結局、毛利輝元って何がしたかったの?

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952人間七七四年:2010/09/20(月) 18:00:35 ID:svZupRAl
それにWiKiの知識だけしかないみたいだから言うけど
6/15に秀頼から金2万両と兵糧2万石を上杉征伐資金として下賜されてから出陣
6/20には三成→直江宛
輝元・秀家其外無二之味方に候と言っていて
7/1に秀家が豊国社で出陣式する際に東殿局(吉継の母で高台院側近)が来ている。
7/12に佐和山で三成・大谷・安国寺・増田が会談
このように6/15にはすでに輝元がやる気満々なのがわかっており
7/1には秀家と大谷の間ですでに出陣式までやらかしてる
秀家と安国寺と大谷に三成は引きずられている格好になっているのがわかる。
そして5大老No.2の毛利がいないと家康と勝負にならないのは明らかで
最初から輝元が総大将と決まって秘密裏に準備していたからこそ、
7/17にはすでに大坂城西の丸で総大将就任をして諸大名の妻子を人質に取ってる。
それと武断派七将のうち
伏見の家康と大坂の前田が武力衝突寸前になった時
前田邸
加藤清正・加藤嘉明・細川親子・浅野親子
徳川邸
福島正則・黒田親子・池田輝政
が集まっている。
関ヶ原後に三成を除いた場合は家康に確実に従いそうなのは池田くらいなもん。
黒田如水は長期戦になると予想して動いてる喰わせモノだし、福島・加藤・池田はかなり仲がいいから
池田も中立的になりかねない。
他にも蜂須賀や生駒や東海道豊臣恩顧なんかも中立化や人望があった加藤に付く可能がある
953人間七七四年:2010/09/20(月) 18:03:32 ID:svZupRAl
>>948
三戦板と戦国板に該当松川スレが存在している。
これ2ちゃんの基本中の基本だが?
もしかしてガイドラインも理解できん荒らしだったのか…
あと毎回似たような実例を挙げない「俺はこう思う」内容の駄文レスを執拗に繰り返さなくていいから。
パワーバランスとか大名領国制を連呼するの飽きたから。
そんな脳内設定で論破した気持ちになってるだけでなく
まともにちゃんとこちらの数々の質問に答えて欲しい。
954人間七七四年:2010/09/20(月) 18:11:57 ID:E5vEdfVv
パワーバランスで考えて武断派は家康の奴隷
大名領国制だから毛利領内は兵力ゼロでカラっぽ
多くの「出展」を調査した結果、毛利は4万?5万?は動員
ガイドラインなんてシラネましてや松川スレなんて俺シラネ

はい俺スゲェー論破w

さすが夏だねぇ〜w
955人間七七四年:2010/09/20(月) 18:19:35 ID:svZupRAl
訂正>>952
×このように6/15にはすでに輝元がやる気満々
○このように6/20にはすでに輝元がやる気満々

君は三成→直江宛書状を明らかに知らないで書いてたから変なレスをすることになる。
これはWiKiには書いてないからわからないよね。
当然、九鬼の件もWiKiに書いてないからわからないで書いたから詳細を求めると逃げはじめてるんだよね?
956人間七七四年:2010/09/20(月) 18:21:20 ID:E5vEdfVv
パワーバランスで考えて武断派は家康の奴隷
大名領国制だから毛利領内は兵力ゼロでカラっぽ
多くの「出展」を調査した結果、毛利は4万?5万?は動員
ガイドラインなんてシラネましてや松川スレなんて俺シラネ

はい俺スゲェー論破w

さすが夏だねぇ〜w
957人間七七四年:2010/09/20(月) 18:46:01 ID:E5vEdfVv
パワーバランスで考えて武断派は家康の奴隷
大名領国制だから毛利領内は兵力ゼロでカラっぽ
多くの「出展」を調査した結果、毛利は4万?5万?は動員
ガイドラインなんてシラネましてや松川スレなんて俺シラネ

はい俺スゲェー論破w

さすが夏だねぇ〜w
958人間七七四年:2010/09/20(月) 18:52:42 ID:1/d90aZ9
毛利家が一丸になってれば互角の勝負は出来たんだ。
つまり隆景&元春が生まれてなければ良かった。
959人間七七四年:2010/09/20(月) 19:55:29 ID:JB4kIMk8
>>951
パワーバランスって・・・はぁ〜
あの時点では人のふんどしで相撲を取って勝ったに過ぎないんだよ
豊臣家大老の資格でもって豊臣系諸大名の中で反石田に組する諸大名をまとめあげ、関ヶ原に
おいて豊臣系諸大名同士の戦闘に追い込んで一方の旗頭だっただけなんだよ
これ自体が凄い事だという点はわかっているつもりだ
ただ史実で見ても関ヶ原の勝利を豊臣家の大老としてでの勝利ではなく徳川家の勝利へと摩り替え
ることに成功したのは大阪城西ノ丸に居座る毛利輝元と西軍諸大名をどうにかしてからなんだよ
関ヶ原に勝っただけでは全然不足なんだ
ここまでは理解できるかな?
で、一連の流れで大阪城に毛利輝元が立て篭もったらという仮定話をしているわけだよね
大阪城に毛利輝元が立て篭もれた時点で大阪城本丸の豊臣氏は明確に西軍支持ということになる
こうなってしまうと徳川家康の根拠って何になるの?
そこは不問にしてあなたの言う歴史の流れだwパワーバランスだwとかで東軍諸大名があの時点で
全員徳川家に乗り換えたとするでもいいよ

で、以下の話になる

>毛利からするとカラの本国を侵食されたらもたない
だーーーーーーーーーーかーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーー
どうやって(あなたの認識ではなぜかいうカラになってる)本国に侵食するのかを聞いてるんだよ
山陽道においては兵も馬も空気でも吸っていれば元気はつらつになって鉄砲の弾も矢もそこらへんの山に
でも生えているのか?
仮に東軍が備前岡山城付近まで進軍しえたとするよ
児島湾に毛利水軍が来て旭川と吉井川のラインで補給線を絶ったらどうなるの?
水軍皆無な東軍軍勢は早々に立ち往生することくらい子供にでもわかるでしょう
寸断するのは播磨姫路付近の市川や夢前川でもいいし立野あたりの揖保川でもいいし赤穂の千種川でもいい
山陽道ってのは海路から主街道をどこでも寸断可能なんだよ
歴史を見ても、制海権がなかったから羽柴秀吉も来島水軍を味方にするまで播磨から西進不可能だった
平家は一度九州に落ちたのに制海権があったので播磨まで再度盛り返せた
足利尊氏も九州に落ちた後に安芸・伊予水軍を味方にして播磨に逆上陸できた
迎え撃った新田楠木軍はどの地点に足利軍が上陸するのかを把握し損ねて敗れた
960人間七七四年:2010/09/20(月) 20:36:56 ID:mJr72ymO
>・なぜ外様の毛利が領国の危険をおかしてまで大坂に籠もろうとするのか。

毛利の領国に危険はなく、かなりの加増なり官位の昇進が望めるから

>・なぜ東軍優勢という圧倒的世情を無視し大坂に籠城すれば旧西軍、武断派などの支援を受け入れることが前提なのか、
また、他家のために危険な賭けをすることへの毛利家臣団の不満や動揺がなく一致団結できるということになってるのか。

豊臣政権の内紛にすぎない関が原では東軍も西軍も、家康以外は豊臣系。
親三成か反三成かの違いにすぎず、秀頼への叛意はない。
他家のために危険な賭けは関が原で経験済み。

で、質問なんだけど、
どうして豊臣家滅亡まで関が原から15年もかかったのか説明してくれ
961人間七七四年:2010/09/20(月) 21:59:01 ID:6qYZh1v6
>>953
>三戦板と戦国板に該当松川スレが存在している。
>これ2ちゃんの基本中の基本だが?

は?輝元籠城に関してなどそのものずばりのスレが存在してるだろう。
そのものずばり同じことを目的としたスレが二ついらないというならわかるが、
同じ板で限定されたことを話してる中、どうしても話題がかぶることがでてくるのは
当然のことでスレ違いでもなんでもない

>伊達厨が現在進行形で荒らしてる。

ことを表向きの理由にしてるが、
品がないあおりを繰り返してるID:wlMMMIMsに一つの注意もしないことや
自身の言動が煽りや罵声にみちてるものを考えたら、
その理由に説得力を感じない

「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」

なんて妄想してる人たちにとっては西軍のもう一つの雄が
実際にはブルって逃げて引きこもってるという実態が厳しく糾弾されると困るんだろうなw
962人間七七四年:2010/09/20(月) 22:25:44 ID:6qYZh1v6
>>952
>6/15に秀頼から金2万両と兵糧2万石を上杉征伐資金として下賜されてから出陣
>6/20には三成→直江宛
>このように6/15にはすでに輝元がやる気満々なのがわかっており

毛利は元々意思統合がうまくいっていない
輝元の側近の福原広俊は家康に通じる
これは輝元自らが能動的に二股をかけてる可能性も指摘されてる
三成→直江宛の書状の出典は武辺咄集で信憑性も低く偽者である可能性も極めて高い
旧参謀本部編纂の関ヶ原の役ではその逸話をとりあげながらも用いらず
六月二十日から七月二日の間で三成主導のもと謀議が企てられたと結んでる

>それと武断派七将のうち

なぜ毎度のごとく武断七将を引き合いに出し続けるのか
豊臣に恩も感じず所領拡大と安堵のためだけに行動してる
そのほかの有力大名のことは考えてないのか?
しかも武断派っていっても本当の子飼いは福島、加藤清正、
それと小身の加藤嘉明くらい
縁戚でいえば浅野くらい

仲がよかったり人望があるから、圧倒的に不利なことをする側につくとか中立につく可能性とか
おまえ馬鹿だろ
99%の人間はそんな曖昧な理由で向かい風に立ち向かうことはありえない
963人間七七四年:2010/09/20(月) 22:46:58 ID:6qYZh1v6
>>959
>あの時点では人のふんどしで相撲を取って勝ったに過ぎないんだよ

家康が主導し名目ともに総指揮官であったから史実でも天下人へのきっかけをつかんだ
といえるんじゃないか
東軍勝利で西軍はドバーッと東軍に寝返るか萎縮する
そこまでの影響力があったことは歴史的に見てもたしかだし
その流れの中で武断派やらなんやらが表立って逆らう行動にでるとは思えない

>徳川家の勝利へと摩り替え
>ることに成功したのは大阪城西ノ丸に居座る毛利輝元と西軍諸大名をどうにかしてからなんだよ

毛利の処分が重要事項だったことに異をとなえるつもりはないが、
毛利だって西軍勝利や安国寺敗死によって吉川や福島など徳川派の勢いがますことになるだろうし、
領国第一の毛利に危険を冒して大坂に立てこもる必然性もない

あえて毛利だけは大坂に立てこもることができるという仮定にもとづいても
萎縮したり寝返ったりしてる西軍や中立派において他の大名で毛利の支援をするようなところは
ないだろうからおそらくは孤立あるのみ

短期的なにらみ合いでしばらく粘り有利な講和条件を探るというならまだ現実的かもしれないが
徹底抗戦とか本気でおもってるなら、領国に根付いてないともたない大名の性質上無理で
下から瓦解する可能性も高いだろう。

>だーーーーーーーーーーかーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーー
>どうやって(あなたの認識ではなぜかいうカラになってる)本国に侵食するのかを聞いてるんだよ

4万も5万も出兵し大名や主要家臣がいずれも出払ってるところにどれほどの余力が残ってるんだと
想像してるのか?

>山陽道ってのは海路から主街道をどこでも寸断可能なんだよ
>歴史を見ても

なんか水軍を万能で無敵な存在だとおもってるようだが
海上では優位を確立してた榎本艦隊は陸上権力を圧倒的に抑えられた状況で
最後は孤立していきずまったよな?
制海権は陸上権力で孤立した勢力の切り札にはなりがたい。
だいたい水軍が無敵でいかなる陸上勢力も手の施しようがないなら、
毛利だの豊臣だのみたいな陸上勢力になびくわけがない。
元々は外様である毛利水軍がわけがわからん行為をし続ける主家に
いつまでも従順なままであるという前提も疑わしいし

そもそも水軍にしろ直参の徳川水軍をはじめ九鬼などほかの水軍衆も控えており
他の水軍を動員することも可能な上、山際を行軍する手もある
侵食されたら即刻終わりと停滞の可能性があるではどちらが有利かはっきりしてるだろ
964人間七七四年:2010/09/20(月) 23:08:06 ID:6qYZh1v6
>>960
>毛利の領国に危険はなく、

関ヶ原後の状況は反徳川にとって敵だらけ
西軍はどこも意気消沈したり寝返ってる中積極的な見方もえれない
「かなりの加増なり官位の昇進が望めるから」なんてノー天気なこといってられる場合か?
これで危険がないと考えることは理解しがたい

>豊臣政権の内紛にすぎない関が原では東軍も西軍も、家康以外は豊臣系。

は???

>親三成か反三成かの違いにすぎず、秀頼への叛意はない。

大名は常に秀頼への叛意より自家の生存を最優先する

>他家のために危険な賭けは関が原で経験済み。

多くの家では東西両方に味方して保険をかけたりそれなりに強かにやってるんだが
張本人である上杉や毛利ですら決着がついた戦後はぐうの音もでない有様
多勢きまってなお危険な賭けにでる馬鹿はいない。

>どうして豊臣家滅亡まで関が原から15年もかかったのか説明してくれ

豊臣家滅亡は臣下の礼を取らなかった豊臣家にも原因がある
家康自身が最初から豊臣を滅ぼす前提だったかどうかも分からない

そうじゃなくても将軍の世襲による幕府の恒常性については早い段階から決めている
きちんと権力の継承を示している
965人間七七四年:2010/09/20(月) 23:38:10 ID:JB4kIMk8
>>963
あのさー、人の話を聞かないにも程があるだろ
いい加減にしてくれよ
元々は、大坂城に毛利輝元が立て篭もったら が前提の話だろ

関ヶ原の結果を知ってもなお大坂城滞在組&大津組&関ヶ原敗退組&日和見組のいくらかを
少なくとも大坂城に篭城できる兵規模はまとめあげて大坂城に立て篭もることができたわけだ
そして立て篭もるには本丸である豊臣氏の許可も当然必要となる
つまりこの時点で豊臣家は徳川家と敵対宣言したに等しく、徳川家康が東軍諸大名を率いてきた
名目は完全に消えるんだよ

この点をいい加減理解してくれよ

あとね、いい加減にどうやって侵食するのか少しは具体的に書いてくれよ!!
旧国名の日本地図わかんない><っていうのなら現在の○○県の○○市から展開とかでもいいからさ
信長の野望じゃないんだから隣国にクリック1回で進めるわけじゃないんだよ

>海上では優位を確立してた榎本艦隊は陸上権力を圧倒的に抑えられた状況で
>最後は孤立していきずまったよな?
榎本艦隊に例えるなら江戸城と江戸湾〜函館にいたる海域全てを保持してる状態ってことなんだけど^^;
それと、どこで知った歴史なのか知りたくもないけど、榎本艦隊は船を事故で失ってから孤立していったんだよ
それに、榎本艦隊に多少でも対抗可能な艦隊は薩長側にあったよな
当時の瀬戸内においてどの水軍が多少なりとも対抗できるんだ?
>そもそも水軍にしろ直参の徳川水軍をはじめ九鬼などほかの水軍衆も控えており
徳川水軍ってw
おいおい遠州灘すらろくに越えられず伊勢湾から九鬼による東海道補給線寸断にすらろくすっぽ対処
できなかったあの徳川水軍がなんと遠州灘を越えて伊勢湾も越えて紀伊半島沖も越えて回航してくるの?
しかも根拠地もないのに????????????????
笑いすぎて腹いたくなった
九鬼ってw
親子で潰しあった直後の水軍がねー。さぞや船・人ともに充実してるんでしょうね^^
で、根拠地はどこにあるの?
まさか根拠地すらもたない海域でずっと浮きっぱなしなの?
へーへーすごいねwwwwwwwwwwww

>元々は外様である毛利水軍が
基幹になってるの児玉や粟屋などはおもいっきり譜代なんですけどね

>侵食されたら即刻終わりと停滞の可能性があるではどちらが有利かはっきりしてるだろ
ごたくはもう見飽きたらから大坂城と大阪湾、瀬戸内が敵側の状況下において、海に沿ってる山陽道の
各城に対して具体的にどれだけの規模でどう展開しえたのか書いてくれよ
966人間七七四年:2010/09/20(月) 23:45:03 ID:0fn8YXnz
>大阪城に毛利輝元が立て篭もれた時点で大阪城本丸の豊臣氏は明確に西軍支持ということになる

ということは、大阪城本丸の豊臣氏は明確に西軍支持をしていないから大阪城に毛利輝元が立て篭もることはできないな
史実どおり毛利輝元が退去してお終い
原因と結果を無理矢理逆転させてまでIFを妄想しても意味がない
967人間七七四年:2010/09/21(火) 00:19:49 ID:bGIIYjaY
>>965
>元々は、大坂城に毛利輝元が立て篭もったら が前提の話だろ
>少なくとも大坂城に篭城できる兵規模はまとめあげて大坂城に立て篭もることができたわけだ
>そして立て篭もるには本丸である豊臣氏の許可も当然必要となる

は?人の話きいてないのはおまえだろ?
何度も幕末の朝廷のように無理矢理押さえ込まれる可能性もあるってかいてんだが?
そんな非合理な行動にでるのに一番高い可能性は暴走くらいだと

>>966もいうように豊臣家をふくめそんな危ない賭けにでそうな大名が
皆無の事実をまず認識しような

>いい加減にどうやって侵食するのか少しは具体的に書いてくれよ!!

そちらの前提になってる
「(関ヶ原後においても)10万近い軍勢を動かせる輝元」
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
らの非現実的で超楽観的な妄言に具体性があるとでも思ってんの?

唯一言えることは毛利家自体が全国情勢から孤立しかねないような情勢であり、
毛利水軍とだけでこれを食い止めることはもちろん不可能
全国から孤立した極めて脆弱な地盤の状態で「水軍がある」だけでもつと考えるほうが不可解
この場合東軍にとっては毛利領を荒らしまわりさえすれば領国にしがみつかなければいけない
大名としてもつわけない
こんな滅茶苦茶な状況いくら主家でも水軍衆だって見限る可能性もあるだろう
義理も薄い村上系は特にそう

関ヶ原後に籠城して徹底抗戦なんてそんだけありえない方策だろうってことだ

>榎本艦隊は船を事故で失ってから孤立していったんだよ

事故がおきたら一巻の終わりであったていどの脆弱な地盤しかもてなかったから
破綻したんだよ
全国から孤立するってこういうことだ

>徳川水軍ってw
>九鬼ってw

水軍が遠くに遠征することもままあること
第一当時水軍を統括していた各大名が次々と降伏してるような情勢の流れを無視してもらってもこまる

時代の流れを無視して戦前ありのままの情勢が続くと思ってるオメデタイ妄想
毛利が第一目標にする領国の維持に一番ほどとおいとおもわれる逆風のなかを
あえて進むとことをありとする妄想力

かなり重症だな
968人間七七四年:2010/09/21(火) 00:26:08 ID:bGIIYjaY
>>965
>ごたくはもう見飽きたらから大坂城と大阪湾、瀬戸内が敵側の状況下において、海に沿ってる山陽道の
>各城に対して具体的にどれだけの規模でどう展開しえたのか書いてくれよ

こういうふうな意味で具体的をもとめる発想は戦前の西軍の勢いがあったころの情勢がそのまま続くことが具体的
な状況設定だとおもってんだろうな
地殻変動おきてんのにそれを考慮できない馬鹿
969人間七七四年:2010/09/21(火) 00:41:22 ID:bGIIYjaY
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが 、
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡している。
ただでさえ両軍に援軍を派遣するなど中途半端な対応をしていた大名は、
合戦の影響で東軍になびくのも必定。

関ヶ原の戦勝で明らかな地殻変動がおきてるのは明白な事実であり具体例
んで、論功行賞だの毛利の退去によってはじめて東軍の影響力が増大したとか
いってる人たちはなにか具体例あげたのかな???
なんの具体例があってそんなこといってんの?
970人間七七四年:2010/09/21(火) 02:42:46 ID:HuzloqMY
>>上杉征伐と西軍挙兵のタイミングも示し合わせていた
もうね。唖然とするよ。兼続と三成の謀略ってNHK大河の知識だろwww
>>上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡
そもそも逃亡だったら上杉軍は崩壊してて知名度高い武将が死んでるはずだよねw
情報収集して次の手を打つべき上杉の宰相たる立場で前線にいるわけにいかないでしょ。
撤退戦の指揮の手腕に兼続は敵である義光や家康にも激賞され
旧日本陸軍参謀本部の『日本戦史』でも撤退戦の見本とされてる。
>>962
>>武辺咄集で信憑性も低く偽者である可能性も極めて高
28時間半もかけてやっと返答か。いろいろと必死にネット検索してたんだろなw
あのな、偽書と言われてたのは戦前まで。それは上杉家の史官を勤めていた伊諫早謙が
同じ出所の6/20・7/14の2通を偽作だと断定したので引きずられたに過ぎない。
輝元・・秀家などと名で呼ぶとか秀頼公御内意候と言った文面が当時の常識で使われるはずがないということ。
しかし真田昌幸宛ての長束・玄以の書状に「西の丸へ輝元被移云々」
増田が直江に宛てた「景勝様御内意」点了斎宛ての政宗書状「大坂へ内府公御入城」
など使用されてるのがわかっており、他の部分も偽作とされた根拠に
完全に否定された論拠が会津陣物語出典の「三成と兼続の共謀」と解釈されうる場所があったからで、
これも解釈次第で共謀と取られない解釈が可能だから偽作と断定されなくなった。

>>ミスリードを招こうとする書き方
勘違いするな。九鬼の件、情報操作だミスリードだと主張してるんだからちゃんと日付を含めソース出せと言っている。
そのお前の発言…妄想垂れ流しは逃げ発言でしかない。
>>969
証明もせずに九鬼の件を再び持ち出すんだからなおのことタイムスケジュール明示義務が生ずる。
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
ほとんど何も知らんアホが唯一、根拠として挙げて得意がって何度も書きこみ連呼してるのがこれだけだね。
じゃあ書いてみようか。まず関が原開戦が9/15
家康の目付け石丸雲哲がいた九鬼守隆は9/7に桑名の氏家軍を襲撃し感状をもらってる。
そして九鬼嘉隆は鳥羽城を堀内氏善に任せての岩出山攻めへ
事態は推移してついに守隆と嘉隆の鳥羽城下市街戦が開始される。
堀内氏善も守隆に破れ五ヶ所方面へ落ちていくなど嘉隆側が敗走することになる。
嘉隆側の考えでは新宮城で善後策を練るつもりだったが落城しており
堀内氏善も捕虜となっていた。嘉隆は已む無く答志島の潮音寺に撤退。
その後、娘の婿の青山豊前守の家がある紀州熊野へ逃げた。
家康は嘉隆死刑宣告していたので父の助命を武断派の福島や池田に働きかけて家康の了承を取り
守隆は死なぬように使者を飛ばしたが機先を制して豊田五郎右衛門の独断で青山豊前守を使いにやり
大ウソの「助命されることはないから子のために自刃しろ」と勧め
10/12嘉隆は自刃を了承して移動の準備をして答志島潮音寺に戻り死んだ。
一日の差で自刃してしまったことを聞いて激怒した守隆は
残虐刑の鋸引きで首を斬り奸臣豊田五郎右衛門を殺した。
これくらいしか俺は知らんが
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
お前の言う上記の内容が成立するように、日付や状況を史実に照らして付け加えてもらえないだろうか?
特に日付は重要なポイントだ。
めずらしく唯一挙げた根拠の実例の九鬼についてさえこれじゃ、
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。

971人間七七四年:2010/09/21(火) 02:47:34 ID:HuzloqMY

関ヶ原後に大阪城に乗り込んで論功行賞を取り仕切り、征夷大将軍宣下、秀忠に2代目将軍職譲渡、
秀頼の関白就任を阻止し、大坂冬夏の陣によって豊臣家を滅ぼした徳川家康像を元に語ってる
関ヶ原直後の徳川家康ではないんだよね。
征夷大将軍となって武家を統制する権利を得たわけでもない家康に
三成征伐後も豊臣の主家を無視して武断派が家康に従うと決めつけたり
大坂を無視して補給も無視して山陽道を播磨備前備中備後安芸と突き進むビックリ妄想戦記が理解し難い。
いまだ一度も負けてない毛利軍を持つ西軍総大将として責任を取らされる毛利が必死に抵抗すると考えるのは当たり前だし
(戦後に毛利家中が岩国の吉川を非難したことからもわかる)
宗茂や秀包など大坂で再編して抗戦を主張してたんだから
それが武威をもって鳴る者にとっては勝算がある方策なのは明らか。
毛利が改易したら、配下の国人達もどうなるかわからない不安感しかない。
山内一豊の下での旧長宗我部家臣だった一領具足の人たちの例を出すまでもない。
長宗我部や島津も以前に増して一生懸命戦うだろう。
長宗我部や立花なんて毛利が大坂を明け渡したせいで改易しちまうんだし抗戦したかったはずだ。
美濃攻略を主導した福島は尾張にいるんだし
東海道も豊臣系ばかりであり清正らと協力して家康に圧力かけたら江戸と大坂の遮断で家康を孤立させることができるほど
武断派は政治軍事的に家康より有利な立場にいるんだぜ?
そもそもそんなに武断派が家康に従うと主張するなら
彼らは率先して上杉再征伐に志願するはずだし
清正や正則らは豊臣滅亡の策を家康にアドバイスするんじゃねーの?
なんで高齢でいつ死ぬかわからん家康が
加藤や浅野らが死ぬまでアクション起こせなかったのか説明できないじゃないか。
逆に加藤らは家康が死ぬのを待ってたのは家康だって薄々わかってたんだし。
清正や如水が決死の柳川籠城中の宗茂を助命したのも
戦後の対家康戦略を考えていたからで
清正らが島津攻めをやって九州統一完成させるのに焦った家康が止めたほどだ。
関が原どころか大坂城明け渡し後ですらこんな調子だ。
明らかに武断派が家康の味方をするつもりはない。
やらなかったのは老人の家康より清正が先に死ぬと想定してなかったから。
関が原で豊臣子飼いの武将中心で三成を討ったくらいで、
だれもかれもが家康になびくかってーの。
もし多くの大名が家康に臣従してたなら、将軍になるまで3年、孫娘を嫁に出し、
豊臣を滅ぼすまで15年、家康はどんだけのろまなんだてーの。
豊臣家には厳然たる権威があり、輝元がその気なら大坂籠城は効果的。
輝元の地元まで家康軍が遠征する余裕なんてないって
972人間七七四年:2010/09/21(火) 02:52:57 ID:HuzloqMY

蜂須賀も生駒もガキは家康から上杉征伐の時に「御陣の手習い」と称して拉致られ強制的に連れていかれただけで
上杉に恨みはないし、さらに上杉どころか三成攻めにまで使われ、完全に騙された形。
その証拠に生駒は西軍の田辺城攻めに派兵してる。
蜂須賀は秀吉への恩があるから東軍に協力したくなかった。だが嫡子を家康に連行されて人質にされた。
だから大坂方に詰問されて、阿波の兵は大坂方で自由に使って欲しいと言った。
だから大坂方と毛利で阿波に乗り込んで兵を動員した。
困った蜂須賀は高野山へ出家することで中立宣言し嫡子を救う策としたに過ぎない。
こんな無理やり騙されて上杉征伐に連れていかれた大坂方に恨みがない彼らが
補給線がまったく確立してない無謀な広島攻めやら秀頼様の大坂攻めのために
一致協力して長期戦を諍いや方針を巡って争わずに協力できるのかね?
そもそも毛利領がカラと断言するのは小田原征伐の時の北条みたいな亡国の存亡だと称しての
対象年齢まで書いての総動員のような書状でも見つかったんかね?
水軍衆が裏切るに至るほど、瀬戸内海や毛利領のどこにそんな不利が存在してるわけ?
毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても簡単に同じ結果になると想定するのが理解し難い。
さらに都合がよいことに補給の心配なく江戸も大坂も広島も攻めれるし
その理由はそもそも武断派も西国もみんなすぐに家康に降伏するから大丈夫って言う子供並みの説明。
総大将は無傷で大坂でがっちり安定。しょせん三成は前線指揮官であって前線派兵部隊が敗れたに過ぎない
宇喜多秀家17000も動員してるのに
別家の小早川秀秋15000と同じ毛利秀元15000しか動員してねーし。
ちなみに吉川広家3000 安国寺恵慶1800 石田三成 6000
この兵力差でどうして三成が指揮を独裁できると主張するのかわからん。
首謀者の三成が指揮の権利すらなかったのは、小早川秀秋隊が先に布陣してた軍を登って排除して布陣したり
毛利全軍の指揮も島津への指揮もできないからはっきりしてるじゃん。
西軍総大将は毛利。でさ、毛利征伐に誰が行くわけ?
まぁ100%武断派が家康に従ってるとして家康の手勢は巨大な惣構えの大坂包囲に投入するわけ?
武断派がいくら志願したって使えないよね。
ただでさえ、関が原での武功がほとんど武断派によるもので
戦功を上げた彼らの発言力は高く、恩賞もやらなければならない。
でも関が原の恩賞の結果、武断派の大加増をせざるおえなかったのは
家康の失策であり、そのために彼らが肥大化し西国への恐怖から城郭を作り大坂城との分断を図ってるわけ。
さらに毛利領征伐に彼らを派遣して武功をあげたら彼らの加増はとんでもなく大きくなる。
だから使えない。
じゃあ、家康の手勢を2つに分けるわけ?大坂の惣構えの包囲に
どんだけの兵力と金や米と時間が必要なのかねぇ。
さらにこの基地害は数カ国の平定が補給も気にしなくてよいほど楽勝なんだとw
大坂包囲しながら、中国地方全域の平定の兵站まで維持するとか神だね。
さらに北九州の小早川秀包や立花宗茂領まで平定しないとだね。
加藤は島津が牽制してるし。如水は関が原の時点では
まだ豊後の大友再興軍にやっと勝ったくらいでしかないし。
これじゃ平定まで何年かかることやら。家康は毛利領の大半を剥奪しないと恩賞も与えられないのに
どこまでみんなは従ってくれるのかな?
まっその前に武断派が秀頼様を蔑ろにして
家康に従うこと自体がえっ?なわけなのだけれどね。
973人間七七四年:2010/09/21(火) 02:58:08 ID:HuzloqMY

秀吉の中国征伐がどんだけ時間を喰ったのかわかってる?
包囲だけで大土木事業やってるんだぜ。秀吉の中国侵攻が進み始めたのは以下の条件が全て整ってからだ
それまでは播磨姫路に橋頭堡を築けたものの上月尼子は捨て殺し別所裏切り荒木謀反とほぼ侵攻できていない
まず、第2次木津川で大阪湾の制海権を織田が握りその後石山本願寺降伏
次に、備前宇喜多が毛利から返り忠をして備前美作備中は混乱(ほんの数年前に美作三村と備前
宇喜多のどちらかを今後も援けていくかで毛利家中は揉めに揉めて結局宇喜多を選んだ。その余燼が
収まらないうちに当時の毛利家からすれば宇喜多の返り忠が起きた)
更に、村上3水軍の中で来島村上が羽柴についた(能島、因島に本拠地攻められて来島水軍は織田水軍の下に移動)
この後でようやく、だ 。山陽道ってのは海路から主街道をどこでも寸断可能なんだよ
歴史を見ても、制海権がなかったから羽柴秀吉も来島水軍を味方にするまで播磨から西進不可能だった
平家は一度九州に落ちたのに制海権があったので播磨まで再度盛り返せた
足利尊氏も九州に落ちた後に安芸・伊予水軍を味方にして播磨に逆上陸できた
迎え撃った新田楠木軍はどの地点に足利軍が上陸するのかを把握し損ねて敗れた
>>「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄
詳細情報がまったくわからず混乱し錯綜としてたから、西軍の主要な指導者の生存不明。
毛利は何やってんだ?ってことで全力で中央情報を確実に手に入れるべく
それぞれが情報が集まる政庁や拠点に向かったりしてるだけ。会津どころか米沢よりさらに北方にいて
時は金なりという急ぎ情報を手に入れたい・・・逐次やってくる報告を辺境で待ってる馬鹿宰相はいない。
西軍総大将の毛利輝元が手勢を持って大坂から出兵し、立花や島津や長宗我部らの
敗残兵の収容をして宇喜多秀家の生存も判明し、大坂籠城を開始したと聞いたら話は変わる。
三成排除した武断派からして秀頼公からお褒めの言葉をいただこうと思ってるんだから。
宇喜多も朝鮮出兵組だから武断派から嫌われる理由もない。
そもそも総大将毛利の土下座の影響ははかり知れない。
なにせ豊臣政権の最古参重鎮の1人だ。というよりも一緒に政権を樹立したと言っていいほどで
大坂城に次ぐ規模の広島城の築城を許され西国警備を任されている
豊臣政権内での地位の保証が毛利の隆盛の保障である以上は死守する方向になる。
そして上杉よりも古い。しかも家康1人が大老と違い
輝元だけでなく小早川隆景まで五大老になって政治を主導してた。
秀吉の四国や九州遠征や関東攻めに協力して豊臣政権の当事者と言っていい。
豊臣政権の西国責任者が隆景と輝元だったんだ。
総大将だったからタダで済まんかったじゃないか。
そもそも関が原の恩賞に毛利領剥奪は必須なのは毛利側も理解してるはず。
毛利本領+小早川秀包領+安国寺伊予領までの大領土を奪われて輝元死刑だ。
驚いた吉川が家康に泣いて土下座して
吉川が受ける30万石安堵の権利を譲渡する約束を取り付けたから
一命を救い輝元出家を条件に
嫡子への新たな加増による家康と新体制毛利の主従関係の成立となったわけだ。
輝元が家康に敵意を持ってたのは大坂陣などで密かに大坂援助を繰り返し
吉川にキレられたりしてる行いから明らか。
大坂籠城が孤立で援軍がない?瀬戸内海制海権がある大坂城はいくらでも食料や疲労兵と新規兵の入れ替えも自由にできるわけだが。
本来なら、大坂を明け渡して土下座したとしても
毛利改易輝元死刑が絶対に阻止できる保証がなかったわけだが。
吉川が毛利領安堵と輝元の罪を問わないと言う井伊らの約束を盲信して騙されたから降伏したわけだ。
戦国の口約定なんてなんの信用もないのに
家康からの約定の文書すら貰わずに盲信する輝元の惚けヘタレぶりもすごいが。
的確な参謀や謀臣がいたら最悪、輝元死刑や毛利改易が想定され、
最悪を免れても大減封になり、その急激な縮小で毛利財政も崩壊すると予見でき
毛利本隊が無傷なのに一戦もせず降伏するより
瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策するのを推奨するに決まってるだろ。
974人間七七四年:2010/09/21(火) 03:03:03 ID:HuzloqMY

応仁大乱では各地の有力大名が手兵を率いて上洛して京で戦闘を続けておりながら
残された守護代が兵をかき集めて、敵陣営に唆された庶流や旧支配者や寺社や宗教関係のやつなどによる
奪い合いをして泥沼化してた。 まぁゲリラ消耗戦は南北朝の騒乱でもそうだが古今搭載戦争での常套手段だわな。
上杉にしても如水にしても大坂城が落ちるわけないと思っているから長期戦を考慮にいれた戦略を取っている。
常識的に明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで
家康長期出兵中で留守どころか戦争継続の長い補給を強いる暴政は
関東旧支配で没落した数々の国人達の方が都合がよいわけだ。
一方で大坂城はいくらでも資金援助が可能。
なんせ関ヶ原後に家康が必死の大坂方の金を浪費させようとして
各地の寺社の復興や祈願で大量の資金を援助させたがぜんぜん平気だったどころか
大坂夏の陣でさえあんだけの抵抗力を発揮。
長期戦になれば若い輝元や秀頼より老人家康の方が健康に不安あるしな。
しかも三成征伐後の家康は豊臣恩顧の東海道筋も警戒対象だし
中山道でも豊臣恩顧の仙石どころか最大の敵たる真田籠城組までいるんだから補給は寸断される。
阿波は大坂方が蜂須賀至鎮から阿波兵を自由に使ってよいと許可を受けて接収してるから阿波水軍まで使えるわけだが
大坂湾と瀬戸内の制海権が敵側にあることがどれほど脅威になるのかは石山本願寺vs織田を見ても明らか
そもそも大坂城内の金銀財宝や米などが腐るほどあってビックリした家康は
必死に浪費させようと全国の神社仏閣の修理費負担させまくって財力を消耗させようとしたくらいの資金力があったからね。
特に論功行賞で豊臣直轄領70万石程度になってたのに15年経ても牢人衆を大量雇用しまくる財力と
明らかに負け組なのにあんだけの抵抗力を保持していたからね。
そもそも15年以上経とうが大坂城の堀を埋める謀略に成功してなかったら落ちなかったかも知れんわけだし。
絶対的防御力を持つ大坂城籠城をする限り毛利が負ける要因は全くないし、
それはこの時代の誰もが知っている厳然たる事実。
力攻めしたら一方的に大損害を蒙るだけなのに、
いまだ自立できず豊臣を守ると言う大義を掲げて
権威を利用しなきゃ諸大名に正当性を保持できない家康に
三成憎しで関ヶ原勝利の功績を挙げた武断派豊臣恩顧大名が従って大坂城を攻める納得できる理由がまったく出てきてない。
関ヶ原で勝った家康に絶対に従うと言う理由しかないのでは説得力はまったくない。
関ヶ原での他力本願の家康の勝利でみんなが従うなら
その後のすべて…15年をかけての家康の公家対策や豊臣潰しの政治外交努力がまったく意味のないものになる。
975人間七七四年:2010/09/21(火) 03:11:02 ID:JRyv7cdK
毛利が篭る大阪城なんぞ攻めんでも落ちるわ
976人間七七四年:2010/09/21(火) 04:17:45 ID:JRyv7cdK
子供である秀頼の意思が通用しないから大老奉行の乱になっとるわけで
大阪城と秀頼キープすれば豊臣の威光使い放題というわけにはいかんでしょ

へたすりゃ秀頼人質に天下の専横をねらう大悪党にされちゃいますよ
977人間七七四年:2010/09/21(火) 06:46:50 ID:uNj6QNAJ
そんな論理は通用しない。
そもそもこの戦乱の原因が太閤の遺命を
次々に破った家康が糾弾されて
利家の激怒からスタートした話。
三成への個人的恨みから武断派が三成を除く目的で家康に協力したに過ぎない。
また大坂城を明け渡されて正当化できる駒たる秀頼を握った家康は
さっそく豊臣家臣同士の範疇で逆臣三成を討ってやったことにして、
秀頼のために働いたと言う武断派を納得させた。
そして秀頼の権威を背景に家康は論功行賞をはじめ
毛利領をごっそり大減封させてみせて
本能寺後の織田家に対する三成=明智光秀討伐の功績を背景に清洲会議を主導したようにやってみせた。
その後の大坂両陣が秀吉が柴田勝家と徳川家康を滅亡させて天下を平定したことに比肩されうる。
輝元に1500年代に活躍した戦国第一世代(祖父)や第二世代大名(父)の気質があれば
大坂に籠城して柴田勝家や家康の如く激しく争っただろう。
小牧長久手の織田こそが秀頼の立場とも言える。
家康は織田を主家と利用して秀吉とあくまで対抗しようとしたが秀吉の調略で織田という大義名分を失い
ヘタレ輝元は秀頼を主家と利用して家康とあくまで対抗しようとせずに秀頼を家康に自ら譲渡したから天下の趨勢が決した。
978人間七七四年:2010/09/21(火) 07:14:55 ID:uNj6QNAJ
つまり信長仇討ちを標榜して織田家臣の協力を得て山崎に光秀を討った秀吉は
織田家中の実力者勝家と対立しつつ
論功行賞を信長の孫を助けるとして丹羽などの他の有力織田家臣の協力を得て主導した。
これがまさに山崎合戦=関ヶ原であり
それに協力した織田家臣が武断派である。
信長後継者と領地分配において織田纂奪をする力のない秀吉は、あくまで信長の孫を利用して有力家臣の協力を得た。
これが関ヶ原論功行賞と同じである。
その後、すみやかに柴田勝家を滅亡においやったことで、
もはや織田家臣の顔色を窺い協力してもらう状況の終了であり織田の乗っ取り成就なのである。
そして家康は織田信雄を持ち出して秀吉の纂奪を非難した。
この状況は信雄調略で家康を押さえこんだ。
一方、家康における柴田攻めの結果とは
豊臣家臣の協力を得る必要がなくなることであり、
それは大坂冬の陣への過程そのものである。
そして信雄を調略し家康を屈させたのは大坂夏陣であり、もはや織田纂奪に関して文句を言う勢力の消滅なのである。
武家にとって当時の秀頼とは幕末の天皇にも近い存在であり
その玉を擁している方に正当性が存在する。
979人間七七四年:2010/09/21(火) 08:48:05 ID:uVpSwFzv
>唯一言えることは毛利家自体が全国情勢から孤立しかねないような情勢であり、

この現状認識はなんでしょうか。
こやつは結果を知ってるから書けることばっかりでうんざりする。
孤立して、孤立したまま乗りきった島津って知ってる?
980人間七七四年:2010/09/21(火) 11:57:51 ID:oMQvKobY
>三成への個人的恨みから武断派が三成を除く目的で家康に協力したに過ぎない。

それなら武断派は三成を関ヶ原で倒した後にさっさと東軍から離脱し大阪城に入って家康と戦えばいいじゃん
太閤の遺命を次々に破った家康が糾弾されていることは当然知っているんだから
だいたい家康の遺命破りよりも三成への個人的恨みを重視した人間がどうして豊臣家への忠誠心があると言える?
君の書き込みだとまるで三成がいなければ武断派が全員西軍に組するように思えるのだが?
秀頼という玉を擁しても大勢の人間を家康の下に走らせ勝利させた三成って考えれば考えるほど凄い人間だな
三成>幕末の天皇にも近い存在である秀頼、となるわけだから
981人間七七四年:2010/09/21(火) 13:29:01 ID:uNj6QNAJ
大坂籠城が成立した時点で玉を擁したことになるのであって関ヶ原時点では玉を擁したことにならない。
関ヶ原で玉を擁するなら秀頼出陣がないと成立しないし、
混乱する最前線と言うそんな死ぬ危険性がある選択肢は秀頼を溺愛する淀が納得しない。
三成が武断派から骨の髄まで嫌われているのは知ってるはずだが?
朝鮮で武断派が苦労してるのに秀吉に悪く報告していると認識していたし
三成が失脚し左和山に謹慎した原因自体が
公然と武断派が襲撃したことだ。
そもそも三成は忍城攻めなどから
世間的には戦が下手とイメージされていた。
人望がなく戦も下手と世間的イメージがある者が関ヶ原で敗北して捕縛されたとしても
豊臣政権内で西国を統括してきた毛利が健在で大坂籠城したのなら不安要素がない。
一方で家康は小山会議前日夜に、大坂挙兵による武断派の去就に不安要素を感じて
三成を討つスローガンで福島正則を騙して豊臣恩顧武将の去就を制した。
そして三成が討たれ武断派の個人的恨みも解消しスローガンの大義も消えた。
家康が武門としてあるまじき詐術で
・大老として謀反者三成を討つことが目的だった
・大坂を明け渡せば輝元の罪を問わないし、毛利領も安堵する
と騙して大坂と秀頼を一刻も早く手にいれたがっていたのは
家康の焦りであり泣きどころがそこに存在していたからだ。
982人間七七四年:2010/09/21(火) 14:19:14 ID:0VKspC9h
このスレでは、主体は家康ではなく輝元ね。
西軍総大将が罪を問われなかったら、関が原で負けて自刃した大谷、
処刑された三成、八丈島に流された秀家らに対して、どう申し開き
をするのか。
自分だけ本領安堵で安心安心では、ひととして問題がありすぎやしないか。
983人間七七四年:2010/09/21(火) 15:44:53 ID:YpElsoAf
>>982
大坂城にいた西軍(毛利輝元)は城と秀頼を東軍(徳川家康)の手にゆだねた。
これは史実においてはまったくもってその通り。
しかし、そんな「未来におこった」出来事についてはスレの流れとしてはまるで関係ない。
豊臣家大老として関ヶ原の軍事的勝利を差配した徳川家康が、その軍事的勝利を「徳川家康としての
政治的勝利」に差し替ええたのはいつか、という話。
そのキモが西軍の盟主であった毛利輝元の大坂城撤退とその後の論功行章ではないか、という事。
ゆえに毛利輝元(に象徴される西軍残存兵力)が関ヶ原合戦後も大坂城篭城していたらどうなっていたのか
という「徳川家康としての政治的勝利」が完成しなかった仮定で政治的軍事的影響や可能性をあれやこれやと
話題にしているだけだ。

週末あたりからどうしても神の視点で論じたい輩が1人いるようだが、時は関ヶ原合戦直後で止まっている。
984人間七七四年:2010/09/21(火) 16:06:35 ID:pms0s+2a
輝元におじいちゃんの1/10でも才能があればね。
家康なんぞ物の数ではなかったろうに。
985人間七七四年:2010/09/21(火) 16:50:26 ID:uNj6QNAJ
俺の元文を読んだら重大なミスを発見したw
家康の人質になった嫡子を心配して高野山に出家し中立宣言した蜂須賀家政と
家康に拉致られ上杉征伐に同伴させられた蜂須賀至鎮14歳を逆に書いてたわ。
記憶違いで親の名を至鎮と記していたが家政ね。
986人間七七四年:2010/09/21(火) 16:53:47 ID:oMQvKobY
>>981
>大坂籠城が成立した時点で玉を擁したことになるのであって関ヶ原時点では玉を擁したことにならない。
秀頼を擁した西軍が家康を倒すために差し向けた遠征軍が関ヶ原の軍隊だろが
秀頼さえその場にいなければ個人的な恨みを優先させて遠征軍を倒していいなら玉を擁したも何もない

>三成が武断派から骨の髄まで嫌われているのは知ってるはずだが?
武断派だって家康が遺命を破っているのは知っているだろ
家康の遺命破りよりも三成への個人的恨みを優先させるならそんな人間は豊臣への忠誠心がないことになる

>そして三成が討たれ武断派の個人的恨みも解消しスローガンの大義も消えた。
それなら個人的恨みが解消した時点で東軍を離脱し家康と戦えばいいだろが
繰り返すが家康が遺命違反を犯していることは武断派も知っているんだ
本来なら個人的恨みよりも遺命違反を優先させなければいけないのに
個人的恨みを優先させて秀頼を擁した西軍の遠征部隊を攻撃し
個人的恨みが解消してもなお遺命違反を犯した家康と一緒にいて
秀頼を擁している毛利に退去して家康に秀頼を引き渡せと要求したのが武断派なんだ
そんな連中にいったい何を期待しているわけ?君の理論だと武断派の行動原理が支離滅裂になる
987人間七七四年:2010/09/21(火) 17:10:00 ID:HuzloqMY

>>986
>>秀頼を擁した西軍が家康を倒すために差し向けた遠征軍が関ヶ原の軍隊

まずお前は日本語が理解できてないのか
理解するとお前の説が瓦解するから歪曲して解釈してるかのどちらか。

>>本来なら個人的恨みよりも遺命違反を優先

まずお前が人間として欠けている部分が存在してる。
頭でわかっても感情が納得しないのが人間だ。

>>行動原理が支離滅裂なのは人間だからだ。

そしてお前は人間として欠陥があるから人情の機微が理解しえない。
988人間七七四年:2010/09/21(火) 17:13:26 ID:HuzloqMY
後半がおかしくなってたので修正

>>行動原理が支離滅裂

日本から離れた朝鮮で怨み続けた武断派の行動原理が支離滅裂のは人間だからだ。
そしてお前は人間として欠陥があるから人情の機微が理解しえない。


989人間七七四年:2010/09/21(火) 18:01:22 ID:bGIIYjaY
>>880
>応仁大乱では各地の有力大名が手兵を率いて上洛して京で戦闘を続けておりながら
>残された守護代が兵をかき集めて、敵陣営に唆された庶流や旧支配者や寺社や宗教関係のやつなどによる
>奪い合いをして泥沼化してた。 まぁゲリラ消耗戦は南北朝の騒乱でもそうだが古今搭載戦争での常套手段だわな。

あのぉ大名領国制と守護領国制の違いわかるか?
無知だのなんだの散々人をコケにしておいてなんなんだよこれ・・・・
そもそも応仁の乱以前の守護領国制下では大名は在京
当時の守護の権力は幕府による任命が支えてたから都とのパイプが重要だったのに対して
地元との結びつきは弱かった
だから幕府権力が衰えた後は地元に根差さない守護大名は次々に没落していったわけ
守護領国制においては国人の被官化の過程の中で戦国大名ほど領内を一元的に統制できていたわけでもない
戦国大名はこれとちがって幕府など他の権力に依存せずとも独自、自力で一元的な支配体制に
近付いてる
地方に根差して自力で所領を得た毛利家のような家にとっては、
足利時代の守護大名のように公儀の権力を借りる理由もなく乱に参加する理由もない
逆に地元を蔑ろにすることが一番のデメリットであった

わかるか?この理屈?


戦前に保険をうってあえて中途半端な態度をとり安国寺を尻尾きりすればいいからと判断してたから
重鎮の吉川や側近の福原が家康に通じてたことも含めそういう保身ありきの行動しか取らなかった
ことをかんがえれば

>的確な参謀や謀臣がいたら最悪、輝元死刑や毛利改易が想定され、
>最悪を免れても大減封になり、その急激な縮小で毛利財政も崩壊すると予見でき
>毛利本隊が無傷なのに一戦もせず降伏するより
>瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策するのを推奨するに決まってるだろ。」

なんて当時の大名の行動パターンからしたらありえない飛躍であり妄想だから
わかったか??
990人間七七四年:2010/09/21(火) 18:19:17 ID:bGIIYjaY
>>989のは>>974あてだ

>>970
>常識的に明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
>三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで

上記の理由により直ぐに領国をつかれかねない毛利の圧倒不利
鳥羽や出羽の戦いの趨勢を含め日本各地で西軍が萎縮し隷属化している状況の中
関東にしろ上杉は庄内、白石をとられ萎縮しきり、佐竹は義重らが東軍派である

>いまだ自立できず豊臣を守ると言う大義を掲げて
>権威を利用しなきゃ諸大名に正当性を保持できない家康

そうであるという証拠や具体例はあるのか?
関ヶ原の結果で家康の権力が拡大した証拠として
西軍が一斉におとなしくなり次々と寝返ったり遁走したという具体例ならあるんだが

>関ヶ原で勝った家康に絶対に従うと言う理由しかないのでは説得力はまったくない。

納得できないを連呼してるが具体例、実例はあるの?
ただ盲目的に恩顧や武断派を連呼してるだけ
だいたい豊臣恩顧の大名など全国の大名の数から見れば少数派に属す
コイツらが常に火の粉を被らなければならないなんて理論は通用しない

>その後のすべて…15年をかけての家康の公家対策や豊臣潰しの政治外交努力がまったく意味のないものになる。

それはおまえの妄想
豊臣を最初からつぶそうとしていた証拠なんかない
むしろ厚遇してるともいえる

>そもそも逃亡だったら上杉軍は崩壊してて知名度高い武将が死んでるはずだよねw

庄内に置き去りにされた上杉軍は降伏してたね
最上の資料はもちろん上杉の資料ですらそれなりの損害を受けてるし
実態はかなりの損害を受けていることは確実

だいたい戦略目標を達成できないどころか庄内を奪われてるんだぞ
敗北といって間違いない

どうかんがえても所領奪って追撃してる最上が勝ちで敵に背中見せて敗走した上杉が負けだろ
「政治的情勢変化」のためなんか理由にならんよ
戦争は「政治的敗北」も含めるんだから
991人間七七四年:2010/09/21(火) 18:28:58 ID:tC1odrPz
武断派が三成憎しだけを盲目的に考えていたとして何故三成を倒した後も家康に味方し続けたかを答えろよ
勘違いしている奴も多いが毛利に退去するように交渉していたのは家康ではなく福島と黒田だぞ
恨みも解消し大義名分もなくなったならわざわざ家康に秀頼をプレゼントするため積極的に行動する意味はない
お前のくだらない妄想だと西軍は最初から三成を排除し秀頼を人質にして大阪に引き篭もっていればいいことになる
わざわざ三成を組み入れて関ヶ原まで軍を動かす西軍はとんでもない馬鹿の集まりだなw
992人間七七四年:2010/09/21(火) 18:43:02 ID:bGIIYjaY
>>970
>あのな、偽書と言われてたのは戦前まで。あのな、偽書と言われてたのは戦前まで。それは上杉家の史官を勤めていた伊諫早謙

その説の出典は?
戦後刊行のはずの吉川弘文館の人物叢書石田三成では偽者として扱われてるが

>証明もせずに九鬼の件を再び持ち出すんだからなおのことタイムスケジュール明示義務が生ずる。

関ヶ原関係の書籍、九鬼関係の書籍やネット情報をいくらかあったったが「敗報を聞いた日」「鳥羽城を捨てた日」
の明細はなかったが、どの書籍もネット情報も「関ヶ原での敗報を聞いて鳥羽を放棄」とでている
新人物往来社の戦国の戦国人名事典では「石田三成の敗北を知り鳥羽城を放棄、答志島へ寓居した」
吉川弘文館の戦国武将合戦事典では「西軍の敗北が確定的になると鳥羽城を放棄、答志島へ寓居した」
と書かれていた
三成=西軍と解釈すれば両方とも同じとなる

こんなに広く普及してるんだし定説といっていいだろう
定説的意見を否定するときは否定するほうに否定の義務が発生する
いまどき地動説は常識だが、それに反する天動説を唱える
人間が天動説を正しいと主張したければ、天動説を唱える人間に証明義務があるのと同じ

質問だが「九鬼嘉隆が鳥羽を放棄した」理由についてはどう思ってるんだ?

おまえの長文には不自然にもそのことが一つもかかれていない
作為的な印象操作を感じざるを得ない
九鬼の例など「関ヶ原の結果」で世の中に地殻変動がおきた一例としてあげてるだけだし
それに対してなんの意見もせず日付だのソースだのグダグダいってケチをつけようとしてる
としか思えない

>蜂須賀も生駒もガキは家康から上杉征伐の時に「御陣の手習い」と称して拉致られ強制的に連れていかれただけで
>蜂須賀は秀吉への恩があるから東軍に協力したくなかった。だが嫡子を家康に連行されて人質にされた。
>だから大坂方に詰問されて、阿波の兵は大坂方で自由に使って欲しいと言った。
>だから大坂方と毛利で阿波に乗り込んで兵を動員した。
>困った蜂須賀は高野山へ出家することで中立宣言し嫡子を救う策としたに過ぎない。

蜂須賀のことを突然いいだすし、しかも同じ事を書いてたりするからID:8ltKpCBhと同一人物と目さしてもらう

山川出版社の徳島県の歴史の関ヶ原の項には、
「家康から「御陣の手習い」という名目で出陣を要請され受諾した」
また、
「西軍の要請に応じず土壇場になり秀頼名義で命令がきたため仕方なく明け渡した」
とあり、バランスをとりつつも徳川寄りであったという風にかかれてるんだが

実際西軍から城も攻撃されてるし、西軍の出陣命令もかたくなに無視してたのはなぜなんだ?
まったく説明がつかない
993人間七七四年:2010/09/21(火) 18:53:25 ID:HuzloqMY
>>989
それは違うな。
応仁の乱の時は、政策担当者の資格を有する管領家などの権威が
自らが正義と為して争いを開始しており
将軍家臣同士の争いであって、将軍が関与しないことで
将軍権力が凋落しなかったため、細川政元のクーデターまでは将軍機構が維持できた。
管領家への取り次ぎができる在京守護は領国の守護代に大乱に際して国兵を率いて上洛してこいと命令
守護代は守護権力を背景にして国人への支配を深化させつつ
守護の命令に答えていくことで、同時に守護との交渉を通じて国人の権利擁護で権力増大を図った。
応仁の長い戦乱において国人を統御してきた守護代の存在は、
守護にとっても都での戦力維持に協力が不可欠であった。
騒乱が地方に波及すると兵力が上京している国々での守護や守護代対抗勢力に対して
敵陣営が懐柔をはかり、庶子や国人などの有力者を
独自に守護や守護代に任じてゲリラ的に対抗させる戦術を取るようになった。
するとどちらが得か?で取引が生じるようになる。
こうして朝倉氏のような存在が顕れてくる。
なぜなら守護代は守護の命令を執行するために
同時に国人の権利を守り、納税などでお手盛りをして支持をうけていたから。
こうなると守護も在国して検地をして現地状況を把握しようとしてきた。
だからいままで国人間をなんとか調停させてきたルールを
現地の事情を知らない守護が破壊するので
守護と守護代の利害が対立することになった。
その結果、長尾為景のように守護権力に挑戦する者が現れるが、
まぁ為景は最後には守護権力に敗れるわけだが。

そしてこれらの現象は惣村一揆など地方地域間の慣習や事情で
まったく別な発展・深化がなされていくために
その組織・形態は一元的にこうだ!と断言できるような単純なものではなかった。
ましてや、この時期から大名領国制だなどと断定すら不可能なものだ。
994人間七七四年:2010/09/21(火) 19:00:32 ID:bGIIYjaY
>>971
>関ヶ原後に大阪城に乗り込んで論功行賞を取り仕切り、征夷大将軍宣下、秀忠に2代目将軍職譲渡、
>秀頼の関白就任を阻止し、大坂冬夏の陣によって豊臣家を滅ぼした徳川家康像を元に語ってる
>関ヶ原直後の徳川家康ではないんだよね。

はいソースは?
九鬼の例でもわかるとおり日本中で地殻変動がおきたことはまちがいがなくただでさえ毛利絶対不利なはず

もちろん家康としても毛利に万が一でも籠もられたら困ったことになることは間違いないのだが
「毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた関東の旧支配者の方が都合がよいわけだ。」の類は妄想だろう

>いまだ一度も負けてない毛利軍を持つ西軍総大将として責任を取らされる毛利が必死に抵抗すると考えるのは当たり前だし

は?どこも頑強に抵抗などしてないんだが
一番気迫をみせた島津にしても折り合いをつけて妥協して土下座してる

>宗茂や秀包など大坂で再編して抗戦を主張してたんだから
>それが武威をもって鳴る者にとっては勝算がある方策なのは明らか。

なんの根拠もなし
宗茂は勝算がないと承知で戦ったんだろ?
そんな人が主張したからって勝算があるとは言い切れないのは明らか

>毛利が改易したら、配下の国人達もどうなるかわからない不安感しかない。

改易しないために保険うって中途半端な行動を取ったんだろ
おまえが好きなワクワク架空戦記じゃないんだからそりゃ慎重になるわ

>東海道も豊臣系ばかりであり清正らと協力して家康に圧力かけたら江戸と大坂の遮断で家康を孤立させることができるほど
>武断派は政治軍事的に家康より有利な立場にいるんだぜ?

もはやキチガイの妄想
どこの大名もそれほど大きくないし大局的な流れをみれば家康に傾いてることが明白なんだから
家康に挑戦するような馬鹿な大名がザクザクでてくるわけがない
政治軍事的にってなにを根拠にしてんだよ???
995人間七七四年:2010/09/21(火) 19:20:25 ID:HuzloqMY
>>こんなに広く普及してるんだし定説といっていいだろう
再度、説明もせずに持ち出したな!?しかもまったく根拠なく、
しかもそこらで販売されてるような浅い書籍しか見てないだと?馬鹿か。お前に戦国史を語る資格ねーよ。
>>ミスリードを招こうとする書き方
勘違いするな。九鬼の件、情報操作だミスリードだと主張してるんだからちゃんと日付を含めソース出せと言っている。
そのお前の発言…妄想垂れ流しは逃げ発言でしかない。
>>969
証明もせずに九鬼の件を再び持ち出すんだからなおのことタイムスケジュール明示義務が生ずる。
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
ほとんど何も知らんアホが唯一、根拠として挙げて得意がって何度も書きこみ連呼してるのがこれだけだね。
じゃあ書いてみようか。まず関が原開戦が9/15
家康の目付け石丸雲哲がいた九鬼守隆は9/7に桑名の氏家軍を襲撃し感状をもらってる。
そして九鬼嘉隆は鳥羽城を堀内氏善に任せての岩出山攻めへ
事態は推移してついに守隆と嘉隆の鳥羽城下市街戦が開始される。
堀内氏善も守隆に破れ五ヶ所方面へ落ちていくなど嘉隆側が敗走することになる。
嘉隆側の考えでは新宮城で善後策を練るつもりだったが落城しており
堀内氏善も捕虜となっていた。嘉隆は已む無く答志島の潮音寺に撤退。
その後、娘の婿の青山豊前守の家がある紀州熊野へ逃げた。
家康は嘉隆死刑宣告していたので父の助命を武断派の福島や池田に働きかけて家康の了承を取り
守隆は死なぬように使者を飛ばしたが機先を制して豊田五郎右衛門の独断で青山豊前守を使いにやり
大ウソの「助命されることはないから子のために自刃しろ」と勧め
10/12嘉隆は自刃を了承して移動の準備をして答志島潮音寺に戻り死んだ。
一日の差で自刃してしまったことを聞いて激怒した守隆は
残虐刑の鋸引きで首を斬り奸臣豊田五郎右衛門を殺した。
これくらいしか俺は知らんが
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
お前の言う上記の内容が成立するように、日付や状況を史実に照らして付け加えてもらえないだろうか?
特に日付は重要なポイントだ。
めずらしく唯一挙げた根拠の実例の九鬼についてさえこれじゃ、
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。

>>関東にしろ上杉は庄内、白石をとられ萎縮しきり、佐竹は義重らが東軍派である
上杉120万石のうち白石の実高はたかが16000石。これでなんで萎縮すんの?
しかも伊達は上杉と南部の挟撃の危機に瀕してるんだよ?
しかも関が原の影響で庄内置き去りで陥落?置き去りの志駄義秀の庄内陥落は関が原の翌年なわけだが馬鹿なの?
佐竹は義宣が西軍であり、白河城にいた結城朝勝(母が義重の姉妹で兄が宇都宮国綱)
が上杉と佐竹間の連絡係をしており、結城秀康の動きを牽制していた形になっていたために
家康も江戸をなかなか離れられなかったのが事実。このために佐竹は出羽転封の刑になる。

>>吉川弘文館の人物叢書石田三成では偽者
それならその本ではどういう理由で偽作だと決め付けているんだよ。まさか伊諫早謙の意見の踏襲じゃねーだろうな?
>>山川出版社って冗談でしょ?そんな歴史研究の専門書でもなんでもないだろ。
本屋さんで読書してきたんかwそんなの論文での出典名の一つにすらならん。

996人間七七四年:2010/09/21(火) 19:32:19 ID:bGIIYjaY
>>993
どこがちがうんだ?
そもそも将軍機構が維持もなにも関ヶ原であれ応仁の乱であれ
天下人の目の前で家臣同士が大戦争をしてる時点で
権威に相当のひびが入ってることも間違いないだろう
明応の政変は15世紀の最後の最後だが守護大名が領国に帰り領国経営
に力を入れだしたのは応仁の乱以後から

守護大名はそもそも在京で土地の支配者というより幕府の家臣である傾向がつよかったから
土地の事情に通暁してないゆえ支配に目が届かず
例えば地元の商人と座がモメたときも常に幕府の顔色を伺いながら京都寄りの裁定しかできなかった

戦国大名は幕府などの中央政権の権威ではなく自力で支配権を獲得し
地元を保護した
「豊臣の権威あってこその毛利」などでは断じてない
ゆえに大名領国制下で領国という一番の大切な基盤を危機にさらすようなことは
絶対しないだろうということ
997人間七七四年:2010/09/21(火) 19:45:11 ID:YpElsoAf
熱くなるのは構わないのだがifの話をしているのになぜいつまでたっても神の視点に執着する?

徳川家康とは何者か?毛利輝元とは何者か?
秀吉存命時にこう定められていた
羽柴武蔵大納言家康・羽柴安芸中納言輝元・羽柴筑前宰相、御ひろい様への忠誠および太閤様御法度・
御置目を遵守し坂東法度置目公事篇順路憲法之上をもつて家康が担当し、坂西之儀は輝元・隆景が支配
すること、不断在京の上での御ひろい様への御奉公すること、および家康・輝元が交替で暇乞をして下国
することを霊社上巻之起請文を以て誓約
現代語にすればこうなる。
太閤秀吉の定めた法度を遵守して東国については家康の差配、西国については輝元・隆景が差配。
なお家康か輝元のどちらかは必ず在京の上で秀頼の近くで仕えること。

史実を踏まえた神の視点でみれば当然ながら徳川家康>>>>>>>>>>>毛利輝元になる。
それこそ君の言う通り、家康に挑戦するような馬鹿な大名なんてwwwとなる。
だが当時においては圧倒的な差など無い。
だからこそ石田三成は旗頭として毛利輝元を担いだわけだし、黒田如水は東西膠着するとみて九州で
蠢動をした。前田は北陸で、伊達は東北で、佐竹も常陸で遅滞している。西軍諸将にしても毛利が起つのなら
五分と五分と踏んでいたので参戦した。
もちろん関ヶ原において石田が負けたことによりその勢力バランスは五分五分ではなくなったであろうことは
否定しない。しかしながら毛利輝元が敗れたわけではないし、西軍が壊滅したわけでもない。
上で他の人も書いているように、関ヶ原で勝利した家康は山崎合戦で勝った秀吉と等価であって、清洲会議
後の秀吉ではない。
大坂城には秀頼を擁した形で無傷の毛利本隊がおり、大津別働隊、田辺別働隊、関ヶ原日和見勢などもいる。
秀頼という大義名分を握り、大坂城という鉄壁の城があり、兵糧軍資金ともに潤沢で、完全包囲される可能性は
0%(海側が常に開けている)、関ヶ原の敗戦とは無縁の兵もいる。

結局、毛利輝元って何がしたかったの?このスレタイは秀逸だ。
この時代の歴史に興味のある人間なら誰しもがそう思ったことだろう。
ではなぜそう思ったのか。
上記の状況下において本領安堵の偽書状でとっとと引き上げたから。
では大坂城に篭城していたらどうなったであろうか。
神の視点に固執してそこから離れられない君を除いて、その点について政治的軍事的考察をしているという
ことをいい加減理解して欲しい。
998人間七七四年:2010/09/21(火) 19:50:15 ID:bGIIYjaY

>>972
>補給線がまったく確立してない無謀な広島攻めやら秀頼様の大坂攻めのために
>一致協力して長期戦を諍いや方針を巡って争わずに協力できるのかね?

九鬼水軍は天正年間に播磨まで制海権を獲得
また村上水軍はもともと他人の上、それぞれの足並みもそろわず
大友についたり織田についたり
戦争で負けて徳川に圧倒的な追い風が吹いてる中戦前のパワーバランス前提に
ものを語るから「応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで」なんて戯言がいえるだか

>そもそも毛利領がカラと断言するのは小田原征伐の時の北条みたいな亡国の存亡だと称しての
>対象年齢まで書いての総動員のような書状でも見つかったんかね?

大名も有力武将おらず4万も5万も動員されてる状況でカラじゃなかったらなんなの?

>水軍衆が裏切るに至るほど、瀬戸内海や毛利領のどこにそんな不利が存在してるわけ?

全国政治で孤立する以上の不利ってあったの?

>総大将は無傷で大坂でがっちり安定。しょせん三成は前線指揮官であって前線派兵部隊が敗れたに過ぎない

おまえがいう六月十五日には既に毛利がヤル気マンマンで主導していたというのは
この時代の100年も先の軍記物語にある与太話にあることにすぎない
輝元自体が挙兵の月になって初めて謀事を知ったような状態だし
実際やってることも家康以外の東軍には積極的な姿勢を見せつつも家康に対してはヘタレそのもの
一門衆や側近も家康と通じてる状態
こういうヘタレともいえる保守的な姿勢が当時の大名の一般的な態度ともいえる
だからこそ逆風が吹く中領国をカラにして大坂にたてこもるなんてありえないし
有能な参謀がいたらそうするというのもただの妄想

>毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
>そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても簡単に同じ結果になると想定するのが理解し難い。

そう思うなら具体例や実例をだしてほしいんだが

こいつ自分に都合がいい脳内設定で
具体例もなく実例も出さず
「俺はこう思う」を繰り返してるだけだな。

家康が圧倒的な権力を得たのは関ヶ原後の各地の西軍情勢の悪化
多くの西軍諸将が遁走や寝返りをおこなっている
そういう状況で毛利だけが毅然としてはむかうなんてのも妄想的だとしか


>じゃあ、家康の手勢を2つに分けるわけ?大坂の惣構えの包囲に
>どんだけの兵力と金や米と時間が必要なのかねぇ。

なぜ全面戦争という極論ばかりを想定するんだ?
君側の奸、毛利を討てとなるのが普通だろう

そもそも毛利としても全面的に戦うモチベーションがあるわけないのは
>>989でいった当時の大名の特質や関ヶ原後状況が圧倒不利な中戦う理由が
立たないことなどでもわかるだろうに
有能な参謀ならありえないなんてのは妄想にすぎんよ
999人間七七四年:2010/09/21(火) 19:55:29 ID:bGIIYjaY
>>997
>結局、毛利輝元って何がしたかったの?このスレタイは秀逸だ。
>この時代の歴史に興味のある人間なら誰しもがそう思ったことだろう。
>ではなぜそう思ったのか。
>上記の状況下において本領安堵の偽書状でとっとと引き上げたから。
>では大坂城に篭城していたらどうなったであろうか。
>神の視点に固執してそこから離れられない君を除いて、その点について政治的軍事的考察をしているという
>ことをいい加減理解して欲しい。


そんなIFの設定は一部の過激主戦派の暴走くらいしかかんがえられないんだが
豊臣の態度からも毛利の態度からも根本的な大名の行動指針が所領安堵であることからも

大坂籠城が「一番安全」だとか「有能な参謀がいたらそうする」とか考えてる人たちがいるみたいだし
自分たちで神の視点にたって妄想してるだけなんじゃないの?
1000人間七七四年:2010/09/21(火) 19:56:13 ID:bGIIYjaY
>>995
>再度、説明もせずに持ち出したな!?しかもまったく根拠なく、
>しかもそこらで販売されてるような浅い書籍しか見てないだと?馬鹿か。お前に戦国史を語る資格ねーよ。

ソースを追求されたらスレ違いだといって逃げたり、
徳島市史を探せとかいって逃げ続けてるのはどこのだれだ?
徳島市史とかどうせ確認不可能な資料をあげて逃げてるだけだろ
そんなに歴史に詳しいなら続武者物語でしかでてないような眉唾情報を
盲目的にしんようし
「続武者物語にでてくる記述で三成が輝元は味方といってるんだから
輝元がやる気マンマンだったのは事実だ!!!」なんていいきれるわけ?

>勘違いするな。九鬼の件、情報操作だミスリードだと主張してるんだからちゃんと日付を含めソース出せと言っている。

だから探れませんでした。でもどの本でも「九鬼は関ヶ原の報を聞き敗走」と書かれているし
大学教授が編纂してる歴史事典でもそうかかれてました
ということは通説、定説なわけでそれに反することを言いたいならちゃんとソースを提示して
説明すべきなのはあんたじゃないの?

論点ずらしや誤魔化し、ミスリードなのはバレバレなんだけどw

ところで日付だのソースだの偉そうにしてるけど
自分が言ってる日付や情報が正しいかどうかのソースもないの?

勘違いじゃないってならなんのためにこんなことをグダグダ書いたのかとても知りたいな

>それならその本ではどういう理由で偽作だと決め付けているんだよ。まさか伊諫早謙の意見の踏襲じゃねーだろうな?

偽物であるという理由にまでは踏み込んでなかったが著者は戦後のきちんとした歴史学者の方でしたよ

>山川出版社って冗談でしょ?そんな歴史研究の専門書でもなんでもないだろ。
>本屋さんで読書してきたんかwそんなの論文での出典名の一つにすらならん。

歴史研究?蜂須賀の態度が「こうであるに違いない!」といってる根拠が徳島市史のアンタが?w
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