中・高生用質問スレ Part 5

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1世界@名無史さん
◎必ず回答が得られるとは限りません。
  基本的に質問がおもしろいと思った人が答えるだけです。ここ重要。

・自分でも調べてわからないことを質問しましょう。
   宿題の丸投げっぽい質問は特に嫌われます。ここも重要。

・一応礼儀正しく
  
・催促はひかえる

・基本的にアゲ進行でお願いします。

細かな質問のアドバイスは>>2に 。しっかり読みましょう。

前スレ
Part1
http://mentai.2ch.net/whis/kako/987/987692542.html

Part2
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1009/10096/1009621327.html

Part3
http://academy.2ch.net/whis/kako/1020/10206/1020659057.html

Part4
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1040693271/l50
2書き込みのアドバイス:03/06/05 01:59
・必ず回答が得られるとは限りません。
基本的に、質問がおもしろいと思った人が答えるだけです。

・一応礼儀正しく
堅苦しく考える必要はないですが。あまり礼を逸した質問は無視されることもあります。
普通に質問を書いていれば問題はおきないと思います。

・質問を整理するよう工夫しましょう。
あまりにあバク然とした質問は、答えづらく、回答率が低くなります。質問の意図を明確にし、範囲を限定しましょう。
主に◎◎の面について教えてください、◆◆世紀の★★について知りたいです、などの限定付けがされた質問は回答を得易くなります。

・催促はひかえる
例えば「明日までに教えてください」なんて書いても、都合よく回答をもらえるとは限りません。しばらく様子をみる余裕を持ちましょう。
催促をするくらいなら、回答を得易い質問を工夫しましょう。

・自分でも調べてわからないことを質問しましょう。
あまりに単純な質問は自分で調べなさいと言われがち。
自分で調べたのはどこまでか、そして何がわからなかったか書くなどすると解答率が高くなります。
特に、宿題の丸なげは叱責されます。

・質問したら、追跡しましょう
もし、思うように質問ができなくて、意図と違う回答が来たり、話題がズレたりした場合、質問者は話題の修正を試みてよいと思います。
が、そんなことにならないように、はじめに整理された質問ができた方が、なおよいです。
話題の修正をあまり強引におこなうとヘソを曲げる人も出るかもしれません。うまくやってください。

・基本的にアゲ進行でお願いします。
31:03/06/05 02:01
1をちょっと短くしてみました。
ヤッツケ仕事でスマソ
4世界@名無史さん:03/06/05 02:01
うぐぅ
5世界@名無史さん:03/06/05 03:54
前スレの970に一言


>皇帝は理念上世界にただ一人なので、中国文明圏では王もまた皇帝の臣下ということに>なります。
>朝鮮王が中国歴代王朝の宗主権を受け入れ、その「臣下」という立場をとってきたのはご>存知ですね。
>日本は中国の宗主権を認めていなかったので、王を名乗らなかったのです。
>そういう意味では、韓国の一部マスコミが天皇を日王と称するのは、意味的に誤りだと言>うことが解りますね。

東アジアの歴史の中では、日本の天皇(皇帝)号は自称に過ぎないのでは?
日本も中国の宗主権を認めていた時期もありますし
韓国・朝鮮側が日王と表記することについては、意味的に誤りである
とは言えないと思います。
まぁ大変失礼な行為ではありますが(w

6世界@名無史さん:03/06/05 08:12
>>1 乙かれー

解答する側もここは安易に答えを教えるスレでない事を肝に銘じて、
特に宿題の○なげには厳しくいきましょう
7あぼーん:あぼーん
あぼーん
8世界@名無史さん:03/06/05 12:17
天皇≠皇帝では。

1、易姓革命を認めず天命を認めない。天の意思がどうあれ、悪政であれ万世一系。
2、祭祀執行者の地位。天命を受けた天子が天帝をまつる中国の郊祀とは基本
理念を異にするとともに,天皇の地位と不可分。孝謙上皇が淳仁天皇から政権
を奪ったときの詔に,祭祀と小事のみ天皇の親裁にゆだねると宣したのは,端的
にこれを裏づけている。
3、皇位の超責任的性格である。いかに儒教的徳治主義を標榜しても,易姓革命
を認めない以上,天皇に対する責任の追及には限界がある。また大化前代の
中央豪族から系譜を引く議政官の議定と執奏を柱とする太政官政治も,天皇の
超責任性を支える要素であった。天皇は無責任。皇帝は有責任。

朝鮮に出す手紙でさえ、名称を工夫して皇帝のようにとられないようにして
たから、天皇中心の小宇宙は大和>蝦夷・熊襲と外交バランスを利用した演技演出
としての百済の朝貢などで、東アジアで独立した皇帝だったとの理解は無理では。

国内でも「天皇」と言う呼び名の統一は、明治。
天皇をさす表現として,皇上,聖上,聖主,聖躬,至尊,主上,天子,皇帝,
国帝などと,さまざまな漢語が使われていた。
天皇という名称は,これら語群の一つであったが,宮内省一等出仕伊地知正治が
〈天皇又ハ天子ト尊称シ奉リ,又ハ各国対等ノ公文式ハ天皇ト称謂ヲ定メ候ヘバ,
其他ハ不用ナリ〉と1882年に説いているように,明治14年の政変(1881)をふまえ
国家の方向が明確になることで確定された。
9あぼーん:あぼーん
あぼーん
10世界@名無史さん:03/06/05 12:51
国帝てカコイイ
11世界@名無史さん:03/06/05 18:13
>>5
日本が中国の宗主権を認めた時期っていつの話?
まさか卑弥呼なんて言うんじゃないんだろうけど…
12世界@名無史さん:03/06/05 18:55
足利義満じゃない?
13世界@名無史さん:03/06/05 20:53
日本独自の元号を使用している時点で、相手(中国の王朝)を宗主とは見做していない事になるはず。
・・・大化の改新以前かw
145:03/06/05 22:32
ごめんなさい
言い方悪かったのと舌足らずだった。
言いたかったのは
日本は中華秩序の世界の中(限りなく周縁ですが)にいるということ。
その中で、日本は対外的には中国が日本の上にあることを
認めざるを得なかった。ちゅーことです。
従って中華世界の中にいる韓国・朝鮮が、日本の天皇を指して
日王と呼ぶのは必ずしも意味的に誤りであるとは言えないということです。
宗主権という言い方は、適当では無かったです。
_| ̄|●<スマンカッタ

15世界@名無史さん:03/06/05 22:37
けど近代以降だと
清朝も天皇含む外国君主を皇帝と認めてなかった?
16世界@名無史さん:03/06/06 09:18
>>5
黙認した、ということと「認めた」ということは違うわね。
認めなかった(少なくとも公式には)からこそ、公式には天皇の呼称があったわけだし、
義満にしても同時代においてさえ批判されたのだからね。
そういう意味では日本は中華の華夷秩序の外に意識的に身を置いたのであって、
公式に中華王朝の臣下であった朝鮮とは全然、訳が違うでしょ。
そもそも朝鮮人が「王」という時は朝鮮史上における「王」をイメージしているのだろうし。
だから日王と呼ぶのが間違いというのは妥当な見解だと思うが。
まあ、これ以上やったら極東板のカテゴリーになるわな。
17世界@名無史さん:03/06/06 18:25
日いずるところの天子、書を日没するところの天子に致す…by聖徳太子
この時点ですでに対等以上(藁
18世界@名無史さん:03/06/06 19:29
まあよーするに、>>5氏の言いたかった事は、「日本も漢字文化圏に分類され、中国の支配下では無かったが強い影響下にあった」とか、そんな感じの事でしょうか?

ひらがな&カタカナという漢字以外の独自の文字、和歌や物語といった漢詩以外の独自の文学を構築した時点で、それさえも脱しているような気はするけれど。
でも、なんだかんだ言っても外国のものを有り難がる風潮はあったような気はするねえ。
(「舶来もの」を有り難がるのは、洋の東西を問わず、どこの場所でもいつの時代でも。)
アゲとく
20まぁね:03/06/06 21:55
ここは中学高校生用の質問スレッドということで、ひとつよろしく。
21世界@名無史さん:03/06/06 23:47
>>17
その手紙で怒られ、書き直して再提出したとのことのようですが・・・。
22世界@名無史さん:03/06/07 00:17
>>14
前近代の朝鮮人にとって「日本国王」というのは
足利将軍か徳川将軍のことを指してる。
15世紀の『海東諸国紀』でも「天皇」と「国王」は
別々に説明されているし。
23あぼーん:あぼーん
あぼーん
24というか:03/06/07 12:11
現在の韓国のマスコミが日本国天皇を日王と表記しているのは、歴史的な理由があっ
てのことではなく、1980年代に歴史教科書が政治問題化したときに、それまで天皇と
表記していたのを反日姿勢を示すために、わざわざ日王と表記するようになったという
こと。韓国政府は一貫して天皇の呼称を使っている。
もともと、単なる政治的な嫌がらせであって、屁理屈とて中華思想の名分論を持ち出し
ているにすぎないよ。
もっとも、韓国人はその手の朱子学的大義名分論、形式論が大好きなんだけどね。
25世界@名無史さん:03/06/07 12:16
>日本国王
朝鮮側では,徳川将軍を足利将軍同様に日本国王と称したが,中国皇帝から
正式に国王に冊封されていない将軍は〈日本国源秀忠〉のような従来どおり
の称号で対応した。
このため文書の書式をめぐって混乱があったが,林羅山の案に従って,朝鮮
側では将軍を〈日本国大君〉と称し,将軍は〈日本国源某〉と書くことにき
まった。
ただ一度新井白石のとき〈日本国王〉号が復されたが,以後はまた大君に
もどされた。

古代では、日本国王と中国から呼ばれたり、自称することもあったし、
室町時代はほぼ日本国王だったから、あんまりカリカリしないでいいんでないの。
何か、韓国国民は今の天皇をだいぶ気に入ってて好感持ってるようだし。
26あぼーん:あぼーん
あぼーん
27( ´-`):03/06/07 15:28
スペイン、ポルトガルは何故、危険を冒してまでもアジアへの新航路を発見する必要があったのでしょうか?
オスマントルコの障害があったからですか?
28世界@名無史さん:03/06/07 18:42
>>27
たまには教科書読めよ。
29あのねえ:03/06/07 19:23
>>25
寛容と無原則は違うんだよ。
歴史的に違っているものは、違っている、それを指摘するのは「かりかり」しているのかい?
>室町時代はほぼ日本国王だった
何の事実を指してそう言っているのかな。ここで問題になっているのは、「天皇」なんだよ。
30世界@名無史さん:03/06/07 19:36
>>27
「危険な航路」という認識そのものが希薄だった、ともいえますかな。
コロンブスなんつー山師の説明だと、地中海横断+@の航海でインドまで到着とか、そんな感じのものを鵜呑みにしていたら・・・。
もっとも、危険だろうがなんだろうが出資者の命が危うくなる訳でも無し、少しの資金なら出しておいても損は無いし、と。
行く方も行く方でDQNの説明鵜呑みにして、後から反乱とか起こしているしw

と、そんな感じですかな。
多分、これだけだとツッコミありそうな気はするけどw(そゆわけでヨロシク。)
31世界@名無史さん:03/06/07 22:05
1900年のアメリカの金本位制について教えて下さい。
1.金本位制とは何ですか?簡単にでいいので教えて頂けると嬉しいです。
2.金本位制をすることになったきっかけってありますか?
お願い致します。
32世界@名無史さん:03/06/07 22:16
>>31
1中央銀行が発行した貨幣と同じ金を保有しいつでも代えれるようにする
2インフレを抑えるため。デフレに弱い
33世界@名無史さん:03/06/07 22:17
ありがとうございます!中間試験頑張ってきます。
34世界@名無史さん:03/06/07 22:29
>>29 あのねぇちゃんへ

>日本国王は日本の統治者の称号。外国から称された場合と,日本側で自称
>した場合とがある。
>中国の史書では,古くは日本の統治者を〈倭王〉と称していた。
>〈日本国王〉の称が見られるのは唐代以後である。《唐丞相曲江張先生文集》
>には〈勅日本国王書〉があり,《元史》日本伝には1266年大蒙古皇帝から
>〈日本国王〉に送った国書がある。両者ともに天皇をよんだものである。

>室町時代になると,武家の征夷大将軍が外交の主宰者となり,足利将軍が
>〈日本国王〉の号を用いるようになった。
>明との通交を拒否した義持をのぞいて,歴代の足利将軍は日本国王として
>明と通交した。
>これにともない,朝鮮からの来書にも将軍を日本国王と称した。

この事実は知ってるよね?
だから、朝鮮では、日本の代表者を日本国王と呼ぶものと意識していた。
室町以降は、外交権を天皇は喪失してたんですよ。歴史的実態事実として。
だから、韓国が天皇を日本国王とよんでもある意味で間違いではない。
ただ、現在の国際マナーとしては、自称を他称するのが礼儀。
それだけの事。
北の金氏の事を、あなたや日本マスコミは「偉大なる将軍様」「大元帥」
「国防委員会委員長」と呼んでますか?
呼ばないと失礼かつあなたの論理によると、過ちになりますよw。
35世界@名無史さん:03/06/08 00:18
アメリカ労働総同盟(AFL)(1886年)は、
労働者達が誰に向けて作った同盟なんですか?国とか雇い主(資本家)とか…。
教えて頂けたら幸いです。
36あのねえ:03/06/08 00:42
あのねえ、それは足利将軍家のはなしなんですがw
37世界@名無史さん:03/06/08 00:48
室町以降は、外交権を天皇は喪失してたんですよ。歴史的実態事実として。
だから、韓国が天皇を日本国王とよんでもある意味で間違いではない。

だからにならんとは思うが?
38世界@名無史さん:03/06/08 01:34
ここって世界史板じゃないの?日本史も聞いていいの?
39世界@名無史さん:03/06/08 02:22
世界史板はエロゲーネタをも飲み込んでしまう板なのです
40世界@名無史さん:03/06/08 03:13
>>32
2は違うんと違うけ?
兌換貨幣制度は、政府の金融政策に信用がないから、実在の財の裏付を以って
貨幣の信用を保つ方策。
で、実際には、兌換の裏付と同額の準備は無い。金本位制でも、全部の通貨を
一度に金塊と交換しようとすると破綻する。
金本位制をはじめとする兌換通貨に於いてもインフレは発生する。寧ろ、
インフレ対策として、兌換通貨制から管理通貨制への移行が行われる。
有名なのはニクソンショックから変動為替相場制の移行、1997年の東南
アジア通貨危機、ロシア通貨危機など。
インフレの起こる原理は、裏付を保障していたとしても、その保証する
機関の信用がなくなれば貨幣の相対的価値が下がり、インフレが発生する。
41世界@名無史さん:03/06/08 10:47
>>40
イギリスが最初に導入したのはインフレ抑制のため
42世界@名無史さん:03/06/08 11:23
>>36-37
現在では、自称を他称するのがマナー。ですから韓国も日本に対しては、
「天皇陛下」と二重尊称を使用してます。訪韓要請文などもね。

>だから
この意味はですね。古代から江戸期まで、半島では日本の最高指導者を
「日本国王」と呼んでたわけですよ。
特に古代と室町記では自称もしてましたしね。半島にとっては天皇と
武家政権の関係とかわからないし、ともかく日本の代表は日本国王
だったわけです。
明治になって、天皇称号を要求して断ったのは、中華思想もあったけど、
惨禍をもたらした豊臣家を倒した徳川家との270年の表面的には対等な
つきあいが急転したから。
植民地時代は当然「天皇陛下」。
独立後は、再び「日本国王=日王」を使っている。天皇を恨んでる人は、
わざと「天皇裕仁」とか「裕仁」とか「皇天」と使います。
新大統領ブレーンは、日韓新時代に入りたいようだから、
「天皇」と意識的に使ってますね。あと数年で、マスコミも民衆も、
そうなるでしょう。反日教育も日本文化の浸透にはかないませんw。

では、スレ違いのようなので、回線で首つって逝きますw。
43そりはちょと、、、:03/06/08 11:37
>>42
んー。政府サイドの用法とマスコミの表記をごっちゃにしてますね。
独立後に「日王」を使ったとしていますが、韓国政府は一貫して「天皇」としています。
これは外交儀礼上当然のことです。
また、書簡文書などでは「天皇陛下」ですが、二重尊称などということではありません。
日本側からの外交文書であれば「大統領閣下」や「国王陛下」となり、要は相手先の
国家元首の呼称に尊称を付けただけであって、天皇に尊称の意味はありませんね。
44世界@名無史さん:03/06/08 11:39
>>35
日本のような会社別組合ではなく、欧米は多くが産業別組合です。

労働組合ですから、主目的は資本家=経営者層に対して、生存権を守る
ために賃金保証・無茶な首切りへの抵抗・8時間労働時間の約束など
をとりつけるための、団結権・団体交渉権・団体行動権(スト)の権利獲得です。

次に、労働組合ですから、政府に対して、労働者の生活保障や雇用の確保を求める
運動を行います。

主対象は資本家層です。しかし、国政への要求も切りはなせません。
45世界@名無史さん:03/06/08 11:49
そもそも天皇と外国に正式に発表したのは1936年になってかららしい。

日本の君主である天皇が〈天皇〉という公式称号で統一されるのは明治
になってのことである。
この公称が確定するまでには,天皇をさす表現として,皇上,聖上,聖主,
聖躬,至尊,主上,天子,皇帝,国帝などと,さまざまな漢語が使われていた。

ちなみに元老院における憲法草案では,第2次案まで〈皇帝〉とされており,
第3次案で〈天皇〉と改められた。また民間の憲法草案の多くは〈皇帝〉
〈国帝〉という類の帝号で記されていた。まさに〈天皇〉という公称の
成立は大日本帝国憲法によって確定されたわけであるが,その英訳は
Emperor であり,外交文書では〈皇帝〉とされていた。
外交文書の〈皇帝〉が〈天皇〉となるのは,国体論が時代を謳歌する
潮流になってのことで,1936年をまたねばならない。
46世界@名無史さん:03/06/08 12:27
足利家や豊臣秀吉が
日王として中国に臣従した事は
日本にとって当時、どんなメリットがあったんですか?

武力に訴えてでも元への臣従を拒んだ北条家とは対照的。
47世界@名無史さん:03/06/08 13:17
あのー中国の華夷秩序に鑑みて天皇を日王と呼ぶのが妥当ではないという視点がすっぽりと抜けているようですが、47は。

まあいいや。
>>46
豊臣秀吉が明に臣従したということはありません。彼は外交儀礼上「日本国王」という表記を受け入れませんでしたからね。
48世界@名無史さん:03/06/08 14:16
>>46
足利室町政権は貿易の利益でしょう。莫大な利益だったようです。
中国貨幣も必要不可欠でしたからね。

秀吉は、断ったようです。
49あぼーん:あぼーん
あぼーん
50世界@名無史さん:03/06/08 14:24
>>46北条氏が拒んだのは元を蒙古=夷狄とみる世界観が入ってきてたから。

明の冊封体制と対照とする例には妥当ではない。
51世界@名無史さん:03/06/08 14:46
高校生が置き去りになっているようです。
52世界@名無史さん:03/06/08 18:05
>>44
ありがとうございました!
53あぼーん:あぼーん
あぼーん
54世界@名無史さん:03/06/08 18:33
古代西洋・中東史に強い・分かりやすいサイトとかありますか?
私は高校生なので、さほど込み入った内容は必要としないのですが。
55世界@名無史さん:03/06/09 00:50
>>54
http://school2.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1053441008/l50
こっちで聞いてみたら?
あとageたほうがいいぞ
56 ◆OabJU8b1b. :03/06/09 01:45
>>31
1900年のアメリカの金本位制というが、
実はアメリカには1900年の時点で日銀にあたる中央銀行(現在のFRB) がないのですよ。
したがって1900年の時点でアメリカ全体としての統一した金融政策はなかったんです。
一応参考まで。(おきゅ殿Thanx)
57 ◆OabJU8b1b. :03/06/09 01:53
>>56
自己補足
よくまとめてかいている人がいますので参考に
http://ichigo.shitaraba.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0724&rs=86&re=100
58世界@名無史さん:03/06/09 10:59
アメリカの金本位制度参加は19世紀でなかったかな。フランスとともに渋っていたが、
結局参加した。当時の金本位制のリーダーはイギリス。
第一次大戦で中座したが、今度はアメリカが先頭きって1919年に復帰。
アメリカやイギリスは金地金本位制をとり,他の国の多くは金為替本位制をとった。
59世界@名無史さん:03/06/09 15:17
共産主義、社会主義、民主主義、資本主義

これらはイメージ的にはなんとなく理解できるんですが、
具体的にいうとどういったものなんでしょうか?
教科書の説明だといまいち要領を得ません。ぐぐってもわかりませんでした
60おおざっぱな説明だけど:03/06/09 22:13
>>59
共産主義、社会主義、資本主義の3つと民主主義はとりあえず分けて考えよう。

まず民主主義だが、これはある社会(≒国家)の中で
社会を動かす力(権力)がトップで権力を行使する君主や貴族だけではなく、
社会(国家)の構成員(≒市民・国民)全員によって平等に保有される体制の理念のこと。
例えばアメリカは大統領をトップに置く連邦政府が国家を運営しているが、
その大統領の政府の権力はアメリカ国民全員が選挙によって選んだ大統領に
国民の代表として預けているという考え方に基づいている。
この考え方が民主主義だ。
61おおざっぱな説明だけど:03/06/09 22:14
資本主義は財産を持っている人(資本家)が
自分の財産を使って人(労働者)を集めて働かせて商売をし、
商売で儲かった分の財産を利益として得るという過程が繰り返されて
経済界が動かされていく体制のこと。
つまり資本主義というのは政治というよりも経済の体制ということになる。

ところがこの資本主義を押し進めると、
財産を持っている人(資本家)がますます金持ちになる一方で、
商売に失敗した人や最初から財産を持っていない人が
ますます貧乏になってしまう傾向に陥ってしまう。
社会主義はこういう資本主義社会の弱点を克服するため、
社会全体の中で個々人に所有されていた財産を、
社会の中の全員の共有の財産に変えてしまうことで、
金持ちと貧乏人の格差が起きないようになる経済と社会の体制のこと。
共産主義は、社会主義を更に押し進めた社会の体制で、
この体制が完成すれば個々人が完全に平等な社会になると考えられた。
しかし実際には、社会主義化を進めると
財産が「自分のもの」じゃなくて「みんなのもの」になってしまうから、
資本主義の利点だった「自分の財産を増やしてよりよい生活をしたい」という
経済界が動かす個々人の動機が起こらなくなってしまった。
だから社会主義・共産主義を目指した国は
みな経済的に立ち行かなくなってしまったわけだ。
62世界@名無史さん:03/06/09 23:20
中国の歴史を研究しながらさらに中国文学についても詳しく知りたいんですが
そういう大学院ってあるんですか?
63世界@名無史さん:03/06/09 23:51
ユダヤ迫害の歴史について。
はたしてユダヤに非があったのか、
それとも何か別の理由があったのか教えてほしいです。
ただし、シオニズム運動や、バルフォア宣言によるごたごたより
以前の話で。
キリストを死に追いやったという烙印を押されただとか、
そういう話も聞きますが、どうなのでしょう。
64世界@名無史さん:03/06/09 23:54
>>60-61
サンクスファザー!!
65例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/10 00:09
>>63
まず、キリスト教社会では、金融が原則禁止され、その仕事はユダヤ人に押しつけられていた。
ユダヤ教では、キリスト教と違って、異教徒から利子を取るのはかまわないらしい。
金貸しは当然のことながら、人に恨まれ、疎まれる職業。

そして、彼らの信仰・生活。
ユダヤ教では、異教徒と交わることで信仰を変質させることを防ぐ理由で”異教徒と席を同じく
しない”ために食を始めとした、様々な戒律を設けている。
こうした、原理的に閉鎖・排他を志向する団体が差別を受けるのは、「人権」の観念が生まれる
以前の社会では当然と言える。

あとはあなたの言ったとおり
>キリストを死に追いやったという烙印を押された
ため。
当時の倫理は徹底的に教会(つーか信仰)主導だったために、こうした差別を正当化する部分が
キリスト教にあったのが、さらにそれらによる差別を促進させた。


こんなもんかな。
66世界@名無史さん:03/06/11 07:16
春秋戦国時代の漫画なり、小説なり読んでて思ったんですが、
亡命先の国でも話せますよね?このころの中国は統一されてないし
当然言語も違うと思うのですが、これはどういうことでしょうか?
67世界@名無史さん:03/06/11 15:37
漢字を使うことによって、発音がちがくても、漢字文化圏では意思の疎通ができた。
68世界@名無史さん:03/06/11 16:07
>>67
だから、あの時代はまだ文字も統一されていないでしょうw
しかし他国に売り込む香具師とか縦横家とかは、多数国言語が使用できんと辛そうだなぁ。

素直にバイリンガルだったと考えても良いのでは?w
69世界@名無史さん:03/06/11 16:57
上流階級は同じ言葉を使えたんじゃないの
おそらく、周が使っていた言葉
中世ヨーロッパのフランス語、ラテン語のように
教養として知っていたのでは
70世界@名無史さん:03/06/11 20:15
それはありそうだね。
公家言葉、武家言葉のように身分やら階級やらで言葉が変化したというのはありえますな。
71世界@名無史さん:03/06/12 07:07
実は(書き言葉も含めて)方言程度の違いでしかなかった。
とかいう説は…ないか。
72世界@名無史さん:03/06/12 18:07
>>34
「天皇」を日王と呼ぶのが妥当かどうか、という話だよね。
そもそもの前提がずれてるんじゃない?
73世界@名無史さん:03/06/12 18:54
これ感動するからみて下さい。
有名なFLASHらしいのですが・・
時間も1つ2分くらいです。
特にトルコとポーランドの話は泣けます。

近代日本かく戦えり
http://noigel.hp.infoseek.co.jp/swf/kakutatakaeri.swf
トルコと日本の友好秘話
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Rally/5425/Japan-Turkey.swf
大和心とポーランド魂 NewVersion
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Brush/6519/flash/polandNewVer.html
74世界@名無史さん:03/06/12 19:32
>>62
地域研究という枠で中国研究をやっちるところなら
史学だ文学だという垣根の違いをうるさく言われなさそうだけど。
75第20軍団兵:03/06/12 22:19
>68- >71

私は東洋史は暗いのですが、諸子百家に「雄弁家」とか「雄弁術」とかいう括りはあったのですか?
ギリシア・ローマ世界ではギリシア語という共通のフォーマットがあったため、
このような効果的に人を説得する手段が伝播したともいえるのですが。
何か、言葉を主体とした術の体系があれば、中華世界もそういったフォーマットがあったと言えるのではないかと
思うのですが。

76つーか:03/06/12 22:35
>>75
縦横家というのが該当しそうです。
確かに、春秋戦国時代に諸国を訪れて弁舌をもって外交をしていた
連中がいたのですから、少なくも各国の朝廷では話し言葉が通じて
いたということでしょうね。
77世界@名無史さん:03/06/13 01:54
アイルランド問題について教えて下さい。
アバウトな質問で申し訳ないのですが、クロムウェルとかシン=フェイン党とか、
その辺の関係を教えて頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。
78世界@名無史さん:03/06/13 03:03
>>77
あまりにアバウト(w
それでは全部書かないといけないではないか。
スレが一つつぶれたりして(w
せめて時代だけでも固定してほすいね。
教科書には一応のことは載っているから、もう一度読んで
何がこんがらがっているのか確かめて下さい。
7966:03/06/13 10:41
質問に答えてくださった皆様ありがとうございます。
80世界@名無史さん:03/06/14 19:44
最初からここに質問すればよかったのですね。

 時代は、まだ冷房なんてものが存在しない頃の事。
国は中国とか韓国とかあちらの方だと思っております。
人を集めるという行為から、偉い身分にあった人物だと思うのですが…。
 暑い、夏の季節。その人物はある事を思いつきました。
人間の脂肪は触るとひんやり冷たいものだ。
この外気温が人間の体温以上に上昇した現在、
人間の脂肪に触れていれば涼んでいられるのではないだろうか?
そう考えたその人物は、女性の尻(だったと思う)を集め、
脂肪に囲まれて夏の猛暑を凌いだそうな。または、凌ごうとしたそうな。

って人をご存知ありませんか?
81世界@名無史さん:03/06/15 18:07
オスマン帝国を「オスマントルコ」と呼ぶ人を許せないのですが、
どうすればよいでしょうか
82世界@名無史さん:03/06/15 19:30
>>81
世界史やめなさい。
83世界@名無史さん:03/06/15 19:39
>>81
82のように学会の潮流に無理解な人のことなど無視しなさい。
84世界@名無史さん:03/06/17 04:26
大韓航空機撃墜事件と爆破事件について教えてください。
前者は航路を北に取りすぎてソ連に撃墜された。
後者の方はいきなり空中で爆発して消えた。
で合ってますか?
後者では金賢姫って人が捕まってますが
なんで犯人なのに恩赦されたんですか?
85あぼーん:あぼーん
あぼーん
86世界@名無史さん:03/06/17 05:52
>>80
ペルシャの王様が、肉布団にする為に、スーダン人の妾を沢山他の回教徒の
国の奴隷商人に集めさせていたとか、それとは別の話?
肌の黒い人人は体表が冷たくて気持ちが良かったそうな。
スーダン人を捕まえてきてきて平気なのは、旧約聖書のノアの方舟のノアの
話のところに出てくる、セム・ハム・ヤペトの詛いのあたりにあるよ。
87世界@名無史さん:03/06/17 07:57
>>84
>前者は航路を北に取りすぎてソ連に撃墜された。
大韓航空のこの路線は定期的に北に逸れてスパイするのが常習だった
という噂が当時あったゾ。

>後者では金賢姫って人が捕まってますが
>なんで犯人なのに恩赦されたんですか?
美人だったからぢゃ。
映画や小説の中にしかいないと思われていた「美人スパイ」の存在に
当時の人間(特にヤロー)は非常に興奮したものぢゃ。
みんなみんな遠い昔の話ぢゃがのう。
88世界@名無史さん:03/06/17 13:58
>金賢姫
取調べ後に、自己批判して、騙されていたと発言し始めた。
韓国としては、生かしておいた方が、使用価値が大きいと判断した。
現在、検察か護衛関係の人と結婚している。
89世界@名無史さん:03/06/17 17:53
>>84
樺太沖での大韓航空撃墜は、大韓航空機の国際法違反の為。
協定航路でないところを予告無く侵入した、領空侵犯。商用航空機の通過ルートは
国際協定で決まっているし、どの種類の航空機がいつどの航路を通るかは関係国に
事前に通達がある。

領空侵犯をした航空機に対して、侵犯された側も警告無しに撃ち落としたりはしない。
ソビエトの空軍機も、無線による警告・誘導、飛行航跡による着陸誘導をしたが、
対して、大韓航空機は警告を無視し陸地の上を横切って逃走を図ったため、撃墜された。
航空無線は周波数も決まっているし用語は韓国だろうと共産圏だろうと英語、
領空侵犯・航路逸脱の警告や着陸誘導の為の、航跡や灯火による指示のやりかたも
世界共通。
警告の無線については日本の自衛隊が傍受、航跡による警告・着陸誘導は北海道上空を
警戒飛行していた米軍機が観察している。大韓航空機に対しては味方にあたる日本・アメリカ
が大韓航空機の国際法逸脱を確認している。
どんなに頑張ったところで(実際、韓国は泣き屋を総動員して頑張ったが)、大韓航空機の
国際法逸脱は弁解のしようがない。

90あぼーん:あぼーん
あぼーん
91世界@名無史さん:03/06/17 18:54
馬鹿げた質問だったらすみません。
歴史小説って、読むと知識つきますか?
間違った知識はつかないですか?
92世界@名無史さん:03/06/17 19:06
>>91
どこまでが創作か分からないことにはどうしようもない。
著者の姿勢にもよるが、すべて信じるのは危険としか言いようがない。
93世界@名無史さん:03/06/17 19:16
宮城谷氏のは、事件とかはともかく、人物に対する呼称がかなり萎え萎え。
94世界@名無史さん:03/06/17 22:37
>91
「武蔵と小次郎、どっちが強い」とか「戦国時代最強の武将は誰だ?」みたいな話をできる
程度の知識はつくが、普通それは歴史の知識とは言わない。
その辺を誤解している人はカナーリ多そうだが…
95世界@名無史さん:03/06/18 05:56
>>91
アプローチが逆。
史実を知った上で、歴史小説を読むともっと面白い。
96世界@名無史さん:03/06/18 07:49
うむもっともだ。>>95

一般の人と話すなら歴史小説で一向にかまわないのだが。
9791:03/06/18 19:24
受験のために世界史の知識をつけようと思って、
『ナビゲーター世界史』という本を読んでいたんですが、
何か事実を淡々と述べてるだけで面白くないんですよね。
参考書ってのはもともと面白くないものなのかもしれませんが、
面白くないから読み込めないし知識もつかない。
だからアングルを変えてみようと思ったのです。
もし良かったら、面白くて知識のつく本教えてください。
98世界@名無史さん:03/06/18 19:30
私も一緒です。
世界史受験のため、いくら世界史得意でもマズいよなーと思い参考書コーナーへ。
読んでいて「つまらない」と思わなかったのは、山川の用語集ですね。
やっぱり事実だけが淡々とってのは、いかにも受験勉強で世界史自体を嫌いになってしまいそうです。
年表や地図を見ていたり、資料集なんかを眺めるのは好きなんですが・・・


99YMIM:03/06/18 19:46
>>97-98

この手の話はさんざんガイシュツで、
お勧め本スレも何本かあるから漁って味噌
ただし世界史を丸ごと受験に合わせて面白く書いたような本は存在しないからね。

>年表や地図を見ていたり、資料集なんかを眺めるのは好きなんですが・・・
これこそ受験世界史の王道ですよ。多角的アプローチ、視覚に訴える。
自分で地図とか作ってご覧な。あるいは年表作ってもいいよ。
よく頭に入りますよ。無味乾燥な丸覚えよりは知識はずっと定着しやすく、
受験が終わって大人になってもいつまでも役立つ「基礎教養」になるよ。

じつは受験のために知識を、ってところで既にしんどい領域なんよね。
残酷な事を言うようだが
自分が興味がある、好きな科目ならどんな本読んでも面白いもの。
たとえ無味乾燥な教科書でもそこから芋づる式に
いろんな知識を自発的かつ無意識に拾い出してしまうものなんですよ。
裏返して言えば、あまり好きではない教科の本は何読んだって砂噛むようなもんよ。
それだけはあきらめて、ハラ括ったほうがいいよ。
100あぼーん:あぼーん
あぼーん
101世界@名無史さん:03/06/18 20:34
世界史で一番淫乱な女性は誰ですか?
102世界@名無史さん:03/06/18 20:36
う・づ・め
10384:03/06/20 17:49
>>87-89
どうもありがとうございました。
冷戦下の事件は今と時代の雰囲気が違って
なんでこれらの事件がおきたのか今ひとつわからないんですよね…
自分でもしらべてみます。
104世界@名無史さん:03/06/20 21:58
明から清にかけた江南では産業が発達し経済力も高かったと思います。
マニュファクチャー的な手工業もあったにもかかわらず、
産業革命が起きなかったのはなぜでしょうか。
農業の集約化も始まっていたし、労働力の確保なんて簡単だっただろうに。
イギリスより早く起きていても不思議じゃなかったと思うんです。
起こらなかった理由はなんだったんでしょうか。
105世界@名無史さん:03/06/20 22:15
アメリカでの産業革命が南北戦争後本格化するのは、奴隷解放による労働力の確保が要因なのでしょうか?
106世界@名無史さん:03/06/21 01:00
>>97
高校レベルなら、歴史マンガやら歴史小説で間に合わせてOK。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1051782424/
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1002079641/
大学行った後、また2chで質問して、歴史学の心得を質問し直すと効率的。

大学受験レベルで要求される歴史の知識ってのは、結局歴史雑学レベルだから。
だから高学歴のクセに歴史学と歴史物語(歴史小説)の区別をつけない人が
多いのだが、受験生レベルではそのことを気にしなくてヨシ。
それぞれの専門分野研究過程で、問題意識としてとっておくとヨシ。
大学で文系学問を誠実にやっていれば、区別の必要性に直面するはずだから。
大学1年生が終わった時点で区別の必要性に直面しなかったらその時点で焦るのがよいかと。
107世界@名無史さん:03/06/21 23:19
>>104
1、賃金労働者を完全に生み出すための、小作人からの土地奪取の不十分さ。
2、工場を機械化するための資本の原始的蓄積の不十分さ。(英国三角貿易など)
3、商工業の自由や私有財産制の不可侵を確約する、社会変革(市民革命)の不十分さ。
などではないかと。
108世界@名無史さん:03/06/21 23:24
>>105
南北戦争中には国立銀行法,関税法,自営農地法(ホームステッド法),
土地交付大学法(モリル法)等が制定され,戦後の〈再建〉期に国内市場
の統一が達成されるなどの条件が整ったため,終戦後には工業が本格的
に経済発展をリードするようになった。
著しい技術革新過程を反映したこの19世紀後半は,一口にいって蒸気機関
と鉄の時代,あるいは鉄道建設の時代であったといえる。蒸気機関車と
蒸気船が急速に輸送の中心となったが,とくに鉄道は,大陸横断鉄道の
完成(1869)をはじめ全国的鉄道網の建設を通じて,1884年には世界の
総鉄道キロ数の43%を占めるにいたった。この鉄道のもつ重要性は,
広大な市場地域を統一したのみでなく,各産業に輸送費の節減をもたらし,
またその建設自体が鉄鋼をはじめとする関連産業の需要を増加せしめた点にある。
かくて工業の発達は,それ以後20世紀にかけて製鉄業のみでなく石油,
機械,化学,電力にまで及び,南北戦争後30年を経た94年には,その
工業生産額が一躍,イギリス,ドイツ,フランスの生産額合計を上回る
世界最大の工業国となり,さらに20年後には世界における工業生産能力
の約3分の1を占めるまでになった。この間,西ヨーロッパ諸国の工業も
かなり急速に発展したが,アメリカの発展速度がそれを上回ったのは,
ほかでもなく大量生産方法にもとづく生産性の向上と,人口の急増による
国内市場の劇的な拡大によるものである。
109世界@名無史さん:03/06/22 04:22
>104
>107氏に補足すると、欧州の場合は中世から「大市」の伝統があって、
ジェノバ、フランクフルト、アムステルダム、ロンドンといった都市がそれぞれの時代において
一大中心地になっていた。これが農村からの都市への人口流入を加速し、
かつ新大陸からの金の流入もあわせて産業革命を起こすに足る諸条件を揃えたというわけ。

一方で中国の場合、ひとつの都市に資本やモノやヒトが集中するといった現象はおきず、
各都市がそれぞれ周辺の農村を経済圏に組み込んで別個に並立するという経済構造だった。
ので、欧州のような条件がそろわなかった、と。
110105:03/06/22 10:29
>>108
ありがとうございました。きちんと理解できました。
111104:03/06/22 13:34
>>107,109
ありがとうございます。
各要素の不十分さと経済構造の違いなんですね。
112世界@名無史さん:03/06/22 13:43
>>105
19世紀の中ごろには欧州からの移民労働者の移動も加速していて
北部工業地域では労働力は充足していたといわれる。
奴隷解放による黒人だけを労働力と考ていたわけではないです。
113世界@名無史さん:03/06/22 18:50
犬戎の周への浸入時の周王、幽王とか
東周最初の王、平王とかって入試に出ますか?
114((≡ ̄♀ ̄≡)):03/06/22 18:54
いやらしいリンク集作った
http://cg.iclub.to/link/buruma/
115世界@名無史さん:03/06/22 20:19
ラテンという言葉の正しい意味を教えてください。
笑う歌うとかでなく。
116つーか:03/06/22 21:03
>>115
「笑う歌」というほうが意味不明なのだが、、、、、

もともと、ラテン[Latin]というのは、ラテン語のことを意味する。
ここから転じて、ラテン語を話す人々やその文化・社会をラテンと呼ぶようになった。

ここまででは、中学高校生にとっては説明不足になるだろうからもう少し突っ込んで
説明しよう。

ラテン語というのは、古代ローマ人の言葉だったから、ローマ帝国の公用語となり、
ローマ帝国がキリスト教を受け入れ、ローマがキリスト教の中心地となったために、
カトリックの公用語となった経緯がある。
これらのことから、地中海に面するカトリック系の諸国、ポルトガルを含むスペイン
やイタリアはラテン系の国と呼ばれた。これらの国々で使われている言語はラテン
語から派生したと考えられている。
そして、これらの国々が植民地としたために、ラテン系言語やカトリックの影響が強
くなった中南米の国々をラテンアメリカと呼び、ラテン諸国の音楽をラテン音楽と呼
ぶようになったという関係になる。

こんなもんでいいかな?
117115:03/06/22 21:31
有難う御座いました!!
ずっとラテン風とかいった言葉に踊らされていたので、恥をかかないで済みました!
旧約聖書関係でイタリア山岳・ラテン民族のところが気になっていたので。
118世界@名無史さん:03/06/22 21:45
ローマ建国以前、ラティーニ族がローマ周辺に住み着き、この地方は
ラティウムと呼ばれていた。で、彼らの言葉がラテン語となった。
ちなみに、この地方名は現在もラツィオという州名として残っている。

で、語源だが、一説では「広い」とか「開けた」とかいう意味らしい。
119世界@名無史さん:03/06/25 18:41
age
120世界@名無史さん:03/06/25 20:19
現代の「ラテン風」と当時のラテン人は似ても似つかない。
121世界@名無史さん:03/06/25 20:42
イェニチェリについてなんですが

バルカン地方の強健美貌の少年を改宗させ、訓練して、
奴隷身分の常備歩兵軍団としたもの。のち宮廷騒動の一因となった。
                       <<山川出版世界史用語集より

強健はわかるけど何故美貌?
宮廷騒動というのも何が原因?宦官でもあるまいし…。
やっぱそういう目的のもとに連れてこられたんでしょうか?
宮廷騒動についても気になる。  マジレス希望。

122世界@名無史さん:03/06/25 21:38
夜のお相手だと思います。
戦争では女性の同行は禁止されています(不浄なものとされている)ので
男たちの性欲はたまって行く一方。
よって、美しいイエニチェリ軍団が
従軍慰安夫としても活躍したのではないでしょうかねぇ
日本でも、美少年の小姓たちが活躍しています。
織田信長の森蘭丸が有名ですね。
123世界@名無史さん:03/06/25 21:47
>>121
あんまりいい説明じゃないね。だいたいアナトリアからも徴収してた時期があるんだが。

バルカン地方の強健美貌の少年を集めたのは、
イェニチェリを集める「デヴシルメ」では
特に眉目秀麗で才能があると見なされたものは
将来のエリートコースである宮廷小姓に採用されたため。
宮廷小姓の中で才能を認められると地方知事や軍団長に出世できた。
平兵士のイェニチェリは宮廷小姓の選抜からこぼれたその他大多数が採用された。
宮廷騒動というのは、16〜17世紀にイェニチェリが爆発的に増員され土着化が起こった結果、
イェニチェリがスルタンの改廃をも左右する集団に変容したことを指しているのだろう。
17世紀以降ではイェニチェリと対立して廃位されたスルタンは少なくない。
124世界@名無史さん:03/06/25 21:51
デブ汁め
125世界@名無史さん:03/06/25 22:20
>>121
美しい方が価値が高いだけ。
別にイエニチェリに限ったことじゃない。
遅くとも9世紀以後大規模にイスラーム圏に輸入された
トルコ人奴隷たちの頃から美貌のものが値段が高かったことが記されてる。
126世界@名無史さん:03/06/26 21:52
義和団は白蓮教系なのに、なぜ清朝に味方する『扶清滅洋』を掲げたのでしょうか?
清朝は白蓮教を弾圧していたと思うのですが。
127世界@名無史さん:03/06/26 21:56
ただ単に、清は憎いけど西洋人はもっと憎いとか…
128126:03/06/26 23:44
>>127
そんなものなのでしょうか。
129世界@名無史さん:03/06/26 23:52
>>128
いえ、詳しくないので信用なさらないように。
誰か詳しい人が答えてくれるまで待ちましょう。(w
130世界@名無史さん:03/06/27 02:10
「最近の若いもんは・・・」という愚痴は大昔から語られれているという話を見聞きしますが
出典についてはエジプトやメソポタミアの石版だのキリシャの洞窟だのウン千年前だのと
まるでバラバラ。(というか不明確)
実際のところは何なんでしょう?
131世界@名無史さん:03/06/27 02:51
>>126
当時の中国山東省西部では、列強に強いられた開港によって綿などの
家内工業が大打撃を蒙っていた。また、列強の圧力を背景にした
キリスト教の布教活動が盛んになっていた。
義和団は1897年以降、華北一帯の困窮貧農・流民・下層労働者が
参加して拡大していったから、列強による清への進出はまさに死活問題だった。
列強の強い要求で清も当初は義和団の鎮圧に動いたが情けないことに敗北。
しかし、西太后は考えた。
「こいつら利用したら列強を排除できるかもしれねぇ!」
そこで清は急遽方針を転換して義和団を援助し、1900年6月18日には天津で
連合軍を破っちまった。調子に乗った清は19日に列強に対し、
「24時間以内に北京から出て行けや(゚д゚)ゴルァ」
と要求。
さらに暴走を続ける清は24日には英・仏・露・米・伊・独・墺・日へ宣戦布告。
これまで数千単位の兵力を投入していた連合軍もこれはちょうどいい機会だと本気を出し、
万単位の兵力を投入。7月14日に連合軍が2万の兵で天津攻略。8月4日には4万の兵で
北京攻撃開始。こうなれば徒手空拳の義和団など論外。
8月15日には西太后、光緒帝らが北京脱出。
この後賠償金やら何やらの取り決めをして、翌年9月17日に連合軍がようやく撤退。

一部コピペすまそ。質問の答えは最初の5行くらいか。
まあ、結果的に義和団事変は列強の介入を招いただけの喜劇でしたな。
132131:03/06/27 03:09
ちょっと言葉足しとくと、キリスト教への反発と死活問題がからんで、
列強への反感が高まり、それなら清を助けて列強を追っ払おうってことに
なったというわけです。
あながち>>127は間違いじゃないですな。
133世界@名無史さん:03/06/27 05:45
質問させてください
現在、アイルランド問題ってどうなっているんでしょうか?
自分でも調べたんですが、数年前までくらいしかわかりませんでした

イラクや北朝鮮問題に隠れて最近注目されていないからなのか・・・
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい!
134世界@名無史さん:03/06/27 15:00
>>126
義和団のつけたし

義和団には滅洋を共通項としてさまざまのグループがあったが,その主流に
おいて扶(たす)けるべき清とは自分たちの郷土・国土であり,必ずしも
大清帝国を意味しなかった。
自然発生的な反帝国主義運動で、後の五・四運動、しいては辛亥革命に連なる。
135世界@名無史さん:03/06/27 15:11
>>133
北アイルランド紛争のことですよね。
基本的には解決しました。歴史的快挙です。
将来の自治ないし独立をも含む方向性の中で、
北アイルランドの武装勢力の武装闘争放棄と武装解除、合法政党化
への確約が交わされたと記憶しています。

97年7月IRA の再停戦の後,話合いが進みはじめている。平和回復により
その後,北アイルランドへのアメリカの投資も増加し,経済再建が急テンポ
で進んでいる。
その後,97年イギリスで労働党のブレア政権が成立して以後,アメリカの
仲介による和平交渉が98年4月合意に達し,北アイルランド自治政府の設置
を軸として,自治政府とアイルランド政府の対話機関やイギリス・アイルランド
両政府を交えた調停機関の新設に向かうこととなった。

ちなみに、アイルランドは歴史的な好景気が続き、追い風になっているようです。
多少の紆余曲折は、最近もありましたが、基本的には前向きに進展してるようです。
136126:03/06/27 20:40
>>131-132>>134
なぞが解けました。扶清を清朝を助けると取っていたからこんがらがっていたのですね。
ありがとうございました。
137121:03/06/27 20:56
>>122・123
マジレスありがとうございました。
話題が話題だけにくそレスが返ってくるかと思ってたけど…。
ほんとにマジレス感謝!、です!
138あぼーん:あぼーん
あぼーん
139123:03/06/27 21:04
>>137
どういたしまして。でも125さんにもお礼してあげてよ。あれが一番いい説明だよ。
確かに、イスラム世界は外見の美しさが人間の価値になったようだ。
同性愛はイスラム法で禁止されてるけどね。(飲酒と一緒で破ってる奴はいくらでもいるが)
140125:03/06/27 21:07
まぁいいよ。これからお礼されても恥ずかしいだけ
141世界@名無史さん:03/06/27 21:49
>>139
じゃないと、酒姫(サーキィ)とか説明でけへんなw
142世界@名無史さん:03/06/27 22:19
インカとアステカとは最後まで接触がなかったにもかかわらず
互いに極めて似た文明であったのはどうしてなのでしょうか?
143世界@名無史さん:03/06/27 22:41
具体的には何が似てたんだっけ?
144世界@名無史さん:03/06/27 23:03
世界史史上で今の日本のように大国になりながら
小国(北朝鮮 に脅されたりしている国ってあります?
145世界@名無史さん:03/06/27 23:06
>>144

大国といっても軍事大国ではないから。
西夏に脅かされた北宋とかの例はどうよ。
146世界@名無史さん:03/06/28 00:40
>>101
江。毛沢東の四番目の妻。
147世界@名無史さん:03/06/28 00:56
西夏皇帝李元昊は大軍を率いて宋に侵入したが、戦いが長期化する中で、
両国は1044年に慶暦の和約(前述)を結んだ。この和議によって
西夏は宋に臣礼をとり、代わりに毎年銀5万両・絹13万疋・茶2万斤を得、
さらに国境に貿易場を設けて貿易を行うことを認めさせた。
李元昊が有能だったのと仁宗が弱腰だったのが重なったって感じかな。
148世界@名無史さん:03/06/28 00:57
>>101
始皇帝の母親。
149世界@名無史さん:03/06/28 01:13
高校生の皆さん、皆さんは、以下の事実を御存知ですか?

1)第二次大戦中、ドイツはユダヤ人を絶滅しようとしたと言われて
  いる。しかし、戦後、連合軍がドイツで押収した大戦中のドイツ
  政府公文書の中に、その様な事が決定、命令された事を示す文書
  は一枚も発見されていない。
2)同様に、第二次世界大戦中のドイツ政府が、「ユダヤ人絶滅」の
  為の予算を全く計上していなかった事も判明している。
3)戦後、これだけ「ドイツはガス室でユダヤ人を殺した」と言われ
  ながら、その「ガス室で殺された死体」は、実は、一体も確認
  されていない。
4)連合軍は、戦後、多くのドイツ人に拷問を加えて、「自白」を
  作成している。(この事は、アメリカ議会の記録に詳しく書かれて
  ある)
5)ソ連軍がアウシュヴィッツで押収した膨大なドイツ側文書の中に、
  処刑用ガス室の設計図は一枚も発見されていない。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
150世界@名無史さん:03/06/28 01:14
>>149
スレ違い。主張したいことがあるなら関連性のあるスレでやりましょう
151世界@名無史さん:03/06/28 01:16
高校生の皆さん、ガス室で殺されたユダヤ人は一人もいません。
本当です。「そんなバカな!」と思う人は、このサイトをお読み
下さい。
 ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html

学校が教えない「ホロコースト」の真実が、ここに述べられて居ます。
152世界@名無史さん:03/06/28 01:17
>>150
マルチは放置
153世界@名無史さん:03/06/28 01:19
154世界@名無史さん:03/06/28 01:22
>>150
何が「スレ違い」だ。高校生に「ガス室でユダヤ人が殺された」なんて
いうウソを教えていいのか?
「ホロコースト」の話が語られる時、テレビなどで使われる死体の山は
発疹チフスなどで死亡した人々の死体であって、「ガス室」で殺された
死体ではない。(解剖で「毒ガス」によって死亡したと確認された
死体は、当時一体も無かった)
それは、もちろん、悲惨な、悲劇的な光景ではある。しかし、病死と
「虐殺」は異なる。高校生にウソを教えるべきではない。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-12.html
   ↑
(連合軍が戦後の裁判の際、ドイツ人に拷問を加えていた
 事実に関するサイト)
155( `_ゝ´):03/06/28 01:28
>>154
せめて質問されてから書け
156あぼーん:あぼーん
あぼーん
157世界@名無史さん:03/06/28 01:31
荒らしは放置
158世界@名無史さん:03/06/28 01:34
学校で聞かれたらどう答えたらいいでしょうか?
159世界@名無史さん:03/06/28 02:04
歴史修正主義なんて言葉使わんほうがいいと思うけど
160世界@名無史さん:03/06/28 02:11
ホロコーストをどう教えるか、は、歴史教育の大きなテーマですね。
私は、両論を教え、生徒たち一人一人に判断させるべきだと思います。
161世界@名無史さん:03/06/28 02:58
>>160
その時になったら仰るとおりにすべきだと思う。
でも、このスレの流れ上、あまり宜しくない会話だと思われ。
162世界@名無史さん:03/06/28 04:04
>>161
教育現場で、両論がきちんと教えられているでしょうか?
日本の歴史教育には、考えねばならない事が沢山あると思います。
163世界@名無史さん:03/06/28 07:12
スレタイ嫁
164世界@名無史さん:03/06/28 09:03
一応、ホロコースト関係と言うことでこれも出しておくよ
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/index.html
165世界@名無史さん:03/06/28 10:22
>>164
そのサイトは、ペルーの日本大使館占拠事件を起こしたテロ組織MRTA
のシンパである人物のサイトです。中高生の皆さんは、その積もりで読む
ように。
166世界@名無史さん:03/06/28 10:29
日本の卑弥呼の時代の歴史は魏志倭人伝以外に何か
文章で残っていますか?
167世界@名無史さん:03/06/28 10:30
>>165
MRTAシンパ?
>付言しておくと、私はメキシコのサパティスタ民族解放軍(EZLN)については、その主張を支持し、彼らの行動に基本的に賛成ですが、MRTAに関して同じことをいうつもりはありません。しかし、彼らをきまり文句で片づけてはならないと思っています。
と言っているのだが
それなら木村愛二氏がどういう連中の文言を引用しているかも明らかにしろよ
168世界@名無史さん:03/06/28 10:40
>>166
魏志倭人伝というのは正確ではないよ。
正確には三国志の中の魏書の中の東夷伝の中の倭人の条です。
細かい突っ込みごめんなさい。
169佐藤:03/06/28 11:16
ハイエルダールは、ポリネシア人=インディアン説を唱えたと聞きました
が、これは完全に誤りだったのでしょうか?
イースター島のモアイとかは、イメージ的にはポリネシア人より、アメリカ
大陸の巨石文化を連想するのですが・・・
あと、アメリカ大陸のジャガイモがいかにして、ポリネシアに伝わったか
が謎だと聞いたのですが、そのへんも解説してホスイの m(_ _)m ペコリ
170パシッチ ◆mWYugocC.c :03/06/28 11:48
>>166
文章としては残ってないと思われ。

>>169
誤りとは言い切れない、と思う。ただ、
「似ている」
「行ける」
だけで、行ったという証拠にはならんわけです。
言ってみれば、証拠不十分やね。
171世界@名無史さん:03/06/28 12:16
>>167
木村愛二は、非暴力主義だから、右であれ左であれ暴力を用いる
個人、団体は絶対支持しないはずだ。山崎カヲルは、日本大使館を
占拠したゲリラに同情的じゃないか。中学生や高校生に山崎カヲル
のサイトを紹介する事が悪いとは言わないが、そういう人物のサイト
である事は中学生高校生に教えておくべきだ。
172世界@名無史さん:03/06/28 12:28
>>171
ここで場外乱闘しないでくれよ。
173世界@名無史さん:03/06/28 13:17
>>170
DNA鑑定すればポリネシア系か南米系か一発でわかると思うんだが。
それでポリネシア系という結論が出たということはないのかな。
174佐藤:03/06/28 14:05
DNA鑑定では、ポリネシア人は盗難アジアのモンゴロイドに近かったと
思いますが、少数のネイティブアメりカンが文明を伝えた。
あるいは、南米に到達したポリネシア人が、文化を持ち帰ったという
可能性はないでしょうか?
175世界@名無史さん:03/06/28 17:32
王国と王朝の違いって何なんでしょうか?
インドの古典文明のところで教科書には
「マガダ国のナンダ朝を倒してマウリヤ朝を開いた」
と書いてあるんですが、マガダ王国の中にそれぞれの王朝があるんですか?
176シュレーディンガーの猫:03/06/28 17:58
>175
たとえば、フランスという国の王様の家系がカペー家だとするね。
そのカペー家の王様が子供を残さずに死んでしまった。
じゃあ、それでフランスって国が滅んでしまうのかというと、
そうじゃない。
カペー家とは一応血縁のある、ヴァロア家からフランスの王様を
迎えることで、国を存続させるわけだ。
このカペー家やヴァロア家が、王朝。
王朝は交替しても、フランス王国という国はそのまま残るという
わけ。
177シュレーディンガーの猫:03/06/28 19:43
これだけじゃ、まだわかりにくいかもしれないので、補則。
つまり、国というのは、国土があって、そこに住む民がいて、
その民を統治するシステムのことなのだと考えてほしい。
その従来のシステムを壊すことなく、別の家系がそのシステ
ムに乗っかって統治を行えば、王朝は変わったけど、国は
変わらない。
激しい侵略などで、システムそのものを破壊して新たな
システムを構築したり、よそのシステムに組み込んだりした
場合は、単なる王朝交替ではなく、国そのものが変わった
ことになる。
インド史はくわしくないので、問題のマガダ国にも当てはまる
かどうかは自信ないけど、原則としてはそんな感じ。
178世界@名無史さん:03/06/28 20:44
中国の王朝はちょっと特殊かもしれないね。
179世界@名無史さん:03/06/28 21:03
ワルシャワ条約機構について軍国主義を経済的に支えたとされ、
戦後改革のなかで解散を命じられたものはなにか。

この答えがわかりません、教えてください。お願いします。
180世界@名無史さん:03/06/28 21:14
age
181世界@名無史さん:03/06/28 21:21
>>179
コメコン(経済相互援助会議)じゃね?
182179:03/06/28 21:22
>>181
ありがとうございます。
183世界@名無史さん:03/06/28 21:23
>>179
どういう文脈なのかもっと詳しく。
184つーか:03/06/28 21:28
>>179
問題文は正確に書かないとまずいね。

> ワルシャワ条約機構について軍国主義を経済的に支えたとされ、
> 戦後改革のなかで解散を命じられたものはなにか。

これでは、歴史や社会科の問題として成立していないよ。

問題文を写し間違えているか、元々の問題に誤植があるかのどち
らかだと思われる。

まず、日本史の問題と考えれば「ワルシャワ条約機構について」と
いう部分は無関係な文が混入しているものと考えて、第二次大戦
関係の設問とすれば答は「財閥」になる。

また、世界史の問題として考えれば、冷戦後の改革の中で解体し
た、軍事同盟であるワルシャワ条約機構を経済的に支えたものと
いう問の答は「COMECON」だろうが、解散を命じられたという事実
はないな。また軍国主義という用語もおかしい。
185181:03/06/28 21:35
>>179
これは教師の設問? 参考書の設問? 自分で略した設問?
確かに変な文章ではあるけど、まあだいたい言いたいことはわかった。
186世界@名無史さん:03/06/28 21:39
>>179
181の言う通り「ワルシャワ条約機構について」という文句がなければ、
「財閥」についてのよくある問題なんで、やっぱり文章がおかしいと思う。
187186:03/06/28 21:40
ごめん181じゃなくて184だった。
188トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/06/28 21:55
>>142
インカとアステカの時代より以前の時代には交流があったからですね。
インカの暦なんかは中米起源、アステカの金属加工の技術は南米起源です。
189世界@名無史さん:03/06/28 23:45
フランス革命のきっかけのバスチーユ牢獄を何故襲撃したんですか?
190世界@名無史さん:03/06/28 23:48
>>189
政治犯がイパーイ捕まってたから、解放してあげた。
191世界@名無史さん:03/06/28 23:52
バスチーユ牢獄は政治犯を収容していた。
実際にルイ16世のころには収容人数はかなり少なかったようだが、
王政を象徴するところだとパリ市民は考えてたんだろうな、
んで襲撃した。
192126:03/06/28 23:55
武器を奪うためという話を聞いたことがあるが。
パリ市民はバスチーユには武器がごまんとあると思っていたらしい。
文献で調べたわけではないので、全面的には信用しないでください。
193世界@名無史さん:03/06/29 00:00
バスチーユ要塞は圧政の象徴で、
大勢の政治犯がいて、武器がいっぱいだと思われていたけど、
実際には中にいたのは精神病者と同性愛者だけだったそうだ。
194世界@名無史さん:03/06/29 00:01
廃兵院に押しかけて銃や大砲を奪ったんだけど、弾や火薬がなかったらしいね。
最初は平和的解決をしようとしてたらしいけど、戦いが起こってしもうた。
んで、ヘタレド・ローネー長官は身の安全を条件に降伏したがぬっ殺されたと。
195世界@名無史さん:03/06/29 00:01
だいたい冷静に考えてみろよ。
あのルイ16世が、いやその周囲の人間にしても、
政治犯狩りなんかやってたはずがないと思わんか?
196世界@名無史さん:03/06/29 00:02
サンジュストが規律なき行動なんて言ってたな
197世界@名無史さん:03/06/29 00:03
中公の世界の歴史21巻によると、市民軍は最初廃兵院におしよせて武器を
手に入れたが、弾薬がたりないので、弾薬を保管しているヴァスティーユ
に向かったということ。
またヴァスティーユは牢獄としても使われ圧制の象徴というイメージが
あったが、襲撃された時には政治犯は収容されていなかったとのこと。
198世界@名無史さん:03/06/29 01:41
ハノーヴァー朝は、なぜウィンザー朝に改名したのでしょうか?
何か改名しなければならない理由があったのですか?
199世界@名無史さん:03/06/29 01:45
>>198
ハノーヴァー朝は言うまでもなくドイツにルーツがあり王朝名はドイツの町の名前。
そのためドイツと対立を深めて戦争に至った以上そんな名前つけつてるのはまずいだろうってことで改名した。

こんなもんでいいかな?
200世界@名無史さん:03/06/29 01:57
ドイツ名 ハノーファー
201世界@名無史さん:03/06/29 02:01
正確にはハノーヴァー朝はヴィクトリア女王までで、
エドワード7世からはサクス・コバーグ・ゴータ朝で、
ジョージ5世の時に第一次大戦のためウィンザー家に
改名した。
202世界@名無史さん:03/06/29 02:03
1901年にエドワード7世が即位したことで、ヴィクトリアの夫君アルバートの
出身であるサックス・コーバーグ・ゴーサが王朝名となり、これがウィンザーに
改名されるのが1917年。
203あぼーん:あぼーん
あぼーん
204198:03/06/29 02:25
なるほど。とても参考になりました^−^
答えてくれたみなさん、ありがとうございました。
205世界@名無史さん:03/06/29 02:57
>>202

ってことは、
今のエリザベス2世が死んでチャールズが即位する際には
また王朝名が変わるんですか?
206世界@名無史さん:03/06/29 03:14
エリザベス2世の夫君フィリップの家名をとってウィンザー・マウントバッテン
と名乗る事になっている。但し、フィリップはギリシア王族で姓を持っておらず、
イギリスでの後見人であるマウントバッテン侯の家名を貰ったが、このマウント
バッテンという家名もまた、ドイツ風のバッテンベルクから改名したものである。
207205:03/06/29 03:21
なるほど
208206:03/06/29 03:25
語順的にはMountbatten-Windsorが正解かな。
209とてた:03/06/29 11:16
>>174
ニューギニアのサツマイモは、コロンブス以前に伝わったとされています。
「ポリネシア人が南米に到達して、帰ってきた」傍証だと思います。
210あぼーん:あぼーん
あぼーん
211189:03/06/29 19:17
バスチーユに関しいろいろありがとうございました。
212175:03/06/29 20:10
>>シュレーディンガーの猫さん
ありがとうございました。
213佐藤:03/06/29 20:38
ポリネシア人が南米に到達して、定住した形跡は確認されてないのでし
ょうか?
214つーか:03/06/29 20:52
>>213
枠組みを形成する背景の知識が欠けているんじゃないかな。

1 南太平洋の海流は、赤道付近で西から東へ、その反流がさらに南に存在する。
2 近代になるまで、太平洋を航海するには、この海流に乗るしかなかった。
3 南アメリカ原住民の人種的特徴は古モンゴロイドであり、年代的にその移住経路は
  シベリアからベーリング海峡を渡り、北米大陸、中米を南下してきたと考えられる。
4 一方、ポリネシア人の人種的特徴はオーストロイド、南方系モンゴロイドと呼ばれて
  おり、古モンゴロイドとは遺伝的にかなり遠く、移住経路はインドシナ半島から島嶼
  づたいに南下したと考えられている。

ということで、ハイエンダールがいつの人か知らないが、現代の遺伝的調査ではポリネ
シア人が南米原住民と同系統という説は主流ではない、というか単なる電波だろ。

文化的に、南米の影響をうけることは1,2に書かれたとおりで、ありうることだが、ポリ
ネシア人が海流に乗って南米と往復することは比較的容易でも、南米の原住民がポリ
ネシアに行って戻るのは、ポリネシア人の協力がないと難しいという構造になっている。
215世界@名無史さん:03/06/29 21:40
ハイエルダールのいかだでは南米の沿岸流を乗り切ることができず、船で沖合い
まで曳航してもらったという話を聞いたことがあるのだが。
216世界@名無史さん:03/06/29 23:27
北宋の時代っす。
徽宗・欽宗<宰相蔡京>時代で、
放ろうの乱の字がわからないんです。どうか教えてくださいな
217世界@名無史さん:03/06/29 23:31
「方臘」でいいんだっけ?
218世界@名無史さん:03/06/29 23:43
そうなんですか!!
どうもありがとうございます。
ってか、サテのテレビの字が小さすぎで全然見えなくてかなりきついんですよ。
219133:03/06/30 01:50
>>134
お礼が遅くなって申し訳ありません
よく分かりました!ありがとうございました!
220世界@名無史さん:03/06/30 02:24
『エジプトはナイルのたまもの』という言葉を言った人についてです。うちの教師は、ヘロドトスが言ったと言うのですが、私が持ってる用語集には、ヘカタイオスの言葉と書かれています。どちらが正しいのでしょうか?今日試験で、マジで困っているので、助けてください。
221トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/06/30 02:28
>>220
ヘロドトスの言葉ではないですね>「エジプトはナイルの賜物」
222世界@名無史さん:03/06/30 02:38
>>221        そうなんですか。どうもありがとうございました。
223sage:03/06/30 05:15
国立にある某国営教育放送を視聴して学習する通信学園に通っているんですが
そこの歴史Bの最終回のレポートになぜ近年になって日本を対象とした戦後補償問題が
盛り上がっているのか?

自由に意見を書きなさいとありますが、切り取ってこれから指導する時の判断材料にします。
等と書かれています。
その学校所在地は国立だし、何に利用されるか分からないアンケートを
自由に書くのは賢い判断なんでしょうか?
224世界@名無史さん:03/06/30 06:38
>>223
極左的でも極右的でも危険だな。
教師はだいたい左寄りだから、やや左寄りの文章がベストかと。
我意は最小にとどめた方が良かろう。
あくまで、無難に書くとしたら、だけどね。
何が何でも漏れ様の意見が正しいんだ、って考えなら
自由に書けばいいんじゃないかい。
225パシッチ ◆mWYugocC.c :03/06/30 08:53
>>221
うぇ?それ、ヘロドトスの『歴史』に載ってるぞ。
巻2、岩波文庫版ではP164だ。

ただし、先に言ったのはヘタカイオスらしい。「どっちが言ったか?」という問題なら、両方正解だと思われ。
226世界@名無史さん:03/06/30 16:19
ビザンツ帝国は西アジアのどのような勢力に脅かされたのでしょうか。。
11世紀ごろの話らしいんですが…
227世界@名無史さん:03/06/30 16:23
11世紀だと、セルジューク・トルコだな
その時期にはもう帝国の屋台骨自体がガタガタになってるが
228世界@名無史さん:03/06/30 16:29
どうもっ、
ありがとうございます。。
229佐藤:03/06/30 21:50
>>214
川o・-・)ノ  詳細なるご教授ありがとうございました。
昨夜は、モー娘の新曲発表のため、他板に逝ってたので、
お礼が遅くなりまして申し訳ありませんでした。 

僕がポリネシアと南米の交流についてひっかかるのは、イースター島
なんです。
イースター島の石垣は、石と石の間にカミソリ一枚入らないような精巧
な石組みで、インカのマチュ・ピチュ遺跡を連想せずにはいられなかっ
たものですから。
あと、モアイの巨大さが、アンデスの巨石都市を連想させて・・・て、完全
なイメージだけなんですが・・・
230223:03/06/30 23:16
とりあえず、日本人は2400万人程度いた朝鮮人のうち600万人から800万人を強制連行し
南京攻略戦の時は、憲兵隊に隠れて強姦虐殺何でもござれの12歳の少年兵迄動員していた
さらにシナとの戦当時に、満州と沿海部を攻めて3500万人も死傷させた等の新事実が
近年になって表に出てきているので、当然だと思いますみたいな事は書かないようにしておきます。
231世界@名無史さん:03/06/30 23:35
オスマン・トルコと書くと歴史的には正しくないそうだが、
セルジュク・トルコは「トルコ」でいいのか?
232世界@名無史さん:03/06/30 23:57
>>231
オスマン朝と同じく自称の国名ではないことはもちろんのこと
今のトルコ共和国と重なる国家ではないのでよろしくはないです。
最近の教科書ではセルジュク・トルコとは書いてないんじゃ?
セルジューク朝とするのがよいと思われ。
233トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/07/01 00:00
>>225
引用してるから、とかの話でしたよね?>ヘロドトス
確かに「どっちが言ったのか」になれば両方でしょうけど。

でもヘカタイオスって試験に出るんですか?
試験も難しくなったんですねぇ。
234世界@名無史さん:03/07/01 07:35
>223
ソ連が崩壊したからでつ。
235パシッチ ◆mWYugocC.c :03/07/01 08:15
>>233
私なんざ、「ヘカタイオス? 誰だそれ?」とか思いましたよ。
件の岩波文庫版の注に「先にヘカタイオスが言ったらしい」ってことが書いてありましたけど。
236世界@名無史さん:03/07/02 18:15
メディチ家はトスカーナ大公になって得をしたのでしょうか?
私は商人でいた方が良かったのではないかと思うのです。
237世界@名無史さん:03/07/02 19:22
アウトバーンって、ナンデスカ?
238世界@名無史さん:03/07/02 19:40
>>237
ドイツの高速道路です。
239121:03/07/02 19:58
>>125
>>123
スマソ。
122=125かとおもっちょリました。
125サソ感謝☆
240世界@名無史さん:03/07/02 20:28
世界史を効率よく覚えるにはどうすればいいですか?
今、ピューリタン革命から産業革命までを勉強しています。
(アメリカ独立のあたりもです)
とりあえず、一時的にでもいいんで覚えたいんです。お願いします。
241向こうの794:03/07/02 23:53
>>240
テスト勉強はこの板の趣旨ではないのだけど、単語や年号の暗記なら語呂合わせ、
あとは教科書や小説、マンガなどで流れをつかむとか。漏れは教科書をひたすら音読した。
質問が抽象的すぎてよく分からんので、自分でやってみてできなかったらまた質問すべし。

前スレから引用。良い点を取るには…
*******************************************************
世界史を好きになれ、としか言いようがない。 この板の人らは確かにセンター世界史で
いい点を取ったかもしれないが、特別な勉強法があったから出来たんじゃない。好きな
教科だから点を取れたんだ。

受験や定期テストの世界史でいい点を取ろうというスレは時々見かけるけど、どのスレでも
具体的な方法はあまり出てこない。よくて語呂合わせの披露宴になる。つまり、世界史板の
住人が当たり前にやってるんで言う必要もないだろ、と思ってるようなことに実はいい点の
取り方が隠れているのか、 もしくは住人のように好きになってしまうか、方法はそれしかない。
242世界@名無史さん:03/07/03 00:18
>>241がスゲー良いこと言った
243世界@名無史さん:03/07/03 16:37
全科目好きになるのは、それこそ大変だなぁ
244トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/07/03 22:16
>>235
おれが高校の頃使ってた「世界史研究」にはヘロドトスの先輩の言葉
としか書いてなかったんで、本当に難しくなったなぁと思いますよ。

>>237
アウトバーンというのは、飛行機の滑走路として使用できるように
道路の幅を広く作ってあるんですよね。
245世界@名無史さん:03/07/03 22:20
ちょっと関係ないんですが、社会科の教師ってなんで左派が多いんでしょう?
授業を聞いてて、反吐が出そうになることが多々あります。
246トラメメ ◆Tula/H2VxM :03/07/03 22:23
>>245
日教組に入ってる人が多いからじゃないですか?
さすがに新人教師も先輩教師に勧められたら断れないし、
入ったら入ったで、洗脳されそうです(笑)
247世界@名無史さん:03/07/03 22:47
社会科教師でも組合に入ってる人は2割もいないと思われ。
まあ県によるけど。
社会科教師でも右寄りはいるよ。
ただ歴史をちゃんと勉強した人なら日本マンセーとはとても言えないでしょう。
248世界@名無史さん:03/07/03 22:51

>>247
そうそう。右派教師も結構多いんだよね。
漏れがそうだったもん。もう、授業聞いてて痛すぎ(藁
「太平洋戦争の開戦記念日を祝日にするべきだ。」とか、
「文化の日は屈辱の日のほうがあってる。」とか。
あんたがどーいう思想を持って、どーいう考え方をしようが、
それは基本的人権で保護されてるから一向に構わないが、
生徒まで洗脳しようとすんなよ(藁
249世界@名無史さん:03/07/03 23:03
初歩的な質問なんですが、「ギルド」という述語の正確な意味を教えてください。
普通の事典などですと、同業者組合とあるのですが、同様に商人ギルドという言葉も見かけます。
どちらが正しいのでしょうか。
それから、ツンフト(同職組合)という言葉も見かけますが、これはギルドとは異なるもの
と考えるべきなのでしょうか。それともギルドの範疇に収まるものなのでしょうか。
250世界@名無史さん:03/07/03 23:10
>>249
ギルド guild とは、中・近世ヨーロッパにおける商工業者の職種ごとの
仲間団体をさす。ドイツではとくに商人ギルドと区別して手工業者の同
職団体をツンフトとよぶ。

これでいいかな?
251世界@名無史さん:03/07/03 23:18
>>248
>そうそう。右派教師も結構多いんだよね。
>漏れがそうだったもん。

おまいが右派教師だったのかと思つたよ...
252世界@名無史さん:03/07/03 23:51
>>250
さっそくの回答ありがとうございます。
ドイツの場合のみ、ギルドとツンフトが並存するんですね。
どうもありがとうございました。
253世界@名無史さん:03/07/04 00:42
オスマン帝国も手こずったコンスタンティノープル、
第四回十字軍がどうして陥落できたんでしょうか・・・(すぐ終わっちゃうけど)
13世紀の時点で軍事力は西欧世界のほうが勝ってたの??
254世界@名無史さん:03/07/04 00:45
>>253
その時はコンスタンティノープル内部に裏切り者が出たから。
力技だったらその時点ではまず陥落することはなかったろう。
255あぼーん:あぼーん
あぼーん
256第20軍団兵:03/07/04 00:58
>252
なんか誤解している気がする。
イタリア、フィレンツェでは同業組合にあたる"アルテ"があり大商人が加盟する"大アルテ"
中小手工業者&小売商が加盟する"小アルテ"があり、
この2つは市政への参加をめぐって闘争を繰り返しているから、
ドイツのみっていう理解はあんまり正しくない。この手の組織は大体全ヨーロッパ的に存在しますよ。
"ツンフト闘争"に類する市政参加への権利をめぐる闘争を繰り広げるかどうかは、その都市の事情によります。
257世界@名無史さん:03/07/04 22:16
夏休みを利用して本を大量に読みたいと思っているのですが。
中世ヨーロッパ付近のテーマを扱っている、何か面白い読み物があったら教えてください。
あまり創作の入っていないものを。
新書系でもよいので。
教えていただけないかと。
258怨霊:03/07/04 22:24
佐藤賢一氏全般はどう?
ケンイチ氏の西洋史的見地からの評価は知らんけど。
創作っちゃ創作だけど。
でもダルタニャンのこと書いた新書は創作じゃないよね。
259世界@名無史さん:03/07/04 22:59
>>257
「フランス中世の社会 フィリップ・オーギュストの時代」(1990初版)
 アシル・リュシェール著 木村尚三郎監訳 福本直之訳 東京書籍

フランス中世史の入門書的古典。(1909年の著書。)
図書館に行けばあるかも。

中世ヨーロッパ史関係の本は、翻訳含めて大量に出版され続けているので、ありすぎて選定に困るかも知れない。
個人的には、阿部謹也先生の著書もオススメ。
(初心者、素人にも読みやすいと思う。)
260世界@名無史さん:03/07/05 00:24
世界史は勉強するんじゃないんです、感じるんです。
大学入試なら、国民国家への息吹を感じなさい。
261世界@名無史さん:03/07/05 00:30
>>259
阿部謹也のは『物語ドイツの歴史』だけはおすすめできない。
ほかはまあどれでもいいかな。
262世界@名無史さん:03/07/05 00:35
>>247
いや?別にウヨじゃなくても余裕でいえるけど?
お疲れw
263世界@名無史さん:03/07/05 01:26
>>262
引っ張るなよ、大人気ない(w
史観の違いだから、ここで議論しても仕方ないでそ。

>>257
歴史小説でも、佐藤はちょっとやりすぎた感は否めない。
塩婆のほうが堅実。ヴェネツィアとかビザンティンあたり、かなり良いものを書いてる。
うっかり鵜呑みにできない小説が怖いなら、歴史紀行文や戯曲などはどうだろう?
比較的読みやすいし正しい知識もつくし、オススメできるんじゃないかと思う。
もっと濃い、正しいものが読みたいのなら、新書など専門的なものが良いだろうけど。
264世界@名無史さん:03/07/05 01:28
夏休みで時間があるのなら
フェルナン・ブローデルの『地中海』をお勧め。
原題のとおりフェリペ2世時代の地中海周辺の歴史を扱った本。
いい意味で、通俗的歴史観をひっくり返してくれる。

それにあれは、社会人になったらなかなか読めない大部だしね。
265252:03/07/05 01:49
>>250 >>256
そうですか。
「同業組合」を商人ギルド的団体とツンフト的団体とに区分するのは、
ドイツだけに限らないのですね。アルテという言葉は始めて耳にしました。

少し気になった記述を見つけたので、引用してみます。
シュルツ「西欧中世史事典」(ミネルヴァ書房:原本1985年刊)によりますと、
(この本ではドイツしか扱ってませんが・・・)

「さまざまな仲間団体的結合を相互に区別するために用いることが出来るような、
統一的で一般に認められた概念体系はまだつくりだされてはいない」

「ギルド、ハンザ、ツンフト、・・・・などの名称は、各地域の史料に支配的な言語慣用に依拠したものである」
「同職組合(ツンフトのほかに、アムト、イヌング、ゲヴェルク、ツェッヘ、ギルド、ガッフェル、
ブルーダーシャフトなどとも呼ばれる)」

という記述がありました。
結局のところ、「統一的で一般に認められた概念体系はまだつくりだされてはいない」
というのが実情なのでしょうか・・・。
266世界@名無史さん:03/07/05 15:25
>>257
とりあえずは、各社から出ている「世界の歴史」の好きな部分だけでも読んで、大まかな流れを把握してから色々と漁ってみてもいいかと。
267世界@名無史さん:03/07/05 18:55
いろいろと一度に聞いて申し訳ないのですが、
映画『パトリオット』のように両軍が直立で整列しあって銃を撃ち合うというスタイルはいつ頃確立されたのでしょうか?
また、ヨーロッパの軍隊で銃が本格的に制式化されたのはだいたいいつ頃なのでしょうか。
最後に、産業革命は軍備などにどのような影響を与えたのでしょうか?

一応本などで調べようと思ったのですが、なかなかいい本にめぐり合えませんでした。
できればなのですが、参考になる本も教えてもらえないでしょうか。お願いします。
268あぼーん:あぼーん
あぼーん
269世界@名無史さん:03/07/05 20:57
高2で世界史を始めてやるのですが
どうもカタカナばっかしで書いても覚えることは出来ません。

今度の期末に向けて200前後の言葉を暗記しなくては
ならなくなりました....。
皆さんはどうやって覚えてるでしょうか?
宜しければ教えて頂けますと幸いです。
270偏差値45法政希望:03/07/05 21:06
世界史のせいで総合偏差値があがりません
今は塾で授業を受けてから次の週に前の週でやったことの
確認テストがありますが
すぐ忘れてしまいます。
流れをわかってないからでしょうか?
あと269サンと同じようにカタカナの覚え方などありますか?
今はひたすら書いて覚えてますが・・・
確認テスト終わった途端わすれます
271257:03/07/05 21:36
みなさんいろいろありがとうございます。

>中世ヨーロッパ史関係の本は、翻訳含めて大量に出版され続けているので、
ありすぎて選定に困るかも知れない。

そうなんですよね。図書館に行ってもみたんですが、さすがにいくつもの棚の
膨大な数の中から、何の情報もなしに、良さそうな本を漁り出すのは骨が折れ
そうであり。

だから先人の方々の、何かお薦め的なものがあればなあと。
272世界@名無史さん:03/07/05 21:46
>>269-270
単語だけでなく、事跡も覚えていく。これしかない。
また、外国の名前が覚えられないと思うなら、日本人の名前を見つめなおすのも吉。
273世界@名無史さん:03/07/05 22:27
漢字の書き間違えの心配がない分
カタカナのほうがよほど覚えやすいと思う私は
日本史よりも世界史を愛してやみません
274世界@名無史さん:03/07/05 22:30
カタカナが覚えられなかったら、原語で覚えるとよし。(無謀
275世界@名無史さん:03/07/05 22:32
>>264
初心者に「地中海」なぞ薦めんなアホ。
276世界@名無史さん:03/07/05 22:46
>>275
ワラタ

日本史だと網野善彦の「日本社会の歴史」とかがうってつけなんだけど、
世界史は…。
277世界@名無史さん:03/07/05 22:47
「知ってるつもり」とか「西田ひかるの痛快人間伝」にはお世話になった
278あれ:03/07/05 23:09
教えてくだっさい。アメリカ社会の特徴を、自然、異質と同質、移動、時間
という四つの視点から教えて欲しいのですが。どうかお願いします。
279世界@名無史さん:03/07/05 23:13
>>278
そんな抽象的で膨大なテーマを説明しきれるわけない。
自分で方向性を決めてから助言を求めた方が良いと思う。
280世界@名無史さん:03/07/05 23:14
>>278

836 : 世界@名無史さん :03/07/05 18:18
>834
とても宿題っぽい質問ですね。
自分ではどう考えますか? 書いてみて添削してもらっては。
281世界@名無史さん:03/07/05 23:18
>>269
世界史題材にしている漫画や映画を見るのがいいんじゃない?
メディア社会の今のご時勢、暗記する時間かけるくらいならビデオ観る方が
合理的だと思うよ。
282世界@名無史さん:03/07/05 23:29
>275
同じ作者で「歴史入門」なら断然薄いから大丈夫だな。200ページくらいしかない。
283世界@名無史さん:03/07/06 01:40
カタカナは音で覚えるものだろうけど。
響きの良い外国語は素敵なもんじゃないかな?_
284世界@名無史さん:03/07/06 01:52
アッシュールバニパル
とか
クリュタイムネストラ
とか
アマラスウィンタ
とかな
285世界@名無史さん:03/07/06 15:41
>>267
小銃は13世紀モンゴル軍がヨーロッパ遠征に使用し,ヨーロッパではベルギー
人が最初に使用したと伝えられる。小銃は大砲を小型化することによって逐次
開発され,火砲に約50年遅れて発達した。
ヨーロッパにおける初期の小銃は,14世紀末に考案された hand cannon を小型化
した hand gun(手銃)として15世紀に発明され,15世紀末には全ヨーロッパに普及し,
フランスのシャルル8世は銃騎隊や銃兵隊を組織した。この銃の操作は銃手と運搬手
の2名で行い,弾丸は球形鉛弾で口径12〜20mm前後,引金や照準器はなく,火縄で
直接点火し発射する方式であった。
1520年歯車式発火装置が,25年には火皿蓋のついた火打石式発火装置が発明されたが,
当初は不完全なものが多く,なかなか採用には至らなかった。
16世紀初頭の小銃は,口径約18mm(19世紀中ごろまで変化なし),最大射程200m,
有効射程100m,発射速度は2分間に1発ぐらいであり,雨天時はほとんど使用不能であった。
1618年から始まった三十年戦争においてスウェーデン王グスタブ・アドルフは,
火打石式小銃と紙製弾薬包を採用して装浬・発射の時間を短縮し,また弾薬盒(ごう)
を用いて弾薬の携行を容易にした。この17世紀初期の火打石式小銃は,発射速度が
1分間に1〜2発となり,不発の発生率も減少した。
18世紀ころの小銃は前装式滑腔銃が主力であって,その有効射程は約100m,
発射速度は毎分2発程度であった。アメリカ独立戦争(1775‐83)で威力を発揮した
後装式施条小銃(17世紀初期に現れはじめた)は,射程と命中精度が優っていること
および伏姿のまま弾薬の装浬ができることで注目され,近世において主用された
前装式滑腔小銃はやがて姿を消すに至った。
1805年雷管式発火装置(スコットランド),23年尖頭円形小銃弾(イギリス),
44年遊底使用の後方装浬(プロイセン),53年金属性薬莢(イギリス,フランス)
などの発明がなされ,またこの間,施条の技術も進み,威力が飛躍的に増大した。
286佐藤:03/07/06 18:20
>>285
クリュタイムネストラ
アマラスウィンタ

誰でふか? まさか神話?(・_・)
287世界@名無史さん:03/07/06 19:15
クリュタイムネストラはホメロスの作品に登場するミュケナイの王妃。
アマラスウィンタは東ゴート王国のテオドリック大王の娘で、同国の摂政と共同統治者。

288佐藤:03/07/06 20:38
早速のご教授痛み入ります。 m(_ _)m ペコリ
289世界@名無史さん:03/07/06 21:21
すいませんが、質問をさせてください。

4・5世紀ごろの朝鮮半島と日本の情勢のことです。
朝鮮の北部では、高句麗が成長。
南部では、辰韓が新羅に、馬韓が百済に、弁韓が伽耶になった。
大和政権は、百済と伽耶と同盟を結び、高句麗と新羅の同盟と争い撃退された。

上の流れであっていますでしょうか?
一応自分で考えたなりの結果なのですが・・・
文章がへたくそな上に、自分自身の考えが上手くまだまとまっていないので、解りづらいと思いますが、教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
290267:03/07/06 21:53
>>285
ご教授痛み入ります。感謝いたします。
291世界@名無史さん:03/07/07 10:38
>>289
5世紀末から武力をともなった百済の勢力が,加羅諸国に侵入してきた。加羅
諸国は新羅や大和朝廷などの仲介を求め,百済もまた大和朝廷に五経博士など
を送って加羅諸国西部の領有を国際的に承認させた。これを不満とした加羅諸国は,
高霊加羅を中心に,新羅と同盟を結んだ。新羅はこれを契機に積極的に勢力を拡大し,
525年には洛東江中流域を沙伐州とし,軍政をしいて百済と対立した。
このようにして加羅諸国は百済,新羅の争奪地となり,加羅諸国では自衛のために
連合体制をつくってこれに対抗した。当時の加羅諸国には,数個の小国を統合し,
その支配者層が上首位・旱岐・下(次)旱岐の3階層にわかれている国もあった。
加羅諸国の連合体制は,諸国の支配者層の代表が集まって外交・軍事の実務を
協議するものであった。しかし,諸国間の利害が対立し,各国支配者層内部に
親百済派,親新羅派が生じ,さらに各国の連合体内部にも混乱が生じた。
このような混乱を巧みに利用しながら,新羅は加羅諸国に勢力を広げ,532年
金海加羅などを,562年高霊加羅を中心とする残余の加羅諸国を併合した。
新羅は併合した加羅諸国を直接支配するのでなく,支配者の一部をとどめて
旧制度による支配を認め,各国の大半の支配者層は王都や畿内に移住させ,
新羅の支配層に組みいれた。
 この間大和朝廷は加羅,百済の新文物を求めて加羅諸国を中心とする朝鮮外交
を展開した。加羅,百済は日本の軍事援助を期待して外交交渉に応じたが,
その成果が十分でないため,加羅諸国は新羅の支配に従い,百済は556年以降
日本と国交を絶った。
292世界@名無史さん:03/07/07 10:41
(続き)
562年に百済の支配下にあった加羅諸国を新羅に奪われた。また,威徳王
は聖王の戦死を大和王朝の救援が遅れたためと考え,対日外交を一時中止し,
北朝の斉・周,南朝の陳との外交を緊密にした。581年に隋が建国すると,
ただちに隋と国交を開いた。一方,大和王朝が加羅諸国の復興政策を
とったので,597年に王子阿佐を派遣して大和王朝との国交を強化した。
607年,隋に高句麗出兵を要請するなど外交活動は活発であったが,
三国間での軍事行動は比較的少なかった。
 唐代になると,百済の僧侶や儒学生などが大量に唐に留学した。この
ような平和な国際関係の裏で,唐は朝鮮支配の準備を着々と進めていた。
これに対応するため,百済でも642年に政変が起こった。前年義慈王が即位し,
その年に王母が死ぬと,王子翹岐(ぎようき)ら40余名が追放されて,
大和王朝に亡命してきた。
 戦時体制を整えた百済は,642年新羅を攻め,洛東江中流域の40余城
や同江下流域の中心地大耶城などを奪い,唐への要衝党項城を襲撃した。
645年には唐の第1回高句麗侵略戦争に便乗して,百済は新羅王都近郊まで
軍隊を進めた。しかし,この百済軍は新羅の善徳王の霊感によって撃破
された。その後,三国末期の激しい戦闘が続くが,660年,突然唐が戦略
を改め,新羅と同盟して百済を攻撃した。百済は準備不足のため,戦線の
整備もできないまま,わずか10日間の戦闘で降服した。
 百済の滅亡直後から,王族の鬼室福信や僧道竺らは百済復興軍を組織し,
631年から大和王朝の人質となっていた王子豊(豊璋)を擁立し,高句麗
や日本の支援をうけて,新羅・唐連合軍と戦った。663年に,内部の権力
闘争と白村江の戦での日本軍の敗戦とで,百済復興軍も降服した。
293289:03/07/07 20:34
>>291,292
ありがとうございました。
こんな、くだらない質問にここまで詳しくお答えいただき本当に嬉しいです。
本当にありがとうございました。
294例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/07 22:52
>>267
とりあえず漏れは『パトリオット』という映画を見たことはないが、
>両軍が直立で整列しあって銃を撃ち合うというスタイル
密集横陣のことだね。これは16世紀後半〜17世紀前半に活躍した、名将マウリッツ公が
16世紀前半にスペインで生まれた”テルシオ”という、特殊な方陣に対抗するため生まれてたものです。

>また、ヨーロッパの軍隊で銃が本格的に制式化されたのはだいたいいつ頃なのでしょうか。
たぶん、15世紀末のスペインで出現した小銃隊が始めだと思う。

>産業革命は軍備などにどのような影響を与えたのでしょうか?
1.工作機械の発達・普及のおかげで、人間の手では作れない均質・高品質な兵器が大量・安価に供給されるようになった。
2.新技術が開発され、兵器の改良や新兵器の登場が促進された。
1は確かに軍事史におけるターニングポイントだけど、むしろターニングポイントとして重要なのは、
”産業革命”による技術革新が生み出した後装連発銃や金属薬莢、スクリュー船だし、2はあくまで
これまであった流れを急進化させただけ。
新兵器が積極的に開発・採用されるようになったのも、ナポレオン戦争のショックによるものだし、
産業革命それ自体は、意外なほど軍事史に影響を与えていなかったりしたり。
295世界@名無史さん:03/07/08 00:17
>293
密かに駄洒落
296世界@名無史さん:03/07/08 00:19
インドに於いて仏教って何故すたれたのかイマイチわからないのですが・・
297世界@名無史さん:03/07/08 01:32
一言でいえば、当時のインドの仏教は大衆受けしなかったから
ヒンドゥー教は非常に庶民的で生活に根ざした宗教だ

日本の仏教は大衆化されて久しいから、同じに考えてはいけない
298世界@名無史さん:03/07/08 01:55
インドでは統一的な組織が出来なかったから、とも聞くね。
299世界@名無史さん:03/07/08 08:35
>>296
当時のインドの農本主義的社会を支えるカースト制度に勝てなかったんだよ。
仏教教説の解脱、宗教組織の出家は、どちらも反カーストだったわけだけど。

ちなみに初期在家信者は主に新興商工業者だった。
300世界@名無史さん:03/07/08 11:08
仏教は7世紀以降,相対的にその勢力は低下し,ヒンドゥー教の勢力が
伸張する中で,8世紀になると密教が成立し,しだいにインドの土着的
要素やタントリズムとしてのヒンドゥー教と融合していくうちに独自性
を失い,ついにイスラム教徒のために,1203年,仏教の一大中心地で
あったビクラマシラー寺を破壊され,仏教修行者の拠点を失って,
インド社会の表面から消滅した。
ヒンドゥー教は,広義には,バラモン教をも含むが,狭義には,およそ
前3,前2世紀に,まだ仏教が有力であったころから,土着の信仰・習俗
などの諸要素をバラモン教の中に包摂し,新しい宗教として徐々に成立
してきた複雑な複合体をいう。

小乗・大乗までは良かったが、密教になりインド土着性とヒンズーとの
融合で独自性を失ったみたい。
13世紀にイスラムの攻撃で物理的に破壊されたのが最後の場面みたいね。
301世界@名無史さん:03/07/08 11:43
>>297
大衆化というよりも老荘の影響、じゃないかな
302例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/08 12:25
>>294
産業革命についての追補

確かに、産業革命それ自体は軍事にたいしたショックを与えなかったけれど、雷管やスクリュー船、
機関銃など、その後の軍事に多大な影響を及ぼした兵器の開発の背景には、産業革命によって可能に
なった、人の手ではあり得ないほどの工作精度は欠かせない。
装備の規格・統一化は、ナポレオンの発案だけど、それを可能にしたのは、やはり産業革命によって、
均質な品質の物資を供給できるようになったことだ。
産業革命により、これまでにないほどの量の装備が供給されるようになったけど、どれほど大量の兵器
があっても、結局、それを使う人間がいなければ話にならない。というわけで、兵員の動員数が跳ね上
がったのは、国民皆兵制に依るところが大きい。もっとも、その大量の兵員動員を可能にしたのは、
産業革命による大量・迅速な生産力。

結論づけると、産業革命それ自体が軍事を刷新したことはないけど、軍事における様々な革新を裏から
支え、可能にさせた。要するに、産業革命は常に裏方役だったって事かな。


ちなみに漏れの手元にある本の中で、そういうことが学べるのは「世界軍事史」小沢郁郎 著(絶版)。
絶版本を探しても仕方がないし(あるところにはあるけど)、軍事史そのものを主題にした本をこっちで
聞いてみるといいかも。

世界史板住人がおすすめの本を紹介するスレ@世界史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1025253558/
303世界@名無史さん:03/07/08 14:29
その本、アマゾンで売ってるよ。古本屋にも図書館にも多い。
304世界@名無史さん:03/07/08 14:50
あの、質問なんですけど、
15世紀〜18世紀頃に、
ヨーロッパの国々が世界中に進出していったのは、
結局一番の動機って言うか原因は何ですか?
授業聞いててふと気になってしまいました。
自分で調べようとしてもよく分からなかったので、
どうか教えてください。よろしくお願いします。
305世界@名無史さん:03/07/08 15:20
近代的な理数系の発見・発明を多数為したから。
306267:03/07/08 18:35
>>294
>>302
>>303
ありがとうございました。謎が一気に解けました。
ご紹介いただいた本を手に入れてもっとがんばりたいです。
307267:03/07/08 18:41
と思いましたが、ちょっと一介の高校生に手が出せる値段の本ではないので、
図書館で借りることにします。
308例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/08 22:14
>>303
本当に売ってたYO(;´Д`)
でもそのページの解説
>不幸にして病気に倒れた著者は、「天皇制軍隊論」に着手するに至らなかった
・・・・・・晩節を汚さなくて良かったな。
書かれた時代が時代だから、こういうサヨっぽいところがあるので、それだけは気を付けてや。

>>304
オスマントルコの圧迫・・・・・・かな?
エンリケ航海王子の探索も、オスマンに対抗するため、伝説のキリスト教国プレステ・ジョアン国
を探すためだし。
でも希望峰の探索には、香辛料のベネツィア商人の寡占を崩そうとしたことが背景にあるよな。
あとは、中南米で一山当てた事に味を占めたから、とか。
当時のヨーロッパには、様々な国家がひしめき合っていて、しかもお互い争いつつも滅そうとする
まではやろうとしなかったこともことも関係あるかも。
その国々の争いの一形態が、海外進出だったとも。
309世界@名無史さん:03/07/08 22:27
>>304
アジアの富を手に入れるため。
310世界@名無史さん:03/07/08 23:09
>304
その手の話はそうそう簡単には答えられないが、
絶え間ない疫病と飢饉にさらされつつもじわじわと増加を続けていた人口が
食糧生産の増加を勘定に入れても
欧州内だけで養える上限を突破してしまったから(cf.マルサスの人口論)
という仮説も立てられる。

てか宿題っぽいような気もするが、まあいいや。
311304:03/07/08 23:11
なるほど・・・。皆さんありがとうございます。
この時代は今まで習った中で一番興味深かったので、
色々時代背景とか知りたいと思っていました。
もう1つ質問させてもらってもいいですか?
同じ時期に中国も栄えているのに世界に出ていないのは、
308さんの仰るように、
ヨーロッパのような、国同士の争いがなかったからでしょうか。
それとも、305さんが書いておられるような、
例えば羅針盤の発明とか、そういう技術の違いなのでしょうか。
中国がアジアでおとなしくしていたと言うのが、
自分に取っては結構不思議だったんで。
312310:03/07/08 23:14
もうひとつ経済的な側面から言えば、
チューリップバブルや南海泡沫事件などの形で端的に現れているように
新大陸や香料諸島から流入した莫大な量の資本を手にした人々が
絶えず次の投資先を探し続けていたから、という仮説もあり。
いわゆるマッチポンプですな。
313例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/08 23:32
様々な要素が複合されて、海外進出ブームが起きたのかも知れない。

あと、他国と比較するなら、一国が治められる領土の広さには限界があるので、国家が乱立していた
ヨーロッパは海外領土までを手にして支配することが出来たが、中国やオスマンの支配圏は既に一国
が支配できる限界に達していたから海外進出が無理だったとも。
314あぼーん:あぼーん
あぼーん
315世界@名無史さん:03/07/09 03:29
中国は周りの国と朝貢貿易してれば十分だった、ってのもあるかも。
新天地の開拓なんて必要なかったのか。
316世界@名無史さん:03/07/09 15:14
世界史の教科書に日本独自の慣用読みが書いてあったのですが
DAVID→ダビデ
DOMINIC→ドミニコ
John→ヨハネ
Peter→ペテロ
Xavier→ザビエル など
昔の英語がへたくそな日本人が犯した読み間違えをいつまでも
教科書に載せるのはやめませんか?外人と意思疎通に不便です
317世界@名無史さん:03/07/09 15:40
>316
それは質問ですか?
318世界@名無史さん:03/07/09 15:47
>>316
そもそも、その読み方は英語じゃないだろう。
ラテン語もあれば、スペイン語もあるし。

あと、偉そうに言う前に"外人"という単語について考えれ。
319世界@名無史さん:03/07/09 16:44
>>316
ってことはだ。当然君は外人さんとの意思疎通を円滑にするためにも
中国史上の人名・地名・国名その他は
英語圏と同じように現地発音で読むべきだと思っているのだよな?
320アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/07/09 17:30
>>316
カトリック教会の慣習的読み方も同じですが、何か?
321世界@名無史さん:03/07/09 18:20
コテまでこんな幼稚なネタに釣られるなよ、なにやってんだか(w
322世界@名無史さん:03/07/09 20:19
つーかこれマルチポスト。
323316:03/07/09 22:41
>318
ラテンもスペイン語にも該当しない日本独自表記だから言っているのです
外人→日本人じゃない人
>319
そうだよ。日本でしか通じない名前覚えても意味ない。日本の慣用ってのは
ラテンでも英語でもフランスでもイタリアでもないんだから。
>320
それは日本のカトリック教会だけです。
>321
幼稚という前に間違いに気づけ
324世界@名無史さん:03/07/09 22:53
今さら人名を現地読みするようになったら、
中国史はわけわからなくなるな。
325世界@名無史さん:03/07/09 23:52
>>323
ずいぶん日本語の不自由な方ですね。ADHDの香りがプンプンしますが。
Xavierをどう発音するか、自分で書いてみて御覧なさい(プゲラ
>>149みたいのに反応するから・・・・・・。
327世界@名無史さん:03/07/09 23:58
あれだろ、「ギョヱテとは〜」
328世界@名無史さん:03/07/10 00:53
>>316
意地悪してるわけじゃないんだが、あるスポーツ選手の名前を挙げてみましょうか。

Brett Favre

さて、なんと読むでしょう?
ま、こういうこともあるし、あまり深く考えない方が身のためだよ。
329世界@名無史さん:03/07/10 00:57
LLOYD とかなw
330316:03/07/10 00:59
>328 ブレット ファヴレ
西洋の言葉なんだから昔の日本人が間違って聞き取った表記を教科書に使うのが
おかしいと行ってるの。ダビデで通じる国が日本以外にありますか?
331世界@名無史さん:03/07/10 01:30
>>330
デイヴィッド(英)
ダーフィット(独)
ダヴィ(仏)
ダヴィード(伊)
ダヴィド(西)

色々ありますが、聖ダビデについてはどれに決めたらよろしいのかしら。
332316:03/07/10 01:34
>331 ダビデ以外でヨーロッパで意味が通じるものならどれでも可能
333世界@名無史さん:03/07/10 01:39
ちなみに
イスラム教徒の男性名にもあり:
ダウド(アラビア語)
334世界@名無史さん:03/07/10 01:43
>>330
不正解。Favreは「ファーヴ」と読みます。ぐぐれば判るよ。
正しい読み方なんて実はないのよ、これが。
センターだって、イギリスでは"centre"の方が一般的でしょ。

>>329
惜しい!w
LLOYDはスペイン語読みなのです。
リョイドと読めばカスティーリャ語、ジョイドと読めばカタランだったかな。
中南米では"LL"はジャジュジョで読むのが一般的だと思われ。
335世界@名無史さん:03/07/10 01:44
>>332
変な宗教でも信仰しているんか?
ヨーロッパってどの言語のこというてんねん。
バスク語やカタルーニャ語はヨーロッパで意味通じるんか通じないんかどっちだ?

そもそも他言語と日本語は音素から違うから、表記はあくまで記号であり
記号通り発音したところで音素が違う以上「通じない」わけだが。
336世界@名無史さん:03/07/10 01:54
>>331
あ、間違い見付けた。
スペインじゃ"ヴ"の発音はしないらしいですよ。"V"と"B"は同じ音。
ダビドでいいはずです。
337世界@名無史さん:03/07/10 02:11
>>336
あう、そのようですな。スマソ
こんなのがありました。
ttp://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/etcdata/namespell.html

ちなみにラテン語では
David(ダヴィド) または Davidus(ダヴィドゥス)になるようで。
ヘブライ語ではどうなのかしらん。
338世界@名無史さん:03/07/10 06:31
カタカナ/ひらがな/漢字で書いてある以上、それは日本語。
「日本語は外人との意思疎通に不便です。Lets Speak English.」
「アホか」で終わり。
339パシッチ ◆mWYugocC.c :03/07/10 11:23
>>316
>昔の英語がへたくそな日本人が犯した読み間違え
などといった時点で馬鹿にされるのは確定だと思われ。まあそれはともかくとして。

Dominic,Peterの最後に「オ」がつくのは、ラテン語ではこれらの名詞の最後に-oをつけて格変化させたから。
Dominic-o-s→Dominicus(ドミニクは) Dominic-o-m→Dominicum(ドミニクを)
ローマ帝国の崩壊後、格変化語尾は次第に消滅し、この-o-が残った。だから「日本人が犯した間違い」というわけではない。

David,Johanの最後に「エ」がつくのは、ラテン語ではこれらの名詞の最後に-eをつけて格変化させたから。
-o-と同様、この-e-もある時期には発音されていた。

つまり、「ドミニコ」「ダヴィデ」という呼び方は、現代ヨーロッパの諸言語よりも古い時代の発音を保持した言い方なのです。
教会の出す日本語訳聖書でも、実は表記については揺れがあって、一時期にはギリシア語で統一されたこともあるらしいけど、
今では新共同訳聖書の「ダヴィデ」「ドミニコ」という俗ラテンっぽい表記が一般的のようですね。
340世界@名無史さん:03/07/10 11:31
>>339
そんなこといっても、「今外国で通じないのはおかしい!」とか言い出しそうだけど(w
341316:03/07/10 12:45
>339
あなたえらそうに言ってるけど私が見た対照表にはラテン語のあるものは
ラテン語と書いてあってダビデはラテンでダヴィドでドミニクはラテン語で
ドミニクスでしたよ。100歩譲って君が言ってることが正しいとしても
-oをつけて変化させるというのは「〜は」など助動詞を含む意味なのだから
昔の日本人の訳し間違いではないですか?
やはりダビデもドミニコも昔の日本人が犯した発音間違いだと思うよ。
342340:03/07/10 16:52
>>341=316
一枚上手のDQNだな、理解すらしなかったか(w

>私が見た対照表にはラテン語のあるものはラテン語と書いてあって
>ダビデはラテンでダヴィドでドミニクはラテン語でドミニクスでしたよ。
ラテン語の名詞は、主格・属格・与格・対格・呼格・奪格の6つの変化パターンを持つ。
初期のラテン語ははっきりとした文法からなっていたが、後期はどんどん崩れて
イタリア語やフランス語、スペイン語などに分化し、ラテン語文法も大きく変わって、
それが>>339の言うような状態。マイナーかもしれないが、間違ってはいないわけよ。
caesarなんかは明らかに英語だったから、ラテン語読みに直されてきてるけど。

中高生なのに他人を見下した態度といい、呂律の回らないもったいぶった書き方といい、
非常にネタくさい。だから叩かれるんだよ。人前に出る前に礼儀を身につけましょうね♥
343316:03/07/10 18:12
>342
どの世界でもこういう人が多いけどずっと世界史と関わってきた人ってそれが自分の
アイデンティティーと同化しちゃってるから今更それを変更されることにものすごく
抵抗があるんだよね。抵抗勢力ってやつ。ラテン語が6つの変化パターンをもとうがもたまいが
いずれにせよ日本と同じ呼び方をしている国はないわけだからより最適な読み方を
採択すればいいと言っているのです。

>人前に出る前に礼儀を身につけましょうね
って単純に学問の話をしてるのに感情的にDQNとか言ってるほうがよっぽど失礼
中高生なのにとか見下してるとか勝手に決め付けて主題と外れたところで攻撃
してるのも低脳極まりない。
おまえらみたいなやつがいるから世界史好きな奴が馬鹿にされるんだよ。
344340:03/07/10 18:57
>>343
なんだなんだ、主題から外れたというか、主題以前の問題なんだよ。
そもそも、>>316が質問ではなく君の主張だったのなら、スレ違いなんだし。
それにしても、相変わらず読点を全く使わないんだね。読みにくいって……

最適な、といわれるならcaesarの例がある。当然シェークスピアは「シーザー」だが。
もちろん時代とともに日本語表記も変化してる。昔の史料だと「ヴ」なんて文字もない。
だから君が正確な(?)発音にこだわりたいなら、勝手にこだわればいい。実際そういう人もいる。
でも、俺はそんな瑣末なことにこだわる気はないね。日本語じゃ絶対正確な表記は不可能だし。
支障があるほどの違いでもないし、いずれにせよ外国語ではその言語に合わせなきゃならない。
世界史の教科書の表記は、当時の呼び方と慣用とのバランスがうまく取れていると思うよ。

>日本と同じ呼び方をしている国はないわけだからより最適な読み方を採択すればいい
では、世界史用語も含めて日本語は日本でしか使われていないので、最適な言語に変えますか?
長い間慣れ親しんだものはそう簡単には変わらないね。まず隗より始めよ、ということでやってみては?

みんな引いてるかな。スマンカッタ……
345世界@名無史さん:03/07/10 21:42
>>316
おまいの気持ちはよく判るが、ちょっと三点。

「正しい読み方」というのは全世界的に見てほぼ有り得ない話なんよ。日本語のように、
名詞が一切各変化を起こさず、語尾が変わらない場合のみ言える事でしかないわけだ。
そんなごく少数の常識を世界に当て嵌めようとすることは、非常に危険だろうし、
また、相手国の方々にも失礼だとは思わないだろうか。

さらに、
「昔の英語がへたくそな日本人が犯した読み間違えをいつまでも
教科書に載せるのはやめませんか?外人と意思疎通に不便です」
こんなことを書いて、どのような意見を期待したのだろう。
意見であるのならば、直接出版社に問い合わせたり、
その出版社に入社して改善したりする方が、余程、合理的だとは思わないだろうか。
あと、「昔の英語がへたくそな日本人」という言い回しは、明らかに礼儀を欠いているよ。
これは気をつけた方がいい。

最後に、日本以外でも現地・当代での発音とは異なった読み方は至極、一般的。
日本の文科省や出版会だけでなく、外国の教育省や出版会などにも言及しないとね。

>>340
いや、文句無く、おまいは正しいと思うぞ。
ドイツ語やフランス語などの格変化を知ってれば、理解できるはず。

そういや、古ラテン語では「ヴ」の発音は無かったんでしたっけ。
ぐぐったら、初歩的な発音が出てきますた。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~MR8K-SGN/BAKA-9802/ABC_3.html
346世界@名無史さん:03/07/10 21:43
う〜む、見難いなw
インデントつければ良かったな...
347世界@名無史さん:03/07/10 21:43
>>316よ、しっかり勉強してえらくなって、是非とも「正しい」読み方を世に
広めてくれ。2chなんてしてる暇はないぞ。
348世界@名無史さん:03/07/10 23:42
そうだよ!勉強して史学会の権威になって通例を変えるんだ。
349世界@名無史さん:03/07/10 23:53
議論がやや落ち着きを見せた隙を鋭く狙って、
何とか主題に戻したい高校生の真面目な質問を聞いてください。

アナーニ事件に際して、ボニファティウス8世の持っているはずの
「破門」という切り札が、フィリップ4世に対して役に立たなかったのは
何故なのでしょうか。
350世界@名無史さん:03/07/11 00:11
まあ、その頃には、世俗の権力者の立場が強くなって
破門もそんなに怖くなくなったってことですな。
その気になりゃ、軍事力で教皇の首をすげかえることも
できた。
カノッサの屈辱はよく教皇の勝利と思われてるけど、そ
の後、破門をとかれたハインリヒはグレゴリウスをローマ
から追い出している。
351世界@名無史さん:03/07/11 00:32
カノッサの時のように諸侯の反乱がおこってくれないと
破門も効果がないと言うことだね。
352第20軍団兵:03/07/11 00:37
>350
ちと大雑把かと。
破門の政治的意味は「忠誠義務」を解かれるから。臣下は堂々と反乱を起こすことが出来る。
その点狡猾なフィリップ美王は先に三部会を開いて国論を統一し、忠誠義務を解かれてもダメージが無いようにしている。
三部会はローマ法で言う"民会"を開き決議したのと同じ意味を持つので、民会の決議には法的には所詮ローマ司教でしかない教皇はさからえない。
353世界@名無史さん:03/07/11 00:55
教会法についてはよく知らんが。ローマ教皇はその他の教会に対して
首位権を主張していたんじゃなかったの?
354世界@名無史さん:03/07/13 00:23
>>353
主張するどころではないと思うが?
主張するで済まされるはずがない?
主張するなんてできるはずがない?
356第20軍団兵:03/07/13 02:18
>353
この頃からレジスト(=法曹官僚)が登場し始め、彼らはローマ法の知識によって
王国の統治に力を発揮するようになり始め、フランスでは高等法院も整備された。
ローマ法は教会でも先行して積極的に使われてきたが、この頃には研究が進み、
おおまかな所では世俗法はDigesta(=学説彙纂)にその法源を見出し、
教会法はCodex(=勅法彙纂)に見出すように、教会法と世俗法の分化が行われるようになる。
叙任権闘争から始まる教会と王権の闘争はフランスにおいては前者が後者の守備範囲
に踏み込まないという形で収束していった...というとこでしょうか。

「首位権」というのは、ローマ司教が他の都市の司教よりも高位にたつという教皇権を確立するための主張。
357 ◆OabJU8b1b. :03/07/13 03:23
蒸し返すようで悪いんだが

329 :世界@名無史さん :03/07/10 00:57
LLOYD とかなw

334 :世界@名無史さん :03/07/10 01:43
>>329
惜しい!w
LLOYDはスペイン語読みなのです。
リョイドと読めばカスティーリャ語、ジョイドと読めばカタランだったかな。
中南米では"LL"はジャジュジョで読むのが一般的だと思われ。

このレスのやり取りはなんなんだ? w
329 はスペイン語の話をしたかったとはまるで思えないのだが(w

Lloyd はケルト系でしょう、と中高生の質問スレなんであらかじめいっとく。
Welsh の Ll はカタカナ書きに出来ない、と 329 はいいたかったんだと思うがね(w

358 ◆OabJU8b1b. :03/07/13 03:27
もう一つ言うと
>なんでダビデ
昔の日本人は子音で終わる発音がむずかしかったんだよね。
厳密には David は片仮名の ダヴィドでもデイヴィッドでもないでしょーが。
慣用読みの起源は基本的にはミシンと同じような理由ですよ。
359世界@名無史さん:03/07/13 04:58
>>357
ケルトですか? じゃぁ、スペインに入ったのはゴート族の関係なんでしょうか?
バルセロナはローマ時代からあったらしいので、ラテン語系ばかり考えてました。<(_ _)>
360 ◆OabJU8b1b. :03/07/13 06:43
中高校生スレなんで念のためググッて見たが

英語サイトはLloyd で4百万ヒット
スペイン語は4万の用例でほとんどがケルト系英語話者の名前としての運用のよう。

そもそもLloyd と言うスペイン語はあるの?(スペイン語はまたーくできない)
カスティーリア語でもカタランでもその他でも。

というわけで自分は Lloyd はケルト系だと思う。
ウェールズの地名には LL で始まるものがイパーイありますよ。

もし間違ってればどなたか訂正してね。本題とすこーしずれていてスマソ。
361316:03/07/13 13:37
>358 そうそう。ミシンとかサランラップだとかそういう誤って定着した用語
を直そうと言ってるんです。ダビデなんて発音は通用しない。アクセントの位置が
違うし。
362世界@名無史さん:03/07/13 15:42
はじめまして。
高校2年の文系です。
この前テストで18点をとってしまい、家庭教師の先生(理系)に
「流れがぜんぜんわかっていないんじゃないか?
 流れをつかめるような本でも読んでみろ」
と言われたんですが、なにかオススメはないでしょうか?
史実に基づいた小説などが読みやすくていいんですが^^;

できればこれから近代ヨーロッパなので、ルネッサンス付近だとうれしいです。
よろしくお願いします。
363世界@名無史さん:03/07/13 15:47
>362
マジレスすると「まんが世界の歴史」だな。
家庭教師つけていて文系で18点てのは尋常じゃない。
364世界@名無史さん:03/07/13 15:57
虐めるつもりはないんだけど、
この際、プライド捨てるくらいの気持ちでいった方が良さそう…
365世界@名無史さん:03/07/13 16:37
18点だから家庭教師をつけるんだろ? 悪いけど、家庭教師というのは最終手段だからな。
>>362
焦らず、簡単なところから始めるってことで、>>363-364で良いと思うよ。頑張ってな。
366世界@名無史さん:03/07/13 16:49
映画から入ってもいいんじゃない?もうちょっと前だと塩野七生とか
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9716/movies.html

金あれば夏休みにヨーロッパ旅行に行くのがいちばん興味を持てると思うけど
塾にいって年間10万払うなら全部込みのツアーで10万払ったほうが絶対成績は
あがると思うよ。英語と世界史に対するモチベーションはまじで塾に行くより
よっぽどまし
367世界@名無史さん:03/07/13 16:58
>厳密には David は片仮名の ダヴィドでもデイヴィッドでもないでしょーが。

たしかヘブライ語ではダーヴィードじゃなかったっけ?<David
368世界@名無史さん:03/07/13 16:59
自分の好きな分野から。
ナポレオンとか、カール大帝とか、カエサルとか有名どころの伝記漫画あたりが定番?
369367:03/07/13 17:01
あぅ、ダーヴィードのスペルはDawidだった。

あかん、神学専攻してたのに・・・吊ってきます
370あぼーん:あぼーん
あぼーん
371世界@名無史さん:03/07/13 17:09
>>367
カタカナで「ダーウィード」と書いても
日本語話者が素直に発音すれば[da^wi^do]になるのであって
ヘブライ語のDawidの発音とズレがあるという話だったのでは?
372367:03/07/13 17:11
・時間空間世界史
http://oak.zero.ad.jp/%7Ezbm55909/
・The World History
http://www.sekaishi.com/
・世界史ノート
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji03.html

このへん?
373367:03/07/13 17:14
>日本語話者が素直に発音すれば[da^wi^do]になるのであって
>ヘブライ語のDawidの発音とズレがあるという話だったのでは?

なるほど、分りました。って、受験生に正確な発音求めても、弊害にしかならないね(^^;
374372:03/07/13 17:17
得意な人間の意見なんで、参考にはならないかも。

個人的には特定の人物の伝記よりも、大まかな流れを覚えた方が良いと思う
375世界@名無史さん:03/07/13 17:21
>>372
>>362とは関係ないが、紹介ありがとう。漏れも勉強してきまつw
376世界@名無史さん:03/07/13 17:40
やっぱ、全体の流れを把握せん事にはなー。
まずはソレカラだと思うよ。
国立理系の知り合いで、原始時代→江戸時代→近代&現代、という香具師もいたしw
377375:03/07/13 18:15
俺も理系だけど、みなさんから見たら似たようなモノだろなぁ。精進せな...
378世界@名無史さん:03/07/13 18:19
>>377
いや、理系から見た文系の科学的知識なんか、かなりDQNにしか見えないと思うから、その辺はお互い様かとw
379 ◆OabJU8b1b. :03/07/13 21:10
>>361 = >>316

まだわかってないな w

慣用化した読みは立派に「日本語」ってことでしょが。
外国でダビデという「日本語」が通じなくても不思議ではないだろう。
英語をしゃべるときには英語の読み、ヅランス語ならフランス語の読み
日本語なら日本語読みでいいんですよ。
ただし慣用化したものに限るが。

「自国語としての慣用読み」で読んでるのはどこの国でもやってること。
たとえばイギリス人に「チュリンって言うな、ゴルァ、トリノッて言え」って言ったら
「はあ?」っつー顔されるだろうね。(ついでだが「イギリス」だって「日本語」だ)

それともミシンはソーイングマシーン、と言う「日本語」にすべきと言う主張なのかな?

以上これにて引き下がります。
380( ´∀`)&rlo;水&lro; ◆rDhngbng2E :03/07/13 23:16
>>379 名前: ◆OabJU8b1b.
がいいこと言った!!
381316:03/07/13 23:44
>379 そうそうイギリスという単語もおかしいね。
電波は放置。
383あぼーん:あぼーん
あぼーん
みんな、板違い・スレ違いには反応しないでくれよ。削除依頼が通らなくなる。
385永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/14 00:35
>>362
ええと、ネットが出来るなら、
教科書に載ってる用語を検索してみて、
コラムや小説風にまとめてあるサイトを探して見てください。
文字や年号の羅列でしかない歴史が、途端に楽しくなりますよ。

私が歴史を本当に好きになったのは、バイト帰りに図書館に立ち寄り、
歴史小説を読んでから、興味がどんどん深まって、
専門書を読むようになってからなのですが、
これはもともと読書の習慣がないと難しいかもしれません。
ネットの方が本を読むよりはるかに分かりやすいと思いますよ。

かく言う私も、高校時代は世界史の成績が悪かったのですが…。
386362:03/07/14 02:07
みなさん、丁寧なレスありがとうございます。
いろいろと調べる方針が見えてきました。
がんばってみます。
家庭教師の先生には数学と国語系だけならってますので、
初めて見せたら上のようにいわれたわけです。
387世界@名無史さん:03/07/14 02:40
>>385
それだと、なかなか世界史全体に興味はもてないかもしれないな。
俺はそのせいで中世ヨーロッパのことしか分からなかった(w
単純な試験対策でなくていいのなら、そっちのほうがオススメだろうけど。

世界史を通史で楽しく、ってのはなかなか難しい気がするな。
趣味の問題もあるだろうし… 強いてあげるなら、マンガとか講義録が良いのかな。
388世界@名無史さん:03/07/14 03:15
若いうちに世界史に興味持つことは難しいんじゃない?実際世界史好きって
仕事をリタイヤした老人とかに多いし。
どうせならKOEIとかの歴史シミュレーションゲームから始めて人物から
覚えていったら?
389世界@名無史さん:03/07/14 03:17
390世界@名無史さん:03/07/14 03:31
>>388
しかし、この板で年輩者っぽい奴は見たことが無いな。
391世界@名無史さん:03/07/14 10:36
だれかこの爺を呼んだかの、ふぉ。
392世界@名無史さん:03/07/14 13:31
>391
じーちゃん、お小遣いくれよ
393世界@名無史さん:03/07/14 16:27
日本史の話題を持ち込んでくる奴の平均年齢は高いと思う。
一つの国や地域に粘着する奴の平均年齢は平均的な2ちゃんねらとあまり変わらないと思う。
ハン板経由で来る奴の平均年齢は低いと思う。
どんな話題にでもそれなりに付いて行ける奴の平均年齢はよくわからない。
394世界@名無史さん:03/07/14 16:52
どうでもよいことじゃが、雑談ならばこちらでやりなされ。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1047687402/l50

ここは、中学高校生の質問用スレッドじゃからの。
395世界@名無史さん:03/07/14 18:33
ttp://www.asahi-net.or.jp/~xr6k-msd/index.html
ここなんかはなかなか面白いのではないか?最近更新していないようだが。
396山崎 渉:03/07/15 12:32

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
397世界@名無史さん:03/07/15 16:25
将来性のためにあげ
ローマカソリックはサンピエトロ寺院の建築費を手に入れる為に、免罪符を発売しました。
『免罪符』は売れましたが同時に大きな疑問の声が上がるようになります。
ローマはこれを封じる為に、ドミニコ修道会を使って異端狩りと称し、反対意見を徹底弾圧。
ローマ姿勢にに嫌気のさしたルター「司祭」は、聖書を原点とし、金で買える信仰心を否定する運動を起こしました。
当時禁止されていた「ラテン語聖書」を翻訳し、司祭の嘘を指摘。信仰は心の中にあるものと唱えました。
これに怒ったローマは、ルターの捕縛を命じますが、ドイツ諸侯の手によって匿われ、助かります。
しかし、逆にドイツから出られないルター「牧師」は、外部への呼びかけや世情に疎くなりました。

そんなルター君を尻目に、他所でも批判の波は起き、カルヴァン派は、神は各人の心の中にいるという聖職者否定を起こしす。
ローマ内部でも『イエズス会』による学問としての聖書解釈が盛んとなり、ローマも聖書に忠実となっていきました。
結果、ルターとの意見対立の少なくなったローマは、ルターへの包囲網を解きます。

で、ビックリしたのはルター君。久しぶりに世間を見渡してみれば、宗教世界はガラリと変わっています。
今更宗教改革を唱えた所でローマとの違いは無く、カルヴァン派みたく聖職者その物を否定も出来ません。
方針が決まらず混迷したルター派は、徐々に中世的な信仰へと逆行を始めていきました。
そして農民によるローマ教会への略奪が起こった時には「卑しい農民が教会に立てついた」と首謀者を処刑します。
この辺りからルター君は、発言が良い感じに狂っていきます。聖書に忠実なら、人間は神の元に平等なんですけどね。

ローマへの留学経験のあったルター君は身分制度や学歴を尊重する、悪い意味での知的階級者で、頑固です。
そんな彼の態度に嫌気がさして、ルター派は内部分裂を始め、様々な新教(プロテスタント)が生まれますが、
ルター君はこれを武力弾圧。武力で持って勢力を拡大するルター君は、遂にカソリックとの和議に漕ぎ着けますが、決裂。
これ以降、旧教(カソリック派)と新教(カルヴァン派)ルター派の対立が起こっていく事となります。
399秘密結社薔薇十字団・創設秘話:03/07/16 22:24
宗教の権威が落ち、政情不安の巻き起こる中、台頭してきたのは錬金術、占星術などの神秘思想です。
退屈や不安になると神秘主義に走るのは、いつの時代も一緒ですね
さて、力はあるが主張の薄いルター君は、この状況を利用して敵対宗派の批判を始めます。
曰く「学問重視のローマや人間の上昇志向を進めるカルヴァン派のせいで、神が蔑にされて、邪教が蔓延る」と言いました。
魔術などの神秘を恐れさせる事で、信徒増加を狙っていたのです。
さらに不安を煽るため急死したファウスト医師の死因を、悪魔と契約を交わしたせいとだとし、その証拠として
物語「ファウスト」を作り上げました。
この様な信者勧誘合戦は、日に日に過激化していき、遂には3派共に戒律まで変えて人気取りを始める始末。
この頃には手段と目的が入れ替わってしまっています。

俗世に目を向けると、フランスで聖バルトロマイの虐殺やユグノーの虐殺が起こります。
基本的には王族の権力争いが原因なのですが、新旧教派が分かれて勢力争いを始めていき、
その争いは、ヨーロッパ各地に及んでいきます。
この頃ドミニコ修道会はというと良い感じに暴走し始めていて、新旧教派の区別無く魔女狩りを楽しんでいました。

さらに国家同士の思惑まで絡み始めて、権謀術数溢れる時代へ突入。
イギリスとドイツなどを主軸とする新教と、スペイン・フランスなどの旧教がぶつかり合います。
この争いで、スペイン無敵艦隊はイギリス海軍に破れ、没落していきます。

こんな不安定な情勢は、神に頼らず自力で道を切り開く、錬金術や未来や真理を知る占星術、カバラの大ブームを起こします。
もう、王族から政治家、医者も学者も、庶民まで大熱狂。神秘の肯定は『魔』への恐怖を生み魔女狩りも盛んになりました。

そんな中、ヨハン・アンドレーエ青年が画期的な事を思い付きました。
今まで魔術や錬金術は「悪」のイメージが強かったのですが、彼は善の魔法使いと言う救世主を考え出します。
400秘密結社薔薇十字団・創設秘話:03/07/16 22:24
魔術師ローゼンクロイツは、イエルサレム巡礼で『Mの書』を手に入れて帰国、仲間とともに友愛団という組織を結成。
宇宙の数学的真理と精神の霊的錬金術を解明、『世界の車輪(ロータエ=ムンディ)』などを執筆して死去する。
友愛団は解散し、遺体は膨大な資料ともに埋葬されるが、その場所は秘密にされていた。しかし〇五年、彼の予言どおり、
彼の墓所が一二〇年目にして明らかになり、まさに今、彼の創った友愛団の後継者たちが再び集う。
そうして、彼の解明した数々の真理も、近々明らかにされるだろう、と予言された『友愛団の名声』を執筆します。

なんとこれが時流に乗って大ヒット。神秘に飢えていた王族、知識人を巻き込んで、本当に友愛団まで結成されてしまいます。
国家を超えた謎めいた組織に、不安を持った支配者もいて、禁止令まで出る始末。実態はますます闇の中へと潜っていきます。

驚いたヨハン・アンドレーエ青年は、当時の錬金術・数秘学・象徴法をわざと適当に盛り込んだ『化学的結婚式』と言う本を書き
その中で『友愛団の名声』矛盾点や欠点などを指摘しました。
こんなに無茶苦茶なトンデモ本なら大丈夫だろうと思っていたヨハン君。
甘かった。
「無茶苦茶な理論は、きっと何かの暗示に違いない」「隠そうとするのは秘密があるからだ」と暴走は加速。
とうとう、デカルトやベーコンなどの著名人までが「薔薇十字友愛団」などと言う組織を作ってしまった。

こうして情勢に後押しされ、娯楽を求めていた人々によって、冒険小説が秘密結社を作ってしまったのです。
401秘密結社薔薇十字団・創設秘話:03/07/16 22:26
あー、ソースと照合しながらの作業だったから疲れた。

ルネッサンス初期って、本当に複雑でお馬鹿で笑える。
で、これは誰の質問への答えかな?
403秘密結社薔薇十字団・創設秘話:03/07/16 22:35
>で、これは誰の質問への答えかな?
えーと、教科書が覚え難いって言ってた子。
こんな歴史の視点もあるって事で(^^
404世界@名無史さん:03/07/16 22:38
事件や人物を詳しく書いたら60KB超えちゃったから、適当に抜粋してみました。
405世界@名無史さん:03/07/16 23:07
とりあえず、私は長文は読まない。
406世界@名無史さん:03/07/16 23:51
漏れもだ。面倒だからな。
文科省の歴史とは全く関係ないし。
>>403
正直、やはり無理がある気がする。ただの知識垂れ流しとしか。
せめて下のスレに書き込み、ここにはリンク貼り付けるだけの方が良かったと思う。

Ω神秘学の歴史Ω@世界史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1026300351/


(´-`).。oO(この反応の遅さ、日和見いわれても文句言えないよな・・・)
408あぼーん:あぼーん
あぼーん
409世界@名無史さん:03/07/17 17:40
1、メソポタミア文明とエジプト文明の違いについて、前3−2千年紀を中心に論じよ
2、古代地中海世界における都市国家の成立について、巨視的な観点から論じなさい
という宿題が出たのですが、それぞれ具体的にどのような内容を書いたらいいでしょうか。
適当に箇条書きでお願いします。 m(_ _)m
410世界@名無史さん:03/07/17 17:51
(1)名前と担った人間と起こった場所が違う。
(2)都市国家が起こって、滅びた。ないしは大国に吸収された。
411世界@名無史さん:03/07/17 17:52
>499
まず>>1-2を読みましょう。
412世界@名無史さん:03/07/17 18:13
>>411
嵐は放置しる。放置できない場合、おまいも嵐
413世界@名無史さん:03/07/17 18:22
>>409
少しマジレスしてあげよう。といっても宿題を手伝うつもりはない。

1.に対しては、その先生の授業を聞いていないフリの人間でも
それなりに回答可能だが、2.は問題設定自体があまりにも抽象的で
古代地中海世界に詳しい人間でも答えるのは無理である。

つまり2.に関しては、問題を出した人間が、「こう答えて欲しい」
という方向性が授業の中で明確に示されているはずなのだ。
だから2.に関してはノートを中心にして回答を作成するしかない、
ということだね。
414世界@名無史さん:03/07/17 20:30
要するに、教諭が唯我独尊野郎だと、そういうことだね。
415世界@名無史さん:03/07/17 20:56
俺なんざアカ教師に「パリ・コミューンの世界史上における意義を答えよ」
などという問題を出され、

「野蛮人のフランク族がくだらねぇことをおっぱじめた」と答えたことがあるぞ
416世界@名無史さん:03/07/17 23:59
1、かつて日本より文化的先進国と考えられてきた支那、朝鮮が
近代化において遅れをとった理由を論じなさい

2、西洋近代文明が過去に例をみない強大な軍事力と豊さを実現した理由を論じなさい

3、日本近代の対外路線は欧化主義の輸入による対外膨張主義、侵略主義であり
  その内容は、福沢の「脱亜論」で代表されるという見解について論じなさい

わかる人いたら、教えてくれませんか?玄人のかたお願いします!

1番は少しだけわかるんだけど、文章にならなくて、、、
日本は、地方分権、外来への柔軟な対応、経済は政府の不介入だったこと。
朝鮮は、中央集権、中華意識、中央政府の介入、非生産的投資。
くらいは調べたんだけど、、、
417世界@名無史さん:03/07/18 00:15
>>415
その教師が赤かどうかは「パリコミューンの歴史的意義」とはまたーく関係がない。
歴史的意義には否定的な意義もありうるのだから、脊髄で反応しないことが重要。

パリコミューンでは1万人が殺されている。それもかなり短期間に。
19世紀後半の西ヨーロッパの国で自国民を1万人以上も殺した出来ごとには、
当然何らかの意義があると考えてしかるべきです。
418第20軍団兵:03/07/18 00:24
夏休みになったからですか?宿題依頼が多いですねー
1.明治政府は中央集権をねらっていると、少なくとも言論界は主張している。
経済は殖産興業-->富国強兵だから介入していますよ。
2.をまじめに論じたら多分1冊の本になるなー(模範解答を是非、うpして欲しいね)
3.は設問に引きずられて解答したら即死だと思う。罠の匂いがプンプンする。(出題者が馬鹿だという可能性もありますが...)
419世界@名無史さん:03/07/18 00:27
>>418

ありがとう。他のとこに書いてしまったんで。無視してください。
ちなみに出題者は、じじいの教授です。
420第20軍団兵:03/07/18 00:57
>416 へのレスは

俺の世界史の宿題を手伝ってくれ!でよろしくお願いします。
ここは中学・高校生用に教科書的解答をするスレです。
421世界@名無史さん:03/07/18 02:29
質問の仕方すらなってないような厨が増えてきたな…
明らかに宿題の丸投げのくせに、タメ口で語りかけられてもなあ。

>>419
じじいかどうかは関係ないと思うがw
422世界@名無史さん:03/07/18 04:47
>>421
うるせー。質問の仕方とかで説教たれるやつはどっかいけ、じじい
自分の価値観を人に押し付けるほうが失礼だ。まじうざい
423あぼーん:あぼーん
あぼーん
424あぼーん:あぼーん
あぼーん
425あぼーん:あぼーん
あぼーん
426あぼーん:あぼーん
あぼーん
427世界@名無史さん:03/07/18 07:53
もそもそ食うなよ
428あぼーん:あぼーん
あぼーん
429あぼーん:あぼーん
あぼーん
430あぼーん:あぼーん
あぼーん
431あぼーん:あぼーん
あぼーん
432世界@名無史さん:03/07/18 12:20
>>417
授業を受けとったんだから、どういう思想の持ち主で、
どういう回答を期待してそういう問題を出したかは分かるのよ。

パリ・コミューンの歴史的意義については、
階級闘争の歴史におけるその位置付けの重要性を
一生懸命説明していたわけで(ゲラ
433世界@名無史さん:03/07/18 12:33
問題は、パリ・コミューンに他にどんな歴史的意義があろうと、
授業の内容どおりの説明以外ではろくな点がつけられないということ。
偏向問題はそのときだけじゃなかったからそれは経験済みだった。

当時コヴァ厨だった俺はといえば、真面目にノートを取るどころか、
授業中に徹底的に突っ込みをいれ揚げ足をとりまくっていた。

今にして思えば俺も相当アホだったとは思うが、
しかし生徒に一面的な歴史解釈を強要するのはホント良くないと思うよ。
それについては「教科書をつくる会」とかにも言えることだけどな。
434あぼーん:あぼーん
あぼーん
435あぼーん:あぼーん
あぼーん
436あぼーん:あぼーん
あぼーん
437あぼーん:あぼーん
あぼーん
438あぼーん:あぼーん
あぼーん
439あぼーん:あぼーん
あぼーん
440世界@名無史さん:03/07/19 07:43
そういや巨人にマックっていう外人いたな
441世界@名無史さん:03/07/20 01:18
世界史が苦手な奴はそもそも興味がもてないのだからゲームか映画、旅行から
入るのをお勧めする
世界史映画
http://www.infoaomori.ne.jp/~yappi/eiga/eiga.html
442世界@名無史さん:03/07/21 16:51
社会人になってから漢文を学ぶのに何か良い入門書とかないですか?
443はて:03/07/21 17:13
>>442
板違いの誤爆でなければ、こちらで質問してください。

http://academy2.2ch.net/kobun/
444世界@名無史さん:03/07/22 16:12
教えてください。
共和政のギリシャやローマ、中世ヨーロッパに芸術が栄えた理由はなんですか?
よろしくお願いいたします。
445世界@名無史さん:03/07/22 16:18
>>444
まず、あなたはどう思いますか?
446世界@名無史さん:03/07/22 16:19
>>444
ギリシャ・ローマでは、農耕やら家事やらの労働を奴隷に
任せていたから、市民はヒマだった。
だからヒマつぶしに、哲学や科学や芸術を追究する者が
いた。
447444:03/07/22 16:27
自分は、宗教があまり幅をきかしてなかったから、とか考えました。。
448世界@名無史さん:03/07/22 16:28
ちょっと待て。
その質問は、ヨーロッパで言えば、それ以外の時代、
例えばルネッサンスとか近代ヨーロッパにおいては
共和制のギリシャ(?)やローマ、中世ヨーロッパにおいてよりも
芸術が栄えていないことを前提にしているように見えるが、それは事実か?
違うと思うぞ。

もし、(他の時代と比較しないで)質問の時代において
(それなりに)芸術が栄えた理由は?
というのなら、答えは一つ。「それなりにカネの出所があったから」
これはどの時代においても当てはまる真理だ。
例えば紀元前5世紀のアテナイなら、デロス同盟の資金の流用とかな。
449世界@名無史さん:03/07/22 16:31
>>447
宗教は、寧ろ芸術を栄えさせる一因かと。

ギリシアやローマ時代は、神話を元にした彫刻が作られ、中世ヨーロッパと
言えば、カトリックがもっとも幅を利かせていた時代である。
450世界@名無史さん:03/07/22 23:26
>>449
重厚さを求めた、ただのライトモチィーフでしょ。
宗教テーマじゃないと認められないという要因もあったし、依存関係が逆でもある。
宗教的でない芸術は成立するが、布教活動に芸術を取り込まない宗教はほぼ無い。
451世界@名無史さん:03/07/23 00:40
age
452世界@名無史さん:03/07/23 00:47
ギリシアはともかく、共和政ローマも中世ヨーロッパも
あまり芸術がさかんなイメージは無いな。
453第20軍団兵:03/07/23 01:10
>444
教科書か、年表を引っ張り出してきて、そこに出てくる文化人の名前をカウントしてみると、
ギリシア・ローマ時代の特徴がでてくるとおもうけれど、絵描きがほとんどゼロ、
彫刻家が3人ぐらいで後は詩人か散文家になるのでは?
漏れは造形美術での"芸術家"の誕生は中世末〜ルネサンスの話だと思うな。
それより前はあくまで"職人"だと思う。

じゃあ、何で散文家なのか?詩人なのか?というと散文は当時の社会で"雄弁"="弁論術"は
その人の生死を分けるから。裁判で審判人を納得させれなければ財産も命も無くしかねない。
審判人のほかに聴衆(=野次馬)も多いし、彼らの態度も審判人の判断に影響をあたえるので、
理路整然と、わかりやすく、カッコ良く自説を主張する事が求められた。
454第20軍団兵:03/07/23 01:35
>453 続き
古代における散文のもう一つの分野、"対話""饗宴"が多いのは招いたり、招かれたりした席で
座が盛り上がる話ができ、「コイツはできる!」と周囲を感心させることが推薦社会の古代では大事だった
事実、アテナイの民主制の終末期に生きたプラトンの著作はそのほとんどが対話形式で記述されているし、
ローマの著作家は大抵1回は対話編を書いている。

では、なぜ詩人なのか?だけれども、これはキケロの「アルキアース弁護」を読んでもらうのが一番なんだけど、
ひとことで言えば、彼らは共同体の栄誉を世界に伝えてくれるから。共同体の"評判や偉大さ"は共同体の
内部はもとより、外部に対しても非常に大切だった。
455世界@名無史さん:03/07/23 02:27
芸術って、どこからどこまでを指すのか…
建築なら、ある程度安定した強国はどこでもやってるだろうし、
芸術家個人の活動を指すものとも思われない。
ルネサンスはたしかに芸術家を生んだが、それ以前にも美術はある。
それに、西欧以外の地域はどう考えるのだろう? 
普遍的な理由としては、それだけのカネとヒマがあったってことに落ち着くのかな。
456永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/23 02:54
>>455
富と秩序が社会に存在すれば、支配階級の中には、
実用性を越えた芸術的なものを求める者が出てきます。
また、一部の支配階級や学者や聖職者、職人の中には、
職分を越えた表現活動を行いたいという欲求を持つ者が出てきます。
こうして、芸術作品という商品にたいする需要と供給が成り立つようになります。

これはある程度富と権力の集中が可能な社会なら、必然的に起きる現象です。
西欧以外の地域でも、その事に変わりはありません。
ただ、時代によって、支配階級の芸術熱や、才能ある芸術家の数も変わってきます。
支配階級の芸術熱が強く、才能ある芸術家が輩出している時代が、
後世から見れば「芸術の盛んな時代だった」と言われているだけの事です。
457世界@名無史さん:03/07/23 16:57
みんな「ミロのヴィーナス」を生んだヘレニズム芸術を知らんのか?
「瀕死のガリア人」とか「ラオコーン」とか、今見ても本当に凄いぞ。

背景としては、ヘレニズム諸国の経済的繁栄は当然として、
アレキサンドロス大東征によって東西の文化が融和したこと、
世界市民主義や個人主義の出現が人間理解を大きく近代化させ
宗教的なモチーフから人間そのものを描写する潮流が生じたこと、
などがあげられるだろう。
ルネサンスにおける文芸復興運動も、この再来に過ぎない。
458世界@名無史さん:03/07/23 17:04
あとは、国自体の繁栄だけでなく、芸術に金を出す
物好きな大金持ちのパトロンがいることも重要な要素だ。
狂王ルートヴィヒ二世なくしてワーグナーはないし、
メディチ家なくしてルネサンスもなかったろう。

古代ギリシア・ローマ時代でのそういう人物というと、
おそらくもっとも有名なのがローマ帝国初代皇帝アウグストゥス。
「アエネイス」のヴェルギリウスは彼の庇護を受けていた。
もっともアウグストゥス自身にはたいした審美眼はなかったし、
この時期にさほど劇的な芸術の盛り上がりがあったわけではないが。
459世界@名無史さん:03/07/23 19:35
ヨーロッパの芸術なんぞ、オリエントの二番煎じさ!  と言ってみるテスト
460世界@名無史さん:03/07/23 21:34
大スキピオの大って何ですか?
ブッシュJrにおけるブッシュパパみたいなモンですか?
461世界@名無史さん:03/07/23 21:45
>>460
スキピオ一族の中で特に有名な二人がどちらも
「プブリウス・コルネリウス・スキピオ」というフルネームだったので、
区別するために大と小をつけた。ブッシュ親子もまあ同じようなもの。
462世界@名無史さん:03/07/23 21:49
>>460
まあ、そんなもんです。同名の人がいるとき(多くは親子、血縁関係)、
先人を「大」、後人を「小」をつけて区別します。
大スキピオの場合は彼の養孫でもうひとり有名な武将がおりますので(スキピオ・アエミリアヌス)、
そちらと区別するために大をつける慣習です。

類例に大カトー、小カトー、大カエサル、小カエサル(オクタヴィアヌス)、
大アグリッピナ、小アグリッピナ、大デュマ、小デュマなどなど。

ただし「大」が「偉大な」という称号を示している場合もあって、
大ポンペイウスの場合は多くはそうです。
463世界@名無史さん:03/07/23 22:09
>>461,462さん
丁寧にありがとうございます。
ようやく勉強に集中できます。
464世界@名無史さん:03/07/23 23:16
スキピオの大小は、むしろアフリカヌスという称号にくっついている。
アフリカ(カルタゴ)に勝利した男1号と2号ってことだな。


小カエサルってカエサリオンじゃないのか・・・
465世界@名無史さん:03/07/24 00:51
ところで「中」が付くのって中ピピン以外にもいるの?
466世界@名無史さん:03/07/24 19:52
>>460
余談だが、ジュニアというのはシニアがいてこそ成立する。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアから死ぬまでジュニアが外れなかったのは、
彼が彼の父親よりも先に死んだからである。
カート・ヴォネガット・ジュニアがある時期以後、ただのカート・ヴォネガットになったのは、
彼のお父さんが亡くなったからである。
パパブッシュが亡くなれば、現大統領もただのジョージ・ブッシュになる。
467世界@名無史さん:03/07/24 19:57
更に余談。
大小は順序を示すが、大はともかく小には侮蔑的なニュアンスがなくもない。
共和主義者だったヴィクトル・ユゴーはナポレオン3世を批判する「小ナポレオン(Napoleon petit)」
なるパンフレットを製作。これなどは明らかに嘲笑的な意味合いが含まれている。
468世界@名無史さん:03/07/25 03:30
くだらない質問ですが、ブッシュ大統領は後の世で、
小ブッシュ・大ブッシュとか呼ばれる可能性はありますか?
469世界@名無史さん:03/07/25 06:28
ないだろう。なぜならおやじの方も小物だから。
現ブッシュとおやじの元大統領を分けて呼ぶときは
George W Bush と W を入れることで分けている。
今のアフォ部首の子供が将来大統領になることがあったら、
ブッシュ三世 (Bush the Third) と自ら名乗るかもしれないが w


470世界@名無史さん:03/07/25 10:55
アメリカ大統領の場合は、第××代大統領、って入れると区別できるしな
471世界@名無史さん:03/07/25 21:12
age
472あぼーん:あぼーん
あぼーん
473あぼーん:あぼーん
あぼーん
474世界@名無史さん:03/07/29 00:21
代ゼミに2003年度の問題あり。
ttp://www.yozemi.ac.jp/nyushi/center/index.html

で解いてみた。

第2問A問@ 正解
コリオリの力の関係で北半球の逆と考えた。
第2問A問B 不正解
コリオリの力は極で最大、赤道で最小となるのでまず1,2,4,5の選択肢は最初の時点で不適。
3,6のどちらかで迷ったが結局6を選び不正解。
第2問B問D 正解
問題の直前に『勾配』の文字が有ったことと、
他の選択肢があまりに不適当であったため消去法も兼ねて3を選択。

>>759
こんな解き方をしてみましたがどうでしょうか。
第2問A問@は教科書に有ったかどうかは記憶が曖昧なのですが、
南半球ではコリオリの力は逆ということを学校の先生から聞いたことははっきりと覚えております。

第2問A問Bは教科書の記述にあったはずです。極が最大、赤道が最小。これだけなら中間テストレベルではないでしょうか。
ただ、+とか−とかは分かりませんでした。私が忘れているだけかも知れませんが、
これについては他の方にご解説を頂きたいです。

第2問B問Dはほとんど消去法です。他の選択肢が不適当でした。これはある意味国語力ではないでしょうか。
勾配という言葉があるのですから傾きに関係した力だと推測しても良いのではないでしょうか。
それとエルニーニョ現象がどのような現象か事前に知っていれば難なく解けると思います。
エルニーニョの解説は一時期新聞が盛んに取り上げていたので、知っていてもおかしくはないと思います。

間違い等ありましたら訂正してください。その方が私の勉強にもなりますので。
475474:03/07/29 00:23
誤爆です。申し訳ないです。
476世界@名無史さん:03/07/29 12:48
なんか中高生向きで、紛らわしい誤爆だな。
夏休みだから上げとくね。
477世界@名無史さん:03/07/29 12:59
中国生は、世界史あるのか? 「歴史」の授業で、日本史しか習わないのではないか?
478世界@名無史さん:03/07/29 14:02
日本史と世界史がたまにごっちゃになる時もある
ヒトラーとか
479世界@名無史さん:03/07/29 14:47
ヒトラーが日本人だと勘違いするのか?
それは精神科に逝った方が…
480世界@名無史さん:03/07/29 15:27
>>477
宗教改革あたりの欧州史をちょびっと。
481世界@名無史さん:03/07/29 20:24
>>479
いや、授業内容が日本史なのにヒトラーの話題になったりするっていう意味
482世界@名無史さん:03/07/30 14:19
おまえら、このスレは原則ageでかいておくれ。
483_:03/07/30 14:31
484世界@名無史さん:03/07/30 15:54
世界史のレポート誰について書こうか困っています。
485世界@名無史さん:03/07/30 16:18
>>484
ローマとかどう?参考になる本は比較的多いと思うよ。
486世界@名無史さん:03/07/30 16:27
>>484
マッカーサーとか有名だしいいんじゃない?
せめてもう少し具体的な事を含めた方がレスしやすいです
487世界@名無史さん:03/07/30 16:36
どちらかというと世界史は好きな方ではないので
簡潔にまとめやすい人物だといいんですが…
私的にはインドとか中国系に興味があるのですが。
ついでに去年の夏は毛沢東でした。
488世界@名無史さん:03/07/30 16:37
↑すいません。484です
489世界@名無史さん:03/07/30 16:43
ちょっと外れるがチンギス・ハンとかフビライ・ハンどう?結構有名だし。
去年が毛沢東ならその絡みで蒋介石とか孫文とか周恩来とかもやりやすいかも。
ネタ的には江青とか
490484:03/07/30 16:57
どうもありがとうございます
今からすこし調べてきます!
491世界@名無史さん:03/07/30 19:07
インド……

アンベードカルの伝記はdでて面白いぞ
高校世界史レベルじゃないのが難点だが
492世界@名無史さん:03/07/30 19:57
世界史が好きだというならば「簡潔にまとめやすい」という基準で選ぶのは方向性が違うような気もするが。
まあ、学校の宿題ならばそういうものだろうが、規定枚数をはるかに越えて網羅的に書き連ねるのが世界史ヲタというもの。
好きな人物を選ぶのが一番だと思うが、好きな人物であれば、簡潔はともかく簡単にはまとめようとは思わないはず。
493永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/31 02:28
>>487
>簡潔にまとめやすい人物だといいんですが…
>私的にはインドとか中国系に興味があるのですが。
そうですね。ムーガル帝国のアウランザーブ帝などはどうでしょうか?
すごく一貫性のある人生を送っているので、簡潔にまとめやすいと思いますよ。

近代以降のインドや中国には、功罪半ばする人や、
評価が難しい人が多いので、古い時代から選んだほうが楽だと思います。

>ついでに去年の夏は毛沢東でした。
全然簡潔にまとめられない人じゃないですか。
課題が自由なレポートなら、私は辛亥革命以降の中国の人物は、絶対に選びませんよ。
100%苦労することが分かりきってますから。
494永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/31 02:29
>>487
訂正
そうですね。ムーガル帝国のアウランザーブ帝などはどうでしょうか?

そうですね。ムガール帝国のアウランゼーブ帝などはどうでしょうか?
495世界@名無史さん:03/07/31 02:43
近代以降の人間は評価が定まってないから簡潔にまとめるのは難しいな。
その分書くネタには不自由しないが。
宿題と割り切るなら中世とか古代の人物を取り上げたほうが楽かも。

ただし
「休みから得るものは何もない」byイビチャ・オシム(ジェフ市原監督)
496永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/31 03:52
>>495
>近代以降の人間は評価が定まってないから簡潔にまとめるのは難しいな。
>その分書くネタには不自由しないが。
そうですね。
別スレで金日成についてのレポートをうpした時は、
書くネタがあまりに多すぎて苦労しました。
公正を期するために、金日成マンセー本や朝鮮労働党の公式文書にまで、目を通しました。
あからさまなプロパガンダでも、金日成が何を意図して、
そういうプロパガンダをしたのかを考えないと、いけないからです。
金日成が頻繁に現地指導を行っているを北朝鮮側の資料は賞賛していますが、
それは彼が、行政の最高責任者である総理の頭越しに命令を出していたことの証明であり、
経済政策の失敗は、総理の行政能力の問題ではなく、金日成の能力の問題であること。
そして、金日成にものすごく権力が集中していて、
権力をわざと有力な部下に分散させて競わせたヒトラーや、
いざとなれば専門家に巨大な権限を与えることも辞さないスターリンどころではない、
独裁者ぶりであったことなどが理解できました。

やっぱ、近代以降の人物は多くの資料にあたらないといけない分だけ難しいです。

>「休みから得るものは何もない」byイビチャ・オシム(ジェフ市原監督)
「俺がやったドーピングは努力だけだ」byディエゴ・マラドーナ(元アルゼンチン代表選手)
497_:03/07/31 04:06
498世界@名無史さん:03/07/31 23:56
夏対策age
499世界@名無史さん:03/08/01 00:06
ロシアの歴代大統領の顔写真が載っているサイトを教えて欲しいのですが、
googleでロシア 大統領 等さまざまなキーワードで検索したのですがひっかかりません
スターリンからでかまいません
500世界@名無史さん:03/08/01 00:11
>499
顔写真は肖像権の問題が絡むので通報しますた
501それはちょっと、、:03/08/01 00:27
>>499
スターリンはロシア大統領だったことはありませんよ。
歴代大統領といっても、ソ連時代を入れて、ゴルバチョフ、エリツィンと
プーチンの3人しかいませんが。
ケレンスキーは首相で、当時の国家元首は皇帝でしたし、それ以降の
ソ連には、ゴルバチョフが就任するまで、大統領職はありません。
502世界@名無史さん:03/08/01 00:40
近頃の中高生には「書記長」は死語なのか?
503世界@名無史さん:03/08/01 00:51
あーーーーー、かもしれんな(禿鬱)
504永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/01 01:31
>>499
ソビエト時代の国家元首は大統領ではなく、最高幹部会議議長です。
しかし、名誉職だった時代と、実際の権力者だった時代(共産党書記長兼任)があって、
おそらく後者の顔写真はどこかで拾えるでしょうが、
前者の顔写真は、ロシア語のサイトでもないと見れないと思います。

>>500
見るだけなら、問題ないのでは。
505ナポレオン@職場:03/08/01 02:17
>前者の顔写真は、ロシア語のサイトでもないと見れないと思います。

んなこたぁーないでしょう。
書記長兼任制(ブレジネフから)以前だって、功成り名を遂げた人間のポストですよ。
別にそんなマニアックなもんじゃない。
カリーニン、ヴォロシーロフ、ミコヤン、ポドゴルヌイといった面々のポルトレ程度、
すぐみつかるんじゃないですか。
506世界@名無史さん:03/08/01 02:36
ロシア語でスターリンってどう書くの?
507世界@名無史さん:03/08/01 02:39
Сталин
508ナポレオン@職場:03/08/01 02:41
STALIN
これを対応するキリル文字に変換する。
509ナポレオン@職場:03/08/01 03:06
ぐはっ、出遅れてたのか。カッコワリイ
510それはちょっと、、:03/08/01 09:48
>>504
ソ連時代の国家元首の職を、最高幹部会議議長と表記するのは間違い
です。最高会議Verkhovnyi Sovet SSSRの幹部会議長、つまり「最高会
議幹部会議長」と表記するのが普通です。
それと、ゴルバチョフ改革以前のソ連の政治構造は国家機関よりも共産
党の機関が優位にあるという特徴があったということから、国家元首につ
いては最高会議幹部会議長、権力者は共産党書記長だったということで
両者が兼務されている時期については、最高会議幹部会議長に現実的
な権力があったと分けて考えるのはおかしいですよ。
511世界@名無史さん:03/08/01 19:27
夏休みなので出来れば上げ進行よろしく
512世界@名無史さん:03/08/01 21:55
>>501
ケレンスキーが首相の時って帝政は廃止されてたんじゃないの?
513世界@名無史さん:03/08/01 22:24
三国志より項羽と劉邦の時代のほうが数段面白いと思う僕は変ですか
514世界@名無史さん:03/08/01 22:29
三国志と項羽と劉邦の時代しか出てこない所は、この板では変です。
515世界@名無史さん:03/08/01 22:33
>>513
趣味自体は変じゃないけど、そんなことを書き込んじゃう君は変です。
516それはちょっと、、:03/08/01 23:20
>>512
そだね。高校教科書的にはロシアの帝政は1917年の2月革命で崩壊
したとなっているから、国家元首はいないとするほうがいいかもしれな
いね。
まぁ、制度的には変更がなく、1917.3.15に皇帝が退位して次の皇帝が
不在の状態なんだから、変則的だけど前皇帝を暫定的な元首と見る
か、国家元首を欠いていたとするのかだろうね。
ケレンスキーが首相になったのは1917年の8月で「帝政最後の内閣」
と呼ばれてはいるけどね。
517永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/02 00:37
>>510
すいません。たまたま手元にあった資料を見たら、
最高幹部会議議長と書いてあったので、そのまま書いちゃいました。
後で調べてみたら、やはり最高会議幹部会議長が正しい訳みたいですね。

>最高会議幹部会議長に現実的な権力があったと分けて考えるのはおかしいですよ。
旧共産圏の国における官職の権限は、ポストではなく、就任する人間の権力によって変わってきますからね。
ブレジネフやアンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフの権力の源泉は、あくまで共産党書記長ポストですからね。
中華人民共和国の国家主席の江沢民、胡錦涛の権力の源泉が、共産党総書記ポストであるように。
518永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/02 00:55
>>516
わたしもそのあたりを知りたいですね。
国家元首は現実にはいたけど、飾り物に過ぎなかったのか、それとも本当にいなかったのか。
本当に国家元首がいなければ、リヴォフ公やケレンスキーはなんで大統領ではなく、
首相を名乗ったのかが分からなくなります。

まあ、アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領のように、
臨時政府の首班時代は国家元首がいなかったのに、
首相(暫定行政機構議長)を名乗り続けた例もありますが。
519世界@名無史さん:03/08/02 01:14
>>517
いや、ここは雑談スレじゃなくて、中高校生質問スレだから、あまり混ぜ返す
ようなことを書かないでホスイ。
わかっていて書き間違えているんでしょうが、共産党書記長も共産党総書記
も国家の官職ではないです。あくまで、共産党のポストなんですよ。
わざわざ、>>510氏が

> ゴルバチョフ改革以前のソ連の政治構造は国家機関よりも共産
> 党の機関が優位にあるという特徴があった

と高校生向けに解説をしているのに、読んでいる側が混乱してしまいます。
520世界@名無史さん:03/08/02 03:09
青には何度も言ってるんだけどなぁ。
余談が長過ぎ、と。
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
522世界@名無史さん:03/08/02 07:32
夏休み単発質問対策あげ。

このスレは、あけ進行でお願いします>おおる
523世界@名無史さん:03/08/02 10:57
読書感想文で、塩野七生さんの「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」を
読んでいるんですが、彼の戦歴に関してかなりごっちゃになっているんです。
その以前(今年)に「ローマ人の物語 ユリウスカエサル」も2冊読んだんですが、カエサルは
禿げの女ったらしだったことが、1番記憶に残っているくらいで、
彼の戦歴は、ガリア戦記の時のと、ポンペイウス戦での勝利&敗戦くらいしか覚えていません。
ハンニバルに関しては
詳しい戦いはカンネーの戦いで大勝と、ザマの戦いの敗戦しか詳しく覚えていません。
良ければハンニバルの主な戦歴を教えていただけませんか?(もしよければカエサルも)
できれば簡単な戦争内容も教えていただきたいです。

個人的に塩野さんの本は面白いので、古代ローマの歴史が好きになっちゃいました(笑)
524世界@名無史さん:03/08/02 11:13
簡単なって、、、簡単じゃないよw
本が一冊それで書けるんだからさw
525無料動画直リン:03/08/02 11:15
526世界@名無史さん:03/08/02 12:03
たとえば、各時代の頭蓋骨を分析して得た頭長と頭幅の比である頭長幅示数を
みると、日本人の頭長は平均196〜182ミリ、頭幅は平均156〜147ミリで、
頭長幅指数は77〜86である。これには地域差があり、長頭ないし中頭は、東日本
や日本海岸、離島に多く、短頭は西日本で、中心は畿内地方である。
なお朝鮮・韓国人は短頭が多い。
http://isweb24.infoseek.co.jp/school/drhnakai/sub1-20-2.html

頭最大長は漢族と回族では男女ともに「中」型、朝鮮族と満族では男女ともに
「短」型に属した。頭最大幅は回族、朝鮮族および満族は男女ともに「広」型、
漢族では男性は「中」型、女性は「広」型に属した。頭長幅指数男性では朝鮮族
の89.56が最も大きく、次いで満族の88.88、漢族の85.84、回族の85.50の 順で
あり、女性でも朝鮮族の90.18が最も大きく次いで満族の89.82、漢族の 88.99、
回族の87.39の順であった。各民族の男女ともに過短頭に属した。(略) これらの
形態について漢族、朝鮮族、回族および満族の間には明らかな差は 認められな
かったが、日本人と比較すると、かなり短頭であり、顔の幅は狭く、 高さも低かった。
http://www.saga-med.ac.jp/academic/meeting/anthrop/summary/c04.html
527世界@名無史さん:03/08/02 13:56
他の板でわからなくて馬鹿にされましたので教えてください。

長弓隊と弩隊が戦って長弓隊が勝った中世ヨーロッパの戦争って
何ですか?
528683ではないが:03/08/02 14:07
>>527
百年戦争の「クレシーの戦」 (1346)
529527:03/08/02 14:18
>>528
ありがとうございます。
googleで確認してきました。3件しかヒットしませんでした。
これって世界史を学ぶ人には常識なんでしょうか?
・100年戦争
・クレシーの戦
・長弓隊と弩隊
530528:03/08/02 14:24
>>529

・100年戦争
・クレシーの戦
・長弓隊

この3つの組み合わせなら、世界史知識として常識の範囲です。

ただ、フランス軍に弩隊がいたことは、容易に想像はつきますが、
普通はフランスの騎兵対イギリスのロング・ポゥ(長弓)という形で
記述されています。
531527, 529:03/08/02 14:45
常識ですか。記憶しておきます。
かさねがさね、ありがとうございました。
532世界@名無史さん:03/08/02 23:58
夏休み対策あげ
533世界@名無史さん:03/08/03 00:23
>527
他にも、ポワティエの戦い、アザンクールの戦いも似た
ようなことになっている。(いずれも百年戦争)
530が言うように、フランスの騎士たちがイングランドの
陣地に突撃をかけては、ロングボウ部隊の餌食になった。
フランスにはクロスボウ兵もいたが、連射性はもちろん
のこと、当時は射程の長さもロングボウの方が上だった。
534世界@名無史さん:03/08/03 00:35
戦術の問題もあったけど、イングランド側の地形の有効利用もあった。

イングランド=丘などの高い箇所に陣取る。弓隊の視界良好、有効射程増。
フランス=低地から高地に突撃敢行。騎士隊の速度低下。DQN。
535世界@名無史さん:03/08/03 09:52
このスレはアゲ進行でお願いします。
536世界@名無史さん:03/08/04 20:24
夏休み単発質問スレ乱立対策アゲ。

このスレはアゲ進行でお願いします>all
537世界@名無史さん:03/08/04 22:31
538世界@名無史さん:03/08/05 10:55
ドイツの賠償金1320億金マルクって、現在日本円でいくら位なんですか?
539世界@名無史さん:03/08/05 12:02
ひろゆきにとっては、うまい棒1本分にも値しない金額
540世界@名無史さん:03/08/05 12:24
>539
いやハイパーインフレの話ではなく「金マルク」が単位ですぜ。
541世界@名無史さん:03/08/05 13:49
「1金マルク=純金0.358グラム」だから、
1320億金マルクは純金472億5600万グラム。
本日の先物市場での金の相場は、
1グラム当たり1350円ほど。
この値で計算すると、63兆7956億円なり。
542世界@名無史さん:03/08/05 13:53
日本の国家予算より少ないのか、意外と少ないという気がするな。
543世界@名無史さん:03/08/05 14:11
実際には、ローザンヌ会議で30億金マルクまで減額された。
1.5兆円ほど。しかもドイツは途中までしか払ってないはず。
544世界@名無史さん:03/08/05 15:51
>542
金の値段がここのところずーっと下落しているせいってのもありますぜ。
545世界@名無史さん:03/08/05 18:27
>>541
グッド ジョブ です。

しかし、実際は金本位制(主流)の時代であることを考える必要があります。
金塊で支払っていくと、ドイツ国内の金塊は減少して、通貨の発行額が減ることになります。
(実際のドイツは金本位制を捨てて管理通貨制にせざるを得なくなった)
これは非常に経済的に苦しくなります。また、ドイツが金塊を買えば、金塊の相場の値は上昇することに注意してください。
よって額面以上に苦しいことがわかると思います。
546世界@名無史さん:03/08/05 18:49
>ドイツが金塊を買えば、金塊の相場の値は上昇することに
ドイツが出した分、金塊はやすくなるんでないの?
547世界@名無史さん:03/08/05 18:56
>546
ドイツは市場から買った金地金を戦勝国に賠償金として渡しているんでしょ?
ドイツが渡した金地金はそのまま市場には流れないわけだから、相場は上昇しますわな。
548永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/05 19:15
>>543
1933年に、ヒトラー内閣がローザンヌ会議の決議を破棄し、
ヴェルサイユ条約の賠償条項も破棄しましたね。
(なお、この時点でヴェルサイユ条約の全条項が破棄されたわけではありません)
549世界@名無史さん:03/08/05 19:29
実際には、そんなに金があるわけないから、
ほとんど現物保障で払ったらしいけど。
550世界@名無史さん:03/08/05 20:34
ねえねえ!金マルクって初めて聞いたよ!
詳細教えてください。お願いします。
金円とか金ポンドとかもあったんですか?
551世界@名無史さん:03/08/05 20:58
詳細ではなくかいつまんで説明すると、
ただのマルクでは政府がドッと紙幣を増やせば(つまりインフレを起こせば)
賠償金なんぞすぐ払えてしまうので、
そういうインチキをしないように金に機軸を置いたのが金マルク。
例えば、1マルク=金1グラム、という算定をしておいて、
賠償金を100万金マルクと定めたとする(これはあくまで例だが)。
そうすると金1トンだね。
そうしたら、インフレになろうがデフレになろうが、
「金1トン分のマルク」を支払わなければならないということになる。
1マルク=金1グラムなら100万金マルクは100万マルクですむけど、
100万マルク札とかつくってドーンとインフレ起こしてズルしようとしても、
そんなことするとマルクと金のレートがドーンと下がって
100万マルク=1グラムとかになってしまい、
結局100万金マルク=1トン分のマルクというのはすなわち10億マルクになってしまう。
552541:03/08/05 21:15
>545
2ちゃんねるで書き込みして、
「グッド ジョブ」と言われたのは初めてで、
大変感激しております。
どうも、ありがとうございます。
御指摘の通り、マネーサプライが減少すれば、
経済規模は縮小せざるを得ませんものね。
だからこそ、ドーズ案を始めとする経済復興プランが
意味を持つわけで。

ところで、1923年をピークとするドイツのハーパーインフレは、
シュトレーゼマンのレンテンマルク導入により終息したとされますが、
これは不動産担保の通貨だったとのこと。
このへんの事について、どなたか御教示ください。

>550
普仏戦争終戦時、ビスマルクがフランスに突きつけた賠償金額が、
50億金フランだったと記憶してます。
(パリ講和会議でのフランスの強硬な姿勢は、この報復だったとか)
1金フランがいくらで換算されていたのか、
このことについても、どなたか御教示ください。
553直リン:03/08/05 21:15
554(* ̄д ̄)y─┛〜〜:03/08/05 21:16
ドスケベホイホイで逝ってしもた
http://www.boreas.dti.ne.jp/~keitarou/
555世界@名無史さん:03/08/05 21:18
レンテンマルクの前に大麦マルクってのがあったような気が…
556世界@名無史さん:03/08/05 21:21
>>551
とても勉強になりました。ありがとうございました。
しっかりしてるんですねー連合国。
557世界@名無史さん:03/08/05 22:05
国際文化学科の歴史コースと史学科はどうちがうんですか?
558永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/05 22:09
>>557
どこの大学ですか?
大学によって、それぞれ違っていると思いますよ。
559世界@名無史さん:03/08/05 22:13
九州の私大は史学科が少なくて、福岡大学くらいしかありません。
偏差値の高い西南学院大学は国際文化学科に歴史コースがあります。
560世界@名無史さん:03/08/05 22:21
本当に史学系学部で良いの?一生を史学にささげる覚悟はあるの?
史学部行ったら学校の先生か学芸員か研究者になるしか道はないよ。
法学部で法制史とか経済学部で経済史とかじゃ駄目なのかい?
561怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/08/05 22:25
全然研究分野と関係ない公務員とかって道もありますよ。
素人にはおすすめできないけれど。
562永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/05 22:28
史学より、看護学の方が飯を食うには不自由しませんよ。

それは冗談として、史学の専門家ってちゃんとした大学出ても、
就職口少ないみたいですよ。
563世界@名無史さん:03/08/06 09:08
みんな、国際文化学科と史学科のちがいに答えてないような気が・・・

思うに歴史専門の教授のゼミ(史料講読や演習)や講義があれば、
名称がちがうだけで内容に大差はないのではないかな。
564世界@名無史さん:03/08/06 09:54
>563
というか大学によって同じ名称の学科でも内容が全然違ったりするので
カリキュラムを見ないとなんともいえないしなぁ。
特に「国際」「人文」「環境」がつく学科は、学部によって千差万別。
逆にカリキュラムを見られる環境にあれば、自分である程度違いを調べられるわけだし。

まあ、
> 思うに歴史専門の教授のゼミ(史料講読や演習)や講義があれば、
> 名称がちがうだけで内容に大差はないのではないかな。
には同意しまつ。教授と仲良くなれば他学部の少人数ゼミにだってもぐれるしね。
565世界@名無史さん:03/08/06 11:07
結局のところ、何が勉強できるかは学部・学科の名前じゃなくて
どんなカリキュラムか、どんな先生がいるかに左右されるから
HPや学科案内を調べなさい、としかアドバイスできないよね。
これから受験先を考える人は、歴史学をゴリゴリやりたいなら
史学科でカリキュラムが歴史学でびっしり埋められるとこを狙い、
歴史の勉強をしたいけど他の勉強も手広くやって潰しをきかせたいんなら
法制史・経済史まで広く選択肢に入れればいいんじゃないかなー。
566世界@名無史さん:03/08/07 00:12
質問です。
キリスト教布教の話。
アリウス派やネストリウス派や単性論は、まあ異端として追い出されたた
めにそれぞれゲルマンやアジアやアフリカなんかに布教されて、それらの
地に受け入れられていったわけですよね。
ところで正統のアタナシウス派はそういった地域には布教されなかったの
でしょうか。だとしたらそれはなぜなのでしょうか。
567世界@名無史さん:03/08/07 00:26
ギリシャとエジプトって大昔に滅びましたよね?
今あるのはまったく違う国なのですか?
568_:03/08/07 00:26
569_:03/08/07 00:27
570ゴロー:03/08/07 00:40
南京事件は実のところ、あったんですか?
571永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/07 01:07
>>566
>ところで正統のアタナシウス派はそういった地域には布教されなかったの
>でしょうか。だとしたらそれはなぜなのでしょうか。
正統派ももちろん近隣地域への布教には励んでいましたが、地元で大勢の信者を抱えていましたので、
異端と違って、遠くはなれた地域まで行って必死に布教して、
一人でも多く信者を増やさなければ、
存続すら危ういというところまでは切羽詰まっていませんでした。
もちろん、正統派の内部で布教ブームが盛り上がって、
「正統派の教えを世界の果てまで広めよう」という連中が、遠くまで布教に出かけることもありましたが、
当時のアタナシウス派では、そういう布教ブームが起きていなかったのでしょう。
572世界@名無史さん:03/08/07 01:26
>>567
なにをもって「まったく違う国」というかにもよりますが。
たとえば、奈良時代の日本と今の日本は、同じ国だとも
まったく違う国だとも言えます。
>>566
ゲルマン・スラブ系への布教に忙しかったんじゃないの?
十字軍時代のシリアでは、情勢が落ち着き、相互理解が深まると細々とだが布教がなされたようだけど。
574世界@名無史さん:03/08/07 01:53
>567
いささか邪道ではありますが、百科事典で国名を引くと
簡易ながら要を得たその国の歴史が載っていますので
それを調べるだけでもお役に立つかと。

もしそれだけでは物足りない場合、山川出版の各国史なども
図書館で探してみてはいかがでしょうか。
575永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/07 01:53
>>567
現在のギリシャ共和国は、1833年にギリシャ王国としてオルマン=トルコ帝国から独立し、
1974年に国民投票によって、共和国となりました。

現在のエジプト・アラブ共和国は、1922年に大英帝国からエジプト王国として独立。
1953年の革命で共和国になってから、改名や周辺諸国との連合と分離を繰り返し、
1977年に現在のエジプトだけを支配する形に落ち着きました。
なお、エジプト・アラブ共和国に改名したのは1971年です。

どちらも支配していた地域は重なっていますが、まったく別の国家です。
というか、あの時代から残っている国家は地球上に存在しません。
576世界@名無史さん:03/08/07 12:47
近代的な国家観を近世以前に持ち込むことがそもそもの勘違い…
ではないですかね。

王朝が変われば別の国なのか?それとも支配する地域が同じなら同じ国家なのか?
そもそも国家って何?そのあたりの定義をきちんと考えないと答えは出ないと思います。
577世界@名無史さん:03/08/07 17:00
イスラム世界には、カリフとかスルタン以外の称号ってあるのですか?例えば中国の例でいうと
前漢の第七代皇帝劉撤(これだっけ)は死後武帝と尊称される、いわゆる諡というものはあるのですか?
他にもある人の功績をたたえる称号はあるのでしょうか。
578世界@名無史さん:03/08/07 17:36
>>577
イスラム世界では、君主の肩書きとしてはスルタン、カリフの他に
アミール、大アミール、ヘディーヴ、シャー、ハーンなどが使われますね。
死後に諡を送る習慣はありませんが、
君主や政治家のような有力者は生前から「ラカブ」と呼ばれる尊称を用います。
ブワイフ朝大アミールのムイッズ・アッダウラ(王朝の強化者)
セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルク(国家の規範)
アイユーブ朝スルタンのサラーフ・アッディーン(信仰の救済)
マムルーク朝スルタンのバイバルスのアッザーヒル(勝利者)
などが有名なところでしょう。
ただ、教科書や歴史の本では
サラーフ・アッディーンは実名のユースフではなく
尊称のヨーロッパなまりの「サラディン」で呼ぶのが普通、
かと思うとバイバルスは実名で呼ぶのが普通だったりしますから
どういう基準で使い分けられているのかはよくわかりません。
なお、以下の形の名前も実名ではなく、姓や中国の字・号のように使われています。
「イブン・○○」「ビン・○○」(○○の息子、ナサブ)
「アブー・○○」(○○の父、クンヤ)
「○○ィー」(○○出身の人、ニスバ)
579世界@名無史さん:03/08/07 19:42
ちょっとお聞きしたいんですが、
戦象というのは実際に戦争で役に立ったんですか?
なんか、なんとなく大きな戦力であるようなイメージがあるんですが、
実際に象が使われた古代の有名な戦争をみると、
たいてい象を使った方が負けているような気がするんですが。
何か象の運用によって勝利を挙げたような例はあったでしょうか?
それともみためほどの効果はなかったと考えた方が妥当なのでしょうか?
580v:03/08/07 19:46
★おまんこナビ登場!!★日本の美しきオマンコ★
http://endou.kir.jp/marimo/link.html
581世界@名無史さん:03/08/07 20:09
ルイ14世の行った絶対王政って何ですか?
改革ですか?
582例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/08/07 22:20
>>579
戦象というのは、運用は極めて単純で柔軟性がない。だから、指揮官にに戦術的センスが
いらず一定の効果を上げられるけど、特別に効果的な運用をする余地がまずない。
(名将ハンニバルですら、正面突撃にしか用いようがなかった)
だから、戦象が活躍した戦いというのは、両方の指揮官が凡庸かもしくは戦術の才を発揮
させられなかった、単純で退屈で記録に残すようなものではなかった。
そして戦象が打ち破られた戦いは、打ち破った側が素晴らしい戦いをしたことの証であり、
それは玄妙で記憶に残る記録すべき戦いだった。

という事と思われ。別に弱いものではなかったと思う。
583世界@名無史さん:03/08/07 23:04
ムガール帝国誌を読んだ限りでは、
戦象はパフォーマンスの要素に因るところが大きいように思えた。
584世界@名無史さん:03/08/08 09:34
>>581
山川の世界史用語集を参照。
さすがに絶対王政をレスで説明する気にはならんよ(汗
585世界@名無史さん:03/08/08 14:13
>>579
プラッシーの戦い ベンガル太守・英東インド会社連合軍は、象に引かせた台の上に大砲を載せて移動砲台とした。
586世界@名無史さん:03/08/08 14:31
>>582
エピロス王ピュロスがローマ軍を破った時には戦象を両翼に配置して、
ローマ軍の両翼の騎兵を撃破してるよ。
587世界@名無史さん:03/08/08 15:56
殷、周、秦、漢、隋、唐、宋、明
588世界@名無史さん:03/08/08 18:13
>>587
足りないぞ、明、清、中華民国、中華人民共和国
589世界@名無史さん:03/08/08 18:32
明はありますよ。
疲れました。(つД`)
殷、周、秦、漢、隋、唐、宋、明、清、中華民国、中華人民共和国
で合ってるのかな。
590579:03/08/08 19:19
>>582>>583>>585>>586
回答ありがとうございました。
>>585
象そのものを直接戦闘力として使用した訳ではなく、
輸送力として使ったわけですね。
しかし当時の象は近くで大砲を撃ったりしてもパニックになったりはしなかったんでしょうか?
>>586
そのような戦法ならザマの戦いなんかでも使えたような気がするが、
ヌミディア騎兵には効かないとハンニバルは判断したということでしょうか。
ハンニバルがピュロスの戦例を知らないとは思えないし。
もっともピュロスは最終的にローマに撃退されている訳だから、
ローマ軍は比較的短期間に象に対抗する術を身につけたということか。

いずれにしろ、柔軟な運用が出来ないことが、
象を戦闘に用いる場合のネックってことですかね。
591参考に:03/08/08 19:23
592世界@名無史さん:03/08/08 19:24
>>589
中国の統一王朝?
春秋・戦国とかが入ってないと反って確認も面倒ですが、
取りあえず、晋と元が抜けてますね。
593579:03/08/08 19:55
>>591
ありがとうございます、参考にします。
594世界@名無史さん:03/08/08 20:22
前漢と後漢てのは何が違うんですか?
595世界@名無史さん:03/08/08 20:28
>>589>>592
さらに言えば、「新」も抜けてます。
「漢」でひとくくりにすると、どこに入れるか悩みますが。

魏晋南北朝&五代十国も無いと、違和感を覚えたり覚えなかったり。
596世界@名無史さん:03/08/08 20:35
>>594
後漢とは、「ゴカン」のことですかそれとも「コウカン」のことですか?
それによります。

ってまあ、ゴカンのことでしょうが、単純に言うなら、
漢は一度臣下に乗っ取られてその後復興したことがあり、
乗っ取られる前のを前漢、復興した後を後漢という訳です。
国家体制の違いとか内容的なことを知りたければ、
もっと詳しい人が来るまで待ってください。

ちなみに、>>595の「新」が乗っ取った国の名前ですね。
597世界@名無史さん:03/08/08 20:41
ちなみに最近では西漢、東漢と呼ぶことも多いですね。
前漢(西漢)は長安、後漢(東漢)は洛陽を都としたので。
(位置関係は地図を確認のこと)
598永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/08 21:33
前漢の正史の名前は「漢書」、後漢の正史の名前は「後漢書」になってますね。
599怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/08/08 21:34
西漢・東漢って呼び方は中国でのメジャーな呼び方だったと思う。
600永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/08 21:38
>>599
まあ、西の鍋京に都を置いた時代の周を西周。
東の洛邑に都を置いていた時代の周を東周と呼んだりしてますしね。
601世界@名無史さん:03/08/08 21:45
他にも
西晋(洛陽)と東晋(建康)みたいな例もあるし、
逆に同時代に存在していたにもかかわらず、滅亡の時期で
前趙、後趙と呼ぶ例もありますね。
602世界@名無史さん:03/08/08 22:56
>>598
"言葉少な"は危険。
『後漢書』の「後」は「続き」の意味のはず。

と学んだのだが、
『前漢紀』の撰者が「東漢の荀悦」とは、これ如何に?!
603世界@名無史さん:03/08/08 23:06
中国の夏ってあったんすか?
604世界@名無史さん:03/08/08 23:09
>>603
毎年きますよ。日本と同じで、、、、急に暑くなりましたなぁ。

昔からありましたけど何か?
605世界@名無史さん:03/08/08 23:17
>>604
中学高校生質問スレでネタはイクナイ!

>>603
長いあいだ殷(商)王朝が架空の存在と考えられていたのに対して、
殷墟が発掘されて、甲骨文字で記された歴代の王の名が、伝承の
殷王の名と一致したため、実在が確認されたという経緯があります。
残念ながら、その前王朝である夏の時代には文字がなかったとされ
ているため、遺跡が発掘されても夏王朝のものであるという同定が
難しいので、夏が存在したことを実証するのは難しいと考えられてい
ますが、伝承を否定する理由もないため、夏も実在しただろうと考え
ている人が多いようです。
606世界@名無史さん:03/08/08 23:18
しまった、ここはあげ進行だった。
607世界@名無史さん:03/08/12 00:57
ageます
608@@@@:03/08/12 10:19
ヒトラーって4月20日の何時に生まれたんだ?
609世界@名無史さん:03/08/13 15:20
第二次大戦中に東京初空襲をしたB25はどこから来たのですか?
610世界@名無史さん:03/08/13 15:22
>>609
シャングリラ
611世界@名無史さん:03/08/13 16:00
>>609
航空母艦〈ホーネット〉から発艦しました。
米空母機動部隊を日本の哨戒艇が発見しましたが、海軍機は飛行距離短いから、攻撃を受けるまでに時間があると考えているときに
空母から陸軍航空隊のB25(双発で機構距離長い)が飛んできてびっくりしたとか。

東條首相は、茨城県に視察に行き、帰りの飛行機の中で爆撃中のB25を発見。
「ありゃなんだ?」とビクーリしたらしい。

ちなみに、シャングリラは、アメリカ軍の公式発表。
612世界@名無史さん:03/08/13 16:57
詳しい人が多くていいスレだ。
613世界@名無史さん:03/08/13 18:55
2つの疑問。

1614年にハドソン湾下流一帯に形成したオランダの植民地、
ニューネザーランドは60年代に英蘭戦争で英領になってますが、
1713年のユトレヒト条約でフランスがイギリスに
ハドソン湾地方を割譲しているのは何故?
ハドソン湾は2つあるとか?

あと、ウイーン会議の結果成立したドイツ連邦にイギリス・オランダ・
デンマークの各国王が何故35君主の中に含まれているのか?
同様に、神聖ローマ帝国の選挙制では、何故英王など、
帝国領以外の国王が選挙に出られるのか?
カール5世がフッガー家の援助でフランソワ1世を選挙で
破ったという話しが全然理解できません。

誰か教えてください。


614世界@名無史さん:03/08/13 20:29
>>613
分る部分だけお答えします。私は浅学なのでご満足いただけるかどうか不安ですが。
ニューネザーランドはハドソン湾下流一帯ではなく、ハドソン川下流一帯です。
ハドソン湾はカナダですね。ハドソン川下流とはつまりはニューヨークのことです。
かなり距離があります。ハドソン湾沿岸部分はつまりはケベックでフランス植民地であり、今もフランス系が多数を占め、
フランス語がケベック州の公用語となっています。

欧州では複数の地域の王を相続によって兼ねることは珍しいことではありません。
神聖ローマ帝国カール5世は同時にオーストリア大公カールであり、ブルゴーニュ大公カールであり、
スペイン王カルロス1世だったようなものです。これを同君連合といいますが、同君連合を結んだからと言って、
そのまますぐに同じ国になるわけではありません。

ウィーン会議の頃の英国の王朝はハノーヴァー王朝でしたが、これはドイツのハノーヴァー選帝候家が起源です。
ハノーヴァー選帝候ゲオルグの母方の祖母エリザベスが英国王ジェイムス1世の娘であったために、英国のスチュアート王朝の、
プロテスタント系が絶えた時、英国王に迎えられジョージ1世となったのです。
ハノーヴァー選帝候領は神聖ローマ帝国の解体に伴い、ハノーヴァー王国となりましたが、
ウィリアム2世までのハノーヴァー朝の英国王は英国王であると同時にハノーヴァー国王でもありました。
それと同様の事情が、デンマーク王(ホルシュタインに領地所有)、オランダ王(オラニエ・ナッソーに領地保有)にもあったと考えてください。
615永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/13 21:16
>>613
>1614年にハドソン湾下流一帯に形成したオランダの植民地、
>ニューネザーランドは60年代に英蘭戦争で英領になってますが、
>1713年のユトレヒト条約でフランスがイギリスに
>ハドソン湾地方を割譲しているのは何故?
ニューネザーランドは、イギリスに割譲された後にニューヨークと改名されました。
すなわち、現在のニューヨーク州とニュージャージー州のもとになった地域です。
アメリカ東海岸地方、すなわち大西洋に面した地域です。
ハドソン川は大河ですので、その最下流にともなると、ハドソン湾から遠く離れてしまっているのです。
なお、マンハッタン島が繁栄するようになったのは、
オランダがマンハッタン島一帯をニューアムステルダムと名付け、
ニューネザーランド植民地運営のための拠点を建設したのが始まりです。

ユトレヒト条約でフランスがイギリスに割譲したのは、
ハドソン湾に面した地域で、現在はカナダ連邦領となっています。
ニューネザーランドよりずっと北方にある地域です。
616永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/13 21:17
>>613
>あと、ウイーン会議の結果成立したドイツ連邦にイギリス・オランダ・
>デンマークの各国王が何故35君主の中に含まれているのか?
ドイツ連邦は、旧神聖ローマ皇帝ドイツ領から構成されていました。
当時のイギリス王室(現在もそうですが)は、もともとドイツのハノーヴァー選帝侯であり、
1837年までは、イギリス国王がハノーヴァー選帝侯(ドイツ連邦成立後はハノーヴァー国王)を兼任していて、
ドイツの領主の中の一人でもあったから。
オランダは、国王がウィーン体制成立後に、ドイツの領邦の一つであるルクセンブルク大公を兼ねることになり、
イギリス王と同様に外国の君主であると同時に、ドイツの領主でもあったから。
デンマークは、旧神聖ローマ帝国ドイツ領のシュレスヴィヒ公国、ホルシュタイン公国を支配下に置いていたからです。

>同様に、神聖ローマ帝国の選挙制では、何故英王など、
>帝国領以外の国王が選挙に出られるのか?
神聖ローマ帝国の皇帝は、帝国内の領主から選出されなければならないという規則はありません。
選帝侯による選挙で選出された人物なら、誰がなっても別に問題は無いのです。
617永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/13 21:19
ああ、ageるべきところを、sageてしまいました。
失礼しました。
618世界@名無史さん:03/08/13 21:50
>>615
大した間違いではないのだが、やはり中学高校生質問スレだから、訂正しておこう。

> ニューネザーランドは、イギリスに割譲された後にニューヨークと改名されました。

正確には、ニューネザーランド植民地の中心地(首都)であるニューアムステルダムが
ニューヨークに改名され、あわせて現在のニューヨーク州部分もそのように呼ばれるよ
うになっている。

ttp://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/28-syokumin1.html
619世界@名無史さん:03/08/13 23:44
>>614〜618

ありがとうございます。
ハドソン湾とハドソン川が違うモノだと気が付きました。
同君連合の話しも理解できます。
選挙のことですが、「ドイツ国民の」と付加語がつく
帝国の皇帝に、イギリスやフランスの国王が立候補できるのは
変な話しですね。

読んでて気になったんですけど、
 ○ ニューアムステルダム→ニューヨーク
 × ニューネザーランド→ニューイングランド
ですよね?
ニューイングランドは英蘭戦争以前に英領として形成されてたと思います。
620618:03/08/14 00:10
>>619
> 読んでて気になったんですけど、
>  ○ ニューアムステルダム→ニューヨーク
>  × ニューネザーランド→ニューイングランド
> ですよね?

違います。ニューアムステルダムがニューヨークになったのは正しいですが、
ニューネザーランドとニューイングランドは同時期に並存していて、当然です
が前者がオランダ人植民地、後者がイギリス人植民地です。
地理的には隣接していましたが、両者はあくまで別のもので、同じ土地が改
称したわけではありません。
621世界@名無史さん:03/08/14 11:51
"×"の意味は〜
622世界@名無史さん:03/08/14 13:41
>>621 かけざん のしるしです。
 日本では九九(「くく」と発音します)といって、一桁同士のかけざんの答えを記憶するのが一般的です。
 下のページで練習してください。
http://www.osumi.or.jp/sakata/kakezan/kuizu.htm
623世界@名無史さん:03/08/15 16:56
お盆age
624山崎 渉:03/08/15 18:09
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
625パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/17 11:13
ageるね。
627世界@名無史さん:03/08/17 20:49
質問です。中世の絵画は古代ギリシャの絵画に比べると
美術レベルが劣化しているように思われます。それはオマエの
主観だ、と言う突っ込みは無しでお願いします。時代が進んで
いるのに美術(アカデミズム)が劣化するというのはどうしても
不可解です。ビザンティンのモザイクもいまいち古代美術に比べる
と・・・・(′Δ)って感じなのですが?
628世界@名無史さん:03/08/17 22:05
>>627
クラス全員がそこそこ勉強できるクラスがあったとしよう。
ある日、何らかの理由で半数が転校してしまい、
かわりに同数の転校生が入ってきた。
ところが、そいつらはアホだった。
みんなで勉強を教えてやったり、
逆にそいつらに刺激受けたりしながらだんだん平均点が回復してきた。
まあ乱暴だがそういうこと。
年数が経てばその分野が洗練されるとは限らない。
629世界@名無史さん:03/08/17 22:18
>>628
ふぉ。あまり中学高校生を惑わすようなことを言ってはいかんの。

>>627
ふむ。良いところに目をつけたのぉ。そのような観察が大切なのじゃよ。
出来れば、それがなぜなのかまで自分で考えることが出来るともっとよ
いの。じゃから、直接の答えを明かさず、ヒントを教えてしんぜよう。

まず、ギリシャやローマ、そして雰囲気はちと違うがエジプトなどの絵画
美術が栄えた古代社会と中世の欧州の最大の違いはなんじゃろうの?

ヒントは「宗教」「偶像崇拝禁止」「裸体忌避」じゃ。

さて、あとは自分で調べ、よく、考えてみることじゃな。
630世界@名無史さん:03/08/17 22:23
>>629
表現上の要素の推移はそれで説明できるけど、
描写が「より素朴」になったのは説明できないんじゃ?
イスラム圏みたいに抽象美術だけでも高度な表現を可能にしたところもあるし。
631世界@名無史さん:03/08/17 22:32
>>630
ふぉ。需要のないところではな、技術は衰退するものなのじゃよ。
632第20軍団兵:03/08/17 22:52
>627
古代ギリシアの"絵画"って伝わっているの?彫刻のまちがいでないかい?
絵画というならポンペイの壁画等が有名ですね。(しかし、みんな名無しさんな所がミソ)

>628
いいかげんなことを書くな。
古代の写実的な絵画は室内装飾の一部として主としてローマ世界で発展した。
この様な壁画はローマ帝国末期頃から流行らなくなっていき、家具等への彫刻へシフトしていった。
ギリシア・ローマ的彫刻の主題もヴィラやドムス等の屋敷建築が下火になると共に公共建築物の建築も
減っていった。つまり、発注者がいなくなったのが原因にある。
これに対して教会建築とその装飾の分野は需要が常にあり、それなりの物が作られていった。
10c頃までは装飾は主として信徒の教化のためか、作品の動作と持ち物等の人物の象徴を
強調するようになっていたが12cには再びリアルの追求が始まり、
その証拠は教会の出口に見ることができる。
なお、彫刻が主流だったのは、石に彫るということによって永遠性、真実性が保証されると考えた
中世の人々の感性の問題。
633世界@名無史さん:03/08/18 00:36
西ヨーロッパの聖書や注釈書の挿し絵なんかはかなり稚拙だけど、これはなぜですか?
あれはどの時代でも一定の需要があったはず。
634世界@名無史さん:03/08/18 06:12
627ですが再び質問です。
古代の美術や学問を知っていた学者達が東ローマの方に
逃げたとしても、あの絵の稚拙ぶりはないんじゃないかと・・・・。
印刷技術の問題でアカデミズム等の伝達がスムーズにいかなかった。
でも修道院などのネットワークはあったはず。当時暗愚な民族が侵入した
とはいえ、元のレベルに戻るまでどうしてルネッサンスを待たなければ
ならなかったのか?もう一つお願いします。ナント勅令の頃から人類の
思想や知性は停止したといいます。ナント勅令の「意義」を哲学的考察を
交えて説明お願いします。本の説明では簡略すぎて暗愚な私には理解
できないのです。

635パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/18 11:21
誤解があるのでは?

ナントの勅令……1598年、フランス王アンリ4世が発したもの。信教の自由を認めてユグノー戦争を終わらせた。
ルネサンス……14世紀イタリアに始まった文芸復興運動。

ルネサンスのほうが年代的に前だから、「ナントの勅令による思想と知性の停止」(これもよく分からないけど)がルネサンス以前の絵画の稚拙さの原因にはならない。

あと、これは私の個人的考えとして聞いて欲しいんだけど、
修道院で延々聖書読んでる輩が、絵とか学問とか興味持つのかな。
そもそも本来は、偶像崇拝不可。何とか残ったのはゲルマン人に布教するのに使えたから、ぐらいに思ってたんだけど。
636世界@名無史さん:03/08/18 14:50
質問っす。世界史の資料集を見ると後2世紀のローマ帝国の領土は、現在の
イングランドやフランスは領土になってますが、なぜドイツを占領しなかった
のですか? やはりゲルマン民族はこの時代にはローマ帝国に
それなりに対抗できる勢力であったと考えていいんですか?またどんな国家体制
だったのでしょうか?
637世界@名無史さん:03/08/18 16:37
>>635
でもそうやって布教されたゲルマン人、ゲール人は教会文化の担い手にもなったわけでしょう?
特にゲルマン人、ゲール人の影響が濃いものは図案の様式化が顕著です。
聖書の注釈書の挿し絵なんか、各地で色々なバリエーションが展開してるじゃないですか。
だから>>635がおっしゃるように絵画を含め芸術活動が停滞していたとは考えられないんです。

稚拙、写実主義的でない、という人もいますが、
ギリシアローマ期の絵画表現が、そうかけはなれて写実的であったようには思えません。
これはポンペイ壁画の夫妻像なんかを念頭において言っているわけですが、
表情や個性の表現を除けば、ビザンツのイコン芸術と大して変わりないではありませんか?
表情や個性の表現については、すでに帝政後期に様式化の圧力に押しやられてしまった印象があります。

つまり、需要がなくなったから稚拙化したのではなく、
ゲルマン人、ゲール人+教会活動という二つの要素の導入によって需要が特殊化したから様式化した、
といったほうがいいのではないかということです。
638山埼渉:03/08/18 18:53
>>581
>>ルイ14世の行った絶対王政って何ですか?

それまでのフランスは、領主の権利が強く、王権とは名目だけのものになっていた。
ルイ14世は、国王の権力を強めて中央集権を進めていく過程で、領主階級の分断を図り、
一部の領主を味方につけて権力を維持し、逆らうものは取り潰したり、地方貴族として権力から外した。

王権に協力した領主は、宮廷貴族として、行政や軍隊の主要な地位に就いた。
また、すべての領主は、騎兵団を解散させられ、国王軍に編入された。
また、全国民が国家に税金を納めることになった。
かつての領地単位の枠組みが除外されたことは、商売人にとってはありがたいことだった。
かつてよりずっと広い経済圏が誕生したことになる。
一部の特権商人は王権と結んで利益を上げたが、権力を動かすまでにはいたらなかった。
そのほかの市民(ブルジョア)も、この体制で経済力をつけていたが、やはり被支配階級だった。

この時代をもって国民国家と評価する人たちもいるが、絶対王政は依然身分社会の一種であり、
人口比で国民の数%の聖職者と貴族、特に宮廷貴族(領主)が国王と結んで国民
(市民=ブルジョア/、農民、都市の貧民)を支配していた。
フランス革命以降、フランスは国民国家になったと見るべきだろう。
639超厨房:03/08/18 20:57
カノッサの屈辱で、神聖ローマ皇帝は教皇を廃位できたんですか?
640パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/18 21:25
>>636
ローマは何度かゲルマニアを征服しようとして失敗しています。
この時代のゲルマニアでは、成人男子全員が参加する「民会」というのがあって、これが決定権を持っていたようです。
あまり重要ではないことに関しては、首長が決定権を持ったとのことですが。
首長は部族の中から勇気あるものが選ばれましたが、その時に血統も重視されたとか。
この時代のゲルマニアに関しては、同時代のローマ人作家タキトゥスの『ゲルマニア』というのが詳しい、というか唯一の史料です。

>>639
グレゴリウス7世は、カノッサの屈辱の8年後、1085年まで教皇位にありました。
1083年にハインリヒ4世にローマを奪われ、サレルノに逃げましたが、教皇位は降りていないと思います。
対立教皇も立てられてはいませんから。
641世界@名無史さん:03/08/18 21:36
中世の聖書などの挿絵は、絵心のある人間が見れば明らかにデッサンが狂っているものが殆どなのは確かです。
これらは修道士たちが写本の際に描いたもののようで、専門の職人が描いたものとは思えませんね。
(需要があっても、内容を理解していなければ絵は描けませんから、おそらくは修道院の中の絵の上手かったとされた者に・・・。)

中世でも13世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が著した『鷹狩りの術』の挿絵類も皇帝自身が描いたものと言われていますが、これはかなり高レベルの絵です。
北宋の風流天子のものに勝るとは言いませんが、それと比べても決して劣ったものでもありません。
(機会があればご覧あれ。
「フリードリヒ2世著 鷹狩りの術 1260年」 ファクシミリ版 グラーツ刊 1969年 ¥790000
1999年3月に日本橋の丸善で行われた中世写本の展示即売会で出てきた代物。
様々な動物の絵がカラーで記されており、当時としては実証方的手法を使ったかなり科学的な書物だったらしいが、こんなに高くては手の出し様もないし、飾り文字ばかりで殆ど読めない。
この版は原本のスタイルそのままに、皮張りで木の裏打ちをした本格派、更に専門家の解説書も付いているというすぐれ物。
・・・本それ自体は入手困難だとは思うけど、歴史関係の本で一部が載っていることもあるので。)

14世紀頃になると、かなり写実的には優れたものが出始めます。
これらは美術関係の本を探せば簡単に見る事が出来るでしょう。
絵画などは個人の資質も重要ですが、技法の訓練や繰り返しの練習無しに上達する事はありません。
製紙法が伝わったとされる時期と絵画がより写実的になった時期が近い事を考えると・・・。
うーむ、当時の紙の値段(羊皮紙よりは安いが)を考えると、この二つを結びつけるのは無理があるかなぁ?(墓穴掘り)
642世界@名無史さん:03/08/19 00:03
東方正教会のイコンは、元になったいくつかのオリジナルを除けば
すべて忠実な複製で、作者のオリジナリティは一切でないように作られているよね。
信仰心を表現するためには、別に美術的独創性が必要というわけでもなく
むしろ邪魔だと考えられている文化・時代もあるってことでしょうか?
643世界@名無史さん:03/08/19 03:21
「イコンの馬鹿」ってロシアのおはなしだよね
644世界@名無史さん:03/08/19 03:29
>>643
「イワンのばか」
645636:03/08/19 11:55
>>640
ありがとうございます
646世界@名無史さん:03/08/19 13:27
804 :世界@名無史さん :03/08/19 06:20
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045499757/l50

「永遠の青」については上記のスレ677番〜参照












647世界@名無史さん:03/08/19 19:22
イコンって何…
648世界@名無史さん:03/08/19 19:29
コンピュータの画面上にいっぱい表示されとるだろうが。<イコン
649世界@名無史さん:03/08/19 19:43
>647
まあ>648の言うように「アイコン」と語源は一緒なんですが、
東方正教会には必ずひとつある聖像です。詳しくはこちら↓
www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8334/
650世界@名無史さん:03/08/19 19:51
>>649
丁寧に有難うございます。
651世界@名無史さん:03/08/19 19:57
検索くらいしてから質問しようね(;´д`)
652世界@名無史さん:03/08/19 20:14
>>651
丁寧に有難うございます。
653世界@名無史さん:03/08/19 21:45
ということは、絵を専門に描く者がいなくなったと言うことか。
パトロンがいないのか。ローマの時代背景を知らないと。
654超厨房:03/08/19 21:49
>>639
ありがとうございます
655世界@名無史さん:03/08/19 22:25
新羅の読み方について質問。
最近テレビでは<しんら>と読むようです。
昔は<しらぎ>だったと思うんですけど、なぜ読み方が変わったのでしょう?
656世界@名無史さん:03/08/20 07:55
>>655
読み方において異説が多いからです。それでとりあえず音読しとこう、ということになったのですね。
「しんら」が正しいという訳ではありません。
シラ、シルラが有力ですが、ではギはなにかというと、蔑称ではないかとも言われています。
「シルラの野郎」ぐらいのニュアンスではないかと。
657世界@名無史さん:03/08/20 08:50
>>バシッチさん
ナントではなく「ミラノ勅令」DC313の大間違いでした。
質問内容を混乱させて申し訳ありませんでした。
658世界@名無史さん:03/08/20 10:44
私も今は「シルラ」と読んでいますが、学校で習ったときはやはり「しらぎ」でした。
最近の学校ではどう教えてるんでしょうか。
659世界@名無史さん:03/08/20 11:54
>>656
なぜ「ギ」を付ける事が蔑称になるんですか?
660世界@名無史さん:03/08/20 12:10
「ギ」は城という意味だと聞いたことがあるが。
661_:03/08/20 12:15
662世界@名無史さん:03/08/20 13:11
高麗末期の辛昌王とはだれでしょう?
何故王姓ではないんですか?
もしかしてこれは易姓革命といえるの?
663世界@名無史さん:03/08/20 16:16
>>662
朝鮮半島では、結婚しても名前は変わらないんだよ。
664656:03/08/20 16:33
>>659
すいません、そこまでは分りませんが、ギをつけることが音韻変化上なかなか
考えにくいことなので、「敢えて」つけたということはありそうなことです。
百済語ではないかと言われていますが。
665世界@名無史さん:03/08/20 20:12
↓のサイトとに書いてあったのですが
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-King/6523/Sekaisi_04.html

>1917年から1953年のスターリンの死までに共産圏が虐殺した数 1億1千万人
>毛沢東が虐殺した数 5000万人
>1937年から1938年までの『一年間で』スターリンが虐殺した数 2000万人
>カンボジアは共産化してから『3ヶ月の間に』300万人が虐殺

というのは本当ですか?
以前話題になった『共産主義黒書』にもそこまでは書いていなかったと思ったのですが。


>戦争と侵略をしてかないと内部崩壊してしまう構造をしてる
>他国を侵略して物資と金を奪わないと自力じゃやってけないんだ

これも事実なんですか?
それならソ連が崩壊した途端にキューバやベトナム・北朝鮮が経済危機になったのは何故?
もはやソ連から略奪される心配がなくなり、かえって豊かになるはずでは?
という疑問がわいたのですが。
666世界@名無史さん:03/08/20 21:08
>>665
それ以前に自己矛盾している。

>>他国を侵略して物資と金を奪わないと自力じゃやってけないんだ
が正しいと仮定すると、
>もはやソ連から略奪される心配がなくなり、かえって豊かになるはずでは?
は成り立たないのでは? 奪われなくても奪わなきゃ崩壊するじゃん。

そんないい加減なサイト信じるなよ。
馬鹿でを洗脳するように単純化して抽象化して都合よく書いてあるんだから。
数字は推定だから誤差が大きいけれど、まあ無難なものを並べてあるな。
667世界@名無史さん:03/08/20 22:45
>>658
私が高校生の頃(90年代後半)は
教科書に「しんら(しらぎ)」というルビがふられてました。

>>662
辛昌王の父辛[示禺](しんぐ)王はその前の恭愍王の庶子という説と、
実は恭愍王の権臣の辛[日屯](しんとん)の実子だという説があるためです。
辛父子を殺して200年も前の国王の七世孫の恭譲王を引っ張り出してきた
李成桂あたりの軍人連中が弑逆を正当化するためにでっちあげた気配あり。
668世界@名無史さん:03/08/20 22:56
ということは、王の庶子なんですね。
無論当時は辛昌でなく王昌だったと。
669665:03/08/20 23:03
>>666
すいませんヾ(TдT)ノ゜
始めはフンフン言いながら読んでいたんですけど、
だんだん変な気分になってきて。
670世界@名無史さん:03/08/21 00:15
安静に汁
671世界@名無史さん:03/08/21 00:46
トルコ好きなんですよ、オスマン・トルコ。
ケマル・アタテュルクはいろんな改革をしました。
政教分離も図りました。
俺の好きなスルタン制も廃止しました。(ノд`)

ここで質問。
ならばなんであの三日月の国旗も変えなかったんですかね?
672世界@名無史さん:03/08/21 00:56
日本語読みがしらぎで韓国語読みがしんら(正確にはシルラ)
だったはず。
百済くだら(ぺくちぇ)ってなってなかった?
673世界@名無史さん:03/08/21 01:43
>>671
オスマン好きならオスマン・トルコなんて言わないでくれ。

それはそうと、例の新月の旗はもともとトルコ国土固有の旗で
(ビザンティオンのシンボルという説だとか
肥沃な三日月地帯のシンボルだという説だとか諸説あるが)、
あとからオスマン帝国、イスラムのシンボルになったということになってるから
イスラムと関係なく、変える必要なしということみたいだな。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/wc2002/country/7.html
本当のところはどうだか謎。
674世界@名無史さん:03/08/21 01:52
>>673
正式ではないと思っても、ついついそうゴロがいいので
ついそう呼んでしまいます。

解答サンキュです。
675世界@名無史さん:03/08/21 02:02
トルコが出てきたんで書いてもいいかな。
今、上野公園にある東京都美術館で「トルコ三大文明展」がやってるんで
興味のある人は行ってみるといい。「トプカプのエメラルド入り短剣」
がメインでヒッタイト、ビザンツ、オスマンの三帝国の作品が展示されてる。
関連HP ttp://www.nhk-p.co.jp/ 
で割引引換券が入手できるみたいだ。知ってれば大学生1100円買わなかったのに。
676世界@名無史さん:03/08/21 02:32
>>675
マヂで?
俺大阪だけど来週早速行くよ、サンキュ!
ビザンツ関連もあるなんて、夢のようだ。
677世界@名無史さん:03/08/21 04:56
>>676
オイオイ早まるな、年末年始に大阪展もあるぞ。
ttp://www.nhk-p.co.jp/tenran/turkey/index.html

しかし先月と先週のNHKスペシャルの放映見逃したよ…ショック。
678世界@名無史さん:03/08/21 13:43
東京展はアレキサンダー大王展とのカップリング割引券あり。
これもおもしろいぞ。しかも両者響きあうものがあるし。
行ける奴はぜひ両方とも見ろ。
679世界@名無史さん:03/08/21 22:35
>>664
ふぉ。新羅を「しらぎ」と読むのは蔑称という説は初耳じゃの。一般的には>>660のお方の言うとおり
「ぎ」は城のことじゃと考えられておるようじゃぞ。
ここは中学高校生用の質問スレじゃで、あまり珍妙な説を持ち出すのは控えたほうがよいじゃろの。
日本では古代から新羅と書いて「しらぎ」と読んでおったのじゃが、すでに理由は伝わっておらんよ。
百済を「くだら」と読むのも同様に古代からの慣習じゃで、正しいも間違いもないじゃろうの。
680世界@名無史さん:03/08/22 09:17
>>679
新羅を「しらぎ」と呼ぶのが蔑称というのではありません。「ぎ」が蔑称ではないかという説がある、と言っているのです。
「しらぎ」全体で「黄金の城」を意味するとも言われていますが、これとても定説とまでは言い切れないのです。
あなたが知らないのはご自由ですが自分の無知を棚に上げて知らないことを珍妙説呼ばわりするのはいかがなものかと。

「くだら」はぺクチョンが音韻変化してそうなったという説が有力です(定説とまでは言い切れません)。
681世界@名無史さん:03/08/22 10:20
>>680
少なくとも定説や多数説になっていないものを中学高校質問スレに回答として書き込
むほうが非常識だ。
通常の歴史関係の書籍や百科事典レベルでは「ぎ」は城のことであろうという解説が
多いようだし、「ぎ」が蔑称であるという説は見あたらない。

漢字の音として新羅をシラと読めることや、古代日本で城を「き」と発音したことは常識
の範囲(例:大宰府付近の水城など)であるし「しらき」が音的に「しらぎ」に転化するこ
とも穏当な推測だから、あえて解説は必要としないだろうが「ぎ」が蔑称であるという異
説を唱えるのであれば、それなりの根拠や典拠を示すべきだ。

> 「しらぎ」全体で「黄金の城」を意味するとも言われていますが

繰り返すが、中学高校質問スレの回答には、あまり恣意的な説を引用するのはやめて、
定説ないしは多数説の範囲で説明するほうが妥当だろう。

朝鮮史もアフリカ史ほどではないが、ナショナリズムに毒され「在野」の歴史家なるもの
が活動してるために、出版されたトンデモも多いのだから、紹介するのに取捨選択が必
要なのだということ理解して、自分で判断できないなら、中学高校質問スレにそのまま
書き込むのはやめてくれ。
682とりあえず:03/08/22 12:43
『日本書紀』の古訓では「シラギ」じゃなくて「シラキ」になってるよ。
岩波文庫版の註釈では、「新羅は、万葉に新羅奇。出雲風土記に志羅紀とある。
紀はキ乙類(※発音記号は省略)の音であるから、城(キ)と同語であろう。
百済で、城をキというから、シラキという名は、百済が新羅を呼ぶ名として起った
ものではあるまいかと思われる」としている。


>>680
>「くだら」はぺクチョンが音韻変化してそうなったという説が有力です

どういう説かは知らないけど、ペクチョン→クダラってちょっと苦しそう。
683世界@名無史さん:03/08/22 12:49
歴史の映画の感想文書かなきゃなんないのですが、どこかいいサイトあったら教えて下さい
684世界@名無史さん:03/08/22 12:54
>>682に追加。

奇、紀、城も万葉仮名では、キ乙類の清音です。
685世界@名無史さん:03/08/22 14:43
15世紀の、ヨーロッパやビザンツ帝国における人々の
服装を知りたいのです。
世界史板にそういうスレがあったら教えて。
686世界@名無史さん:03/08/22 16:52
>>682
「シラキ」→「シラギ」の音韻変化は特に不思議じゃないね。
例えば、茨城は地元住民に言わせると「イバラキ」が正しいそうだが、
他県の人々のおおくが「イパラギ」と発音しているな。

「ベクチョン」→「クダラ」という音韻変化がありうるのかどうか、興味が
あるので専門家のいる他板のスレに質問をしておいた。
687686:03/08/22 22:37
このテーマについて、2ch周辺で最も詳しそうな人のいる総督府板に質問した回答です。
−−
368 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2003/08/22(金) 14:50 ID:XI2Gm1z6
2chの世界史板から質問に参りました。

1 新羅(しらぎ)と呼ぶのは、「ぎ」が蔑称であり、全体としては「新羅野郎」といった意味である
2 「くだら」はぺクチョンが音韻変化してそうなったという説が有力

という主張を展開している人がいるのですが、先生方はこのような説をご存知でしょうか。
また、そのような可能性はあるものなのでしょうか。 (以下略)

369 名前: 娜々志娑无 ◆NcNEDmUA [sage] 投稿日: 2003/08/22(金) 20:53 ID:I.9owus2
>>368 世界@名無史さん

 総督府へようこそ。さて、ご質問の「シラギ(新羅)」「クダラ(百済)」の語源については
過去スレや本スレ(百済→>>230,>>232、新羅→>>325-351)で何度か取り上げたことが
ありますが、残念ながら現状では定説と言えるようなものはありません。ただ、あなたが
1・2としてお挙げになった説(2ちゃんでは結構ポピュラーな説のようで、私も何度か見
かけたことがあります)について言えば、1は蔑称の「ギ」の実在に疑問がありますし、
2も言語学的に見てまずあり得ない音韻変化ですから、どちらも、とりわけ後者の方は
正解の可能性はほとんどないと言ってよいと思います。 (以下略)
688世界@名無史さん:03/08/22 23:38
新羅だけで1つスレが建てられそうな勢いだな。
689世界@名無史さん:03/08/22 23:54
>>687
おつ。
答えてくれた総督府の先生もカムサ。
690世界@名無史さん:03/08/23 03:15
>>686
イパラギか。
君の知り合いは珍しい発音の仕方しとるんだな。
691世界@名無史さん:03/08/23 11:57
>>690
いや、漏れの友人が茨城県人なんだ。他県の連中が「イバラギ」と発音する
のが不快なので、言われるたびに訂正しているけどきりがないと嘆いている
ということなんだが。

ところで、回答のない質問を再掲しておこう。

> 683 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 03/08/22 12:49
> 歴史の映画の感想文書かなきゃなんないのですが、どこかいいサイトあったら教えて下さい

> 685 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 03/08/22 14:43
> 15世紀の、ヨーロッパやビザンツ帝国における人々の
> 服装を知りたいのです。
> 世界史板にそういうスレがあったら教えて。

どちらも知らんが、服装ならフックスの「風俗の歴史」あたりを参照してはどうかな。
692世界@名無史さん:03/08/23 13:38

「世界中の何百万人ものプレーヤーが集う大人気カジノ!
あなたも体験してみませんか」

http://www.imperialcasino.com/~1p3q/japanese/
693世界@名無史さん:03/08/23 14:01
>>680
いつまでも引きずるような話題でもないだろうが、百済を「ぺクチョン」などと
読むことはありえないな。
それを言うなら「ペクチェ」か「ペクジェ」だろう。ペクチョンでは被差別民の呼
称になってしまう。
694世界@名無史さん:03/08/23 17:43
ブラックミュージック等、黒人差別に関する事を論文のテーマにしてるんですけど、
いいサイト知りませんか?
そういう事を話し合うスレとかも教えてもらえると嬉しいです。。。
695シオン:03/08/23 18:17
はじめまして★夏休みの世界史のレポートのテーマを文化大革命に決めたものの、本やインターネットで調べても私には少し難しすぎます。文化大革命をどんな視点で考えるのが良いのでしょうか?
696世界@名無史さん:03/08/23 19:34
>>691
二文字目を再確認してみろw <イパラギ
697世界@名無史さん:03/08/23 19:34
>>683
映画の感想文は、
自分で実際に映画を見て書くものです。インターネットを見て書くものではない(怒)
江の川
698世界@名無史さん:03/08/23 19:45
>>695
当時の世界の状況を考慮した上で考えるとヨシ。
ただ、どう書きたいのかがわからない。文化大革命はあなたの思想によって捕らえ方が変わるものだからな。
インターネットで調べてもわからない、というならテーマ変更を奨めるが・・・
699世界@名無史さん:03/08/23 23:33
>>695
文革は、君らとあんまり歳の変わらん子らが暴れ回った事件ですから、
自分に引きつけて考える、というアプローチが案外使えるんじゃないかな。

紅衛兵がどのように形成され、また彼らは何を考えていたのか。彼らの間にはどんな対立や分裂があったのか。
彼らと親や教師、社会の関係はどうであり、また彼らはそれをどう理解していたのか。
彼らに与えられていた条件と、今の日本の若者のそれとはどこが同じなのか違うか。
まあ、平たく言うと、自分が紅衛兵だったらどうしたかとか、今だったらどの教師を殴ってやりたいか、ということですね。

未読なら、「私の紅衛兵時代」陳凱歌、「紅衛兵の時代」張承志、等を読んでみるといいかも。 
700世界@名無史さん:03/08/24 00:31
>>693
「百済」は「ペクチェ(→ひゃくさい)」と振り仮名がふってあったな、最近立ち読みした本に。

「くだら」ってのは「クン・ナラ」、「大国」って意味の言葉らしい。
百済の人が自分達の国を自分達の言葉で、自称「クン・ナラ」って呼んでいたのを、日本人が「百済はクンナラ(→くだら)と読むんだ」と理解したという説もある。
701世界@名無史さん:03/08/24 07:04
>695
文革全体を扱うと、夏休みレポート程度の分量ではテーマとしては大きすぎますね。
「文革の○○について」など、さらにテーマを自分なりに絞り込んで調べていくのがよいかと。
702世界@名無史さん:03/08/24 08:51
ちょっと前のナージャに出てきた
昔からずっと建設中の教会だか
聖堂だかの名前って何でしたっけ?
703世界@名無史さん:03/08/24 11:16
ナージャってのを知らないので
あてずっぽだけどサグラダ・ファミリアのことか?

704世界@名無史さん:03/08/24 14:43
昔からと言っても1883年からだけどね。サグラダ・ファミリア教会。
ナージャの時代だと製作者のガウディはまだ存命中で、建築の真っ最中
のよーな。
705世界@名無史さん:03/08/24 16:10
このスレはアゲ進行でお願いします>all

>>700
反論ということではないが、当時の百済と日本の関係の深さから考えて、日本
人が誤解していたという可能性はほとんどないと思う。
むしろ、百済人自身が日本で言えば大倭(大和)と書いて「ヤマト」と読んだりし
たように、百済と書いて「クタラ」と読んで(自称して)いた可能性のほうが高い
のではないだろうか。
逆に同時代の他国(高句麗など)が「ひゃくさい」に近い読みをしていただろうと
も推測されるので「くだら」「ひゃくさい」の併記が最も妥当だろうと思う。
言語学に詳しいわけではないので、断定は避けるが、ペクチェは現代韓国語の
発音なんじゃないかな。
706世界@名無史さん:03/08/24 20:24
707世界@名無史さん:03/08/24 23:05
ミシシッピ川以東のルイジアナは、
1783年のパリ条約でスペインに割譲されてますが、
1800年にスペインはフランスにそれを渡してます。
なんのためでしょうか?
王政をまもるため?
708世界@名無史さん:03/08/25 01:16
こんばんは。初書き込みです。宜しくお願いします。

実は「ポエニ戦争」についてレポートを書くのですが(夏季課題です)、世界史のレポートってどのように書けばよいのでしょうか?

どなたか、教えてください。宜しくお願いします。
709世界@名無史さん:03/08/25 01:41
>708
とりあえず「小論文の書き方」といったタイトルの本で一番薄い奴を買ってきて読むべし。

基本的には序論・本論・結論の3部構成。
序論では、その論文で扱う問題とアプローチ手法を明確に限定し、結論を予告する。
本論では、各章の冒頭でその章で扱う問題を提示し、
それに対して明確に文献の引用を交え自分の主張を展開。
結論は序論を受けて、簡潔に自分の結論を記述。合わせて
今後の研究課題も併記しておくとなおよし。
そのあとは形式にのっとって参考文献一覧を付して終わり。
710世界@名無史さん:03/08/25 02:07
>>709 アドバイスいただき、どうも有難うございました。
711世界@名無史さん:03/08/25 03:33
どうしてこの板の人たちは、揚げ足取りが好きなんでしょうか?
712世界@名無史さん:03/08/25 10:04
いきなり何言ってんの?
713世界@名無史さん:03/08/25 10:37
互いに揚げ足を取り合うことで知識の偏りを防いでいるのである。
という戯言。
714世界@名無史さん:03/08/25 12:29
>>711
揚げ足と受けとる奴は糞。
間違いを訂正してもったと受けとれ
715世界@名無史さん:03/08/25 12:36
結局どうしてナチスによるユダヤ人大量虐殺は起こったのですか?
検索したりしてもこのあたりはどうもバシッと書いてなくてわかりません。
716世界@名無史さん:03/08/25 12:42
趣味だよ
717世界@名無史さん:03/08/25 18:39
もっと質問に手早く答えろよスレ立てるぞ
718世界@名無史さん:03/08/25 20:17
>>673
オスマン・トルコという言い方はまずいんですか?
719世界@名無史さん:03/08/25 20:25
メンシェヴィキはボリシェヴィキに比べて
暴力的手段に頼ることが少なく自由主義者との連携にも賛成し
漸進主義的で独裁的党運営に反対していたように思われますが
彼らが1917年以後権力を保持すればロシア革命はより温和なものに
なった可能性は無いのでしょうか
720世界@名無史さん:03/08/25 22:16
くだらない質問ですが、近代欧米史というと、何年くらいからなんでしょうか?
721世界@名無史さん:03/08/25 22:28
>>718
まずくはないが、オスマン・トルコという呼称は
トルコ人が支配民族であったという誤解を招くということから、
最近は使われません。

>>720
ふつう西欧の「近代」は東ローマ帝国の滅亡かルネサンスからだけど、
教科書だとフランス革命以前を早期近代とか近世とか呼んで
それ以後の近代とか近現代とか呼ばれる時代と区別してたような。
722世界@名無史さん:03/08/25 23:04
>720
近代、近世、現代、近現代の英語を教えてください。
723世界@名無史さん:03/08/25 23:18
>>715
ナチドイツのユダヤ人虐殺の問題については、自由に語れるテーマとなっていません。
ドイツでは、ユダヤ人虐殺の事実関係に疑問を示すことは法律違反となっています。
つまり、まともな研究は成り立たないので、そのような疑問への明快な回答は政治的
プロパガンダ以外には存在しません。

>>719
歴史にIFはありません。メンシェビキが権力を掌握するためには、ボルシェビキを排除
する必要がありますが、その過程で流血と急進化が進んだかもしれません。
フランス革命の例のように、革命が過激化することは社会主義革命に限定されたこと
ではないので、メンシェビキなら穏健な革命が可能だったとする必然性はないでしょう。
724720:03/08/26 00:11
>>720
ありゃりゃ。ヨーロッパの「近代」ってそんなに前からなんですか?
まあ、試験範囲の「近現代」は恐らく後者ですね。
どうも有り難う御座います。

>>722
ハイ? 私にきいているんでしょうか?
え〜・・・質問の意味がよく分からないのですが、
英語の勉強がしたいんですか?
シェイクスピアやブロンテ姉妹など、格調高い英文学を読んでみては?
725例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/08/26 00:22
>>724
>>722が言いたいのはきっと、英語だと全部modernだぞ、というウンチクだと。
726世界@名無史さん:03/08/26 00:52
中国近現代史について勉強したのですが、お勧めの書籍などあったら教えてください。
727世界@名無史さん:03/08/26 00:56
共産主義ってどうしてあんなに毛嫌いされるのでしょうか?
728世界@名無史さん:03/08/26 01:33
729パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/26 09:34
>>727
感情論に答えるのはすごく難しいのですが、
「金持ちが握ってる今の政府は、俺たちが暴力でぶっ壊していいんだ」
とか考えてる人たちが、(とくにその政府や社会を支えてる人たちに)嫌われるのは当然かと。
あと、共産主義では宗教を認めない、つまり共産主義者=無神論者、というのも欧米では嫌われました。
730世界@名無史さん:03/08/26 09:40
ビザンツ皇帝ユスティニアヌスの業績を年代順に、
そして彼の歴史的評価をレポ一枚分書かなきゃいけないのですが
何か良い資料はないでしょうか。

他に、西ヨーロッパの封建制度の特色を
ビザンツ帝国の封建制度と比較し述べよというものもあるのですが‥‥
731世界@名無史さん:03/08/26 11:26
>729
嫌われてるわりには、先進国で今共産主義的勢力が一番元気なのが
ヨーロッパだったりするのが興味深い。
732世界@名無史さん:03/08/26 12:41
>726 中国近代史の本
1、山川出版社 世界各国史3、中国史(尾形勇)
2、山川出版社 世界歴史体系 
        中国史全5巻の第5巻、清末から現代(松丸道雄)
3、東京大学出版会 中国近現代史 上巻しか出版されていない。
4、法律出版社 図説中国近現代史

1 は解りやすい。
2 は大部の割りに私には情報が少ない。
3 は情報多いが何かとっつきにくい。
4 は解りやすい。明解。
個人的には1、4がおすすめ。
文庫本では
中公文庫 中国文明の歴史のシリーズ全12巻の中でも
     宮崎市定の11巻
河出書房新社 世界の歴史20、中国の近代
4 
733世界@名無史さん:03/08/26 19:19
>>730
検索エンジンで検索して、丸写し。江の川。
734名無し見学者:03/08/27 05:10
>>640
かなり遅いつっこみで申し訳ありませんが、1080年に皇帝側の教会会議で、グレゴリウス7世の廃位と
新教皇クレメンス3世の擁立が決定されています。
735世界@名無史さん:03/08/28 07:46
質問です。当時、ダーウィンは進化論を執筆するにあたって
宗教的にかんがみて「こんな考えを世に発表していいのか?」
みたいな呵責で悩まなかったのでしょうか?
736世界@名無史さん:03/08/28 14:45
めっさレベル落ちてんな。もうしばらく夏か。
737世界@名無史さん:03/08/28 15:53
時期的に、宿題だろ
738世界@名無史さん:03/08/28 18:40
>735
>質問です。当時、ダーウィンは進化論を執筆するにあたって
>宗教的にかんがみて「こんな考えを世に発表していいのか?」
>みたいな呵責で悩まなかったのでしょうか?

ウォレスに先を越される危険性から”種の起原”を少し前倒しにして発表したこと以外は
進化論の考えそのものを外に出すことを友人への書簡ですら控え続け、
細心の注意を払って外堀を埋める論述を発表し続けていたことから、
自分の理論が世間に与えるインパクト、反発を理解していたことがうかがわれる。
である以上、悩みはあったものと思われ

後の書簡にその辺の記述、あったんでないの?


739世界@名無史さん:03/08/28 20:19
>>738
1 夏休み追い込み宿題関連質問対策のためアゲ進行でお願いします。

2 中学高校生にダーウィン書簡集を読むことまでは期待しないでください。
740世界@名無史さん:03/08/28 22:36
曹操のつくった法律で征服民を中原に入植させて税をとる制度ってなんていいましたっけ?
741世界@名無史さん:03/08/28 22:38
すいません、高校生じゃないんですがちょっとわからん事が出てきたので・・・

イギリスの国教会設立は、王が離婚したいがために設立した、という話は聞くんですが
教義においてはなにか変化があったんでしょうか?
漁夫の指輪と三重の冠が国王の王冠になっただけなんでしょうか?

後、一般にピューリタン革命といわれていますが(教義の意味で御願いします)
彼らも国教会には従っていたんでしょうか?

馬鹿な質問だとは思いますが、何卒宜しくお願い致します
742世界@名無史さん:03/08/28 23:07
>>741
この話を始めると、初心者用の質問スレだということを忘れてメチャ長文で
書き込みそうなヒトが数名いるので、敢えてそれほど詳しくない漏れが簡単
に答えときます。カトリックとアングリカン・チャーチの現状を比較すると、

1 典礼、つまり儀式などのスタイルについてはあまり違いがありません。
2 宗教面での教義、考え方は外見と違ってプロテスタントです。
3 歴史的には清教徒は国教会に従っていません。非国教徒です。

立場的にはカトリックとプロテスタントの橋渡しができる位置にいるのですが
教義的にはかなりカルバン派の影響を受けています。

ちなみに、カトリックの司祭で妻帯者という人が存在しますが、アングリカン・
チャーチの司祭からカトリックに転向した人ですね。
743世界@名無史さん:03/08/28 23:11
有難うございました
んじゃ、一応 質問スレの方にもいってきます
どうもでした
744世界@名無史さん :03/08/29 02:48
作文で諸葛孔明をテーマにしようと思ってるんですけど、なにかお勧めな
サイトがあったら教えてください(宿題サポート当も含)。なんか題目選びを検索してると本の
紹介とかでできて面倒なんです・・・お願いします!!
745世界@名無史さん:03/08/29 05:37
サイトでは上っ面だけしか眺められないので
索引で探してから三国志演義と三国志の該当個所を読もうな?>744
746世界@名無史さん:03/08/29 11:27
>>738
ダーウィンって心に秘密を持っていた人なんでつね。
非難を予期しつつ、発表しちゃうんだもんな。勇気あるな。
彼もしかしてゆだ?
747世界@名無史さん:03/08/29 11:46
科学者というものは、真実だと思ったら
非難を覚悟してでも発表するものなのです。
ブルーノやガリレイは、もっと大変だったのです。
748世界@名無史さん:03/08/29 11:54
質問です!
中国の教科書には、日中戦争が載って無いと聞いたんですが、
何故載って無いんですか?或いは、どんな感じに記述されてるんですか?
749世界@名無史さん:03/08/29 15:19
>>744
三国志・戦国
http://hobby.2ch.net/warhis/

こっちで聞いた方が回答早そうだと思いまつ
日本が中国侵略した9・18事変
抗日救国運動の新たな高揚
神聖なる抗戦の開始
敵の後方へ行け
日本侵略者の残虐な統治
抗日に消極的で反共に消極的な国民党
共産党が堅持した敵後方の抗戦
抗日戦争の勝利
751第20軍団兵:03/08/29 18:26
>747
ガリレイは脇が甘すぎ、地動説が星の際差で最終的に証明されるのは
18Cだったと記憶している。付き合いがあった枢機卿にも「"...のような学説を立てられる"という所で留まるべきだ。」
と忠告されている。(当時でも彼のその他の業績を認めない人はいなかったと思うけど、ウロ覚え)

当時、反宗教改革と中国布教等のからみで、科学関係はカトリック世界は充実していたりする。
ブルーノも汎神論に踏み込まなかったら処刑はなかったと思うんだけど。
電波な方向に突っ走っていってこそ
「最後のルネサンス人」
にふさわしいと思ったりする。(笑)
752世界@名無史さん:03/08/29 18:31
>>744
それこそこれ。
http://www.fides.dti.ne.jp/%7Ecome/koumei/
わかりやすい会話形式で孔明の人生を網羅してる。
パロディだけど史実にそってる。
753世界@名無史さん:03/08/29 20:57
東インド会社のインドでの徴税行為について
徴税行為の名称とどのような徴税方法だったのか教えてください
754世界@名無史さん:03/08/29 21:03
カラ=ハン国は東西分裂後、
東を滅ぼしたのは西遼だとか、ナイマン朝だとか、
カラ=キタイだとか、本などによって様々な記述があるし、
西についても滅ぼしたのはホラズムだとか、セルジューク朝だとか、
もう滅茶苦茶で混乱してしまいました。
実際のところ、どうなんでしょうか。
東→西遼 西→セルジューク朝
が一番濃い線かなとは思うのですが…。
755世界@名無史さん:03/08/29 21:05
>>753 徴税行為=普通です。 所得税、人頭税など・・・
   徴収方法=普通です。 民衆に納めさせます。ちなみに役人のほとんどはインド人。
756世界@名無史さん:03/08/29 21:09
教科書を読めば読むほどドイツは弱いんですが(特に19世紀以降)
ドイツの何が強国たる所以だったのでしょうか。
757世界@名無史さん:03/08/29 22:07
>>754
1041年、カラ・ハン朝東西に分裂
1089年、東西カラハン朝、セルジューク朝の支配下に入る
1132年、カラキタイ、東カラハン朝の東半を奪って建国
1141年、西カラハン朝、カラキタイの支配下に入る
1211年、フェルガナの東カラハン朝、カラキタイを乗っ取ったナイマン部のクチュルクに滅ぼされる
1212年、マーワラーアンナフルの西カラ・ハン朝、ホラズムに滅ぼされる
758パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/29 22:26
>>751
脇が甘すぎ、というかなんというか。

地球が回転しているのなら、夏と冬で見える星の位置がちょっとずれるはずです。
右目と左目とでものの見える位置が少しずれるとの一緒で。
これを「年周視差」といいます。
地動説が持ち上がったとき、学者たちが反対した最大の理由は、「視差が見られないのはどういうことだ」ということに、明確な説明が出来なかったことです。
視差は当時考えられていたよりもずっとずっと小さく(言い換えれば、星までの距離は思っていたよりもずっとずっと遠く)、
1838年まで発見されませんでした。
ただし、地動説のもう一つの証拠、光行差のほうは1727年に発見されていますので、地動説の証拠が見つかったのは18世紀ということになります。

歳差は地軸の移動のために、天の北極や春分点が移動することを言います。
759パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/29 22:27
>>756
弱い、ですか?
第一次世界大戦なんか、オーストリア以外の全ヨーロッパを敵に回して4年間戦って、
そのうえ戦場はドイツ国外であり続けましたけど。
ドイツが負けたのは袋だたきにあったから、だと思いますが。
760754:03/08/29 23:21
>>757
予想以上に込み入ってますね…。
どの記述も1、2文で済まされててそんなので
判るわけありませんでしたね。
ありがとうございます!
761世界@名無史さん:03/08/30 03:11
中東では11C頃(?)、既に地動説が常識だったって本当ですか?
762パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/30 11:05
地球球体説ならともかく、地動説が常識だったってことはないと思いますが……
いや、中東は詳しくないのでわかんない。
763世界@名無史さん:03/08/30 18:26
地球球体説かも…
地球球体説はあったんでしょうか?
764世界@名無史さん:03/08/30 19:22
質問させて下さい。教科書+ネットで調べてはみたのですが、何とまとめたら
良いかわからず…。添削または付け加えなどアドバイスお願いします!
テストに出るので…。。。

1、フランク王国の成立(メロヴィング朝)とその特徴について説明しなさい
ゲルマン諸民族が移動後、成立。一番移動距離が少なくかつキリスト教アタナシウス派に
改宗したので異教を信じる他の民族より有利になったのが特徴

2、フランク王国(カロリング朝)の成立から、カールの戴冠までの経過をまとめなさい。
宮宰カール=マルテルのトゥール=ポワティエ間での対イスラム戦勝利により
カロリング家の名声が高まり、彼の息子ピピンがローマ教皇の後押しもあり成立した。
その息子カールは…すみません、ここから困ってます;

3、ギリシア正教会とローマカトリック教会の分裂について、聖像崇拝をめぐる
両教会の対応を中心に説明しなさい。
765ACE:03/08/30 20:08
>>764の3ですが、漠然とした問題なので答えにくいのですが、
 キリスト教では偶像の崇拝が基本的には禁止されています。本来崇拝すべ
き唯一の神以外の存在を礼拝してしまうのではないかという恐れからきてい
ます。しかし、目に見えない神よりは何らかの偶像があった方が普通の人は
信じやすいのでその代用として十字架や聖人、イエス、マリア像、イコン(
キリスト、マリア、聖人の画像)などが4世紀ごろから登場します。8世紀
のビザンティン帝国の皇帝レオン3世が、間違っているので、聖像を破壊す
ることを命令しました。破壊すべきだとする派(ビザンティン帝国の首都で
あるコンスタンティノープルの総主教たち、のちの正教)とローマ教会とが
対立。843年には妥協が成立しイコン崇拝が認められましたが、結局、教
義の上でも対立していたので東西教会分裂(シスマ)となり2つに別れ、そ
の後ビザンティン帝国の首都がオスマン朝トルコによって征服されてしまっ
たので、正教の主役は、ロシアに移った(ロシア正教の発展)。といった展
開だと思いますが……。
766パシッチ ◆mWYugocC.c :03/08/30 21:17
>>763
「地球が球だ」ということは、ヘレニズム時代から知られてました。
紀元前4世紀、アリストテレスは、
・水平線近くの船はマストだけ見える。
・北や南に移動すれば、見える星が変わる。
などの証拠から、地球は球であると結論づけました。
紀元前3世紀のアレクサンドリアのエラトステネスは、地球の周の長さを計算し、約46000キロだとしています。
地球がそれぐらいの大きさの球であるということは、それ以後知識人の間では「常識」でした。
中世のヨーロッパやアラブの世界観は、球体の地球を中心とした天動説です。

コロンブスが反対されたのは、ヨーロッパからアジアまで移動しようと思えば地球を半周しないといけないと思われたからで、
大地は平らだと思われてたからではなかったりします。
767世界@名無史さん:03/08/31 00:57
ブラックミュージック(R&B、ブルース等)の歴史について調べてるのですが、
R&Bの歴史が載ってるサイトが見当たりません。
R&Bに限らず黒人音楽について解説してあるサイトを御存じでしたら教えて下さいな。
768第20軍団兵:03/08/31 02:58
>764

3.は質問自体が間違いかも。
東西教会分裂の教義上の原因って「子からもまた(=フィリオークゥエ)」だったはずじゃないかな?
769ACE:03/08/31 05:47
>>764の3ですが(その2)、漠然とした問題なので答えにくいので、
かってに質問内容を作り自問自答してみます。

○聖像破壊運動(イコノクラスム)とはなんですか?
 当初は禁止されていたが徐々にルール違反気味であった聖人・イエス・マ
リアの像、それらの画像であるイコンを禁止し破壊した。おもに第1期72
6−787年、第2期813−843年。 

○どうして東西の教会に分裂したのですか?
 ローマの教皇レオ9世が、ビザンティンで行っているようなギリシア語で
の典礼や教会習慣を禁止しようとした。これに対して、首都であるコンスタ
ンティノープルの総主教ケルラリオスが、首都におけるラテン教会の典礼や
慣習を禁止した。
 教義上の問題でも対立、ローマ側がかってに「ニカイア信条」に「子から
もまた(filioque)」を追加して(※1)のちの正教側が非難。
 で、お互いの使節がかってに相手側を「破門」とした。当時は5つのブロ
ック(五大総主教区)に分かれていてそのうちローマが自分たちは独自路線
を歩むのだと「分離(分裂)(※2)」した。
 個人的な意見では、昔の首都だったローマと新しいローマであるコンスタ
ンティノープルの権力争い、ほかはもっともらしい理由付けのために用意さ
れただけ。
※1 キリスト教の教義や教理などに詳しくないと「だからなに?、どう
違うの」という状態になります。

※2 文章全体にいえることですが、厳密な言葉の言い回しはしてません。
というか、よほどの人物でないとできません。
770ACE:03/08/31 05:49
>>764の3ですが(その3)、漠然とした問題なので答えにくいので、
かってに質問内容を作り自問自答してみますの続き。
 長くてごめんなさい。

○聖像破壊運動は東西分裂に影響を与えたのか?
 偶像崇拝が禁止されているので、あれは偶像だ、聖像だで対立。とはいえ
原因の一つにすぎない。

○東西教会分裂はその後どうなったの?
 教皇側は、カトリックと名乗り、総主教側は正教会と呼ばれることになる。
何度か元に戻ろうという動き(合同)があったが、総主教側が頭を下げない
といけない様な条件なので、乗る気のあった皇帝に対して猛反発。結果、分
離したまま。ところが、イスラム教のオスマン・トルコが勢力を伸ばし占領
されてしまう。ここまでで15世紀末。この後は省略。

○教会分離てまだあるのですが?
 1054年 東西教会分離(ローマ・カトリックと正教会)
 1378年 アビニョンの捕囚(アヴィニョンとローマに二人の教皇)

○ギリシア正教とロシア正教と東方正教て何が違うの?
 キリスト教は大きく3つに分けると
  ローマ・カトリック(旧教)(自分たちはカトリックと言っている)
  プロテスタント(新教)
  オーソドックス(正教)
 で日本では「オーソドックス」よりも「正教」の方が使用頻度が高い。
 ローマ・カトリックと正教とに分離した際、地理上、西にローマ、東に
コンスタンティノープルがあったことから、正教は東方正教と呼ばれるこ
とになる。オスマン・トルコに首都コンスタンティノープルが占領されて
しまのでロシアが正教の中心となった(ロシア正教)。トルコからギリシ
アが独立して誕生したのがギリシア正教。
771世界@名無史さん:03/08/31 17:34
マルチですまん。

世界史Bの教科書の太字の部分、
ノート7ページ分やってこいっつー宿題なんですけど、
どうまとめればいいかわからんので、だれか助言plz!
772世界@名無史さん:03/08/31 17:49
全文書き写してください。
773世界@名無史さん:03/09/01 01:32
時間軸に添いながら適当に埋めて毛
774世界@名無史さん:03/09/01 17:56
「7ページ分やってこい」っつー意味が全然判らん。




って、もう遅いか?w
775世界@名無史さん:03/09/01 18:14
「太字の部分」と言ってるから、太字で記された重要な事柄について
調べていけばいいんじゃないの?

ついでにあげ。
776世界@名無史さん:03/09/01 19:24
>>752
面白い
777世界@名無史さん:03/09/01 21:43
778世界@名無史さん:03/09/02 13:23
>>776あんたが面白い
779世界@名無史さん:03/09/03 23:39
農奴解放に至る過程で労働地代(賦役)が
生産物地代・貨幣地代に移行しますけど、
貨幣地代への移行はわかるのですが
領主直営地より収穫を全部かっさらえる賦役から
農民保有地より一部しか取れない生産物地代に
変わっていくのは何でですか?
やはり農民のやる気が出なくて効率が悪いことがわかってきたから?
間違ってるかもしれませんが、他にも理由があったら教えてください。
780世界@名無史さん:03/09/04 08:30
>>777
English
781世界@名無史さん:03/09/04 17:58
>>778 お前のほうが面白い
782世界@名無史さん:03/09/04 18:00
互いに書き込み内容を誉めあうスレはここでつか?
783世界@名無史さん:03/09/04 18:21
>>782おもしろい!
784世界@名無史さん:03/09/04 18:40
アメリカ大陸がなぜ簡単に征服されたのか?という理由の一つに
・白人に警戒心をもたなかった(ケルアルコアトルの伝説)
と、あるのですが「ケルアルコアトルの伝説」とはどういった伝説なのですか?
図書室やネットで検索したりしたのですがどこにも載ってないのでここに来ました。
宜しくお願いします。
785世界@名無史さん:03/09/04 19:12
はじめまして。質問させてください。

私が受ける大学の試験の論述問題なのですが、毎年400文字程度の論述を
2題、それも必ず中国史から1題、西欧史から1題だすんです。
中国史のほうは官吏登用法とか土地制度などのテーマ史、西洋史は
十字軍や三十年戦争など、一時期に絞って歴史の流れを論述させる出題です。
そして扱っている国は、イギリス・ドイツ・フランスが圧倒的に多い。

中国史のほうは、難易度は年々あがってはいるものの、テーマ史ということで
どのあたりを特にもれなくおさえておかねばならないかを把握するのはそれほど
むずかしくないのですが、西洋史のほうはいまひとつわかりません。

ヤマをはってばかりがよくないのは十分承知しているのですが、ここにいる
皆さんに、アドバイスをお願いします。

西洋史で、「これとこれだけはすらすらかけないと痛い!」っていうような
重要な戦争・事件・人物・時代、あげてみていただけませんか?
786世界@名無史さん:03/09/04 19:20
>>785
教科書に太字で載ってること。
787世界@名無史さん:03/09/04 19:31
>>784
FFにケツァルコァトルって召還獣いたよね
788世界@名無史さん:03/09/04 19:32
ケツアルクァトルと表記されることも少なくないね
789世界@名無史さん:03/09/04 19:41
>>787
そりゃ、ケルアルコアトルじゃヒットしねーよ
ケツアルコアトルで検索しなおせ
790789:03/09/04 19:42
スマン間違えた
>>787>>784
791世界@名無史さん:03/09/04 20:10
ヤマはあたらなかったら落ちます。
そもそも論述は、ヤマで書けません。
前の人もいうとおり、教科書に太字でかかれている用語は覚えてください。
792785:03/09/04 20:53
すみません、補足させてください。
ヤマをはると書きましたが、要するに重点的に調べておくべき箇所を聞いたんです。
教科書の太字で書かれている用語は、どこの章・節でも出ているでしょう?
それだとどこもかしこも、ということになります。
ひとまず教科書の重要語句については把握できていると仮定してください。
その上で、すでに書いたような観点から、抜かりなく把握できているべき事項を
たずねたんです。
793784:03/09/04 21:01
レスありがとうございます。プリントの表記が間違ってたみたいです(汗。
>>787
検索したら真っ先にFF11のサイトが出てきたので11の召喚獣なのかな・・。
見てみたいかも。
794世界@名無史さん:03/09/04 22:32
>>793
女神転生の方が、ヲタっぽくてガセもあったりして濃いぃので、
ゲームも一緒に引くならメガテンの方がお勧め。
795ACE:03/09/04 22:35
>>785
 あなたが受験される大学にはどのような教授がいるかを調べて、
その教授の専門分野と著書から推測し、過去の論述問題や推薦の
問題などから推測できないか考えましょう。

メフィストのささやき

 最悪の場合、つまり、山がはずれてどうにも記述できない場合、
上記で調べて偏りが場合、テーマを無視して、その分野を書き連
ねる。
 「こいつ論点がずれてるけど、いい文章だ」
 「ああ、勘違いしているね。でもいい文章だ」
 「結論が、今回のテーマの結論じゃないだろう」
程度の評価を得られるように、強引に論点をずらしていく。
796ppp:03/09/04 22:36
自分の彼女や奥さんのおっぱいに満足していますか?
街行く女性の張りのあるおっぱいを見たときに
後ろから羽交い絞めにしてもみしだきたいと思ったことはありませんか?
巨乳好きのおっぱい星人に送る無料動画!
美乳、巨乳、爆乳が勢ぞろい!
http://66.40.59.72/index.html
797世界@名無史さん:03/09/04 22:44
>>792
どこもかしこも勉強すればいいんだろ。
語句を覚えて流れをつかめばいい、それだけの話。

>十字軍や三十年戦争など、一時期に絞って歴史の流れを論述させる出題です。
>そして扱っている国は、イギリス・ドイツ・フランスが圧倒的に多い。
ここまで分かるんならあとは自分で判断すればいいさ。
世界史板は、手抜き受験テクを語る場所じゃないから、受験板にでも逝けと・・・

>>793
FFは神話からパクパクするのが大好きだからねえ・・・
元は、アステカの神話の「羽毛ある蛇」ね。「ケツアルコアトル」で検索してみ。
「ケツァルコァトル」という表記は、学術的にはあまり用いられない。

>>795
これ以上馬鹿を増やさないでくれ・・・
798世界@名無史さん:03/09/04 23:19
論述は、基礎的な把握ができている上でなければ書けません<教科書・資料を参照できないので
太字で書かれるような基礎知識ができているのであれば、テーマ集のある問題・参考書一冊
の中国・西洋史の部分を徹底的に暗記できるくらい繰り返して下さい。
799世界@名無史さん:03/09/05 00:17
>>797
FFのは「ケツァクウァトル」の表記。
なんでこうなったんだろう・・・
800( ´∀`)&rlo;水&lro; ◆TCygujgOWY :03/09/05 01:53
>>784
ケツアルコアトルの神話ってのはメキシコの神だった
テスカトリポカとケツアルコアトルの抗争の神話だな。

ケツアルコアトルが負けて、東方に逃げるときに、再来の
予言をしたとかいう話。
メキシコに戻ってくると予言したから、モクテスマ2世なんかは
自分の王国が征服されると信じたとかいうやつだな。
伝説だと、このケツアルコアトルってのがコルテスの特徴に似てたんだと。

もっと詳しく知りたいなら、中南米スレで聞くといいよ。
★■●♪中南米古代文明総合スレッド♪●■★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046270365/
801世界@名無史さん:03/09/05 12:54
>>779をお願いします
802世界@名無史さん:03/09/05 15:08
>>801
>領主直営地より収穫を全部かっさらえる賦役

この認識が極端なのだと思います。
(わかる気はするけど)

わたしも、専門ではないの細かくは説明しがたいのですけどね(困)。

>労働地代(賦役)が生産物地代・貨幣地代に移行
は社会構造の変化や、広域交易の進展などと絡めたモデルを考えないと、うまくイメージできないと思いますよ。
803歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/05 16:16
>>779
文章が長いので、さらっと斜め読み。

よっしゃこい
804@名無史さん:03/09/05 18:32
>FFのは「ケツァクウァトル」の表記。
なんでこうなったんだろう・・・

Quetzlcoatlの発音が耳で聞いたらそうきこえたのであろう。
以後はこれに関する質問は
★■●♪中南米古代文明総合スレッド♪●■★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046270365/
へ行ってください。
「ケツアルコアトル」で検索すろと700近くありますね。

805歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/06 06:29
>>804
馬鹿!死ね!はげ!デブ!ぼけ!
806世界@名無史さん:03/09/07 02:24
尾も白くない
807世界@名無史さん:03/09/07 20:07
あげ
808( `_ゝ´)&rlo;水&lro; ◆TCygujgOWY :03/09/08 00:35
>>805
お前はこっちだ。
http://ex.2ch.net/entrance/

それじゃあ質問スレ再開ということで。
よっしゃこい
809世界@名無史さん:03/09/08 09:50
人間の2人分という意味の名前を持った歴史上の人物って誰?
810第20軍団兵:03/09/08 16:56
>779
賦役の場合は領主側も賦役の期日に合わせて準備を整えておかないといけないから。

例えば、AからBまで、荷車1台を用意して運べというような賦役を課していた場合、荷車と
役畜は農夫が準備してくるが、物資をその日までに準備しておくのは領主側の責任なので
きちんと段取りをとれるだけの組織でないと効率的に運用するのが難しい。

ただの鋤耕を義務付けた賦役でも、領主側が食事や飲み物を用意しないといけない。

このような管理能力(運搬賦役の場合そのニーズ)を要求されることから、所領の細分化が
進んでいった盛期中世には、手間のかかる賦役より、物納・金納のほうが楽だという領主側の都合です。
811世界@名無史さん:03/09/08 18:12
>>781 
ひさしぶりにワロタ!
812世界@名無史さん:03/09/08 21:34
>>810
日本や中国の租庸調の制度などでは、庸は労働力の提供として別枠の税と
なっていたけど、中世ヨーロッパの賦役というのは、例えば週のうち2日間は
領主の畑で働くという形だったと思うので、その例はあまり適切ではないよう
に思うけど。
813世界@名無史さん:03/09/10 10:38
石楽 石 器

なんか猿人が使ってたらしいですが読み方を教えていただけませんでしょうか
814世界@名無史さん:03/09/10 11:15
せきがくせっき
815世界@名無史さん:03/09/10 11:21
>>813
礫石器 れきせっき
816ACE:03/09/10 22:27
瓦礫(がれき)の礫(れき)。
817世界@名無史さん:03/09/10 23:03
礫(つぶて)とも読む。
818歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/13 09:27
       人
      (_)
      (___)
  .('A`)(,,・∀・)  チンチンー
   ■ ( O┬O
  ≡ ◎-ヽJ┴◎  キコキコ

よっしゃこいこい!

819世界@名無史さん:03/09/13 12:25
最近よく北朝鮮の美女軍団や鮮国民の虚無的な拍手喝采を報道し、
それをTVのコメンテーターが優越感をもって生暖かく見守るという
手法の画像をよく見かけますが、日本の家庭、学校、地域、会社そして
マスコミのなかにも「ミニ禁日成」が存在していて、その周りの人達が
つくり笑いを強制されながら抑圧されています。愛国心からいうのですが
これを機に北と日本は規模こそ違いあれ、やっていることはなんら変わらない
ということをよくよく自覚してマスコミで反省や検証をするべきだと思うの
ですが、なぜ知識人と呼ばれている人達までもが、このことを指摘できない
のでしょうか?博士はそのへんどう思っているのかこたえてみれw
820世界@名無史さん:03/09/13 14:02
コンスタンティノープル陥落後の
トレビゾンドはどういう状態だったんでしょうか?
本国の滅亡を聞いて、即トルコに降伏したんでしゅか?
821世界@名無史さん:03/09/13 14:03
×でしゅか
○でしょうか
822ACE:03/09/13 15:56
当時の状況はわかりかねますが、併合されたのは陥落から7,8年後
なので、即降伏というわけでもないようですが

1453年6月 コンスタンティノープル陥落
1461年   トレビゾンド(トラブゾン)がオスマン帝国領に併合
823世界@名無史さん:03/09/13 16:40
>>820
アナトリア東部からイラン西部にかけて君臨していたアクコユンル朝の英雄ウズン・ハサン
と同盟を結んでオスマン朝の圧力に抵抗しようとしたが結局屈服を余儀なくされた。
824世界@名無史さん:03/09/14 07:12
>815-817
ありがとうございました!
825世界@名無史さん:03/09/15 00:24
>>820
このサイトにさらっとありまつね。
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/World/Byzanz/Torebizo.htm
826第20軍団兵:03/09/20 22:36
ageも兼ねて補足

>812
とりあえずプリュム修道院の所領明細から引用してみる。
「...15夜を3回。1回は聖マルティヌスの祭日に、他は2月に、3回目は5月に。穀物とともにコッヘムまで。
...穀物12モディウスを彼の日に脱穀し、船に積んでコッヘムへ運ぶ。」
これは運搬賦役
「...燕麦10モディウスを打ち、館に運び、麦芽を作ってビールを醸す。
...粉5モディウスを受け取ってパンを作らなければならない。」
これは領主家計に対しての賦役

以上のように賦役は単に領主の土地を耕せば良いというものではないということをご理解ください。
しかし、まあ、高校生の場合はカロリング期には自由民と不自由民があったのに対し、
盛期の中世にはこれらが「農民」という1つの身分のみになってしまう。というほうが大事ですね。

827 :03/09/21 20:14
早稲田大学入試の世界史では「アテネの植民市でないものは以下のどれか」
と言った問題が出されるのですが、そのような細かい知識はどうやって学ぶのでしょうか。
828世界@名無史さん:03/09/22 02:26
日露戦争後の諸外国の同盟について質問です。

まず日露戦争は、

日・英・米VS露・仏・独

という形だったんですよね。
そしてポーツマス条約後、日露協約、日仏協約、英露協商なんかが結ばれたんですよね。
そしてそれらによって三国協商(英・露・仏)が結ばれた。

ここで質問なのですが、そもそもイギリスはフランス・ロシアとは敵対していたのに何故仲良くしてるんですか?
ロシアと仲良くするのは、ドイツのバルカン半島進出への対抗心が一緒だったから、ということは分かります。だから英露協商を結んだ。
しかし、どうしてもイギリスとフランスが仲良くする理由がわかりません。

お願い致します。
829世界@名無史さん:03/09/22 05:14
>>828
敵の敵は味方ってことじゃないかな。

ドイツの海軍力拡張を脅威に感じていたイギリスと普仏戦争以来ドイツを
仮想敵国としていたフランスの利害が一致した。
830ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/22 20:21
>>827の「_」さん?へ
1.早稲田の入試問題はこんなひどい問題が出るのですが
どう勉強したらよろしいのですか?
 A1.変な問題は、解かない。
 A2.変な問題を出す大学は、変な大学である恐れがあるので受験しない。
 A3.ひどくはない。悪問ではない。気のせいだ、納得する。
 国境はどこという話でしょう。ただ、都市国家なので、「面」ではなく植民市
はという「点」になっているだけ、例えば、百年戦争における「フランス王」
(誰を指す?)の勢力圏と何ら変わりないのでは?

831ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/22 20:22
>>827の「_」さん?へ
2.早稲田の入試問題はこんな細かいレベルの問題がでるのですが
どう勉強したらよろしいのですか?
 A1.大学受験は、受験歴史です。暗記です覚えてください。
    3の回答・解答を参考にしてどう勉強するか考えましょう。
    どう勉強すればいいのかを考えるのも勉強です。
 A2.重箱の隅をつつくような知識を、いっぱい持っていなければ、
    早稲田の学生にはなれないのだと納得しましょう。
 A3.出題傾向をひたすら研究してください。この問題の設問から
    どの様な意図・学習のねらいがあるのかを考えてください。
    一つの問題で、複数の知識がないと解けないような問題を出して
    くるはずです。
832世界@名無史さん:03/09/22 20:22
>>827の「_」さん?へ
3.「アテネの植民市でないものは以下のどれか」をどうやって勉強
したらよいのですか?
 A1.歴史の前に、基本的な地理の知識が必要なので、「地理」を
    先に勉強します。
    真っ白な紙を用意して、ギリシャ地方の図を描いてみてください。
    つぎに主要都市(都市国家)を記入してください。重要な所を
    基準にして、基準より緯度が高い・低い、方角は、距離関係を
    把握して相対位置で残りを記憶します。これをひたすら繰り返
    して頭にイメージをたたき込みます。
    例えば、「テーベの台頭」という文章に出あったら、頭の中で
    ギリシャ地方のイメージが浮かんで、テーベの位置が点滅する
    ぐらいになるまでにします。いったん覚えてしまえば、忘れにくい
    系統のものです。
    「地理」は「歴史」の先行投資になります。もちろん費用(コスト)
    は回収しないと意味がありませんが……。
833第20軍団兵:03/09/22 21:45
>827
選択肢に載っている都市国家の名前は?たぶん消去法でいくと判るようになっているのでは?
もしくはそりゃ違うだろって突っ込みたくなるような都市(例えばカルタゴ)が載っているとか?
834世界@名無史さん:03/09/22 23:44
>>ACE ◆Z7a1IZ9GTI さん
丁寧な回答ありがとうございます。確かに地理は手をつけてませんでした。
問題の考え方も↓の通りだと思います。
>国境はどこという話でしょう。

>>833
手元にないので思い出せませんが、探してきます。

検索したら、早稲田は日本史の問題で「岩倉使節団の乗っていた船の排水量」を答える問題があったそうです。ナニソレ。
835ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/23 02:02
>「岩倉使節団の乗っていた船の排水量」を答える問題があったそうです
順当に考えると「解かないでいい問題」

「歴史は暗記するだけの教科」で終わる人
  面白い問題だ。こんなの覚えて何にもならない。

「歴史は暗記するだけの教科」から始まる人
  面白い問題だ。この問題のねらいは何だろう? 何か情報がえられる
だろうか?
 ・船の大きさ(排水量)は、その国の産業・技術・軍事力のバロメータ
 として見なせるのだろうか?
 ・岩倉使節団の船がアメリカの同等の大きさであれば、生産力はともかく
 技術力はその水準に何とか形だけは到達しているなどと仮説が立てられ
 るのだろうか?
 ・ペリーの黒船が例えば2倍の大きさならば石炭や水を補給する必要が
 無かったので日本に鎖国解除を求めなかったのでは?
 ・岩倉使節団の船の大きさはXXXで、○○○使節団の時はXXXだらか
 XX年で日本の造船技術は急速に列強に追いついてたのだろうか?
でも、大学受験生は余裕がないので「暗記」で終わってしまうという罠がある。
こうして歴史嫌いをまた一人生産してしまう……。
836怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/23 02:06
正直、>「岩倉使節団の乗っていた船の排水量」を答える問題
なんてのを入試に出す大学には入らないのが正解じゃないかと。
837世界@名無史さん:03/09/23 02:41
>>834
同じく早稲田の日本史の問題で「横山エンタツ・花菱アチャコの漫才ネタ“早慶戦”」
を答えさせる問題があったと聞く…
838世界@名無史さん:03/09/23 12:58
とりあえず、「当時の船としてはありえない大きさ」と
「使節団が利用するにしては小さすぎる大きさ」の選択肢を外して
あとは勘で答えればいいと思う
自由記述と選択回答式では、たとえ同じ問題でも
難易度も解き方も全然違うのだから

まあ、悪問であることに変わりはないが
839世界@名無史さん:03/09/23 19:16
愚問といえば愚問、悪問と言えば悪問だが(それらの早稲田の入試問題)
ただ他の人もいってるように、選択肢がある問題なら、
非常識なものを落としていけば自ずと答えが出るか、
さもなければ、前の方の問題にヒントが隠されてるんじゃないの?
そうでなければ早稲田は、学力ではなく、(山)勘の良い学生を
優先して入れたいと思っているのだろうw
おれは受けたことがないのでわからんが、
私大文系というのは割とそういう癖があるところが多いと思う。
落ちたら、校風になじまなかったとあきらめるんだね。
840世界@名無史さん:03/09/23 21:29
排水量を聞いて、瞬時に大体の船の大きさを想像できる受験生は少ないと思ふ。
当時の軍艦の排水量を知っていても
軍艦と岩倉使節団の船(軍艦?知らん)とでは当然総重量も違うだろうし。
841世界@名無史さん:03/09/23 21:36
ちなみに、岩倉使節団が乗った船はアメリカの貿易会社の船「アメリカ号」。
排水量は4500トン

「岩倉使節団 排水量」では3件
「アメリカ号 排水量」では2件。どちらも排水量の明記は無し。

「アメリカ号 岩倉」では27件。排水量表示は数件。

調べれば確かに出るけど、アメリカの船なら日本史に出す必要があるのかと。

一応世界史スレなので↓以下、通常の話題に戻るように。
842世界@名無史さん:03/09/23 22:48
興味があったので調べてみた

ペリーのサスケハナ号が2450トン。
観臨丸が300トン。(涙
甲鉄が1358トン。まぁ元来は内水面で使う船だし
開陽が2730トン

このころの軍艦は三千トン弱だったのかな?
当時の軍艦よりは大きい、という程度しか分からないけど
843世界@名無史さん:03/09/23 23:02
一応世界史スレなので↓以下、通常の話題に戻るように。
844世界@名無史さん:03/09/23 23:55
前にどこかで読んだけど
艦船の大きさってのは、近代に入って劇的に変わったらしいね

一昔前に「ちょっとした大きさの船」といえばサスケハナ号のようなものだったが
今では普通に超巨大なタンカーのことを指していたりする
845世界@名無史さん:03/09/26 07:49
あげます
846世界@名無史さん:03/09/26 21:42
テスト近いのでこれから
・モンゴル民族の発展
・イスラム世界の形成、発展、文化
の勉強するのでよろしくお願いしますです。
847世界@名無史さん:03/09/26 22:08
枕詞でレスする気無くしそうだなー
848世界@名無史さん:03/09/26 23:04
キューバのカストロが最近、社会主義の失敗を認める
「永遠に実現しない想像」といった発言をしたらしいのですが(検索しても出て来なかった)
詳しい事情を教えてください。
849世界@名無史さん:03/09/26 23:41
>>846が何をお願いしているのかがわからない。
850世界@名無史さん:03/09/29 01:03
>>848
たまたま今読んでた本にでてたけどこれかな?

このところ、カストロの発言の中で、やたらとひんぱんに引用される言葉がある。
一九九四年にカストロが、『パリ・マッチ』誌からインタビューを受けた際にもらした言葉である。
「革命家は年金をもらってまで、生きるようなことはしない。
わたしは地獄に落ち、そこでマルクスやエンゲルスやレーニンと出会うだろう。
地獄の暑さなど、実現する事のない理想を持ち続けた苦痛に較べれば何でもない…」
言葉の解釈は、いくつか考えられる。
カストロがついにキューバ革命の失敗を認めた発言であるとも、
あるいはキューバとみずからとを振り回した社会主義の先達に対する呪詛であるとも、
キューバ革命の暗部についての自己批判とも。
(「冒険者カストロ」佐々木譲著、集英社)
851世界@名無史さん:03/09/29 19:58
イエス・キリストはアラム語を喋っていたと聞きましたが
なぜヘブライ語ではないんですか?
852世界@名無史さん:03/09/29 20:09
  ヘブライ語が既に廃れていてアラム語が使用されていたからでは
  旧約の一部もアラム語というし
853世界@名無史さん:03/09/30 11:53
>>752
そのサイトのダビデも面白いね。
ヘブライつながりで失礼。
854世界@名無史さん:03/10/01 00:23
そのダビデはまぬけっぽい
それがいいんだけど
855848:03/10/01 01:26
>>850
どうもありがとうございます。
最後のドン・キホーテにはそんな弱音はいてほしくなかった・・・鬱
856世界@名無史さん:03/10/01 01:28
>850
本家ドン・キホーテだって、最期の台詞はなかなかぐっとくるものがあるぜ。
857世界@名無史さん:03/10/01 05:25
大航海時代に勢力を強大化させたスペインやポルトガルは
なぜ没落してしまったのですか
858世界@名無史さん:03/10/01 07:39
>>857
・植民地人をこき使い過ぎ
・大土地農場、単品農業の行き詰まり
・農業から軽工業に転換できなかった

その結果、実質的に本国・植民地丸ごとオランダ・英国・フランスの植民地となるw
859世界@名無史さん:03/10/01 11:48
帝国主義反対!
860世界@名無史さん:03/10/02 00:00
いまや中国帝国しか帝国はない
861世界@名無史さん:03/10/02 00:01
>857
植民地を持っていると発展できる、のは幻想。むしろ逆の方が多い。
(持たざる国は、海外占領にかかる費用が必要なく、国内投資に回したりできるから。
持つ国が産業革命とか技術革新に乗り遅れるパターン)
862世界@名無史さん:03/10/02 11:28
>>861
ならば列強は何故あの時代植民地を求めて世界を跳梁跋扈したのでせうか?
863世界@名無史さん:03/10/03 04:07
幻想を求めたわけです。 「あーあ、あのとき、
クラブのねーちゃんに貢がずに、貯金しとけばなぁ」
というような話なのです。
864世界@名無史さん:03/10/03 21:15
>>862
産業革命以前と以後の差では
865世界@名無史さん:03/10/03 21:33
     〆 ̄TTTTTTTTTTTTTTT7
     | =|  ̄ ̄ ̄┴┴┴ ̄ ̄ ∨
    |=|  ̄ ̄――― ̄    |
     | =| 巛lllllllllllllllii ̄ ̄iillllllllllllll|
     | =|  ___llll  lll___|
    |=\人   o > /   o フ<
    |i⌒i| へ ̄ ̄,  \ ̄ ̄ , .|
    ||  |.|     ̄    \ ̄ |
    ||  ‖  //  (      | ヽ |
    | \| イ_   ^  ̄ ̄   |
     | ≡ ./|  \王I王I王I王I王フ|
    /| =/ |           |
   /  |/ 人    =≡≡=  ノ
― ̄|  \ へ _      イ
   |    \     ̄ ̄ ̄

質問すれば答えがかえってくるのが当たり前か?
バカがっ・・!

世間というものはとどのつまり、なにも肝心なことは
何ひとつ答えてはくれない。

政府の役人ども、不祥事続きの警察、銀行・・
これらが何か肝心な事を答えてくれたか? 答えちゃいないだろうが・・・!
これは企業だから、省庁だからというわけではない個人でもそうだ
大人は質問に答えはしない。それが基本だ。
その基本をはきちがえているから、こんな朽ち果てた過疎板に来ているのだ
厨房どもめ・・!
866世界@名無史さん:03/10/03 21:34
>>864
産業革命以前は植民地を持つのが不利で産業革命以後は有利ということですか?
その理由をよければ教えてください
867ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/04 19:41
大航海時代のスペイン・ポルトガルの興隆と衰退
          と
    産業革命と帝国主義の台頭
がまざっている。比較までにいたっていない。


教科書レベルでは、産業革命と帝国主義の台頭という部分で
産業革命前は、材料・物資・資源の供給源
産業革命後は、供給源でもあり、その加工品の市場
さらなる市場を求めて、植民地を拡大、他の国と植民地を巡り争う
868世界@名無史さん:03/10/04 23:29
>>866
>>864ではないが、作ったものの市場が確保できるからだろ?
産業革命以前は、植民地からモノを持ってくることで財産が増えたが、
産業革命以前は、植民地にモノを売りつけることが収入の柱になった。

産業革命がなければ、「持ってくる」ことでもちろん植民地のある国が有利だが、
逆に資本が広がりすぎて疎になり、かつ経済を切り替える切羽詰った状況にはない。
対して持たざる国は、絶対額は持てる国より少ないが、産業革命に必要な資金は狭い国内に集中し、
かつ切羽詰った状況で次の経済を推し進める必要にかられる。
その状況下で「モノを作る」システムが出来てしまえば、産業革命が起こったもののほうが圧倒的に有利。
後は、世界の市場が飽和するまで、売りつける市場が大きければ大きいほどよい時代に突入する。
869世界@名無史さん:03/10/05 21:51
これは、初めてこの名前を聞いた時からあった疑問なんですが、

小アジアって、なぜ小アジアと呼ばれているのでしょうか?

きちんと「アナトリア半島」って名称があるのにもかかわらず、小アジア。
疑問を抱かずにはいられません。

些細な質問ですいません。でも、どうしても引っかかってしまうのです。
教えてください。
870世界@名無史さん:03/10/05 22:12
>>868
イギリスだって産業革命以前にインドや北米に広大な植民地を所有してるんだから
植民地が無い方が産業革命がおこりやすいというのは無理があるんでは。
871ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/05 22:27
>>869の方へ
小アジア(アナトリア、トルコではアナドル)
もともとは、古代ギリシャでは、アジアと呼んでいた。その後、
地中海東岸のパレスチナなどもアジアに含まれるようになり、
さらに東に大陸が続いていることが判明したので、どんどん
アジアが大きくなってしまった。5世紀にオロシウスという人が、
現在のトルコ当たりを小アジアという名称で区別するように考案。
なお、ビザンチツ帝国時代では、アナトリコンと呼ばれていた。

地名は、命名した人・文化・社会が基準となることが多い。
イギリス人の入植地       ニューヨーク(新しいヨーク)
ヨーロッパから見れば東の彼方  極東
新しい都市(ポリス)      ナポリ
など。

主要参考文献
 「世界地名情報事典」辻原康夫編著 東京書籍
 「地名の世界地図」20世紀研究会編 文藝新書
872世界@名無史さん:03/10/06 19:12
>>871
ありがとうございました。
これで二年来の疑問が解消しました。m(_ _)m
873宮内省輔@土佐守:03/10/06 19:52
小林よしのりの戦争論(最初の)って本当なんですか? ここ以外に聞けそうな場所が無くて…。 お願いします。
874宮内省輔@土佐守:03/10/06 19:52
小林よしのりの戦争論(最初の)って本当なんですか?
ここ以外に聞けそうな場所が無くて…。
お願いします。
875世界@名無史さん:03/10/06 19:58
>>868
イギリスやフランスは
>植民地にモノを売りつけることが収入の柱になった。
というふうにして産業が発展したけれど、
スペインやポルトガルは
>植民地からモノを持ってくることで財産が増えた
のままだったんだよね、って理解でいい?
876世界@名無史さん:03/10/06 20:02
>>874
ほんとうだよう。だからいい子にしてないと、食べられちゃうぞう。はははは。
877ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/06 21:15
>>875の方へ
このままだとやや勘違い気味と思われるので(私だけか?)、
スペイン・ポルトガルについて詳しくなく。また、大航海時代も
あまり詳しくないのでたいしたことは言えませんが。

 植民地からの香辛料や特産品はそのままの形で国内市場に流れたり、
またはヨーロッパの他の国に売ることでもうかった。また、金を採掘
して金になった。
 しかし、これらのものは国内で加工したり、原料を元に産業が発達
させるようなものがあまりありませんでした。国内の産業を発展させる
ため投資(金)が植民地への投資になってしまい、産業の空洞化もど
きをまねいた。国内でちまちま稼ぐよりも、海外に投資した方がもっと
儲かると考えた。
 で、お金はそのうち使い切ってしまいます。ヨーロッパ市場に特産品
はだぶつきます。金も大量にはいってくるので、相対的な金の価値が下
がります。じょじょに苦しくなります。そこで量を増やして自らの首を
絞めます。
 一方では、海賊や他国に雇われた海賊(私掠船)が、うろちょろ。
他国勢力を抑えようとするが、アルマダ海戦で敗北。アルマダ海戦
の敗因の一つに大砲の性能があり、技術力がないことがうかがえます。

適当な思いつきですみません。
878世界@名無史さん:03/10/06 23:56
山岳派は何故山岳派と言うのですか?

1、本拠地が山にあったから
2、山登りが趣味の奴らが集まったから
3、結成した人達が山間部出身だった
4、「ジャコバン」の和訳が山岳←これだと理由になってないけど。

この中に正解ありますか?
かなり下らない質問ですがよろしくお願いします。
879世界@名無史さん:03/10/07 00:05
>>878
国会の議席は後ろになるほど高くなっていて、
後ろの方の議席に陣取っていたから。
880世界@名無史さん:03/10/07 00:11
↑当時の議会の座席が左右の両端が高い位置で真ん中が低い構造になってた。
だから極左の座席が上の方だから、山の上にいるなぁという意味で「山岳派」。
881世界@名無史さん:03/10/07 00:16
ジャコバンはドミニコ修道会のジャコバン修道院に本拠地を置いたからの命名で、
さらには聖ヤコブに遡る。
882879:03/10/07 00:32
うろ覚えで書き込んでしまいました。すんません。
883ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/07 01:10
ジャコバン・クラブが元々の組織。のちに、ヴァレンヌ事件が起こって、
指導権を握っていた三頭派というグループが分離して、フィヤン・クラブ
を形成。三頭派がいなくなって、91年秋頃からジロンド派が主導権を握る。
国民公会が開かれていたときに、ジャコバン派の中でも急進
グループが独自路線を展開しだして山岳(モンターニュ)派と呼ばれる
ようになる。ジャコバン派とモンターニュ派が均衡していたが、ルイ16世
の処刑問題でジロンド派が人気を失い。1793年5,6月の蜂起で、
ジロンド派を蹴落としモンターニュ派が主導権を握る。
恐怖政治がおこり勢力を拡大すると、モンターニュ派=ジャコバン派として
認識されるようになる。ジロンド派の生き残りと平原派(沼沢派、中道派)
が手を組み、モンターニュ派の中核であるロベスピエール派をたたく。
94年7月末「テルミドールの反動」でモンターニュ派の最大勢力
ロベスピエール派が没落。

           主導権を握る勢力
ジャコバン・クラブ  三頭派     →フィヤン・クラブに分離
            ジロンド派   →のちジロンド派追放
            モンターニュ派 →テルミドールの反動で壊滅

           国民公会      議席数749名
 左翼(高い)   中央(低い)   右翼(高い)
  山岳派     平原派など    ジロンド派
最大約120前後  のこり      最大約120前後
884世界@名無史さん:03/10/07 01:19
質問には全然答えてないレスだな。
885ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/07 01:26
>>880の方がすでに回答を出しているので、不用かと
886878:03/10/08 00:13
ありがとうごさいました。
議会のかたちだったとは。
887世界@名無史さん:03/10/09 16:28
世界史を勉強していると、よく「憤死」ってのが出てくるんですけど、辞書で調べてみると
”憤慨して死ぬ事”
とありました。まぁ、馬鹿ではないのでそれくらいは字を見て分かるんですけど、実際怒って死ぬなんて事ありえるんですか?
どうしても信じられないんですけど、ウソをついているとは思えないし・・・。(´・ω・`)

で、出来ればこの「憤死」について詳しく教えていただけないでしょうか。
あと、歴史上「憤死」で亡くなった人物も教えていただけると幸いです。
888世界@名無史さん:03/10/09 17:36
質問です。
ブルガリアはパン=ゲルマン主義の国であるはずなのに、
パン=スラブ主義で反オーストリア同盟であるバルカン同盟に参加しています。これはなぜですか?
あと、「死の十字ができた」というのはどういうことなんでしょうか
889世界@名無史さん:03/10/09 17:44
第2インターナショナルが戦争支持に転換したのはなぜですか?
国際的な背景があるのでしょうか
890世界@名無史さん:03/10/09 18:37
>>887
若い世代の方にはピンとこない話かもしれませんね。
卑近な例で申し訳ないのですが、60歳過ぎのうちの父親がひどく憤慨することがありまして、頭痛を訴えたことがありました。
知り合いの医者に言って診てもらったところ、血圧が250以上に上がっていました。
「頭に血が上る」ってやつですね。
まあ、現代では簡単に血圧を低下させる薬がありますから、それで事なきを得ましたが、近代以前なら血圧の急激な上昇によって・・・、ということでしょうね。

「憤死」の歴史的な事例は、けっこう年配の世代に多いようですから、参考までに。
891世界@名無史さん:03/10/09 19:05
憤死に限らず、19世紀くらいまでは「恥ずかしさのあまり」に死んだ人もいたりしますな。
892世界@名無史さん:03/10/09 19:27
ここ(・∀・)ノ イイ!!
http://navi-on.jp/0.php?p=20

∩_∩     ∩_∩
   ( ´Д⊂ヽ   ( ´−⊂ヽ    ∩_∩
  ⊂    ノ    (つ  ノ    ( -_-).      ∩__∩
    人  Y .    │ ││    (ゝつ⊂ノ.     (-_-)
   し (_)     (__)__)    (__)__)     (∩∩)
893世界@名無史さん:03/10/09 19:38
>>890
法医学の本に載ってたんだが
悪ガキに苛められて憤死してしまった子どもの例がある

脳には多くの血管が通ってるから
強い興奮状態が続くのは危ないことなんよ
894パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/09 23:45
>>888
>ブルガリアはパン=ゲルマン主義の国であるはずなのに、
>パン=スラブ主義で反オーストリア同盟であるバルカン同盟に参加しています。これはなぜですか?
ブルガリアはもともと汎ゲルマン主義の国というわけではありません。むしろロシアにべったりのスラヴ国家です。
また、バルカン同盟は反オーストリアで結成されたのではなく、反オスマン帝国で結成されました。
流れとしては、
オスマン帝国から独立したいからバルカン同盟結成
→第一次バルカン戦争、バルカン同盟大勝利
→領土分割で揉めはじめ、挑発に乗ったブルガリアがセルビアとギリシアに戦争を仕掛け、返り討ちにあう(第二次バルカン戦争)
→スラヴ国家同士の戦争を起こしたブルガリアに、ロシア大激怒。
→ロシア、セルビアに肩入れ
→対抗するためにブルガリア、オーストリア側へ歩み寄る
という感じです。
895世界@名無史さん:03/10/10 00:32
>>894
ご返答いただきありがとうございます!
教科書を読んでも各国の動向の目的が全然わからなかったので嬉しいです。
ちなみに、ロシアがセルビアに肩入れしたということは、セルビア主導でスラブを統一しようとする大セルビア主義を促した、
と考えていいのでしょうか?そして、ロシアが肩入れしたのは、南下政策を促進させるための動きの一環と解釈できるのでしょうか?

896世界@名無史さん:03/10/10 16:29
>>890>>891>>893
レスthxです。
なるほど、本当に怒って死んでしまうなんてあるんですねぇ・・・。
侮辱されたりして自分の名誉を傷つけられた時なんて、プライドが高い人にとっては死に値する程のものだったんでしょう・・・。

(´-`).oO(やっぱ世界史サイコーにおもしろいや!)
897世界@名無史さん:03/10/10 18:28
日本はいつごろから「Japan」「Japon」と呼ばれるようになったのですか?
898世界@名無史さん:03/10/10 18:51
>>897
マルコポーロの「東方見聞録」
に記されている黄金の国ジパング
から、ジャパンが来たと言われています
うろ覚えなので、先生方の返答をお待ちしてます
899世界@名無史さん:03/10/10 18:54
>>898
いや、そこなんですよ。
Nippon→Jipangってのがすごく不思議なんですよ。
900世界@名無史さん:03/10/10 19:19
>>899
「日本国」の当時の中国語読みがそのまま音写されたとかいう噂が
>近い日本語読みだと「ジッポンゴク」?
901世界@名無史さん:03/10/10 21:36
>>900
うむ。
チョソだと「イルボン」だしな
902世界@名無史さん:03/10/10 22:20
国はゴクじゃなくてグーだよ
903世界@名無史さん:03/10/10 22:28
>>899
「日本」は現在の中国語読み(ピンイン)だと "riben"。
リーベンクイツ(日本鬼子)のリーベンね。
この "ri" は "zi" に近く聞こえる。
"e" もくぐもった "あ" に聞こえるから、"ジーバン” って聞こえないこともない。

これは現在の中国語の話なんだけど、昔も同じようなことだったんじゃないかなあ。
904世界@名無史さん:03/10/10 22:54
大学受験生なんですが、論述問題の解答の添削をお願いしていいですか?

古代中国と、ヨーロッパ、日本の封建制の違いを述べよっていう問題なんですが

古代中国の、封建制は血縁を基にした家父長制てきなものであり
単なる主人と雇われ人という関係が、ヨーロッパ、日本のものである。

で、説明になってますかね?
905アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/10/10 23:45
>>904
ヨーロッパはよく知りませんが、日本については間違っていますね。
「御恩」と「奉公」という関係で、江戸時代になると儒教の「忠」が
強調されます。
906世界@名無史さん:03/10/10 23:59
>>904
ヨーロッパでは規定の日数の従軍義務さえ履行すれば良い。
だから複数の「主人」を持つ場合がある。
907世界@名無史さん:03/10/11 00:07
>>905 >>906
なるほど、よく解りました。ありがとうございます。
908世界@名無史さん:03/10/11 00:18
質問者の鑑だね。
909世界@名無史さん:03/10/11 01:42
>>899
個人的には不思議だとは思わないがw
「日」=ひ か ニチ ジツ
「ひ」と「か」は訓読み。
「ニチ」は呉音。「ジツ」は漢音。
呉音「ニチポン」→漢音「ジツポン」

OK?
910世界@名無史さん:03/10/11 13:58
売国奴の意味を熱く語れた者は我が脳より神認定を授かるであろう。
911世界@名無史さん:03/10/11 16:29
age
912パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/11 17:35
やっと解除された。dionアク禁はどうにかならんのですかね。ともあれ……

>>895
ロシアは実はセルビアやブルガリアの好戦性に手を焼いていました。
戦争になったらセルビアを助けて介入しなければいけなくなる。日露戦争で疲弊しているのにそれはつらい。
そこで、バルカン諸国、特に対立するセルビア・ギリシアとブルガリアの間を取り持とうとかなり外交努力を重ねました。
ロシアにとっての主眼は戦争突入の回避とオーストリア勢力の拡大回避で、それでバルカン諸国を連合させてオーストリアに対抗させようとしたのです。

なので、ロシアがセルビアに肩入れしたのはセルビアがオーストリアの脅威に一番さらされていたからです。
ブルガリアに激怒したのも、「バルカン諸国連合でオーストリアに対抗」というプランを壊されたから。

ロシアの南下政策は主に不凍港を求めて行われてきたわけですが、この時期のバルカン半島への関わり方は港を求めたものではありません。
オーストリアへの対抗と、「同胞スラヴ人を助けろ!」という国内感情によるものです。
913世界@名無史さん:03/10/11 22:57
>Nippon→Jipangってのがすごく不思議なんですよ。

日本人の発音はアクセントの発音がへた。
アクセント部分を極端に長く、強く発音してみる。そうすると
NだろうとJだろうと問題でなくなる。
914世界@名無史さん:03/10/11 23:32
915世界@名無史さん:03/10/12 01:58
>>904
中国の封建というのは都市国家が植民団を派遣して遠方に姉妹都市を建設すること。

日本やヨーロッパの封建制とは、ローマ法学やら律令やらといった高度にすすんだ法体系を
あまり関係のない部族社会にもちこんだ結果、両者が結合して、部族社会をそのまま法制度で
安定化させたようなきわめて特殊な情況。
916世界@名無史さん:03/10/12 04:07
イギリスの産業資本家は黒人奴隷貿易を禁止して、自由貿易主義の確立のための基盤をつくった・・
というような説明を見るのですが、なぜ黒人奴隷貿易を禁止することが自由貿易をしやすい環境作りを整えるのかがいまいちわかりません。
イギリスは黒人奴隷を使えなくなった結果、カリブ海のプランテーションが停滞して代わりに中国人を苦力として送って奴隷同様に扱ったという例もあるし、
結局、奴隷みたいな労働力は必要だったってことでしょう。黒人の労働力は失っても代わりに得る利益がすごいってことなんでしょうが、
具体的にその利益ってなんだったのでしょうか。

917世界@名無史さん:03/10/12 10:21
>>916
正直、参考書に載っているレベルなので解説する気が
起きないよ。チャート式程度を本屋で立ち読みすることをお勧めしたい
第一、三角貿易を知っていてその質問をしてるのか?
918世界@名無史さん:03/10/14 05:39
あげ
919世界@名無史さん:03/10/14 06:02
>>916
>イギリスの産業資本家は黒人奴隷貿易を禁止して、自由貿易主義の
>確立のための基盤をつくった・・ というような

漠然と要約していませんか?要約している場合、読み間違えている
可能性が高いと思います。出典が具体的にある場合、その文章をそのまま
カキコしていただけませんか?
後世の歴史家から見れば、産業資本家が、行った行動が結果的には、
自由貿易主義の基盤の形成の一助になった程度???
920919:03/10/14 06:04
>>916
 あと、適当な長さで改行(エンターキーで入力)を
 入れた方がいいと思うよ。
921あなたのうしろに淳二さんが・・・:03/10/14 23:10
西班牙は(二次大戦前)独伊の強い後押しで
フランコ政権成ったのに、
どうして戦後、植民地問題で
戦勝国扱いなんでつか?(日独とくらべて。)

冷戦関係とか?
922しまさだ:03/10/15 20:56
 中国が征服地域に設置した楽浪郡とか敦煌郡の郡とはどのような意味なのでしょうか?詳しい説明を知りたいのですが!
923世界@名無史さん:03/10/15 21:14
客家について質問ですが

・纏足をしない
・集団で城みたいな家に住んでいる
・基本的にお金がない
・着の身着のままなので勉強に精を出す
・なので、革命を起こすヒトは客家が多い

他にも何かありましたら教えていただけませんか?

それと、キプチャク=ハン国の都は
バトゥサライと何サライですか?
924世界@名無史さん:03/10/15 21:31
> 客家について質問ですが
>
> ・纏足をしない
> ・集団で城みたいな家に住んでいる
> ・基本的にお金がない
> ・着の身着のままなので勉強に精を出す
> ・なので、革命を起こすヒトは客家が多い

(・∀・)イイヨイイヨー
925世界@名無史さん:03/10/15 21:43
メアリ1世とフェリペ2世って別居夫婦だったんですか?
926ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/15 21:54
>>923の方の「客家」の質問について
客家(広東 Hakka、北京Kejia)
中国の漢民族の中で独自の生活様式および方言である客家語を保持する人々。
客族、客人。中国国内に4000万人、うち1550万人が広東省。
華僑として500万人いると推定される。台湾にも多い。
4−19世紀後半の間に黄河中流域から動乱をさけて中国南部に移住した末裔。
おもに5回の南下があった(異説は3回)。
男は海外などに出稼ぎに行くこともある。ドーナツ状の集合住宅に住む。
太平天国の挙兵時の母体となった上帝会に客家の農民が1万人以上が参加した。
客家出身の有名人は洪秀全、石達開、黄遵憲などがいる。
927世界@名無史さん:03/10/15 22:07
>>923
ベルケ・サライ。
ベルケはバトゥの弟でハンになった。
初めてキプチャク・ハンでイスラームを受容したことで有名。
ただし都とはいっても我々が想像するような都市ではない。
928世界@名無史さん:03/10/15 22:45
>>925
1554年7月:結婚。
1555年末:フェリーペ、離英。
 (カール5世が退位したのでそれを相続するため)
1557年3月:フェリーペ、来英。
1558年11月:メアリー没。

したがって3年近く二人は、同時期、英国にいたことになる。
まあ、両者とも子供(=カソリックとして英・西を統治する後継者)
が欲しくて結婚したわけだし、
少なくとも54〜55年は、バソバソ、セクースしていた、
つまり一つ屋根の下に暮らしていたのではないでしょうか。
929パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/15 22:46
>>921
フランコ政権は第二次大戦で中立を守りました。イタリアとの利害対立があったからです。
独ソ戦に義勇軍を送り込んではいたのですが、結局枢軸側に参加して参戦ということはなかったので、
連合国側は文句のつけようもなかったようです。
とはいえ国連はフランコ体制を批判し(独伊との協力、ファシズム体制など)、戦後スペインは孤立しました。
930923:03/10/15 22:48
>>926
>>927
ありがとうございます。
客家って結構中国にいるんですね。驚きです。
931世界@名無史さん:03/10/16 22:07
>>922
県というのは城郭都市で「県令」が治めている。いくつかの県の中で主要な県をひとつ選んで、
近隣の県をまとめる役として「太守」がいる。この県を「郡治」といい、その県のまとまりを「郡」という。

中国本土の郡は「内郡」といい、これは行政区画。楽浪郡や敦煌郡などは「辺郡」といい、植民地みたいなもの。
932世界@名無史さん:03/10/16 22:27
>>931
郡県の説明じゃないと思うよ。
楽浪や敦煌でしょ?
933世界@名無史さん:03/10/17 20:48
>>928
ありがとうございます。
よく考えたら、結婚時には皇太子だったのですね。
934世界@名無史さん:03/10/19 00:57
どうしてオスマン帝国はウィーン会議に参加しなかったんですか? ロシアと仲が悪いから?
935世界@名無史さん:03/10/19 02:30
アン女王の跡を継ぐのはジョージ1世以外に
いなかったんでしょうか?
遠縁で、しかも英語がわからず国情にも
通じてなかったと教科書に
書いてあるのですが…
そんな人が王になるそれなりの
理由みたいなものがあったんでしょうか?
936パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/19 08:53
>>935
イギリスは、プロテスタントでないと国王になれないという法があります。
プロテスタントの中ではジョージ1世が一番王位に近かった。
あと、議会としては英語も分からずに提出された法案にサインしてくれる国王のほうが有り難かったというのもあるようですが、
理由としてはやはり「国王はプロテスタント!」が大きかったのではないかと。
937935:03/10/19 14:35
>>936
ありがとうございます!
なるほどなぁ…
世界史の教科書を読んで思わず笑ったのは
初めてでしたw
938世界@名無史さん:03/10/19 16:11
E.H.カーの『歴史とは何か』(岩波新書)って読むべき本なんでしょうか
なんかごちゃごちゃしてて読みにくいし
古い本でも内容が重要なら頑張って読みますが
939世界@名無史さん:03/10/19 16:24
受験用ではないね。

読むべき本かどうか読む側の事情によるものだから
一概には言えないものです。
若いうちから楽をしようとしないほうがいいですよ。
940世界@名無史さん:03/10/19 18:42
>>938
君、高校生?高校生で『歴史とは何か』を読もうって考えるだけでもえらいよ。
受験にはあまり役に立たないという点は>>939さんと同意見だけど、もし余裕があるなら読んでも良いかもしれない。
もし君が東大とか京大・阪大クラスの大学を受験しようと考えているんだとしたら、役に立つかもしれない。
というのは、これらの大学では世界史ではなくて英語の試験の長文問題で、その本の中から出題されているから。
でも、英語で読む必要はないよ。日本語で書かれた本でも十分内容は掴めるから。

941世界史@名無しさん:03/10/19 19:39
「歴史とは何か」は、うちの学校の先生が、
文系必須の一冊だと言っていました。
一応読みましたが、「歴史は歴史家の解釈である」という見解には、
目から鱗が落ちたような気がします。
942世界@名無史さん:03/10/19 19:55
>若いうちから楽をしようとしないほうがいいですよ。
至言!
943世界@名無史さん:03/10/19 20:15
>>941
君の学校すごいね。有名進学校か何か?
俺は大学行ってからゼミで読んだけど、いまひとつよく分からなかった。
ただ、すごく重要な本であることは確かだから、読む余裕があるなら読んだ方がいいかもね。
944世界@名無史さん:03/10/19 22:08
>>938
今月の新刊
「世界史とヨーロッパ」 岡崎勝世 講談社現代新書
作者が日本人だから読みやすいyo
西欧的世界観・歴史観に限定されてしまうけどne
945世界@名無史さん:03/10/19 23:02
こんにちわ!!
資料集にも用語集にも載ってなかったので質問します。

カデシュの戦いで結んだ世界最古の条約は何という名前ですか?
946世界@名無史さん:03/10/19 23:12
カデシュ条約
947ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/19 23:24
>>945の方へ
条約とは何かという定義にもよりますが、
日本大百科全書(第1版)では、
B.C.3100年のメソポタミアの都市国家ラガシュの勝利者
と他の都市国家ウンマの人民の間で結ばれた国境画定のための
条約とされています。

余談
最初・最古のXXXという場合、そのXXXの定義がはっきり
するものなのか否か。
いわゆる記録に残っているものとしてという意味になる。
今でいうXXXは、当時では、○○○という意味になる場合があり
これを含めるのか否か。
例えば、世界最古の戦車は、
馬で引く2輪のタイプ
自動車に大砲を乗せているやつ
軍用車両=戦車なのか
世界最古の水槽(タンク)
など。どれだろうという事になりやすいです。
948世界@名無史さん:03/10/19 23:33
ACEは相変わらず質問には答えないのな。
カデシュの条約は文字文献が残る最古の条約(とされている)。
949ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/19 23:55
>カデシュの戦いで結んだ世界最古の条約は何という名前ですか?
という質問に対して、
カデシュの戦いで結んだ条約が最古ではなさそうなので
(日本大百科全書によれば)。
1.カデシュの戦いで結んだ条約は何という名前ですか?
2.世界最古の条約は何ですか?
で946の方が1番を採用したので、私は2番を採用したのですが
これでどちらを質問したかったとしても回答が得られると
思いましたが。まずかったですか?
950世界@名無史さん:03/10/19 23:57
>>949
おおいにまずいね。
そうやってまとめて答えられるなら、
それを最初に述べてからおもむろにうんちくを語るべきだ。
最初のレスだけでは、あなたは質問に答えてあげようとしているのではなく
ただ自分のうんちくを述べたいだけにしか見えない。
951945:03/10/20 00:07
>>946さん
そのままなんですか。。ありがとうございます。

>>947>>950さんたち
ん〜質問の仕方がどうもまずかったみたいですね。
俺は
「カデシュの戦いで結ばれた条約が世界最古」
とだけ耳にしたので、条約の定義とかそんなんは全く考えなかったです。

とりあえず、両方知っただけでも超×2タメになりました!ありがとう!
952世界@名無史さん:03/10/20 00:10
953世界@名無史さん:03/10/20 23:32
教皇に変わって法王が使われるようになたのはいつ頃からですか?
また、何故ですか?
954世界@名無史さん:03/10/20 23:56
>>953
以下は、カトリック教会の公式HPから。
『「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?
「新聞を見ると『ローマ法王』と書いてあり、教会の文書には『ローマ教皇』と書いてあります。どちらが正しい表記ですか?」 このような質問が多く寄せられます。簡単に説明します。
教会では「ローマ教皇」を使います。
以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにしました。
「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。
その時以来、たびたびマスコミ各社に「ローマ教皇という名称を使ってください」とお願いしていますが、残念ながら実現していません。

バチカン大使館は、「ローマ法王庁大使館」
ところが東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」といいます。
なぜでしょうか?
日本とバチカン(ローマ法王庁、つまりローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。そのまま「法王庁大使館」になりました。
日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できないのだそうです。
こうしていまでも「法王」と「教皇」が混用されているのです。
皆様には、「教皇」を使っていただくよう、お願いする次第です。』
955世界@名無史さん:03/10/22 01:46
植民地支配や土地の割譲などで期限が定められる場合、
99年や999年などがありますが、9という数字にこだわりがあったのでしょうか。
956世界@名無史さん:03/10/22 17:33
>>955
別に無いんじゃない?
セールの198みたいな感じで、
ぎりぎり200いってない。みたいな
957世界@名無史さん:03/10/22 17:56
>956
あー、質問スレだからいい加減に答えるのは良くないと思うよ。
958世界@名無史さん:03/10/22 19:28
>>955
ふぉ。999年というのは知らんがの、香港の租借期間99年と
いうのは、定めた頃には単に永遠というような意味のつもりじゃ
ったという話を読んだことがあるの。
たまたま、中国がイギリスの統治をはねのけるだけの国力を
持つようになっておったから、返還されたのじゃが、戦前のよう
な分裂状態であれば、引き続き植民地のままであったじゃろ。
959世界@名無史さん:03/10/22 22:22
>>958
香港ばっかり有名だけど、アフリカのナイロビの近くの土地が英に999年間租借されてた。
もちろん、途中で無効になったけど。
960世界@名無史さん:03/10/23 18:14
ジョン失地王以来、イギリスにジョンと言う名前の王はいないって本当ですか?
961世界@名無史さん:03/10/23 18:20
>>960
本当。
962923:03/10/23 21:01
もうひとつ質問お願いします

用語集で調べたのですが、新サライに遷都したのが
ウズベク=ハンとなっていました。
と言うことは、ベルケとウズベク=ハンは同一人物なのでしょうか?
ベルケ=ハンと言う人もいるみたいなので混乱しています。。。汗
963世界@名無史さん:03/10/23 21:14
>>962
5代目ベルケ(1256頃〜66)
10代目ウズベク(1313〜42)

遷都なんて言ったって遊牧宮廷の所在地の移動に過ぎない。
まああんまり真剣に捉える必要ないんでない?
どうせテストには出ないと思うし。
964世界@名無史さん:03/10/23 21:18
ビザンツ帝国時代にコンスタンティノープルにあった競馬場で、
デーモスが赤と緑に分かれて応援したということですが、この赤と緑の
党派のどちらが保守でどちらが革新だったんでしょうか?
965世界@名無史さん:03/10/23 21:40
>>964
保守と革新って何ですか?
966世界@名無史さん:03/10/23 22:17
重商主義政策について教えてください。調べても具体的なことが出てきません・・
967世界@名無史さん:03/10/24 00:08
ザクセン=コーブルク=ゴータ公(家)ってのは
結婚やらでザクセン家とコーブルク家とゴータ家が
混ざったって事ですか?
968パシッチ ◆mWYugocC.c :03/10/24 01:02
>>967
うんにゃ、ザクセン−コーブルク−ゴータはザクセン公家の分家です。
ザクセンには色々な分家がありまして、そのうちの1つであるザクセン−コーブルク家とザクセン−ゴータ家が、結婚で混ざって成立しました。
コーブルクとかゴータとかいうのは、公がいた都市の名前ですね。
969世界@名無史さん:03/10/25 00:46
農業調整法、全国産業復興法に違憲判決が出されたのは何故ですか?
970世界@名無史さん:03/10/28 01:42
宗教改革についてなんですが、
カルヴァンの思想が当時の市民階級の人に受け入れられたのはなぜなんでしょうか?
よろしくお願いします
971世界@名無史さん:03/10/28 02:19
>>966
重商主義=国家が貿易黒字拡大に務めるべきとする思想
重商主義的施策の単純な例としては保護貿易(輸入抑制、輸出奨励)がある。

現代経済学では国際投資の差額が貿易収支になるという見方が主流なので
重商主義的思想は経済学界ではあまり相手にされない。
が、各国政府は輸出で打撃を受ける業界や労組の圧力を受けがちなので
しばしば重商主義的な経済政策を打ち出すことが多い。
しかしそのような政策は生産資源配分の最適化を阻害するため、
経済全体に対してはマイナスであるとされる。
972世界@名無史さん:03/10/28 15:39
>>970
1.聖書中心主義が、識字率の高い市民階級の状況に適合的だった。
2.予定説に基づいた極端な倫理主義が、勤勉・質素を尊ぶ市民階級の生活規範に適合した。
3.教会統治における長老制が、都市に多く見られた寡頭制的支配に適合した。
他にも考えられるかもしれんけど・・・
973世界@名無史さん:03/10/28 22:31
>>960
細かいこと言うようだけど、「失地王」じゃなくて、「欠地王」ね。
領土を上の兄弟が既に封土として領有しちゃってて、ジョンには
相続すべき土地が与えられなかったことから付けられた
あだ名がJohn the Lackland(欠地者ジョン)なんですな。
たまにその由来を「対仏戦争でフランスの領土を総て失ったから」と
するものを見受けますが、そうではないようで。
974世界@名無史さん:03/10/28 23:50
>>973
指摘されてから詳しく調べてみました。
自分の認識が間違っていました。
新たな発見で世界史がまた好きになりました。ありがとうございました。
975世界@名無史さん:03/10/29 17:43
>>973
自分、失地王だと覚えてた…。そうなんだ、ナルホド。
976世界@名無史さん:03/10/29 23:29
「無領地王」じゃないの?
977世界@名無史さん:03/10/30 00:08
「失地王 ジョン」でぐぐるといっぱいでてくるけどね。

ちなみに「欠地王 ジョン」でやると10倍くらいでてくるけど、
そもそもググルが「欠地」という単語を認識できてないから
下まで見るとかなり適当な検索になっててあてにならない。
978世界@名無史さん:03/10/30 00:54
失地王と欠地王を一緒にぐぐってみよう。
要はどちらを使っても問題ない、でOK?
もちろん由来は>973ので間違いない。
ただ絶対に欠地王じゃないとだめと言うわけではないよね?
979東京私立高3:03/10/30 01:18
絶対主義時代のスペイン、ポルトガル間の世界分割について教えていただきたく思いまして。。。。
トルデシリャス条約、教皇子午線、サラゴサ条約について知ってる方は教えて下さい!
980世界@名無史さん:03/10/30 01:44
何を教わりたいのかがさっぱり不明。
981世界@名無史さん:03/10/30 01:57
>>978
領土を失ったからではなく、領土がもらえなかったことが由来なんだから、
やはり「失地王」はまずいのでは。
982世界@名無史さん:03/10/30 03:22
>>977
「"欠地王"」でぐぐればいいでしょ。
983世界@名無史さん:03/10/30 09:31
>979
図書館の角川世界史辞典にでている。
984高1:03/10/30 17:38
最近こばやし氏の「ゴーマニズム」を読んだのですが、満州事変〜第二次世界大戦
の日本の歴史は捏造されているのですか?
読書力がないので、漫画を読んだだけでは理解できませんでした。
詳しい方、教えてください。
985世界@名無史さん:03/10/30 18:05
>>984
一つの偏った本だけを読んで、それに影響させすぎるな。
いろいろな本を読んで、バランスをとれ。
その上で、自分の意見を確立しよう。
986東京私立高3:03/10/31 01:21
>951
普通にカリアスの和約っしょ?
BC449? カデシュ条約などないよ
987世界@名無史さん:03/10/31 10:17
条約の名前はともかく、エジプトとヒッタイトがカデシュの戦いの後、
対等の条約を結んだことは確か、条約文も残っている。
988世界@名無史さん:03/10/31 11:14
>>979
世界分割っていっても当時は教皇と二国間で勝手にいってただけなのを忘れないように。
989世界@名無史さん:03/10/31 11:44
>>986
そりゃペルシア戦争だろ。
990世界@名無史さん:03/10/31 14:43
いま、家の前を「たい焼きにゃんこ隊」というのが通ったんだが・・・
991世界@名無史さん:03/10/31 17:47
>>979
現代で言えば、韓国と北朝鮮の二国間条約で世界を分割した、というくらいDQNな条約です。
まず最初にこれを頭に入れてください。
992ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/31 22:25
>>970の方へ
カルヴァン派は、貯蓄の容認をしていた、また利子は5%いないであれば許容を
していた。このため、市民階級や商人を中心に商工業が発達した地域では広まった。
993世界@名無史さん:03/11/01 22:07
英仏協商に、日露戦争に巻き込まれるのを防ぐという目的が
あったと読んだのですが、どういうことですか?
日英同盟を結んだのは日露戦争の援護ではなかったということですか?
994世界@名無史さん:03/11/01 23:35
第一次世界大戦でアメリカが最初は中立だったのは何でですか?
資料集とか調べてても理由が見当たらないので。
995世界@名無史さん:03/11/01 23:43
>>994
どっちかと言えば、元々はアメリカが参戦するほうが理由がないと思われ。
996世界@名無史さん:03/11/01 23:49
中立政策が基本線だったのがUボートに被害を受けて初めて参戦理由ができたという事ですか?
997ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/11/02 00:01
モンロー主義と呼ばれるアメリカのヨーロッパへの不干渉という前提にあった。
多くのアメリカ大衆にとってはヨーロッパの話で、我々には関係がないという
のが一般的だった。
1915年5月7日、イギリス客船ルシタニア号が、ドイツ潜水艦に撃沈され、
多数のアメリカ人乗客が死亡(ルシタニア号事件)。
これをきっかけに、反ドイツ世論が高まった。アメリカが参戦する要因の
一因とはなった。
WW2も潜水艦でサセックス号が……。
998世界@名無史さん:03/11/02 00:02
>>994
モンロー宣言というものがあります。
1923年12月,アメリカの第5代大統領モンローが教書で主張した外交政策ことです。
アメリカは南北アメリカ大陸へヨーロッパ各国が干渉することを嫌い、
アメリカはヨーロッパ圏に政治的干渉しない変わりにヨーロッパもアメリカ圏に政治的干渉しないでくれ、という政治思想です。
これが後に孤立主義と言う一種の中立外交政策となって行きました。
この線でもう一度調べてみてください
999ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/11/02 00:04
>>997
ごめんなさい間違えました。
× WW2も潜水艦でサセックス号が……。
○ さらに潜水艦でサセックス号が……撃沈。

中立派が傾いたのね。
1000世界@名無史さん:03/11/02 00:35

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