>>536 >応神、仁徳、履中が百済王家みたいに「余」姓を名乗ってたってわけか…
>扶余系大王・蘇我馬子と言う事だが、何故「蘇我」姓になったのだろう?
仮説
1)高句麗の農務相・ソガ(牛加)と言うのは牛頭天王とか、神農に似て頭に
角をもつ。
2)出雲大社の裏の古い岩に起源を持つ素鵞(ソガ)社、全国の素鵞神社に
ある素鵞は白鳥と見るのが自然だ。一方、アルタイ・Kumandin族は白鳥族
の意味であるが、御柱のような4本の柱で太陽に向けて馬の四足を縛り、背中
に杭を打ち、「クルイ・クルイ」と言う呪文を唱え、噴出する鮮血を陽光に捧げる。
生剥ぎにした頭付きの毛皮は冠婚葬祭に使用する。これはスサノオが天照に
贈呈し、逆恨みをされたものだ。ナマハゲ、馬頭春狛、白鳥等は主として四隅
突出古墳と箱式石棺墓と共に沖縄・九州・日本海沿岸・東北に分布し、欧州
ではハンガリーのクマン族、スイスのナマハゲ、ポーランドクラコフのタタール・
レイコーニク祭り等に多分フン族が導入したものと見られる。日本においても
kum*及びkom*という要素を持つ地名、神社名などは非常に多いが、何らかの
形でKumandinの結びつくようだ。久万高原近くの大月神社のはだか祭り等も
その月型、舟形の巨石を初めとし全国に類例の多いものである。
3)従って飛鳥川流域に陣取った蘇我というのは、もし、百済方面からの新参
渡来人であるとすれば、それは百済には相当早くから南下し古くから倭国とも
関係のあった有力なアルタイ系騎馬民族で、フン族の主力な部分をなすもので
あったのであろう。