1 :
世界@名無史さん :
2006/03/02(木) 22:54:06 0 どいつ
2 :
世界@名無史さん :2006/03/02(木) 22:56:17 O
特定アジアよりは好き。あと、イギリスなどより
そんなやつおらんだ
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/02(木) 22:57:01 0
まぁ〜取り合えずカッコイイから。
森鴎外・夏目漱石の時代から、ドイツは好かれるけどイギリスは 好かれない。 日本人で、イギリスのことを深く知った上でイギリスびいきだという 人は少数派だろう。
ドイツってそんなに人気あるわけ? まあ確かに嫌いだという話は特に聞かないが。 少なくともW杯の時とかを除くと私の周りでは 話題にすら出ないけどな・・・・
ドイツ好きつったってゲーテやカントじゃないでしょ。 鉄兜やカギ十字方面でしょ。 社会から疎外されちゃった貧民が過剰に思いこみを託すのは。
気持ち悪い軍事オタクとかアニメオタクにはドイツ軍好きが異様に多い。 まとめて焼却処分したい。
10 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 03:21:46 0
どこのどいつだよ。
クラヲタや蹴球ヲタはおk?
ゲームの影響だろ
あんな腸詰野郎ども大ッ嫌いだ
14 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 03:56:58 0
死ぬほど嫌い。とっとと浄化すべし。
15 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 04:10:03 O
ドイツ人のルックスに憧れる黄色ニホンザルが喚いてますwエサを与えないでくださいw
別にドイツ人やドイツ軍は好きでも嫌いでもないが、 ドイツ軍好きの日本人オタクは生理的にダメ。 蕁麻疹が出る。
ドイツってカッコいいじゃん。 とくにドイツ語が
19 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 07:32:08 0
アニョハセヨー
俺等がドイツを好きというより、ドイツが一方的に日本を崇拝しているというのが現実だからな…。 アニメにトチ狂い、碁で遊び、日本食にあこがれ、ヒットしたTV刑事ドラマの主人公 の片割れを日本人にし、フランス人やイギリス人より日本人を高等な人種として位置づけ、 挙句の果てに、ドイツW杯のオープニングゲームのドイツの相手を 日本にするよう工作までしている始末w 日本語を話すドイツ人は激増し、自分の子供に日本式名前(Akira Hiroshiなど) をつけたために ドイツ人の名前のランキングのベスト10に日本人名(Sakura Hikari 等) が入ってしまったw ドイツというと人種差別意識が強いように思われているが、現実には、欧州で一番 人種差別意識が低い国がドイツだったりする (日本と同じで敗戦国にねつ造は つきものw) アニメもドイツで馬鹿売れ、漫画も馬鹿売れw 若いドイツ人の思考形態はほとんど 日本人的になりつつあるくらいだw 世界史上稀なる孤高にしてユニークな文明を築いた日本は、西洋から見たらかなり 魅力的なんだろうね。一種のオリエンタリズムという範疇を超えて。
くあしい! 2.3人釣れるまでまってよ!鼻血出る!
23 :
ベンゼン中尉 ◆DYfZNhP6fc :2006/03/03(金) 08:46:51 0
大日本国憲法はドイツ憲法をもとに草案された。 つまり、明治政府は国の成り立ちや体制などをヨーロッパで視察しているときにドイツの方法が日本にふさわしいと思ったようである。 また、ドイツは明治日本を東洋のプロシアと称えていたことがドイツと日本の親交の始めだったようだが。
24 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 13:21:46 0
近現代だと一番魅力的な国じゃないか。 物語にできる。
実は近現代のドイツと日本の関係は比較的悪い。これは英独関係が悪くて、日本が英国側だから。 よかったのはビスマルク時代と1930年代後半ぐらいか。 何せ第一次世界大戦で日本が戦ったのは中国を植民地としたドイツだしね。 戦後は欧州の中では最大の貿易国だけど、経済上のライバル。最近だとG4で盟友か。 ついでに趣味の話題としては クラシックの好みはチャイコ、ショスタコ、プロコとロシア中心だな・・・マーラーもドイツではないし。 好きなオーケストラはシカゴに、クリーブランドに、昔のレンフィルに、ヘボウだし あっ、でも車のアウディは好きです。
26 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 14:58:30 0
>>23 漏れが厨房の時は「プロイセン憲法」を範とした欽定憲法として
制定されたと習ったもんだが、いつからドイツ憲法がモデルとい
うことになったんだ?
ドイツは二度の大戦に敗北してからは、優秀な科学者や音楽家が出てないね。それまでは まさに天才ばっかり輩出した地域だったのに。 敗戦後文化砂漠になった日本と同じようなものか。
>>26 君の記憶の方が正しい。しかし若干ではあるがバイエルンの憲法や
フランス、ベルギー、スペイン、スウェーデンといった諸国の憲法の要素も
取り入れられており、その意味で「主としてプロイセン憲法を模範として」
と言うのが一番良い。
それから
>>27 は無知なのか、それとも釣りなのか
29 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 16:02:03 0
30 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 16:05:50 0
>>27 戦前には米国の大学なんて田舎扱いだったのが、戦後一変した。
映画界も、戦後ふるわなくなったような。
ローマ帝国に最後まで抵抗したから・・・・・ と言って見るテスト
32 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 17:07:16 0
>>27 教員に優秀なユダヤ人が多く、
また学生も世界のあちこちから来ていて互いに切磋琢磨する環境があった。
いま、そういう環境のあるのはアメリカやイギリスだろ。
なんせドイツの科学力は世界一だからな。
34 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 17:39:08 0
運動能力 【黒人>>>>>>白人>>>アジア人 体格、パワー 【白人>>>黒人>>>アジア人 (意外かもしれないが”力”だけならヨーロッパ白人の方が圧倒的に強い) ルックス(男) 【白人男>>>>>>どうあがいても超えられない壁>>>>>>>黒人男>アジア人男 ルックス(女) 【アジア人女≧白人女>>>>>>>どうあがいても超えられない壁>>>>>黒人女 頭脳 【白人>>>アジア人>>>どうあがいても超えられない壁>>>>>>>>>>黒人
35 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 17:53:45 0
ヒトラーがユダヤ人を滅ぼしたら次の矛先は黄人だったというのによくホロコーストは なかったとかイタ公抜きでやろうぜって言えるよな 俺にはわからん
支那では宋代に尊皇攘夷という逆ホロコーストが・・・
>>27 ドイツって徐々に中世に退行していってるような・・・
もうドイツ人って科学などの知識を積み上げる行為に
もはや興味を持ってないらしい。
関心あるのは環境保護とユルイ生活の維持だけ。
>>38 だって科学や文化を担っていたユダヤ人がいなくなっちゃたもん。
ドイツ好きっつっても一部の親ドイツ家だけだろ・・・・ 去年はたしか日本におけるドイツ年とかいうキャッチフレーズを うたってたみたいだけど全然盛り上がんなかったしな・・・・
なんか地味なんだよな、ドイツって。 イギリスやフランスみたいな存在感もないし、イタリアやスペインみたいな明るさもないし。
>一部の親ドイツ家 大概は、軍ヲタとナチヲタだなw
43 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 00:00:39 0
ドイツは、いつも正しいから。
>>43 ネットでのドイツヲタの氾濫を見るにつけ
そういう軽い冗談も笑えなくなった
ナチヲタ本気できもいよー
45 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 00:14:10 0
ゲルマン魂は永久に不滅です。
46 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 00:26:19 0
>>45 と、スラヴ系のリトバルスキーが、日本−ドイツ戦の解説で言ってた。
少なくともリトバルスキーの頭の中では、ゲルマンは血筋のことではないようだ。
47 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 00:31:39 0
48 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 01:06:17 0
ガソリン自動車もブラウン管もドイツの発明です。
>>41 少なくともフランスよりは存在感あるだろ。特に19世紀後半以降の歴史では
50 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 01:19:57 0
>>48 どちらも近い将来は博物館でしか見られなくなるよ。
>>49 いや、フランスのほうが圧倒的に存在感がある。
第二次大戦まで、あらゆる意味でヨーロッパの中心といえば、フランス・パリだった。
いまは、ロンドンか?
>>46 王監督が「日の丸のために戦う」と言ってるのと同じようなものか。
>>51 いやそういう意味ではなく、政治とか戦争とかにおいてフランスより存在感あるということ。フランスがヨーロッパの中心なのはファッションとかそういう分野だけだろ
昔海外旅行がまだ一般のものじゃなかったころのガイドブックで、 ドイツ人を見ると冗談のつもりでハイル・ヒットラーとやって見せる方がいますが ヨーロッパではそれは絶対にやめましょう冗談では済みませんというのがあってワラタ
>>53 政治力や軍事力だって常任理事国で核保有国のフランスのほうが存在感あるだろ。
ドイツが良いのは経済くらいか?それも凋落気味だけど。
車やカメラなどの光学製品、銃や筆記具など工業製品におけるドイツ信奉者は 今だ多い。 クラッシック音楽界や数理・物理学界でも依然としてドイツは王様的だね。 芸術や教養に無縁な、アホな文系にとっては 確かにドイツ好きって軍オタくらいだろ?って認識かもしれない。 だが学術やアートに携わる人にとっては存在感は非常にある国だよ。
日本におけるドイツ年はまだ続いてるはず 去年の4月から今年3月末までだから
軍服格好良い
59 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 12:35:46 0
>>56 > 数理・物理学界でも依然としてドイツは王様的だね。
んなこたーない。数学や理論物理の世界では凋落の一途をたどっている。
マックスプランク研究所にもすでにかつての栄光はない。
>>56 失礼だけど君が現在のドイツを知らない
「芸術や教養に無縁な、アホな文系」じゃないかい?
今ドイツって
>>59 のいうとおり
科学・文化全般にとどまらず伝統的に強い
機械・化学技術の分野でも凋落してるよ。
全てヒトラー&ナチが伝統や素朴な愛国心を
破壊したのが原因だけどね
>>60 > 全てヒトラー&ナチが伝統や素朴な愛国心を
> 破壊したのが原因だけどね
んなこたーない。
工学・産業系が出遅れたのは、マイスター制度などの硬直的なシステム
のため。
学術面での凋落は、教授が絶対権力を持つ硬直的な大学制度によって若
手研究者がドイツ国内でポストに就けず、国外に多数流出していること
と、残った若手も教授の顔色を見ながら研究しなければならないため。
フランスとロシアが好きな私としてはドイツはちょっと・・・。
>>55 そもそも連合国の勝利にほとんど貢献していないフランスや中国が常任理事国であること自体おかしな話だが。
核保有国だったら存在感があるというなら日本より中国のほうが存在感あることになるな
>>53 >政治とか戦争とかにおいて
その一言はタブー。
キモイ歴史ヲタ・ドイツヲタのレッテル貼られるぞw
やっぱり国は文化。
戦前からは何といってもフランス。戦後はそれに加えてアメリカとイギリス。
フランスを好きか嫌いかは別としてフランスを一等に上げない人間は文化が理解できないというレッテルを貼られるよ。
ドイツは基本的に大いなる田舎であり、そこに場所によって煙突型産業が幅をきかせる国。
ドイツは飯がまずい。 茹でたソーセージとふかしたジャガイモばっかりだ その点 フランス、イタリア最高だな。
66 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 19:25:06 0
>>60 多くの優秀な人間がアメリカに逃れたからな。そんな60年以上前の話っておもうかもしれないが、
イエスを磔刑に処したユダヤも、ソクラテスを死に追いやり、アリストテレスが国外に逃れたギリ
シアも未だに昔日の繁栄とは縁遠い
ここで四半世紀以上前に大学を出た爺が苦言いたしますが 当時ですら大学によっては、語学文学(英文とか仏文とかの)以外の学科で 文学部を(院じゃなく学部をですぞ)卒業するためにはドイツ語ができないと かなり大変だったというのが現実でした。 つまり卒業に必要な演習(事実上、輪番での原書講読)の単位を 英語とそれ以外の非ドイツ語で行われている講読で揃えるのが きつかったほどドイツ語での演習が多かったわけです。 カント、ヘーゲル、ウェーバー、モムゼン、ブルクハルトetc フランス語の講読もそれなりにあった史学科はまだましだったと思いますけどね。 つまり何を言いたいかというと、現在はともかく、十八世紀から二十世紀前半 までのドイツの学術、文化抜きに近代ヨーロッパを語ることなど笑止、 というか不可能だということ。教養の第二外国語で仏語選択だった爺は 涙と共にその事実を飲み下したのでした。 音楽のような芸術分野ではもっとドイツの存在は大きいでしょう。
>>65 フランス北部はラテンの皮をかぶったゲルマン
いやだからクラシック音楽の分野でさえ ドイツの存在感が希薄なところが深刻な問題なんであって。 ドイツ語圏の7大オペラハウス/管弦楽団のうち ドイツ人が監督やってるところは確か一箇所だけでしょ? あと音楽学校もドイツ人学生より成金アジア人だらけだしね
あとサッカーもひどいね。 一部リーグ18チームのスタメンはほとんど外国人。 代表チームは移民、スラブ人だらけ。 おまけに5年間強豪国に勝ってなくて先日もイタリアに4-1で大敗。
ドイツ信者のせいで日本はWW2前の立ち回りを間違えた。 結果ぼろ負け。 ドイツ好きと、破滅願望の持ち主を惹きつけてやまないドイツは疫病神。
戦前のドイツって親中国家で、 日本は敵と考えていたような国じゃないか。
>>64 文化に関しても文学や哲学、クラシック音楽ではフランスにまけないくらいだろう。
フランスが圧倒的に優れているのはファッションや美術、料理くらい
>>71 なんか履き違えていないかな?
ドイツの芸術、文学に破滅なんかないぞ。
ドイツでは、突然、異世界からヒトラーがやってきて善良なドイツ人を洗脳して支配した、ってことになってるの?
輝かしいドイツ文化っていう場合の文学やら哲学っていうのは 実はユダヤ人が担っていた部分が多いというのが歴史のミソだね。 ドイツ人の微妙な立ち位置やコンプレクスとユダヤ抜きドイツのダメ具合がドラマだ。
ドイツの化学や医学に及ぼした貢献は多大なものがあるが、所詮過去の栄光に過ぎん。 現在は全ての分野で凋落している。 米英や日本、新興アジア国のほうがよっぽど見る物が多い。 「昔は凄かったから〜」云々の理由で擁護するのは、当のドイツ人のやることであり、 他国人の日本人が必死で擁護してるさまは、ドイツに感情移入しすぎで気色の悪いものがある。
そうか?自分で自国の過去の栄光にすがりついてるほうがキモいよ。
他国の栄光にしがみついてる奴はもっとキモい
>>76 そんなにいうほどユダヤ人が多いとは思えないが。ハイネやマルクスくらいだろう
>>77 ドイツの大物は戦後ほとんどがアメリカに移ってしまったから。
活躍の舞台がアメリカに移っただけで、
科学の主役は相変わらずドイツ系が目立つ。
ノーベル賞もアメリカが断トツで多いけどほとんどがドイツ系だ。
内実を直視せず、いたずらにもうドイツは凋落したなどと
日本人は図に乗ってはならない。
まだまだ日本は威張るには早すぎる。
また言うまでもなく、日本はドイツに様々なことを学ばせてもらった恩義がある。
少々金持ちになったからといって、
手のひら返して軽視するような態度は恥ずかしい。
82 :
世界@名無史さん :2006/03/07(火) 13:54:14 0
漏れはドイツ厨だが、ナチ厨は嫌い ドイツの歴史は中世が一番面白いよ
ドイツが発明しアメリカ、イギリスが量産化し、日本か小型化し、韓国が起源を叫ぶ。
イギリス人気質・・・功利的穏健派。モットー「利益効率優先」なんでもうまく立ち回るが紳士らしさは忘れない。 フランス人気質・・・革命的性急さ。モットー「ナウ(死語)でアバンギャルドなことをいち早く」よく自慢しよく軽蔑する。 ドイツ人気質・・・保守的完全主義。モットー「発展は漸進的でいい。だが着実かつ完璧に」よく尊敬されよく恐怖される。
ドイツの歴史は普仏戦争のあたりが一番面白い
ドイツ史では十字軍で出撃したら皇帝が川でおぼれちゃうところが 一番笑える。
アメリカって、ドイツ系移民が最も多かった時代もあった国だからな。
フランクフルト学派、ワールブルク研究所。 フッサール、アーレントとベンヤミン。 フロイト・・・は厳密にはオーストリア人か。 ショーレムやマルティン・ブーバーのようにパレスティナへ逃げた人々。 「ミメーシス」のアウエルバッハ。 俺は文系だから理系には詳しくないけど、アインシュタイン。 ちょっと考えただけでもこんだけ上がるな。 ユダヤ系でかつナチスの迫害から国外に逃れた知識人。 もちろん非ユダヤ系でも左翼・リベラル思想の故に出獄したものもいた。
ヒトラーですら名誉をはく奪できなかったユダヤ人メンデルスゾーン
90 :
世界@名無史さん :2006/03/07(火) 21:51:00 0
ナチス・ドイツの支配下、すべてのユダヤ人科学者が亡命したわけでは
ない。
フランス、スイスのへの国境近く、シュバルツヴァルト、黒い森の真ん中、
時間がとまったように古い民家が並ぶ山村、ヴォルファッハ村、村からさ
らに山の上、森の奥に分け入ったところに隠れ潜む数学者達がいた。
村人達は彼等のことを薄々は知っていたが、最後まで密告する者はいな
かった。
そして今、その地には道路が通じ、欧州屈指の数学研究所が建っている。
ttp://www.mfo.de/
91 :
世界@名無史さん :2006/03/07(火) 22:08:02 0
>>87 現代でもそうだよ。アメリカの23%はドイツ移民でイギリスからの移民よりずっと多い。
アメリカが第一次世界大戦に参戦するまでは、村ぐるみドイツ語を
話す集落があちこちにあったそうだ。
92 :
世界@名無史さん :2006/03/07(火) 22:14:42 0
>>81 >ノーベル賞もアメリカが断トツで多いけどほとんどがドイツ系だ。
ええええええ?????
理科系の受賞者見てもアメリカ人受賞者はドイツ系なんてほとんどいないぞ。
人口比で見ると不思議なくらいドイツ系が少なくて、異常にユダヤ系やスラブ系が多い。
>>93 ドイツ系ユダヤ人のことが言いたいんだろ
アメリカの一般のドイツ系は超平均的な白人だし、数多すぎ
ちなみに合衆国にイギリス系が意外と少ないのはイギリスは
世界中に植民地もってたから独立したアメリカ以外にも
選択肢はたくさんあったってことだろう
>>91 南米もドイツ系多いよね
>>94 どっちかって言うとイギリス人はオーストラリアに多いよな。
日本医学の基礎もドイツから来てるしね。 未だにカルテはドイツ語だし。 まあ、昔の学者にとってはドイツは魅力的な国だったのだろう。 >リトバルスキー あれは完全なドイツ兵顔だね。 だいたい、ドイツ人自体がフランスやらポーランドやら占領を繰り返しているおかげで人種的には雑多なんだな。
アルザスロレーヌはもともとドイツ系住民じゃなかったか
言われてみれば近代の花形だった科学哲学音楽のドイツの天才ってユダヤ系ばっかだな。 ナチに突っ走ったコンプレクスの土壌がわかる気がする。 それこそ皆が知ってるゲルマン系の金髪碧眼の天才て誰がいる?
ユダヤ人を過大評価しすぎだろう。非ユダヤ人のドイツの偉人だってたくさんいる。
>>95 イギリスはイギリスでもオーストラリアはケルト系が多い。
昔の政治犯(反イングランド派)の子孫。
今イギリス人が一番多いのはフロリダ。言ってみれば分かる。
あそこでは、イギリス人にあらずんば人にあらずの雰囲気さえある。
一般的なアメリカ白人は、まるで二流市民あつかいだ。
それこそ皆が知ってるゲルマン系の金髪碧眼の天才て誰がいる? 金髪碧眼はいないな。 白黒の写真から判断するしかないが、 プランクもボーアもシュレディンガーもハイゼンベルクもとてもとても金髪とはいえない。 金髪ゲルマンって馬鹿ばっかりなの? (ちなみに、ゲルマンでないせいか、ポーランド人のマリー・キュリーはどうやら金髪のようだ。)
102 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 12:33:06 0
>>97 それを言うなら、アルザス・ロートリンゲンだろ。
漏れが出会ったドイツ語ネイティブのフランス人の婆様が言うには
「私のフランス語はあなたの英語くらいひどいもんなんですよ」
はいはい、どーせ漏れの英語の発音は無茶苦茶だよ。
しかし、事実をはっきりと言う人たちだね。
ナチスじゃあるまいし金髪碧眼にこだわる必要はないだろ。 ゲルマン系の全員が金髪碧眼なわけでもないし。
ヒトラーの本来の姓はヒュドラールチュクというらしいが、 最後がukとなるのはウクライナ系。
106 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 13:50:44 0
107 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 13:54:00 0
>>105 いや、中身を読んでもらえば分かるが、金髪碧眼は今でも好まれている
と主張してるよ。モテルし、金髪の女は女性ホルモンを
多く分泌しているとか。
絶滅というのは、金髪の遺伝子保有者が非常に少なく、国境が
なくなって人の交際が激しくなるせいでしょう。
108 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 14:03:23 0
待て。我々には文(ムン)大佐ことグスタフ・グレーヴスと ZAOがいる! 朝鮮民族、大韓民族が金髪碧眼北方人種の最後の砦となるので心配無用!
109 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 14:16:14 0
英国人のトビー スティーヴンス って元々金髪じゃないらしいな。 優等韓国人を演じるためにわざわざ金髪にしたのかよ。 しおらしいやつだな。
期せずしてナチスを生むドイツ人の裏の心情がわかる良スレ
111 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 14:20:49 0
>>107 本当に金髪がモテるならたとえ人の交際が激しくなったって
2202年を最後に金髪が絶滅するはずなんかないよ。
やっぱり狩猟生活の古代と違って農耕生活の今は異性に対する価値観が多様化してるんだよ。
112 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 14:24:40 0
>>105 のリンクには金髪の典型としてスカーレット・ヨハンソンが挙げられているが、
彼女はヒトラーが最も嫌悪した劣等種族である生粋ポーランド人種(ドイツ系ではない完全なスラブ系ポーランド人)との
ハーフでありながら、ヒトラーも陶酔するであろうほど完全な金髪碧眼なんだが。
ポーランド人は非北方人種ではなかったのか?
ポーランド人非北方人種説はマトモな人類学じゃないから真に受けちゃだめだよw あれは19世紀から排外的になったドイツ帝国主義の単なるイデオロギー
114 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 14:32:55 0
ヨハンソンって名前からして北方ゲルマン人じゃん。そっちの
血だろ。 それにポーランドにだって金髪くらい腐るほど
いるだろ。
>>111 元々遺伝子が少ないって書いてあるだろ。で一番金髪の多い
フィンランドが最後まで持ちこたえるってことじゃないかな。
金髪の遺伝子が自ら消えていくというインプリケーションがあるとは
とても思えない。金髪はモテルともかいてあるし。
115 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 14:53:50 0
Film star blondes such as Marilyn Monroe, Brigitte Bardot, Sharon Stone and Scarlett Johansson are ところでさ、私は、これの続きで、地毛は金髪ではない、、と続くのかと 思った。魅力的で男にモテル金髪に敢えてしたとね。モンローは染髪。 。パリス・ヒルトンも地毛はブルネット。男だとブラッド・ピットとか。 ピットが金髪じゃなかったら全然売れてないと思われ。
>>111 リンク先には、金髪ばかりが選択されたから、金髪の遺伝子を持つ
集団が北欧に残ったって書いてあるでしょ。男の側の
受け皿が少なかったから、少ない数の金髪を受け入れることができた
んだよ。
金髪はなおもモテル。であるからこぞって男達は金髪女性と
結婚したがる。生殖、子孫繁栄の為に金髪遺伝子は障害になると
考えて、脳が消す命令を出すとは考えにくい。
しかし今の時代は女性も男性も50/50いるわけで、
非金髪の女性にも十分な受け皿がある。
そして人口減少、移民政策、科学技術による移動の壁の消滅、
そうしたことからどんどん他の民族や人種の血が入ってくる。
その結果、金髪が消えることを予測しているのではなかろうか。
まあ確かに2200年に消えるってのはちょっと考えられないわけで、
金髪遺伝子が自然消滅するケース意外ありえないと穿って考えたくもなる。
減っても消えることは無いと思う。WHOは金髪を人種差別の
象徴、なくなるべきとでも思っているのではなかろうか。
アメリカもこのままだと確実に非白人が主流の国家になるけど、
なかには白人の血を守れって運動が拡大しているし、必ず
白人しかすまないコミュニティーを作って金髪つくりに勤しむ
集団が出てくるよ。
ドイツのユダヤ人が文化方面で活躍したのは日本の在日朝鮮人が経済界や芸能界に多く進出しているのと同じことだろう。べつにユダヤ人が優れているからではあるまい。
118 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 15:28:33 0
>>117 詭弁。ユダヤ人が優れているという否定できない
事実を持ち出して、在日の話も事実であるかのように挿入する。
日本のメイン証券会社や日本のメインバンク、 歴代のノーベル賞受賞者、
これらの大半が朝鮮人でなくてはなりませんw
パチンコ屋や消費者金融、実態無しのIT企業とは比べ物に
なりませんw
確かにお金に汚い、製造業に不向き、芸能に強いという
点は多少似ていますが、レベルが違いすぎます。
ハリウッドを作ったのもユダヤです。
日本がこのまま容姿分別社会で突っ走ると 選択分別は本気で起こるかもしれん(w そういえば目に見えてブスって二十年来見なくなったな。
遺伝子が消えることはないけど、金髪も碧眼も形質としては劣性でしょ? つまり、純粋な黒髪の遺伝子×純粋な金髪のそれ→黒髪の子だし、 純粋な黒目、茶目、灰色目×碧眼→碧眼以外の子、なんだから、 外見上に表れる金髪の人間は減少する一方なわけで。 ただ金髪碧眼遺伝子が消えるわけではないから外見上黒髪黒目の人間でも これをもっていることはあるわけで、少ない確率で金髪碧眼の子は 生まれてくるだろうね。特にパートナーが金髪碧眼だと。
>>117 みたいな意見こそがナチスに流れたんだな。
このスレは勉強になる
122 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 15:32:36 0
ついでにフィールズ賞受賞者もな。 在日や韓国人は湯川秀樹に朝鮮人の血が入ってないか調べたそうです。 努力しなくても朝鮮人の血が入っていれば、その血の手柄となる そうです。全く浅ましい連中です。 ユダヤ人やドイツ人、そして劣るけれども日本人にも優秀なものを 生み出す生活習慣がある、 これは事実でしょう。残念ながら朝鮮にはないから未だに 理数系のノーベル賞は0で捏造だけが流行るのでしょう。 本当に優秀なら在日の血を調べるまでもなく、本家本元の朝鮮から 天才が続出しているでしょうな。
ユダヤ人が優れているなどというのは結局のところ優生学みたいなものじゃないか。優劣を逆にしただけでナチスの思想と変わりない。
ん?いや、優生学とは違うよ。 私はユダヤうん千年の歴史の中にお金儲けや学問で 成功するための秘訣なり習慣が隠されているんだと思っている だけで。これは体内の遺伝子が伝わっていくのとは違う、 伝統を守って伝えていかなければ消えてしまうもの。
125 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 15:53:10 0
>>112 スカーレット・ヨハンソンの母方はポーランド人ではなくユダヤ人。
人種上、もっと問題。
>>118 いや、在日とユダヤ人ではレベルが違うのはもちろんだが、どちらも少数民族だから逆に普通よりもがんばるという意味で書いた。
127 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 15:58:29 0
ふーーーん。と言ってもユダヤ人はアメリカでも成功しまくってるし、 成功するパターンがドイツでもアメリカでも奇妙に一致 しているんだよね。 だからこそ批判もしやすい。ああ、やっぱりユダヤはと。 ヒトラーとヘンリー・フォードの言ってることなんて大して 変らん。 ただの頑張りでは説明できないユダヤ人独特の性質があるん だよなあ。
128 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 16:07:58 0
>>116 他の民族の血が入っても、その民族に北欧人以上にナチュラルブロンドを喜ぶ文化的風潮が出てくれば、金髪が増えるはずだな。
スウェーデン人は男も女も世界一偽金髪が多いらしい。人工的に脱色することで満足してしまっているから、もう駄目ぽ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Blonde Sweden, the largest and most populous of the Nordic countries, for example, has the highest percentage of both males and female
who make use of hydrogen peroxide and related chemicals to change their natural hair colour to that of 'Nordic Blond/e'.
北欧では男も脱色してるとは驚いたな。贋物ばかりじゃないか!
>>124 ユダヤ人は幼い頃から「読む」ことを徹底的に躾られるから頭が良くなる。
130 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 16:16:04 0
>>128 うーーーん、金髪が多い国だから、金髪に飽きて寧ろ
ブルネットを好むのかと思っていたが?
大同になびくってことか。金髪の国が金髪を好むって、
こりゃ白人は生粋の金髪好きなんだな。。。ちょっと怖いな。
スウェーデン人って自分らが金髪ノルディック人種であることを
誇りにしているんだ。
よく日本人の真っ黒の髪が向こうではモテルとか、喜ばれるとか言われるけど
ありゃ珍味や珍獣、あくまでも物珍しさなんだな。。
ナチュラルブロンドを喜ぶ風潮があっても、本当か
どうかは本人が語らなければ分からない。ナチュラルブロンドと
結婚した!つもりが脱色だったとしたらどうしようもない。
ナチュラルブロンドかどうか検閲する世の中にならないと
ダメだろうなw
ユダヤ人が優れているとしても、非ユダヤ人のドイツの偉人もたくさんいるのも事実だ
>>130 ヒトラーの悪夢
すぐにはなかなか信じられないとしてもよ、ナチュラルブロンドの割合は
スウェーデン・ノルウェー<ポーランド・ベラルーシ
かもしれないぞこりゃもしかしたらもしかするぞ…
天然の金髪碧眼は北方人種ではなく東方人種の特徴かもしれない
133 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 17:07:00 0
>>127 お金に対する考え方が全然違うね。
弱者がお互い助け合う知恵としてのお金というか、全然違う体系があるって感じだ。
よくあるネズミ講はバリバリそれの影響受けてるが、
ああいうのは普通の金銭感覚からすると確かに胡散臭い。
135 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 17:24:56 0
>>134 日本の民団系や総聯系コミュニティと同じ構図だろ>ヨーロッパのユダヤコミュニティ
ただ、ユダヤ人のほうが数枚上手なだけだ
136 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 17:26:05 0
日本だってあいつは朝鮮あいつは韓国って陰でやってるじゃん。 ドイツだってアメリカだってあいつはユダヤってやってるわけよ。 同じこと。
ドイツ系アメリカ人はカリフォルニアの日本人にひどいことをしたよね(´・ω・`)
親友に韓国の悪口を話して思いっきり罵倒しまくってたら、そいつが在日だった
139 :
世界@名無史さん :2006/03/08(水) 19:22:31 0
>>138 で、ころりと自分の意見をかえたのか、そこが知りたい
実際相当頭いいよユダヤ人のインテリは。
つーかブロンドが一番多いのはバルト海沿岸地域だろ ゲルマン=金髪じゃない
モルトケ、グデーリアン・・・・カッコイイ。。。
>>141 ナチュラルブロンドはね。
染めた金髪までカウントすれば北欧やオランダ島嶼部が一番多いがw
144 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 03:46:33 0
え、だって戦友じゃん。というギャグを留学生にすると馬鹿受けする。 これを不謹慎とか、ナショナリストって批判する奴には有ったこと無いなあ。 まあ、普段おいらが売国度的なことを良く言ってるからかもしれんが。 しかし、ドイツ人とは同じ戦争で負けたという事実を共有できる数少ない国だ。 イタリア人は何とも。なんか戦友と呼ぶ気になれない。多分、笑いが取れない。
145 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 03:57:08 0
バルト海沿岸× 正確にはフィンランド、エストニア 北欧はナチュラルに加え染めてるのも多いってだけで、元々 多いに決まってるだろ。大差なし。
旅行に行ったこと無いから何も知らん
こっちに住んでてもドイツのことはあんまり入って来ないけど 向こうは日本の漫画とかゲームとか情報は入ってきてるみたいだね(DAISUKIとか) ドイツ生まれのゲームとか面白そうだけど全然情報入ってこねえよ。。。
148 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 04:52:49 0
>>147 ドイツのオタが日本に興味があるだけ&
日本のオタがドイツに興味ないだけだろ
149 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 05:29:10 0
>>144 ギャグで言ってる分にはそんな批判されないよ。
時々いるんだろ、ドイツ人相手に「本気」で言ってるヤシが。
コスモポリタン思考でいこうぜ
ヨーロッパが平和になって、ポーランドという肉壁を手に入れた ドイツは大軍縮するらしいので、もう頼りになりません。
これからしばらくポーランド発展する一方なんだろうな。 で、ドイツは衰退する一方と。 そうやってEUは均質化していくわけだ。
>>145 >北欧はナチュラルに加え
さあ、どうかな。
仕事でスウェーデンとデンマークにはよく行くが、
男も女もナチュラルブロンドというのはまずいない。みんな脱色している。
数十人いる知り合いの中でナチュラルブロンドなのはスウェーデンで1人、デンマークで2人だけ。
フィンランドは飛行機の乗り換えでしか行ったことないから知らないが、
よく行くエストニアではナチュラルブロンドはほとんどいない。いたと思ったらエストニア系でなくロシア系というケースが多い。
ロシア系は北のほうではナチュラルブロンドが多いことは確実。
ま、俺個人の体験からだけどね。
少なくとも俺の知ってる数十人の生粋のエストニア人でナチュラルブロンドなのは女1人だけ。
154 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 23:57:52 0
155 :
世界@名無史さん :2006/03/10(金) 02:32:29 0
ダークブロンドとか濃い目の金髪とか髪の一部分が金髪で なかったりとか、そーいうのを統一しているんだろ。 もともと広くみればブロンドが多いんだと思うよ。キムベイジンガーは プラチナブロンドに染めてるけど、原色はもうちょっと濃いブロンドらしい。 ブロンドはブロンドなんだよ。 人類学的にブロンドが一番多いのはフィンランドとされてるぞ。WHOが ブロンドの最後の地をフィンランドとしたのはそれが理由だろう。 ちなみにエストニア人力士のバルトは金髪だよ。油をつけている うちに色が変ってしまったらしい。
156 :
世界@名無史さん :2006/03/10(金) 02:35:37 0
つまりスウェーデン人の染髪の習慣は 南イタリア人が髪を真っ黒にするようなもんなんじゃない? ちょっとでも薄い髪や茶色い髪は真っ黒にするようなもん。
157 :
世界@名無史さん :2006/03/10(金) 02:39:24 0
>>153 どうやって調べるの?見分けることが出来るの?
ブロンド=プラチナブロンドに限定していないか?
プラチナとはちょっと違うが、確かに黄色い髪の金髪はスラブ系に
多い気がするよ。光沢があまりなくて、黄金というより黄色という
感じの色が。
158 :
世界@名無史さん :2006/03/10(金) 02:47:05 0
>>157 >どうやって調べるの?見分けることが出来るの?
つ陰毛
陰毛と、(男の場合)眉毛。
>>155 >人類学的にブロンドが一番多いのはフィンランドとされてるぞ。
ソースよこせ。
>WHOがブロンドの最後の地をフィンランドとしたのはそれが理由だろう。
それを言ったのはドイツの研究者だというのは知ってるが、
WHOがそれにお墨付きを与えたなんて聞いたことがない。
162 :
世界@名無史さん :2006/03/11(土) 00:57:49 0
>>159-160 女全員の陰毛を見れたとはとても思えんぞw
嘘つくなw あと眉毛とかチンゲとかだけ、色が濃くなることは
あるんだよ。髪の毛だって箇所によって違ってくる。
全部同じ色になるわけじゃないからなあ。
>>161 WHOによると・・・と英文に出てくるんだけど。
フィンランドについては、調査結果があるはずだが、すぐに出せと言われても
あいまいだ。何度かそういうのを見た気がするが。
163 :
世界@名無史さん :2006/03/11(土) 01:55:26 0
164 :
世界@名無史さん :2006/03/11(土) 03:01:13 0
>>163 それネオナチもどきのサイトでしょ。出展がなんなのか分からんよ。
平凡社の百科事典ではスウェーデン=フィンランド=エストニア=>
ノルウェー くらいがトップ4かな。
すまん、ネオナチもどきというわけではないようだ。 ただ、ネオナチもどきでそういう潮流があるのは知ってる。 ハルシュタットノルディックというのが特に美しいわけだが、 俳優を集めまくってるんだから、当然な気もする。 ノルディック系でもヨアキムハンセンとか怖い顔たくさん いると思う。
ブロンドねたでここまで話が膨らむ世界史版に勃起
167 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 00:53:43 0
>>164 確かにサイトは白人至上主義者、とりわけ北方人種主義者のものだが、
リンクされている画像はチャールトン・クーン教授のれっきとした論文の一部。
ヨーロッパの人類学においてはチェカノフスキ教授の人種理論を発展させ完成させたクーン教授の権威は絶対的。
金髪率ではバルト海岸諸国のうちフィンランド、エストニアは下位であることは明白。
人種ギャラリーの写真はそのサイトの製作者連中の主観で選ばれているかなり馬鹿馬鹿しいものであることは認めるw
元フランクフルト総領事の個人サイトを見てから、ドイツという国、ドイツの マスコミ等等に対する印象はかなり悪くなった。ただ文化や、それに関わる 人々に関して言えば例外。
169 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 03:36:07 0
>>167 いや、フィンランドは広いけど、エストニアは国としては全域で
薄い地域だけど?
意外とドイツががんばってるじゃないか。北部と南部で分裂すれば
ヒトラーの思い通りに近づくぞ。
170 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 03:53:17 0
171 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 03:54:46 0
人種差別が最初に起こったのはプロイセンの効果論?
172 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 04:28:35 0
173 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 04:31:19 0
金髪碧眼長身のノルディック人種は軍隊や親衛隊に 優先的に選ばれたので、多数のノルディック人種が犠牲に なったという 説がある。
174 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 11:13:13 0
イギリス 陰険腹黒エセ紳士 メシ不味い フランス キザ 威張る割りにたいして個性がない文化 ロシア 野蛮 下品 田舎 寒い オランダ 過去の栄光 沈む イタリア へたれ 女たらし 貧乏 スペイン 牛 オーストリア カンガルー ドイツ 実直 真面目 ストイック 男らしい
なんでドイツが好きってわかるんだ?
176 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 12:08:05 0
とりあえず 人種度で イングランド>ドイツ という幻想が崩れつつあるわけだが。やはりゲルマンの本家はドイツで イングランドは出張所だったんだな。 シルクハットにタキシードの長身紳士というイングランド人のイメージに 騙されたぜ。ああいうのはアングロサクソンの支配層の一部の優等人種 だけなんだろう。
実際に好きな人が多いかどうかと言うよりも、一部ある種のドイツオタクが悪目立ちしてるから目に付いてるんだと思う。 なんか、単にその国が好きっていう人たちと毛色が違うっていうか。 ドイツの文化とか歴史そのものが好きって言うんじゃなくて、 「自分の好きなドイツ像」が先にあって、その理想像を一部の文化や歴史の一部を拾ってくることで補強してるような印象を受ける。 さらに言うと、「理想のドイツ」をネタとして割り切って楽しんでいる人と、それが「ドイツそのもの」だと思い込んでる人がいて、 歴史の話をしてる時に後者が混ざってるともの凄く面倒くさい。
>>174 >>オーストリア カンガルー
ナイスボケ
179 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 13:24:27 0
ドイツって英米と 全然別文明
180 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 15:12:15 0
>>177 ゲルマン猿とかナチヲタニート野郎などとこの板や国際情勢板あたりで呼ばれている香具師はそれだ!
182 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 17:47:34 0
ドイツはテクノ発祥の地
ドイツの文化や歴史が純粋に好きな人もけっこういると思う。 少なくとも俺はそうだが。人種云々の話はどうでもいいし、うざいだけ。
184 :
世界@名無史さん :2006/03/12(日) 23:32:27 O
ナチヲタの俺が来ましたよ 何してほしい?
今世界ウルルン滞在記見てたけど、ポーランドってノルディックブロンド多いんだね。 この板の「定説」とまったく違っていて意外だった。 特に驚いたのは、子供のノルディックブロンド率100%という事実! そりゃ何十万人もナチにさらわれるわけだ。やっと納得した。 GWにポーランド行ってみよう。
187 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 01:07:05 0
>>186 そんなの一部の一部の地域に決まってるだろw ポーランドサッカー
代表見てみろ。1人もまともな金髪いねーから。ラメロウとかヤンカーみたいのは
0.
幼児は殆ど金髪でも全然不思議じゃないよ。色素が薄いからな。
ナチスが極端な人種差別政策を解いたから反動があるんだろ。ナチスが言うほど
ポーランド人とドイツ人に差があるわけがない。ドイツ内における地域間の
差と対して変らないくらいの差だ。
188 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 01:42:55 0
ポーランドにも北方人種はいる。 しかし ノルディック系の人種は 西南部に多いことはあまり知られていない。
190 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:27:56 0
ポーランドは実はノルディックブロンドのジーンプール。 ノルディックブロンドは男だとひ弱だと馬鹿にされる習慣があって男は皆褐色に染めてしまう。 だからサッカー代表に褐色が多いのは当然のことで、サッカー代表の写真を持ってくるのは愚の骨頂。 また、ポーランド人は背が高いのも事実。 総合すると、ポーランドは白い透き通るような肌、薄いノルディックブロンド、高い鼻、長い顔、長い頭、高い身長、長い手足、広い肩幅。 おそらく、ヨーロッパ白人でもっとも美しい民族だろう。 ナチスはポーランド人の美しさが羨ましくて羨ましくてしかたがなかった。 そのためにわざと例外的に醜い容貌のポーランド人を探し出してきて写真に撮り、これがポーランド人の特徴であるとプロパガンダを行った。 アメリカでも大戦中、日本人は醜く、中国人は美しいとのプロパガンダが盛んになされた。 タイム誌では、中国人と日本人を見分ける方法という記事が掲載された。 これと同じ現象だ。
191 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:33:52 0
192 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:37:32 0
193 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:39:33 0
194 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:43:49 0
>>191-192 当たり前だ。
90年代から急速に西欧化したポーランドでは、ブロンドの人が褐色に染める風潮も残っているが、
褐色の人がブロンドに染める傾向も出てきた。
これはいいことである。
スウェーデンではほとんどの男がブロンドに染める。
ポーランドもこのようになってほしいものである。
195 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:44:56 0
>>192 あと、ポーランド人は背が高い。これは紛れもない事実である。
食生活が向上したのが影響だろうが、それを否定するのはナチヲタだけだ。
196 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:46:06 0
>>191 褐色であるヤツェク・ボンクの写真だけ検索で拾ってきて、ポーランド人の地毛が褐色だと言っているお前何者だ?
197 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:47:50 0
>>192 それに〜ぃ〜だ、ボンクの髪は褐色だが、
顔は端正で美しい。
まさに典型的なイケメンだ。
俺はボンクのディフェンスを評価していないがw
198 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:49:43 0
>>190 子供の頃から染めるの? どう贔屓目にみたってアンダー16の方は
おっさん二人合わせて17人中5人くらいでしょう。正代表の表は、
白人22人中、どう贔屓目に見ても7人。プラチナブロンドとか綺麗な
ブロンドは殆どいません。でブロンド上の人に限って顔が悪い。
約3人に1人、というのは微妙なラインで多いかもしれないけど、ネドヴェド
みたいな綺麗なブドンドは殆どいません。シェフチェンコみたいな茶色と
金髪を混ぜたみたいな、日の当たりようによってはブルネットや茶色に
なる色です。
199 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:50:19 0
>>189 ノルディック系の人種は西南部でなく、南部ポドハレ地方と
東部マゾフシェ地方あるいは東北部マズーリ地方に多い。
西南部はシレジアであり、ドイツ人、つまり褐色の髪のアルプス人種が
今でも100万人も住み着いていて、ポーランド人のジーンプールを危機にさらしている。
200 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:53:10 0
>>198 短髪にするとブロンドでも褐色に見えるのだ。
たとえネドヴェドのようなノルディックブロンドでも、短髪にするとアッシュブロンドに見えてしまう。
ベッカムが長髪でいるときと、短髪のときとの写真を比べれば誰でも納得できる話だ。
201 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:54:48 0
>>198 小学校くらいまでは脱色しないで、短髪にもしない。
だから美しいノルディックブロンドになる。
ウルルン滞在記の話が出たが、100%ノルディックブロンドというのは事実。
202 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:57:55 0
ポーランド=ノルディック説を否定したがる春厨の相手するのも大変だ。
203 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 02:59:30 0
204 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:00:51 0
205 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:01:22 0
アウシュビッツに学校の勉強で来ていた小学生のマチェイ君とそのクラスメイトが皆真っ白い透き通るようなノルディック金髪だったのが印象に残っている。
206 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:02:50 0
>>204 ワケのわからんのは、ポーランド人のナチへのトラウマを知らないからだ。
207 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:03:44 0
>これくらい綺麗なブロンドなら関係ありませんからw だったら生粋のポーランド系の血筋のレスナーはどうだ?
208 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:04:52 0
209 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:05:27 0
>>203 ボンクやクウォスのような稀な褐色の髪の選手だけ何度もあげても意味ないぞ。
210 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:05:45 0
>>207 生粋なのか?やたら詳しいな。レスナーポーランド系説は
どこで調べた?
211 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:06:08 0
>>208 同じナチュラルブロンドがポーランドは非常に多い。
212 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:09:02 0
ポーランド代表は完全実力主義で イングランド代表はミーハー顔面主義ってことか? つまりポーランド代表にミーハー顔面主義が加われば、ベッカムみたいのが ゴロゴロと。 しかしイングランド代表が実力主義になればブサイクだらけと。 ルーニーみたいな顔だらけになるのか? ルーニーは飛びぬけてるからあの顔でもなんとか代表になれる んだろうか。
213 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:10:12 0
>>210 Lesnar、これはレシニャルというポーランドの姓だという。
ドイツ人なら最後はarでなく、erのようになるので違いはわかるだろう。
214 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:11:14 0
>>213 詳しいな。。。実は知っていたんだけどwアメリカ人でもそんなこと
知らんぞ。ただ、ミネソタはドイツ系、ノルウェー系が非常に多いのだ。
祖先がポーランド人でも血は違うかもな。
215 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:12:14 0
とにかくポーランドの金髪の多さを否定したがる奴はポーランドに行け。 そして彼らの金髪に対するトラウマとそれを嫌がる習慣を知れ。 ネットで議論してもいみがない。 逆に第三者にはプロパガンダ合戦と捉えられて、こっちは迷惑だ。
216 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:15:46 0
ポーランドで真っ黒い髪の女性はみな地毛はノルディックブロンドだからな。 彼女たちはせっかくの美しいブロンドを黒く染めてしまい、黒の方が美しいという。 ナチ・ノルディシズムに対する強烈なトラウマは今でもポーランドで亡霊のように生きている。
217 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:16:34 0
Maciej MURAWSKI Radosław KAŁUŻNY しかし髪の色ならまだ論争になるが、上記の二人のように明らかに浅黒い 肌を持つ南方系のコーカソイドの特徴を著しく有したタイプがいるのは 何故だろうか? 日光浴で焼いた肌の色とは明らかに違う。。。 これはこれでなにか特殊な化粧をしているということか? ポーランド人は白人であることになにかギルトフィーリングを 持っているのだろうか。
218 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:26:56 0
>>217 その手のは大抵ソ連領となった部分から追い出された東方ポーランド人だ
東方ポーランド人というのは古代からのポーランド系(レフ系)ではなく、リトアニア大公国が黒海に到達した時代に、
南リトアニアに取り込まれ、そのままポーランドの農奴となった黒海北岸のアルメロイドの原住民だ。
だから、ポーランドの北方系ジーンプールは、西はドイツからのアルプス人種、
東は黒海からのアルメロイド人種に晒されている。
不幸なことにカトリック教徒のポーランド人には人種主義が根付かないから、
彼ら東西の褐色系が他の北方系ポーランド人と混血してしまうのは時間の問題である。
そのときポーランド人がブロンドを維持できるかどうかはわからない。
願わくば、ポーランド人がナチ・ノルディシズムのトラウマから脱却して、
独自のブロンド人種主義を確立してほしいものだ。
219 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:29:41 0
もう一度書く。 とにかくポーランドの金髪の多さを否定したがる奴はポーランドに行け。そして現実を知れ。 そして彼らの金髪に対するトラウマとそれを嫌がる習慣を知れ。 ネットで議論してもいみがない。 こっちは懸命に真実を語っていても、あんたとの机上の議論では 逆に第三者にはプロパガンダ合戦と捉えられて、迷惑千万だ。 そういうことだ。
220 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:33:13 0
221 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:34:59 0
ジーンプールという言葉は好きだ。 さしずめドイツとリトアニアはセスプールとでも言うべきなんだろうか?
222 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:41:26 0
>>220 おまえさん例の挙げ方が変だってw
グーグル検索に頼るからだ。
旧ダンチヒ周辺の住民はおまえさんの好きなワレサを含め、実は東方ポーランド人だぞ。
戦後の住民交換の経緯をわざと無視してるのか?なら悪質だぞ。
だからぁ〜、ポーランドに興味があるならポーランドに行って、
連中と仲良くなって歴史や習俗を知ることだ。
で最近は、ナチュラルカラーのまま染めずにいるノルディックブロンドがちらほらいるから、
そういう人々の美しさを堪能してくることだ。
223 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:44:34 0
ポーランドの人種を裏の裏まで知りたいなら基本としてレフ族のことを知っとけ。 外国の古い文献にも出てくるくらい有名なノルディックブロンドの種族で、 ポーランド建国の部族だ。 このレフ族が周辺のスラヴ・ゲルマン・バルト系など部族を征圧してポーランドを統一していく。 ポーのジーンプールの概念を語るとき、レフ族は避けて通れない。
224 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:47:52 0
>>222 いやポーランド派にはバルト海沿岸派も多いからだ。あんたはバルト海
沿岸派ではないんだな。
225 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:51:30 0
でも結局あんたの言うポーランド人は、あんたの言うところのポーランド 人の中核、一地域の人々なんでしょ? ドイツで言うなら、ハノーバーからオランダ方面あたりの人種を ドイツ人だと言うように。
226 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:53:40 0
>>224 北方人種のことか?
北方人種の中心をバルト海沿岸やら北海沿岸やらに置いたら、
現在のポーランド人は短頭傾向にあり、当然辺縁種と位置づけられるだろう。
北方中心種と連続した辺縁種であり、異種ではない。
しかし、それとノルディックブロンドの率とはまた別の問題だ。
ポーランド人は典型的な北方人種とは異なるが、それと同じくらいブロンドが多い。
そして髪の脱色が習慣のスウェーデンなどとは逆に、もったいないことに男も女も暗く染めてしまうのだ。
男は染めるのが面倒だから、丸刈りにする奴が多い。
227 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:59:29 0
なるほど、すぐに同意などできるわけないがw、 金髪碧眼率ではノルウェーやスウェーデン同等のポーランドだが 頭形など形態上の違いはあるわけだな。何故なのだろう。 大雑把に言うと、地理的に離れれば離れるほど、形態上の差異が大きくなるが、 その替わり金髪碧眼率はスウェーデンにどんどん近づきそれすら上回って しまうという。。
228 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 03:59:43 0
>>225 だって、あんたのはナチ・ノルディシズムの基準だろ?
なら、ゲルマン語族系の北方人種の中心はハノーバーからオランダ島嶼部で正しいだろう。
同様に、スラヴ語族系の北方人種の中心はポーランドから北ロシアにある。
ただ、スラヴの連中、とりわけポーランド人はナチ・ノルディシズムにトラウマがあり、
金髪人種でありながら、自らの金髪を嫌がる。
言っとくが、東ヨーロッパ人種なんて大雑把なくくりはかなり怪しいぞ。
ドイツから東欧に長期滞在しいろいろ見聞した経験のある俺には
そんなカテゴリーはまったく虚構だ。
リトアニアはその過去における栄光の歴史が人種的には災いして、
みな髪が暗くなってしまっているのは認める。
その影響を、一部のポーランド人も受けてしまっている。それははっきりと地域によるが。
229 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:02:09 0
で、なんで金髪碧眼ノルディッシュ人種でありながら、 ナチ北方人種とポーランド型北方人種の差が出たんだい? 顔はどうなんだよ?プルシェンコみたいな顔はロシア人っぽい典型じゃないか? 金髪碧眼でもちっともカッコイイとは思えない。
230 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:04:57 0
>>227 謎でもなんでもない。
スウェーデンは他人が考えるほどナチュラルブロンドの率は高くない。
非ゲルマン系の原住民の影響だろうか。
ただし、スカンジナビアではオランダ島嶼部より頭は長くなる。
それと同じで、西南のアルプス系あるいは東南のアルメロイド系の亜人種の影響で、
ポーランドもロシアも中世後期から短頭化していることがわかっている。
ただ、北のスラヴはブロンドがもともと非常に多かったので、
褐色系の髪の混入が緩やかに進んだのだ。
231 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:08:13 0
>>229 固まって住んでいたスラヴ人が各方面に拡散したのは西スラヴが5〜6世紀(南スラヴは西スラヴの派生)、
東スラヴが4世紀ごろと言われているだろ。
そこで周辺の原住民を吸収同化していく過程で、スラヴ独特の外見の地域性が出てきたわけだ。
232 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:08:39 0
>>230 でスウェーデンとオランダ島嶼部はどっちが本流なの?
戦後の古い研究ではドイツの北西部は頭の長さでスカンジナビアを
上回っていたらしいが。
あと頭の形が好きなナチヲタにとってはやはりポーランドは一歩下という
扱いになるぜ?ナチスはポーランド人を誘拐する際に、頭の形とかまで
チェックしていたし。
233 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:12:04 0
ゲルマンなら島や半島、スラブなら山間部なんかに古代スラブ人が 居残ってる可能性は確かにあるかもな。 イギリスなんかだと、山間部に古代ローマ人やブリトン人っぽい 人種が残っているらしいし。
234 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:16:47 0
ドイツの場合、北西部の人間はそれなりに重要な地位を保持してきた。 ポーランド人のルーツとなる祖先は、山間部にこもり、素朴で 原始的な部族として生きながらえたのだとしたら皮肉な話である。。
235 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:18:34 0
>>232 ゲルマン語族の最初の定住地は、オランダ島嶼部(ドイツ北西部)だろ。
一歩下だろうがなんだろうが俺には関係ないからそんなナチの価値観はどうでもいい。
ただし絶壁というのは完全な偏見だぞ。個人によってゲルマン系だろうがスラヴ系だろうが絶壁は少数はいる。
スラヴ系もゲルマン系も実は前後の長さや横から見た形はあまり変わりないのは人類学者の指摘するところだ。
しかし、現代のスラヴ系は一般的傾向として横にも比較的大きいのが特徴だ。頭の鉢が張っているわけだ。
中世のポーランド人やロシア人は違っていたらしい。ナチ・ノルディックのように、前後に長く左右は狭かった。
俺の価値観では、頭に適度に鉢が張っていて、顔が穏やかにみえるスラヴ系ノルディックの女のほうが
馬面のナチ・ノルディック的女よりずっとかわいくて美人だ。
同様に、ダイアナのようなケルト系ノルディックの女も好きだ。
236 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:23:58 0
>>233-234 たしかにポーランドのポドハレ地方には山の民と呼ばれるサンカのような集団がいて、
独特の暮らしをしている。ブロンドが異常に多く、外の連中を排除していていて、血が濃い。
遺伝性の風土病のようなものもあるらしい。
そのほかにも東北地方のマズーリという土地の貧しい湖沼地帯にも異常にブロンド率の高い集団がいる。
覇権を求めて東西南北どこまでも広がっていったブロンドのレフ族と同系統の西スラヴ人だが。
237 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 04:25:53 0
またもう一度書く。 とにかくポーランドの金髪の多さを否定したがる奴はポーランドに行け。そして現実を知れ。 そして彼らの金髪に対するトラウマとそれを嫌がる習慣を知れ。 ネットで議論してもいみがない。 こっちは懸命に真実を語っていても、あんたとの机上の議論では 逆に第三者にはプロパガンダ合戦と捉えられて、迷惑千万だ。 そういうことだ。 もう寝る。明日仕事が大変だw
よくわからんが、なぜドイツスレにポーランドの話題が出てくるんだ?
北方人種の話の流れで
>>186 の書き込みがあったところに
>>187 が噛み付いたのが発端。
そこに別の奴が論争に入ってきて、結果としてレスがここまで伸びてしまったようだw
本題のドイツの話に帰れ。
もう、金髪オタ、人類学オタは巣に帰ってくれよ。 なんなのこいつら。
同じ敗戦国だから同情が沸くからじゃないの?
242 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 01:14:35 0
ポーランドヲタの言うことなんて信用してないぞw しかしそのナチ顔負けのポーランドへの愛情が心を打った、それだけ。
243 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 17:06:19 0
ジオンぽいから?
244 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 20:46:25 0
>>242 ポーランドヲタポーランドヲタってうるせえええええええなあああああああ!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
てめえ人間舐めてんのか?アホが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
このナチヲタが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
お前うるせえからドイツへ帰れや!!アホが!!
245 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 21:02:44 0
ポラックヲタ(笑)
246 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 21:58:09 0
>>245 うるせえええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!
てめええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!
人間舐めてんのかこのボンクラドイツナチヲタがああああああああああああああ
ああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
何がポラックヲタだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
てめええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!
笑ってんじゃねえええええええええええええええええええええええええ!!!!
調子こいてんのか!!!!!!!!ワレ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
247 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 22:01:18 0
>>246 お前もどうかしていると思うぞ。
少し落ち着け
やはりポラックヲタには基地外しかいないようですね。
250 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 22:33:10 0
ドイツ
251 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 22:38:25 0
252 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 23:52:21 0
>>249 キチガイキチガイうるせーんだよ腐れドイツ&ナチヲタ!!!!!!!!!!!
>やはりポラックヲタには基地外しかいないようですね。
うるせええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!
お前人間舐めてんのかオラ!調子こいてんじゃねえぞワレぇ!!!!!!!!!
てめえいわされてーのか!この穀潰しドイツ&ナチヲタが!ああああああああ!?
貴様等、全員銃殺だ!!
>>252 やっぱりどう見てもお前のほうがおかしいぞ。
まずは落ち着け
255 :
世界@名無史さん :2006/03/19(日) 00:03:19 0
257 :
世界@名無史さん :2006/03/19(日) 00:21:47 0
>>247 >日本人なのになんでナチが好きなの?
いいじゃん。
中国共産党や朝鮮労働党が好きな人もいるでしょ。
ドイツが好きなのは別にかまわんが、何で好きな連中が多いのかはマジで疑問。 カッコいいからなんてミーハー意見しか見たことないんだが、どこがいいんだ?
261 :
世界@名無史さん :2006/03/24(金) 21:00:21 0
軍服
262 :
世界@名無史さん :2006/03/24(金) 21:17:21 0
>>260 普通ににちゃんねるあたりでドイツ好きというのは、別にゲーテとか
ロマン・ロランが好きとかいうのではなく、ナチスドイツの軍服とかが
好きなだけ。
で、そもそもナチ・ドイツは軍服のビジュアルを最大限アピールする
ように意図的にデザインしているんだし、その手の宣伝活動にかけ
ては天才的な人材を抱えていたから、いまだに日本のミーハーだけ
じゃなく、世界中にファンはいる。
ただ、ヨーロッパだとおおっぴらにナチスの礼賛は出来ないので、表
面に出てこないだけ。イギリスの王子がナチのコスプレで物議をかも
したことがあったな。
>ロマン・ロランが好き フランス人では?
>>263 うん。
トーマス・マンと間違えたんだけど、なんで勘違いしたのかな。
問題は、世界史板なんかの場合、ゲーテやマン、 バッハやベートーヴェン、カントやヘーゲル、 そしてブルクハルトやマイネッケについて語りたい香具師だっているのに ドイツ系スレが建つとナチオタと金髪碧眼オタで占領されてしまうことなの。
俺はナチ時代が一番嫌いだな ドイツ史の中では
267 :
世界@名無史さん :2006/03/25(土) 06:10:24 0
>>265 それはある。何故2chにはナチヲタが多いんだろうか
実際ナチスみたいな連中が日本で政権取ったらヲタや引きこもりは真っ先に強制収容所行きだろうに
金髪碧眼ヲタも白人コンプ丸出しでキモい
自分達は黒目黒髪の日本人で、まったく金髪碧眼の理想とは程遠いのになw
俺はナチスの人間評価の基準は普遍的で素晴しいと思うが、反ユダヤ主義と基地外人種論には吐き気がする
日本人のくせにナチ人種論にかぶれるなんて悲しすぎ
ドイツ史というものがあること自体歴史に対する侮辱だ。
世界史とは関係なくて申し訳ないが、知り合いにドイツなら何でもいいってのがいる。 2004年のサッカー欧州選手権で、ドイツはサッサと敗退したので そいつはドイツ人(レーハーゲル)が監督やっているギリシャを応援してた。 ギリシャが好きなわけではない、レーハーゲルという監督がドイツ人の国を応援していただけ。 もちろん、2002年のW杯でも日本代表そっちのけでドイツマンセーだった。 あやつをここまでドイツ好きにするものは何だろうか? 人の嗜好にいちいちケチを付ける気はないが、あそこまで行くと気持ち悪い。 ドイツに関しては好きでも嫌いでもなかったが、お陰でドイツオタ=気持ち悪いという認識になったよ。
>>270 そいつは無知だよね。
今のドイツ人はスラブ人と混血に占領されてるニセドイツ代表なのに
272 :
世界@名無史さん :2006/03/26(日) 17:26:05 0
ナチの制服や戦車やu-boatが好きなお子様連中だけだろ? ガキくせ〜
274 :
世界@名無史さん :2006/03/29(水) 14:49:02 0
世界史板とは別にドイツ史板作ってよ、ひろゆき。 こうなったら隔離しかないじゃん。。。
同意。
ひろゆきがナチヲタ隔離のためにドイツ史板作ってくれるまで、 とりあえず刺激的な題名のナチヲタ隔離スレを上のほうで維持しておく
そしてこの甘い水にヲタが2ちゃんねる中から引き寄せられ 世界史板自体がドイツ板になったのであった 終わり
281 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 12:16:17 0
「いいじゃん別に。ドイツはカッコいいからさ、戦車のデザインとか」 「だってドイツはカッコいいし。一般SS制服のデザインとか」 「プロイセンの騎士に敗北の二文字は無いのです。 たかが一度や二度負けた程度でそれが何です? 何度でも蘇る。 くだらない結末など屈返してやればいいだけのこと。 物量には限りがありますが、人間の精神力には限界などないのです。 敢闘精神こそが勝利を呼ぶものなりって言葉知りませんか?」
282 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 18:46:43 0
ドイツのプロダクトがスキ ドイツ人とは仕事がしやすいからスキ イケ面が少ないのが残念 でも平均身長が高いからスキ 以上です
283 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 17:40:14 O
ナチオタ君たちは、ヒトラーやローゼンベルクが 日本人のことを「物真似上手な黄色ザル」 だと罵っていたことについてどう思ってるのかな?
284 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 17:51:00 0
ナチヲタではないドイツヲタだが、どうも思ってないよ。 ドイツがチュキダカラ。 ジークハイル!
285 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 19:17:59 O
>>283 まさにそのとおりだと思う。
しかも、70年経った現在ですらなお普遍性を有するところが凄い。
欧米から袋叩きに遭ってしまったがために
日本のような三等国の仲間にならざるを得なかったドイツ。
彼らの誇りがどれだけ傷付いただろうと思いを馳せると、
同情を禁じえない。
286 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 19:19:52 0
でもイタリアヲタやフランスヲタってきかないよね 女にはドイツよりイタリア・フランスなどの方が人気あるわけだが だいたいドイツに女がよろこぶブランドもんはないし
前にヘタリアスレに粘着して荒らしていたヘタリア厨とか、ドイツ関係のスレを荒らしていた イギリス厨とかいるが。
言語版にはフランスヲタみたいなのがいる
>>286 女子供にはわからんところが、ドイツのすばらしさ
確かに・・・
292 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 14:02:17 O
戦が強いとか精神性とかそんなんばかり喜々として語り合ってる ナチヲタ・戦国厨・薩摩厨は、歴史板の三大害虫だな。
293 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 14:50:19 0
ゴキブリホイホイとして機能してるから問題無い。 むしろ、中世ドイツとかドイツ文化とかが好きな奴がWW2オタのせいで貶められているのが可哀想
294 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 16:04:51 O
ドイツ人が素直に評価されているのは日本だけ。 大概何処でも嫌われる。 日本と同じ。
>>294 そんなことないよ。
ソウルには第三帝國というカフェがあって、ドイツの軍歌が流れ、
白人のウェイター全員がSSの制服着てる。
多分ロシア人?だが、まあいいw
マジで萌えるよ。
これだけのために韓国行ってきたナチヲタの俺w
296 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 17:22:07 O
誰かチョン国で大日本帝国と言う名のカフェをオープンしてくれないか。
つまり ドイツとロシア 日本と韓国 ってわけ。
国家社会主義ドイツ労働者党の成分解析結果 : 国家社会主義ドイツ労働者党の63%は情報で出来ています。 国家社会主義ドイツ労働者党の20%は鉄の意志で出来ています。 国家社会主義ドイツ労働者党の15%は黒インクで出来ています。 国家社会主義ドイツ労働者党の2%は税金で出来ています。
299 :
世界@名無史さん :2006/04/06(木) 15:23:32 0
300 :
世界@名無史さん :2006/04/06(木) 15:47:30 0
ドイツヲタもそうだけど ユダヤ批判も理解できない 実際ユダヤ人がいなかったら 今でも人種差別なんてもっとヒドイはず
301 :
世界@名無史さん :2006/04/06(木) 15:51:57 0
ドイツは日本と違って謝罪したから好きです(^o^)
302 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 08:02:25 0
>>301 日本も謝罪してますよ。
あとドイツは戦争について謝罪も補償もしてませんよ。
ドイツと比べるなら、イギリスやロシアでしょう。彼らは
殆ど謝ってないし、なにもしてないな。
303 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 08:04:49 0
>>295 あの国の人間は優生学がすきなんだよ。
いまどき優等人種、劣等人種とか純潔とか、憚らずに言えるのは
韓国人くらいなもんだ。
ちなみに北朝鮮には優生学の教育プログラムがあります。
304 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 08:10:28 0
ナチヲタ=チョンと考えれば、一番合点がいくな。 ドイツは謝罪してるニダ。ドイツは韓民族と同じく、優等人種ニダ。 日本は劣等ニダ。ツボに嵌りすぎるなw ペルージャのサイトに乗り込んで、荒らしまくった朝鮮人。 アジア人は出て行けとイタリア人に言われる始末。(実際は中国人と 韓国人だけが暴れていたんだけど。) そしたら、「勘違いするな。あなたたちイタリア人は、 例えば、、ドイツ人のような (白人)ではない!」と胸を張っている韓国人がいた。 未だに、新聞の風刺画に、顔が判別不能、真っ黒い口ビル お化けの黒人の絵が出てくる国だからなあw
305 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 08:23:49 0
306 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 08:48:48 0
ヒトラーに日本人は真似しかできない劣等ザルとまで言われたのに ナチヲタってww
307 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 14:45:03 0
他板住民でスレ違いかも知れないけど教えてくださいな 風物詩の君が代斉唱、国旗掲揚反対で思い出したけど、 よく「ドイツは国旗を変えたが日本は以前戦争中のままで反省していない」って事を、 聞くんですがドイツの場合は国旗を第三帝国以前に戻しただけで、 国旗を新しく変えた訳ではないじゃないでしょうか? 急に気になってウィキでドイツの国旗見てきただけなんだけど、 実際、気になっておちおち昼寝も出来ません・・・
308 :
世界@名無史さん :2006/04/07(金) 14:55:45 0
んじゃ日本は三つ葉葵を国旗にしよう。
>>307 ウィキペディアに国旗の変遷が細かくのってるじゃないか
310 :
世界@名無史さん :2006/04/12(水) 23:08:56 0
逆にドイツ嫌いの人というのはどういうタイプなんだろうか?
ドイツに赴任したものの、現地になじめないと感じている日本人。
>>310 ナチ嫌いというのは決してドイツ嫌いというわけではないな
俺がそうだし
特に好きでもないけど
このスレ時々覗くのは今日はナチヲタが釣られてるか興味があるだけだし
イギリスびいきの人にはドイツ嫌いが多いのかもしれない。 高坂正堯氏は自分でドイツ嫌いだと書いていた。
あーそれは気持ち的にわかる>イギリスびいきのドイツ嫌い ドイツがなんとも野暮ったく感じるんだろ
315 :
世界@名無史さん :2006/04/12(水) 23:36:28 0
>>314 野暮ったいというより、イギリス的な、経験論的な考え方に慣れた人に
とっては、理論に溺れて現実を見失うことがあるドイツ人の思考方法に
違和感を感じるのでは?
だからそれが野暮ったいんだろ ニーチェとかカントとかハイデガーとか、アングロ系にはぜんぜん人気ないじゃん
ドイツには知識はあるが知恵がないとか言ったイギリス人て誰だっけ?
318 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 00:03:46 O
友達にドイツ人いるけど現代人なんて皆一緒だと思うけどねー。ちなみに次はイタリア抜きでやっちゃろーな!と言うのは日独共通のジョークだよん。
んなこたーない。
イギリスには(物質)文明はあっても、文化がないって感じだよな。
イギリスは英語が通じない orz RP(BBCイングリッシュ)でしゃべってくれよ、みんな。
共通の祖先を持っていても、環境が違えば全然 考え方が違ってくるんだな。 イギリス人とドイツ人の関係ってよくわからん。イギリスとフランスは 仲悪いっていうが、ドイツとイギリスはお互いに無関心な イメージがある。
>>320 イギリスって文学と演劇以外の芸術は大したものを生んでないんだよな。
あと、経済ではイギリス=自由貿易・自由放任型の資本主義、
ドイツ=保護貿易・社会民主主義というイメージがある。
ドイツ好きな人間からすると、イギリス人は、凡庸で霊感に乏しく、卑近なことに とらわれ過ぎているように見えるのだろう。
イギリスは保護貿易では? 植民地帝国なのに市場開放したらアメリカその他に速攻で蹂躙されるだろ。
>>322 お互いに内心では嫌いあっていると思うよ。
「ブラック・ウェンズデー」の後、英国はERM(欧州通貨相場メカニズム)
から離脱せざるを得なくなったが、そのときブンデスバンクはポンドを
見捨てたので、英国人は激怒した。
ドイツ人のほうも、英国のメディアがいつまでも第二次世界大戦のことを
ネチネチと持ち出すのに嫌気がさしているし。
工業先進国は自由貿易だよ。 アメリカみたいな後進国は、自国の産業を育成するために保護貿易を取るんじゃん。
しかし外国には市場開放要求。 それがアメリカクオリティ。
話が斜め上に行ってるなこのスレは
ドイツ・オペラが好きな人には、イタリア・オペラは下品と感じるらしいよ。 イタリアではオペラ歌手が喉仏までみせて歌ってるって。
>>323 そのほか、絵画、装飾美術、家具、建築、庭、(芸術としての)自動車など
哲学ではベーコンからラッセルにつづく経験論
科学ではニュートンからディラック、ホーキングまで異様なほどの天才を輩出
ドイツ人のように現実離れした観念に走ることなく目前に見えるものから決して目をそらさない実践的態度の所産
これぞジョンブル魂!
世界史板なのに歴史を知らんアホの子がいるんだな。 漏れが1913年における各国の関税率を教えてあげよう。 (自由貿易国) イギリス 0.0% インド 3.5% (中間保護貿易国) ドイツ 12.0% 日本 12.0% フランス 16.0% (保護貿易国) アメリカ 32.5%
333 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 05:10:47 0
ヒトラーはユダヤ人だったからねw
アドルフに告ぐかよ
335 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 07:59:07 0
親独派はドイツとは呼ばずにDeutschlandと呼ぶべきだよ。 Deutschlandはいい国だよ。
何処のどいつだ?
ベンゼンを火刑に処す
338 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 10:24:36 0
国際政治学者でドイツ信奉者っている?
おおマジメに冗談みたいな事するところ。
340 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 16:54:52 0
冗談だったら殺害された600万人のユダヤ人をはじめ、数百万人のドイツ内外の犠牲者は浮かばれないね
341 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 17:31:51 0
ドイツの科学力は世界一ィィィィィイイ!!
342 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 17:46:30 0
>実はユダヤ人が担っていた部分が多いというのが歴史のミソだね。 それはポーランドも同じ。 キュリー夫人とか別にすれば ポーランドの知的な部分はほとんどユダヤ人が作り上げてきた。
343 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:05:06 0
>>342 戦後はそうともいえない
ドイツやポーランドのユダヤ人はヒトラーに殺されるか、戦後すぐにアメリカやイスラエルに出て行ってしまったから
現在、ドイツのユダヤ人は10万人、ポーランドのユダヤ人は5千人しかいない
344 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:12:45 0
>>343 ポーランドのユダヤ人は強制収容所から出るのを怖がったと言われている位だから
ユダヤ人に対する差別はかなりきつそうなんだが。
345 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:15:39 0
「ユダヤ人=キリスト殺しの罪びと」はドイツやポーランドではデフォ。 ただ表立って言わなくなっただけ。
>>343 歴史的に見たら正しいよね。
ポーランドの文化学術関係の発展はユダヤ人の力。
347 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:19:50 0
>>345 それドイツやポーランドだけじゃなくヨーロッパ全体で言えそうなのが…
348 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:21:26 0
ポーランドに最大の強制収容所ができたのも ヨーロッパで一番ユダヤ人口が多い土地だったからだよね。
349 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:37:19 0
ホロコーストやったのって実はナチスじゃなくてポーランドなんだよね。
350 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 18:40:08 0
>>346 それもポーランドだけじゃなくヨーロッパ全体で言えそう…
.〆i _ / ./ ,r''" ソ `ヽ /  ̄ ヽ /_二ニ:丶、 .| /.''"_ r==''`ヽハ ∂l `ーi'゚/.i"゚‐``,, ハ) フランスなんぞ囲いこんでしまえばいいのだよ _..ィゞヽ, j .ヾイ ゞ√ヽ_`;;ゝ.ノ_| .ヽ.-‐´ イィ´ ヽ _!`了´ ,.ィ´≦ゞ`;;;;;;,,. r'";;-''';;!'''´ ´ ヾヽ //ο ! 0 ! `.i !i! .! !ソ :| /::i!ο i! O .| .l| /.:/ .l .i! i! ::| i! ! l ::|Ο i! ◯ / i!
閣下、第一次世界大戦ではこっちが逆に取り囲まれました。
.〆i _ / ./ ,r''" ソ `ヽ /  ̄ ヽ /_二ニ:丶、 .| /.''"_ r==''`ヽハ ∂l `ーi'゚/.i"゚‐``,, ハ) そんな事はヴィルヘルムU坊やに言いたまえ _..ィゞヽ, j .ヾイ ゞ√ヽ_`;;ゝ.ノ_| .ヽ.-‐´ イィ´ ヽ _!`了´ ,.ィ´≦ゞ`;;;;;;,,. r'";;-''';;!'''´ ´ ヾヽ //ο ! 0 ! `.i !i! .! !ソ :| /::i!ο i! O .| .l| /.:/ .l .i! i! ::| i! ! l ::|Ο i! ◯ / i!
354 :
世界@名無史さん :2006/04/20(木) 11:01:57 0
355 :
世界@名無史さん :2006/04/20(木) 12:41:46 O
戦時中のポーランド人によるユダヤ人虐殺は独ソ戦開始直後の東ポーランドのイェドヴァブネ他10ヶ所ばかりで行われた 東ポーランドは1939年にソ連に併合されていた ポーランド人によればユダヤ人がソ連側に積極的に協力したためだからという ナチスのユダヤ人政策では有用な技術者・職人は虐殺せず生かしておくのが一般だった 親衛隊特別部隊がユダヤ人技術者を助けようとしたがポーランド人達が「キリスト教徒にもっと優秀な技術者がいる」と言い虐殺をやめなかった それどころが乳児も火のなかに投げ込んだ ちなみにポーランドは共産政権下の戦後にもキェルツェでユダヤ人の虐殺事件を起こしている
356 :
世界@名無史さん :2006/04/20(木) 12:48:36 O
質問です。 仮に、ヒトラーやナチスが慎重姿勢で、 ポーランドやソ連に侵略しなかったら、 歴史はどうなってましたかね?
357 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 09:11:16 0
■独首相の着替え写真、英大衆紙が掲載 独紙「敬意欠く」
メルケル独首相が水着に着替えている最中の盗撮写真を17日付の英大衆紙
サンが掲載し、ドイツ側の反発を招いている。ドイツ政府のシュテーク報道官は
19日の記者会見で「首相はのぞき見趣味の視線にさらされたくないと思ってい
る」と不快感を表明。独大衆紙ビルトは「英国人、我々の首相に敬意欠く」との見
出しで、怒りをあらわにした。
サン紙が掲載したのは、メルケル首相とみられる後ろ向きの女性がプールサイ
ドでガウンのすそをたくし上げ、おしりを見せながら水着を引き上げている写真。
同首相が夫とともにイタリア南部の保養地で復活祭の休暇を過ごしている間の
ものだという。同紙は「ドイツの指導者メルケルは自国の経済状態を引き上げた
が、今はパンツを引き上げている」とのコメントを添えた。
これに対し、ドイツ政府側は「首相も彼女の夫もプライバシーを守る権利があ
る。英国の伝統的礼節に反している」と反発。一方で、メルケル首相自身は同紙
を提訴する意向がないとも、シュテーク報道官は明らかにした。
出典:asahi.com 2006年04月20日16時55分
http://www.asahi.com/international/update/0420/007.html ▽メルケル首相略歴(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/germany/cv/r_merkel.html
358 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 09:17:11 O
>>356 ジリ貧で中東欧の貧乏国の一員に埋没していた。
359 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 10:28:24 O
>>358 じゃあ、ヒトラーの開戦指示は正しかったんだね。
あとは外交で敵を絞りきらなかったのが問題か。
360 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 11:46:02 O
現代のドイツを戦前のドイツのイメージと同じにはみれないだろう 今のドイツは超がつくほどの反戦平和主義が国民に浸透している 兵役拒否の割合は世界一 ネオナチがクローズアップされるが政治集団というより暴走族的なイメージに近く日本の右翼より少ない かつては科学の国のイメージが強かったが、アメリカなどへの頭脳流失が断続的に続き今では普通の科学力の国にレベルダウンしている
361 :
天乃御名無主 :2006/04/23(日) 12:00:51 0
ヴァカ者がぁぁぁぁ!! ドイツの科学力は世界一ぃぃぃっ!!
362 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 12:53:09 O
大戦中に大陸間弾道弾やジェット機を実用化した技術力は アメリカとソ連に持ってかれて、 戦後はアメリカの冷戦戦略で日本と同じように 家電製品を作らされるだけの国になっちゃったね。 いわば現代型の植民地モノカルチュアだけど、 独立を果たしたアフリカ諸国と同じように、 自分の頭で物事を考えるよりも淡々と命令に従っていた 植民地時代が一番豊かだったっていうのは皮肉だね。 日本も西ドイツも、朝から晩まで文句も言わず淡々と働く 大量の単純労働者が日用品を作って アメリカに買ってもらって経済発展を遂げ、 冷戦終結後の90年代以降は途端に沈没と、 まるで双子のようにそっくりな 国際情勢に振り回されるだけの姿を晒しているよね。
363 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 14:36:58 O
戦後ドイツと戦後日本は同じ点もあるが相違点はかなり多い 長い社会民主主義政権下において福祉国家が実現された キリスト教民主・社会同盟が政権奪回してもその政策自身は大きな変更なかった 労組の経営参加 短時間労働は世界一、その遵守は厳しく守られている 休日にあるデパートが営業したら直ちに罰金取られた 国民には“働くために休む”のでなく、“休むために働く”という意識が浸透した 短時間労働にもかかわらずその単位時間あたりの生産性は日本より高い しかしこうして国民の高福祉、経済格差の縮小は実現されたが、その犠牲として構造的失業が発生した 雇用保険が充実して生活に困らないため、失業者から労働意欲を奪っているので深刻だ ただいえるのは日本のようなエセ社会民主主義政党は存在しない(旧ソ連のスポークスマン的だった旧社会党とか第2自民党といわれた旧民社党) 外交・国防もドイツ社民党は現実主義だ ちなみに連邦軍の軍大学はキリスト教民主・社会同盟派と社民党派の2校存在している
364 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 14:47:12 0
キリスト教民主・社会同盟というのは戦前のカトリック中央党が戦後に名前を変えただけで、 社会民主党は戦前から社会民主党。 どちらもナチス政権に反ドイツ的として解散させられた不良政党。
365 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 17:15:04 0
ナチスに反抗した生意気な連中が交代で政権とってるわけか。。。 病気だな
366 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 19:37:06 0
今、セバスチャン・ハフナーの『プロイセンの歴史』読んでる。 イメージは悪いが、国名はドイツよりプロイセンの方が好きだね。
367 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 19:43:10 O
プロイセンみたいな小国よく生き残れたと思う さすがに7年戦争の時は危なかったけど
368 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 20:33:59 0
fuck
政党がバラバラ乱立しているとはいえ 与党ならそれなりに使える人材が集まるのでは?
370 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 20:50:13 0
>>367 何といっても国王独裁・軍国主義の賜物だろ。
プロイセンでさえ小国扱いでは ヴュルテンベルク王国やオルデンブルク大公国はどうなるんだ
372 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 21:16:48 O
つけ加えればルター派プロテスタントであったこととユグノーなど海外から追放された優秀な市民を受け入れたことか
リアルゲルマン忍者のコスプレを見てから、俺の中のドイツの評価はうなぎのぼり
374 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 21:27:19 O
シューマッハ、イモラで優勝したかな
375 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 22:34:42 0
>>374 シューマッハは南ドイツ出身で、プルサックじゃないよ
376 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 23:13:21 0
ドイツの産業は、最近はハイテクではなくてミドルテクなんていわれて るらしいよ。 80年代にマイクロエレクトロニクス革命に乗り遅れたのが原因かな?
377 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 23:39:05 O
ただバイオや化学は世界でもトップクラス 特に化学のBASFとバイエルの牙城はアメリカのダウ・ケミカル、デュポンを除くと崩せる可能性はない 電機のジーメンスもあいかわらず強い あと最近は半導体のインフィニオンテクノロジーズ、ソフトウェアのSAPという良質企業が出てきている
378 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 23:46:28 0
>>377 ドイツが弱いのは金融面かな?
ユーロが誕生してECBがフランクフルトにおかれることになったとき、
ロンドンのシティが空洞化するなんて予測した人がいたが、いまだに
ロンドン証券取引所に追いつけていない。
379 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 00:03:27 O
いやドイツ銀行は強い 流通はメトロ スポーツ用品はアディダス・サロモン、プーマ 物流はドイツポスト 航空はルフトハンザが売上高でアメリカン航空を抜き世界一 メディアはベルテルスマン 通信はドイツテレコム 損保はアリアンツ 捜すとドイツ企業って意外とがんばってるな
380 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 01:39:04 O
やったぁ、ミハイル勝った、勝った あんたのドライブテクはやっぱサイコーだよ シューマッハ引退するな イタリアとドイツの国民は歓喜に包まれているだろう ひさびさにF1最後まで見ちゃったじゃねぇか 深夜に拍手しちまった シュー、ガッツ、ガッツ、ガッツ
シューマッハー、英語は上手いな。 それにしても今のドイツなんて応援する意味ないだろ。
382 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 01:47:19 O
ドイツを応援してるわけでない シューマッハを応援している もとはプロストのファンだ F1もF3もF3000も英語できなかったらドライバーできないよ スタッフや常時無線で指示してくる監督と意志疎通できんからね
383 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 01:52:04 0
AGFAが潰れたのは実に残念だった。
384 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 11:49:47 0
世界史板にドイツ嫌いっているのかな?
385 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 11:54:52 0
嫌いというか、ドイツ人気に嫉妬しているやつはいるな。
ドイツ好きっていうか ヒトラーとかSSとかが好きなだけだろw
387 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 13:11:27 O
ドイツだって現代ドイツ、ナチスドイツ、ヴァイマールドイツ、帝制ドイツ、神聖ローマ配下の領邦連合体のドイツ、それぞれに違いが多い それにプロイセンだけでなくバイエルン、ザクセン、ヴュルテンベルク、バーデンなど地方の独立性も高く一概にドイツ全体で括れない場合も多い ちなみに自分はマイナーなバーデン公国に興味があるがな
やはりドイツというと音楽と哲学だから、そこに興味があるかどうかで変わってくるんだろ。
389 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 13:27:25 O
俺もスコーピオンズもマイケル・シェンカーグループも好きだった もっともマイケルは「俺はドイツ人じゃねぇ、イギリス人だぁ」ってイギリスにかぶれていたが
390 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 13:31:20 O
絵画はデューラーははずせんし、厳密にはオーストリアだがクリムトやエゴン・シーレもはずせないな
391 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 16:02:14 0
>>239 音楽をやっていて英語風の名前をつけ、ヘンデルがイギリス最大の作曲家だなんて
情けない事いっている音楽後進国にかぶれている時点でどうかと思うが。
懐かしいかなスコーピオンズ 確かにハードロックに関してはアクセプトやハロウィンなど イギリス風である事は否めないなぁ ジャーマンロックと言うとプログレ、テクノみたいの言うしね 別に音楽後進国には思えないがね
393 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 16:24:26 O
クラフトワークとかあったね ブライアン・イーノもドイツ人だっけ? 間違えてたらスマン
イギリスが音楽が駄目なのは、メソジストとかピューリタニズムみたいな精神が有力に なったせいだという説があるね。 ドイツもプロテスタント圏では、大バッハ以降大した音楽家は出てないし。 カトリック圏のほうが圧倒的だよね。
395 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 18:28:27 O
ブリティシュ・ハードロックは俺にとっては神だったが ZEP教徒であり、パープル教徒だ プログレも好きだ イエスとか
396 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 04:31:09 O
ビートルズもハンブルクでうれた
397 :
ビートルズが解散したのは… :2006/05/01(月) 10:29:54 O
イギリス大好きの国粋主義者⇒ポール 日本大好きのコスモポリタン⇒ジョン アメリカ≒ハリウッド大好きのウェスタン野郎⇒リンゴ インド大好きのオカルト野郎⇒ジョージ 趣味が別れたせいだなd(^-^) ちなみにドイツ好きは、最初に死んだスチュアートね!
ドイツ証券はにくい
399 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 10:53:27 0
メルセデスならBMの方が熱い走りなのに何故キミーラはメルセデス信仰なのかね? 『無駄に高いトヨタ』それが今のメルセデスさ。
なんか変な虫が湧いているな。 イギリス虫か?
英国人はドイツ人が大好き、フランス人と同じくらい大好き。アイリッシュがイングランド人を愛するようにドイツ人を愛しています
402 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 12:32:51 0
んなわけない
>>399 親父がE500持ってるけど、運転してみると重い、曲がらない、面白くない。
親父はベンツ馬鹿だからあれでいいんだろうけど。
>>394 メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ワーグナーは
プロテスタントだよ。
BMWはカトリック圏の車 VWはプロテスタント圏の車 メルセデスは両方の境界地帯の車 で、このなかで俺はBMWが一番スキ カトリックらしい華がある
406 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 14:21:20 0
チェコはドイツ人に財産を返さなくちゃいけないね まずはそこから
407 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 15:03:44 O
カトリックでもルター派でもかまわん ドイツ人には巨乳・爆乳が多いから好きだ
408 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 15:13:49 0
ヒトラーが政権を取る直前まで、ワイマール時代までは ドイツ語圏は世界最高の学問レベルだった。東欧もドイツ語圏だし。 自然科学、哲学、社会科学は隆盛を極めた。 ヒトラー以後、頭の大半はユダヤ人だったので、殺されるか亡命されるか して、その後のドイツ語圏は世界的なものを何も生み出せない地域になった。 亡命者の大半はアメリカに渡る。凄まじいまでの頭脳流出。 そこから学問の世界でもアメリカ優位が確立する。 MITもハーバードもシカゴ大学も、ヒトラーが栄えさせたようなもんだ。
409 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 15:26:46 O
磁気テープの使用 アスベストによる発癌性の危険の発見 液化石炭の合成石油の製造実用化 アスペルガーによるアスペルガー症候群の発見 ナチス時代にも多少後世に貢献してるものもある
410 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 15:43:55 0
とにかくナチスは絶対だから 非難は許さないよ
411 :
何足道 :2006/05/05(金) 16:01:03 0
制服がかっこいいところ。
>411、はげどう。ヘンリー少尉も国防軍の服のほうが格好よかったしな
413 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 00:58:25 0
414 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 02:52:06 0
ナチの功績はやっぱアウトバーンでしょ
合衆国の一人勝ちだね。 ソビエト革命でロシア人の頭脳を取り込み、 第二次大戦で東欧全域のユダヤ人の頭脳を取り込んだ。
416 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 05:29:28 0
史実と創作の差が大きいから。
417 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 06:17:32 O
ビールが好きだからです
418 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 12:21:44 O
90年代以降のアメリカは、徐々に日本の頭脳をも取り込んでいるね。 言葉の壁が大きいからか、 まだ戦後のドイツ・東欧からの流出に比べれば緩やかだけど、 最近は比較的英語ができる若者も多くなってきているから、 後進国としての本性をさらけだし始めた日本に見切りをつけて アメリカへの頭脳流出は今後加速するだろう。 その後の日本には冷戦バブルを経て 贅沢癖が身に染み付いた強欲な多数の老人が、 後に残る愚鈍な少数の若者を徹底的に搾取する 阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されそうだ。 また、アメリカは同時に中国・インドの天才をもかき集めている。 アメリカの覇権は、少なくとも21世紀中は揺らぐことはないだろう。
>>412 なんかヘンリー少尉というか、リック・ジェイソンはおかまっぽい。
日本帝國の人種平等法案提出に 当時列強側で唯一賛同した国だから。
>>414 金は天下の周り物で、アレ作る負担したのはアメリカや日本なんだが
423 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 01:26:18 0
424 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 01:56:14 0
425 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 06:07:04 0
ネオナチなど白人の人種差別的動機に基づく犯罪をリアルタイムで 追って載せてるサイトってないの? 逆のサイトならたくさん知っているんだけど。黒人のレイパーのニュースとか。 両方見ないと公平ではないので、教えてくれ。
426 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 13:47:58 0
>>422 ブランデンブルク州の物騒さは今になって始まったことではないはず。
ドイツ統一前後から、ネオナチ勢力が跋扈していた。
あの州の特徴として、左翼勢力の金城湯池であること、CDUおよびキリスト教勢力の
力がドイツで一番弱い地域であること。
左翼に統合されない層は、行き場が極右になってしまった。
信仰心があればCDUの支持者に、金があればFDPの支持者になれるが、
ブランデンブルク州の人間はそのどちらも無いことが多く、極右になびいてしまう。
キリスト教信仰を失うとドイツ人がどうなるかを示した州だ。
同じ旧東独地域でも、南部のザクセン州などはキリスト教勢力が強く、
あまり荒んでいない。
427 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 13:58:40 0
ttp://www.worldtimes.co.jp/ 経済再生を図るラウジッツ地域 改革に乗り遅れ−旧東ドイツ
サーキット場「ラウジッツリンク」、飛行船工場「カーゴリフター」、
屋内リゾート施設「トロピカルアイランズ」、コンピューターチップ
工場――。いずれもブランデンブルク州における過去数年の大プロジェクト
だが、漏れなく倒産に追い込まれた。
同州の中でもコトブス市を中心とする南部ラウジッツ地域は伝統的に
褐炭による火力発電や重工業が盛んだが、IT(情報技術)化や
グローバリゼーションのうねりの中、構造改革に乗り遅れている。
428 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 13:59:27 0
ブランデンブルク州の経済復興と観光客呼び寄せのための目玉となった サーキット場のラウジッツリンクは、二〇〇〇年の完成から二年も 待たずに倒産した。現在、数百万ユーロの負債を抱えながら再建策を 模索しているが、いまだに買い手が見つかっていない。モーターレース の観客をターゲットにしたホテルやレストランは次々と閉鎖に追い込まれている。 欧州連合(EU)がこのほど発表した欧州都市におけるGDP調査によると、 EU加盟二十五カ国平均を百とすると、ドイツでは一位のハンブルクが 百八十四、ブランデンブルク州は七十で最低にランクされた。ドイツ経済 研究所(IFO)による経済的見通しでも、国内で最低だ。
429 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 14:00:37 0
全成人が労働を義務付けられていた旧東独時代、ラウジッツ地域は褐炭、 化学、衣料、鋳型産業が盛んだった。産業の中心都市でもあったラウハマー市 の失業率は現在約30%に上る。ドイツで最も高い水準だ。DPA通信の イェーネル・コトブス支局長によると、長期の仕事に就いていない人を 加えると推定で50%になるという。今では、工場の廃墟と空きアパート ばかりが目立っている。商工会議所ブランデンブルク南支部のオール 広報課長によると、旧東独時代に劣化した施設の使用の申し出はほとんど ないという。 ドイツが統一した一九九〇年、人口は二万七千人だったが、現在は一万 八千人。三分の二にまで減った。高校卒業後、ほとんどの若者は大学や 就職のためにここを離れて戻ってこない。二百七十五年の伝統を誇る 鋳型・鐘楼工場では、旧東独時代に七十五人いた従業員も、今では十八人。 重機工場の従業員数は旧東独時代の六千人から二百五十人に激減した。 有能な若者が街に残っておらず、後継者不足が深刻となっている。 合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子供の数)も一を割っている。
430 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 14:25:21 0
>>405 -BMWはカトリック圏の車
VWはプロテスタント圏の車
メルセデスは両方の境界地帯の車
で、このなかで俺はBMWが一番スキ
カトリックらしい華がある -
BMW=カトリックではないよ。
確かにバイエルン州で多く走っているが、
ブルジョワのベルリン市民(ユグノーと改革派教会の伝統がある)も
BMWが大好きだよ。
BMWのオーナーで大株主のQuandt家は、ユグノー(改革派教会)の名門だよ。
工場労働者はカトリックが多いが、経営者、オーナーはプロテスタントという図式が
はっきり出ているのがBMWだよ。
ミュンヘンにいる友人(カトリック信仰者)の話では、ミュンヘンの富裕層には改革派プロテスタントが多いとのこと。
カトリックやルター派は人数は多くても、富に関しては改革派にはかなわないとのこと。
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの「プロ倫」は思弁の書ではなく、
ドイツの現実を的確に書き表していると、友人は言っていた。
>>430 でもBMWの有名なカーデザイナーのクリストファー・ハイザーとかヘンリク・フィスカーとかクリス・バングルはみんなカトリック教徒だよ。
BMWの経営はプロテスタント、デザインはカトリックで綺麗に住み分けされてるようにみえる。
だから少なくともBMWのカーデザインはカトリック文化の影響があるっていう指摘は当たってると思う。
>>430 興味深いですね。
日本の場合、経営者・オーナーは○○宗の信者が多いとか、
そんな図式はないのかしらん。
日本なんて、実質無宗教が大半だし。
でも、たいていの会社に神棚やお稲荷さんがあったりするw
カイザースラウテルン(ドイツ西部)26日共同】ドイツの首都ベルリン東部
など旧東ドイツ地域で25日、外国人を標的にした暴行事件が相次ぎ、モザンビー
ク人男性ら5人が負傷した。公共テレビARDが26日、伝えた。
サッカーのワールドカップ(W杯)開催を控え治安当局は警備強化を表明してい
るが、ネオナチなどによる外国人襲撃はむしろ増加傾向にある。
ARD(電子版)によると、ベルリン東部プレンツラウアーベルク地区で25日、
トルコ系男性が4人組に外国人蔑視(べっし)の言葉を浴びせられるとともに殴ら
れ負傷した。
ドイツ北部ウィスマールでは同日、ヒトラー式の敬礼をした男らにインド人男性
が殴られ負傷。
【カイザースラウテルン(ドイツ西部)26日共同】ドイツの首都ベルリン東部など
旧東ドイツ地域で25日、外国人を標的にした暴行事件が相次ぎ、モザンビーク人
男性ら5人が負傷した。公共テレビARDが26日、伝えた。 サッカーのワールド
カップ(W杯)開催を控え治安当局は警備強化を表明しているが、ネオナチなどに
よる外国人襲撃はむしろ増加傾向にある。
ARD(電子版)によると、ベルリン東部プレンツラウアーベルク地区で25日、トルコ
系男性が4人組に外国人蔑視(べっし)の言葉を浴びせられるとともに殴られ負傷した。
ドイツ北部ウィスマールでは同日、ヒトラー式の敬礼をした男らにインド人男性が殴
られ負傷。
ソース
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006052601003678 【国際】外国人5人襲われ負傷 ドイツ、W杯控え事件増加
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1148641812/
436 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 11:31:21 O
極右による外国人襲撃は別にドイツだけ現象ではない フランスやベルギーでも起こっている 若年失業者急増のフラストレーションのはけ口としての一過性の外国人襲撃よりも ポーランド、オーストリアなどの極右政党の政権参画を問題にすべきだろう
フランスって国、なんで極左も極右も元気一杯なん
438 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 18:09:00 0
カエサルが言ってたでしょ 「ガリア人は人の言葉にすぐ左右され軽挙妄動する ところが困難に遭うと、その困苦を耐え忍べない」 全ガリアの謀反とアレシアの決戦 ↓ ヴェルシンジェトリクス降伏す ↓ 模範的なプロヴィンキアへ
439 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 19:36:05 0
>>432 日本の大企業経営者には伝統的にどういうわけか浄土真宗系が多い。特に本願寺派。
零細企業では日蓮宗系(創価含む)が多くなる。
ちょっと古い(80年代の)話だけどね。
440 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 20:44:29 0
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3949/text.15.html ご存知、M.ウェーバーの説によれば、資本主義経済の離陸には資本主義の
精神やエートスと呼ばれる勤勉な労働倫理が必要だった、ということに
なります。その役割を、日本では浄土真宗や石田梅岩の商人道などが
果たしてきたわけです。
たとえば、北陸を中心とした売薬行商。宗教社会史の有元正雄氏は、
「全国的に真宗地帯には売薬行商が多い」と指摘しています。その理由
として、
(1)勤勉、正直、節倹、忍耐など真宗門徒の高い徳性が職業倫理を生んだ。
(2)真宗地帯では堕胎、間引きの風習がなく、人口増加が労働力を生んだ。
(3)加持祈祷やまじないを排し、医薬で治療を図るという合理的精神を育てた、
などの点を挙げています。
また、現在でも大阪(そもそも大阪の基盤は石山本願寺の寺内町)では、
御堂筋(西本願寺の北御堂と東本願寺の南御堂があることからついた名前)
沿いに多くの企業が密集しています。これは、御堂の鐘の音が聞こえる
ところに本店を持ちたいという父祖伝来の夢を持った近江の浄土真宗門徒
商人たちが集まって商売を始めたのがきっかけです。近江商人は、浄土
真宗の信心による独自の職業倫理を実践していたことで有名です。
「プロ倫」でウェーバーが扱っている「プロテスタント」というのは ルター派でなくカルヴァン派のことなんだよな。 ルター派は全くといっていいほど問題にされていない。
443 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 01:29:24 O
最近 ヨーロッパを詳しく学んだが 確かにドイツは漫画のネタにしやすいな。
445 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 09:40:50 0
インドでは商業、とくに金融業に従事する者にジャイナ教徒が多いんだってさ。 農業に従事すると、畑を耕し、土中の虫を殺すことになるから。
446 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 14:35:40 0
>>442 ヴェーバー自身の信仰は改革派だったという事実がある。
ヴェーバーの改革派を中心におく学説には、
ベルリン大学神学部の大物教授ハルナック(彼の信仰はルター派)が批判的で、
個人的に手紙を書いて、ヴェーバーにあるルター派の過小評価を
批判したと言われている。
個人的にはルター派は無骨な田舎者という印象がある。
フォンターネ(ユグノー)の作品なんか読むと、
洗練された都会派という印象を受ける。
ユグノーは、プロイセンやドイツへの愛国心は強かったと言われている。
プロイセン軍の創成期にはユンカーと共にユグノー系将校も多かった。
第2次大戦時のドイツ空軍のトップエース、
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ(Hans-Joachim Marseille)は
ユグノーのドイツ軍人として有名。
447 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 14:38:35 0
マルセイユはトップエースじゃないが。 30位くらいだよ。 トップエースはエーリヒ・ハルトマン
>>446 ドイツ語としてはユグノーでなく、アイトゲノッセでは?
どちらも元々カトリック教徒によってつけられた蔑称だったよね。
449 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 14:44:18 0
プロ倫読むと、この本は実はカルヴァン派思想に対する批判の書ではないかと思えてくる。
450 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 14:48:15 0
ラインラントのような先進商業地域はカトリックだし。
451 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 14:53:11 O
仲
452 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 15:06:46 0
近代の資本主義を生んだ(発明した?)のはカルヴァン派プロテスタントの持ってる強迫神経症だが、 資本主義のエートス自体は普遍的なものだから、 その気になれば別にカルヴァン派プロテスタントでなくとも資本主義は体得できるって理解でOK?
453 :
世界@名無史さん :2006/05/30(火) 22:17:18 0
ドイツの知識人にはなぜ発展段階論にこだわる人が多いの? ヘーゲル、マルクス、ヴェーバー、フリードリヒ・リスト…
影響を受けているのだろ
455 :
世界@名無史さん :2006/05/30(火) 23:54:33 0
戦後の日本で、進歩史観・発展段階論にもとづいて、「進んだイギリス・ フランス、遅れた日本」というイメージか形成されたのと同じだと思われ。 要するに後進国だったから。 近藤和彦『文明の表象 英国』(山川出版社)はこの問題がテーマになっている。
日本人が好きな近代ドイツっていわばドイツの中のユダヤなんだよな。 日独同盟は根本的に矛盾してる。
基本的に目指すべきは日英同盟 日米英三国同盟なら世界制覇できる
日本が大陸国と同盟したら昔のように失敗する 明治時代の日露協商論とか、 現代の親中論とか国益が疑わしい
460 :
世界@名無史さん :2006/05/31(水) 15:20:13 0
じゃ日中国交回復は破滅の一歩だったのかね。
当たり前。 日本は英国と同盟を結び日米英の三国体制を確立することの方が先決なのだ。 パラオの住民はなぜ皆親日で、日本を郷愁を込めて「内地」と呼んでくれるのか? それは第一次大戦で日本の先人がミクロネシアをドイツの殖民地搾取から解放したおかげだ。
(゚Д゚)ハァ?
463 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 00:28:06 O
バルトの楽園って映画みたいな。 ドイツ捕虜と日本人がテーマなんて珍しい。
ドイツは植民地で酷い搾取やってそうだな。 ただのイメージですが。
英仏よりはましだろう
>>463 言っとくがあれ間違いなく層化のプロパガンダ映画だぜ
電車の中刷り広告見ると層化の新聞雑誌で大々的に宣伝してるよ
>>464 南洋諸島の場合、地力もろくにないところで無理なプランテーション経営な
>>465 ちっとも変わらん
南洋の場合、ドイツは後発国で、支配した期間が比較的短かっただけ
467 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 13:42:33 0
薄暗くて、田舎臭くて童貞っぽいドイツが大好き
おとなしい子は切れると怖いのです。
469 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 13:56:33 O
別に適地でないとこにプランテーション経営を展開して失敗した例はドイツ以外の国でも多い 例えば西インド諸島とか プランテーション経営に一旦成功してものちのち地力が衰えたり、その商品の価格暴落したりして展開地のモノカルチャー経済が崩壊する例も多分にある 植民地経営は投機的なものがいくぶんかあるので結果論的にどうこう言ってもしかたのないことだ ドイツのことをどうこう言っている人間のレスは意図的なものだ 相手にしない方がいい
この帽子ドイツんだ?
471 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 15:42:35 0
オラんだー
472 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 19:51:01 O
近代ドイツ・オーストリアの天才って ことごとくユダヤ人なわけだけど、なんかワケあんの?
>>466 >南洋諸島の場合、地力もろくにないところで無理なプランテーション経営な
ドイツは海外植民地のノウハウがないためか、あちこちで最悪の簒奪をした。
パラオでは第一次大戦でドイツ人を追い出してやってきた日本を大歓迎した。
日本は簒奪経済を導入するどころか、パラオの近代化に全力をそそいだからだ。
当時のパラオの人は、ドイツ統治時代は地獄だったと言ったそうだ。
持たざる国に逆戻りしたドイツを 持てる国となった日本帝国が慕って反米に走ったのは皮肉な話
475 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 22:41:36 0
いや日本はあくまで反共であって反米じゃなく、 日独伊三国同盟だってソ連牽制が目的だったんだが、 日中戦争に介入して欲しい中国国民党と、 ヨーロッパの戦争に介入して欲しいイギリスの思惑で、 対米戦争にうまく引き込まれてしまったというのが実際のところ。 日本がドイツと組んだ失策がチャーチルとルーズベルトの対日陰謀を招いたそもそもの原因。 歴史から反省しなければ歴史からしっぺ返しを食らう。
476 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 05:39:40 0
三国同盟はアメリカへの牽制の意味も相当に強いもの。 というより、同盟の立役者である松岡は対米牽制を明確に意識している。
477 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 05:46:50 0
>>473 大嘘
大体パラオなんかに奪えるほどのものはないだろうに
ソースよこせよ
ちなみに、学者とかがたまに生物の研究に来るくらいで
基本は放置。これが南洋諸島に対するドイツのスタンス
478 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 12:42:22 0
>>473 >パラオでは第一次大戦でドイツ人を追い出してやってきた日本を大歓迎した。
>日本は簒奪経済を導入するどころか、パラオの近代化に全力をそそいだからだ。
日本はあちこちで解放者だったんだが、今でも解放者として扱ってくれるのはパラオくらいだな。
大事にしなければ。
479 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 21:25:45 O
473の反ドイツの捏造レス書き込んでいる輩はいろんなスレに出てるよ 論調見ればわかるよ スルーすべきだな
南洋が親日になった理由は戦後のアメリカの統治政策が、あまりにいい加減だったから。 補助金漬けでなんの産業も興さずで島民男子のほとんどがニートになっちゃった。 あげくに核実験場を作って死の灰降らせたりしたもんだから 日本統治時代を懐かしむようになった。
482 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 01:28:59 0
>>481 核さえなければ最高に羨ましい話だなあ。
昔からニートだろ南洋の人は。 ただドイツ統治時代に遠洋航海が完全禁止されてしまい、 狭い島に閉じ込められて黙々とプランテーションで働かされた。 まあ、いわゆる農奴だな。 日本統治時代も許可無く遠洋航海することは禁止されていたが、 その代わり皇民化政策で教育や文化を興し、実質的に日本人として扱った。 アメリカ統治時代になるとまた文化が廃れ、男はニートで村はスラム化し、貧乏時代に逆戻り。
アメリカ領東サモアなんか今も島民ニート状態で、独立どころか アメリカへの市民権や選挙権を要求することもほとんどしていない。
日帝時代がいちばんよかったんだよな。 当時の日本人には南洋の人々に対し誠の心があった。
486 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 20:29:54 O
480が省略しているヶ所を書き込んでやろうか 日本が南洋諸島を支配するようになって、しばらくしてから日本の外務省が調査したところ日本人入植者による窃盗・強姦・暴力行為により現地人は子供を日本人に近付けない傾向にあるなど反日感情は高まっていた 日本人は現地人に強制労働を行ったり椰子の実を買い占めたりし伝統的なカヌーでの遠洋航海を禁止した 仕事の給与も日本人の3分の1、日本人警官は規則を破った島民を鞭打ちした 8〜14歳の公学校では日本語が強制され、上級生は放課後に日本人家庭で働かされた 現地人の子供は日本人学校には入学できず、公学校の上の上級学校は「土民の現在の文化の程度」に合わせて設置せず 1926年になって木工徒弟養成所を作った程度である
個々の事例で異なるのでなんとも言えん。 もちろん480についても同じだが。
それだったら、ドイツ軍がWW2時に、アフリカやソ連に 進出した時も、アフリカ人からはイギリスの 植民地からの解放軍として、ソ連の市民からは 共産主義からの解放軍として、歓迎されたのも 事実。
そこでインド独立派もドイツに接近したら ヒトラー曰く「インドが独立するなんざ後100年掛かる」だったっけ?
490 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 21:50:07 0
>>486 省略って、
>>480 のリンク先のタイトルは「ドイツの植民地」だろ。
省略も何もそのページのどこにそんなことが書いてるんだよ。
事実は真実ではない。
492 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 22:56:27 O
おお元のHPから見ろよ 偉そうに語るじゃねえよ
特に好きでも嫌いでもないが 隣国に比べたら相対的に大好きだな
494 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 23:05:19 O
なんの脈絡もなしに唐突に引き合いに出すなんて、 よほど朝鮮が気になって仕方がないみたいだな。
ドイツもポーランドに比べたら、韓国とか北朝鮮の方が 100倍付き合いやすい国だろうな。 韓国や北朝鮮は、日本の領土の3分の1以上も 占領してないし、ポーランドはプロイセンとかシュレージェンとか ドイツ東部の大部分を占領している。
496 :
世界@名無史さん :2006/06/05(月) 03:44:18 0
>>475 476が正しい。
三国同盟は親独+親ソで米英に対抗する四国同盟をめざして失敗したもの。
孤立した日本の迷走ぶりをしめすものととったほうが良い。
ソ連と睨み合いしてて、大陸権益で米英(特に米国)ともめてて、国民党他とはほとんど常に抗争状態で…という風に、情けないぐらい孤立していたのが三国同盟締結前の日本。
498 :
世界@名無史さん :2006/06/05(月) 16:10:13 0
>>495 ヲイヲイ、韓国と北朝鮮は日本の領土の4割を占領してるんだが。。。
韓国は日本の一部を不法占拠中だが 半島自体は日本人が住んで居た内地じゃねーだろ。
500 :
世界@名無史さん :2006/06/05(月) 16:37:26 O
韓国ネタは韓国スレでどうぞ
>486、でも欧米はこれでも最良って思ってたんだよな・・・ってことは?・・・わかるよね?
503 :
世界@名無史さん :2006/06/05(月) 20:53:26 0
>>499 ほう、朝鮮半島は日本の正規の領土ではなかったとでも?
その珍しい御持論を詳しくお聞かせください
まあ、もちつけ。 朝鮮は、ドイツにとっての東プロイセンとかと違ってあくまで外地だ。 むしろ失ってせいせいしたろ? 2次大戦で失った国土で、ドイツと対比するなら、朝鮮じゃなく千島南樺太ですよ。 国土の10%も占領されてるのですよ。
>>503 ほう、その話が正しいとすれば、ドイツは
ポーランド全域とロシア西部、フランス東部は
ドイツの正規領土だな。
台湾や朝鮮みたいな外地・植民地は
プロイセン、ダンチヒ、メーメル、ポンメルン、
シュレージエン、エルザス
みたいなドイツ古来領土と一緒に出来ない。
九州や中国地方、近畿辺りの領土を失って、
初めてドイツ人の本当の気持ちが判るだろ。
少しはドイツの歴史についても勉強しとけ。
江戸時代からの固有領土、南樺太を失ったろ
アイヌは縄文人を祖先とする日本系民族ですので 縄文時代からの固有領土です。
508 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 11:14:01 O
二度の敗戦による荒廃や、東部領土の消失、国家の分断という ハンデを背負いながらも現在はアメリカ、日本につぐGDP 世界3位の経済大国。 はっきりいって、今の日本、ドイツ等の枢軸で組めば、 連合国なんて怖くないんじゃない?
うち核ないよ…日本、ドイツ 核だらけだよ…米英仏
510 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 13:58:29 O
通常、GDPは購買力平価で統計を出すのが日本以外の国々 するとGDP2位は日本ではない 意表をつく国が2位になる
中国
支那でしょ。一般常識。
513 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 15:57:55 O
倭が3位
>>505 >ほう、その話が正しいとすれば、ドイツは
>ポーランド全域とロシア西部、フランス東部は
>ドイツの正規領土だな。
国際条約で正式に編入された領土と
そうでなく、勝手に占領していた地域があるのでは?
>プロイセン、ダンチヒ、メーメル、ポンメルン、
>シュレージエン、エルザス
これはドイツ民族固有の領土か?多民族共存地帯じゃないか?
ドイツ民族領とはとてもいいがたいこういった地域は国際法のみが領土を規定するものではないのか?
>プロイセン、ダンチヒ、メーメル、ポンメルン、 >シュレージエン、エルザス こういった地域でドイツ人の住んでいたのは点のような都市部だけで、 広大な農村地帯一帯はドイツ人以外の民族所有だったとだけ書いておこう
516 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 16:17:53 O
そんなこと言ったら戦前のポーランドの ヴィリニュス地域はリトアニア ガリツィア地域はウクライナ 西プロイセン地域、オーバーシュレージェンはドイツ チェシン地域はチェコスロバキア だな
未だ日本はドイツを裏切っていないわけか
>>516 その論法なら
ヴィリニュス地域はリトアニアでいいかもしれないが、
他は圧倒的にポーランドだろ
特にオーバーシュれージェン、ここは完全にポーランド(シレジア蜂起参照)
だが俺は国際法のみが領土を規定すると主張してるだろ
なにが「そんなこと言ったら」だ、逆だよく嫁
購買力平価で計算すると、昭和16年の日本のGDPは、 2000億ドルで、2500億ドルのドイツ並みの国力。 すげーな戦中の日本。 まあ、名目も実質も購買力平価も 指標の一つに過ぎないと言うわけだ。
520 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 21:58:21 0
ドイツの軍服かっこいいよな 帽子も。外人が着るからまた似合う 帽子についてるがい骨のマークはいらないが
由緒あるデザインだそうだけど現代日本人には 特撮ヒーローモノにありがちな安っぽい悪役みたいに感じるわな。
522 :
世界@名無史さん :2006/06/14(水) 22:23:04 0
え、そうなの?由緒あるデザインだったんだ
ドイツ騎士団にも用いられたデザインだそう。ミーハー趣味なヒムラーが制帽のマークに採用したんだって。
そうだったけ?
526 :
世界@名無史さん :2006/06/16(金) 11:20:07 O
シレジア蜂起? ヴェルサイユ条約で10万人に制限されたドイツの軍隊はオーバーシュレージェンに存在していない どこで“武器を調達”したんだ? 当時、同地に存在していた武装組織は“仏英伊連合軍のみ” ポーランド軍は事前に私服を着させて部隊を送り込んでいたじゃないかよ だからイタリア軍はその武装集団と交戦した この併合地域に部隊を潜入させ、いかにも同地域でポーランドによる併合を望んでいるように見せ掛けたやり方はヴィリニュス地域の併合のやり方に酷似している 第一、ポーランド人がオーバーシュレージェンでドイツ人より多いというなら、なぜ事前の国民投票で“ドイツ帰属を望む”が“60%以上”なのか とてつもないインフレに悩む敗戦国のドイツにわざわざなぜ帰属を望むのか! 混乱している経済立て直しにやっきなドイツ政府が関与する余裕もないしな
>>526 >ヴェルサイユ条約で10万人に制限されたドイツの軍隊はオーバーシュレージェンに存在していない
>どこで“武器を調達”したんだ?
>当時、同地に存在していた武装組織は“仏英伊連合軍のみ”
第一回シレジア蜂起
ドイツ:国境警備隊および、2万1千人のドイツ兵と4万人の予備役兵。
第二回シレジア蜂起
ドイツ:(第一回シレジア蜂起と同様)
第三回シレジア蜂起
ドイツ:国境警備隊、民兵、フライコープス総勢6万人
3度とも、ドイツは約6万人の武装組織を投入した。
ヴェルサイユ条約の範囲内であり、当然のことながら武器弾薬は充分にあった。
一方、ポーランド側は第一次大戦を通じて独立運動を戦ったポーランド系義勇兵のみ。
528 :
527 :2006/06/16(金) 16:13:00 0
>>526 >この併合地域に部隊を潜入させ、いかにも同地域でポーランドによる併合を望んでいるように見せ掛けたやり方はヴィリニュス地域の併合のやり方に酷似している
>第一、ポーランド人がオーバーシュレージェンでドイツ人より多いというなら、なぜ事前の国民投票で“ドイツ帰属を望む”が“60%以上”なのか
住民投票では707605人がドイツへの帰属に、479359人がポーランドへの帰属に投票。
そのうちドイツから「戦略的に送り込まれた」者が179910人、ポーランドから「自主的にやってきた」者約10000人。
これらを差し引くと527695人がドイツに、469359人がポーランドに投票したことになり、まだドイツ側が58336人多い。
しかし…
ルール地方に出稼ぎに行っていたポーランド系シレジア住民約50万人(!)が投票のための一時帰郷を許可されていない。
ドイツの政治的陰謀の典型例。
彼らの一時帰郷が許可されていたら、ポーランド人が圧倒することは火を見るより明らか。
一方、ポーランド人の立場の弱さにつけこんだドイツ人の汚さもこれで火を見るより明らか!!
>とてつもないインフレに悩む敗戦国のドイツにわざわざなぜ帰属を望むのか!
>混乱している経済立て直しにやっきなドイツ政府が関与する余裕もないしな
ドイツのハイパーインフレ、経済混乱は1922-23年。
一方一連のシレジア蜂起は1919-21年。
ハイパーインフレや経済混乱とは全く関係ない!!!
オーバーシュレジェン(上シレジアに)の件でのドイツの悪逆非道はいくら非難されても仕方ないことである!
もうちょっと勉強し、「中立的」歴史観を獲得してから出直すことだな。
(=´ω`=)y─┛~~
529 :
世界@名無史さん :2006/06/16(金) 16:40:46 O
笑わせるなよ 当時の財政難のドイツの政府の状況でどうやって多数の住民を動員して、戦略的に送り込めるんだ? 第一、そんな大規模な住民移動があったらオーバーシュレージェンに駐留していた反独的な仏軍が気づいて阻止するだろうが まあ、仏軍はオーバーシュレージェンに侵入してきたポーランド軍を支援したがな ましてはオーバーシュレージェンだけでなく、北シュレスヴィッヒでも住民投票が行われてデンマークに帰属したが なぜ、ここでは“戦略的住民移動”が行われなかったのかねぇ 数少ない海軍港湾キールに極めて近い戦略的位置はオーバーシュレージェン以上と思われるがねぇ
>>529 >笑わせるなよ
それは自分がきちんとした反論が出来ない証拠。必死になって笑わなくてもいい。
あとは「なぜ…なんだよ?」の質問の繰り返し。
歴史の事実はそのまま事実として受け取ることが大事。
理由なんかは想像の範囲。歴史は不条理の繰り返し。
まあオーバーシュレジェンの場合、民族的な敵愾心と地下資源の利権問題が絡んでいることは確実。
財政難だからこそ資源の豊かなオーバーシュレージェンを絶対失いたくない。だからドイツは汚いことでも何でもした。これは確かだな。
それ以上の理由をズラズラ並べても意味ないだろう。
ドイツがいつも正しいという発想では歴史を曲解することは確か。
(=´ω`=)y─┛~~
531 :
世界@名無史さん :2006/06/16(金) 17:16:59 O
ほう、じゃあ、そっちがネタ元にしてるのは“侵略した側”のソースだけじゃないの ポーランドがリトアニア人、ウクライナ人、ユダヤ人に対して行ったことを留意してるんだろうな 俺はナチス賛美主義者でないが、ポーランドが他民族に対して行った行為はとても自慢できるもんではないと思うがね 戦間期にポーランド化に抵抗して蜂起したガリツィアのウクライナ人のことは当然ご存じだと思うが 残虐に鎮圧したのも “よーく”わかったよ じゃあ“出せば”いいんだな
>>520-525 (シレジア蜂起の件でムキになって食って掛かる民族馬鹿は放っておいて…)
髑髏はフリードリヒ大王の時のプロイセン第5軽騎兵連隊がオーストリア継承戦争のとき帽子に付けたたのがルーツだよ。
後にスウェーデンとロシアの騎兵も真似をした。
んでまたナポレオン戦争のときにもプロイセン側の公爵フリードリヒの部隊が
黒い服装に髑髏のマークの付いた帽子という格好をして、フランスへの復讐を誓った。
んで第一次大戦の後にフライコープスが黒装束に髑髏のマークの付いた帽子という格好をした。
同じ理由からだろうな。
これがナチSSの服装の直接のモチーフになっている。
(=´ω`=)y─┛~~
>>531 >戦間期にポーランド化に抵抗して蜂起したガリツィアのウクライナ人のことは当然ご存じだと思うが
>残虐に鎮圧したのも
ポーランド・ウクライナ戦争のことをポーランドの残虐行為と考えるあたりでもう話にならない。
あれは西ウクライナの独立戦争。
ウクライナ人は独立を求めるのに平和的方法でなく、武力を使った。
それでウクライナ人が負けただけと、それだけの事実。
あと事実を付け加えれば、パリで平和条約が結ばれて、ガリツィアでは25年後に住民投票が行われること、
ソ連がウクライナ共和国に対する侵略をするので、ポーランドがウクライナを軍事援助することが決まった。
民間人虐殺みたいな、ドイツがやったような変なことはやってないよな。
(=´ω`=)y─┛~~
そういえば最近、ポーランドとウクライナはやたらと仲がいいな。 ウクライナはポーランドと合邦すべきだというウクライナ人学者の論文がプラウダに載っていたな。 合邦って、ウクライナ人にとってはハッピーかもしれないが、ポーランド人には迷惑な話だろ。 あんまりガンガンやればロシアに睨まれるし。 この話はドイツとは関係ないけど。 (=´ω`=)y─┛~~
535 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 00:15:52 0
残虐なポーランド人支配に対して果敢に立ち向かった、それがウクライナコサック
>>535 は上の論戦で圧倒されて悔し紛れに煽ってるとしか思えない卑しい書き込みw
帽子についてるがい骨のマークはいらないが これって思いっきり暴走族のセンスだよなw 国の正式の服装に、ゴロツキのセンスを持ち込むあたりがまた ネオナチなんかにはたまらないんだろ。
>>535 地方のポーランド人悪代官にセガレを殺された私怨問題なのに、
ポーランド国家がウクライナ人を呪われたユダヤ人の手に売ろうとしていると言いふらしてヘーチマンに登りつめ、
よりによって宿敵クリム・ハン国と結託しては奇妙な大義名分のもとポーランドに対して大反乱を起こし、
ついでに10万人以上のユダヤ人を虐殺し、
さらにはなんと自らロシアの支配下に収まるという愚行を犯し、
ところが実際にツァーリ支配が始まるとあわててロシアに対する反乱を画策して、
その間に死んじまった。
大局が見えないために反乱を起こして大洪水時代の発端を作り、その後のポーランド・ウクライナ・ロシアの平和を
滅茶苦茶にしてしまった自分勝手で愚かなウクライナ・コサック、それがフメリニツキー。
とも言えるんだが。
現代のウクライナ民族派の連中でもこれは内心わかっているが、
あの国はほかに英雄がいないから英雄にせざるを得ない。安重根みたいな?
一方、後のポーランド人はフメリニツキーを憎んではおらず、
ウクライナ人との様々な誤解から生まれた不幸な歴史と素直に捉えていたようで、
その証拠に19世紀のポーランド人画家ヤン・マテイコの傑作『フメリニツキーの反乱』にも
フメリニツキーが格好良く描かれている。
数年前に公開されたポーランド映画の歴史大作『ファイアー・アンド・ソード』でも、
フメリニツキーは敵でありながらも人間的に描かれていたからウクライナでも大ヒットした。
つかドイツスレでポーランドを持ち出して無理して誹謗している奴って何なんだろう。
ドイツが好きでもアンチポーリッシュになる必要なんかないのに。ナチヲタ?
ドイツとその東方諸国との関係史は結構好きなんで俺はかまわないが、
ドイツを離れて東方諸国だけの話では他人は迷惑だろうな。
(=´ω`=)y─┛~~
539 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 20:28:41 O
●オーバーシュレージェン問題.1 当時のドイツ政府の状況 1919年の国家債務は1440億以上あったが、租税による歳入が望めない以上国債発行は継続された 当然の如く、ライヒスバンクは紙幣発行を増加せざるを得ず、インフレは進行した 1921年1月 パリの連合国会議で賠償総額2260億金マルク、42年間の年賦支払いをドイツに請求 同年3月初旬 以上の決定事項を4日以内に受諾するか、満足する対案を提出せぬ場合、制裁を加えるとドイツに最後通牒 ドイツは承服できぬため、拒否 同年3月 仏軍はデュッセルドルフ、デュイスブルク、ルールオルトを占領 同年4月 賠償総額を1320億金マルクに減額、毎年20億金マルクと輸出額の26%支払いを請求、7日間猶予の最後通牒(ロンドン支払計画) 以上のようにドイツ政府はオーバーシュレージェン問題に全く直接関与できない状況下にあった
540 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 20:44:12 0
541 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 21:04:12 O
オーバーシュレージェン問題.2 経過 1921年4月20日 ヴェルサイユ条約規定によりオーバーシュレージェンで帰属を問う住民投票が行われた 中産階級や商業従事者の多いドイツ人、ユダヤ人はドイツ帰属に投票(意外と思われるかも知れないが、前大戦中、ポグロムを恐れていたロシアのユダヤ人はドイツ軍占領地へ逃亡してくる者が多かった) 農民、労働者の多いポーランド人はポーランド帰属に投票 結果 ドイツへの帰属希望 60%弱 1921年5月 ポーランド軍及びオーバーシュレージェン駐留の仏軍の支援を受けたコルファンティ指揮下のポーランド側の暴動が起こる 駐留伊軍はこの反乱軍と交戦 ドイツ政府の支援が受けられぬ、ドイツ帰属側は自衛のため、義勇軍を駐留英軍黙認のもとに結成 1921年5月23日 貧弱な武装にもかかわらずドイツ帰属側義勇軍はポーランド反乱軍占領下にあったアンナベルクを奪回 しかしながらドイツに有利になることを恐れたポーランドとフランスは国際連盟に圧力をかけ、当時の国際連盟事務総長石井菊次郎はフランス主導の連合国最高会議に裁定を求めた 結果、ドイツ側に極めて不利な国境画定が行われた つまりオーバーシュレージェンのほとんどの工業地帯と炭鉱を抱合した3213平方qをポーランドに帰属させる裁定を下した ポーランド帰属領での先ほどの住民投票でもポーランド帰属希望は56%にすぎず ドイツ帰属側は猛然と抗議したが受け入れられなかった
542 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 21:31:24 O
ポーランドによるヴィリニュス地域併合 1920年10月7日 ヴィリニュス地域をめぐり、戦闘状態にあったリトアニア軍とポーランド軍は停戦協定を締結 停戦ラインはスバウキ県を南北に分けるラインでヴィリニュス県はリトアニアに帰属した しかし翌8日 ピウスツキの命令を“無視”したポーランド軍1万5000の軍がヴィリニュス県に潜入 (実際は潜入はピウスツキの命令である) ポーランド軍はリトアニア軍を奇襲し、撃破 ポーランドはヴィリニュス地域で「中部リトアニア」というカイライ国家を建国 1922年1月8日カイライ国家「中部リトアニア」は国会議員選挙を行う 無論、侵略者の選挙に対しリトアニア人とユダヤ人はボイコット 同年2月22日 ほとんどポーランド人に占められた「中部リトアニア」議会はポーランドへの併合を議決 同年3月24日 ポーランド国会は「中部リトアニア」の併合を承認した
543 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 22:24:44 O
ポーランドのリトアニアに対する最後通牒 ポーランドとナチスドイツの関係は後のチェシン地域併合を見てもわかるように怪しいのだが・・・ 1938年3月11日 ナチスドイツはオーストリアに最後通牒を通告 同年同月同日 リトアニア・ポーランド国境で不可解な事件が起きる リトアニア人農民とポーランド人農民とのトラブルでポーランド国境警備隊員が銃殺されたという リトアニア人農民が火器を所持していとは思えないのだが・・・ この事件に対するポーランドの反応は異状に素早い まず、国民を扇動し、「カウナスへ進軍させよ」とポーランド各地でデモに動員 1938年3月17日午後8時20分 エストニア首都タリンの駐ポーランド大使は駐リトアニア大使に対し文書を手渡す 内容は ・リトアニアは「中部リトアニア」のポーランド領有を承認すること ・リトアニアは直ちにポーランドと国交を樹立すること ・国交樹立文書の内容はポーランド側により決定されること ・国境防衛権はポーランドが所持すること ・以上の内容を48時間以内に承服しない場合はポーランドは直ちに“その他の手段を用いる” 最後通牒である 当時のリトアニアの現状では承服せざるを得なかった
544 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 22:37:12 0
蘆溝橋事件みたいだな
545 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:16:29 0
日韓併合条約みたいだな
546 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:17:11 0
第一回シレジア蜂起 ドイツ:国境警備隊および、2万1千人のドイツ兵と4万人の予備役兵。 第二回シレジア蜂起 ドイツ:(第一回シレジア蜂起と同様) 第三回シレジア蜂起 ドイツ:国境警備隊、民兵、フライコープス総勢6万人 3度とも、ドイツは約6万人の武装組織を投入した。 ヴェルサイユ条約の範囲内であり、当然のことながら武器弾薬は充分にあった。 一方、ポーランド側は第一次大戦を通じて独立運動を戦ったポーランド系義勇兵のみ。
547 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:17:48 0
528 :527:2006/06/16(金) 16:13:00 0
>>526 >この併合地域に部隊を潜入させ、いかにも同地域でポーランドによる併合を望んでいるように見せ掛けたやり方はヴィリニュス地域の併合のやり方に酷似している
>第一、ポーランド人がオーバーシュレージェンでドイツ人より多いというなら、なぜ事前の国民投票で“ドイツ帰属を望む”が“60%以上”なのか
住民投票では707605人がドイツへの帰属に、479359人がポーランドへの帰属に投票。
そのうちドイツから「戦略的に送り込まれた」者が179910人、ポーランドから「自主的にやってきた」者約10000人。
これらを差し引くと527695人がドイツに、469359人がポーランドに投票したことになり、まだドイツ側が58336人多い。
しかし…
ルール地方に出稼ぎに行っていたポーランド系シレジア住民約50万人(!)が投票のための一時帰郷を許可されていない。
ドイツの政治的陰謀の典型例。
彼らの一時帰郷が許可されていたら、ポーランド人が圧倒することは火を見るより明らか。
一方、ポーランド人の立場の弱さにつけこんだドイツ人の汚さもこれで火を見るより明らか!!
>とてつもないインフレに悩む敗戦国のドイツにわざわざなぜ帰属を望むのか!
>混乱している経済立て直しにやっきなドイツ政府が関与する余裕もないしな
ドイツのハイパーインフレ、経済混乱は1922-23年。
一方一連のシレジア蜂起は1919-21年。
ハイパーインフレや経済混乱とは全く関係ない!!!
オーバーシュレジェン(上シレジアに)の件でのドイツの悪逆非道はいくら非難されても仕方ないことである!
もうちょっと勉強し、「中立的」歴史観を獲得してから出直すことだな。
(=´ω`=)y─┛~~
548 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:28:43 0
659 :2006年まで名無しさん :06/06/13 16:16 ID:C2cAL3h2
>>655 なんかポーランドって昔からドイツの陰謀にかかってばっかりだな
そもそも情報戦に弱いな
いまだって第二次大戦の戦犯はポーランドってのがネット定説になりつつある
あのデマって極右ドイツ人が昔のナチスのプロパガンダを載せてるサイトとか
ソフィア先生の逆転裁判から広まったっんだよな
549 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:32:24 0
ブロンベルク事件にオレが最初にであったのは、7〜8年前だと思うけど図書館でみた本だった。 題名は覚えてないし、当時はあまりそんな強い印象もなかった。 当時覚えていた内容を思い返すと、1939年9月3日、ドイツ軍のポーランド侵攻直後だった。 第一次大戦後、ポーランドに奪われた西プロイセン地方に住むドイツ系住民百万のその後の運命だった。 その日は、日曜日で教会の礼拝に行く途中のドイツ系住民の婦女子に、ポーランド人がこん棒や、斧などもって 襲い掛かり虐殺した。 そのことだけが記憶に残っていた。 最近になって出会ったのが「世界戦争犯罪辞典」でたまたま新橋の本屋で見て、この項目が載っていた。 開戦前から、ポーランドは国内のドイツ系住民に弾圧を加えていたが(結局は、それがヒトラーの望んでも居なかったが結果として ポーランド撃つべしとプロイセン系将軍から突き上げられたことは容易に想像できるが)それが開戦の大きな要因であろう ことは容易に想像できる。 9・3にドイツ軍が迫っているとして、地元のポーランド警察や一般のポーランド住民、はては敗残のポーランド兵も 加わって、武器や無線機などかくしていないかどうかを調べると言って、ドイツ系住民の家に押し入り、暴行、殺人、強姦、略奪、放火をはたらいた。 このことは戦後も1960年末にいたるまで調査がおこなわれ、当事者、目撃者の尋問により、当日虐殺されたドイツ系住民の名前3841人を割り出した。 そのリストに載っていないものを考慮すると4000〜5000人にのぼる。 イェドワブネよりも虐殺規模はおおきい。 しかし、敗戦ドイツには何も言えない。 イェドワブネのユダヤ人殺しの件を聞いたときも、ポーランドのブタ野朗と思った。 やったことよりもそれを隠し、しかもその罪を敗戦で何もいえない ドイツになすりつけること自体卑劣国家だと思った。
550 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:35:19 0
>>542-543 江華島事件→日朝修好条規にそっくりだな
ドイツ帝国のミッテルオイローパ構想によって人工的に作られたリトアニアという傀儡国家(事実上ドイツの属国)は正しいのか?
中華帝国によって維持された李氏朝鮮という傀儡国家=属国は正しいのか?
日本による日朝修好条規は悪なのか?日本は悪なのか?
551 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:39:00 0
まず第一にブロンベルク事件ですが、 それは「ヒムラー作戦」と呼ばれるドイツによる一連の捏造事件作戦の一つです。 捏造事件は総計21件に及びます。 そこには、ブロンベルクのほかに、グライビッツの放送局事件も含まれます。 ブロンベルクでドイツ人虐待は発生しなかったし、 グライビッツ事件はSSによる自作自演でした。 ドイツにはいまだにブロンベルクでドイツ系住民が虐待されたと主張しつづける勢力があり、 「世界戦争犯罪事典」はその主張を鵜呑みにして無邪気にも記載しています。 イェドワブネのユダヤ人殺害事件はドイツ占領下のポーランドの一農村におけるポグロムに過ぎません。 加害者とされるポーランド人は約40人、犠牲者は約380人。 事件が発覚するとすぐにポーランド大統領は犠牲者の遺族に謝罪をしていますが、 たった40人のポーランド人が380人ものユダヤ人を殺害できたことに当然疑問が残ります。 しかもドイツ占領下です。ポーランドの警察や軍隊等は村ではまったく機能していません。 当時村には約20人の武装SS隊員が駐在しており、事件を単に傍観していただけだということになっていますが、 そんな状況はあまりにも不自然です。 何らかのかかわりがあったとしか考えられません。 村人をそそのかした上に主導した疑いが残ります。あるいは事件を強制したのかもしれません。 今後の検証が必要でしょう。
552 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:40:06 0
ドイツやオーストリアなどドイツ民族側の主張では、 この件におけるドイツ人被害者の数についての記述は異常なほど誇張されており、 逆に報復と称してランダムに選定されて殺害されたポーランド人被害者の数は異常なほど過小に唱えられている。 また、ポーランド人に対してドイツ人が最初に攻撃したのに、 ポーランド人敗残兵のせいにされており(事件当時ブロンベルクにはドイツ軍は到着していなかったのでポーランド敗残兵など存在しない)、 これは信憑性どころか典型的な歪曲案件として欧米では最近大問題になっている。 また、ドイツ系住民は厳重に禁止されていた火器の保持を秘密裏にしゲリラ闘争の準備をしていたのも事実で、 この点をもってしても本来は当局の厳重な処罰の対象となるべきだった。 さらに決定的に大問題なのは、このとき犠牲のでたほとんどのケースは明らかに私刑事件であり 戦争犯罪どころかポーランド国内の通常の刑法犯罪なのに、 世界戦争犯罪事典ではなぜかこれがポーランド国家による戦争犯罪と扱われている点である。
553 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:41:07 0
(続き) しかも世界戦争犯罪事典のそのオーストリア人とやらの記述は 1939年当時のナチ・プロパガンダをそのまま書き写したものであって、 これだけでも信憑性がないことは明白。
554 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:42:08 0
一方、英語やドイツ語のネットをみていて見つけたことですが、 ブロンベルク事件以前の1939年8月にドイツで「タンネンベルク作戦」が行われています。 この作戦でドイツに住むポーランド系少数民族の政治団体の人々が無実の罪で、8月だけで約2000人殺されています。 「タンネンベルク作戦」は1939年10月まで行われ2万人が虐殺されたそうです。 ホロコーストと異なりこれには詳細な殺人リストが残っているそうで否定できない事実です。 その後、「AB行動」という作戦も行われ、何万人もの無実のポーランド人が殺害されています。 これも殺人リストの残っている明白な虐殺事件だそうです。
>>542-543 江華島事件→日朝修好条規にそっくりだな
ドイツ帝国のミッテルオイローパ構想によって人工的に作られたリトアニアという傀儡国家(事実上ドイツの属国)は正しいのか?
中華帝国によって維持された李氏朝鮮という傀儡国家=属国は正しいのか?
日本による日朝修好条規は悪なのか?日本は悪なのか?
556 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:46:14 0
>>550 分割して統治の原則に則ってポーランド弱体化を謀ったドイツの卑劣なというかいつものやり方だな
ポーランド万歳ですな
田中ぷにえ
>>557 は上の論戦で圧倒されて悔し紛れに煽ってるとしか思えない卑しい書き込みw
560 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:42:32 0
ドイツ人囚人にポーランドの軍服着せて自分とこの放送局で殺しといて、
死体の写真見せてポーランド人がテロやったとホザいた自作自演のドイツ人に言ったらどうなの?
ブロンベルクで、ありもしないドイツ人虐殺をさもあったかのように喧伝して、
戦争の口実にしたドイツ人に言ったらどうなの?
ドイツの汚いやり口の例はまだまだ腐るほどあるけどw
195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/06(月) 22:13:33 ID:52jeNSRQ
>>194 死体の写真見せてポーランド人がテロやったとホザいた自作自演のドイツ人に言ったらどうなの?
それだけのこったことをやっておいて、ドイツ首脳人のだれが、それを理由に開戦の理由として公言したのか。
その人物と、その公言の内容を言ってくれよ。
この物語自体、戦後、フランスのポーランドよりの歴史家によって書かれたもの。
どこまで信憑性があるのかボクにはわからないよ。
ただ、そのポーランドよりの書いた物語からの引用はやめてね。
ボクはこの物語など信用してない。
561 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:43:15 0
196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/06(月) 23:07:44 ID:52jeNSRQ
>>194 ブロンベルクで、ありもしないドイツ人虐殺をさもあったかのように喧伝して、
戦争の口実にしたドイツ人に言ったらどうなの?
ブロンベルグ事件は開戦後にポーランド人が犯した国家的犯罪だ。
もっとも、ポーランドは戦前からダンチヒや、西部ドイツ領侵略の口実のため、国内のドイツ系住民に
数々の弾圧を加えて挑発していたことは事実だが。
197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/06(月) 23:10:00 ID:52jeNSRQ
>>196 西部ドイツ領侵略
失礼、東部ドイツのまちがい。
198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 00:01:21 ID:52jeNSRQ
当時のドイツ・ポーランド国境は、何十件もの国境侵犯事件が起きている。
もちろん、その当時は、双方が相手の侵犯だとして非難しあっていた。
ポーランドは英仏を味方にひきつけた結果、ますますつけあがりドイツに対してその嫌がらせ挑発を
エスカレートさせていったいきさつがある。
562 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:44:13 0
>>559 論戦なんか参加していない。
純粋にポーランド万歳
564 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:45:44 0
203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 00:33:10 ID:TZmaGK78
>>202 不満なら反論してみろ
ここは軍事版ではないはずだが・・
どうやらお前墓穴を掘ったようだな。おまえはこちらの質問に答えてない。この物語のいったようにポーランドよりのフランスの歴史家に
よってかかれたもの それをルーツにしているようなネットコピペなど何の意味もない。
俺が聞いているのは、ここまでこったことをして、それを開戦理由としてグライビッツのグの字も公言したドイツの政治家がいたかということだ。
「爆弾には爆弾を」 、その爆弾を作り続けたのは、度重なる挑発を続けたポーランドだったのは明らかだ。
1939年3月、ポーランドは軽々しく、ヒトラーの和平案に対し軍事動員をもって答えた。
半ば宣戦布告だ。 そこから開戦にいたる9月1日までドイツ・ポーランド国境間で何件の国境侵犯事件がおきたかお前わかっているのか。
グライビッツの国境侵犯事件などその一件にすぎない。
もちろん、国境侵犯など互いの狸と狐の化かしあい。 どちらかと言えばポーランドが一方的にドイツにケンカを売っていた。
その間、度重なる国境侵犯、軍事恫喝をもって第一次大戦後、ドイツから奪った西プロイセン地方に残された百万のドイツ系住民に対し
卑劣な弾圧を加えたことはポーランドに融和的だったヒトラーの態度を硬化させるには十分だったろう。 事実、開戦直前にヒトラーは
イギリス外務省にあてて開戦をほのめかす文書を送っている。
「ポーランドのドイツ系住民に対する行為は野蛮かつ制裁に値する不当なものである。ポーランドにおいてドイツ系住民の多くが迫害を
受け、強制連行によって非常に残虐な手段で殺されたものも出ている。この状況は、主権国家として容認しがたいことである。
正当な利権を守るため、必要な措置を取らざるを得ないことになった」。
それは堪忍袋の尾がきれたということだ。 要はすでに開戦は避けられない自体になっており、その要因を作り続けたポーランドが
一方的被害者などと言うことはありえない。 そのなかで、大いに脚色されていると思わざるを得ないグライビッツの事件など何の意味もなさない。
そして、開戦こそダンチヒ併合、ドイツ東部の領土を我が物にしようとする挑発を続けたポーランドの望むところだった。
565 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:46:54 0
206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 02:21:46 ID:XAgZt+3d
>>203 >イギリス外務省にあてて開戦をほのめかす文書を送っている。
>「ポーランドのドイツ系住民に対する行為は野蛮かつ制裁に値する不当なものである。ポーランドにおいてドイツ系住民の多くが迫害を
>受け、強制連行によって非常に残虐な手段で殺されたものも出ている。この状況は、主権国家として容認しがたいことである。
>正当な利権を守るため、必要な措置を取らざるを得ないことになった」。
だいたい今となってはでっちあげの内容だったとわかっているこういう書簡をぬけぬけと引用しながら、
一方でクラウゼヴィッツ事件はなかっただの、ポーランドが国境侵犯しただのといいきるお前の脳内どうなってんの?
ポーランドは未だ滅びず!!
ビリニュスにしてもチェシンにしても戦前のポーランドは他国を侵略しているようで実際は国際法からは一切逸脱していないし、 そういった政策の動機もポーランドの国際情勢をよくよく調べれば一理ある物ばかりだった。 ガチでポーランド万歳。
568 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:51:57 0
おまえらドイツのスレでポーランドの話題ばっかうざい。 ポーランドスレでやれ。
569 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:54:24 0
ポーランドによるドイツ侵犯やドイツ系への迫害をでっち上げることを目的とした「ヒムラー作戦」は、 グライヴィッツ事件、ブロンベルク事件など、21件の自作自演または捏造事件から成っている。 21件それぞれの事件の詳細については多くの日本語訳資料があるが、 「ヒムラー作戦」の周知を図るためにも、この作戦そのものを 体系的に記述した日本語の一般著作が待たれるところである。 「ヒムラー作戦」(Operation Himmler)侵略戦争のプロパガンダの典型であり、 この作戦により一貫して行われた21の事件は、その好例である。
570 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:54:45 0
ポーランドを叩いて煽ってるやつらうざい。 ここはドイツのスレ。
571 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:55:15 0
227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 19:47:54 ID:qLseSavB
>>225 「ヒムラー作戦」の周知を図るためにも
というよりもともとヒトラーはポーランドを共通の敵スターリンの仲間として迎え入れるつもりだった。
ポーランド第二共和国のヤクザ国家は、それを一蹴し、すでに選挙でドイツ領化されようとしていた
ダンチヒの併合を目指して、そしてドイツの東部領土に食指を伸ばしその制圧を目指していたからこそ
ヒトラーの和平提案に対しても応ずるどころか、数々の嫌がらせ挑発、そしてイギリスの無能政治家チェンバレンが
そのヤクザ国家に安全保障をしたことでこのどうしようもないチンピラ国家はますますドイツに挑発的になり、嫌がらせの
度が増した結果今次の大戦を招いたというのが真実だろうね。 事実、英仏はポーランドの力を過大評価していたことが伺え、
うまくいけばポーランドが進行目覚しいドイツの力を削いでくれるとぐらいにしか思っていなかったんだろ。
だから、開戦後、その威勢のいいドイツへのケンカの売りっぷりとはうらはらに2週間であっけなく無様な敗北、英仏はそれを見て唖然、
その後、半年は陸上では何も起きなかったばかりか、同時期に東からポーランドに侵攻したスターリンに対しては宣戦どころか、同盟を結ぼうと言う
ていたらくだった。 その時点で英仏はこの手に負えない無責任きわまるチンピラ国家と手を結んだことを大いに後悔したことだろ。
572 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:57:20 0
またアンチポーランドのコピペ荒らし。 マジうざい。
573 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:59:05 0
>ポーランドを叩いて煽ってるやつらうざい。 同意! 国際情勢板・語学板・旅行板・軍事板とポーランド関係のスレに 壊れたレコードみたいに同じことばかり書いてやがる。 専用のスレがあるのだから、そこで好きなだけ書け!!
574 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:03:57 0
「世界戦争犯罪事典」はその主張を鵜呑みにして無邪気にも記載しています。 あなたの言っていることはこの辞典の多くの著者の名誉毀損にもかかわることです。 あなたはこの事典を読んだことがあるのでしょうか。 この事典自身、日本、欧米の90人近い著名人からの協同著作です。 問題の事件は「ブロンベルグ血の日曜日事件」として欧米では知られています。 そして、この記述の部分はオーストリアの国立国防アカデミー講師によるものでその 信憑性に疑う余地はありません。
575 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:06:26 0
576 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:19:27 0
ドイツやオーストリアなどドイツ民族側の主張では、 この件におけるドイツ人被害者の数についての記述は異常なほど誇張されており、 逆に報復と称してランダムに選定されて殺害されたポーランド人被害者の数は異常なほど過小に唱えられている。 また、ポーランド人に対してドイツ人が最初に攻撃したのに、 ポーランド人敗残兵のせいにされており(事件当時ブロンベルクにはドイツ軍は到着していなかったのでポーランド敗残兵など存在しない)、 これは信憑性どころか典型的な歪曲案件として欧米では最近大問題になっている。 また、ドイツ系住民は厳重に禁止されていた火器の保持を秘密裏にしゲリラ闘争の準備をしていたのも事実で、 この点をもってしても本来は当局の厳重な処罰の対象となるべきだった。 さらに決定的に大問題なのは、このとき犠牲のでたほとんどのケースは明らかに私刑事件であり 戦争犯罪どころかポーランド国内の通常の刑法犯罪なのに、 世界戦争犯罪事典ではなぜかこれがポーランド国家による戦争犯罪と扱われている点である。
577 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:20:05 0
(続き) しかも世界戦争犯罪事典のそのオーストリア人とやらの記述は 1939年当時のナチ・プロパガンダをそのまま書き写したものであって、 これだけでも信憑性がないことは明白。
579 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:31:18 0
この馬鹿をポーランド関連のスレに輸出するのは止めてくれ。 ポーランドだけではない、バルカンだとかチェコだとかスラブ だとかいうスレには必ず馬鹿が荒らしに来る。 こっちで引き取ってくれ。
581 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:35:30 0
チェコ人って大戦中はろくにレジスタンスもしなかったくせに、 戦争終わるやいなやずーっとチェコに住んでいたドイツ系住民を追い出したんだよ。 例のミツコ・アオヤマ・フォン・クーデンホーフ伯爵夫人の令嬢の一人も その際に難民化。命からがらドイツに逃れた。 欧州の朝鮮人、と命名しましょう。 ま、日本人で90年代初頭にかの国に入国した人で良い印象持った人は少ないと思います。
582 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:36:40 0
終戦直後、ポーランドはまだ、最終的な国境画定が連合国間で定まらないうちに 自国の管理下にあったドイツ領(シュレージェン、ポンメルン、東プロイセン)から ドイツ人の土地、財産をとりあげ、着の身着のまま銃剣で追い出した。 そして、既成事実を作ろうと懸命だった。
583 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:37:21 0
ポーランド人はひどい。 戦後、ポンメルン、シュレージエンから残ったドイツ人を土地財産、家畜を奪った上追放した。 避難の過程で、多くのドイツ人が子供、老人を中心に、飢え、疲労、リンチで死に追いやった。 その数は、300万に達したと言われている。 その反面、上シュレージエンのオッペルン地方には、かなりのドイツ人の子孫が残っているが、 彼らは、かの地方の豊富な石炭資源の開発、採掘技術を持ったドイツ人は残した。 ポーランド人にとってもこの資源と、ドイツ人の高度な技術は必要だったからだ。 しかし、彼らに対してもポーランド語を強要し、彼らの祖先の墓石にまでポーランド名で刻むよう強要した。 もっとも気に入らないのは、その悪逆を続けたポーランド人が戦争の偽被害者ぶってることだ。
585 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:38:23 0
チェコは戦後ズデーデン地方に住んでいたドイツ人を追放したろ。 ポーランドと同じく退去命令を出し期限内に退去出来なかったドイツ人を虐殺したろ。 その退去命令は2日か3日だったはず。 その日にちで財産処分出来る訳無く多くのドイツ人は棄てて来たと。
586 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:39:49 0
レジスタンスに参加したのはポーランド人全体から見ればほんの一部 大多数のポーランド人はナチに協力して嬉々としてユダヤ人虐殺に加担していた。 この話は「戦勝国」ポーランドではタブーだけどw
587 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:40:45 0
タブーだから、日本人が積極的につついてやらないとね。 ポーランド人が平和愛好家で人種差別がないなんて、ウソもいいところ。 チェコもそうだ。チェコ人は嬉々としてユダヤ人をナチスに渡した。 その点を我々が、どんどん突っつく。チエコの偽善性が暴かれる!! 南フランスのある村で、すべての村人がユダヤ人を守って隠し通したなんて 事例は稀有なことだ。 当たり前にできることが、やれなかったのは、ヨーロッパ人が基本的に 人種差別意識が強いからに違いない。
588 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:45:32 0
戦車作っていたというけど、もともと、チェコの戦車(スコダ社)は、ドイツ人居住区域の ズテーテン地方にあった旧ハプスブルグの会社で、ドイツ人が経営していた だから、純粋ないみでのチェコ製なんかではない ドイツがズテーテン地方のドイツ人区域を奪い返して、そのT38戦車は生まれたての ドイツ機甲師団の戦力増強に役立ったことは確かだ 人造国家チェコスロバキアは分解する運命にあった 第二次大戦後もスロバキア人のチェコ人に対する恨みは第二次大戦中のスロバキアの英雄 ティソ神父(ドイツと協力し、スロバキアの独立を目指し達成したが、戦後チェコ共産政権に 処刑された)の銅像をつい最近チェコから独立した後作った経緯からもうかがわれる ズテーテン返還後の残ったチェコ人領域はただの農地であり経済的にやっていけないことは 明らかだった
(*´ー`) そうですね。
590 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:46:15 0
ポーランドはドイツ人を追放しなかった? いや、調べたところ、ポーランドではドイツ人だろうがポーランド人だろうが民族関係なく私有財産没収して国有化したため、 ドイツ人が急速にスターリニズム化するポーランドを嫌って自ら難民として出て行ったとか。 進駐ソ連軍の命令で、一般ポーランド人は難民として出て行くドイツ人に対して、 食料や衣類を与えることを禁止したため、飢えや寒さで多くの人が亡くなったが、 それでも一部のポーランド人は秘密裏にドイツ人に物資を提供したと。 ポーランドに残るのはドイツ人は自由意志で選択できたが、 ポーランド人として再登録をするのに帰化手続きが煩雑で時間がかかる上、 私有財産も国に没収されるし周囲から復讐されるかもしれないのでそれを嫌って殆どのドイツ人はポーランドを離れた。 シレジア地方などの一部のドイツ人には炭鉱などの仕事があったので、職のあてのないドイツへ行くことをあきらめ、 ポーランドにとどまった。 で、ベネシュ布告を発令してドイツ人とハンガリー人を対象に国家が追放をしたチェコスロヴァキアとは事情が全く違うと。
591 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:46:54 0
シュコダの工場はもともとドイツ人居住区域(ズテーテン地方)のピルゼンという町で、 ビールでも有名だが、1866年、ドイツ人による創業で、ワルトシュタイン伯爵機械工場として 発足した。 後のチェコ人の手にわたるが、世界の兵器メーカとしての基礎はドイツ人に よるものであってチェコ人によるものではない。
592 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:48:18 0
チェコの工業化の基礎も、もちろんチェコ人なんかによるものではない。 発端は、1760年にプロイセンとの戦争に負けて、ハプスブルグ帝国の工業の中心地シュレージェン地方が 奪われたことだった。 女帝マリア テレジアは、その代わりとして、鉱物資源に恵まれたボヘミア、モラビア地方の 工業化に乗り出した。 又、エルベ川によって、ドイツ北海沿岸の港にもつながる優位性もあった。 プラハとウィーンの 間にはヨーロッパに鉄道の時代が訪れると真っ先に施設された。 ボヘミアの経済の発展は一部のチェコ人にもブルジョワを生み出した。 もっとも、その工業地帯はドイツ人の居住区域ズテーテンに集中しており、その意味からすれば、プラハのような都市を除けば 他のチェコ人居住区域に経済を支えるようなさしたるものはほとんどない。 そのためにも、第一次大戦後、民族自決の原則といいながら、ドイツ人居住区域ののズテーテン地方を併合し経済的自立をはかる 必要があったのではないか。要は、ボヘミアの工業化は、ハプスブルグ家、ドイツ人の力によるものであってチェコ人なんかによる ものでは決してない。 その意味では、第二次大戦後のチェコ人のドイツ人に対するやり方は、恩を仇で返したことになる。
593 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:49:23 0
>>590 の続き
その証拠にポーランドにはドイツ人を対象に財産を没収したり追放したりした法令が一切ないと。
594 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:49:25 0
ティソ神父は反共の英雄で、反チェコの英雄ではない アホくさ こういうバカは救いようがないね。 反共だのなんだの言う前に、第二次大戦戦前の話だろ。 そのときすでにチェコは共産化されていたとでもいうのか。 ドイツに協力し、スロヴァキアの首相の座に着いた。 戦後、チェコスロバキアとなった国家は、チェコ人が主導をとった政権だ。 それが共産主義だろうとなかろうと。 戦後、ユダヤ系住民の収容所への送還を めぐって、チェコ人の共産政権から処刑された。 第二次大戦後、スロヴァキアは、だれの影響からでもなくチェコから分離したというより、独立した。 チェコ人から受けた、侮辱をはらすかのよう独立後にティソの銅像が立てられたのも、チェコ人への 侮蔑を物語っている。 チェコ人もポーランド人も、戦後、ドイツ人や、スロヴァキア人、ハンガリア人に対して、特にドイツ人に対して 数々の悪行を重ねてきた。 ドイツ人避難民に対して、カレル橋に追い詰め、虐殺した悪行は今でも知られている。 橋の上から、乳母車に乗ったドイツ人の乳幼児を、乳母車ごと母親からとりあげ、橋の上から川に投げ込んだ。 狂乱した母親は、その後を追って川に飛び込んだ。 そして、その後をチェコ人暴徒の短機関銃の弾丸がその母親の 後を追った。 こういった、一連の悪行は、ポーランド人がドイツ人追放を戦後の共産政権がやったこと、われわれは 知らんといっているように、チェコ人もこういった悪行を知っていながら、ドイツ人追放を共産政権のいせいにしている。
595 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:51:09 0
ポーランドはドイツ人を追放しなかった? いや、調べたところ、ポーランドではドイツ人だろうがポーランド人だろうが民族関係なく私有財産没収して国有化したため、 ドイツ人が急速にスターリニズム化するポーランドを嫌って自ら難民として出て行ったとか。 進駐ソ連軍の命令で、一般ポーランド人は難民として出て行くドイツ人に対して、 食料や衣類を与えることを禁止したため、飢えや寒さで多くの人が亡くなったが、 それでも一部のポーランド人は秘密裏にドイツ人に物資を提供したと。 ポーランドに残るのはドイツ人は自由意志で選択できたが、 ポーランド人として再登録をするのに帰化手続きが煩雑で時間がかかる上、 私有財産も国に没収されるし周囲から復讐されるかもしれないのでそれを嫌って殆どのドイツ人はポーランドを離れた。 シレジア地方などの一部のドイツ人には炭鉱などの仕事があったので、職のあてのないドイツへ行くことをあきらめ、 ポーランドにとどまった。 で、ベネシュ布告を発令してドイツ人とハンガリー人を対象に国家が追放をしたチェコスロヴァキアとは事情が全く違うと。 その証拠にポーランドにはドイツ人を対象に財産を没収したり追放したりした法令が一切ないと。
(*´ー`) そうですね。
597 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 01:54:38 0
パウル カレルの「捕虜」を読んだけど、旧ユーゴスラヴィアのチトー共産党は、第二次大戦後 捕らえたドイツ軍捕虜に、すでに戦争が終わっているにもかかわらず、ありとあらゆる拷問、死の行進を 女性を含む捕虜にくわえた その多くは死んだ 明らかに国際法違反だ そして、戦後、長きにわたってドイツ人捕虜を拘束し、チトーのやってき自らの国民に対する非道を悪逆を、 そのドイツ人捕虜がやったことにするよう、彼らを拷問し、いわれのない罪を認めさせ,その罪状にサインを させた上で、射殺、処刑した そのような形で、戦後、チトーは同じスラブとはいえ、その国家をまとめるための意志杖にしてきた スラブ民族、ポーランド、セルビア、ロシア、滅んでしまえ 人でなし民族、国家!
599 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:02:10 0
そういえば確かにベネシュ布告のあるチェコスロバキアとちがってポーランドには追放法令ってものはないな。 せいぜいポツダム協定の第12項にしか法的根拠を見出せない。
600 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:10:09 0
第一次世界大戦前ではドイツ領であったダンツィヒ地方は、ドイツの敗戦によって 国際連盟管理下に置かれていたものの歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、 また住民の96%はドイツ人。 ポーランド人その他は3%以下だった。 ポーランドが占領していたポーランド回廊は東プロイセン地方をドイツ本国から 切り離し、そのせいで極めて不安定な状態にあった。 さらに、ポーランドに在住するドイツ系住民は少数民族として、 迫害を受けていた。 ポーランドは国際連盟管理下のダンツィヒ自由市に1920年1月9日に結ばれた条約に 「ポーランドはポーランドとの直接結合のためダンツィヒ港内に郵便、電信、電話局を 設置することができる」という特権をもっていた。 しかし、ヘベリウス広場にある郵便局は名ばかりで、防護用の強化壁、 鋼板でかため軍事要塞と化していた。 ダンツィヒ自由市におかれていたすべてのポーランド側事務機関も同様抵抗拠点の 様相を呈していて、職員もすべて軍事教練を受けた予備役兵からなっていた。 これは国際連盟が認めていた事でなく、ポーランドによる明らかな侵略行為。 つまり、ポーランドは近い将来、ダンツィヒを、リトアニアによるメーメル地方の占領 のように不法占領するための、明らかな戦争準備を行っていたという事。 ドイツはこのような危機的状況により、ポーランドに対し自衛的進出を余儀なくされた。
601 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:21:22 0
360 :世界@名無史さん :2006/06/15(木) 16:55:53 0
>>355 14世紀初頭、ダンチヒ(当時はまだグダニスクと呼ばれ、ダンチヒという名前はドイツ人の間でも一般的ではなかった)の住民は
リューベックの系統のドイツ人商人が多かったが、親ポーランドで、反ドイツ騎士団(チュートン騎士団)だった。(つづく)
602 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:22:22 0
361 :360:2006/06/15(木) 16:56:56 0 グダニスクはドイツ騎士団のハンザ都市エルビンク(エルブロンク)と利権を巡って紛争状態にあったのが理由。 ウィリアム・アーバンによると、ダンチヒの住民はドイツ騎士団によって一度ほぼ全員が殺害されたことがあるという。 その後すぐブランデンブルクの候ヴァルデマールがグダニスク周辺の所有権(一方的な所有権の主張だが)を 1万マルクでドイツ騎士団に売ってしまったので、この地域は神聖ローマ帝国に編入され、グダニスクはダンチヒと呼ばれるようになった。 ドイツ騎士団はこの後ダンチヒに対する迫害を強化し、リューベック系の商人たちを完全に追い出し、 その際にダンチヒ都市評議会のメンバーの首を切って皆殺しにした。 ダンチヒがハンザ同盟に加盟したのはその後のことだが、ダンチヒはドイツ騎士団に実質支配されていて、 住民はみなドイツ騎士団を嫌っていた。(つづく)
603 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:22:55 0
362 :360:2006/06/15(木) 16:58:03 0 このドイツ騎士団によるダンチヒ支配の一連の経緯を知っていたポーランド側はドイツ騎士団支配の不当性を訴え、 ヴワディスワフ1世とその息子カジミェシュ大王の代にドイツ騎士団と数度戦争をし、 その際ダンチヒ住民はポーランド側について戦った。 この結果カリシュ条約が結ばれた。 カリシュ条約によりポーランド王は神聖ローマ帝国ポメラニア(ポンメルン)公としての地位が約束され、 一定の権限が与えられたが、それでもドイツ騎士団の実質支配はその後もつづいたので、 ダンチヒ住民にとっては不服な結果となった。(つづく)
604 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:23:32 0
363 :360:2006/06/15(木) 16:59:16 0 ダンチヒはその後15世紀半ばに、ドイツ騎士団に同様に反感を持っていた近くのハンザ都市エルブロンクとトルンと共同で「プロイセン同盟」を結成して、 ドイツ騎士団に対して反乱を起こし、ポーランド王カジミェシュ4世の庇護を求めた。 この結果プロイセン編入法がポーランドの首都クラクフで可決し、ポメラニア(ポンメルン)全域がポーランド王国に編入されることになった。 これを機にポーランド(+ポメラニアのハンザ都市)とドイツ騎士団との間で13年戦争となり、 これはドイツ騎士団の敗北およびポーランド王に対する全面降伏という結果となった。 これが第二次トルン和約である。これによってプロイセン全域が正式にポーランド領となった。 15世紀から16世紀にかけてポーランド領グダニスク(ダンチヒ)はポーランド王の庇護の下その経済的・文化的な黄金時代を謳歌することになる。 16世紀の半ばにはそれまで習慣的に使われていた中低地ドイツ語に替わって、標準ドイツ語公用語と定められた。(つづく)
605 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:24:21 0
364 :360:2006/06/15(木) 17:02:23 0 ダンチヒの黄金時代、町には裕福なドイツやポーランドの商人の邸宅や ポーランド大貴族の別宅が建てられ、美しい港湾都市が形成された。 第二次世界大戦で多くが破壊されたが、戦後、ポーランド市民の協力で歴史地区は完全に復元された。(つづく)
606 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:24:55 0
365 :360:2006/06/15(木) 17:03:12 0 18世紀後半、第一次ポーランド分割の際、ダンチヒ住民はプロイセン王国編入に抵抗して激しく戦い、街の独立を維持した。 しかし、結局第二次ポーランド分割の年に西プロイセンに編入されてしまった。 19世紀初頭にはナポレオンによってダンチヒ自由市として一時的な独立が回復されたが、 ナポレオンの敗北により再びプロイセン王国に再編入されてしまった。 このときショーペンハウアーが経験したことが彼のペシミズム哲学に反映されている。(つづく)
607 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:25:25 0
366 :360:2006/06/15(木) 17:03:53 0 ダンチヒはドイツ人が多い都市でありながら、一貫して反ドイツ的であり、ドイツ連邦にさえも反対して加盟しなかった。 その後1871年にドイツ帝国が成立すると、ダンチヒは帝国に強制的に編入されてしまった。 したがってダンチヒがドイツだったことは歴史上ほとんどなく、 正確にはドイツ帝国成立時の1871年から第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約締結時の1919年までの48年間だけである。 その後のダンチヒ自由市(ドイツからの離脱)はダンチヒ住民が望んだことだった。(つづく)
608 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 02:25:57 0
367 :360:2006/06/15(木) 17:08:41 0 ポーランド・ソヴィエト戦争のとき、社会主義思想に染まったダンチヒの港湾労働者は ポーランドへの貨物輸送業務を妨害するためにストライキを行った。 このことから、第一次世界大戦の戦勝国によって特別な関税同盟が作られ、 ダンチヒ郊外のヴェルテルプラッテ港がポーランドに割譲され、そこがポーランドの軍事物資のターミナルとなり、 そこに小さな守備隊が置かれることになった。 ヴェステルプラッテの軍事用途での使用はダンチヒの安全を脅かすとしてダンチヒ住民の反感を買ったため、 ポーランドは外国(主にアメリカ)からの投資を受けてダンチヒの西25キロの自国領内にあった漁村グディーニアに 最新式の施設をもつ大規模な港を作った。ここは関税も安く、通貨も書類もポーランドのものだけで済む為面倒がなくて使いやすく、 結果軍事物資だけでなくダンチヒで扱っていた物資のうち高付加価値のものはほとんどグディーニア港で取り扱うことになった。 グディーニアは大好況となり多くのポーランド人が全国から移住してきた。結果グディーニアはバルト海沿岸で最も大きくもっとも豊かな港となった。 ダンチヒは経済発展から置き去りにされ、住民の間にポーランドに対する嫉妬の感情が渦巻いていた。 当然のように親ナチ的団体が急速に力を持つようになり、ユダヤ人は迫害された。 1938年10月にはドイツ第三帝国がダンチヒのドイツ編入を求めてポーランドに詰め寄ったが、ポーランドは断固拒否し、ダンチヒの独立存続を主張した。 1939年になると全てのユダヤ系住民はダンチヒを脱出した。第二次世界大戦は1939年9月1日に始まった。
(*´ー`) そうですね。
610 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:01:25 0
ドイツ主力3選手に“裏切り”疑惑浮上!?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060614-00000004-ykf-spo ドイツは14日、1次リーグ突破をかけてポーランドと対戦する。初戦欠場した主将バラックが復帰、
ポーランド出身の2トップ、クローゼとポドルスキーにとっては母国との対決となるが、別の話題で物議をかもしている…
…一方、決戦を前に、ポーランド人女性を称賛して、ドイツ人女性を敵に回してしまったのが、
FWのポドルスキーとクローゼだ。
2人は両親の帰化に伴い、幼児期にドイツ人となった。ポドルスキーは「ポーランドの女性は誠実で温かい。
エロチックな光線を発散している」と話せば、クローゼも「ドイツの女性ほど気性が激しくない。
たばこ、酒、パーティーにはあまり手を出さないし」と発言したもの。
ちなみに2人の現在の恋人はもちろんポーランド人だった。(夕刊フジ特電)
611 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:03:54 0
ドイツ、ポーランドのフーリガン衝突
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/06/16/02.html サッカーW杯のドイツ−ポーランド戦が行われたドルトムントで14日、試合開始前から両国のフーリガンが暴れ始め、
計429人が拘束される事件が起きた。騒動は翌15日の明け方まで続き、フーリガン32人と警察官1人が軽いケガを負った。
フーリガンが暴れて拘束されたのは今大会初めてで、第2次世界大戦から続く両国の微妙な関係を象徴する深刻な事態となった。
暴動の発端は、ドルトムントの旧市街広場。地元警察によると、試合開始前の両国サポーターは当初、
友好的な雰囲気だったそうで「笑顔でビールなどを飲んでいた」という。だが、辺りが暗くなるにつれて、
ドイツ人がビール瓶などを投げ始めた。そして、暴力的として警察に登録されていた男が屋外スクリーンに
向かおうとしたところを警察が阻止。男が近くにあったいすや瓶を投げ、花火に火をつけたのをきっかけに大勢のフーリガンが騒ぎ出した。
これにポーランドのフーリガンが加わり、双方が殴り合う騒乱状態に。さらに、この時点で、
ドイツに敗れ決勝トーナメント進出が絶望的になったポーランド人が暴徒化の一途をたどったようだ。
一方、“屋外スクリーン事件”に先立ち、ナイフを所持していたなどとして、ポーランドのフーリガンとみられる約60人が拘束されている。
ドイツ公共ラジオやAP電などによれば、拘束されたフーリガンは計429人。ドイツのフーリガンが278人、
ポーランドは119人で、残りは他の欧州の国籍。取り押さえた際に暴れるなどしてフーリガン32人と警察官1人が軽いケガをした。
15日朝までに3人を除く全員が釈放された。
612 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:05:00 0
ナチスが隣国ポーランドに侵攻してぼっ発した第2次世界大戦。1970年代の関係正常化交渉で両国(当時は西ドイツ)は和解したものの、 いまだにしこりは残っている。昨年11月には国境付近で両国フーリガン110人が衝突。 この日ドイツで先発したクローゼとポドルスキの両FWがポーランド生まれの移民という事実も、両国の関係に影を落としていた。 そのため、警察は2000人を動員して警戒に当たったが、騒動を防ぎきれずに特殊部隊が出動する事態になった。 15日午後、ポーランドの1次リーグ敗退が決定し、警察など関係当局の緊張が増した。 “フーリガン天国”といわれるイングランドの試合が行われるニュルンベルクでは、警戒と監視態勢をさらに強化した。
613 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:19:43 O
何回言ったらわかるのかね あらゆるヴァイマール共和国の歴史書見てもオーバーシュレージェンのドイツへの帰属は60%が真実 第一、ポーランド帰属が多かったら蜂起する必要ないだろう それにドイツ政府は連合国から賠償金請求の最後通牒を受けており、フランス軍に3つの都市を占領されている もし、そんな大規模な“戦略的移動”があったならドイツのフライブルクの公文書館に絶対記録があるはずだな “ファイルナンバー”教えてくれよ イギリスの黙認下でドイツ側が義勇兵を応募したのはポーランド側の反乱が起きた後の5月下旬だよ 第一、ドイツ側が連合国に無断で武装していたならヴェルサイユ条約“規定違反”で大問題になってるはずだな フランスが黙っているはずない それに10万の国防軍しか保有してないのに6万の義勇兵? いいかげんにしろよ!
615 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 12:17:59 0
第一回シレジア蜂起 ドイツ:国境警備隊および、2万1千人のドイツ兵と4万人の予備役兵。 第二回シレジア蜂起 ドイツ:(第一回シレジア蜂起と同様) 第三回シレジア蜂起 ドイツ:国境警備隊、民兵、フライコープス総勢6万人 3度とも、ドイツは約6万人の武装組織を投入した。 ヴェルサイユ条約の範囲内であり、当然のことながら武器弾薬は充分にあった。 一方、ポーランド側は第一次大戦を通じて独立運動を戦ったポーランド系義勇兵のみ。
616 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 12:18:34 0
528 :527:2006/06/16(金) 16:13:00 0
>>526 >この併合地域に部隊を潜入させ、いかにも同地域でポーランドによる併合を望んでいるように見せ掛けたやり方はヴィリニュス地域の併合のやり方に酷似している
>第一、ポーランド人がオーバーシュレージェンでドイツ人より多いというなら、なぜ事前の国民投票で“ドイツ帰属を望む”が“60%以上”なのか
住民投票では707605人がドイツへの帰属に、479359人がポーランドへの帰属に投票。
そのうちドイツから「戦略的に送り込まれた」者が179910人、ポーランドから「自主的にやってきた」者約10000人。
これらを差し引くと527695人がドイツに、469359人がポーランドに投票したことになり、まだドイツ側が58336人多い。
しかし…
ルール地方に出稼ぎに行っていたポーランド系シレジア住民約50万人(!)が投票のための一時帰郷を許可されていない。
ドイツの政治的陰謀の典型例。
彼らの一時帰郷が許可されていたら、ポーランド人が圧倒することは火を見るより明らか。
一方、ポーランド人の立場の弱さにつけこんだドイツ人の汚さもこれで火を見るより明らか!!
>とてつもないインフレに悩む敗戦国のドイツにわざわざなぜ帰属を望むのか!
>混乱している経済立て直しにやっきなドイツ政府が関与する余裕もないしな
ドイツのハイパーインフレ、経済混乱は1922-23年。
一方一連のシレジア蜂起は1919-21年。
ハイパーインフレや経済混乱とは全く関係ない!!!
オーバーシュレジェン(上シレジアに)の件でのドイツの悪逆非道はいくら非難されても仕方ないことである!
もうちょっと勉強し、「中立的」歴史観を獲得してから出直すことだな。
(=´ω`=)y─┛~~
617 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 12:33:46 0
530 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 16:54:09 0
>>529 >笑わせるなよ
それは自分がきちんとした反論が出来ない証拠。必死になって笑わなくてもいい。
あとは「なぜ…なんだよ?」の質問の繰り返し。
歴史の事実はそのまま事実として受け取ることが大事。
理由なんかは想像の範囲。歴史は不条理の繰り返し。
まあオーバーシュレジェンの場合、民族的な敵愾心と地下資源の利権問題が絡んでいることは確実。
財政難だからこそ資源の豊かなオーバーシュレージェンを絶対失いたくない。だからドイツは汚いことでも何でもした。これは確かだな。
それ以上の理由をズラズラ並べても意味ないだろう。
ドイツがいつも正しいという発想では歴史を曲解することは確か。
(=´ω`=)y─┛~~
>>613 >もし、そんな大規模な“戦略的移動”があったならドイツのフライブルクの公文書館に絶対記録があるはずだな
>“ファイルナンバー”教えてくれよ
フライブルクは知らないが、ロンドンの公文書館の資料の在り処なら知ってるが。
HMSOの1920-1921年版(シリーズ1、第11巻)と1921-1922年版(シリーズ1、第16巻)。
なんか俺の書き込みやたらとコピペされてるなぁ。まあいいけど。
(=´ω`=)y─┛~~
何でも知ってますね。いや皮肉じゃなく、ガチで。
都々逸
621 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 23:50:07 0
ポーラント至上主義者の方がよっぽど民族主義的 というより[ネオナチ]的と言った方がいいか 大ポーラント主義、反吐がでる 歴史的遺物もほとんど残さないくせにありとあらゆる東欧、ロシアの古代文化が全てスラブのものだととか ロシア人やポーラント人の歴史家だって全てスラブのものだと言ってはいないし 6Cのバルカンや8Cのエルベ〜オーデルにスラブが現れたとき残した乏しい歴史的遺物を見ても先程の文化をとても継承しているとは思えないものだ だいたい焼畑農耕に毛がはえた程度の非集約的農耕では古代では至上主義者が主張しているよう広範囲に広がるような人口は絶対ありえない 農耕スキタイ、農民スキタイがスラブであるなら、なぜフン族の征服した民族に名をつられない ポーランドはドイツ人の植民により三圃式農法を教えられ人口も増えだし、マグデブルク法をはじめ、ドイツ法によって都市が繁栄したのは歴史的事実
413 :世界@名無史さん :2006/06/19(月) 23:39:00 0 どこにポーランド至上主義者なんているんだよ? 例えば、 >農耕スキタイ、農民スキタイがスラブであるなら、なぜフン族の征服した民族に名をつられない こんなこと言ってるが、同時期のユスティニアヌス1世の称号にはアント人ってちゃんと出てくるだろ。 アント人というのは、東ローマの版図に隣接して大人口を擁した黒海沿岸のスラヴ語族集団だろうが。生半可な知識振り回すな。 それに、ドイツに感謝しろといわんばかりの態度の方が民族主義的だろうが当然。 大ポーランド主義と聞いて反吐出してるお前だよお前。 414 :世界@名無史さん :2006/06/19(月) 23:48:43 0 >歴史的遺物もほとんど残さないくせにありとあらゆる東欧、ロシアの古代文化が全てスラブのものだととか こんなこと書いた奴っていたっけ? 記憶にないので証拠を挙げて欲しい。 何回も同じような主張をしているのであれば、他の人間も気がつくはずだ。
>ポーラント至上主義者 ナニか?間違いを正すのがそんなに気に食わないのか?レッテル貼り? みなさんはこの馬鹿のたわ言を無視して楽しく話ししてください
624 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 01:22:58 O
ベルリン娘に思いっきりインサイド射精したい。 (>⊇<)
626 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 01:40:00 O
あほくさ! フン族が黒海北岸が征服したのは4世紀後半 ユスティニアヌス帝の治世は6世紀中頃だろうが フン族が襲来したとき、スラブが黒海北岸にいたらスラブの民族移動は150年早まったはずだ
627 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 01:56:07 O
はあ〜? >ドイツに感謝してくれと言わんばかりに 俺はドイツやゲルマンにさほど思い入れもないし ましてはナチス賛美主義者でもない ポーランド文化や個々のポーランド人にも嫌悪してない もちろん他のスラブ民族にも 俺はお前が嫌いなんだよ! スラブ、ポーランドスレでもないのになんの脈絡もなくスラブやポーランドをことさら誇張しやがって 俺が昔、たてたリトアニアスレ忘れてねえよな! 散々、荒らしやがって!
628 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 02:06:30 0
東欧って文化的にドイツの亜流って気がする。 ロシアもドイツ貴族と王室の通婚、ドイツ移民多いし。 ロシア、東欧はドイツの植民地。ドイツなしには何も始まらない。
629 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 02:07:08 0
独逸に対して変な幻想を抱いている日本人がたまに居るが、 実際の独逸ってどんな国なんだ? 学校教育とかでは、何を教わるんだ? 独逸の子供や青年は何が好きなんだ? どう言う歌を聴くんだろう?
630 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 02:10:52 0
ドイツのインフレは10年くらいかけて起こったものだから その間1919-21年くらいの出来事は当然関係あるんじゃないかなー。 最後のダメ押しが1922-な。いろいろ足掻いたが結局ダメだった結果のハイパーインフレ。 この時期のドイツはナンボなんでも可哀そう。
631 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 02:11:18 0
西スラブ人が「対抗」したのは、同じカトリックの、神聖ローマ帝国、つまりドイツに対して。 ドイツ人に侵略の大義名分を与えないため。 ドイツ人の入植はユダヤ人のそれと同様、ポーランド自身が望んだし、歓迎されたこと 現在、ポーランドが西スラブとよばれ、同族のロシア人が東スラブとして区別されるのも ドイツ人の入植によって、ヨーロッパ化がすすんだためだった。 それによって経済は発展し、主主の手工業、貿易、さらに,都市の作り方も ドイツ人から学んだ。 西スラブ人にとって、ドイツ人は自らを開花してくれた恩人にも等しかった。 こういった歴史の経緯がなければ、チェコ人もポーランド人もただの蛮族の一スラブ人に 過ぎなかったし、ロシア人とおなじ境遇にあったのではないか。
632 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 02:53:44 0
そもそもドイツを一民族と考えるからダメなんだ。 ドイツ=首都圏 スラブ=地方 そんだけのこと
633 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 04:56:39 O
ドイツの娼婦を買ってる所をネオナチに発見された時なんて言えばいい? (-_-)
アメリカで白人女を買っているところをKKKに見られた時の方が怖い。
>>627 >俺が昔、たてたリトアニアスレ忘れてねえよな!
>散々、荒らしやがって!
ヲイヲイ…俺がとか言われても、コテハンでもないのにどうやって分かるんだよ…
自意識過剰、つかネットサイコパスw
(おっと、俺はリトアニアスレなんか知らないよ、俺に八つ当たりはやめてくれw)
>>631 >現在、ポーランドが西スラブとよばれ、同族のロシア人が東スラブとして区別されるのも
>ドイツ人の入植によって、ヨーロッパ化がすすんだためだった。
馬鹿ぁ言っちゃいけないよ。東西スラヴの分化自体はドイツ人殖民とは関係ない。
スラヴは西、南、東に分けられるのは言語学的なもの。
その遠因は6世紀以前にウェネティ、スクラヴェニ、アントと3種類に分かれていたこと。
ウェネティの西方群はスクラヴェニを吸収して西スラヴと南スラヴに、ウェネティの東方群はアントと混ざって東スラヴになった。
>>621 >だいたい焼畑農耕に毛がはえた程度の非集約的農耕では古代では至上主義者が主張しているよう広範囲に広がるような人口は絶対ありえない
6世紀の歴史家ヨルダネスはウェネティ、スクラヴェニ、アントはそれぞれ大人口を擁する種族で、言語は同じで土器だけが異なり、
カルパチア山脈の北側をエルベ川から東の広大な地域に広がっていると書いている。
6世紀にすでに大人口を擁していたならば、すぐ前の4世紀でもすでに大人口であったと考えるのが当然。
その間に人口爆発があったならその原因がはっきりしていなくてはならないが、そのような痕跡はない。
さらに、紀元前5世紀のヘロドトスは農耕スキタイ、農民スキタイ人、ネウロイ人、ブディノイ人といった、
文化習俗は異なるが互いに通ずる言語を用いていた民族について書いていて、
やはり人口の多い大集団だったと言っているが、
現在でははこれらの民族がプロト・スラヴ人であるというギンブタスの説が受け入れられている。
したがって、プロト・スラヴ人からスラヴ人と認識されるに至る過程の期間においても、
この民族は人口の多い大集団であったことは動かぬ事実となる。
至上主義とかいうイデオロギーとは関係のない事実の話だ。
(続き) 古代スラヴ人がドイツからロシアにかけての広大な平原(地理的にはロシア平原という)一帯に古くから多数住んでいたことがこれで分かる。 農業は焼畑式だったので数年間の休耕のために広い土地が必要だったのは当然だ。 要は人口密度と人口は違うということで、これは区別しないといけない。 大人口であっても広大な地域に住んでいれば人口密度は低くなる。 スラヴ人が自ら大都市をあまり作らなかったのも、土地が広いから土地の効率的な利用に興味がなかったのは明らかで、 おそらく人口過密による疫病を防ぐ意味もあっただろう。 一方ドイツを含む西欧では人口が増え、都市が過密になり、農業生産性も限界となったため、 新しい土地が必要だった。かと言って西方はより人口が密集していて移住の余地がなかった。 スラヴ人にしてみれば、領地内に湿地帯や森林地帯など未利用の土地があったし、そこにドイツ人を呼び込めば、 土地の開拓とともに国土が定まる上、税収も期待できる。 要するに東へ殖民したいドイツ人と、国土や財政を充実したいスラヴ諸国との間ではwin-winの関係にあった。 どちらが得してどちらが損するということではなかった。 例えばドイツ騎士団に反抗してポーランド王国の支配下に入りたがるドイツ人都市が多かったのはそのためだ。
(
>>636 の続き)
スラヴ民族が西(後に南が分化)と東に分化したのは、ゴート人の進出と関係があるといわれている。
ゴート族がヴイスワ川を南下してウクライナ方面に抜けていったために人口密度の低いスラヴ民族が押しのけられて、
西と東の集団に分けられたものと考えられている。
紀元前後のゴート族(ヴィエルバルク文化)によってプロト・スラヴ民族の住地は西(プシェヴォルスク文化)と東(ザルビンツィ文化)に押し分けられた。
プシェヴォルスク文化もザルビンツィ文化もプロト・スラヴとゲルマンの混交文化でどちらの言葉が支配的だったかはこれらの文化の担い手が
文字を使わなかったためにわかっていない。
19世紀には民族主義的なバイアスのかかった学者はろくな調査もせずこれらはゲルマン語だ、いやスラヴ語だと主張していたが、
これは無意味な論争であった。
当地の土地名や河川名の研究からは現在はスラヴ語だったという説が有力である。
プシェヴォルスク文化とザルビンツィ文化からそれぞれ後の西スラヴと東スラヴが出てきたことは確かである。
西スラヴは現在のポーランドを中心に人口を増やし、フンやアヴァールの消滅後、
一部がバルカン半島へ移住して、現在のスロベニア人、クロアチア人、セルビア人などとなった。
>>636-639 みたいな話はスラヴスレでやりたいね。
でもまあ、ここでやってもドイツ至上主義とやらへの啓蒙にはなるか。
連中が素直に勉強するかどうかは別として。
(=´ω`=)y─┛~~
641 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 23:06:53 0
642 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:17:16 0
147 名前:世界@名無史さん :2006/06/21(水) 22:02:10 0 昔はポーランド軍人カワイソスと思ってたが、ポーランド人の国民性を知れば知るほど 捕虜のくせによっぽどむかつく態度をとってたのでお灸を据えられたのだろうと 思うようになった>カティンの森事件
643 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:41:55 0
>>627 >俺が昔、たてたリトアニアスレ忘れてねえよな!
>散々、荒らしやがって!
で、腹いせに
語学板まで荒らすのか?
402 :名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 23:35:11
107 :64 :2005/10/06(木) 18:08:25 ID:UncvLD2t
とりあえずポーランド人は日本人も韓国人もベトナム人も
見た目では区別つかないじゃん。
そんでもってベトナム人のことを快く思っていないポーランド人がまわりに多くて
以前ベトナム人に間違えられて「ベトナムの帰りやがれ!」と言われたときもある。
おいらは日本人だからそんなこと言われてもなんにもくじけないんだけどさ。
ただ他の若いポーランド人の兄ちゃんに意見を言ったとき「は?おまえ日本人だろ?
イエローモンキーは黙れ!」と言われたことがあったね。さすがに答えたね。
だから思うんだけど日本人の顔の系統なんてポーランド人からしたら
みんなイエローモンキーに見えるだけみたいですよ。
644 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:46:40 0
419 :名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 01:25:56
136: 2005/10/15 22:46:41 QOYNvSmv [sage]
ポーランド人にはイエローモンキーがもの凄く醜く見えるらしい
476 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 15:30:18
>>469 日本人の方がポーランド人を馬鹿にしてるよ。世界史板とか国際情勢板とか見てみな。
不潔な下等人間ポーランドスラブ共の異常行為の数々が非難されている。
477 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 18:58:33
>>476 いくらあがいても日本人は下等イエローモンキーです
480 :名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 17:36:20
ポーランドはスラブであり、「白人の雑種」である。本物の白人ではない。
508 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 20:48:20
>>502 結局なんだかんだいってアジア人を人種的に見下してるんだよね、
ポーランド人に限らず東中欧のやつらって。
そういうの経験的に知ってしまうと学習意欲が沸かなくなる…
645 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:53:12 0
621 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 21:07:29
>>618 >>619 黄色人種差別国
1 スウェーデン
2、チェコ
3、ポーランド
4、べラルーシュ
5、デンマーク
6、ハンガリー
7、ウクライナ
8、スロバキア
9、ラトビア
10、リトワニア
ま、ヨーロッパの田舎国家が多いですね。でもポーランドは有数の
差別国家です。
彼らにアジア人をどう思うか質問してみなさい、10人中8人は
嫌いとか、さぁ・・とかの返事です。
646 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:53:47 0
625 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 23:13:43
人種差別のことも知らずにポーランド語を勉強してたんかよ。
外国語を勉強し始める前に、一度その国を訪れて好きになれるかどうか確かめるべきだな。
627 :名無しさん@3周年:2006/02/05(日) 00:41:15
>>626 >どこの国だって、よい人間もいれば悪い人間もいる。
>そういう個々の事象を取り上げて国が好きだの嫌いだのと論じるのはナンセンス。
そりゃ当たり前だ。でも「国民性」というものは存在するし、
「親日国・反日国」というもの存在する。そして現にアジア人嫌いな
ポーランド人が多いことから、ポーランドは差別国家だと言える。
628 :名無しさん@3周年:2006/02/05(日) 02:28:40
ポーランド人は最低ですよ。さっきスカイプしてたらポーランド人から電話かかって来たから出た。三人くらいの女がいいたい放題げらげら笑いながらいって切りやがった。死ね
647 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:55:59 0
903 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 11:21:01
>>900 >>902 ポーランド人が嫌っているユダヤ人を掃除してくれたのがナチスだからだ。
ある面でポーランド人はアウシュヴィッツへユダヤ人たちを送り込んだ
人たちの協力者だった。
ドイツ人はかつての同士、とも言える。 今になってポーランド人は
ズル賢く否定するけどね。
648 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 23:56:37 0
905 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 21:15:43 ポーランド人は戦争に弱い。ショパンの昔からフランス文化に憧れた。 彼らの本音は、ドイツ人も嫌い、ロシア人も大嫌い、ユダヤ人も嫌い。 だが、それを露骨には言えない。 ロシアにも支援された恩があるし、ユダヤ人を悪く言うとナチと一緒にされる。 今はドイツの経済的な脅威もあるし、仲良くやることで得られる利益もある。 ということで、計算ずくでドイツにもにこにこ、ロシアにもお世辞笑い、 もちろん米国には、ユダヤ人にももみ手で愛想笑い。 チェコみたいな小国には、糞みたいなことを言って居丈高になっている。
649 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 10:06:57 O
おい、641、643 お前、ケンカ売ってのかよ 俺は世界史板しか来たことねえぞ それもお前に荒らされてからしばらく来なかったが 久しぶりに来てみればポーランド、スラブとまるっきり関係ないスレまで増長してわけのわからんことのたまってるから入れたまでだ 俺は言ってるはずだぞ 別にポーランドやスラブが別段嫌いじゃないってな ナチスを擁護した書き込みも一切、したことないしな! だから他カテで反ポーランド的な書き込みなんぞしたことない! よく覚えておけよ “俺はお前が嫌いなんだよ” 俺の書き込みが反ポーランド的? 俺のソースは専門書や歴史書、アメリカ等の大学からの論文からの引用だぞ ふざけるな!お前の考えが屈折してるだけだろ!
650 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 11:37:34 O
なぜ省略するのかね ヴェネティは確かにスラブの可能性があるが確定はしていない イリリュア系の“ヴェネティ”と混同されている可能性がある ヴェネツィアの語源が“ヴェネティ”にあるのを当然知ってるよな それとも意図的に省略してるのかね エルベ〜オーデルに現時点で確認されている最古のスラブ人による遺跡は紀元後8世紀 欧米経済史やってれば非肥料農耕では人口はさほど増えないし、国家形態も小規模か原始的村落集団にすぎない ましては焼畑農耕の半定住ならなおさらだ それに財力のある領主が積極的に投資しなければ鉄製犂べら付有輪重量犂、水車、蹄鉄・繋駕法を改良した農耕馬を使用する人口を飛躍的に増やす三圃式農耕は不可能 西欧の改革派修道院の森林を切り開く農地開発も必要だ
651 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 13:58:39 0
なんかまるで出鱈目だな。 スラブ人以前にウェネティと呼ばれたイリュリア人というのは紀元前後にはもうとっくにバルカン半島のほうに移住してしまっていた。 タキトゥスの時代の紀元1世紀にゲルマン人の東隣にいてウェネティと呼ばれたヴェンド人はスラブ人のことだと判明している。 ベネチアだけでなく、ウィーンもウェネティという意味だが、これもスラブ人でなくもっと古い時代のイリュリア人起源でおかしくないわけだが、そんなことはどうでもいい。 まず、いわゆるサモ王国が7世紀なのにそれ以前にオーデルより西にスラブ人がいなかったといったら完全に矛盾。 また、メロヴィング朝の年代記に出てくるウェント(ウェネティ)人も当然スラブ人。 さらに、イギリスのブリタニカ百科事典にはスラブ人は5世紀にはエルベ川まで到達していたと書いてある。 自分なら、どこの馬の骨ともわからないアンタよりブリタニカ百科事典を信用するなあ。 妙なことに、農業に拘ってるようだが、スラブ人がエルベ川とオーデル川の間に移住した5〜6世紀の話と、三圃式農法の発明された12〜13世紀以降の話を混同してるぞ。 頭悪いのかな?
652 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 14:27:24 0
俺もスラブ
653 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:18:53 O
ほーっ、よう言うね、糞虫君 だったら具体的にエルベ〜オーデルの“遺跡名”出してくれよ
654 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:31:42 O
三圃式農法の成立は11世紀だよ お前がスラブの居住範囲があまりにも広範囲に主張して人口が多いように捏造してるから人口の激変をもたらす農業革命を引き合いに出したんだろうが いいかげんにしろよ 挙げ足取りはよ ロシアの歴史家もポーランドの歴史家もスラブの原住地はお前が言ってるほど広範囲でない ロシア人は東寄り、ポーランド人は西寄りに原住地を推定してるのを知ってるだろ
655 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:44:24 0
ウチのミニチュアダックスもスラブ
656 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 16:16:30 0
キチガイ火病中
>>650 >>654 スラヴ人は鉄の鋤や車輪のある農機具を使っていなかっただけで、紀元前のはるか昔から牛馬(ほとんど馬)、木製の鋤などの農機具などは使っている。
一口に焼畑と言っても東南アジアのように地味の悪い山間地で気候に恵まれながら農地を放置する農業と、
気候が悪いため定期的に同じ土地を回遊していた古代ヨーロッパ、特に土地が肥えて水利の良い東ヨーロッパのような平地農業とはその実態がまったく異なる。
混同しないように。
ちなみに、チェルノレス文化は鉄器文化でありスラヴ人が鉄器製造を知らなかったわけではない。
しかし農具には使わなかった。
理由は明らかではないが、おそらく大量に鉄鉱を手に入れることがなく鉄器は高価だったのだろう。
カエサルの戦記を持ち出すまでもなく、ゲルマン人が穀物栽培を覚えたのはローマ人(ガリア)との接触以降、すなわちどう早くとも紀元前1世紀以降で、
その後も広く穀物栽培が定着するまでには何世紀もかかった。
およそマトモな農業というものを知らなかったゲルマン人は、先進的な農耕民族であったローマ人やガリア人からガリア侵入を機に徐々に農法を教わったのである。
これだけはきちんと認識しなくてはならない。
(続き) 一方、スラヴ人は紀元前数世紀あるいは十数世紀にはすでに今のポーランドからウクライナのあたりで広く農業をしていたことが分かっている。 スラヴ人の場合、居住地が広く深い森林に囲まれ、他民族に荒らされることがなかったため、 中世に入り有力者の領地が出現して農地が制限されてしまうまで、農法の変化は必要なかった。 それだけ社会が平等で平和だったともいえる。 三圃制度は8世紀に西欧で始まり、社会変化と同時に12世紀ごろから徐々にドイツなどの東方へと広まった農法である。 逆に言えば、肥料を使ったり三圃式にしたりして地力を限界まで酷使する農法は、支配者によって土地が制限された窮屈な中世的社会条件から発生したものである。 左翼史観では焼畑回遊→三圃制、あるいは村落→都市という変化は垂直的にみなされ発展や高度化などと呼ばれるが、客観的には水平的変化以外の何物でもない。 逆に考えれば、それによって人々が利益を享受したわけではなく、 この農業や社会の変化は多くの人々にとって自らを支配者に隷属する身に落すものでしかなかったのである。 飢饉や疫病や戦争が減少したわけでもなく、逆に頻繁に起こるようになり、庶民にとっての暗黒時代が始まったのは事実である。
(続き) ルギー人がスラヴ人(あるいはケルト人やゲルマン人にスラヴ人が加味された混合集団)であった(プシェヴォルスク文化との混交により実際にその可能性が高いが)ならば、 エルベ‐ザーレ川とオーデル川の間における最古のスラヴ人遺跡は遅くとも2世紀にまで遡ることになり、 旧東独からポーランドにかけての南部一帯、例えばプラウエンやプシェヴォルスクなどにある。 プシェヴォルスク文化(2世紀から4世紀)がスラヴ人と関係あることは戦前のドイツの学会ではイデオロギーのため否定されていたが、戦後は広く受け入れられるようになった。 スラヴ人は紀元前後からドナウ川北岸を遡るようにして徐々にゲルマニアに進出したが、プシェヴォルスク文化の特徴から判断して、ローマ文化との接点はあまりなかった。 一方、戦前のポーランドでしきりに主張されたラウジッツ文化(紀元前13世紀ごろから紀元前5世紀ごろ)をスラヴ人のものとする説もイデオロギー絡みのものだった。 ラウジッツ文化はスラヴ系でもゲルマン系でもなく、イリュリア系のものである説が近年有力である。 この点、民族イデオロギー戦争はおあいこのようなものである。 >ロシア人は東寄り、ポーランド人は西寄りに原住地を推定してるのを知ってるだろ それは昔の話。19世紀から第二次世界大戦にかけて流行ったもの。 実際のところ、紀元前数世紀ごろのスラヴ人居住地、紀元後5〜6世紀から10世紀ごろのかけてのスラヴ人居住地に関する大きな見解の相違は、現在の学会にはない。 前者はプリピャチ川上流一帯でポーランド西部からウクライナ北部にかけてであり、 後者は、西はエルベ川から東はヴォルガ高地あるいはその先まで、南はバルカン半島北部からヴァルダイ高地までの途方もなく広大な地域にわたっており、 無数の人口を抱えていた。
(続き)
また、
>>651 が言っているメロヴィング朝の年代記やその後のサモ王国にはスラヴ人であるヴエンド人がはっきり書かれているため、
この地域(エルベ・オーデル間)における純粋なスラヴ人支配の文化は遅くとも6世紀には存在していた。
例えばシュレミンのスラヴ人の築城跡は7世紀のものであるがこの城の基礎はさらに古い時代(おそらく5世紀)に建てられたものである。リーペンにある街道跡もこのスラヴ人のものである。
新しい農業技術が開発されて社会が劇的に変化することとなった12世紀まで、この土地でのスラヴ人とゲルマン人の間の大きな闘争はなく関係は良かった。
一例として、7世紀にはチューリンゲンがフランク王国と戦う際、スラヴ人諸国と同盟している。
この地域のスラヴ人(ポラビア・スラヴ人)が徐々にゲルマン化していくのは8世紀のカール大帝の時代からで、
危機が始まるのは本格的な東方キリスト教化が始まった10世紀以降のことである。このとき北方のスラヴ部族であるヴェレティ族とオボドリト族が強力に反抗した。
12世紀から始まった激しいゲルマン化のなかで多くのポラビア・スラヴ人部族が西方から消滅し、ゲルマン人となっていったのである。
一方、ポラビアの東方からはドイツ(神聖ローマ帝国)を経ずにローマ教皇庁から直接キリスト教化を果たしたポーランド王国によって、ポーランド化が進んだ。
(神聖ローマのオットーはポーランドのキリスト教化を追認した)
(=´ω`=)y─┛~~
実際にはウィスマルから南下してエルベ川に入りザーレ川の源流(チェコ国境)からズデーテンまで続くラインが大体のスラヴ人の西端になるな。 (=´ω`=)y─┛~~
ドイツでのスラヴ人(ポラビア人・ルアチア人)に関する考古学や歴史学は始まったばかりの新しい学問。 今後の展開に興味がある。 (=´ω`=)y─┛~~
気になってガリア戦記の第四巻読んでみたら、ゲルマニア人はカエサル=ローマと 本格的に接触し始めた紀元前一世紀半ば頃には、既に農業やってたような記述があるんだがね。 確かに農業に熱を入れてはいなかったようだが、ガリア戦記の第四巻には ライン川を渡ってゲルマニア人の一部族(スガンブリ族)と戦ったローマ軍が 「穀物倉を燃やし、畑作を根こそぎにした」という記述が出てくる。 程度はともかく、農業をやっていたのは確かだろう。
664 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 22:50:13 0
653 戦争犯罪辞典にはでてなかったの?
上の香具師にはかなわないが俺もちょっとお邪魔して。
>>663 スガンブリイ族はライン川東岸でガリア人と接触していた部族だから例外的に農耕を覚えた。
以前はガリア人の勢力が強く、一時はライン川東岸地帯に進出したためガリア人の生活を真似したのだろう。
その他農耕をしていたと推測されるゲルマン人はおそらくウビイ族ぐらい。
ガリア戦記には、
「農耕に何の関心も持たず、食物はほとんどミルクとチーズと肉である…」とはっきり書いてある(第6巻22節)。
これでその他のゲルマン人は全く農耕をしていなかったことがわかる。
第6巻第21節に述べられているように宗教らしい宗教さえ持っていなかった。
カエサル時代のゲルマン人はどう見たって未開のウホッホ原始人ぢゃないか。
666 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 00:54:10 0
しかし、チェコとスロバキア同じスラブ民族なのに、同様な、クロアチアとセルビア同様 仲悪かったんだね 第一次大戦後、無理やり、チェコスロバキアとしてくっ付けられて独立したはいいが 結局、スロバキア人にとってチェコ人は横柄なオジャマ虫だったんだよね 第二次大戦後も、一緒のなるも結局、分離した いかに、第一次大戦後の、国境の線引きが、民族自決というより、ただただ、ドイツの力を 弱めるためだけの詭弁にすぎなかった チェコのズテーテン地方は、その住民の90%以上がドイツ人だったし、工業地帯も そこに集中していた それを、ミュンヘン協定以後の民族自決のもとにこの地域はドイツに併合というより当然の帰結だけれど、 その結果、チェコ人の住む領域だけでは当然、経済的にやってはいけないことは明らかだった もともと、ボヘミアは1000年ものあいだ神聖ローマ帝国の領邦だったし、そのようなむちゃくちゃな人造国家を つくって、後々の紛争の火種をまいたのは、あきらかに英仏の旧連合国とポーランドの周辺諸国への 軍事恫喝のたまものだろう
>>665 手元の講談社版だと訳が違う。
同じ箇所、講談社版だと「農耕に熱を入れず、主として乳とチーズと肉を食べて〜」
となっている。
「熱を入れない」というのと「何の関心も持たない」というのは違うだろうし。
あと第四巻の第1節にテンクテリ族とウシペテス族が「戦争で粉砕され耕作を禁じられた」
という記述、更にそのすぐ後にスエビ族の原始農業の話が出てくるんだが、
これはどう見る?
668 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 01:14:37 0
669 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 03:57:47 0
>>667 665じゃないけど、殆どは狩猟採集と簡単な牧畜に頼り穀物の栽培は本格的には行われていなかったということでは?
670 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:09:45 O
なんか出張から帰ってきたらいろいろ書いてあるが まず河岸や丘に城壁を造る高城が特徴のザルビンツィ文化はチェルノレス文化となんの関連性もない 現在の学説ではザルビンツィ文化の担い手は原バルト諸族が有力でスラブの文化とはいえない ザルビンツィのあるドニエプル川中流〜ベラルーシ・プリピャチ川北岸にかけてはバルト語の水名分布域であり、スラブ語の水名分布域ではない ちなみにドネツ川〜ドニエプル川下流〜ドニエストル川下流はイラン語の水名分布域、エストニア・ラトビア〜ヴォルガ川上流はフィン・ウゴル語の水名分布域である スラブ語の水名分布域はプリピャチ川南岸〜ドニエストル川源流の狭い地域に限られている
671 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:38:39 O
プシェヴォルスク文化がスラブの文化と主張しているのはポーランドの歴史家のみである 別に否定しているのはドイツ人歴史家だけではない ロシアの歴史家も否定的である、彼らはスラブの文化が西寄りだと彼らの主張に不都合だからだ イリュリア系ヴェネティ人はBC2000年頃バルト海沿岸〜内陸に居住していたが、南西方向へ移動、ヴェネツィア、ヴェネトの語源になる地域とダルマチアに定住した 古典古代の著作家の文献に現れるスラブ人の像は具体性に欠いており、これら名で呼ばれるスラブ人と同時代の考古学的遺跡との関係は明らかでない 紀元前の木製農具が出土することは乾燥地域を除いて常識からいってほとんどありえず(腐敗する)、実際、そのようなスラブの紀元前の木製農具が出土したことはない 紀元前からポーランド〜ウクライナで農耕を行った形跡が発見されてもスラブであるとは特定できない むしろハルシュタット〜ラ・テーヌ文化期のケルト人や前述のイリュリア人の可能性がつよくなるだろう スラブのものと異論なく確定された考古学的遺物はAD6C以降のコルチャク式土器のみである
672 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:14:10 O
エルベ〜オーデルの遺跡の問いに対しモラヴィア〜オーストリア東部に形成されたサモ王国(しかも30年も経たないうちに瓦解)を引き合いに出すのは??? シュレミンというのはシチェチンのことかな シチェチンに集合定住地が形成されたのは8C後半になってからである オーデル川岸高台に編み枝壁造り建物からなる“防備のない”定住地である 9C前半になってやっと定住地は塁壁に囲まれる 10C前半に厚板舗装で街路を整備 10C後半に中心定住地から下がった川岸低地の定住部も塁壁に囲まれた 考古学的遺物としては9C半ばの坩堝、ガラス装飾品の破片、10/11Cの炉跡 リーペンというのはメクレンブルク湖東部のリープス湖周辺地区のことかな リープスの集合定住地形成も8C以降 ここの定住地はSiedlungskomplexとよばれ、経済・社会的分業関係にあった 11C初めになりリープス湖東のハンフヴァンダー島に塁壁に囲まれた1.6haの防備定住地が形成された 考古学的遺物としては11〜12Cの加工骨角器、13Cのマイセン辺境伯貨、水晶、鉛塊、棒鉄
673 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:45:57 O
スラブ原語は海を表す語を作り出さず海水魚の名称も少ない それに比べ淡水魚の名称が多く、ブナを中心とする森や湖沼の語彙が多い 欧州でブナの植性のあるところは限られている 多いのはプリピャチ沼沢地、ヴォルイニ〜ポドリエ地区である またスラブ原語はゴート語からの借用語が多く、ゴート人は東西南に分化拡散する前のスラブ人と接触したのが濃厚である 後のフン族の従属民に名を列ねていないことやランゴハルトのイタリア移動前の居住地域から推定してスラブの分化拡散は7C以降であろう
674 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:12:03 O
スラブ原語の借用したゴート語のごく一部を紹介 (参考書 ゴート語辞典 大学書林刊) ゴート語→スラブ原語 gasti-「客の」→gastis「客」 boka「文字」→bauku handugei「知恵」→chandagas lekeis「医者」→lekas「治療」 plogaz「犂」→plaugas gabigs「富裕」→gabigas kaupon「商い」→kaupas「購入」 mes「盆」→meisa「深皿」 smakka「いちじく」→smaka- weinagards「葡萄園」→winagardas lists「狡猾、策略」→listis ラテン語表示です 双方ともラテン語の表記ではできないものがありますが、それは省略しました
675 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:49:25 O
書き忘れたが、プシェヴォルスク文化はゲルマンの影響の強い文化で担い手は特定できていない またロシア〜ベラルーシ・ウクライナには別にスラブ人だけがいたわけでない ゴート、ルギア等の東ゲルマン語族、タイファール等サルマタイ人、原バルト諸族、フィン・ウゴル語族など 例えば現在のベラルーシのある地域にはBC3000年前後にフィン・ウゴル語族が現れ、BC2000年頃に原バルト諸族が進出 スラブ人の侵入はAD6〜8Cである
676 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 14:38:39 0
スペイン・ポルトガル、イギリスやフランス、オランダなどと違って「他国から搾取せずに立派な文化を築いたから」スキ。 まあ支那に租界があったけどさ。
677 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 15:47:31 0
んなアホな 他国って欧州内は含まれんのか
678 :
\(^■^ ラ 【卍】 :2006/06/24(土) 15:57:27 O
【卍】 ≦予 ̄> G\(^■^ ラ \ <!>+\ 『我が闘争』より 今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、 すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ぼされなくなったとしよう。 その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は 続くことができるに違いない。 しかしわずかな年月で、はやくも泉は水がかれてしまい、 日本的特性は強まってゆくだろうが、現在の文化は硬直化し、 七十年前にアーリア文化の大波によって破られた眠りに再びおちてゆくだろう。
ヨーロッパとアメリカが滅亡する可能性は
680 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:13:46 0
バルト系古プロイセン人に最初に異教徒のカトリック改宗と領地獲得のため、攻撃をしかけたのはポーランドの諸侯 ところが逆に古プロイセン人の反撃を受けるようになった そこで苦境に立たされたポーランド諸侯が当時、修道会国家の樹立を目指していたドイツ騎士修道会を引き込んだ 従って、平和的に行われたポンメルン、シュレージェンへのドイツ人の東方植民とは違い、武力により古プロイセン人を制圧した むろん、改宗した古プロイセン人農民は農奴化されドイツ化された しかし騎士修道会はもともと編成要員が少なく、修道士であり、世襲が許されぬため、改宗した古プロイセン人の上級層の中には騎士修道士となる者も少なくなかった
681 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:17:50 0
682 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:22:35 0
ドイツが侵略戦争を認めないのは悪いってアホか? だったら、つくる会とか石原は侵略戦争否定してるし こういう連中を逮捕してから、高言を吐けよ。 フライブルクの軍事史研究所の元研究員であるヨアヒム・ホフマンや、 最近近代史の正教授に任命されたヴェルナー・ マーザー、その他の ジャーナリストや歴史家によって、ドイツ戦争責任論争がされている。 それによれば、ヒトラーはソ連を攻撃したのではなく、直前に迫ったスターリンの対ドイツ攻撃 に対して機先を制した「だけ」である、としている。 ドイツの戦争は侵略戦争では無かった。 こういう説がある事を知っておいた方がいい。
683 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:27:06 0
>681 「世界戦争犯罪辞典」にも「過去を克服するドイツ」にも答えが 出てなくて逆切れか? ソフィア先生に聞いてきたらどうですか?
684 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:30:13 0
ミュンヘン会議はチェコに迫害されていたズデーテン・ドイツ人を救うための協議だった
685 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:30:46 0
チェコの悪逆非道は白日の下に晒さにゃいかんな ズデーテン・ドイツ人の迫害 戦後のベネシュ布告 ドイツ人追放 民主化後依然としてベネシュ布告の撤回拒否 財産請求訴訟での恣意的な棄却の連続
>>682 2chではむしろそっちの方が有名で意見の大勢を占めてる。
そのカキコと同内容のコピペの数が半端じゃないので。
687 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:33:31 0
スラブ人の領土欲の異常さには、おとなしいなんていったものは感じられないよ。 自国の公害名領土を持っているにもかかわらず、北方領土も、旧ドイツ領のプロイセン、シレジア、 フィンランドのカレリア返すどころか、いったん奪った領土は戦争で負けでもしない限り返した歴史はない。 近世の戦争も、第一次大戦のセルビア人の銃弾、第二次大戦のポーランドの領土拡張主義が戦争の引き金になった。
688 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:37:14 0
東欧って文化的にドイツの亜流って気がする。 ロシアもドイツ貴族と王室の通婚、ドイツ移民多いし。 ロシア、東欧はドイツの植民地。ドイツなしには何も始まらない。
(*´ー`) そうですね。
690 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 00:57:47 0
対スウェーデン戦、ドイツのポーランド人大活躍!
691 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:02:46 0
一人当たりのGDPは ポーランド 6,344ドル [2004年] ハンガリー 10,233ドル [2004年] 韓国 14,151ドル [2004年] JETRO資料より ポーランドは、東欧ではただ人口が多いだけのおもらい国家。 そのくせ、態度だけはでかい。 つい最近も、EU内でひとり開発補助金の増額を求めて議長国の英国を悩ませた。 結局、ドイツがその補助金を支援することで何とか治まった。
692 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:07:04 0
ポーランド!ポーランド! 場内アナウンス:「ルーカス…」 会場:「ポドールスキ!」 場内アナウンス:「ミロスラフ…」 会場:「クローゼ!」
693 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:10:18 0
今までのスレでも何度も述べられてきてますが、第一次大戦後の、どうみてもドイツに不利な条件下での 住民投票でもドイツ領として残った地域です。 シレジアをはじめ当時この地域は、もともと人口の希薄地域でしたし、そのまえはゲルマン人の居住地域でもありました。 世界史の地図では、色塗りでスラブの進出によって、彼らの居住地域のように描かれていますが、 移動しなかったゲルマン人も残っていたのであります。 そこへ、ドイツ人の鉱業作業者、手工業者が入ってきて、数百年の歴史の変遷を経て、ドイツ人の土地として、 ドイツの血となり、肉となってきた地域であります。 それを、戦後の、一瞬の時期に、もぎとり、数百年来住み着いていたドイツ人を追放し、多くの出血と命を奪ったことは 単なる補償問題ではなく、国家的犯罪として責められるべきでしょう。 これは、最近、コソボ問題で、住民の多数を占めるアルバニア人地域を、セルビアという犯罪国家が民族浄化しようとしてNATO軍の 制裁を食った話と似てます。 もっとも、ポーランドのやったドイツ人への民族浄化は、この規模をはるかに上回るものでありました。 ポーランド人は自分たちが戦争被害者だと戦後強調してきましたが、それこそ自分たちがやってきた国家的犯罪行為を覆い隠すための 言い訳にしかない。 そのようななかで、周辺の誰も助けてくれなくなった現在、かつて犯罪的行為をおこなったドイツ人に対してますます おんぶにだっこせざるを得ない状況になってきている。 EUの世界で国家間というわくぐみがはずされつつある今後、ますます個人財産の 尊重という意味ではポーランドはかつて奪ったドイツ人の土地、家、財産を返差ざるを得なくなるのは当然のなりゆきでしょうね。
694 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:10:22 0
ドイツ人が足引っ張ってるじゃん メツェルダー…アホかこいつは でもラーションPK外してよかったな
695 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:11:29 0
ドイツはポーランド人が引っ張るからまかせとけ。 ポドルスキ、クローゼ頑張れ!
696 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:12:36 0
ポーランドはドイツ人を追放しなかった? いや、調べたところ、ポーランドではドイツ人だろうがポーランド人だろうが民族関係なく私有財産没収して国有化したため、 ドイツ人が急速にスターリニズム化するポーランドを嫌って自ら難民として出て行ったとか。 進駐ソ連軍の命令で、一般ポーランド人は難民として出て行くドイツ人に対して、 食料や衣類を与えることを禁止したため、飢えや寒さで多くの人が亡くなったが、 それでも一部のポーランド人は秘密裏にドイツ人に物資を提供したと。 ポーランドに残るのはドイツ人は自由意志で選択できたが、 ポーランド人として再登録をするのに帰化手続きが煩雑で時間がかかる上、 私有財産も国に没収されるし周囲から復讐されるかもしれないのでそれを嫌って殆どのドイツ人はポーランドを離れた。 シレジア地方などの一部のドイツ人には炭鉱などの仕事があったので、職のあてのないドイツへ行くことをあきらめ、 ポーランドにとどまった。 で、ベネシュ布告を発令してドイツ人とハンガリー人を対象に国家が追放をしたチェコスロヴァキアとは事情が全く違うと。 その証拠にポーランドにはドイツ人を対象に財産を没収したり追放したりした法令が一切ないと。 そういえば確かにベネシュ布告のあるチェコスロバキアとちがってポーランドには追放法令ってものはないな。 せいぜいポツダム協定の第12項にしか法的根拠を見出せない。
697 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:13:12 0
6世紀の歴史家ヨルダネスはウェネティ、スクラヴェニ、アントはそれぞれ大人口を擁する種族で、言語は同じで土器だけが異なり、 カルパチア山脈の北側をエルベ川から東の広大な地域に広がっていると書いている。 6世紀にすでに大人口を擁していたならば、すぐ前の4世紀でもすでに大人口であったと考えるのが当然。 その間に人口爆発があったならその原因がはっきりしていなくてはならないが、そのような痕跡はない。 さらに、紀元前5世紀のヘロドトスは農耕スキタイ、農民スキタイ人、ネウロイ人、ブディノイ人といった、 文化習俗は異なるが互いに通ずる言語を用いていた民族について書いていて、 やはり人口の多い大集団だったと言っているが、 現在でははこれらの民族がプロト・スラヴ人であるというギンブタスの説が受け入れられている。 したがって、プロト・スラヴ人からスラヴ人と認識されるに至る過程の期間においても、 この民族は人口の多い大集団であったことは動かぬ事実となる。 至上主義とかいうイデオロギーとは関係のない事実の話だ。
698 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:14:14 0
(続き) 古代スラヴ人がドイツからロシアにかけての広大な平原(地理的にはロシア平原という)一帯に古くから多数住んでいたことがこれで分かる。 農業は焼畑式だったので数年間の休耕のために広い土地が必要だったのは当然だ。 要は人口密度と人口は違うということで、これは区別しないといけない。 大人口であっても広大な地域に住んでいれば人口密度は低くなる。 スラヴ人が自ら大都市をあまり作らなかったのも、土地が広いから土地の効率的な利用に興味がなかったのは明らかで、 おそらく人口過密による疫病を防ぐ意味もあっただろう。 一方ドイツを含む西欧では人口が増え、都市が過密になり、農業生産性も限界となったため、 新しい土地が必要だった。かと言って西方はより人口が密集していて移住の余地がなかった。 スラヴ人にしてみれば、領地内に湿地帯や森林地帯など未利用の土地があったし、そこにドイツ人を呼び込めば、 土地の開拓とともに国土が定まる上、税収も期待できる。 要するに東へ殖民したいドイツ人と、国土や財政を充実したいスラヴ諸国との間ではwin-winの関係にあった。 どちらが得してどちらが損するということではなかった。 例えばドイツ騎士団に反抗してポーランド王国の支配下に入りたがるドイツ人都市が多かったのはそのためだ。
699 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:15:13 0
スラヴ人は鉄の鋤や車輪のある農機具を使っていなかっただけで、紀元前のはるか昔から牛馬(ほとんど馬)、木製の鋤などの農機具などは使っている。 一口に焼畑と言っても東南アジアのように地味の悪い山間地で気候に恵まれながら農地を放置する農業と、 気候が悪いため定期的に同じ土地を回遊していた古代ヨーロッパ、特に土地が肥えて水利の良い東ヨーロッパのような平地農業とはその実態がまったく異なる。 混同しないように。 ちなみに、チェルノレス文化は鉄器文化でありスラヴ人が鉄器製造を知らなかったわけではない。 しかし農具には使わなかった。 理由は明らかではないが、おそらく大量に鉄鉱を手に入れることがなく鉄器は高価だったのだろう。 カエサルの戦記を持ち出すまでもなく、ゲルマン人が穀物栽培を覚えたのはローマ人(ガリア)との接触以降、すなわちどう早くとも紀元前1世紀以降で、 その後も広く穀物栽培が定着するまでには何世紀もかかった。 およそマトモな農業というものを知らなかったゲルマン人は、先進的な農耕民族であったローマ人やガリア人からガリア侵入を機に徐々に農法を教わったのである。 (ルーン文字もローマ人との接触によってローマの文字を真似したものであり、ゲルマンのオリジナルではない。) これだけはきちんと認識しなくてはならない。
700 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:15:16 O
ゲルマン民族大移動してる
701 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:15:51 0
(続き) ルギー人がスラヴ人(あるいはケルト人やゲルマン人にスラヴ人が加味された混合集団)であった(プシェヴォルスク文化との混交により実際にその可能性が高いが)ならば、 エルベ‐ザーレ川とオーデル川の間における最古のスラヴ人遺跡は遅くとも2世紀にまで遡ることになり、 旧東独からポーランドにかけての南部一帯、例えばプラウエンやプシェヴォルスクなどにある。 プシェヴォルスク文化(2世紀から4世紀)がスラヴ人と関係あることは戦前のドイツの学会ではイデオロギーのため否定されていたが、戦後は広く受け入れられるようになった。 スラヴ人は紀元前後からドナウ川北岸を遡るようにして徐々にゲルマニアに進出したが、プシェヴォルスク文化の特徴から判断して、ローマ文化との接点はあまりなかった。 一方、戦前のポーランドでしきりに主張されたラウジッツ文化(紀元前13世紀ごろから紀元前5世紀ごろ)をスラヴ人のものとする説もイデオロギー絡みのものだった。 ラウジッツ文化はスラヴ系でもゲルマン系でもなく、イリュリア系のものである説が近年有力である。 この点、民族イデオロギー戦争はおあいこのようなものである。 >ロシア人は東寄り、ポーランド人は西寄りに原住地を推定してるのを知ってるだろ それは昔の話。19世紀から第二次世界大戦にかけて流行ったもの。 実際のところ、紀元前数世紀ごろのスラヴ人居住地、紀元後5〜6世紀から10世紀ごろのかけてのスラヴ人居住地に関する大きな見解の相違は、現在の学会にはない。 前者はプリピャチ川上流一帯でポーランド西部からウクライナ北部にかけてであり、 後者は、西はエルベ川から東はヴォルガ高地あるいはその先まで、南はバルカン半島北部からヴァルダイ高地までの途方もなく広大な地域にわたっており、 無数の人口を抱えていた。
702 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 01:16:37 0
(続き) また、メロヴィング朝の年代記やその後のサモ王国にはスラヴ人であるヴエンド人がはっきり書かれているため、 この地域(エルベ・オーデル間)における純粋なスラヴ人支配の文化は遅くとも6世紀には存在していた。 実際にはウィスマルから南下してエルベ川に入りザーレ川の源流(チェコ国境)からズデーテンまで続くラインが大体のスラヴ人の西端になるな。 例えばシュレミンのスラヴ人の築城跡は7世紀のものであるがこの城の基礎はさらに古い時代(おそらく5世紀)に建てられたものである。リーペンにある街道跡もこのスラヴ人のものである。 新しい農業技術が開発されて社会が劇的に変化することとなった12世紀まで、この土地でのスラヴ人とゲルマン人の間の大きな闘争はなく関係は良かった。 一例として、7世紀にはチューリンゲンがフランク王国と戦う際、スラヴ人諸国と同盟している。 この地域のスラヴ人(ポラビア・スラヴ人)が徐々にゲルマン化していくのは8世紀のカール大帝の時代からで、 危機が始まるのは本格的な東方キリスト教化が始まった10世紀以降のことである。このとき北方のスラヴ部族であるヴェレティ族とオボドリト族が強力に反抗した。 12世紀から始まった激しいゲルマン化のなかで多くのポラビア・スラヴ人部族が西方から消滅し、ゲルマン人となっていったのである。 一方、ポラビアの東方からはドイツ(神聖ローマ帝国)を経ずにローマ教皇庁から直接キリスト教化を果たしたポーランド王国によって、ポーランド化が進んだ。 (神聖ローマのオットーはポーランドのキリスト教化を追認した) ドイツでのスラヴ人(ポラビア人・ルアチア人)に関する考古学や歴史学は始まったばかりの新しい学問。 今後の展開に興味がある。
(*´ー`) そうですね。
704 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 02:04:53 0
【卍】 ≦予 ̄> G\(^■^ ラ \ <!>+\ 「我が闘争」より 少年時代から、さらに青年時代にいたる余の願望 ―即ち余の愛国的な熱情を行為によって証明する機会を与えられたいという願望が、 ついに満たされたのだ! 拱手傍観している場合ではない。 余はそれまで幾度か「ドイツよ、すべてのうえに!」(ドイツ国歌)を歌い、 肺臓の底から「ハイル!」を叫んだものである。 ―これを身に以て証明する機会が到来したのだ。余 はハプスブルグ国家のためには戦おうとはしなかったが、 しかしドイツの国民と帝国のために喜んで死ぬ決意を固めた。
705 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 12:55:42 O
“ポーランド”の言語学者ロスタフィンスキはスラブ語の植物名の分析からポドリエ〜ドニエプル川上流がスラブ人故地とした ロシアの言語学者トルバチョフとトボロフはプリピャチ川北〜ドニエプル川中流域にバルト語起源の水名が集中していることを指摘 チェルノレス文化には土葬墓も多く、スラブの葬制の特徴である火葬墓と違うため、スラブの文化とは特定できてない
706 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:04:37 O
人口がある程度集積せず、人口が希薄なまま広範囲に拡散することは不可能というよりは自殺行為に等しい なぜならば極地を除けば、その拡散地に先住民や遊牧民が存在している場合が多いからだ 実際、フィン・ウゴル語族や原バルト諸族、サルマタイ人、ゴート人、ケルト人、イリリュア人、移動前のゲルマン諸族などがスラブが後に移動した地域に存在しているからだ スラブが移動したときはこれらの民族が移動したあとである また人口が希薄であり、半定住の非集約的、非肥料農耕は天候に左右されやすく不安定な生活を強いられ、人口増加も緩慢だ そこにおいて多種多様な文化が発生したなどとは古今東西の歴史を見てもない もし人口が希薄で拡散し、多種多様な文化がスラブにもたらされたというなら逆にスラブ以外の民族にもあてはまるということだ 小アジア、ギリシア、ドニエプル中流、イスパニアなどに拡散したラ・テーヌ文化期のケルト人は多少の違いはあれど文化的に均質的であった あと国家官制・形態もわからず30年未満で一代で崩壊したサモ王国などは領域すら漠然としたものでエルベ〜オーデル川に進出したと証明できない
707 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:28:13 O
大戦直後のポーランドのドイツ人追放についてだが 数十人単位が自ら望んで逃げたというなら理解できるが、ドイツ人の難民数はあまりに多い、なかには村ごと逃げ出すなどありえない これは明らかに強制力が介在しているのは明らかである 家屋・固有財産を接収しておいてパンを恵んだなどから良いなどの乱暴な論拠が成り立つというならばポーランドもナチスや軍国日本と同レベルということであろう かつて日本は満州国を樹立した際、日本人の武装移民が1戸わずか5円(武装移民が政府から支給された1ヵ月分の食費補助に等しい)で中国人農民から接収した 従わなければ厳罰に処される布告のもとに耕作地・森林・放牧地を含め村ごと奪った日本の行為はとても正当とはみれない 従ってポーランドの行為も正当行為とは認められない
708 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 17:02:43 0
ヨーロッパってのはそもそも三つしかない ・ゲルマン ・ローマ ・イベリア 下二つは地中海なので、要するにヨーロッパ=ドイツなのである。 ドイツは欧州の全てを表す。
709 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 17:05:17 O
古代ゲルマン人は有畜農耕民である ローマと接触する以前に特有な有輪犂は出土している ローマやケルトに農法を学んだどうかは定かでないが、地中海沿岸、ガリアで主に生産された小麦、果実、オリーブ中心の農法が 古代ゲルマン人が主に生産していた大麦、燕麦、ライ麦、かぶなどそもそも植性の違う産物に適した農法であろうか? 無論、気候や植性、低レベルの農法により生産性は低かっただろうが 以前、古代ゲルマン人が金属器がローマからもたらされたものだという書き込みがあったが、あまりにも馬鹿馬鹿しい論法なのでスルーしていたが、同一人物か? 古代ゲルマン人のいたスカンジナビアではBC16〜12Cの青銅製の剣が複数出土している 当然、ローマはもちろんケルトとの接触のなかった時期である こうして出土している剣が考古学的遺物というものだ 考古学的遺物が出てない、出ていてもその民族の所有物であるか特定できないのなら、いくら声高に叫んでも認められないものは認められないのである ロシアはスキタイの考古学調査などは世界一であるが そのロシアの長い考古学調査でスラブのものと特定できる最古の鉄器が7Cのものである以上、スラブの鉄器所有は7C以降と現時点では判断せざるを得ない
710 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 18:57:48 O
ルーン文字はローマの模倣だから罵倒するのは暴論もいいとこである ラテン文字にしろ、ギリシア文字にしろ原型はフェニキア文字 日本のかな文字は漢字が原型なのは承知のはず 第一、キリル文字自体ギリシア文字を原型としているし、ビザンティンの人間の創作だ ゴート人がヴァイクセル川河口付近に上陸したのはBC1C〜紀元前後 琥珀交易が衰退した(出土するローマ貨幣の激減)AD2C末に南東へ移動開始するが、それまでにエルトリア人やローマとの交易、交流によりルーン文字を改良し、さらにゴート文字へ発展させた ゴート人の歴史家ヨルダネスの「ゴート人の歴史」を引用しながら、一方で文字が模倣と罵倒する厚顔無恥な態度はなんなんだろうか 文字すら自力で作れず、文献も中世期にならないと残せなかった民族はどうなんだろうか
エトルリア人
712 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 20:37:17 O
訂正サンクス
(*´ー`) そうですね。
714 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:12:30 0
第一次大戦で対ドイツ参戦して、ドイツの植民地を奪うことがなければ、 ドイツが独中協定で中国の軍事その他の近代化に協力することはなかったんじゃないの? ソ連だって、ドイツの協力がなければ軍事力が近代化するのは困難だったように。 そしたら、日中戦争が長期化しなかっただろう。英国の盟友の米国が代わりに やるはずないし。 もっとも、ドイツとしても、独ソ戦で日本の参戦が困難になる誤算だったろうが。
715 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:44:52 0
スラヴ民族が西(後に南が分化)と東に分化したのは、ゴート人の進出と関係があるといわれている。 ゴート族がヴイスワ川を南下してウクライナ方面に抜けていったために人口密度の低いスラヴ民族が押しのけられて、 西と東の集団に分けられたものと考えられている。 紀元前後のゴート族(ヴィエルバルク文化)によってプロト・スラヴ民族の住地は西(プシェヴォルスク文化)と東(ザルビンツィ文化)に押し分けられた。 プシェヴォルスク文化もザルビンツィ文化もプロト・スラヴとゲルマンの混交文化でどちらの言葉が支配的だったかはこれらの文化の担い手が 文字を使わなかったためにわかっていない。 19世紀には民族主義的なバイアスのかかった学者はろくな調査もせずこれらはゲルマン語だ、いやスラヴ語だと主張していたが、 これは無意味な論争であった。 当地の土地名や河川名の研究からは現在はスラヴ語だったという説が有力である。 プシェヴォルスク文化とザルビンツィ文化からそれぞれ後の西スラヴと東スラヴが出てきたことは確かである。 西スラヴは現在のポーランドを中心に人口を増やし、フンやアヴァールの消滅後、 一部がバルカン半島へ移住して、マジャール人によるパンノニア定住(パンノニアはほとんどステップ地帯だからスラヴ人の生活に合わない)で 北から分断されて現在のスロベニア人、クロアチア人、セルビア人などの南スラヴ人となった。
716 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:45:57 0
ポーランドはドイツ人を追放しなかった? いや、調べたところ、ポーランドではドイツ人だろうがポーランド人だろうが民族関係なく私有財産没収して国有化したため、 ドイツ人が急速にスターリニズム化するポーランドを嫌って自ら難民として出て行ったとか。 進駐ソ連軍の命令で、一般ポーランド人は難民として出て行くドイツ人に対して、 食料や衣類を与えることを禁止したため、飢えや寒さで多くの人が亡くなったが、 それでも一部のポーランド人は秘密裏にドイツ人に物資を提供したと。 ポーランドに残るのはドイツ人は自由意志で選択できたが、 ポーランド人として再登録をするのに帰化手続きが煩雑で時間がかかる上、 私有財産も国に没収されるし周囲から復讐されるかもしれないのでそれを嫌って殆どのドイツ人はポーランドを離れた。 シレジア地方などの一部のドイツ人には炭鉱などの仕事があったので、職のあてのないドイツへ行くことをあきらめ、 ポーランドにとどまった。 で、ベネシュ布告を発令してドイツ人とハンガリー人を対象に国家が追放をしたチェコスロヴァキアとは事情が全く違うと。 その証拠にポーランドにはドイツ人を対象に財産を没収したり追放したりした法令が一切ないと。 そういえば確かにベネシュ布告のあるチェコスロバキアとちがってポーランドには追放法令ってものはないな。 せいぜいポツダム協定の第12項にしか法的根拠を見出せない。
717 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:46:29 0
6世紀の歴史家ヨルダネスはウェネティ、スクラヴェニ、アントはそれぞれ大人口を擁する種族で、言語は同じで土器だけが異なり、 カルパチア山脈の北側をエルベ川から東の広大な地域に広がっていると書いている。 6世紀にすでに大人口を擁していたならば、すぐ前の4世紀でもすでに大人口であったと考えるのが当然。 その間に人口爆発があったならその原因がはっきりしていなくてはならないが、そのような痕跡はない。 さらに、紀元前5世紀のヘロドトスは農耕スキタイ、農民スキタイ人、ネウロイ人、ブディノイ人といった、 文化習俗は異なるが互いに通ずる言語を用いていた民族について書いていて、 やはり人口の多い大集団だったと言っているが、 現在でははこれらの民族がプロト・スラヴ人であるというギンブタスの説が受け入れられている。 したがって、プロト・スラヴ人からスラヴ人と認識されるに至る過程の期間においても、 この民族は人口の多い大集団であったことは動かぬ事実となる。 至上主義とかいうイデオロギーとは関係のない事実の話だ。
718 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:47:11 0
(続き) 古代スラヴ人がドイツからロシアにかけての広大な平原(地理的にはロシア平原という)一帯に古くから多数住んでいたことがこれで分かる。 農業は焼畑式だったので数年間の休耕のために広い土地が必要だったのは当然だ。 要は人口密度と人口は違うということで、これは区別しないといけない。 大人口であっても広大な地域に住んでいれば人口密度は低くなる。 スラヴ人が自ら大都市をあまり作らなかったのも、土地が広いから土地の効率的な利用に興味がなかったのは明らかで、 おそらく人口過密による疫病を防ぐ意味もあっただろう。 一方ドイツを含む西欧では人口が増え、都市が過密になり、農業生産性も限界となったため、 新しい土地が必要だった。かと言って西方はより人口が密集していて移住の余地がなかった。 スラヴ人にしてみれば、領地内に湿地帯や森林地帯など未利用の土地があったし、そこにドイツ人を呼び込めば、 土地の開拓とともに国土が定まる上、税収も期待できる。 要するに東へ殖民したいドイツ人と、国土や財政を充実したいスラヴ諸国との間ではwin-winの関係にあった。 どちらが得してどちらが損するということではなかった。 例えばドイツ騎士団に反抗してポーランド王国の支配下に入りたがるドイツ人都市が多かったのはそのためだ。
719 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:48:05 0
スラヴ人は鉄の鋤や車輪のある農機具を使っていなかっただけで、紀元前のはるか昔から牛馬(ほとんど馬)、木製の鋤などの農機具などは使っている。 一口に焼畑と言っても東南アジアのように地味の悪い山間地で気候に恵まれながら農地を放置する農業と、 気候が悪いため定期的に同じ土地を回遊していた古代ヨーロッパ、特に土地が肥えて水利の良い東ヨーロッパのような平地農業とはその実態がまったく異なる。 混同しないように。 ちなみに、チェルノレス文化は鉄器文化でありスラヴ人が鉄器製造を知らなかったわけではない。 しかし農具には使わなかった。 理由は明らかではないが、おそらく大量に鉄鉱を手に入れることがなく鉄器は高価だったのだろう。 カエサルの戦記を持ち出すまでもなく、ゲルマン人が穀物栽培を覚えたのはローマ人(ガリア)との接触以降、すなわちどう早くとも紀元前1世紀以降で、 その後も広く穀物栽培が定着するまでには何世紀もかかった。 およそマトモな農業というものを知らなかったゲルマン人は、先進的な農耕民族であったローマ人やガリア人からガリア侵入を機に徐々に農法を教わったのである。 (ルーン文字もローマ人との接触によってローマの文字を真似したものであり、ゲルマンのオリジナルではない。) これだけはきちんと認識しなくてはならない。
720 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:48:58 0
(続き) 一方、スラヴ人は紀元前数世紀あるいは十数世紀にはすでに今のポーランドからウクライナのあたりで広く農業をしていたことが分かっている。 スラヴ人の場合、居住地が広く深い森林に囲まれ、他民族に荒らされることがなかったため、 中世に入り有力者の領地が出現して農地が制限されてしまうまで、農法の変化は必要なかった。 それだけ社会が平等で平和だったともいえる。 三圃制度は8世紀に西欧で始まり、社会変化と同時に12世紀ごろから徐々にドイツなどの東方へと広まった農法である。 逆に言えば、肥料を使ったり三圃式にしたりして地力を限界まで酷使する農法は、支配者によって土地が制限された窮屈な中世的社会条件から発生したものである。 左翼史観では焼畑回遊→三圃制、あるいは村落→都市という変化は垂直的にみなされ発展や高度化などと呼ばれるが、客観的には水平的変化以外の何物でもない。 逆に考えれば、それによって人々が利益を享受したわけではなく、 この農業や社会の変化は多くの人々にとって自らを支配者に隷属する身に落すものでしかなかったのである。 飢饉や疫病や戦争が減少したわけでもなく、逆に頻繁に起こるようになり、庶民にとっての暗黒時代が始まったのは事実である。
721 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:49:32 0
(続き) ルギー人がスラヴ人(あるいはケルト人やゲルマン人にスラヴ人が加味された混合集団)であった(プシェヴォルスク文化との混交により実際にその可能性が高いが)ならば、 エルベ‐ザーレ川とオーデル川の間における最古のスラヴ人遺跡は遅くとも2世紀にまで遡ることになり、 旧東独からポーランドにかけての南部一帯、例えばプラウエンやプシェヴォルスクなどにある。 プシェヴォルスク文化(2世紀から4世紀)がスラヴ人と関係あることは戦前のドイツの学会ではイデオロギーのため否定されていたが、戦後は広く受け入れられるようになった。 スラヴ人は紀元前後からドナウ川北岸を遡るようにして徐々にゲルマニアに進出したが、プシェヴォルスク文化の特徴から判断して、ローマ文化との接点はあまりなかった。 一方、戦前のポーランドでしきりに主張されたラウジッツ文化(紀元前13世紀ごろから紀元前5世紀ごろ)をスラヴ人のものとする説もイデオロギー絡みのものだった。 ラウジッツ文化はスラヴ系でもゲルマン系でもなく、イリュリア系のものである説が近年有力である。 この点、民族イデオロギー戦争はおあいこのようなものである。 >ロシア人は東寄り、ポーランド人は西寄りに原住地を推定してるのを知ってるだろ それは昔の話。19世紀から第二次世界大戦にかけて流行ったもの。 実際のところ、紀元前数世紀ごろのスラヴ人居住地、紀元後5〜6世紀から10世紀ごろのかけてのスラヴ人居住地に関する大きな見解の相違は、現在の学会にはない。 前者はプリピャチ川上流一帯でポーランド西部からウクライナ北部にかけてであり、 後者は、西はエルベ川から東はヴォルガ高地あるいはその先まで、南はバルカン半島北部からヴァルダイ高地までの途方もなく広大な地域にわたっており、 無数の人口を抱えていた。
722 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:50:46 0
(続き) また、メロヴィング朝の年代記やその後のサモ王国にはスラヴ人であるヴエンド人がはっきり書かれているため、 この地域(エルベ・オーデル間)における純粋なスラヴ人支配の文化は遅くとも6世紀には存在していた。 実際にはウィスマルから南下してエルベ川に入りザーレ川の源流(チェコ国境)からズデーテンまで続くラインが大体のスラヴ人の西端になるな。 例えばシュレミンのスラヴ人の築城跡は7世紀のものであるがこの城の基礎はさらに古い時代(おそらく5世紀)に建てられたものである。リーペンにある街道跡もこのスラヴ人のものである。 新しい農業技術が開発されて社会が劇的に変化することとなった12世紀まで、この土地でのスラヴ人とゲルマン人の間の大きな闘争はなく関係は良かった。 一例として、7世紀にはチューリンゲンがフランク王国と戦う際、スラヴ人諸国と同盟している。 この地域のスラヴ人(ポラビア・スラヴ人)が徐々にゲルマン化していくのは8世紀のカール大帝の時代からで、 危機が始まるのは本格的な東方キリスト教化が始まった10世紀以降のことである。このとき北方のスラヴ部族であるヴェレティ族とオボドリト族が強力に反抗した。 12世紀から始まった激しいゲルマン化のなかで多くのポラビア・スラヴ人部族が西方から消滅し、ゲルマン人となっていったのである。 一方、ポラビアの東方からはドイツ(神聖ローマ帝国)を経ずにローマ教皇庁から直接キリスト教化を果たしたポーランド王国によって、ポーランド化が進んだ。 (神聖ローマのオットーはポーランドのキリスト教化を追認した) ドイツでのスラヴ人(ポラビア人・ルアチア人)に関する考古学や歴史学は始まったばかりの新しい学問。 今後の展開に興味がある。
(*´ー`) そうですね。
724 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 22:59:28 0
725 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 23:00:30 0
紀元前7500年ごろ(ヴュルム氷期の終わり)〜紀元前5000年 (R1b)時代−ユーラシア西部集団(R1b)の進入 狩猟採集文化 (I、R1b)時代−西アジア集団(I)の進入 農耕文化の流入 バスク語や非ケルト系ピクト語の祖語の形成? 紀元前5000年ごろ (I、R1a、R1b)時代前期−ユーラシア中部集団の進入開始 印欧祖語の形成に決定的影響をもたらしたR1a集団の進入 牧畜文化の流入 ドナウ川流域において印欧祖語集団の形成 紀元前4000年ごろ (I、R1a、R1b)時代後期−ユーラシア中部集団の進入 印欧祖語集団が徐々に方言化 印欧祖語集団からアナトリア祖語が分化
726 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 23:01:04 0
紀元前4000〜3000年 (I、R1a、R1b、E3b)時代前期−東北アフリカ集団の進入開始 印欧祖語集団からトカラ祖語が分化 (R1b、I、R1a、E3b)時代中期−アフリカ集団の進入 印欧祖語集団から西方方言が分化 紀元前3000年ごろ (I、R1a、R1b、E3b)時代中期−東北アフリカ集団の進入 印欧祖語の中核集団が北方方言と南方方言に分化 西方方言からケルト祖語が分化 紀元前3000〜2500年 (I、R1a、R1b、E3b)時代後期−東北アフリカ集団の進入 北方方言の一部が大西洋極北の集団(Q)と混交し、アイスランド語の祖語を形成 紀元前2500年ごろ (I、R1a、R1b、E3b、J)時代前期−ステップ騎馬集団の進入開始 騎馬文化の流入 西方方言からイタリック祖語が分化 西方方言からイリュリア祖語が分化 南方方言からヘレニック祖語が分化 北方方言の中核がゲルマン祖語を形成 ドナウ河畔に残った北方方言と南方方言の集団はサテム(サタム)的音声変化の開始
727 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 23:01:37 0
紀元前2000年ごろ (I、R1a、R1b、E3b、J)時代中期−ステップ騎馬集団の進入 南サテム方言からインド・イラン祖語とキンメリア祖語が分化 北サテム方言の中核がバルト・スラブ祖語を形成 紀元前1500年ごろ (I、R1a、R1b、E3b、J)時代後期−ステップ騎馬集団の進入 バルト語族とスラブ語族が分化開始 紀元前1500年以後 (I、R1a、R1b、E3b、J、N)時代−フィノ・ウゴル語集団の混交 バルト語族、スラブ語族、スカンジナビア地方のゲルマン語族に ウラル語族の分化集団が混入
728 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 23:03:08 0
トカラ語のケントゥム的音声を謎のまま、あるいは偶然の産物、 さらにはサテム語地域を飛び越えての西方のケントゥム語地域からの移動の結果など とする人が多いのは、 印欧祖語からケントゥム語とサテム語が同時期にそれぞれ西・東に分化したと思い込んで、 トカラ語が印欧祖語から分化したのはケントゥム語とサテム語が分化した後だと 断定しているからだ。 しかし、紀元前2500年以前に印欧祖語の中核集団から分化したグループがすべて ケントゥム的音声を持っていたと考えれば全ての矛盾を解消する合理的な説明がつく。 印欧祖語の音声は古い時代にはケントゥム語的だったのであり、 サテム語はケントゥム語的だった中核集団の音声変化という形で発生したと 考えてよいだろう。
729 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 23:04:00 0
ゲルマン語とスラブ語の違いの原因は、 紀元前2500〜2000年の北方方言のゲルマン祖語と北サテム方言への分化時代 にさかのぼる。 ゲルマン語の中核地域集団(北ドイツからスウェーデンにかけて)と スラブ語の中核地域集団(ポーランドからチェコにかけて)の Yハプログループの構成要素は全く同一であり、混合比率だけが異なる。 このことから、遺伝的には同一種といってよい集団であることがわかる。 この2つの集団の遺伝的同一性は紀元前2500年以後4500年間変化していない。 紀元前1500年以後のある時代には、双方ともにウラル語族集団と混交している。 この2つの集団と同様の構成要素からなる集団は他地域には確認できない。
730 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 04:22:19 O
だめだこりゃ なんの考古学的根拠も全くなく、自らの主観と妄想で作り上げ妥協を知らぬ715―722みたいな奴とまともにやりやっても もう勝手にやってくれ こっちはもう干渉しない代わり、そっちも干渉しないで欲しいな まあエルベ〜オーデル川間のスラブ人遺跡の考古学調査についてはこちらは1級史料を持っていることだけは言っておこう
理知的に物事を思索しながら、他者との妥協、干渉を許さずに極端に走ってしまう思考性。 漏れは、そんなドイツ人の悪癖に染まったオマイラが大好きだ!
週末越してみたらなんだか随分進んでるな。 と思ったら俺のレスのコピペも多いな。 考古学関連のコピペにムキ食って掛かってる奴がいるのは滑稽だが、ざっと見たところおそらく一人だろう。 と、いうことでいろいろ書きたいのはヤマヤマだが、レスが多すぎてどこから手を付けたらいいのやら。 ややこしいから、一旦別に下書きして、コピペするか。 (=´ω`=)y─┛~~
とりあえずまずは、 黒海からドニエプル川やプリピャチ川の上流域を通りヴィスワ川流域一帯に紀元前2世紀ごろから広がっていたザルビンツィ文化はスラヴ人のものとする説が有力で、 同時代に始まったプシェヴォルスク文化とザルビンツィ文化にはほぼ一体とみられる多くの共通性があり、現在ではザルビンツィ文化はプシェヴォルスク文化の東方版と考えられている。 ザルビンツィ文化は3世紀ごろゴート人のものと思われるヴィエルバルク文化と混交して変容し、マルチエスニックなチェルニァコフ文化へとさらに変容する。 これは東スラヴ族の形成に強い関わりがあると考えられている。
(続き) 一方、プシェヴォルスク文化は4世紀まで存続する文化で東ゲルマン人と、ドナウ水系を遡ってやって来たスラヴ人の混合体である。 同時期に東方ではキエフ文化が開花し、フン族侵入までに隆盛を極め、後のプラハ・コルチャク文化やペニコヴォ文化やコルチノ文化の魁となる。 プシェヴォルスク文化と全く同じ地域でスラヴ系のヴェネティ人の文化(主にプラハ・コルチャク文化の担い手)が加わることになる。 プシェヴォルスク文化がスラヴと関連があるというのは定説で、ポーランド人だけが主張しているわけではない。 現在のポーランド人学者にバイアスがかかっているかのような発言はそれこそ民族的イデオロギーに染まった悪意ある言いがかりで、 ドイツのヨーハン・カルマーやアメリカのジェームス・マロリーその他の印欧語族研究を知らないことを自ら暴露していることになる。 ポーランドの学者が以前主張していたのは、プシェヴォルスク文化が現在のスラヴ民族全体の祖先であるということであり、これは現在ポーランドでさえ顧みられていない。 無知もいい加減に。
(続き) 先に述べたように、プシェヴォルスク文化はキエフ文化の文化的後継であるプラハ・コルチャク文化に圧倒され吸収されて西方のスラヴ人集団を形成したのである。 これが現在の西スラヴ人の直接の先祖。 ザルビンツィ文化の北、バルト海沿いにバルト系のヤトヴィンギあるいはアエスティのものと考えられる異質の文化が存在している。 ザルビンツィ文化が、バルト人のものという主張はその地域の位置関係からしても当然ように、トンデモ。
(続き) チェルノレス文化やミログラード文化は紀元前3世紀以前に現在のウクライナやベラルーシを中心に隆盛した文化で、これらはプシェヴォルスク文化やザルビンツィ文化の一つ前の時代の文化である。 スラヴ人の一部がチェルノレス文化やミログラード文化の中心であった現在のウクライナやベラルーシから、紀元前3世紀ごろにポーランド南西部に進出し、 現地の東ゲルマン系諸部族と混交してプシェヴォルスク文化を形成したのが現在最も有力な説である。 さらに、紀元前十数世紀に現在のポーランド西部周辺にあったラウジッツ文化の担い手であるイリュリア系ヴェネティ人と、 紀元前2世紀ごろから多くがヴィスワ流域一帯、さらに一部はオーデル流域やドナウ水系にまで進出してヴェネティ人と呼ばれたスラヴ系諸部族は時代的に全く別物である。 混同していては話にならない。 (=´ω`=)y─┛~~
シュレミンとシュチェチンは別の場所。シュチェチンはポーランド西北端の港湾都市。 7世紀のスラヴ人城砦のあったシュレミンはロストクの近く。 リーペンで7世紀前後のものとして発掘された遺跡は街道跡で、住居跡ではない。 リーペンの古い街道はシュレミンの城砦と関連付けられている。 このようなことも知らないで古代スラヴ人に関する考古学を偉そうに語る態度というのはどうも虫が好かない。 (=´ω`=)y─┛~~
スラヴ語に海に関連してオリジナルの語彙がなく、植物や淡水に関する語彙は独創的であることは誰でも知っている。 これはスラヴ人が言語的に固定化した時代に、内陸のプリピャチ川上流のポレシェ沼沢地とその周辺に居住していたこととも何ら矛盾しない。 また印欧語族の故地が海辺でないこととも矛盾しない。 西ウクライナにあった非印欧語族とされるククテニ・トリポリエ文化の担い手は紀元前二十数世紀まで印欧語族の騎馬民族(クルガン人)に断続的に制圧されていくが、 その後この中心地(プリピャチ川上流域)は2000年以上もの長い間、外の世界の影響を受けずに平穏な時代が続いたことは考古学的に明らかとなっている。 この時代にプロト・スラヴ語族が集団として固定化されたものと考えられている。 すなわちプロト・スラヴ人はククテニ・トリポリエ文化の担い手とクルガン人との接触から生じたものである。
(続き) プロト・スラヴ人はこの地で農耕と牧畜の文化を育み、ライ麦・燕麦・小麦・黍・豌豆・レンズ豆・芥子・人参・蕪・葱などを栽培し、馬・牛・豚・犬・鵞鳥などを飼っていた。 森や河川・湖沼が多く、狩猟・漁労・採集も盛んに行われた。 スラヴ人の採集文化で特徴的なのは野草の他に伝統的にキノコ類に関する知識の豊富なことである。これは隣接したゲルマン人には見られない。
(続き) また、この時代のプロト・スラヴ語は音韻的にはケントゥム系だったとされている。 紀元前3世紀に辺縁部でのみ接触していたイラン系のサルマタイがこの地まで進出してプロト・スラヴ人を圧迫することになるが、イラン系民族の言語は音韻的にはサテム系であることから、 プロト・スラヴ語がサテム系の音韻変化を起こしたのはこの時代だとされる。 サルマタイの侵入を受けたスラヴ人は四方に大きく拡散していき、西部の集団はオーデル川西岸地域まで到達し、東ゲルマン人やケルト人と接触してプシェヴォルスク文化の担い手となるのである。 (=´ω`=)y─┛~~
スラヴ民族の人口集密度が低いといっても、それは領域全体の話で、各部族あるいは下部の小集団の単位では纏まって居住していたのであるから、 農耕や牧畜、あるいは戦争の妨げになるものではない。 頭の悪い者は人口が多い少ないの二元論で物事を考えるから、文章表現では実態が理解できないらしい。 また、土葬・火葬の習慣も時代によって変化するもので、スラヴ人に関して言えば、火葬の習慣によって同定できるのは新しい時代の、 しかも副葬品が一緒に出土する有力者の墓だけである。 スラヴ諸部族は時代的に、アラン人・ゲピート人・ゴート人・サルマタイ人などと同じく、フン族と共に東進したことは明らかである。 スラヴ人の場合、エルベ川・ザーレ川まで東進した。 (=´ω`=)y─┛~~
考古学に関する演説も結構なのだが、スラヴ人がプロト・スラヴ人として集団的に固定化した時代と、スラヴ人が歴史に現れてきた時代は全く違うので、混同してはならない。 誤った前提に立った主張は、単なる詭弁であることを肝に銘じるように。 遺物を「スラヴ人」のものと同定するならば7世紀以前、すなわち歴史時代以前に遡れないのは当たり前の話である。 スラヴ人というのは歴史時代の呼称である。 一方、歴史に登場する以前からこの集団は存在しており、ここではそれを歴史時代のスラヴ人と峻別してプロト・スラヴ人と呼ぶが、 例えば、プロト・スラヴ人は紀元前5世紀にはヘロドトスの呼ぶ農耕スキタイ人・農民スキタイ人・ネウロイ人・ブディノイ人などであり、その領域は主に当時のチェルノレス文化の領域と一致する。 一方、チェルノレス文化の遺跡からは鉄器が出土する。 従って、紀元前5世紀のプロト・スラヴ人は鉄器を使用していたと結論される。 鉄鉱は沼地にある泥炭層の鉱石から採取された。
(続き) 同様にして、それ以前の時代、例えば青銅器時代ではプロト・スラヴ人は紀元前二十数世紀の北カルパチア墳墓文化からチュシニェツ・コマロフ文化などを経て紀元前数世紀のビロフルティウカ・ヴィソツコイェ文化終焉までのこれら文化の担い手でもあった。 従って、紀元前二十数世紀から紀元前数世紀に至るまでプロト・スラヴ人は青銅器を使用していたことが結論される。 従って古代ゲルマン人が有畜農耕民であるのと同様に、古代スラヴ人(プロト・スラヴ)人も有畜農耕民であり、鉄器使用者である。 ゲルマン人らしき集団が歴史に登場するのは古代ギリシャ時代で、一つの集団として詳述されるようになるのは紀元前2世紀になってからである。 従って、それ以前のこの集団は現在、プロト・スラヴ人のケースと同様、プロト・ゲルマン人と呼ばれる。
(続き) 北ドイツからスカンディアヴィアにかけての一帯でプロト・ゲルマン人が集団として固定化したのは紀元前十世紀ごろとされている。 彼らの文化は青銅器文化であり、北方青銅器文化と呼ばれる。この時代が紀元前数世紀まで数百年間続いた。 それ以前、紀元前二十世紀ごろからもプロト・ゲルマン人の先鋒はこの一帯に到達していたが、プロト・スラヴと異なり、紀元前十世紀ごろまでは石器文化だった。 なお、青銅器時代はプロト・ゲルマン人の文化で、古代ゲルマン人はまだ成立していない。 紀元前6世紀から3世紀にかけてこの一帯が寒冷化したため、プロト・ゲルマン人は南方へと再移動をし、 すでに紀元前9世紀ごろから鉄器を使用していた(ハルシュタット文化)先進的なケルト人と接触するようになる。 この影響で、プロト・ゲルマン人にも鉄器文化が浸透していったのである。 後に紀元前2世紀ごろからローマと接触するようになり、プロト・ゲルマン人はゲルマニア人、すなわちゲルマン人と呼ばれるようになって、始めて古代ゲルマン人が成立する。 この概念に反発し、プロト・ゲルマン人までゲルマン人だと主張するならば、プロト・スラヴ人がのちのスラヴ人であるという論法が受け入れられないはずはないな。 (=´ω`=)y─┛~~
ルーン文字が1世紀ごろにローマ文化との接触により、ローマ人の文字を真似て作られた事、従ってゲルマン人のオリジナルでなく、「ローマ文化の模倣」であることは疑いの余地がない。 最古のものでも紀元1世紀までしか遡ることができない。 起源は、北イタリアとされている。ローマとゲルマニアを行き来した商人と関係がある。 これは罵倒ではなく、事実である。罵倒と捉える精神構造は全く不可解。 日本語の文字も漢字から始まった。それを言うことは罵倒なのかということだ。 文字すら自力で作れず、文献も中世期にならないと残せなかった民族とはスラヴ人のことだろうが、日本人はスラヴ人よりも遅い時代に文字化したんだがな。 ゲルマン人を称揚しスラヴ人を卑下しようと妙な努力するあまり、日本人まで卑下することになってしまう。 優劣を競うなどという下らない尺度を持っていると天唾ということになる。 俺は民族の優劣を競うなんて考えはハナからなく、事実に関して誤りを見つけたら正すという欲求しかないものだから。 ルーン文字をローマの模倣と事実を言っただけで大騒ぎし、あれやこれやの禅問答でゲルマン人を持ち上げようと必死で努力する姿は、全くもってゲルマン人至上主義者だ。 感心させられる。 世界中のゲルマン人はこのゲルマンの擁護者に足を向けて寝れないな。 (=´ω`=)y─┛~~
例えばシュレミンの遺跡さえ知らないくせに第一級資料などと小生意気なブラフをかますのは結構だが、書き込みの内容から判断するに、 その資料とやらが(本当にあるなら)かなり古いものか、かなりトンデモなものであるか、あるいは資料の読み方がいかにも素人で出鱈目だということは明白。 ちなみに、こちらは複数方面の専門家のブリーフィングを受けられる立場にあるが、身元がバレては大変だから、詳しくは言わない方がいいな。 俺は、他人の書き込みに間違いがあったら遠慮なく正すが、それは俺の勝手だから。 事実に基づかない空理空論を御開陳されるは大嫌いなものでね。 (=´ω`=)y─┛~~
747 :
梨花 :2006/06/26(月) 23:17:58 0
526 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 11:20:07 O シレジア蜂起? 529 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 16:40:46 O 笑わせるなよ 612 :世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:05:00 0 ナチスが隣国ポーランドに侵攻して 613 :世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:19:43 O 何回言ったらわかるのかね 626 :世界@名無史さん :2006/06/20(火) 01:40:00 O あほくさ! 649 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 10:06:57 O おい、641、643 お前、ケンカ売ってのかよ 650 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 11:37:34 O なぜ省略するのかね 653 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:18:53 O ほーっ、よう言うね、糞虫君 654 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:31:42 O 三圃式農法の成立は 671 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:38:39 O プシェヴォルスク文化が
748 :
梨花 :2006/06/26(月) 23:19:11 0
672 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:14:10 O エルベ〜オーデルの 673 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:45:57 O スラブ原語は 674 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:12:03 O スラブ原語の 675 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:49:25 O 書き忘れたが 705 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 12:55:42 O “ポーランド”の言語学者ロスタフィンスキは 706 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:04:37 O 人口がある程度集積せず、 707 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:28:13 O 大戦直後のポーランドのドイツ人追放についてだが 709 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 17:05:17 O 古代ゲルマン人は有畜農耕民である 730 :世界@名無史さん :2006/06/26(月) 04:22:19 O だめだこりゃ ……………… 670 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:09:45 O なんか出張から帰ってきたらいろいろ書いてあるが つか思いっきりニートじゃんw 時刻時刻w
>>745 で間違えてしまった。
日本人が文字を使うようになったのはスラヴ人より1世紀ほど早いな。自ら正しておこう。
長い歴史から言えば同じような時代になるから、
>>745 の趣旨「愚か者は歴史を優劣でしか考えられない」は変わらない。
(=´ω`=)y─┛~~
750 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:38:28 0
今までのスレでも何度も述べられてきてますが、第一次大戦後の、どうみてもドイツに不利な条件下での 住民投票でもドイツ領として残った地域です。 シレジアをはじめ当時この地域は、もともと人口の希薄地域でしたし、そのまえはゲルマン人の居住地域でもありました。 世界史の地図では、色塗りでスラブの進出によって、彼らの居住地域のように描かれていますが、 移動しなかったゲルマン人も残っていたのであります。 そこへ、ドイツ人の鉱業作業者、手工業者が入ってきて、数百年の歴史の変遷を経て、ドイツ人の土地として、 ドイツの血となり、肉となってきた地域であります。 それを、戦後の、一瞬の時期に、もぎとり、数百年来住み着いていたドイツ人を追放し、多くの出血と命を奪ったことは 単なる補償問題ではなく、国家的犯罪として責められるべきでしょう。 これは、最近、コソボ問題で、住民の多数を占めるアルバニア人地域を、セルビアという犯罪国家が民族浄化しようとしてNATO軍の 制裁を食った話と似てます。 もっとも、ポーランドのやったドイツ人への民族浄化は、この規模をはるかに上回るものでありました。 ポーランド人は自分たちが戦争被害者だと戦後強調してきましたが、それこそ自分たちがやってきた国家的犯罪行為を覆い隠すための 言い訳にしかない。 そのようななかで、周辺の誰も助けてくれなくなった現在、かつて犯罪的行為をおこなったドイツ人に対してますます おんぶにだっこせざるを得ない状況になってきている。 EUの世界で国家間というわくぐみがはずされつつある今後、ますます個人財産の 尊重という意味ではポーランドはかつて奪ったドイツ人の土地、家、財産を返差ざるを得なくなるのは当然のなりゆきでしょうね。
751 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:46:29 0
ポーランドはドイツ人を追放しなかった? いや、調べたところ、ポーランドではドイツ人だろうがポーランド人だろうが民族関係なく私有財産没収して国有化したため、 ドイツ人が急速にスターリニズム化するポーランドを嫌って自ら難民として出て行ったとか。 進駐ソ連軍の命令で、一般ポーランド人は難民として出て行くドイツ人に対して、 食料や衣類を与えることを禁止したため、飢えや寒さで多くの人が亡くなったが、 それでも一部のポーランド人は秘密裏にドイツ人に物資を提供したと。 ポーランドに残るのはドイツ人は自由意志で選択できたが、 ポーランド人として再登録をするのに帰化手続きが煩雑で時間がかかる上、 私有財産も国に没収されるし周囲から復讐されるかもしれないのでそれを嫌って殆どのドイツ人はポーランドを離れた。 シレジア地方などの一部のドイツ人には炭鉱などの仕事があったので、職のあてのないドイツへ行くことをあきらめ、 ポーランドにとどまった。 で、ベネシュ布告を発令してドイツ人とハンガリー人を対象に国家が追放をしたチェコスロヴァキアとは事情が全く違うと。 その証拠にポーランドにはドイツ人を対象に財産を没収したり追放したりした法令が一切ないと。 そういえば確かにベネシュ布告のあるチェコスロバキアとちがってポーランドには追放法令ってものはないな。 せいぜいポツダム協定の第12項にしか法的根拠を見出せない。
752 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:46:44 0
千年もまえのピアスト朝時代の話をもって、現在の今の国境を正当化すること自体ナンセンスです。 なんの説得力もありません。 それを、いったら、いまのハンガリアのマジャール人に対してもウクライナ方面に帰れということですか。 1000年かけて流れてきた時代の変遷を、瞬時に切り取り、しかも過去何百年にわたってそこに住み着いていた ドイツ人を瞬時に根こそぎにした、それが国家的犯罪でなくてなんというのでしょうか。 勝者の理屈といいながら、米英とソ連、ポーランドでもこの国境の最終的な合意は最後までされませんでした。 それを、いいことに、ポーランドは暫定的に自国の管理とされた地域から、自発的にドイツ人を強制収容所jに送り 土地、財産を奪った上、追放したのです。 EUの世界になった今、国境の価値は薄れました。 そのなかでの、国家間の条約などさして意味を持ちませんし、国家間にいかなる条約がむすばれようとも 個人の財産権は消えません。 それはドイツ基本法にも明記されていることです。
753 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:47:13 0
>ほう、その話が正しいとすれば、ドイツは >ポーランド全域とロシア西部、フランス東部は >ドイツの正規領土だな。 国際条約で正式に編入された領土と そうでなく、勝手に占領していた地域があるのでは? >プロイセン、ダンチヒ、メーメル、ポンメルン、 >シュレージエン、エルザス これはドイツ民族固有の領土か?多民族共存地帯じゃないか? ドイツ民族領とはとてもいいがたいこういった地域は国際法のみが領土を規定するものではないのか? >プロイセン、ダンチヒ、メーメル、ポンメルン、 >シュレージエン、エルザス こういった地域でドイツ人の住んでいたのは点のような都市部だけで、 広大な農村地帯一帯はドイツ人以外の民族所有だったとだけ書いておこう
754 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:48:41 0
シレジアは990年にポーランドのピアスト朝の祖ミェシコT世の支配に入って以来 長い間ポーランド語住民と後から移住してきたドイツ語住民が混在し、 住民の大半はどちらの言語も話すことができた。 1675年にピァスト家の系統が断絶する前から色々あったが、徐々にシレジアは ボヘミアを支配していたハプスブルク家の支配下になっていく。 この過程ではまだ住民はポーランド語もドイツ語も話すことができた。 この地方のドイツ語化が急速に進んだのはオーストリア継承戦争で1740年にプロイセンのフリードリヒU世が支配権を得てからのことである。 1871年のドイツ統一の前後の時期は、ブロツワフを中心とする低地シレジアはドイツ語住民が多数を占め、 オポーレを中心とする高地シレジアはポーランド語住民が多数派だった。 この時期シレジア全体ではまだ30%がポーランド人だった。 1939年にヒトラーの起こした第二次大戦でシレジアのポーランド人(シレジア人と呼ばれていた)の多くが ドイツの民族浄化政策によって殺害されたか、資産を奪われて総督府へと追放された。 このあと戦争終結まで、大半がドイツ語住民で占められることとなる。 したがって、シレジアが完全にドイツ語圏化していたのはシレジアの長い歴史の中で1939年から1945年までのたった6年弱という事になる
755 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:49:45 0
ポメラニアが正式に歴史に登場するのは992年にポーランドのミェシコT世が作らせたラテン語のポーランド史書Dagome Iudexにおいてである。 Dagome Iudexによると、ミェシコT世の治世では既にポメラニアはポーランドのグニェズノ管区に含まれ、グニェズノ大司教座の管轄地域となり、 オドラ川流域のシュチェチン、ヴォリン、グダニスクなどの都市建設が進んでいた。しかし、6世紀の初めごろには既にミェシコT世の部族である レフ族が居住し、ポメラニア訛りやポラーブ訛りのポーランド語(レフ語)を話していたことがわかっている。1046年にはポメラニア公シェモミスルの 名が登場し、ポメラニアの大規模なキリスト教布教活動と農地開発が行なわれていたことが言及されている。1000年には神聖ローマ帝国のオットーV世が グニェズノを訪れ、ミェシコの息子であるボレスワフT世に対して、「(神聖ローマ)帝国の兄弟及びパートナー」の称号を授けている。1005年には ポメラニア人はピアスト朝のポーランドに対してキリスト教化に反対して大規模な反乱をおこす。1020年にはデンマークのカヌート大王(ポーランドの ミェシコT世の孫)がポメラニア支配に介入してくる。 しかしボレスワフT世はカヌート大王に協力してイングランド征服を助けている。 1107年にはポーランドでボレスワフV世とズビグニエフとの王位継承戦争がおきているが、ポメラニア人はズビグニエフに味方したため、 ボレスワフV世はポメラニアのビャウォガルド、コシャリン、カミェン・ポモルスキ、ヴォリンといった都市を征服している。 1135年には神聖ローマ帝国とポーランドは、 ポメラニアとリューゲン島をポーランド領とすることで合意している。このころから大規模な ポーランド人のポメラニアへの入植が始まる。しかし、17世紀の30年戦争時代には戦争と疫病でポメラニアの人口は3分の1に減ってしまう。
756 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:51:16 0
30年戦争とその後の北方戦争によって上ポメラニア(シュチェチン含む)はスウェーデンが、下ポメラニアはブランデンブルク・プロイセンに 支配されることになる。これからポメラニアのドイツ語化が急速に進むことになる。グダニスクやシュチェチンにドイツ人が大量に 移住したのもこの期間である。1815年にはポメラニア全体はプロイセン領となり、住民にドイツ語使用が強制されるようになり、 ポーランド語やカシュープ語などドイツ語以外の言語使用は徐々に禁止されていく。ポメラニアにおけるポーランド語話者の 人口比率は1818年に90%以上であったが、1852年に65%、1861年に58%、1890年に46%、 1900年に33.5%(この年はプロイセンで国勢調査が行なわれている)、1890年に19%と激減していく。 1888年にはあらゆる学校内でポーランド語の使用が完全に禁止され、これによってポメラニアは完全にドイツ語化していくことになる。 もちろん第二次大戦中はポメラニアのポーランド系住民はドイツによって虐殺され、残りは資産を全て奪われて総督府へと追放された。
757 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:51:51 0
大戦後は家畜から機械まで、流動資産は全てソ連に持っていかれ、強制移住させられたポーランド人に残されたのは、荒廃しきった農地だけだった。 この荒んだつらい時期をShaberと呼ぶ。 ポーランドのポメラニアにはソビエト軍が駐留し、1992年までポーランドにはこの地域の司法権は与えられなかった。 しかも共産主義のため、ポーランド人が与えられたのは、土地の長期使用権だけで、所有権はなかった。 したがって、1945年の第二次大戦終結に伴う住民の強制移住で下ポメラニアにポーランド人が移住させられるまで、ポメラニアがほぼ ドイツ語圏(ドイツ人話者が8割を超えていた)のは、ポメラニアの長い歴史の中で1890年から1945年までのたった55年間ということになる。 よって、シレジアやポメラニアは長い間ポーランド人の故郷であったのであって、かの地をドイツ人の故郷のように主張するものは歴史を全く知らないのであると言える。
758 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 01:57:04 0
Hitlers Krieg im Osten というやつです。もとは英語なのでなにやら翻訳調の,若干違和感を感じるドイツ語の本ですが, そういう最近明るみに出てきた事実やインタビューを元に構成されています。 ナチスはスラヴ人のことをUntermenschen(下等人間とか劣等人種)とか言って刷り込んでいたわけで,西方の戦線はいわば同レベルの人種間の戦争, 東方戦線はいわば動物・虫けら相手と認識されていたので,あそこまで残虐になれた...などとよくいわれますが,実際に東方に侵攻してみて, そこの住民や兵士が,宣伝パンフにあるような「醜い劣等人種」の顔ではなく,美しい金髪の白人であった事にドイツ兵達は驚きを隠せなかった... というようなことも書いてあります。
嘘クセぇ ドイツ人にはスラヴ系の血を引く連中はかなりいる
760 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:07:16 O
なにがニートだよ 出張徹夜、代休があるだけの話だろ お前の親父より年収あるんじゃねえの そんなにかまってほしいのかね じゃエルべ〜オーデルのスラブ遺跡られつしてみろよ 捏造妄想君
762 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:21:56 O
だったら何回も言っているが、スラブのものと特定できた6C以前の鉄器の遺物を示せ! くだらない観念論や主観論はやめろ 事実の歪曲もな ゲルマン至上主義者? バカかお前
ドイツのレヴィンスキィとかはスラヴ系?
764 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:36:46 O
フン族がスラブを隷属させた記録はない バルカンのトラキアにブルガール人が隷属民としてスラブを連れて初めて侵入してきたのは528年 ブルガール人とスラブの遺跡を区別することは可能だ ブルガール人はユルトのような円形の住居に住み、死者を土葬にした スラブは方形で半地下式の家で暮らし、死体を火葬にした (Robert Browning)
765 :
世界@名無史さん :2006/06/28(水) 20:57:50 0
>(=´ω`=)y─┛~~ が、時刻時刻wで >出張徹夜、代休があるだけの話だろ >お前の親父より年収あるんじゃねえの ワロタ
766 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 00:03:06 0
これは言えてる。なんでポーランドは個人レベルで盗んだ物を返さないのか。理解しがたい。 国家賠償は受けているのだから、国民の被害はポーランドがやるべきであって、 ポーランド国民が、ドイツ国民の私財を盗っていいことにならない。
767 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 00:10:39 0
第一次世界大戦前ではドイツ領であったダンツィヒ地方は、ドイツの敗戦によって 国際連盟管理下に置かれていたものの歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、 また住民の96%はドイツ人。 ポーランド人その他は3%以下だった。 ポーランドが占領していたポーランド回廊は東プロイセン地方をドイツ本国から 切り離し、そのせいで極めて不安定な状態にあった。 さらに、ポーランドに在住するドイツ系住民は少数民族として、 迫害を受けていた。 ポーランドは国際連盟管理下のダンツィヒ自由市に1920年1月9日に結ばれた条約に 「ポーランドはポーランドとの直接結合のためダンツィヒ港内に郵便、電信、電話局を 設置することができる」という特権をもっていた。 しかし、ヘベリウス広場にある郵便局は名ばかりで、防護用の強化壁、 鋼板でかため軍事要塞と化していた。 ダンツィヒ自由市におかれていたすべてのポーランド側事務機関も同様抵抗拠点の 様相を呈していて、職員もすべて軍事教練を受けた予備役兵からなっていた。 これは国際連盟が認めていた事でなく、ポーランドによる明らかな侵略行為。 つまり、ポーランドは近い将来、ダンツィヒを、リトアニアによるメーメル地方の占領 のように不法占領するための、明らかな戦争準備を行っていたという事。 ドイツはこのような危機的状況により、ポーランドに対し自衛的進出を余儀なくされた。
768 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:47:11 0
ポーランドはドイツ人を追放しなかった? いや、調べたところ、ポーランドではドイツ人だろうがポーランド人だろうが民族関係なく私有財産没収して国有化したため、 ドイツ人が急速にスターリニズム化するポーランドを嫌って自ら難民として出て行ったとか。 進駐ソ連軍の命令で、一般ポーランド人は難民として出て行くドイツ人に対して、 食料や衣類を与えることを禁止したため、飢えや寒さで多くの人が亡くなったが、 それでも一部のポーランド人は秘密裏にドイツ人に物資を提供したと。 ポーランドに残るのはドイツ人は自由意志で選択できたが、 ポーランド人として再登録をするのに帰化手続きが煩雑で時間がかかる上、 私有財産も国に没収されるし周囲から復讐されるかもしれないのでそれを嫌って殆どのドイツ人はポーランドを離れた。 シレジア地方などの一部のドイツ人には炭鉱などの仕事があったので、職のあてのないドイツへ行くことをあきらめ、 ポーランドにとどまった。 で、ベネシュ布告を発令してドイツ人とハンガリー人を対象に国家が追放をしたチェコスロヴァキアとは事情が全く違うと。 その証拠にポーランドにはドイツ人を対象に財産を没収したり追放したりした法令が一切ないと。 そういえば確かにベネシュ布告のあるチェコスロバキアとちがってポーランドには追放法令ってものはないな。 せいぜいポツダム協定の第12項にしか法的根拠を見出せない。
769 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:48:29 0
14世紀初頭、ダンチヒ(当時はまだグダニスクと呼ばれ、ダンチヒという名前はドイツ人の間でも一般的ではなかった)の住民は リューベックの系統のドイツ人商人が多かったが、親ポーランドで、反ドイツ騎士団(チュートン騎士団)だった。
770 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:49:34 0
グダニスクはドイツ騎士団のハンザ都市エルビンク(エルブロンク)と利権を巡って紛争状態にあったのが理由。 ウィリアム・アーバンによると、ダンチヒの住民はドイツ騎士団によって一度ほぼ全員が殺害されたことがあるという。 その後すぐブランデンブルクの候ヴァルデマールがグダニスク周辺の所有権(一方的な所有権の主張だが)を 1万マルクでドイツ騎士団に売ってしまったので、この地域は神聖ローマ帝国に編入され、グダニスクはダンチヒと呼ばれるようになった。 ドイツ騎士団はこの後ダンチヒに対する迫害を強化し、リューベック系の商人たちを完全に追い出し、 その際にダンチヒ都市評議会のメンバーの首を切って皆殺しにした。 ダンチヒがハンザ同盟に加盟したのはその後のことだが、ダンチヒはドイツ騎士団に実質支配されていて、 住民はみなドイツ騎士団を嫌っていた。
771 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:51:02 0
このドイツ騎士団によるダンチヒ支配の一連の経緯を知っていたポーランド側はドイツ騎士団支配の不当性を訴え、 ヴワディスワフ1世とその息子カジミェシュ大王の代にドイツ騎士団と数度戦争をし、 その際ダンチヒ住民はポーランド側について戦った。 この結果カリシュ条約が結ばれた。 カリシュ条約によりポーランド王は神聖ローマ帝国ポメラニア(ポンメルン)公としての地位が約束され、 一定の権限が与えられたが、それでもドイツ騎士団の実質支配はその後もつづいたので、 ダンチヒ住民にとっては不服な結果となった。
772 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:51:57 0
ダンチヒはその後15世紀半ばに、ドイツ騎士団に同様に反感を持っていた近くのハンザ都市エルブロンクとトルンと共同で「プロイセン同盟」を結成して、 ドイツ騎士団に対して反乱を起こし、ポーランド王カジミェシュ4世の庇護を求めた。 この結果プロイセン編入法がポーランドの首都クラクフで可決し、ポメラニア(ポンメルン)全域がポーランド王国に編入されることになった。 これを機にポーランド(+ポメラニアのハンザ都市)とドイツ騎士団との間で13年戦争となり、 これはドイツ騎士団の敗北およびポーランド王に対する全面降伏という結果となった。 これが第二次トルン和約である。これによってプロイセン全域が正式にポーランド領となった。 15世紀から16世紀にかけてポーランド領グダニスク(ダンチヒ)はポーランド王の庇護の下その経済的・文化的な黄金時代を謳歌することになる。 16世紀の半ばにはそれまで習慣的に使われていた中低地ドイツ語に替わって、標準ドイツ語が公用語と定められた。
773 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:52:37 0
ダンチヒの黄金時代、町には裕福なドイツやポーランドの商人の邸宅や ポーランド大貴族の別宅が建てられ、美しい港湾都市が形成された。 第二次世界大戦で多くが破壊されたが、戦後、ポーランド市民の協力で歴史地区は完全に復元された。
774 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:53:11 0
18世紀後半、第一次ポーランド分割の際、ダンチヒ住民はプロイセン王国編入に抵抗して激しく戦い、街の独立を維持した。 しかし、結局第二次ポーランド分割の年に西プロイセンに編入されてしまった。 19世紀初頭にはナポレオンによってダンチヒ自由市として一時的な独立が回復されたが、 ナポレオンの敗北により再びプロイセン王国に再編入されてしまった。 このときショーペンハウアーが経験したことが彼のペシミズム哲学に反映されている。
775 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 15:53:46 0
ダンチヒはドイツ人が多い都市でありながら、一貫して反ドイツ的であり、ドイツ連邦にさえも反対して加盟しなかった。 その後1871年にドイツ帝国が成立すると、ダンチヒは帝国に強制的に編入されてしまった。 したがってダンチヒがドイツだったことは歴史上ほとんどなく、 正確にはドイツ帝国成立時の1871年から第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約締結時の1919年までの48年間だけである。 その後のダンチヒ自由市(ドイツからの離脱)はダンチヒ住民が望んだことだった。
最近、2ちゃんねるで流行りの厨房用語 悪魔の証明 ソースを出せ この二つを繰り返すのは、まともな反論ができないお子様ですのでスルーしてください。 下手に相手すると、その単語だけでスレを埋めつくしますw
>>760 出せ出せとネットサイコパスの粘着ウゼー。前から例は出してるが、こんどは羅列しろか。
エルベ・ザーレ川とオーデル川の間のスラヴ人遺跡。スラヴ人のものと明らかになっているもの。
7世紀以前のものはパルヒム、シュレミン、トゥトフ、リーペン、シュトゥッベンカンマー、ツーダー、ノイブルクなど。
11世紀ごろまでのものはデンミン、フレセンドルグロッス・ゲルノフ、ドルフ・メクレンブルク、グロッス・ラーデン、ヴェルレ、ベーレン、テテロフなど。
ほんの一部。で、それでどうかしたのか?
ドイツでのスラヴ人に関する本格的な考古学や歴史学は始まったばかりの新しい分野。
ドイツの考古学ではこれまでイデオロギーが優先され、政治的配慮から、スラヴ人遺跡の本格的な探索そのものが行われていなかった。
調査されたのは、古くから存在が知られているか、偶然発見されるか、一部または全部が地上に出てしまって存在の否定が出来ないものだけ。
従って、今後の展開が楽しみな分野である。墓などは今後無数に発見されるだろう。
>>776 あー、ウスウスそんな気はしていたんだが。
(=´ω`=)y─┛~~
778 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 18:38:51 0
526 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 11:20:07 O シレジア蜂起? 529 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 16:40:46 O 笑わせるなよ 612 :世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:05:00 0 ナチスが隣国ポーランドに侵攻して 613 :世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:19:43 O 何回言ったらわかるのかね 626 :世界@名無史さん :2006/06/20(火) 01:40:00 O あほくさ! 649 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 10:06:57 O おい、641、643 お前、ケンカ売ってのかよ 650 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 11:37:34 O なぜ省略するのかね 653 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:18:53 O ほーっ、よう言うね、糞虫君 654 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:31:42 O 三圃式農法の成立は 671 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:38:39 O プシェヴォルスク文化が
779 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 18:39:18 0
672 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:14:10 O エルベ〜オーデルの 673 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:45:57 O スラブ原語は 674 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:12:03 O スラブ原語の 675 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:49:25 O 書き忘れたが 705 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 12:55:42 O “ポーランド”の言語学者ロスタフィンスキは 706 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:04:37 O 人口がある程度集積せず、 707 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:28:13 O 大戦直後のポーランドのドイツ人追放についてだが 709 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 17:05:17 O 古代ゲルマン人は有畜農耕民である 730 :世界@名無史さん :2006/06/26(月) 04:22:19 O だめだこりゃ ……………… 670 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:09:45 O なんか出張から帰ってきたらいろいろ書いてあるが つか思いっきりニートじゃんw 時刻時刻w
>>762 スラヴのものと特定できた6世紀以前の鉄器というのは巧妙な言い方だ。
スラヴ人が文献上に現れたのは6世紀になってからであるが、それ以前にスラヴ人が存在しなかったということではない。
プロト・スラヴ人の文化ということであれば、紀元前8-3世紀ごろの鉄器文化であるチェルノレス文化がある。
この担い手はヘロドトスの『歴史』に登場する農耕スキタイ人や農民スキタイ人などであるとされる。
ウクライナ北部を中心に広がるチェルノレス文化の遺跡からは鉄のナイフ状のものや装飾品が出てくる。
鉄は農具には使われていない。土壌が肥沃で軽い黒土地帯であったため金属製農機具が必要なかったことが主な理由とされる。
(=´ω`=)y─┛~~
781 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 18:40:42 0
760 :世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:07:16 O なにがニートだよ 出張徹夜、代休があるだけの話だろ お前の親父より年収あるんじゃねえの 762 :世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:21:56 O だったら何回も言っているが、 764 :世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:36:46 O フン族がスラブを隷属させた記録はない 代休ですか?w
>>764 フン族がスラヴ人を隷属させたという明確な記録はない。当時の文献には出てこないが、現在では両者の間に何らかの接触があったものと考えられている。
540年ごろ、ゲルマン人ランゴバルド族のヒルディギスが部族の支配権を巡って当時族長であったアウドインを倒したとき、ゲルマン人のゲピード族とスラヴ人戦士の助けを借りている。
プロコピオスの戦史に出てくる話である。
(続き) アヴァール人とスラヴ人(プラハ・コルチャク文化系のスラヴ人集団)が混住していたことは文献でも遺跡でも出てくる。発掘されているものは殆ど全てハンガリーからルーマニアにかけてである。 そこではアジア系のアヴァール人は土葬で、インド・ヨーロッパ系のスラヴ人は火葬である。 スラヴ人を含めインド・ヨーロッパ語族の多くが古代に火葬の習慣を持っていたのは、火葬で煙が天に昇ることにより魂が天上の理想郷に行けるという信仰のためと、 墓が狼や熊などの野生動物に掘り起こされないようにとの実用性の伝統のためであるとされる。 この時代のスラヴ人の墓の遺跡はハンガリーからルーマニアにかけてしか発掘されていない。これからは他にも無数に発掘されるだろう。 プラハ・コルチャク文化では土器製作にロクロが使われず、農具に鉄器が使用されていない一方、農耕や牧畜の方法、村落や家屋の作りは、隣接するゲルマン人のものと何ら変わりがない。 より充実した古代スラヴ人研究はひとえにドイツにおける調査にかかっているが、ドイツではイデオロギー上・政治上の理由から予算も付かず、積極的な研究活動は避けられてきた。 (=´ω`=)y─┛~~
784 :
梨花 :2006/06/29(木) 21:04:25 0
526 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 11:20:07 O シレジア蜂起? 529 :世界@名無史さん :2006/06/16(金) 16:40:46 O 笑わせるなよ 612 :世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:05:00 0 ナチスが隣国ポーランドに侵攻して 613 :世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:19:43 O 何回言ったらわかるのかね 626 :世界@名無史さん :2006/06/20(火) 01:40:00 O あほくさ! 649 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 10:06:57 O おい、641、643 お前、ケンカ売ってのかよ 650 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 11:37:34 O なぜ省略するのかね 653 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:18:53 O ほーっ、よう言うね、糞虫君 654 :世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:31:42 O 三圃式農法の成立は 671 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:38:39 O プシェヴォルスク文化が
785 :
梨花 :2006/06/29(木) 21:05:29 0
672 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:14:10 O エルベ〜オーデルの 673 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 06:45:57 O スラブ原語は 674 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:12:03 O スラブ原語の 675 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 07:49:25 O 書き忘れたが 705 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 12:55:42 O “ポーランド”の言語学者ロスタフィンスキは 706 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:04:37 O 人口がある程度集積せず、 707 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 16:28:13 O 大戦直後のポーランドのドイツ人追放についてだが 709 :世界@名無史さん :2006/06/25(日) 17:05:17 O 古代ゲルマン人は有畜農耕民である 730 :世界@名無史さん :2006/06/26(月) 04:22:19 O だめだこりゃ ……………… 670 :世界@名無史さん :2006/06/24(土) 05:09:45 O なんか出張から帰ってきたらいろいろ書いてあるが つか思いっきりニートじゃんw 時刻時刻w
786 :
梨花 :2006/06/29(木) 21:06:03 0
760 :世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:07:16 O なにがニートだよ 出張徹夜、代休があるだけの話だろ お前の親父より年収あるんじゃねえの 762 :世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:21:56 O だったら何回も言っているが、 764 :世界@名無史さん :2006/06/28(水) 15:36:46 O フン族がスラブを隷属させた記録はない 代休ですか?w
787 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 23:09:21 0
ポーランド人は残留したドイツ人に数々の暴行を働いた。 ポーランドは20万のドイツ人男女を1255ヶ所の監獄に収容ないし抑留した。 このうち大規模なものは、ポトゥリチェ、グルノヴォ、ウッジ近郊のシカウなどである。 「被追放民記録」には次のように記されている。 「暴力行為は主として、鞭、ゴム棒あるいは銃床を用いての残忍かつ一部はサディスト的な虐待であり、 一部は死にいたった。 さらに恣意的な射殺、殴打、さらに婦女暴行もおこなわれた。 報告された資料に よると、虐待を免れた収容者あるいは抑留者はほとんど一人もいなかった・・・・」 世界戦争犯罪辞典(文藝春秋 2002年)
788 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 23:17:48 0
パウル カレルの「捕虜」を読んだけど、旧ユーゴスラヴィアのチトー共産党は、第二次大戦後 捕らえたドイツ軍捕虜に、すでに戦争が終わっているにもかかわらず、ありとあらゆる拷問、死の行進を 女性を含む捕虜にくわえた その多くは死んだ 明らかに国際法違反だ そして、戦後、長きにわたってドイツ人捕虜を拘束し、チトーのやってき自らの国民に対する非道を悪逆を、 そのドイツ人捕虜がやったことにするよう、彼らを拷問し、いわれのない罪を認めさせ,その罪状にサインを させた上で、射殺、処刑した そのような形で、戦後、チトーは同じスラブとはいえ、その国家をまとめるための意志杖にしてきた スラブ民族、ポーランド、セルビア、ロシア、滅んでしまえ 人でなし民族、国家!
789 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 23:56:27 0
チェコはいいのか?スロバキアはいいのか? チェコからは最も多くのドイツ人が追放されたが。 この2国だけは現在もドイツ人ハンガリー人財産没収法が有効だが。
790 :
世界@名無史さん :2006/06/29(木) 23:59:15 0
「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1118560458/l50 個人の財産権が国際法で認められているといことは念仏のように唱えても無駄だ。
個人の財産権の何が国際法で認められているのかということが大事。
被追放ドイツ人のポーランドへの「財産請求権」は国際法では明確には認められていない。
一方、韓国との協定に前例があるように、ドイツ人の請求権を完全に消滅させることは法的に可能で、
当然、これは国際法違反でもなんでもない。
条約あるいはドイツの国内法によってポーランドへの請求権の消滅という法的解決が実現すれば、
ポーランドの外交的勝利と言えるだろう。
792 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:30:20 O
パルヒム 11Cにオボドリト人とリュティツ人の境の南端に位置するレディング湖岸に作られた防備定住地 ほぼ円形115m径の塁壁は木材を井桁に組んで間に土木を詰めた造りで高さ3m、奥行き3m、壕の奥行き4m、内部1.5ha 北に150mの橋がある この跳ね橋と北門がつながっている 最初の定住年は年輪年代測定により“1035年頃”とされている なにが7Cだよ
793 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:32:25 0
ポーランド好きは感傷的なアホウが多いのさ ポーランドは戦前から、その大兵力にものを言わせ、リトワニア、チェコ、そしてドイツと周辺国を 軍の動員令などをもって恫喝してきた ポーランドの真実の過去、戦前、戦中、戦後を通しての卑劣きわまるドイツ人、ユダヤ人の虐殺、略奪、 追放劇を、特にドイツの敗戦をいいことに思いっきりひたかくしにしてきた現実をみようともせず ポーランドは一方的なあわれな戦争被害者だとするばかばかしい虚構を信じている連中が 彼らなのさ もちろん、それには戦後の政治的意図があった ポーランド自身の、虐殺、追放といった許されざる犯罪を覆い隠す意味で、自らは、あわれなドイツの 侵略の被害者ですという神話をつくって、そのおぞましい歴史をひたかくしにしてきた そして、不法にドイツ領土やそこの住民の家、土地、財産を奪い、殺し、追放したことを歴史上から 抹消し、その領土強奪を正当化しようとした それは、同様、ポーランドの東半分を奪ったスターリンソ連の思惑にもあっていた ポーランド人は鬼畜さ
794 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:38:25 0
オーデルナイセ線は、終戦後も、確定したものではなかった。 米英も反対していた。 それに、終戦直後、そのはっきりしない状況のまま、ポーランドは自発的に自分たちの占領した オーデルナイセ線以東のドイツ領からドイツ人の土地、家、財産を奪った。 あげく追放した。 そして、既成事実をつくりあげようとした。 割譲うんぬん以前に、個人の土地、財産を奪う権利などない。 西部のアルザスや、オイペン、シュレスビヒホルシュタインが、国境の変更でありながら、大きな問題と ならなかったのも、そこの住民の財産権、居住権は影響をうけなかったからだ。 ところが、ポーランドは、併合した領域からことごとくドイツ住民を着の身着のままで追放し、家、土地、だけでなく 多くのドイツ住民をリンチ殺人にかけ、避難途中で、飢え、疲労で死なした。 その罪業は永久に消えないし、 その住民の財産権も永久に消えない。 領土割譲以前にその国家的犯罪は永久に歴史に残る。
795 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:46:23 O
デンミン、おそらくデッミンのことだと思うが確証がないから言及するのはやめておこう 所詮、推定人口10〜55人の小村だしな 11Cになっても撥土板なしの鉤犁を使用していなかったのは確認されているから地条は形成できない 穀物遺物や花粉分析から牧畜に比重の高い粗放な農法であると推定されてるしな これ以上は突っ込まない方がいいだろう
796 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:08:00 O
・メクレンブルク ヴィスマール湾とシュヴェリン湖のほぼ中間にある防備定住地 10C半ばにアラブから来た商人イブラヒム・イブン・ヤクブがオボドリト候ナコンの拠点と言及している 塁壁の南北方向長径170m、組んだ木材の間に土を詰めたもので奥行き13m、高さ7m 4回の焼失があり、改修は部分的 北門のすぐ近くに数軒の小規模住居跡 12Cまで使用された
797 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:24:31 O
・グロース・ラーデン 喜べ!造られたのは“9C”だぞ ビンネン湖畔に造られた防備定住地 1000年頃まで使われた 幅4mの板敷き道の両側に4×5mの住居29棟 高さ8m、奥行き12mの木と土の小規模な塁壁 装飾品、貨幣、交易を示す遺物は多くない
798 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:36:50 0
ナポレオンが敗北した時は結構、優しい処分だったのに 第一次世界大戦で負けたドイツには厳しい処分だったね あれでドイツが反発すると読めなかったのかな
799 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:38:11 O
まあ28日は22時から停電作業だったんでな“代休”でなくスマンな 電験2種持っとると深夜作業が多くてな まあお前だと逆立ちしても3種も取れんだろぅけどな やっと報告書書いて車飛ばして帰って見てみれば・・・失笑もんだな お前、どうせどっかのサイトで拾ってきたんだと思うが、ちいとは何州のどこにあるぐらい書けよ こっちは疲れてるだからよ
800 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:59:18 O
なぜソース元示せと言うかか 当たり前だろ 歴史家にしろ、考古学者にしろお前みたいに推測だけで断定しないからだよ A地区にあるB遺跡から出土する土器は砂や砕いた土器を混ぜた灰色粘土を使い、肩に丸みがあり、口縁部が外に開いているからC民族の土器に酷似しているから 同民族のものでないか・・・という具合いにだな歴史家たちは具体的に述べてるんだよ お前の主観だけの妄想じゃ断定できねえんだよ アント人(アンテス人)だってスラブと確定されてないことぐらいどこぞのサイトでも書いてあるだろう しかもアント人は602年の記録を最後に後の時代に記述がない アヴァールに滅ぼされたと云われるがな
801 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 01:39:17 O
古代の歴史家が自ら訪問して記述しているならともかく こと地理的位置を特定するのは漠然としているし、現代のように地図が発達しているわけでもないから誤解もある 例えば Ultra Leuticios,Wilzi dicuntur,Oddara flumen occurit,ditissimus amnis Sclavaniae regionis. In cuius ostio,qua Scyticas alluit paludes,nobilissima civitas Iumne celeberrimam prestat stacionem Barbaris et Grecis qui sunt in circuitu. これはアダムの「ハンブルク大司教座事績」の原文だが オーデル川が“スキタイ海”から流れていると記されている しかも オーデル川河口にある集落ユムネの付近の“ギリシア人”と蛮族に滞在場所を提供している このように昔の記述者の地理的知識が曖昧なものが多い だから古代の歴史家がこうだといっても当地の歴史的遺跡・遺物と一致しなければ断定できないのである
802 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 01:47:52 O
795 訂正 ×鉤犁を使用していなかったのは ○鉤犁を使用していたのは
この時間、ドイツスレが上に来てるから、てっきりドイツ×アルゼンチンかと思ったら… さすがだよ世界史板クオリティw
スラブ人遺跡に関して質問
ドイツのウィキペディアによると、リューベックには700年ごろからスラブ人がすでに住んでいたようですが…
(=´ω`=)y─┛~~ への反論のためにオボトリト族の遺跡だけ選択してませんか?
Im Osten Holsteins fand die slawische Besiedelung um ca. 700 statt. Bereits auf die Zeit Karls des Großen
ging eine erste Ansiedelung nördlich der Lübecker Altstadtinsel zurück. Dieses slawische Liubice ("lieblich"),
das sich an der Mündung der Schwartau in die Trave befand und heute nach den Ausgrabungen ein wichtiges Bodendenkmal ist,
war seit dem 10. Jahrhundert neben Oldenburg in Holstein (Starigard) die wichtigste Siedlung der Abodriten.
http://de.wikipedia.org/wiki/L%C3%BCbeck#Erste_Besiedlung
検索するといくらでも出てきます
720年ごろにはベルリン地方に2つのスラブ部族が住んでいたとあります
一つはハベレル?族でハベル川沿い
もう一つはスプレバネン?族でケーペニック地区で見つかったとあります
In about 720 two Slavic tribes settled in the Berlin region.
The Heveller settled on the river Havel with their central settlement in Brennabor,
which later has become the town of Brandenburg.
Close to the river Spree in today's borough of Berlin K?ick the Sprewanen were found.
http://www.reference.com/browse/wiki/Berlin
6-8世紀にかけてすでにスラブ人がいまの東ドイツ住んでいたことを否定するならば 少なくとも東ドイツの全てのスラブ人遺跡を羅列して否定しないと駄目ではないですか? 遺跡がないとしても今まで見つからなかったという可能性もありますが それでもそこまで否定する以上は今まで見つかっている遺跡を全て羅列して この時代のスラブ人のものがないことを証明することは最低限しなければならないことだと思いますがいかがですか?
>>803 イタリア×ウクライナはドイツ×アルゼンチンほど面白くないですね
ドイツとイタリアが好きなので順当にイタリアに上がってもらって
対戦して欲しいです
ドイツ人まじで消えればいい。しかもカコイイとかいう理由で気軽に好きになってる 日本人のヲタクも最低だ。ドイツ人はドイツ人のやり方よりえぐい殺し方で 大量に残虐されるべき。死ぬのがどれだけ楽かをとことん思い知らせるくらい の究極の残虐行為でじわじわ嬲り殺しにしてみたい。
812 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 22:54:30 0
>792>795>796>797 ネタは「中世前期北西スラブ人の定住と社会」ですな。 都合のいいところだけ抜書きしちゃいけませんな。 資料が「戦争犯罪事典」「過去を清算するドイツ」だけじゃ なくなったのは進歩でしょうが。
813 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 23:03:06 0
所詮、 \>(=´ω`=)y─┛~~ が、時刻時刻wで >出張徹夜、代休があるだけの話だろ >お前の親父より年収あるんじゃねえの ワロタ
>>812 >「過去を清算するドイツ」
例のドイツヲタ本なら『戦後の「タブー」を清算するドイツ』ではないでしょうか?
815 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 21:35:47 0
>800 自分はソースは示さないで他人には要求するわけですね。 さすがですね。 立派な態度、見習わせていただきたいと思います。
816 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 21:38:02 0
>814 ご指摘ありがとう。 これに加えて「ソフィア先生の逆転裁判」が奴の三種の神器です。
817 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 21:50:54 0
211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/05(日) 02:28:32 ID:3DO5j5Aw
>>210 議論もいやがらせの言葉で返すことしかあなたにはできないようですね。
返す言葉もありません。 ウソや茶化しているのはあなた方でしょう。
相手する気もなくなりました。
212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/05(日) 03:01:07 ID:3DO5j5Aw
>>207 議論に勝つ為に平気でウソつくやつらとは話したくない。
コイツ、チェコスレでも分が悪くなると、相手がウソをついているなどとケムにまいて
逃げ出すひきょうものスラブヲタだろ。
IDが同じですねWWWW
818 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 23:22:23 0
903 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 11:21:01
>>900 >>902 ポーランド人が嫌っているユダヤ人を掃除してくれたのがナチスだからだ。
ある面でポーランド人はアウシュヴィッツへユダヤ人たちを送り込んだ
人たちの協力者だった。
ドイツ人はかつての同士、とも言える。 今になってポーランド人は
ズル賢く否定するけどね。
904 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 21:15:25
>>903 アウシュヴィッツでナチスに何十万人のポーランド人が殺された事を
どうやって説明できるだろう?ナチスの協力者のポーランド人は自分を
アウシュヴィッツへ送り込んだだろう?信じ難い説だ。
819 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 23:23:11 0
905 :名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 21:15:43 ポーランド人は戦争に弱い。ショパンの昔からフランス文化に憧れた。 彼らの本音は、ドイツ人も嫌い、ロシア人も大嫌い、ユダヤ人も嫌い。 だが、それを露骨には言えない。 ロシアにも支援された恩があるし、ユダヤ人を悪く言うとナチと一緒にされる。 今はドイツの経済的な脅威もあるし、仲良くやることで得られる利益もある。 ということで、計算ずくでドイツにもにこにこ、ロシアにもお世辞笑い、 もちろん米国には、ユダヤ人にももみ手で愛想笑い。 チェコみたいな小国には、糞みたいなことを言って居丈高になっている。 906 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 00:47:06 立派な分析だ。論文化希望。
820 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 23:24:01 0
907 :名無しさん@3周年:2006/06/20(火) 18:25:21
>>905 ポーランドに関してドイツは2つある
1.チュートン騎士団→プロイセン→ドイツ帝国→ナチス・ドイツの流れのドイツ=反ポーランド
2.ライン地方の中世都市→ハンザ都市(特にリューベック法)やザクセン王国の流れのドイツ=親ポーランド
お前は前者のドイツしか頭にないんだろ
ドイツの経済はポーランドにとって利益ではあっても脅威ではないし、
チェコに居丈高になっているような事実もない
アンチポーランドのアホは死ね
821 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 23:25:10 0
949 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 20:17:41
>>947 懲りずに またクソ立てるなw パーランド語のどこがいいのか・・
950 :名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 23:09:37
思った通りアンチが紛れ込んでるな
822 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 23:30:56 0
823 :
世界@名無史さん :2006/07/02(日) 23:56:03 0
287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 18:56:39 ID:tJ3a+3CF
>>285 間違ったらすみません。
以下の外国語スレに出した質問はあなたですか。
辞書に載っていない特殊用語には困った…
ナチスのポーランド侵攻のとき、
ポーランド国内で組織されたドイツ系住民の反乱組織Selbstschutzは、
日本語では普通、何と訳していますか?
はぁ 反乱組織? 占領軍に対する破壊工作を専門とするのは一般的にパルチザン(遊撃隊)と
呼ばれますが、それは戦時中、ポーランドやロシア、セルビアなどで行われた卑劣なだまし討ち部隊です。
Selbstschutzは呼んで字のごとく自警団,ドイツ系住民に対する周囲のポーランド人からの嫌がらせ、
暴行、放火などすでに戦前からありました。 それに対して、ドイツ系住民のなかでポーランド人から
共同して防衛しようと言う自警団が作られるのは自然のなりゆきでしょうね。
(=´ω`=)y─┛~~ は平日の夕方から夜にかけて書き込むようだけど、月曜は出てくるかな
6世紀の遺跡を示したら(=´ω`=)y─┛~~ の圧勝ということだが
826 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 13:43:47 0
792 :世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:30:20 O パルヒム 795 :世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:46:23 O デンミン、 796 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:08:00 O ・メクレンブルク 797 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:24:31 O ・グロース・ラーデン 799 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:38:11 O まあ28日は22時から停電作業だったんでな“代休”でなくスマンな 800 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 00:59:18 O なぜソース元示せと言うかか 801 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 01:39:17 O 古代の歴史家が 802 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 01:47:52 O 795 訂正 ……………… 803 :世界@名無史さん :2006/07/01(土) 02:11:42 0 この時間、ドイツスレが上に来てるから、てっきりドイツ×アルゼンチンかと思ったら… さすがだよ世界史板クオリティw 23:30〜01:47、ワロタwww
7世紀以前から定住が確認されているものはパルヒム、シュレミン、トゥトフ、リーペン、シュトゥッベンカンマー、ツーダー、ノイブルクなど北東ドイツに集中しているが、中には主要遺構が後の時代のものもある。 そういうわけでこの馬鹿は遺構全部が後の時代のものだと思い込んでいるようだ。 俺は羅列しろと言われたから知っているものを単純に羅列しただけだが、なのにこのネットサイコパスは難癖つけてくる。 要は6世紀からスラヴ人がエルベ・オーデル(ザーレ)間に6世紀に定住していた遺跡の具体例を挙げればいいということなら初めからそう言え。
(続き) 定住初期の6世紀の定住遺跡には砦型と村落型がある。 この時代の砦の遺跡で有名なものはデンミン近くのフォアベルクやノイステルリッツのフェルトベルクなどがある。 この時代の砦は外敵に襲われたときの一時避難用のもので、常時人が住んでいるわけではなかった。 ドイツではこれまで規模の大きく派手な砦ばかりに関心が向いており、村落の遺跡にはほとんど注意が払われておらず、 1980年代の後半になるまで発掘調査もほとんど行われていなかった。 しかし当時の人々の日常生活や交易の実態を知る上でより重要なのはむしろ普段から人の住んでいた村落の方である。 本格的に村落遺跡が発掘されるようになるのはようやくドイツ再統一後の1990年代に入ってからである。 前置きはここまでにし、それではご要望に応えて発掘結果が具体的に得られているうちすでに挙げたシュレミンやリーペン以外の例を二、三程度、少し具体的に挙げていこう。
(続き) マールスドルフ@ベルリン ここは運よく1950年代に最初の本格的発掘が行われたスラヴ人村落で、1957年の調査では8世紀のものとされたが、後の調査で6~8世紀に渡って定住していたと推定された。 大きく分けて新旧の2層に分かれており、このスレで焦点となっているのは旧層(6~7世紀)の方。 これは2戸の平地式5戸の竪穴式のログハウスが確認されており、その他に家畜小屋、農作業用施設、地下倉庫、井戸、ゴミ捨て場などが併設されている。 最初の調査からナイフ、鎌、斧、拍車、蹄鉄、釘、銛などの鉄製品が発見された。 鉄鉱滓も発見されており、製鉄所は確認されていないが、製鉄がここで行われており、鉄製品は余所から買うだけではなかったことが推定される。 その他に手工業品は動物の骨から作った錐やナイフの柄、数十個の紡錘が出土している。 この村落の住居には必ず他の建物や施設が付随しており、いわゆる農家の屋敷(premises)となっている。
(続き) モシッヒカウ(デッサウ近郊) これも6~8世紀の遺構で、1960年代に調査され5つの定住層が発見されている。 各層とも5~11戸程度の竪穴式ログハウスが半円を描くように並んで建っている。 この半円の外側には多数の穴が掘られており、北側には4つの陶器製造用の窯がある。 牛と豚の骨が多く出土し、牧畜が行われていたことが推定されている。 鉄のナイフや臼石が出土しているが、製鉄炉の建物が確認されず、臼の原石もこの近傍のものではないので、両者は交易で手に入れたものと推定される。 5層の住居跡の敷地に連続性はなく、住民はある程度定期的にこの地域を回遊しながら牧畜と農耕を行い、この遺跡はその拠点の一つであったのだろう。 住居跡からは大きな経済格差は想定されず、おそらく家父長的な大家族の村落であったものと思われる。
(続き) フリッチェスホーフ(ノイブランデンブルク近郊) ここは村落としての歴史は古く、青銅器時代に遡る。帝政ローマ時代のゲルマン人の遺構もわずかながら出土するが、 それより上層に6~12世紀のスラヴ人定住層が確認されており、農家屋敷、農作業用建物、竪穴式の小規模な住居、地下倉庫、貯蔵用の穴、ゴミ捨て場から構成されている。 スラヴ人定住跡からは鉄鉱滓が炉壁片のついたまま発見され、製鉄が行われていたことが明らかである。 その他に貴金属細工品、銀細工用の鋳型、櫛、錐、ナイフの柄、紡錘、 その他に珍しいものとしては中央アジアのサマルカンドで造幣された貨幣の破片やスウェーデンのビルカから交易で手に入れたと思われる3センチ程度の小さな馬具などが発掘されるが、 これは8世紀に入って遠方との交易が盛んになってからの時代のものと推定される。
(続き) トルノウ(コットブス近郊) ここの6~7世紀の城砦遺跡は、外敵から襲われたときに近隣村落の住民が一時避難するための共同施設の址である。 ちなみに同様の避難砦は古くは紀元前10世紀ごろからすでに北ウクライナを中心に作られている。 直径25メートル程の防壁に囲まれた内部には各1つの井戸と倉庫がある。 スラヴ人は伝統的に好戦性の低いおとなしい農耕民族で、略奪目的の外敵から襲われると住民は村を焼き払うなどして放棄し財産を持って近隣の砦に篭り防備を固めて、 敵が飽きて帰ってしまうまで我慢していた。 こういった習慣が残っていたため社会的な階層分化が長い間発生せず、こういった砦はあくまで近隣の村々の住民の共同施設であり、 そこに常時居住するような特権階級は存在しなかった。 しかしトルノウでもフランク人などとの接触が活発化した8~9世紀になると城砦を個人的に所持して居住する特権階級が現れたようで、 城砦の規模は変わらないが、19の穀倉址と多くの牛骨が発掘され、避難用としては不必要なほどの貯め込みようである。 個人主導による生産物の分配や余剰生産物の輸出による私財蓄積が行われたものと見られる。
(続き) エルベ・オーデル間のスラヴ人の住居に関しては、基礎部分は北部では平地式で南部では竪穴式が多いが、共通して正方形であるのが特徴。 同時代に地方ごとに多様な方式が採用されており、各地方の地下水位、土壌の安定性、木材の得られる森林など気候風土条件が作用している。 そのため日本の古代住居例と異なり、竪穴式が平地式より遅れているというわけではない。 エルベ川から離れた沿海部は平地式で編み枝に土塗りをして作った壁を柱で支える方式、エルベ中流域と下流域の沿海部では平地式の丸太組み柱造りのログハウスである。
(続き) ドイツにおけるスラヴ人研究は、1971年に西ドイツのルダートが古典的なゲルマン対スラヴの民族主義的アプローチに疑問を呈してから徐々に変化した。 それまでは戦前から、西スラヴ人の社会の発展をドイツ人の支配に帰する考えが支配的だった。 (つまりここのスレのネットサイコパスの視点であって、だからこれは全く古いのである) 1970年代を通じて西ドイツではルダートの考えが一般的に受け入れられるようになり、遅ればせながら東ドイツも1980年代後半からそれに続くようになった。 この新しい視点で本格的研究が始められたのはドイツ再統一後の1990年代に入ってからである。 (=´ω`=)y─┛~~
さて、 『中世前期北西スラヴ人の定住と社会』は確かに良書ではあるが、この本は概説的なものであり、 その性格上、遺跡を網羅しているわけではないし、この地域におけるスラヴ人定住の起源を追求するものではない。 ネットサイコの馬鹿が第一級資料などというブラフをかまし、内容の書き写しをしていることからこの本を唯一のネタにしていることは明らかだが、 昨日の自分の書き込みを見れば分かるように、自分もこの本を持っている。 それに加えて、1980年代終わりから現在にかけての市原先生の論文の殆ど、およびドイツのこの分野の考古学者や歴史学者の論文をいくつか所有している。 そのため昨日やった遺跡の紹介ではプラスアルファの情報を付け加えてある。 さらに、ドイツ人の専門家からブリーフィングを受けられる立場にあるが、詳しく書くと身元がバレるから、これについてはそれ以上語れない。 今日は、『中世前期北西スラヴ人の定住と社会』では紹介されていない遺跡を挙げてみよう。
シュレッミン ここは7世紀の城砦の遺構が中心の遺跡。1970年代に詳しい発掘調査がなされた。 これも外敵に襲われたときに一時避難するときに使用されたもので、人が常住してはいなかったようである。 直径20メートルほどの防壁に囲まれた内部には倉庫址と井戸址がある。 近くに墓と思われる穴も発見された。遺体は木材とともに焼かれ、遺灰は骨壷には入れられていない。 6世紀ごろにはすでに村落が形成されていた。 鉄鉱滓が見つかっており、溶鉱炉の址は確認されていないが、製鉄が行われていたものと思われる。 ナイフ等の鉄器、装飾品、ナイフの柄など骨角器も発掘された。
トゥトフ 7〜8世紀ごろから続く城址が2箇所。 8世紀に放棄されたものと、10〜11世紀ごろまで使用されたもの。 前者は一時避難用の簡素なもの。後者は15メートルもの高さをもつ城壁に囲まれている。 最初の村落はやはり7世紀に形成された。 リーペン これは村落や城砦ではなく、スラヴ人によって整備された街道跡。ここからリーパーブルクまで続いている。 シュトゥッベンカンマー 7世紀の村落址と8世紀の城砦。 近くのアルコナ岬には遅くとも9世紀ごろには建てられたと見られる城砦があるが、この城砦は例の本に紹介されているので詳しく書く必要はないだろう。 これ以上は面倒なので止めておく。
エルベ・オーデルザーレ間の中世前期スラヴ人に関する研究は1990年代所期にドイツ再統一に伴うイデオロギーの揺り返しからそれまでの東ドイツの研究の姿勢がやみくもに追及され、 第二次世界大戦以前の、ドイツ人による支配にのみこの地域のスラヴ人の社会発展の要因を求める歴史観に一時先祖返りしかけたような形となったが、 現在この混乱は終息し、東から西への影響にも注目した有機的な事実を捉える新しい段階に入っている。 当たり前の話だが、中世前期のエルベ・オーデル間の土地(正確にはポメラニアやプロシアが加わるが)はエルベ川の西に住んでいたドイツ人にとって辺境であったのと同様、 単独では6世紀からオーデル川の西に進出したスラヴ人にとっても未踏の辺境の地だったのであり、この時代にエルベ・オーデル間に定住したスラヴ人住民はみな開拓者だったのである。 (=´ω`=)y─┛~~
839 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:56:02 0
436 :異邦人さん :2006/07/04(火) 03:31:24 ID:ePRwG5SL すみません ドイツに在住または、詳しい方教えてください ワールドカップ観戦に先月、ドイツに行ってきました フランクフルトでジャーマンレールパスのTWINを購入しました(2人で行ったので) 5日間のチケットを購入して 270ユーロだったんですけど クレジットカードで購入しました カード会社から 270ユーロが2回引き落とされてると 知らされましたが TWINのチケットなのに何故 270×2名分引き落とされてるのでしょうか? もしかして1人 270ユーロだったのでしょうか? また、問い合わせ先をご存知の方いませんでしょうか?
840 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:57:07 0
438 :436:2006/07/04(火) 12:33:22 ID:ePRwG5SL いろんなサイトで [ジャーマンレールパス]の料金調べたけど やっぱ、2等クラス5日間で1人27000円くらい TWINで購入の場合 2人目が50%割引になるようなので 2人で5日間 40000円前後 やっぱ、2重請求されてるっぽい 270ユーロ×150=40500円を2回請求 どうしよう… Die Bahn 社に問い合わせしてみたいんだけど 誰か知ってる人いません? フンクフルト駅構内 このまま泣き寝入りだけはしたくない…
841 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:57:42 0
439 :異邦人さん :2006/07/04(火) 12:46:40 ID:J9YDHTnD
>>436 DBのHP見ればメアドとか載ってるからメールして
カード会社に連絡すれば済むことじゃん。ちょっと落ち着け。
443 :異邦人さん :2006/07/04(火) 21:12:17 ID:AnrDB4rg
>>436 切符云々よりもクレジットカードを出してサインをした控えがあるはずなので
それをまず探して金額を確認しカード会社に連絡することです。
842 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:58:14 0
445 :436:2006/07/04(火) 22:06:02 ID:ePRwG5SL
>>439 当然、DBのHP見ましたがドイツ語のみでまったく理解できません
しかも、コンタクトなる項目を見たけどこれも当然ドイツ語で先に進めても意味がわからず…
カード会社にも連絡入れました 2重引き落としされてるっぽいと伝えたけど
カード会社は、こちらの対応外ですとの事
お客様が直接、カードを使った会社に連絡を入れてくださいの一点張り!
>>441 自分も海外で結構カード使ってますが、2重に引き落としされたのは今回が初めてです
>>443 もちろん、サインした領収書も手元にあります
サインも1回しかしてないです 当然、その時に金額を確認してサインしました
とにかく、カード会社は、対応できませんとの事です
843 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:58:47 0
446 :436:2006/07/04(火) 22:19:27 ID:ePRwG5SL あと、カード会社に聞いたのですが 初めに買った フランクフルトーカイザースラウテルンの料金 2人分の 料金も2重に請求されてました 128ユーロ×2回 どちらもフランクフルトで購入しました 他のサイトで調べても フランクーカイザーは1人往復、1万かからないので こちらのほうも、料金が高すぎだと思います
844 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:59:25 0
447 :異邦人さん :2006/07/04(火) 22:26:18 ID:LVMpq0MW 支払拒否すれば? 使ってない以上、払う必要はない、主張し、必要があれば供託でもしてやれ。
845 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 01:59:57 0
452 :436:2006/07/04(火) 22:33:08 ID:ePRwG5SL
>>447 そんな事したらカードとめられない?
しかし、カード会社が何もしてくれないってのもどうかと思いません?
2重請求ごときで(単純なミス程度)、向こうの会社と連絡もとってくれない程度なら
わけわかんねー請求来ても 一切助けてくれなそうで怖い…
846 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 02:00:32 0
454 :異邦人さん :2006/07/04(火) 22:46:31 ID:AnrDB4rg
>>445 もしかすると来月分で修正されているかも。
ドイツ銀行でも二重引き落としは何回か経験しました、お詫びの言葉とともに
簡単に訂正してきます。
それにしても対応外とは・・・
847 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 02:04:33 0
462 :異邦人さん :2006/07/05(水) 00:25:32 ID:NDm1pO0p ドイツの金融システムは、ちゃらんぽらんで、誤振り替えや二重引き 落としは日常茶飯事だよ。日本でこのレベルでポカやっていたら、 ミズポどころの叩かれようじゃ済まされないのは間違いないほどひどい。 でも、逆に言えば、普通にそういうミスが多発しているわけだから、 日本的感覚でもって、そんなに緊張することはないんだよね。懸念 しているほど面倒なことにはならないと思うよ。 ただ、会話に自信がないなら、手紙の方がおそらく対応がマシになって くるはずだから、そっちの方がお勧め。この局面で運悪く例のドイツの デフォ接客されたら凹み度大だろうしさ(ニガワラ
848 :
これが偉大なるドイツの実態だ :2006/07/05(水) 02:05:41 0
464 :436:2006/07/05(水) 00:48:51 ID:Bd4/TJ7W
>>462 10日間の滞在でしたが、ドイツってほんといい加減な国だなぁーって
つくづく思いました
ただ、そのいい加減さから2重に引き落としてようが、かまわず返金もなしでそのまま
終わりそうで怖いなって思ってます…
できたら、メールで問い合わせ(英語で)したいと思ってるんですが
問い合わせ先がわからず 今、四苦八苦しています…
絶対、泣き寝入りだけはしたくないので頑張ります。
ユダヤ人のいなくなったドイツなんてこんなもん
【在日や韓国人の日本強奪計画を阻止せよ!】外国人参政権に反対する主なる理由 以下この法案の主な問題点を挙げます。 ・参政権とは国政や地方を問わず「国民固有の権利」であり、この法案は明らかに憲法十五条に違反している。 ・日本国民は民主国家日本と運命を共にせざるを得ないが、外国籍の者は日本と運命を共にする義務は無い。彼らが本国に帰る事は自由である。 ・参政権は人権問題ではない。外国人は本国の参政権を持っているはず。無いのなら、それは彼らの本国の怠慢でしかない。 ・永住外国人とは、特別永住資格を与えられた韓国・朝鮮籍の方々が殆どを占める。彼らが本国からの干渉を全く受けない、とは言えない。これは内政干渉とも考えられる。 ・この法案を提出しているのは公明党の議員である。公明党とは、ほぼ創価学会員で構成されており、支持母体は創価学会。公明党がこの法案に熱心なのは、創価学会が韓国での布教を有利にする為であるとも言われている。 (金大中元韓国大統領と池田大作SGI名誉会長の間の取り決め) ・この法案に賛成してる政党は、票田を獲得する為に「国民固有の権利」を売ろうとしているのは明らか。民主党は韓国民潭との繋がりを強めている。創価学会の信者には在日朝鮮・韓国人も多い。 ・この法案に賛成してる議員は、個人的な贖罪意識の為に「国民固有の権利」を売ろうとしているように見える。 ・友好を言うのなら、相互主義でなければならない。 ・日本は他国とEUのような強力な結び付きのある同盟関係が有るわけではない。外国人の参政権を認めているのは、EUのような一つの国を目指している国々や、経済的繋がりが強力な北米圏のような特殊な国々のみ。 ・この法案が成立した場合の将来、永住外国人が人権を盾に、被選挙権と国政参政権を求めた場合はどう対処するのか説明が無い。
>>801 >これはアダムの「ハンブルク大司教座事績」の原文だが
こいつはネタ「中世前期北西スラブ人の定住と社会」の抜書きをして
自分がさもラテン語を知ってるかのようなフリをするインチキ野郎
852 :
世界@名無史さん :2006/07/07(金) 00:46:29 0
>これが偉大なるドイツの実態だ 反論できなくなったらコピペ荒しかよ。 次は毎度のように「キ○ガイポラックオタ」が荒らしたと言い出す のだろう。 ナチの信奉者だけあって、二次大戦前のナチの手口をよく学んでま すね。
853 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 00:47:01 0
6世紀のエルベ・オーデル間にスラブ人がいなかったとか世迷い事を言ってたハッタリニート=インチキ野郎は急に黙ってどこ行ったんだ? いつもの出張か?w 代休はいつだ?w
854 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 00:56:49 0
ゲルマン人ていつからゲルマン人になったのですか? ゲルマーニア人とゲルマン人は意味が違いますよね?
だから日本語は嫌だ。 ゲルマンとジャーマンをいっしょくたにして訳すし わけわからん。
856 :
たまねぎや :2006/07/09(日) 14:37:50 0
>>856 >国家賠償はドイツはしたくてもできなかったのです。
本当に国家賠償したかったのか?
無条件降伏したんだから講和条約結べないじゃん。破産と民事再生法適用の違いみたいななもの
無条件降伏すると講和条約結べないのか? じゃソ連を除く連合国と講和条約結んだ日本は何なんだ?
860 :
たまねぎや :2006/07/09(日) 18:54:56 0
ドイツによる各国に対する国家賠償は済んでおりません。 あくまで、「ナチス」の国家的犯罪行為に対する賠償金です。 すべての責任をナチスに被せているドイツ、、、。
861 :
世界@名無史さん :2006/07/10(月) 00:15:12 0
862 :
世界@名無史さん :2006/07/10(月) 01:14:45 0
>>859 日本が受け入れたポツダム宣言の条件では、新規領土を失い、
主権が元の領土に制限される事が明記されてる。
当然一時的な占領の後で折衝が完了すると、
国家主権の適用される範囲が狭められた形でスムーズに国際社会に復帰。
いずれにしろ日本は歴史上、国家主権が消滅したことは無い。
言うならばフランスの第一帝政型の国家崩壊。
外征の失敗で国が占領されナポレオンや旧政権派は追放されて
対外領土への主権が制限されるが、
国としてフランス自体が消滅したわけではない。
国として一度は完全に消滅した朝鮮やプロイセンと異なり、
日本は国として歴史上一度も消滅した事がない。
>>862 反論になってないw
何の質問に対する反論なんだ?
ゲルマン人について。 プロト・ゲルマン人が他のインド・ヨーロッパ語族から分化していったのは紀元前600年頃から始まり紀元1世紀まで続く北欧の鉄器文化のヤストーフ(ヤストルフ)文化の時代で、 それほど古くはない。 一方、プロト・スラヴ人は他からの集団としての分化がプロト・ゲルマン人よりも数世紀早く、紀元前1050-725年頃の東欧の鉄器文化であるチェルノレス文化においてプロト・スラヴ人が成立している。
(続き) 紀元前1800-600年頃の北方青銅器時代の北欧の住民は他の地域のインド・ヨーロッパ語族からは未だ分化していない。 言語考古学でも同じく、この時代の北欧ではまだ、他のインド・ヨーロッパ語族から分化した集団がないということが言われている。 北方青銅器時代の北欧の住民をプレ・プロト・ゲルマン人などという不思議な用語で呼ぶ学者がいるが、これはあまりにも無理があり、ただ失笑を買うのみである。 存在しない集団にあえて何かの呼称をつける必要はない。
(続き) 物質的観点から言えば、紀元前600年頃に始まるヤストーフ文化はハルシュタット文化やラ・テーヌ文化の影響により成立した北欧初の鉄器文化である。 この時代にこの地域で初めて出現する鉄器はプロト・ゲルマン人のオリジナルではなく、南接するケルト人からの文化伝播によるものであり、 さらに鉄(iron)の原語isarmaはケルト語からの借用である。 北欧の地元の沼沢地の泥炭の中から鉄鉱石が掘り出されることが分かって、鉄を自製して独立していった集団からプロト・ゲルマン人としての分化が徐々に始まったが、 ヤストーフ文化の文化的特化はまだ始まったばかりであり、同時代の(ケルト人の)ラ・テーヌ文化とはデザインや習慣の違いはほとんど見られない。
(続き) 紀元前2世紀終わりに行われたキンブリ人とテウトニ人によるローマ侵入によってゲルマニア地方の住民がローマ人に意識されるようになり、 カエサルなどローマ人によって一括してゲルマーニー人(ゲルマニア人)と呼ばれるようになるが、これは現在の民族呼称としてのいわゆるゲルマン民族とは異なる。 ローマ当時のゲルマーニー人とはライン川西岸以東のゲルマニア地方住民一般を指す言葉で、これにはゲルマン人、ケルト人、スラヴ人、バルト人、スキタイ人などが含まれるからである。 それより3世紀も早く、紀元前5世紀、古代ギリシャ人は彼らの北方彼方、後にローマ人がゲルマーニアと呼ぶことになった地方に住む集団をケルトイ(ケルト人)と呼び、 同時代、ヘロドトスは『歴史』の中でこの地方でスキタイ式に生活する非スキタイ人(ネウロイ人、ブディノイ人などのプロト・スラヴ人諸部族)の集団について書き残している。
(続き) ゲルマーニア住民のうちヴィスワ川を大体の境としてゲルマーニー人とスラヴ系ウェネティ人を分けた文献は1世紀のタキトゥス『ゲルマーニア』が最初であるが、 そこでもまだドナウ川左岸一帯のケルト系諸部族や、ヴィスワ川の西で現在のポーランド西南部に住んでいたスラヴ系部族あるいはスラヴ系を中心とする混血部族とされるルギー族は まだゲルマーニー人の中に数えられている。 なお、ロシア語ではルギー(Lugii)人の語幹となるルーク(Lug)は昔からポーランド人を意味する。 ポーランド人の自称はレフ(Lech)であるがスラヴ語ではg(グあるいはク)はしばしばh(chと綴る)と発音される。 このようにアルプス山系の北、ライン川からヴィスワ川までのマグナ・ゲルマーニアの住民はタキトゥスにとって言語の違いに関わらず一括してゲルマーニー人(ゲルマーニアの住民の意味)扱いだったようである。 (=´ω`=)y─┛~~
870 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 14:11:20 0
(=´ω`=)y─┛~~ ......うざい香具師だな。 スレ間違えてないか。(うさんくさい書物のコピペばかりして)
871 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 14:56:58 0
>>870 論争に負けたからってその言いかたは無いだろw
872 :
世界@名無史さん :2006/07/11(火) 16:36:19 0
英国人は時間ちょうどに来る。 仏蘭西人は5分後れで来る。 伊太利人は約束を忘れてる。 日本人と独逸人は、5分前に来てる。
そんなドイツ人会ったことない。実際は大体30分は遅れて来る。
私のネタ元はマロリー・アダムズ・ゴウォンプ・ヘウズラー・ニコルズなど当代一流の学者陣の最新の研究である。 (=´ω`=)y─┛~~
875 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 02:47:04 0
6世紀のエルベ・オーデル間にスラブ人がいなかったとか世迷い事を言ってたハッタリニート=インチキ野郎は急に黙ってどこ行ったんだ? いつもの出張か?w 代休はいつだ?w
>>873 そして聞いてもいないのに、「自分のせいじゃない」ということを強調しながら遅れた言い訳をする。
「俺のせいじゃない」: 一般的ドイツ人の責任転嫁・責任回避の常套文句
遅れてくるならまだいい方、最近多いのは 「すっぽかす」 で、後日、いかにも嘘っぽい言い訳をたれまくる
878 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 09:24:56 0
>>876-877 もう何年も前から同じこと繰り返して
ほとぼりが冷めるとまた湧いて出てくるさ
ゲルマン猿たる由縁
あのエテ公が出てくるまではポーランド関係スレって
本当に良いスレだったんだが
879 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 16:28:06 0
軍事板でも相手にされていない様子です。
287 :名無し三等兵 :2005/09/22(木) 17:06:45 ID:???
>>285 第一次世界大戦前ではドイツ領であったダンツィヒ地方は、ドイツの敗戦によって
国際連盟管理下に置かれていたものの歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、
また住民の96%はドイツ人。
ポーランド人その他は3%以下だった。
ポーランドが占領していたポーランド回廊は東プロイセン地方をドイツ本国から
切り離し、そのせいで極めて不安定な状態にあった。
さらに、ポーランドに在住するドイツ系住民は少数民族として、
迫害を受けていた。
ポーランドは国際連盟管理下のダンツィヒ自由市に1920年1月9日に結ばれた条約に
「ポーランドはポーランドとの直接結合のためダンツィヒ港内に郵便、電信、電話局を
設置することができる」という特権をもっていた。
しかし、ヘベリウス広場にある郵便局は名ばかりで、防護用の強化壁、
鋼板でかため軍事要塞と化していた。
ダンツィヒ自由市におかれていたすべてのポーランド側事務機関も同様抵抗拠点の
様相を呈していて、職員もすべて軍事教練を受けた予備役兵からなっていた。
これは国際連盟が認めていた事でなく、ポーランドによる明らかな侵略行為。
つまり、ポーランドは近い将来、ダンツィヒを、リトアニアによるメーメル地方の占領
のように不法占領するための、明らかな戦争準備を行っていたという事。
ドイツはこのような危機的状況により、ポーランドに対し自衛的進出を余儀なくされた。
289 :名無し三等兵 :2005/09/22(木) 18:10:25 ID:???
>>287 http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_05.html コピペですか?
きんもーっ☆
880 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 16:30:57 0
この発言は最高ですね。 ブロンベルク事件にオレが最初にであったのは、7〜8年前だと思うけど図書館でみた本だった。 題名は覚えてないし、当時はあまりそんな強い印象もなかった。 当時覚えていた内容を思い返すと、1939年9月3日、ドイツ軍のポーランド侵攻直後だった。 第一次大戦後、ポーランドに奪われた西プロイセン地方に住むドイツ系住民百万のその後の運命だった。 その日は、日曜日で教会の礼拝に行く途中のドイツ系住民の婦女子に、ポーランド人がこん棒や、斧などもって 襲い掛かり虐殺した。 そのことだけが記憶に残っていた。 最近になって出会ったのが「世界戦争犯罪辞典」でたまたま新橋の本屋で見て、この項目が載っていた。 開戦前から、ポーランドは国内のドイツ系住民に弾圧を加えていたが(結局は、それがヒトラーの望んでも居なかったが結果として ポーランド撃つべしとプロイセン系将軍から突き上げられたことは容易に想像できるが)それが開戦の大きな要因であろう ことは容易に想像できる。 9・3にドイツ軍が迫っているとして、地元のポーランド警察や一般のポーランド住民、はては敗残のポーランド兵も 加わって、武器や無線機などかくしていないかどうかを調べると言って、ドイツ系住民の家に押し入り、暴行、殺人、強姦、略奪、放火をはたらいた。 このことは戦後も1960年末にいたるまで調査がおこなわれ、当事者、目撃者の尋問により、当日虐殺されたドイツ系住民の名前3841人を割り出した。 そのリストに載っていないものを考慮すると4000〜5000人にのぼる。 イェドワブネよりも虐殺規模はおおきい。 しかし、敗戦ドイツには何も言えない。 イェドワブネのユダヤ人殺しの件を聞いたときも、ポーランドのブタ野朗と思った。 やったことよりもそれを隠し、しかもその罪を敗戦で何もいえない ドイツになすりつけること自体卑劣国家だと思った。 「世界戦争犯罪辞典」は非常に感銘の深い本で買ったけどいい本だが、なにせ値段が高いのが難点。 思い切って買ったけど18000円、しばらく 小遣い不足に悩んだ。
882 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 17:48:51 0
>880 で、この本を崇め奉っている訳ね。 どこのスレか忘れたが、他のソースを出されて、オーストリアの一流の学者 が書いたものに文句をつけるとは、著者への名誉毀損だとか喚いていたな。 今回はネタ元を先にばらされて沈黙か?
文芸春秋は最近、怪しい扇動本を次々と出していることで社会的信用を失った 世界戦争犯罪時点もドイツ関連はドイツ人右翼学者しか採用していない
884 :
世界@名無史さん :2006/07/17(月) 17:05:14 0
聖典を批判すると「名誉毀損だ!!」って言われますよ。
885 :
世界@名無史さん :2006/07/17(月) 19:05:30 0
なぜオタはどいつ好きなの
やっぱ入り口はナチスかな。俺がそう。だって普通にカッコよくない? 悪には悪のかっこよさがある。 だから俺はポーランドが嫌い。正義ぶってヒトラーに最後まで抵抗したから。
887 :
世界@名無史さん :2006/07/18(火) 00:25:27 0
>886 そこから先に進んで「猿」の仲間に堕ちないことを祈る。 本は戦争犯罪事典以外も読みましょう。
888 :
世界@名無史さん :2006/07/18(火) 00:33:44 0
1.先進国 2.列強の一つ 3.世界大戦時代の五大国の一つ 4.同盟国だった故のシンパシー 5.歴史と文化がある
>>888 だろ?やっぱドイツは偉大だよな。
世界戦争犯罪事典でもドイツは間違っていないと書かれている。
890 :
世界@名無史さん :2006/07/18(火) 18:55:57 0
ドイツって、ほとんどの期間、日本の敵で、南京大虐殺だってドイツ人らが でっち上げ、日中戦争だってドイツ人顧問の責任だったのに、 日本は敗戦の瞬間だけ手を結んでしまったな。 あの疫病神国家。
891 :
世界@名無史さん :2006/07/18(火) 20:42:49 0
釣れますか? 鮎は豪雨でいないと思いますけど・・w
892 :
世界@名無史さん :2006/07/19(水) 00:15:52 0
ポーランドスレにサルの腐臭が漂いだした。
>>890 それはそう。釣りとは思えない。
だが明治初期の日本人のドイツに対する驚きのインパクトが強かったのでは?
日本からの使節団の誰某はビスマルクを大先生とまで呼んだというし。
894 :
世界@名無史さん :2006/07/19(水) 23:29:11 0
>>871 論争に負けたからってその言いかたは無いだろw
俺は
>>870 だけどこの発言がこのスレではじめてだよ。
横レスだけど、このスレを頭から読んでいて、ドイツ好きの俺としては
そう思っただけだ。
>>892 ポーランドスレにサルの腐臭が漂いだした
どこかのスレでもあったが、スラブ猿の腐臭のほうがひどいと思うよ。
収拾のつけられないポーランドキチがいた。
>俺は
>>870 だけどこの発言がこのスレではじめてだよ。
こういうのは普通に嘘だと思うw
896 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 01:43:14 0
>894 ポーランド関連なら容赦はしないと嘯いて、旅行板やら語学板まで 荒らすような馬鹿は「猿」だけだ。 >895 国際情勢板でも同じようなことを書いてすぐに馬脚をあらわした。 衣の下から毛むくじゃらの汚い猿の足が見えている。 すぐに馬脚ならぬ猿脚をあらわすだろう。
897 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 03:03:31 0
1、イギリスやオランダのように有色人種に過酷な植民地支配をしなかった 2、偉大な音楽家を輩出したから 3、ソーセージが好きだから 4、負け組みだがつい最近の同盟国だったから
898 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 17:02:41 0
5、歴史的に見て民族性が真面目な委員長タイブでありながら 肝心なところでミスるというドジッ娘属性もあるから。(;´Д`)ハァハァ
899 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 19:47:23 0
6、本質的に悪の匂いがするから。(;´Д`)ハァハァ
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/20(木) 20:01:53 0
>>899 それだよな。
ヒーロー番組で悪役を応援する捻くれ者の俺にとってはドイツはまさに(;´д`)ハァ・・ハァ・・的存在。
1、2、3はチェコやポーランドも当てはまるから特別な魅力にならない。 4は微妙。最近か?英国だってその前は同盟国だが。で、今は米国が同盟国だが。 5は全然共感しない。 6、それだな、何といっても。うん。
ヨーロッパ列強の皆様 + おまけ1 ∧_∧ ../ ̄ ̄\ ∧ 、 (゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚) /____\ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ /⌒\ | ̄ ̄| ( ’∀’) |/.( `∀´)\| ( -∀- ) (゚∀゚ ) (・∀・ ) (-∀Θ) (゚ー゚ )おまけ? ( ) ( ) ( :│: ) (゚゚ノノ゚゚) (ノノ .♀) ( /+) ( )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ England France Austria-Hungary Russia Italy German Ottoman
>>901 形だけの同盟であって、客観的に見れば植民地だけどな=現代日本
>>903 日本は戦争でドイツに勝ったことがあるから余裕を持って親近感を感じるが、
英米には完全に負けたから「恨(ハン)」が抜けないんだろ。
植民地だと自虐するのもそこからだ。
日本はアメリカの最大の債権国で、アメリカの運命も日本の運命次第なんだぜ。
アメリカとは運命共同体の同盟国関係なんだわ。
そこを忘れちゃいかん。
それに昭和天皇はファシストとの同盟を苦々しく感じていたそうだが。
俺は右派だから、昭和天皇がそうなら俺もドイツやイタリアとの同盟は苦々しく感じる。
905 :
世界@名無史さん :2006/07/24(月) 22:20:19 0
猿出現!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1133190564/l50 320 :世界@名無史さん :2006/07/15(土) 15:31:32 0
ポーランド人への嫌がらせにしかならないな
それにしても、戦後のポーランド人のプロイセン ドイツ人に対してやった蛮行はひどすぎる。
323 :世界@名無史さん :2006/07/19(水) 23:15:01 0
>>321 戦争に負けたら、正義だって奪われるのさ
なるほどね。
その奪われた本当の正義をとりもどすためには後何年、否、何十年かかるのかな。
おれ的にはいまでもポーランド人のドイツ人に対してやったことは人ごとながら
憤りを覚えるよ。
それにポーランド人が戦争の被害者面しているのも気に入らん。
そもそも第二次大戦の引き金を作ったのは、戦前、ありとあらゆる手段でドイツを挑発しつづけた
ポーランドの暴力団政府第二共和国の責めに追うところが大きいよ。
906 :
世界@名無史さん :2006/07/24(月) 23:28:24 0
○足利銀行に印籠を渡す 足利銀行を犯罪者にみたてて水戸黄門(金融監督庁)が印籠を渡して公平に裁くという意味でつかったのを引導だと脳内強制変換して騒ぎだし粘着する栃木厨 ○東照宮の坊主 宗教法人を神道と仏教をわざわざ注釈入れて宮司を法律上で分けてないのに栃木のやつかなりのバカだな。 仏教も神道も含めた広義の意味で神社は呼ばれてる。それが日本の多神教の特徴そのもの。 ○「引導を渡す」は人間以外に使わない そもそも“引導を渡すとは元来、“生きている人”を仏道に引き導くことで転じて 1 僧が死者に引導を授ける。 2相手の命がなくなることをわからせる。 迷える人を導いて仏の教えに入らしめることをいいます。 これが、導師(菩提寺の住職などの僧尼)が死者に対して人生の無常を説き 迷いの世界から悟りの世界に入る心構えを説き聞かせるものという意味に用いられるようになりました。 死者を極楽世界に導(みちび)き次なる輪廻(りんね)に迷いなく旅立たせるためのものなのでどう考えても国語を正しく使う人間にとっては 迷い彷徨うものであり悪ではないものを導く意味で使われる引導を完全な悪徳乱脈企業足利銀行に対して使うのは違和感があるのである。 ○観光客入込数 平成13年 5148万人 平成14年 5347万人 平成15年旧基準5397万人 新基準7153万人 平成16年 新基準7158万人 と旧基準と新基準の集計方式の違いで2000万人の増加と落差が激しくお粗末。 なぜこんなに開きが出るかと言えば買物や食事などで入店した客までカウントしてる栃木有利な方式になっているからである。 ○米は関東ではつくらない 思い知ったかこのバカ栃木!
907 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 00:49:05 0
>>904 俺は日本人が一生懸命働いて得た信用でダメになりつつあるブッシュ・アメリカの「保証人」に
されている気がするが?つまり日本でアメリカドルの価値を上げる為に日本人がサビザンなどであくせく
労働に励んでいるわけだ。その成果がイラク戦争などで思いっきり生きているが。
908 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 00:51:09 0
しかしこの904はバカだね。「日本はアメリカ国債の最大の保有者だ。アメリカの首に匕首を 突きつけているも同然だよ」だぜ?仮に俺がこんなことを欧米人に真剣な顔で主張したら、彼らに腹のそこから笑われるだろう。 日本人って幸せでいいよね。なにも考えなくていいもの。
910 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 13:53:31 0
特定アジアよりは好き
だがドイツ語はちょっと苦手
912 :
世界@名無史さん :2006/07/25(火) 13:56:00 0
あと、イギリスなどより
イギリス大好き♪
漏れが現代支那と同様に大嫌いな国だ=イギリス
915 :
世界@名無史さん :2006/07/26(水) 09:29:09 0
イギリス人が友達だと、ウィットに富んだ会話で面白そうだけど。 喧嘩になっても皮肉の応酬になりそうで頭が鍛えられる。 俺は兄貴にロシア人が欲しい。ただ、酒呑まない人。酔ったら殴ってきそうだから。
916 :
世界@名無史さん :2006/07/26(水) 10:50:34 0
918 :
世界@名無史さん :2006/07/27(木) 00:09:05 0
503 :世界@名無史さん :2006/07/26(水) 23:48:38 0
>>497 ポーランドは西方領土が欲しかったわけじゃない。
領土変更にロンドンのポーランド政府は強硬に反対していた。
だから獲得したんじゃなくて、ソ連が勝手に与えたのが真相。
だったらなぜポーランドは戦争も終わっているのに、その地域に残ったドイツ人を収容所にぶち込み
散々暴行を加えた上、連合国の最終調停(その調停そのものさえ不当だが)もないまま、着の身着のまま
家土地財産を奪った上、追放し、ドイツ人の土地、家、財産を自国民のポーランド人に与え、自国の領土として
既成事実化したんだ。
チョンの竹島に対するやりかたと全く同じだ。
ソ連が勝手に与えたのが真相。 といっているが、ポーランドが反対しているというなら勝手にあたえたところで
ソ連にとって何のメリットもない。 ポーランドがオーデル川を越えたシュティッティンまでも強引に奪い、そこの
ドイツ住民ももちろん根こそぎにされた。
だから獲得したんじゃなくて。。というより結局、ドイツ人に対して最も残虐な方法で獲得というより、強奪したと
言うべきだ。
919 :
世界@名無史さん :2006/07/27(木) 23:10:13 0
>>528 もうちょっと勉強し、「中立的」歴史観を獲得してから出直すことだな。
こういうふざけたアホには反論する気もおきんが・・・
ここの住民投票のきびしい監視に当たっていた、当時少しでもドイツの領土を削ろうとしていた連合国が
ドイツから「戦略的に送り込まれた」という(そんな話はもちろんでっち上げだが)連中を見逃すとでも
お思いか?
立場的に弱いのはむしろ敗戦で何もいえないドイツの方だろう。
住民投票の結果を無視して上シュレージェンの一部をポーランドに与えた。
さらに連合国はポーランドの海への出口をあたえるつもりでいたが、その地域となる場所に「ダンチヒ港」があった。
しかし、当時のダンチヒ市は人口の96%がドイツ人であり、さすが住民投票するわけにもいかず、その地域を
国際連盟の管理下に移して、海外の郵便物、電信の拠点などの一部特権をポーランドに与えて
お茶を濁した。 しかし、ポーランドは,それに満足せず、その拠点をことごとく屈強な予備役兵でかため、
何かあったら、すぐポーランド軍の支援を得て、ダンチヒを奪う準備を進めていた。
その何かが、ヒトラーの第一次大戦後の国境線の保障とその見返りの回廊地帯の高速道路敷設権の問題だった。
ドイツの和平提案を無視というより、もともとダンチヒを含むドイツ東部の領土併合を狙っていたポーランドにとって
絶好の機会だった。 それには英仏のポーランドへの後押しも大きく影響していた。
920 :
世界@名無史さん :2006/07/28(金) 12:24:22 0
ポーランドはダンチヒのポーランド併合じゃなくて独立維持を望んでいて、 反対にダンチヒの独立を破棄して自国併合を望んだのはドイツ。 そのうえ歴史上ダンチヒはその自由意志では決してドイツ併合を望んだことがなかった。 それどころか、ダンチヒ住民は一貫してポーランド領であることを望んでいた。 これは事実だが。 だよね、ダンチヒに詳しい人? ポーランドがダンチヒを奪おうとしていたというソースは?
921 :
世界@名無史さん :2006/07/28(金) 12:25:36 0
ダンチヒのドイツ編入はポーランド分割のドサクサ紛れにプロイセン王国に無理やりやられたもの。
922 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:19:54 0
14世紀初頭、ダンチヒ(当時はまだグダニスクと呼ばれ、ダンチヒという名前はドイツ人の間でも一般的ではなかった)の住民は リューベックの系統のドイツ人商人が多かったが、親ポーランドで、反ドイツ騎士団(チュートン騎士団)だった。
923 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:20:56 0
グダニスクはドイツ騎士団のハンザ都市エルビンク(エルブロンク)と利権を巡って紛争状態にあったのが理由。 ウィリアム・アーバンによると、ダンチヒの住民はドイツ騎士団によって一度ほぼ全員が殺害されたことがあるという。 その後すぐブランデンブルクの候ヴァルデマールがグダニスク周辺の所有権(一方的な所有権の主張だが)を 1万マルクでドイツ騎士団に売ってしまったので、この地域は神聖ローマ帝国に編入され、グダニスクはダンチヒと呼ばれるようになった。 ドイツ騎士団はこの後ダンチヒに対する迫害を強化し、リューベック系の商人たちを完全に追い出し、 その際にダンチヒ都市評議会のメンバーの首を切って皆殺しにした。 ダンチヒがハンザ同盟に加盟したのはその後のことだが、ダンチヒはドイツ騎士団に実質支配されていて、 住民はみなドイツ騎士団を嫌っていた。
924 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:21:57 0
このドイツ騎士団によるダンチヒ支配の一連の経緯を知っていたポーランド側はドイツ騎士団支配の不当性を訴え、 ヴワディスワフ1世とその息子カジミェシュ大王の代にドイツ騎士団と数度戦争をし、 その際ダンチヒ住民はポーランド側について戦った。 この結果カリシュ条約が結ばれた。 カリシュ条約によりポーランド王は神聖ローマ帝国ポメラニア(ポンメルン)公としての地位が約束され、 一定の権限が与えられたが、それでもドイツ騎士団の実質支配はその後もつづいたので、 ダンチヒ住民にとっては不服な結果となった。
925 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:22:32 0
ダンチヒはその後15世紀半ばに、ドイツ騎士団に同様に反感を持っていた近くのハンザ都市エルブロンクとトルンと共同で「プロイセン同盟」を結成して、 ドイツ騎士団に対して反乱を起こし、ポーランド王カジミェシュ4世の庇護を求めた。 この結果プロイセン編入法がポーランドの首都クラクフで可決し、ポメラニア(ポンメルン)全域がポーランド王国に編入されることになった。 これを機にポーランド(+ポメラニアのハンザ都市)とドイツ騎士団との間で13年戦争となり、 これはドイツ騎士団の敗北およびポーランド王に対する全面降伏という結果となった。 これが第二次トルン和約である。これによってプロイセン全域が正式にポーランド領となった。 15世紀から16世紀にかけてポーランド領グダニスク(ダンチヒ)はポーランド王の庇護の下その経済的・文化的な黄金時代を謳歌することになる。 16世紀の半ばにはそれまで習慣的に使われていた中低地ドイツ語に替わって、標準ドイツ語が公用語と定められた。
926 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:23:08 0
ダンチヒの黄金時代、町には裕福なドイツやポーランドの商人の邸宅や ポーランド大貴族の別宅が建てられ、美しい港湾都市が形成された。 第二次世界大戦で多くが破壊されたが、戦後、ポーランド市民の力で歴史地区は完全に復元された。
927 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:23:42 0
18世紀後半、第一次ポーランド分割の際、ダンチヒ住民はプロイセン王国編入に抵抗して激しく戦い、街の独立を維持した。 しかし、結局第二次ポーランド分割の年に西プロイセンに編入されてしまった。 19世紀初頭にはナポレオンによってダンチヒ自由市として一時的な独立が回復されたが、 ナポレオンの敗北により再びプロイセン王国に再編入されてしまった。 このときショーペンハウアーが経験したことが彼のペシミズム哲学に反映されている。
928 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:24:23 0
ダンチヒはドイツ人が多い都市でありながら、一貫して反ドイツ的であり、ドイツ連邦にさえも反対して加盟しなかった。 その後1871年にドイツ帝国が成立すると、ダンチヒは帝国に強制的に編入されてしまった。 したがってダンチヒがドイツだったことは歴史上ほとんどなく、 正確にはドイツ帝国成立時の1871年から第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約締結時の1919年までの48年間だけである。 その後のダンチヒ自由市(ドイツからの離脱)はダンチヒ住民が望んだことだった。
929 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 00:25:07 0
ポーランド・ソヴィエト戦争のとき、社会主義思想に染まったダンチヒの港湾労働者は ポーランドへの貨物輸送業務を妨害するためにストライキを行った。 このことから、第一次世界大戦の戦勝国によって特別な関税同盟が作られ、 ダンチヒ郊外のヴェルテルプラッテ港がポーランドに割譲され、そこがポーランドの軍事物資のターミナルとなり、 そこに小さな守備隊が置かれることになった。 ヴェステルプラッテの軍事用途での使用はダンチヒの安全を脅かすとしてダンチヒ住民の反感を買ったため、 ポーランドは外国(主にアメリカ)からの投資を受けてダンチヒの西25キロの自国領内にあった漁村グディーニアに 最新式の施設をもつ大規模な港を作った。ここは関税も安く、通貨も書類もポーランドのものだけで済む為面倒がなくて使いやすく、 結果軍事物資だけでなくダンチヒで扱っていた物資のうち高付加価値のものはほとんどグディーニア港で取り扱うことになった。 グディーニアは大好況となり多くのポーランド人が全国から移住してきた。結果グディーニアはバルト海沿岸で最も大きくもっとも豊かな港となった。 ダンチヒは経済発展から置き去りにされ、住民の間にポーランドに対する嫉妬の感情が渦巻いていた。 当然のように親ナチ的団体が急速に力を持つようになり、ユダヤ人は迫害された。 1938年10月にはドイツ第三帝国がダンチヒのドイツ編入を求めてポーランドに詰め寄ったが、ポーランドは断固拒否し、ダンチヒの独立存続を主張した。 1939年になると全てのユダヤ系住民はダンチヒを脱出した。第二次世界大戦は1939年9月1日に始まった。
930 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 02:36:37 0
●オーバーシュレージェン問題.1 当時のドイツ政府の状況 1919年の国家債務は1440億以上あったが、租税による歳入が望めない以上国債発行は継続された 当然の如く、ライヒスバンクは紙幣発行を増加せざるを得ず、インフレは進行した 1921年1月 パリの連合国会議で賠償総額2260億金マルク、42年間の年賦支払いをドイツに請求 同年3月初旬 以上の決定事項を4日以内に受諾するか、満足する対案を提出せぬ場合、制裁を加えるとドイツに最後通牒 ドイツは承服できぬため、拒否 同年3月 仏軍はデュッセルドルフ、デュイスブルク、ルールオルトを占領 同年4月 賠償総額を1320億金マルクに減額、毎年20億金マルクと輸出額の26%支払いを請求、7日間猶予の最後通牒(ロンドン支払計画) 以上のようにドイツ政府はオーバーシュレージェン問題に全く直接関与できない状況下にあった
931 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 02:37:37 0
オーバーシュレージェン問題.2 経過 1921年4月20日 ヴェルサイユ条約規定によりオーバーシュレージェンで帰属を問う住民投票が行われた 中産階級や商業従事者の多いドイツ人、ユダヤ人はドイツ帰属に投票(意外と思われるかも知れないが、前大戦中、ポグロムを恐れていたロシアのユダヤ人はドイツ軍占領地へ逃亡してくる者が多かった) 農民、労働者の多いポーランド人はポーランド帰属に投票 結果 ドイツへの帰属希望 60%弱 1921年5月 ポーランド軍及びオーバーシュレージェン駐留の仏軍の支援を受けたコルファンティ指揮下のポーランド側の暴動が起こる 駐留伊軍はこの反乱軍と交戦 ドイツ政府の支援が受けられぬ、ドイツ帰属側は自衛のため、義勇軍を駐留英軍黙認のもとに結成 1921年5月23日 貧弱な武装にもかかわらずドイツ帰属側義勇軍はポーランド反乱軍占領下にあったアンナベルクを奪回 しかしながらドイツに有利になることを恐れたポーランドとフランスは国際連盟に圧力をかけ、当時の国際連盟事務総長石井菊次郎はフランス主導の連合国最高会議に裁定を求めた 結果、ドイツ側に極めて不利な国境画定が行われた つまりオーバーシュレージェンのほとんどの工業地帯と炭鉱を抱合した3213平方qをポーランドに帰属させる裁定を下した ポーランド帰属領での先ほどの住民投票でもポーランド帰属希望は56%にすぎず ドイツ帰属側は猛然と抗議したが受け入れられなかった
932 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 02:38:42 0
ポーランドによるヴィリニュス地域併合 1920年10月7日 ヴィリニュス地域をめぐり、戦闘状態にあったリトアニア軍とポーランド軍は停戦協定を締結 停戦ラインはスバウキ県を南北に分けるラインでヴィリニュス県はリトアニアに帰属した しかし翌8日 ピウスツキの命令を“無視”したポーランド軍1万5000の軍がヴィリニュス県に潜入 (実際は潜入はピウスツキの命令である) ポーランド軍はリトアニア軍を奇襲し、撃破 ポーランドはヴィリニュス地域で「中部リトアニア」というカイライ国家を建国 1922年1月8日カイライ国家「中部リトアニア」は国会議員選挙を行う 無論、侵略者の選挙に対しリトアニア人とユダヤ人はボイコット 同年2月22日 ほとんどポーランド人に占められた「中部リトアニア」議会はポーランドへの併合を議決 同年3月24日 ポーランド国会は「中部リトアニア」の併合を承認した
カリシュ条約以前のダンチヒ=台湾、 第二次トルン和約以後のダンチヒ=香港 をイメージすれば良い。 大日本帝国の庇護下の台湾では、現地民だけでなく、元々は大陸出自の中国系住民も多数居たが、 ドイツ系ダンチヒ住民が多少血縁が近かろうが、ドイツ騎士団支配を拒否し、 ポーランドについて戦ったように、彼らは親日本で、中国の支配など望まず、 日本側に立って中国やアメリカと戦争を行った。 戦後も新たに大陸の人間が侵入してきて、ドイツ騎士団ばりの虐殺、 迫害を繰り返したので反発買い、中国帰属を望まなくなったのものも良く似ている。 ただ嘗てのダンチヒと違い、戦後の東アジア情勢の複雑さの為、 いまだに頭を抑えつけられ、言うならばいまだにドイツ騎士団の侵略と 支配が続いてる状態となっている。
934 :
世界@名無史さん :2006/07/29(土) 16:01:47 0
香港は南京条約以後、正式にイギリス領となって英国女王の庇護下に 入ってからは世界的なその経済的・文化的な黄金時代を謳歌することとなった。 大半の住民は中国との再統合など望まなかったが、 後年ナチスと呼応する形でダンチヒ内部で親ナチス勢力が力を持ってきたように、 大陸本土で共産党勢力が台頭するとすると親共産的団体が力を持つようになり、 連中は暴動を起こしたり、本土統合を要求したりした。 ナチスに武力を背景として統合を詰め寄られた様に、 ケ小平ら中共勢力に武力を背景とする恫喝で再統合を要求され、 戦争にはならなかったものの、不幸にして強制的再統合が実現してしまった。 資本家ユダヤ人がダンチヒを脱出したように、 資本家英国人、香港人は大量に香港を脱出した。
935 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 01:28:18 0
第一回シレジア蜂起 ドイツ:国境警備隊および、2万1千人のドイツ兵と4万人の予備役兵。 第二回シレジア蜂起 ドイツ:(第一回シレジア蜂起と同様) 第三回シレジア蜂起 ドイツ:国境警備隊、民兵、フライコープス総勢6万人 3度とも、ドイツは約6万人の武装組織を投入した。 ヴェルサイユ条約の範囲内であり、当然のことながら武器弾薬は充分にあった。 一方、ポーランド側は第一次大戦を通じて独立運動を戦ったポーランド系義勇兵のみ。
936 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 01:29:01 0
住民投票では707605人がドイツへの帰属に、479359人がポーランドへの帰属に投票。 そのうちドイツから「戦略的に送り込まれた」者が179910人、ポーランドから「自主的にやってきた」者約10000人。 これらを差し引くと527695人がドイツに、469359人がポーランドに投票したことになり、まだドイツ側が58336人多い。 しかし… ルール地方に出稼ぎに行っていたポーランド系シレジア住民約50万人(!)が投票のための一時帰郷を許可されていない。 ドイツの政治的陰謀の典型例。 彼らの一時帰郷が許可されていたら、ポーランド人が圧倒することは火を見るより明らか。 一方、ポーランド人の立場の弱さにつけこんだドイツ人の汚さもこれで火を見るより明らか!! ドイツのハイパーインフレ、経済混乱は1922-23年。 一方一連のシレジア蜂起は1919-21年。 ハイパーインフレや経済混乱とは全く関係ない!!! オーバーシュレジェン(上シレジア)の件でのドイツの悪逆非道はいくら非難されても仕方ないことである! もうちょっと勉強し、「中立的」歴史観を獲得してから出直すことだな。 (=´ω`=)y─┛~~
937 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 01:30:24 0
リトアニアはポーランド領であるべきだと思う。 リトアニアの独立は、江華島事件→日朝修好条規にそっくりだな ドイツ帝国のミッテルオイローパ構想によって人工的に作られたリトアニアという傀儡国家(事実上ドイツの属国)は正しいのか? 中華帝国によって維持された李氏朝鮮という傀儡国家=属国は正しいのか? 日本による日朝修好条規は悪なのか?日本は悪なのか?
938 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 03:07:22 0
ワルシャワ蜂起の鎮圧司令官だった エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキSS大将 の血筋はポーランド貴族だった。 この2重姓も名門ユンカー同士の姻戚関係から来るものではなく、 スラブっぽさを薄めるために自分で付け加えた名前。 スペル綴りもzelewskiからzelewskyに変え、ポーランドっぽさ を消すようにしていた。 戦時中は、ドイツに協力して、反体制派の弾圧を行って 戦後は被害者面して、ドイツのプロイセンなど領土を占領しまくり ドイツ人虐殺しまくり。それで、ドイツに賠償を求める。 これがポラック・クオリティー。 日本はポーランドが隣国じゃなくて良かったね。 日本軍に協力していた韓国朝鮮人にも、階級が大将だった奴は居ない。 つまり、それだけ、ポーランド人が協力していたということ。
939 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 03:58:11 0
ツェレウスキーはマンシュタインと同じで、プロイセン貴族のスラブ系ドイツ人。 同じスラブ人でもポーランド人とは全然関係ないんだが。
940 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 10:29:27 O
カミンスキー(准将)旅団長って何系?
941 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 15:47:11 0
ブロニスラフ・カミンスキーは父親がポーランド人、母親がドイツ人で、ロシアで生まれた。 スターリン時代に投獄され、その後脱獄し、反共・反スターリン活動としてドイツに協力してRONAを創設。 ワルシャワ蜂起鎮圧の際に配下の隊員が強盗などの違法行為を行い、 ヒムラーはそれを口実にして、RONA隊員の反ドイツ的な一部分子や 反骨的で自治志向の強かった指揮官のカミンスキーを逮捕、秘密裏に処刑した。 実際に強盗行為を命令したのはカミンスキーでなくSS指揮官のフロロフだったのだが、 フロロフはお咎めなしで、関係なかったカミンスキーは処刑された。 カミンスキー配下のRONAの一般隊員に対してはカミンスキーはポーランド人ゲリラに殺されたと説明されたが、 RONA隊員は、きっとドイツの陰謀に違いないとし、ヒムラーの説明を信じなかった。 そのためゲシュタポはカミンスキーの自動車を盗み、側溝に落とし、マシンガンで穴だらけにして、 ガチョウの血を撒き散らし、カミンスキーがポーランド人に殺されたという証拠だとした。
942 :
[PO+HA] :2006/07/30(日) 17:50:04 O
【+】 ≦孟 ̄> G\[^⊆^ カ \〔<:>〕\ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク 我らは露西亜解放軍! ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク
943 :
世界@名無史さん :2006/07/30(日) 20:01:28 0
>>937 >リトアニアはポーランド領であるべきだと思う。
無茶言うな
民族的に覚醒したリトアニア人がポーランドに帰属するわけない
例のヴィルノ併合だってヴィルノ市の民族構成が殆どユダヤ人とポーランド人で占められていたから
ピウスツキがやらかしたわけで
(他に露人とか白露人とか珍しいところではアゼルバイジャン人の小さなコミュニティも有ったらしい)
944 :
世界@名無史さん :2006/07/31(月) 01:55:42 0
349 :怖いポーランド:2006/07/29(土) 01:04:21 ID:xH28eHDk ★ 怖いポーランド! ★ ポーランド人の有色人への排外主義が酷くなっている。 有色人種はポーランドに滞在するかぎり、今後、ますます危険な国を意識する ようになるだろう。 日本人の学生が、いきなり殴られたり、日本女性が唾を吐きかけられたり、 ワルシャワで大声でやじられたりする事件が目立って増えて来ている。 隣国のドイツでは、日本人の新婚夫婦が列車から振り落とされた事件もあった。 黒人は夜間は外出するな、という話題もある。黒人ばかりでない。日本人も 同じだろう。 ポーランドの観光旅行は、大変に命がけである。 350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 01:57:32 ID:CIclbzSQ 在ワルシャワ日本大使館のHPには、 「ポーランドでは、外国人排斥や人種差別を標ぼうする団体・個人(いわゆる極右“スキンヘッド・グループ”)の活動は低調とみられています。」 って書いてあるよ。
945 :
世界@名無史さん :2006/08/04(金) 12:52:26 0
>>938 の上7行ってモレが昔軍板の「第二次大戦のドイツ軍将校を語るスレ」で
カキコしたことなんだけどポーランド糾弾のネタに使われるとは思わなかった・・
そもそもツェレウスキ家はプロイセンのポーランド分割のときに
ドイツ化した元ポーランド貴族だから当人にはポーランド人という意識は
全くなかったはず。現にWWTの時にはドイツ軍人として出征してるしね。
946 :
世界@名無史さん :2006/08/04(金) 13:06:02 0
オーストリアやドイツの軍人や貴族って、スラブ系の姓が目立つよな。
ゲルマン語の一種が公用語だからって古代ゲルマン民族の純粋な末裔じゃないわけだから>ドイツ人
彼らの言うドイツ人=プロイセン人、ドイツ=プロイセン
949 :
世界@名無史さん :2006/08/05(土) 15:22:53 0
>945 >ポーランド糾弾のネタに使われるとは思わなかった・・ それがドイツ猿クオリティ。
950 :
世界@名無史さん :2006/08/05(土) 15:58:24 0
今度やる時は、イタリア除きでやろう。
>今度やる時は、イタリア除きでやろう。 wikipediaの「ネオナチ」の項目にそれについて書いてある
952 :
世界@名無史さん :2006/08/05(土) 22:10:54 0
何かポーランドとユダヤを悪者にしようと目論むやつらが 変な書き込みしてたけど何だったんだ?
953 :
世界@名無史さん :2006/08/05(土) 22:41:32 0
>952 基地外の定期発作でしょう。 今は近代ドイツスレでチェコ叩きに必死のようで・・・。
頼まれてもいないことを必死でまあ、その上片思いだし
955 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 09:00:35 0
昔はドイツっていう国に親近感を持っていたけど、今はないなあ。 実際に行ってみるとドイツほど日本と似ていない国はない。 社会体制も日本とは対極、人々の考え方も違う。 似ているところは大勢で騒ぐのが好きな事くらい。
日本はイギリスと似ている。回りを見下してるし。 ドイツは大韓に似ている。几帳面で勤勉で頭が良く、背が高くて色が白くて美しい。
957 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 14:43:49 0
958 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 15:34:57 0
(=´ω`=)y─┛~~ も、ニート相手に飽きちゃったのか出てこなくなったな この人すごい博識だったから、ちょっとさびしい
960 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 19:11:07 0
>959 ニート相手じゃなくてスラブスレとか、チェコスレ、ポーランドスレで 書き込みをしてほしいです。
961 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 19:14:51 0
962 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 20:24:43 0
日本人はドイツが好きだけど、ドイツ人は日本のことなど何とも思ってない。
>>962 彼らが興味を持っているのは、日本製品とアニメ。
日本の領土問題などにしても、ほとんどの国民は興味すら持ってない。
ドイツに限らずたいていのヨーロッパの国はそうだろ
こんなスレでなんだが、たいていと言うから例外を言うが、ポーランド人は日本の現代史を詳しく学校でならう。 連合国で敵だったはずなのに原爆や東京大空襲その他日本の戦争被害についてもよく知っていてガキどもは日本にシンパシーを感じている。
966 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 21:47:31 0
猿は日本近代史板の【話題騒然】日本とポーランドの共通性などというスレに
涌いている。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1133685289/ 飽きもせずにこんなことを書いている。
14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/07(水) 18:23:45 ID:cBEFOv2W0
>歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、
それは全く違うな。歴史的にみればグダンスクは明らかにポーランド固有の領土。
第一次ポーランド分割で奪われたに過ぎない。
ダンチヒに限らず旧ドイツ東部は住民の30%以上がポーランド人で、
特に農村部は全くポーランドであった。
ドイツ人は都市部に集中して居住していて、ポーランド人居住地域の方がはるかに広かった。
967 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 21:48:45 0
失礼!猿の書き込みはこっちだな。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/07(水) 01:27:02 ID:QP1RkjTQ0
>>8 もともと第二次世界大戦の勃発はポーランドの
領土的野心から始まった事を無視してはならない。
ポーランドが占領していた回廊は東プロイセン地方をドイツ本国から
切り離し、そのせいで極めて不安定な状態にあった。
第一次世界大戦前ではドイツ領であったダンツィヒ地方は、ドイツの敗戦によって
国際連盟管理下に置かれていたものの歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、
また住民の96%はドイツ人であった。
それに対しヒトラードイツの要求は、ポーランド側がダンツィヒを返還し
東プロイセンとドイツ本国とを結ぶ鉄道と自動車道路を
ポーランド回廊に建設することを認めてくれれば、ドイツ側は
ポーランド回廊とポーランドの西部国境を保障するという、
非常に寛容なものであった。
これは、ドイツにとって屈辱的だったヴェルサイユ条約による
ポーランド領をほぼ承認するという、ポーランド側には極めて
有利な条件であった。
もともと選挙の結果、ダンチヒ市は1937年1月の「ダンチヒ市ーポーランド協約」によって実質的なドイツ支配が確立していたにもかかわらず
ポーランドが、その特権を離そうとしなかった。
これだけ見ても、ポーランド側に戦争責任がある事は明白。
968 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 21:50:08 0
39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 19:47:01 ID:/g1kCz7C0 ポラックのようなダッタン国家と、日本が似ているわけが無いじゃん。 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/29(木) 22:11:38 ID:L4lV/EtO0 20世紀の3人の偉人 ハンス・フランク ・・・ ポーランド総督府領の悪逆非道なポーランド人を征伐した稀代の英雄 オスカール・ディルレヴァンガー ・・・ ワルシャワ・ゲットーの卑劣な暴徒たちに正義の 鉄槌を加えた果敢な勇者 スターリン ・・・ 捕虜収容所で悪質な行為を続けたヤクザたちを、カティンの森で退治した正義の人
969 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 21:51:40 0
61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 19:15:05 ID:T3hfgVKwO ポーランドは、英仏の後ろ盾を過信して 調子に乗ってドイツを挑発しまくってたら、 案の定ドイツがブチ切れて、英仏はポーランドの救助には動かず、 あっという間にドイツ、ついでにソ連にもぶっとばされてしまった。 目立たないが、第二次大戦におけるポーランドの戦死者数は 日本の3倍の600万人台。 特に非戦闘員の戦死者数は、ソ連を除けば圧倒的だった。 日本も、アメリカを頼りきって中国を罵倒しまくってると 取り返しのつかないことになりそうだ。 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 23:39:25 ID:aQ99sQU80 ポラックは卑怯なくせに弱いから、始末に負えん。
な〜に、そんなやつらも半年もドイツに住めば、考えが変わるさー ハハハー
ついでに ナチかぶれも、筋金入りのホンモンのネオナチの前じゃ、ボコボコ袋叩きに合うだけだわさ
ナチかぶれからすればネオナチは論外じゃないか。
でもナチとネオナチとは同じチンピラの集団だぜ?
どんな思想持とうが、ドイツ絶賛しようが、所詮アジア人、ドイツ人には決してなれねーんだって 認めてもらえるなんて考えてんかねー 知らんゆうは怖いこっちゃ
なんだなんだ、未だに昔のドイツの幻想にしがみついて必死こいてる奴がいるのか?? 馬鹿か! そんな暇あったら、自分の国の歴史と領土主張を隣のアホバカ国家にでもしろ!
976 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 00:33:35 0
東京の九段会館で開かれた「生きるということ〜日本人の誇りと勇気」と題するシンポジウム
主催は「靖国神社崇敬奉賛会」。
映画『プライド』で東条英機を演じた俳優の津川雅彦が基調講演
極東軍事裁判を担当したアメリカ人は、ニュルンベルク裁判の際のドイツ人と、日本人の
違いに感動した。彼らは死刑を言い渡されると、見苦しく弁解したり取り乱して命乞いを
した。しかし、日本の「戦犯」とされた人たちは「Death by hanging」の判決にも黙って
こくっと一礼しただけで従容と死についた。これが日本のサムライ魂ですよ。(大拍手)
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/016024.html
977 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 14:59:29 0
ポーランド平原を怒涛のようにを駆け抜けた巨大な電撃戦車の軍団がかっこいいから
978 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 16:06:49 0
979 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 16:14:35 0
疾風怒濤の電撃戦車 行け行けドイツ正義のために 戦え戦え親衛隊 父なる土地を守るため 相当閣下の意のままに 進めよ進めよ我らがナ〜チ〜ス〜!
980 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 22:07:40 0
>>979 あーあ・・・ヽ(´ー`)ノwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ポーランドをごみのようにしたから
そんなドイツを愛してやまないぼくだからww
まぁそんなロムるなよ
ごめんよwじつはVIPからきたとw このすれ乙
985 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 00:17:11 0
チェコ人もポーランド人も、戦後、ドイツ人や、スロヴァキア人、ハンガリア人に対して、特にドイツ人に対して 数々の悪行を重ねてきた。 ドイツ人避難民に対して、カレル橋に追い詰め、虐殺した悪行は今でも知られている。 橋の上から、乳母車に乗ったドイツ人の乳幼児を、乳母車ごと母親からとりあげ、橋の上から川に投げ込んだ。 狂乱した母親は、その後を追って川に飛び込んだ。 そして、その後をチェコ人暴徒の短機関銃の弾丸がその母親の 後を追った。 こういった、一連の悪行は、ポーランド人がドイツ人追放を戦後の共産政権がやったこと、われわれは 知らんといっているように、チェコ人もこういった悪行を知っていながら、ドイツ人追放を共産政権のいせいにしている。
986 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 00:44:50 0
>>985 そうだそうだ非人間をやっつけろ!
一緒に歌おう!
♪♪♪
疾風怒濤の電撃戦車
行け行けドイツ正義のために
戦え戦え親衛隊
父なる土地を守るため
相当閣下の意のままに
進めよ進めよ我らがナ〜チ〜ス〜!
♪♪♪
馬鹿丸出し
ちんとんしゃん
ハイハイ こんなとこにカキコしてないで、コスプレかサバゲーしにでも行ってなさい わかりまちたか、ぼくたち