◆◆渤海国について語ろう◆◆

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1ウリナラ起源は禁止
日本との交流も深かった渤海国について語りましょう。
http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~p51987/Bohai/fig01-J.html


2世界@名無史さん:03/01/26 00:44
高句麗は絶対満州人の先祖。
朝鮮人なわけない。
朝鮮人の先祖がそんなに強いはずがない。
3世界@名無史さん:03/01/26 00:46
渤海時代の建造物など、残ってないんですかね?
4世界@名無史さん:03/01/26 00:53
>>3
没海。
5世界@名無史さん:03/01/26 00:53
韓国では高句麗も渤海も韓民族の国、
ということになってるようです。
まあ、「日本も韓民族の建てた国」と
言ってるくらいですから。
6世界@名無史さん:03/01/26 00:57
>韓国では高句麗も渤海も韓民族の国、

シナ人が激怒しそうだな。
7世界@名無史さん:03/01/26 00:59
>>6
そんな隅っこのこと、中国中央部の人は気にしてないのでは?
満州在住の人には面白からぬ話かもしんない。
8世界@名無史さん:03/01/26 01:02
韓国人って確か紅山文化も自分たちの文化にしてなかったか?
B.C.3000ごろの地図でそれやってて、開いた口がふさがらなかった
9世界@名無史さん:03/01/26 01:04
いつものごとく嫌韓スレとなるのであった
10世界@名無史さん:03/01/26 01:06
渤海、新羅、百済、高句麗など日本に朝貢していたと言われていますが、それ
は韓国でも認められているじじつなのでしょうか?

最近読んだ韓国高校歴史教科書と韓国歴史マンセー本では、日本に朝貢、と
いう表現は断固避けられていたようでしたが。
11世界@名無史さん:03/01/26 01:09
渤海国の都があった吉林近辺も今じゃ朝鮮族に占領されているからな。
12世界@名無史さん:03/01/26 01:44
渤海をごおgぇーで検索してみると、韓国・朝鮮系のサイトが渤海を朝鮮史として捕らえているのに対し、
日本系のサイトでは渤海=朝鮮という意識がたいへん希薄なことが読みとれて面白い。

札幌には「本場中国料理 渤海飯店」という店があったりする。
13世界@名無史さん:03/01/26 02:06
あ、でも渤海って海が大連のあたりにあるのか。そっちからとった名前かな。
14世界@名無史さん:03/01/26 02:13
ロシア領部分はどうなっているだろう?
15世界@名無史さん:03/01/26 02:29
渤海が高句麗の後継を名乗って半島北部を領有していたことから考えると、
これを朝鮮史として捉えることは問題ないと思うけどなぁ。
高句麗さえも朝鮮史に含めるなと言う電波には何言っても無駄だが・・・

>>10
日本側が勝手に朝貢と位置づけてた場合も多いから何とも言えないな。
渤海の場合は実際対唐戦略の一環として朝貢の形を甘受していたようだが。

>>12
渤海という地名は河北にも存在するからな。
ex.渤海太守袁紹など
16世界@名無史さん:03/01/26 02:50
>>15
北部って少しだけじゃん。
ちなみに中国では渤海を北方系少数民族の
黒水靺鞨の国であり、中国の属国と見なしてる。
17世界@名無史さん:03/01/26 02:52
>半島北部を領有していたことから考えると、
1.の地図をみると、ほとんど半島にはかかってないようだが。
ま、朝鮮でも満州でも中国でも、彼らが考えたいように考えさせとけば良いよ。
18世界@名無史さん:03/01/26 02:55
>15
でも高句麗はツングース系で
朝鮮系ではないのでは?
19世界@名無史さん:03/01/26 02:57
>>15
中国の歴史書では高句麗は中国の地方史として扱っていると聞きましたが、中国様も電波ですか?
20世界@名無史さん:03/01/26 03:01
実際の「渤海国」は靺鞨の六部族の連合体で、その中には高句麗系の部族もあったかも知れない。
そもそも「渤海国」自体、高句麗人と靺鞨人との協力によってできたものであり
渤海国建国後は、高句麗人とか靺鞨人とかの古いアイデンティティーは急速に薄れ
「渤海人」という新しい意識にとってかわられた。

しかし韓国や朝鮮では、
「高句麗は栄光ある韓民族=朝鮮民族だが、靺鞨は野蛮なオランケ(=女真族=満洲族)の祖先」
というアホな差別意識があるので、
「渤海国」もウリナラなのだニダ!」というヒガミ電波学説をとばしてる韓国人としては
渤海王家の祖先が高句麗人なのか靺鞨人なのかということは大問題なわけ(藁藁
ようするに問題意識が厨房なみ。

でもその前に高句麗人が韓族でいいのかっていうもっと重大な問題もあるのだが。
21世界@名無史さん:03/01/26 03:07
       ∧         ∧
        / ヽ        ./ .∧
     /   `、     /   ∧    ウリナラは半万年の歴史を持つ
    /       ̄ ̄ ̄    ヽ      東洋一の文化国家ニダ!
   /:::::::::             .\  イルボンの文化も
  /::::::::::    \ヽ  ヽノノ   /    ウリナラから伝わったもの
  ヽ:::::::::(    \___/  ) /      ばかりニダ!
    ヽ::::::::::::::    \/    /
22世界@名無史さん:03/01/26 03:21
別に高句麗人が韓族だなんて主張は半島でもしてないだろ。
そもそも韓民族なんて代物が形成されたのはもっと後の話。
23世界@名無史さん:03/01/26 04:17
主張してるじゃん。
24世界@名無史さん:03/01/26 07:05
ウリナラの領土だろ。
25世界@名無史さん:03/01/26 09:21


平安時代とかの渤海使節って、
あんまし大仰に歓迎されてないっぽいんだけど。


でも宿泊所とかあるし(敦賀等)、それもわざわざ立てたんでしょ?
渤海使節を囲む漢詩の会とかあったらしいし。


不定期でやってきたらしいんですけど、事前連絡とかなかったんですか?
26世界@名無史さん:03/01/26 09:45
渤海は日本に朝貢していた。だから、渤海は日本の属国です。
27世界@名無史さん:03/01/26 09:56
なを、五代十国の「荊南」(湖北省)も913年に後梁から、932年に後唐から
「渤海王」に封じられています。
28世界@名無史さん:03/01/26 09:59
>>26
源氏物語の末摘花が首に巻いていた、黒貂の毛皮は渤海国から来たらしいよ。
29世界@名無史さん:03/01/26 10:26
>>22
韓国の国定歴史教科書の冒頭には、「満洲と朝鮮半島は古来、
わが民族の生活の場であった」と書いてある。
つまり高句麗を「わが民族」と見ているわけ。
30世界@名無史さん:03/01/26 11:09
トゥングース史としてとらえろよ
嫌韓厨=統一教会、生長の家は帰れ!
31世界@名無史さん:03/01/26 12:16
>>28
源氏の将来を占った高麗の相人も渤海人だっけ?
32世界@名無史さん:03/01/26 12:28
>>29
それは 高句麗人=韓民族の前身 と言う趣旨だろ?
高句麗=韓民族 という発想ではないかと思われる。
図書館で借りた韓国の歴史書を読んでもそんな感じで書いてあるが?
33世界@名無史さん:03/01/26 15:04
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   |::::∧:::::::::::::::::::
   |`Д´>:::::::::::::  また嫌韓厨が現れているニダ...
   ⊂::::ノ::::::::::::
   |::y::::::::::::
   |:::)::::::
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   |:::::
   |:::
34世界@名無史さん:03/01/26 15:11
渤海国でつか・・・

日本史板の昔の朝鮮関係スレで散々やったなぁ・・・

デジャブの予感・・・・
35世界@名無史さん:03/01/26 15:14
>>30
高句麗はいかなる意味でも(言語系統でも、生活文化でも、人種的にも)
ツングース系だという証拠はない。反証なら多少ある。
3635:03/01/26 15:22
というと、早とちりした奴が「じゃ高句麗は朝鮮人なのかよ」とかいいそうだけど。
「穢(夫餘)系種族」は絶滅した種族で、ツングースでもなく韓族でもない。
倭人と言語的に類似してたようだが、それだけのこと。
たとえ系統が近くとも倭人とイコールではもちろんない。
高句麗がツングースとか後の満族の類いとみるのは戦前くらいの古い説。

高句麗についての意見
チョン電波「高句麗はウリナラミンジュクにだ」
ウヨ電波 「高句麗は倭人。朝鮮民族ではない」
普通のアホ「高句麗はツングース。朝鮮民族ではない」
37世界@名無史さん:03/01/26 15:26

そんな事より、聞いてくれよ>>1よ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、好太王碑文について調べたんです。好太王碑文。
そしたらなんか異説がめちゃくちゃいっぱいでわけわかめなんです。
で、よく見たらなんか漢文をてきとーに読んでて、倭人が来たから高句麗が渡海征伐、
とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、倭人が来た如きで普段行ってない日本に攻めに行くんじゃねーよ、ボケが。
来ただけだよ、来ただけ。
なんか改竄説とかもあるし。日韓併合の25年も前に軍部がわざわざ石碑の文字を改竄か。
おめでてーな。
よーしウリも電波飛ばすニダー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、偽500円玉やるから電波飛ばすのやめろと。
日朝古代史ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
狭い海峡の向かいにある国といつ戦争が始まってもおかしくない、
三韓征伐か白村江か、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。電波野郎は、すっこんでろ。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、北の電波学者が、分国論で、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、分国論なんて半島の学会以外じゃ通じねーんだよ。ボケが。
ニダニダ得意げな顔して何が、分国論で、だ。
お前は本当に日朝古代史を解明したいのかと問いたい。問い詰めたい。
小半万年問い詰めたい。
お前、ウリナラマンセーって言いたいだけちゃうんかと。
日朝古代史通の俺から言わせてもらえば今、日朝古代史通の間での最新流行はやっぱり、
前方後円墳、これだね。
全羅南道の前方後円墳ヒスイ付き。これが通のソース。
前方後円墳ってのは倭色が多めに入ってる。そん代わり韓流が少なめ。これ。
で、それに糸魚川産のヒスイ。これ最強。
しかしこれを指摘すると次から韓国人電波にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、>>1は、伊沢元彦でも読んでなさいってこった。
38世界@名無史さん:03/01/26 16:05
高句麗は中国における「元」のような感じで
朝鮮民族の国という側面もまだ感じるが、
渤海はいくら高句麗の後継といっても
地理的にも半島の付け根をちょこっとかぶるくらいで
朝鮮系の国とするにはかなり無理があるんじゃないの。
渤海人が生きていたら怒るよ。
39世界@名無史さん:03/01/26 16:07
>ウヨ電波 「高句麗は倭人。朝鮮民族ではない」

こんなこと言ってる香具師いるのか?
右翼ならむしろ否定すると思うが。
40世界@名無史さん:03/01/26 16:32
・史料が絶望的に少ない
・中vs韓朝で歴史の取り合い
・日本の研究者も少ない

こんな状況だから電波飛び交うんだろうな。

日本の渤海史研究者にも電波いるしな〜。

もうだめぽ
41世界@名無史さん:03/01/26 17:35
>>39
普通の右翼ではなく、ウヨ電波。2chに実在。普通の右翼はたいてい渤海国なんて知らない。
42世界@名無史さん:03/01/26 18:08
>>41
おまえの脳内右翼ってわけか。(w
43世界@名無史さん:03/01/26 18:13
なぬっ、勃起!
44とてた:03/01/26 18:22
>>25
航海能力は日本の方が格段に上だったようで(帰る為の船を日本で作ってもらったこともあったとか)…。
どちらかというと「相互交易の利」は、渤海の方にあったようです。
4541=36=35:03/01/26 18:36
>>42
2chに実在、っていってるだろ。まあ持ってきてハリコしても今度は自作自演というのかな?

とにかく無意味かつアホなツッコミでageるなよ
46世界@名無史さん:03/01/26 20:05
>>32
>それは 高句麗人=韓民族の前身 と言う趣旨だろ?

教科書は別に「前身」という言葉は使ってなかったから、
そのような主旨かどうかは教える人次第だろう。
47世界@名無史さん:03/01/27 03:46
では、韓国の国史教科書にどう書いてあるのか、みてみましょう。

「国定韓国中学校国史教科書」 明石書房(1998) より

3.渤海の発展

−学習の概要−
渤海は満州地方で大祚栄を中心に高句麗の遺民によって建国され、支配層は高句麗人で、高句麗を受け継ぐ意識が明らかであった。
渤海は昔の高句麗領の大部分を治め、新羅とともに南北国家を形成した。満州を支配してわが民族の活動舞台としていた。
渤海は高句麗の伝統をつぎ、制度を整え、高句麗文化の基盤の上に、唐文化の影響を受け、独自な文化を生み出した。渤海は契丹の侵入で崩壊したが、その文化の伝統と遺民は高麗に吸収された。

−学習問題−
1.渤海の建国過程と民族構成はどのようなものか。
2.全盛期の渤海の支配領域は、どのようなものか。
3.渤海の文化は、どのような特色をもっていたのか。
4.渤海史をわが民族史に含める理由は何か。 (←ここ注目)

ちなみに、この教科書、はしがきの一番最初に、
「私たちの歴史はわが民族が歩いてきた足跡の歴史的事実であり、その記録である。」
と書いてあります。

また、本文中には、
「渤海の滅亡で、高句麗系統の支配層はは、大挙して高麗に吸収され、満州地域がわが民族の歴史の舞台から離れるという無念さを残した。」
とあります。
48世界@名無史さん:03/01/27 03:51
渤海は、高句麗の子孫ではあるが朝鮮系ではない。
49世界@名無史さん:03/01/27 03:58
渤海については、
・高句麗の継承国と見なす、か
・靺鞨族など北方民族の国と見なす、か
二つに説が対立している、というのが妥当な認識。
50世界@名無史さん:03/01/27 04:04
しかし、韓国では

高句麗→渤海→高麗と言う流れで、古代の強国高句麗が現代の朝鮮民族とつ
ながっている、ということにしています。

この線が崩れると、高句麗と朝鮮民族とのつながりが薄くなってしまう。そ
こで、>>20も言ってたとおり、渤海の支配層が高句麗系だったかどうかにこ
だわるわけです。
51世界@名無史さん:03/01/27 04:05
ロシア領部分についてはあまり遺跡などの話を聞きませんが、浦塩あたりは
上京竜泉府などの跡が残っていたり・・・・はしないのでしょうか。
52世界@名無史さん:03/01/27 04:31
1060年編纂の「新唐書」には渤海は五京を有していると記されています。
五京とは首都の上京竜泉府,そして中京顕徳府,東京龍原府,南京南海府,西京鴨緑府です。
それぞれの遺跡の所在地は上京は中国黒龍江省、中京・東京・西京は中国吉林省、南京は北朝鮮です。
位置関係は>>1のリンク先地図参照。

現在ロシア領になっている部分にも渤海の遺跡があるようです。
53世界@名無史さん:03/01/27 05:05
クラスキノ城郭遺跡とかニコラエフスカ集落跡とかね。
54世界@名無史さん:03/01/27 09:39
渤海の勢力地図を見ると、遼東を領有しているものとしていないものがあります。
渤海はどれくらいの間遼東を支配していたの?
55世界@名無史さん:03/01/27 12:55
>>50
渤海国と王氏高麗の間だって、韓国人がいうほど密接には関係してないんだが・・・・
56世界@名無史さん:03/01/27 13:06
>>50
それは理解に誤りがあるぞ。
渤海をかませたりしなくても、唐新羅の攻撃による高句麗滅亡後、高句麗王族を初め
として相当数の高句麗遺民を新羅は受け入れたとされているから高句麗→新羅→高麗
という説明で連続性は十分肯定可能。現に韓国では新羅による「三国統一」という用
語を用いているはずだ。

渤海の支配者層云々という話は統一新羅時代を渤海新羅の南北国時代ととらえる学説
で問題になるだけ。
ちなみに俺は支配者層がどっちだろうと高麗が渤海遺民を大量に吸収したことや、高
麗が「兄弟国たる渤海を滅ぼした」として契丹に宣戦を布告していること等から考え
て朝鮮史の問題として扱って良いと思う。少なくとも朝鮮史と分類するだけの関連性
は十分にあるだろう。
57世界@名無史さん:03/01/27 13:19
韓国の教科書は歴史を恣意的に取り上げすぎだからな。
話半分じゃ多すぎる、話1/10ぐらいで聞いとけばいいだろう。
58世界@名無史さん:03/01/27 13:19
チョン電波に洗脳されてるね(w
59世界@名無史さん:03/01/27 14:07
【渤海国交流事業実行委員会】
富来町「渤海もてなし料理コンテスト」
ttp://www.torimasyou.com/square01/lif/lif01/bokkai.html

応募しる!!!
60世界@名無史さん:03/01/27 15:26
>ちなみに俺は支配者層がどっちだろうと

<;`Д´ >  アイゴ-、ウリナラの教科書を信じぬニダかっ!!!
61世界@名無史さん:03/01/27 15:37
>>47
>(渤海は)満州を支配してわが民族の活動舞台としていた。

要するに渤海も「わが民族」ということではないの?

1997年の高校用 歴史教科書(明石書房の日本語訳)から、
新羅による統一と民族形成についての考え方が表れているところを
引用しよう。

「新羅が高句麗、百済を統一することにより、新たな社会的発展
がもたらされた。わが民族は一つの統一政府を樹立して団結し、
単一な民族社会と文化を形成した。このように統一以後、単一な
社会と文化を形成できたのは、三国社会が血縁的な同一性と文化
的な共通性を多く備えていたためである。」

この教科書の感覚を他国の歴史に例えれば、マケドニア人、アテネ人、
スパルタ人などは、マケドニアによる統一以前からみな「ギリシャ人」
である、というのと同じ感覚ではなかろうか。
62世界@名無史さん:03/01/27 17:47


渤海をわが民族、としておけば

満州地域〜黒竜江まで

支配する口実になるじゃん。
(鮮人系多いし)


いつか、ね。
63世界@名無史さん:03/01/27 17:53
>>62
もう自治区として支配してますが何か?
64世界@名無史さん:03/01/27 22:07
東京大学総合研究博物館が渤海国の遺物を収蔵しているようですが、
どのくらい常設展示しているのかはわからないなあ。

とりあえず、上のサイトに写真がある石製獅子頭は倉庫の中にあるみたいだけどね。
ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/JOSETSU/KOKO/HOME.HTM
ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/publish_db/news_letter/02.html
65世界@名無史さん:03/01/27 23:34
チョンはゴキブリ以下
66世界@名無史さん:03/01/28 04:38
>>56
やれやれ・・・いつか見た光景だな・・・
渤海ネタは2chではもう何度も何度も出てるんだが・・・・
またまた「渤海国もウリナラニダ」かよ。きりがないね・・・・
67世界@名無史さん:03/01/28 13:40
>>66
つーか渤海は朝鮮といってるわけじゃないだろ。
渤海を朝鮮史で扱っても良いって言ってるだけ。
お前の脳みその方がどうかしてる・・・
68世界@名無史さん:03/01/28 18:53
石製獅子頭は京大じゃね?
69世界@名無史さん:03/01/28 22:01
>>67

現在の朝鮮と関係性がある、という前提自体から検討すべき、
>>66たちは言いたいのではないかね?

民族史と地域史と正統王朝史をごっちゃにしてるんだよ。

高麗史の中で渤海との交渉を考えてもいい、くらいのことなんだろうけどね、>>56は。
70世界@名無史さん:03/01/29 03:45
交渉だけなら
高麗史の中で渤海との交渉を考えてもいいし
高麗史の中で日本との交渉を考えてもいいし
高麗史の中で蒙古との交渉を考えてもいいし
そりゃなんだっていいだろ。
誰もそんなことに文句いってやしないと思うが?

>民族史と地域史と正統王朝史をごっちゃにしてるんだよ。

そのとおり。それがおかしいっての。
71世界@名無史さん:03/01/29 04:45
渤海東京府は東京だから日本が・・・
72世界@名無史さん:03/01/29 14:46
>>71
チョッパリの捏造ニダ!
73 :03/01/29 14:50
「東京」は中国にもある。
74世界@名無史さん:03/01/29 17:43
まあ、渤海は乞乞仲象と大祚栄の親子が中心とした勢力によって作られたん
だが、乞乞仲象っていう名前からしてすでに高句麗の王族っぽくないよな。
やっぱ、靺鞨族の民族名っぽいな。

っていうか、韓国人は乞乞仲象のことは無視したがるんだよな。まあ、資料
が少ないところにもって、その死霊は間違ってるニダ、ねつ造ニダ、とか言
い出したら、そりゃ資料が間違ってることだってあるわけだけど、もうどう
にもならないよな。
75世界@名無史さん:03/01/29 18:00
乞乞仲象は韓国の本にも靺鞨人と書いてあるぞ
大祚栄が高句麗人とあるだけ。
76世界@名無史さん:03/01/29 18:05
あとそもそも今の国境線とは異なる国境線が引かれていた古代国家について
現代のどこの国の歴史として扱うかは難しい問題。どの国も日本みたいに海
で明確に区切られていた訳じゃないんだから。
で、渤海も高句麗も朝鮮半島を領土としていて、その後の半島の歴史に影響
を与えているんだから朝鮮史として扱って問題ないだろと俺は56で主張した。
それだけ。なんか変なこと言ってるか俺は?
77世界@名無史さん:03/01/29 19:25
>>75
そもそも、乞乞仲象のことに触れない本も多いんだよ。韓国の教科書とかね。

> 乞乞仲象は韓国の本にもと書いてあるぞ
> 大祚栄が高句麗人とあるだけ。

新唐書に”大祚栄は乞乞仲象の子”と書いてあんのを否定してるわけだ
ね、韓国の学者は。どうしても、渤海は高句麗の王族、もしくは将軍が建国
したことにしたいらしいね。その辺が笑えるわけだよ、俺としては。

ちなみにだな、
旧唐書は渤海靺鞨大祚栄と記し、
冊封元亀は渤海靺鞨群王大祚栄と記し、
唐が大祚栄を冊封するためにつかわしたのは宣労靺鞨使、
新羅末の儒学者崔致遠は謝不許北国居上表の中で、大祚栄は粟末靺鞨だと記してる、

ということから、唐や新羅では大祚栄も靺鞨人だとしていたようなん
だが、それにも関わらず韓国の学者が大祚栄を高句麗の王族やら将軍やらと
考える根拠というのはどこにあるのかな? 君もそう思っているのかどうか
は別にして、その根拠、知ってたら教えてくれませんか?
78世界@名無史さん:03/01/29 19:26
ちなみに俺は大祚栄は乞乞仲象の子で、高句麗の領土内にいた靺鞨族の首領、
という説に傾いてるんだが、靺鞨の首領をもって高句麗の王族とか将軍する
のは無理があると思うぞ。もしかしたら、靺鞨人と高句麗人は血筋的にあま
り違わないのかもしれないが、たとえそうでも無理があるな。
79世界@名無史さん:03/01/29 21:17
読み方

     日本語                韓国語
渤海   ぼっかい             パレ又はパルフェ
靺鞨   まっかつ
乞乞仲象 こつこつちゅうしょう
大祚栄  だいそえい            テジョヨン
  


お好きな方でどうぞ。
80世界@名無史さん:03/01/29 21:22
パルフェっていい響きだな
81世界@名無史さん:03/01/29 21:36
>>80
レストラン「パルフェ」や露天風呂「渤海温泉」を擁する、
シーサイドヴィラ渤海というのが石川県にあるようだ。
http://www.town.togi.ishikawa.jp/sfd_menu.php?id=22
82世界@名無史さん:03/01/29 21:42
>>71 >>73
上京竜泉府(首都) 吉林省吉林市
東京竜原府(副都) 吉林省琿春市
中京顕徳府(〃)  吉林省延吉市
西京鴨緑府(〃)  吉林省集安市
南京南海府(〃)  北朝鮮咸興市
83世界@名無史さん:03/01/29 23:53
>76
へんだよ。咸鏡道くらいしかかぶってないじゃん。
ここは李朝になってからの領土で辺境もいいとこだろ。渤海国からみてもわずかな面積。
南樺太がかぶってるからロシア史は日本の歴史だというようなもんだろ。(逆でもいいけど)
84世界@名無史さん:03/01/30 00:51
>>83
禿しく胴衣
85世界@名無史さん:03/01/30 01:04
>>83
辺境か否かで差別する君はアイヌ史や琉球史なんぞ日本史ではないとお思いなのですか?
86世界@名無史さん:03/01/30 01:13
辺境か否かで差別なんかしてないよ。

アイヌや琉球は包括されてるだろ。
渤海と高麗は接触してるだけでお互い本体はかぶってない。
だから樺太でかぶったにすぎない日本とロシアを例に出したんだよ。
87世界@名無史さん:03/01/30 01:14
アイヌ史や琉球史はアイヌ史や琉球史。
88世界@名無史さん:03/01/30 01:30

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  <丶`∀´>< ウリが言うのもなんだがみんな仲良くニダ
  (゙づ  ゙づ \_____




89世界@名無史さん:03/01/30 01:37
>>76
それはデマだろ。韓国でも乞乞仲象−大祚栄は親子とするのが一般。
乞乞仲象と乞四比羽を間違ってないか?

*ちなみに乞乞仲象と大祚栄との関係については
乞乞仲象−大祚栄 親子説(長男が父を継いで建国したとする)
乞乞仲象=大祚栄 同一人説(建国後改名したとする)
乞乞仲象/大祚栄 別人説(事業を継承したが血縁のつながりはないとする) 
があるらしい。詳しいことはよくしらんが。

>>77
それは王族が靺鞨人であったことの根拠にはならんと思うよ。
大祚栄が靺鞨を支配下に置いていたことを示しているだけ(事実渤海の中心は粟末靺鞨)。
韓国の通説も渤海を高句麗系が支配層で靺鞨系が被支配層だったと考えているしな。

あと大祚栄を高句麗王族とする見解は確か
大氏が高句麗の有力貴族だったこと。
渤海が高句麗の後裔を名乗ったこと。
旧唐書の記述。
あたりを論拠としてたはず(手元に資料がないので確認できん、すまん)。

>>83
支配地図を見ればわかるが渤海の支配地域は現在の南北朝鮮の1/4近くにのぼる。
樺太なんかと比べるのはナンセンスな比率だと思うぞ。
90世界@名無史さん:03/01/30 01:46
>>87
ふん、内地人はすぐこれだからな
91世界@名無史さん:03/01/30 01:55
それはデマ、ってのはどれがデマなんだよ。>>76は君が書いた文だろ。
77.のことなら、77.のどれのことを言っているのか、それをハッキリさせてくれ。
92世界@名無史さん:03/01/30 02:11
>それは王族が靺鞨人であったことの根拠にはならんと思うよ。
>大祚栄が靺鞨を支配下に置いていたことを示しているだけ(事実渤海の中心は粟末靺鞨)。

大祚栄が高句麗人であるとは記さず、ただ靺鞨の統治者だと記してあるのだから、大祚栄は靺鞨人とみなすのが自然だな。少なくとも、高句麗人である証拠はまったく示されていない。

>あと大祚栄を高句麗王族とする見解は確か
>大氏が高句麗の有力貴族だったこと。
親の名前が乞乞仲象なら、子供の代から中国風の大姓を名乗ったことになる
ね。つまり、大祚栄は高句麗の有力貴族出身じゃなかったんだよ。

だから大祚栄が高句麗人だと書いてある古文献はあるのか? 俺はまだ見た
こと無いぞ。旧唐書にもそんなこと書いてないはずだぞ。無いのなら、大祚
栄が高句麗の貴族だとか王族だとか将軍だとかは憶測で古文書を否定する仮
説に過ぎないよな。
93世界@名無史さん:03/01/30 02:15
そろそろ渤海自体の話をはじめましょう。
9492:03/01/30 02:24
成り立ちの話はもういいな。

結論として、現代韓国人は渤海は高句麗人が建国説にしがみついているとい
う事実を確認したところで、以後棚上げにしとこう。

って、急にさびれるんじゃないだろうな、このスレ(W)。
俺、明日は忙しいから、書き込みできないぞ。
95・・・:03/01/30 02:51
間抜けな一言ですみませんが、どうやらそこらへんのいくつかの民族
が合わさってできちゃったよーん国家のようですね。
渤海民族とかはないんですね。
朝鮮人以外に渤海民族の末裔とか言ってる人達はいないんでしょうか?
96世界@名無史さん:03/01/30 03:45
えーとですなあ、渤海は高句麗の後継国を自称していたわけですが、その後こ
の地域を支配した国家であるところの遼(契丹 モンゴル系)、金(女真
 ツングース系)、元(モンゴル モンゴル系)、清(女真 ツングース
系)などの国は目が中国の方に目が向いていたせいか、我は高句麗の後継で
あるところの渤海の後継国であるぞ、などという口上には魅力を感じなかった
ようで、渤海の末裔を名乗る国は表れなかったようです。
97世界@名無史さん:03/01/30 03:50

民族的には渤海の住民の多数を占めていた靺鞨族(ツングース系とされる)
はこの地域に住むツングース系北方系民族であるところの満州族(女真)、
オロチョン族などの祖とされるようです。

そもそも高句麗もツングース系であった、とも言われています。
98世界@名無史さん:03/01/30 04:02
強いて言えば、日韓同族、日満同族を掲げて建国された満州国が、ある意味渤
海の残像だったのかな、という気がしないでもありません。
99世界@名無史さん:03/01/30 04:13
”この広範囲の地理からして、渤海史は現代の歴史意識におおいに関わってくる。朝鮮民主主義
人民共和国、また大韓民国、中華人民共和国の歴史学界では渤海国史を自らの「民族史」に引き
つけ、これを同化して理解する傾向が強い。
一方、日本の学界では、かの「満州国」を歴史の中に正当化しようと、「満州」と朝鮮の歴史
の不可分な面を強調した「満鮮史」の体系が構築されたことがあった。そのなかで渤海国史が注
目された。さらに古代日本との間に比較的に摩擦が少なかった外交関係が宣揚され、「満州国」
と日本との欺瞞の「友好」の歴史を渤海国時代に重ねあわせ、渤海国の歴史研究と史跡調査が盛
んにすすめられたことがあった。
また、渤海国の範囲はロシアの極東部も覆っており、この地からも渤海時代の遺跡と遺物の発
掘調査がすすめられている。ロシアの極東先住民族の歴史と文化を民族構成の歴史に位置づける
立場からである。
この渤海国に連なる各国の経緯をひとまずおいても、現代から渤海国史を見る視角は、それぞ
れ所属する国家や民族の視点に引きつけられた歴史観や世界観に左右される面がなくはない。”

           (渤海国興亡史  濱田耕策著 吉川弘文館)
100世界@名無史さん:03/01/30 12:12

  祝 建国100周年!!
10189:03/01/30 13:09
>>91
なんで俺=76となるんだ???
・・・もしかして76も俺もメール欄がageだったから?(;´Д`)

>>92
すまん、大祚栄を高句麗人とする側の文献は新唐書の方だった。
何分本読んだのがかなり前だったからうろ覚えだったわ、すまん。

あと渤海が高句麗系が支配する国だとする論拠は風習が靺鞨のものではなく高句麗の
ものだったとかいうのもあった気が・・・うーん、こっちもうろ覚えだ。
今度もう一回文献にあたってみるわ。
10289:03/01/30 13:18
ちょっとわかりにくかったかもしれないから補足。
風習云々の話は
高句麗系=農耕を営む
靺鞨系=狩猟遊牧民
のところ本拠近辺では農耕生活の遺跡が見つかるのに対し狩猟遊牧の跡は
東北、西北辺でしか見つからないという説だったと記憶している。
古文書の数が少ないから考古学的な調査から割り出すべきみたいな主張が
確か書いてあった。
これももうちょい調べてみるわ。
103世界@名無史さん:03/01/30 13:33
>76
ということであれば、英国に侵入してその民族の構成要素となった
ノルマン人の領地フランスも、そのノルマン人の発祥の地
スカンジナビアも、英国史として語ってよいわけですね?
104世界@名無史さん:03/01/30 14:03
>>103
英国史に影響を与えた範囲では英国史の問題として良いんじゃないのか?
何も満州地方の歴史をすべて朝鮮史に組み込むという話じゃないんだし、その例は
不適当でしょう。
105:03/01/30 15:15
虐殺虐殺いうが当時彼らは人間とみなされていたのか?
戦後アメリカ様に人権をいただたのを利用して「虐殺虐殺」
と言ってるのではないか?
106世界@名無史さん:03/01/30 15:28
隣国なんだからいろんな交渉があって当たり前。
なんでそんなことでいちいち「何々国史に組み込む」べきだのと仰々しくいう必要があるんだ?

「朝鮮史に影響を与えた範囲では朝鮮史の問題として良い」のだから
渤海国史も日本史も中国史も朝鮮史として語ってよい、ってか。
何も世界史をすべて組み込むって話じゃないし(w

ところが日本史や中国史じゃなくて渤海国にだけ粘着なのは下心まるわかりだろ。
しかも最近じゃほんとに世界史を組み込みにかかってるしな(w
107世界@名無史さん:03/01/30 15:47
高句麗は初期の頃は山岳民だったけど、楽浪郡を併合してその中心だった平壌に
遷都してから、だいぶ変わったんだろう。その一世代後には早くも勿吉(後の靺鞨)が
反抗して独立してる。これは高句麗が平地で農耕化が一層すすみ楽浪の漢文化の影響で
文明度もあがったかわりに初期の剽悍さを失い北方狩猟民へのにらみもきかなくかったからだろう。

靺鞨というのはいろんな種族の連合だから一概に特徴をいうことはできない。
渤海国のもとになった靺鞨六部のうち東の二部と渤海国に参加しなかった黒水部は
比較的原始的なツングース系と考えられている。
他の四部のうち白山部は昔の沃且の子孫だろうから夫餘系だろう。
残りの三部は文明化したツングースなんだろうが、中には夫餘系の部族もあったかも知れないし
平壌遷都の時に移住を拒んで山岳民のまま残された高句麗人の子孫ってのもあったかもね。
でもここまで「高句麗人か鞨鞨人か」でもめるんだから
やはり靺鞨諸部の中に高句麗部は存在しないと考えた方が自然だろうな。

ちなみに渤海人は、高句麗人と靺鞨人の混血でできた新しい連中としておくのが無難かつ妥当。
「渤海人=靺鞨人」とか「渤海人=高句麗人」とかいうような不用意な口調は
むだな論争を引き起こすからやめた方がいいね。これは誰かへの指摘じゃなく昔のスレからの復習。
108世界@名無史さん:03/01/30 16:06
>>106
はいはい、ぼうやはハン板に帰ろうね( ´_ゝ`)ノナデナデ
109世界@名無史さん:03/01/30 16:18
omaemona-
110世界@名無史さん:03/01/30 18:19

渤海国王系譜 

0.乞乞仲象
1.大祚榮 【高王】(即位698-薨去718) 0の子
2.大武藝 【武王】(718-737) 1の子
3.大欽茂 【文王】(737-793) 2の子
4.大元義 (793-794) 0の曾孫?あるいは1の孫?
5.大華[王+與] 【成王】(794) 3の孫
6.大嵩[王+燐−火] 【康王】(794-808) 3の孫
7.大元瑜 【定王】(808-812) 6の子
8.大言義 【僖王】(812-817) 7の弟
9.大明忠 【簡王】(817?-818?) 8の弟
10.大仁秀 【宣王】(818?-830) 0の五世孫
11.大彝震  (830-857) 10の孫    
12.大虔晃  (857-871) 11の弟
13.大玄錫  (871-895) 12の子?
14.大[王+韋][王+皆]  (895-907?) 13の子?
15.大[言+湮−サンズイ][言+巽]  (907?-926) 14の子?

濱田耕策『渤海国興亡史』より引用
111世界@名無史さん:03/01/30 21:03
>>104
>何も満州地方の歴史をすべて朝鮮史に組み込むという話じゃないんだし

韓国の教科書が、渤海までは完全に「朝鮮史に組み込んでいる」という
話をしているのです。
高句麗人ないし扶余族がノルマン人に、満洲がスカンジナビアにあたる
わけです。
112世界@名無史さん:03/01/31 01:48
          |ウ|
          |リ|
          |ナ|
          |ラ|
 _∧ .∧(oノヘ| ̄  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(_・ |/<`∀´>|\ < マンセー
    |\Ю ⊂)_|√ヽ \___________
   (  ̄ ~∪ )^)ノ
    ||` || ( | ( |
    '~ ~ '~ '~
113世界@名無史さん:03/01/31 12:26
>>111
渤海を朝鮮史として扱うという主張は李氏朝鮮時代から主張されてるとこだからなぁ。
歴史的に仕方ないとこなんじゃないの?

それにしてもカンボジア史でもアユタヤ朝のこと教える事を考えれば歴史の区分という
のがいかにに難しいか実感できるな。
114世界@名無史さん:03/01/31 13:11
>>113
それならば日本でも歴史教科書の冒頭に、
「日本列島と朝鮮半島とは、古来やまと民族の生活の基盤であった」
と書こう。
115世界@名無史さん:03/01/31 13:12
>やまと民族
こんなもんはそんざいしません。
116115:03/01/31 13:44
朝鮮民族起源ニダ!
117世界@名無史さん:03/01/31 14:55
>>114
北九州はともかく、あのころの山陰、山陽、畿内は朝鮮半島南部とは別民族だろ。
118世界@名無史さん:03/01/31 17:46
高句麗もツングース系ではと言われているが、なにぶん大昔の国のことだか
ら、確認は難しい。

高句麗人も靺鞨のうちだったのかもしんないね。 

つーか、中国では東北方面の蛮族は高句麗も含めてすべて靺鞨として扱って
たようだし。靺鞨の中で中国文化を受容して国造りをしたのが高句麗なので
は?

その後、徐々に半島の人たちと混血して、現在の朝鮮民族になった、という
考え方。
119世界@名無史さん:03/01/31 18:37
>>101
ふーん。それは勘違いしてスマンカッタな。
ところで、76のどこがデマだったんだよ(W
なんで、お前は76にも56でも問題にしてない、乞乞仲象と大祚栄の話を持ち
出したんだよ(W 訊いたことにもこたえんで、くだらんレスつけるな。

> それはデマだろ。韓国でも乞乞仲象−大祚栄は親子とするのが一般。
> 乞乞仲象と乞四比羽を間違ってないか?

だれも間違えてねーよ。
ついでに書いとくが、韓国の歴史教科書には渤海建国のとこで、大祚栄の
他、乞四比羽とか契丹族の李尽忠まででてくんのに、乞乞仲象のことだけな
ぜか書いてないんだよな。

大祚栄=乞乞仲象 説を採用したというのならまだ理にかなうが、そうでな
いなら、やはり乞乞仲象のことに触れたくなかったから、意識的に書かな
かったとしか思えんな。
120世界@名無史さん:03/01/31 18:51
>>111
韓国・北朝鮮が中国様の領土を奪えるわけないですから、言わせておきましょう。
121107:03/01/31 19:03
>>118
>高句麗もツングース系ではと言われているが、なにぶん大昔の国のことだから、確認は難しい。
>高句麗人も靺鞨のうちだったのかもしんないね。
>つーか、中国では東北方面の蛮族は高句麗も含めてすべて靺鞨として扱ってたようだし。
>靺鞨の中で中国文化を受容して国造りをしたのが高句麗なのでは?

中国でそんな説があるとはちょっと信じられないね。学説じゃなく俗説ならどうかわからないが。

ついでに高句麗=ツングース説は、中国ならあるかも知れないが、ほんとかね?
122世界@名無史さん:03/01/31 19:24
>>121
あるよ。ためしにググってみ。
123世界@名無史さん:03/01/31 20:18
>>115
それはもちろん承知の上。
韓国の歴史教科書の「わが民族」と対照させたのだよ。
124121:03/01/31 20:32
>>122
>あるよ。ためしにググってみ。

「“中国では”東北方面の蛮族は高句麗も含めてすべて靺鞨として扱ってた」という事実があるのか、
「高句麗=ツングース説は、中国ならある」という事実があるのか、どっち?
125世界@名無史さん:03/01/31 22:00
>>120
けっこうご執心みたいだけど。古朝鮮、高句麗、渤海の支配地だということ
で、とれるものならとりたいんじゃないの。教科書の書き方もご執心あらわだし。

「満州の一部は韓国領土」西洋古地図大量発見 (中欧日報)
http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/seaofjapan/1999062500000174012.htm
126世界@名無史さん:03/01/31 22:44
>>121
高句麗=ツングース説は激しくガイシュツ。もしかして、知らなかったのか?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/987824592/-100

127世界@名無史さん:03/02/01 00:31
壁|    ∧_∧
  | ∧ ( ´∀`) < 高句麗も渤海も朝鮮系国家。朝鮮史で扱って当然。
  |∀゚) (    )
  と_ノ │ │ │
  |   (_)_)
  ∧ ∧∧_∧
  (   ゚)i!   ´) 〜♪
  /  うi!    )
〜(  / |○  |
  UU (_(___
.   ∧ ∧ ∧_∧   
   (ill゚∀゚)<`Д´# ∩< 中の人など居ないニダ!
  /   ,う U    "ノ   
〜(  / 〜|__,!__/|_
  UU   (_こ_(´∀` >
128122:03/02/01 00:39
支持する、支持しないは別にしても、君が高句麗=ツングース説自体を知らな
かったとは驚き。高句麗の旧族も唐から見れば靺鞨というのは、上田雄の著作にもみえる。

まあ、少し自分で調べてみてください。
129世界@名無史さん:03/02/01 00:53
>>119
>>76じゃなくて>>75だった。すまそ。
(つーかそのくらい文脈から判断してくれ。75=76なんだろうしさ)

それにしてもそのやたら挑発的な物言いはなんとかならんか?
何が気にくわんのかしらんけどいい加減うざいよおまえ。
130世界@名無史さん:03/02/01 00:56
新唐書も旧唐書も結構いい加減なとこがあるから脳
131世界@名無史さん:03/02/01 00:58
このスレをネオ歴史ヌレと認定しまつ
132魔半間半間斤幕なの:03/02/01 01:06
まり真似幕も菊もきくま差し交喙追懐すいか寸に奈かな人にら何きり国奈ノン奈の奈の禁の満の
133世界@名無史さん:03/02/01 01:24
>>101
確かに新唐書に大祚栄は高句麗の王族or貴族or将軍、と書いてあるのですか?

手持ちの本によれば、新唐書 渤海伝では

「渤海国は靺鞨族の国であり、高句麗との関係はその王族大氏が、もと高句
麗の支配下にあっただけのこと」

として、渤海をほぼ靺鞨の国としているそうだけど。

支配地がだぶっていることからして、高句麗と渤海との間に関係はあるのだ
ろうけど、渤海はウリナラ民族であるところの高句麗系の支配と断定する韓国教
科書は恣意的。それなりの根拠もあるのだろうが別説も有力なのだから、勝
手に断定すべきでない。

渤海の国の成り立ちについては、領土問題にもかかわってくることもあっ
て、国際的に激しい議論の種となっているそうだ。
134世界@名無史さん:03/02/01 15:42
>>133
むしろ教科書に何説も併記して書いてあることの方が少ないと思うが・・・
135世界@名無史さん:03/02/01 17:12
【昔のウリナラ認識】

新羅─┐
高句麗┼→統一新羅「金春秋は祖国統一の偉大なる英雄ニダ」
百済─┘
靺鞨──→渤海国 「オランケは劣等民族ニダ」


【最近のウリナラ史観】

新羅─┐
   ├→新羅┐    「金春秋は外国を引き入れ満州の地を手放した民族の裏切り者ニダ」
百済─┘   ├→高麗
高句麗─→渤海┘    「高麗でやっと祖国統一ニダ・・・・」


【ほんとはこうじゃねぇのかなぁ?】

新羅─→新羅───→高麗

百済─→×あぼーん

高句麗→渤海───→×あぼーん

(三者それぞれ別民族(w)
136124=122=107:03/02/01 17:57
>>126
「高句麗=ツングース説」が“あった”のはむろん知ってますよ。
漏れそのスレでも書いてたし。
漏れの認識では古い説だと思っていたので、今どき“ある”のかよ、と言いたかったのよ。
そのスレではツングース説には一貫して疑問が出されてるよね。

>>128=122
「高句麗=ツングース説」があったのは知ってますが具体的な根拠などは
知りません。あるなら教えてください。

それと上田さんの本は「渤海国の謎」を買って読んだ程度(「日本渤海交渉史」は
立ち読み)なのでアレだが、「高句麗の旧族も唐から見れば靺鞨」なんていってたかな。
それって渤海の建国者が高句麗人か靺鞨人かに唐書があまり重大な関心を
よせてない理由としての文脈で上田さんはいってるんじゃないですか?
唐からみればそりゃぜんぶ東夷だろ、という大雑把な話と五十歩百歩じゃないの?
この場合の議論とあまり関係ないと思うけどな。
137世界@名無史さん:03/02/01 18:03
お前らこれを見れ。
----------------------------------------
918年、高麗建国。

926年、渤海滅亡。契丹皇帝耶律阿保機は旧渤海領に
「東丹国」を設置し長子の耶律突欲(倍)をその国王に任命。
930年、 東丹国を廃止、契丹は旧渤海領を放棄。

935年、新羅滅亡。
936年、高麗、半島を統一。

938頃、東丹国滅亡のわずか8年後、旧渤海領に
烈万華(在位 938頃−979頃)が「安定国」を建国。
979頃、安定国第二代王、烏玄明(在位 979頃 −989頃)即位。
989頃、第三代国王に旧渤海国の王族である大氏が即位「後渤海国」と改名。
1018年、後渤海国滅亡。

1029年、 後渤海国滅亡のわずか11年後、渤海国太祖の七世の孫、
遼国東京将軍の大延琳が「興遼国」を建国、天興皇帝と称す。
1030年、興遼国滅亡。

1116年、渤海人高永昌(在位 1116)「大渤海」を建国、皇帝と称するも金に滅ぼさる。
(つまり高麗の存在と無関係に渤海人は二世紀にもわたり旧領で興亡をくりかえしていた)

1252年、モンゴル帝国による漢人(=旧金朝支配下の住民)の人口調査。
この時、漢人は「漢八種」とよばれ、契丹人、女真人、渤海人、高麗人など八種族に分類。
(つまり13世紀でも渤海人と高麗人(半島人)女真人(ツングース)は厳然と区別)
138137:03/02/01 18:08
>>137の続き
>(つまり高麗の存在と無関係に渤海人は二世紀にもわたり旧領で興亡をくりかえしていた)
>(つまり13世紀でも渤海人と高麗人(半島人)女真人(ツングース)は厳然と区別)

>>137をみれば「新羅と渤海が南北朝みたいなもんで高麗が統一」というウリナラ史観が渤海人200年
の歴史を無視する妄想あり、渤海人に対していかに失礼きわまりない電波であるかよくわかる。
139135:03/02/01 20:44
>>137,>>138を踏まえて、>>135の続き。

【予想される未来のウリナラ史観】

新羅┐
  ├→新羅→高麗──────────────┐    
百済┘                    ├→朝鮮王朝「ここで統一したニダ!」
                       │
高句麗→渤海→東丹→安定→後渤海→興遼→大渤海┘
140世界@名無史さん:03/02/01 20:54
【予想案、その2】「満州もウリナラの領土! これから統一するニダ!」


新羅┐                         ┌韓国─┐  
  ├→新羅→高麗─────────→朝鮮王朝→大韓帝国┤   │    
百済┘                         └北朝鮮┼→(未来の統一国家?)
                                │
高句麗→渤海→東丹→安定→後渤海→興遼→大渤海→延辺朝鮮族自治州┘
141世界@名無史さん:03/02/01 23:21
今渤海に関する本を読んでいたんですが、渤海という名は唐から与えられた官名に由来
するんですね。最初は振(震)と自称したとか。何でも両字に共通する辰が東南東の方角を
示すことから「東、日の昇る国」を意味したんだそうです。それにしてもシンという国名が
やたらに多いのは何故なんですかね。中国では秦、新、晋、清、朝鮮でも辰韓があったり
しますし。理由を知ってる方教えてください。
142世界@名無史さん:03/02/02 01:15
>>141
古文漢文板できいた方がいいよ
143世界@名無史さん:03/02/02 02:44
>>141 漏れもオモタ

慎→震→清 と
辰→新

なるほど、青龍(東)の方位か。
144世界@名無史さん:03/02/02 03:56
とりあえず秦、新、晋は「東方」と関係ないと思われ。
現代日本語で同じ発音でも昔の中国の発音では別。
王莽の「新」は新都県の県令だったから。
辰韓は斯廬国を中心とする韓。斯廬[si-la]→sil→sin→辰
「慎」は粛慎の「慎」のつもりかな?これも関係ないような気がする。

東方の意味のある例としては三国史記に「慎那部」あり、これが高句麗の東部=順奴部の別名くさいので
「シン=慎」が東の意味かも。日本語「東雲(しののめ)」と関係あるか?

渤海国という国名は太祖が渤海郡王に叙されたことから、というのが唐書などの公式見解だが
渤海郡と渤海国は領域が遠くはなれている。渤海(モッカィ)=靺鞨(マッカッ)と似てるので
渤海はもしや靺鞨の音をとったという側面もあるのではないか?
靺鞨はまた昔の粛慎のことだから、そこで振(震)が粛慎の「慎」という例があるならば、
あるいは靺鞨の音に似てたので渤海にしたというのも一概にトンデモ説とはできないかも。
145143:03/02/02 06:15
>>144 なるほどね。
素人の思い付きに付き合ってくれてドーモ。
支那の国名に付いては、その通りですね。
新羅の国名については、そういう見解もありにしておきます。
一応私としては、真番→辰弁(馬) を有力視しています。

問題は、なぜ渤海人(満州人)が「シン」とこだわり自国に命名したかです。
それで、方位の関連以上に 龍(ロン) の意味じゃあるまいか? という事です。
西の大国が東の方角を指して青龍(=辰)と称していると伝播して行ったとか?
又は、古代の地方語彙としてとか?
「秦」との関係は漢字を知っている以上先ず無いでしょう。
言語は詳しくありませんのでこの辺で。

渤海使の姓名に「高」姓が1/3ぐらい居ますかね。
「高」句麗を意識した人は確かにいたんでしょう。
ただ、再興した場所が「敦化」では奥過ぎで、明らかにツングース族地域。
ということは、「高」(ツングース系)「句麗」(半島原住一部族)とか w
まぁ、「高」は鮮卑系と疑っているんですがね。
146141:03/02/02 11:05
おもしろいですね。自分はてっきりシンという音に何か意味があるのかと思ったのですが、
昔の中国の発音では別だったといわれればたしかにそのとおりです。そうすると異なる国名が
日本語でシンと発音されるようになったのは、偶然ということですよね。
うーん、しかし勉強になりました。レスありがとうございます。(板違いsage)

147世界@名無史さん:03/02/02 14:29
>>136
> 唐からみればそりゃぜんぶ東夷だろ、という大雑把な話と五十歩百歩じゃないの?

唐から見れば、ぜんぶそんなものだったのかもしれませんね。中華思想ってやつですか。

ですが、靺鞨族と一口に言っても、実はいろいろな種類があって単一民族で
は無いというような指摘も出ていますし、まあ、いろいろありすぎてよくわ
からないですね。

しかし、ここまで読んだところでは、渤海を高句麗の王族が建国したという
のも、意外に根拠が薄いはなしのようですね。
148世界@名無史さん:03/02/02 16:32
>>135
俺が文献にあたった限りだとこんな感じでしょう。
(韓国本も研究書レベルだとこんな感じで書いてある。これをはしょった概説書レ
ベルになると変なことになってたりするが・・)

ちなみに唐等中華の領土が絡み合うので現実にはもう少し複雑ではある。
あとどうやってもずれちゃうのでこのくらいで勘弁・・

百済─┐               ┌→後百済─→─┐
     ↓               │          │
新羅─→─→統一新羅─→─→┼→─→─→─┐│
           ↑        │         ↓↓
    ┌→報徳国┘        └→後高句麗→高麗─→─→─→─→─→─→─→─→─→─→李氏朝鮮
    │                   ↑
高句麗┼→小高句麗国→×       │
    │                   │
    └→渤海─→─→─→─→─→─→─→─→─→東丹→安定→後渤海→興遼→大渤海→×
149148:03/02/02 16:34
書き忘れたが、渤海後の国家(東丹以降)については朝鮮史の守備範囲外なので
韓国本には当然記載無し。誤解のないよう。
150133:03/02/02 16:36
>>134
要は、渤海は「わが民族」が建国した「わが民族」の歴史、というような方向
に恣意的に誘導するのを止めればよいのです。
151世界@名無史さん:03/02/02 19:15
>渤海郡と渤海国は領域が遠くはなれている。渤海(モッカィ)=靺鞨(マッカッ)と似てるので

唐代なので中古音で調べますた(発音記号などは似たようなアルファベットで代用)

靺鞨[mbuat-hat]→渤海[buet-hei]

これを「そっくり!」とも「似てないじゃん」ともいう人は両方いそうだが・・・
152144:03/02/02 19:24
>>145
>>辰韓は斯廬国を中心とする韓。斯蘆[si-la]→sil→sin→辰
>新羅の国名については、そういう見解もありにしておきます。
>一応私としては、真番→辰弁(馬) を有力視しています。

漏れは「斯廬[si-la]→sil→sin→「辰」と書いた144ですが、
漏れも「真番→弁辰」という説に以前から禿同で、
両説はかならずしも矛盾しません。

このへん詳しいことは新羅スレ↓に書きましたので
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034352513/l50
よかったらご覧ください。

>それで、方位の関連以上に 龍(ロン) の意味じゃあるまいか? という事です。
>西の大国が東の方角を指して青龍(=辰)と称していると伝播して行ったとか?

そういえば渤海には「上京龍泉府」とか「東京龍原府」とか「龍」の地名が・・・

>渤海使の姓名に「高」姓が1/3ぐらい居ますかね。「高」句麗を意識した人は確かにいたんでしょう。
>ただ、再興した場所が「敦化」では奥過ぎで、明らかにツングース族地域。
>ということは、「高」(ツングース系)「句麗」(半島原住一部族)とか w
>まぁ、「高」は鮮卑系と疑っているんですがね。

「高」氏は単純に高句麗の王族から枝分かれした氏族と考えていいのでは?
歴史が古いと王族系氏族がふえる傾向がありそうな気がします。
百済も一時期やたら「餘」氏ばかりだったし。

「高句麗」の字解や語源については↓高句麗スレ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/987824592/l50
に書きましたのでよかったらご覧ください。
153135:03/02/02 19:40
>>148
漏れのかんたんなチャートを補足してくれてありがとう。

>>135のチャートは、新羅から続く半島史の流れに、高句麗・渤海をどう割り込ませようとしてきたか
ということを明解・簡潔にわからせるのが目的。
だから、小高句麗国とか後百済とかは煩雑になるからあえて書きませんでした。

>>139-140のチャートは、>>137,>>138を踏まえた上であくまでシャレないし皮肉で作ったもの
なので「東丹→安定→後渤海→興遼→大渤海」が割り込んでいるんです。ネタみたいなもんでつ(w
154148:03/02/03 00:23
>>148
今更ながらもう一つ訂正。
渤海が後高句麗に吸収された様になっているけどその矢印は高麗に向けられるべきでした。
すまそ。

>>153
いえいえ。AA初心者なのでズレまくりですが(汗
155世界@名無史さん:03/02/03 05:23
ちょっと、「シン」について考えてみたんですよ。
そしたら、アナタ、瀋陽ッて都市があるじゃないですか!
で、この「瀋」って発音は「慎」、「真」と、まぁ同じなわけ。(清はチト違うが)
そしてですよ、昔、「奉天」と呼ばれていたらしいんですよ。(盛京はオイトイテ)
とすると、「シン」の意味が少し解かるんじゃないかな? て考えてみたわけ。
で、何の事はない。慎、真、奉、審、清とみんなまぁ、同じ意味だったわけですよ。
支那帝国主義者の付けた名前を後生大事にしていたんですかね?
それとも外来語を自分達なりに「義」とか「誠」とかに解釈し誇りにしたんですかね?

「龍」はどうも後付けの感じかなー、てオモタな〜。(ただ、半島の方もあるし〜)

いくら、外交、交易の面で有利だったとしてもですよ、
こんな猿島に、わざわざ北の荒海を渡って来て、礼を尽くして200年も律義に通うなんざ
見上げた 「心」 掛けじゃありませんか?
しかも、何度も通って「帰化」したいと来るんですから、猿島も捨てたもんじゃありません。
まるで、百済と同じじゃありませんか?
いくら新羅人に懲りたからと言ってですよ、
返したヴォケは氏ね、てのが人の情じゃありませんかね。

高句麗は嫌なんだけど、古書における夫餘の俗の後裔は認め上げたいな〜。
156155:03/02/03 05:31
まぁ、DQNついでに w
八道、八城、八旗とかやたら「八」が出てくるわけ。
これと、八幡、八百万(ヤオロズ)との関連性は話題になった?
157世界@名無史さん:03/02/03 10:44
>>155
>高句麗は嫌なんだけど、古書における夫餘の俗の後裔は認め上げたいな〜。

国書に「扶余の俗を残す」とわざわざ書いたのは、
「元をたどれば同族じゃありませんか」と呼びかけている
ような気がしてしかたがないのですが。
158世界@名無史さん:03/02/03 10:46
思いっきり電波くさくなってきたな(泣
159(。・_・。)ノ:03/02/03 10:48
(。・_・。)ノhttp://homepage3.nifty.com/digikei/ten.html

エロムービーをココにアップせよ
160世界@名無史さん:03/02/03 11:56
渤海国のウリナラ民族認定の野望が粉砕された連中がアラシはじめますた
161世界@名無史さん:03/02/04 02:11
日本人と同じ夫餘民族ですね
162世界@名無史さん:03/02/04 04:09
>>161

ツングース語族─粛慎──邑婁─靺鞨┐
           ┌沃沮   ├渤海(靺鞨と高句麗の混血)
           ├高句麗──┘   
      ┌穢系諸語┼夫餘┐
環日本海祖語┤    └穢 ├─百済(夫餘と馬韓の組み合わせ)
      │ (?)─馬韓┘
      └─古倭語─倭─┐
              ├新羅(多民族融合)
           ┌辰韓┘
中国語系───────┤
           └弁韓

※1 穢系諸語は夫餘系諸語という。それでも間違いではないが不正確。正しくは穢系諸語というべき。
※2 穢系諸語と倭語はかなり近いと思われるが具体的にどの程度接近していたかは資料不足。
※3 馬韓語は穢系諸語か倭系か南方系か?史料にまったく決め手がなく系統不明。
※2 新羅は早くから辰韓>高句麗>倭>百済=漢人の融合。割合などは即断困難。
163世界@名無史さん:03/02/04 06:47
>>140 >>162
できれば、ワードパッドなどエディターで書いて、それを貼り付けてください。
ズレは、完全ではないけれどある程度防げます。
164世界@名無史さん:03/02/04 08:44
渤海で勃起!!
165世界@名無史さん:03/02/04 09:38
>161
日本人、とがんばらなくても一握りの支配者集団が、でよいわけです。
古代の外交なんて王家と王家とのつきあいですから。
166世界@名無史さん:03/02/04 13:26
朝鮮関係は電波やアラシがよってきやすいので
皆様、基本的にsage進行でおながいしまつ。

>>162
え?ずれてる?漏れのブラウザではずれてないが?
167世界@名無史さん:03/02/05 00:31
>>162
ツングース語族の中に「裨離」を入れてねチョ。
168世界@名無史さん:03/02/05 03:24
>>166
力作ありがと。 でも おもいっきりズレてまっせ。
169世界@名無史さん:03/02/06 01:04
エクスプローラ4.5とネスケ4.5ではズレてない。
170世界@名無史さん:03/02/06 03:45
ウリナラマンセー
171世界@名無史さん:03/02/06 03:48
朝鮮関係は電波やアラシがよってきやすいので 基本的にsage進行でおながいしまつ。
172世界@名無史さん:03/02/06 23:56
age
173■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/02/07 00:11
恵美押勝が新羅討伐を渤海に打診したとき
大欽茂じゃなくてイケイケの大武芸だったら
遠征は実行されてたかなあ?
まあ日本も7世紀と違って随分と内省的(?)になってるし
174世界@名無史さん:03/02/07 00:18
新野直吉『古代東北と渤海使』歴史春秋社

最近出た渤海関係の良著。オススメ
175世界@名無史さん:03/02/07 03:34
新野直吉ってまだ生きてたん?
176世界@名無史さん:03/02/07 04:03
  上代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   pito"    −−   hっtっn  hっtっn   hΛnah    hana
                 (一等)  (河屯)
2   puta    −−   tu"pっ"r tuβっr   turh     tu:r
                 (二尸)  (途孛)
3    mi     mil    −−    sei    s∂ih    se:s
            (密)          (洒)
4    'jo"     −−   −−    nei    n∂ih    ne:s
                        (廼)
5    'itu     'utu   −−   ta∫us  tasΛs    tasっs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−  −−    'jur∫us  'jっsΛs    'jっsっs
                       (逸戍)
7   nana   nanun  −−     'irkup   nirgub    'irgob
            (難隠)         (一急)
8    'ja     −−  −−    'jurtap   'jっdщrp   'jっdっr
                       (逸答)
9   ko"ko"no" −−   −−   'ahop   'ahob    'ahob
                       (鴉好)
10   to"'wo"   tek   −−    'jっr    'jっrh     'jっ:r
            (徳)          (噎)

渤海で使われていた数詞は判明してるの?
177世界@名無史さん:03/02/07 07:36
渤海国は唐風文化全盛だから何事も漢文仕込みであまり固有語は残ってないんじゃないかね?
へたすっと公用語は中国語だったかも。
高句麗語か靺鞨語のどちらかを公用語にすると不公平になって国家運営がうまくいかない。
北魏が鮮卑語を捨てたのと同じ理由。
178 :03/02/07 09:53
「古代日本人と外国語:源氏・道真・円仁・通訳・渤海・大学寮」湯沢質幸著とか
読んでみれば??
179世界@名無史さん:03/02/07 11:31
>>168,>>169
ネスケ4.7でもズレてない
180世界@名無史さん:03/02/14 04:59
少しズレてる
181世界@名無史さん:03/02/14 05:47
ずれてるっていう奴はただいいっぱなしじゃなくてブラウザ教えれ
182世界@名無史さん:03/02/19 01:02
          (     アイゴー)      )   (    )       )  (     )
          人 人    )       )    (   )      )    (    ) オモニー
  ,'================,=‐--人-----人 )==ニニ(ニニ∬=‐人----------‐=、=人=============、
__イ二二二二二二二二人 人 _( 人  )____人__人__人___人人二二人二二二二二 |
| | ― ―  l ==== l  人人人  ( ―人  ――― タスケルニダ 人 人  ―――   __人  __    __  .|
| | | ‖ | . ||∧ ∧. |    アツイニダ  .| .|  <`Д´;>     .| .|  人   | |      .|  /人丶 / 丶 / 丶.|
| | | ‖ | l ||;`Д|| l | <`Д´;> <;`Д´>     | |   <;`Д´> アイゴー     .|  丶__,/ 丶__,/.丶__,/|
| |ニニニ | | ニニ | | ニニニニニニ∪ニニニニニニニニニニニニニ出ラレナイニダー _________|
| |.       | |.     | |          地 獄 逝 き 超特急                            |
| |.       | |___,| |                                                    |
 ̄'、―――――――――――,                          ――――――――――――‐|
   ヽニニニニニニニニニニ,/―lニニl‐lニニl‐lニニl‐lニニl‐lニニl――\ニニニニニニニニニニニ/
       `ー'´   `ー'´                               `ー'´   `ー'´
183世界@名無史さん:03/02/19 04:01
>>144
晋には太陽が昇るという意味があり東を指すぞ
184世界@名無史さん:03/02/19 04:10
この際あまり関係ないと思われ。
185世界@名無史さん:03/02/19 21:10
>>182
合掌
186世界@名無史さん:03/02/23 18:35
ちゅおんの領土
187YOSHIKI:03/02/23 18:49
私も面白いスレを立てたので諸君も是非来てくれたまえ。

http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1045471623/l50

永遠の命を手にした■慎太郎クローン■が
次期総理に向けて始動したぜ!
石原は「自分に代わって■慎太郎クローン■が首相になって
大日本帝国を再建する。」といっているらしいが、本当かよ?
詳しくはこのHPに書いてあるぜ。
そして巨大地震を起す■謎の巨大コンドーム=神■の
謎を知りたければ、このHPを見ろよ!

http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm
188177:03/03/03 02:33
渤海語というのが存在したとすれば長い年月をかけて
高句麗語と靺鞨語が融合したと考えるしかない。
もしも高句麗語か靺鞨語のどちらかが優位であったならば、
どちらでもない渤海語というのは 生まれなかった可能性が高いだろう。

新唐書渤海伝に

>俗謂王曰「可毒」。夫曰「聖」。主曰「基下」。其命爲「教」。
>王之父曰「老王」。母「太妃」。妻「貴妃」。長子曰「副王」。諸子曰「王子」。

これみると渤海語というのは「王」などごく一部の単語に固有語を残して
ほとんど中国語の一種だったことがわかる。

渤海国は唐風文化全盛だから何事も漢文仕込みであまり固有語は残らなかった。
高句麗人と靺鞨人の権力関係が拮抗したから、公平を期すため
中国語でコミュニケーションしていたのだろう。
公用語は中国語だったのだろう。
高句麗語か靺鞨語のどちらかを公用語にすると不公平になって国家運営がうまくいかない。
北魏が鮮卑語を捨てたのと同じ理由。
189世界@名無史さん:03/03/08 07:16
渤海人って、結局どこいったの?
190どどんがどん:03/03/08 09:58
>>189
 どこへもいきません。
 王国が滅亡したさい、上層階級は遼によって拉致されたりしますが、
 しもじもはそのままとどまり、やがて女真とよばれるようになります。
191ほるちゃん:03/03/09 12:46
良スレ。
あげ徳。
192世界@名無史さん:03/03/10 14:43
ハン厨予防のためサゲ推奨
193世界@名無史さん:03/03/22 04:08
保守あげ。ついでにレス

>>190
女真は別。黒水靺鞨の子孫だから、渤海とは別系統。
>>137には
>13世紀でも渤海人と高麗人(半島人)女真人(ツングース)は厳然と区別
とあることからしても混同はなさそうに思う。
ただしこの場合の女真は時代背景からするに金王朝を建国した「生女真」のことであって
「熟女真」(後の海西女直・建州女直)ではないとすれば、
「渤海人→熟女真」というのはまた考えられる線かも知れない。
194世界@名無史さん:03/03/22 05:12
のちに日本にたびたび来た「刀伊」も関係あるでしょうか?
けど遠洋航海に巧みなツングース系民族というと・・・いたっけ?
河川の交易で船を操ることがあった程度ですよね?
195世界@名無史さん:03/03/22 05:41
>>194
サゲ推奨

いや、三世紀の「邑婁」もツングース系狩猟民でかつ航海民。
この「邑婁」は後の黒水靺鞨で、さらに後に女真になった。
こいつらが航海といっても?な感じだが、沿岸部の連中は航海術の伝統を持続していた。
196世界@名無史さん:03/04/08 00:38
エスキモーを思わせる「木の枝に皮を張った小舟で」来たというが・・・
外洋航海にも乗り出していた時代があったのかな。
197世界@名無史さん:03/04/08 08:17
「外洋航海」と言えるかどうかしらないが、樺太、北海道にやって来て
アイヌ人と交易していたいわゆるサンタン人は黒竜江沿岸のツングース。
江戸時代にもてはやされた「蝦夷錦」は彼等がもたらしたもの。
これは清国政府が毛皮貢納の報償として辺民に与えていた官製錦衣が
交易品になったものだ。
198世界@名無史さん:03/04/16 00:43
根室で渤海時代の鉄製装身具が出土しているそうな。
時代的にオホーツク文化とも重なるから、北方面への交易もあったのかも知れませんな。
199世界@名無史さん:03/04/16 04:21
   ★★渤海国★★
7世紀末(698)、中国東北地方東部から朝鮮半島北部・沿海州にかけて、
高句麗の移民がトゥングース系の抹褐とともに建てた。
唐の制度を受け入れ、926年契丹に滅ぼされる(約200余年続。)
奈良、平安時代の日本とも通交し、唐の文化を日本に伝えた。
黒龍工省東京城には、長安を模した国都上京龍泉府の遺跡が残っている・・・
200山崎渉:03/04/17 09:19
(^^)
201世界@名無史さん:03/04/18 04:47
なるほど
202世界@名無史さん:03/04/18 14:19
>>199
移民→遺民
203山崎渉:03/04/20 04:39
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
204世界@名無史さん:03/05/09 01:09
>>198
網走でオホーツク文化期の唐銭が出土しているそうな。
渤海経由かもしれないね。
205山崎渉:03/05/21 22:37
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
206世界@名無史さん:03/05/23 22:40
>>199
と云うが、高句麗の遺民が立てたと言うわりには、再建した地域がなんとなくダナ。
日本で言えば、大和朝廷が、蝦夷の奥州で復興した感じ。
支那との外交の姿勢も高句麗と少し違うようだし、高句麗を前面に出すのは少しな。
むしろ、脇役の靺鞨が高句麗を利用しているとも取れんだが。
207世界@名無史さん:03/05/25 17:08
別に脇役じゃないだろ靺鞨は。むしろ主役級じゃん。
208山崎渉:03/05/28 15:07
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
209世界@名無史さん:03/05/28 15:38
10世紀始めに遼東に建国された小高句麗について教えてください。
210世界@名無史さん:03/07/02 20:59
>>209
日野開三郎の研究が有名だが、今じゃ否定される部分が多すぎ。
「小高句麗国」はなかったという見解が有力のようです。
211世界@名無史さん:03/07/03 04:41
「なかった」ってどういうこと?
たしか正式には「朝鮮郡王」っていうんだよね?
封地のともなわない爵号だったってこと?
212世界@名無史さん:03/07/04 00:35
ユネスコは、北朝鮮が求めていた高句麗古墳の世界遺産への登録を
中国の強い反対で見送った。ナイス!厨国(w
http://www.excite.co.jp/News/vnews/story_v?vid=777314&genre=world

北朝鮮・高句麗古墳が世界遺産に
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1057210624/l50
213世界@名無史さん:03/07/06 11:31
国境線をまたいで中国側にも古墳群があったため
先に登録されると「本家」の面子が保てなくなるためかな。
214世界@名無史さん:03/07/06 12:31
将軍様
215世界@名無史さん:03/07/07 10:28
現在の国境線のせいで遺産登録見送りか・・・なんだかなぁ
216世界@名無史さん:03/07/07 21:03
中国ではあまり渤海の知名度がなかったのかも。
217世界@名無史さん:03/07/11 00:34
あの古墳群、墓の主は分かっているんでしたっけ?
218世界@名無史さん:03/07/11 16:13
>>211 俺もその今の説とらやを知りたいよ。
渤海は海路で山東を攻撃してるだろ。でも同時期に新羅と唐が国境を接していた
ようでもあり、どうにも釈然としない。
219世界@名無史さん:03/07/15 02:15
中国側の史料にその記述はないのでしょうか?
220山崎 渉:03/07/15 12:27

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
222世界@名無史さん:03/07/19 09:06
あげ
223世界@名無史さん:03/07/19 09:28
任那日本府について
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1030968865/l50

古代新羅帝国を語ろう
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034352513/l50

百済はアジアのローマ帝国なり
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1004335573/l50
【歴史】奈良百済って一体何???【捏造】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1050959182/l50

高句麗の言葉が
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/987824592/l50
★◆コマ国は高句麗ではない◆★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1054447079/l50

◆◆渤海国について語ろう◆◆
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043509346/l50

高句麗・百済・新羅・任那って、同一民族なの?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1000047879/l50
古代新羅語、百済語、高句麗語を語ろう
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1026558237/l50
224世界@名無史さん:03/08/11 21:40
言語学板でもけっこう高句麗語関連のスレが立っていますよ。
225世界@名無史さん:03/08/12 01:52
>>224
教えてくり
226世界@名無史さん:03/08/12 02:27
みんじょく
227世界@名無史さん:03/08/12 10:23
基本的な疑問です

渤海の領土は
渤海沿岸が含まれなかった(いわゆる小高句麗という唐の傀儡があった?)

渤海郡というのは、黄河下流域にあって、渤海の領土ではない。

なのに、唐側は、どうして「渤海郡王」として冊封したのですか?(渤海側ではシンという国号にしたかったらしい)
228世界@名無史さん:03/08/12 13:12
>>227
小高句麗というのは名目的な冊封がされただけで、
国としては存在してなかったというのが最近の説らしいよ。
詳しいことは漏れも知らないが。

唐としては高句麗の広大な遺領はそっくり唐のものにしたいという下心もいくらかあって
大祚栄には「お前の領地は本当ならココだからな」という建前を作って置いたんだろう。
229世界@名無史さん:03/08/12 13:38
そういや、高句麗最盛期に国土のド真ん中を流れてた鴨緑江は
最後に渤海へ注いでたっけ?
それとも渤海は黄海の一部と考えるべき?
230世界@名無史さん:03/08/13 05:02
渤海湾は黄海の一部でつよ
231世界@名無史さん:03/08/13 12:19
渤海は高句麗旧領の遼東半島や平壌を回復できなかったのですか?
232世界@名無史さん:03/08/13 13:05
遼東は唐のもの。平壌は唐と新羅の国境線あたりじゃなかったかな?
233山崎 渉:03/08/15 18:38
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
234世界@名無史さん:03/08/15 23:30
>>231
>>232
上田雄の「渤海国の謎」によれば遼東半島を含む遼東は渤海の領域
になっている。また朝鮮半島については平壌は回復してないが
現在の丹東〜興南の線以北は渤海になっている。
唐と新羅の国境線というのは存在しない。
235世界@名無史さん:03/08/16 03:29
渤海だけはガチ。
236世界@名無史さん:03/08/16 08:05
吉川弘文館の標準世界史地図では遼東半島は唐の支配域となって
鴨緑江河口でかろうじて唐は新羅と接しているんだが。
237あぼーん:あぼーん
あぼーん
238232:03/08/16 21:26
漏れも吉川の世界史地図が元ネタ。
吉川の世界史地図はときどきいい加減なようだから
もしかしたら上田の方が正しいかも。
239世界@名無史さん:03/08/17 10:12
>>234
上田雄『渤海国の謎』はかなり(+д+)マズーな記述が多いので
あまり信用しない方がいいと思われ
240238:03/08/17 10:25
>>239
えっ!?そうなの?
じゃあどっちも信用できないナー。どうしたもんだか・・・・
241世界@名無史さん:03/08/17 12:14
始めから終いまで領土が不変であったかのように扱っていることが
混乱の原因ではないの?

高句麗を滅ぼしたあと、唐は平壌に安東都護府というものを設置したけど、
10年もしないうちにあのあたりからは撤退しています。
渤海の遼東領有も途中から (大武芸あたり?) ではないですか?
242世界@名無史さん:03/08/17 14:01
三代目の文王大欽茂のとき遼東半島の「小高句麗国」を吸収した。
これ以降、唐は渤海を國として認めて大欽茂に「渤海郡王」を改めて
「渤海国王」の称号を与えた。
上田雄の地図はこの文王のときの最盛期の渤海を表していると
思われる。
243世界@名無史さん:03/08/17 14:22
えっ!?
小高句麗国はなかった、というのが最近の説じゃなかったの???
うーん、さっぱりワケわからん・・・・
244世界@名無史さん:03/08/18 00:12
>>243
小高句麗国であってもなくても、文王以前は遼東半島は唐の植民地であり、
渤海の版図ではなかった、ということでいいんでないの。
文王以後は遼東半島が渤海領になり、したがって唐と新羅の国境は消滅する。
245世界@名無史さん:03/08/18 01:18
 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

UZAI UZAI UZAI UZAI UZAI UZAI UZAI UZAI
246世界@名無史さん:03/08/18 05:58
>>244
状況から見て小高句麗国はあったんじゃないか?
つまり台湾(国府)と国交を結んでいる間は中国を國として認める
ことができなかったのと同じ。
247世界@名無史さん:03/08/18 17:16
渤海は滅亡しても後々まで再建運動が続いたそうな・・・
248世界@名無史さん:03/08/18 20:41
契丹に跡形もなく根絶やしにされたわけじゃなかったのね・・・
249世界@名無史さん:03/08/18 20:55
>>248
遷徙によって同化だね。
契丹国の上京道・東京道・中京道あたりに多かったと思う。
津田左右吉・島田正郎・田村實造たちの研究にあったと思う。
250世界@名無史さん:03/08/18 20:57
>>247-248

それは>>135-140を見れ。
251世界@名無史さん:03/08/19 11:11
満州民族が漢化されなければ、東北地方史がもっとよくわかったかもしれん?
満州民族の部族の中に渤海の末裔という系譜意識が残るものは居ないのか?
252kazu:03/08/19 12:02
こんなに見えちゃってヤバクない???
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp2/linkvp2.html


253世界@名無史さん:03/08/19 12:09
司馬遼の街道を行くでちょっと触れられてた。
254世界@名無史さん:03/08/20 00:36
>>251
いや、史書は漢化のひとつでもあるよ。
だから後世でもどんな事があったか分かる訳。
漢化しなければ、歴史を残す風土が発生しないから分からなくなる。
現に遊牧民族なんかは、遺跡と隣国の史書以外は謎だよ。
255世界@名無史さん:03/09/03 10:04
age
256世界@名無史さん:03/09/03 10:12
勃起ハゲ
257世界@名無史さん:03/09/04 21:30
「小高句麗」にしても「定安国」にしても日野氏の研究はロマンを感じるね。
中世中国経済も面白くて、1年かけて全集20巻読破したよ。
258世界@名無史さん:03/09/12 23:48
ロシア側には遺跡や出土品などはあるのでしょうか。あまり聞かないので。
259世界@名無史さん:03/09/14 18:23
>>258
渤海専門ではないですが、結構出ているようです。ウラジオの博物館(科学アカデミーなど)には
渤海関係の遺物が展示してありました。

日本の学者も来て渤海時代の土城(?)を調査したそうです。

ほそぼそと論文もあるようですが…。
260世界@名無史さん:03/09/18 15:10
大武芸が唐の登州を海路で攻撃してるってことはその頃には既に遼東は渤海の
勢力圏だったんじゃないのかな。
261世界@名無史さん:03/09/24 19:43
渤海国の国境線は定かではないのでしょうか。中国側の文献にはないのかな。
確かあるものの記述が一致しない・・・んでしたっけ。
262世界@名無史さん:03/09/27 02:55
中国の歴史教科書では「渤海=唐領土内の地方政権」と
記述されてます。マカーツと同類扱い?
263世界@名無史さん:03/09/27 02:59
>>262
あほか。中国の教科書では樺太も沖縄も中国の領土だったぞ
264とてた ◆0Ot7ihccMU :03/09/27 10:51
>>263
それは清朝のときに朝貢してたからです。
265263:03/09/27 15:23
>>264
それぐらい知ってますが何か?
渤海が中国の一部なのは朝貢以外の理由だとでもいいたいわけ?
266世界@名無史さん:03/09/27 19:03
>>263-265
ハン板で祭になってた「韓国政府、中国の新訂歴史教科書の高句麗の記述に抗議」
の話題と思われ。
 半島では「高句麗=ウリミンジョクの国家」と教えているが、
今度の中国の教科書が「中国史」の一部として高句麗を組み込んだ改訂に
ウリナラ政府がご憤慨のご様子で。
267世界@名無史さん:03/09/27 20:34
>266
日本のように過剰反応せず、中国政府は抗議を一切無視すると思われる。
268ss:03/09/27 20:57
シベリアから北極海までが元の領土として書かれてる中国の地図あるね。
269世界@名無史さん:03/09/27 21:35
>>268
!マジすか!見てみたい!
270世界@名無史さん:03/09/28 16:12
>>268
それはおおげさだが元は黒龍江河口までは支配した。
それを明がしばらく受け継いだ。
271世界@名無史さん:03/09/28 19:25
あーびっくりしたw
最北でも外興安嶺が北限でしたよね。
272ss:03/09/30 22:51
>>本当にあるから驚いたよ
273世界@名無史さん:03/09/30 22:59
 やっぱりあの国のエライさんには警戒が必要だ
 韓国人みたいにカーッとこない分要注意
274世界@名無史さん:03/10/01 04:24
>>268の件だが、元はヤクート辺りまでは勢力は及んでたのかな?
275世界@名無史さん:03/10/02 14:31
シベリアもモンゴルの勢力圏?
276世界@名無史さん:03/10/02 14:55
中世とか大航海時代とかは、領土宣言をする+他の政治組織から異議が出ない
で領土として確定。
14世紀の北極圏に政治組織はなかったから、そのすぐ南隣(つまり陸地で一番
北にある)政治組織が領土宣言すれば領有できた。

現在では領有に「実効支配」という三つ目の条件が要るが、実効支配が及んだ
か及んでいないかという点で領有か否かの判定をこの時代に持ち込むのは
おかしいぞ。
277世界@名無史さん:03/10/02 15:00
ちなみに、「実効支配」が領有の問題になりだしたのは、19世紀も後半のことだよ。
今は、実効支配が必須条件。
278世界@名無史さん:03/10/09 12:06
>>274-275
バイカル湖の北が北限でしょうね
279世界@名無史さん:03/10/09 13:20
バイカル湖は漢語の呼び方が古代からあったの?
『山海経』の「大沢」か?
280世界@名無史さん:03/10/09 17:21
史記「匈奴列伝」ですでに「翰海(かんかい)」の名で載っていますね。
281世界@名無史さん:03/10/10 18:55
>>280
読みは「ゲンカイ」では?
北=玄=翰なので、この方が意味通じるかと。
282世界@名無史さん:03/10/11 07:46
[翰] カン[han] やまどり、はね、飛ぶ、筆毛、手紙、白馬、幹、才能
ほかのスレで夫餘の滅亡がいつかという話題がでたが
スレちがいだったので、結論だけこっちに書いとく。

AD285年、鮮卑の慕容カイ(カイ=麻ダレ+鬼)が夫餘に攻め込み
夫餘王の依盧は殺された。(夫餘の第1次滅亡)

しかし、依盧の子の依羅は西晋の援助により開原で夫餘国を再建(第2夫餘王国)。
開原というのは遼寧省の瀋陽付近だが、王族や支配層及び一部の属民だけが移動
してきていただけであって、北方には同族が多く残っていただろう。
つまり民族集団としての夫餘は二つに分かれたことになる。
AD316年に西晋が滅ぶと後ろ楯を失った夫餘は、鮮卑大単于
の慕容部に臣従して、身を守るほかなかったと思われ。
AD319年に慕容鮮卑が遼東を攻撃した時などは、開原の近隣
あたり(満洲西南部の中)を移動させられたかも知れない。
(AD345年の記事として燕に強制的に連行されてきた遼西(満洲西南部)にいる百済人
というのが「百済」の文献上の初出となるが、これは開原の夫餘の残存者かと思われ)

AD336年、前燕の王の慕容コウ(コウ=皇+光)が遼東を奪い、
AD342年には高句麗の王都に攻め入り壊滅的な打撃を与えた。
このようにこの頃、鮮卑の前燕は勢い盛んで
AD346年、前燕の王の慕容コウに攻め入られ夫餘は甚だしく衰弱した(夫餘の
第2次滅亡。この時に攻め入った夫餘というのは北方の夫餘の本土をさすのか、
開原の夫餘をさすのか判然としないが、鮮卑には臣従していないこと、後の沃沮
への移動コースなどを考えると北方の夫餘の本土に攻め入ったのであろう)
甚だしく衰弱した夫餘は、今度は沃沮の地(北朝鮮の咸鏡道方面)に移って
高句麗に臣従した(第3夫餘王国)。むろん民族大移動のような
ものは想定しにくいので、ここで夫餘は三つに分かれたともいえる。
(続き)
AD404年、高句麗は遼東半島を最終的に併合。この頃、百済も遼西
地方を領有していたというが遼西の夫餘の存在ぬきには考えにくい。

AD427年、高句麗は、部族発祥の地ともいうべき満洲の山岳地帯から遠く離れ、中国文化の
影響の強い旧楽浪郡の中心、平壌に遷都。北方への睨みが効かなくなりつつあった。そして
AD476年には高句麗の北に「勿吉」という勢力が表れる。
すでに百済と連帯して高句麗を挟み撃ちにしたという。
(三国史記にある469年に百済が高句麗を攻めたことをさすか?)

AD494年、夫餘は勿吉に攻められ滅亡。(夫餘の第3次滅亡)
(この時に攻め入った夫餘というのは北方の夫餘の本土をさすのか、
沃沮の夫餘をさすのか判然としない)夫餘の王とその一族は高句麗に亡命した。

勿吉は後に靺鞨になったと考えられているが、勿吉が最後に表れるAD563年から
靺鞨が最初に表れるAD581年の間に、夫餘の故地(満洲北部)は完全に勿吉に征服され、
それが勿吉から靺鞨への変化となったとみられる。後の靺鞨は文化の異なる諸部族
の連合であるが、その中にはかつての夫餘そのものも含まれていた。
285世界@名無史さん:03/10/23 02:37
某スレから貼られたリンクたどってきたんだけど・・・・・


ビクッ. ∧ ∧ ∧ ∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) < うおっ、なんかすげえ所に迷い込んじまったぞ、ゴルァ!
     ./ つ つ    \______________________
  〜(_⌒ヽ ドキドキ
     )ノ `Jззз
286世界@名無史さん:03/10/26 19:23
現在のナナイ族やウデヘ族など南ツングース系の少数民族は
渤海や契丹などの時代のことを伝承で記憶しているものだろうか?
口承のみだと、よくて金か女真の支配あたり以降だろうか・・・・
287世界@名無史さん:03/10/28 05:33
ツングースといったって、単に言語系統が近いというだけで政治的な帰属意識はないだろ。
「インディアンはモンゴロイドなんだからジンギスカンの伝承を記憶してないだろうか?」
などというのと同レベル。
288世界@名無史さん:03/10/28 23:09
>287
金や明のヌルカン支配下にあった時代について
口承で何か伝わっていないか、という意味じゃないの?
帰属意識はあるまいよ。
289世界@名無史さん:03/10/29 09:56
>>283
韓国の学者の中に、3世紀末にクヤ韓国に現れる北方要素は、扶余の
第一次滅亡の余波として半島南端部に現れた扶余である、という説を
唱える人達がいますが、この説をどう評価しますか?
290世界@名無史さん:03/10/29 16:06
任那スレがありますからそちらでどうぞ。
291世界@名無史さん:03/11/07 22:44
独島は我が地(DJ DOCのアルバム収載のもの)
(オリジナル 1982 作詞・曲:パク・インホ 歌:チョン・クァンテ) 翻訳 佐野 良一
1、鬱陵島 東南方向船で200里
  孤島ひとつ 鳥たちの故郷
  誰が何と自分の国だと言い張っても
  独島は我が地
2、慶尚北道鬱陵郡道洞山64
  東経132 北緯37
  平均気温12度 降水量は1300
  独島は我が地
3、イカ イイダコ タラ メンタイ カメ
  サケの卵 水鳥の卵 海女の待機所
  17万平方メートル 井戸一つ 噴火口
  独島は我が地
4、智證王13年 島国 于山国
  世宗実録地理志 50ページ3行目
  ハワイはアメリカ 対馬は知らないが
  独島は我が地
  (「対馬は知らないが」のところは歌詞カードには「日本」となっている)
5、露日戦争直後に 所有者の無い島だと
  わざと言い張っては本当に困るんだよ
  新羅将軍異斯夫が地下で泣くよ
  独島は我が地
(ラップ部分)
  タケシマとは何のことだ
  竹島(チュクト)とはこれ又何だ
  独島は厳然と独島だい
  それなのに何で言い張る 言い張るのか
  独島がうちの土地と知らないのか
  壇君お爺ちゃんが怒ったら
  おまえたちはひれ伏してしまうんだぞ
  だからこれ以上言い張るな
292世界@名無史さん:03/11/23 22:29
何を着ていたとか何を食っていたとか
そういう話がしたいですね。無理か。
293世界@名無史さん:03/12/01 17:19
>>292
あの頃は日本も新羅も渤海国も唐風文化一色で、
フォーマルな服装とかはどこも似たり寄ったりだったと思われ。
294世界@名無史さん:03/12/10 19:20
絵画の類は残っていないそうですね・・・残念〜
295世界@名無史さん:03/12/14 00:48
渤海国を素材にした小説ってないんでつか?
296世界@名無史さん:03/12/14 10:13
かなり以前、歴史月刊誌に渤海使を迎える日本側の役人の対応を書いた短編小説があったような。
買わなかったし特に気を留めなかったので誌名・内容・発行年月など詳細不明。
297世界@名無史さん:03/12/14 19:47
歌舞伎・文楽の「菅原伝授手習鑑」に渤海国の使者というのが
ちょこっと出てたな。
298世界@名無史さん:03/12/14 22:05
>>292-297
雅楽のCDの中に「靺鞨」という曲目が入ってる。
これが渤海の音楽らしい。
今でも買って聞けるよ。「雅楽の稀曲」コロムビアCOCF7058
299世界@名無史さん:04/01/12 12:02
16.日本と満州は兄弟国だった!! 幻の日本・渤海同盟
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nichiman.html
天平時代の神亀4(西暦727)年12月20日、寧楽(なら)の都(平城京)に、遙か彼方・満州から
使節一行が入京しました。当時、満州にあった渤海国からやって来た使節は宮中に参内し、
渤海国王・大武芸(武王)の国書を、時の帝・聖武天皇に奉呈しました(下記)。
<原文>
武藝啓。山河異域、國土不同。延聽風猷、但増傾仰。伏惟大王天朝受命、日本開基、奕葉重光、
本枝百世。武藝忝當列國濫惣諸蕃、復高麗之舊居、有扶餘之遺俗。但以天涯路阻、海漢悠悠、
音耗未通、吉凶絶問、親仁結援。庶叶前經、通使聘隣、始乎今日。謹遣寧遠將軍郎將高仁義・
游將軍果毅都尉將徳周・別將舍那婁等廿四人、賚状、并附貂皮三百張、奉送。
土宜雖賤用表獻芹之誠、皮幣非珍、還慚掩口之誚、主理有限、披膳未期。時嗣音徽、永敦隣好。
<読み下し文>
武藝(渤海国王・大武芸本人)啓す。山河域を異(こと)にして、国土同じからず。延(ほの)かに
風猷(ふうしゅう)を聴きて、但(ただ)、傾仰(けいぎょう)を増す。伏して惟(おも)うに、大王の天朝、
命を受け、日本の基(もとい)を開き、奕葉(えきよう)光重く本枝百世なり。武藝忝(かたじけ)なくも
列国に当たり、濫(すべ)ての諸国を惣(す)べ、高麗(高句麗のこと)の旧居を復し、夫余の遺俗
を有(たも)てり。但、天涯路(みち)阻(へだ)たり、海漢(ひろ)く悠々たるを以て、音耗(おんもう)
未(いま)だ通ぜず、吉凶問うことも絶ゆ。親仁を結び援(あわ)せん。庶(ねが)わくば前経
(ぜんけい)に叶(したが)い、使を通じて隣に聘(へい)すること今日に始めん。謹みて、
寧遠將軍郎將高仁義・游將軍果毅都尉將徳周・別將舍那婁ら二十四人を遣(つか)わし、
状(のり)を賚(たま)い、并(あわせ)て、貂皮(てんがわ)三百張(はり)を附け、送り奉(たてまつ)
らん・・・(以下略)
(略
そして、この時から延長7(西暦930)年1月31日の来朝迄、約二百年間に渡って、実に37回も
渤海国使節が日本に来訪したのです。
(略
300299:04/01/12 12:05
約二百年間もの長期に渡って続いた日本・渤海間の使節往来ですが、なぜ、大武芸王は日本に
使節を派遣したのでしょうか? その第一の目的は、「軍事同盟」−現代風に言えば、「日渤安保」
の締結でした。ではなぜ、渤海が「日渤安保」を必要したか? それは渤海の建国事情にあった
のです。渤海の歴史については、今なお多くの謎が残っているのですが、とりわけ建国史となると、
更に多くの謎が残っています。ただ、これだけは言える事ですが、渤海建国の直接的要因の一つ
が、満州の大国・高句麗(こうくり)の滅亡にあったことだけは確かです。高句麗と言うと、朝鮮人の
王朝と言うイメージがありますが、実際の所は、満州族−後の金・清を建てたツングース系北方
民族が主体でした。高句麗は百済(くだら)を滅ぼし強大化した新羅(しらぎ)と、東アジアの「盟主」
唐の挟撃(はさみうち)にあい、668年滅亡しました。高句麗の遺民は、武装蜂起し国を再建しない
ように、各地に分散させられましたが、696年、モンゴル系契丹人・李尽忠、ツングース系靺鞨人・
乞四比羽(唐人が発音を無理矢理漢字で表記したもので、原音は不明)らと共に、高句麗王族・
乞々仲象(乞四比羽同様、原音は不明)も唐に対して反旗を翻しました。そして、この乞々仲象が
建国したのが、「震国」−後の渤海国だったのです。つまり、渤海はその建国からして、大国・唐、
更に朝鮮半島を統一した新羅と、敵対関係にあったのです。
(略
伏惟大王天朝受命、日本開基、奕葉重光、本枝百世。
「大王天朝」。これは朝廷−聖武天皇の事で、言い換えれば、日本の皇室。「受命」。これは天帝
より命を受ける事で、地上の支配権(この場合は日本の統治権)を任されたと言う意味。そして、
第一のキーワード「本枝百世」。これは、早い話、日本と渤海は「本枝」の関係−つまり「兄弟国」
だと言っているのです。これが何を意味するかと言うと、・・・日本と渤海も、かつては「一つの国」
だったと「国書」は言っているのです。
301299:04/01/12 12:07
(略
武藝忝當列國濫惣諸蕃、復高麗之舊居、有扶餘之遺俗。
この文の中で、「国書」の主・大武芸王は、「復高麗之舊居」、つまり、渤海の前身・高句麗の領土
を回復し、「有扶餘之遺俗」、夫余の伝統を継承したと言っているのです。ここに出てくる「夫余」
こそ、日本・渤海の原郷−かつてあった「一つの国」の名なのです。
(略
さて、その後、夫余は一体どうなったのでしょうか? 「夫余」は、朝鮮史に登場する「檀君朝鮮」
と同じ国なのですが、王朝交替の中で、「高句麗」と国名を変えます。そして、その高句麗の後身
が、あの「渤海」なのです。つまり、
夫余(檀君朝鮮)→高句麗→渤海
と言う訳です。では、日本と夫余の関係はどうなのでしょう? 実は、夫余にはもう一つの系統が
あるのです。そのもう一つの系統は朝鮮半島を南下した一派で、「南夫余」と呼ばれていました。
この南夫余は朝鮮半島南部に定着し「百済」を建国したのですが、中には更に南下し対馬海峡
を渡って、日本に来た者もいました。そして、その時、日本に渡った南夫余の王・依羅が、
崇神天皇になった共言われているのです。
302世界@名無史さん:04/01/12 12:07
依慮王、鮮卑(せんぴ)の為に敗れ、逃(のが)れて海に入りて還(かえ)らず。子弟走りて北沃沮
(きたよくそ)を保つ。明年、子・依羅立つ。自後、慕容鬼(鮮卑慕容部の首領で、燕国の王)、
又復(ふたた)び国人を掃掠す。依羅、衆数千を率い、海を越え、遂に倭人を定めて王と為る・・・
上に記した史書の一文では、南夫余の王・依慮はモンゴル系鮮卑族との戦に敗れ戦死?した
(「還らず」が示唆している)、翌年、王子の依羅(依罹)が新たな王となり、北沃沮(地名)を領有
したと言っているのです。更に、宿敵・慕容氏に再び攻められ、新王・依羅は国民を引き連れて
対馬海峡を渡り、日本に入って「倭人の王」となったと言っているのです。そして、依羅(依罹=イリ)
が、御間城入彦(ミマキイリヒコ)、つまり崇神天皇だったとすれば、日本の皇室も又、夫余の流れ
を汲んでいたと言う事になるのです。

夫余─┬高句麗──渤海
   └南夫余─┬百済
        └日本

つまり、大武芸王は、安全保障上の理由だけでなく、「かつては一つの国であった」日本と、
「兄弟」の誼(よしみ)を通じて、「お互い仲良くしましょう」と言った意味で、使節を派遣してきたの
です。それが「国書」の最後に書かれた

「永敦隣好」の四文字の意味なのです。
303世界@名無史さん:04/01/12 23:19
戦前みたいだなw
304世界@名無史さん:04/01/18 06:10
事実は戦前より奇なり
305世界@名無史さん:04/01/18 08:30
>>299-302のホムペは電波だよ
せっかく良スレだったのに糞ハリコすんな
306転載くん:04/01/18 10:45
357 : :04/01/18 10:43 ID:LaKkDad4
渤海の大部分は高麗には逝ってないよ。
渤海の中核は契丹の徙民政策によって遼陽に移された。
そしてここで独自の唐風文化を保っていた。
女真の金朝は勃興後「女真と渤海は一家」みたいなことを言って
積極的に渤海人を取り込んだ。

金の三代皇帝海陵王の母は大氏。要するに渤海王家に連なる人。
他にも渤海人が完顔氏と結びついている。
詳しいことは確か外山軍治「金朝史研究」に載っているはず。
307世界@名無史さん:04/01/19 14:48
>>135,140
                     ┌韓国─┐  
新羅┐            ┌→大韓帝国┤   │  
  ├→新羅→高麗─→朝鮮王朝┤     └北朝鮮┼→(未来の統一国家?)    
百済┘            │         │
               └→延辺朝鮮族自治州┘

                      ┌→熟女真┐
                      │    │
高句麗→靺鞨→渤海→東丹→安定→後渤海→興遼┼────┼→金→清→満洲帝国
                      └→大渤海┤
                           │
邑婁─→黒水靺鞨────→女真────────→生女真┘
308307:04/01/19 15:04
>>307>>135,140はまちがい。>>135-140ね。

朝鮮人・夫餘系・ツングース・高句麗人・靺鞨人・渤海人・女真人の関係を最近はまた考え直してるところ。

1)朝鮮人の祖型ができたのは新羅人から。それ以前に特定民族としての朝鮮人というものはない。
2)夫餘系(高句麗や百済の支配層)は朝鮮人でもツングースでもない。
3)渤海人は高句麗と靺鞨の混血であり、どちらかを排除することはできない。
4)渤海人は渤海滅亡後も12世紀まで満洲で興亡しており高麗に吸収されたのではない。
5)高麗は高句麗とは関係ない。李氏朝鮮も古朝鮮とは実は関係ない。
6)中国の朝鮮族自治区はほとんど19世紀以後の移民が多く高麗時代の移民ではない。
7)渤海王室の大氏の系譜は、後渤海、興遼、金に受け継がれた。
8)金はツングースの生女真の国だが、王室の先祖は渤海王の大氏。3代皇帝の母も大氏。
渤海国の後継者を自認して、女真人と渤海人の合体国家とした。
これはちょうどかつての渤海国が高句麗人と靺鞨人の合体国家であったのと同じと思われ。
309308:04/01/19 15:06
>>308に追加

9)靺鞨というのは特定民族ではなく、ツングース系、夫餘系などいろいろな系統の部族がいた。
310世界@名無史さん:04/01/24 00:16
ということは、靺鞨というのはおおまかに地域で括った諸民族の総称といったところでしょうか。
漠然と「東北のほうの民モロモロ」といったニュアンスかな?
311308=309:04/01/24 18:27
>>310
高句麗は楽浪郡の跡地に中心を移して独自の文化を発展させたのと引き換えに、
精悍な山岳民族としてのアイデンティティーを失ってしまい、
周辺の狩猟民族を押さえることができなくなりつつあった。
AD427年、高句麗は、部族発祥の地ともいうべき満洲の山岳地帯から遠く離れ、中国文化の
影響の強い旧楽浪郡の中心、平壌に遷都。北方への睨みが効かなくなりつつあった。そして
AD476年には高句麗の北にいたツングースで「勿吉」という勢力が興る。
すでに百済と連帯して南北から高句麗を挟み撃ちにしたという。
(三国史記にある469年に百済が高句麗を攻めたことをさすと思われ)
高句麗は初期の頃は山岳民だったけど、楽浪郡を併合してその中心だった平壌に
遷都してから、だいぶ変わったんだろう。その一世代後には早くも勿吉(後の靺鞨)が
反抗して独立してる。これは高句麗が平地で農耕化が一層すすみ楽浪の漢文化の影響で
文明度もあがったかわりに初期の剽悍さを失い北方狩猟民へのにらみもきかなくかったからだろう。
AD494年、夫餘は勿吉に攻められ滅亡。(夫餘の第3次滅亡)
(この時に滅んだ夫餘というのは北方の夫餘の本土をさすのか、
沃沮に移っていた夫餘をさすのか判然としない)
勿吉が、勢力をひろげて多民族連合へと拡大したものが「靺鞨」。
靺鞨には大小様々な部族がいたが、隋の頃の主なものは七部族。(続く)
312308=309:04/01/24 18:29
>>311から続き)
勿吉は後に靺鞨になったと考えられているが、勿吉が最後に表れるAD563年から
靺鞨が最初に表れるAD581年の間に、夫餘の故地(満洲北部)は完全に勿吉に征服され、
それが勿吉から靺鞨への変化となったとみられる。後の靺鞨は文化の異なる諸部族
の連合であるが、その中にはかつての夫餘そのものも含まれていた。
靺鞨というのはいろんな種族の連合だから一概に特徴をいうことはできない。
渤海国のもとになった靺鞨六部のうち東の三部(安車骨部・払涅部・号室部)と
渤海国に参加しなかった黒水部の計四部はかつての邑婁(比較的原始的なツングース)にあたる。
またこの三部(安車骨部・払涅部・号室部)のいずれかを勿吉の後身とする説もある。
他の三部のうち白山部は「古之沃且」というから夫餘系だろう。
残りの二部(粟末部・伯咄部)は普通は文明化したツングースとされるんだろうが、夫餘系が
狩猟民化したものかも知れないし、あるいは平壌遷都の時に移住を拒んで山岳民のまま残された
高句麗人の子孫かも知れないし、高句麗・夫餘・邑婁の混血かも知れないし、なんだかわからない。
粟末靺鞨は渤海靺鞨ともいい、黒水部を除く六部を統一して渤海国を建てた。
黒水靺鞨だけは渤海国に属さず、後の生女真になった。
後の熟女真というものの中にはかなりの程度、渤海人の子孫が含まれていたと思われ。
313世界@名無史さん:04/02/02 17:46
>>311
北魏の話と似てるね。
北魏には、遥か北の方で先祖の墓が発見された、とかいう話があったな。
供養ぐらいちゃんとしろよ>北魏
314世界@名無史さん:04/02/08 18:33
北魏の中でも権力交替があったせいだろうか?
315世界@名無史さん:04/02/08 23:58
要するに、ブリヤート→夫餘→百済→大和民族って事でしょ?
遠くを旅してきたんだね。
316世界@名無史さん:04/02/09 05:18
ブリヤート云々は遺伝子ネタでそ。
またいつぜんぜん別なことが言われだすかわかったもんじゃないよ。
仮にそうとしてもブリヤート→日本ってのは万年単位、
南方→環日本海→夫餘語というのは千年単位。

遺伝子問題と言語系統は別問題で、次元のちがう話。
317世界@名無史さん:04/02/09 18:53
>>316
因幡の白兎の伝説は、半島の和邇族(和邇博士の先祖)と山陰の宇佐族(宇佐美氏の先祖)との抗争の物語と聞いたが?
やはり、百済=夫餘と考えれば、日本の現民族と夫餘との深い関係が伺える。
ブリヤートから万の年月をかけて旅してきたと思えばロマンチックだと思う(w
318世界@名無史さん:04/02/09 20:44
えー、因幡のシロウサギは白兎ではなく素兎。
319世界@名無史さん:04/02/09 20:55
生物考古学によると、日本では普通にいる茶色のノウサギらしい。
「素兎」とは、皮を剥かれて裸になった姿。
320世界@名無史さん:04/02/09 21:12
>半島の和邇族(和邇博士の先祖)と山陰の宇佐族(宇佐美氏の先祖)

それ電波ひどすぎ・・・せっかく数少ないまともなスレなのに・・・・(泣
321世界@名無史さん:04/02/11 14:06
後世、渤海の末裔を名乗る民族・家系・住民って存在したんでしょうか?
322世界@名無史さん:04/02/11 15:36
勃起国
323世界@名無史さん:04/02/11 17:27
>>321
あんまり聞かないね。
渤海国って言っても、首都の住人でさえ竪穴式住居に住んでるありさまだったらしいよ。
324世界@名無史さん:04/02/12 12:44
中国の中原を制覇した金帝国は渤海の民を同族、親戚筋のものとして大変に優遇し、皇室にも迎え入れているよ。
325世界@名無史さん:04/02/12 12:46
>>321
金の皇室・完顔氏は渤海の王室の大氏の子孫を称していた。

遼帝国・金帝国の遼陽(遼朝だと東京遼陽府)は
渤海人のたくさん集まってる都市で、仏教が栄えた。

金帝国の貴族には渤海人多いよ。中国文化に造詣深いのが多かったから
重用されたらしい。
中央や地方の高官も何人も出てるし、皇后にもなってるから
金の皇帝には渤海人とのハーフが何人かいたはず。
326世界@名無史さん:04/02/14 13:30
ロシアの沿海州の高校歴史教科書は沿海州初の国家として渤海にかなりの
ページを割いている。沿海州南部にはいくつもの城砦址がある。
クラスキノ城砦址は面積13.6ヘクタール。土塁と濠に囲まれている。
粟末靺鞨の一部と高句麗人の一部が中核となって周囲の靺鞨を統合して成立
したことや階級性の社会制度、農業中心で牧畜も行ったことや手工業も発達
したこと、中国に大規模な留学を行ったことや日本と交流があったこと、
シャーマニズムや仏教が普及していたことなどに触れている。

滅亡の章では20年ほど遼と争った末に滅亡(926)、傀儡国家東丹を置いたが即反乱、
その後も揉め続けたので約2/3の渤海住民は遼に強制移住、1/5は朝鮮に逃亡。
残りの沿海州を含む北方、東方の住民(13%ほどということになるか)は
相対的な独立を保ち、遼に不定期に朝貢したとある。

女真・金についてもかなり詳しく触れている。黒水靺鞨が10世紀から女真と
呼ばれるようになり11世紀後半に完顔部によって統合、遼を滅ぼし(1125)
北中国全域をを支配して多くが移り住み、住民の構成は中国人87%、女真人10%
、その他3%。沿海州は金の辺境でウスリースクなどに金時代の城砦址がある。
渤海から多くの文化を引き継いだことに触れている。

1234、モンゴルにより金は滅亡するがその少し前に蒲鮮万奴により東夏[
(東真、大真,1215-1233)が満州東部、朝鮮北部、沿海州中南部に建てられる。
短期間の国ながら沿海州を中心地域の一つとしていたことからそれなりに
取り上げている。やはり城砦址がいくつもあるとのこと。
327世界@名無史さん:04/02/14 15:59
>>308
>6)中国の朝鮮族自治区はほとんど19世紀以後の移民が多く高麗時代の移民ではない。

なお、高麗時代の北境は間島(現在の延辺朝鮮族自治州)の南側の
豆満江に達していない。韓国教科書でも移住は北境が豆満江に達した
後のこととされている。
高麗の北境は王建時代(9XX年代前半)に100kmほど北上、9XX年代末に鴨緑江河口に
達する。ざっと2〜3万平方kmといったところか。このラインで遼と何度も戦争になり、
千里の長城が作られた。11XX年代初頭、一時長城外への拡張が図られたが
すぐに撤退。この後、拡大したのは13XX年代、元の衰退期に鴨緑江中流域〜
咸鏡南道あたりまで。ほどなく李朝となる。
328世界@名無史さん:04/02/15 04:36
>>326
大真。君号は「天王」年号は「天泰」だったかな?
後に国名を東真に改めた。
蒲鮮万奴は女真人だと思うので、渤海人の歴史とはいえないが。

>>327
高麗の直轄領土についてはそのとおりだけど、
高麗王はモンゴルの征東行省の長官も兼任していて満洲を支配していた。
高麗がモンゴルの属国だった時期に、
高麗人は一時、満洲に広がっていたはず。
高麗滅亡後、李朝は内向して満洲から手を引いたため、
満洲在住の高麗人は半島に戻って李朝に帰化したり
現地の中国人に同化吸収されて消滅したけど。
329世界@名無史さん:04/02/16 01:16
>>328
なるほどー、なんか色々読んだら高句麗スレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1057451747/42
や高麗スレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1047476322/194
に記述がありますねー。こういう情報ってどんな本に載ってるんじゃろ。

「モンゴル帝国の興亡」とか山川の「朝鮮史」とか読み返したら
瀋陽に高麗人コロニーがあったとありますのう。
1231年に洪福源の一族が元に投降、1266年に瀋陽に正式にコロニー設置、
高麗や女真、契丹などが混ざって住んでヌルハチ興起のころまで及ぶとある。
また瀋陽方面の高麗人に影響力を持つ「瀋王」ちゅうのが設定されて
高麗王家内で高麗王と瀋王が揉めたり高麗コロニー側から高麗の支配を
排除しようとしたり色々やっとるようじゃのう。
征東行省と満州の諸モンゴルウルスはどう並んでたんじゃろ。清時代の
漢・満・蒙のラインで分かれてたのかな。
他のコロニーはどのへんじゃろ。

この頃の渤海人とかどうしとったんかのー。まー華北とかだと漢、
満州や沿海州だと女真、半島だと朝鮮に合流していったのかのう。
高句麗、渤海の文化で現在まで残ってるとなるとオンドルとかかな。
330世界@名無史さん:04/02/22 01:51
そいえば東丹の移転先、渤海人を移したという遼陽は瀋陽の近く、
管轄範囲やな。渤海人も一部は金と一緒に華北に行ったろうけど
ここにも残ってたのかな。高麗人とどう付き合ってたかは知らぬが。
何にせよ明の遼東鎮長城はこのあたりも鴨緑江下流域も囲い込んで
漢人地域としてたし渤海人も高麗人も漢化したのかねえ。
331世界@名無史さん:04/02/22 12:12
東丹国ができても各地で反乱やまず、支配下の渤海人をとりまとめて遼陽に
移ったとたん、上京流泉府を中心とした王弟大某(最後の渤海王大煙饌の弟。
名は不詳)と、西京鴨緑府を中心とした大光顕(最後の渤海王大煙饌の世子。
つまり王太子)が二大勢力となった。前者(後渤海)が後者を併合して、
できたのが定安国。大光顕は失脚して高麗に亡命。
定安国(≒後渤海)滅亡後は、渤海人は満州で女真に同化される者と遼陽の
都市民となる者に二分された。遼陽の渤海人はその後も興遼国とか大渤海
とか建国して独立してる。金の時代には遼陽が渤海人の中心地。
とはいえこの時代(金)の渤海人はアイデンティティーはともかく
すでに文化的にはほとんど中国人。日本国内にたとえれば
渤海人=平安貴族、女真人=鎌倉武士、みたいな関係。
金の時代、渤海人は女真貴族の中の門閥みたいなものになり
女真の漢化の推進力となり、女真族の王族貴族ともろともに漢化して
いった。女真族の場合は漢化してない満州の女真族という後背地があった
が、渤海人の場合、完全に都市民になっており、中国文化の担い手としての
売りしかかなったのではないか。モンゴルがフビライの時代になって
中国文化への蔑視をやめたことと、渤海人の急速な消滅は関係があるだろう。
渤海人の中に「女真族の中の文化貴族」から「遼東中国人の中の文化貴族」
へとアイデンティティーの横滑りが起こったと考えられないだろうか。
332世界@名無史さん:04/03/02 01:28
ふむ、926年渤海滅亡後、930年に放棄された渤海故地に938-1018年に渡って
定安国、後渤海があったが遼により滅亡、10XX年代に女真と同化?

一方、滅亡直前の925年から979年にかけて高麗に大量亡命。王弟大某に敗れた
大光顕らのグループは数万戸という。全集団で数十万人といったところか。
9XX-10XX年代に高麗と同化?

滅亡前の戦争で遼に連れ去られたり、930年の東丹の遼陽への移転により主として
現在の瀋陽一帯に移った集団は1029-1030年に興遼を建て、遼滅亡直前の1116年に
大渤海を建てるが滅亡。やはり当時の東アジア最強国家である遼の中核近くだと国を
建てるは難しいか。金の時代も民族として存続し続けて12XX年代、元のフビライの
時代あたりで漢に同化?
この集団が一番長く渤海人でありつづけたのは数が多い(旧渤海の大部分なら
百万-二百万ぐらい?)からか、遼がバリバリの多民族国家だったからか知らぬけど。

まだ渤海が存続している918年に高麗が西女真と接触。920年には東女真と接触。
渤海内部で既に女真は成立し、やがてこの地域の主役になったわけか。
そいえば919年に刀伊の入寇があったな。日本まで攻撃に来るとは
えらい勢いじゃのう。
333332:04/03/02 01:32
間違えた、刀伊の入寇は1019年だ。既にこの地域が全く女真の勢力圏になった頃か。
334世界@名無史さん:04/03/20 11:49
【高 氏】
 渤海王高歓の苗裔と伝え、始祖高寿覚は明の福建の人。慶長年間に薩摩へ来たり、島津家久に仕える。
 その後福建に帰るが子の但有は薩摩へ再来して島津光久に仕え、始め渤海を称してのち深見に改称する。
 渤海の訓読みがフカミなるにより称すると伝える。貞恒は徳川家宣に仕え儒者となり、代々幕臣となる。
  
渤海王高歓……………(略)………………【高】寿覚─┐
                         │
┌────────────────────────┘

└【深見】但有──貞恒─┬有隣──貞雄──有忠──有能
            │
            └玄融

おい、藻前ら、深見さんは渤海王家の子孫であられますよ!
335世界@名無史さん:04/03/20 20:38
>>334
渤海王といっても高歓の場合は河北の渤海郡王のようです。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008691359/191
ちなみに高歓(496-547)は南北朝の東魏を建てた。

このスレッドの渤海は東部満州、沿海州、朝鮮北部にあり
(698)713-926に渡って存続した国を指す。
336世界@名無史さん:04/03/21 19:47
渤海高氏の起原は後漢の高洪にはじまるのか・・・
この高洪ってのは後漢のいつごろの人?高句麗人だったのかな?
東魏を建てた高歓もこの一族だったの?
337世界@名無史さん:04/03/28 17:13
沿海州の領土復活のため、渤海を中国史に組み込みます。
338世界@名無史さん:04/04/14 21:07
ウリナラ説も立つ瀬が無いなw
>334
渤海⇒ふかみ、か!日本にも末裔がいたんだな、凄い。
339世界@名無史さん:04/04/14 21:07
講談社学術文庫「渤海国 東アジア古代王国の使者たち」
著:上田雄 ¥1050(税別の価格)

七世紀末、中国東北部・高句麗の故地に建国された
渤海は、奈良・平安時代を通じて三十四回も日本に
使節を派遣した。当初、唐や新羅に対する軍事上の
連携から始まった交流は、北方産の毛皮と日本の絹
などとの交易が主体となり、華麗な宮廷外交を展開。
菅原道真と漢詩の応酬をした大使父子も登場した。
二百年の交流の実像に、三振の研究をふまえ迫る。

本書は、一九九二年に講談社現代新書として刊行された
『渤海国の謎』を底本とし、補筆・改訂をしたものです。
340334=336:04/04/15 05:12
>>338
すまん、深海氏の先祖は高句麗とは関係ないようだ。
深海氏の先祖の高歓は渤海高氏の一族で、
その大本の先祖は後漢の高洪。
この者の先祖は山東半島の本貫で、高氏というのは
王氏・国氏・崔氏などとならぶ春秋時代からの
山東半島の大族。(王氏だけは戦国以後)

したがって高句麗とは関係ない。
高句麗が「高氏」を称したのは伝説でも前1世紀、史実の上では5世紀初頭。
まったく関係がない。
341世界@名無史さん:04/04/16 18:12
>>332
フビライに仕えた高ケイ(ケイは「攜」の手ヘンのかわりに角ヘン)は
渤海人らしいから、この時代はまだ消滅してないんじゃないかな。
342世界@名無史さん:04/04/21 22:34
「後渤海国」「定安国」「興遼国」「大渤海国」などの継承国家はどう?
343世界@名無史さん:04/04/22 00:26
どうと言われても、何がどう「どう」なのよ?
344世界@名無史さん:04/04/22 22:51
なぜだか知らないが韓国人だけが
大玄錫を「景王」と呼んでるけど、ソースは何?
日本人研究書も中国人のにもでてこない。
345世界@名無史さん:04/04/23 00:53
>>344
みにふろから来た人かな?
結局『朝鮮歴史年表』なる書物がソースらしいが、
これが一体何時の時代の物なのかわからない。
研究書見ても全然載ってないんだよね。
346世界@名無史さん:04/04/23 07:53
そのなか狭いね(w
347346:04/04/23 19:13
そのなか -> 世の中


確か韓国の国定の国史の教科書にも「景王」が載ってた。
348世界@名無史さん:04/04/24 18:25
嘘ついた。確認したら教科書には書いてなかった。
349世界@名無史さん:04/04/25 11:49
>>342
後継国ならば兀惹国と東丹国も忘れないでね
350世界@名無史さん:04/04/25 13:13
東丹国についてはこのスレでも何度も出てるけど
兀惹国とか烏舎国についてはよくわからんなー
定安国のライバルとか属国とかなのかな?
351こっちにも転載:04/04/27 19:40
景王の由来がわかりました。やっぱり誤りです。

「史淵」に収められた濱田耕策「渤海国王の即位と唐の冊封」から引用

 日本では、明示十七年に外務省から刊行された『外交志稿』の「年表」に、
 渤海国王の諡号ととにも在位中の年号と在位の期間を高王・大祚栄から「景
 王」「哀王」までの十三代の王位について掲げた。ただ、ここで「景王」と
 「哀王」の諡号は、金毓黻が指摘したように、朴祥(一四七四〜一五三〇)
 の『東国史略』巻二に渤海国の略史を述べて、「唐以大祚榮為渤海郡王及卒
 賜諡曰高王子武藝立至景哀王時契丹攻滅之以為東丹國其世子及大臣等皆降高
 麗」とある一文を読み誤って、ここの「景哀王」を渤海国の末期の二人の王
 と判断したのであった。しかし、この「景哀王」は、金毓黻の指摘のように、
 新羅の末期の景哀王のことである。新羅の景哀王代に至って渤海国は滅亡し
 た、と『東国史略』は述べているのである。『外交志稿』の編者が渤海末期
 の諡号に「景王」と「哀王」を設定したこの誤解は以来、尾を引いて今日に
 も日本と韓国の歴史書や年表に残存している例を見ることがある。

ということで一件落着。
352世界@名無史さん:04/04/27 22:06
景王だけじゃなくて哀王もだったのかよっ!?
353世界@名無史さん:04/06/02 18:29
保守
354世界@名無史さん:04/06/02 20:07
>>307
同軸上に並べて、いいんかいな?

高句麗・・・→靺鞨→渤海→・・・┼→金→清→満洲帝国
355世界@名無史さん:04/06/09 11:07
地理・人類学板

沿海州周辺の歴史
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1014192620/-100
356名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 16:38
朝鮮半島・白頭山、100年に2回大噴火…世界的異例

 朝鮮半島の最高峰・白頭山(標高約2750メートル)で、過去2000年間で世界最大級だった10世紀の巨大噴火に
匹敵する大規模な噴火が9世紀ころにもあったことが10日、東北大などの研究グループの調査で明らかになった。
 火山灰や軽石が日本に到達するほどの大規模噴火が100年以内に同一の火山で連続して起きた例は、世界的にも
知られていない。
 白頭山は中国と北朝鮮の国境に位置する活火山で、10世紀の938年ころに巨大噴火したことが地質学的に知ら
れている。その規模は、ローマ帝国の都市ポンペイを埋没させたイタリア・ベスビオ山の噴火の数十倍と言われ、
北海道や東北地方北部で火山灰が確認されている。しかし、中国などの古文書には噴火の記録が一切なく、詳しい
実態は分かっていなかった。そのため、日本と中国、韓国の研究グループは2000年から4年間、白頭山の中国側の
地質や伝承を調べた。
 その結果、山頂から東北東に約15キロ離れた沢で、10世紀の巨大噴火でできたと見られる厚さ1メートルの火山灰
などの堆積(たいせき)物を発見。さらに、その下に2センチの土壌をはさんで、厚さ25メートルに及ぶ火山灰や軽石
の堆積物を見つけた。堆積物から採取した木片の年代を測定したところ、9世紀ころの噴火で火砕流が堆積してできた
ものと分かった。
 10世紀の巨大噴火は、中国東北地方で栄えた渤海(698―926年)の滅亡とは無関係だが、新たに9世紀ころの
巨大噴火の存在が明らかになったことで、研究グループ代表の谷口宏充・東北大東北アジア研究センター教授
(火山学)は「この噴火が、渤海の滅亡に影響を与えた可能性がある」と話している。
(以下略
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20040711i403.htm
357山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/11 20:02
>>351
>唐以大祚榮為渤海郡王及卒
>賜諡曰高王子武藝立至景哀王時契丹攻滅之以為東丹國其世子及大臣等皆降高麗
成る程、これはややこしい(笑)。しかし・・・
渤海滅亡後、東丹國の使者として来日した裴■は「二君に仕えた」という理由で追い返
されているのは哀れを誘いますね。
当時の日本としては、海外の厄介事に近寄りたくないというのが本音であったのでしょ
うが。「国風文化」が醸造され、かつてもてはやされた渤海産のクロテンの毛皮が(国風
文化の代表)『源氏物語』で老人用の遺物とされているのがなんとも象徴的。
また中世の始まりは平将門からという人がいますが、彼は東丹國の活躍を聞いて「新皇」
を名乗ったという。
そして日本が完全に中世に入った時代を描いた『平家物語』の中で、平重盛は大江朝綱
が詠んで裴■に絶賛された「前途程遠し思いを雁山の暮の雲に馳す」云々の一節
を口ずさんで間も無くその命を終えている。
こじ付け臭いと思われるでしょうが、ここまで考えると文学的です。
358世界@名無史さん:04/07/17 22:09
日本経済新聞 朝刊 文化面 (2004年7月17日)
「渤海 ベール外す古代王国」 

以下、重要部分の要旨。

当時の東アジア世界では、中国を「親」とする周辺国は互いに「兄」「弟」といった関係を
認め合うことがあった。
舅甥関係は兄弟関係より疎遠だが、「おじ」が「おい」より上位。
渤海の前に栄えた高句麗に対して日本は「兄」として外交。渤海と日本については
、どちらが「おじ」「おい」なのか従来、議論がわかれていた。石井正敏・中央大学教授は、
「続日本紀」「新唐書」の記述を分析し、日本が「おじ」に当たると結論。
中国と韓国・北朝鮮の間で歴史認識が対立。
渤海は朝鮮続とツングース系の靺鞨族を主体とした複合国家だったが、
中国の研究者が「中国辺境にあった数多い異民族国家の一つ」と位置付けるのに対し、
韓国と北朝鮮は「祖先が建てた国」とする。
日本の研究者にも、どちらの立場か迫ってくることがあり、論文の書き方次第では、
現地調査や共同研究などで協力が得られず、研究に支障を来たすこともあり得る。
「舅甥関係」でも、韓国や北朝鮮の研究者が「日本がおじ」と認めることは
まずあり得ないという。
359犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/07/17 22:37
>>358
「交易維持のために、渤海は日本に対して下手に出ざるを得なかった」
でファイナルアンサーとちゃうんか。「渤海は中国か朝鮮か」に関しては、
問い自体がナンセンス。もし「日高見国は日本かアイヌか」なんて問いが
あったら、馬鹿らしい事この上ないだろうって事からも比定頂けると思う。
360世界@名無史さん:04/07/17 23:03
>>358
渤海の上層部には高句麗の名前と人間が多いとうのが、当時の日本側の印象だったようだ。
渤海は唐に対しては軍事上観点から下手に、新羅とは対立し、
日本に対しては、当初は軍事上で、途中から必需品である繊維を得る為に下手に出ていた。

>日本の研究者にも、どちらの立場か迫ってくることがあり
下らな過ぎ。
361山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/17 23:20
渤海の使節に対しては対新羅通詞が臨席する事があったとか。
ちなみに遺された史料から判断すると、衣服は遊牧民的です。
かと思えばオンドルのような暖房使節や家の造りは朝鮮的・・・。
362世界@名無史さん:04/08/05 02:48
そうじゃなくて、オンドルが北方から朝鮮に入ってきたんじゃないの?
363世界@名無史さん:04/08/13 18:19
華北から伝わってきたようです。 漢字でオンドルは一字で[火+亢]。
364世界@名無史さん:04/08/14 21:19

>高句麗・・・→靺鞨→渤海→

靺鞨、渤海、は高句麗か、多賀城の壺の石碑に「去靺鞨国界三千里」である。
多賀城の壺の石碑に靺鞨国よりと記されてあるのはなぜか?
かなり靺鞨国を意識しているのはなぜか不思議だった
三千里という数字をわざわざここに記しているのも不思議

これが高句麗と関係しているとわかりやすい
コマ(高麗、駒、狛・・・)とつく地名がやたら多い
最近福島県の原町市の郡家跡から
「白人」という木簡が発見された
これは狛、高麗白人だろう

靺鞨→渤海が高句麗につながるとするとわかりやすい
それにしてもなぜ靺鞨というのが壺の碑にまで記されているのか不思議
余程の因縁がなかったら記されないからな

百済、新羅、高句麗ならわかるけどなぜ靺鞨なのか不可解だった
おそらく靺鞨国から三千里とは渡来人が書いたのかもしれない
なぜなら蝦夷には陸奥には渡来人が多数入って来たからだ
高句麗の渡来人もかなりきていたからだ
365世界@名無史さん:04/08/15 16:44
↑あのね…

壺の石碑が建てられた時は高句麗はもうなくて渤海だったからでそ
366世界@名無史さん:04/08/17 14:38
高句麗・・・→靺鞨→渤海→

この靺鞨がわかりにくいだよ
渤海は歴史書に記されて何回も来ている
靺鞨がわかりにくいんだよ
壺の碑が建てられた時、高句麗でなく渤海だとしたら
なぜ靺鞨なのか、渤海と靺鞨は同じなのか

壺の碑が本物であることがわかったからこれは大事だよな
367世界@名無史さん:04/08/17 14:54

時代的に高句麗→靺鞨→渤海であるとして
靺鞨の時代として靺鞨と壺の碑に記された
それほど靺鞨ってここに記されるほど
重要な国だったのか不可解
いづれにしろ靺鞨については全くわからない自分

これについて専門家の本や資料ないかな
368犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/08/17 17:20
>>367
多賀城碑中の「靺鞨」は、高句麗統治下の南部靺鞨(=渤海建国の主体)
じゃなくて、後代のニヴヒ等に連なる北部靺鞨系統のことを指してるんじゃ。
369世界@名無史さん:04/08/17 17:39
靺鞨ってのは満州人の国かい?
370世界@名無史さん:04/08/18 02:28
>>366
漏れの思い違いかもしれないが「壺の碑」は江戸時代の捏造という説があり
この捏造説がそこそこ有力でまだくつがえってはいないのではなかったかな。

>>367
「壺の碑」が本物だとしてのことだが、この時代はすでに渤海国の時代。
日本の朝廷では新羅征伐の軍をだすことが話題となり、実行されかかっていた。
だから新羅の背後にあって、新羅とは敵対し日本と友好関係にある渤海は
重要な国にはちがいないよ。

>>368
渤海人は別名「渤海靺鞨」ともいい、渤海国ができてからは
渤海も靺鞨もほぼ意味は同じになったろう。

>>369
靺鞨ってのはいろんな種族の総称。夫餘系の部族もいればツングース系の部族もいた。
満州人の遠い先祖(というか複数のルーツの一つ)。

>>366-369
靺鞨についてはこのスレや「高句麗の言葉が」スレなどで相当詳しく説明がある
から、とりあえずスレを頭から読んでみてはどうよ。
371世界@名無史さん:04/08/18 13:16
         ( ゚ Д゚)
〔ノ二二,___ ◎ | ◎ __,二二ヽ〕
 |:::::::::::::::::::::::::::ヽ    /::::::::::::::::::::::::::/
  〉::::::::: :::::::::::::〉 ・  〈:::::::::::::: ::::::::〈
 |:::::::::::::::::::::::::/  i  ヽ::::::::::::::::::::::/
  〔:::::::::::::::::::::/  ノ~ ヽ  ヽ::::::::::::::::::|
  ヽ:::::::::::::::::/ /::::::::::::\ ):::::::::::::::::::ゝ
  ノ:::::::::::::::::::| |_〜─〜-| |〜〜〜/
        サムチョリ
372世界@名無史さん:04/08/18 14:27
青森にも「つぼのいしぶみ」ってのがあって
それとのかね合いでニセモノ説がでてるんでしょ
373世界@名無史さん:04/08/18 21:10

642年: 高句麗(王号:宝蔵王)男生兄弟の内訌から、唐の乗ずるところとなり、唐と新羅の総合軍に敗れて668年国を終わった。

続日本紀の霊亀2年(716)5月に駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の七カ国の高麗人1779人を武蔵国に移して高麗郡を置くとある。

720年(養老4)頃に渡島の津軽の津司諸君鞍男という人が、靺鞨国ヘ風俗を見に行ったという記事が『続日本紀』に出てきます。多賀城碑のものから30数年前にあるんです。

多賀城の石の碑は神亀元年(七二四)
日本と渤海の関係は、神亀4年727年に始まります。

この年表を作ってみると確かに時代的に高句麗滅亡→靺鞨国→渤海がある。
古靺鞨舞というのもあり高句麗から靺鞨→渤海に至る過程で靺鞨が変遷した。
靺鞨は高句麗と渤海の間の期間にあった。多賀城の壺の碑とも時期的にあっているのかもしれない、
ただなぜ去靺鞨国界三千里と記したのか、靺鞨との境界から三千里であって靺鞨国自体から三千里ではない、
靺鞨国を意識した境界を接した国がこれを記した。高句麗を滅ぼしたのが靺鞨という満州などにいた民族でありそれが靺鞨となり渤海となった。
その中核は以前として高句麗であった。

いづれにしろ原町市で□□白人という木簡が発見されたようにこれも高麗でありまた秋田の秋田城からは、
墨書土器で「高麗」が発見されている。
蝦夷征服には渡来人が大きな役割を果たした。
高句麗系が特に関東、蝦夷では大きな役割を果たした。
だから靺鞨と境界を接した高句麗の渡来人が石の碑に靺鞨と記したのである。多胡碑も多少これとにているのか、胡というのも満州辺りの民族だし後に胡という国もできた。


参照→酒寄先生議事録
講演会「日本の中の渤海文化」(インタ-ネットにあり)
374世界@名無史さん:04/08/24 02:49
>>361-363
そーいえば中国のオンドルは床の一部を高くしてオンドルを設けており(椅子式生活に対応)
朝鮮のオンドルは床下に設けている(床に座る生活に対応)と聞いたが高句麗や渤海の
オンドルはどんなでしょう。
375世界@名無史さん:04/08/24 03:21
>374
たぶん床式なんじゃないかなぁ。
根拠レスの想像だけど・・・。
ていうか、そもそも満洲が椅子の文化なのか
床の文化なのかが、個人的によくワカラン。(汗
376世界@名無史さん:04/08/24 09:04
渤海国の時代は東アジア全域が唐文化の隆盛期だから
同じ時代なら新羅も日本も渤海も椅子の文化でそ
377世界@名無史さん:04/08/25 00:03
いやいや確かにそれはそうなんだけど、オンドル自体は
おそらく渤海国(唐文化)以前から存在してそうなワケで。
378世界@名無史さん:04/08/25 21:12
「高麗と渤海」(三上次男 著)によると渤海の上京竜泉府第五宮殿のオンドルは
壁沿いに段を設けて走らせるもので部屋は漆喰仕上げなどの土間床ということです。
他の宮殿は第五宮殿と違い高い土壇の上に築かれ床は磚がしいてあるより中国風
の宮殿。
高句麗でも第五宮殿とよく似た形式の建物が発掘されており、高句麗・渤海と続く
土着的な建築様式とみられるとのこと。
379世界@名無史さん:04/08/26 04:57
オンドル「も」あった、という程度のことで
オンドルだらけというわけじゃなさそうだな。
380世界@名無史さん:04/08/27 02:46
「高麗と渤海」によると撫順の北の北関山城で11m×8m程のオンドル付家屋を
発掘したとのことで地方官衙か支配層の住居と見られることからそのぐらいには
普及してたのではとのこと。

新唐書の高麗伝にも
"居依山谷,以草茨屋,惟王宮、官府、佛廬以瓦。窶民盛冬作長坑,?火以取煖。"
とかあるので割と目に付く特色と考えられる。

他の住居としては竪穴住居の民家とかもあったそうな。
381世界@名無史さん:04/08/27 03:28
sageでよく続いてるね、このスレ。たまにしかレスつかないのに。
382お知らせ3:04/09/11 08:54:58
ttp://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/
10月マダン(シオレマダン)
  日時   平成16年10月(日時は未定)
  場所   高麗神社の神楽殿およびその前庭
  入場無料
  主催   大韓民国民団埼玉県本部(在日韓国人の団体です)
    ※毎年10月第4日曜日に行われる。マダンとはハングルで「庭」を意味する。当
日は朝鮮半島に古くから伝わる民俗芸能の農楽や宮廷舞踊などが行われ、在日コリアンのア
ジュモニ達お手製の本格キムチやチジミ(韓国風お好み焼き)なども販売される。
      日本人のご来場も大歓迎!だそうです。
383世界@名無史さん:04/10/01 17:36:17
おい、藻前ら、上野の国立博物館での東洋館の特集展の
「広開土王碑文拓本」10月3日(日)までで終わり。
あと明日2日(土)とあさって3日(日)の二日間しかやってないぞ。

高句麗紛争の話題の一環として、博物館の説明文に韓国が噛み付いた例の展示だw
今日みてきたけど面白かった! 本館の縄文・弥生・古墳文化の展示もかっこいいよ!

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=714

http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1092058899/l50
384世界@名無史さん:04/10/01 18:46:05
渤海王の敬称は
「聖王基下」でいいの?
385世界@名無史さん:04/10/01 22:31:51
↑それ出典なに?
386世界@名無史さん:04/10/01 23:35:34
>>385

新唐書渤海伝だったと思う。
387世界@名無史さん:04/10/01 23:45:30
《新唐書》〈卷219 渤海傳〉

俗謂王曰「可毒夫」,曰「聖王」,曰「基下」。其命為「教」。
王之父曰「老王」,母「太妃」,妻「貴妃」,長子曰「副王」,
諸子曰「王子」。
388世界@名無史さん:04/10/04 18:24:49
>>384
「聖王基下」だったら「王王」になってしまうだろ。

たぶん「聖王」は漢語だろう。「基下」は首長(大人・王)を意味する
夫餘の「加」とか、百済・任那の「きし」「きち」の「き〜」と同系統の言葉かな?
「可毒夫」というのはよくわからん。ツングース系の言葉かな?
389388:04/10/05 12:19:33
>>388の続き

「基下」はあるいは高句麗語の「王」を意味する「おりこけ」の「〜こけ」とも
関係あるかも知れないな。とはいえ夫餘・高句麗の「〜加」、百済・任那の「き〜」
高句麗の「〜こけ」と同系の言葉だろうな。

もしかしたら渤海では、王のことを靺鞨人は「阿毒夫」、高句麗人は「基下」といっており
両者の共通語である漢語では「聖王」とよんでいたのだろうか。
390世界@名無史さん:04/10/05 12:20:32
王の言葉を「教」というのは高句麗の伝統を引き継いだものだな。
391世界@名無史さん:04/10/11 11:56:54
>>349-350
遅レスで申し訳ないですが、兀惹国・烏舎国について詳しいサイトが
ありましたらご教示願えますか?ぐぐっても見当たらず・・・
392世界@名無史さん:04/11/09 03:48:51
都市計画で影響か渤海の都、平城京と類似
ttp://www.chunichi.co.jp/00/ikw/20041108/lcl_____ikw_____001.shtml
393世界@名無史さん:04/11/09 04:49:01
つまり日本は長安や渤海に影響力を与える世界の超大国であるという事だな。
394世界@名無史さん:04/11/09 06:36:22
>>393

韓国並みの電波だな
395世界@名無史さん:04/11/09 14:11:33
>>393-394
ワラタ
396350:04/11/10 06:03:56
>>391
すいません。漏れもわかりません。
349氏ならば何か知ってそうだけど、このスレにいるかどうかもわからないし。
397世界@名無史さん:04/11/12 19:04:01
>1
勃起かと思いました
398世界@名無史さん:04/11/12 19:13:14
ていうか、きちんと渤海国について、現地での史料発掘に基づいた
研究を論文にまとめた研究者っているの?
399世界@名無史さん:04/11/12 21:20:02
http://www.bokkai.info/bo03.html
渤海国関連図書コーナー
400世界@名無史さん:04/11/13 01:55:21
>>388

「基下」は陛下や殿下と同様な敬称とは考えられないか?
「陛下」だと中華皇帝の権威を犯すから対外的にだめ
「殿下」だと明らかに中華皇帝より格が下。

国内向けに王の権威を保つために造った言葉とは考えられないだろうか?
401世界@名無史さん:04/11/13 04:38:40
>>400
さあ。
漢文のルールを無視した造語はしないんじゃないかな?
漏れはさほどエロイ人(専門家)でもないので
たいして自信があっていうわけではないが・・・

陛下は「御殿のさらにその入り口の階段の下」
殿下は「御殿の下」
閣下は「邸宅の下」
これらは貴人を直接さすのが憚られるので、かわりに住んでいる建物をさすことで
その人をさす。その建物のさらに下の地面をいうのは、こっちと対等なのは、
あなた様のいらっしゃる所の地面くらいでやっと私と対等です、みたいな感じでしょ?

「基下」だとそういう解釈できないか、むりにしてもなんか不揃いな感じしないかな。
>>389でいったように「おりこけ」のコケが訛ったんじゃないかという説はだめですか?
日本語だと「下」には「げ」という読み方もあるよね。後で中古音(唐代の音)しらべてみまつ。
402世界@名無史さん:04/11/13 21:14:19
>>370
偽物と思われているのは、多賀城碑が、数々の和歌に詠まれ、将軍がみちのくで石に字を彫った
される「壺の碑」である可能性としての「偽物」ね。だいたい文面も違うし。
多賀城碑自体は偽物も本物もないような気が…
403世界@名無史さん:04/11/15 09:21:58
>>400-401
「基下」というのはあくまで「王」を意味する渤海語だとあり、敬称だとは書かれてないね。

>>402
そんなことないでしょ?多賀城碑自体、偽物説はありますよ。ただし有力説ではなくマイナー説だとは思うけど。

>将軍がみちのくで石に字を彫ったされる「壺の碑」

日本中央の碑ですか。あれは偽物でしょうけど。本物は未発見なのか、もともとないのかは
漏れにはよくわかりませんが・・・・・・・。
404世界@名無史さん:04/11/15 22:12:16
>>403
多賀城碑が偽「壺の碑」ないなら、存在価値はないような…。あんなの作る理由ないでしょ。


「日本中央の碑」は発見当時一緒に居合わせた人が何名かご存命で、話を総合すると
俺にはどうも本物に見えます。ただ、一度後で(鎌倉あたりに)文字を掘り直されている
可能性はあるかと。
405世界@名無史さん:04/11/19 07:30:21
>>391,>>396
兀惹国・烏舎国について、いくらかわかりますた。両者は同じ名称の別な書き方で
「兀惹国」「烏舎国」「烏惹」「媼熱部」(ただし媼は女ヘンでなく口ヘン)などと書き、
「兀惹=烏舎=烏惹=媼熱」で、[weji]に近い発音だったようです。
これは今の賓州にいた部族でそこの部族長「李靖」の妹「金哥」が、金帝国の
第三代皇帝の伯父で金太宗の皇子でもある「固侖(グルン、侖は石ヘン。別名「宗幹」)」の側室となった。
兀惹国=烏舎国は弱小部族だったが中国文化を受け入れていてその教養を買われたとのことらしい。
この金哥の生んだ子が宗幹の長子「充(本名「神土懣」)」で、この人は第四代皇帝・海陵王の兄であり、
またなかなかの教養人であったとのこと。(以上「松漠紀聞」「金史」による)

以上は山川出版社の「北アジア史」(P,213-214)にありました。
ただし江上波夫が執筆した旧版の方です。
今、出回ってる「北アジア史(新版)」は満州の章がざっくり削られていてありません。

江上波夫は兀惹国=烏舎国を渤海人とは別個の存在でツングース系としています。
時代からいっても渤海の継承国家という筋とはちがうようですね。
406世界@名無史さん:04/11/19 13:54:05
勃起海
407405:04/11/20 10:40:12
>>405
ちょい訂正。「北アジア史(旧版)」は江上波夫は全体の編者だった。
該当箇所の執筆者は江上波夫じゃなくて外山軍治。金帝国の研究で有名な人だね。
408世界@名無史さん:04/12/18 18:42:29
「大」姓の末裔はいつごろまで登場するのでしょうか? えっ、現存とか?
409世界@名無史さん:04/12/21 03:07:51
>>408
渤海七姓といって、高・李・烏など、渤海人の姓は「大」氏の他にもありますよ。
410世界@名無史さん:04/12/25 17:20:49
高・李あたりは今の韓国人の姓に連なっている家もあるのかな。
411世界@名無史さん:04/12/25 22:03:28
ない。渤海国の七姓のうち高氏、李氏は高句麗の貴族の子孫。
今の北朝鮮や韓国の高氏・李氏は族譜などの伝説によればぜんぜん関係ない系統。
たとえば半島人の高氏はほとんどが、神話で済州島の穴から出現した三人の王様の
うちの一人の高氏の系統で、高句麗とは関係ない。
412世界@名無史さん:05/01/08 04:56:27
そうなのか。。。
413世界@名無史さん:05/01/09 01:28:14

  / ̄ ̄ ̄\
 /           ヽ
 |::::.. ●)  ●) l <呼んだー?
 ヽ:::..   ∀  丿 
    〉      ..K  キュムキュム
  〈_ノ    .::l-'
    ト、   ):ノ キュム
     ヾニノ  
414世界@名無史さん:05/01/23 14:54:54 0
渤海国と越前
415世界@名無史さん:05/01/31 01:07:51 0
建国時の国名「震」の由来は?
「渤海」の名の方は大ソ栄が遼寧の渤海岸で即位宣言したことから由来してるそうな。
416世界@名無史さん:05/01/31 12:30:18 0
「震」は易で東方を表わす文字だから。
「渤海」は山東省の「渤海郡王」に叙されたから。
417世界@名無史さん:05/02/05 12:03:37 0
やはりどうしても中原から見た命名になっちゃうんだね・・・
まあ朝鮮の「朝」、日本の「日」も中原からみた東方の意味合から来ているのかも知れないしね。
 
418世界@名無史さん:05/02/06 04:38:08 0
五代十国ファンとしては、
荊南=南平=渤海 
が気になるのである。
419世界@名無史さん:05/02/17 15:34:46 0
>>387-390,>>400-401,>>403

王といっても「阿毒夫」はふつうに王。「聖王」は王に面と向かって呼ぶ時。
「其下」(基下)は書面に書く場合で、それぞれ使い方がちがうとある。

基本は「阿毒夫」。これは後世の満語で「管理する」という意味の語に似ている
からツングース語、つまり靺鞨人(の主流派)の言葉だろう。
渤海国の多数派の言葉だから王をさす基本語になったというわけだろうね。
「聖王」は漢語。発話・発声する場合に使う。つまり高句麗人と靺鞨人の共通語もしくは
諸部族の間の共通語として、中国語が使われたんだろう。
「其下」(基下)は高句麗語の既出だがオリコケに関係ありそう。字に書く場合に使う
というのは知識階級や官僚、貴族などに高句麗系が多かったことを示しているのだろう。

420世界@名無史さん:05/02/18 02:23:23 0
>>391,>>396,>>405,>>407
981年には、定安国とは別に「烏舎城浮渝府渤海[王炎]府王」なる者がいた。
両者がどういう関係なのかはいまいちよくわからないが、

もともと定安国は936-938年頃に後渤海から独立して建国したもので、
残された後渤海は諸勢力に分裂したものと思われ。
954年頃?には催(-ニンベン)烏斯、979-984年には大鸞河、
という渤海の大首領がいて、それらが諸勢力の例。あるいは大鸞河が
催(-ニンベン)烏斯の後継者だったのかも知れない。
その他の諸勢力のひとつが烏舎城浮渝府渤海[王炎]府王(=烏舎城渤海国)。
>>405にあるとおりモンゴル時代の烏舎国の族長は李氏だから
981年の烏舎城渤海王も李氏だったかも知れない。
が、王を称しているところをみると李氏に擁立された大氏だった可能性もある。
大鸞河も大氏だから、これも後渤海の関係者かとも思われるが、
定安国第二代の烏玄明が王として在位していた期間、大鸞河は北宋から渤海都指揮使
に任命されていたし、烏舎城渤海王はこれはこれで王を自称して北宋から認められて
いたわけで、同時に三者が共存していたことになる。とはいえお互い敵対
していたわけではなく、みな宋に通じて契丹を共通の敵としていたもよう。
421世界@名無史さん:05/03/03 08:20:46 0
>>418
そこを詳しく!
422無限江山:05/03/03 08:49:22 0
>>421
「五代十国時代を語ろう」スレの188から
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008691359/
423世界@名無史さん:2005/03/26(土) 23:18:25 0
>>413
大ちゃん、先祖はもしや・・・
424世界@名無史さん:2005/04/10(日) 21:11:56 0
日本の東北地方と貿易してたんでしょ、渤海人の血が入ってるかも
425世界@名無史さん:2005/04/14(木) 23:27:41 0
大長今も?
426世界@名無史さん:2005/04/15(金) 22:46:17 0
  _  ∩
( ゚∀゚)彡 ぼっかい!ぼっかい!
 ⊂彡

427世界@名無史さん:2005/04/16(土) 00:52:40 0
そうだな。渤海のことは歴史も民族も調べるほどに面白い。
428世界@名無史さん:2005/04/19(火) 13:02:04 O
初期〜中期(800年位)辺りが詳しい関連書籍を教えて下さい。
429世界@名無史さん:2005/04/19(火) 13:46:27 O
初期〜中期(800年位)辺りが詳しい関連書籍を教えて下さい。
430世界@名無史さん:2005/05/02(月) 16:16:23 0
>>424
秋田や青森あたりは日本人離れした顔がときどきあるな。
431世界@名無史さん:2005/05/02(月) 21:34:51 0
>>428-429
そもそも渤海関連の本が少ないのだから片っ端から全部買ってもいいんじゃない?
432世界@名無史さん:2005/05/15(日) 12:27:57 0
日本に伝わる渤海関係の史書というと何があります?
433山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/15(日) 12:52:58 0
『三代実録』、『日本紀略』、『扶桑略記』。
『扶桑略記』は、逸書である醍醐天皇や村上天皇の御記からも引いています。
どれも「国史大系」で出ていますよ。
434山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/15(日) 13:06:25 0
逸話関係なら、『江談抄』。それと、『将門公記』に、

今世之人、必以撃勝為君、縦非我朝、僉在人国、如去延長年中大赦契王、
以正月一日討取渤海国、改東丹国領掌也、

という平将門の主張があります。この他に「柏原帝王五代之孫」である事、
支持を得て戦っている事も出ていますが。
『将門記』は、一応承平・天慶の乱の直後に成立したものとされます。
435世界@名無史さん:2005/06/05(日) 12:39:18 0
山野さん物知りだな
436世界@名無史さん:2005/06/19(日) 04:28:53 0
age
    _  ∩
  ( ゚∀゚)彡 渤海!渤海!
  (  ⊂彡
   |   | 
   し ⌒J
437世界@名無史さん:2005/06/19(日) 04:35:28 0
高句麗、百済、渤海も朝鮮民族じゃないんだな
朝鮮民族はいつから現れたんだろ
438世界@名無史さん:2005/06/19(日) 10:38:09 0
扶余や沃シ且やワイは今の朝鮮人につながっているのだろうか?
ほとんどのルーツが満洲方面から南下してきているんだな。
半島南部や済州には倭人の流れも色濃そうだが。
439世界@名無史さん:2005/06/19(日) 10:54:58 0
エンパイアーズ 〜近代の夜明けの「コリア」の紹介項目
古代よりコリアは、チャイナの諸王朝、北アジアの遊牧民族諸国と東アジアの覇権を賭けて
争いを繰り広げてきた。13世紀に入るとチャイナはモンゴリアによって征服されたが
コリアを屈服させる事は出来なかった。コリアとモンゴリアは一時和議を結び、アジアの覇権を
共に両立させた。15世紀になるとモンゴリアはチャイナより撃退されたが、これは、コリアの
軍事力が絶えずモンゴリアを脅かした結果でもあった。
16世紀後半日本との戦争が勃発した。コリアは連戦連勝の名提督李舜臣の力により勝利した。
この勝利以後、李舜臣はアジア最高の司令官という名声を獲得し、歴史に永く刻まれる事となった。
一方敗れた日本の痛手は大きく王朝が交代するまでに至った。日本はその後、格下待遇の講和を自ら結ばざる得なかった。
19世紀後半コリアは西洋文明を自らの文明に融合させ大きな飛躍を遂げた。極東アジアに進出してきた
ロシアと肩を並べた。その背後で日本は策略によってコリアを貶めようとしていた。
よって20世紀に入るとコリアと日本の間に永き戦闘が始まる事となった。

コーエーの「大航海時代」、韓国の歴史描写を反映
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1118998639/

【韓国/日本】コーエーの「大航海時代」、韓国の歴史描写を反映[06/17]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119003944/
440世界@名無史さん:2005/06/19(日) 21:41:41 0
>>437-438
言語的には現代韓国語の基礎は新羅語で、それが高麗語、朝鮮語と変化してきた。
新羅語以前には断片的な単語としてしか溯れない。
人種的には、高麗人と女真人が李朝成立後に混血したもの。

>>439
>古代よりコリアは、チャイナの諸王朝、北アジアの遊牧民族諸国
>と東アジアの覇権を賭けて争いを繰り広げてきた。

ひどいデタラメだな。
441世界@名無史さん:2005/07/08(金) 01:28:02 0
.
442世界@名無史さん:2005/07/10(日) 13:19:28 0
【歴史】渤海の和同開珎、どこへ? 戦前に満州国で発見[07/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1120900163/l50

1 :筆返しφ ★ :2005/07/09(土) 18:09:23 ID:???

 中国東北部にあった渤海(698−926)の都跡で、戦前の満州国時代に
東京帝大(現東大)などが発掘した古代日本の貨幣「和同開珎(かいちん)」の
銅銭が行方不明になっていることが9日分かった。

 和同開珎が国外で見つかった例は、ほかに唐の都・長安(西安市)での
銀銭5枚しかなく、当時の日本と中国との交流ぶりをうかがわせる貴重な資料。

 東大は現在、一緒に出土したとされる鬼瓦などを「渤海資料」として保管して
いるが、「和同開珎は記録にあるだけで、実物は誰も見たことがない。発掘後の
経緯なども不明」という。

 発掘は、日本がつくった満州国政府の正統性を裏付けるための「国策調査」だったと
指摘する声もあり、戦前の混乱下での“ミステリー”に専門家も首をひねっている。

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2005070901002146
443世界@名無史さん:2005/07/24(日) 20:32:00 0

    ┌┐                              ___________
    ││     ┌──────┐          |                  |
┌─┘└─┐ └─┐┌──┐│          |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|. |
└─┐┌─┘     ││    ││          |  |  く ̄ヽ       |. |
┌─┘└─┐     ││    ││          |  |   ヽ  ヽ   .   |. |
└─┐┌─┘     ││    ││          |  |     ヽ_ゝ .   |. |
┌─┘└─┐     ノ .ノ  .   ││    ___|  |_______|. |___
└────┘  キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━イ!!               |
            ┌┐         ̄        ̄ ̄ ̄|  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|. | ̄ ̄ ̄
┌─────┘└─────┐           |  |              |. |
└────┐    ┌────┘           |  |              |. |
       ノ     ヽ                    |  |              |. |
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 __/  /    \  \___           ノ ノ            _|. |
く___/       \____).        く__ノ           く_ノ


444世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:20:53 0
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /             \
   /                  ヽ
    l:::::::::.                  |
    |::::::::::   (●)     (●)   | やあ!
   |:::::::::::::::::   \___/     |   
    ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ
445世界@名無史さん:2005/08/12(金) 00:17:17 0
>>444
大祚栄陛下ですか!
446世界@名無史さん:2005/08/20(土) 19:19:58 0
古代に、中国東北から黒龍江流域沿海州に住んでいたツングース族が日本海側の
北陸、東北に移住したって http://www.geocities.jp/intelljp/manju/shukushin/japan.htmOpen
に書いてあるけど本当?
447世界@名無史さん:2005/08/20(土) 19:27:03 0
>>446のURL間違えたので訂正

古代に、中国東北から黒龍江流域沿海州に住んでいたツングース族が日本海側の
北陸、東北に移住したって http://www.geocities.jp/intelljp/manju/shukushin/japan.htm
に書いてあるけど本当?
448世界@名無史さん:2005/08/20(土) 21:08:50 0
中共は、
高句麗は中国の一部!と、決めたようですが、、、、、
    
渤海は大丈夫なんですかぁ
449大祚栄:2005/08/20(土) 22:15:49 0

      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /             \
   /                  ヽ
    l:::::::::.                  |
    |::::::::::   (●)     (●)   | やあ!
   |:::::::::::::::::   \___/     |   
    ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ


唐には負けないよ!
450世界@名無史さん:2005/08/21(日) 03:00:33 0
>>448
もともと渤海は韓国でも中国でもロシア沿海地方でも教科書に自国史として載っている。
それほどまでに現在の国家の枠組みを超えて拡がっていたのだ。
451世界@名無史さん:2005/08/21(日) 05:22:15 0
>>450
そういう問題じゃないだろ
452世界@名無史さん:2005/08/26(金) 20:31:17 0
【韓国】渤海最大のオンドル遺跡発掘-ロシア沿海州で発見[08/26]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1125036439/
453世界@名無史さん:2005/08/28(日) 14:08:07 0
しかし渤海についての本は、出土物に乏しいせいか、写真等の
ビジュアル面で寂しいものがあるなあ。
渤海人の服装や風貌も全くイメージできないし。
せめて壁画や像、長文の碑文でもあればイメージの幅も広げられるんだがなあ。
454世界@名無史さん:2005/08/29(月) 22:59:13 0
渤海人の服装は同時代の唐人・新羅人・日本人と大差ないでそw
455世界@名無史さん:2005/08/30(火) 02:32:01 0
軍隊はやはり騎馬民族風?
456世界@名無史さん:2005/08/30(火) 14:35:29 0
http://kk.kyodo.co.jp/is/products/event.html#kita
http://210.145.168.243/sinboj/j-2005/06/0506j0811-00001.htm
「世界遺産 高句麗壁画古墳展」
2005年8月13日(土)〜9月4日(日)
11時〜19時(最終日は17時まで。月曜日休館)
国際交流基金フォーラム(東京都港区赤坂2-17-22 赤坂ツインタワー1F)
地下鉄「溜池山王」駅12番出口
(当日)一般500円、高大生400円、中学生以下無料。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真きれいでデカクてよかった。
以前に上野の国立博物館や埼玉の高麗神社でやった展示より
みごたえあったよ。
457世界@名無史さん:2005/08/30(火) 15:58:52 0
>>453
唐に朝貢する渤海人の絵から推測できるだろ

>>454
渤海(靺鞨人)は辮髪だが?
458世界@名無史さん:2005/09/10(土) 12:27:07 0
>>455
騎馬民族であれば東北平原をまず奪いそうだが、ケマ高原など山間地が根拠地だったようにも
見えるしなあ。契丹等の手ごわい騎馬民族がいたせいか?
459名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:57:55 0
とりあえず彎弓で騎射はやってそうだけど・・・朝鮮人もやってるし。
460名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:56:42 0
女真族の国家は伝統的に日本に唯一友好的だったのに
461名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:15:47 0
>>460
清とは国交が無かったし後に日清戦争になったし金とは縁が薄かったように思うんだが。
462世界@名無史さん:2005/09/15(木) 12:50:33 0
金朝に留学した日本人仏僧も皆無ではなかったらしいけど
463世界@名無史さん:2005/09/23(金) 22:03:51 0
蝦夷や奥州(安東氏など)は独自に交易を行なっていたのかな。
十三湊は渤海の時代にはもう開かれていたっけ?
464世界@名無史さん:2005/09/24(土) 10:13:21 0
>>463
十三湊が活動開始したのは13世紀になってからなので、渤海交易は無理。
それに渤海は南方志向で、あまり蝦夷とは交易していなかったようだ。渤海
成立前の7世紀頃の沿海州産錫製品が結構北海道から出ているが、渤海の
建国とともにぱったり出土しなくなる。(小嶋芳孝の指摘)
毛皮など遺物として残らない物品の取引はあったのかもしれないが、毛皮なら
大陸より北千島方面の方が豊かだ。奥州藤原氏は権門にラッコ皮を納めて
いるが(多分北海道の蝦夷から入手)、ラッコは千島やアリューシャン列島が主産地。
また、渤海使が何度か出羽や渡島に漂着しているが、ほぼ毎回蝦夷に
襲われて人が殺されている。商売上の付き合いがあるならもっと友好的では。

そのかわり、網走や枝幸などのオホーツク文化の遺跡から、8〜9世紀の
青銅製帯金具が出土している。これはアムール川流域から沿海州北部に
かけての地域の「同仁文化」の製品とされている。同仁文化の担い手は主に
黒水靺鞨だとされているので、こっちの方が渤海より縁がありそう。
465世界@名無史さん:2005/10/04(火) 22:31:55 0
>>同仁文化の担い手は主に黒水靺鞨

同仁文化(中国での呼び名)・靺鞨文化(ロシアでの呼び名)の
遺跡分布はアムール川流域だけでなく松花江流域や
沿海州南部にも広がっているぞ。
渤海の版図内の諸靺鞨と黒水靺鞨に文化的な違いってあんの?
466世界@名無史さん:2005/10/06(木) 21:45:26 0
>>465
靺鞨七部のうち東北側の三部族が同じ文化で、
渤海国に入らなかったのは一番外側の黒水部のみ。
だから渤海国の中でも東北部は黒水靺鞨と同じ文化だよ。
467世界@名無史さん:2005/10/13(木) 22:54:06 0
現在少数民族として残っているナナイやウデヘも靺鞨〜女真の
流れを汲んでいるんでしょうか?
468世界@名無史さん:2005/10/21(金) 00:26:29 0
航海技術が当時の日本よりも未熟で来るたびに難破座礁、
しまいにゃ送り返してやった船に便乗してやってきて
船を無心して作って貰って帰ったとか。…いくらなんでも舐めてるだろw
469世界@名無史さん:2005/10/21(金) 08:03:43 0
当時の日本より未熟ってとてつもないな…。お隣の新羅船は和船よりもはるかに
頑丈だったというのに。
470世界@名無史さん:2005/11/01(火) 22:45:46 0
    _  ∩
  ( ゚∀゚)彡 渤海!渤海!
  (  ⊂彡
   |   | 
   し ⌒J
471世界@名無史さん:2005/11/06(日) 13:24:28 0
渤海と女真人の関係は?
472世界@名無史さん:2005/11/06(日) 14:36:55 0
473世界@名無史さん:2005/11/27(日) 01:10:57 0
渤海の領内で農業はどのくらい生産できたんだろう?
今の満州南部と北朝鮮と沿海州・・・当時の技術では十分に自給できたんだろうか。
さりとて純然たる遊牧国家でもなし・・・
474世界@名無史さん:2005/11/28(月) 14:14:23 0
漁業とか狩猟採集とか養豚とか
他にもいろいろできたんじゃね?
475世界@名無史さん:2005/12/04(日) 02:56:11 0
女真の養豚は漢代から知られてたそうだブー
476世界@名無史さん:2005/12/07(水) 04:35:23 0
>>473
三世紀の段階で夫餘(北満)では五穀豊穣だっていうから
七世紀の渤海が農業国家でも何の問題もないでしょ。
477世界@名無史さん:2005/12/21(水) 03:10:32 0
>>475
渤海国と同時代だったオホーツク文化でも養豚が行なわれてたんだよね。
担い手の出自は今も分からないまま。でも女真文化の影響は明らかに色濃いね。
478世界@名無史さん:2005/12/21(水) 18:04:48 0
女真は渤海のあとから出てきたんだから
「渤海と同時代の文化に女真文化の影響が濃い」
というのは時系列がおかしな気もするが・・・
479世界@名無史さん:2005/12/22(木) 09:18:36 0
ジュルチンはまだ当時黒水靺鞨の一部では?
渤海滅亡後、契丹の絡みで初めて「女真」が記録に出てくるらしい
480世界@名無史さん:2005/12/23(金) 03:14:43 0
だからさ。女真の前にジュルチンがあったなら
どういう字で書いたのよ?
あなたはなんで仮名書きするわけ?
漢字で書いてくれw
481世界@名無史さん:2006/01/05(木) 23:41:52 0
呪流狆
482世界@名無史さん:2006/01/05(木) 23:57:03 0
粛慎?
483世界@名無史さん:2006/01/06(金) 02:14:25 0
40 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/02/26 18:04 ID:78xlRDq9
粛慎(しゅくしん)→邑樓(ゆうろう)→勿吉(もっきつ)→靺鞨(まっかつ)→女真or女直(じょしんorじょちょく)

粛慎(しゅくしん)、女真or女直(じょしんorじょちょく) は Jurchin より。
勿吉(もっきつ)、靺鞨(まっかつ) は Mongor or Mongol より。

中国人には区別がつかなかったんだろうか。

ちなみにモンゴル国の国営旅行社はモンゴル・ジュルチンっていう。
484世界@名無史さん:2006/01/06(金) 03:07:45 0
同じぐらいの時期の日本も旧唐書では倭国と日本国ってダブって記録されてる。
当時の中国人からしてみれば遠くの蛮夷なんてその程度の認識だったんだろ。
485世界@名無史さん:2006/01/06(金) 15:23:48 0
>勿吉(もっきつ)、靺鞨(まっかつ) は Mongor or Mongol より。

それはありえんw
486世界@名無史さん:2006/01/07(土) 22:29:01 0
渤海

これ何て読むの?
487よろずこ:2006/01/07(土) 23:34:29 0
>486
ぼっかい

だと思う。
488世界@名無史さん:2006/01/07(土) 23:34:56 0
>486
ポーハイ アルヨ
パレ   ニダ
489世界@名無史さん:2006/01/08(日) 07:00:40 0
満洲人の国が滅んでしまったがために今やアルかニダの跳梁跋扈する地に・・・
490世界@名無史さん:2006/01/11(水) 12:40:04 0
「渤海」郡は、黄河河口地帯の唐の領地だろ?
それに渤海は、渤海海岸は領土に出来なかったはず。
491世界@名無史さん:2006/01/11(水) 12:48:25 0
>>483
モンゴル・ジュルチンのジュルチンて女真と関係あるの?
492世界@名無史さん:2006/01/11(水) 15:04:32 0
南満州に残留した高句麗系渤海人の子孫は女真に吸収された?

靺鞨は女真そのものだろうが。
493世界@名無史さん:2006/01/12(木) 00:29:40 0
>>490
後漢以来、渤海郡には高氏という豪族がいて、代々渤海郡の太守を出していた。
この高氏は高句麗王の高氏とはもともとは関係ないのだが、大祚栄が「渤海郡王」
に叙されたのは高句麗の後継者を自称していたことと関係あるだろうな。

>>491-490
女真という言葉は「民」を意味するツングース語。
渤海が滅亡してからでてきた言葉だから、女真とは渤海国の遺民なんだろう。

ただし、渤海国の遺民というのは滅亡後、かなり後世(モンゴル帝国
の頃)まで「渤海人」を名乗り「女真」とは名乗らない種族がいた。
これは都市民(農民)で、たぶん高句麗人と靺鞨人の混血なんだろうが
12世紀以後は華北の漢人や満州の女真に同化されて消えてしまった。

女真には都市民もあれば非都市民(狩猟民・牧畜民)もあったと思うが
これは靺鞨人の子孫だろう。ツングース系とされる。
生女真と熟女真があるが、もともと靺鞨も
粟末部・伯咄部・安車骨部・白山部のような比較的文化の高い
夫餘系の影響のあるらしい部族と、拂捏部・号室部・黒水部
のような比較的純粋な原始的な部族があったので、
前者が熟女真、後者が生女真になったんだろう。
494世界@名無史さん:2006/01/12(木) 13:52:20 0
つまり唐のほうでは
黄河河口「渤海郡」太守高氏の末裔⇒高句麗王族高氏⇒「渤海郡王」
というタテマエで冊封したということ?

それとも大祚栄のほうから、そう自称したの?
495世界@名無史さん:2006/01/12(木) 13:55:42 0
黄河河口「渤海郡」の一部は、大祚栄が唐から割譲されていたの?
496世界@名無史さん:2006/01/12(木) 13:56:58 0
山東半島や徐州の一部は新羅領?
497世界@名無史さん:2006/01/12(木) 18:00:19 0
498世界@名無史さん:2006/01/12(木) 22:00:58 o
勃起

これ何て読むの?
499世界@名無史さん:2006/01/12(木) 22:21:51 0
>498
ポーチー アルヨ
パギ   ニダ
500世界@名無史さん:2006/01/13(金) 15:57:30 o
>499どうもご親切に。
501世界@名無史さん:2006/01/19(木) 02:02:36 0
>>494
そのへんはよくわからないけれどもね。以下は想像。

唐としてはせっかく一時占領した満洲の地にまた独立国ができるのは
苦々しいことだから、「お前の領土は本当は(唐国内の)渤海郡だけなんだぞ」
と皮肉をこめるために、あえて「高句麗王」じゃなく「渤海郡王」にしたのかな。

大祚栄にしても「高氏」とされるのは、それが渤海郡太守の高氏にしろ
高句麗王の高氏にしろ、栄光ある名家であるから、中国はオレを
蛮族の成り上がりとして扱ってるわけじゃないんだぜ、とライバルやら子分やら
に示すことができた、なんてこともあったかも知れない。

>>495
そんなことはない。
もともと「郡王」という制度は名目的なものでその土地への実権はないはず。

>>496
そんなことはあるわけない。ただ唐の頃には新羅人の居留民がいたって程度。
502世界@名無史さん:2006/01/21(土) 08:29:20 0
歴史地図を見ると渤海が奪還できなかった渤海湾岸の地に「小高句麗」なるものが書いてある。
あれはいったい何ですか?
503世界@名無史さん:2006/01/21(土) 09:03:03 0
小高句麗 >>148>>210
504世界@名無史さん:2006/01/25(水) 20:53:42 0
唐の傀儡?
505世界@名無史さん:2006/01/25(水) 21:36:57 0
>>486
とりあえずムハイでよろすこ
506世界@名無史さん:2006/01/25(水) 21:38:20 0
マジレスすると靺鞨の読みはたぶんマルガル

遅レスだが
507世界@名無史さん:2006/01/26(木) 13:38:00 0
渤海語は文字で書かれた言語?
508世界@名無史さん:2006/02/06(月) 23:02:32 0
>>507
文字でかかれたのは十数個の単語だけだね。
509世界@名無史さん:2006/02/14(火) 22:17:19 0
渤海語の資料が乏しいのは
公用文が専ら漢文だったせい?
510世界@名無史さん:2006/02/23(木) 07:24:38 0
渤海語はほとんど中国語だったんじゃないかな。
それに高句麗語や靺鞨語の単語を混ぜたような。
戦前の満州俗語(中国語と日本語がチャンポンになったような)みたいなの。
511世界@名無史さん:2006/02/23(木) 20:45:17 0
>>510
中国語って何ですか?
定義を頼みま。
512世界@名無史さん:2006/02/23(木) 21:50:22 0
来日した遣渤海使には、初期の頃には新羅語の通訳がついたが、
後期になると漢語の通訳がつくようになった、と何かで読んだことがある。
渤海の言語はしだいに新羅語(朝鮮語系)から漢語へと変化していったらしい。

>>511
渤海国があった当時の「中国語」っていったら、
唐で通用していたシナ・チベット語系の孤立語
みたいな定義になると思われ。
ただし、今の中国語(北京官話)とはだいぶ違う発音だった。
513世界@名無史さん:2006/02/23(木) 23:07:33 0
698年に渤海国が出来たよね。
当時はどんな条件で国家成立といえるんだろう?
514世界@名無史さん:2006/02/23(木) 23:15:40 0
>>509-512
そもそもが高句麗人と靺鞨人のチャンポン国家だから、当初から共通語的
役割として中国語(漢語)が使われていたらしい。筆記ではもちろん、発話も。
んで、次第にそれが支配階層から下に広がっていって、公用語状態になった。
(というようなことを、大学時代に渤海史専攻の教授の授業で聞いた覚えあり。)
515世界@名無史さん:2006/02/25(土) 00:59:50 0
>>512
「新羅語の通訳」と記録にありますか?
「新羅人の通訳」ではなくて。
新羅人が渤海口語→日本語の通辞をしていたり、
渤海使が新羅語を対日外交語にしていた可能性も。
交渉の少ない言語間で多重通訳は今でもありますよね。

>>514
同じ見解は岡田英弘氏の著作でよく登場します。
東アジアの地域言語の成立は大概そんなものだそうで。
516世界@名無史さん:2006/02/28(火) 14:03:31 0
「渤海郡王」の渤海郡って、今で言うと山東省の何県(何市?)になるんでしょうか?
唐の頃は何道に区分されていたのかな?河南道?河北道?
517世界@名無史さん:2006/03/01(水) 08:16:09 0
>>516
手許に正確な地図がないのでうなく言えないが
今でいったら天津市。か、またはそのすぐ南隣くらいかな?
河南道じゃなくて河北道。
518世界@名無史さん:2006/03/01(水) 13:09:23 0
>>517
山東半島というよりはその付け根なんですね。
そうすると現在で言うとむしろ山東省じゃなくて河北省?
519世界@名無史さん:2006/03/01(水) 22:08:55 0
そう。そんな感じ。山東省にも遠くはないけど。
520世界@名無史さん:2006/03/02(木) 06:37:31 0
「おめーの領土をそのまま認めるつもりはねーよ」ってことだったんでしょうけど、
いやがらせするにしても、なんで他の郡ではなく渤海郡だったんでしょう。
まああんまり遠すぎると嫌がらせが過ぎるし、近すぎると侵略の口実に
されそうだし、微妙な距離の場所があのあたり、ってことなんでしょうか。
上田雄の「渤海国」には「唐から振国への入り口」だったから、みたいなことも
書いてますが…まあ今となっては唐の意図なぞわからんか…
521世界@名無史さん:2006/03/06(月) 04:37:10 0
唐ってイメージほど安定した政権じゃなかったらしいから、
広大な領土を維持するより冊封でつかずはなれずにしておいたほうが
唐側からも周辺国からも当時の実情にあってそうだが、
522世界@名無史さん:2006/03/07(火) 18:43:06 O
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

意外とおもしれーぞ
523世界@名無史さん:2006/03/18(土) 23:19:00 0
沿海州の渤海関連都城遺構
ttp://jinbunweb.sgu.ac.jp/~siberia/photo/001/index.html

北東アジア中世遺跡の考古学的研究
ttp://jinbunweb.sgu.ac.jp/~siberia/
中世考古学の総合的研究(2003-2007)
ttp://www.abc-proj.jp/contents/rolist.html
524世界@名無史さん:2006/03/24(金) 02:26:16 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_%28%E5%9B%BD%29
wikiの渤海を見ると六つの継承国家の項目が出来ている
渤海故地に建った再興渤海、定安、兀惹や遼に連行された先で
反乱して建てた興遼、大元(大渤海)。
故地に建った政権は再興渤海は5年で丸ごと高麗に亡命、兀惹は1年ほどで
降伏したが定安は50年ほど、後渤海は24年ほども続いたようだ。
連行先で反乱した興遼や大元(大渤海)は1-2年で潰された。まぁ当時の遼は
東アジア最強だし。

979年、再興渤海の亡命に匹敵する高麗への大量亡命が起こった。
「高句麗と渤海」(三上次男)では定安の烈政権から烏政権への政変が
関わっているのではと推定している。
その後、定安は986年には遼に攻め滅ぼされ、後渤海(979年〜1003年)
が暫く残った。
亡命、滅亡、継承国家成立など渤海滅亡時と似たような事態が
繰り返されたようだ。
525世界@名無史さん:2006/03/24(金) 02:26:42 0
ロシア沿海地方の歴史教科書では渤海人の内、6-7割が遼に連行され、
2割ほどが高麗に亡命、のこり1割強が故地に残ったと書かれている。

渤海滅亡時あたりから黒水靺鞨が女真と呼ばれるようになり周囲の
渤海遺民も取り込んだと見られる。

遼に連行された渤海人、金の時代に華北に移住した女真人と渤海人は
元の時代に漢化されたろう。北に残った女真人は後に満州人となる。

現在では渤海人の子孫はおそらく漢人が一番多く次に朝鮮人、そして満州人
の順かと思われる。
一方、同化先の集団の数からすれば渤海人子孫の割合は満州人が一番多く
次に朝鮮人、そして漢人の順かと思われる。

靺鞨の国とも言われ高句麗遺民の国とも言われ、靺鞨の元の勿吉は扶余とは
別言語とも書かれ、高句麗は扶余系とも言われるがそもそも扶余が何系かも
よく分からず…

渤海が何処の国の祖先だ、否違う、そもそも何処の国とも言えない等と
ぐだくだと飽きるまで幾らでも論争が続きそうだ。
526世界@名無史さん:2006/03/25(土) 14:10:51 0
>>525
政治情況がかわれば決着はつくよ。
527世界@名無史さん:2006/04/14(金) 02:00:39 0
>286
ナナイ族のダフスル氏族の祖先は
「中国のずっと向こうに住んでいる」ハkha族な
る民族だったそうだ。
ダフスルの部落の周辺からは、「満州の影響
の強い」レンガ遺構等が出土している、そうです



528世界@名無史さん:2006/04/16(日) 20:13:40 0
>>527
ハって何だろうね、西夏かな?
529世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:48:08 0
渤海自身の手による文献が残ってくれさえすれば、もっと解明できたろうになあ。
530世界@名無史さん:2006/05/23(火) 14:34:21 0
当時はあったのかね。
531世界@名無史さん:2006/05/23(火) 14:38:54 0
東丹王が歴史書マニアで相当コレクションしてたらしい。
532世界@名無史さん:2006/05/29(月) 01:28:48 0
【国際】日露戦争の戦利品として明治天皇に献上された「渤海国の石碑」、中国で返還求める声
1 :うちゅ〜φ ★ :2006/05/28(日) 13:53:08 愛 ID:???0 ?
★皇居に1世紀眠る「渤海国の石碑」、中国で返還求める声

・皇居の中に、中国から運ばれた一つの石碑が眠っている。7〜10世紀に東北アジアに
 あった「渤海(ぼっかい)国」と、唐の関係を伝える史料で、日露戦争後、「戦利品」
 として当時の日本軍によって持ち出された。中国の研究者らの間でいま、この碑の
 公開や返還を求める声が出始めている。

 石碑は「鴻臚井碑(こうろせいひ)」と呼ばれ、横3メートル、高さ1.8メートル。
 713年、唐が渤海国の国王に「渤海郡王」の位を授け、唐と渤海国が君臣関係を
 結んだことを記している。現在の中国遼寧省旅順市に設けられた。

 日本と直接関係のないこの碑が皇居に移されたのは1908年。防衛研究所図書館
 収蔵の「明治37、38年戦役戦利品寄贈書類」などによると、海軍によって、
 日露戦争の激戦地だった旅順から運ばれ、戦利品として明治天皇に献上された。

 それが最近になって、中国の遼寧省を中心に、碑の公開や日中の共同研究、中国への
 返還を求める声が出始めた。
(以下省略)
※以下の部分はソース元にて

ソース/朝日新聞社
http://www.asahi.com/international/update/0528/001.html
533世界@名無史さん:2006/06/02(金) 18:23:31 0
中国じゃなくてウリナラに返すのが筋ニダ
534世界@名無史さん:2006/06/25(日) 00:38:25 0
>>529
契丹が根こそぎ破壊したからねえ。
日渤交流で日本に伝わった渤海の文書などが残っていたらすごいだろうな。
535世界@名無史さん:2006/07/04(火) 01:01:54 0
親書などが残っているかもね。
536世界@名無史さん:2006/07/09(日) 11:50:16 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
537世界@名無史さん:2006/07/09(日) 20:07:42 0

【韓国】 中国大陸を'占領'した新しい「韓半島虎」の絵、注目集める(図あり)[05/10]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1147358048/

538世界@名無史さん:2006/08/04(金) 18:56:27 0
ロシアの極東では、自国の歴史って位置づけなのかな。
539世界@名無史さん:2006/08/05(土) 00:13:15 0
>>538
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4750317403/250-3694208-4633850?v=glance&n=465392&s=gateway
ロシア沿海地方の歴史教科書では沿海州初の本格的国家として大きく取り上げられています。
金も大きく取り上げられています。東夏国も1ページ以上使っている。粛慎、ユウ婁、沃沮、靺鞨(勿吉)に
ついても触れられている。高句麗は朝鮮と見做していた。
540世界@名無史さん:2006/08/08(火) 03:07:08 O
541世界@名無史さん:2006/08/18(金) 00:51:00 0
高麗・李朝スレの653氏へ
ーーー
>@マッカツ人が多民族であるという根拠はどのような資料に基づくのでしょうか?

隋書靺鞨伝だったかな?
東北の部族と西南の部族の文化のちがう様が書かれています。

>A渤海は比較的新しい国なので、国史や金石(広開土王碑のようなもの)がたくさん
>ありそうですが、そこには高句麗との関係についてどのように記されてるのでしょうか?

渤海は滅亡した国なので資料は少ないのでは?
「渤海國志」という書物もありますが、それにどう書いてあるかは知りません。
基本史料は「旧唐書」とされていると思います。

>B金朝の皇帝が大氏であるというのはどのような資料に記されているのでしょうか?

「金史」だったかな?
金の帝室・完顔氏の祖先についてはいくつもの伝説があり、渤海の大氏だというのもその一つ。
ただし、それが史実かどうかはまた別問題です。
ーーー
以上の質問の回答は、すでにこのスレの中でより詳しい内容がでていたと思います。
542世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:40:03 0
【泰封から高麗へ】

891年、弓裔、鉄城(今の江原道鉄原)で挙兵
895年、弓裔、建を鉄円郡(=鉄城)の太守とする

翌896年、弓裔、【泰封】を建国。
898年、泰封国の弓裔、松岳に都を移す
901年、泰封国の弓裔、国号を【高麗(=後高句麗)】と改め王を称す。
前漢・後漢・蜀がすべて正式には「漢」だったように「後」の字はなくてもあっても同じ。
高句麗は5世紀前半から高麗と称し520年以後は公式に高麗だったので「高麗」=「後高句麗」で同じ。
その名のとおり高句麗の継承者を自認し、高句麗の旧領である満洲の地を狙っていたと思われるが、
この段階では高句麗の継承国家である渤海国がまだ存在しており、半島の勢力基盤を固めた後、
弱体化していた渤海国を攻め取ろうとしていたらしい。

904年、高麗(後高句麗)国、国号を【摩震】と改める
911年、摩震国、国号を【泰封】に戻す

918年、高麗の太祖・王建、弓裔を失脚させ泰封国を奪い、国号を【高麗】に戻す(高麗を建国)。
平壌を押さえて「西京」とし北の拠点とする(高麗を名乗るからには平壌は押さえたいところ)。
高麗の領土は西女真と接触。
920年、高麗の領土が東女真と接触。
922年以降、契丹より高麗へ通交の要請。高麗、応じず。

925年、渤海将軍の申徳及び五百人・渤海礼部卿の大和釣ら複数の高官及び百戸・冒豆干、
朴漁及び千戸が高麗に亡命。契丹(遼)の太祖・耶律阿保機、渤海征討を宣言、攻める。
543世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:41:54 0
1)926-927契丹人の侵略と渤海人の抵抗【東丹国926-930】
ーーー
翌926年、契丹(遼)、渤海国を滅ぼし、渤海王の大インセン([言煙−火][言巽]以下、煙饌)
は捕虜となる。
契丹は旧渤海領に傀儡政権「東丹国」を設置し長子の耶律突欲(耶律倍)をその国王に任命。
しかし各地に勃興した反乱勢力を平定しきれず、やむなく大煙饌以下の捕囚を率いて凱旋したが、
その帰路で太祖・耶律阿保機が崩御。東丹王耶律倍は太祖の遺骸とともに本国へ引き上げた。
そのため渤海人の反抗運動はますます盛んになったが、
その中心は王弟大某(最後の渤海王大煙饌の弟。名は不詳)であり、彼は
契丹軍が渤海を滅ぼした時に戦場になった旧首都を含む北方の地を勢力圏とした。
大光顕(最後の渤海王大煙饌の世子。つまり王太子)もまた契丹に降伏せず、
契丹に蹂躙されることの少なかった旧渤海国西南部に潜伏し続けた。
翌927年、渤海人の呉興及び五十人・載雄及び六十人が高麗に亡命。
544世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:43:02 0
2)928-937「東丹vs後渤海国vs大光顕」の三国抗争【後渤海国(復興)928-976?】
ーーー
928年、契丹(遼)、東丹国を遼陽に移す(徙民政策によって渤海の中核を遼陽に移した)。
多くの渤海人はここを中心に留まり独自の唐風文化を保つことになるが、
一部の渤海人(金神及び六十戸・大儒範ら・隠継宗ら)は高麗に移住。
東丹国の後退と入れ違いにすぐさま王弟大某(在位928−?)が忽汗城(=龍泉府)に入り、
大光顕をさしおいて即位、渤海国の復興を宣言、「後渤海(復興)」を建てる。
大光顕も鴨緑府を中心に反乱軍をまとめて独立、南海府(咸鏡)まで回復。
翌929年、渤海国、日本に裴[王謬−言]を、後唐に高成詞・成文角を遣使入貢、支援を求める。
渤海人の洪見ら船二十・正近ら及び三百余人が高麗に亡命。
翌930年、東丹王耶律倍(本国に帰国中)が政争に敗れ後唐に亡命したため、契丹(遼)軍は
引き揚げ東丹国を廃止して旧渤海領を一時放棄。(渤海(再興)による東丹国併合)
大光顕、王弟大某に反乱・独立。
翌931年、渤海国、後唐に遣使入貢。
933年、高麗、後唐(五代十国の五代の2番目)の冊封を受ける

翌934年、王弟大某、南海府の烈氏(旧渤海の大臣一族)の協力で大光顕を追い払う。
大光顕、情勢不利のまま滅亡、部民数万を率い高麗に逃亡、陳林ら及び百六十余人も後を追う。
翌935年、高麗、新羅から禅譲を受け、新羅滅亡。新羅から禅譲を受けたため、公式には
高句麗でなく新羅を正統とし新羅の継承国家であることを宣言。しかし満洲の地をめぐって
高麗と契丹は潜在的敵対関係に入る。渤海国(=後渤海)が後唐に遣使入貢する。

翌936年、後百済内紛。後百済の甄萱、高麗に亡命。高麗、後百済を滅ぼし半島を統一。
契丹を牽制するため、日本に朝貢するも相手にされず。
かつて大光顕を追い出した烈万華が南海府から鴨緑府に移る。
545世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:46:07 0
3)938-989定安国及び大鸞河・烏舎【定安国938-1003】
ーーー
938年、烈万華(在位936頃−976〜9頃)、後渤海から独立「定安国」を建国。
渤海人の朴昇及び三千戸(反烈氏派か?)が高麗に亡命。
契丹(遼)、それまで南京と呼ばれていた遼陽を東京遼陽府と改称。
ここは東丹国以来の契丹領内のもうひとつの渤海人の中心地であった。

939年、高麗国王・王建、日本に朝貢。
948年以降、高麗と東女真との交易
952年、高麗国王・光宗の后、日本の長谷寺に宝物を寄進。
954年頃?、渤海の酋豪・崔烏斯ら三十人、後周に来帰。(崔=催-ニンベン)
956年、高麗の奴婢按検法(奴主・奴婢の間の紛争を裁判し多くの奴婢を解放)
958年、高麗、中国から帰化した双冀の建議を入れ、初めて科挙を実施。
960年、後周滅び宋起こる。高麗、皇帝と称し、開京(今の開城)に遷都し
開京を皇都と改称、独自の年号「光徳」「峻豊」を採用。
963年、高麗、宋の冊封を受け入れ独自年号と皇帝の自称をわずか3年で廃し、宋の属国となる。
970年、定安国王烈万華、北宋に使者を送る。
972年、高麗、日本に朝貢。(続く)
546545:2006/08/21(月) 19:47:17 0
>>545から続き)
976年、安定国第二代王、烏玄明(在位976〜9頃 −986〜9頃)即位。旧渤海の大臣、烏氏のひとり。
前王と姓が異なり何らかの政変(後渤海国との関係?)があったものと思われるが詳細は不明。
この年は定安国の年号の「元興」元年。
976-984年、この頃、北宋、定安国に詔を下し、対契丹同盟なり定安国よろこぶ。
979年、宋が晋陽を平定して兵を幽州に移すと渤海の酋帥・大鸞河が小校・李[員力]ら十六人
・部族三百騎を率いて来降、宋は大鸞河を渤海都指揮使とする。渤海人数万、高麗に亡命。
981年、定安国王烏玄明、女真の使者に託して北宋に上表。高麗の旧壌と渤海の遺黎を以て
方隅に保拠す云々、扶餘府が契丹に背いて帰順し、契丹の脅威が迫っているから宋に救援を
依頼したい等と述べる。宋も詔をくだし宋・高麗・定安の三国による契丹包囲網ができる。
北宋は烏舎城浮渝府渤海[王炎]府王に詔を下し、契丹を討とうとする。
983年以降、契丹、定安国を攻める。
翌984年、渤海の豪帥・大鸞河、北宋に召し出され、宴と銭十万、酒を賜る。
翌985年、高麗と定安国による契丹(遼)包囲網が形成されたため、契丹は定安の攻撃を開始。
翌986年、定安国、契丹(遼)の攻撃のため一旦壊滅。契丹、鴨緑江・渾江に達する。
高麗も一時鴨緑江に達する。契丹、高麗間で和平が結ばれたが…
547世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:50:18 0
4)989-1018後渤海の再興、及び兀惹【後渤海国(再興)989-1018】
ーーー
989年、定安国の王子、女真使によって上表、馬を献ず。
この頃、定安国第三代国王に大元(在位979〜89頃 −1018頃)が即位、
定安国を「後渤海国」と改名。(定安国と後渤海国の連合体か?)
991年、後渤海国王大元、宋に朝貢。(定安国王子大元、女真使によって上表)
993年、契丹(遼)、高麗への攻撃(第一次)を開始、攻め込む。
契丹と高麗が鴨緑江以南・清川江以北の旧高句麗領をめぐって対立。
翌994年、高麗国王・成宗、契丹(遼)の属国となる。
翌995年、渤海人貴族・烏昭慶が契丹の支配に抵抗して挙兵、「兀惹」を建国。
翌996年、「兀惹」が契丹に降伏して滅亡。高麗、契丹の冊封を受け鴨緑江下流域以南を確保。
1003年、契丹(遼)、後渤海=定安国を攻撃、壊滅の危機に追い込む。定安国のみ滅亡?
1010-1011年、契丹(遼)、高麗を攻め(第二次)開京(首都)まで入り込み、高麗の建国初期の
資料が大幅に失われる。朝貢を条件に撤退。高麗、宋に接近するが宋に介入の意欲・余力なし。
その後も契丹の攻撃は続き鴨緑江の南に達する。高麗、抗戦を継続。
1015年、契丹(遼)の高麗侵略開始。連年、高麗を攻める。
翌1016年、高麗国王・顕宗、契丹(遼)を牽制するため再び北宋の属国となる。
1018年、後渤海国、契丹(遼)に攻められ滅亡。
契丹、高麗を攻め(第三次)亀州において高麗の大勝、一時撃退するが、契丹は攻撃を継続。
548世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:51:20 0
5)1019-1030皇帝号と女真との合流【興遼帝国1029-1030】
ーーー
1019年、刀伊(女真の一派)、日本北九州・高麗東岸に侵入。刀伊、敗退。
翌1020年、高麗と契丹(遼)の間に講和なる。
1022年、高麗、契丹(遼)に降伏。再びその冊封下に復帰。属国に戻るも鴨緑江下流域以南を確保。
1029年、後渤海滅亡のわずか11年後、渤海国太祖の七世の孫、遼国東京将軍の大延琳
が、民衆の苦しんでいるのに乗じて遼に反乱、東京遼陽府で独立。満洲の地に「興遼国」
を建国、年号を天慶とし、天興皇帝と称す。 女真族も合流して反乱規模を拡大した。
翌1030年、興遼国、遼に鎮圧され大延琳は囚われ滅亡。
549世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:56:17 0
6)1031-1234「金帝国」vs「大元国=大渤海帝国」【金帝国1115-1234】
ーーー
1033-1044年、高麗、「千里長城」を建設。契丹や女真に対する防衛線であり
鴨緑江下流域から半島を横断する城壁。(※千里長城というと高句麗が対唐
ラインとして631年〜647年に遼河付近に建設したのもあるがそれとは別)
1080年、高麗国王・文宗、日本に名医を求むも断られる。
1100年代初頭、女真、千里長城以北を統一。高麗、攻めるが敗北
1107年、高麗、女真を攻め、咸興平野に九城を設置したが、女真の反撃により撤退する。

1115年、女真人完顔阿骨打、金を建国。(女真完顔部の祖先は渤海王の大氏)
金朝は勃興後「女真と渤海は一家」とし、積極的に渤海人を取り込んだ。
翌1116年、渤海貴族の子孫で遼の捧供官・高永昌(在位 1116)が
遼の東京留守蕭保先を討って、東京城(遼陽)で「大元国」を建国。
契丹は討伐軍を派遣して東京奪回を試みるが、高永昌は契丹軍を撃退。
その後、遼陽にて大元国から「大渤海国」に改め、皇帝を称し隆基元年とする。
同年、金(女真)が遼陽を攻略して高永昌を殺害、大渤海国滅亡。

1125年、金、遼(契丹)を滅ぼす。
翌1126年、金、高麗(国王・仁宗)を属国とする。以後、満洲・河北(金領)への高麗人の移民はじまる。
翌1127年、金、北宋を滅ぼす
翌1128年、金、高麗王を冊封す
1149年、渤海王家に連なる母(大氏)にもつ金の第4代皇帝海陵王(紬古乃、完顔亮)即位。
(他にも渤海人が完顔氏と結びついている)
(金の時代には歴代渤海人王朝の中心地だった遼陽で渤海人によって仏教が信仰されていた)
1231年、モンゴル初めて高麗に侵入。以後、連年侵入。
1234年、金、モンゴルに滅ぼさる。
550世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:57:12 0
【モンゴル政権下における渤海人の存在】

1252年、モンゴル帝国による漢人(=旧金朝支配下の住民)の人口調査。
この時、漢人は「漢八種」とよばれ、契丹人、女真人、渤海人、高麗人など八種族に分類。
つまり13世紀でも渤海人と高麗人(半島人)女真人(ツングース)は厳然と区別されていた。

(以上の歴史をみれば「渤海滅亡後、渤海人はすべて高麗に帰化したニダ、
新羅と渤海が南北朝みたいなもんで高麗が統一したニダ」というウリナラ史観が、
200年5王朝の興亡を含む渤海人300年の歴史を無視する妄想であり、
渤海人に対していかに失礼きわまりない電波であるかよくわかる)
551世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:57:59 0
【モンゴルと高麗の関係】

1259年、高麗国王・高宗、モンゴルに降伏。属国となりその太子はモンゴルに赴く。
モンゴル服属以前は平壌あたりが高麗領の最前線基地だったが、モンゴルに服属して以後は、
歴代の高麗王は、遼東から満州あたりを管轄する(高麗本国も含む)「征東行省」の長官を
兼ねるようになり、高麗人コロニーがこれらの地域に一挙に広がった。
1263年、高麗国王・元宗、日本に倭冦の禁圧を乞う。
1274年、文永の役(第1次元冦)
1275年、高麗の領土だった慈悲嶺以北の地をモンゴルに編入。
1278年、高麗の忠烈王、モンゴルの服装に変更。
1281年、弘安の役(第2次元冦)
1302年、高麗の忠烈王、元の朝廷に参内しモンゴル女性と結婚。
1367年、高麗の恭愍王、日本に倭冦の禁圧を乞う。
1370年、高麗、明の属国となる。
1375年、高麗、日本に倭冦の禁圧を乞うも、その使者はかえって足利義満に逮捕勾留さる。
552世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:59:03 0
【李朝の建国】

当時咸鏡道一帯は女眞族の住地であった。李成桂はここの出身でありながら「咸鏡道人」を
政府の要職につけてはならないと命令している。それほど「咸鏡道人」=女真族は我慢強く、
猛々しいのである。モンゴル帝国はこの地の反乱を鎮圧し「双城総管府」を設置した。
双城総管府の中心は咸鏡道の「和寧」(「永興」ともいった。現在の咸鏡南道の南端の金野。
元山の近く)にあった。

1380-90年代、高麗の恭愍王は、元明の東北アジア争奪戦のどさくさに紛れ、遼東までを
一挙に本国化しようとはかり、双城を編入したんだけど、その時、李子春・李成桂の女真人
の父子は高麗への投降武将となり、内通して編入を助けたことになっている。
(李朝が編纂した歴史書で(w だからこの辺りの事情はかなーり怪しい。 )

李子春なる者は、この「双城総管府」 に仕える千戸(モンゴル帝国の下級役人)で
女真系モンゴル人。彼の活動の本拠は永興(和寧)のすぐ北の咸興に在った。
彼の本名はウルス・ブハ (吾魯思不花)=李urusu-uba(=李ウルス・ブハ)。
李成桂の先祖は表向きは新羅の高官で全州李氏ということになっているが、彼が生まれた
のは全州ではなくこの永興=和寧(双城総管府の中心地)で、李朝時代にも宗廟が置かれた。
李成桂の従兄弟か異母兄弟か忘れたけど一族にはモンゴル名しか知られていない者もいる。

高麗はモンゴル側について明の永楽帝と対決するため軍団を派遣したんだけど、
その軍団の長である李成桂が裏切って明側についてしまい、引き返して
クーデタを起こし、王権を乗っ取って樹立したのが李氏朝鮮。

1392年、高麗、滅亡。李氏朝鮮の建国。李成桂は明に尻尾を振って、遼東・南満州を放棄、
鴨緑江までの確保で満足したせこい奴。こいつが政権欲に目がくらまず、自分の任務をきちんと
はたしていれば、太祖王建の夢であった高句麗/渤海国の旧領(満洲)を奪取できた可能性がある。

1393年、明から国号を【朝鮮】と賜る。
これより前、【朝鮮】と【和寧】の二案で明に提出するも、はじめから「朝鮮」に内定していた。
553世界@名無史さん:2006/08/22(火) 01:58:58 0
結局、高麗は渤海の影にかくれていただけか。
554世界@名無史さん:2006/08/22(火) 08:40:12 0
【穢王国BC126-BC107】
【夫餘国BC107王-AD220単于-AD494】
【高麗国BC59侯-AD32王-AD668】
【渤海王国698-926】
【東丹王国926-930】
【後渤海王国(復興)928-976?】
【定安王国938-1003】
【後渤海王国(再興)989-1018】
【興遼帝国1029-1030】
【渤海帝国1116】
【金帝国1115-1234】
【大清1583-1606汗-1616帝-1911】
【満洲国1932-1934帝-1945】
555世界@名無史さん:2006/08/22(火) 12:43:10 O
>>552
女真族の王が韓民族の北方侵略の野望を粉砕したとも読めるなw
556世界@名無史さん:2006/08/22(火) 13:26:25 0
>>554

【穢王国BC126-BC107】
【夫餘国BC107王-AD220単于-AD494】
【高麗国BC59侯-AD32王-AD668】
【渤海王国698-926】
【東丹王国926-930】
【後渤海王国(復興)928-976】
【(渤海世子大光顕の国)930-934】
【定安王国938-1003】
【後渤海王国(再興)989-1018】
【興遼帝国1029-1030】
【渤海帝国1116】
【金帝国1115-1234】
【大清1583-1606汗-1616帝-1911】
【満洲国1932-1934帝-1945】
557世界@名無史さん:2006/08/22(火) 21:04:27 0
>>555
いやあ、彼らにそんな力はないでしょう。上の力作を読むと
どこの子分になるのが一番得かそればかり考えているように
見える。民族性かね?
558世界@名無史さん:2006/08/22(火) 21:32:09 0
「高句麗人=渤海人」と半島人は似ても似つかぬ異民族だってのがよくわかるな。
559世界@名無史さん:2006/08/31(木) 18:49:04 0
渤海と高句麗と黒水靺鞨も朝貢しとったけどな。独立時以外は唐と渤海の朝貢関係
は緊密で安定しとったように思う。
金は支配者になったがだいぶ漢化した。清は長期間広範囲にわたり支配者となった
が全居住地が漢族優勢となった。さて良かったのやら。

ログ読み返してみると渤海の大武芸の海を経由した山東攻撃(732年)
>>218,>>260
についての投稿が。
たしか公式な唐と渤海の境界は鴨緑江沿いの丹東と新義州の近くとか。
川幅は700mほど、河口からは30kmほど。
そして安東都護府は669年には平壌から遼河流域に移されたとある。
Google Earthを見ると鴨緑江と遼河流域の間は遼東半島まで続く
幅百数十kmの山地。鴨緑江河口に対する唐の支配が緩くて
渤海軍は鴨緑江を一気に下って渤海に出たのかもしれん。
遼東そのものが渤海の支配下になったかどうかは意見が割れてるようだけど。
560世界@名無史さん:2006/09/09(土) 13:18:30 0
渤海史が海の向こうで沸いてる
561世界@名無史さん:2006/09/23(土) 11:47:49 0
中国の地方政権保守。
562世界@名無史さん:2006/09/24(日) 18:56:11 0
中華皇帝からみれば全世界が地方政権だろ。
563世界@名無史さん:2006/09/25(月) 21:03:23 0
渤海を死の海にしたのは誰だ?
564世界@名無史さん:2006/09/25(月) 22:20:02 0
---------世界最狂テロ軍団-----------

   ( `ハ´) アル か ニダ <`∀´ >

         隊員募集中

-----------------------------------
565世界@名無史さん:2006/09/30(土) 13:03:54 0
高麗王朝を日本人は半島の統一王朝だと思っている。
しかしニダー人は、この時代を「南北時代」と呼んでいる。

南朝は高麗で、北朝とは渤海のことだそうな。

高句麗はともかく、渤海は朝鮮人の国かぁ?
566世界@名無史さん:2006/09/30(土) 13:48:57 0
日本側に残る史料から考えれば渤海国王は高句麗の後裔を自任していたようだね。
まあ古代における民族区分なんて今日と比較しても意味はないが
簡略に表現すれば渤海国は高句麗遺民と靺鞨の国家と考えていいだろう。
高句麗を朝鮮半島史でどのように扱うかで(最近中韓で揉めとるなあ)決まる政治的問題でしょう。
契丹に圧迫された漢化された渤海貴族が大量に高麗に亡命したのも事実だし
しかし高麗の版図は新羅のそれを上回って渤海旧領を含むことはなかったわけだし…
前近代は民族の定義が難しいから何とも言えんからどこが○○人でそれと今日の○○人との関係は説明できん。

てか高麗王朝と渤海国とは微妙に時期がずれるじゃねえか。比較するなら統一新羅だろう。
成立期の新羅との関係を考えて「南北に分裂した、渤海が滅びて遺民が南下した」って説明なら苦しいけどできる。
567世界@名無史さん:2006/10/01(日) 23:42:25 0
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=80386&servcode=200§code=200

この雑誌は安倍元外相は生前に安倍家の起源は10世紀くらいまで
韓半島北で中国大陸にかけて存在した渤海(パルヘ)国に始まったと
いう考えを持っていたが、日本での安倍家の起源は明らかではないと報道した。
安倍家の起源について久保さんは「安倍家の本流は青森県だ。
安倍元外相が朝鮮だと言ったが、これは今の北朝鮮ではなく、
その北と吉林省の下側にあった渤海」と「11世紀平安時代の武将だった
安倍が今の安倍家の祖先と一致する」と説明した。

安倍貞任が渤海系なんて聞いたことが無いんですけどホント?
568世界@名無史さん:2006/10/01(日) 23:54:41 0
阿部氏は古代からいるだろ。
阿部仲麻呂に阿部内親王。
569世界@名無史さん:2006/10/02(月) 15:58:05 0
>>567
安倍晴明って、渤海人じゃないみたいなんだけど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:AnS-O2.jpg
570565:2006/10/04(水) 23:29:47 0
すんません。
ウィキのページ読み直してみたら、ニダーさんが南北時代と称するのは
統一新羅時代ですた。
571世界@名無史さん:2006/10/07(土) 19:05:08 0
『週刊新潮』2006年10月12号


「救う会」を特捜部に告発する「告白テープ」

北朝鮮による拉致被害者の救出を支援する団体「救う会」。先日も内紛騒ぎが起きたばかりだが、今度は佐藤勝巳会長と西岡カ常任副会長が業務上横領、
証拠隠滅などの疑いで、東京地検特捜部に告発されることになった。
告発の中身は2年ほど前にも問題になった、ある篤志家から佐藤勝巳会長に渡
った1000万円の使途をめぐる金銭疑惑。告発者は先の内紛で「救う会」を離れた、「救う会いばらき」の松尾秀雄氏や、
この問題を当初から追及してきた「救う会」元幹事の兵本達吉氏らである。
 疑惑発覚当時、佐藤氏らは1000万円が情報収集のために使われ、うち970万円は北朝鮮の元工作員、安明進氏に渡ったと説明し、
安氏が書いた領収書も明らかにしていた。
 ところが、今回の告発によれば、実は安氏はこの金銭授受を明確に否定し、その上、領収書は西岡氏に無理やり書かされたもの。
そして、その事実を告白したテープが存在するのである。
 問題のテープには、
「1000 万円は間違い。1000万円というのはウソです」
 という言葉が確かに入っており、領収書についても、
「内容もわからないものにサインするのは絶対に嫌だと言ったが、
結局、金額も何も記していない紙にサインをして渡してしまった。
西岡さんは。”このことは言わないほうがいい”と言っていた」
 と安氏は話している。告発者の一人、兵本氏は、
「告白テープは安氏の話を私が録音したものですが、これで佐藤、西岡両氏の不正がやっと明らかになる。
やはり、膿は出さなければなりません。彼らは安倍政権のブレーンとも言われており、
重大な問題です。私はこの問題が、安倍政権の顕きの石になる可能性もあると思っています」
 と話す。「救う会」と安氏はともにコメントを拒否したが、告発の行方は。
572世界@名無史さん:2006/10/07(土) 19:12:18 0
>>567
記録に残っている渤海系の帰化人っているんでしょうか。
来日した使節は結構手厚くもてなされたそうですが。
573世界@名無史さん:2006/10/08(日) 00:40:07 0
カリン文字という文字が本当にあったの?
574世界@名無史さん:2006/10/08(日) 00:44:00 0
>>567
父の安倍晋太郎が和田喜八郎の「東日流」イベントに名前を貸していたことから出た話だと思う。
575世界@名無史さん:2006/10/08(日) 00:45:00 0
これまたどういう接点だったんだかw
576世界@名無史さん:2006/10/08(日) 01:42:37 0
渤海独自の文字という「加臨多文字」は本当に実在したの?
577世界@名無史さん:2006/10/08(日) 01:46:52 0
578世界@名無史さん:2006/10/08(日) 01:46:52 0
実際、渤海の使節船が寄港した場所は、東は東北の日本海岸から
西は鳥取西部にまで及んでいる。
能登半島もたびたび寄航した様子で、水夫などは使節一行が都へ滞在している間、
港で長期待機していたらしい。
地元民との交流もあったんだろうな。
579世界@名無史さん:2006/10/08(日) 09:26:28 0
安倍貞任の一族(奥六郡の安倍氏)のルーツは、乱暴にまとめると
1 俘囚(朝廷に帰順した蝦夷)系の豪族。安倍を名乗った経緯については
  諸説あり(阿部比羅夫がらみとか)
2 1036年に陸奥権守に任ぜられた安倍忠好の子孫。つまり中央貴族が
  土着した在庁官人
3 8世紀、阿部の姓を賜った陸奥在住の丈部の子孫。つまり陸奥の
  在地豪族
の3つの説がある。しかし、渤海から来たなんていいう説はこれまでまともな
学者によって表明されたことはない。
580世界@名無史さん:2006/10/08(日) 09:37:00 0
続日本紀によると、746年、渤海使とともに「鉄利人」1,100人余が
帰化を求めて出羽に渡ってきた。朝廷は彼らを出羽にとどめ、
衣服や食糧を与えて帰還させている。
779年にも第11回の渤海使と共に359人の鉄利人が出羽に来朝したが、
同様に帰還させている。
「鉄利」というのは渤海の北部、現黒龍江省北部にあった鉄利府
あたりの住民だったという可能性が高い。
本当に慕化来朝だったのかどうか、そして本当に全員帰還したのか??
よくわからん事件だな。
581世界@名無史さん:2006/10/08(日) 11:22:55 0
渤海が滅んでから前九年の役までは、約100年あるから歴史的に見て当時の
朝廷は亡命者を時代によって、どんどん北に移しているから、渤海が東北に
ねずいてもおかしくないね。
582世界@名無史さん:2006/10/08(日) 12:22:02 0
>>570
「南北国」時代ですな。
新羅と渤海で南北に分裂していた、高麗で統一という歴史観。

>>574-575
イベントに名前貸しただけでなくわざわざ津軽の荒羽吐太神宮まで参拝にいって
「(苗字が同じだから)俺の祖先だ(かも知れない)」みたいなリップサービスまで
実際にやらかしてたよ。

>>573,576-577
完全なる電波

>>579
日本史板の安藤スレの過去ログに詳しい議論があったと思う。
>>581
それでも陸奥の安倍氏と渤海とのつながりを示す痕跡はない。
>>580,578,572
新撰姓氏録は左右京と五畿内の分しか残ってないから
渤海系の帰化氏族って記録にないけど、北陸の分があったら
渤海系の帰化氏族のリストも残ったんじゃないかなとは思う。
583世界@名無史さん:2006/10/09(月) 01:26:02 0
>>580
海賊もしくは、あわよくば武装殖民団だったのでは?
584世界@名無史さん:2006/10/09(月) 01:30:11 0
新羅も実際には散発的な海賊という形で攻めてきていて、明石にも来寇したことあるらしい。
585世界@名無史さん:2006/10/09(月) 01:32:45 0
そもそも渤海は名前さえ忘れ去られていたはず。
中世以後の日本、朝鮮でも。
586世界@名無史さん:2006/10/09(月) 01:33:42 0
将門記にあるくらいで。
587世界@名無史さん:2006/10/10(火) 20:17:22 0
高句麗、渤海には契丹文字、女真文字のような自前に工夫した文字は無かった(あったかもしれないが資料は一切残っていない?
588世界@名無史さん:2006/10/14(土) 17:37:09 0
Los Angeles Times 2006.10.14 Vote on N. Korea Faces Last Hurdles

http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-unnorkor14oct14,1,4405063.story
589世界@名無史さん:2006/10/15(日) 15:55:01 0
>>587
渤海国の支配層がなに語を使っていたかすら分からない状況だもんで・・・
590世界@名無史さん:2006/10/16(月) 00:46:41 0
支配層に限れば「漢語」でいいんじゃないか?少なくとも三代国王以降は。
日本だって宣命だ万葉仮名だと言いながら公式文書では古代中盤までは漢文が基調だったわけだし。
もちろん彼ら渤海人が日常使用した言語が何か、と問われれば答えようがない。
遺構などから確認されたものが漢文であったからといって中国文化圏に属した以上の証明にしかならんし
言語レベルならともかく文書では漢語と考えていいのでは?
唐・渤海の緊密な関係を考えれば(比較的疎遠な日本と比べても)漢語が文書として主流と考えてよいかな。
日本の史料の遣日本渤海使との交流から考えて支配層が漢文に劣っていたとは思えないし…

独自文字ということになると難しいなあ。遺構の発掘を待たねば証明も何もできないからねえ。
古代中華文明圏において仮名を発明した(普及には時間を要したが)日本が特異なんじゃないか?
漢字を用いた当て字などは渤海においても当然行なわれたと推測できるけれども。
591世界@名無史さん:2006/10/17(火) 05:16:54 0
吏読は?
592世界@名無史さん:2006/10/17(火) 07:21:01 0
地名で推測できない?
あ、それも漢字の記録化
593世界@名無史さん:2006/10/17(火) 21:34:36 0
日本人は渤海使とは中国語で会話していたのかな?
594世界@名無史さん:2006/10/18(水) 00:56:59 0
>渤海語

このスレにいろんな議論が一通り出てるから最初から読むといいよ

>>593
渤海通事って通訳がいたみたいですね
595世界@名無史さん:2006/10/18(水) 04:02:07 0
漢語通詞も古代日本に居たの?
596世界@名無史さん:2006/10/18(水) 17:39:50 0
百済語通詞は記録されていないというが本当?
597世界@名無史さん:2006/10/18(水) 18:06:57 0
講談社学術文庫から今月出た『日本後紀』読むと
日本は渤海を自国の下位に置いてる。
渤海も国書原文で「天皇陛下」と述べている。
(天皇陛下という敬称は明治になって出来たものとばかり思ってた)
渤海は日本から下に見られて平気だったのかな。
598世界@名無史さん:2006/10/18(水) 19:45:28 0
>>597
礼儀がなっとらんとかいう理由で上洛(とはこの時代は言わんか)させなかったこともある。
国書も結構王号表記で揉めたり揉めなかったりと古代東アジアの二国間関係だな。
形式的とはいえ「朝貢」させたことで朝廷は費用かさむし大変だったようだ。
渤海としては初期は対唐・新羅の軍事的な外交関係を欲したんだろうが
唐との関係改善後は経済的な繋がりを重視したみたいね。
日本も安全保障上の危機が去ってからは出費が嵩むんで入貢を減らせと決めたらしい。
その12年?に一回という取り決めに従わず入貢して追い返したのが一行目の話。

遣渤海使・遣日本使の簡単なメモ程度だったら講談社の新書か吉川弘文館の本がまとまっているかな。
まあ簡単なルートくらいだったら歴史地図帳にも載っているくらい結構メジャーだったりする。
しかしあの荒れた時期の日本海を往来した日本人も渤海人もいい根性していますわ。
599世界@名無史さん:2006/10/18(水) 21:11:21 0
「朝貢」というの事実上貿易であり、「朝貢」させる側への「たかり」でもあったの?
600世界@名無史さん:2006/10/18(水) 21:12:42 0
日本から渤海に行ったことも有ったの?
601世界@名無史さん:2006/10/18(水) 21:17:04 0
>>599
朝貢は儲かるぞ。
清盛(これは朝貢じゃないが)や義満の対中国貿易なんてぼろ儲けだろう。

>>600
初期の遣使には送使をつけている。後期は専ら渤海からの遣使のみになるが。
602世界@名無史さん:2006/10/18(水) 21:52:32 0
渤海は韃靼・高句麗の遺民が建てたとしても、
その支配地域から支那の歴史に含まれて当然だと思うがwww
603世界@名無史さん:2006/10/18(水) 22:00:43 0
高句麗の場合は、建国の地が満州で都が平壌にあったから厄介なんだよな。
604世界@名無史さん:2006/10/18(水) 22:12:43 0
高句麗は最初卒本夫余と呼ばれていたらしいが、他の夫余はどうなったのだろうか?
605世界@名無史さん:2006/10/18(水) 22:12:57 0
>>603
高句麗は朝鮮の歴史に含まれていいと思う。
朝鮮北部の大部分を支配しているし。

朝鮮半島の影響力と言ったら渤海よりも上のはず。
606世界@名無史さん:2006/10/18(水) 22:28:02 0
>>604
ここは渤海スレだからあまり高句麗のことを語るのも何だけど、

扶余wiki
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E4%BD%99

扶余伝
ttp://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-fuyo-.htm

ワイ族(扶余族)wiki
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4
607世界@名無史さん:2006/10/20(金) 05:52:10 0
渤海末裔を自称する族譜の韓国人は居るの?
608世界@名無史さん:2006/10/21(土) 02:39:34 0
609世界@名無史さん:2006/10/21(土) 04:03:03 0
>>607
密陽大氏。 渤海の大祖栄を始祖とするらすい。
610世界@名無史さん:2006/10/21(土) 04:30:04 0
元帝国駐留モンゴル人末裔を自称する族譜の韓国人は居るの?
611震国:2006/10/21(土) 12:44:04 0
「渤海」という国号は、中国側から与えられた国号のようです。
中国側から見て、女直人国家(?)・渤海はその名の通り、渤海沿岸にあるので
命名したとか。
満州というと、地方名とか中国側でいう「偽満州国」と区別がつかないので、
個人的には旧称の女直人と表記したい。
渤海は、中国側から命名されるまで「震」という国号でした。
中国との円満な関係を保つ為に、「渤海」という国号をうけいれたのでしょうか。
612世界@名無史さん:2006/10/21(土) 13:07:01 0
>>604 >他の夫余はどうなったのだろうか?

夫余=ブヨ、プヨ、=鹿 鹿を大事にする民族、鹿を神とする民族
 さて何処に居る民族でしょう???
613世界@名無史さん:2006/10/21(土) 13:16:03 0
>>611
このスレ最初からちゃんと読むといいよ。

>>612
夫餘は「鹿山」という地に拠ったから。ただの地名。
トーテムがどうのっていってるのは電波。
614世界@名無史さん:2006/10/21(土) 21:11:56 0
獣祖神話と北アジア

チベットでは「蒙古人の祖先は犬」と信じられている。一方、蒙古では「チベット人の
祖先は猿」なそうである。まさに犬猿の仲なのだが、蒙古人とチベット人は至極仲が良い。
 モンゴルの英雄・ジンギス汗は”蒼き狼”の子といわれた。モンゴル神話では蒼き狼
と白い牝鹿とが天の命でやってきて、生まれた最初の人間が「バタチカン」だと伝えて
いる。蒼き狼の名はポルテ・チノ、白い牝鹿の名はコアイ・マラル。作家・井上靖は
「蒼き狼」の小説を書いたが、ジンギス汗の征服欲の根源は、蒼き狼の血だとした。
615世界@名無史さん:2006/10/23(月) 19:48:53 0
渤海国は白頭山の噴火で滅亡したのだああああああああ
616世界@名無史さん:2006/10/23(月) 20:27:01 0
渤海の「渤」とは、水の沸き立つさま、水の沸き立つ音
617世界@名無史さん:2006/10/24(火) 03:38:53 0
勃起
618世界@名無史さん:2006/10/25(水) 02:56:50 0
>>615
信憑性が高い。
619世界@名無史さん:2006/10/25(水) 20:15:13 0
渤海国は高句麗の継承者ということでいいんだよね。
同時代の日本は明らかにそう位置付けている。
620世界@名無史さん:2006/10/25(水) 20:18:16 0
後漢ごろ、満州のあたりに住んでいたユウロウ族はとんでもなく不潔だった。
入浴の習慣が無く垢まみれな上に、冬は肌の上に直に豚の脂肪を数センチも塗って寒さを防ぐ。
挙句竪穴住居の中に小便を入れた桶を置いておき、それで顔や手を洗っていた。
621世界@名無史さん:2006/10/26(木) 00:40:40 0
>>620
それ、エスキモーの習俗とそっくりだ・・・驚き。
豚の代わりがトナカイかアザラシだが。
622世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:12:19 0
他のものが混ざっていなければ実は小便は無菌で清潔なものだよ。
昔は革なめしに使う貴重な資源。
623世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:23:08 0
古代ローマでも腐らせた尿を衣類の漂白に使ったり、
キャベツを食わせた子供の尿は薬になると言って飲んでいた。

北米太平洋沿岸のインディアンは、尿で髪を洗っていた。

北海道アイヌは、革をなめすときに便所に漬けていた。
624世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:36:54 0

   黄  金  水  マ  ン  セ  ー
 
625世界@名無史さん:2006/10/26(木) 03:37:08 0
ユウロウ=ユーロ=ヨーロッパ人?
626世界@名無史さん:2006/10/26(木) 03:46:35 0
ユウロウは、「挹婁」と書く。
時代が下がって五世紀ごろ、満州松花江流域に住んでいた勿吉(もっきつ)族は、
多少文化が進んで粟や麦を栽培していたが、防寒用に土を厚くかぶせた竪穴式住居に住み、
尿で手足や顔を洗っていた。

渤海国時代にも、尿で手足を洗う習慣はあったのだろうか?
627世界@名無史さん:2006/10/26(木) 16:04:19 0
「挹婁」⇒女真?
628世界@名無史さん:2006/10/27(金) 00:17:50 0
たぶんそれでいいんじゃないの?
629世界@名無史さん:2006/10/27(金) 01:48:59 O
>>623
アイヌの革なめしのソースくれ。
630世界@名無史さん:2006/10/27(金) 01:56:01 0
萱野さんが「モウルという鹿革の下着を作るときは、便所につける」と言っていたよ。
631世界@名無史さん:2006/10/27(金) 07:10:16 0
>>615
太白山が噴火(937年)したのは渤海国滅亡(926年)のだいぶ後なので、一応関係ない。
ただ、第一回の噴火の翌年、後渤海国から定安国が独立(938年)してるので
なんらかの政変につながった可能性はなくもない。
第二回の噴火(946-947年)ではその翌年(948年)高麗と東女真の交易が始まっているので、
渤海人の勢力が弱まったとも見られるが、とくに政権交代等に関連した様子はない。
632世界@名無史さん:2006/10/27(金) 14:49:00 0
東丹国取り潰し、渤海人難民化、渤海再建運動の失敗には関係しているでしょう。契丹に虐められたのでなく太白山が噴火して、火山灰で住めなくなった祖国を立ち退いたというのが本当なのでは?
633世界@名無史さん:2006/10/28(土) 07:32:34 0
噴火後も定安国は長く続いたし再建運動が失敗したとはいえないと思いますよ。
記録が少ないので存在感が薄く感じるけど。

高句麗や渤海は中国と直接の関係を多くもったので記録が多いだけ。
渤海継承国家は、遼や金が主な相手で、宋とは直接の関係がわずか。
契丹人や女真人は漢人ほどやたらなんでも記録する伝統が薄かったろうし
遼史・金史はかなり後になって編纂されたもので、内容の薄さ等でも
当時から雑すぎると評判の悪いものなんだよね。
高句麗や渤海の存在感てのは多分に偶然の経緯(というか中国側の都合)で
資料にめぐまれただけってのもあるかと。
634世界@名無史さん:2006/10/29(日) 13:19:16 0
平将門が「渤海を滅ぼして契丹が建国された」という大陸情報を本当に知っていたのか?
635世界@名無史さん:2006/10/29(日) 20:59:30 0
そりゃ知ってたでそ。つか知らない方がおかしい。なんで疑うわけ?
636世界@名無史さん:2006/10/31(火) 15:54:27 0
朝鮮】 「白頭山の火山、再爆発差し迫る?」 [10/31]
1 :死にかけ自営業φ ★ :2006/10/31(火) 15:26:25 ID:???
民族の霊山、白頭山(ぺクドゥサン)で最近地震とガスの噴出が大きく増えていることが確認された。
民放SBSテレビ(ソウル放送)が30日報じた。
専門家らは、白頭山の火山が爆発する可能性が高まっているという見方を示している。
白頭山は6月に入ってこそ少しずつ雪が溶けはじめる。
だが海抜2750メートルの天池(チョンジ)は依然として氷と雪に覆われている。
気象と共に地震観測も兼ねている長白山気象台の地震記録によると、
白頭山は02年以降、天池を中心に、地震回数が例年に比べて5倍ほど増えている。
これによって、100年以内に白頭山が再爆発する可能性は最大20%にのぼるという。
中国・国家地震局側は「天池の火山が噴出する可能性は100年以内に10〜20%にのぼる」とした。
白頭山の裾は山林だ。ところが、白頭山の裾のあちこちで木が枯死しつつある。
火山爆発のシグナルにあたるガスの噴出が増え、木が枯死しているのだ。
白頭山は2800万年前に、マントルから分かれた溶岩が地表面に突き出して作られた山。
中国吉林省・地震局の非公開資料によると、これら溶岩は天池の下に最高10キロまで上昇している。
日本東北大学の谷口教授は
「時期を正確には予測できないが、
近い未来に起きると言ってもおかしくないといえる諸現象が現在起きている」と述べた。
人工衛星・マイクロウエーブの撮影を通じて、白頭山が噴きあがっているのも確認された。
文宇一(ムン・ウイル)ソウル大地球環境科学科教授は「年間2.2〜3ミリの隆起が確認されている」とした。
とりわけ、中国の専門家は白頭山が噴火すれば半径60キロ以内にいる
約10万人が大きな災害にあうだろうとしている。

デジタルニュース  ソース 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=81307&servcode=400§code=410
637世界@名無史さん:2006/10/31(火) 16:04:38 O
これで北チョンが滅ぶのか。
まさに天啓!
638世界@名無史さん:2006/10/31(火) 16:06:10 0
100年以内に、な。
639世界@名無史さん:2006/10/31(火) 20:52:48 0
遼は長白山の噴火がもとで滅亡したのだあああ
640世界@名無史さん:2006/10/31(火) 20:55:48 0
釣りか?
渤海を滅ぼしたのが契丹、つうか遼。

遼は女真の金に滅ぼされた。
641世界@名無史さん:2006/11/01(水) 21:03:37 0
渤海は高句麗人支配から靺鞨人が離反して滅亡?役人はみな高句麗人だったので?
642世界@名無史さん:2006/11/02(木) 22:43:58 0
>>641
その頃には高句麗人も靺鞨人ももうない。みんなごっちゃに渤海人。
643世界@名無史さん:2006/11/03(金) 01:44:54 0
国粋靺鞨人のせいか
644世界@名無史さん:2006/11/03(金) 12:04:49 0
吉川弘文館の『渤海国興亡史』買っておけば良かったよ。
本を買う時に金をケチったら駄目だな。
645世界@名無史さん:2006/11/08(水) 11:16:03 0
長白山は満州民族の聖地なのだあああ
646世界@名無史さん:2006/11/08(水) 11:19:04 0
新羅族が他を併合して出来た朝鮮民族の聖地になったのは、なぜ?
647世界@名無史さん:2006/11/08(水) 11:23:59 0
ヌルハチの先祖は寧辺にいたらしい。
648世界@名無史さん:2006/11/08(水) 13:29:33 0
北朝鮮・拉致問題:長岡で横田さん夫妻、早期解決へ協力訴え /新潟

 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(当時13歳)の父滋さん(73)、母早紀江さん(70)夫妻が22日、
長岡市内のホテルであった自民党長岡支部の式典でそれぞれ講演し、拉致問題の早期全面解決への協力を訴えた。

 この中で、滋さんは北朝鮮の核実験に触れ、核開発放棄に期待感を示しながらも
「北朝鮮が核武装すれば、韓国も台湾もと拡散する恐れがある。日本も持つ、持たないを議論しなければならない」と訴えた。

 早紀江さんは「以前は街頭でチラシを配ってもだれ一人受け取ってくれなかった。私たちが『北朝鮮を支援するな』と言い続けてきたのに
政府は米を送った。日本の支援が結局、核になった」と話した。【根本太一】

毎日新聞 2006年10月23日 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/rachi/news/20061023ddlk15040174000c.html


横田滋氏も最近は自民党の人寄せパンダにされて「日本も核武装を議論しなければならない」ということまで言っている(言わされている?)。

649世界@名無史さん:2006/11/09(木) 06:36:56 0
女真族の金も白頭山を崇拝し、1172年には山に住む神に「興國靈應王」の称号を贈り、
1193年には「開天宏聖帝」と改めている。
清も金と同様、白頭山に対する毎年の典礼を行った。
康熙帝の時代、皇族である愛新覚羅氏(アイシンギョロ家)に関する調査が行われ、白頭山がその始祖の誕生の地とされた。
650世界@名無史さん:2006/11/11(土) 03:30:59 0
満州民族と朝鮮民族の分岐が完成したのは世宗のとき。
651世界@名無史さん:2006/11/11(土) 09:27:53 0
>>649
清も後半になると、吉林省へ朝鮮人農民が越境して住み着き始める。
李朝には何度か注意したようだが、流入は止まらず、白頭山一帯まで開墾・伐採されだす始末。
女真族の聖地を汚されてよく黙認できたな。
軍隊を差し向けて追い出すくらいはやってもおかしくないだろうに。
652世界@名無史さん:2006/11/11(土) 12:37:49 0
最寄の八旗駐屯地は?
653世界@名無史さん:2006/11/11(土) 22:31:53 0
>>652
クン(王+軍)春にだけ八旗駐屯
654世界@名無史さん:2006/11/11(土) 22:40:29 0
日本後紀(中)が講談社学術文庫で今月出るはずだったのに
講談社HPで確認したら出ないとのこと。

日本と渤海の間で交わされた国書を読むのが楽しみだったのに。
655世界@名無史さん:2006/11/12(日) 02:32:26 O
>>650
民族の分岐自体は古代には完成してたでしょ?
それは女真の一部が朝鮮に帰化しただけでは。
656世界@名無史さん:2006/11/12(日) 03:56:36 0
明がヌルカンとどうように白頭山に寺を建立?

「寺」といっても仏教布教目的?
657世界@名無史さん:2006/11/12(日) 04:12:41 0
>>655
李成桂自身がモンゴル人か女真人だった(あるいはその軍隊が)
658世界@名無史さん:2006/11/18(土) 01:54:43 0
ウルス・ブハという女真の将軍であった。
659世界@名無史さん:2006/11/18(土) 02:38:40 O
つまり利子朝鮮も清と同じく女真による征服王朝だったんだよ!!
660世界@名無史さん:2006/11/18(土) 03:32:24 0
>>657
朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/05/20060905000052.html
記事入力 : 2006/09/05 18:45

朝鮮王朝の太祖・李成桂はモンゴル軍閥だった!?

朝鮮王朝の太祖・李成桂(イ・ソンゲ/1335〜1408年)は高麗系モンゴル軍閥の勢力であり、
朝鮮王朝は北方遊牧帝国の伝統を基盤に建国した国家であったという新説が唱えられ、学界で論争を呼ぶものとみられている。

 こうした主張は、新進気鋭の東洋史学者・尹銀淑(ユン・ウンスク)博士とモンゴル系中国人学者・エルデニ・バタル博士(内モンゴル大専任講師)が唱えたもの。
両名はこうした主張を盛り込んだ博士論文を江原大史学科に提出し、先月審査を通過した。

 学位論文『蒙元帝国期オッチギン家の東北満州支配』を執筆した尹博士は「13世紀から14世紀にかけて、東北満州地域を元のオッチギン(斡赤斤)王家が支配していたという事実に注目しなければならない」と主張した。

 オッチギン家による同地域の支配は、チンギス・ハーンが1211年に自らが征服した領土を多くの弟らに分封した際、末弟のオッチギンにこの地域を治めさせたことから始まっている。
その後、オッチギン家は遊牧と農耕という経済インフラを基盤とし、この地域で独立的な勢力を形成することに成功した。

 ここで問題となるのは、オッチギン家の支配領域の中に李成桂一門の本拠があったという事実だ。

 李成桂の高祖父(祖父の祖父)李安社(イ・アンサ)は全州を離れ、豆満江流域の斡東地域に定着した後、
1255年に5000戸の千戸長とダルガチ(元の地方役人)の地位を元皇帝から下賜されている。この事実について、
尹博士は「千戸長はモンゴル族でなければほとんど任命される事のない高位の官吏であり、事実上、
李安社がオッチギン家から認められた軍閥勢力に成長していた証拠と見るべきだ」と語った。

 その後、1290年にオッチギン家の内紛で李安社の息子・李行里(イ・ヘンリ)は斡東の基盤を失って咸興平野に移住したが、
千戸長とダルガチの職位は李行里のひ孫・李成桂の代までの5代にわたって世襲された。



661世界@名無史さん:2006/11/18(土) 03:33:25 0
 一方、学位論文『元・高麗支配勢力関係の性格研究』を執筆したエルデニ博士は「李成桂一門はオッチギン家を通じ、
当時最先端にあったモンゴル帝国の軍事技術を直接吸収した。その後、オッチギン家直属の斡東と雙城ハ管府の多くの条件を活用して自らの勢力を育てていった」と主張した。
なお、李成桂は1362年に元の将軍ナガチュとの戦闘で、この先端技術を用いて勝利している。

 さらに、尹博士は1388年の威化島回軍(元への援軍の指揮官であった李成桂が全軍を威化島で引き返し、高麗の実権を握ったクーデター)も、
モンゴルの内部事情に精通している李成桂が、元の軍事力が崩壊したことを把握した上で起こした「旧モンゴル将軍の裏切り」と見るべきだと主張した。
従って、朝鮮王朝の建国は韓半島(朝鮮半島)の自生的産物としてだけでは見られないとしている。

 「モンゴル世界帝国の中心地である北東アジアで、13世紀から14世紀に起きた激変の歴史の総体的果実として生まれた王朝が朝鮮王朝だ。
朝鮮王朝は表面では親明事大を標榜していたにもかかわらず、パックス・モンゴリア体制の中心である北方遊牧帝国の伝統を事実上維持し続けていた」と尹博士は語った。

 また、こうした新たな歴史解釈の持つ意義について、尹博士とエルデニ博士は「これは朝鮮王朝の歴史がモンゴル史の一部という意味ではなく、
韓半島の範囲を脱して東アジア史という大きな観点で高麗・朝鮮王朝間の王朝交替を再解釈する作業だ」と定義した。

 ところで、こうした主張に対する学界の評価は分かれている。江原大史学科の周采赫(チュ・チェヒョク)教授は
「2世紀にわたって満洲を支配した先進文明圏が朝鮮王朝に及ぼした影響を一部明らかにしたという意味がある」と評価している。

 一方、高麗大史学科のパク・ウォンホ教授は「興味ある仮説ではあるが、もう少し緻密な検証を経なければならない」と慎重な姿勢を示した。

ユ・ソクジェ記者

朝鮮日報

662世界@名無史さん:2006/11/24(金) 01:22:37 0
「小高句麗」はいつまであったの?
663世界@名無史さん:2006/11/24(金) 01:23:42 0
シルクロードを征服した高句麗系の高仙芝将軍の系図は分からないの?
664世界@名無史さん:2006/11/24(金) 01:25:00 0
実は高句麗人で唯だ一人、五胡時代に中国皇帝になった者がおるらしい。
665世界@名無史さん:2006/11/24(金) 04:17:04 O
だっ誰だ
666世界@名無史さん:2006/11/24(金) 06:58:17 O
ヨン様
667世界@名無史さん:2006/11/27(月) 15:54:23 0
北燕(ほくえん)は、中国の魏晋南北朝時代に鮮卑化した漢人将軍・馮跋が後燕王・慕容熙を廃して建国した国(407年−436年)。

簒奪の事実を隠すため高句麗系の名族・高雲を擁立したが、後に馮跋が自ら天王に即位した。黄龍府すなわち龍城(遼寧省朝陽市)を都とし、
主として遼西地方を領有した。南朝の宋から黄龍国と呼ばれることがある。

馮跋は有能な統治者で、北燕の支配は安定していたが、430年に後を継いだ弟の馮弘は華北を統一した北魏の圧迫を受け、
436年高句麗に亡命した。馮弘は高句麗から南朝宋への亡命を希望したが、438年高句麗に殺された。

近年、遼寧省北票市西官営子で北燕宰相・馮素弗の華麗な墳墓が発掘された。

668世界@名無史さん:2006/11/29(水) 02:52:28 0
>>667
高句麗軍が攻めこんできてあわや落城という困った状態で、窮余の策として高句麗系を傀儡の皇帝に据えてお引取り願ったまで。
高句麗軍が撤退すると高雲は殺害された。
669世界@名無史さん:2006/12/08(金) 14:23:36 0
高句麗は非常に抗戦的な国だったようで、周辺国と常に摩擦があったようだ。
その後裔の渤海国はそうでもなかったようで、親日的でもあったようだ。
いまの北朝鮮は高句麗のような国と見るなら、真の意味で解放された国に後継
されたなら、極東で最も親日的な国になるのでは?
例えば、金王朝崩壊後に漂流難民が日本についたとき、非常に人道的な対処
だったりすれば、帰国後それはありうるかも。
バルトの楽園(がくえん)やロシアの捕虜の待遇など前例になるんじゃないかな
670世界@名無史さん:2006/12/08(金) 14:58:55 0
韓国を見る限り、それはない。
671世界@名無史さん:2006/12/09(土) 03:33:20 0
だからさー北朝鮮は高句麗ー渤海で、韓国は新羅ということよ
672世界@名無史さん:2006/12/11(月) 16:01:38 0
>>671
根本的に、それもない。
673世界@名無史さん:2007/01/08(月) 09:59:54 0
落とさないぞ
674世界@名無史さん:2007/01/08(月) 11:15:13 0
北朝鮮人が日本を地上の楽園と思い,居座られたら困るよな
675世界@名無史さん:2007/01/08(月) 11:52:22 0
半世紀以上居座られて今頃何を・・・
676世界@名無史さん:2007/01/08(月) 18:18:04 0
>>674,>>675
ttp://mindan.org/toukei.php#07
ま、在日韓国朝鮮人の中で北に本籍があるのは0.5%だそうだけどな。
677世界@名無史さん:2007/01/08(月) 19:04:24 0
>>676
それが何か? いわゆる旧「朝鮮籍」の連中が朝鮮総連を通して北朝鮮に忠誠を
誓っている。北朝鮮人と見なしてなんの不都合もない。
678世界@名無史さん:2007/01/08(月) 21:30:36 0
>>674-677
段々スレ主旨からずれてるよ

渤海てアイヌやエスキモー(イヌイットのほうが良いのかな?)とも交易してたの?
679世界@名無史さん:2007/01/09(火) 05:57:12 0
>>678
ちょっと時代が合わないかなあ。
黒水靺鞨が史実に見られる北限でアムール下流域まで交易圏が
拡大したとは考えにくいんじゃないかな。もちろん考古学的な発見は期待できるだろうけど
いまのところ史料および考古学の分野で大陸と樺太・北海道との関連は早くとも金、確実なのは
元の時代かな。それとイヌイットはさすがにない、ツングース系諸族は可能性があるけど。

北東アジアの交易圏についてはスレ違いだけど『北方から来た交易民』(NHKブックス)がオススメ。
680世界@名無史さん:2007/01/10(水) 01:02:06 0
その本は江戸時代の山丹交易がメインですよね。
渤海関係の北方交易だと・・・オホーツク文化関連の書籍に
アムール〜サハリン交易が登場してきますね。
681世界@名無史さん:2007/01/10(水) 06:09:10 0
オホーツク文化はちょっと歴史では扱いにくい分野かなあ。
勿論同時期にはアムール〜サハリンにわたる交易圏があったのは確実。
問題は渤海がアムール河のどの辺りまでを勢力圏においたか、かな。
682世界@名無史さん:2007/01/19(金) 21:39:32 0
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163416373/

中英板にも渤海スレ立ってたんだな
683世界@名無史さん:2007/02/19(月) 18:37:46 0
渤海と靺鞨は音通。読みは「もっこり」。
684世界@名無史さん:2007/03/04(日) 14:09:57 0
東北の「ムクリコクリ」の場合は「蒙古+高句麗」の意味だろうか?

刀伊の寇の記憶という線もなくはないけど。
685世界@名無史さん:2007/03/04(日) 14:21:53 0
満州の朝鮮族は李氏朝鮮からにげて住み着いた連中の子孫
今でも同じでしょ北朝鮮
満州に朝鮮族の国があったなんて妄言もいいとこ
実際は奴隷
686世界@名無史さん:2007/03/04(日) 21:28:50 0
あと大日本帝国から逃げたり移民したり移民させたりしたのも多い。
黒竜江省の朝鮮族とかは特に日本-満州国時代の時のが多い。
687世界@名無史さん:2007/03/05(月) 13:10:37 O
>>685→人非人
688世界@名無史さん:2007/03/05(月) 13:26:22 0
現在の中朝国境は鴨緑江、白頭山、豆満江を結んだ線だが、ここが国境化したのは
李王朝時代で、高麗時代は半島の一番すぼまった部分が国境線、それより北は女真族の領地。
李朝時代になり、この地域の女真族は北に落ち延びるか、徐々に同化していった。
689世界@名無史さん:2007/03/05(月) 15:14:36 0
>徐々に同化していった。
なにっ!じゃ、単一民族というのは・・・・
690世界@名無史さん:2007/03/05(月) 17:35:12 0
民族の概念そのものが近代の産物だからねえ。
単一民族だなんてのは前近代には意味ない考えだよ。
691世界@名無史さん:2007/03/05(月) 20:27:31 0
>>690
日本と朝鮮半島が敵対関係に入って対馬が明確に国境の島になったのは
新羅の朝鮮半島統一後日本と対立関係になって、日本が対馬に城築いた頃だといわれてるからなあ
民族自体が20世紀に入ってからの概念かも
民族の独立って第一次世界大戦後だし
692世界@名無史さん:2007/03/05(月) 20:47:01 0
しかし魏志倭人伝には、明確に対馬が倭国領と記載されているではないか。
693世界@名無史さん:2007/03/05(月) 21:44:11 0
>>692
そんなことかいてないような
朝鮮半島南部にも倭人がいたのは分かるけど
694世界@名無史さん:2007/03/05(月) 22:26:50 0
いま、韓国資本が対馬の土地を買い漁ってるんだが・・・
695世界@名無史さん:2007/03/05(月) 23:03:00 0
>>692
同時に半島南部にも倭人が分布していた模様。
696世界@名無史さん:2007/03/06(火) 03:06:28 0
>>693
郡より倭に至るには・・・・その北岸狗邪韓国に至る。
初めて一海を渡る。対馬国に至る。方四百里。・・・・

魏志韓伝に「韓国は方四千里、東西は海を持って限りとし
南は倭と接す」とある。
対馬は倭人伝に記されているように倭国領域なのは明白

というか、アマテル神社の存在や岩戸らしきものもあり
古事記には又の名をアマノサデヨリヒメとある
むしろ対馬こそ日本の源郷だ
697世界@名無史さん:2007/03/10(土) 17:43:14 0
魏志倭人伝に登場する潜水漁が今も半島南部に残っているのは内緒ニダ <海女アジュンマ
698世界@名無史さん:2007/03/18(日) 13:23:36 0
韓国】韓国時代劇の史実無視を学界が指摘 時間軸の混線も深刻[03/18]
新着レス 2007/03/18(日) 12:47
【韓国】韓国時代劇の史実無視を学界が指摘 時間軸の混線も深刻[03/18]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1174184875/

「朱蒙(チュモン)と召西奴(ソソノ)、帯素(テソ)の三角関係は成立しない」
「高句麗滅亡直後、薛仁貴(ソル・イングィ)は遼東地域にはいなかった」

『朱蒙』『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』『大祚栄(テジョヨン)』など、テレビで放送されている高句麗
関連の時代劇の内容が、多くの部分で歴史的事実と食い違っているという指摘が学界から正式に提起された。

西京大の徐吉洙(ソ・ギルス)教授は、最近終了したMBCドラマ『朱蒙』について、
▲北扶余の王・解慕漱と東夫余の王・金蛙王の2人は一度も会ったことがなく、絶対に(ドラマのように)友人になることはあり得ず、
▲朱蒙と召西奴が出会ったのは、朱蒙が扶余から脱出した後であるため、帯素との三角関係は成立せず、
▲柳花夫人は高句麗建国以前ではなく、建国後に亡くなったなど、ドラマと史実で異なる部分を1つ1つ指摘した。

またKBSドラマ『大祚栄』について、慶星大の韓圭哲教授は、
▲渤海建国まで主導的役割を果たした人物は大祚栄ではなく、乞乞仲象であり、
▲乞乞仲象と似たような序列であった乞四比羽が大祚栄と義兄弟になることはあり得ず、
▲高句麗の滅亡直後、吐蕃に派遣された薛仁貴が引き続き遼東地域で活動しているのもあり得ないことだと指摘した。

さらに、SBSドラマ『淵蓋蘇文』についても、ウリ歴史文化研究所のキム・ヨンマン所長は、
▲淵蓋蘇文に会ったこともない隋の煬帝を第3回から第54回までドラマの主人公として扱い、ドラマのアイデンティティーを台無しにし、
▲630年に京観(対隋戦勝記念塚)を破壊した事件と642年に淵蓋蘇文が起こしたクーデターが同時期に起こったかのように描かれるなど、時間軸の混線も深刻だったと指摘した。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/18/20070318000001.html
699世界@名無史さん:2007/03/18(日) 14:48:47 0
ぼくへこく
700世界@名無史さん:2007/03/20(火) 23:56:13 0
【7:26】【中韓】 韓国に気を使った?中国ドラマ「薛仁貴伝奇」高句麗の国名を正体不明の「渤遼」に[03/19]
1 名前:蚯蚓φ ★ 2007/03/20(火) 23:29:58 ID:???

http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2007/0319/04006883_20070319.JPG

「高句麗はどこにあるんだ?」

最近、中国テレビで放映されている大型史劇「薛仁貴伝奇」には高句麗が見えない。中国が<朱蒙(チ
ュモン)><淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)><大祚榮(テゾヨン)>など韓国のいわゆる‘高句麗ドラマ’に対
抗するために作ったといううわさが顔負けだ。

このドラマが政治的に敏感な問題である高句麗をわざと取り除いたという指摘も出る。高句麗を滅亡
させた唐の名将、薛仁貴の威容を期待した視聴者たちは、中国が小心症にかかったと憤痛を噴き出す。
<薛仁貴>は最初‘東北工程ドラマ’になるはずだという憂慮を生んだ。薛仁貴が高句麗を倒して安東
都護府総督に上がった人物だからだ。

平民出身である薛仁貴は、唐太宗李世民が淵蓋蘇文に敗れて危機に落ち込んだ時命を救った功労で大
将軍の席にまで上がった立志伝的な人物として知られている。2千万元(約24億ウォン)という巨額が投
入された<薛仁貴>は上海と重慶、天津、江蘇、福建、山東、遼寧などでもう電波に乗った。

<薛仁貴>で高句麗は「渤遼」という正体不明の国として登場する。‘渤海’と‘遼東’の前の文字を
取って作ったことで見当がつくこの国は、中国はもちろん東アジアの歴史で存在したことがない。当
時、高句麗の宝蔵王は「渤建王」で、淵蓋蘇文は「鉄世文」として出ており、これまた実存しない名
前だ。李世民を含む唐の主要人物が実名で出演していることとは本当に対照的だ。

なおかつこのドラマは歴史的事実とへだたった虚構的装置でいっぱいだ。薛仁貴と李世民の縁が悪夢
で始めるのが代表的だ。(中略)
701世界@名無史さん:2007/03/20(火) 23:57:23 0
あるネチズンは「中国が韓国の機嫌を伺うために、高句麗征服の歴史を避けた」「中国は馬鹿」と難
詰した。他のネチズンはここに「韓国は中国の威風を殺すのに、中国は自ら威風を殺している」とレ
スをつけた。一部、中国人たちは中国がいわゆる東北工程を通じて高句麗史を中国史に編入させよう
としたが、韓国の手酷い反発にあうと‘高句麗忌避症’にかかったと自嘲する。

しかし、このドラマに中国の高句麗観がまったくないわけではない。渤建王が唐の冊封を受けたり、
昭陽公主に贈り物送ったという場面は、高句麗が中国の地方政権だったという東北工程の歴史認識を
思い出させる。
(後略)

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=028&article_id=0000191659

関連スレ:
【中韓】 中国歴史教科書問題「古朝鮮=野蛮、三国=新羅・百済・伽耶、任那日本府説」[03/20]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1174397695/
702世界@名無史さん:2007/04/07(土) 08:34:21 0
高句麗とか高麗って朝鮮?
703世界@名無史さん:2007/04/07(土) 22:20:44 0
高麗は朝鮮史で問題ないけど
高句麗は中国史というより満州史

人によって違うんじゃないかな?
俺は統一新羅以前は朝鮮半島北部は満州史に入ると思っているから。
704世界@名無史さん:2007/04/22(日) 02:27:38 0
時代の離れた同名の「後渤海国」、何かいい呼び分け方はないだろうか。
「後渤海(復興)」、「後渤海(再興)」と表示してある本もあるが心許ない・・・
705世界@名無史さん:2007/04/24(火) 03:09:39 0
>>702,>>703
満洲と朝鮮が今の形で分かれているというのも現時点における
結果だしなあ。支石墓なんぞも遼寧から北九州沿岸までずるずる
分布してるし、新羅とて初期には積石木槨墳やら白樺製馬具やら
北から影響を受けたっぽいモノがあるし。
満洲史朝鮮史といっても境界が定まるまでけっこう時間を食った
もんだ。
706世界@名無史さん:2007/05/06(日) 17:05:12 0
今の境界線に落ち着いたのは李朝に入ってからだろうか。
咸鏡道が一番新しい朝鮮領になるのかな。
707世界@名無史さん:2007/05/06(日) 19:53:38 0
>>704
ウィキペディアでその呼び名で分けて整理したの俺だけど
中間の歴史が不明なだけで実は繋がってる同一王朝である可能性もなくはない。

>>706
咸鏡道が編入されたのは李朝ができた時だったと思う。
708世界@名無史さん:2007/07/01(日) 15:19:45 0
過疎だのう・・・
時代が違うが、徽宗が金に囚われて晩年を過ごした五国城の古井戸が
観光名所になっているそうな・・・

死を前にして壁に記したと伝えられる七言絶句を最後に紹介しよう。

徹夜西風撼破扉
蕭條孤館一燈微
家山回首三千里
目断天南無雁飛

死を前に壁に記したとされる七言絶句。哀しいのう。
709世界@名無史さん:2007/07/01(日) 15:38:45 0
徽宗は自業自得なので、仕方ない。欽宗の方がよほど哀しい人生。
710世界@名無史さん:2007/07/01(日) 16:44:52 0
>>439
何そのゲーム?
嘘だろ?
711世界@名無史さん:2007/08/18(土) 14:25:09 0
モッハイ
712世界@名無史さん:2007/09/24(月) 08:15:19 0
こっくりさん来襲
713世界@名無史さん:2007/10/19(金) 10:06:51 0
しかし、満州族というものが成立する以前の事を「満州史」といっていいものか
疑問が涌く。靺鞨も満州族としてもいいのかもしれないが。
714世界@名無史さん:2007/10/19(金) 17:18:53 0
>>713
日本が成立する前の日本列島上の歴史も日本史。
だから満洲という土地の歴史も満洲史でいいんじゃね? 難しく考えるな。
715世界@名無史さん:2007/10/20(土) 00:57:06 0
日本と朝鮮は残ったが高句麗と蝦夷は滅んだ。
716世界@名無史さん:2007/10/20(土) 14:39:05 0
>>704
建国者の名前で分ければ?
717世界@名無史さん:2007/10/26(金) 18:55:44 0
約二百年間もの長期に渡って続いた日本渤海間の使節往来ですが、
なぜ、大武芸王は日本に使節を派遣したのでしょうか?

その第一の目的は、「軍事同盟」−現代風に言えば、「日渤安保」の締結でした。
ではなぜ、渤海が「日渤安保」を必要したか?それは渤海の歴史については、
今なお多くの謎が残っているのですが、とりわけ建国史となると、更に多くの
謎が残っています。ただ、これだけは言える事ですが、渤海建国の直接的要因
の一つが、満州の大国・高句麗(こうくり)の滅亡にあったことだけは確かです。

高句麗と言うと、朝鮮人の王朝と言うイメージがありますが、実際の所は、
満州族−後の金・清を建てたツングース系北方民族が主体でした。

高句麗は百済を滅ぼし強大化した新羅(しらぎ)と、東アジアの「盟主」唐の挟撃
にあい、668年滅亡しました。高句麗の遺民は、武装蜂起し国を再建しないように、
各地に分散させられましたが、696年、モンゴル系契丹人・李尽忠、ツングース系
靺鞨人・乞四比羽らと共に、高句麗王族・乞々仲象も唐に対して反旗を翻しました。
そして、この乞々仲象が建国したのが、「大震国」−後の渤海国だったのです。

つまり、渤海は、その建国からして、大国・唐、更に朝鮮半島を統一した新羅と、
敵対関係にあったのです。
718世界@名無史さん:2007/10/26(金) 19:01:12 0
このような、島国と半島国家の同盟関係は、欧州でも例がある。
たとえば、英国は、仏独の狭間のベルギーやオランダといった
小国の独立を徹底的に支援し、大陸のパワーバランスを図った。
問題は、北朝鮮の独立が日本の安全保障に直接関わってくるとしても、
無条件の支援や国交回復に踏み切ってもいいのかという点だ。

思うに、このような局面でこそ、「地政学の名言」を噛み締める必要がある。
つまり、北朝鮮の存続が安全保障上必要だとしても、過度の支援や思い
入れは不要であり、あくまで、「防波堤」の役割を果たすに十分な支援に
とどめるべきなのだ。

【地政学名言集】
一、隣接する国は互いに敵対する。
二、敵の敵は戦術的な味方である。
三、敵対していても、平和な関係を作ることはできる。
四、国際関係は、善悪でなく損得で考える。
五、国際関係は利用できるか、利用されていないかで考える。
六、優れた陸軍大国が、同時に海軍大国を兼ねることはできない。その逆も然り。
七、国際政治を損得で見る。善悪を持ちこまない。
八、外国を利用できるか考える。
九、日本が利用されているのではないか疑う。
十、目的は自国の生存と発展だけ。
十一、手段は選ばない。
十二、損得だけを考える。道義は擬装である。
十三、国際関係を2国間だけでなく,多国間的に考える。
十四、油断しない。
十五、友好,理解を真に受けない。
十六、徹底的に人が悪い考えに立つ。
十七、科学技術の発達を考慮する。

 「国家に真の友人はいない」  −キッシンジャー
 「隣国を援助する国は滅びる」 −マキャべリ
719世界@名無史さん:2007/10/26(金) 19:04:41 0
同じような、地政学上のパワーバランスが大きく崩れ、大陸のランドパワーが
南下した際、日本は二度までも半島に兵を進めた。古代の白村江であり、
近代の日韓併合だ。そのどちらも、破滅的な敗北を招き、その後、奈良平安
時代や昭和後期といった、比較的平和で安定した時代をもたらしたことでも
わかるように、半島への過度の介入は危険であり、鬼門なのだ。

その点を十分に理解した上で、いかにして、北朝鮮をかっての高句麗や
渤海や満州と同じような、「対ランドパワー防波堤」とすべきかを国家戦略上
の重要課題とすべきなのだ。お人よしでナイーブで謀略に向かない日本人は、
本質的にこのような戦略は不得手であろう。だから、半島の救援要請に簡単
に反応する。その結果、常に、罠にはめられるのだ。

日韓併合の推進者のように思われている伊藤博文は実は併合反対であった
のはまさに、慧眼であるといえる。私は韓国併合は日本の歴史で最大の
戦略上の失敗だと思っている。それは基本的に朝鮮人は「漢民族」が好き
なのだ。シナ民族こそが世界の中心であり、朝鮮が2番目の国であると
信じて疑わない。日本は「倭」という野蛮国である。この日本の子分になる
ことはプライドが許さない。

国が滅ぼうとも、自分たちの一族が隆盛でさえあればいい。国家も国民の
概念も持ちあわさない利己主義の人たちに、いかに日本が尽くそうとも感謝
の気持ちは生まれない。それどころか、恩を恨みに変えて平気な人種である。
隣国でも全く違う民族だということを明治政府は見抜く必要があった。
台湾統治が成功したために、朝鮮も上手く行くと思い込んでしまった。

東北工程により、北朝鮮と共に中国の領土に組み込まれていくのが目に
見えるようだ。どうなろうと、日本人は、今度こそ「人情」を発揮してはならない。
単に、防波堤として「利用」すべきであり、その非情さこそが、戦国時代と
化した国際社会で生きていく知恵だからだ。

善意を発揮した明治政府や大和朝廷は反面教師だ。
福田政権で日本は日朝国交回復に舵を切るだろう。危険極まりない。
720世界@名無史さん:2007/11/08(木) 18:41:51 0
渤海とチョン皇家は同族なんでしょ。
721世界@名無史さん:2007/11/09(金) 00:47:18 0
渤海国の歴史は今
ロシアの教科書が教えているんだよね
結構詳しく書かれていて驚いた
722世界@名無史さん:2007/11/09(金) 06:42:38 0
沿海州の教科書、だね。
723世界@名無史さん:2008/02/03(日) 13:43:13 0
渤海国の石碑の件はあれからどうなったんだろ。忘れられたかな
とりあえずage
724世界@名無史さん:2008/03/17(月) 02:11:12 0
高句麗スレも落ちて久しいのに
その分こっちが盛り上がることもないのか…
725梵阿弥:2008/04/17(木) 17:57:52 0
日本で800年余りの長きに使われた唐の「宣命暦」は渤海使がもたらした。
高麗では約400年使われた
726世界@名無史さん:2008/04/17(木) 23:13:33 0
>>719
半島が鬼門なのは日本だけじゃないよ。
ロシアや中国アメリカ、半島とかかわった国はすべて手を焼いている。
かといって地政学的にかかわらないわけにはいかない。
かかわったものは皆不幸になるのが朝鮮半島。
日本は金輪際半島とはかかわらないことだ。
あのロシア(ソ連)や中国さえ手を焼いているということを肝に銘じなければならない。
727世界@名無史さん:2008/04/27(日) 09:38:45 O
渤海=ヨン・ホゲの子孫の国
728世界@名無史さん:2008/05/01(木) 04:55:41 0
ヨン・ホゲって誰?
729世界@名無史さん:2008/06/28(土) 22:56:52 0
恵美押勝の新羅侵攻計画の際、渤海は共同戦線に乗り気だったんでしょうか?
730世界@名無史さん:2008/06/29(日) 15:36:40 0
>>729
消極的。
もう文王治世だし対新羅関係は改善されていないものの
東洋の秩序を破壊してまで乗る必要がない。
確かこのときの渤海の遣日本使は文官だったはず。
731世界@名無史さん:2008/08/13(水) 23:08:17 0
高句麗語って現在世界に同系統のものが無い独特なものだっただけに
無くなったのは残念。でも血統は残っているだろうか。
たとえば李成桂とか女真族の血を引いてるとか言われてるが高句麗・渤海の
末裔かも試練。
732世界@名無史さん:2008/08/15(金) 13:47:28 0
滅亡時に大虐殺があったとか無人地帯になるまで追放したとか
そんな話は特に無いから旧高句麗領に住んでる人の多くは
血ぐらいひいてるじゃない?
733世界@名無史さん:2008/08/19(火) 17:53:44 0
何言ってんだよ。
遼が徙民しまくったわけだが。
734世界@名無史さん:2008/08/22(金) 00:04:43 O
すみませんがニワカです。
高麗と高句麗って国が違うのですか?時代が違うだけですか?
735世界@名無史さん:2008/08/22(金) 07:21:09 0
渤海使て漂流みたいな感じで若狭までやってきてたんだろ?
たどり着けずにどっかいっちゃった連中とかも結構いるんじゃないの?
あと海流に逆らうことになる帰りはどうやって帰ったんですか?
736世界@名無史さん:2008/08/23(土) 17:07:48 0
日本が渤海使を送ったこともあったんだから
漕いで帰ったんだろ。
737世界@名無史さん:2008/08/24(日) 11:21:38 O
普通に交易してなかったっけ?
738世界@名無史さん:2008/08/25(月) 20:31:08 0
>>735
上田雄『渤海国の謎』によると
渤海の遣日本使は冬の季節風にのって来て夏の季節風で帰った。
もちろん海だから遭難はよくあった(初の渤海使は秋田に漂着して大使死亡)。
ちなみに船が大破した場合は日本が建造を負担、船なしの使節もあったとか。
200年で遣使34回、送使15回だから前期はまだともかく後期は本当にただの
国家間交易だな、毛皮と繊維製品の交換。
739世界@名無史さん:2008/09/24(水) 21:13:45 0
大祚栄 韓流ドラマでやるみたいね。
740世界@名無史さん:2008/09/27(土) 08:04:48 0
741世界@名無史さん:2008/09/27(土) 08:07:14 0
742世界@名無史さん:2008/09/27(土) 09:03:23 0
最後の王は遼に殺されたの?

743世界@名無史さん:2008/09/27(土) 15:26:43 0
>>734
あと、高句麗・高麗についてはこちらも↓
高麗 (曖昧さ回避)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
918-1392の高麗は統一新羅の北部に興ったのでかつての
北の大国高麗(高句麗B.C.37頃-668)にちなんだ名を名乗ったわけです。

>>742
哀王 大インセンは926に契丹に投降しましたが没年不詳ということで分からない。
それからも100年近くにわたって王族や貴族による後継政権が故地で
活動を続けたのですが。
744743:2008/10/01(水) 00:49:28 0
ちなみに>>351によると「哀王」は資料の読み間違いとのことー。
745世界@名無史さん:2008/10/18(土) 00:12:46 0
【韓国】ロシア沿海州中部まで渤海の勢力下だった…高句麗の伝統を色濃く継承していたことを改めて立証[10/17]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1224252677/
746世界@名無史さん:2008/10/24(金) 02:55:02 0
え?
もともと沿海州の南半分くらい渤海の領内じゃなかったっけ?
747世界@名無史さん:2008/10/24(金) 22:06:07 0
大規模な遺跡が出たことで沿海州中部へは支配は及んでなかった、
名目的支配だったといった意見に対し反論出来ると言うことかね。
748746:2008/10/31(金) 07:29:20 0
「名目的支配だったという意見」そのものが、
遺跡が出るの出ないのにかかわらず「なんだかなー」って気がする。
そもそも何を根拠に「名目的」というのか、
実際そんな学者いたのかどうかもあるけど。
749世界@名無史さん:2008/11/15(土) 03:42:01 0
北方領土は日本の名目的領土
750世界@名無史さん:2008/11/16(日) 21:27:20 0
↑たとえになってないよw
751世界@名無史さん:2008/11/22(土) 17:50:52 0
名目的支配=勝手に属国よばわりされていたが、渤海をうざがっていた「靺鞨」の居住地。
752世界@名無史さん:2008/11/22(土) 17:52:41 0
>>728
大逆人ヨン=ゲソムンの先祖のつもりだろう。
753世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:40:24 0
>>751
靺鞨こそは旧高句麗系と並ぶ渤海の2柱、新唐書においては
靺鞨こそが渤海の中心とある。
渤海と対立し、大仁秀の時に一時渤海勢力下に落ちた黒水靺鞨
は沿海州というよりアムール沿岸。
754世界@名無史さん:2008/11/23(日) 21:14:39 0
旧高句麗系が中央地方の役人をすべて独占していたので靺鞨系が離反して滅んだのではなかった?
黒水靺鞨=女真。
755世界@名無史さん:2008/11/29(土) 02:56:19 0
>>754
思いつきで作り話ししてない?
渤海国滅亡の頃は高句麗系と靺鞨系の混血がすすんで
(もしくは混血が進まないまでも同族意識が形成されて)
高句麗人でも靺鞨人でもない「渤海人」になってたんじゃないの?
それに渤海国が滅亡したのは契丹が侵攻してきたからであって
靺鞨系が離反したから、なんて話じゃないでしょう。
756世界@名無史さん:2008/12/02(火) 01:21:24 0
契丹って一握りの少数民族だった
757世界@名無史さん:2008/12/08(月) 20:47:45 0
一握りの契丹人に率いられた契丹国軍の侵攻。

これなら満足か?
758世界@名無史さん:2008/12/10(水) 11:09:37 0
『旧唐書』と『新唐書』では渤海のルーツに関する記述が大きく異なり、旧唐書では、渤海靺鞨大祚栄は本来高句麗の別種(渤海靺鞨大祚榮者 本高麗別種也「渤海靺鞨の大祚榮、本は高麗の別種なり」)であり、
風俗は高句麗、契丹と同じ(風俗與高麗及契丹同「風俗、高麗契丹と同じうす」)として高句麗から派生した種族として位置付けているが、『新唐書』では、渤海は本来粟末靺鞨であり高句麗に付いていた者で、
姓は大氏である
(渤海 本粟末靺鞨附高麗者 姓大氏「渤海、それ粟末靺鞨にして高麗に附く者たり。姓は大氏」)とし、高句麗との種族的関係を曖昧にしている。

渤海の名は本来、遼東半島と山東半島の内側にあり黄河が注ぎ込む湾状の海域のことである。初代国王大祚栄が、渤海沿岸で現在の河北省南部にあたる渤海郡の名目上の王(渤海郡王)に封ぜられたことから、
本来の渤海からやや離れたこの国の国号となった。

759世界@名無史さん:2008/12/10(水) 11:10:58 0
東北地方はもともと人口希薄?
760世界@名無史さん:2008/12/10(水) 11:32:30 0
761世界@名無史さん:2008/12/10(水) 15:07:43 0
クラスキノ(Краскино)はロシア連邦沿海地方ハサン地区にある町(都市型集落)。北朝鮮国境に近いポシェト湾岸に位置する。
2002年国勢調査による人口は3451人。
地区の行政中心スラヴャンカより52km離れる。
この地域には渤海時代の塩州城に比定されているクラスキノ土城の他、多くのクルガン(古墳)が古代の面影を今に伝える。
762世界@名無史さん:2008/12/10(水) 21:25:07 0
>>758
そんなことこのスレじゃ常識だろ。何がいいたいんだよ?
763世界@名無史さん:2008/12/15(月) 13:32:18 0
塩州から日本に出港してたの?
764世界@名無史さん:2008/12/15(月) 13:35:06 0
沿海州地方南部のツングース系先住民=野人女真は、ロシアに併呑される前に、
既に清朝入関のときに根こそぎ動員されたので無人地帯だったみたい。ごくわずか残った先住民も清朝末期海鼠や砂金を採りに来た漢族に追い出されたのだろう。
765世界@名無史さん:2008/12/15(月) 13:36:31 0
サハリンのアイヌ人も、東北の満州人も居なくなったので、東北アジアの歴史は詳しいことがほとんどなにもわからなくなった。
766世界@名無史さん:2008/12/18(木) 20:20:36 0
「詳しい」っつっても度合いはいろいろなレベルがあるが…
767世界@名無史さん:2008/12/20(土) 19:29:16 0
遼の時代を生き延びた渤海人は金の時代には、貴族として扱われた
わけだが。
768世界@名無史さん:2008/12/21(日) 21:16:05 0
ヨンさまの太王四神記とか見てたら、倭はアウト・オブ・眼中だな。
769世界@名無史さん:2008/12/22(月) 16:03:51 0
え、見たことはないんだが広開土王が主人公なんじゃないの?
てっきり野蛮な倭人を広開土王が大虐殺して韓国人が溜飲を下げるドラマなんだと思ってた。
770世界@名無史さん:2008/12/29(月) 23:01:26 0
>>765
東北アジア史は現在日本・朝鮮・中国・ロシア国境に跨って
考古学的アプローチは弱いけど文献資料は比較的恵まれているような。
そりゃあ文明国からの一方的な見かたになるけど、複数の文明国と長く
交流があったのは大きいなあ。

渤海に関しては中国だけでなく日本でも史料が残っているのが
あれを「謎の国」にしてしまわなかったことだな。
771世界@名無史さん:2009/02/06(金) 11:58:47 0
テジヨン(大祚栄)おもしろい?
772世界@名無史さん:2009/02/10(火) 21:37:10 0
ていうか韓国、朝鮮の一般の人は
高句麗や渤海が自分たちのルーツの一つだと本当に信じてるのか?
出雲族はユダヤ系並みとはいわないけど、
越の国から逃げてきた人たちが越前〜越後の北陸地方に住み着いたぐらいには
証拠不十分と電波の狭間だと思うんだけど。。。
773世界@名無史さん:2009/02/10(火) 22:33:44 0
ていうか高句麗や渤海が朝鮮や満洲や華北の一部のルーツと
なっていないのなら国家の滅亡とともに住民も消滅するという
異常事態になってしまう。
774世界@名無史さん:2009/02/11(水) 00:17:55 0
>>772-773
そうじゃない、そうじゃない。そういう話じゃないのよ。

満洲族にも中国人(漢族)にも朝鮮人にも、
高句麗や渤海の血はそれぞれ入り込んでる。
ここまでは当たり前の話。

日本人にも、中国や朝鮮からの帰化人の血は入りこんでる。
でも日本では中国や朝鮮の古代史を
「日本の歴史」「日本民族の歴史」として
教えたりはしないでしょ?
「ルーツの一部になってる」なんてのはそりゃそうだろうが
そんな話をしてるんではない。
そんな話なら、中国と韓国が高句麗の歴史をとりあって
争ったりする意味ないでしょ。
「高句麗の後継者としてどちらが正統か」という話なんだよ。
775世界@名無史さん:2009/02/11(水) 11:34:23 0
>>774
満州国を作るときに日本と渤海の朝貢関係を強調してた事はあった。
中露朝が高句麗渤海をあーだこーだ言ってるのはそれ(歴史の利用)の二番煎じ。
776世界@名無史さん:2009/02/11(水) 13:03:57 0
どうしてこう何時も史学のカテゴリーに
「政治に興味ある」っぽい連中がしゃしゃり出てくるかな。
777世界@名無史さん:2009/02/11(水) 15:09:59 0
そりゃ、歴史ほど政治的に使えるネタの宝庫はないからな。
778世界@名無史さん:2009/02/11(水) 18:42:50 0
まーなんだ、今現在の政治状況を説明したり正当化したりするために
これこれこういう経緯があったんだよって説明したのが歴史の起源の
ような気がしないでもない。
779774:2009/02/14(土) 06:10:45 0
>>776-777
中国や韓国が一般人に向けて「あくまで政治上の議論です」と
親切に解説してくれるわけではない。
あくまで「歴史学的な真実」という前提で
政治的に歪曲した説を流布させる。
そのことに注意を喚起しようと思っただけ。
780新羅人:2009/02/14(土) 15:17:53 0
渤海の末裔も高句麗の末裔も韓国に居るのだ
781馬鹿か:2009/02/14(土) 17:17:28 0
島国が大陸に口だすな、日本はアイヌと琉球民族の物だ
文化などお前達にな無い
782世界@名無史さん:2009/02/14(土) 22:14:17 0
火山の大噴火で滅んだ説はどうなったのだろう?
一時すごい有力だったよね
783世界@名無史さん:2009/02/17(火) 01:23:20 0
>>780-781
見事な朝鮮クオリティーw ありがとうございましたw
(日本人のなりすましかも知れんけど)

>>782
長白山が噴火したのは渤海滅亡の後だから関係ない。
ただ、定安国やらなんやらの継承国家の興亡には関係してるみたい。
784う〜ん:2009/03/08(日) 09:42:54 0
ルーツって言っても元々は人類の母親は35人から、今の人口になっている
その中で環境によって、顔の輪郭や鼻の高さ、体系なども変わって来たのに
日本でも大陸と陸続き時には一度滅びでいる説もある、ルーツって考える必要
が無いのでは?文化の継承と考えるべきではないかと思うけど
785世界@名無史さん:2009/03/08(日) 13:31:55 0
ただし継承される文化の中に「ルーツという幻想」が
がっちり書き込まれている。
786世界@名無史さん:2009/03/20(金) 00:23:57 0
むしろ今の朝鮮民族は粟末靺鞨と女真族の子孫。

長白山の噴火によって、高麗の人口は激減し、
滅亡後の渤海人の亡命者を大量に受け入れた。
新羅-高麗民族(朝鮮半島の先住民族)は女真族の李朝による
仏教迫害によって、死滅・国外逃亡した。

787世界@名無史さん
>>786
適当すぎるまとめ方だな
靺鞨と女真じゃ民族もちがし時代も違う

長白山の爆発の被害なら
半島の高麗よりも満州の渤海人の方が酷いはず。
よって、半島の人口減を渤海人で埋めるなんて現象はありえない。
それは「高麗王朝こそ渤海国の継承政権ニダ」という朝鮮人の妄想。

あと李朝の初期に女真族の血が入りこんだのは事実だけど
分量や度合いは、それほど大きくないんじゃないか?
いくら多くても四分の一までいくことはないよ。