返し鏡など
を使うことになったのではないかと想像する。」
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-25kagami.htm#_
こういうことなのだろうか。

495日本@名無史さん:2007/03/05(月) 01:09:10
月光仮面は物知りだからおしえてくれ!
今現在の秦氏の名字って
どんな名前だ?
秦氏末裔の日本名の特徴をおしえてくれ!
496日本@名無史さん:2007/03/05(月) 01:30:07
>>495
はた、やた、はとり、はたやま、はとやま、とうぎ、まつお、等じゃね
497月光仮面:2007/03/05(月) 08:35:26
>>495
大きすぎてわからない。古代中国西部に興って秦Qinと呼ばれた、漢族とは風習の
異なる部族の子孫、豊前辺りが起源と思われ、織物、宗教に強い渡来系の人の子孫、
こうした概念があまりにも広すぎて、把握しきれない。逆に言うと、そうしたハイカラな
渡来人ではない平凡な弥生人にはない特殊技能者、技術屋のようなものか、或いは、
現在の大分県等に見られる教育投資性向の高い特徴を言うのか。
498日本@名無史さん:2007/03/05(月) 10:05:20
秦氏は権威付けのためにつけた名前で本名はなしです。
499月光仮面:2007/03/05(月) 10:24:54
>>481
一つの可能性のある根本的な誤りですが、崇神は箸墓時代の人ではなく桜井
茶臼山、メスリ山古墳時代で、崇神記百襲姫も第2代目であったと言う可能性です。
そして、邪馬台国、卑弥呼、百襲姫とは孝元、開化時代のことであると言う可能性
です。この記録が全く抹消されているのは、タケハニヤスの乱のような大きな内戦、
と言ってもオオヤマト地方のことですが、があったのではないかということです。
将来、古墳の調査が解禁されると意外な事実が判明するかもしれません。そのときに
備えて、2CHであるにしても、やはり、全ては変数で、相対的に表現しておく習慣を
身につけておくべきかナー。
500月光仮面:2007/03/05(月) 10:39:34
↑或いは、邪馬台国は、反動勢力の巻き返しを受け滅亡し、大和朝廷として再生
したのかもしれません。問題はアマテラス的なものが全くなく、国産神獣鏡といった
オカルト的な文化になっていることです。そして、パトロンであった魏も滅びている。
501日本@名無史さん:2007/03/05(月) 14:34:34
>>450
>>この秦氏に対するバイアスの是正はそうした極めて重要な
教育問題、文化問題の一つである。若い史家がこの重要な使命に覚醒し、絶大な活動
をすることに期待し、この2CHで陰ながらの支えになる必要があり、

月光さん、おつかれさま
効果は徐々にですが、確実にあると思います。
専門の人も学生、一般マニアも、おおきな誤解をしたままでしょう。
ましてや古代史に無知な国民レベルでは、初期日本人のイメージはいまだに
出雲神話の世界です。なんかビジュアルで構築しなおししたほうがいいかも知れませんね。

渡来系、縄文と融合した土着の弥生人、海人族とか。
秦氏などは、帽子をかぶった埴輪にあるガイジンみたいな連中なのかな?

服装とか、居住形態、風俗が気になりますね。
中国風じゃないでしょうね、当時の鮮卑とかどんなかんじだったのでしょうね?
502日本@名無史さん:2007/03/05(月) 14:45:11
あと大衆的に気になるのは、やはり、ユダヤ・トルコなどの中東文化の係留
がどうであったか。
ダビデ神社などの継承も事実としてあるのだから、文化的な研究はもっとすべきでしょうね。

NHKは以前、聖徳太子をドラマ化したときに、大胆に軍装儀礼に遊牧系の
長いラッパ隊をいれたり、ユダヤのカゴメ紋を朝廷軍旗に使用していました。
ビデオでちらっとみえる。(さすがに編集されて少ししか画像はでていない)

吉備たてつき遺跡の亀石の「ライオン像のレリーフ紋章」も一部では有名ですね。
古くはギリシア、エジプトからの宗教、伝承文化なども混入してるんでしょうね
503月光仮面:2007/03/05(月) 15:02:01
↑吉備たてつき遺跡の亀石の「ライオン像のレリーフ紋章」・・・あれは人間の顔に見え
ます。バシキール、タタールと言った系統ですね。・・・
皇室に残る伎楽は無形世界遺産であることに間違いはない。
504日本@名無史さん:2007/03/05(月) 15:59:56
秦氏もさることながら東漢氏について少し…
wikiより。
[東漢氏の一族には東文氏があり、文人としての官人をも輩出している。七世紀から八世紀頃には内蔵省・大蔵省などの官人を多く輩出するなど、計数に明るい一族で高度な数的管理能力を持っていたと考えられる。]

[『続紀』には東漢氏の渡来に関して「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れて朝鮮に移住したことや氏族の多くが才能に優れて朝鮮で重宝されていたこと、聖王が日本にいると聞いて渡来してきたという伝承が記載されている]

ユダヤチックだなぁ…
505月光仮面:2007/03/05(月) 16:53:44
「ユダヤチック」とはいいえて妙な言葉だけど、アンネフランクの頃を思うと、隔世の感
がする。このスレが秦氏ということで、東漢も含め、ユダヤも含め、ディアスポラ或いは
大陸僑人とでも呼びたいね。客家というのも三界無宿の感じがして良くないし。エミグレ
という言葉が流行った時代もあった。
506日本@名無史さん:2007/03/05(月) 17:22:31
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
507日本@名無史さん:2007/03/05(月) 21:18:17
4ちゃんねるで古代の発掘をやってますよ
508月光仮面:2007/03/06(火) 08:56:30
夕べのテレビでアマゾン文明をやっていた↓
アマゾン巨大文明について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1141653370/
これは斉とか遼方面に入ったものだが、二里崗、安陽に入ったのが
箕子・秦氏と絡むのかなー。
509日本@名無史さん:2007/03/06(火) 09:20:43
地層が1000年くらいで銅の合金がでてるしジャガーの牙をくりぬいてる技術が
あるので宇宙人がきててやったのかも
510月光仮面:2007/03/06(火) 09:32:26
またぎ宿で熊鍋のご馳走の記念に熊の爪を贈呈するが、これが勾玉になるんじゃ
なかろうか。ジャガーの牙に管錐穿孔を施すのなら翡翠の勾玉が出てもよさそうな
のだが、アルマジロ、ジャガー等身近な獣をあえて使用したのかも。
511月光仮面:2007/03/06(火) 09:41:43
倭人伝でも「また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。 」
とあり、スペースシャトルより長そうな航海も想定していたようではあるが、丸木舟なんで
潮干狩りなどを繰り返し、又、山中に入っては、川筋で漁労、尾根筋で探鉱、頂上で
礼拝といった旅だったのかも。
512月光仮面:2007/03/06(火) 10:10:10
>>508
世界四大文明ってなんで急に発祥したの??
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1149793296/
ここでもやっている。
話変わるが、もはや、日本史とか、国地域限定の歴史、学教育機関は全廃し、
全て世界史の中での日本史と言うようにすべき時代だ。自国史で給料がもらえる
研究機関なんて先進国では少ないのと違うか。ODAにも若い歴史家、考古学者を
送り込む時代と違うか。
513月光仮面:2007/03/06(火) 13:18:29
アマゾン巨大文明について・・・この関係で、秦氏のポジションについて考えて見た↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1141653370/
514月光仮面:2007/03/07(水) 15:30:46
「弁辰は辰韓と雜居し、また城郭あり。衣服・居處辰韓と同じ。言語・法俗相似る、鬼神
を祠祭するに異あり、竃を施(もう)けるに皆戸西(家の西)にあり。その[シ賣]廬國倭と界
を接す。十二國また王あり、その人形皆大。衣服は潔清にして、髮長し。また広幅細布
を作る。法俗特に嚴峻。」
王であろうか、皆大柄、広幅細布とは秦氏の専門ではないか。法俗特に嚴峻というのも
神官くさい。いま、アマゾンで2Mの王様が出土、DNA鑑定では遼東、山東方面と一致
と言われる。骨の実年代はSD633年とかいわれていた。巨大な文明であり、ひょっとしたら
マヤ」文明とも関係するかもしれない。そうなると極東を旅立ったのは春秋時代後期
から戦国時代末期の遼寧青銅器文化時代であろうか。そうなると、秦氏よりも相当
早くなる。日本に旅立つのは光武帝の頃であろうか。しかし、秦氏は景教等に強い
ようでモンゴロイドと違うのではないか。この辺が謎である。
515日本@名無史さん:2007/03/07(水) 15:57:03
【考古学】ペルーのセチン川流域チャンキロ遺跡は2300年前の太陽観測所か
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1173186352/l50
516月光仮面:2007/03/07(水) 18:39:46
巨体だけで秦氏とは結びつかない。例えばダイダラボッチはどうも鉄鉱・鍛冶関係の
ようだ。すると出雲方面。秦氏は景教なんかだから、シルクロードで世界各国の言語を
翻訳したトカラ人、インドイラン系楽人、造園、設計、建設等の分野であり、出雲のような
重厚長大ではなく、機織りを含め、第3次産業的ではなかったかと思われる。白人も
柄は大きいので、モンゴロイド巨人とは秦氏とは別の、どちらかと言えば出雲系の
先輩のようなものかナーと思われる。なので、弁辰にいたのはどうやら秦氏の先祖では
ないかなーと言う気がする。
517日本@名無史さん:2007/03/07(水) 20:01:38
朝鮮半島のたて半分が長期にわたって中国領土だったのでその時代に
中央から島流しにされたり逃げてきた人たちがついでに日本に渡り建国が
容易だったので次から次に国を造りました、そこに前からいた小柄な倭人の女は
器量よしで大好きだが背のたかい新羅系の冷たい美人であってもなにをやるかわからん女はきらいだ。
518月光仮面:2007/03/08(木) 09:45:29
しかし、法制定、国家運営、都市計画が秦氏の分野とすれば、今回のアマゾン
モホス文明のような大規模文明の設計も秦氏ではないのかとなるんだが。
エジプトヒクソス時代にはユダヤのヨセフと同様にバシコルトスタン(ハザ−ル)
も政策に関与しているようで、世界には法制定、国家運営、都市計画に関与する
知的集団が秦氏以外に存在することもありえると見るべきだあろうか。又、秦氏も
彼らとは別個の、第3の知識集団である可能性もある。
519日本@名無史さん:2007/03/08(木) 12:03:31
倭人の小柄な女は今でも人気があり、大柄な背の高い女は味が悪いので
あまり人気がない。
520月光仮面:2007/03/09(金) 11:18:57
秦氏が全員白人かというと、そうではなく、印欧系、それも、インドイラン系言語を話す
民族であって、円墳の埋葬儀礼を持つもの、と行動を共にした多民族集団ということで、
その中には、考えられることとしては、方士徐福関係の中国人集団も含まれていたの
ではないかと言うことである。これは徐福伝説の分布が特に大型神社仏閣の分布と
合致することから考えられる。やはり、チベット語でハタグ、ハダが贈答用の神事布地
を意味すること、「ハタ」とは「神」の寄りつく「ヨリシロ」としての「旗」を意味する言葉の
ようである」との解釈、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E4%BF%A1%E4%BB%B0
日本にもっとも近い任那地方で高級反物を製造する大柄民族のいたこと、秋田唐松
神社に神功皇后の腹帯を納めた物部膽咋、その「腹帯」というのは水天宮の腹帯同様
時代と共に安産のお守りとなっているが、安産のお守りを物部膽咋が頂戴すると言うの
はおかしい。それは細烏女が新羅阿達羅王に下賜した反物のようなものと解釈すべき
であろう。そして、「ハタ」氏とはそうした神事に従事する人と解釈するのが妥当。そこに
「秦」の字を加えるのが方士徐福関係の中国人集団の仕業であろう。結論として、
中国人、語学、建築に強いトカラ人などを含む多民族集団であったと見るのがもっとも
確率の高い解釈だろう。
521月光仮面:2007/03/09(金) 11:58:07
秦王国の起源は倭面土国にあるのではないかと思うのだが、
『後漢書』孝安帝紀東夷伝に、安帝の永初元年(107年)、倭国王帥升等が生口160人
を献じ、謁見を請うてきた(「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)
この際のやり取りを考えて見る。
倭連合国王帥升「我は倭御許国の王なれど、伊都国に常駐し、帥(ソチ)をつかさどる
ものなり」
安帝記録係「王は倭面土国より来たり、帥升と称す」
この伊都国駐在連合国王は、倭人伝の頃に帥大倭(サシオーエ=載斯烏越)となり、
その権限の大きさから一大率と称された。この倭面土国は今の九州新空港あたりで、
神功・応神の頃、三韓の神を招いて宇佐の御許山に移されたのではないかと見ている
んだがどうだろう。載斯烏越は佐士布津と呼ばれたのかもしれない。
522日本@名無史さん:2007/03/10(土) 09:01:06
小柄な女は愛嬌もあった好まれるが、今でも大柄な女は味が悪いしいくら美人でも
あのスチュワーデスみたいに巨大な女はどうなんだろうか。味がわるいよね
523日本@名無史さん:2007/03/10(土) 09:37:59
秦氏も東漢氏も、日本に聖王がいるので来日したと言われるが、
聖書の預言者イザヤあたりの言葉を知ってたのなら意味も分かる。
「東」「島々」「地の果て」「日の出る方」なんて出てきて、
「主の威光で光り輝く」なんてあったはずだ。
524月光仮面:2007/03/10(土) 11:16:58
ヒクソス時代のエジプトには複数のディアスポラが出入りしており、その一つがユダヤ、
別にハザール、秦などがあり、かなりの伝承を共有していたという考えも成り立ちえる。
更に、秦集団とは別に、その数百年前に日本、アリューシャン列島を通過して中南米
に入るものがいたと言うこともありえる。
525月光仮面:2007/03/10(土) 12:19:59
「紀元前1000年頃の古代エジプト遺跡から中国絹の断片が発見されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B9
秦氏は絹織物を中国西部では神事に使用していたが、交易手段とか、或いは、
これを利用してエジプト社会での神官としての地歩確保を図っていたことも考えられる。
526月光仮面:2007/03/10(土) 14:40:34
>>523
>秦氏も東漢氏も、日本に聖王がいるので来日した
これは多分神功皇后の演出ではないかと思うんだが、胎中天皇が大陸系
天神、これが宇佐に天孫降臨するという話に仕上げた。そのマリアにも似た
ストーリーは当時半島にいた秦氏も東漢氏が持っていた新約聖書の話から
創られたものではないかな。
527日本@名無史さん:2007/03/10(土) 21:43:24
>>526
当時聖書が当たり前にあったと言う方が
おかしくないか?
528月光仮面:2007/03/11(日) 07:55:59
秦氏集団の持っていた伝承に、旧約聖書と一致するものがあったということは
考えられるが、新約聖書と一致するものは景教がないと難しいが、応神時代では
あまりにも早すぎる。すると、奈良時代唐との交流を通じて流入してきた景教の
知識によって応神紀を脚色したのではともなるんだが。
529日本@名無史さん:2007/03/11(日) 11:13:58
そうなんです、技師倭人伝も何回も書き直してるうちにわけが分からなくなってしまいました。
唐招提寺も糖を招いて造った寺です
530月光仮面:2007/03/11(日) 16:58:06
日本人としては、新約聖書も本来秦氏のほうに何らかの原典があって、それを元に
造られたものではないかと疑いたいね。
531日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:15:00
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
532日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:25:21
>>527
聖書があったというのではなくても、
預言者イザヤの言葉の概略くらいは知っててもおかしくはない。
533日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:57:39
>>532
電波説だろ
534日本@名無史さん:2007/03/11(日) 21:00:00
きょう見てた武田春信のドラマで武田八幡宮がでてきたので、やはり武田も秦氏なんだとわかり
おそれいったよ。
535日本@名無史さん:2007/03/12(月) 07:23:30
>>534 秦長安 
536月光仮面:2007/03/13(火) 16:27:27
仮説であるが、縄文人のY-DNAのYAP+はチベット人から引き継がれたとされる。
この移動が弥生時代に入っても続き、これが倭人となったが一部は秦に取り込まれた。
そして最終的には半島経由日本に入る。つまりDNA的に秦氏と縄文人の区別はつけら
れないのではないか。逆に弥生人とされるのは中国オリジンで満州ではツングース系
夫餘となり、日本にも多く流れ込んでいるが、これは秦氏とは違い近畿東海方面では
ないだろうか。
537日本@名無史さん:2007/03/14(水) 00:40:29
遺伝的に考えると
秦氏はチベット系じゃないの?
538日本@名無史さん:2007/03/14(水) 11:44:15
そのチベット人がどこから来たかを調べれば
539月光仮面:2007/03/14(水) 11:52:40
大きな謎。しかし、チベット語のハタグ、ハダ、これが白い神をくるむ布地だあること。
チベット人の一部は北方から入っていること。正に「秦」族と一致する。東西の宗教、
文化を仲介すると言う点で日本の秦氏の役割の起源もそうした地域特性によるのでは
ないかと思われる。いずれにせよ、太秦の広隆寺とか、大避神社とかは半端ではない。
540月光仮面:2007/03/14(水) 12:14:41
秦氏がチベット人というのはどうもしっくりしない。チベットで発展する密教でも守護神は
北方の神である。天山山脈、新疆ウイグル地方こそ秦氏の故郷でないかと思われる。
秦氏がその地方にいた時代には未だ法華経等は完成しておらず、仏教の編成にも
少なからぬ影響は与えたことであろう。
541日本@名無史さん:2007/03/14(水) 12:23:55
羽田さんは働き者であったがその働き者ゆえに嫌われて冷遇されてしまい
あまり出世しないまま退職された。
542月光仮面:2007/03/14(水) 13:02:02
秦氏関連の遺跡には重要な価値があり、秦氏で手に余るものには政府民間で
保存措置を講ずる必要はあるだろう。淫祀邪教に投じられる巨億の金は、本来
こうした分野に向けられるべきだ。日本はかなり狂っとる。未来永劫に観光収入で
神社仏閣の自己保存再生ができるような仕組みも必要になる。
543日本@名無史さん:2007/03/14(水) 23:26:27
>>540
そのチベットで発展する密教は西暦400年前になるのか?
544月光仮面:2007/03/15(木) 08:03:06
仏教伝来は早い順から行くと(1)後漢(2)高句麗(3)日本(4)チベット、「チベットには,
7世紀にネパール,中国を経由して仏教が伝えられた。8世紀に至って,パドマサン
ババが密教を移入し,民族宗教であるボン教と習合してラマ教が形成された。9世紀
の中ごろ,仏教は迫害を受け一時勢力を失ったが,11世紀ころから復興し,ラマ教が
大いに発展した。チベットの密教は,《金剛頂経》系のインド密教の影響を多く受けて
いる点に特色がある。」日本へはチベットより早く7世紀頃から入り始め9世紀の最澄
空海時代に本格化。仏教にせよ、密教にせよ日本が早い。>>540で、チベットで密教
が発達するように言っているのはおかしい。ただ、仏教、密教とも武神は北方に位置
され、唐時代の兜跋毘沙門天はトルファンに興ったともされる。他方、インドでは
密教がチベット方面から起こったという説がある。

545月光仮面:2007/03/15(木) 08:24:06
日本の前に、百済、新羅がある。又、「伝説によると、まだ日本に仏教が伝来しない時代、
人皇10代崇神天皇(一説では西暦紀元元年の弥生時代中期)の御代、すでに日子山
権現(権現とは仏の仮の姿)の霊神が、天竺から東に向って五つの霊剣を投げだとい
われ」とされている↓
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor647325
つまり、まだ仏教が完成するかしないかの頃から、日本には毘沙門天のような
北方武神の伝説が伝わっていたと言うことで、自分としては秦氏に関連するものであり、
これはチベットではなくより北方の新疆ウイグル方面から来るものではないかと見ている。
546日本@名無史さん:2007/03/15(木) 10:09:27
あまり出世しないまま退職された羽田さんはいまは元気に畑仕事でもしてるのか
それとも四国88カ所めぐりを5周くらいやってるのかな。
547月光仮面:2007/03/15(木) 11:11:51
更に、秦氏の起源の究極は、Ptah (Petehとも) 古代エジプトの神。プターがハタとなる。
メンフィスの三柱神(プタハ,セクメト,ネフェルテム)の主神で,セクメトの夫。ミイラのよ
うな衣服を固く身体に巻き付けた男の姿で表される。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Ptah.svg/100px-Ptah.svg.png
神々とその秩序,善悪,芸術などの創造も彼に帰せられ,また,王制の守護神,セド祭
の統轄者でもある。工芸の神として職人の信仰を集め,ギリシア人にはヘファイストスと
同一視された。
玉【たま】の緒【お】をゆらゆらと揺【ら】らしながら天之真名井【あめのまなゐ】の水で振り
濯【すす】いで、噛【か】みに噛【か】んで、吹き出した息の霧から成り出でた神
http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/kojiki1/kojiki03.htm
天照大神、須佐之男命の行うこの儀式はエジプトのテーベの神官が弔いで行い、
最近発見されたブラジルマホスの巨人「高貴な人」は奥歯を使い、「番人」は口に
硬いものを入れていたようであるが、彼らは山東省、遼東半島出身で、ブラジルに
至る前はメキシコのテオティワカンにいた↓
http://www.tuins.ac.jp/~satoh/MexicoReport2003/mexico2003.html
口を開くこのしぐさは天照、須佐之男命、テーベ神官秦氏と同一↓
http://www.tuins.ac.jp/~satoh/MexicoReport2003/rep2_03.jpg
プタハは原始堆(天香具山)を祀るために天香具山の命、アトゥムを創造する。
しらたえの衣ほしたり、天香具山の起源は、多分、ハタによって天香具山を
飾り祈った頃の貴重な思い出であろう。
548日本@名無史さん:2007/03/15(木) 11:14:21
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/hatareisei/hata1.htm
鳥トーテムをもつ秦王室とその族裔たち
549月光仮面:2007/03/15(木) 11:30:20
プタハ神、その神官秦氏は、神々とその秩序,善悪,芸術などの創造も彼に帰せられ,
また,王制の守護神,セド祭の統轄者でもある。工芸の神として職人の信仰を集め,
ギリシア人にはヘファイストスと同一視された。しかし、プタハは原始堆それ自体でも
あったが、それは墳墓、やがては、冥界を意味し、太陽は地底に沈み、又再生する
再生の神でもあった。ここに秦氏の広隆寺牛祭りで有名なミトラ神事のごとき光明
祭典が生まれる。同時に、一切の工人の祖であるが、特に直接的には墳墓を造る
石工の側面が強調される。スサノオのような多面的な側面を持つ神は既にエジプト
でもPtah-Seker-Osirisとして生まれている。又、エジプト九柱の神々↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E4%B9%9D%E6%9F%B1%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%80%85
からは次のような9つの「旗」のようなシンボルが生まれる。
http://en.wikipedia.org/w/extensions/wikihiero/img/hiero_R8.png
これが白旗八幡神の謂れと考えられる。
550月光仮面:2007/03/15(木) 11:37:39
そして、昨夜のNHK邪馬台国にも出てきた箸墓、これは、土師墓ではないかと言う
説があるが、もし吉備の土師が東海の労働者を指揮してこれを建設したとすれば
邪馬台国は秦氏が建設したのかもしれない。しかし、昨夜の世論調査で大方の
日本人の若者は九州説のようであった。
551月光仮面:2007/03/15(木) 11:43:11
最後のリンクで白旗一本が出た人、あきらめないでしたのリンクの右を見てね↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Ennead
552月光仮面:2007/03/15(木) 11:52:38
ピラミッド内部に見た日本神殿、アマゾンの地底に見た隼人盾紋(アイヌ紋)は関係して
いる。世界で誰も、何も言いたくないのなら、今一度絶叫してやるからよく聴け。
これらはハタという神官グループが作ったものだ。
553月光仮面:2007/03/15(木) 12:21:55
>>547
春過ぎてだけど、竜山文化を春とし、それが終わり二里岡文化を「夏」とするといった
伝承が天皇家には残っていたのだろうか・・・
http://www3.ocn.ne.jp/~iki2010/project/manyo/06.htm
554月光仮面:2007/03/15(木) 13:53:33
>>548
秦王室が鳥トーテム、殷の時代頃から形成されると言うことでしょうが、殷に先行する
夏時代、二里岡時代には中央アジア方面から中国には始めてのトルコ石で精密に
造られた龍の飾り物をもって、神官として登場、同時に二輪馬車の轍も発見されて
います。重要なことは先進的文物が神官の墓から発見されていることで、神官が
職杖と言われるエジプトプタハ神のような姿をし、その埋葬に貴重な、中国初出の
トルコ石製の龍の飾りが使用されたと言うことです。殷王朝はこの夏王朝を倒すので
しょうが、こうした夏王朝の文化も継承している部分があるのではないかと考えられ
ます。
参照→考古学者、吉村作治を大いに語るスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066220789/menu312

555日本@名無史さん:2007/03/15(木) 18:22:22
羽田さんは性格が曲がってたので嫌われてたな、せやけど根回しがうまかったな
556日本@名無史さん:2007/03/15(木) 18:29:42
557日本@名無史さん:2007/03/15(木) 19:13:31
つまり北方だからチベットじゃないと仮説か
それだけじゃ弱いだろ
西暦400年頃は五胡十六国という民族が争う泥沼の時代
そういう中で避難する人も出るだろう
チベット系が来ても不思議ではない
漢族も来てるだろう
秦氏が混成集団の可能性もある
558日本@名無史さん:2007/03/15(木) 19:17:33
しかし、秦氏は多い集団だ
今でも移民を受け入れるのは否定的だ
つまり知り合いか大和民族と同じ民族だったかもしれない
それでユダヤと出るかも知れないが
距離的に考えてフヨの可能性が高いんじゃないか
敵対する新羅が邪魔したそうだし
559日本@名無史さん:2007/03/15(木) 19:55:31
383年、苻堅は100万と号する親征軍を南下させた。これに対する東晋軍は謝安を大都督とした
20万で迎え撃った。両軍は?水(現在の安徽省寿県)を挟んで対峙する。前秦軍は一旦、
兵を後退させ、東晋軍が河を渡った所で攻撃しようとした。しかし後退させたことで陣形が崩れ、
そこを東晋軍に突かれて大混乱に陥り、前秦軍は大敗した。この軍隊は様々な民族の混合部隊であり
先の戦いで東晋から捕虜となっていた将軍なども起用されていた。この処置は苻堅の民族平等と言う志から
出たことではあったが、一旦崩れると歯止めが利かないと言う弱点を持っていた。

苻堅は残軍を纏めて帰還するが、前秦の国力は一気に衰退し、これを見た諸民族たちはいっせいに独立を始めた。
旧前燕の領土には後燕が、山西では代と西燕、陝西には後秦・西秦が、甘粛には後涼が生まれ、
更にその後の混乱から陝西に夏、甘粛に北涼・南涼・西涼、山東に南燕、などが乱立し、華北は再び騒乱状態となった。
560559:2007/03/15(木) 19:56:29
この後に逃げてきた人が日本に来たんじゃない?
561月光仮面:2007/03/16(金) 09:28:45
この頃の高句麗↓
「しかし、遼西に前燕を建国した鮮卑慕容部の慕容?には首都を落とされ、臣従をせざる
を得なくなった。355年には初めて前燕から<征東将軍・営州刺史・楽浪公・高句麗王
>に冊封され、中国の国家が朝鮮諸王を冊封する態勢の嚆矢となった。前燕が前秦に
滅ぼされると引き続いて前秦に臣従し、372年には僧侶・仏典・仏像などを伝えられた。
391年に即位した19代広開土王は後燕と戦い遼東に勢力を伸ばし、南に百済を討って
一時は首都のすぐ傍まで迫り、百済王に臣従を誓わせた。その後、百済が倭と結んで
新羅を攻めたので援軍を送り、倭を追い返して新羅を朝貢国にした。領域を南方に拡げ
た高句麗は、長寿王の時代になって平壌城に遷都した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97
562日本@名無史さん:2007/03/16(金) 09:41:09
記紀が新羅系を追い払ったあとに百済系の文化人だけで書かれたとしたらどうする
563月光仮面:2007/03/16(金) 10:48:17
ケースバイケース対応だろうね。一つに偏することは避けて。
しかし、百済は三韓の主要国で、倭国とのつながりも非常に古い。
話は変わるが、辰韓に中国亡命者集団のようなものがいたことは後漢書韓伝にあるが、
同時に月氏系というか、大柄で、髪が美しく、乗馬を知らない(騎馬民族時代以前)、
幼児期に頭を平らにする(トカラ人特有)民族がいて、反物のようなものを作っている
という記述もある。この反物と言うのは秦氏の特徴で神事に使用するものであろう。
記紀の推古・斎明紀にトカラ人の石工が多く渡来している記述がある。これはその前後の
秦氏の渡来にも同様ないきさつがあったことが推察される。このトカラ人は本来月支国人
であり、漢、匈奴によって東西に大きく分断されたものであろう。このトカラ語はヒッタイト
語と兄弟分の西ヨーロッパ系統であり、ヒッタイトは更に昔ハッティーと呼ばれる。
ほれはエジプト語ではケトと呼ばれるらしいが、ハタ氏となんらかの関係が疑われる。
ハタ氏はプタハというエジプトの神を信じた神官集団であり、チベット語に神事反物を意
味するハタグという言葉が末尾母音を残してよく発音を保存している。ただ、日本語には
浮屠(墳丘)、ホト(陰部)という紛らわしい言葉があるが、これはプタハ神の陽性(太陽)
に対置される言葉であろう。更に、東胡文化として墳丘を破壊する際、前面の鹿柱(なまず
石、恐れ石のごとき鹿の角を掘った石柱)の頭部をさかさまに刺し込み、これが逆矛の
風習となり、古代日本では剣の柄を大地に埋める形でよく使われる。百襲姫の死は
神聖な儀式を冒涜した形で使用されている疑いが残り、崇神紀に魏との国交、銅鏡
の記事が全く抜けているのは、卑弥呼時代との間に世代のずれがあるようだ。
564月光仮面:2007/03/16(金) 11:00:43
ようするに、卑弥呼の死とは「百襲姫は最後の力を引き絞り、半ば完成したばかりの
土師墓墳丘にのぼり、浮屠に「浮屠の御霊」の剣を柄から差し込んだとき、昇天された。
人はこれを聖跡と感じて大和平野の石を昼夜兼行で集めて土師墓を完成させた。」
これが記紀により「陰部に剣を刺し崩御された」とされたと言うことのはずだ。常識的に
これ以外の解釈はありえないと思うが。
565日本@名無史さん:2007/03/16(金) 11:07:07
卑弥呼は神話みたいなもんで本当に居るのかどうかと言われると疑問ですね
566日本@名無史さん:2007/03/16(金) 11:09:03
つまり、居るかもしれないし居ないかもしれない
あえて強引に結びつける必要もないかと
567月光仮面:2007/03/16(金) 11:18:42
いや、逆に記紀に不足している部分なんでね。崇神紀なんかイベントが多いのに、
考古学との最大の接点ともいえる銅鏡、また、建国史には外交的に不都合では
あろうが親魏倭王の金印等の記事が抜けている。だからどうしても注意が行かざる
を得ない。「オオカラ国初めて使いを通じ通好す。女王絹を賜う」とするくらいなんでも
なかろう。
568月光仮面:2007/03/16(金) 11:23:25
当時高句麗、百済等、中国にやられた国の亡命者ばかりが動員され記紀を編集した
もんだから、「アホー、あんな国を相手に出す履歴書にそんなことを書いたら即占領
されちまうぞ」なんて声が上がり、知らない間に神武が生まれ、卑弥呼は消えていた
というのもありそうだが。
569日本@名無史さん:2007/03/16(金) 11:24:48
57年に金印を貰ったのは大和ではないでしょう
3世紀の話も疑問だ
当時はまだ群雄割拠で日本を平定はしてない
畿内でやっと力をつけたレベル
果たして大和政権が大陸に向かう考えがあっただろうか
4世紀に朝鮮半島に出兵するのが大和政権にとっての初の大陸との交信になるんじゃないかね
570月光仮面:2007/03/16(金) 11:35:37
いや、記紀は奈良時代、世界最強の唐を向こうに回しての時代。当時銅鐸の記憶は
抹消され、従い同時代の後漢金印の記憶はないはずで、魏の金印はおろか、通交史
は輸入した魏志倭人伝に頼り、時代的には神功時代としている。
571月光仮面:2007/03/16(金) 11:37:40
だから、われわれとしては倭人伝と記紀は両立すると考えるのが当然。
補完し合うといっても良いのでは。
572日本@名無史さん:2007/03/16(金) 11:39:33
銅鐸に関しては書く必然性がなかったんじゃないの?
大和以外にあったクニも競争してるわけで無視するのはおかしいだろ
573月光仮面:2007/03/16(金) 12:28:33
時代ってことさ。
574日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:20:28
銅鐸は西から渡ってきた照葉樹林文化の最終形態
雲南の貯貝器やベトナムの銅鼓との類似性は多い
銅鐸は音を鳴らし儀式に使用したことは想像に難くないが
貯貝器や銅鼓も用途は同じだ
埋設方式も銅鼓と銅鐸は全く同じだった
照葉樹林文化圏の文化の共通性は主に食べ物にある
日本書紀に乗っている食材は皆、雲南やベトナムに存在する
餅、なれずし、納豆、日本食の核を成すものが他国に残っている

日本人はるかな旅展の中ではベトナムから朝鮮半島を経て
九州へ入っていったDNAを持つ一団について証明されている
彼等は秦より半島西部に馬韓を形成した後、百済人、倭人に
同化したというのがDNAが導き出す道の1つだ。

575日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:46:00
江南の

土器を出せない

悲しさや
576月光仮面:2007/03/16(金) 15:41:13
>>567
鏡作りを定め、三角縁神獣鏡の量産が開始されるのが神代の終わりで、
多分、外交官、遠征将軍として活躍した掖邪狗、これは大毘古の感じだから、
開化天皇の頃までが邪馬台国時代で、卑弥呼(百襲姫)だけは人代に入れた
ということかな。あるいは、銅鏡葬礼は国家機密だったのか。
577日本@名無史さん:2007/03/16(金) 18:00:06
高句麗、百済等の文化人が記紀を編集したので、追放した新羅系の話は載せなかったと決めたい
578月光仮面:2007/03/17(土) 11:16:01
参照→アマゾン巨大文明について・・・やはり石工技術がポイントのようだ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1141653370/menu222
579日本@名無史さん:2007/03/17(土) 15:43:31
羽田氏は性格が悪いので出世しないままでいまは年金生活をしてるのかな。
580日本@名無史さん:2007/03/18(日) 10:52:57
羽田氏はイジメにあって性格が悪くなったのかもしれないよ家も村はずれの斜面みたいなとこに建ってるしさ
581日本@名無史さん:2007/03/18(日) 12:01:42
追放された新羅系に秦氏がふくまれてたかもしれないですね。
582日本@名無史さん:2007/03/18(日) 14:40:08
多胡という地名は西アジアからやってきた遊牧民の土地
多くの胡人(西洋人)が住んでいたので多胡と呼ばれた
現在の群馬県吉井町である
古代の日本には羊はほとんどいなかったが群馬の群は羊がいた
という意味もあるらしい。群馬県には西アジアの遊牧民が移住したのだ
群馬の豪族羊太夫は西洋人だったと記録されている
583 :2007/03/18(日) 16:05:25
秦郁彦
584日本@名無史さん:2007/03/18(日) 20:58:22
渡来人がどんどこ入って来た時期があり、けとうなんかは当時の大王が不毛の地の今の東京に住めと
命令したのでいやいや住んだらしい。が私みたいに百済系の渡来人は大阪に住んでもいいよと
言われたのでええ生活ができましたが、いまは貧乏になってフリーターとかパートの仕事しかなくて
困ってます。
585日本@名無史さん:2007/03/18(日) 21:13:39
大和民族の血筋
ttp://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/53137594.html
いずれにしてもいま、12CHのクルーがユダヤ同族探検隊と取材同行しており長野県の諏訪大社から調査がはじまるらしい。
586日本@名無史さん:2007/03/18(日) 21:38:18
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
587日本@名無史さん:2007/03/18(日) 22:01:14
>>582
>群馬の豪族羊太夫は西洋人だったと記録されている

どこに記録されてるんだよw
588日本@名無史さん:2007/03/18(日) 22:48:10
>>587
江戸時代の大名、松浦静山の著書「甲子夜話」
江戸時代、吉井町の多胡の羊太夫の古墳から十字架が発見され、
それをオランダ人に鑑定してもらったことが書かれている
589日本@名無史さん:2007/03/19(月) 08:00:03
甲子夜話
590日本@名無史さん:2007/03/19(月) 10:52:43
>>588
「INRI」と書かれた銅板?も発見されたとかだよね?
ところが現物がないんだよねw
591日本@名無史さん:2007/03/19(月) 14:23:28
3月23日(金) 20:54〜22:48
テレビ東京
新説!?みのもんたの日本ミステリー!失われた真実に迫る!第2弾
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery/

日本のルーツは古代イスラエル?消えた10支族を追え

ヤーレン、ソーラン…と始まる“ソーラン節”。
このヤーレンソーランとは何という意味かご存知だろうか?
そんな疑問に答えてくれたとんでもない人物が…!?
それは、現駐日イスラエル大使。
彼はこの「ヤーレンソーラン」がヘブライ語だというのだ!
しかも、ヘブライ語は私たちが慣れ親しんできた“カタカナ”とそっくりだという。
私たち日本人と古代イスラエルに一体どんな関係があるというのか!?
このミステリーの解明に挑む!
592日本@名無史さん:2007/03/19(月) 20:43:06
ウンコ人大林君の部屋
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/menu0.html
うんこ脳の垂れ流しHPだよW

ウンコ人の部屋にもし行けなければ
別のウインドウにアドレス貼り付ければ行けるよ
どっかで見たようなウンコ臭いHPだよ
明らかに大林君とブラ国と同じ人のようだけど・・・
593日本@名無史さん:2007/03/19(月) 20:53:45
ユダヤじゃなくてシュメールの方が良くないか
ユダヤとシュメールだとどっちがいい?
594日本@名無史さん:2007/03/19(月) 22:35:22
第13章 消えたシュメール人の行方
ttp://www.naritacity.com/journal/japan/journal_japan_040215.asp
さて、アブラハム一家は神の祝福が宿る富豪としてその名声はウル全体に知れ渡っていました。
ある日、父、テラは家族全員を連れて遥か北方の彼方にあるタガーマ州のハラに移住する決断をします。
繁栄と恵みの象徴である彼らが突然ウルを去る事を知って動揺したシュメール人の同胞は少なくなかったに違いありません。
いつの間にか多くの民は運命を共にするためアブラハム一家を追ってタガーマハラへと移住し始め、その結果、
短期間で大勢のシュメール人がメソポタミア南部から消え去ることになったと考えられます。
そのタガーマハラでアブラハムは神と出会い、神からの啓示を受けて約束の地、カナンへと旅立ちます。
そこでアブラハムの孫にあたるヤコブからイスラエルの12部族となる12人の子供が誕生し、後のイスラエル国家へと
発展していったのです。
すなわち古代日本史にイスラエルが絡んでいるということは、日本のルーツにシュメール文化が潜んでいるという
ことになるのです。
595日本@名無史さん:2007/03/19(月) 22:46:56
つまりユダヤの先祖がシュメールになるのか?
596日本@名無史さん:2007/03/19(月) 23:01:18
「日本とユダヤのハーモニー」
「日本とユダヤのハーモニー」 第2部〜日本語のルーツ
「日本とユダヤのハーモニー」 囃子詞に秘められた謎
ttp://www.naritacity.com/journal/japan/index.asp
597日本@名無史さん:2007/03/20(火) 01:00:54
シュメールというのはメソポタミア文明の基礎を築いた人々の文明
メソポタミア文明は4つの時代にわけられ、
それぞれの時代は独立した文化を形成している
シュメール人は忽然と姿を消したが、後にエジプトからイスラエルに
やってきたユダヤ人と同化したという
598日本@名無史さん:2007/03/20(火) 07:56:18
「弓月国」について詳しく知りたい。
本当にキリスト教国なんだろうか…
599日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:30:52
日本牛と違って和牛の表示になてて、倭がこんな時代にでてくるなんて
600日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:41:16
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
601日本@名無史さん:2007/03/21(水) 09:26:53
きのうテレビでイラクから来てた留学生が日本人と似てたな、シルクロードを
伝って渡来人が最終の地の日本にたどり着くという事はありえる。
602月光仮面:2007/03/21(水) 13:17:55
渡来人の中には、言語的には、印欧系としてトカラ、内、イラン系としてはサカ、
サルマート、マサゲタイ(エフタル)等が東方に移動した月氏の構成員として
入っていたことが考えられる。赤鬼、黒鬼伝説から、人種的にはネグリト系統の
インド人もありえるかも。それと、韓国語の差別用語ウェーノム、白丁は日本に
生業による階級的差別、カースト制が持ち込まれたことを意味している。こうした
差別は先ず朝鮮半島の水稲地帯で発生した後、日本に持ち込まれたのであろう。
韓国では早くから儒教文化の影響が強く、階級意識が強かったが、倭人はこの点で
未開であり、差別されたものが多数日本に逃げ込んだ可能性もあろう。逆説的に
いうなれば、ハタ氏のようなブラーマン階級が発生する上にはそれを生む社会としては
賤民層があったはずである。通婚の際に家筋にこだわる日韓の制度、それと深く絡み合
った社会制度は縄文時代にはなかったものといえる。日韓は米国の人種問題にも似た
問題を抱えていると言えよう。
603月光仮面:2007/03/21(水) 14:03:06
白丁というのは律令で階級を白で表すと言うのだが、エフタルは「エンタツ」ととも言う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%AB
又、白い匈奴と言われる集団で、牧畜もやっていたと見られるが、本職はインド・中近東
の貿易で古代にはエジプト向けのラピスラズリ貿易にも染手、内部には相当ドラビダ系統
を抱え、これが後世のジプシーになるのかと見られるのだが、この「エンタツ」はトルクメ
ニアではアブドルという風に「ル」の音をとどめている。これが朝鮮半島白人系集団の中で
最下層に落ち、白丁となったのではないかと言う気がする。
604日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:12:55

ウンコ人大林君の部屋
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/menu0.html
うんこ脳の垂れ流しHPだよW

ウンコ人の部屋にもし行けなければ
別のウインドウにアドレス貼り付ければ行けるよ
どっかで見たようなウンコ臭いHPだよ
明らかに大林君とブラ国と同じ人のようだけど・


605日本@名無史さん:2007/03/21(水) 16:50:28
個人サイト叩きする人はここにはお前しかいないよ
606日本@名無史さん:2007/03/22(木) 09:24:47
秦氏が新羅系なのでさべつされてしまい、度田舎に左遷されてしまったが、
利用価値のある伎楽や宮司はのこされて使いまわされた、時代は奈良時代に始まり
平安時代に完成する。
607日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:43:18
百済王氏が黄金を発見して都に近いとこに住居を与えられましたが、そこに前に
住んでた氏族はだれとだれかくわしく知ってますか。羽田さんと波田さんと八田さんやろかな
608日本@名無史さん:2007/03/24(土) 20:16:50
東北に派遣されてた百済氏が黄金を発見して一躍出世することになった時に
逆に左遷された氏族は当然ながら競争相手の羽田氏やろね。
609日本@名無史さん:2007/03/24(土) 20:17:03
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1172000417/l50
571 :日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:35:20
プラム大林の邪馬台国四国説って
凄い荒唐無稽な説なんだなw
572 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/21(水) 13:39:36
>>571
>プラム大林の邪馬台国四国説って
凄い荒唐無稽な説なんだなw
意味わかんね?   四国説じゃないけど
四国を含む九州説だよ
573 :日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:39:59
ブラムも昔
東四国が邪馬台国だって宣ってたなw
覚えてるぜ!
574 :日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:49:11
俺も知っているよ
突飛な説に
突飛な馬鹿だから
当時居た奴は皆知っているよw
それに当時から大林と同一人物だと
ばれていただろうw


610日本@名無史さん:2007/03/25(日) 09:28:43
羽田氏は古参の日本人なので新規の今木の渡来人とは違うのになんで
611日本@名無史さん:2007/03/25(日) 20:12:51
羽田氏は真面目にコツコツ働いたのになんで差別あされるような結果になっていくのか
しょぎょうむじょうの金があればなあ。
612日本@名無史さん:2007/03/26(月) 09:12:59
やはり百済系が黄金を発見して強いコネが皇族とできたので事態が急変していくのでしょうか。
613日本@名無史さん:2007/03/26(月) 12:28:56
羽田氏は性格が悪いので嫌われてましたが仕事は良くできましたよ。
614日本@名無史さん:2007/03/27(火) 08:50:01
白丁は階級を白で表すのが事実なら、白が好きな
615日本@名無史さん:2007/03/27(火) 13:31:49
秦氏のことは松尾大社の神主が良く知っているので、口伝を聞いてきました。
松尾大社は秦氏の末裔でもあるそうですね。

口伝によると、秦氏は時代をさかのぼっていきますと、西のほうから何代にもわたって渡ってきた景教徒たちでしょう。
そして、秦の始皇帝の時代より前の中国(秦)〜朝鮮半島〜日本にやってきたようですね。

朝鮮半島ではいじめられたようですね。
当時、朝鮮半島南部を支配していた日本組織である物部連(物部氏とは関係ないそうです)という組織から秦氏(景教徒)をいじめないように通達があったようですが、地元民の朝鮮人が隠れていじめていたようです。
掌で上唇と鼻の下の間のところを思いっきり突いて叩いたりして挑発するそうです。
痕は残らないそうですが、非常に痛いそうですね。
怒って殴り返すと、こちらは痕が残るので、後で賠償を求められたり、集団で暴行されたりしたようですね。
物部連といのは当時の日本の大使館みたいなものなのらしいです。
あまりのイジメに耐えかねて、物部連に相談し、物部連と親しかった鴨氏によって日本まで連れてきてもらった一族のようです。
このとき、鴨氏と交流ができます。
616日本@名無史さん:2007/03/27(火) 13:33:02
秦河勝は、鴨氏との関係を利用し、大陸との交易で大きな利益を上げていたようですが、
昔の恩を返すということで、春日神社建立の資金提供を申し出たようです。
弓削大連は大いに喜び、石の産地、現在で言うと兵庫県の宝殿でしょうか、ここで、自ら石舞台の材料となる石の切り出しの指揮をとります。
弓削大連がこちらの採石場で指揮をとっているときに、大和で大乱が起こります。
あわてて弓削大連は引き返し、同行の秦氏に朝鮮半島に在住する物部軍の召集と鴨氏への輸送の手配を依頼して、都に引き返します。


この秦氏は、弓矢と縁が深い一族のようで、秦氏には代々、
子供の人形と破魔矢を結んで川に流し、その人形の魂が人に宿って子供が生まれるというような逸話があったようです。
コウノトリが子供をはこんでくるというような御伽噺同様、子供が川から流れてくるというような考えのようですね。

さて、色々あって、秦河勝は繁栄するのですが、法主王という方が亡くなられ、自分の立場が危なくなったので、鴨氏である越智一族の縁を頼って瀬戸内に逃げます。
そして、越智氏の縁者である伊和氏にかくまわれるようです。
このことを恩に、死に際には、「恩を忘れず、伊和氏の御祭神である伊和津比売命を守り立てるように」と遺言を残したそうです。
このことから秦氏の子孫、縁者たちは伊和津比売を豊穣の女神と呼んで、大切に祀ったそうです。
617京都の吉田神道にある口伝:2007/03/27(火) 13:39:05
平安京は、はるか西方から渡来した秦氏と日本の先住民系の鴨が私財をなげうって作った都だそうです。
そのことを後世に伝えるために、「右近の橘」「左近の桜」があるそうです。
しかし、現在では、その事実がかなり歪曲され、現在に伝わっていないそうで、そのことは大変不本意なことだそうです。

京都の鴨は鴨の中でも別と和解し、その後共同歩調をとり、共に祭りを共有した賀茂別の一族だそうです。
当時、奈良の都は仏教が全盛を極め、唐渡りのエリートは、大陸を崇め、日本古来の伝統文化を見下す傾向が強くなっていたそうです。
学識のあるものほど、仏教を尊び、神道を見下す。
あげくのはては、「日本神道の起源は仏教である!」と言い出す人々まで現れ、神道と日本の伝統文化を尊ぶ人たちは大変苦悩していたそうです。
特に、はるか西方から流浪し、朝鮮半島で迫害されていたところを、日本人によって救済され、日本に移住した秦氏は大陸の宗教に拒絶意識があり、
桓武天皇の時代になると、熱狂的に神道を崇拝していたようです。
広隆寺も景教のための集会所だそうです。
弥勒菩薩を御祀りしている寺院で、弥勒菩薩を一部の秦氏は仏教の仏とみなしてないそうですね。
「マイトレーヤ」と呼び、太陽の女神だそうです。
ペルシャ人は弥勒菩薩を「ミトラ」と呼んでいたようです。
618京都の吉田神道にある口伝2:2007/03/27(火) 13:43:48
この秦氏、賀茂氏、和気氏など一族が神道復興の意図をもって平安京が建設されたのだと吉田神道の方は言っておられました。

非常に難しくて難関な話だったのですが、「神地垂迹」「本地垂迹」という話しが盛んに出てきました。
当時、朝鮮半島からの渡来人と一部の中国大陸留学組のインテリ日本人が「日本の神様の由来は仏教である」という運動を起して、
色々と歴史的事実を改竄し、日本の神様という存在が消滅する危機があったそうです。
それを、正しい道に戻し、本来の日本の伝統と文化を守るための活動が「神地垂迹」であるというのが、吉田神社による説明です。

そこで出てくるのが、松尾大社と日枝神社です。
日本の神様の根本は仏教であるという朝鮮半島からの渡来人と一部の中国大陸留学組の運動によって、
天照大神 →大日如来、観音菩薩
日吉 = 天照大神 → 大日如来
大国主→ 大黒天
などの改竄が大幅に各地で行われたそうです。

そのため秦氏は松尾大社や日吉大社の神様を大山咋神であると明確化し、
そのほかにも漠然と祀られていた神様の名前を明確化する作業によって仏教による侵食を阻止したそうです。
それと共に、秦氏の私財をなげうって、京都の地に神道の楽園を建設しようとしたそうです。
そして、現在、神道は守られたそうです。
私財をなげうって衰退し、歴史から消えていったのです。

たとえ、自分たちの日本文化を圧殺しようとする者の力が強大でも、自分の全てをかけて戦えば、未来には勝利が待っていると。
そのための記憶の残像が「右近の橘」「左近の桜」だそうです。
619日本@名無史さん:2007/03/27(火) 13:45:57
秦氏ははるか西方から景教を守りながらアジアに逃れてきたようですが、
仏教が熱心だった地域で、迫害されて土地を追われることが何度かあったようですね。

そのために、自分たちの崇敬する存在を仏教的に変容させたのかもしれません。
それにしても極東まで自分たちの信仰を守り続けた信念には凄まじいものがあると思い、感心しました。
620日本@名無史さん:2007/03/27(火) 18:47:19
>当時、朝鮮半島からの渡来人と一部の中国大陸留学組のインテリ
>日本人が「日本の神様の由来は仏教である」という運動を起して、
>色々と歴史的事実を改竄し、日本の神様という存在が消滅する
>危機があったそうです。

現代とかわらんな。朝鮮中国と国内のサヨクによる歴史捏造歪曲改ざん
621日本@名無史さん:2007/03/27(火) 20:18:20
天皇家はそもそも百済からの渡来人であると言われてます、
新羅系だった秦氏を百済系と日本書紀で記さなくてはならなかった理由
622日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:06:53
>>621

キミ、嘘はいかんよ。
天皇家が百済からの渡来人なんてどこにも書いていない。
証拠の文献はあるのかい?
それとも、キミは左翼か?在日朝鮮人か?
623日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:42:07
>>622

朝日新聞、TBS、在日朝鮮人、共産主義者、創価学会、統一教会。
日本に左翼はたくさんいるよん♪
彼らは「日本の源流は朝鮮半島だ♪♪」って嘘を言っているよん♪♪
624月光仮面:2007/03/27(火) 23:06:45
中国、甘粛方面に秦がいたのは春秋時代、景教の流行は唐の時代、秦氏が応神
朝に渡来したのなら景教はちと早すぎる。しかし、旧約聖書の内容はユダヤ教でも
使う。が、ユダヤ教もチト早過ぎろ。だから、秦氏はユダヤと同格かそれ以上の歴史
があるんじゃないかと考える。ハザル族が秦氏と共通の過去、つまり、エジプトに出入り
していたんじゃないかと思わせる豊富な伝承を持っていて、これが今日のバシキール
に残っている感じがする。広隆寺の牛祭りは拝火教の生まれた西トルケスタン方面の
感じが強い。
625日本@名無史さん:2007/03/28(水) 09:19:48
日本人のたましいを入れるためにも
日本人のたましいをいれるるためにも、歴史教科書で日本人の成り立ちを教える
べきです、いまはスッカリポックリ空白になっていてだれにきいてもわけわかめの
状態は



626月光仮面:2007/03/28(水) 09:59:50
ユダヤ・キリスト教経典を盲目的に信頼しすぎてるんじゃないかな。バチカン、ユダヤ
の律法を科学よりも優先する必要はない。これに対してわが国の記紀は当初から各論
をそのまま記述しているし、非常識な事実もそのまま伝承しているので美しくはないが、
われわれ読者にとっては極めて新鮮で、信頼性が高く見える。
627月光仮面:2007/03/28(水) 10:59:42
話は変わるが、キリスト生誕の報により東方から博士が駆けつけるが、当時、ナザレ
の東方の国といえばパルティア、大月氏、匈奴。この大月氏は本来シルクロード経由
百済・月支国と関係があるものであり、秦氏が月支国と関係している、つまり、夕月国
から来たというのなら、その東方の博士は一切の情報を仕入れキャラバンでシルクロード
を旅し、秦氏に全ての情報を伝えていたと言うこともある。厩戸皇子の話はこうして
できたということもありえる。
628月光仮面:2007/03/28(水) 11:04:56
逆に言えば、この博士、多分秦氏が、道中言いふらしたことがキリスト教を生んだ
という可能性もある。
629日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:21:26
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
630日本@名無史さん:2007/03/28(水) 21:11:27
もう三速土器はあきたので、4速ATにしてくれよ
631日本@名無史さん:2007/03/29(木) 09:39:09
仏教による侵食を阻止したのが、羽田氏ならば、導入をはかったのは外人なのか
632月光仮面:2007/03/30(金) 10:33:09
↑時系列的に高句麗、百済、新羅、日本へと仏教が伝来するのは、これによって中国の
対外戦略を利すると言うよりは、朝鮮半島、日本の国力固めの必要からのように思える。
NHKで東大寺、聖武天皇、行基の特集をやったが、聖武天皇とか行基が英雄のように
描かれていた。あんなのを見ていると聖武天皇が日本一と言った感じを持ってしまうね。
633日本@名無史さん:2007/03/30(金) 12:15:53
日本において百済仏教と新羅仏教の衝突があったかどうかはわかりますか
634日本@名無史さん:2007/03/30(金) 20:07:23
往古時代の大阪の古地図を難波の古本屋で見たことがありますが、海の中に新羅津と百済津が入り乱れて
丸い島がゴロゴロと書いてました。
635日本@名無史さん:2007/04/01(日) 09:39:31
5世紀後半あたりの古墳から出てくる金銅製双魚佩(ぎょはい)
http://www.general-museum.fks.ed.jp/syuzohin/data/no00284.jpg

二匹の魚とはイエス・キリストのシンボルではないのか?
636日本@名無史さん:2007/04/01(日) 10:15:05
マルコの福音書6章

するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、
天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、
人々に配るように弟子たちに与えられた。
また、二匹の魚もみなに分けられた。(41節)

人々はみな、食べて満腹した。(42節)


この奇蹟の後、二匹の魚はキリストの象徴になったのではなかったか。
637日本@名無史さん:2007/04/01(日) 10:28:51
日本で最初にこのパーコードを導入したのははっきりしないが、われわれの身近に現れたのは、イトーョーカドーと
セブンイレブンであった。
この会社は共に東京六本木のメソニックビルに本社オフィスを置いている。そしてこのメンニックビル
というのは、フリーメーンンという世界的な組織の日本支部のビルである(フリーメーソンとい
うのはこの組織に所属する個人のことで、団体はフリーメーソンリーというが、一般に団体の名前の様に
使われているのでそのまま書くことにする)。このフリーメーソンについて考察する前に、もう1つの超巨
大ブロジェクトについて考えてみたい。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/asg11.html

(意見)フリーメーソンにはユダヤ人が多い。ユダヤの結社と上の2社は
    関係あるのかな?
638日本@名無史さん:2007/04/01(日) 11:52:13
日本でも道路に基準点を打ちまくって、電子化する作業がずいぶんすすんでいますか。
639日本@名無史さん:2007/04/02(月) 07:43:02
なぁ、アメリカを動かしてるのはユダやだけど
金だけで動かしてるわけじゃない
キリスト教右派の8000万人はイエスはユダヤ人でエルサレムはイスラエルのものと洗脳されてる
だからユダヤの発言権は強い
日本も同祖論で洗脳してるんじゃないか
640日本@名無史さん:2007/04/02(月) 07:47:54
681 :日本@名無史さん :2006/11/27(月) 16:32:42
彼はユダヤ人だった。しかも、世界でもっとも有名なユダヤ人。その名も、エドモンド・
ロスチャイルドという。いうまでもなく、世界最大の大富豪である。当然ながら、ロスチ
ャイルドはユダヤ教徒である。彼は日本の神輿に、失われたユダヤの祭りを見たのである。
ロスチャイルドの来日をセッティングした人の話によれば、ロスチャイルドは何よりも神
輿に大変興味をもったという。神輿は、あまりにも契約の聖櫃アークに似ていたのである。
契約の聖櫃アークとは、ユダヤ教にとって大切な3つの神器、モーセの十戒石板、アロン
の杖、マナの壺を納めた箱で、下部には担ぐための棒がついていた。外も内も金で覆われ
ており、上部には黄金製の翼を広げた天使ケルビムが2体、向かい合って据えられている。
ユダヤ人は戦いに勝利したとき、契約の聖櫃アークを担ぎ、鐘を鳴らし笛を吹きながら
「ワッショイ、ワッショイ」と行進して歩いたという。かの大王、ダビデは裸踊りまでし
たことが『旧約聖書』に記されている。「ワッショイ」は古代ユダヤ語で「お前の敵をやっ
つけろ」である。考えてみればあの号令は勇ましい。「我と一緒」よりもむしろ相手を威嚇
している。まして『韓国語』ではない。
641日本@名無史さん:2007/04/02(月) 09:53:02
明治少し前、日本に来たユダヤ人は640のように民族的共通点をみて、秦氏が
ユダヤ人だと確信し、秦氏の支配する国にしたかったのでは?
他民族は抹殺したかった。しかし、1度にすれば国際的非難をうけるから
年月をかけ目立たぬよう徐々に抹殺する方法を考えた。其れが、日清日露第二次
世界大戦。大義名分はその都度作るが、日本人の血と税金で、軍備を拡充し
(軍事産業複合体が儲ける)戦争し実質中国朝鮮がとくするように計画した。
ドイツもそうですよね。
今は秦氏の最終占領が着々、と進んでいて、帰化人をこの10年で15万人ふやし
日本人は30万人自殺させてるでしょう。むかしは戦争で人口減少させ、いまは
仕事を奪うことで人口減させてる。明治前からの、端詞と湯田やのでき芝居
だと、わたひは思うよ。

 在日朝鮮人は米国NYユダヤ人の日本支配の代理人に任命されたのか?(肌の色が違うので
日本でユダヤ人が活動してもばれる。その点、朝鮮人なら日本人と見分けが
つかないのでとても安心です。)
カエルを熱湯に入れると、飛び跳ねるのでこちらが熱湯でやけどをしかねないが
弱火で少しずつ温度を上げると抵抗無く茹でガエルができるという。
戦後日本ではこれと同じことが行われてきたようだ。
http://blog.goo.ne.jp/sdfa2000/c/e488eacd88e70ffa4c20d36e91250c7e
642日本@名無史さん:2007/04/02(月) 11:33:46
羽田氏が働き者で真面目に苦労したのにあまり出世しないで、差別されてしまったのも
その辺に理由があるのかも、日本神道を残すために外来の仏教徒とはげしく戦い疲弊していった様は
世界でも神と仏が共存する並立してる珍しいありえない国であり、四国の人は葬式も神式でやると言ってたが
643日本@名無史さん:2007/04/02(月) 16:15:00
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
644月光仮面:2007/04/03(火) 11:40:47
>>615-619
日本古代史の解明にきわめて重要な示唆を含んだものと思います。
文化の上部構造としての神道がこれほど明確になれば対応する考古学の方向付け
においても非常に有益だと思います。
645日本@名無史さん:2007/04/04(水) 11:39:21
>>638

道路は国土交通省、公明党の大臣。
646日本@名無史さん:2007/04/04(水) 11:43:42
健康保険証をICカード化 データベース診療へ

 厚生労働省は16日、経済財政諮問会議に対し、平成23年度をめどに健康保険証をICカード化し
医師が患者の病歴や受診内容を簡単に見られるようにする「健康ITカード」(仮称)構想を示した。
他の医療機関での受診データも閲覧できるため、持病やアレルギーなど患者の詳細な健康状態を踏
まえた診断ができるほか、医療機関を変わるたびに行われる同じような検査や薬の過剰投与を省き、医療費抑制につなげる狙いもある。
http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%8C%FA%90%B6%98J%93
%AD%8F%C8%81@%8C%92%8DN%95%DB%8C%AF%8F%D8&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=lang_ja
         ↓
日本人を住基ネットとか、色々な面でコンピュター管理しようとしてる?
647日本@名無史さん:2007/04/04(水) 12:02:33
#アメリカからキリスト教を絶減させる
アメリカでは、今後、生産されるテレビには小さなカメラが内蔵され、いつでも個人の生活を監視
出来るようになるだろう。すでに一部では始まっていると情報は伝える。また
電話は全てコンピュータの電子音で録音され、必要に応じて再生される。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/asg7.html

デジハテレビ!
648日本@名無史さん:2007/04/04(水) 12:11:10
神社とお寺を比べるとお寺は金のことでもめたりトラブルが多いよな、
神社はせいれんで美しく清らかな感じがするので、仏教を廃止して神社1本で
日本は行くべきじゃないか。廃物運動を開始したい
649日本@名無史さん:2007/04/04(水) 12:21:02
倭国 わこく
倭   わ
委   わ
委   ゆだ
委国 ゆだのくに
650月光仮面:2007/04/04(水) 14:02:00
>>616
>この秦氏は、弓矢と縁が深い一族のようで、秦氏には代々、子供の人形と破魔矢を
>結んで川に流し、その人形の魂が人に宿って子供が生まれるというような逸話が
>あったようです。
BC1800年頃の小河墓遺跡からはヒトガタ、破魔矢のようなものが多数出土します。
多分、その後イランで始まるゾロアスター宗教改革で印欧多神教が一神教、救世主
教に変わり、この改革がエジプト、中国に伝わる、そこで秦氏の祖先は世界最古の
宗教改革を経験したあと、中国、半島へと達する。ユダヤ教もこの影響を受けたもの
でしょう。メキシコ・テオティワカンで一神教が始まるのにも関係している可能性が
あるのではないかと思います。
651月光仮面:2007/04/04(水) 14:11:50
ユーラシア中央部、アルタイ方面には鴨をトーテムとする、後の匈奴、トルコにつながる
部族がいるが、日本には銅鐸文化と共に鴨族が入るようです。時期的には秦氏より
古く、先住と見られたのかもしれません。
652月光仮面:2007/04/04(水) 18:09:41
大和・邪馬台国を中心とする倭国建国に際しては、神武を天孫とし、天照大神の
一神教で統一を図る計画であったようですが、山陰地方に月支国、つまり、馬韓方面
から侵攻とか、難民上陸があり、これをめぐって青谷上寺地、妻木挽田方面で孝霊帝
と難民勢力との戦闘があり、孝霊帝一族が渡来系を征圧したものと思われます。この
結果確保された古墳建設労働力が阿讃播で石積墳とか、大和盆地で大型古墳建設
が始まるのでしょう。しかし、一神教ではなく、旧来の大物主のような神を祭り、政治的に
三角縁神獣鏡配布で国内統治を行った。そして仲哀・応神の頃に月支国から正式に
移民を受けるようになって初めて八幡神といった形で一神教的な方向に向かう。これが
秦氏渡来の背景でしょう。
653月光仮面:2007/04/04(水) 21:31:10
秦氏と賀茂氏の先祖の大きな相違は、秦氏がインドヨーロッパ語族系統、賀茂氏が
ウラルアルタイ語族系統であり、秦氏にとってはケン教、景教、ユダヤ教、仏教等は
簡単であったのであろう。パソコンソフトを交換するように何教にでも変身できたはず
である。であるから遣唐使などを通じて新しい宗教に接するとたちどころに、あたかも
昔からそれが解っていたかのようにとり込むことができ、渡来人の思想を次々と受け
入れしたから、広隆寺、大避神社のようなものができたのではないかと思われる。中国
に入るお経は秦氏と同じ月氏族の翻訳によるものがほとんどである。
654月光仮面:2007/04/04(水) 21:40:22
ただし、天神信仰はウラルアルタイのものであり、現在モンゴル、トルコ、タタール
等の基本になっている。檀君というのもタングニというのはタングリと同じであり、
多分モンゴルのテングリ、トルコのタンリと同じものだと思われる。話の内容は
トラが出てくるので朝鮮族であると思われるが。日本の田の神様も同じである。
655日本@名無史さん:2007/04/04(水) 22:06:41
かもも全国にあるよね、加茂とか、下茂。八幡も多いけど
656日本@名無史さん:2007/04/04(水) 22:14:31
福岡に天神ってあるね 関係ある?
657日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:07:15
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
658月光仮面:2007/04/05(木) 08:14:46
天神はトルコ語のTengenに近いが、その宇宙像は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA
これはジンギスカンだが↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4e/Genghis_Khan.jpg
これは鹿児島県↓
http://kazekobo.cool.ne.jp/atano.htm
東北地方にもよく伝わっている。聖徳太子憲法17条の第三条、天覆地戴は
背景にこの知識が必要であり、又、前方後円墳がなぜ首長の棺を上に戴く
構造をとるのかと言う不思議もこれでよくわかる。
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm
この宇宙像は太陽神を唯一神としようとする天照大神のような思想とは
ことなる。
659月光仮面:2007/04/05(木) 08:40:27
三輪王朝、邪馬台国の政策は青銅祭器、銅剣、銅矛、銅鐸の三角縁神獣鏡への改鋳
という中央集権政策と銅鏡、前方後円墳による地方首長の地位安泰という徳川幕府
同様の政策を打ち出した。これに対して九州南部、出雲などの方面から抵抗が発生。
これが仲哀・応神時代の三韓征伐、というか拡張により国内の不安定を収めようとした。
こういうことではないか。
660月光仮面:2007/04/05(木) 12:19:44
>>658
トルコの解釈ではこの構造↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/1/13/Mongol_3kaisetsu.png/300px-Mongol_3kaisetsu.png
は上の天上界は「上鴨」、下の冥界は「下鴨」、中が人間界であり、日本の沖津、中津、
辺津に対応している。天界と人間界は金の柱でつながれ、柱のてっぺんには北極星
があるというが、これは天御中主命、そして天空はドームになっているが真ん中に穴
があり、そこから天と地の行き来ができる。天界の「上鴨」は天神であり、冥界の「下鴨」
は悪役でスサノオのようなもの。
661日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:40:26
古代中国では,いわゆる2足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる2足土器で炊飯していました。
662日本@名無史さん:2007/04/05(木) 21:18:21
古代中国では,いわゆるダッチオーブンで炊飯していました。
古代中国では,いわゆるダッチオーブンで炊飯していました。
663日本@名無史さん:2007/04/06(金) 00:56:47
古代中国の炊飯の人も大変だな
664日本@名無史さん:2007/04/06(金) 08:21:55
だってそうしないと、見えるものが見えない。

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html

666日本@名無史さん:2007/04/07(土) 08:43:04
大田たね子が加茂氏の先祖と言われてるけども、本間かいな。あとから権威付けするために適当なことを
667月光仮面:2007/04/07(土) 15:41:37
大物主系の神に大田田神あり、これを祀る船木氏は男鹿半島に分布。男鹿半島から
岩手にかけてはクロマンタ、大湯環状列石等太陽崇拝遺跡が多い。淡路の石上神社
も同じで、これが茅渟県陶邑に近い。オオタタネコはこの辺出身であるが、これは崇神の
前の代の卑弥呼が青銅器の三角縁神獣鏡への改鋳を断行したことで、出雲、賀茂氏の
宗教的影響力を奪ってしまい、国内が不安定に陥ったので、この対策にオオタタネコを
起用したものだろう。鬼道といわれたくらい徹底した卑弥呼政策により、賀茂氏は本来の
神統譜上の位置付けを放棄したものと見られるが、トルコ等における鉄の位置付けから
鴨宗教との関係は極めて深かったはずである。
668月光仮面:2007/04/07(土) 15:51:54
↑参考まで
239年己未 景初2/卑弥呼親魏倭王
248年戊辰 卑弥呼没 箸墓着工
263年癸未 箸墓完工 開化即位 即暗殺
264年甲申 崇神即位 これ以降にオオタタネコ起用
このへんのころではなかろうか。
669日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:32:37
古代中国の炊飯器には三足土器以外に釜もあった。

漢代から竈&専用釜が普及し、それらは徐々に作られなくなっていった。

日本には秦氏が竈&専用釜を伝えるまで、三足土器も釜も伝わっていない。
670日本@名無史さん:2007/04/08(日) 06:50:02
NHK深夜に放送してる「シルクロード」ではソグド人がシルクロードで商売を
した、と放送してる。

◎ソグド人だとして、アメリカがイラクを軍事攻撃したのはソグド人をイラクが
 迫害したのと関係あるか?

NHKラジオで李白は5歳の時父に連れられ唐に来たそうですが目が青かった」という
説もあるそうです。李白をローマ字でかくと

rihaku rihyarudo(リヒャルド)
671月光仮面:2007/04/08(日) 13:34:07
ソグド人の住むところはラピスラズリの産地で、このためにエジプト太陽神信仰などは
この貿易によって、現在のタジキスタン方面に伝えられ、更にはアルタイに行って天神
となり、タクラマカン・河西回廊・半島に入るのであろう。山伏の火渡り、峯渡りとか、香具土
神話に残る幼児生贄とか、神農、スクナヒコナ等、キャラバン的なものはシルクロード経由
であろうが、相当ぼやけて来ている。役小角が新羅まで原典探求に行かざるを得なかった
のもこうした理由によるのだろう。
672日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:33:15
世界不思議発見で古代マヤ文明の惑星が地球に落ちた穴の池にトルコ石の飾りを
あったので、これはシルクロードが南米のチリまでつながってたということで、
日本は通過点だったと言いたい。そうか空路で持っていったか。
673月光仮面:2007/04/08(日) 21:28:15
>>658
古代エジプトのかぶりものというか、フードというのかを見ていると↓
http://www.realhistoryww.com/world_history/ancient/Egypt_2.htm
これはジンギスカンだが↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4e/Genghis_Khan.jpg
これは鹿児島県↓ タンカンサー
http://kazekobo.cool.ne.jp/atano.htm
こうしたものとある程度共通性があるんだが、閻魔様、パン屋さんのような
のも熊野神社あたりの御神像にある。
674日本@名無史さん:2007/04/09(月) 03:52:46
>>671
レスサンクス。

李白をローマ字でかくと rihaku rihyarudo(リヒャルド)

リヒャルト・フォン・ミーゼス Richard von Mises (ユダヤ系)
リヒャルト・ジグモンディ(ジグモンディ・リハールド) Richard Zsigmondy - ノーベル賞。ユダヤ系。
ニューヨークのイエシバ大学のユダヤ言語の教授Richard Steiner

リヒャルト・フォン・ミーゼス Richard von Mises (ユダヤ系)

リチャード・ファインマン(1918-1988、物理学者)同じ年に生まれたユダヤ系アメリカ人
http://www2.kobe-u.ac.jp/~okamura/dick-lenny.html

675日本@名無史さん:2007/04/09(月) 08:15:46
古代マヤ文明にトルコ石のかざりがあったのはなんでやろ
676月光仮面:2007/04/09(月) 11:42:24
合衆国南西にいたアナサジ、これは籠細工が巧みであったが、地元のトルコ石を各地に
行商していたらしい。アマゾン方面では日本人系のDNAが出ているので日本人の先祖が
入ったのであろう。メキシコテオティワカンQuetzalcoatl 神等は唯一神だが北進している。
この辺のところは今後の研究で整理しようと思うが、例のソグドのラピスラズリがエジプト
第一王朝から第四王朝時代、エジプト・メソポタミアへの出荷が止まる。この頃コーカサ
スでは青銅器文化の発達とラピスラズリの流入が始まり、古セム語と古ケンタム印欧語
の接触が行われている。ケンタム系のトカラは、セム系の習慣をこの辺で受け継いでおり、
秦氏がユダヤだのの話が出てくるのは、月氏に入っていたトカラのセム系要素であった
のかもしれない。
677月光仮面:2007/04/09(月) 11:56:10
アルタイには銅山遺跡があるが、バイカル東南部にはラピスラズリが産出する。
従ってジンギスカン、東胡の祖先はラピスラズリのセカンドソースとしてシルクロード
で地歩を築いたことが考えられる。
678日本@名無史さん:2007/04/10(火) 04:08:03
489 :天之御名無主 :2007/03/22(木) 16:45:09
聖書 レビ記
「あなた方はびん(もみあげ)の毛を短く切ってはならない。
あなたはあごひげの端を損なってはならない。 」


もみあげを長く巻き毛にして垂らすユダヤ人
http://www.holidayinisrael.com/UserFiles/Wall,%20Western%20Wall3B.gif

San Fransisco art museum 4世紀の日本の埴輪
http://www.thymos.com/monument/museums/aa105.jpg

679月光仮面:2007/04/10(火) 10:45:02
>>◎ソグド人だとして、アメリカがイラクを軍事攻撃したのはソグド人をイラクが
>> 迫害したのと関係あるか?
これはクルドのことだろうが、クルドがゲルマン・スラブ等印欧語族原郷に住んでいる
という説はありえようが、それから先はねー。
680日本@名無史さん:2007/04/10(火) 13:54:05
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
681日本@名無史さん:2007/04/10(火) 20:47:43
古代中国では,いわゆる5足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる6足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる7足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる1足土器で炊飯していました。
682日本@名無史さん:2007/04/10(火) 23:38:27
>>635
イスラエル・ガリラヤ湖畔の「二匹の魚と五つのパンの奇跡教会」にある二匹の魚のモザイク画。
http://asiamessia.ld.infoseek.co.jp/umjc2003/img-gallary-galilee/Twofishes-fivebread-church2.jpg

共通点あるね。
683日本@名無史さん:2007/04/11(水) 23:41:43
>>639
とりあえずこれでも嫁、日ユ同祖論は字の通りの意味ではない
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb401.html
684日本@名無史さん:2007/04/12(木) 06:43:22
米とイスラエルがイラクに新ユダヤ国家建設を計画ムスタファー・バクリーhomepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/mustafa_bakry.html
685日本@名無史さん:2007/04/12(木) 06:58:25
約束の地占領計画が進行するのか・・・
686日本@名無史さん:2007/04/12(木) 11:25:19
羽田氏はまじめにコツコツ働いたが苦労しただけで差別されるほどのつらい
老後を送ったのかな。羽田の文字は当て字です。
687日本@名無史さん:2007/04/13(金) 08:16:01
仏教という外国の新規のものを入れるのを古代に容易にできたのは
688月光仮面:2007/04/13(金) 16:15:06
秦氏が日本人になってしまった後の事については
http://home2.highway.ne.jp/miiboat/HP_Mithraism_History_EastProp.html
このホームページがよくまとめている。この時点では、秦氏は有力な豪族以外の何者
でもない。秦氏がどこからどうやって極東に来たのは世界史の問題だ。秦氏は世界史の
重要な遺産を守ってきたとはいえるのではないか。
689月光仮面:2007/04/13(金) 16:44:23
中国では夏の頃、トルクメニアでは青銅製の二輪馬車、龍、駱駝等を持ち、ゾロアスター
教のハオマ・(アーリアのソーマ)を作る施設を持ったマルグシという国があったことが
http://countryturkmenistan.tripod.com/index.blog?topic_id=1016195
昨年の発掘でわかった。街の形をよく見ると四隅突出型古墳にそっくりだ。ゾロアスター
は悪龍を退治するのがスサノオのヤマタノオロチになるのかもしれない。中国の夏・殷
はこの方面から彩文土器も受け入れている。今、道教はインドヨーロッパ族の中国への
移動により朝鮮半島、中国南部の苗、アオ族に伝わったのではないかと言う研究が
行われている。ところが、トルクメニアの北方にあるアルカイムの円形都市は滋賀県
守山市伊勢遺跡と同じ円形構造で、拝火教の痕跡があり、伊勢遺跡の隣の勝部神社
では盛大な火祭りが有名なのだ。私としては朝鮮半島南部に入った秦氏をはじめ、
多くの物部族はスキタイ、つまり、イラン系騎馬民族であり、その基本的宗教はソグド
人同様に、上記のBC2000年頃のゾロアスター教の影響を受けているのではないかと
思う。ソグド人はエジプトにラピスラズリという宝石を売るのが商売であり、エジプトの
習慣、衣装、石工技術を身につけていたはずなのである。
690月光仮面:2007/04/13(金) 16:49:25
上記の遺跡については旧約聖書でどうゆう風に扱われているかと言う研究も進ん
でいる。も少しで秦氏とユダヤの関係も完全に明らかにされる日が来るだろう。
691月光仮面:2007/04/13(金) 16:56:17
↓これなど有力な意見となってくる。
スサノヲ=バール
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1151989855/
692月光仮面:2007/04/13(金) 18:04:50
参考まで、
ドラゴンと龍 Part2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1115005436/
693月光仮面:2007/04/13(金) 18:21:43
ゾロアスター教は古代中国に大きな影響を与えたはずなんだが、日本では修験道、
火渡り、刃渡り、即身成仏、水垢離等に如実な例を見る。役小角が修行したのは
韓国江原道春川市の牛頭山に近い、金剛山でなかっただろうかと思う。
694日本@名無史さん:2007/04/13(金) 21:09:14
ここで気が付いたメモを書きます、昔から左利きが器用な人が多く私の知ってる範囲でも
右利きは意外と工作がヘタで左利きにすごくうまいやつがいてましたが、これは使えますか。
695日本@名無史さん:2007/04/14(土) 20:41:40
白人は左利きが多くて黄色人は右利きが多いのですか、黒人はどうなってますか。
696日本@名無史さん:2007/04/15(日) 03:02:06
黒人は真ん中が強い
697月光仮面:2007/04/16(月) 16:08:29
秦氏の広隆寺本尊は薬師如来、天武天皇は賀茂系の役小角に勝持寺で薬師如来
を祀らしている。
「薬師瑠璃光(るりこう)如来とも呼ばれる。薬師は菩醍時代に12の大願を立て(その中に
自分の名を聞く者を不具や病気から救うという項目がある),仏となって東方の浄瑠璃
世界の主となり,日光菩醍,月光菩醍(日光・月光)を従えている。采死の病人を救うた
めに薬師如来に祈る供養法(続命法)が行われ,また薬師経を唱える信者を十二神将
が守護するとも説かれる。別に七仏薬師(しちぶつやくし)の伝承があり,これによると
東方に次々に如来がおり,最も遠い第7の如来が薬師であるとされる。」
非常に古いお経で瑠璃、ラピスラズリ、をモチーフとしているのはこの経がソグド人
サカ族等の手によって、東方向けの薬物、宝石の交易を目的として作られたということ
であろう。東方に浄瑠璃世界があるというのは遼河文明紅山文化時代パミール・遼河・
日本・あるいはビルマ翡翠文化間に交流があったことによるのだろう。
スクナヒコナとして薬師如来が伝わった頃、日光月光を基に楯築遺跡が作られたと
考えたい。
698日本@名無史さん:2007/04/17(火) 03:56:26
日光月光を基に楯築遺跡が作られたと !!
699日本@名無史さん:2007/04/17(火) 04:00:09
月光仮面=久慈力か?
シルクロード渡来人日本建国論
700月光仮面:2007/04/17(火) 08:46:01
いや、神武も卑弥呼も、オオヤマズミつまり、先祖が縄文系だと思ってますけど。
神武ってシオツチの言葉に従っているが、シオツチとは塩釜製塩土器文化(縄文)
であり、宮崎・鹿児島にはアカホヤ直後から移住したようですね。
701月光仮面:2007/04/17(火) 08:54:33
ただ、天武天皇等は極めて鬼道に長けているつうか、天才というか、もはや
縄文人の末裔とは思えない。やはり、日本人全体が進化したんでしょうね。
702月光仮面:2007/04/17(火) 19:13:10
世界史の真実はトルクメニスタン、タジキスタン、新疆ウイグル、アフガニスタン、
パキスタン、チベットの考古学者が一緒になれば直ぐにでもわかるはずなんだが、
ロシア、中国、パキスタン、アフガニスタン、イスラム原理主義、中国の分離独立
運動などがあり、おまけに核基地、核実験地帯であり、いくら日本人が器用でも
この地方には手が出せない。ゾロアスターの予言のように山が溶けて金属が溶解
して川になって初めて解るのかもしれない。日本人は古都の神社仏閣を遍歴する
のがお似合いと言うことであろうか。
703日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:05:06
今でゆうところの新興宗教の仏教が広範囲に広まったのは隠れキリシタンには
理解できないような
704日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:18:11
仏教発祥の地インドでは仏教はヒンドゥー教の一派としか見られてない
たしかに仏教の神様を見るとヒンドゥーの神様がそのままの名前で存在してる
705日本@名無史さん:2007/04/19(木) 02:18:31
つーか仏教なんてもろに同じ系譜だろうに
706日本@名無史さん:2007/04/19(木) 04:26:08
たしかに天武天皇、鎌足ーふひと等は極めて鬼道ていうか、カバラのような
陰陽道に詳しそう。魔術師か?欧米か?
707日本@名無史さん:2007/04/19(木) 04:43:02
是、どう思う?

660 :日本@名無史さん :2006/11/23(木) 11:59:02
韓国の秦氏はチンという
日本の秦氏はハダという。この違いは重要。
日本書紀や古書では、「葉田・ハダ」「波陀・ハダ」というから、我々は
ハダであり、後に中国式の秦(シリア中東方面の人たち、流浪)氏となった。

ユダヤはヘブライ語で「イエフダー」旧約聖書のアラム語でも同様。
これらの言語は、基本的に子音表記なので、どちらも「YHD」となる。
「八幡=(イ)ヤハダ」も「YHD」で同じ。
つまり、「八幡神=ユダヤ神」となり、宇佐、吉備、京都の多くの祭り
遺跡の謎(三柱神社、蚕ダビデ信仰、ユダヤ行事との関連性)の手がかりとなる。
708月光仮面:2007/04/20(金) 09:42:01
ユダヤ・シリア等セム系言語はアラビア半島以外に形跡は留めていないが、コーカサス
北西部のマイコープ文化はセム系だと言う。従って、ユダヤ人を含むセム系民族が
この地域以外にまで達すると言うことは考えにくい。秦氏がこの地域と関係があると
するのなら、ヒッタイトの前身のハティーというのとか、ハトッシャという地名とかが
関係するんじゃないかと密かに考えているんだがね。これは天山、ターリム、甘粛
方面のトカラ語というのとヒッタイト語というのが印欧アナトリア語族と言う同族関係
にあることからそう思うのだが。
709月光仮面:2007/04/20(金) 09:50:17
ところが、ターリム盆地小河墓遺跡のミイラはなんと西ヨーロッパ系、遺伝子等は
ほとんどオックスフォード標準に近いらしい。ユダヤ、ブッシュマン、チベット、日本
にはYAPという比較的新しいY染色体遺伝子が多い。
710月光仮面:2007/04/20(金) 11:14:04
つまりだ、言われるように秦氏にユダヤ乃至はセム系の残滓があるとすれば、秦氏が
アナトリアの更に西方からコーカサスに達した際にセム系(ユダヤを含む)文化を吸収
した可能性がある。しかし、小河墓遺跡を見る限りそんな形跡は全くなかった。つうか、
太古のサンミシェール方面の状況を彷彿される柱の並びと言う感じであった。
711日本@名無史さん:2007/04/22(日) 02:13:12
>>697
>瑠璃光

通名に瑠璃子などの名前がある。
712月光仮面:2007/04/22(日) 08:48:42
イラン方面ではバダフシャン峡谷に産するラピス・ラスリを瑠璃とし、これをエジプトに
販売する商人としてのジプシーをルリと呼ぶらしい。欧州ではルーマニア・モルダビア
のロマをジプシーと呼ぶ。薬師というのは「菩醍時代に12の大願を立て(その中
に自分の名を聞く者を不具や病気から救うという項目がある),仏となって東方の浄瑠璃
世界の主となり,日光菩醍,月光菩醍(日光・月光)を従えている。采死の病人を救うた
めに薬師如来に祈る供養法(続命法)が行われ,また薬師経を唱える信者を十二神将
が守護するとも説かれる。別に七仏薬師(しちぶつやくし)の伝承があり,これによると
東方に次々に如来がおり,最も遠い第7の如来が薬師であるとされる。」とのこと。
713月光仮面:2007/04/22(日) 09:04:33
バダフシャン峡谷出身と見られるのはエフタルであるが、中国では最後のルを落として
漢字表記されているようである。白いフンとも言われるようであり、トルクメニスタン、新疆
ウイグルではアブドル、新疆ウイグルではエイヌともいうらしい。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1094480262/menu50
日本でも中国では落としたルを復活、「「ゑとりをはやくいひて、いひゆがめて―と云
へり、たととは通音也」」
朝鮮人がウェーノム、白丁とか差別する者であるとか、金印委奴国というのは志賀島に
集結されている多くの鹿の角とか、豊前、男鹿半島に残る鬼伝承の主体はこれかな
という感がある。現在ではこの正体はイラン人とする説が有力らしい。
714月光仮面:2007/04/22(日) 09:08:21
秦氏は応神の頃に来朝する王族関係で、その中には蘇我氏の祖のようなものも入って
いたのではないかと見られ、上記のエフタル系統とは時代が違うが、行動を共にしてきた
ことはありえようか。
715月光仮面:2007/04/22(日) 09:24:13
白村江の闘いでは日本の敵であった文武大王「われ死して東海の竜にならん」
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/kampo.htm
この思想の背景にも強い東方指向性がある。最近発見されたアマゾンにおける
山東省、遼東半島方面のDNAを持つ巨人王、前回の放映では棺に隼人盾の文様
があったが、こうした東方指向精神の一環かもしれないと考えている。
716月光仮面:2007/04/22(日) 09:47:12
モンゴル・チベット方面には白いシャーマンvs黒いシャーマンと言う考えがあり、
日本で言えば神官vs猿田彦、オカメのような善悪二元論から発生したまつりごとの
ようであるが、この白いシャーマンとエフタルの白い匈奴とは全く無関係であるが
混同されることもあったのではないかと考えられる。
717月光仮面:2007/04/22(日) 12:47:18
秦氏とは別に東漢氏も渡来している。「東漢氏の渡来伝承には、神牛の導きに従い、
中国漢末の戦乱から逃れ、朝鮮に渡ったこと、皆才芸に優れ重宝されたこと、さらに
聖王が日本におり、このままでは滅ぼされてしまうとして、渡来してきたことが『続紀』
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/yamatoaya
注目されるのは聖王、これは神功の生んだ神の子応神天皇でないかと思うが、キリスト
生誕時に馳せ参じた東方の博士同様救世主思想、つまり、ゾロアスター教によるもので
これは当時三韓にサカ(坂上田村麿等に出てくる)イラン系騎馬民族がいたことを物語り、
ユダヤとか、景教ではないと思うのだ。ゾロアスター教がユダヤ、キリスト教に与えた
影響と言うことを考慮すべきだと思う。また、神牛の導きとは
http://en.wikipedia.org/wiki/Bucrania
これは小河墓遺跡、牛頭天皇にみられるもの。ここにある菊紋の祖形のようなのが
インドに入ってこうなるのであろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B
718月光仮面:2007/04/22(日) 14:43:34
薬師経を作ったのはおそらく国際的な香具師
「この縁日は,都市寺院の門前町形成の大きな要因となった。縁日商人(あきんど)と
いう言葉が示すように,寺の門前には縁日になると露店を出して商う香具師(やし)の
集団が集結した。むしろ縁日に立つ市は,香具師仲間によって運営される習慣が江戸
時代末期には一般化しており,近代以降になお引き継がれた。さまざまの縁日の中で
江戸(東京)の浅草寺の縁日は,なんといってもその代表的事例である。」
「香具師はしばしばみずからを神農と称するが,その職神は薬種神の神農皇帝であり,
親子盃その他の儀式に際しては,神農の掛軸が飾られる。その組織は,営業組織とし
ての帳元,帳脇,世話人,若い衆の区分をもつと同時に,親分,子分,兄弟分の身分
的絆(きずな)によって強くつながれている。」
要するに薬師経と言うのはどこそこへ行けば何とか如来(日本語で言えば親分)がいる
から世話になって商売をするというシステムであり、香具師のお経といって良いのでは
なかろうか。12の武将等と言うのは親分に他ならない。つまり、このお経は釈尊の死後
その従兄弟のアーナンダの許可を得てエフタルの先祖のラピスラズリとか、チベットの
薬草の東方向け商売を目指す集団が作ったものと考えるのが自然である。このお経が
成文化する以前から構想は存在し、それが大和の太市におけるスクナヒコナの神となる
のであろう。
719月光仮面:2007/04/22(日) 14:51:30
しかし、これはまた、西方から中国の農耕文明に到達した白人族がとっかかりがなく
商業、農業の管理、補助的分野にもぐりこむために今で言えば第3次産業的分野に
進出したと言うことかもしれない。
720日本@名無史さん:2007/04/26(木) 08:49:04
羽田さんはいつもハタと言ってにごらないと言ってましたが、これはヤハダでないという意味か。
721日本@名無史さん:2007/04/26(木) 09:04:16
>>717
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kouko/146.html

奈良の五条の猫塚から、
このようなエフタルの冑とも言われるのが出土してるし、
地域的にも時代的にも東漢氏の一派かもしれませんね。
722日本@名無史さん:2007/04/26(木) 11:05:13
DE*YAP+遺伝子から見た(下の方)、中東→中央アジア→日本、日本人のルーツ
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=80022
タジク人(上のアイヌ人にそっくり)
http://www.travel-images.com/view.shtml?tajikistan5.jpg
サマルカンドで会った、沖縄のお婆親子です
http://homepage2.nifty.com/hashim/smile/samarqand02
723日本@名無史さん:2007/04/26(木) 11:56:43
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
724日本@名無史さん:2007/04/26(木) 13:38:16
DE*YAP+遺伝子を持った民族は不思議と、ユダヤ、旧約聖書、臭がする
のは何故??
725日本@名無史さん:2007/04/26(木) 16:53:01
YAPはアイヌだから1万年以上前に中東から日本に移動したのでユダヤとは関係ありません
その後に渡来して来た弥生人はチベット人になる
726日本@名無史さん:2007/04/26(木) 17:03:59
何がチベット人だよw
好き好んでそんな偏狭に住んでんのかチベット人はw

元は別の場所いたんだろ、恐らくw
727日本@名無史さん:2007/04/26(木) 17:42:40
前秦、後秦、を起こした民族がチベット、チベット系テイ人だと
言われてる。秦氏はチベットと繋がりが有るかもしれんな、
ちなみにチベット系の民族が、ユダヤの子孫認定されてるしな

728日本@名無史さん:2007/04/26(木) 20:17:56
>>726
遺伝子を解析すれば日本人とチベット人は近いんだが
729日本@名無史さん:2007/04/26(木) 20:45:45
チベットは当初は海岸沿いの平地でしたがインド大陸が下にめり込んで持ち上げられて
いやいや高地になってしまいました。
730日本@名無史さん:2007/04/26(木) 21:19:14
HLA的に見ると、
縄文人がチベット人や朝鮮人に近く、
弥生人がモンゴル人に近い。
731日本@名無史さん:2007/04/27(金) 02:56:36
>>725
縄文のYAP+は約4000年前でしょ
ユダヤ人のYAP、イラク人のYAP、日本人のYAPがあって
その中間のシルクロードにYAPがないのは、最初から日本を目指していたためか。
縄文人は消えたシュメール人の末裔か、出エジプト以後に日本に来た集団があったか
そういえばシュメールの遺跡から遮光器土偶にそっくりな人形が見つかっている
732日本@名無史さん:2007/04/27(金) 06:53:24
>>728
そこを基点にするなっつうことだよ。
共有する起点がかって、他にあった。

大陸側の今の現状を基点にしようとする、悪い癖だw
733日本@名無史さん:2007/04/27(金) 08:11:19
>>731
4000年前以上に日本に住んでたのは何人なんですか?
734月光仮面:2007/04/27(金) 09:14:19
日本のYAPはチベットの亜流のようですね。約12000年前、すなわち、ちょうど
旧石器から縄文の始まる頃に来たものでしょう。ユダヤとかブッシュマンのは
これとは違うが、時代的にはほぼ同じ頃のようです。この頃はヤンガードリアス
という超寒冷気候でアフリカへの逆流等もあったのかも。また、インド・ビルマ
南方海中のアンダマンにもYAPがあり、やはりアフリカからベンガル湾チベット高原
等へと潮干狩りをしながらやってきたのかなー。
735月光仮面:2007/04/27(金) 09:20:42
>>721
サムライの先祖、おまわりさんの先祖はこうした北方系かもしれませんね。それと
イジメは子供の間でも伝播しますから、埴輪のような無邪気な連中が次第にサムライ
みたいなもののシステムで下に置かれるという形でも発生する可能性はある。これは
騎馬民族説などでも言えることで、100%渡来によるものというのではなく、風習、
差別の思想が伝播するということもあると思います。
736月光仮面:2007/04/27(金) 09:32:54
>>731
>シュメールの遺跡から遮光器土偶
YAPの推定される南回りコース上にあるともいえますね。多分、太陽崇拝用の道具
でないかな。
737日本@名無史さん:2007/04/27(金) 09:51:23
HLA的に経路を見ると南回りは完全否定される。

北回りなのだが、シベリア経由ではなく、ゴビ砂漠経由になる。
738日本@名無史さん:2007/04/27(金) 10:10:03
YAPとHALをごっちゃにして、都合よく語るなやw
739月光仮面:2007/04/27(金) 10:13:34
740月光仮面:2007/04/27(金) 12:15:52
>>737
時代的に古い時代は潮干狩りコース、新石器農業革命以降には農耕牧畜に適した
条件を求めての移動ということでしょうかね。
741月光仮面:2007/04/27(金) 12:17:56
あ、そうだ、マンモスハンターの移動等もあるし。
742月光仮面:2007/04/27(金) 13:42:29
原アジア人の移住
http://kennethomura.tripod.com/sitebuildercontent/sitebuilderpictures/anim_pop_asia.gif
アジア人は全てインド亜大陸出身である
http://kennethomura.tripod.com/sitebuildercontent/sitebuilderpictures/proto_face_anim.gif
日本人は東欧からの拡大が北海道へ、
朝鮮半島から、
東南アジアから
http://kennethomura.tripod.com/sitebuildercontent/sitebuilderpictures/japanese_invasion_anim.gif
アジアはインド、中国東南アジア、シベリアと三つに分かれているが
最初にインドから中国東南アジア、これがシベリアに北上、日本には
東欧方面から、朝鮮半島経由来たものもいる。
http://kennethomura.tripod.com/sitebuildercontent/sitebuilderpictures/asian_genetic_distance_map_anim.gif
この見方ってなかなか進んでいると思う。
http://kennethomura.tripod.com/asian_genes/
743日本@名無史さん:2007/04/27(金) 15:00:38
本に古墳からインド語が発見されたと書かれてたけど本当ですか?
744日本@名無史さん:2007/04/27(金) 20:05:57
>733 外人
>735 むかしニワトリを50羽ほど飼育してたときは、必ず1羽がイジメられてこつかれて
内蔵が飛び出すほどイジメにあって死んでいくので、閉塞感がイジメの原因物質と思われる。
745月光仮面:2007/04/28(土) 08:01:47
>>744
現在イジメは世界的現象であるし、多数の動物群においても発生する。その反面で、
インドに侵入したアーリア族とか、ギリシャに侵入するペルシャ軍とかは階級制をとる。
秦氏が侵入した百済においてもこうしたカースト制度があり、その制度を保ちながら
日本に入ってきたと言うことはありえる。稲作社会では必ずカースト制度化というと
東南アジアなどではそうしたこともなく、日本だけに士農工商等があるのはやはり
果たしを含む集団にカースト制度があった、つまり、インドイラン時代の残滓があった
と考えられる。
746月光仮面:2007/04/28(土) 08:11:16
逆に言うと稲作が始まって約1000年、古墳のような身分差は発生しておらず、魏の
遣使が倭国で目撃したのは、大人と下戸という極めて原始的な身分制度で、つまり、
それはまさしく古墳時代の始まる寸前の頃なのであろう。神官、武人の身分が確立する
のは古墳時代を経て神社仏閣時代に入る頃のことでなかろうか。そして、それは稲作と
言う単一栽培種文化に新参参入者が入り込むための方策でもあったのだろう。
747日本@名無史さん:2007/04/28(土) 23:37:10
虎杖(コジョウ)トーラの杖?=イタドリ(痛みを取る)イタドリ、イタンポ、スカンポ、等々
=タジヒ、タージ、(蛇、蝮のことも言う)=多治比、丹治比、丹比、多遅比、
1、タンジ、タジ、丹波、但馬地方のイタドリの呼び名、但馬もタンジからと言われる。
2、タジク人「タージ」、中国人は「大食」と記しペルシャ人はアラブ人をこう呼んだ。
3、杖と蛇、モーゼのアロンの杖を連想する、多遅比は応神朝の地元、反正天皇の名。
4、但馬と言えば丹後の間人(タイザ)聖徳太子の母「穴穂部間人(あなほべのハシヒト)」
波斯人(ハシヒト)ペルシャ人、 虎杖は大和言葉で「復活」を意味するらしい。
5、アイヌ語でイタドリの群生地をクッタラ倶多樂(北海道の倶多樂湖)百済??
なんか中東、ユダヤ、旧約聖書を連想するな、列島には中央アジア人多かったのかな?
748月光仮面:2007/04/29(日) 07:49:06
タジク人の解釈ではアヴェスタ原典の「王冠」を意味するタージ、あるいは、
商人を意味するトジルのいずれかが語源であろうとしている。ラピスラズリ
商人発祥の土地柄であり、いい線ではないかと思う。エフタルと言うのは、
中国人は高車丁零、つまり、チュルク系の同類と見ていたようである。
朝鮮人には胡を嫌う風潮があり、白丁はこれから来ているのかもしれないが、
日本ではユーラシア各地の要素が集まりさらに間違いが起きている可能性もある。
基本的にいえることは高温多湿の日本的風土において砂漠、乾燥地帯の生活風習が
衛生上極めて危険であったと言うこともあるのではないかと思われる。
749月光仮面:2007/04/29(日) 08:07:51
犬神人というはローマ人の風習であり、ローマ建国者はパラチネの岡に北方火葬墳文化
地域から侵入してきたもので、狼に育てられた双子の神話を持つ。この原点はチュルク、
タタール系である。又エジプトでも活躍しているようである。このローマ文化が新羅経由
日本に入り、敦賀から上陸して京都に入ったものと考えている。
750月光仮面:2007/04/29(日) 08:10:39
秦氏の歴史と言うのは欧州、インド、中国を創造した人々の歴史であると言う点で
重要なのであるが、宗教の起源という点でも重要と思う。
751月光仮面:2007/04/29(日) 08:24:52
話が変わるが豊川稲荷の狐と言うのはどう見てもエジプトのイヌビスである。仏教とと
もにダキーニというヒンドゥの神話に出てくるものに変えられるが、その昔はエジプトの
シリウスの神で、タタールが持ち込んだものと見ている。田の神、つまり、天神の使いの
犬神と見ればいいのである。狗奴国とはまさにこの辺のことなのである。
752月光仮面:2007/04/29(日) 09:20:31
ローマの初午に似たものにルペルカリア祭りがあるが、犬神人はローマの旧都心城壁
を「ツルメソ」の弦のごとく犬と山羊の生贄からとった弦を継ぎ合わせで縄張りする。
また、この弦で娘のしりを打って祝うとのこと。
753日本@名無史さん:2007/04/30(月) 11:01:34
平等社会がくずれてきてるのでイジメが繁盛してきてるわけですね、そこで
階級制度を入れれば無用なイジメはなくなると言うことですね。
754月光仮面:2007/04/30(月) 13:21:16
米国なんか苦労して平等社会を維持しているようですね。でも、日本人にはそんなに
住み易くはないんじゃないのかなー。いじめと言うのは受験地獄、競争地獄の社会に
与えるひずみですね。しかし、イジメ、競争のない理想社会には経済成長はない。この
ひずみのガス抜きをして、社会を正しい方向に向けるのが難しい。政党の真価が問われる。
755月光仮面:2007/04/30(月) 13:46:23
秦氏は原始ミトラス教を奉じ、パルティア国に敗退したローマ帝国(太秦国)軍団の
兵士が中核でしょうが、中央アジア、アルタイ、甘粛、百済、新羅と数奇な運命の中で
古代の犬戎以来、犬狼トーテムのチュルク系と同一行動をとる、つうか、エフタル等は
下層階級に置いたのではないかと思われます。
秦氏と犬狼トーテムのチュルク系の関係を非常によく表すものは、
「欽明が幼少のおり、夢に人が現れ、「秦大津父(はたのおおつち)という者を寵愛す
れば、壮年になって必ず天下を治められるでしょう」と言った。 使者に捜させると、
秦大津父は山城国紀郡の深草の里にいた。 欽明が彼を呼び寄せると、彼はこんな
話をした。 伊勢より商売をしての帰り、山で二匹の狼が闘っているのを見ました。私は
口手を洗い禊(みそぎ)して拝み、あなたがたは尊い神でいらっしゃるのになぜこんな
荒々しいことをなさるのですかと言って争うのをやめさせ、血を拭いて放してやりました。
 欽明は夢のお告げ通り、秦大津父を手厚く遇し、秦大津父は大いに富を重ね、欽明
即位後は大蔵の司に任じられた。」
http://homepage.mac.com/toshihak/sohgen/s1020.html
犬狼トーテムのチュルク系のうちの没落したものが秦氏の下で犬神人となるのであろう。
756月光仮面:2007/04/30(月) 13:56:01
しかし、秦氏の優秀な経営、産業振興、商業能力にはローマ軍人、チュルク兵士など
には見られないものがあり、非常に歴史の古いユーラシア商人の血筋が残っている
ようです。
757月光仮面:2007/04/30(月) 16:34:32
>>751
古代エジプトの神名はクルド語で解読可能なものが多いらしいが、クルド語では
ギリシャ語のシリウスもサ(犬)レア(道)、と読め、現在でもバシコルド語にはサリア
という女性名がある。また、ソポデトというのはエジプトのシリウス星の神であるが、
これはクルド語のサ-犬、ペ-水、デト-捧げる女と解釈され、このソペデトは洪水、清流、
来る年の神としてあがめられると言われるが、日本語の瀬織津姫はシリウス姫とも読め、
五十鈴川の清流にいます、天照大神のアラタマで、なぜか悪神とされる。そして伊勢湾
を渡ると豊川稲荷があるが、ここの狐はエジプトの黒い犬のようだ。黒い犬はエジプト
ではインプ、冥界の王であり、ギリシャ語ではアヌビスと呼ばれる。しかし、犬という点では
シリウスとつながり、どうも瀬織津姫がアマテラスに変えられる際に伊勢湾の彼方に追
われたのではないかと言う気がするのである。
758月光仮面:2007/04/30(月) 22:09:13
世界の神話は天が男性、地は女性であるが、エジプトとウラルのバシコルド族は天が
女性で地が男性(バシコルドでは蒼穹が男性で空は女性)。バシコルドには犬は天を
呼ぶという伝承がある。他方、エジプトでは雨は降らず、大犬座のシリウスが昇ることに
ナイルが増水する。従って古代からのエジプトとバシコルドのつながりにより、シリウス
の女神ソペデトが水を与える女神となったとのこと。つまり、アマテラスが女性であり、
瀬織津姫がそのアラタマであると言うのはずばりエジプト-バシコルド神話体系によって
説明が付く。伊勢湾周辺は狗奴族、つまり、バシコルド族の国ではなかったであろうか。
759月光仮面:2007/04/30(月) 22:13:59
犬は雨を呼ぶが、誤って、天を呼ぶとなっており失礼。犬はブリザードの接近も
予報するそうである。
760月光仮面:2007/05/01(火) 09:45:59
しかし、シリウスというのはギリシャ語であり、エジプトではオシリスに変わっていた。
これがオシラサマ、ギリシャ語のシリウスが瀬織津姫となるのは秦氏の中にいた太秦
系が旧ギリシャ系中央アジア方面から持ち込んだと考えて見たい。
761月光仮面:2007/05/01(火) 12:14:21
狗奴国を建設したのは貊族でなかろうか。太秦ミトラス(マダラ)教徒である、秦氏の
第一波であるツヌガアラヒトとともに北陸に上陸、木曾から伊勢・三河湾方面に向かい
狗奴国を建国したのであろう。
762月光仮面:2007/05/01(火) 15:08:01
古代ローマ
次にに生贄の饗宴があり、その後「狼兄弟神官」は犠牲獣の皮を切って弦を作るのであ
るが、これがフェブルア(2月のふぇブラリーの語源)と呼ばれ、「狼兄弟神官」は「浪
人間」を真似て犠牲の山羊の毛皮を身にまとい、パラチネ古城壁を駆け巡るが、その
城壁跡には目印の列石が置かれ、弦を手にもって二手に分かれ、見物の群集をそれで
打つ。娘と若い女は彼らの通り道に並び、これらの鞭打ちを受ける。これは女性が子宝
に恵まれ、不妊を防ぎ、安産をもたらすと信じられている。この行事は(キリスト教の
影響を受け、春に行われることとなって)イースター・マンデーの鞭打ち等として生き残って
いるようである。
富山県
しりうち‐まつり【尻打祭】
富山県婦負(ネイ)郡の鵜坂神社で、もと五月一六日の祭日に、神主が祝詞を唱え、
一郷の婦女にその年に関係した男の数をいわせ、榊(サカキ)のむちでその数だけ尻
を打った行事。
キリスト教の影響を受けたのであろうか。
763日本@名無史さん:2007/05/02(水) 10:17:19
宮本常一の民間暦でも尻打ちの行事が取り上げられていたような。
北部九州地方では、藁を束ねたもので娘衆の尻を叩いて廻るとか。安産祈願らしいが。
ところで、尻打ちはシリウスに引っ掛けてるのですか?
764月光仮面:2007/05/02(水) 10:55:26
梢園社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)に従って天下りした牝牡2匹の白犬の
末裔が人間と化し,犬神人の祖となる。犬神人,弦売僧,弦女曾,弦練作,弦召、
〈弦懸(つるかけ)、犬神人は路上に座して弦を商い,〈つるうり(弦売)〉と呼ばれ,
〈つるめし候へ〉と売声を発している。越前気比神宮、京都祇園社にいた。・・・
東京等でも正月の前には注連飾りが売られるがよく似ている。これはローマの
ルペルカリア行事と似ているので、富山のしりうちは本来弦乃至は縄の類で
打ったのではないかと思う。牝牡2匹の白犬とは狛犬の起源でシリウス信仰の
名残り。牛頭天王はマダラ神とも関係し、これに犬神人が随伴するのは4000年
前からの慣習であろう。・・・と考えてますが。
765月光仮面:2007/05/02(水) 12:08:35
牛と人間の関わり方ですが、
(1)牛の頭に魔よけの効力を認めるもの。
アルタイ、日本、タイ、ルーマニア等の千木、鬼瓦。小河墓遺跡ミイラ
(2)牛を崇拝するもの。
インド、ヒンドゥー教
(3)牛を殺して神に捧げるもの。
ローマ、小アジアのミトラス教、秦氏のマダラ神、スペイン等の闘牛、日本韓国の牛相撲
にもその痕跡が残るのかも。
こういう風に分類して見ると、秦氏のマダラ神はローマ軍団のミトラス教から出ており、
祇園社の牛頭天王は小アジア方面の魔よけから出ているのではないかと思われます。
766月光仮面:2007/05/02(水) 13:02:00
>>761
貊族とは後漢書東夷伝ワイ伝によれば、「その習俗は山川を重視する。山川には各々
区域があり、妄りに干渉する事は許されない。同姓は結婚しない。忌諱が多く、病人や
死者が出ると、その度に旧宅を棄てて新たに新居を建てる。麻の栽培・養蚕・綿布の
製造を知っている。星宿(星座)の観察に明るく、その年の収穫の多寡を予知する。
毎年、十月に天を祭り、昼夜に渡って酒を飲んで歌い踊り、これを舞天と呼んでいる。
また虎を祀って神としている。」ここに言う「星宿(星座)の観察に明るく、その年の収穫
の多寡を予知する。」というのがバシコルドのアミン・ベクがユダヤのヨセフ同様エジプト
王朝の宰相に登用された所以である。アミン・ベクは発音がアメノヒボコと似ている。
767日本@名無史さん:2007/05/02(水) 21:45:01
こま犬ですわ、前から気になってるこま犬、流行でどこの神社でも置いてるのか
訳があって置いてるのかが
768月光仮面:2007/05/02(水) 21:46:46
>>761
八坂神社の真弓宮司は『新撰姓氏録』八坂造の項に「狛国人の之留川麻乃意利佐
(シルツマノオリサ)」とあり、「春川には古くから狛国があった」ことを指摘されておら
れる。 斉明天皇二年に来日した狛人81人は春川の狛人ではないかとの仮説を出さ
れている。三韓覇権争いの地であり、その頃の高句麗の南下で、狛人の亡命が想定
され、それに該当するとの見方である。
http://www.kamnavi.net/it/sosimori.htm
秦氏の牛祭りを見ても解るように、牛との関係があり、春川においても、狛国人を下部
組織としていたのではないかと思われる。その後彼らは次第に新羅方面へと南下し、
敦賀に正式に上陸する。そのときとんがり帽子、バシコルド、サカ、サルマート、ミディア
人のごとくかぶり、これを見た倭人は角のある人といったのか、あるいは、秦族がトカラ
人であるといったのかではないかと思う。

769月光仮面:2007/05/02(水) 21:58:19
>>767
小アジアで牛頭を鳥居式に固定する風習があり、狛犬はこれとセットになっている
感じですね。牛頭天王の守りと言う役割でしょうか。
>>755 秦大津父が欽明に言う二匹の狼というのは「最近軍部が乱れておりまして」
といった引っ掛けのような気がしますね。
770月光仮面:2007/05/02(水) 22:11:00
エーゲ海の小アジアトロイに近い大きな神殿サモトラキ
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Samothraki_Arsinoe_rotunda_2.jpg
ここに牛頭天王、八坂のシンボルがあるが多分これを基にしてローマ人
である秦氏が鳥居を流行らせた。これに貊族が乗り込んで狛犬を作った
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Map_greek_sanctuaries-en.svg
というのが正解でしょう。

771日本@名無史さん:2007/05/02(水) 22:38:04
推論や考古学などを述べてるけど
これだけ科学技術が発達してるから
DNAでも何でも調べれば簡単に分かるんじゃないですか?
772日本@名無史さん:2007/05/03(木) 01:28:33
スレを読み返せ
773月光仮面:2007/05/03(木) 07:22:03
秦氏は白人系だけでもローマ、イラン(サカ)、アナトリア(ハティー)、古欧州等が
入っている非常に大きく、数千年の歴史的広がりを持つ集団と考えられます。
そして、日本国内でも南西諸島から利尻礼文・オホーツクにまで広がったと見られ
ますが、どちらかと言うと内陸よりは沿岸部、つまり、後発ですから内陸は先着または
先住者に抑えられていたのではないでしょうか。中央に進出したのはエリートでしょう。
774月光仮面:2007/05/03(木) 10:35:25
日本列島に居住する帰化高句麗氏族の代表的な氏族名
http://www2.odn.ne.jp/~cbm51320/sub3-1.htm
基本的に高句麗/ワイ貊、百済、新羅は半島原住民、櫛目文土器文化人ではなく
ウラル・アルタイ草原地帯の出自であり、一部は現在の半島人の中にも遺伝子を
残しているが基本的にユーラシアを移動した民族と見るべきであろう。しかし、逆に
櫛目文土器時代のネイティブ朝鮮人がフィンランド東部まで進出したと言うことも
ありえる。時代は変わるが相互乗り入れのような関係も考えられよう。ローマに
侵入した北方印欧語族はウラル・アルタイ系犬神人が随伴していたという可能性は
ウラル・サマラ川で井戸に投げ込まれた犬の骨を調査した米国考古学チームの
推論である。
775日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:37:56
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)


宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA
776日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:42:49
宝来mtDNAデータのトリックとその欠陥を簡単に説明してやると、

朝鮮半島にしろ中国大陸にしろ、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、データの中に北方アジア人に関するタイプの
データが一切出てこない。

しかも、調査サンプルにも北方アジア人のサンプルが一つも無い。

つまり、宝来mtDNAデータは、北方アジア抜きの偏向調査で出された単なる
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの非常に悪質極まりない欠陥データに過ぎないのである。
777日本@名無史さん:2007/05/03(木) 17:30:43
日本の城を見たときはこれは日本人が作った物だと感じるけど
古墳を見た時はこれは西洋人が作ったのかと思った
なんか長さが正確だからね
778月光仮面:2007/05/03(木) 18:24:03
古墳・飛鳥・奈良時代に渡来した多くの西洋人系は優れた文化を残したが、そのDNA
は残っていない。彼らに随伴してやってきたモンゴル東部・南部の現在のブリャート人
のDNAは日本全国で生き延びた。
779月光仮面:2007/05/03(木) 18:46:35
現在日韓両国に残る高句麗、百済、新羅の武人の末裔の先祖、特に、三河、関東
武士の先祖はかつてユーラシア、中近東を席巻したモンゴロイド系騎馬民族の名残
だと思う。
780日本@名無史さん:2007/05/03(木) 20:14:41
コネがなかった新羅系が関東に追放されたのでそこで自由にワザを磨いた。
781日本@名無史さん:2007/05/04(金) 05:26:26
出雲の邪視紋銅鐸てメソポタミアやエジプトの太陽と翼のマークに似てるな
782日本@名無史さん:2007/05/04(金) 10:40:29
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000tennnoukeifu.htm

(2) 秦氏によるユダヤ文化の導入:
ここで、最も驚くべきことは、大和朝廷を建て上げるために天皇家を大いに助けた秦氏一族は
クリスチャン、しかも、ユダヤ教的な(あるいは、ユダヤ人の)、しかも、原始キリスト教徒(一部、
景教徒も含む)であったことである。それは、秦氏が設立にかかわった宗教的な建物や習慣に、ヘブラ
語や旧約聖書の儀式・慣習といったユダヤ性だけではなく、新約聖書からの教理や教えが、
秦氏が渡来した初めから含まれているからである。
783日本@名無史さん:2007/05/04(金) 10:58:11
http://daioh3.typepad.jp/photos/uncategorized/060430_13150001.jpg

秦氏建立の伏見稲荷の神輿は、
二人のケルビムを表してるようで興味深い。
784月光仮面:2007/05/04(金) 13:49:41
秦氏が本来持っていたのはマダラ神、ローマ軍団としての宗教、秦氏は来日後
インテリ集団として遣唐使から唐の最新情報等のインプットを受け、国史編纂等に
協力したのであろうが、景教の洗礼を受けたのであればマダラ神は捨てたであろう。
宗教のプロだったんだと思うが。
785月光仮面:2007/05/04(金) 14:24:30
秦氏は宗教専門家として、新興宗教などには極めて反動的であったものが、景教に
対してガードが甘いのは、当時の唐の国策が 当初はこの教えを波斯経教,その寺院
を波斯寺,つまりペルシア人の宗教とよんできたが,発生の地がペルシアではなく
大秦国であることを知り,745年(天宝4)には詔によって波斯寺を大秦寺と改めること
になったと言った事実が遣唐使によって朝廷にもたらされた結果、ローマ帝国代表部
として景教に変えたほうがいい等と言う思惑もあったのだろうか。
786月光仮面:2007/05/04(金) 15:36:39
伏見稲荷は多分貊人(エジプトでは犬族ハビルと呼ばれたもの)の社であり、ヘブライ
というのもこの言葉から来たが、イスラエル・ユダヤよりは歴史が古く、創世記のヨセフ
の話はハビル族のものであった。ローマにラテン人とともに侵入したのもこれであろう。
シリウスを見てナイル増水の時をエジプト人に教え、ファラオとチェッカーの賭けに勝ち
国を貰ったと言う伝承も持っている。ちなみに、ブラジルに到達した文明はアマゾンの
増水を昴で予知した。そして翡翠にこだわり、隼人紋で棺を飾っている。これも同一
民族ではないかと思われる。アルタイの石碑に描かれた神像からは星座の運行によって
宇宙の未来を予言しているそうであるが、例えば日本のキトラ古墳等にもこの影響があ
るのではかと思われる。
787日本@名無史さん:2007/05/04(金) 15:41:01
>>778
子孫が一人もいないって極端すぎて論にならないよ
788月光仮面:2007/05/04(金) 15:44:50
日韓にはいないんだが、中国にいるんだよ。
789日本@名無史さん:2007/05/04(金) 16:15:59
>>788
何がいるの?
790月光仮面:2007/05/04(金) 16:30:58
遺跡付近のいくつかの村で、多くの人々は鼻が高く、目のところの彫りが深く、髪は
天然パーマで、頭髪、ひげ、体毛が皆ブロンドであり、体格ががっちりしていて、
まさしく地中海地方の人々の外見的特徴を持っていることを発見した。三十九歳の
宋国栄さんもその一人である。宋さんは身長が一八二センチあり、鼻が高くて顔の
彫りが深く、肩までの長髪はブロンドでカールしている。宋さんの話では、この一帯
には同じような容貌の人が百人近くはいるという。この村の宋一族の長老は宋さんよ
りも背が高く、青い目をしている。子供が何人かいるが、皆ヨーロッパの子供と全く
同じで、肌は白くてブロンドのヘアーである。
祭祀(さいし)の時に用いられる。この一帯の村々では、村役場や主な道つじに
「牛公廟(ぎゅうこうびょう)」が建てられ、また牛の頭をトーテムとしている。
毎年立春の前に村人たちは川から泥を取ってきて、牛公廟の中に「春牛」を造る。
立春になると、人々は春牛を廟の外に引っ張り出して粉々にたたき壊し、幸運と
五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。また、地元の人々がもっとも楽しみにしている
「抵牛(角突き)」と呼ばれる行事もある。毎年この行事の日になると村人たちは
牛の群れをかつて牛を殺したことのある場所へ追っていき、牛たちは血のにおいをかい
で狂ったようになって、互いに角を突き合わせてぶつかり合うようになる。こういった習慣
は今でも続けられており、専門家たちの話によると、これはまさしく古代ローマ人の闘牛
の遺風を受け継ぐものであるという。
791月光仮面:2007/05/04(金) 16:32:14
闘牛は日本各地でも行われている。新潟では牛の角突き、隠岐では牛突き、宇和島で
は牛相撲とも呼ばれ、鹿児島県徳之島では牛オーシ、そして当地沖縄では牛
オーラセーと呼ばれる。
http://www.geocities.jp/wpcks517/rekisi.html
792月光仮面:2007/05/04(金) 16:42:10
このローマの連中が新羅に入るのは最も早くて後漢、月氏/トカラ人ルートに乗るもの
だろう。斎明の頃のトカラ人が作ったというローマ風建築は彼らの手によるものと見て
よかろう。しかし、こんなローマ人、ミトラス・マダラ教はグローバルな秦氏のスケールの
ほんの一部であり、問題は伏見稲荷の犬神様。これこそエジプト、ローマを生んだもの
に関係し、今や中南米、アマゾンにまで関係するのではないかと見られる。
793日本@名無史さん:2007/05/04(金) 17:19:57
白人の子孫でも4世代まで来ると現地人と混血して普通に黄色人に見えたな
794月光仮面:2007/05/04(金) 17:25:01
多分イスラエルは最も古い牧畜の民でエジプトでも何かと神官めいたことをやって
いたが、本物の農耕牧畜のプロはウラル・アルタイにいた犬神族ハビルだった。
これは天文観測のプロであり、気象変動の予測も出来た。イスラエルはハビルを
詐称し、エジプトに取り入った。そして犬神族をカビルとして聖書を作り上げた。
つまり、新石器農業革命後は犬神族が、つまり、秦氏の方がイスラエルの上位に
あったのである。ヨセフの話は秦氏の話を盗んだものであろう。
795月光仮面:2007/05/04(金) 17:31:46
先着のトカラ人と血縁関係を結んだから純潔種が保たれたんだろう。
796月光仮面:2007/05/04(金) 17:42:47
しかし、犬神族の行くところにはイタリアのマフィア、ロシアの秘密警察、欧州の秘密
結社ありで、エジプト人には蛇蝎のごとく嫌われていたと言う説もある。いいところ
だけではないのである。
797日本@名無史さん:2007/05/04(金) 20:37:05
倭国には牛や馬がいないと書かれてるので、沖縄から入れた牛が黒牛の和牛ですよね。
798月光仮面:2007/05/05(土) 07:45:30
お稲荷さんは趣旨から言っても明確に農業、つまり、田を守る神であり、聖書が
牧畜の民ハビルを上位におくのとは対称的である。そして犬神族はナイル川増水の
シリウス、大犬座を神とする。しかしその神学は極めて高度な天文観測とデータ保持
能力を基礎にしている。このインテリジェンスこそ犬神族とイスラエルの、ハビルと
カビルの差である。であるから、ナイルに加えて、ドナウ、ドニエプル、黄河、長江、
インダス各流域の農業経済を天文学的に予測しながら交易を繰り返したのが犬神族
であり、そのルートに商品としてラピスラズリ、青銅、鉄が加わって行く。ハタ、ハティー、
ヘト、ヒッタイトと言うのはこの辺の事情によるのであろう。神武が何百万年の思考が
出来るのは彼が遺伝学者であったためではなく、彼は宇宙の運行をそのくらいの
単位で読み取れる天文学者集団の助言に基づいていたと言うことであろう。しかし、
星座の観測に加え、太陽のコロナ、フレア等の観測による長中期気象予報を行った
可能性もある。
799月光仮面:2007/05/05(土) 07:57:48
銅鐸というのは殷の時代の中原方面から発生し、綏遠、三韓、吉野ヶ里、出雲と移動し、
終には三河・遠州にいたり、三遠式となる。この三遠式銅鐸に青銅原料を供給した集団
がどうもオルドス、遼寧と移動をした青銅器文明担架者だと思われるが、彼らは飛騨
高山の鉛資源の取引を行っていたのではないかとも考えられる。あるいはこの資源の
ために大陸から移動してきたのかもしれない。弁辰に鉛御津と読める国がある。富山
の滑川は鉛川ではなかろうか。
800月光仮面:2007/05/05(土) 08:04:40
ユダヤ、ゲルマンが伊勢神宮を見てショックを受けるのはエジプトから欧州を
席巻した古代の神の姿を見るからだと思う。
801日本@名無史さん:2007/05/05(土) 09:07:40
犬もこまいぬでないとあかん理由は日本の犬が雑種しかいない時代だったのでしょうか。
802月光仮面:2007/05/05(土) 09:56:23
>>798
この犬神族はナイルを越え、ニジェールにも入っているようである。これはエジプトから
派生したものかもしれないが、アルタイで宇宙終末・再生を記述するような恐るべき天文学
知識は持っているようだ。
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
803月光仮面:2007/05/05(土) 10:08:54
>>801
力道山の愛弟子、アントニオ猪木が将軍様(綱吉ではないが)のお犬に触れることを
許可されたのを見ると、秋田犬系統。『後漢書倭伝』には、「会稽の海外に東魚是人
あり。分かれて二十余国となる」のくだりがありというのに出てくるのは土佐犬のような
マスチフ系統。ハンガリーに侵入するマジャールはこの両方を従えており、チベット
族は北方草原から南下したことを物語る、つまり、ハンガリーに入るチベタンマスチフ
は東トルケスタン方面が原産ではないだろうか。そして、土佐犬、尾長鳥、闘牛から
察し、東魚是人とは豊前、延岡方面にまで達した状態の北方系であり、その後宇和島
から高知に入ったものと考える。月山神社、裸での水垢離等は九州北部、岩手等と
共通し、牛馬の文化を感じる。
804月光仮面:2007/05/05(土) 10:40:11
>>802
YAP発祥の地アフリカに倭人そっくりのメンタリティーを持つ民族がいたことは不思議
であるが、彼らの言う異星は天白星」、箱舟は河内物部の磐舟、ピラミッド内部、アララト
山に残っている。
805月光仮面:2007/05/05(土) 14:00:29
>>775 >>776
YAP-Dは日本とチベットに共通で、チベットの方が日本のよりは老舗らしいが、ハンガリー
に移住するマジャールの連れるチベット犬、タングートのチベットへの南下等は歴史
時代の出来事。一方日本の遺伝学者はYAPは縄文人のものとの主張を国際的に
貫いている。しかし、日本は酸性土壌で縄文人の遺伝子サンプルからの立証は不可能。
では、なぜ、日本のYAPは縄文人なのであろうか。これは日本の遺伝子学者が脳内の
勝手な史観に基づいてこじつけたものとしか思えない。こうなると科学ではない。
もし、チベットを初めとするYAPの原郷が中国西部にあるとすれば、秦氏の動きと
一致し、YAPが中国に残っていないと言うことは秦氏は日本人に他ならないというこ
とになり、チベットから雲南にかけての日本人に風貌の似た人種とか、アルタイ系言語
を話す民族は日本人の忘れ形見ということになる。
806月光仮面:2007/05/05(土) 14:16:27
コイサン、ユダヤ、アラブ等のアフリカYAPからチベット・日本YAPが突然変異で分岐
するのは12000年前の頃だと言う。ヤンガードリアス超過冷時代、縄文土器、細石刃
の時代であろう。一方、YAPは発明力に富んだ優秀な特性があり、アフリカ、アジアの
変化がおきるのはレバントとバイカルの中間の辺りかなーと言う感じがする。超古代の
シルクロードであったのかもしれない。
807月光仮面:2007/05/06(日) 13:18:46
>>786
イェルサレム市エジプト代官はエジプト宗教改革ファラオ・イクナートン(1419-1400 BC)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/wats66/history/エジプト社会と宗教改革.htm
(天照構想は貊人のものかもしれない)
に提出した楔形文字報告書に「ハビリ」が初出。代官がファラオに書いたのは「ハビリ、
ことカルブ・ハルキ」は次々と都市を陥落させております。ということであるが、別分
では「ハビリ、ことカルブ・ハルキ」は、イェルサレム市を全ての都市陥落に成功したと
あり、もうファラオに支援要請を出していない。これら書簡から明らかなことはファラオ・
イクナートンが部下の報告になんらの反応を示していないとされる。疾如風、徐如林、
侵掠如火、不動如山を地で行ったものであろう。 このハビリはバシコルドと自称、
ハシは「頭」、コルドは「狼」、狼族の首脳国とでも言った意味だろう。これが高句麗
となり、貊人はこれから出る。
808月光仮面:2007/05/06(日) 13:24:42
アルタイ学会は高句麗がアルタイから発して朝鮮半島に入ったものとしている。
KHUR、布留はタラシの意味であるが太陽のという意味で匈奴が媒介したものと言う。
朝鮮半島では高句麗、孝霊となったと言う。これが日本では高倉神社、高倉下、高良
大社の言葉に埋め込まれていると考えられる。
また太陽は鹿が角に挟んで運ぶことから、鹿で表現されることも多いらしい。エジプトの
影響であろう。
809月光仮面:2007/05/06(日) 14:07:37
伊勢遺跡の近所には勝部神社という拝火教的行事があるが、1600-1700 B.C.バシコル
トスタンの近辺にあったアルカイム遺跡は伊勢遺跡と似ている。アルカイムも人為的に
火を放ち立て替える習慣があったとされる。
http://www.krasn.ru/geoph/kochnev_228_CD.files/image002.gif
天孫が、式年遷宮を開始したのはここではないかと思われる。
三種の神器の八咫の鏡を作ったのは↓
http://shrine.s25.xrea.com/oumi-kotou3.html#3
日本書紀神代、国譲り一書の2に出てくるヨット、マリーナ、勝鬨橋を出雲に献上、オオ
クニヌシから国譲りを受けハードネゴシエーションの結果
邪馬台国建国にいたる商業国家日本の面目躍如たる一面を見せる出雲国造神賀詞↓
http://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html
これをもって女王共立、邪馬台国に入る。ところが反動天皇崇神はこの約束を破り、
地元大物主祭祀に移行する。この間が重要な謎である。
810月光仮面:2007/05/06(日) 14:15:24
世界最古、最大の犬神宗教をバックとし、天照宗教改革を進めようとした狗奴国
に対抗し、卑弥呼の多分2世であるモモソヒメが抗議し、不振な死を遂げるにまで
邪馬台国を追い込んでいったものとして考えられるのは河内、山城、出雲である。
そうして終には神功、応神、そして秦氏の出番となるのだろう。
811月光仮面:2007/05/06(日) 16:22:24
間違えて→任那日本府説
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1090513470/
ここに入ったが、エジプトと高句麗、日本には関係がありそうである。
812月光仮面:2007/05/06(日) 16:52:57
>>808
国譲り、女王共立、鏡本位協定成立時の天孫は狗奴国、関東等であったが、次第に
経済太国の河内が勢力を伸ばし、出雲、筑紫も不穏になって崇神の時を迎えると
考えたらいいだろうか。
813日本@名無史さん:2007/05/06(日) 19:51:16
雑種の赤犬は日本の在来種で、土佐犬とか秋田犬は全部渡来人が連れてきた変わった犬の部類にはいりますかも
814日本@名無史さん:2007/05/06(日) 21:24:32
仁徳天皇陵、後円部の頂上にある「石ノ唐櫃」(もちろん複製)http://www.city.sakai.osaka.jp/hakubutu/img/ninhya22.jpg

アークみたいだねw
815日本@名無史さん:2007/05/06(日) 23:06:53
もうひとつ前方部の石棺。
http://www.city.sakai.osaka.jp/hakubutu/img/ninhya24.jpg

これらは石だけど、
当時、木製のこういう形の棺があって、
突起のところは木を通して担いでたんじゃないだろうか。
そういう文化があったんじゃないだろうか。
それが神輿の原型になったのかもしれない。
816月光仮面:2007/05/07(月) 07:50:35
テレビで善光寺の牛を前から映したがこれ↓そっくりだった。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/29/Samothraki_Arsinoe_rotunda_2.jpg/800px-Samothraki_Arsinoe_rotunda_2.jpg
善光寺の紋章はここにある八方(八幡、ヤサカ)のダブルの菊紋。善光とはアフラマズダ
つまり、ミトラス(マダラ)の背後にあるもので百済王善光、クロマンタなども同じ。善光寺
の前面には前立本尊と書かれた回向柱が立つが、平原、サンピエトロ、シバリンガ等に
見られる思想のようだ。善光寺の地下にはトンカラリン同様暗闇を通って生まれ変わる
思想を体験出来る構造になっているが、豊川稲荷近辺に癌封じのお寺で同様構想が
あるし、諏訪神社の甲賀三郎伝説も同じ。ファウスト、神曲、オルフェウスとも通じる。
善光寺からニカゴ塚古墳には近く、朝鮮半島からの渡来人文化は小諸から関東平野に、
更に千曲川を下っては越後、佐渡、出羽、津軽へと続く。
817月光仮面:2007/05/07(月) 14:42:15
>>816
エーゲ海、サモトラキ神殿同様に牛に布引きするため、人々は
布引観音を造り縁起を残した↓
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3574/nagano.htm
ここにある布引観音をよく見ると↓
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3574/nunobiki01.jpg
それは投入堂と同じ↓なのだが、
http://www.town.misasa.tottori.jp/site/page/allindex/heritagetop/
大同の石窟↓からはるか西のローマからやってきた秦氏のルートが
http://homepage3.nifty.com/kenken-yoshinoya/sakusaku/3_2.htm
はっきりと読み取れる。
ちなみにサンピエトロに似た前立本尊とは↓
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3574/zenkou01.jpg
こうした石窟を見るに付け、ナイル峡谷における類似の石造にその
技術の源流を見る想いがする。
818日本@名無史さん:2007/05/08(火) 03:03:50
ダンと秦の関係ってあるの?
819月光仮面:2007/05/08(火) 06:35:58
秦氏同様百済方面の感じがする。西欧系で、牛がいる。頭の飾り方がそっくり。
てなことだが、上記由緒のリンクでは「また、善光寺の特徴としてとして、ご本尊が本堂
正面にはない、ということも挙げられるかと思います。善光寺本堂は3つに分かれて
おり、ご本尊は左側の瑠璃壇に祭られています。では、真ん中と右は、というと、善光寺
の名前の由来にもなった創健者、本田善光と妻の弥生、そして子の善佐が祭られてい
るのです。何も知らずに真ん中に向かってだけお参りをされてしまうと、実はご本尊では
なく本田善光さんにだけお参りをしたことになってしまうので、注意しましょう。」
これって現在の教会と同じ父と子と精霊とか、マリア、精霊、キリストのセットのような
三点セット。神功、タケシウチ、応神のセットにも似ている。
820月光仮面:2007/05/08(火) 06:57:28
秋田物部の地、唐松神社韓服宮では息長帯比売命、香具土命、宮毘姫命、また、
天日宮では饒速日命、玉鉾大神、愛子大神と三点セットが多い。これも神功時代の
特徴かもしれない。高句麗と倭が北海道と楽浪のニ正面で対立し、膽咋連、神功は
前線激励に出動したのかもしれない。
821月光仮面:2007/05/08(火) 09:12:26
唐松神社(韓服宮)では、韓服とは韓を服さすとされるが、天日宮はブリャートモンゴル
の石積祭祀場ケレクスルそのものであり、韓服もブリャートモンゴルの光明神
KHORMUSTAがカラマツとなったと考えると、これは当社祭神の軻具突命、別名・愛子
大神、当地の物部氏の氏神である火結神と整合する。KHORはアルタイ語で太陽の
という意味と帯という2つの意味を持ち、日本語の布留に相当。ホムダワケ(応神)、
本田善光もKHORMUSTA光明神、八幡神でこれが菊紋の意味であろう。韓服とは韓を
服さすと言うのは第二義的な意味と見るのが妥当。ちなみにブリャートモンゴルでは
クダラというのは隠遁の地ということで、いまだにバイカル湖にはクダラ・スモンと言う
地名が残る。
822月光仮面:2007/05/08(火) 09:18:46
こうして見ると布引観音は息長帯比売のタラシであり、善光寺とは一致となるものと
考えられる。七枝刀が石上神宮から出土する意味がわかる。
http://www.tenri-iexpress.com/tourist/isonokami/top.html
823月光仮面:2007/05/08(火) 09:29:56
香具土はアブラハムに殺されるイサクのようにイザナギに殺される。この話は青銅器
文化を持っていた犬神系統の神話が遊牧民イスラエルによって盗まれたものの、金属
製造部分が省略されたものだから恐ろしい話になったものであろう。いずれにせよ恐ろ
しいが。
824月光仮面:2007/05/08(火) 09:37:40
渡来人研究会でも熱心に記紀研究が行われているものの、ユダヤ・キリスト教原典
との比較だけであり、ハザール・タタール方面の原典、考古学データが全く考慮され
ていないので、点と線のような感じがするが、非常に参考にはなる。基本的に景教・
ユダヤは後発であり、中国西部から百済において後のカラスが先になるようなことも
あったであろうが、聖書オンリーでは秦氏をユダヤ人とするような弱いところがある
ようだ。
825月光仮面:2007/05/08(火) 12:00:25
天日宮はブリャートモンゴルの石積祭祀場ケレクスルは東胡遺跡と考えられるが、
中心の円から放射状に花弁が8枚程度伸びているのがWEBで黙認できた。そして
前方に鹿柱がある。これは毎年伸びる鹿、トナカイの角を先端両面に彫り込んだ
ステラ(石碑)で、鹿島神宮の鯰石、春日大社の恐れ石に相当。東胡族は
ファリシズムの習俗をアルタイに持ち込んでいるような線刻図遺跡がある。日本における
ファリシズムは八重山諸島から佐渡、相模方面に分布。
ほだれ祭りレポート
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/hodare/hodare.htm
つぶろさしレポート cf Tubalary
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/tsuburo/tsuburo.htm
ここではファロス(陽根)励起の所作があり、これがコンタン踊りとか
前立尊回向柱習俗の起源であろう。いずれにせよ現在のブリャート、扶餘の前身
であるツングース系東胡族の存在があり、これが男鹿半島、牡鹿半島、塩釜を経て、
鹿島神宮、春日神宮にと回る。これが藤原系統であり、秦氏とは出自を異にするが、
八幡、ヤサカの太陽崇拝思想の部分では、既にアルタイで秦氏の影響を受け、その
結果バイカル・興安嶺地方でケレクスル文化を発展させたのであろう。賀茂氏は
アルタイに到達した鴨をトーテムとするウグロフィン系部族から出ているようだ。
826月光仮面:2007/05/08(火) 15:59:10
>>824
渡来人研究会の総括をとしては↓
「新約聖書の諸伝承が応神・神功紀、推古・聖徳太子伝承、景行・ヤマトタケル伝承等
に、比較的ダイレクトに挿入されていることが明らかにされてきました。そしてこれらの
伝承には、系統的な同一性が認められます。これらは外来伝承との関わりが強く、
主に新羅系、天日矛伝承や、ツヌガアラヒト伝承等と関連しながら、新羅系の渡来氏族
等によって記紀および儀式にもたらされたことがわかります。第8章の旧約聖書の挿入
事例とあわせて考えると、斉明朝から天武朝、および元明・元正朝にかけての記紀
製作時にも、さらなる外来宗教の挿入があり、特に景教経典の挿入が顕著であった
ことが明らかにされます。」
これを見ると記紀において外来宗教が挿入される時代は記紀が外交的に唐、新羅、
百済等の手に渡る頃に対応していることがわかる。つまり、わが国の国史に国際的に
納得の出来る当時として日中韓に共通な宗教概念で微妙な国際関係を和らげている
と言うことがいえる。当時の朝廷をはじめとするトップレベルの国際感覚は恐ろしいもの
であったと言うことでないかと思う。こうしたものを背後で支えることにおける秦氏集団の
役割は大きかったのであろう。
827月光仮面:2007/05/09(水) 14:46:13
>>816 >>817
新羅がローマ時代に入るのは崇神時代、ツヌガアラシトが来朝する頃で、ローマ系
が国王となるのは奈勿麻立干(なこつ(なむる)まりかん)で、356年はこの王の即位
の年と考えられる。ミトラス教の背後にはギリシャ神話ファーネスの卵生があり、
これを神話とする王朝の開始が天山方面から新羅にローマ系が到着したことを
表すのであろう。敦賀気比神宮の獅子頭のユニコーン、この辺を中心として始まる
角杯土器、気比神宮にローマ同様の犬神人が現れるのがこうした動きに対応する
のであろう。これはシルクロードでは前漢の終わりであり、これ以前の衛満時代
から馬韓一帯に入っている秦族とは別のもので、例えば出雲神話で言うならスサノオ
に対するオオクニヌシのような時代の交代であろう。
828月光仮面:2007/05/09(水) 14:53:36
これはつまり、半島原三国に二重構造が発生、新興新羅は五胡十六国時代の中国
とのつながりを重視し、百済との対立構造は列島内にも移動したと考えて、三輪王朝
の周辺諸国との対立を考えるべきであろう。
829月光仮面:2007/05/09(水) 15:10:05
こういう風に考えると、善光寺の弥生様が焼肉屋のオネーチャンに見える。弥勒菩薩
はヨン様のようだが。善光寺の出来る頃には韓国人も立派に成長を始めていたのだ
ろうか。
830月光仮面:2007/05/09(水) 15:28:59
話は変わるがミトラス神は裏地が星空であるケープをまとっているということであり、
キトラ古墳被葬者は新羅系であることがわかる。すると百済系は消え、天武の皇子
と言うことになろうか。
831月光仮面:2007/05/09(水) 16:12:58
ローマ系新羅は秦氏の日本移住の妨害をする勢力であったのに、秦氏はなぜ
ローマのミトラス教まで祭らされたのかは難しい。まー、流行の宗教といったもので
後にシリア人が来日し景教が流行るとそれに架け替えるといった具合で、一種の
新しいゲームソフトといったものであったのであろうか。
832日本@名無史さん:2007/05/10(木) 07:57:24
新羅系も前期、中期、後期では中身が変わっており日本と不仲になるのは後期だけでしょうか。
833月光仮面:2007/05/10(木) 08:27:11
>>832
新羅前期-辰韓、中期ローマン新羅、後期-統一新羅としますか、356年奈勿王から
王朝が中国方面出自に変わることで基本的に日本・百済との対立がはっきりする。
ただ、同時に日中関係に応じくるくると変わる波乱含みな状況であったのかなーと。
どうもいまだにふらついてるようで。
834月光仮面:2007/05/10(木) 10:22:29
>>832 >>833
「377年に前秦に初めて新羅が朝貢したと記される。382年には新羅王楼寒(ろうかん、
ヌハン)の朝貢が行われ、その際に新羅の前身が辰韓の斯盧国であることを前秦に述
べたとされる。この「楼寒」については王号の「麻立干」を表すものと見られ、該当する
王は第17代奈勿尼師今に比定されている。この記述から奈勿尼師今の即位(356年)が
新羅の実質上の建国年とも考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85
これは前秦のバックアップで新羅を征圧したローマン新羅王奈勿が、宗主国に自国の
歴史を説明したものでしょう。弓月国の首府月支国から方角的に辰にあるのが、辰韓、
巳にあるのが弁韓、午にあるのが馬韓で、辰韓とは鎮東府という意味もあろうかと思う
のですが。そして辰韓の王は丹波であるとか、このローマ遺民とかの傭兵を採用する
に抵抗がなかったということもあるなかな。
835月光仮面:2007/05/11(金) 09:39:35
>>831
百済秦氏と新羅王朝のミトラス教との関係には難しいものがあるが、セム系でも旧約
中に三位一体が読み取れ、唐松神社、善光寺、高良玉垂宮等にも機能的に三位一体
が働いているようである。百済秦氏の思想は高良玉垂命の末裔 稲員家と三種の神宝
古田史学会報1998年 6月10日 No.26
「この地が九州王朝の王都であった証拠が高良大社文書『高良記』(中世末期成立)に
記されていた。「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ
面ヲキセ、犬ノ スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ
 マフリタテマツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事
六十余ケトノ其一ナリ」(中略) ここで記されていることは、百済からの降人の頭、百済
氏が犬の面をつけて正月十五日に犬の舞を日本国の朝廷の守りとなって舞う行事が
今も高良大社で続いているということだ(後略)」神職は稲員というらしいが、この辺が
お稲荷さんくさい。いずれにせよ、百済秦氏の思想はプロの犬神(シリウス占星術者)
として各国の支配者に仕えるというスタンスであろう。
こうした秦氏のスタンスに対してミトラス教は、星宿の悠久の動きを制する、牡牛座を
殺す神を祭るということで、絶対的宇宙観のようなものがあるのが違うのではないか
と思われる。
836月光仮面:2007/05/11(金) 10:20:45
国家が一神教、全体主義に淫し、原理主義の美名のもとに地球破滅を行う現在に
おいて、国家にフレームワークを提供し、民力の高揚に頼り、争いを避ける秦氏の
ポジションは何千年の歴史を通した史観、天文学的宇宙観が背後にある。キトラ
古墳の星宿は今から4千年前の春分・秋分点が描かれている。アルタイで解読された
石碑には数字でマグナ・マーテルの死と再生が示されていたという。ローマもこうした
シリウス占星術犬神族によって作られ、運命のいたずらでその子孫が甘粛、三韓に
舞い込んだのであろう。しかし、三韓には既に犬神族が来ていたという、これまた、
運命のいたずらがあったということであろう。
837月光仮面:2007/05/11(金) 11:10:08
今ひとつの謎は、新羅におけるローマ物質文化の開始に先立って、卵生神話が
三韓まで伝わったことをどう見るかであるが、これは月氏が大月氏国に移動した後も
小月氏、百済月支国がシルクロードで天山方面との接触を保持したことにより、商人
連中によりミトラス教の一部が伝達されたということとか、パジリク・サカ文化において
原始ミトラス教が受け入れられ、衛満時代に一部が三韓に流入したということもありえ
ようか。



838月光仮面:2007/05/11(金) 15:53:47
>>835
犬の面-アヌビス、玉垂-アテン神、玉鉾(秋田唐松)-アテン神、フツの御霊-Ptah王笏、
アメノヒボコ-アテン神鉾、梵天(横手)-ミトラス教宇宙卵、布留-ホルス・・・秦氏には
エジプトのにおいが強い。ミトラス教とはスケールが違うようだ。ちなみに蓬莱とは
アルタイ語で都市の意味で、蓬莱山とは山上の宮、信貴山のような感じのところ
となる。徐福時代の日本にそんなのあったのかなー。
839月光仮面:2007/05/11(金) 15:59:01
アルタイ語で高良は蓬莱、つまり、都市なんだから、高良玉垂とは太陽神アテンの
山上神殿という意味になる。装飾古墳などエジプト文化の色濃い遺跡が筑後、肥後に
に多いのは百済から入った秦氏勢力がその方向に流れたということであろうか。
840月光仮面:2007/05/11(金) 16:14:15
アメノヒボコについては近江の鏡神社に祀られており、近江の息長族と関係がある
といわれる。垂仁の時の来朝は初めてにしてはおかしい。豊前・周防方面にあった
秦王国に潜んでいたものであり、邪馬台国建国の陰の力であった可能性が大きい。
ただ、崇神の代から鏡は流浪の旅に出るようあり、この辺がよくわからん。
841月光仮面:2007/05/11(金) 20:54:42
>>839
「『日本書紀』には、ヤマト政権軍と交戦した際、将軍の近江毛野に対して磐井が「かつ
ては同じ釜の飯を食べた仲ではないか」と呼びかけたとする記述があり、磐井は若い
頃、九州からヤマトへのぼり、大王の元で毛野らとともに仕えた経験があると考えられ
ている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95
これは毛野が犬奴、東シナ海・日本海に展開する安曇の犬飼で、磐井も同族。共に犬神
ニギハヤヒ(ハヤヒのニキ)を信奉し、百済から渡来し、秋田にナマハゲ、鹿児島に
トシドン、沖縄にジュリ、ポーランドではタタールとしてライコニク(ジュリ)を残しスイス
東部にナマハゲを残したのはフンであろう。多分殷の時代から犬戎として中国西部に
入っていたものと考えられる。これが、更に昔にはエジプト、ウラル、夏を結び、青銅、
ラピスラズリ、天文学等の媒介を行っていたのであろう。
842月光仮面:2007/05/11(金) 21:01:40
しかし、甘粛のローマ人が新羅の王族には入った後にローマ犬神人が組織され、
それがツヌガアラシトと共に敦賀気比神宮あたりに入る可能性がある。
843月光仮面:2007/05/12(土) 11:43:27
>>841
タタール(現地語ではバシコルト)語でハヤとは天の意味であり、犬とは関係ない。
秦大津父が欽明に伊吹山で争う狼のことを述べたことから判断するに、秦氏は
これらを神々として祀るが、これらをトーテムとするということではない。狼、欽明、
敦賀関連で日野宮神社↓があるが、大津父の言う狼の一方はこれだろう。
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/hinomiya.html
ここで天照大神が出てくることから、この狼はエジプト神話でHAT-HORのアラタマ
とされるSekhmetであろう。Hat-Horとは、Horとは、「大空を飛ぶハヤブサの姿から
イメージされた天空神で,天空は広げた翼,日月はその両眼とされた」、「復活して
冥界の支配者となった故王オシリスをうけて新王ホルスがエジプトに秩序(マアト)を
回復す」オオクニヌシのようなものであるが、Hatは「家」である。アラタマ
とされるSekhmetの頭はライオンであるが、これがインドのダキーニと一緒にされ
豊川稲荷、また、Hatは家という意味であるから神社、ここから、秦、服部等が出て
いるのではなかろうか。
844月光仮面:2007/05/12(土) 12:10:39
ハトホルは本来太陽神ラーが落胆する際、励まし元気付けるために踊る神であり、
その神官はジェンダーレスの舞踊家、音楽家、芸人であるとされる。又「酒」の神
であるとされるが、そうすると、オオクニヌシ、酒で有名な三輪山も秦氏かという
ことになる。鏡の女王のような卑弥呼、その候補者百襲姫、
「吉備津彦神社要覧 由緒 当社は昔、太陽、月、星、磐座、巨木を仰ぎ山は神体山にし
て天津磐座磐境を有し、境内十万町歩といわれ、朝日の宮(夏至六月二十一日の
日出には、太陽が正面向いの山の中心より昇り御鏡に入る)と称され、本州一宮、
吉備之国一品一宮、国の宗祖神を祀るお社として吉備社、吉備津神社、吉備津宮と
いわれ崇められてきました。 」
http://kamnavi.jp/en/kibi/kibihiko.htm
ここから大避神社、川勝というのは千種川東岸生まれ、河東の意味だろう、に向かう
途中に
岡山県赤磐郡熊山町  熊山石積遺構 
http://www.ne.jp/asahi/rekisi-neko/index/kumayama.html
という、越前日野宮神社にそっくりな遺跡があるが、これも太陽神を祀る秦氏の遺跡
であろう。
845月光仮面:2007/05/13(日) 17:41:21
つまり、辛島氏の神山に天下ったと書かれてあるのである。辛島氏の神山とは、本来は
香春岳以外にはない。あえて、宇佐における辛島氏の神山を探せば「稲積山」である。
実は「辛島」とは「辛国(宇豆)高島」をつづめた称である。ちなみに、山背の「太秦」
(うずまさ)の「うず」とは「宇豆」であり、「まさ」は「勝」で「すぐり」(朝鮮の「村長」)の
意である。だから太秦とは、秦氏一族の勝(すぐり)の統領(が住んだ地)を表している。
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-51.html
《稲積》とは、元来は稲を積み上げた砦のようなものを意味しますが、同時に、豊前の
辛島氏の本拠地の地名でもあります。
この史跡は、和気清麻呂が配流された場所から数キロほど離れた場所にありますの
で、大隈に移住してきた秦氏系統辛島氏の本拠がこのありだとすれば、和気清麻呂が
流された場所もこのあたりであったことと符合するわけです。というものも、和気清麻呂
は当時秦氏と協力関係にあり、道鏡事件に関わり、一族が各地に配流される際、
和気氏を影で支えたのが秦氏です。和気清麻呂が豊前の宇佐に行き、さらに大隈の
この地に配流されたバック背景は、ひとえに秦氏との繋がりにあるとしか考えられない
のです。
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscover_inadzuniokina.htm
「宇豆峯は、山林の美称であるという。ま‐さ・し【真狭し】〓形ク〓(マは接頭語)
せまい。せし。神武紀「内木綿(ウツユウ)の―・き国と雖も」
どうもウズとは大和同様保津川、初瀬川が平野に出る場所で、商業適地のようなこと。
そしてウズは秦氏のキーワード。
846月光仮面:2007/05/13(日) 17:44:56
日奉部というのはアメノヒボコ、太陽を矛先につけて行進する人々。
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/yamato.htm
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/kibi.htm
珍彦、椎根津彦、大和宿禰は秦氏の先駆者だろう。
847月光仮面:2007/05/13(日) 18:40:58
>>845
「思えば、アメノヒボコはなぜ新羅の「王子」と呼ばれなくてはならなかったのか、ツヌガ
アラシトはなぜ大加羅の「王子」と呼ばれなくてはならなかったのか。彼らが童神、すな
わち太子(アル)だったからに他ならない。新羅・若者組の「花郎」や薩摩藩・兵児二才
の「稚児様」とは、太子だったことも分かる(新羅の「源花」はアルのもう一側面の
母神か)。紀記中の神名に登場する「彦」(日子)もアルであり、太子信仰に拠るもので
ある。」
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-51.html
AR=RA、これはアルタイ語の法則で語頭にRを出さないからこうなる。太陽神は
既にエジプトにおいて童神であった。
848日本@名無史さん:2007/05/14(月) 01:41:38
いま古墳時代のもみあげのところに8の字に結ぶ美豆良の髪型を
西アジア中のレリーフの中から探す作業をしてます
今のところサザン朝ペルシャ頃のレリーフに
似た髪形があったとの情報もありました。がんばって調査します。
849月光仮面:2007/05/14(月) 08:02:30
>>848 後漢書では馬韓人につき、
概ね皆、魁頭露[糸介](かいとうろけい=頭に何も被らず、髪を露出
する事)、布の袍(上着)を着て草履(わらぐつ)を履く。(※魁頭
は科頭(頭に何も被らない事)と同じである。髪を巻いて分けて結ぶ
事をいう。)
lぷいう表現をしておりますが、美豆良の感じがします。
また、敦煌莫高窟の中唐の壁画(第158窟)の少年像にも類例がある
とのことですが、ササン朝にあれば更に源流に近づけるかも知れません。
850日本@名無史さん:2007/05/14(月) 08:33:22
カラ島
851kakashi:2007/05/14(月) 13:32:09
古代史大好きっ子です。
古代史の解明をしたブログみつけました。
       ↓
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
古代史が好きな人は是非、読んでネ!
852日本@名無史さん:2007/05/14(月) 17:15:50
月光氏の話をまとめてるサイトないの?
853日本@名無史さん:2007/05/14(月) 20:20:04
祭りの稚児様に選ばれるのも名よなことらしい
854日本@名無史さん:2007/05/15(火) 03:11:11
美豆良の行方を探ってたものですが、いくつかわかったこと。
もみあげを長く垂らす文化があるのは世界でも限定的なこと。
発祥地はイスラエル?後にカザール帝国(khazar)でも受け継がれている
カザールは黒海の北、シルクロードの中継地点にあるユダヤ教国だった。
もう1つは美豆良(ミズラ)という語感から連想した、ミスラ(ミトラ)との関連
ミスラはローマ帝国の時代にローマからインドまで影響を与えたミトラ教、
ミスライズム。ミスラ、ミトラ、マイトレーヤ、日本では8世紀以降に伝わり弥勒菩薩。
そういえば弥勒菩薩の耳は長く垂れ下がり、見様によっては美豆良みたい。
インドのミスラ像は巨大なイヤリングをしている。
本家本元イランのミスラ像はどうなっているかといえば、これが髪の毛が
長くちぢれて、耳が隠れている。
東洋に弥勒として伝わるとき長髪やイヤリングが7世紀に耳たぶに変形した
彫像になっていったのだろう。
知られざる日本史のなかでは3世紀頃すでに日本にイランのミスラが伝わっており、
これを信仰した人々がミスラの髪型を美豆良という名で残したのかもしれない。
と憶測。
855日本@名無史さん:2007/05/15(火) 03:36:55
もうひとつ興味深いことがわかった
日本では知られていないが紀元前のローマ帝国の遺跡から発掘されるもの
ANCIENT HOLY LAND BRONZE BELL. Roman Period
http://www.edgarlowen.com/a52/b6263.jpg
http://www.edgarlowen.com/a52/b6266.jpg
http://test.huntmuseum.com/qzty2o/1229.jpg
http://www.qaronline.org/rcorner/bell3.jpg
どう見ても日本の銅鐸です。やっぱり2世紀の日本の道もローマに通じてたのかな
銅鐸の起源については日本発祥説、中国説、オルドス説が有力ですが
これらホーリーベルが発掘される時代とこの形状から見ても
日本の銅鐸は古代ローマ文化が日本列島に持ち込まれたんだと考えてみるのも有りかと。

856月光仮面:2007/05/15(火) 06:39:34
>>854
ミトライズムはBC1世紀、小アジアキリキアの海賊から発生したとする説があります。
これはイスラエルに非常に近く、その後ローマでは昔のレコードで言えばA面、その後
キリスト教がA面に入ると、B面、つーか、裏ビデオ、つうか、になり、日本・唐でも時間差
をおいて景教がA面に出て最終仕上げを行うということになるのでしょう。それにしても、
仏教というのは何から何まで皆取り入れたようで、いささかヘンテコですが、胎蔵界
曼荼羅なんていう宇宙観はどうもミトラス教の影響を受けている感じです。
ユダヤのヘロデ紋についてはユダヤ本来のものではなく、どこからか拾ってきたもの
とするのが欧米のサイトにはありますが、起源としては小アジアのマグナ・マーテル
の二輪車のホイールではないかと↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Cibeles_con_Palacio_de_Linares_closeup.jpg/694px-Cibeles_con_Palacio_de_Linares_closeup.jpg
ここにカグや姫、狛犬のルーツもありそうですね。
857月光仮面:2007/05/15(火) 06:45:49
858月光仮面:2007/05/15(火) 06:55:15
ところが、このホイール、一部出土物がBC17世紀とされるウラルl・アルカイム
遺跡にある(下記を下のほうに下げて見てください)。
http://newchron.narod.ru/arkaim.htm
この地方で出土する青銅二輪車が夏・殷にはいったようですね。ですから
殷の銅鐸もこの地方と考えると、ローマ方面にもそうした遺物があったということにも
うなづけます。
859月光仮面:2007/05/15(火) 06:59:44
↓下記の左の欄の上から6番目のAで始まるアイテムをクリック
http://newchron.narod.ru/
どうもガードが固いな。
860月光仮面:2007/05/15(火) 08:15:55
《古事記》では仁徳の皇子,墨江中王(すみのえのなかつきみ)の〈近習隼人〉として
曾婆訶理(そばかり)の名が見えるそうですが、ロシアにソバカリという名前があり、
狗人の意。
神代紀には,火酢芹(ほすせり)命(海幸)が弟の山幸に敗れて伏罪したとき,みずから
狗人(いぬひと)と称したといい,〈火酢芹命の苗裔,諸の隼人ら,今に至るまで天皇の
宮墻の傍を離れずして,代(よよ)に吠ゆる狗して奉事(つかえまつ)る者なり〉といわれ
るが、タタール語のハヤが天空、エジプトのホルスは天空神で鷹の頭をしている。
ニギハヤヒとはホルスと考えると、隼人は本来にニギハヤヒに仕えたものが、山幸
神武乃至はこれを担いだ大和宿禰、珍彦に破れ、結果沖の島から対馬、勅島の
制海権、伊都の「島」の権益が布留式土器文化人の手に渡り、北部九州は庄内式
土器文化の影響下に入ったのではないでしょうか。

861月光仮面:2007/05/15(火) 09:32:43
珍彦のウズとは、秦氏関連で「山」を意味しており、山幸と通ずる。海の幸と
山の幸の交易が目的である秦氏はウズマサ/ヤマトつまり峡谷が平野に、
特に盆地に出る場所に陣取った。しかし、秦氏の日向、迎日立地の思想は
祁連山東麓、更に、西方でも存在したもので、神武が「太陽の子ともあろう
ものが、太陽に向かってショットするとは」ともらす一言にある。ひょっとして
思想を伝えたいがためにこのような物語を挿入したのかも。
草香邑 白肩の津参照↓
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/kusaezaka.gif
862月光仮面:2007/05/15(火) 09:52:34
エジプトには黒い犬の形をとる、秋分点の神、Inpuというのがあるが、どうも日本語の
忌部とピッタシである。ギリシャ語は日本語よりはるかになまっており、アヌビスと
いう。
「古代エジプトのジャッカルまたは犬の神。オシリスがアビドスに王国を確立してより,
そのネクロポリスの神として〈冥界の支配者〉の称号を得た。ピラミッド文書ではホルス
の目と結びつけられ,冥界で死者をオシリスまで導くことが彼の務めとされた。イシスと
ネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命によりオシリスを
蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。《死者の書》ではオシリスの
法廷で死者の心臓を計量し,葬儀に際して墓の入口で死者のミイラを受け取る姿が描
かれ,151章ではミイラの横たわる棺架のわきに立ち,保護するしぐさで手を差しの
べ,〈我はオシリスを保護せんために来たれり〉と言ったさまが描かれている。道の開拓
者たる金狼神ウプウアット Up‐uat と対をなし夏至の擬人化であるほか,医学の守護神
としても知られ,信仰の中心地はレトポリス Letopolis で,ヘリオポリスのアトゥム・ラー
神殿,サイスのネイト神殿と共にレトポリスのアヌビス神殿は下エジプトにおける医療の
中心地であった。」
863月光仮面:2007/05/15(火) 09:57:47
スサノオが、多分、東日本の国王を望んだが、結局このアヌビスとされ、大いに泣いた
らしい。多分これはニギハヤヒを奉じる一派が吉備津彦に征圧され奴隷とされて阿讃播
石積墳、そして、大型古墳時代へと入るのではなかろうか。
864月光仮面:2007/05/15(火) 10:05:05
>>862
「ホルスの目」というのは辛国息長大姫大目尊の「大目」が多分狗人のもう一つの
神かあるいは秦氏の神の一つであったのであろう。他にも当時の官職「ミミ」もこうした
神話体系を背後にしている可能性がある。
865月光仮面:2007/05/15(火) 10:57:15
蝕による星宿の終焉と星宿の誕生を数値化、アルマ・マーテルとして画像化、石刻した
ステラがアルタイ・オークネフ文化(中国の夏併行期)に残っていることから、ウラルアル
カイム天体観測遺跡の聖地としてアルタイがあったことが考えられるが、共に銅の産地
でもある。この青銅技術が新疆ウイグル、甘粛、そして三苗文明と接して銅緑山、無錫
等長江下流域の銅山を開発、夏、殷の青銅器文化を生んだ。もう一つの流れとしてカラ
スク、オルドス、遼寧、楽浪の青銅器文化を生み、これが須玖、吉野ヶ里、出雲、東奈
良、野洲、朝日へと流れた。古代安曇海人族・海幸はこの文化を運んだもので、更に
その昔にはエジプト・欧州のピラミッド・ドルメン等の巨石文化を朝鮮半島に伝えたも
のであった。ところがこうした文化の波は何波にも及び日本列島においてすら文化の
交代があった。その最初が海幸・山幸倭国乱による青銅器の鏡への統一であったの
であろう。
866月光仮面:2007/05/15(火) 11:13:52
ハザールの祖であるタタール(バシコルド)にいわすれば、エジプトにシリウス(天狼星)
とナイル増水、農事の開始と、天体観測によるその正確な次期の予測を教えたのは、
既にウラルでこうした技術に基づいて農業を行っていた、エジプト人にいわすれば狗人
ハビリであるが、これはタタール語では農作者を意味する、ハに畑の意味があるという
こと。他方エジプトに出入りしたイスラエル人には農耕とか、犬を使ってブリザードまで
予測する能力等はなく、彼らがエジプトで成功したヨセフの話等はバシコルトにも別の
バージョンがあり、イスラエル人がバビリの説話を導入したものであろうとしている。
逆にイスラエル人というものはハビリの影響を受けたものと考えるべきかも。というのは
ラピスラズリはアブラハムが生まれるよりもはるかに昔のエジプト王朝以前からエジプ
トに入っているからであるというのがバシコルドの主張。
867月光仮面:2007/05/15(火) 11:28:43
天文学的観測により、ニジェール、アマゾンの増水期を知り、テオティワカンに金星
観測による蛇の下るピラミッドを建設し、ナスカに地上絵を描いたのはピューマ人、
日置部、あるいは、磐船に乗って飛来する人々であろうが、UFOを信じるか、DNAでは
北部縄文人とするドイツ研究所を信じるかは個人の自由であろう。しかし、そこに秦族
がいたとするのもこれまた自由であってしかるべきであろう。
868月光仮面:2007/05/15(火) 12:19:55
新羅・日本にローマ文化が到達した経緯となる情報が中国によって突き止められ、
日本語に、見事な日本語に翻訳されたものを日本の学界は無視し続けている↓
10年の無視は殺人でも時効になるほどの恐ろしい怠慢である。
http://www.china.org.cn/Beijing-Review/Beijing/BeijingReview/Japanese/98Nov/bjr98-46-12j.html
イタリア等は反応し調査団を送っているようだが、秦氏を研究するものとして穴があったら
入りたい気持ちである。これによって新羅には前秦の頃からローマ軍団の子孫、驪県
http://www.china.org.cn/Beijing-Review/Beijing/BeijingReview/98Nov/bjr98-46-13.html
Marcus Licinius Crassus のLiciniusは中国読みすると驪県、Marcusも馬子に似ている。
欽明天皇所縁の葵祭のこの日に中国の価値ある寄稿に深甚の謝意を表したい。

869日本@名無史さん:2007/05/15(火) 14:08:59
Crassusはどこに置き忘れてきちゃったんだよ(w
870月光仮面:2007/05/15(火) 14:35:21
クラッススは敗軍の将としてパルティアにおいて斬首の刑に処せられた。その息子が
6000人の兵士を率いて囲みを突破。ローマとパルティアはBC20年に和平条約を
締結、ローマは33年前の捕虜返還を求める。この年、前漢では甘粛省に驪県が設置。
この前にBC36年前漢軍はカザフスタン・ジャンブルに4万の軍勢を投入、これを征圧。
ローマ人1500人を捕虜にして中国に連行。甘粛省驪県に定住させ、今日に至る。
まだ生きてるそうだ。
871月光仮面:2007/05/15(火) 14:39:07
4500人ほど生きてローマでライオンのえさになるより中央アジアで暮らそうとした連中が
いる勘定になるが、こういうのが大勢日本に来たのと違うかなー。どうも飛鳥時代の
ローマ石造物をみるとこんな気がする。
872月光仮面:2007/05/15(火) 14:49:55
この連中の宗教といえばミトラス教しかない。そしてミトラス教であれば景教とはうまく
行かない筈だ。卑弥呼時代はアメノヒボコ、太陽神アテン、エジプトの神、なので無関
係だが、半世紀後、崇神の頃のツヌガアリシト、これは気比神宮の犬神人、ユニコーン、
角杯(その辺を中心に分布)からみて、新羅に突入したあおりで来日したのではないか
と考える。応神の頃に秦氏の渡来を邪魔する新羅の勢力がローマ人であり、洗脳教育
等をして送り込んだ可能性もある。
873月光仮面:2007/05/15(火) 15:24:29
宇佐八幡託宣集では崇神の御宇に天竺から5本の霊剣が投げられたといわれ、
この頃が英彦山の修験道の開始の可能性があるが、新羅ローマ人の武人精神
は花郎、武士道、修験道、投入寺(洞窟祭祀)等その後の日韓両国の精神文化に
深甚な影響を与えたものと見られる。

874月光仮面:2007/05/15(火) 17:28:11
>>862
>イシスとネフテュスの造った包帯で死せるオシリスをミイラとし,かつラーの命により
>オシリスを蘇生せしめたことから〈ミイラ造りの家の主〉ともいわれた。
アルタイのウェブサイトでホルという言葉に太陽のという意味と帯という2つの意味が
あるのが引っかかっていたが、この包帯ということで命を蘇生する帯、タラシ、
アマタラシの意味がわかる。神功皇后の腹帯、水天宮の腹帯の意味がわかる。
そこで布留の石上神宮だがなんとここは元鳥見山でニギハヤヒを祀ったという。
すると神武の敵の神はニギハヤヒで、隼の頭をしていた。これが神武に破れ
石上神宮となったということになる。トミビコというのはこうしたニギハヤヒを祀る
シャーマンであったのであろう。海幸・山幸の戦場はどこであったのだろう。
875月光仮面:2007/05/15(火) 17:39:35
それは高地性集落の配置からして外洋沿岸海人族と内海沿岸海人族の覇権争いで
あった可能性も考えられる。海の男は物語が上手である。
876日本@名無史さん:2007/05/15(火) 20:26:04
加羅国息長
877日本@名無史さん:2007/05/16(水) 02:14:06
>>874
海幸山幸の話は、高句麗では沸流・温乍(ふる・おんそ)とまったく同じ
たぶんこれもローマ方面の神話が起源?
878月光仮面:2007/05/16(水) 07:51:11
>>877
高句麗こそ狗人、貊人のご本家のようなところであり、上田正明「日本の神話を考える」
でも神武東遷の高句麗東明王との類似が紹介されている。記紀編集者が高句麗神話に
通じていたことと、日本の弥生末期の情報が乏しいがおおむね高句麗神話に類似した
対立構造があったことから類似に拍車がかかったのかと。しかし、北部九州の甕棺墓
文化が終わること、庄内式土器が始まること、伯耆で青谷上寺地に戦闘痕跡が残る
ことを考慮し、阿讃播石積墳の急増、吉備墳丘墓、オオヤマト大型古墳の労働力の
出てくる理由を考え、倭人伝にある投馬国という広域単位の人口を考えると、北部
九州沿岸部、山陰沿岸部に武力構想があり、妻木挽田集落のような大規模住民が
捕虜となり古墳建設その他に動員されたにではないかと考える。この時代の新羅に
まだローマ文化要素はなかっただろう。
879月光仮面:2007/05/16(水) 08:14:10
春先の西シベリアは雪解けの増水で一面の海となり、遠くウラル、黒海、エーゲ海を越
えて一衣帯水、舟でなくては通行できず、不作の年にはナイルの農作物が唯一の糧と
なる。ミトラス教の発生したとされるキリキアはフェニキアにも近いがこうした海の民、
つまり、日本に来れば海人族となる、海賊の中で生まれたとされる。甘粛驪県のローマ
敗残兵集落にあってはミトラス教が唯一のものであったであろうが、ウラル方面のサカ
族等がアルタイ経由で別途持ち込んで来て、増幅しながら新羅に達するということもあ
ろうか。トラキアの墳墓に隼人同様地下横穴式があるといわれるが効した海人族の
ルート上にある。これは関係ないかもしれないが参考まで。
880月光仮面:2007/05/16(水) 08:34:27
京セラ、村田、伊奈等は銅鐸に始まる古代熱加工、窯業、トヨタは飛騨の匠につながる
車輪、からくり、日本人にはこうしたアナログ・デジタルの匠の文化を尊重し、絶やさない
ところがあるのではないかと思う。
881月光仮面:2007/05/16(水) 11:15:53
>>875
海人族として神武族が頼ったのは阿多・吾田族、であり、敗北したのは安曇族、この
結果半島とのシーレーンの快速復路である沖ノ島が吾田系の宗像族に渡り、安曇族は
諏訪に亡命したのであろう。
882月光仮面:2007/05/16(水) 11:25:01
神武の岡のミナト以降の話がぷっつり消えているのは何者かがカットしたようでもある。
おそらくは色んな勢力の意見がわかれ、どういう話しにしていいかわからなくなり、
疑わしきはカットするであったのかもしれない。
883月光仮面:2007/05/16(水) 11:35:19
日本人はユダヤ人ではないが、サムライにはコーカソイドの血が入っている
ようだ・・・
http://britam.org/Questions/QuesJapan.html#Ainu
宗教史観もここまで来るとなかなかおもしろい。当たっているような気がする。
884月光仮面:2007/05/16(水) 12:04:10
http://britam.org/Questions/QuesJapan.html
ここに言う欧米ユダヤ人の人種評価こそアウシュビッツを生み出したものであり、
汎神論で、自然と調和する大和心に相反するもの。トヨタが世間に選ばれたのは
その地球へのやさしさという小さなエッジであった。中近東の終わりなき殺戮の背後
にある大和心の欠如にいつかは気付いて欲しい。
885日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:50:39
そうだな。
英語ばっかりで疲れたけど面白かったよ。
886日本@名無史さん:2007/05/16(水) 23:25:52
>>883
そこのサイトを簡単に要約すると、

「古代日本にヘブライの影響は少しはあったかもしれないが、
あまり信じることはできない、
東のモンゴロイドと我々気高いヘブライ人と一緒にしないでくれ、
日本人は民族主義だ、アイヌ差別主義者だ」
887日本@名無史さん:2007/05/17(木) 01:58:57
日本書紀には西暦2世紀の出来事まで詳細に書かれてるのに2世紀ごろの書物は無い
でも日本書紀を書くためにはその頃の情報が文書の形で残ってた筈で
そういうものは大化の改新前後に消滅したと言われるが

法隆寺の一角に伏蔵と呼ばれる地下倉庫がある
聖徳太子はこれは絶対に開けてはならない、開くときは仏教が滅ぶ時だと言っている
おそらくここには仏教関連のみならず日本書紀の編纂のために使われた複数の原書が
保存されている
それらはもしかしたら漢字で書かれてはいないのかもしれない
888日本@名無史さん:2007/05/17(木) 08:50:43
政権が交代するたびに歴史書を書き換えてたら解明するのに手間取りすぎるよな

とらえた奴隷も使えるようになるまで2年はかかる、いや奴隷になるのがなれてるのですぐに働ける
889月光仮面:2007/05/17(木) 12:11:12
魔多羅神/ミトラス神の起源について調べて見たんだが、春分の日の日の出のあたりの
星座(日食なら見えるが、普段の時は天球儀を回すと解る)、これについてBC2000年頃の
ウラル・アルカイム観測所のようなところでは牡牛座であり、占星術をもっぱらとする神官
はそれを不変のように子々孫々に約2000年間伝えてきたが、前190ころ‐前125ころ
ヒッパルコス[ニカイアの]によってそれが魚座にまで移っており、それが歳差という天体
活動によって天宮間を移動する原理が解明された。この秘儀が、ミトラス教となり、それは
ローマ軍団の駐屯地の教会の後戸で秘密の会員に伝授された。このローマ軍団の一つが
前漢時代に甘粛の驪県に入る。そしてそこから東方に拡散され、新羅には奈勿王の頃
までには到来している。キトラ古墳の天体図はミトラス教の発生の元となった、その天体図
より2000年前の春分点が描かれている。つまり、ミトラス教の忠実な信者によって作ら
れたことを立証している。つまりそれはローマ軍人の子孫である可能性が高い。そして
秦氏と魔多羅神 を結ぶ猿楽集団にもその末裔がいた可能性がある。
890月光仮面:2007/05/17(木) 12:14:36
ちなみに秦大津父というのはミトラス教の最高位の「父」の位を持つ神官であった
可能性がある。
891月光仮面:2007/05/17(木) 13:01:49
>>887
伏殿とはCRYPTと呼ばれる教会の地下室のことだろう。そこはミトラ教儀式が行われる。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Fresque_Mithra_Doura_Europos.jpg
新入りが入ると、ミトラに扮した秦大津父(父)が弓を引き絞り、発射、地面に当たると
噴水が噴出す。ミトラはオス牛を剣で突き殺す。(牛は春を象徴)ミトラはフリギア帽子という
前に折れた烏帽子をかぶっている。大地を意味する狗と蛇が牡牛の切り口から血をすする
が、場合によっては穀物で代行する。秋を意味するさそりが牡牛の睾丸に食らい付く。
通常はカラスが登場。杯と小獅子、明暗を表す双子天体、灯持ち(日本では童子)、これが
烙印棒を一人は上に向け、一人は下に下げている。ミトラスの上には日神と月神がある。
こうしたショッキングな演出のプレゼンによって天体の位置、動きを頭に叩き込むのだろう。
秘密を口外したものは大避神社の井戸に投げ込まれるのかもね。・・・こういうことであった
可能性もある。ほかに宇宙を外側から見たものとして岩に巻きついた蛇もあるたしい。
スサノオのでどこもこの辺かも。
892月光仮面:2007/05/17(木) 13:16:02
ちなみに、ミトラス教の階級と7福神を対比するとかなりの連関がありそうだ。
(1)〈父〉          寿老人
(2)〈太陽の使者〉    福禄寿,
(3)〈ペルシア人〉    えびす(夷,恵比須),
(4)〈獅子〉         布袋(ほてい),
(5)〈兵士〉         毘沙門天(びしやもんてん),
(6)〈花嫁〉         弁才天
(7)〈大鴉〉         大黒天,
広隆寺等では魔多羅神 像上部に7つの星として出ている。
893日本@名無史さん:2007/05/17(木) 15:25:47
イラン
アヴェスター語 ミスラ  Mithra
パフラヴィー語 ミフル  Mihr
ソグド語   ミール  Mir

インド
サンスクリット語 マイトレーヤ Mithraya
インド神話  ミトラ   Mithra

ローマ帝国 ミトラス Mithras

こう考えていくと天照大神、アマテラスももしかしたらア・マテラスで
ア・マテラスA.Materas
  ミトラス  Mithras
最も発音が近いのはローマ帝国のミトラスだ。
ローマ帝国では1世紀から5世紀までミトラスが信仰されたので
もし太陽神アマテラスが、太陽神ミトラスと同じものなら発音から
考えるとローマ帝国経由だ

アマテラスの別名ヒルメと卑弥呼のヒメは同じものだろうか
卑弥呼のhimiと、ヒルメ・hirumeは同じとの指摘もあるし。
現代日本語では意味不明な上古日本語発音は、
おそらくやはり中央アジア以西が起源なのだとおもう。
894日本@名無史さん:2007/05/17(木) 15:34:40
天は訓読みでアマという発音だけじゃなくマという発音もある
高天原の天はマと発音する
だから天照だけでマテラスと発音するのかもしれないのだ。
マテラスとミトラスならほとんど変わらない。
はっきり言って天照大神とはローマ帝国経由のミトラス神のことだ。
長い距離を経て、長い年月が過ぎたにも関わらず、
ほんのちょっとしか言葉に誤差が無く、神格も似通っている
895太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/17(木) 15:42:06
古事記の注に(通常は)天はアマ(阿麻)と読めとの牽制文がある。
これを逸脱しては間違いに進む。
壱岐の別名の天ヒトツハシラとか、一部の例外はアメと読む。
896日本@名無史さん:2007/05/17(木) 15:52:47
>>895
高天原はタカマガハラのマだぞ
記紀の意味不明な当て字としての解釈は自由度が高いしな
897月光仮面:2007/05/17(木) 16:24:19
ウラルタタール語でサファルは商用出張、メソポタミアクルド語でサファルは銅、ユダヤ
語のセファルディはスペイン語に近いラディノ語を話すユダヤ人集団およびイベリア
半島のサラセンからの奪還完了後にその地からの避難民のことであるが、スペインの
ピレネー山脈は世界有数の銅産地。
タタールのアミンベク伝説から紀元前3-2千年紀にウラルでは商人が銅採掘、運送に
従事したことがわかるとされる。福岡の早良等はこうしたことと関係があるのではないか
と思う。
898太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/17(木) 16:26:23
タカマガハラは間違い読み。真はタカアマハラと読む。
899月光仮面:2007/05/17(木) 16:55:13
900日本@名無史さん:2007/05/17(木) 17:01:25
たかだか100年前の言葉でも本国の発音とかけはなれた発音になるよ
全ての可能性を捨てるのはもったいない
901日本@名無史さん:2007/05/17(木) 17:43:40
月光仮面は何人いるの?
902日本@名無史さん:2007/05/17(木) 19:43:23
ハタ氏は真面目にコツコツ働いたが性格が悪いので出世しないままで退職されたが
あれは元もとたいしたコネがないからであった。
903日本@名無史さん:2007/05/18(金) 06:39:29
職人としては優秀だったが百済系のように完璧なコネではなく、すりよる根回しだけで
相手に裏切られたりして生き方がいまいちヘタ、または神をおそれぬ反逆心のあるひねくれた人だった。
904月光仮面:2007/05/18(金) 06:46:08
戦前日本の小学校講堂の教壇背後にあった奉安殿という後戸、米軍、ソ連軍の
従軍牧師的仕組にローマ軍団と共通する点がある。筆記手段のない印欧・セム
語の伝播の背景にこうした秘密結社的メカニズムが働いたのではないか。
コーカサスのセム系ドルメンマイコープ文化にその秘密があるようだ。
このイスラエルのドルメン資料でそうした感を受けた↓
http://britam.org/dolmenpics.html
905月光仮面:2007/05/18(金) 06:57:56
>>892
(4)〈獅子〉         布袋(ほてい),
このランクは算盤で言えば一級らしく、その上は有段者となる。布袋様はお坊様
のトップクラスなのでライオンということだが。わかるかね。
906月光仮面:2007/05/18(金) 07:04:03
>>891
宇宙に外側というと量子物理学みたいだが、古代人は天文学的に
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Outside_view_of_precession.jpg/600px-Outside_view_of_precession.jpg
こんなものを考えていたのではなかろうか。
907日本@名無史さん:2007/05/18(金) 11:58:00
中国では弥勒と布袋は同義語だろ
908月光仮面:2007/05/18(金) 11:58:02
ナスカに地上絵を描いた人々がイメージする神、その神の目から
われわれの宇宙を見ると↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/97/Outside_view_of_precession.jpg
神は銀河を見て、この宇宙(岩)はウロブスが取り付いているではないか
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fa/Ouroboros.png
と思い剣でオロチを斬った。その後が天香具山に残る↓
http://yujiwww.web.infoseek.co.jp/h-na10.htm
この時、宇宙に時間が始まり、月が誕生し、運動を起こす。この神はイワレビコあるいは
スサノオであったのだろうか。
http://www.geocities.jp/kituno_i/sinnwa.html
909月光仮面:2007/05/18(金) 12:07:23
布袋 
中国,唐末五代の僧。名は契此,別に定応大師,長汀子ともよぶ。容貌奇異,
額と腹が大きく,いわゆる布袋腹 生前すでに弥勒の化身とみられたというから
弥勒信仰華やかなりし頃の有名人というか。
910日本@名無史さん:2007/05/18(金) 18:01:09
布袋(ほてい)と秦(はた)は何か関係あるのだろうか?
911日本@名無史さん:2007/05/18(金) 19:26:56
芸能人の名前はフタイやなかったかな
912太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/18(金) 20:33:55
黄眉老佛を下す。南無彌勒正佛 摩訶般若波羅蜜。
913月光仮面:2007/05/19(土) 08:58:24
>>908
ウロボスではなくよく見るとオウロボロスとなってるなー。うろたえたなー。さて、
月に群雲、花に風、そして、銀河に暗黒星雲。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/Horsehead-Hubble.jpg
「さて天村雲命のルーツであるが、やはり彦火明命と素戔嗚尊との関係が窺われるよう
である。 素戔嗚尊の八岐大蛇の物語で、大蛇の尾から出た刀を天叢雲剱と称するが、
大蛇の精そのものが天村雲命とも言える。同じく素戔嗚尊の御子神とも言える。ここに
五十猛尊と同一視できる所以がある。天五多底命である。」
http://www.kamnavi.net/it/murakumo.htm
銀河には切られたように暗黒星雲が横断している場所がある。
914月光仮面:2007/05/19(土) 09:43:23
イタカの民は航海者として広く海外に雄飛した。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/12/Kefallonia_IthakiWW.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/Ithaca
ヘブル(アピル)はエバル、イバル、流浪の民、流民、好ましからざるもの、ゲットーの住民、旅人。油津はアビラ、アピルの港町で、アビラ津姫はアピル族のことか。
http://www.taroscopes.com/astro-theology/astro-theology4.html
915日本@名無史さん:2007/05/19(土) 10:02:45
>>月光仮面氏

悪いんだけど、話の一つ一つを、
分かりやすく言ってくれないと、
話の内容がすっ飛んでしまってる訳です。
いきなりイタカとか言われても、
何のことか分からんとです。
油津というのも宮崎の事か何か分からないし。
916月光仮面:2007/05/19(土) 10:31:59
飛んでイスタンブール、その近所にイタカ、いなかったか、油を売ってても
しょうがない。ちょっくら調べる。
917月光仮面:2007/05/19(土) 11:08:25
話が変わるけど、油津は宮崎、東国原は神武とよく似た響きを持つ。神武にも
東さんのような奥さんと子供があったようだが、プライバシーに触れるのか、記紀
ではあまり詳しくは立ち入っていない。ところが世界的にアビラ、アヒルといった
言葉はユダヤ人のような流浪の旅人を表すようで、東さんの場合はいいとしても、
神武の場合はユーラシア・ディアスポラ(離散民)を妻にしていたようである。ところが
http://www.kamnavi.net/it/murakumo.htm 先代旧事本紀でもアビラヨリヒメというのが、
天の村雲(イタカ人、ギリシャ人かな)と一緒になっている。まー、これはユーラシア
海人族(シベリアは季節によっては海となる)が先祖であることを言っているのではない
かと思われる。
918月光仮面:2007/05/19(土) 11:27:47
昔は皇室典範でなく仁義なき戦いだから神武の嫡子タギシミミでも、ばっさりやられる。
夫餘では不作の場合王が殺されるのが普通。昭和天皇は軍部の暴走に結果責任を
取らされて当然と考えマッカーサーに命を差し出した。ところがソ連に原爆を盗まれ、
方針を変えていた米国はこれを好機と国体護持に回った。東さんが言ってたが集団
決定に結果責任を取らされる政治判断とは大変なことらしい。それが芸人と政治家の
差なんだろうね。
919月光仮面:2007/05/19(土) 12:31:23
「オデュッセウスは女神の導きの許、故国イタカへと至りました。アテナ女神は、
オデュッセウスの姿を物乞いのみすぼらしいそれに変え、名前を偽り、かつての
彼自身の館へと忍び込ませます。」・・・神武が天香具山のハニを盗る時に似ている
シーンである。
http://red.sakura.ne.jp/~co-wards/gallery/3_hominid/1_heaven/odysseus/odysseus5.html
往時のトロイの石垣に沖縄のグスク、日本の城壁の石垣を見る想いがする。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Troy1.jpg
920月光仮面:2007/05/19(土) 14:19:24
夕月国<馬韓月支国<小月氏<月氏>大月氏(クシャン王朝
これはトカラ人の国であが、ギリシャ人の国バクトリアを征服してギリシャ化した。
このときにギリシャ人の文化がどっさり入り、前漢、後漢を通じての中国貿易の
傍ら、馬韓月支国もかなり強くギリシャ化し、そのあおりが出雲方面に浸透して
来たと考えられる。新羅へのローマ人の到来でシナージー効果も出てきたこと
であろう。おかげで日本は極東にありながら、神話上ギリシャ・ローマ文化の
延長線、ロシアなんかよりも早くから西欧化する、という事態と相成った次第と考える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ac/Yueh-ChihMigrations.jpg
921月光仮面:2007/05/19(土) 14:32:38
このグレコ・ローマンのほかにウラル・アルタイのエジプト神話体系が入ってきているよう
である。これは安曇・海部系で、狛犬等を持ち込んでいる。こうしたものの上に更に仏教が
入り込む。これだけ手の込んだカクテルは世界でも類を見ないだろう。
922日本@名無史さん:2007/05/19(土) 18:34:12
石上神宮に伝わる十種神宝にこんな名称のものがある。

品物比礼 神輿様の箱。Xという十字架が書かれている。なんと読むのか
蛇比礼  十字架。ヘブレイと読める。
蜂比礼  6角形なのでダビデの星か。名称もヘブレイだ
923日本@名無史さん:2007/05/19(土) 19:57:32
秦氏が活躍した時代は平民には名字がなかったんだし、下の名前だけの人が99,99パーセントを占めていたので
924日本@名無史さん:2007/05/19(土) 22:00:05
>>922
これだね。
http://kamnavi.jp/mn/togusa.htm

十種神宝。
925月光仮面:2007/05/20(日) 08:07:21
>>904 >>919
欧州の吟遊詩人、日本の琵琶法師、浪曲に文字のない民族が情報伝達する共通の
姿がある。視覚文化に対する聴覚文化というか。
ところで、神武紀は基本的に海洋沿岸を一巡して帰国するオデュッセウス冒険譚に
日本の地名を当てはめたようである。すると本来終着点は高千穂の天香具山で
あったのではなかろうか。すると神武の元妻が出てこない理由もわかる。日向に
渡来した流浪の民のオデュッセウス冒険譚のあらすじを借用したものとすると
神武紀で意味のあるのは近畿の部分だけとなる。
926日本@名無史さん:2007/05/20(日) 20:25:07
古代は部民制度の枠の中に全員はいってるので、神社の氏子に全員がなってる時代から今は
氏子ではない人の方が多い
927日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:00:55
>>922 >>924
よ〜く見ろよ。 六角形じゃなくて八角形だし、Xじゃなくて×だ!
928日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:02:11
929日本@名無史さん:2007/05/22(火) 08:25:38
全国民が神社の氏子になってた時代は、つい最近のことです
930日本@名無史さん:2007/05/22(火) 19:37:08
むかしむかし、農夫が、重い傷で動けなくなったコウノトリを畑で見つけた。
農夫の看病で元気になったこの鳥は「お礼に」と、すいかの種を置いていく。
それをまくと、たちまちすいかは大きくなり、中から金貨があふれ出てきた。

 ▼中央アジアのウズベキスタンに伝わる民話を集めた『ウズベクのむかしばなし』にある一編。
コウノトリが親切な人間に恩返しをする内容の伝承は、ルーマニアや韓国にもある。
日本の『ツルの恩返し』だって、主人公は実はツルではなく、コウノトリだとの説がある。

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/sankeisho/070522/sks070522000.htm
931日本@名無史さん:2007/05/22(火) 20:46:00
>>883
そこのサイトで気になるのは、イスラエルの1世紀の書物、エズラ書の中に
十支族が東の果ての「アルザレト=最果ての地」へ向かったとあるが、
その国は日本ではなくオーストラリアのことだと言ってること。

まずはっきり言うが、オーストラリアはありえない。
オーストラリアがヨーロッパの地図に初めて登場したのは16世紀、
ヨーロッパ人が初めて上陸したのは17世紀のことで、
ティモールでさえ中国の歴史書に初めて登場するのも14世紀のことで
それ以前のヨーロッパと中国の歴史書はオーストラリアは存在していない
なによりアボリジニという先史時代からの先住民しか存在していなかった

結局白人国としてのオーストラリアの歴史がいつから始まったかも
知らずに語っている部分が文章中にはかなりあって、
日本にヘブライ人が到達したかという論争を単に一蹴したいだけで
ヘブライ人とイエロージャップと一緒にすんなという意図を感じる。
932月光仮面:2007/05/23(水) 14:00:16
ヘブライ族には(1)セファルディム/ユダヤ教クルド人、(2)アシュケナジム/イスラム教
クルト人があり、(2)のイスラム教クルド人はユダヤ教の成立する以前から印欧語族の
イラン系とアーリア系の分化の始まる頃にウラル南部におり、ユダヤ教とよく似たエジプト
との関係を維持していたようだ。どうも、ドルメン、支石墓はヘブライ族に関係するようで
あり、甕棺墓はフィンノ・ウグリックの卵生神話と関係している。これが賀茂氏の宇宙像と
同じで銅鐸圏の思想に通ずる。
933月光仮面:2007/05/23(水) 16:11:42
セファルディム、ユダヤ系クルド人というのは、アシュケナジム、イスラム教クルド人
と住み別けて中東以西にいるので東方に移動はないであろう。しかし、タイのバンチャイ
の青銅鉾はアッシリアの鉾のような半月形をしている。ビルマにはユダヤ系が発見され
イスラエルに帰国したそうだし、インドシナ山岳地帯ではいまだにドルメンを作るものもおり、
石造技術はアンコールワット、ボロブドール遺跡等でも見られる。これらはイスラム系
クルドがイスラムに改宗する以前のイラン時代に北方から南下したものとも考えられる。
934日本@名無史さん:2007/05/23(水) 20:32:24
それはありえる白人最高主義で、行き方知らずや黄色人のとこに行ったとは死んでも言わない
ならばどこに行ったかと言われるのでウソ800で塗り
935日本@名無史さん:2007/05/23(水) 23:18:22
弓月国について詳しい情報知りたいな。
秦氏の故郷なんだろうし。
キリスト教国でOK?
936日本@名無史さん:2007/05/24(木) 01:47:14
弓月の融通王が18000の民を引き連れ倭国に入ったのが3世紀だったかと
937日本@名無史さん:2007/05/24(木) 06:33:28
はっきり言ってくわしい情報なんかないのでは、移住をできること事態が
938月光仮面:2007/05/24(木) 09:00:35
>>932
http://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hkoike/study/iso/yayoi14c.jpg
出土人骨C14年代測定による支石墓(ヘブライ)、甕棺(ウラル)、箱式(東胡)の出現
順序を見ると春秋時代に到達しているようだ。しかし、本拠地が松菊里方面にあって
九州の豪族の発注工事を履行したのに過ぎないということもあろう。甕棺はウラル
の鴨神話を具象化するものであろうが、檀君朝鮮、櫛目文土器文化時代からあるもの
かもしれない。
939日本@名無史さん:2007/05/25(金) 07:05:36
たんなる移住と違って捕虜とちがうかな、外国と戦い民としたので連れてきたとか
940月光仮面:2007/05/25(金) 07:39:07
秦氏は大犬座シリウスにより農事吉凶を占うことから犬神人とされ、葬祭、医療等を専ら
とし、自らを畑人と呼んだ。エジプトではその神はインプと呼ばれたが、忌部、犬部とも
読める。中国では犬戎、秦、朝鮮族は高句麗と称したのも同一。
「高良大社文書『高良記』では、
「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ面ヲキセ、犬ノ 
スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ マフリタテ
マツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事六十余ケ
トノ其一ナリ」とされるが、これは彼らが神王ホルスからホルス・布留の民と称したのを、
降伏した意味で降人と勝手に解釈したことに起因する。秦氏の基本理念はユダヤと
共通するが、王権の下に産業を興し、経済発展を通じて繁栄することにあった。
遺伝子的にはユダヤ人と同一であるが、歴史的にははるかに古く、ユダヤの本家筋
に当たる。
941月光仮面:2007/05/25(金) 14:42:41
秦氏の原郷は、欧州、中央アジアに印欧文化が始まり、サテム系がYAMNAとされる
ステップに広がり↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Corded_Ware_culture.png
その中でイラン系が下記アンドローノフ地域のピンクの部分でゾロアスター教を作り、
アーリアから分離する。この辺が秦氏の原郷であろう。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Andronovo_culture.png
しかし、この辺に支石墓・ドルメンの文化はなく、それは黒海の北東部分にある。これは
セム系と見られており、自分の推測ではここに早期のユダヤ教があったのではないか、
そしてその文化が中国に向かう秦氏に便乗して、遼東に達したのではないかと考える↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93
その根拠は「葛城の事代主神 事代主神の最初の本拠地は葛城(奈良県御所市)の
下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)です。ここで事代主神は最初、葛城川の岸辺
に季節毎に祭られる田の神でした。それがやがて、同じ葛城におられ、叔父様に当たる
一言主神の神格の一部を引き継いだのか、託宣の神としての性格も持つようにな
ります。」
http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/kotosironusi.htm
これがヤーヴェ神託神という戎(ペルシャを指すことが多いようだ)の神とされている
ことで、これがモーセと似ている↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB
この神は鴨宇宙卵に基づく銅鐸文化への割り込みを図ったようで、神武
の行動と似たパターンであるが、失敗し、引退、最終的には秦氏のバックアップする
住吉大社が賀茂氏の文化を継承したのではないかと考える。
942月光仮面:2007/05/25(金) 14:56:07
では、大陸秦氏のユダヤ人遺伝子がなぜ日本に残らなかったという問題であるが、
大陸秦氏のアンドローノフ文化圏の東北にアファナーシエフ文化圏というのがある↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Andronovo_culture.png
ここには東方のバイカル湖南岸方面からモンゴロイドの東胡の祖先が移住してき
ている。このモンゴロイドが秦氏の文化を吸収し、箱式石棺墓文化人として列島に
ファリシズム(陽根崇拝)と共に上陸したようである。
943月光仮面:2007/05/25(金) 15:58:12
秦氏の原郷、ハザール地方がユダヤ教に改宗するのは9世紀のこととされている↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
http://en.wikipedia.org/wiki/Khazar
従って、神代の日本にユダヤ教が入ってきていたなんていうと、秦氏の子孫である
現代のバシコルトスタンの人々からはとんでもない電波だと一蹴されるかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
しかし、この隣国マリでは天神をクグユモと呼び、賀茂氏と同じ鴨、雷神等の神話体系
を持っている。
944日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:39:08
王は亡命してきたのかも、戦乱や気にいらないことがあったので
出てきた。
945月光仮面:2007/05/26(土) 09:02:36
ウラルの鴨神話では原始の宇宙卵の殻はうずらの卵の殻のように星がちりばめられて
おり、この卵の殻が後に天蓋、後楽園ドームのようなものとなったとのこと。
エジプト神話では太古天の女神ヌトと地の男神ゲブは一体となってはなれず、空間が
存在しなかった。そこで大気の神シューが天を支えて空間を創造したとのこと。つまり
後楽園ドームに空気が注入され天井が上がった。
国常立命、ドルメンの意味するところであろう。インドに入り
宇宙空間虚空蔵は電波を通す↓
http://www2.ocn.ne.jp/~horinji/dendengu/index.html
とまでに発展した。これはヒンズークシ、インド人殺しといわれる数千メーターの高山
の連なるパミールの尾根を越え、ヒマラヤのシェルパのごとくラピスラズリの採鉱に
従事した秦氏の活動がなければナイルの平野とか、黄河とかでは絶対発生しない
思想である。
参考→「星宮神社 御祭神:天香香背男命(星大神)
祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。星宮大明神と崇められ、
明応4年(1495)創建の言い伝えのある、当社で最も古い神社です。古来「奥の院」
とも称され、当社では特別大切におまつりしています。ここにはなぜか虚空蔵菩薩
さまもおまつりしております。当社の秋の例祭は、この神社のお祭です。祭日は、
10月第2日曜日です。境内はこの夜、カラオケ大会などの余興で大賑わいです。
虚空蔵菩薩さまが祀られるようになったのは次のような事情があったのだと云い
伝えています。
 もともとこの虚空蔵さまは今の片岡地内のある神社に祀られていました。ところが
虚空蔵さまは川魚、とくにうなぎの守護神といわれるので、人々はうなぎをとって
食べることが出来ませんでした。そこで困った村人は住吉に目をつけて、住吉は川魚
が食べられなくても、海の魚があるからよいだろうというわけで、虚空蔵さまを住吉へ
移してよこしたというのです。」
http://homepage2.nifty.com/sugao/sub01-3.html
946月光仮面:2007/05/26(土) 09:11:29
「天香香背男命(星大神) 祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。」
しかし、ミトラスの神は更にこの後というか、上にあって東京ドームの天井裏の星座
の牛ですら殺す神であり、更に進化した姿であるようだ。新羅のローマ宗教は尾張
にまでは達していないと考えていいのかも。
947月光仮面:2007/05/26(土) 10:08:42
ストーンヘンジ、ドルメン等巨石建立、青銅器の鋳造は土器の製造と同じく土砂で鋳型
を製作し、巨石、青銅器が出来た後で土砂を取り除く。この応用が飛鳥石舞台古墳。
ピラミッド、長城も同じ。基本は土壇を築き、修羅で巨石を引き上げるのであるが、土壇
とか、鋳型、それの基となるハニが重要。檀君の檀とは土壇の壇で、ドルメン建設と
関係するのかも。ウラルの鴨神話では、鴨がこうしたドロを水底から咥えて浮上し、
大地を造る。これが住吉、片岡神社の表筒(土)、中筒(土)、底筒(土)であり、
カグツチとは金の土であるから最高の神であったはず。ところが記紀パンテオン
では穢れを意味する部類に位置付けられる。また、天香香背男命は布津主の
レポートで悪神とされる。そして銅鐸は地表から抹殺される。これは倭人伝の伝える
卑弥呼が狗奴国と仲が悪いと記述と符合する。つまり、天香具山に立地した鴨宗教は
銅鐸を捨て東国に逃れた。卑弥呼が敵に回したのは↓
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page119.html
卑弥呼政権はかなり不安定な政局であったであろう。
948月光仮面:2007/05/26(土) 10:58:23
ウラル鴨神話では、天蓋を支えるのは頂上が北極星に届く(銅、鉄、石の)山(金剛山
か)、一説では強大な樫(アマカシとはこれだろう)。世界山の三脚は中山(天香具山
か)、北山(耳成山か)、霊山(畝傍山か、冥界、時には北山と同一とされる)間を流れ
るトネ川(マナ川)(飛鳥川か)。また、天の川は海から出た人間が天の支柱である
樫を切り、これが倒れたものであるとする。天地創造儀式は水底、畝傍山の土を取る
ことにある。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/unebiyamaguchi.htm
従って、神武が天香具山の土をとることは鴨神話の破壊であり、神武が卑弥呼の
祖先であることを意味する。タケハニヤスの乱は、鴨族の政権奪回の動きに他なら
ない。類似の行動は東海S字瓶の胎土に雲出川の砂を混ぜることにも見られるが、
雲出は雲梯に通じる。
949月光仮面:2007/05/26(土) 11:20:24
宇宙創造神鴨Wyaynyamyoynen(八井の明神とでも読もうか)は地形、海底地形を創造
するとされるので空中偵察機のようなものらしい。ポイントは偵察飛行後に建国が行わ
れるということで、ウラルアルカイム遺跡の建設に通じる。それと共に日置部とか太陽観
測部民のような存在を含意する。又、瀬戸内海をはじめ日本近海には海の難所が多く、
安全な航海のためには事前に水路調査が不可欠である。飛鳥川から飛び出した鴨が
ソラミツ大和の国を作るといった話からヤマトトトビモモソ姫が生まれたのかもしれない。
950月光仮面:2007/05/26(土) 11:36:20
タラシとは廃語となりつつある帯を意味するグル、その古形布留と同様ホルス、神王を
意味する言葉で、渡来人アメノヒボコの子孫である神功がこの名前をとどめるのは
わかる。神功は旧狗奴国、九州南部の隼人、高句麗の南進と新羅の抵抗という政治的
チャレンジを受け、わが子を神の児に仕立て上げ三韓と狗奴国、隼人の一切を統一した。
、「この酒は吾が酒ならず酒の神、常世にいます、いわたたす少名御神の神寿. ぎおぎ
狂おし、豊ほぎ、ほぎも通し、祭っ来たりし御酒ぞ」という神功の歌には酒の神、巨石
建設の神、薬の神が同一であることを歌っているが、それは神功の祖先の神であり、
神功がそうした成功をなしえた力が、そうした文化を持っている秦氏にあったことを
歌い上げている。
951月光仮面:2007/05/26(土) 11:54:24
銅鐸圏というとウインドウズ95とかの最終段階に入っていたアーキテクチャー
つまり鴨神話体系であり、そこに日向から出てきた男がCONFIG.SYSをイジクル
話はおかしい。インサイダーの仕業と考えるのが当然である。箸墓の基礎部分は
尾張が受けたが、仕上げ部分は吉備が担当した。こうしたことを画策した銅鐸圏
内部の仕掛け人こそ神武を操ったものであろう。それは北部九州の対外貿易を
狙った河内・摂津の勢力ではなかったであろうか。
952日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:29:09
中国大陸では常に戦乱に明け暮れて疲弊した市民が多いので性格も曲がってしまい
それで日本に逃げてきた羽田氏も働きものだが性格がいまいち悪く
953日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:44:05
お前らさ、ちょんとジャップは永遠のライバルだな?おもしれーw
目くそ鼻くそ同士w背比べお似合いなwかっこよろいーわーw

たかが黄色人種同士で劣等レッテルの擦り付け合いナw
そんでここではみんなで俺をちょんと馬鹿にするオ決まりパターンw

日本も中国大陸につながってりゃ同じ運命だ馬鹿がw

まず白人に差別されてる人種ということはやくきずけよ
954日本@名無史さん:2007/05/26(土) 18:03:00
唐人は戦争が嫌でトゥルクの西域に移住し高昌国を建国した
ウイグルの古墳壁画に日本の奈良時代の聖徳太子の絵や
天狗にそっくりな絵が出てくる。実際にはその絵は天狗じゃなく
鼻が高いコーカソイドなわけだが。日本とウイグルで同じ時期に
同じ絵が描かれていたのはおもしろい
955日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:28:49
朝鮮半島は古代より楽浪郡が置かれたり、要は中国との付き合いが大変なものであった、当時の日本は幸いにも天然の城壁にまもられて
スクスクと育ちいまでも世界1の観光客として高く評価されており、それにひき替え
半島では日夜えげつないことにまきこまれて性格の・・以下省略
956月光仮面:2007/05/27(日) 09:11:13
>>948  雲梯
古代中国の雲梯
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/Scaling_ladder_in_ancient_China.jpg
古代の高層社殿
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/126.jpg
ピラミッド内部 上昇通廊 「王の間の上部には約17mにわたって5つの小部屋が積み
重ねられており、それは王の間が潰れないよう重力拡散の働きをするものといわれて
いる。これらの部屋はいずれも1m前後の高さしかなく、最上段の部屋の天井は切妻式
になっている」 ポイントは出雲同様「切妻式」にある。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/2-ue-right1.jpg
何故日本にはこうした↓建造技術が残り、世界の他の地方には全く残らなかったのか?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/
それは、そうした技術が秦氏に属することに他ならない。
957月光仮面:2007/05/27(日) 10:16:50
出雲と「王の間」では雲梯の付く位置が違うでないかとの意見もあろうが、出雲の
それは↓
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/149.jpg
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/07.jpg
を復元したもので、必ずしも古代の姿(江戸時代などでは現代通り)を忠実に表すもの
でもない。
モホスの大王は弥生時代の東北人というドイツ研究所の判断も出ており、王の棺には
隼人盾紋が付いている↓
http://www.athome.co.jp/academy/world_history/wrh10.html
http://www.tbs.co.jp/amazon2007/introqqq.html
ドゴン族のシリウス天文学も秦氏の関与がなければ成立しない↓
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
958月光仮面:2007/05/27(日) 10:39:43
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-14.JPG
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-18.JPG
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-15.JPG
「「王の部屋」の西側の隅に置かれた石棺
花崗岩をくり抜いて作られた、通称「石棺」と呼ばれているこの巨大な石の箱は、何に
使われたものなのか全くわかっていない。エジプト学者は王の遺体が置かれたものと
主張しているが、これが棺であった証拠は何一つ発見されていない。それより、当時の
大柄な人間が入るには狭すぎる。王の遺体は何重にもなった木の箱で覆われているの
が普通であることを考えると、この大きさではとても無理である。それにしても、巨大な
一枚岩のから切り出したこの硬いを花崗岩を、まるで鏡の面のように見事に彫り抜いた
技術は、驚異以外の何物でもない。切削の専門家は、現代の最先端の機器を用いても
出来るかどうか疑問であると言っている。ピラミッドに使われたハイテクノロジーは我々
の遙かに想像を超えたものであったようだ。部屋の壁に注目していただきたい。全く
隙間がないことに気付かれるであろう。「ピラミッド再建計画」を立案した大林組の
担当者が、「我々にはここまでの技術はないでしょうね」と言っていた言葉が、思い出さ
れる。石棺には、はめ蓋の跡が残されている。 不思議なことに、この石棺に使われたと
思われる蓋(ふた)が発見されていない。もともと石棺には蓋がなかったと主張している
学者もいるが、上部には、滑り戸式の蓋に使われたと思われる溝の跡が残されている
ことから、蓋の存在は間違いないように思われる。それにしても、どの記録にも残されて
いない蓋は、一体どこへ消えてしまったのだろうか?」それはアララト磐舟、バイカル
モンゴリアの箱式石棺墓、そして、天磐舟となって、大和国哮峯(いかるがみね)に天降
ったのだ。
959月光仮面:2007/05/27(日) 10:54:53
出雲神話にはギリシャ神話の影響が残るが、これは大月氏方面からの影響で
あろうが、哮峯(いかるがみね)もこの線上でイカロスが着陸したとも解釈できる。
960月光仮面:2007/05/27(日) 11:59:01
「金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、金海駕洛国に石の船が1隻現れました。
その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗っていました。そのとき彼女は
16才の美しい処女でした。彼女は天神の命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきました。
許黄玉は、一度も会ったことのない首露王を夫に迎えるために、遠くインドから船に
乗ってきたのでした。船が始めて入港したところは、今の鹿山の海岸です。彼女が
乗ってきた船には妹の許宝玉と数名の侍女と石で作った塔が乗っていました。
 許黄玉は金首露王に気に入られ首露王妃となり、妹の許宝玉は長游庵という寺を
建ててそこで暮らしました。現在の長游社がそれです。国際結婚をした首露王は王妃
許黄玉との間に10名の王子が生まれました。首露王は、その中の二人に許氏の姓を
与え、代を継がせました。それで、今でも金海金氏と許氏は、結婚しないそうです。同じ
氏族であることを証明しています。」
http://www.geocities.jp/hjsxs295/rekisi.html
この話も到着した渡来人が石の船を建造したから、その民族は海路渡来したことに
なるのであって、実際に海路である可能性は少ない。要するに大月氏、クシャン王朝
からの渡来者ということであろう。大和国哮峯(いかるがみね)に天降るのも同様である。
961月光仮面:2007/05/27(日) 12:14:46
>>956
>何故日本にはこうした↓建造技術が残り、世界の他の地方には全く残らなかったのか?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/
>それは、そうした技術が秦氏に属することに他ならない。
しかし、秦氏の通過した新羅にはちゃんと残っている↓
「前の2つの数字を足して得るフェボナッチ数列(1、1、2、3、5、8…)を暗号として
用い、その数列を無限に続けて連続する2つの数を割って得る数字を重要に扱って
いたからである。その数字1.612…は1に対しての黄金比と呼ばれ、人間の建造物
はもちろん自然界のいたるところに現れる神秘の数なのである。」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/06/0606j1124-00001.htm
瞻星台(チョムソンデ)
http://www1.plala.or.jp/naopy/korea/k_tsd.htm
962日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:58:30
ピラミッドの石棺を見て畳の大きさを思いついた
日本の畳の大きさは87cmX174cmなわけだが古代の中東地域に
キュビトという単位があったが、1キュビトが43.5cm
なぜ畳の大きさがキュビトの2倍x4倍なのかは謎なのだとか。
古代中国にはキュビトの単位にあてはまる物差しは無かったので
直接なんらかの形で古代の中東から入ってきたのだとおもう。
キュビトは中国や朝鮮半島をスルーして日本にだけ広まったようだ
963日本@名無史さん:2007/05/28(月) 11:55:18
>955 半島ではえげつないことが日常にひんぱんにおきて性格のよくない・・以下省略

ピラミッドの前には長い参道が延びてるのを見て、神社の参道の意味が競馬とは違い
964月光仮面:2007/05/28(月) 18:57:42
>>957
>ドゴン族のシリウス天文学も秦氏の関与がなければ成立しない↓
> http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
ドゴン族は「ノンモの“方舟”が回転しながら降り、シリウスが宇宙の監督者にして人類
の父、精神規範の守護者でもあり、雨を降らせる水の支配者でもある」と教えられ、
長老達が守るのは一見桧皮葺、棟持ち柱が二本ある磐座式のお宮のようである。
http://www.arukikata.co.jp/webmag/2006/specialtour/images/doso01_ph02.jpg
それにしてもこんな砂漠で何故檜皮風にこだわるのか?
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/k1216.html
そして日本で獅子頭を回すような踊り↓
http://www.geocities.jp/tmpmaru/densiyou/kaigai/0004-dogon.html
八百万神々のパンテオン、
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT05570.JPG
大神殿、
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT04640.JPG
尾張の馬頭観音の牛頭天王のようないでたち↓
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT05420.JPG
この左の韓国人のような衣装はどこから来たのか↓
http://www.ne.jp/asahi/hikyo/yamaya/mali09.jpg
この頭の飾↓
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT05040.JPG
アルタイ地方で宇宙の未来まで計算し、数値化し、画像化してステラに刻み
こうした頭の飾を描いているものがある↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
アルタイには檜皮ぶき、千木つきの建物もある。





965日本@名無史さん:2007/05/28(月) 20:03:52
ししまいのししはライオンのことでしょうね。

半島では性格が曲がるほどの苦労をしないと生き抜けなかっただけで、それを責めるような
セコイまねはしたくありません。日本国内でも苦労して真面目に働いた人ほど貧乏になり
966月光仮面:2007/05/29(火) 06:42:33
砂漠の民の綯う注連縄↓
http://www.arukikata.co.jp/webmag/2006/specialtour/images/doso01_ph02.jpg
豊穣の稔りの注連縄↓
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/15.jpg
共に水を与えてくれた神への謝礼であろう。
967月光仮面:2007/05/29(火) 07:07:09
銀河鉄道の宮沢賢治を生んだ岩手にも、マリ同様に鉱物資源が多く、
岩手・鹿(しし)踊りもある。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/shishiodori.html
鹿踊りのルーツと独特の装束の謎に迫る
「ササラ」は、鹿踊りの装束の一つであるササラにちなんで命名しました。
http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_11/vol11_22.htm
鹿踊り(ししおどり)
http://www.airinkan.com/kyoudo/shishi.jpg
古代の人は天から落ちる隕石を求めて移動したのか、地形によって鉱石の
露頭を求めたのであろうか。
968日本@名無史さん:2007/05/29(火) 20:45:11
そう言えば国内でもばばくみや、したいの扱いはだれもがいやがる仕事なので
牛の解体もビデオで見たけども当分牛肉が食えないような光景であった
969日本@名無史さん:2007/05/30(水) 09:29:37
白木系が政権をとっていたが、東北に配置されていた百済系が偶然にも金を発見するに
及び、白木系が追放されて百済系が点火を取ったのでありました。
970日本@名無史さん:2007/05/30(水) 17:31:10
注連縄といえばキリスト教でも聖者の頭に注連縄のようにひねったヒモの輪っかを円形にして頭に載せる。
マラソン優勝者の頭にも載せるでしょ、あれはギリシャなのかな。名前忘れた。
971月光仮面:2007/05/30(水) 17:47:45
牛頭、花輪が上部に描かれるが↓
http://www.metmuseum.org/TOAH/images/hb/hb_03.14.4.jpg
これはスサノオと茅の輪の元であろう。
972月光仮面:2007/05/30(水) 20:43:47
「ワインの伝来については、次のような神話がある:各地を遍歴したディオニュソスは
アテナイの近くイカリア村で農夫イカリオスのもてなしを受けた。イカリオスは返礼として
葡萄の栽培と、ワインの製法を伝授された。イカリオスは出来上がったワインを山羊皮
の袋に入れ、村人たちにふるまったが、初めて飲む酒に村びとは興奮、毒を盛られたと
誤解してイカリオスを殺害してしまった。その死体を見た娘エリゴネーは悲嘆の余り
その場で首を吊った。事の次第を知ったディオニュソスは怒り、村の娘全員を狂気に
陥らせ、集団縊死に及ばせた。やがて誤解と知った村人たちの手で哀れな父と娘は
供養され、ここにディオニュソスの怒りも収まり、同地は葡萄の産地として名を知られる
ようになった。」 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%BD%E3%82%B9
蘇民将来・巨旦将来との類似。
973月光仮面:2007/05/30(水) 20:47:30
「本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を
獲得していた。この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、
民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニュソスをギリシャの神々の列に
加える事となった。この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に
反映されている。またザクレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにも
ディオニュソス信仰の形成過程をうかがわせる。とはいうものの、実際にはミケーネ
文明の文書からゼウスやポセイドンと同様にディウォヌソヨ(Δι?νυσοιο)
という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。ギリシア人にとっては
「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。」 ・・・同上
974月光仮面:2007/05/30(水) 20:52:58
これは多分秦氏が持っていたオリジナルから出ており、インドでヒンドゥー教のシバ神
となったものであろう。
「シバ神は,《リグ・ベーダ》においてはそれほど重要でなかった暴風神ルドラと同一視
され,また,ハラ,シャンカラ,マハーデーバ,マヘーシュバラなどとも呼ばれる。かつて
海中から猛毒が現れ,世界を焼き尽くしそうになったとき,シバはそれを飲んだ。その
ため,のどは焼け,青頸(ニーラカンタ N ̄lakalpha)と呼ばれるようになる。彼は天上
から降下したガンガー(ガンジス)川を頭頂で支え,またその頭に新月を戴き,三叉の戟
(ほこ)を手にする。彼は常にヒマラヤ山中で苦行する。そして,額に第三の目を持ち,
そこから発する火索で愛神カーマを焼き殺したという。彼は牡牛ナンディンを乗物
とする。彼はまた舞踊の創始者とされ,ナタラージャ(〈踊り手の王〉の意)と呼ばれる。
さらに,世界を破壊するときに,恐ろしい黒い姿をとるので,マハーカーラ Mah´k´la
(大黒)と呼ばれる。彼はまたパシュパティ(獣主)とも呼ばれるので,後にパーシュパタ
(獣主派)というシバ教の一派が形成された。」 獣主>しし王>帥升王>スサノオこれもあり
えようか。
975月光仮面:2007/05/30(水) 21:02:48
>>971 牛頭と蛇の出ている神秘の籠はBC1800年頃の小河墓ミイラにもあった。小河墓
遺跡はミケーネと同じ地方、アナトリアを経由しているのではなかろうか。老女ミイラの
帽子はイラン系とんがり帽子であったが、いたちが2本まきつけてあり、キュベレ女神
の守り神の2頭のライオンの代わりとも考えられる。
976日本@名無史さん:2007/05/30(水) 22:36:58
[ある村に蘇民将来と巨旦将来という兄弟がいました。
 あるとき、武塔神(素盞嗚/須佐雄)が宿を乞うたところ、
裕福な弟の巨旦将来が拒否しましたが、
貧しい兄の蘇民将来は厚くもてなしました。]

裕福な弟の巨旦将来とは、キンキラ文化で有名な当時の新羅ではないのか。
素盞嗚も新羅には住みたくないという事だったし…
977月光仮面:2007/05/31(木) 09:36:54
過越の祭 すぎこしのまつり Passover
「ユダヤ教の祭日。ヘブライ語で Pesah という。ユダヤ暦のニサン月14日の夜(太陽暦
の3月か4月)に始まり1週間続く。エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が,モーセ
に率いられてエジプトを脱出したとき,神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが,小羊
の血を入口に塗ったヘブライ人の家だけは過ぎ越したという故事に由来する。最初の
晩にセデルと呼ばれる正餐を催し,小羊,苦菜,種入れぬパンを食べ,〈ハガダー〉と
呼ばれる出エジプトに関する物語を読んで,先祖がエジプトの奴隷の身分から救い
出されたことを記念する。共観福音書は,イエス・キリストの〈最後の晩餐〉がセデル
であったと伝える。」
スサノオが結婚したのがパリサイ女ということであり、この話はユダヤ教起源、また、
蘇民将来のコマギをばら撒くのはアルタイの慣習であり、やはり、ギリシャ植民地
バクトリアが大月氏の支配下、つまり、秦氏の支配下に置かれた時に取り込まれた
と考えるのが自然かなー。
978月光仮面:2007/05/31(木) 09:49:07
話の大筋は合致しているが、「小羊 の血を入口に塗った」が「牛頭の花輪で囲まれた」
等とギリシャ文化、つまり、バクトリア文化ですりかえられている。つまり、イラン高原
にいたパルティア系がすり替えた盗まれた神話であり、ユダヤ教に改宗とかいったもの
ではなかったのと違うか。
979月光仮面:2007/05/31(木) 10:02:23
>>973
更に深く考えると、ユダヤ人はこの話をミケーネ文明から借用し、ミケーネ文明は
北方ウラル・アルタイ文明、つまり、秦氏から借用したということもありえる。
980月光仮面:2007/05/31(木) 11:00:13
秦氏が韓国入りし、話は更に変わって行く↓
http://www.kamnavi.net/it/sosimori.htm
http://kamnavi.jp/it/sosimori2.htm
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-11.htm
韓国人にとって「胡」、ホータン・サカ系等は忌み嫌われるものであり、銅鐸文化を
持ち込む先進稲作地帯長江河口の蘇民は歓迎すべき存在であり、この辺で神話の
内容が一変した。倭人については何ら言及のないままハイカラな神話が出雲に上陸
する。
981月光仮面:2007/05/31(木) 11:04:20
というか、韓国ではいろいろと物議をかもした民族を引き連れて秦氏は日本に上陸した
と考えるのがいいのだろうか。
982日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:36:07
羽田氏は働き者ゆえにきらわれたのかも、ちに働けばかどがたつ だらだらしてると流される
983日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:51:43
教えて欲しいんですが、仏陀に毒キノコ料理(悪意はなかったとされる)
を提供し、結果として死亡させたチュンダは鍛冶屋の息子でアウトカースト
だったと、五木ひろゆきさんがテレビで言っていたが、彼の宗教は知りませんか?
また、どうしたら知ることが出来るでしょう?
984日本@名無史さん:2007/05/31(木) 20:03:26
日本の場合は西本願寺が救ったと言ってた人がいてたので、逆に見ると無宗教だった
985日本@名無史さん:2007/05/31(木) 20:05:05
バラモン教
986月光仮面:2007/05/31(木) 21:27:24
>>980 >>981
卑弥呼が後漢帯方郡を通じて鏡を輸入したことから、国産三角縁神獣鏡製作のために
江蘇省方面の鏡作り職人集団の渡来があり、これに関連して江蘇省方面の粽等の習慣
が伝わったということが考えられる。蘇民将来は江蘇省方面の技術者集団が百済に
あった神話を作り変えたのだろう。そうすると巨旦というのはライバルの銅鐸集団のこと
かも知れない。例の鹿踊りを初めとする東日本の鞨鼓踊りの鞨族が東周の銅鐸文化を
日本に持ち込んだという可能性が出てくる。
987月光仮面
鞨族についてはケト人という説もあり、気多大社との関連が考えられる。