908 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/08(月) 09:02:36
「日女命」「弟彦命」「乎止与」は、魏志倭人伝の記事をもとにした
後世の創作であると思われます。
邪馬台国小城説宣伝強化期間
邪馬台国は佐賀県小城市甘木地区です。卑弥呼の墓は、小城公園内桜ヶ岡です。
909 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 09:51:51
↑
キチガイが珍しくマトモなこと言ってやがる。
910 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/08(月) 09:56:51
1番考えられるのは
4世紀後半までは畿内土着の政権があり、
それを神武=応神が東征により奪ったという可能性。
神武東征神話は応神東征を正当化するための
でっちあげ。2代目から崇神王朝までの系譜は
畿内土着の連合国家体制の系譜。
そして九州邪馬台国勢力の応神がそれをのっとった。
卑弥呼の時代は畿内・九州それぞれ同盟関係にあった。
九州邪馬台国勢力の応神東征だってさ。
マンガの読みすぎ。
912 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/08(月) 13:28:53
913 :
太:2005/08/08(月) 15:11:44
そう思う。w
914 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/08(月) 20:22:13
学史を無視といいますが、邪馬台国研究に関する学史は、間違った学説を長期間引きずってきているのです。
戦後、それ以前の学説をすっかり忘れて、白紙から始めて行けば邪馬台国はもっとはやくみつかっていたでしょう。
先学を重んずるのもよろしいかと思いますが、そのまま鵜呑みにするのは、いかがなものでしょうか。
現在の通説の根拠はわかっていますが、認めるわけにはまいりません。
正しい説の根拠は魏志倭人伝であり、その行程路上にあるのが伊都国であり、邪馬台国なのであります。
けっして遺蹟や遺物の多寡によるものではありません。従来の行程は間違っております
伊都国等固有の名称を論ずるなら、伊都国の名を刻んだ石碑が発掘されたとか、
官名をかいた木簡とか竹簡、王の墓碑とかでたのでしょうか。
その点では、私の桜ヶ岡とどっこいどっこいではないでしょうか。
通説が正しいかどうか検討したのでしょうか。昔から、とか、偉い古代史の学者がいってるとか、
みんながそういっているからとで信じていませんでしょうか。
倭人伝のどこに伊都国は港に面しているなどと記してあるのでしょうか。
「津に臨んで」は「港において」の意味であり、伊都国に治する一大率は「港にでかけていって」検分するのである。
わざわざこう記しているのは、伊都国は港に面していないことをあらわしているのです。(伊都国が港に面しているかどうかとは、関係ない)
既存の説を鵜呑みにせず、検討してみることが大事かと思います。
915 :
太:2005/08/08(月) 20:48:13
う〜ん。評価あり。
916 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 20:51:32
3世紀の遺跡かどうかがそもそも怪しい小城の桜が丘と、前原伊都国説がどっこいどっこいってどういう神経だ(藁)
なぜサガミハラハラの説が受け入れられないかって、何言っても分からないだろうな。
ここまでの電波ってなかなかいないよ。西都厨といい勝負だなw
科学的な思考を持たず、自分だけが正しいというトンデモの典型。
917 :
太:2005/08/08(月) 20:57:07
貴下のお説を是非・・・!
918 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/08(月) 21:02:26
いや、何故私の説が受け入れられないのか、私も不思議に思っているのですよ。
極めて、科学的な思考でもって考証しているのにね。
919 :
太:2005/08/08(月) 21:06:14
余は小城説が正かどうかは一寸疑問だが、畿内説よりは正に近い。
920 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:22:47
魏志倭人伝だけ読んでもダメだな 隋書 宋書 旧唐書、、、、
なども読まないとわからない 魏志倭人伝の一字一句にこだわっても
意味は無い 宋書の原文を読むと日本にサイがいたり、水牛がいたり
象がいるとか書いてある 聞き書きで書いたものだろうが 魏志倭人伝も
概略のことが書いてあるだけで、すべて正しいと考えて読んでも意味はない
適当に解釈すべきだろう
921 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:25:14
考古学的証拠を確証でないと言って捨てさるのがどこが科学的というのか。
今までの論者も、方位の相違なども認識しているがサガミハラハラのような解釈をとらなかったのは相応の理由があるのだ。
だから学史を分かってないと言っている。
922 :
太:2005/08/08(月) 21:26:12
どこの国にもだいたい動物園はあるし、他国産の動物をいれているな?
昔もけっこう、そんなことがあったのかなぁ〜?
何故受け入れられないのか(簡単な答え)だな
伊都を認めないからだよ
邪馬台国論争をするうえで、関所的役割を果たしているからだ
彼にとって邪馬台国が畿内であろうが、九州であろうが関係ない
とにかく何処へ行こうが伊都国記念館を通らないと気が済まないのだよ
内容なんかどうでもいい、とにかく郵政民営化法案を可決させたい「小泉純一郎」みたいなもんだ
彼も、どうして前原=伊都なのか解らないのでは
気がついたら(伊都国命)になっていた
思想も目的も解らずに、ただ街宣車で怒鳴ってるウヨの若者だね
924 :
宋書:2005/08/08(月) 21:33:00
>>920 >宋書の原文を読むと日本にサイがいたり、水牛がいたり
>象がいるとか書いてある
オイオイ・・・・
倭者、自云太伯之後。俗皆文身。去帯方萬二千餘里、大抵在會稽之東、相去絶遠。
從帯方至倭、循海水行、歴韓國、乍東乍南、七千餘里始度一海。海闊千餘里、名瀚海、至一支國。
又度一海千餘里、名未盧國、又東南陸行五百里、至伊都國。又東南行百里、至奴國。
又東行百里、至不彌國。又南水行二十日、至投馬國。又南水行十日、陸行一月日、至祁馬臺國、即倭王所居。
其官有伊支馬、次曰彌馬獲支、次曰奴往tei[革是]。民種禾稻紵麻、蠶桑織績。
有薑、桂、橘、椒、蘇。出黒雉、眞珠、青玉、有獸如牛、名山鼠。
又有大蛇呑此獸、蛇皮堅不可斫、其上有孔、乍開乍閉、時或有光、射之中、蛇則死矣。
物産略與イ澹耳、朱崖同。地温暖、風俗不淫。
男女皆露糸介、富貴者以錦繍雜采爲帽、似中國胡公頭。食飲用ヘン豆。
其死、有棺無槨、封土作冢。人性皆嗜酒、俗不知正歳、多壽考、多至八九十、或重百歳。
共俗女多男少、貴者至四五妻、賤者猶兩三妻。婦人無婬妬。無盗竊、少諍訟、若犯法、軽者没其妻子、重則滅其宗族。
漢霊帝光和中、倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子卑彌呼爲王。
彌呼無夫壻、挾鬼道、能惑衆、故國人立之。有男弟佐治國。自爲王、少有見者、以婢千人自侍、唯使一男子出入傳教令。
所處宮室、常有兵守衡。至魏景初三年、公孫淵誅後、卑彌呼始遺使朝貢、魏以爲親魏王、假金印紫綬。
始中、卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命。
晋安帝時、有倭王賛。賛死、立弟彌。彌死、立子濟。濟死、立子興。
死、立弟武。齊建元中、除武持節、督倭新羅任那伽羅秦韓慕韓六國諸軍事、鎭東大將軍。高祖即位、進武號征東(大)將軍。
925 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:46:26
>>923 ただの煽りだろうが何言ってんだかw
伊都前原説は、ここでもいろんな人が書いているし、定説として様々な本、論文に根拠が書かれている。
ちょっと調べれば分かることさ。近年の発掘はそれを年々補強している。
多久説なんて、これを覆すような対案としての根拠はない
伊都国命とかじゃなくって、肝心要のこの国の位置を誤ったら九州にせよ、近畿にせよ邪馬台国には永遠に到着しない。海図のない航路を行くがごとく。
他の歴史書や地名、考古学資料など総合的情報で補う必要があるのが当然で、それが歴史学。
倭人伝と地図だけでやろうとするのは誤りだ。
だいたい、不正確な地図しかないような時代の記録に、一字一句誤りはないなどとして、逆に結果的に無理な解釈する方がおかしい。
だいたい、無責任な
>>923は、サガミを支持するつもりかい?
926 :
太:2005/08/08(月) 21:50:19
支持だなんて大袈裟な
藻れは単に「小泉」に票を入れないだけ
ストレートに、公益法人改革をせず、お題目にこだわりあげくのはてに解散
所詮は金融族
郵貯の解体だけが、主目的であったことを見透かされた 間抜けな小泉総理
928 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 22:24:23
流石元福田総理の秘書、郵政民営化やJHにメス、経政会潰しに躍起だな
現代版「角福戦争」だな
郵政は、元郵政大臣の角栄が築いた郵政族
JHは、角栄のスローガン「日本列島改造論」
靖国参拝で中国とのきれつは、角栄と「あの〜」おじさんが友好条約を
角栄の功績潰し
福田一門の怨念だな
工作員が必死だな。
小泉がんばれ!
何を言われようと改革断行が出来るのは小泉だけだ!
930 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/09(火) 08:18:32
残念ながら倭人伝から察するに邪馬台国は
九州ですね。どうしても倭人伝からは
畿内にもっていくことは不可能だと悟りました。
しかし鏡が畿内から多く出てますし邪馬台国と
畿内政権はかなり密接な関わりがあったことが
伺えます。おそらく王族間の婚姻等による
ゆるやかな融合がすでに3世紀後半あたりから
あったのでしょうね。なので鏡が大量に
畿内からも出る。
931 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/09(火) 10:05:03
そして神功ー応神というのは
邪馬台国系の血筋が濃く、父親は
仲哀天皇ではなく他の誰かではなかったのかと
考えられます。おそらく崇神王朝内で
いざこざがあり、崇神王朝の
血統を廃して他の王を建てようとする動きが
あったものと思われます。そこで応神が祭り上げられたと。
応神という名からも分かるように神(天皇)になることを
「応じた」ということからも伺えます。
のちの継体と同じです。武烈天皇のあまりのひどさに
たまりかねた豪族が継体をひっぱりだして
天皇に祭り上げたように。ようはこの国にとって
天皇とは共立体制のシンボルであり
万世一系というのは後の世に作られた建前ではないでしょうか?
932 :
太:2005/08/09(火) 10:10:33
Pupupu!ww
933 :
太:2005/08/10(水) 19:49:39
934 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 20:27:19
>924
それって、宋書の要約版でない?
ほかの古書でもいえることだが、一番大事な部分、肝心かなめの部分を
わざと省略して紹介してることが多いよ
原文の写真版くらいでないと信用できないよ
935 :
924:2005/08/10(水) 22:06:20
>>934 924でコピペしたのは梁書倭國伝だろうが・・・
オマエ、梁書、宋書の倭伝の内容も諳んじられんで、そんな大口敲いてんのか?
>>936 そんなことして楽しいかい?
プラムは名無しじゃないぞ今や、プラムのコテハンは一人や二人じゃ無いようだし
>>323がプラムなら
>>328-329も、文体が似ているのでプラムじゃないか?
ま、別にかまわないけどね
938 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/12(金) 15:47:44
今日で邪馬台国発見14周年です。
邪馬台国小城説宣伝強化期間として小城説を喧伝してまいりましたが、ご賛同はともかく小城説の存在はおわかりいただけましたでしょうか。
来年のN周年にはできたら大きなイベントをと考えていますのでよろしくお願い致します。
939 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 17:10:05
>>919 邪馬台国の分所は各所にあると考えるのが自然、
だから倭国(九州)を制圧した邪馬台国が肥前、筑紫に
邪馬台国出張所をつくっていた蓋然性は極めて高いのです。
それが甘木、小城だった可能性は十分ある。
940 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 18:12:38
そして邪馬台国卑弥呼は全国に巨大古墳を残した勢力そのもの
強大な勢力の一地方の有力者だと思うわけです。
941 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 18:16:24
>>631 よっぽどの裏付けがないとそんな細かなことまで分からないと思う。
もっと大まかな流れが確定しないと無理じゃないか?
942 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/13(土) 09:08:11
しかし小城?とかいうところで
7万戸も養えるのですか?
943 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/13(土) 09:30:09
七万戸というのは、国全体の戸数で、一都市の戸数ではありません。
944 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/13(土) 09:52:41
張政は実際邪馬台国へきているっぽいですね
サガミハラハラさん、ありがとうございました。御本届きましたですよ〜^^
お手数をおかけして申し訳ありませんでしたm( _ _ )m
例のごとく斜め読みでざっと拝見いたしました(失礼^^;)
奴国・伊都国のしがらみがないので好古都=博多としているのがすっきりしていていいですね。
アイヌ語・朝鮮語の単語構成を参考にした人名・地名の意味付けや、○馬(マ)⇒広域地名(間) ○奴⇒○国 ト⇒入り口の国 という解釈は興味深く思いました。
946 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/08/14(日) 09:11:20
いやいやこちらこそ、御購入ありがとうございました。
947 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 09:29:10
一大率が大倭(畿内政権)からのものだとすると
北九州はすでに実質上は畿内政権の勢力下にありますね。
つまり邪馬台国の存在価値というのは
@北九州諸国をまとめる(そのために卑弥呼共立)
A狗奴国と畿内政権との防波堤
この2つがメインとしてあげられますね。
畿内政権としては北九州を統治するために
邪馬台国・卑弥呼を最大限利用したほうが
都合がいいわけです。さらに狗奴国(熊襲)とも
勝手に戦ってくれますしw自分らが兵を出す必要性がない。
だから畿内政権も邪馬台国を支援していたのだと思います。
しかし壱与の死後、徐々にその利用価値がなくなり
邪馬台国は使い捨てられ、大和朝廷が北九州を直接統治するようになったと
いったとこでしょうか?
>>947 >北九州はすでに実質上は畿内政権の勢力下にありますね。
>邪馬台国は使い捨てられ、大和朝廷が北九州を直接統治するようになったと
根拠は?
949 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 10:09:56
>>948 国々には市が立っている。
色々な物を交易しており、大倭という役人(役所?)がこれを監督している。女王國より北の地方は、
特別に一大率(いちだいそつ)を置いて、諸国を検察させている。諸国では、これを畏れている。
と魏志倭人伝に書かれてますし大倭というのは大和朝廷でしょう。
あと景行天皇の皇子のヤマトタケルの時代に(架空の人物かもしれませんが)
熊襲征伐の話もありますし、266年に壱与が晋に朝貢してるので
これまでは邪馬台国は存在していましたがヤマトタケルの時代、
おおよそ300年代前半ころにはすでに邪馬台国はなかったものと
思われます。ちょうど壱与が死ぬ時期や中国が争乱に入る時期と重なりますね。
950 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 14:13:41
菊地さんは、狗古智卑狗の末裔
女王国の南にあった狗奴国
狗奴国は、九州に決まりなので、女王国も九州だな。
日本書紀にも、九州の王は女と書いてあるし、女王と見られる骨も出土してる。
952 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/14(日) 17:44:16
そもそも記紀に神功皇后が卑弥呼とかいう
とんちんかんな記述があるくらいですし
つまり記紀を編纂した人も卑弥呼が何者なのか
わかってなかったわけですよ。つまり大和朝廷の
人間ではなかったというわけです。あと邪馬台国というのは
倭国30国の中の首都ということですし
ほとんどの国が九州にありますし邪馬台国も九州と
みるべきでしょうね。
953 :
太:2005/08/15(月) 21:30:23
記紀のどこに
神功皇后=卑弥呼
の記述があるのか?
954 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:41:36
しかし、あれだよな
南京大虐殺があったかなかったかで論議されるのだから
邪馬台国の真実も本当に確固たる証拠が出ない限り
世間一般が認める事実とまでは絶対にならないのかもしれない。
正直、南京のことはあまり知らないが、邪馬台国については
だいたいわかる。
955 :
太:2005/08/15(月) 21:54:18
だいたい?じゃあ女王国はいつごろどこにあったのか?
956 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/08/16(火) 18:32:22
957 :
日本@名無史さん: