【古墳から】畿内王権生成史の謎【律令まで】3

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449日本@名無史さん:2010/03/06(土) 20:15:45
そうか。
450日本@名無史さん:2010/03/22(月) 20:48:27
そうよ。
451日本@名無史さん:2010/04/21(水) 14:01:16
>>446
日本人はアイヌとか北海道の少数民族を除いて、全て弥生系の人種だよ。
琉球人も薩摩による征服以前から日本語と同系統の琉球語を喋っていたようだし
琉球民族形成の中核は弥生人か大和民族だろうね。
縄文人が中核になって民族が形成されたなら、アイヌ語と同系統の言葉を喋ってるはずだし。
452日本@名無史さん:2010/07/26(月) 13:22:16
素人の素朴な疑問なんだけど誰か教えてくれるかしら

出雲の大国主神って古代大和の側からみれば御先祖の天孫一族に負けて退場したローカルな神ですよね?
その田舎もので負け組の大国主神がなんで大和一番の聖地である三輪山にまつられて大きな顔するなんてことになるの?
453日本@名無史さん:2010/08/11(水) 02:07:19
>>452

つ【別の神である】

全国の神社の祭神を冷静に見れば分かることで、
大国主を祭る神社は、近畿どころか東日本の太平洋側に濃密に分布している。
(典型例は、埼玉県の氷川神社。氷川神社は、東京都内にも実に多い)
ところが、これらの地域は、島根県とは考古学的特徴を全く共有しない。
氷川なんて、島根県の川の名前(斐川)まで共有しているように見えるが、
その実、掘り出しても何も出て来ない。
この非共有は、もちろん三輪山も同じ。

つまり、先住民の信仰していた神々を指す一般名詞扱いと考えたほうがいいのだろう>大国主・スサノオ

454日本@名無史さん:2010/08/11(水) 07:30:52
つうことは、初期大和朝廷は土人の神を崇め奉ってたってこと??
455日本@名無史さん:2010/08/11(水) 14:07:44
つか。
神話を融合させるとか信仰が融合するなんて事例は珍しい話じゃない。
日本に限ったことではないよ。

融合のしかたから見ると、戦争による征服よりは、どちらかというと平和的な融合に見えるがな。
456日本@名無史さん:2010/08/11(水) 16:02:16
>>451
おいおい、センズリこくなや。

お前が大和言葉喋る大和民族かよw時代背景的にもこの大和民族気取り
なんとかしろ。
457日本@名無史さん:2010/08/11(水) 22:04:27
>>454
そう。崇神記を読めば、そのことが明確に読み取れる。
崇神帝といえば、奈良盆地を超えてはじめて広く征服した「征服王」。
ところが、「疫病がはやって」、これは困ったとなったら、
三輪山に大物主を祀れと御神託があったとある。
要するに、征服の過程で生じた、被征服者の怨嗟を鎮めなければならなかったということ。
三輪山は、「被征服地の在来の神々の鎮魂の山」といったほうがいいのかもしれない。

そういえば、三輪山の麓は、
全国津々浦々からの遺物が出てくることで有名な巻向遺跡だ。
そして、考古学の語るところによれば、
巻向遺跡が出来てから、三輪山信仰が始まる。(順番に注意)。
三輪山は、征服に伴い、巻向に集まっていた全国各地の被征服民が、
それぞれ祀っていた各々の神々を、まとめて合祀した山と言えるんじゃないかと思う。
結果として、まさに国土の神々を祀る「日本最古の神社」になるのも当然の理。
458日本@名無史さん
日本人って昔から宗教に関してはなんでもありってことだな