2 :
日本@名無史さん:02/02/11 14:15
2ゲット
やったー
井沢氏にもまた来てもらえるでしょうか
4 :
日本@名無史さん:02/02/11 15:28
ほんとにきてんの?
でも、もう誰か書いたと思うけど、ナガシノの鉄砲爆音説を自分が始めて
見つけて発表したってのはヒドすぎるなあ。
すでに多くの郷土史家がナガシノ付近の地形歴から武田騎馬隊の総攻撃
的な突撃が不可能な地形だったのでは、って推測が出てる。
やはり地形から鉄砲三段撃ちも無かったのではないか、って推論をたてて
結局は鉄砲はオドシであった、ってもう言ってるんだよね、ずいぶん前から。
イザワさんは松本清張の『石の骨』を引き合いによく出すでしょ。
ホントの発見者は名も無い高校教師で、それを中央の学者が横取りして
発表してあたかも自分の発見のようにしてしまう。
どうスか?
5 :
日本@名無史さん:02/02/14 09:08
何も動き無いね、上げとくか。
10巻はいつ出るのでしょう?
>>4さん
漏れは「逆説の日本史」以外で「長篠の戦の勝因は鉄砲の爆音」てな説聞いた事無いです。
こんなトンデモ説を言っていた方、他に思い浮かびません。
>鉄砲はオドシであった、ってもう言ってるんだよね、ずいぶん前から。
これは鈴木眞哉氏の発言ではなかったですか?違ったらスマソ。
7 :
日本@名無史さん:02/02/14 16:10
>>6 1988年に学研の出したムックでは既に紹介されてました。
少なくともそれ以前から同様の説があるということであり、
井沢センセは10年以上も遅れています。(前スレで武田研究家氏が言ってたけど)
鈴木眞哉氏は「鉄砲は脅しだった」とは言っていません。
8 :
日本@名無史さん:02/02/14 22:02
井沢さん、本日の「ここが変だよ日本人」に出演age
9 :
日本@名無史さん:02/02/14 22:20
井沢さん、女装オヤジにゃ絶句してたね。
10 :
日本@名無史さん:02/02/16 23:51
>>6 「歴史群像シリーズE 風林火山」1988年4月
中村彰彦氏の文章 P84 参照の事。
……しかし、中村彰彦氏の文章ほとんど丸写し。
下手したら中村彰彦氏に訴えられる可能性も十分あり>>井沢氏
>>11 ありがとうございます。
リンクの貼り方解らなくて……すいません。
13 :
日本@名無史さん:02/02/18 22:55
保全あげ
14 :
日本@名無史さん:02/02/19 17:18
新しいスレになってから書き込みが止まったな。
ってことであげ
返レス遅くなってすみません。
>>7さん
>>10さん
ありがとうございます。さっそく見てみたのですが…
ちょっとまずくありませんか?>>井沢せんせ
顕如って悪人なんですかね?
設楽が原の戦い、今週号も鉄砲戦術で武田軍の騎兵を破ったと書いて
あった……。
やはり戦国時代から原稿書き始めたのかしら?
5巻での騎馬軍団の否定を忘れたとは思えないし。
本人?が来たとき、真っ先に聞くのはこのことだったなあ。
三戦板で「なぜ信玄は木曽路(だったかしら?)から美濃に攻め入らなか
ったのか?」というスレがありましたが、そう言われるとそうだよなあ。
関係ないからsage!
本人、来たんすか?
知らんかった。
井沢センセの「崇」「徳」説って学者とかにはどういう評価受けてんだろ?
平城天皇なんて井沢説でいえば「崇○天皇」「○徳天皇」
とオクリナされてる気がするんだが。
>>16 >顕如って悪人なんですかね?
顕如から見れば信長の方が悪人です。
後世の信長絶対史観の如きに惑わされることの無きよう……
20 :
日本@名無史さん:02/02/20 05:30
21 :
日本@名無史さん :02/02/20 13:11
>>19 研究家さん
それを言ったら山梨での武田信玄の評価は……
22 :
日本@名無史さん:02/02/20 13:26
>顕如って悪人なんですかね?
織田信長を10年も翻弄したくらいですからね。
「大悪人」でしょう。
23 :
日本@名無史さん:02/02/20 17:30
>>21 信玄ファンは少なくとも信長絶対主義よりはまだ可愛げがありますな(笑)
何しろ信長主義者は「信長が生きていればもっと素敵な世の中になっていた」
なんて平気でいいますからな(笑)
信玄ファンはせいぜい「信玄が生きていれば天下を取っただろう」ぐらいな
もんですから(笑)
顕如は現在の価値観で客観的に見ると、間違いなく悪人なのでしょうが、
それではあまり意味がないと思ったんです。
当時の人たちの顕如評ってどんなのだったんですかね?
信玄あたりは義兄弟だから悪くは言わないと思うが、信長あたりは酷評
してそうだし、謙信は時期によりけりか……。
顕如は石山退去後は各地の信者たちを宣撫しに行ったんでしたっけ?
宗門生き残りに必死なところを見ると、何か可哀想だなあって思っちゃ
います、信者たちには悪いけど。
信長が結局、当時の人々の想像の上を行っていたからなのでしょうね。
25 :
日本@名無史さん:02/02/20 23:42
>>24 >顕如は現在の価値観で客観的に見ると、間違いなく悪人なのでしょうが、
>それではあまり意味がないと思ったんです。
「現在の価値観」という「主観」を持ち込んだ段階で既に「客観的」では
ありませんよ。
京都を追い出されて大坂で勝手にやっていた所に信長が押し掛けて来て
「おい金払え」と言ったのが両者の関係の始まりです。
まあ信長が本願寺の破却を宣告したという事実は認められないにしても、
当初から信長の方が高圧的で正当性も無かったと言われれば否定は
できません。
信長の理想が(井沢氏の主張するように)本当に斬新で革命的で高邁な
ものだったとしても、そのために自分の生活が脅かされるというのは、
決して気分の良いものではないでしょう。
>>25 現在の価値観っていうのはまあ、人命尊重や個人主義みたいな感じで
戦国の世にはナンセンスな代物の意味で使いました。
平等思想も入っているかもしれません。
北陸は相当信者間の階級差が広がっていたみたいですからね。
近代の民主主義的な思想でこの時代を見てもあんまり意味ありません
ね、すいません。
27 :
日本@名無史さん:02/02/22 10:21
総論賛成 各論反対
抵抗勢力
窮鼠猫を噛む(藁
28 :
電波@名無史さん:02/02/22 23:51
ガセネタ。
井沢氏、長篠戦の勝因=鉄砲の爆音説について、
訂正を加える模様。
以上、ガセネタ。
29 :
日本@名無史さん:02/02/24 20:00
「なんで歴史を勉強しなきゃならないの?」スレよりコピペ。
>とりあえず現存する史料を読んでおくことは大切。
>史料を読み解く(もちろん批判も)の重要さを知らず、
>個人的な思い込みで歴史をまとめようとすると、
>「日本の歴史は言霊で解明できる」とか、「自分はマクロ
>歴史学を確立する」など、おバカなことを言い出す奴が
>出てくる。
ちょっと史料がらみの話なのですが、一次資料と二次資料のことについて。
実際のところ二次資料で大抵の歴史著述は著されている、と経済史の授業で
教わったもので、史料の問題はかなり議論されて然るべきことだと思います。
少なくとも歴史著述は、著者の個人的な思い込みが著作活動の原動力になっ
ているので、資料云々と結びつけるのはお門違いです。
貝塚茂樹の「中国の歴史」は後半部が毛沢東主義の深い影響を受けている感じ
が漂っててとってもよい著作ですよ(皮肉じゃないですよ)。
鉄砲爆音説は現在流行している信長見直し論への反論なのではと疑ってみる。
信長は凄い人物だとは思っていますけど。
31 :
日本@名無史さん:02/02/24 22:25
>30
現在流行している信長見直し論とは、具体的にはどんなもの?
32 :
日本@名無史さん:02/02/24 22:39
>>31 まずは、ここのスレではおなじみの鈴木真哉氏「天下人史観を疑う」
33 :
日本@名無史さん:02/02/24 22:52
>>29 井沢氏も痛いが、網野善彦氏はもっと「痛い」。
34 :
日本@名無史さん:02/02/24 22:53
>32
それは読んでいないからよく分からないのだけど、
三好長慶も天下人と呼ばれていた、というような話?
35 :
日本@名無史さん:02/02/24 23:06
小生不勉強にして、網野氏の書物は読んでおりませんが、
井沢氏の書物はいくらか読みました。あれらの本は小説家の
ストーリー作りを語ってるだけ、こんなだったら面白いよな。と書いてる
だけでしょ。井沢氏に小説化する能力がないから戯言言ってるだけ。
36 :
日本@名無史さん:02/02/24 23:08
>35
ありゃありゃ、とうとう言っちゃったね(ワラ
的を射た発言だとは思うけど。
37 :
日本@名無史さん:02/02/25 01:45
まあまあ(藁
井沢氏だって歴史ものでメシ食ってんだから、それなりの能力があるということでしょ。
ただ史実を勘違いしているところは多いし簡略化する傾向は否定できん。
>著者の個人的な思い込みが著作活動の原動力になっているので
狂信者さん、この辺はみんなわかっていることだと思うよ。
俺も論文書くとき古文書に目を通すけど、著者を全て肯定するわけじゃない。
史料なしに個人的な思い込みで書くのが良くない、とみんな言ってるんだし、
俺も全くそのとおりだと思う。
井沢氏には、「真説」を書こうとするなら、
司馬や海音寺の小説なんぞを参考文献にしてほしくないね。
39 :
日本@名無史さん:02/02/25 18:18
あの度を越えた信長マンセーはどうにかならんか?
ファンなのは別にかまわんが、ファンなればこそ突き放した視点が必要
だと思うんだが
40 :
電波@名無史さん:02/02/25 18:59
>>39 井沢氏には総見公の血が流れてる!
……なあんちゃって電波(自爆)
41 :
日本@名無史さん:02/02/25 19:12
本日(2002/02/25)の朝日新聞の夕刊見てビクーリ!
間接的とはいえ、朝日新聞が井沢氏を評価してる。。。
週刊朝日といい、今日の夕刊といい、
朝日と一体なにがあったのか>>>井沢氏
42 :
日本@名無史さん:02/02/25 20:38
>39
井沢さんも、とりあえず講談社の日本の歴史シリーズの
『織豊政権と江戸幕府』でも読んでみればよいのにね。
>41
何て書いてあったの?
43 :
日本@名無史さん:02/02/27 01:21
>>38 >俺も論文書くとき古文書に目を通すけど、著者を全て肯定するわけじゃない。
そうですね。
というか、大学の史学科では、まず、「史料をどう読むか、批判するか。どう
研究するか」ということを学びますよね(史学概論とか、基礎演習とかで)。
で、失礼ながら、
>>30で井沢狂信者さんが書いた
>史料の問題はかなり議論されて然るべきことだと思います。
というのは、歴史の研究では、口に出す必要もないこと。
井沢氏は、現在の歴史研究を、「史料至上主義がだめ」と言って批判して
いますが、それはどうかと。もちろん、史料以外の材料、たとえば民間伝承
などであっても、歴史の研究の材料にはなりますが、それのみで結論を出す
こと、すなわち史料を排除して研究することはできません。
>>41 >間接的とはいえ、朝日新聞が井沢氏を評価してる。。。
推薦者の講談師・神田氏の「こんな歴史教科書だったら、学生時代にもっと
歴史を推理して覚えただろう」というのが気になった。
「逆説の日本史」は、エンターテイメント(読み物)として読むならいいの
だが、読み手が、井沢氏の考えが真実であると信じてしまっては困るからね。
44 :
日本@名無史さん:02/02/27 01:27
>>43「逆説の日本史」は、エンターテイメント(読み物)として読むならいいの
だが、読み手が、井沢氏の考えが真実であると信じてしまっては困るからね
まさにそこが、井沢氏に限らずの歴史小説の両刃の剣なわけだ。
>>43 >井沢氏は、現在の歴史研究を、「史料至上主義がだめ」と言って批判
史料至上主義と史料をよく読むこととは違いますね。
俺が尊敬する先生の一人は、こうおっしゃっています。
ある種の予断に基づいて史料解釈を行うのではなく、
史料の声にしたがって解釈することが大切
井沢氏が信長を大いに持ち上げるのは結構。
でも、信長が何においても優れているという先入観から文献を解釈すると、
自分の考えと違うからといって揚げ足をとりその史料を否定し、
同時にその史料を引用して文章を書いている学者を攻撃することになる。
46 :
日本@名無史さん:02/02/28 01:09
そういえば今日の「その時歴史が動いた」はちょうど信長対本願寺。
阿呆かと。
信長の政策として「政教分離」だとかしたり顔で講釈たれる人には、
こう聞けば宜しいかと。
「信長は根来衆を使っているが、何か?」
48 :
日本@名無史さん:02/02/28 20:14
>>狂信者さん
信長は高野聖の弾圧を行ってるし、高野山の攻撃も計画していたハズでは?
(もし実施されていたら比叡山攻略よりも大規模なものになったはずだとか…)
で、秀吉は高野山は木食応其の嘆願で戦火から免れたけれど、
新義真言宗の総本山、根来寺は焼き討ち…
49 :
日本@名無史さん:02/02/28 21:02
>>588 平頼盛はどうよ?
平家政権滅亡後も、平家一門で唯一、家を保っていたし。
あと平資盛の子孫とか。
誤爆スマソ
51 :
日本@名無史さん:02/02/28 23:23
井沢さんのHP繋がんないぞ(w
52 :
日本@名無史さん:02/02/28 23:37
>>51 ここで真実を衝かれたので、拗ねたのです(嘘)
53 :
日本@名無史さん :02/03/01 21:03
井沢せんせYahoo掲示板でも叩かれてマス
54 :
日本@名無史さん:02/03/01 22:48
>>53 Yahoo掲示板に井沢さんが出現したら笑える
55 :
日本@名無史さん:02/03/02 00:34
井沢氏のHP復活
56 :
日本@名無史さん:02/03/02 02:52
井沢氏のHPは、本人のUPがないからいらないよ>
57 :
日本@名無しさん:02/03/02 05:46
しかし、相変わらずアンチは重箱の隅をつつくようなことばかり言う。
いいところを学び、悪いところは無視すればいいのに。
穢れ、怨霊、言霊は学ぶべき。
何でもそれで片付けるのはどうかと思うが。
井沢氏は信長だけでなく、足利義満、足利義教など多くの人を通説より
高く評価しており、決して信長だけをマンセーとは言っていない。
俺は正直言って信長は信玄みたいな中世の遺物と一緒にするべき人じゃない
と思う。それをマンセーというならその方がアホだな。
むろん人間だから信長も欠点はある。その上で優れたところは
認めてやるべきではないのかね。
58 :
日本@名無史さん:02/03/02 10:44
>>58 アンチ井沢=信玄と信長を一緒にしている
という証拠はないだろハゲ
59 :
日本@名無史さん:02/03/02 10:45
>>57 アンチ井沢=信玄と信長を一緒にしている
という証拠はないだろハゲ
に訂正。自爆だ
60 :
日本@名無史さん:02/03/02 11:09
信長を認めることと井沢を認めることは別
それもわからない57は逝ってよし
61 :
日本@名無しさん:02/03/02 13:24
武田研究家みたいな信玄マンセーに反論していない
アンチは充分信長と信玄を同程度に思っているんじゃないか?
>>60 んなことはわかってる。
その上で信長の優れたところ、井沢の優れた意見は認めてやれと
言っているだけ。批判が行き過ぎて否定論ばかりになっている。
62 :
日本@名無史さん:02/03/02 13:31
>>57 >>10のレス読みなさい。
井沢氏は中村彰彦氏の文章の「盗用」。
たとえ故意ではなかったとしても、だ。
>悪いところは無視すればいいのに、という次元じゃない。
中村彰彦氏から訴えられる可能性は十分ありえる。
そうなったら井沢氏の作家生命はどうなる?
最悪の場合「作家:井沢元彦」という肩書きは吹っ飛ぶぞ。
井沢氏のファンならそれぐらいの事は考えて置きなさいね。
63 :
日本@名無史さん:02/03/02 13:42
>>61 >信長の優れたところ、井沢の優れた意見は認めてやれと言っているだけ。
例えば?
64 :
吾輩は名無しである:02/03/02 14:13
>>57=61
>アンチは充分信長と信玄を同程度に思っているんじゃないか?
その証拠を提示してください
根拠もなく勝手な批判をするお前は
史実と違うことを偉そうに述べる井沢と同じ
間違ったことをさも事実のように言うのはウソをつくこと
泥棒の始まりですよ
嘘つきを認めないことと嘘つきを弁護するのと
どっちが正しいことかな?
アンチ…真実を追究する人々
井沢とそのファン…嘘つき人間
ということで
65 :
日本@名無史さん:02/03/02 14:14
>>63 信玄が旧体制側についたのに対して信長はそうじゃなかったって事。
66 :
日本@名無史さん:02/03/02 14:17
>>64 批判精神を持った井沢ファンと井沢マンセーとは違う。
67 :
日本@名無しさん:02/03/02 14:20
>>63 信長の優れたところがわからないほど馬鹿じゃないだろ?
楽市楽座をはじめとする経済政策は六角などがすでに行っていた
という指摘はあるにせよ、そういう優れた政策をどんどん取り入れて
大規模に実行するのは優れているところ。鉄砲の大規模な利用も
検地もそう。
身分にこだわらない人材登用などはダントツだし、兵制の改革、
相撲、狩野派の絵画など新しい文化の奨励と保護、領国の治安の良さ
などは優れているところではないか?
井沢の最大の功労は言霊というものが与えている影響の大きさを
一般大衆にわかりやすく説明したこと。
彼がいなかったら誰もそのことに気づきはしなかったろう。
言霊が今でも影響をもっているのは受験生の前で落ちる、滑るは言わない、
結婚式で別れる、切れるは言わない、「縁起の悪いことを言うな」
などのセリフや考えの中に色濃く残っている。
言っておくけど俺は井沢氏のファンだけど
全部認めているわけじゃない。
中尊寺金色堂のところには異議があったし、
実朝暗殺は東国武士団の総意という説も疑問に思っている。
しかし、全般的に見て彼の発言は一考に価すると思う。
通説に毒されずに平明に見ることが大事じゃないだろうか。
>>62 中村氏の文は読んでるから知ってるよ、そんなこと。
その件については今後問題になるかどうか分からんからノーコメント。
ただ、一言引用したことについて触れるべきだったと思う。
>>63信玄が旧体制側についたのに対して信長はそうじゃなかったって事。
旧体制につくことが悪いこととは思わない。かりにそれが悪いことだとしても、
信長がの功績であっも「井沢氏が優れている」とは違うでしょ。
それに、だれも信長の功績を認めていない、なんてことはないと思いますけど。
井沢氏が、史書を無視し自分の思い込みだけで、
「信長は信玄より偉い」という評価をするからみんな批判しているのであり。
史実をきちんと調べてからモノを言え、はあたりまえのことです。
俺だってどっちかといえばアンチに属するけど、井沢氏の貢献は認めてるよ。
史実に反することをあたかも史実のように言うから反論するだけです。
69 :
日本@名無史さん:02/03/02 17:48
>>67 井沢氏本人がどういっているか、知っているかな?
逆説の日本史9巻で「井戸を活用した人間より井戸を掘った人間が
偉大なのだ、信長の偉大さはそのオリジナリティだ」と断言している。
その時点で、アンタの意見は全部的外れ。
なぜなら、信長に「オリジナル」な要素はほとんどなく、活用レベルでの
功績が圧倒的に多い。
また根拠もなくデッチ上げられた「功績」の多さもアンチの増える原因。
信長に関して井沢氏の意見に認めるべき点は全く無い。
信長がどんなに凄かろうが、井沢氏は認識が完全にずれているのだから。
70 :
日本@名無史さん:02/03/02 17:55
>>67 >井沢の最大の功労は言霊というものが与えている影響の大きさを
>一般大衆にわかりやすく説明したこと。
言霊信仰をすべてに敷衍する井沢氏の強引な論理は、時折読者に
間違いをおこさせる。
たとえば、このような「井沢信者」(仮にA氏とする)がいた。
ある場所で、「井沢信者」のA氏と、そうでないB氏がディベートを
始めた。B氏の意見には極端なところもあったので、A氏はB氏を説得
しようとしたが、まったく聞き入れてもらえなかった。
その結果、「井沢信者」のA氏はこんなことを言い出した。
「あなた(B氏)は、同じことを繰り返して言っていれば、それが事実に
なると思っているのか。それはコトダマにとらわれているのだ」
同時にA氏は、「相手を批判ばかりしている人は、相手にケガレを貼り
付けているのだ」と、「ケガレ」についても誤用した。
B氏は「わけがわからない」と困ったが(そりゃそうだ)、A氏曰く、
「井沢元彦の著書を読めばわかります」。
……まあ、この場合は、こんなことをいわれた井沢氏のほうがかわいそう
だが(A氏がアホすぎる)。
71 :
日本@名無史さん:02/03/02 17:57
ちなみに、上記のA氏は、もちろん日本史が好きだ。A氏は自分の
ホームページの日記で
「史料を元にした戦記小説があるとする。それに感銘を受けた人間mが、
それを参考にして自分の話を作る。さらにそれに影響された読者nが
その本を資料にして作品を作る。この場合、mやnの本はけして元の本に
勝つことはできない。今出回っている作品は、ほとんどがmやnが作った
ような作品だ。そういう作品は、オリジナルなものを作るための「何か」
が足りてないように思えてならない」
というようなことを書いていた。
そこまで言えるのに、自分が信仰する井沢氏の著作にはそういう疑問を
持たないらしい(w
72 :
日本@名無史さん:02/03/02 18:22
井沢せんせが間違い、アンチが正しいことを言えば
>相変わらずアンチは重箱の隅をつつくようなことばかり言う。(
>>57)
史実を糺すことがなんで重箱の隅なんでしょう。
井沢せんせが正しいことを言えば
>井沢の優れた意見(
>>61)
あたりまえのことを井沢せんせが書けば優れているっていいます。
早い話が贔屓の引き倒しです。この人。
73 :
日本@名無史さん:02/03/02 23:26
そういえば、武田研究家さん来ないね。
74 :
日本@名無しさん:02/03/02 23:29
ようするにアンチは井沢が嫌いなあまりに
認めるべきところすら認めないらしい。
中立的に認めるべきところを認め、批判すべきところを批判すればいい、
全否定するのは止めようと言っているだけなのに
贔屓の引き倒し?
馬鹿じゃないの。
75 :
日本@名無史さん:02/03/02 23:39
>>74 馬鹿はあなた。
所詮、織田信長も武田信玄も北条氏政も石田三成も
東照大権現様を偉大に見せるための引き立て役。
76 :
日本@名無史さん:02/03/02 23:48
>>74 >ようするにアンチは井沢が嫌いなあまりに
>認めるべきところすら認めないらしい。
別に、すべてを否定はしていないでしょ?
ただ、「マクロ歴史学を確立する」とか言っているでかい態度のわりに、
基本的にダメなところが多すぎるのですよ。
77 :
日本@名無史さん:02/03/03 00:04
>>74 「アンチ」じゃなくて、現実として、井沢氏に批判すべき点が多い。
78 :
日本@名無史さん:02/03/03 00:57
いまさら井沢氏がギミック変更したりしても、アンチも信者も中立も「変節漢」と
叩くのは明白の事実。
今の姿勢を保つ分にはいいんじゃない?
小林よしのりよりは遥かにマシでしょう。
まじめな話として、批判不可能な歴史文書?は存在しないわけです。
批判(非難じゃなくて)されるというのは人生の勲章でしょう。
嫌われる国ほど世界的に実力を持った国というのを聞いたことありますが、井
沢氏はどうなんでしょうかね?
個人的には肩肘張らないで読めるのがいいなあ。
あと、一般人にはお目にかかれないマイナーな著作とかからの引用。
資料の使い方はそりゃ学者さんたちには敵わないでしょうが、文章では勝って
いるんじゃないの?
悪貨も貨幣なり、アンチ・中立も頑張って悪貨を駆逐すりゃいいじゃないか。
79 :
日本@名無史さん:02/03/03 01:49
>>78 誤りをただしてほしいのですよ。
変節というのじゃなくて。
80 :
日本@名無史さん:02/03/03 09:57
この井沢弁護の人に、ぜひとも説明していただきたいことがあります。
一生懸命答えているが、都合の悪いことには答えようとしていない。
これに答えられないならもう馬鹿なことは言わないで欲しいですね。
>59 :日本@名無史さん :02/03/02 10:45
>
>>57 >アンチ井沢=信玄と信長を一緒にしている
>という証拠はないだろハゲ
>64 :吾輩は名無しである :02/03/02 14:13
>
>>57=61
>>アンチは充分信長と信玄を同程度に思っているんじゃないか?
>その証拠を提示してください
アンチが、信長と信玄を同レベルに考えていると思った理由をご説明願う。
>68 :蝦夷の末裔 :02/03/02 16:06
>井沢氏が、史書を無視し自分の思い込みだけで、
>「信長は信玄より偉い」という評価をするからみんな批判しているのであり。
>史実をきちんと調べてからモノを言え、はあたりまえのことです。
>69 :日本@名無史さん :02/03/02 17:48
>信長に関して井沢氏の意見に認めるべき点は全く無い。
>信長がどんなに凄かろうが、井沢氏は認識が完全にずれているのだから。
史実無視で信長大賞賛しているから叩かれる。この指摘についてどう思うかね。
残っている史料が「批判不可能」ではない、というのは、
史書を無視していいこととは違うんではないかな?
>72 :日本@名無史さん :02/03/02 18:22
>史実を糺すことがなんで重箱の隅なんでしょう。
言葉を変えて質問しよう。正しい歴史を伝えるのが悪いのですか?
74で「馬鹿じゃないの?」なんてキレはじめているところからも、
この人間が痛いところをつかれて苦しんでいる様子がありありとわかる。
ひとこと逝っておくがね。
君の認識くらい、武田研究家や蝦夷の末裔、そのたアンチはみんな持ってるの。
この人たちはそれよりも一歩奥に進んだレベルで会話しているのであって、
消防レベルの歴史認識の奴が口を出すことじゃない。
81 :
日本@名無しさん:02/03/03 11:21
一歩進んだ?
笑わしちゃいけない。
お前さん達程度の知識や認識はこっちこそ持っているよ。
念のために言っておくが、アンチ批判をしているのは俺だけじゃない。
全部俺の発言と勘違いしないでくれ。
俺の発言には責任持つが、他人の発言に答えろと言うのは
勘違いも甚だしいね。
痛いところを疲れるとは笑わしてくれる。
中立になろうといってるのを弁護と受け取る勘違いを馬鹿と言っただけ。
勘違いの上塗りもたいがいにしてくれ。
奥に進んだレベル?歪んだレベルだろ。
82 :
日本@名無史さん:02/03/03 11:31
>痛いところを疲れるとは笑わしてくれる。
日本語わかる?
83 :
日本@名無史さん:02/03/03 11:32
質問に答えられないから
>俺の発言には責任持つが、他人の発言に答えろと言うのは
>勘違いも甚だしいね。
と言い逃れ。
この文章も日本語になっていない(w
>>81 あのな、俺は少なくとも中立、君にそんなこと言われる筋合いはない。
井沢の悪い点を認めようとしない君のほうが中立とは言わんぞ。
そんなに俺の認識がゆがんでいるというなら、
>>38,45,68に批判を加えろ。
自分の言葉には責任もつんだろ?
(つづき)
批判を加えろといったのは、自分の欠点は自分じゃわからないから。
それは君も同じ。
あと本当に自分の言葉に責任を持つというならコテハンにしてくれ。
武田研究家さんのように、な。
前スレより井沢氏と思われる方のレスコピペ
(蝦夷の末裔さん、失礼)
928 名前: 926 投稿日: 02/02/01 21:53
武田研究家さん、蝦夷の末裔さん、その他の方々、さまざまなご意見
いつも拝見しております。本当は本を差し上げたい所なんですが(笑)
931 名前: 926 投稿日: 02/02/01 22:19
武田研究家さん
『井沢元彦の未来講座』には仏教の話は載せてますが、信長や信玄の話は
掲載されておりません。読んで頂いて本当はうれしいんですが(笑)
933 名前: 蝦夷の末裔 投稿日: 02/02/02 10:18
本物の井沢氏ですか?
>いつも拝見しております。本当は本を差し上げたい所なんですが(笑)
「…私の意見に反する方には…」と続くなんていわないでください(藁
934 名前: 926 投稿日: 02/02/02 13:35
蝦夷の末裔さん
「私の意見に反する方」でも、建設的な意見や批判をされる方でしたら歓迎いたします。
いくら垣根を高くしても、それでも非建設的・非論理的な発言をする方もおりますので(苦笑)
87 :
日本@名無しさん:02/03/03 13:15
>>38 では反論する。
下らないから本当はここの発言に反論するのはめんどくさいが。
>>38の司馬や海音寺の小説云々というのは間違い。
引用しているのはすべて歴史随筆か「武将列伝」などの史伝もの。
彼らのつくったフィクションではなく、彼らの考察を引用しているだけ。
>>45の後段に対しては、「逆説の日本史」なのだから通説と違うところに
触れるのを主眼としているのだから異論のないところには触れないのが
スタイル。井沢氏もそのことは明言している。
信長の欠点は承知の上で人が余り評価しないところを評価するだけの話。
信長に関しては詳しい人が多いし、信長嫌いの人が多いから反発を買っているだけ。
足利義教に関してもかなり褒めているが、それを批判した人はあまりいないね。
2チャンには義教に関する詳しい知識がない人が少ないからだろ。
この分じゃ幕末編ではもっと叩く人が出てきそうだね。(笑
具体的に史実に反することを指摘してくれよ。
長篠の鉄砲のこととか、本当に小さいことじゃなくて。
88 :
日本@名無しさん:02/03/03 13:20
>>87 付け加えると、信長のあまり人が見ないところは長所だけでなく
短所も指摘している。
たとえば関所をなくしたことによって光秀の謀反を事前に察知すること
ができなかったことなど。
よく読めば信長マンセーではないことがわかるんだがね。
井沢イコール信長マンセー、俺イコール井沢弁護という
短絡的な結論がアンチたちの読解力のなさを露呈させていることに
気がついてくれ。
89 :
日本@名無史さん:02/03/03 13:35
>88
京都七口の関所が廃止されたのは、信長死後のことなのだが・・。
90 :
日本@名無史さん:02/03/03 13:37
>87
長篠の鉄砲の件を「本当に小さいこと」と言うわけね。
多分、兵農分離や楽市楽座などについての井沢さんの
間違いも、「本当に小さいこと」ですませるんだろうな。
91 :
本格派名無しさん:02/03/03 14:04
>>87 >引用しているのはすべて歴史随筆か「武将列伝」などの史伝もの。
>彼らのつくったフィクションではなく、彼らの考察を引用しているだけ。
そうかな? 五巻では司馬の小説「義経」を引き合いに出しているが。
井沢氏だって小説だと認めているじゃないか。
そういうわけなんで、君も自分の間違いを認めたほうが良い。
まあ海音寺のほうは俺のミスだな。
>
>>45の後段に対しては、「逆説の日本史」なのだから通説と違うところに
>触れるのを主眼としているのだから異論のないところには触れないのが
>スタイル。井沢氏もそのことは明言している。
そうじゃなくて、異論のないところを異論のあるように書き換える、
それがここで問題になっていること。
武田研究家さんが井沢氏を批判するのは、
井沢氏の武田認識が間違っているからでしょ。
信玄を貶めるのが史実に反することであれば、訂正してしかるべきと思う。
武田研究家さんだって信長の功績を全く認めていない人ではないよ。
というか、相当に詳しい人だと前からの書き込みでわかると思うけど。
それに武田研究家さんが歪んでいるのは、井沢氏に対する感情であっても、
彼の歴史の認識が歪んでいるのとは違う。君もそれに気づいて欲しいな。
>具体的に史実に反することを指摘してくれよ。
前スレで、前九年の役について井沢氏の認識が間違いであると書きましたが、何か?
(今川焼きさん、証人になってくれますでしょうか)
俺みたいな蝦夷人には大きなことなんですよ、これ。
あと「長篠の鉄砲」が小さいことかどうか、はどうかな。
井沢氏は信長の天才を強調するために取り上げているんで、
君が小さいといっても井沢氏が大きくするんだからしょうがない。
ここについて、俺は文句言ったことないがね。
蝦夷の末裔さん、了解しました。
94 :
日本@名無史さん :02/03/03 15:32
>>81 >お前さん達程度の知識や認識はこっちこそ持っているよ。
>>88 >たとえば関所をなくしたことによって光秀の謀反を事前に察知すること
>ができなかったことなど。
これに対し
>>89 >京都七口の関所が廃止されたのは、信長死後のことなのだが・・。
さあこの馬鹿はどう言い逃れるかな?
95 :
日本@名無しさん:02/03/03 19:01
>>92 「義経」に関してはその通りだね。
この点についてはこちらの間違いだ。
ただ、ストーリーの中でなく、司馬の考察の部分(義経が軍事的天才であったこと、
そして政治センスが皆無であったことが彼の栄光と悲劇の原因であること)を
引用したんだからフィクションの引用ではないということは理解すべき。
信玄はどう考えても信長以下の人物だよ。それが史実に反すると言われるなら
意見の相違に過ぎないが。
信玄が信長と同等、あるいはそれ以上の戦略家ならなぜ狭い北信濃の土地に
こだわって謙信と不毛な争いをしていたのかね?
信長が桶狭間の後、今川領に攻め込まず、上洛と天下取りを意識して美濃に
攻撃の照準を絞ったのとはあまりにも違いすぎる。
信長が信玄の立場なら無気力な今川氏真は相手にせず、村上領と小笠原領を
返還してでも謙信と不可侵条約(同盟は北条に対する背信行為になる)を
結び、木曽から美濃に進出する作戦を取っていただろう。
謙信と和睦が出来るわけがないと思うのは愚の骨頂。謙信は北条とすら和睦して
いるくらいで、信玄が奪った土地を返すなら(しかも村上と小笠原だけでいい)
関東奪回に専念するためにも喜んで和睦に応じていただろう。
謙信はこの両面作戦で生涯のかなりの部分を費やしてしまったのだから。
次善の策は実際にやった駿河侵攻だが、桶狭間から10年もかかったのは
寿桂尼がいたからでもあるが、謙信と和睦しなかったのが最大の理由。
それとその2年前に信長が上洛に成功したことが初めて信玄に天下取りを
意識させたからだろう。それまでの信玄は領地を増やすことを考えるだけの
一地方大名にすぎない。
彼が民政にすぐれていたことは認めるが、それなら加藤清正や石田三成だって
同等の評価が出来る。
俺から言わせればその目先の利益に飛びつくところが伊達政宗とよく似ている。
到底天下取りの器ではない。
前九年の役については君のレスを読んでいないので後で書く。
96 :
日本@名無しさん:02/03/03 19:03
武田研究家氏の指摘については、
それが事実であるという確証に乏しいことが多い。
単なる意見の相違になってはいないか?
兵農分離の件なども、信長が100%兵農分離を完成したわけでなく、
信玄が専業武士を少しは持っていたということは確かだろうが、大事なのは
信長がこの点において信玄を含む他の大名よりはるかに多くの専業武士を抱えて
いたことだ。その事実を認めずに「信玄も持っていた」「信長も完成させて
いたわけではない」と反論するのが俺の言う「小さいこと」なんだよ。
それによって信長がはるかに自由な軍事行動が取れたことは
確かだと思うが。
ある資料と別の資料が正反対の事実を記している場合、普通は信頼度の高い資料
を史実と認めるわけだよね。しかしその信頼度に疑問がある人に対して
史実と違うことを言っていると批判してもそれが本当に妥当なのかは
その資料の検討にかかってくる。
俺には武田研究家氏の指摘がそれほど史実としての信頼度が高いとは
思えんのだが。単なる信玄びいきが「信長など大したことはない」
と言っているようにしか見えない。
>>京都七口の関所が廃止されたのは、信長死後のことなのだが・・
関所というのは京都七口だけではない。現に他の大名領では驚くほど多くの
関所を設け、通行料を取っていたことは事実。
信長は京都こそ町衆や朝廷との関係から廃止できなかったかもしれないが、
他の関所はどんどん廃止していった。他の大名のように多くの関所を設けて
いたなら明智領の丹波を出て京都方面に出てきた段階で光秀が謀反を考えて
いることを信長は察知できていたはず。
その点を井沢氏は指摘したんであって、京都七口という例外で
指摘を全否定するのはまさに「重箱の隅をつつく」行為の典型だね。
そういうごく小さな例外を指摘して井沢氏の意見そのものを否定するのが
愚かな行為だということに気づいて欲しい。
そういう考えもあるのか、とまず受け止めてから賛成か反対かを
よく考えることだね。
通説に毒されていると頭から否定しがちなんだよ。
中央公論社や集英社の「日本の歴史」などとはあまりに違う
意見が多いからね。
もちろん井沢氏の意見が間違ってると俺が思うときもある。
しかし、それは小さな矛盾を指摘して全否定する、というやり方でなく、
その考えに根本的に反する事実があるから、というやり方でいくよ。
そういう点がアンチは実に視野が狭く見えるんだがね。
>>94 馬鹿というならもう少しまともなこと言えよ。
君よりは俺の方が頭がいい。
97 :
日本@名無史さん:02/03/03 19:21
光秀軍が京都に入る時にも関所はあったはずだが本能寺の近くまで
光秀軍がくるまで気づかなかったのは何でだろう
98 :
日本@名無史さん:02/03/03 19:28
奪った土地は恩賞として家臣に分け与えたりしてるし調略とかで寝返った
連中とかもいるのにホイホイ元の領主に返せるのかね?
本能寺時点の毛利みたいに追い詰められてるわけでもないのに
99 :
日本@名無しさん:02/03/03 20:18
>>98 そんなのは代地を与えれば済む。
天下取りという大目的のためには
宿敵と手を結ぶことも必要ならやるべき。
信長は自分に敵対した柴田勝家を許し、挙兵した松永久秀も許した。
秀吉は家康を降すために母も妹も人質にするという
屈辱的なことをした。
家康は自分に反旗を翻した三河武士達を許した。
そういう例はいっぱいあるけどね。
領地の割譲というなら古今の歴史で領地問題をそういうやり方で
解決したことはいくつも例があるよ。
100 :
日本@名無史さん:02/03/03 20:36
柴田や松永を許したのは信長にそれらを倒すだけの力がなかっただけだよ
後年余裕ができれば林・安藤などのように大昔の事で追放されてる
101 :
日本@名無史さん:02/03/03 20:39
反逆した家臣を許したりするのは天下云々なんて関係ない
本当にどこの大名でもやってること。
理由はそれらを始末するだけの力が主君にないからさ
102 :
日本@名無しさん:02/03/03 21:03
>>100 >>101 それはその通りだけどね。
しかし、信玄が謙信と和睦しようとしなかったことは確かだし、
それが彼が天下を取れなかった大きな原因だというのも確かだろ?
代地なんて簡単に言うが真田なんて上田領有権保持の為に戦ってきた
わけだろ
その当時の国人・豪族の土地に対する執着を現在の価値観で計るべきでない
だろう
ちょっと休憩。
やさしい2ちゃんねる講座
トリップの付け方・・・
◆は一人でキャップ(トリップ)で、名前欄に「#好きな文字列」をいれるだけです。
簡単に本人の証明ができるので、「日本@名無しさん」だらけで混乱した場合は
トリップを使ってくださいです。
105 :
Aikou:02/03/04 00:53
57=61=63=67=71=81=87=88=95=96
この「反アンチ派」さんは
81 お前さん達程度の知識や認識はこっちこそ持っているよ。
96
>>94、君よりは俺の方が頭がいい。
という事を言いたいだけなのです。
106 :
日本@名無史さん:02/03/04 01:39
>>105 >57=61=63=67=71=81=87=88=95=96
>この「反アンチ派」さんは
>>71は「反アンチ」じゃないと思うが…というか「アンチ」のほうじゃない?
まあ、ただの番号指定ミスだとはわかっている……細かいことを言ってすまん。
107 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:05
>>95 信長は義元死後に一回三河を攻めているし、
義龍以降は美濃は仇敵で、上洛を望むと望まざるとにかかわらず
攻略することになったのではないか?
義昭が転がり込んでくるまでに信長がしたのは伊勢攻めだが、
義昭が転がり込んでこなくても上洛軍を同じ時に起こしたのかね?
軍事動員には莫大な経済力が必要だが、海上交易の拠点として
莫大な利益を上げる海上交易の拠点である伊勢湾沿岸部を容易に
押さえることのできた信長と、山国の信玄では比べ物にならない差がある。
北信の確保がなければ美濃方面に攻め込んでも国力拮抗で疲弊するのみ、
中央に近い美濃に経済力では分がある。
ゲーム厨レベルの空論を語るなよ(w
108 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:13
>>99 代地を与えれば住むだって? 厨房丸出し(w
信玄が自由になるのは自分の直轄地だけであるが、
北信諸将に代地を与えるとなると相当の痛手になる。
また村上だけでなく小笠原まで復帰してきたら美濃方面への
道まで閉ざされてしまう。本気で言ってるのか? 馬鹿だね。
君主直轄地の減少は軍事力の低下ひいては発言力低下にもつながる。
信長の行った家臣の転封はいずれも新規征服地に家臣を旧領地から
移すもので信長の懐が決して痛まないものばかり。
柴田や松永を許しただって?
20年前に叛いた罪で林を追放したのは誰だよ(w
茶器が欲しくて謀反者を許すのも馬鹿すぎるな
109 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:21
>>96 >信長がこの点において信玄を含む他の大名よりはるかに多くの専業武士を抱えて
>いたことだ。その事実を認めずに「信玄も持っていた」「信長も完成させて
>いたわけではない」と反論するのが俺の言う「小さいこと」なんだよ。
「信長の兵農分離」を証明したやつっているのか?
史料的には実証できないぞ。妄想家の妄言と断じられるな。
だいたい武士が知行制から俸禄制になるのが江戸時代中期なんだから。
110 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:28
>>107 つっかそれは薩唾峠の北条氏政三万対武田信玄1万五千の
布陣のような東国戦史を完全に無視してるでしょ
三増峠の両軍接触、深沢城攻落、興国寺、韮山城席捲、
興津、久能城攻落あたりは信玄の采配は完璧だよ。
小田原攻めから軍勢を返したら直後に早雲創業の地で北条領国支配の中枢と
位置づけられている興国寺、韮山城を落として(すぐ翌年奪いかえされるが)
相手の動揺を誘い、三河侵攻をして各城で徳川方を壊滅させている。
大阪夏の陣まで持っていく頃の権現様家康も基本的に信玄の猿まねだね。
陽動作戦だとか城からおびき寄せて野戦に持ち込むとか。
サッカーワールドカップを目前にして静岡市と清水市が合併を協議してるけど
大御所家康の頃も清水は日本随一の朱印船貿易港だったし、
今もって東海地方の日本車、バイクの北米向け輸出量ではトップレベルのはずだよ。
つうか伊勢っていうけど観光地意外なんか付加価値あったっけ?
あと美濃?この国ってなんのために存在してたの?
ほんと信長ヲタって経済経済ってオーラたってるよね。多分室町史を通じて
駿河の重要性が80点だとすると伊勢30点美濃20点くらいかな?
111 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:37
>>110 なんでここまで厨房なやつが出てくるんだ?(w
信玄が「孫子の兵法」を旨とし、事情がなければ基本的に万端の
準備を整えていたのは周知の事実。
信玄の出兵と勢力拡大のペースが信長に比べて遅いのが
経済力の差の表れ。どんなに優秀でも地理的要因には勝てない。
だから上洛戦までにあれほどまでの時間を要してしまった。
家康の頃は駿府が家康の本拠地なんだから清水湊の地位が高いのは当然。
戦国期に伊勢商人が東国と西国の中継で莫大な利益を上げていたのを
知らないんだね。
熱田湊が海運の重要拠点の一つであることを知らないんだね。
同じく海運の拠点である江尻津(清水湊)をどうして信玄が
欲したかも理解できまい。厨房が(ww
112 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:45
それにしても
>>110は面白すぎる。
>大御所家康の頃も清水は日本随一の朱印船貿易港だったし、
>今もって東海地方の日本車、バイクの北米向け輸出量ではトップレベルのはずだよ。
朱印船貿易は家康が駿府で朱印状を発給したからに決まってんだろ。
「東海地方で一番」がそんなにうれしいか?ヤマハとトヨタのおかげだろ(w
横浜に勝ってから出直せば? 厨房君(w
戦国期の主流は民間レベルの貿易。
そしてはるか以前から日本全体に行き渡っている海上交易網の
莫大な物資流通量。主要港を持つことの意義は非常に大きい。
113 :
日本@名無史さん:02/03/04 02:57
>>108 基本的に信長ヲタがわかっていないと思われるのは
尊氏のときから京奉行所=尊氏、鎌倉将軍府=(成良親王)直義のような
重要な西国と東国の政治的色分けがあったこと。
実際関東府の存在は室町史を左右するほど重要な問題。
扇ガ谷上杉家から関東管領職を拝命した上杉謙信。
武家の府鎌倉の地、蒔田吉良氏、古河公方などの
足利親族衆を取り込んだ後北条氏。
信玄は北信での数度に及ぶ小競り合い、
上州攻めでの箕輪、松山獲り、
駿河侵攻で一見拙攻と思われるような軍事行動も見られる。
しかし後々の豊臣、徳川期の政治分布を見ると
松代(川中島)真田家10万石、箕輪城主譜代筆頭井伊直政10万石、
久能山東照宮や駿府政治など信玄の遺風がことごとく徳川時代まで
引き継がれていることがわかる。
それから葉隠とか読んでご覧。
信玄言行禄がかなりの部分をしめている。記述ランキングは
信玄>>>秀吉=家康>、、、、、、、あ、御免信長でてこないわ
この一事からしても信玄の武名が西国までどれだけ轟いていたか、がわかる。
114 :
日本@名無しさん:02/03/04 05:05
もう一度言うが、俺の発言とそれ以外の人の発言を勘違いしないでくれるか?
コテハンを使えばいいというが、俺はアホなアンチには長くつきあう気は
ないんでね。
つきあうならもっと平明な目を持った知的な人と付き合いたいもんだ。
>>107 信長が桶狭間の後家康と結ぶまでは今川領で小競り合いしているのは知ってる。
そういう小さなツッコミがアホだということがまだわからんか?
信玄には甲州金山という信長にない資金源があったわけだし、
譜代の家臣が多いことなど、信長よりはるかに恵まれている部分も多い。
にもかかわらず彼が最終的に天下を取れなかったのは
不運ではなく器の違いだということが分からんかな。
信長以外に義昭を積極的に迎えて上洛しようとする人が
他にいなかったのも確か。
(無名の小大名にはいたかもしれないが、義昭の方がそれはお断りだろう)
信玄の方が恵まれていた部分も見ずに運の差を
どうこう言う奴の方がゲーム厨だよ。
ちなみに俺はほとんどその手のゲームをしたことがない。
たいてい設定がどこかおかしいから。
>>108 その家臣の転封をやり遂げたこと
(おもな家臣を小牧へ、そして岐阜へ)が信長の優れたところだと思うが。
信玄にそれが出来たかね?
結局小山田や穴山すら娘婿にするという形で服属させるだけで
その独立性をなくさしめることすらできなかったじゃないか。
もちろん信長も領地が大幅に増えてから柴田勝家や光秀や秀吉を
大名にしているが、その前に家臣に対する独裁的な権力を確立している。
無条件で返すのではなく、緩衝地帯を作るやり方と和睦条件に
村上、小笠原が武田を攻撃しないという条件を入れて謙信、村上、小笠原に
誓わせれば謙信はこちらを攻撃してこないし、村上、小笠原がもし違約しても
謙信はそれを決して助けないだろう。
その程度のことを考えないで何が馬鹿だ?君の方が馬鹿。
115 :
日本@名無しさん:02/03/04 05:06
>>109 実証できないが間違っているとも実証できない。
したがって兵農分離については一つの意見としては認められる。
妄想だと断じるほど兵農分離を否定できる証拠があるの?
それに兵農分離は信長が作った一つの時代の流れでしょ。
それとも兵農分離は全国的に同じ流れで進んだと思ってるのか、
秀吉が突如として刀狩を行ったのか、
どう思っているのか逆に聞きたいよ。
>>113 君は基本的に、家康が信玄を尊敬してその遺風を意図的に引き継いだこと、
旧臣を多く召抱えたことが江戸時代に色濃く反映されていることが
わかっていないようだね。
徳川家臣団に信玄の旧臣(とその子孫)が多くいるのに、
信玄の悪口が言えるものかね。
葉隠にしろ、江戸時代の文献には信玄は多く出てくる。それはそういうこと。
だからといって信玄が謙信や信長や秀吉より偉いとか武名が轟いていたと
いうことにならないよ。
例えば紀州大納言頼宣は甲州流を用いていた将軍家への対抗意識から
宇佐美某を招いて越後流の軍学を用いている。
だからといって紀州藩には謙信の武名が轟いていたと思うかね?
関東府の指摘はその通りだろう。
しかし、関東管領としての上杉家の復興を目指していた謙信、
関東独立国家を意識していた後北条氏に比べ、
関東を意識していたか、上洛を意識していたか、どっちとも
明確にしていない信玄は晩年まで(信長の上洛を知ってからか、
あるいは義昭から信長追討を依頼されるまで)単なる領国の拡張しか
考えていなかったんではないかね。
116 :
日本@名無史さん:02/03/04 05:10
>>113 いい線行ってるけど、信長ファンには通用しない。
反論例
葉隠?そんな封建主義マンセーな本に載ってうれしいのか?
だから信玄は旧体制だって言われるんだよ(ワラ
信長は実力第一なんだから忠義マンセーな本なんぞに載るわけねー
つーかこっちから願い下げだよ(ワラワラ
117 :
日本@名無史さん:02/03/04 05:18
>>115みたいに自称「公平」な井沢マンセー信長オタが一番痛い。
118 :
日本@名無しさん:02/03/04 05:20
>>117 はいはい。そう思っている一番イタイ馬鹿アンチ発見。
119 :
日本@名無史さん:02/03/04 05:24
>>115 「信長の」兵農分離に関してその具体的な方法論を論じてもらいたい。
状況証拠(居城移転など)を挙げる人間はやたらと多いが、
これらには容易に反論も可能だから。
120 :
日本@名無しさん:02/03/04 05:28
>>119 実証できないものを想像で論じろというのか?
121 :
日本@名無しさん:02/03/04 05:37
>>117 信長の優れたところを挙げると信長オタ、
井沢の優れたところを挙げると井沢マンセーか。
一番短絡的なアンチ君だな。
122 :
日本@名無史さん:02/03/04 05:45
>>120 実証できないのにどうして「信長の兵農分離」なんて話が
横行するんだ?
123 :
日本@名無史さん:02/03/04 06:40
(その1)
>>114 >もう一度言うが、俺の発言とそれ以外の人の発言を勘違いしないでくれるか?
ちゃんと番号リンクつけて書いてるだろうが。
>コテハンを使えばいいというが、俺はアホなアンチには長くつきあう気は
>ないんでね。
>つきあうならもっと平明な目を持った知的な人と付き合いたいもんだ。
それなら2ちゃんねるなんぞにいないで他いけよ。
>信長が桶狭間の後家康と結ぶまでは今川領で小競り合いしているのは知ってる。
>そういう小さなツッコミがアホだということがまだわからんか?
ハァ?
信長が今川領三河に侵入して今川家傘下の松平勢と小競り合いを論じた。
その後松平家は独立を果たすべく同盟者として信長を選択、信長も了承。
以後、信長による三河侵攻は行われていない。
で、そうしたらどうして信長がこの頃から「天下を見据えて」美濃攻略を
目指していたことになってしまうんだ?
道三が義龍に討たれた時から信長と斎藤家は言わば仇敵。
これと争うという行動が「天下を見据えていた」と断じるだけの根拠が全く無い。
「信長は天下を目指していた」という前提から出発した空虚な妄想だね。
真っ当な人間なら「美濃を攻略したころには信長に天下への野心が芽生えていた
ことが伺われる」ぐらいになるだろ、普通。
124 :
日本@名無史さん:02/03/04 06:41
(その2)
>信玄には甲州金山という信長にない資金源があったわけだし、
金山については笹本正治氏が金山衆宛の書状などから直接経営した痕跡は
認められない、金山衆は独立した業者ではないかと疑問を投げかけているし、
また黒桂金山や芳金山のように信玄のものではなかった金山の存在も
明らかになっている。
また仮に金山が資金源だったとしても、その効用は大したことは無いだろう。
信頼性には問題あるが、『甲陽軍鑑』によれば信玄が他大名に比してもやたらと
細分化した税を課し、実に僧侶の妻帯税まで課してやっと集めた上洛の軍資金が
7000両であったという。
1両は江戸時代では4000文で固定されていたが、戦国期には3000文ぐらいだと
いうから7000両は2〜3万貫の範囲だろう。
だが例えば信長が上洛直後に堺と石山本願寺に課した矢銭が合計2万5000貫。
ただ一度の徴収で信長は恐らく上洛の軍に費やした戦費以上の資金を回収してしまった
ということになる。
甲斐の武田信玄がどんなに頑張っても、中央の経済力に比べれば全く相手にはならない。
また『兵庫北関入船納帳』など読めば主要港を制する方が、金山云々など相手にならない
収益になることは容易に理解できる。堺の経済力も、海運による所が大きい。
信秀の代から畿内から近い熱田湊を押さえていた織田家の経済力は、
晩年になってやっと江尻津を押さえただけの信玄などに比べればずっと優位にあったと言えるだろう。
125 :
日本@名無史さん:02/03/04 06:41
(その3)
>譜代の家臣が多いことなど、信長よりはるかに恵まれている部分も多い。
譜代の家臣が多いが故に、信玄が旧態依然とした国人連合体制から脱却するには非常な
苦労があったであろうことは想像に難くない。
特に専制的な信虎がクーデターで追放された、つまりは旧体制の復古が宣言された
ような状態から始まったのが「恵まれている」とは言い過ぎというものだろう。
>にもかかわらず彼が最終的に天下を取れなかったのは
>不運ではなく器の違いだということが分からんかな。
以上、貴殿の上げた「根拠」らしきものにはさほど説得力は無い。
冷静な状況判断ではなく「器」などと言い出す時点で、貴殿がいわゆる
「信長オタ」の範疇であるに過ぎないのは明白だろう。
地政学など学んでから出直すことをお勧めする。
>信長以外に義昭を積極的に迎えて上洛しようとする人が
>他にいなかったのも確か。
>(無名の小大名にはいたかもしれないが、義昭の方がそれはお断りだろう)
若狭武田氏・越前朝倉氏などに比べれば織田信長などは世間では成り上がりの
出来星大名ぐらいに思われていた節があるが。
無名有名問わず京の近くで実力があり上洛の意志もある大名ならば、
義昭は頼ったということではないか?
甲斐や越後や関東で権勢を振るっても、義昭にとって魅力的ではあるまい。
126 :
日本@名無史さん:02/03/04 06:42
(その4)
>信玄の方が恵まれていた部分も見ずに運の差を
>どうこう言う奴の方がゲーム厨だよ。
金山=莫大な収入だとか譜代の家臣がいれば恵まれているだとか
大した考察も無い意見を書く奴の方がゲーム厨だろうな。
なるほど確かに、『信長の野望』では港より金山が儲かるね(ワラ
>ちなみに俺はほとんどその手のゲームをしたことがない。
>たいてい設定がどこかおかしいから。
ようは三戦板で「○○の能力はおかしい」とか下らんことで
熱くなってる馬鹿の一人ってことなんだね。
ゲームは所詮ゲーム。
「設定がおかしいから」とか言うやつにろくなのはおらんよ。
>その家臣の転封をやり遂げたこと
>(おもな家臣を小牧へ、そして岐阜へ)が信長の優れたところだと思うが。
はて? 小牧や岐阜への居城移転は家臣の転封とは違うぞ?
あれは家臣たちの既存の領地はそのままで本拠と城下町を移転したものだ。
屋敷の移築に金と労力が必要な上に出仕場所が自分の領地から遠くなる
という難点はあるが、個々の領地は変わっていない。
本当に当時の知行制を理解しているのか?
おれが言っているのは例えば柴田を越前へ、秀吉を北近江へ、利家は加賀へ
光秀は丹波へ、長秀を若狭へというやつのことだ。
ちゃんと
>>108で「信長の行った家臣の転封はいずれも新規征服地に家臣を
旧領地から移すもの」と説明してやったのにな。やれやれ。
127 :
日本@名無史さん:02/03/04 06:42
(その5)
>信玄にそれが出来たかね?
>結局小山田や穴山すら娘婿にするという形で服属させるだけで
>その独立性をなくさしめることすらできなかったじゃないか。
ということでアンタは勘違いした意見を書いているんで論ずるに値しない。
信長は領国が広大であったから国単位で家臣を動かしているが、
やっていることは信玄が昌景を江尻へ、信春を深志へ、信友を飯田へ、
昌信を海津へ、昌豊を箕輪へといったものと変わりは無い。
小山田や穴山はそもそも起源が別勢力なのであって、信長に対する
家康のような立場から始まった連中。
それを名目上でも「信玄の許可」で自治権を付与している「家臣」という
形まで持っていき、かつほぼ完全に武田軍の一員として動かせるまでいった
のだから、評価はされても非難される筋合いはない。
国境線でしか物事を区切れないとは困った人だ(ワラ
>もちろん信長も領地が大幅に増えてから柴田勝家や光秀や秀吉を
>大名にしているが、その前に家臣に対する独裁的な権力を確立している。
既に書いたが、譜代の家臣の少なさが独裁権早期確立の一因でもある。
一概に評価して自己満足に浸るようなことでもない。
128 :
日本@名無史さん:02/03/04 06:43
(その6)
>無条件で返すのではなく、緩衝地帯を作るやり方と和睦条件に
>村上、小笠原が武田を攻撃しないという条件を入れて謙信、村上、小笠原に
>誓わせれば謙信はこちらを攻撃してこないし、村上、小笠原がもし違約しても
>謙信はそれを決して助けないだろう。
>その程度のことを考えないで何が馬鹿だ?君の方が馬鹿。
村上・小笠原が復帰して緩衝地帯まで作ったら武田家の勢力圏はどこまで
後退するんだね?
東海道に今川がいて東山道を小笠原が押さえ、北陸道を謙信が押さえていたら
武田軍が動ける場所はなくなってしまうぞ? 日本の地理すら知らないようだね(ワラ
またすっかり減少した勢力で仮に飯田街道あたりから中央進出を狙ったとしても、
成功の見込みは全く無いぞ。
他にもお互いに勢力拡大を狙って争った村上などが後背を衝かない保証ができるわけもない。
安易なイフを持ち出してる段階でゲーム厨決定だね。
あ〜痛い痛い。
129 :
日本@名無しさん:02/03/04 07:04
長々ご苦労さん。
全然評価に値する意見はなかったな。
特に何かというとゲーム厨や信長オタ扱いするあたり、
ヒステリックなアンチの意見を代表してる。
いちいちそんな長い文章に反論していたらその倍も書かなきゃならんから
一つだけにしておくが、
>>128の地理は君の方がメチャクチャ。
実際に武田軍は信玄時代も勝頼時代も木曽路から東美濃に進出している。
動ける場所がないんじゃなくて、攻撃目標を定めることが大事で
多面作戦は危険だという話をしているに過ぎんのだが。
今川を攻めるには義信はじめ親今川派との対立が避けられないし、
謙信を滅ぼすのが困難とすれば美濃攻略が一番妥当な作戦行動だろ。
すっかり減少した勢力というが、返還分や緩衝地帯(せいぜい1キロ
程度で充分)を除くとそんなに武田軍は弱小になるのか?
そりゃ初耳だ。(笑
それでも信長の尾張時代と大差ない程度の兵力はあるだろうが。
俺が言ってる程度のことを安易なイフと言うなら
お前さんの言うことはもっと安直だな。
地理的に無理な作戦とは飛騨から北陸路を目指すというようなものだ。
そんなことは言うとりゃせんのだが。
あーやだやだ、アンチの馬鹿意見を読むのは。
時間の無駄だった。
130 :
信者@東北:02/03/04 09:56
スレ立て逃げしてたら意外と伸びましたね。
>>129 君、去年のクリスマス頃世界史板にいた「あう」でしょ?
違かったらご免、レスの仕方が似てるもので。
・・・・・・今週号読んだ人いますか?
131 :
日本@名無史さん:02/03/04 10:04
>>129 イタタタタ、こりゃ痛い。また電波のオンパレードだよ(w
>実際に武田軍は信玄時代も勝頼時代も木曽路から東美濃に進出している。
秋山が飯田街道から間道に入って岩村方面を数回攻めたぐらいだぞ。
信玄が自分で東美濃に入ったことはないし。
勝頼も飯田から東美濃に出ている。
馬鹿ですか? 阿呆ですか?(ww
木曾路から信玄が進出したなんて嘘を平気で書いてんじゃねーよ。
しかも筑摩郡に小笠原が復帰したら明らかに東山道は小笠原に
押さえられるのにな。
さすがはゲーム厨だ。某ゲームのマップと思考がそっくりだよ(w
小笠原・村上の逃亡で信濃支配が固まったのは彼らがそれぞれ
松本平・川中島の最大領主だったからだぞ。
その分に緩衝地帯とやら(誰の所有地になるんだ? やはり馬鹿か)
までプレゼントしてやったら甲斐・諏訪・佐久・伊那だけに逆戻りだよ。
尾張一国に匹敵するなんて本気で言ってるのか?
>俺が言ってる程度のことを安易なイフと言うなら
安易なイフ以外の何物でもない。まあ自分じゃわからんのだろうけどな。
>あーやだやだ、アンチの馬鹿意見を読むのは。
>時間の無駄だった。
二度と来なくていいからね。
132 :
日本@名無史さん:02/03/04 10:27
>>129 何だかんだ言って「なぜこうしなかった」とか安易に言う奴キモイ。
そこで「ではなぜそうできなかったのか」を考察するべきだろう。
それをまた井沢が書いていたような事をたらたら書いて自己満足ですか?
「もう一度言うが、俺の発言とそれ以外の人の発言を勘違いしないでくれるか?」
とか偉ぶっちゃって、もう見てらんない。
誰もあんたなんかを他人と一緒にしないよ。あんたが一番酷いから(w
2月15日(金曜)、文京区民センターでの井沢先生の講演会に行かれた方、
いらっしゃいますか?井沢先生のお茶目ぶりが面白かったんですが、
そう感じたのは私だけでしょうか?(^^;)
134 :
日本@名無史さん:02/03/04 14:00
表紙が好きだ。
136 :
蝦夷の末裔:02/03/04 14:22
>ただ、ストーリーの中でなく、司馬の考察の部分(義経が軍事的天才であったこと、
>そして政治センスが皆無であったことが彼の栄光と悲劇の原因であること)を
>引用したんだからフィクションの引用ではないということは理解すべき。
それはわかってる。しかし考察部分とフィクションとの、はっきりした区別がないので却下。
さらに司馬の考察部分が参考文献に値するかどうかは別。
>信玄はどう考えても信長以下の人物だよ。
だから俺はこれに反論したことはないって。
それくらい今までの流れを見てもわかると思うんだが、
もし
アンチ=信長と信玄とを同格扱い
と考えているなら、それは君のとてつもない勘違いだ。俺は信長のことは知らん。
よって以下の文章(おつかれさん)にはレスを一切つけない。
>武田研究家氏の指摘については、
>それが事実であるという確証に乏しいことが多い。
武田研究家さんや俺や他の人たちの意見も、同様に君や井沢氏とて同じこと。
これをいったら限がないからやめようぜ。
(もし自分の意見が絶対正しいという確証があるなら、話は別だ)
ところでだれでもいいんですが、質問です。
関所があると光秀の裏切りを予測ないし阻止できたというのは本当ですか?
その関所とやらにどの程度の兵力を置くか知らないけど、
1万を超える大軍に太刀打ちできるとは思えないし、
第一光秀の動きくらいで裏切ったことを察知できるだろうか。
(本能寺を目指したことを信長との合流だと思うこともあろうて)
さらには察知出来たとしても、肝心の信長に連絡する手段は?? etc
137 :
日本@名無史さん:02/03/04 14:34
細かい事を言うならば、義経が騎馬武者だけの部隊を編成したと
認められるのは木曽義仲に対して5、6騎で先回りして天皇を
押さえた時だけだろうね。5騎や6騎が部隊と呼べるかどうかは
わからないが。
市ノ谷が騎馬武者による奇襲攻撃だと断じた時には呆れたね。
『平家物語』から出直す必要があるね。
138 :
日本@名無史さん:02/03/04 14:46
>長々ご苦労さん。
>全然評価に値する意見はなかったな。
>特に何かというとゲーム厨や信長オタ扱いするあたり、
>ヒステリックなアンチの意見を代表してる。
間違いを指摘されると煽りのせいだと言って逃げる馬鹿発見!
139 :
日本@名無史さん:02/03/04 15:16
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||
>>129 はゲーム厨. Λ_Λ わかりましたね!
|| \ (゚∀゚*)
||________⊂⊂ |
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ゚∀∧ ∧ ( ゚∀∧ ∧ ( ゚∀∧ ∧ .| |
〜(_( ゚∀∧ ∧ __( ゚∀∧ ∧__( ゚∀∧ ∧ ̄ ̄ ̄
〜(_( ゚∀∧ ∧_( ゚∀∧ ∧_( ゚∀∧ ∧ あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
〜(_( ゚∀゚,)〜(_( ゚∀゚,)〜(_( ゚∀゚,) ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
140 :
日本@名無史さん:02/03/04 16:13
間違いを指摘するのと揚げ足を取るのとは違います。
>>129さんは、井沢せんせが書いているところに破綻が生じたのを
誰かが指摘すると「揚げ足取り」とか「そんな小さなこと」と言います。
でもアンチの人が間違っていると、鬼の首を取ったように指摘して、
「だからアンチは頭が悪い」と言います。
私は信長のことで井沢BBSに投稿したことがあります。
武田信玄と織田信長を大雑把ですがその成功失敗の理由を述べて、
信長のほうに軍配を上げたことがありました。
私は、信玄が信長に勝てないと主張したことがありました。
でも
>>129さんは、私がアンチ井沢せんせというだけで、
武田研究家さんや他の人のようにアンチ信長にしました。
すごく短絡的なのはご自身だということに気づいていません。
それから「小さなこと」というのは、具体的にどんなことでしょう。
ものの大小は相対的なこと、主観的なことで、客観的に決めることは出来ません。
実は、信長は本能寺で死なずにシャムに渡って山田長政と名乗ったのです。
間違っていますか? でも世界史から見れば信長なんて小さいんだから、
気にしないでください。(ここは冗談です)
小さいことをきちんと考察しない人は、大きなことも考えることが出来ません。
>>129さんが持っている認識は、大雑把なものでしかないのだと思います。
それは、井沢せんせのアンチが信長のアンチだと決めつけたことから断定します。
141 :
信者@東北:02/03/04 18:17
>>139 遂にこのスレにもAAコピペが……。
今週号より抜粋(歴史学会騒然!信長編新展開!!)
@信長は戦国時代の常識に照らし合わせて判断すれば、異常でも残酷
でもなく、特に宗教に対してはむしろ寛容な人間なのである。
Aヒトラーやポル・ポトもイデオロギーという「擬似宗教」の信徒である。
B宗教というものは非妥協的な側面を持つ。
C島原の乱は宗教的な自衛権の行使と見て取れなくも無い。
D顕如には「自衛権」はあったのか(本願寺史ですら信長が本願寺を破
却すると宣告してきたという確固たる証拠を持ち合わせていない)。
E井沢氏も昔は「信長は初め門徒を虐殺し撲滅しようとしたが、激しい抵
抗にあって止むを得ず妥協したのだ」と考えていた。しかし状況から判
断すると、文書のような決定的な証拠は無いが、信長の方に正当性が
ある。
F鉄砲は篭城、守戦に向いた兵器である。
G義昭が本願寺再決起に暗躍した。上杉謙信も信長から離れた。
以上、断片的ながら今週の内容。
個人的には当時の義昭ってそんなに権威あったかどうかが気になります。
真宗の人は信長ヨイショな展開のことどう思っているんだろう?
一事が万事だとちょっと淋しい気もしますのでマターリと進行しましょう。
結局、井沢もくだんの信者もまず○○って素晴らしい最高だって信仰から
思考がスタートしてるから言ってることが破綻してくるんだよね
島原の乱は一揆の大きなものじゃないの?宗教は結束の核に使われた
くらいで。
144 :
蝦夷の末裔:02/03/04 20:18
しかし
>>57以来、このスレの盛り上がり方は最高であった。
>B宗教というものは非妥協的な側面を持つ。
>C島原の乱は宗教的な自衛権の行使と見て取れなくも無い。
3と4がつながっているならとんでもないことですよ。そうじゃないことを祈る。
俺はクリスチャンでもなんでもないけど、
島原の乱は為政者側に弁明の余地がないと思うんだがね。
搾取という言葉では言い尽くせない惨い税、それで反抗しないほうがおかしい。
その反抗に対して「非妥協的」はないだろう。
食べる物も着る物も取り上げられて、妥協しろというほうが問題。
>>144 しかし、島原の乱の上層部(?)はオランダやポルトガル、さらに朝鮮〜清とも
連絡をとっているんですね。(ソースは山本博文「寛永時代」)
おっと、井沢説を擁護するような事書いてしまった。
よってsage
>>144 末裔さん、BとCは直結してません。
紛らわしかったですね。
@〜B、C〜E、FGてな感じでした。
57の人が俺よりファンダメンタリズムな人だったんで「狂信者」はやめました。
今週は繋ぎみたいですね。
特に書くこと無いからsage
村上と小笠原に領土返して上洛なんて正直言語道断だがゲーム厨とか
相手を煽るような言葉は止めてほしいよ
>>147 罵詈雑言はお互い様ということでいいんじゃないでしょうか。
>>146 かつて狂信者を名乗ったあなたが恐れ入るほどの57。
井沢陣営のあなたにとっても狂信者以上の狂信者ということは、
傍目に公平じゃないということかな。
Yahoo井沢トピックにも「信長は市場経済の重要性を認識した最初の人」と
恐るべき信長マンセーを発揮した方がいましたね。
信長の能力は評価しますけど、そこまで過大評価する人にはアキレました。
149 :
日本@名無史さん:02/03/04 23:08
>>148 >かつて狂信者を名乗ったあなたが恐れ入るほどの57。
>井沢陣営のあなたにとっても狂信者以上の狂信者ということは、
元「狂信者」さんはぜんぜん狂信者じゃないと思っていたよ。
他人と話し合う姿勢ができているし。
ちなみに、
>>70のA氏は最強やね。
150 :
日本@名無史さん:02/03/05 01:22
D顕如には「自衛権」はあったのか(本願寺史ですら信長が本願寺を破
却すると宣告してきたという確固たる証拠を持ち合わせていない)。
E井沢氏も昔は「信長は初め門徒を虐殺し撲滅しようとしたが、激しい抵
抗にあって止むを得ず妥協したのだ」と考えていた。しかし状況から判
断すると、文書のような決定的な証拠は無いが、信長の方に正当性が
ある。
さすが井沢さんだ。
本願寺には「証拠が無いから正当性は無い」といい、
信長には「証拠は無いが正当性がある」という。
ダブルスタンダードですか?(ワラ
151 :
日本@名無史さん:02/03/05 01:31
「信長は市場経済の重要性を認識した最初の人」が正しいとするなら
市場経済の負の部分も認めないとフェアな議論じゃないでしょう。
市場における敗北者がどのような扱いをされたのか?
多くの日本人が人身売買でジャガタラやマイニラやシャムに二束三文で
売り飛ばされたのも信長の先見の明があったということでしょう。
152 :
日本@名無史さん:02/03/05 10:14
又、井沢BBSが見れなくなってる。
反井沢勢力にとって、読まれたら困ることが書いてあるのか?
153 :
日本@名無史さん:02/03/05 13:25
>>152 そんなご大層なものではありません。
とまり木の連続長文投稿で鯖がdjだけです。いつもの事です(はぁと)
>>44 隋書に言う『多利思北孤』とは一体誰のことかね?
つまり、例の有名な国書の発行者のことだが?
その国書が出された時代の天皇は推古女帝であるため、
これまでは摂政の聖徳太子が当てはめられていたに過ぎない。
だが、新唐書には『用明(天皇)、亦の名を多利思北孤』とあるが?
155 :
蝦夷の末裔:02/03/05 15:36
>>149 もと「狂信者」さんは、話をする姿勢が出来ていますよね。
70のAさんてだれだろう。
>>145 それでも弁明の余地はないんでは…と思っていたら、3と4は無関係でしたか。
信者さん、お手数かけました。
>>152 >反井沢勢力にとって、読まれたら困ることが書いてあるのか?
反井沢にとって読まれたら困ることなんてない。
井沢が困ることはあるだろうが。
157 :
^▽^ジョーカー@アズマ右派:02/03/05 21:58
武田家臣団の子孫として一言。
日本そば(茹で蕎麦)は信玄公の時代に、甲斐信濃で発展したものです。
そして武田家滅亡後、徳川家に仕えた旧武田家臣団が、親藩や譜代の諸大名の転封により
日本各地に伝え、さらに独自の地方の食文化へと発展しました。
「蕎麦」という日本の食文化への貢献度は信長などの比ではありません。
158 :
日本@名無史さん:02/03/05 22:01
>>157 蕎麦粉アレルギーの俺はそのせいで苦労している。
>>157 もし信長が本能寺で死なず長生きしていたら、
信長は蕎麦を世界的な食文化にしていたであろう
>>157 わんこそばや南部煎餅(そば粉使うし)と関係あるのかな?
甲斐源氏繋がりで。
逆説の日本史を完結させれば、井沢先生も司馬遼や石の森を超えれますか?
実は前人未到の領域だったりして
小説家の書いた日本史の本というのは聞いたことが無いもので。
単に本読まないだけですけど。
161 :
日本@名無史さん:02/03/05 23:17
162 :
日本@名無史さん:02/03/06 08:00
>>157 1645年に書かれた『毛吹草』では「蕎麦切り信濃に始まる」と
書かれていますが、蕎麦切りに関する最も古い文献は『慈性日記』で、
慶長19年(1614)2月3日の所に、「常明寺で蕎麦切りを
ご馳走になった」と書かれているものですね。
蕎麦自体の栽培は『続日本紀』で養老6年(722)に高地・寒冷地での
栽培が奨励されている他、縄文時代の遺跡からも蕎麦の花粉が見つかっている
といいますが、蕎麦掻など団子状にして食べる食べ方が蕎麦切りにまで
発展したのがいつであるか、記録の上では江戸初期までしか遡れない
わけですが……
163 :
日本@名無史さん:02/03/06 08:06
蕎麦は救荒作物だから、米が取れない地方で奨励された。
麺になったのは江戸期でしょう。
164 :
日本@名無史さん:02/03/06 08:12
井沢氏は突飛なことを言うから面白がられてるだけで、
物語を書けない小説家の戯言と捕らえて読んでね。
165 :
武田研究家:02/03/06 09:40
やれやれ盛り上がってますね(笑)
後で「本当に日本の宗教は非妥協的なのか?
非妥協的なのだとすればどんな部分がそうなのか?」
といった所について書きにきますんで。
それでは。
上の方で私宛ての意見もあるみたいですけど、レスした方がいいですかね?
>>87とか
>>96とか。
166 :
蝦夷の末裔:02/03/06 14:35
武田研究家さん、しばらくです。
ついでに
>>136でのことも検証してみていただけんでしょうか。
俺はこの時代に疎いもので。
>ところでだれでもいいんですが、質問です。
>関所があると光秀の裏切りを予測ないし阻止できたというのは本当ですか?
>その関所とやらにどの程度の兵力を置くか知らないけど、
>1万を超える大軍に太刀打ちできるとは思えないし、
>第一光秀の動きくらいで裏切ったことを察知できるだろうか。
>(本能寺を目指したことを信長との合流だと思うこともあろうて)
>さらには察知出来たとしても、肝心の信長に連絡する手段は?? etc
167 :
日本@名無史さん:02/03/06 17:58
関所の突破方法と言えば北条早雲の伊豆入りを思い出します
168 :
武田研究家:02/03/06 23:43
とりあえずレスから始めようかな。
>>87 >具体的に史実に反することを指摘してくれよ。
まあ今になって思えば揚げ足取りみたいな指摘もしていたと思うがね(笑)
具体的な指摘もかなりの数していると思うよ。我ながら。
とりあえず過去に指摘してきたのはこんなパターンが多かったな。
井沢氏が「これこれは信長オリジナルだ。すばらしい」
と言えば「オリジナルは誰某だ」と突っ込むようなね。
それが「小さいこと」だと言うのであれば、貴殿の表現を借りるならば
「意見の相違」であるということで議論は打ち切りだろうがね(笑)
ただ戦国時代そのものの「時代の流れ」ともいうべき、その時代を知るために
意味のある事を見出そうと思ったら、井沢氏のスタイルでは
何も見えてこないだろうということは、確かだね。
新しい波がどこから起こってきたのか、何故起こったのかということを
考察せずに全てを「信長オリジナル」で片付けるんじゃしょうがない。
新しい時代の波を的確に捉え活用した人物としての信長には、
高い評価が与えられて然るべきだろうが、そのように論じている作家が
どのくらいいるんだね?
歴史家の本は売れないから世間に影響力が無いしね(苦笑)
>長篠の鉄砲のこととか、本当に小さいことじゃなくて。
長篠の鉄砲が小さいことだと言われるのは、心外だね。
「轟音で馬が驚いた」なんて説を持ち出された日にゃ
「近代騎兵の如き騎馬隊の存在」「武田家は鉄砲軽視だった」
なんていう妄想を事実と断じる事に他ならないわけでね。
一つ一つは細かい指摘に見えても、それが積み重なれば
完成したものは事実から程遠いものになってしまうわけで。
169 :
日本@名無史さん:02/03/06 23:56
>>96 >兵農分離の件なども、信長が100%兵農分離を完成したわけでなく、
>信玄が専業武士を少しは持っていたということは確かだろうが、大事なのは
>信長がこの点において信玄を含む他の大名よりはるかに多くの専業武士を抱えて
>いたことだ。その事実を認めずに「信玄も持っていた」「信長も完成させて
>いたわけではない」と反論するのが俺の言う「小さいこと」なんだよ。
>それによって信長がはるかに自由な軍事行動が取れたことは
>確かだと思うが。
>>119 >>120 >>122のやり取りを見ておいてくださいね。
結局の所、「信長の兵農分離」を実証する史料や証拠は全く無いんです。
「その事実を認めずに」以前に「その事実」が証明されていないわけですから、
反論にすらなっていないですね。
>ある資料と別の資料が正反対の事実を記している場合、普通は信頼度の高い資料
>を史実と認めるわけだよね。しかしその信頼度に疑問がある人に対して
>史実と違うことを言っていると批判してもそれが本当に妥当なのかは
>その資料の検討にかかってくる。
ふむ。その論法は井沢氏に限って言えば当てはまらないのではないかな。
井沢氏の論法は例えば「太田牛一如き凡人が大天才である信長の事を
理解できたはずもない、だから『信長公記』は信頼できない」
なんてものまであって、議論以前の問題である事が多いんですが。
他にも井沢氏が安土宗論の八百長説に対して、その一番の論拠である因果居士の
文書を「年号が間違っている」一点で切り捨てましたが、年号を間違っている
例なんてのは戦国時代の史料では珍しいものでもなくて、例えば信長研究の
第一級史料である『信長公記』では桶狭間の合戦の年号を間違えている。
西暦と照らし合わせるなんて発想も無い時代だけに、後になって記憶を頼りに
書こうとなると年号を間違えるなんてのはよくあることなんですね。
それをバッサリ切ってしまうというのは、井沢氏はどうも史料の検討の仕方を
そもそも間違っているんじゃないかと思うわけですね。
まあ言うなれば、まず井沢氏の中で結論があって、それにそぐわない史料は難癖を
付けて捨てるというのが彼のスタイルだと取れるわけですね。
それじゃあ議論にならない。なるはずがない。だから批判されるんだと思いますよ。
>俺には武田研究家氏の指摘がそれほど史実としての信頼度が高いとは
>思えんのだが。単なる信玄びいきが「信長など大したことはない」
>と言っているようにしか見えない。
どの発言のどの部分か過去レスから指摘していただければ
できるかぎり出典や私自身の考察などお教えしたいと思いますが。
170 :
武田研究家:02/03/07 00:55
>蝦夷の末裔さん
>ところでだれでもいいんですが、質問です。
>関所があると光秀の裏切りを予測ないし阻止できたというのは本当ですか?
>その関所とやらにどの程度の兵力を置くか知らないけど、
>1万を超える大軍に太刀打ちできるとは思えないし、
>第一光秀の動きくらいで裏切ったことを察知できるだろうか。
>(本能寺を目指したことを信長との合流だと思うこともあろうて)
>さらには察知出来たとしても、肝心の信長に連絡する手段は?? etc
結論から言いますと、無理、でしょう。
障害があれば障害があるなりの計画を考えるのが普通の人間です。
だいたい光秀の本拠地である亀山城(亀岡城)自体が京から
かなり近いんで、信長はほとんど兵を連れておらず、すぐ近くに
光秀率いる1万3000の軍勢という形になっている段階で、
信長が最初から光秀を疑ってない限りは、信長が逃げることは
難しいと思います。
光秀の行動は『信長公記』によると「山崎から摂津に出る」、すなわち
中国方面へは山陽道から向かうのだと公言しておいて夜の間に京から
すぐ近くの「老の山」(鷹が峯?)まで進み、右へ行けば山崎、左へ
行けば京というところで初めて京に向かう意志を示したわけです。
で、明け方には本能寺を囲んでいました。
恐らく光秀が本能寺を囲むまで、誰一人彼の叛意には気づかなかったのでは
ないでしょうか。
これで逃げられたら「神」でしょう……
光秀の部隊に属していた兵でさえ、家康を討ちに行ったのだと
思っていたそうですから。
武田研究家さん、本能寺の変の話が出たついでに質問したいのですが……
光秀が秀吉軍に備えて、山陽道に配下の武将を配置しており、
中国大返しの途中、秀吉軍は光秀側の襲撃を受け、
秀吉は僧侶に化けて難を逃れた、という話を聞いたことあるんですが……
もしご存知でしたら、いつでもかまいませんので……
172 :
蝦夷の末裔:02/03/07 14:54
武田研究家さん、ありがとうございました。やっぱり、無理のようですね。
江戸時代の、有名な忠臣蔵でも、
番屋の人々は完全武装した大石ら50人ほどが通ったのを見て腰を抜かし、
止めることが出来なかったという事実がありました(当然だ、命が惜しいから)
それと同様で「関所の廃止で裏切り阻止出来ず」なんて無茶ということですか。
173 :
武田研究家:02/03/07 15:05
あ〜昨日はレス書いただけで疲れたから寺社のこと書けなかったね。
今日また書きにくるよ。今は忙しいんで・・・
>>171 すいません初耳です。調べときます・・・
>>172 蝦夷の末裔さん
秀吉が中国地方から引き返してきて京の信長を狙うならまだしも、
一晩のうちに京に入り込める距離の光秀が裏切ったのでは
やはり手の打ちようがないでしょうね。
それでは。
174 :
日本@名無史さん:02/03/07 16:15
>>172 関所で防がなくても、目的は信長が生きること。
関所の役人が早馬で報告すればいい。信長の逃足は
天下一品。
でも「上様が馬揃えをご希望された」って、最高司令官
の一人に言われたら、信じる信じないもないよな。明智が
山陰へ行かないのがおかしいって、そこまで事情に通じた
関所の役人がいるとも思えん。
175 :
日本@名無史さん:02/03/07 18:15
176 :
武田研究家:02/03/08 01:02
あらららもうこんな時間だよ(苦笑)
日本の宗教は本当に非妥協的なのか?
ヒントは天文法華の乱のオチにあり。
天文法華の乱を洗い直すところから始めないといけないでしょうな。
続きはまた次にて。
>>175 面白い説ですね〜
でもそんなに中国方面に備えていたなら山崎の合戦で勝てたような気が(禁句?)
それでは。
175さん
ありがとうございます。感謝m(_ _)m
武田研究家さん
すみませんでした。研究家さんでしたらご存知かと思ったもので…失礼しました。
178 :
日本@名無史さん:02/03/08 22:16
>>728 三河衆のなかに「大賀」という一族は見つからないので、多分大岡が正しいのではないかと。
司馬遼太郎著「覇王の家」では家康に改姓させられたという設定になってたし、
橋場明氏は、「歴史群像」で、岡崎三郎事件に関係して、大岡氏の一族であることを隠すために
大賀姓に改ざんしたと書いていたよ。
179 :
日本@名無史さん:02/03/09 15:45
天文法華の乱のオチについて。
天文法華の乱の結果、下京の町衆は堺で避難生活を送る次第となった。
だがいつまでも堺で世話になっているわけにもいかない。
また町衆を追い出した幕府と延暦寺も、税金・上納金を納めてくれる
人間がいなくなって困ってしまった。(町衆が地子銭、すなわち税金の
不払い運動をするに至ってこの事件に至った経緯がある。幕府の狙いは
キチンと税金を納めさせることだったのであり、町衆を追い出すことでは
なかった。六角勢の放った火が予想以上に燃え広がってしまったようだが……)
さてさて、避難中の町衆と住民に逃げられた幕府と延暦寺。双方困って
事件から実に11年、やっと妥協案がまとまった。
細かい部分は省くが、骨子は以下の一点にあり。
「京の法華宗寺院は延暦寺の末寺となり、末寺料として毎年1000貫を収める」
他宗派に対して攻撃的であることで知られる法華宗が、延暦寺の末寺!
どうです? これが「非妥協的」でしょうか。
まあ例はいくらでも出てきますが、日本の宗教というものが、
純粋に教義の問題で争ったという例はどれほどあるのか。
一向宗は教義を理由に門徒を動員して戦うが、教義のために
戦っているわけけではない。
何故そうなるのかといえば、日本の宗教団体というものが、まず例外なく
「経済団体」でもあるからである。寺領を持ち、境内には市が立ち、
独自の経営を行っている集団なのだ。
「寺院は宗教だけやっていろ」なんてカッコつけた台詞を吐いて
「信長の政教分離」などと言ってみたところで、何の説得力も無い。
寺社が経済団体になってしまったのは、元はと言えば律令制が崩壊して
寺社への援助が無くなってしまったことにある。
飯を食うために経済団体とならざるを得なかったのである。
早いうちから商業に目をつけ、商業を掌握して力を付けた。
それは彼らの工夫なのであって、後発組の武士が「経済もオレが仕切る」と
言ってきたら反発するのは当然である。
軍事力だって、そもそもは身を守るためである。
武力を背景に政治経済の実権を侵食していった武士が正当で、
寺社の持つ武力が正当でないと断じる理由はどこにもないだろう。
井沢氏ははたして、そういった部分の考察を一度でもしていただろうか?
>他宗派に対して攻撃的であることで知られる法華宗が、延暦寺の末寺!
>どうです? これが「非妥協的」でしょうか。
武田研究家さん、これは以前にも書きましたけど、
天台宗の正式名称は「天台法華宗」です。
天台宗も日蓮宗と同じく法華経を根本経典しているからなんですが…
日蓮が天台宗を攻撃しなかったのも、武田信玄が日蓮宗の総本山である身延山に
延暦寺を再建しようとしたのも同じ理由です。
「重箱の隅を突っつくような事言うなあ」と言われそうですが、
日蓮宗は室町時代には穏健派・世俗迎合派が主流化しており、
日親のような原理主義派(非妥協派)はむしろ少数派です。
意外と重要な事なので、失礼を承知で書き込みました。
スレッド進行とは関係ないのでsageておきます。
鎌倉以前から平氏や藤原氏は海外貿易でシコタマ儲けていると思うんで
すけど。
宋銭の輸入もそれぐらいの時期からでしょ?
決して寺院だけが経済団体では無いと思います。
武士が商業的に後発組というのは錯覚ではないのでしょうか?
あんま関係ないからsage
182 :
名無し研究家:02/03/10 16:10
>>180 あいや、それはそうですな。
まだまだ修行が足りません。
所で日本の宗教は「非妥協的」だとは思えないという部分は
どうでしょうか?
>>181 今回の話は海外貿易とはちょいと方向性が違いますね。まあ貿易に限っても
建長寺・住吉神社・天竜寺など貿易に関与してる寺社はたくさんありますが、
貿易を自分で手掛ける武士がどのくらいいたか。
それに国内の産業、特に畿内はほとんど寺社の独占ですよ。
まあ正確には「寺社を本所(保証人)とする座の独占」なんですが。
武士が商人に座を組織させて商業統制に手をつけるのは戦国時代からです。
今川氏の友部座や朝倉氏の橘座は有名ですね。
それ以前は「私的に」商人とつながりを持つことはあっても、政権として
あるいは体制として商業を取り込むことはありませんでした。
まあ戦国時代以降でも一般の武士はあくまでも農業を基盤としているんですが。
寺社を本所とする座は平安時代には出来始めているわけですから、
これを以って「武士は後発組」と見るのは間違いではないと思いますが。
蕎麦の話で思い出したんだけど、
小牧・長久手の戦いで池田勝入が蕎麦畑で死んだから
子孫は蕎麦を食べなかったというのは捏造されたものなの?
関係ない話でごめんなさい。
今週は
「平安楽土」の理想郷を「大坂」に築けなかった信長の”誤算”
@1575年10月、本願寺顕如との束の間の講和が成立すると、11月には
信長自身が従三位下権大納言・右近衛大将に、嫡男信忠だ秋田城之
介に任ぜられた(頼朝の官位 秋田城之介は征夷大将軍の補佐官)
朝廷は信長父子を、将軍クラスと認めないまでも、それに準ずるものと
して認めたのである。
A信長が「隠居」して、苦心の末にようやく奪い新たに改築した天下の名城
稲葉山と楽市政策で手塩にかけて育てた城下町(尾張と美濃の両国)
をあっさり息子に譲った。信長という男は尋常な男ではない。
平安楽土説と信長は大坂を本拠地にしたかった説は何回も出ています
ので省略。
B安土建都は本願寺さえ抵抗しなければまったく必要のなかった「暫定」
のプランではなかったのか?
だからこそ安土建都について、信長のプランがはっきりと残されていな
いのではないのだろうか(あまりの口惜しさに)。
C安土建都における信長の行動の「神速」ぶり。
D大坂は難波宮以来、蓮如が隠居地とするまでこの土地に城郭を築き
本拠地とした大名はいなかった。
大坂に城を築くことは「当たり前」どころかとんでもない破天荒なアイデア
である。
このことを見落とすと大坂城のプロトタイプとも言うべき安土城の、日本
史に占める大きな意味が理解できないことになってしまう。
今週はこんなものでした。
信長が当初から石山の土地を欲しがり、そのために本願寺を潰そうとし
た、という説は誰が提唱したんですかね?
井沢先生はこの「本願寺側の開戦の根拠」を信じないと言ってますから
本願寺サイドなんでしょうかね?
185 :
日本@名無史さん:02/03/11 19:38
>>184 信長が大坂を拠点にしたかったのだとすると、先週までさんざん
否定してきた「本願寺側の正当性」が成り立つような気がするんだけど。
井沢氏はその辺、触れてないの?
186 :
日本@名無史さん:02/03/11 20:58
>>184>>185 神田千里氏の「勅命講和により、信長は本願寺の外護者となった」という論理で
オチをつけると思われ。
187 :
日本@名無史さん:02/03/11 21:18
そういえば、
秀吉が朝鮮出兵の時の拠城だった「名護屋城」は「名古屋城」がモデルだと
井沢せんせはどこかで言ってませんでした?
「秀吉は信長の計画を真似ている」という井沢説だと、矛盾してるような・・・
ご存知の方、情報きぼ〜ん
188 :
日本@名無史さん:02/03/12 01:26
>>186 谷口克広氏あたりだと、佐久間信盛が追放されたのが
教如が退去して本願寺が焼失した直後であったことから
信長の狙いは大坂の町をそのまま手に入れることであったと推測しているが。
189 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:04
細かい知識で相変わらずのイチャモンだね。
信長が信玄や謙信などの戦国大名たちより
突出した人物であることだけは確か。
この点については井沢に同意。
それを信長オタだの井沢信者と呼ばれてはかなわない。
アンチからするとこの時点で
「自分が信長オタで井沢信者であることを自覚していない」
と言われるんだろうが、
俺は井沢と評価が違う人物が大勢いるから信者ではない。
ましてや狂信者と言われるのは笑止だ。
信長以外のことを訊かれればそれがわかるんだが。
それに信長が多くの欠点がある人物であることは認めているし、
俺はむしろ信長は天才というより、勉強家的な印象を持っている。
机に向かうという意味でなく、見聞きすることから学び取ることを
やっているという感じが。
そういう意味では信長をただ天才と絶賛するのはどうかと思う。
その点では井沢が言い過ぎだと思ってる。
しかし、井沢の言っていることにも学ぶべき点はあると思うんだが。
「小さいこと」の意味が曲解されているようだ。
例えば信長と楽市楽座の関係でいえば、その前に六角氏の観音寺城で
行われているが、それだけで「信長が始めたものではない」と言うのが
小さいことなんだよ。
ベルやエジソンより先に電話を発明した人がいたが、
その人のははるかに完成度が低かったために結局ベルが発明者と認められた。
あるいは徳川吉宗が目安箱の設置をしたといわれているが、
実際は保科正之がとっくにやっていた。
だが、正之のは宣伝がほとんどなかったためにあまり当時の人々にも知られず、
そのために目安箱に意見を投じる人は少なかった。
これに対して吉宗は大名、旗本、庶民に堂々と発表して目安箱を宣伝したので
はるかに目安箱に投じられる意見は多かった。
俺は吉宗より正之を人物としては高く買っているが、
この目安箱のことに関しては吉宗に真のオリジナリティがあるように思う。
六角の楽市楽座は領国全体に行わせていたわけでなく、
信長ほど徹底的にはやっていない。
その意味で六角がオリジナルで信長がオリジナルじゃないという指摘は
厳密すぎるように思う。
個々の反対意見にいちいち再反論するのは数が多すぎるので
御免こうむりたいが、(特にゲーム厨と言っている人の意見は
的外れが特に多く、訳が分からん。誰が小笠原に東山道を押さえられるほど
多くの土地を返せと言ったんだろう。謙信の面子を立てるために
少し村上と小笠原に土地を返せと言っているんであって、全部返せなんて
一言も言ってないんだが。そこの勘違いが全てだね。
アホなこと言ってこっちを罵るから罵り返したんだが
よっぽど腹を立てたらしい)
少なくとも、信長オタだの井沢信者だの狂信者だのというのは
的外れだということはわかっていただきたい。
誰が小笠原に東山道を押さえられるほど
多くの土地を返せと言ったんだろう。謙信の面子を立てるために
少し村上と小笠原に土地を返せと言っているんであって、全部返せなんて
一言も言ってないんだが。
馬鹿ですか?
191 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:23
>>190 君、その前のスレ読んでないだろ。
馬鹿ですか?
謙信との和睦を結ぶためにそうするべきだったという話をしているんだよ。
信玄が北信の小さな土地にこだわったため
謙信に無駄な時間を取られすぎた、彼が真の天下取りの器なら
そんな愚をするわけがない。
誰かが言っていたが、
なぜ信玄がこんな浪費をしなければならなかったか、理由を分析
しなければと言っていたが、どこから考えてもこれは愚だよ。
念のために言っておくが
謙信との和睦が北条に対する違約になるから出来なかった
ということは考えにくい。
対謙信の共同作戦や互いの危機を救うために上杉領に出兵するということ
を信玄と氏康はほとんどやっていない。
192 :
日本@名無史さん:02/03/14 00:29
井沢自身も信じてはいないさ。
グラハム・ハンコックや小林惠子などの対談を読めば井沢のスタンスは明白。
小説家として面白いネタを語ってるだけ。
それを信じる読者がいるから困るんだよね(笑)
>>190 非現実的な事を言って、馬鹿ですか、とはワロタ
どれだけの土地を想定しているのかしらんが、少なければ村上小笠原は
武田の被官になるしか道はなく、上杉のメンツはつぶれる。
逆に元通りに近く返せば、反武田で蜂起するのは目に見えているし、
それまでの信玄の努力は水の泡。
どちらにとっても都合のいい線などあり得ない。
194 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:31
>>192 「信じる」のと「賛成する」のは違うでしょ。
賛成している人を信者とすぐ決め付けるのはどうかね。
一週間前に完璧に論破された主張をほとぼりが冷めるの待って
持ち出してくるなんて厨房丸だし
てめえこそスレ読みなおせ
196 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:34
>>193 そこが交渉次第でしょ。
謙信と氏康すら和睦が成立したのをどう思っているのかね?
両者とも関東にこだわっていて、普通に考えたら
妥協の余地などないように見えるんだが。
197 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:36
>>195 最低の煽りだね(ワラ
ほとぼりが冷めるのを待った?
毎日来るほど暇じゃないだけだよ。
どこが完璧に論破したの?
馬鹿ですか?
>>193 俺は189の意見に対して感想を述べただけなんだが
俺の意見は君と一緒
美濃に通じるような要地は小笠原にしたって返して欲しいに決まってるから
どの道両者を満足させるような解決策なんてないだろう
199 :
日本@名無史さん:02/03/14 00:41
武田信玄は上洛に際して上杉と北条を牽制するために佐竹氏と提携してる。
200 :
日本@名無史さん:02/03/14 00:41
あ〜あ〜痛いね〜(w
これ↓、覚えてるかな?
129 :日本@名無しさん :02/03/04 07:04
長々ご苦労さん。
全然評価に値する意見はなかったな。
特に何かというとゲーム厨や信長オタ扱いするあたり、
ヒステリックなアンチの意見を代表してる。
煽りがいやだといって反論せずに逃げた男が、
煽り口調で復帰ですか?
もうね、馬鹿そのものだと(ww
201 :
日本@名無史さん:02/03/14 00:43
謙信を煽ってる「古河公方」の存在を忘れるなー
202 :
日本@名無史さん:02/03/14 00:44
>>196 信玄に対抗しようと矛盾を内包したまま始まった上杉・北条同盟は
さしたる成果もあげぬまますぐに破棄された。
そのぐらいの事を知っていて書いているのか? お馬鹿さん。
203 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:45
>>198 何でそんなことを決め付けられるのかな。
村上や小笠原がどう思おうと、謙信が決めれば
彼らに選択の余地はない。
謙信だって要地まで返せと言うほどの分からず屋ではない。
もしそうなら北条との和睦の時
「上杉憲政にもともとの領地だった上野を返せ」
ぐらいのことは言うはずだがね。
そんなことは言わなかったからこそ和睦が成立した。
>>196 相越同盟とは状況が全然違うことが判らないか?
しかもそれすらすぐ破綻してるでしょ?
村上小笠原が復帰できて、しかも信玄が従来程度に行動可能な
妥協点ってどれくらいなわけ? 具体的に書いてみそ?
一言付け加えるなら、小笠原が復帰なんかしたら木曽氏の動向なんて
保証できないぜ? 諏訪だって微妙だと思うがね。
205 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:49
>>202 当然知ってるよ。
それだけ矛盾がある謙信、氏康間でさえ一時的にしろ和睦が成立した。
信玄と謙信の間にそこまでの矛盾があるか?
謙信の悲願はあくまでも関東管領の復興にあって、
信玄との長年の対立は謙信にとっても時間と労力の無駄だった。
領土問題でメンツが立てば和睦成立もそれが永続することも
可能性がはるかに高かったんじゃないのかね。
そこに想像が及ばないのかな、お馬鹿さん。
戦争に負けたわけでもないのに(川中島だって結局上杉軍を追い返してるわけだし)
占領した土地を返せば家臣の反発と軽侮を買うし代地として直轄領を与えれば
自分の支配力が低下するし所領が減った分国力と兵力も落ちる
208 :
日本@名無しさん:02/03/14 00:53
>>204 たかだか5万石ずつぐらい返せば充分。
それで謙信は「村上と小笠原を大名として復活させた」
という形でメンツが立つ。
たしかに状況は違うわな。
相越同盟は対信玄の共同歩調ということだからね。
しかし、俺が言っていることの意味がわからないか?
相越同盟よりはるかに甲越和睦の方が
成立の可能性が高いということが。
>>208 自分の勝手な妄想で面目たてないでくれる?
210 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:00
211 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:02
>>206 係争の地にそれだけ所領としての価値があるかね。
常に上杉軍に田畑を荒らされて年貢だってどれだけ確保できるだろう。
それがそんなに国力に影響するかな。
よっぽど川中島のダメージのほうが影響するだろう。
その程度で反発と軽侮を招くからと逡巡するほど
信玄が家臣団を把握できていなかったとは思えない。
独裁的には振舞えなかったにせよ、それなりの権威は確立していたはず。
もしそれすらも出来ていなかったというなら、
すでにその時点で天下人の資格はない。
212 :
武田研究家:02/03/14 01:04
久々に賑わってると思ったらなんですかコレは(苦笑)
荒れてるというか何というか……
>>189 >六角の楽市楽座は領国全体に行わせていたわけでなく、
>信長ほど徹底的にはやっていない。
>その意味で六角がオリジナルで信長がオリジナルじゃないという指摘は
>厳密すぎるように思う。
この辺のことは何度と無く書いているのに、全く理解されていないようだね。
六角氏や今川氏の楽市は「追認型」。つまり既存の楽市に認可を与えたという政策。
信長の楽市令は岐阜加納・近江金森・安土の三件だけであるが、
このうち前者二つはこの追認型にあたると言える。
最後の安土だけは信長が一からの街作りのために出した人集めの政策と言える
だろうが、そもそも楽市のオリジナルは真宗系寺院の寺内町にある。
(岐阜加納の市は真宗円徳寺の寺内町である)
信長が道三と会見したと言われる尾張富田なども楽市であったとされているし、
当然ながら山科本願寺や石山本願寺の広大な寺内町にも楽市があったと
考えられている。
こと楽市に関しては、信長もその他の大名も、完全な後発組である。
そしてまた、楽市を広めたのが誰かと問われれば答えは浄土真宗である。
信長が領国全体で徹底して楽市を行ったなんてのは完全な妄想に過ぎない。
上杉も武田に対抗するために北条と結んだわけだ
ならその当時じゃあ上杉にとっては北条より武田のほうが脅威であった
わけか
214 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:10
>>210 あまりに下らないから反論する気も起きなかっただけ。
一つだけすでにしているからまずそれを読んでくれ。
もう一つ言うが、
>>123の信長と斎藤家は仇敵というのがすでに変。
もうこの時点で濃姫は歴史の表舞台から姿を消している。
戦国の世にこの程度のことで仇敵と言っていたら
松永久秀と足利義昭が結ぶなんてことはあり得ないね。
仇敵云々と言うのは攻めるときの大義名分であって、
利害によっては結ぶこともある。
平和な時代の感覚でそんなこと言っていたら恥ずかしいぞ。
妄想だの何だの、
マトモな反論ができない人のたわ言にしか聞こえないんだが。
>>188 なら
「信長が当初から石山の土地を欲しがり、そのために本願寺を潰そうとし
た、という説」
が正しいことになるのかな
216 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:13
ちなみに後年、筑摩郡松本藩は6万石でした。
もし小笠原に5万石も返したら松本平はほとんどが小笠原領に
なるでしょう。
217 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:14
>>212 六角よりは、という比較級の問題なんですが。
だいぶ頭に血が上って妄想と断じておられますが、
あなたの方が誤解しておられます。
>>213 北条が和睦を持ちかけてきたから、
両面作戦に困っていた謙信が応じただけの話で、
本来関東にこそ主眼を置きたかった謙信にすれば、
信玄と和睦して対北条に専念する方が彼の意にかなっていたはず。
218 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:15
>>214 一番反論しやすそうな所じゃねーかソレ(プ
やっぱり知識も無く騒ぐ井沢信者のゲーム厨か。やれやれ。
219 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:16
>>216 それは失礼。
要するにそんなに多くの土地を返す必要はないということだよ。
220 :
武田研究家@なげやり:02/03/14 01:18
>>217 たった三箇所の楽市が「徹底的」であるならばその通りですね。
六角氏の三倍も「徹底」しているのですから(笑)
三箇所も楽市にしたんだからきっと信長が「オリジナル」なんですね。
そうですね。そうですとも。
>>208 悪いけど、5万石ぽっちで話になると本気で思ってるの?
そんなの、上杉側から言ったら喧嘩売ってるにしか聞こえないと思うが。
で、仮にそうなったときの村上と小笠原の所属はどっちになるのかな?
謙信が北信に拘るのは安全保障の意味合いもある。当然善光寺平
までは要求してくるよ。それに小笠原は信濃守護職の家柄でしょ。
そういうことに拘る謙信は信玄に信濃守護職の返上も要求するに決まっている。
それだけじゃ終わらない。甲相同盟の破棄も要求するでしょ。
ちなみに相越同盟の時、謙信はちゃんと上野の返還を氏康に要求
してるよ。氏康は人質以外は無視したから、結局謙信は同盟として
何一つ北条に協力してないでしょ。
222 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:19
>>218 なら、そんなに反論しやすそうな所を偉そうに長々と
書かんでくれ。
知識がないくせに人を見下す人間の方がよっぽど厨房だよ。
恥ずかしいね。
君が一番このスレで厨房だ。
ヒッキーが俺を罵ってウサを晴らしているだけにしか見えないが。
>>221 そういえば氏康が死ぬ時に上杉は頼りにならないから武田と同盟を
結びなおせと言う話があったとかなかったとか
224 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:23
225 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:24
>>221 君がどう思うかはわかったが、
謙信はそこまで非妥協的ではないよ。
もしそうなら相越同盟なんて一時的にせよ成立なんてしていない。
関東に攻め込む準備をすぐに始めているよ。
226 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:25
>>222 要は経済面・組織面など本当に重要な事には反論できないと。
厨房氏ね
>>211 その当時の武士にとっての土地の重要性を井沢の言い草じゃないが
現在の価値観で計らない方が良いな。その土地得るためにそれこそ
文字どうり命がけで戦っていたのが武士なんだから。
それをあっさり取り上げるような真似をすれば反発くらうのは当然
229 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:30
土地を返せと謙信頼ったのに土地がほとんど返されないでは意味が無い。
>>221 ということは小笠原・村上に捨扶持与える程度で仮に同盟が結べたとしても
いつ破綻するかもわからないから上洛なんて無理か
231 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:36
>>230 特に村上は元来領土拡大の野心満々だった男だからね。
真田なんかはこいつに追い出されたわけだし。
>>225 だから同盟ってのは実効としてなってないってば。
これは枝葉の議論だからこれぐらいにしとくけど。
結局武田と上杉の立場はこと北信に関しては真っ向から対立
してるわけ。もし妥協できるとしたら、逆に謙信は川中島なんぞ
無視して関東に全力を傾注できると思わないか?
それが出来ないから5回も戦ったわけでしょ。
233 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:44
上杉家の居城の春日山城ってって信濃に近いんだっけ?
234 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:47
武田に上洛と言う目標があり
上杉には関東進出という目標があった
ならば何故両家は互いに妥協できなかったのか
その辺ちゃんと資料調べて考察すればいいんだけどなあ
235 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:47
>>226 本当に重要なことなんて言ってないだろ。
1、金山の収入は主要港に比べたら比較にならないほど少ない
2、長い歴史を持つ武田家は成り上がりの織田に比べて
体質が古いから独裁体制を築くのがはるかに難しい
3、家臣に領地を与えたままその居住地を変えることなら信玄もやっている
4、信玄の穴山、小山田に対する態度は信長の家康に対するそれと変わらない
ざっとこんなものか?
あんなに長々と書く必要はないだろ?
1と2は言い訳に過ぎない。それは信玄が不利な点だが、
港を持っていないからというのは信長が武田以外の港を持っている
大名たちに負けなかった理由にはならない。
北条早雲や毛利元就は港を持っていなかったが、自力で港を奪い取った。
信玄もそうすればよかったと言えばそれまで。
古い体質の一国の大名が成り上がりの小大名より不利というのは
理解に苦しむ。その程度の体質改善が出来ないのは信玄自身が
古い体質を持っているから。
つまりは「中世の遺物」にすぎない。
3については君の言うとおりなら領国を増やせば信玄も信長と
同じように移すことが出来たということだね?
とてもそうは思えないが。
4については信長が徐々に家康に対する支配力を強めていったのに対し、
信玄が穴山や小山田に対する支配力はほとんど変わっていない。
ゲーム厨と罵ることは容易いが、
自分の意見を簡潔にまとめることは君には難しいんだね。
236 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:47
237 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:50
>>234 正直、甲信合わせて60万石ぽっちの大名じゃ上洛は望めないだろ。
信長なんて尾張美濃で110万石だし。
とっとと美濃に攻め込めとか言ってる奴は阿呆だとしか思えない。
西上野・駿河とって95万石。まだまだか。
>>233 一番近いところだと20km無いんじゃない?
239 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:53
>>235 信玄も駿河取って港奪ったんじゃなかったか?
徳川が織田に従属するようになったのは勢力に格段の差がつくようになっていたから
でなぜそこまでの勢力差がついたのかはこのスレでもさんざん言ってる
だろ
240 :
日本@名無史さん:02/03/14 01:54
>>238 そんなん信玄みたいな奴がそんな目と鼻の先にいられちゃ安心できる
わけがないな
241 :
日本@名無しさん:02/03/14 01:56
>>237 その反論はすでに矛盾している。
信長は生まれたときからの父の領地で言えば
20万石程度。甲斐一国がそれぐらいだとして、
そこから30代半ばで110万石まで領土を広げた
信長と、40過ぎてもせいぜい60万石までしか
広げられなかった信玄では器の違いが明らかということになる。
義昭が転がり込んでくるまでに信長がしたのは伊勢攻めだが、
義昭が転がり込んでこなくても上洛軍を同じ時に起こしたのかね?
軍事動員には莫大な経済力が必要だが、海上交易の拠点として
莫大な利益を上げる海上交易の拠点である伊勢湾沿岸部を容易に
押さえることのできた信長と、山国の信玄では比べ物にならない差がある。
北信の確保がなければ美濃方面に攻め込んでも国力拮抗で疲弊するのみ、
中央に近い美濃に経済力では分がある。
243 :
日本@名無しさん:02/03/14 02:01
>>239 一行目についてはもちろんそうだよ。
港を持っていなかったから経済力に格段の差があった、
だから信玄が信長より不利という言い訳する人に対する
反論なので、そこだけでツッコまんでくれ。
信玄が領土を大幅に増やせなかったから
穴山や小山田をはっきり従属させられなかったと言うのは言い訳。
244 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:02
>1と2は言い訳に過ぎない。それは信玄が不利な点だが、
>港を持っていないからというのは信長が武田以外の港を持っている
>大名たちに負けなかった理由にはならない。
>北条早雲や毛利元就は港を持っていなかったが、自力で港を奪い取った。
>信玄もそうすればよかったと言えばそれまで。
信玄の経済力が「金山があったから有利」だと思うなら的外れ。
それ以上でもそれ以下でもない。
信長は農業力でも圧倒的なのだから比較する相手がいない。
「信玄が経済的に不利ではない」と主張されたから
そんなことはないと言っただけ。邪推が過ぎる。
>古い体質の一国の大名が成り上がりの小大名より不利というのは
>理解に苦しむ。その程度の体質改善が出来ないのは信玄自身が
>古い体質を持っているから。
>つまりは「中世の遺物」にすぎない。
理解できないなら一生理解できんだろう。
「その程度」だと思うならね。
>3については君の言うとおりなら領国を増やせば信玄も信長と
>同じように移すことが出来たということだね?
>とてもそうは思えないが。
信長が那古屋→清洲→小牧→岐阜→安土と拠点を移した時に
家臣の領地が移動したという事実はない。
ただそれだけのこと。
自分の勘違いを棚に上げて何を言うか。
>4については信長が徐々に家康に対する支配力を強めていったのに対し、
>信玄が穴山や小山田に対する支配力はほとんど変わっていない。
「変わっていない」根拠が不明。
形式として小山田・穴山の自治は信玄の許可故であるとしただけでも
ただの同盟から一歩踏み込んでいる。
245 :
日本@名無しさん:02/03/14 02:06
>>242 国力が拮抗しているから信玄が美濃を取れなかったと言うのか?
信長が美濃を取れたのは信玄よりカネがあったからと言うの?
何でも信長が幸運で信玄が不運とこじつけているようにしか思えん。
津島などで信長が経済力を持っていたにせよ、そこの支配権を
今川などから結果として守り抜いたことはどう考えているのかな。
そんなことを言っていたら、今川が信玄に国を奪われることなんて
あり得ないはずなんだが。
246 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:07
>>241 狭い国内でちょっと動けば所領が倍になるのと
山国を駆け回っても面積の割りにイマイチ所領が増えないのと。
隣に謙信みたいなのはいるし。
状況を総合的に捉えられない時点で馬鹿決定。
247 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:17
>>245 >津島などで信長が経済力を持っていたにせよ、そこの支配権を
>今川などから結果として守り抜いたことはどう考えているのかな。
守っただけでは何とも思わん。敵が大軍でも守るだけなら強かった
やつはいくらでもいるわな。
だがそいつらが主体的に攻めることができたか?という問題だ。
信長は美濃と国力拮抗だったからこそ寝返り工作と小競り合いを
中心に美濃を取った。
248 :
日本@名無しさん:02/03/14 02:17
>>244 一つのファクターとしては港を持っていたことについては
信長の方が有利、金山を持っていたことでは信玄が有利、と
言っているに過ぎない。もちろんそれであいこ、と言っているわけではない。
信長が農業力でも圧倒的?
同じ広さの土地からの生産高や年貢の額ではそうだが、
その分信玄の方が広い土地を持っていて、だいたい
家督を継いだ時点の領土では共に20万石ていどだろう。
少なくとも農業力で圧倒的な差があったとは思えない。
君の論法では古い体質を持っているところは不利で
新しい体質を持っているところは有利だと言うんだね。
伝統のある家の方がカリスマ的な権威があるということについては
どう思っているのかな?
君の方が理解の仕方が変なんだよ。
ハァ?家臣が自分の領地に居住する事と、主君の本拠の城下町に
居住することはえらい違いだろ。
君の方が勝手な勘違いをしているぞ。
具体的に信玄が穴山、小山田らに対する一歩踏み込んだ
支配をしたという根拠を示してもらいたい。
信長が領土を大きく広げた、力の差が広がった、
だから信長は家康に対する支配力を強めた、と俺は言っている。
信玄は大幅には領土を広げられなかったから
出来なかったと言うならそれは信玄の器量不足以外の何者でもない。
249 :
日本@名無しさん:02/03/14 02:22
>>247 矛盾だらけだな。
信長が実力拮抗の状態から寝返り工作などで美濃を取った
というなら、信玄はなぜそれが出来なかったんだ?
信玄は寝返り工作は上手いぞ。
つまり信玄が美濃を征服することが不可能ということはありえない。
それをしなかった(できなかった)のは謙信の存在と
彼が駿河侵攻に目標を定めたから。
だが俺はそれが戦略的な大失敗だと思っているわけ。
>>245 なんかマジレスするの嫌になってくるなぁ。
他人の意見だけど
>>242はそんなこと言ってないっしょ?
つーか、せめて地図ぐらい見てくんないかなぁ。
ゲームじゃないんだから、甲州から信州経由して美濃に
簡単にいけないことぐらいわかんない?
まして信州から入った先は相変わらずの山岳部。
岩村や明智あたりを押さえたって、何の足しにもならないよ。
それにそこに常駐できるわけでもない。信玄が本国に帰った後、
ずっと距離の近い信長はやりたい放題でしょ?
251 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:29
>君の論法では古い体質を持っているところは不利で
>新しい体質を持っているところは有利だと言うんだね。
>伝統のある家の方がカリスマ的な権威があるということについては
>どう思っているのかな?
>君の方が理解の仕方が変なんだよ。
伝統があろうが権威があろうが君主の意思が充分に反映されにくい
体質が単純な行動面で見れば不利であるということが分からないのなら
議論するだけ無駄。
権威で飯が喰えるかという問題だな。
権威があった古川公方は関東最大の領主になれたのか?
>ハァ?家臣が自分の領地に居住する事と、主君の本拠の城下町に
>居住することはえらい違いだろ。
家臣の移封の話をした時に本拠移転の話で返した勘違い野郎はアンタだが。
ちなみに甲府でも越前一乗谷でもどこでも家臣の屋敷が城下にあるんだが。
>具体的に信玄が穴山、小山田らに対する一歩踏み込んだ
>支配をしたという根拠を示してもらいたい。
何を言っても屁理屈で返されるだろうから予め聞いておく。
アンタは何を持って信長が家康に対する支配力を強めた「証拠」と
しているのだろうか。
252 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:34
>>249 謙信がいることが戦略的失敗?
そりゃ神の領域だよ(w
謙信がいたからすぐに美濃に進むのは無理。
領国が東西に伸びた所を攻められるのは一番痛い。
だから西上野を取って国力を確保する方向に進んだ。
その間に美濃を取られたので駿河に狙いを定めた。
時系列ぐらい覚えといたほうがいい。
253 :
日本@名無しさん:02/03/14 02:43
>>250 何の足しにもならないとか、意見があまりにも抽象的だね。
最初の入り口が山岳部と言っても軍勢を全く移動できない
わけではないし、簡単にいけないというのは言い訳に過ぎない。
当たり前の話だが、山岳部を奪うことが目的ではなく、
あくまでも濃尾平野を奪い、ひいては尾張に侵攻することが
目的なのであって、入り口のところで地理的に云々言うのは
あれもできない、これもできないと言ってるようなもの。
木曽口から兵を入れることは実際にも行われている。
信玄が実際に秋山勢に東美濃を攻めさせたことの戦略的な意味と
その実行が出来たことをどう考えているんだろう。
>>242に対する反論は最後の部分に対してであって、
前段のところの趣旨は十分理解してます。
それでも信長が経済力があったから美濃を攻めることが出来て
信玄になかったからできなかったと言うのはおかしいと思うけど。
実際に信玄は多くの軍事行動をしているじゃないか。
その攻撃目標を変更すればいいといっているだけなんだが。
信長が狭い生産性の高い土地の持ち主で、信玄が生産性の低い広い
(あくまでも双方の家督相続時での比較)土地の
持ち主であるということは、言い換えれば信長の方がよく狙われると
いうことでもあり、戦略的な深さ(土地の広さ)がないということでも
ある。
信長の方が有利な点ばかり言わず、信玄の方が有利な点も見れば、
両者の公平な比較が出来るはずだと思うよ。
254 :
日本@名無しさん:02/03/14 02:52
そろそろ寝るんで今日はこれが最後のレスだ。
>>252 謙信がいたことが戦略的な失敗と言ってるわけがないでしょ。
謙信を敵に回したままにしておいたことが失敗なんだよ。
結局川中島の打撃のせいで駿河侵攻が9年も遅れたのが致命的。
仮に駿河を攻めるなら、今川と北条を敵に回す覚悟がいるんだから
なおさら謙信との和睦が必要だったはず。
それをしなかったために余計な時間を食いすぎている。
俺は内部事情(義信と親今川派の存在)から
美濃を攻めるのがベストだったと思っているし、
ある程度時間が経っていたから今川の力がより衰えていた、
(特に寿桂尼の死が大きかった)
と思うからなおさら斎藤のほうが組し易かったと考えているけどね。
255 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:55
>>253 尾張57万石どこでも一日で行ける信長と貴殿曰く「行軍できないわけ
ではない」山岳部とを比較して不利ではないとは暴論。
「地理的に云々言うのはあれもできない、これもできないと
言ってるようなもの」ではなく地勢は非常に重要な要因。
極端に言えば「山でも動けないわけではないからインパール作戦は
充分に可能」と断じるようなもの。
ついでに秋山は木曽路ではなく伊那から。何度間違えてる?
>実際に信玄は多くの軍事行動をしているじゃないか。
>その攻撃目標を変更すればいいといっているだけなんだが。
周囲の状況が全く違う。
>信長が狭い生産性の高い土地の持ち主で、信玄が生産性の低い広い
>(あくまでも双方の家督相続時での比較)土地の
>持ち主であるということは、言い換えれば信長の方がよく狙われると
>いうことでもあり、戦略的な深さ(土地の広さ)がないということでも
>ある。
ところが幸いな事に、義元を討ち取り氏真に器量無く。
これ幸いと徳川家康が独立して同盟を求めて来るわ
伊勢には統一政権がなくてそもそも心配がないわ。
周囲の状況が全く違う。
256 :
日本@名無史さん:02/03/14 02:56
>>254 謙信との同盟なんざまず無理とあれだけ言われてもダメですか。
じゃああなたとは議論のしようがありません。
どうぞお帰りください。もう来なくて結構です。
257 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:00
結局ゲームレベルの知識でくだらん妄想を垂れ流す阿呆厨房か。
そりゃ謙信や氏康がゲームの思考回路レベルで動くんなら
事は簡単だがね(w
258 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:00
楽市の話は終わりですか?
259 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:03
贈り物をすれば友好度があがるんだよ♪
孫子を贈って謙信と同盟すればいいよミ☆
260 :
日本@名無しさん:02/03/14 03:05
>>256 あんた達が不公平に見る限りまた来るよ。
少しは公平に見る目を養ったらどうかね。
あれも出来ない、これも出来ない、信玄かわいそう、信長幸運。
それしか言ってないじゃないか。
信長があれだけ領土を広げたこと自体
常識的には無理なことなんだが。
それを出来たことは信長の工夫による(オリジナルであろうがなかろうが)
ことが一番大きいということが何でわからんのかな。
>>255 それは尾張を統一してからの話でしょ。
彼がそれまでにどれだけ多くの困難を克服したかを見るべき。
ある意味信玄よりずっと過酷な状況だった。
木曽口については失敬。後に信長が攻め込んだときによく木曽口、
駿河口という書き方をしている本があるんで癖になっていた。
261 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:07
>結局川中島の打撃のせいで駿河侵攻が9年も遅れたのが致命的。
9年って言われても、駿河侵攻は1568年。
どこから9年?
だいたい川中島の打撃も何も、その年の11月には西上野で戦っているし、
その後も2万クラスの大動員も何度となくやってるんだけど、
そんなに打撃だったのかな、と。
謙信との抗争は村上に泣きつかれた謙信の方から攻めて来てるもんだからね。
信玄が和睦したくても謙信が相手じゃあまず無理でしょう。
だって謙信だもん(ワラ
262 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:09
>>260 もう来なくていいです。お願いですから。
「自分こそ公平」だと信じて疑わない人間なんて気持ち悪いですから。
263 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:14
>>260 置かれた状況が違うのだから状況次第で出来ること出来ないことが
あるのは当然のこと。
これができた信長は凄くてできなかった信玄はダメとかいう
論法自体がそもそも「不公平」。
そういった事はわからいのかな?
わからないからここに来てるんだね。聞いた俺が馬鹿だった。
ごめんね(w
264 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:16
信長が非難されると不公平だと言い。
信玄を擁護すれば不公平だと言い。
つまり信長を褒め称えて信玄をけなしまくるのが公平なんだね。
そうかそうか。
265 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:18
ここは井沢元彦先生の『逆説の日本史』について語るスレです。
板違いですから三戦板へ移動してください。
266 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:23
信長が家督継いだ後と言ってもね。
織田信光に尾張下四郡のうち二群を与える約束で清洲城を乗っ取らせ。
しかもなぜか直後に信光が急死するというラッキーで尾張南半の覇者に。
基本は織田一族という中での抗争か。
267 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:34
公平に見るとは要は結果論のことです。過程や状況は考慮してはいけません。
268 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:38
信長には卓越した戦略能力があった。それは間違いない。
だがそれ以上に幸運であった。これも間違いない。
269 :
日本@名無史さん:02/03/14 03:59
信長の楽市政策を、どうしてそこまで美化するんだろうね。
別に信長の楽市楽座政策に画期的な意義を認めることが
できないからといって、信長の偉大さが否定されるわけでも
ないのに。
領国支配においては、信長よりもむしろ武田や北条の方が
時代を先取りしていたところもあるから、信玄は中世の遺物で
信長は時代の先駆者なんて一概には言えないと思うけど、勢力
圏を拡大して、結果として統一政権の重大な基礎を築いたという
意味では、信長の事跡は信玄よりも遥かに上なわけで、オヤジ系
雑誌の好みそうな人物論においてならともかく、日本史における
功績という点では、信玄は信長と比較になるような人物では
ないと思うなあ。
そりゃまあ、信玄ファンには言い分は多数あるだろうし、信長が
多数の僥倖に恵まれていたことは否定できないけど、日本史では
信長の方が遥かに格上だと思うけどね。
270 :
日本@名無史さん:02/03/14 04:10
この本は娯楽用ですな
271 :
日本@名無史さん:02/03/14 05:38
まったく幼稚なやつらばかりで困るな。
信長の跡を継いだだけと言われようが何だろうが、歴史的に意義のある
ことをしたのは豊臣秀吉なの。わかる?
信長とやらは公家の権力には食い込めなかったから七口の関所も
廃止できなかった。ところが秀吉はすぐに廃止しちゃった。
信長さんは結局の所、中世的な座を認めることで経済を統制しようとした。
でも秀吉は座を全部廃止して、商業の統制を自分自身の手で行った。
信長は結局日本を統一することもできずに死んだけど、
秀吉はちゃんとやった。
日本を統一したのは秀吉。世界史として意味があるのは信長より秀吉。
信長が何をやったか知らんけど所詮は全部中途半端。
272 :
日本@名無史さん:02/03/14 05:52
幼稚はどっちだよ
高校教科書以下の理解度だな
>信長が何をやったか知らんけど
じゃあ書くなよ
273 :
日本@名無史さん:02/03/14 06:06
>>253 >信長が狭い生産性の高い土地の持ち主で、信玄が生産性の低い広い
>(あくまでも双方の家督相続時での比較)土地の
>持ち主であるということは、言い換えれば信長の方がよく狙われると
>いうことでもあり、戦略的な深さ(土地の広さ)がないということでも
>ある。
真面目に答えるとね、戦国時代には「戦略的な深さ」って役に立たない。
国民国家が樹立したあとであれば、例えばヒトラーに対するスターリンみたいに
広大な国土を利用して敵を深部まで引き込んで補給戦の延びた所を叩く
こともできるんだけど、戦国時代にはそれはできない。
例えば武田信玄が上杉謙信の侵攻を受けたとして、川中島合戦のように
領土の外線部まで進んで迎撃せずに、甲斐まで引き込んで迎撃しようと
考えたとする。そうしたら信玄は信濃を全部失う覚悟をしないといけない。
なぜなら各地の国人領主たちがことごとく謙信に寝返るから。
信濃の自分の土地を荒らさせても甲斐を守るために信玄に従い通しますってのは
当時はまずありえない。朝倉家や武田家が最期はいかにもアッサリ滅亡した
理由もこのへんにある。
とするならば、勢力を維持したまま外敵を防ぐには、領土の外線部に出張って
迎撃する他は無いということになるね。
ここでまた例え話。
例えば尾張一国・57万石を制した頃の信長と、第四次川中島合戦を終えて
甲斐信濃60万石(信濃北端部は上杉領であるため)を制した頃の信玄を
比べてみるとする。
武田家でも織田家でも軍役が貫高・石高の農業収入を基準に定められている
ことは変わらないから、仮に100石につき3人の軍役を課すとすると、
織田軍は1万7000人、武田軍は1万8000人を動員できる。兵力には
それほど差がないね。
でも織田軍は清洲を中心に一日の内に移動できる範囲に全軍がいるのに対し、
武田軍だと例えば甲府から海津城までは6日かかる。
国境付近に敵が現れた場合、迎撃がしやすいのはどっちだろうか?
答えはもちろん織田家。
織田家なら例えば国境付近に見張りだけおいてあとは全軍を清洲にあつめておいても、
敵が現れた時充分に迎撃が間に合う。
ところが武田家だと、領土の外線部にはある程度の日数、敵の攻撃を持ち堪えるだけの
戦力を常に貼り付けておかなきゃならない。
こうなると、当然ながら武田家の方が行動の制約は大きいと言うことになる。
戦国時代には、面積の割に生産力が低いというのは、絶対的にデメリットになる。
このことは、結構大事だと思うんだね。
274 :
日本@名無史さん:02/03/14 06:30
>>269 とりあえずオレは「信長が優秀だから天下をとった」とか
「信玄が優秀でないから天下を取れなかった」とか
そういう議論がそもそも間違ってると思うわけだ。
(信長の功績にケチをつけるって意味じゃないぞ。それはそれだ。)
人間置かれた状況によって自ずから出来る事出来ない事出てくるからな。
どうもそういう事を通り越して「信長は領土を広げたから器量が云々」
とか言い出す馬鹿が多いな、と思うわけだ。
まあ信長の功績に関しては過大過ぎるぐらいの評価を世間が与えているから、
細かく見ていけば色々とまあ定説と異なる部分も出てくるわな。
そういった部分を指摘して鬼の首取ったように騒ぐのもどうかと思うが、
だからといって「小さなことだ」とか「不公平だ」とか言い出すのも
どうかと思うんだよな。事実は事実だろと。
対して信玄に対しては「これこれこういう状況だったから仕方がなかった」
とか言おうものなら「信玄厨」だの「不公平」だのと騒ぐやつが
出るんだよな。これまたもう馬鹿かと。事実は事実だろうがと。
後知恵の似非シミュレーションなんぞ披露して「ここでこうしないからダメだ」
とかいうやつはオマエ現場で同じこと言えるのかと。
まあそんなことを思ったりするわけだな。
>271
そりゃまあね。歴史的には、信長よりも秀吉の方がずっと功績大だわな。
その昔、織田政権の時代は中世か近世かという論争があったけど、その
文脈で言えば、織田政権は明らかに中世の政権で、信長は中世最後の
覇者という位置付けが妥当なところだろうな。たださあ、信長が広大な
勢力圏を築いていたからこそ、秀吉の統一があったというのも事実だと
思うけどね。
>269
個人の才覚・器量の優劣の判定なんて、事跡がかなり明確な場合でも、
置かれた環境が違うのだから、難しいものだよね。まあ、あれだけの
事跡を成し遂げたのだから、この人物は某よりも優秀に違いない、と
いった議論は、まあ御愛嬌かなあとは思うけど。
信長については、他の戦国大名の遠く及ばない広大な勢力圏の確立
という事跡から、個々の政策も他の大名と決定的に異なる革新的・画
期的なものだった、なんて的外れな評価がまかり通っているから、問題
かなあと。別に、信長に旧態依然としたところが多分にあっても、その
政策に革新的・画期的な意味合いを見出すことが困難でも、信長の偉
大さを否定することにはならないと思うのだけどねぇ。
↑は、>269ではなく、>274宛てね。
277 :
日本@名無しさん:02/03/14 10:47
>>273 確かにうなづけるところが多い意見ではある。
ゲーム厨と罵る馬鹿に比べると数段上だと評価する。
ただ何の役にも立たないというのは違うと思うよ。
逆に言えば戦略的な深さを持っていれば攻め込まれたときに
それだけの日数を稼げるということでもあり、それだけ
敵の行軍に費用と労力がかかるということでもある。
国人についてはそのとおりだが、逆に言えば反攻したときに
雪崩をうってまた味方につくということもある。
謙信や信玄に小田原城まで攻められた北条が
敵の退却後にまたたくまに勢力を回復したようにね。
>>275 君の言うとおりで、置かれた環境が違うのだから難しいし、
安易に優劣をつけることは避けたいと俺も思ってる。
ただね、信長が環境を恵まれた幸運児のように書く人が多いんで
ちょっとそれをたしなめたかっただけ。
信長と全く同じ環境に生まれても、信長ほどの成功(最期は別として)
を収められる人は滅多にいないよ。
ということは信長を偉大と認めてもおかしくないと思うが。
もちろん、秀吉も相当に偉大だ。
その考えで言えば、信玄と全く同じ環境に生まれて信玄程度の成功を
収めることは、信長のケースに比べれば難しくないように思える。
むろん信玄を貶めるつもりはない。
彼が一流の人物であることは認めている。
ただ信長、秀吉、家康、元就、早雲などに比べれば
もう少し何とかなったんじゃないかと思える。
そこで謙信との関係などを指摘したわけだ。
むろん、後世の人間が結果論からああだこうだというのは
傲慢に過ぎるのは百も承知。ただ、環境において信玄がそれなりに恵まれて
いたこと(大名の嫡子として生まれただけでも早雲や元就よりはるかに幸運)
を言うことで、信玄の挫折を安易に環境や状況の不運と片付けられないと
言いたかっただけ。
そのために具体的なイフを言ったに過ぎず、そのシミュレーションを
ゲーム的と決め付ける人たちは(275氏の事ではないよ、当然)俺の真意が
わからないとしか言いようがない。
俺は信長からが近世と思っているけどね。
分権的な中世に比べ中央絶対の時代を作ったという意味で。
世界史的に見ても中世の封建主義と絶対王政は明らかに違う。
(近世という言葉は世界史的にはどうかと思うが)
278 :
日本@名無しさん:02/03/14 10:55
補足すると、後段は274に対する反論でもある。
それと、信長が絶対王政的というのは家臣、領民に対する独裁権力
の部分を言っているわけで、中途で死んだために不十分なことは
承知の上だよ。
その点では実際の統一後の秀吉や大阪の陣の後の家康、
家光や綱吉の時代の徳川幕府を見れば
時代の流れとして信長以前と信長以後では明らかに違うことは
認めるべきでは。
279 :
日本@名無しさん:02/03/14 11:07
それともう一つ
>>273氏へ。
そのことで言えば、誰も広い領国を維持などできないということに
なりはしないか?尼子経久や毛利は領国の維持が武田より
はるかに難しいということになる。
それはその点を過大に考えすぎだと思う。
今日はこれにて失礼。
一部に来なくて結構、という人がいたが、
また来るよ。今夜かも知れんし、何週も経ってからかもしれないが。
269氏ぐらい公平であってほしいもんだ。
280 :
日本@名無しさん:02/03/14 11:10
「武田よりはるかに難しい」の部分を訂正しておく。
面積だけで言えばそんなに差はないからね。
「はるかに」を省いて読んで欲しい。
自称「自分こそ公平な人間」さんへ
井沢氏がいつ武田信玄を「中世の遺物」などと言ったかえ?
「逆説の日本史」第九巻収録分以降の連載分を読んでも、どこにも書かれてないぞ。
第一「中世という時代」がいつ終ったのか諸説あるのにさ。
井沢氏が書いていない事まで妄想で書き込むな。
ここ、井沢スレですよね……?
木曾から美濃攻めなんて、まんま三戦板にあったネタじゃないですか。
一体何があったのやら。
283 :
日本@名無しさん:02/03/14 11:33
| | |_____
| | | ̄ ̄ ̄ /|
| | | / /|
| /\ | /|/|/|
| / / |// / /|
| / / |_|/|/|/|/|
| / / |文|/ // / ∧∧
|/ /. _.| ̄|/|/|/ /⌒ヽ) マツリ、オワタナ・・・
/|\/ / / |/ / [ 祭 _] ∧∧
/| / / /ヽ 三____|∪ /⌒ヽ) アア、タノシカタネ・・・
| | ̄| | |ヽ/l (/~ ∪ [ 祭 _]
| | |/| |__|/ 三三 三___|∪
| |/| |/ 三三 (/~∪
| | |/ 三三 三三
284 :
日本@名無史さん:02/03/14 11:46
初めて来ました。
ずいぶん盛り上がってるね。
歴史学の基礎知識に著しく欠けている元彦クンの書き流しに
ついて、こんなにたくさん書き込みがあるだなんて、物カキ
(別名ハヂカキ)にとっては本望だね。
彼や、よしのりクンや、ノブカツさんは、もっと概説書以外
の文章を読んだ方がいいような気がするけどね。前二者につ
いては、能力的にちょっとムリかなぁ。
>>279 尼子や毛利の例を出しているが、実際領国維持は難しかったじゃないか。
尼子の場合は、本領の出雲の隣にある石見すら、大内毛利が侵攻すれば
国人が雪崩を打って寝返り、月山城を包囲されたりしている。
毛利の場合は両川体制を取ってまだましだったが、それでも宇喜多を
従属させるしか出来ず、秀吉の中国攻めの時に寝返られて備中まで
進入を許しているし、鳥取城の時は兵糧攻めを解くことが出来なかった。
織田の場合は方面軍制を取ることで擬似的に前線との距離を縮めること
に成功したが、それでも滝川一益の敗北で甲信の領土を失っている。
地理的条件、特に距離は非常に重要な要素で、あなたの場合は
あまりにも過小に評価しすぎるんだよ。
ちなみに甲府から濃信国境までは約180km。
岐阜からは約60km。
もちろん直線距離じゃないぜ。
287 :
蝦夷の末裔:02/03/14 14:24
なんだこの盛り上がりというか荒れ方は。
自称公平人間、君の理論は破綻しています。
信長を認めているのは皆同じこと。
俺だって信長のほうが信玄より優れていたから、
領土を450万石ほど(でしたか?)まで拡大できたんだと思ってるよ。
結論。信長>信玄
これで満足だね?
では井沢氏が史実をまげて信長を持ち上げていることはどう説明する?
君の論理は、信長のことなど無関心な俺にはこう見える。
1)信長は天下一の逸材
2)井沢は信長を誉めている
3)だから井沢は正しい
少しは自分の意見をまとめろ。
俺は何度も言うように「信長>信玄」を肯定する、
あとは君がきちんと歴史的事実にそって物を書くことだけを待つ。
武田研究家氏の書くことが正しいと言い切れないといったが、
それは君も同じ。それとも君は、自分は常に正しいと思っているの?
288 :
日本@名無史さん:02/03/14 16:15
>>277 >ただ何の役にも立たないというのは違うと思うよ。
>逆に言えば戦略的な深さを持っていれば攻め込まれたときに
>それだけの日数を稼げるということでもあり、それだけ
>敵の行軍に費用と労力がかかるということでもある。
既に書きました通り、敵を領内に引き込むのであれば
敵の通過を許した範囲においては自身の勢力を失う事を
覚悟しなければならないわけです。
とすれば、仮に武田信玄が上杉謙信の侵攻を甲斐まで引き込んで
迎撃しようとしたならば、信濃の国人領主たちは当てにできません。
甲斐の兵力のみで戦う覚悟が必要なわけです。
しかしそれだけの兵力で戦いになるものでしょうか?
>国人についてはそのとおりだが、逆に言えば反攻したときに
>雪崩をうってまた味方につくということもある。
>謙信や信玄に小田原城まで攻められた北条が
>敵の退却後にまたたくまに勢力を回復したようにね。
上杉謙信のように、侵攻してもそのまま引き返すような将が
相手であればそうでしょう。
が、信長や信玄のように要地に子飼いの家臣を入れて支配体制を
固めてから自身が帰還するような将が相手であれば全く通用しません。
289 :
日本@名無史さん:02/03/14 16:58
>ただね、信長が環境を恵まれた幸運児のように書く人が多いんで
ハッキリ言えば信長は幸運だろう。
その事跡を調べれば幸運に支えられている部分も多いことはすぐにわかる。
能力があってもそれを活かせたのは環境ゆえ。んなこた当然のこと。
信長と信玄なんて環境が全く違うのだから同じ尺度で優劣を語るのは
意味の無い事。んなことで「不公平だ」とか騒ぐのはただの馬鹿。
んなこたーわかってて好きな武将を応援してるんだよ。
まあオレは「織田家が飛騨にあっても天下を取れたのか?」なんて
野暮な事は聞かんがね(笑)
何も信長の功績を否定している人はいないわけで、
「それは信長自身の力なのか?」とか「実態は違うのではないか?」とか
考えるのはむしろ真実を追究せんとするには必要な事だろう。
>信長と全く同じ環境に生まれても、信長ほどの成功(最期は別として)
>を収められる人は滅多にいないよ。
>ということは信長を偉大と認めてもおかしくないと思うが。
>もちろん、秀吉も相当に偉大だ。
>その考えで言えば、信玄と全く同じ環境に生まれて信玄程度の成功を
>収めることは、信長のケースに比べれば難しくないように思える。
その辺は「思う」「思える」とか、要はアンタ自身の主観だろ。
残念ながら信長と全く同じ環境でスタートした人間も
信玄と全く同じ環境でスタートした人間も存在し得ないんだから
意味のない空想妄想の類に過ぎん。それこそタイムスリップでも
しない限りはな(w
まあ空想を語り合って楽しむのは大いに結構。
だがそんなもんを根拠にくだらん「結論」を強弁するのは愚か。
まあそういうことが分からんからここで騒いでいるんだろうが。
>むろん信玄を貶めるつもりはない。
>彼が一流の人物であることは認めている。
>ただ信長、秀吉、家康、元就、早雲などに比べれば
>もう少し何とかなったんじゃないかと思える。
>そこで謙信との関係などを指摘したわけだ。
などという事自体がそもそも空虚。
己の空想から導いた答えが「公平」だなどと思う人間はそもそも
議論するべきではない。
論理的正当性の無いものがまかり通るのは議論とは呼ばぬ。
290 :
日本@名無史さん:02/03/14 17:03
291 :
日本@名無史さん:02/03/14 18:00
292 :
日本@名無史さん:02/03/14 19:27
この人、ただの掲示板荒らしだと思います。まともに議論が出来ないんです。
自分の意見がすべてで、他の人に耳を傾けようとしていません。
よくいますね。自分だけが正しいような言い方をして、否定されると感情的になる人。
井沢BBSにも若干名いました。別人だと思いますがとても似ています。
私は信長ファンですけど、この人と同じレベルに扱われそうで残念です。
たぶん、また私を馬鹿とか言うと思いますけど、
私は馬鹿ですから言われても気にしません。
293 :
日本@名無史さん:02/03/14 19:44
>>279 >そのことで言えば、誰も広い領国を維持などできないということに
>なりはしないか?尼子経久や毛利は領国の維持が武田より
>はるかに難しいということになる。
>それはその点を過大に考えすぎだと思う。
この点は
>>285氏が既に答えているが、広い領土を持ってはいても、
自分と同等かそれ以上の勢力を持つ相手に対して守勢に回ると
脆いのが戦国大名の特性でもある。
それは無数の国人領主たちの連合体を兵力としている以上は
仕方の無いことである。この点では、織田信長などであっても、
組織上の相違を見出す史料は無い。
尤も、それはまた相手が自身に匹敵するあるいは大きな勢力である場合
だけである。国人領主たちにとって、自分たちの属する大名より
勢力で劣る大名が一時の隙を突いて攻勢に出てきたとしても、そちらに
従うのは得策では無い事もまた一目瞭然なのだから。
後で出戻りとなってしまうよりは恩を売るべきという思考も当然、存在する。
信玄と勝頼が高坂弾正を川中島に貼り付けて外線防御と政治的収攬に務め
させたのも上杉家が武田家に匹敵する相手であると認めていたからであろう。
結局、最良の選択は地域において自らが最大の勢力となることである。
これが当時最高の安全保障であったろう。
毛利は中国地方を支配しようとし、北条は関東に覇を唱えた。
従来ならこれで万全だったはずなのだが、信長という日本で最大の
勢力にならんとした男の出現によって、双方とも思惑を外されたという
ところか。
>今日はこれにて失礼。
>一部に来なくて結構、という人がいたが、
>また来るよ。今夜かも知れんし、何週も経ってからかもしれないが。
>269氏ぐらい公平であってほしいもんだ。
>>269氏が「公平」であるというのであれば、貴殿の楽市に関する
書き込みを見る限りでは最も不公平なのは貴殿自身だということになるが。
294 :
日本@名無史さん:02/03/14 19:48
まさか井沢本人じゃないよな? といってみるテスト。
今川義元や北条氏康という戦国時代でも有数の出来物に最も豊かな
地域と海への道を長く塞がれて山岳地域の信濃以外に活路見出すしか
なかった信玄と、戦場の幸運で今川義元が死に徳川家が独立して東方
の不安がなくなり北の斎藤家は当主が相次いで死んで国内は動揺してたし
伊勢には強力な統一領主は不在という状況にあった信長とじゃあ
領土の拡大のペースに差があるのは当然
信長が戦国でも屈指の幸運児であったのは確かだろう
もちろんその幸運を生かしたから英雄なんだが
撤退したつもりだったけどちょっとコメント。
信長や秀吉のことは十分に評価しているよ。
でも才能だけじゃ天下人にはなれないと思う。
たとえば信長は、桶狭間を除くとしても、斎藤道三が息子に討たれ
なければ? さらに討った義龍が早死にしなければ? 早期の美濃
制覇は難しかっただろう。しかもそれでも桶狭間から7年かかってる。
全然別の例だけど、足利尊氏に至っては何度負けたか、何度京都を
放棄したか判らない。そういうのを克服して頂点に立つには本人の
才能だけではだめで、幸運も時勢の後押しも必要だろう。
そういうのを掴めるのも才能の一種かもしれないが。
297 :
日本@名無史さん:02/03/14 21:11
志摩には元亀元年から天正9年ごろまで武田水軍の拠点がありましたな・・・
298 :
日本@名無史さん:02/03/14 22:07
>>296 うんうん。織田信光が急死しなかったら尾張の実権は握れなかっただろうし、
朝倉義景の性格次第では1572年の冬に岐阜に帰ることもできなかった。
信玄や謙信が直接対決を前に死んだのも幸運だし。(織田厨はみとめないだろうが)
まあ本願寺の存在は不運かな? フロイスも認めているしね。
まあどうして対立するようになったのかは微妙な所だけど。
299 :
日本@名無しさん:02/03/15 00:01
俺は公平人間さんに趣旨としては同意。
ただ、ちょっと信玄を中世の遺物というのは言い過ぎ。
それと、コテハン使った方がいいよ、また来るならね。
300 :
日本@名無史さん:02/03/15 00:08
今だ!300ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
あれ?・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
∧∧
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ
全然嬉しくない番号だぞ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
∧∧
⊂( ゚Д゚⊂⌒`つ;
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
∧∧ (´;;
(゚Д゚ ,)⌒ヽ (´⌒(´
U‐U^(,,⊃'〜... (´⌒(´⌒;;
何見てるんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
ポ ∧∧ ポ
ン (゚Д゚ ,) . ン
(´;) U,U )〜 (;;).
(´)〜(⌒;;UU (´ )...〜⌒(`)
301 :
日本@名無しさん:02/03/15 02:23
>>293 俺に対して批判はするが、安易に妄想だのゲーム厨だの
馬鹿なことを言わないだけで俺は公平と認めるよ。
何でも俺に賛成する人間だけが公平なんて
おこがましい考えはもってない。
俺に対する批判も結構、ただ俺の言わんとしている事が
理解できていない馬鹿が多すぎるからね。
それで批判が全然的外れになるから話がずれる一方。
いつ俺が井沢を全面的に正しいと言ったんだろうね。
いつ信長を全ての歴史上の人物の中でずば抜けているとか、
過大評価したんだろうね。
何で井沢信者だの信長オタだの言われたのかさっぱりわからん。
煽りで言ってたならアホそのものだな。
>>299 言いすぎた点はあると思うよ。
素直に訂正していくべき点はそうしようと思う。
コテハンについては、ちょっと考え中。
とにかく同意してくれて感謝。
302 :
日本@名無史さん:02/03/15 02:34
つーかお前ら全員スレ違い。
井沢をネタにするスレだぞ。
そんなに語りたけりゃ三戦板逝け。
同類がお待ちかねだぞ(w
303 :
日本@名無史さん:02/03/15 02:50
>>301 >俺に対して批判はするが、安易に妄想だのゲーム厨だの
>馬鹿なことを言わないだけで俺は公平と認めるよ。
妄想ゲーム厨に認められてもな・・・
304 :
日本@名無史さん:02/03/15 03:06
>いつ信長を全ての歴史上の人物の中でずば抜けているとか、
>過大評価したんだろうね。
とりあえず楽市の件では明らかに過大評価してましたね。
他にも色々指摘されてますから自分で過去スレ読んで確認してください。
>何で井沢信者だの信長オタだの言われたのかさっぱりわからん。
謙信とさっさと和睦すればよかったなんていう意見は
そのまんま井沢センセですが。
ちなみに第二次川中島の時は今川義元の仲介で和睦しているにも
かかわらず上手くいかなかったのは何故か。
考えてみては如何でしょうか。
305 :
日本@名無史さん:02/03/15 03:10
どう見ても井沢の脳内妄想を垂れ流してるだけの奴が
何をいまさら(プ
306 :
日本@名無しさん:02/03/15 04:50
>>305 アンチはイタイな
もう少しマシなこと言え
307 :
日本@名無史さん:02/03/15 08:43
>>306 アンチはイタイな
もう少しマシなこと言え
308 :
日本@名無史さん:02/03/15 08:54
┏━━━ / |━━━━━┓
┗┳┳━ |_| ━━━┳┳┛
┃┃ / ヽ ┃┃
┏┻┻ |======| ━━┻┻┓
┗┳┳ ヽ__ ¶_ ノ ━━┳┳┛
┃┃ (/) ┃┃
┃┃ (/) ┃┃
凸┃┃ (/) ┃┃凸
Ш┃┃ (/) ┃┃Ш
.|| ┃┃ (/) ┃┃.||
∧_∧ (/) ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) (/)(´∀` ) < くたばれアンチ
(つ つミ (/)(⊃⊂ ) \_____________
|_|_|_I(/)_|_|_|__
/////ノ,,,,,,ヽ ////|
//////////// |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 奉 納
何でこんななことになってしまったんだろう……。
井沢史観?って流行ってるものなんですか?
>>309 春ですから。(笑)
それにしても、出没するのがいつも夜中から明け方・・・
普段、何をなさっているのか興味しんしん。
311 :
日本@名無史さん:02/03/15 17:08
>>301 >何でも俺に賛成する人間だけが公平なんて
>おこがましい考えはもってない。
それは私たちの間では常識。あなたにとっては誇らしいことでしょうけど?
>俺に対する批判も結構、ただ俺の言わんとしている事が
>理解できていない馬鹿が多すぎるからね。
当然でしょう。理解できないのは馬鹿じゃなくて正常な証拠です。
だってあなたの頭には、歴史的事実よりも自分の妄想しかないんですから。
知識を持つ皆様、同じ井沢せんせのファンでも、
信者@東北さんと会話したほうがいいと思います。
この人との議論は洗脳されたオ×ム真○教信者と会話するようなもので、
時間の無駄になっても得るものは何もないでしょう。
私みたいな馬鹿には、この人が馬鹿なこと逝ってるのが藁えますけど。
>>301 なんだかなぁ。
歴史的事実を後知恵で可能性を論じるのはまあいい。
ただそれには押さえなきゃいけない部分ってのがあるでしょ。
当時の状況も、地理的条件も、その他いろいろを加味した上で、
取り得ない選択肢は排除しないと。それが出来てないから
妄想って言われるわけで。
313 :
日本@名無史さん:02/03/15 19:07
311です。
>何でも俺に賛成する人間だけが公平なんて
>おこがましい考えはもってない。
それは私たちの間では常識。あなたにとっては誇らしいことでしょうけど?
に反論が来る前に言っておきます。
わかりやすいようにコテハンの人を名指しさせてもらいますと、
>>287の蝦夷さんは「結論。信長>信玄」というかんじで、
武田さんが反論するようなこと書いてるけど、この二人は友好な関係です。
でも公平さんと武田さんや蝦夷さんは仲良くありません。
公平さんが何故この二人と仲良く出来ないかというと、
相手の意見を尊重するかしないかだと思います。
ではどちらが相手の意見を尊重しないかというと、もちろん公平さんです。
それは、蝦夷さんと武田さんが、相手の意見を尊重している様子から、
お二人は議論する姿勢がきちんと出来た人だとわかるからです。
公平さんが仲良く出来ている人はいませんが、
これはこの人がまったく自分勝手なことばかり言うからだと思います。
信長ファンとしても、この人の意見は支離滅裂にしか映りません。
>>312 ifをまくし立てる前に何故そうならなかったのかを考察して欲しいのよねえ
可能性の論拠がほとんど「自分が思う」だけじゃあ誰も納得してくれるわけない
315 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:00
>>301 >何で井沢信者だの信長オタだの言われたのかさっぱりわからん。
誰から見てもそうなのに、一人だけ何一つ理解していない馬鹿、発見。
301の言い分は
自分の意見を相手が理解されないと、相手が馬鹿
相手の意見を自分が理解できないと、相手が馬鹿
>自分の意見を相手が理解されないと、相手が馬鹿
日本語が変だ
自分の意見が相手に理解されないと、相手が馬鹿
に訂正
>>314 禿同。
笑っちゃうようなたとえで悪いが、たとえば井沢が「信玄は江尻津から
軍船を出して四国を制圧し、東西から信長を挟撃すべきだった!」って
書いたとする。それをみんながネタにするのを、公平氏は「船があるんだから
可能だろう」って逝ってるようなもの。
318 :
日本@名無しさん:02/03/16 01:38
支離滅裂に思えるのは
読解力のない馬鹿だということ。
公平氏はそんな
>>317氏のたとえのようなことは言っていない。
信長が置かれた環境の中でベストの選択が出来ていたか、
信玄が出来ていたかをシミュレートしているだけだろう。
賛成、反対はともかく、ゲーム的な発想ではない様に思うが。
横レス御免。
少数派を吊るし上げるのが見苦しく見えたもんで。
319 :
日本@名無史さん:02/03/16 01:46
>>318 信玄が天下を狙っていたのなら、川中島なんて上杉に譲って和睦し
とっとと美濃を攻めるべきだ――なんて意見は
>>317氏の例えに
匹敵するぐらいの電波を感じるんだが・・・・
ところでいつの間にか「公平氏」って名前になってるな(w
320 :
日本@名無しさん:02/03/16 04:47
>>319 言いたい事はわからんでもないが、
シミュレートはそもそも仮想の話だから
可能か不可能かを論じることが大事なんであって、電波というのはどうかな。
不可能であることを論証して見せればいいだけの話だと思う。
公平氏がキレた発言をしたのはそれをせずにいきなり
ゲーム厨の荒唐無稽な妄想と決め付けたからじゃないかな。
断っておくが公平氏に賛成なわけじゃない。
ただ議論をするなら建設的な方法で、と両者に言いたい。
2チャンでそんなこと言っても無理かもな・・・
321 :
日本@名無史さん:02/03/16 05:09
>>320 不可能だという話をした人間もたくさんいたでしょ。
で再反論がこれまたとてつもない電波の連続(w
過去スレ読んで確認してみ?
それにそもそも不可能性の論証より可能であることを論証すべきだと
思うがね。
あんなんでは厨房呼ばわりされて総スカン喰うのは仕方が無い。
322 :
蝦夷の末裔:02/03/16 09:39
>>318=320へ
>支離滅裂に思えるのは
>読解力のない馬鹿だということ。
それは、武田研究家さんたちの意見を理解できない公平氏にも同様にいえる。
311の人は、俺と武田研究家さんが対立することもなく相手を認めているが、
公平氏は自分と違う意見の相手を認めようとしない、といいたいんじゃない?
もいちど311読んでみ。ゲーム的発想とか書いてないよ。
323 :
日本@名無史さん :02/03/16 11:52
ここは井沢氏をネタにする板だが、公平氏の意見は最初から論点が違っていた。
井沢アンチ=のぶなが嫌いという短絡的な発想から抜け出さなかった。
だから信長と信玄の人物評価をして、
「信長は信玄より優れている」的な発言しかしていない。
井沢氏「逆説」とは全く関係ない話題になっている。
だいたい、井沢アンチでも信長ファンはいるだろうが。
井沢氏が間違っていることに対しては「小さいこと」というのみ。
そして武田研究家氏の書き込みは「正しいという証拠はない」。
公平氏にお願いなのは、次の3点である。
・信長のことを論じるなら井沢と関わらせること。
・自分が正しいというなら、自分の考えではなく根拠をはっきり示すこと。
・アンチが間違っているなら、自分の想像ではなく歴史的事実にそって語ること。
324 :
日本@名無史さん:02/03/16 11:58
おい貴様等、ここは井沢スレだぞ。
といいたいが井沢と関係無い部分の方が為になりますね。
>>318
だいぶ煽り入ってたんで、その点は謝るよ。
ただ他の人が言ってるのって、公平氏(井沢)が言うところの信玄のベストな
戦略は全然ベストじゃない、と指摘してるのではないか?
漏れも信玄が常にベストな戦略を採ったとは思っちゃないけど、
ベターな戦略は採っていたと思う。それに対して公平氏は固執する
あまり電波な言い訳(公平じゃないとか)を繰り返すから叩かれる訳じゃ?
板違いらしいし禿しく場違いみたいなので逝ってくるわ。
326 :
北方領土@名無史さん:02/03/16 16:13
>>320 >シミュレートはそもそも仮想の話だから
仮定の話だから勝手なことを言えるわけ。建設的になるはずないだろ?
だったら仮の話はナシにしようや。
ところでさ、なんで天下をとった/とらなかった だけで人物評価する?
武田信玄や他の連中はそれを目指さなかった。信長は目指した。
ただそれだけのこと。価値観の違いで人を評価するのもなんだかな。
足利将軍を助けようとする「旧勢力」で何が悪いか教えて欲しい。
部下に殺された信長よりも殺されなかった幾多の大名のほうが、
ある意味優れた君主だっちゅう言い方もあるんじゃ?
部下に裏切られてばかりの信長は君主、天下人失格といわれても仕方ない。
なあ井沢さん? こういうことも論じないと「公平」じゃないぜ。
空想を根拠にして仮定を推し進めて他者の意見に耳を貸さないような奴は
どこ行っても多数派になれるわけはないし叩かれるのもしょうがない
328 :
日本@名無史さん:02/03/16 17:56
もともと井沢の信長論が公平じゃないのに、
井沢の意見も認めろというのがなんで公平なんだろうか。
問題は、井沢が信長を実際以上に仕立て上げようとしていることで、
それを実像に戻すことのほうが「公平」という。
井沢が論じる根拠もない信長の先進性(兵農分離、鉄砲、楽市楽座)を否定するのはあたりまえだが、
これを叩くことが何故公平なことじゃないのか説明していただきたい。
329 :
日本@名無しさん:02/03/17 01:25
信長に比べりゃ信玄はクズ
井沢に比べりゃお前らクズ
お前らに比べりゃ俺はクズ
330 :
武田研究家@なげやり:02/03/17 01:51
え〜「公平人間」さんとは楽市の件を以ってお話ができないようだと
分かりましたので、(
>>189 >>212 >>217 >>220 参照)
まあいつも通りやります。
次が出る前に駆け込みで〜今週の『逆説の日本史』〜
今週は安土城築城のお話ですね。
信長が京都にこだわらず、自分自身のための「首都」を作ろうとした
というのは、源頼朝の鎌倉造営に比肩する大事業でしょうね。
(と一応誉めてみたり。こんなことは皆分かってるんでしょうけど、
一々言ってあげないと「不公平」ですからね)
まあ信長が信忠に家督を譲って尾張美濃を与えた事に関して
どう捉えるからは人それぞれでしょう。
「織田家の当主を超える存在になろうとした」なんてのが井沢氏の説らしいですが、
「尋常な男ではない」とか言ってみたり、今週もベタ誉めですね(笑)
ちなみにこの説、私は秋山駿氏が『信長』で唱えていたのを覚えています(笑)
だとすると北条氏康や北条氏政は「北条家の当主を超える存在になろうとした」
のかなんて気もしますが、それは言いますまい(笑)
あ、今川義元も「今川家の当主を超える存在になろうとした」のかもしれません。
人間五十年を標榜する信長ですから、四十過ぎたら家督を譲って時期政権の
安定に努めようとしたなんて一般的解釈じゃダメなんですかねえ。
ちなみに尾張美濃を与えたからスゴイってのかもしれませんが、むしろ尾張美濃を
支配したまま近江に移動するのが「無理」だったんじゃないかと、
考えてみたりするわけですね。これは方面軍制度とも通じることなんですが。
331 :
武田研究家@なげやり:02/03/17 01:51
次に岐阜・安土の命名問題ですね。
まあ岐阜に関しては詩僧・万里集九の詩集『梅花無尽蔵』に「岐阜陽」という表現があり、
美濃南泉寺の仁岫崇寿の語録『仁岫録』に「岐陽」の語が見えるといった具合でして
信長が「岐阜」を選ぶ以前から、禅僧たちの間で稲葉山の辺り一帯を指して
「岐阜」「岐陽」「岐山」といった雅称が使われていたのは間違いないというのが一般的な
見解ですね。ちなみに信長に地名変更の候補として岐阜・岐陽・岐山の三つを提示した
と言われる澤彦は禅僧ですから、なるほどしっくり来る説ですね。
岐阜だの岐陽だのの語源としては「岐蘇川」(木曽川)を見下ろす丘だからじゃないかというのが
まあ妥当なところじゃないでしょうか。
あと「岐阜」は漢音だから云々なんてのはまあ地図を広げれば漢音の地名は結構あるぞ
ってなわけでして、信用するのは如何なものかと思うわけなんですが、どうでしょうか。
安土の方はと言いますと、『信長公記』の巻三、元亀元年(1570)の所に
「十二日に永原まで御出て、永原に佐久間右衛門置かれ、長光寺に柴田修理亮在城。
安土城に中川八郎右衛門楯籠る」
とありまして、安土城なる城が1570年の段階でもあったということに
なるわけですね。
そういえば同じく『信長公記』で岐阜改名の話はちゃんと載せているんですが、
安土に改名したとは書いてありませんし、安土城築城のことも「安土山御普請」とある
だけですから、安土という地名を信長が付けたというのはあまりにも無理があると
言わざるを得ないでしょうね。それに安土は漢音でもありませんし(笑)
さて話は変わって信長は大坂を欲しがっていたんじゃないか、安土はその暫定プランに
過ぎないんじゃないか、と井沢氏の話は進むわけですが、まあこの辺は
>>184-188 >>215の諸氏が既に語っておられる事ですから、また次回の展開を
見つつ書いていくとしましょうか。
それでは。
332 :
日本@名無史さん:02/03/17 02:10
安土城を作った理由が書かれていない!なんてことを言う井沢氏ですが、
井沢氏の説によれば安土の命名者は信長です。そして安土は平安楽土の
略だと解釈しているわけですから、安土という命名自体が信長の
主張なわけで、安土城を作った理由はちゃんと主張されていると思うんですね。
もっとも全ては井沢氏の脳内限定なんですが(w
333 :
日本@名無史さん:02/03/17 03:45
みなさんよく井沢氏のエッセイで
これだけ議論できますね(w
334 :
日本@名無しさん:02/03/17 04:08
>>333 そんなにおえらいお方たちなら自分で論文でも発表すればいいのにね。
ここでコテハンや名無しで井沢氏を批判するのは醜いねえ。
この板は司馬遼太郎をボロクソに言う人、小和田哲男を罵る人など、
自分より優れた人を認められない人ばかりだよ。
自分が知識を得るのにもいろんな人の力を借りていることも
わからないのかね。(w
君の気持ちはよくわかる。
こんなことを書いてもジサクジエンなんて言われるのかな。
335 :
日本@名無史さん:02/03/17 04:32
優れていれば認めるよ。
優れた先学・先行研究には敬意を払うよ。
もちろん論文でも言及する。
司馬や井沢は優れているとか優れてないとかじゃなくて
この国に害毒を流し続ける百害有って一利無しだから
ボロクソニ言わざるを得ないんだよ。
336 :
日本@名無史さん:02/03/17 06:25
今日、図書館で『逆説』の室町編を立ち読んだ。
久々に驚いた。
こいつ、パクリばっか(笑)
今谷明とか、二人の天魔王とかの…
だけど、元彦って
他人のパクリを悪いこととは思ってないふしがあるよね
傲慢な性格がモロ出てる
338 :
日本@名無史さん:02/03/17 09:25
>>334 自分は論文書いて発表していますが、何か?
よくいますね。
野球で贔屓チームのピッチャーが打たれて「何やってんだ!」と苛立つ人に対し
「じゃあお前が投げれば?」と話をそらす奴。
その程度の反論しか出来なくなってるんですか、井沢ファンは。
井沢はこれでメシ食ってるんだから、いい加減なことは言っちゃいけないの。
例えば、教師がテキトーなことを生徒に教えちゃいけないのと同じ。
それともあなたはウソをついて金儲けをする詐欺師を奨励するのですか?
>>336 そういうレスはやめてね、藁
339 :
日本@名無史さん:02/03/17 09:44
井沢は確かにひどいと思うけど
司馬は本人が歴史を題材にした娯楽小説をかくと
割りきっているフシがあるからねえ。
司馬はそんなに悪いとは思わない。
340 :
蝦夷の末裔:02/03/17 10:53
>>334 井沢を批判するというのは、ある意味井沢を認めていることでもある。
この人物の社会に対する影響の大きさがあるから、
「本を書くなら馬鹿なことは書かないで欲しい」というメッセージなのだが。
逆のことを言うと、素人にすらツッコミの余地があるような歴史家では、
プロとしてやってほしくないということ。
批判を受けたら「だったらお前が書け」というような反論ではなく、
自説が正しいことを実力で証明してみせる。あるいは間違いを訂正していく。
それがプロというものなんですよ。
プロが素人に「自分でやってみろ」ってのは自分がプロの資格はない
って言ってるようなもの。
技術でも知識でも素人よりも高度だからプロとして飯食えてる
てめえやってみろってのは自らのアイデンティティの否定だよ
ある程度の歳になれば隠居するってのはどこの大名でもやってるこった
自分の目の黒いうちに後継者を定めておいて後の後継者争いを防ぐ
目的とか、自分が後見しながら後継者として育成したいとかいう目的も
あるんじゃないの?
>334
小和田氏といえば、最近古書店で購入した歴史群像シリーズ20巻
『激闘織田軍団』で、織田軍は農繁期も戦える兵農分離のなされた
常備軍団、武田・上杉の軍事行動は農閑期に限定されていたなど、
井沢氏そっくりの主張をしているのを知って、驚いたよ。
近年では、こうした主張は井沢氏や堺屋氏などのような作家だけが
述べているのかと思っていたら、まさか小和田氏ほどの研究者が
こんな主張をしているとはねぇ。だけど、小和田氏が主張している
くらいだから、織田常備軍団といった神話が一般に浸透している
のも無理はないのかもね。まあ、研究者がこんな主張をしていたら、
罵倒されても当然だとは思うよ。
まったくくっだらないこと言う人がいるものですね。一体どこの無駄飯食いですか。
あなたにとって、井沢先生の御説は、すでに血となり肉となってますね。
つまり、井沢先生と自我同一視することでしか自己の存在意義を感じられず、
裏返せば、あなたから井沢先生(=井沢先生の御説)を剥奪したら
プライドだけで支えられているあなたの自我は瞬時に崩壊してしまうでしょう。
2mは未成年のうちに「大道の本義」を感得してしまったので、その視点から、
井沢先生もまた「大道の本義」を理解されていると実感しています。
以前、2mのドッペンゲルガ−が出現しましたが、それは2mの言う「大道の本義」を
理解している人が他にも少なからず存在するという事実の証明です。
井沢先生の御説を盾に「アンチ」と罵倒するのは、あなたが実は自分自身に自信を
持てない事を反映しています。まるで社民党の辻本清美みたいですね。
井沢先生の説に固執するあまり、井沢先生にまで迷惑をかけるような勘違いさんを
2mは「寄生虫!」とほざいておきます。
よろしいでしょうか、阿部奈亮さん。
2m=あべ
と思ってた俺。(w
安部=334で2m=344の詮議はともかく、
334の書き込みが井沢さんにとって迷惑であることは間違いないね。
347 :
日本@名無史さん:02/03/17 13:59
>>339 とりあえず司馬さんはスレ違いでしょう。
>>343 小和田さんって今川氏とか北条氏の研究では結構頑張っていたんだけど、
それ以外の「研究」は通説俗説他人の新説を羅列しただけって感じがあるね。
戦国の研究者なのにいきなり日本の通史を書いてみたり(内容はトンデモ)
最近は相手にしちゃいけない研究者の一人って感じです。
348 :
日本@名無史さん:02/03/17 14:51
>>347さん
小和田氏は内藤昌氏のトンデモ安土城説を鵜呑みにしたり、
最近は天海=明智光秀説まで認め始めてますから。(苦笑)
いつから小和田スレになったのよ,ここ(W
350 :
日本@名無史さん:02/03/17 17:28
>>348 あらら……内藤安土城は力学的に無理があると宮上センセが喝破したのに
センセが死んだからって頭に乗ってますね〜
で信じる小和田サンときたらもう……
351 :
日本@名無史さん:02/03/17 21:52
小和田哲夫は影武者徳川家康を否定しなかったので好きだ
352 :
日本@名無しさん:02/03/18 17:57
井沢、司馬、今谷、堺屋、小和田、その他有名な学者や作家がみんな
この板では叩かれてるけど、みんなは戦国時代では誰の言ったことを認めてるの?
有名な人であまり叩かれてないというと二木あたりかな?
おかしなところを指摘はするけど、別に個人を特定して
叩いてるわけじゃないと思うが。たまたま井沢が多いから、
こんなスレが出来てるだけだと思われ。
いい説はいい、トンデモはトンデモ。
354 :
日本@名無史さん:02/03/18 19:13
|■\
| ∀`) ダレモイナイ...
| ⊂) ワショーイスルナラ イマノウチ
| /
./■\
∩´∀`∩ ワショーイワショーイ
ヽ 丿
( ヽノ
し(_)
/■\
(´∀`∩) ワワワワワショーイ
(つ 丿
( ヽノ
し(_)
355 :
日本@名無史さん:02/03/18 19:23
井沢さんのは、おもろいのは読むおもろないのは読まない他の人も同じ
>>352 そこに名前のある人は「一般人」には有名な人だと思う。
一般に有名だからといって学会でも認められているわけではないし、
むしろ学会で認められているような人は一般向けの本はあまり書かないと思う。
357 :
日本@名無史さん:02/03/18 20:57
>>343 織田軍は兵農分離されてなかったの?
それじゃ,農閑期しか軍事作戦してなかったの?
で,いつ頃兵農分離が始まったんですか,教えてください。
俺は,織田軍は兵農分離されていたと,思っていたっもので。
>>352 司馬は雑賀孫市のやつしか読んだこと無い。
内容はくそでした、間違いないです。
あの人は何を考えてあんなキャラクターデザインしたんだか。
関係ないけど今週は大坂城ネタでしたね。
本願寺の聖地は京都の山科だったということ、大坂は石山本願寺の
寺内町、日本最大の「寺内町」であったこと。
他には秀吉が内裏を大坂に移転しようとして挫折したことなんかが語
られてました。
来週がオチのようです。
宗論の時よりは展開が早いと自らを納得させて、来週まで待ちます。
平安時代の「鎖国」はどうなんでしょうかね?
渤海使節団は正式な国交じゃなかったかな、まあいいか。
日本海交易は日本史で捉えるものではないのかもしれないからなあ。
>>357 >それじゃ,農閑期しか軍事作戦してなかったの?
そこなんですよね。
半農兵は農閑期しか軍事作戦出来ない、っていうのがどこからきた
神話なのでしょう?
だいたい農閑期ってどの期間を指すのか。田植えと刈り取りの時期
だけか、3〜10月までは全然だめなのか。その間に総動員をかけたら
どの程度の収入源になるのか。そこまでを検証した人っているのでしょうか?
実際には何人もの方が指摘されているとおり、農繁期と呼ばれている
時期に数多くの軍事行動がなされているわけで。
皮肉でなく、そこのところを書いた本を読みたいですね。
>357
そもそも、兵農分離されていないと農閑期しか軍事行動ができないという
理解が根本的に間違っている。上杉も毛利も、1年12ヶ月のうち、軍事
行動をしていない月なんてない。農繁期に跨って長期出兵していたことも
ある。例えば、上杉軍は永禄3年8月から翌年6月まで関東に、毛利軍が
永禄元年に2〜8月まで長期出兵している例もある。全国の大名の事例を
調べる気にはとてもなれないけど、丹念に調べていけば、同様の事例は
無数にあるはず。
>いつ頃兵農分離が始まったんですか
これは難しい。そもそも、兵農分離をどう定義するかという問題でもある
から。兵と農(侍と凡下、または軍役衆と非軍役衆と言うべきかもしれな
いが)との観念的な区分の原形は、中世初期にまで遡ると思う。
一般に言われている意味での兵農分離(兵の専業化と城下町集住=在地性の
喪失)については、豊臣政権が一大転機になったのだと思う。兵農分離を
進展させるには、平和の達成か他勢力を圧倒する必要があるから(大量動員の
ためには、在地有力者の大量動員の方が都合がよいから)、豊臣政権の統一
までは、どこも大して兵農分離は進展していなかったのではなかろうか。
実際、織田にせよ他大名にせよ、一般に言われているような意味での兵農分離
が進展していたことを示す史料なんてないわけで。
ただ、豊臣政権下で兵農分離が全国一律に達成されたというわけではないと
思う。例えば上杉なんて、文禄年間でも零細な給人が多数いたから。
また、知行制から俸禄制への転換で概ね兵農分離が終了したとするなら、
その時期は江戸時代になってから、恐らく元禄年間の頃(これはあまり自信が
ないけど)になってではないかな。
362 :
日本@名無史さん:02/03/18 22:29
ホトトギスの例えは 信長<秀吉<家康 の例え
363 :
日本@名無史さん:02/03/18 22:38
>>360 ありがとう(まずお礼)
>長期出兵している例もある。
それは,一般的な事なんですか,それとも特殊な事(たまにしかない)なんですか?
つまり,お尋ねしてるのは,兵農分離してなくても,
軍を動かすのに農作業の影響をまったく受けなかったのかって事なんです。
364 :
日本@名無しさん:02/03/18 23:04
>>356 だとしたら、そういう状態そのものが問題だね。
>363
一般的か特殊的かと言われたら、一般的と言うべきかな。少なくとも、織田と他大名
との間に大きな差はない。織田軍の兵農分離の状況証拠としてよく言われる本願寺の
包囲にしても、砦を築いて(あるいは近隣にある既存の砦や城を利用して)付城とし、
そこに自軍を入れて敵方の城に圧力をかけつつ長期に亘って攻略していくという、
戦国時代にはよく見られる戦いの形態。で、機を見て付城にいない家臣団に出陣を
命じて大軍を率いて攻めかかる(あるいは、敵の後詰に対応して出兵する)という
ことが偶にあるわけ。織田軍と本願寺との戦いはこの典型的な例。
>軍を動かすのに農作業の影響をまったく受けなかったのか
当時は、軍にかなりの割合で百姓から挑発した陣夫役がいて、長期戦や遠征戦となれば、
その依存度が高まったようだから(朝鮮役の立花軍だと、陣夫役は約5〜6割)、多数の
農業従事者を含む百姓が農繁期に陣夫役として挑発されれば、やはり農作業に影響が出る。
ただ、これも程度問題で、勢力の大きい方が、一定の人口・経済力あたりの動員数を減ら
せるので、それだけ経済的損失を抑えられる。
陣夫役は非戦闘員という建前なので、戦闘員の動員の農作業への影響についていうと、
これも結局は経済力次第ということになる。近隣の他勢力と経済力で大差のない場合は、
零細な(あくまで領主間での比較)領主層をも軍役衆として抱え込んで大量動員に備え
る必要があるので、こういう時に軍事行動を起こすと、やはり農作業への影響は大きい。
特に、自国の方が劣る場合には、零細な他勢力領主層を多数軍役衆として抱え込む必要
があるので、一層苦しかったと思われる。その場合、豊臣と対峙した北条や徳川のように、
軍役衆の拡大では間に合わず、領国の百姓に総動員令を出した大名もいる。因みに、織田
信孝も四国遠征(本能寺の変で潰れたけど)に際して、領主層のみを動員しただけではなく
総動員令も出していて、これも織田の兵農分離の進展を否定する具体的な証拠の一つと
言えると思う。
しかし、自国の方が経済力が優勢ならば、零細な領主層を多数軍役衆に抱え込む必要はなく
なるわけで、そうすると、農作業への影響も相対的に小さくてすむということになる。
366 :
蝦夷の末裔:02/03/18 23:22
>>352 司馬は俺が歴ヲタの道に入るきっかけの人だけど「ロシアについて」は萎え。
たぶん19世紀前半の蝦夷地のことは何もわかってないよ。
「菜の花の沖」も小説部分はいいとして考察部分は糞。史実無視も甚だしい。
井沢さん、幕末史を書く時にこれを参考論文にしたら絶対いけませんよ。
>365の修正。
「特に、自国の方が劣る場合には、零細な他勢力領主層を多数軍役衆として抱え込む」
の箇所の、「他勢力」は削除。
368 :
357,363:02/03/18 23:55
>>365 早速にありがとう。
なにせ,当方は歴史小説は読むが,退屈な専門書の類は読まないので,
戦国時代は織田軍だけが兵農分離が進んでいたのだと思ってました。
織田信長も中世的な部分を色濃く残していた事は,解かっていたつもりなんですが。
その事で信長の評価が下がる訳では,ないと思うけれど。
369 :
日本@名無史さん:02/03/19 00:07
>>352 一般向けの本を書いている人だと
笹本正治氏
谷口克広氏
藤本正行氏
鈴木眞哉氏
あたりですかね。
二木氏はまあ出てきてないから何も言ってないだけで
あんまり信用していません(笑)
一般に叩かれやすいのは井沢氏を始め秋山駿氏、津本陽氏、堺屋太一氏など
作家の方々ですね。
>>363 そうですねえ。長期の出兵が農作業に影響を与えないはずがないですね。
そこで対処の方法としては二通り考えられます。
一つは、ひたすらに負担を農村に強いること。
もう一つは、税制の工夫などで負担を減らすこと。
後者の例だと武田家の税制が参考になりますね。
軍役に就く家に対しては租税の一部または全部免除、棟別銭の免除、賦役の免除などが
与えられています。
まあそれで負担を全てカバーできるのかどうかは分かりませんが。
370 :
日本@名無史さん:02/03/19 06:13
イメージでいえば,信玄は中世の巨星,信長は近世の新星って感じなんだよね。
371 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:26
>>370 詳細に見れば、それはやはりイメージでしかないと言う結論になる。
強いて区分すれば秀吉からが近世であるし、
あるいは戦国時代そのものが近世への架け橋であるとも言える。
372 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:55
鎌倉期(かそれより前)に完成した本領安堵の概念が第一期封建制度で
あるならば、豊臣期以降の鉢植政策が第二期封建制度、という考え方は
できないでしょうか?
武士と土地がセットであった時代から、武士=支配階級に変化した、と
いう説もあるようですし。
それで理解が正しければ、清洲会議による織田領分割がその端緒で、
徳川の関東移封で方向付けが固まった、ということになるでしょうか?
373 :
楠木正成は何故湊川で戦死したのかPART:02/03/20 00:21
前スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1013418357/l50 戦後の平和思想によって、各説がたっているが、
それらは余りに矛盾する事ばかり。自由でナンでもOKというのも考え物である。
確かに神風で散って行った時代には戻してはいけないが、
その目的で、必死で諸説を立てるのは間違っていると思われる。
全てにおいてその説は、太平記作者の捏造だと解釈する所から始まる。
その色んな説を拝見していても、正成が尊氏と戦い、自害する理由に
信憑性がない。江戸時代に入って国学が盛んに行われる様になってから
正成は復権した事になるが、何故か戦後には勤皇ではなかった事が強調されるが、
私としては、全然納得できないのです。
日本史ファンの誰か、このことを上手く説明できる方はいませんか。
という事でした。
前スレを見ても、ブサヨの
374 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:42
>>372 有力外様はついに江戸幕府でも動かせなかったわけだから、
区切り方は難しい。
子飼いの家臣を動かすだけならもっと古くからあるわけだし。
>>374 ちょっと無理がありましたか。
そうするとどういう区切り方で中世と近世ってのは区切られるとお考えでしょう。
この辺余りよく解ってないもので、ご教授いただけると幸いです。
376 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:54
>>375 経済面では秀吉かも。
座の廃止
関所の「完全な」廃止
海賊の禁止
商業と流通がこれで大きく変わったのは間違いない。
秀吉と比べると信長はまだ中世の枠の中にいる。(と思う)
377 :
日本@名無史さん:02/03/20 04:39
農繁期の出兵って規模がどの程度かにもよらない?
領内の百姓全員率いて行ったらそりゃ農作に多大な影響が出るけど、多少の人手は残るでしょ?女子供もいるし。
378 :
日本@名無しさん:02/03/20 09:48
>>376 その秀吉にヒントを与えたのはやっぱり信長じゃないのかな。
そう考えると信長からが近世と見てもいいような気がする。
379 :
日本@名無史さん:02/03/20 15:10
>>378 信長は座の廃止は全くやっていない。
唯一、山崎の油座が潰されたという話があるが、信頼性はそれほど高くない。
基本的に信長は従来の座をそのまま認めることによって商業を管轄下に
置こうとした。
だが秀吉は座を一旦全て潰して全て自分の下に再編成した。
これは秀吉の独創と言えるだろう。
信長の関所の廃止ってのは信長が自領内の交通路を確保したという事であり、
関所を廃止したのは信長だけというわけでもないし、信長は公家衆権力
にまでは踏み込めていない。
だが秀吉は踏み込んでいる。
信長は海賊に対しては配下に置いただけで海賊停止までは踏み込めていない。
だが秀吉は断行した。
信長からが近世だというのであれば戦国時代そのものからが近世であるし、
戦国時代が近世でないならば信長は決して近世とは呼べない。
>378-379
すいません、たびたびDQNな質問で申し訳ないんですが、
中世と近世を分けるのは主に経済面である、と考えるべきなのでしょうか?
381 :
日本@名無史さん:02/03/20 16:35
>>380 農業生産も大切じゃないでしょうか?
何が近代・近世かというと、餓死者の数の減少と聞いたことがあるんで。
人口に占める第一次産業の従事者の割合が、減少し始める時期を調べ
てみるのもいいかも。
信長が日本の近世の父でいいんじゃないの?
少なくともイメージ的には。
秀吉の親筋(やくざみたいだな)なんだし。
383 :
日本@名無史さん:02/03/20 17:34
>>379 それは,信長が秀吉より保守的だったって事じゃないと思うけれど。
時代の変化によって,抵抗が大きくて出来なかった事も出来るようになる事ってあるんじゃないの。
信長は中世の人だけど,彼がいなかったら,近世になるのにはもっと,時間がかかったような気がする。
384 :
日本@名無史さん:02/03/20 17:44
>>383 それは「どこまでが中世でどこからが近世か」とは関係ないでしょう。
なんにだって基礎となるものがあるんですから。
ただ区分けすれば信長は中世的枠内の中での改革派で、
秀吉は近世の草分け。
それだけのことですよ。
385 :
日本@名無史さん:02/03/20 17:49
>>384 >それは「どこまでが中世でどこからが近世か」とは関係ないでしょう。
その事は論じてないよ。
>信長は中世的枠内の中での改革派で、秀吉は近世の草分け。
近世の草分けは,信長で。改革派は信玄だと思うけれど。
>377
結局は、経済力・人口と動員数との兼ね合いということになると思う。だから、
農繁期に出兵する場合、当然のことながら、経済力・人口の劣る方が農業への
影響は大きかったことになる。その意味で、天正年間になってからの織田は、
他の大名よりも余裕があったのではないかな。
また、大名権力が領内の百姓を全員率いるなんて事態はまずなかった。総動員令は、
徳川や北条などが緊急事態(豊臣や武田と対峙した時)に出しているけど、動員
日数(例えば20日間)や任務地(軍役衆が出陣して手薄となった城の守備といった
具合に、比較的安全なもの)などが制限されたし、実際に動員する際には、夫役の
徴発などと同様に村高が基準となったから、領内の成人男子全員が動員の対象に
なったとはいえ、実際には全員が動員されたわけではない。
徴発への対応策は、史料が少ないので具体的なことは断言しにくいところがあるけど、
文禄役の際の近江今堀郷では、陣夫役に徴発された者の田畑の耕作を村が保障し、陣
夫役の交替期限を1年とするなど、村全体で保障する制度がある程度は整っていた。
恐らく戦国時代には、このようにして軍事行動による農業への影響を最小限に抑える
努力がなされていたものと思われる。戦国時代には村請が一般的なので、村民の一部
といえども耕作が滞ってしまえば、村全体の負担になってしまうので、村全体が陣夫
役の者の耕作を保障するのは当然とも言える。もちろん、実際にはこのように理想通
りにいかなかった例も少なからずあっただろうけど。
>372
永原慶二氏が織豊政権を境に封建制を前期と後期に分ける説を提唱していたと記憶
している。あまり自信はないけど。
>383
>それは,信長が秀吉より保守的だったって事じゃないと思うけれど。
その通りだと思うけど、これは例えば信長と信玄との比較にも言えることで、それぞれ
置かれた立場が異なるのだから、取るべき政策が異なるのも当然なわけで、単純に事跡を
比較して、保守的だとか革新的だとか個人の本質を議論するのは難しいと思う(>379で
そんな議論が展開されていると述べているわけではない)。
だから、義昭を担いだ信玄は旧体制側、義昭を追放した信長は新時代の開拓者、などと
当主個人の資質に還元して論じるのは難しいと思う。信長も一度は義昭を担いだわけだし、
仮に信玄が甲信〜畿内まで制圧した場合(信玄が史実より20年以上長く生きたとしても、
その可能性は殆どなかったと思うが)、信玄が義昭を追放して新しい政権を築くことなど
なかった、という保障はまったくないわけで。
折角苦労して作った町を後からきて出てけってのは無茶苦茶理不尽
だと思うが。聖地云々は関係なくね。
井沢は信長が石山本願寺の明け渡しを要求したのが一向宗が信長に
反抗した理由じゃないみたいなこと言ってるけど、史料がないってだけで
否定しちゃあ史料至上主義者とたいしてかわらんのじゃないかあ
話はわかるけれど,そうすると個人の優劣とか思想の差とか論じられなくなる・・・
論じてみたいじゃない。
>389
個人の優劣について論じても、結論が出ずに罵倒合戦となって、
得るものがないことが多いからなあ。信長と信玄の比較なんて、
その最たるものだと思う。面白い話題なんだけどねぇ。
>382-385
ご意見ありがとうございました。
参考にさせていただき、考察してみたいと思います。
>390
そうなんだよね,何で考え方の違いを楽しめないかな。
お互い,学者じゃないんだから,誤解や間違いがあったっておかしくないんだから,
いきなり,鬼の首を取ったように,罵倒するっていうのはやめてもらいたいね。
>>2mってさあ・・・・・・・・馬鹿、あほ、間抜け。ドジ、ポンコツ、トンチキ、ガラクタ、クズ、ゴミ、カス、
最低以下の下劣、下等種族、 劣等種族、下衆野郎、腐れ外道、邪道、外道、
非道、ウジ虫、害虫、ガン細胞、 ウィルス、ばい菌、疫病神、病原体、汚染源、
公害、ダイオキシン、有毒物質、 廃棄物、発ガン物質、猛毒、毒物、アメーバ、
ダニ、ゴキブリ、シラミ、ノミ、 毛虫、蠅、蚊、ボウフラ、芋虫、掃き溜め、汚物、
糞、ゲロ、糞虫野郎、ほら吹き 、基地外、デタラメ、ハッタリ、穀潰し、ろくでなし、
ごろつき、、ヤクザ者、 社会の敵、犯罪者、売春婦、反乱者、前科者、インチキ、エロ、
痴漢、ゴミ、シデムシ、 ゴミ虫、毒虫、便所コオロギ 、詐欺師、ペテン師、
道化師、危険分子、痴呆、白痴、 愚鈍、ボケ、ボケナス、エタ、非人、エス、
チョン、毛唐、露助、野蛮、残虐、不可触民、賎民、熊襲、朝鮮人、エス、アカ、
三国人、野蛮人、レッドネック、ニガー、ジプシー、ロマ、猿人、土人、未開の民族、
食人族、首狩り族、原人、原始人、猿、エテ公、悪魔、鬼、 魔物、妖怪、悪霊、
有害物質、毒薬、猛毒、発ガン物質、誇大妄想狂、ボッコ、妄信、 狂信者、
他人の悪口は山ほどほざくが反省は一切しないガキ根性野郎、腐れ根性、
腐って歪んだプライドの持ち主、狭量、ボケ、ボケナス、アホンダラ、たわけ、
怠け者、無能、無脳、思考停止、単細胞、蠅、蚊、カビ、 腐敗、膿、下劣、
劣等種族、クレイジー、マッド、ストーカー、 人格障害、守銭奴、見栄っ張り、
ええ格好しい、粗製濫造品、偽物、似非、 イカレ、乞食、浮浪者、ルンペン、
狼藉者、放蕩息子、道楽息子、極道息子、 迷惑、困りもの、厄介者、村八分、
異端者、アウトサイダー、サイコパス、サイコマニア、電波系、オオカミ少年、
極悪人、人殺し、殺人鬼、シリアルキラー、凶悪犯、 猟奇殺人犯、死ね、くたばれ、
消えろ、失せろ、潰れろ、監獄、獄門、さらし首、 打ち首、市中引きずり回し、
戦犯、絞首刑、斬首、 邪教徒、共産主義者、売国奴、鬼畜、鬼畜生、畜生、
浮遊霊、死神、悪夢、貧乏神、疫病神、部落、よつ、穢多、非人、廃戸
だよね。
394 :
日本@名無しさん:02/03/21 01:12
信長からが近世でいいじゃないの。
歴史学者たちの通説でもそうなってるんだし、
それを全面的に否定できる材料なんてないでしょ。
何でそんなに躍起になって信長を中世人と言い張るのかな。
395 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:21
396 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:44
そうやって中世と近世を色分けすることになんか重要な意味があるの?
「はい!今日から近世ね!」って秀吉が宣言したわけじゃなし。
そのうち時代が経てば現代も近世、中世って呼ばれる日がくるよ。
397 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:59
>>396 ま、意味はねーな。
織田厨=信長「から」近世でないと気が済まない。
アンチ=信長「まで」中世でないと気が済まない。
まあ秀吉の政策が戦国時代のレベルを一歩踏み越えてる事は
確かなんだけど。
信長が戦国時代の枠内だってのもまた確か。
「信長がいなきゃ秀吉もいない」のは確かだが
秀吉の独創部分も多いのはまた確か。
398 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:01
信長は戦略家で近畿に出たときに真っ先に堺を押さえた
のがよかった。
楽市楽座は武器の流通よくするのと堺の経済の力を
削ごうとしただけで、信長の行動は軍事中心だったと思われ。
信長は まだ近世の経済をしていないと思う。
399 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:10
>>398 >信長は戦略家で近畿に出たときに真っ先に堺を押さえた
>のがよかった。
2万貫もの金を巻き上げて戦費を補充できたしね。
>楽市楽座は武器の流通よくするのと堺の経済の力を
>削ごうとしただけで、信長の行動は軍事中心だったと思われ。
すいませんが過去スレをお読みください。
たった三箇所の楽市と座が一個も無くなっていない楽座に
意味があるでしょうか。
(「楽座令」は秀吉の政策だね。勝家が出しているとも言われるが
越前の橘座始めそのまま残ってるしあまり意味が無い)
>信長は まだ近世の経済をしていないと思う。
それはそうだろうね。
400 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:19
堺の商人から「まだ占領してない国々での商売できる権利」を抵当に金を引き出したっていうのは信長だっけ?秀吉だっけ?
401 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:24
>>400 それ怪しいな。堺の商人はそれ以前からずっと商売してるんだけど(w
402 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:35
なんか高松城水攻めにするときに使った土嚢を金だか米だか出して集めた、というのは有名だけど、
その費用を備後かどこかを(すでに備中は使ってしまってたらしいw)占領した暁には商売させてやるだったか税を免除してやるだかの権利で商人から金を引き出したという…
403 :
日本@名無しさん:02/03/21 03:02
>>397 そうかな?
かなりの部分、秀吉は信長の真似をしているんじゃないのかな。
信長を中世というなら、秀吉も中世、
秀吉が近世なら信長も近世と言ってもいいんじゃないかと。
信長に中世の部分が多少残っていてもそれはしょうがないんではないかと。
そんなことを言ったら、秀吉だって足利義昭の養子になって幕府を開こう
としているし、家康が新田氏を称して徳川幕府を開いたのも中世的発想
ということになる。
俺は政教分離政策だけでも信長からが近世と見ていいと思うけどね。
ヨーロッパでもルター、カルビン以前と以後が中世と近世の分かれ目
のように思うんだけど。
404 :
日本@名無史さん:02/03/21 03:15
>>403 信長の政策もオリジナルというものはほとんどない。
信長が近世なら戦国時代全体の流れが近世、と言わねばならぬ。
信長は座を廃止せず、海賊を停止せず、公家の関所を廃止せず。
もう一捻り足りないと言われても仕方が無い。
秀吉は全部やったが、信長がそぶりも見せていないのだから「真似」でもない。
信長と秀吉の政策は似ているようでいて大きな隔絶もある。
ところで信長のどの辺が政教分離なんだろうか?
特権保証もしてるし根来寺なんてその兵力をそのまま軍団に加えてる。
延暦寺・本願寺・高野山は反抗もしたが。
405 :
日本@名無しさん:02/03/21 04:59
>>404 >座を廃止せず、海賊を停止せず、公家の関所を廃止せず。
一部の座を残した事と楽市楽座を安土や岐阜に開いた意義は別。
勝家や秀吉が信長在世中に開いているのは信長の政策の表れではないか?
水軍の大将として特権を認めた九鬼嘉隆以外の海賊を認めたの?
もし九鬼以外にそういう事例があるなら教えて欲しい。
京都七口の関所を温存したからといってそれ以外の関所の多くを撤廃
したことの重要さは認めるべきだろう。
大乗院尋尊の日記など、多くの資料から、信長以前にはあまりの関所の
多さで通行や旅、物資の運搬が困難であったことが伺える。
信長がこのうちのほとんどを廃止したのは意義のあること。
秀吉のオリジナルな部分は認めるけどね。
本願寺という最大最強の敵の前には多少の妥協はするさ。
根来寺だけじゃなく、キリシタンだって利用する。
禁教令を出さずに武力を奪おうとするのは政教分離を考えている
とは思わないのかな?
つまりは武力を放棄すれば一宗教としては認めるということなのだから。
406 :
日本@名無史さん:02/03/21 05:33
>一部の座を残した事と楽市楽座を安土や岐阜に開いた意義は別。
>勝家や秀吉が信長在世中に開いているのは信長の政策の表れではないか?
一部の座ではなく全ての座です。
安土・岐阜・金森の楽市の意義とやらは何ですか?
勝家や秀吉が信長在世中に何をしたんですか?
>水軍の大将として特権を認めた九鬼嘉隆以外の海賊を認めたの?
>もし九鬼以外にそういう事例があるなら教えて欲しい。
来島水軍を寝返らせてますが。
まさか「海賊を禁止するから寝返れ」とは言いますまい。
また淡路の安宅などもそのままにしてますね。
>京都七口の関所を温存したからといってそれ以外の関所の多くを撤廃
>したことの重要さは認めるべきだろう。
「武家政権として踏み込める範囲」と「それを超えて権力を行使する」
ことの違いが重要でしょう。
もちろん三好やらが放っておいた関所を廃止して見せたのは
政策として立派でしょうね。
まあむしろ交通路が地元国人領主の好き勝手にされていたという
畿内の事情が特殊であったわけですが。
>大乗院尋尊の日記など、多くの資料から、信長以前にはあまりの関所の
>多さで通行や旅、物資の運搬が困難であったことが伺える。
>信長がこのうちのほとんどを廃止したのは意義のあること。
もちろんその意義は認めますが、前述の通りでもあると思います。
>秀吉のオリジナルな部分は認めるけどね。
むしろその部分が決定的な差であります。
>本願寺という最大最強の敵の前には多少の妥協はするさ。
>根来寺だけじゃなく、キリシタンだって利用する。
>禁教令を出さずに武力を奪おうとするのは政教分離を考えている
>とは思わないのかな?
>つまりは武力を放棄すれば一宗教としては認めるということなのだから。
で、その後根来寺を武装解除したんですか? してませんね。
本願寺は門徒を動員しているだけで、延暦寺や根来寺のように
自身が武装しているわけではないでしょう。
大坂を退去はしたが、それだけです。
延暦寺は信長に楯突いて焼かれたわけですが、根来寺のように
信長に従うなら武力を持っていようが何だろうが認められたという事しか
わからないわけですが。
>>403 >ヨーロッパでもルター、カルビン以前と以後が中世と近世の分かれ目
>のように思うんだけど。
いちおう。西洋史には「近世」はないよ。それから、宗教改革は「政教分離」
ではありません。西洋史の中世と近代を宗教改革のみをもって区分するという
こともできないと思う。
議論の本筋とあまり関係ないのでsage
408 :
日本@名無史さん:02/03/21 09:21
406は何を言いたいのかわからん
信長を近世の人間にしようとしている406、信長が中世の人間で何が悪い?
どうも「新しい=良い」という考えしか持てない奴もいるから困るね。
信長だって現代人だったことはある。
区分は時の流れによって変わるもの。
今の時代は「現代」だが、いずれはそうではなくなる。
信長は畿内では,占領軍で四方に敵がいる,
その政権がいきなり全部の既得権を奪うなんて事はなかなか出来ないんじゃないかな。
秀吉は統一政権を作った訳だから,政権の基盤が圧倒的に違うと思うだよね。
だから,秀吉がして,信長がしなかったからと言って,信長にその方針がなかったとは言えないと思う。
411 :
日本@名無史さん:02/03/21 11:10
信長が天下統一していたら、秀吉と同じことをしただろうなんていう仮定はなし。
そもそも信長は天下統一すらしなかったんだから、
そのような政策をもっていたかどうかを論じるのは間違いである。
武田信玄だって秀吉と同じ政策を持っていたから近世の人間だなどというのと同じ。
政策をなしえたか、なしえなかったかで秀吉と信長は違う。
信長が生きてたら産業革命をいちはやく実行していたはず
だから信長は近代の人間だ
したか,しなかったという事と,出来たか,出来なかったと言う事は違うと思うんだけどね。
仮定をたてる事を否定したら,何も論じられなくなると思うんだけど。
414 :
日本@名無しさん:02/03/21 12:45
>>383氏に禿同。
そこまでして信長を中世人と断じたいのかね、アンチは。
415 :
日本@名無史さん:02/03/21 12:49
中世人だろ、結果として。
彼自体が思想として直接語ったものがないのでそう判断できるわな。
416 :
蝦夷の末裔:02/03/21 13:01
平安時代を古代というかは知らんが、
奈良・平安時代と鎌倉・室町時代の区別は朝廷・貴族政権と武家政権の違い。
近世である江戸時代は、国内で戦乱が相次いだ鎌倉・室町と一線を画す。
秀吉の天下統一から大坂の陣までの焦げ臭い時代は、
中世から近世への移行期間だと俺は思う。
信長の時代は戦乱の時代であり、中世といってもいいのではなかろうか。
>>383 >信長がいなかったら近世になるのにはもっと時間がかかったような気がする。
同意。しかし信長も足利義昭がいなかったら上洛できなかったわけであり、
だからといって義昭も近世の人間とは言わんでしょう。
383氏も、信長を中世の人だといっているけど。
>仮定をたてる事を否定したら何も論じられなくなると思うんだけど。
しかし仮定を重要視しすぎると、412みたいなアホくさい説も出てくる。
417 :
日本@名無史さん:02/03/21 13:03
仮定を立ててもかまわんが根拠が必要だなぁ。
信長のやりかけていたことが中世システムをぶっ壊すことなのは事実。
壊したあとに同じく中世的システムを立てようとしたのか、
まったく異なるもの=秀吉の構築したシステムを立てようとしていたのか。
後者を肯定したいのならば、
少なくとも天下統一が見えていた段階でその萌芽となるべき事実が必要だわな。
418 :
日本@名無史さん:02/03/21 13:08
つまり事実の検証の途中で、
「秀吉は信長の事業を継いだ」=「信長は秀吉的システムを作ろうとした」
このイコール関係を検証なしで論拠にするのはおかしいといってるわけだけど、わかるかな。
信長の見ていたものが秀吉的なものであったか、
たとえばどのような事情があったにせよ、
秀吉が地方の大勢力を温存してるのは信長のやり方と相容れないだろう。
だから、方針といった大まかなものではなくて、
楽市なら楽市といった具体的なシステムでの検証が必要であろう。
419 :
日本@名無史さん:02/03/21 13:20
中世と近世の境界線は何によって決まるの?
複合的にとらえなきゃならないから、単純には決め付けられないんじゃないかな。
全体的には信長の政策は中世的だと思うけどね。
ただ信長は中世だと言うことを、アンチとされては困るなあ。
406は信長をすべて否定したがっていそうだけど。
信長が先進的に見える点は、地方政権(戦国大名)と統一政権(信長)の相違にあると思うが。
420 :
日本@名無史さん:02/03/21 13:27
近世は商人 中世は武士
産業革命って大した変化じゃなかったってのが、最近のイギリス経済史
の流れですが(大したってのには語弊があるなあ)。
むしろ、それ以前から資本主義の要素がイギリス社会の中に内包されて
いたのです。
国際紛争に巻き込まれなかった、国際市場を本国に有していた、宗教紛
争によって大陸の市場が衰退しているのを尻目に、新市場を開拓してい
た、など多くの近代化の要因が近代以前に生まれています。
「信長が産業革命を行う」なんていうのはトンデモです。
そういう意味では近世という概念が存在した方が分かりやすい気もする
けど。
近世が存在しない国もあるのかな?
信長は1582年当時、一番領土が大きかった大名。
それだけで偉大だと思うけど。
無駄に貶めなくてもいいだろう。
東北の南部家ですら、信長の行動を注目してたんだから。
使いを送ったら、信長が討ち取られた後だったらしいが。
>>421 貶めちゃいねえだろう
楽市楽座・兵農分離・関所の廃止とかいう虚像で井沢みたいに信長万歳
するんじゃなくてもっと実像に迫って信長の人物業績について再評価
すべきなんじゃないか?
>>421 >「信長が産業革命を行う」なんていうのはトンデモです。
マジレス、ワラタ
でも真顔で「信長が産業革命を行う」という馬鹿な織田厨もいるよね
>>421 >近世が存在しない国もあるのかな?
「近世」は日本史だけの区分じゃなかったっけ?
イギリス史でいえば、絶対王政の時代も市民革命後も「近代」。ただ、
市民革命以前と以後を分ければ、市民革命以前は日本の近世的な
ところがあるかもしれん。ただし、イギリスの絶対王政の時代は日本
と違い、社会・産業構造の変化が起きている。
さて、歴史学でいう「産業革命」は、いうまでもなく、(大雑把だが)機械
の使用や多数の労働者による大量生産など、生産技術の変化によって
近代資本主義の成立をみたことを指す(イギリスでは18世紀後半〜)。
それ以前の、農奴解放およびヨーマンの成立や、さらに産業資本家の
成立は大きな社会・産業構造の変化であるが、それは「産業革命」とは
呼ばない。なお、イギリスでは16世紀後半には産業資本家と労働者が
分離し、マニュファクチュアが成立しており、この段階で、資本主義の
初期段階とはいえるが・・・。
とりあえず、日本の楽市・楽座は誰が実施したかにかかわらず、社会・
産業構造自体の変化ではないでしょう。
日本史の中世と近世の区分については詳しくないですが、社会・産業
構造を基準にするなら、楽市・楽座は決定的な要素ではないような気が
するのですが。
議論の本筋とあまり関係ないのでsage
425 :
蝦夷の末裔:02/03/21 20:23
やっぱり大きな違いは、戦乱が絶えなかった鎌倉・室町時代と
平和な世の中となった江戸時代ではないでしょうか。
だとすると信長は前者。天下統一を目指したかどうかよりも、
実際に天下を統一し戦乱をなくした秀吉で分けたい。
信長がいなければ秀吉の天下はなかったのは事実だが、
それなら頼朝を以って中世の幕開けとする武家政権だって、
平将門や奥州藤原氏がいなければ鎌倉幕府もなかったというのと同じである。
井沢氏、信長が実際に天下をとれなかったという現実を直視したらどうかね。
426 :
日本@名無史さん:02/03/21 20:28
日本の座っていうのは欧州都市国家時代のギルドに相当するという理解で正しい?
徒弟制からマニファクチュアへの移行というなら、
近世への萌芽として捉えることができるかもしれない。
もっとも楽市の評価がそこまで達しているとも思わんが。
427 :
日本@名無史さん:02/03/21 20:39
ウチの教授は当時の信長軍が世界で最強であると
言ってた。
>>427 悪いことは言わないからその教授とは縁をきれ
>>409 私は信長が中世の人間である事を論じているわけですが。
信長を近世の人間と捉えているのは
>>405氏でありましょう。
>>410 秀吉が関所の完全廃止を断行したのは1582年10月、
楽座令によって座を廃止したのは1585年9月です。
確かに85年には関白に就任しているわけですが、統一政権と呼ぶにはまだまだといった
段階でもあります。また82年の段階で関所の完全廃止、特に皇室領であった七口関の
廃止を敢行したという「事実」は信長と秀吉の大きな差でありましょう。
>>414 織田厨はどうしても信長が近世でなければ気が済まないということですね。
>>419 一部の方々に言わせれば私などは「アンチ」なのでしょうが、
評価すべき所は評価しているつもりです。
ただ事実を事実として上げているだけなのですが。
430 :
日本@名無史さん:02/03/21 22:44
>井沢氏、信長が実際に天下をとれなかったという現実を直視したらどうかね。
尾張人にはそれは出来まい。
>>426 ギルドが資本主義の萌芽になったわけではないと思います。
ギルドはジェントリ層や世俗地主階級との結びつきが強く、都市文化・
資本主義の形成における主役とは言いがたいです。
むしろ、新興の冒険商人や金融商人連中が、農村文化(ジェントリや
貴族などが主体)に対抗して独自の都市文化・資本主義を形成してい
ったわけです。
それとマニュファクチュアは必ずしも都市起源とは言い切れませんし。
プロト工業化理論はちょっと古いかもしれないけど。
関係ないかもしれませんが、清教徒たちはビジネスに向いているという
印象があったそうです。
実際は清教徒たちには金融ビジネスしか仕事がなかったから、それに
励んでいたというのが真実なようです。
本願寺なども似たようなものかなーと思ってしまいました。
つまり、本願寺は新大陸に出航するべきだったのです!
432 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:15
>>431 日本では金融は延暦寺や京都五山などどこでもやってる。
日本の宗教は宗教としては極めて異質。
井沢氏にはわからないようだが。
433 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:29
434 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:33
>>431 というより、労働に対する概念が違うんじゃない?
従来の一般的な西洋の都市民は
余計な財産を持つのは悪徳=必要以上には働かない=資本の蓄積なし
金のある相手からはふんだくって良い=定価の概念無し=商業活動にルールなし
カルバン派は
天職の思想=働きまくり=資本の蓄積がおこる
人間は平等=ふんだくらない=商業活動にルール
大雑把過ぎるけどさ。
435 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:41
おいおい、今頃ウェーバーかよ
436 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:44
しかし井沢ネタ以外だと盛り上がるスレだな(w
438 :
蝦夷の末裔:02/03/22 19:57
>>430 それじゃ井沢氏は(以下347文字省略)
439 :
武田研究家:02/03/22 23:34
井沢氏ネタ以外の方が盛り上がる……
今週はツッコミ所が多いんですけど、私は書かない方がいいですかねぇ。
440 :
日本@名無史さん:02/03/23 00:09
>武田研究家さん
いや、書いてくださいな。だって、本来このスレは井沢氏の(以下略)
441 :
日本@名無史さん:02/03/23 18:59
秀吉と信玄を比較してみるとどうなの?
442 :
日本@名無史さん:02/03/23 19:13
>>441 領主連合組織としての長と言う点では秀吉も信玄と同質かと思われ
443 :
武田研究家:02/03/24 18:24
年度末は忙しい……日曜日になっちゃったよ(苦笑)
444 :
日本@名無史さん:02/03/25 10:18
442さん
納得
445 :
信者@東北:02/03/25 14:17
最近南部や津軽スレの方ばかりで……地元にはやっぱり愛着湧くなあ。
甲斐源氏マンセー!
冗談はこれぐらいにしておいて、戦国時代の女性労働人口と流動人口が
どれくらいあったのかという統計とかでてないでしょうか?
流動人口次第では兵農分離も夢物語じゃなくなると思ったので。
人口統計の分野から戦国時代を捉えているいる学者さんにはどんな人
がいるのかにも興味があります。
それともここの人たちはみんなそういうのは既出かなあ?
446 :
武田研究家:02/03/25 23:53
あややや……月曜日になってしまいましたな(苦笑)
今週中に先週分と今週分の二本を書く事にしますかな。
先週のツッコミ所の多さは逃す手は無いですからなぁ(笑)
今週の分はまだ読んでいないわけなんですが(笑)
>>445 女性労働人口の定義は難しいですなぁ。
農村であれば家族総出で働くなんてのは普通でしょうし、
また農村における手工業というのも広まった時代ですから
働いてない女性を探す方が難しいかもしれませんな。
また都市民であっても中世においては夫が職人として商品を造り、
妻が売り子として商品を売るなんてのは普通ですからな。
流動人口というのも難しいですな。流動人口は検地をしても
分からない、把握できないから流動人口なんでしょうからな。
ただし江戸時代・秀吉時代と遡って考えますと、信長時代でも流動人口を
傭兵として兵農分離を敢行するという政策は無理であったでしょうな。
信長が配下の武士に対して土地の宛行を行っていることからすると
やはり信長も土地支配を基盤とした従来型の武士団を以って兵と為していた
と考えるのが普通でしょうからな。
>>446 あわわ、お忙しいところレスありがとうございます。
やっぱり流動人口や女性労働人口は難しいのですね。
それこそ生涯賭ける研究になってもよさそうですもんね。
今週はポスト買い忘れた。
448 :
蝦夷の末裔:02/03/26 00:36
ガラにもなく井沢氏の弁護になっちゃうけど
流動人口というか蜂須賀のような放浪者?を雇い取り込んだことを、
井沢氏は兵農分離の先駆という意味で使っていると考えては。
秀吉も放浪者からの成り上がりですね。
で、秀吉も土地をもらった(長浜)ことは、彼らが耕す土地というんではなく、
年貢を徴収するべき場所という意味での土地であるというのはどうでしょう。
....信長の「兵農分離」を拡大解釈するとこれをいえるわけですけど、
やっぱり信長のオリジナリティを強調するのは無理だと思った(w
ともあれ、2週間分のツッコミ期待しておりますよ♪
449 :
日本@名無史さん:02/03/26 01:17
>>448 蜂須賀は立派な土豪だと思いますよ。
秀吉は叩き上げだろうけどね。
で、恩賞として与えられた土地が「耕す土地」なわけないでしょう。
土地には土地の耕作者がいて彼らが耕してるから収入のある土地なのであり、
恩賞になるんです。
耕す人間のいない土地を「○○貫の(収入がある)土地」とは言わないでしょう。
土地を与えるってことは徴税権を与えるってことなんです。
どの大名だってそうなのに信長だけそこから先の兵の揃え方が違うなんてことを
何の史料も無しに主張するなんてことは普通は考えられないわけですね。
どの農村にも大抵は土豪クラスの有力者がいて、そういった連中を
中心に農村の人間を動員して連れて行くわけです。
450 :
蝦夷の末裔:02/03/26 09:26
>>449 ありがとうございました。
いや、本を読んでたらどの大名も同じことやっているな…と思いました。
やはり信長のオリジナリティを強調するのは無理ですね。
451 :
日本@名無史さん:02/03/28 21:50
今週もつっこみどころ満載。「大坂城までは中心地は防衛に優れた山城ばかり」
(駿府城は?)とか「京都は攻めるに堅く守るに安い」(一般には逆と言われている
のでは?)とか。まあ、後者は地形上はそうなのかも知れませんが、実際には京都
の守護は困難だったわけですから一言注釈ぐらい入れなきゃいかんでしょ。
しかし、これだけ突っ込みやすいのにレスが伸びませんねえ?
452 :
日本@名無史さん:02/03/28 23:19
井沢ネタ以外の方が盛り上がるみたいだからね。
織田とか武田とか持ち出すと荒れるぐらいに盛り上がるんだけど(笑)
>>452 織田と武田のファン?が荒れるのは最早常識!
三戦板はもっと酷いと思います。
南部よ津軽は仲悪いけど、そこまでは荒れない。
454 :
日本@名無史さん:02/03/28 23:47
>>451 京都防衛の事例といえば鳥羽伏見ぐらいしか知らないですね。、
もし他にありましたらどなたか教えてもらえませんか?
455 :
日本@名無史さん:02/03/28 23:51
京都は風水上の理由で選ばれただけでは?
防衛の拠点として考えるなら「全ての街道は京都に通ず」状態は
まこと防衛上宜しくない。
456 :
武田研究家:02/03/29 05:58
さてさて、それでは予告しました通り、先週分と今週分、まとめて書いてみま
しょうか。なんだか最近あまり盛り上がってないもんですから、何かご意見な
ど書いていただくキッカケにでもなれば幸いであります。
それではまず〜先週の『逆説の日本史』〜
まずは大坂城について。
秀吉の大坂城は信長の計画をパクッたものだとか、その証拠が無いのは秀吉が
抹消したからだとか、それはまあ好き勝手に書いておられます(笑)
まあ好きに書いて構わない部分ではあるんですけど、それだけに何が真実かは
分からないとも言えるわけです。
大坂城が巨大なのは信長の計画のコピーだからだ、なんて言ってもそれは惣構
えを含めて巨大だって意味であって、城本体だけなら極端に巨大ってことも無
いんですけどね。むしろその上に徳川氏が建てた江戸時代の大阪城の方が大き
いぐらいだとされているぐらいでして。
それに京を制している人間を「天下人」と呼ぶ風潮はあったわけですから、信
長と同じく秀吉も、紛れも無い「天下人」であったわけです。逆に言えば信長
も中国も四国も九州も北陸も関東も東北も制圧してはいないのに、天下人とし
て井沢氏は扱っているわけですから、まあアンフェアな見方ですね。
天下人が自分のための本拠地を持とうとすることが不思議でしょうか?
私はそうは思わないわけなんですが。その場所として信長も絶賛した大坂を選
んだのは、誰の考えかは分からないとだけ言っておきましょう。
457 :
武田研究家:02/03/29 06:00
> 信長が、岐阜から安土に本拠を移した時、家族を岐阜に残して「単身赴任」
>した家来がいたので、岐阜の留守宅に火をかけて移住を強制したというエピ
>ソードがある。これは一面では信長が妻や家族の役割をいかに高く評価して
>いたか、ということでもあるのだが、移住をしぶる者に焼き討ちをかけると
>いうのは、まさに信長流で、フロイスの報告にはときおり誇張や偏見も見ら
>れるが、おそらくこの「伝聞」は正しいだろう。
この「家来」というのは信長旗本の弓衆と馬廻が六十人ずつ、計百二十人のこ
となんですが、彼らが何故、岐阜に妻子を残して単身赴任していたのかを考え
る必要があると思うわけなんですね。
井沢氏は信長の軍団は傭兵を雇った職業軍人の集団だと定義しているんですが、
この方式であれば、信長直属部隊という最も「構造改革」が進んでいて然るべ
き連中が岐阜に家族を残す理由は全然無いんですね。安土に住んでる信長から
給料貰っているなら、岐阜に家族を置いて無駄な出費をする理由がない。
これはやはり、岐阜に彼らの生活の基盤があったからだと考えねば辻褄が合わ
ないと思うんですね。岐阜に誰かしらを残して領地の管理なり何なりをさせね
ばならなかった、そういうことだと思うんです。もともと濃尾に領地を持って
いたのに、上司である信長が近江に引っ越すなんて言い出した。信長は濃尾の
土地を息子に譲って自分は近江の直轄地に引っ越すんだから苦労は無いが、身
分としては大したことのない旗本風情にそんな余裕があるはずもない。代官を
置いたりすれば余計な出費になるから、身内の人間で済ませた方が安い。そん
なところだろうと思うわけなんですね。
つまり傭兵制の兵農分離なんてものは、こんな所でも否定されてしまうと思う
んですが、どうでしょうか?
458 :
武田研究家:02/03/29 06:01
で、じゃあ何故、信長が怒るのか。井沢氏によれば火事対策であったというこ
とになります。家族がいないと、その旗本自身が出勤してしまうと家が完全に
留守になる。そうすると小さな失火でも気付かないままに安土の存亡に関わる
ような火事にもつながりかねない。江戸の町が火事で何度と無く焼け野原にな
っていることを考えれば、井沢氏の言う家族の役割ってのは頷けないではあり
ません。『信長公記』でも旗本の家から火が出たことが許しがたい過ちだとして
います。
が、彼らが武士であるならば、一つ忘れてはならないことがあるとも思うわけ
なんですね。
それは人質です。戦国大名は配下の武士に対し、人質を差し出させて忠義の証
しとします。戦国大名の城下町に重臣クラスの屋敷が立ち並んでいるのは、こ
の人質を置いておく為という部分が大きいわけです。そしてその人質には、妻
子や一族があてられます。ところが信長配下の旗本たちは、妻子を岐阜(まあ
『信長公記』では尾張としていますが)に置いて一人で単身赴任していた。こ
れは信長に対して忠誠を誓っていないのと同じことなんですね。信長が怒った
のは、そういう部分もあったんじゃないかと思います。まあこの辺は私見です
からどうということもありませんけど(笑)
459 :
武田研究家:02/03/29 06:02
で他に秀吉の内裏移転計画なんてものも書かれていますけど、関白であっても
天皇の御所を動かすなんて芸当は無理だろうと思うわけでして、まして83年
当時の秀吉では尚更無理だろうと思ったりするんですが、まあ井沢氏が「秀吉
編」でまた書くと仰っておられますから、その時を待つとしましょうか。
次に大坂は「鎖国時代」のせいで見捨てられた、みたいな事を書いておられる
わけですが、これはもう何と言うか、ト学会に報告したいぐらいの電波なんで
すね。以下、ちょいと通説レベルではありますが、大坂の地の変遷を考えてみ
たいと思います。あくまでも通説レベルでしかありませんから、お気付きの点
などあれば教えてください。
難波津は奈良時代までは紛れも無く主要港の一つでしたし、難波宮も聖武天皇
の一時遷都の際に復興され、その後も日本の「副都」でありました。この難波
宮を廃止したのは桓武天皇で793年のことですが、この翌年に平安京への遷
都が行われています。
実はこの平安京遷都が、難波津の地位低下を決定的にしたものと思われます。
と言うのも、難波津が栄えたのは、大和地方に都があったためだからです。
難波津は当時の最重要航路である瀬戸内航路に対して開けていると同時に、大
和川のすぐ側であり、ここで荷を川船に積み替えて大和川を上ることで、奈良
盆地に至ることができました。水運によって首都と直通であるということが、
難波津の最大の強みであったと思われます。それは全国から集められる租税や
商品の搬入に極めて有利であったからです。難波宮もまた、その水運の管理と
いう側面あってこその「副都」であったと言えるでしょう。
では平安京に遷都すると何がどう変わるのでしょうか。
460 :
武田研究家:02/03/29 06:03
大阪湾から平安京に向かうのであれば、大和川ではなく淀川を上ることになり
ます。そして785年には、淀川の水の一部を隣の三国川に流すための運河が
掘られています。これによって瀬戸内航路を東に進んできた船は、三国川河口
部の尼崎において川舟に荷を積み替え、そして三国川を上り、前述の運河を通
って淀川に入ることで、より早く、より安全に都を目指すことが出来るように
なったわけです。比較的穏やかな瀬戸内海とはいえ、当時の船にとっては尼崎
から難波津の一日の航海が短縮できるのは大いに助かることであったでしょう
し、また難波津が位置的に淀川への連絡港としては少々遠く、淀川河口に新た
に港を作るか、前述の運河を掘るかが必要であったと考えられます。桓武天皇
は784年には長岡京の造営を始めていますから、785年の工事は、これか
らは淀川が主要水路となることを見越してのものであったと言えるでしょう。
これによって難波宮はその機能が不要となり廃止され、難波津は主要港の座か
ら転落したと考えられるわけです。
そしてまた、難波津のあたりは淀川と大和川の運ぶ土砂が堆積したために、平
安中期頃にはすっかり埋まってしまい、大型船の拠点としての能力を失ったと
考えられています。
井沢氏は日本において海運・水運が大きなウエイトを占めていることは充分に
理解されているはずで、その事はご自分で本文中にも書いておられます。
しかしながら、数年に一回ペースの遣唐使船よりも、年中無休の国内の海運の
方がよほど流通量も多いはずで、その一番の行き先が都であることはすぐに分
かることです。それを考えれば大阪湾に主要港が無いなんて事態は起こり得な
いはずであり、難波が見捨てられたのだとすればそれにはそれなりの理由があ
るはずです。それを一面的に「鎖国時代ゆえ」などとするのは、どうにも問題
があると思われるのですが。
461 :
武田研究家:02/03/29 06:04
港の話のおまけ。
ちなみに平清盛が海外貿易の拠点としたのは尼崎の一つ向こう側の兵庫でした。
この頃には尼崎は寺社主体の自治都市と化しており、清盛も手が出せなかった
からだと思われます。
そしてこの兵庫が後に『兵庫北関入船納帳』の舞台となるわけです。
さらに後には細川氏や三好氏の保護を受けて発展した堺が台頭します。四国の
阿波が本拠地である彼らにとっては、堺の方が四国との往復に便利であったか
らだと思われます。また室町期には造船技術が大いに発展し、多少の距離が苦
にならないようになったため、難波津が廃れた原因とも考えられる連絡港とし
ての機能をも充分に果たし得たこともあったと思われます。
室町時代には造船技術の発達、港の護岸技術の発達などが見られ、これらの条
件があれば大坂の地が復権する可能性もあったはずなのですが、そのチャンス
を奪ったのが兵庫なり堺なりであったということなのかも知れません。
で、目を付けたのが蓮如である、と。
462 :
武田研究家:02/03/29 06:05
では最後に本願寺の話ですね。
井沢氏の主張をまとめますと、
1.本願寺が大坂に居座る宗教上の理由は無い
2.信長は大坂が欲しかった
3.従って本願寺は平和裏に退去すべきであった
4.だが信長は本願寺の破却を命じたわけではない
5.元亀元年(1570)に先に手を出したのは本願寺である
6.歴代の権力者は何故大坂を首都にしなかったのか?
さてさてどうでしょうか。一つ一つ見て行きたいと思います。
まず1番について。
井沢氏に言わせれば例えばカトリック教会の総本山であるローマ(バチカン)
はペテロの墓の上にあるから「宗教上の理由がある」そうですね。
では石山本願寺はどうでしょうか?
本願寺派(一向宗)は蓮如が出るまでは浄土真宗の冴えない一宗派でしかなか
ったのですが、蓮如が「講」を軸とした布教方法を編み出してからは飛躍的に
伸びて行きました。つまり蓮如は本願寺の「中興の祖」というか、事実上の開
祖みたいなものだと言ってしまって良いものと思われます。
とすればその蓮如が自らの「隠居の地」と定めて道場を開いた大坂の地は、他
の道場と比べても、本願寺にとって格別大切な地であると思われますし、もち
ろん「宗教上の理由」が大有りの地だと思うわけです。
が、井沢氏は決してそれを認めませんね。
皆さんはどう思いますか? 是非意見など聞かせてください。
463 :
武田研究家:02/03/29 08:57
次に2番です。
信長は大坂が欲しかったのか?
これはずばり、そうでしょう。
信長が本願寺との戦いを勅命講和に持ち込んだ時、本願寺に対してこんな条件
をつけました。
・教団の存続を認め、末寺の地位も保証する
・大坂の地を引き渡す
・そうすれば加賀の二郡を返還する
加賀は四郡しかありませんから、二郡といえば加賀の半分を本願寺に与えると
言っているわけです。信長はそこまで譲歩してでも大坂が欲しかった。
正確には、繁栄している大坂の町が欲しかった。
だからでしょうか、教如が大坂を退去する際に大坂に火を放ったために大坂は
焼け野原となってしまうのですが、信長はその場で本願寺包囲の責任者であっ
た佐久間信盛を追放してしまい、さらに加賀の二郡も本願寺に渡さなかった。
状況証拠ではありますが、信長はよほど大坂の町が気に入っていたんでしょう
ね。『信長公記』での大坂べた褒めの記述も、多分信長が言ったものであろうと
推測されています。
464 :
武田研究家:02/03/29 08:57
次に3番です。
本願寺はとっとと平和裏に大坂の地を退去するべきだったんでしょうか?
普通に考えれば、蓮如が道場を開いてから七十余年、本願寺の総本山が大坂に
移ってからでも四十年近くもの間心血を注いで発展させて来た町なわけですか
ら、余程のことでもない限り退去なんて選択肢は有り得ないでしょう。
まして本願寺は「准門跡」であり、寺院としての格も高いわけですから、大し
た地位でもない信長の命令を聞く理由などないわけです。
それだけに信長も、最後は勅命講和という形を取らざるを得なかった。つまり
本願寺より格が上のものを引っ張り出すしかなかったわけです。
早い話、信長が大坂を欲しいというだけの理由では、平和裏な退去など有り得
ない。そう思うわけなんですね。
次に4番。
信長が本願寺に破却を命じた証拠は、確かにありません。
史料を大切にする普通の歴史家であれば、信長が退去を命じたとは言わないで
しょう。
が、井沢氏は史料絶対主義を批判する人であったはず。こんな時だけ都合よく
史料が無いなどと言われてもむしろ説得力がありませんね(笑)
井沢氏的に言うならば。
信長は大坂が欲しかった。それは次の首都とするためである。信長の構造改革
は正しいのであって、また本願寺に大坂に居座る理由は無い。よって本願寺は
信長に言われるままに大坂を明け渡すべきであったのに、反抗した。まったく
もってケシカラン。
このぐらいの事を、期待していたんですが(笑)
465 :
武田研究家:02/03/29 08:58
次の5番は、これは何とも言えません。
『信長公記』にある通り、「野田・福島が落ちたら本願寺が危ない」と思ったの
だとしたら、本願寺は最初から三好寄りで、信長と敵対していたということに
なります。
しかし一方で、本願寺は信長の要求した5000貫の矢銭を、文句も言わずに
払っていたりする。
まあこれはみんなが思い思いに想像して楽しめる、「永遠のナゾ」みたいな扱い
でいいのかもしれませんね(笑)
最後は6番です。
まあこれは次週の分へのフリでもありますから、あまり深く突っ込むのは止め
ておきます。
疲れたんで今週分はちょっと待って下さい……
466 :
日本@名無史さん:02/03/29 09:10
ム……究極の電波を忘れていた。
>城下町とは基本的に信長の発想である。
一体どこをどうやったらこんなスバラシイ意見が
出てくるんでしょうか?
だが最早解説する体力が……ガクッ……
467 :
日本@名無史さん:02/03/29 10:19
おつかれさま。俺には難しくて理解できないところがありますが(藁
次回も期待しておりますよ。
信長マンセーの人たちは<秀吉の政策=信長の延長>という主張をよくなさる。
秀吉の天下統一は信長あってこそだというのは認めるが、
だからといって秀吉の全てを信長の路線とするのはどうかと思うぞ。
5番、本願寺が金を出したのは平和裏解決という意図がないだろうか?
それでも戦になっているんだから、信長・・・(以下略)
大坂を退去せいというのは、現在に当てはめるとこんなところかな。
行政:来年度からここに道路が出来ます。
立退き料を支払いますからよそに引っ越してください。
しかしいくらなんでも行政側が「オマエらはここに住む理由がない」とは言うまい
468 :
日本@名無史さん:02/03/29 21:05
>>467 その土地で仕事と収入と住居があって、その上先祖の墓まであればそう簡単には
立ち退きなんてできないだろうね
469 :
日本@名無史さん:02/03/30 19:57
行政の場合は、公共の福祉のためという理由があるけど、
信長が大坂を求めたほうは個人の私利私欲でしかない。
井沢は認めないだろうが(w
、
、
mm
u
472 :
日本@名無しさん:02/03/31 11:23
私利私欲が結果として歴史を前進させたならそれでいいじゃん。
ナポレオンだってそうでしょ。
473 :
日本@名無史さん:02/03/31 14:39
歴史を前進させたかどうかはおいといて
本願寺の立ち退き要求を正当化できないといっているだけだよ
474 :
日本@名無史さん:02/03/31 15:21
信長ってショボイよね
光秀もそー思ったんじゃない?
475 :
日本@名無史さん:02/03/31 23:50
>>474 いきなり確信をつくようなことを・・・(苦笑)
>>474 それじゃあ、中世の戦国大名たちはみんなショボイってことになるのでは?
全然確信でも何でもないよ。
ヌルハチって流れ弾?に当たって死んだからショボイよねー、と言ってるのと大差ない。
井沢批判≠信長批判、本末転倒じゃないか、その意見は。
城下町が信長の政策……城下町作りまくったってことかな?
そんな簡単に城下町ができるかどうかは別にして。
477 :
蝦夷の末裔:02/04/01 09:40
確信ではなくて核心だね。
>それじゃあ、中世の戦国大名たちはみんなショボイってことになるのでは?
>井沢批判≠信長批判、本末転倒じゃないか、その意見は。
同意。
>469
この時代に求められてたのは,統一政権なんじゃないの,
当然,権力は統一されるために,相争うしかないんじゃない(好きと嫌いにかかわらず)
井沢って語る価値無くなったね
480 :
日本@名無史さん:02/04/02 11:31
481 :
日本@名無史さん:02/04/02 13:59
>>479 しかし・・・。
井沢は歴史学者を見下しつつ電波な論を展開しているが、
困ったことに、それを全面的に信じてしまう狂信者がいる。
その狂信者や井沢を放っておいていいのだろうか・・・。
歴史の研究者自身はもちろん、大学の史学科卒の人が、
学生時代に世話になった教授の研究を井沢に否定されたり
しても、不快だと思うのだが。
482 :
日本@名無史さん:02/04/02 14:12
世間は井沢に対する批判(ここでされているもの)を知らないから、
結構井沢の説を信じてるんだよね。
まあ散々言われてることか・・。
483 :
日本@名無史さん:02/04/02 14:53
信長を認めたら逆説じゃないけどね
武田研究史さんへ
人質の話が出ましたが明智や荒木は人質を出していたのでしょうか?
松永は出していたみたいですが
>>483
井沢ってなんで支持されるのかわからん
>>484 荒木は人質出してたな、そして妻子を見殺し同然に反乱(無論妻子は信長に惨殺)。
だからこそ、後の茶坊主人生との対比が際立つんだよ。
何のために反乱したんだ?ってね。
それくらい調べなさいよ。
それで井沢批判とはハネッ返りすぎ。
10 :日本@名無史さん :02/03/23 19:06
本能寺の黒幕について、井沢元彦ちゃんは朝廷説。おなじみの怨霊信仰で(笑)。
信長の死後、阿弥陀寺清玉によって
信長には「天徳院殿」、信忠には「景徳院殿」の諡号が贈られるが、
朝廷は諡号についてなぜか勅命を下し、
信長は「天徳院殿」から「総見院殿」
信忠は「景徳院殿」から「大雲院殿」へ変更させた点を指摘。
198 名前:浄土真宗本願寺派:02/02/03 21:08
>>195 「平安楽土」の語源かどうか分からんが、「安楽国」すなわち阿弥陀浄土教の
「西方極楽浄土」あたりから来ている言葉じゃないか?
唐時代の善導の回向文に「願以此功徳。平等施一切。同発菩提心。往生安楽国。」
っていうのがある。親鸞はこれを「安養土」とも言っている。「土」も「国」も
この場合同義で、サンスクリット語の「スカーヴァティー」(幸あるところ)の
漢訳語であろう。
ちなみに信長の「安土城」の名は、「平安楽土」を縮めたものと言われる。
「阿弥陀経」「大無量寿経」によれば、浄土には7重の大回廊に囲まれた巨大な
ストゥーパ(仏塔)があるそうだが、これを反映してか、安土城は内部に宝塔を
包みこむような構造の7層の天守だった。信長でさえそうなのだから、「安」や
「土」の言葉には浄土信仰の影響が大きいと思
488 :
日本@名無史さん:02/04/03 23:14
331 :武田研究家@なげやり :02/03/17 01:51
次に岐阜・安土の命名問題ですね。
まあ岐阜に関しては詩僧・万里集九の詩集『梅花無尽蔵』に「岐阜陽」という表現があり、
美濃南泉寺の仁岫崇寿の語録『仁岫録』に「岐陽」の語が見えるといった具合でして
信長が「岐阜」を選ぶ以前から、禅僧たちの間で稲葉山の辺り一帯を指して
「岐阜」「岐陽」「岐山」といった雅称が使われていたのは間違いないというのが一般的な
見解ですね。ちなみに信長に地名変更の候補として岐阜・岐陽・岐山の三つを提示した
と言われる澤彦は禅僧ですから、なるほどしっくり来る説ですね。
岐阜だの岐陽だのの語源としては「岐蘇川」(木曽川)を見下ろす丘だからじゃないかというのが
まあ妥当なところじゃないでしょうか。
あと「岐阜」は漢音だから云々なんてのはまあ地図を広げれば漢音の地名は結構あるぞ
ってなわけでして、信用するのは如何なものかと思うわけなんですが、どうでしょうか。
安土の方はと言いますと、『信長公記』の巻三、元亀元年(1570)の所に
「十二日に永原まで御出て、永原に佐久間右衛門置かれ、長光寺に柴田修理亮在城。
安土城に中川八郎右衛門楯籠る」
とありまして、安土城なる城が1570年の段階でもあったということに
なるわけですね。
そういえば同じく『信長公記』で岐阜改名の話はちゃんと載せているんですが、
安土に改名したとは書いてありませんし、安土城築城のことも「安土山御普請」とある
だけですから、安土という地名を信長が付けたというのはあまりにも無理があると
言わざるを得ないでしょうね。それに安土は漢音でもありませんし(笑)
489 :
日本@名無史さん:02/04/03 23:22
安土城の「吹き抜け構造説」は力学的に無理がある、というのは
宮上先生が生きていた頃は常識だったのにね。
内藤とかいう阿呆学者は建築家の話でも聞いてから出直せっての。
>>485 荒木の妻子が殺されたのは城が落ちた後
俺は反乱する前に人質を出したのかきいている
>>491 殺されたじゃなくて捕まっただった
>>491 有岡陥落後の人質ね
すいません、早とちりでした
人質って言うもんだから、予め出しておいたと思い込んでしまった
罵倒申し訳ない
で、出してたらどうなるの?
明智の場合も人質出してたからといって抑止できるような類のものには
見えないのだが
二人とも松永以上に叛乱の動機が不明だし
494 :
日本@名無史さん:02/04/04 20:04
>>489>>490 内藤昌(ないとう あきら)氏・・・
愛知産業大学学長。名古屋工業大学名誉教授(建築史)
静嘉堂文庫所蔵の「天主指図」を元に
雑誌「国華」にて「安土城吹き抜け構造説」を発表、注目を集める。
宮上茂隆氏などからも反論を受け「あくまでも『天主指図』を元にした仮説です」と
言っていたのだが・・・(以下略
495 :
日本@名無史さん:02/04/04 22:59
そうだね。安土は漢音ではない。鋭いね。でも、「越」は、
漢音なの?安土は、本当に漢音ではないのかい?
証拠があるのかい???
朝廷の勅命により、信長を成敗した光秀は、官軍である。
○か×か ファイナルアンサー?
497 :
日本@名無史さん:02/04/05 00:08
>>495 1570年の段階で「安土城」の存在が確認できると指摘されている
以上、そんなツッコミにたいした意味はありますまい。
>>493
人質だしてたらどうなるの?
まあ、そう言われればそうかもしれないね 当時は人質なんて見捨てられて
あたりまえだから おれの質問がくだらなかったかもしれん。 すまそ
ただ荒木が裏切ったとき、信長のほうが母親を荒木に人質に出そうとしたらしい
もしかしたら、織田と荒木の関係は、織田・徳川の関係に近かったのかもしれない
499 :
日本@名無史さん:02/04/05 17:43
>>498 荒木村重が信長に反旗を翻した時、荒木側は明智光秀の娘を織田側に返してるよん。
>>499 それじゃあ、信長酷いなあ
荒木の一族ってかなり惨たらしく殺されてるから(ギュウギュウ詰めで焼殺だったかな?)
しかも黒田長政のことも殺せ言ってるし(まだガキンチョのころ)
神経質すぎだねえ
伊達政宗はDQN
上杉謙信はかなり頭おかしいし
武田信玄は女好きの狸だし
勝ち組み戦国大名はロクなのいねえ
ああ、そうすると
>>476の意見が覆される
>>499 明智のムスメを返してる
返してないよ 城が落ちたとき救出された
>>501 荒木村重が嫡男・村次の正室でもある明智光秀の長女を信長側に返したのは
天正6(1578)年11月。まもなく明智秀満に嫁ぐ。(「細川家記」)
んで、有岡城が織田軍に「開城」したのは天正7(1579)年11月19日。
荒木一門は摂津尼崎城に篭城してなおも抵抗を続けたため、織田側は
同年12月13日に尼崎城下にて122人を磔刑に、506人を焚殺する。
12月下旬、荒木一門は尼崎を捨て、摂津花隈城に篭城するも
天正8(1580)年3月ごろ、荒木村重らは毛利側へ逃走し、花隈城は同年7月に陥落。
503 :
日本@名無史さん:02/04/06 03:49
今週の逆説の日本史はよかったね。
『信長公記』の安土城の描写は後から手を加えたもので信用できない、
同じ牛一の著でも『安土日記』の方が信用できるなんてのは
内藤・宮上両氏が喧々諤々の論争をされておられたころに
既に証明済み。
井沢さん、『信長公記』しか持ってないからって、全部それってのは
無理ありますよ〜
504 :
日本@名無史さん:02/04/09 13:26
>井沢さん、『信長公記』しか持ってないからって、全部それってのは
>無理ありますよ〜
ワラタ
505 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:11
このレスが盛り上がらないのは井沢が本当にどうでもよくなったんだね
506 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:58
507 :
日本@名無史さん:02/04/09 21:57
・史料を読むことをないがしろにし(というか、史料を読む能力がない)、
想像で補って自己完結な理論を組み立てる
・「言霊」を持ち出して自己完結な理論を組み立てる
・史料を読む能力がないのに専門の歴史家を批判する
・信長マンセーで客観的な判断ができない
>>507 自己完結しない理論組み立てられたら読者が困ります。
実際井沢氏に心酔する人は(自分も含め)、井沢氏よりも史料を持って
いませんし史料を読み取る能力にも欠けていると思います。
だって史料なんて買う金無いもの。
でも史学関係ってほとんど孫引きぐらいのレベルでしかやっていけない
人が増えてるって本当?
でも井沢の本って売れてるんでしょ?
作家とすれば売れれば勝ちなんだよね。
510 :
日本@名無史さん:02/04/10 09:20
>>508 まあ、史料研究は矛盾との闘いだからね・・・。
歴史の論文では、完結した理論を組み立てるのみではなく、課題を提示する
場合もあるわけで。
で、何度も言われていることだけど、井沢氏が「小説家」で、井沢氏の本が
「読み物」であれば別に問題はない。「読み物」なら自己完結であっても
話の筋をまとめる必要があるかもしれない。
ただ、井沢氏が歴史家を批判したり、読者が、井沢氏の方が歴史家より正しい
と思いこんだりするのが問題になるということだよね・・・。
511 :
日本@名無史さん:02/04/10 23:19
>>509 作家としてはそう。
しかし、歴史家を踏みにじるのはいかん。
512 :
日本@名無史さん:02/04/11 00:57
城下町は信長の発想か?→否
政庁と軍事拠点の両方を兼ねる城は安土城からか→否
日本に誕生日を祝う習慣はなかったのか?→否
>>512 常識人の否定的見解
むむ、つまり逆説的なのか?
誕生日の話はどうなんでしょう?
たしか足利義政が誕生日を祝っていたはず。
515 :
日本@名無史さん:02/04/14 01:25
>>508 歴史の専門家でなくとも、常識として、史料から歴史を解読するのが
歴史学の基本だということは当然わかるはず。
ところが、井沢の「信者」は、「言霊の影響が日本史を解読するのに
不可欠」などと本気で思っていたりする。
しかも困ったことに、「信者」は、そのおかしさを指摘されても
ほとんど聞き入れない(だから「信者」なわけだが)。
>信者@東北氏
信者@東北氏は、史料の重要性も、また、歴史は科学的に分析すべきもので
あることもわかっているようなので、「信者」を名乗ることもないのでは
ないだろうか。
「井沢氏にも見るべきところは多い」というスタンスでも、「おかしい
部分もある」と言えるなら、「信者」ではないと思う(もちろん、「信者」
と名乗るのは自由だが・・・)。
>>515 そんなの信者@東北さんの自由でしょ?
それを言うなら武田研究家さんはどうなる?
研究家と名乗るのは自由だけど、それに足りうるだけの知識をもってるでしょ。
だからこのスレでお呼びがかかるわけでしょ。
もし井沢先生本人がここに来て「井沢元彦」というHNで書き込んだら
「井沢元彦なんてふざけた名前使うな」とでも言うの?
517 :
日本@名無史さん:02/04/14 14:52
>>516 前半はともかく、最後の2行が意味不明。
518 :
セクハラ大魔王:02/04/14 15:05
私を呼びましたか?
519 :
日本@名無史さん:02/04/14 15:16
井沢の名前を使う度胸があるならいつでも来てくれて結構
520 :
日本@名無史さん:02/04/14 15:25
アンチは馬鹿、藁
521 :
日本@名無史さん:02/04/14 16:05
アンチではなく正しい見解の元に歴史を語っているだけだよ
井沢説を何でも鵜呑みにする奴が馬鹿
同様に井沢の言うことを全否定するのも馬鹿かもしれんが
522 :
日本@名無しさん:02/04/14 16:20
>>521 その通りだね。なんでここには両極端な奴ばかりなんだろう?
523 :
日本@名無史さん:02/04/14 17:30
極論すぎる井沢
信者=極端ではないだろ?
穏健派とか過激派がいるんだよ組織には
原理主義者はどこの世界でも大抵教義を曲解してる
信者さんは「シンパ」さんにでも改名しなさい
525 :
日本@名無史さん:02/04/14 18:56
井沢氏の論を批判する人=「アンチ」や極端だというのはどうだろう?
皆、井沢氏が史料をきちんと分析していない部分を指摘したり、
言霊などに頼って科学的にまとめていないところを批判している
のであって、極端でもなんでもない。
>信者@東北さん
言いがかり言ってくる人は無視してほっときましょう。
ちなみに井・・・おっとセクハラ大魔王さんの言っていた「独立的要因」ですが
ヒントは「平泉」と言う地名と、「中尊寺」ですよ〜
>>526 言いがかり・・・?
上のみなさんは、信者@東北さんが論理的な話ができる人だと評価しているのではないの?
528 :
日本@名無史さん:02/04/15 01:22
信者に常識を求めてはいけない。
漏れは井沢の言霊・怨霊話は結構面白いものがあると思うけどね。
細かい点はともかくね。
ま、全面賛成みたいな思考停止はいかがなものかと思うけど・・。
ちなみに漏れはまだ小学館の文庫で5巻までしか読んでないけど・・。
530 :
日本@名無史さん:02/04/15 12:54
116:浄土真宗本願寺派 :02/02/22 21:17
岐翁紹偵という禅僧が一休宗純の実子と伝えられており、
岐翁に禅を学んだ東坊城和長の日記の明応3年8月3日条には、
この和尚は摂津桜塚に住んでいるが、この伝えは秘密であると
書かれているとのこと(日本思想大系『中世禅家の思想』解説)。
532 :
日本@名無史さん:02/04/15 22:30
今週の井沢はダメダメじゃん
今週“も”井沢はダメダメじゃん
の間違いでしょ
いいえ、井沢元彦氏は“もうダメ”です。
作家としても著述家としても完全に・・・
いいえ、そんなあなた達も“もうダメ”です。
歴史家としても人としても完全に・・・
536 :
日本@名無史さん:02/04/16 19:16
ワカ ラン♪ ワカ ラン♪ ワケ ワカ ラン♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
. ( U つ ⊂__へ つ ( U つ ⊂__へ つ ⊂ ⊂ ) ((( つ つ .⊂__へ つ
. ) ) ) (_)| ) ) ) (_)| < < < ヽ Y ノ )). (_)|
. (__)_) 彡(__) (__)_) .彡(__) .(_(__) (_(_) 彡(__)
しかし井沢氏は一体何を考えてるんだろ???
「本廟寺焼亡」を書いた人とは到底思えない・・・
「第六天魔王」だって浄土三部経には頻出する神様なのに・・・
538 :
日本@名無史さん:02/04/16 19:46
内藤昌マンセーだけで一週無駄にしたね。
社長のバカ息子、いや井沢元彦は同じ内藤氏でも内藤正敏氏の本を読んだ事あるのだろうか?
「呪術(行為)そのものには何の効力もない。しかし「権力」と(いう心理バイアスと)
結びついた時、呪術はおそるべき力を発揮する。」
内藤正敏著「魔都江戸の都市計画」より
この「権力」を井沢氏の言う「家元制度」と言い換えると(以下略
540 :
日本@名無史さん:02/04/20 14:24
541 :
日本@名無史さん:02/04/22 01:32
井沢狂信者の目を覚まさせるにはどうすればいいのだろうか。
542 :
日本@名無しさん:02/04/22 10:29
>>541 まずアンチが井沢の貢献を評価してやること。
そこまで否定するから信者がガンコになる。
543 :
日本@名無史さん:02/04/22 10:52
何でも否定するアンチ井沢は、ただのヒガミボーヤだろ
ここでしか話をきいてもらえないサビシー・・・
俺は井沢信者じゃないけど、やつはスゴイと思うよ
三割ぐらいは賛成だし・・・
どっちにしても、ここに書き込んでるやつは井沢が大好きと思われ
そんなに嫌いなら読まなきゃいいじゃん
>>541 お前がもっと魅力的あるいは説得力のある説をたてればいいじゃん
それができないから、ひがんでるんだろ?
544 :
日本@名無史さん:02/04/22 14:09
>>542 だからアンチじゃないって…歴史を普通に論じてるだけだよ
認めるところは認める、ただしそこは話題にならないだけだ
なんでも否定しているわけじゃあない
認めるべきところは認めてるよ
だから井沢もその信者も、間違いを訂正する謙虚さを持ちな
>>543 また始まったな
本を出すくらいなら、まともな説を書けって言ってるだけだ
>>543 >俺は井沢信者じゃないけど、やつはスゴイと思うよ
>三割ぐらいは賛成だし・・・
三割くらいしか賛成していないのに、スゴイと言うのですか・・・。
>お前がもっと魅力的あるいは説得力のある説をたてればいいじゃん
>それができないから、ひがんでるんだろ?
説得力の問題かなあ? 歴史研究についての基本的なことが通じないから
困っている、というか、常識と違うことを信じている人にどうすれば常識を
分からせることができるかという方法を聞いているんだと思う。
でも、これって難しい問題だね・・・。
>>545 史学者でもポカは多少ありますよ。
宮崎市定御大なんて殷〜西周までバッサリ切って捨ててましたから。
でも御大の功績には一部の翳りもないでしょう?
(宋代がメインだからでしょうけど)
しかも御大の功績は師である内藤湖南先生の流れを色濃く受け継いでる
わけで、・・・・まさかパクリと言う人はいないと思いますが。
井沢先生だって神様でないんだし、ポカあってもいいと思います。
あ、高橋克彦大先生は神です。
547 :
日本@名無史さん:02/04/22 15:13
そうか、「逆説〜」はポカか、ポカだったのか・・・
548 :
日本@名無史さん:02/04/22 15:20
>>546 ポカばっかりだからここまで突っ込まれると思うんですけど。
>>547 ヒヤカシはやめてね、藁
>>543 そうだねえ。歴史をネタにした面白い本を書いたというのは井沢氏の功績だ。
まあ、研究書ではないから、大雑把なところは出てくるね。
>>546 >井沢先生だって神様でないんだし、ポカあってもいいと思います。
んーと、ポカというか、井沢氏の本の内容はエンターテイメントの部分が大きい
と読者が理解できていれば、まったく問題はないんだよね。歴史小説を読むように
楽しめばいいだけ。「信者」の人も、そのへんの加減がわかれば、だよね。
とりあえず歴史上の事例にたとえるとこう?
教祖:井沢元彦……蓮如
(全面肯定の)信者……一向宗門徒
(全面否定の)アンチ……比叡山僧侶
551 :
日本@名無史さん:02/04/22 17:23
>>550 全面否定ではないよ。ここでいろいろと指摘している人たちも、
井沢氏の本がエンターテイメントだとはっきりしていれば問題はないと
思っているはず。
ただ、井沢氏が専門の歴史家を批判したり、井沢氏の本が従来の歴史学に
対抗できる学説だと勘違いしている「信者」がいるから、井沢氏の間違い
をきちんと指摘せずにはいられないということだと思うよ。
552 :
日本@名無史さん:02/04/22 18:33
>>545 >三割くらいしか賛成していないのに、スゴイと言うのですか・・・。
すまん、書き方が悪かったね。本の内容がスゴイっていってるんじゃなくて
なんやかんやいっても、(この手の)書籍なのに売れるだけの物を
作ってるちゅうことがスゴイということなのさ
553 :
日本@名無史さん:02/04/22 18:40
井沢氏の論理は明快で分かり易いし、それに腐っても作家というか、
語り口も歴史学者に比べれば巧みで平易である。
ただ問題は伝えたい内容そのものが電波率高しということなんだよね……
何ていうかなあ、傲慢な言説の割に不勉強なところが多々あるから、その社会的
影響力以上に叩かれてしまっているような気がする。学界にも必要以上に攻撃的
になっているところがあるし、古田武彦やグラハム・ハンコックと共通するとこ
ろが多々あるように思う。
>546
殷〜西周までバッサリ切って捨てたというよりも、西周抹殺論というべきかな、
宮崎市定先生の場合は。白川静先生はこの件について激怒していたそうで。
>553
うーん、そうかなあ。井沢氏以上に、論旨明快で分かり易い文章を書く学者は
少なくないと思うけど。たとえば佐藤進一先生の『南北朝の動乱』とか。
555 :
日本@名無史さん:02/04/22 19:52
大衆週刊誌の与太話と思えば結構楽しめる。といっても最近の信長マンせー
はいい加減鼻につくが。井沢本人が与太話という自覚がなくてさも歴史の
大発見してると思い込んでることとそれを間に受ける連中がいるのが問題
なんだよなあ。
>>554 一般的に言えば佐藤進一先生の『南北朝の動乱』は十分井沢より読みづらい。
>556
そんなものなのかなあ。まあ、内容の良さを読み易さの印象に結び付けて
しまったところはあるかもしれない。
558 :
日本@名無史さん:02/04/23 15:41
誰も来なくなったね。
書きたいことはたくさんあるが、忙しいんだよね。
二⊃||●
⊂二||(∧
二⊃||,、・) ダレモ イナイノデアル・・オドルナラ イマノウチ デアル
※※||⊂
※※||
●
, ・・ , ∧))∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\/_(・,、・ ) < 2chスレッド五十日
⊂[__ハ ◆ ノ \_________
/ ̄| ̄|
|__|_|
●
∧((∧ , ・・ , / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・,、・) \/ < 下天のうちを比ぶれば
ノヽ* ソ* ̄]⊃ \__________
|__/ ̄| ̄ゝ
|__ハ_|
●
∧((∧ , ・・ , / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・,、・) \/ < 夢、幻の如くなり
ノヽ* ソ* ̄]⊃ \________
|__/ ̄匚]
|__| ∪
●
∧((∧ , ・・ , / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・,、・) \/ < 一度生を享け
ノヽ* ソ* ̄]⊃ \_______
|__/ ̄| ̄|
|__|_|
●
∧II∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・,、・┃ < メセーヌもののあるべきか
ノヽ*ソ* 9 \____________
|__/ | ̄|
|_|_|
562 :
日本@名無史さん:02/04/30 14:46
ああ、メシーテしまう。保全せねば。
ということで、再びの電波を期待あげ。
563 :
○○研究家:02/04/30 16:17
井沢氏があまりにも電波過ぎるのか、誰も来なくなったこのスレ。
某、今夜あたりから活動を再開せん。
564 :
日本@名無史さん:02/04/30 17:47
今週の逆説、副題は「盆石はここにある」。
井沢氏のデムパ、久々に強烈(←賛辞)なり。
565 :
日本@名無史さん:02/04/30 17:50
フロイスの報告は「御神体」を全く知らない人間が書いたもので
内容も誤解だらけ。
「日本人は宗教を知らない」といいつつフロイス全面支持の
井沢は究極の阿呆。
566 :
蝦夷の末裔:02/05/03 14:33
井沢氏へ
余りにも信長を引っ張るので飽きてきた……いい加減先に進んだらどぉよ
567 :
日本@名無史さん:02/05/03 17:41
>>蝦夷の末裔さん
まだ岡崎信康事件と本能寺の変があるから引っ張るでしょうな。井沢氏は。
井沢元彦大先生
先日の講演会では失礼かつ無知な質問に対して、大変ご丁寧な返答をして頂き
さらに最新刊まで惜しげもなく下さり、まことにありがとうございました。
この場を借りて改めて御礼申し上げます。
さて、その時にご紹介した「例の掲示板」がようやく復活いたしましたので、
お知らせいたします。
武田研究家さん、信者@東北さん、蝦夷の末裔さん、浄土真宗本願寺派さん、
ドクターブギさん、雪狼さん、2mさん、秋山彩香さん、とりあたまさん、
なかのさん、ウサチュウさん、パンダさん、井沢掲示板管理人さん、
皆さんどうぞご笑聴下さいませ。
フラッシュ
http://www7.ocn.ne.jp/~helpme/flash/chinko.swf 鶏巴音頭ミラーサイト
http://www.kt.rim.or.jp/%7Esokohaka/chin-man/c-ondo.html ベースの「元祖鶏巴音頭」と「鶏巴音頭 姐さんバージョン」は
もちろんですが、アレンジされた
「鶏巴ガムラン」「Beyond the 鶏巴(RemiX)」
「鶏巴音頭(うちなーぐちバージョン)」
が最高級レベルに到達しています。
お笑いいただければ幸甚です。
569 :
日本@名無史さん:02/05/06 19:54
扶桑社より新刊が出ましたのでお知らせいたします。
「朝日新聞の大研究―国際報道から安全保障・歴史認識まで」
井沢 元彦・稲垣 武・古森 義久 共著
価格: ¥1,429
>>568さん
笑わせて頂きました。
背景の写真は名古屋に近い「田縣神社」ですか?
懐かしいですねえ。
570 :
信者@東北:02/05/09 23:03
最近ポスト読むヒマがないです
信長変はどこまで行ったんでしょう?
それとも新シリーズ?
571 :
電波@名無史さん:02/05/10 20:53
>>570 信長神格化構想編は「安土城=多宝塔説(「法華経多宝塔品」)」で
とりあえずおしまい。
ではガセネタ。
来週の「逆説の日本史」
神となった織田信長、もう一人の「古き神」と対立し、そして敗北・・・
「本能寺の変は『宗教戦争』だった!」編。
以上、ガセネタ。
572 :
研究家のはしくれ:02/05/11 00:57
宝塔ねえ……
村井貞勝も太田牛一も、「金灯炉」としか書いてないんだよね。
つまり金ぴかのランプ。
一階部分は石蔵だから、暗い。
明かりが必要で、信長はそこに金ぴかのランプを下げといた。
それだけだと思うんだよね。
ところが「天主指図」では「宝塔」が「吹き抜け」の真ん中に鎮座していて、
しかも三階部分には吹き抜けに張り出した「浮かぶ能舞台」まである。
こんなもんあれば貞勝も牛一も絶対書き忘れないって。
特に貞勝の書いた天主の概要は信長が書かせたものらしいからね。
「天主指図」にはニセモノの臭いがプンプンするね。
まあ「信長信者」には内容が凄ければ何でもいいみたいだけどさ(笑)
573 :
日本@名無史さん:02/05/11 19:48
>>566>>567 そういや信長編ていつごろ始まったんだっけ?昨年出た最新単行本のラストが
「天下人の条件〜織田信長の場合」だからそろそろ1年くらいかな?
574 :
日本@名無史さん:02/05/12 00:01
信長編が始まったのは去年のGWだったと思うからちょうど一年。
でも次号から本能寺編が始まるらしいからまだ2〜3ヶ月続くんじゃない?
こりゃ10巻はまるごと一冊『信長編』だね〜
575 :
日本@名無史さん:02/05/12 01:24
一年も神様仏様天才信長様っていう電波を発信しつづけていたのか
576 :
日本@名無史さん:02/05/13 17:20
サーバ移動したのか・・・。
「そんな板orスレッドないです。」と出て一瞬あせった。
577 :
日本@名無史さん:02/05/14 17:44
>>574 『逆説の日本史 信長マンセー編』にケテーイ
578 :
日本@名無史さん:02/05/19 01:32
誰もいない・・・。
579 :
日本@名無史さん:02/05/24 11:26
信長神格化構想は吉田神道の丸写しだってのを井沢氏は何も語ってないね。
580 :
日本@名無史さん:02/05/24 14:21
どういうこと?
581 :
日本@名無史さん:02/05/24 18:12
>>579 豊国廟と久能山東照宮が吉田神道に従って祀られているのは
内藤正敏氏が指摘してたのを知ってるけど、信長の総見寺の場合もそうなの?
私は信長は太政大臣から上皇を目指していたと思ってますが・・・
天皇家を超えんとする人間が天皇家から養子を貰うはずないと
思うんですよね。
583 :
私見@歴史:02/05/25 08:48
信長の太政大臣説。あり得るかも…
実際、織田家は系図を平清盛のひ孫あたりにつなげてますから(系図の詐称っていうのはおいといて)
そうなると、清盛も天皇家乗っ取りを画策してたんでしょうか?しかもそれを阻止したのは後白河法皇あたりか?
家康が「頼朝」になろうとしてたって言われていますが、信長は「清盛」になろうとしてた?
でもそうだとすると信長自体の独創性って何なのだろうか?
信長が神になろうとしたという説が正しいとしたら、よく言われている源平交代思想ってどうなるのでしょうか?
源氏である足利政権を倒そうとするための、宣伝でなく単なる尾張時代の今川に対抗するための宣伝
単なる私の浅はかな考えですが…
>>583 岐阜の御殿や安土城天主には金閣に通ずるものがあると
直感的に感ぜられるわけですが、
信長の理想は足利義満ではなかったかと思います。
義満も太政大臣になってますし。
585 :
日本@名無史さん:02/05/26 03:03
信長が毛利、長宗我部、大友(あと竜造寺)を滅ぼす以前に、
明智光秀に「日向守惟任姓」を名乗らしていたのと、
北九州に経済基盤を置いていた博多商人との接触などから、
明らかに信長は第二の平清盛たらんとしていたとおもわれ。
電波追加:
平清盛は安徳天皇擁立で、事実上「治天の君」になっていたのではないか?
と電波ゆんゆん
>>585 清盛は天皇の外祖父たらんとしましたよね。(つまり天皇に嫁がせた
娘の子を天皇にするという)
信長は違います。天皇の養父、さらには上皇たらんとしていました。
誠仁親王の四子を養子にしており、また正親町天皇には譲位して
誠仁に皇位を譲るように迫っていました。
さらに誠仁を譲位させて自分の養子が次の天皇になったらどうでしょう?
上皇・信長の誕生です・・・
587 :
日本@名無史さん:02/05/26 15:16
だから正親町自身譲位したかったんだってば。
それに信長が上皇(に準じた位)になろうと、
信長の血統が皇統になるわけでもないし、
特に驚くほどのことでもない。
安土城を見て中華思想が感じられるから、
確かに義満と似ているところはあるかもね。
しかし出自・血統といった出発点からして
義満に信長はかなわない。
588 :
日本@名無史さん:02/05/26 16:08
>だから正親町自身譲位したかったんだってば。
んなことないでしょ。
だって信長に言われたときに断ってるジャン。二度も。
今週はもう……痛くて痛くてどうしたら良いか……
ちなみにこれ以前の分については私は天主指図は偽造だと考えるので
井沢氏の理論は全て無駄であったと考えます。
信長については、逆説的に論じられる題材が多数あったのに。
絶好の機会を逃しましたなあ、井沢氏は。
591 :
日本@名無史さん:02/05/27 22:40
「逆説」じゃなくて「逆戻りの日本史」・・・(トホホホ・・・)
592 :
Cipher:02/05/27 23:10
で織田信忠を征夷大将軍にすると・・・
そう考えれば信長が武田攻めの総大将に信忠をすえた理由も・・・
593 :
Cipher:02/05/27 23:11
そりはともかく井沢さん 7月に大阪で講演されるようですが
聞きにいきますので、楽しみにしてまあす。(w
594 :
日本@名無史さん:02/05/28 00:01
鉄甲船自体どういうものか実はよくわかってないんじゃなかったっけ?
とりあえず井沢氏が『安土日記』の存在を知らないのは、
既に明らかになっています。
いまどき信長の大船を『多門院日記』で語る人は珍しい。
596 :
日本@名無史さん:02/05/28 00:35
>出自・血統といった出発点からして
>義満に信長はかなわない。
かないたくもない
597 :
日本@名無史さん:02/05/28 13:18
>>595 『多聞院日記』の天正十年三月分に、
織田信長が観音菩薩のお告げで聖徳太子のゆかりの刀剣を
譲り受けた事が書いてあるのを井沢さんは知らないと言ってみるtest
知ってて切り捨ててるとしたら・・・・ガクガクブルブル・・・
何か今の展開ってドラゴンボールの魔人ブウ編みたいだな
まあアレは作者はあんまり乗り気ではなかったみたいだけど
こっちの方は作者がノリノリなのが始末に終えない
599 :
日本@名無史さん:02/05/29 00:50
>>597 『多門院日記』の「鉄ノ船也、テツハウトヲラヌ用意、事ゝ敷儀也」は
超メジャーな箇所だから『多門院日記』なくても書けるしね。
おそらく井沢氏は『多門院日記』も読んでないだろうね。
>>594 大船については暇なときにでも書かせてもらいます。
600 :
セクハラ大魔王:02/05/29 16:27
600ゲット!
今週の逆説、ざっと読んでみたけど、井沢氏はもう意固地になっている
のではないかなあ。あれでは、よく批判している「サヨク」と変わらないよ。
実は、先日古本屋で井沢氏の昔の著作を見つけてざっと読んでみた
のだけど、信玄の上洛戦についても、用意周到な信玄といえども寿命
には勝てなかった、というような論調で、兵農分離のなされた織田軍に
対して武田軍は兵農未分離だったというような与太話も書かれておらず、
信玄にはわりと好意的だった。
何だか、信長については間違った方向に突っ走ってしまっているけど、
いつから信長礼賛がひどくなったのかねぇ。
602 :
日本@名無史さん:02/05/30 20:38
工房の時、「言霊」や「穢れと茶碗」を読んで目から鱗が落ちた様な
俺でも、今は痛くて読んでいられない・・・。
>工房の時、「言霊」や「穢れと茶碗」を読んで目から鱗が落ちた様な
目から鱗って・・・。騙されやすい質だったんですね!?
でも、今は正しい知識と判断力がついたんですね。よかったです^^。
『上手くいかないのであれば
その反対をやってみろ。』
これがドイツが健全な国に
生まれ変わった方法である。
>603
「言霊」や「穢れと茶碗」の評価は、今は保留中。
嘘かホントかは別として、話としてはなかなか興味深いし。
他の日本人論を色々読んで、決めようと思います。
606 :
602=605=黄昏のなかの道化師:02/05/31 17:13
更に語らせてもらう。
俺は、歴史は水に例えると分かりやすいと思う。
歴史とは、無尽蔵に溢れる湧き水のようなもので、そのままにしておくと、
沼の様に澱み、中が見えなくなる。そこで歴史家は、沼から水を引き川を
作る事で、水を綺麗にし、流れがわかるようにした。
そこに井沢氏は、それだけでは不十分だと感じ、「和」や「言霊」といった
材料を使い、「堤防」を作ろうとしたのだと思う。
その堤防を作るという試み自体はいいのだが、彼にはその力量が足りず、
穴があったり、手を抜いたかと思えば、一部だけ異常に凝ってしまう等、
井沢氏はその工事をうまく行えていない。それで、そもそも「穢れ」「言霊」等の
材料の選択が間違っていたんじゃないか、とまで疑われてしまった。そういう事だと思う。
607 :
黄昏のなかの道化師:02/05/31 19:04
だから必要な事は、井沢以外の人も自分なりの価値観に基づいて、歴史を考えてみること。
歴史に価値判断を入れる事、それ自体に否定的な人も多いでしょうが、
それはある程度は仕方がない。どんなことでもそうだが、客観的たろうとしても
どうしても価値判断が入ってしまう。そもそも、ある事を語ろうと思っている時点で、
そのことは語るに足りる事だ、と言う価値観が入ってしまう。逆も然り。
一種の物理学における「不確定性原理」みたいなものかも知れない。
知ろうとする行為そのものが、知る事の邪魔をするという、まさに逆説。
また、ある程度価値観を絞らないと一貫性が生まれず、理解しづらくなる。
井沢氏の本が、何だかんだ言われていても売れているのは,彼の本にこれがあるから。
だから、もういっその事、価値観を入れて歴史を語る事を認めてしまう。
それによって生まれてきた、新たな「逆説の日本史」たちを比べ、
自分が納得出来る本質を導き出す。その本質を元に自分の歴史を書いて、それが
更に他の人に影響を与え・・・、と言った、サイクルを生み出す必要がある。
もちろん、こうした「逆説の日本史」たちの中には、今までどおりの、出来るだけ
客観的たろうとする態度のものも混じっているだろう。
ウザかったら、ごめん。でも、このスレ読んでいたら、
どうしてもこれを言いたくなったでの。
なんていうか・・・「信長は神になろうとしたか」なんてテーマだと、
これはもう「勝手にしてくれ」としか言い様が無いんですが、
今週はこれまた電波ゆんゆんで楽しいですね。
今週の『逆説の日本史』より
>…一五七六年(天正4)に信長配下の九鬼水軍が海戦で毛利方の
>村上水軍に完敗したこと。
ハァ?
井沢氏、どうも『信長公記』すら真面目に読んでないようですね。
1576年に村上水軍と戦ったのは摂津やら和泉やらの地元の水軍
なんですけど……
真鍋七五三兵衛・沼野伝内・沼野伊賀・沼野大隈守・宮崎鎌大夫
宮崎鹿目介・尼崎の小畑氏・花隈の野口氏……
彼ら、無視ですか?(w
609 :
日本@名無史さん:02/06/01 08:50
正直、揚げ足取りは止めたら?研究家さん
普通の日本人が歴史に傾倒したとしても、他県の地元の豪族クラスにまで知識を広げようとは思わないでしょう
というかそんな細かいところまでやってたら、つまらない信長変がもっと間延びしちゃうよ
というか井沢元彦大丈夫かよ
田中芳○レベルにまで落ちたか?
610 :
日本@名無史さん:02/06/01 11:52
>>609 それは田中芳樹氏に対して失礼ではないでしょうかと言ってみるtest
611 :
日本@名無史さん:02/06/01 12:17
>>609 田○芳樹は、自分が歴史学者だといっているわけではないし、
専門の歴史学者を批判してもいないから、問題ない。
井沢は、史料を読む力もないのに専門の歴史学者を批判する高慢
な態度をとり、そして、自分はマクロ歴史学をやるとか電波ゆんゆん。
>>608 >今週はこれまた電波ゆんゆんで楽しいですね。
井沢は、学問と戯れ言をごっちゃにして素人に信じ込ませる能力がある。
小説を書くならそれでいいが、歴史の本としてそれをされると困るんだよね。
そして、それなりの数のファンがついてしまうから、さらに自身を過信してしまう。
歴史学者と直接会う機会があれば、その知識に感服することも多いはず。
また、歴史の論文をひとつでも書いてみれば、どれだけたくさんの史料を集め、
読み込まなければならないかもわかるはずなのだが。
612 :
日本@名無史さん:02/06/01 15:17
>そしてそれなりの数のファンがついてしまうから、さらに自身を過信してしまう。
「それなり」どころじゃないような気がするんだけどね・・・。
ここが一番問題なんだよな・・・。
613 :
日本@名無史さん:02/06/01 16:17
>>609 >普通の日本人が歴史に傾倒したとしても、他県の地元の豪族クラスにまで知識を広げようとは思わないでしょう
>というかそんな細かいところまでやってたら、つまらない信長変がもっと間延びしちゃうよ
井沢氏が『安土日記』を知らなくても
こと信長の大船に関して『多門院日記』の鵜呑みがいかに間抜けか気付かなくても
井沢氏、『信長公記』だけは散々引用してましたよねえ?
『信長公記』に書いてある連中を見落として、どこにも書いてない
九鬼水軍が出張って大敗したなんて話にするなんて、
あんまりというものですぞ。
今時信長の大船を「長さ十三間、幅七間」とか書いてるし…
船として幅に対して長さが短すぎるとは思いませんかね?
『多門院日記』ではその後に「人数五千程ノル」と続くんですけど、
一体何階建ての船にすればそんなに乗れるのやら。
まあ要は、こと信長の大船の話に関して『多門院日記』は大して
信用できないんですね。
『多門院日記』を書いたのは奈良興福寺多門院の僧・多門院英俊です。
当時の風聞なり英俊の体験なりが書かれている『多門院日記』は確かに
非常に価値の高い史料なんですが、英俊は信長の大船を実際に見たわけじゃ
ないんですね。噂話を書いただけなんです。
井沢氏に言わせれば「鉄の船」は「炮烙を防ぐため」(井沢氏が当てた
「焙烙」は正しくないような…)ということになるんですが、
当時の人間でただ一人「鉄ノ船也」と記した英俊によれば、これは
「鉄炮を防ぐため」であると言う。オルガンティーノも太田牛一も
九鬼家の人間も、誰一人として「装甲があった」とは言ってないのに、
ただ一人の証言者が井沢氏の説明、つまり一般的な説明とは異なることを
言っている。しかも伝聞です。信用しろというのが無理ってもんです。
だいたい「鉄ノ船也」と一言書いてあるだけで「薄い鉄板を貼り付けた」
なんて話まで証明できるんですかね。
614 :
日本@名無史さん:02/06/01 21:05
>>613 しかしそれだったら井沢に限らないことなんじゃないかなあ、
とか思ってみたり。
たいてい、日本史の歴史図解ととかの雑誌で、鉄甲船が描かれてる
ついでに亀甲船も・・・・
なによりも某信長の野望で堂々と登場してるし
というか、これを覆せば逆説なんだろうけど・・・・詰まらなくなるんじゃないかな
いや、信長編はかなり詰まらないが
あと炮烙って正しい漢字が存在しないと聞いたが
あれはでっち上げられた話だから、人によって字体の解釈が異なる
熱した銅柱に罪人を抱かせたという話もあれば、熱した銅の棒の上を罪人に渡らしたというはなしのある
というわけで、「炮烙」と言う字は上記の抱かせた場合の話を字源と取った場合に使われる字です
個人的に、敵に投げる火の兵器は焙烙でイメージ的に正しいと思う
でもここらへんは本当に人によって解釈がマチマチですので、ここでの井沢氏の揚げ足取りは見当違いですよ
酒池肉林の方は実話だと言う指摘もありますが
(祭政一致の殷では裸になって一種のトランス状態で神と交信するということがあったそうです)
スレ違いだから下げ
>というわけで、「炮烙」と言う字は上記の抱かせた場合の話を字源と取った場合に使われる字です
>個人的に、敵に投げる火の兵器は焙烙でイメージ的に正しいと思う
「焙烙」って陶器の焼き物のことじゃないのか?
どーでもいいけど。
>>616 中に油入れるヤツでしょ?
中国だと守城戦でよく使ってたと思うけど
それとも別のものでもあるのか?
何かますます流れが変になっていくな、関係ない話題だとスレがよく伸びるわ
>>616 「焙烙」って火薬入りの「砲丸投げ」みたいなもんでしょ?アレ。
飛距離は50メートル前後とか。
でも、船の上で投げる前に投げ手が鉄砲で狙撃されたらおしまいだと思われ。
619 :
日本@名無史さん:02/06/06 01:47
倉庫入逝き阻止age
620 :
日本@名無史さん:02/06/06 19:47
>>617 >中に油入れるヤツでしょ?
>中国だと守城戦でよく使ってたと思うけど
>それとも別のものでもあるのか?
とりあえず辞書で「焙烙」ひけ、と。
ちなみに中国では陶器の入れ物に火薬と導火線を入れて城壁から
落とし、群がる敵の掃討に使ったという。これを「陶弾」と言う。
明日、小学館文庫から「逆説の日本史E 中世神風編」発売されますです。。。
622 :
日本@名無史さん:02/06/07 01:28
某BBSで2mが井沢に失望・・・(はははのは・・・ナサケナヤ)
201:名前:2m(男性):2002/06/02 21:14
今週の「逆説の日本史」は、1992年に刊行された
「謀略の首 織田信長推理帳」の要点の丸写しですか・・・。
もう言葉を失いました・・・
(電波につき省略)
過去の著作の焼き直しの乱発は、井沢元彦先生の「作家」「著述家」としての名前を
失墜させるだけです。
(電波につき省略)
病気とかなんとか理由つけてしばらく休載しても一向に構いません。
だから、もう一度、資料を読んで、戦国時代について勉強しなおして下さい。
井沢先生は、笹本正治氏、鈴木眞哉氏、煎本増夫氏、藤井尚夫氏、神田千里氏、
堀新氏、橋場明氏、河合六郎氏、河合敦氏らの著書を読まれているのでしょうか?
もし仮に読まれていたとしても、どれだけご理解なさっているのでしょうか?
上記の方々の著書は、「逆説の日本史 信長編」をより面白くさせる内容を
数多く著述されており、「逆説の日本史 信長編」の「引き立て役」として
はるかに内容が充実する事は明白です。
それをなさらない事は、かつて、井沢先生が小林惠子氏などとの対談で示した
キャパシティの広さについて、疑わざるを得ません。
今の「逆説の日本史」は、見るに耐えません。
井沢元彦氏の愛読者として、これ以上の醜態をさらすのはもう止めてください。
623 :
日本@名無史さん:02/06/07 01:31
抜粋だけだと2mがマトモに見えるな(w
624 :
日本@名無史さん:02/06/08 17:27
以前、井沢元彦氏は自分のホームページで、大名が名乗る律令官名について
歴史学者が無視していると批判してました。そして、自分が大名たちが武蔵守
を使っていないことを発見したと自画自賛してました。さらに、相模守も老中
の官名として重要視されていたと指摘したのです。
しかし、実際の歴史学者は決して官名名乗りを軽視してはいませんでした。
井沢掲示板には、そのことを指摘する発言がありました。その発言では、三田
村鳶魚の弟子である在野の研究者小川恭一氏の著作を例に、官名名乗りについ
ての研究があることを指摘してました。さらに、江戸時代を通じて相模守を名
乗る老中が三人しかいないことも指摘されていました。
さて、今週の逆説。「このこと(引用者注:官名名乗り)について、いわゆる
「プロの学者」のほとんどは(すべてとは言わないが)、まったく力を注いでい
ない。いや、私は注いでいる、という人がいるかも知れないが、それは結局
「江戸時代に越前守を名乗る人が何人いたか」というような、事実の羅列で
あっても、理由の分析ではない。」ひょっとして、指摘されたのがそうとう悔
しかったのでしょうか(笑)。
625 :
日本@名無史さん:02/06/12 20:52
結構逆説の日本史好きなんだけどなぁ。
リアルで毎週読みたいけど、いかんせんリア厨だからさすがに買えない・・・
あ、信者じゃないですよ(たぶん)。司馬遼太郎とか他の小説も読みますけど、
ちゃんと(?)岩波ジュニアとか中公の普通の通史も読んでます。
難しいですね、いろいろと。
>>624 官位の話で、忠臣蔵の時(「元禄14年の反乱」だったかな?)に、
高師直は武蔵守で、江戸市民の認識が武蔵守は将軍だから
高師直に置き換えられた吉良上野介は将軍ということになり、
それを退治するから忠臣蔵は将軍批判だっていうのが
書いてありました。既出だったらスマソ
626 :
日本@名無史さん:02/06/12 22:34
しばらく逆説読んでいなかったんで、いつの間にか本能寺編に突入してたのね・・・
信長様が欲しがった官職は「大和(=日本)守」だと言ってみるtest
627 :
日本@名無史さん:02/06/13 00:03
>さらに、江戸時代を通じて相模守を名
>乗る老中が三人しかいないことも指摘されていました。
さすが井沢さん!思いつきだけでようやるわい!!
> さて、今週の逆説。「このこと(引用者注:官名名乗り)について、いわゆる
>「プロの学者」のほとんどは(すべてとは言わないが)、まったく力を注いでい
>ない。
在野の研究者が次々と新発見をするんで、ついに「プロ攻撃」に変えたのね。
井沢元彦も落ちたもんだな・・・
>いや、私は注いでいる、という人がいるかも知れないが、それは結局
>「江戸時代に越前守を名乗る人が何人いたか」というような、事実の羅列で
>あっても、理由の分析ではない。」
事実を無視して妄想を押し付ける予感〜
628 :
ゾロ目宮本:02/06/13 00:07
平和のためには独裁者が必要らしい。
629 :
日本@名無史さん:02/06/13 22:17
本日(2002/06/13)発売の「サピオ」にて井沢せんせの野望が発覚。
「私は新しい教科書を作る会に参加しているが、
(略)私の「逆説の日本史」を将来の教科書にしたい」
うぷぷぷぷぷぷ・・・・・・(笑)
630 :
日本@名無史さん:02/06/13 23:57
>(略)私の「逆説の日本史」を将来の教科書にしたい」
いや〜〜〜よく言うわ(w
631 :
日本@名無史さん:02/06/14 22:28
>>629さん
>私の「逆説の日本史」を将来の教科書にしたい」
最新号の「サピオ」ではそこまで書いてません(苦笑)
632 :
日本@名無史さん:02/06/16 00:00
>>625 高師直=将軍説は確かにありましたねえ。井沢氏が指摘するまでもな
い既出のアイデアですが、小説のネタにするのには誰も文句は言わない
でしょう。しかし、このアイデアを自分の発見といってしまうのはいか
がなものか。武蔵守使用禁止自体は、小川氏が大昔に指摘してる話だし。
633 :
日本@名無史さん :02/06/16 11:36
>>631 >最新号の「サピオ」では
ということは、何でそこまで書いたの?
634 :
日本@名無史さん:02/06/18 01:18
今週の「逆説の日本史」は信長編では初めて、通説の垂れ流しではない、
井沢氏流の考察になりそうな雰囲気だった。
真実はどうであるにせよ、歴史物の連載なら独自の考察がもっと
欲しいところだよね。
636 :
日本@名無史さん:02/06/26 21:48
本家井沢掲示板で、「三浦」氏の主張を認め、
改訂版で訂正云々と言っているところを見ると、
全く読者を無視しているわけじゃないんですな>>井沢氏
>>635 ワラタ
637 :
日本@名無史さん:02/06/26 21:52
失敗も多いが井沢氏の功績は偉大。
妄想により歴史や文化を「理解」してしまう彼自身や、多くの信者を作った
井沢氏の罪は大。
639 :
日本@名無史さん:02/06/26 23:36
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
,,--―'''""`ヽ'  ̄`ヽ、
/ ヾ / ~`ヽ
/ ヽ;: /"""ヾ ヽ
/ ;:;;:::'''' l /;:;;:::''' \ i
/ /;:;;:::''' ヽ ヽ
| | ヽ |
/ ;/ ヽ ヽ
/ ;:;:ヽ ,,,,;;::'''''ヽ |
i / ,,,,;;::::::::::::::: __ ヽ ヽ
| | " __ :::: '"ゞ'-' | |
| |. - '"-ゞ'-' ::::::.. |. |
| ;:| ::::::: | :|
| ヽ. ( ,-、 ,:‐、 | |
| /ヾ.. | |
| | __,-'ニニニヽ . | |
.. | `、ヽ ヾニ二ン" / |
| ヽ\ / |
| l `ー-::、_ ,,..'|ヽ./
ヽ. :人 `ー――''''' / ヽ
/;:;:;:;;:;:;: _/ `ー-、 ,.-'" \ー-、
,.-'" \: \ .,.-''" |
/. \ ~>、,.-''" |
,,..-‐'''"" ヾ ,.-''"| /――――、/
電波は電波であると見抜ける人でないと
(歴史を学ぶのは)難しい
640 :
日本@名無しさん:02/06/26 23:37
>>637 同意。歴史に興味をもつ人が増えればそれだけ研究が進む。
興味を持たせるという意味での功績は評価してやりたい。
石森章太郎のマンガ日本の歴史と同じだろう。
641 :
日本@名無史さん:02/06/26 23:48
週刊ポストなんて子供が見てるのかね?
ええ大人がみても電波感染者が増えるだけだろう
642 :
日本@名無史さん:02/06/27 00:28
>>641 井沢氏自身が「電波感染者」だから・・・
643 :
日本@名無史さん:02/06/27 00:30
>>640 おそらく他の本を読みもしないで井沢氏の言う「真実」で
満足する人が97%だと思われ。
>643
それ腐儒こと○部奈亮さんのことですね。
645 :
日本@名無史さん:02/06/27 00:51
>>644 ヤシだけじゃなかろ。
「三浦さん」にも猛烈なケチつけてた「信者」おったし。
史料を集め、読み込み、分析するより、
言霊とケガレでなんでも解決できると考える
ほうが楽だからねえ・・・。
その三浦です。
その掲示板から弾かれてしまいました??????
648 :
日本@名無しさん:02/06/27 09:35
とりあえず、自分と違う意見を電波と決め付けるのをやめて
公平に見てみたら?
信者だの電波だの、2チャンでしか通用しないオタクな用語は馬鹿丸出し。
649 :
日本@名無史さん:02/06/27 10:03
650 :
日本@名無史さん:02/06/27 11:35
>>647 本物の「三浦さん」ですか?
「弾かれた」ってどういうことですか?
まさか井沢掲示板に書き込み禁止喰らったとか?
正真正銘、本物の「三浦」です。
再登録要請のメールを頂いていたのですが、
うっかり期限が過ぎたところ、再登録してもらえません。
てなわけで、可能な方、「自官=次官」で熱弁を振るわれている
岡島さんへ伝言を。
信長は、最初、「上総守」を称しているので、「自官=次官」説は、
120%成立しないと。
それと、『信長公記』もウソが多いので、鵜呑みにしないで
同時代の他の史料にも当たるようにと。
何方か、御願いします。
ちゅい。;:@「s
653 :
日本@名無史さん:02/06/27 18:21
>>三浦さん
管理人さんに、直接再登録申請のメールを送ってみては?
655 :
日本@名無史さん:02/06/27 19:01
>てなわけで、可能な方、「自官=次官」で熱弁を振るわれている
>岡島さんへ伝言を。
>
>信長は、最初、「上総守」を称しているので、「自官=次官」説は、
>120%成立しないと。
いまいち話が飲み込めないにゃー
ちなみに信長は「上総介」じゃねーかな。「守」の補佐役にあたる職だっぺ。
>いまいち話が飲み込めないにゃー
>ちなみに信長は「上総介」じゃねーかな。「守」の補佐役にあたる職だっぺ。
一番最初に「上総守」を名乗り次ぎに「上総介」に改めているのです。
おそらくは、「上総介」を継承していた今川への当て付けであったと
思われます。
もしかしたら、上様は、「上総守」の問題を知らずに「上総守」を
名乗ってしまった。ということを伝える牛一からの暗示であったのかも
知れませんね。
658 :
日本@名無史さん:02/06/27 21:18
承知しました。別に熱弁というほどのものではありません。私の妄想ファイル
ナンバー150番程度のものです。投稿が少ないので目立ってしまうのでしょう。
あとはYAHOO掲示板にて。すでにお読みになっていると思いますが、
今週から参戦しています。
上総守のことは知っていました。某HPの最初に書いてありますから。
659 :
名無しさん@踊らにゃソンソン:02/06/28 21:45
三浦さんのお祭り騒ぎをみて、去年の井沢掲示板の閉鎖直前のお祭り騒ぎ思い出したよ・・・
660 :
日本@名無史さん:02/06/28 22:29
日本の歴史と文化はすべて言霊とケガレで解明できるのです。by井沢信者
662 :
日本@名無史さん:02/06/29 09:32
age。
やはり三浦さんのお祭り騒ぎの結末は、
三浦さん本人が思うような「誠意ある指摘が通じた」と
言うようなものじゃなくて
事務所の一応の謝意(実はお引き取りの婉曲表現)>締め出し>やれやれ:
かな…。発言の見出し自体かなりの悪意があるもんねえ。
663 :
日本@名無史さん:02/07/02 00:12
>>662 たしかに。
さらに言うなら、なぜ信長が「あづち」に「安土」の二文字を使ったのか、
「安土山ノ記」にも説明されてませんな。
逆説を始めるにあたり
井沢氏の当初の予想
「世間一般からは賞賛の嵐、学会からは批判の嵐」
現実は
「世間からは批判の嵐、学会からは無視され」
665 :
日本@名無史さん:02/07/02 03:00
666 :
日本@名無史さん:02/07/02 16:41
>>665 信長の生まれるずっと昔の史料に
「安土」という地名が出てくるんだったよね。
いつの史料だっけ?
667 :
日本@名無史さん:02/07/03 00:34
「安土」の名前で古いものとしては、正和2年(1313)の
「豊浦御庄検注目銀事」に登場する安土寺だろうね。
もっとも、それだけで「安土山」もあったかという問題は残るけれども、
安土山が湖に突き出した半島状の山であることからすると、
古い言葉で「崖の崩れたような」という意味の「アズ」と「土地」という
意味の「チ」をあわせて「アズチ」と呼ばれていたところに
「安土」と漢字が当てられるようになったのではないかというのが、
日本のほかの「安土」という地名の場所との比較なども踏まえた上での
考察といったところだね。
668 :
日本@名無史さん:02/07/03 00:36
今週の井沢さん、今谷氏は秀吉のことを「確信犯的な尊皇家」と
評価したところの揚げ足をとって「ものごとにはホンネとタテマエが
あるから、秀吉が尊皇家だったかどうかはわからない」とか
わけわかんないこと言ってるけど、「確信犯的な尊皇家」は
当然ながら「タテマエ」って意味だよね。
井沢さんは日本語読めなくなったのかな?
669 :
日本@名無しさん:02/07/04 05:37
>>668 そのツッコミは正しい。
アンチの方がウザいと思うことが多いが、
(自分の方が詳しい、と言いたげなところがミエミエで)
確かに井沢氏の言っているところにも変なところがあるね。
「言霊」とかは嫌いじゃないし、感心したところもあったんだけどね。
670 :
名無しさん@電波いっぱい。:02/07/04 20:05
「皇居を明という占領地に移す」
↓
「占領地の民衆の反乱」
↓
「取り残された天皇(あるいは天皇家)は大陸で“あぼーん”」
↓
「かくして豊臣家は安泰(ヤター!)」
井沢氏としては、かように言いたいのでは?
671 :
日本@名無史さん:02/07/05 05:44
天皇の返事は「タテマエ」。
ピンポ〜ンのようですが、史料をちゃんと読んでいない
ことがマタマタ指摘されてますね。
「ウルトラマンコスモス」は「ケガレ(不祥事)」がついたから打ち切りになった
という信者がいた。
正親町天皇は「ホンネ」の返事もちゃ〜んしている。
ご存知「金神七殺の年に当たるから・・・」
つまり「やだよ」と言っている。
蛇足なんでsage
674 :
日本@名無しさん:02/07/06 02:26
675 :
日本@名無史さん:02/07/06 18:18
>>667 「あづち」という地名は長崎県や宮城県、瀬戸内海などに多い。
「安土」「的山」「南山」など。
「安土」は易経の講師十翼伝、繁卦上伝に「安土敦乎仁」という語句あり。
なお「南山」は「吉野山(=南朝)」という意味あり。
×講師十翼伝
○孔子十翼伝
677 :
日本@名無史さん:02/07/10 23:47
>>658 昔、戦国時代のことだけど諏訪大社の上社軍が下社を焼討ちにしたことがありますよ。
上社と下社の関係というのが良く分からないんですけど、どうも大祝様が朝廷によって
諏訪の地に封じ込められた時に諏訪勢を監視する目的で送り込まれたのが下社の神らしいんです。
それが戦国の世の乱れに乗じて大祝軍が下社に攻め入り、
下社の神様ぶち殺して社に火を放って焼き払った。
ところが、もともと諏訪の神様は守屋様だったらしいのです。
大祝様というのは亡命して来た出雲系の神のようです。
大祝様を受入れた結果、守屋様は諏訪のナンバーツーの神様になってしまいました。
出雲から諏訪まで逃げて行って、だだ亡命を受け入れて貰うだけでなく、
在地の神の上に立つというのは何か特別な事情があったに違いありません。
常識的に考えて、自分と同格や自分より格下の者が亡命して来ても、
自分の上に立てることはないでしょ。
諏訪と出雲に何か関係があり、その関係において出雲の神は
諏訪の神より上に立つべき存在だったようです。
それも朝廷の前身を相手に七十年とも八十年とも言われる戦争をしてまで諏訪勢が
大祝様を守ったと伝えられることから考えて、よほど緊密な繋がりです。
ただ単に出雲の神が強大であるので諏訪の神が表面的に服属した振りをしているだけの関係なら、
亡命するまで落ちぶれた神を戦争してまで守ることはしないでしょ。
出雲の神は今でも縁結びの神として知られることから、諏訪の神とも姻戚関係があったのかも知れません。
また出雲の神は神々の会議の主宰者としても知られていますが、もしかしたら日本で王制が始まる前は
この会議が最高の権威であって、その議長であるが故に出雲の神は他の神より偉いと考えられていたのかも知れません。
(逆に出雲の神が最高権威であるが故にその主宰する会議が最も権威のある会議だったのかな?)
何れにせよ昔のことで、一体大祝様の何がそんなに特別だったのか今となっては分かりません。
出雲系の神は他にも奈良の三輪神社の神がいます。こちらも出雲から亡命した神が現地軍に擁立され、
朝廷の前身となる勢力と戦って、敗れて、なお三輪山の神となったもののようです。
678 :
日本@名無史さん:02/07/19 15:02
>>664 確かに(w
ところで、盲目的に信じている読者って居るんでしょうか?
679 :
日本@名無史さん:02/07/22 04:04
ちょっと前に、井沢氏の講演を聴く機会があったですよ。
何だか、最初っから言ってることが無茶苦茶でした。
一例を挙げると、井沢氏は正史=正しい歴史とお考えのようで、
「『日本書紀』に書かれているようなことが、全て本当に起きたはずがない。
よって、これを正史だとして頭から信じている学者達はおかしい」
的なことを言っていました。そもそも、日本書紀を本当に起きたことが書かれている
などと思って研究している学者なんているのか?
その他にも、日本史に詳しくない自分でもツッコミ所満載なご高説を
軽快な口調で語っておられました。
小説としては面白いかもね、と言った内容で、基本的には自分にとって有利な
資料のみを取り上げ、自分の意にそぐわないものは、間違い、ねつ造扱い。
ある意味、興味深い講演でした。
ただ気になってたのは、お客さんのほとんどが、時間と金をもてあまして、
老後の趣味で歴史を学ぼうってかんじの、熟年以上の方が多く、
井沢氏の話を納得のため息などを交えながら、熱心に聞き入っていたこと。
盲目的に信じちゃう人々は多そうです(w
680 :
日本@名無しさん:02/07/22 23:28
>>679 井沢の肩持つわけじゃないけど、古代史においては
日本書紀を金科玉条のように考える保守的な人が多いことは事実。
それに、古代人が現代人のような考え方ではなく、もっと迷信や宗教を
真剣に信じていたことを考えるべきというのは納得できる意見。
ただその考えを戦国時代あたりまで持ち込むのはちょっとと思うけど。
言霊の影響力というのは平安時代までと鎌倉以降では格段に違うと思うし。
681 :
日本@名無史さん:02/07/23 06:47
『週刊ポスト』今週号「逆説の日本史」の井沢氏は、
一体何を言いたいのであろうか。
改暦について、信長は「グレゴリオ暦」そのものを施行
しようとしていてワケではく、「グレゴリオ暦云々」は
以前から指摘されていたことだ。
「西洋で「改暦」の動きがあるから信長もそれを真似た」
ということであろうか。
単に、概説の焼き直しではないのか。
氏は、「正史」への逆説を標榜しているが、
「正史」だって180°間違っているワケではない。
真実との20〜40〜60°のズレを逆説したら、
それこそ大間違いではないか。
682 :
日本@名無史さん:02/07/23 07:47
歴史の真実への逆説か????
683 :
電波@名無史さん :02/07/24 00:02
まさか「当年金神七殺」と言われて譲位を突っぱねられたので、
わざわざ「グレゴリオ暦」を持ち出した、とか言いたいのかな?
684 :
日本@名無史さん:02/07/24 02:19
それよりも、「三島暦ならば日食を予言できていた」という証明は
あったの?
これがなきゃただの言い掛りだと思うんだけど。
暦の作り方の基本が一緒である以上、土御門家や賀茂家よりも正確に
三島暦が作られているってことがあるのか?
今週の井沢氏は「信長は勤皇家ではない」ことをやたらと強調してたけど、
信長は勤皇家だなんて主張している人間なんて、戦前にしかおらんよね。
せいぜい今谷氏みたいな「確信犯的な勤皇家」、つまり政治利用のために
天皇を立てていたっていう主張まででしょ?
信長が明を征服して朝廷を相対的に封殺しようとしていたなんて話を
否定する人で、かつ信長に朝廷を滅ぼすつもりはなかったと考える人ならば、
残っているのは「確信犯的な勤皇家」しか有り得ないと思うわけだけど。
まあ井沢氏は史料を否定しながらも自分に都合の良い史料は全面肯定だし、
そのうえ日本語も満足に読めない人間らしいから、しょうがないけど。
686 :
日本@名無史さん:02/07/27 16:55
あ、久しぶりに上がってるw
そういえば、時代は下るけど、徳川綱吉が貞享元年(1684)三月に
宣明暦(いわゆる京暦)から大統暦(明暦・唐暦)に、
さらに同年11月には大統暦から貞享暦(保井春海作暦)に
二回も変更されてる。こんな度重なる改暦(混乱?)があったにもかかわらず、
朝廷との間にとくに何もなし…
当時の天皇は幕府嫌いの霊元天皇(「武蔵野は根本魔所」など)なのに…
武田研究家さん、復帰きぼーーーーーーーーーーーーーーーーん。。。
688 :
日本@名無史さん:02/08/01 11:57
鉄砲を大量に使用した信長を誉めるのは良いが、
その鉄砲を最初に日本に普及させた人物のほうがもっとすごいと思わないか?
689 :
日本@名無史さん :02/08/01 20:21
690 :
日本@名無史さん:02/08/02 00:13
>>689 鉄砲伝来と王直をからめるのは、近いようで遠いかもしれん。
王直が五島を根城にしたのは、鉄砲伝来よりも後だからな。
王直が関わったかどうかも、怪しいのではないか?
691 :
日本@名無しさん:02/08/03 01:01
>>687 いらねえよ、あんな奴。
ただの信玄びいきの信長嫌いが
井沢のこきおろしに夢中になってるのは
見苦しかった。
信長の優れているところ、偉大さは素直に認めるべき。
それを認めた上で信長の欠点を指摘するというのが本筋というもの。
692 :
日本@名無史さん:02/08/03 01:06
>>691 とりあえずオマエよりはマシだろうな(プ
693 :
日本@名無史さん:02/08/03 13:38
武田研究家、信長を認めているところは認めているよ
井沢の信長論が事実と全く違うから反論しただけ。
694 :
日本@名無史さん:02/08/03 17:16
>>691 その武田県研究家さんをも認めていたのが「セクハラ大魔王」氏(ははは…
695 :
日本@名無史さん:02/08/03 23:07
「信長のこきおろし」というよりは「井沢のこきおろし」
であるところがポイント。
696 :
世界@名無史さん:02/08/05 14:07
>>691 うぜえよ、おまえ。
ただの井沢マンセーの信長ヲタが
武田研究家のこきおろしに夢中になってるのは
見苦しい。
研究家の優れているところ、知識の豊富さは素直に認めるべき。
それを認めた上で研究家の史実誤認を指摘するというのが本筋というもの。
もっとも、おまえにそれが出来るほどな知識はあるまい(嘲笑)
697 :
日本@名無史さん:02/08/05 16:59
今週の逆説の日本史は一体なんなのでしょう?
立花京子氏を持ち上げるかと思ったら、今谷明氏や阿部龍太郎氏をこき下ろしたり、
いきなり八切止夫を持ち出したりと、支離滅裂……
698 :
日本@名無史さん:02/08/05 17:14
>>697 阿部龍太郎氏の「信長燃ゆ」でおいしいところ全部持っていかれたからじゃないの?
699 :
日本@名無しさん:02/08/05 17:51
700 :
日本@名無史さん:02/08/05 19:32
>>697 学界的には、立花の使命は終わったと
見られているらしい。
イエズス会を持ち出したことで、
八切と同じ運命を辿りつつあるようだ。
701 :
日本@名無史さん:02/08/05 20:44
>>700 井沢氏の使命も完全に終わった・・・
というより、もうすでに終わってるのを、
小学館と詳伝社が無理矢理稼働させてるって感じがするなあ・・・
「井沢元彦」って言う名前だけでさ。
702 :
日本@名無史さん:02/08/05 21:06
とっとと江戸川乱歩賞を返上しる!
>>ミコ雪さん
5月の講演会は東大ではなく、文京区民センター(入場無料)でした。
内容はというと、おなじみの
「徳川幕府が最も警戒していたのは『薩長』だった」
と言う話が主題でした。
(「徳川一門を全国に配置した理由」『日本史再検討2』収録)
でも、徳川幕府が成立当初に最も警戒していたのは本当は伊達藩なんですが・・・
どうせなら伊達藩の江戸幕府に対する経済戦略とか、明治維新の時の『輪王寺宮政権』とかまで
言及して欲しかったのがホンネですね。
705 :
世界@名無史さん(696):02/08/06 13:29
706 :
戦国少年探偵団:02/08/07 00:13
武田研究家さん、ご無沙汰しています。
その節は丁寧な返レスをしていただき、ありがとうございました。
さて、かなり前ですが、武田研究家さんが『武田水軍』について言及されていましたが、
こちらでも『武田水軍』について調べて見たのですが、調べてもほとんど分からないのです。
武田水軍の前身が、伊勢の北畠氏、北条、旧今川の配下の海賊衆(?)だったと言う事しか
わからないのです(涙)
武田研究家さん、もしご存知でしたら、教えて頂けませんでしょうか?
ご返事は、いつでも結構ですので・・・(夜中にすみません)
707 :
日本@名無史さん:02/08/12 18:59
今週と来週の逆説の日本史
「ネタがないので穴埋め。」
・・・・・・絶句。
井沢氏が関東ローカルのニュースに出ていたよ。
船橋の図書館の廃棄問題で藤岡信勝氏らとともに、訴訟を起こしたそうな。
そういえば、井沢氏は確か新しい教科書を作る会にも参加していたから、
藤岡氏とはそこで知り合ったのかな。
709 :
さりげなく名無しさん:02/08/14 18:17
710 :
日本@名無史さん:02/08/16 11:36
井沢が資料至上主義を否定しながら、「確かな資料」とか言って、自分に都合のよい資料
だけ使うのは、確かによくないことだと思うね。でも全体的にいって「言霊」とか「和」とか
いう日本人の本質をあらわすような事に視点を置くことは賛成できるけど。
711 :
日本@名無史さん:02/08/16 11:39
>でも全体的にいって「言霊」とか「和」とか
>いう日本人の本質をあらわすような事に視点を置くことは賛成できるけど。
もし井沢氏が精神分析においてプロ級であるというなら、
1.事実を抽出した上で
2.日本人の精神分析による行動理由解析
みたいな本を出せば一番なんですが、実際には
1.事実の抽出に失敗しており
2.行動理由解析はこじつけばかり
なんですよね。
712 :
名無しさん:02/08/16 19:37
>>711 井沢元彦氏は「作家」ですから、そんな要求をしちゃいけませんw
713 :
日本@名無史さん:02/08/17 01:34
井沢信者の某氏のホームページより。
「知識人にはそれぞれスタンスが違い(中略)いろいろ居ます。しかし、
自分の間違いを認められない知識人は信用することができない。」
・・・。
714 :
日本@名無史さん:02/08/17 01:55
井沢先生が生長信者ってホント?
靖国参拝マンセー主義者だってホント?
715 :
日本@名無史さん:02/08/17 04:49
>自分の間違いを認められない知識人は信用することができない。
これほど間違いだらけの歴史を語って、しかもベストセラーなのは
井沢さんぐらいだが、ご自身どうお思いかと。問いた(略
716 :
日本@名無史さん:02/08/17 12:26
井沢氏の古代から中世くらいまではおもしろかった。
ただ、聖徳太子や和歌についての記述は、相当部分、梅原猛の説を
下敷きにしている。また怨霊に関する記述は、永井路子の悪霊列伝を思い起こします。
その他にもいろいろ種本があるようであり、必ずしも独創的な説ではありません。
まあ、ああした観点で通史を書こうというのは、よく言えば意欲的挑戦であり、
その分、無理をしていることも多いのかと思います。
718 :
日本@名無史さん:02/08/17 16:00
戦国に入って「ああした観点」はすっかりなりを潜めたね。
信長マンセーマンセーマンセー!!
>これほど間違いだらけの歴史を語って、しかもベストセラーなのは
>井沢さんぐらいだが
司馬りょうたろうをお忘れですぜダンナ
720 :
日本@名無史さん:02/08/17 16:46
まあ、通説を打破しようというのだから大変でしょ。
当たり前のことを書いていては逆説にならない。
十分研究した時代だけ書けば論争にはなっても、そんなに非難されないのにね。
通史にするからボロが出るのでしょう。まあ、力量不足ですよ。
やるなら、チームを作って取り組まないと、通説を否定しつつ日本史すべてを
見直すなど不可能かと
721 :
日本@名無史さん:02/08/17 18:55
722 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:16
井沢氏の考えからいくと、日本三筆も、不幸な死を遂げた人になるわけですよね?
橘逸勢・空海・嵯峨天皇。
逸勢は承和の変で失脚したからまだしも、空海、嵯峨天皇は・・・?
723 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:24
>>720 信長編は通説のまんまがむしろ多いけどね。
まあ通説でも及ばぬマンセーぶりには呆れるばかり。
井沢さんは知的所有権を侵しまくり。
しかも恣意的に・・・
725 :
日本@名無史さん :02/08/20 00:50
>>724 「逆説の日本史」第九巻での「長篠の合戦」の内容について、
中村彰彦氏から「剽窃」「無断盗用」とか訴えられてもおかしくないな。
作る会と一緒に船橋市訴えるのと別に、井沢氏も中村彰彦氏から訴えられる
可能性がありえるって事を(以下略)
726 :
日本@名無史さん:02/08/20 01:39
>>723 信長が現世での自分のボス、ナベツネに重なるからマンセーしてるんじゃないの(藁
読売の犬が
727 :
日本@名無史さん:02/08/20 01:40
知的所有権に鈍いとこも読売そっくり
朴李め
勝共チョンの犬が
728 :
日本@名無史さん:02/08/20 04:28
なんでこのスレは井沢にこんなに怒っているのだろう?
井沢の説には首をひねる部分が多いが、面白いのは間違いない。
729 :
日本@名無史さん:02/08/20 10:18
面白いと思ってるのはお前だけ
そんなにくだらないなら、とうの昔に連載打ち切りとなっているはずだが、
どうなのだろうか。
ここは日本史板だよ
732 :
日本@名無史さん:02/08/20 15:46
まともな歴史の知識を持っている人たちは井沢を嘲笑するか無視する。
知識があるけど性格のよくない連中は井沢を叩くことで快感を覚える。
歴史のレの字も知らない馬鹿は井沢説を鵜呑みにし、井沢を弁護する。
733 :
日本@名無史さん:02/08/20 15:59
>>732 追加:
出版社は「これが21世紀の歴史教科書だ!」などと井沢を持ち上げる。
734 :
日本@名無史さん:02/08/23 20:31
>>730 本日(2002年8月23日)発売の週刊ポストの「逆説紀行」で、休載宣言とも取れる発言してた。
735 :
日本@名無史さん:02/08/24 11:23
>>734 720-732
素人に突っ込まれる位だから、
ま〜しょうがないのでしょうね。
でも、本当に具合が悪いのでなければ・・・・・
736 :
日本@名無史さん:02/08/24 11:40
>>735 秀吉編については「歴史“再発見”物語」であらかた書いてしまっているし・・・
あ〜あ、どーすんでしょうね>井沢氏
737 :
日本@名無史さん:02/08/24 11:57
おもしろいし、いいんじゃない。
読物でしょ。論文じゃあるまいし。
738 :
日本@名無史さん:02/08/24 12:12
でも、その区別が付かない奴羅も多い。
739 :
日本@名無史さん:02/08/24 12:20
>>737 うん、たしかに面白い。
どんどんトンデモ本化していくところなんか特に(笑)
740 :
日本@名無史さん:02/08/24 13:59
だって信長編で、
信長→最強・天才・最高・オリジナル
とやっちゃって、秀吉はパクリのみ、家康は最悪と書いちゃったから、
これ以上書きようがないじゃん。
「せっかく信長が日本を変えようとしたのに、家康が最悪だったので
江戸時代は暗黒時代ですた」
なんて話じゃ、逆説にも何にもなっていない。
「逆説の日本史」じゃなくて「逆行の日本史」だな。こりゃ。
742 :
日本@名無史さん:02/08/24 14:41
741に胴衣age
743 :
日本@名無史さん:02/08/24 14:52
誤爆スマソ
745 :
日本@名無しさん:02/08/25 00:53
>>740 部分的に言えばその通りなんだけどね。
家康が日本人の悪い部分をかなり作ったということは否めない。
「歴史について確かな知識」なんて言って、井沢を嘲笑する人は
何を確かな知識だと思っているのかを知りたいね。
井沢を全面否定するのではなく、ちょっと考えてみることは必要では。
746 :
日本@名無史さん:02/08/25 01:28
>>745 全面否定ではなく、部分否定。
ただし、井沢氏は素人目にも分かる失態を繰り返すので(以下略
>>722 「弘」の文字には意味あるのかな?
弘法大師・・・空海
 ̄
弘仁天皇・・・嵯峨天皇
 ̄
弘文天皇・・・大友皇子
 ̄
748 :
日本@名無史さん:02/08/25 03:09
>>745 家康が作ったと思うか?んなもん。すでに毒されとるのう・・・
749 :
日本@名無しさん:02/08/25 09:36
>>748 別に井沢の本を読む前からそう思ってたから、毒されたということではないよ。
一番の家康の罪は文明の発達を無理やり押さえつけたこと。
特に船舶に対する制限とか。
身分を固定したのもそれまでよりはるかに厳しい差別化を生んだと言えるのでは。
750 :
日本@名無史さん:02/08/25 18:50
>>737 読み物を読み物だとわからず、専門書と同等だと勘違いする「信者」がいるのが
最大の問題。
751 :
日本@名無史さん:02/08/25 19:07
読物の方が大局を表すことはあるわな。
専門家に大局が出せない方が問題。
752 :
日本@名無史さん:02/08/25 19:47
>>749 家康より秀吉の方がひどくないかな?
八幡船や太閤検地、惣への介入・・・
それをある程度緩和したのが家康じゃないの?
それに身分制度についても、そんなに厳格じゃないでしょ?
(柳沢吉保、間部詮房、大岡忠相、田沼意次とか・・・)
それに身分制度では必ず引き出される「被差別階級制度」にしても
「(中世以来の)神人」という側面があるし・・・
753 :
日本@名無史さん:02/08/25 21:49
>>749 >特に船舶に対する制限とか。
家康が抑えつけたのは軍船に関してだけですよ。
軍船は500石積までと定めた。
商船は江戸時代を通じて大いに発達し、2000石積を超えるような
レベルがガンガン造られていたわけだし、弁財船の発達によって
純国産の純帆船が誕生したのも江戸時代だし。
754 :
日本@名無史さん:02/08/25 23:41
>>751 電波で無理矢理繋げたものを大局とは言わない。
755 :
日本@名無史さん :02/08/25 23:50
>>751 まあ、専門家でも一歩間違えると電波になっちゃうからね。
丸谷才一とか網野善彦とか・・・
>>755 網野善彦、おもしろくて結構読んだんですが、
電波だったんですか? どの本がやばいんですか?
(スレ違いですが。。。)
758 :
日本@名無史さん:02/08/26 03:50
アズマとか東国とか言い出すと途端に電波入るなあの人は。<網野
759 :
日本@名無史さん:02/08/26 15:29
>>751 751の論理
1.読み物のほうが大局を著すことがある
2.井沢の本は読み物
3.だから井沢は大局を著す
反論。井沢氏の本が読み物だからといって大局を著すとは限らない。
そんなに大局大局言うなら、井沢氏のどこが大局を著しているのか説明願おうか。
小説家の丸谷才一さんが、歴史の専門家なのかなとびっくりして
(煽りのつもりではなかったのですが)質問したのですが、
ここのスレの過去ログ読み返してみると、
井沢さんの著書にいちゃもんつける割には、
ご自分の書かれた内容に質問すると、途端にレスがにぶくなるので、
この板には専門的見地からレスつけられる人が見当たらず、
なんだかがっかりしましたです。
761 :
日本@名無史さん:02/08/26 21:24
>>760 がっかりしてくれい(w
つか、丸谷氏は最近、小説を書いていたかにゃ〜?
「作る会」の罵倒本で、すんごい電波出してたけど・・・
762 :
日本@名無史さん:02/08/26 22:00
丸谷才一、井上ひさし、佐高信、大沼保昭…
山形県人は体制に反対するためだけに電波を発して
まともな対案を示せない人が多いです。
同郷人として情けないです。
763 :
日本@名無史さん:02/08/26 22:52
井沢の電波から目をそらしたい人が居ますねw
764 :
日本@名無史さん:02/08/26 22:53
ここのスレの過去ログ読み返してみると、
井沢のファンがアンチにいちゃもんつける割には、
ご自分の書かれた内容に質問すると、途端にレスがにぶくなるので、
井沢擁護派には専門的見地からレスつけられる人が見当たらず、
なんだかがっかりしましたです。
767 :
日本@名無史さん:02/08/28 17:10
>>766 専門的な歴史研究がわかっていれば、そもそも井沢信者にはならんよ。
「逆説の日本史」第9巻を読み返してみると、
井沢さんの書かれた内容は、ほかの人の文章のぱくりばかりなので、
かつてのような井沢さん独自の視点で切り込むようなところが見当たらず、
なんだかがっかりしましたです。
769 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:09
>>768 井沢には史料を読む能力がない(くずし字がどうというレベルでなく、活字でも読解できない)。
だから、他人の本を読んで、適当につなぎあわせるための電波理論で強引に結論に持っていくか、
そのままパクるしかできない。
770 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:16
信長編の最終回なんて、モロ告白。
秀吉編は、多分、永遠に無いのかもしれないね。
771 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:20
とりあえず井沢は「確信犯」の意味を知りません。
強引な理屈で持っていくなら、山室恭子さんを見習って下さいです>井沢せんせ
773 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:41
>>772 つか、秀吉編でぱくられる人の名前をあげてどうする(藁
774 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:41
>かつてのような井沢さん独自の視点
そんなのあったか?
775 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:47
776 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:52
≫かつてのような井沢さん独自の視点
>そんなのあったか?
小説家としての想像力、いや妄想でしょうね。
でも、マスコミを意識してからは、まともなことを
言おうとしてパクリに走ったのでしようね。
でも、それも限界だね。
777 :
日本@名無史さん:02/08/29 05:45
ヤフ板の井沢トピックにはvalcanという井沢信者がいたな。
「信長は世界で初めて市場経済の重要性を認識した政治家」という
恐るべき電波を発していた。
突っ込みが激しくなったとたんに「井沢と関係ないからやめよう」と逃げる(w
おいバルカン、ここ見てるんだろ!
>「信長は世界で初めて市場経済の重要性を認識した政治家」
の説を論じてみろよ。
778 :
日本@名無史さん:02/08/29 07:35
( ´,_ゝ`)プッ
779 :
日本@名無史さん:02/08/29 09:21
まだ四巻ぐらいまでしか読んでないんだけど
そんなにひどいの?信長関係の記述
このスレ見るとその部分だけ徹底的に批判されてるみたいだけど。
>>779 武田信玄編あたりからでしたな。
「武田信玄が上洛できなかったのは・・・・・・既存の権威に取り込まれたからである。」
このあたりがターニングポイントかな?
んで、信長編になると、
「信長は・・・足利尊氏のような性格だった」
「信長が髑髏杯を作ったのか、それは当時の宗教観についても触れなければならない」
・・・と言いつつ結局触れずに信長編は終了。
さらに、
故・藤沢周平氏をけなすわ、「武功夜話」を引用するわ、しまいにゃ引用した
今谷明氏、立花京子氏まで批判するわ、支離滅裂・・・
781 :
日本@名無史さん:02/08/29 15:41
>>779 5巻の源平編は、義経のところを別とすれば意外とまともなこと書いている。
と思ったら、ほとんどがパクリだ。
782 :
日本@名無史さん:02/08/29 15:48
入門書としては悪くないのでは?
井沢は説明上手だし。内容はおかしくても
783 :
日本@名無史さん:02/08/29 15:55
今谷明氏の「室町の王権」読んだら、
「元」「徳」「治」という字、あまり縁起のいい字でないから、っていう理由で
年号からは、避けられているっていうのをみてワラタ
784 :
日本@名無史さん:02/08/29 16:04
>>780 信長編の最終回は「終了」というより「あぼーん」という言葉がふさわしいと思われ
>>782 通りすがったもんで、井沢本は一冊も読んでないのだが、あまりに気になるので一言。
内容がおかしかったら、入門書としては不適格に決まってるだろ。
786 :
日本@名無史さん:02/08/29 19:32
>>785 そりゃそうだ。
>>781 井沢には史料を読む能力がないから、自分で研究することができないんだよね。
他人の本の内容を電波理論でくっつけて強引に結論に持っていくか、
そのままパクるしかできない。
>>786 が納得するかどうかは別として、
第1巻の巻頭から、
※「史料至上主義」
を批判してるのだから、研究=史料読解と考えていないと思われ。
つーか、史料読めないことへの批判封じの巻頭言とも言える。
しかも、第1巻では、ところどころ史料至上主義の難点を
うまくついていると言えなくもないし。
788 :
日本@名無史さん:02/08/30 06:06
学者だって正しく史料を読めないやつは多いが、
井沢は、多分、孫引きででしか史料にあたっていない
ようだね。
789 :
日本@名無史さん:02/08/30 06:11
井沢のおやじは今谷明の義満研究をさも自分が発見したみたいに
得々と書いていたときからドキュソなおやじだと思っていた。
昔やってたNHKの日本史の番組(いろんな作家がテキトーな仮説
を立てまくって遊んでいた番組)でヨタなことも言いまくってました。
困ったねぇ。
790 :
日本@名無史さん:02/08/30 07:52
史料至上主義を批判するのはいいが、まず自分が史料を読めなくては
正当な批判ができるはずもない。
レトリックで専門家を批判するのではなく、
史料を読んだ上で新しい分析をしなくては、
単なる電波に終わる。
791 :
日本@名無史さん:02/08/30 12:27
井沢氏の本は面白いので好きですが
やっぱり、いわゆるトンデモなんですかね…。
いや、そう思いたくはないんですが。
792 :
日本@名無史さん:02/08/30 14:47
>>791 思いたくなくても、事実はトンデモ本です。
>>791 「逆説の日本史」連載当初のコピーは
「気鋭の推理作家・井沢元彦が歴史の真実に迫るノンフィクション推理小説」。
>>792 と学会がいつ取り上げるかが楽しみ(w
今度、人権研修に井沢センセが講師で来るというので、
どんな電波なお話が聴けるのかなあって非常に楽しみです。
ってゆーか、センセに人権の話なんてできるの?
795 :
日本@名無史さん:02/08/31 00:04
出来ます。立派な方です。
先生に勝る、他の立派な方をあげてみてください。
796 :
日本@名無史さん:02/08/31 02:07
>>787 >>788 唯一、ご自分で購入なされたと思われる『信長公記』だけは
散々使ってますな。
まあ読み方はドキュソだしつーか都合の悪い部分読んでないフリしてるけど。
>>795 とりあえずageとくね。
本田豊、みなみあめんぼう、小林よしのり、内藤正敏、小松和彦、豊田有恒、
櫻井よしこ、橋本大二郎、阿部謹也、有田芳生、高杉晋吾、
補欠:呉善花、金美齢
次点:網野善彦、
論外:江川紹子。
ほえほえ。
798 :
日本@名無史さん:02/08/31 11:04
>>793 すでに取り上げられているよ。小さな扱いだけど。
と学会が井沢元彦を取り上げたのは、『トンデモノストラダムス本の世界』で山本弘が
五島勉のノストラダムス本に推薦文をつけた人の一人として名前を何度かさらし上げて
いるところ。
799 :
日本@名無史さん:02/08/31 11:11
>>797 申し訳ないが、そういった方とは比較になりません。
800 :
日本@名無史さん:02/08/31 11:11
800!
山本弘もファンタジー作家の分際で偉そうなドキュソだけどな。
802 :
日本@名無史さん:02/09/06 17:14
秀吉編のネタは金完燮氏から(「親日派のための弁明」の著者)ですかい>井沢せんせ
>>798 フィクションとして読んだら、山本弘の小説なんかよりはるかにおもしろい。
804 :
日本@名無史さん:02/09/08 01:00
>>803 だから、皆が「読み物」だと思っていれば全然問題ないのです。
井沢の本が最先端だと勘違いしている信者がいるのが問題。
805 :
日本@名無史さん:02/09/08 15:28
806 :
日本@名無史さん:02/09/08 16:13
>>805 史料をもとに「井沢説はおかしい」と正しいことを述べるのが何故アンチかな?
井沢が白黒はっきりしない点を書いていて、
それに対し一方的に否定するのはアンチだが、
明らかな間違いを否定することはアンチではない。
807 :
おばはん@武蔵野市民:02/09/09 04:37
秀吉編始まったと思ったら、いきなり差別ネタ?>井沢
あんたさあ、多指症って東アジアじゃ「仏様の生まれ変わり」って言う伝承知らないの?
よくそれでまあ、ご大層にチベット問題なんぞを語れるわね(激怒)
あんた、マジで消えてよ。この恥さらし。船橋市に税金納めなくていいからさ。
あ〜、本当に腹の立つ。このデブ!
808 :
日本@名無史さん:02/09/09 08:15
>>806に補足。
井沢とその信者は806を「史料至上主義」と批判するだろうが、
過去の事を調べる方法は史料に当たる以外にない。
織田信長の存在だって史料によってしか確かめられないのである。
史料至上主義というのは、結果が先にあり、
史料の中にその結果に繋がる言葉を、目を皿にして見つけること。
例えば「信長は偉大」という先入観が頭にある。
それで信長の優れたところを史料の中から拾い出す。
ひどい奴になると輪をかけて強調する。
それが誰のことであるかは言うまでもない。
史料至上主義者は、史料至上主義を否定する井沢自身だ。
809 :
日本@名無史さん:02/09/09 14:11
一般人には、学者よりも井沢の説のほうが優れている、
なんて思われているのが非常に腹立たしい。
こんなことを続けるなら井沢は氏んでいいと思う。
810 :
日本@名無史さん:02/09/09 14:44
>>809 そんな井沢の足元にも及ばない学者(including you)
がうじゃうじゃいるもの事実だな。
恥じて自害しろよ。
811 :
日本@名無史さん:02/09/09 15:38
809って学者か?
812 :
日本@名無史さん:02/09/09 15:49
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813 :
日本@名無史さん:02/09/09 15:51
井沢氏が優れているのは文章をわかりやすく書く能力。
さすが小説家だ。皮肉じゃなく。
しかしまったくといっていいほど史実を理解していないから批判が溢れる。
810殿は井沢氏の確信犯的ともいえる史実誤認を弁護するかな?
>>809 >学者よりも井沢の説のほうが優れている、
>なんて思われている
それは井沢氏のせいじゃない。井沢氏マンセーの馬鹿が悪いんだよ。
氏んでいいなどと言うのは井沢氏に失礼というもの。言葉には気をつけてね。
私は、現在ソフト開発に携わっていて、学生時代は数理物理学をやっていた
根っからの理系なので、歴史は好きだけど、もちろん研究ではなく
既存の「お話」を楽しむ以上のことはできない者です。
だから、歴史のパースペクティブは、高校のときの山川出版の日本史・世界史と
中央公論社の日本の歴史・世界の歴史で、できあがってます。
で、仕事の合間に楽しみで読む本の中には、塩野七生のイタリア史だったり、
阿部謹也のヨーロッパ中世史だったり、網野善彦の「日本の歴史を読み直す」
だったりする中に、井沢元彦の「逆説の日本史」もあったりするわけです。
そんな私が、一つ思うことに、井沢元彦の書いた中身ではなく、
提示した問題に対して、学者は何らかの回答を仕事の中で提示すべきだと思うのです。
それは、
・史料に書かれていないことに対して、整合的な説明のための仮説を、どう立てるべきか?
・理由があって「書けない」ため史料がないのか、「事実なかった」ので史料がないのかを、どう判断すべきか?
ただ、もちろんそのための方法は、徹底的な史料の発見と研究の成果以外にはないとは思うのですが、
その結果を組み立てる才能も勿論要求されるでしょう。
科学史でいうところのトマス・クーンの「コペルニクス革命」(講談社学術文庫)や
山本義隆「重力と力学的世界―古典としての古典力学」(現代数学者)のような仕事を見てみたい気がします。
そういう成果を、昔だったら司馬遼太郎、今なら井沢元彦のような文章の達人が読み物にしてくれる
というのが、私のような楽しみで歴史のお話を読む者にとってはウレシイのですけれども。
( 消費者の勝手な要望のような気もしてきました。。。(^^; )
815 :
日本@名無史さん:02/09/09 17:51
>>814 井沢も司馬も、清水義範にパスティーシュされる、と言ってみる罠
101 名前:日本@名無史さん :02/09/09 20:47
新人物往来社
1.歴史学の一般向け書籍を主に出版している出版社。
2.文献、考古を問わず、いわゆる専門家からは評価が低い出版社で、彼らが「歴史読本」を立ち読みするときはエロ本を立ち読みする厨房のように同業者に見られていないかコソコソと立ち読みする。
3.評価が低いわりに専門家達は小遣い稼ぎに喜んで「歴史読本」に執筆する。
817 :
日本@名無史さん:02/09/10 05:39
>>814 >徹底的な史料の発見と研究の成果以外にはないとは思うのですが、
井沢氏はその徹底的な史料の研究を怠っているのですよ。
史料もなしに歴史を書こうとするから、井沢氏は非難されているのです。
>その結果を組み立てる才能も勿論要求されるでしょう。
井沢氏の問題は、
信長の優れた点に関しては
・史料にあることは針小棒大に
・史料にないことは新説登場、しかも支離滅裂(これを人は電波という)
信長の欠点については
・史料にあることは「史料至上主義」と却下
・史料にないことは当然書かない
なのです。
司馬遼太郎のように小説で信長を持ち上げるのは自由ですが、
「自分は歴史の真実を解き明かす」と宣言しながら、
本来の信長像からかけ離れたものを書くことは正しいことではありません。
井沢氏や井沢板の管理人さんもここを見ているようですから一言。
一度自分たちのやっていること(はっきりいうと愚行です!)を冷静に見直し、
謙虚な姿勢で反井沢の人たちの言葉を聞いてもらいたい。
>>817 >>徹底的な史料の発見と研究の成果以外にはないとは思うのですが、
>井沢氏はその徹底的な史料の研究を怠っているのですよ。
>史料もなしに歴史を書こうとするから、井沢氏は非難されているのです。
だから、「ただ、もちろんそのための方法は、・・・」と書いたのですが。
僕の文脈では、
※井沢元彦の著書は問題提示(1巻とか)は適切な気がするが、
中身(実際にやってること)は、正しくない。
というつもりだったのですが。
きちんと読まずに、いきなり叱り飛ばさないで下さい。
819 :
日本@名無史さん:02/09/10 16:16
>>815 清水義範が井沢をパスティーシュしたのって単行本になってる?
教えて君でスマソ スレ違いスマソ
821 :
日本@名無史さん:02/09/10 16:57
>>820 「偽史日本伝」収録の「嵐」。
これは井沢氏の「洛陽城の栄光」のパスティーシュ。
ちなみに同所収録の「戦国情報ウォーズ」には
「井沢元彦の歴史の真実に迫る推理も読めない」という例のコピーが(w
×同所収録
○同書収録
824 :
日本@名無史さん:02/09/10 23:14
私も、814さんと同じく学生時代は物理学、現在は市役所で
プログラマーをやっています。
中学生の頃から歴史物が好きだったので、家には歴史関係の本も
結構あります。
特に、梅原猛氏の本が好きで「水底の歌」「隠された十字架」は
かなり影響を受けました。
このスレに居られる方で梅原猛氏の上記2冊に関してはどう見られて
いるのかお伺いしたいのですが。
825 :
日本@名無史さん:02/09/11 00:08
>>824 私もかつて「へーそうなんだ」と読んだ口ですが、
史学をつまんだ今では、
「…梅原さん、哲学だけにしといた方が…」
という気持ちでいっぱいです。「大学者も分野外ではDQN」
という好例のような…。合掌。
いやはやすごいね、信長マンセー対信玄マンセー。
こまかいことはともかく、結局最後は結果で人は評価される。
どんな馬鹿でも結果を出せばそれに優る人より、評価される。
信長がどんなダメな残虐者であれ、信玄がどんなすばらしい(信長より)人であれ
結局は誰が最後に天下をとったか。運がよかった、悪かったは言い訳としか
観られないのが実際の社会。それは現代の社会でも同じ。
信玄が信長より早く死んだのも、政宗が遅れて生まれたのもそういう宿命。
結局最後に天下をとった家康が勝ち。約200年も続いた自らの政権を気づいた家康の勝ち。
そしてその礎を築いた信長の方が信玄にやや勝るのではないか。
なんて思うのだが。
余談:信玄マンセーはなんとなく「中学の頃は俺のほうがずっと勉強が出来た。」
といっている社会人やや落ちこぼれの人」みたいだ。要は結果ですよ。
827 :
日本@名無史さん:02/09/11 00:24
>>824 梅原猛は私も愛読しています。ただ、どのような著者の本でもそうですが、
同じ問題を取り扱った、他の人の著作を読むべきだと思います。
>>825 梅原猛の評価そのものは別として、専門家は他の分野について口を出しては
いけないと言っているようでいかがなものかと思います。間違っているなら指摘すれば良いだけの
ことかと思います。
828 :
日本@名無史さん:02/09/11 03:36
>>826 とりあえず馬鹿は帰れ。
まあアンタも幼稚園児の頃は神童と呼ばれたんだろうけどねえ(w
829 :
日本@名無史さん:02/09/11 05:06
817=819ですが、826に一言。
私は信玄マンセーでも信長マンセーでもありません。
どうして井沢ファンは氏に反論すると信長を認めない人間扱いするのでしょう。
信長と信玄の能力を比べれば貴殿が言うとおり信長が上だと私も思います。
私たちは信長を貶めているのではなく、
井沢氏の歴史観がとんでもない方向に行っていると発言しているだけですが。
ここは井沢スレです、信長と信玄の比較ではなく、
井沢氏の著作の範囲内で語っていただきたいですね。
それができなければ信長スレ信玄スレに行ってください。
830 :
日本@名無史さん:02/09/11 06:51
>>827 ご指摘は一面においてはごもっともですが、学問を担う者として
守るべき分限はあると思いますけどね。反対に、自らの標榜する
思想・哲学などを具現化せんがために史学をだしにするのは
いかがなものか。彼の前では史実が観念によって曲がります(笑)。
831 :
日本@名無史さん:02/09/11 07:57
>>824 私も「水底の歌」「隠された十字架」は真実に近いんじゃないか、と今でも思ってるんだけど。
しかし反論の方を具体的に聞きたいですね。
832 :
日本@名無史さん:02/09/11 08:38
>>831 そうした質問にはさんざ悩まされたことがある
(書いても「私はそう思わない」ってだけのヤシ)
から、まずは「真実に近いんじゃないか、と今でも思」う
理由を聞かせてよ。「思う」「感じる」「信じてる」だけ
だったら勘弁ね。
あえて言えば梅本氏の著述にも井沢氏にもそんなところがある。
>>825・827・832さん
827さんの仰るとおり「他の人の著作を読むべき」だと思いますので、
出来たらその分野の本、ご紹介いただけないでしょうか?
前述の通り、私は物理出身ですのでその辺の事は疎いもので。
>829
気を悪くしタンならごめんなさい。
実は最近の書き込みは読んでないんで829さんに対していったんじゃないんだけど
最初の方からいろいろ読んでいての感想を云ったまでです。
829さんのように真面目に井沢氏の論調を批判している人はいいのですが
戦国板からまぎれてきたような煽りのマンセー達が目に付いたものですからつい。
>828さん
えっと、僕は神童でもなかったしどちらかといえば出来の悪い子でした。
いや、今でも出来の悪い大人です。
追記
>829さんへ
僕的には737サンの意見と同じなんです。
井沢氏の本をそんな大層に考えなくていいのでは。所詮読み物なんだし。
僕としてはいろいろ歴史関係の本を読んだけど氏の本は一番目新しくて面白かった。
それが氏のオリジナルの説かどうかなんて僕には関係ないんです。
いろいろは人の面白い説を紹介してもらっただけで。いわばオムニバスでいい。
それによって一部の信者が生まれるかもしれないけど、歴史誤認をおこすといえば
NHKの大河ドラマのほうが影響を与える人の数からしても問題だと思うのですが。
NHK=真面目=正しいだろうという一般認識からも。
話がずれてすみません。
836 :
日本@名無史さん:02/09/11 23:31
>>835 >NHK=真面目=正しいだろうという一般認識からも。
普通はそんなこと思わないよ^^
ドラマはドラマだってわかる。
「殿! 千載一遇のチャンスでござりまするな」
とか言ってたりして。。。さすがにないか。
でも、「トミーとマツ」じゃなかった「利家とまつ」を見て、
『正しい歴史』とか考えないじゃない。
往年の市川染五郎、根津甚八、川谷拓三の出てた『黄金の日々』は、
実在かどうかとか、時代考証といった高尚な理由でなく、単に
視聴者多数のお手紙で、石川五右衛門の釜茹刑が、油じゃなく水になったっていうし。
(残酷だから見てらんない♪ とさ)
>それが氏のオリジナルの説かどうかなんて
人間としてそれって許されると思います?
>氏の本は一番目新しくて面白かった。
あまり外で言わないほうがいいと思います。
見識を疑われます。
>838
いやはじめて氏の本を読んだ時は(高校生の頃、10年位前)には
僕には目新らしかった。見識を疑われるほど身近に歴史のことを詳しい人いないんで。
>836,837
いや、結構まんまああだとおもってるよ。あまりドラマだと思ってみていないよ。
だってそれを否定する知識のない人のほうが視聴者には多いもんね。
840 :
日本@名無史さん:02/09/12 08:11
>>832 「隠された十字架」に救世観音の光背は頭に釘で打ち付けられてるって書いてあったが異様な話だな。
841 :
日本@名無史さん:02/09/12 16:08
>>ななしこ殿
>井沢氏の本をそんな大層に考えなくていいのでは。所詮読み物なんだし。
その「読み物」の中で、歴史の真実を解き明かすと大法螺吹いてみるとか、
史料を研究する人に対して史料至上主義と批判するなどの目に余る行動については如何?
大河ドラマを史実と思い違いする人は多いけど、
真面目に研究する人たちを愚弄することはしていません。
井沢氏との根本的な違いは、そこにあります。
>それが氏のオリジナルの説かどうかなんて僕には関係ないんです。
オリジナル云々は私は発言していません。
井沢氏が書いていることはパクリと批判だとするのはおかしいと思います。
多くの歴史家の説だって、ほとんどが過去の研究の積み重ねの延長にあるでしょう。
ただ、ある意味井沢氏のはオリジナルですよ。あれほどの信長超過大評価は。
842 :
日本@名無史さん:02/09/12 20:09
自分の周りにはマジで井沢に対して盲目的になってる人が
結構多いぞ。所詮読み物という認識は絶対間違ってるね。
しかも日本史以外の分野では井沢は認められているところもあるし、
そこから引き込まれてこの『逆説の日本史』を読んで信者的に
なってしまう人も多そう。本当になんか不安なんだよな・・・。
843 :
日本@名無史さん:02/09/12 20:22
844 :
日本@名無史さん:02/09/12 23:11
まー、最近は、井沢氏にとって都合の良い史料や論文などが
たくさんそろっていますからねえ(苦笑)。
織田信長、豊臣秀吉、石田三成、徳川家康、伊達政宗、徳川綱吉、
さらには幕末、などなど・・・。
売れてなんぼの出版業界にとって「井沢元彦」の経済効果はどれぐらいの
効果をもつものなのかな?などと言って見る罠
845 :
日本@名無史さん:02/09/12 23:18
>841
>真面目に研究する人たちを愚弄することはしていません
なんだろな、井沢氏はその真面目さ故の資料至上主義を批判してるんではないかと、
僕なんかは感じるんですけど。歴史学者に限らず学者の閉塞的な学問環境に警告を
しているのではないかと。まあ、批判された学者にとっては失礼でしょうけど。
学者にも特定分野だけでなく総合的な学問的な知識と視点をもとめてのことだと
思ったんですけどね。
>オリジナル云々は私は発言していません
ごめんなさい。僕はあなたの発言に対していったわけじゃなくてこのスレの流れに
大して思った事をかいてるだけで、あなたの意見にいったんじゃないです。悪しからず。
まあ、井沢信者であれ、アンチであれ、それが現実にそれほど影響を与える事でないと思う
僕にとってはある意味どっちゃでもいいんですけどね。僕にとっては極端な説でもなんでも
歴史の見方に対する一意見として、説のひとつとして得られればいいし。ありきたりの
教科書的な歴史にうんざりしてたから。
あと盲信的な井沢信者がいたところでその人はその程度の人だろうし。
ほんで信長の過大評価については僕は信長好きだから特にきにならないし。
どっちにしろ、他の戦国大名や、歴史上の(日本のね)人物では上位に位置付けられるじゃ
ないかなって思う。詳しい理由かくとまた反論されそうだからやめます。
そんな詳しくないし。フィーリングでいってるだけだから。
847 :
日本@名無史さん:02/09/13 00:48
>資料至上主義を批判してるんで
批判するのは勝手だが
資料的根拠もないことをばらまくのは、アラシである。
>閉塞的な学問環境に警告をしているのではないかと。
別に警告してもらわなくても、学際的研究・共同研究なんてのは
とっくの昔から行われてるよ。
だいたい井沢が換骨奪胎するために借りてくる説の殆どが
そういうもんじゃねえか。
>現実にそれほど影響を与える事でないと思う
>ありきたりの教科書的な
>極端な説でもなんでも
>フィーリングでいってるだけだから。
ほらほら影響与えてるじゃん。
教科書はしょうもなくて、極端で面白いほうがいいって。
歴史をフィーリングで語っていいんだって。
あんた、まさに典型だよ。
848 :
日本@名無史さん :02/09/13 01:10
なんか847はあつくなってます。だれかさましてやれ。
849 :
日本@名無史さん:02/09/13 01:20
んー、俺もどっちかというとななしこさんヨリかな。
学者じゃないから俺にとって歴史はエンターテイメントのひとつだし。
まあそれでも大河はあれだけど。
いままで読んだいろんな歴史関係の本より「逆説-」の方が何倍もおもしろかった
のは事実だからな。847さんは学者さんなのかな。だれも847サンを責めてないのに
あつくなってるよね。
850 :
日本@名無史さん:02/09/13 03:10
「逆説」は面白いかもしれないけど、それは「逆説」が完全な
読み物だからですよ――という認識が広まらなければ
歴史学の将来は危ういと言わざるを得ない。
井沢のやり方に味をしめて我も我もと才能の枯渇した作家どもの
草刈場となったら最後である。
851 :
日本@名無史さん:02/09/13 03:18
でわ、井沢先生以上にひどい信長賛美者の本を紹介しときます。
小室直樹著「信長の呪い」(光文社:カッパブックス)
小室直樹氏は同書で、
「織田信長は、応仁の乱以降の日本国内のあらゆる混乱を収拾した(中略)
現在も続く、さまざまな日本文化にある自己犠牲、滅私奉公、そして組織への極端な忠誠心など、
宗教的な精神論を日本人に植え付けたのが、織田信長である。
織田信長の呪いと言うべき、日本人への精神の呪縛の影響は、
ヒトラー・スターリンなどの比ではない」
井沢元彦氏と小室直樹氏は「日本史再検討」シリーズで対談しており、
小室直樹氏の本が、井沢元彦氏のハイパー信長マンセーぶりにどれだけ影響を与えたかは、
他者には計り知れませんが、ともかく井沢元彦氏を軽々と超える小室直樹氏の
「信長マンセー本」の主旨を書いておきます。
じゃぁ、史料批判は、ひとまずおいておいて、
※日本の学者は、宗教的な観点を無視する
という発言はどうなんでしょう?
第一巻とか読んでると、得意の「怨霊」と「言霊」とセットで
ついつい「なるほど」と思ってしまったりするのだけれど。
これも、実は、日本の歴史学界ではDQNな意見なのでしょうか?
そうだねえ。宗教やってる人間多いもんねえ。
要するに井沢って、つくる会と同じで
研究者といえば、マルクス主義者で
社会構成史・階級闘争史ばっかりやってると思ってるんだろうね。
自分が無知なだけなのにね。
854 :
日本@名無史さん:02/09/13 05:39
>>846 >(信長は)他の戦国大名や、歴史上の(日本のね)人物では上位に位置付けられるじゃ
>ないかなって思う。詳しい理由かくとまた反論されそうだからやめます。
上位にくるでしょう。反対しません。だから何度も言うように、
井沢氏は信長を実像ではなく虚像で書いていることに問題があるのです。
信長を虚構で塗り固めないと優秀な人物に出来ないのかねえ。
>井沢氏はその真面目さ故の資料至上主義を批判してるんではないかと、
歴史を研究するには何から手をつけますか?
史料を読むこと。信長の名前も史料から出てくる。当然その行いもです。
史料を否定するのであれば、まず信長の存在も疑うべきですね。
>>849 >俺にとって歴史はエンターテイメントのひとつだし。
現在は真面目に歴史を研究する人について語っているので、
向学心のない方は申し訳ありませんがご退出願います。
>>852 >※日本の学者は、宗教的な観点を無視する
過去の論文を数多くお読みになることです、としか言いようがありません。
855 :
日本@名無史さん:02/09/13 23:28
>854
>現在は真面目に歴史を研究する人について語っているので
スレタイトルの井沢元彦自体が真面目に歴史を研究してないワナ。
856 :
日本@名無史さん:02/09/13 23:33
>854
>歴史を研究するには何から手をつけますか?
>史料を読むこと。信長の名前も史料から出てくる。当然その行いもです。
>史料を否定するのであれば、まず信長の存在も疑うべきですね。
ん?屁理屈っぽいぞ。
857 :
日本@名無史さん:02/09/13 23:55
854さんはかなり歴史に詳しそうですね。
854さんの考える信長の実像ってどんなんですか?
優れたところ、ダメなところ共におしえてもらえませんでしょうか?
858 :
日本@名無史さん:02/09/14 01:12
>>855 言い方が間違っていました失礼。
歴史を真面目に研究する人は井沢を批判ないし無視するのは当然です。
遊び感覚で井沢を弁護しないでくださいということです。
>>854 それで?
>>854さん
>井沢氏は信長を実像ではなく虚像で書いていることに問題があるのです。
と書いておられますが、実像と虚像を判断される場合、何を元に判断されるのでしょうか?
>史料を読むこと。信長の名前も史料から出てくる。当然その行いもです。
と書いて居られるから「史料」とおっしゃると思います。
では、その史料を使ってあなたが論文をお書きになるとき、取捨選択されますよね。
私は理科系なので、論文を書くとき、あるデータは誤差であるとかの判断をして
論文を書いた経験があります。理系の科目ですらそうなのですからましてや
文化系の科目では当然あると思います。
その取捨選択する部分が井沢氏とあなた(あるいは学会の先生)とで違うと
言う事ではないのですか?
何かヒステリックな反応をされている様に読めたので・・・
860 :
日本@名無史さん:02/09/14 02:18
梅原信じてる井沢が宗教的見地(w
861 :
日本@名無史さん:02/09/14 02:29
井沢の言いたいこと,やりたい事は、大人になれば結構見えてくるよ。
日本人は歴史上の重要判断事項を決して口にはしないし、史料に
残さないから、「本質」を知るにはかなりの人生経験が必要となる。
けど、(であるからこそ)井沢の言ってる事が本当かどうかは、誰にも
たしかめようがないんだな。趣味ならいいけど、教科書にはできないよ。
862 :
日本@名無史さん:02/09/14 02:31
>859
井沢せんせは史料を使わないYO!
「取捨選択する部分」以前の問題。
理系じゃデータを使わず論文を書くかい?
井沢はデータ使わない理学者みたいなものさ。
863 :
日本@名無史さん:02/09/14 03:02
このスレが盛り上がっているなんて感激ですな。
864 :
日本@名無史さん:02/09/14 03:31
858訂正。
>それで?
は856に向けたものです。
859さん
データ至上主義という言葉で、都合の悪いデータを一切無視しますか?
データに見られないことを「中日ドラゴンズの論理」で埋めますか?
データの一部を過大に取り上げますか?
史料とデータを置き換えれば井沢氏のやっている愚行がおわかりになるかと。
つまり歴史ではなくて創作だと
あるいは妄想か(w
でも、「歴史」を理解するデータ(史料含む)って、戦国時代だけでも
人が一生かかっても覚え切れないほど膨大だって思うんだが。取捨選択も
くそも、その人個人が「何がきっかけで歴史に興味を持ったか」で、全て
決まってしまうと思うんだが。
あと、「歴史(上の人物)の解釈」なんて、読み手(アマ・プロ問わず)
が、勝手に自分の人生の経験値上理解出来るモノに置き換えているに過ぎない
よ。「信長が実際どういう人だったのか」なんて、そも戦国時代の人間の
考え方なんて、わかりっこないんだから(特に安保条約の下で平和を
謳歌している現代日本人には)不毛の論争といえばそうなる。
てことが、わかっている人にはわかっているんだけど、
わからない人には永久にわからない。これが歴史論争の
根本的に難しいところだと思う。
>>864 >データ至上主義という言葉で、都合の悪いデータを一切無視しますか?
たまに、そういう教授がいました。(笑)
869 :
日本@名無史さん:02/09/14 06:11
偏った歴史を娯楽以外で知識として手に入れようという人の
気持ちは分からないな。正統なところから何で入らないんだろ。
870 :
日本@名無史さん:02/09/14 06:14
>でも、「歴史」を理解するデータ(史料含む)って、戦国時代だけでも
>人が一生かかっても覚え切れないほど膨大だって思うんだが。
その膨大なデータを持っている人に対してデータも何もない奴が、
「史料至上主義」と誹謗することは許されんよ。井沢せんせ。
>「信長が実際どういう人だったのか」なんて、そも戦国時代の人間の
>考え方なんて、わかりっこないんだから
同意。わかりっこない。残された膨大な史料だって完全なものではない。
でも史料がなければ手がかりになるものは何一つない。
井沢せんせは推理小説家だ。手がかりがどれだけ大切なものかわかるはず。
史料もなしにどうやって戦国時代のことを調べているんだと聞きたい。
871 :
日本@名無史さん:02/09/14 06:24
あれは歴史を扱っているのではなくて、思想を扱っているのだろ。
結局、最終的に全部「言霊」にいきつくわけだから。
読み物としては面白いけど、歴史書として扱う気には全然ならんけどな。
872 :
日本@名無史さん:02/09/14 06:53
どんなに正しかろうが、学者センセの書いた
専門書なんて一般人読まへんしな。1000部も売れへんし。
妄想だろうが何だろうが、ビジネス書コーナーに
積まれてる井沢大センセの本は
何万部も売れるしな。しょせん勝負にならんな。
これからも妄想支持者は増える一方だな。
873 :
日本@名無史さん:02/09/14 07:04
872を読んで思った。
井沢さん。もう歴史を書くのはやめてくれ。
あなたが本を出せば出すほど、日本史は歪曲されていく。
そしてこれからも捻じ曲げるだろう。
本当に日本の未来を思うのなら、もう歴史を書かないでくれ。
874 :
日本@名無史さん:02/09/14 07:11
>>870 >史料もなしにどうやって戦国時代のことを調べているんだと聞きたい。
だから先行の研究をパクッて「言霊」に結びつける。
結びつかないもの(史料も含む)は否定 する。
珍説だって「言霊」に結びつくならそれが真実と主張する。
>>864 「中日ドラゴンズの論理」だって、真実がちゃんと解っているから
主張できるのであって、通説への疑問には成リ得ても、
否定には成らない。
ましてや、それを以って「持論が真実だ。」と主張するのは、
所詮、小説家の粋を出るものでは無いと思う。
同じ小説家だって、桐野作人とのスタンスの違い(※と言っても、
最近の彼は保守化の傾向にあるが)を見れば、それは明確では
ないでしょうか。
875 :
日本@名無史さん:02/09/14 07:49
秀吉て6ッ指やったん?
>870
>その膨大なデータを持っている人
誰? それ?
877 :
日本@名無史さん:02/09/14 15:46
>誰? それ?
少なくとも井沢じゃないだろう
878 :
日本@名無史さん:02/09/14 21:52
入院43日目。
「お前って○○だよな。」と言われて「いやいやそんな事ねーよ!」と、他人からの自分の印象を否定する人達へ。
自分では違うと思っていても、少なくともその人、おそらくは多くの人があなたをそのように見ているでしょう。
否定したい気持はわかるが、他人の意見も一つの真実ですから、ただ否定するのではなくまずはキチンと受け止め、ほんで考えてみてから否定してみましょう。
必要なのはいつまでも柔軟な頭。
879 :
日本@名無史さん:02/09/14 21:53
入院39日目。
天皇一家は普段どんな生活をしてるのだろう?
PS2は持っているのだろうか。
TVはどんなものを見るのだろうか。
ジャンプとか読むんだろうか。
エロ本やAVは見てるのだろうか。
見てないとしたらSEXはどのように覚えたのだろうか。
ギャグとか言うのだろうか。
袋ラーメンを夜中に食べたりするのだろうか。
家で屁をして「ブリッ!うぃー!」「あなたやめてよ!」的会話はあるのだろうか?
免許はどうやってとるのだろうか。
大型特殊の免許はとることができるのだろうか。
インターネットはやるのだろうか。
掲示板やチャットに参加したりしているのだろうか。
映画「パールハーバー」はご覧になったのだろうか。
など、すべてが謎に包まれている。しかもこれから先も真実を知ることはできないだろう。
真実を知るにはやはりノリノミヤと結婚するしかない、という結論に達したが、どうやったら彼女を落とせるのだろうか。
880 :
日本@名無史さん:02/09/14 21:54
入院38日目。
SEXのある内は愛は生まれない。
愛というものは性欲の向こう側にあるものだと、私は思っている。
「世界中のどんな女とでも一晩だけSEXをさせてあげる。」と言われたら、あなたは誰を相手に選びますか?
それはおそらく芸能人だったり、絶対に手の届かない誰かであり、彼女や奥さんではまず無いでしょう。
そこでもし、その直前に相手が死んでしまったら、あなたはどう思うか。
残念ではあるが、悲しくて泣いたりはしないだろう。
しかし、性についての好奇心を失っているであろう彼女や奥さんがもし死んだら、あなたは悲しくて泣いてしまうでしょう。
わかりますか?
つまり性欲や好奇心を相手に抱いているうちは、そこに愛は存在しない。
そこにあるのは「愛」という衣をまとった「性欲」や「好奇心」なのである。
だから、私は「愛してる。」と言ったことがありません。
それが現時点では「汚い言葉」だと思っているから
881 :
日本@名無史さん:02/09/15 05:07
>>878-880 井沢さんですか? 人違いならスマソ
>否定したい気持はわかるが、他人の意見も一つの真実ですから、
>ただ否定するのではなくまずはキチンと受け止め、
>ほんで考えてみてから否定してみましょう。
それでは自分自身が他人の意見に耳を傾けているか自分の胸に聞いてみてください。
あなたは史料に基づく解釈を、一方的に史料至上主義と否定しています。
「いやいやそんな事ねーよ!」と否定しても、事実。
>すべてが謎に包まれている。しかもこれから先も真実を知ることはできないだろう。
そう。歴史どころか、私たちは目の前のことすら正確に把握できません。
しかし、それを再現するには主観が入っていても目撃者の証言が必要です。
戦国期の目撃者は生きていませんが、彼らは史料を残しました。
それにそって歴史を再現することが大切ではないですか?
井沢さんは、何を元に歴史を再現しようとしているのですか?
ありもしないことを捏造するのは、藤村氏と同じだといわなければなりません。
882 :
通りすがり:02/09/15 10:11
>>880 宮内庁の会計帳簿や出入り業者の調査やお手伝いさんからのインタビューやIP抜きでわかるんじゃないか。
>>881 >井沢さんは、何を元に歴史を再現しようとしているのですか?
たぶん「信長がいた頃のような、あらゆる面で自由で活発だった時代を、
今の日本に再現したい」と何らかの形で思ってらっしゃるのではないかと。
井沢氏の本を読んでいると、そういった主旨の事を何度も書いているし、
「日本を殺す気か」では、「霞ヶ関を焼き討ちにせよ!」とか書いているし・・・
885 :
日本@名無史さん:02/09/15 16:23
884さんの発言が正しいとすると、
>信長がいた頃のような、あらゆる面で自由で活発だった時代
のところにひっかかるな。
信長の時代が本当に自由で活発だったかだれも知らんわな。
どうしてそのように思っているのか井沢さんに聞きたいですね。
証明するというか裏付けるのは当時の文献(史料)以外にないと俺は思うが。
井沢元彦著 日本を殺す気か―国を壊死させる官僚の論理
祥伝社 1996.7.20
国を亡ぼすのは昔陸軍、今官僚。彼ら「試験エリート」に共通する体質とは何か。
歴史の教訓をもとに今日の官僚を蝕む病巣を抉り、打開策を提示する警世の書。
1章 「超」無責任国家、日本の行く末―罪を犯しても罰せられない官僚の非道
2章 国を亡ぼしたエリート参謀たち―戦前の失敗から、学ぶべきこととは
3章 外務省よ、お前もか―末代の恥辱を招いた重大戦犯が、最高ポストに出世する国
4章 「官尊民卑」の元凶は何か?―日本の官僚制は中国式の悪性遺伝だ
>5章 「霞が関焼き討ち」待望論―日本的合理主義では壁は絶対打開できない
6章 官僚に国を亡ぼされてたまるか―省益最優先、身内庇い合い集団は、もうたくさんだ
付章 W杯の誘致に、こうすれば勝てた
887 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:18
男はエロいです。エロいというよりもヌキたがりです。
女性はそんな男を白い目で見るかもしれませんが、これはもうしょーがない。そういう生き物なんです。
これは現代社会が証明してしまっているのです。
だって男がヌキたがりじゃなかったらAVや風俗はもうからないでしょ。
女性のみなさん、残念ですがそう認識せざるを得ないのです。諦めて下さい。
888 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:22
酒を飲む目的は何か。それは「酔う」ということ。
結局人間は「酒」が欲しいのではなく「酔い」が欲しいのです。
これが分かれば後は簡単。つまり烏龍茶で酔えばいいのです。
とは言っても普通の人には難しいでしょうね。
でも私には脳内麻薬がある。以前どこかで「俺は脳でアルコールを精製できる。」と話したことがあるが、答えは脳内麻薬。アドレナリンとかエンドルフィンの親戚みたいなもんです。
でもそれを分泌させるのは少々難しい。
そこで必要なのが自己催眠。場所は飲み屋、目の前にはグラス、その中にある透明な液体が酒じゃないわけがない。と自分に言い聞かし、その場の雰囲気に身を任し、烏龍茶を酒だと思い込み、飲む飲む飲む。
あとはそれと同時に脳内麻薬をコントロール。
これでOK。持続性は無いものの、酔った時と同様のテンションまでシフトアップすることが可能。
>>876 その膨大なデータを持ち寄ってつきあわせるためにあるのが
学会じゃないですか。その過程で、主観も(普通は)薄められる。
890 :
日本@名無史さん:02/09/15 23:00
今日思ったこと。
●死を急ぐ人間は、生き方が下手なのである。誰のせいでも無い。自分のせい。
●暴力で秩序を保っていた時代。反暴力で秩序の乱れている現代。
●男より女のほうが明らかにバカ。
●いくら悩み相談をしていても「人による。」という言葉で台無しになる。
●ほとんどの情報をインターネットで取得してた。
●寝たきりの男性の小便対策として、ちんぽに管を刺す方法を初めに思い付いた奴はすごい。
●もし今の知識で中学一年に戻れたら。
●宝くじが当たったら。
●死んだら。
なるほど。宗教もきちんと歴史学会では扱っている。
読めば判るというわけですね。
>>852 どうのような論文を読むと、端的に、逆説の日本史の1巻に
書かれてるいることに反論できるのか知りたい所です。
例えば、怨霊信仰の発生時期に関して、逆説の日本史の記述は
端的に間違っているのでしょうか?
自分を指してしまいました。。。訂正します。
なるほど。宗教もきちんと歴史学会では扱っている。
読めば判るというわけですね。
>>854
893 :
日本@名無史さん:02/09/16 05:25
井沢氏における健全なる史料至上主義否定の例。
逆説5巻藤原秀衡(実は泰衡)の亡霊のところ。
>>891 わざわざ論文を読む必要もありません。
例えば「怨霊信仰」(wですが、井沢氏の言ってることは要約すると、
学者は、怨霊信仰は平安時代から始まったと言うが、実際はもっと古くからあった
ということになるでしょう。
しかしそんなことは誰も言ってません。井沢氏も引いてるように
国史大辞典には、「怨霊思想」と「御霊信仰」の項目がありますが、
前者には「平安時代より盛んになった御霊信仰はこの考えにもとづく」
後者には「御霊信仰の起源が極めて古きにあったことを思わしめる」
とあります。平安時代から見られる御霊信仰は、古くからある怨霊思想に起源がある、
これが定説でしょう。
井沢氏は「怨霊(御霊)信仰」と2・3箇所で書いたあと、その他は「怨霊信仰」と書いています。
彼は怨霊思想と御霊信仰の違いを全然理解していないのです。
そもそも「怨霊信仰」って何なんでしょうね。怨霊を信仰するって。日本語分かってるのかしら。
彼が長々とフレイザーなんかを引っ張りながら書いてますが
怨恨を抱いて死んだ人の霊が祟りをなすという思想が世界各地に存在するなんてことは
誰だって知ってることでしょう。それを否定する人なんて誰もいません。
学者が言ってるのは「御霊信仰」は平安時代、具体的に言えば、
863(貞観5)5月、崇道天皇・伊予親王・桓武夫人藤原吉子・藤原仲成・橘逸勢・文室宮田麻呂
の、いわゆる六所御霊を鎮めるため、平安京神泉苑で開催した御霊会に
画期があるということです。今に続く祇園祭も辿ればここに至ります。
この御霊信仰は平安時代・平安京という場で形成された歴史的・都市的な事象であって、
世界に普遍的に存在する怨霊思想とは質が違います。
以前ある文化人が、今も大蔵省が存在するから律令時代である、
と本気で言ってましたが、井沢氏の怨霊理解もそれに等しいものです。
歴史的認識とは全く縁遠いものです。
今も日本に存在する有形・無形の事象、天皇・郡その他思想・文化などなど
それらが古くからあるなんてことは、誰にでも分かることです。
しかし古代の天皇・中世の天皇・近世の天皇・近現代の天皇が、
全て違うように、思想・文化もその時代々々によってそれぞれの特質があり
同一視できるものではありません。
平安中期というのは政治構造・経済体制・社会関係、思想・文化などの面で
古代から中世へ向かって大きく転換していった時期で、御霊信仰も
当然そういった大きな流れの中に位置づけられるものです。
まあ、そういうことは歴史学者の仕事ですから、井沢氏が歴史を
時期区分して、それぞれの特質を論じるなんてことに興味がなくても
別にいいでしょう。段階を異にするものまで同一視して起源を遡ることばかりに熱心でも、
まあ、しょせん道楽で歴史やってるのでしょうから、よしとしましょう。
彼が問題なのは先の「怨霊信仰」という表現によく現れています。
彼は作家・言論人でありながら、言葉・文章というものについて意識が低すぎます。
私は石原慎太郎は好きではありませんが、彼に以前「三国人」発言問題というのがありました。
記者から差別語ではないのか、と問われたときに、彼は「第三国人」の意味だ、
とかわしました。もちろん彼がこの言葉が、日本以外のアジア人に対する差別語としての
使用の歴史があったことを認識しており、それを意識した上で使ったことは
明かです。でなければ「外人」「外国人」と言えばすむことですからね。
さすがだてに芥川賞作家ではないな、と私は思いましたが
ま、この程度のことは政治家はよくやることですね。
井沢氏にはこのような言葉というものに対する意識というのは
全くありません。怨霊信仰なんて書いても何も感じない人ですからね。
そうやって自分の低能をさらけ出した上で、他人に言いがかりに等しい批判を
するのですから、もう救いようがありません。笑いを通り越して哀れです。
夏目漱石以来近代の文学史に残る作家達は、言葉・文章・文体というものに対して
それこそ血のにじむような姿勢で挑んできました。いえ、近代に限りませんね。
現在、古典とされているものは皆そうです。『呂氏春秋』の例を引くまでもなく
一字一句にまで心血を注ぎゆるがせにせず、推敲に推敲を重ねて
言葉・文章の歴史に寄与してきました。
井沢氏にはそういった言葉に対する恐れ、敬意というものが全くありません。
非常に軽いです。言葉なんて彼にとってはどうでもいいのでしょう。
御霊でも怨霊でも、思想でも信仰でも何でもいいのです。
言葉なんてのは自分の妄想をばらまく手段に過ぎないのでしょう。
斯様に井沢氏の文章は内部崩壊していることが多いので
わざわざ論文を読むほどのことはないのですが、
信仰という点でいえば、高取正男氏の『神道の成立』(平凡社ライブラリー)は
参考になるかも知れません。怨霊・御霊ではありませんが、
一般に古来からある自然発生的な日本の固有信仰と考えられがちな神道が
歴史的に形成されたものであることが論じられています。
>>894 明解な説明、ありがとうございます。
とすると、私のように歴史好きだけど、専門家じゃない人が、
「逆説の日本史」を読むのは、危険ということになりませんか?
一応、「逆説の日本史」は、ノンフィクションの体裁をとっているので、
解釈の違いとか学説の違いとかはあるかもしれませんが、
参照史料や学説紹介といった事実関係の部分で端的な間違いがあるとは
思わずに読みますよね。小説じゃないんだから。
でも、この本の悪評って、あまり聞かないんですよ。(ここ以外で)
なんででしょうね。。。それが一番の問題のような気もしますが。
#いっそのこと、「小説 逆説の日本史」とでもして、筒井康隆の「文学部唯野教授」
みたいなメタレベル小説の形態で書けばよかったのでは。
#神々の指紋(小学館文庫!)の解説も書いてたような気がしてきた。
#理系関係だと、トンデモはトンデモにするために、総力をあげて粉砕するので。。。
(世の中はエーテルに満ちてるとか、相対性理論は間違ってるとか、もろもろ。)
>信仰という点でいえば、高取正男氏の『神道の成立』(平凡社ライブラリー)は
>参考になるかも知れません。怨霊・御霊ではありませんが、
入手して読んでみたいと思います。
>>897 長文駄文早速読んでいただいて、レスもいただきありがとうございます。
>危険ということになりませんか?
>一番の問題のような気もしますが。
全くおっしゃるとおりです。
こういう件に関しては、「そういう本を買って読む読者にも問題がある」
という意見が聞かれますが、私はそうは思いません。これは編集者に帰せられるべき問題です。
井沢氏に限らず、最近特に、こういう書物としての基本のなってない
ものが多く目に付きます。お言葉を借りれば
「参照史料や学説紹介といった事実関係の部分で端的な間違いがある」
もの。そして前著・前稿に対する批判・反論を無視して、同様の議論を繰り返すもの、
などです。こういった事項は丹念に文献を追っかけ、チェックしている人間でない限り分かりません。
一般読者が信じてしまうのは仕方ないこと、というより当然のことです。
こういう最低限の前提・事実について保障するのが,編集者の仕事のはずなのですが。
全部が全部では無いと思いますが、やはり売れればいい、ってことなんでしょうかね。
近年の出版業界、書店の様相を反映してるんでしょうね。
良著・良編集者も、一部の出版社、あるいは出版社の一部のセクション
には存在しますが、どんどん少なくなっているように感じられます。
900 :
日本@名無史さん:02/09/16 08:33
>>897 >でも、この本の悪評って、あまり聞かないんですよ。(ここ以外で)
なんででしょうね。それが一番の問題のような気もしますが。
彼のHPでは、間違いや「論旨不明」などと、色々と突込まれてます。
書籍化の折り、それが如何に訂正されているか、それで彼の良心が
判るのではないでしょうか。
>>899 >こういう最低限の前提・事実について保障するのが,編集者の仕事のはずなのですが。
歴史物の編集者で、史学課出ってどれだけいるのでしょう。
ただ歴史が好き。多少興味がある。それですらない。
そんな人達が多いのでしょうか。
901 :
日本@名無史さん:02/09/16 09:26
>>894-896 おれもまともな批判は是非見たいが、あんたのは批判になってないよ。
長々書いてご苦労様だが、「怨霊信仰」については、あんたの定義と井沢の定義が違うというだけのことだろう?
>…いわゆる六所御霊を鎮めるため、平安京神泉苑で開催した御霊会に
>画期があるということです。
じゃあそれでいいだろう。
井沢は「御霊信仰」の定義で
非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、これを慰和してその祟りを免れ安穏を確保しようとする信仰
とし、以下、「怨霊信仰」と「御霊信仰」とは同義のものとして扱っている。「怨霊思想」とは区別して使ってる。
読者としてはそれに従って読むだけだ。あんたの定義はどうでもいいよ。
それから
>彼は作家・言論人でありながら、言葉・文章というものについて意識が低すぎます。
別にあんたのこだわりにけちをつける気はまったくないが、
おれはこの本を文学作品としてではなく、歴史読み物として読んでる。
言葉の意味が定義されてればそれ以上要求する気はない。
>>900 ちょっとばっかり出版業界にいた事あるんで一言。
編集者で長続きしている人ってほとんどが理系(理論で攻められるとトンデモでもあっさり陥落)
あとは体育会系(もう理屈抜き。)ですね。
文系出身者はどうしても多少なりとも文章を読み解く能力を持っているから、
(悪く言えば理屈っぽい)どうしても編集長あたりとぶつかって、
結局、辞めてしまう人が多いですね。
903 :
日本@名無史さん:02/09/16 20:47
>>878 >他人の意見も一つの真実ですから、
>ただ否定するのではなくまずはキチンと受け止め、
>ほんで考えてみてから否定してみましょう。
うん。井沢氏の意見はキチンと考えた上で否定しているよ。
いくら俺だって聞く耳持つさ。井沢氏が根拠をキチンと示してくれるなら。
904 :
日本@名無史さん:02/09/16 22:46
みなさんAV好きですか?私は大好きです。
レンタルAVコーナーにたまにある「裏流出!完全無修正!」みたいなビデオ。そうです、マジックで走り書きしたようなジャケの奴です。
私は借りるAVに妥協はしたくないので、あーいった類の危ない橋は渡りませんでした。ところが最近それこそがWOSbbsでいつだったか触れた「モザイクをかける必要がないギリギリのアングル」のものだということが判明した。
みなさん「見えそうで見えない」とか好きでしょ?あれはまさにそうですよ。
ま、私は普通のAVに飽きてるからそういうものに惹かれるのであって、みなさんがどのような印象を受けるのかはわからないですがね。
とりあえず一度見てみて下さい。
905 :
日本@名無史さん:02/09/17 00:35
>>901 >おれはこの本を文学作品としてではなく、歴史読み物として読んでる。
「読み物」として読んで、「信者」にならなければいいと思うよ。
問題は、「専門家<井沢」と勘違いしている「信者」がいるってことだから・・・。
>>905 井沢本人が「専門家<井沢」と勘違いしているのが一番の問題では?
まあ、本人は一番目の「信者」といえなくもないが。
>>900 専門書の編集者には今でも学者と対等に議論出来る人が数多くいます、歴史に限らず。
今も少なくなりながらも何とか良書が出版されているのは、そのおかげでしょう。
井沢氏の本はビジネス書扱いでしょうから、編集者も「そんな人達」が多いんでしょうね、たぶん。
>>901 私の定義ではなくて、彼が引用している国史大辞典の定義です。
国史大辞典が二つを区別して述べているにもかかわらず、井沢氏はごっちゃにしている。
もしおっしゃるように、学者センセは二つを区別するが、俺はしない、と言うんであれば、
そういう文章の書き方をしなければなりません。しかし彼は、学者センセも
自分と同様二つを区別していなくて、しかもその始まりが平安時代であると
言ってる、と勝手に理解し、そしてその点を批判する。批判対象者が
言ってもいないことを、言っているかの如く読者に提示して、それを批判するというのは
非常に悪質ではないでしょうか。
ただ、彼は故意にそうしているわけではないと、私は読みました。
あなたは、井沢氏は、学者センセが二つに区別していることを理解した上で
自分は同一視する立場をとっている、と読まれているようですが
私はそうは思いません。本当に分かってないんだと思います。
当該箇所の文章を読む限り、そう判断ぜざるをえません。
>>907 国史大辞典の要点は
「怨霊思想」
怨恨を抱いて死んだ人の霊が祟りをなすという思想
「御霊信仰」
非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、これを慰和してその祟りを免れ安穏を確保しようとする信仰
ということだね。
で、あなたは次のように言ってるが、
>平安中期というのは政治構造・経済体制・社会関係、思想・文化などの面で
>古代から中世へ向かって大きく転換していった時期で、御霊信仰も
>当然そういった大きな流れの中に位置づけられるものです。
その趣旨は、平安中期以前に
非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、これを慰和してその祟りを免れ安穏を確保しようとする
行為があったとしても、「御霊信仰」という用語は使ってはならない。
また、「怨霊信仰」という言葉を勝手に造語してはいけない。
ということなんだろうか?
>>907 井沢は
「『資料至上主義者』の論理の最大の欠点は、どんなことでも資料がなければ、
それに対応する事実はない、と決めつけることである」
と言ってるが、次の記事が学界の定説を代弁するものならば、井沢の主張はうなづける。
いや、学界の定説はこのようなものではないと言うのであれば、是非紹介してほしい。
http://www.yugakusha.net/kouza/kodai/deushi6.html (2) 『 隠された十字架 』の問題点
聖徳太子と法隆寺の関係について、1972年の梅原猛著『隠された十字架』は珍奇な論考で、
いまでも読まれているようですが、後学の人が寄り道をすると無駄なので、少し説明をしておきます。
そのおもな主張は、厩戸ウマヤト王子(聖徳太子)が…吾が子の山背大兄が
皇極2年(643)に蘇我入鹿に滅ばされたことを怨んで、厩戸王子が「怨霊」になり、
その象徴が現在の法隆寺の各所に多数にわたって認められる、というものです。
厩戸王子の時代の法隆寺は天智9年(670)に全焼して、
『日本書紀』は「一屋も余ること無し」と書いていますし、
「怨霊」という言葉がはじめて使われるのは、山背大兄滅亡事件の150年もあとの、
『日本後紀 』延暦24年(805)であり、
梅原説はとても正規の学問的検証に耐えられるようなものではありません
910 :
日本@名無史さん:02/09/18 00:49
井沢流「中日ドラゴンズの論理」
井沢:織田信長は月に行った最初の人間です。
読者:ンなわけねーだろ。当時スペースシャトルもないし。
井沢:史料がないからといって織田信長が月に行かなかったことにはなりません。
読者:じゃあ証拠は?
井沢:それを史料至上主義っていうんですよ。
>>908 別に使ってもいいし、造語してもいいけど。
それなら自分勝手にやるか、他人の説なんか引かずにね。
あるいは他人の説を引くなら、それとの関係をはっきりさせないと。
繰り返しになるけど自分の理解を他人に当てはめて
他人も自分と同じ語法をした上で間違ってるかのような、印象を読者に与える
(てゆうかそう書いていると俺は思うが)のは、卑怯とも言われかねない。
意識的ならね。ま、俺はそうじゃないと思うけど、前に書いたとおり。
>>909 よく分かんないんだが、学界の定説って梅原のこと? それとも批判してるほうのこと?
前者なら、それは認識違い。彼は歴史学では相手にされてません。いわばトンデモ。
後者なら別に問題ない。
質問の意図がよくわからん。
912 :
日本@名無史さん:02/09/18 01:26
>>911 >梅原説はとても正規の学問的検証に耐えられるようなものではありません
としている理由がイザワ氏が突っついていることだからだろ?
その是非はともかくとして、否定するのに
>「怨霊」という言葉がはじめて使われるのは、
ときているのはいただけないと思われるが。
その単語が文字として出なきゃダメって言ってることになる。
俺的に普通に読めば概念そのものは書紀で既にあると感じるんだがな〜。
その辺、学会的にはどうなんだろ?
914 :
908 909:02/09/18 08:04
>>911 >次の記事(『隠された十字架』の問題点)が学界の定説を代弁するものならば
と俺は書いたんだから、普通に読めば質問の意図はわかると思うが?
それはともかく、以前のあんたのレス894で
>平安時代から見られる御霊信仰は、古くからある怨霊思想に起源がある、
>これが定説でしょう。
と説明があったけど、これからすると、上の「『隠された十字架』の問題点」という記事は
問題ないというのは奇妙だと思うが。
(次のところ)
>「怨霊」という言葉がはじめて使われるのは、山背大兄滅亡事件の150年もあとの、
>『日本後紀 』延暦24年(805)であり、
>梅原説はとても正規の学問的検証に耐えられるようなものではありません
915 :
日本@名無史さん:02/09/18 10:59
>>912 >>梅原説はとても正規の学問的検証に耐えられるようなものではありません
>としている理由がイザワ氏が突っついていることだからだろ?
井沢氏がまともな時は他人のパクリともいえる。
また、ここでまともだからといって他の部分でもまともだとは限らない。
>>912 914
ああ、なるほど。了解。読解力無くてスマソ。
確かに怨霊って言葉がないから無かったってのはおかしいよね。
別のスレでも問題なってたけど、義務と権利という言葉がないからって
昔はそういう観念がなかったってわけじゃないからね。
当該HPの講師って人のプロフィール見たけど
学者センセではなくて、まあ歴史愛好家ってところかな。
その点では井沢氏と同じだね。ま、言ってることは全然違うけど。
繰り返しになるけどね、井沢氏が太古の事象と平安時代の事象を
同一視するのは勝手だよ。で、学者連中が、両者に差異・異質性を認めるのも勝手。
問題は井沢氏が自分のそういう見解を述べるために、学者連中に
言われも無き批判をすること。批判というのは相手の議論を理解した上で
行われるものであって、そうでないものはただの中傷・誹謗、言いがかり。
>>916 ま、結局井沢の言う「学者先生」は誰で具体的にどう言ってたのかがわからないと、これ以上話が続かないか。
HPの記事は検索してたまたま引っかかったもんだが、梅原の聖徳太子怨霊説に対する批判の典型かどうかが問題だ。
図書館に行って怨霊説論争を本格的にあさってみようかな、と思うけど、こういう情報はなかなか見つからないかも知れない。
もし情報もってる人がいたら、教えてもらえるとありがたい。
918 :
日本@名無史さん:02/09/18 22:24
>>917 永井路子に「悪霊列伝」「続悪霊列伝」というのがあります。
延暦以前の例としては、吉備内親王の話などもあり、参考にしていただければ。
919 :
日本@名無史さん:02/09/18 22:57
>永井路子に「悪霊列伝」「続悪霊列伝」というのがあります。
たしか文春文庫だったと思うけど、何年か前私の家の周囲にあるBOOK OFF(8店)すべての100円コーナーに数冊づつ置いてあったから、もう絶版かも。
921 :
日本@名無史さん:02/09/18 23:30
入院しながらも毎日キチンと煙草を1箱ずつ消費しとる。
愚飩な非喫煙者や禁煙者どもは口を揃えて「タバコなんてやめてまえ!」と言っとる。
うるせぇんだよコラ!!煙草の金額のほとんどが税金だって知ってんのか!
俺はな、命を削ってまでお国の為に金を納めてんだぞ!
禁煙禁煙ってホントにミンナが煙草やめたらどうなるかわかってんのか!
煙草産業は死滅するし、ライターやマッチ産業も大ダメージ。それに土産物屋の商品の1割が廃品化だぞ。
病院の喫煙所で出会った人達とも、俺が煙草を吸ってたから出会えたんだぞ。
と、いろいろ考えると煙草を吸ってて得した事のほうがはるかに多い。
愛煙家の皆さん。胸をはって下さい。
●今日のQUIZ
オムレツにライスを入れるとオムライス。
じゃオムレツにアンコを入れると何になるでしょう?
学者が言ってるのは御霊(ごりょう)は平安時代からってこと。
これをどこかの低能ドキュソが御霊(おんりょう)と読み間違えて
勝手にイコール怨霊と理解して、「学者は怨霊が平安時代からと言ってる」
と誤解したのが始まり、と言ってみるテスト。
923 :
日本@名無史さん:02/09/19 16:15
もっと『逆説の日本史』のトンデモぶりを
世間に広めていかないと・・・。
>>897の
>でも、この本の悪評って、あまり聞かないんですよ。(ここ以外で)
>なんででしょうね。。。それが一番の問題のような気もしますが。
ってのが本当に痛感するんだよ。
924 :
日本@名無史さん:02/09/19 18:45
>>922 古事記とかだと、ちゃんと区別してるんだけどね。
「荒魂・荒御霊(あらみたま)」=鎮魂されていない(たたりを起こす可能性のある)霊魂
「和魂・和御霊(にぎみたま)」=鎮魂され、守護霊的な存在へと変化した霊魂
>>920 「悪霊列伝」は新潮文庫です。私はもっていますが、お譲りはしかねます。
図書館などにはあるのと思います。井沢氏の場合と異なり、巻末にきちんと参考文献が
記載されています。研究するならその点も貴重かと思います。
>>925 いやありがとう。譲れとはいわないよ。
参考文献があるというのはありがたいね。
>>923 無視されてるから、悪評もないんだろうな。
先ほど書いていて思ったのですが、逆説の場合、文脈の中で、参考文献を
記していることはあるのですが、全体としては参考文献を明示していない。
その点はいかがなものかと思います。
すべての学問でそうですが、先人の成果の上に自己の学説はなりたつもの。
いやしくも本を出し、自己の意見を述べる者は、どのような先人の説を見た上で
自己の説を組み立てたか、明示すべきとおもいますが
929 :
日本@名無史さん:02/09/19 23:27
>>928 まあ、あれは井沢の妄想を書いた「読み物」にすぎないから。
専門書・論文なら、引用・参考文献を載せないわけにはいかないけどね。
・・・と書いて気づいたんだけど、「逆説」って、論文や専門書の体裁では
まったくないね。「まず分析ありき」でなく、「まず自説(妄想)ありき」で、
その自説のために都合よく他人の文献をくっつけているって感じ。
ということで、歴史が専門でなくても、大学で論文を書いた経験等があれば、
あれがまともな本でないことは気づきそうなものだが・・・。
でも、高卒の人とかだと、他人に認められる論文の書き方とか、引用元の提示の
必須性とかは知らないだろうから、専門書との区別がつけられないかもなあ・・・。
「読みやすいから」という理由で、井沢の信者になってしまう・・・。
930 :
日本@名無史さん:02/09/19 23:37
>>929 むしろ読者がけっこう中高年が多いのがちょっとね・・・
で、その人の子供や孫が「逆説〜」を真に受けちゃったりすると・・・
931 :
日本@名無史さん:02/09/19 23:46
>930
受けちゃったりすると…
どうなるんですか?
井沢信者が社会に及ぼす悪影響っていったい・・・?テロでもおこるんかいな?
やっぱり読んで信じちゃう読者にも多少の責任はあるかもね。
もちろん1パーセントぐらいだけどね。
著者が70ってとこかな。もっとかな。
>>931 テロとは(苦笑)
「『逆説の日本史』こそが本当の歴史教科書だ!」と叫ぶ程度かと。
935 :
日本@名無史さん:02/09/20 02:37
>933
じゃあ別にそんなに目くじら立ててまで批判する必要もないね。
第一、歴史教科書問題に感心なある人がどれだけいることやら。
その中で井沢信者になるほど中途半端な歴史認識しかない人がどれだけいることやら。
またいたとしてもそんな人の言うことをまともに相手にする人がどれだけいることやら。
ゆえに井沢批判は別にいいけど、それは大して意味のないことなんだな。
だからわざわざ「逆説」を批判するアンチ逆説本がでないのである。
ていうか社会はシンパもアンチも相手にしてないのである。
世間の人にとって歴史なんて所詮そんなもんである。
>>935 その程度であって欲しいですね。
私個人としては、井沢氏が「平成の平泉澄」とならない事を切望いたします。
(あ、小林よしのり氏がおられましたね)
937 :
日本@名無史さん :02/09/20 08:04
井沢史観?を絡めて政治的発言が少し多いような気がする。
938 :
日本@名無史さん:02/09/20 13:27
でもさあ、この本結構売れてるじゃん。
有名雑誌に連載されていることもあるし、
やっぱり影響力はあると思うなあ。
939 :
日本@名無史さん:02/09/20 15:35
逆説以外の本の方が、フィクションって区別されてるから、面白いかも。
「義経はここにいる」とか、「GEN」とか。「逆説」は確かに井沢に都合のいい部分だけ、
資料を使って、都合の悪い事は「資料至上主義の欠点」とかいってるから、素人の俺から見ても
やばいと思うけど。でも、詳細はともかく、「言霊」とか「怨霊信仰」とかは、日本人を
理解するにはいい言葉かもね。
結局この本て、軍隊を持つべきだとか
井沢の主張を補強する手段として、歴史が出てくるだけだよね。
政治的主張のために歴史を利用してるだけで、結論先にありきだもんね。
941 :
日本@名無史さん:02/09/21 22:07
>>940 ありゃりゃ、またもや核心をつく事を(以下略
942 :
日本@名無史さん:02/09/21 22:23
>941
いいじゃん別に
943 :
日本@名無史さん :02/09/21 22:33
十月十八日に「逆説の日本史 第十巻」が発売されるようですが、
この中で、三浦氏などに指摘された問題点がどれだけ訂正されているか、
ちょっと見もの。
西尾幹二「国民の歴史」はどうよ?
945 :
日本@名無史さん :02/09/22 16:04
>>944 小林よしのり氏への人格攻撃でほとんどあぼーん状態。
最近やたらブックオフで(しかも100円コーナー)でよく見かけるようになってきている。
あ〜あ。
946 :
>>940とかぶるが:02/09/24 20:25
つまり、主張のために歴史を使うのと純粋に歴史について書くのの違いだ。
その点では彼の嫌いな共産主義の歴史の使い方と似ているけれども。
947 :
日本@名無史さん:02/09/24 22:20
政治的主張のために歴史を使うのが一番気になるし
自戒すべきではないかな。
それ以外は妄説を垂れ流しても構わないと思う。取捨選択は
読者の自由なんだから。
948 :
日本@名無史さん:02/09/24 22:25
最近逆説の日本史を読み始めてにはまってます。
こまかい史料とかその真偽は僕には分かりませんが彼の主張している日本人の
思想や民族性は共感できますね。つねづね僕が感じていた事を歴史を通じてわかりやすく
書いていますね。借りに無難に史料をそのまま伝えるしか脳のない本を読むよりは
ずっと為になることだと思います。いわゆる信者になるか歴史に興味をもついい
きっかけになるかはその人しだいでしょうけど、それは結局読む人しだいですしね。
949 :
日本@名無史さん:02/09/24 22:40
ただ、引用文献が一般向けの通史の類ばかり。
あの程度なら誰でも書けると思うよね。
まあ、実際はそれだけの文才のあるヤツはそうそういないけど。
950 :
日本@名無史さん:02/09/24 23:56
>>948 信者にならず、「読み物」として読めば問題ないと思いますよ。
あの本を歴史のところに置いてる本屋がたまにあるけど見識疑うね。
本屋としては、客が探し易いと思われる場所に
置かなきゃいけないからなー。
買いにきた客もフィクションのコーナーにあるとはさすがに思うまい
>>952 と思っていたのだが、近所の本屋を見たら、
※文系学術書の歴史コーナーには置いてない
※で、文学コーナーの著者別分類のところに、井沢元彦タグもあって、
そこにおいてあった
955 :
日本@名無史さん:02/09/25 17:32
うちの近所の本屋はどこも歴史のところにおいてある。
学術書と一緒に。
956 :
日本@名無史さん:02/09/25 22:49
俺の行き着け書店では、学術書の歴史コーナー(一般の歴史本)と
歴史小説(司馬、池波など)とを分けていて、井沢氏の著書は後者に属している。
957 :
日本@名無史さん:02/09/27 16:01
しっかし、最近の逆説ってなんだか言葉狩り的なことばかりしているような気がするなあ。
「倭という文字は日本人を見下した文字である」とか、そんなことばかり。
なんか方向違ってませんか?井沢せんせ?
ここを見てるんでしょ?
あと、井沢掲示板の管理人さんも。
958 :
日本@名無史さん:02/09/27 16:32
井沢もダメだが、管理人はもっとダメ。
しかも井沢掲示板の管理を自分の仕事の片手間に
井沢掲示板の管理をやっているようでは管理人失格。
959 :
日本@名無史さん:02/09/27 17:05
>>958 モンちゃん(MONSTER2:別名「不逞鮮人」)を復活させた理由も大笑い。
「読者の要望」つったって「電波と遊びたい人」からの「要請」なのにさ(ゲラ
960 :
日本@名無史さん:02/09/27 17:47
「不逞鮮人」・・・・・・ププ
おぉ〜い山田くん、
>>959に座布団2枚やんなさい(笑)
961 :
日本@名無史さん:02/09/28 04:30
管理人 2002-09-27 03:28:48
>訪朝の事前交渉では拉致事件の取り扱いで日本外務省の手落ちも
>相当にあったとか…。そのあたり掘り下げて検証するのはマスコ
>ミ的にはどうなんでしょうか?
手落ちというよりも、裏の思惑が働いていますね。北朝鮮、韓国、
日本の三国の関係だけでみても、絵図の謎が解けません。もちろん、
ロシア、中国、米国を加えても足りません。新聞を注意深くチェッ
クすれば、意外な役者が噛んでいることに気付かれると思います。
これ以上は、「テキ」に手の内の一端を明かしかねないので、申せません。
「セブンシスターズ」だろ。
おどれは2mか?ボケ管理人。
えらく古い表現でないかい?>「セブンシスターズ」
合併や提携によって今7つもなかったと思うが、、、
963 :
日本@名無史さん:02/09/28 08:30
たしかに、アメリカの穀物産業系企業にとって、日本、中国、北朝鮮、ロシア、中央アジア諸国は
絶好の穀物市場だわな。
964 :
日本@名無史さん:02/09/28 08:50
古い話だけど、井沢のおじさんは、かつて「日本は中国の電力不足を補うために核を輸出しる!」と
兵頭二十八(江頭2:50じゃないよ、念のため)も真っ青の超DQN電波出していたね♪
あれは「ダイヤモンド」だったか「プレジデント」だったかな?
大宅荘一文庫の検索ロムで調べてみよっと♪
不逞鮮人の功績・・・・・・
井沢掲示板のセキュリティの脆弱さを見事に暴露。
ヒント:トリップ解読方法を参照:
さーて、不逞鮮人を見習って井沢掲示板を思う存分
荒 ら し ま す か (w
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966 :
日本@名無史さん:02/09/29 20:03
Ponya 様 -投稿者:管理人 2002-09-29 20:07:28
私が得ている情報から判断して、日本側の動機にはもう一つ、二つ、
別のファクターが加わっているとみています。
申し訳ありませんが、これ以上、いまは申せません。
んじゃ言っちゃう(笑
日本側の動機
@北朝鮮援助と言う名目でのゼネコン業界の活性化
Aゼネコン業界の活性化による自民党の票田の確保
B中国への経済的:政治的な足掛かりの確立
これだがね(笑
やっぱり管理人さんここ見てるわ(w
てなことでコピペ〜ん( ´∀`)
日本、北朝鮮に8兆円の資産
日本が一九四五年当時、朝鮮半島の北朝鮮地域に残した資産総額は、現在の
価格に換算して約八兆七千八百億円に上ることが十二日、分かった。日朝双方
がサンフランシスコ講和条約の財産請求権を行使した場合、日本が北朝鮮に支
払う額より、北朝鮮が日本に支払う額の方が約五、六兆円超過し、北朝鮮側が
大幅に不利になるとされる。現体制維持のために不可欠な巨額資金が必要とさ
れる北朝鮮が「補償」要求から一転して「経済協力方式」に応じる構えをみせ
始めた最大の理由には、そうした不利を回避するねらいがあるとみられる。
戦前に日本が朝鮮半島(北朝鮮と韓国)に残した総資産は、連合国軍総司令部
(GHQ)や日本銀行、旧大蔵・外務両省がそれぞれ調査を実施している。GHQの
試算では一九四五年八月十五日時点で1ドル=15円で総資産八百九十一億二千
万円。総合卸売物価指数(一九〇)をもとに現在の価格に換算すると、十六兆九
千三百億円に相当する。
[産経新聞9月13日]
♪ユーロもみもみ も〜みもみ♪
♪ロイドもみもみ も〜みもみ♪
ponyaクン、キノクン、G爺クン、そして管理人、井沢元彦へ
なんとか2ちゃんへボクを追いやりたいようだね。
じゃあ、そのとおり、ここでボクの意見を書かせてもらうよ。
ボクは管理人から今でも「実名を公表します」と脅かされているんだよ。
侮辱罪とか名誉毀損とか不正アクセス法だとかいろいろ言っているけど、
ボクはなんとも感じていないし、そんなことでひるむと思ったら大間違いだけどね。
やるならやってちょうだい、という気持ちだよ♪
ボクが他人に成りすまして管理人に苦情メールを送りつけて、反MONSTER派を
追い出したことを忘れたのかな?
大阪のミーハーバカ女と中年やまかわを追い出せなかったのは残念だったけどね。
あいにくボクは無抵抗主義者じゃないと言うことは知っているよね。
前にも言ったけど、ボクはやられたら、当然お返しするよ。
もちろん十倍返しどころじゃすませないから♪
ボクはそれなりの情報つかんでいるから、あとはそれを公表するだけだよ♪
それで誰がどんな被害や不利益を被ったって知ったことじゃないしね。
それが当然でしょ?そう言うことをやってくれたんだからさ。
ボクに行った事への報いだと思って諦めてね♪
最近、井沢板見てないので余り事情が掴めないのだが
971 :
日本@名無しさん:02/10/02 22:26
そろそろアンチがパート5を立てる頃だね。
972 :
日本@名無史さん:02/10/02 23:55
↑腐儒登場(w
973 :
日本@名無史さん:02/10/03 00:11
ポストみたけど井沢の最近の暴走は目に余るな
975 :
日本@名無史さん:02/10/03 03:07
>>974 「暴走」というより、むしろ「珍走」状態と言う言葉がふさわしいですね。井沢氏は(失笑
976 :
日本@名無史さん:02/10/03 05:41
井沢は、八切止夫が伝奇作家であったことを
わかっていないらしい。
977 :
日本@名無史さん:02/10/05 15:20
あげとくよ
で、次スレどうする?
979 :
日本@名無史さん:02/10/06 17:10
980 :
日本@名無史さん:02/10/07 13:42
>>978 スレの内容がちょっと違うぞ(w
今週の逆説・・・
あれ?井沢氏が「資料至上主義者」として何かと槍玉に挙げている「渡辺世祐」を
持ち出してるけど・・・
井沢氏の言う「資料至上主義」の境界線、えらくあやふやだなあ(苦笑
981 :
日本@名無史さん:02/10/07 14:26
鎌倉の東慶寺の豊臣家一門の供養塔には、秀頼の長男、国松丸の名前が
実は「豊臣秀勝」だったことが碑文には残っているんだけれど、
その事はあんまり知られていないのかな?
それとも間違いなのかな?
982 :
日本@名無史さん:02/10/07 17:52
>>980 そんなところからじゃなくてもっと歴史の部分で渡り合えないようじゃ
井沢説を覆すことなんて今の歴史学会じゃ到底無理だね。
983 :
日本@名無史さん:02/10/07 19:37
>>井沢説を覆すことなんて今の歴史学会じゃ到底無理だね。
ププ。井沢君の居場所がどこの歴史学会にあるのか…?。
単なる研究会の例会発表でも現役大学生の質疑だけで撃沈だよ。
いいたのは「学会」じゃなくて「学界」だろ、あんた。
それでも彼のかけられる足場はまったくないよ。
984 :
日本@名無史さん:02/10/07 19:43
>>983 概ね同意だが、院生や若手研究者ならともかく現役大学生では無理。
井沢もアホだが、8割以上の学部生はもっとアホ。
あ、言っとくけど俺はアンチ井沢だからね(w
985 :
日本@名無史さん:02/10/07 19:45
若手研究者>>>>>>>>>>井沢>>>>>>>>>>学部生
986 :
日本@名無史さん:02/10/07 21:20
987 :
日本@名無史さん:02/10/07 21:22
>>987 生憎と漏れは社会人だ(笑)。しかも986は漏れとは関係ない。
研究会に真面目に出てくるヤシを念頭に置いてたのだが、
964-5君の言うことは尤もだ。
ときに井沢と相打ちになるようなDQNはおらんのか。
989 :
日本@名無史さん:02/10/07 23:31
990 :
日本@名無史さん:02/10/07 23:38
中沢新一(DQN網野善彦の甥)
最近は網野も十分ドキュンぽいけどな
…結構いろいろいるなあ(藁
993 :
日本@名無史さん:
杉山正明なんてどうよ?