1 :
人間七七四年:
隆元と元春の死後、実質的に毛利家の総指揮官として政務と外交を
司っていた小早川隆景と、上杉家の執政だった直江兼続。
共に秀吉からその才能を絶賛されたわけだが、どちらが本当に
優れてたか語り合おう。
2 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 13:13:20 ID:4AiNR0yW
戦歴では隆景が上だと思う
3 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 14:53:26 ID:0Us6zhYs
腰抜けvsアホ
4 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 16:40:05 ID:4AiNR0yW
隆景って温厚なイメージあるけど実はものすごい鉄拳制裁で
輝元を教育したんでしょ?
5 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 17:33:42 ID:jKmKubUM
年季が違いすぎるだろ
兼続も名将だけど隆景のが長い間戦ってきたんだから経験者である隆景を尊重するべき
6 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 22:03:07 ID:0rEu49ll
7 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 22:47:52 ID:4AiNR0yW
>>6 い、あまりの厳しさに逆にそれがトラウマになっちゃったって説もあるよww
それぐらい凄いスパルタ教育だったみたいだ。
押入れに閉じ込めたり、布団たたきで尻をぶん殴ったりして
輝元は何度も家出を慣行してるぐらいww
その度に隆景に連れ戻されて殴られてたみたいだ・・・・
8 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 23:02:14 ID:FLQQy2K9
隆景、兼続、氏郷、吉継、景綱
文武両道タイプの武将だな
9 :
人間七七四年:2010/01/27(水) 23:30:14 ID:Sjjt59B6
いわゆる天下の三陪臣は、巨大な発言権で主家の内政外交を主導した人物
たちで、片倉とかではちょっと比較対象にならないんだよな。
>>7 元就もだけど、後継ぎを委縮させてしまってるよな、毛利家は
10 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 00:19:44 ID:+BWGI6B9
秀秋が小早川家の養子になった時、輝元は愚痴をこぼしてんだよね・・・。
「叔父上は自分には熾烈な鉄拳制裁をしていたのに、金吾には全く
手を出さないじゃないか・・・」みたいなさwww
そりゃ、秀秋は一応秀吉の養子だったから遠慮したんだろうけどさ。
輝元ちょっとかわいそうだなwww
11 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 01:54:46 ID:tBilcYAT
輝元に兄弟がいれば少しは違ってたかもな
12 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 06:51:43 ID:+z2vJtXX
隆元が早死にしたから仕方ない
隆元が生きてればもっと毛利は多方面に動けたかもね
13 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 07:36:09 ID:dQX6TfXw
李舜臣にぬっころされた隆景ごときでスレ立てんなよ
14 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 07:40:45 ID:+z2vJtXX
そりゃ直接ぶつかったわけじゃないだろ
兵站を断たれたら負けるのは古来からの必定
15 :
仙台藩百姓:2010/01/28(木) 09:50:17 ID:ebAOMtWb
専横して主家を売った奸臣達だおね( ^ω^)
しかも有能であったというより主君が壮絶馬鹿殿だったから扱い易かっただけなのを勘違いし
主家を売った代償に臣下でありながら大名格にしてもらい
お山の大将気取って舞い上がってたらアッサリ失墜
身の程知らずとはこう言う連中の為にあるような言葉だお( ^ω^)
16 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 11:06:28 ID:+z2vJtXX
すげえ解釈www
いつ何時主家を売ったのか教えてくれ
天下を望むなという元就の遺言に従って秀吉を天下人にし毛利を豊臣政権の中で中国の覇者として確立した隆景を馬鹿にするなよ
兼続はどうでもいいけど
というか貶めるような言い方をしなくてもいいじゃないか
どんな人物にも尊敬できるとこもあれば批判するとこだってあるんだから
17 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 12:08:30 ID:tBilcYAT
穂井田元清「景さまにお伝えせねば…」
18 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 14:31:39 ID:+BWGI6B9
隆景は知略の面ばかりがクローズアップされるが
軍事面でも抜群の武勇を発揮してるんだよな。
厳島の戦いから始まって、小早川水軍の大将として
実質的に毛利水軍を率いて織田水軍を一度は破ってるし
秀吉に臣従後も四国征伐、九州征伐で抜群の武功を挙げてる。
朝鮮出兵でも老体を押して出兵しヘキテイカンの戦いで立花宗茂らと
力を合わせて敵を破って日本軍の撤退に貢献してる。
隆景は知略面ではとにかく「先見の明」と言うのがずば抜けてたみたいで
黒田如水も認めてたぐらい。
特に秀吉の毛利家のっとりの野望を見抜いて、小早川家を犠牲にして
無能な秀秋を養子にして盾にしたのは本当に未来を見てきたのかと言いたく
なる位の見事な阻止だわ。
秀秋なんかが毛利家の当主になったら本当に終わってただろうな・・・・。
19 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 19:46:09 ID:Z9rfV7LK
こりゃいくらなんでも比べ物にならんだろ。
隆景何年間戦場を経験してるんだよ。
46年だぞ。
しかもそのほとんどが直江と違って中将クラスの地位でずっと戦い続けてこれといった失敗が無い。
もがみんにボロ負けして死のうとして主家を4分の一にした無能と一緒にしたら隆景怒るよ。
隆景が尼子、大内、大友と戦ってる時まだ赤ん坊だった若造が比べ物になるわけねーだろ
20 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 22:57:03 ID:5bLRt3Ph
>>19 >隆景が尼子、大内、大友と戦ってる時まだ赤ん坊だった若造
そういう議論なの?ここは。先に生まれたもん勝ちになるのか。
長谷堂の戦いにしても誤解してるようだが。
たしかに時代が違うし、一門かどうかも違うので当然役割も違って
比較は難しいだろうけど。
21 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 23:08:07 ID:+BWGI6B9
どう考えても隆景のほうが上です。
隆景は典型的な百戦錬磨の武将。
22 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 23:10:13 ID:+BWGI6B9
兼続が異様に人気があるのは「花の慶次」と大河ドラマの
影響が大きいだろうな。
23 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 23:18:18 ID:+z2vJtXX
>>20 踏んだ場数でしょう
隆景は毛利を拡大する為に元就亡き後も大小の差はあれど多くの戦を経験し領土を広げている
逆に兼続は大して領土は広げてないし戦の数も明らかに隆景と比べれば少ない
戦をする分だけ謀り事も多かっただろうし経験だけで言えば隆景のが上
どちらが何で上かなんて神様でも無い限りわかりゃしないけど
人を測るには実績と経験だし実績も経験な豊富な隆景のが兼続より優れてるんじゃないかと
24 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 23:20:11 ID:cA8YKFfD
秀吉の評はこれに鍋島直茂が入ってるんじゃなかった?
つか、隆景と直江よりも隆景と直茂、直茂と直江の方が比較しやすいような
25 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 23:23:25 ID:hM+ocgaV
吉川元春の足を引っ張り続けて
織田や羽柴に主家を売りまくった腰抜けなんてw
挙げ句に肝心な時に死去とかアホすぎ
26 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 23:33:51 ID:+z2vJtXX
>>25 売った?隆景在世時は結果的に元就の遺言通り天下が治まった中で中国の覇者としての地位を獲得したけど?
死期にまで文句付けるとか頭大丈夫?閻魔大王に文句言って来たらいいんじゃない?
27 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 00:14:59 ID:/ofE9di6
隆景って詩歌などの文才も無さそうだし
政治の舞台たる茶道も大したこと無さそう。
朝鮮で宗茂にしばしば助けられたくせに、その宗茂の武功を奪っただけの男だな。
はっきり言って何でも毛利に言うことにきかせる為の連絡役として奴隷みたいに秀吉から便利に使役されただけの存在。
厳島だって村上水軍のおかげだし、隆景なんて武功ないじゃん。
28 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 00:35:25 ID:aVuDJ+Op
25=27?
29 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 00:51:03 ID:PyQDZtAT
上杉も毛利も秀吉に臣従したけど二人が「主家を売った」ってのは違うぞ。
自力による天下統一がとくになければ、巨大な統一権力をバックに領国内の
支配権確立を目指すのがこの時期の大名。
それを第一と考えれば、一門や国人の力を押さえつけた上杉のほうが毛利より
成功している。
小早川と直江より、小早川と鍋島のほうが比較しやすいと思うけどな。時代も
近いし、一門として主家を後見したという意味では。
30 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 00:55:29 ID:ghxH13qC
最終的に一番うまいことやったのは鍋島だよな
31 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 01:02:50 ID:ghxH13qC
勇気の足りない小早川、知恵の足りない直江、大気の足りない鍋島
32 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 01:36:36 ID:9WW3h9kb
ビビリ小早川 あっぽ直江 ダメ鍋島
33 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 01:36:59 ID:6ynW6AYr
34 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 01:38:16 ID:6ynW6AYr
>>32 ちょww
あっぽってなんだよwwあっぽってwww
35 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 06:53:16 ID:rjT5+Qpz
バカが騒いでるみたいだけどまともな意見だけ見ると結局隆景の勝ちでいいのか?
スレ終わり
36 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 10:22:28 ID:BF/a7ybc
>>31 それは天下人として不足してるものだな。ビビりとかアホだという意味じゃない。
ちなみに「葉隠」では自分とこの藩祖の鍋島が入ってるけど、あとのは「堀直政」
37 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 10:49:30 ID:AirLPMGo
元就の三男なのでそもそも優遇されていただけに本人に目立った武功なし
輝元の教育係としては五流以下
それどころか輝元をフルボッコにしたり拉致監禁するなど
愛のない義理の父が教育の名の下で折檻して殺してしまったレベルの拷問。
ゆえに輝元が小物になってしまった。
杉元宣の妻(10歳くらいの幼女に一目ぼれし12歳の時に彼女を部下に命じて拉致)を輝元が奪った時も
隆景は輝元を隠居させ秀元を当主にしようと強要し他の重臣の大反対でなんとかなったが
1週間も監禁され脅迫されていた。毛利秀就、毛利就隆の母
輝元は隆景の傀儡とも言われている。しかも隆景は主家を売り、自ら五大老に就任し主家に並ぶ愚行。
大老になった隆景は男色の秀秋を毛利本家の養子の話を蹴って、自分の養子にしたが
毛利勝永を毛利の養子にと言う話には「ぜひお願いします。あんなヘタレの輝なんてすぐ隠居させます」と大喜び。
結局、輝もさすがに叔父を憎み、秀元に譲ると主張し毛利家を分裂の危機にするが、
毛利の圧力で毛利勝永が身に余る申し出と断ったので助かった。
38 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 11:05:24 ID:B03sDK/7
何そのソースアンサイクロ
39 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 11:54:52 ID:rjT5+Qpz
隆景を武勲なしと言ってる時点でアホツラで釣り針垂らしてるな
隆景を貶めることでしか兼続に勝たせる要素がないのか?
40 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:00:37 ID:/ofE9di6
当主の息子ってだけの男と
上杉家臣団から実力でのし上がってNo.2になった文武両道の兼続じゃ最初から勝ちは見えてるだろ。
41 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:09:51 ID:rjT5+Qpz
その当主がまだ小さい勢力だったのを一緒に奮闘して領土拡大していった隆景と
大して領土を広げてない兼続
まあ兼続も長谷堂撤退の時の奮闘ぶりは後世で賞賛されてるし
いろいろな内政の実績もあるから甲乙つけ難いといえばつけ難い
ただ戦場を潜り抜けた数は隆景のが多いから戦なら隆景じゃ
茶道とか蹴鞠とか剣術ならわからんけどw
42 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:10:57 ID:tFqbU5Gn
隆景(と元春)の凄まじさは、吹けば飛ぶような国人領主の次男三男として生まれ、
養育され、成人したのに親父の60過ぎての大飛躍に足手まといどころか充分以上に
役に立ちその死後も大きくなった毛利家にとって柱石であり続けたこと
この時代に限ったことではないけど一代限りの超人ならけっこういるし、四男元清以降は
中国の覇者の家の子として(もとになるかはともかくとして)養育され成人した
43 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:11:48 ID:gRPdc5o7
時の天下人に喧嘩を売った豪胆な兼続と、まだ天下人にもなっていない人にしっぽを振った小心な隆景
その結果さえ気にしなければ兼続>>隆景
44 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:18:38 ID:rjT5+Qpz
>>43 その(二人がそれぞれ生きてた時の)結果が中国覇者となれた毛利と30万石になれた上杉か
その小心な(慎重な)隆景が生きてたら毛利は30万石になんかならなかったろうよ
45 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:18:54 ID:/ofE9di6
だからはっきり隆景の武功だとわかる実例あげろよ。
すごいすごい根拠も書かずに喚くな猿が。
46 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 13:10:12 ID:rjT5+Qpz
WIKIにさえ載ってる厳島の戦いや月山富田城攻め滅ぼしたり第一次木津川口の戦いを知らないわけじゃないだろ?
他にも大友や伊予への出兵でかなりの戦を活躍してる
まずは自分で調べとけ 調べもせずにケチだけつけるんじゃない
47 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 13:11:14 ID:BBIZgy0G
恵俊彰vs妻夫木聡なら
48 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 13:13:36 ID:/ofE9di6
49 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 13:56:25 ID:rjT5+Qpz
水軍を率いて水上封鎖や織田の水軍沈めたり瀬戸内の制海権を獲得したり色々やったよ
他にも四国九州朝鮮にも出兵、軍立場の数は多い
50 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 13:59:57 ID:AirLPMGo
部下の功績は主君の息子たる俺の功績と言うジャイアン思想が毛利厨
村上水軍の活躍で勝利した第一次木津川口の戦いは隆景の功だけど
第二次木津川口の戦いの歴史的大大敗は隆景は関係なしと平気で言う低脳だから
相手にすんな。
51 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 14:05:16 ID:rjT5+Qpz
いや第二次も隆景はいたし大敗してんじゃないの?
52 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 14:06:49 ID:/ofE9di6
織田に大敗した第二次木津川口の敗戦は、織田に買収された村上水軍が非協力的だったからね。
そもそも厳島でも村上水軍のおかげで勝っただけだし
大友の周防への大内再興軍上陸作戦も、大友に買収された村上水軍の協力で成功。
毛利って村上水軍に依存しまくってただけだし。
対秀吉戦線なんて後退に続く後退じゃねぇか。
53 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 14:39:30 ID:rjT5+Qpz
いやだから何?
隆景はこんな無能なんだ!だから兼続のが強いんだ!って言いたいの?
それなら隆景叩くより兼続をageるような事言った方が良いよ
悪い事だけ言ってもこんにゃく問答で終わるのがオチだし
54 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 14:49:16 ID:/ofE9di6
散々兼続の中傷をしまくっていた前科を棚に挙げて
早くも毛利厨の火病発症きましたw
さすが期待通り。
55 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 15:22:35 ID:rjT5+Qpz
いや
>>41で普通に兼続を誉めてるんだけど
戦の経験が隆景のが隆景のが長いから隆景のが上じゃないかってだけで
というかただの兼続が好きでもないアンチか
相手にした俺がアホだったよ
56 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 15:27:24 ID:KnTyM+pj
wikipediaをさらっと確認してきた俺の感想
政略 隆景>兼続
合戦 隆景>兼続
領国経営
兼続>隆景
57 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 16:37:09 ID:/ofE9di6
>>55 どこが誉めてんだアホが。
大乱での大縮小した上杉の建て直しと越後の再統一事業から金山大開発と日本海貿易やらで実質上杉200万石以上で謙信時代を超えたとまで言われた上杉の宰相としての力量で一挙に毛利の版図に追いついているわけだが。
しかも謙信時代は自立性が高かった国人級の人達を政権官僚化に成功。
お先真っ暗の破綻企業を超優良企業に建て直したようなもん。
しかも景勝はほとんど兼続に丸投げ状態で、景勝は兼続がいないと困るとまで言ってるほど。
隆景時代は小早川の拡大と自立に熱心なだけで、
毛利は改革らしい改革もせず最後まで寄親寄子なままで、
関ヶ原でも両川体制の弊害から家臣団の方針対立で一つにまとまらず、
足を引っ張りまくり上杉や宇喜多や石田らに迷惑かけただろ。
秀吉などにも毛利は行動が遅いと激怒されたりしてるし。
隆景が関ヶ原敗戦の禍根を残して死んだんじゃねえか。
58 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 16:49:51 ID:KnTyM+pj
それはそれでどこまで兼続が絡んでんのやらって話だわな。
特に謙信時代。
59 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 16:59:44 ID:/ofE9di6
謙信時代なんてドコにも書いてないわけだが。
60 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 17:09:38 ID:6ynW6AYr
まぁまぁ・・・関ヶ原で減封された者同士、仲良くしようよ^^
61 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 17:28:36 ID:KnTyM+pj
>>59 ああごめん。
内政については兼続が上なのは認める
62 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 17:56:25 ID:QDKiMFHY
うわー。
とうとう上杉厨200万石まで行ったなんて言いはじめちゃったよwww
便利ですね金山、港があるとw
いくつまで増やす気?w
しかも秀吉からもらった領国なのに何いばってんの?
本能寺で詰んでたくせによ。
本能寺の時点で石高いくつだったんだよ。
魚津城は陥落寸前、信濃方面からも織田軍侵攻。
本能寺が起きなかったら武田より早く瞬殺されてたな。もったとして2ヶ月の雑魚のくせによぉw
おい。兼続は対織田戦で何かやったのかよ。
63 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 18:25:20 ID:/ofE9di6
あぁ?金山開発収入の何が悪いんだ?
氏郷亡き、後がまとして力量を認められて奥羽鎮護の大役としての評価され加増転封だし、
佐渡や庄内なども秀吉との外交政治力で奪われずに転封後も引き続いて保持してる。
本能寺が無ければ、毛利だって遅かれ早かれ滅亡だよアホか。
64 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 18:45:10 ID:QDKiMFHY
>>63 残念、俺毛利厨じゃないからw
毛利厨だと思った?www
200万石もあったくせに10分の一の最上に負けたのかよw
ダセーなコイツw
ショボい。ショボすぎるよぉ。
で、家康に速攻土下座www
65 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 19:06:46 ID:tVn5v5Qh
なんで毛利厨はこんな必死なの?
66 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 19:14:48 ID:yvS0uT3U
67 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 19:20:26 ID:rjT5+Qpz
>>57 そりゃ兼続の内政手腕は誰がしも認めるとこだろ
関ヶ原後立て直したのも兼続だし内政にかけちゃ兼続>隆景は明白
スレタイでVSと言ってるから戦に関しての事だと思ったのだが?
なら場数踏んでる隆景が勝つと思って隆景を推してるんだが
68 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 19:41:05 ID:Qg593YQ6
毛利厨と上杉厨が捏造しまくりと聞いて
プッ、どっちも伊達政宗公と比べればチンカス以下なのにw
69 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 19:58:58 ID:hluyFA7f
クイズ??
ここまでのレスの中でSubさんのレスはいくつあったでしょうか?
70 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 20:30:33 ID:kIg7BX0o
68はガチだ
71 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 21:07:33 ID:yOtm9ViR
>>67 >>1を読めば戦に関してという話ではないことは分かると思う。
小早川の場数はたしかに多い。直江は慶長出羽合戦で戦下手と言われる
けど、実際は長谷堂包囲しながら山形城に圧力をかけて降伏させるのが
狙いで、一次史料からは上杉方が力攻めした様子もない。その間に最上
や伊達には上方の東軍優勢の情報が入り、活発化した反抗を不審に思っ
た直江が独自の判断で撤退したというのが最新の研究によるもの。
72 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 21:22:05 ID:tVn5v5Qh
そもそも戦の場数踏んでるから強いと言ったって
仙石みたいな前線将校上がりの奴も場数という意味では多いよ
でも、一軍の総大将やったら大敗というケースもあり
一概に場数だけでは強いという評価には結びつかないわな。
小早川の戦の場数自体、ほとんどが親父や兄の下での経験なんだし
大将として軍を引き連れての戦いなら回数も直江とそう大差ないだろ
73 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 22:53:48 ID:jjApwE3z
>>72 は?大将としての実績も抜群で無敗だろ
それに隆景の性格や能力を悪く言った人物は一人もいなかった
74 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 23:23:28 ID:rjT5+Qpz
無敗ではないな
道雪に負けたり第二次木津川で負けてる
まあ勝率7割以上みたいだけど
75 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 23:25:45 ID:6ynW6AYr
隆景は毛利水軍の指揮を執っていたわけだが?
村上水軍は隆景の指揮下で動いてたわけだし
76 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 23:27:15 ID:6ynW6AYr
>>74 無敗は確か元春でしょ。
70数回戦って無敗だったらしいから。
77 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 23:45:25 ID:QDKiMFHY
兼続の実績となると何があるんだい?
200万石なのに20万石の最上すら倒せなかったぐらいですからさぞ凄いんでしょう?
なんか無いの?
野戦で自軍と同等かそれより上の軍破ったとかさ。
城攻めは下手糞だよねこの人w
まぁ政治能力だけは認めてあげるよ。うん。
軍事はからっきし駄目だけどw
78 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:01:11 ID:3++yjRO8
隆景は同時代人からの評価がめちゃ高いからな
武人嫌いの藤原惺窩も誉めてたくらいだし
戦歴も尼子やら山陽方面やら伊予やら北九州やら転戦しまくってるし
豊臣政権下ですら四国→九州→小田原→朝鮮とハードワーク
この人領国経営するヒマ無かったんじゃねーの?
79 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:04:05 ID:P+4oKJQO
>>78 あの黒田官兵衛が認めてたぐらいだからな。
兼続?
官兵衛から見たら子供だろうw
80 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:22:43 ID:qNAXWP/n
フロイスは、「日本史」の中で「小早川殿は日本では、その名を知られ、
類稀なる才能によって非常に尊敬される人物である。
その知識と努力により毛利家の領する九カ国を良く治めており、
この国で長い間、戦乱も謀反もなく数カ国を治めることは珍しいことである。」
と隆景に対する賛辞を惜しんでいない。
81 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:23:00 ID:zXRNF8VK
>>75 それは後になってからだな。
厳島の戦い当時なんて村上水軍は毛利家ですらなく、河野家配下の援軍なのに
後になって小早川の支配下になったからといって
村上水軍の実績全部、小早川の武功みたいに錯覚しない方がいいよ
82 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:30:23 ID:qNAXWP/n
小早川隆景は毛利元就の三男である。
父・元就は堪忍の上にも堪忍を重ね、類稀な計略・調略の才により、
西国の覇者となった武将であり、その実力は謙信・信玄にも匹敵するといえるだろう。
元就には9人の男子がいたが、その資質を最も色濃く受け継いだのが
隆景であるといわれている。
小早川隆景と聞いて連想されるのは、「三本の矢の教訓」や関ヶ原で
東軍勝利の決定的要因を作った秀秋の養父ということで隆景本人を語るものは
以外に少ない印象がある。
隆景は長兄・隆元が急死した後、次兄・吉川元春とともに毛利の両川として
毛利家を支え、元春が九州の陣中で没すると、隆景一人で隆元の遺児である
当主・輝元を良く補佐し、終生その姿勢を変える事がなかった。
信長の下で毛利と対決してきた秀吉は敵であった隆景の人物・実力を
非常に高く評価していた。
秀吉政権下では、隆景が後に五大老といわれた重臣として遇されたということは
意外と知られていない。
たとえば、文禄4(1595)年の掟書では塗輿の使用が許されるのは、
武将では徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、小早川隆景のみである。
また、この頃、秀吉は東国の法度・置目・公事は家康に、西国は輝元、隆景に
申し付けたとされている。
これほど秀吉に親任された隆景であったが、秀吉に先立ち亡くなったため
後世に印象が薄くなったのであろうか。
秀吉が隆景を厚遇した理由は、本能寺の変の際、秀吉の中国大返しを
追撃しないということで毛利を統一したことが挙げられる。
高松城下で講和した時、毛利方は本能寺の変を知らなかったとされるが、
果たしてどうであったか。おそらくは、雑賀衆などから情報は
入っていただろうと思われる。(また、一説には秀吉が毛利側にありのまま伝えたとも)
その上で、毛利の行く末を熟慮しての重い決断だったのだろう。
隆景がいなければ、もしかしたら毛利はなかったかもしれない。
毛利がなかったとしたら、関ケ原はどうなっていただろう。
幕末の動乱はどうなっただろうと思いを巡らすのは、飛躍しすぎだろうか。
話は戻るが、秀吉政権下に組み込まれた毛利は雑賀攻め、長宗我部攻め、
島津攻めなど西国平定に大いに働き、隆景は若い輝元を立て、実質的には
毛利の総指揮官として働いている。
秀吉は、再三にわたり、隆景を独立した大名として扱おうとするが
隆景は固辞し続けたといわれる。しかし、ついには九州平定の功により
筑前・筑後二郡・肥後二郡を与えられることになる。
九州に居城を得たことにより、隆景は朝鮮の役にも高齢を押して出陣する。
朝鮮での戦況は、はじめこそ秀吉軍の優勢であったが戦線が伸びすぎた事、
食料の欠乏、朝鮮民衆の蜂起により形勢は逆転し、戦いの続行が不可能な状態に陥った。
一説によると、この時、石田三成は徹底抗戦を主張し、隆景がこれに
反対するという形で諸将の意見を求め、撤退することに決したという。
もちろん、これは三成と隆景の腹芸であったのだろう。
撤退を主張した隆景は、碧蹄館の戦いで二万の朝鮮軍を引き受けて、
これを破り、やっと秀吉軍は撤退することができた。
83 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:37:19 ID:qNAXWP/n
隆景の逸話
EPISODE1
ある時、黒田如水が隆景に質問した。
「私は勘によって物事を判断するため、間違いを起こすことがある。
私に比べ、小早川殿の判断には狂いはない。何か秘訣があるのでしょうか。」
隆景はこれに答えて
「おっしゃるほどのことではありません。私は黒田殿ほど鋭くありません。
物事を考えに考え抜いたあげく結論を出すしかありません。
黒田殿は頭が良いため、素早く決断なさる。
そのために情報に誤りがあった場合に判断が狂われることがあるのでしょう。」
EPISODE2
隆景は、家臣に対して次のように諭したという。
「私に意見されて、直ちに請合う者は、その意見を保つ者は稀である。
私の意見を良く聞き、自分で考え、合点がいかないことは一問答も二問答もしてみて、
もっともと合点をした者こそ意見を用いる者である。
皆にもそうなって欲しい。」
EPISODE3
右筆に火急の用件を書かせる時に
「急用である。静かに書け。」と諭したという。
EPISODE4
如水の子である長政も「分別」について隆景に教えを乞うた。
「分別に肝要であるのは仁愛です。仁愛により分別すれば万が一、
理に当たらないことがあっても、そう大きな誤りにはならない。
逆に才智が巧みでも仁愛のない分別は正しいとは言えないでしょう。」
と答えたという。
EPISODE5
隆景の人生観を語る言葉として次のような深い言葉が残されている。
「一生は夢の間なれば」
84 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:47:40 ID:P+4oKJQO
85 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:52:00 ID:qNAXWP/n
>>84 だから撤退させるための腹芸だったって書いてるだろ
86 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 00:54:48 ID:P+4oKJQO
>>85 こりゃスマン。
俺の誤解力がたりんかったな。
87 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 02:30:13 ID:eNn6OMD9
三成が一時撤退して待ち伏せる戦術を進言して、籠城を叫ぶ小早川と
意見が対立したんじゃなかったか?腹芸とか初耳だけど
88 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 03:36:09 ID:3++yjRO8
んで、直江タソの話は?
89 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 03:38:12 ID:IaTkOrJF
>>87 そもそも野戦自体が小早川がビビって先鋒を引き受けず
宗茂に押し付けた。宗茂が将の討ち死にの犠牲を払いつつ明を撃破し勢いを作ると、
宇喜多軍が支援を開始。
するとそれを知った隆景は「宇喜多のかつての主家はわしら毛利だから、メンツにかけて宇喜多に武功を譲れない。宗茂は道をあけろ邪魔だ」と威張り散らす。
宗茂配下が「我々が明を撃破したのに、なんて武功を譲らなきゃならない」と激怒するも宗茂は「まぁそんなくだらないことで争うこともあるまい」と軍を一旦休ませていると
小早川軍は明に圧されまくり破綻寸前に、抜群の戦術眼と突進力を持つ宗茂が「頃合い良し」と再突入して明を再度撃破。
秀吉が輝元を蔑ろにし、隆景を散々に利用し毛利を隷属させ自分の天下取りの便利な駒として扱ってた為に、秀吉が過大評価してるだけ。
隆景の武功もその大半が村上水軍であり、隆景が直接村上水軍を指揮してたわけでなく
村上諸家に依頼して出陣してもらう組織上の名目的上役でしかなく、しかも村上水軍が織田や大友にしばしば買収され小早川水軍が大敗し、船舶輸送路が断ち切られ毛利全軍の敗走を演出している。
対秀吉戦線での小早川は妥協と後退と籠城城主見殺ししかやってない。
秀吉の威光と豊臣動員数20万と号する四国九州遠征では即決即行の人黒田如水が全体指揮をしている。
九州で一足早く立花救援を命じられた先陣の毛利の進軍は遅く豊前上陸後、
苦戦続きで、宗茂が島津相手に籠城する筑前にすら全く入れず秀長本隊待ちで越年しているダメダメ具合。
90 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 05:02:17 ID:7g1Bvh6z
下っ端宗茂は黙って大将いう事聞いてりゃいいんだよ
格下の一指揮官にすぎん宗茂の話などどうでもいい
91 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 05:34:05 ID:zXRNF8VK
ということは戦績のほとんどが、
その一指揮官にすぎん隆景なんかどうでもいいということだな
言っとくけど、隆景が総大将を務めた戦なんか数えるくらいしかないから
92 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 07:00:27 ID:mHKyc/Uk
隆景がすごいのはわかった
兼続が200万石にしたっていうのは本当?それなら引けをとらなさそうだけど
93 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 08:13:29 ID:P+4oKJQO
>兼続が200万石にしたっていうのは本当?それなら引けをとらなさそうだけど
でもそれ秀吉から貰った領地。
兼続の功績にしちゃうのはどうかと。
ほんとに200万石あるわけないし。
そんなにあったら6万動員できたのに2万5千しか動かしてない。
70万石の今川でさえ守りの兵抜いても2万5千動員したのに。
94 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 08:21:40 ID:qNAXWP/n
隆景の名言
「急用である、静かに書け。」
兼続の名言
「わしは、このようなとこへは来とうは無かった!」
よって隆景の勝ちww
95 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 09:12:32 ID:UIoYOc1y
>>92 おかしな奴が言った二百万石にこだわる必要ないよ。
直江の際立ってるのは内政の手腕より統一政権の出頭人(三成、本多)
となぜかものすごく親密になること。
受け継いだ与板衆に越後外の連中を組み入れて肥大化させ、絶対
安定与党をつくる。その中で国人の自立性や一門の発言権を否定
して、景勝の絶対君主権を確立させるという、強引で偏ってるのに
それを当たり前のことにさせていく調整能力だと思う。
96 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 10:30:36 ID:IaTkOrJF
宇喜多の支援もあり尼子再興軍が大暴れし元就死去時の毛利は崩壊寸前。
隆景は元就葬儀へ。元春は備中松山を奪回したりと各地を転戦して尼子を撃破し危機を乗り越える。
そもそも備中が揺らいだ原因も、
毛利に尽くしてきた三村氏を切り捨てです宇喜多を選んだ隆景が原因で毛利瓦解寸前になり元春により奪回された。
元春は「宇喜多がいま巧いことを言ってきたとしても、三村の忠孝には変えられない」と言ったのに
隆景が「三村を切り捨てるのもやむを得ない。宇喜多から人質もらえばいいだろが!南方は俺に決めさせろや」
元春「あぁ裏表ある宇喜多を取り、毛利への忠武ある三村を捨てるようじゃ毛利も長くないわ」
宇喜多は織田に組みして毛利に牙を向き一気に備前岡山西部まで秀吉が侵攻。
隆景って元春の足を引っ張ってきただけなのに
秀吉による九州征伐の時に隆景「いまの毛利があるのは俺のおかげだ!秀吉公は吉川も出陣しなきゃ潰す言ってんだよ早よ出陣しろや」
元春「はっ?なに言ってんだこの基地害…秀吉に無理強いされて九州に出陣してきたが、わしの命も長くない」→死亡。
隆景「兄も兄の嫡子も一緒に死んじゃった吉川オワタwww小早川は毛利から自立するからよろしく」
こんな弟は最悪過ぎだろ。
97 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 10:35:36 ID:IaTkOrJF
逸話は史実ではないのに
アホみたいに書く毛利厨キモい。
隆景なんて毛利得意の捏造マンセー逸話だけで中身からだから。
98 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 10:45:37 ID:4JzVQaQ8
ドミーのおっさん、キモイってw
99 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 11:44:59 ID:fzzQDVSN
4時前にsageもせずに長文書いて10時半にもまた長文
キメーよwww
100 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 12:08:00 ID:mHKyc/Uk
>>95 成る程、ありがとう
どっちも名将みたいだけど諸将から絶賛されてる隆景のが凄いのかなぁ?
大して歴史知識のない奴の意見なのでお気にせず
101 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 12:57:20 ID:vs+wTkyJ
>>74 立花城攻防戦で小早川左翼に猛攻をかけた道雪に崩されて毛利敗北したね。
>>100 絶賛も何もほとんどが後世の逸話創作であって一次史料にない。
102 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 13:03:05 ID:vs+wTkyJ
播磨での上月城攻防でも、信長に上月城放棄に指令を受けた秀吉をさらに追撃して、三木城救援しようとする元春の意見を却下したのが隆景。
このヘタレぶりは致命的。
本能寺でもそのヘタレぶりを発揮し元春もあきれていた。
103 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 13:08:52 ID:gBvk1v5E
>>100 能力云々は置いても小早川は大大名だから、陪臣の直江とは知名度は比較にならないと思う。
一応毛利の支藩みたいな形だけど、いわゆる大老になったりしてるから秀吉の
信頼は相当厚かったんだろう。大老の中でも初期は徳川と毛利・小早川体制だった
のが、小早川が死ぬと徳川と前田の二頭体制になってることもその傍証。
直江もどうしてかは分からないけど、陪臣なのに全国に名が知られていたらしい。
島津の家臣の日記に「(景勝の上洛に)もちろん尚井(当て字)山城も御供」「景勝より
直江のほうが馬廻が多いらしい。所詮は餓鬼の噂話だろうけど」って書かれてるくるくらい
だから。関ヶ原後だから直江状のせいかもしれんが。
104 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 13:21:33 ID:vs+wTkyJ
そもそも神指城は大坂城、広島城につづいて新城の許可をもらった巨城であり
西を毛利、東を上杉をもって鎮護する計画で、佐竹も動員しての築城だった。
これを家康は自分の敵視政策だと危機感を抱き、神指城築城阻止に動いて謀反の疑いをかけている。
105 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 14:27:35 ID:mHKyc/Uk
>>101 創作だったとは
よく大した身代もなく五大老に入れましたね(五大老も創作?らしいけど)
黒田が誉めたとか親友だったとかいうのも創作?
106 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 15:27:29 ID:P+4oKJQO
107 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 15:31:27 ID:qLBRD1ca
>>105 黒田の話は知らないけど、創作じゃないとして秀吉が誉めたのは
直江も同じだし、藤原せいかは小早川の「君子」に対して、直江は
「奸雄」と評してるけど、直江を「天下が3つあれば2つをとる」
と言ってるから腹黒いうんぬんはともかく能力は直江が高く評価され
ているように見える。「奸雄」に関しては、秀吉嫌いのフジモンが、
豊臣家の立て直すべきという考えを相談された時の感想であることを
差し引いて考えないといけない。フジモンの言う戦の中で文学の心を
忘れない武将にも二人ともあげられている。
108 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 16:35:19 ID:RSmDjSPr
軍事面に関しちゃ経験実績共に隆景のが間違いなく上だろう、兼続は戦経験自体それほど多くないし
隆景の経験実績を上回るような軍功はない
外交面は隆景は三村を切り宇喜多の裏切りを見抜けなかったのはマイナス
その後の豊臣政権では秀吉との関係は良好であり
毛利本家への秀秋養子縁組を防ぐなどが功績か
兼続は豊臣政権下では良かったが、関ヶ原の原因となる上杉征伐をまねく
いわゆる直江状で徳川を挑発するも関ヶ原で西軍が敗北すると
徳川に降伏、上杉家の大減封の責任の一端がある
その後の徳川の治世下では本多正信の息子を婿養子にするなどし
そのつながりで10万石分の役儀が免除されるなど功績をあげる
内政面 隆景さん戦ばかりの一生なのであまり大きい功績はないのかな
ちょっと見つかりませんでしたが「治世撫民の跡深くして、愛和をもっぱらとする仁将」と
江戸時代に評されたそうです
兼続は米沢藩の藩政の基礎を築き表高30 万石に対して内高51万石と言われるまで発展させる
109 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 16:48:10 ID:vs+wTkyJ
>>108 だから隆景の軍功をちゃんと具体的に書けよ。
さっぱり隆景の軍事的な能力がわからねぇよ。
毛利厨が自演で理由なく軍事面すごいすごいって
執拗に繰り返しマンセーしまくるのマジでキモいから早く軍事的な才覚とやらを
具体的に羅列しろよ。
110 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 17:27:05 ID:qNAXWP/n
>>109 分かったからとにかく落ち着けお前はwww
111 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 20:55:07 ID:zXRNF8VK
落ち着けも何も
ここで1人自演してる毛利厨以外の奴は全員落ち着いてるから
隆景の具体的な戦功をいい加減に挙げてマンセーしろと言ってんだろ
俺もずっと早く言えよ。って思ってんだよ
だから言えよ
112 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 21:15:20 ID:3++yjRO8
>>109 初陣で備後神戸城の支城を小早川隊単独で制圧
厳島の戦いにおいて村上ら水軍を調略 本戦においても軍功
周防長戸侵攻戦にて軍功
尼子勝久の蜂起鎮圧に出陣 布部山の合戦に勝利
伊予に出兵 大洲城攻略 宇都宮豊綱降伏
備前にて浦上宗景撃退
北九州攻防戦 一進一退の戦いが続くも大内氏遺臣蜂起等により撤兵
第一、二次木津川口の戦い 第一次勝利第二次敗北
四国征伐にて河野氏を降伏
九州征伐従軍
小田原従軍
文禄の役にて碧帝館の戦いに勝利
適当に羅列してみた
113 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 21:31:38 ID:IaTkOrJF
田原親貫の反乱で若林鎮興の大友水軍が国東半島を封鎖した時に、
毛利水軍が田原救援に行って大友水軍に大敗して逃げ帰ったのも隆景の無能さの現れだろう。
これ以後、制海権を失った毛利は二度と大友領に侵入できなくなった。
114 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 21:32:06 ID:DjUQUIE4
俺も少し調べた
小早川隆景
参加した勝ち戦
折敷畑の合戦、厳島の戦い、白鹿城の戦い、第二次月山富田城の戦い、門司城の戦い、伊予大洲城攻め、布部山の合戦、上月城の戦い
根来雑賀一揆征伐、四国・九州・小田原征伐、碧蹄館の戦い、第二次晋州城攻め
負け戦
多々良浜の戦い、辛川合戦
直江兼続
参加した勝ち戦
御館の乱、八幡表の合戦、五十公野城攻め、新発田城攻め、小田原征伐、畑谷城攻め、鴫野の戦い
負け戦
放生橋の合戦、長谷堂城の戦い
たぶん勝ち負け共にもっとあるしもしかしたら参加してない戦も入れてしまったかもしれない
あと木津川口の戦って隆景いたのか?総大将乃美宗勝じゃなかったっけ
いたのなら勝ちに第一次木津川口の戦い、負けに第二次木津川口の戦い追加だが
115 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 21:39:08 ID:IaTkOrJF
>>112>>114 なに自演してんだよ。
しかもお前ぜんぶ元就指揮の戦いじゃねぇか。
隆景が確実に関与した具体例をあげろよナメてんの?
伊予出兵とかザコ相手に圧倒的大軍で攻めて自慢になるの?
九州出兵なんて豊前で苦戦して進軍できず小早川ぜんぜん活躍してねーだろが。
小田原だって兼続らが八王子城攻めに活躍したが小早川なんて、ただ参加しただけだろが…
116 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:16:26 ID:UIoYOc1y
こいつは直江がどうじゃなく、小早川が嫌いなだけな。
117 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:23:37 ID:mHKyc/Uk
まるで大阪の陣の家康のような難癖の付け方
そんな言い方でケチ付ければ隆景じゃなくて兼続も軍功消えるのに
118 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:24:13 ID:IaTkOrJF
むしろアンチ直江の毛利厨が必死に捏造マンセーしてるだけ
アンチ毛利ではない証拠として吉川元春は誉めている。
119 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:33:03 ID:mHKyc/Uk
むしろアンチ小早川の兼続厨が捏造マンセーしてるだけ
アンチ上杉じゃない証拠として上杉景勝は誉めている(キリッ
言い換えるとこうなりますw
ソースは出てないけど兼続200万石認めるから隆景の軍功を否定するソースをお願いします
120 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:40:19 ID:IaTkOrJF
景勝誉めてるトコなんてあったか?
121 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:54:42 ID:flGlNn9V
>>117 話はずれるが、大坂の陣の際は大坂方が鐘に家康の名前を入れたのは
意図的にやったこと。僧侶は豊臣と家康の名前を入れて両者の反映を
鐘に込めたと説明している。常識的には避けるべきいみなの「家康」
を用いているので礼儀に反しており、説明内容もあやしい。
少なくとも難癖というほどではない。
君の相手はしつこさからいって多分subだと思うよ。上杉厨でもなんでもない。
スルー推奨
122 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 22:55:33 ID:qNAXWP/n
・毛利軍の水軍大将
・容姿端麗
・智勇兼備の名将
・毛利家の総指揮官
すげえww
まるで日本の周瑜じゃないか!!
123 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 23:06:13 ID:qNAXWP/n
兼続のファン層には気持ち悪いいわゆる、レキジョとか武女子とか言う
女が支持してるのがイタタタなんだが・・・。
「花の慶次」と「天地人」で余計に増えたんじゃねえ?
124 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 23:20:37 ID:zXRNF8VK
で、結局
落ち着いても全く隆景が総指揮の戦功を挙げられなかったわけかよ・・・
なんだ?ここの毛利厨
知識0かよ
125 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 23:22:53 ID:mHKyc/Uk
>>121 成る程、ありがとう御座います
>>123 慶次は原さんの絵ですしあんまり活躍してないしファンはつきにくいんじゃ
天地人は兼続の功績の殆どを無視してますから役者ファンにはなっても歴史ファンにはならないような・・・(多分
126 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 23:47:27 ID:vs+wTkyJ
自演して頭がおかしい毛利厨
ソースも挙げずに隆景をひたすら褒めまくる池沼
127 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:18:39 ID:ht3OAgjk
>>55 会津時代に海上交易で儲かってたんですか?
良湊を多数抱えていた越後時代ならともかく会津時代でも海上交易で儲けてたんですか?
どのくらいの収入があったのかソースお願いします。
ついでに金山も。
金山ってどれのこと言ってるの?
まさか佐渡?
128 :
127:2010/01/31(日) 00:20:00 ID:ht3OAgjk
129 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:22:29 ID:O8CjD3ZA
庄内や佐渡を持ってるのも知らないとは驚き
つかバカ低脳過ぎる
130 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:25:34 ID:ht3OAgjk
だからどんくらいの収入か聞いてるんだよ。
なんでそれ出さないで200万石なんて言い張るの?
>佐渡
まさかほんとに佐渡って言ってくるとはw
お前ほんと馬鹿だなw
131 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:30:29 ID:76DraFd1
132 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:30:55 ID:ht3OAgjk
>>129 おい佐渡金山発見されたの何年か知ってるか?
1601年だよ。
お前こんなのもしらねーのかよwwwww
超雑魚w
133 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:40:46 ID:JKf90/08
あららSubの挑発乗っちゃったね…。
佐渡の金山開発はもう始まってるよ。謙信の時代にはすでに注目されてる。
上洛の際に比叡山などに金銀を贈っていて、佐渡産であると上杉家
御年譜にある。
というか佐渡で金がとれることは平安時代とかから知られている。
1601年というのは徳川が接収した年だろうけど。
134 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:41:14 ID:ht3OAgjk
今頃
>>129は佐渡金山ググって真っ赤になってるなw
こんなのもしらねーで200万石言ってたのかよwww
135 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:43:22 ID:ht3OAgjk
>>133 見苦しいやっちゃなぁ直江厨は。
素直に負け認めなさい。
兼続でさえ家康に土下座しましたよw
136 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:46:33 ID:76DraFd1
>>132 銀山は景勝時代に既に発見されてなかったっけ??
137 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:50:49 ID:BIVsnSxk
なんかアボーン多いなと思ったら
ID:IaTkOrJFは北条スレ、伊達スレでも暴れてたバカだったw
138 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:51:18 ID:JKf90/08
何もいうまい。
『伏見蔵納目録』
豊臣の金33978両
うち越後11244両
(うち佐渡7955両、出羽庄内978両)
文禄四年正月十七日景勝あて秀吉書状
「越後、佐渡の金山を預け置く。直江山城を代官にして運上するように」
浅野長吉書状
「(朝鮮出兵に金がかかるので)急ぎ金子を掘って上納しろ」
139 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 00:56:22 ID:JKf90/08
修正
うち越後→うち上杉領
てかSubが今度は毛利厨を装ってるの?という気がしてならない
140 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:34:17 ID:AejWSxFR
>>112>>114 なんだこの程度のこと書けばいいの?それ元就・黒田如水・秀吉が指揮してる戦いばっかだし
どこをどう隆景が絡んでるのかもわからないじゃん。
それでいいなら景勝指揮の戦いを羅列して燃料投下してやるかな。
天正12年 4月上旬景勝が家康の調略を牽制すべく信濃出馬。8/2にまた景勝が信濃へ。
8/18上杉軍が葦名の赤谷城の小田切三河守の援助を受ける新発田側を撃破し八幡砦&浦村城を落城させる。
10/6蘆名盛隆が家臣の謀反で死去→葦名家督は蘆名亀王丸に。
10月18歳で政宗家督を相続し大内定綱が政宗に就任祝いで正月まで米沢に(政宗正室田村氏ハンター大内をどう手懐けるか当主の力量の見せ所)
政宗は葦名・岩城と田村の講和を仲介していたが盛隆の死を知り援軍が出せないチャンスを狙い、
葦名騎下の桧原地方の土豪であった穴澤一族が芝居酒宴をする日を狙い卑怯な奇襲で非武装だった無抵抗な穴沢一族皆殺し。
蘆名盛隆・・・葦名への二階堂氏から人質だったが葦名当主になる。妻は伊達晴宗の娘で伊達輝宗の養女(早世した盛氏嫡男葦名盛興の妻)
伊達氏の相馬攻めでは葦名家臣の須江弾正左衛門に鉄砲衆をつけ輝宗に加勢するなど盛氏の政策を引き継ぎ伊達寄り
蘆名亀王丸・・政宗は葦名に嫁いで正室の伯母の力を借りて生後二ヵ月の当主ではなく弟の竺丸の擁立を狙うが見事に失敗。
この亀王丸の死去で再び伊達派との後継争いになり、二階堂に続き佐竹の血で後継することになる。
葦名は10年経たずして3人の当主を失い、急速に求心力を失い家臣の紛争が激化対立し瓦解していく。
天正13年 1月政宗の当主としての行動を見て力量を量っていた大内定綱が帰り離反。
1〜2月佐々が越中の上杉諸城を攻撃。4/13上杉軍が真田氏の上田尼ヶ淵城を攻撃。
5/10政宗は葦名へ奇襲するも騙し討ちされた葦名の怒りを買い関柴の戦いで大敗。
7月景勝が秀吉の佐々討伐で越中出馬。8/27政宗、小手森城の小城で苦戦の腹いせに女子供どころか犬まで撫で切り大虐殺。
8/28上杉の援軍を得て真田昌幸が徳川軍を上田城にて撃破。
8/29佐々成政降伏(織田&柴田&佐々と続いてきた新発田援助新潟湊ルート崩壊)を受けて9/2上杉軍が新発田側の水原城を落城させる。
上杉主従が秀吉と会談。10/8政宗が輝宗を暗殺し二本松攻めを強行。
11/17輝宗の憂慮が当たり人取橋で佐竹・葦名の猛攻。鬼庭良直を討ち取られ追い詰められ二本松城攻め失敗し撤退。
11/20上杉軍により新発田側の新潟城・沼垂落城(新発田側の阿賀野川・信濃川の巨大湿原地帯の要害制圧と水利通商権を奪い取る)
天正14年 5/20上杉主従が上洛し6/14大坂城で秀吉と会見。 7/6に越後着。
11/21日蘆名亀王丸没。
天正15年 佐竹客将の太田三楽斎の説得により金上盛備が盛隆正室・平田・富田ら伊達派を排除し蘆名義広13歳を擁立(政宗の弟の小次郎擁立に再度失敗)
4月秀吉の20万の軍勢を率いた九州征伐が終了。 5/13景勝が新発田側の水原城を落城させ6下旬に春日山へ帰る。
7/23上杉軍が新発田城下へ侵攻。 8月景勝が再度新発田討伐に。
芦名氏は新発田へ援軍と兵糧を送ったが8/29山内村近郊で上杉軍に大破され崩壊し生きて帰れたのが半数もいなかった。
この結果、9/7には加地秀綱が討ち死にし加地城が落城した。さらに葦名は金上盛備が後詰を出して上杉軍と一ノ渡戸でも敗退し、
9/14小田切三河守の赤谷城も落城し小田切三河守が討ち死に。新発田城・五十公野城は完全に孤立10/24五十公野城落城10/25新発田滅亡。
12月関東・奥羽に惣無事令(奥羽・関東の諸将は軍備を緩めて上洛準備し秀吉との外交戦略へ移行)
141 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:35:33 ID:AejWSxFR
天正16年 秀吉が刀狩令を発令。
2/2政宗は惣無事令を無視し大崎家内紛の鎮圧という名目で侵攻し伯父の義光の激怒を買い大崎合戦で大敗(政宗の母義姫が和睦斡旋)
4/20上杉主従上洛し5/8聚楽第で秀吉と会談5/26に天皇より従三位・参議・中将に昇叙され越後中納言と呼ばれる。
7/4政宗が惣無事令を無視し再び南下し郡山合戦で再び佐竹&葦名連合軍に伊東肥前守重信を討ち取られ大敗。
金上盛備・・・政茂の代に葦名氏の執政となって以来、葦名氏の筆頭家臣(富田・平田・佐瀬・松本ら葦名四天皇のさらに上の地位)
政茂の弟政基は越後国の赤谷に城を築いて小田切氏となり両家で通商を支配し越後情勢に影響を与えた。
会津にとって必需品たる越後から塩・海産物などを独占し、会津からの特産物を送り出す通商路を押さえ繁栄した。
金上を本拠として津川城で越後口の固め「御館の乱」では景虎方についた盛氏の命で越後に乱入し安田城を攻略した。
新発田の乱では織田(新潟湊経由)と共に首謀者となり全力で新発田を支え赤谷城は葦名軍兵があふれ、
疲弊するごとに新発田城兵の入れ替えを繰り返していたが赤谷城の救援に失敗。
葦名の外交も一任されていて信長との会見では主家の三浦介就任と自らは従五位下遠江守になっている。また滝川一益との手紙も残っている。
ただ自分の領地から遠い中通りにあまり関心がないために、葦名の援助は越後の新発田に振り向けられてしまい
伊達の南下阻止にかなり非協力的だった(政宗にとっては超ラッキー)
無茶な独裁をして葦名義広を入れたので猪苗代の離反のように会津南部の者を除きまったく従わなくなった。摺上原の戦いで戦死。
この天正6年3月の御館の乱より始まる上杉との9年以上の長きに渡る抗争の疲弊と
葦名大敗北劇によって抜き差しならない程に葦名は弱体化し金上盛備の指導力も低下してしまった。
さらに佐竹から派遣された重臣と葦名重臣との間でも対立が始まり、この時すでに不穏な状況で実質滅亡も同然の分裂状態に陥る。
天正17年(1589)2月に葦名の豊臣大名化により秀吉の命で景勝と芦名義広の和議が成立することになる。和議成立により三成が義広の上洛を促している。
それで弱体化しまくった葦名支援で上杉軍が派遣されると伊達軍はビックリして退却し相馬方面へ。
会津から伊達軍がいなくなったので上杉は退却し、去年末からの
惣無事令違反の本庄の最上の庄内を奪った件の協議に移る。
大宝寺千勝丸が景勝と面会してから上洛する一方で
直江の卓越した外交戦略が成功し、秀吉が最上の訴えを却下し
千勝丸は豊臣姓と従5位下・出羽守に任じられた。
これには義光をショックだったろう。
6/12に上杉軍は佐渡征伐で景勝自ら渡海。6/24に秀吉へ佐渡平定報告書が書かれ
7/16には秀吉から佐渡の仕置の書が送られた。
7月中は佐渡各地に朱印状が出され8/1の直江に佐渡支配が任された。
この上杉という強敵がいない時期を狙い伊達は葦名をコソドロしている。
9/28に秀吉が上杉に佐竹と一緒に伊達攻略の準備する書を出す。
9/29佐渡攻略を祝いの漢倭連句の会を開いた。
10月には秀吉の命により景勝は木戸元斎を目付けとして
八十里越から南会津へ爆進し水窪に砦を建設し横田城を修築すると伊達軍は遁走し
景勝本隊も会津侵略の為に三条までやってきていたが
10/10に秀吉が小田原征伐の準備として100石6人の軍役を命じてきたので会津から撤収することになった。
水久保城の山内氏勝や久川城の河原田盛次の
激しい抵抗を受けまくって実際は、
会津すらロクに統治できなかった政宗w
小田原上洛でも会津南下で大内宿まで南下したものの上杉の影響力に恐れを抱き逃げ帰る。
佐竹の働きかけで須賀川など各地で反乱が相次いで、
白河口からも小田原へ向かえず、
遠回りせざるおえない嫌がらせを受け見事に遅参した政宗w
史実では会津も中通りも満足な支配権を確立できませんでした。
伊達厨はこういうのを隠蔽してるんだよなw
142 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:36:44 ID:AejWSxFR
景勝は新発田より北信濃を優先したからね。
北信濃領有は謙信以来の悲願だったし。
新発田に関しては、豊臣の威光を借りてというより・・・
むしろ秀吉は調停しようとしたからね。
大名統制のための一種の内部干渉ともいえる。
上杉だけに限ったことじゃないけど。
新発田を放置して上洛しに行ったりと新発田を完全に封じ込めてる。
結局、天正15年ようやく新発田討伐命令が出て、同年新発田滅亡。
確かに結局は秀吉政権のお墨付きをもらって、
新発田攻めに専念できたのは事実だけどね。
一次史料によると、天正10年(1582)、信長死後北信濃の制圧に成功した景勝は、
8月に阿賀北に出陣、三条から五十公野に至り、一時は新発田城の掘際まで迫ったが、
本庄や色部の参戦が遅れたり、信濃からの在陣が続いたこともあり、
兵を休めるため、一旦帰陣させることになった。
放生橋で追撃されたのは、そのサイトさんが書いてるように1583年じゃなく、この時のことだよ。
打撃を受けるぐらい苦戦したのは、この時ぐらいじゃなかったか。
翌天正11年は、信濃安定に苦慮しながら、5月に新発田に出陣、
7月に新潟を普請して足掛かりを作ったりした。
8月に新発田方の赤谷城に兵を向けた時に追撃されたことがあったらしいから、
このことと放生橋のことと混乱してるんじゃないかな。
天正12年、13年は信濃や越中の情勢を優先して、景勝は新発田には出陣してない。
天正14年、新潟、沼垂の有力町人たちが、新発田と手を切って、景勝方につくという好条件もあり、
本格的に新発田征伐をと向かってたら、秀吉が新発田攻撃を保留するよう求めてきたんだよ。
それから新発田の反乱は、報奨がうんぬんというより、
領国の支配機構の変化というもっと大きなものが関係してるんじゃないかな。
景勝は国人領主の自立性の強かった謙信時代と違い、
側近たちによる一元的な支配体系を確立しようとした。
その過程で反乱を起こしたのが、新発田。
景勝が独自の支配機構を確立し、権力を把握して行く中で台頭して行ったのが兼続。
秀吉のお墨付きも糞も秀吉が口をださなけりゃ
新発田討伐はもっと早くに済んでるよ。
秀吉は徳川との関係を何とかしたかったから
新発田よりもこっちを優先しろと口挟んできただけ。
事実、「秀吉のお墨付き」とやらは何の役にも立ってない。
新発田を援助する葦名は秀吉のお墨付きが付いたから
新発田から手を引いたというわけでもなく
本庄に追い散らされただけだし。。
143 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:38:50 ID:rIBe9zQh
誤爆?
144 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:38:59 ID:AejWSxFR
運が良かったから町人たちが上杉家についたんじゃなくて、兼続が治水工事をして新発田の水利権を奪う事に成功したからだと思う。
ただ新発田の乱は景虎支援した葦名が裏で糸を引いているので実質的には対葦名10年戦争に打ち勝った(織田柴田軍・越中佐々・信濃徳川・上野北条戦線を優先していながら)のは大きい。
これで死去寸前の葦名盛氏は上杉との和睦を望み上杉による葦名の弱体化政策は伊達と佐竹の拡大を誘発させてしまったが・・・
盛氏死去で須賀川の養子が継ぎ、求心力を失った蘆名相手に惨敗したのが政宗だろ。
前田利家や真田昌幸らとともに、上野・武蔵の北条方諸城を攻略した。
御館にしろ長谷堂にしろ新発田にしろ、基本的に直江は有利な状況のまま戦わずして熟柿が落ちるのを待つタイプだからな。
最上戦では10/3の政宗の書状に「最上弱すぎ」とか「上杉との戦いで最上が弱っているので無念千万」って桑折宗長宛に書かれてるし。
直江も秋山伊賀宛に「畑谷城や梁沢城を落としたほか近隣の城5、6。
さらにこの他30ヶ所が降伏し征服地の手配りを充分に施行しています。
庄内軍は寒河江を接収し在陣中です。この書状書いてる途中に敵の軍事行動がありましたが首200を討ちとったよ」って進軍より占領地行政を優先し時間をかけていると思われる手紙もある。
講談話を抜いて書状だけで判断したら直江は悪い指揮はしてないぜ。
まぁ実際史実だと、畑谷城13日陥落→長谷堂攻撃は15日に包囲攻撃開始。継いで24日攻撃。撤退寸前の29日の三回しか攻撃してないんだよね(最上家伝覚書)
しかも29日は撤退前の牽制攻撃らしく、すでに直江の元に関ヶ原の情報が入っていたかも知れないらしい(政宗は30日に関ヶ原情報を家康の手紙で知る)
どっちにしろ直江は庄内軍が南下するのを待ちながら長谷堂で様子見してたのが実情でしょう。
この24日の戦いってのも、残された史料に拠れば
長谷堂城下に谷口を堰でとめた小さい湖水(篭城用飲料水)があるようなんで
直江が物見を出す→城から阻止するために兵を繰り出す。
物見の兵が応戦を始める→直江が物見がなぜ戦い始めるんだと激怒。
直江は上泉主水に物見を引き上げさせるように命令→上泉が血気に走り暴走し湖端まで到達して暴れまわる。
前田慶次らまでやってきて先陣争い開始。
直江が上泉に夕暮れも近いから早く撤退しろと重ねて命令→さらに暴れて、力尽きて、最上の将と一緒に谷底転落し討ち死に。
しかしこの隙に湖の堰は上杉軍によって破壊されて最上涙目で24日の戦いは終了。
また、商品作物(例えば紅花)を最上川流域や近隣伊達藩まで半米半金という
現代税制にも参考になるような画期的な政策を導入し発展させたことも、一般には知られていないが彼の功績の一つ。
145 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:39:50 ID:AejWSxFR
@日本で最初の図書館(誰でも書物を見れる寺)禅林文庫を造った 。興譲館や各地藩校が出来る実に200年以上も前。
A直江版と呼ばれる日本で最初の印刷本(銅活字)を造った 。全61巻、国宝:禅林文庫に所蔵。
B蛮天連教令後も景勝とキリシタン(信教の自由)を保護。「米沢藩領に切支丹これなく候」との幕府宛書状。定勝期に転換。
C最上川上流で暴れ川で有名な松川に石堤を作り洪水防止。庶民生活の安寧を図り、 表石30万石を約15年で実石高51万石まで引き上げることに成功(米沢は四方を山に囲まれ平地が少なく開墾には不向きだが他藩に先駆け実行)。
紅花、青苧、楮、ウコギ等商品作物栽培を奨励し鉱山開発を行い、家臣召し放たず、藩財政を潤した。半米半金税(半分が米半分は紅花等商品作物で納める:日本初)を敷き商品作物栽培奨励。
例えば紅花は山形藩(河北町)や仙台藩(村田町等)まで普及し、他藩財政を潤した。兼続死後その政策は無視されたが、約200年後に鷹山が兼続政策を自ら実践・政策実行し有名となった。
D朝鮮出兵で、貴重な論語や漢詩等を持ち帰り禅林文庫に収めた(他の武将から「馬の肥しにもなるまいに」と言われ「頭の肥やしに為り申す」と答えたと言う:まさに傾奇者)。
E直江家の婿になり、いとこのお船と結婚(生まれた子供は早死) 側室も持たず、春日山林泉寺には、戦国武将の墓として珍しく、夫婦全く同じ大きさの墓が並ぶ。
F武田から菊姫を景勝の妻を迎えることに成功、武田家血筋も残すことに尽力(六男信清の子孫が今も米沢に在住)。
G伊達家存続に尽力(伊達政宗に小田原早期参陣を促す書状何通か現存(仙台市博物館他)佐竹等への対策で上杉領上野を通過させた)。
H直江状(会津転封まもなく、公共工事等で内政忙しい。謀反など全くないことを説明(上杉家として一戦も辞せずとの考えはあり、謙信の二十三回忌で諸将に対決方針を確認)。
豊臣(家康)衆は、経済発展のための道路建設事業等まで「戦いの準備」ととらえた。上杉ならずとも反論したくなりますわな。
I兼続自ら約500の兵で殿を務めた最上領からの電撃撤退作戦。
撤退路は狐越街道という難所だが成功。その相懸引き作戦は旧日本陸軍「日本戦史」でも取り上げられ撤退戦の手本となった。
敵将最上義光曰く「直江は古今無双の兵(つわもの)なり」と。家康も「聞き及びしより、いや増しの武功の者」と賞賛。
J戦争抑止力としての鉄砲を重視、東北の地で初めて鉄砲製造を行った。約1,000丁と言われる。鉄砲の撃ち方指南書(1604年 鉄砲稽古定)を書いた。
今福・鴫野の戦い。上杉軍約五千で大野治長・後藤又兵衛(負傷)軍2万数千を打ち破り、大阪城に撤退させることに成功。
L数々の漢詩(例:1599年の「春雁、花に背いて帰る」の詩には豊臣からの誘いを断って会津に帰る決心が読み取れる。亀岡文殊堂1602年初詣詩会で奉納した「元日」の短冊には、つつがなく新年を迎えた人々を見て安堵する兼続の姿が浮かぶ)。
M1604年、四季農戒書(養子の本多政重が加賀藩へ行ったため、加賀藩に残っている)商品作物の奨励と仕事を楽しくするための心得等。
N米沢と庄内を繋ぐ「朝日軍道」を引いた(天地人のオープニングに流れた雪山行軍は「朝日軍道」を彷彿とさせる)。
O神指城建設事業←若松城では城下が手狭。小田山からの攻撃に弱い面を見抜き(270年後の戊辰戦争で兼続が懸念が露呈)。平地に城下を大規模(若松の約2倍)にし道路も整備。経済発展を工夫。完成した神指城、見てみたかった。
P上杉の人質となった真田信繁を謙信の景虎に対するが如く、侍従として丁重に扱い、「義」の精神を伝授。第一次上田合戦では上田城防衛のため上杉軍の援軍を入れ、また「軒猿」と呼ばれる忍者を使い、徳川軍を翻弄。
R世襲制限を自ら実践し、直江家の録を返上し断絶させた。
S会津⇒米沢へ、堀立小屋しかなかった小さな城下町へ三万人の上杉軍を無事生活できるよう手配し町割。 その頃から景勝は「御館様」直江は「大旦那」と呼ばれていた。
農村や神社仏閣を積極的に回り、地主や農民の意見を聞いていたという(宮内の熊野大社に直江山城守名が刻まれた寄進の短冊現存、亀岡文殊堂等にもあり)。
21徳川秀忠に藤原惺窩と朱子学を紹介。道徳や愛、義等の政治がいかに大切かを説き、幕府の正教として朱子学を導入することに成功。
藤原惺窩は幕府に入ることを拒否。弟子の林羅山を紹介した。
直江山城守の業績はまだまだ(魚津城や新発田(新潟)開港)等あれど疲れたので止めます。
146 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 01:45:43 ID:rIBe9zQh
スレの流れとずれてるのは大河スレでもあったコピペだからか。
金山の話は?上杉の金の上納額は抜きんでてたけど。
147 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 02:33:03 ID:dn/rx0th
こんなクソ長いコピペ読む気にならんわ
148 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 07:36:37 ID:S9hQJF05
大河で散々悲惨な目にあった兼続
黙祷
149 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 08:47:03 ID:BIVsnSxk
今日のあぼーんID:AejWSxFR
150 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 08:49:53 ID:dn/rx0th
>>148 同意。
歴女に媚びて作った結果があれだよwww
そりゃ確かに上杉家を支えた武将であったのは間違いないんだろうが
主役でしかも一年もかけてドラマにするほどの人物じゃないものな。
特に関ヶ原以降の情けない姿とどうでもいいような晩年を描いても
視聴者としては面白みも何も無い。
「直江状」で格好つけていきがっても結局は失敗した人生だからなwww
地味な内政で開墾しました!とか言っても大河ドラマの主な視聴者である
高年齢層の人は「ふーん」で終わりだろう。
そんな事よりも隆景の様にどのようにして巨大勢力の中で立ち回って
絶大な信頼を得て、主家を守りながら生き延びて行ったのかと言う方が
絶対絵になるのに。
最後の秀秋の養子縁組なんて自家を犠牲にしてでも
主家の血筋を守ったという人間性こそ隆景の終生変わらぬ人間性を
締めくくるのにふさわしいドラマが描けそうだ。
151 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 09:31:33 ID:XA+9+0kG
小早川の軍功挙げろよwと金山なんてねえwというおかしい奴が出てから
つまらなくなった。同一人物が煽ってるのかね。subならよそでよくやる手だ
>>150 ドラマにするなら主家の血筋を〜でいいかもしれないけど、本当は毛利の
養子になるはずだったなんてのは一次史料にあるのかね。それに毛利一族
の家に秀秋が入るのはマイナスなことのように言ってるけど、本当にそう
かな。天地人は面白くなかったけど、直江は敗者になっても立ち直るとこ
ろが真骨頂で、本来は見せ場。あくまで君のような視点に立てばだけど、
小早川も格好つけて養子を引き取ったものの、そいつが毛利衰退の引き金
を引くことは誰もが知ってるので「全然主家守ってねえwww」というお
話になる。
152 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 09:56:24 ID:S9hQJF05
>>150 いやいや 兼続は充分大河の主役になれるぐらい頑張ってるぜ?
関ヶ原で減封した責任を負う為死ぬまで働いて治水とか植木とか色んな工夫をしたのに
移封以前も北信濃に出兵したり内政したり少し調べたらかなりの勲功だよ
ただ天地人だと全く描かれてないし長谷堂もほぼカットされてるから何が凄いのかわかりゃしねえw
隆景を大河でやるならちゃんとした脚本家にやって欲しいもんだ
元就や隆元、元春にマンセーされながら村上水軍背景とか止めてくれ
結局何したのコイツとかいうのは兼続で最後にしてやってほしいわ
兼続も死後こんな風に貶められて哀れなもんだ・・・関ヶ原の責任がまだ尾をひいてるのかとしか思えん
153 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 10:22:13 ID:rk1WD66X
このスレはなんだかんだ言っても隆景で成り立ってるな
154 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 10:42:14 ID:Wwx7zMB4
絶対に、「信長の野望では直江の方が戦闘値が上」って言うのが出てくると思ったけど、まだ居なかったのには驚き。
155 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 11:00:11 ID:PE/08ON1
隆景は対秀吉ではいいところなく一方的にボコられて滅亡寸前だったじゃん
156 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 11:17:58 ID:UEMrWZda
>154
おもわず調べちゃったじゃないか
統率 武勇 知略 政治
小早川隆景 87 71 92 93
直江 兼続 88 65 90 91
@ノブヤボ天道
157 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 11:34:24 ID:Wwx7zMB4
>>156 最近は変わったんだな。
武将風雲録は直江が勝ってる。
てか、小早川低すぎ。
158 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 11:34:39 ID:ht3OAgjk
>>156 兼続の統率と知略が高すぎるな。
政治はそんぐらいでいいと思うけど。
国力10分の1の最上に負け家康にいいように利用された男なのに智謀が高すぎる。
159 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 12:04:45 ID:S9hQJF05
>>158 コーエーは黒い逸話がある程知略を高くする傾向があるw
閻魔への一筆とか近頃の少々誇張された功績とかを含めてるんだろう
160 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 12:39:55 ID:JKf90/08
161 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 12:45:09 ID:O8CjD3ZA
毛利厨の自演大会がただ今行われています。
不利になったので大河ドラマを持ち出して悪口中傷してる低脳ぶりワロタw
隆景が大河ドラマ主役なんて絶対ムリだからw
せいぜい黒田如水主人公で隆景をコキ使うシーンで登場するくらいだな。
隆景は暗黒寺を使いこなせるのは俺だけなんて自信満々に宣言した挙げ句に暗黒寺&秀秋が毛利滅亡寸前にして上杉や石田らに迷惑かけるんだから最低過ぎ。
熟慮した挙げ句に先がまったく読めない盲目武将。
元就や秀吉の尻にくっついてるウンコ武将
162 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 12:47:17 ID:ht3OAgjk
>>160 直江厨が200万石あった言ってる。俺は知らないよ。
163 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 12:47:55 ID:S9hQJF05
SUBが奮闘してるけど通報すればいいのかね?
164 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 14:34:33 ID:JKf90/08
>>162 家康にいいように利用されたというのは何を指すの?
165 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 15:02:57 ID:ht3OAgjk
>>164 アイズ征伐の経緯〜関ヶ原のこと指してるんだけどいちいちこんなのも説明しないとわかんないの?
166 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 15:31:03 ID:dn/rx0th
>>161 隆景は遺言であんこくじの言うことだけは絶対に聞くなってって
ちゃんんと輝元に言い残してるだろうが。
自分がいなくなったら、あんこくじは勝手に動くだろうから。
つまり自分が指示してるから、あんこくじはちゃんと動いてるという
いい証拠だろうが。
現に、関ヶ原であんこくじの的外れな進言で輝元は西軍の大将になってしまっただろ。
167 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 16:38:55 ID:JKf90/08
>>164 なんで利用されたことになるの?
会津を攻める間に予定通り西軍が挙兵してくれて、一網打尽にできた
というシナリオのことかな。
168 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 16:55:14 ID:5n+KGqyX
隆景が安国寺のいうことを信用するなと遺言したとか、
上杉が挑発に乗って家康がほくそ笑んだなんて江戸時代
の創作だろ。二人はむしろ方針が近いはず。
安国寺の進言も的外れではなく、家康を除けば毛利が第一の
実権を握ることになるし、輝元はもともと三成と親密で、蟄居の
際も「泣きたいくらい悲しい」って書状に書いてるくらい。
その話は負けた責任を安国寺に押し付けるためのお話に過ぎないよ。
西軍挙兵に関しては完全に家康が裏をかかれてるし。
169 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 16:59:33 ID:ht3OAgjk
だってこれ直江がむきになって挑発に乗っちゃったから征伐軍編成されちゃったじゃん。
家康は笑いが止まらなかっただろうね。
素直にあやまっとけば土下座して30万石に減らせれることも無かったし
関ヶ原もおきたかどうかもわからん。そのまま120万石でいられたかもしれない。
すべては直江のせい。
加賀征伐回避した前田の方がまだ上。
直江みたいな口先だけのおべっか野朗はいりません。
俺が景勝だったら「ワシはこんな家臣ほしゅうなかった!」って追放するね。
超疫病神。
170 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 17:23:25 ID:JKf90/08
>>169 江戸時代に作り上げられた古い史実しか知らないんだと思うよ。
最近の関ヶ原関係の本を読んだほうがいい。
家康は征伐が決まった段階では喜んだかもしれないが、敵は三成や
大谷ぐらいだと思っていた。直江は連絡を取り合ってたから三成の
挙兵も知っていたし、家康がそれを断片的に察知していることも知って
いるから、小山に来た段階でも家康が本気で会津に攻めてくるとは
思っていない。
直江状は直江個人の意見ではないのは常識だと思うけど、分かった上で
そういう批判をしてるのかな。まさかSub。
171 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 17:30:16 ID:dn/rx0th
直江厨は隆景のことを秀吉の中国大返しの時に追撃を拒否したビビリとか
言ってるけど、景勝こそ関ヶ原の時にせっかく三成と家康を挟撃するチャンスを
分けの分からん「背後から敵を襲うのは義に背く」とか言う理由でミスミス
逃してしまう大アホだと言う事を棚に上げて批判してるなwwww
しかも隆景場合はちゃんと秀吉に貸しに作っておくと言う打算的な権謀術数が
働いており隆景の先を見る目と智謀が見事に的中して、その後は秀吉の絶大な
信頼を得ることに成功してるもんな。
逆に景勝は義だか何だかしらないが、わざわざ三成が挙兵してくれたのに
挟撃のチャンスを逃せば勝ち目が無いってことが分からんかったのか?
つうか、兼続はそのことを景勝にあらかじめ進言してなかったのか?www
主従そろってアホとしか言いようが無いわ・・・・。
その結果が領土の大幅減封だもんなwwww
172 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 17:42:45 ID:IcGLgTfR
葉隠に直茂が隆景を褒める話があったよな
173 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 19:13:05 ID:O8CjD3ZA
ぜんぶ隆景のアホが残した負の遺産たる暗黒寺、秀秋、輝元のせいで関ヶ原大敗→巻き添え喰って上杉大減封なんだけどな。
隆景は教育者としてはパワハラ教師で最悪な生徒が育ったよな。
174 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 19:16:02 ID:izRlxMDh
>>171 別に景勝や直江を弁護するつもりじゃないが、
家康追撃に関しては、最近の関ヶ原の研究者の論文を読み直した方がいいよ。
義のために追撃しなかったと信じてるのは、
天地人のアホスタッフたちどもだけかと思ってがねぇ。
175 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 19:30:44 ID:dn/rx0th
>>173 あほ?ばか?
関ヶ原の原因は景勝のアホがさっさと家康の命令に従って大坂に行かなかっただからだろうがww
おまけに直江の馬鹿が挑発するような手紙を出したからだろ。
毛利こそそのとばっちりを受けて巻き込まれた被害者だバカ
176 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 19:47:41 ID:O8CjD3ZA
常駐きもっ
177 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 20:04:20 ID:S9hQJF05
というかsageろカス二人
178 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 05:02:58 ID:OETdxO6w
鍋島のスレにあったんだが天下の名臣に
葉隠では小早川、直江、鍋島
米沢藩の記録には小早川、直江の名が記録されてるらしい
て事は米沢だから直江を評価するのはわかるとして
小早川の評価は当時は全国区だったんだろうな
米沢藩でさえ認めてる小早川をお前らはなぜ素直に認められない?
そっか、sageも出来ない馬鹿だからしゃーねーかw
179 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 05:39:41 ID:HFv2F43X
名将言行録じゃ直江小早川堀な
ってことは会津あたりじゃ直江小早川片倉にでもなってるんだろうか
いずれ直江小早川+α
まぁ豊臣政権下での「格」という意味で隆景のがポジション上でおk?
180 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 06:57:07 ID:Hprt5DQS
格下だったのに五大老の一角と同列に語られる兼続sugeeeeeeeeeeeeeee
ってsubが言い出しそうな予感
181 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 08:07:52 ID:amvCNBBx
Subは上杉厨じゃなくて小早川を叩くために直江を使ってるだけ。
持ち上げはしないだろ。
sageない毛利厨もSubの自演じゃないのかと思うけど、その割に
「家康が勝つのが決まっていた」関ヶ原を起こした上杉はアホ
と徳川史観に犯されたままの初心者っぽい主張だしよくわからんな。
182 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 08:32:37 ID:3y6aQv2z
で、結局のところ元就や黒田如水や秀吉の関わらない純粋な隆景の軍功の具体的羅列はまだなの?
政武ともに講談逸話ばかり挙げて抽象的曖昧さで、すごいすごい喚いて馬鹿なの?
元春の足を引っ張ってきただけなんじゃないの?
秀吉に買収されて元春の常に逆の消極的反対意見ばかり吐いて、毛利を親秀吉ズブズブの関係にして関ヶ原大敗へのレールを敷いただけの話で
主家を蔑ろにして家臣の分際で五大老に就任して、毛利より小早川家の隆盛の為に秀秋を養子に迎えただけじゃないの?
183 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 09:11:17 ID:HFv2F43X
>>元就や黒田如水や秀吉の関わらない純粋な
それでいくと徳川家臣団の軍功はゼロになるな
184 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 09:16:36 ID:zxS94iYl
イタタタタ・・・・wwww
また来ちゃったよこのバカwww
↓
>>182
185 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 09:46:45 ID:3y6aQv2z
中国にやってきた織田軍
元春「隆景!なんでお前は俺に反対ばっかすんだよカス」
隆景「勘違いすんな!俺は羽柴の配下であって毛利の客将だ」
如水「秀吉どの、私の意のままに動く駒を見つけましたぞ」
秀吉「宇喜多も味方になったし楽勝だなムフフ」
186 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 09:53:35 ID:Nd0d0MSX
隆景をうまく手なずけたから黒田は秀吉に恐れられたのか…
これでいよいよあたなの天下ですな ムフフ…
(ノブの高転びもすべてこいつの計画通りだというのか…俺もこのままではこいつにやられる!?by秀吉)
187 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 10:04:43 ID:3y6aQv2z
三村「俺らより宇喜多を選ぶとか何でだよ理解できねーよ(泣)」
元春「すまん。ごめん。南方は俺の担当じゃないから…隆景がぜんぶ悪いんだよ」
隆景「宇喜多くんどうぞ三村を滅ぼしてね」
如水「もう中国戦線の見通しついたわ」
秀吉「隆景を使って元春暗殺させるタイミング考えようぜ」
如水「鮭でも喰わせるのが良いかと」
188 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 11:10:35 ID:JuK9RD7U
死ぬ寸前
隆景「(父上・・・色々ありましたが毛利は天下安寧の中、中国の覇者となれもうしましたぞ・・・
小早川家に毛利の血は残せませぬが毛利本家は安泰です・・・)」
兼続「(上杉を・・・減封した責が・・・まだあるというのに・・・
殿・・・申し訳ござらぬ・・・)」
どちらも名将だが安らかに逝った隆景と無念なまま逝った兼続、どちらが幸せだったろうか
189 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 14:32:04 ID:zxS94iYl
>>185-187 隆景が如水にいい様に扱われてた?
どこだよww
隆景は如水の智謀を終生ずっと警戒してたってこと知ってるのか?
表向きは隆景と如水は結構気があって中が良かったみたいだし
如水も隆景の先を見通す力に感嘆してその理由を聞いたりしてるが・・・。
実際は如水が毛利家に秀秋を養子に入れるように秀吉に進言したりして
そう言う一面をしっかり隆景は見のがさずに見ていたからな。
遺言でも輝元にこう残してる。
輝元領内の船着場に、筑紫大名より屋敷を建て、茶屋作り、
上方往還の休み等に、、宅地を所望されることありとして、貸し給うべからず。
これ中国を窺い、兵を入る基にして、毛利家の禍となるべし。
上記の言葉を略す。
筑紫の大名(黒田如水)が、屋敷を建て上方へ往復の途中の休息地にしたいと申し出ても、決して貸してはならない。
それは、毛利家の領を狙う下心があり、これを許せば毛利の禍を招くことになるだろう。
この予言から、小早川隆景は黒田如水を見抜いていたといえるのではないだろうか?
実際、黒田如水は関ヶ原の戦いが起こると九州を手中にする。
関ヶ原の戦いが早く終わってしまった為、天下の夢は破れてしまうが・・・。
190 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 15:49:32 ID:XEoIXZz2
小早川隆景の遺言自体、全部結果論で創作っぽいけどね。
筑紫大名とは明らかに黒田如水のことを言ってるつもりだろうけど、
黒田家が筑前に入るのは関ヶ原後であって、小早川死去の時点では
豊前にいたのでは?
さほど遠くなく、親密だったなら隆景がそんな間違いをするとは思え
ないし、隆景が「豊前」と書いたのを後世写す時に「筑紫」と間違え
たとも思えない。やっぱり関ヶ原の減封で毛利家の連中が「隆景が生
きていたらもう少しうまくやれたんじゃないのかなあ」という思いで
遺言を作ったと思うんだが。
191 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 16:33:56 ID:cRIYjS/M
直江政治すげーって言うけどアホの輝元でさえ30万石に減らされたのにリストラしないで
新田開発や楮特産品にしたり銅山開発なんかもしてその流通で下関で儲けて財政建てなおしたからな。
幕末時には100万石近くあったらしいし輝元が築いた長州が歴史の主役になったのに対して直江は1代で終わっちゃった。
直江より輝元の方が凄いんじゃないか?
192 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 17:40:02 ID:H6LbNrp3
輝元は関ヶ原後の内政に限れば割とできる子
輝元も兼続もこのまま黙って見過ごしてたらやられるだけって判ってたから徳川相手に決起したんだろうな
193 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 18:24:06 ID:UtedVllS
大名と陪臣を比較してさらに幕末まで話を飛躍させてもな。
輝元は安国寺と三成の謀議を受けて上坂したときは中国大返しを思わせる驚異的なスピ
ードを見せ、大坂城から徳川の兵を追放するなど、時折名将の血筋らしいとこを見せる。
ただ、関ヶ原終盤で家康方に片足突っ込むというどっちが勝ってもいいように中途半端な
態度に出てしまい、大坂の陣でも大坂城に家臣を入城させて万が一豊臣が勝った場合にも
備えたが、徳川に露見。家臣がよく出来ていて自分1人の罪にして死んだが、輝元は幕府
さえ無罪としたその息子たちを殺害。こうした器の小ささが後世評価されない原因だろうな。
194 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 23:15:20 ID:SsW0aJNr
>>193 >関ヶ原終盤で家康方に片足突っ込むというどっちが勝ってもいいように中途半端な態度に出てしまい
そもそも輝元は中途半端な態度をとっていたか?
大阪から出なかったのは増田に備えてだし、広家の内応が失敗に終わったのは輝元が積極的に西軍として行動していたのが理由
大坂の陣の件だがそもそもその家臣は捕まるようなことがあればその前に自害するようになっていたのだが
捕まってしまうという失態をしているのだからよく出来た家臣とは言わんだろう
息子たちの自害の件もそうしなかったら改易をされたかもしれないから
一概に悪いとも言えない
195 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 23:18:55 ID:OKgA6ply
まぁでも関ヶ原の時、間違いなく輝元は「隆景の叔父上さえ生きててくれれば・・・」
と心底思ってただろうな。
196 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 23:22:16 ID:OKgA6ply
歴史のIfは禁物かも知れんが、もし隆景が関ヶ原の時まで生きていれば
どのような行動と輝元に進言をしただろうか?
ちょっと想像してみてくれ。
197 :
人間七七四年:2010/02/02(火) 23:50:46 ID:BkzMAarF
>>194 いや、輝元は吉川らの東軍との書状のやり取りもチェックしてるよ。
増田の謀反と言うか留守中に奉行が変心して家康と同じミスをしないように
大坂城を動けなかったというのは同感だが、家康との和睦もまんざらではない
と感じていた。西軍に勢いがある時は交渉を無視してるのが現実的で面白いが。
大坂の陣の件は家中でも非難されている。幕府がそれ以上追及しない以上、殺す必要はなかった。
息子たちの家はしっかり取り立てると誓紙まで書いていたのに。
198 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 01:12:53 ID:r3+A1Xf8
>>196 そもそも生きていれば史実のような関ヶ原にならない
徳川による史実のような強引ともいえる福島蜂須賀池田といった家との婚姻
ラッシュ方針は難しい
伏見騒動〜前田征伐でまつゲット〜上杉征伐という徳川無双ラッシュな流れにも
なりそうにない
清正派vs三成派の仲違い騒動を修復するには渡海していない家康より渡海しており
現地でのいきさつを知り武功もあげた大老隆景による仲裁が適切
もし、もしも史実通りに展開すれば名目上の西軍総帥は輝元で実際に西軍を差配
するのは三成ではなく隆景となる
理由としては年齢・経験・声望・石高・豊臣政権内での地位から
毛利軍にしても隆景の采配の下に将領級が広家・秀元・秀包・豊臣縁者かつ養子秀秋
という分厚い陣容(しかも全員朝鮮帰りの兵卒にいたるまでバリバリ実戦経験者)
199 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 01:19:51 ID:ih988UUk
>>198 細かいことだけど、
>福島蜂須賀池田といった家との婚姻ラッシュ方針
は池田じゃなくて黒田の方が適切
池田輝政が家康二女の督姫と結婚したのは秀吉の仲介だし
200 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 01:31:03 ID:kuAu11PP
>>198 答えてくれてトン。
しかし、それを考えるとつくづく隆景って凄い武将だったんだな。
それだけに関ヶ原の3年前に逝ったのが悔やまれる・・・
201 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 01:33:08 ID:B65b3rXk
>毛利軍にしても隆景の采配の下に将領級が広家・秀元・秀包・豊臣縁者かつ養子秀秋
>という分厚い陣容(しかも全員朝鮮帰りの兵卒にいたるまでバリバリ実戦経験者)
その頃の徳川って三河武士時代と違って実戦経験無い弱兵揃いだし真正面からぶつかっただけでも余裕で勝てそうだな。
関ヶ原、大坂の陣と見事に弱兵っぷりをさらけだした。
人殺したことある奴と実戦も経験したことない者が戦ったら勝負にもならんだろう。
その点毛利は朝鮮でバリバリ実戦積んでる。
鉄砲隊も見越し射撃体得してるし勝負にならんな。
202 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 01:34:32 ID:CZR8yI08
上杉征伐が徳川無双ラッシュというのもな。
上杉征伐は征伐決定に持っていくところまでは家康の思惑通りだったかもしれない。
上杉が石田と通じて、石田が大谷を連れて挙兵するのも予想通りだったかもしれない。
淀殿や豊臣奉行が「三成と大谷が兵を挙げた。すぐ助けて」と書状を寄越した時はにやけたかもしれない。
毛利や宇喜多が加担するのも頭の片隅では不安に思っていたかもしれない。ただ、
豊臣奉行衆が西軍について家康弾劾状を出し、伏見城が陥落するくらいの兵力が集まっているとは全くの計算外。
上杉は家康弾劾状を周辺に配布し、最上領から続々大名が撤退。
越後の大名も上杉に同心。伊達も上杉と和睦する。
上方に先発させた福島ら豊臣恩顧の連中がいつ寝返るか分からない。
会津征伐終了の時点では家康はどん底にいる。
203 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 12:00:32 ID:fX5NOL1e
>>200 あくまでIFで本当にそうなるとは思えないけどな。
仲裁だって家康は政権代表者としてしているのであって、
隆景が生きていたらそれに代わるなんて話にはならないよ。
毛利ー徳川の二頭体制の残り香はまだあるだろうから、家康が
やりにくくなるというのはあるだろうけど過大評価は禁物だ。
史実通りに行ったら、挙兵の中心にいた三成が関ヶ原で指揮を
執るのも変わらないだろうし。毛利家中ならともかく、諸大名
に対しては影響力は圧倒的に三成>隆景。それが奉行筆頭。
204 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 23:28:45 ID:ngKosmcL
>>201 >その点毛利は朝鮮でバリバリ実戦積んでる。
毛利に限らず朝鮮で戦いすぎて嫌気がさした連中は多かろう
それでも恩賞が欲しいからもう一度戦うんだという気持ちのある奴はほとんど家康に付いているし
西軍の士気が低かった原因の一つなのかもしれない
実戦を積みすぎるのも問題だよね
205 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 23:29:35 ID:ngKosmcL
>>201 >その点毛利は朝鮮でバリバリ実戦積んでる。
毛利に限らず朝鮮で戦いすぎて嫌気がさした連中は多かろう
それでも恩賞が欲しいからもう一度戦うんだという気持ちのある奴はほとんど家康に付いているし
西軍の士気が低かった原因の一つなのかもしれない
実戦を積みすぎるのも問題だよね
206 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 00:20:25 ID:puSPYCDH
毛利軍がバリバリ実践積んでてそんなに強いならすぐ南宮山からおりて
東軍を全滅させてくれたらよかったのにな。
207 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 01:02:29 ID:K88/FrCL
そりゃ指揮官のせい。
兵の強さとは関係ない。
兵も強くて大将も有能だとある程度の兵数があれば驚異的な力を発揮する。
大村益次郎、高杉晋作の戦術の鬼才に一人で徳川兵5人に匹敵する長州兵コンビは
なんと3000で10万の徳川軍に勝っちまった。
徳川兵はマジ弱いね。
208 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 01:06:47 ID:K88/FrCL
で関ヶ原で徳川なんかしたの?w
撤退する島津追撃して次々に大将が負傷したのは知ってるけどw
普通退却する側の方が圧倒的不利なのにマジ弱い徳川兵w
小早川は黒田のおかげで寝返ったし大坂の陣も外様大名の力借りないで勝てたかどうか。
まっ、多分負けてたね。
209 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 01:36:11 ID:FjeKagDK
家康を頂点とする東軍が勝利した。
これ以上に至高の結果なんてないだろ?
弱かろうがなんだろうが、最終的な勝利者。
外様の力を借りたんじゃない。
武家の棟梁として命令しただけ。
外様に拒絶の選択肢なんてないだろ?
210 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 01:43:47 ID:SG8IP4op
史実関ヶ原の毛利軍は現代の軍制で言うと大将どころか中将クラスがいないので
軍を軍集団として展開させようがなく参謀団もいない。
無理くりして広家少将と秀元准将がなかば合同で10個師団を率いているみたいな。
そして参謀畑一筋で本来なら方面軍参謀を務める安国寺中佐は肝心の方面軍が
存在していないので見事なまでに宙ぶらりん。気がつけば何故か2個大隊を
参謀の身分のまま率いてるわけわかめ状態。
おまけに秀秋少将は近衛少将なので毛利軍の指揮系統からは外れてる。
211 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 10:17:02 ID:zaMpMxCP
>>207 大村、高杉が幕府軍を打ち破ったから隆景も生きてたら東軍に
勝てるというのは話が違う。外様の力がなければ勝てなかったと
いうのはその通りだが、250年後の話を持ち出して徳川兵は弱い
ってのもどうなんだろうね。結局毛利は「弱い徳川兵」との戦いを
避けてるわけだし。
212 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 13:11:16 ID:/JBQJtXE
>>203 奉行筆頭は浅野さんじゃないか
>>210 天野元政や宍戸元続など毛利家重臣の人とか結構いないか
213 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 17:17:48 ID:K88/FrCL
>>211 そりゃ絶対は無いだろうけど隆景が三成のポジションで西軍動かせたなら家康が絶対勝ってたってのも言えないと思うけど。
人望の無い三成と違って隆景の言うことなら聞いてくれるだろうし小早川軍が史実と違って東軍に襲い掛かる。
南宮山部隊は山下りるだろうしむしろ東軍大ピンチ。
隆景なら宗茂の実力も評価してるし宇喜多がなんと言おうと遊ばせとくことも絶対無い。
島津もふて腐れることなく協力的かもしれない。
毛利、立花、島津、宇喜多の朝鮮経験組みに瞬殺されるな。
7:3で西軍勝つね。
214 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 20:03:23 ID:YCNu27W2
人を動かすにはどうしたらいいか、という能力経験では家康が圧倒してるからなぁ
215 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 20:31:51 ID:ECFAyLZd
>>213 三成に人望がないというのがすでに後世の創作だから。
大谷はもちろん、実は島津義弘や毛利輝元も三成大好き。
島津が奇襲拒否されたから動かないというのも創作。
小早川がバリバリ西軍でいくよってんなら勝つんじゃないか。
史実の場合は、結局は毛利勢が動かないのが敗因だし。
史実通り小早川勢が松尾山に入ってたら、それは裏切り者が秀秋から隆景
になるだけだけど。
216 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 21:45:34 ID:K88/FrCL
墨俣で置き去りにされたとかやりとりあっただろ。
まぁこの変は詳しくないし島津なんか興味ないからどうでもいい。
たかだか1000ぽっちだし参加してくれれば戦力にはなるが立花がいれば兵力も多いし指揮能力も互角。立花がいれば十分。
問題は小早川と南宮山部隊が攻勢に出て東軍は防ぎきれたかだ。
多分無理。
そして西軍有利な状況だと史実で日和見だった連中も積極的に動くだろうからやはり西軍有利。
福島隊は速攻壊滅するね。
217 :
人間七七四年:2010/02/04(木) 23:28:04 ID:sr+iwQem
いつも疑問に思うんだけどさ。
西軍が勝ったであろうIF話ね。
なんで東軍は史実通りに動く前提なのかね?
小早川、吉川が西軍バリバリなら、あんな布陣引くわけないだろ?
あまりにアンフェア。
218 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 00:47:03 ID:+u29qksq
フェアもアンフェアも妄想だから。
219 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 01:15:39 ID:hEXfTRwU
>>217 少し上の流れ嫁。
隆景が生きてたらって聞いてるからそういう流れになったんだろ。
隆景が生きてたら関ヶ原が起きないなんてみんな知ってるよ。
220 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 02:05:07 ID:+u29qksq
>>219 違うだろ。
隆景が生きていたら関ヶ原がおこらないなんて確証もない。
隆景が生きていて、西軍は都合がいいように動き始めるのに、東軍は
史実通りに動いてやられるだけってのがおかしいという話をしてるんだよ
>>217は
ま、もう妄想はやめようぜ
221 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 09:10:00 ID:okPixo8M
言いたいことはわかるけどifにifを重ねすぎればプロットだけでも膨大になるじゃん
なのでこのスレ的には西軍は都合がいいように動き始めるのに、東軍は史実通りに動いても
おかしくはないんじゃね?
一例として、もし仮に隆景が健在で小早川軍直率しつつ毛利本軍も率いるとなれば
丹後・伊勢・大津・大垣といった分派をするとも思えない
関ヶ原直近で言えば史実では不採用だった赤坂夜襲案もある
そもそも吉川広家は独走しないだろうw
これらをどうこう言い始めればもはやたかが1レスどころか専用スレでもおさまりが
つかなくなりif小説規模になる話題
しょせんifなんだから状況を限定して何故か関ヶ原に両軍とも史実どおりに布陣して
たほうが楽しいじゃん
222 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 09:30:10 ID:xGtjZcTA
要するに、関ヶ原前に利家と隆景の二人が相次いで亡くなったのが
家康暴走の原因だろ。
この二人の人材的喪失はマジで痛い。
それに比べりゃ、輝元、秀家、景勝は家康から見りゃワッパだろ。
223 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 09:47:21 ID:ciaUT6lm
秀頼のもり役の利家と、輝元のおもり役の隆景は一緒にできないね。
ワッパかどうかじゃなく発言力が違う。
224 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 12:16:42 ID:xGtjZcTA
>>223 まぁそうだが、ただ秀吉はあれだよ、終始隆景を独立した大名に
させたがってみたいだ。
輝元の下なんかでいるような武将じゃ無いと思われてたのは間違いない。
現に毛利家に対して要請やら物を言う時は全て隆景を通して言ってたみたいだよww
完全に輝元スルー状態だったみたいだww
225 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 16:24:14 ID:9dPQd8je
とにかく隆景厨どっか行ってほしいマジうざ
抽象的妄想講談しか書かない低脳
226 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 16:45:59 ID:xGtjZcTA
妄想講談すら書くネタが無い兼続って存在意義あるの?wwwww
227 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 16:51:19 ID:9dPQd8je
じゃあ隆景の実績を具体的に羅列してみろよw
228 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 17:16:19 ID:xGtjZcTA
229 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 17:20:04 ID:701UCh+O
じゃあもし上杉家が徳川に恭順したらどうなってたか考えようか
230 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 17:24:12 ID:9dPQd8je
>>228 無知を晒した隆景厨www
長州藩が作った隆景はすごい捏造妄想の被害者乙w
231 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 18:23:51 ID:usdVqbzq
>>226 だからさ、subは上杉厨じゃないってば。
小早川隆景が生きていたら・・という話に乗ってあげてるのに
そういう返しはないだろ。
232 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 20:26:34 ID:hEXfTRwU
ところでsubって何?
なんか上のほうで3つ位レス書いたらsubって人扱いされたりして???だったんだけど。
233 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 20:31:06 ID:mrXvkqR9
活躍した時期が違うんだからこんなの不毛な争いだよ
強いて言えば加熱具は時期的に運が悪かったって言うべきか
234 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 00:45:59 ID:QU9S5lzt
「日ノ本の国は西方は隆景に東方は家康に任せれば安泰」
235 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 01:27:02 ID:bM6+7I5J
>>234 「坂西の儀は、輝元並びに隆景申し付くべく候事」だよ
236 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 16:40:47 ID:s0KGK69J
なんでチョコチョコと隆景厨はウソつくかねぇ。
そもそも幕末の毛利を持ち出したり頭の中がお花畑だよな・・・
だいたい朝鮮の役で活躍したから隆景の軍は強いとか短絡的なんだよ。
隆景自体が朝鮮で具体的に何やったの?
元は当家の家臣筋とか言って宇喜多とのくだらない争いから宗茂の戦功を奪っただけじゃん。
んでもって隆景の元から移動した宗茂はさらに活躍してるけど
隆景はぜんぜんダメだろ。宇喜多の方が活躍してるけど、
おかげで宇喜多隊の戦力は関が原ではダウンしてると言われている。
家康軍は無傷の戦力温存して鷹狩りで軍事演習してたわけだ。
もっと言うと朝鮮明なんて斜陽の軍隊に勝ったからなんなの?
隆景に軍事的才能なんてぜんぜんねーよ。
吉川元春のおかげでしかない。
237 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 17:58:25 ID:4kUJAkW9
238 :
人間七七四年:2010/02/06(土) 21:05:18 ID:s8mBps+V
まぁサブちゃんの言うことも一理あるからな。
隆景が単独で西国の仕置を任されるなんてありえない話だ。
とりあえずそういう挑発の乗り方はやめようや。
239 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 01:17:53 ID:p7KdxZek
まぁ結果を知ってる後世の長州人が
捏造した隆景の逸話の数々をここに転載して
さらに妄想を垂れ流す痛い毛利厨は笑える。
240 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 04:11:08 ID:g17jkKYd
アンチ隆景の自演厨ウザ杉
文の末尾に句読点付けすぎてバレバレwwww
241 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 14:01:10 ID:6qWeFujt
擁護・アンチに関わらず、隆景が西国の仕置を任されるなんてことは
あり得ないよ。名将だとは思うが、毛利家あっての隆景だから。
そういうwwwとか勘違いで自演認定したって反論にならないだろ。
もう少し論理的に返そうよ。
242 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 14:40:03 ID:KPZBY9yH
おいおい何だよこのスレは
毛利家への秀秋の入嗣を、小早川家を投げ打って救った功臣・隆景と
上杉家を衰退させて責任取らず、お家断絶喰らう愛のバカ男・直江を
同列に語るんじゃないよ
直江のライバルは福島正則あたりだろって
243 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 15:12:10 ID:g17jkKYd
>>241 隆景に関しては逸話が多く残されてるから仕方ないだろ。
まぁそれだけ名将だったってことだろ。
隆景が亡くなった時も、家臣の一人が秀吉に「西国の蓋を無くした様なものですな」
と言ったら、秀吉は「いやいや、隆景を亡くすと言うことは天下の蓋を
無くした事も同然よ」と言ったそうだ。
まぁこれも逸話なんだけどな。
ただそれもってして、妄想だの言うのもいいすぎじゃねえのって事だよ。
244 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 17:06:51 ID:rzD4GDbW
>>243 知らないだけかもしれないが、
>>234みたいな中途半端な間違った知識を披露すると
サブに捏造だとか一気にまくしたてられるんだよ。君じゃないかもしれないが。
毛利家絶頂期を支えた隆景age、減封を呼んだ輝元sageの風潮があるけど、輝元は意外
とやる時はやる子だよ。隆景の遺領問題や秀元への所領分割では、秀元に有利だった
秀吉の裁定を、秀吉死後に奉行と結んで覆すことに成功している。
秀吉の裁定が出た時は「僕成り下がっちゃったよ。秀元は満足してるし、自分も身持ち
が軽くなるから別にいいんだけど、下々がなんていうかね」とふてくされてたのに、
裁定を覆すと「私は情勢を考えて判断したので、秀元の反対は無視しています。毛利家
や家族、秀元のことを考えてもいいことなのに、どうして秀元は威圧的な態度で反対し
ているのかしら」と態度が変わるところが、輝元のおちゃめな一面だ。
245 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 17:13:22 ID:VXA8y1xn
>>242 こんな感じか
【藩取り潰し】 福島正則 vs 直江兼続 【お家断絶】
246 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 17:56:52 ID:rzD4GDbW
247 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 20:01:27 ID:Ncu4fgAv
いや、福島登場の脈絡のなさと兼継の子供じみた修飾は、
恩顧系スレにいるキ○ガイだと思う。
、、、
248 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 00:54:33 ID:P/I+kBhy
>>242>>245 おまえの自演まじでキモイよ。
>>243 >>隆景に関しては逸話が多く残されてるから仕方ないだろ。
まぁそれだけ名将だったってことだろ。
日本語大丈夫ですか?なぜ歴史を知る後世の人が創作したデタラメが
多いと名将だと結論付けられるの?北朝鮮の将軍様も逸話や伝説がたくさんあるよねw
毛利厨って基地外すぎる。。
249 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 07:21:55 ID:g4/fkUFE
>>248 政権が代わって何十年もたった後に将軍様がマンセーされてると思うか?
逸話ってーのは歴史上の個人を知る場合かなり有効だと思うんだ
ってか人物像を知る上では実績と逸話くらいしか手がかりがないだろ
葉隠にある直茂が隆景を誉めた逸話にしてもデッチアゲだとして佐賀藩の
誰が得すんだよ?現実に影響力を持つ将軍様と持ち上げても一文の得にも
ならない隆景の評価を何故一緒にするの?馬鹿なの?死ぬの?
250 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 08:54:41 ID:GQ4mQSzz
>>249 >>248は逸話と言う意味も分からない馬鹿なのでスルーか放置でおk。
以前からこのスレで粘着してる基地外直江厨なのでwww
251 :
人間七七四年:2010/02/08(月) 16:07:02 ID:3+NYc5VP
>>249、
>>250 【Sub】伊達・上杉・最上・武田関連荒らし報告スレ
読んでとりあえずsubのことを理解し、耐性をつけておけ
252 :
人間七七四年:2010/02/09(火) 11:43:11 ID:tQaVd2+K
最近戦国に興味を抱いてとりあえず勢いがあるスレって事で開いてみたはいいが
なんだこのスレは…お前らって罵り合うために戦国の知識身に付けたの?
253 :
人間七七四年:2010/02/09(火) 20:39:06 ID:VGoo0wJj
対立を煽るsubに見事に挑発されてファビョってたら駄目だぜ。
254 :
人間七七四年:2010/02/09(火) 21:40:16 ID:7dP65hHG
>>252 良く見れ
罵っているのは、直江擁護派だけだ
255 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 00:33:10 ID:xUGY8c1x
基地外直江厨とかsubに「馬鹿なの?死ぬの?」とか言ってる人いるよ?
どうでもいいけど。ともかくサブに踊らされなけりゃいい。
スルーとか放置って何度も言われてるのに、サブに乗っかるから
ののしり合いに見えるんだよ。
葉隠で直茂が隆景をほめた逸話って何?
256 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 00:49:16 ID:eusospwi
まぁソースを一切出さずに隆景を盲目的に褒めまくる痛いレスが続く以上は
キチガイの自演だと思われても仕方がないな。
いい加減、ソース出せよ。
ところでどこにその直江擁護の人間がいるんだい?
また見えない敵と戦ってるのかね?
257 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 01:00:37 ID:7vFGNEXJ
盲目も何もココは小早川、直江スレなんだから別に小早川を褒めてもかまわんだろ
直江を褒めてもかまわんだろ
なに言ってんだお前は?
いやなら見なきゃいいだろ
258 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 01:08:55 ID:eusospwi
ならソースもちゃんと書けよ。
ウソみたいな話ばっか書いてごまかしてんじゃねーよ。
つべこべ言わずにソース早く書け。
そーすれば文句言うやついなくなるんだから。
259 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 02:12:47 ID:7vFGNEXJ
俺は見てて「ふーん」「聞いた事がある」「そういう逸話もあんのか」程度にしか思わんけどね
気にいらねぇなら自分で調べりゃいいんじゃねぇの?ww
260 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 08:00:27 ID:vn1H//W8
なんだ…毛利厨のやつソースなしで洗脳しようと必死だっただけかよ
さすがソースがまったく出せずに逃げまくった挙げ句に毛利元就スレが廃止されただけある最強ヘタレ厨房だな。
いまじゃ北条>>>毛利スレが2つも立ってるが毛利厨逃走中だしw
北九州の大友毛利スレでも論破されて逃走中w
ほんと毛利厨って歴史読本やコーエー本の知識だけで語る無知ぶりを永遠に晒し続ける恥知らずですな。
261 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 10:28:24 ID:Lt0mTyaE
subの中ではこのスレ立つずっと前から小早川隆景はヘタレだから
今に始まったことじゃない。
262 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 12:42:16 ID:GdNjXCt0
263 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 14:12:55 ID:WgJs0u3R
大河の戦国時代軍師シリーズで隆景が主役の大河ドラマが出てくるまでわからんぞ
264 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 15:01:25 ID:lsdSq90a
>>262 説明トン。
subってのがやっと分かった。
これからはスルーで行くわ
265 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 18:42:40 ID:VDl1Vc/y
「上杉伊達は捏造だらけ」が口癖。当然直江厨でもなく、相対的に
隆景が嫌いなのでダシに使っている。
ちなみにsubの中では前田慶次は上杉家の捏造が生んだ架空の人物らしい。
266 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 23:11:39 ID:vn1H//W8
いつもの如くソース出せなくて涙目だなw
相変わらず都合が悪くなると誰彼関係なくみんなsub認定して複数ID自演で自己正当化工作w
必死にアンチ長尾&直江貶しキャンペーンやってたのは長谷堂スレや大河板直江虐殺スレで自演やってた伊達厨=最上厨だし、このスレを立てた理由もレスの流れを見れば直江貶す目的で立てたのバレバレだし
ほんと低脳の必死な基地害自演工作は痛いわ。
今度は毛利や隆景をダシに使ってアンチ直江工作しようとしてるだけの浅はかさw
そもそも吉川元春は高く評価してるレスが散見できるわけで、アンチ毛利ではなく、明確なソースを求めてきてるだけで、複数ID投下で必死にsub認定工作してくる自演基地害ぶりw
267 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 23:19:17 ID:hGU3SvaZ
なにこの劣等感w
268 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 23:44:35 ID:xa2mpQZD
>>266は正体曝されて必死な感じが凄まじいなw
直江をダシに毛利貶しとかやることがキモいな。
269 :
人間七七四年:2010/02/10(水) 23:51:54 ID:vn1H//W8
もう逃げてばかりいないで
早いとこ「一次史料は読んだことも見たこともない無知ですからソースは出せませんごめんなさい」って謝っちゃえよ。
270 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 01:12:19 ID:7W6TVyPA
ココは小早川、直江のスレだから別に言い伝えや逸話でも両人に関する事なら話題なら構わんだろ
みんなが話題を提供してるのにお前が水さしてるんだよ
俺は逸話でもなんでもいいからいろいろ両人に関する話を聞きたいし知りたい
お前は検証スレでも立てて一人で検証でもしててくれよww
だいたい真偽のほどはともかく言行録などや逸話などのエピソードに「ソース出せ」と執着してどうすんだ?ww
271 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 01:57:04 ID:NF8sIJTv
言い訳ばかりでひたすら逃げまくる毛利厨
とにかく相手を中傷攻撃して誤魔化す毛利厨
まともな議論がまったく成立しない相手
それがマンセー毛利厨
272 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 06:57:26 ID:8ZuaENqU
>言い訳ばかりでひたすら逃げまくる
>とにかく相手を中傷攻撃して誤魔化す
>まともな議論がまったく成立しない相手
テメエの自己紹介は聞き飽きたよSub公w
273 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 08:27:39 ID:zx/fP0kP
せっかく流れを切ろうと思ったのに。
スルーしなよ。
んで、葉隠の直茂が隆景を評価した逸話って何?
秀吉が評価した話のこと?
274 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 08:40:57 ID:Wx+HM5cc
275 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 09:05:45 ID:4K4fGZlj
ここに来てやっとsageを覚えたsub公www
276 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 09:08:31 ID:4K4fGZlj
>>273 一応調べてみたよ。
抜粋だが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鍋島直茂の家臣が、街の噂を主君に伝えた。
「世間では『太閤当時の名将と言えば、小早川隆景と鍋島直茂』と申しておりますぞ!」
喜ぶ家臣に、直茂は答えた。「何をもってワシと隆景を並べる?いいか、あれは確か・・・」
小田原攻めの翌年、秀吉が諸大名を集めて言った。
「その方らの苦労にもっと報いてやりたいが、いかんせん日本は小国で土地が足りぬ。
この上は高麗に攻め入り、唐天竺を切り取り、末代までの物語にせん!
その方らにも思う存分に知行をくれてやろう!どうだ!?」
あまりにも突然の言葉に「乱心か?!」と思う者までおり、一人として返答できずにいると
小早川隆景が進み出た。「いや、ごもっとも!こんなこともあろうかと・・・」
持って来た絵図面を広げた隆景は、軍議でもあるかのように
「赤塗りの国には、この道より討ち入り・・・その後、白い国へ抜けると・・・」
と、秀吉に解説まで始めた。
その場にいた鍋島直茂は、秀吉の機嫌を損ねるのを恐れ黙っていたが、
(知将と名高い隆景が、絵空事でお追従とは!)と、あきれ果てる思いだった。
「・・・ところが、いざ海を渡ってみれば、話半分に聞いていた隆景の解説そのままだった。
どうやって調べ上げたのか?あるいはあの詳しさは、みずから渡海していたか?
いずれにせよ、隆景こそワシなど及びもつかぬ、天下の名人よ。」
人は人を知る、という話(?)。
この逸話、『葉隠』の中に三ヶ所も似たような話が出てきます。
直茂にとって小早川隆景という男は尊敬すべき、語り継ぐべき男だったのでしょう。
277 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 09:50:24 ID:zx/fP0kP
サンクス
直茂がそんな謙虚だったとはなんか意外だw
天下三陪臣の話はあえてマイナーどころ、でも秀吉とはつながりのある
堀直政のほうが信憑性があると思うんだが。
278 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 10:44:36 ID:Wx+HM5cc
逸話で比べるのは江戸時代には佞臣あつかいだった
兼続公にとってフェアじゃない気がするな
279 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 11:31:24 ID:HRG/tJgA
葉隠自体が史実に反したことを平気で書いてて信用できないのにまた朝イチからバカ自演やってんだワロタ
280 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 12:29:31 ID:7W6TVyPA
「ソース出せ」の次は「信用出来ない」だってよww
281 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 12:43:58 ID:zx/fP0kP
>>278 直江が奸臣扱いなのはごく一部の軍記物で、あとはそうでもないぞ。
その軍記物も三成に挙兵を持ちかけるんだから相当な大物に描かれてるけど。
>>279 自演の意味分かってるのか?
>>280 subの話題を切るために直茂が隆景を評価した逸話って何なのか前も尋ねたのに
答えがなかったからまた催促しただけ。ソース求めればsubだと思うのは大きな
間違いだよ。
282 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 13:26:47 ID:77BwXmTM
鍋島なんて超絶へタレじゃん 大軍で立花家臣に襲い掛かるも撃退され
沖田畷でも竜造寺は壊滅するわ 半島でも名を上げてなし 秀吉が評価したとか
そんなのは家中分断するための流言だろ
283 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:06:29 ID:oMj+tK8v
そういえば鍋島の朝鮮での武勇伝は聞かないな。虐殺してるぐらいしか名前出てこないし。
美智子さまも鍋島家の女にいじめられてたしそういう暗い家系なのかね。
284 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:11:42 ID:KfNl8p9e
>>282 直江なんて超絶へタレじゃん 大軍で最上に襲い掛かるも撃退され
新発田攻めでも直江は壊滅するわ 半島でも名を上げてなし 秀吉が評価したとか
そんなのは家中分断するための流言だろ
ww
285 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:15:27 ID:WDrT481N
なんで無知なまま批判ができるのか。。。
そんなんだからスレが荒れるんだよ。
286 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:31:01 ID:gy8WsmW+
葉隠で隆景が出てくる有名な話
秀吉がいうには、
「天下を取るには、大気・勇気・智恵が必要。この三つをそなえた人物は、
大名のなかにはひとりもいない。その家臣には、直江兼続、小早川隆景、鍋島直茂
の三人がいる。しかし、直江には大気・勇気はあるが、智恵がない。小早川には大気
・智恵はあるが、勇気がない。鍋島には勇気・智恵はあるが大気はない」
と。
大気=大器?
287 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:43:45 ID:DRF9q+9P
バケ猫鍋島
288 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:23:19 ID:K7YK3iCf
雑魚の佐賀藩だが鍋島だかしらねーが 葉隠とか言って日本の武士の代表みたいな
面してるのは激しくムカつく おめーらなんぞろくな武勇もねぇ雑魚だろうが
289 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 00:23:25 ID:iI2sK1nr
名将言行録では直江、小早川、堀が三大陪臣だし
鍋島が勝手に主張してるだけだろ。
鍋島は隣人の小早川を過大妄想し虚像を造り上げ→そこに自分に絡ませることで自分も三大陪臣だと相乗効果で自己正当化し妄想してるに過ぎんウソ吐き。
こいつは単なる主家纂奪者で政家の息子を死に追い詰め、それを知った政家まで死亡に追い込んだ悪臣。
小早川も毛利本家を蔑ろにして直接秀吉に取り入った悪臣。
290 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 00:35:33 ID:eLUePfRH
名将言行録は明治のものだからなぁ
政宗の小判をけがらわしいという逸話も、自分が金山開発してるのに
そんなこと言うわけないだろうな。逸話作った人は政宗を言いくるめ
る直江という流れが大事で、中身はどうでもよかったんだろうけど。
逆に直江を言いくるめるのは村井長頼。
291 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 02:36:18 ID:YYAZpU0b
で、結局ソースなしで妄言をたれてるだけのキチガイが毛利厨ということですね。
百戦無敗の元就朝臣を盲信し三次史料以下の陰徳太平記という講談妄想まで作り上げた長州のマンセー史観の被害者に同情します。
292 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 07:09:35 ID:mFF9wUs2
ここまで罵り合いはほとんど自演
293 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 10:45:16 ID:wPQZaKD0
きっと淋しいのだろな
294 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 11:05:44 ID:iI2sK1nr
孔明以上の神算鬼謀と常に陣頭指揮で無敗の元就も隆景も知謀150武力150の超人だろ。
295 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 11:54:35 ID:h/r2A6Z9
むやみやたらに持ち上げるのも、それを叩くのもsub
なんじゃないかと思ってしまうな。
296 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 11:58:31 ID:w+SYyw9q
極端に持ち上げるのも極端にくさすのも共通してるのは文章に品性の欠片も無いこと
ageてる人の自作自演だろ
297 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 12:22:40 ID:iI2sK1nr
中国史にも元就や隆景ほどの大略武略を持つものはいない。
隆景が本気を出したら秀吉政権を崩壊させて毛利政権の幹事長いや闇将軍になってたな。
298 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 13:07:36 ID:IJnUrAqa
隆景は地味な武勲と確実に領地を広げていった手堅さがいいんじゃないか
火急の用だからゆっくり書けとか非常に落ち着いてるイメージ
逆に兼続は如水のように即決するタイプじゃないかと思う
そのおかげと采配で長谷堂を撤退できたわけだし
後の石高拡大も手早いものだし
とりあえず奥さんを大事にした方は兼続?
隆景も妻を大事にしたらしいけど
299 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 13:33:29 ID:h/r2A6Z9
>>286 広い度量のことだな。
軍記物で1000人以上の上杉方が討ち取られたとされる長谷堂の
撤退戦の上杉方戦死者は実は100人くらいだったらしい。政宗は
10月2日の書状で100余人、3日の有名な「最上が弱いせいで」
の書状で80人にしている。
その数字が正しいかどうかはともかく100人討ち取る「大合戦」
と呼んでるから、当時の感覚から言って100人死ぬのもすごい戦だ
ったのが分かる。長谷堂と山形をにらむ形で布陣してからは実際には
撤退戦も含めて3回しかまともな戦がなく、最初の2回は大きな被害
を出すものでもなかったらしい。直江は最上の降伏を狙っていたから、
上杉方が積極的に攻めた様子もない。
300 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 13:36:37 ID:h/r2A6Z9
>>286 広い度量のことだな。
軍記物で1500人以上の上杉方が討ち取られたとされる長谷堂撤
退戦での上杉方戦死者は実は100人くらいだったらしい。政宗は
10月2日の書状で100余人、3日の有名な「最上が弱いせいで」
の書状で80人にしている。
その数字が正しいかどうかはともかく100人討ち取る「大合戦」
と呼んでるから、当時の感覚から言って100人死ぬのもすごい戦だ
ったのが分かる。長谷堂と山形をにらむ形で布陣してからは実際には
撤退戦も含めて3回しかまともな戦がなく、最初の2回は大きな被害
を出すものでもなかったらしい。直江は最上の降伏を狙っていたから、
上杉方から積極的に手を出した様子もない。
301 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 13:59:56 ID:iI2sK1nr
>>286 つまり
直江はアホやな。
小早川はヘタレや。
鍋島は小物臭すげー
って秀吉は言ってるのか。
すると直江は無能
小早川は鷹が爪を隠してる
鍋島はザコ1で堀はザコ2
って話だね。
302 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 14:17:13 ID:5TrZSm4E
>>301 すぐそういう人がいるけど、その逸話の中で
秀吉は「大名の中に三つを備えている人間はいない。
陪臣の中には二つ備えた者がいて(中略)大名の中に
三人に及ぶ者はいない」と言ってる。天下人としての
話。知恵がないからアホとか、勇気がないからヘタレ
という話じゃないよ。
303 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 14:22:28 ID:iI2sK1nr
だから直江や鍋島をバカにして隆景を褒める意図があったわけだろ
304 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 15:13:24 ID:IJnUrAqa
>>303 天下を取れるほどの勇気や大気を持っている、知恵と勇気を持っているというのが
どこをどうひねくったらそんな風になるんだw
余り変な風に勘繰るなよ 誰も褒めてくれないぞ
その三将(鍋島なのか堀なのかはわからんが)が天下を統べるのに必要な要素を
二つも持っているという最大の賞賛だよ
ただ、三人ともそれぞれひとつかけてるから天下を取った自分には及ばない、って取れるかもしれんが
一人を贔屓して言ってるようには到底聞こえんわ
305 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 16:55:56 ID:NO5BQn9R
でも、純粋に秀吉から見た評価順だとどう見ても
小早川>直江>鍋島ってなるよな。
隆景の五大老の列席はマジで大きいからな。
wikiより。
たとえば、文禄4(1595)年の掟書では塗輿の使用が許されるのは、
武将では徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、小早川隆景のみである。
また、この頃、秀吉は東国の法度・置目・公事は家康に、西国は輝元、隆景に
申し付けたとされている。
306 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 18:30:03 ID:DS2E9zdU
>>305 そういう意味で語るなら、隆景>直茂>兼続だろ。
隆景はもともと大名。直茂は竜造寺の家督代行者で竜造寺家とは別の所領も
もらっている。兼続は生涯陪臣。
そもそも全員身分がバラバラなだけだから、それが本当に純粋な秀吉の評価
と呼べるかは別だが。
307 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 01:48:06 ID:+wKIL3GR
結局、直江に仕事丸投げの景勝1人に対抗できるのすら、
隆景と輝元の二人でセット扱いでやっと一人前ってことでしょダメじゃん。
直江は大名取立てを拒否って忠義を選んだけど小早川は秀吉に取り入って大名になってるし
そもそも隆景擁護の人って無知すぎるよね。
本気で当時に五大老なんて呼ばれた制度が存在してると思ってるなんて痛すぎるよなwww
308 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 01:53:34 ID:+wKIL3GR
しかも
>>147で逃げた後に
さっそく話題を変えて天地人の大河ドラマの中傷キャンペーンしまくって火病発病してるし
幕末の話題をいきなり持ち出したりする精神分裂症と妄想合併症www
ひたすら逃げまくってるじゃんwww
309 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 03:52:06 ID:rMBiVaYH
みなさん日曜日ですね
さあ気分をリフレッシュさせて隆景と直江でも語りましょう
310 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 10:25:00 ID:YyeI+gRv
秀吉が柴田倒すまで毛利って何やってたの?
こんなおいしい状況で何もしなかった毛利(隆景)は凄すぎるわ。
もう隆景は秀吉に飼いならされてたとしか思えない。
元春、主家を売った売国奴ぶっ殺せばよかったのに。
311 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 10:42:58 ID:Bg+EXaUq
何やってたの?と言われれば羽柴本領の後背地安全保障だな
これあるからこそ秀吉はほぼ本領を空にしてまず明智、次いで柴田に対抗できた
対徳川時にもそれは同様で四国を統一しかけ羽柴勢に西からの圧力をかけようと
した長曾我部に対して四国逆上陸をちらつかせ動けなくした
312 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 18:01:25 ID:+wKIL3GR
中国や九州遠征って黒田や安国寺らの功績だろ。
隆景って何やったんだ?九州上陸してすぐ無差別大虐殺やったくらいしかないだろ。
313 :
人間七七四年:2010/02/14(日) 19:40:42 ID:FIVI8h1c
>>307 隆景と輝元ペアが直江と一緒なわけないじゃん。
秀吉の評価はあきらかに毛利>上杉だろ。
秀吉は東のかなめは徳川、西のかなめは毛利としてたし。
大名の取り立てにしても、直江が断ったというのも逸話程度のレベルだろ。
それに隆景は輝元の後見にして叔父なんだから、大名化してもおかしくない。
秀吉政権下での毛利の影響力も大きくなるし。
314 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 00:30:25 ID:/6DcN5U3
315 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 00:31:21 ID:/6DcN5U3
316 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 01:49:26 ID:GtsIPf+c
>>314 年表通りじゃん、どこ見てるの?
つーか発見って言うのは可笑しいか、本格的な運用が1601年から事だよね。
当初は銀主体であったが、後に本格的な採掘作業で金の掘り出しと精製が
可能に成ったって事。
金は極めて微量な物だから大量の物資や設備が無いと精製できない。
だいたい土1t掘り出して2gの金が取れれば優秀な金山って事だよね。
317 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 02:12:45 ID:/6DcN5U3
318 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 00:36:42 ID:43l3QAQS
「砂金山」だから産出量が少ないと思ってるのでは。
319 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 02:47:58 ID:nIkhVO0s
で、結局のところ実際、隆景って何を具体的にやった人なの?
確実にわかることを主家を売って小早川家を栄えさせたくらいでしょ。
あと兄の子にパワハラしてたとかさ。
吉川元春の功績まで横取りして自分の功績にしないでくれるかね。
やっぱりソースなしで妄言をたれてるだけのキチガイが毛利厨ということですね。
百戦無敗の元就朝臣を盲信し三次史料以下の陰徳太平記という講談妄想まで作り上げた長州のマンセー史観の被害者に同情します。
もう逃げてばかりいないで
早いとこ「一次史料は読んだことも見たこともない無知ですからソースは出せませんごめんなさい」って謝っちゃえよ。
320 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 10:49:08 ID:qJbOA2qZ
いやー、今日もいい天気だね
321 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 12:53:04 ID:jpRH/H7s
言行録の吉川元春は隆景以上にネ申
322 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 13:52:53 ID:KT2ILyGt
隆景は容姿端麗と言うのは史実らしいが、かねつぐはどうなの?
323 :
人間七七四年:2010/02/18(木) 14:32:07 ID:hZXSuyBM
容姿端麗にして背丈も非常に高かったって言うね。
だから妻夫木の背丈の低さは致命的だったね。
324 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 10:56:22 ID:XcnWVZ2D
家わけ文書とかいろいろ見たが一次史料には隆景の功績らしいものは何一つみつからなかったな。
デタラメ長州マンセーの安西軍策ですらなにも載ってないわ。
325 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 01:07:56 ID:7oMrQI9b
326 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 07:48:28 ID:+QukfOhf
その一次史料あげてみて←あげてみてって…こいつ家わけ文書自体を知らないだろ真正バカ発見w
327 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 10:23:38 ID:7oMrQI9b
そんな事はどうでもいいからあげてみて
何文書?何号?
328 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 08:41:48 ID:mxOjw/gV
>>326 いいからさっさとあげろっつってんだよカス!
329 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 11:28:21 ID:jPYQMAE5
自演ですか・・・・・。
330 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 12:20:24 ID:ZdYp9vJ7
功績らしきものが無いんだったら、普通に無いものはあげられないだろ…悪魔の証明キタコレ
功績あるって主張を続けるなら何文書?何号?
まず提示してそれを持って議論すべき。
331 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 19:45:30 ID:mxOjw/gV
隆景最高!
332 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 02:42:32 ID:LpRLERL9
「何文書、何号を見たけどなかった。」って見たなら簡単に言えるだろww
333 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 06:58:45 ID:UvXEQWZ0
そうだよなw
家分け文書(毛利家)にいろいろ書状が収録されてるんだから、
その中に隆景の功績が存在してないなら言えないが、
功績がちゃんとあるなら簡単に言えるはずだもんなw
334 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 10:56:59 ID:UHhdB1Lj
>>330>>332>>333 正論だな。第8、第9、第11あたりだけは以前、読んだことあるが
隆景の功績っぽいのはなかったからぜひ
毛利厨には隆景の功績と称するものをご提示願いたい。
335 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 11:02:26 ID:UHhdB1Lj
毛利1〜1575号。
吉川1〜1486号。
小早川家文書,小早川家証文1小早川家証文2〜7。
上記のどこに隆景の功績が出てんだよ?
336 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 12:02:57 ID:UHhdB1Lj
歴代古案巻八692と歴代古案巻九833が同じ内容らしいんだが
内容わかる人いる?(※森長可知行安堵状のようだが)
ちょっと出先でとうぶん調べられないから他人をよく中傷してる君たちなら
こんな簡単なことすぐわかると思ってね。
337 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 17:04:04 ID:iLC3MR8g
これはsubちゃん恥ずかしい誤爆
338 :
人間七七四年:2010/02/25(木) 15:34:56 ID:qou0YOLi
age
一人芝居かよ。
340 :
人間七七四年:2010/02/27(土) 00:41:25 ID:bH538EAP
隆景って朝鮮役で全裸道(朝鮮半島南西部)の攻略を任されながら
朝鮮軍に大敗しまくって、まったく占領できずに逃走したんだよね。
朝鮮半島でもっとも豊かで米がたくさんとれる兵站地として最良な地だったのに
まったく占領できず失敗した愚将。
341 :
人間七七四年:2010/02/27(土) 00:53:19 ID:bH538EAP
全裸道じゃなくて、全羅道だったw
342 :
人間七七四年:2010/02/27(土) 18:05:26 ID:RBajPJsI
>>340 そりゃ全羅道は八道国割で一番難しいところだったからな。
まさに朝鮮半島でもっとも豊かで米がたくさんとれる兵站地として最良な地だったから
他の道が5千から2万程度の敵兵だったのが、全羅道には約5万の兵が集まっていて、
1万6千くらいの第6軍だけで攻め取るのは難しい上に、通り道となる忠清道や慶尚道も
同時攻略中で補給もほとんど受けられなかったからな。
割当なんで一応攻めてみて結構手強かったんで、無理をせずに切り上げて明軍への
対策を重視したって感じの判断だと思うがね。
そんな中でも義兵将の高敬命、趙憲、霊圭等を討ち取ってる(これは主に立花宗茂が)し、
明軍の主力部隊も碧蹄館で撃退して充分活躍はしてる。
343 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 22:42:40 ID:tTvFrpfp
>>340 そんな重箱の隅を突く様な事しか言えんのかww
344 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 23:33:25 ID:FaZs7ywZ
なんでもいいからとにかく卑下したいだけの人種なのだから仕方ないww
賞賛のみで語る人間がいても同じくらい怖いけどな。
346 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 10:02:52 ID:yIq7I5uv
初動期において半島最南西端部の全羅道での失敗が朝鮮を調子に乗らせ朝鮮義軍や朝鮮水軍の根拠地になる端緒を作り日本軍の補給を困難にした。
快進撃した日本軍は背後に敵を得る状況になり、ために全戦線に悪影響を及ぼした。
隆景は完全に朝鮮での失敗のA級戦犯。
また明軍に隆景はビビッて先陣を立花に押し付け、しかも援軍すら送らなかった。
立花が勝利するや呼応して宇喜多軍が進撃するや
隆景は「宇喜多はもともと当家の家臣筋だからやつらに功をやるわけにはいかんから立花は邪魔だからどけ」と狭い心丸出しの指令を出し立花家臣は激怒する。
しかし隆景軍は見事に大敗し敗走を開始。
そこに立花が戦機を見出し救援のために横撃を加えて敵を崩して隆景軍を救援。
隆景が明軍に勝ったと言うのは捏造逸話マンセーと功績泥棒常習犯隆景の素晴らしい勲章。
347 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 10:38:49 ID:jiyA7CqQ
確かにへきていかんで隆景が勝利したとか全然思えんよな
前田利家のようになんの実力もないやつが縁故と年の功でまわりが持ち上げてくれて
功を横取りみたいになってるけど実際現場で戦功を挙げ全軍の勝利に貢献した一番槍の功は
武神立花宗茂のものだね
348 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 11:46:00 ID:UYKQ7X4/
おっ またsub公か
口調がいつも同じのバカ丸出しだから分かり易いな
349 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 12:24:41 ID:yIq7I5uv
オウンゴール隆景は毛利家臣でありながら利敵行為で秀吉に媚びまくり
秀吉の威を背景に輝元に暴力を振り回し、毛利から自立したのに御礼参りに輝元を毎年のように脅迫しにきたDQN
そのため隆景曰わく「暗黒寺は俺の言うことしか聞かないぜ」など輝元ではなく隆景の言に従う毛利家臣団は輝元を極度に軽視し
関ヶ原でも輝元の意見を一切聞かなかったために三成や宇喜多らが破滅することになった。
毛利の殿様がそうせい候になり下がったのも隆景が原因w
350 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 13:01:39 ID:SqvEvPT0
しかし、極論にも程があるな
351 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 15:59:06 ID:51C1Bbx8
しかも、単に隆景の失敗を粗探ししてデマと装飾で拡大解釈してやがるしww
オマケに景勝と兼続じゃ敵わないと思いきや、今度は宗茂を持ち出して
必死に争わせると言う子供じみて幼稚な思考回路だなww
352 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 16:49:28 ID:yIq7I5uv
>>351 ならさっさと一次史料で隆景の功績を出してみろよwww
353 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 17:12:07 ID:KWLXU+W/
「小早川殿は日本では、その名を知られ、類稀なる才能によって非常に尊敬される人物である。その知識と努力により毛利家の領する九カ国を良く治めており、この国で長い間、戦乱も謀反もなく数カ国を治めることは珍しいことである。」
(フロイス 日本史)
354 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 17:27:10 ID:yIq7I5uv
やはり輝元が主家に仇なす秀吉に媚びる権臣隆景により蔑ろにされてた証拠だな
なんら寸功もなくただ秀吉に取り入って地位を手にいれただけ。
355 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 18:18:12 ID:UYKQ7X4/
ほっとけほっとけw
隆景>兼続はもう確定してんだ
Subのバカが出目金になって顔真っ赤に否定してるだけwww
滑稽すぎて笑える
356 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 19:49:49 ID:KzyqarG1
>>340-341 wwwwwwwwwwwwwww
これからsubのことは「全裸道」って呼ぼうぜ
立花って全裸道のときは隆景旗下じゃなかったっけ。
358 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 22:06:09 ID:K9TBe9Pn
>>357 そだね。そもそも宗茂と隆景・秀包って義父義兄弟の契りを交わしてたって話もある
隆景も「立花隊の三千は一万の兵に匹敵する」って激賞してる位だから両者の関係
はすこぶる良好なんじゃないかと
359 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 22:29:55 ID:NpEm5fDj
つまり立花は小早川の三倍強いと本人が認めちゃった敗北宣言
360 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/04(木) 22:34:28 ID:Jp9FOX7y
その解釈、まったく理解できんので解説頼む。
361 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 22:38:16 ID:NpEm5fDj
認めてるだろ 毛利兵の三倍強い立花にフルボッコされて脱糞しましたごめんなさい許してって
362 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/04(木) 22:39:56 ID:Jp9FOX7y
いや、全裸道の話なんだけど。
363 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 22:42:55 ID:K9TBe9Pn
その発想は無かった
364 :
人間七七四年:2010/03/04(木) 23:58:09 ID:HUcF/POm
まぁ大友との戦いで、毛利大敗原因を作ったのが道雪に破れた隆景だから
立花軍の強さに臆しビビり恐れた隆景の心からの言葉だろうね。
>>347 利家の方がはるかに隆景より上だろう。利家に失礼だわそれ。
まぁ利家並みに隆景も無差別大虐殺やらかして海に捨てて証拠隠滅謀ってるけどな。
365 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 00:46:03 ID:Fj0w4+Lk
とりあえず一次史料で隆景の功績を出せばいいんだから
隆景擁護してる毛利厨は言い訳ばっか言って逃げてないで
早く出すべき。
戦国板の総意はいまのところ柴田を秀吉に売って引き立ててもらった無能前田利家以下で決定。
366 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 00:51:00 ID:nSVe5md8
賞賛=ビビったの意味がわからん
きっと虐められててそういう風にしか取れなくなった悲しい頭なんですね
まあ戦では立花>隆景って隆景が認めたもんってことだろうがスレチにも程がある
てか宗茂に戦で比べられる武将は謙信とかの最高レベルだから50回以上戦してる元就や元春ならまだしも隆景じゃ比べものにならんだろ
で、隆景と兼続は結局どっちが上なんだ
お互いそこまですごい勲功をあげたイメージがないけど
主家を盛り上げた意味じゃ隆景か?
367 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 01:21:49 ID:ZcTqgOe9
>>366 以下のを読むと景勝を盛り立てた兼続の方がはるかに優秀だなあ。
>>138>>140>>141>>142>>144>>145 兼続を自分とこに欲しいって要求に対して、景勝は「兼続がいないとなにもわかんなくなるから困る無理!」って言ってるから景勝の業績=兼続の功績になるだろうし。
隆景ってなんか具体的にやったの?大したことしてないよね。利家を空気にした感じ。
368 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 08:38:01 ID:nSVe5md8
>隆景のやったこと
具体的に言えば元春の反対を押し切って猿の軍門に毛利をつながせたこと
その後四国や九州で雑魚虐め、宗茂一人の活躍を分けて貰ったりそりゃ酷い
まあ結果だけ見れば天下安寧の中一地方の覇者になって元就の望みを実現してるが
兼続の内政実績や戦功は確か色々残っていたはず 多分 ソースなぞしらん
景勝を傀儡にして上杉を我が物とし最終的に家康に喧嘩売って30万石に転落させた奸臣
結果だけ見れば隆景>兼続、実績?だかなんだかを見れば兼続>隆景
どっちも田舎大名の家来なんだからチンカスなのは変わんないがなwww蹴鞠でもしてろよw
369 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 10:23:37 ID:ZcTqgOe9
はっ?景勝を傀儡なんかにしてねーよ。
どこを読んだらそう解釈できんだ?
もしかして会津陣物語とかの講談話ベースの小説知識レベルで語る恥ずかしい人ですか?
関ヶ原ではお笑い小早川・吉川・安国寺・輝元ら毛利一門が足を引っ張りまくって自爆し、石田・宇喜多ら共々上杉も30万石になっちまったんだろ。
立花宗茂なんて対島津戦や朝鮮での功績まで小早川に盗まれた挙げ句に改易の巻き添えまで喰うし、毛利一門から援助さえ受けられなかった冷遇ぶり。
370 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 11:00:58 ID:FzGfewu5
今日のsub=全裸道=ID:ZcTqgOe9
あぼーん推奨
371 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 11:37:13 ID:Fj0w4+Lk
鼻くそヘタレ毛利に勝っても自慢にならんのがなんとも。
なんせヘタレ小早川隆景が明軍に恐れおののいて、
「た…たちばな3000は我ら他家の1万(自分基準で言ってるから要するに毛利精鋭1万)に相当する!先陣をお願い致します」と敵に臆して発言したことからもわかる。
吉川元春に至っては九州から中国地方への大敗走の殿をつとめてボロクソにされたヘッポコぶり。
殿をまともに勤められる武将すらいないのが弱毛利。
ヘタレ隆景の発言は常に消極的で保身。
己が命は毛利家よりも重い命乞いの達人。
秀吉に内通して主家を蔑ろにした奸臣。
森勝永を毛利家の養子にって秀吉が言ったら隆景が
「マジ?あんなステキな男の子をですか?すぐ輝元を廃嫡させます」って言ったんだろ。
ホモ隆景は毛利の乱臣賊臣だよな。
大友との盟約を破り毛利2万が怒留湯主水がわずかな兵で守る門司城を奇襲する。
大友1万5000で出陣し10月13日に開戦。
大友が終始優勢で、ついに15日に至り毛利が総崩れで山口へ敗走。
門司合戦に敗北した毛利は大友の侵攻を恐れ、筑紫や秋月に支援を約束して謀反を唆す。
弘治3年7月、大友軍が謀反した秋月を滅亡させる。驚いた筑紫も毛利の支援が絶望的なので自ら城に火を放ち亡命。
永禄元年、毛利2万が再度、早鞆の瀬を渡河し門司城を奇襲。宗麟が戦略外交で幕府の仲介で時間稼ぎをしつつ、尼子と同盟を結び包囲網を構築。
永禄7年、元就は豊前の要衝松山城などを大友に明け渡すことに同意し撤退。
大友絶頂期が到来。
永禄9年7月、尼子を滅亡させた元就は、また和平を破り宝満城督の高橋鑑種に謀反を唆し、それに伴い毛利3000とともに秋月や筑紫の復帰を後援。
この動きに麻生、宗像、城井、長野、千寿、後藤ら国人が同調。
大友は肥前や筑後の国人が龍造寺の動きを恐れて動員が進まなかったが、筑紫を降伏させる。
秋月、高橋救援に毛利来るの噂により、宗像が立花城を襲撃しようとしたのを撃退。
永禄10年9月大友の撤退を秋月が1万2000で襲撃するも大友側が反撃し痛撃を与え撃退する。
夜になり風雨となり秋月が再度襲撃し、油断していた臼杵、吉弘が混乱敗走するも道雪が混乱を沈静化させる。
永禄11年4月、立花鑑載が謀反し、これに同調し原田も挙兵。
これを受けて毛利は清水左近将監を将として立花救援に大規模出兵し立花城は1万以上に膨れ上がる。
筑前博多は大内、少弐の争奪争い以来の最重要拠点。ここを巡り毛利と大友の攻防が始まる。
永禄11年7月4日、道雪の調略で立花城落城。立花鑑載討ち死に。高橋城からからくも脱出した原田、衛藤らは清水とともに中国へ大敗走。
8月、原田、衛藤が立花城奪還を図り、再度、やってきた毛利の将たる清水と5000を集めて襲撃するも撃破される。
清水もなんとか新宮の浜から長門へ落ちた。
前回の戦いのダメージから回復していない秋月は毛利の援軍敗北を知り大友に降伏。
秋月に続き、城井、長野、千手、麻生、宗像らも大友に降伏。
宝満城の高橋鑑種が孤立化。
永禄12年2月、大友全軍をあげて龍造寺討伐を開始し隆信を佐賀城へ押し込む。神代、馬場、八戸、横岳、犬塚、小田、姉川、高木が大友に降伏。
3月毛利4万で門司城奇襲し小倉城に着陣し長野氏の三岳城を落城させる(毛利の味方なのにキチガイ毛利に濡れ衣を着せられ血祭りにされた)
佐賀包囲で隆信はもはや風前の灯火だったが、毛利の侵攻を聞き、隆信と和議を結び大友全軍は博多へ急行。
宝満城の高橋と合流に失敗した毛利が立花城攻め開始。
食糧が尽きた立花城は宗麟の命令で開城。
372 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 11:38:59 ID:Fj0w4+Lk
5月18日毛利4万と大友3万5000が立花を巡って決戦をし、道雪が小早川隆景隊左翼に突撃をかけて敗走させたために毛利全軍も敗走しもはや毛利は積極策に出られず。
さて宗麟はここで決定的勝利を得るため密かに豊後府内に帰って吉岡宗歓の秘策を実行に移していた。
それは制海権を握る村上武吉を買収し、9月に大内輝弘を無事に毛利領へ送り込むことと、若林鎮興に軍船を指揮させ毛利の補給路を断つと言う知略。
見事に村上武吉が見て見ぬフリをしたために大成功し、元就は九州からの完全撤退指令。
永禄12年11月15日雨天にみぞれが混じり降る寒風の夜に吉川元春を殿に撤退開始。
「士卒大いに凍え疲れ、親を捨て主を跡に置きて、我一にと逃げ行くを小倉の津まで追討。行程十余里が間、死人算を乱せるが如し、今日大友方へ討取る首数3491級」
そして置き去りにされた立花城の毛利軍も降伏。
毛利を待ち続けた高橋鑑種が11月下旬に、ついに大友に降伏し肥前、筑前、豊前の再制圧が完了し立花城には道雪が配置された。
毛利が大雪の夜間に大敗走した時の
道雪の鬼追撃において、紹運の兄も毛利勢百数十を討ち取ったんだよね。
毛利マンセー安西軍策でさえ、
毛利軍九州撤退の際に道雪が元春や隆景の使いに「そちらの陣が御敗軍の由」と発言し、
宗麟が立花城開城勧告で「今度中国勢敗軍のところ」と発言し、毛利側からはそれらになんら反論すらしてないのに毛利勝利ってw
毛利厨はほんと無知だな。
さらに厳島合戦は因島村上と来島村上の水軍が主力であり、
地理的に因島は小早川と親しく、能島は陶と親しく
来島水軍が去就をハッキリしない時に、元就が来島水軍が味方しなければ、
我々は破滅と泣きの言葉を書いている。
陶が拒否した瀬戸内海水運において元就は媚びまくり大幅譲歩して来島を必死に味方にしたから陶に勝てたにすぎん。
北九州攻防戦では大友の吉岡宗歓にこの点を見事に喝破されて、陶に付いて負けた側の能島の村上武吉の買収に成功させられ、
村上武吉が見て見ぬフリをしてもらってる間に、毛利の船舶による補給ルートの破壊と大内再興軍の無事な中国地方上陸を成功させられ
村上水軍に頼りきる元就が他力本願で勝った厳島合戦は、
結果として大友が正確に毛利の弱点を認識し周到に謀られ毛利大敗敗走する原因を作っている。
373 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 11:40:14 ID:Fj0w4+Lk
吉岡長増について
毛利の主力軍が筑前に集結しているのを見て尼子の遺臣山中幸盛に
弾薬、鉄砲資金を援助して尼子の侵攻を手助けし、
毛利に下っていた尼子旧臣の米原綱寛に山中幸盛に合力するよう促し成功。
長増は輝弘を送るにあたり、小早川指揮下で周辺海域を支配している村上水軍の村上武吉を
筑前方面の通行税を取る権限を餌に寝返らせるが、
この寝返りを毛利元就の策略と疑い、
8月9日に大友水軍の若林鎮興に筑前の毛利軍に送る食料補給基地(周防にある)を
襲わせて村上の出方を伺った。すると確かに武吉は見て見ぬ振りをして、鎮興の攻撃は成功した。
大内旧臣たちに大内輝弘に協力するよう調略を開始し、
さらに豊前小倉城を攻めると流言を流してわざと毛利氏につかませ、
10月9日に田原親宏に小倉城を攻撃させて吉川元春、小早川隆景の注意を釘付けにし、
同日、輝弘に兵を与えて筑前に出兵中の隙を突いて毛利領の周防国に侵攻させた。
毛利氏の強みは村上水軍に守られ、大友が周防.長門を攻撃できないことであった。
これを突破したことは長門に本陣を構える元就を驚愕させる。この策は見事に当たり、
兵がいない周防は輝弘によって次々と侵食されてゆき、驚いた元就は主力軍を全て筑前から撤退させた。
大内再興軍を輸送した若林鎮興はこのあとも大友水軍を育てて、国東半島封鎖戦で、ついに毛利水軍を撃破してますよ。
瀬戸内海の制海権を握ってた分、毛利がチートだったわりにボロボロに負けまくったアホ元就。
しかも制海権の痛感した大友側は努力して1580年あたりには大友水軍を小早川毛利水軍と同等かそれ以上になっちゃってますw
田北紹鉄の謀反が鎮圧された頃、田原親貫が城井鎮房と秋月種実に支援されて叛乱。
毛利が支援で派遣した小早川毛利水軍は大友の名将若林鎮興が大友水軍を率い瞬殺し周防灘まで追撃掃討戦。
毛利の大敗を知り、田原側の城が次々に開城し田原滅亡。
秀吉も大友の手法を学んだのか、来島水軍も1582年には秀吉の調略で織田に寝返る始末。
大規模な3度に渡る奇襲をした元就側の連続大敗北により北九州からの完全撤退で幕を閉じた戦役。
また3回の侵攻の間に清水等を将帥にした毛利軍の中規模侵攻がたびたび行われたがことごとく失敗し、秋月、筑紫、原田、高橋、立花、麻生、宗像など毛利派はすべて壊滅。
老獪で卑劣な裏切りを続けてきた老人元就が、盟約を破り北九州に奇襲をかけ上陸してきたが、まだ経験値がほとんどない若き宗麟に大敗北して何度も中国へ逃げ帰った戦役。
秀吉の命令により立花救援をすることになった毛利
弱毛利両川が11月7日から高橋が人質を取っていた豊前宇留津城攻めを開始して籠城兵1000&この地域の男女の生き残った民400を磔にして無意味な大量虐殺をして海に捨てて進軍し、
豊前香春岳の高橋元種(秋月種実の子)をやっと降伏させたのは12月11日と弱毛利の進軍はあまりにトロく遅い遅すぎる。
小早川らの戦力はボロボロでそれ以上の進軍を断念し越冬準備を開始
筑前立花城までの距離はまだまだ籠城する秋月島津側の城を始めとして、かなりあるわけだし、
だいたい島津が立花城から敗走したのが8月23日なんだから講談話とは違って現実には宗茂は小早川の力なんてアテにしてない。
374 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 11:53:20 ID:MrN9TDNa
あまりに毛利が弱すぎてもみじまんじゅう吹いたw
375 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 12:11:38 ID:nSVe5md8
毛利マンセーも毛利アンチもちゃんとした事を言わず自分の妄想を並べてる為
領土の大きさを問われたら反論出来ないのがオチ
国政を兼続一人に任せる=傀儡という事実にろくに反論出来ない上杉マンセー
兼続は領土を激減させたド屑との主張の兼続アンチ
チンカスの集まりだなここはwww
376 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 12:16:29 ID:ZcTqgOe9
だから景勝が兼続の傀儡だと言う主張を一次史料で書いて証明してみろよw
377 :
月孔雀:2010/03/05(金) 14:09:49 ID:blYJ6f2u
傀儡だと思う。
378 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 15:36:58 ID:Fj0w4+Lk
宇喜多を選んで忠義の三村を切り捨てた挙句に宇喜多に裏切られたアホ隆景
379 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 15:50:10 ID:Kqb+u0Ql
大きな権限は与えられてたと思うけど傀儡とは違うような気がするけどなあ。
景勝自身が、直江にはいろんな用事を申し付けてるから、側にいてもらわないと困るって
書いてるぐらいだし。
380 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 16:58:30 ID:7zgZWaIR
vietnam kara senngoku ita ni akusesu
381 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 17:05:23 ID:ktwUs7AL
関ヶ原の時に家康を追撃しようとした兼続を景勝が止めてんだから傀儡じゃないだろう。
382 :
月孔雀:2010/03/05(金) 17:51:16 ID:blYJ6f2u
ふむ。
383 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 18:25:46 ID:eopr6khd
ふむ。
384 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 20:13:08 ID:PZmZG8NO
むふ♥
385 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 20:42:59 ID:BuJ5Svx7
>>381 家康追撃の逸話は創作だよ。
他家の家老に比べて異常な権限が与えられ、景勝の許可を
得ないで独断でやれる部分が少なくないのもたしか。
傀儡とはまた違うけど。
386 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 21:10:01 ID:KWsDjNH/
>>371 >>372 つっこみどころ満載のコピペ乙
大友立花厨も毛利上杉厨と変わんねーなw
そういやなんでこのスレで門司城攻防戦が出てこねーんだ?隆景最大の見せ場だろうに
毛利厨しっかりしろよ
387 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 01:00:17 ID:uJl9ki7G
>>385 >>景勝の許可を得ないで独断でやれる部分が少なくないのもたしか
一次史料でそこ詳しく説明望む。
388 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 11:30:31 ID:3Iz8LQ06
馬鹿の全裸道が叩いてるってことは、隆景は名将なんだな。
389 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 11:43:26 ID:OcnFz7KZ
>>388 で、一次史料における隆景の功績はまだなの?
ヘタレの人生をおくった隆景の生き様は、勝家を売った利家よりもはるかに棚ボタ人生をおくっただけだよね。
隆景騎下の水軍が大友や織田に買収されて、毎回毛利の決定的大敗を確定してくれるし
朝鮮出兵でも負けまくったのに、宗茂の功績を奪って名将づらw
390 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 14:46:06 ID:3oVVEgaO
もうやめて、毛利厨のライフはゼロよ!
391 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 16:11:13 ID:BZQCWFA3
>>389 すげーな。毛利は決定的大敗を毎回してても生き残れたんだな
392 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 17:16:56 ID:OcnFz7KZ
山ばっかで石高低い痩せた土地の中国地方なんて誰もいらねーしな。
393 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 22:42:00 ID:CFHg1wDd
>>387 三成の使者に自分が会って話を聞いた上で
返書をしたためるという内容の書状や、車
丹波ら使えない連中の追放に関する書状
394 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 00:32:16 ID:VXR7Dh6k
>>393 人によってとり方も違うと思うけど、三成の使者の場合は
手紙が兼続宛てに来てたらしく、その返書は兼続が若松に帰って、
景勝の意向をふまえた上で書きます、といってるようにもとれるし、
車たちは使えないというより、組外として兼続支配に入ってたから、
その追放もある程度兼続の裁量でできたのかもしれん。
395 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 01:21:47 ID:atk/fiN5
>>393 >>他家の家老に比べて異常な権限が与えられ
そんなん他家の家老だって普通に処理してるレベルで、ぜんぜん異常な権限が与えられてねーじゃん。
396 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 03:05:07 ID:twzUwWoZ
>>392 宗麟は欲しがってたぞ
元就が尼子を攻めている時に周防・長門を取ろうとしたが
隆元率いる部隊に撃退されて結局自分の娘を輝元と婚姻するという形で和議を結ばされているけどな
397 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 08:57:36 ID:DFZTQVFa
>>396 隆元に負けた?そんな話は聞いたことないし、
そもそも当時の大友には制海権がなかったから周防や長門に進出なんてまったく考えてないよ。
むしろ山口が荒廃し毛利に山口を経済的復興させられる能力のある者がおらず、貿易都市博多を狙って侵略を開始してるし、
結局、毛利の力で大内時代が全盛期だった山口を再現させることはできなかった。
隆元に負けたから輝元と娘の婚約をして和議を結ばされてる?
それは違うよ。宗麟が尼子と幕府を外交で操って毛利を圧迫したからだよ。
和議に関しては元就の方が熱心で、宗麟はなかなか和議を結ぼうとせずに、尼子の侵攻に対処したい元就は譲歩に譲歩を重ねて、占領した北九州諸城を返却してまで和議をお願いしてた方。
大友側資料には小早川秀包に娘を出したと記されるが秀包の誕生年を考えれば有り得ない話で、輝元が大友娘と実際に婚儀した記録はない。
おそらく毛利が北九州諸城を返却し撤退するにあたり、追撃を受けないための保険として一時的に娘を預かったのではないかと言われている。
398 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 11:13:54 ID:dr+ni9Ix
隆元に負けたのは門司城攻防戦じゃね?まぁ周防長門じゃないけどな
subの煽りに律儀にレスイクナイ
399 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 11:19:19 ID:3L09qOHw
聞いたこと無いとか自分は馬鹿です発言きたwww
400 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 15:50:16 ID:/HBcQcKu
>>395 どこの家老でもって具体的に誰?
体制としていい悪いは別にして、
一人でこれだけの権限を与えられた
珍しい存在だから直江は有名なんだけど。
401 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 16:25:33 ID:fiboTJtj
>>394 組外って直江の指揮下かな?特に車丹波は福島城で須田の指揮下で
働いていたし。
402 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 17:36:58 ID:DFZTQVFa
当主が遠く国元にいて、京などの出先にいた重臣が信頼されて突発的な処理を一任されていたことを独裁とか専横とか傀儡と書くのは如何なものか。
403 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 19:02:14 ID:3GkBBy0o
景勝と直江は上洛・帰国はほとんど一緒にしてるはずだぞ。
時間差はあっても。
『藩制成立史の綜合研究ー米沢藩』
「直江兼続が執政として掌握した主要な諸権限は、検地惣奉行・
蔵入地奉行・知行宛行奉行・佐渡代官・出羽庄内仕置等であり、
その全てが領国支配の根幹をなすことは極めて注目に値する」
藩政の全体を直江の与板衆が中心になって動かしている。傀儡と
言うより、景勝がそれだけ直江を信頼してるってことだけど。
404 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 03:00:00 ID:sy3rNmmO
>>398 隆元は家督を譲られたとは言え実権は与えられていないから
隆元の指揮に負けたとか言う論法はそもそも成立しないし
隆元が指揮という根拠はそもそもどこから引っ張ってきたんだ?ソースだしてくれよ。
ひょっとして安西軍策とかデタラメ講談話からじゃねーだろうな?
あれにはたしかに隆元が指揮したとか書いてるなwww
だがあれは毛利美化の三次史料以下のシロモノで、宗麟の外交力で幕府を動かして
和睦の話を持ってきて、しかも元就は占領した城々を返却する土下座外交に一切触れないし
その後に隆元は病死したことになってて、暗殺を疑った元就が
和智誠春・新三郎・湯谷又八郎・又左衛門・赤川元保を次々に殺戮しまくった話すら書かないクソネタ本。
>>399 お前みたいな無知は内容あるレスすら書けないwww
405 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 08:02:13 ID:psgfzA2q
隆元指揮して勝った戦いなんてねーよアホ毛利厨房また捏造乙
406 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 13:30:18 ID:an25rKEd
さぶちゃん、隆元はここでは関係ないから落ちついて。
>>394 読み方だろうけど、逆に兼続が会津に帰らないと返事ができない
という感じにも受け取れるな。
407 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 22:45:39 ID:ljGEONfb
兼続は徳川政権になってからも陪臣のくせに特別扱い
江戸屋敷別にあたえられて大名扱い
408 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 23:06:03 ID:gRRLAve+
景勝がもらったものに直江を住まわせたんだけどな。
息子の景明が病気になると幕府から名医が派遣されてるし、ちょっと
普通の陪臣とは違ったんだろうけど。
409 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 01:32:39 ID:xMWpDwbg
毛利厨死亡
410 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 10:25:23 ID:RTtTnzDq
小早川隆景は天下無敵史上最高陪臣。
直江と比べるなら吉川広家だろ。
411 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 17:37:25 ID:mPghOeeB
>>408 しかしさ、前から言いたかったんだが景勝ってここまで
何から何まで兼続に委任して任せるって・・・・ww
よっぽど自分の政治力に自信が無かったのか?
これってある意味、「自分は無能です^^;」って言ってるようなもんじゃねえの?
隆景は父の元就から輝元の養育係を仰せ付かってたし、毛利宗家を盛り立てて行く様にと
遺言もされてたから分かるけどさ。
兼続は謙信からそこまで上杉家のこと託されてなかっただろ?
御館の乱で兼続に助けてもらってから、自分じゃ上杉家を取り仕切って行く
自信が無かったとしか思えんわ。
関ヶ原の時も、もし「直江状」ってのが本当なら景勝はモノホンのチキン野郎だと思う。
こんな重要な返事を自分の言葉で書かず、家臣に任せるって・・・ww
自分で書けよww
それともいざとなったら責任を全部兼続に押し付けるつもりだったのかな?
412 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 18:09:58 ID:u5/qsmA9
直江状だけど、これはちょっと勘違いしてるよ。
そもそも直江状は、兼続の友人でもあった承兌が家康の意向を受けて、
兼続に出した書状の返事だよ。
詰問使が会津に派遣された時に携えたものとされてたけど、
最近秀忠書状から、詰問使に対して、景勝は条件つきで一応は上洛を承知したのではともいわれてる。
413 :
人間七七四年:2010/03/10(水) 21:39:58 ID:wicEZ1E9
>>411 現存しないだけで、景勝からも返書があったよ。
詰問状も家康との話し合いの上で作られた一定の公的部分を持つものなので、
直江状も直江の一存じゃなく、上杉家としての回答。だから家康も奉行も読んで
家康が切れ、奉行が「直江は田舎者だから」となだめた。
過激ではあるけど、挑戦状と言うよりは詰問に対する反論の書状だね。
景勝のは直江状の簡略版だったと思う。
414 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 00:18:50 ID:u23BrOho
というかそもそも景勝と家康って婚儀の話も進めてたよな。
415 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 00:22:26 ID:9OmvE8fr
んで、輝元が憤慨した。
景勝「いやあ、太閤殿下がそう遺言したもんだから^^;」
輝元「ふんっ ホントかどうか・・・」
でも三成襲撃事件で2人は手を組んだ
416 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 05:13:11 ID:ZLWNg8NU
>>411 それこそ大河や小説の影響真に受けすぎだろ
真田幸村や前田慶次じゃあるまし
417 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 05:18:31 ID:ZLWNg8NU
織田がいよいよ天下取ろうかってとき景勝が佐竹に送った書状は直江状よりずっと戦人の誇りと潔さを感じた
418 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 07:16:18 ID:25VoExpK
>>413 景勝の返書?
しかし承兌の書状はあくまでも兼続に宛てたものだから、
(兼続の方からも景勝の上洛を働き掛けなさいって書いてあるし)
詰問使の伊那や河村を通して、派遣した家康や増田への返書か?
直江状が有名なためか、実際詰問使に対して景勝がどんな返答したのかわからないんだよな。
承兌と直江の往復書簡も写しだし、家康が直江の書状を見て怒ったのを奉行衆がなだめたというのも写ししか残ってない。
原文があるのは、討伐が決定的になった6月に安田や重臣たちに宛てた
「ついて来るものは残れ、去りたいものは去れ」っていう
これまでの経過の説明と開戦への決意を記した景勝書状だけだ。
俺は家康が難癖つけて、上杉をはめたみたいに思えるんだけどなあ。
419 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 08:59:25 ID:9nF9TfSO
『関ヶ原軍記大成』には景勝から十一カ条の返書があったと
記されているよ。「内府が政治を私物化している。それを忘
れているのか。そのへんを直さないと上洛しないぞ」みたい
な内容らしい。後世の編纂物だけど、伊奈や河村が景勝の返
書を持ち帰るのは当然なので何かしらあったんだろう。
承兌の書状は友人の直江宛てとはいえ、家康と相談した上で
書かれていると思うよ。書状の日付の4月1日に寺に帰って
きているし、3月29日には「大坂からまだ帰ってこない」
と寺の記録にある。このあとすぐに、家康から謝礼の品が贈
られた記録も寺の日録にあることも裏付けになる。「伊奈、
河村が言うと思うけど私からも・・・」とあるので、そのう
ちやってくる公式な使者に、非公式で「おとなしく上洛する
って言っとけよ」ということなんじゃないかな。
家康は秀忠が認めていたはずの城の普請などを理由に謀反の
疑いをかけて上杉をはめたんだけど、前田のように「家康>
上杉です表明」をしてくれればいいのであって、必ずしも軍
事行動を狙っていたわけではないと思うんだよね。
420 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 23:47:15 ID:25VoExpK
景勝の返書のことは知らなかったなあ。
詰問使に対しての正式な返答はあったはずとは思ってたんだけど。
だけど家康は詰問使が帰る前に、すでに細川や島津に会津討伐をほのめかしてる。
詰問使が帰るいなや待ってましたとばかり討伐の議を決してるしね。
かたや秀忠の方は3月21日付けの書状で、
城普請は当然のこと、上方も落ち着いてますなんて書状景勝に送ってるし、
詰問使いが帰って会津討伐はなくなったらしいなんて書状を書いてる。
この親子意思疎通できてなかったんだろうか。
421 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 00:48:10 ID:I2t2yzPR
家康も秀忠の前に「領国の仕置お疲れ」みたいな書状送ってるからな。
それで謀反の疑いをかけられちゃあ、上杉が怒るのも当たり前だ。
422 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 12:58:24 ID:2qF6x7IO
>>96>>102>>115 毛利領国は大内義隆や尼子晴久の死亡により
地域の長老格の元就が寄親として祭り上げられたに過ぎないからね。
この地域の寄親寄子制度の例で言えば
大内の上洛で実効支配すら確立してない中国や北九州の国人を動員してるあたりが寄親寄子制度の悪弊の証明。
長い上洛での疲弊と不満から寄親を尼子経久に代える国人が現れた。
それらを廃し守護大名→戦国大名→近世大名化を目指す大友は寺社権力を潰し、それら北九州の国人衆を実効支配しようとして反発を買い
しばしば戦国大名ですらない支配力のない毛利の方が楽なので調略についていくが
元就はなぁなぁの緩やかな指導者のままであり、大名として認定するのすら怪しい。
その悪習が毛利の発展を阻害し一枚岩になれず大名化に失敗し協調性のない組織にしてしまった。
毛利は村上水軍におんぶに抱っこで依存しまくってただけで毛利元就自身は無能。
山陰では吉川、山陽では小早川が国人衆への利益代弁者として
名目上の象徴当主毛利本家の意見に従わず
特に水軍貿易の利を支配した山陽道の利益代弁者の小早川の発言力は甚大で
天正6年(1578年)7月摂津国有岡城荒木村重の織田への謀反&天正6年(1578年)7月3日毛利6万による上月城落城時の、
吉川の三木城の別所長治救援のための織田追撃による東播磨への展開の主張を、別所と荒木を見捨てろと小早川は拒否。
その後、水軍を秀吉に調略された挙句に天正6年11月6日第二次木津川口の戦いで大敗し補給を断たれた本願寺も2年後に降伏。
永禄11年(1568年)の毛利の九州進攻で備中兵を率いた三村氏の忠節は有名だが、
天正2年(1574年)「宇喜多などは表裏の者であり到底信用できる相手ではない」
「歴代忠孝を働いてきた三村家を蔑ろにするものであり、義から外れる行いである」
とする山陰の吉川の反対を拒否し小早川は宇喜多直家と同盟を結び三村氏を見捨てたために
天正3年(1575年)5月備中兵乱が起り三村滅亡し備中南部を宇喜多に譲渡した挙句に、
天正7年(1579年)には荒木や別所や本願寺のように毛利に利用され捨てられることに危機感を抱いた備前の宇喜多直家は織田に走る。
吉川元春は「自分が直接三村元親に会って翻意させるので討伐は厳に避けるべきである」と小早川へ嘆願するも拒否され
「義を通さぬ毛利家の将来は暗い」と嘆いた。まさに吉川の足を引っ張る利敵行為を次々に行いつつ毛利家中を支配していく小早川独裁。
3万の毛利軍が備中高松城を救うために進出したが決戦をまたもや回避。
天正10年(1582年)6月に本能寺の変がおこるや、吉川は秀吉追撃を主張するも
小早川は毎回得意の利敵行為で清水宗治を切腹させる土下座外交を展開。
そのために対織田戦での決戦精神のある国人が存在せず
強制したら織田になびいてしまうような状況で、
豊臣政権からも「毛利の動員は遅すぎる」と激怒されるなど、
国人への強制力が欠如していたので、関が原でも意見がまったくまとまらずに、それぞれが好き勝手して敗北した。
>>101>>364>>371>>372>>373>>397 対大友戦でも隆景が敗因を作りまくり、最終的には
>>113制海権を握っていた水軍力も大友側の水軍育成により大敗し毛利完全敗北で終わる。
>>349 利敵行為を評価され自ら五大老に就任し主家に並ぶ愚行。専横して主家を売った奸臣
押入れに閉じ込めたり、布団たたきで尻をぶん殴ったりして輝元は何度も家出を慣行してるぐらいww
その度に隆景に連れ戻されて殴られてたみたいだ・・・・
秀秋が小早川家の養子になった時、輝元は愚痴をこぼしてんだよね・・・。
「叔父上は自分には熾烈な鉄拳制裁をしていたのに、金吾には全く手を出さないじゃないか・・・」
利敵行為の積み重ねの功績から大老になった隆景は男色の秀秋を毛利本家の養子の話を蹴って、自分の養子にしたが
毛利勝永を毛利の養子にと言う話には「ぜひお願いします。あんなヘタレの輝なんてすぐ隠居させます」と大喜び。
結局、輝もさすがに叔父を憎み、秀元に譲ると主張し毛利家を分裂の危機にするが、
毛利の圧力で毛利勝永が身に余る申し出と断ったので助かった。
隆景って詩歌などの文才も無さそうだし政治の舞台たる茶道も大したこと無さそう。
朝鮮で宗茂にしばしば助けられたくせに、その宗茂の武功を奪っただけの男だな。
はっきり言って何でも毛利に言うことにきかせる為の連絡役として奴隷みたいに秀吉から便利に使役されただけの存在。
厳島だって陶が蹴った条件を元就が鵜呑みにしての村上水軍のおかげだし、隆景なんて武功ないじゃん。
423 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 12:59:17 ID:2qF6x7IO
424 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 18:20:13 ID:C668ycd3
呪術をバカにすんなよ
前線で命をかけて戦ってる一半兵卒には最重要事項であってもおかしくないんだから。
近代の軍隊ですら従軍僧侶や牧師がちゃんといるってのに、ましてや中世だぞ?
兵卒の士気の維持や高陽のために呪術をすることがアホだったわけないだろ
425 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 18:31:56 ID:a4xUrIVN
兼続も呪術やまじないに通じてるけどな。
426 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 18:38:47 ID:2qF6x7IO
西国はまだまだシャーマニズム的な呪術的な戦場判断が一般常識として存在してたから畿内や東国の軍勢の機を見るに敏な用兵には敵わないよね。
毛利・大内・尼子・大友・島津あたりはみんな論理的ではなくて戦場や城かた立ち上る気や天文が地上に与える影響やら
呪術やクジ引きおみくじの神託やら悪日や大凶日や易や暦を盲信してるからね。
島津の上井覚兼の日記なんてみたら笑っちゃうw
呪術的占いが大好きな野人隼人の島津は、鎌倉の昔から相も変わらず占いで豊後侵攻路を決めたあげくに大苦戦したんだよ。
島津が大好きな神様に騙されたよねw
そういや上井覚兼は秀吉が大友に兵を出すって決まった途端に義久がびびって改めてくじ引きをまた引き直しやがってと激怒してるしね。
西国のくじ引き軍が畿内以東より強いわけがないね。
陶が毛利や竜造寺に「こんど義隆をのぞくからよろしく」って手紙出してたから
大内義隆が陶の謀反を知り避難せずにひたすら悪鬼調伏の護摩焚いてたら殺されるw
厳島でなにやら占いや気をみたりしつつ陶がここ数日は大凶の日が続くから休戦日なんで軍装解いてゆっくりしよう♪
すると西国のルールを破った卑怯者元就が無防備の陶を襲撃
なんていうかマヌケばかりの西国w
西国って畿内以東でしばしば見られる士気を高める統率のために利用してるんじゃなくて、ガチマジだからウケるw
427 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 00:48:27 ID:CK32UFiN
毛利厨大敗走www
428 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 01:46:28 ID:ptnsGLFA
sub本当は毛利大好きなんじゃね?好きの反対は無関心だろうに
429 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 02:53:17 ID:CK32UFiN
隆元も元春も邪魔になって隆景に暗殺された・・・
430 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 03:54:22 ID:ClN4N6RP
アンチな奴てなんなの?
普通嫌いなら調べようとする気も起きないし
関連スレに来る気も起きないと思うのだが…
非難する事に喜びを覚えてるのだろうか?
その為だけに情報をかき集めてるのだろうか?(とらえかたが屈折してるが)
だとしたら相当暇なんだね
性格が暗いよ
他に趣味かなんかやる事見つけたほうがいいと思う。
そのほうが人生充実すると思う
毎日アンチの書き込みをする為だけに時間をかける人生て悲しすぎないか?
431 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 09:46:00 ID:pZhksPyE
・太陽に向かって、自分の影を見るた時に影が見えねば、その日大変なことが
起きるということだ。大切な用があっても家を出るべきではない。
・小便を見たとき、大事があるときは泡がたたない。泡がたっていたら安心しろ。
・船に乗る時は、足の親指で辻という字を書き、龍王揃を一巻読み、さらに賦と
いう字を書き〜〜
直江兼続「秘伝集」
樋口与六時代には僧侶に合戦の日時などについて吉凶を占ってもらって
いるし、漢籍でも占い本みたいなのを収集している。
「秘伝集」は直江が考えた内容ではなく書写だろうし、実用的な「軍法」
と分けてまとめていたけど、呪術的な部分も重視していたのはたしかだ。
432 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 09:56:04 ID:8xxZLxc2
勝利をもたらす白鳩だと喜ぶ家臣達の目の前でそれを射殺すとかしないと
合理主義者とは言えん
433 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 18:16:44 ID:rt5nffw5
隆景はよく秀吉の中国大返しを助けたために、媚び売りやら腰抜けとか
言われるがとんでもない見当違いだな。
織田家の当主の信長が謀反で殺されたと言う結果と状況を冷静に分析して
判断したら、秀吉とこれ以上無駄に戦う必要もないと言うことを
すぐに見抜き、長期的な視野で先を見通し、これからは織田家内部で
権力争いが始まり、秀吉に光秀を討たせれば秀吉が織田家で一番有力になると言うことも
すでに見抜いていたし、輝元だけじゃなく強硬派の兄の元春達をちゃんと説得して
納得させることが出来た事が武将隆景の真骨頂だと思う。
不満はあっただろうが、元春も納得した上で隆景の案に従ってる。
つまりこの時からすでに隆景が毛利家でも実質的に発言力は一番あったと言える。
434 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 21:05:51 ID:2ksWg9Ps
>>433 >>隆景はよく秀吉の中国大返しを助けたために、媚び売りやら腰抜けとか 言われるが
聞いた事無いぞ
435 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 16:39:34 ID:mYQP0Nop
>>434 subがこのスレで吠えてたことだと思うよ。
436 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 02:56:15 ID:ln/JHrJk
>>431 それは経験則とか越後国魚沼郡上田庄の地盤からも切り離された春日山からの越後再統一までにおける
死地を経験した人間と常にそばにいた兼続の体験談を元にしたものだろう。
毛利や大内や尼子や島津の場合は思いっきり怪力乱神を語っていて孔子時代の中国より遅れてる。
>>433 それは結果論でしかなく、毛利厨が都合よく解釈してるに過ぎない。
中国大返しの時点で、明智や柴田を秀吉が速攻で勝利して織田で一番有力になるなんてわかるわけがない。
元春をちゃんと説得などしていない。ただ単に山陽道方面は小早川が指導的地位にいたので
対立してる吉川の意見が却下されたに過ぎない。
そもそも忠臣の清水宗治の命を救い、
中国大返しを邪魔して但馬国や播磨国や摂津国を切り取ると同時に明智を支援し、
明智と柴田を戦わせるように仕向けておいた方が毛利にとって都合がいいはずだ。
437 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 03:24:53 ID:7bAvPlOy
438 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 03:24:56 ID:7bAvPlOy
439 :
人間七七四年:2010/03/15(月) 03:30:31 ID:ln/JHrJk
大切でもないことを二度言う必要はないな。
ただ単に焦って動揺してる心を見透かされブザマな恥の上塗りな結果にしかなっていない。
440 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 00:32:09 ID:ajc6iCy1
まぁ秀吉を滅ぼしてうまく立ち回れば
250年早く毛利の天下がやってきた可能性は非常に高い。
さらに関が原でも小早川が毛利本家をたててれば家康を滅ぼして覇権を握れた。
小早川には毛利をどうしても潰したい強い意志を感じる。
441 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 00:40:07 ID:hQ5I1up8
どさくさ紛れじゃなく華麗に簒奪しようとしてたら寿命がタイムアップした
442 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 08:49:23 ID:1IhSRqHX
まぁ秀吉が言うように、隆景にはその気になりゃ天下を狙える実力は
あったんだろうが、やっぱ「勇気」が無かったんだろ。
ただこの「勇気」と言うのは秀吉流の言い回しであって要するに
天下を取ろうとする「欲」が無かったって事だろうな。
まぁ親父の元就から「天下なんて取ろうとしたらダメだ!」って言われてたから
仕方ないわ。
443 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 09:37:51 ID:PX7/t7Wq
違うだろ。
天下取りの野心があるかないかじゃなく、天下を担える人間かどうか
を評しているんだから、普通に天下を担うには「勇敢に物事に立ち向かう」
部分が欠けているということ。
444 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 09:38:12 ID:SJc+jaRZ
毛利の場合、良くも悪くも素性のはっきりとした大江氏族だからな
大江氏は元をたどれば土師氏で菅原氏と同族
天下を統べるという発想そのものが無さそうな家にみえる
445 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 11:55:16 ID:ajc6iCy1
はいはいまた捏造ですね・・・
元就は版図の保全のみを願い天下を競望せずと言ったという。
元就は己が得た版図のみと言っており、しかも義昭を擁しての反織田連合への参加もしなかった。
だが小早川はどうだね?元就の得た領地に飽き足らず、果ては織田と競い争っており
完全に元就の言を無視した行いだろう。
そしてあわよくば甥を傀儡にし、毛利本家の犠牲の上に自らの地位の向上のために
秀吉に媚びへつらい、主家に並び立つ権臣となった。
家康が亡き太閤の遺令を守らなかったが、隆景も元就の遺令を守らなかった。
都合が悪くなるとすぐ「元就の遺言が・・・」とか言い訳してるが
元就の言葉を本当は知らずに語っているのが低脳毛利厨w
ほんとうは毛利が天下を取れたはずなのに、敵である秀吉の懐柔に利用され
毛利の天下を失ったばかりか、秀吉の背後を守り忠勤し、四国。九州、関東、朝鮮とコキ使われ
豊臣政権の覇権に協力。
隆景が安全な背後と作ってくれた秀吉は、全戦力を東に振り向けられ
明智・柴田・家康に対して有利に戦うことができ、
実質的には吉川に何でも反対スタンスの隆景が毛利のために動かず
毛利本家擁護派の吉川をあまりに嫌う反動からの結果として
隆景が秀吉のために働いたことで
秀吉に天下をプレゼントしたと言っても過言ではない。
隆景の反毛利の利敵行為が秀吉に天下を取らせた。
446 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 13:32:30 ID:SJc+jaRZ
数ヶ月先の未来から夏休み厨が沸いてたのかw
447 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 16:05:10 ID:GZ0emoVd
権臣隆景が輝元をイジメてたから
輝元の言うことをみんな聞かなかった。
だから輝元は関が原で大坂城に入城したものの
リーダーシップ取れないことに気づいて弱気になった。
448 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 18:54:55 ID:6tpJ8D5J
>>447 違うだろうが。
関ヶ原は最初から三成主導だバカ。
オマエ本当にちょっとは歴史を勉強しろやwww
輝元は本気で家康打倒まで乗り気じゃなかったが
あれよあれよと言ってる間に総大将に担がれただけだ。
449 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 19:00:13 ID:7Qa9t/1o
どうだろうね。
輝元は関ヶ原の序盤かなりやる気満々なんだが。
十分家康打倒に燃えてたと思うぞ。なにしろ「内府殿を父さんと
も兄さんとも思って付き合います」とか約束したくせに、本人が
いなくなると大坂城に急行して占拠してしまうんだから。
秀吉死後から家康にバリバリ対抗意識を燃やしている。
担がれただけというのは輝元に対する過小評価だ。
450 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 01:34:47 ID:d98HpCX5
西軍総大将になれると聞いて
喜んで大坂城へ向かった輝に
やる気がないとかアホなこと言ってんなw
そもそも毛利の支援の内諾でもなければ
秀家や三成だって勝算がまったく立てられないから挙兵しないだろw
毛利も敵になるかもしれない状況で徳川打倒に挙兵すると思うか?
451 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 01:52:43 ID:nKJf722/
弟に毎回完璧に論破されまくりなバカ殿兄の志村元春w
452 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 08:45:33 ID:IfHZlMlp
毛利って北条と似てるよね。
かなりの力持ってるのに天下取ろうと動かない。
二代目(元就から数えて)はどっちも優秀で三代目が微妙。
でも、毛利の二代目は力を発揮できんかったからなあ…
元就の長男だし、優秀なんだろうけど20代前半で病死…
453 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 08:58:04 ID:i1SGKbYS
隆元は享年41だぞ
454 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 09:00:42 ID:JMlCj8LU
そこら辺の事情は出自も関係あるんじゃないかなと
毛利 バリバリの大江氏(同族が菅原氏でもわかるように学者の家)
北条 本当かどうかは微妙だが伊勢氏(礼法の家)
天下を差配する家ではなく補佐する家
ちょっと違うけど奥州伊達にしても九州大友、島津にしてもその地方に関しては大義
名分はたつけど天下となるとその地方においては根拠となりえた出自が逆に邪魔をしそう
455 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 10:43:51 ID:AzBuuJhp
>>452 足利家の男子を奉じて京に上り、天下に号令したのは信長が最初じゃない。
毛利の主家・大内義興も機内進出の留守中に尼子の進出を招いた。
元就は大内の衰退をみて、敢えて天下を狙わなかったと思う。
結局、天下統一は信長とその後継者の秀吉・家康にしかできないこと。
それが分かっていた隆景・兼続の存在が両家の後年の発展につながった。
456 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 13:51:30 ID:sjfwbLl8
北九州で負けたから無理だっただけじゃん
457 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 14:59:35 ID:nKJf722/
元就は大友の戦略で尼子再興軍がのさばって
東西両戦線で後退しまくってじゃねぇか
元就死去寸前の時点での元就は
かなり弱気になってただけの話。
元就の葬儀も出れずに元春が東部戦線の建て直しを図ったら
今度は宇喜多まで尼子再興軍に協力したりでシーソーゲームやってたしな。
結局、毛利に忠勤してきた三村氏を見捨てて宇喜多と和睦せざるおえなくなるし。
天下を狙ってたからこそ、織田軍と播磨攻防をやったわけだし
関が原で西軍総大将として大坂に入城したんじゃねーか。
事実、吉川を派遣して伊勢方面で東軍と戦ってるし。
すべて失敗したから妄想で毛利自己正当化の「言い訳」を作りだしてるだけに過ぎない。
458 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 01:10:10 ID:d/LF7quj
>すべて失敗したから妄想で毛利自己正当化の「言い訳」を作りだしてるだけに過ぎない。
お前の発言も似たようなもんだろw
459 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 23:14:57 ID:GSumq806
豊臣秀吉は「この世に政治ができるのは直江(兼続)と小早川である」と言ったといわれる。
もっとも、秀吉はその後に「ただし、天下を取るには直江は知恵が足りず、小早川は勇気が足りない」と続けたという。
460 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 07:16:01 ID:EHGkFljH
>>453 あれ?どっかの書籍で隆元は20代前半で家を継いだすぐ後に病死って書いてあったような
違うかな
461 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 07:59:38 ID:YGn/Poas
隆元は1523年-1563年 享年41歳だな
隆元死亡時は元就67歳でまだまだ現役です
なお厳島の戦い時は隆元33歳元就58歳
いくら名の売れた国人でも58歳が旗振って超大国大内@陶に零細毛利が
喧嘩吹っかけたわけで
当時の平均寿命と毛利家は伝統的に早死の家系だったことを考慮すれば
跡継ぎが平均以上に優秀とわかっていなければとてもじゃないけど国人衆
仲間も相乗りできないと思う
462 :
人間七七四年:2010/03/22(月) 10:06:01 ID:ppb4ySL2
463 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 12:47:28 ID:xMaT5FpU
あげ
464 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 21:09:34 ID:EECF8qxJ
直江の知恵って,バカって意味じゃないとおもう
融通や謀略が利かない(義を重んじてるから)という意味だろ
天下納めるとしたらさすがに義はマイナス要因になることのほうが多すぎる
465 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 21:21:56 ID:moNP4Mjw
6:4くらいで隆景の方が上じゃないかな。
政治、外交は共に一級だけど、軍事に関して直江は最上に大群で仕掛けて敗れてる。
この時の撤退戦の見事さを取り上げて戦上手とする見方もあるけど、負けは負けだし
、城攻めの内容はそれほど卓越してるとは思えない。
一方、隆景の戦の成績は毛利秀包や立花宗茂の活躍もあってかなり良い。
466 :
人間七七四年:2010/03/28(日) 00:01:47 ID:x2I1AydB
直江兼続 武力79 知力86
鍋島直茂 武力82 知力83
小早川隆景 武力60台 知力40台
うーむ
467 :
人間七七四年:2010/03/28(日) 04:16:19 ID:rPahrIdA
隆景→マンシュタイン
兼続→フリードリヒ・パウルス
ぐらいの差はある
468 :
人間七七四年:2010/03/28(日) 12:19:09 ID:DmcnWg/q
>>467 パウルスはヒットラーの「義」を貫けなかった。
なさけない男としての評価?
俺の中ではパウルスは穴山か小山田。
469 :
人間七七四年:2010/03/28(日) 13:50:27 ID:rPahrIdA
え?
関ヶ原の負けっぷりがそっくりじゃないですかw
470 :
468:2010/03/29(月) 14:22:05 ID:kTdSIGDj
主家が滅ぶ時、裏切るタイミングがそっくりさ。
ロシア戦線でにっちもさっちも行かなくなった時、大将から元帥へ昇進。
これは最後の一兵まで戦って死ねというヒットラーの命令だが、将兵を見捨てて一人投降。
しかも「自分がベルリン攻略の先鋒隊を率いましょう」などと訴えるが無視される。
471 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 15:55:51 ID:hO2QRYOT
>>470 すげぇww
ただの裏切り者だな・・・呆れるww
472 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 18:51:24 ID:e51QLUJn
西軍の負けが伝わり敗色濃厚となった兼続は水原親憲に「腹を切ってお詫びしたい」と相談した。これに対し親憲は
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 直江殿から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら
幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません。大将としての責任を真実感じておられるなら黙って腹を切って下さい。
誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の失敗はそれだけの価値があります。」
と苦言を呈され、あてが外れた兼続は悄然としたが自決することなく、余生をまっとうした。
なお謙信時代から数多の戦を経験する名指揮官、水原親憲は長谷堂城からの撤退戦で鉄砲隊200名を率い追撃してくる最上勢に痛手を与え上杉軍の撤退を成功させている。
戦後、この作戦に従軍した兵士達は直江の名を口にするたび、一様に怒りで口を震わせ、水原の名を口にするたび一様にその怒りを鎮めたという。
数多くの戦歴、長谷堂城からの撤退戦、大坂冬の陣での上杉軍崩壊の危機を救った優れた采配と理性的な行動から水原親憲に対する評価は非常に高く、上杉家における名将の1人とされている。
全ての戦歴において親憲に与えられた権限や兵力は決して大きいとは言えず、同じ戦場で同格だった他の指揮官に比べ、特別有利だったり優遇されたことは一度もなかった。
しかしながら多くの武功を残したことは、どんなに最悪な事態に遭遇しても最善を尽くそうとする優れた指揮能力と人徳の高さを示している。
親憲はどのような窮地に追い込まれても弱音を吐いたり、無茶な命令を下す大将の文句や批判を決して口にしなかったという。
473 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 19:05:44 ID:e51QLUJn
ちなみにこの水原親憲は家康の勝利を予見していたことでも有名である。
474 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 19:14:52 ID:hO2QRYOT
>>472 クソワラタwww
カネツグただのアホじゃんww
475 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/29(月) 21:53:30 ID:0hjDLiPE
穴山の評価をタダの変節漢や直江に準えるのは大きく間違っている。
476 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 22:45:39 ID:5jthCSIY
兼続と隆景なら隆景の方が多くの点で勝ってる。
当時、隆景に死なれたら困る人は沢山いたけど、兼続に死なれて困る人って
あんまりいなかっただろ。
477 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 00:34:54 ID:aK2nqjRR
隆景だったら関ヶ原にどう対応しただろうか?
478 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 00:57:00 ID:UuzORJED
関ヶ原起きないでFA
まぁ少なくともあのとおりに進んでたら小早川勢はそのまま東軍に襲い掛かって
南宮山部隊も徳川背後を襲って日和見してた連中も攻勢に出て、立花宗茂の実力を高く評価する隆景なら関ヶ原にも参加させてどっかの部隊粉砕してたでしょう。
西軍の圧勝。
西軍勝利が伝わると東北は最上、伊達が上杉につき東北も西軍化。
家康生きてれば秀忠と合流して関東に帰って防戦準備。
西軍は東軍派も吸収して20万の大軍になり徳川あっさり敗北。
479 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 04:06:19 ID:kdIw/edy
480 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 07:39:22 ID:jy7yrlNY
三成の方に行ったらどうすんだよ!!
/ ̄ ̄\ 会津に引きつけてる間に三成が挙兵して挟撃するんだお!
/ノ( ゝ 、_,ノヽ r'´ ゙ヽ /`ヽ ___
| ⌒(( ●)(●) ヽ ヽ从从/ / \直江/\
. | (__人__) /⌒l \ \/ /て (●)liil(●) ノ( \
| ` ⌒´ノ |`'''| 煤@ヽ/ / そ / (__人__) ⌒ \
/ ⌒ヽ } | | ,)/ / \ く | |!!il|!|!l| |
/ へ \ }__/ / / /\ \ \i⌒ヽェェ| /
/ / | ノ ノ / / YYY\ \ \ \ /⌒,/´
( _ ノ | \´ / / \ \ / \ \/ /l
| \_,/ / \ \_/ \__ノ |\
.| / \ |) )
ヽ / \ ,r' /
\ , '´ `' , /ー'′
\ ( ) /
\水原 \ / /
テメー、読みが思いっきり外れてんじゃねぇか!!
/ ̄ ̄\ 家康が上方で戦ってるうちに東北制覇するんだお!
/ノ( ゝ 、_,ノヽ r'´ ゙ヽ /`ヽ ___
| ⌒(( ●)(●) ヽ ヽ从从/ / \直江/\
. | (__人__) /⌒l \ \/ /て (●)liil(●) ノ( \
| ` ⌒´ノ |`'''| 煤@ヽ/ / そ / (__人__) ⌒ \
/ ⌒ヽ } | | ,)/ / \ く | |!!il|!|!l| |
/ へ \ }__/ / / /\ \ \i⌒ヽェェ| /
/ / | ノ ノ / / YYY\ \ \ \ /⌒,/´
( _ ノ | \´ / / \ \ / \ \/ /l
| \_,/ / \ \_/ \__ノ |\
.| / \ |) )
ヽ / \ ,r' /
\ , '´ `' , /ー'′
\ ( ) /
\水原 \ / /
481 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 07:40:04 ID:jy7yrlNY
___
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 関ヶ原が一日で終わっちゃったお…
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
482 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 07:40:38 ID:jy7yrlNY
トイ
トイ
トイ
i三i
〃 ヾ、
〃 ヾ、
〃 ヾ、
〃 ____ ヾ、 腹を切ろうかと思うんだが
〃 / \ ヾ、 どうだろう
/ ̄ ̄\ || / ⌒ ⌒\ ||
/ _ノ \ || / (● ) (― )\ || チラッ…
| ( ●)(●)l 早く死ねよ ヾ,| ::::⌒(__人__)⌒:::::|//
. | (__人__) | (⌒)、_  ̄ _,(⌒)
| ` ⌒´ | / i `ー=======一'i ヽ
. | } l___ノ,、 ,、ヽ___i
. ヽ } l l
ヽ ノ
/ く
/ 水原 ヽ
483 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 07:41:53 ID:jy7yrlNY
____
/ \
/:::::::::::::::: \ _
/:::::::::::::::: || | もしもし、直江ですけど・・・
|:::::::::::::::::::::::: ∩! ,ヽ _ ・・・はい、長谷堂城撤退戦は私の大活躍と言う事で・・・
\:::::::::::::::: | ー ノ
| ::::::::::::::: | i j  ̄ ̄ ̄|
| ::::::::::::: ゝ__/____i
| :::::::::: / /
(__(__ ヽ⌒⌒⌒ヽ
此度の敗戦の要因は?
/ ̄ ̄\
/ ∪ \ ____
|:::::: | / \
. |::::::::::: ∪ | / ⌒ ⌒ \
|:::::::::::::: |/ (●) (●) \ 部下が無能杉
. |:::::::::::::: } | (__人__) |
. ヽ:::::::::::::: } \ ` ⌒´ _/
ヽ:::::::::: ノ | \
/:::::::::::: く | | | |
-―――――|:::::::::::::::: \-―┴┴―――――┴┴――
|:::::::::::::::|ヽ、二⌒)
484 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 07:42:29 ID:jy7yrlNY
___
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 今日、家康に土下座するお…
| (__人__) | 殺されるかもしれないお…
\ ` ⌒´ /
____
+ + /⌒ ⌒\+ 。
・ 。/( ●) (●)\ + +
/::::::⌒(__人__)⌒::: \ 関ヶ原の要因作って徳川の天下に貢献したって褒められたお!
| |r┬-| |
+\ `ー‐′ /・ ゚. +
485 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 07:43:25 ID:jy7yrlNY
___
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 石高30万石になってみんなから恨まれまくりだお…
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
____
+ + /⌒ ⌒\+ 。
・ 。/( ●) (●)\ + +
/::::::⌒(__人__)⌒::: \ でも大河にもなって人気ありまくりで名将扱いだお!
| |r┬-| |
+\ `ー‐′ /・ ゚. +
486 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 18:51:45 ID:KdDXyDaY
隆景の凄いところは情報収集能力と人を見る目が冴えてたことかな。
もちろんその上で的確な指示を出せるのが凄いんだけど。
現代人は書物や遺物から隆景の行動を知ることができるけど、その中で隆景が黒
田如水にあなたは利発だからすぐ物事を決めて行動することができるけど、後悔
も多いでしょう、私は利発ではなく決断は遅いが、その分熟考するので後悔はな
いって言ったという記録があるけど、実際隆景の行動見るとミスが無いよね。
487 :
す@死:2010/03/30(火) 19:32:08 ID:baMOisyi
隆景が生きてたら
抵抗せずに家康になびいたと思うがね
488 :
人間七七四年:2010/04/01(木) 18:31:24 ID:pOcFFgCi
そんな後世の逸話なんて作り話ばかり書いても
隆景の凄さはまったくわからない。
早く一次史料で隆景の凄さを証明してくれよ。
関が原まで隆景が生きていたらだって?そりゃあ隆景のいままでの行動でわかるじゃん。
隆景はかつて毛利を売って、秀吉に天下をやった。
いままた秀頼の身をできるだけ高く売払って、家康に天下をあげるだけだろ。
それを見た利家が怒りのあまり憤死するわけだよ。
489 :
す@死:2010/04/01(木) 18:37:39 ID:8jxvD4Mu
>>488 それが正解
隆景は勝負しない男
天下人の器なら本能寺の時秀吉を攻めた筈だ
毛利にとっても絶好の天下取りのチャンスなんだから
490 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 02:23:24 ID:HrL1W4/R
>>488 だったら自分も脳内作り話なぞ書くなよw
491 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 08:37:19 ID:WFkU++i0
wwww
492 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 08:38:24 ID:WFkU++i0
スマソ、アク禁食らってたが解除されたみたいだ。
それにしてもまだ、subが居ついてんだなww
493 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 10:35:44 ID:PsptJC7X
戦わずして6カ国を譲渡したヘタレ隆景w
494 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 11:32:28 ID:YR/Du8aH
隆景って直江の天地人でしかテレビに取り上げてもらえない人のこと?(5大老のとこだけ)
495 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 13:00:06 ID:WFkU++i0
>>494 大河ドラマ「毛利元就」で出まくってただろうが
496 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 13:12:57 ID:WFkU++i0
てすと
497 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 15:33:21 ID:PsptJC7X
恵がヘタレ役を熱演
498 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 22:36:42 ID:+McktuYs
最初は違和感があったがアレはアレで味があった
499 :
人間七七四年:2010/04/09(金) 12:22:59 ID:iI2sK1nr
あのクソ大河は毛利が大敗しまくった北九州戦役や大友が一切出てこなかった捏造大河でワロタw
つかあの東京裁判のA級戦犯元就に対する判決の最終回はありえないwww
あんなのやるくらいなら元就死後の織田との衝突などの毛利家の行く末について少しは触れろや!
あの大河は大内義興や尼子経久の演技が神がかってたなあ。
500 :
人間七七四年:2010/04/09(金) 18:07:42 ID:Jv0vb7Il
隆景についてまったくソースが出せないデタラメばかりを書くキチガイ毛利厨
501 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 05:02:39 ID:T3U7dR7k
毛利ヲタは原哲夫に土下さしてマンガ書いて貰った方が近道
502 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 08:20:39 ID:iDOHC/bn
毛利厨=コーエー武将ファイル厨房
503 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 09:41:40 ID:jzO3RyzR
>>501 原が描くとどんな武将もガチムチになるので嫌だな・・・
504 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 13:12:33 ID:iDOHC/bn
元就→ユダの絵で。
505 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 13:33:00 ID:WMDbevfH
ソースしか求めない味覚基地外と聞いて
506 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 16:25:01 ID:iDOHC/bn
ソースを出典先のことを言うのを知らない低脳無知ゆとり毛利厨が現れた件
507 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 19:57:04 ID:WMDbevfH
皮肉にもなってない皮肉をまともに受け取ってやんのwww
流石直江厨 頭の悪さはまさに大河に現れてる
天地人は直江厨に相応しい大河だったろwww
兼続公不憫すぎる
508 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 20:27:32 ID:iDOHC/bn
wの数がバカ低脳なのを証明しているな。
509 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 01:11:22 ID:1CiEUm5c
まぁ隆景が敗因を作ってる戦いばっかだしね。
510 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/04/11(日) 01:19:53 ID:vPgwb7fY
↓最新版のコピペを頼む。
511 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 09:28:49 ID:snXTIhY9
>>507 subは上杉厨じゃないと何度言ったら・・・
sub本スレで勉強しよう
512 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 10:19:41 ID:aGL4d1L0
道雪に敗北したり、大友や秀吉に水軍を買収されたりと隆景のせいで毛利大敗してるからな
513 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 11:39:22 ID:CWSUNBJl
そうなのか
514 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 11:56:45 ID:ngtGEYbF
それは相手が悪い。
道雪は少数で大友主力とは離れた博多の抑えとして配置されてたけど、それでも
ほとんどの戦で勝利を収めてるし、隆景じゃ負けるのは仕方ない。
元春なら勝てたかもしれないけど、多々良浜の戦いだと直接対決があったのかど
うか分からないし、結果的にこの戦で敗退してるから、良くて引き分けかな。
直江は論外。
515 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 12:15:35 ID:aGL4d1L0
>>514 毛利厨必死乙
その吉川が道雪によって一番ボロクソにされまくり「子が親を捨て、家臣が主を捨てて大敗走」させられたわけだがw
516 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 13:04:26 ID:jqdO9ZpA
そんな記述はない
あるならソース出せ
517 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 13:31:43 ID:cyNk891N
>>515 何だよそのいかにも資料が残ってますな捏造文はww
創作するならもっとマシなもん作れww
518 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 14:03:03 ID:jqdO9ZpA
sageもしない阿呆が二人もいるwww
流石隆景兼続厨は捏造マンセー大好きだな
二人共主家に害を成した屑なんだから仲良くなめあってろよ
519 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 18:00:30 ID:snXTIhY9
〜厨は捏造マンセー大好きだな
ってのもsubくさいけどな
520 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 19:01:55 ID:aGL4d1L0
>>516>>517 あ〜あ。
その文章がドコに載ってる文章かすらわからないなんて…毛利厨ってガチで無知なんだな糞ワロタw
コーエー信ヤボ本と歴史読本でも読んで毛利サイキョーオナヌーしてろよw
521 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 20:30:04 ID:jqdO9ZpA
sageも知らないありもしない資料を存在するかの如く喚き散らすゲーム納の兼続厨は流石だな
隆景厨の捏造マンセーに勝るとも劣らぬ頭の悪さ
お互い基地外なんだから仲良くして喚きあえよ
522 :
人間七七四年:2010/04/12(月) 00:33:52 ID:KeyexDet
吉川元春も立花道雪も無敗と言われてるけど、石見銀山攻略と月山富田城攻略を元春の負けとする説、
道雪は休松の戦いを負けとする説がある。
道雪VS元春&隆景は引き分けとする人が多いよ。
523 :
人間七七四年:2010/04/12(月) 00:45:39 ID:b1QPEs8S
>>521 毛利厨必死に赤の他人を装ってアホですか?
そもそも基礎中の基礎の西国盛衰記も読んだことねーで
ここにレスするとか正気かね?
その文章のあとさらに
「我一にと逃げ行くを小倉の津まで追討にせし程に、
其の行程十余里が間は、死人算を乱せるが如し・・・」と続く
その結果、永禄12年11/15の夜に3491の首を討たれ崩壊したろうが。
吉弘文書にも辛10/15のこととして紹運の兄の鎮信だけでも100人以上を討ち取ってる。
辛10/27に吉弘家中の者たちの分捕高名の着到状を見た宗麟が激賞してるし。
524 :
人間七七四年:2010/04/12(月) 00:53:28 ID:b1QPEs8S
>>522 休松の戦いは奇襲を受け敗走してきた味方が
後陣の道雪の方へ乱入してきたところを
持ち前の統御指揮力で自陣への混乱の伝播を押さえ込み
全軍を建て直したのであって、その後の道雪の反撃で撃退。
その次の戦役では秋月は戦わずして降伏したことから
休松の戦いで秋月の継戦能力が道雪により崩壊させられていたと言われている。
525 :
人間七七四年:2010/04/12(月) 07:37:21 ID:bZK+TmjE
無知毛利厨房ってなんでこんなに恥ずかしい存在なんだろ…捏造だらけを盲信して毛利親子は百戦無敗ニダって主張してるもんなワロタ
526 :
人間七七四年:2010/04/12(月) 23:35:48 ID:ueJ9SlU9
>>523 出たよ 兼続厨のお得意の捏造喚きw
そんなさもあったかのように文章作るのは大変だったな?
自演しながらの隆景の捏造マンセーもご苦労様^^バレバレなのに恥ずかしい
527 :
人間七七四年:2010/04/13(火) 00:24:51 ID:b7us+zn6
528 :
人間七七四年:2010/04/13(火) 06:35:33 ID:KmP0ozdq
おまえら誰と闘ってるんだ?
529 :
人間七七四年:2010/04/13(火) 08:58:11 ID:l9wHHvF/
>>526 涙ふけよ毛利厨w
お前のような無知低脳妄想マンセー毛利厨が暴れれば暴れるほど
毛利一族の無能さが次々さらけ出されて評判墜ちるだけだで逆効果だぞw
530 :
人間七七四年:2010/04/13(火) 10:18:10 ID:YyU4hEDt
流れから言って隆景>兼続は確定だな
531 :
人間七七四年:2010/04/13(火) 12:21:10 ID:l9wHHvF/
>>530 確かにヘタレ具合なら確かに隆景は仙石並みだよな。
一次史料をみると隆景にはガッカリする。
三国志演義で趙雲大好きになってから、期待して正史を読んで凄まじい演義補正が入っていたのを知ってショボーンするより
隆景の場合はさらに落差あるからタチが悪いw
532 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/04/13(火) 21:07:04 ID:nbYnQx/W
よし、オレが誰が評価者に相応しいか判断してやるから
お前ら真偽構わず自分のスペックを酉付けて書き連ねろ。
533 :
人間七七四年:2010/04/14(水) 22:10:36 ID:YsS1fOHs
小早川隆景が多くの合戦や領国経営で重きをなしたことは否定できない。
また、輝元とセットで西国の仕置きを秀吉から任されたが、隆景が死ぬと
利家が浮上して輝元は影が薄くなる。秀吉がいかに隆景の補佐に期待して
いたかが分かる。また、自分の養子を小早川家にくれるという厚遇ぶりか
らも秀吉の信頼のほどがうかがえる。毛利家乗っ取りを防いだなんていう
のは豊臣家も滅び、秀秋も後世の評価が悪いから江戸時代に作られた話だ
と思われ、実際には豊臣家と縁戚になるのは家にとって大いにプラスにな
る話だった。ただ、隆景が生きていれば関ヶ原はなかったなどというのは
根拠不明であり、過大評価の感がある。
会津征伐の際、上杉方は謀反のつもりはなく、家康が強引に征伐を実行
した形。小山に来た家康に対し、直江は書状で討伐軍の領内への侵攻を
疑問視しており、会津征伐決定後には三成と連携していたとみられる。
西軍蜂起の時点で圧倒的窮地にあったのは家康のほうであり、直江状に
「うまく罠にはまった」 と高笑いした(という逸話がある)のに、実際
は、三成の挙兵を過小評価していた自分が袋のネズミになっていた。会
津征伐以前の三成との密約は否定されているが、それが事実の一端を示
している(会津征伐決定後に三成の蜂起にかかわった)なら、智謀の面
も相当なもの。長谷堂攻めも一次史料上は撤退戦のほかは目立った戦が
なく、戦下手の根拠にはならない。
534 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 01:36:50 ID:nvJfmlT8
>>533 そりゃあ主家を売った隆景は秀吉の忠実な下僕として扱いやすかったからね。
隆景を通して秀吉は毛利の内情を把握し遠隔操作できたんだから。
535 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 08:19:08 ID:ufu3xfkA
なぜ主家を売ったことになるのか。
巨大な政権に下り、領国における毛利家の主権を認めてもらう
のは大事な行為だよ。
例えば南部家を見ると、先に秀吉に接近した「謀反人」為信
は独立を承認されて津軽支配の正当性を得た。逆に九戸は
室町幕府下では独立を認められていたけど、豊臣政権下で
はそれを否定されたから独立戦争を起こす。
景勝と直江も秀吉に下ることで景勝による越後支配の正当
性を認めてもらい、揚北衆ら国人領主を家臣化していった。
536 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 14:25:16 ID:qGt6sYjk
>>533 >実際には豊臣家と縁戚になるのは家にとって大いにプラス
嫁を貰うくらいの話ならともかく、当主の養子に迎えて血筋を乗っ取られるのは
全くもってプラスじゃないだろう。
537 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 21:56:56 ID:KvaTL64K
元就が吉川、小早川乗っ取ったことと同じことを秀吉はやっただけなのにすごい都合のいい捕らえ方するんだな。
538 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/04/15(木) 22:36:17 ID:NAOL6oa3
毛利両川は徳川でいう御三家扱い。
秀秋や秀家など秀吉猶子は久松なり大目に見ても東条長沢扱い。
同じこととは言えないな。
539 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 22:49:30 ID:JLf2SYa+
元就が吉川や小早川を乗っ取る為に送りこんだとする一次史料出せよアホ毛利厨。
実際は輝元にパワハラしてた隆景を操った小早川家が輝元を蔑ろにして毛利本家を乗っ取ろうとしたのを助けたのが秀吉だから。
だから関ヶ原では輝元が西軍に付き、
毛利乗っ取りを阻止した秀吉を恨む小早川や吉川が家康側に内応した。
540 :
人間七七四年:2010/04/15(木) 23:23:41 ID:lSgQ4LHJ
541 :
人間七七四年:2010/04/16(金) 05:44:30 ID:gVpulmBL
秀吉に厚遇された鍋島の龍造寺乗っ取りと秀吉に厚遇された隆景の毛利乗っ取りだろ
542 :
人間七七四年:2010/04/16(金) 11:23:26 ID:2Y/pl1Q9
で隆景はいつ毛利を乗っ取ったんだ?
543 :
人間七七四年:2010/04/16(金) 12:05:40 ID:gVpulmBL
阻止されて失意のうちに死亡
544 :
人間七七四年:2010/04/16(金) 17:01:50 ID:gX844I8H
どっちにしろ隆景が毛利の利益を考えずに
秀吉のバックアップばかりやってたのは間違いないよな。
中国大返しも山崎の戦いも賤ヶ岳の戦いも小牧・長久手の戦いも
四国攻めも毛利を支配した隆景が背後を攻めない&軍を出して先鋒を引き受けたから
勝てたようなもんだし。
秀吉は背後から襲われる心配がまったくなく、明智や柴田や家康と戦えたわけだ。
両者の戦いをうまく操れば毛利の利益が大きかったはずなのに
隆景は秀吉にべったりして毛利を手中に収めるべく策謀を謀ってた。
545 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/04/16(金) 22:31:18 ID:l8fizPLN
男児いないんだから乗っ取っても即返納なり吉川に持っていかれるなり。
546 :
人間七七四年:2010/04/17(土) 01:11:30 ID:aQaLleXx
毛利は小早川が乗っ取ったあとに
最後は豊臣政権に回収される予定
547 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 11:44:37 ID:00HtEDnP
結局、地域も時代も身分も違うから比較対象にならないんだよね
548 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 11:49:18 ID:EvMdvu/n
隆景のスゴサについての一次史料は結局まったく無いで結論が出たね。
549 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 17:33:06 ID:M+DAp0X2
出てるだろうがアホ
550 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 17:46:12 ID:00HtEDnP
アホとかクズとか無意味だからやめようぜ。
subの挑発に乗ってるみたいでかっこわるいし。
荒らしには論理的にいかないと黙らせられないよ。
主家との関係はどうなんだろうね。
直江の場合は、景勝が上条から直江を寄越すように言われた
時に「万事すきなく差配する人間なのでこっちいてもらわな
いと困る」と断りの書状を出してるけど。
551 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 17:52:46 ID:EvMdvu/n
552 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 02:02:31 ID:KTJzWl34
>>551 おまえは2CHしか見れないのかね。
本当に使えない人だな。
検索サイトで調べたり、図書館で調べなさいよ。
人に何かしてもらうんじゃなく、自分で行動しなさい。
553 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 02:32:01 ID:31covb+s
>550
ソースは忘れたけど、
隆景は身内として毛利家を支え守って行く、という立場だったと思うけど。
554 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 03:00:12 ID:3tbVDOvM
555 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 03:16:21 ID:MpDa82+1
>>550 その書状、正確には「直江には万事すきなく用所を申し付けてるから、いなくなると困る」じゃね?
同じように景勝から「万端用所等」を申し付けるといわれた人物には狩野秀治がいるね。
556 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 07:06:53 ID:vL5Yp3ud
悉皆人 直江山城
557 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 16:03:03 ID:XAK0g3mj
>悉皆人 直江山城
総務部長としては適材だが営業本部長としては失格だよな。
558 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 19:28:36 ID:+VQf6sy0
小早川隆景か直江兼続か、どちらがより男色好きだったのでしょうか?
559 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 20:01:40 ID:D5MJAHWu
隆景の方、兼続は炉の方
560 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 23:48:23 ID:2NC7DIAK
>>557 どのような業績を以て?
三成や正信といった政権のキーパーソンと親密になってるんだが
561 :
人間七七四年:2010/04/22(木) 02:39:33 ID:J+E7AFfV
562 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 09:55:18 ID:HzIVuTcp
大内流公家衆道の奥義たる稚児遊びの継承者の変遷
大内義隆→小早川隆景→小早川秀秋→片倉重長
563 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 13:22:32 ID:8GSPfc79
秀吉が天下とれたのは
毛利本家の利を考えない売国奴隆景の
協力バックアップのおかげ
その功績で豊臣政権において
主家をもしのぐ権勢を手にいれたDQN隆景。
564 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 05:45:59 ID:1HcaygbD
直江のことをよく義の武将って言うけど、鳥居元忠や高橋紹運と比べると華がないよね。
565 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 10:43:57 ID:50sPPaAt
隆景って信長とむすんだ宗麟にまったく策がなく、なすすべなしだったし
隆景は秀吉と戦わずして5ヶ国を譲渡して秀吉と土下座和睦して東の脅威がなくなったはずなのに毛利家纂奪に必死でうちに籠もり
西の脅威がなくなった秀吉がどんどん拡大し天下に王手をかける中で
毛利は停滞しなんら拡大しなかったほどの無能なんだよな。
566 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 11:52:33 ID:o+KEP+E0
>>564 そもそも直江のどこが一体義の武将なのかさっぱりわからん・・・
567 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 22:31:04 ID:AJNIRDH+
義のない奴がわかるわけないのだ
これでいいのだ
568 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 23:22:57 ID:o+KEP+E0
いや、カネツグなんて漫画やゲームで取り上げられなかったら
マジでマイナーもいいところだった武将だろww
何でこんなに知名度だけ高いのかさっぱり分からん。
政宗みたいに「愛の兜」がインパクトあるからか?www
569 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 00:53:31 ID:vNxEKOsx
>>565 結局、伊予国での主導権も隆景は失っちゃうしな。
大友の後援の一条氏が西園寺も降し主導権を握るが
相次ぐ当主の死去で弱体化していた
(一条房家死後に嫡男の房冬がわずか2年で死去し、
その跡を継いだ房基が28歳で自殺し7歳で家督を継いだ兼定)
兼定が讒言を信じたりで自爆して家臣に追放されちまう。
豊後へ逃げたのちに大友兵を借りての長宗我部の決戦が天王山だったし。
570 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 08:26:28 ID:lHNfIc+h
隆景は河野氏衰退の元凶だしな
571 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 12:41:11 ID:sh56TKS1
>>568 それ以前に、紀伊藩が持ち上げなかったら、漫画やゲームにもならなかった
んじゃないか?
572 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 12:50:27 ID:lHNfIc+h
>>571 その根拠不明の俗説について
一次史料で裏付けくれよ。
573 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 12:52:57 ID:7mWwEYBq
サブの分際で他人に史料を求めるとはおこがましいw
574 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 20:12:58 ID:2EWfOnir
>>571 お前が根拠不明の俗説ってwwwww
ねーよwwwww
575 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 22:26:47 ID:Xli6u6Mj
>>571 紀州藩が持ち上げるって何?
宇佐美氏のことかな。
軍記物とか逸話ものなんてどの武将も「取り上げてもらわなかったら」
状態だろうけど、直江は一次史料で事績が分かってる方だと思うぞ。
576 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 00:57:22 ID:fsNUjtJs
>>紀伊藩が持ち上げなかったら
昔、トンデモ説として歴史読本だかで読んだが
まさかそんなくだらねぇものを信じてるバカがいたのかw
いかにも素人がちょっとカジって知った知識を
ひけらかしてみましたって言う無知の典型
577 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 20:44:30 ID:aYtc3LNn
出久根達郎の「織田信長はネコだった」説は余り説得力は無えよナッ!!!
森蘭丸がタチ役だったと云いテエらしいけどサッ!!!
俺には相互男色関係にあったとする説が最も適切だと思われるゼッ!!!
578 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 22:27:03 ID:TO2QWEgw
>>569 鳥坂峠の戦いだけを強調する毛利の捏造史観では
翌年11月には東表の合戦に一条氏が大勝利し
甲之森城主の長山伯耆に切敷のうち六町を与えて形勢逆転してる話は黙殺してんだよな。
さらに元亀年間には甥の宗麟と宇和郡へ大攻勢をかけるなど河野氏は衰退する一方。
579 :
人間七七四年:2010/04/29(木) 00:03:18 ID:XpXOAvGi
吉川や小早川は元就在世時は
毛利本家が軍事動員権や愁訴裁定権を
独占する形を取ってきたのが書状でわかるが
元就が亡くなってしばらくすると怪しくなるんだよな。
特に織田と毛利が敵対するようになってくる。
なんと元春などが直接に領国に対して直接に軍事動員や知行宛行を行うようになる。
輝元を蔑ろにし始めるんだよな。
それがのちの岩国藩の官僚機構へと発展し、小早川の独立につながる。
580 :
人間七七四年:2010/05/03(月) 13:39:10 ID:VdqdRrA4
吉川・小早川は輝から自立しようとしてた逆臣だからね。
581 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 19:22:12 ID:cKgDGitL
>>580 それはない 隆景なんか秀吉の家来として働き続け、やっと手に入れた北九州の所領を
毛利本家を守るために秀吉の養子にくれてやっている
582 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 02:37:16 ID:CMNdonRZ
>>581 小早川家を守るために養子を入れただけだ。
そもそも武家にとっては家を途絶えさせることを恐れても
血のつながりは別に重視されていない。
もし血を重視するなら上杉が長尾に上杉の名跡を譲ることはありえない。
お前は現代の感覚で語ってるバカ。
583 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 17:51:43 ID:2eAm7kna
まぁ確かに秀吉から、天下を伺える人物として兼続や直茂と並び称されてたぐらいだからな。
輝元がどうしようもないウンコだったらいっそのこと小早川が毛利家を吸収出来るように
秀秋を養子にしてたかも知れんな。
まぁ、隆景としては秀吉に精一杯忠義を尽くす事で小早川だけは絶対に
潰させないようにしてたかも知れん・・・。
584 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 17:54:56 ID:2eAm7kna
ただ逆に秀秋の方が輝元よりもクソ過ぎたってことが仇となった・・・。
恐らく先見の明が並外れていた隆景にあって、秀秋を養子にしたのは長い目で見たら
隆景の生涯で一度の痛恨のミスだったと思う。
585 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 20:59:04 ID:egNqwdtr
>>582 あり得ない申し出だから謙信も感激したんだろ。適当な事言ってんじゃね。
小早川家の跡取りは秀包に決めてあったんだから小早川にとって秀秋は要らない子。
586 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 23:12:24 ID:x8xEvIYy
秀包と秀秋って一文字違いなのに、能力は段違いだね
587 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 23:45:46 ID:wz+9pQtJ
>>582 血の貴賤は重視されるよ
賤しき出の人間を本家に入れるわけにはいかない
588 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 23:51:59 ID:I+MVlFIE
秀秋は「卑しき出の人間」と言えるのか?
そういう理屈なら小早川に入れるのもどうなのかという話になる。
そもそも本家に入れたくないから小早川家で引き取ったと言う話の
ソースも不明。おそらく一次史料にはない。
589 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 00:13:21 ID:1W4x/A9u
そりゃ、あるわけねーな。
人の思考を記録に残しても、それが真実と証明出来るわけがない。
あくまで、第三者視点の推測でしかないわな。
事象の背景を勘案し、当時の社会風俗、慣習等々から想定した話。
一次史料を出せ、というのは明後日を向いた話だよ。
家康は将軍になりたがってた、という一次史料があるかい?
あったとして、それが真実だとどう証明できるの?って話。
590 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 04:44:39 ID:O3kdbBzy
>>587 >>血の貴賤の話なんてまったくしてないだろ・・・
鎌倉幕府では源氏将軍は早くに絶えたし
江戸幕府でも徳川の血じゃなくてもよくね?って話はでた。
家を守るのが忠であって、当主を守るのは本当の忠ではないなんて言われたりしてるし。
しかもニセ源氏がたくさんいるのに血なんて重視してるわけねーだろ。
現代において養子であることを隠すために戸籍謄本から記述を消すことにしますとか
まるで悪いことを隠蔽したい、他人には知られたくないなんて心境がまずおかしい。
591 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 06:00:57 ID:IxBZQgNL
>>590 徳川の時は徳川光圀が「そんな訳ネェだろ!!」って猛反対して止めてるだろ。
592 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 09:31:15 ID:OwoYTX+9
隆景が養子に入った小早川氏は元をたどれば土肥氏なわけで更にたどれば桓武平氏
隆景の出身である毛利氏は元をたどれば大江氏なわけでこれは源平藤橘と同様に姓という血筋
両家ともに系図に関しては疚しさの欠片も無い
この小早川家に1代前まで氏無し百姓の家から養子を(わざわざ毛利本家からとっていた養子を
廃嫡してまで)迎え入れさせられたわけだからな
593 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 14:28:19 ID:GsXBAiqv
でも秀吉は朝廷から一応「豊臣」の姓を賜ってただろ。
つまり秀秋は豊臣氏の出身と言う事になるな。
まぁ出来て立てホヤホヤの性だが、秀吉としては「豊臣」の姓を
普及させようとしてたみたいだしww
594 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 00:55:44 ID:91JfhDP/
>>592 百姓の秀吉を養子にした近衛前久
どこの馬の骨かもしらん松平を有難がる大名とか
朝廷から源平藤橘に続く姓として下賜された豊臣姓を有難がる大名とか
どう説明すんのさ?バーカw
595 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 08:45:01 ID:kLgTrmlI
>>589 要は、ソースはないってことか。
将軍になった家康が「将軍になりたがっていたかどうか」
という話と、秀吉の養子を引き取った小早川家が「毛
利家を乗っ取られるのを回避するために引き取ったかどう
か」という話は次元の違う話だろ。
596 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 08:47:03 ID:HeiP2Fw+
どう説明すんのさ?ってナニソレwwwww
笑いすぎて草はやしまくりだwwwwwwww
>>594は本気で救いようのないバカだな
>百姓の秀吉を養子にした近衛前久
養子になったつーか猶子だw
で、秀吉は近衛家の跡継ぎになったわけでもなんでもないだろw
>どこの馬の骨かもしらん松平を有難がる大名とか
本当におまえは恥ずかしいやつだw
前田、島津、毛利、黒田、伊達あたりのなんちゃって賜姓松平家のことを言いたいのなら
公的には松平と名乗らせてただけで当時から島津家は島津家、毛利家は毛利家だ
>朝廷から源平藤橘に続く姓として下賜された豊臣姓を有難がる大名とか
これも上記賜姓松平と同様だ
実際に家を継ぐことに関してはまるで関係ないわな
例えば、羽柴武蔵大納言って誰のことかわかるか?
徳川家康だよw
ところで、関八州は羽柴家のものでしたっけ?
羽柴安芸中納言を名乗っていた毛利輝元は羽柴家の跡継ぎでしたっけ?
上杉、宇喜田、島津、伊達、長曾我部、立花、最上、丹羽、前田、池田・・・まだまだいるけど
どこの誰が秀吉存命時や没後に我こそは公的にも認められた秀吉の後継者だと主張しま
したっけ?
597 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 10:57:04 ID:cdIwl8Q7
>>595 ソースはあるだろ。講談や軍記物の類いかもしれんし、たぶん一次史料は無いだろうが。
一次史料しか認めんというんなら歴史は正史三国志並みに貧相でつまらない代物
になってしまう。一次史料の無いところを状況などから推測して構成していくのが歴史だろ。
598 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 22:24:30 ID:9tYikFu1
>>595 思考にソースを求めてる点では同じ
・毛利本家に賤しき血を入れたくなかった
・将軍になりたかった
599 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 12:27:45 ID:KJWJJAhA
>>597 講談や軍記物に記述されていても、一次史料などから批判されることが多い。
「謙信以来の軍法にないから家康は追撃しない」という上杉景勝の逸話など。
豊臣家が滅び、小早川家も秀秋で断絶したから江戸時代の毛利家が好きなこと
を言えただけ。
当初、毛利に養子入りする話があったなら一大事なので、その協議のため
の書状が残るはず。その事実があって、結果的に小早川家に入っていれば、
「毛利本家をかばった」という理由をある程度は信用していいんだろうけど。
600 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 14:36:09 ID:lzCUrTQE
>>599 それでは、秀吉が秀秋を毛利にいれようとしたのを、
毛利が断り小早川が代わりに引き受けた事について、
一次史料ではどう説明されてるの?
601 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 23:17:28 ID:KJWJJAhA
>>600 そもそも秀吉が秀秋を毛利家に入れようとしたというのは本当なのか?
602 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 08:22:10 ID:/KdYFAYN
>>601 以下の状況下において最初から小早川隆景へ跡継ぎの養子として秀秋どうよ?だったと
したら秀吉は政治的音痴の極みでアホ過ぎる
1594年秀秋養子問題直前の小早川家の状況
毛利家 当主輝元 跡継ぎ無し
小早川家 当主隆景 跡継ぎ秀包(養子毛利元就九男)
秀包の主だった経歴
官位など 羽柴久留米侍従・筑後守
石高 河内1万石→伊予3万石→筑後8万石→筑後13万石くらい
戦歴 (豊臣政権下において)小牧長久手・四国征伐・九州征伐・肥後国人一揆
征伐(総大将として)・文禄の役(碧蹄館の戦いなど)
ちなみに1593年の碧蹄館の戦いにおける戦功などによりおよそ5万石加増されての13万石
603 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 08:27:03 ID:0SEaf6MF
確か秀包って立花宗茂と義兄弟の契りを交わす程の猛将だったはずだぞ・・・
何で朝鮮で女子供の首を取って自慢げに秀吉に「手柄を立てたよww」とか抜かして
こっぴどく叱られた秀秋なんかを養子に・・・wwww
604 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 10:34:04 ID:Zm0TQcOT
>>602 秀元の存在は?
秀吉は隆景を評価していて、知っての通り輝元・隆景に
西国仕置きを任せるとしたように小早川を重く見ていた。
小早川を引き上げることで西国においては毛利と、全国的
には毛利と連合して徳川と牽制し合う役割を担わせられる。
小早川家に養子を入れるのは十分考えられる。
政治的音痴でも何でもない。
隆景は前年に病気になって、輝元と一緒に朝鮮から帰国。
当然養子入りはそこから協議されたと考えられる。すでに
秀元は輝元の養子に入っている。隆景が「秀秋の本家入り
回避のために秀元を本家に入れた」という話もあやしい。
秀秋の下向は輝元も隆景も非常に歓迎している。
秀包のことを考えれば、親としては心苦しいだろう
けど、政治的にはメリットが多い。
隆景が豊臣政権の未来を予言していたなら話は別だけど。
605 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 12:26:00 ID:TxJYTm83
606 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 13:46:43 ID:TxJYTm83
>>596 猶子でも跡継ぎがいない場合は継承できる権利あるし、関白職まで奪われてるわけだが
どこの馬の骨かわからない人でも系図なんていくらでも作れることもしらんのか?
源平藤橘豊臣ほどの血でない限り、大したもんじゃねーし。
そもそも島津なんて頼朝に引き上げてもらっただけでどこの馬かもわからんじゃん。
徳川だってニセ源氏だし、そのどこの馬かわからん松平なんて、
あんたの言い分どおり賜姓松平家を拒否すりゃあいいじゃん。
>>597 >>ソースはあるだろ。講談や軍記物の類いかもしれん←そんな軍記小説準拠なネタはソースとは言わないから。
一次史料しか認めんというんなら歴史は正史三国志並みに貧相でつまらない代物←そもそも正史三国志は一次史料じゃないから。
607 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 14:03:40 ID:ksWfyNVM
>>606 正史三国志が一次史料だとは書いてないだろ。一次史料だけを元に書いた
歴史はあんなもんになるって書いたんだ。日本語大丈夫か?
608 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 15:19:25 ID:t9o7u6/t
>>606 徳川家康は1600年に関ヶ原の戦いに勝った直後朝廷の使者から「征夷大将軍」に
なる様に言われてるが断ってる。
なぜかと言うと、征夷大将軍になったところで関白には勝てないから。
征夷大将軍は言うまでも無く「武家の棟梁」であり関白は公家の最高トップ。
つまり征夷大将軍になっても関白の権威に勝てるわけでは無い。
そこで家康はある称号を朝廷に要求した。
それが「源氏長者」と言う称号、これは官職ではないが武家も公家も含めた全ての
源氏一門のトップと言う証であり、つまり征夷大将軍と関白を合わせたよりも
絶大な権威がある称号なんだが、さすがに朝廷は躊躇したみたいだ。
だが家康は一歩も引かずに、征夷大将軍と同時にこの「源氏長者」の称号も
くれなきゃ将軍にはならないと言う、んでもってそれまでは秀頼に対しても
ちゃんと臣下の礼をとっているが、1603年遂に念願の将軍職と源氏長者の称号を
朝廷から与えられ、晴れて江戸の幕府を開いて堂々と豊臣よりも自分のほうが上だという事を
諸国の大名に知らしめることに成功したわけ。
609 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 18:18:27 ID:TxJYTm83
>>608 そうそう
どこの馬の骨かわからない人でも系図なんていくらでも作れるし、家康はニセ源氏なのに、のちに群馬県の新田義貞の家系図までパクってるよねw
610 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 19:44:30 ID:VxUdDG2o
>>609=
>>594 本論がボケてるな。そもそも
>>594が見当違いのレスをしてるののが発端。
素性のハッキリした養子がいるのに、どこの馬の骨ともわからん奴を
わざわざ迎え入れる必要はないわな、って事だろ。
もちろん、人によって判断基準は違うから、金目当や権力者にオモネるために
有難がる奴もいるだろうけど、毛利・小早川のケースは違うんじゃないの?って話。
各論展開して、鬼の首取ったように草生やすなよ。
611 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 01:07:14 ID:8obproHt
武将の書状などの一位史料が貧相でつまらない代物?本物の書状ほどなま
なましいものはないと思うけど。
「小早川が本家を守るために秀秋を受け入れた」なんて歴史論文に書い
たら噴飯もので、「毛利家の史料の○○では『〜受け入れた』との記述
がある」くらいだろうな。秀秋が毛利家に入らなかったことがプラスか
どうかも判断しかねるのに、「だから隆景はすごい」というのはどうい
うものか・・・。隆景はもともと名の通った武将であり、秀吉の評価も
高くて秀秋を養子に「いただいた」こと自体がすごいことだよ。
>>610 >>素性のハッキリした養子がいるのに、どこの馬の骨ともわからん奴を
わざわざ迎え入れる必要はないわな、って事だろ。
どこの馬の骨というか、秀秋はすでに中納言だからね。
612 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 01:29:00 ID:j/UyBxXB
小早川秀秋は早くに死んで改易になったために悪印象の尾ひれがくっついただけ。
毛利や小早川が純血を守ってきたとか処女厨まで登場したのかw
世間知らずの童貞のアホだろ。
613 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 01:35:33 ID:QbWIXEaS
>>611 まぁ、論文に書かれたから、それが真実というわけでもあるまい。
大袈裟な、如何にも凄そうな話が、実は大した話じゃなかった、なんてのも
歴史に限らず世の中にはよくある話。
位階じゃなく、血の話でしょ。
中納言になろうが、素性が賤しき者に変わりはない。
614 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 01:59:28 ID:9qUF8cP5
>>611 そんな生々しい史料は常に存在する訳じゃないと言っとるんだ。お前正史三国志読んでないな?
陳寿は確実と判断した史料以外は採用しなかった。おかげであれもこれも『史料が無いから判らない』
謎だらけの歴史書になってしまっている。
615 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 02:02:37 ID:j/UyBxXB
つうか陳寿から安土桃山までどんだけ経ってると思ってんだ
アホすぎワロタw
616 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 02:28:23 ID:9qUF8cP5
>>615 アホはお前だ!陳寿は元々蜀漢に仕えていた同時代人だ。それでも既に充分な史料が無い。
ましてや安土桃山から現在までどれだけ経ってるんだ。そりゃぁ史料も散逸するってもんだ。
617 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 06:44:28 ID:VR0pLs7k
へたくそな外交で主家を存亡の危機にたたせ
最上攻めの手際の悪さなど
直江兼続はとうてい小早川隆景の足元にも及ばないよ
618 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 00:24:23 ID:cLx5zCtC
>>616 なんでいつもSUBの挑発に乗るんだ、君は。
一次史料の話の流れで、今の話にそぐわない三国志をいきなり出して
くるからおかしくなるんだよ。そもそも三国志が貧相でつまらないと
いうのも疑問だが。
SUB?が言うように秀秋と豊臣家は死んだり滅んだりしたから、変に貶めら
れているだけだと思う。素性がいやしいなんて言ってたら、なぜ近衛家が秀
吉を迎え入れたかも説明できなくなる。まさか「(近衛は秀吉の武力に屈し
たが、毛利は)賤しい血を入れるわけにはいかないからかばった」なんて本
気で思ってるわけでもないでしょう。大河ドラマならそれでいいけど。
一次史料と家譜や軍記物などを照らし合わせて矛盾がなかったり、情報元が
違う複数の書物がそう記しているなら軍記物などの信憑性も高いと判断され
るけど、ここでは一つのソースすら出ていないんだよね。仮に毛利家をかば
って小早川家に秀秋を入れたというソースが名将言行録だったりしたら、逸
話が広まったことには納得いくけど、信憑性には?がつく。
隆景はそんな逸話は横に置いても、秀吉に高く評価された武将なんだろうから、
ソース出せないなら無理しないで、「自分は知らないからだれか教えて」でい
いんじゃないのかね。
619 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 01:16:00 ID:P/RywMZ7
毛利厨はソースを出した前例が一度もないから無理w
620 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 10:14:25 ID:UcTnB9DX
>>618 まず、近衛家に猶子として と 小早川家に後継ぎとして を同列に扱うのは無理があるだろ^^;
(ただの名義貸し) (文字通り後継者)
それに、零落したもしくは零落しつつある家(同時代だと例えば結城家)ならともかく
小早川家そのものの扱いは豊臣政権においても毛利グループにおいてもまさに盤石。
後継者秀包は養子とはいえ元就九男で隆景からみればまぎれもなく実の弟。
秀包が暗愚とか病気がちならまだしも四国征伐、九州征伐、肥後一揆討伐、朝鮮出兵と着実に
隆景の後継者として歩んでいた。朝鮮出兵においての活躍では小早川家に ではなく、小早川
秀包への武勲としてわざわざ加増まで受けているくらいだ。
賤しい血がどうこう以前にこの加増直後の秀包を廃嫡してまでわざわざ他家から後継者として
養子をそれも能力的に未知数のほぼ未成年を迎え入れなければならない必然性がカケラもない。
621 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 02:32:42 ID:5dNaeWTP
ただの名義貸しなわけないだろw
藤原氏の摂政関白700年の伝統を百姓秀吉がそっくりもらっちゃったんだぞ。
だいたいお前の論理だと
隆景が百姓の養子なんていらない!
毛利を守るために小早川を犠牲にして百姓の養子をもらうよって
言ったら小早川家内で隆景の立場なんて吹っ飛ぶだろ。
しかもアホの秀秋なんて毛利にいらないみたいな論理も使ってるようだが、それのまともなソースくれよ。
小早川は毛利から独立したいから秀吉の権威を借りたに過ぎんし
秀秋は関が原でも家康について時勢を読むことに成功。
秀秋には才覚があった。
早世して改易され、後世に関が原での裏切りのイメージがついて
変死みたいな話まで創造されちまっただけ。
622 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 02:36:30 ID:IbgI+2m/
血の話するなら猶子も後継ぎもなにもないだろう。
ましてや近衛なんて血で言えば毛利とも釣り合わない。
秀元は存在しなかったことになってるのか。
秀包がいても、太閤の甥を養子にもらうことのほうが
メリットが大きいと考えたという見方もできるよね。
ソースがないから自由に想像できる。
結局、何に隆景が本家をかばったという話が載っていた
のか不明。まさかネットがソースでもあるまいし。
623 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 11:13:25 ID:2nWrQku9
>>621 いや、近衛のは単なる名義貸しだよ。関白相論って知ってる?
いずれ秀吉から、前久の実施である信輔に関白は譲られるはずだった。
秀吉が豊臣性を得る事で、五摂家の関白持ち回り体勢が崩れたわけで。
近衛は秀吉に騙された形。
624 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 11:46:28 ID:IbgI+2m/
秀元は?
625 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 12:20:16 ID:2nWrQku9
血の話で言えば、ソースを求める方が見識のなさを露呈していると思われ。
当時、出生・素性に差別のない平等社会が構成されていたとでも?
ソース云々の前に、大常識の大前提だと思うんだが。
勿論当時は家に帰属する社会だから、血統自体は然程重要ではないにせよ、
貴賤については論外でしょ。
こと世継ぎの議論に関して、これをスルーしてメリット有無のみで論じてる方
が不思議。
地元名士、有力者、そこそこ由緒があったりする家に知り合いでもいれば
理解出来る感覚だよ。本家にわけわからん血を入れるとか絶対にあり得ない。
(血縁のない養子を迎える場合、何代も遡って素性の調査をしたりする)
そういうのと無縁の世界で生きてきたなら、理解出来ないかもしれないけど。
626 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 12:44:46 ID:IbgI+2m/
ソースを求められているのは隆景が「毛利本家に賤しい血を入れたくない」
と考えて秀秋を引き取ったと言う話ですよ。
627 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 13:42:45 ID:2nWrQku9
>>626 史実を時系列で並べると、
1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
1594 秀秋、小早川隆景の養子となる。
1595 秀秋、小早川家の家督相続。
毛利秀元は、既に1585年に毛利輝元の養子になっており、
このタイミングでの継嗣確定は、偶然にしちゃどうなの?って感じ。
且つ、ほぼ同タイミングでの、秀秋の小早川家入りと翌年の相続。
わずか3年の間で、毛利・小早川両家の後継問題がこれだけ重なる不自然さ。
あとは、
>>620の方にご説明頂いてるので、こちらでどうぞ。
628 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 13:54:36 ID:2nWrQku9
補足。
少なくとも、毛利本家に秀秋を入れたくないであろう事は明白で、
その理由はなんだろ?って事で、
>>625ね。
他に理由があるとすれば何があるのかな?
または、最初から小早川入嗣ありきなら、隆景の狙いは何?
629 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 15:44:43 ID:3UzVL1zU
>>627 更に補足すると余計に不自然になるね。
1594年にわざわざ秀包を廃嫡しなければならない理由がない。
本家(毛利家)の為に分家(小早川家)がババ引いたと考えるのが普通じゃないかな。
1579 秀包、小早川隆景の養子となる。
1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
1593 秀包、文禄の役いおける武功(碧蹄館の戦いなど)により加増(7万石→13万石)。
1594 秀秋、小早川隆景の養子となる。
秀包、小早川家を廃嫡され別家を立てる。
1595 秀秋、小早川家の家督相続。
隆景、安芸三原城に主だった小早川家家臣団をひきつれて隠居。
630 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 22:30:34 ID:IbgI+2m/
秀秋を迎えることが「ババ引く」ことになるとはどういうこと?
1592年に秀元の毛利家後継者としての地位が確定したのは
秀吉がそのタイミングで認めたというより、朝鮮出兵を前に毛
利家内で後継者を決めたということだろう。輝元が家系図かな
んかを譲り渡して。(ソースは不明だけど秀吉が認可したなら、
それを受けてのことで秀秋とは関係ない)
毛利家に詳しいなら逸話のソース出せるんじゃないの?
たしか逸話だと「本家に秀秋が入らないように秀元を養子
に迎えた」という時系列がおかしいことになってた気がするけど。
631 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 22:46:17 ID:dTD/778b
>>630 >それを受けてのことで秀秋とは関係ない
また養子を押し付けられる前に秀元が後継者である事を秀吉に認めさせたということ。
632 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 23:09:47 ID:IbgI+2m/
うーん・・・それは個人的な見解だよね。
そんなに毛利に詳しいなら何か史料知らないの?
自分が知ってるのでは、秀秋の下向のあたりからしか史料が
ないんだけど。最初っから秀秋が小早川の養子になることに
なってる。吉川広家もその時に豊臣奉行衆から秀秋の小早川
家入りを聞いている。
633 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 00:55:03 ID:vbiA6F5M
>>629の史実時系列がソースでいいんじゃない?
下手な史料より、よっぽど正しいと思うけど。
634 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 01:21:50 ID:gp0Sw9IW
>>623 >>関白相論って知ってる?
まさかとは思っていたが、その造語・・・またWIKIがソースとかw
あのな、
「秀吉から、前久の実施である信輔に関白は譲られるはずだった」
なんてなんの根拠もねーんだよw
「近衛は秀吉に騙された形」
そんなわけねーよ。最初から騙すつもりなんてなかったし
そもそも猶子になった時点で、すでに近い将来に豊臣姓を得て関白職を信輔に譲るつもりが最初からなかったって言うソース出してくれよ。
>>625 >>出生・素性に差別のない平等社会が構成されていたとでも?
へっ?秀吉は差別されて織田で就職もできず、身分がつり合わないからねねと結婚できなかったのか?
家康は三河の田舎者で先祖がどこの馬の骨かもよくわからないわけだが。
油売りの道三が美濃国主になったりと、実力社会なわけだけどおかしいな。
そもそも身分が固定化された江戸時代と間違えてるとしか思えませんが。
>>何代も遡って素性の調査
ニセ源氏だとバレますねw
635 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 08:50:45 ID:Zwoy2HPh
>>633 年表がソース?
秀元が後継者として認められたのはむしろ時期的に
朝鮮出兵前で輝元の身に何かあった時のためと見た
ほうが自然で、どこにも秀秋を入れたくないという
のは見られないし、秀秋が養子入りする二年も前の
話だし、秀包の廃嫡も秀秋が養子入りしたからで、
どちらも不自然ではないでしょう。
636 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 11:03:45 ID:keeeSceF
それにしても
>>629をみて不自然さを感じないってある意味ですごいな
もっと補足してあげようw
下記時系列でみると、1591年の豊臣家後継秀次で確定したことにより同じく後継候補含みで
養子でしかも秀次兄の遺領を継いでいた秀秋の存在そのものが豊臣家としてみた場合に
困ったものになっていたのがよくわかるだろう
一方、毛利家としてみれば1592年にあわてて継嗣確定させなければならない理由がない
朝鮮に渡海してるからとか言うなよw
輝元の渡海のどこをどうみれば不慮の事態がおきそうなのか逆に説明して欲しいw
小早川家としてみても1594年に秀包を廃嫡させなければならない理由もない
ちなみに秀元が輝元の単なる養子となったのは秀元6歳の時(輝元32歳)
いくら実子がまだ生まれていないとはいえ32歳当主が継嗣養子を迎えるというのは無理がある
そして秀元が正式に毛利本家の後継認定受けたのは当主である輝元39歳の時
若いという年齢ではないけど後述の隆景と違い側室おきまくりだった輝元が実子を諦めるような
年齢では決してない(ちなみに家臣を殺害してその寡婦を側室にしていたりもするくらい女好き)
なお秀包が隆景の養子になったのは秀包12歳の時(隆景46歳)で、一応記述しておけば隆景は
当時としては珍しく生涯にわたって側室をおかなかった人
1533 隆景、毛利元就の三男として誕生。
1551 隆景、結婚(正室の生年は不明だが父死亡時と兄生年からみるとほぼ1543年生まれ)
1553 輝元、毛利隆元の嫡男として誕生。
1567 秀包、毛利元就の九男として誕生。
1579 秀包、小早川隆景の養子となる。
秀元、穂井田元清(毛利元就四男)の嫡男として誕生。
1582 秀秋、木下家定(秀吉正室ねねの兄)の五男として誕生。
1585 秀元、輝元の養子となる。
秀秋、豊臣秀吉の養子となり病死した豊臣秀勝(秀次実兄)の遺領を継ぐ。
1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
1593 秀包、文禄の役いおける武功(碧蹄館の戦いなど)により加増(7万石→13万石)。
1594 秀秋、小早川隆景の養子となる。
秀包、小早川家を廃嫡され別家を立てる。
1595 秀秋、小早川家の家督相続。
隆景、備後三原城に主だった小早川家家臣団をひきつれて隠居。
637 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 11:21:53 ID:Zwoy2HPh
年表はもういいよ。都合のいいとこだけを抜いても
因果関係は証明できないんだから。
秀秋の養子入りはむしろ1593年の秀頼の誕生のほうが
影響しているように思うけど、年表から意図的に外したのかな。
結局、史料は出せないんだよね?軍記物でも逸話集でも
638 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 13:04:20 ID:UfT3BDic
>>637 では都合の悪そうなのを追記して反論すればいいじゃない?
年表は史実そのものなんだから、正確だと思うけど
講談論拠で語ってるならともかくね
アンタのステージまで降りる必要はないでしょ
ソースソースって言ってりゃ考えなくていいから楽だと思うけどね〜w
結局、ソースの有無をポイントにしたいだけの無知?
639 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 13:32:31 ID:Zwoy2HPh
1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任。
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
1594 秀秋、小早川隆景の養子となる。
これだけでどうして「秀秋を本家に入れたくないから秀元を正式な
後継ぎにして、小早川家に迎えた」という展開に飛躍できるのか。
脳内補完しているだけでしょう。それを脳内じゃなく史料上で補完
してほしいと言っているのにね。
1593年は秀頼誕生のほかに小早川隆景が病で朝鮮から帰国もある。
こっちのほうが3年も前の話よりよっぽど直接的なきっかけに見えるけど。
640 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 16:23:36 ID:UfT3BDic
>>639 >1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任。
>>636の年表では、
>1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
都合の悪いトコ、削除しちゃうのはズルいな〜
ちゃんと句点で切ってるから、言い訳出来ないわなw
1585年に秀元はとっくに養子になってるにもかかわらず、
秀次が豊臣の後継者に確定した翌年に、わざわざ秀吉から
継嗣確定のお墨付きをもらってるわけだ
展開飛躍してないっしょ
毛利の年表に秀頼生誕を入れる必要ないでしょ?
秀次が入ってるのは、秀秋が養子に出される肝だという意図からだと思うけど
3年も、てか、3年しかだと思いますが
641 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 17:53:34 ID:keeeSceF
>>637 関係者である輝元、隆景、秀元、秀包、秀秋の系図的な出来事の年表ですよ
豊臣秀次が入っているのは秀秋が豊臣の養子から小早川の養子となった一連の
経緯をみれば外すわけにはいかないので入れました
ところで、都合のいいとこだけって????
正直、あなたのおっしゃってることの意味がわからないのでぜひあなたのいう都合の悪い
ものを年表にいれて補完してくださいよ
なお秀頼を省いたのは
>>636の年表に不必要だからで他に理由はないですよ
>>639 あのね、逆に聞きたいんだよね
なぜ1592年時点でまだ39歳の毛利家当主輝元(側室てんこもりの女好き)が
1585年から養子としてもらっていた秀元をわざわざ正式な毛利家継嗣として豊臣秀吉から
認定をもらわないといけないの?
後に実子が生まれたら揉め事になるだけなのは子供にでもわかる道理だよね
それと、小早川家当主隆景にとって幼少より養子としてもらっていた実弟である秀包を廃嫡
してまで秀秋を継嗣養子として迎え入れる必要がどこにあったの?
小早川家としてみれば豊臣政権においてへまをやらかしてるわけでもなくむしろ西の重鎮扱い
受けているし、秀包個人でみれば廃嫡までの実績は他大名家の次世代と比べてもかなり出来の
いい方だよ
つーか1594年において他大名家の後継者で秀包より実績をあげているのなんて誰がいるんだ?
642 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 17:56:06 ID:Zwoy2HPh
>>640 >1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
ごめん、語呂が悪く、特に意味もないと思ったから削っただけだよ。
特に都合よくも悪くもならないと思うけど。
秀吉の認可というのも本当なの?毛利家文書か何かにあるのかもしれ
ないけど、知らないのでぜひ教えてほしい。
秀頼誕生を入れるのは秀次を入れているのと同じ意図だよ。結局、
3年が長いか短いかは個人の感覚でしかない。だから史料上の裏付け
を求められているんだよ。
643 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 18:47:08 ID:Zqr3iXU7
>>642 語呂!?言うに事欠いて語呂ですか〜。語呂ね〜w
意味がないと思うなら、残しときゃいいじゃん
削る理由なんて全くねーしw 見苦しいね〜
>>639を良く読めば、ない方が都合が良いのはスグわかるっての
644 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 19:46:35 ID:Zwoy2HPh
>>643 関白就任=後継者と解釈したから余計だと思ったんだよ。
秀次は後継者じゃないと言ってるわけじゃない。
本当は秀吉が認可という部分も削ろうかと思った。
でもソースを見つけた。秀吉が広島城を訪れ、秀元が応対した
時のことを安国寺らが輝元方へ報告した書状。
秀吉が「左京大夫はただ養っているのか、後継ぎなのか」と尋ね、
施薬院と安国寺が後継ぎである旨を答えたところ、「もっともである」
として、秀元の後継ぎとしての立場を認めた。そして「輝元は若いの
で、実子が生まれたらその時は実子を立てて、大夫には似合いの扶持
をやるように」として、その分別を秀元に申し付けた。
秀吉は秀元を毛利家の仮の後継者とした。ちなみにこの時期は朝鮮出兵で
ばたばたしている時期。
645 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 22:01:37 ID:Zqr3iXU7
普通、議論してる相手の文章を引用する時は、改変したりしないよ
言い訳はもういいって
で、そのソースとやらなんだけど
安国寺が輝元へ報告した内容が真実だという事はどうやって証明出来るの?
秀吉の発言が真実であるという証明は?
文書が残ってるという事実だけでしょ?
もちろん、そんな下らない事を本気で言うつもりはない
頭は悪くなさそうだから何が言いたいかわかると思うけどね
646 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 22:41:26 ID:Zwoy2HPh
君が書いたのかは知らないけど、「関白就任」と「後継者認定」が
かぶってると自分では解釈した。秀次が関白に就任することの意味
を考えれば、なくてもいい部分。削ったから議論上都合がよくなる
わけでもない。議論上どうでもいい部分なので、しつこく言い訳っ
て言うなら面倒なのでそれでもいいよ。
年表に誰かが書いた
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)
はこの安国寺らの書状がソースになっているんだよ。
この数日後には秀元が「実子が生まれた場合は自分は身を引く」
という起請文を隆景、安国寺に提出している。
その冒頭も「我等身上之儀、太閤様より忝くも仰せ出だされ候」
で始まる。太閤様がそう仰せになったので、実子が出来た場合は〜
という話になっていく。上述した書状と矛盾しない。
>>644の書状に説明不足があったけど、「秀元が後継ぎ」というの
は「秀吉様の御諚次第ですが」ということを申し上げたところ、
秀吉が認めた。
「文書が残ってるという事実だけでしょ?」というのはもはや歴史の
全否定になってしまうからやめたほうがいいよ。
>>643の書き込みもだ
けど冷静に。
647 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 22:46:43 ID:Zqr3iXU7
>>646 何を言いたかったのか理解してもらえるかと思ったが残念だ
648 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 22:58:29 ID:GPDshPkD
>>646 横から口挟むけど、
>>645は「ソース、ソース」って言うんなら次にはソースの信憑性が問われる事に
なると指摘しつつ、そんな下らない話は止めとこう(だからお前さんもソースって言うな)、と言ってる訳だ。
もっと建設的に事実関係から議論しようという事だ。
649 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 23:14:21 ID:Zwoy2HPh
>>647 ごめんね。ソース不明の逸話を信じ、特に疑う部分のない
一次史料の信憑性を問う態度にはどうも共感できない。
>>648 建設的な議論をするために、一次史料を提示したんだけどな。
秀元の起請文と合わせても矛盾はしない内容。写しの書状でもない。
捏造する理由もない。よかったら自分で毛利家文書を見るといいよ。
650 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 23:51:49 ID:Zqr3iXU7
>>649 わかってて言ってるんだとは思うが、当該時代に書かれた史料というだけ>一次史料
正確性は必要条件ではない
信憑性を問うたつもりはないが、そのスタンスは別に構わんだろ?
651 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 00:33:30 ID:uqrden7f
もちろん情報が錯綜したりするので、内容が誤っていたりする。
毛利家文書を当たれば分かるけど、内容を見る限り伝聞ではなく、
安国寺や林就長が直接見聞きしたこと(秀吉が気にかけてくれたこと
に両人感涙を流した)だし、彼らが内容をねじまげる理由もないと思う。
偽書かどうか検証が必要な内容のおかしいものでもない。
特に関係はないけど、この書状では秀吉は「輝元は欠けるところがなく、
(才能があるから?)隆景が精を入れて(教育して)いる。輝元は利発な
人物になり、隆景も異見しがたいほどになった。両人のような関係は日本
一だ」と褒めたことが記されている。
652 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 00:48:33 ID:VVjOb8R0
>>649 言ってる事が矛盾していないか。
史料主義なのはかまわないし間違っているとも思わないけれど、
>>636にある
関係者の年表などはまさに君の言ってる特に疑う部分のない一次史料その
もののに限りなく近い主観的余地の入り込みようもない事実の羅列だろうに。
それを自己の主張(君の場合、秀秋小早川家継承と毛利秀元継嗣公認と
小早川秀包廃嫡には因果関係などない)にそぐわないからといって目を
そむけるというのはどうにも感心できないな。
仮に因果関係がないとするとなぜ小早川隆景は隠居時に家臣団のうち多数を
隠居城である三原に引き連れていったのか、という疑問が起こらざるを得ない。
秀秋継嗣と秀包廃嫡に関して含むところがあったからと考えるのが自然では
ないだろうか。
加えて、これを豊臣秀吉の立場から見ればどうだろうか。
後継候補の1人として養子として育ててきた豊臣秀秋を小早川家の継嗣にしたら
翌年に当主が隠居し主だった家臣団ひきつれて隠居城に移ってしまった。
秀秋秀次秀元秀包の一連の出来事に因果関係などは無いと豊臣秀吉が認識して
いたとすれば、この時の小早川隆景とその家臣団の行動は豊臣政権の仕置きに
対しての公然たる不服従と受け取るのが自然であろう。
しかしながら何のお咎めもなし。
653 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 01:16:01 ID:0PKj4Xt8
年表の事象全てについてソース出せ、というのはナシでお願いしますwww
654 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 07:24:26 ID:3YE5lNpD
>>651 最終的には、結局これも個人の見解。
ソース、ソースって言い過ぎるとこうなっちゃうんだよなぁ・・・
程度を考えないと、話がどんどん些末な方向にズレて行く。
この人、
>>642とか
>>652みたいの本筋にはレスしないものね。
655 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 09:00:39 ID:uqrden7f
>>652 年表は事実の羅列だけど、それぞれを関連付けるのは史料を用いないと
意味がない。たとえばその家の後継者が相次いで死んでも、それが毒殺
などの不審死かどうかは史料を用いないとただの想像になるでしょう?
隆景の隠居料は5万石もあるので、家臣がついていくのも当然。秀秋が
自分の家臣を連れてくるのも当たり前。養子でない後継ぎが家督相続して
も、自分の側近を重用して先代の重臣が不満を持つのはよくある。「毛利
本家の身代わりになった」小早川家の家臣にしては、毛利家に戻った連中
は冷遇されているし。隆景自身は秀秋を迎えてから昇進を続けてるし、不
満だったなら隠居料も含めて辞退すればいいのにしていない。秀秋下向の
際は隆景自身が能を舞ったり、輝元が鼓を打ったりして大歓迎している
(『小早川秀秋三原下向日記』)。
>>654 毛利家文書にある書状であり、矛盾する史料もないので特に
問題もないと思いますが。偽書だと説いてる研究者も知らないし。
偽書なら上の年表の
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
も嘘になる。
どこか不審な点があれば、ご自分で史料批判してみては?
年表を羅列して、秀秋の話と秀元の話を関連付けた人がいたけど、
年表のもとになっている書状の内容を見ると、秀秋が云々のような
においはしてこないというのを示したんだよ。
可能性がゼロとは言えないけどね。
小早川が好きなのも分かるし、SUBのように小早川はカスだと言って
いるんじゃない。優れた武将だというのは理解したうえで、「本家を
救ったからすごい」みたいな話に対して本当なの?という疑問を呈し
ているだけ。
ちなみに上の書状は毛利家文書三の1041。SUBアレルギーで態度が
硬くなってるのかは知らないけど、ソース出さずに出した人を批判する
前に自分の目で見てみては。
656 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 17:18:52 ID:gT46owcy
毛利厨って自分では絶対に史料やソースを出せないくせに
文句ばっか言うんだよな。マジきもい。
本家の身代わりになったってのは捏造で確定だな。
657 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 23:03:14 ID:uqrden7f
捏造で確定とも言えないけど、豊臣も小早川も残ってたら
そういう逸話にはなってないと思うな。
658 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 23:55:15 ID:61kaNTv9
>>655 >年表は事実の羅列だけど、それぞれを関連付けるのは史料を用いないと
>意味がない。
なぜ?
年表の事実も史料に基づかれているものだろうし、事実が積み上げられていけば
真実に限りなく近づいていく。意味がないというのは暴論だとしか思えん。
ザッと年表見させてもらったけど、一般的には史実と思ってよい内容。
ネットで検索しようが、書籍で調べようが、まぁ大概の資料との整合性はある。
これを基に持論を展開する事は別におかしいとは思わんね。
手紙や日記のような主観入りまくりの史料でも一次史料足り得るわけだよ。
否定するわけではないが、100%真実と証明し得ない史料よりも、人間の本能的なトコで、
賤しい血を入れたくないという方が信用出来るね、個人的には。
現代でもそこかしこに転がってる話だし。
659 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 00:18:24 ID:bm/pyNRv
そういや、もともと血の話だったね
なんでこんな展開になったんだか
アホらし
660 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 01:00:17 ID:XDZXCLYy
>>658 年表だってもとは一次史料など信頼できる史料のエッセンスだけを
取りだしたものだよ。年表自体が怪しいわけではなく、それぞれを
関連付けるには史料が必要ということ。秀元の例一つとっても、具
体的な経緯などがよく分かった。
1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
この2つを並べても、どこに因果関係が見出せるのか分からないでしょ。
だから史料が必要。1年しか経ってないから関係あると断言してしまう
ほうが暴論。可能性を指摘するくらいならいいんだろうけど。
主観入りまくりとかはそれはそれで個別に内容を精査されるから問題はないよ。
隆景の大河ドラマ作るなら自分も「本家を守った」ことにするよ。でも史料の裏付け
がない以上、個人的には後世作られた逸話と考える。
>>659 個人的には議論になったおかげで秀元の地位が秀吉に認められた史料の
存在を知れて勉強になった。
661 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 01:46:50 ID:c+na8LCS
662 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 01:58:49 ID:bm/pyNRv
>>660 議論??
アンタ議論なんか全然してないよね?
相手の主張を真っ向から否定することなく、
自分の言いたい事を一方的にアウトプット
アンカがなければ、
>>658と
>>660が議論してるなんてとても思えない
で、最後に自分の総括で相手を全否定
メチャメチャ議論上手だよ
ソース云々より、そこに感心したわ
663 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 02:19:22 ID:c+na8LCS
>>658 >>100%真実と証明し得ない史料よりも、人間の本能的なトコで、
賤しい血を入れたくないという方が信用出来るね、個人的には。
現代でもそこかしこに転がってる話だし。
お前の価値観など聞いてねーんだよアホが。
血なんかより養子をもらってでも家の存続により先祖への祀りと郎党の繁栄。
藩主の血より藩の存続と藩士たちの繁栄の方が大事なんだよ。
日本は中国や朝鮮みたいに血統を過度に重視してねーんだよ。
1億5000万の日本人の中で平安時代までさかのぼって、しっかり系図が遡れる家がどんだけあると思ってんだよ無知君w
そもそも一般家庭に家系図すらないだろ。
中国や朝鮮と違い、日本人の名字がやたら多いのもそれが原因。
664 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 02:23:41 ID:bm/pyNRv
>>663 多分、血統じゃなくて、血の貴賤だろ
この程度のバカなら与しやすいんだろうなw
665 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 02:58:10 ID:c+na8LCS
血の貴賎なら藤原摂政関白史700年の重みを
百姓風情に譲り渡すような愚行をやるわけねえーだろw
血に貴賎を問うならどこの馬の骨かわからん松平風情に源氏長者や征夷大将軍なんてやらんだろw
現実に権力を握ってるやつのもともとの身分なんて問題にしねーんだよ。
小早川を構成する家老連中だって権力者から養子をもらうことに価値を見出しただけのことだ。
小早川家を構成する家老達の合意がなければ隆景独断で、毛利本家を守るために小早川を犠牲にするからwなんて宣言できるわけねーだろ。
666 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 08:54:41 ID:XDZXCLYy
>>662 「史料よりも人間の本能的なとこを信じたい」なら
もう歴史ロマンであり、史料では否定できない部分だよ。
それならそれでいいし。それを真っ向から否定しろなんて無理な話。
だからもう「個人的には逸話は創作」と言うしかない。
評論家はいらないよ。今の話題がアホらしいと思うなら、何か話題に
なる史料でも逸話でも見つけてくれると助かるね。
667 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 10:22:16 ID:VxWzSg8D
一次資料だソースだと主張する割には都合の悪い点を華麗にスルーはいかがなものかと。
>血なんかより養子をもらってでも家の存続により先祖への祀りと郎党の繁栄。
>藩主の血より藩の存続と藩士たちの繁栄の方が大事なんだよ。
小早川隆景には継嗣予定の養子がいなかったのですか?
いいえ、隆景自身の実弟で母系が小早川氏庶流乃美氏という秀包を早くから養子にしてます。
この秀包、各地の合戦において戦功をあげ続けていたなかなか優れた武将です。
豊臣政権においては羽柴久留米侍従。石高としては隆景所領のうちから筑後7万5千石。
秀秋の小早川家入りによって廃嫡される直近には碧蹄館においての戦功で上記7万5千石とは別に
5万5千石の加増を受けて13万石になり筑後守。後継としては全ての諸大名を見渡しても(この当時に
おいて)これほどの実績をもつ継嗣予定者は見当たらない優秀さです。
そもそも当時の小早川家は当主隆景と秀包によって家始まって以来の繁栄を謳歌してたようにしか
みえないのですが。
>血の貴賎なら藤原摂政関白史700年の重みを百姓風情に譲り渡すような愚行をやるわけねえーだろw
>血に貴賎を問うならどこの馬の骨かわからん松平風情に源氏長者や征夷大将軍なんてやらんだろw
これは都合が悪いのでわざと混交させてますよね。
いったいいつ羽柴秀吉が一時的にでも近衛家そのものの後継者となったのでしょうか。
前久は秀吉を猶子にはしましたがこれは当時の近衛・二条の関白問題を近衛家の有利に収束させる
為の方便でしたよね(結果的には後に秀吉が賜姓という政治的マジックを弄したことにより近衛家の
野望は潰えてしまいましたが)。
そもそもこの猶子。近衛前久は羽柴秀吉を猶子にした時に実子信尹や他の猶子を廃嫡したのでしょうか。
してませんよね。ちなみに前久の猶子としては本願寺教如もいたりするくらいの、それくらいの扱いに
すぎません。
源氏長者について。
足利義満が武家源氏としては初めてなるまではずっと公家源氏(嵯峨源氏(後に醍醐源氏)、宇多
源氏、村上源氏)が補任されてますし、足利氏にしても義満以降の歴代将軍が補任したわけでもなく
基本的には公家源氏との交互です。よって義満以降の歴代足利将軍でも補任されていない将軍が
半数程度います。源氏長者を武家源氏が独占したのは徳川氏が始まりに過ぎません。
征夷大将軍については・・・はあ史料史料と連呼してる人とは思えないです。
ホント都合が悪い点はわざと混交させているだけですか。
大伴弟麻呂以来の歴代征夷大将軍をみれば説明するまでもなくわかることです。
そして源氏長者と征夷大将軍はどちらもある特定の家をその家の所領や郎党ひっくるめて継ぐわけでも
なんでもないですよね。この家というのはまたわざと混交されそうなので書いておきますが、たとえば
足利宗家や徳川宗家というのとは違う意味であくまでも「家」です。
>小早川を構成する家老連中だって権力者から養子をもらうことに価値を見出しただけのことだ。
>小早川家を構成する家老達の合意がなければ隆景独断で、毛利本家を守るために小早川を犠牲に
>するからwなんて宣言できるわけねーだろ。
座配立書に名のあがるような一門、家臣衆において小早川庶流椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏は全て
隆景に従って三原に行ったり、毛利家に戻ったり。秀秋には従っていません。
家臣でも磯兼氏、鵜飼氏、桂氏、井上氏、堅田氏、国貞氏、村上氏といった主だった連中みな同様。
揚げ足取られそうなので補足しておきますが村上庶流の一部は秀秋に従っています。
家臣衆が権力者からの養子に価値を見出して更なる繁栄を求めていたという割には随分と不思議な
ことですね。
わざわざ隠居した前当主に従って、豊臣秀吉の元養子である秀秋という繁栄を約束されたような立場の
新当主に従わないなんて。
668 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 22:01:12 ID:WO8ZhFbn
まぁ、実は簡単な話でさ。ここんトコ続いてる話ね、
議論なんてとっくに終わってんだよね。
擁護派と言っていいのかな。史料で導き出された年表に基づいて自論を展開してるわけだ。
最初の前提段階でソースを拠り所にしてない以上、そこにソースを求めた時点で議論は終了だよ。
前提がぶっ壊れて、その後延々と続いたのは、ただの検証作業。
>>666がずっと偉そうな講釈垂れてるけど、結局『ソースないでしょ』ってだけの話。
小説やゲームを論拠にしたヨタ話に対してならわかるけどね。
この手法だと大抵の議論どころかスレは成立しなくなるわけで。
そういう意味では、スレも人も成熟してないんだろうな。
669 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 23:35:08 ID:XDZXCLYy
でも歴史って検証作業だからね。
670 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 00:23:26 ID:TctllE8J
一人でやれ
671 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 02:13:08 ID:Y67NaPK4
そうだよね。
>>646で史料から「隆景が毛利をかばうために養子をもらった」とする説は否定されたね。
>>100%真実と証明し得ない史料よりも、人間の本能的なトコで、
賤しい血を入れたくないという方が信用出来るね、個人的には。
こんなのただの願望妄想でしかないし。こんな主張を史家や学者が主張したら
失笑されて学会での地位を失うわ。
672 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 06:22:59 ID:qvDpFU0s
旧武田家臣の保科正俊の孫の正光には子が無かった。そこで徳川家康の命で実弟の正貞を養子にした。
ところが後年、二代将軍徳川秀忠に隠し子が出来ると老中土井利勝にこの隠し子を押し付けられて養子にした。
後の会津藩祖保科正之である。当然正貞は廃嫡である。
こういう事が無かったと言い切れるのか?これだけだと確かに妄想だけど。秀秋を養子に迎えて翌年には家督を
譲って隆景とその家臣団は三原に退去って流れは慌ただしく、いかにも小早川を乗っ取られたと言わんばかりだが?
673 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 07:34:20 ID:P2HNdnwC
674 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 08:55:58 ID:9DfS3cm5
>>672 その話に乗ると、秀吉の謀略で家を乗っ取られたと言うわりに、
いわゆる大老の地位は譲らない隆景はおかしな人間になる。
秀包廃嫡についてはキリシタンであることは考慮に入れなくていい
のだろうか。小早川家は毛利とともに豊臣政権の西国支配の要だから。
675 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 09:02:59 ID:Y67NaPK4
>>644でも史料による論拠が提示されてるじゃん。
>>673はもはや反論できないことを認めた発言だなw
>>672 そもそも保科の件と秀包の件はまったく関連性がない。だいたいその論法なら隆景で秀包が不仲とする話になるが。
(正貞と不仲で保科正重も早世したからやむなく遺言で正之に扶持が回ってきたに過ぎないし、しかし正貞も大名になって別家を立てている)
秀包が
>>629でも優秀なのに廃嫡される理由がないとか言ってるけど
別に廃嫡されたなんてソースもないだろ。
あれは秀包・秀秋で小早川2家が創設されたに過ぎない。
関が原の後に秀包の方が改易したから後世にゴッチャになって
秀包は廃嫡されて秀秋が後継者になったと歪曲されただけ。
676 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 09:04:24 ID:Y67NaPK4
訂正
隆景と秀包が不仲
史料否定するなら反論できる史料をもってやれよ。
願望からくる妄想を正当化しようとすんなよ。
677 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 11:19:21 ID:qvDpFU0s
>>674 逆に小早川家を奪った代わりに大老のタイトルは終身保証したとも取れる。
>>675 不仲の件も、いかにも御落胤をおろそかに出来ないから取って付けた風である。正貞が大名に
取り立てられたのは、保科家を継いだ正之が認知されて松平を名乗りそうだから幕閣が保科の
家名を残す為に配慮したもの。認知されなかったら旗本どまりだったかもしれない。
秀包は別家を建てて、家督は相続してないんだから廃嫡でしょ。
678 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 21:40:04 ID:eo77Wu+j
で、結局隆景の話ばっかだけど兼続の功績は?
領土や肩書、死んだ時の結果なら隆景のが上みたいだけど
何で隆景スレになってんのよ
679 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 23:31:24 ID:9DfS3cm5
>>677 それだと家を売って、中納言にしてもらって、大老の一人として
西国で実権を握る嫌な人間にならないか?
上とか下というか、そもそも大名と大名の執政だから領土や肩書
なんて比較にならないよな。
680 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 04:25:40 ID:H3V2G9sE
>>679 ”保証してもらった”だとそう取るんなら”慰留された”でも良いけど。大老は家に付いてくるんじゃなくて
個人として任命されてんだと思うけどなぁ。
>>678 兼続の功績は120万石から30万石に大減封されてもリストラせず、身分の低い者だけに苦労させずに
みんなで苦労するようにして、どうにか立て直す目処を付けたこと。
石高が四分の一になったから身分に関係なく皆の禄を四分の一にした。下々の者は食っていけないから
各自の家の敷地で畑を作るようにした。武家屋敷の生け垣も何やら食べられる植物になっている。
そんな貧しくても武力の整備も忘れず、鉄砲を密造したらしい。
681 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 08:13:08 ID:U4H+i6Is
直江の功績について書かれてる過去レスはこれくらいか
>>140>>141>>142>>144>>145>>300>>403 小早川は実際には、秀吉に戦わずして5カ国譲渡とか、清水宗治切腹の土下座外交とか
あきらかに秀吉という敵への利敵行為やってるよね。
小早川が秀吉に内通してたから秀吉が天下を取れたようなもんで、そりゃあ秀吉が激賞するし
毛利の配下ではなく、秀吉の配下だから大老にもなれた。だから筑前などに大封をもらえたんじゃないか。
常識で考えて毛利小早川が協調したら秀吉政権だって危ういくらいの大領土になるのに気にしてないのは
輝元への鉄拳制裁といい、毛利ではなく秀吉配下だった認識だよね。
まぁ一次史料での隆景は非常に怪しい。後世の作り話の逸話類はそれを隠蔽するためにつくられた観があるね。
>>182>>190>>236>>324>>335>>346>>349>>422>>423>>445>>488>>489>>531>>534>>579 >>644>>646で史料から「隆景が毛利をかばうために養子をもらった」とする説は否定されたし。
反論する方は「史料には、それを否定できる史料をもって反論」しないといけない基本すら守れないやつだし。
反論不能でついにロマンとか意味わからんことを言い出してるし。
つか
>>661にでてるスレをのぞくと、明らかに毛利擁護の人って一次史料を根拠に挙げたことないよね・・・ゆとり脳?
そもそも秀包が隆景の嫡子扱いって本当なの?
秀包って公式の年齢からして怪しい人物だよね。
たしか毛利大友の和睦の後に婚姻の相手として
秀包と宗麟の娘が選ばれた。これって小倉市の公認の歴史なんだよな。
学者の吉永正春もその論を支持してるし。
1908年(明治41年)に追贈正一位を受けて以来、朝臣毛利元就とその一族は神格化され
安西軍策とか陰徳太平記といった軍記に載ってない毛利に不利になる話や矛盾する話をすべて否定して
九州の歴史はウソばかり、九州人は捏造基地害と言ってきてるし。
日本史板の広島愛のキチガイ牛もその主張をする一人。
毛利と大友の北九州攻防戦を語ろうスレで毛利が勝ったと執拗に食い下がったり、
毛利輝元が大阪城に立て篭もった!!スレの222レスにも
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1208970502/222 でも完全に無知を晒しておきながら、根拠も提示せずにおかしいとか喚いたり。
結局、毛利輝元って何がしたかったの?スレでも
輝元が増田に備えて延期したってソースを早くだしてね←無視
こういうふうに各スレで何度となく脳内妄想を語り
指摘されても一切ソースを出さずに、新しい屁理屈も持ち出して
ソース要求から逃げて、自分しかわからないソース不明の話をまた持ち出して
自分の意見を繰り返すのが毛利擁護の人のスタンス。
682 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 09:55:43 ID:hVkzYbR8
一次史料をどうこうと言うのに秀包が隆景の嫡子扱いまでを否定したり生誕年まで疑うとか正直ありえない。
上記2点に比べれば秀吉は天皇のご落胤だった説や義経はジンギスカンになった説のほうが余程信じるに足るわ。
秀包生誕時の毛利家はもはや吹けば飛ぶような国人領主ではないので各記録より生誕年が不正確という
可能性はない。
実母は小早川家一門衆乃美氏の出で出自そのものもはっきりしている。
元就にとって九男生誕を糊塗しなければならない理由はまるでない。
あなたが自分で書いてるように毛利大友の和睦の証の婚姻相手として秀包に宗麟の娘が嫁いでいる。
元就の実子だったからこそ大友宗麟の娘と政治的にも外交的にも相和の証として釣り合いが取れていた
わけでしょうに。
秀包が、実子もなく他に養子もいない側室も設けなかった小早川隆景の継嗣ではなくただの家臣扱いだったと
すればなぜに筑後において隆景所領のうちから久留米一帯を分封されていたのかの説明がつかないし、
文禄の役の功により(わざわざ小早川隆景に与えられていた筑前筑後領に含まない形で)5万5千石の加増を
受けられたのかもわけがわからない。
さらに秀秋が小早川隆景領を継いだ時には当然秀包の所領は秀秋のものにならなければならないが、秀包の
久留米13万石はそのままの第2小早川家というような別家扱いになり小早川秀秋領にはなっていない。
後に小早川秀秋が越前転封された時も同様。
いくらなんでもむちゃくちゃ過ぎ。
683 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 17:50:01 ID:x+Psiqqs
>>681 おまえが毛利関連スレ大好きなのは良く分かった
684 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 23:16:45 ID:DDsQfYJn
>>681 ロマンて、
>>666による的外れの例えだよ。
『賤しい血を入れたくない=人間の本能的なトコ』の方が、
主観入りまくりの手紙・日記等の一次史料より信用出来る、という話が、
(もちろん、一次史料を否定するつもりはない旨、付け加えている)
>「史料よりも人間の本能的なとこを信じたい」
人の引用を改変してレスする人みたいだから、困ったもんだね。
当時、支配階級と被支配階級が存在する以上、社会環境として差別があるのは
当たり前過ぎる話。言ってみりゃ慣習みたいなもんで、わざわざ成文化する
必要もない大前提の話だろ。何がロマンなのか、さっぱりわからん。
出生・素性による差別がなかった、というならそう言われても仕方ないかな。
まさか、秀吉の就職・結婚、家康の祖先や道三の素性くらいで、
平等社会が築かれていたなんて言う人はいないと思うけど。
685 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 00:29:16 ID:nr8ZrlF2
>>681 他のスレの事はわからんが、小早川が毛利の盾となった話。
擁護側は史実を論拠にしており、議論の立てつけとしては問題ない。
その史実が誤りである事を証明し否定するならわかるが、
ソースがない事でこれを否定するのはオカシな話。
なぜなら、ソース自体が議論の解答ではないから。
否定派の結論にしても、ソースを基に推測している事に変わりはない。
686 :
685:2010/05/28(金) 00:36:10 ID:nr8ZrlF2
補足
例えば、
「文禄の役に先立ち、輝元が不測の事態に備え秀元を正嗣にした。」
と明言されたソースがあるならば、まさに議論の解答。
687 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 00:58:27 ID:3n/kSpaa
>>865 逸話がある=史実 ではないよ。
景勝が「謙信の軍法にない」と直江の家康追撃策を退けた
と『名将言行録』などでされてるけど、この時期の二人は
連絡を取れずに困っていたことが書状で分かる。
688 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 07:40:01 ID:Ov3CypXz
>>636の年表が史実であり逸話ではない、という前提。
この年表が逸話だと証明すればいい。
689 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 08:10:18 ID:3n/kSpaa
>>684 >手紙や日記のような主観入りまくりの史料でも一次史料足り得るわけだよ。
>否定するわけではないが、100%真実と証明し得ない史料よりも、人間の本能的なトコで、
>賤しい血を入れたくないという方が信用出来るね、個人的には。
>現代でもそこかしこに転がってる話だし。
高い信頼性を以て『毛利家文書』に所収された書状より人間の本能的なトコで云
々〜が信用できるという時点で、「歴史」ではなく「歴史ロマン」だという評価
は的外れだとは思わない。それが悪いと言ってるわけではないよ。
>>688 年表にある出来事が逸話にすぎないとは言っていない。
出来事同士を関連付けるのが逸話で、逸話が全て信用できないわけ
ではなく、隆景の遺言状のように江戸時代になってから創作された
と見られるものも多いから鵜呑みにはできないということ。
690 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 08:27:19 ID:013MsXz5
>>682 大友や毛利のどちらにも属さない中立性の高い小倉市史と学者の吉永正春に反論したいなら
何度も指摘してるように一次史料で秀包の年齢について論拠をもって証明しろよ。
>>684 結局、なんだかんだ根拠のない屁理屈ばっか言って妄想垂れ流していて
一次史料を一切出さずに逃げてるだけだろ。
というか歴史の世界では史料主義であり、史料をもって論拠を提示していく。
そういう基本的なことがわかってないな。
>>684 南北朝から安土桃山時代に身分差別はほとんどない。
完全に実力主義。貴賎より才覚で出世できる。
平安の昔の貴族が荘園支配してた時や、身分固定された江戸時代とはまったく違う。
支配階級と被支配階級←そんな2つで分けれるほど単純な世界じゃない。
>>685 >>小早川が毛利の盾となった話。
擁護側は史実を論拠にしており
ふざけんな。いつ史実を論拠にしてんだよ。
該当するレス番号を教えろ。
>>644>>646で史料から「隆景が毛利をかばうために養子をもらった」とする説は否定されたはずだろ。
毛利擁護してる方は各スレで脳内妄想を語り
指摘されても一切ソースを出さずに、新しい屁理屈も持ち出して
ソース要求から逃げて、自分しかわからないソース不明の話をまた持ち出して
自分の意見を繰り返すのが毛利擁護の人のスタンスなのは明白。
691 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 08:41:02 ID:013MsXz5
秀包と秀秋は
沼田・竹原両小早川みたいに両統になっただけだし。
秀包も秀秋も朝鮮の功績による領地だろ。
秀秋の方が朝鮮での功績高いし。
692 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 08:43:24 ID:3n/kSpaa
sub挑発しすぎだろ
要は、どこで「隆景が毛利をかばうためにー」という話を
みんなが知ったか、その逸話はどういう話で、元はどこから
来たのかってことだと思うけど。
どこで知ったのか忘れたとかならそれでもいいんじゃね?
693 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 10:18:58 ID:U9LYKsFu
>南北朝から安土桃山時代に身分差別はほとんどない。
ヒドスギwwwwwwwwwwwwwwwww
694 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 19:20:07 ID:bNKqv+gp
>>691 朝鮮での秀秋の功績がデカイ?はぁ?wwww
秀秋は朝鮮では一軍の大将にも関わらず何の策も無く敵陣に突っ込んで
秀吉の叱責されてるし、女子供の首を自慢げに秀吉に献上して激怒させて
領地没収されてるがwwww
695 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 21:57:25 ID:qAavFuPL
>>689 的外れでしょ。
『本能的なトコ』が何を示しているのか、明らかに勘違いしている。
それとも、差別とは縁のない余程理想的な社会で生きてきた世間知らず?
もしくは、ロマンの使い方間違えてね?
年表は事実の羅列で良いのだろ?(
>>655)
逸話も何も、この年表は史実なわけで、
大抵の書籍・資料の年表と一致するわけだが。
で、
>>685>>686の正論へと連なる。
これまで、否定側が使ってきた「ソース=毛利家文書の引用」ってのは、
論拠の強弱でしかなく、結論そのものじゃないよねー。
自分達だって出せないくせに、相手には要求するオカシナ論理。
696 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 22:38:07 ID:qAavFuPL
>>690 新しい屁理屈?キミが理解出来ないだけだなw
わかりやすく説明してあげるよ。
論旨
・擁護側:「秀秋の小早川家入嗣は、毛利入嗣を防衛するため。
秀元の毛利家入嗣を始め、タイミングが不自然。」
・否定側:「(一例として)秀元入嗣は、文禄の役に先立ち行われたもの。
輝元の不測の事態に備えるため。」
論拠
・擁護側:「史実に基づく年表から仮定、推測」
・否定側:「毛利家文書に基づき、推測」
結論を直接的に証明可能なソース:両者なし
論拠の強弱:擁護側<否定側
結局、論拠の強弱に差があるだけで、立場的には同じテーブルにいる。
今回の議論で、「ソースがない、ソースがない」と連呼するのは子供の仕業なんだよ。
697 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 23:13:03 ID:3n/kSpaa
>>695 「小早川隆景がこうだったらいいな、かっこいいな」の願望、
ロマンのレベルだから。
年表は逸話じゃないよ。何回も言ってる気がするけど
1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
これだけで、秀秋を毛利家に入れるのを回避するために秀元の継嗣確定
させたと主張するのが根拠0と言ってるのさ。
だから補完するものはどこにあるのか聞いてるんだよ。
歴史では論拠の強弱が最も重要。逸話に載ってる話と一次史料に載ってる
のが食い違っていたら、その史料がほかのものと矛盾しない限りは逸話は
まず間違い。そう判断するのが歴史。
そもそも毛利家文書による「毛利秀元が継嗣として認められた過程に秀秋
の影は見えない」というのは「秀次関白就任から秀元の継嗣確定が一年し
か経ってないから関係があると推測」と同じテーブルにはないよ。
698 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 23:57:50 ID:qAavFuPL
>>697 >「小早川隆景がこうだったらいいな、かっこいいな」の願望、
ロマンのレベルだから。
もう曲解とか改変はやめようや。少し冷静になれば?
少なくとも、相手の意図を捻じ曲げるのはやめようや。
>年表は逸話じゃないよ。
>>687⇒
>>689の流れが全く理解出来ないんだが。
何が言いたいのかサッパリわからん。主張を一貫してくれないか?
>1591 豊臣秀次、秀吉の養子となり関白就任で後継者認定。
>1592 秀元、毛利本家の継嗣確定(秀吉の認可有)。
>これだけで、秀秋を毛利家に入れるのを回避するために秀元の継嗣確定
させたと主張する
元々は
>>627⇒
>>629⇒
>>636みたいだけど、確かにこの2つだけで主張してはいないねw
いやはや、都合良く切り貼りして自論を展開する人だね〜。
>歴史では論拠の強弱が最も重要。逸話に載ってる話〜・・・。
だから、擁護側は逸話を論拠に使ってないでしょ?
史料に導き出された年表を論拠にしてるじゃない。
>>660で、年表の信頼性は認めてるよね?
この年表が信頼出来ないのであれば、証明すればいい。
何を言おうと、自身の結論について直接決定的なソースを出せないのであれば、
同じテーブルだよ。簡単な話。
699 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 01:39:42 ID:bxfR5pI7
>>696はフツーに正論
仮に、毛利宗家を守るためだったとして、
「夫れ秀吉は野人の子」なんて残さないだろうなぁ
700 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 02:34:48 ID:sG8Cw+JP
>>694 お前がまったく一次史料を読んでないのがわかった。
つか毛利厨ってまったく史料読んでないね。
年表のソースもまったく提示して論拠とすることすらできないと見て間違いないな。
701 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 04:00:27 ID:sG8Cw+JP
そんでな、
隆景が毛利に養子を入れるのを策をもってかばっただとか
隆景の未来予言じみた遺言とか
関が原で三成に味方して潰されそうになった鍋島が秀忠に救われたの
去年の伏見騒動での隆景の策のおかげだとか
そのほとんどの隆景マンセー逸話=ソースなしのデタラメは
明治2年に完成した名将言行録が元ネタなんだよバァーカw
必死に明治にでてきた逸話とも知らずに
毛利マンセー脳内妄想を語ってくれて
実に笑えたよご苦労さんwww
もう遊ぶの飽きたから教えてやるよwww
702 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 05:06:44 ID:HJkhs3WK
>>698 >この年表が信頼出来ないのであれば、証明すればいい。
何回も言ってるけど、年表が信頼できないのではないよ。
年表には「本家を救うため」養子を迎えたというのはないでしょう。
ここのスレでは「秀次が関白に→秀元が継嗣に→秀秋が養子入り」の
流れだけで(捻じ曲げとか言うかもしれないけど、あとの年表は核心
にはほぼ無関係)、関連を指摘している。出来事同士を推測だけでつ
なぐのは歴史じゃない。だから願望にすぎないと言っている。
しかも「年表から仮定、推測」ってのは、「本家を守るために〜」とい
う逸話をどこかで知った上で、年表を並べたらそういう流れでもイケる
と考えただけ。その逸話がなければ年表だけではつながりが出てこない。
だから逸話に信憑性がなければ、出来事もつながらない。
安国寺らの書状見てもそのへんの記述がない。
>>701 名将言行録にも何らかのソースがあるのかもしれないよ。
703 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 10:28:01 ID:sG8Cw+JP
もし言行録のソースがあるとしたらこれが元ネタだな。
当時、秀吉から一族のうちから人質を2人出せと要求されていた隆景が
人質2人を出したがあまりに遠縁ゆえ軽いと思われて、違うやつ出せと言われた。
其の頃、毛利輝元の妻(五龍と宍戸隆家の娘)は、賢才と評判ゆえ溺愛していた
兄の宍戸元家の5男の吉内を実子とするように輝元を説得し輝元も納得していた。
そのために毛利家中では災いが降りかからないように吉内を御曹司様と呼び
もはや後継者はきまったとのことで宍戸家は五龍以来の野望の成就に喜んだ。
いまだ天下は安定したとは言えない中で、いつ殺されるやも知れない
人質選定において難航の末、四郎元綱を便宜上、小早川と称して送ってみたところ
秀吉も納得し藤吉郎秀吉の名から藤と秀をやるので小早川藤四郎秀包と命名した。
その上でより重い人質を要求された。
そこで四郎元綱よりも重い人質とは暗に毛利本家の後継者を要求してるのだと察せられ
これは輝元の養子の吉内を人質にしなきゃもはや納得すまいとのことになる。
これに輝元の奥方は驚き、溺愛してる吉内が
中央の政争の犠牲になっては堪らないと反対し、
人質は穂井田元清と村上通康の息子を出せよと言ってきた。
さらに人質にならないように奥方は厳島神社にまで言って祈願し始めた為に
秀吉から疑われると困る輝元は弱り果てていた。
すると秀吉が朝鮮出兵で名護屋に行く途中で広島へ来るとのことで
人質問題でモタモタしてる毛利家では猜疑心が生まれた。
そして広島城において秀元と施薬院と安国寺らが秀吉を応接してる時に
秀元を気にいった秀吉が、輝元には実子がないとのことだが、
俺の接客した秀元が跡継ぎなのか?と聞いてきたが秀元は答えず
宍戸に対して対立していた安国寺が後継者ですと答えてしまった。
秀吉が輝元に実子ができたら譲ることを条件に仮の後継者にしたらどうか?
もし実子が生まれたら毛利別家を立てればよいと忠告された。
その言質を取られた以上は秀元を養子とせずば何があるかわからないので
即刻、隆景は秀元に実子ができたら、毛利本家の継承を諦めると言う起請文を提出した。
3年後に輝元に実子ができたので秀元は独立大名として別家を創設。
隆景が秀秋を養子として秀包が別家をたてたのと毛利本家の養子の話はまったく関係ないし
小早川の家老衆からすれば隆景だって赤の他人で、
権力者の一門から養子をもらって小早川家の更なる繁栄を謀った方が徳だと思うだろ。
前史
元就は長女を使って高橋を支配しようとした。
でも失敗したので高橋を滅亡させた。
これを知る宍戸は毛利の奇襲を恐れ元就の次女の五龍に支配された。
また五龍は吉川家をも支配し吉川元春の妻・新庄局を恫喝しまくっていた。
元春が吉川の支配に成功したのではなく
五龍に背けば元就への讒言で奇襲され吉川滅亡を恐れたから。
さらに五龍は河野家や元春の長男の元長や輝元の正室に娘を送り込み支配した。
隆元の暗殺下手人とも言われ、江戸期の五龍の血筋は毛利一門筆頭として毛利支配を成功させた。
なお隆景と五龍は権力支配において対立関係だったという。
五龍は吉川元春の姉でかなり気が強かった。
まぁ気が強かったと言うか元就の宍戸支配指令を達成できなければ
五龍の命なんて元就には軽いもんだから
宍戸へ奇襲をかけて長女同様に宍戸に五龍が八つ裂きにされる恐怖を
思えば嫌でも気が強くもなるだろうな。
三子教訓状でも五龍に仲良くしろと命令してるくらい兄弟間は仲が悪かった。
宍戸&毛利本家から武断派の五龍はすげー嫌われていたらしく五龍の墓所も不明なんだな。
ちなみに元春の妻の新庄の墓は山口市の瑠璃光寺&岩国市の洞泉寺
隆元の妻の尾崎は安芸高田市の洞春寺
隆景の妻の問田は山口市下小鯖鳴滝の泰雲寺
704 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 11:16:39 ID:0c2mlkpg
>>702 別に、年表(史実)の事象から推測し、それを自説とするのは構わないのではないか?
君の言ってる補完作業とやらも、単に年表を詳細にする作業に他ならないと思うんだが。
ソース言及に拘るなら、上の人が述べているように、君がズバリ正答ソースを出せばこの話は終わるよ。
別に歴史の何たるか、ではなく秀秋入嗣について議論したいだけではないかと思う。
要は君もSUBと同じく、擁護してる側の論拠を「逸話ソース」と言いたいだけなんだね。
今までの君の発言を振り返ると、ちょっとガッカリだな。
>>703 お疲れ様。で、この言行録のソースは何のために出したの?
出すなら
「隆景が毛利に養子を入れるのを策をもってかばった」
という描写を出すべきなのでは?
705 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 11:27:48 ID:sG8Cw+JP
706 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 11:32:20 ID:0c2mlkpg
>>705 偉そうに受け取られたのなら、謝るよ。
君が、
>>701で、
>隆景が毛利に養子を入れるのを策をもってかばっただとか
>隆景の未来予言じみた遺言とか
>関が原で三成に味方して潰されそうになった鍋島が秀忠に救われたの
>去年の伏見騒動での隆景の策のおかげだとか
>そのほとんどの隆景マンセー逸話=ソースなしのデタラメは
>明治2年に完成した名将言行録が元ネタなんだよバァーカw
と、言ってるものだから、ズバリ正答が出てくるものと思うでしょ。
でもって言行録を振ってきたのは君なんだから、君が開示すべきだよね。
707 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 11:40:17 ID:sG8Cw+JP
>>706 いつもクレクレ君の毛利厨さんw
wikiを元ネタに妄想を膨らませた願望ばっかり書いてないで
たまには自分で調べてみたらどうっすか?
そもそも言行録くらい自分で簡単に調べられるのに
それすらできないド素人なら二度と戦国板に書き込まないでください。
君のゴミ意見はチラシの裏に書きなぐってお絵かきしたらいいと思うよ。
根拠ない屁理屈だらけのくだらない話を何度も読むのは苦痛だから
たまに飛ばしてたけどなw
いくら一次史料を各毛利スレで要求しても一度も出さずに逃げ回り続けて
願望妄想を書き連ねるし、レス時間帯はまさに毛利厨の無職を証明してたし
精神病で投薬でもしてるのかね?
708 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 11:46:20 ID:sG8Cw+JP
で、そろそろ本題にもどって
一次史料における隆景の功績を提示して
隆景の凄さを教えてもらおうか。
709 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 11:49:23 ID:0c2mlkpg
>>707 スマン、毛利厨ではないんだ。このスレにも常駐していない。
ソース議論はどこのスレでもあるものだと思うんだけど、
妙に納得させられるレスを見かけたので、興味がそそられたんだ。
要は言行録に、
「隆景が毛利に養子を入れるのを策をもってかばった 」
というズバリの話はない、という事だね。
710 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 13:17:19 ID:wzM0NPPw
>>708 国人領主の三男→五大老
普通に考えたらカスか凡人だったと考える方が無理がある
一次資料探って功績を箇条書きでレスする労力を費やすまでもない
毛利厨叩きでなにやら怪しげな(出典は明記されてない)一次資料とやらを
長文でレスする方の粘着力にはほとほと感服する
711 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 14:29:37 ID:sG8Cw+JP
>>710 だから一次史料で解説しろよ。
お前の妄想はいらねーんだよ。
>>709 あぁそういうことだったのか勘違いしてた。
言行録に「隆景が毛利に養子を入れるのを策をもってかばった 」
というズバリの話がでてる。
言行録には
>>703に書かれた話と似た話も出てくるから←ここ読んでね。
「も」って書いてるよね。
隆景は輝元から秀元を養子にする旨の相談を受けていたが
それを秀吉に言ったら、養子でもわしが考えてやろうか?と言われかねないし
ちょうどそのころ秀秋がちゅうぶらりん状態だった。
如水と生駒親正が毛利に跡継ぎがいないのを心配して
秀吉に秀秋をくれって言ったらどう?って隆景が聞かれて
そうだな〜って答えておいて、後日、施薬院の口から秀吉に
「隆景殿が秀秋を養子にしたいって言ってますぜ」
秀吉「そりゃあめでたい。秀秋にとってよい親を持てて幸せじゃ」
其の後に隆景が正式に養子にと願い出る。
「秀包はすでに筑後で領地を賜って、既にご奉公をしており
自分とは別にすでに一家を立てて独立しております。そこで私は隠居したいので
秀秋殿に譲って中国に余生を過ごしたい」
その後に初めて秀吉に秀元を毛利の養子に欲しいといった。
隆景は秀吉の猜疑心を解き毛利の大領土を保全するにはこれが一番よい策だと語った。
712 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 14:33:16 ID:wNuF94ch
>>709 そいつsubっていうカスだからほっといた方が良いよ
語尾にwを一個つけて〜厨って言ってる奴がsub
毛利を良く書いてるものは全部捏造扱いで人の意見を全く聞かないから
しかも結局兼続の功績を書いてないから結果論だけ見たら隆景>兼続になるのにな
>>710 レスするだけ無駄 どうせ史料上げても捏造だの毛利厨だの言ってキチガイみたいに喚くんだから
てかSubはそんな隆景の勝ちが悔しいのなら兼続の功績書けば良いのにな
まあ隆景の死ぬ時は豊臣の中で毛利は中国の覇者になってるし
兼続は主家を衰退させ死ぬまで働く羽目になってるから隆景を貶めるしか勝つ方法がないんだろうな
713 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 14:37:38 ID:sG8Cw+JP
>>712 論破されて反論できなくなると
すぐSUB認定で逃げるいつもの常習犯ですねw
まさに思考停止状態。
SAB認定してくる時は反論できないで涙目の時なんだよな。
はやく一次史料で隆景の凄さを書いたらどうなんだ?
714 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 19:38:28 ID:t6TCVyb7
subを相手にするのはアホがうつるだけなのでスルーしたほうがいいよ。
あいつは一次史料を読めるようだけど自分の望む結果しか受け入れられない可愛そうな子です。
不都合があれば平気で都合の良いように省略したり捻じ曲げたりするので史料読みとしては最低な部類だしね。
ちなみに小早川隆景の事跡を知りたければ萩藩閥閲録や毛利家文書、小早川家文書あたりをチェックすればいい。
つっても小早川家文書のおよそ半分は秀吉からのお手紙がなのですけれど。
豊臣と毛利を結ぶキ−パーソンっぷりがこれでもかと出てきます。
ざっとスレに目を通しての感想ですければ
>>636の年表に特に修正すべき点は見当たらない(よく出来ている)
ので議論するのであればあれを基にすればいいかと。
715 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 02:08:57 ID:FlRu0lT3
>>714 >>不都合があれば平気で都合の良いように省略したり捻じ曲げたりするので
それはどこの部分か指摘し史料でもって反証し
あなたの意見を正当化してください。
それと小早川家文書は鎌倉期からの書状や
天皇の綸旨や沼田家や竹原家や椋梨家の書状を収めた家わけを言います
(小早川家証文だけで593通もある)
ネットで調べた程度の知識で小早川家文書のことを
およそ半分が秀吉の手紙とデタラメを言ってるようですが
それは小早川家文書の中のほんの一部で戦国期306通三十一巻の方を言います。
毛利擁護の方は基本的に無知をあちこちで曝け出してるようですね。。
716 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 02:16:30 ID:2F2Zqz5Z
>小早川隆景の事跡を知りたければ
とあるんだから、普通に文脈から戦国期を指してると
意思解釈すればいいんじゃない?
もっと大人でいこうよ。
717 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 09:09:39 ID:V5q3xDDH
>>710 『名将言行録』は一次「史料」じゃない。
>>712 簡単に言うとsubは直江厨ではなく、反毛利厨なだけだから。
>>714 萩藩閥閲録や毛利家文書、小早川家文書あたりに目を通している
なら、隆景が毛利家をかばった話の傍証になる文書を教えてほしい。
718 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 00:30:57 ID:U9xpAMAs
名将言行録の数々の逸話でマンセーされた隆景。
しかしその実際の姿は
政宗並みの捏造大名w
そういや隆景って軍事的には元春の積極策を否定して
播磨の諸将を見捨てたり
大友との戦いで敗北したり、
外交は戦わず6カ国譲渡とか
秀吉相手に土下座外交ばかりだし
味方のはずの河野氏を滅亡させたり
内政でも
開発で石高を大幅に広げたとか
書籍の収集したとか
新産業で収入を増やしたとか
洪水を阻止するために治水やったとか
内政実績もまったく聞かないよな。
719 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 02:01:23 ID:kQWtd0IC
>>718 んじゃ、たまには逆アプローチしてみますか。
そこまでダメな隆景が言行録の題材として使われた理由は?
隆景を捏造しなければいけない理由は?
そこまでダメな人間が五大老にまで上り詰めたなぜ?
また、五大老として隆景より適材と思われるとしたら誰?
720 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 17:36:59 ID:GLz22H50
>>719 結局そこが不自然だよな。
安芸吉田郡山で5万石程度の国人領主の三男として生まれ早々に他家へ
養子としていった武将。
subがあちこちで書きなぐっているような無能者だったとすればなぜそこまで
して後世で捏造しなければならないのかがわからない。
近年にしても大河ドラマの主人公になったわけでもないし隆景を主役とした
小説がベストセラーになったわけでもない。
仮に維新後に捏造するならするで輝元を実はこうだったんだ!な、なんだっ
て〜!ばりに魔改造したほうが毛利家としては余程良かっただろうにな。
721 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 18:06:38 ID:K4UbtJrj
俺はこれも気になるな
703の
>>小早川の家老衆からすれば隆景だって赤の他人で、
権力者の一門から養子をもらって小早川家の更なる繁栄を謀った方が徳だと思うだろ
否定派のこういう主張が667での反論をスルーしてるからよけい気になる
なぜ元小早川家老衆が自分達のいなくなる小早川家の繁栄を図るのが得だと思うのか
ここの説明も聞きたい
722 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 21:26:09 ID:D7+Sxj8/
>>721 指摘されてるので、読み返してみたんだけど、確かに
>>667は完璧にスルーされてるね。
>>719にレスするのは、かなりシンドいと思うよ。
迂闊な事書いたら、それこそ袋叩きにされそうな感じ。
723 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 00:48:54 ID:ynmbF86p
>>721 >また、五大老として隆景より適材と思われるとしたら誰?
下手な名前あげたら、いろんなのが参戦してきそうだなw
724 :
723:2010/06/01(火) 00:49:57 ID:ynmbF86p
725 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 01:42:51 ID:brEo7bSZ
1594年
11月13日 秀秋下着
15日 隆景が秀秋を接待。秀秋が輝元、秀元、隆景へ引き出物。隆景から
秀秋に引き出物。
18日 秀秋、隆景の接待で能を見物。博多の商人が秀秋に贈り物
19日 毛利、小早川両家の家臣が秀秋にあいさつ
21日 輝元の接待で能を見物。輝元自ら鼓を打った。
22日 秀秋、輝元と鷹狩
24日 上洛するため船に乗ったが、輝元、隆景が糸崎まで同乗し、送別
25日 残った輝元が能で接待 輝元小鼓を打つ
27日 秀吉→輝元書状「秀秋がそちらに着き、大変大切にしてくれた
こととても喜んでいます」
1595年
1月6日 輝元、権中納言に任じられる
2月2日 隆景、中納言に任じられる
7月12日 秀吉、坂東は家康、坂西は輝元、隆景が支配することとする
8月6日 隆景、従三位権中納言に任じられる
9月28日 秀吉、輝元へ「筑前へ下向する秀秋への種々の馳走ありがとう」
1596年
5月24日 隆景の清華成の披露が通知される
1597年
6月12日 隆景没
毛利、小早川の歓迎ぶりと、秀秋養子入り後の秀吉による厚遇ぶり
726 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 04:44:13 ID:XQ+tSehk
>>719>>720 名将言行録の作者の岡谷繁実は上州館林藩士
館林藩主の秋元志朝が長州藩と血縁関係であったため勤王家として活動する。
名将言行録において隆景はやたらとソース不明の逸話が収録され優遇されている。
そもそも隆景は
>>579のように毛利から自立を開始しており
利敵行為&毛利本家を売ることで秀吉政権での立身を謀ろうとしており
毛利を専横コントロールし、秀吉の背後を守り明智や柴田との戦いをバックアップし
毛利の天下を失わせた逆臣。
秀吉騎下として紀州遠征をはじめとした軍役に出馬するなど毛利の隷属下から完全に離反。
明らかな売国奴だが秀吉に天下をプレゼントしてくれた人が
隆景なので秀吉からすれば大老くらいにしてやるだろ。
隆景配下の人々が離れたのは下記のため
越前北ノ庄15万石への転封が減封であった為、
養うことが難しくなり隆景以来の家臣の多くが秀秋の元を去った。
鵜飼元辰は隆景死後に隆景遺領の三原の処理をしに行き
後に毛利へ戻ったが、毛利本家から見れば大逆無道だった隆景を諌めなかった
反臣として毛利本家から外様扱いされたので謀反を企み殺された。
そもそも隆景擁護側が主張した秀包を廃嫡して秀秋を養子にした説自体が
一次史料にはなく、唯一の論拠だった逸話が明治に作られたものと発覚し、
さらにその逸話内でも、やむなく秀包を廃嫡させられたとする主張が大嘘とバレる。
「秀包はすでに筑後で領地を賜って、既にご奉公をしており
自分とは別にすでに一家を立てて独立しております。そこで私は隠居したいので
秀秋殿に譲って中国に余生を過ごしたい」
いまだ天下は安定したとは言えない中で、いつ殺されるやも知れない
人質選定において難航の末、四郎元綱を便宜上、小早川と称して送ってみたところ
秀吉も納得し藤吉郎秀吉の名から藤と秀をやるので小早川藤四郎秀包と命名した。
その上でより重い人質を要求された。
もう主張のすべてが願望に基づく妄想ばかりなので
隆景擁護の人が作った年表すべてにソースを要求するしかないな。
秀包の生年のソースなど過去にいろいろ求められてきたことを全て黙殺したり
話をすりかえて誤魔化して逃げてきた隆景擁護の人々はいい加減に一次史料の論拠を提出しろ。
727 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 04:50:25 ID:XQ+tSehk
訂正
○そもそも隆景擁護側が主張した養子にした秀包を廃嫡して秀秋を養子にした説
×そもそも隆景擁護側が主張した秀包を廃嫡して秀秋を養子にした説
728 :
721:2010/06/01(火) 18:01:51 ID:5oN1f8+3
>>隆景配下の人々が離れたのは下記のため
越前北ノ庄15万石への転封が減封であった為、
養うことが難しくなり隆景以来の家臣の多くが秀秋の元を去った。
レスサンクス
それなら納得いくな
667での反論は誰が去ったかでなくいつ去ったのかを重点におかないとダメなんだな
>>名将言行録の作者の岡谷繁実は上州館林藩士
館林藩主の秋元志朝が長州藩と血縁関係であったため勤王家として活動する。
名将言行録において隆景はやたらとソース不明の逸話が収録され優遇されている
これだけでは何故隆景を捏造しなければならないかという疑問に対する説明としては不足だと思うな
明治には毛利元就の追贈や小早川家の再興があるけど
それをからめて、宣伝の一環だったんじゃないかという推論の方が納得すると思う
720の
>>仮に維新後に捏造するならするで輝元を実はこうだったんだ!な、なんだっ
て〜!ばりに魔改造したほうが毛利家としては余程良かっただろうにな
という疑問には輝元を捏造するより元就を賛美したほうがよっぽど毛利本家の為になるとかな
729 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 18:40:35 ID:brEo7bSZ
明治にいきなり持ち上げられたというよりは、関ヶ原で減封されたことで
そのちょっと前に死んだ「小早川隆景が生きていれば」的な空気になったん
だと思うよ。輝元や秀秋は愚将扱いで、その秀秋を養子にしたことは何か美
しい理由づけをしなくてはいけない。だから「本家をかばった」。
逆に上杉家では、三成と直江の陰謀で関ヶ原が起きたという俗説まで生まれ、
減封の責任は直江に押しつけた。
730 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 20:15:03 ID:I9eUez7l
>>729 >減封の責任は直江に押しつけた。
上杉鷹山が再評価するまではそうだった様だね。
>>728 >越前北ノ庄15万石への転封が減封であった為、
>養うことが難しくなり隆景以来の家臣の多くが秀秋の元を去った。
でも実際には越前には行ってないって言うじゃない?
731 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 20:49:19 ID:4CStN12D
小早川隆景は陪臣としては・・・兼続以上の(略
732 :
719:2010/06/01(火) 22:08:53 ID:qZbyUuST
>>726 スマン、回答になってるとは思えないんだが。
>名将言行録の作者の岡谷繁実は上州館林藩士
>館林藩主の秋元志朝が長州藩と血縁関係であったため勤王家として活動する。
>名将言行録において隆景はやたらとソース不明の逸話が収録され優遇されている
というのが、毛利・小早川を捏造する理由とするならば、
秋元志朝の世子となった秋元礼朝は掛川藩太田氏の出なわけで。
名将言行録で、太田氏はどれだけ捏造されてるのかね?
岡谷は、志朝の時はむしろ不遇で、礼朝の時に飛躍してるでしょ。
>利敵行為&毛利本家を売ることで秀吉政権での立身を謀ろうとしており
>毛利を専横コントロールし、秀吉の背後を守り明智や柴田との戦いをバックアップし
>毛利の天下を失わせた逆臣。
>秀吉騎下として紀州遠征をはじめとした軍役に出馬するなど毛利の隷属下から完全に離反。
>明らかな売国奴だが秀吉に天下をプレゼントしてくれた人が
>隆景なので秀吉からすれば大老くらいにしてやるだろ。
この辺は、君も妄想の域を出ないなぁ。
この自説を導き出すソースではなくて、正答そのものであるソースは出せないでしょ?
733 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 22:23:07 ID:brEo7bSZ
売国奴とか言ってるSUBの極論に乗ったらだめだよ
明治時代になってから隆景の逸話が捏造されたとは思えないが、
>>725は隆景没以外は一次史料で作った年表なので、これ見るだけ
でも隆景が秀秋を押しつけた秀吉に不満を抱いているとは思えない。
734 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 22:24:01 ID:1NrvaveZ
>>725で出ている小早川秀秋の養子入りが大歓迎というミスリードだけど、どこの世界に
権力者からの養子を表立って歓迎しない家があるのだろうかとききたいw
>>726では越前への減封に伴いという説にしても、それ以前の筑前筑後入りの秀秋の
小早川家に隆景旧臣のうち主だった者の名がほぼ見当たらない。
実際の小早川家家臣団の動きをみればわかる。
秀秋の筑前筑後入りに際して隆景の臣下がほぼ従っていない。
隆景配下として名が挙がる重臣級の椋梨、梨羽、井上、桂といった将がものの見事に
秀秋配下に見当たらない。およそで分けると小早川家一門や譜代は隆景か秀包に従い、
村上や清水といった外様衆の一部が秀秋に従っている。
秀秋の重臣といえば稲葉正成、平岡頼勝、山口宗春、杉原重治、松野重元あたりが著名。
全て豊臣秀秋として丹波亀山以来か小早川家入りに際しての秀吉から付けられた将。
ただの1人も小早川隆景の下で重臣だった者の名が見当たらない。
大歓迎されたにしてはおかしなことである。
というよりも隆景の重臣級が秀秋に従っていたとしたら、隆景旧臣を軽視あるいは無視して
秀秋は小早川家を治めたということになる。
どんだけーwだ。余程の不始末をしでかした家に継嗣養子として入ったというのならまだ
しも、隆景と秀包の小早川家はそうではなく逆に四国、九州、肥後、文禄と武功を重ね
続けていた家。
>>鵜飼元辰の隆景死後に隆景遺領の三原の処理をしに行き後に毛利へ戻ったが、毛利本家
>>から見れば大逆無道だった隆景を諌めなかった。
>>反臣として毛利本家から外様扱いされたので謀反を企み殺された。
この鵜飼元辰の処遇をみればいかにもその通りに見える。
しかしながら清水景治はまったく逆の待遇を受けており説明がつかない。
この清水景治。小早川隆景の代より従った外様衆で秀秋の小早川家養子入りに際しては
残り筑紫うちに2600石。後に毛利家に帰参して一門家老衆に次ぐ席次の寄組士で2500石。
防長2国への減封後にこの好待遇であり益田元祥と共に毛利家の財政再建に尽力している。
要するに人それぞれで違うというだけのこと。
鵜飼元辰という(一般的に)無名の武将をわざわざ取り上げる知識がありながら清水景治を
知らなかったとは言わせない。
いかにもなミスリードを誘う言はいかがなものかとあえて言わざるを得ない。
735 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 22:29:47 ID:brEo7bSZ
>>734 表立って歓迎するのは当たり前なら、「嫌々」昇進や西国仕置きを引き受け
たのに、「譜代家臣を連れて三原に隠居」は不満だったからという論は矛盾
する。
736 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 23:01:01 ID:OX7sWBKf
>>735 だから不満だから自ら引っ込んだんじゃなくて、秀秋の邪魔にならないように引っ込む事を秀吉から期待されたんだよ。
737 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 23:04:03 ID:1NrvaveZ
>>735 ちょっと表現が過激だったかもしれない。その点はお詫びしたい。
だた、不思議なんだよ。
歓迎していたという説をとるとすれば
>>734で書いたような小早川家家臣の動きは説明がつかなくない?
筑前筑後小早川家37万石は当主秀秋、養父で隠居隆景の治める家だよね。
それなのに隆景配下うちで重臣級がこの秀秋の小早川家には見事なまでにいないんだ。
ゆえに、思った。
そもそも小早川隆景の小早川家への認識違いなのでは?
毛利両川のイメージから輝元の臣下として小早川家を捉えがちだが史実をみると秀吉は早期から
継嗣秀包に河内で領国を与えたり四国征伐の恩賞で伊予一国を与えている。
が、隆景はまず毛利家が伊予を受領しその上で輝元より伊予一国の分封という形式にしてもらってる。
つまり秀吉は小早川家を毛利家からひたすら切り離そうとしていた。
ただ上記のように小早川隆景はあくまでも毛利家の組下としての体裁を保とうとした。
たとえば本城を伊予に置かずくあくまでも備後三原のままにしていたりするしね。
後に、九州征伐の功により筑前筑後37万石を伊予の替地として受領する。
この辺りの秀吉と隆景の駆け引きは小早川家文書をみてもなかなか面白い。
1579 毛利元総、小早川家に養子入りして小早川元総と名乗りを改める
1582 本能寺の変により、羽柴・毛利の和睦
1583 小早川元総、吉川広家 羽柴家への人質となる(賤ヶ岳の戦いの後)
小早川元総、小早川秀包と名乗りを改める(秀吉から秀の字をもらう)
1585 小早川秀包、河内で1万石を与えられる
四国征伐 毛利勢は伊予方面を担当
小早川(隆景、秀包)と吉川(元長(元春隠居中))は渡海
ただし総大将輝元は備後三原から後方指揮(この人、これ以前も以降もずっとこんな役割w面白すぎるw)
小早川隆景、伊予1国受領(秀包も伊予うちに3万石)
1586 九州征伐
1587 小早川隆景、筑前筑後37万石に転封(秀包も筑後うちに7万5千石)
秀吉としては毛利と小早川は別家として扱っていこうというのがみえる。
が、この後はやや趣が異なってくる。
いわゆる東は家康、西は輝元隆景に、というやつですね。
関東250万石に比して山陰山陽120万石は一朝ことが起きた時にいかにもバランスが悪く不釣合い。
だけど山陰山陽120万石+筑前筑後37万石+伊予安国寺+石見銀山とみればなんら遜色がないし、
肥後国人一揆に際してもわざわざ鎮圧に秀包や広家を従軍させて武功を上げさせている。
話戻ります。
隆景とすれば筑前筑後は毛利家から独立して与えられた所領でなく、あくまでも豊臣から受領した
仮領に過ぎないうという体裁を保ちたかったとすれば、どうでしょうか。
秀秋養子入りに際して歓迎しつつ、一門譜代は秀秋の新小早川家には従わせない。
ただし名目上とはいえ養父であるので豊臣一門である小早川秀秋を毛利一門として迎え、秀包は筑後
13万石そのままで旧小早川家を継承。
大きな意味での毛利家所領は山陰、山陽、筑前筑後、伊予にまたがり、かつ豊臣一門にも秀秋を通して
連なることにより西国鎮護の家としては磐石の態勢となる。隆景配下と秀秋配下による家中の軋轢も隆景
重臣が1人もいなければ起こり難い。
これなら矛盾しないようにみえますが、いかが?
738 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 23:18:39 ID:qZbyUuST
なるほど、面白いね。
>隆景とすれば筑前筑後は毛利家から独立して与えられた所領でなく、あくまでも豊臣から受領した
>仮領に過ぎないうという体裁を保ちたかった
ここ感心した。であれば、小早川が一門連れて三原に下がったのも筋が通る。
739 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 23:46:51 ID:XQ+tSehk
>>737 その年表の事柄すべてにソースを出してください。
特に毛利文書は偽感状とかかなりあるし、
そもそも隆景擁護の人って一度たりとも一次史料をあげて論拠としてないじゃん。
もう説得力ないよ完全に。
さらに逸話の出典先すらわからなかったじゃん。
もう屁理屈や妄想ばかり書かずにいい加減、ソースだしなさいって。
740 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 00:23:52 ID:SmkoJK7n
先に、自分に投げられた玉に回答しよーぜw
遡れば、答えなきゃいけないのがたくさんあるんじゃない?
もしかして、ソース出せ、で誤魔化してる?
741 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 00:32:41 ID:DRJ+BwRn
>>737 上杉家も養子の景勝代になることで重臣の顔ぶれががらりと変わって
いる。旧来の家も上田衆が養子入りして占領。譜代の臣が隆景につい
ていった理由は考証すべき点があるけど、隠居に関する書状や逸話で
もないと何とも言えない部分だね。そもそも不満だから隠居について
いったというのもここで初めて知った。通説なのかどうかは知らない
けど。
仮の所領という見方は面白いけど、輝元と同じ権中納言になっている
ことや西国支配を輝元とともに任されていることを考えると、推測の
域は出ないという感じかな。面白いけど。
秀包は優れた将だったのだろうが、秀吉が弾圧を強めつつあったキリ
シタンであり、1593年には妻の実家の大友が朝鮮出兵での失態で
改易されている。そのへんとの関わりも考慮したほうがいいと思う。
742 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 02:29:39 ID:pw+XdP0Z
ちょっと手があいたから反論するよ。
>>732 >>岡谷は、志朝の時はむしろ不遇で、礼朝の時に飛躍してるでしょ
どうしてそういう解釈になるか不明。
>>太田氏はどれだけ捏造されてるのかね
なんで太田氏を捏造する必要あんの?先祖の太田道灌なら捏造しなくてもじゅうぶんに実績と名声あるよ。
1863年2月岡谷繁実が秋元志朝の抜擢により養子秋元礼朝の侍講に任じられる。12月にはさらに中老役に昇格。
1864年4月岡谷は藩命で長州へ行く→7月禁門の変により秋元志朝が毛利家との縁戚関係ゆえに
10月27日に養子秋元礼朝に家督を譲って強制的に隠居となり新政権となる。
それに連動し勤王家の岡谷繁実も失権連座し10月に藩から禄を奪われ蟄居を命ぜられ武州深谷に居を移す。
1594年豊臣氏から羽柴秀秋を養子
1595年豊臣秀次事件に連座して秀秋丹波亀山城を没収される→隆景が三原隠居により秀秋30万7000石を相続。
秀吉から隆景は筑前に5万石という破格の隠居料を拝領する。
9月28日秀吉が輝元へ秀秋の筑前国下向に際しての懇意なる種々の馳走を賞す。
1597年6月12日に隆景死去。7月1日今回の朝鮮出征諸将からまた秀秋がおとなしき行状の報告があった時は強制帰国させることを通達し出兵。
(隆景の死による秀秋の出兵中止はない。)
7月16日病没した小早川隆景の跡職を上申してきた毛利輝元に「此方より只今不及被仰出」る旨を秀吉が通達し
毛利輝元・小早川秀秋の間の問題は安国寺恵瓊の帰朝後協議するように指示
(相続に関して毛利騎下と認識させて隆景領を併合したい輝元と小早川は独立大名とする認識の秀秋との間でトラブルが発生)
12月4日付で秀秋帰国命令(朝鮮でのおとなしき行状ゆえか?)
1598年越前北ノ庄15万石への半減転封(朝鮮での罰か?)&独立大名小早川領は毛利領と認識されず太閤蔵入地となる。
8月に秀吉が死去に伴い家康の尽力により翌年には北ノ庄転封は取り消し(すでに半減した領地越前北ノ庄への重臣の移動は開始されていた)
隠居の時点では隆景重臣は三原へ付いて行ってない(むしろ隆景跡職を巡るトラブルに巻き込まれている)
椋梨氏・梨羽氏1597年に小早川隆景が死去すると、養嗣子の小早川秀秋を離れて毛利氏の家臣となっている。
桂広繁
小早川秀包が人質として豊臣秀吉の下に送られる際に同行してる縁もあり
小早川秀包に仕えるが関が原による改易後に毛利秀元に仕えた。
井上春忠
隆景死後は毛利家に帰参したが、逆臣として冷遇されたため、1601年に息子の景資とともに出奔
隆景の死と北ノ庄15万石への半減転封が隆景重臣が秀秋から離れた要因であり、
鵜飼元辰をはじめ太閤蔵入地化後に毛利へ戻った後に冷遇されているケースの方が多い。
これは毛利と小早川の相続トラブルの結果、毛利による懲罰的行為と思われる。
743 :
732:2010/06/02(水) 07:44:05 ID:oBRiP9yj
>>742 反論されて、すぐに調べる姿勢は買うけどね。
岡谷の年表については、イイとこだけ抜粋しても説得力無いよ。
ちょっと調べればわかる事。
>なんで太田氏を捏造する必要あんの?先祖の太田道灌なら捏造しなくてもじゅうぶんに実績と名声あるよ。
そもそも、
>>732でのこちらの主張は、『主君の縁戚を理由に毛利を捏造するのなら、太田もしなけりゃおかしい』
と言う事であって、十分に実績と名声がある、というのは見当違いの回答だよ。
後半部分は何を言いたいのかよくわからんのだが、
結局年表を上げる作業なら、擁護側がやっている事と何が違うのかね?
繰り消すが、
>自説を導き出すソース(年表による史実)ではなくて、正答(ズバリ売国奴と言われている)
そのものであるソース
を出して欲しいんだよ。
744 :
732:2010/06/02(水) 07:45:01 ID:oBRiP9yj
↑
(訂正)
繰り返す
745 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 09:10:52 ID:DRJ+BwRn
>>743 さぶが小早川の件に限らず「捏造」「売国奴」と言いまくるのは
あいさつのようなものだから、そこにソースソース言っても相手
するだけ無意味のような気が。前田慶次も上杉家が捏造した架空
の人物らしいし。
結局は、本能寺の変の際の対応も含めた中央政権への対応を「売
国奴」と言ってるだけだろう。後半の年表は秀秋の帰国・減封が
隆景の死ではなく「おとなしき」行動によるもので、仮の所領と
いう話を否定してるんじゃないのかね。
さぶの言動に全面的に賛同するわけではないが、年表の出し方と
してはこれはいいと思う。年月日もあるし、2年も3年も飛んでる
ものをつなげてるわけではなく、中身も書状などで補足してある。
名将言行録には隆景が死ぬ前に「天下の乱れても輝元は関わるな」
「安国寺は佞人」「黒田は信用できない」と遺言したとあるけど、
恐らく江戸時代の毛利関係の編纂史料に同じ話があるんだと思う。
そしてこの「遺言」では黒田家の所領が江戸時代のものになって
おり怪しいというのは前にも出ている。おそらく創作だと思うけ
ど、毛利家中で隆景をどうとらえていたかがよくわかる。逸話は
このスタンスで作られていったんだろう。武将の話が膨らむのは
隆景に限らず全国の武将がそうなので「捏造」と言ってしまうの
は酷だと思うが。
直江も、政宗に喧嘩売ったりと有能だけど無礼で人の言に耳を貸
さないキャラで逸話が作られているものが多い。実際、直江は書
状で体言止めを使うことが多く、横柄な印象を与える部分はある
が政宗の小判にいちゃもん付けたのは創作だろう。佐渡の開発に
携わってるんだし。
746 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 19:48:43 ID:v7J+FZ/S
subって、ある意味惜しいと思うんだよね
こんだけキッチリ調べてるんだから、普通に議論した方が見てる方は面白いだろうな
ソース、ソースと突き詰め出すと、議論手法の是非に転化するからツマランよ
無論、講談ベースのトンデモ説はソースを求めるべきだとは思うけどね
キッチリ調べているというよりは、自論に引用物を従わせている印象。
面白いっちゃ面白い。
748 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 20:55:04 ID:XmhB3cOx
subは結果ありきなんだよね
まずsub史観がある
それに適した史料に関してはどうだと言わんばかりに記述する
反面、sub史観にそぐわないものは無視するか明後日の方向に反論してとぼける
だからキャッチボールにならない
競合企業によるクライアント向けコンペならそういう手法もありっちゃあありなんだ
でもここは2chなんだよね
そんなやり方でで議論になるわけがなくsubが居つくスレはいずれ閑古鳥が鳴くようになる
749 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 23:50:49 ID:DRJ+BwRn
まぁ、歴史でソース求めることを否定するのもね・・・。
さぶは確かにしつこいが、求められたほうも分からないなら素直に
何かで見たけど分からないと言うべきじゃないのかね。
別に研究者の集まりじゃないんだから、ソースがないから捏造とか
いうのはさぶくらいでしょう。張り合うと結局細かい話になっていく。
750 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 00:30:33 ID:6xaV0DxJ
もう一人、変なのいたけどな
751 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 01:00:20 ID:rOkYx3KJ
ソース皆無で願望妄想を書きまくってきた毛利厨が正しいそうです。
>>718の方が明らかに正しいと思うけどね。
まぁ中立的に判断すると厨からアンチ扱いされ
最後は史料を元にした反論から逃げはじめ、代わりに人格攻撃されるという好例ですね。
小早川隆景とその直属の配下はいかなる時でも孔子もビックリなほど清廉潔白すぎて
まったく人間味がない神のような大人物なのが史実だそうです。
(ただしこの自論にはソースなしで他人を従わせるつもりw面白いちゃ面白い)
疑う者はアンチでsub認定のおまけつき。 ひょっとして吉川元春を褒めてるから毛利アンチになっちゃうのかな?
隆景は正義の人で自ら犠牲になるほどの人物で欲もなく
兄弟仲良しという結果ありきで語らない人間はアンチ基地害ということなんでしょうか。
およそ戦国時代という他人の所領を横領して悪びれないのが当たり前の時代にすばらしい預言者の善人が現れたみたいですね。
関が原での行動まで見通す怪しげな隆景教に無駄死にした清水宗治も泣いて感謝してることでしょう。
>>745 >>前田慶次も上杉家が捏造した架空の人物らしいし。
おぉ〜そうなんですか?すると前田慶次道中日記って誰が書いたの?
752 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 01:29:18 ID:6xaV0DxJ
オメーも要求されたソース出さねーで、年表作っただけじゃんw
753 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 04:42:49 ID:tEKl05+n
>>750>>752 そういうレスいらないんだよ。subの挑発載って
言動がsub化してるよ
>>751 道中日記は啓二郎であって慶次ではなく、一次
史料には存在しない。上杉がねつ造した存在。
とか言ってたが、利家の書状に出てくることや亀
岡文殊奉納百首の自筆和歌などを示されて黙った。
存在から疑うのはある意味必要な視点ではあるけど
subは粘着質。
754 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 14:57:05 ID:NSFahvRD
>>751 人格攻撃ではないな
自論ありきで俺以外は皆間違ってる俺だけが正しい反論は認めない不都合な指摘は放置の姿勢に
うんざりしてきてるだけだろう
それと
>>718が明らかに正しいなら正しいでいいんだよ
ただそうなるとまるで日本軍最強伝説ばりのミステリーじゃないかwww
755 :
721:2010/06/03(木) 18:28:01 ID:1ARrrnSi
>>742 え?ちょっと待って
なんで条件に
>>隆景の死と北ノ庄15万石への半減転封が隆景重臣が秀秋から離れた要因であり
>>椋梨氏・梨羽氏1597年に小早川隆景が死去すると、養嗣子の小早川秀秋を離れて毛利氏の家臣となっている。
隆景の死が追加されてんの?
俺は一次資料なんか読んだ事もない無学者なんだけど
ざっとwiki見て旧小早川臣が隆景死後毛利家に復帰って書いてあるだけで
詳細な時期が分からなかったし、分からないんだろうと思ったからこそ
隆景死後が転封にも掛かってるのかなとリストラ説に同意したんだ
転封命令前にリストラされてるんなら、それこそ歓迎されざる養子じゃないのか?
756 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 21:30:27 ID:1uqJ02ci
(´゚ω゚`)
757 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 02:25:26 ID:/HViMb6+
>>755 じゃあさらにわかりやすく書いてあげるよ。
豊臣政権は朝鮮出兵を円滑に進めるために隆景に大領を与えた。
しかし期待に答えられなかった隆景。
そう隆景には行政治安力が欠如し検地能力がないために軍備が近代化できず
その上、軍才もないため朝鮮の役で期待した働きができなかった。
(素人初陣だった備前辛川の役でベテラン隆景を撃破した戸川達安や宗茂が碧蹄館の戦いで大活躍)
そのために小早川氏は石高制近世大名統治への移行の断行を期待して秀秋を養子にもらい受けた。
しかも鶴松が早世したようにお拾いも早世したら豊臣政権の後継者候補に躍り出る人物である。
それに伴い、山口宗永指導の下に組編成された家臣たちによる村ごとの検地がさっそく実施された。
そして文禄4年12月には検地完了と共に寺社には秀吉朱印寄進状が、
武士には秀秋の署判の知行宛行状に秀吉の朱印が添えられたものが発給された。
同時に三原へ隠居した隆景にも筑前・鞍手郡・宗像郡・御牧郡内の所領5万石の
検地後の知行宛行の秀吉朱印状が発給された。
(強欲輝元が隆景遺領を毛利領として併合しようとして秀秋とトラブルがそもそも豊臣政権が
毛利から自立した隆景にあげたものであり、その目的が朝鮮での戦果のためである以上、
輝元がキチガイ強欲なアホ理論を主張したのがよくわかる)
この結果、第二次朝鮮出兵に備えて慶長2年4月には鉄炮者を雇うための知行宛行が開始される。
(鉄炮者1人につき25石を扶助分として加増)
軍備増強の元、慶長2年末からの蔚山城での激戦が山口宗永の指導により耐え抜くことが可能となった。
しかし山口と秀秋は決定的に険悪な間柄になった。おとなしき行状をチクったか?
そして慶長2年末に秀秋は帰国命令を受けるハメになり慶長3年1/29帰国し越前転封を命じられる。
しかし小早川隊はいまだに朝鮮の西生浦城にいた。
1番日野隊 5月〜9月 2番清水隊 10月〜2月 3番仁保隊 3月〜7月 4番村上隊 8月〜12月
と太閤検地を元にした知行の元に軍役賦課され
700の兵と指定された鉄砲数を用意し西生浦城在番するように山口から指令されている。
慶長3年の越前への転封により、
三成が筑前代官になるが8月4日の朱印状をもって浅野長政も代官となっての
筑前の豊臣直轄領経営が開始されたが
(慶長3年12/13付三成発給年貢皆済状があるので
年内の税はすべて豊臣に納められた模様)
8/18に秀吉が死去し朝鮮からの撤退が開始される。
朝鮮出兵の終了により直轄化の意味が無くなった筑前は秀秋に返されることになり
慶長4年3月3日に秀秋の筑前復帰による筑前での知行宛行が開始され、
同じ3/3隆景遺領も豊臣直轄領から秀秋の蔵入地に変更設定される。
この時、寺社や所領安堵は秀秋が行っている。
税率も朝鮮出兵が無くなったことで低下し疲弊した農民保護が開始される。
またかつて越前転封により「御領知少分之儀ニ付而」として隆景旧臣のリストラとなった。
暗黒寺が調整をして権力闘争の関係で2派が輝元や三成へ8月〜9月の間に
それぞれ再就職がなされたが
今回の筑前復帰では山口宗永が加賀大聖寺城主に出世し秀秋の元から去る。
758 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 07:23:33 ID:wHaTZjp+
隆景無能すぎワロタ
759 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 07:56:14 ID:nMyWUVD7
>>757 要点をまとめると「俺は毛利が大嫌いだ」ってことだな。了解した
760 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 08:18:38 ID:LGaINVjE
秀吉の期待に応えられなかったのに、戦果により五万石を
与えられたって部分が輝元を貶めるためか矛盾している
けど、調べてきて自説を補強するsubを見直した。
結局subは無能とかカスといった個人的な低評価を押し
付けることや知的に見えない攻撃的な言葉遣いで損をし
ているね。
761 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 08:56:22 ID:nNd8zN4t
兼続は上杉300万石の家老なんだから小早川隆景なんて聞いた事もない奴が勝てるわけないだろ
762 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 08:57:55 ID:wHaTZjp+
>>705 このスレだけでなく
毛利厨って各スレで
すげーウソとデタラメばかり
書きまくってんだな
悪質すぎる荒らしだろ
ガチで気持ち悪いな
しかもWiKiに書かれている程度の
いい加減な知識しかない知識力とかワロタ
完全に根拠ゼロなのに
自信満々なのは毛利厨が池沼だからとしか思えんね
伊達厨の方がまだマシじゃないか。
つか隆景って生前の隆元に
他の家臣はどうでも良いから
俺を贔屓して郡山城下にデカい屋敷くれやって
ゆすって脅迫して元就から説教手紙を送られるとシカトしたり
元春の妻とケンカして元春との仲まで険悪になるわ
険悪な間柄の隆元や元春は暗殺とも変死とも言われてるし
後継者の輝元を鉄拳制裁で折檻しまくり、
秀秋がくると輝元が「俺を虐めまくるくせに秀秋には優しいとかありえないよな」とか愚痴られるほど卑屈にご追従してるし。
史実の隆景は逸話の善人智将ぶりと正反対のDQNだよな。
隆景は政宗以上の過大評価っぷり。
763 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 09:35:58 ID:mPpc6B5i
>>757 秀秋のおとなしき行状っていうのは朝鮮で秀秋が何もしなかったって意味何でしょうかね?
764 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 09:51:27 ID:nNd8zN4t
>>762 つまり兼続の勝ちでいいんだな?
毛利なんて120万石程度なのに倍以上の上杉に勝とうとする事自体無理だわな
765 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 12:07:41 ID:wHaTZjp+
毛利厨って毛利のこともデタラメばっか書く変態だけど
実は上杉の石高もわからないほどの無知だったんだなテラワロスwww
ケッ戦国板最強のアホ厨だったのかよ。
766 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 12:54:38 ID:LGaINVjE
subはこういうとこがなぁ
767 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 18:23:17 ID:xj47Hh1b
>>757 ここまで見てきたように嘘をつきつつ、自論に沿った史料のみを展開させられるのはある種の才能で
しょうね。ただ残念なことに史料から歴史を検証していくのではなく、己のこうあるべきだという歴史観に
沿った史料のみを求めるのなら日本という国は古来より記録類の類が豊富な為、誠に残念ですが
とても不適切な国です。
隣国にてこうあるべきだという歴史観に基づいたウリナラの歴史編纂にでも携わったほうがよろしい
のではないでしょうか。
まず冒頭から大胆にさらりと嘘をついています。
豊臣政権は朝鮮出兵を円滑に進めるために隆景に大領を与えたそうですが、お得意の史料ソースは
どこですかね?
あるわけないですよね。恐らく自分で知っていて捏造してるわけだし。
それでもって隆景は行政的無能者で検地ができなかったそうですが、そうなるとあら不思議。
筑前国続風土記によれば、天正15年の九州征伐の功により筑前1国、筑後2郡、肥前2郡を
与えられた小早川隆景は名島に城下町を建設しつつ、国境の要地に端城を築き、検地を天正16年
から2年かけて行ったとあります。他にも福岡県史料にある天正年間における筑前各郡村田畠高あたりは
存在自体が無い事になるのでしょうね。
なにせ検地を行っていないはずなのに各村の検地後の田畠石高の詳細が記されているわけですから。
そしてその検地後に改めて小早川隆景領として筑前一国、筑後二郡、肥前二郡を与えられています。
細かく書くと筑前1国26万9360石、筑後2郡と肥前2郡の3万7950石。計30万7300石です。内訳としては
20万石を軍役分、10万4300石を台所入無役(藩の直接収入)、3000石を安国寺恵瓊分で、軍役に際しては
4人/100石。つまり8000人という事になっています。
検地前と検地後の小早川隆景の領国に変更がない点については、その理由を記した史料は見つけられ
ませんでした。ノーミスだったので減ずる理由もないといったところではないでしょうかね。
それと小早川氏は石高制近世大名統治への移行の断行を期待して秀秋を養子にもらい受け、山口
宗永指導の下に検地が実施されたそうですが、これまたあえて自論にとって不都合な点はわざと
省いてますよね。
いわゆる太閤検地。毛利氏の領国については1反300歩の町反畝歩制による検地を元々免除されて
いましたので、小早川氏が代替わりして実質豊臣系大名となった時に改めて上記基準に従った
検地を行ったのは至極当然の事です(何故毛利氏が免除だったか、検地を大名自己基準で行うのと
太閤検地基準で行うのとの差異については話がそれるので割愛しておきます。ただ自己申告基準
でokのほうが何かと大名にとって都合が良かったという点は書いておきます。この辺は現代税制に
置き換えてみれば自明ではないでしょうか)。
隆景時代、秀秋時代それぞれの検地や軍役について知りたければ上述の筑前国続風土記以外にも、
筑前続風土記附録、福岡県地理全誌などを参照すれば当時の状況が垣間見えてきます。
軍才についてもこれまたおかしな自論を展開していますよね。
碧蹄館の戦いについては諸説あるようですが、当時追い詰められつつあった日本側は宇喜田秀家を
総大将に、小早川隆景を先鋒大将にして軍を2つに分けて戦に臨んでいます。
軍才が無かったそうですがその割には随分と重要なポジションですね。
更に実際の合戦経過においても、戸川や立花の活躍に比して小早川隊が足を引っ張っていたなどと
いった記録は見たことがありません(むしろ勝利に重要な貢献をしているような)。
きっと私の勉強不足なのでしょう。よければ(そんな史料がこの世に存在していればの話ですが)
該当する史料名を教えてもらえないでしょうか。
そして無能な割にははるか昔の厳島合戦の頃から小早川隆景はやたらと各地に従軍していますよね。
きっと魔法のランプでも持っていたのでしょう。
今北産業。
769 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 21:36:12 ID:nNd8zN4t
このスレ見たけど何で兼続の話が少ないの?
知らないアホばっかなの?
直江なんて知っていようがいまいが、日本史に大して影響ないからね。
771 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 00:27:25 ID:rK4V0cJf
772 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 08:17:28 ID:um7QgXkA
773 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 11:35:51 ID:Prj5urZi
隆景は一応日本史の教科書に載ってるけどな
774 :
721:2010/06/05(土) 18:24:58 ID:S8YLcEOz
>>757 レスサンクス
>>1番日野隊 5月〜9月 2番清水隊 10月〜2月 3番仁保隊 3月〜7月 4番村上隊 8月〜12月
と太閤検地を元にした知行の元に軍役賦課され
これなんだが
確かに隆景死後も秀秋家臣に旧小早川家臣が居た事がわかるけど
俺が聞きたいのは667であがってる
>>座配立書に名のあがるような一門、家臣衆において小早川庶流椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏は全て
隆景に従って三原に行ったり
こういった三原系旧小早川家臣とでもいう連中がいつ秀秋の元を離れたかかを聞きたいんだ
その連中も越前転封に含まれてるのか?
それとも隆景遺領トラブルなのか?
775 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 22:52:28 ID:bHyLBv4L
察してやれよ
転封前だと ぼくのかんがえたひであき像 に不都合だろ
だから触れてない触れられない
つーかわずか数年後の関が原前後には秀秋重臣衆にただの1人も
隆景系小早川家重臣がいないわけで越前減封によって彼らのみが
リストラされたとか現実味がなさすぎるだろ
776 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 01:34:46 ID:+y24UsEb
>>760 ごめんな。文章に書き方が悪かったな。
>>その目的が朝鮮での戦果のためである以上→その目的が朝鮮での戦果をあげるためである以上
上記に訂正。秀吉は朝鮮出兵の成功のみを必死に考えていろいろ手を打ってます。
ついでに説明不足な部分として、輝元と三成の二人に家臣団が分かれたのは
越前転封により、筑前が直轄領となり、三成が奉行となったために越前行きを拒否した家臣達が居残ったためです。
ちょっと説明不足があるとすぐ捏造とか朝鮮人だとか言い出す人がいますから捕捉説明しときます。
秀吉の忠実臣下の隆景を九州に配置するや隆景水軍総帥乃美宗勝や村上水軍など九州行きたくねーってしぶるのを
朝鮮出兵の目的のために秀吉が強く隆景に付いて行け!と命じており
しかも最終的には小早川家臣なのに毛利領にある彼等の封地まで安堵させてまで朝鮮出兵のために移動させてます。
(毛利が彼等の旧領を領地とすることができない損が発生)
>>763 おとなしき行状ですが
看羊録によると朝鮮陣において秀秋が軍律を失うことが多かったので秀吉が厳しく叱責した
このように書かれてるので軍律に関わる部分で積極的じゃないと思われたのかも知れません。
ただ山口の讒言に秀吉が惑わされたのかも知れません。
んで、秀包が隆景の猶子であって養子ではないはずなので
全力で調べているんですが、まったく養子とする該当記述が見当たりません。
養子だと主張してるようなのでソースください。
また秀秋を歓迎したとする主張ですが、これも前々から書こうと思って、
ついつい忘れてしまってたんですが、
秀吉が三原に来た秀秋への大歓迎ぶりが、毛利一族家臣がみんな三原に引っ越してきたと言われるほどで
「そんなに気をつかわんでいいから」と言ってるし
3年11月の秀秋と輝元養女の婚礼(宍戸元秀の娘で元就曾孫)により、秀秋に子供が生まれたら元就の血を
引いていることになるわけで、嫌々ながら権力者に毛利が媚びたと中傷するのはどうなのかと思います。
さらに近衛信尹の追想記には「秀秋は小さい頃より聖護院准后について手習い学問に励み歌道に興味を示し
蹴鞠もすぐに覚えて非常に頭がよい」と書かれており、欠点は酒を覚えてから行状が悪くなったと書いてる。
そのため暗愚ではないはずで、関が原の裏切り=暗愚とする風潮は逸話レベルの話でしょう。
そもそも養子の話からして結局は死んでしまったが鶴松の後ろ盾として身内の秀秋を
小早川の養子に入れる予定だったようで、豊臣家の藩塀として小早川が栄えることが約束された婚姻。
秀次とその家族が謀反したとして預けられたのが秀秋の居城であり、
謀反人を預けるのは秀吉の信用が高い証拠ではないでしょうか?
丹波亀山城の没収も最初から養子として出されるのが確定してての処置で罰ではないと思われます。
秀吉はねねにも「もっと秀秋を愛してやれ。子がいない時は秀秋にすべてを譲るんだから」と言っています。
777 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 01:35:40 ID:+y24UsEb
>>767 あらら・・・まるで私がうそつき捏造ばかりのアンチ隆景と断定ですか・・・レッテル貼りまでしてヒドイ人ですね。。
私は中立的見解で人間としての隆景の弱さや強さ、ズルさという真実の姿を調べることをしてるだけですがね。
まぁあなたみたいな人は神格化された完璧超人隆景のイメージを抱くタイプは、それ以外の考えに対して
やたら感情的になり敵視するんですよねぇ。
私にしたらマンセーしたいだけで北朝鮮の将軍様万歳な危険思想の持ち主のように見えますがね。
そもそも筑前国続風土記の記述に信憑性なんてないし、さらっと触れてるレベルの記述で学術的史料ですらない。
それをあたかも大げさに書いて・・・その裏づけ史料はおもに小早川文書501号であり
筑前国続風土記の記述なんてまったく意味を為さない。
ひょっとして小早川文書501号や筑前国続風土記を実際には見たことないのかね?
で、検地でやたら噛み付いてるようですが、隆景のやった検地は単なる百姓差出検地であり
百姓に、自己申告してねって言ったに過ぎない。そんなのを評価しろって?そんなんスルーしましたよ。
しかも天正15年7月の検地がいい加減で、しかも田しかやってないグダグダぶり
16年11月には秀吉に命じられて畠もちゃんとやれよ!と命じられてる。
そうそう指出の証拠として、田貢が少なすぎて実態と違うから発覚したら難儀なことになるのではと
不安に思う香椎宮へ堀之内・未述・忠仕ら農民が追求がきたら私達が説明するから香椎宮に迷惑かけないと言ってるし
天満宮提出の所領もなんの詮議もなくそのまま認めてるなど検地の実力行使などまったくできてない無能ぶりが目立つ。
こんな旧弊そのまんまじゃ毛利時代の寄親寄子制度のナアナア組織のまま。
こういう体質だから毛利も動員から出兵が遅すぎると秀吉から何度も激怒を買ったりしてますし。
>>
>>774>>775 秀秋へ譲った際に松野主馬入道道円は隆景家臣最強の武人と言われており
隆景旗本でしたが、隆景は特に名指しで付け家老として秀秋を頼むと懇願してますね。
他に古参の者たちでは朝鮮出兵居残り組以外に史料で確実に裏づけとれるだけで
清水景治 日野景幸 草刈重継 三好新兵衛 村上景親 国司元信 林宗重 杉元武
隆景筑前下向後に被官化した小金丸式部丞 王丸藤右衛門 問注所小兵衛尉 樋口越前守など
そうそうたるメンバーが秀秋の元に残ってるし、
平岡石見守頼勝や小早川家の武術指南役壱岐遠江守真利(市野惣大夫実利)も隆景に筑前で採用し秀秋に従った人達。
秀吉は隆景扶持人たちは役に立たなくても秀秋が相変わらず扶助するから
と言ってるように隆景家臣達の不安解消をしてあげてるくらい。
逆に聞きたいのだが>>椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏は全て隆景に従って三原に行ったり
隆景が家督を譲ったタイミングで彼等も一緒に隆景について三原に行ったというのはどんなソースに基づいての発言?
そして豊後検地で実力を示した山口が小早川領全域において統一基準検地をはじめて実行した。
田畠や屋敷を等級にわけ所有者名を記入し(畠地も石高換算した)
これによりはじめて石高制近世大名への脱皮に成功し軍役賦課知行編成が初めて可能になる。
また朝鮮出兵の兵站基地として博多笘崎の米蔵の米の名護屋への輸送において
博多と関係が深い山中山城守長俊をたびたび豊臣政権が派遣して博多商人たちとの折衝などをさせたりしてる。
(隆景死後はほぼ常駐して忙しい三成に代わり輸送業務をしている)
山口の施政方針とも言われる山口宗永覚による法治による隆景の旧弊からの脱皮。
(15か条の施行において領内代官・給人ら領主層と庄屋百姓ら農民層双方を念頭に発令した法令)
家臣団と家族の城下町集住と名島や伏見への人質住み込み。秀秋が必要な時の人馬供出義務
代官や給人らの領地滞在費は自弁しなければならず、
ましてや農民らからの田畑取り上げ禁止など恣意的な行為禁止
度量衡の統一・・・御定判形之升の使用・米大豆の統一基準・銀換算の銀子替
隆景のはこれらの統治行政能力がなかったが、秀秋を養子としてもらうことで、
これらのソフト面やハード面の知識を導入することができた。
金曜日は酒を飲んでて返信が遅れてすまんね。
778 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 02:26:49 ID:fMxg2Kn+
なるほど
すると隆景の三原行きに従ったというより
そもそも、秀吉によっていやいや北九州に行かされた家臣が故地に戻っていったに過ぎんかったわけか。
しかも朝鮮出兵に固執してる秀吉が許すわけないし、戦力外通知された者たちだったろうし。
ひょっとしたらおとなしき行状とは彼らが原因であり、小早川内の左遷人事なのかもしれん。
しかし近世大名への進化を主導した直江の行政力や独立心旺盛な国人達の被官化や石高制移行や産業育成や鉄砲製造などの知識はどこから導入されたの?
やっぱり豊臣家から人を派遣してもらい学んだの?
779 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 04:01:05 ID:+l+XHRZf
直江も学者なので、軍法から呪術、医術までさまざまな知識の
収集に努めたけど、検地には増田長盛の家臣だった河村彦左衛
門尉、金銀山経営は石見忠左衛門ら、鉄砲技術は駒木根右近ら
名手を召し抱え、関ヶ原後は堺や近江の職人を招いて製造させ
たりとその都度優秀な人材をヘッドハンティングしてくるね。
養子の本多政重も鉄砲自慢で米沢で義弟の景明らに指導していた
らしいし。
780 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 07:18:52 ID:F/UiVcIO
781 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 09:44:06 ID:fMxg2Kn+
>>779 なるほど。直江は曹操みたいに人材コレクターだったみたいっすね。
そういや直江は朝鮮でも書を求めてたって言うし
技術導入に熱心なだけでなく鉱山開発や河川交通と治水事業や農業にも深い知識あったり
日本最初の図書館を作ったりと学問にも力を入れたって話ですよね。
当時は高度な算学を持つ者が少ない為に三成など重宝されたと言うし、治水土木や大砲や兵糧の輸送にも必要。
宰相とは言え手を広げすぎなくらい才覚豊かだったんですね。
>>780 中傷だけ書くのは自分のレベルをおとすだけだよ。せめて知識ある書き込みを少しでもいいから書いてもらいたい。
私は情報量や書き込みにあたり真摯に調べたり長文を書く手間と時間を考えると凄いと思います。
782 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 10:50:44 ID:hURrmlho
禅林文庫が日本初の図書館というのは2chに書いてる人の思い込み
だけどね。身分を問わずに公開というなら江戸後期の仙台藩が初。
直江は足利学校に学んだ僧侶を招いて定勝に学問を教授させているし、
五山の僧侶から譲られた蔵書が多いので、足利学校と五山の学問をミ
ックスさせたものを地元に設けようとしたんでしょう。
創建からまもなく死んだので、直江の存命中に学問所として機能した
かは不明だけど、創建時の漢詩に「講筵(=講義をする場所)」とい
う言葉が入ってるので、範囲はともかく、学問所を目指していたと思う。
本当に朝鮮から書籍を持ち帰ったかははっきりしない(ほとんど五山の僧侶
からのもの)けど、幕府が「貸してくれ」と言うように、中国の書物は当時
最高峰のものが揃っていたと思う。
783 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 11:11:06 ID:fMxg2Kn+
足利学校は上杉憲実が再興させたと言われてますね。
ただその時の足利学校は僧侶など特定の人達のためだけだったと言いますね。
さらに金沢文庫なども北条氏の集めた物が保存されていたとか。
これらは図書館と言うより僧侶や博士による学究所的性格とか聞きます。
この辺はまあ認識による違いもあるのでしょう。
しかし安土桃山時代における畿内の進んだ学問による統治や領内開発の技術やノウハウ導入による国力増強策は
遣隋使や明治の外国人お雇い教員などと並んで「学ぶ」ことの大切さが実感できますね。
朝鮮から陶器技術者を連れて帰った佐賀鍋島も先見性があったと言えますね。
もっとも西国では大内や大友もキリシタンを城下に住まわせたりと南蛮貿易を通じての先取の気風はあったかもしれないですね。
隆景のこういった点において力を入れていた記述も教えてください。
784 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 11:12:45 ID:fMxg2Kn+
金沢文庫は後北条じゃなくて
執権北条氏のことです。
785 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 11:44:09 ID:I5kFgj2W
まじめ系で盛り上がってると聞いて来ました
筑前国続風土記の学術的価値の全否定とか超うけたwwwひどすwww
福岡県もさぞやびっくりだろう
茶々入れるだけなのも野暮なので西国史料はそれほど詳しくないがちょろっと調べた
小早川隆景臣下としては一門格の椋梨氏や梨羽氏、小梨氏が重臣中の重臣
次いで庶流の乃美氏、浦氏、磯兼氏、國貞氏、小泉氏、泡久氏などや隆景の
小早川家入りに付いてきた井上氏や桂氏、堅田氏、国司氏などが譜代格にあたる
>>777 774ではないが774が聞きたいのはこれら小早川家の譜代重臣の動向であって外様や
中堅以下の家臣の動向ではないと思われるがいかが?
以下補足
いきなり松野主馬からして違う
古代氏族系図集成によると松野家そのものは西美濃の出だし父松野平八からして
秀吉配下で丹波三百石。父死亡後に遺領を継承し羽柴秀俊の与力になり秀俊の
小早川入りに従っている
元来隆景配下とか初耳でどこからそんなトンデモ経歴を引っ張ってきたのか気になる
清水景治は外様
父宗治の死後小早川家に出仕している
日野景幸も外様
日野系山名当主藤幸の養子で実父は久代宮氏智盛
実家の宮家は分家で本家である新市宮家が元就によって滅ぼされて後に従う
草刈重継も外様
美作国人の草刈衡継の子
衡継の代では尼子家臣であり兄が織田に内通して殺されたので重継が家督継承
三好新兵衛も外様
というかこの人にいたっては隆景の直臣ですらなくて村上の家臣でいわゆる陪臣なのでは?
村上景親は譜代…でいいのか?村上氏の経歴みると外様にもみえるが一応譜代にしておく
もっとも父村上武吉と兄元吉は隆景隠居に従っているので村上家おそろしす
国司元信は譜代
毛利家譜代衆国司就信の子
林宗重は誰だろう
林という家名からすると備中林氏の出か稲葉氏の林氏かな
もっともどちらにしても小早川家譜代ではない
杉元武も誰だろう
名前からすると杉元良に関係がありそう
そうなると大内氏豊前守護代の杉重矩の流れを組んでいるので譜代ではない
清水、日野、草刈、三好、村上、国司、林、杉…
村上は親子で分かれて出仕だし他は国司以外は外様の動向ではなかろうか
これをそうそうたるメンバーというのはかなり無理があると考えるのだがいかが?
786 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 12:11:58 ID:hURrmlho
禅林文庫も誰にでも開かれたものではないので、基本的には足
利学校の武家ローカル版だよ。僧侶が領主やその側近を教育す
るのは禅林文庫以前から当然あった。
景勝と直江はのちに妙心寺15世に迎えられるような学僧九山
を、上杉家の金で足利学校へ留学させ、また、よそにはない貴
重な書物をそろえていたことで米沢の片田舎に呼ぶことができ
たのは大きい。
>>785 >>777じゃないけど、そもそも不満だからみんなが隠居に付いて
行ったという話はそのなんちゃら風土記に載っているの?
もっと直接的に「秀秋を迎えるのがいやだった」みたいな史料が
あればいいんだけど。その通りだとすると、不満を持って隠居し
たのに、輝元と並ぶ権中納言に昇任し、輝元とともに西国の要を
任された大きなメリットは受けるという矛盾がどうも解せないん
だけど。そもそも隆景は秀秋を養子に迎えて即隠居したのかどう
かもよくわからないけど、時期は分かってるのかね。秀秋は朝鮮
に出兵しているわけだから、家督は譲っても実質は隆景が家中を
差配していたと思うんだが。
787 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 12:32:08 ID:I5kFgj2W
>>786 >>785上段でふれた筑前国続風土記の学術的否定うけたwww関しては
>>757>>767>>777の
一連の流れについてなので隆景家臣の動向についてとはまったく関係ないよ
>>757が隆景には行政治安力が欠如し検地能力がないためと述べているのを受けて
>>767が筑前国続風土記に基づいて反論
>>777が筑前国続風土記に価値など無いと更に反論しあえてスルーしてたとか
この流れが超うけた
いくらなんでも筑前国続風土記を全否定というのはひどすぎだ
そう受け取っただけ
そもそも不満だからみんなが隠居に付いて行ったという話ってなにそれ?
意味わかんない
ちょろっと調べたと先程もふれたように
>>777が名を出したそうそうたるメンバーという
扱いに違和感もっただけ
西国は詳しくないがそれにしてもほぼ聞いたことの無い武将ばかり並んでいたもので
ちょっと気になった
そして調べてみるとほぼ外様
重ねてふれるけど、
>>774ではないが聞きたいのは外様じゃなくて譜代重臣の動向でしょうと、ね
788 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 12:44:00 ID:fMxg2Kn+
>>785 なるほど。
WiKiにも松野主馬は秀吉配下って書いてますね。誰か別な人と勘違いしてるのかも知れないですね。
>>742に書かれてる桂広繁や井上春忠などは毛利本家から小早川へ移籍した重臣じゃないの?
桂や井上は毛利重臣の家系だったような。
と言うか外様と言っても長らく小早川に従って対織田戦で武功をあげてる人達は隆景重臣と言っても良いのでは?
隆景隠居に従い三原に帰った
隆景の死後に三原に帰った
それぞれが帰った理由とタイミングに関する史料お願いします。
>>757では御領知少分之儀によってリストラされた記述もあり、
>>776では隆景に従って北九州へ行くのを嫌がっていた記述もあり
>>777でも質問が出されているこの三原に譜代が帰ったタイミングや理由を
>>785が史料で証明しないとハッキリ明確化し判断できないかと。
このへんをうやむやにしてはいけないと思う。
隆景死去の時点では
>>757の書き込みから乃美や村上や清水、仁保らは変わりばんこに朝鮮に滞在してたのでは?
仁保って大友と隆景が大規模に戦ってる時に門司城主になってる家系だったような。
石高についての筑前風土記と小早川文書のどちらが信憑性高いんでしょうか?
>>787筑前風土記の全否定ではなく、石高の記述を指してると思われますが…
>>786 足利ローカル版ですか。貴重な書籍を直江が手に入れる際のライバルになった大名はいますか?
789 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 13:08:29 ID:hURrmlho
>>787 話の発端は、隆景の隠居に家臣たちがついていった。
秀秋の養子入りに不満だからだ という話から。
>>788 足利ローカル版というのは卑下した言い方ではないよ。
大都市でもない米沢で足利学校のように書物も学僧も一流
をそろえようとしたのは直江の特筆すべき施策。
武家で書物の印刷をしたのは家康と直江だけだと思うけど、
家康も校正のために直江から群書治要を借りてる。
直江の蔵書家としての名が高かった証拠。
ただ、「日本最初の図書館」などというソース不明の評価
には賛同できないんだよ。
790 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 13:09:03 ID:fMxg2Kn+
あとやはり隆景の実績を史料で提出しないと話が成立しないと思います。
この点がまったく書き込まれません。
これは致命的な状態です
>>785>>787にはぜひ頑張って欲しいところ。
私は荒れないようにサポートしますのでお願いします。
ポジション的に近い鍋島や佐竹配下の東義久や伊達の片倉、南部の北信愛らの逸話を排除した実績なども紹介してもらいたいところ
791 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 14:03:42 ID:I5kFgj2W
>>788 どうも話がかみあってないか
井上、桂については
>>785で譜代とふれてます
>>777がどうだとあげたそうそうたるメンバーに違和感があったので名があがっている武将を
ちょろっと調べてみた
それだけ
わかりやすく著名な徳川氏配下におきかえますよ
徳川氏の配下というと酒井、本多、石川、大久保、内藤、榊原、鳥居、牧野、水野といった家が、
その中でも強いて譜代筆頭数家とすると酒井、本多、石川、大久保あたりまでか
人それぞれ違う見解もあるでしょうが最大公約数的にそんなに違和感ないはず
これを小早川氏におきかえると椋梨、梨羽、小梨、乃美、浦、磯兼、井上、桂、堅田などに
なり、強いて譜代重臣数家とすると椋梨、梨羽、小梨、乃美あたりまでとなるわけ
>>777に戻るとあがっている武将が清水、日野、草刈、三好、村上、国司、林、杉
徳川氏だと関東入府以降せいぜい旧武田遺臣ばかりをあげてそうそうたるメンバーと
いっているようなもので三河譜代はどこに?ということです
外様か譜代かについての定義は武功でわけるのではなく代を重ねてであるかという分け方を
しています
>>789 なるほどね
それは面白い考え方だ
西国の織豊期はそれほど詳しくないので今の段階において意見は差し控えたい
レスのきっかけが経済史からみて筑前国続風土記の完全否定にとてもとても衝撃を受けただけ
何回でも書くけどありえない
>>790 今日日曜だし出かけるし史料庫行くの無理
隆景の実績?
何を今更で毛利氏は残っている文書が豊富だったはず
まさか否定的な意見が多いとかなの?
今度時間つくってスレを1から読んでみます
個人的には東義久や北信愛のほうが興味ひかれる
奥羽は西国に比べれば史料そのものが少なくそして玉石混合なので楽しいです
792 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 14:29:34 ID:fMxg2Kn+
>>791 うん。だから譜代がどのタイミングでどんな理由をもって離脱したか史料で明確にしなきゃならない義務があるわけのが主張者の最低限のマナーじゃないかな。
石高の話における発言であり完全否定はしてないと思うけど…小早川文書と比較して筑前風土記はどう?
出来れば筑前風土記の記述(
>>767における天正15年の九州〜2年かけて行った)の続きをここに書き出してください。詳細に検討しましょうよ。
個人的に調べたら隆景のもとで辣腕をふるった鵜飼元辰は三原で輝元から冷遇され最後は言いがかりをつけられ処刑ってあるね。
宍戸家は秀秋に娘を出した縁があるので秀秋の元にいたと書いてあったけど、
WiKiではまるで毛利家臣みたいに書かれてるけどどうなの?
秀秋が日本へ帰ったあとに秀元指揮下に併合されたの?
でも宍戸家の裏切りを根にもった輝元が宍戸元続(元続は口羽から継室を迎えて身をまもった)の兄弟である内藤元盛に大坂籠城に行けと命じた挙げ句に佐野道可事件を引き起こし、元盛の子も自害させら
元続も責任を取らされて隠居に追い込まれたと言う話も辻褄が合うけど信憑性はどうなんだろ。
毛利と小早川の関係は穏やかでは無さそうですね。
793 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 14:41:10 ID:fMxg2Kn+
あと
名字をあげてるだけだといまいちピントこないので
椋梨や梨羽や小梨あたりの当時の親兄弟達の名前を書いてください。
私も今度、調べてみますので。
794 :
721:2010/06/06(日) 16:01:46 ID:vAVukPU0
すげー伸びててビックリw
>>785 代弁サンクス
>>792 うん。だから譜代がどのタイミングでどんな理由をもって離脱したか史料で明確にしなきゃならない義務があるわけのが主張者の最低限のマナーじゃないかな。
やーめーてー。785は俺の疑問点の代弁者であって主張してる訳じゃないだろ
>>777 逆に聞きたいのだが>>椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏は全て隆景に従って三原に行ったり
隆景が家督を譲ったタイミングで彼等も一緒に隆景について三原に行ったというのはどんなソースに基づいての発言?
すまん。755で書いてある通り、俺には分からないから質問してるんだよ
792じゃないけどもし分かる人がいれば
否定派だけでなく擁護派にも是非この辺りの詳細を聞きたいんですがよろしいでしょうか?
795 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 00:48:20 ID:zFlrteFX
ちょっと待って欲しい。
隆景擁護派が執拗に何度も持ち出して下記のことを強く主張していたのに
実はソースがないと白状した挙句に、
わからないからソースはお前が出せと要求するのは
いくらなんでもグダグダすぎやしないか?
擁護派が拠って立つ最後の砦みたいなもんだろこの反論意見って。
擁護派は常にソース欠如なのに自信満々に上から発言を繰り返しながら
実のところ自分の趣向に合わないという理由だけで
感情的に相手を貶していただけということになってしまうわけだがorz・・・_ト ̄|○
>>
>>777 逆に聞きたいのだが>>椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏は全て隆景に従って三原に行ったり
隆景が家督を譲ったタイミングで彼等も一緒に隆景について三原に行ったというのはどんなソースに基づいての発言?
すまん。755で書いてある通り、俺には分からないから質問してるんだよ
796 :
446:2010/06/07(月) 01:22:25 ID:gtYqA8iZ
>>795 >>794は中立だと思うんだが。
君が要求してるのと同様に、君の主張にソースを求めてるだけでしょ。
797 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 01:24:14 ID:gtYqA8iZ
↑名前446はこのスレと関係ないです。
798 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 02:13:27 ID:zFlrteFX
>>
>>794は中立だと思うんだが
自演キターw
わざわざ名前欄に数字入れてくるのは
戦国板には唯一お前しかいないのに何言ってんだw
少なくとも
>>721>>774>>794>>796は同一人物だろ・・・
いやいや、下記の内容は擁護派が執拗にこれを根拠に何度も反論してたじゃんw
毛利への養子を阻止した隆景に同調し
招かざる秀秋に抗議して椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏らは
全て隆景の隠居に同調して、隆景に従い三原に付いて行った
そしてソースを求められたら俺は知らない。お前が調べてだせよ!
って言うすさまじい斜め上の展開になってるわけだがw
799 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 02:40:36 ID:gtYqA8iZ
>>798 う〜ん、申し訳ないね。自演じゃないんだ。
というか、正体は
>>719なんだけどね。
質問は殆どスルーされちゃったけど。
800 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 10:14:32 ID:QevZtBL2
結局、WiKiの知識のみで戦う毛利厨の無知を晒しただけで終わったな。
根拠もなく感情だけで喰ってかかって反論すればするほど
隆景が政宗以下の無能なのがどんどん明らかにされていった挙げ句に逆ギレしてトンズラか。
実は毛利厨が全大名厨で一番の無知でソースなんざ一切出さずに脳内妄想マンセー小説の垂れ流しだったって言うw
まだ伊達厨は史料を出してくるだけマシだよな。
801 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 12:01:48 ID:x8SP2hOO
結局兼続なんかじゃ隆景には勝てないみたいだな
経験が違うし仕方ない
802 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 12:33:03 ID:QevZtBL2
>>801 涙目毛利厨乙w
実は政宗以下の無能で実績皆無
後世の逸話でマンセーされ超絶過大評価&他人の功績横盗り将軍。
元就の息子という基盤が無ければ名前すら記録されなかったであろう無能ぶり。
ひたすら土下座外交と弱腰消極策で主家を売り飛ばした秀吉の部下。
兄弟が仲違いした最大の元凶で、
父の怒りの手紙をシカトしてまもなく父死亡。
タイミングも含めてかなり隆景に都合よく兄達までが死亡し
兄の子に暴力を振るいまくるDQN。
803 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 13:10:44 ID:x8SP2hOO
>他人の功績横取り
そんなカスに功績横取りされるアホがいたの?w
大した功績じゃないんだろうね^^
>元就いなきゃ
元就いなきゃ毛利なんてただのカス大名じゃんwww
主家を売ったおかげで五大老に入り名前を残した隆景、毛利本家も中国覇者のまま
主家の石高を大幅に減らし、長谷堂でも負けるヘタレ兼続
戦国武将としてどちらが優れてるかは明白ですねwww兼続厨涙目www
804 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 13:23:18 ID:QevZtBL2
805 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 13:28:03 ID:HFHTh6As
自演にしか見えない件
806 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 14:36:36 ID:41dWjaQO
同じく。
でなきゃsubに病気伝染されたか。
807 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 15:47:17 ID:I1puomKx
察してあげようよ。
わざわざアゲテるんだからさ。
伊達厨、直江厨を巻き込んで、収拾つかなくしたいのミエミエだし。
808 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 16:20:36 ID:x8SP2hOO
809 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 16:48:31 ID:nJzYG8zj
スレに一通り目を通させてもらった
貶めたくてしょうがない人が一部にいるみたいだが小早川隆景については世間一般の印象で特に
間違いはなさそうにみえる
通説には通説としての理由があるわけだね
別に聖人君子といってるわけでもないよ
けっこう我の強い人でもあったようだし三村家宇喜多家への判断など後世からみると無残としかいいようもない
毛利家の平和時戦時問わずの窓口役を元就生存中の頃からそれこそ隆景が死ぬまで長年担っている
毛利家の外交というと安国寺恵瓊かと思っていたが彼は表の駒に過ぎず影の黒幕が隆景であったのかな
平和時の外交官的な記録として織田家絡みだと1570年前後から
1569年3月18日の小早川家文書より
木下秀吉、小早川隆景へ毛利元就から信長への使者派遣につき取次ぐ旨を通知
1570年2月13日小早川家文書より
信長、小早川左衛門佐へ元就からの播磨国出兵要請に応え出兵日時の打ち合わせ予定を通知
(左衛門佐=小早川隆景)
以降、織田毛利手切れまで小早川隆景は毛利氏の取次役として頻繁に出てくる
織田家とは関係ないが上杉謙信からも隆景宛に今度出陣するよーな文書もきてたりする
記録によると秀吉との縁はかなり前からあったのがよくわかるね
そして、戦時の外交官としてはこういうものもある
1578年11月14日毛利家文書より
左衛門佐隆景、粟蔵へ千貫の催促、今度毛利氏に味方する荒木への礼使派遣、荒摂および
志摩守、河原林越後守への進物送付は天下之致大忠であるので談合の上で実施することを通知
(粟蔵=粟屋元種 毛利家奉行衆でこの時期は摂津木津城在番、荒摂=荒木村重、志摩守=荒木元清)
隆景、粟蔵へ摂津国木津川に於いて毛利氏水軍が織田軍を撃破したこと、毛利陣営に味方する
荒木摂津守・志摩守・河原林越後守が人質を提出し摂津国大坂の端城を破却、血判之神文を
提出し無二ニ対公儀可致忠儀之覚悟を表明したこと、信長が京都を経由して摂津国へ進撃する
予定であることなどに触れ、毛利輝元の御出張を促す旨の案文を認める
1579年1月23日毛利家文書より
左衛隆景、妙寿寺へ毛利輝元が荒摂を招喚することにつき、荒木村重のことを都鄙無隠者で
あるので敢えて安芸国吉田に於いて懇談する必要の無い旨を両御所へ上申するよう依頼する
(両御所=毛利輝元と吉川元春)
冷静だよね、荒木村重が有岡城で篭城をはじめると資金援助はしっかりする一方で当主輝元や
兄元春が会おうとしてるらしいけど会う必要はないとアドバイスしてる
だけれど落城後は見捨てずに備後できちんと保護してるんだよね
冷たくて暖かいよ!隆景!
ちなみに妙寿寺というのは吉田郡山にあるお寺
話がそれるが輝元の実母で隆元の正室だった内藤興盛娘尾崎の局の法号は仁英妙寿
この時期の輝元を諌める文書もみつけた
1578年3月16日の毛利家文書より
左衛門佐隆景、妙寿寺へ当年之御弓箭は芸州之安危之境であるとの見通しに触れ、御当家は
於中国三番目之被振御威勢という状態で、当殿を元春・我等が補佐することで日頼様没後
八ヶ年も御家を被保れており、今度不慮の将軍の中国御動座という事態で無存知自遠国之
大名よりも使者が到来するようになり、御家之規模、当代之御面目が高揚したこと、しかし
消候ハんとて光増と申事もあるとの譬えもあるので毛利輝元を諫めることを依頼する
(妙寿寺=妙寿寺住持明叔元楊で輝元の師の1人、当殿=毛利輝元、日頼様=毛利元就)
ようするに輝元舞い上がってるので恩師からもお小言お願いしますよという内容
感想
小早川もそうだけど毛利も吉川も文書記録が豊富
豊富すぎて片手間に調べてですらこんなかんじでごろごろ出てくる
上記にあげた史料にしてもまだ備中高松対陣の年にすら入っていない
興味ある人は自分で調べてみよう
もう一点、これはとても大事なこと
史料を読める人が新たな話題を提供するのはよい
だけれど自論補完の為だけに史料をこねくり回して都合のよいとこ取りな我田引水はいかがなものだろう
史料が泣いてるよ
もちろんこの文中史料にも我田引水があるかもしれないよ!
810 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 16:52:03 ID:nJzYG8zj
おまけ
家名だけでは調べられない名もという意見もあったので名まで記載しておく
それから羽柴秀俊の小早川家入り以降の下記家臣達の出処進退についてはここではふれないように
しておいたよ
興味があるなら調べる前にスレの流れでいうどちらの立場かなどつまらないことをいわずに自分で
調べてみよう
面白い結果がでてくることは請合う
以下は筑前入り後の外様衆を除いた小早川隆景の主だった家臣
・隆景小早川家継承時の毛利家からの付家老(名、役など、出自など)
桂景信 付家老、毛利元就の宿老であった桂元澄の子、桂家は毛利庶流坂家の分家筋にあたる
井上春忠 付家老、井上資明の子、井上党粛清の生き残り
粟屋盛忠 付家老、毛利家譜代衆粟屋元方の子、兄弟に毛利家奉行衆粟屋元種など
八幡原元直 付家老、毛利家譜代衆、隆景与力の前は隆元付き
・その他の主な毛利系家臣(名、役など、出自など)
井上景貞 先陣大将、井上春忠の子
井上利宅 奉行衆、井上党粛清時は幼少の為助命、後に小早川家へ出仕
井上景家 奉行衆、井上利宅の子
粟屋景雄 先陣大将、毛利家譜代衆粟屋元貞の子
堅田元慶 三原城城代など、毛利家譜代衆粟屋元通の子
・一門衆(名、役など、出自など)
梨羽宣平 家老、沼田小早川の重鎮
椋梨弘平 家老、一門筆頭、沼田小早川
椋梨景良 家老、椋梨弘平の子
乃美宗勝 水軍衆、沼田小早川、浦賢勝の子で浦宗勝ともいう
乃美隆興 水軍衆、乃美宗勝の子
小梨式部少輔 家老並、竹原小早川の重鎮
・譜代衆(名、役など、出自など)
磯兼景道 新高山城城代や三原城城代、沼田小早川一門椋梨氏庶流
国貞景氏 奉行衆、沼田小早川一門庶流
包久景勝 奉行衆、竹原小早川一門庶流
多賀谷春貞 水軍衆、大内水軍三ヶ島衆の重鎮多賀谷武重の子、武重の代に帰順
手嶋景繁 名島城城代など、竹原小早川家臣
・外様衆(名、役など、出自など)
冷泉元満 水軍衆、大寧寺の変で大内義隆に殉じた冷泉隆豊の子
飯田尊継 三原城代官など、元公家
鵜飼元辰 奉行衆、近江出身
・その他水軍衆(名、役など、出自など)
村上武吉 水軍衆、厳島合戦以降毛利氏と共同歩調をとったり離反したり、能島村上当主
村上元吉 水軍衆、村上武吉の子
村上景親 水軍衆、村上武吉の子
村上景広 水軍衆、能島村上
村上吉充 水軍衆、因島村上当主
おーしまい
811 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 23:01:47 ID:QevZtBL2
>>819 どこにも隆景の功績なんてないけど
なんのためにくだらない長文をわざわざ書いたの?
813 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 01:21:19 ID:fJeeNTU3
>>809 お疲れさまでした。
隆景が毛利家で重責を担っていた事が良くわかります。
毛利が大国であった事は不動の事実であり、隆景の役割を考えれば
功績が十分であった証左足り得ますね。
814 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 11:22:53 ID:dYZNKeRs
815 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 11:28:00 ID:whXZwh2D
結果見れば隆景の勝ちなのにな
兼続が勝てる要素無し
816 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 12:22:54 ID:b44UHwYr
生きた時代も身分も違う二人に勝ち負けつけるの自体が愚か
なんだが。
817 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 13:18:38 ID:HrVQblYZ
818 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 13:42:04 ID:b44UHwYr
毛利にもsubもどきがいるんだな。
819 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 13:59:16 ID:vD4he6kK
>>816 スレタイがおかしい。
直江vs小早川ではなくてほとんどずっと小早川スレ。
820 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 14:38:29 ID:b44UHwYr
なぜかというとsubは直江には詳しくなく、貶める対象の
小早川や伊達、最上の方をよく知っているから。
821 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 16:58:11 ID:6mqmLbNj
>>809 で、隆景ってどこが凄いの?
元就三男なんだから取次ぎ役くらい成長すればやるの当たり前のことじゃん。
つかただ取次ぎ役をしてるだけで凄いなら、大半の武将が凄いわな。
そうじゃなくて隆景が功績として評価されるにたる実績を提出しろって話でしょ?
そうまでして話をすりかえてまで逃げまくり隆景をマンセーするの正直きもち悪いよ。
そんなら上杉家と血のつながらない直江が
取り次ぎ役どころか宰相やってるのは
博学で周囲が認めての実力でのことだし
よっぽど直江の方が凄いじゃん。
822 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:07:56 ID:6mqmLbNj
それと擁護側が執拗にやたら粘着して持ち出してきた
下記の件のソースはまだなの?
養子の秀包を廃嫡してまで
毛利への養子を阻止した隆景に同調し
招かざる秀秋に抗議して
椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏らは
全員足並みを揃え隆景の隠居に同調して、
隆景に従い三原に付いて行くことで豊臣政権に異議を唱えた。
そしてソースを求められたら俺は知らない。お前が調べてだせよ!
という超ビックリ展開w
これを突っ込まれたら
>>809で
また黙殺を決め込んでまったく関連性のないレスで逃げる始末・・・
823 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:51:58 ID:whXZwh2D
ID変えてご苦労様
何を喚こうが結果だけ見たら兼続が隆景に勝てるわけないじゃん
だから隆景を必死に貶めるしかやることないのね 気持ち悪い
自分でスレ建てて隆景叩いたら?
824 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:12:44 ID:vD4he6kK
どれだけ嫌いなんだよ。
古文書などろくに読め俺ですら
>>809からは豊臣秀吉が天下を取ったので小早川隆景を引き
上げた訳ではなくもともと毛利家ではえらい人。
毛利元就の生きていた頃から他国にも名前が知られている。
単純な取り次ぎ役ではなく荒木謀反では荒木へ小早川家としてではなく毛利家としての外交
判断を決めて毛利家家臣にも指示を出してる。
毛利輝元はお調子者と言うのか判断において腰が軽かったようだ。
これくらいは理解できる。
あれだけの大大名の家で元就の子供という理由だけの無能者にこういう役割はつとまりはしない。
825 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:15:50 ID:6mqmLbNj
>>823 それは回答になってないな。
隆景の凄さや実績が一次史料で証明されなければ
兼続が「勝てるわけない」との主張をどうやって証明できるんだ?
君の主張の論拠を早く書けと再三に渡り要求してるのに
いまだに一件足りとも提出されていないのだよ。
しかも
>>822を隆景の凄さとして書いておきながら
まったく証明すらできないのはいかなる理由によるのか
一刻も早く釈明する義務がある。
いい加減、話をそらして逃げ回るのはいかがなものか。
826 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:22:43 ID:6mqmLbNj
>>824 いや、その程度のことは他大名の子弟や家臣ですらやってるレベルのことで
無能者でもできる。
元就の子という立場に生まれたんだから最初から優遇されてるわけで
バカだろが、本人が嫌でも取り次ぎくらいやらされるのは当たり前。
むしろそんな程度のことしか書けないほど功績も実績も皆無なのか?
827 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:26:16 ID:PGXiyjVj
>>825 なぁ。何で兼続に付いては一次史料って言わないんだ?
828 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:38:00 ID:6mqmLbNj
>>827 大河板や戦国板で直江スレなんていくらでもあって
大河ドラマ放送前から
さんざん山ほど議論されてきたじゃん。
いまさら直江のことを調べたいなら該当スレを読んでこいよ。
それに大河効果で逸話を排した実像の直江について一次史料を集めた出版物も
かなり出てるから読んで予習してからまた来なさいね。
829 :
721:2010/06/08(火) 18:45:20 ID:ySvlCYqZ
なにこの流れ
>>798 俺が番号つけてんのは否定派が主張してた
>>小早川の家老衆からすれば隆景だって赤の他人で、
権力者の一門から養子をもらって小早川家の更なる繁栄を謀った方が徳だと思うだろ
この主張の論拠を聞きたかっただけで
721見れば俺の疑問がすぐ分かるだろ
だからつけてんだ
それから
>>少なくとも
>>721>>774>>794>>796は同一人物だろ・・・
せっかく分かりやすく番号つけてんのに
>>728>>755をはずすなよ
一応いっとくけど俺は796じゃないからね
830 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:46:48 ID:PGXiyjVj
>>828 結局、隆景を中傷したいだけじゃん。笑止。
831 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 19:17:15 ID:vD4he6kK
>>826 当主に相談せずに当主の家臣使って外交やったり判断したり当主を諌めたり。
俺にはこれがその程度のことには見えない。
そこで無学な俺にその程度のことをどの大名家の誰がやっていたのかぜひ教
えてくれ。言うまでもないだろうが古文書つきだぜ。
一応基準として100万石以上と言いたいが大名が少なそうだから50万石以上、
その人が死ぬまではお家は繁栄していたことは間違いないという縛りでよろしく。
832 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 20:06:29 ID:b44UHwYr
subがむやみやたらにカスなどと根拠不明なことを言うから
話がおかしな方向にいってるけど、最初に戻れば隆景が本家
を守るために秀秋を迎えたという話はソースなにってことでしょ。
一次史料どころかどの逸話集から出たのかもここでは示されてない。
そこ解決せずにどんどん話が次にいってるよね。
隆景は叔父だし、別の大名なので輝元とは単純な主従関係では
ないでしょう。
隆景生存中だと直江が近いけどね。
833 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 20:31:48 ID:HrVQblYZ
subを否定してると見せて、実は同根。
もう一人の変な奴登場。
834 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 20:50:39 ID:b44UHwYr
変でもなんでも構わないけど、出せないことをごまかして
どうする。出せなければ出せないでいいんだよ。みんなが
一次史料とか研究書を見たり買ったりできる環境にあるわけ
ではないんだから。
ネットで見たとか小説で見たけど、出所は分からない。
誰か知らないか?どこで調べられる?くらいのこと言えば
誰か調べ方とか載ってそうなものを教えてくれるでしょう。
優しい人は調べてきてくれるかもしれない。
835 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 21:50:45 ID:HrVQblYZ
どうしても言わせたいんだよねぇ。ネットです、小説です、ってさ。
で、そうするとどうなるか。
待ってましたとばかりにsub登場だよ。
実はこの人、subの自演と読んでます。
subと対極すぎる物腰もね、いかにもです。
というか、イイトコ取りなとこがそっくりですなー。
興味ある人、遡るといいよ。
836 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 22:08:07 ID:b44UHwYr
君はしゃべり方までsubと同じに見えるがね。
何がいいとこ取りなのかは知らないが、「どうしても言わせたい
んだよねぇ〜sub登場だよ」まで読むと、実はそうなんだけど
言いたくないってことかね。
悪いけど、subと違ってソースがないとは思ってない。今あたか
も通説のように語られてるものは江戸時代には逸話ができている。
だから聞いているんだよ。
837 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 22:28:34 ID:HrVQblYZ
>>832なんて、イキナリ過ぎる展開w
subの援護としか思えんな。一応、頭でsubを落としてるトコが、いやなんともね。
別に、
>>831の回答させればいいじゃん。
839 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 22:57:30 ID:DZwfaZOW
>>836 君が自演かどうかは置いとくけど、
>>835の効果は結果として発生する。
である以上、君の要求に答えようとする人はいないと思うよ。
また、もしそれをわかってて尚要求しているんだとしたら、
凄くいやらしいやり方だと思うね。
ソース云々言ってるみたいだけど、
>>809なんかキチンと出してくれてるよ。
君が戻りたい最初の話のソースなら、それこそ唐突すぎて、
不自然と言われても仕方ないのではないか。
840 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 01:14:53 ID:TGQnibaG
>>839 例えば「wikiで見た」と言えばsubが登場して「www」と馬鹿に
されるのが怖いから言えないということか。subにまとわりつかれ
たら意固地になるのは分かるが、そんな理由で肝心のところをうや
むやにするのは残念だね。
個人的には「秀秋を迎えることで本家をかばったからすごい」ので
はなく、養子を迎えた後の昇任や秀吉のますますの信任を見て分か
るように「時の権力者である秀吉の元養子を迎えることに成功し、
毛利・小早川家の豊臣政権内における地位向上に尽くしたからすご
い」のだと思うけど。
841 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 01:53:55 ID:+UhrjHja
>>840 申し訳ない。君の話には全く興味がない。
いつの話か知らないが、そんな話は今誰もしていない。
最初の話に戻したいのは君だけ。故に、肝心も何もない。
842 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 07:42:17 ID:7oOYehJI
で、結局subはスルーなわけね。
843 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 08:38:10 ID:TGQnibaG
>>841 三原隠居の話、
>>810が調べてくれた家臣たちの話も秀秋を迎えた
ことの評価から続く話で、唐突でもなんでもない。逆に隆景が家中
で重要な役割を果たしていたなんて当たり前すぎて興味がないのだが。
subだってそこを否定しているわけじゃないだろう。
ちなみに『陰徳太平記』には秀吉が毛利家に秀秋をやろうとしたと
いう話があったよ。「血が云々」というのはなかったが。あと、直
江を薪炭役人の子と書いてる『藩翰譜』の金吾の項にも「秀元」の
字が見えた(くずし字のを見たので全部読めない)ので多分載って
る。関連する逸話はsubの言う明治時代の創作ではなく、やはり江戸
時代からあった。載っている書物が書物なので、だから事実だという
ことではないけど。
844 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 08:47:48 ID:TGQnibaG
某知恵袋
Q直江兼続の活躍・功績はどのような事があるのでしょうか?
Aあんまりないな。天地人は、ウソばかり。。。。。。。。。。。。。
とーほぐは、アホで無能な武将しかいない。
(sub本スレでsubとされている人)
845 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 09:17:15 ID:nuZOD0Kq
つかそもそも
このスレが立てられた目的が
アンチ長尾アンチ直江を目的に立てられた
極めて邪なスレだからね。
そんで自分に不利なレスはすべてサブが書いたとレッテル貼って
相手の意見を封殺しようとする手法は伊達厨の常套手段。
この手法を使う伊達厨は毎回逃げ回り
まともに相手の質問に答えないしスレが荒れるのが平気なんだよ。
そもそも伊達厨が政宗スレの荒れを回避すべく、最上厨を装い
最上スレが荒らされるのを喜んでたくらいだしな。
まぁ最上厨というより鮭厨と区別されていたけどな。
大河直江の時に日本史や大河のスレでも荒らしまわってた。
そんで大河終了とともに最上スレから離脱してるから
いまじゃ最上スレは閑古鳥。
んで、再び政宗スレが荒れてきたから隆景を出汁にしてるわけ。
くだらん策謀を弄ぶのが伊達厨。
846 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 09:24:01 ID:NhAZJL5j
直江との比較なら吉川や片倉の方が適任だろうしね
しかしそうなると隆景と比較するのは誰がいいだろうか
鍋島辺りかな
847 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 09:36:56 ID:4xQj/Ivc
>>845 >>1を見る限りそんな気配は取れないけど・・・
最上厨伊達厨もキモいけど決めつけるアンチ伊達最上も相当キモいよ
あまり生き急ぐなよ
848 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 11:15:01 ID:NBAJANsB
こうして、subのスルーは忘れ去られていくわけね。
849 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 12:48:11 ID:Ni9zhgMN
>>846 片倉よりは小早川だろう。片倉はそこまで家中を掌握してない。
850 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 01:56:33 ID:D+LgbY9o
名将言行録の種本が常山紀談と言われている。
(1770年10代徳川家治の時代にすでに完成済み?初出版1901年明治34年)
隆景についての事項(この本によると関が原において直江と三成には密約があったとする)
○生前の隆景が輝元への戒め
「毛利家五十余郡を領し富貴溢れている。これより先、国を貪る心あらば忽ち滅ぶ」
輝元がこれを忘れたがゆえに、関が原で国を削られた。
隆景の先見の明明らかなり。
○隆景は武勇のみにあらず智謀も凄い。例えばこんな話がある。
元就が兄弟の仲を三本の矢の喩えで話すと隆景は
「争いは欲より起こる。欲をやめて義を守れば不和になることはない」
元就は喜び隆景の言葉に従うべしと言った。
○秀吉が九州を平らげた時、筑前五十万石を隆景に与えた。
隆景「これは吾に過ぎたり。先日まで敵だった身が大国を与えられるは、
吾を愛するにあらず。九州をなつけん為のかりの謀よ」
こう思って秀秋に国を譲り備後の三原に引きこもった。
元ネタがたかがこれだけの簡潔な文章しかないのに
これが1869年 明治2年の名将言行録になると明らかに上記のネタをたたき台に
すげー大量の逸話と話の肉付けがされまくり
隆景が毛利に養子を入れるのを策をもってかばっただとか
隆景の未来予言じみた遺言とか
関が原で三成に味方して潰されそうになった鍋島が秀忠に救われたの
去年の伏見騒動での隆景の策のおかげだとか
そのほとんどの隆景マンセー妄想逸話にまでバージョンアップされるから笑えるよね。
1908年 明治41年毛利元就正一位(豊臣秀吉大正4年 織田信長大正6年)
日本政府より国葬を賜わり号を忠愛公と贈名された偉大な
従一位勲一等公爵毛利元徳の子が小早川家再興し華族に列して男爵。
ほんと日本最高の毛利元就とその子たち。マジ尊敬するよな。
マンセーマンセー隆景将軍!!毛利大帝バンザイ!
851 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 02:26:38 ID:D+LgbY9o
ついでに陰徳太平記の腐れ軍記ぶりも紹介しよう。
史実
1597年6月12日に隆景死去。
この際、まだ秀秋は朝鮮に出兵してない。
陰徳太平記
その死を高麗釜山浦に御座す金吾殿にも知らせたwww
852 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 09:50:40 ID:QqcRK30d
兼続も近頃は持ち上げられて本能寺は兼続が謀っただの景勝の代わりに上杉の全執政を取っただの
五大老に入るのを勧められ断っただの上杉が攻められなかったのは家康が兼続を恐れていたからだの
根拠のない持ち上げが大好きなんだな
まあ国の英雄を持ち上げるのはどこも一緒だけど
853 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 19:21:16 ID:oOH0U0aO
話題をそらそうとするヒッシっぷりがなんだか哀れになってきた
854 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 22:39:46 ID:9eRKXHgd
ただの煽り屋がいるな。
855 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 00:01:27 ID:DXWBZqR+
景勝宛三成書状
「貴殿が在京する時は山城を大坂に召し置き、
貴殿が大坂にいるときは山城を出京せしめ
るように」
856 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 01:43:06 ID:KIqEjS5Z
>>853 いや話題をそらしてるんじゃなくて
sabをからかってるだけで
まともに相手をしてないだけw
ソースなんて腐るほどあるが、
>>850のレスでわかるように
あいつはクズ会津厨で執拗に長州に逆恨みを持つアンチ長州の粘着基地害だから
バカ正直に返答すると調子に乗るから返答する価値なしw
日本国民が長州の幕末の活躍を評価して毛利候を国葬にして讃えた一方で
会津を賊にしたのを永久に逆恨み。未開の蝦夷の民憐れwww
奥羽越列藩同盟は愚人同盟くやしいのうwくやしいのうw
お前のような不都合があれば平気で都合の良いように省略したり
捻じ曲げたりする我田引水が常套手段のクズ意見なんて誰も聞いてません。
幕末にもう一度生まれかえって朝敵としてやり直せ歴史は勝者が作る歴史なんだよwww
直江を貶してるの米沢市を嫉妬してる山形市だしトウホグはマジでクズ同士内輪もめしてろやw
857 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 02:47:27 ID:2LG4PiVA
相変わらずのすげー劣等感w
858 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 08:02:08 ID:8BDiD2tl
これはただ単にsageを覚えたSubだな
バカな口調がにじみ出てますよ
859 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 23:14:33 ID:KJUm9xsQ
毛利厨が完全に論破されたみたいだな。
しかし政宗より捏造マンセーが酷かったとは。
860 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 23:55:23 ID:8BDiD2tl
プッ 負け惜しみ乙w
結果論を全く論破してない癖に随分都合のいい頭ですねwww
惨めな奴
861 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 03:44:31 ID:4qtRaM4d
直江が六本木でレイプされたってホント?
862 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 07:31:25 ID:xK3auYp3
>>803 >主家の石高を大幅に減らし、
元々上田衆は越後魚沼郡5万石⇒出羽米沢30万石。
直江状であれだけ言いたいことを言ってもこの石高。大出世じゃない。
>長谷堂でも負けるヘタレ兼続
直江の撤退戦の凄さは直江自ら殿を務め、その「愛懸り引き」作戦が、日本陸軍参謀本部「日本戦史」で取り上げられている程見事だったこと
(敵大将最上義光の兜(織田信長から拝領した)の前立を打ち抜いている)。
また、最上斯波家伝に「直江は古今無双の兵(つわもの)なり」とあること、
また、戦後家康に「聞き及しよりいや増しの武功のもの」と激賞されていることからもヘタレとは言えないんではないかと。
一方、隆景の武功って何?
863 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 08:50:26 ID:C8Rz44Tu
>直江の撤退戦の凄さは直江自ら殿を務め、その「愛懸り引き」作戦が、日本陸軍参謀本部「日本戦史」で取り上げられている程見事だったこと
>(敵大将最上義光の兜(織田信長から拝領した)の前立を打ち抜いている)。
オヤオヤ、水原親憲の武功を自分のものですか。
汚ねークズだな。
お前は牟田口か。
864 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 09:10:30 ID:hNeVPHqM
水原が撤退戦に関わったのは確かだが、軍記物作成に
関わったのは水原の一族の人間だからな。。。
865 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 09:31:27 ID:xK3auYp3
水原鉄砲隊は直江の存在を見て突進してきた最上軍の右斜め前(山の中腹)から射撃しただけ。
それを予期して予め山の中腹に鉄砲隊を配置しておいた直江の戦術が凄かったってこと。
866 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 10:58:38 ID:H+CAAXJN
>>860 結果論で言えば、
たまたま元就の子に生まれた立場のおかげで
父への取り次ぎ役になれたに過ぎんし
それでやったことは主家を売って秀吉に土下座外交で
毛利の天下の可能性の芽を潰しただけ。
秀秋を迎えて主家から自立し
輝元にさんざん暴力を働き蔑ろにしまくり
それを見た吉川まで当主の方針に従わなくなる雰囲気作り。
この隆景の所業の結果、関が原で毛利大減封の時限爆弾設置w
秀吉より先にさっさと死んで肝心な時にいないと言う
悪運のおかげで死後の批判から免れただけの男じゃねぇかw
上田城で足止めした真田から直江へ勝利レターをもらったりして
どう転んでも西軍有利な状況からまさか毛利が原因で関が原で大敗したどころか
まんまと家康に騙されて大坂城まで明け渡した挙句に、
家康から毛利改易だよwww指令を受けるバカぶりを
天下に披露するとはなぁw
これ全部、明らかに隆景の負の遺産だよな。
>>863 あぁこれアンチ直江の鮭厨=伊達厨のいつも主張してるバカレスですな。
実際は直江の指示で水原は戸上山の東麓から義光の追撃軍を射撃して撃退敗走させたが
義光の苦戦を聞き、義康が派兵し側面を討とうとしたので水原もついに敗走。
畑谷城付近で直江がそれを聞き、300でとって返して最上軍を二十里も敗走させたんだよな。
867 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 11:31:08 ID:cd8RclvK
>>866 とりあえず
>>831への返答はまだですかね
話題を唐突に兼続へふってレス番を流したので見なかった事にしてるのですかね
868 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 11:45:29 ID:H+CAAXJN
869 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 11:59:38 ID:H+CAAXJN
>>831 >>当主に相談せずに当主の家臣使って外交やったり判断したり当主を諌めたり。
俺にはこれがその程度のことには見えない。
そんな当主を蔑ろにし、専横するような大逆無道の人物はいません。
たまたま元就の子に生まれた立場のおかげで
父への取り次ぎ役になれたなんて自然な流れに過ぎんことがそんなに凄いことなの?
そんなんだったら、武田信繁とか島津義弘とか北条氏邦とかみんなやってんじゃん。
つか縛りをつけてるあたり必死すぎて痛い。
涙目でディスプレイを眺めてるのバレバレw
スレタイの毛利や直江と関連性がない話のために
古文書なんてわざわざそんなくだらないことのために
時間割いて調べるかアホがwww
そうやって他人にばかり調べさせて逃げてないで
お前に出した宿題がさんざんたまってるんだからまずお前がソース出せよ。
こっちはかなり時間を割いて調べて、労力を惜しまず長文レスしてきたんだから
少しくらいは誠意を出してソースだせよ卑怯者。
870 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:33:21 ID:KycGSTVl
871 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:40:28 ID:DjRYoDFk
>>869 取次は関係維持のために場合によっては相手に有利なことを
するから、大逆無道でもないよ。
諌める場面が出てくるのは、主従ではなく、叔父甥の関係が強いから
だろう。subが言うように、縛りを付ける意味はよくわからない。
「死ぬまではお家は繁栄していたことは間違いない」という縛りをわ
ざわざ付けたのは直江の名前を挙げられないようにするために見える
けど、隆景と直江の死去時期は諸大名にとって大きな変化をもたらす
ことになった関ヶ原を挟んでいるので、こうした縛りを設けるのは意
味がない。隆景が生きていれば毛利は減封にならなかったなんて保障
はないわけだし。
872 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:47:48 ID:KycGSTVl
873 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:50:36 ID:H+CAAXJN
>>870 そんな当主を蔑ろにし、専横するような大逆無道の人物はいませんって言ってんじゃん。
日本語読めないの?
874 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:55:52 ID:iZxbBKFg
どっちかが功績をあげればそれは捏造だ!横取りだ!
ってなってソースや何やらをあげればそれは信用出来ない!捏造だ!
と罵り合うのがこのスレのパターンぽいけど
二人共有能だったから名前が残ってるわけでそれを無能だなんだ言ってる人が無能なわけでしょ
>>1はまだこのスレ見てるのかな 悲しんでるんじゃない
875 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:56:01 ID:KycGSTVl
>>873 >>866と矛盾してね?ww
>それでやったことは主家を売って秀吉に土下座外交で
>毛利の天下の可能性の芽を潰しただけ。
>秀秋を迎えて主家から自立し
>輝元にさんざん暴力を働き蔑ろにしまくり
>それを見た吉川まで当主の方針に従わなくなる雰囲気作り。
>この隆景の所業の結果、関が原で毛利大減封の時限爆弾設置w
876 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:03:15 ID:DjRYoDFk
>>872 君はいつもsubに煽られているけど、自分で何か話題提供を
したことがあるのかね。subのおかしい点も隆景擁護のおか
しい点も指摘するのがどうしていけないのか。
しかもsubが
>>873で重ねて強調している部分を否定している
のに自演なわけないだろ。
877 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:06:51 ID:cd8RclvK
>>869 語るに落ちたとはこのことだ
武田信繁や島津義弘、北条氏邦にしろ他に兄弟がいなかったわけではない
その点は小早川隆景も同じ
他の兄弟を差し置いて取り次ぎ役をつとめていたことになる
ところで武田信繁や島津義弘、北条氏邦は無能だったのかな
878 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:17:46 ID:KycGSTVl
>>869 てかソースならさ、
>それでやったことは主家を売って秀吉に土下座外交で
>毛利の天下の可能性の芽を潰しただけ。
>秀秋を迎えて主家から自立し
>輝元にさんざん暴力を働き蔑ろにしまくり
>それを見た吉川まで当主の方針に従わなくなる雰囲気作り。
>この隆景の所業の結果、関が原で毛利大減封の時限爆弾設置w
これと同義の内容そのものを、明確に表記しているソース教えてくれよ。
隆景が宗家を蔑ろにしている、と批判しているズバリの史料をさ。
いつも、ソースソース言ってんだから、出せるだろ?
879 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:20:52 ID:iZxbBKFg
そもそも毛利って天下取る気あんの?
880 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:29:53 ID:DjRYoDFk
秀吉死後なら、輝元は豊臣政権内の実権を握ろうという野心を見せて
さまざま画策している。
881 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:34:21 ID:JWVpMYCg
>>869を読む限り、隆景生存中の話ではないですか?
野心は控えていたんじゃなかったかと。
882 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:43:08 ID:DjRYoDFk
>>881 subと煽られている人のやり取り無意味だから
>>869あ
まりちゃんと読んでなかったが、その流れで聞いたのか。
一般的な話かと思った。すまん。
883 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:45:03 ID:H+CAAXJN
>>877 何言ってんだお前バカか?
大名の子として、領地を任されたら
その組下の者やその外縁部からの外交文書などを受け取って
当主へ取り次いだり、功績や褒美の取り次ぎやるなんて当たり前だ。
兄弟を差し置いてとか意味がわからねーよ。
しかも義弘や信繁らは別に取り次ぎしてたから有能と評価されてるんじゃねーよ。
>>878 つかさ頭大丈夫?いままでのレスで
>それでやったことは主家を売って秀吉に土下座外交で
>毛利の天下の可能性の芽を潰しただけ。
>秀秋を迎えて主家から自立し
>輝元にさんざん暴力を働き蔑ろにしまくり
>それを見た吉川まで当主の方針に従わなくなる雰囲気作り。
>この隆景の所業の結果、関が原で毛利大減封の時限爆弾設置w
と思わざる傍証がたくさん出てきたから、それを否定するなら
隆景の功績をソース付きで出せと再三に渡り要求してるわけ。
そしてソースが出せないから逃げるために
ソース出せと長い間、要求してる側に、ソース出せとオウム返しをしてるだけだろw
話題変えで誤魔化すようなネタも尽きて
ひたすら
>>867や
>>878みたいに必死にオウム返しをして逃げようとするようになったら、
いよいよ末期症状なんだよな。
まず今までの溜まりにたまった懸案の数々についてことごとくソース出したらどうだ?
こちらは散々、お前んも要求に対して
調べるために多大な時間と長文レスを書く労力を割いて書き込みしてきたんだ。
そろそろそちらが誠意を出せ。
884 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:57:30 ID:KycGSTVl
>>883 要するに、出せないんだろ。
多大な時間と長文レスなんて書かなくていいからさ。
出せません、の一言でいいよw
885 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 14:05:03 ID:H+CAAXJN
>>884 取り次ぎの意味すらわからんお前に出す価値もねーよw
886 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 14:05:52 ID:KycGSTVl
はいはい、逃亡逃亡ww
887 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 14:07:21 ID:H+CAAXJN
888 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 14:45:51 ID:KycGSTVl
>>883 >>それでやったことは主家を売って秀吉に土下座外交で
>>毛利の天下の可能性の芽を潰しただけ。
>>秀秋を迎えて主家から自立し
>>輝元にさんざん暴力を働き蔑ろにしまくり
>>それを見た吉川まで当主の方針に従わなくなる雰囲気作り。
>>この隆景の所業の結果、関が原で毛利大減封の時限爆弾設置w
>と思わざる傍証がたくさん出てきたから、それを否定するなら
>隆景の功績をソース付きで出せと再三に渡り要求してるわけ。
そもそも、この立てつけがおかしい、っての。
『否定するなら』、じゃなくてオマエさんの傍証とやらの正確性を示すのが先だろ?
だから、ソース出せって。(
>>878)
889 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:09:52 ID:H+CAAXJN
必死にオウム返しをして逃げようとするようになったら、
いよいよ末期症状なんだよな。
890 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:16:21 ID:KycGSTVl
結局出ない、という事ね。
いつものスルーだからいいけどさ。(
>>870)
891 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:24:04 ID:JWVpMYCg
もうやめませんか?
中身のないレスが続けば、結局スルーしやすくなるだけだと思います。
892 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:41:29 ID:H+CAAXJN
>>890 >>いつものスルーだからいいけどさ
それお前のことだろwww
以前はちゃんとソースだしたり、逸話の出典先も教えてやったが
方針を変えたよ。ほとほとウンザリだ二度と出さねぇw
だって取り次ぎの意味すらわからんアホを相手に
まともに回答するのバカらしいし。
取り次ぎの文書なんて調べりゃけっこう出てくるもんなのもわからんとかどんだけw
要するにお前は今まで一度たりともソースを出さないどころか
お前の主張をソースとともに論破しても、それ自体なかったことにして
したすら粘着してるクズだということだ。
毛利スレ全般でカキコミしてきたが、まともなソースを一度も出さないできたじゃねぇか。
大友も毛利戦でもウソばっかり挙句に小倉攻防でもデタラメを吐き、
関が原の四国での戦いでも毛利が四国を統一する勢いとか大ウソを書きまくり
ちゃんと反論したら、SABは自分の都合よいように文章を改変するとか
自分の捏造になる材料のみ取捨選択するだけとか中傷するだけ。
まぁ。それでもな「ちゃんと一次史料で、こういうことが書かれてるが
それを無視して、こういうふうに改変してる」と史料の裏づけとともに
それを指摘するならわかるよ。
でも毛利厨はなんらそーいう根拠を提出せず中傷レベルのレッテルを貼るだけ。
こういうことの執拗な繰り返しループじゃねぇか。
しかも直江のことすらロクに知らずに書き込みしてやがるw
だいたい執拗に
>>822で指摘した内容で俺に反論してきやがったのに
そんな内容のソースがないと詳しく説明して
逆にソースを教えてくれと言ったら
「知らん。お前が調べて書く義務がある」とか言い放って、
それがわからんならお前が負けみたいな論調を出してきたあたりから
ほとほと基地害を相手にしてると実感したね。
お前は他人にしょっちゅうソースを要求して、忙しい中で出典を出して
800レス近くまで来たのに、いまだに自分はソースださない。
お前はソース出せを連呼してバカだろ?
お前はなーんにも調べる能力はなく、ただ「ソース出せ」を繰り返してきて
当方が提出しても無視して、またくだらない内容でソース出せと連呼して
逃げたwとかいつものスルーとか言ってよい御身分だな
都合が悪いとすぐ誰彼なくすぐ自演だとかSAB認定を繰り返して、
口封じしてきたし
>>876みたいにマトモそうなヤツの排除をしてどんだけ独善的なんだよ基地害くん。
俺は毛利厨じゃねーから、普通に神格化され脚色された隆景像ではなく、
同じ人間としての弱い隆景、決して完全無敵の隆景像、悩み考えて苦渋の選択をした隆景像を
炙り出そうとしてるだけなのに、攻撃されたと理解して、こちらを攻撃する脳内がもう痛い。
武田厨相手に、騎馬隊なんてほんとはいなかったんじゃね?とか
織田厨相手に、鉄砲三段なんてありえねぇとか
上杉厨相手に、謙信は高崎城や臼井城や小田原城や玉縄城で敗退してるのに無敗はないだろ
と指摘しても逆上しねーけど、
毛利厨ってすぐ攻撃されたと感情的に絡んでくる気持ち悪さ。
まず史料読んでから出直してこいやバァカ
893 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:42:18 ID:KycGSTVl
了解した。
傍証(
>>888)とやらの正確性を示すソースが提示されれば、この議論はスグに完了する。
こんな簡単な話はないと思うけどね。隆景の功績などワザワザ出させる必要もない。
894 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:47:26 ID:H+CAAXJN
結局、隆景の凄さなんてソースがまったくないから
くだらないどうでもいい取り次ぎなんて部分で
当方に絡んでうやむやにしてるだけなんだよ。
895 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:52:27 ID:H+CAAXJN
>>893=
>>856だったようだなw
論調が酷似してますよw
>>隆景の功績などワザワザ出させる必要もないwww
896 :
893:2010/06/12(土) 15:55:12 ID:KycGSTVl
>>891へのレスね。
>>892 ついに発狂か。
遡ればわかるが、取次ぎ云々は俺じゃないし。
毛利スレ全般や、直江のカキ込みの事なんかシラネーよ。
>>878のソースを出せ、って言ってるだけだ。
>>888は極めて筋の通った話だし、
ソース要求はオマエさんがしてる事と同じ事だ。
なんかアンフェアな話をしてるね〜〜。説得力ゼロだぞww
897 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:55:55 ID:H+CAAXJN
そして
>>856によって東北を中傷され裏切られた
>>858が
「いやこのバカレスはSABのカキコミに違いなんだ(涙)」って構図かテラワロタwww
898 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 15:57:00 ID:H+CAAXJN
訂正
違いなんだ(涙)」→違いないんだ(涙)」
アンチ直江同盟仲違いwww
899 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:00:51 ID:H+CAAXJN
>>896 こちらがソース出して、じゃあそっちもソース出してと言うと
ソース回答できないから
必死にオウム返しをして逃げようとするようになったら、
いよいよ末期症状なんだよな。
それと擁護側が執拗にやたら粘着して持ち出してきた
下記の件のソースはまだなの?
養子の秀包を廃嫡してまで
毛利への養子を阻止した隆景に同調し
招かざる秀秋に抗議して
椋梨氏、梨羽氏、浦氏、小泉氏らは
全員足並みを揃え隆景の隠居に同調して、
隆景に従い三原に付いて行くことで豊臣政権に異議を唱えた。
そしてソースを求められたら俺は知らない。お前が調べてだせよ!
という超ビックリ展開w
これを突っ込まれたら
>>809で
また黙殺を決め込んでまったく関連性のないレスで逃げる始末・・・
結局、隆景の凄さなんてソースがまったくないから
900 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:04:09 ID:KycGSTVl
>>899 話逸らさんでいい。
>>888が全てだよ。
傍証とやらの正確性を示すソースが提示されれば、
この議論はスグに完了するんだからさ。
901 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:06:12 ID:cIUK6Gk8
ふと思ったんだが柴田勝家や武田信繁や北条氏照や片倉重綱とかもさ
凄さを証明出来るエピソードってパッと浮かばないよな。柴田なんて瓶割った
逸話くらいしか知らねーわ
よく知らんけど一次資料ってーのは誰のおかげでこの合戦勝ったとか誰のせいで
負けたとか軍記物みたく分かり易く書いてるもんなん?
902 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:07:35 ID:DjRYoDFk
>>899>>900 さぶが出してる話にソースを求めたほうが先だと思うが、
そのあとサブが「結局隆景の功績は捏造。カス。無能」など
と言うから荒れたんだろう。
>>809で話がそれたのはさぶにも
原因がある。
さぶも史料絶対視するなら、カス、無能の証拠を一つくらい
出してやればいいだろ。
903 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:11:34 ID:H+CAAXJN
>>900 アホが。
お前の言ってることはちゃぶ台をひっくり返してるのと同じだ。
904 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:11:57 ID:KycGSTVl
>>902 >カス、無能の証拠を一つくらい出してやればいいだろ。
そんなものはいらない。
また話がそれるだけ。
>>888をよく読め。
要求してるのは、『傍証とやらの正確性を示すソース』
905 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:13:49 ID:H+CAAXJN
まぁ逸話レベルの話ですら、
当方が指摘しない限り
永久に逸話だとわからなかったくらいの無知だからな。
906 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:14:18 ID:KycGSTVl
>>903 言い訳ですかね?
議論の本源的なトコだろ。
オマエさんがそのソースを出せば、全て完了する話だ。
907 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:16:24 ID:H+CAAXJN
>>904 さんざん長い間にわたり要求されてきた内容について
自分がソースを一切出せないからってもう必死だよねw
攻撃が最大の防御とか思ってんの?w
908 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:18:01 ID:KycGSTVl
909 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:19:37 ID:H+CAAXJN
じゃあめんどくさいから傍証はぜんぶウソということでいいよ。
俺の負けを認めるよ。
だから隆景の凄さのソースをいい加減に出してくれよw
隆景の凄さを証明できれば、どのみち隆景の無能さは掻き消えることになるんだしね。
俺は別に執着してない。ただ隆景の有能さの証拠が知りたいだけなんだ。
910 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:20:05 ID:cIUK6Gk8
ここでソースのAAを出すくらいの余裕が双方欲しいところ
911 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:28:46 ID:KycGSTVl
>>909 それでは、以下はウソでしたって事でww
今後、同内容のものは書き込みされる事がないわけだ。
>それでやったことは主家を売って秀吉に土下座外交で
>毛利の天下の可能性の芽を潰しただけ。
>秀秋を迎えて主家から自立し
>輝元にさんざん暴力を働き蔑ろにしまくり
>それを見た吉川まで当主の方針に従わなくなる雰囲気作り。
>この隆景の所業の結果、関が原で毛利大減封の時限爆弾設置w
遡ってもらえば分かるが、隆景の有能無能について触れた事はないから。
後は、他の人と議論してよ。サイナラーww
912 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:32:45 ID:iZxbBKFg
お互いソースなくて無能なだけな事が判明しました
姉小路良頼>>>>>>>>>>>>>>>兼続・隆景
913 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:40:06 ID:cIUK6Gk8
お互い決定打ナシか・・・糞つまらん
はっ、まてよ、もしかして信長秀吉家康信玄謙信も実は有能だと
いうソースなかったりして・・・
914 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:44:29 ID:H+CAAXJN
だから隆景の凄さのソースをいい加減に出してくれよw
隆景の凄さを証明できれば、どのみち隆景の無能さは掻き消えることになるんだしね。
俺は別に執着してない。ただ隆景の有能さの証拠が知りたいだけなんだ。
915 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:46:31 ID:H+CAAXJN
>>913 なんで
>>1から続くいろいろな傍証についてぜんぶ証明していかなきゃならんのだ?
どんな罰ゲームだよ。そんな膨大な量のソースを
一から調べて書くなんてめんどくさいことやりたくねーし。
そんなの1冊や2冊の史料で書ける内容じゃねーよ。
どうせ次から次へと、どんどん要求を永久に繰り返すつもりなのは明らかだしな。
なんせ900レス以上あるんだ。
>>892で毛利厨の常套手段として書いたように
それのどれを書かなくても「逃げた」とか言い始める罠なんだろうが。
そんな暇ねーよ。お前は史料を調べた経験がないから、そんな傍若無人な要求ができるんだ。
俺はたまに今日みたいに時間がある日もあるが
基本的に1日か2日おきの深夜の一時間くらいしかカキコミしてねーくらい忙しいんじゃ。
お前みたいな常駐野郎とは違うわ。
916 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:49:26 ID:H+CAAXJN
無能説を打ち消すに足る隆景の功績をはやく羅列してくださいね期待してますから。
917 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:49:34 ID:+Yz72aYB
>>913 他はともかく、秀吉と家康は天下取ったからなぁ。それも否定するんなら存在自体を否定するに等しい。
>>901 一次史料ってのは当時の手紙とか日記とか感状とか。感状は「よく頑張った」って表彰する訳だから判り易い。
手紙や日記は誰がどういう立場で書いてるのかに依っては嘘だってあり得るから判り易くはない。
918 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:51:34 ID:H+CAAXJN
現状もっとも信頼おけるものだし
それを基本に同時代史料や他家一次史料との比較をするんだよ。
その文書が出された背景や意図、政治や制度や組織や文書形式でいろいろとわかってくる。
自慢じゃなくて史学において言わば一次史料は基本中の基本知識。
そして発言において根拠として引用足り得る。
919 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 16:56:52 ID:JWVpMYCg
隆景無能説なんて、あるんですか?
920 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:08:23 ID:DjRYoDFk
さぶという在野の学者が唱えてるよ
921 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:09:06 ID:H+CAAXJN
>>776の
秀秋と輝元養女の婚礼(宍戸元秀の娘で元就曾孫)により、秀秋に子供が生まれたら元就の血を
引いていることになるわけで、嫌々ながら権力者に毛利が媚びたと中傷するのはどうなのかと思います。
この辺の論議や
>>851における
史実
1597年6月12日に隆景死去。
この際、まだ秀秋は朝鮮に出兵してない。
陰徳太平記
その死を高麗釜山浦に御座す金吾殿にも知らせた
なぜ隆景が死んだ次期に秀秋のいた場所を改竄する必要があったのか?
なんていうのを
もっと議論しようと思って史料集めしてたけど
相手のレベルが低すぎてバカバカしいから止めるわ。
922 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:23:48 ID:DjRYoDFk
それ気になったけど本当に朝鮮から帰国してたのかね。
5月22日の時点では秀秋は朝鮮にいる。
隆景が死んだのは6月12日。
5月22日に京都にいる秀吉が早々の帰国を命じてるけど、
それが朝鮮に届くまでどのくらいかかり、秀秋が帰国でき
るまでどのくらいかかるのか。
だからといって陰徳太平記を信用していいとは思わないけど。
ただ、たしかに宍戸氏を妻としているので「卑しい血だ」とか
いう理由はおかしいな。
923 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:27:49 ID:cIUK6Gk8
さあ1000までになんらかの結論が出るのであろうか
そもそも結論とはなんなのだろうか
vs直江はどこへ行ってしまったのだろうか
924 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:35:15 ID:cd8RclvK
>>921 これからはともかく今までのものなら史料提示くらい簡単にできるはず
ところで
>>776が
>>921の文章なら
>>777も
>>921の文章となる
そこで
>>777の
秀秋へ譲った際に松野主馬入道道円は隆景家臣最強の武人と言われており
隆景旗本でしたが、隆景は特に名指しで付け家老として秀秋を頼むと懇願してますね。
清水景治 日野景幸 草刈重継 三好新兵衛 村上景親 国司元信 林宗重 杉元武
隆景筑前下向後に被官化した小金丸式部丞 王丸藤右衛門 問注所小兵衛尉 樋口越前守など
そうそうたるメンバーが秀秋の元に残ってるし、
松野に経歴ついてもそうそうたるメンバー説についても
>>785が否定してるし
>>810のあげた
隆景家臣にも名前がない
これはどう解釈すればいいのかな
まさか史料以外のものからの引用したのがばれたので得意のスルー?
まさかね
さんざん史料史料と連呼しておいてそんなわけはないよね
ぜひとも史料名を提示してw
925 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:39:19 ID:DjRYoDFk
>>924 その話、家臣たちが三原に移った時期も不明だから
あまり意味がないかと。外様か譜代かはともかく、
隆景時代も重臣だったと解釈して別にいいのでは。
926 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:40:28 ID:H+CAAXJN
927 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:48:50 ID:DjRYoDFk
そもそも大名の小早川と陪臣の直江。しかも関ヶ原を経ずに死んだ
隆景と関ヶ原で減封となった上杉を支えた直江を比較するのって難
しいんだよね。
関ヶ原も別に東軍についた大名が家康の勝利を予見していたわけで
もなく、西軍についた武将が負けるのを分かって義に殉じたわけで
もない。東軍についた大名はほとんどが会津征伐についていって、
そのままだから。だから加増された武将がすごくて減封になった武
将がカスだなどという単純な話じゃない。
928 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:53:36 ID:cIUK6Gk8
>>926 おっ、良さげだねその本。その系統で各家の武将の伝でも出してくれればあり
がたいんだが・・・大河化でもされない限り売れないのかねぇ
929 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 18:00:44 ID:cd8RclvK
>>925 重臣にはとても解釈できそうもないメンバーがそうそうたるメンバーと紹介されてるようで腑に
落ちない点はあるが、三原に移った時期が不明なのであまり意味がないというのは同意できる
ただし松野の経歴については
>>777と
>>785でまったく違う内容になっている
これはちょっと間違えたというレベルじゃない
ぜひとも引用元の史料名を
>>777と同一人物である
>>921は明らかにして欲しい
930 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 18:13:51 ID:DjRYoDFk
いや、
>>924に挙がってるメンバーが本当に秀秋のところに
残っていたら、隆景時代の重臣層も残っていると言っていい
と思うよ。結局、隆景は小領主時代からの譜代だけを連れて
隠居した(といっても五万石)んだから不満があったという
論にはつながらない。松野がどうのというのもあまり意味が
ないと思うが。逸話でも不満があったという話は聞いたこと
がないから、そもそもこの話をすべき前提条件もない。
>>928 地方の医者がこれだけの研究本を出したのがすごいよ。
史料も膨大に載ってるし。よく収集したと感心する。
これ一冊あれば「ソース出せ」と言われてもほぼ出すことが
できるよ。
931 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 19:28:45 ID:cd8RclvK
>>930 たまたま偶然重臣以外のメンバーをあげて彼らをたまたまそうそうたるメンバーといった
だけという解釈ですか
これについてはさっきも書いたように腑に落ちない点はあるがまあ同意
松野の件は意味大ありでしょ
捏造だなんだの連呼して史料史料といい続けてるのが
>>921 同一人物である
>>777によると
秀秋へ譲った際に松野主馬入道道円は隆景家臣最強の武人と言われており
隆景旗本でしたが、隆景は特に名指しで付け家老として秀秋を頼むと懇願してますね。
普通に解釈すれば昔から隆景のもとで数々の合戦に出て武功も家中一番かそれに近い人
旗本というからには譜代家臣のそれも小早川家中においては家格の高い家系
>>785によると
古代氏族系図集成によると松野家そのものは西美濃の出だし父松野平八からして
秀吉配下で丹波三百石。父死亡後に遺領を継承し羽柴秀俊の与力になり秀俊の
小早川入りに従っている
元来隆景配下とか初耳でどこからそんなトンデモ経歴を引っ張ってきたのか気になる
秀秋の小早川家入りについてきた人
まるで別人
どちらかが捏造してることになる
もちろんどちらも間違っている可能性もある
932 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 20:39:16 ID:DjRYoDFk
個人的には松野の話は明らかなsubの誤りだと思うので、subを倒す
スレでもなければどうでもいい話だと思うけど。
まぁ、自信のある説なら何かソースを持ってくるでしょう。
そもそも三原について行くことが不満の表れという話はどこで出たん
だろうね。言い出した人の推測なんだろうか、説があるのだろうか。
秀秋は朝鮮に出兵して、隠居しても隆景が小早川領を見る必要がある
だろうから、自身も大老として忙しいこともあって、それなりの者が
周囲に必要なんじゃないか。知行は秀秋領でなく、隆景領から与えて
いたのかも不明。不満なのに昇任や西国の要は引き受けるという矛盾
した行動。このへんを考えると、「不満だから隠居説」にはまだ課題
が多いと思う。
「毛利家に卑しい血を入れたくない」なんてのより「秀吉の養子を迎
えることで豊臣政権内での地位を高めた」ほうがずっと武将として高
度な判断だと思うんだけど。
933 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 22:18:02 ID:cd8RclvK
>>932 「秀吉の養子を迎えることで豊臣政権内での地位を高めた」といわれると
それもそうだなという気はしたが
あらかじめ言っておくけど史料は読めないのでwikiなどから
沼田小早川
正平
┣━━┓
繁平 女子━小早川隆景
竹原小早川
弘景 毛利弘元
┃ ┏━━┻━━┓
弘平 興元 元就━┓━乃美氏(小早川弘平の娘または興景の娘)
┃ ┃ ┃ ┃
興景━女子 隆景 秀包(隆景養子)
┃ (興景養子)
隆景(のち沼田家も継承)
┃
秀包
沼田は小早川茂平の三男雅平が初代、竹原は小早川茂平の四男政景が初代で両小早川家は同族
秀包は隆景の実弟で毛利元就の子ではあるけど小早川家の血を受け継いでいる
小早川家一門や譜代家臣からすれば秀包の代になれば実は母系とはいえ小早川家の血に戻るわけ
わざわざ秀包を廃嫡して他家から跡継ぎ養子を迎えるというのは明らかに不自然じゃね?
ちなみに沼田小早川の繁平にも竹原小早川の興景にも子はいない
当主が豊臣政権内での地位を高め家臣もそれなりのおこぼれあったしても肝心の当主があと何年生きられるのか
隆景がいつ死ぬかはこの時点ではわからないけど秀秋を養子にもらった時は隆景62歳なのでどうみても
あと30年は無理
ちなみにこの時秀包は27歳
俺がってのもおこがましいがもし一門衆や譜代家臣の立場だとすれば余程の事情がないと納得できなくね?
隆景死後は豊臣家からの養子が当主になるわけなので自分の代、または子の代での小早川家内での
立場は豊臣系家臣の下になるのは誰にでもわかることじゃん
934 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 22:55:14 ID:i0K65Qa5
直江兼続って名外交官だけど軍師としての才は微妙だから隆景と比較してはかわいそう。
比較するなら鍋島直茂、片倉景綱あたりが妥当かと。
935 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 23:20:23 ID:DjRYoDFk
政治的な理由で嫡男がいるのに養子を迎えるのは直江も同様だから
実は似てるかもね。秀秋を迎えることが隆景のみに恩恵を与える訳
ではない。秀秋と毛利家の血を引く子が家を継げば、豊臣家一門と
して、小早川家自体の家格が上昇する。小早川家を介して毛利家も
豊臣家に連なる。秀包には悪いけど、政治的にはメリットのほうが
大きい。
秀吉は東国の要である家康とも婚姻関係を結ぶわけだし、政略とし
ておかしい話じゃない。家臣は分からないけど、秀秋を迎えたこと
で昇任している隆景が嫌々だったとは思えない。
936 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 23:32:12 ID:hNeVPHqM
>>934 隆景は軍師ではないのでは。
片倉は軍師かも。いわゆる参謀の意味でなく。神社の出だから占いとかで
きるでしょう。
兼続もまじないを研究してるから軍師的な性格もあっただろうが
どっちも家宰ぽくはあるけれど、小早川は違うしな。
938 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 01:50:55 ID:sIDBdu0v
ずいぶんレス数伸びてるけど、
>>911は良いね。
これでsubのウザイ煽りを見る事もなくなるわけだ。
1000超えたら、とぼける可能性あるから、関係レスを残しとくわ。
939 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 08:24:54 ID:+dLgSIfy
ものすごく根本的なこと書くよ
そもそも小早川隆景の領国についてなんだが筑前など30万7千石と後の隠居領筑前5万石のみじゃないよ
小早川隆景は毛利領内の備後三原などにおいて6万6千石を四国攻めの功により伊予、九州攻めの功により
伊予から筑前転封以前より領有してるし死ぬまでずっと領有のままなんだよw
だから隆景隠居時に
>>810が列記しているような一門・譜代の多くが隆景についていったのは当たり前のこと
一方で隆景の代から仕えた外様の多くは筑前において土地をもらっていたのでほぼ秀秋付きになるのも当然のこと
before
小早川隆景37万3千石+小早川秀包7万5千石
after
小早川隆景11万6千石+小早川秀包13万石
小早川秀秋30万7千石
小早川隆景は筑前など30万7千石を秀秋に譲り三原に隠居(毛利領内6万6千石は隆景領のまま)してるけど
毛利領内の備後三原など6万6千石は秀秋に譲っていない
小早川秀包は筑後久留米7万5千石だったけど1593年に5万5千石を加増され筑後久留米13万石に加増
なおこの時期まだ文禄の役は継続中で豊臣諸将は出征兵中、秀包嫁の実家大友家は同年に文禄の役での
不始末により豊後1国まるまる改易されてたりする
ちなみに隆景死亡後におきる遺領問題は筑前隠居領のことではなく備後領のこと
これらを踏まえて秀吉の養子・猶子の進退をみて欲しい
秀吉の養子・猶子は秀次、秀勝、秀俊、秀家、秀康、胡佐麿の6人
秀家は1581年(82年説もある)に宇喜多家の家督を継いでるので豊臣家の後継者になるには他が全員
死なない限りない
1589年5月 豊臣鶴松誕生
1590年7月 秀吉の養子羽柴秀康、結城晴朝の養子となり家督相続
1590年12月 秀吉の猶子胡佐麿(実父は正親町天皇の第5皇子誠仁親王)、八条宮家が創建され当主となり
翌年1月親王宣下を受け智仁親王となる
1591年9月 豊臣鶴松死亡
1591年12月 豊臣秀吉、関白を辞任
1591年12月 豊臣秀次、関白に補任され同時に豊氏長者となる
1592年4月 毛利秀元、秀吉から毛利家継嗣として認められる
1592年9月 豊臣秀勝(信長の四男のほうではなく、秀次の実弟で岐阜宰相のほう)、病没
1593年5月 小早川秀包加増により筑後久留米7万5千石から5万5千石を加増され筑後久留米13万石
1593年8月 豊臣秀頼誕生
1594年11月 秀吉の養子羽柴秀俊、小早川隆景の養子となる
小早川秀包、領国そのままに別家を建てる
1595年7月 関白秀次高野山に追放され死亡、小早川秀秋の丹波亀山領改易
1595年11月 小早川隆景、筑前など30万7千石を秀秋に譲り三原に隠居(毛利領内6万6千石は隆景領のまま)
秀吉、小早川隆景に隠居領としては異例の5万石(しかも軍役免除)を筑前において与える
鶴松が生まれたことにより養子の整理が始まる
まず、徳川家康の次男だが信康が死んでいるのでこの時点での家康の長子であり羽柴秀吉の養子でもあった秀康
1590年5月
下総結城の結城晴朝、好を秀吉に通じ、其子を養嗣子と為さんことを請ふ、秀吉、養子羽柴秀康を与ふることを約す
1590年7月
秀吉、結城秀康をして、養父晴朝の家督を相続せしめ、之に五万石を宛行はんこと等を徳川家康に慫慂す、
是日、家康、之を諾す、尋で、晴朝、家督を秀康に譲り、江戸重通の女を養ひて、之に配す
記録によれば随分と都合の良い時期に都合の良い人が都合の良い人を養子にくださいと要請した結果、ということに
なっている
下総結城家といえば関東において名家であり、徳川家にとっても徳川家後継者問題に片が付くわ結城家が徳川の
血縁になるわといいこと尽くめな話
ちなみに当時の結城家には1577年以来朝勝(結城家の縁家である宇都宮広綱の子)という養子がいた
どこかで聞いたような話だw
次に、胡佐麿がこれまた都合の良い時期に武家である豊臣家から宮家に戻り親王宣下を受けている
ところがここで鶴松死亡
落胆したのかもう実子後継者は無理だと達観したのか直後秀次に関白と氏長者を譲る
940 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 08:34:20 ID:+dLgSIfy
>>939の続き
ここからは仮定の話
秀勝は秀次の実弟だし秀家は宇喜多家当主なので除くとして秀康と胡佐麿を羽柴氏からはずしておいて
秀俊だけを例外扱いで羽柴氏のままにしておいて関白秀次を後継者と定めるだろうかってこと
晩年の耄碌しかけた秀吉ならともかく政治的センスの塊のような秀吉がこのような片手落ちをするだろうか
時系列から推測するに1590〜91年あたりの遅くとも秀次が91年11月権大納言に補任される前までには通説で
言われているような「実子のいない毛利輝元に秀俊を養子としてどうか」の打診があったのではないだろうか
1594年まで小早川家養子入りが伸びているのは82年生まれの秀俊の年齢のせい(この時代の幼年期死亡率は
貴賎問わず高い)
実子のいないという意味では同列の毛利家小早川家だけども、はなから小早川家というのは岐阜宰相秀勝や
備前宰相宇喜多秀家と比べても石高としてかなり低いし、羽柴姓まで与えている継嗣秀包を認めないということにもなるし、
結城家に次いで小早川家も同じパターン(既に継嗣養子がいる大名家からのたっての頼みにより)となると他大名
家への政治的影響度を考えれば不自然すぎる
1592年4月11日
羽柴秀吉、安芸国広島城へ到着し城内外を巡覧
秀元殿、羽柴秀吉へ礼儀を献上
羽柴秀吉、輝元・隆景の内々を受けていた薬院・安国らの言上により右京大夫秀元を輝元の跡継と承認する
大閤様、輝元・隆景両人の間柄を日本一と褒める
1592年4月13日
右京大夫秀元、隆景様・安国寺に宛てて起請文を提出
また、大閤様より毛利秀元の身上について指示があり、毛利輝元に実子が誕生した場合の遵守を誓約
1592年の秀元公認直後に秀吉の指示によりわざわざこんな起請文を作成しているのはこの時点で輝元がまだ39歳で
あり側室も多く今後実子が生まれる可能性がまだまだあったからで、そのことは秀吉も毛利家も充分わかっていた
ではわかっているのになぜ継嗣養子を公認したのだろうか
つまり、毛利家は小早川隆景領のうち「筑前領のみ」を差し出す変わりに秀元継嗣公認を得て羽柴家による養子問題を
かわし、小早川秀包の加増と別家承認、毛利輝元・小早川隆景の位階昇進による毛利家の公的立場の上昇を引き出した
1592年広島においての秀元公認は1590〜91年において羽柴家・毛利家・小早川家において決められた約定の確認としての
セレモニーであったと考えるとどうだろう
1593年に秀頼が生まれているのでややこしくなってるんだけど、このように考えればもともと毛利輝元の養子であった
秀元を1592年の時点で公認しつつわざわざ直後に実子できたらこの話は無しという起請文を作成する理由もわかるし、
1593年の秀包の加増と94年別家承認もわかるし、1595年に関白秀次死亡・秀秋丹波亀山領改易直後にも関わらず隆景の
筑前領30万7千石を秀秋が継げた理由と隆景に与えられた異例の隠居領5万石ももわかる
941 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 11:09:19 ID:eA8JKAEC
そもそも1592年に秀吉が毛利領を通ったのは朝鮮出兵のため。
輝元はこの前に朝鮮へ向かっている。
毛利家の事情からシンプルに考えれば、万が一に備え
て臨時の後継ぎを決めておいたというほうがしっくりくる。
代わりに小早川家に入るという話が決まっていたなら、この後2年
も養子入りまで間隔が開くとも思えない。隆景もいい年なんだし、
朝鮮で何かあれば秀包が継いでしまう。
ちなみに秀元も羽柴安芸侍従なので、秀包と同じように羽柴姓
をもらっている。
秀吉の側から見ると、東国の徳川を牽制する存在が必要。ただ、
毛利は家格上上杉にも配慮する必要がある。だから小早川を引き
上げて二家合わせた形で徳川に対抗する勢力にしなくてはいけない。
そう考えれば秀秋を小早川家にやったあと、「東は徳川、西は毛利・
小早川」と秀吉が命じたのとも合う。
942 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 11:46:01 ID:QA5JqSPp
てか隆景さんの話ばっかで飽きた
外交窓口やら大友とか東の勢力と戦ってたとか四国攻めとか朝鮮出兵とか五大老とかもうわかったから
兼続の話しようぜ
兼続はよく内政での実績が伝えられるけど
武功は長谷堂撤退以外何かあるかな?
943 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 11:57:04 ID:L8EdLNzJ
直江の武功って
軍船による佐渡攻略や新潟(新発田)攻略とか巷では言われるが、実際どうなんだろう?
どっちかって言うと「戦う」イメージより「政治的に調略」するイメージか。
同世代の上杉で「戦う」イメージは安田とか本庄とか岩井とか藤田とかかな?
944 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 12:26:45 ID:me/xWLWu
>>942 長谷堂城の戦いって結局かなりの損害出した負け戦だからなあ。
兼続は外交交渉戦しか向いてない気がする。
945 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 12:44:09 ID:fX7umctT
実際には軍記物のようにはやられてないけどな
946 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 16:09:40 ID:QA5JqSPp
義風堂々だとバケモンに描かれてるな>兼続
佐渡攻めとか大阪の陣とかもあるし戦は野戦は上手かったんだろう
そこまでパッとした勲功はないけどコツコツやってる感じ
947 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 19:53:30 ID:pCD9B/3A
義風堂々なのに刈田狼藉するとはこれいかに
948 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 19:59:17 ID:fX7umctT
当たり前の行動だから。
949 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 21:18:11 ID:yBWL1CtE
上杉軍を勝たせるのが直江さんのお仕事。
950 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 21:28:04 ID:FBcVUA36
綺麗な狼藉だからOK
951 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 21:38:10 ID:KZEBz9Wr
直江の話始まった途端にスレのレベルが落ちたな
952 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 21:53:03 ID:2sPF9bVg
大河ドラマ・小早川隆景クランクイン
主演・恵俊彰だったら制作費8割は抑えられるな。
954 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 22:29:03 ID:FBcVUA36
スレタイからして低レベル向けのスレじゃん
955 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 22:53:44 ID:me/xWLWu
>>952 現代の反日思想派をマスメディアから一掃しないと絶対無理だそれw
天地人よりひどいことになるw
956 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 00:46:36 ID:Q6rUxA/a
>>951 隆景の功績が挙げられないから話をそらしたいんだろね。
めずらしくSUBが譲歩したのも、
SUB自身が隆景の功績を知りたがってたゆえの
交換条件みたいなものだったのに裏切ってるのが痛い。
>>788=
>>790の方もそれに言及してる。
>>あとやはり隆景の実績を史料で提出しないと話が成立しないと思います。
この点がまったく書き込まれません。
これは致命的な状態です
しかも自信満々な発言なくせに、
>>
>>785によると古代氏族系図集成によると
やっぱり相変わらず自分で史料出さず・自分で調べたんじゃなくて他人の土俵で相撲を取ってるだけだし。
>>WiKiにも松野主馬は秀吉配下って書いてますね。誰か別な人と勘違いしてるのかも知れないですね。
このレスの後になんの言及もなく終わった話をいまさら蒸し返したりしてるし。
中立性ある人間をみんなSAB認定したりと隆景擁護側が荒らしのようにみえる。
ちなみに俺も史料出せんが、少しでも議論が生産的になるように
あくまで参考レベルだが一応
俺が読んだことがある小早川秀秋の悲劇という本にも
松野主馬についてのみSABが書いたのと少し似たようなことが書いてあった。
そんで検索してみたら
http://www7.ocn.ne.jp/~sengoku/tenka/tenka13.html#1 上記の個人サイトも参考にならんかもしれんが松野重元を隆景の臣みたいに書いてあるね
おそらくこの人の父を誰と推定するかで変わってくるんだと思う。
兄弟や父がそれぞれ違う主に仕えている例ってのはけっこうあるからね。
秀吉の天下平定後に両属扱いとかよくあるし。
タイミングがわからんね。
957 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 01:02:30 ID:Q6rUxA/a
>>926の書籍の
武事や外交に記述や
蔵書・詩文・茶道・砲術・軍法書・財政及び徴税・植林及び治水
採鉱冶金・交通機関・殖産興業・勧 農
これらを直江がやってたとなると隆景の功績がわからない状態じゃ
直江と比較しようがないんじゃないの?
これらをみると圧倒的に直江の方が能力ありそうだけど。
長谷堂での追撃の被害言っても、
信長が浅井長政の裏切りで撤退した時や
毛利軍が北九州から撤退した時に大友から追撃をうけた時など
やっぱり大被害を受けてるわけで、直江が特筆されるような被害を受けすぎたとは言えないと思う。
また長谷堂の籠城にしても、長谷堂スレに下記のような事例もあるが
別に政宗がだからと言って無能とは思わないし。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1248431666/347 直江を貶しても隆景の評価が上がることに直結しないと思うがいかに?
958 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 01:55:04 ID:3BluBEt9
半独立性と所領からして直江以上という評価が妥当
959 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 02:25:21 ID:PfxoyduW
自演乙。
逸話でもいいから直江さんの軍功上げてくれ。
内政ならTERUでもできる。
960 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 02:33:53 ID:1KwUWwFI
直江の方は
>>926みたいな本が出てるから軍功も拾い易いんじゃね?
俺は良く知らんがなんも無いってことはねーだろうし
隆景の方はまとまった伝って出てるんかいな?堂門やPHP文庫しか出てないんじゃね?
書簡集見ても軍功拾うのは偉い手間だろうしな
961 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 07:59:25 ID:SgKy2R43
実際、直江は最上を攻め落とせなかった上に退却してるんだからその点はマイナスでしょ。
軍略に明るい武将ならあそこまで手こずらずに落とせたはず。
最上側は指揮官はそこそこ優秀だけど、立花道雪や高橋紹運のようなトップクラスの武将は
いなかったし、兵数も圧倒的に優位だったんだから。
小早川隆景も撃退されたけど、相手が強かった上にそれほど兵数差も無かったからマイナスでは
あるけど、直江よりかは戦上手でしょ。
962 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 08:50:10 ID:hKp3krPA
こういう議論になるときりないよな。
最上武将<立花、高橋
とか
どっちが戦上手は上とか戦ってもいないのに証明しようがない。
長谷堂合戦の話は軍記物に毒されすぎだし。
963 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 09:17:22 ID:1KwUWwFI
>>961 立花道雪や高橋紹運のようなトップクラスの武将
ゲーム上ではな。
功績とされるものほとんどが家祖マンセーの立花文書にしか無い
964 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 10:14:43 ID:BfPUY3DD
下半身付随パパや玉砕パパより宗茂のが凄い件
965 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 10:31:40 ID:HDhkOUi+
>>956 古代氏族系図集成は系譜史料の集大成のようなものでかなりの優れものな資料。
もちろんこの書に載っている系譜が完全に正しいというわけではないが江戸時代以前の
系譜を確認するにはまずこの書を調べてみるのが早い。
本だろうがwebだろうが、古代氏族系譜集成によれば○○家は・・・ という記述があれば
まずその系譜に間違いはないと考えるのが普通。
それくらいの準一級資料。
史料を出せ捏造するなといつも声高に叫ぶsubが松野主馬について自信満々にどこからか
拾ってきた大嘘に基づいてこう語っていたのが失笑ものなだけ。
「秀秋へ譲った際に松野主馬入道道円は隆景家臣最強の武人と言われており
隆景旗本でしたが、隆景は特に名指しで付け家老として秀秋を頼むと懇願してますね。」
>ちなみに俺も史料出せんが、少しでも議論が生産的になるように
>あくまで参考レベルだが一応
>俺が読んだことがある小早川秀秋の悲劇という本にも
何を書いたのか自分でわかっているのか?
恥ずかしすぎるのでもう止めろよ。
小早川秀秋の悲劇なんて参考レベル以前の時代伝奇小説。
著者の故笹沢佐保氏を貶める意図はないがこの人は伝奇小説作家だ。
伝奇小説を参考にするくらいなら、根拠は司馬遼の時代小説キリッと言い切る人のほうが
よほど信憑性がある。
つーかこれが参考レベルになるのなら戦国BASARAですら立派な参考資料で、大河ドラマ
篤姫や直江兼続は非の打ち所のない歴史検証番組になる。
おまけになんだよそのサイト。
>上記の個人サイトも参考にならんかもしれんが
参考になるわけない。
史料検証サイトですらなく、ただのweb小説サイト。
966 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 11:51:19 ID:tF3/BwUg
兼続は盛り上がらないのか
やっぱ隆景のが話題になるんだな
967 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 14:58:22 ID:SArpZJAu
このスレに関していえば兼続には粘着荒らしが居ないのが原因だ。
968 :
人間七七四年:2010/06/16(水) 08:39:44 ID:+tcwg/z4
直江は有名だけど、小早川ってどういうとこが文化人として
評価されているんだろう。
969 :
人間七七四年:2010/06/16(水) 08:52:17 ID:jLhzHz5g
じゃあ俺がSubの代わりに1000いくまで兼続の粘着やるからよろしく
あとageますね
兼続なんて景勝を傀儡にした奸臣じゃんw
偉そうに直江状とか送りつけて負けたらジャンピング土下座www
十倍以上の兵持ちながら田舎の城一つ落とせないヘタレっぷり
大した功績もなく上杉家を牛耳って衰退させて最悪だな
苦し紛れに自分の悪名が残らないように書物編集なんかして見苦しすぎるwww
そんな趣味に没頭してる暇があるなら働けよヘタレ
うむ、すっきりした
970 :
だぅ:2010/06/16(水) 08:57:51 ID:lVh0cDig
智謀が足りないよな
971 :
人間七七四年:2010/06/16(水) 10:46:36 ID:jU4vIsRI
直江は主君に対する忠義が評価されて有名になってる感がある、もちろん戦も政治もそれなりに
こなせるからこそ、秀吉に気に入られたんだけど。
小早川は今でこそ知名度はないけど、外交や家臣団の統率能力に優れていて、実務面では直江よ
り若干上と見て良いと思うよ。
ただ、晩年の行動が本人の意思通りなのか、それに反するのかで評価変わると思うけど。
972 :
人間七七四年:2010/06/16(水) 10:57:09 ID:Sq9kGtdp
>>969があまりに無知な書き込みすぎて、釣りを狙うsubの
自演にしか見えないな。
973 :
人間七七四年:2010/06/16(水) 11:49:46 ID:jLhzHz5g
むしろSubより頭悪そうな文になってる
974 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 23:32:22 ID:+3ysBRk+
兼続の勝ちだな
975 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 08:59:22 ID:1DlZ22/5
ざっとスレ読んだが
姉小路良綱>>隆景>>兼続 でおk?
976 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 10:13:34 ID:EPfPLpeF
でも逸話の虚像と違って実際の隆景って功績ない人なんでしょ?
なんで兼続の方が劣ったって判断できるわけ?
>>926のリンク先を見ると兼続はオールラウンドプレイヤーで超優秀じゃん。
977 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 10:32:12 ID:uqa5ynJa
功績など無かたのに縁故のみであの経歴と思いたいならそれでもいいんじゃね?
俺が見つけた歴史の真実としてぶっとんだ仮説を声高に主張したくなる厨な時期もあるさ
978 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 10:55:39 ID:EPfPLpeF
兼続の交渉力もすごいと思う。
会津転封でも金山のある
庄内や佐渡を引き続き領有させるのを
認めさせたり。
神指城
ttp://www17.ocn.ne.jp/~aizua/page010.html 豊臣家では、中央の大坂城、西の広島城、東の神指城の計画があったとみられます。
3月18日、家臣団や、常陸国の佐竹義宣(よしのぶ)家臣300人の応援を受け、築城を
開始します。このころから上杉と佐竹とは親密となります。
神指城は、平面図からも若松城の2倍、約55haの面積を有し、
毛利輝元(121 万石)の広島城に近い形をした本格的な近世
城郭を目指していたことが分かります
御館の乱でボロボロになった上杉を
ここまで引き上げたのも兼続の才覚によるものでしょう。
>>977 ここのスレのレス内容を
>>1から読んだら縁故としか思えないけど。
979 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 12:23:07 ID:uqa5ynJa
>>978 元就の息子という縁故で敵対していた他大名家が遠慮する義理なんて無いでしょ
毛利家にしても元就の息子という縁故だけならなら他にもたくさんいたわけだし10歳かそこらで
他家へ養子として行った人に本家の差配をそれこそ隆景が死ぬまであれこれやられる理由も無い
って言うか本当に1から読んでいたとすれば兼続と優劣比較する事自体(立場が違うので)が
スレタイとは反するが無意味だとわかると思うんだけどね
980 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 13:58:27 ID:P6CZC2RD
武勇や家臣の統率では立花親子に劣り、智謀では尼子経久、宇喜多直家に劣り、
政治能力では北条家、今川家に劣り、外交では直江兼続に劣る。
小早川隆景はそんな武将です。
981 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 17:16:28 ID:UT5SPzq5
451 :人間七七四年:2010/06/17(木) 23:09:30 ID:2EZSViyD
毛利隆元が父元就にあてた
『弟たちは私を助けようとする心がけなど微塵もありません。
吉田にやってきても直ぐ自分の領地に帰りたがるし。
何につけても隆元をのけ者にして、二人だけでヒソヒソとやっているのです。』
と、愚痴を綴った書状は有名だが、これに対する元就の返書は意外と知られていない。
それに曰く
『今朝、書状を拝見しました。元春、隆景についてお前が思っていること、よくわかった。
本来なら馴れ馴れしいほど親密であるべきなのに、だんだんと疎遠になっていくと言うのは
本当に困った事だ。
しかし隆景の奴はお前だけでなく、私に対してもだんだんと疎遠になって来て、
腹の立つことが多いのだ。私でさえそうなのだから、お前がどのように考えているか
良く解るよ。怒るのももっともだ。
ただ、元春に関しては昔から細々と付き合うことをしない性格だったからなあ…。
あいつに関しては、仕方ないとあきらめろ。』
次男吉川元春、どうも家族の中でも浮いた性格だったらしい。
と言うお話。
453 :人間七七四年:2010/06/18(金) 06:31:21 ID:pL5B0t0w
>>451 細々と付き合う事をしないとは言っても
現に隆元は>隆元をのけ者にして、二人だけでヒソヒソとやっているのです
と感じている訳だから実際元・隆景ラインができてたんだろう
まあ隆元が生きてる頃は隆元が弟達と疎遠だったおかげで
隆元 対 元春・隆景という形が出来ていたから
それなりにうまくやってたけど、
輝元の頃にはどっちが宗家の舵を握るかで吉川と小早川のパワーバランスが崩れて
元春と隆景の仲がだんだん微妙になってしまった
982 :
人間七七四年:2010/06/20(日) 05:52:21 ID:+zB7/J9W
983 :
人間七七四年:2010/06/21(月) 02:09:37 ID:FNPKRmxc
隆景が秀吉と内通して毛利を売り払おうとしてるのに
どのタイミングで元春が気がついたのか興味あるね。
それで暗殺を避けるための四国征伐拒否ったり。。
結局、無理やり出陣した九州征伐のドサクサに元春親子が殺されてしまい自立嗜好の隆景に都合がよい広家さんが継ぐわけだ。
そして隆景は自立し、同調した広家公も関が原で毛利を売ることに成功しその功績で岩国領主になれたわけだな。
広家公も演技派の策士だよな。
984 :
人間七七四年:2010/06/21(月) 10:14:34 ID:WBG469fW
直家「身内売るとかマジ引くわ」
985 :
人間七七四年:2010/06/21(月) 12:10:53 ID:H8M3VtGT
梅雪「マジで同意」
986 :
人間七七四年:
政宗「身内殴るとかありえないわなw」
家久(悪)「だよねーwww」