大和・纒向に成立し、全国を古墳時代へ導いた王権について考察するスレです。
*ローカルルール
1)日本史板ですので、文献無視ではありませんが、
邪馬台国論争・九州王朝ネタ・神武伝承等は専用スレへ。
2)荒らし・粘着・ループは、完全スルー!
初心者・スレ違いは、適時誘導。
3)自説発表及び反論は、コテハン&トリップを推奨。
4)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう
3 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:29:30
1.畿内自生説
弥生時代の畿内勢力が倭王権の主体であり、鉄資源ルートを掌握して後漢の
衰退により後ろ盾を失った北九州を倒した。
【畿内自生説の根拠】
@畿内の方が農業に適しており、生産力が高いので北九州を打倒した
(小林行雄)。
A畿内の方形周こう墓は、九州に広がったから畿内の方が強い(佐原真)
B銅鐸圏は、北九州文化圏よりデカイから畿内の方が強かったに
違いない(近藤義郎)。
C個人への富の集中を妨げる協力な規制こそが北九州を打倒する原動力
となった。威信財の乏しさこそ畿内の強みなのだ。あたかもスパルタ
のように(都出ヒロシ)。
D大安万呂に匹敵する「天才的イデオローグ」が中国思想と日本各地の
墓制を統合し、倭王権を誕生せしめた。
E倭王権が畿内に生じたという考古学的事実を無視すべきでない
(白石太一郎?)
安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎない。島国であり関東以
西についてはほぼ文化的に均一であった日本において大和朝廷の
誕生に権力移動を持ち出す必要は全くない。
F(東海地域の役割を重視する立場から)ホケノ山や外山茶臼山の
前方部に並べられていた加飾壺(二重口縁、長胴型、底部穿孔の
特徴を持つ形式)は愛知県尾西市の西上免遺跡内の前方後方墳跡
から出土したものと同形式であることが確認されています。
初期古墳の破鏡は、伊勢湾岸等などに見られ、東海の影響である。
4 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:30:01
(畿内自生説への反論)
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何
のつながりなし(大六、森浩、方丈その他)
古墳文化に引き継がれているのはほとんど何もなし。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけ
なので鉄器ルートの奪取はありえない(川越哲志、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
銅鐸祭祀の中心は近江。
C弥生時代の日本は不均衡である
(北九州>・・ 越えられない壁・・>西日本日本海側> 東瀬戸>
畿内(ドンヅマリ」))
D畿内に戦士層の存在が証明できない。畿内の高地性集落は、防御的
なものであり、攻撃的な性格を持たない。
Eホケノ山の壺を東海系といっているのは赤塚氏のみ。
5 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:30:46
(畿内自生説に対する反論への再反論)
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A(「断絶説」に対しては)大型化した後期銅鐸は、権力による管理が行われていた はず。銅鐸の畿内王権による銅鐸の配布行為が三角縁神獣鏡
などの配布にスライド機能的に見れば文様から銅鐸から特殊台器への移 行を見いだせる
(福永、寺澤)。権力が管理したら威信財だ。池上曽根遺跡のような祭殿は古墳時代に受け継がれる。
B低湿地が多い畿内では鉄器は溶ける。出土しないからといってなかった
わけではない。石器の減少から鉄器の増加が証明できるはず(「見えざる鉄器」は実在した)。
C下部構造の劣位が政治的劣位を招くというのは歴史の法則に反している。野蛮だが精神力
に勝る民族が先進的であるが故に堕落した地域を征服することはよくあることだ
(スパルタ、中国、南米などの征服王朝、明治維新など)
Dマルクス主義のイロハを知らない寺澤のマキムク都市論や北九州国家成立論は、
国際的な考古学の常識に反するもので論外である。
E「古墳時代像を見直す」は本人達が思っているほど考古学会に対した影響を及ぼして
おらず、大御所で意見を変えた者は皆無。寺澤は師匠の森浩一とともに私大出身、大六
はアマチュア電波、柳田は自治体埋文といずれも学界傍流である。北條は四国に行って
寂しかったので反主流派に転向したのだろう。
F今、倭王権の畿内自生説やマルクス主義に対して疑問を唱えるべき時ではない。それは、
イラク侵略への日本の荷担がますます深まり、極右暴力集団「新しい教科書を作る会」に
よる皇国史観教科書の動きが顕在化している昨今、結果的に皇国史観を側面的に支援するだけだ。
6 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:31:37
2.九州倭国拡大説
→弥生時代に既に倭国王であった伊都国と奴国による
九州倭国が東瀬戸勢力の協力を得て、東方に拡大し
首都を移転。倭王権成立は画期ではない。
【九州倭国拡大説の根拠】
@鏡の大量埋葬、素環頭太刀、朱の塗布、割竹式木棺など
弥生時代北九州文化と古墳文化の共通性(第六、森浩その他)
ホケノ山における内行花紋鏡の破鏡、棟持柱付建造物は平原類似。
A伊都国、奴国を中心とする副葬品のピラミッド型の格差に
より示される権力層の階層構造や奴国地域からの鏡など青
銅器の配 布行為が倭王権のそれと同じ(大六、森浩その他)。
B平原の鳥居・大柱が、伊勢神宮、諏訪大社のそれに極似。
鳥居と大柱の延長上に日向峠(伊勢神宮の新嘗と同日に日の出)
などで王権祭祀との共通性(柳田康男)
C記紀などの国内文献と祖語がない。平原周辺の地名が天孫
降臨の条に見られる地名と一致(大六)。
D九州倭国は、弥生期に西部四国、西瀬戸地域などに領域を
拡大している。山陰など日本海地域や伊勢湾岸とも強い経
済関係があったことが証明されており、終末期には帝国化
していた(柳田康男)。
7 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:32:09
【九州倭国拡大説に対する反論】
@東遷説は皇国史観の亡霊。軍靴の足音が聞こえる(佐原真)。
A畿内だけでは劣位でも吉備、山陰、丹波を味方にしたので勝った(鏡大の人)。
B大型墓の衰退、副葬の減少など北九州の遺跡は終末期に衰退(鏡大の人)。
C首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備から受け
継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石などからも
楯突→石塚の流れがより重要。
Dマキムク遺跡の出土の外来土器に九州土器はなし。一番が東海、
次が吉備。逆に庄内式土器はこの時期九州に行っており九州こ
そが劣位の立場(白石太一郎、石野博信等)。
8 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:33:06
【九州倭国拡大説に対する反論に対する再反論】
@(皇国史観との声に対して)考古学には考古学で反論すべきで、
政治的議論を持ち込むべきではない。
考古学的事象は、日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本
書紀の 神代神話をさけて通ることはできない。研究者にその片鱗
があれば 邪馬台国問題だけでなく古代国家形成研究でさけて通れ
ない古墳出現期 の諸問題がここまで時間をかけずにすんだはず
(柳田康男)。
A日本海地域は玉器に交易などにより北九州地域との強い経済関係
が考古学的に証明されているが、畿内のそれは全く証明できない。
ましてや畿内とそれ他ブロックとの政治的関係の証明は考古学的
には不可能であるはず。
B三雲、博多湾岸において九州の遺跡の衰退は庄内期ですら全くない
(九州の考古学者ほぼ全員)。同時期畿内でも墳墓は減少。
C近藤氏が吉備東遷の示唆の根拠としている特殊器台は、中山大塚以降
に出土。都月と宮山が一緒になるのは吉備でなく畿内。
葺石は、ホケノ山以降。布留期に吉備の文化が大量に流入したことを
もってその前の庄内期における倭王権成立の吉備主導を導くのは本末
転倒。特殊器台は、△鏡と同様に倭王権成立とは無関係。
D高級品である庄内式土器と労働者の使う土器、恭献土器の3つの土器を同一
に議論するのはミソもクソも一緒に議論するようなもので成り立たない。
纒向の外来土器の性格は労働力移動説か供献説が主流であり、両説を採用
する場合、九州の土器がないことは逆に九州の主導性を示してる。
高級品である庄内式土器はオオヤマト地域と河内の一部、博多湾岸等だけ
にしか出土せず、これは倭政権の構造を表している。
東海系土器が多いから東海が主導したということは考古学的にあり得ない。
F北九州以外の政治的ブロックは、考古学的に証明されていない。
墳墓の共通性から山陰地域で権力者の同盟が証明され、吉備地域は墳墓の
共通性が乏しく、楯突などにより推定されるのみで集落など不明。
経済的ブロックについては、九州以外証明不能。
9 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:33:47
3.諸勢力による連合説
→倭王権は、北九州、吉備、讃岐、出雲、讃岐など複数の
政治ブロックによる連合であり、諸勢力が協力して
平和的に巻向を建設した。ただし畿内勢力の地位は低い。
明治維新で新政府が東京に首都を置いたことに類似。
【諸勢力による連合説の根拠】
@銅鐸祭祀に代表される弥生畿内文化と鏡、玉、剣の古墳文化に何の
つながりなし(大六、森浩、方丈その他)引き継がれるのは北枕の
思想だけだ。
A鉄器の質量とも西日本最低で、サヌカイトで闘ったら負けるだけな
ので鉄器ルートの奪取はありえない(川上哲治、村上恭通)
B大集落以上の統一的な権力や流通の存在が考古学的に証明できない。
銅鐸祭祀の中心は近江。
C古墳時代の首長霊儀式は、特殊器台の流入に見られるように吉備
から受け継がれた(近藤義郎)。円形という形、木隔、葺石など
からも楯突→石塚の流れがより重要。
だから吉備を中心とする東瀬戸地域が主導したはず。
D古墳からは、どの勢力が優越したのかは導き出せない(北條)
E戦闘の遺跡が証明できないことから、平和的共立を裏付けている(寺澤薫)。
12 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:37:41
スレッド名がおかしい。↓がよかった。
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみ
改めること。
13 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:39:41
>島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
>ソースをお願いします。現在でも関東と関西は文化的な違いが残ります。
生産力の要である鉄器については、弥生後期に関東以西では斉一的に普及し
たことは一部の跳ね返りを除く多くの考古学者が認めるところです。
>安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
>記紀の伝承は史実の反映がないとお考えか。ならば、その根拠は?
全くないです。九州南部のような全く考古学遺跡がない地域が倭王権を
形成できると見るのは単なる電波でしょう。南を北としても平原などは
墳丘規模橿考研の河上前副所長の言うように単なる単なる富裕層の墓に
すぎず、先進性故に堕落と分裂にさらされた北九州も候補足り得ない。
>>大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
>同意
当然の帰結を述べたまでです。
>>であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。
>ソースは?記紀及び倭人伝を無視する訳は?
記紀は7,8世紀に権力の側で都合良く捏造されたものにすぎず、
古墳時代の実相は何も含まれていないと考えるべきです。
14 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:40:20
>963
>非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
>その時期をいつとみますか
>また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
>お考えをお聞かせください
ありがとうございます。
最初の前方後円墳=箸中山古墳の築造前後が倭王権成立の時期で
しょう。まともな大学の研究者の間では、3世紀後半とみるのが
普通です。これを普通でないと宣う田舎の埋文の連中もいますが、
完全に無視してもかまいません。
記紀については津田左右吉など多くの文献学者の研究により特に
応神天皇以前の記述についてはほとんどが後世に捏造されている
ことが判明しています。捏造なのですから、逆である意味を詮索
するまでもありません。
15 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:40:56
>968
面白くもなんともないですよ。考古学及び文献では
普通の定説ですから。諸先輩が地道な検討を重ねて
作り上げたものです。
このスレッドの素人が崇拝している北條や寺澤は傍流
ゆえの安易な思いこみや乱暴な短絡さがあり、それゆ
え素人に人気があるんでしょう。
たとえて言うなら学界版安本美典ですね。
16 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:42:19
>>968 畿内王権が欲しかったのは名門落ちぶれ九州の血統だけだったのだろうな。
政略的入り婿をさせた後征服したとなると、考古学による「東遷の証拠なし」と記紀が矛盾しない。
九州王朝は電波だが、九州の残党を中国、台湾の関係における台湾と仮定するとよいかも知れない。
後の磐井だ。
18 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:43:34
最後は畿内自生説の完全勝利で終わったな。
北條信者は完膚なきまで論破され、消え去った。
19 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:44:15
>ただ、土器の地域色とか弥生からありますよね。
>そして、古墳初頭には一時かなり違ってしまった実態がありますが、知ってますか?
倭王権が成立してからの話したって意味ないでしょ。
弥生後期の畿内勢力による北九州分裂とやらの考古学的証拠が必要なん
じゃないの。そんなのないと思うけどさ。
20 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:45:06
>難しい問題ですが、特に伊都国は女王国がけん制していますから、
>伊都国が主体と言うのはどうでしょう?伊都国の王がそのまま倭王なら、
>「乱れて歴年主なし」「共立す」というのがおかしいでしょ。
>確かに伊都国の祭祀要素は継承してますが。
>むしろ最近は奴国が東の勢力と結んだと言う説があり、面白いと思います。
そのとおり。北九州は、先進性ゆえの分裂や仲間割れにさらされていた。
アプリオリに先進性を持つ地域が後進的な地域を征服すると仮定を置くのは
あまりに安易ではないか。
たとえばスパルタ址は考古学的にはアテネはおろかギリシャの中でも非常
に貧弱な状況にある。しかし文献資料は、スパルタがギリシャ随一の大国で
あり、豊かなアテネを倒したことを記しているし、それを疑う者はいない。
たとえば中国史など公平に見れば辺境部の勢力が先進的な中心部を倒す事例
が多い。これは人的資源、精神的規律、戦術面で辺境部の方が優れているこ
とが多いことによると思われる。このモデルを日本に応用するならまさに
物質的に劣位であるがスパルタと同じく富の集中を規制する強い共同体規律
を持ち、同一の文化圏であり後背地域である東海地域の膨大な人的資源を活
用しえた辺境部である畿内勢力が先進地域であるが故の腐敗や精神的弛緩な
どがあった思われる九州を打倒したと見ることができるのではないか。
21 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:45:52
>959
そもそもイト倭国って後期には帝国化してるぞ。
柳田さんの伊勢湾までってのは行き過ぎにしてもさ。
北九州内の分裂ってぶっ飛びすぎた解釈だよ。
限りなく終末に近い平原っていったいどう考えるんだろ。
22 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:46:22
>>964 応神以前に捏造が多く含まれるのは、その通りです
どうせ捏造するなら、権力者に都合の良いようにするものです
ここは伝統ある九州の出身を詐称して権威づけをしたと見るべきでしょうか
しかし、神社伝承などとの整合性も押さえる必要がありそうです
改めて、なかなか貴説はおもしろいですね
23 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:47:04
>974
一部の跳ね返りや田舎の自称考古学者(実はしがない地方公務員や
高校教師)以外のほとんどのまともな考古学者が神武東征などとい
う後世の捏造を否定し、倭王権が畿内の地から発生しているという
考古学的な事実を冷静に受け止めているということだけで十分でしょう。
24 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:48:32
イト倭国は、所詮虚妄だろ。
影も形もない。
25 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:49:35
>908
>いや、古墳前期の三雲遺跡ほか糸島の遺跡の韓式系土器の出方は、西新町に完全に負けてるよ。
>そもそも、古墳前期では、それほど「大量に」出てたっけ?
>他の地方よりは、そりゃ、勝ってるけど。
>その奴国重視の論者も、伊都国が没落した、とは言ってないと思うけど。交易の主要ルートが変わった、と言ってるだけ。
そんだけの話で、奴国だけが畿内と結んだなんて到底言えないのでは
ないの。奴国地域が凄いってのは弥生時代でも同じじゃん。
統一されていたか疑問なのは畿内の方だってのはこのスレッドで
さんざん言われてるよね。
26 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:50:17
>先進地域北九州を粉砕し
これは嘘だな。大和朝廷が北九州を粉砕したことはないだろう>1
27 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:50:18
>>前方後円墳の分布は交易の拡大ですとも言えるわな。
はあ。その主張の、何処に問題があるか分からないのですが。
3世紀の畿内王権は、半島や西日本の交易が円滑に行われるための、
調停者、宗教的権威として重要視されたのだと思うし。
前方後円墳を造ったというのは、取りも直さず、畿内王権に参画した
ことを表明する意味があったのだろう。
大王家の権威が飛躍的に増すのは、4世紀末からですよ。
28 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:51:00
>927
それ言ったら、確実に庄内の前方後円墳かもしれないと言えるのは
北九州で那珂八幡だけでしょ。疑問もあるけどさ。
畿内でも石塚、勝山くらいでホケノ山は怪しいってとこですよ。
全国的に見れば初期古墳が多いのは間違いないでしょうが。
29 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:52:19
>968
面白くもなんともないですよ。考古学及び文献では
普通の定説ですから。諸先輩が地道な検討を重ねて
作り上げたものです。
このスレッドの素人が崇拝している北條や寺澤は傍流
ゆえの安易な思いこみや乱暴な短絡さがあり、それゆ
え素人に人気があるんでしょう。
たとえて言うなら学界版安本美典ですね。
30 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:53:16
>全国を古墳時代へ導いた王権
って吉備国じゃないのか?
いつの間に吉備王国スレになったんだ?>1
31 :
古墳年代(畿内):05/02/19 00:54:12
庄内1 石塚
庄内2 勝山?↑
庄内3 矢塚
メクリ山1号
布留0 ホケノ山?↑
東田大塚
布留1 黒塚
桜井茶臼山
布留2 メスリ山
【以上、橋本輝彦氏】
>31 マバカは?
33 :
古墳年代(伊都国地域):05/02/19 00:56:31
稲葉一号→権現→御道具山→端山→鼻一号
【以上、柳田康男】
34 :
日本@名無史さん:05/02/19 01:03:46
>異説、異論を排除してはなりません
思いっきり差別・排除してるだろ>1
35 :
古墳年代(伊都国以外):05/02/19 01:03:59
刈田石塚山 福岡県刈田町 布留0式?
神蔵 甘木市 布留0式
原口 筑紫野市 布留0式
名島 福岡市 ?
那珂八幡 岡市 庄内3?(第2主体部布留0)
豊前赤塚 大分県宇佐市 ?
37 :
日本@名無史さん:05/02/19 01:07:01
>32
どのくらいの年代でしたっけ?
38 :
日本@名無史さん:05/02/19 01:11:27
北條信者は論破されて昨日あたりに全員逃亡したようですね。
まあ、これからは主流派同士でレベルの高い議論を目指しま
しょう。
39 :
日本@名無史さん:05/02/19 01:16:12
40 :
日本@名無史さん:05/02/19 01:24:50
黒田とか宮山もヨロシク。
神門とか
>37
庄内の初めだとは、思うけどね。
石塚との前後は、異説が多いですよ。
42 :
日本@名無史さん:05/02/19 02:00:15
畿内説コヴァかかってこいや。
43 :
日本@名無史さん:05/02/19 02:07:42
庄内1 石塚
庄内2 勝山?↑ マカバ?
庄内3 矢塚
メクリ山1号
布留0 ホケノ山?↑
東田大塚
布留1 黒塚
桜井茶臼山
布留2 メスリ山
【以上、橋本輝彦氏など】
44 :
日本@名無史さん:05/02/19 02:12:23
畿内自生説完全勝利の状況だな。
45 :
日本@名無史さん:05/02/19 02:16:34
弥生墳丘墓の竪穴式石槨がおよそ4m以下であるのに対してホケ
ノ山の場合は約7mと長大化している。にもかかわらず竪穴式石室
にはなっていないという意味で変遷の過程上にあるといってもいい
のではないかと思います。
むしろ、山陰、あるいは半島の影響ではないか、そんな気がします。
それが何処に由来するのかは別にして、吉備の勢力が入って纏向の
勢力となったというのは消えたと思います。半島の影響はあるかも
しれません。山陰はどうでしょう?
>40
神門古墳群は、けったいな存在ですよね。
特に4号墳は墳型だけみれば、纏向併行期でもよいでしょうに
出土した供献土器は、布留0併行だとされてしまいます。
関東と畿内の年代間にズレがあるんでしょうかねえ。
47 :
日本@名無史さん:05/02/19 02:26:53
九州以外の地方編年で「庄内併行」ってのは大抵眉唾ですな。
ちょっと下げて見た方がよいと思う。
>45
”吉備の勢力が入って纏向の勢力となったというのは消えたと思います。”
うーん、そうでしょうかね・・・
直接ではなくても、例えば河内系庄内式の成立に激しく吉備が関与しているとか、
つながりは、あると思いますよ。
大和進出の前段として、吉備・河内連合成立。
その後、孤立化した大和を併合なんてね。
ムムム・・・
先行スレと重複したけど、ここも動き始めちまったんでこのまま行くか。
あっちは「古墳〜律令」。こっちは「庄内〜布留」。
語るべき時代が、微妙にずれてるから、皆さんで使い分けてくれませんか?
自分で削除依頼するのも「何だかなー」なもんで。
814 :日本@名無史さん :05/02/17 04:29:42
3世紀の倭国では常備軍というものが存在せず、有事には農民に武器を
配って戦わせるという形がとられていたのだろう。
このように在地性が強い軍制で、北部九州から畿内への首都移転を
想定することは難しい。
倭国はまだ群雄割拠で、統一国家には程遠い状況。
このような状況下で、本拠地を遠方に移したなんて、
戦争を知らない人間(考古学者=専門馬鹿)が言う戯言。
また、当時は半島利権を維持することが倭王権維持における最重要課題
であった筈で、
もし北部九州が倭王権を主導したとするなら、
わざわざ遠隔で文化的後進の畿内に本拠地を移した理由が見つからない。
倭人伝や記紀の記述からも、畿内王権が北部九州を圧していたことは
分かるし。
畿内王権は、やはり畿内在地勢力が主体となったのだと思う。
52 :
日本@名無史さん:05/02/19 09:52:40
>48
ホケノ山発掘の時点で近藤説は終わったんじゃ
ないの。@特殊器台を用いた首長霊継承儀式の
流れの東遷A箸墓=最初の古墳が彼の理論の基礎
だから。
@はもともとなく、Aはホケノ山がどう見ても
古墳である(KKKによれば)ことから今では通用し
ないね。
53 :
日本@名無史さん:05/02/19 09:56:43
吉備東遷説は、山尾さん(だっけ?)っていう文献の人が始め
た説に考古学者が飛びついたもんで少々怪しいわな。
東瀬戸地域が政治的ブロックを形成できていたのかすら考古学
上は全然証明されてないんだよね。
54 :
日本@名無史さん:05/02/19 09:58:58
北條信者は論破されて昨日あたりに全員逃亡したようですね。
まあ、これからは主流派同士でレベルの高い議論を目指しま
しょう。
55 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:03:30
つまらない古墳から出る=つまらないモノである。
と考えた方が合理的かもしれませんな。
△は奈良の小さな方墳からでも出てますよ。
こんなとこに「同盟関係の誇示」ってのはどん
なもんでしょうかね。大騒ぎしてる紀年鏡だって
多くは実際はたいした古墳から出てませんからね。
56 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:05:11
>699
>三角縁神獣鏡の広まりは、流通の広がりを意味するもので、同盟関係とは無関係。
>重要なのは、もっと貴重で入手困難な舶来鏡の方だ。
そりゃ間違いだ。
△が低いランクの鏡であることは確かだろうが、大王墓クラスでは舶載鏡の上にさらに
最上位の大型・超大型内行花紋鏡がある(平原、ホケノ山、下池山、桜井茶臼山、日葉酢姫陵、
崇神陵などなど)。
57 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:11:55
>697
>石塚や勝山で、箸墓ほど圧倒的ではないですが、布留0以前の墳墓規模としては他地域より安定して上回っています。
>ですから箸墓の「飛躍」が十分、準備されていたと見るべきでしょう。
それらはローカル色の強い弥生式墳丘墓にすぎないですね。
楯突も同じ。
前方後円墳が「地方性を継承しつつもそれを切断する統一性」を持つこと
それら弥生式墳丘墓から「飛躍」していることは近藤義郎などの研究で
とうの昔に明らかになっています。
58 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:13:44
733 :北条芳隆 :05/02/15 22:20:07
今2ちゃんねるの日本史板が熱いよ、とのメールを友人よりいただきまして
遅ればせながら拝読させていただきました。
拙著をご紹介いただきまして感謝の念に耐えません。
予想をはるかに上回るほどの高水準の議論に、ただただ驚くばかりです。
今後も楽しみに拝見させていただく所存ですので
皆様の卓越した知識と眼力をもってして、古代史の闇に光を照らしてください。
まずはご挨拶まで。
59 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:14:27
>742
それは、紀年鏡の年代が卑弥呼献使の年代にほぼ重なるという考古学的
事実を無視する暴論でしかない。
三角縁神獣鏡が倣製というのは様式上でありえない。
この鏡の様式の変遷が、中国での様式の変遷とある程度オーバーラップ
しているという事実を直視すべきです。
鏡をよく知らない若手の学者達がこの鏡を軽視する最近の風潮には呆れざ
るえません。
60 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:17:26
>むしろ最近は奴国が東の勢力と結んだと言う説があり、面白いと思います。
>tp://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=e-asia&no=4376 の投稿12
考古学的な裏付けがある説とは思えません。海外との交易という点では
三雲遺跡から引き続き大量の韓式土器が出土しているという点からも全
く成り立たないでしょう。
>これなら奴国を媒介にして伊都国中心だった北部九州の祭儀が伝わったということも考えられますし、那珂八幡古墳や庄内式の分布も解決できます。
>ただし、纒向の初期古墳には吉備や播磨、讃岐の影響の方が強いと思うので、北部九州が直接主体ではなかったと思うのですが、有力な反証があれば考え直します。
那珂八幡古墳の存在などから奴国地域に注目される方も多いのですが、
実際は、伊都国地域だけで早期・前期前方後円墳が25程度存在するとい
う驚くべき集中を見せています。当然奴国地域を上回り、オオヤマト地域
に匹敵しています。
よく近藤義郎が「吉備はナンバー2です」といっていますが、これはウソです。
早期前期については、間違いなく伊都国地域がナンバー2となります。
ついでに言うと、このスレッドで出た塗金□鏡もこの地域出土のもの
(一貴山銚子古墳)。
奴国が優遇され、伊都国が没落したというようなお話は、考古学的にいかに
おかしいな話かが分かると思います。
61 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:18:16
>>904 いや、古墳前期の三雲遺跡ほか糸島の遺跡の韓式系土器の出方は、西新町に完全に負けてるよ。
そもそも、古墳前期では、それほど「大量に」出てたっけ?
他の地方よりは、そりゃ、勝ってるけど。
その奴国重視の論者も、伊都国が没落した、とは言ってないと思うけど。交易の主要ルートが変わった、と言ってるだけ。
>>905 単純に前期前方後円墳が多いのなら、播磨あたりも凄く多い。
しかし糸島もそうだが、規模が小さいもの系列がやたらある。
むしろ、糸島内での階層的統制がなされていないのでは?
それに、糸島の前期前方後円墳で、初頭の時期って意外と少ない。
多数あるのは、前期中頃以降ががほとんど。
古いと思われていた井原1号墳なんかも時期が下ったみたいだし
62 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:20:07
>974
一部の跳ね返りや田舎の自称考古学者(実はしがない地方公務員や
高校教師)以外のほとんどのまともな考古学者が神武東征などとい
う後世の捏造を否定し、倭王権が畿内の地から発生しているという
考古学的な事実を冷静に受け止めているということだけで十分でしょう。
63 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:20:56
>963
>非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
>その時期をいつとみますか
>また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
>お考えをお聞かせください
ありがとうございます。
最初の前方後円墳=箸中山古墳の築造前後が倭王権成立の時期で
しょう。まともな大学の研究者の間では、3世紀後半とみるのが
普通です。これを普通でないと宣う田舎の埋文の連中もいますが、
完全に無視してもかまいません。
記紀については津田左右吉など多くの文献学者の研究により特に
応神天皇以前の記述についてはほとんどが後世に捏造されている
ことが判明しています。捏造なのですから、逆である意味を詮索
するまでもありません。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 10:22:24
△が国産鏡なのは常識だが?
いや最初の100枚は卑弥呼がもらった舶載鏡だがな。
残りの500枚は下手なコピー鏡だ。
下手過ぎるんだ。
>53
そうですね。
密な交流があっただろう、と言うくらいは異論も無いでしょうけど、
「連合関係」の存在となると、
単なる一仮説に過ぎないでしょうね。
66 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:32:19
>64
素人は帰れ。
森浩一の国産説は既に学説史上の存在でしかない。
67 :
前スレコピペ:05/02/19 10:39:34
[943]日本@名無史さん<>
05/02/18 13:40:51
このスレはだめだな。しょせん考古学専門、古代史素人の集まりにしか見えない。
失笑を買っているぞ。
[944]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 14:05:14
>>943 だな。ただ考古学の成果を発表するだけにしてほしい。
ここの連中の文献解釈はイタすぎる。
[945]日本@名無史さん<>
05/02/18 14:05:16
↑九州説の断末魔
[946]日本@名無史さん<>
05/02/18 15:43:11
日本史板で考古学議論するから荒れるのだ
[947]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 15:45:23
そうだ次スレは考古学板へドゾー
[948]日本@名無史さん<>
05/02/18 15:51:13
魏志を普通に読めば、畿内自生説はなりたたない
考古学の成果を普通に読み取れば、魏志倭人伝が書かれたころ畿内に大国があった
[949]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 16:46:26
>>948 いや、普通に成り立つよ。
[950]名無しさん@お腹いっぱい。<>
05/02/18 20:50:36
いや畿内説は成り立たない。
肝心の古墳が何世紀かすら調査してないのだから。
成り立つも何も話にならない。
[951]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 21:06:16
いつも畿内説側から九州説を野次る荒らしが出るな。
いいかげん比定地論争はやめてほしいね。
[952]日本@名無史さん<>
05/02/18 21:58:49
九州説=古田電波
[953]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:00:03
安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
日本において大和朝廷の誕生に権力移動を持ち出す必要は
全くない。
鉄器の普及、農業生産力の向上による階層分化こそが
大和朝廷という「国家」を誕生せしめた。これが妥当な
解釈でしょう。
大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。
[954]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 22:01:49
なぜ魏志と発掘成果の齟齬を考察する香具師がいないのだ。
そこから目を背けるのなら、マジで次スレは考古学板に立てるべきだ罠。
[955]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 22:07:59
>>954 はぁ?「魏志と発掘結果の齟齬」?なにを逝ってるんだ?
[956]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 22:08:10
魏志には畿内が記載されていないだけですが何か?
[957]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:08:25
>難しい問題ですが、特に伊都国は女王国がけん制していますから、
>伊都国が主体と言うのはどうでしょう?伊都国の王がそのまま倭王なら、
>「乱れて歴年主なし」「共立す」というのがおかしいでしょ。
>確かに伊都国の祭祀要素は継承してますが。
>むしろ最近は奴国が東の勢力と結んだと言う説があり、面白いと思います。
そのとおり。北九州は、先進性ゆえの分裂や仲間割れにさらされていた。
アプリオリに先進性を持つ地域が後進的な地域を征服すると仮定を置くのは
あまりに安易ではないか。
たとえばスパルタ址は考古学的にはアテネはおろかギリシャの中でも非常
に貧弱な状況にある。しかし文献資料は、スパルタがギリシャ随一の大国で
あり、豊かなアテネを倒したことを記しているし、それを疑う者はいない。
たとえば中国史など公平に見れば辺境部の勢力が先進的な中心部を倒す事例
が多い。これは人的資源、精神的規律、戦術面で辺境部の方が優れているこ
とが多いことによると思われる。このモデルを日本に応用するならまさに
物質的に劣位であるがスパルタと同じく富の集中を規制する強い共同体規律
を持ち、同一の文化圏であり後背地域である東海地域の膨大な人的資源を活
用しえた辺境部である畿内勢力が先進地域であるが故の腐敗や精神的弛緩な
どがあった思われる九州を打倒したと見ることができるのではないか。
[958]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:10:07
>>953 >島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
ソースをお願いします。現在でも関東と関西は文化的な違いが残ります。
>安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
記紀の伝承は史実の反映がないとお考えか。ならば、その根拠は?
>大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
同意
>であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。
ソースは?記紀及び倭人伝を無視する訳は?
[959]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:12:40
>ただ、土器の地域色とか弥生からありますよね。
>そして、古墳初頭には一時かなり違ってしまった実態がありますが、知ってますか?
倭王権が成立してからの話したって意味ないでしょ。
弥生後期の畿内勢力による北九州分裂とやらの考古学的証拠が必要なん
じゃないの。そんなのないと思うけどさ。
[960]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:15:49
>>957 非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
その時期をいつとみますか
また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
お考えをお聞かせください
[961]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 22:19:05
>>956
それは大いにありえる。てかそれが一番自然と思う。
[962]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:23:25
958
>島国であり関東以西についてはほぼ文化的に均一であった
>ソースをお願いします。現在でも関東と関西は文化的な違いが残ります。
生産力の要である鉄器については、弥生後期に関東以西では斉一的に普及し
たことは一部の跳ね返りを除く多くの考古学者が認めるところです。
>安易な権力移動の想定は英雄史観にすぎないね。
>記紀の伝承は史実の反映がないとお考えか。ならば、その根拠は?
全くないです。九州南部のような全く考古学遺跡がない地域が倭王権を
形成できると見るのは単なる電波でしょう。南を北としても平原などは
墳丘規模橿考研の河上前副所長の言うように単なる単なる富裕層の墓に
すぎず、先進性故に堕落と分裂にさらされた北九州も候補足り得ない。
>>大和朝廷は畿内に発生したことは疑いがない。
>同意
当然の帰結を述べたまでです。
>>であればその母体は、畿内社会であるべきだよ。
>ソースは?記紀及び倭人伝を無視する訳は?
記紀は7,8世紀に権力の側で都合良く捏造されたものにすぎず、
古墳時代の実相は何も含まれていないと考えるべきです。
[963]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:30:56
>963
>非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
>その時期をいつとみますか
>また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
>お考えをお聞かせください
ありがとうございます。
最初の前方後円墳=箸中山古墳の築造前後が倭王権成立の時期で
しょう。まともな大学の研究者の間では、3世紀後半とみるのが
普通です。これを普通でないと宣う田舎の埋文の連中もいますが、
完全に無視してもかまいません。
記紀については津田左右吉など多くの文献学者の研究により特に
応神天皇以前の記述についてはほとんどが後世に捏造されている
ことが判明しています。捏造なのですから、逆である意味を詮索
するまでもありません。
76 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:47:28
マキムク直前期(勝手に言葉を作ってしまったが)
考古学的に証明できる(異論はあるが)政治的ブロックは、
わかりやすくデフォルメするとだな、
@イト帝国(北・東・中九州、西四国、西瀬戸)
→卓越した首長が存在(平原、中国王朝による承認)
Aイズモ連邦(山陰地方)
→卓越した首長の存在は不明だが、墳墓の共通性から
政治連合が想定される。
だけ。
東瀬戸は、せいぜい楯築があるから吉備内くらいは統一
してたかもという程度。それすら疑問視する学者もおる
くらいでな。播磨やら東四国との政治同盟は、全く藪の
中でしかないわな。
で、畿内はというと奈良盆地が統一されていたかどうかも
怪しいという状態だ。
なので九州が嫌いな人は、出雲東遷を唱えた方がよろしい。
西谷4号というステキなのもあるからね。
[964]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:31:24
>>962 >生産力の要である鉄器については、弥生後期に関東以西では斉一的に普及し
たことは一部の跳ね返りを除く多くの考古学者が認めるところです。
経済圏と文化圏はしばしば異なります。この質問は民俗学的な意味でなされたのだと思いますよ。
確かにこれじゃ、失笑を買いますね
>古学遺跡がない地域が倭王権を
形成できると見るのは単なる電波でしょう。
記紀を読んだことはありますか
[965]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:35:33
>959
そもそもイト倭国って後期には帝国化してるぞ。
柳田さんの伊勢湾までってのは行き過ぎにしてもさ。
北九州内の分裂ってぶっ飛びすぎた解釈だよ。
限りなく終末に近い平原っていったいどう考えるんだろ。
[966]ゴジンム<sage>
05/02/18 22:43:06
>>963 捏造の論の理由は?
[967]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:46:09
皇国史観主義者が一匹いるな。
[968]960<>
05/02/18 22:47:08
>>964 応神以前に捏造が多く含まれるのは、その通りです
どうせ捏造するなら、権力者に都合の良いようにするものです
ここは伝統ある九州の出身を詐称して権威づけをしたと見るべきでしょうか
しかし、神社伝承などとの整合性も押さえる必要がありそうです
改めて、なかなか貴説はおもしろいですね
[969]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:47:54
>966
単に自らの権力の正当化でしょう。
[970]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 22:51:41
やっと日本史板らしくなってきたな。考古からの出張組も
>>953>>957みたいな感じで頼むわ。
[971]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:53:36
>968
面白くもなんともないですよ。考古学及び文献では
普通の定説ですから。諸先輩が地道な検討を重ねて
作り上げたものです。
このスレッドの素人が崇拝している北條や寺澤は傍流
ゆえの安易な思いこみや乱暴な短絡さがあり、それゆ
え素人に人気があるんでしょう。
たとえて言うなら学界版安本美典ですね。
[972]司会2<>
05/02/18 22:55:52
そろそろ次スレッド立てます。
[973]日本@名無史さん<>
05/02/18 22:56:59
騎馬民族説がなぜ出ない。
[974]ゴジンム<sage>
05/02/18 22:57:25
>>968 記紀の記述のことか?そうならば、應神以前のどこの記述がどういうわけで捏造なのか?
[975]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:00:34
>>968 畿内王権が欲しかったのは名門落ちぶれ九州の血統だけだったのだろうな。
政略的入り婿をさせた後征服したとなると、考古学による「東遷の証拠なし」と記紀が矛盾しない。
九州王朝は電波だが、九州の残党を中国、台湾の関係における台湾と仮定するとよいかも知れない。
後の磐井だ。
[976]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:01:56
イト倭国は、所詮虚妄だろ。
影も形もない。
[977]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:06:28
>974
一部の跳ね返りや田舎の自称考古学者(実はしがない地方公務員や
高校教師)以外のほとんどのまともな考古学者が神武東征などとい
う後世の捏造を否定し、倭王権が畿内の地から発生しているという
考古学的な事実を冷静に受け止めているということだけで十分でしょう。
[978]968<>
05/02/18 23:06:30
>>974 例えば
景行 本来は九州統一王
[979]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:10:01
>>977 倭王権=大和朝廷≠邪馬台国
とするなら九州説の諸兄にも異論はないでしょう
[980]ゴジンム<sage>
05/02/18 23:11:17
淤斯呂別尊の九州行幸の件はわかった。
それが何故、捏造なんだ?
[981]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:13:20
大和朝廷の王とされているから
[982]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:13:46
誰か新スレッドたてろや。
[983]ゴジンム<sage>
05/02/18 23:14:48
具体的捏造の理屈が出て来てない。
[984]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:15:25
最後は畿内自生説の完全勝利で終わったな。
北條信者は完膚なきまで論破され、消え去った。
[985]↑<sage>
05/02/18 23:18:17
誤解だな
[986]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:19:58
>>984 確信犯的アラシでないのなら、そういうレスは不要。
このスレの結論は例えば975が成り立つだけで、敢えて言うなら「九州王朝すら否定できていない」
[987]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:21:29
>>984 だから王統と構成民の系統は区別したほうがいい
[988]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:21:39
次スレッドこれでいいか??
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみ
改めること。
[989]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:22:12
どうも他説への否定に粘着する変なのが一人いるな。司会のコテハンは辞めたのか。
[990]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:24:17
畿内自生説の完全勝利万歳。
[991]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:25:39
988で次スレッドたてていいか?
[992]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:26:43
誰か早く立て炉や。
[993]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:27:05
排他的粘着は退場されたし
[994]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:27:15
もうすぐおわるそ
[995]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:27:53
>>988 独善すぎる
[996]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:28:25
>>988 マジメにやれ(笑)
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
畿内勢力が先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)考古学板ではありません。記紀や倭人伝への考察を忘れずに。
6)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう
[997]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:28:32
ちおp
[998]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:29:33
>>996 賛成。スレ立てヨロ!
[999]日本@名無史さん<>
05/02/18 23:29:57
次スレッドこれでいいか??
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べる
こと。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思
いこみ改めること。
[1000]日本@名無史さん<sage>
05/02/18 23:30:26
だめ
[1]2248#<>
05/02/18 23:58:37
>>2 [2]2248#<>
05/02/18 23:59:58
倭王権樹立の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)考古学板ではありません。記紀や倭人伝への考察を忘れずに。
6)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう
[3]2248 ◆mKnFQ6unGk <sage>
05/02/19 00:03:09
スレ立て慣れないのでテンプレが
>>2に。
しかもトリップが、、、、
逝ってきます
[4]日本@名無史さん<sage>
05/02/19 00:40:35
もっと出来の悪いスレが立ってるぞ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108740461/
87 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:56:49
88 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:57:09
マキムク直前期(勝手に言葉を作ってしまったが)
考古学的に証明できる(異論はあるが)政治的ブロックは、
わかりやすくデフォルメするとだな、
@イト帝国(北・東・中九州、西四国、西瀬戸)
→卓越した首長が存在(平原、中国王朝による承認)
Aイズモ連邦(山陰地方)
→卓越した首長の存在は不明だが、墳墓の共通性から
政治連合が想定される。
だけ。
東瀬戸は、せいぜい楯築があるから吉備内くらいは統一
してたかもという程度。それすら疑問視する学者もおる
くらいでな。播磨やら東四国との政治同盟は、全く藪の
中でしかないわな。
で、畿内はというと奈良盆地が統一されていたかどうかも
怪しいという状態だ。
[5]日本史@名無しさん<sage>
05/02/19 01:00:08
向こうは酷いね。
つうことで誰かあっちの削除依頼だしてけろ。
[6]日本@名無史さん<>
05/02/19 01:08:56
あっちに客とられたな。
[7]日本@名無史さん<>
05/02/19 01:11:24
本スレあげ
[8]日本@名無史さん<>
05/02/19 03:23:57
荒れた方は、ほっといて、こっちで真面目に語ればよい。
[9]日本@名無史さん<SAGE>
05/02/19 10:07:20
ここで、亡命百済人・天武のこと語っていい?
90 :
日本@名無史さん:05/02/19 10:58:23
なので九州が嫌いな人は、出雲東遷を唱えた方がよろしい。
西谷4号というステキなのもあるからね。
>>90 国譲りの前に東遷勢力があって、それが祖国に国譲りを強要した、ということですか
削除依頼だしますた
93 :
日本@名無史さん:05/02/19 11:30:09
そういえば記紀には九州以外は出雲の話ばっかだね。
これも倭王権の権力構造を示してるのかもね。
94 :
日本@名無史さん:05/02/19 11:56:03
発展段階論はマルクスの妄想なので世界中どこにも当てはまりません。
逆に、マルキストは世界中どこでも当てはめようとして四苦八苦w
95 :
日本@名無史さん:05/02/19 11:57:47
マルクス主義史観はなくなってしまったけど
そのかわり石母田みたいに国家全体を語るような大きな視点を持つような研究が
なくなってしまったらしい、とあった
まあそもそも分野が細分化しすぎてしまったってのもあるけど
ただ今出ている東京堂出版の日本史講座ではまえがきでマルクス主義について
失敗であったと書いてあるけどなんとなく未練が感じられる
96 :
日本@名無史さん:05/02/19 12:02:48
露骨に左翼に媚を売る論文は少なくなった。しかし、以下のような状況がある。
@日本の権力者のキズを拡大して宣伝する。
A自分で仮説を立ててから、関連史料を仮説に都合がいいように解釈する。
Bなぜか韓国人の学者に譲歩する。
C戦前の研究を軽視する。
D師匠の学説を継承する。
Eしかし、師匠が死ぬと、冷淡になる(具体的には師匠の著作集を出版しない等)。
くだらねー議論だな。ま、予想通りというか。
学術をかたらねー馬鹿は思想板逝けよ。
>1の排他的・独善的・蔑視的態度は、荒らしを呼び込むばかりだと思う。
このスレは捨てたほうが良い。
>>18,
>>38,
>>44,
>>54 こっちが忙しい間に一人でスレッド埋め立てしただけだろ?
ここは君の自慰スレか?
後でゆっくり反論するから待ってろよ。
大体こいつ同じこと何度もコピペしてるが、いずれも前スレで反論されている根拠ばかり。
答えにつまると「こっちは主流派だ」「お前らは傍流だろ」「皇国史観だ」などと叫ぶだけで中味がない。
お前こそファッショ(全体主義者)だと言ったらそれを認めたような発言してたし。
意外と、最近の調査成果やそれを受けた学説動向をちゃんと理解してないオジサンなのかもしれんな。
>>15 おいおい安本と一緒かよ?
あのな、大体ここで盛り上がってる自体、寺沢や北條、村上が影響力あるということだ。鏡台や飯台の若手だって批判的せよ(一部には共感的な人もいる)引用せざるをえない状況だろ?
あんたが「偉大な先輩」とする近藤義郎が吉備東遷説に鞍替えしてるだろ?
大体、畿内が弥生から優位だったとしてたのは、古墳以降の繁栄を勝手に遡らせた「思い込み」じゃないか。
今はほとんどの根拠がやばくなっている。
そもそも、逆に聞くけど、小林、佐原、近藤、都出などの伝統的自生説そのままでいいとする若手をあげてみろって。
>>98 排他独善粘着はここの1じゃないよ
>>12とそれ以下恣意的なコピペしている香具師がそう
ここまでくると学術以前に、言論圧殺というか、いやはやなんとも
ここの1は私と同じ気持ちで立てられたのだと思う
>邪馬台国論争・九州王朝ネタ・神武伝承等は専用スレへ。
が大問題だ。邪馬台国論争のうち、特に比定地論争をやめましょうと
いうだけであって、念のため邪馬台国論争は他スレに誘導するもの。
九州王朝説だろう九州説だろうと神武説話だろうと、考古学的
事実をしっかり踏まえた畿内王権論なら一向に構わないだろう。
下らぬ排他主義が、ドンドン荒らしを招くのだ。
>>101 >九州王朝説だろう九州説だろうと神武説話だろうと、考古学的
事実をしっかり踏まえた畿内王権論なら一向に構わないだろう。
学問板の名において同意。
ただし、比定地論争は専用スレがあり、棲み分けが望ましい。
九州説者が論じるから排除、というのは反対。
「私は九州説ですが、記紀、考古学成果から以下のように考えます」
「異議あり。その考古学成果からは以下の推論が成り立ちます。よって私は畿内説です。」
「なるほど、畿内説の立場からはそう読み取れますね。しかし魏志倭人伝によるとこうとも考えられます」
「両者の説を総合すると、以下の仮説に蓋然性があると思われます。」
「東遷説ですね。(以下略)」
というような流れこそ学問と考えます。
103 :
92:05/02/19 15:45:33
削除依頼だしたからもうカキコするな
>103 削除依頼、乙です。
まあ、削除前の雑談モードでなら利用してもよかんべ。
>102 そういう幅の広いスタンスもあるよね。
しかし、今の流れじゃ荒れることは、間違いないよ。
意見交換、言葉のキャッチボールを楽しむには、適度な距離感が必要なんだよ。
あまりに離れすぎてるとラグビーのキック合戦みたいにワンパターンな展開にしかならない。
「お前はそう思うだろうけど俺はこう思う」ってだけじゃ、話は進まないんだよね。
ここまで話が進んでるんだから向うを削除したらいいと思うが
話は何も進んでいない。コピペだけ。
107 :
前々々スレ940#:05/02/19 22:28:09
>似非方丈さんや、1さんなどのまともな論者へ
削除依頼が出たということは、いずれここは確実に無くなるので
移動されたほうがよいと思います。
間違えてENTERしちまった・・・。
しかもageてるし・・・スマソ
>>104 多分荒れているのは立場や自説の違いのせいじゃなくて
おかしな香具師が何人か紛れ込んで、わざとやってるのだと思う。
老教授をはじめ何人かの指摘にあったように、古いタイプの自生説を主張するふりしてね。
俺も素人なので偉そうなことはいえないのですが、石野氏などの
唐古・鍵影響説なんかが現在の自生説の主流だと認識しています。それが正しいのかどうかは別にして。
たちの悪い香具師が立場を偽ってカキコするような荒らしは、過去スレでもありました。
ちなみに考古板で「邪馬台国スレ」を立ち上げて、畿内説を隔離しようと画策した香具師もいたっけ。
どうやらコテハン・・・似非方丈氏、老教授氏、豊前説氏などの「まともな論者」が
「実のある議論」をするのが面白くないといった、嫉妬粘着が張り付いているようです。
俺が番号コテを希望したのも、コイツが荒らしにくくするためでもありました。
どうか粘着荒らしの妨害にめげずに、今後もいろいろご教授ください。
>>108 書き込み時間や論調から見て、アラシは一人と感じている
しかし、そのアラシが主張している説が実は「貶めたい」説だとすると、異常と言わざるを得ない
かなりの時間と労力と神経を使ってることからな
>>109 いや、本気でそう(古い自生説)思ってるんじゃないか?
少なくとも漏れはそう思った。
最近の論調が我慢ならない年輩の人と思うが、どうよ?
自生説以外は皇国史観とかね。
>>109 そうか、一人だとしたら・・・いやそちらの方が辻褄が合う。
その異常性とへそ曲がりさについては、過去スレで思い当たる節が随所にあるんですよ。
そいつは自説は別にして(相当古代史に詳しい香具師だとは思うのだが)
自分をないがしろにして議論が進む状態が我慢できないといった
なにか薄ら寒いモノを感じるんですよ。
だからその時々の話題の中心になってるコテに異常なほどの粘着反論をして
スレの混乱を見て楽しんでいるとしか思えないのですが。。。
>>110 もし本気でそう思ってるのなら、認識不足を改めて欲しいですね、そいつには。
自生説にしても他地区影響説にしても、皇統が万世一系だとは誰も考えていないのだから。
(三王朝交代説なんかじゃなくて、古墳編年から導き出された説ですが)
つまりは歴史に思想を持ち込みたいわけですかね・・・不毛だ。
>>111 そう、アラシは1人、なおかつ
>>110が正しい。
なぜなら、大御所の自生説の専門的論文からの引用がきわめて正確だからだ。
逆に、ただ古代史に詳しい香具師なら最近の北條や寺沢や村上をしっかり読んでいるはずだが、どう見ても、ちゃんと読んでいるとは思えないしまともな引用していない。
自分の考えと違うからナナメ読みして勝手に理解し、「正しく理解したくない」というところだろう。
一方、真面目な研究者なら真面目に反論するはずなのだが、それもないということは、
>>109のいうように相当性格悪いへそ曲がりな香具師と思う。
113 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:02:32
北條先生
お暇であれば、是非書き込みお願いします。
似非方丈は来るかもしれないけど北條先生本人は来ないだ炉
いずれにしても自説の書き込みする時はできるだけコテハンないしレス番号仮ハンをするべきだな。
115 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:17:08
>99氏
横レスで恐縮だが、
>あんたが「偉大な先輩」とする近藤義郎が吉備東遷説に鞍替えしてるだろ?
近藤先生の講演(違ってたらすいません。)でのわずかな発言で「転向」
とまで言えるのかな。そこまではっきりおっしゃってないと思うが。
>大体、畿内が弥生から優位だったとしてたのは、古墳以降の繁栄を勝手に遡らせた「思い込み」じゃないか。
>今はほとんどの根拠がやばくなっている。
>そもそも、逆に聞くけど、小林、佐原、近藤、都出などの伝統的自生説そのままで
>いいとする若手をあげてみろって。
少なくとも樋口先生、都出先生のお弟子さんである岡村秀典先生、
福永伸哉先生とも畿内の地元勢力が大和王権に成長したという従来
のモデルは変えてないと思うが。
それとも最近両氏は、これについて何か発言してたのでしょうか。
なんやかんや言いつつ、削除される前に消費されそうな勢いだ。
>書き込み時間や論調から見て、アラシは一人と感じている
>しかし、そのアラシが主張している説が実は「貶めたい」説だとすると、
>異常と言わざるを得ない
>かなりの時間と労力と神経を使ってることからな
いや正直、畿内自生にしろ外部勢力侵攻にしろ仮設に過ぎなくて、
お互いの弱いところを指摘し合うのは当たり前だと思うが。
アラシ認定するほどのものじゃないよ。
老教授にしつこく絡んだ、伊都国東遷説の人に比べたら大分良心的だ。
自生説を「古い」の一言で切り捨てるのはどうかと思うし、
スパルタの喩えは頷かされる部分も多かった。
大体、外部勢力説の人も、その主体がどの国なのかの明確な答えも
提示出来ていない段階だよね。
118 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:30:04
>96
韓国と言えば、Y田氏が弥生時代から韓国南部は倭ですって論文
書いてたよな。でもって、火病って反論してきた朝鮮人を卑怯者
呼ばわり。確かに大学じゃあサヨだらけだからこんなことできないよね。
県だといいのかね。
119 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:33:31
>117
そりゃそうだね。
今のところの現実として、KKKですら主流は邪馬台国畿内説かつ自生説
だよ。違うの寺澤さんだけですよ。飛ばされちゃったらしいし。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/20 00:36:40
>>>
少なくとも樋口先生、都出先生のお弟子さんである岡村秀典先生、
福永伸哉先生とも畿内の地元勢力が大和王権に成長したという従来
のモデルは変えてないと思うが。
>>>
だから駄目なんだ。
その地元の畿内勢力はどこから来たんだね?
銅鐸族が紀元前からいた畿内に。
121 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:43:59
>マキムク直前期(勝手に言葉を作ってしまったが)
>考古学的に証明できる(異論はあるが)政治的ブロックは、
>わかりやすくデフォルメするとだな、
>@イト帝国(北・東・中九州、西四国、西瀬戸)
>→卓越した首長が存在(平原、中国王朝による承認)
>Aイズモ連邦(山陰地方)
>→卓越した首長の存在は不明だが、墳墓の共通性から
政治連合が想定される。
>だけ。
>東瀬戸は、せいぜい楯築があるから吉備内くらいは統一
>してたかもという程度。それすら疑問視する学者もおる
>くらいでな。播磨やら東四国との政治同盟は、全く藪の
>中でしかないわな。
>で、畿内はというと奈良盆地が統一されていたかどうかも
>怪しいという状態だ。
では、畿内はインディアン時代の北米大陸のようなものか?
122 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:45:48
>120
いきなり駄目と言われても困りますね。
なんで駄目なんでしょうか。
お二人とも立派な実績を持ってる研究者ですよ。
結局、外部勢力説の人たちは、「畿内でない何処かの国が倭王権を
造った」という説なのね。
西日本が交易を通じて等質な文化圏を生み出していたと考えれば、
別に何処の国が倭王権の主体であったとしても良いと、俺は思う。
あえて畿内のみを執拗に否定するという態度に、疑問を感じるな。
なんかイデオロギー的なものがあるのか?
それとも、主流を否定した新説をブチ上げたい、若手学者の功名心が
させていることなのか?
124 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:57:45
>123
根底にあるのは皇国史観復活への野望でしょう。
7世紀の捏造にすぎず何ら歴史的事実を含まない記紀=皇国史観
を考古学という科学的装いのもとに復活させようとしていることは、
森浩一の「記紀の神話学」なる反動的駄文を見れば明らかです。
邪馬台国九州説の消滅で一時期消えたかに見えた東遷説が装いを変えて
復活を目指しているということだと思います。
畿内から同心円状に、高い文化が波及していくさまが
一貫してみられますか?私には見えてこない。
>>115 まず、樋口先生はまず大御所すぎだろ。
確かに近藤先生は吉備東遷説にはっきり転向した訳じゃない。
ただ、かなり迷っているのは事実。
これは以前は考えられもしなかったことだ。
岡村氏は確かにそうだが、その鏡の分布論や伝世鏡論を固執してるとこには批判が多いな。
批判されると私は中国考古学ですからと逃げるし。
ただ、弥生中期から後期に九州が繁栄してたということはさすがに九州にいただけあって認めている。
でもここまではどうみても「若手」じゃないよな。
福永氏はなるほど都出の弟子であり継承者を任じているな。
ただ、北條氏とは同世代の友人でもあり、古墳時代をどう考えるかについて、最近の銀河系政体論とかを採用したことも含めて、相互の影響があると思う。
また著作をみると、ちゃんと寺沢氏や村上氏にも言及してるし、また弥生後期でも九州は衰退せず交易ルートを管理していたということを認めている。面白いのは岡村氏と違って平原遺跡を弥生終末の可能性があることを認めているところ。
したがってこれまでの単純な自生説とは一線を画す。ただし村上氏の鉄器論に対する反論はかなり苦しいですが。
それと、岡村氏とか福永氏ってもう「若手」じゃないような気もするけど、「若手」って何歳ぐらいまでなのかしら?
127 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:02:52
>西日本が交易を通じて等質な文化圏を生み出していたと考えれば、
>別に何処の国が倭王権の主体であったとしても良いと、俺は思う。
等質じゃないって何回も指摘されてんじゃん。
政治的には88の言うとおり、国家形成?の成熟度に全く違いがある。
経済的にも北九州が圧倒的で、その次が北九州と交易している日本海側、
畿内はこれらに比べれば全く劣る状況ってのは考古学的に証明されてる
だろ。いいかげん事実を直視しろよ。
>>127 >経済的にも北九州が圧倒的で、その次が北九州と交易している
>日本海側、畿内はこれらに比べれば全く劣る状況ってのは考古学的
>に証明されてるだろ。
それはその通りだと思うけど、だから何が言いたいの?
「伊都国が東遷して畿内王権を樹立した」と言いたいわけ?
横レスですまんが、九州と畿内の共通した地名群は只者ではない。
東遷でなく東征や、移住はあったのではないか?
>>117 スパルタの喩えで頷くなよw
畿内がそうであった根拠は結局ないんだから。
それに外部勢力説はどこが主体か答えが無い、って言うが、
ことの正否はともかく、主に伊都国説と吉備・東部瀬戸内説が有力と思うが。
それにお互いの「指摘」の仕方が時に粘着で誹謗中傷や紋切り的になるのはどうかということ。
伊都国説もそういうところあったが、自生説厨房はもっとひどいだろ。
>>118については、
>>119そういうのを中傷という。
学説が原因で異動したわけじゃないだろ。
それをいったらKKが博物館に閉じ込められたのも勝手に解釈すれば飛ばされたのか?
大体KKKの各人に意見聞いたのか?今尾氏なんかは寺沢説に近いと思うが。仮に自生説が主流だとしても何も書いてない人たちはカウントに入らないと思うが。
>>123 だから等質的な文化ということが疑問。
弥生後期の鉄器の普及度、質・量は村上氏の言う通り基本的に西高東低。これに実証的に反論しろよ。得意の考古学でさ。
>>123,
>>124また自生説厨房の書き込みかよ。
>>124なんか根拠のない皇国史観陰謀論に過ぎない。
いい加減やめろって。全く腹が立つは。
こいつも結局これしか言えないもんな。
実証的に反論しろって。古くからの言い草じゃない根拠でな。
銅鐸が近江が中心っていう説があるけど、あくまで仮説だから。
「銅鐸の中心地は最後まで銅鐸に固執していた筈」っていう思い込みが
あるよな。
「畿内が銅鐸祭祀を自主的に捨てて、古墳を築造した」っていう発想は
ないのかな?
132 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:20:46
>129
まあ、そういうことだろうな。
「イデオロギーは西から」だからね。
>>131 一方で銅鐸の分布の中心で、銅鐸を管理してた中心勢力が古墳成立の鈕新勢力と言ってるが。
都合よく立場を変えるなって
ただ、近江が突線鈕段階の中心だって言うのは実際有力と思うぞ。
134 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:24:56
>129
それ地名学者が言っているだけだよ。
弥生時代の奈良盆地の集落はほぼ完全に改変されたことや
銅鐸に代表される畿内文化がほぼ完全に消滅したことから
しても地名の変更がなされた可能性はありますがね。
135 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:26:39
>非常に説得力がある論で、検討に値すると思われます
>その時期をいつとみますか
>また、記紀の記述がその逆な訳をどう解釈したらよいでしょう
>お考えをお聞かせください
ありがとうございます。
最初の前方後円墳=箸中山古墳の築造前後が倭王権成立の時期で
しょう。まともな大学の研究者の間では、3世紀後半とみるのが
普通です。これを普通でないと宣う田舎の埋文の連中もいますが、
完全に無視してもかまいません。
記紀については津田左右吉など多くの文献学者の研究により特に
応神天皇以前の記述についてはほとんどが後世に捏造されている
ことが判明しています。捏造なのですから、逆である意味を詮索
するまでもありません。
>弥生後期の鉄器の普及度、質・量は村上氏の言う通り基本的に西高東低。
>これに実証的に反論しろよ。
別に反論しようとは思いませんが。
西高東低なのはその通りだし。
ただ、鉄の多寡だけで国の優劣がついたなんて、余りにも単純な
史観だなあ、と。
政治や外交って、もっと複雑なものですよ。
>得意の考古学でさ
ごめん。オレ考古学苦手だわw
137 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:29:23
先生質問です。
>銀河系政体論とかを採用したことも含めて
ってどんな説ですか。
詳しく教えて下さい。
138 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:29:57
>>134 地名学者をとりわけ無視するのも学問的ではないわな。
歴史時代に地名群をセットで移植した形跡もないし。
>130
「人口」はどうよ?
少し古いが、小山修三さんのデータなんかだと
畿内>吉備>北九州だよね。
>九州と畿内の共通した地名群は只者ではない。
逆に残り過ぎなんだよ。
同時代を記載した倭人伝の地名の殆どが失われているのに。
おそらくはもっと時代を降った頃に、畿内→北部九州への人の流れが
あったためなのだろう。
141 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:33:07
>>135 はて、そんな定説が根拠をもって示されてたのか?
>特に 応神天皇以前の記述についてはほとんどが
>後世に捏造されている ことが判明しています。
142 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:34:24
143 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:34:27
>ただ、鉄の多寡だけで国の優劣がついたなんて、余りにも単純な
>史観だなあ、と。
>政治や外交って、もっと複雑なものですよ
そうだよ。単純すぎだよ。本当、唯「物」論だね。
関ヶ原の戦いで勝ったのも兵力、経済力に勝り、
豊臣家の後ろ盾のあった西軍でなく、東軍だしね。
国力でなく戦術とか統率力の差が実際の国家の勝ち
負けを決めてきたことを無視しちゃいかんですよね。
144 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:38:42
半島で鉄を取っている勢力が、最有力勢力だわな
145 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:39:04
>140
そりゃおかしいだろ。
他の地方でそういう類似性は指摘されてない。
斉明天皇の遷都の際も考えられるが、近江遷都
なんかもあったから苦しいだろうな。
倭王権成立に伴うと考えた方が合理的だろう。
>>139 これは古いデータ。九州の弥生後期から古墳前期の遺跡が過小評価されている。もちろん近畿の遺跡も増えてる訳だが。
ただ小山修三の人口分布は、遺跡上はどうみても人口密度が大きいはずの博多湾岸や糸島地方が中ランクぐらいになっているなど、おかしい点が多い。一体どういう根拠で作成されたのか?
>>135
伝承の誤りや後世の政治的作為は否定できないが、応神以前は捏造ってちょっと極端だな。
津田惣吉は崇神以前を否定したんじゃなかったっけ(間違ってたらスマソ)
あと箸墓が3世紀後半というのは、「田舎の埋文」の連中も普通に支持してると思うぞ。それどころか3世紀中頃と言うヤシもおるだろ。
>142
都落ちかどうかは知らんが、大宰府派遣の官人達は多かっただろうね。
あと、斉明天皇の行宮なんかでも、多数の官人が筑紫にいってるよ。
>一方で銅鐸の分布の中心で、銅鐸を管理してた中心勢力が古墳成立の
>鈕新勢力と言ってるが。都合よく立場を変えるなって
ちゃんと読んで。
銅鐸祭祀をしていた人々が自主的に銅鐸を捨てて、古墳祭祀を始めたと
書いてるんだよ。
中心─畿内の銅鐸祭祀が終了した後、周辺─近江では銅鐸祭祀が残っていた
としても別におかしくはないだろ?
なぜ「中心地は最後まで銅鐸祭祀に拘泥したに違いない」と思うわけ?
149 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:41:23
>141
津田がそれに近いことを言っていたのは事実で、当然そ
の弟子達も同じことを言っているんじゃないかな。
問題はそれが正しいかですが。
>>118については、
p://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuudai
に適切なその論争の背景の解説がある。
考古学だけで畿内王権を語ろうとするから、おかしなことになるんだよ。
記紀や倭人伝の軽視は目に余る。
152 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:45:46
最近の研究の結果、近江は、石塚古墳の直接の祖形を出したとされて
ます。銅鐸から鏡の宗教革命は、近江で起こったという可能性も考える
べきでしょう。
153 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:46:59
>152
どこ?>「近江は、石塚古墳の直接の祖形を」
155 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:49:25
>151
逆だ。記紀を無視するなと言ってるのは考古学者の柳田康男や森浩一。
近藤義郎だけが考古学者じゃないの。
>畿内から同心円状に、高い文化が波及していくさまが
>一貫してみられますか?私には見えてこない。
畿内王権が強大化するのは、4世紀末から。
3世紀はまだ有力豪族による大王共立段階。
世襲制の大王家というものは存在せず、有力豪族による大王位の持ち回りが
行われていたのだろう。
>>148 いや、少なくとも小林行雄や佐原真らの従来の自生説の主張は、
最後の銅鐸まで畿内の中心である奈良が主導し、銅鐸の中心勢力であることが古墳時代の中心となる原因であることとなったとしている。
これは形を替えて福永氏も実は継承している。
しかしこれは近江に中心があるなら通用しない。
>>148の説は、調査成果をふまえてこれを修正し(ただし旧来の自生説の根拠を一部否定したことになる)、一見もっともらしく見えるが、
その前に「中心−畿内の銅鐸祭祀が終了」って、だからその前も奈良盆地が中心っていう根拠がそもそも曖昧なことを隠蔽している。
だいたい、末期の大型銅鐸は少ないけど大和や河内にも出土してるので、「周辺−近江」だけに残ったということ自体が成立しない。残念ですが。
それに青銅器祭祀の共有が、祭祀同盟は言えても、首長間の強い政治同盟だったかどうかは別の検証が必要だ。吉備の特殊器台や出雲の四隅のような根拠がない。
158 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:53:05
>152
丸山竜平氏が言ってたと思います。
いずれにせよ、征服行為という人間の負の行為ではなく、
銅鐸祭祀の破棄についは、宗教革命の可能性を想定
すべきですね。
159 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:56:06
先生質問です。
>銀河系政体論とかを採用したことも含めて
ってどんな説ですか。
詳しく教えて下さい。
>153
江戸以降だって筑前・黒田家、久留米・有馬家は、近畿からの移転組みだよ。
161 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:57:50
>156
>世紀はまだ有力豪族による大王共立段階。
>世襲制の大王家というものは存在せず、有力豪族による大王位の持ち回りが
>行われていたのだろう。
世襲云々なんてのは、考古学では証明できないよ。
162 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:58:00
>160
彼らは地名群の改変はしていないね。だめだね。
163 :
日本@名無史さん:05/02/20 02:00:51
>@イト帝国(北・東・中九州、西四国、西瀬戸)
>→卓越した首長が存在(平原、中国王朝による承認)
>Aイズモ連邦(山陰地方)
>→卓越した首長の存在は不明だが、墳墓の共通性から
政治連合が想定される。
>だけ。
>東瀬戸は、せいぜい楯築があるから吉備内くらいは統一
>してたかもという程度。それすら疑問視する学者もおる
>くらいでな。播磨やら東四国との政治同盟は、全く藪の
>中でしかないわな。
>で、畿内はというと奈良盆地が統一されていたかどうかも
>怪しいという状態だ。
吉備は、なんと言えばいいのか。ちょっと遅れているから
キビ土候国(王様はいるが田舎だ。)でよいか?
>>155 そうです。それに自生説粘着厨房が意図的に触れませんが、
小林行雄自身が記紀をかなり意識しているし、引用も多いです。
だからといって自生説の「偉大な先輩」(というか別にふつうに考古学者全員にとって偉大な先覚なのだが)が「皇国史観」のウヨなのでしょうか?違うでしょう。
一応書いておきますが、「ヨモツヘグイ」「古墳発生の歴史的意義」「倭の五王の時代」「神功・応神紀の時代」等々に記紀が触れられまくりです。
>>152 近江の五村墳丘墓のことだろうけど(季刊考古学の最近号の丸山竜平説)、併行関係とか気になるし、ちょっと小さすぎるのが問題。石塚の影響での成立も考えられる。それに庄内併行期(布留0式期は含まない)の鏡ってあったっけ。
>その前に「中心−畿内の銅鐸祭祀が終了」って、だからその前も奈良盆地が
>中心っていう根拠がそもそも曖昧なことを隠蔽している。
まあそれはそうですが、曖昧でない外部勢力説も是非拝聴したいですねw
>だいたい、末期の大型銅鐸は少ないけど大和や河内にも出土してるので、
>「周辺−近江」だけに残ったということ自体が成立しない。残念ですが。
まあ例外はあるでしょ。倭国自体がそんなに統一されていた訳じゃないし、
「銅鐸祭祀を続けたい」とする集落があったとしてもおかしくはない
と思いますが?
166 :
日本@名無史さん:05/02/20 02:05:45
○共同体レベルの祭祀まで破棄され、
○従来の集落が完全に再編され、
○地名までが変えられる
というのはやっぱ征服行為の結果だわな。
九州はいうまでもなく、イズモにせよ、キビにせよ、
従来の地域文化はある程度存続してるもんね。
畿内だけそれが許されなかったわけだ。
>それに自生説粘着厨房が
いい加減に止めんか。
今まで読んだ限りの印象では、自生説vs外部説はガップリ四つ。
外部説の人たちも冷静になって欲しい。
>>159 『考古学研究』の論文集に載ってる。自分で勉強汁!
一応貼っておいてやる。
tp://navian-hp.hp.infoseek.co.jp/ThaiEducation/history.pdf
>>167 いやしかし自生説アラシはまた同じカキコをしているのだが
出雲の青銅器廃棄も、自主的に行なったものだろ?
別に外部の強制がなくても、自主的な宗教改革は可能だと思うが。
外部勢力説の根拠は、どうとでも解釈出来るアヤフヤなものばかりだな。
>>165 というか、よく調べないで思いつきで言っただろ?その説は。
河内では中河内のど真ん中(確か八尾市内)に出てるし、大和も流路出土で本来の埋納場所じゃないだろうが纒向で出てる。
実は、突線鈕銅鐸が大和で少ないので畿内の他に先駆けて古墳社会の前提が準備されていたという説もあったが、実際は出てるし、それについては寺沢氏が「大和弥生社会の展開とその特質」という論文ですでに批判している。
>>170 青銅器祭祀の終焉については、外部勢力畿内王権樹立説の全てが外的強制でやめさせた、と言ってる訳じゃない。
北部九州だって銅矛祭祀をやめている。
問題は、それが直ちに古墳成立の宗教改革と結びつくか、ということ。
鏡重視にすぐ移る、とするのも同様。
仮説としてはありうるが、それぞれの検証が必要。
結局こっちが本スレかよw
>>171 私の書いた内容の弱点は分かりましたが、
それに替わるような、あなたの自説を聞かせてもらえませんか?
>173
いや、これは只の雑談です・・・いずれ削除されます。
・・・って言っても、削除人が躊躇しそうな感じだなあ。
「停止」くらいで落ち着くのかな。
>>174 私の説は寺沢・村上・北條の各説をいいとこ取りしようと思っているが、まだ思案中。
基本的には外部勢力主体共立王権成立説。また交易圏の拡大ということが鍵だと思っています。
スマンが、詳しくはまだ書かないでおくわ。変に書いて揚げ足取られないようにね。
というか、さすがにもう眠い。今日は休戦ということで。
えっと、北條一派が逃げ出したとか書かないようにw
おやすみなさい。
177 :
日本@名無史さん:05/02/20 02:36:41
178 :
日本@名無史さん:05/02/20 02:40:27
邪馬台国はもともと北部九州にあった、そこと対立していたのが、南九州のクナ国。
邪馬台国はクナ国に対して劣勢で、対立が激化しついに卑弥呼まで殺されるに至
ってたまらず、当時辺境だった機内に遷都、伊予を立てる。
九州を追い出された邪馬台国、しかし、それを追って熊襲の皇子、神武も東征、途
中、邪馬台国派の小国を吸収撃破しつつ機内に到達、激戦の末についに機内の邪
馬台国を制し滅ぼした。
神武はそのまま、機内にとどまり大和に分国を作る、これが後年巨大化し九州勢
力も制圧、大和朝廷となったのだ。古代史の真相はこんなところだな。
中国でも、中原を追い出された漢人が南部に遷都するのはよくあることだしな。
残念だが、モロにスレ違い
邪馬台国東遷説+クナ国東遷説かよw
そんなの今どき流行らないな。
マジレスするが、考古学的根拠をあげれ。
それがなければスレ違いなので、本スレに立ち入らないように。
>>174 こいつ、いつになく素直だな。ついでに自生説全体の弱点を自省してくれよ。
>>181 たぶん別人だからだと思いますよ。
もっとマッタリ議論していきましょうw
別人でもいいや。
自生説の弱点を自省して欲しいわ。
>>183 弱点があるのはどっちもどっちだと思いますが。
アンチ畿内自生説じゃなくて、きちんと自説を騙って欲しいものです。
自説を言ってくれたら、きちんと揚げ足を取ってあげますからw
185 :
日本@名無史さん:05/02/20 11:17:26
>青銅器祭祀の終焉については、外部勢力畿内王権樹立説の全てが外的強制でやめさせた、と言ってる訳じゃない。
>北部九州だって銅矛祭祀をやめている
あの、埋納祭祀などはなくなりますけど、一応銅矛は祭器
としては未だに残っとるよ。銅鐸のように完全に忘却された
わけじゃないわな。
だからこそ銅矛だけを残す「宗教革命」なんてのはあり得
ないわけだが。
186 :
日本@名無史さん:05/02/20 11:22:05
終末期の初期国家
@イト帝国(北・東・中九州、西四国、西瀬戸)
→卓越した首長が存在(平原、中国王朝による承認)
Aイズモ連邦(山陰地方)
→卓越した首長の存在は不明だが、墳墓の共通性から
政治連合が想定される。
Bキビ土侯国(岡山県)
→王様はいるが田舎
C畿内インディアン居住区
→集落の村長以上の権威がいない未開地域。
187 :
日本@名無史さん:05/02/20 11:24:59
>津田惣吉は崇神以前を否定したんじゃなかったっけ(間違ってたらスマソ)
>あと箸墓が3世紀後半というのは、「田舎の埋文」の連中も普通に支持してると思うぞ。それどころか3世紀中頃と言うヤシもおるだろ。
箸中山が最初の前方後円墳であることを否定する馬鹿が田舎の自称考古学者
=教員風情に多いのは残念。
最近、奈良県橿原市の曲川遺跡の報道があったけど、どうなんだろ?
畿内在地勢力の考察に変化が与えられたのか?
藤原京を造営する時に、付近の古墳の多くが削られたみたいだけど、
それでマキムク以前の畿内勢力を物語る古墳が失われてしまったのでは
ないだろうか?
189 :
日本@名無史さん:05/02/20 12:22:20
>
>そうです。それに自生説粘着厨房が意図的に触れませんが、
>小林行雄自身が記紀をかなり意識しているし、引用も多いです。
>だからといって自生説の「偉大な先輩」(というか別にふつう
>に考古学者全員にとって偉大な先覚なのだが)が「皇国史観」の
>ウヨなのでしょうか?違うでしょう。
小林行雄ですら旧弊を免れなかったというだけでしょう。
考古学者がいい加減な文献を引用することに批判的な
近藤義郎は、権力によって捏造された記紀神話など引用
しない。
15年戦争を引き起こし、東アジア人民に多大な犠牲を
強いたファシズムの原動力となった記紀神話の引用は
さけるべきでることは考古学者共通の思いであるべき。
まあこんだけ煽られて、外部勢力説の人間が自説(どの国が主体であったか)
を発表できない、っていうのは情けない。
伊都国がいかに強勢であったかは分かったから、そこから論を展開してくれ
ないものか。倭人伝とかの文献も無視せずに。
外部勢力=アンチ畿内説って言われても仕方がないぞ。
191 :
日本@名無史さん:05/02/20 13:12:25
このスレを見てると自生説でないらしいことだけは分かる
普通に考えて九州(邪馬台国)勢力か、大穴で半島南部の倭人勢力
>>190 まあまあ。折角、考古学に詳しい方々が参加してくれているのだから、
余り煽るのは止めよ。
>>187 箸墓が最初の「定型化」した大型前方後円墳であることは「田舎の」考古学者でも認めてるだろ?って書いてるジャン。
だいたい地方の研究者を、言っても無いことを捏造してバカにする態度が気に喰わんな。
何を煽りたいんだか。こいつは。
>>189 その近藤義郎自身、考古学の分析から吉備東遷説になかば鞍替えしたのだが。
村上や寺沢や北條も、記紀を引用してる訳では無く、基本的に考古学からの分析なはずだが。
それにむしろ偏りすぎたサヨ思想は学問の発展の弊害と思うがな。
特定の考えを思想で排除し、特定の考えのみを認めるって、スターリニズムのルイセンコ学説と同じだなw
>>190 だから例えば柳田氏は伊都国主体説、寺沢氏は中・東瀬戸内主体説だろ。発表しているじゃないか。
ただこの問題は北條氏のように慎重に考察していくべきと漏れは思うが。正直なところ、単純自生説よりマシ(より矛盾がない)というところだ。それで今はまだいいのじゃないの?
まあそれと伊都国が強盛であったのは認めたわけね。
少しはアンタも進歩したものだw
まあいまだに同じことを叫んでるのは基本的に進歩がないし情けないのだがw
>>189 とかを読むと、この厨房は本気でこう思ってるんだろうな。
こんなこと言うことが余計に反発招くことに気付いたほうがいいですよ。ちょっと性格悪いし、こんなんじゃ支持の拡大は得られないと思いますよ。
政治的信条を宣伝するなら他の板に逝って下さい。
>>182 「たぶん」別人と言うあたり、本人みたいねw
197 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:03:41
>>190 立派な外部説を構築するだけの考古学的な証拠はまだ充分じゃないだろ。
だからといって後世の継体天皇みたいな政権奪取がなかったと見る証拠は
まったくない。むしろあって当然と考えるべき。
>だから例えば柳田氏は伊都国主体説、寺沢氏は中・東瀬戸内主体説だろ。
>発表しているじゃないか。ただこの問題は北條氏のように慎重に
>考察していくべきと漏れは思うが。
倭人伝の記述より、伊都や投馬(吉備)は邪馬台(畿内)と別国。
伊都に至っては一大卒に監視されている。
考古学だけで考えれば今現在の結論は外部説が優勢、ということね。
まあ分からないではないが、考古学の発見は更新されていくのが
常だから。
トロイア遺跡や殷墟の発見などで、定説が覆ったようにね。
いずれも軽視された文献の信憑性が実証された。
三星堆にしてもそうだ。
いや、本当に天皇陵や陵墓参考地を発掘できたらなあ、と思う。
古代史解明停滞の主要因。
>>188 指摘はもっとも。
考古学の限界、それも素直に認めて欲しいね。
>>198 共立でも一度成立した王権=国家権力は故地であろうが、いや故地であるからこそ力のあるところを監視するのは当り前。
これについてすでに明治新政府と薩摩の関係を例にしてやり取りがあったはずだが。
>>201 はい、じゃあ次は、
「世王有るも皆女王國に統属す」の説明をしてねw
一大率って邪馬台国も「監視」してるんだよなあ・・・・
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。
>>202 「女王」「共立」以後は、「女王」が上位になったということに過ぎない。「倭国」の代表としての「倭国王」は1人じゃないとまずい。
一大率の存在理由の説明と同じ。
伊都国王がヒミコ共立以前の「倭国王」だったから特筆してるだけ。
これは自生説でも東遷説でも共立説でも同じと思うが。
205 :
日本@名無史さん:05/02/20 22:24:04
考古学者がいい加減な文献を引用することに批判的な
近藤義郎は、権力によって捏造された記紀神話など引用
しない。
15年戦争を引き起こし、東アジア人民に多大な犠牲を
強いたファシズムの原動力となった記紀神話の引用は
さけるべきでることは考古学者共通の思いであるべき。
206 :
日本@名無史さん:05/02/20 22:25:11
九州年号は北部九州に圧倒的に多い。それが畿内でも使われているので、畿内も邪馬台国の勢力範囲だったと推測される。
九州年号を捨て、独自の元号を制定したときが畿内王権の始まり。大宝元年(大化の説あり)から畿内が独立したとみたい。
>>205 そういう、「べき」論が学問の発展を妨げてきたという、「歴史」も
事実なんだが。
「何でも結論ありき」の体質を変えないと、日本の学問は破綻する。
208 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:09:44
>岡村氏は確かにそうだが、その鏡の分布論や伝世鏡論を固執してるとこには批判が多いな。
>批判されると私は中国考古学ですからと逃げるし。
>ただ、弥生中期から後期に九州が繁栄してたということはさすがに九州にいただけあって認めている。
>でもここまではどうみても「若手」じゃないよな。
>福永氏はなるほど都出の弟子であり継承者を任じているな。
岡村先生や福永先生が変わらないということは、京大、阪大は
そのままってことですね。
ということはアカデミズムにはあんまり影響なさそうですね。
奈良県kkkや福岡県は元々アカデミズムとは別の世界ですから。
209 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:17:00
申敬K氏と柳田康雄氏の論争
『東アジアの古代文化』72号の申敬K氏「最近加耶遺跡の出土遺物の解釈をめぐる
若干の問題」と同73号の柳田康雄氏の「朝鮮半島の倭系遺物の解釈」との論争を興
味深く読んだ。
これは学問的な論争というよりも、申氏が柳田氏の論考に「驚愕」して個人攻撃
(註1)を行ない、対して柳田氏は申氏に「卑劣な中傷」とやりかえしており、衝
突と言った方がよい
ものである。しかしそれは申氏と柳田氏の個人的な衝突という体裁であるが、韓国
人と日本人の価値観・歴史観に由来するものと私には感じられるもので、両氏の文
章をともに理解できるだけに、やりきれない気持ちを持った。以下、私の体験を含
めて感想を述べたい。
210 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:19:48
このような歴史観を知った上で申氏の文章(註3)を読むと、日本人の多くはかなり理解できるのではないか思う。そして、彼がなぜ誤読(註4)・取り違え(註5)をしてしまうのかも少しは分かってもらえるものと思う。
つまり申氏は、韓国の民族的尊厳に柳田氏が触れてしまったものと感じたのである。
これに対して柳田氏の文章は、日本の歴史学の伝統である実証主義に基づくものであ
る。私が読む限り、彼はごく普通のそして真面目な考古学者であり、彼の見解は多くの
日本の研究者に拒否されるものではないと思う。
現在の国家・民族を射程に入れた上で原始・古代を見ようとする申氏と、
歴史資料を実証の上で自由奔放に(現在の国家・民族にこだわらないで)
解釈していこうとする柳田氏との間には大きな溝がある。これは韓国の民
族主義的歴史観と日本の実証主義的歴史観との摩擦であり、ひいては日韓
両国民の価値観の差異による摩擦であると思う。
(以上転載)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuudai
211 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:27:07
村上恭通のフロンティア説って中国人に野蛮人と思われたくて
野蛮な畿内に北九州に遷都したってこと?
そんなの海外に前例あるの。
だいたい考古学で証明できるのことなのか。
212 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:39:00
鉄器なら論理の飛躍が多い村上氏よりも禰宜田氏の地道な実証研究
を読んだ方がいい。考古学はあくまで地道な実証に立つ学問だ。
若いくせに国家形成など大風呂敷な理屈に手を出すようではいかん。
>>208 考古学の場合は、現場(=実際の考古学資料の趨勢、という意味)を知らぬ象牙の塔と言う感じだな。
アームチェアの考古学といったところだ。
まあしかし、北條らの考えが全く影響なし、ということは無いのでそこは認めろ(実際影響してるし)。
>>211 たしかにここは村上の弱いところだ。その前段までは非常にいいが。
まあ交易網の拡大を絡めた松木の論も中フロンティア拡大説なんだが。
214 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:45:25
村上は、北九州が畿内を制圧したとはっきり言ってるの?
東遷の理由が違うだけで柳田康男と実質的に同じ考えなの?
本当よく分からない。
215 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:47:22
現場の橿考研の方が参照されるのでは?
大学の研究者はつまらん遺跡しか掘らせてもらえない。
216 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:48:05
>>212 またこれもデマだ。
村上の中傷だなこりゃ。
ネギタ氏と同様に、村上氏も地道な研究者だ。
彼の登場により弥生時代鉄器研究のみならず鍛冶遺構の調査研究が飛躍的に進んだことならマトモな研究者ならみんな知っている。
>212は嫉妬しているのだろうW
正確には、村上とネギタを読み比べて、どっちがより正しいか自分で判断してみろ、というのが公平な言い方。
あんた何を狙っているのW
ところで向うの本スレ?は九州王朝説が乗っ取ってるんだけど、どうする?放置しますか?
そうすると結局こっちが本スレなので、削除依頼出した人は取り下げた方がいいかも。
219 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:54:36
主流派=エンゲルス「国家、階級及び私有財産の起源」を聖典とする。
→佐原真、都出ヒロシなど京大系サヨ
反主流派=記紀神話を聖典とする。
→原田大六などアマチュア、森浩一など落ちこぼれ私大組
でよいのですか?
220 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:56:50
>217
禰宜田氏は自他ともに認める立派な研究者ですよ。
どういうところが駄目だとお考えなんでしょうか?
教えて下さい。
>>212 近藤も都出も若い頃から国家形成問題を追求してましたが、何か。
あのね、意図的に曲解するなって。
ネギタ氏も、村上氏も、同様に(二人とも)地道な研究者だ、と書いているが。
その上で二人の論を各自比較してみな、と言っている。
村上氏の詳細を紹介したのは
>>212(まあ>220も同一でしょうが)が事実に基づかないデマを言ったからに過ぎない。
>>218 いかなる説も排除しないスレこそ本スレ。てゆうか乗っ取られた訳ではないよ。
我々の出番だ罠。
>>219 この分類はあまりにも白黒2階調の世界だなw
漏れはどっちにも属したくないな。
しかし、私大だから落ちこぼれ、っていうのが、こいつ前時代的だな
それにエンゲルスって、確かに学史上は重要なものだけど、もしいまだに「聖典」ならこれも前時代的だな。
マルクス主義の原始古代の部分は文化人類学の発展によってボコボコにされたはずなのに、なんで日本だけに残っているのだろう。
225 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:08:53
あそこは、排他主義者が騒いでるだけ。そのうち飽きて落ち着くだろう。
226 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:11:01
>>224 なんで日本だけに残っているのだろう。
日本に工作員が多いから。
>>225 排他主義者というか九州王朝説が騒いでるんだろw
228 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:19:18
>>227 よくみろよ。逆だ。騒いでるのは畿内説派。
>>228 そうだな、つまり九州王朝派が乗っ取ったんで。マトモな畿内派が逆にまるでアラシにみえるということ。
230 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:57:41
記紀神話は出雲、九州の神話ばかり、まともに考えれば大和朝廷機内自生説
なんてありえない。
>>230 九州って言わず、はっきり日向って書きなよ。
232 :
日本@名無史さん:05/02/21 01:29:54
>>229 自分の目で確かめてごらん。どっちが荒らしてるかを良く見てごらん。
流石に九州王朝説はない、と思うが、完全否定出来る根拠もないのが現状。
しかし、九州王朝説が参入すると議論が混乱→低レベル化してしまうので、
別スレで棲み分けするのが賢明だろう。
ここのスレは、畿内=邪馬台国という現在最も主流な前提に立ち、
3世紀の畿内王権の成立・発展を語るという立場でいいと思う。
>>233 別に、九州王朝説が低レベルだと思っている訳ではないので。
念のため。
235 :
日本@名無史さん:05/02/21 02:46:27
>>233の書き方自体、軽蔑心に満ちてるだろう。荒らすなよ。
>>233 は例のアレだよ。アッチのスレでもヒンシュクをかっている。
ヒラメにナマズ入れておくとヒラメが死なないとかいっている
ヤツがいたけど、議論もナマズがいた方が活発かもよ。
なるほど。イエローカードの出番があったほうがいいかも。
>1 名前:1 ◆rNf.uTpSEw メェル:sage 投稿日:05/02/19 00:27:41
>大和・纒向に成立し、全国を古墳時代へ導いた王権について考察するスレです。
>*ローカルルール
>1)日本史板ですので、文献無視ではありませんが、
>邪馬台国論争・九州王朝ネタ・神武伝承等は専用スレへ。
>2)荒らし・粘着・ループは、完全スルー!
>初心者・スレ違いは、適時誘導。
>3)自説発表及び反論は、コテハン&トリップを推奨。
>4)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう
少なくともこのスレッドのローカルルールでは九州王朝ネタは排除されるべきだが。向うのスレでは必ずしもそうでないことになっているみたいだが。
240 :
日本@名無史さん:05/02/21 22:13:14
fっdf
>>233 まあアノ安本が書いたやつなんだが、
『虚妄の九州王朝』梓書院 という本を読んでくれ。
アノ安本でも古田批判だけはマトモなので、読むべし。
もともとの安本のネタ本の『九州王朝はなかった』という本が昔あったが、こっちは今は絶版みたいなので。
242 :
日本@名無史さん:05/02/21 22:34:32
>>233 なーんだ。
結局自分達が、一番邪馬台国にこだわってるんじゃないか
自分達のご都合主義に走りたいから九州ヤシを締め出したいだけ
脊髄反射のように、九州ヤシ見ると『荒し』の連発
九州ヤシは畿内ヤシに対して、そこまで執念深く対応しない
少しおかしくない
>>242 きちんと反論してるのに「荒らし」とはねW
だいたい、ローカルルールで九州王朝説はご遠慮願っているのに、
執念深く入ってくる方が荒らしなのだが。
正直あなた方とはマトモな議論はできないので。
とくに考古学に関して無知すぎるので、ホント、議論にならない。
おかしいのはアナタですよ。
>>235-242 というように、九州王朝説の人が入ると、議論が低レベル化してしまい
ますよねw
何度も言いますが、「九州王朝説が低レベル」という意味で書いて
ませんよ。少なくとも九州王朝の存否議論は、意味がある(あった?)
と思っています。
ただ、九州王朝があったかどうかの議論は、このスレで行なうと
テーマが拡散し過ぎてしまうと思う訳です。
少なくとも、文献学や考古学でマイノリティである九州王朝説側に
説明責任があると思います。無い事の証明は悪魔の証明といって、
証明出来ないものですから。まず九州王朝があったという証明を
専用スレで行なってみて下さい。
このスレは、九州王朝説はとりあえず脇に置いておいて、
畿内説の中でまずコンセンサスを得ようというスレです。
読んで頂いても分かる通り、畿内説も自生vs外部で激しい議論が
なされていますよね。いわば地区予選です。
いずれ地区予選を勝ち抜いた者同士が、雌雄を決する日が来ればなあ、
と思っていますよ。
まあ、100%負けませんがw
>>244-245 いや本当に、王蟲たちに「森にお帰り」と言っている、
ナウシカの心境だなw
>>245 おい、それだと九州王朝はシードかよw?
>>247 恐ろしい祟り神である「九州王朝説様」に帰って頂くには、
それなりに礼儀が必要かと。
>>248 「祟り神」ってのがおもしれーやw
実態がない、というのも祟りみたいなもんかw
>無い事の証明は悪魔の証明といって、
>証明出来ないものですから。まず九州王朝があったという証明を
>専用スレで行なってみて下さい
この指摘は、九州王朝説の方々に真摯に受け止めて欲しいものです。
結局、一部の偏狭な畿内派が、九州王朝説に過激に反応してるだけで
彼らが荒らしの犯人。追放すべきはこのおかしな畿内派だけ。
252 :
日本@名無史さん:05/02/21 23:54:44
諸君
まだキズカンようじゃなぁ
畿内説で内乱しているとき九州諸氏は大陸に朝貢に行きおって『親魏倭王』の、称号を下賜されたようじゃ諸君は
過去の歴史と同じことを繰り返してる
諸君の出番は後、三百年後じゃのう
254 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:00:00
山内清男マンセー
255 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:08:24
なんで勝山掘らないの?
256 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:10:34
なんで勝山掘らないの?
257 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:13:10
村上は、北九州が畿内を制圧したとはっきり言ってるの?
東遷の理由が違うだけで柳田康男と実質的に同じ考えなの?
本当よく分からない。
>>257 「見直す」の187頁以下をよく読め。
確かに分かりにくいし、「蕃夷意識」とかどうかな、と思うが、
実は寺沢や北條を引用してるように北部九州より瀬戸内勢力を重視してるみたいよ。
259 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:23:05
>>256 藻れ、大成建設に連絡つけよいか
資金は出せよ
なぜ大成建設?
261 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:48:28
だから日本全国を配下に置く
中央集権政府がなかっただけで、
近畿エリアに国や王(国主)は古くからいたんだよ。
そういう証拠が考古学からでてきている。
↓
前1世紀の近畿に王権か 大阪、池上曽根遺跡
市教委は集落の中枢にかかわる倉庫群と推定。
神殿から約100メートル離れたこの一帯に、支配者の特別区画を設けて
政務や宗教、収税など権力機関を集めたとみている。
邪馬台国の女王卑弥呼が現れるより約200年前で、北部九州以外は
まだ農村のような共同体社会とみられていたが、既に権力を一手に握る
「王」が誕生していたらしく、弥生時代像の見直しを迫る貴重な発見だ。
(共同通信) 2004年11月9日記事から抜粋
>>261 こっちにも貼ってるな。
それはそれでいいんだけど、
ちょっとオーバーな評価なんだけどな、これって。
少し大型の倉庫群の存在だけで「王」が証明できるものか疑問。
各建物の規模や棟数も本当はまだ検討中なのに打ち上げたのが真相かと。まあ吉野ケ里も同じようなもんだが。
263 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:54:39
>258
瀬戸内って北九州に近いとこを除いて当時は日本海側より後進地帯
なんじゃないの。村上の研究でもそう言ってなかったか。
なんで村上は自分の研究に反するようなことを言うわけ?
264 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:57:23
韓国人が、日本が天皇の墓の発掘を途中で止めたのは天皇が韓国からきたのがわかるのがやばいからだといってるんだが、どの天皇の墓のことを言ってるかわかりますか?
>>263 そう、せき髄反射的に文句言う前に、「見直す」の145頁以下200頁までよく読んでから言えよ。
鍛冶技術の「前線」は播磨ー阿波あたりまで来ているとも言ってるから、そう簡単に後進地帯とも言ってないはずだが。
266 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:59:38
九州説を無視するのはおかしい。
高島氏、西谷氏など著名な考古学者は九州説
森浩や佐古氏な州説だ。
このスレもやっと正常化したな。
>>264みたいなのもあるが。
ヤレヤレ、、、
268 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:02:36
>265
でも九州はおろか西瀬戸や山陰より下って書いてたんじゃないの?
そんなとこ過大評価するのおかしいんじゃないの?
>>266 残念ながら西谷氏は昔から畿内説。
高島氏は吉野ケ里の宣伝の関係から九州説を採らざるをえない(本気かもしれんが)。
森浩一は、確かに昔は九州説だったが、最近ははっきり言わなくなった。畿内とも言わないが、前よりトーンダウンしている。むしろ邪馬台国は畿内でもいいから、九州重視で東遷説を含みにしている感じ。
>>268 だから、よく読んでから言え。
まあ基本的にはその部分は寺沢・北條説の受け売りなんだが。
271 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:06:48
佐古氏のような実績ある若い考古学者が九州説に向かっていることは
新しい時代を感じさせる。
佐古氏って、妻木晩田での保存運動では活躍したことは評価するけど、考古学的な顕著な実績って何があるの?
273 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:10:14
>268
だよな。楯築なんてどう見ても平原レベルじゃないもんね。
破綻した近藤義郎の理論の影響から抜け出せないというのも
問題ですな。
274 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:11:55
>272
北條って人騒がせなところは評価するけど、北古学的な顕著な
実績って何があるの?
275 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:14:08
池上曽根遺跡をわざと過小評価しようとする奴が約1名いるが、
あの祭殿は弥生時代で最大規模だというのを忘れないように
してもらいたいな。
276 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:16:27
吉野ヶ里は、全面発掘保存できたから大きく見えるだけ
唐子鍵遺跡はほんの一部にもかかわらず、膨大な資料が出土
している。実際の規模は比較にならないと思う。
277 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:17:22
西谷は化石京大派閥なのか?
>>273 墳丘規模、壮大さ、埋葬施設における王権儀礼からは楯築
副葬品による王権儀礼は平原
いずれかだけでは古墳はできない。
ある立場からみれば、墳丘の小さい平原はチャチなことになる(私はそう思わないが)
両者の混合、止揚がなければならない。
さらに、他に鉄器の多量副葬は丹後、前方後円形の確立は阿波・讃岐・播磨、石室(石槨)は吉備・讃岐・播磨、木棺は平原や丹後、葺石は讃岐・阿波の積石や出雲の四隅墓の貼石からのように多くの地方の要素がある。
平原も銅鏡祭祀や副葬品の反復儀礼等では重要な源流だが、それだけでは前方後円墳祭祀の成立はない。
279 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:19:32
平塚川添遺跡は吉野ヶ里を越える巨大遺跡。
これこそ邪馬台国。
>>275 いや、わざとじゃなくて冷静な判断と思うけどね。
なお、最大規模は吉野ケ里や吉武高木、柚比本村など九州にもあるけど。もちろん伊勢遺跡なんかもありますけどね。
>>276 また唐古鍵香具師か
集落規模自体は大して変わらないと思うけど。
集落規模だけなら、いやその中味についても、すでに前、前々スレにあるけど、吉野ケ里や唐古の上に三雲や須玖岡本があるのは常識。
>>279 実際は平塚川添は吉野ケ里よりは少し小さいわけだが。
「大型建物」と言ってる建物の柱穴も小さいし、冷静に見て吉野ケ里よりやや下かな。
282 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:27:37
>278
マキムクの最初の方の石塚、勝山には葺石も貼石もないよ。
矢塚とかもないけど。ちなみに石塚には石隔はおそらくないし、
勝山にもないと言われてんじゃないの。
当然特殊器台も立石もないよね。
外形だけ見ても楯築とは似てないんじゃないの。
こういうのが見られるようになるのはホケノ山以降で
本格的には特殊器台が入る布留0からだと思うよ。
283 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:28:57
意地悪をしないで、村上の説を簡単に具体的に解説してほしい。
まったくよく分からない。
>>274 特に碧玉製石製品(石釧、鍬形石ほか)の研究は有名だろ、他に初期前方後円墳の墳丘規格や埋葬施設の研究、そして理論的にも「見直す」他業績がある。
まあ本当は知ってて突っ込んでるんだろうけど。マジレスしてやったよw
285 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:30:54
>280
ペルセポリス> 越えられない壁 >アテネ> 越えられない壁 >スパルタ
最後に勝ったのはスパルタ。
>>282 そうだね。ただし、前方後円墳祭祀が箸墓の段階までに生成・完成して行く過程で、各地の墳墓の特徴や祭祀要素が入ったことは否定しないよな?
問題はその評価だけども。
>>285 また畿内はスパルタだったとか言う妄説の前振りかよ。
畿内の弥生後期における戦士層の存在を証明してから言えよ。
>>283 意地悪とかじゃなく、たまにはちゃんと自分で調べたら?
それとも本当は知ってるならそれも意地が悪いな。
>>282 石塚はあれだけ削平されているのに、主体部の内容分るんでしょうか?
勝山に石槨が無い、という根拠はなんでしょうか?ソースを出してくれたら幸いです。
でも石塚の弧文円板って、木で作って飾った特殊器台みたいなものじゃないの?よく分らんけど。文様は類似品じゃないかなあ。
>>282 最初の巨大な円丘+突出部の楯築と、次の時期の巨大な円丘+初原的な前方部の石塚と、関係が無い、というのも無理な気がするが。
石塚の場合はその前提が奈良盆地のみならず畿内で全くたどれないし。
吉備直接じゃないとしても、弧文円板なんかみれば、吉備の祭祀の何らかの影響下に築造されたことぐらいは認めてもいいのでは?
291 :
日本@名無史さん:05/02/22 01:48:31
唐古木神話が記紀にないのはおかしい。
やはり唐子木は銅鐸勢力で、最後は外部勢力に征服されたんだろう。
292 :
日本@名無史さん:05/02/22 15:55:03
>290
楯築ってよく吉備の代表例として採り上げられるけど、あのタイプって後にあまり続かないんですよね。
吉備で円丘+突出部が主流になるのは大和に特殊器台が出だしだす宮山や矢藤治山以降になるのでは?
弧文については元々大和にあるし、近藤義郎あたりは弧帯石と弧文円板の弧文は別のものと言ってたのでは。
庄内式や纒向の外来系土器を考えると全く関係ないとは思わないけど、吉備と大和の直接的な関係は遅れそうな気がするんだけどね。
293 :
日本@名無史さん:05/02/22 22:11:47
前スレでもちょっとでてたけど、「見直す」の二人以外のもう一人の人ってどうよ。
294 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:01:14
>292
>弧文については元々大和にあるし、近藤義郎あたりは弧帯石と弧文円板の弧文は別のものと言ってたのでは。
別っていうか、石塚の方が先行する文様とされている。そのもの時代は石塚の方が新しいが。
直接関係ないということはそのとおりだろう。
295 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:04:48
>289
戦前に高射砲陣地を作った時に削平したそうだが、そんときに何も
出てないらしい。墳丘をたちわって掘った時も石室の痕跡はなかった。
木棺直葬じゃないの。
296 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:06:42
>287
>また畿内はスパルタだったとか言う妄説の前振りかよ。
>畿内の弥生後期における戦士層の存在を証明してから言えよ。
スパルタの戦士層も考古学的には証明されてないです。
297 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:13:33
>
>それにエンゲルスって、確かに学史上は重要なものだけど、もしいまだに「聖典」ならこれも前時代的だな。
>マルクス主義の原始古代の部分は文化人類学の発展によってボコボコにされたはずなのに、なんで日本だけに残っているのだろう。
相変わらず思いこみが激しい。
従来のマルクス主義考古学の偉大さは言うまでもなく、いわゆる上部構造に
焦点を当てる新マルクス主義が若手考古学者への大きな指針となっているこ
とも知らないようですね。
298 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:14:26
>293
溝口孝司
299 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:34:17
>292
>庄内式や纒向の外来系土器を考えると全く関係ないとは思わないけど、
>吉備と大和の直接的な関係は遅れそうな気がするんだけどね。
最初は東海系の次に吉備系の土器が多いというのは単純に労働力
の拠出が多かったってこと。しかし、巻向2あたりから減って3
になるとなぜか大幅に減少する。同時に特殊器台が流入する。
この辺で吉備の政治力が大きくなったとみるのが正しいんだろな。
近藤義郎はこの辺を倭王権成立と見てるから話が合わないわけだ。
300 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:37:30
ペルセポリス> 越えられない壁 >アテネ> 越えられない壁 >スパルタ
最後に勝ったのはスパルタ。
301 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:47:30
吉備東遷説はいい加減な文献屋が言い出して、旗色が苦しくなってきた
従来の畿内自生説論者が飛びついたという経緯がある。
だいたいは、対等同盟説に衣替えしての上だが。
畿内自生説の延命装置みたいなもんだね。
302 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:50:23
古代の『王権』の殆どは(世界中)神権政治だよ。
古代ギリシャではオリンポスの神々がいて、オラクル(神託)を
聞く人がいて、為政者が民をそれに従わせる。
古代中国だってそうだよん。殷とか。東アジアでは
神のお告げを聞く巫女がいて、それに従って政治をした。
というのは、電気もなく夜は漆黒の闇で嵐や疫病など
自然の力の脅威を感じていた時代だから。
人的脅威がなくても、そういう天の力を怖れて
神権政治をするんだよ。古代にいくほど世界中そうです。
だから紀元前1Cころの池上曽根遺跡の中心に、
祭祀跡があったのは世界中の例に照らして本物だと思うわけ。
303 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:51:46
>282
石塚っていうくらいだから、昔は石がゴロゴロしてたと思うんだよね。
古墳で石っていったら石室か葺石だろうけど、葺石ではなさそうだ・・・とすると、
石室が露出してたのかもしれんね。かなりむかしに。
304 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:52:40
倉庫跡だけじゃないよ>大阪の池上曽根遺跡
中心部で祭祀をしていた神殿跡があって、
その柱は何百年後に建てられた法隆寺の柱と
遜色ない太さ。
中心部に神殿、倉庫、住居跡という
意図的な区画の様子もある。
やはり大人の権力者(←当時としては、ね)がいて、
それに従って民が労働しないと、そんな大きな公共建築物は
建てられないよ。
305 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:56:31
>292
墓制の統一のない吉備がなんで政治的に統合していたと証明できるんだろ。
不思議だよな。
>>303 こら!人の書いたものを勝手にコピペするでない。
俺はこのスレに書くつもりはない。
307 :
日本@名無史さん:05/02/23 00:14:16
北條信者が消えた。
理論で対抗できなくなるとトンズラこくいつもの癖が出たらしい。
308 :
日本@名無史さん:05/02/23 00:16:41
次スレッドこれでいいか??
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説 を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎事大な思いこ
みを改めること。
>>308 コピペに反応してすまんが、
>弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
>倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
・・・はいただけない。「堕落と分裂」したと思う人がいないだろうし
畿内が倭王権かどうかは意見が分かれるし、北九州を粉砕したのか
どうかも異論があるだろう。
310 :
日本@名無史さん:05/02/23 02:03:42
結局、日本の古代はまともな史料がなくて、まともなことはほとんどわからないということだな。
それをいいことに、自分に都合よく解釈した歴史バカがのさばっているのか。
308はいわゆる基地外だから相手にするな。しかも自称「嵐というほどでもない」らしいし。
>>297 新マルクス主義はエンゲルスを教条的に理解したりすることは無いはずだが、知らないようですね。
たとえば、ゴドリエ『人類学の地平と針路』とかね。
つまり文化人類学の批判の上に再構築されているので、実際のところ、あなたのよく引用するマルクス主義とは実は似ても似つかぬものですが。新マルクス主義が一部若手に支持されるのは、以前の教条的古典マルクス主義と異なるからです。
>>296 スパルタは多くの文献という証拠があるが、畿内は何もない。
そもそもスパルタがそうだから畿内がそうだという証拠はない。
畿内の場合は文献に替わる証拠を提出するしかない。そうでなければ希望的憶測にすぎない。
それにスパルタ遺跡自体には強固な砦の痕があるが、畿内は環濠程度しかない。
>>294 弧文円板が楯築より先行すると言うのは纒向の報告書のみの説。
以後の研究では吉備の弧帯文と相互関係があり、向木見式と併行・類縁関係にあるという説が強い。墳墓の時期もその方が整合する。
>>292 宮山遺跡の宮山式は脚部や文様から箸墓等大和の宮山式よりは若干先行するプロトタイプだろ。
矢藤治山は微妙だが、都月型成立よりは前の可能性が高い。
>>305 特殊器台・壺による祭祀の統一はなされています。
楯築の時期は木槨墓もありますが、庄内併行は類似する石槨で統一された感があります。
>>304 単に太さだけなら縄文時代にもあります。
倉庫や住居は中心とはずれますね。
なお、池上曾根遺跡だけではありません。もちろん他の畿内の遺跡にもありますが、北部九州にも多く同じ状況が確認されています。
さらに北部九州の場合、大型建物が集落の中に何棟もある場合がありますので。また「神殿」とする建物の機能は、首長=権力者が作ったものか、共同体の共同祭祀の記念物か、まだ議論がありうると思います。
>>308は確かに偏向しすぎ
北九州が仮に衰退したのが正しくても、「堕落と分裂」ってほとんど想像じゃないか。
畿内がスパルタとか、考古学資料と関係ないし、論証抜きでいきなり言ってるのが歴史学以前の問題。
本人は自信満々みたいだが、これがまたイタイなw
石塚の削平度合いからすると、今の状況で断ち割りいれてもそりゃもう無いよ。
>>303に消極的に賛同
315 :
日本@名無史さん:05/02/23 19:11:35
>312
庄内期において吉備と大和の直接的な関係を示す物って
>弧文円板は吉備の弧帯文と相互関係があり、向木見式と併行・類縁関係にあるという説
だけじゃないの。これだっていろいろ意見が分かれているし。
古墳の形状が吉備で円丘+突出部が主流になるのは
>宮山遺跡の宮山式は脚部や文様から箸墓等大和の宮山式よりは若干先行する
であって、庄内期まで遡れそうじゃないし。
316 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:31:29
>315
基本的に賛成だな。
確かに宮山からの流れってのは間違いない。
こりゃ確かに箸中山につながる。
でもこの関係、どう見ても布留0からの話で庄内じゃないわな。
無理矢理この関係を庄内に遡らせようとするからおかしくなっち
ゃうんだよね。
317 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:40:11
>312
>スパルタは多くの文献という証拠があるが、畿内は何もない。
>そもそもスパルタがそうだから畿内がそうだという証拠はない。
記紀のような後世に捏造された文献は、東遷説の証拠にはならない。
>畿内の場合は文献に替わる証拠を提出するしかない。そうでなければ希望的憶測にすぎない。
>それにスパルタ遺跡自体には強固な砦の痕があるが、畿内は環濠程度しかない。
弥生後期の畿内に高地性集落が集中するのをしらないようですね。
318 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:52:22
>303
>
>>305 >特殊器台・壺による祭祀の統一はなされています。
>楯築の時期は木槨墓もありますが、庄内併行は類似する石槨で統一された感があります。
庄内併行期の話をしても意味ないのでは。
その前の時期に政治的ブロックとしてのまとまりが証明しうるのかという
点が問題なんですから。
319 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:04:05
新マルクス主義って何だよ?
昔の「ニュー社会党」みたいなもんか。
320 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:08:23
グラムシの猿真似
321 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:46:57
>313
低湿地の多い畿内では、灌漑や農地開拓には他の地方にはない強い共同体規制
が必要だった。個人墓に表象されるような突出した富裕層を生み出していない
ことこそが畿内=スパルタの類似説の根拠となる。
322 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:53:35
「『新・マルクス主義』=『ネオ・マルクス主義』と総称される理論家
たちは、『正統的共産主義者の理論』と彼らがみるところの理論のもつ
限界をのり越えるとして、種々のアプローチを提唱します。そして、土
台―上部構造論、階級・階級闘争の理論、階級支配の機関としての資本
主義国家論、前衛党(共産党)の役割など、人類解放の理論である科学
的仕会主義の基本的な諸命題そのものを改変、ないし否定してゆきます
」(二〇ページ)
つまり、「正統派マルクス主義」とか「伝統的マルクス主義」とかの
“克服”と称して、科学的社会主義の基本的諸命題そのものをゆがめ、
放棄していくところに、彼らの特徴があります。
323 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:01:18
>315
まだ、楯建より西谷3号に注目した方がいいんじゃないの。
朱、玉の大量副葬、棺外の柱、葺石すべて楯建以上に古墳文化に継続
する要素をもっている。墳丘の大きさも同じくらいだし。
政治ブロックとしての成熟度、鉄器に代表される生産力いずれも、山陰
地方が優位に立ってるよね。
324 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:06:00
後、西谷3号は、各地の土器を集めてるしな。
特殊器台については、現地製らしいが。
325 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:40:43
日本の歴史学において中心的な役割を果たしてきたマルクス主義を否定
することは、極右暴力集団「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史歪曲・
戦争賛美・皇国史観の教科書を認めることになる。
でも、西谷3号墓って複数埋葬だよね。
327 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:43:18
240メートルの高台・古墳時代最大級−極楽寺ヒビキ遺跡と命名
奈良盆地南部の奈良県御所市で、石張りの堀に囲まれた5世紀前半の巨大な建物跡が出土した。
古墳時代としては最大級の規模で、県立橿原考古学研究所が21日、極楽寺ヒビキ遺跡と命名すると発表した。
盆地を見下ろす標高約240bの丘陵にあり、大豪族葛城氏が治めた一帯の「王宮」のような施設だったらしい。
火災で全焼した痕跡があり、葛城氏が雄略天皇に焼き打ちされた日本書紀の記述を裏付ける可能性もある。
http://mytown.asahi.com/nara/news01.asp?kiji=3863
328 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:45:27
>326
そりゃそうだ。
結局、巻向直前の大王墓級の墳墓は平原ということだろ。
329 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:48:27
葛城氏は和邇氏と並んで大和朝廷初期に朝廷を支えた大豪族だ。
確か、その後の多くの有力氏族も葛城氏の傍流だったよな。
330 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:52:42
極右暴力集団「新しい教科書を作る会」の「皇国史観教科書」の強制が開始されようとする今、
皇国史観を完膚なきまで粉砕した津田左右吉の功績はを忘れられることはないだろう。
考古学者も皇国史観との闘争に全生涯を捧げた津田左右吉の研究には敬意を表すべきだ。
331 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:54:06
ネオ・マルクス主義は、ニッキョウ系は嫌いでしょ。
若い人でそんなのいたっけ。
332 :
日本@名無史さん:05/02/24 00:58:37
おまいら就職どうする?
そういえば発掘調査技師なるもの?の資格制度を設けるという話しを
5年くらい前に聞いたことがあるような気がするのだが
その後どうなったか知ってる?
333 :
日本@名無史さん:05/02/24 01:24:29
倭王権の主体は、朝鮮南部の扶余系民族じゃないか。
>>317 スパルタのことを話してるのに論点をわざとずらしてるね。
畿内がスパルタかどうかが問題。
一応言うが、寺沢や北條のニュー東遷説は考古学資料から提起されたものであり、記紀の話は出て来ない。
また高地性集落は本来、防衛側のもの。
>>313 寺沢薫が「青銅器の副葬と王墓の形成」でそもそも「強い共同体規制力」の根拠であった「世帯共同体の自立性」を墓地の分析から実証的に否定している。
これに対する反論は聞かない。
また、弥生時代において、畿内が他の地方に比べて灌漑や開拓技術が特別優位であった根拠は無い。
大体、鉄器は普及してたとしても、少ないし、質も悪い薄いものばかり。残念でした。
結局、こいつ根拠不明の「理論」ふりかざすばかりで、考古学資料からの説明が全く無いねw
>>318 ここでは庄内期のこと聞かれたので答えたまで。
>>318 楯築および直後の時期(立坂式期=畿内の5様式末頃)、特殊器台・特殊壺が「吉備」の多くの遺跡に広がります。
この祭祀儀礼の共有をもって、近藤義郎先生は、吉備的世界の成立と捉えています。
墳墓形態はまちまちですが、このことの意義は大きいでしょう。
逆に山陰は墳墓形態は統一的ですが、意外と他の要素はバラバラです。
北部九州も、鏡祭祀(+鉄器・玉副葬)が共有されていますが、ほか(埋葬形態など)は意外とバラバラです。
丹後は台状墓と鉄器多量副葬が共有されています。
地域によって、首長墓祭祀の共有要素(シンボル)の代表が異なっていただけでしょう。
ただし、畿内にはこれすら無いのが実情ですが。
>>315 吉備の楯築や立坂→播磨の西条52号、阿波の萩原1号など→奈良の石塚などでは?
楯築の成立は吉備では継続しないが、前方後円墳成立には大きな影響を与えたとするのはいいんじゃない?
それと、宮山は一応型式的に、箸墓古墳よりは古いんだから庄内3式ぎらいじゃないの?矢藤治山も同じくらいでしょ?
鶴尾神社4号も同じくらいとすれば、狭長な定型化竪穴式石室の成立過程ではやはり、吉備→讃岐→大和となる。
ホケノ山の特殊な石槨木槨を定型化竪穴式石室の祖型とする説もあるけど、ホケノの時期は箸墓や中山大塚より古いとは言えないし、これはあくまで特殊なもので別系統とする批判もある。
(季刊考古学最新号の今尾氏)
>>321なんだけど、
畿内が灌漑において弥生時代に他より優れていたと言う証拠は無いですよね。
むしろ畿内での段丘上など低湿地以外のの半乾田の開発は古墳時代以降でないと進まないとされているけど、北部九州や吉備では、灌漑技術(用水路や井堰)の発達で、弥生時代から半乾田や一部乾田もみられることも指摘されているんですが。
そうなると灌漑や開拓のための強い共同体規制なんて、根拠の無い絵に描いた餅だと思うのですが。
横レスですが、
このスレッドで畿内=スパルタ説を何度も言ってる香具師がいますが、どんなもんでしょうね?
畿内に戦士層がいた考古学的証拠を求められていたみたいですが、これには直接答えず、スパルタも戦士層の考古学的証拠が無いっていう何か的外れの答えをしてますね。
まあ
>>312のようにスパルタの場合は文献でその存在が証明されるが畿内にはそれが無い、ということもありますが、そもそもスパルタ遺跡ではどうなんでしょうか?
実は、しっかり戦士の姿が描かれた青銅小像、石像、レリーフが結構たくさん出てるんですよね。
すると
>>296はだめですね。
確かに後世にツキイデスが言ったように、スパルタにはアテネのような豪華で、贅沢的な豊かさは無いのですが、都市遺跡としては古代ギリシアではアテネに次ぐ規模な訳です。
そういう意味では、考古学的に軍事国家(多くの戦士像)としての強国都市国家スパルタは立証できるのです。
そもそも完全な国家段階同志の争いの話を弥生時代末の畿内に持ち込むことがおかしいですね。
この香具師は寺沢氏を批判するときに、弥生時代に都市があったとか非常識だとか言っているのですが、
畿内がスパルタ的な社会構成だとか言っているなら、畿内の拠点集落が都市国家だったと言わねばならないですよ。矛盾していることに気がつかないのでしょうか?
またスパルタの社会体制の基盤には多く(人口のかなりを占める)の農奴的身分の周辺隷属民がいたのですが、
畿内弥生社会にそんなのいたのしょうか?
ちょっとこれは厳しいですよね。
以上のように、畿内=スパルタ説は全く根拠が無いと思いますよ。
あとスパルタの大規模な砦(城塞)ですが、これは実は紀元前3世紀に作られたものです。
それ以前は軍事国家としてあまりにも強大で、他国からの直接攻撃が心配されなかったので作られていないということです。
つまり紀元前3世紀になると、スパルタも衰退し、テ−べが覇権を握ったり、特にマケドニアが台頭してギリシアの都市国家を攻撃するようになったからです。
そういう意味では、高地性集落や何重もの環濠って、むしろ防衛側、軍事的に劣勢な方が作るというのが真相じゃないでしょうか?
ますます畿内=スパルタ説はだめですね。
中国考古学の中村慎一氏は、都市ローマを例にして、「並ぶもののない強盛を誇る時期」には都市全体の城壁などの顕著な防御施設は必要がなくなる、としています。
その上で、規模も1平方キロとなる纒向や須玖岡本がいずれも全体の環濠がないことの特殊性を示唆していることが面白いですね。
(「弥生文化と中国の初期稲作文化」『古代を考える 稲・金属・戦争』佐原真編 吉川弘文館)
>>322 新マルクス主義に対しての本音が出たかw
だったら
>>297みたいな下手なことは言わないように。
>>331 若い人ではネオ・マルクス主義の立場は何人かいる。
ただ、その上の世代のニッキョウ系マルクス主義と今のところ対立点は表面化していないが、実は異なるものなので今後微妙だろう。
丘とか給とか新旧双方のマルがいるが。
343 :
日本@名無史さん:05/02/24 23:12:24
>>328 >そりゃそうだ。
>結局、巻向直前の大王墓級の墳墓は平原ということだろ。
どうしても、伊都王をヤマト政権初代大王にしたいわけねw
その場合、なぜ記紀神話に筑紫神話が採用されていないのか、疑問が残るな。
吉備ならまだ、欠史八代との繋がりもあり、古くから畿内との関係が深かった
ことが推察されるけど。
筑紫が大王家との故地とするなら、筑紫神話の扱いが余りにも悪い気がする。
>>343 まあ大六は日向神話は伊都国神話と言ってる訳だが
当たってるかどうかは俺は知らんよ。
345 :
日本@名無史さん:05/02/24 23:20:49
私が東遷説にどうしようもなく疑問を感じてしまうのは、
「なぜ東遷する必要があったのか」の理由で、納得出来るものを
今まで見たことがないから。
倭国経営の中心地だから、ていうのも、半島南部も
含めれば、当時の倭国の中心は北部九州の方こそ相応しいと思うし。
慣れ親しんだ土地から集団移住するなんて、当時では考えにくいこと。
何か特別な理由がない限りね。
半島南部は倭人が一部いても、そこが「倭」であったとの説は一般的には否定されている。
考古資料も倭系遺物が少なくないが、在地(伽耶や馬韓の)遺物が基本的に大多数。
むしろ、「倭国」の政治的ネットワークや交易網(鉄とその反対給付)が東へ拡大したゆえに、その地理的中心(東日本も視野に入れた)に根拠地を作る必要があったのではという仮説ではどうでしょうか?
北部九州の援助下に、実質的には吉備、播磨、讃岐などの中東部瀬戸内勢力が築き、結果的にその新王権が強大化して伊都国との立場が逆転したというのはいかがでしょうか?
このスレの流れを見た思いつきですが、スルーしてもいいです。
347 :
日本@名無史さん:05/02/24 23:28:36
>まあ大六は日向神話は伊都国神話と言ってる訳だが
>当たってるかどうかは俺は知らんよ。
はあ。無理矢理だな。
なぜ伊都国神話を日向三代に偽装する必要があったのか。
やっぱり日向三代は、応神が日向(西都原)に縁が深い大王で、その時に
大王家の始祖伝承に追加された、と見る方が自然。
結局、少なくとも7世紀の皇室にとっては、北部九州は完全に蚊帳の外、
皇祖として認識されていなかった、ってことなんだ。
>>347 塚口説ね
東アジアの古代文化の最新号見たよ。
説得力はあるな。
ただ大六の一連の著作も面白いが。
349 :
日本@名無史さん:05/02/24 23:32:29
吉備、伊都の東遷が否定されるとなると、畿内王権を打ち立てたのは、
一体どの勢力なのだろう?
>>349 いきなり否定かよ?
だから自生ってか?
否定の根拠が無いが。
横レスですが、記紀がどう書かれようが、どう解釈されようが、
北條や寺沢の説は考古学資料に基づくものです。
記紀の神武東遷が否定されても、考古学的所見による畿内王権の外部勢力樹立説はそれはそれで成立すると思うし、十分検討の対象となるものと考えます。
>>350 だから何度も言いますが、伊都は邪馬台に首根っこを押さえられて
いたんだって。
考古学だけで考えると、袋小路だよ。
>考古学的所見による畿内王権の外部勢力樹立説はそれはそれで
>成立すると思うし、十分検討の対象となるものと考えます。
まあ、仰ることは分かります。
ただ、墓制の劇的な変化が、必ずしも外的要因によるとは思えないの
ですが。
大化の薄葬令にしても、別に征服者による強制ではないでしょ?
池上曽根、唐古鍵にしても、確かに同時代の北部九州には見劣りする
のかもしれませんが、伊都説論者に実際以上に貶められているような
印象を受けます。
畿内にもそれなりの国家は存在していただろうし、それが倭国連合の
盟主の座に座ったとしておかしくないと思うよ。
>>352ですが、
>>201,
>>204に適切なレスがありますね。
このことは伊都国東遷説の必ずしも否定材料にならないと思います。
別に漏れは伊都国直接東遷説は採らないけど、冷静にいうと上のようになります。
また邪馬台国が首根っこをおさえたのではなく、
「女王国」では?またこの女王は「共立」されたものですね。
この点では、旧来の伊都国王の系譜とも違うかなと。
同時に結局、投馬国除き、北部九州の国ばかり書かれているのは共立主体に入っているのではないでしょうか。
もともとの「倭国」の主体ですし。
北部九州の国々が除外された「共立」では「倭国王」の共立にならないと思います。
>>353 むしろ弥生後期以降九州が衰退するとか根拠なしに言われていたので、それを考えると今の評価は妥当と思います。
確かに、墓制の変化そのものは外来征服者だと、直ちにはいえません。
それなりの勢力(「国家」じゃないと思うが)がいたのもその通りです。
問題は、その勢力が西日本の覇権をとるような勢力になりえる存在であったか、という論点に尽きます。
今までの自生説はそれを無理に説明してきたわけですが、その根拠がほとんど崩れてしまって、さあ、どうするというところですよね。
356 :
日本@名無史さん:05/02/24 23:57:19
>334
>寺沢薫が「青銅器の副葬と王墓の形成」でそもそも「強い共同体規制力」の
>根拠であった「世帯共同体の自立性」を墓地の分析から実証的に否定している。
>これに対する反論は聞かない。
仮にも阪大教授たるものが地方埋文の説得力の薄い論文如きにいちいち反論する
というのもいかがなものかと思いますがね。
>この点では、旧来の伊都国王の系譜とも違うかなと。
まあ共立された女王が吉備(トトヒモモソ媛)や出雲(クシナダ媛)、
北部九州(神夏磯媛)、東海(アマテラス)の内、
どこの出身でもいいけどね。
伊都が倭国連合を主導したとするなら、自身の勢力圏から遠く離れた
土地に本拠を置くことは、普通は考えられないですよ。当時の軍制から
考えれば。明治新政府の東京遷都は、中央集権、統一国家が前提
ということは理解してくれないかな。3世紀の倭国で、大王家の権威が
それ程強大であったとはとても思えないんですけど。
私は万世一系を信じているような極右ではないですよ、念のため。
王朝交替が応神、継体の時にあったと思ってますし。
>>356 論争から逃げてるだけじゃん、それって。
でも実際は都出氏も寺沢氏の論説は気になるので、『古代国家はここうして生まれた』という編著では招いて、弥生集落論と纒向都市論について書いてもらっているし、結構寺沢氏の論文を引用してるけどな。
チミは分っていないな。
またこいつ地方埋文だからって見下してるけど、これってどうよ?
まあ例えば、広瀬和雄氏は大阪府から奈良女子大を経て歴博教授になったし、後藤直氏は福岡市から東大教授になったし(他にもたくさんいるだろ)、大学と地方埋文を2分する見方自体がもう古いよ。
埋蔵文化財行政の功罪はあるけど、その資料がなければ大学の先生も学説を構築できない時代なんだけどな。
また埋蔵文化財行政で寺沢氏のような問題意識がある人がたくさんいるから学問や現場や報告のレベル保たれているんだけどな。
359 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:05:50
>343
>その場合、なぜ記紀神話に筑紫神話が採用されていないのか、疑問が残るな。
>吉備ならまだ、欠史八代との繋がりもあり、古くから畿内との関係が深かった
>ことが推察されるけど。
>筑紫が大王家との故地とするなら、筑紫神話の扱いが余りにも悪い気がする。
古事記、古事拾遺、書紀の一書は「筑紫の日向」と書いているだけですよ。
ご丁寧に「韓国に向かい」とも書いています。
単純な東遷説には与しませんが、あまりにレベルが低いですよ。
>>359 記紀編纂時は、九州のことを筑紫と呼んだんですよ。
伊都説、必死ですねw 大丈夫ですか?
日向三代の墓が何処にあるか知ってます?
>>357 そこまで折れてくれるなら君とは話ができるな。
>>356とは別人ですよね?
漏れはイト主導説ではなく、共立に伊都か奴国?が関わったという説です。奴国は庄内甕の分布からすると可能性があるが。
明治政府の例は、政治権力はそういう性格を持つ、という例で、中央集権かどうかは別問題。
畿内王権も結局、倭国の代表権を持つわけだから、その起源がどうあれ、元倭国王の伊都国王は邪魔になったのでしょう。
>>356は結局具体的反論ないし。また地方埋文だからだめ、っていう紋切りだし。これじゃ誰も賛同得られないよ、感情的に。
>>360 日向3代の墓自体、後代の捏造。
もとの伝承には無かったものでは。
という説もある。
おまえら、クナ国東遷をまじめに考えれ。
伊都国でなくクナ国が東征したのなら、いろんな意味で整合性が出てくるぞ。
365 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:16:23
>346
>半島南部は倭人が一部いても、そこが「倭」であったとの説は一般的には否定されている。
そりゃウソだ。
向こうに北九州系遺跡の調査に行った柳田康男自身が「半島南端は倭」と明言
している。その結果、このスレッドで紹介された在日との大喧嘩になったわけだ。
そこでクナッパーツブッシュがマイスタージンガー振るんですよ
>>362 はいはい。
>古事記、古事拾遺、書紀の一書は「筑紫の日向」と書いているだけですよ。
>ご丁寧に「韓国に向かい」とも書いています。
と書いておきながら、都合が悪くなると「後代の捏造」ですかw
368 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:17:49
>346
>半島南部は倭人が一部いても、そこが「倭」であったとの説は一般的には否定されている。
そりゃウソだ。
向こうに北九州系遺跡の調査に行った柳田康男自身が「半島南端は倭」と明言
している。その結果、このスレッドで紹介された在日との大喧嘩になったわけだ。
369 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:26:13
>360
日向三代の墓なんてまともに検討する考古学者なんておらんよ。
アホの安本美典だけだろ。
>>360 それは誤り。記紀の時代も、筑紫≠九州。
>記紀編纂時は、九州のことを筑紫と呼んだんですよ。
>日向三代の墓なんてまともに検討する考古学者なんておらんよ。
それはそうなんだけど、少なくとも記紀の編纂者たちにとっては
無視出来ない事だった訳で。
少なくともあなたよりは、記紀の編纂者たちの方が社会性や常識、教養が
あったと思いますねw
373 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:36:24
>336
>吉備の楯築や立坂→播磨の西条52号、阿波の萩原1号など→奈良の石塚などでは?
>楯築の成立は吉備では継続しないが、前方後円墳成立には大きな影響を与えたとするのはいいんじゃない?
そりゃ無茶では。吉備と播磨や阿波が政治的に連合関係にあった証拠は全く
ないでしょ。何度も言われているように石塚には石隔も葺石も特殊器台もな
いですよ。経済的にもそんなブロックが証明できるとは到底思えないです。
倭王権が各ブロックの政治連合体であったことは間違いないですが、各地の
墳丘墓の要素は倭王権成立後に徐々にに流入したと見るのが適当じゃないの。
特に東瀬戸地域の要素は、布留からでしょう。
374 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:41:53
>371
古事記にそんなことは書いてない。読んだことあるのか。
このスレッドにしてはレベル低すぎだぞ。
まあ、伊都国東遷説は消えた、ということで。
377 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:49:26
吉備って後進地帯だろ。ここ鉄器の出土量は鳥取の半分だよ。
いいかげん考古学は、近藤義郎とはおさらばしようや。
小林行雄とおさらばしたようにさ。
>>375 あんまり人をからかうのは、止めた方がいいと思う。
374は再び荒らしに走るんだろうな…
380 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:56:31
まあ、約一名の古事記を読んだことのないアホを除いて
知っていると思うが、
一応言っとくと、
古事記では、邇邇芸と鵜葺草葺不合の陵は記述せず、
穂穂手見の陵を「穂穂手見の命 高千穂の山の西」
としているだけでどこにも日向とは書いていない。
381 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:59:55
>357
>3世紀の倭国で、大王家の権威が
>それ程強大であったとはとても思えないんですけど。
三世紀のホケノ山の副葬品、箸中山の巨大さは、他地域から
郡を抜いている。憶測でモノをいわないように。
>>380 いやだから〜
日本書紀はどうなのよ?
見苦しいよ。
>三世紀のホケノ山の副葬品、箸中山の巨大さは、他地域から
>郡を抜いている。憶測でモノをいわないように。
畿内王権の誕生をいつに見るか、だと思いますが。
ホケノ山と箸中山を畿内王権の誕生と見る訳ね。
>381 箸墓は保留にしましょうよ。
>>372 はあ?証拠を出す必要があるのはそっちでしょ。
まあ「郡」は抜いてるだろうねと思ははゆ
387 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:07:51
>ただ、墓制の劇的な変化が、必ずしも外的要因によるとは思えないの
>ですが。
>大化の薄葬令にしても、別に征服者による強制ではないでしょ?
まさにそのとおりです。明治の西洋化と同様。畿内王権による九州をはじめ
とする各地の文化の摂取と見るべきでしょう。政治的強者であったが、経済的
・文化後進国であったローマが文化的にギリシャ化した。
畿内はローマのような存在です。
>池上曽根、唐古鍵にしても、確かに同時代の北部九州には見劣りする
>のかもしれませんが、伊都説論者に実際以上に貶められているような
>印象を受けます。
>畿内にもそれなりの国家は存在していただろうし、それが倭国連合の
>盟主の座に座ったとしておかしくないと思うよ。
そのとおり。最近考古学者きどりの若手埋文の畿内の遺跡の過小評価と
九州の遺跡の過大評価は目に余るというしかないですね。
388 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:09:38
>384
遅く見る寺澤でさえ、箸中山は、三世紀としている。
389 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:12:20
>383
そりゃ違うだろ。
君が三世紀の大王権力が強大でないといったから
三世紀の例で反論したまでだよ。
>>385 筑紫=九州というのは、後代の常識だと思いますが。
日向三代の陵墓が南九州に比定されたのはどうしてだと思います?
君が無根拠に強弁する人間だとは分かりました。
君とはもう話をしてやりません。
391 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:15:00
>390
君レベル低すぎ。
九州王朝スレッド行けよ。
いやだから、俺は畿内説だって
393 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:17:24
だから、おらが過去レスで言ったようにクナ国との抗争に負けた邪馬台国が筑紫から自分達の勢力範
囲で当時辺境だった機内に遷都して、筑紫はクナ国の勢力下に入ったんだよ。
北部九州を手に入れたクナ国は機内辺境に逃げた邪馬台国をほっといて、朝鮮半島に進出、半島で
の足場固めに注力したんだよ。
でしばらくして、余裕が出来たので、クナ国の皇子神武が残存邪馬台国勢力が巣食う機内を征伐する
ために東征、機内を征服したんだよ。
そして後にこの勢力が後の邪馬台国になったんだよ。
どちらにしても、最初の大きな機内勢力は地政学から言って、九州での勢力争いに敗れた亡命政権
だというのが妥当だと思うんだが。
何でこういう当たり前の話が議論されないんだ。
考古学者はあほぞろいなのか。
394 :
393:05/02/25 01:20:03
>>393 >>そして後にこの勢力が後の<<邪馬台国>>になったんだよ。
大和朝廷の間違いだすまん。
395 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:20:07
301 :日本@名無史さん :05/02/22 23:47:30
吉備東遷説はいい加減な文献屋が言い出して、旗色が苦しくなってきた
従来の畿内自生説論者が飛びついたという経緯がある。
だいたいは、対等同盟説に衣替えしての上だが。
畿内自生説の延命装置みたいなもんだね。
396 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:21:13
>392
あ、ごめん。
間違えたよ。
>やっぱり日向三代は、応神が日向(西都原)に縁が深い大王で、その時に
>大王家の始祖伝承に追加された、と見る方が自然。
>結局、少なくとも7世紀の皇室にとっては、北部九州は完全に蚊帳の外、
>皇祖として認識されていなかった、ってことなんだ。
と考えています。
398 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:24:58
390はアホだから無視しろや。
399 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:26:14
>397
西都信者は入スレ禁止です。
400 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:27:34
390,393は、スルーでお願いします。
>>390 後代の常識≠記紀の編纂時代の常識
本居宣長などと混同しないようにね。
402 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:29:21
403 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:30:47
学歴詐称の原田実うざすぎ。
旧師を裏切った野郎が偉そうに説教するんじゃねえ。
404 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:33:16
●岩手県胆沢郡衣川村、阿倍一族の墓苑(平成4年)
「石塔山荒覇吐神社」にあったという阿倍頼時の骨を、和田氏が地元の
歴史の会「衣川青史会」に寄贈、突然この地に頼時の墓が出来て観光地となった。
「衣川青史会」の会員名簿の最初の欄には和田喜八郎氏の名前がある。
昭和55年に建立の、しかも津軽の「石塔山荒覇吐神社」に頼時の骨が
あったのもすごいが、その骨を鑑定したのが古田武彦氏だったという
のもGOODである。
それから6年、遺骨はクジラの骨だった…(平成10年8月13日の産経新聞)
「岩手県衣川村に埋葬された阿倍頼時のものとされる遺骨がこのほど、
岩手医大と岩手県立博物館で鑑定され、クジラの骨だったことが分かった。」
405 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:34:20
とうとうきちゃったよ。西都馬鹿が。
406 :
日本@名無史さん:05/02/25 01:36:56
シュリーマン=神話を元にトロイを発見する
原田大六 =神話を元に平原墓を発見する
詐欺師和田 =クジラの骨を埋めて阿倍頼時の墓を捏造する
遺骨はクジラの骨だった…(平成10年8月13日の産経新聞)
「岩手県衣川村に埋葬された阿倍頼時のものとされる遺骨がこのほど、
岩手医大と岩手県立博物館で鑑定され、クジラの骨だったことが分か
った。」
という記事だが、それにいたる経過や和田氏の名前が書かれていない
ため次のような二次記事ができてしまった。これはこれでおもしろい
が、もっと面白い裏があったのに。
遺骨はクジラの骨だった…(雑誌「GON」10月号)
「阿倍頼時がクジラだったなんて、まったく知らなかった。きっと
子供の貞任もクジラだったのだろう。クジラが反乱を起こすとは、
岩手県も鋭角的だ。グリーンピースも真っ青だろう。古事記などを
読んでも、日本人の祖先は海産物であると思われるふしがある。………」
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/tukuru/tugaru/tugaru.html
325は正気か?
うそン気
411 :
日本@名無史さん:05/02/25 20:07:17
>
>>315 だす。だいぶ流されて、今更になってしまうけど。
>>323 >楯建より西谷3号に注目した方がいいんじゃないの。
西谷3号の後の出雲の動きもおもしろいね。
石野が言ってるけど土器なんかは吉備が減って替わるように大和が増えるみたいだし。
まあ庄内式そのものはでないみたいですね。
四隅をけっこう遅くまで維持しているのも意味ありげだし。
ただ、大和と吉備が手を結んで瀬戸内海ルートが安定してくると、冷たく見捨てられたような感じがするんだけどね。
>>336 >吉備の楯築や立坂→播磨の西条52号、阿波の萩原1号など→奈良の石塚などでは?
萩原1号はちょっと疑問かな。石塚よりも後って気がするけど。
ただ、大和・播磨・阿波は石囲いや画文帯神獣鏡の分布などから一定の関係はありそうな気もしますね。
>楯築の成立は吉備では継続しないが、前方後円墳成立には大きな影響を与えたとするのはいいんじゃない?
間接的に影響を与えたのは認めますよ。
ただね、石塚が作られる時期、吉備は
>楯築の成立は吉備では継続しない
であって、石塚と楯築を吉備東遷のように直接結びつける必要はないんだよね。
大和には特殊器台が出ないし、吉備には庄内式はほとんど出ないしね。
>宮山は一応型式的に、箸墓古墳よりは古いんだから庄内3式ぎらいじゃないの?矢藤治山も同じくらいでしょ?
同じ宮山型の細部の違いだよね。正しいかどうか分からんけど向木見型→都月型の主張が出るくらい変遷が速いし、土器型式が一型式も上がるほどの差はないと思うんだけどね。
>ホケノ山の特殊な石槨木槨を定型化竪穴式石室の祖型とする説もあるけど、ホケノの時期は箸墓や中山大塚より古いとは言えないし、これはあくまで特殊なもので別系統とする批判もある。 (季刊考古学最新号の今尾氏)
まだ読んでないんで分からないのですが、何と比較して別系統なんですか?
定形化前の過渡期と見た方が良さそうな気がするんだけど。
412 :
前々々々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/25 22:43:45
ここんところの流れにあきれ返ってしまい
カキコしてなかったけど、ちょっとあまりにもひどい罠。
俺が九州王朝論者には遠慮してほしいと主張し続けてきたのは
この事態を恐れてのことだったのだが、もう手遅れかもしれない。
あのなあ、原田実が何の関係がある?西都原みたいな俗説がなぜ板汚しの重複スレを立てる?
何よりもなぜ住み分けができない?そんなにかまってほしいのか?
九州王朝説というのは歴史定説や通説とはまったく相容れない存在であることは
論者自身もわかっているのではないか?だからこそ専用スレまであるのだろうよ。
つまり九州王朝説と他の説には、はなっから接点などないために議論そのものが成立しないのだ。
畿内王権スレは、いわば避難スレでもあることをわかってるのかい?
スレ違いネタやコピペ厨房があまりに鬱陶しいから、独立した場所なんだぜ。
正直疲れた。上の馬鹿コピペやスレ違いネタが単なる荒らしだということは
議論を推奨しようと試みた一部のまともな九州王朝論者の目にも明らかだろう?
まとめて削除依頼出しておくから、お互いのためにに住み分けよう。
>>397 これって、誰がコピペしたの?
勝手に自分の名を騙られるのは気持ち悪いなあ。
何度も言うけれど、俺は九州王朝説じゃないから。
>>402なんか貼るのは、九州王朝説を攻撃したい畿内派だろう。
>>412は比定地論争がしたいそうだ。そんなに邪馬台国論争したければ、他スレでやってはどうか?
九州王朝などどうでもよい。畿内王権は九州から来た。
名前と権威だけを九州に残したままな。名実ともに畿内主体になるのはジンシン以降。
このスレ的には実質の王権だけ論ずればよい。だから九州王朝などどうでもよい。
417 :
前々々々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/26 00:01:50
>>414 本気でそう思ってる?
ではなぜ九州王朝スレや邪馬台国スレに、畿内説らしき荒らしが見当たらないのだい?
閑古鳥鳴きまくってるじゃん。
>>412 過去ログ読めなくなってるので誤解してるのだと、あえて好意的にとらえるが
「比定地論争はやめよう」と前スレ立てたのは俺なんですよ。
>>416 それ、変形九州王朝説って言うんだよ。なんで壬申の乱が出てくるのさw
第一いったい誰が提唱している説?考古学的根拠は?
まず言い切るだけの根拠を提示せよというのが
スレのルールなのでそこから始めなくては、永遠に議論は始まらないよ。
418 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:20:40
異説を排除するのはよくない。
古田先生のような優れた在野の学者を無視してきたこと
こそが日本古代史の混迷を招いたのではないか。
原田大六ですらアマチュアだったからこそあの業績を上げる
ことができたことを忘れるべきではない。
419 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:26:57
「学士」はれっきとした学位です。
むしろ、学士だけでは学位とは認められなくなったことこそ、
最近の現象と見たほうがよいでしょう。
私が昭和薬科大学を辞めた頃、上司の古田武彦教授は
大学当局から、制度改正で博士号を持つ者だけを
教員に採用できるようにする委員会をまかされ
張り切っておられました。
ちなみに古田先生の学位は「文学士」です。
私には自分の首を絞める行為にしか思えなかったのですが、
大学としては「博士」にこの仕事をまかせれば
その人が恨みを買うということを踏まえての
420 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:39:58
九州王朝は、スルーでお願いします。
421 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:45:48
このスレって、時々偏狭な畿内説論者がにわかに集まって
九州王朝説打倒キャンペーン張ってるけど、相手は醒めてるんだよね。
挙句の果てに、だから九州王朝説は電波だの、追放しろだのって
なんか違うんだよね。どっちが荒らしの犯人か、よ〜く考えたほうがいい。
どうでもよいから、早よ、畿内王朝の成立について語れよ。
423 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:51:40
吉備東遷説をさも新しい説のように吹聴している人がいますけど、
これ違いますね。
従来の大和朝廷の畿内起源という仮説を維持できなくなった結果
として出てきたものであって、近藤義郎氏、石野博信氏、大塚初
重氏など大御所達がこぞって唱えるようになったものです。東遷
ではなく、同盟関係とする方もいますけどね。
どちらかと言うと従来の枠組みを比較的維持できる(例えば近藤氏)
という利点があってもてはやされてるでしょうね。
正しいとは到底思えませんが。
424 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:52:28
>>402みたいな古田攻撃をする畿内説派の荒らし君は弁護しちゃうの?
425 :
前々々々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/26 00:57:21
>>420 ごめん、一言だけ
>>421 打倒キャンペーンってw 問題のすり替えはやめようよ。
畿内王権について考察するスレに、九州王朝論者が交わるはずがないって言ってるだけ。
この王権を語るにあたっては、当然4cの倭の五王などにも触れざるを得ないのだが
絶対と言っていいほど意見の一致はありえないでしょうが。
要するに、なぜわざわざ畿内王権スレに出張してきてまで語りたいのか
その神経が理解できないわけだよ。
>>418-419が間違いなく荒らしなのは同意するだろ?
そういう輩が対話を拒否するレスを書き散らすから荒れてるのが、本当にわからないのか?
426 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:14:46
427 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:25:47
>357
>伊都が倭国連合を主導したとするなら、自身の勢力圏から遠く離れた
>土地に本拠を置くことは、普通は考えられないですよ。当時の軍制から
>考えれば。明治新政府の東京遷都は、中央集権、統一国家が前提
>ということは理解してくれないかな。3世紀の倭国で、大王家の権威が
>それ程強大であったとはとても思えないんですけど。
はあ、庄内の段階で既に圧倒的だが。
庄内の可能性のある古墳、例えば、稲葉1号、津古生掛、萩原、黒田、
鶴尾神社、神門などに比べても100メートル近いあるいは100を
越す石塚、勝山、ホケノ山、中山大塚等いずれも圧倒的に大きい。
せいぜい、那珂八幡が75メートル程度でやっと匹敵するくらいだろ。
その前の楯築、西谷なんかに比べてもぜんぜん大きいぞ。
副葬品で見てもちょっと前の平原を除けば、ホケノ山は圧倒的だろ。
428 :
司会:05/02/26 01:31:36
九州王朝説に対する議論は禁じます。
くれぐれもみなさま方におかれては反論、肯定双方
ともしないで下さい。
429 :
前々々々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/02/26 01:34:18
>>426 あのな、
>>402やら
>>404は関連スレにマルチで張ってるただの馬鹿。
当然こいつも迷惑極まりない大馬鹿者なのだがね。
しかし前スレ、前々スレから通して読んでますか、ここ?
そういうあらし「のみ」が目的の馬鹿はお互いに迷惑しているはずだろ。
なぜそこで「畿内説」なんてスレとまったく無関係の言葉を出して更に煽ろうとするのか。
俺が繰り返し言ってるのは、畿内王権や大和朝廷については
お互いまったく意見が相容れない存在なので住み分けよう、干渉しないようにしようということ。
ここは異説排除が真の目的ではなくて、荒らし対策のための独立化スレだと何度も言ってるだろうが。
だのになぜ・・・本当になぜココに書くのかね?理解できん。
430 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:36:58
>411
>楯築の成立は吉備では継続しない
>であって、石塚と楯築を吉備東遷のように直接結びつける必要はないんだよね。
>大和には特殊器台が出ないし、吉備には庄内式はほとんど出ないしね。
前段は、おっしゃるとおりだとは思いますが、庄内式土器は総社市のあたり
にかなり出てますよ。奴国伊都国地域に比べれば少ないですが、他地方より
は多いのでは?
431 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:47:59
畿内ローマ説は説得力あるな。
スパルタ説よりもいいと思う。
432 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:50:26
弥生後期でも日本海ルートがメインなのになんで瀬戸内の鉄器流通ルート
を奪取とか言うのだろうか?日本海ルートを奪取するなら分かるが。
433 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:53:53
埼玉古墳群・稲荷山古墳から出土した鉄剣金錯銘。
「今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮」
これのどこが、畿内の長谷朝倉宮にいた大泊瀬幼武
(後代の漢風諡号=雄略)なのか?!
今年のセンター試験でも自明の理として登場した。
古田武彦氏の『関東に大王あり』で関東説が脚光を浴びたが、ほかにも
井上秀雄(東北大名誉教授/朝鮮古代史)・鶴岡静夫(青学大名誉教授/日本古代史)
・故金達寿(作家)各氏らが同様の立場であった。
関東説・畿内説をとわず建設的・生産的な議論をお願いしたい。
434 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:56:51
九州王朝説論者の視点で「畿内王権→大和朝廷」の流れを説いていただくのは善しとしたいです。
なぜなら、それぞれの論にとっても理解が深まるチャンスが増えると思うからです。
ただし、くどいようですが比定地論争はスレ違いとします。
自生説以外の論にとっては参考になる可能性が大いにあると思うのですが。
435 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:59:00
北條信者消えたな。冥福を祈ろう。
言っていることは支離滅裂だったが、スレ活性化の功績は
大きいな。
436 :
日本@名無史さん:05/02/26 02:07:29
>>434 >自生説以外の論にとっては参考になる可能性が大いにあると思う
ない、全然ない。
あんた九州王朝説ってどんな内容だか知ってて書いてるのかよ。
941氏が述べているように、7世紀までの歴史定説はすべて誤りだと彼らは主張したいのだぞ。
しかもそいつを支持している奴らは、歴史の徒でもなんでもない、いわば新興宗教だぞ。
司会の言うとおりに無視しろ、漏れも今後無視する。
>>435 自生説とやらはそんなに自信がないのか?
普通の人が毎日毎晩2chに張り付いていられるわけがなかろう。
ましてや明日(今日か)は埋文関係者は畿内の四遺跡の説明会のためにおおわらわだ。
下手な煽りは君の価値を下げるだけで、北條氏や村上氏の説には傷ひとつつかないよ。
荒れる元だから自制してほしい。
そこでムガールにアクバル大王登場ですよ
441 :
日本@名無史さん:05/02/26 07:59:36
九州王朝が絡み出したら一気にレベルが落ちたな。
せっかくの良スレが見るも無残な有様になっとる。
昔からそうだ、この繰り返しで良コテハンが嫌気がさして去ってゆく。
とりあえずここではスレタイ通り、庄内から布留までを語れ。
今は布留0あたりがメインテーマなので、そこに焦点を絞れ。
この話題についてこれるのなら、たとえ九州王朝だろうがヘチマだろうが別にかまわん。
>とりあえずここではスレタイ通り、庄内から布留までを語れ。
>今は布留0あたりがメインテーマなので、そこに焦点を絞れ。
>この話題についてこれるのなら、たとえ九州王朝だろうがヘチマだろうが別にかまわん。
同意
>>441 >庄内から布留までを語れ。
文献無視なら、考古学板が相応しい。
このスレの主旨は、邪馬台国畿内説が考古学の成果を前提に、文献を援用
しつつ、倭王権の成り立ち・発展を騙る、ものと理解しているが。
445 :
日本@名無史さん:05/02/26 11:26:36
文献を援用するのはいいが、今は文献の学者が全く駄目なん
だよね。なので学説をまともに引用できないんだよ。
未だに破綻した邪馬台国九州説を唱える人がいるような世界
だからね。他にも崇神初代大王説、神社建築7世紀成立説、
大嘗祭天武朝成立説とか考古学的事実に反したヨタ話を平気
で吹聴している学者がいますから。
そう思うなら考古学板へ移動されたい
447 :
日本@名無史さん:05/02/26 12:35:21
考古限定でいいよ。
倭人伝語る奴って大体レベル低いし。
448 :
日本@名無史さん:05/02/26 12:39:26
九州王朝の人と原田実という人がいつも喧嘩してるようだけど
アレ一体何なの?
449 :
日本@名無史さん:05/02/26 12:47:15
コテハン専用に、
すれば。
450 :
司会:05/02/26 13:18:33
九州王朝説の荒し行為が頻発していますが、引き続き完全
無視でお願いします。
@吉備東遷説に対して何人かの方から庄内式土器の分布、
その影響が布留期以降に限定される、実は新しさを装っ
た古い説ではないかなどの批判が出されています。
A倭王権成立における出雲地域の重要性について問題提起が
ありました。
B畿内ローマ説が提起されています。
C文献の立場からも議論を深めるべきとの意見が出ました。
以上、よろしくご議論下さい。
451 :
司会:05/02/26 13:21:58
その他、
@△鏡など鏡についての議論が前スレッドで途絶えています。
これについて議論を深めていただくようお願いします。
A西方への庄内式土器の移動だけではなく、東海系S字瓶、
5式瓶などの当方への移動もご議論下さい。
452 :
司会:05/02/26 13:23:08
451
「当方」→「東方」に訂正
移動汁
前スレだったかなあ。応神以前の記紀は後世の捏造だから検討に値しない、とかいっている香具師がいたろ。
正直そういう説もあるが、考古成果に照らして都合の悪い文献を無視する人はこの板向きではないわな。
九州王朝は電波だが、日本史板とすればコヤツラの方が始末に悪い。
悪いことは言わない。棲み分けが必要だ。以後レスつけず放置で。
考古学板に新スレ立ててください。
>>450 違うだろ。
ワケわからずに九州王朝説を攻撃して,
原田系電波が荒らしてるのが筆頭だ
>>402>>404 犯人は九州王朝説派じゃ無いだろ。
あとは一部の畿内自生説派などを攻撃している
偏狭な畿内説派荒らしもいるがな。
だいいちお前の言い草自体が荒らしだから出て行け。
もういい。終了だ。
457 :
日本@名無史さん:05/02/26 14:31:28
>>450は自分だけが正しいとする、独善史観。司会をする能力はない。
司会とやらは前スレも荒らしていましたね
テンプレ読めない厨房がなぜ学問板に(
459 :
日本@名無史さん:05/02/26 14:36:50
1)日本史板ですので、文献無視ではありません(以下略)
4)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう
今度守れない人がいるようなら、 移動でいいです。
棲分けは2ちゃんの基本ルールだから。
>>411 萩原1号は纒向辻土壙2との併行から、纒向2式初め。
微妙だが、石塚(盛土中に庄内式加飾壺や庄内甕など纒向2式含む)より古い可能性はあります。
また萩原の石槨木槨墓はホケノ(布留0式の可能性大)よりは古いです。
そうすると萩原→ホケノの系譜なので、やはりホケノの石槨は一つの系統。これと別に吉備・播磨・讃岐の竪穴式石槨→鶴尾神社4号で完成→中山大塚古墳かと思う。
向木見→直接に都月型は無理だ。
向木見の簡略の矢藤治山型と宮山型以降。
特に都月型は宮山型文様の反転が前提。
>>427 那珂八幡は84mで、纒向型とは少し違う形態ということが最近は判明している。これでも大和の纒向には届かないが。
427の立場には、畿内王権がどこが起源かは別にして、庄内のある段階以降の畿内王権の力の説明としては同意。
>>430 吉備での庄内甕は津寺などの足守川中下流域の遺跡群で確かに一定程度出ているが、吉備の中では多いという訳であり、特別に卓越した量が出ている訳ではない。津寺付近は庄内式以外の他地域の搬入土器も目立つ。
伊都国と奴国の庄内式の出方を一緒にしているが、奴国が圧倒的。
庄内甕の数で比較するとよい。
比恵遺跡、那珂遺跡、博多遺跡、雀居遺跡などでそれぞれ何十個オーダー以上出ている。
これらは搬入でなく、在地製作が主体との説が最近は強い。
対して伊都国は点的にしか(10点もないか)出ていない。
しかも在地系土器が遅くまで残るようだ。
これらは福岡県、福岡市、前原市の報告書を調べれば分る。
他に播磨のいくつかの遺跡で庄内甕がたくさん作られていることも判明している。
つまり、庄内甕を主体的に生産し、周囲に搬出しているのは、大和東南部、中河内、播磨の一部、博多周辺ということになる。
>>365 柳田氏は倭系遺物ばかりに目をとらわれて、それが当地の遺物のうちのどれくらいの割合かということを忘れてしまっている。
倭人が行って、一部混住していた証拠はあるが、あくまで客体的。
西新町の韓式系土器をみて西新町遺跡が韓人のコロニーだとか、三雲遺跡の楽浪土器で三雲が楽浪人の植民地だと言っているようなもの。
あと申敬テツは在日じゃないんだがw
>>387 畿内=スパルタ説が論破されたので、今度はローマらしいな。
歴史のアナロジーを持ち出すのは悪くないが、それだけでは根拠になっていないことを肝に命じるべきだろう。
ただ弥生時代後期の畿内が、ローマのように軍事的に強かった根拠はないので、スパルタ説と同様、ただの思いつきに過ぎない訳だが。
ローマはギリシアに比べ文化は後進的だが軍事や政治制度は先進的だったが、畿内はそれが全く証明できない。
畿内=ローマ説はその証明が先決。
>>そのとおり。最近考古学者きどりの若手埋文の畿内の遺跡の過小評価
>>九州の遺跡の過大評価は目に余るというしかないですね。
具体的にどこが過大評価なのか?
九州の遺跡を知らないゆえの発言だろう。
これまで、古墳時代に畿内が中心である→畿内中心に古墳時代の中心王権が成立したはずである→畿内は弥生時代から凄い勢力だったはずだ、
という3段論法で、むしろ畿内の弥生時代が過大評価されてきたのが本当の学史
また、九州は紀元前1世紀の王墓の時に繁栄するが、古墳前期には畿内に倭王権を奪われた
→だから弥生後期には衰退しているはずだ、大規模遺跡は無いのだ
という思い込みから過小評価されてきたわけだが、
平原遺跡を持ち出すまでもなく、
須玖岡本遺跡の青銅器工房群、三雲遺跡の楽浪土器の集中、須玖岡本・三雲・比恵遺跡の集落規模や構造を見れば、今の評価は正統だろう。
伊都国の繁栄については今も井原鑓溝遺跡の調査等でも確実に裏付けられて来ている。
大規模集落が無い、などというのは吉野ケ里により崩れてからもう久しいわけだが。
また埋文担当者と大学の研究者を何か対立的に見ているようだが、意味がないことは
>>358 だいたい、各地の埋蔵文化財担当者に、中央の大学の先生でも一目も二目も置く人はよくいる話しだ。例えば、近藤喬一氏は『三角縁神獣鏡』の中で、柳田氏の現場と実物の観察に基づく研究について一目置く発言をしている。こういう例は枚挙にいとまがないと思うが。
>>431,
>>450 そういう訳で、畿内=ローマ説はスパルタ説と同様またはそれ以上にただの根拠のない思いつきとみられるので、議論の対象になたないと思います。
>>438 その通りだねw
また数日空けると、その間に、実は全て論破されている同じような畿内自生説の根拠をコピペしまくって、「北條信者は逃げたな。我々が正しい」と勝手に勝利宣言するんだろうけど、ワンパターンだなw
まあ、最後はおまえらは皇国史観だ、ウヨだ、と噛み付くのだろうけど。漏れは政治的信条としては少なくともウヨじゃないんだけどな。
支離滅裂はどっちなんだかw
>>435 >>411 出雲の畿内系土器は、
まず播磨など畿内縁辺部の伝統的5様式系が流入し、
布留0〜1式平行に「布留式」の影響が及びますが、
これは大和の土器ではありません。
布留系甕の形態からは、大和の典型甕とは異なり、岡山から広島の瀬戸内沿岸部で二次的に受容されたエセ布留式とでもいうようなものからの影響でしょう。
さらに小型精製器種の影響が欠落しているので、この点でも大和から直接ではないでしょう。
さらに山陰系の在地様式そのものはかなり後まで残ります。
>>432 鋭い指摘のような気がします。
鉄が少なく欲しがっている畿内のために瀬戸内勢力と北部九州が畿内に流通拠点を作ったような気がします。まあこれは思いつきなので批判して下さい。
>>393 クナ国東遷説については、反論の根拠を求められる前に、
その説自体の考古学的根拠を開示してもらわないと相手にしようもない。
自分の構想を言うのはいいが、議論したいのなら根拠を提示してほしい。
司会は一応まともに整理していると思うぞ。
まあもう少し深めて欲しい訳だが。
でも、異論は排除しないって言っても、940氏の言うように九州王朝説だけはここでは排除してほしいな。
あと、自生説以外はウヨとか言ってる極端な自生説香具師もどうにかしてほしい。
それに記紀使っただけでウ皇国史観って、そりゃないだろう。
>>338-339 畿内=スパルタ説はやっぱりダメということですね。
確かにこりゃ怪しいと思ってましたが、ここまで言われると説得力確かにあります。
>つまり、庄内甕を主体的に生産し、周囲に搬出しているのは、
>大和東南部、中河内、播磨の一部、博多周辺ということになる。
庄内式土器の分布から、旧大和川水系を基盤とした王国誕生を想定。
そのプレ大和政権が、吉備や北部九州と通商交易していた、と。
伊都国東遷説は、もう少し根拠を示してくれないと。
私はスパルタ説の人とは別人ですが。
文化的後進のスパルタや匈奴、ローマなどの辺境蛮族が、中央先進国を圧迫
するといった例は、歴史上、枚挙に遑がないでしょ。
つまり、文化度が北部九州>畿内だったとしても、必ずしも北部九州が
ヤマト連合の首班になったとはいえない訳です。
文献上も、北部九州<畿内な訳だし、北部九州が東遷したとするなら、
むしろその証明責任はそちらにあるのではないでしょうか。
470 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:43:04
板違いデス
471 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:46:47
畿内派の人は、なぜ古田を無視するのだろう。ますます古田史観が正しいとしか思えない。
>>469 いや文献(記紀)上というなら、九州からの東遷になってしまうんですが。
これを信じるかは別にして。
まあ、寺沢や北條なんかは、むしろ首班は瀬戸内勢力を考えている節があるんじゃないかと思いますが?
>>文化的後進のスパルタや匈奴、ローマなどの辺境蛮族が、中央先進国を圧迫
>> するといった例は、歴史上、枚挙に遑がないでしょ。
そうなんですが、そのアナロジーがこの場合に適用できるかは別問題ですね。
それを言ったら、文明度が高い国が領土を広げて行くという例もたくさんあるわけです。
また領域の中で遷都するということは歴史上よくあることです。まあここでの問題がそうかは別問題ですが。(私は単純に伊都国が遷都したという立場じゃありませんので。)
あと「ローマ」が「辺境蛮族」というのはちょっと違うだろうと思いますが。
スパルタもそれなりの大きなポリスを持っており、「辺境蛮族」じゃないですね。
匈奴ならわかります。またギリシアの場合にはマケドニアを言うならいいと思いますが。
いずれにしても歴史の単純なアナロジーはあまり意味がないと考えます。
473 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:48:16
君が代も北部九州の歌だったんだよ。畿内王権成立は700年。
474 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:50:31
吉備東遷、これを語るには注意がひつよう。
鬼が島の伝説は「をに」「わに」「倭人」の投影だから。
475 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:51:34
文献史学での畿内派などいない。
476 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:52:18
>>471
同意
次スレッドこれでいいな。
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみ
改めること。
>>472 × 匈奴ならわかります。またギリシアの場合にはマケドニアを言うならいいと思いますが。
◎ 匈奴ならわかります。またギリシアの場合にはマクドナルドを言うならいいと思いますが。
477に賛成。
480 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:56:43
478に賛成
481 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:57:37
>
>>411 >> 430
「吉備東遷をいうほどは出ていない。」
と訂正しますので、それならよろしいですか?
>>460 萩原1号は了解しました。
『古代おおやまと探る』の豊岡の話で「初期の都月型紋様が宮山型ではなくて向木見型紋様に系譜することが指摘されている」とあったので。
「型式の変遷が速いし、宮山は庄内3式まで上げるのは難しい」というのは、よろしいですか?
とにかく430,460,461,464のみなさん、ありがと。
勉強になった。
482 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:57:56
472は恥を知れ
>>313 寺沢薫が否定したのは、
都出比呂志が「畿内が世帯共同体の自立性が低く、強い共同体的規制力があり、ピラミッド的集約としての政治的結合体を作った」としたことであり、むしろ畿内がの方が世帯共同体の自立性が高かったことを示している。
なので
>>313は引用を少し間違っている。
また北部九州の大量副葬について、都出はその階級的卓越性に疑問を呈したのだが、寺沢はこれこそ共同体規制力を乗り越えて階級的隔絶性を示したものだと反論した。
この点は、古墳の副葬品卓越性を同じように評価する以上、やはり寺沢の理解が素直なところであろう。
いずれにしてもこれらに対する反論は無いのはそのとおり。
>いや文献(記紀)上というなら、九州からの東遷になってしまう
>んですが。
いやだから、九州と書かずに日向と書いてくれないと。
筑紫が東遷したなんて文献、どこかにありましたか?
>また領域の中で遷都するということは歴史上よくあることです。
まあ、女王共立段階で、倭王権の直轄領域が、
北部九州〜畿内まで及んでいた、なんてとても思えませんが。
>>313 寺沢薫が否定したのは、
都出比呂志が「畿内が世帯共同体の自立性が低く、強い共同体的規制力があり、ピラミッド的集約としての政治的結合体を作った」としたことであり、むしろ畿内がの方が世帯共同体の自立性が高かったことを示していない。
なので
>>313の引用で合っている。
また北部九州の大量副葬について、都出はその階級的卓越性に疑問を呈したのだが、寺沢はこれこそ共同体規制力を乗り越えて階級的隔絶性を示したものだと反論できなかった。
この点は、古墳の副葬品卓越性を同じように評価する以上、やはり寺沢の理解が素直なところではない。
いずれにしてもこれらに対する反論が出尽くしたのはそのとおり。
>>486 女王が共立とされる以上、「領土」では無いが、共立連合の「倭国」は北部九州〜畿内に及んでいたと思います。
490 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:03:19
>いや文献(記紀)上というなら、九州からの東遷になってしまう
>んですが。
いやだから、九州と書かずに日向と書いてくれないと。
筑紫が東遷したなんて文献、どこかにありましたか?
長門より東を朕かとらん。
しらんのか
491 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:04:49
>>486 女王が共立とされる以上、「領土」で、共立連合の「倭国」は北部九州だと思います。
492 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:06:58
>>411 >> 430
「吉備東遷をいうほどは出ていない。」
と訂正しますので、それならよろしいですか?
>>460 萩原1号は了解できません。
『古代おおやまと探る』の豊岡の話で「初期の都月型紋様が宮山型ではなくて向木見型紋様に系譜することが指摘されていない」とあったので。
「型式の変遷が速いし、宮山は庄内3式まで上げるのは難しい」というのは、論外。
とにかく430,460,461,464はカス。
勉強汁。
493 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:08:19
次スレッドこれでいいな。
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみ
改めること。
>>490 意味不明。
イワイの時の話がなぜここで?
九州王朝説の人なら、自分の巣に帰って下さい。
>>493の案でやってみようよ。こんなに九州王朝に荒らされたんじゃ議論にならない。
>>481 いや、宮山遺跡の宮山型は祖型式として1型式上がると考えた方がいいでしょう。鉄鏃も弥生終末にした方がよさそうな型式ですし。
ただこの遺跡、いい加減報告書出ないんだろうか?
また矢藤治山も石槨構造や墳丘との関係も、やはり一つ遡ると考えた方がいいでしょう。特殊壺から言えば箸墓よりやはり古いです。特殊器台も文様は違うが、全体の形状や脚部は宮山平行でしょう。
あと、鶴尾神社4号(庄内3式平行か)の存在から、これが中山大塚などの長大な竪穴式石室へつながったものの最初の型式とするのはいいですか?
荒らしているのは九州王朝か
ひどいな
「東遷」の意味だが
都移転〜国移転〜王移住などがありうるが
神武は畿内で領土を得るまでは、王ではなかった。
だから東遷じゃなくて実際は「東侵」ぐらいの表現がせいぜい。
ありていに言えば、「東遷」という遷都はなかったのだ。
漏れも495に賛成。こうなった以上しかたない。
>>497 ボクちゃん、ちがうよ、荒らしているのは一部偏狭な畿内派だよ。
>>493は偏向しすぎ。いい加減にしろ。
九州王朝と同じくらいウザイ。これじゃ荒らしと一緒だ。
何度もコピペするし。
まともな議論になってない。
503 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:14:17
>>481 いや、宮山遺跡の宮山型は祖型式として1型式上がると考えた方がいいでしょう。鉄鏃も弥生終末にした方がよさそうな型式ですし。
ただこの遺跡、いい加減報告書出ないんだろうか?
また矢藤治山も石槨構造や墳丘との関係も、やはり一つ遡ると考えた方がいいでしょう。特殊壺から言えば箸墓よりやはり古いです。特殊器台も文様は違うが、全体の形状や脚部は宮山平行でしょう。
あと、鶴尾神社4号(庄内3式平行か)の存在から、これが中山大塚などの長大な竪穴式石室へつながったものの最初の型式とするのはいいですか?
板違い。文献から攻めれば九州王朝が正解としか言えない
捏造学会考古厨は早く隔離板へ帰りなさい
504 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:15:19
九州王朝!荒らすな!
>>493,
>>495,
>>499 これは同一人物の自演だろ。
こいつの主張は畿内自生説の論者でもマトモなやつだったら眉をひそめるほど偏向しすぎている。
>>501の言うように議論にならないし。
今ではさびれた古くさい説にしがみつくこと自体が夜郎自大であることに気付いてほしい。
506 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:17:34
505は九州王朝
巣へ変えれ
>>503 おいおい、
>>496のようなマジレスが板違いとはw
やはり九州王朝が荒らしているんですね。
>>506 いや漏れ九州王朝じゃないんだけど、、真面目にそう思っただけだが。
九州王朝もひどいし、畿内説香具師もひどい、それでいいだろ?
粘着アンチ九州王朝派が、しつこくアンチキャンペーン張ってるけど
やってることは畿内説支持者の一部と九州王朝説を攻撃するばっかり。
荒らしてる犯人はこいつだな
>>493,
>>495,
>>499>>504
今、気付いたが、
>>492は
>>481のレスを意図的にねじ曲げたコピペだね。
>>481さん、これ許せんよね。
故意に議論を混乱させようとナリスマシしてるよね。
こりゃひどい荒らしだな。これはさすがにやりすぎじゃないの?
ホントに変質者が出没するね。困ったもんだ。
>>482 472は別にまともなこと言ってるだけだと思いますが?
それともあなたが荒らしの粘着畿内派ですか?
それに
>>488も
>>483の内容をわい曲、ねじ曲げたコピペ捏造。
内容は事実にあっていない。
ちゃんと反論できないからってこれはないだろ。
>>513の指摘の
>>481の
>>492へのわい曲もそうだが、
これは内容的に畿内自生香具師の仕業みたいね。
ここまで行くと九州王朝よりタチが悪いぞ。
わざと議論を混乱しようとしてるな。いい加減にしてほしい。
というか、ここまで来ると畿内自生香具師が九州王朝になりすまして、二つの極端な立場からスレを埋め立てて、議論を混乱させ(レスを偽造までして)、荒らしているというのが真相じゃないかと思って来た。
畿内香具師は、古い学説まで知ってるそれなりに高学歴で頭のいいヤシみたいだが、人間的に問題があるぞ。ここまでするか?
う〜ん、やっぱり理性的畿内派と九州王朝派は、
畿内派の一部変質害基地から攻撃荒らしを受けている様だね。
犯人はこいつだろう。
というか九州王朝派は九州王朝スレにすいませんがとりあえず帰って下さい。荒れる一つの原因ですから。それに議論が相容れないので。
その後で、畿内変質基地外はなんとかしますので。
>というか、ここまで来ると畿内自生香具師が九州王朝になりすまして、二つ
>の極端な立場からスレを埋め立てて、議論を混乱させ(レスを偽造までして)、
>荒らしているというのが真相じゃないかと思って来た。
畿内自生説は本流で、そんなことをする必要はないと思うが。
被害妄想はいい加減にしてね、ということでw
>>515が指摘しているように、ちゃっかり隠れながら荒らしている基地外がいる。
どうにかならないか・・・
>>519 「本流」だと思うほど自信があるならスレタイのコピペはヤメレ。
だいたいあんたの言うことは信用できんがね。
まともに反論できなくなってるから荒らしているというのは皆も共通認識。
まあ「本流」である根拠が揺らいでるわけで、、、
古い論文の引用からだけではでなく、最新の考古資料をふまえた新しい議論をしてほしい。ちゃんと勉強しろって。
「本流」だから荒らさないという証拠はないね。
要は本人が基地外かどうかだ。
いや、感情ではなくて、本流が負けそうだったら必死になることもあるでしょう、
そいつが基地外だったら荒らすでしょう、という一般論。別に説はなんでもいい。
本流が負けそう、という認識自体、私にはないのですが。
>>525 よほど鈍い我意基地ということが分ったよ。
>>523 感情的に反論(?)して、いつも実証的な反論できないのは誰だ?
最後にはコピペ荒らしか、ウヨ呼ばわりで議論を脱線させるのは誰だよ?
まあ外基地はおいといて、マトモな議論しますか。
また荒らされるかもしれませんがw
ネタ振りですが、前の方で纒向勝山の埋葬施設は何か、というのが話題にありました。
これについて石野氏は、「周濠に扁平な安山岩割石があるので竪穴式石室だろう」と書いてます。(『邪馬台国の考古学』)
どんな石槨か興味が湧きますね。
>>523 いつも感情的になってるのは畿内自生香具師だったが、、、イタイねw
>感情的に反論(?)して、いつも実証的な反論できないのは誰だ?
>最後にはコピペ荒らしか、ウヨ呼ばわりで議論を脱線させるのは誰だよ?
だから、それは私とは別人ですってw
いやもう信用できない。
すくなくともコピペの元はあんただろ?
では
>>493についてどう思うのよ?
九州王朝と同様に、自生香具師もこのスレから追放した方がいいと思うが、皆さんどう思いますか?
>女王が共立とされる以上、「領土」では無いが、共立連合の「倭国」は
>北部九州〜畿内に及んでいたと思います。
当時の交通事情から考えて、畿内王都と北部九州は遠隔地過ぎて、
畿内王権において北部九州が構成員の主体であり得たとは思えません。
墓制の劇的変化を外部勢力の東遷と見るのは単純過ぎるとは、何度も
言ってきました。
池上曽根や唐古鍵の伝統がある畿内が、なぜ必要以上に過小評価されるのか
理解できませんね。
まあ、大体OKだとは思いますが、
>5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な
>思いこみ改めること。
は感情的過ぎますね。
倭王権の成立・発展は未解明の部分が多くて、余り決め付けをするのは
反発が大きいか、と。
もう少し慎重・謙虚な姿勢が大事だと思います。
535 :
日本@名無史さん:05/02/26 22:54:54
九州王朝はサヨ
536 :
日本@名無史さん:05/02/26 22:55:46
次スレッドこれでいいな。
【弥生畿内勢力から倭王権樹立へ】
弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
倭王権を樹立した苦難の歴史と歩みを騙ろう。
*ローカルルール (あくまでも荒らし対策です、ご理解下さい。)
1)自説発表及び反論は、出来ればコテハン&トリップが望ましい。
2)邪馬台国論争(特に比定地論争)は専用スレにて語る事。
3)荒らしはスルー!迷い込んだ邪馬台国論争者は専用スレに誘導する事。
4)まず自説を述べてから議論に参加する事。その際にはコテハンを使用してください。
5)小林行雄、近藤義郎など偉大な先輩達の成果をふまえつつ、自説を述べること。
5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみ
改めること。
537 :
日本@名無史さん:05/02/26 22:57:38
冷静に考えてみろ
本流が荒らすワケない
荒らしてるのは学会で死んだ九州説
539 :
九州王朝大好き ◇I.THkUKc4Y :05/02/26 23:01:56
>「比定すること自体が根本的に間違っています。」って、どう言う意味?
「比定」することは「推定」作業で、論理の積み重ねではないのです。
西新と庄内が同時代と言うのは推定ですよ。
推定と推論の違いを意識して下さいね。仮定条件も常に踏まえた上での推論してくださいね。
柳田編年の疑問に思うのは特に西新以降です。
>「畿内編年」が正しいと認めた根拠
順番には何の矛盾も見えませんので。
しかし推定絶対年代を認めているのではありません。
今後C14法のデーターが集積されれば時代比定も変わってくると思います。
>>679 >>599の
>舶載文物の質量から、古墳時代には畿内が中心であることは間違いない。
「舶載文物の質量」は具体的に何なんでしょうね?
「三角縁神獣鏡」は同位体分析で国産と結論がでているし。
九州王朝は困ったものだ
だから〜
ここは畿内説の地区予選ですから、九州王朝説は自スレに帰って下さい。
自スレに閑古鳥が鳴いていて寂しい気持ちは分かりますが、
他スレに出張するより、まず自スレを盛り上げることを考えては
どうでしょうかw
>>542 やはり本流にはかないません。本拠地へ帰ります。
あとは畿内説でも傍流を粉砕するのが肝要ですね。応援しています。
544 :
日本@名無史さん:05/02/26 23:27:15
>
>那珂八幡は84mで、纒向型とは少し違う形態ということが最近は判明している。これでも大和の纒向には届かないが。
>427の立場には、畿内王権がどこが起源かは別にして、庄内のある段階以降の畿内王権の力の説明としては同意。
そりゃ勝山も同じでは?
これも鉢が開いてないですよね。
>>543 立つ鳥後を濁さず、という言葉を知らないようですね。
本気で書いてます?
>>5)北條信者など反主流は、傍流であることをしっかり自覚し、野郎自体な思いこみを改めること。
これは削除だろ。偏向し過ぎ。
それに、
>>弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
ていうのも、あまりにも決めつけっていうか、想像過ぎるっているの。
これは何度も何人も指摘してるだろ?
つまり、
>>530=534は、結局これを書いた本人で、
やはり畿内自生香具師だろが。
今どき、畿内自生説の学者でも上のようなことは考えていないと思うが。
547 :
日本@名無史さん:05/02/26 23:35:34
>460
>萩原1号は纒向辻土壙2との併行から、纒向2式初め。
>微妙だが、石塚(盛土中に庄内式加飾壺や庄内甕など纒向2式含む)より古い可能性はあります。
>また萩原の石槨木槨墓はホケノ(布留0式の可能性大)よりは古いです。
>そうすると萩原→ホケノの系譜なので、やはりホケノの石槨は一つの系統。これと別に吉備・播磨・讃岐の竪穴式石槨→鶴尾神社4号で完成→中山大塚古墳かと思う。
石塚は、石槨じゃないんじゃないの。
それから勝山に周壕中に安山岩が出ていて石槨の可能性を指摘
されてるよ。今の段階でそういうことは言えないんじゃないの。
>つまり、
>>530=534は、結局これを書いた本人で、
>やはり畿内自生香具師だろが。
だから違うってw
君は感情的過ぎます。もう少し落ち着いてね。
>>547 石塚の主体部は分らないし、いずれであっても
>>460の論には影響しない。
勝山は石槨である可能性は同意。ただし、どういう型式か分らないし、少なくとも現状の資料で論を立てる以上、
>>460の論はありうるし、
それを否定するまでの根拠にはならないのではないか。
しかし
>>539みたいなナリスマシも現れて、基地外はすごいね。
551 :
日本@名無史さん:05/02/26 23:45:45
>496
>萩原→ホケノ
>吉備・播磨・讃岐の竪穴式石槨→鶴尾神社4号で完成→中山大塚古墳
の二系統ですか。面白いですね。
綾部山39号は上の系譜ですかな?
大和・播磨・讃岐それぞれの地域にそれぞれの系譜があるということですか?
上の系譜には画文帯神獣鏡が出ているというのも面白いのかな?
鶴尾神社4号に特殊器台が出てれば面白いのにね。
石清尾山に双方中円墳の猫塚古墳・鏡塚古墳が意味ありげですね。
それぞれが別の勢力というのありえるのでしょうか?
それを統一したのが箸墓だとか・・。
すみません。勝手に妄想しすぎました。
学問から離れすぎました。
>511
気にしてもしょうがないしね。スルーするしかないですし。
496さんには伝わっていますしね。
>>543もなりすましだね。自作自演のなりすまし。
>>548 別人だとしても、
>>弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
っていう極論を認める時点で同類だと思うが。
誤解されたくなければそのあたりは考え直した方がいいと思うが。
>>537 >>本流が荒らす訳ない、
とするが、これまでの流れからいって、畿内自生派にちょっと偏向し過ぎのヤシがいるのは間違いないのだが。
>>530が別人だとしてもねW
>>533 池上曾根や唐古鍵は評価してる。
しかし北部九州を全く評価しないのがどうかしてると言っているのだが。
問題は、北部九州の伊都国奴国の拠点集落の方が、唐古鍵などを質量で上回っていたことが事実で、これを認めないほうがおかしい。
最近では、ちゃんと福永氏や松木氏や森岡氏もこの点は分った上で議論していますが、知らないのですか?
また外部要素の導入については意見が分かれる訳ですが、
問題は、外部要素の導入はできても、その結果、西日本の最上位の覇権を持つ実力があったかどうかが問われているのです。
大和の弥生社会の実態を検討して、そのまま纒向の勢力に繋がったか疑問がある訳です。
また唐古鍵を評価しても、奈良盆地のみの中心勢力であって、はたして畿内でさえも覇権があったか、疑問視されるわけです。
寺沢氏や北條氏の疑問はそこにある訳です。
そこを隠ぺいしてはいけません。
>>552 そうだね、畿内自生外基地がわざとなりすましてるw
バレバレだわw
庄内式土器の分布が、旧大和川水系の王権樹立・畿内自生説の根拠に
なるんだが。
伊都国王が「世王有るも皆女王國に統属す」であったこととも符合するし。
557 :
日本@名無史さん:05/02/26 23:53:26
>481
>> 430
>「吉備東遷をいうほどは出ていない。」
>と訂正しますので、それならよろしいですか
でも、いずれにせよ吉備東遷説は記紀と整合性がある。
庄内式土器の多寡だけで、決めるのはいかがかと。
特殊器台とかそういう要素も見ないといけない。
皇国史観だからダメって人いるけど、たいていの考古学者は
倭人伝から卑弥呼共立、倭国大乱を引用してるわけで、記紀
だけ排除するのはダブルスタンダードだと思うぞ。
>>551 496その他ですが、マトモに議論してもらってありがとう。
>>530はあなたじゃないですよね?
>>536他のスレ立ての内容はどう思いますか?
偏向しすぎですよね?
>>557 吉備東遷説が記紀と整合するというのはどのあたりでしょうか?
教えて下さい。
>>弥生畿内勢力が堕落と分裂にまみれた先進地域北九州を粉砕し、
>っていう極論を認める時点で同類だと思うが。
>誤解されたくなければそのあたりは考え直した方がいいと思うが。
確かに感情的な文章だとは思いますが、畿内王権が北部九州に圧力を
加えて連合に取り込んだ、とは思っています。
倭人伝を読む限り、北部九州が一枚岩でなく群雄割拠であったことは
分かりますし。
>>556 庄内式の分布から言うと、
自生説で政権の母胎となったはずの唐古に庄内甕が非常に少なく、布留0式でも5様式系まだ多いことの説明がつかない。
唐古は大和川水系だが庄内甕の分布からは見放されている。
ちなみに唐古以外の弥生集落から継続する大半の集落も庄内甕の普及が遅いのが事実だ。
河内でも、中田遺跡群付近が庄内甕が卓越しているが、
久宝寺では少し遅れ、すぐ近くでも美園遺跡などでは5様式系が残る。
つまり旧大和川水系=庄内式の分布=畿内自生の根拠という論拠は、資料の実態を知らない議論と言える。
あと伊都国が統属すとの記述は、
>>201,
>>204の説明で問題ない。
>>560 >>倭人伝を読む限り、北部九州が一枚岩でなく群雄割拠であったことは
分かりますし。
何処を読んだらそう思うのか?理解できない。
それとその考古学的根拠もあげてほしい。
圧力を加えた、という論拠もね。
563 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:06:38
>560
>確かに感情的な文章だとは思いますが、畿内王権が北部九州に圧力を
>加えて連合に取り込んだ、とは思っています。
>倭人伝を読む限り、北部九州が一枚岩でなく群雄割拠であったことは
>分かりますし。
北九州は、弥生後期において広域的な国家が成立していたことが
もっとも確認できている地域。
逆に畿内は統一されていたという証拠が全くない。
>>560はそのスレ立てを認めるのか?
それはちょっと違うと思うぞ。
ここにカキコしてるのって何人ぐらいなんでしょうか?
>>533 漏れはどっちでもいいんだが、北部九州と畿内が遠隔地過ぎるからとか言い出すなら、畿内が北部九州をおさえたというのは遠隔地過ぎるからあり得ない、ということになりかねんと思うぞ。
ここまでROMしてきたが、自生説の人は東遷説を馬鹿にするばかりでちょっと引くところがある。
漏れは今の状況ではどっちも可能性があって、どちらが整合的か、っていう論議をした方が生産的と思うけど。
568 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:17:10
>
>>547 >石塚の主体部は分らないし、いずれであっても
>>460の論には影響しない。
>勝山は石槨である可能性は同意。ただし、どういう型式か分らないし、少なくとも現状の資料で論を立てる以上、
>>460の論はありうるし、
>それを否定するまでの根拠にはならないのではないか。
いやご指摘の可能性まで完全に否定しているわけじゃないよ。
ホケノ山の前の可能性のある4つ(か5つ?)が未発掘の段階でいきなり
そこまで言えるのかなと思ったまでで。
>>557 吉備東遷説の詳細を教えてくれ。
それと、記紀をちょっと引用しただけで皇国史観だって騒いでいるのは約1人の外基地畿内自生派だけだから気にしないでいいと思う。
多分
>>481はそれとは違う理性派と思うよ。
>>568 それならまあ、同意しておきます。
今はいくつかの可能性があり、瀬戸内起源の可能性も十分ありうる状況というというぐらいならいいですね?
>つまり旧大和川水系=庄内式の分布=畿内自生の根拠という論拠は、
>資料の実態を知らない議論と言える。
庄内の分布を大和川水系の交易圏成立と無関係とするのは無茶でしょ。
いや、大拠点間のみに分布する庄内甕は、水系単位の弥生までの交易圏の性格と違うのではないかと思うのだが。
交易圏が新たに成立したが、それまでの水系単位のそれとは違うものが突然できた感じだ。
逆にそこに庄内期の王権成立の鍵が隠されていると思う。
少なくとも、大和川水系に庄内甕が分布し、畿内自生の母胎とするような分布状況ではない、ことは確か。
>漏れはどっちでもいいんだが、北部九州と畿内が遠隔地過ぎるから
>とか言い出すなら、畿内が北部九州をおさえたというのは遠隔地
>過ぎるからあり得ない、ということになりかねんと思うぞ。
要は、伊都国王がわさわさ本拠地から遠く離れた畿内に王都を置いた
筈はないということ。
当時、倭国連合でイニシアティブを取った国が、自国近くに王都
を築いたと考える方が自然。
574 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:29:21
>567
伊都国単独ということはあり得ない。
T 伊都国を中心とした九州西部四国地域
U 4隅を共有する山陰地域
V 特殊器台を共有する吉備地域
W 阿讃地域
が連合して畿内を制圧して新首都を置いたということではないか
と推測している。
ただし、弥生後期におけるT〜W地域の政治的経済的成熟度や
鉄器に代表される物資の興隆等を考慮すれば、このスレッドで指摘
されているようにVが主体であることは考えにくく、T・U連合
が主導したと思う。
575 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:32:44
>>557 >でも、いずれにせよ吉備東遷説は記紀と整合性がある。
仮に記紀の伝承が正しいとして、考古学の年代とどのように一致させるかが問題になりますね。
>皇国史観だからダメって人いるけど、
これは全く考えていません。
別にやみくもに記紀を排除する訳じゃないですよ。
考古だけで全てが分かる訳じゃないですし。
>いや、大拠点間のみに分布する庄内甕は、水系単位の弥生までの
>交易圏の性格と違うのではないかと思うのだが。
そうかあ?
少なくとも庄内甕は、旧大和川水系の遺跡群で大量に出土している
と思うが。
>>573 伊都国王じゃないと漏れも思うが、吉備とか瀬戸内の連中はどうなの?
あと北部九州の実力ある国をどうやって納得させたかということも問題で、倭国乱ていうのはやはり北部九州も巻き込んでいると思うし、
その収拾の「共立」の主体も、もともとの「倭国」である北部九州諸国も含んでいたのでないとつじつまが合わない。
>>489に同意するし、その中での「遷都」ということもありうると思う。
スルーされてるが、
>>346なんか面白い発想だと思う。
もちろん主導権握ったのはどこかは別にしてね。
>>576 いや、特に奈良盆地での庄内甕の偏在性は石野、関川、青木、小池が強調しているところ。
石野氏の『邪馬台国の考古学』吉川弘文館の154頁前後参照。
河内でも奈良盆地ほど極端ではないみたいだが、中田遺跡周辺に中心があり、偏在しているのは確か。
河内周辺は季刊考古学84号の森岡氏の「弥生終末期の土器と土師器」でもとりあえず読んで確認してくれ。
579 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:41:15
>559
神武天皇は、畿内に侵攻する前に吉備にいたことに
なってるよね。数年ということになっているけども
これが実際には、吉備勢力の東遷を表すものじゃな
いかと。
>>579 神武東遷の話しか?
うーん、考古学資料は?
それに神武東遷を信用するなら、日向勢力か大六みたいに伊都勢力の東遷になるはずだが、、、、
581 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:46:14
>575
>仮に記紀の伝承が正しいとして、考古学の年代とどのように一致させるかが問題になりますね。
一致してるんじゃないの。別に問題ないと思うのだが。
>>578 だから何が言いたいわけ?
伊都国東遷説に持っていきたいの?
大和・河内に跨る大和川水系に初期王権が生まれた、という説より
説得力があるのかどうかは疑問です。
584 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:50:38
>580
考古学資料で言えば特殊器台とかいろいろあるじゃないのかな。
とりあえず最初の巨大古墳である箸中山にそういうものがある
わけでね。考古学と文献双方で納得が得られるわけ。
で、河内勢力東遷説ですよ。
銅鐸(精霊)祭祀=葛城=欠史八代=唐古・鍵。
古墳(首長)祭祀=三輪王朝=旧大和川水系の広域王権樹立=庄内土器
=マキムク。
で、いいのでは?
>>584 箸墓以前の纒向諸古墳はどうする?
吉備の直接的影響はあまり無いみたいだが、、
まあ影響はあると思うが。
>>574 そのような根拠なら、
たとえば北部九州でも伊都国が主体じゃなくて奴国が主体ということはないのか?
庄内甕の分布と那珂八幡古墳の存在がこれを支持するかもしれない。
伊都国王がそのまま遷都なら「倭国乱」→「共立」というのとはちょっとイメージが違う。王統は全然乱れていないことになるが、それは倭人伝と違う。
伊都国王を一大率がおさえるというのも何かおかしくないか?
あと出雲の影響って畿内王権にそんなにあるだろうか?
出雲は古墳前期前半まで方墳の世界で前方後円墳を拒否しているので、
この倭国連合に参加したのか疑問がある。
伊都国以外の北部九州のどっか+吉備+阿波讃岐播磨ではないだろうか?
>>586 唐古って欠史8代の宮や陵墓とはずれていると思うが。
葛城じゃないぞ。
というか、これ思いつきって批判されてなかったか?
>>586 葛城なら鴨都波遺跡とかだろ。
唐古は磯城だと思うが。
590 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:02:42
>388
全然駄目。
もともと欠史8代が架空という話は小林行雄等の
古墳時代3世紀末〜4世紀説を前提としていたも
ので、今では成り立たない。
巻向成立後、箸墓以前に7,80年の間があり、
確実にいくつかの大王墓が存在する。
ちなみに銅鐸時代でもない。
>>590 しかし、欠史8代は奈良盆地南部から西南部(一部北部)がなぜか多い。宮も陵墓も。
纒向遺跡や初期の大型前方後円墳のある盆地東南部の話は出て来ない。
つまり纒向に箸墓以前の王がいたとしても、記紀の欠史8代の証拠ということにならない。
まず文献史学での欠史8代否定論への反駁が必要だし、実は上にみたように考古学的事実とも整合しない。
漏れは記紀の伝承に歴史事実が含まれていると思うが、限界も認めるべきだと思う。欠史8代の話はやはりかなり怪しい、後世の王統譜の「編集」で新たに構成されたものと思う。
>>562 >何処を読んだらそう思うのか?理解できない。
>それとその考古学的根拠もあげてほしい。
>圧力を加えた、という論拠もね。
倭人伝で出てくる国の戸数を見てみてよ。少なくとも畿内(邪馬台)や
吉備(投馬)の方が国の統一が進んでいた、と見られると思いますよ。
圧力の根拠は一大卒の記述から。もういい加減に無理矢理な一大卒の解釈は
止めて素直に読もうよ。北部九州は畿内邪馬台から警戒・監視されていたんだ。
中国皇帝の後ろ盾による北部九州の倭国王体制が、
後漢の政治的混乱により倭国大乱を誘発、結果、畿内王権(大和川水系)
が倭国王位を簒奪した、と。
女王共立による連合にしろ、わざわざ北部九州が、
自らの既得権益(倭国の通商代表権)を譲り渡したとは思えません。
以上のように、北部九州が3世紀初頭に成立した畿内王権で中心的役割を
果たしたとは、とても思えない訳です。
596 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:27:41
>そのような根拠なら、
>たとえば北部九州でも伊都国が主体じゃなくて奴国が主体ということはないのか?
>庄内甕の分布と那珂八幡古墳の存在がこれを支持するかもしれない。
その場合、弥生後期に九州西部四国連合に分裂が起こったということを
想定しないといけないわけで、それを証明することは考古学的には困難
でしょう。どちらかと言うとこの地域は、他地域に比べ政治的統一が図
られていたことが証明されているわけですし、特に副葬品に限れば極大
化している平原が限りなく終末に近い(とされている)こと、それの祭
祀的要素がそのままを倭王権が継承することを考えれば、成り立ちにく
いのではないかと思います。
ただし、奴国・伊都国の関係がどうであったのかということは興味深い
課題だと思います。
>伊都国王がそのまま遷都なら「倭国乱」→「共立」というのとはちょ
>っとイメージが違う。王統は全然乱れていないことになるが、それは
>倭人伝と違う。伊都国王を一大率がおさえるというのも何かおかしくないか?
むしろ、伊都国(奴国ではなく)に一大卒が置かれているということが重要なのでは。
もっとも、倭人伝の文言にどこまで信を置くべきなのかという問題がありますが。
597 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:28:43
>あと出雲の影響って畿内王権にそんなにあるだろうか?
>出雲は古墳前期前半まで方墳の世界で前方後円墳を拒否しているので、
>この倭国連合に参加したのか疑問がある。
>伊都国以外の北部九州のどっか+吉備+阿波讃岐播磨ではないだろうか?
葺石は、特殊器台より先にホケノ山段階で登場しています。
4隅の影響を考えるのが適当と思います(ただし、四国の積石塚
の影響も想定される)。そのほか、西谷の墳丘上の柱跡とホケ
ノ山の柱跡の関係も注目されるところです。
4隅が残るということについては、特殊器台も倭王権成立後に残る
わけで連合に入ってないということを証明するものじゃないと思い
ますが(逆に政治的に劣位な畿内文化はほとんど継承されていない。)
戸数の話しって信用できるのかしら?
統一性の話ですが、考古学的に証明できるものかどうか。
行程日数が遠い大国ほど戸数がどんどん大きくなって行くのも不審です。投馬国や邪馬台国は、本来は「連合」国を一つの国で括っているだけかもしれません。
北部九州が各国に細かく戸数その他を説明してるのは、伊都国に常駐して情報が多いからに過ぎない可能性があります。
また以下の話は
>>202,
>>204で説明になっていると思います。
無理矢理な解釈とは思いません。
王権というものの自然な性格と思います。
「倭国王」の共立の構成に北部九州がないのはおかしいですよ、やっぱり。百歩譲って、中心的役割かどうかは別にしても、です。
一度成立した王権が、故地(?)に対しても強権を発揮しうるだけでしょ。王権は一度成立するとより中心化し巨大化するのです。
ttp://www.momoso.net/trade_model.html が参考になります。
これは共立主体の国々も当初は考えていなかったかと。
大体どうやって畿内が北部九州に勝てたと言うのか?
また畿内王権=大和川水系というのもちょっと違うのではと指摘がありましたね。
あと、考古学的証拠をあげて、と言ったのですが、、、
>>597 ホケノは小型丸底壺や鉄鏃、銅鏃のセットから大和での特殊器台導入以前、とは言えないと思うよ。そんなに古くないかと。
出雲の影響なら、四隅そのものが出ないのはなぜ?また西谷の墓上建物とホケノの木槨墓の構造は別と思うが。出雲的な祭祀土器セットも出ないし。
>>597さんに質問ですが、
>>どちらかと言うとこの地域は、他地域に比べ政治的統一が図
られていたことが証明されているわけですし
って何が根拠でしょうか?
まあ議論のすれ違いもあるが、一応マトモなスレになったようだな。
604 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:40:10
>591
系図だけが残ったと見るのが正しい。
稲荷山鉄剣、海部氏系図など古い系図が父子継承
の体裁を採用していることに共通(大津透)。
宮や陵墓については当然間違い。
記紀研究について問題なのは、熊谷氏が言ってるけど文献
の学者自身があまりに上古時代の記述について信用がない
としてしまったため、研究のメインが奈良平安以降になって
研究する人自体減ったことが問題です。
森浩一氏など考古学者が再三指摘しているのにも関わらず
状況は変化してない。
>>588>>589 まあ冷静に奈良県の地図を見てみて。
葛城地方と橿原市、田原本町(唐古鍵)、桜井市(マキムク)は半径10キロ
にすっぽり収まる近接した地域なんだよ。
このあたりに初期畿内王権の基盤があったと考えるのは自然だと思いますが。
銅鐸(精霊)崇拝、方形周溝墓、弥生土器、
⇒古墳(首長霊)崇拝、前方後円墳、土師器(庄内甕)
と考えれば、一番すっきりする。
>>604 父子継承の体裁だが、それは実態ではない、ということでしょうか?
また大津透氏の論文名を教えて下さい。
でも欠史8代とか神武とかについてはやはり厳しいと思うが?
また神武については応神天皇伝承の変化だとする有力な説があり、
納得できるが(『東アジアの古代文化』最新号の塚口義信氏の説)
>>605 勝手にスッキリされても、、、
唐古などに庄内甕が少ない、唐古などは衰退しながらも一応続いて纒向に続かない、纒向に外来要素が多い、等、考古学的に問題が多い。
少なくとも、たとえ半径10キロだろうが、庄内の段階でこの地域は一枚岩じゃないのです。考古学的には。
それに方形周溝墓から前方後円墳にはそのままじゃ発展しないだろ?
首長墓祭祀も瀬戸内その他で発達したものの完成形が持ち込まれた感じだ。
纒向の畿内王権は、周囲の在地勢力の上に立ちつつも、その「基盤」は広域のネットワークに拠っているのではないかと思うのだが。
>>605 磯城やオオヤマトと葛城もいっしょくたにするのは、文献使う割に大雑把すぎないか、それって。
>>598 君は、3世紀の畿内王権を必要以上に強大に見る嫌があるな。
あくまで女王共立・倭国連合段階で、中央集権国家とは程遠いのに、
>一度成立した王権が、故地(?)に対しても強権を発揮しうるだけでしょ。
>王権は一度成立するとより中心化し巨大化するのです。
とか言うのは、全くの的外れ。歴史認識として100年以上ズレている。
大王家の権威が強大化したのは、挙国一致で高句麗と半島で激戦を繰り広げた
4世紀末以降のことですよ。
611 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:55:07
>601
>ホケノは小型丸底壺や鉄鏃、銅鏃のセットから大和での特殊器台導入以前、
>とは言えないと思うよ。そんなに古くないかと。
ご指摘のとおり、ホケノ山の年代について、異論があるのは承知しています。
橿考研の研究者や石野氏その他の言うところを信じればということです。
>出雲の影響なら、四隅そのものが出ないのはなぜ?また西谷の墓上建物と
>ホケノの木槨墓の構造は別と思うが。
>出雲的な祭祀土器セットも出ないし。
あくまで、一部の要素が見られる=何らかの形で参加したということ
ではないかということです。
4隅がそのものが出ないは当たり前で、平原も西谷も楯建もそのまま
石塚になったわけではないですから。そもそも前方後円墳が倭王権と
ともに各地の墳丘墓の要素を取り入れて誕生したものです(と思います。)
それから、西谷→石塚の直接的な継承を主張しているわけではありません。
それはこのスレッドで指摘されているように楯築→石塚の直接的な継承が
証明できないのと同じことです。
類似=間接的な影響があるのではないかという推測です。
612 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:01:59
>606
塚口氏の論文ってどんなの?
それって昔井上大先生が言っていた応神東遷説のこと?
>唐古などは衰退しながらも一応続いて纒向に続かない
だから、葛城から三輪への王朝交替があったんだよ。
畿内の初代王者だった銅鐸祭祀王(唐古鍵)は、三輪王朝に屈し、
紀伊国(紀ノ川水系)に撤退。葛城氏・紀氏になったと。
>>608 >磯城やオオヤマトと葛城もいっしょくたにするのは、文献使う割に
>大雑把すぎないか、それって。
まあ、後世の国割りは、その当時の政治権力の思惑もあることだし。
少なくとも近接した地域であることは確か。
>>611 一大率が北部九州をおさえたとか、畿内が北部九州から通商圏を奪ったとかいっているなら、その批判は自分にも帰ってくると思うが。
その批判では自己矛盾していると思うぞ。
中央集権とは自分も考えていないが、相対的力関係は認めていいはずだ。
>>361の説明で十分。
>>大王権の権威が強大化したのは4世紀末以降
というのも定説とまでは言えないのでは?
615 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:06:47
>大王家の権威が強大化したのは、挙国一致で高句麗と半島で激戦を繰り広げた
>4世紀末以降のことですよ。
またいい加減なことを言う。
古墳規模は、庄内から圧倒的に畿内が大きい。
庄内かもしれない唯一のまともな古墳(周壕付で50メートル以上)
である那珂八幡ですら石塚、勝山より小さい。
ホケノ山の副葬も圧倒的。
こういうと仁徳陵とか応神陵とか言う奴がいるが、この時代には
地方の古墳も巨大化している。
>>614 うーん、ますます考古学的証拠が希薄だな。
唐古から葛城へ後退した根拠を示してほしいし、やっぱり唐古が欠史8代とか、記述が全然違うし思いつきの域を出ないと思うけどね。
618 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:09:34
ホケノ山発掘の時点で近藤説は終わったんじゃ
ないの。@特殊器台を用いた首長霊継承儀式の
流れの東遷A箸墓=最初の古墳が彼の理論の基礎
だから。
@はもともとなく、Aはホケノ山がどう見ても
古墳である(KKKによれば)ことから今では通用し
ないね。
応神=初代大王・東遷説は江戸時代後期、山片蟠桃がすでに
唱えていること。
620 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:12:20
ホケノ山の石囲い木隔は、著名な考古学者によると
朝鮮半島の影響ということだ。
日本国を考えるより合理的だな。
621 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:13:16
>619
そうだったな。
完全に否定されてるが。
>>619 ホケノについては箸墓より前とは必ずしも言えないので、それで近藤説が否定されたとするのはどうだろ?
ホケノの時期は橿原でも割れてると思う。
むしろ問題は、石塚、勝山、矢塚の内容だな。
(東田大塚は墳丘下の井戸が布留0式なので、これより遡らない)
623 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:15:20
海部氏系図は、ヤマトトビモモソ姫の名称が凄いですね。
地元の教師しかまともな研究がないのがどういうことなのか。
>>621 朝鮮半島の影響は全くは否定できないが、
むしろ直接的に類似し先行するものが東瀬戸内にあるのも事実。
また木槨墓としての内部空間や副葬配置では朝鮮半島とはかなり異なる。
625 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:21:27
>622
△鏡がない、特殊機台がないんで古いんじゃないの。
それ以前に石塚、勝山にない時点で終わりだね。
倭王権成立の研究としては、学説史行き決定。
吉備地方の政治統合やその大和への影響の研究として
は評価されるんじゃないの。
うーん
>>596=
>>611は、畿内が九州から王位を「纂奪する」とか、一大率が九州を監視したことを強調するなら、
畿内王権の力を大きく見てることになり、確かに
>>611の他説への批判は自己矛盾することになるな。
627 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:25:01
>624
東瀬戸っつー言い方おかしいんじゃない。
阿波讃岐の連合体、吉備の連合体はあっても
両者は別のもんだよ。
後者は、播磨まで含む可能性はあるけどさ。
>>625 三角鏡の有無と特殊器台の有無は新旧の基準にはならない。
例えば大和天神山はどうなるのか?
正確には、「有る」ことはそれで編年的位置が分る根拠になりうるが、「無い」ことは評価が難しいのだ。
普遍的な遺物で、型式を比較できるものである土器と鏃から、ホケノは下る可能性が高いと言われている。
周濠下層も布留0式が出土しているし。
近藤説の評価は別にして、ホケノを古く見る立場にきちんとした根拠があると思わない。
漏れは発掘まではホケノが古いと思っていたが、調査の結果をみてこりゃ新しいわ、って思ったが。
銅鏃とかやっぱり古くできないよ、あれって。
629 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:28:20
>614
611だが、そんなことは言ってませんが。
別の人では?
630 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:32:59
>628
そりゃねえだろ。
石野博信なんか、最近では勝山より古く置いてるぞ。
>>615 >またいい加減なことを言う。
>古墳規模は、庄内から圧倒的に畿内が大きい。
古墳の大きさばかりに目を向けては駄目だ。
4世紀末から5世紀にかけて、古墳に埋納される武器の様相は
著しく変化する。数百本の刀剣など、大量の武器が副葬されるなど。
つまり大王の役割は、4世紀末〜5世紀にかけて、「祭祀王=宗教的
権威による共同体の調停者」から、軍事的指導者へと劇的に変化した
わけだ。
高句麗との消耗戦を継続する上で、中央集権への道は必然であった
ためだろう。
>>611は>598じゃなくて>599へのレスだろ?
んで、>599は>596へのレスじゃないの。
>611と>596は別なの?流れからいって同じ人にも見えるけど。
それならそれでいいが、>596と>599についてはどう思うのさ?
>>611さんは
>>616の指摘にも答えてね。
それと、
>>630の>614って>615の誤りだよな?
633 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:38:54
>622
>ホケノについては箸墓より前とは必ずしも言えないので、それで近藤説が否定されたとするのはどうだろ?
>ホケノの時期は橿原でも割れてると思う。
>むしろ問題は、石塚、勝山、矢塚の内容だな。
(東田大塚は墳丘下の井戸が布留0式なので、これより遡らない)
KKKの報告書には、
「古墳時代は3世紀後半はウソで2世紀に突入か?箸墓より古い中山大塚より
さらに古い、ホケノ山と中山大塚の間にもなんかある」
など言いたい放題書いてあるが・・・
>>631 漏れは>615じゃないが、3世紀段階でも畿内王権(その起源は別として)、ある程度の力は認めていいと思うが。
まあ4世紀末に質的変化が起こったことも賛同。
しかし、それ以前が中央集権でない、て言っても、北部九州まで何らかの力を及ぼしたのは事実だろ。
これは自生だろうが東遷だろうが同じだと思うが。
635 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:43:37
庄内の古い段階で北九州から庄内式土器が出てるじゃん。
>>633 元副所長の言いたい放題は置いておこう。
報告書が出た時に、若い研究者がどう報告し、どう反応するかが問題だ。
>>630の石野説は豊岡氏の受け売り。
たまたま古いS字甕など古い土器群が周濠にいくつかあるからだが、石塚に纒向1式が多かったことと同じで、ちょっと怪しい説。
周囲のそれまでの集落を造成した時に古い土器も入ったとした方がよい。周濠下層には布留0式も多く、こっちを採るべきだし。
また確実には主体部の遺物で決めるべき。
またレス番号がずれてるな。なんか他の人もなぜかずれているのがあるね。
>633と>630はそれぞれ>634,>631だよ。
今日はもう寝るからあとは宜しくね。
639 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:51:28
>636
それ以前にホケノ山が箸中山と同じくらいだと言ってるやつなんか
今時いるのか。
>>621 完全に否定?
日向西都原と縁が深い応神が、葛城の協力の下、東遷して畿内王権を簒奪。
日向三代はその時に皇祖神話に付け加わった。
日向三代を追加したため、神武東征を記述する必要が生まれた。
後世、継体が応神の裔であることを僭称したのも、大王家の始祖王が
応神である、という記憶があったため。
641 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:54:00
>640
橋口説ってそんなの?
そりゃダメだ。
話にならない。
642 :
日本@名無史さん:05/02/27 02:58:34
3世紀後半最大の中央集権的墳墓は吉備(倉敷)のたてつき遺跡(きりきりの4倍)で
道教的四獣信仰、朱(水銀)40キロ使用(異常な量で当然輸入)巨大玄武石使用
つまり瀬戸内シーレーンは吉備支配下。
吉備に出る特殊器台が出雲、大和に進出し埴輪の元になる。大和まきむく遺跡に
吉備式墳墓を母体に列島各地の様式が結集、初期前方後円墳完成するも、まだ最大の
古墳は吉備の造山、作山古墳(国内4、9位)だった。
つまり4世紀の最大権力者は吉備出身。ご存知のように吉備には騎馬系出土品は多い。
スキタイ文様、匈奴、ペルシャ風馬具、壁画。古代重要な渡来最大の秦氏も3世紀
から駐在説もある。秦氏は金官国、夫餘系という説から単純に大陸系渡来人の総称
まで各説あるが、吉備では高梁川のたたい堰造営、40メートル規模の岩倉祭事、
製鉄(蘇我、物部などと共同運営)など運営、後に律令や仏教国家神道導入で活躍する
赤穂、山代の秦氏よりも古そう。
日本書紀では神武は8年滞在し高嶋宮で建国大和出立(2・11)し、応神仁徳天皇親子
は吉備の皇后を追って長期里帰りをしている。騎馬系吉備主導による大和連合成立が妥当。
>>640 米田敏幸氏、今尾文昭氏などはそう見ている。
2003年3月のKKKの企画展示の「古墳出土土器が語るもの−オオヤマトの前期古墳資料展」を編集した小池香津江氏(若手の庄内式研究者の1人)はホケノを明確に纒向3式(新)(=布留0式)築造と整理していた。
結構いると思うよこの立場の人って。
>>641 話にならない、と言うなら、
何故記紀神話に日向三代、神武東征があるのかの説明をしてみて。
応神以前は全部捏造、とか言ってみますか?
>>641 橋口??塚口だろ?
>>643 4世紀には騎馬文化系遺物は無い。もちろん吉備にも。
5世紀初頭以降の話だ。
造山作山は5世紀前半から中頃だし
支離滅裂だよそりゃ。
646 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:04:32
どっちにしろ近藤義郎は学説史の世界におさらばだね。
647 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:05:48
塚口説ってどんなのよ?
本当に応神東遷説なんてトンデモ説なんですか?
648 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:06:54
異説を排除するのはよくない。
古田先生のような優れた在野の学者を無視してきたこと
こそが日本古代史の混迷を招いたのではないか。
原田大六ですらアマチュアだったからこそあの業績を上げる
ことができたことを忘れるべきではない。
649 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:08:58
このスレって、時々偏狭な畿内説論者がにわかに集まって
九州王朝説打倒キャンペーン張ってるけど、相手は醒めてるんだよね。
挙句の果てに、だから九州王朝説は電波だの、追放しろだのって
なんか違うんだよね。どっちが荒らしの犯人か、よ〜く考えたほうがいい。
650 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:10:30
漏れは豊前にあった秦系、月氏(突厥)系渡来人集団が、吉備乃至は投馬
国による攻撃乃至は強力な勧誘により投馬国の吉備地方に誘致されたと見ている。
吉備というのは敦賀気比神社近辺から岡山県に移動したのではないかとも考えて
いるんだけどね。他方近畿、東海地方にも求心的動きがあり投馬国がもこれにのって
纒向に新都を建設する運びとなったのだろう。東遷という記紀の言葉に幻惑されず
もっと自由に解釈してみようではないか
651 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:14:04
出雲というのは渡来系が任那の倭国女王政権から東国出雲に追放されること
ではなかろうか。アマテラスとスサノオの対立は三韓地方を舞台としたものであると
見るのが正しいかもしれない。倭国というのは対馬海峡を中に挟む南北それぞれ
三カ国合計6カ国の国であったと見たい。
652 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:15:03
この倭というのは縄文人の末裔のほかに満蒙朝鮮などのいわゆる五族協和の
多国籍集団であり不安定で、流動的であったが、弁真の鉄鋼資源の枯渇、楽浪
高句麗などの圧力、環境変化による農業不振などの何らかの理由で日本列島への
進出が必要となった。このとき天孫と出雲の分極が始まった。私は天孫とは九州
東岸の勢力でその中心は豊前にあり、海人族とは海幸、山幸の形で対立はするもの
の、血統的には縄文の末裔であり、出雲族とは燕と倭の縄文系以外の集団ではなかっ
たのかなと思う。
653 :
日本@名無史さん:05/02/27 03:16:26
箸墓に始まる巨大古墳の建設は箸墓システムの一環である蚩尤神、兵主神
の示すとおり、万里の長城などを建設した土木技術、宗教を持つ秦の遺民が
工兵的な役割を演じて建設され、天孫に献上されたのであると思う。これは出雲族
からの国譲りとして記紀にあるとおりであろう。
>しかし、それ以前が中央集権でない、て言っても、北部九州まで何らかの力を
>及ぼしたのは事実だろ。
>これは自生だろうが東遷だろうが同じだと思うが。
北部九州に対抗する意味で連合したのが邪馬台政権なのだとすれば、
中央集権でなくても、北部九州に圧力を加えた、というのは充分にあり得る
と思う。鉄ルートの奪取が連合の目的とされているね。
まあ、北部九州も倭国王位を奪われたとしても、連合国内でそれなりの地位を
占めていたとは思いますが。
北部九州が完全に畿内王権の軍門に降るのは、磐井の乱以降のこと。
>>651-653って「しばらく」か?
いずれにしてもきちんとした根拠による議論を目指すこのスレには来て欲しくない内容だ。
>>654 まあ典型的な自生説派の主張だろうけど、どうやって九州から奪ったんだろ?どうやって圧力かけれるんだ?
しかし
>>まあ、北部九州も倭国王位を奪われたとしても、連合国内でそれなりの地位を 占めていたとは思いますが。
>>北部九州が完全に畿内王権の軍門に降るのは、磐井の乱以降のこと。
とまで折れたからとりあえずヨシとするか。
それと一大率がいる理由は、東遷説や共立説でも説明はできることは認めるということでいいですね?
>それと一大率がいる理由は、東遷説や共立説でも説明はできることは
>認めるということでいいですね?
意味不明。
一大卒は畿内王権が、油断ならない同盟者である北部九州を監視
するために置いた機関だろ。後世の大宰府のルーツ。
吉備はレスペクト屋さん。「大都会岡山」厨はその精神的子孫。
どこをレスペクトしているかで、「中心」はわかると思う。
660 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:05:00
>606
>>604 >父子継承の体裁だが、それは実態ではない、ということでしょうか?
>また大津透氏の論文名を教えて下さい。
「古代の天皇制」第2章 「大王とチヂ」
本来、神武から崇神に至る地位継承系譜が稲荷山鉄剣と同様
「児」で伝えられたとするもの。
661 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:10:17
「大王とチヂ」→「大王とウヂ」 に訂正
662 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:13:07
文献を援用するのはいいが、今は文献の学者が全く駄目なん
だよね。なので学説をまともに引用できないんだよ。
未だに破綻した邪馬台国九州説を唱える人がいるような世界
だからね。他にも崇神初代大王説、神社建築7世紀成立説、
大嘗祭天武朝成立説とか考古学的事実に反したヨタ話を平気
で吹聴している学者がいますから。
663 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:21:20
畿内ローマ説は説得力がある。
サヌカイトで武装した精強な軍団の姿が目に浮かぶ。
664 :
司会:05/02/27 11:24:22
九州王朝説・騎馬民族説の荒し行為が頻発していますが、
引き続き完全無視でお願いします。
@吉備東遷説に対して何人かの方から庄内式土器の分布、
その影響が布留期以降に限定される、実は新しさを装っ
た古い説ではないかなどの批判が出されています。
これに関連して近藤義郎は学説史行きとの意見が出され
ています。
A阿波・讃岐地域とホケノ山の墓制の共通性について問題
提起がありました。
A東瀬戸地域及び瀬戸内ルートに対して、倭王権成立にお
ける出雲地域・日本海ルートの重要性について問題提起
がありました。
B畿内ローマ説が提起されています。
C文献の立場からも議論を深めるべき、欠史八代の扱いについて
考古学的に数名の大王が想定され、系譜のみ残ったのではない
かとの問題提起が出ました。
665 :
司会:05/02/27 11:25:29
以上、よろしくご議論下さい。
@△鏡など鏡についての議論が前スレッドで途絶えています。
これについて議論を深めていただくようお願いします。
A西方への庄内式土器の移動だけではなく、東海系S字瓶、
5式瓶などの当方への移動もご議論下さい。
>>658 >一大卒は畿内王権が、油断ならない同盟者である北部九州を監視するために置いた機関。後世太宰府のルーツ
かなりこのスレにしては曖昧なカキコですね。
貴方達の大好きな『考古学的根拠』又は『文献的根拠』が示されないカキコですが。
仲間内なら何でも有りで、少しでも肌の合わないヤシは『スルー』や『荒し』扱いですか
ヘェー
667 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:30:20
ドイツを統一したプロイセン、オーストリアは、北方辺境拍、東方辺境伯だった。
辺境での闘争に鍛えられた辺境が中央を制することはいわば歴史の法則とも言えよう。
失礼しました
>>666はプラムです。
書き忘れました。
669 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:46:41
>602
まず、北九州地域が
・政治的には青銅器威信財、祭器などを共有する地域であり、
・経済的に見てもこの地域内において、鉄、石斧、石包丁といった
生産財が流通する
ことは考古学的に確認されています(下條等)。
また、伊都国・奴国地域を中心に威信財が配布され、この地域を
中心にピラミッド型の階層が形成されていたのではないかとの
推測がなされています(原田、寺澤等)。
さらに、文献の立場からは、伊都国王が中国王朝から倭国王に
任命されていることは広域の支配の傍証とはなるでしょう。
もちろん、私は、
T 伊都国を中心とした九州西部四国地域
U 4隅を共有する山陰地域
V 特殊器台を共有する吉備地域
W 阿讃地域
のU〜W地域において、そのような政治的・経済的ブロックが
形成されていたことを否定するつもりは毛頭ありません。
しかし、T地域がこれらより少なくとも考古学的に見れば政治的
・経済的ブロック形成が強く確認されていることは確かなことと
言ってよいのではないかと思います。
>>668 プラムは来ないでくれ。スレが荒れるから。
ただ
>>666の指摘はもっとも。以後、名無しで書き込んでくれれば。
671 :
司会:05/02/27 11:53:53
古墳編年を参考に置いておきます。
庄内1 石塚
庄内2 勝山?↑
庄内3 矢塚
メクリ山1号
布留0 ホケノ山?↑
東田大塚
中山大塚
箸中山
布留1 黒塚
桜井茶臼山
布留2 メスリ山
【以上、橋本輝彦氏】
672 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:56:54
>606
>でも欠史8代とか神武とかについてはやはり厳しいと思うが?
>また神武については応神天皇伝承の変化だとする有力な説があり、
>納得できるが(『東アジアの古代文化』最新号の塚口義信氏の説)
それよく知らないけど、前提となってるらしい河内王朝説が既に
文献でも「有力」じゃありません。今唱えている人が死んだら終
わりですね。考古学でも同じでは?
673 :
日本@名無史さん:05/02/27 12:04:58
>>664 騎馬民族説のレスなんかあったか?
まとめ@〜Cも貧弱すぎる。
司会の能力ゼロのくせに仕切るなよ。
675 :
司会:05/02/27 12:17:54
九州王朝その他九州説、サヨ、チョソ、プラムの出入りを禁じます。
また畿内説でも傍流は本流を尊重しつつ参加を認めます。
676 :
司会:05/02/27 12:19:42
>>675 全く同意します。これ以上荒らされては議論にならない。
677 :
日本@名無史さん:05/02/27 12:23:29
基地外さらしage
>一大卒は畿内王権が、油断ならない同盟者である北部九州を監視
>するために置いた機関だろ。後世の大宰府のルーツ。
あまりに恥ずかしい認識。通説では一大率の設置者は「わからない」
680 :
鴨禰宜:05/02/27 13:39:25
一大卒・・・中国同様で同様に発音される卒という官職があるが、この国では唯一
の絶大なパワーを持つ役職、といった意味だろう。
帥升とか大宰府の帥というのは1世紀ごろから置かれていたんじゃない?
681 :
鴨禰宜:05/02/27 13:46:37
言わしてもらえれば葛城の卒彦も筑前の守といった意味だろうね。
一大卒の役割の一つに、半島鉄の安定供給の為
近隣諸国の治安安定
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/27 14:28:35
ま、
大宰府なんて置いたのも畿内説の弱点だな。
なんで
置いたのか不明だからな
本来対馬でないと駄目だしな。
ここはほんとに学問板なのだろうか。。。
このスレは一部人が使用するHPです。
2ちゃんでは排他的なスレッドは削除の対象です。
個人のHPなら、独善も自由です。
>>1 のローカルルール(3)は、いったいなんなんだ?
いきなり出入り禁止かよ。
このスレが独自路線でひっそりやりたいのは理解するけど。
それなら『倭人伝』に記載されてる文章などを使用しないでほしい。
ましてや、カキコする『ひらがな』もスレ違いなので遠慮願いたい(平安朝)のもので
このスレには相応しくないはず
少なくとも日本語の読めない方には御遠慮願いたい。
>>690 誤爆ではないと思うがなー?
ルールに沿った反論のはずが、いきなり出入り禁止なんだわ!
>>692 はて?
話が通じてないですね。
3番は、初代スレからの伝統ですが、ほとんど空文化してます。
※再掲
*ローカルルール
1)日本史板ですので、文献無視ではありませんが、
邪馬台国論争・九州王朝ネタ・神武伝承等は専用スレへ。
2)荒らし・粘着・ループは、完全スルー!
初心者・スレ違いは、適時誘導。
3)自説発表及び反論は、コテハン&トリップを推奨。
4)異説、異論を排除してはなりません。大いに議論して真理を探りましょう
出ていくとするか!
次期スレの中に『プラム出入り禁止』と、でも入れといてくれよ
よろしく
>>694 ハハハ。
スマン、プラムだったのか。
多分、>670は、半分冗談だろう。
でも(1)番に抵触しなけりゃ、誰も本気で文句はいわないよ。
696 :
日本@名無史さん:05/02/27 18:58:25
>九州王朝その他九州説、サヨ、チョソ、プラムの出入りを禁じます。
>また畿内説でも傍流は本流を尊重しつつ参加を認めます。
賛成です。
傍流は、傍若無人な態度を改めるべき。
どっちが傍流なのかw
>697
少なくと>696には、ご退場願いたいな・・・
本流と自称するしか自尊心を保てない一部の自生説香具師が、反論できない論拠をつきつけられると荒らしが横行するという事実があった。
さらに成り済ましによるコピペ歪曲と言う卑劣な手段もあった。
九州王朝、プラム、鴨禰宜、そして偏狭な自生説香具師は出入り禁止にしてほしい。
>>679 一大率の設置者は定説では女王(倭国王)のはず。
ただし女王ヒミコは邪馬台国の王、というよりは共立された倭国女王であるが。
帯方郡が設置したという珍説があるが、まともな学者にはほとんど相手にされていない。
>>659 「油断ならない同盟者」ってことは共立主体でもいいじゃん。
実力をよくわかっているということだから、「東遷」説でも故地の同盟者ということでもありだと思うが。
例えだが江戸幕府だって親藩・譜代大名も監視している。
>>672 塚口氏は神功皇后伝承も有る程度評価し、記紀と古墳の考古学的成果から4世紀末の内乱を想定している。河内王朝説とも距離をおいている。
一度読んでみてからカキコしてくれ。
>>670 基本的認識は賛同する。
ただ伊都国王=倭国王は「支配」した王だろうか?
ただし、丹後や播磨はどうする?
その他、近江、越、濃尾、畿内は?
それと古墳初頭前後の伊都国と奴国は微妙な関係と思うが、どうよ。
>>665 畿内=ローマ説だが、
>>472を読め。検討に値しない説だ。
というか「司会」は畿内香具師じゃないのか?
>>664 これ本気で書いてるの?
サヌカイトの軍団て、弥生後期の畿内の鉄器普及を自ら否定するような発想だし、そもそも戦士層の証明がスパルタと同様なされていないな。
畿内=スパルタ説は
>>338-339に適切な指摘があったが、ローマ説も同様だよ。
畿内はローマみたいな都市国家で、軍事・政治制度が確立した社会段階だったのかよ?
ただ
>>339はスパルタの城塞が紀元前3世紀とするが、だったらアレキサンダーより後じゃないのか?細かい点だけど。
まあどっちにしてもスパルタが弱体化したころに初めて城塞が築かれたというのはいいのだろうが。
>>699 スレを守ろうとする努力は認めるが、君の行為は『2ちゃんねる』のル-ル違反だぞ
それに、どうしても閉鎖的スレを守ろうとしたいならそれなりのリスクは必要だろう。
そう、『庄内〜布留』を語るのに『平安朝』の(ひらがな)を使用することは無いだろう
当時の文字を使いたまえ
>>668 >ドイツを統一したプロイセン、オーストリアは、北方辺境拍、東方辺境伯だった。
>辺境での闘争に鍛えられた辺境が中央を制することはいわば歴史の法則とも言えよう。
前段の行は歴史的事実だが、中世国家段階であり、国家形成段階に適用できる例とは思えない。
下段の行も、「歴史の法則」とするが、文明度の高い中心的な国家勢力が領土を広げていくということも「歴史の法則」だ。
いろいろな事例のある歴史から自説に都合のよい例を引っ張って来てもそれは論証にならない。
ちなみに、例えば明は最初、南京に都を置いていたが、永楽帝がモンゴルとの対抗上、北京に遷都した。
アフガンのゴール朝は北インドに侵入し、征服したが、武将アイバクはデリーに独自に王朝を建て(奴隷王朝)、逆にゴール朝を乗っ取った。
アレキサンダー大王の死後、ヘレニズム諸王朝が建設されたが、そのうちもっとも有力なセレウコス朝シリアはシリアのアンティオキアに首都をおいたが、ペルシアまでの東方に広い領土の統治のために、メソポタミアに第2の首都セレウキアを築いた。
はじめヘカトンピルスに都を置いたパルティア王国は、ローマとの戦いによりメソポタミアを奪取すると、そこに新領土の統治のために首都クテシフォンを築いた。
もと地中海東岸に根拠を持ち、地中海貿易で繁栄したフェニキア人は、地中海各地に植民市を築いたが、特にフェニキア最大の都市ティルスは植民市カルタゴを築いた。このカルタゴは母市ティルスを凌ぐ勢力となり、地中海に覇権を築き帝国化した。
以上のように、「東遷説」のような状況を説明する世界史上の類似例を引き出すことができなくはない。
状況が違うだろ、と批判が来るのは承知だし当然だろうが、そうした批判は畿内=スパルタ説や畿内=ローマ説と同じ。
つまり、安易に歴史上の類似例(アナロジー)を持ち出して、不明確な歴史の復元の論拠とはできない(都合のいいアナロジーはいくらでもありうる)、ことを言いたかったまでなので、その点はよく自戒されたい。
上のカキコですが、必ずしも、東遷説を単純に支持するわけじゃないので、念のため(同時にあり得ないわけではない、とも思っていますが)。
真意は、重複しますが、安易な歴史上のアナロジーを持ち出す一部の畿内自生説論者に対して、それは安直だろ、あるいは全然論証になっていないだろ、と言いたかっったので。
>>704 とにかくご苦労さん
まさか、このスレで世界史の参考書まで紹介されるとは予想できなかった
つーか『一大卒』と何処でつながるのかい?
俺には理解できん。
>705は理性派ですね。納得しました。歴史って難しいですね。
708 :
日本@名無史さん:05/02/27 21:13:34
[邪馬台国の遺跡か?今世紀最初の大型発見]
福岡県教育委員会は1日、昨年末から行われていた発掘調査の結果を発表した。
これによると、福岡県廿日市朝倉郡の平塚川付近の山の一部が3世紀中要の円墳であることを確認し、内部の石室から親魏倭王の金印を含む、木 簡、鏡や鉄矛など150点近い遺物を発見したと発表した。
また、高齢の女性のものとみられる人骨も発見され、調査団はこの人骨が3世紀末頃に死んだ「女王」のものである可能性が高いと述べた。
石槨は小型玄武岩を積み上げた独自のもので、棺などは見つかっていない。
調査団は人骨を囲むように置かれていた鏡の破片を 精巧な舶載鏡と見ているが、結論は現在材質と様式の精査を依頼している橿原考古学研究所の結果待ちである。
この一連の発見により、これまでの古代史の趨勢は大きく変わることになる。
ここ数年、邪馬台国近畿説を裏付ける発掘が多かったが、所謂「論争」が再燃すると思われる。
産業能率大学教授・安本美典氏の話
「世紀、いや神武以来の大発見である。近年の考古学の成果は、近畿説のドグマに支配されたものが多く、科学的なものとはいえなかったが、これで決定的になった。おそらくこの直後、邪馬台国勢力は、近畿に東遷し、大和朝廷となったのだろう。
私の数理文献学によっても、このことは裏付けられる。」
国立歴史民俗博物館企画調整官・白石太一郎氏の話
「確かに大発見であるものの、これまでの考古学の成果を無視してはならない。邪馬台国は近畿であったとするのが、合理的である。即断してはならない。
近畿にあった邪馬台国、すなわち大和王権が、この地方に魏鏡などをさらに下賜したのではないかとも考えられる。」
709 :
日本@名無史さん:05/02/27 21:16:33
素人に九州説が人気あるのはなんでなの?
711 :
日本@名無史さん:05/02/27 21:18:36
>>386 応神以降というか仁徳以降でそ。もともと仁徳以降まで実在を疑う説はなかった。
(倭の五王が仁徳王朝だという前提だけれども、まぁそれはともかく)
稲荷山鉄剣以来、神武〜応神の実在を積極的に主張してきた一部の学者は勢いづき
それ以外の学者も「実在否定論」をひるがえしこそしなかったけど
積極的に主題にすることもめっきりなくなった。左翼的には「結論でてるから」
という言い訳だろうけど、
>>384のいうように学界では日増しに記紀の伝承に
信頼が置かれるようになってきてるのが事実。この風潮に便乗して、崇神〜応神
の実在説は一時は影が薄かったけどまた以前のように三輪王朝論・河内王朝論と
のからみで容認されてる雰囲気。ただし明確な議論はなく「この天皇は実在だが
この天皇は捏造」という具体論はさけられる傾向。
>>388のいうとおり顕宗や
武烈の実在を疑う説もあるけど今現在それほど有力だとは思わない。
しかし神武〜開化については、まだ多くの学者は様子見であんまりふれない。
人間としての実在は認めないが後世の捏造ではなく実在した神話として認める
というヒネった説も出てきてるが、過渡的な現象だと思う。
それと単に本人が実在かどうかという問題と別に王朝交代説の問題もある。
伝承が信頼できるということは系図が信頼できるとほとんど意味が同じ。
まず継体天皇の系図の肯定論が早くからいわれてきていた。しかし顕宗・仁賢の
兄弟の出自や仲哀と応神のつながりなどは詳細には論じられてはいない。
仲哀とのつながりを論じるのはとりもなおさずそれ以前の王朝の実在性
(否定するにしろ)にふれざるを得ないからめんどくさい。
>>711も前の文章のコピペで、スレの流れから行ってここでなんで出てくるのか分らない。
それにこのスレの文じゃないみたいだし、他スレ(神武天皇スレ?)からみたいだが正確なコピペなんだろうか?
↑一応、欠史8代の話題のためでは?
でも他スレからそのままコピペだと、>>の番号が合わないから非常に分かりにくいな。
>>710は他スレからのコピペだ。基地外がやたらに貼り付けている。
アンカーだらけの
>>710も、字数の多い
>>711も他スレからのコピペ。
だからどんな発言に対して言っているのか意味不明になっている。
710ですが、、、
慌てて別スレに先にカキコしてしまったので、、本来はコピペじゃありません。
訂正指摘したのですが、かえってアンカーだらけで見にくくなってすみません。
漏れが慌ててしまいました。ゴメンナサイ
>>711の基地外とは別なので、何とぞお許し下さい。
>719
お前、九州王朝スレに巣食ってる持論なしの一行レス粘着だろう(w
アラシ君のお里が知れました・・・グッジョブ!でしたな。
722 :
日本@名無史さん:05/02/27 22:45:31
この頃の九州と機内って後の機内と関東みたいな関係だったのかもね。
しかし
>>675に応える
>>676も自作自演なんだな。
どうせ自作自演なら、せめてコテハン変えろよなw
そもそも、古墳の定義ってなんぞや?
この頃わからんようになった。
時期?、形態?、
725 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:39:09
畿内スパルタ説
畿内ローマ説
畿内プロイセン説
どれが正しいのよ?
726 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:41:26
「見直す」北條部分全然ダメだ。
石塚は現地権力者の墓ってのは何だよ?
これじゃ師匠とかわらねえな。
畿内王権と言っても、当時中国で認めてもらえなければ『王権』とは言えないのが真実だろう。
畿内の王権が正式に認めてもらえるようになったのは『旧唐書』の中に書かれてる『倭』⇒『日本』に変わった所からだ。
よって
『庄内〜布留』辺りに存在した畿内権力集団を 『王権』と唄うのはいかがなものか?
728 :
司会:05/02/27 23:59:39
675,676は俺じゃない。
だいたい
初めから間違っていたんだよ。
『王権』などというものを土器編年(考古学資料)で解決させること事態が間違いの元なんだ。
対外政治を土器や鏡で解決することが
一番荒らしてるのが畿内派ってのは笑えるな
畿内自生派に激しく噛み付いてる畿内派も無様だね
どうも九州王朝派が出張してきてるみたいねw
珍しく九州派もいたな
>>696みたいな唯我独尊が偉そうにしてるんだから、どうしようもないな
>721
>719はアッチのスレにあるけど、どうも本当の誤爆みたいよw
737 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:46:12
何故に回答もせず、そのような発想がすぐ出てくる。
>>730-734 お前達が『荒らし』のもっとも元凶だ。
とりあえず
『荒らし』の元凶を発見したぞ
そちらに引き渡すので後の対応(^-^)/
図星だったな、この基地外畿内自生派
>>739 言い負かされて、勝てなくなったから荒らしてるんだろ。
>>725 どれも間違いということが結論づいたと思うが。
以前からいた良識有る、スレの住人なら今まで
くだらない質問にも答えてくれた。
このスレも変わったね。
「司会」の
>>728に聞きますが、
じゃあ、このスレに巣食う偏向自生派の説に対してはどう思う?
それと自生派の根拠や説(畿内スパルタ説みたいな珍説もある)はほとんど使えないことが分って来ましたが、その辺も整理してね。
744 :
日本@名無史さん:05/02/28 01:11:04
無理じゃないかな〜。「司会」氏は決して公平な参加者じゃないように思う。
>>664-665がその証拠。
>>742 いや、本当は940氏、似非方丈氏、老教授氏、豊前説氏その他の良識派(理性派)はコテハンやめてカキコしてるんじゃないかと思うよ。
あと前スレまでは伊都国派が粘着質だったが、最近は少し落ち着いて議論ができるようになったみたいだ。
ただ、一人の外基地自生派と九州王朝派が荒らしてるのでコテハンをやめたんじゃないかと。
でも、良識派に向けてまた素朴な質問したら答えてくれると思うよ。
ただ質問ばかりじゃなく、自分で勉強する必要もあるかと思うけど。
「司会」何か言えよw
魚の釣り方も以前、この住人さんに習ったことだ。
以前、釣られたのはこの藻れだけど
『九州説』でも、逸脱なければ参加出来るはずのに
>>703 >>そう、『庄内〜布留』を語るのに『平安朝』の(ひらがな)を使用することは無いだろう
>>当時の文字を使いたまえ
これどう言う意味???
>>699がルール違反というのも分らない。この状況じゃこう言いたくなる気持ちもわかるが(w
>>747 前に940氏が言ったように、九州王朝説の参加はちょっと、、
まず考古学的議論ができないことが多いので噛み合わない。
まあ、九州王朝説をここで言わず、畿内説排撃の煽りをしないのならありかもしれないが。しかし前に941氏が議論に絡んでおかしくなったこともあり、正直難しいのではと思う。
以前の豊前説のように、考古学的議論も吸収しようとする良識的な「九州説」(「九州王朝」説ではない)ならいいのかもしれないが。
749 :
日本@名無史さん:05/02/28 02:01:06
>>748 矛盾する部分をつけるのはやはり『九州説』だと思う。
『ひらがな』云々は、
出入り禁止までして閉鎖的スレに対しての比喩
そこまで完璧にしたいのなら平安のひらがなではなく当時の言語や文字を使用した方が『荒らし』もいなくなり、より完璧だろう
>>749 当時の言語って、上古〜中古の漢語?文字は漢字のみ?
それとも原日本語?(倭語?)
比喩としても、そりゃ無茶すぎて何言ってるかかえってわからないのだが。
>749はどうしたいというんだよ?
>>1のローカルルールの1)2)からいってもある程度の出入り禁止措置はやむを得ない。
4)をどう考えるかだが、異説を傍流だとか野郎事大だとか罵るヤシこそルール違反じゃないか?
>>749 まともな「九州説」(「豊前説」さんとか)はまあいいかもと書いた(>748)ので、一部賛同するが、「九州王朝」説はやはりダメかなと。
九州王朝説は上に書いた通り、1)で禁止されているはずだが。
もともとの940氏さんの意図も、ある程度閉鎖的スレにするのはやむを得ない、ということだったかと思うが。
940さんはどう思いますか?
上の議論にあるように、出入禁止をどうするかは問題がある。
ただ、荒れないための方策を考える必要があるな。
次のスレで、そのスレだけID表示とかできないのだろうか?
トリップつけるようにすればいいのかもしれんが、実は漏れ、トリップの付け方って分からないのだけど。スマソ
754 :
日本@名無史さん:05/02/28 04:33:45
今のままではどんなことしても荒れる。
畿内王権を語る前にやはり『邪馬台国問題』をはっきりさせないと必ず『荒れる』
邪馬台国問題はすでにかたずいたものなら
矛盾無く説明してからスレたてるべきだ
きちんとした説明あれば九州説や畿内説の垣根がとれる
元々矛盾だらけのスレだから荒れるのは当たり前
とにかく、一から『邪馬台国論争』を始めるか
何でも有り状態の中で、隙間を狙って自分達の意見交換をするか、どちらか一つだろうな。
もう一つ有るとすれば『考古学板』に、移ることだ!少しは落ち着けるはず
『考古学派』は『文献派』を蔑み罵倒する。
そのくせ『文献』を利用する。
『考古学派』が文献を蔑ろにしつつ、文字を使用し掲示板説明するのが間違いの元
見下すのなら文字を使わず出土品だけを提示して終わりだ。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/28 10:36:30
文献学は戦前に神の手やってから
もはや考古学の僕だ。
考古学・自然科学が決定者で
文献学は単なる材料だ、
自然なことだ。
759 :
日本@名無史さん:05/02/28 12:28:49
考古学なら王統はわからない
考古学には邪馬台国の直接証拠は無い
それ以外の論議なら考古板でもいいが、つまらないスレになるな。
760 :
日本@名無史さん:05/02/28 12:45:22
奈良⇔福岡間の連絡方法は何かな?
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/28 13:02:41
金印、銀印が出れば決着だ。
中国で邪馬台国を特定する古い文献や地図が出てきても一緒だ。
考古学だけが証明出来る。その際、文献は無力だ。
証明できるのは考古学だけだ。
762 :
日本@名無史さん:05/02/28 13:57:08
金印と銀印
まさか海外の博物館の倉庫や個人の収集家の手に渡ってないだろうなぁ?
釣りだと思うけど、一応マジレス。
親魏倭王などの印が出土して解決することはあまりに少ない。
印は持ち運びできるからね。
九州で出土
邪馬台国九州説の傍証
九州王朝説の傍証
クナ国東遷説の傍証
奈良で出土
邪馬台国畿内説の傍証
邪馬台国東遷説の傍証
九州王朝説の傍証
いづれも成り立つですよ。
764 :
759:05/02/28 17:26:39
おかしなことを言う人がいますね。
このスレの趣旨のどこがいけないんですか?
古墳時代をもたらした畿内勢力の成立期をテーマに考古、文献を問わず意見交換ができればよいのです。
邪馬台国の所在地論争がしたいなら、
又は、九州王朝や記紀の神武天皇伝承に特化した話がしたいなら、
既にそれ相当のスレが、幾つもあるでしょう。
このスレは、二〜三世紀の畿内と他の地域の関係に特化した議論を楽しむところです。
自分の好みに合わないと言うなら、新スレを立てる等、ご検討ください。
掲示板での意見交換とは、互いに意思の疎通があってこそ成立するものです。
基本的な語意の定義から異なるような方には、レスも付けずらいですし、
探求すべきテーマが、違うのであれば、知識も興味も違います。
議論の幅を広げすぎてもしょうがないとおもいますよ。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/28 21:17:38
馬鹿だな。
単独で金印・銀印が出るということは
無いんだ。
>>766 まともに反論できないからって馬鹿よばわりはよせ。
漏れも763とほぼ同じ意見だ。お前みたいのがいると考古学徒の品位を落とされて恥ずかしくおもう。
768 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:52:39
>>758 私も釣られよう
>文献学は戦前に神の手やってから
神の手。。。自爆ですかそうですか
捏造体質は学会全体の問題ですよね
あのー、金印の話が出ていますが
魏が滅んで後継国に柵封されている以上、返却されたというのが通説です。
また、現天皇家が所持してるのではなく、どこからか出土するという事態になれば、王権交替が推測されてしかるべしです
770 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:21:40
>726
>「見直す」北條部分全然ダメだ。
>石塚は現地権力者の墓ってのは何だよ?
>これじゃ師匠とかわらねえな。
師匠の近藤氏も巻向の初期古墳から特殊器台が出てこないので、
自分の祖霊理論を守るために吉備東遷に転向しただけですから。
講演で石塚の質問されてあせってたらしいし。
彼の理論によれば、宮山式特殊器台が随伴することが初期古墳
の条件らしい。違うと思うけどさ。
>>704 >以上のように、「東遷説」のような状況を説明する世界史上の類似例を
>引き出すことができなくはない。状況が違うだろ、と批判が来るのは承知だ
>し当然だろうが、
あなたの博識には感服しましたが、「軍制」という視点が決定的に
欠けています。
当時の大王軍は、在地性の強い豪族の混成軍(葛城、紀、丸邇ら)で、
そのような状況下、本拠地を北部九州→畿内内陸部を想定することは難しい
のでは、と思います。
畿内遺跡に大規模な戦争の跡でも見つかれば、前言を撤回しますが。
772 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:29:04
>705
>上のカキコですが、必ずしも、東遷説を単純に支持するわけじゃないので、
>念のため(同時にあり得ないわけではない、とも思っていますが)。
>真意は、重複しますが、安易な歴史上のアナロジーを持ち出す一部の畿内自
>生説論者に対して、それは安直だろ、あるいは全然論証になっていないだろ、と言いたかっったので。
「ボク戦争が嫌い」の寺澤の妄想する「平和的な談合で唐古・鍵の卑弥呼が共立」説の
方がよっぽど安直でしょうが。そんなのこの時代に類例ないですよ。
773 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:32:40
>771
そのとおりというしかない。
戦術レベル・統率力で畿内サヌカイト軍団が大きく勝っていた可能
性がある。関ヶ原も豊臣家の権威や豊富な兵力に頼る西軍を家康が
統率力・見事な戦術で撃破した。
774 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:35:53
関氏の説では、北九州勢力(=邪馬台国連合)が瀬戸内海沿岸部への
鉄の流通を止めたが、出雲経由の鉄の流通路が確保されヤマト勢力(
畿内+出雲+吉備+東海)が更に隆盛した、とのこと。
海上封鎖できるとは思えないので、韓半島で生産される鉄の出荷を制
したということかな?
日田に拠点を置いて邪馬台国を攻略し・・・、というのも、そんな遠距離
の兵站を維持できる機動力(出雲⇔九州)が当時あったと思えない。
日田周辺を狭い範囲で眺めると、西方向への防御力が高そうに思えるが、
海岸線を辿れば東に回りこめる訳で、地勢的に言えば北九州勢力が有利。
それでも北九州勢力が劣勢であったとすれば、日田の南及び東方向の広
い範囲がヤマト勢力圏となります。これでは邪馬台国が小さな地方勢力
になってしまい、如何に魏がのんきでも倭人の代表と見なさないでしょう。
従って、私は北九州に邪馬台国があったとする関氏の意見を否定します
775 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:37:29
だからどうしてもずっと奈良でないと気が済まない連中が沢山いるんだよ。
なんで筑紫神話なのか、とか祝詞の「筑紫の日向の高天原・・・」とか、三国史記で
1世紀から営々と倭の侵略を受けていたこととか全部スルーだからね。神社の起源
も知っててスルーだし、古代学者の汚さは目を覆うものがある。
776 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:42:54
原爆を白人国に落とさなかった思考回路や
イエス・キリストを白人として描く思想的ゆがみと同様
九州蔑視に由来する偏向でしょう。
777 :
司会:05/02/28 22:43:11
九州王朝説・騎馬民族説の荒し行為が頻発していますが、
引き続き完全無視でお願いします。
@吉備東遷説に対して何人かの方から庄内式土器の分布、
その影響が布留期以降に限定される、実は新しさを装っ
た古い説ではないかなどの批判が出されています。
これに関連して近藤義郎は学説史行きとの意見が出され
ています。
A阿波・讃岐地域とホケノ山の墓制の共通性について問題
提起がありました。
A東瀬戸地域及び瀬戸内ルートに対して、倭王権成立にお
ける出雲地域・日本海ルートの重要性について問題提起
がありました。
B畿内スパルタ説、ローマ説、プロイセン説に対して、そのような
アナロジーを用いるのは安直ではないかとの批判が出ました。
C文献の立場からも議論を深めるべき、欠史八代の扱いについて
考古学的に数名の大王が想定され、系譜のみ残ったのではない
かとの問題提起が出ました。
778 :
司会:05/02/28 22:46:06
弥生後期の政治ブロックについて、以下が提唱されました。
T、Uの政治的・経済的優位性が提案されていますが、
ご議論をお願いします。
T 伊都国を中心とした九州西部四国地域
U 4隅を共有する山陰地域
V 特殊器台を共有する吉備地域
W 阿讃地域
>775
”だからどうしてもずっと奈良でないと気が済まない”人って誰や?
たまたま、西日本の広域「王権」が誕生したときの中心が大和だったんでしょう。
誰も大和の縄文人の末裔が政権を建てたとも言わないし、巨大古墳の多くは河内側だ。
文献時代になってからも、政権所在地は、あっちこっちへ行ってるじゃないですか。
780 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:48:25
>>771 倭国大乱の後、諸豪族の大同団結によって初期ヤマト政権は生まれた訳で、
中央集権の専制君主や、海洋商業国家で傭兵主体のカルタゴとかを比べる
のはどうかと思うがなあ。
有事には、豪族たちが自分の支配領域の農民たちに武器を配って徴兵した、
というような兵制では、遠隔地への遷都というのは説得力がない。
畿内に王権が生まれたとするなら、それは畿内在地勢力によるもの。
それ以前に北部九州に王権が生まれていたのなら、北部九州勢力によるもの
だろう。安易にイコールで結ぶのはどうか、と思うよ。
とりあえず「司会」氏は、トリップ付けれ。
付け方は、「名前」に続けて♯と任意の半角文字列(ただし禁則文字あり)だよ。
>>779 九州王朝説のヒスだから、スルーした方が賢明。
785 :
日本@名無史さん:05/02/28 23:10:42
自生厨とレッテル貼りで、論争に勝った気になってるのが約1名
いますけど、今のとこ考古学界はほとんど「自生厨」なんですがね。
約1名の高説を聞いて勘違いする人がいると困るので一応言って
おきます。
>>784 畿内自生説って、そんなにガチガチじゃないよ。少なくとも俺はw
「アンチ東遷説」っていうか。東遷の根拠が余りにも薄弱なんだよね。
畿内自生を必死になって否定しようとしている、というか。
最近の考古学の流行なんですか?
東遷のようなアクロバティックな持論を展開するなら、もっと謙虚に慎重に
なれば、と思うわけ。
特に自信満々な「伊都国東遷説」、あなたのことですよ。
787 :
日本@名無史さん:05/02/28 23:22:08
>786
>最近の考古学の流行なんですか?
違いますね。奈良の埋文のオヤジ約1名と「古墳時代を見直す」
という題名の支離滅裂な駄文を書いた変な3羽ガラス限定と思っ
て下さい。あと福岡県の方のおじさん達がいますが、頭の中がい
まだに戦時中なんじゃないでしょうか。
788 :
日本@名無史さん:05/02/28 23:37:06
うん。ちゃんと書かれてますな。
神功紀九年三月二十五日、山門県の土蜘蛛・田油津媛を殺したと。
田油津媛には兵を従えた兄がいたが、敗走したとある。
その2週間後には、北方の肥前国松浦県に行って玉島里の小川で釣りを楽しんだ。
文献から考えても、邪馬台国は九州・松浦の南方2週間以内の距離にあり、
畿内の大和朝廷に滅ぼされたわけだ。
そんなことは大昔から知られていたこと。
これ以上何を議論すると言うのだろうね?
>777がいつも指摘する
騎馬民族説
誰が荒らしているのかと小一時間(ry
>>786 老教授に粘着した「伊都国東遷説」に、謙虚さや慎重さを求めるのは、
土台、無理な話。
791 :
日本@名無史さん:05/02/28 23:44:21
老教授に粘着したのはエセ方丈じゃないの?
792 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:00:52
邪馬台国は宇佐を中心とした北九州にありましたね。
すでに卑弥呼の時代に大和朝廷と交流があったようですし
おそらく王族同士が婚姻関係を結ぶようになり
平和的に合併。同族化していきました。つまり大和朝廷が
徳川将軍家で邪馬台国・出雲・吉備あたりが徳川御三家みたいな
感じでしょう。そして4世紀後半に仲哀天皇が熊襲征伐に
九州にきているときに、邪馬台国側がひそかに仲哀を暗殺。
そして畿内へ東征して大和朝廷をのっとります。
これが応神王朝で、ゆえに宇佐神宮に応神天皇・神功皇后が
比売大神(卑弥呼)と一緒に祭られているのです。
比定地論争はしない約束だが、いくらなんでも宇佐固定ということはない。
度々遷都しているからだ。
794 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:14:13
井沢元彦の宇佐説は、考古学者にも一目置かれているらしいよ。
マジで。
>>792 「邪馬台国=宇佐」以外は概ね同意。
前線司令長官で日向に赴任していた応神が、対熊襲戦で兵馬を練り、
葛城や吉備の協力・承認のもとで、畿内に攻め上り、大王位を簒奪した。
それが4世紀末のこと。
対高句麗戦遂行のため、中央集権、強大なリーダーシップが求められた
ため。
「祭祀王を共立する」というそれまでの邪馬台体制では国家間競争に
対応出来なかったのだろう。
796 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:16:23
このへんで、電波呼ばわりする香具師登場か?
797 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:18:38
ただいま>777-778の司会氏が暴れようと狙っております。
今しばらくおまちください。
>>795 「対熊襲戦を止めて、半島へ目を向けよ」という神の啓示を無視して
戦死した(殺された)とされる仲哀紀の記述とも符号するね。
799 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:31:50
井沢の詭弁術に引っかかって信者になる奴は結構多いね。
古田武彦の九州王朝説も本人が『東日流外三郡誌』問題で馬脚を表すまで、熱狂的信奉者が多かったのと同じ。
つまるところ説得力ある文章を書く才能によるものだろう。詐欺師の鮮やかな口上にころりと騙されるのと同じよなもの。
800 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:33:08
また、学歴詐称野郎が現れた。
>799に続いて現れる釣り師ドゾ〜
↓
802 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:39:43
応神=久那国東遷説はあの日本の歴史シリーズ1巻で文献史家の
井上先生が唱えていた由緒ある説だね。近年、このような優れた
説を馬鹿にする考古学者が多いのはどういうことなんだろう。
藤村の捏造を見抜けないボンクラ考古学者達が井上先生を馬鹿に
する権利があるのか自問すべきだろう。
今晩は、妨害軍団の数が多すぎ。
諦めて、寝ちまおう・・・・皆の衆、おやすみ。
804 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:42:24
>797
司会は、方丈信者のおそらく腰巾着だな。
自作自演かもしれない。
805 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:44:58
次スレッド立てるの>
806 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:58:26
こんなスレッドいらない。
レベル低すぎ。
釣り師の観察はいかがでしょうか?
785 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/02/28(月) 23:10
自生厨とレッテル貼りで、論争に勝った気になってるのが約1名
いますけど、今のとこ考古学界はほとんど「自生厨」なんですがね。
約1名の高説を聞いて勘違いする人がいると困るので一応言って
おきます。
786 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/02/28(月) 23:16
>>784 畿内自生説って、そんなにガチガチじゃないよ。少なくとも俺はw
「アンチ東遷説」っていうか。東遷の根拠が余りにも薄弱なんだよね。
畿内自生を必死になって否定しようとしている、というか。
最近の考古学の流行なんですか?
東遷のようなアクロバティックな持論を展開するなら、もっと謙虚に慎重に
なれば、と思うわけ。
特に自信満々な「伊都国東遷説」、あなたのことですよ。
>>807 786を釣りと考えるのは、あなたの狭量によると思いますよ。
たまには自己の言動を省みた方がいいのでは?
はい、次の釣り師どうぞ
↓
>>806 レベルが低いと思うなら、考古学板へ行けば?
日本史板である以上、考古学的手法の限界も分かっていて欲しいが。
考古学の成果は常に更新されていく運命だし。
殷墟、トロイア、三星堆にせよ。
考古学者の文献軽視は目に余る。
811 :
日本@名無史さん:05/03/01 01:51:39
今夜もお祭りだーい。
やっと始まったな!
この場所に戻るとは
私の言ってること、そんなにおかしいですか?
ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡 __ ,、 ._____
l i''" i彡 |コココ|ヽγ"⌒ヽ .[[| |コココココココ|\
| 」 ⌒' '⌒ | |コココ|エ[ロロロロロ]:エ[[|:エエエ|コココココココ| |
,r-/ <・> < ・> | |コココ| .[|ゝ、__,ノ [| .[[| [| .|コココココココ| |
l ノ( 、_, )ヽ | |コココ|=[|======[|=[[|==[|=|コココココココ| |
ー' ノ、__!!_,.、| |コココ| .[| [| .[[| [| .|コココココココ| |
∧ ヽニニソ l |コココ|=[|======[|=[[|==[|=|コココココココ| |
/\ヽ / |コココ| .[|\.コ二二二二二|コココココココ| |
/ ヽ. `ー--一' ノ/ヽ ノ7_,,, 、
/ (⌒、"⌒ソ⌒ヽ─ '" `、 ( ィ⌒ -'"",う
~''(_)(_)(_)(_)ソ ヽノ ,イ^
ヽ/`、_, ィ/ L i v e d o o rヽ─
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/01 13:15:16
ま、
畿内説自生では銅鐸族を説明できず。
東遷説では時期が合わず。
どうしょうも無い畿内説だな。
814 :
日本@名無史さん:05/03/01 19:12:41
なに言ってるの?
畿内の人は自分で王権を必要として
自ら銅鐸祭祀を捨てたんだよ?
畿内の人は自分で鉄を捨てて
サヌカイトを選んだんだよ?
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/01 21:00:52
馬鹿だ。
>>>
畿内の人は自分で王権を必要として
自ら銅鐸祭祀を捨てたんだよ?
>>>
根拠は?
他の地域と同様に単独で埋めた理由は?
記紀や記録に残らない理由は?
銅鐸を捨て、新たな神を祭る。これが外部勢力によって強制された証に見えないのなら、宗教学、民俗学などを学ぶ必要がある。
ガイアナ人民寺院やウガンダ終末教団のように
集団自殺したんだよ、畿内の人は?
大国主系というかニギハヤヒというか、が銅鐸族でしょ。
祭器変更はまさしく「神が国を譲る」行為。
>>817 強制よりも帰属後の自発的改宗の方がはるかに多い
もっともらしくいい加減なことをいうなよ
821 :
日本@名無史さん:05/03/01 22:22:50
そもそも古墳、神社などのインフラ建設は天文学的測量によって宇宙とリンク
さす必要があり、宗教も絡んでくる。箸墓と兵主神社、山東省の蚩尤神、楯築と
モンゴルの「磐境」的古墳、韃靼族の中円双方墳、神体石のモンゴル族の神像との
類似、銅鐸、特殊器台のモンゴルの馬乳缶との類似等に目を向けててもしかるべきだ。
また、古墳建設にはある大きな地域がシステム的に必要であり、ある地域に共通する
宗教感覚が根付いたときに初めて成立するものだと思われる。
822 :
日本@名無史さん:05/03/01 22:26:55
土日のレベルに比べて平日のカキコのレベルの低さはひどいな。
823 :
日本@名無史さん:05/03/01 22:37:55
【東日流外三郡誌】の内容を簡単に説明すると、中世津軽地方の豪族、
安東一族の歴史と伝承を中心にまとめられた史書で、畿内大和の地にあった
「邪馬台国」の王、長髄彦(ナガスネヒコ)が、神武天皇に追われて、
兄の安日彦(アビヒコ)と共に東北地方に逃れ、新王朝を築いたというような
驚くべき伝承が記されている。そして、その王朝は長い間、大和朝廷と対立していたというのだ。
【古事記】【日本書紀】にはまったく出てこない話だが、
勝者である大和朝廷によって、
敗者となった東北王朝の歴史は抹殺されてしまったわけだ。
これら『和田家文書』を、和田喜八郎氏が制作した「偽書」だとする者もいるが、
これだけ膨大な量の偽書を一人の人間が作れるものだろうか?
本物である事を裏付けるような遺跡も発見されているのだ。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1541/gisyo1.html
824 :
老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/03/01 22:48:49
盛況なのは結構なのですが、議論が混乱しているようですね。
まず現存する文献史料の扱いについてですが
当スレで論ずるべき時代におきましては、あくまで副次的な意味合いで扱うべきであり
これらを論拠に論説を展開するには、おのずと限界があります。
この限界点が70年代までの文献史学を中心とした古代史学により、すでに明らかになっています。
主な解釈や論説は、その時期にすでに出尽くしておりますので
今ここで繰り返したところで過去の説をなぞるか、もしくは千日手に陥るのみでしょう。
文献を元に議論を進めたい諸氏にとっては少々酷ですが、これも如何ともし難い事実です。
ただお気持ちはよく判ります。考古資料を軸に論を進めると
あまりに専門的になりすぎるきらいがあり、一般の参加者にとっては面白味に欠けるのもまた事実ですから。
しかし残念ながら、少なくとも古墳終末期までの時代を解明する為には
このヤヤコシイ考古資料を十分に咀嚼して臨まねば、およそ正解にはたどり着けません。
つまりは安楽椅子探偵が、密室やダイイイングメッセージを論理と知性で解き明かす本格推理ものの世界から
DNA鑑定や指紋、声紋などを重視する科学捜査に舞台が移ってしまったと言うのが、古代史学の現状なのです。
そういう意味では、2CHで畿内王権を論ずる舞台は考古学板のほうがふさわしいのかも知れません。
この論題を引き続き議論されるのであれば、考古学板に舞台を移し
文献主体の議論は元の通り「邪馬台国は大和朝廷になったのか」スレで展開されてはいかがでしょうか。
825 :
老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/03/01 23:10:52
現時点の議論の本流は、オオヤマト古墳群と纏向遺跡周辺に限定されているようですが
他地区からの文化や技術の流入について、今後論を推し進めるのであれば
稲作技術や生産性、特に稲の品種についての考察にまで及ばざるを得ません。
その際ブランドオパールの構造論や、ドングリピットから推察する生産論など
更に専門性を増す内容になることは自明です。
また土木技術論ならば、纏向大溝や環濠などの力学構造や葺石の積み方などの
地域特色を具体例を出して論じなければ、技術の移動を語りにくい筈です。
私が日本史板において書き込む際に、最も留意した点が
これらの事象をいかに専門用語を廃して、わかりやすい言葉に置き換えるかでした。
その為に語句を誤って使用し、いらぬ混乱を招いたこともありましたが(笑)
現在参加されている諸氏は前と違い、考古畑の方が多いように見受けられます。
実は結構苦労したのですよ、この言い換えには(笑)
ここまで専門化した内容にまで発展したのは、嬉しい誤算でしたが
この段階になると、専門語を言い換える作業そのものは不必要でしょうし
逆に混乱を招く恐れがありますので、私個人は考古学板への移行を支持させていただきます。
各論(九州説、東遷説また九州王朝説など)とのおつきあいは
前のように本流スレに戻ってさせていただくことにしますので、出来れば御同意願います。
826 :
日本@名無史さん:05/03/01 23:24:25
畿内大王と関東大王どっちが強いの?
827 :
日本@名無史さん:05/03/01 23:25:42
特鋳された三角縁神獣鏡について語ろうよ。
>>825氏
稲作研究を机上にて本を開いていくら勉強しても本質は解りません。
実際土に触れ、自ら精魂尽くして米作りを経験せねば何も得るものは無いでしょう
何も経験せず、知識だけ頭の中に詰め込み 全てが解ったような書き込み
とても馬鹿らしい限りです
老教授氏に同意します。このスレは考古学板へ移動すべきです。
各コテのご意見もお伺いしたく思います。
830 :
老教授 ◆DaLsTNW7DE :05/03/02 00:20:50
>>828 御批判は謙虚に受け止めますが、実は考古学の現場とはほぼ全てがフィールドなのです。
机上においての作業などは、実務の1〜2割あるかどうかなのですよ。
かく言う私めも、農作業や各種工房にての作業にいそしむ毎日です。
古代米の復元は困難ではありますが、九州大学を始めとして各地で実践しております。
また弓矢などの武器を復元して、その威力を物理的に確認するのがいわゆる武器考古学です。
勿論各種土器や作業具、銅製品の復元も盛んに行われています。
私達の携わる学問はフィールドワークが基本ですので
その辺りの事情も日本史板にはそぐわないのではないかと考える理由のひとつです。
そう言えば北條氏らしき書き込みがありましたが、氏も根っからの発掘屋さんですね。
故佐原先生が高く評価されていたのを思い出します。
831 :
前々々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/03/02 00:33:47
老教授氏は移転支持ですか・・・。
繰り返しになるが、このスレは荒らしからの避難が目的だったのでしょうがないかも。
日本史板から去るのは少々さびしいが、そのほうが議論対象を明確にできるのなら同意します。
832 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:42:32
>>830老教授氏
これは別に氏に意見してるのではありません。
それに、研究による米作りには直接生活に影響を及ぼす訳ではありませんから
危機感を持つ米作りは経験でき無いでしょう。
古代の米作りは現在の数倍の危機感を持って、米作りを行ったと思いますよ
それこそ不作の時は直接死に結び付くものです。(現在なら多額の借金)
ほとんどロムの私に言う資格があるかどうか分かりませんが、移転には賛成します。
荒らされない環境で議論を深めていただきたく存じます。
たまには文献スレの方にもおいでくださいませ。
834 :
前々々スレ940 ◆zCHh4EGUak :05/03/02 00:51:48
いま考古板自治スレを覗いてきたけれど
厨や基地外が増えるから来るなって意見が圧倒的でした・・・。
一部の歴史カルトが見境なしに荒らすからだそうです。
どこも事情は同じですね・・・。
どのみちにほんし板にはそぐわないので
移動するのも庄内な
836 :
日本@名無史さん:05/03/02 05:34:50
>>817 それをいったら明治維新は、100パーセント外国人の仕業になるが?
違うだろ。
外国(新羅とか)との関係や圧力に対抗するために、王権を必要として、
王の命令に従い国を動かす必要があった。
つまり、銅鐸祭祀は中止するしかなかったんだよ。
銅鐸はつぶして鏡にするために供出されたか、
それを嫌った宮司によって隠匿され、そのまま忘れられた。
これこそが真相。
>>836 煽り口調で申し訳ないが、失笑ものだ。
そういう場合は隠された本尊として祭られる銅鐸は皆無ではなくなる。伝承も残る。
もう少しご自分の専攻以外も学んだ方が良い。
838 :
日本@名無史さん:05/03/02 09:24:47
839 :
日本@名無史さん:05/03/02 09:45:49
考古板に行くのは賛成だけど、何処に行けばいいの?
既存のスレにおしかけるのも迷惑だろうし、自分で新スレたてる気もないし。
840 :
鴨禰宜:05/03/02 09:55:35
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/02 10:23:01
鐸:NUDE,
左那岐:SANAKIは後世の呼び名だな。
久須美:KUSUMIが本来の呼び名らしい、
え行、お行の発音は弥生時代には無かったそうだ。
843 :
日本@名無史さん:05/03/02 22:58:16
やはり北條信者は、逃亡したな。
やっと静かになった。
844 :
司会:05/03/02 23:01:27
以上、よろしくご議論下さい。
@△鏡など鏡についての議論が前スレッドで途絶えています。
これについて議論を深めていただくようお願いします。
A西方への庄内式土器の移動だけではなく、東海系S字瓶、
5式瓶などの当方への移動もご議論下さい。
終了
846 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:11:51
>700
>
>>672 >塚口氏は神功皇后伝承も有る程度評価し、記紀と古墳の考古学的成果から4世紀末の内乱を想定している。河内王朝説とも距離をおいている。
>一度読んでみてからカキコしてくれ。
誰それ?
素人電波じゃないの。
粘着偏向仕切り屋=
>>844にご注意!!
荒らしです。
848 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:33:51
朝鮮からきた天皇=応神王仁を語ろう。
>>844 頼むから勝手に仕切るな。議論のテーマは貴方に提示されなくても、自然に出てくるもの このスレが荒れようが荒れまいが、それは2ちゃんねるの宿命
貴方のしていることは、偽善者を装い自己アピールしているにすぎない。
どうしても仕切りたいのなら、自分で『スレ』立ててスレ主として勝手にやってくれ
850 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:40:06
宮山式は岡山では宮山しかないのになんで奈良には
中山大塚、箸墓、西殿塚から出るんですか>?
851 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:44:05
応神=久那国東遷説はあの日本の歴史シリーズ1巻で文献史家の
井上先生が唱えていた由緒ある説だね。近年、このような優れた
説を馬鹿にする考古学者が多いのはどういうことなんだろう。
藤村の捏造を見抜けないボンクラ考古学者達が井上先生を馬鹿に
する権利があるのか自問すべきだろう。
852 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:49:49
また古田信者が暴れているな。
このスレ、削除依頼でてんだよな・・・未だ削除されないのか?
お兄さん蒸発していなくなったんだ。
良かったね。もうどこかで死んでるかも。
そういう家族が家にしがみつき続けることの方が本当の地獄。
その医者の言うこともおかしい。暴力を振るう男が精神病だと判断するのは一般人には無理。
しかも暴力を振るい続ける医者いわくの初期症状と言われる段階で、家族が暴力を振るう人間を
病院につれていくのは無理。それこそ病院から何人も男のスタッフを派遣して無理矢理
押さえ付けでもしない限り。それなのに口先だけで家族を責めるのもおかしい。
あなたには何の責任もない。暴力を振るわれた人はそのショックで自分が悪いのだと
自分を責めてしまう傾向があるようですが、暴力を振るわれた側が悪いなんていう
勝手な理論を信じてはいけません。
こう言ったら反論する人もいるかもしれないけど、人格破綻を起こす人間は
大抵甘やかされている上に自分にも甘い。そのろくでなしのお兄さんも
自分がうまく社会に適合出来ない怒りを妹であり女で弱いあなたにぶつけたのでしょう。
普通に毎日仕事に行って社会に適合しようと努力する人間は脳内物質のバランスも保てるし、
人のせいばかりにして家に閉じこもる人間が次第に脳内物質のバランスが
おかしくなってその結果精神のバランスを崩すのも自分で行動を起こそうとせず甘えた本人の責任。
あなたが人に暴力を振るうような人間に育っていないということは、
やはりお兄さんがおかしくなったのはお兄さん自身の責任。
私にも、自分勝手で親に甘やかされ、我が侭勝手を続けた結果社会適合できなくなって
引きこもっておかしくなった家族があるからわかるのです。
仕事に行っても上司が嫌だ、同僚が嫌だ、仕事がきつい、と甘えたことばかりいって
仕事をすぐにやめ、ひきこもり。自分の意見が絶対で世間がおかいいなどというガキ大将の
精神年齢のまま年だけとってしまった人間でした。
甘えの末におかしくなった人間に同情の余地はない。
お疲れ様でした。お兄さんはもう死んだものと思って、
これからは自分の人生をよりよく生きることだけを考えていいと思いますよ。
お兄さんに台無しにされたぶん、幸せになってください。あなたにはその権利があります。
眠れないのでマジレスだ
「呪い」は「のろい」という読みと
もう一つ「まじない」という読みとがある
知ってたらスルーしてくれ
メンヘル板との誤爆かあ。
ふ〜〜〜〜〜〜〜ん。
857 :
日本@名無史さん:05/03/03 22:35:09
祝 北條信者逃亡
858 :
日本@名無史さん:05/03/03 22:50:06
>711
>この風潮に便乗して、崇神〜応神
>の実在説は一時は影が薄かったけどまた以前のように三輪王朝論・河内王朝論と
>のからみで容認されてる雰囲気。
河内王朝説なんて今どきほとんどいないよ。
死にかけの爺さん達が言ってるだけでさ。
佐紀や古市の出現は、その「三輪王朝」とやらが交通ルート上の
非生産地に単に陵墓のみを移しただけというのが一般的な見方です。
859 :
日本@名無史さん:05/03/03 22:57:37
>705
>上のカキコですが、必ずしも、東遷説を単純に支持するわけじゃないので、
>念のため(同時にあり得ないわけではない、とも思っていますが)。
>真意は、重複しますが、安易な歴史上のアナロジーを持ち出す一部の畿内自
>生説論者に対して、それは安直だろ、あるいは全然論証になっていないだろ、と言いたかっったので。
「ボク戦争が嫌い」の寺澤の妄想する「平和的な談合で唐古・鍵の卑弥呼が共立」説の
方がよっぽど安直でしょうが。そんなのこの時代に類例ないですよ。
860 :
日本@名無史さん:05/03/04 00:01:56
銅鐸を叩いて戦意を高揚する畿内サヌカイト兵士って最強っすね。
畿内王権東遷説の人に聞きますが、
大王家と同じく、葛城家も外部からやって来たんですか?
いよいよ考古板に移転ですか。
正直、考古学よりの人たちの幼稚な議論にはうんざりしていた
ところでした。あちらでは、無意味な横やりを入れる不逞のやからの
数も格段に減ることと思います。思う存分、議論を楽しんでください。
さようなら。
日本史板住人一同
863 :
日本@名無史さん:05/03/04 00:41:34
そんなわけないじゃん。
葛城地方は、縄文時代より人々が住み着いていた由緒のある地。
銅鐸=在地勢力が成長・発展したもの。
大体、東遷説自体、眉唾だから。
865 :
司会:05/03/04 01:07:11
866 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:02:14
3 :こぺぴ :05/01/28 23:39:31 ID:4JjcjA5W
ヤマトが鉄の流通権を掌握し、それによりヤマト政権の権力が高まり、ヤマトの列島支配が
始まったと言うのは現在では考古学的に証明された事実ではない。
歴史的に考察すれば、かって京都大学の小林先生が鉄の研究からこのような発言をした。
当時の考古学的発見では、この説は有力な仮説であった。尊敬に値する。
しかしその後、鉄の考古学的発掘が多くなされ、今では小林説は考古学的には成立しない。
しかしにもかかわらず今でも小林説の傘下で説を立てる人が多い。
箸墓の時代でも鉄の技術は北九州が高い。(袋状にできるか、羽口など)
当時鉄の技術では関東と畿内はほぼ同じレベルであった。
むしろ日本海ルートで高い鉄の技術が伝播した。畿内が鉄でも有力になるのは
前期古墳の後半である。但し鉄の議論は権力者の古墳の副葬品の鉄と、その他の鉄とは
区別して議論する必要がある。鉄の鏃の形式の分析が重要である。定角式と言う形状
である。
867 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:15:12
1.纏向の人々は他地域の土器を受け入れ、それを独自のものに
仕立て上げ、さらにそれを外部に輸出する。
(三角縁もそうか?:当世コメント)
2.西日本に広がる布留式土器は2種類ある。本来の布留式と
いささかどんくさい布留式土器。
3.どんくさい方の布留式は阿波の人が拡散の担い手らしい。
初期ヤマト政権には阿波が大きく関わっている。
4.纏向は布留0がピークで布留1式土器は少ない。2式は
無いと言っても良い。布留ゼロは260年から300年か??
(箸墓はこの布留ゼロ古から築造が始まり布留ゼロ新までかかっている:と話されたと思われるが)
5.箸墓以前の纏向勢力は弱い勢力。(ONE OF THEM的)箸墓以後にキナイが飛び出てきた。
6.纏向の成立は庄内0。この年代は180年から200年。
(190年頃か?当世コメント)
橋本氏は邪馬台国については話され無かったが、さて上記と邪馬台国論とはどのような関係になるか?
氏のご講演はさすがに初期ヤマト政権の成立状況はかなり明確に描かれていた。
氏のご講演を邪馬台国論に結びつけるのは失礼かもしれないが、講演内容は邪馬台国=畿内には直結しないと思われる。
考古学でも邪馬台国位置論を決定づけるのは難しいと思われる。
邪馬台国は倭人伝の話で、考古学は日本の始まりの初期ヤマト政権論により有効ではないか。
868 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:33:08
庄内までは北九州圧倒的だね。
三角縁鏡以前に配布(ただ配るのとは違います)されているのは、同一集落内の墳丘を共有する首長層間に限られています。
#須玖岡本D地点、三雲南小路、平原1号墳などの王墓と見なされている周溝墓に集中されているのが実態です。
#璧や金銅製四葉座金具、玉、剣などを伴うのは、中華王朝に認知された王としての証しでしょう。
869 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:41:08
大和天神山について、
1.木櫃外の三面の中に、銅鐸の文様に似た「人物鳥獣文鏡」があります。
2.方格規矩鏡5面、長宜子孫銘内行花文鏡4面
3.画文帯神獣鏡4面
4.斜縁変形神獣鏡2面
5.獣形鏡3面
6.画像鏡2面
黒塚の特別展示の時、橿原考古学研究所の博物館の常設で、2.を見ま
したが、残念ながら細部まで記憶しておりません。その後、もう一度、昨
年行った時はどうやら他所へ貸し出し中だったのでしょう、見ることがで
きませんでした。
ここで、思い切って申しますが、2.は「銅鏡百枚」の一部であること
に異論はありません。ですから、中国で三世紀に作られた倣古鏡あるいは
三世紀の踏み返しだと思います。
3.の画文帯神獣鏡については、江南の鏡です。2.とは別の時期に別
のルートで入って来たものと思います。これは、椿井大塚山の画文帯神獣
鏡が、鄂城西山鋼廠のものと、一見ほぼ同型に見えるのに拠っております。(王仲殊『三角縁神獣鏡』学生社、巻末の図版より)
私はこのことからも、画文帯神獣鏡は「銅鏡百枚」ではないと思ってい
ます。ただ、江南から直で入って来たのか、岡村氏の言うように楽浪を経由
したのか、そのあたりはまだ何とも言いようがありません。
つまり、大和天神山は国産も含めて、いくつかのルートから入って来た
鏡群が同居している古墳であると言うことが出来ます。森浩一氏は1.を
福井県今立町の松明山二号墳出土の家屋人物鳥獣文鏡、奈良県北葛城郡河
合町の佐味田宝塚古墳の家屋文鏡を類例として比較的新しい意匠と考えて
おられるようです。
870 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:44:07
素人考えですが、この大和天神山の人物鳥獣文鏡に銅鐸の文様と似ている
のならば、銅鐸工人の手によるものと考えることも出来ます。そうならば、
むしろ古い意匠と考えることもできるのではないか?
そう考えれば、河上氏の、「天神山古墳の時期には、まだ三角縁神獣鏡が
なかった時期かもしれない」(『黒塚古墳調査概報』学生社)と矛盾はない
のかな、なんて思っています。
では、河上氏は、大和天神山をいつごろと考えておられるのでしょうネ。
871 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:46:48
邪馬台国は、筑後平野。
平塚川添遺跡がそれに該当するのではないか。
872 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:53:20
「王権の誕生」は、かなり幅広い時代を扱ったむものですが、ここでは、邪馬台国関連の時代について、紹介します。
1:二世紀の段階では、包括的(畿内、九州を含む)王権は誕生していない。
2:三世紀初頭、纏向遺跡が誕生する。これこそいわゆる大和政権(寺沢説の用語では、「新生倭国」)の成立によって建設された、王都である。
3:纏向政権(新生倭国、普通にいう、大和政権。面倒なので、纏向政権で統一)は、九州から、瀬戸内、畿内にいたる諸勢力が共同で樹立した、「対等連合政権」(この語を寺沢は使用していない。私が寺沢説を理解するために使用する語である。妥当なものと思う)である。
寺沢説の特徴は、纏向政権を、それまでの唐古・鍵遺跡とは断絶した(発展ではなく)「対等連合政権」であるとるところに、特色がある。つまり、大和勢力が、他地域を屈服させた、とう従来の立場に真っ向から対立するのである。
また、纏向政権成立の段階に、北九州(つまりは伊都国)が参画しているとするのにも、注意したい。
873 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:54:20
さらに、寺沢は、諸地方勢力が、纏向に出先機関を置いていたとする。
4:さて、大陸との関係である。
寺沢によれば、三世紀初期においては、大陸系文物(公孫氏系)の量は、北九州が畿内を凌駕する。「対等連合政権」とするのも、そのためだろう。北九州伊都国の隆盛は、三世紀前半を通してつづく。
5:卑弥呼は、むろん、纏向政権の女王である。「倭韓郡に属す」で公孫氏に属した倭は卑弥呼であり、公孫政権滅亡とともに、卑弥呼は魏に属することになる。
「卑弥呼の鏡」は、画文帯を中心としたもの。△鏡は、三世紀後半以降の倭鏡とのこと。
874 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:57:14
6:ここで、問題なのは、伊都国が、寺沢説では、「畿内と対等」になって
しまうことである。三世紀初期において、伊都国が纏向政権の勢力圏にあり、
しかも大陸文物の優位を誇るとなれば、このような解釈とならざるをえない
のだろう。纏向政権初期においては、伊都国が大陸通交のメイ
ンとなっていたということになってしまうのだから。しかし、
「世々王有り、皆な女王國に統屬す」の記述上、大いに問題である。
しかも、「大率」というのは、
伊都国が纏向政権の一員として管掌した役職だというのだ。
7:その後の纏向政権について。
対等連合政権の諸勢力首長は、畿内に常駐し、やがては畿内豪族と
なった(!)巨大古墳の密度が畿内で高いのは、実に、彼らが本国
ではなく、畿内に古墳を建設したためだという。
つまり、伊都国が三世紀後半衰退するのは、伊都国王が、本拠地を
畿内に移したためらしい。他の地域でも、同様だとのこと。
875 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:58:16
寺沢がこのような主張をするのは、
1:纏向政権成立期の、諸地域の独立性
2:伊都国の問題
3:纏向遺跡・遺物が各地のローカリティを併せ持つ問題
4:初期の畿内前方後円墳が、異常に同時代並行で建設されている問題
5:さらに、畿内前方後円墳が各地のローカリティをもつ問題
を踏まえたものらしい。
876 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:59:53
ついに北條信者は逃亡したな。
877 :
日本@名無史さん:05/03/05 05:08:35
三世紀初期において、
1、伊都国が纏向政権の勢力圏にある
2、伊都国の大陸文物の優位性
といってるけど、
1、の前提が、「畿内からの土器の搬入」だけだろ。
そんなもの、ただの「貿易」がされていたという状況証拠でしかない。
>「世々王有り、皆な女王國に統屬す」の記述上、大いに問題である。
問題なのは、「卑弥呼は畿内説にいたことを前提にしてるから」であって、
こういうのを「循環論法」という。
>>873 >5:卑弥呼は、むろん、纏向政権の女王である。
>「倭韓郡に属す」で公孫氏に属した倭は卑弥呼であり、
>公孫政権滅亡とともに、卑弥呼は魏に属することになる。
なんで、ここだけ、文献に頼るの? しかも卑弥呼かどうかも断定も出来ない。
878 :
日本@名無史さん:05/03/05 07:53:15
庄内というとちょうど神宮皇后のころですね。百済本紀によると天皇と皇太子が崩御したらしい。
これにより、自生説が裏付けられますね。
コトシロ主が蘇我だというなら話は分かるが、
>>874 >対等連合政権の諸勢力首長は、畿内に常駐し、やがては畿内豪族と
>なった(!)
このあたりの論法に飛躍がありますね。
まあ、各地の豪族たちが郎党を率いてマキムクに上り、大王に直接仕えていた
というのはあり得るとは思いますが。マキムクにおける各地の搬入土器が証左
であり、「土器=人の流れ」なわけで、北部九州は畿内宮廷に直接参加は
してはいなかったと思います。
遠方だったというのが一番の理由であろうが、必然的に畿内王権における
序列では下位に甘んじていたと。実力は別として。
北部九州は徐々に畿内王権に既得権益を奪われ、衰退していきます。
戦争による制圧ではないから、緩やかな変化だったのでしょう。
880 :
日本@名無史さん:05/03/05 22:34:58
なんかレベル低いのが一人いるな。
881 :
日本@名無史さん:05/03/05 23:27:02
882 :
日本@名無史さん:05/03/05 23:38:14
>669
>さらに、文献の立場からは、伊都国王が中国王朝から倭国王に
>任命されていることは広域の支配の傍証とはなるでしょう。
>もちろん、私は、
>T 伊都国を中心とした九州西部四国地域
>U 4隅を共有する山陰地域
>V 特殊器台を共有する吉備地域
>W 阿讃地域
>のU〜W地域において、そのような政治的・経済的ブロックが
>形成されていたことを否定するつもりは毛頭ありません。
それは疑問。
第一そういうのは国家とは言えない未熟な部落の集まりにすぎない。
都出比呂志の言う首長制(首長は存在するが階級的支配者でない、
状集落の内廓に首長が住み、外廓内部に成員が住むという差異は
あるが、首長と成員の両者が共存する、首長一族の墳丘墓と一般
成員の共同墓地とに分かれるが、隣接しあって共存し、隔絶して
いない。)の段階にすぎない。
倭国なんてトンデモだろ。
883 :
日本@名無史さん:05/03/05 23:42:55
>879
>というのはあり得るとは思いますが。マキムクにおける各地の搬入土器が証左
>であり、「土器=人の流れ」なわけで、北部九州は畿内宮廷に直接参加は
>してはいなかったと思います。
巻向の土器は労働力の移動によるものなんだから、政治的に優位な九州
の土器が少ないのは当たり前。
なんども当スレッドで指摘されてるぞ。
>>883 その前の
>各地の豪族たちが郎党を率いてマキムクに上り、大王に直接仕えていた
を読んでよ。
北部九州が畿内王権に直接参画していたなら、兵士を連れていっていた筈。
当時の兵士が、君の言うところの「労働力」とどう違うのか説明して
もらいたいな。
885 :
日本@名無史さん:05/03/06 00:10:51
>884
アホですか?
巻向は祭祀都市で、居住区はありません。
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/06 00:14:56
土器が人の流れ?だと、
言語障害だな。
100年単位の広域の流れは主流の人の流れ、
それ以下は局地的な戦闘の結果で奴隷の流れだ。
土器は奴隷が作っていたからな。
つまり、
畿内系の土器が九州に点在したり、
出雲系・東海系の土器が巻向に大量にあるのは
畿内が本来の正統の王権ではないことの証明だ。
887 :
日本@名無史さん:05/03/06 00:14:58
>879
そのとおりだ。
このスレッドで指摘されていた畿内ローマ説はもっとも
説得力があると思う。畿内勢力の北九州文化の模倣や北
九州勢力の堕落と弛緩は、ローマ、ギリシャのそれと
まさに符号している。
888 :
日本@名無史さん:05/03/06 00:16:29
土器の流れが権力の流れなら東海地方が倭王権の主体ってことだぞ。
そんなのありえんだろ。
>>888 >土器の流れが権力の流れなら東海地方が倭王権の主体ってことだぞ。
なんでそうなるかなー。
「東海の王たちが兵士を引き連れてマキムクに出仕していた」でいいだろ。
890 :
日本@名無史さん:05/03/06 00:25:12
>>885-886 口汚く他人を罵っている割に、自分が書いている内容が意味不明
なのはどうだろうかw
もう少し分かり易く書いてくれない?
892 :
日本@名無史さん:05/03/06 04:13:33
纏向と同時期に、東海に巨大都市が存在したことをどう説明するわけ?
纏向は、交易の利便性から生まれた「市場」であって、
王権の主体は東海にあったというのが、最新の成果となりつつあるわけだが。
893 :
日本@名無史さん:05/03/06 06:45:34
応神は東海から来た
894 :
日本@名無史さん:05/03/06 09:47:43
>879
そのとおりだ。
このスレッドで指摘されていた畿内ローマ説はもっとも
説得力があると思う。畿内勢力の北九州文化の模倣や北
九州勢力の堕落と弛緩は、ローマ、ギリシャのそれと
まさに符号している。
似非方丈を挑発しているヴァカが一人いるみたいだが、あまりの議論のレベルの低さに馬鹿馬鹿しくなったのだと思われ。
>>887とか前に完全に論破されてるし。
>>857,
>>881なんか、本当は相手にされなくて淋しいだけじゃないの?
>>781,
>>771 だから比較の対象としてローマやスパルタとするのもどうかと思うよ。同じ意味で。
それにいろんなことが歴史ではありうるので、
>>781のような否定はどうだろ?当時の軍制って本当にそうなの?
ヒミコの周りとか常備軍がいたようにも受け取れるけど?
>>787 議論がもりあがっていいること自体、影響があると普通に思いますけどね。根拠の変わらない、古くからの自生説が錆び付いていることに気がつかない方がおかしいですね。
ここに登場する自生説厨は言葉汚く北條や寺沢を罵倒するだけで具体的な批判はあまりない。自生説の根拠は古くからの定理で、それらへの批判については無視する。それだけですね。
それと「見直す」ちゃんと読んだのですか?
3人のうち一人は東遷説なんか言ってませんが。
読んでもないのに支離滅裂とかよく言えるな。支離滅裂な頭は誰だろうか?
一応、聞くけど、畿内=サヌカイト軍団説って、ネタだよな?w
897 :
日本@名無史さん:05/03/06 10:59:07
>892
>王権の主体は東海にあったというのが、最新の成果となりつつあるわけだが。
木製兵器で武装した東海軍団が畿内サヌカイト軍団に馳せ参じたってとこですね。
898 :
日本@名無史さん:05/03/06 11:14:30
支離滅裂な頭は誰だろうか?
669 :日本@名無史さん :05/02/27 11:46:41
>602
まず、北九州地域が
・政治的には青銅器威信財、祭器などを共有する地域であり、
・経済的に見てもこの地域内において、鉄、石斧、石包丁といった
生産財が流通する
ことは考古学的に確認されています(下條等)。
また、伊都国・奴国地域を中心に威信財が配布され、この地域を
中心にピラミッド型の階層が形成されていたのではないかとの
推測がなされています(原田、寺澤等)。
さらに、文献の立場からは、伊都国王が中国王朝から倭国王に
任命されていることは広域の支配の傍証とはなるでしょう。
もちろん、私は、
T 伊都国を中心とした九州西部四国地域
U 4隅を共有する山陰地域
V 特殊器台を共有する吉備地域
W 阿讃地域
のU〜W地域において、そのような政治的・経済的ブロックが
形成されていたことを否定するつもりは毛頭ありません。
しかし、T地域がこれらより少なくとも考古学的に見れば政治的
・経済的ブロック形成が強く確認されていることは確かなことと
言ってよいのではないかと思います。
899 :
日本@名無史さん:05/03/06 11:38:12
>>897 >木製兵器で武装した東海軍団が畿内サヌカイト軍団に馳せ参じたってとこですね。
古代の戦争の実像をまったくわかってないね。
鉄剣を持ってたとして、何本あったの? その兵士の数は?
短い鉄の棒振り回して、実戦でどれくらい有効だと思う?
戦争で最も有効なのは、弓矢と竹槍。これ最強。
900 :
日本@名無史さん:05/03/06 12:03:16
>896
マジだろ。畿内には鉄がないのだからしょうがない。
901 :
日本@名無史さん:05/03/06 12:05:24
関東や東海の畿内5式は、畿内勢力の関東・東海征服の証拠じゃないの。
畿内が弱いというのは先入観にすぎないと思う。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/06 12:42:58
まったくレベル低いな。
畿内5式で関東東北が征服できてれば
5世紀から奈良時代だ。
馬鹿もん。
903 :
日本@名無史さん:05/03/06 12:50:21
東海の土器が畿内に持ち込まれたんじゃなくて、
東海の土器が周辺国全体に散らばってるんだが。
つまり、勢力は東海が上。
904 :
日本@名無史さん:05/03/06 12:52:45
そうだな、畿内は東海の傘下だ。
>>895 >
>>781のような否定はどうだろ?当時の軍制って本当にそうなの?
> ヒミコの周りとか常備軍がいたようにも受け取れるけど?
「守衛」と「国体保持のための軍事組織」を一緒にするない。
初期ヤマト朝廷の主力軍は諸豪族の混成軍であったが、
その後大王家の権威が高まり→伴(大伴・物部)
→名代を基盤とした舎人軍と発展していった、とみるのが一般的だが。
何か異説があるの?
>>900 だから、畿内の鉄は低湿地で溶けたんだって。
考古学の徒なら、そんな事例があることも知ってるだろ。
そりゃ北部九州とかと比べれば、畿内は圧倒的に鉄が少なかっただろうけど、
まったく鉄が無かったみたいに書くことは、どうかと思うぞ。
要は、考古学専門バカが、畿内在地勢力を必要以上に執拗に貶めているだけ。
地方出身者(九州?)の僻みなんだろう。
908 :
日本@名無史さん:05/03/06 15:38:05
大和朝廷=畿内≠邪馬台国
とすれば、ここに出てくる大抵の矛盾は説明可能なわけだが。。
「大和朝廷=畿内=邪馬台国」で問題ないよ。
>>905 学会でも、守衛や近衛(権力者の身辺護衛)と常備軍の違いが全然わかっていない研究者が多くて困る。
そういう人間は、軍事を未だに「階級の暴力装置」としてしか理解していないから
両者の違いにつっこむとあからさまに不機嫌になったりするので・・・。
院卒業してから文句付けろって?
そりゃそーだけどね。
911 :
日本@名無史さん:05/03/06 16:44:48
>>906 加工技術も劣ってたのだが、それも低湿地のせいか?
考古学者ならもっと証拠を重視しろ。
畿内に鉄が無くとも、畿内王権は十分すぎるほど証明できる。
912 :
日本@名無史さん:05/03/06 16:49:49
>>909 邪馬台国を持ち出すとスレが直ぐ荒れ出すぞ
オレは知らないぞ
「生口」の性格を中国側が名づけたとおり「戦争捕虜」と見做せば
個人所有の財産である「奴婢」とは別に、「国家」所有(王所有とは違う)奴隷としての「生口」制度が仮定できます。
そして、これらの「国有」財産である生口の捕獲及び管理の為に武力組織としての職能集団が必要となるでしょう。
それは、かなり常備軍に近いものだと思います。
914 :
日本@名無史さん:05/03/06 17:38:45
>>913 >「生口」制度が仮定できます
仮定しなくても、江戸時代まで奴隷はいたよ。奴隷貿易もしてたし。
東北地方の農民なんて明治以後も半分奴隷だしな
>914
いや、仮定したのは、「国有」奴隷制度としてですよ。
例えば、後世の物部氏などにつながる「職能集団(=常備軍)」があって、
それが、「公有財産」としての奴隷(=生口)を管理していたんじゃないかと。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/06 18:08:20
まあ、生口とか書いても
5色の賎民のどれか知らないレベルなんだろうな。
>917
そうは言っても、魏志では「奴婢」と「生口」は、使い分けてるわけだが・・・
>>889 服従する地方有力者たちが兵士をつれて都に集住する
政治制度はこの当時まだ成立していません。残念!
サヌカイト原始人軍団=畿内軍なんてチョロイもんです。
鉄のやじりで、簡単に死んじゃいます。
こりゃ、ゲーム感覚だ!!
・・・辛くも生き残った神武の強がり