「冠詞」「線過去」「確認性」「性」「アスペクト」

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1名無し象は鼻がウナギだ!
外国語を習うとき、日本語の文法に無い概念って苦労します。。

僕が苦労しているものを挙げると、、

冠詞
 簡単そうでややこしい。英語は何とかできる
 が、英語の感覚でスペイン語の冠詞を使うと失敗する

「線過去」
 和訳すると過去進行形と同じ

「確認制」
 日本語にも過去にはあった
 現在もあれば、政治はとてもクリーンだし、SEの仕事もはかどるだろう

「性」
 なぜ無生物に性別の概念を取り入れたのか。。

「アスペクト」
 相。ロシア語はこれで挫折しました。

*英語がデフォルト地球語でよかったです。いやマジ
2名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 13:15
Cantoneseの声調・・・9つもある。
3名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 14:04
確認性って何?
4名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 18:02
>「線過去」
>和訳すると過去進行形と同じ

ロマンス諸語の線過去は英語の過去進行形とは違う。
5名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 22:12
私も線過去と点過去の区別が苦手です。
「流動過去」「不確定過去」という文法事項を持つ言語も存在するらしい。
いったいどんな「過去」なのか?
6名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 22:35
守護のとき、「は」のつくのが定冠詞で、「が」の付くのが不定冠詞の
ことが多いような。
7名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 22:45
日本語学習者にとっては「は」「が」の区別こそ難しいんだろうね
8名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 22:48
親戚のドイツ語はジェンダについて非常に難解な格変化を保っているのに、
なぜ英語では整理されてしまったのですか?
9名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 23:31
>>4
だね。
フランス語では、「線過去」とは言わず、「半過去」って言うけど、
「il y a」(ある)の過去、
il y a eu[複合過去]と il y avait[半過去]では、
意味がまったく違うよね。
10名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/20(金) 23:47
>>7
「は」と「が」の説明くらい、そんなに大変ではありませんよ。
1時間あれば、十分説明できます。
11名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/21(土) 12:27
theとaの違いもそんなに複雑じゃないな。
12名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/21(土) 12:32
>>10
日本語教育のサイトにいったことありますか?
「は」と「が」の区別は、「the」「a」と同様に
独立した一章として分類されます。
「は」と「が」,「the」と 「a」の違いは非ネイティブには難しいし、
完璧に習得するには、一生かけても無理かもしれません。
13名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/21(土) 12:46
うーん、、、、
確かに日本語が達者な外人でも「は」と「が」の区別が曖昧な人いるね。
14名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/21(土) 15:23
線過去ってアスペクトの副概念でしょ
15名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/03(金) 00:17
電車が遅れています
電車は遅れています


子供が来ました
子供は来ました
16名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/03(金) 01:39
>>8
 西チュートン系のアングルもザクソンも、
 北チュートン系のデーンもジュートも、
 ゴール系のブリトンやピクトも、
 フランス語を喋るノルマンの占領軍も、
みんなジェンダーがきっかりあったけれど、それぞれで微妙に違うから
面倒くさくなって、格変化なんぞやめじゃーとばかりに放り出して
しまったから。
17abgal:2001/08/08(水) 15:43
過去の日本語にあった確認性って断定、伝聞、推定などのことですか?
スロベニア語に確認性があると聞いたのですが、どんなものでしょう。
18>17:2001/08/21(火) 21:12
「き」と「けり」の違い。
1947:01/08/28 21:23 ID:g9nynxR6
>9
私は半過去は「過去の現在」てな感じでとらえてますが。
過去の現在なので、現在とは明確に区別できる。一方複合過去は
出来事なので現在はその影響関係にある。イヤそう思ったってだけです。
私としては単純過去、複合過去まざってる文章がわかんない〜

ところで性が3つ以上ある言語もあるって本当?なんの性なの?
20名無し象は鼻がウナギだ!:01/08/29 00:53 ID:qzX12huI
>性が3つ以上ある言語もあるって本当?なんの性なの?

3つなら、男性、女性、中性だろうが……
21名無し象は鼻がウナギだ!:01/08/29 02:06 ID:gLx0WFXo
性じゃなくてクラスといってるけど,
スワヒリ語とか(バントゥ系全般?)は12ぐらいあったはず。
もう男女とかじゃなくて番号で呼ぶだけだけど。
主語と動詞で接頭辞の一致とかがあったような。
22名無し象は鼻がウナギだ!:01/08/29 12:09 ID:rcQOHw1k
おー。なんでそんなにあるんだろう?不思議だ。
意味は変わんないんですか?
23つか:01/09/20 23:30
ジェンダーやクラスの形成過程が知りたい
24名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/20 23:57
>>21
日本だって、
「ある」と「いる」とでクラスがあるじゃん。
25名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/21 00:27
類別詞も。
26名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/22 00:59
>24
つまり動体と静体で区別しているのよね
27名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/23 03:52
>>22
スワヒリ語を見た感じでは、より古い段階において、名詞の全部または全部に近い
状態の一部が動詞の中で接辞として取り込まれ、full sentenceにおいては動詞の
外で独立した名詞句が別に立つ、という重複した構造をしていて、それがやがて
音の似た接辞同士が共通のクラスを形成すると共に、意味の近いもの同士が類推
から名詞そのものの形を変化させつつ個々のクラスに加わったり、逆にクラスに
付与された意味が名詞の意味を変化させるのに一役買ったりしたのではないだろ
うか。

クラスというものを知ると、ジェンダーなる概念は印欧語やセム語においてたまたま
クラスが退化していく過程のある段階を固定してとらえた、極めてローカルな概念の
ように思えてくる。
28名無し象は鼻がウナギだ!:01/10/14 01:26
イタリア語を学んでいる者ですが、どうも半過去の概念がイマイチ分かりません。
あくまでも過去における未完了体ですよね??
過去のある時点から‘現在’も続いている可能性がある場合は「近過去+sempre」と
有線放送のイタリア語講座で言ってましたが、本当でしょうか????

それから文章中情景として半過去が使われます。遠過去も使われて、それよりさらに過去を表現する場合
大過去が使われます。しかし突然近過去の文章が出てきた時
どの様に解釈すれば良いのでしょうか??
訳せば「○○した」となりますが、近過去と遠過去が混ざって出てくると
訳す時のニュアンスに戸惑います。
文法書をよんでもイマイチ「時制の一致」で苦しみます。
ロマンス語の時制に関する良い本があれば教えて下さい。
何卒アドバイスお願い致します。
29名無し象は鼻がウナギだ!:01/10/14 04:03
>>28
「有線放送のイタリア語講座」って、どこの局の、どんな講座?
そっちが気になって(藁
3028:01/10/14 10:30
有線放送の語学講座は以前はNHKのラジオ講座が一日中、何度もリピートして放送してました。
忙しい社会人でも自分の都合でいつでも聞ける環境でした。
しかし、'99の11月から著作権の問題でNHKラジオの放送がなくなりました。
現在イタリア語は「日伊学院」の主催のモノが放送してます。
フランス語は「アテネ・フランセ」です。
他の言語は何処の語学スクールがやってるか知りませんが、
NHKの語学講座の言語は揃ってます。
英語はTOEIC関連のモノが放送されてます。
31名無し象は鼻がウナギだ!:01/10/14 18:25
>類別詞も。
「〜羽」とか、「〜匹」とか、ちゃんと使い分けてるよね。
全部「〜つ」に統一して困るとも思えないけど、なくならないのは
不思議なもんだ。
32名無し象は鼻がウナギだ!:01/10/14 21:19
類別詞は実は膨大にあって、使われているのはごく一部。
スピーカーの頭にないということは、
なくなっているに等しい。
33名無しさん:01/10/14 23:01
>>32
> なくなっているに等しい。

今の若い人たちは、「先生2個」とか言うのかなあ。
でも、類別詞がなければ、名詞が数詞に先行する理由が
なくなるので、「2先生」でいいか。
でも、そうすると今度は、「先生」が類別詞みたいに
見えたりして。
34名無し象は鼻がウナギだ!:01/11/10 06:44
コムリーの「アスペクト」って
マスロフのぱくり??
35P.o.W.:01/11/12 21:59
>冠詞についてよくわからない人へ
新宿紀伊國屋書店・本店で見つけた
「THEがよくわかる本」ランガーメール編集部 定価\466(税別)
をお薦めします。(文庫本サイズ、紫っぽい表紙)

80pもないのでサクッと読めてしまいます。
内容は英語冠詞"a"と"the"の違いについて書いていますが、
非ネイティブが悩むほど、難しい概念ではないという内容です。

この本の主旨は、
"A/An" suggests one of many.
"The" implies one and only
で要約できます。
36名無し象は鼻がウナギだ!:01/11/12 23:15
Vendlerの動詞分類って、金田一のパクリ?
37名無し象は鼻がウナギだ!:01/11/16 23:11
月刊言語12月号「日本語のテンスとアスペクト」特集あげ
38名無し象は鼻がウナギだ!:01/11/17 17:51
「月刊言語」って大手書店じゃないと売ってないよね・・・?
読んだ方の感想が知りたい。
39名無しさん@1周年:01/11/17 22:51
いいえ、ボンダルコとホロドビッチの
いいとこどりです。>>34
40>39:01/11/18 06:52
ボンダルコの論文って、やっぱりロシア語でないと読むことができないですか?
>>31
類別詞の研究で博士論文書いた人いたよね。
なにやら、「アイボ」はどういうふうに数えるか、とかをわざわざソニーに取材して、
結論が「機械でも動物でもあるから〜個でも〜匹でもいい」とかいうんじゃなかった???
「ああいうひとがいるから言語学がだめになるんだ」って、東大の西○せんせいがおっしゃってました。
>類別詞の研究で博士論文書いた人
飯田さんのことかな?
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~aiida/
ずっと類別詞のことやってるよね。
個人的には日本語以外の類別詞にももっと目を向けてほしい。
確か、意味の面を図っと見てると思うんだけど、
もっといろんなレベルから見てもいいと思う。統語、語用論、
談話、、、

>「ああいうひとがいるから言語学がだめになるんだ」って、
>東大の西○せんせいがおっしゃってました。
これって認知やってる頭の臼井ひと?
人の研究にケチつけるとは大した大物ぶりですな。
自分はそんなに言語学に貢献してるつもりなんかねぇ(w
43名無し象は鼻がウナギだ!:01/12/01 01:22
>>37
12月号買いました!!
すっごくためになりましたよ♪
有り難うございました。
問題は指導教授、、、、
45名無し象は鼻がウナギだ!:01/12/01 22:28
月刊言語でヨーロッパ言語の
他動詞・自動詞の特集号はいままでありましたか?
46名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/24 13:35
良スレage
>>41
まー、辞書作ってると思えばいいんじゃないの?

◆ 目次
第1章 序論
第2章 形状に基づく主要助数詞の意味と用法
2.1. 「本」の意味と用法(p.17)
2.2. 「本」の比喩的用法(p.54)
2.3. 「枚」の意味と用法(p.98)
2.4. 「個」の意味と用法(p.132)

第3章 有生類を数える主要助数詞の意味と用法
3.1. 「人(にん)」の意味と用法(p.170)
3.2. 「匹」の意味と用法(p.174)
3.3. 「頭」の意味と用法(p.183)
3.4. 「羽」の意味と用法(p.191)

第4章 乗り物・機械類を数える主要助数詞の意味と用法
4.1. 「台」の意味と用法(p.195)
4.2. 「機」の意味と用法(p.215)
4.3. 「隻」「艘」「艇」の意味と用法(p.218)

第5章 行為・事象を数える主要助数詞の意味と用法
5.1. 「回」と「度」の意味と用法(p.227)
5.2.「件」の意味と用法(p.248)
5.3.「点」の意味と用法(p.268)
5.4. 「例」の意味と用法(p.283)

第6章 書物・書簡を数える主要助数詞の意味と用法
6.1. 「冊」の意味と用法(p.287)
6.2. 「巻」の意味と用法(p.291)
6.3. 「部」の意味と用法(p.296)
6.4. 「通」の意味と用法(p.300)

第7章 その他の主要助数詞の意味と用法
7.1.「発」の意味と用法(p.311)
7.2. 「把」と「束」の意味と用法(p.316)
7.3. 「面」の意味と用法(p.321)
7.4. 「切れ」の意味と用法(p.327)
7.5. 「片」の意味と用法(p.328)
7.6.「基」の意味と用法(p.330)
7.7. 「体(たい)」の意味と用法(p.351)
7.8. 「軒」「戸」「棟」の意味と用法(p.353)

第8章 「ひとつ」「ふたつ」等の表現における「つ」の意味と用法
8.1. 「ひとつ」「ふたつ」等の表現に見られる「つ」(p.359)
8.2. 先行文献(p.360)
8.3. 共起する数詞の制限(p.365)
8.4. 共起する名詞の制限(p.367)

第9章 結論
9.1. 助数詞の選定プロセス(p.407)
9.2. 助数詞の習慣性と生産性(p.412)
9.3. 事物が"数えられる"ということ(p.414)

参考文献
Appendix
1. 調査データ:事物の特徴と形状の相関関係
2. 日本語主要助数詞の選定プロセス一覧図
48名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/24 20:25
日本語の「助数詞」「類別詞」「(算数的)単位」の区別がよくわからない。
自分はタイ語学やってました。旧インドシナ諸語は類別詞が豊富です。
タイ語の類別詞って日本語の助数詞よりも代名詞的な役割が強い印象があるんですが。
49名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/24 23:21
なんか、類別詞と助数詞がこんがらかってきてはいないか?
類別詞>助数詞と思っていたのだが、間違っている?
だれか、解説キボンヌ。

>>48
それは、日本語だと「冊数・台数」といった使われ方をする
「冊・台」のような助数詞が、タイ語だとより自由に使えるということ?
>>47
指導教官に従っただけなんじゃないの。って気がするけど。
51名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/25 05:01
【藁】妄想の激しい厨房製作のページ発見【速報】
http://pc.2ch.net/test/read.cgi/cdr/1011478109/
「杯」とかは助数詞っていわないの?
53名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/25 14:31
>>49
>類別詞>助数詞と思っていた
それでいいと思う。
類別詞と助数詞という用語は誤用されていたり混乱している場合が
あるように見受けられるが、区別されるべきものだと考えている。

助数詞numeral classifierは読んで字のごとく数字を助ける
役目をする。
例えば、
5人の生徒(ごにんのせいと)
*5生徒(ごせいと)
(しかし、ちなみに、三横綱(さんよこずな)の様な
例もある)

助数詞と違い類別詞 classifier は数と無関係に使われる。
例えばオーストラリアの原住民の言語とかにみられる。

助数詞は類別詞なんだけど、類別名詞だからといって
助数詞ではない。両者はおなじものではない。
類別詞>助数詞の不等式が包含関係をしめすとすると
これでいいはずだよ。
5448:02/01/26 00:36
タイ語の類別詞が代名詞的という例をあげますね。

「あなたにこの本をあげます」

というのは正確には

「あげる あなた 本 本の類別詞 この」

なのですが、「本」を省略して

「あげる あなた 本の類別詞 この」

という言い方もできるんです。

ベトナム語の場合も習ったんだけど、忘れてしまいました。
5549:02/01/26 01:47
ありがとう!>>53
久しぶりに言語学の話題を考えると、自信が持てなくて。

>>48=54
タイ語の例は、中国語から日本語に入る過程で「一本書(一冊の本)」の
「本」がbookを指すようになったような、誤分析に基づくものでしょうか。
それとも、タイ語に元来備わっている性質なのでしょうか。また、「本の
類別詞」の使い方には名詞の「本」とどのような違いがあるのでしょうか。
語用論的なものは当然あると思いますが、統語論的にも違いはありますか?

あ゛あ゛、これでは教えて君だ。タイ語を概観するのに良い本が
あれば教えてください(言語学大事典以外。ありゃ、高くて買えん)。
5648=54:02/01/26 22:32
>>49
起源なんかの詳しいことまではわからないっす。スマソ。
ただ、

「私 好き 読む 本」(私は本を読むのが好きです)はOKだけど
「私 好き 読む 本の類別詞」はNGだったと思う。

タイ語学に限らず「マイナー言語」の本は概して高額っす。
坂本恭章『タイ語入門』大学書林 1989
買うと8,000円超えちゃうけど、たぶん大きな図書館には入っているかと。
57名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/29 14:17
フランス語・イタリア語・スペイン語の時制の概念は
全て同じと考えてよいのでしょう??
58名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/29 14:30
大修館書店から出てる「ロマンス語入門」の感想が知りたい。
59名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/29 21:19
「あ、電車が来た!」は何で「過去形」なの?
60名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/30 01:37
時制の問題と言うより、
電車が(見える(感知できる〉範囲内に〉来た!
のだと思
61名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/30 06:52
>59
>「あ、電車が来た!」は何で「過去形」なの?
国語学では過去形と言うよりも「確認」の「た」と
言われていると聞いたが。
62名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/31 11:04
このスレは良スレだと思う。
63名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/08 12:57
age                    
64名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/04 23:59
あげとこ
65名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/05 23:55
>>59
過去というよりか「完了」だと思うなぁ。
「確認」は「あった、あった、こんなところに」みたいなのじゃないの?
66名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/07 10:01
>>6-15
韓国語に限っては、日本語の「は」と「が」にあたる後置詞(助詞)の区別が存在し、しかも使い分けは日本語とほとんど同じ要領でできます。
唯一の例外は、疑問文の場合で、日本語では「は」を用いるような場合でも、韓国語では「が」にあたる助詞を使う傾向が強いということです。
67名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/07 10:06
日本語の助詞の「は」の難しいところは、主格だけでなく目的格のように用いられることもあるということ。
これは、「は」がもともと格助詞ではなく係助詞(但し結びは終止形)であったことの名残なのだろう。
まあ、もともと係助詞だったという点では、「も」も同じだが。
68名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/07 10:11
>>65
たしかに>>59の場合は、「完了」の意味だね。
現代日本語では、「過去」を表す助動詞と「完了」を表す助動詞が同形になってしまっていて、このことは日本人が外国語を学ぶ際に必ずつまずく点の一つ。
あと、反実仮想(仮定法)なんかも、古文には存在するのに、現代日本語では消滅してしまっている。
69名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/08 00:51
>>67
学校教育で古文を教えるときに、「ぞ」「なむ」「か」「や」「こそ」の係り結びはかなり強調するのに、「は」「も」も結びが終止形の係助詞であることにはほとんどふれられていないのは、どうしてなのだろうか?
70名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/09 00:26
三藩市どうしたのかな?
71名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/09 22:01
>>65
自己レスだけど「あったあった」は確認じゃないなー。
確認は「タバコ吸いましたよね?」みたいなやつか?

>>68
反実仮想も現代語だと「た」になっちゃいますね。

ほんと「た」はややこしくてよくわからん。
72名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/09 22:16
本当に「確認性」なんて性質あるのか?いいかげんなはったりっぽいな。
73名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/10 12:57
>>71
反実仮想を表す表現が、「ば」「せば」「ませば」「ましかば」とたくさんある理由は、和歌をつくるときに便利だからなんだろうね。
74名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/10 21:48
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 紀貫之

問題:この和歌を英訳せよ。
75名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/11 00:24
If there were not any girls in the world,
all the boys had to be not suffering from love.
76名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/11 02:41
>>75
名訳!!!
性のある言語で、それを無視してどちらかで押し通しちゃったら、
どのぐらいに聞こえるの?
「部屋ぬい絵が掛かていまちゅ」ぐらい?
「部屋・絵・けけってゆ」ぐらい?(…って馬鹿かオレは)
78名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/12 23:10
文語文法復活age!
79名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/28 08:38
日本語アスペクト「ている」について書かれた博士論文はありますか?
80名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/28 22:05
おいらの知り合いが「ている」と「てある」について書いた記憶 (+)。
81名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/30 11:13
あげてある
82名無し象は鼻がウナギだ!:02/05/30 12:09
性は実は英語にもまだあるんですね。
83ヒマだから聞いてやる:02/05/30 21:16
>>82
それは、shipをherで受けるとかそんな話ではないですよね。
84名無し象は鼻がウナギだ!:02/06/03 23:28
>>79 中村ちどりさんの博論。
それから、森山拓郎ソンセンニムの博論の
一部。でも読むなら金子亨先生の本を読んでみては。
85名無し象は鼻がウナギだ!:02/06/04 03:09
>>77

J'ai bu de la biere et du vin, mais il etait tres mauvais.
Alors le garcon courait a moi, criant: "Monsieur! Il est pourri!"
というときに、性による指示性が失われるというぐらいかな。
86名無し象は鼻がウナギだ!:02/06/29 04:56
hozeeeeen
87名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/03 00:50
>>79
正しくは「てゐる」
88名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/03 00:52
>>75って、直訳するとどういう意味?
89名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/04 10:25
age!
90名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/04 13:14
接中辞も日本語にはない?
91名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/05 16:34
>>90
たとえば?
92名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/09 15:25
>>75
「If〜 」で始まっちゃダメダメ 詩的じゃない

いまじんのーへぶん
9390:02/07/09 15:51
あ、このスレ忘れてた。インドネシア語には痕跡的に残っていると
言われ(今すぐに出てこない…鬱だ)、クメール語には
s?oi=くさる   seom?oi=くさったもの
crioek=細く裂く ceomrioek=細く裂いたもの
khoh=間違える  keomhok=過ち
(?は声門閉鎖音、eoは広いオ、oeは中舌中)
のeomのような接中辞がいくつかあるという。でもこんなの日本語に
ないですよね。

ひとつ思い当たるのは、中学生のときクラスで流行った「ノサ語」と
いうやつ。文節頭の音節の後に「ノサ」を入れて話す。
「逝のさってよのさし、氏のさね!」みたいな。
これは、慣れると意外に早く(普通の発話のスピードで)変換できる
から、接中辞というのはそんなに突飛なことではないなと思ったりして。
94昼顔:02/07/11 18:12
今、動詞の分類をしようと思っているのですが、金田一さんのやら、色々な人のを読むだけでやっとなんですが、何か良い文献か資料をしってますか?
>>88
75じゃないけど、

「一人の少女も世界にいないならば、全ての少年が愛で苦しんでいる必要がある
というわけでなかった。」(翻訳ソフト使用)
96名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/18 00:50
a
9793:02/07/18 02:11
ごめんクメール語の接中辞(挿入辞の方が正しいらしい)は造語能力
を失っているそうだ。
agaってきたついでに書く主体性のない漏れ。
98名無し象は鼻がウナギだ!:02/07/18 10:55
>>94
Levin1993を参考にしたらどうか?
                 `ヽ 、 -‐'    ノ‐'´      \
                     |   ,/'"          ヽ
                     |_,,                  \
                _,,-‐/                   \
            _,-‐'/                       \
          ,r'"//                          \
           i -‐''"ノ                 \         \
       ,-‐'´   /                    入        \
    ,, -''     /                 i     / \        \
   /       l    ゚::ノ            l    /    \        ヽ
  l ノ       |                /    /       \        ゙、
  .i        ',               /    /       \       ヽ
   ',        ヽ             /    /         \_,,      '、
   ヽ        \         ,;‐'"     /          /       ヽ
     \      /`ー-------‐'"      /           /          ノ
      `'‐┬-‐''"                /        /          /
          |                   /       /          /
100:02/09/21 02:41
100 ヽ(´∀`)ノ ありがとう
101.:02/11/23 17:43
102名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/15 10:42
age
>>102
空アゲは止せよな。何か話題を振ってくれ。
104≠102:02/12/16 01:44
じゃ、ている、の意味論でもどうだ。
ている、は進行形か?

太郎が林檎を食べている
太郎がテレビに出ている
太郎が死んでいる
太郎が牛を殺している
太郎が走っている
太郎が学校に着いている
太郎が家を出ている
太郎が琵琶湖マラソンを走っている
太郎が手を挙げている
全部、広い意味で進行形だよ。
「意味論」と言っておいて
「進行形」か?



とつっこんでみるテスト
「テイル」はアスペクトの領分だな。
108名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/18 20:39
日本語の「た」は、テンスですか、それともアスペクトですか?
>>108
排他的な二者択一ではなくて、見方によってどちらでもあるとすべきだろ。
三角錐が上から見れば円で横から見れば三角形であるみたいなもんか。
110名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/18 22:16
>>109
一見、賢そうだが、意味不明な喩えだな。
「た」がテンスでもあればアスペクトでもあるってのは事実だろ。
もっといい譬喩があるなら出してくれ。そっちにするから。
112名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/18 22:38
>>111
>「た」がテンスでもあればアスペクトでもあるってのは事実だろ。

これは、「た」には、テンス的な用法とアスペクト的な用法があるのか、
それとも、「た」のひとつの用法にテンス的な要素とアスペクト的な要素
が同居しているのか、どちらなの?
「た」には「過去」も「完了」もあるわけだから用法が1つでないのは確かだが。
>>112
>どちらなの?

それも、場合によってどちらでもあるのではないかな。
115名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/19 02:40
テンスとかアスペクトとか意識しないで喋ってる人が大多数だから、
テンスでもアスペクトでもないものになってるかもしれんぞ。
ラテン語の文法の後裔、いまの言語学ではしっかりと分類できん方が
当然。
116名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/19 12:30
「タ」自体にはテンス的な意味しかない。アスペクトは語用的意味だから、「タ」が二つの意味をもっていると記述することはできないだろう。
>>116
誤用的意味って意味ではないンですか?
或いは、意味論的意味(?)だって誤用論的意味を前提しなければ成立しないものではないか?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1039150999/270-318n
275 :名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/14 12:10
日本語は時制よりアスペクトが大事な言語なのでアスペクトに関しては
やかましいですよ。にほんごでは「行った前」はあり得ないけど、
英語ではそういわなければならない場合もある。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1022416822/18-21n
18 :名無し象は鼻がウナギだ! :02/06/01 21:28
学部生のとき、ComrieのAspectを読もうとして、まず、山田小枝氏の訳を
手に取ったのですが、あまりに訳(訳語)の分かりにくさに辟易して、
あきらめて原書を読みました。それ以来、英語の言語学書がだんだん読める
ようになったんだよなあ。感謝しないと(藁

20 :名無し象は鼻がウナギだ! :02/06/01 22:01
>>18
値段も原書(懐かしい言葉)の方が4分の1。
何のための訳書やら。

21 :14 :02/06/01 22:13
>>20
訳書があるのに、あれだけ原書の方が直接日本語学に影響を与えている
という、非常に稀少価値がある訳書。
>>117
> 誤用的意味って意味ではないンですか?
意味だけど、記述はできない。キリがなくなる。

> 或いは、意味論的意味(?)だって誤用論的意味を前提しなければ成立しないものではないか?
もちろんそのとおり。しかし、語彙的意味と語用的意味とを区別しなくていいということにはならない。


>>118
> 日本語は時制よりアスペクトが大事な言語
そんなのは国語学者が広めた迷信。

> にほんごでは「行った前」はあり得ない
相対テンスで簡単に説明がつく。アスペクトを持ち出す必要なし。
それに、「行ったその前」なら十分ありうる。
>>120
>そんなのは国語学者が広めた迷信。

アスペクトなんて術語を持ち出したのは
国語学者でなくて日本語学の方だと思ったけど。
違った?
> 誤用的意味って意味ではないンですか?
意味だけど、記述はできない。キリがなくなる。

そんなこと言ったら語用論が成り立たなくなるヨ。
キリがないのは意味論だって一緒。だからって記述できないわけではなかろ。
なんか語用論に含む所でもあるの?
>>121
> アスペクトなんて術語を持ち出したのは
> 国語学者でなくて日本語学の方だと思ったけど。
用語については確かにそうなんだ。だけど、日本語はテンスよりアスペクトが重要だとか、アスペクトはあるがテンスはないなどという人は、たいてい国語学出身だ。
山田孝雄の「日本語に時制などない」という学説からいまだに離れられず、代わりに目新しいアスペクトに飛び付いたんだろう。


>>122
> そんなこと言ったら語用論が成り立たなくなるヨ。
> キリがないのは意味論だって一緒。だからって記述できないわけではなかろ。
語用論で明らかにできる所を、明らかにしてください、と言うべきかな。

> なんか語用論に含む所でもあるの?
形式の意味記述に、いろんなものをドサドサしょわさないでくれってこと。まともに歩けなくなっちまう。
>>123
山田孝雄は国粋主義者だけど、文法学説はむしろ西洋的・言語学的だった。
戦後、山田文法を受け容れ再考していったのも、国語学よりむしろ日本語学寄りの人だったはず。

タ形は過去と完了の二意義を表すとすれば、完了の意味はアスペクトに属する。
現代の「た」は歴史的には完了を表す助動詞「たり」に由来する。
やはり「た」はテンスよりもアスペクトが基本であるとすべきでない?
125あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>120
>相対テンスで簡単に説明がつく。

例文)何年か後の彼の成長した姿を心に描いた(描いている)。
この例文のタ形「成長した」は事態の実現(既然)を現すと見るべきものであって、
絶対的テンスや相対的テンスでは説明できない。
――以上、『日本語百科大事典』紙谷栄治の記述に拠る。
>>124
>現代の「た」は歴史的には完了を表す助動詞「たり」に由来する。
>やはり「た」はテンスよりもアスペクトが基本であるとすべきでない?
もともとはアスペクトを表していたが次第にテンスを表す方が基本になっていった
とも考えることはできないですかね?ようわからんけど。

あと「〜した。」の場合と「〜した<名詞>」の場合とは
分けて考えた方が良いかも。
連体の場合に古いものが残っているという可能性もあるし。

例えば「来るべき2003年に向けて決意を新たにした」の「べき」とか。
>>126
> 例文)何年か後の彼の成長した姿を心に描いた(描いている)。
> この例文のタ形「成長した」は事態の実現(既然)を現すと見るべきものであって、
> 絶対的テンスや相対的テンスでは説明できない。
「何年か後」といってもそれは現実の時間ではない。話者の心の中で何年かが経過した、彼はすでに成長した、その姿を心に描いた (描いている) のだから、相対テンスと考えて何の問題もないよ。

相対テンスで説明できない「タ」は、「曲がった道」のようなものだろう。「*道が曲がった、その道」とは言い換えられない。
こういう「タ」と、テンスを表す普通の「タ」とは異なる形式と解釈される。前者は「テ-イル」の連体形で、アスペクト (結果持続相) を表す。
129名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/20 02:17
>>128
あなたのおっしゃる「相対テンス」ってどう定義してるのさ?

「主節のあらわす時を基準にして、連体修飾説や他の従属節中において、
タ形はそれより「以前」、非タ形はそれより「以後」または「同時」を
あらわすと解するばあいにはそれを相対的テンスとよび、発話時を基準
とした「過去」「現在」「未来」をあらわす絶対的テンスと区別すること
になる」(『日本語百科大事典』紙谷栄治)

この定義によれば、>>126みたいな例文は相対的テンスでは説明できないよ。
日本語は英語みたいな時制の一致をもたないんだから。
>>124
> 戦後、山田文法を受け容れ再考していったのも、国語学よりむしろ日本語学寄りの人だったはず。
そんな人についてはあまり聞かないが。

>>129
> あなたのおっしゃる「相対テンス」ってどう定義してるのさ?
>
> 「主節のあらわす時を基準にして、連体修飾説や他の従属節中において、
> タ形はそれより「以前」、非タ形はそれより「以後」または「同時」を
> あらわすと解するばあいにはそれを相対的テンスとよび、発話時を基準
> とした「過去」「現在」「未来」をあらわす絶対的テンスと区別すること
> になる」(『日本語百科大事典』紙谷栄治)
この定義でいい。ただし、従節事態の時が現実の時なのか、仮想の時なのかを形のうえで区別する仕掛けが日本語にはなく、文脈次第になるということを忘れてはならない。
例えば、

*10年後の成長した彼に出会った。

こんなのはふつう変だけど、

夢の中で、10年後の成長した彼に出会った。

これだとOKになる。仮想世界においては「彼」は成長したあとであり、相対テンスで説明できる。
>>126 の「心に描く」は、それ自体が仮想世界を作り出す動詞なんだ。
>>128
教えて君でスマソだが・・・。

>こういう「タ」と、テンスを表す普通の「タ」とは異なる形式と解釈される。前者は「テ-イル」の連体形で、アスペクト (結果持続相) を表す。

1つは
「こういう「タ」」と「テンスを表す普通の「タ」」という
異なる形式が存在するという根拠は何かあるんでつか?
例えば歴史的には全然別の形式であったとかいう
形式的な根拠きぼんぬ。

もう1つ
「前者は「テ-イル」の連体形」というのが
よくわからんでつ。
「「ている」の連体形は「ている」だろ?」
って考えるのはDQNでつか?
128さんの考えてる「ている」の活用は
どんな風になってるのか問いたい(以下略
132名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/20 12:24
横レスだけど・・・

>>126
>例文)何年か後の彼の成長した姿を心に描いた(描いている)。
>この例文のタ形「成長した」は事態の実現(既然)を現すと見るべきものであって、
>絶対的テンスや相対的テンスでは説明できない。
>――以上、『日本語百科大事典』紙谷栄治の記述に拠る。

「成長する姿」と「成長した姿」という表現を比べてみれば、前者は成長する
という出来事の最中の「姿」であるのに対して、後者は成長するという出来事
が生じた後の「姿」ということであるから、「成長する」という出来事と「姿」
という状態の時間的(前/後/同時)関係を表す相対的テンスということで、
すんなり説明できると思うんだけどなあ。

>>129
>この定義によれば、>>126みたいな例文は相対的テンスでは説明できないよ。
>日本語は英語みたいな時制の一致をもたないんだから。

そもそも「時制の一致」って、主に絶対的テンスに関係する現象じゃなかったっけ?
違った?
133名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/20 13:20
>>130 >>132
紙谷氏の定義による「相対的テンス」(>>129)とは主節と従属節との関係で現れるもの。
つまり歴とした言語事実だ。
ところがあなたの「相対的テンス」なるものは心の中、仮想世界での時間的先後関係らしい。
言表に現れない内心の現象を持ち出してるわけで、それは確たるものではないし、
チト心理主義に過ぎるのでは。
言語学は心理学でも論理学でもない以上、なるべく現れた言語事象に即して考察すべき。
そこまで「テンス」の意味を無理に拡張するより、
心的に把握された時間関係はテンスではなくアスペクトだとした方がスッキリする。
>>130
>*10年後の成長した彼に出会った。
>
>こんなのはふつう変だけど、

いや、変でもないよ。
その前フリとして「彼」の幼い頃の話でもされてたのなら、
「それから、10年後の成長した彼に出会った」と言ってよいでしょ。
もちろん「それから、」は省略可能ってことで。

本題と関係無いね。失礼。
>>131
> 「こういう「タ」」と「テンスを表す普通の「タ」」という
> 異なる形式が存在するという根拠は何かあるんでつか?
アスペクトの連体タは、終止に移すとテイル/テアルになるが、テンスの連体タは、終止に移してもタのまま。
・眼鏡をかけた男 (が座っている)→(その) 男は眼鏡を {*かけた/かけている}。
・その時あわてて眼鏡をかけた男 (はここにはいない)→(その) 男はその時あわてて眼鏡を {かけた/??かけている}。

> 「「ている」の連体形は「ている」だろ?」
> って考えるのはDQNでつか?
結果持続相を表すテイルの連体形として、テイルとタの二つがある。
常に置き換え可能とはいえず、使い分けの規則はまだ明らかでない。
136131:02/12/21 07:06
>>135
>アスペクトの連体タは、終止に移すとテイル/テアルになるが、

連体テイルも当然終止でもテイルでつよね?
ってことは

>・眼鏡をかけた男 (が座っている)→(その) 男は眼鏡を {*かけた/かけている}。

と言ったところで「アスペクトの連体タは、終止に移すとテイル/テアルになる」とは言い切れないと思う。

・眼鏡をかけている男 (が座っている)→(その) 男は眼鏡をかけている。

というのは問題ないわけだし。

>結果持続相を表すテイルの連体形として、テイルとタの二つがある。

と考えてるみたいでつけど
活用の問題として処理してしまうのは無理がないでつか?
そう言いたい気持ちはわからなくもないけど。

(続く)
137131:02/12/21 07:07
(続き)

もっとも
言い方の問題で「活用」ではなく
文終止の位置(主節の述語)においては結果持続相はテイルによって表され
連体の位置(連体修飾節の述語)においてはテイルによってもタによっても表される
と言うのならば納得できるのでつけど。

つまり
アスペクトの連体タをテイルの異形態(?)とみなすのではなく
あくまでテイルはテイルでタはタであるととらえることで
少なくとも活用の面から言えば
無理のない記述が与えられるのではないか?

またこう考えることで
連体形と終止形の機能の違いを考慮できるし
タリからタへの流れを視野に入れて
アスペクト中心からテンス中心への変化(この辺は漏れの誤った認識かもしれんが)
もとらえることもできるのでは?
138135:02/12/21 08:14
>>137
> 文終止の位置(主節の述語)においては結果持続相はテイルによって表され
> 連体の位置(連体修飾節の述語)においてはテイルによってもタによっても表される
おれが言いたいのは全くこのとおりなんだが、これが「活用」であってはおかしいとおっしゃる理由がよくわからない。
現代日本語の述語詞は、文終止用法でも連体用法でも同じ形をとるのが原則。ただし指定詞は例外で、「静かだ; 静かな (部屋)」 「妹だ; 妹の (花子)」となる。「ダ〜ナ〜ノ」は異形態と処理される。
結果持続相を表す連体タを、テイル/テアルとは別の語として立てると、文終止用法をもたない特異な述語詞が出来てしまう。
139名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/21 09:12
>>133
> ところがあなたの「相対的テンス」なるものは心の中、仮想世界での時間的先後関係らしい。
従節が仮想世界の事態を表していれば、当然そうなるだろうし、従節が現実の事態を表していれば、そうならないだろう。
「心に描く」といった、仮想世界を作り出す動詞を主節に持って来ておいて、従節事態の時が現実の時と対応しないと文句を言うのは筋違いだ。

> 言表に現れない内心の現象を持ち出してるわけで、それは確たるものではないし
「何年か後の成長した」という言表は、歴とした言語事実ではないのか。

> 心的に把握された時間関係はテンスではなくアスペクトだとした方がスッキリする。
「既然態」という「アスペクト」は、きわめて日本的、国語学的な概念であり、言語学における一般的なアスペクトにはあてはまらない。
またいわゆる「完了」も、言語学で言う完了相 (perfective) とはかなり違っている。
まあそれはともかく、既然=事態の実現と言うからには、事態を観察する時点が必要だろう。
その時点が、発話時なら絶対テンス (過去)、主節事態時なら相対テンス (以前) ということにすぎないのではないか。
「現実に」成長する「前」に、「成長した」姿を仮想することはできるけれども、「仮想世界で」成長した「後」でなければ、「成長した」姿を仮想することはできない。
>>139
言表上に現れた事実(記号表現)と
それを心理的に解釈した推測(記号内容)と
は別だってことなんですけど。
>>140
「何年か後の成長した」という記号表現が、仮想世界における事態という記号内容を伴っていると解釈することが、どうしてそんなに問題なのか。
仮想世界ってのがねえ……なんかいかにも怪しげで、オッカムの剃刀で削りたくなる。
記号内容ってか、指示対象(関説物、レフェラン)と呼ぶべきだったけど、
それは括弧に入れて考察することにするってのが
ソシュール以降の言語論的転回の約束だったんでないの?
>>142
仮想世界はこの世に存在しないから、もちろん指示対象ではない。
もっとも、言葉で表した「現実の」世界も、現実世界そのものではないから、やはり指示対象ではない。
どちらも話者の頭の中だけにある、意味の世界だ。

「何年か後に成長したら」と言えば、たちまちだれもが仮想世界を認めないわけにいかなくなる。怪しげでも何でもない。
それなのに、「何年か後の成長した」が仮想世界を表す (場合がある) というと抵抗されるのは、日本語に専用の叙法が欠けているからだろう。
例えば、>>134 は頓珍漢だけど、そのあたりの事情をよく反映している。
しかし、

(1)a. (今から) 何年か後の成長した彼 {を心に描いた/に期待した/…}。
  b.                {*に出会った/*とキャッチボールをした/…}。
(2) 夢の中で、(今から) 何年か後の成長した彼 {に出会った/とキャッチボールをした/…}。

のような分布を見れば、日本語の連体節に、仮想世界を表す用法があることは間違いがない。
(2)の場合、主節・従節ともに仮想世界の事態を表しているが、(1)a.の場合、主節の述語が従節の表す仮想世界を作り出しながら、主節述語自身は現実の事態を表している。
後者の場合、従節述語は常に主節事態時を基準とした相対テンスをとると考えられる。仮想世界の時は、現実の時である発話時からは測ることができず、仮想世界を作り出した主節述語の時から測るしかない。
144131(=136-137):02/12/22 00:16
>>138
まず
漏れが書いたことの確認だけど

漏れが137で
>文終止の位置(主節の述語)においては結果持続相はテイルによって表され
>連体の位置(連体修飾節の述語)においてはテイルによってもタによっても表される

と書いたのは
ある文法的意味(ここでは「結果持続相」)が
どのような形式(テイル・タ)に分担されているかというのが
文の位置(主節述語・連体修飾節の述語)によって異なる
というところまでで
「語の活用」のところまでは踏み込んでないんでつよね。
(もっともタとかテイルを語として認めるかというのは問題だけどとりあえずそれは置いといて・・・)
145131(=136-137):02/12/22 00:18

議論がかみ合わなくなりそうな気がしてきたんで
お互いの考えをまとめると

漏れは
タには少なくともテンスの用法とアスペクトの用法がある。
テイルには少なくともアスペクトの用法がある。
つまり
テンスのタとアスペクトのタを
別の語として扱うのではなく
1つのタにテンスの用法とアスペクトの用法を認める
という考え方でつ。

135=138さんの考え方は
テンスのタとアスペクトのタは別の語であり
さらに
アスペクトのタは(アスペクトを表す)テイルの連体形の異形態(?)
として位置付けることができる。
…と漏れは読んでいるんでつけど
これで良い?
146131(=136-137):02/12/22 00:19
とすると
135=138さんの
>結果持続相を表す連体タを、テイル/テアルとは別の語として立てると、文終止用法をもたない特異な述語詞が出来てしまう。

という指摘は
漏れの立場だと
テンスのタとアスペクトのタも
1つのタが持つそれぞれの用法として扱い
テンスの用法の場合は文終止の位置で使えるので
問題はないということになりまつ。

また
漏れの立場では
文終止の位置には見られない用法が連体の位置には見られる
ということになるが
それは特にめずらしいことではないと思いまつ。

活用を考えるんであれば
タはタでテイルはテイルで考えた方がわかりやすいし
以上に述べたことから
これで考えることは可能だと思うのでつが…。
147名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/22 00:38
>>143
>(1)a.の場合、主節の述語が従節の表す仮想世界を作り出しながら、主節述語自身は現実の事態を表している。
>後者の場合、従節述語は常に主節事態時を基準とした相対テンスをとると考えられる。
>仮想世界の時は、現実の時である発話時からは測ることができず、仮想世界を作り出した主節述語の時から測るしかない。

その(1)の場合、「仮想世界を作り出した主節述語の時から測るしかない」ってことは、
それが取りも直さず、時制の一致が無く、相対テンスで説明することはできない、
――ってことでないのですか。
148名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/22 02:37
仮想世界というのは可能世界意味論で言う可能世界というのと
同じですか?
149138:02/12/22 09:40
>>146
> 文終止の位置には見られない用法が連体の位置には見られる
> ということになるが
> それは特にめずらしいことではない

例えば?
>>147
> その(1)の場合、「仮想世界を作り出した主節述語の時から測るしかない」ってことは、
> それが取りも直さず、時制の一致が無く、相対テンスで説明することはできない、
> ――ってことでないのですか。
何かよくわかっていないようだが、時制の一致というのは絶対テンスの一種であって、時制の一致がなければ相対テンスが現れるんだよ。
英語でも、仮定法を使えば時制の一致は行われない。学校英語で習っているはず。

>>148
> 仮想世界というのは可能世界意味論で言う可能世界というのと
> 同じですか?
おれにはわからない。
151138=149:02/12/22 13:36
>>149
> >>146
> > 文終止の位置には見られない用法が連体の位置には見られる
> > ということになるが
> > それは特にめずらしいことではない
>
> 例えば?

>>127
> 連体の場合に古いものが残っているという可能性もあるし。
>
> 例えば「来るべき2003年に向けて決意を新たにした」の「べき」とか。

なるほど、これか。
ちょっと考えさせてくれ。
>>150
「仮想世界を作り出した主節述語の時から測るしかない」。
その主節述語(「心に描いた」)とは、仮想世界ではなく現実世界を述べたものですよね。
とすると、仮想世界の時点(従属節)と現実世界の時点(主節)とを対比させてるわけだ。
現実世界なら現実世界、仮想世界なら仮想世界で一貫させて、
その同じ世界内で時間差を現すのが相対テンスだってことならまだわかる。
――つまり、発話時(絶対テンスの基準)とはまた別に、
或る現実世界の時点と現実世界のそれとは異なる時点と、
さもなくば、仮想世界での或る時点と同じ仮想世界での別の時点と、
その時間差の表現としてあるのが相対テンスではないの?
現実と仮想を一緒くたにしてしかも相対テンスって称されると腑に落ちないなあ。
相対テンスってそんなに何でもアリな概念なのですか。
153150:02/12/22 17:35
>>152

確かに難しいね。しかし、

・「仮想世界で」○○した「後」でなければ、「○○シタ」姿を仮想することはできない。

このことは動かないから、「心に描く」 「夢見る」 「期待する」などの仮想動詞の時は、仮想世界の時でもあり、同時に現実世界の時でもある、ととらえるしかないだろう。

> 相対テンスってそんなに何でもアリな概念なのですか。

そもそも、「心に描く」なんて変わった動詞を持ち出したのは、何のためだい?
日本流「アスペクト」という、はるかに何でもアリな概念を守るためだろう?
>・「仮想世界で」○○した「後」でなければ、「○○シタ」姿を仮想することはできない。

いやあ、それは苦しい説明ですね。そんなことないでしょ。
その前の段階なんて考慮に入れずにいきなり「○○シタ」姿を仮想することだってある。
仮想世界なんだから、そんな律儀に前後関係を守らなくても
それこそなんでもアリ、その場その場の想像次第でしょ。
だからこそ、仮想世界なんて概念を持ち込むのはなるべく避けたい。

既に確固たる概念であるテンスを何でもありな概念にしてしまふ罪よりも
新渡のアスペクトをふところの広い概念にしておく功の方が大きいと思ふ。
155名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/22 18:19
>そもそも、「心に描く」なんて変わった動詞を持ち出したのは、何のためだい?
>日本流「アスペクト」という、はるかに何でもアリな概念を守るためだろう?

アスペクトを守る……?
むしろこれまで、相対テンスで済むんだからアスペクトなぞ要らぬわっ、
と攻撃してたのではないのですか。>>153
156151:02/12/22 18:33
>>151
> > 例えば「来るべき2003年に向けて決意を新たにした」の「べき」とか。

ベキ (ダ) という形式は、学校文法でも記述文法でも、かわいそうなことに、居場所が与えられていないね。
記述の仕方はだいたい三とおりになる。

@ベキダを1語 (助動詞) とし、ベキをその異形態 (連体形) とする。
Aベキダをベキ (形式名詞) + ダ (指定詞) と分析し、ベキに付く指定詞は名詞を修飾するとき、ナでもノでもなく、φ (ゼロ) の形をとると考える。
 この指定詞連体形 φ は、形容詞的名詞オナジにも付く。
Bベキダをベキ (形式名詞) + ダ (指定詞) と分析するが、「来るべき2003年」のようなベキは連体詞とし、形式名詞ベキとは別の語と見なす。

@: 「〜べきで (は) ない」 「〜べきだった」 「〜べきか?」 のような言い方ができる点から、ベキダは助動詞とは認めがたい。
A: 形式名詞ベキと形容詞的名詞オナジだけのために、指定詞の異形態がダ〜ナ〜ノ〜 φ と一つ増えて、わずらわしい。

結局、Bが無難かなと思う。同様に、「同じだ」のオナジは形容詞的名詞、「同じ人」のオナジは連体詞で、互いに別語ということになる。
>>156
素直にその「べき」は助動詞べしの連体形だとしたら何か問題あるんですか?
ベキダは別問題でしょ。
それは形容動詞なるものを如何に考察するかって別の大問題に入り込むことになる。
158156:02/12/22 19:10
>>157
> 素直にその「べき」は助動詞べしの連体形だとしたら何か問題あるんですか?
そうさせてもらえれば、「べき」は、「文終止の位置には見られない用法が連体の位置には見られる」例ではないことになるから、おれとしては助かるけど。
159名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/22 20:18
>>154
> その前の段階なんて考慮に入れずにいきなり「○○シタ」姿を仮想することだってある。
むちゃくちゃ言ってるね。自分の力で自分の体を空中に持ち上げられる、と言うようなもんだ。

> 既に確固たる概念であるテンスを何でもありな概念にしてしまふ罪よりも
> 新渡のアスペクトをふところの広い概念にしておく功の方が大きいと思ふ。
基準時点を示さないで「既然」とか「未然」とか言っていても、何の説明にもならない。
それに、「タ (〜カッタ〜ダッタ)」は、動詞だけでなく形容詞や名詞にも付く。動きを表さないものに既然も未然もないだろう。


>>155
仮想動詞を持ち出して来たのは >>126 だよ。
おれがそんな辻褄の合わない話をすると思うかい?
>> その前の段階なんて考慮に入れずにいきなり「○○シタ」姿を仮想することだってある。
>むちゃくちゃ言ってるね。自分の力で自分の体を空中に持ち上げられる、と言うようなもんだ。

仮想世界の話でしょ? ならばあり得ますよ。
一例として、「二十歳になった主人公」がいきなり登場する小説を挙げられます。
作家は十九歳以前の主人公を必ずしも描写しないし、読者もまたそれを想像する必要は無い。
ただ、いま二十歳になった登場人物をそれとして受け止めればいいわけです。
もちろん論理的にはその主人公に十九歳以前があったことが推測されます。
が、それは「二十歳になった彼は……」から導き出された後知恵ってもんですし、
もはや言表されたことから逸脱して言外の論理に入ってる(言語学より論理学の領分へと越境)。
論理的には(或いは仮想世界内の指示対象では)十九歳の彼が先行するかもしれんが、
言表に即して見た場合は必ずしもさにあらず。
仮想された断片はただそれだけが存するのであって、その前も後も無くてもよい。
だから基準時点があるとすれば恐らくそれはそれぞれ断片的なその言表内にあるので、
その言表外に論理上推測される仮想時点を設けるの過剩な合理化ではありませんか?

どちらにせよ、あなたの主張は
相対テンスで済むからアスペクトなんて無用だって批判なのですよね?
>>160

「私は、二十歳になった彼を想像してみた」
というのと、

「二十歳になった彼は……」
で始まる小説とが、同じかい?

小説は、仮想世界ではないよ。フィクションもノンフィクションも、言表としては、現実世界の事態を描いている。
小説が虚構であるとわかるのは、それこそ、言表外の情報が与えられているからだ。
例えば、作者不明で、登場人物にも心当りがなく、怪異なことも書かれていない文章を読んだとする。
ただそれだけで、物語が事実か虚構か、いったいどうやってわかるというのか。

> どちらにせよ、あなたの主張は
> 相対テンスで済むからアスペクトなんて無用だって批判なのですよね?
「タ」の付いた形と付かない形の対立を説明するのに、「アスペクト」は無用だということです。
亀レススマソ・・・。
>>156
漏れは156さんの3つの考え方の中で言うと
1番目の
>@ベキダを1語 (助動詞) とし、ベキをその異形態 (連体形) とする。

に近い考え方でつ。
つまり「べきだ」を助動辞と考え
連帯の位置にある「べき」はその活用形(連体形)とする
という考え方でつ。

ところで「べき」を形式名詞と考えるのには少し抵抗ありでつ。
というのは「べきが」とか「べきを」等とは言えないことから
「こと」等の他の形式名詞とは一緒にはできないからでつ。
仮に「べき」を形式名詞と考えるならば
かなり名詞らしさを失っていると考えないといけないでしょうね。

1番の考え方を156さんは
>@: 「〜べきで (は) ない」 「〜べきだった」 「〜べきか?」 のような言い方ができる点から、ベキダは助動詞とは認めがたい。

と否定されていまつが
なぜだめなのかよくわかりませんでしたでつ。
おそらく立場の違いによるものかとも思いまつが
漏れはベキダの活用と考えてもイイのではないか
と思うのでつが・・・。
>>157
>素直にその「べき」は助動詞べしの連体形だとしたら何か問題あるんですか?

通時的に考えれば
その考え方のほうがむしろ自然でつね。

>>127
>連体の場合に古いものが残っているという可能性もあるし。
>例えば「来るべき2003年に向けて決意を新たにした」の「べき」とか。

と漏れが書いたのは
古典語の「べし」は現代でも使われることはあるが
文末における用法としては「べし」は普通使われず
非文末における用法として「べし」が使われる
・・・ということを言おうとしたわけでつ。
「べきだ」は「べし」の名残があったりして
共時的な記述が難しく
通時的な観点が必要だと思いまつが
ただ日本語(国語)教育への応用なども考えると
共時的にも記述しようとする試みもあっていい
と思いまつ。

共時的に現代語の「べきだ」を記述しようとすると
文末における用法は

(1) 君はこの本を読むべきだ。

非文末における用法
その中で連体の位置における用法を挙げると

(2) 君が読むべき本はこれだ。

のように文末における用法と同じ用法の他に

(3) きたるべき2003年に向けて決意を新たにした。

という文末における用法には見られない用法を持つ
ということになりまつかね?

(3)のような用法については通時的な観点を取り入れると
古典語の「べし」が現代に残ったものと説明される
と漏れは考えているのだが・・・。
現代語での用法

あしたのために、打つべし、打つべし……ダベシ(赤塚不二夫調)。
>>161
>例えば、作者不明で、登場人物にも心当りがなく、怪異なことも書かれていない文章を読んだとする。
>ただそれだけで、物語が事実か虚構か、いったいどうやってわかるというのか

文学におけるナラトロジーの方ではですね、内容ではなく文体から判斷する方法があります。
三人称でタ形で、しかもその三人称(彼乃至彼女)の内面を記述してるものは小説的虚構です。
彼は……と思った、の類ですね。
>>162

> ところで「べき」を形式名詞と考えるのには少し抵抗ありでつ。
> というのは「べきが」とか「べきを」等とは言えないことから
> 「こと」等の他の形式名詞とは一緒にはできないからでつ。
> 仮に「べき」を形式名詞と考えるならば
> かなり名詞らしさを失っていると考えないといけないでしょうね。
この「べき」は形式名詞であり、かつ、形容詞的名詞 (「静か」 「変」等) でもある、と考えたらどうだろう?

> 漏れはベキダの活用と考えてもイイのではないか
> と思うのでつが・・・。
おれは、助動詞というのは、叙述内容を表すのではなく、叙述方法を決定する形式だと考えている。
これがいわゆるモダリティ形式で、その典型はダロウだ。
叙述方法は、話者自身が、発話時において、肯定的に決定しなければならないから、モダリティ形式が否定されたり、過去化したり、聞き手に尋ねられたりすると、わけがわからなくなる。
ベキダは否定も、過去化も、質問も自由だから、叙述内容 (の一部) を表していると考えられる。
>>166
> 三人称でタ形で、しかもその三人称(彼乃至彼女)の内面を記述してるものは小説的虚構です。
> 彼は……と思った、の類ですね。
うん、確かにそうだ。
ただ、そういう記述が全くなくても話は虚構ってこともありえるよね。
>>163
> 古典語の「べし」は現代でも使われることはあるが
> 文末における用法としては「べし」は普通使われず
> 非文末における用法として「べし」が使われる
これだけのことなら、「べき」を連体詞としてしまったほうがいいように思うが。
というか「来るべき」以外に使われてるか?
http://homepage2.nifty.com/nishitaya/intro4c10.htm
1 物語伝達における時制
 物語:時間的分極性(過去・現在・未来)を持つ
     ←物語行為時を原点:語り手が聴き手に事象・出来事を伝達
 テンス(時制)とアスペクト(相):出来事の成立時間の特定化
  時制:出来事の時間を語りの時点に外的に関係づける
  相:出来事を一括=完成的に捉えるか不完成的に捉えるかの出来事の内的時間把握の相違を表現
[…略…]
物語の主導時制形式:過去形
 
 過去形=虚構信号説
   ハンブルガー:「私」―原点=仮構された言表主体≠現実の具体的な言表行為主体
   三谷邦明:三人称過去≠日常言語
172名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/24 16:03
>>164

> 共時的に現代語の「べきだ」を記述しようとすると
> 文末における用法は
>
> (1) 君はこの本を読むべきだ。
>
> 非文末における用法
> その中で連体の位置における用法を挙げると
>
> (2) 君が読むべき本はこれだ。
>
> のように文末における用法と同じ用法の他に
>
> (3) きたるべき2003年に向けて決意を新たにした。
>
> という文末における用法には見られない用法を持つ
> ということになりまつかね?
こういうのを見ていると、>>156 のAの記述のほうがいいかな、とも思えてくる。少々わずらわしくてもね。

いずれにしても、「曲がりくねった道」の「た」と、「きたるべき2003年」の「べき」とを、同類に扱える可能性があるのかな……
173メル友掲示板:02/12/24 16:20
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>>170 >>172
現代語で推量の「べき」は、もう新しい句を作る力をもっていない。
「きたるべき」 「さるべき」 「しかるべき」全体を、それぞれ連体詞とすべきだろう。

>>156
Aがいいよ。ついでに指定詞の異形態をイ〜ダ〜ナ〜ノ〜 φ として、形容詞・形容動詞・名詞の間の垣根をなくしてしまえばいい。
そうすれば、「大きな」 「小さな」 「同じ」を連体詞としなくて済む。
175162-164:02/12/25 10:36
>>167
>この「べき」は形式名詞であり、かつ、形容詞的名詞 (「静か」 「変」等) でもある、と考えたらどうだろう?

「静か」「変」というのを「形容詞的名詞」つまり名詞の下位類と考えるんですね。
そういう考え方もあると思うんだけど
いわゆる「形容動詞」については167さんの言い方を借りると
漏れの考えは「名詞的形容詞」となるかな・・・。

167さんの考え方で行くと「べき」を形式名詞と認めるのは何ら問題ないことになるが
やはり「名詞」と言うからには「格」という文法カテゴリーを持っている
ということが重要だと思うんでつけどねえ〜・・・。

そうすると「べき」は他の形式名詞「こと」「ところ」と一緒にしきれない部分があるんだが。

>おれは、助動詞というのは、叙述内容を表すのではなく、叙述方法を決定する形式だと考えている。
>これがいわゆるモダリティ形式で、その典型はダロウだ。

「助動詞=モダリティ形式」という考え方なんですか?
その考え方には必ずしも同意はしかねるけどスレ違いの議論が長引きそうなのでやめときまつ。

>叙述方法は、話者自身が、発話時において、肯定的に決定しなければならないから、モダリティ形式が否定されたり、過去化したり、聞き手に尋ねられたりすると、わけがわからなくなる。

すると「だろう」は「だろうか」という形態があるわけですがどう位置付けます?

あとモダリティを表すと言われる「かもしれない」は167さんの考え方ではどうなるのかな?

(1) あの時僕はクビになるかもしれなかった。

となるわけですが・・・。
漏れは「かもしれない」は複合助動辞と考えたいわけだが。
176162-164:02/12/25 10:40
>>169
>これだけのことなら、「べき」を連体詞としてしまったほうがいいように思うが。

「べき」を連体詞にした場合
1) 他の連体詞「この」「大きな」と果たして一緒にできるか?
2) 「べき」は必ず修飾を受けねばならず「φべき」とはならないことをどう考えるか?
の2点が問題になると思いまつ。

あと169さんは「これだけ」とおっしゃるが
「これだけ」ではないと思いまつ。
「べきだ(べし)」の連用に「べく」がありますよね?

(2) 司法試験に合格するべく努力しよう!

これは文末における「べきだ」と同じ用法と考えることはできないと思う。
古典語の「べし」の名残と考えることもできると思うが
この先をどう説明するかどうかは漏れにはまだわからんでつ。

>>170
>というか「来るべき」以外に使われてるか?

考えてみればあまりないですね。
かなり特定の表現とむすびついて使われてますね。
うーん
ミスチルの

(3) 愛すべき人よ 君に会いたい

の「べき」とかはそうかな?
177162-164:02/12/25 10:41
>>172
172さんの立場だと164の特にどの部分がどのように問題でつか?
ご教授きぼんぬ。

>>174
>「きたるべき」 「さるべき」 「しかるべき」全体を、それぞれ連体詞とすべきだろう。

こういう考え方はありだと思いまつ。反論はありません。

>指定詞の異形態をイ〜ダ〜ナ〜ノ〜 φ として、

それもありかも。
ただ「φ」となるのは「同じだ」くらいなもんだから
そういう特殊なものを無理矢理規則に押し込めるのも抵抗なくはない。
むしろ不規則活用を認めたらどうかとも思うのだが。
そうすると
>そうすれば、「大きな」 「小さな」 「同じ」を連体詞としなくて済む。

と同じメリットがあるように思うのだが。


全体的に思ったこと

1) A派が多いな。
漏れは上に書いたように抵抗あるのだが・・・。
同意者きぼんぬ(w

2) こうしてみると「連体詞」って
異質なものがいろいろと入っているように思えまつね。
とりあえず他に入れられないから連体詞に入れてみました
・・・みたいな。
>>175

> やはり「名詞」と言うからには「格」という文法カテゴリーを持っている
> ということが重要だと思うんでつけどねえ〜・・・。
「??〜べきが」はおかしいが、「〜べきを」や「〜べきは」はOK。「は」の背後には消去された格助詞あり。
「べき」は格補語になれないわけではない。

> すると「だろう」は「だろうか」という形態があるわけですがどう位置付けます?
疑いを表すが、質問にはならない。
もっとも、疑問化に関してはいろいろ問題もあるので、テストにはふさわしくなかったと思う。

> (1) あの時僕はクビになるかもしれなかった。
「かもしれない」や「ようだ」 「みたいだ」は、話し言葉でも過去化しうるから、モダリティとはいえない。
「だろう」 「らしい」 「にちがいない」 「(伝聞) そうだ」などはモダリティと考える。
>>176

> (2) 司法試験に合格するべく努力しよう!
この「べく」は、接続助詞ととらえる手がある。

> (3) 愛すべき人よ 君に会いたい
この種の「べき」って何だろう? 「だれもが愛するはずの人」というような意味?
180172:02/12/26 09:07
>>177

「べき」には名詞性が乏しいから、「べきだ」を1語と認めるというのも、一つの行き方だとは思う。
その場合、連用形ベク、終止形ベキダ、連体形ベキという活用体系になる。
そして、終止形がもっていない意味を、連用形や連体形は残していると解釈される。

しかし、別の面から見れば、「司法試験に合格すべく…」の「べく」や、「愛すべき人」の「べき」は、終止用法をもっていないために、仕方なくベキダの体系に収められたともいえる。
それに対して、「曲がりくねった道」の「た」は、終止の位置に移せば、間違いなく「道が曲がりくねっている」となるだろう。
「べき」の場合はやむを得ずとった処置を、「た」にも適用する必然性があるのか?
>>180
ベキダの活用表は正確には、連用形ベク;ベキデ、終止形ベキダ、連体形ベキ;ベキナ (ノへ続く場合) という、ややこしいものになる。
そして、第一連用形ベクは終止形と違う意味をもち、第一連体形ベキは終止形と同じ意味と、違う意味とをもつということになる。
こんなのはぜんぜんすっきりしてないから、終止形と違う意味をもつベクやベキは古語として、義務のベキダとは別語と見なし、体系から追い出したほうがいいんじゃないか。
182名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/07 18:52
>>145
>テンスのタとアスペクトのタを
>別の語として扱うのではなく
>1つのタにテンスの用法とアスペクトの用法を認める
>という考え方でつ。

ごもっとも。
なんでこれに反対する人が居るんだか、わからないなあ。
>>182
> >>145
> >テンスのタとアスペクトのタを
> >別の語として扱うのではなく
> >1つのタにテンスの用法とアスペクトの用法を認める
> >という考え方でつ。
>
> ごもっとも。
> なんでこれに反対する人が居るんだか、わからないなあ。

「アスペクトのタ」は名詞修飾節でしか用いられない。現代語の体系からはみ出た古語、文語というわけでもない。
同一の語なら、主節でも従節でも同様に用いられるはずだから。
多義語と同音異義語を区別する基準って何?
>「アスペクトのタ」は名詞修飾節でしか用いられない。

そんなことないでしょ。
連体形でなくても終止形でアスペクトを表す「タ」もあるんでない?
>>183は連体形(名詞修飾節)のタと終止形のタを「同一の語」と見ないのか?!
どちらも助動詞「タリ」を起源とする「タ」の活用でしょ!
187名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 11:52
>>185
> >「アスペクトのタ」は名詞修飾節でしか用いられない。
>
> そんなことないでしょ。
> 連体形でなくても終止形でアスペクトを表す「タ」もあるんでない?
ないよ。
「*その道は曲がりくねった」なんて、おかしいでしょ?

>>186
> >>183は連体形(名詞修飾節)のタと終止形のタを「同一の語」と見ないのか?!
> どちらも助動詞「タリ」を起源とする「タ」の活用でしょ!
通時論と共時論とを分けて考えるのが、現代言語学の鉄則です。
>>184
おもしろい問いだ。
厳密に言うと、存在しないね。
189名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 12:00
>>187
>「*その道は曲がりくねった」なんて、おかしいでしょ?
擬人法としてなら許容できますね。
「道」が動作主になるから意味的にヘンなので、受身にすればよいのでは。
「その道は掘り返された」

あと、タリは古語ではあるが死語ではない。現代でも文語的表現で使用します。
だから共時的に存在するとも見做せます。
共時ってのは物理的時間軸の断面ではなく話者の意識内の状態のはずですから。
190名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 12:15
>「アスペクトのタ」は名詞修飾節でしか用いられない。

「もう怒った。許さないぞ!」
この終止形のタは過去を示すテンスのタではなくアスペクトのタでは?
何か探し物してて、
「あ、あった!」ってのはどうでしょうかねえ。
待ち合せ場所にて。Cさん一人だけ姿を見せない状況で。
A「遅いなあ。まだ来ないのかあ」
B「うん……あ、Cさんだ。来た来た、いまやって来たよ」

Cさんを見つけたこのBの台詞は
「あ、来る来る。いまやって来るよ」でもよい。
問題無くこの場面に適合する。

さて「来た来た」のタはテンスなのかアスペクトなのか。
>>189-192

> 「その道は掘り返された」
テンスのタです。

> あと、タリは古語ではあるが死語ではない。現代でも文語的表現で使用します。
> だから共時的に存在するとも見做せます。
> 共時ってのは物理的時間軸の断面ではなく話者の意識内の状態のはずですから。
そのとおりです。現代においても、文語を使っている時は、現代日本語とは違う言語 (共時態) を使っているのです。

> 「もう怒った。許さないぞ!」
> この終止形のタは過去を示すテンスのタではなくアスペクトのタでは?
怒っていない状態から、怒っている状態へと変化したわけですから、テンスのタです。

> 何か探し物してて、
> 「あ、あった!」ってのはどうでしょうかねえ。
これはちょっと難しいですが、発見した時点は発話時より一瞬前ですから、結局テンスのタでしょう。

> 待ち合せ場所にて。Cさん一人だけ姿を見せない状況で。
> A「遅いなあ。まだ来ないのかあ」
> B「うん……あ、Cさんだ。来た来た、いまやって来たよ」
>
> さて「来た来た」のタはテンスなのかアスペクトなのか。
姿の見えない状態から、見える状態へと変化したわけですから、問題なくテンスのタです。
194名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 13:25
>>196 チト強引に過ぎます。

>そのとおりです。現代においても、文語を使っている時は、現代日本語とは違う言語 (共時態) を使っているのです。

口語体の一文中に文語的表現が交じる場合は、そこに複数の共時態があると?
日本語の会話中に英単語が交じったら、そこに複数の共時態があると?(外来語は存在しない?!)
双方が同時に共存するのだから一つの共時態で済ませられますよ。

>> 「あ、あった!」ってのはどうでしょうかねえ。
>これはちょっと難しいですが、発見した時点は発話時より一瞬前ですから、結局テンスのタでしょう。

発話時より一瞬でも前でない場合なんてありますか?
「あ、ある!」と言ってもいいはずだが、これだって発見したのは発話時より一瞬前ですよ。

>> さて「来た来た」のタはテンスなのかアスペクトなのか。
>姿の見えない状態から、見える状態へと変化したわけですから、問題なくテンスのタです。

変化と言ったら、アスペクトの完了相だって不完了から完了への変化になります。
あなたはアスペクトの存在を全否定するおつもりで?
195名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 16:20
終助詞には、テンスもアスペクトも関係ないのでは・・・?
終助詞?
197名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 16:43
「あった!」の「た」は、発見の終助詞じゃないの?
「風が吹くわ、雨は降るわ」の「わ」と同じで・・・。
勉強中なので、違うかも・・・スマソ。(´・ω・`)
198名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 16:55
>>194

> 口語体の一文中に文語的表現が交じる場合は、そこに複数の共時態があると?
> 日本語の会話中に英単語が交じったら、そこに複数の共時態があると?(外来語は存在しない?!)
外来語とは、いわゆるカタカナ語として、現代日本語の体系に取り込まれているものでしょう。多くの人が意味を知らないような英単語を、英語の発音のまま日本語の会話に交えたら、そこだけが違う共時態になります。
文語的表現についても、「言わずもがな」 「推して知るべし」 「〜ならでは」などのように、慣用句として現代語に取り込まれているもの (古来語?) はありますが、それら以外の表現を交えたら、やはり違う共時態になるでしょう。

> 発話時より一瞬でも前でない場合なんてありますか?
ありません。
> 「あ、ある!」と言ってもいいはずだが、これだって発見したのは発話時より一瞬前ですよ。
探していたときと、思い出したときに限って、どういうわけかタを使ってもよい (使ったほうがいい?) ことになっているようです。
この種のタが普通のテンスと違う点をもっていることは認めますが、アルは動きを表す動詞ではありませんから、もとよりアスペクトとはかかわりがないはずです。

> 変化と言ったら、アスペクトの完了相だって不完了から完了への変化になります。
> あなたはアスペクトの存在を全否定するおつもりで?
まさか。「来た」のテンスは過去 (以前) で、アスペクトは perfective ですよ。
ただ、タはテンスを表すとしておけばいいわけで、アスペクトを表すとしなければならない根拠はありません。
「来た」の perfective は、テイ (ル) を「使っていない」ことによって、表されているのです。
199名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 18:09
>>197 スゴイ新説だ!
>>198
>> 発話時より一瞬でも前でない場合なんてありますか?
>ありません。
ならば「発話時より一瞬前ですから、結局テンス」なんて理由づけは無意味ですね。
どんな場合にもあてはまる理由で特にテンスたるべき場合の理由にはなりませんから。
タが終助詞的に軽い命令を表す用法もあることはあるが。

「どいた、どいた! 石松様のお通りだい。」
「さあ子供はあっちへ行った!」
「ちょっと待った!」
これはテンスでは……ないよな、さすがに。
201名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/08 19:09
>>199
> ならば「発話時より一瞬前ですから、結局テンス」なんて理由づけは無意味ですね。
> どんな場合にもあてはまる理由で特にテンスたるべき場合の理由にはなりませんから。
確かに、これだけではダメなんですよ。タしか使えないということになってしまいますからね。
そこで、タの付かない形が使われる条件を、先に記述しておかなければならないわけです。
>>197
おもしろい考え方だが、発見のタとテンスのタとは別語ということになるね。
それなら、アスペクトのタとテンスのタも、別語と見ていいのでは?
203名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/09 03:06
>>183
>同一の語なら、主節でも従節でも同様に用いられるはずだから。

アスペクトのタとテンスのタは同一の語ではないと見るわけですか。
同音異義語ってことですか? それはちょっと無理がありますよ……

>>203
「アスペクトのタ」は、主節に移したときテイルに変わるわけだから、
テイルと同一語と見なせばいいでしょ?
まあ歴史的にはテイルもタもタリから分かれたわけだけどさ。
でもテイルとタはもう既に別語ですよ。
同一語だとしたら、終止形がテイルで連体形がタなの?
そんな無茶な活用ってないやね。
>>205
> そんな無茶な活用ってないやね。
そう思えるのは、通時論に引きずられているから。
通時論と矛盾する共時論なんて理論的に破綻してるヨ。
>>207
いいえ、むしろ通時論に抵触しないと、共時論は成り立ちません。
英語 go の過去形を went とするなど、そのよい例です。
wentがgoの過去形となったのはそれなりの歴史的経緯があった故のことで。
別に通時的変遷を無視して共時論が「go の過去形を went と」したわけではないだろ。
通時論と共時論とを分けるのは当然だが、最終的に両者の整合性が無い理論は空論に過ぎない。
210名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/09 15:59
>>204
>「アスペクトのタ」は、主節に移したときテイルに変わるわけだから、
>テイルと同一語と見なせばいいでしょ?

「割れた茶碗」の「た」と「割れている茶碗」の「ている」は、同一語なの?
>>209
> wentがgoの過去形となったのはそれなりの歴史的経緯があった故のことで。
「アスペクトのタ」がテイルの連体形になったのには、「それなりの歴史的経緯」がないとでも?
関連する研究がいろいろ出ていますから、日本語史を勉強して、出直してください。

>>210
> 「割れた茶碗」の「た」と「割れている茶碗」の「ている」は、同一語なの?
同一語である場合と、そうでない場合とがあります。「割れた茶碗」を文脈の中に置いてみなければわかりません。
文脈の中にある「割れた茶碗」を、「割れている茶碗」に置き換えてみて、(たぶん) ネイティヴであるあなたが、はっきりした意味の違いを感じなければ、同一語です。
212210:03/01/09 21:47
>>211
>文脈の中にある「割れた茶碗」を、「割れている茶碗」に置き換えてみて、(たぶん)
>ネイティヴであるあなたが、はっきりした意味の違いを感じなければ、同一語です。

意味機能が同じというだけで、「同一語」とみなしてしまっていいのかな? 
例えば、英語にgoの過去形として、wentのほかにgoedという形も使えるものと仮定
すると、その場合でも、wentとgoedは、その意味機能が同一であると言うべきで
あって、両者を「同一語」と言うのはどうかなと思うんだけど・・・
>>211
>「アスペクトのタ」がテイルの連体形になった
そんな「歴史的経緯」は通時論的にも認めがたい。
>>212
You will never be forgot.
You will never be forgotten.
英語の過去分詞 forgot と forgotten とは、同一語の異形態で、自由変異の関係にあるんじゃなかったかな。

>>213

結果持続相
中世 主節: タ/テイル、名詞修飾節: タ/?テイル
現代 主節: *タ/テイル、名詞修飾節: タ/テイル

大ざっぱにとらえれば上のような経緯。「アスペクトのタ」は、主節で使われなくなった時点で、テイルの異形態 (連体形) ということになる。
215名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/11 09:03
>>214
結果持続相って機能は同一だからって
語として別語である「タ」と「テイル」を同一と見做すのは解せない。
「意味機能が同じというだけで、「同一語」とみなしてしまっていいのかな?」

話はそれるが、アメリカ構造主義路線(?)で日本語を分析する人って強引だよなあ。
書くの原型をkakruだとしたりしてさ。そんなrが歴史的に存在したかってんだ。
216(´・ω・`):03/01/11 10:26
あの・・・。「あった!」の「た」は、テンスでもアスペクトでもなく、
モダリティでつ。ちなみに、これは、発見のモダリティ
他には、
・会議は確か、今度の水曜日でしたよね?・・・確認
・さ、帰った、帰った!・・・命令
などがありまつ。当方、日本語教育を勉強している者でつ。
>>216
何でもかんでも「モダリティ」といって済ます、最近の日本語学のモダリティ論には
あんまり賛同したくないんだけど。

あれだと、「モダリティ」と言った時点で思考停止しているようで。
218名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/11 14:19
>>215
> 語として別語である「タ」と「テイル」を同一と見做すのは解せない。
同一語か別の語かを、a priori に決めてしまうのは間違い。

> 話はそれるが、アメリカ構造主義路線(?)で日本語を分析する人って強引だよなあ。
> 書くの原型をkakruだとしたりしてさ。そんなrが歴史的に存在したかってんだ。
この分析が妥当かどうかは別として、構造主義は -r- が歴史的に存在したとは、決して言わないはず。
>>216
「モダリティのタ」というものを認めると、教育的見地からは、どんな場合
にそれを使わなければならないか (使ってはいけないか)、および、「テン
スのタ」とどうやって見分けるかが、重要になってきますね。

皆で探し物をしている。最初に見つけた人が:
「あ、{あった/?ある}」

警官が、逮捕しようとする相手を確認するために:
「君は、鈴木宗男 {です/*でした} ね?」

あなた一人に賭けた恋 愛の言葉を信じたの
探し求めて 独りさまよえば 行けど切ない石畳
ああ 長崎は今日も雨だった
「長崎は今日も雨だった」の「だった」は、「テンスのタ」か「モダリティのタ
(発見)」か?
>>216
命令の意味は、

帰れ。
用事が済んだらさっさと帰る。
さ、帰った、帰った。
もう帰ったら。

のように、いろいろな形式で表されるから、タに命令の意味があると言う
ことはできない。あくまで「帰った」全体が表す語用論的意味と見るべきだ
ろう。
221名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/11 15:46
>>218
>> 語として別語である「タ」と「テイル」を同一と見做すのは解せない。
>同一語か別の語かを、a priori に決めてしまうのは間違い。

タとテイルを同じ語だと思ってる日本語ネイティブが存在しますかね。
母語話者の直観に逆らってまで同一語視するのは相当説得力のある理由が必要。
意味機能が同じってだけでは無理がありありはべりいまそかり。
タとテイルが同一語で
テンスのタとアスペクトのタは別語
――だってか。
機能別分類は機能別であっていいけれど、
それでもって同一語か別語かの境界まで劃定させるのはやりすぎですよう。
>>221

> タとテイルを同じ語だと思ってる日本語ネイティブが存在しますかね。
全員そうです。「アスペクトのタ」を主節に移せと言えば、全員がテイルに
交替させます。逆はきれいに行かないんですが、

> 母語話者の直観に逆らってまで同一語視するのは相当説得力のある理由が必要。
言語学者は、ネイティヴの直観を知りたいときに、同一語と思いますか別
の語と思いますかと、直接尋ねることは絶対にしません。意味は同じです
か違いますか、違うとすればどんなふうに違うのですかと尋ねます。
「アスペクトのタ」と、名詞修飾節で結果持続相を表すテイルとについては、
ほとんどの日本語ネイティヴが、意味の違いを指摘できないと思われます
から、自由変異の関係にあるといえます。ここでは、通時的変化がまさに
進行中なのです。
>>222

では、何によって確定しますか?
>>218
>構造主義は -r- が歴史的に存在したとは、決して言わないはず

言ったらトンデモ決定ですしね。
でも存在しないものを論理上だけ存在させるのは空論ですよ。
四段動詞終止形を全てruで統一したいがための無理な辻褄合せに過ぎません。

>>223
どうも話がそれますね。
同じ機能を果たす=同じ語である、ってその前提に納得してないんだが。
形態上の近似や差異は無視していいわけ? 日本語は屈折語ではないんだし。
226名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 03:48
横レス

>でも存在しないものを論理上だけ存在させるのは空論ですよ。

存在って概念に対してナイーヴすぎるんじゃないのかな。
「単語」だって「名詞」だって理論上の要請にすぎないだろう。

>形態上の近似や差異は無視していいわけ?

無視できないと思う。go/went は、過去形と現在形が揃っていない動詞はなくて、
かつ go と went が1対1で対応する、という、タ/テイルよりはかなり厳しい条件を
満たしてる気がするな。
>>226
英語 work の過去形には worked と wrought の二つがあり (1対1対
応でない)、work と wrought には形態上の近似性が乏しいが、やはり
同一語の活用形と見なされる。
228名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 09:46
>>225
> 形態上の近似や差異は無視していいわけ?
無視したいわけではありませんが、近似と差異を客観的に測る基準があり
ますか?
「(曲がりくねっ) た」と「〜ている」よりも、「(高) い」と「〜かっ (た)」の
ほうが、差異が小さく近似しているといえるでしょうか?
229名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 12:54
>>223
>「アスペクトのタ」と、名詞修飾節で結果持続相を表すテイルとについては、
>ほとんどの日本語ネイティヴが、意味の違いを指摘できないと思われます
>から、自由変異の関係にあるといえます。
と書くのはいいんだがその前に

>>タとテイルを同じ語だと思ってる日本語ネイティブが存在しますかね。
>全員そうです。「アスペクトのタ」を主節に移せと言えば、全員がテイルに
>交替させます。<<逆はきれいに行かないんですが>>
っていってるじゃないの

自由変異の意味知らないようだね
230名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 13:14
いや、あんたのほうが知らないような・・・
自由変異が問題となっているコンテクストは名詞修飾節でしょ?
そこと主節じゃ異なる文脈を構成してるんだけど

ちなみにうちの母親に「傾いたコップ」と「傾いて(い)るコップ」の
違いを聞いたら、「傾いたってのは誰かが傾けたんでしょ? 傾いてる
ってのは・・・わからないね」といってたけど、これどう?
わからないっていってるけど、完全に同一視してるわけじゃないと思うんだけどね
231名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 13:17
232名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 13:25
>>229
もし逆がきれいに行くなら、「アスペクトのタ」とテイルとは、完全に相補
的で同一語ということになりますから、自由変異の概念は必要ありませ
ん。
自由変異の意味を知らないのは、あなたでしょう。
233230:03/01/12 13:33
223=232さん
ごもっとも
それはさておき、うちの母親の反応はどう説明すればいいかわかります?
あおりじゃなく、同一形態素の自由変異形とみなすのはちょっと抵抗があ
るんですが。
234名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 13:47
【ネットボランティア】余ったCPUを・・・
 cell computingとは、ブロードバンドに接続された家庭内や
企業内のPCの余剰CPUパワーを統合し、
仮想的なスーパーコンピュータとしての利用を実現する
技術を用いたSI、ネットワークサービスです。
 バイオ、物理計算、設計、金融工学、CGレンダリングなどの
分野のお客様へ、安価に仮想スーパーコンピュータパワーを
提供することを目的としております。
 なお、将来的には収益にあわせてCPUパワーを提供してくださる
参加者へポイントシステムやデジタルコンテンツによる
利益還元を考えております。
http://www2.cellcomputing.jp/

2ちゃんねるのチーム作ってみました。【[お前らのPCで挑戦しる]】
http://members.cellcomputing.jp/services/teams/team.htm?id=ABBE425B-CE11-4DA4-8591-C68DF67DA41A
>>230
> わからないっていってるけど、完全に同一視してるわけじゃないと思うんだけどね
この水準まで来れば、もう研究者によって意見が分かれるのは、やむを得
ないでしょう。

私が言いたいのは、タのアスペクト用法は、あくまで名詞修飾節でしか見
られないということなんです。
「アスペクトのタ」と「テンスのタ」とは別の語で、前者はテイルと同一語だ
と言ったのは、それくらい過激な記述をしておかないと、主節でもタには
アスペクトの意味があるはずだ (同じタなんだから) という一般的な思い
込みが、根強くて消せないと考えるからです。
もともとタは完了であって、過去形の意味はそこから派生したものなのだ。
>>235
国語学者でもないですし音韻論が専門ですが、私自身は「た」は『完了』という
ことで片がつくのではないかと思いますが?
「明日学校へ行っ「た」ら、話すよ」
「そこにいっ「た」ら、よくおごってもらうよ」
この「タ」はテンスの形態素ではないですよね?でも「話す」「おごってもらう」
の前にすでに成立している事柄だと思うんですが。
「彼にあっ「た」」は現時点から見た『完了』で何か問題があるんでしょうか。
「あった」は「あるという事実の成立が『完了』した」で問題がありますか?
素人なのでよくわかりませんが『完了』で原理的に説明できない例を教えてください。
238名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 15:40
「もう彼に会っ「た」」「いやまだあっ「てい」ない」
この「た」と「ている」の相補分布は何だ?
239名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 15:43
「その事故で死んだ」「その事故では死ななかった」
だとは違うよね?
>>237
タラのタを一緒にされると、ラが正体不明になってしまうので、困りま
す。
しかし、それ以外は、基本的におっしゃるとおりです。
そこで、「完了」というのを、「以前」に読み替えてください。
そうすれば、すべてテンスのタということで、メデタク解決するわけで
す。
>>238-239
現代日本語の〜ナカッタは、使える条件が非常に厳しい言い方です。その
ために、やむを得ず〜テイナイを使うことが多いというのが実際でしょう。
242名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 16:24
>>240には反論があります。
柳父章「翻訳語との出会い――現在形表現との出会い――」(『日本文学』1982年3月号所載)参照。
そこで柳父氏は金田一春彦「語動詞の一分類」(『日本語動詞のアスペクト』麦書房、1976所収)より「過去態」について述べた箇所を引いた上で、
「思うにこの「過去態」は「た」のおかげではない。「私は以前大阪にいた。」で、「以前」という
ことばを取って「私は大阪にいた。」と言えば、これはふつう過去とは言えないであろう。完了であ
ろう。この例文が「過去態」であると言えるのは、たの「以前」という時の状況を表わすことばと、
このような文の筆者、読者における「た」は過去表現である、という知識と、そしてこの文が書きことば
である、ということも相まって、このような条件があるからであろう。ここで「た」は過去表現である
という知識は、幕末、明治以後の欧文翻訳の経験からきているのである。」
と指摘しました。
詳細は柳父論文をご覧下さい。
243名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 17:17
>>242
> 「私は以前大阪にいた。」で、「以前」という
> ことばを取って「私は大阪にいた。」と言えば、これはふつう過去とは言えないであろう。完了であ
> ろう。

...「過去 (以前)」と「完了」の違いは、何ですか?
244名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 17:24
>>240
「以前」というのは単なる「時間的前後関係」,単なる「時間軸上の2つの区分」じゃないの?
そこに何かが成立した・していないという内包はないでしょ?
でも「完了」というのは「ある行為・状態が成立した以後」,「未完了」というのは
「ある行為・状態が成立した以降」というように,時間的前後関係をも内包しながら
つねに「ある行為・状態の成立・未成立」が問題になるわけでしょ?
これに対してテンスというのは時間軸上に想定した時間的区分についていうんじゃないのかなあ?
だから「完了」と「未完了は」時間軸上にそのように想定した「過去」「現在」「未来」もしくは
「以前」「以後」のどの時点においてもいえるんだよね。
いずれにせよ「完了」を「以前」の同義語とするのは無茶のような気がしますが?

245名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 17:25
「未完了」というのは「ある行為・状態が成立した以降」>「...する以前」の間違い
スマソ
246名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 17:30
連続カキコスマソ
>>240
「明日学校へ行った「ら」」>「明日学校へ行った「とき」」ならOK?
247名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 17:36
そもそも、ヨーロッパ語の文法に由来するテンスとアスペクトという
カテゴリーの区別に問題があると思うのは、私だけ?
248名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 17:54
◆◇◆◇◆最新情報◆◇◆◇◆
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html
んじゃ、ほかのカテゴリー化を提示してくだされ
250名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 18:52
>>249
テンスとアスペクトを合併させて「テンスペクト」。

・・・というのは冗談だけど、いずれにせよ、ここらへんで概念的な整理が
必要かなと思ったので、ちょっと「過去」と「完了」という概念の定義に
ついて考えてみました。如何でしょう?

【過去】ある事象がある時点(主に発話時点)に先行して存在していること。
【完了】ある事象がある時点に先行して存在しており、かつ、その事象の
もたらす状態がその時点において成立していること。
>>250
244がいってることと同じような気がするが?
252244:03/01/12 20:07
>>251
ちょっと違うでござる

>>250
その定義は無理のような気が
ある時点に先行して「存在しなかった」事象について「過去」で語れる言語はたくさんあるし。
「存在」が問題ではなく,ある時点の「以前」と「以後」の「以前」にあたる時間的空間のすべてが
「過去」なんじゃないかな、と思ったりします。
完了は、先に述べたとおり、ある事象の「成立・不成立」が問題であって、それは「過去」にも「現在」にも
位置づけが可能だと思います。
253250:03/01/12 20:31
>>251-252
確かに同じようにも見えますけど、確かにちょっと違いますね。w

>>252
>ある時点に先行して「存在しなかった」事象について「過去」で語れる言語はたくさんあるし。

具体的にどのような事例を念頭にいれておられるのでしょうか。

>「存在」が問題ではなく,ある時点の「以前」と「以後」の「以前」にあたる時間的空間のすべてが
>「過去」なんじゃないかな、と思ったりします。

けど、言語学的カテゴリーとしての「過去形」は、述語が表す事象が「存在」
する時間的位置を示すものではないのでしょうか。
>>253
横レスだが、
「あのときもっと勉強してたらなあ」
の「た」は、存在しなかった「勉強してた」という事象を語っているのでは?
255250:03/01/12 22:00
>>254
「あのときもっと勉強してたらなあ」というのは、「あのときもっと勉強
してたら志望大学に合格していただろう」のような反現実的な条件文の
後件が省略されたものと考えられますが、この場合には、「もっと勉強
する」という事象の「存在」を仮定した上で、その事象がもたらした
であろう帰結について語っているのです。
ですから、現実には「存在」しなかったにせよ、「勉強する」という
事象の(可能的な)「存在」に言及している点においては
変わりはないのです。
256名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 22:02
コムリー流のアスペクト論だと、日本語の日常言語の「完了」にあたる
ような概念はないよ。英語の完了形のようなものがperfectで、ロシア語の
完了体のようなものがperfectiveと呼ばれている。

257名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 22:20
議論は盛んなようですが、
例えば、「現在完了」と「過去 (発話時以前)」との違いは、具体的に、何に
よってわかるのですか? 結局は認識論ですか?
258250:03/01/12 22:29
>>256
確かに、Comrieがaspectの典型とみなしているものは、perfective/imperfective
の対立ですけど、著書"Aspect"では、(たしか)perfectにも一章を割いて
いるんですよね。そこらへんが、微妙なんですけど。

>>257
そもそもは形態的な違いではないでしょうか。
というか、そもそも、「過去」と「完了」の区別は、英語などの
形態的に単純過去と複合過去が区別する言語について言われてきたもの
ですからね。ですから、日本語のように単純過去と複合過去の形態的区別
がない言語に対して、「過去」と「完了」の対立をどのように適用
するかは、結構、難しい問題だと思うのですが。
日本語では過去形は完了の派生であり、完了形に含まれる。
――ってことでええやんけ。
260252:03/01/12 22:44
>>250
>現実には「存在」しなかったにせよ、「勉強する」という
>事象の(可能的な)「存在」に言及している点においては
>変わりはないのです。
20では「事象が存在すること」=「存在可能性の実現」といいきってお
られるので違和感を覚えたわけです.
だとすると、その事象の「存在」可能性については言及されていても、存在
するものとしてはとらえられていないことになりますよね.
むしろ「存在」云々が重要なのではなく、ある事象についてその存在いかん
にかかわらず、それを時間的にどこに位置づけるかが「時制」の眼目なんじゃ
ないんですか?
261名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 22:47
>>258
> 日本語のように単純過去と複合過去の形態的区別
> がない言語に対して、「過去」と「完了」の対立をどのように適用
> するかは、結構、難しい問題だと思うのですが。
そうでしょう? だから、「過去」と呼ぼうと「完了」と呼ぼうと同じこと
であって、現代日本語にはテンス (以前) のタが一つあるだけだと言っ
ておけばいいんですよ。
国文法の「完了」という概念は、実は英文法の「完了」に深く影響されたも
のなのです。
262252:03/01/12 22:48
あと「完了」は事象の成立・不成立、「過去」は時間的位置づけ、と何度もいっているのですが
これに対してレスが何もないのがさびしいです.
263259:03/01/12 22:51
>>261
>そうでしょう? だから、「過去」と呼ぼうと「完了」と呼ぼうと同じこと
>であって、
……ならば「現代日本語にはアスペクト(完了)のタが一つあるだけだと言っ
ておけばいい」んですよ。
>>261
>国文法の「完了」という概念は、実は英文法の「完了」に深く影響されたも
>のなのです。
むしろ>>242所引の柳父章によれば、
過去形って概念が実は欧文翻訳に影響されたものらしいが?
265名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 22:59
同じことじゃないよ・・・
「た」とゼロの対立がどのような意味的対立をもたらすのかを考えてからいわなくちゃ
それに「完了」と「過去」はまったくとは言わないまでも、概念的に別範疇にあるよ。
だから原理的に「対立」なんかありえないの。
だから「過去完了」ということばが意味を成すのに・・・
対立するなら「AであってAでない」っていうことだよ「過去完了」ということばは。
266名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:02
わかりやすくいうと「現在完了」と対立するのは「現在(未完了)」
「過去」と対立するのは「非過去(=現在・未来...)」
267名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:06
これがわからないようじゃ「対立」ということばを使うべきじゃないと思うけど
いまさら構造主義うんぬんじゃないけど「対立」はいまでも「基本概念」だと思います
268名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:08
>>262
> あと「完了」は事象の成立・不成立、「過去」は時間的位置づけ、と何度もいっているのですが
> これに対してレスが何もないのがさびしいです.
現代日本語では、形態上の区別がありませんから、認識論にはなっても
文法論にはならないんですよ。

>>263
> ……ならば「現代日本語にはアスペクト(完了)のタが一つあるだけだと言っ
> ておけばいい」んですよ。
「完了」はともかくとして、そこで「アスペクト」を使ってしまうと、テイ
ルに対しては「アスペクト」という語を使えなくなりますよ。また新たな
用語を考えますか?
269250:03/01/12 23:13
>>260
>むしろ「存在」云々が重要なのではなく、ある事象についてその存在いかん
>にかかわらず、それを時間的にどこに位置づけるかが「時制」の眼目なんじゃ
>ないんですか?

まあ、私が「存在」と言った場合は、現実的存在だけではなく、可能的存在も
含まれるものと解釈してください。そもそも、可能的であれ存在していなければ、
位置づけることもできないわけであって・・・

>>262
>あと「完了」は事象の成立・不成立、「過去」は時間的位置づけ、と何度もいっているのですが
>これに対してレスが何もないのがさびしいです。

少なくとも、「完了」という場合は、ある時点よりも前に位置づけられる事象の成立
を意味していると思うので、「完了」には「過去」に類似の時間的位置づけが関係
してくると思うのですが。
単に、成立・不成立の対立と言うだけでは、むしろ、肯定と否定の対立になって
しまいませんか?
270名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:14
>>263
流れを読めてませんね
先ほど問題になっていたのは「完了」と「過去」の概念的差異です。
ここを明らかにせずに「完了」だ「過去」だといっても意味がない。
だから、もう番号は分からないけど「定義」をもちだしたかたがいらっしゃるんでしょ?
そのあとで結局は「完了」と「過去」の概念を対立させるような話になってきて...
271名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:18
>>269
ことば不足でした
でも244に次のように書いています
>でも「完了」というのは「ある行為・状態が成立した以後」,「未完了」というのは
>「ある行為・状態が成立した以降」というように,時間的前後関係をも内包しながら
>つねに「ある行為・状態の成立・未成立」が問題になるわけでしょ?
>>270
>先ほど問題になっていたのは「完了」と「過去」の概念的差異です。

でもあなた(>>261)にとっては差異は無くて「同じこと」なんでしょ?

>だから、もう番号は分からないけど「定義」をもちだしたかたがいらっしゃるんでしょ?
それは>>244>>250ですね。
私は、完了の方が過去より大きい概念であると見ます。
完了であることから過去であることが導き出せるからです。
だから過去(テンス)をもって完了をも包括させるのは無理があります。
273名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:40
>>265-267

いま仮に、過去/非過去、完了/未完了という、二とおりの対立概念を考えてみましょう。
すると、いわゆる十字分類になって、過去完了、過去未完了、非過去完了、非過去未完了という、四つの形式が考えられますね。
現代日本語で、それぞれに対応する形式は、具体的にどのようなものですか?
274名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:48
私は日本語には「過去」と「非過去」の対立はないと考えているので
十字分類にはなりません。「完了」と「未完了」の対立だけです。
あの説明をしたのは「対立」の意味をわからずに使っている人が多くいたからです。
音韻論すっ飛ばしていきなり統辞論に入った人に多いです。はい
275250:03/01/12 23:48
>>271
そうですね。けど、そう考えると、「過去」と「完了」の問題は、
結局、ある時点を基準にして、その時点と、動詞が表す行為・状態の
時間的位置関係ということに還元できそうな気がします。
それをテンスと呼ぶか、アスペクトと呼ぶかは、名称の問題に
すぎないような気も。
276261=268 (≠270):03/01/12 23:49
>>272
> 私は、完了の方が過去より大きい概念であると見ます。
> 完了であることから過去であることが導き出せるからです。
> だから過去(テンス)をもって完了をも包括させるのは無理があります。
あなたにとっての「(現在) 完了」と「過去」との違いは、何ですか?

277名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/12 23:52
>>273
どうゆう流れからいってそのような質問が来るのかわからないんですが?
流れもなく「困らせる」だけの質問ならやめましょう。
わたしは「過去」と「完了」の対立など原理的にありえないといって、対立の構造を示したまでです。
だれが日本語の構造だといいました???
278259=272:03/01/12 23:55
>>276
完了は動作や状態を表す。
その動作や状態を、発話時を基準とした前後関係で或る時点として位置づけるの時制(テンス)。
或る時点とはつまり、過去とか現在とか未来とかです。
279名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:05
>>275
いやそのとおりなんですよ!
でも注意してください
アスペクトの場合「事象(=動詞が表す行為・状態)の成立を眺めた場合の成立前・成立後」という(時間的)概念に対して、
テンスは「事象成立」を含意しない、というのが大事です。
後者の場合、まずは「自称の成立」はともかく、その事象を位置づけるための「時間空間の分割」が眼目ではないでしょうか。
だからこそ英語は「過去」「非過去」に分割した後、それぞれの時間空間において、そこに位置づけられた事象の時間的成立・
未成立を眺められるわけです
音韻論の素人としては個々が限界です
280名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:07
>>274
> 私は日本語には「過去」と「非過去」の対立はないと考えているので
> 十字分類にはなりません。「完了」と「未完了」の対立だけです。
それは奇妙ですね。ではその対立を「完了/未完了」と呼ばなければならない理由は何ですか?
どうして「過去/非過去」や「以前/非以前」と呼んではいけないのですか?
281名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:07
>>279
>アスペクトの場合
アスペクトではなくその一部の「完了」「未完了」です
スマソ
282名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:10
>>280
何のために「完了」「未完了」と「過去」「非過去」の違いを説明したんだ?
悪意だけで突っかかってきてもだめだよ。
「た」とゼロがもたらす意味的差異が「完了」と「未完了」であってそれ以外の何ものでもないって
何度もいってるのに。
その理由も説明しただろうに
あきれてものもいえん...
>>278
> 完了は動作や状態を表す。
タの付かない形だって、動作や状態を表しますよ。
「完了」形が個有に表す動作や状態は、どのようなものですか?
>>282
280ではないが、横レス御免。
誰が誰だかわからないので、できれば発言したレス番号を明らかにしてほしい。
するとどこでどう説明されたかわかりますよ。
285名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:18
なんどもいうけど「完了」と「過去」は対立しない。
だから、このうち両方を持つ言語もあれば、どちらかひとつだけをもつ言語があってもおかしくはない。
なぜなら両者は対立していないから互いを前提としていないからだ
でも「完了」は「未完了」を前提とするし、「過去」は「非過去」を前提とする。
そしてその概念的な内包の違いは、もう何度もいったでしょ
問題にするならそっちに矛先を向けなさい。
議論したことないんですか?
286272=:03/01/13 00:18
287272=278:03/01/13 00:21
>>283
完了と過去との差がわかればいいと思って省略したんですが。
完了は、動作の完結、または完結した結果の存続状態を示す形式です。
288250:03/01/13 00:24
>>279
まあ、そこらへんのところは、Reichenbachにならって
発話時、事象時に加えて、もう一つ、参照時を考慮に入れれば、
なんとか説明できるような気が。
279さんが「事象を位置づけるための時間空間の分割」と書かれている
ことは、まさに発話時と参照時の関係のことではないかと
思ったのですが、どうでしょう?

>音韻論の素人としては個々が限界です

音韻論の知識は関係ないと思います。w
289244=285:03/01/13 00:25
なんかあんまり書きすぎて恥ずかしくなってきた...
音韻論的な考え方をベースに展開しているのが私です
もちろん統辞論との違いはわかってます
290244=285:03/01/13 00:27
思想史としての言語学史勉強したことあります?
統辞論の概念は音韻論の概念の借り物が多いですよ
生成だって基礎は同じことです
291名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:30
そんな偉そうに言わなくても。
292名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:30
音韻論出身の統辞論素人という意味です
もう寝ます
293名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:31
だってwって書いてたからかちんときたんだもん
294250:03/01/13 00:39
>>290
けど、「過去」と「完了」という意味論的概念の「対立」に、音韻的
要素の「対立」について言えることが、そのまま当てはまるとは限らない
とは思います。例えば、意味論的概念には、有標と無標の対立ではない
対立も多いと思いますし(定と不定の対立など)。
ちなみに、「過去」と「完了」という概念は、必ずしも
対立するものではないという意見には同意です。

今日は、もう去ります。まあ、マターリと話を進めましょう。
295名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 00:45
でも今日はありがとうございました
いつも自分の分野の連中としか話をしないんで
おやすみなさい

PS.音韻対立は常に有標/無標の対立とは限りませんよ(むかし無理やりそう仕立てたえらい学者さんがいらっしゃいましたが)
296283:03/01/13 02:16
>>285>>244
だったということがやっとわかったよ。

文法論で過去とか以前とか言うときは、ある事態が発話時以前に存在した
ことを指すのが普通で、発話時以前の時間そのものを指したりはしない。
テンスとは、事態を表すための述語に与えられる形態論的カテゴリなんだ
から、当然だろう。頓智みたいな話は止してもらいたい。
297名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 02:44
>>287
> 完了は、動作の完結、または完結した結果の存続状態を示す形式です。
タがそれにあたるということですね。
では、「動作の完結」と、動作が発話時以前であることとは、どう違うのですか?
また、「動作の完結した結果の存続状態」を表す場合、タはテイルとどう違うのですか?
既に過去の事態であれば必ず完了してるが、
完了の時点は必ずしも過去ではない。例)君が大きくなった時……
完了であることは過去であることの必要条件。
過去であることは完了の十分条件。
∴完了は過去を内包する。
299名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/13 11:24
>>298
「過去」の基準時点は発話時でなければならないが、「完了」の基準時点は
必ずしも発話時ではないということですね。
発話時基準の場合だけを「テンス」と呼ぶことにすれば、確かに「完了」は
「テンス」ではなくなりますが、では、それは「アスペクト」ですか?
それを「アスペクト」と呼ぶなら、テイルは何ですか?
スルとシタ、シテイルとシテイタの対立が、「未完了/完了」という「アス
ペクト」対立であるなら、スルとシテイル、シタとシテイタの対立は、ど
のように説明されますか?
○○はテンス、××はアスペクトというようにすっきり割り切れるという前提の
根拠は?そんなんどこにもないでしょ。
301名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/15 04:18
>>287の定義だと、タが完結、テイルが存続です。
>>301
テイタは存続で完結?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1003508934/313-329
313 :日本語には過去形はない? :02/09/10 10:52
「日本語には過去形はない」という説を唱えている人がいます。
どう思われますか。そんなにトンデモではなさそうですが。
http://wancha.cside3.jp/Resigna/HTML3/nihongo.html
 真説日本語文法                  興津 諦

 はじめに

 みなさんは、「食べた」と言ったらそれは「た」だから「過去形」で、もう過ぎたことだと思っていませんか?
 中には、「た」だからといって「過去」とは限らないということに、ちゃんと気付いている人もいるでしょう。
月刊『言語』Vol.23, No.12, 1994(1994年12月号)P.102 【投稿】
『〈日本語学習者のための〉新しい日本語文法』 興津 諦

 それに対し日本語学習者はどうであろうか。「明日駅に着いた時…」「ゆうべ
彼につき合ったんだけど、凄いね彼は。よく飲むよ」「明日の会議は五時からで
した」「A:わかってんの?/B:わかったよ。/A:ほんと?/B:わかるって」
…このように、テンスで説明できないものは極めて頻繁に現れる。
 したがって、日本語にテンスを認めた場合、スルとシタの境界線は、 do と did
の境界線のようにわかりやすくまっすぐに引くことはできないことになる。
 我々日本語を母語とする者は、スルとシタの間にまっすぐな境界線を引いているは
ずである。それはテンスの境界線とアスペクトの境界線とを別々に引いているのでも
なく、単にスルとシタの境界線を引いているのである。
>>304
挙げられている例のうち、テンスで説明できないのは、「明日の会議は...」だけだろう。
しかも、それは何ら新しいテーマではない。
306名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/15 22:14
>>302
>テイタは存続で完結?
存続“が”完結、だね。
307名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/15 22:57
>>306
すると、テイルは存続が不完結、ルは非存続が不完結、タは非存続が完結かな。
いずれにしても、「存続/非存続」と、「完結/不完結」とは、別のカテゴリということになるね。
>>296に対する>>285>>244の反論に期待。
309名無し象は鼻がウナギだ!:03/01/15 23:11
>>305
「ゆうべ 彼につき合ったんだけど、凄いね彼は。よく飲むよ」
この>>304の例文は「飲む」を問題にして、テンスではないと言ってるんだが。
 cf. http://wancha.cside3.jp/Resigna/HTML3/newjgram.html
>>309
要するに、「よく飲む人だ」という意味だろう?
これは習慣相といって、具体的な証拠の一例を得たのは過去のことでも、
「彼」という人物を特徴づけたい場合は、現在形でいいんだよ。
英語でも He drinks so much. と言うはずだ。
>>308

>>244
> 「以前」というのは単なる「時間的前後関係」,単なる「時間軸上の2つの区分」じゃないの?
> そこに何かが成立した・していないという内包はないでしょ?

例えば英語の過去形に、事態が発話時以前において成立したという意味が
なかったら、おかしいんじゃない?
312名無し象は鼻がウナギだ!:03/02/18 16:25
>>310
>これは習慣相といって

つまり相(アスペクト)であって、時制(テンス)ではないってことでしょ。
なら反論にはならず、むしろ>>309の主張を認めたも同然ですよ。
313:03/02/18 16:42
◆遂に発見◆◆遂に発見◆
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=rantyan
314名無し象は鼻がウナギだ!:03/02/18 16:48
>>312
そもそも、「飲む」だけを問題にして、これがテンスかアスペクトかと言う
のはナンセンスだろう。「飲む」は、「飲んだ」との対立においてはテンス
を表し、「飲んでいる」との対立においてはアスペクトを表すのだからね。

で、「ゆうべ彼につき合ったんだけど、凄いね彼は、よく飲むよ。」の「飲む」
は、現時点において成立している習慣・習性を表しているものと考えるべき
だろう。で、全体の文としては、太郎の習性という現在の事実が、昨日の
出来事から判明したということに過ぎないんじゃないのか。実際、「ゆうべ
彼はよく読むよ。」というのは変なわけだしね。

だから、この「飲む」は、テンスは非過去、アスペクトは
習慣相を表すということでいいんじゃないの。
>>314
> だから、この「飲む」は、テンスは非過去、アスペクトは
> 習慣相を表すということでいいんじゃないの。
御意。
テンスが過去でアスペクトが習慣相なら、「彼は若いころはよく飲んだ」などとなる。
>>314-315
>「飲んでいる」との対立においてはアスペクトを表す
だとしたら
「彼は若いころはよく飲んでいた」と対立させると
どう異なることになるわけですか?
(頭がこんがらがる……)
「彼は若いころはよく飲んだ」――テンスが過去、アスペクトが習慣相
「彼は若いころはよく飲んでいた」――?
318名無し象は鼻がウナギだ!:03/02/21 18:29
>>316-317
「若いころはよく飲んだ」と「若いころはよく飲んでいた」は、どちらも「習慣相」
と呼びうるもので、両者の違いを説明するのは難しいけど、前者が「飲むことを習
慣にしていた」ということで、行為選択の頻繁さを主張しているのに対して、後者
は「飲んでいる状態が頻繁にあった」ということで、行為状態の頻繁さが主張され
ていると説明すればいいのではないかな。

で、カテゴリー分類としては、「よく飲んだ」は完了相として捉えられた行為の
繰り返しによる「習慣相」であるのに対して、「よく飲んでいた」は不完了相として
捉えられた行為状態の頻繁さによる「習慣相」であると言えばいいんじゃないかな。
319山崎渉:03/03/13 13:08
(^^)
320名無し象は鼻がウナギだ!:03/03/14 23:56
日本語の「た」は徐々に過去形の実質を備えつつあるんじゃないか?
言語というのはすこしずつ意味を変えてゆくものだからね。
明治期に格助詞「が」/「を」が西欧語の翻訳で主格/対格をあらわすように明確にされ、
自動詞/他動詞がそれに対応して西欧語に準ずる意味を持つようになりつつある例もある。
日本語に万古不易な固有の論理が内在するとは考えないほうがいいと思われ。
>>320
>日本語の「た」は徐々に過去形の実質を備えつつあるんじゃないか?

とはつまり、以前には実質的に過去形ではなかった、との見解ですね? ふうむ。
322名無し象は鼻がウナギだ!:03/03/15 07:04
>>321
そうでしょう、当然。
「た」の古形は「たり」でこれは「つ+あり」、
意味を担うのはもっぱら「つ」です。
「つ」は「ぬ」と対で考えられる助動詞であり、
この「つ」がもはや西欧語におけるような過去形でないことは明らか。
「た」も江戸時代以前は西欧語の過去形とは全く違う意味を担う言葉だったはず。
別に日本人が過去−現在−未来、の考え方を知らなかったわけではなく、
(仏教に「三世」という言い方がある)
そこのところを混同してはいけないのですが。
明治以降、西欧語の翻訳でとりわけ英語の過去形の概念が入ってきて、
日本語の「た」が英語に近い過去形の実を備えつつある、ということです。
もちろん古い意味も残っていますけどね。
こういった「外国語の影響を受けて変わってゆく」ということを考慮することを
忘れないで欲しいということです。
>この「つ」がもはや西欧語におけるような過去形でないことは明らか。

で、過去形でないとしたら、それは何ですか。やはりアスペクトだと?
また、現在のタ形が「過去形の実を備えつつある」として、
それはまたかつて過去形でなかった時の性質(完了相?)をも保持してると
解して宜しいですか。
324名無し象は鼻がウナギだ!:03/03/15 07:28
>>323
まあそういっていいと思うのですけど。
過去という概念が入った上で完了相をも表す表現がある、となれば、
そこに対となる「未完了」も出てこないといけないのですが、
現在の日本語はこれに欠くのですよね。
今は過渡期なんじゃないかと思っています。
結局近い未来まで日本語はラテン語や仏語のような未完了を知らないままだろう、
で、英語の完了相が日本語の「た」とかなりずれがあることから考えて、
「た」の完了相の意味はいずれ将来解体されていくのかなと考えています。
(それほど英文和訳の力はいまだ強いように思います。口語国文法は語義をほとんど教えませんからね。)
今の日本語の「た」の用法は複雑怪奇で、矛盾しているように感じます。
「よろしかったですか?」のように一般の人が論争するような問題も出ていますし。
>「よろしかったですか?」のように一般の人が論争するような問題も出ていますし。

おお、あれはアスペクトだったのか!
ってことは、完了相、まだまだ健在ではないの。新しい語法を生む位ですもの。
もっとも議論になるってことは、あれを過去形としか聞えない人が多いからでもありますな。
過去形が優位になってるのかな、やはり。
>>325
> >「よろしかったですか?」のように一般の人が論争するような問題も出ていますし。
>
> おお、あれはアスペクトだったのか!

形容詞にアスペクト対立はないよ。
普通の「過去」でないことは確かだが、だからといって「アスペクト」ではない。
327名無し象は鼻がウナギだ!:03/03/15 21:23
>>326
>形容詞にアスペクト対立はない

??????
欧州諸語などではたしかに形容詞そのものにアスペクトは無いのだが、
それは形容詞が述語用法の場合でもかならず存在をあらわす動詞(sum,beなど)を必要とし、
その動詞がアスペクトを担うから、そういえるのであって、
日本語は形容詞がそのまま述語となるばあい、
単語そのものの中にsum,beなどにあたる意味が括り込まれているから、
形容詞にアスペクトがあるといっていいのではないのかな?
では、何だったですか? 過去形でもなくアスペクトでもないとすれば。
>>327
> 日本語は形容詞がそのまま述語となるばあい、
> 単語そのものの中にsum,beなどにあたる意味が括り込まれているから、
> 形容詞にアスペクトがあるといっていいのではないのかな?

形態上の対立が認められなければ、文法カテゴリは存在しない。
大部分の動詞には、〜 u と〜テイルの対立があるから、アスペクトがある。
しかし、共通語のアルやイルには、−テイルが付けられないからアスペクトはない。
形容詞にも、−テイルを付けて「*よろしくている」などと言うことはできないから、やはりアスペクトはない。
330名無し象は鼻がウナギだ!:03/03/15 22:20
>>329
日本語のアスペクトって、
「u」/「ている」だけが
その存在不存在を一義的に決めるものなの?

>>330
ほかには -u/−テアル、-u/−ツツアル などがアスペクト対立と見られる。
いずれにしても、形容詞とはかかわりがない。
332 :03/03/15 22:38
おっちゃんねる
http://no.m78.com/
333名無し象は鼻がウナギだ!:03/03/15 23:26
aspectuality
334山崎渉:03/04/17 09:31
(^^)
335山崎渉:03/04/20 04:43
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
336名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/03 02:09
   ∧_∧
  (  ^^ )< 누루포(^^)

<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai
http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/
●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
338山崎渉:03/05/22 00:20
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
339名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/27 00:23
日本語にもアスペクトあるでしょ?
姫路の方の方言にあります
341名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/27 20:58
>>340
標準語にも完了のがあるじゃん。
342名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/28 00:11
アスペクトについてはこちら。

↑↑↑アスペクト指向とは何か↓↓↓
http://pc2.2ch.net/test/read.cgi/tech/1031056945/l50
否、日本語にはアスペクトしかありません! テンスなぞ存在しないのです!!
344Добар поток:03/05/28 00:22
>>343
おとといヽ(´〜`0)ヽ きやがれ
>>343
この類いの人が言う「アスペクト」は、よく聞いてみると、結局広義のテンスに帰着する。
スラヴ語やシナ語のアスペクトのようなものを考えているわけではない。
>>345 >結局広義のテンス
この類のテンスは、よく聞いてみると、意味を拡張しすぎてもはや厳密なテンスではない。
むしろ広義のアスペクトに帰着する。
SAE(標準的平均欧州語)のテンスみたいなものを想定してるわけではないらしい。
347山崎渉:03/05/28 14:49
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
「た」は完了。完了はテンスではない。以上。
349_:03/05/28 23:14
「完了」は基準時以前。よってテンス。以上。
完了の基準時は必ずしも過去ではない。よってテンスに非ず。
 例)明日仕事が終ったらでいいから、手伝ってくれない?
352名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/29 00:13
何をもめてるのですか?
すべてムードにしてしまえばいいのです。
>>351
「基準時」の意味がわかっていない。
> 例)明日仕事が終ったらでいいから、手伝ってくれない?
この例なら、基準時は「手伝ってくれ」る時で、「仕事が終」るのは基準時以前だから、「終ったら」という形が使われている。
ただし、「−たら」を「−た」の「活用形」と見なすことは、現在はもう一般的ではない。
>>353
基準時以前でないとは言ってない。
基準時以前は必ずしも過去に非ずと言ってるのだ。
過去に非ざるものをテンスと呼びて可なりや?

>>352
いや、すべてモダリティに……(笑)
355名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/29 09:38
>>354
> 基準時以前は必ずしも過去に非ずと言ってるのだ。
> 過去に非ざるものをテンスと呼びて可なりや?
可。ある基準時に対して、述語が表す内容が以前か、同時か、以後かによって、述語が体系的に異なる形をとるとき、その現象をテンスと呼ぶ。
「基準時=発話時」の場合は、「基準時以前=過去」となるが、「基準時≠発話時」の場合は、「基準時以前=過去」となるとは限らない。
では過去と完了の差がなくなりませんか。>>355
357名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/30 04:15
>>356
なくなるよ。「完了」などという英文法のモノマネは日本語文法に必要ない。
ついでに「過去」も紛らわしいからやめて、「以前」と呼ぶのが本当はいちばんいいと思う。
358直リン:03/05/30 04:21
ではアスペクトは日本語にないとでも?
>>359
「アスペクト」とは、述語詞のもつ抽象的な辞書的意味を、時間との関係について具体化する仕掛けのことだ。
日本語では、シテイル、シテアル、シハジメル、シツヅケル等のうちのそれぞれと、スルとの形態的対立がアスペクトに当たるだろう。
>「アスペクト」とは、述語詞のもつ抽象的な辞書的意味を、時間との関係に
>ついて具体化する仕掛けのことだ。

この定義だと、アスペクトはテンスを包含することになるが、よろしいか。
>>361
> この定義だと、アスペクトはテンスを包含することになるが、よろしいか。
定義の書き方は難しいが、包含することにはならない。
端的に言えば、基準時が決まる前にアスペクトは決定するが、基準時が決まったあとでなければテンスは決定しない。
アスペクトが述語詞の辞書的意味を補完するのに対して、テンスは述語が表す内容を時間軸の上に位置づける。
126 :名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/19 22:24
>>120
>相対テンスで簡単に説明がつく。

例文)何年か後の彼の成長した姿を心に描いた(描いている)。
この例文のタ形「成長した」は事態の実現(既然)を現すと見るべきものであって、
絶対的テンスや相対的テンスでは説明できない。
――以上、『日本語百科大事典』紙谷栄治の記述に拠る。
http://academy.2ch.net/gengo/kako/1039/10391/1039150999.html
275 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 02/12/14 12:10

日本語は時制よりアスペクトが大事な言語なのでアスペクトに関しては
やかましいですよ。にほんごでは「行った前」はあり得ないけど、
英語ではそういわなければならない場合もある。
>>363

128 :名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/20 01:45
>>126
> 例文)何年か後の彼の成長した姿を心に描いた(描いている)。
> この例文のタ形「成長した」は事態の実現(既然)を現すと見るべきものであって、
> 絶対的テンスや相対的テンスでは説明できない。
「何年か後」といってもそれは現実の時間ではない。話者の心の中で何年かが経過した、彼はすでに成長した、その姿を心に描いた (描いている) のだから、相対テンスと考えて何の問題もないよ。
>>364
「*行った前」や「*行くあと」がおかしいのは、相対テンスの典型的な例。
基準時のほうが「前」 「あと」なんだと決められてしまっているから、連体節の述語の内容は強制的に基準時より「あと」 「前」ということになり、結局「行く前」 「行ったあと」としか言えなくなる。
>>366
つまり従属節までテンスの威力が及ばないわけだ。
形態上時制の一致が見られないものまでテンスと呼ぶのは過剰適用ではないか。
368_:03/05/30 20:38
369名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/30 21:05
ねー、町田健が日本語の時制とアスペクトって本出してるから読んで見れば?
>>367
では、「基準時=発話時」でないかぎり、テンスと呼ぶべきではないということか。
そうだとすれば、「相対テンス」というものは認められないことになる。

...the reference point for a relative tense is given by the context (and perhaps, by default in the absence of any other contextual indication,
taken to be the present moment), but...the meaning of a relative tense does not contain any reference to the anchoring of the reference point.
--Bernard Comrie, "Tense", 1985, Cambridge Univ. Press: p.125.
>>370
>「基準時=発話時」でないかぎり

いや>>367はそんなこと言ってない。
主節―絶対テンス/従属節―相対テンス であってもいいが、
日本語では両者に「時制の一致」が見られないことを問題とするのみ。

形態上乃至統語上に差の現れないものを>>365みたいに心理的解釈によって
文法(言語上のカテゴリー)に組み入れていいものか、どうか。
言語学は心理学でも論理学でもない以上、言語事実に基づかねば……。
372名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/31 01:06
>>371
> 主節―絶対テンス/従属節―相対テンス であってもいいが、
> 日本語では両者に「時制の一致」が見られないことを問題とするのみ。
「時制の一致」とは、従属節も主節と同様に、絶対テンスに支配されるということ。
すなわち、主節でも従属節でも、「基準時=発話時」が貫かれるということだ。
日本語には確かにそのような現象はない。つまり、「主節: 絶対テンス/連体節: (基本的に) 相対テンス」だといえる。
373名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/31 01:14
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>>371
> 形態上乃至統語上に差の現れないものを>>365みたいに心理的解釈によって
> 文法(言語上のカテゴリー)に組み入れていいものか、どうか。
> 言語学は心理学でも論理学でもない以上、言語事実に基づかねば……。
「心に描く」といった動詞が、現実とは異なる心的世界を作り出すことは、まぎれもない言語事実だと思われるが。
>>374
それはもはや言語事実ではない。

「寒い」といった形容詞が、教師につぶやかれる時、学生は窓を閉める。
窓を閉めることは「言語」事実か?
>>372
『日本語百科大事典』204頁以下(紙谷栄治執筆)参照。
IV文法(2) 5 表現と文法 D.時の表現 (5)従属節等におけるテンスとアスペクト
……主節のあらわす時を基準にして,連体修飾説や他の従属節中において,
タ形はそれより「以前」,非タ形はそれより「以後」または「同時」をあら
わすと解するばあいにはそれを相対的テンスと呼び,発話時を基準とした
「過去」「現在」「未来」をあらわす絶対的テンスと区別することになる。
 しかし以上のように考えると,英語にみられるような時制の一致をもたな
い日本語では説明しがたい点が生じる。たとえば,
  定刻では午前10時に到着する列車が,遅れて午後になってついた。
では,「到着する」という非タ形は予定の意をあらわしているが,主節との
前後関係を考えることはできない。〔以下ナホ例擧アルモ略ス〕
>>375
> 「寒い」といった形容詞が、教師につぶやかれる時、学生は窓を閉める。
> 窓を閉めることは「言語」事実か?

・寒かったが、だれも窓を閉めなかった。
・??寒かったが、身体には何も感じなかった。
・??翌日のことを心に描いたが、何も心に浮かばなかった。

「窓を閉める」ことは、「寒い」の語彙的 (辞書的) 意味に含まれないが、「身体に冷気を感じる」ことは、「寒い」の語彙的意味に含まれる。
同様に、「ある心的世界を作り出す」ことは、「心に描く」の語彙的意味に含まれる。
>>376
>  しかし以上のように考えると,英語にみられるような時制の一致をもたな
> い日本語では説明しがたい点が生じる。たとえば,
>   定刻では午前10時に到着する列車が,遅れて午後になってついた。
> では,「到着する」という非タ形は予定の意をあらわしているが,主節との
> 前後関係を考えることはできない。
この非タ形が表しているのは「予定」ではなく「習慣」。主節時と同時と解釈して問題はない。
ちなみに英語では、おそらく、

・The train, which usually arrived at 10 a.m., was late on the day and arrived in the afternoon.(発話時現在までに運行ダイヤが変わった)
・The train, which usually arrives at 10 a.m., was late on the day and arrived in the afternoon.(発話時現在でも同じ運行ダイヤ)

となる。「時制の一致」とは、「基準時=発話時」が主節と従属節に一貫しているということだ。
>>378
>この非タ形が表しているのは「予定」ではなく「習慣」。

否。自分に都合のいい解釈でusuallyなどと訳してはなりませぬ。
下記二例は異なる意味を持つ。日本語ネイティブなら差がわかるはず。
・予定では午前十時に到着する列車が……
・いつもは午前十時に到着している列車が……
>>377
>・??寒かったが、身体には何も感じなかった。
>・??翌日のことを心に描いたが、何も心に浮かばなかった。

どちらも大いにありうる発話ですがね?
(外気は)寒かったけど、(暖かくしていったので/鈍感なので)身体には何も感じなかった。
翌日のことを心に描いたが、(予想しようにも)何も心に浮かばなかった。

「寒い」の語彙的意味は「体に冷気を感じること」ですが、
「寒い」と発言することが「体に冷気を感じること」ではありません。
何も口に出さなくても寒いことはあるし、人間は嘘もつけるからです。

同樣に、「心に描く」と述べること(言語)と心に描くこと(行為)とは別物です。
言語そのものを考察するには現実から一旦切断してからにして下さい。
樋口万里子
「ル/タ、テイルの意味機能試論: 認知文法の見地から」
九州工業大学情報工学部紀要(第13号,人間科学篇,平成12年3月発行)
http://search.libi.kyutech.ac.jp/Bulletin/pdf/higuchi13.pdf

「日本語の時制表現と事態認知視点」
九州工業大学情報工学部紀要(第14号,人文・社会科学篇,平成13年3月発行)
http://search.libi.kyutech.ac.jp/Bulletin/pdf/higuchi14.pdf
>>377>>380>>377に軍配だなあ。
「痛かったけど、体には何も感じなかった」ならどうかな。
>>380の後半は的外れ。
「彼は寒いと発言したが、実際には寒く感じていなかった」は確かに全くおかしくないが、
関係ないでしょう。
>>379
> 否。自分に都合のいい解釈でusuallyなどと訳してはなりませぬ。
> 下記二例は異なる意味を持つ。日本語ネイティブなら差がわかるはず。
> ・予定では午前十時に到着する列車が……
「列車」という例を出しておいて、それが時刻表に従って運行していると解釈してはいけない、と主張するのはおかしい。

・?その時の予定では午前10時に到着する御召列車が、遅れて午後になって着いた。
・その時の予定では午前10時に到着する {はずだった/ことになっていた} 御召列車が……
・?その時の予定では午前10時にうちを訪ねて来る人が、遅れて午後になって来た。
・その時の予定では午前10時にうちを訪ねて来る {はずだった/ことになっていた} 人が……

連体節の述語は相対テンスをとらないと不自然。

> ・いつもは午前十時に到着している列車が……
この場合「?到着している」は言いにくい。最適なのはあくまで「到着する」。
>>383
列車か列車でないかはこの場合非本質的なことに過ぎない。
気に入らなければもっと適切な例にすればよし。
しかし、
「定刻では午前10時に到着する××が……」
これを「「予定」ではなく「習慣」」だと決めつけるのは、何と言っても無理だよ。
「いつもは午前10時に到着していた××が……」ではないのだし。
>>380

> どちらも大いにありうる発話ですがね?
通常はありえない発話だ。

> (外気は)寒かったけど、(暖かくしていったので/鈍感なので)身体には何も感じなかった。
> 翌日のことを心に描いたが、(予想しようにも)何も心に浮かばなかった。
それぞれ、「じゃ、寒くなかったんじゃん」 「つまり、心に描けなかったんでしょ?」などと、ツッコマれるのがオチだろう。

> 言語そのものを考察するには現実から一旦切断してからにして下さい。
言語は形式と意味とを持っている。形式は擬声語を除いて現実と無関係だが、意味は現実とのつながりなしには成り立たない。
ドゥ・ソスュール読んで出直して来てください。
>>384
>連体節の述語は相対テンスをとらないと不自然。

従属節の相対テンスとは(発話時ではなく)主節の表す時を基準にするもの。
しかし>>376の例文の非タ形は「主節との前後関係を考えることができない」。
よって相対テンスでは説明できない――ってことだろが?

外に
a.(この問題が)できる人は帰ってよろしい。
b.(問題を解いてみて)できた人は帰ってよろしい。
等の例が挙げられる。
>>384
> 「定刻では午前10時に到着する××が……」
> これを「「予定」ではなく「習慣」」だと決めつけるのは、何と言っても無理だよ。
だから、>>383 に御召列車の例で示したように、これが「予定」だとすると、「到着する {はずだった/ことになっていた}」などと言わなければ不自然なんだ。
「与えられた表現は好意的にとらえるべし」が原則だから、この言い方を不自然でないとするためには、「習慣」と解釈するほかないだろう。
紙谷のトリッキーな例文に惑わされてはいけないよ。
>>385
意味も、形式ですよ? ソシュールが能記/所記と現実(レフェラン referent)とを切り離したことをお忘れなく。
>>387
いやあ、あの例文、ちっとも不自然に感じないんだが。

>到着する {はずだった/ことになっていた}」などと言わなければ不自然なんだ。

むしろそんなにも「習慣」と解したがる方が不自然に見える。

日本語が母語でもどうも語感が隨分異なるみたいだね。私は1971年東京生だが君は?
>>386
> しかし>>376の例文の非タ形は「主節との前後関係を考えることができない」。
> よって相対テンスでは説明できない――ってことだろが?
「習慣」と解釈すれば、主節時と同時なので非タ形をとっていると見られ、相対テンスで説明できる。
「予定」と解釈すれば、例文は非文法的となる。正しくは「到着する {はずだった/ことになっていた}」等で、主節時以前なのでタ形をとっていると見られ、やはり相対テンスで説明できる。

> a.(この問題が)できる人は帰ってよろしい。
> b.(問題を解いてみて)できた人は帰ってよろしい。
「できる」の意味が違う。a は状態 (能力) を表し、b は動き (変化) を表す。
「できている」の形になれるのは b の方だけだ。
>>390
>正しくは「到着する {はずだった/ことになっていた}」等で

そんな決めつけられてもね……「はずだった」なんて無くても非文にはならんよ。

>「できている」の形になれるのは b の方だけだ。

a1.(この問題が)できている人は帰ってよろしい。
別に変ではないけど?
>>383
「その時の」がよけいだね。
A.予定では午前10時にうちを訪ねて来る人が、遅れて午後になって来た。
B.予定では午前10時にうちを訪ねて来る {はずだった/ことになっていた} 人が……

これならば、
C.予定では午前10時にうちを訪ねて来る {はずである/ことになっている} 人が……
も可だな。
393名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/01 01:14
時制の一致については、英語でもいわゆる他動詞の補文の場合は起こるけど、
関係代名詞のような場合は起こらなくてもいい。

John said that Mary was in Tokyo.
I met the boy who is standing behing the tree.

日本語でも必ず相対テンスになってくるのは主に、動詞の補文構造の場合で、名詞
修飾の場合、その名詞がspecificなのかnon-specificなのか、de reなのかde dicto
なのかで、その名詞句が主節の動詞の作用域の外に出ることが可能になるから、
相対テンス、絶対テンスの両方がある。

定刻では午前10時に到着する列車が,遅れて午後になってついた。

上の「する」は習慣と考えると、>>390の言っている様に、相対テンスで問題ない
んじゃないの。う〜ん、「た」と「る」は難しい。(-_-;)
>>388
> 意味も、形式ですよ?
???
> ソシュールが能記/所記と現実(レフェラン referent)とを切り離したことをお忘れなく。
「切り離した」というのは、「イコールではないとした」ということだ。無関係だとしたのではない。
シニフィエと現実とが無関係だったら、意味はどこにあるのか。

>>391
> a1.(この問題が)できている人は帰ってよろしい。
> 別に変ではないけど?
それは b の例。

>>392
> 「その時の」がよけいだね。
どうして余計に感じるかというと、これがあれば「習慣」ではなく「(個別の) 予定」だと確定するからだ。

> A.予定では午前10時にうちを訪ねて来る人が、遅れて午後になって来た。
> C.予定では午前10時にうちを訪ねて来る {はずである/ことになっている} 人が……
これでもすでにやや不自然に感じるが、まだ「予定表によれば、定期的に午前10時にうちを訪ねて来る (ことになっている)」と、習慣的に解釈される余地がある。
>まだ「予定表によれば、定期的に午前10時にうちを訪ねて来る (ことになっている)」と、習慣的に解釈される余地がある。

そんな無理な解釈しなくても、別に不自然なことないぢゃん。
習慣に拘泥するからだよ、ヘンになるのは。
これなら、問題ないよね。

(事前の/その時の)豫定では午前十時に訊ねて來る筈の人が、何と午後になってやつて來た。

で、その變形は、どう?

豫定では午前十時に訊ねて來る筈である人が、何と午後になってやつて來た。
>>396

> (事前の/その時の)豫定では午前十時に訊ねて來る筈の人が、何と午後になってやつて來た。
これは適格だと思う。−ハズダや−ベキダを使うと、確かにテンスは曖昧になるようだ。
ただし、括弧の中はやはり顕わにしないほうがいい。

> 豫定では午前十時に訊ねて來る筈である人が、何と午後になってやつて來た。
私は言わない。
豫定では(彼は)午前十時に訊ねて來る筈だつたが、午後になつてもまだ來なかつた。
豫定では(彼は)午前十時に訊ねて來る筈だつたが、午後になつてもまだ來(てゐ)ない。

豫定では(彼は)午前十時に訊ねて來る筈であるが、午後になつてもまだ來(てゐ)ない。
豫定では(彼は)午前十時に訊ねて來る筈であるが、午後になつてもまだ來なかつた。
399名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/02 02:04
ここまでの観察の結果は、

1. いつもは午前10時に訪ねて来る人が、午後になって来た。
2.?予定では午前10時に訪ねて来る人が、午後になって来た。
3. 予定では午前10時に訪ねて来ることになって {?いる/いた} 人が、午後になって来た。
4. 予定では午前10時に訪ねて来る {はずの/はずだった} 人が、午後になって来た。

ということになる。相対テンスで (絶対テンスでも) 説明できないのは 4. の場合だけで、>>398 が指摘するように、−ハズダは連体節以外の従属節においても、テンスが曖昧になることがある。
連体節は基本的に相対テンスをとる (例外的に絶対テンスの場合もある) という記述で、ほとんど問題はない。
400動画直リン:03/06/02 02:21
>>399
勝手なきめつけ。非文判定ってそんな個人の独断でいいのかね。
>>401

・予定では午前10時に訪ねて来る {??φ/ことになっていた/はずの/はずだった} 人が、午後になって遺体で発見された。

上の例なら、主節時には「本来の予定は……」といった意識はふっ飛んでしまっているから、「??訪ねて来る人」がおかしいことがはっきりする。
>>397
−ハズダや−ベキダには限らないよ。

・午前10時に訪ねて来る予定の人が、午後になって遺体で発見された。

>>390
>> a.(この問題が)できる人は帰ってよろしい。
>> b.(問題を解いてみて)できた人は帰ってよろしい。
>「できる」の意味が違う。a は状態 (能力) を表し、b は動き (変化) を表す。
>「できている」の形になれるのは b の方だけだ。

能力でもテイルの形を取ります。
・君、以前は(これ位の問題は)できていたのに、なぜできなくなったんだい?
>>399
>連体節は基本的に相対テンスをとる (例外的に絶対テンスの場合もある)
>という記述で、ほとんど問題はない。

ほとんど……? 
その、相対テンスでは説明しきれない場合があるのを問題にしてるのではなかったの?
誰も相対テンスそのものを全否定はしてないでしょ。
>>403

> ・午前10時に訪ねて来る予定の人が、午後になって遺体で発見された。
私は言わない、というか、書かない。
長い連体節を使った文は文章語的だ。話しことばでは、「その人は、午前10時に訪
ねて来る予定 {*な/だった} んだけど、午後になって遺体で発見されたんだ」の
ように、副詞節を使うことが多い。予定が立った時点では、「訪ねて来る」という
非タ形がふさわしかったかもしれないが、それが連体節に入り、主節が現れて基
準時が決まると、「訪ねて来る予定だった」のように直されてしまう。
>>403

> >> a.(この問題が)できる人は帰ってよろしい。
> >> b.(問題を解いてみて)できた人は帰ってよろしい。
> >「できる」の意味が違う。a は状態 (能力) を表し、b は動き (変化) を表す。
> >「できている」の形になれるのは b の方だけだ。
>
> 能力でもテイルの形を取ります。
> ・君、以前は(これ位の問題は)できていたのに、なぜできなくなったんだい?
a. 以前は {できた/できていた}: 今は {できる/*できている}
b. 夕食が {7 時にできた/8 時にはできていた}: {30分後にできる/もうできている}
a と b の振る舞いは違うから、意味が違うことに変わりはない。
407名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/02 18:58
>>404

> その、相対テンスでは説明しきれない場合があるのを問題にしてるのではなかったの?
その場合は絶対テンスをとる。
紙谷は、「相対テンスでも絶対テンスでも説明できない場合」を問題にしている。

> 誰も相対テンスそのものを全否定はしてないでしょ。
紙谷は結局テンスを全否定している。


>>406

b. 解答が {5 分でできた/試験開始後10分にはできていた}: {あと 2 分くらいでできる/もうできている}

上の例のほうがよいか。
408名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/02 19:36
純粋に相対テンスでも絶対テンスでも説明できない例は、おそらく−ハズダ、−ベキダ等を伴う述語に限られる。
そのことは、連体節の場合だけでなく、主節においても同様だから、特別扱いをしなければならないだろう。

・(遅れて来た人に対して) 君はもっと早く {来る/*来た} {べきだ/べきだった}。
・(遅れて来た人について) 彼はやる気がないな。あるならもっと早く {来る/来た} {はずだ/*はずだった}。

しかし、この現象をもって、「日本語にはテンスがない」と主張するには及ばない。
・予定では午前10時に訪ねて来る人が、午後になって来た。

仮に、上の例が文法的であったとしても、「相対テンスで説明できない」ことにはならない。
相対テンスの基準時は、発話時でも主節時でもない時に置かれる場合もある、ということにすぎない。
日本語の−非タ/−タの対立が、テンスをもたない言語に見られるような純アスペクトで、未完了 (未然)/完了 (既然) の対立であるとするなら、

・きのうの朝の段階では、午後彼に会う。
・あしたの 3 時ごろ、その仕事は終わっただろう。

のような言い方が、「ごく普通に」できなければならない。
−タが「完了」という「アスペクト」を表すとする説明は、土台から破綻しているのだ。
>>406
・ちゃんとできているではないか。なぜできないなんて言ったんだ?

これは能力の「できる」です。
>>410
>相対テンスの基準時は、発話時でも主節時でもない時に置かれる場合もある、ということにすぎない。

批判のポイントを、わかってないね? >>376>>386にもある通り、
例文の従属節非タ形は「主節との前後関係を考えることができない」のを問題にしてるんだが。
主節と無関係に設定していいんならもう基準時も糞もない、相対テンスとも呼べないやね。
>>381みたいに「事態認知視点」とでも呼ぶがいい。
>>411

> ・ちゃんとできているではないか。なぜできないなんて言ったんだ?
>
> これは能力の「できる」です。
「今のところは」という一時性を強調した言い方として、「泳げている」 「走れている」などはあるが、「できている」がそれに当たるか否かは疑問。
いずれにしても、「(?)今のところできている」と「第一問はできている」とは違う種類のアスペクトだ。
問題が「できた」 (変化) という事実によって、問題が「できる」 (能力) という可能性を証明しなければならない。


>>412

> >>376>>386にもある通り、
> 例文の従属節非タ形は「主節との前後関係を考えることができない」のを問題にしてるんだが。
何のために問題にするのかがわからない。
紙谷は終始、特殊をもって一般を論ずるやり方で、テンスそのものを否定しようとしている。それを引用する以上、同趣旨ではないのか?

> 主節と無関係に設定していいんならもう基準時も糞もない、相対テンスとも呼べないやね。
> >>381みたいに「事態認知視点」とでも呼ぶがいい。
相対テンスとは、基準時が発話時に固定されていないということであって、主節時に固定されていなければならないわけではない。少なくとも一般言語学的にはそうだ。
私は、日本語の相対テンスは主節時基準と見て問題ないと思うが、例文があくまで文法的だと感じる人は、私とは異なる文法規則をもっているものと考えざるを得ない。
ただ、例文には「予定では」といった句があるから、第三の基準時まがいのものが生じるのであって、

・午前10時に来る人が、午後になって来た。

上の例なら、習慣の解釈が優位だろう。

・朝来る人が夜来た。

上の例になると、「朝番の人が夜に出勤した」のような解釈が最も自然だろう。
>>413
>何のために問題にするのかがわからない。

それではお話にならんな。
「主節との前後関係を考えることができない」と相対テンスの定義に反するからだよ。
紙谷氏に恨みがあるのかしらんが、>>376の相対テンスの定義自体は了解か?
415名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/03 22:23
>>414

> 「主節との前後関係を考えることができない」と相対テンスの定義に反するからだよ。
その「事実」を指摘することによって、何を主張、証明したいのか。
つまり、どのような文法体系観に基づいて、どういう記述を行おうとしているのかがわからない。
416_:03/06/03 22:42
417名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/04 20:26
「その服を着る人」と「その服を着た人」はテンスでどうやって説明するの?
418預言者:03/06/04 20:29
419名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/04 20:30
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>>415
>その「事実」を指摘することによって、何を主張、証明したいのか。

何度も言った。相対テンスでは説明しきれないことがあることを、だ。
で、そもそも、>>376の相対テンスの定義自体は了解なのか?
421名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/05 22:06
質問ですが,「調和」という名詞を形容詞にしたいのですが,どうすればいいんでしょうか??だれか教えてください!
422名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/05 23:39
>>420

> 何度も言った。相対テンスでは説明しきれないことがあることを、だ。
「主節との前後関係を考えることができない」という「事実」によって、「相対テンスでは説明しきれないことがあること」を証明するというのは、トートロジーだろう。
文法は、何ごとかを説明するためにある。「説明しきれないことがあること」を主張するのが目的ではありえない。

> で、そもそも、>>376の相対テンスの定義自体は了解なのか?
一般的定義としては了解できない。相対テンスとは、基準時が発話時に固定されないテンス体系のことであって、基準時が主節時に固定されなければならないわけではない。
しかし、日本語における相対テンスの基準時は主節時であると私は考えるから、結果的には >>376 の定義と同じことになる。
そして、主節時基準のテンスでは (発話時基準のテンスでも) 説明できない例として紙谷が挙げたものは、実はすべて主節時基準で説明できると考えられる。
>>417
> 「その服を着る人」と「その服を着た人」はテンスでどうやって説明するの?

おもしろい釣りだな。
主節が存在しないから、発話時基準と見るしかないだろう。
「その服を着る人」のほうは、未来の事態、または現在の習慣的事態を表していると解釈される。
「その服を着た人」のほうは、

1. person/persons who wears/wear the clothes
2. person/persons who wears/wear clothes of the kind
3. the clothed person/persons

1.〜 3. の意味に解釈されるときは、テンスで説明できない。
そのほかの場合は、過去の事態を表していると解釈される。
>>422
最後の二行で間違ったね。 トートロジー。 
テンスで説明しきれないこともある――。
ならば無理矢理相対テンスで解釈せんでもよいはず。
そこから新しい説明法が生まれる。
>>424
> 最後の二行で間違ったね。 トートロジー。
違うね。テンスの反例として紙谷が挙げたものは、反例になっていないということだ。

>>425
> テンスで説明しきれないこともある――。
> ならば無理矢理相対テンスで解釈せんでもよいはず。
> そこから新しい説明法が生まれる。
不確実な反例をもとに、枠組みから変えようとするバランス感覚のなさが、私にはわからない。
その結果、説明しきれない事項を前より増やしてしまっては何もならない。
文法は碁のようなものだ。3 目得るために10目捨てたら負けだ。
>>423
ありがとう

>>426
>>417の問いについてテンスで説明可能なことを示してください
>>427

>>423>>426 なんだが。
だったら得意の持論でもっと合理的に説明して欲しいんだが...(煽りじゃなく
「眼鏡をかけた人」(「眼鏡をかけている人」の意)の「かけた」の「-た」は、やはり時制辞として一元的に処理することは無理だと思うんだよね。
その場合、そうした「-た」の価値をどうやって「相対テンス論」と齟齬のないような形で理論に組み込むのかを知りたいのよ。
>>429
煽るつもりはない。自分でも考えていただきたいだけだ。

@ 見渡したところ、眼鏡をかけた人はだれもいなかった。
A その眼鏡をかけた人は、みな幸せに {なった/なるだろう}。
B 私の目の前で眼鏡をかけた人は、以前は確かに白い杖を持っていた。

Aは相対テンス、Bは絶対テンスで説明できる。
相対テンスと絶対テンスとが使い分けられる条件は、非常に難しい問題で、まだだれにもわかっていないといっていい。
さて、@をABと「齟齬のないような形で」説明する意思は、私にはない。@の−タとABの−タとは別語と考える。
@の−タは、純アスペクト (結果持続) を表す形式で、連体節でのみ用いられる。ABの−タとはもちろん語源を同じくするが、現代日本語においては同音異義語だ。
>>430
>現代日本語においては同音異義語だ。

理論的硬直性が現実を無視する好例。
日本語ネイティブにとってのemicな語意識に反する。
>>431
> 日本語ネイティブにとってのemicな語意識
それをいくらかでも客観的に示す方法はあるのか。
もしないなら、取り上げようがあるまい。
>>432
>それをいくらかでも客観的に示す方法はあるのか。

パイクの業績を認めないと?
>>432
意味の差異の問題は最終的には母語話者の言語意識に基づくしかないでしょ
言語学の場合、当然、形式との差異が問題になるわけだけど、客観的がどうのこうのなど反論にならない
435434:03/06/06 19:14
形式との差異が問題になるわけだけど
> 形式的差異との対応関係が問題になるわけだけど

同音異義語も完全に同じ形式的コンテクストには表れ得ないしね
436名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/06 21:21
>>435

テンスの−タとアスペクトの−タとの間には、文法的振る舞いの違いがいくつも観察される。別語と扱ったほうがはるかに合理的な記述が可能だ。
それでも、「客観的がどうのこうのなど反論にならない」ところの「母語話者の言語意識」のほうが尊重されるべきであり、いくつもの不合理を甘受してでも、あくまで−タは同一語と扱う路線に従って記述しなければならない、ということだな?
同じ語が場合によってテンスでもあればアスペクトでもあると見做せばいいだけの話。
何を強情張ってるのか。>>436
438434:03/06/07 00:26
>>436
何を興奮してるんですか?
そんなことはいってないですよ
それよりも、その「文法的なふるまいの違い」がどのような形式的差異として現れているのか
簡単な例を紹介してください
439434:03/06/07 00:28
ちなみに
「意味の差異」は「話者の意識」と「形式的差異」によってはじめてそのようなものとして扱うべきだ
といっているだけで、「話者の意識」を優先しろ、と言っているわけじゃありません
440434:03/06/07 00:30
連続カキコ許してくらさい

あと「同音異義語も完全に同じ形式的コンテクストには表れ得ない」という部分忘れていませんか?
>>437
> 同じ語が場合によってテンスでもあればアスペクトでもある
「場合によって」テンスの用法と、アスペクトの用法とに二分されるということだな?
それなら、両用法は同語源だから、あとは語認定の問題だけだ。
二分されるということさえはっきりしていれば、「塩」と「潮」とを同音異義語と見なすか、同一語の二用法と見なすかと同じで、大した違いはない。
結局、−タが「場合によって」テンスを表すことは否定できない。また別の場合にはアスペクトを表すが、両用法は重ならない。
重ならないのであれば、用法ごとに記述を行うから、別語と見なしても同一語と見なしても、結果は変わらない。
>>441
>両用法は重ならない。
証明されてない。タは歴史的にも完了の助詞だったのだし、
いまだテンスと見做すには未分化な用法もある気がするね。
>>438
> それよりも、その「文法的なふるまいの違い」がどのような形式的差異として現れているのか
> 簡単な例を紹介してください
こんなことは基本事項だ。例文だけ挙げておく。
・あそこに眼鏡をかけた人が見える。(その人は眼鏡を {*かけた/かけている})
・眼鏡をかけた人が現れた。(その人は眼鏡を {*かけた/かけていた})
・その眼鏡をかけた人は、みな幸せになった。(その人たちはその眼鏡をかけた)
・眼鏡を {*かけた/かけていた} 人がコンタクトレンズに換えた。
・私の目の前で眼鏡をかけた人は、カバンから本を取り出した。
・鼻 {の/??が} 曲がった男が座っていた。
・ボクシングで鼻 {の/が} 曲がった男は、整形手術を受けた。
解釈は自分でしてください。

>>440
> 同音異義語も完全に同じ形式的コンテクストには表れ得ない
だからどうだと主張したいのか。
>>442
> 証明されてない。
振る舞いの違いは明白。
> タは歴史的にも完了の助詞だったのだし、
だからアスペクトの用法がある。
> いまだテンスと見做すには未分化な用法もある気がするね。
印象に用はない。具体例を示せ。
>>444
あんた頭わりいからいいや

ちゃんと日本語学やってる人に聞くよ
>>445
外国人?
・眼鏡を {*かけた/かけていた} 人がコンタクトレンズに換えた。
・一旦眼鏡をかけた人がそれを外した。

上の例のほうがよかったか。
純アスペクトの−タはテンスを示さないので、自動的に基準時 (この場合は主節時) と同時の事態を表すことになり、基準時以前の事態は表せない。
それに対し、テンスの−タは基準時以前の事態を表す。

これでもう十分だろ。
>>446
ブラジル人だよ
悪いか?
「言語意識」などというものの大部分は、学校教育でつくられる。
学校文法で「タは過去・完了の助動詞」と習うから、1 語だと思い込む。
テンスの−タ (以前) とアスペクトの−タ (結果持続) との違いを学校で説明すれば、別語か否かはともかく、「別のもの」という意識が生まれるだろう。
>>449
そうかな〜〜〜?
>>444 アスペクトのperfective(完結形)と日本語文法の「完了」とは意味が異なる。
452名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/07 23:55
>>451
アスペクトの−タが表す結果持続は、不完全相 (imperfective) の一種と考えられる。
古典語の助動詞タリに認められている「存続」の用法は、ほぼそれに相当する。
国文法で言うところの「完了」は、英文法からの敷き写しであり、意味の明確な定義、記述ができない。実体はないといってもいい。
453名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/08 00:09
英語の過去形(-edが付くやつ。watchedとかwroteとかです)は、
テンスですか?アスペクトですか?
>>452
嘘ばっか

知ったか小僧 ゲラ
455名無し象は鼻がウナギだ!:03/06/22 03:59
evidentialityという文法事項を持つ言語が存在するそうです。
これは主に過去の陳述をするとき、その陳述の根拠を示す要素を
文章に盛り込むというものです。

たとえば、「その猫が魚を食べた」というとき、南米のある言語では、
(1)visual
    話者がその目で、その猫が魚を食べるのを目撃した場合。
(2)non-visual
    見てはいないが、物音でその猫が魚を食べているのを知った場合。
(3)apparent
    見ても聞いてもいないが、満腹顔のその猫の周りに魚の骨が散らかっていた場合。
(4)reported
    誰かから、その猫が魚を食べたと聞いた場合。
(5)assumed
    論理的帰結として、その猫が魚を食べたに違いないと決め付けられる場合。

グリーンランド、南米、バルカン半島、チベット・ビルマの言語に広く見られるとか。
日本語古語にもありました(「き」・「けり」)。

現代日本語の「〜ようだ」「〜そうだ」も広い意味でのevidentialityなのでしょうかね。
456山崎 渉:03/07/15 12:39

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>455
1. siri 2. humi 4. hawe 5. ruwe
以上アイヌ語でした。
中間話法と描出話法と体験話法と自由間接話法とで、何が違ってるのさ!
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>現代中国語の最も驚くべき特徴の一つは、それがアスペクトの優勢な言語であって、動詞の時制に相当するものが存在しないという事実である。
>>460
よく知られた事実で少しも驚かないし、その特徴は現代中国語に限らない。古典シナ語 (漢文) にも時制はない。
では、すると日本語における漢文訓読体も時制は無いってことでいい?
漢文訓読では基本的にテンスの「き」「けり」「ぬ」「つ」は使用しないで
アスペクトの「れり」「たり」でまかなってますな。
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466名無し象は鼻がウナギだ!:03/08/19 00:04
トリビア〜


          がんがってるけど、端で見るとむなしいよ
467名無し象は鼻がウナギだ!:03/08/19 04:38
むなしくない
注目してます

一読者
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トリビアー   ↑君も偉い!!!
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日本語における漢文訓読体も時制は無いってことでいい、のか?
472名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/25 01:40
妹の漢文の問題集に助字「所」が「関係代名詞」と書かれていた…
マジそうなんですか?
>>455
sein, sei, wäre
Er ist krank.「彼は病気だ(事実として)」(事実。話者が確認済み、ないしは話者の100%近い確信)
Er sei krank.「彼は病気だ(そうだ・らしい)」(伝聞。確認はしていない。話者の確信の有無は関係ない)
Er wäre krank.「彼は病気だ(多分嘘だけどね)」(非現実。話者が100%近く嘘だと確信)

Er kommt nicht, denn er ist krank.「彼は来ないよ、彼は(実際に)病気だから」
Er kommt nicht, denn er sei krank.「彼は来ないよ、彼は(聞くところによると)病気だから」
Er kommt nicht, denn er wäre kranak.「彼は来ないよ、彼は(建前上は)病気だから」
以上ドイツ語でした。
>>437
seiはseinの接続法現在、wäreは接続法過去だったっけ?
>>474
そう。接続法第一式、接続法第二式とも言う。
主に接続法第一式(現在)は伝聞。接続法第二式(過去)は非現実に用いるが、
本来的には内容責任を話者に帰属させないための用法。

伝聞ではない場面で接続法一式を使うと、
日本語では「〜らしい」「〜だそうだ」「〜のようだ」「〜と主張されている」「〜という」「〜かもしれない」
などと訳出される。
論文や記事などで自己の意見と異なる他人の意見を紹介するときに使われるのをよく目にする。

接続法二式は非現実をあらわす。
Hätte ich Geld, würde ich eine Weltreise machen.^
「お金があれば、世界旅行するのになぁ」というようなオーソドックスな非現実の仮定から、
Deutschland ist zu weit, als dass ich da besuchen würde.
「ドイツは訪れるには遠すぎる」(=実際にはドイツを訪れない)
というような文章にも使われる。
477名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/24 09:23
>>461
JEAL 12-3:259-331
>>376
> ……主節のあらわす時を基準にして,連体修飾説や他の従属節中において,
> タ形はそれより「以前」,非タ形はそれより「以後」または「同時」をあら
> わすと解するばあいにはそれを相対的テンスと呼び,発話時を基準とした
> 「過去」「現在」「未来」をあらわす絶対的テンスと区別することになる。
>  しかし以上のように考えると,英語にみられるような時制の一致をもたな
> い日本語では説明しがたい点が生じる。たとえば,
>   定刻では午前10時に到着する列車が,遅れて午後になってついた。
> では,「到着する」という非タ形は予定の意をあらわしているが,主節との
> 前後関係を考えることはできない。
この場合、「午前10時に到着する」ことが事実だった蓋然性は零だから、現実の時である発話時からも主節時からも、前後関係を考えられないのは当たり前の話。
"I wish I were a bird." における "were" が、発話時=主節時に対して以前か同時か以後かと問うても無意味なのと同じだ。
>>478
『日本語百科大事典』204頁以下(紙谷栄治執筆)より例を追加。

a.(この問題が)できる人は帰ってよろしい。
b.(この問題が)できた人は帰ってよろしい。
>>478
>この場合、「午前10時に到着する」ことが事実だった蓋然性は零だから、

いや、少なくとも午前10時までは定刻通り到着する蓋然性が“あった”はず。
>>479
> a.(この問題が)できる人は帰ってよろしい。
> b.(この問題が)できた人は帰ってよろしい。
発話時と同時または発話時以後において、だれかにこの問題ができる蓋然性はあると、話者はふつう思っているはずだ (そうでないと教師は困る)。
だから、a は発話時基準 (絶対テンス)、b は主節時基準 (相対テンス) でいいんじゃないの?

>>480
> 少なくとも午前10時までは定刻通り到着する蓋然性が“あった”はず。
それを言いたいなら「到着するはずだった」となるのでは?
文脈上、明らかに発話時より前、かつ主節時より前であるべき事態が非タ形で表されている場合は、その事態が実現しなかったという印だ。
>それを言いたいなら「到着するはずだった」となるのでは?

と、ばかりは限るまい。

定刻では午前10時に到着する列車が,遅れて午後になってついた。
定刻では午前10時に到着するはずだった列車が,遅れて午後になってついた。
定刻では午前10時に到着するはずである列車が,遅れて午後になってついた。
定刻では午前10時に到着するはずの列車が,遅れて午後になってついた。
>>481
b.(この問題が)できた人は帰ってよろしい。

これは、誤記。『日本語百科大事典』から正しく引用すると――

b.(この問題をといてみて)できた人は帰ってよろしい。

「できた」は主節時基準の過去かあ? タ形だけど未来だぜ?
>>482
> 定刻では午前10時に到着する列車が,遅れて午後になってついた。
> 定刻では午前10時に到着するはずだった列車が,遅れて午後になってついた。
> 定刻では午前10時に到着するはずである列車が,遅れて午後になってついた。
> 定刻では午前10時に到着するはずの列車が,遅れて午後になってついた。
三つ目は言いにくく感じる。
最初と最後は、「定刻に着かなかった」という意味が強く出て、午前10時までは定刻に着く蓋然性があったという意味は、あまり感じられない。

>>483
> b.(この問題をといてみて)できた人は帰ってよろしい。
>
> 「できた」は主節時基準の過去かあ? タ形だけど未来だぜ?
「帰ってよろしい」時よりは前だから、発話時よりあとでもタ形をとる。
>>484
>最初と最後は、「定刻に着かなかった」という意味が強く出て、
そんな感じは全然しないけど。
二番目の「するはずだった」に引っ張られすぎでは。
まあ感じる感じられないは個人差もあるしなあ、決着つかないよ。
>>485
いずれにしても、過去のことなのに「到着する」の所で非タ形が使われているから、

・定刻では午前10時に到着する列車が、ホームに入って来た。

と言えば、十中八九定刻どおりじゃない。延着または早着している。
では早着の場合。

・定刻では午前10時“迄”に到着する列車が、ホームに入って来た。

この時点で、午前九時五十九分現在だとしたら如何。

タ形を全て過去と見做すのは無理がありますよ。
>>487
> ・定刻では午前10時“迄”に到着する列車が、ホームに入って来た。
>
> この時点で、午前九時五十九分現在だとしたら如何。
この場合は、まだ定刻どおりに到着する蓋然性があるから、発話時以後と見ても主節時以後と見てもよい。

> タ形を全て過去と見做すのは無理がありますよ。
基準時以前だというだけで、必ずしも発話時以前ではないのだが。
>>488

タ形の議論で前から気になってたんだが
本来は過去と言うより完了の標識であるもの、
あるいは出来事を既成のものと捉えるモダリティ標識が、
結局過去を表しているだけ、ということはないの?
それともこの種の本質論は意味を為さない?

そもそもの疑問として、過去とか非過去とかいう西洋文法的な時制概念を
そのまま日本語文法にあてはめるのは妥当なの?
>>489
同感ですが、その辺は>>236以下で論議になりました。結論は……
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/995566202/236-
>>489
> タ形の議論で前から気になってたんだが
> 本来は過去と言うより完了の標識であるもの、
「過去 (基準時以前)」と「完了」の違いが、満足に説明されたためしがない。

> あるいは出来事を既成のものと捉えるモダリティ標識が、
> 結局過去を表しているだけ、ということはないの?
反例に瞬殺されるだろう。

> そもそもの疑問として、過去とか非過去とかいう西洋文法的な時制概念を
> そのまま日本語文法にあてはめるのは妥当なの?
「西洋文法的な時制概念」というものは存在しない。
例えば、英語とフランス語とロシア語とでは、それぞれのテンスは互いに性質を大きく異にする。

>>490
結論は >>296 あたり。
プゲラ
「 定刻では午前10時に到着する」
というのは“習慣”を表しているから発話以前でも「する」を使ううんじゃなくて?


494名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/19 13:53
a
495名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/21 09:56
>>493
それも十分ありうる解釈だと思うが、ここに来る語感の鈍い人たちはなかなか認めない。
議論は >>378- 。
「予定では午前10時に到着する」なら?
497493:04/01/24 02:25
>495
なるほど。語感のちがいっていうのは大きな壁でもありますね。

>496
それも話者の経験に裏打ちされた事なら「習慣」という解釈ができると思います。
また、初めて乗る列車だったとしても、その「予定」であるということを、
(時刻表等で)既知であるなら話者にとっては初経験でも、
その列車が習慣的に午前10時に到着することを認識しているのですから、
同様に解釈できると思います。
498借訓:04/02/03 19:21
>493
僕もそう思います。
そもそも、連体節でも、普通名詞につくか、形式名詞につくかで、φ形(何もつかない形ね)
とタ形の表す文法的意味は変わってくると思うんだけど。

はじめて来たので、自分がどういう考えを持っているかということを少し。
僕は、主節だろうと従属節だろうと、φ形とタ形の基本的なはたらきは変わらないと思います。
 φ形:未完了
 タ形:完了
野村剛史「存在の様態―シテイルについて―」(『国語国文』72−8)が述べるように、
究極的にはこれでいいと思ってるんですけど。
まぁ、反例がないわけではなく、
 ○飛行機でアメリカに[行ったとき]、機内で[吐いた]。
 ※「行く」という動作が完了する前に、「吐く」という動作が完了している。
 ○エベレストに[登るとき]、山頂に国旗を[立ててくれ]。
 ※「登る」という動作が完了した後で、「立てる」という動作が完了する。
なんてのは、原則に反しているわけなんだが。
>>498
> 僕は、主節だろうと従属節だろうと、φ形とタ形の基本的なはたらきは変わらないと思います。
>  φ形:未完了
>  タ形:完了

*きのうの朝の段階では、午後彼に会う。
*あしたの 3 時ごろ、その仕事は終わっただろう。

上のようなのが言えないからダメ。(>>410)
横レスだが

> *きのうの朝の段階では、午後彼に会う。
> *あしたの 3 時ごろ、その仕事は終わっただろう。

これは「タ」が完了であるという主張を否定するcrucialな根拠にはならないだろう
主節の「タ」は発話時現在が基準時になる、といえばそれまでの話だから

>>500
> 主節の「タ」は発話時現在が基準時になる
発話時現在を基準時とする「完了」と、「過去 (以前)」とは、どこが違うのか。
さあねえ、あんま変わんないんじゃない?
強いて言えば「過去」「非過去」は時間直線に視点を置いたものの見方で
「完了」「未完了」は出来事に視点を置いたものの見方って感じがするけど
経験的な違いがあるのかどうか
503借訓:04/02/07 14:21
>>501
>>発話時現在を基準時とする「完了」と、「過去 (以前)」とは、どこが違うのか。

発話時から見て未来に相当するデキゴトもタ形で表すことがあるので、「過去」
とすると、わざわざ「相対的テンス」というカテゴリーを設けないといけないので、
「完了」とした方が述語が少なくて済む。僕が「完了」とする理由は、ただその一点のみです。
特に「完了」という述語にこだわりがあるわけではありません。「既然」でも「実現」でも、
呼称は何でもよいです。「過去」とか「以前」のように、時間軸に定位させてしまう
ような呼称でなければ。「完了」という述語がポピュラーなので使っているだけでして。
>>503
> 発話時から見て未来に相当するデキゴトもタ形で表すことがあるので
「ことがある」ではダメ。「完了」は時間軸にかかわらない概念のはずだから、タ形が「完了」を表すというのなら、未来のデキゴトであっても「完了」していれば、「常に」タ形で表されなければならない。
> 「完了」とした方が述語が少なくて済む。

「過去」と「完了」と呼び分けるか
「絶対的過去」と「相対的過去」と呼び分けるかで
術語が多くなったり少なくなったりというのは特にないように思うが
506借訓:04/02/07 17:11
>>505
僕の文章はとても分かりにくいですね、改めて読みかえすと…。
相対的テンスを認める立場では、テンス・アスペクトというカテゴリー以外に、
新たに相対的テンスというカテゴリーを設けなければならない、という意味です。
相対的テンスと呼ばれているものは、アスペクトと考えれば済みますので。
507借訓:04/02/07 17:21
>>504
>>「ことがある」ではダメ。「完了」は時間軸にかかわらない概念のはずだから、
 タ形が「完了」を表すというのなら、未来のデキゴトであっても「完了」してい
 れば、「常に」タ形で表されなければならない。

タ形で表すことができない未来における完了したデキゴトは、テイル形が表します。
つまり、タ形とテイル形が完了というカテゴリーを相補分布しているのです。
 ○*明日の今頃には[書き終わった]よ。
         ↓
 ○明日の今頃には[書き終わっている]よ。
反例を安易に「例外」として処理するのは問題外ですが、こうした処理ならOKでは?
「タ」と「テイル」が相補分布であるならば
「シテイタ」はどう考えるんだ
509借訓:04/02/07 17:36
改めて>>498を読むと、テンスはないと主張しているように見えますね。
 ○*明日、パリに着いた。
 ○*来年の今頃、モスクワに行った。
が言えないことから、主節にテンスがあるのは明らかです。
各語形のテンス・アスペクトは、次のようになると思います。

     (テンス)(アスペクト)
  φ形   非過去   未完了
  タ形   過去    完了
 テイル形 非過去  未完了/完了
 テイタ形  過去  未完了/完了

テイル形・テイタ形をここに含めていますが、僕は奥田靖雄氏らが
提唱するような、単なるアスペクト形式ではないと思います。
金水敏氏や野村剛史氏がいうところの「状態化形式」というのが、
一番しっくりくると思います。その名の通り、動作を状態化させる形式。
510借訓:04/02/07 17:43
>>508
>>509を参照下さい。
非常に安直ですが、単純にテイル形の過去形と考えています。
511借訓:04/02/07 17:51
古代語の場合、
 テンス形式  :「φ」「キ」(「ケリ」は問題が多いので除く)
 アスペクト形式:「φ」「ツ」「ヌ」「タリ・リ」
と、ある程度はっきり分かれてますが、現代語の各形式は、
テンス・アスペクトの両方を担っていると考えます。
時間形式は、中世で「タ」に収斂され、体系もその時に大きく変わったのだと。
>>509
> 金水敏氏や野村剛史氏がいうところの「状態化形式」というのが、
> 一番しっくりくると思います。その名の通り、動作を状態化させる形式。
同意。だから、こう考えればいいんだよ。

     (テンス)(アスペクト?)
  φ形   非過去   動作
  タ形   過去    動作
 テイル形 非過去   状態
 テイタ形  過去    状態

「完了」とか「未完了」とかいう、ややこしいものは要らないだろ。
     (テンス)(アスペクト?)
  φ形   非完了   -
  タ形   完了    -
 テイル形 非完了   状態化
 テイタ形  完了    状態化
とすると「テイル/テイタ」の「テ」が「状態化」を司っているわけですね
「テ」と「タ」は同じじゃねーの?
少なくとも語源的には
516借訓:04/02/08 12:31
>>512
「動作」と「状態」というのが、日本語のアスペクト?の根本ということでよいと思います。
ただ、やはりφ形とタ形の対立はあるので、細かく見れば、「未完了」と「完了」ではないか、と。
難しい問題ですね、φ形とタ形の対立の問題は。「ムードのタ」(「あっ、今日は会議だった!」などの「タ」)
なんてのもありますしね。

>>514
「テイル」全体で文法化してますから、別に「テ」が司っているということはないかと。

>>515
「テイル」の「テ」は、古代語のアスペクト形式「ツ」のいわゆる連用形ではないかと。
「タ」は「タリ→タ」ですから、語源的には違うかと。
ただ、語源論は100%推論の域を出ませんから(語源関連の本も、ほとんどインチキまがいですし)、
これ以上は何とも言えません。
「タリ」は「テアリ」なんだから、結局同じだろ
勿論、推測の域を出ないが
>>513
>  テイタ形  完了    状態化
「状態」が「完了」するというのはおかしい。「私は30分前にはもうここに坐っていた」: 発話時現在も坐っている。「完了」していない。

>>516
> ただ、やはりφ形とタ形の対立はあるので、細かく見れば、「未完了」と「完了」ではないか、と。
基準時点が決まったうえでの「未完了」 「完了」は、結局、「非以前」 「以前」と変わらないから、テンスになってしまう。
基準時点が発話時現在である場合のみをテンスと呼ぶという態度は、実は、ものすごい英語コンプレックスだ。英語は事態を常に発話時現在から計測したがるからね (時制の一致)。
519借訓:04/02/09 09:07
>>517
昨日、帰りのバスでふとそれに気付きました。
全くその通りです、すいません。

>>518
 ○あの時君は[若かった]。
 ○しまった、今日は10時から[会議だった]!
などもあるので、「完了」というのはやめた方がよいかもしれませんね。
昨日読んだ論文で、どなたか(失念)が「確述」(話し手にとって、確かなデキゴトの叙述)
とおっしゃってました。「完了」とか「過去」とか言っているが、根本的なはたらきは
そうなのだ、と。ふむ、なるほど、言われてみれば、確かにそうかも、と感心しました。
この「確述」っていうのはどうでしょうか?相当アバウトですが。
520借訓:04/02/09 09:10
しかし、そうなると、きっちりとしたテンス・アスペクト体系を日本語で
構築するのは不可能(ってか無意味)ということにもなりかねないので、
少し寂しい気もしますが。
>>519
> この「確述」っていうのはどうでしょうか?相当アバウトですが。
これもよくある意見だが、「しただろう」 「したかもしれない」 「したらしい」では、タ形が使われていても「確述」なんかしていないから、全然ダメ。
それは言い方の問題だな
「しただろう」とかの類で問題になる確、不確と
「た」に関して問題となる確、不確は別のものだろう

まあ、どのみち、あまりいい言い方ではない、ということだろうが
>>522
> 「しただろう」とかの類で問題になる確、不確
「11月には米大統領選挙が {行われる/*行われるだろう}」: 非タ形が使われていても「確述」。
タ形/非タ形の対立と、「確/不確」とは関係がない。

> 「た」に関して問題となる確、不確
それを「以前/非以前」、すなわちテンスという。
「確述」はたしか森田良行の用語だったかと。
525名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/09 18:00
とても気になるのですが・・・

http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h5903288
>>523

だから、それを言い方の問題と言ったのだが…

坊やには難しかったかな?
>>526
文法記述は「言い方」がすべてなんだが。

 え っ え っ そ う な の ! ?
529借訓:04/02/14 14:52
>>524
ありがとうございます。

>>521
>これもよくある意見だが、「しただろう」 「したかもしれない」 「したらしい」では、タ形が使われていても「確述」なんかしていないから、全然ダメ。

森田氏が言うところの「確述」は、「実現」に近い意味だと思います。
それと、「しただろう」の文構造は、

 ○[[した(=実現)]だろう(=推量)]

なので、確述していないということはありません。
「ダロウ」が、なぜ終止形接続なのかを考えれば、すぐに分かることです。
また、「確述」と考えれば、タ形で未来のデキゴトを表す現象も説明できます。

 ○明日雨が[[降った(=実現)]ら(=仮定)]、行くのは止めときます。

ちなみに、「降ったら」と「降るなら」の差は、

 降ったら:発話の時点では、まだ行く可能性も残っている(つまり、行くか行かないかは、雨次第)。
 降るなら:発話の時点で、すでに行くことを断念している。

です。次のように、

 ○明日雨が{降るなら/*降ったら}、もう、行くのは止めときます。

副詞「もう」の許容の可否から分かります。
長くなってすいません。
>>529
> 森田氏が言うところの「確述」は、「実現」に近い意味だと思います。
> それと、「しただろう」の文構造は、
>
>  ○[[した(=実現)]だろう(=推量)]
>
> なので、確述していないということはありません。
> 「ダロウ」が、なぜ終止形接続なのかを考えれば、すぐに分かることです。
では、「するだろう」の文構造は、「[する (=未実現)] だろう (=推量)」ということか?
「5 年後には夢が実現するだろう」というのは、まだ実現しないことを推量するのか?
こういう考え方は根本的におかしい。

> また、「確述」と考えれば、タ形で未来のデキゴトを表す現象も説明できます。
>
>  ○明日雨が[[降った(=実現)]ら(=仮定)]、行くのは止めときます。
その「ら (=仮定)」という形態素は、どうやって認定したの? 「たら」以外に「ら」が現れる場合はあるの?
ほかに使い道のない形を、形態素とすることはできないよ。

> ちなみに、「降ったら」と「降るなら」の差は、
>
>  降ったら:発話の時点では、まだ行く可能性も残っている(つまり、行くか行かないかは、雨次第)。
>  降るなら:発話の時点で、すでに行くことを断念している。
>
> です。次のように、
>
>  ○明日雨が{降るなら/*降ったら}、もう、行くのは止めときます。
>
> 副詞「もう」の許容の可否から分かります。
「降るなら」は、ほとんどの場合、「降るのだったら」と言い換えることができる。
「降ったら」の「たら」と、「降るのだったら」の「(だっ) たら」とは、おそらく同じ形態素だ。
だから、「降るなら」 (≒「降るのだったら」) の意味は、「降ったら」の意味よりも、何らかの要素が多いと推測される。
こういう場合、「降ったら」と「降るなら」との関係は、範列的 (paradigmatic) でない蓋然性が大きい。すなわち、簡単に対比することはできない。
531名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/19 22:54
古いですけど、
>>303 で紹介されてるものを皆さん読まれましたか?
リンクが変わったようなので、載せておきます。

http://www.jomon.net/nihongo/nihongo.html
 我々日本語を母語とする者は、スルとシタの間にまっすぐな境界線を引い
ているはずである。それはテンスの境界線とアスペクトの境界線とを別々に
引いてい るのでもなく、単にスルとシタの境界線を引いているのである。
宣伝ご苦労さん
533名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/25 19:38
テンス、アスペクトというカテゴリーが絶対の前提になるのがおかしい
という見方はあって当然だと思います。
前提が正しければこんな混乱はないはずですからね。
534借訓:04/02/26 22:04
書き込みが遅くなりました、申しわけありません。

>>530

>では、「するだろう」の文構造は、「[する (=未実現)] だろう (=推量)」ということか?
>「5 年後には夢が実現するだろう」というのは、まだ実現しないことを推量するのか?
>こういう考え方は根本的におかしい。
未来のデキゴトなので、「まだ実現しないことを推量する」ことに問題があるとは思いませんが。
ではなぜ、

 ○*5年後には、夢が[実現しただろう]。
 ○*明日は雨が[降っただろう]が、それでも試合は行います。

とは言えないのでしょうか。

>その「ら (=仮定)」という形態素は、どうやって認定したの? 「たら」以外に「ら」が現れる場合はあるの?
>ほかに使い道のない形を、形態素とすることはできないよ。
確かに、おっしゃる通り、「たら」を「た」と「ら」に分けるのはおかしいです。
便宜上、そうしただけであって(逆に分かりにくかったようですが)、形態素で分けたわけではありません。

 ○明日雨が[降ったら(=実現・仮定法)]、行くのは止めときます。

とするのが適当だったでしょうか。

>「降るなら」は、ほとんどの場合、「降るのだったら」と言い換えることができる。
>「降ったら」の「たら」と、「降るのだったら」の「(だっ) たら」とは、おそらく同じ形態素だ。
>だから、「降るなら」 (≒「降るのだったら」) の意味は、「降ったら」の意味よりも、何らかの要素が多いと推測される。
>こういう場合、「降ったら」と「降るなら」との関係は、範列的 (paradigmatic) でない蓋然性が大きい。すなわち、簡単に対比することはできない。
もう少し詳しく説明してもらえますか。正直、これだけではよく分かりません。
>>534
> 未来のデキゴトなので、「まだ実現しないことを推量する」ことに問題があるとは思いませんが。
> ではなぜ、
>
>  ○*5年後には、夢が[実現しただろう]。
>  ○*明日は雨が[降っただろう]が、それでも試合は行います。
>
> とは言えないのでしょうか。
ということは、「実現する」 「降る」が「未だ実現しない」なのは、発話時現在においてであって、「5 年後」 「明日」においてではない、ということだよね?
すると、「未実現」と「未来 (=発話時以後)」とはいったいどう違うのか、という問題が起こって来る。

> 確かに、おっしゃる通り、「たら」を「た」と「ら」に分けるのはおかしいです。
> 便宜上、そうしただけであって(逆に分かりにくかったようですが)、形態素で分けたわけではありません。
>
>  ○明日雨が[降ったら(=実現・仮定法)]、行くのは止めときます。
>
> とするのが適当だったでしょうか。
「実現」が発話時現在におけるものなら、上の例は言えないはずだ。「*明日雨が降っただろう」とは言えないのだから。
「実現」が発話時現在におけるものでなく、「明日」におけるものであるなら、上の例が言えるのと同様に、「*明日雨が降っただろう」も言えるはずだ。

> もう少し詳しく説明してもらえますか。正直、これだけではよく分かりません。
「降ったら」と「降るのだったら」との関係が、「『降っ・たら』+α=『降る・のだっ・たら』」のようなものだということは、わかるよね?
で、「『降るのだったら』≒『降るなら』」が成り立つから、「『降ったら』+α≒『降るなら』」も成り立つことになる。
「降ったら」に何かの意味要素を足せば、「降るなら」に近くなるということだ。
「降ったら」と「降るなら」とを対比させるのなら、その「+α」を明らかにする、という方向でなければならない。
536名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/27 11:20
>>533
テンス、アスペクトなんて現行パラダイムの便宜的なものでしょう。
原理はほかにあるという531(のリンク先)は力強いと思われ。
537借訓:04/02/27 11:28
>>534

>ということは、「実現する」 「降る」が「未だ実現しない」なのは、発話時現在においてであって、「5 年後」 「明日」においてではない、ということだよね?
>すると、「未実現」と「未来 (=発話時以後)」とはいったいどう違うのか、という問題が起こって来る。
「未実現(未然なり未完了なり、術語は何でも可)」と「未来」は、どちらか一方しか成り立たないということではないと思いますよ。
「未来」に生起するから「未実現」なのだし、発話の時点で「未実現」だから「未来」に生起する。
寺村秀夫氏は、タ形には、「完了」の場合と「過去」の場合があるとしたが、両者を分立させる必要は、そもそもない。

 ○晩ご飯はもう[食べた]。
 ○三年前、京都に[行った]。

前者は「完了」、後者は「過去」とよく言われるが、どちらも発話時以前(つまり「過去」)において
実現された(つまり「完了」)デキゴトであるのだから。

>「実現」が発話時現在におけるものなら、上の例は言えないはずだ。「*明日雨が降っただろう」とは言えないのだから。
>「実現」が発話時現在におけるものでなく、「明日」におけるものであるなら、上の例が言えるのと同様に、「*明日雨が降っただろう」も言えるはずだ。
確かにその通りです。僕が考える「実現/未実現」は、発話時基準で判断しているので、これはおかしい。
ただ、

 ○??雨が[降れば]、行くのは止めときます。

とは普通言わない。古代語では、「雨降らば…」とか言ったのでしょうが。
これはなぜか、今考えているところです。まとまってなくてすいません。
538借訓:04/02/27 11:29
訂正
×>>534
 ↓
>>535

※続き

>「降ったら」と「降るのだったら」との関係が、「『降っ・たら』+α=『降る・のだっ・たら』」のようなものだということは、わかるよね?
>で、「『降るのだったら』≒『降るなら』」が成り立つから、「『降ったら』+α≒『降るなら』」も成り立つことになる。
>「降ったら」に何かの意味要素を足せば、「降るなら」に近くなるということだ。
>「降ったら」と「降るなら」とを対比させるのなら、その「+α」を明らかにする、という方向でなければならない。
そう考えると、「タラ」は、「タ」の未然形などと考えること自体に弊害があるのかも知れませんね。
国語学専攻なので、どうしても歴史的背景を持ってこようとするクセがありまして。
「降ったら」と「降るなら」の差について考えるのであれば、まず、「降る」と「降るのだ/降るのである」
の差を明らかにしなければなりませんね。古代語の「〜ナリ文」と現代語の「〜ノダ/〜ノデアル文」について
考えてみたいと思います。
>>536
> テンス、アスペクトなんて現行パラダイムの便宜的なものでしょう。
どんな概念だって、「便宜的」なものだよ w

> 原理はほかにあるという531(のリンク先)は力強いと思われ。
過去 (以前) のことは「請合」えないし、未来 (以後) のことは「受止」められない。言い方を変えただけ。
「調べればわかる。*彼は以前ここに来るはずだ」
「*すみません、さっき私、3 時って言っちゃったんですけど、明日の会議は 2 時に始まりました」
「*夜行列車は、明日の朝 8 時にはもう終着駅に着いたよ」
全然ダメでしょ。
>>537
> 「未実現(未然なり未完了なり、術語は何でも可)」と「未来」は、どちらか一方しか成り立たないということで> はないと思いますよ。
> 「未来」に生起するから「未実現」なのだし、発話の時点で「未実現」だから「未来」に生起する。
要するに、同じなんだよ。
「未実現」かつ「過去」、「実現」かつ「未来」がありえないんだから。

> 寺村秀夫氏は、タ形には、「完了」の場合と「過去」の場合があるとしたが、両者を分立させる必要は、そもそ> もない。
同意。

>>538
> そう考えると、「タラ」は、「タ」の未然形などと考えること自体に弊害があるのかも知れませんね。
> 「降ったら」と「降るなら」の差について考えるのであれば、まず、「降る」と「降るのだ/降るのである」
> の差を明らかにしなければなりませんね。
まさにそのとおり。
541?:04/02/28 23:36
>>539
>「調べればわかる。*彼は以前ここに来るはずだ」
>「*すみません、さっき私、3 時って言っちゃったんですけど、明日の会議は 2 時に始まりました」
>「*夜行列車は、明日の朝 8 時にはもう終着駅に着いたよ」

これらは、時間軸を意識した上での論理的言語表現です。
「スル/シタ」の使い分けは、基本的なところでは、
論理的思考によって自覚できない無意識的“悟性”(≠理性)領域から発せられる
ある種の衝動によるものです。
両者は言語使用の意識レベルがはっきりと異なります。
日本語話者が常に論理的言語表現のみを使用するという前提なら、
テンス・アスペクト等の説明だけで足りるでしょうけれども、
それでは説明しきれないところで行われる非論理的で衝動的な表現を説明するには
もっと“悟性”のメカニズムを究明しなければなりません。
「請け合い/受け止め」は、そのレベルでの仮説だということになりす。
>>541
なんだ結局日本語は論理の枠にはめられないといって
学問=論理=理性の働きの枠の外に逃亡しているだけか。
よくあるクソ日本文化論と同じじゃないか。ツマンネツマンネ。
543?:04/02/29 10:02
学問=論理=理性の働きの枠の外に「逃亡」ですか?
その枠の中に引きこもってるからいつまでたっても進歩がないのですよ。
英語研究者も同じ壁に突き当たっているはずです。
544?:04/02/29 10:11
“悟性”メカニズムの究明も言語化する必要性がありますから、
論理的説明を行う必要が当然あります。
しかし実際のメカニズムはどんな顕微鏡でも見えないところ、
私たちがはっきりそうだと自覚できないところにあります。
そのために仮説を立て、例外のない原理を導出する試みが必要なのです。
その努力を怠って外来のカテゴリーだけで全てが説明できるはずだと
信じるのは単なる宗教にすぎません。
脳内仮想敵である「単なる宗教」を勝手につくりあげて叩く。
チンケな手法ですね
546?:04/02/29 10:48
545さんへ

あなたの発言は、誹謗の類でまったく反論になっていませんが、
それが「学問」なのですか?
俺は自分のレス>>545が学問的であるなどと言った覚えはないが。
548名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/29 12:18
アスペクト表現のところでちょっとわかんない事があるんですけど

a.あそこで 太郎が ご飯を 食べている
b.あそこで 太郎が 倒れている

で、aが運動の継続になってbが運動の結果になりますよね?
何でこうなるのかちょっと判り易く教えていただけませんか?
今レポート書いてるんですがちょっとこんがらがっちゃってて…
よろしくお願いしますー
>>548
とりあえず、「食べる」、「倒れる」という運動の時間的特性と
主語「太郎」の意味役割に注目すること。

後者に関しては、「倒す」と「倒れる」の対比、また「ている」と「てある」の
対比に注目するのもいいかも。

太郎が木を倒している。
太郎が倒れている。
木が倒してある。
c.ピサで 塔が ゆっくり 倒れている
>>548
おかしい動作表現
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1072987295/l50
34 :名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/11 14:10
雑誌記事索引で調べたら、こんな論文があるみたいだけど、これ?
だれか内容紹介よろ

論題     疑似自動詞の派生について--「イチゴが売っている」という表現
著者     田川 拓海 (タガワ タクミ)
請求記号   Z12-B82
雑誌名    筑波応用言語学研究 Tsukuba journal of applied linguistics
出版者・編者 筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻応用言語学領域
巻号・年月日  (通号 9) [2002]
ページ    15〜28
ISSN     1342-4823
本文の言語コード jpn: 日本語
キーワード  無対他動詞 ; 動作主 ; アスペクト ; 状態性
雑誌記事ID  508764700

あり、おり、はべり、いますがり・・・
http://academy.2ch.net/gengo/kako/1009/10097/1009701601.html
口頭語は更に先に進んで「イチゴが売る」のような表現まで聞いた事がある。
しかし今回の質問とは別問題だろう。
35 :名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/11 15:18
短い論文なんだから自分で嫁や
ぱらぱらっと見た感じ、痒いところに手が届かない感じがした
ぱらぱらっとしか見てないけど

「てある」文には形式的に具現していない動作主が統語構造中にあるが
「ている」文には統語構造中に動作主はない、っていう分析はどうなんだろうね。
あまりぴんとこないが
>>541
> 両者は言語使用の意識レベルがはっきりと異なります。
どう異なるのか全然わからない。

・すみません、さっき私、3 時って言っちゃったんですけど、
 明日の会議は {2 時からでした/*2 時に始まりました}。
述語が名詞類+指定詞か、動詞かで異なるだけ。

・明日駅に着いた時にまた電話するね。
・*夜行列車は、明日の朝 8 時にはもう終着駅に着いたよ。
述語が従節にあるか、主節にあるかで異なるだけ。

>>544
> “悟性”メカニズムの究明も言語化する必要性がありますから、
> 論理的説明を行う必要が当然あります。
> しかし実際のメカニズムはどんな顕微鏡でも見えないところ、
> 私たちがはっきりそうだと自覚できないところにあります。
> そのために仮説を立て、例外のない原理を導出する試みが必要なのです。
それを文法と呼ぶ。普通の話者が、いちいち論理を考えながら言語を使っていないのは当たり前。

> その努力を怠って外来のカテゴリーだけで全てが説明できるはずだと
> 信じるのは単なる宗教にすぎません。

>>  「そんな自分なんて、どこにいるんだよ」って、まだわかんない人は、もっと深く瞑想して、もっとたくさん「わかる、わかった」を唱えてみてよ。そうすると「自分」と「自分の外側」という二つの領域の境界があるんじゃないかってことに気付くはず。
>> 頭で考えるんじゃないよ。魂(たましい)で感じるんだ。
>>  そうするとだ、なんか信号(あるいは「気」)みたいなのが、出たり入ったりする感じ、するでしょ?これが一番肝心なところ。
>>
>>  「わかる」…信号(気)が出る。
>>
>>  「わかった」…信号(気)が入る。

どっちが宗教だよ w
単なる宗教と、インチキ宗教との違い
556sage:04/02/29 19:19
>>554,555
なんでそんなに怖がってるわけ?(w
さげ入れるとこ間違ったんで逝ってきます。
>>556
オウムを見て非合理主義と戦わないのは文明人として間違ってる
>>558
だったらがんがって戦えYO!
悟性なんてワケワカランことを言っているヤシの主張は
間違いなく「非学問」の戯言になっているんだよ。だから宗教だと嘲笑されるんだw
ヤシが敵視しているテンス・アスペクト・モード(ムード)といった
「西欧語の文法概念」は、これはラテン文法で形態論的にも機能論的にも
論理的にきれいに収まる諸概念であるというだけで
別に言語=論理=理性=ロゴスの、おおよそ「学問」すべての絶対的基盤となるものと
必要十分であるわけじゃないだろ。
日本語に新しい概念枠が必要だというのなら
言語=論理=理性=ロゴス→学問の大前提の上で、
新しい概念を立ち上げて議論を挑めばいいだけの話じゃないか。
それを、悟性(←これ自体西欧哲学用語なんですがw何を指すつもりで使っているのかな)
などという言葉でごまかして、妙な独りよがりのニセ論理を展開している。
学問としての論理的議論の土俵からの逃亡を自分で宣言しているから、
論理的批判をしようとしても批判のやりようがないだろw
こりゃ宗教かファンタジーだよww
>>560
とはいえ、
藻前のやってることはレテール貼りってYASIぢゃないのかと思われ(わ
>>560
まあ、あれ書いてる人も批判が先に立つのは藻前と同レベルだが、
核心部分をしかと間違いだと論証する義務ってのもありそう。
因みに漏れはまあ、そう間違ったことは言ってなさそうと見る立場ね。
>>561-562
間違いかそうでないかを論ずるより前の段階がおかしいんだよ。
だから門前払いせざるを得ない。というよりヤシが門前から逃亡しているww
テンスやアスペクトなどの、ラテン文法を雛形とする
西欧の文法学の概念には存在しない概念を立てて日本語文法の説明に資する試みは
もういろいろなヤシがしてきているじゃないか。
「話者の記憶の確かさ」「自然生成/話者の意志」など
挙げればキリが無い。
でもすべて、ちゃんと言語=論理=理性=ロゴスの大前提の上で、
他のヤシと議論することの可能な概念が立ち上げられ、批判にさらされている。
おおよそ学問というのはそういうものだ。
でもこのヤシはそこから逃亡しているんだよ。
もうすでに「悟性」の用法が意味不明で(間違いなく"Verstand"とは何の関係も無い。
Verstandが精神ではない肉体の働きのことだといったら(そう主張しているように見えるが)、
驚きの余りドイツの哲学者は全員心臓発作で即死するかもしれない)、
554(漏れではない)の引用している最後の部分に至っては
議論しようにも議論のしようがない。
「信号が出たり入ったりする感じ。瞑想汁。そうすればわかる。」
などという内容をどうやって議論せよというんだよ・・
>>544
> その努力を怠って外来のカテゴリーだけで全てが説明できるはずだと
> 信じるのは単なる宗教にすぎません。
そんなことだれも信じてないって w

>>562
タが言えるかどうかは、事実 (真偽) の問題だから、魂をいくらはたらかせたって、何もわからない。頭を使ってくれ。
魂は価値 (善悪) を判断する。魂を導くのは宗教だろ。

要するに、教え方がヘタクソなんだよ。
日本語教師はテクノロジストなんだから、理論をうまく応用してもらわなきゃ困る。
それに、適切な文法を知ったからって、急に日本語が上達するわけでもない。つべこべ言わずにレッスンしないと絶対ダメ。
日本人だって苦労して外国語を勉強するんだから、外国人も苦労するのは当然のこと。
>>564
タが言えるかどうかは、事実 (真偽) の問題、なのか?
藻前も相当怪しいこと言うな。
>>565
ほう。では、タが言えるかどうかについて、日本語話者の判断が分かれる (と思われる) 例を挙げてみてくれ。
567名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/01 08:22
>>566
(ヨコレスでスマソけど)
事実でルを言うことも多いからタが事実真偽と言われても「?」だね。
>>567
ルとタの使い分けについて、ネイティヴの判定が分かれることはほとんどない。両方言えるなら意味が違う。
使い分けの原理はあくまで事実の問題。好みや主観では選べない。
569?:04/03/01 10:23
564さんへ

そんなオカルトじみたことではありませんよ。
形態素「ル(-u)/タ(ダ)」の現れ方を自己観察して割り出したというだけのことです。

「ル(-u)」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「タ(ダ)」=甲対乙の関係で、乙が主導的

甲=非事象(認知主体)
乙=事象(認知対象)

ここを見つけて私も勉強させていただいております。
真摯な反論をお願いできたら幸いです。
>>569
……それが文法なのか?
571?:04/03/02 15:00
「ヨウ(-oウ)」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「タロウ(ダロウ、タダロウ、ダダロウ)」=甲対乙の関係で、乙が主導的

「レバ(-eバ)」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「タラ(ダラ)」=甲対乙の関係で、乙が主導的

▼形容詞
「イ」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「カッタ」=甲対乙の関係で、乙が主導的

▼形容動詞・名詞
「ダ」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「ダッタ」=甲対乙の関係で、乙が主導的

甲=非事象(認知主体)
乙=事象(認知対象)

・・・・品詞を問わず同義の形態素がペアになっていて例外も一切ないと見ます。
こういうのを“原理”というのではないでしょうか?

忌憚なきご意見、ご教授を賜れば幸甚です。
>>571
「主導的」とはどういうこと?
573?:04/03/03 12:31
ご質問ありがとうございます。

話者自身の思考や記憶は、話者の認知対象(話者自身に認知される話者内部の事象)となります。

しかし、「ル/タ」の選択は通常、認知対象とはならないレベルで行われています。
(原理の特定がこれだけ難しいことからも明かでしょう。)

「主導的」というのも、意識の表層に上ってこないレベルでそう認知されているということです。
>>573
「主導的」の説明には全然なってない。

> 話者自身の思考や記憶は、話者の認知対象(話者自身に認知される話者内部の事象)となります。
> しかし、「ル/タ」の選択は通常、認知対象とはならないレベルで行われています。
ネイティヴ・スピーカにとっては、あらゆる文法規則が、普通そのようなレベルではたらいている。

> (原理の特定がこれだけ難しいことからも明かでしょう。)
説明のための言葉を、われわれがまだ見つけていないだけだろう。
「昨日は雨だ」とか「昨日も雨だ」とか「過去」の助動詞を使わなくても
言えると思うんですが,なぜですか?
576?:04/03/05 09:40
「主導的」の説明 (遅くなってしまい、すみませんでした)


 発話=事象の提示

・・・ですから、その事象提示の衝動が、
相対する「認知主体」と「認知対象」のいずれが主導的で生起するか
ということです。

このような説明でわかっていただけるでしょうか。




> 「昨日は雨だ」とか「昨日も雨だ」

事象の認知が話者内で十分こなれるなどして、
「認知対象」よりも、比較的「認知主体」が主導的(事象提示の衝動に関して)になることがあります。
過去の事象でも「ル」が選ばれるのはそのような時です。

これに関しては、英語ネイティブ(イギリス)でも過去の事象を現在形で言うことがあり、
日本語と同じ原理が働いているのではないかと考えられます。

http://www.jomon.net/nihongo/nihongo.html
もともと時制のない名詞文だからだろ
>>575
> 「昨日は雨だ」とか「昨日も雨だ」とか「過去」の助動詞を使わなくても
> 言えると思うんですが,なぜですか?
そのときの「昨日」が、「昨日は (も) 雨だった」と言うときの「昨日」と、同じじゃないからだよ。
どんな場合に言えるのか、よく考えてごらん。
>>576
>  発話=事象の提示
> ・・・ですから、その事象提示の衝動が、
> 相対する「認知主体」と「認知対象」のいずれが主導的で生起するか
> ということです。
> このような説明でわかっていただけるでしょうか。
わからない。形態を選択する客観的原理になっていない。

> 事象の認知が話者内で十分こなれるなどして、
> 「認知対象」よりも、比較的「認知主体」が主導的(事象提示の衝動に関して)になることがあります。
> 過去の事象でも「ル」が選ばれるのはそのような時です。
どのような条件が整ったとき、「事象の認知が話者内で十分こなれ」たといえるのかが不明。
「ル」が選ばれているのを見て、十分こなれているのだと説明するのは後知恵にすぎない。

> これに関しては、英語ネイティブ(イギリス)でも過去の事象を現在形で言うことがあり、
> 日本語と同じ原理が働いているのではないかと考えられます。
> http://www.jomon.net/nihongo/nihongo.html
いわゆる「小説の現在形」のはたらきは英語と日本語とでかなり違うが、それはともかく、

> チャップリンはその後アメリカに渡ります
の「渡ります」が、発話時以前の事態を表しているのと同様に、

> ゆうべ部長と飲みに行ったんだけどさ、すごい飲むね、部長は。そんで顔色一つ
> 変えないで君は根性が足りないなんて言うんだよ。酔っぱらって言われるならま
> だしもほとんどしらふの顔で言われるとやだよね
の「飲む」 「言う」 「やだ」が、発話時以前の事態を表しているという保証はない。
また、二つの「言われる」は従節にあるから、主節にあるときと同じ原理に支配されているという保証もない。

>>577
> もともと時制のない名詞文だからだろ
そんな乱暴な。中級までは一応「*昨日は雨だ」は間違いと教えておくべきだ。ものには順序がある。
580?:04/03/06 11:40
「時制」にせよ、「アスペクト」にせよ、決して「原理」ではありません。
「原理」は、別のところにある、それが事実です。

その原理が行われることによって、「時制」を表現したり、
「アスペクト」を表現したりすることは可能なのですが、
同時に、「時制」に適わない発話や「アスペクト」に適わない発話が生じるわけです。

>>  我々日本語を母語とする者は、スルとシタの間にまっすぐな境界線を引いているはずで
>> ある。それはテンスの境界線とアスペクトの境界線とを別々に引いているのでもなく、単
>> にスルとシタの境界線を引いているのである。
--- 興津 1994年( http://www.jomon.net/nihongo/chap0.html )---

この「境界線」が、「認知主体」と「認知対象」という相対する領域の境界線であると見れば、
他のいかなる仮説(テンス・アスペクトなど)よりもすっきりするのではないでしょうか。
なにしろそこには例外もなければ併存する別の「原理」もないのです。
「ル/タ」が、子供にも正しく使い分けられているのは、
「原理」がこのように極めつき単純なものであるからだとは言えないでしょうか。
581?:04/03/06 11:41
 *   *   *

真の原理を習得するということは、すなわち、
「ル/タ」(及び「イ/カッタ」など)の習得に関してネイティブになるということです。

ただし、「原理」が特定されたからといって、
それを「客観的」説明によって正しく教授する方法が果たしてあるのかどうか、
そこにはまだ課題が残されたままですから、
579さんが「わからない。形態を選択する客観的原理になっていない。」
と仰るのも無理のないところなのでしょう。

しかし、
> どのような条件が整ったとき、「事象の認知が話者内で十分こなれ」たといえるのかが不明。
> 「ル」が選ばれているのを見て、十分こなれているのだと説明するのは後知恵にすぎない。

とのことですが、
形態素の発話とは、他者にも決定しうる「客観的条件」云々ではなく、
あくまでも話者にしか決定できないことです。

原理とは、発話された形態素から話者の心理を推定する上では有効になるはずのものですが、
他主観からの客観的観察によって、話者による形態素の選択を決定するものではないのです。

これもまた厳然たる事実ですから、579さんのご指摘には無理があります。
直感をそのまま述べるだけで検証可能な分析を伴わない
認知主義の典型的な悪い例ですね。

本人か他人か知らんが
本人だったら、こんなおそまつな論考をネット上で喧伝するというのは
実にイタイ
人畜無益な国語学、日本語学、逝って良し。
584名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/06 21:48
>>582
必死だな(w
>582
>検証可能な分析を伴わない
脳波でもとくと見れば案外可能な気もするが、
それでもオマエのようにわからん振りするのも可能かもな。
>>580
>  我々日本語を母語とする者は、スルとシタの間にまっすぐな境界線を引いているはずで
> ある。それはテンスの境界線とアスペクトの境界線とを別々に引いているのでもなく、単
> にスルとシタの境界線を引いているのである。
これは怪しい。一つの語にも異なる用法があるし、同音異義語ということもあるし、同一語の異なる用法と見るべきか、別語と見るべきかも、容易には決められないことが多い。
例えば、「水は 0°C 以下で氷になる」と「私はあしたで30歳になる」の「なる」は、同じ意味と解釈しなければならないのか。
また、「強風で曲がった鉄塔」と「くねくね曲がった道」の「−た」は、同じ語といえるのか。

> なにしろそこには例外もなければ併存する別の「原理」もないのです。
> 「ル/タ」が、子供にも正しく使い分けられているのは、
> 「原理」がこのように極めつき単純なものであるからだとは言えないでしょうか。
現象を説明する「原理」は、単純かつ、客観的でなければならない。
また、「原理」がそのままの姿で具現していることはまずない。「例外」が全くないというのはかえっておかしい。
「原理」は、現実の様々な条件に干渉されて、現象の中に埋没しているのが普通だ。大人を基準として言語形成期の子供のことを考えても無意味。

>>581
> 形態素の発話とは、他者にも決定しうる「客観的条件」云々ではなく、
> あくまでも話者にしか決定できないことです。
> 原理とは、発話された形態素から話者の心理を推定する上では有効になるはずのものですが、
> 他主観からの客観的観察によって、話者による形態素の選択を決定するものではないのです。
それだと、「誤用」というものはなくなってしまうね。

>>582
> 本人だったら、こんなおそまつな論考をネット上で喧伝するというのは
> 実にイタイ
「本人」の言ってることも大差なし。「検証可能な分析」なんぞ鼻で嗤っている。
てす
588?:04/03/07 09:00
> これは怪しい。一つの語にも異なる用法があるし、同音異義語ということもあるし、同
> 一語の異なる用法と見るべきか、別語と見るべきかも、容易には決められないことが多
> い。

問題は、「文法」研究者であろうと思われる586さんが、素直に事実を認識しているかどうかです。

ここで指摘しなければならない事実とは、
日本語ネイティブであり、なおかつ
「文法」などというものを気にしていない人々(以下「一般人」)が、
何が同音異義で何が同義と思っているかを、正しく認識するべきだということです。

586さんのような研究者に決定的に不足しているのは、
そのような事実認識への素直な姿勢ではないかと思われてなりません。

> 例えば、「水は 0°C 以下で氷になる」と「私はあしたで30歳になる」の「なる」は、同じ意
> 味と解釈しなければならないのか。
> また、「強風で曲がった鉄塔」と「くねくね曲がった道」の「−た」は、同じ語といえるのか。

一般人には、いずれも同じ意味です。
どこが違うのかと、586さんのような人に指摘されてはじめて、
「ふーん、なるほどねー、複雑なもんだねー」となるだけのことです。
そんな知識がなければ、「なる」は「なる」、「タ」は「タ」でしかありません。
一般人の日本語運用において、そんな複雑な知識は一切無用である、
これが事実です。

(もちろん、本当の同音異義語というのは別に存在しますが、
現在述べているのは、形態素の問題です。)
589?:04/03/07 09:01
> それだと、「誤用」というものはなくなってしまうね。

なくなりようがありません。
一定のルール(原理)に従って発話できるようになること、
つまり原理の習得ができてはじめて、日本語が話せるようになるのです。
その原理に則っていない発話は、日本語として正しくないのです。

むしろ、正しくもない「文法」とやらによって、
正しい日本語がゆがめられる危険性の方を危惧しなければなりません。
つまり外国語用の文法用語で日本語を語るのに無理があるってこと?
名付けて、認知原理主義(w

しかし案外最強の文法かも
591 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! [sage] 投稿日: 04/03/07 15:42
名付けて、認知原理主義(w

しかし案外最強の文法かも
>>588
> 一般人には、いずれも同じ意味です。
それは君の思い込みだよ。
「私は30歳になる」は、或る年月日を境に不適格となり、「なった」と言わなければならなくなる。
他方、「水は (一般に) 0°C 以下で氷になる」は、いつまで経っても「なった」と言えるようにはならない。
また、「40m/s の強風で曲がる鉄塔 (はどれですか)」とは言えるが、「??くねくね曲がる道」とはほぼ言えない。
「曲がった道」の「−た」が、「-(r) u」と対立するものかどうかは疑問だ。

> どこが違うのかと、586さんのような人に指摘されてはじめて、
> 「ふーん、なるほどねー、複雑なもんだねー」となるだけのことです。
それがすなわち、「『ル/タ』の選択は通常、認知対象とはならないレベルで行われてい」るということだ。

>>589
> その原理に則っていない発話は、日本語として正しくないのです。
でも、その原理は客観的には知り得ないんだよね?
それで、或る発話が「日本語として正しくない」と、どうやって客観的に判断できるの?
アホは黙っとけ
>>593
オマエ日本語、わかる?「言える」とかどうとか、
所詮オマエの主観なんダヨ、ヴォケ!
>>595
だから、誤用というものはなくなってしまうと言っただろ?
>>593

> > 一般人には、いずれも同じ意味です。
> それは君の思い込みだよ。

思い込みかどうか、研究費のあるところでアンケートでもとってみたら
いかがでしょうか?
もっとも、特定の回答を誘導するような設問はだめですよ。(笑

> 「??くねくね曲がる道」とはほぼ言えない。

言えるかどうかではなく、そのような発話がネイティブから出るかどうかです。
もちろん、そのような発話も日常の中から出てきます。

それを「文法」的に間違いと断ずるような暴挙に対し、
「『文法』はどうか知らぬが、自分が間違った日本語を使っているとは思わぬ」
という主張が当然出てくるわけですね。

日本語教室をご覧になったことありますか?
あるいは、以前NHK教育で始まったころの日本語教育番組。

あれを見て一般の日本人の多くは、奇妙な日本語をやっていると笑った、
それが厳然たる事実なんです。
どうしてそうなるかと言えば、「文法」を教育項目に採用しているからなんですね。

あなたのやりたいことは、そういうこと、つまり日本語の破壊でしかありません。
>>590
時制などはその代表。
日本語でも“文法”をやろうと思い立ったヤシらが
「やった!日本語にも時制があるゾ!」と小躍りしてコンニチに至る。
百年進歩ゼロの珍しい「学問」をやってるヤシら、ここにもいるようだな。(藁
>>597
> 思い込みかどうか、研究費のあるところでアンケートでもとってみたら
> いかがでしょうか?
「通常、認知対象とはならないレベルで行われてい」る事柄についてアンケートをとって、何の意味があるの?

> 言えるかどうかではなく、そのような発話がネイティブから出るかどうかです。
> もちろん、そのような発話も日常の中から出てきます。
だれか一人でも、それを言うネイティヴがいれば、「誤用」ではないということなのか?

Google 検索結果 (日本語ページのみ):
「くねくね曲がる道」約40件。
「くねくね曲がった道」約127件。

「くねくね曲がる道」はけっこう出て来るよ。話者自身がその道を実際に進みながら、あるいはそれを想定しながら発話することがあるからね。
だけど、「強風で鉄塔が曲がった (のだ)」が言えるのに、「*地図を見ると、その道はくねくね曲がった」がおかしいのはなぜ?
「おかしい」と判断するのが「暴挙」かな w

> 「『文法』はどうか知らぬが、自分が間違った日本語を使っているとは思わぬ」
> という主張が当然出てくるわけですね。
つまり、ネイティヴ全員に確かめたうえでないと、「誤用」とすることはできない、
結局、「誤用」というものは事実上ないということになるね。

> あれを見て一般の日本人の多くは、奇妙な日本語をやっていると笑った
それも主観にすぎないといわれたらお終いだよ。
あるいは、番組制作者は日本語ネイティヴではないとでも?

> あなたのやりたいことは、そういうこと、つまり日本語の破壊でしかありません。
そういう意味での「破壊」が嫌だったら、言語形成期を過ぎたか、過ぎつつある外国人に日本語を教えるのは、一切諦めることだね。
> 593 :名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/07 22:29
> また、「40m/s の強風で曲がる鉄塔 (はどれですか)」とは言えるが、「??くねくね曲がる道」とはほぼ言えない。

> Google 検索結果 (日本語ページのみ):
> 「くねくね曲がる道」約40件。
> 「くねくね曲がった道」約127件。
> 「くねくね曲がる道」はけっこう出て来るよ。話者自身がその道を実際に進みながら、あるいはそれを想定しながら発話することがあるからね。
> だけど、(以下略)


でっかい致命的な墓穴掘ってる。
>>600
「話者自身がその道を実際に進みながら、あるいはそれを想定しながら発話する」場合だけ、「くねくね曲がる道」が言えるんじゃないの?
「くねくね曲がった道」にはそんな条件が付かないから、両者が「−ル/−タ」の対立だとはやはりいえない。
>>ほぼ言えない。

ワラタ。
>>601 やはりいえない。

ツマーリ、「いえない」は意味なしつーことでヨロシ烏賊?
言える言えないのどこが客観的なのか小一時間(以下ry
言語学板てのはアフォばっかやな
言語学→珍語学
日本語学→「「「「「日本語」」」」」学
国語学→どこく語学

上記のように名称は変更されました。
>>603-606
留学生にツッコマれて立往生したクチだな。間違いない。
オマエ客観的に考えてみろやヴォケ、そこで「間違いない」とは言えな(ry
>>608
客観的に考えて、そこまで粘着するのは、何かトラウマを持っている蓋然性がきわめて大きい。

まずは共通語からだね www
610借訓:04/04/07 20:27
>>598
>時制などはその代表。
>日本語でも“文法”をやろうと思い立ったヤシらが
>「やった!日本語にも時制があるゾ!」と小躍りしてコンニチに至る。
>百年進歩ゼロの珍しい「学問」をやってるヤシら、ここにもいるようだな。(藁)

全くないということはないでしょう。現代語はスルとシタの対立しか(テイルも含めるか)
ないから曖昧なだけで。古くは、いわゆる時制統一がはたらいていたのですからね。
あくまで文献上に現れた範囲でですが。
611借訓:04/04/07 20:30
※続
アスペクトだってありますよ。コト(=Event)を、ウゴキ(=動作)として表すか、
アリサマ(=状態)として表すかの差が。まぁ、これをアスペクトと呼ぶのか微妙ですけど。
博多弁には「現在完了」用法がアル!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1078658020/l50
613名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/22 00:51
語学板で展開されていた、印欧語族におけるアスペクトの問題
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/968774528/334-
語学板?
>外板仏独スレの410
私が「入門スラヴィスト」ヽ(´〜`0)ヽ です。。。
>>615
あらら、そうでしたか。
この話題に、よすぃー氏が現れないなあ、と思っていたので
本コテ召喚してしまって、申し訳なかったです・・・

多分、きちんとやるのであれば、アオリストなどが残っている
ブルガリア語をやった方がいいんでしょうけどねえ・・・
そこまで今は手がまわらないや。

原氏の文章は、どうも通して見ると、割と普通の見解と変わらないのに
彼風にまとめたときに独特な色付けがされた感じがしました。
617言語学の未熟な志望者:04/06/22 11:28
>>615-616
仏独スレの334です。いろいろご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
原氏の「独特な色付け」につられてしまいました。
どうして、そういう色付けをしたのか、動機、典拠を知りたいところです。
ブルガリア語はバルカン言語連合の影響を受けているので、どの程度参考に
なるのでしょうか?
この板が肌に合いません。ヒロシです