【邪馬台国は】魏志倭人伝等を読む【どこですか15】

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924日本@名無史さん:05/03/20 19:49:11
神武の東征で、邪馬台国ごと畿内大和に移ったんじゃねーの
925太国:05/03/20 19:50:04
>>920
神功皇后の通過した九州のその地域には邪馬壹国はなかったことになる。
だから、通過していない九州の土地に、厳に女王国が存在していたということが
完璧な上で必然となって来るのだ。
当然、神功皇后は卑弥呼姫に非ず。
926太国:05/03/20 19:51:21
>>924
そんなことはありえない。時代が違う。
927日本@名無史さん:05/03/20 20:00:15
じゃあまず、いきなり畿内に移ったんじゃなくて、
九州内でいくつかの地を転々とした後に、畿内に行った
928太国:05/03/20 20:03:54
邪馬壹国は畿内に移っちゃいないよ。
929日本@名無史さん:05/03/20 20:09:13
>>925

神功皇后がクマソ征伐に同行して訪れた北九州は、
邪馬台国でもなく、倭の五王につながる九州王朝でもないわけか。

すると、南九州には、邪馬台国と、その南にクナ国があり、
さらに、九州王朝があったのか。それとも九州王朝=クナ国なのか?

大雑把でいいから、九州の中がどうなっていたのか説明求む。
930太国:05/03/20 20:17:42
まだそこまでは断定は出来にくいが、まあ『阿蘇』あたりかも知れないぞ。
これは『邪馬壹国』の話だ。倭の五王朝は全然別だ。貴殿はごっちゃ煮か?
『阿蘇』の理由は秘密でこれ以上公開できにくい。
ここまで教えれば、参考にしてあとは自分で研究しろ。
931日本@名無史さん:05/03/20 20:21:59
>>930

>ここまで教えれば、参考にしてあとは自分で研究しろ。
参考になる以前に、言ってることがさっぱりわからん。
邪馬台国・クナ国・倭の五王・九州王朝は、
おまえの頭の中ではどう繋がってるんだ?

すこしは辻褄の合う説にまとめてから発表しろ。


932日本@名無史さん:05/03/20 20:28:20
太国がいい夢みてるんだから、
もうこれ以上は聞くまいw
933太国:05/03/20 20:36:42
0 倭 四国
1 壹 九州
2 天 畿内→大和朝廷
3   東京→現在
4   青森→これは2〜3000年後の首都の場所だ。年数は推定。
5   札幌→これは流動的、首都は北海道のある地域かもしれぬ。
6   外国→亜細亜あたりのある地域へ移る。万の年数を経るだろう。

ここで1壹と2(仁)は崇神〜文武世まで並行に行くのだ。
残りの1は神武以前だ、日の女神誕生から1の時期は始まる。
貴殿はよく食いついて質問してきた。これは最后の回答だ。
934日本@名無史さん:05/03/20 20:37:30
邪馬台国自体が

唐津湾〜博多湾〜菊池あたり〜大宰府あたり

に遷都してるんじゃないのか?
935日本@名無史さん:05/03/20 20:44:56
邪馬壹国は徐々に勢力を縮小
やがて半島南岸の一部に
936日本@名無史さん:05/03/20 21:09:45
半島は663年に完全撤収したでしょ
937日本@名無史さん:05/03/20 22:27:28
>太国
叩かれまくったせいか、ちょっとキレ気味の君に一言。
君はたぶん一生懸命なのだろうけど、結論の連呼に終始するあまりに
持説の根拠や組み立ての過程がすっぽりと抜けているんだ。
君の書き込みは一方通行すぎて、ツッコミも同意さえも読み手は入れられない。
名無しに戻っていまだに書き込むプラムなどもそうだったけど
意見のやり取りを望まないのなら、ブログでも借りて心ゆくまでやればいい。

言っておくが、コテハンだから責められているのじゃないぞ。
かつて関連スレで見事な論説を展開した豊前説氏や老教授氏などは
常に読み手との双方向を心掛けていたように思う。
だからこそ彼らは多大な支持を受け、その復活を待ち望むものも多い。
実際両者が書き込んでいた時期は、そこらの小説の何倍も面白かった。

彼らのごとく圧倒的な知識は、ハナから望むべくもないが
せめて順序立てて説明できる程度の文章力と
多少なりとも納得できる論拠の提出を行うべきではないか。
君の書き込みが単なる落書きになるのか、それとも支持者を集めるのかは君次第だ。
938太国:05/03/20 22:37:42
ぷぷぷ!だいぶ夜もふけてきたので、長話はやめるが、
そう言っておれの回答を引き出そうというのだろう。
ずいぶんサービスして教えてやったのに、まだそんな甘ったれたこと
を抜かすのか?別におれはきれてはいない。あとは秘中の秘。
これ以上、そんな簡単に理屈を教えられるか?どうしてかは自分で考えろ。
939日本@名無史さん:05/03/20 22:53:45
誰にでも、「俺は古代史のすごい秘密を知った!」と舞い上がることがある。
勉強を重ねると勘違いだったことに気がついて冷める。
940橿原一派:05/03/20 22:56:39
>>938
自説を普通の人が読んで分かるように説明する気がないなら撤退されたい
941日本@名無史さん:05/03/20 22:58:43
>あとは秘中の秘
>そんな簡単に理屈を教えられるか

すごい!すごすぎるよ!その根拠なき自信が!

でも大丈夫、あんたの理屈なんて誰も参考にしないから安心してくれ。
つーか、教えたくないのなら何故ネットで世界中にバラすのだろうか?
どうやら破綻しているのは文章でも持説でもなく、彼の頭の中らしいね。
942日本@名無史さん:05/03/20 23:28:51
コテなんだから、NG登録すりゃいいじゃん・・・
943日本@名無史さん:05/03/20 23:45:42
倭の五王朝ってなんだ?
944日本@名無史さん:05/03/20 23:50:49
>>943
ハッキリ言えば、日本の王朝じゃない。
半島での覇権争い。
945日本@名無史さん:05/03/20 23:59:56
5つか・・・

平家、源氏、足利、徳川・・・一つたりないな・・・・織田を入れとくか。
946日本@名無史さん:05/03/21 00:13:35
>>943
倭の五王だろ
>>944
どういうことだ?
947日本@名無史さん:05/03/21 00:14:52
九州が衰退した4世紀あたりで遷都したんでは?
王権なんかは大和側にゆだねて、領土だけひろげる画策で。
948日巫女:05/03/21 00:51:26
クマソは球磨(熊本)・曽於(鹿児島)を指す言葉よね、
ここは平定すべき敵国(隣国)なの。
紀記では、邪馬台国のあった年代に神功皇后をあてているけど
実際には彼女はこの年代には存在しないのよ。
紀記の天皇在位年数は「陰陽五行讖緯説」の思想に基づいて綿密に
編まれたものだからこの年代を邪馬台国発見に当て嵌めるのは無理。
倭の五王は5世紀のお話でスレ違いもいいとこ・・
それと、「倭人伝」の渡航距離と日数だけど
あれね、魏の役人が渡航日報書いたときに
日当を上乗せするために遠くに行った事にしただけだから
真に受けて地図上で場所探しをするのは、やめて頂戴。


949日本@名無史さん:05/03/21 00:57:37
>948
最後の4行以外は、とてもクリアだな
950日本@名無史さん:05/03/21 01:00:18
>>937
君の意見は確かに正論だ。しかし、ひとつだけ大きく間違っていることが有るよ
>人の意見を聞かない一方通行
>>違うよ

それより、何故君はこのスレに正面から参加しようとしないのかい?
951日本@名無史さん:05/03/21 02:14:03
あの時代九州は先進国家
北九州邪馬台国と南九州クマソの覇権争い
北九州側が先に東遷して
未開の原野畿内を制したから南北優劣の勝敗がついた
畿内土着の王権は豪族として臣従した
大王家の権威は他所からの流入だからこそ
畿内土着勢力同士なら争いは絶えなかっただろう
952日巫女:2005/03/21(月) 06:46:15
出雲王朝との絡みで説明できる人、居ますか?
953日本@名無史さん:2005/03/21(月) 09:16:11
>>948

>地図上で場所探しするのは、止めて頂戴

>>じゃあ、何で探せばいいのかな?
電話帳かい
記載されているとは思えないが。

>距離や方位で見つける事は × だ

>>それは個人の自由だろう。君が決めるべき事では無い
それに(×)になる根拠が無いよ
954日本@名無史さん:2005/03/21(月) 09:33:04
>>951
よく邪馬壹国の畿内東遷という文字を見掛けるが
何故東遷せねばならないのか?
当時、広い範囲の交易(間接貿易)が有りおぼろげな情報は持っていたろうが
それでも、遠い畿内の地
どうして畿内な訳だい?

東遷が有ったとしても、普通近い所から順番に遠くへ行くだろう。
ましてや、情報の乏しい当時 いきなり遠方の畿内へ東遷など考えられない

ドラえもんの『どこでもドア』でも使ったのか?
955太国:2005/03/21(月) 09:52:47
>>940
世の中、企業秘密というものがある。
「ここの店は極めて料理がうまいが、どんな隠し味を使っているのかね?
 その食材は何かね?教えてくれ。」
と言って、その店は教えてくれるのかね?教えてはくれないぞ。
昔、俺の家の近くにも、飲んだことのないような美味の珈琲を飲ませてくれる
喫茶店があった。その店で出した珈琲のブレンドのやり方を知りたかったが
教えてくれないことは自明であった。当時その店で時価7万円の珈琲カップで
その珈琲をのんだものだ。気品ある最高の味だった。
まあ、そんなことで、譲れないものもあるということをお前様も認識するべきだ。
味舌(阿自説)を披露できないのならば店じまい(撤退)しろとは、言いすぎ
だろう?今度は俺がお前様の自説を聴く番だ。お前様も利害なければ、積極的に
ここで論を張ったらどうか?俺もかなりの量の解説はしたはずだ。
ところで、橿原のどこらへんに周囲から隔絶した前人未到の秘境が存在していた
のか?まさか、伊賀甲賀とは言わないだろうが?どうだ?
普通の人が聴いても分かるように解説されたい。
956サガミハラハラ:2005/03/21(月) 09:54:09
ちょっとみない間に話がどんどん進んで、奴の話はどっかへいってしまったようであるが、
今一度ぶりかえしておく。
相変わらず答えをぼかされて、上古音では何と発音するという解答がないようである。
邪馬台国研究家の思惑で{奴}の上古音が推定されたわけじゃないことを認めてくれ、とあるが、
{奴}をナと発音するとの推定は邪馬台国研究家の思惑なのです。私の角川漢和中辞典が第何刷かと
のご質問がでるということは、最新版では「ナ」という発音がのっていると解釈してよろしいのでしょうね。
これは重大な問題をはらんでいると思います。「うそも百篇いうと本当になるという諺があります。
「奴」はナと読むといいつづけたために、辞書や言語学のほうにまで影響をおよぼし、古代史学者
や考古学者がそういうなら「奴」はナとよむのだろうと認めて(騙されて)しまったということです。
しかもこのことは、中国等の外国にまで影響をおよぼしていると聞いたことがあります。
この「奴国ナ国論」は、「旧石器捏造」「東日流外三郡志」とならぶ古代史研究の三大捏造事件の一つ
であると考えます。
このままでは、日本の古代史考古学研究は冷笑をもって迎えられることとなってしまうことを懸念す
るものであります。
957日本@名無史さん:2005/03/21(月) 10:42:43
>>878氏は

>ところで、アナタが提示した角川の中辞典での『漢音』の表記、『と』と言うヤツ。
>アナタが持ってるのは第何刷?どういう単語の読みとして掲載されているのか?

と漢音の『と』の音がどこに載っているのかと尋ねている。それがどうしたら

>最新版では「ナ」という発音がのっていると解釈してよろしいのでしょうね。

になるのだろうか?

意図的な曲解というより、言語機能が麻痺してるとしか思えない。
958日本@名無史さん:2005/03/21(月) 10:43:13
>>952
倭迹迹日百襲姫を卑弥呼と考えると
大物主命(出雲系)との関係上
邪馬台国は出雲系に乗っ取られた可能性が高い
959日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:14:42
>サガミハラハラ氏
今日本では『奴』を(な)と発音しなければいけない時代になってしまった。
仮に(ヌ)や(ド)と決まってしまったら大変困ってしまう。
(奴国の港=那の津)が飛んでしまい
博多付近=奴国が消えてしまう。
その結果多大なる経済損失を被ることに
今や『奴』=『な』は、たんに学問だけの問題では無くなった。
960日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:38:35
>959
心情的にヤツの味方をしたくてしょうがないんだろうが、
場違いなツッコミを入れるのは逆効果だよ。
論点は、三世紀の中国で『奴』と言う字にどういう音価を与えていたかなんだよ。
応援をするならヤツが主張する『奴』を『と』と読む類例を探してやるとか、
ヤツに代わって角川の漢和中辞典を引いてやるとかしてやれよ。
もっとも、一番なのは、これ以上生き恥を晒すことは無い、と諭してやることだな。
961日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:41:04
那は熊野にあったんだよ
そして邪馬台国は古代の巨大先進都市巻向の宮
倭迹迹日百襲姫が卑弥呼ですよ
962日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:48:59
倭迹迹日百襲姫
中国の古代史研究の古代言語学者「金明徳」の研究によると

倭迹迹日百襲姫ヤマトモモソヒメ
上古音の発音で言えば
卑(ヤマト)弥(モモソ)呼(ヒメ)になる

つまり本場中国でさえ畿内を邪馬台国と認めてるわけで
これだけでも十分満足です。
963日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:06:35
奴はドでなくてドゥだとおもう。漢音ドゥ。呉音ヌ。
上古音はおそらく詩経などをもとにしたものだから、母音はかなり確立できる。
桃之夭夭
有墳其実
之子于帰
宜其家室

詩経の詩であるが
実と室で脚韻を踏む、ということはこの二つの単語の母音イツは同じと断定できる。
こういうのを繰り返して、膨大な詩から音素をぬきとっていくわけだ。
奴がnagと推定されたのもその結果で、おそらく子音はDかNかは定かではないだろう
964太国:2005/03/21(月) 13:00:10
畿内にあるならば、記紀に大和朝廷と近隣にあることになる女王国との交流の関係
が魏志倭人伝の記述より以上に、さらに具体的詳細に掲載されていますよ。
それに百襲姫が女王国のqueenであることも、どんなタイプの女王であるかも
とことん倭人伝以上に記紀に記述されますよ。
それが記紀にないということは、九州に女王国があったという事じゃぁないですか?
965日本@名無史さん:2005/03/21(月) 13:09:14
>>964

記紀は、万世一系の男系天皇の日本統治の正当性を主張するもの。
女王の存在の記録は炎書されたのだ。
966太国:2005/03/21(月) 13:13:40
じゃぁ、江戸幕府将軍の記録は炎書されたのか?
967日本@名無史さん:2005/03/21(月) 13:14:26
>963
中国語舌音声母[n]の次濁化[d]は、北方民族の唐代の長安方言が起源じゃなかったっけ?
だから、上古音の復元にあたっては、より古形に近い南方が主張されているんだろう。
968太国:2005/03/21(月) 13:18:40
>>965
仮に炎書したって双方の王権は近隣にあったことになるのだから、
そのへんの地域住民には女王の存在が十分に認知されているはずだから
女王隠匿の効果はない。貴殿の思い込みということになる。
969日本@名無史さん:2005/03/21(月) 13:27:55
>>960
三世紀当時の中国での音価を調べる辞書を紹介してほしい。
ただし、リアルタイムだよ
ようするに、どんな研究を積み重ねても近ずくことは出来ても、答えはでない

それに、心情的に応援などしていない。
今の所、彼の解釈が最も理にかなっているからだ!
970日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:02:57
>>960
お前何時になっても懲りない奴じゃのう
噛み付く事しか知らんのかお前の博識は、よく解ったからもう帰れ(暗くなるぞ)
2ちゃんねるの掲示板は、今いる住人たちに任せて
お前は執筆でもしていろ、場が荒れる
971日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:36:37
畿内の豪族は、九州邪馬壱国(邪馬台国、イ妥国)から、
真人や朝臣の姓をもらっていたんだから知らないわけはないだろう。

972日本@名無史さん:2005/03/21(月) 15:07:40
>969
だから、『奴』の上古音の事例が見れるのは、学研の大漢和が一番身近な印刷物だよ。
何度も同じ話が出てるだろう。

その推定方法は963や967を見ればイメージできるかな。
アナタは携帯ユーザだから過去レスで紹介されてるリンク先も見てないんだろうが、
もう少し、詳しい説明もされている。
それとも、アナタお得意の100%の結論ってーのがお望みなら、
それは、勘違いも甚だしい。
提示したのは、中国上古音の研究とは、六世紀より始まり、清朝代に至る歴史と
現在では欧米にも専門家がいる国際的な学問だということだ。
また、基本的な考え方は、一つの文字をどう読むか、ということよりも、
一つの音素がどう変化してきたかにあるので『奴』と言う字の音価を意図的に変えると
同じ声母や声調を持つ全ての字の読みを変えてしまうことになる。
そんな大それたことを日本の古代史の一学派ができるわけがないと説明してるんだよ。

つまり、ヤツの『奴國の読みは、邪馬台国研究家のでっちあげだ』と言う、
それこそ「でっちあげ」な屁理屈に対する反論なんだよ。

それにな、サガミハラハラが批判されているのは、奴國の読みの解釈がことなることが理由じゃないだろう。
他人の説を誹謗中傷するだけで、厚顔無恥にすましきって、まともな議論に一切応じない、その態度だろう。

アナタもヤツと同じ流儀がお好みのようだから、これを最後に今後は同じ対応をさせてもらおう。
973日本@名無史さん
>>972
資料提供感謝します。
リンク先や書籍等は見られる範囲はチェックしている
でも自分は、誹謗抽象している相手でもその解釈内容に理解できる部分が有ればその解釈を指示しますし、
ましてや、その目標が自分自身でも変わり有りません。
特定個人と和気あいあいするつもりはない、各個人の知識を取り入れたい