1 :
N ◆5UMm.mhSro :
2009/01/14(水) 05:46:28 ID:RIWt5VKy 前スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1231545544/ 小沢一郎代表は「官僚による国民のマインドコントロール」を問題とし、藤井裕久最高顧問は<天下り嫌い>。
もう引き返せない。 高学歴なのに無教養で強引な上司に、うんざりしてる公務員はけっこう多いよ。
このスレでは『捕鯨問題』を、「官僚による国民のマインドコントロール」の一例として扱います。
ポイント -1.『エコテロリストとの<正義>の戦いなのか? 両者とも怨念に駆られた私闘なのか?』
<30周年を迎えるシエラ号 vs. シーシェパード事件:年表>
1968年1月 オランダ余剰捕鯨船、母船兼捕鯨船に改造、バハマ籍ラン号(M.V. Run)としてIWC枠外捕鯨開始。*
1972年2月 ラン号、シエラ号(M.V. Sierra)と改称、ソマリア籍に。南大西洋でイワシ鯨137頭、ミンク1頭。*
1975年 シエラ号、キプロス籍へ。この年、大西洋アフリカ沖でナガス鯨3、イワシ鯨267、ミンク2頭。*
1976年 この年には不明な点が多いが、アフリカからスペイン沖にかけて少なくとも7回航海ニタリ鯨242頭。
1977年12月 シエラ号、船尾式トロール改造船トンナ号と合流* Tonna号旧船名は「Shungo Maru」**
北大西洋に移り、少なくともイワシ鯨1、ニタリ鯨50、ナガス鯨約96頭。鯨肉586トンは「スペイン産」の
偽装ラベルで50kg単位梱包、コートジボアールのAbidjan港で通関せずに日本の輸送船へ転載。***
1978年 北大西洋、少なくともシロナガス鯨2頭、ナガス168頭、イワシ鯨110頭。
1979年7月16日 シエラ号、ポルトガルPorto de Leixoes港外でシーシェパード号に激突され大破*
数週間後:ポルトガル当局Sシェパード号押収、シエラ船主へ引渡され海賊捕鯨船となることを嫌ったSSが撃沈***
1980年2月6日 無保険で修理完了し、リスボン港に停泊中のシエラ号、Sシェパードメンバーにより沈没****
後にシエラ号の所有関係は、大洋漁業75%、ノルウェーの'Foreningsbanken'25%と判明。
この件の他、チリ、ペルーでの大洋漁業、日本捕鯨(ニッスイ)による「海賊捕鯨」について、IWCで米仏蘭が日本側
当局の責任をただすが、日本政府/水産庁、米澤邦男氏(後にニッスイ常勤顧問)は、一切関知していないと主張。
>>2
2 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:47:19 ID:RIWt5VKy
ポイント -1.(つづき1)
シエラ号'海賊'捕鯨船団の捕鯨実績(判明分のみ):シロナガスクジラ2頭、ナガスクジラ378頭、イワシクジラ1423頭、
ニタリクジラ242頭、ザトウクジラ不詳、ミンククジラ6頭。
>>1 ソース
*国際捕鯨委員会年報42号,1992年 REP. INT. WHAL. COMMN 42, 1992. pp.697-700
**Birnie, Patricia 'Legal Measures for the Conservation of Marine Mammals' IUCN, 1982.
***Weyler, Rex 'Greenpeace, an insider's account' 2004
****
http://www.seashepherd.org/whales/sea-shepherd-history.html Carter, L.A. 1979. Pirate Whaling. People's Trust for Endangered Species, Guildford, London. 52pp.
【違法捕鯨と海賊捕鯨の定義(1)】
Encyclopedia of marine mammals.海洋哺乳類エンサイクロペディア(eds.) W. Perrin, B. Wursig, J.Thewissen. 2002.
項目 ’ Illegal and Pirate Whaling’ pp.608-611
| 違法捕鯨は国内法、あるいは国際合意の捕獲枠、季節、海域制限その他の規制の侵犯によって生ずる。
|それに対して「海賊捕鯨」は国際捕鯨委員会の傘下以外で行われる規制外の捕鯨を意味し、
|これは通常便宜置籍船で行われる。これらの行動は過剰捕獲により、直接に鯨ストック
|(資源/系統群)の損耗をもたらしうる。さらに捕獲データの欠落や偽装データの報告は、
|ストックの量や状態に関するアセスメントに深刻な誤差をもたらすことがあり、これは
|誤った管理アドバイスや、最終的にはこのストックの崩壊につながることもある。
(執筆者:ROBERT L. BROWNELL, JR. Southwest Fisheries Science Center,La Jolla, California,
A. V. YABLOKOV Center for Russian Environmental Policy, Moscow)
3 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:48:21 ID:RIWt5VKy
ポイント -1 (つづき2) 【違法捕鯨と海賊捕鯨の定義(2)】 レッドリストをつくっているIUCN(国際自然保護連合)の<環境政策・環境法論文シリーズ/No.19,(1982年発行)> 【海洋哺乳類保全のための法的手段/”海賊”捕鯨防止のための法的手段】 |A.”海賊”捕鯨と海賊行為の区別 |この報告の最初に、いわゆる”海賊”捕鯨と本来の海賊行為を同等のものとすべきではないことをはっきりさせる |ことが重要である。 |慣習国際法の定義でも、1958年ジュネーブ公海条約の条文、第3次国連海洋法条約会議で協議された海洋法条約 |草稿の提案の定義でも、すべて海賊行為とは以下のものに限定されている。 |海賊行為とは、公海(あるいは各国司法管轄外の場所)で船舶、航空機、人員、資産に対し、民間の船舶、航空機、 |の乗員あるいは渡航者により、私的目的のために行われる侵犯の不法行為とその類似行為および共謀行為である。 |侵害対象は海洋哺乳類のような動物、大型鯨類には及ばず、いずれの場合においても行為が不法と認められるもの |でなければならない。 |したがってこの報告書の示唆する線に沿って新法が発展しないかぎり、”海賊”捕鯨を防止するために利用しうる |法的手段は、国内法を用いることに限られている。この国内法利用とは、間接的手段によってこの行為を阻止する |効果を持つ既存国際条約の枠内で行われる。
4 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:49:03 ID:RIWt5VKy
【違法捕鯨と海賊捕鯨の定義(2)つづき】 |この報告はこの視点から、各国に開かれている手段の例を示し、可能な法的手段の範囲を公示することによって |すべての国々が関連する国際条約を支持し、同時に必要な国内法を制定することを希望している。 |本来の海賊による違反が行われれば、違反を検知したすべての国は、以下のことを一定の制約条件として海賊船を |拿捕することができる。逮捕は排外的に軍艦、軍用航空機あるいは公式の政府船によってのみ行いうる。 |海賊は拿捕した国の裁判所で、適切な国内法により審判にかけられねばならならない。海賊船は、暴力的に拿捕に |抵抗しない限り、実力により攻撃してはならない、ましてや沈没させてはならない。 |本来の海賊を、世界レベルでの違反とするということは国際法のユニークな点である。この発展には多くの年月を |要した。他のいかなる違反についても、各国は船舶を公海で拿捕したり困難を与えてはならない..... ’Legal Measures for the Conservation of Marine Mammals’ International Union for Conservation of Nature and Natural Resources, Patricia Birnie 出版: IUCN, 1982 ISBN 2880320879, 9782880320874.163 pp. #これは国連海洋法条約発効以前の文章だということに注意する必要があるね。 #現行の海洋法条約解釈だと、鯨類他、高度回遊種を国際公共資産と見なし、海賊行為の侵害対象適格物とする見解が有力。 #ただし、理系知識に無理解で、極端な実定法形式主義の裁判官が仲裁裁判等でこの多数派見解を否定してしまうと #大変なことになるので、IWC多数派国は慎重ですね。 =提言= 過去の捕鯨履歴は、鯨類ストックの増減動向シミュレーション、捕獲可能枠算定に欠かすことの出来ない データなのだから、『商業捕鯨賛成国』を名乗る日本政府、水産庁はこれからでも遅くはない、過去の違法捕鯨、 ’海賊’捕鯨の実績を再調査し、正確なデータをIWCに提出すべき。
5 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:49:59 ID:RIWt5VKy
6 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:50:36 ID:RIWt5VKy
7 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:51:11 ID:RIWt5VKy
ポイント 1.つづき
1−2<<水産庁原則論(プロパガンダ)の解体>>:
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1229288684/11 −16、46、48−49、79−81、83−84、98、115−117、
242−243、247、356−361、363−364、375、384、387−389。
1−3 統計上の誤摩化し、IWC科学委員会に対する挑発的、「反抗的」対応。
www.iwcoffice.org - /_documents/sci_com/
=提言:水産庁は国民の税金を使って加盟し、常に世界最大の代表団を送っているIWCの公文書日本語訳を公開しなさい。
ポイント2.もし商業捕鯨が再開されるとして、捕鯨可能生産高は食糧安全保障や世界食糧危機対策に役立つのか?
http://worldfood.apionet.or.jp/graph/ 世界の食料統計/九州大学
(ブロイラー7000万t、七面鳥500万t、家禽類6000万t、チーズ1500万t、豚肉9500万t、牛肉6000万t、鯨肉?)
8 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:52:18 ID:RIWt5VKy
9 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 05:54:53 ID:RIWt5VKy
10 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 07:21:59 ID:RIWt5VKy
11 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 07:23:14 ID:RIWt5VKy
ポイント6.調査捕鯨の経費にまつわる不整合
(森下丈二)年間およそ60億円、うち10%程度が政府補助金。
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/morishita/1/ (大隅清治)年間 70 億円にも達する調査費用の大部分を(鯨肉販売で)賄っている。
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/ohsumi/2/ (IWC調査計画会議議事録、2005年9月)第2昭南丸クラスの船をIWC調査船として日本から南極へ向かわせ、約2ヶ月の調査を
する場合にIWCから徴収する費用、船員給与込み。300万ドル(約170万英ポンド)3億3千万ー3億4千万円
Although detailed figures were not available it was thought that the current cost of sending one vessel to the Antarctic
from Japan and operating for some two months in those waters is of the order $US3,000,000 (about £1,700,000).
This is clearly way in excess of the ‘traditional’ IWC research budget.
[ソース
http://www.iwcoffice.org/_documents/sci_com/SOWERPlanMtgSep05.pdf 16頁]
(米国で鯨類調査等に使用している大型調査船の経費はこの半額以下) approximately $10,000 per day. 一日あたり約1万ドル。
[ソース:Encyclopedia of Marine Mammals.Edited by William F. Perrin, Bernd Wursig and J. G.M. Thewissen 1203頁]
2006年から日本よりIWCへ無料提供していた2隻の調査船(捕鯨船)を1隻に削減したことを考えると、
このあたりの費用計算、補助金配分がかなり<自由度の高い>計算になっているのではないかと考えられる。
そもそも日本の調査船経費が米国に比べて割高。米国の大型調査船を仮に日本から出航させ、第2昭南丸同様の調査をした場合、
費用は、実際のIWC/SOWERと同じく134日間分として134万ドル。第2昭南丸の半額以下となる。
「平成19年度補助金等支出明細書」「平成19年度委託費支出明細書」
http://www.maff.go.jp/j/corp/koueki/soti/pdf/2008/147-2.pdf
12 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 07:24:47 ID:RIWt5VKy
13 :
N ◆5UMm.mhSro :2009/01/14(水) 07:27:46 ID:RIWt5VKy
14 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 07:41:44 ID:PGtWfq0O
>>1 船舶航行の危険性についての論議が、まったくないね。
15 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 08:52:08 ID:+1YbRIWS
International Whaling Commissionの略。 1946年に作られ1948年に発効した国際捕鯨取締条約(International Convention for the Regulation of Whaling − 略称 ICRW)に基づき捕鯨の管理を実施する機関。その名称から国際連合の下部機関と誤解される可能性があるが、 国連とは無関係である。実際、日本は第2次世界大戦後、国連加盟より5年早くIWCに加盟している(条約起草時に、将来国連の機関にしたい意思があった事は条約文の第3条第6項に見てとれるが、実現はしていない)。どんな国でもアメリカ政府に通告すれば、加盟国となる事 ができ、脱退は1月1日までにアメリカ政府にその意思を通告すれば同年の6月末日をもって有効となる。 IWCとしての意思決定は本会議(Plenary)で決められるが、専門的な事項に関しては下部組織としての技術委員会(Technical Committee)、科学委員会(Scientific Committee)、財務運営委員会(Finance and Administration Committee)であらかじめ審議され助言や勧告 を本会議に対して行う。議長の任期は3年。出版物の発行や会議開催の準備など事務一般は事務局(Secretariat)が行う。また、IWCの運営に関し、財務運営委員会の範疇外にある事項に関して助言を与える諮問委員会(Advisory Committee)の設置が1997年に決められた。 反捕鯨団体などのNGOは1970年代終わりころから本会議場で傍聴できたが、報道機関の傍聴が議場で可能になったのはつい最近の1998年の第50回会議からで、それまでマスコミは議事が始まる前に会議場を出て別室で会議の模様をスピーカーで聞なければならなかった。したが って長い年月、会議を直接傍聴していたNGOの発表は捕鯨に縁のない国のマスコミの記事に大きな影響を与えてきた。 条約には1946年に起草された本文の他に付表(英名 Schedule)と呼ばれる付属の部分がある。捕獲頭数、捕鯨シーズン、鯨の系統群の定義、その他捕鯨に関わる細かい具体的な規定は付表に記述され、頻繁に修正されてきている。商業捕鯨のモラトリアムやサンクチュアリー なども付表に記載される事項である。この付表を修正するのは、本会議に参加して投票で棄権しなかった国の4分の3の多数決で可能である(加盟国の4分の3ではない)。付表は条約の一部分であり、国際法上の拘束力がある。
一方、加盟国の意思表示である決議は、2分の1の多数決で可決されるが、こちらには法的拘束力がないのは、例えば国会決議(「法案の採択」と混同しないように)が法律でないのと同様である。ただし、モラトリアムやサンクチュアリーの採択など、付表の修正に対して異議の ある加盟国は異議申し立ての手続きをとる事によって、決定事項の適用の対象外となる。例えば、1982年の商業捕鯨モラトリアムの決定の際、ノルウェーは異議申し立ての手続きをとったため、現在でも合法的に捕鯨をしている。 1994の南氷洋のサンクチュアリーの採択に際して も、日本は異議申し立ての手続きをとっている(モラトリアム決定の際にも異議申し立てを行ったが後年撤回している)。この異議申し立てのメカニズムは、1946年の条約起草の際、アメリカの強い主張によって加えられた。 付表の修正に際しては条約第5条第2項により「科学的 認定に基づいて」いる事が要請されるが、科学委員会の意見に無関係に単に本会議での多数決をもって採択されるケースが近年多い。 IWCには、意思決定手続きが条約に沿っているかどうかチェックして勧告するメカニズムはないので「条約無視、多数でやれば怖くない」というの が最近の実態である。現在、世界中の国の数は190余りある(台湾など、国家として認められていない地域は除く)。その中で、現在IWCに加盟している国は以下の83カ国である。もともとIWCにおける新加盟国のリクルートは、「資源量が多い少ないにかかわらず、すべての鯨の商業 捕鯨を禁止する」商業捕鯨モラトリアムの採択のために反捕鯨NGOが1970年代終わりに開始したものである。日本など捕鯨国側は、「鯨資源の保存と適度な利用」という条約本来の目的の実現を目指してきたが、固定化した投票パターンを打ち破るには捕鯨側の主張に同調してくれる 新規加盟国をリクルートせざるを得ないとの判断から対抗措置に打って出た。その結果、非ヨーロッパ圏を中心に加盟国が増えて2006年のIWC総会で「商業捕鯨モラトリアムはもはや必要ない」というセントキッツ・ネービス宣言が採択されるにまで至ったことに反捕鯨国側は危機感 を強め、2007年2月にはイギリス政府がEUやアフカの非加盟国を反捕鯨陣営に新規加盟させる意思を表明している。
昨年の年次会議以降、スロベニア、クロアチア、キプロス、エクアドル、ギリシャなどが新たに加盟したのはその反映と思われる。ヨーロッパとNIS諸国:29カ国 (53カ国中)Austria, Belgium, Croatia, Cyprus, Czeck, Denmark, Finland, France, Germany, Greece, Hungary, Iceland, Ireland, Italy, Lithuania, Luxembourg, Monaco, Netherlands, Norway, Portugal, Romania, Russia, San Marino, Slovak, Slovenia, Spain, Sweden, Switzerland, U.K. 北米・中米・南米: 20カ国 (36カ国中)Antigua and Barbuda, Argentina, Belize, Brazil, Chile, Costa Rica, Dominica, Ecuador, Grenada, Guatemala, Mexico, Nicaragua, Panama, Peru, St. Kitts and Nevis, St. Lucia, St. Vincent and the Grenadines, Suriname, Uruguay, U.S.A. アジア: 7カ国 (21カ国中) Cambodia, China, India, Japan, Korea, Laos, Mongolia 中東: 2カ国 (15カ国中)Israel, Oman アフリカ: 17カ国 (53カ国中) Benin, Cameroon, Côte d'Ivoire, Congo, Eritrea, Gabon, Gambia, Guinea, Guinea-Bissau, Kenya, Mali, Mauritania, Morocco, Senegal, South Africa, Tanzania, Togo オセアニア: 8カ国 (14カ国中) Australia, Kiribati, Marshall Islands, Nauru, New Zealand, Palau, Solomon Islands, Tuvalu こうして見ると、ヨーロッパの国や、ヨーロッパ人が移住して開拓した国が半分以上を占めていて、アジア・アフリカの比率が低い事がわかる。調査捕鯨に対する反対決議案は法的拘束力はなく、IWCの会議で投票に棄権せず参加した国の2分の1で可決されるが、 こういう地理的・文化的バランスを欠く構成での多数決をもって、反捕鯨団体は「反捕鯨は世界の世論」と言う。
IWCは、アメリカ政府に加盟の意思を通知さえすれば、鯨に関する知識や漁業管理の経験や見識の有無にかかわらず、どの国でも加盟できる。これまでのの加盟国の様子を見ても、分担金が未払いで投票権が停止されている国、重要な投票のある日にだけ参加する国、一度も自国 のコミッショナー(「主席代表」と訳される場合もあるが、要は代表団の団長で本会議での投票権を持つ)を任命しなかった国、会議の休憩時間に反捕鯨NGOから手渡されたメモを自国の声明として読み上げる国など、実態は様々である。 90年代に入って日本は発展途上国を中心に複数の国にIWCの加盟を促ししている。 1976年以来IWCの事務局長を務めてきて2000年の会議を最後に引退したレイ・ギャンベル(Ray Gambell)博士に言わせると、「自分の意見を支持してくれる国を加盟させる事はどの国もが使いうる 戦略である」(The Guardian Weekly、18-Nov-1999)という事になるのだが、国連と違ってIWCでは加盟国の分担金が一律なため、経済的に恵まれていない国にとっては海洋生物資源の持続的利用という日本の意見に賛成であっても、自分の利害に直接は無関係なIWCに高額な金を 払って加盟して代表団を送るまでには至らない事が多かった(IWC加盟国の分担金を経済力に応じた額にする国連方式の導入は1999年に提案されたが、その後は経済的に力のない国の分担金はだいぶ減ったようである)。街頭募金のように募金額が自由な場合でも募金に応じないで 通りすぎる経験は誰でもあると思うが、まして、「最低限1万円以上で」などという条件がついていたら募金の主旨には賛成でもおいそれと応じられないのと同じである。日本円で数百万円に相当するIWCの分担金は、経済規模の小さな国にとってはおいそれと出せる額ではない。 そこで、「日本の意見には賛成だけど、捕鯨問題に利害関係のない我国にとっては経済的な負担が高い割にはメリットがないから、せめて何か見返りが無ければ加盟はできない」という場合もでてきて、ODAのような経済援助を見返りにという事にもなるのも無理もない話だと思う が、それが反捕鯨国などでは「日本が金でIWC票を買う」というような報道が出てくることになる。
仮にそういう事態であったとしても、捕鯨問題に対する彼らの本来の意見はそのまま尊重されているわけであり、後で述べる例のように反捕鯨団体が経済ボイコットをちらつかせて投票を変えるよう脅しをかけるといった、言論の自由の圧殺とは根本的に次元が異なる。 国際外交の世界では、国同士が友好裏に利害の調整を済ませて協力関係を結ぶ事はシビアーな国際社会で少しでも有利に生き残るための当たり前の方策だと思うのだが、日本国内でも、ナイーブな学級会的倫理観をそのまま国際社会に延長して物事を見る人や、外国の政 策には目をつぶって常に日本の政策のみを論じたがる人は妙に抵抗を覚えるらしい。 反捕鯨側の政治圧力の一例だが、1994年に南氷洋のサンクチュアリー案に反対しようとした南太平洋のソロモンは、反捕鯨国から輸出品であるバナナの禁輸の可能性でもって脅された。同様にカリブ海の4ヵ国には、アメリカの反捕鯨団体から多量の抗議文書がFAXで送られ、 観光地のホテルに大量に予約してキャンセル料が発生する直前の日にキャンセルされるといういやがらせに遇っている。ノルウェーはアメリカの国内法に基づく経済制裁で脅された。その結果、これらの国々は南氷洋のサンクチュアリー案採決においては棄権している。 このような、主権国家の自由な意思表明に対する圧力の存在が、IWCでも秘密投票制を導入しようという日本提案の動機となっている。マフィアの暴力が支配する町の住民投票で記名投票するような状況を想像してみてほしい。 IWCの歴史を見ると、自分たちの支持基盤を強固にするために加盟国を増やすというのは、もともと反捕鯨陣営が先に用いた手法であり、1980年前後には多くの国がIWCに加盟している(表参照)。これは商業捕鯨モラトリアムの採決に必要な4分の3の多数を得るためだが、 セントルシアなど現在では日本の立場を支持しているカリブ海の島国の多くも、もともとは反捕鯨側が加盟させたもので、分担金などもグリーンピースなどが出したという事は過去何人かのジャーナリストが指摘してきたし、IWCへのアメリカ政府代表団のコミッショナー であったマイケル・ティルマン(Michael Tillman)も1998年のラジオ番組で認めているところである。
中には、反捕鯨団体からもらった小切手をそのままIWCへの分担金の支払いに使ったために資金関係が露見した国もあったという。そして、それらの国の国籍を持たないグリーンピースの活動家やその仲間が代表団のコミッショナーや代表団員としてIWCの会議に参加していた。 このような状況の中で1982年、商業捕鯨のモラトリアムは棄権5票を除いた有効票32のうち賛成25という4分の3プラス1で可決されたわけだが、この年の代表団リストを見てもアンティグアのコミッショナーのR. Baron、セントビンセントのコミッショナーのC.M. Davey、セント ルシアのコミッショナー代理のF. Palacio、セイシェルのコミッショナー代理のL. Watsonなどはそれぞれの国の国籍を持たない反捕鯨活動家であった。 より詳細に言うと、Francisco PalacioはマイアミのTinker Instituteという団体に属するコロンビア国籍の活動家でグリー ンピースのコンサルタントでもあり、弁護士であるRichard Baronはその友人であった。英国籍のLyall Watsonは「生命潮流」などの著書でも知られる一種の思想家であり、イランの故パーレビ国王の弟が率いるスレッショルド財団(Threshold Foundation)という資金豊かな組 織の事務局長でもあった。また、加盟国政府のコミッショナーにはならなかったものの、グリンピース会長のDavid McTaggartの友人であったバハマ在住のフランス人のJean-Paul Fortom-Gouinの存在も見逃せない。もともとは投資関係のアナリストであったFortom-Gouinは、19 77年にグリーンピース・ハワイが北太平洋でソビエトの捕鯨船に妨害活動を行った際に資金援助を行い、自らもWhale and Dolphin Coalitionという団体を率いて、当時まだオーストラリアで行われていたCheynes Beach Whaling社の捕鯨に同様の妨害活動を行っている。 70年代 終わりにパナマの代表団にもぐり込んでIWCの会議に出ていたが、パナマが脱退した後は1982年からPalacioがいるセントルシア代表団に移っている。 投票権を持たない立場の顧問、専門家、通訳という代表団員ならまだしも、本会議において独立国家の意思表明手段である投票 権を持つコミッショナーやその代理が外国人だったわけである。
たとえば、日本に在住していない外国人が日本の国連大使やWTOへの日本代表団の団長や副団長となって日本の代表として発言や投票をしていたら、たとえ日本政府の承認のもとであっても奇異であり、誰をどう「代表」しているのか考えさせられるが、少なくとも モラトリアム採択前後のIWCはそういう事が行われる場所だったのである。 日本が行っている調査捕鯨は、英語による報道ではResearch Whalingという言葉よりはScientific Whalingと呼ばれる場合の方が多い。 IWCの用語ではScientific Permit(科学許可)やSpecial Permit(特別許可)と呼ばれる範疇に属する。国際捕鯨取締条約(ICRW) の第8条第1項により、加盟国政府には自国民に対し科学調査のために鯨を捕獲する許可を与える権利が与えられており、それに基づいた鯨の捕獲調査をいう。調査計画の名称は、南極海で行っているのがJARPA(Japanese whale Research Program under special permit in the Antarctic)、北西太平洋で行っているのがJARPN(Japanese whale Research Program under special permit in the North Pacific)である。 このように、条約上の正当な権利ではあるが、日本の調査捕鯨の自粛を求めるような決議が毎年IWCで採択されているのは、例えて言えば、憲法で保証された権利を否定するような決議が議会で採択されるようなものである。 ★ JARPA (1987/88−2004/05) ★ 商業捕鯨の最後の時期、日本が南極海で捕っていたミンククジラについて、IWCの科学委員会は資源量が豊富である事を調査データによって認めていたが、IWC本会議においては未だ科学的知識には不確実性があるという事で、モラトリアムの採択となった。その背景には、 商業捕鯨では鯨が多い場所を探し捕獲するため、そこから得られたデータにはサンプリング上の片寄りがあるという意見もあった(商業捕鯨においても捕獲したすべての鯨からサンプルの採取は行われ、生物学的なデータは解析されていた)。モラトリアムの決定に際し ては、「遅くとも1990年までに資源量の包括的評価を行って再度見直す」という条件がついていたため、南極海のミンククジラに関して、より信頼性の高いデータを得るために新たに調査方法をデザインして開始した、というのが南極海で調査捕鯨が開始された大ざっぱ な経緯である。
1987/88シーズンと1988/89シーズンに2度の予備調査を行い、翌シーズンから16年にわたる本調査が開始された。当初の計画では、ミンククジラ825頭とマッコウクジラ50頭の捕獲で調査を行い1990年に予定された資源量の包括的評価に望む計画だったが、中曽根政権の対外的な政治 配慮により捕獲量を減らされたため、調査結果の統計的有意性を保つには、調査期間を延長せざるをえなくなった)。調査海域としては 南極海で6つに分けられた区域 のうち、日本が商業捕鯨時代に操業を行ってきたIV区とV区を交互に行ってきたが(捕獲頭数は各区で300頭プラス ・マイナス10%)、系統群分布の広がりを調べるために隣接したIII区やVI区の一部も含めるようになった(捕獲頭数は各区で100頭プラス・マイナス10%)。よく、反捕鯨国で「調査のために数100頭も捕るのは捕りすぎ」などという人がいるが、統計学上、母集団からサンプリングし て、その分析結果から母集団に関して確かな事をいうには、サンプル数がある程度十分である必要がある事を理解していない人の言である。喩えて言うなら、人口50万程度の都市でたった10人程度からアンケート調査をして、その結果から住人の実態についてどれだけ正確な事が言 えるのか、というのを考えてもらえば判ると思う。商業捕鯨と違い、調査捕鯨においては母集団から地理的、生物学的(性別、年齢など)に片寄りのないサンプリングをするのが大事なため、船団のコースは数学的に決められ、鯨の群れを発見した際には乱数表を用いてどの鯨を捕 獲するのかが決められる。また、鯨の体から採取されるサンプルの項目も多岐にわたる。 これらの研究報告は毎年IWCの科学委員会で検討されるが、それらに加えて南極海での調査捕鯨に関しては16年計画の中ほどが過ぎた1997年に専門の会議が開催されて詳細に検討された。その 報告書 の中で「JARPAの結果はRMPによる管理には必要ではないものの、以下の点でRMPを改善する可能性を秘めていることが留意された。・・・」で始まる文の「JARPAの結果はRMPによる管理には必要ではない」だけを取り上げてIWC科学委員会が調査捕鯨の成果に否定的であった ように宣伝 しているのが内外の反捕鯨団体である。報告書を良く読めば、調査から得られた様々な結果が高く評価され、改定管理方式(RMP)
23 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 09:13:06 ID:BX8H0qOo
>>6 >日本の調査捕鯨はほんとに科学的調査なのか、それとも官製捕鯨産業、天下り先のための口実なのか。
「一握りの官僚や利権団体のための調査捕鯨」では? という問いかけに
当の官僚さんである森下氏が答えていらっしゃいます。w
(もちろん答えになってないけど)
↓
|日本鯨類研究所の数人の役人 OB や,共同船舶株式会社一社の利益を守るだけだとすれば,
|果たしてこれだけの関係者が日本の捕鯨政策を支持するでしょうか?
|アメリカやオーストラリアからの反対を受けながら 30 年近くも戦い続けることができたでしょうか?
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/morishita/1/#c45 ------------------
他の省庁は実質的な実害がないわけですからそりゃ支持しますよ。
まあ森下さん、「一握りの官僚や利権団体のための調査捕鯨」というよりも
「調査捕鯨は水産庁の面子と鯨研共同船舶の既得権益維持のためにある」って
本当のことを言ったほうがいいのでは?
やっぱそれは当の官僚さんには酷ですか・・。w
24 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 09:19:53 ID:BX8H0qOo
まあ実情(カネの流れ)を見れば、この調査捕鯨なるものが鯨研と共同船舶のためだけにある ってことは一目瞭然、単純明快、中学生にもわかることなんだけどなあ・・。
25 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 09:31:50 ID:BX8H0qOo
天下りさんたちは必死です。 机の前に座ってアジっているだけで年収何千万円が保障されるからです。 何年か先の何千万という退職金も用意されておりますから。 しかも“渡れ”ば同様においしい思いを続けることができますから。 国民のためになる公共事業ならいざしらず 一部の既得権益享受者たちのためだけにある 調査捕鯨なんか必要ないのです。
26 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 09:35:18 ID:BX8H0qOo
机の前に座ってアジっているだけで年収何千万円が保障されるからです。 ↓ 机の前に座ってアジっているだけで年収一千万円以上が保障されるからです。
27 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 09:48:30 ID:+1YbRIWS
を改善する可能性も合意されている。また、反捕鯨団体のいう「鯨を殺さない調査でも必要な情報は得られる」という言い分に関して、報告書は科学委員会内の両論を付属文書に併記した上で、様々な調査項目のうちミンククジラ集団の年齢構成に関する部分に関しては「会合で は年齢構成の情報をもたらし得る非致死的調査方法(例えば、自然標識)があったことが留意されたが、調査船団への補給およびIV区とV区でのミンククジラの豊富な頭数が、それらの調査を成功させることを恐らく妨げたであろう」としている。もちろん、報告書におけるこう いう個所は反捕鯨団体の宣伝では都合よく無視される。 ★ JARPA II (2005/06−) ★1987年から始まった南極海での第1期の調査計画(JARPA)も2004/05シーズンに無事終わり、2005/06シーズンからは内容を更に広げた新しい調査計画(JARPA II)が開始された。 当初、南極海での調査捕鯨が始まった背景としては、当時の南極海で最も資源量が豊富で繁殖力も旺盛なミンククジラの商業捕鯨再開に向けた科学的データの収集という側面が大きかった。ミンククジラはヒゲクジラ類の中ではかなり小さな種だが、資源管理が極めて甘かった初 期の商業捕鯨によって激減した大型クジラに取って代って資源量を増やしたことが種々のデータで示唆され、南極海で商業捕鯨を再開する際には当面の唯一の捕獲対象と考えられていた。しかし調査が進むにつれて、ミンククジラの増加傾向も頭打ちであることが、性成熟年齢、 体長、皮下脂肪の厚さ、胃の中の餌の量のデータなどからうかがえ、一方、かつて資源量が枯渇した大型クジラであるザトウクジラやナガスクジラが回復し始めていることが目視調査から判明し始め、これらが餌をめぐってミンククジラと競合している可能性が濃厚になってきた 。なお、最大の鯨であるシロナガスクジラについては増加傾向は認められるものの過去にあまりに激減したせいか回復の程度は低いし、同じ南極海のヒゲクジラ類でもイワシクジラなどは索餌海域が温暖な中緯度であるためにミンククジラと餌を争う相手ではないと考えられている
このような背景のもと、データから得られる統計的な有意性を高めるためにミンククジラの捕獲量を増やし、ナガスクジラとザトウクジラを新たに対象に加えて鯨種間の相対的な勢力関係を解明し、更に地球規模の環境変化が鯨に与える影響の調査を拡充し、これまで一種類の鯨の 管理しか想定していなかったIWCの捕獲枠算定法である改定管理方式(RMP)を複数種管理に発展させることも狙うというのが、今回の第2次調査計画の大きな目的となっている。 最初の2回の調査は予備調査として妥当な調査手法の追求に重きを置き、ミンククジラを850頭±10%、ナガスクジラを10頭までの捕獲となるが、本格調査ではミンククジラを850頭±10%、ナガスクジラとザトウクジラを各50頭の調査を予定している。初回の2005/2006年の調査では グリーンピースとシーシェパードの2つの反捕鯨団体が過去同様に一般市民の寄付金をドブに捨てるような空疎で見かけ倒しの妨害活動を行ったものの調査は無事に終了し、反捕鯨国が唱える非致死的手法のみの調査では得られない貴重なデータがミンククジラ以外にも蓄積され 始めた。 ★ JARPN (1994−1999) ★一方の北西太平洋での調査は、日本近海の北西太平洋におけるミンククジラの系統群の分類に関して反捕鯨国の一部の科学者から出された仮説に反証するために1994年に開始された。もともと商業捕鯨時代の生物学的データから、北西太平 洋のミンククジラは以下の2つの系統群(おおまかにいって繁殖集団)から成ると考えられていた。 J系群: 黄海−東シナ海−日本海に生息。 推定頭数は7,000.O系群: オホーツク海−北西太平洋に生息。 推定頭数は25,000. ところが反捕鯨側が唱えた新説は、J系群とO系群が更に細かな亜系群から成り、更に北太平洋中部にW系群という新たな系統群が存在してO系群と混ざっているというもので、IWCの捕獲枠算定方式である改訂管理方式(Revised Management Procedure − 略称 RMP)が適用された 場合に捕獲頭数が極めて低くなるような、ほとんど政治的意図のためとしか思えない仮説なのだが、これまでの調査の結果では従来どおりの系統群分類を支持するデータが得られている(亜系群の存在は否定されたが、新たなW系群の存在は完全には否定できていない)。
調査海域は、 IWCが区分けした海域のうち、7、8、9、11の海域で行われ、 捕獲頭数は100頭プラス・マイナス10%であり、調査手法は南極海と同様である。2000年2月にこの調査計画の成果についてIWC科学委員会主催のレビュー会議が開催され、反捕鯨派の科学者が 提唱した新仮説を支持するデータは見つからなかったものの、それらを完全に否定するまでには至らなかった。 ★ JARPN II (2000−) ★当初は系統群分類に重点を置いて始まった北西太平洋の調査であったが、捕獲された胃の内容物の調査から予想外に多くの魚類、それもサンマやイワシをはじめ明太子やタラコの親であるスケトウダラなどが見つかり、また漁業の現場 でミンククジラがこれらの魚をごっそりと食べて漁業と競合している事が判ったため、比較的豊富なニタリクジラやマッコウクジラにも調査の対象を加えて魚と大型鯨類の捕食関係などの生態系を解明する事に重点におき、2000と2001年にそれぞれミンククジラを100頭、 ニタリクジラ50頭、マッコウクジラ10頭を捕獲する予備調査に着手する事となった。実際に捕獲した鯨の胃から見つかった魚類の写真は、日本鯨類研究所や水産庁の捕鯨班のページに見ることができる。 この調査における主目標は、漁業における複数種管理にある。 どういう事かというと、従来は例えばミンククジラ捕鯨ならミンククジラのみの資源量から捕獲量を決めていたのを、餌としている生物との数量関係によるモデルを用いて複眼的に行なっていこうという点にある。同様の試みはすでにノルウェーで始まっていて、ミンク クジラとその餌であるオキアミ、マダラ、シシャモの関係を数式で表して、どの種をどれだけ獲ると、他のどの種がどれだけ増減するかという研究がなされている。鯨が多量の魚類を捕食する以上、ミンククジラの数倍の体重を持ち資源量も同等あるいは数倍もある北西 太平洋のニタリクジラやマッコウクジラも調べなければ、この点の解明はできない。よく、反捕鯨論者の中には、鯨を殺さない非捕殺的調査のみで充分という人がいるが、鯨の群れを観察したり皮膚から少量のサンプルを取っただけでは、鯨と魚の数量的捕食関係などは 判らないのである。もちろん、従来からのミンククジラの系統群の問題に加えてニタリクジラの系統群分類なども調査対象となるし、臓器などを調べて環境汚染の影響の具合なども調べられる。
2000年と2001年の2年間に予備調査を行ない2002年から本調査となったが、本調査からはミンククジラは新たに沿岸での50頭の捕獲が追加され、さらにイワシクジラ50頭が加わった。沿岸でのミンククジラは釧路と三陸で毎年交互に、それぞれ違う時期での捕獲である。 更に2004年からは、イワシクジラの捕獲枠が100頭に、沿岸域でのミンククジラは釧路と三陸でそれぞれ毎年60頭(計120頭)と変更になった。現在の捕獲予定数をまとめると、 ミンククジラ: 220頭 (沖合いで100頭、沿岸で120頭)、ニタリクジラ: 50頭、イワシクジラ: 100頭、マッコウクジラ: 10頭である。 なお、調査海域におけるニタリクジラは現在の推定頭数は2万3000程度(IWC科学委員会、1995年)であり、捕獲開始前の推定頭数は3万5000から4万程度であるから、大体、NMPの説明で述べる MSYレベル に近いと思われる。ニタリクジラは日本近海ではモラトリアムで 商業捕鯨が停止する1987年まで捕獲されていた。 一方、イワシクジラについては、日本の研究者による調査海域の推定頭数は2万8000程度である(IWC科学委員会ではまだ最新の資源評価に着手していない)。この推定頭数が妥当ならば、年間50頭(全頭数に対して0.2%程度)の捕獲では悪影響は考えられない。日本近海 での捕獲は、70年代に採用された新管理制度(NMP)によって保護資源になったために商業捕獲は1975年が最後であり、27年ぶりの捕獲となった。 北太平洋西部におけるマッコウクジラの推定頭数は10万程度であるが、初期資源量は不明である(江戸時代末期、まだ日本人が遊泳速度が遅くて死んでも沈まないセミ鯨などを中心に沿岸捕鯨を行っていた時代に、欧米の捕鯨船が大挙して押しかけて日本近海で捕っていた 捕獲歴史の古い種であるから、今世紀始めにノルウェーの国際捕鯨統計局がまとめ始めた資料だけでなく、古い歴史的資料まで遡って解析して大ざっぱな推定ができるかどうか、といったところではないだろうか)が、年間10頭の捕獲ではとうてい資源状態に影響しない。 マッコウクジラは大型鯨類の中では最も豊富で全世界での推定頭数は100万以上なのだが、なぜかアメリカ国内では絶滅に瀕した種に分類されていて、これをタテに日本の調査に対して圧力をかけている。
マッコウクジラが豊富で全世界の推定頭数が100万から200万である事はアメリカ政府の海洋大気局(National Oceanic and Atmospheric Administration - NOAA)のページ にも記載されていたのだが、自らの政策の馬鹿さ加減を裏付ける数字であるためか今では削除されている。 2001年1月に、アメリカのノーマン・ミネタ商務長官が来日して日本の農水大臣と会談した際、日本側がこのページを引き合いに矛盾を指摘したところ、さっそく翌日から数値の記述が削除されたのだという。このように豊富な種でも絶滅に瀕した種に指定されるのは、ワシント ン条約(CITES)における分類と同様、鯨を取り巻く政治状況の歪みの産物である。 なお、条約第8条第2項では捕獲した鯨を「実行可能な限り加工」する事が規定されている。従って、捕獲した後に研究用のサンプルだけを取って鯨を廃棄してはいけないのだが、一般には条約の規定などあまり知られていないため、日本国内でさえ、「調査捕鯨で採った鯨がなぜ 売られているのだろう」という声はたまに耳にする。また、このような一般市民の知識不足を利用して「調査捕鯨は科学を隠れみのにした商業捕鯨」と主張する反捕鯨団体の宣伝がもっともらしくまかりとおる。実際には、こうした副産物の販売によって、調査にかかる費用のか なりの部分がまかなわれている。これは、例えば惑星の研究のために探査機を送り込んでも、それにかかる費用を補う副産物が得られるわけではない事と比較すると、科学研究としてはコスト面で効率の良い部類にはいると思う。 いずれの調査も (財)日本鯨類研究所 が主体となって計画され、科学者以外の乗組員と船は共同船舶株式会社からチャーターされている。調査計画は毎年IWCの科学委員会において事前に審議され、計画内容に対し助言などが行われている。調査結果は、国外の科学者も交えて 解析され、IWCに多くの論文が提出されているものの、一般の市民にはアクセスしにくいし、英語の専門論文は読んでもたぶん理解できないと思うが、日本鯨類研究所が毎年発行する年報や年4回発行される「鯨研通信」で各年の調査結果の概要を知る事はできる。
IWCの年次総会には毎年何十ものNGOが参加し、それらの大多数は反捕鯨団体である。徐々に解説を加えていくとして、とりあえず、その主なものを列挙しておこう。各団体のページを訪ねて、捕鯨問題に関する主張を読み、それらが何を語って何を隠しているかを洗い出せば、
反捕鯨運動における情報戦略の性格というものが見えてくるであろう。また、掲示板やゲストブックがある場合には、それらを見ることによって、彼らを支持する一般市民の知識の程度や見識のレベルなども見えてくるであろう。
GP - (Greenpeace International、グリーンピース)
日本ではおなじみの反捕鯨団体である。 1971年にアラスカでの核実験に反対する活動をしたのが始まりらしい。捕鯨に関しては、1971年にアリューシャン列島のかつての捕鯨基地の廃墟で、かつて乱獲された鯨の骨を見たのがき
っかけだったというのが公式のストーリーである。が、実際には、自分が飼育するシャチが自由になりたがっていると主張してバンクーバーの水族館を解雇されたポール・スポング(Paul Spong)に1973年に出会って感化されたの
が、本格的な始まりだったようで(Fred Pearce、"Green Warriors"、1991)、これは当時バンクーバー在住で初期のGPのメンバーとも交流のあったC.W. ニコルの回想とも符合する(「日本人と捕鯨」、1982)。捕鯨船団に直接
行動を取ったのは、1975年夏に北太平洋での旧ソビエトの船団に対するものが最初である。1985年には反核運動でニュージーランドに停泊していたGP所有の「レインボー・ウォリアー号」が核実験国であるフランスの工作員に爆破
されるなど、話題にはこと欠かない。また、旧ソ連が崩壊する少し前の1991年、東ドイツに配属されていたソ連軍将校からスカッド・ミサイルの核弾頭を買うつもりだったものの、その将校が転属になったため断念したという
(
http://homepage.mac.com/hjens/nuclear.html 8/18/94の項)。買った核弾頭を公開してセンセーションを巻き起こすつもりだったらしいが、注目を集めるには何でもアリ、という姿勢の一例である。
なお、もともと北米で誕生したが、現在の本部はオランダのアムステルダムであり、各国の支部は集めた資金24%を本部に払うことになっている。
WWF - (World Wide Fund For Nature、旧名はWorld Wildlife Fund、世界自然保護基金) 1961年設立の大手環境保護団体でスイスに本部がある。反捕鯨運動ではグリーンピース、IFAWと並ぶ勢力である。名誉総裁をエリザベス女王の夫であるエジンバラ公フィリップ殿下が務めるが、彼が日本の新聞とのインタビューで「日本にWWFの会員が少ないのは日本人の環境への 意識が薄いからだ」というような趣旨のことを言っていたのが思い出される。また、1993年に京都でIWC総会が開催された際、WWFで長年捕鯨問題を担当するカサンドラ・フィリップス(Cassandra Phillips)女史がテレビ・インタビューで「IWCが白人の優位性を失い、道義を失う と人類は危機に陥る。」と述べていたが、フィリップ殿下の言葉と併せて、欧米人の一部に根強くあるゆがんだ意識を想わせる。 ところで2002年4月1日に、WWF日本支部が会員向けの会報において「数が多く絶滅の心配がない種類は、徹底した管理制度などの条件が整えば商業捕鯨の再開が可能であるという論理を否定できない」という旨の見解を載せて注目された。これがスイスの本部の方針に影響を与え るのかどうか未知数だが、オーストラリアやニュージーランドの支部は、そう簡単に姿勢を変えないのではないかと想像する。なお、ノルウェーのWWF支部はすでに1996年に 「ノルウェーの商業捕鯨の捕獲量は資源に影響のないレベルであり、IWCで定管理制度が完成すればもはや 反対することはない」という旨の声明を出して 本部の姿勢との違いを明らかにしている。 IFAW - (International Fund for Animal Welfarek、国際動物福祉基金) 1969年に設立。カナダにおけるアザラシ猟への反対運動で知名度を上げた。捕鯨に関しては、代表的な反捕鯨科学者のジャスティン・クック(Justin G. Cooke)への資金援助関係やシドニー・ホルト(Sidney Holt)との関係が知られる。
シーシェパード - (Sea Shepherd Conservation Society ) 「海の羊飼い」と訳されることもある。グリーンピースの創立メンバーの一人でありながら組織を追放された活動家ポール・ワトソン(Paul Watson)が1977年に創立した。日本では知名度が低いが海外では知られた存在である。 1970年代終わりから80年ころまで「シエラ号」など の海賊捕鯨船へ自身の船を体当たりさせたり、爆破したりして有名になったが、その後1986年にアイスランドの捕鯨基地で陸上の捕鯨施設を破壊し、捕鯨船を浸水・沈没させ、結果としてIWCへのオブザーバー参加権を剥奪されている。 また、1992年にノルウェーの捕鯨船を浸水・沈没させようとしたのを始め、1994年にノルウェーの沿岸警備艇に船を体当たりさせるなどの活動でワトソン自身がノルウェーから国際指名手配されて1997年にオランダで逮捕されている(80日の拘留の後釈放)。これまでに沈めた捕鯨 船の数は10隻であるという。また、1998年にはアメリカ・インディアンのマカー族の捕鯨復活への妨害でもメンバーから逮捕者を出している。今年(2001年)の夏はカリブ海の原住民生存捕鯨に注目を集めるべく、セント・ビンセントへ向かったそうである。ピアース・ブロスナン (Pierce Brosnan)やルトガー・ハウアー(Rutger Hauer)など、ハリウッドの俳優にも支持者が多いようで、ワトソンの半生を描いた映画が作られるという話が以前ネットに流れていたが、その後どうなったのであろうか。このニュースに対してあるノルウェー人が、「出来上がっ たら、その年の代表的コメディー映画になるだろう」と評していたのが思い出される。 これまでは日本と直接対峙したことがなかったが、2002年末には南氷洋における日本の調査捕鯨に対する妨害活動を開始する予定で、8月からニュージーランドのオークランド港において、自身の活動船ファーリー・モワット(Farley Mowat)号の準備をしている。報道を見る限り、 過去のグリーンピースと類似の行動をとるつもりのようで、「類は友を呼ぶ」という言葉が思い起こされる。最近の報道によると、捕鯨に反対する理論武装を強化する意味も込めて、妨害活動船の乗員40数名は全員菜食主義者であるという。
また、出航を間近に控えた11月には、活動船に魚雷が搭載されているという情報を受けてニュージーランド当局が捜査をした。その結果、密漁船などに対する威嚇目的で載せた、内部が中空の模造品の魚雷がデッキ上に確認されている。 なお、彼らにとっては敵にあたる ハイノース・アライアンス のページのゲスト・ブックにポール・ワトソン自ら書き込みをしているのを以前よく見かけた。 EIA - (Environmental Investigation Agency) 「環境調査エージェンシー」と訳される場合もある。フェロー諸島のゴンドウクジラ漁に対する反対キャンペーンの中心的存在であり、また近年は日本のイルカ漁に難くせをつけてきている。元グリーンピースの活動家アラン・ソーントン(Allan Thornton)に率いられる。 ソーントンはグリーンピース時代、1977年にそのイギリス支部を作り、マスメディアを通した呼びかけによって、1978年にグリーンピースの船、初代「レインボー・ウォリアー(虹の戦士)号」を調達した人物でもある。数年前、EIAはロンドンの法務局では株式会社として 登記されているという報道があったが(Themis 1994年8月号)、今でもそうなのかは不明である。 FOE - (Friends of the Earth International) 訳名の「地球の友」で呼ばれることもある。捕鯨問題ではグリーンピースよりも早く、1971年からIWCに姿を見せている。当時はFOEの反捕鯨組織「プロジェクト・ヨナ」がジョーン・マッキンタイアー(Joan McIntyre)に率いられ、アメリカのニクソン政権との密接な連携 で反捕鯨運動を世界的に広めた。マッキンタイアーがIWCの場で演説できたのもニクソン政権の力であり、後に彼女がまとめた「クジラの心(原題:Mind in The Waters)」には、ニクソン政権で反捕鯨政策を推し進めたリー・タルボット(Lee M. Talbot)も一文を書いている。
彼女にまつわる逸話を1つ引用しておこう。文中「米澤」とあるのは当時IWCでの日本代表団のコミッショナーであった米澤邦男氏である。 米澤がホテルにチェックインした時に反捕鯨派の攻撃は開始されていた。 米澤はホテルで次のように言われた。 「あなたの部屋に花が沢山届いていますが、どうされますか? 棄てろというなら、棄てます。それから、プロジェクト・ヨナという反捕鯨団体のマッキンタイアという女性が、あなたにお目にかかりたいと言ってきてますが、どうしますか」 米澤が「花を持って来い」と言うと、葬式の花である白ユリが部屋に入り切らないぐらい届けられた。 それからマッキンタイアが部屋を訪ねて来て、「ミスター米澤、今日は何の日か知ってますか?」と言うから、「知らないね」と言うと、 「今日はクジラのお葬式の日です。そう思って私は花を持って来たんです。クジラみたいな利口な動物を殺すのは許せません。人間以上に利ロなんですよ、コミュニケーションもしているし」と真顔で言った。そこで、「クジラは本も書かないし、 建物も建てないし、あまりいい仕事はしないようだね」と言うと、「そこなんですよ。 クジラは本当はできるんです。 でも残念ながら手がないんです。 手さえあれば人間に負けないものを作りますよ」と彼女は言った。 米澤は、40分ほどマッキンタイアにつきあったが、最後に、「あなたのお話を聞いていると、クジラが一部の人間よりは利ロかもしれないと思えるようになりましたよ」と皮肉を言ったが、それが相手に伝わったかどうかは、分からなかった。 マッキンタイアは、その後、プロジェクト・ヨナの金を横領して3年ほど後にクビになっている。 運動家になるには金を集める才能がなければならないし、日本から来たコミッショナーのホテルに押しかけて、デモンストレーションをやったという 実績を積まねばならなかったのだろう。 運動家は純粋なだけでは務まらない仕事である。 (小川晃 「鯨と日本外交」、「月刊日本」 2001年7月号)
International Wildlife Coalition 名前からわかるように国際捕鯨委員会(IWC)同じ略称を持つ反捕鯨団体である。この略称を活用して、あたかも国際捕鯨委員会の見解のような誤解を与えかねないパンフレットを配布したことなどあるという。 1994年の南氷洋サンクチュアリ採択に際して、カリブ海諸国の観光 ホテルに大量に予約を入れ、キャンセル料が発生する直前に予約を取り消すという嫌がらせで、サンクチュアリーに反対票を入れないように圧力をかけたのも、この団体である。また、1998年のIWC総会において、この団体とECCEA(Eastern Caribbean Coalition for Environmental Awareness)がそれぞれ、日本がカリブ海諸国の票を金で買っているとか、共謀してホエール・ウォッチング船を爆破しようとしているなどと主張するオープニング・ステートメントを発表したために会議が紛糾し、結局議長の裁定で、1つの文書は公式文書から除外し、残りはNGO の声明であると明記させるという騒ぎになっている。 Breach - 1994年に結成された新しい団体で、1999年のIWC総会開催中、IWC事務局に押し入ろうとして警察沙汰になり、IWCへのオブザーバー参加権を剥奪されたのが記憶に新しい。 WDCS - (The Whale and Dolphin Conservation Society)HSUS - (The Humane Society of the United States、米国人道協会) RSPCA - (Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals、英国動物愛護協会) 「鯨は生態系の上で頂点に立つ生き物である」とか「鯨は食物連鎖の頂点にいる生き物である」というような文は、おそらくほとんどの人は目にした事があるだろう(例えば著名な反捕鯨啓蒙家であるロジャー・ペイン(Roger Payne)に言わせると鯨は食物連鎖上、下から第7番目 であり頂点に立つという)また、植物プランクトンから始まって、様々な生物が階層構造をなして上へ延びてゆく図も一度は目にした事があるのではないだろうか。以前から、鯨類の食物連鎖における地位(食物段階)については疑問を感じていたのだが、この場で整理してみたい。
なお、生物を捕食者と被捕食者の1次元的つながりで捉える「食物連鎖(Food Chain)」という概念はやや古典的で、現実の捕食関係はもっと複雑な網の目状の「食物網(Food Web)」であるが、ここで述べる話では鯨種ごとの餌の違いを論じる程度なので、簡単でわかりやすい 「食物連鎖」で話をすすめる。まず、捕鯨問題との関連で考える上で、これまでIWCが管理の対象としてきた大型鯨類とその餌をおおざっぱにまとめると以下のとおりである。 ヒゲクジラ亜目 ナガスクジラ科 シロナガスクジラ 動物プランクトン(オキアミ) ナガスクジラ 動物プランクトン(オキアミ、カイアシ)、群遊性魚類 イワシクジラ 動物プランクトン(オキアミ、カイアシ)、群遊性魚類 ニタリクジラ 群遊性魚類、動物プランクトン ミンククジラ 動物プランクトン(オキアミ、カイアシ)、群遊性魚類 ザトウクジラ 動物プランクトン(オキアミ、アミ)、群遊性魚類 セミクジラ科 セミクジラ 動物プランクトン(カイアシ、オキアミ) ホッキョククジラ 動物プランクトン(カイアシ、オキアミ) コククジラ科 コククジラ 底生甲殻類 歯クジラ亜目 マッコウクジラ科 マッコウクジラ イカ、底生魚類 ここで、歯を持たないヒゲクジラ類が食べる魚類とはサンマ、シシャモ、ニシン、イワシといった小型のものやサバ、タラといったものである。なお、同じ鯨種でも生息する海域が違うと餌も違ってくるし、同じ海域の同じ種類の鯨でも、年によって餌に変動がある。例えば、 日本が調査捕鯨で捕っているミンククジラは、南半球に生息するものはオキアミ類などの動物プランクトンが餌の大部分を占めるが、北太平洋のものではオキアミは半分程度で、あとはマイワシ、イカナゴ、サンマなどの魚類が占め、それらの割合が年によってかなり変動して いる様子は、胃の内容物も調べる捕獲調査がもたらしてくれる、今現在の生態系に関する貴重な知識の一つである。 さて、こうして表を見ると、いくつかの疑問が生じるが、まず、このような餌の多様性を無視し「鯨」という言葉でひとくくりにして、その食物連鎖上の地位を論じられるかという疑問がある。
食物段階が植物プランクトンよりひとつ上の動物プランクトンを偏食するシロナガスクジラと、イワシやサンマなどの小型の魚を食べるその他のヒゲクジラ類、さらに表には載っていないがマグロ、カツオなど大型魚類を食べるゴンドウクジラ(歯クジラ類)などを、あたかも一 つの食物段階にあるかのように語るのは、個々の鯨種の資源量の違いを無視して「鯨が絶滅しかかっている」と言うのと同じ類の粗雑な言い方ではないだろうか。 次に「食物連鎖上で頂点」という点について考えてみる。野生の動物で鯨を襲って食べるのは同じ鯨類のシャチくらいであり、鯨を食べる野生動物種がいないという、相対的な意味では頂点と言える(余談だが、世の中には鯨は人間と同等の知能を持つ生き物であり、鯨を食べる のは食人に等しいと信じている人もいるが、彼らが鯨を食べるシャチの行為を嘆くのは聞いたためしがなく、本当に彼らの意識の上で鯨と人間は同等なのか疑問である)。だが、食物段階がどのレベルものを食べているかで考えるならば、シロナガスクジラはオキアミを食べる他 の生物より高いとはいえず、小型魚類を食べるイワシクジラなどの種は、同じく小型魚類を食べる鳥や中型・大型魚類より高いとはいえない。もし相対的な意味で「頂点」と言っているとすれば、例えるなら5階建ての建物の5階と10階建ての建物の7階を比較して、前者は最上階 だから頂点であるというのと同じ論法であって、地上からの高さが反映されているわけではないのである。このような位置づけが生態系を考える上でどれだけ重要な指標となりうるのか疑問が残るが、これまでのところ、この疑問に答えてくれる説明には出会った事がない。 このような事から、冒頭の「鯨は食物連鎖の頂点」という言い方は、かなり誤解を招く言い方である事が言えると思う。大型魚類を食べる一部の歯クジラ類はかなり高い段階にあるかも知れないが、鯨類が共通の食物段階にいるわけではないのであり、地球上で最大の動物として 賛美されるシロナガスクジラなどは、「頂点」という言葉によって一般の人々がイメージするよりは、食物連鎖上はるかに低い位置にいるわけである。また、最近よく話題になる環境汚染物質の体内への蓄積という点では、問題になるのは食物段階が下から何番目かという点にな るはずであり、
そうなると議論は鯨の種類ごと、あるいは生息域ごとの餌の違いを抜きにしては論じられないはずであるが(さらに体の部位によって蓄積の度合いが全然違うから鯨製品ごとに論じる必要もある)、反捕鯨国での報道をネット上でみるかぎり、「鯨の体内から高濃度の汚染物質が 発見」というレベルにとどまるものが多く、詳細を伝えない事によって鯨であればどこで捕れたどの鯨のどの部位の食品でも危険であるかのような印象を持たせようという意図が見え見えである。 さて、食物段階が上位の動物は汚染物質が蓄積しやすいから環境のバロメーターであり、従って保護されるべきであるという論もあるが、汚染物質が蓄積しやすいなら、そうでない生物よりはいっそう注意を払って捕りすぎないようにすれば良いだけの事で、捕獲量をゼロにしな ければならない必要など何かあるのだろうか。さらに「バロメーター」だからこそ、その体内からは汚染物質の蓄積具合いや、その体内への影響など、環境汚染の生物への影響を研究する手がかりが多く得られるのであり、鯨を殺さないで皮膚からサンプルを採るだけというのでは 「私達が愛する"お鯨様"を殺すなんて許せません」という一部の愛好家の価値観に迎合する上では有効でも、海洋生物と環境に関する知識を迅速に深めようという立場から見れば、入手可能なデータのごく一部を効率悪く利用する手法であり、例えて言うならば、惑星探査機があり ながら天体望遠鏡だけで惑星を研究せよというようなものであって、得られる知識も限られる。実際、調査捕鯨で得られる知識の中には、反捕鯨論者がとなえる非致死的調査では決して得られないもの、あるいは得られてもはるかに多くの年月を要するものが多いが、この点は専門家 による説明に詳しい。もし、日本の調査を否定する国に非致死的手法のみで調査させて、日本の調査とどちらが確かで多くの結果を効率良く導くかを比較すれば、この点はすぐ明らかになるであろう。日本が現在南氷洋で調査捕鯨の対象としているのはミンククジラ(Minke whale) という、体長が7-8メートル程度の小さな種類である(商業捕鯨を復活させたノルウェーの捕獲対象も同じくミンククジラである)。「ヒゲクジラ類の中では最小」と紹介される場合も多いが、ヒゲクジラ類の中で最小なのは南半球のみに生息するコセミクジラというセミクジラの亜 種で、こちらは体長5-6メートルである。
「ミンク」の名称は、この小さなクジラばかり捕っていたノルウェーのマインケ(Minke)という新米砲手に由来するといわれ、英語での発音は「ミンキー」である。沿岸での小型捕鯨では以前から捕られていたが、南氷洋での本格的な捕獲は1970年代初めからである。 大型鯨類が次々と禁猟になる中、南氷洋で日本が商業捕鯨の最後の年まで捕獲していたヒゲクジラであり、他の大型鯨類と違って悪名高いBWU(Blue Whale Unit - シロナガス換算制)という捕獲枠設定方式の洗礼をほとんど受けなかった。また他の大型ヒゲクジラ類の 雌が2-3年に一回出産するのに対し、ほとんど毎年出産する。 2002年9月現在、 IWCのホームページにおける推定資源量 は以下のとおりである。 海域 期間 推定値 95%信頼区間 南氷洋 1982/83 - 1988/89 76万1000 51万 - 114万 現在 改定中 科学委員会による再評価中であり、信頼できる数値なし。 北大西洋(カナダ東部沿岸を除く) 1987 - 95 約14万9000 12万 - 18万2000 北西太平洋とオホーツク海 1989 - 90 2万5000 1万2800 - 4万8600 「95%信頼区間」というのは、資源量がこの範囲にあるのは95%確かであるという、推定結果の信頼性の目安である。1970年代後半、日本の大隅博士は南氷洋のミンククジラは捕獲の対象となる成体だけでも40万頭はいると推定していたが、反捕鯨派科学者のリーダー的存在 であるシドニー・ホルト博士(Sidney J. Holt)による推定量はたった2万頭というものであり、実際に大規模な調査を行って検証する必要があった。そこで、IWCが1974から始めていたIDCR(International Decade of Cetacean Research、国際鯨類調査10年計画)の一部 として南氷洋のミンククジラの資源量の調査が開始した。 この調査によって、ミンククジラの数が極めて豊富な事が判明し、商業捕鯨モラトリアムが採択された1982年にもIWCの科学委員会はミンククジラは捕獲を続けてもなんら問題ない豊富な種であるとして、資源状態に関わらずにすべての対象鯨種の捕獲を禁ずる包括的モラトリ アムの必要性はない、と結論していた。当時の推定資源量は30万頭程度であるから、シドニー・ホルトの推定量がいかに荒唐無稽なものだったかがわかる。
なお、これ以上調査でミンククジラの豊富な資源量が裏付けられては困るのか、1984年のIWC科学委員会の会合では反捕鯨派科学者グループが調査を継続すべきでないと言い出したが、日本側の強い主張で結局継続となった。以後調査は毎年続いてきており、95/96年の航海では 調査期間の最初の1ヶ月ほどが日本が独自に企画したシロナガスクジラ調査、残り2ヶ月程度がIDCRのミンククジラ調査という2本立てになり、翌年からはこの2段構成の調査航海がIWCの新調査プログラムSOWER(Southern Ocean Whale and Ecosystem Research)の名のもとに行わ れるようになって現在に至っている。IWCの科学委員会の1971年におけるミンククジラ推定資源量は15万頭から20万頭であり、その後の研究でも本格的捕獲開始前の資源量はこのレベルらしいから、シロナガスなどの大型種が減った事によって豊富なエサを得たミンククジラが、 その短い妊娠周期も手伝って飛躍的に増加したという仮説がある。実際、1940年代以降、ミンククジラの成長曲線の変化は体長が大型化している事を示していて餌の摂取状態が良くなったことが伺え、また、性成熟年齢が下がったこともこれと整合している。これは、第二次大 戦後の日本人の食料事情の改善と、それに伴う体格の変化と類似している、と言えばわかりやすいであろうか。 このように豊富なミンククジラだが1983年にボツワナで開催されたワシントン条約(CITES)会議では絶滅の恐れがある種を記載する付属書 I に掲載された。提案国はセイシェルだが、上述のシドニー・ホルトはこの時期セイシェル代表団員としてIWCに参加しているから、この 提案も彼が関与したものであろう。 IWCと違って参加国が必ずしも鯨の資源状態に明るくなく、「事実」よりはロビー活動がものを言うCITESの場だからこそ、このような分類が可能になったともいえる。 さて、IWCの調査航海といっても各国からの参加科学者以外の要素、すなわち、資金、船舶、乗組員などは、ほとんど日本が提供してきた。「公海の鯨は全人類の財産」などと言いながら、IWCが行う大規模な調査に殆んど金を出さず、調査結果にケチをつける口は出す、という 反捕鯨国の姿勢はこういうところにも現れている。調査は鯨の数を数える目視調査が主だが、草原にいるキリンの数を数えるようなわけにはいかない。
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名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 11:42:48 ID:+1YbRIWS
南氷洋のミンククジラの場合、平均して1時間に36-37回(一回当たり3-6秒)浮上し、遊泳速度は平均3-5ノットである(調査船のスピードは11.5ノット)。海面に数秒間見える噴気や体の一部をもとに、近距離から1-2キロ先までの鯨種を判断し群れの大きさを判定していくのには 視力だけでなくかなりの熟練を要する。天候に恵まれずに波が高かったり、調査員が交代して目視の習熟度が下がるなど、調査時の条件によって鯨の発見数が減って推定資源量が減る可能性もある。調査方法の細部は専門家の説明に詳しい。 ミンククジラ資源に関する南氷洋の管理区域 第1、2ラウンドでは、I区からVI区まで6つに区分けされた南氷洋の各海域を毎年1つずつ調査していたので、6年で1ラウンドを終了できた。ただし、緯度的には北端の南緯60度まではカバーされていなかった。第3ラウンドでは、緯度では南端の氷縁から南緯60度までカバーする 方針に変わり、その分、経度では調査海域全体を1回でカバーできなくなった。 第1ラウンドではシャープペンシル大の標識銛を鯨に打ち込み、商業捕鯨で捕獲された鯨から発見される標識の割合から資源量を推定するという標識調査も行われていた。目視調査はライントランセクト法という方法で行われるが、今現在採用されているジグザグのトラックライン (調査コース)が使われだしたのは第1ラウンド最終の第6回からで、それまでは「コ」の字型を互い違いにつなげたような格子状のトラックラインが使われていた。 また、接近法と通過法(1)を交互に行うという、現在採用されている目視調査方式は第2ラウンドから始められた。このように、推定精度を向上させるために調査方法や解析手法は細部にわたって年々改良されてきている。また、このIDCR航海で鯨の目視調査方法の研究が進んだ事は 北大西洋など他の海域での目視調査にも寄与している。なお、日本の調査捕鯨でも捕獲調査の他にこのIDCR方式の目視調査も行なっている。
IWCの科学委員会は南氷洋ミンククジラ資源の包括的評価を1990年に行ったが、この段階では調査は第2ラウンドの大半が終わっており、この時点の合計として上記の76万頭という数字が出てきている。なお、調査海域に南緯60度以北の海は含まれていなく、また調査船が 入れないパック・アイス(2)が密集した海域の鯨は目視のしようがないため、南氷洋全体での実際の数は、この推定値よりも多いと考えられる。 IWCのIDCR/SOWERにおける南氷洋ミンククジラ目視調査航海 回 調査年 調査海域 調査船()内はソ連船 ミンククジラ目視調査 期間* 調査団長 経度 緯度 第1ラウンド 1 1978/79 IV 南緯61度以南 2 28.Dec - 7.Feb P.B. Best 2 1979/80 III 南緯63度以南 2 27.Dec - 14.Feb J. Horwood 3 1980/81 V 南緯62度以南 3(1) 22.Dec - 6.Feb P.B. Best 4 1981/82 II 南緯63度以南 3(1) 27.Dec - 6.Feb D. Hembree 5 1982/83 I 南緯64度以南 3(1) 2.Jan - 15.Feb D. Hembree 6 1983/84 VI 南緯61度以南 4(1) 4.Jan - 19.Feb G. Joyce 第2ラウンド 7 1984/85** IV 南緯61度以南 4(1) 29.Dec - 19.Feb G. Joyc 11 1988/89 IV 南緯61度以南 2 29.Dec - 11.Feb F. Kasamatsu 12 1989/90 I 南緯64度以南 2 28.Dec - 10.Feb G. Joyce 13 1990/91 VI 南緯61度以南 2 3.Jan - 11.Feb G. Joyce 第3ラウンド 14 1991/92 V(130E - 170W) 南緯63度以南 2 31.Dec - 8.Feb P. Ensor 15 1992/93 III W (0 - 40E) 南緯60度以南 2 25.Dec - 4.Feb R. Rowlett 16 1993/94 I (110W - 80W) 南緯60度以南 2 3.Jan - 14.Feb P. Ensor 17 1994/95 III E (40E - 70E), IV W (70E - 80E) 南緯60度以南 2 13.Jan - 25.Feb P. Ensor 18 1995/96 VI W (170W - 140W) 南緯60度以南 2 14.Jan - 21.Feb P. Ensor 19 1996/97 II E (30W - 0) 南緯60度以南 2 16.Jan - 14.Feb P. Ensor 20 1997/98 II W (60W - 25W) 南緯60度以南 2 18.Jan - 14.Feb P. Ensor 21 1998/99 IV (80E - 130E) 南緯60度以南 2 20.Jan - 22.Feb P. Ensor 22 1999/00 I E(80W - 60W),II W (60W - 55W) 南緯60度以南 2 15.
第4ラウンド 27 2004/05 III W (0 - 35E) 南緯60度30分以南 2 18.Jan - 26.Feb P. Ensor 28 2005/06 III W (0 - 20E) 南緯55度以南 1 25.Dec - 14.Feb※前半は南緯55 ‐ 61度でナガスクジラが主対象 P. Ensor * 調査期間は南氷洋の管理区域におけるもの(母港との往復期間は含まず)。** 84/85年では、前半が東海域で各種実験、後半が西海域で目視調査が行われたが、独立観察者方式(IO : Independent Observer mode)という、 通過法において後に標準的になる手法が西半分の海域では用いられなかったため、調査法の整合性の点からこの回のデータは後年の資源量評価では用いられていない。 なお、2001年のIWC科学委員会で討議したミンククジラ資源量の評価の議論を、 科学委員会の報告書から抜粋 しておく。第3ラウンドの調査はまだ途中だが、調査が終わった海域を従来の手法で解析した資源量は過去の数字と 比べて低く見えるため、さっそく反捕鯨団体がこれに飛びついて、あたかもミンククジラの資源量が前回の評価よりも「減ったことが合意された」などと宣伝したり、極端な例では、委員会報告書でわざわざ「不完全」と注記 している268,000という数字(これは97/98年までの調査のうちで既に評価が終わった、全海域の68%をもとした数字で、しかも、過去の調査で資源量が大きかったIV区とV区が抜けているのである)をそのまま示している例すらあった。 科学委員会の報告書では、第3ラウンドのこれまでのデータをもとに従来の手法に基づいて求めた各種試算結果が過去より少ないことについて、 実際に資源量が減った。 たまたま、調査時に調査海域にいたミンククジラが少なかった。 過去2回のラウンドとは調査手法も変わっているので、同列に比較して増減を論じられない。 の3つの仮説が記され、現段階では判断できないとしている。 ただ、報告書等をもとに素人なりにまとめると、第3ラウンドの調査データの解析について次のような点が指摘される。
過去に比べて調査航路が、概して天候も悪く、群れを作らずに単独で行動する鯨が多い北側に拡張しているため、目視条件が悪化している。おそらく上記の理由のためと推定されるが、過去のラウンドに比べて、目視で「ミンククジラ」とは 断定しきれず「ミンクらしい」と判断されたデータが過去より大幅に増えて30%以上になっており、これらのデータは解析で除外されている。 最初の2ラウンドではほとんどの調査員が経験10年以上であったが、第3ラウンド2回目の92/93 年からは、世代交代によって経験が5年以下の初心者が半分程度にまで増えて、目視量が落ちている可能性がある。 過去のデータから、ミンククジラの南氷洋における密度がピークになるのはだいたい1月中旬から下旬で、2月に入ると急速 に減るが、第3ラウンドでは調査期間が過去より後期にシフトしており、時期的にピークをはずれている可能性がある。この調査時期の遅れは、氷縁の変化をにらんで調査航路を決める際の便宜のためらしい)。 捕獲データから求められた自然死亡率や妊娠率などの資源動態上のデータの解析は、資源の減少を示唆していない。 IDCRよりも調査日数が長くて時期もほぼ一定している、調査捕鯨の目視調査の解析では資源の低下傾向は見られない(ただし 調査捕鯨が行われているIV区とV区に限られる)。 このようなことから、以下の点を念頭に解析方法を更に洗練させ、最終的な資源推定を行うことになる。 航路上の鯨の発見確率g(0)や、接近法と通過法の間の補正を行う係数は、群れの大きさに依存するので、この点の見直し。 未調査海域のミンククジラ密度を推定する方法の研究の必要性。 生物学的パラメータを用いた資源動態モデルも使う 研究の必要性。 調査捕鯨における目視調査データの、より詳しい解析。パック・アイス内部のミンククジラ密度の研究の必要性(今回初めて、いくつかの研究が提出された)。 可能なら、調査開始時期を以前のように前にずらす。 ミンクク ジラの新しい推定資源量の算出か2007年の会議で行われる見通しである。 ただ、あくまで調査の詳細に疎い素人の立場で言わせてもらえば、第3ラウンドに入ってから調査にずいぶんと時間がかかっていて、10年以上経っても結果が出ていない 現状はペースが遅いように思われる。
今現在の南氷洋のミンククジラ資源量に関して納得させる公式数値がない事態は、IWCやワシントン条約における各加盟国の意思決定において日本側に不利に作用するのではないだろうか。近年の目視調査における結果を見るとザトウクジラやシロナガスクジラの回復傾向が見られて おり、今後はミンククジラだけでなく数種の鯨種について精度の高い資源推定を長くない年数で行って資源量の変化の多様な様相を明らかにすることが要求されるような気がする。だとするとなおさら、現在のような日本が拠出する2隻の船だけでは間に合わず、調査規模の拡大や 調査手法の改革が必要になりそうに思える。南氷洋への往路・復路において他の環境・漁業関連の調査も行うなどの工夫によって予算を増やして調査船の数を増やすことができないものだろうか。また、資源量の把握は科学的な資源管理の基礎であるはずだから、この点についても っと多くの加盟国の積極的参加を強く促す決議をIWCで行うことも期待したい。 現在、日本の市場で流通している鯨肉は次のようなものである。 調査捕鯨で捕獲した鯨の肉 国際捕鯨取締条約第8条第2項に従って、調査目的で捕った鯨は市場で有効利用されねばならず、また、販売から得られる収益が調査費用を補ってもいる。ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラ、ナガスクジラ、マッコウクジラが該当する。ただ し、マッコウクジラについては水銀やPCBの含有量が多いために販売はされていないようである。 マッコウクジラの水銀について言及したついでに補足しておくと、反捕鯨系の団体は鯨は食物連鎖上で上位に位置し、階層上で下位の餌生物から順次蓄積してきた汚染物質が濃縮して 鯨に摂取されるため、鯨の肉は汚染されているから食べるべきではないと宣伝している。しかし、実際はそんなに単純なものではない。まず、歯を持たないヒゲ鯨と歯鯨では食べる魚の種類が異なる。歯鯨だとマグロなどの大型魚類を食べることが可能だが、ヒゲ鯨が食べる魚とい えばイワシやサンマなどの小型のものに限られる。これらは食物連鎖上ではそれほど上位ではないから、汚染物質の蓄積具合も大型魚類とは異なる。更に同じ鯨種でも、例えば南極海のミンククジラが食べるのはオキアミなどの動物プランクトン類が主体なのに対して、北太平洋の ミンククジラは魚類の摂取比率が高いために汚染物質の蓄積具合も異なる。
一方、南極海のミ ンククジラの肉は極めてクリーンであるために、通常の家畜の肉ではアトピーを起こす子供でも安心して食べられる動物蛋白源のひとつとなっている。また、ベーコンの原料となる皮脂の場合は、汚染物質の濃度が高い場合にはさらし処理などによって全く害が無いレベル にして販売されている。さて価格だが2006年現在、肉類の市場への1キロ当たりの卸価格は以下のようになっている。ミンククジラの赤肉の場合、2000年における3760円という価格からは半分近くに下がっているが、末端の小売価格ではあまり実感が無い。小売り段階では3 倍程度の価格となっていると言われており、末端レベルでの価格をもう少し下げて欲しいものである。 2005-06年の南極海調査捕鯨分 鯨種 尾肉 尾肉徳用 赤肉特選 赤肉 赤肉徳用 ミンククジラ 無し 7000 6000 1950 1700 ナガスクジラ 無し 9500 7000 1950 17002005年の北太平洋調査捕鯨分(沖合) 鯨種 尾肉 赤肉 赤肉徳用 ミンククジラ 無し 1950 1700 イワシクジラ 18000 1900 1700 ニタリクジラ 16000 1950 1700 また、従来は調査研究機関である日本鯨類研究所から、調査船や乗組員を提供している共同船舶を経由して市場へ売られていたが、2006年春から新たに 鯨食ラボ という会社が5年限定のプロジェクト会社とし て新市場の開拓に加わった。 IWCの管轄外の捕鯨によるものIWCが管理の対象にすべきかどうか長年の論争に決着がついていない小型鯨類であるツチクジラ(商業捕鯨停止後、年間54頭の捕獲上限を設定してきたが、1999年からは北海道南部の日本海側で8頭の枠を追加)、 ゴンドウクジラ(商業捕鯨停止後の捕獲上限は100頭程度)、イルカ類などは日本で資源状態を調査した上で自主的に捕獲上限を設定して捕られている。これらはいずれも歯クジラ類だが、流通過程では単に「鯨」と表記される場合が多く、ミンククジラのようなヒゲクジラ 類とは風味が違う事を考えると、やはり最低限「歯クジラ」か「ヒゲクジラ」かの区別は書いて欲しいものである。
そうでないと、昔親しんだヒゲクジラの味を求めて店で買った鯨肉の味が、「なんか違うなあ」という事になりかねない。 他の捕鯨国から輸入された肉 ククジラが643トン、ゴンドウ鯨、ツチ鯨、イルカ類などが416トンで全体の97%であった。 更に同じ鯨種でも、例えば南極海のミンククジラが食べるのはオキアミなどの動物プランクトン類が主体なのに対して、北太平洋のミンククジラは魚類の摂取比率が高いために汚染物質の蓄積具合も異なる。北太平洋のミンククジラを例にとると、肉における汚染の程度が 許容範囲以上で販売されなかった例は過去にほんの数体で、高齢のために汚染物質の蓄積が進んだオスであったと記憶している(メスの場合は1〜2年ごとの出産のたびに赤ん坊に汚染物質が一部移動するため、メス自身の蓄積濃度は薄められるという)。 IWCでは1977年に非加盟国からの鯨製品の輸入を禁じる決議が採択され、日本もそれに従っているため、IWCを脱退する前のアイスランドから1991年を最後に輸入されたナガスクジラの肉などがこれに相当する。第2次大戦頃までは鯨の肉の冷凍保存期間は3-4年が限度だったよ うだが、現在ではマイナス25度程度で保存し、グレージングという処理で肉の表面が乾燥しないように管理するなどして20年程度までは持つようである。 以下の鯨肉は比較的近年に正式に輸入されたものである。ただし、いずれの種も2006年現在においては日本の調査捕鯨で 捕獲されているために長期保存し続ける理由も見当たらなく、既に消費されつくしているかもしれない。 ナガスクジラ アイスランド (1991)、 スペイン (1986)イワシクジラアイスランド (1990)ニタリクジラペルー (1986) ミンククジラノルウェー (1989)、 ソビエト (1989)、 ブラジル (1986)、 韓国 (1986) 1999年11月末に544業者を対象にし、うち416の業者から回答が得られた調査結果によると、捕獲禁止種の肉の在庫量は、ニタリクジラが1.7トン、イワシクジラが0.1トン、ナガスクジラが17.7トン、マッコウクジラが11.2トンで、いずれも上記輸入肉の残りか、または、商業捕 鯨停止前に捕獲されたものである事が判っている。例外として、仕入先不明のザトウクジラの肉が0.9トン見つかった。当局の目を逃れて密輸されたものなのか、次に述べる混獲クジラなのかは断定されていない。なお、調査捕鯨や小型捕鯨で捕獲されている鯨種の在庫は、ミン
なお、調査捕鯨や小型捕鯨で捕獲されている鯨種の在庫は、ミンククジラが643トン、ゴンドウ鯨、ツチ鯨、イルカ類などが416トンで全体の97%であった。上記の鯨種はいずれも、ワシントン条約では絶滅に瀕した種を掲載する付属書 I に記載されているが、実際の資源状態とは かけはなれた分類なので、日本はこれらについて留保している。条約上では、ある鯨が合法的に捕獲されたものであり、捕獲国がIWCの加盟国であって、日本とその国の双方がその鯨種のCITESの付属書 I への掲載について留保していれば、両政府の輸出入の許可の許可によって合 法的に輸入できる。例えば、日本とノルウェーは共にIWC加盟国であり、共にミンククジラの付属書 I への掲載を留保しているので、双方の政府が許可すれば、ノルウェーで捕獲されているミンククジラから、ノルウェーで消費されない部分(ベーコンの材料や肉の一部)を日本へ 輸出する事は可能であり、実際ノルウェーは2001年1月に日本への輸出を開始する旨の発表をした(ただし、日本国内からは価格下落を懸念して反対があったために実現しなかったようである)。定置網での混獲された鯨の肉 以前は、海辺に座礁したり、漁網に絡まったりした鯨は 、生きている場合は海へ返すが、死んだ鯨は、焼却や埋め立てなどの処分の他、地域内での消費に限定する事で肉の消費が認められる場合もあった。ただし、金銭の授受を伴う売買は認められていなかった。しかし、漁民にとっては魚網などに経済的被害を受けた上に、何の経済的 見返りを受けることなく肉を分けたり、あるいは更にお金を払って焼却や埋葬するのでは踏んだり蹴ったりである事から、実際には、これらの鯨の肉が出回っている場合もあった(1)。そのため、鯨のDNAを登録するなどの手続きをした上で、肉の市場への流通を認める方向で法令の 変更が検討され、2001年7月から実施された。具体的には、定置網に鯨が混獲された場合、肉片のサンプルを水産庁か日本鯨類研究所へ送り、写真を撮って報告書に添付するなどの所定の手続きを取ることによって販売が可能になる。ただし、大型鯨類の中ではシロナガスクジラと ホッキョククジラは対象外であり、定置網以外の巻き網や刺し網での混獲は対象外である。初年度(2001年の後半)には52頭の混獲クジラが販売された(すべてミンククジラであったという)。
52 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 12:08:52 ID:BX8H0qOo
53 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 12:40:03 ID:+1YbRIWS
なお、海外から違法に密輸して摘発された例や密漁の例があるが(2)、それらの肉が実際に市場で流通しているという確たる証拠はなく、仮に流通してもやがて露見して長続きはしない事は想像にかたくない。ちなみに、密輸の場合は30万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役、 密漁の場合は200万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役、となる。また、上記4の最後に述べた法令改定に伴い、違法鯨肉を扱った流通業者や小売店も罰則の対象にする事が検討されている。現在では鯨肉の不足感もないため、リスクを犯して密漁するメリットもあまり無いよ うに思われる。密輸や密猟は反捕鯨団体が好んで取り上げ、捕鯨に反対する口実にしたがるトピックだが、過去において「生物学的に適切な捕獲枠が設定されたが、密猟などの違反が横行したために絶滅の危機に瀕した」鯨種は存在しないという事実には留意しておきたい。 IWC以前に捕鯨によって絶滅した系統群はいくつかあるが、それは「適切な捕獲枠」の概念などなかったり、捕獲枠が設定されていない時代の話である。 IWCの時代になっても鯨種別に捕獲枠を設定したのは1970年前後以降であり(BWU制の廃止時期は南氷洋とその他の海域で は異なる)、国際監視員制度の実施も70年代からと、時代によって大きく変化している。こういう過去における資源管理の有無や、その方法の違いを無視して同等に扱い、商業捕鯨が再開されたらすべての鯨種が再び絶滅の危機に瀕するかのような「捕鯨性悪説」的な雑な議論 を展開し宣伝しているのが反捕鯨団体である。なお、1990年代にIWCが開発した捕獲枠算定方式であるRMP(Revised Management System - 改定管理方式)では、計算される捕獲枠が種々の安全措置によってかなり控えめな上、報告された捕獲量が実際の捕獲量の半分であるよう な極端な場合でも資源に悪影響を与える事なく管理できる事がシミュレーションで確認されている。 さて、関連する例だが、1994年に反捕鯨団体のEarth Trustなどの資金提供のもと、オークランド大学のC.S. Baker博士とハワイ大学のS.R. Palumbi博士が日本の市場で得た鯨肉のDNA分析でザトウクジラなど違法な鯨種が見つかったとの論文をScience誌の1994年9月9日号 (第265号)に発表し、欧米の著名なメディアでも広く報道された。
同年10月31日付けのタイム誌によると、Earth Trustのエージェントがあらかじめ日本国内で鯨肉を買い集めて用意した検体を、1ヶ月後にBakerが東京のホテルの一室にポータブルの機器を持ち込んでDNAを コピーし、既存の標本と照合したものだという。論文はニュージーランド政府からIWCにも提出されたが正式な論文とは認められず、科学委員会では検討の対象にもならなかった。内容に疑問点が多いため(3)、すぐに日本側がサンプルの提供を求めたものの、いまだに応じ ていないのは何か不都合でもあるのだろうか。 その後Bakerは、かつてグリーンピース・ジャパンの活動家として南氷洋で日本の調査捕鯨の妨害に従事し、その後IFAW(International Fund for Animal Welfare - 国際動物福祉基金)に移った舟橋直子の協力のもと、 1997、98、99年に同様のサンプリング調査を行い、 現在捕獲されていない(過去の合法的在庫はある)鯨種の肉が流通している事をもって、日本では密輸や密猟が野放しであるかのように発表している。 IWC科学委員会では Bakerの論文について、サンプル鯨肉がどこで捕獲されたものなのかについて必要な情報がそろって ない事が確認されている。 注意すべきなのは、このような疑わしい調査結果でも一方的に「事実」として英語のメディアに載って世界的に報道されると人々には事実として記憶されるという点である。反捕鯨国の一部の強硬な世論の背景には、この例のような一方的情報が 長年にわたって「事実」として報道され続けてきた事があるのは疑いないと思う。実際、ネット上で海外の人間と議論していても、「調査捕鯨では鯨を生きたまま解剖している」という類の与太話を信じている例にすら出くわす。 ただ残念なのは、流通過程において鯨製品のラベル表示にいいかげんな例が多いことで、私自身、北太平洋の調査捕鯨で捕られたニタリクジラの肉を買ったら、ラベルの原産地表示が南氷洋になっていて驚いたことがある。南極海のミンククジラが「オーストラリア産」 として売られていたという、笑い話のような例もあったと聞く。産地ならまだしも、違う鯨種が表記されている例も多い。一部の流通業者によるこの種のいいかげんなラベル表示が反捕鯨団体の格好の餌食となって、IWCの場で宣伝材料に使われる事態も起きていて、早急な 改善が求められる。
ネット上での捕鯨に関する議論において、海外の反捕鯨論者が他の野生動物の狩猟や漁業と違って「いくら鯨の数が多くても捕ってはいけない」という極端な政策を支持する根拠にあげるのが「鯨は知能が高いから特別だ」という点である。実際、オーストラリアが70年代終りに 自国民の捕鯨を禁止する際、当時のマルコム・フレーザー(Malcolm Fraser)首相は、「特別で存在であり知能の高い鯨を銛で殺す事が多くの人に不快感を与えている」と述べていて、反捕鯨国の捕鯨に関する政策決定の背後に鯨類の知能に関する俗説への信奉がある事をのぞか せている。また、カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名) においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が 反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。 そこで、以下知能面を中心に鯨類は特別かどうかについてまとめてみる。まず指摘しておかなければならないのは、70種類以上ある鯨類の中で、その知能が研究されているのはバンドウイルカなどほんの数種の小型鯨類であるという事である。シロナガスクジラやミンククジラな どのヒゲ鯨や、マッコウクジラのような大型歯鯨について、その知能が研究され、それが人間に近い事が実証されたり、それを示唆するような事実が見つかったという話は聞いたことがない。しかし、例えばグリーンピース・オーストラリアが1992に発行した"Are whales almost human?"と題したパンフレットでは記述の対象をイルカに限定せずに鯨類全般のこととして「疑いもなく知能が高く・・・」と書いている。チンパンジーの知能が高いからといってメガネザルの知能も同等のレベルにあると思い込む人はいないと思うが、鯨類に関しては「イルカ は賢い」−>「鯨類は賢い」−>「鯨を食べるのは人食いと同様な野蛮な行為である」とメチャクチャな飛躍でもって論旨が発展して、
捕鯨という漁業 − 漁業自体は反捕鯨国も含めて世界中で行われているごく普通の行為だが − を特別に罪悪視して抑圧する有力な論拠に使われているのが現状である。 1.脳から見た知能レベル 例えばバンドウイルカの脳は約1.6キロと、人間の1.5キロに近く、見かけも人間のものにけっこう似ていなくもない。ただ、脳の絶対重量や体重との相対比率については、知能との相関はないようである。アジア象の脳は人間のものより5倍重いが、 人間より賢いという兆候は全く見られないし、バンドウイルカの5倍近い重さの脳を持つマッコウクジラに、より高い知能を示唆する行動が観察されているわけでもない。そもそも脳は体全体をコントロールする役割を持っているから、大まかな傾向として、大きな動物ほど大 きな脳を要するのは、コントロールする対象が多いのだから当然であるここで「大まかな」と言ったのは、例えば同じ大きさの動物でも爬虫類のような変温動物と哺乳類のような恒温動物では、体の機構の複雑性が根本的に違っていて単純比較などできないからである。では、 体重に対する脳の重さの比率が大きい事が指標になるかというと、小型のマウスが高い数値を示すのである。そもそも、脳において知能をつかさどるのはごく一部分である事を考えると、脳全体の重量でなにか知能に関わる指標を得ようとする事自体が、的外れではないだろうか。 様々な動物の脳の重さ、体重、体重に占める脳の重さの比率(High North Allianceのホームページより) Species Brain weight Body weight Brain weight (gram) (tonn) as % of body weight Man 1500 0.07 2.1 Bottlenose dolphin 1600 0.17 0.94 Dolphin 840 0.11 0.74 Asian elephant 7500 5.0 0.15 Killer whale 5620 6.0 0.094 Cow 500 0.5 0.1 Pilot whale 2670 3.5 0.076 Sperm whale 7820 37.0 0.021 Fin whale 6930 90.0 0.008 Mouse 0.4 0.000012 3.2
次に脳そのものについて言えば、シワは人間より多いのだが、知能に大きく関わるとされる大脳新皮質は人間の半分程度に薄く、神経細胞の密度も低い。もっとも新皮質が脳全体に占める量が多い方が知能が高いかというと、実際にはハリモグラの方が人間より多く、やはり量 のみでなく質的な分析が求められる。鯨類の祖先が陸上の哺乳類で、6500万年から7000万年前に海での生活を始めた事は、今日ではよく知られていると思う。陸上哺乳動物において、脳の新皮質の最後の進化が始まったのは5000万年程前と考えられているが、鯨類の祖先はそれ よりはるか以前に海へ移ったために、同じ哺乳類といっても、現世の陸上哺乳類とは違い、新皮質の層の数が6つではなく5つしかなく、構造もはるかに単純であるなど、質的な違いも大きい。また、海中という、視覚から入ってくる情報だけでは不十分な環境で生きているために、 音波を発して、その反射波から周囲の状況を把握するエコーロケーション(Echo location)という機能が発達しているため、音波の処理に必要な箇所が発達して、このような比較的重い脳を持つに至った、と考えている学者もいる。 というわけで、イルカの脳は見かけに反して質的にはかなり人間のものと違い、人間に匹敵する知能の存在を万人に納得させる決定的な材料は、今のところない、のである。 2.行動からみた知能レベル 10年ほど前であるが、ある新聞報道を見て苦笑した事がある。内容は、オーストラリアの海で溺れた人間をイルカが岸まで押したために命が救われたというようなものだった。苦笑したのは、どうもあちらの国では優しいイルカが溺れた人間を見て、 助けようという善意で押した、と勝手に人間本意の理屈で解釈している様子が文面からうかがえたからである。このような解釈が妥当であるためには、1.「イルカは溺れている人間の挙動から、危険な状態にあると判断した」、2.「イルカは危険な状態にある人間を助けたいと 思った」、3.「イルカは人間を助けるには、人間を岸まで連れていくのが解決策であると認識した」事が検証されてなくてはならないが、無論、そのような事を証明した研究などはない。実際にはイルカは生き物に限らず、木や生き物の死体などでも海で沈みかかっているもの を支えたり、浮いている比較的大きな物を押して運ぶ習性があるから、
上記のような民間信仰はあくまでも人間側の希望的心理の基づく解釈にすぎなく客観的根拠がない。あまり知られてないようだが、現実には泳いでいる人間が突然イルカに攻撃されたり、沖合いの方向へ押されるというトラブルも報告されているのである。 また、イルカには集団行動にみられる社会性や、教えられた動作を行う、遊ぶといった行動も見られるが、これらは他の動物にも見られるもので、特にイルカが抜きん出ているわけでもない。更に、イルカには人間と違って創造性というものを発揮する様子はほとんど見られない。 かつて欧米人に「俺達のやった事を猿まねする日本人」という言い方で蔑視する風潮が強かった事を思い起こすと、この点は若干興味深い。このように行動面では特に際立ったものはないようだが、ただ、陸上動物でそれほど目を引かない行動でも海洋動物が行うと、特に過去の 歴史において海の生き物とそれほど接点が無かった国々の人々の目には新鮮に映り、心が舞い上がってしまうのかも知れない。また、イルカの顔が可愛いという事も、行動を好意的に増幅して解釈しようとする心理に関係しているとも思われる。例えば、学習能力にすぐれ、様々 な遊びを楽しむカラスについて、イルカと同様の思い入れをし、「どんな事があってもカラスを殺すべきではない」という政策を取りいれる国は聞いた事がない。もし仮にカラスとイルカの知能が大差ないレベルのものだとすると、前者を殺す行為と後者を殺す行為に、政策上で 善悪の差を導入するという事は、喩えて言えば「人気のある芸能人を殺すのは一般の人を殺すよりも罪が深い」というような差別法を導入するようなものであり、到底、誰もが受け入れられるものではない事は多くの人が納得できると思う。 なお、付け加えると、あの可愛い顔で (おそらく表情を多彩に変化させる事は不可能なのだろうが)仲間どうしのイジメがあったり他のイルカ類を殺したりしているのも、TV番組などでは取り上げられないが、事実である。 3.会話能力鯨類が音声をコミュニケーションに用いているのは事実である。ただ、「音声」が気分をうなり声レベルで表現するものなのか、それとも一つの物や概念を一定の音声で表現するレベルかとなると全く知見はなく、体系的な言語と呼べるものを持っていて、それでもっ て仲間どうしの会話が行われている証拠は全く見つかっていない。
飼育されたイルカにいくつかの名詞や動詞などの単語を教え、それらの組み合わせて作った様々な文章を理解できた、というような報告は読んだ事があるが、これはあくまで人間に教えられて達成した事であって、野生のイルカが自発的に行っているのが発見されたわけではなく、 また、実験そのものも、もっと多くの研究者によって追試されてからでないと、確かな事は言えないであろう。イルカ語のようなものがあって、それを人間の言葉に翻訳でき、イルカと様々なやりとりができる、という可能性は現在では全く見通しがたっていないし、おそらく達成 されないと思う。そもそも、人間とは違う形態を持ち生活環境も異なる動物の知能というものが、人間の知能でもって解釈できるものかどうかも疑問である。例えばサッカーとテニスは共に球技であるが、全く形態の異なるスポーツであって、単に用語を入れ替える事によってサッ カーのルールブックをテニスのそれに変える事など不可能である。動物の知能も似たようなもので、異なる体を持ち異なる環境で生きている様々な動物の知能は、それぞれの動物の必要性に応じて異なった方向に発達しているものであって、ある動物にとっての知性は他の動物にと って知性として認識されるとは限らないのではないかという気がする。イルカと会話が可能であると思っている方は、試しに本屋で幼児向けの童話でも買って、そこに使われている言葉に対応するものがイルカの生活に存在するかどうか考えてみるとよい。人間の世界でも、ある外 国語の単語が示す概念が自国語にないために翻訳に苦労するのはよくある事だが、相手は何もかも違うイルカである。百歩譲ってイルカが人間の言葉に翻訳可能な言語を持って仲間どうし会話しているとしても、「王子様」、「ごほうび」、「お祈り」、「結婚式」など、そもそも イルカの世界に存在していそうになく、従って翻訳などできそうもない言葉に満ちている事がわかるはずである。子供向けの本ですらこの有り様では、鯨類高等知能教の教祖であるジョン・リリー(John Lilly)が言うように、イルカを相手に地球や宇宙の様々な事象について語り 合い、哲学的認識を深めるなど、夢のまた夢であって、せいぜい「あっちの方にイワシがたくさんいた」と教えてもらうのが関の山であろう。しかもこれは、
「百歩譲ってイルカが人間の言葉に翻訳可能な言語を持っている」と仮定した場合の話であり、その前提すら現在では怪しいのである。実際、イルカの音声コミュニケーションについての過去の様々な研究について考察したある科学者は、彼らが「誰が」、「どこで」、「何を」 といった情報は伝達できるものの、「いつ」、「どのようにして」、「なぜ」といった情報をやりとりしている形跡はないとしている。このように考えると、鯨が人間に近い高度な知能を持った生き物であると信じ、それを捕鯨に関する政策に反映させるという行為は、喩えて言 うなら、カリフォルニアの砂漠で空飛ぶ円盤に乗ってきた金星人とテレパシーで会話したという、1950年代初頭のジョージ・アダムスキーの話を鵜呑みにして、「金星の方々に迷惑がかからないように、探査機を送り込むのはやめましょう」というのと同レベルであって、カルト ・グループの仲間うちならまだしも、政治レベルでまかり通る事が私には不思議に思える。同じ知能レベルである事が明白な他国の人間に対して、文化的背景に基づく社会・経済上の制度の様々な違いに難癖をつけ、自分たちの制度が世界の標準や理想であると強弁し、時にはそ のような口実から経済制裁や軍事的対立にまで発展させる一方で、鯨類の知能レベルについての怪しげな巷説を盲信し、ヒステリックなまでに鯨類を保護する政策をとり続け、しかも自分たちの鯨観に基づく政策を世界中に強要しなければ気が済まない国々を見る時、なにか病ん だ精神のようなものを感じてしまうのは、私だけであろうか。最後に、鯨類の知能に関して巷で信じられている事と科学者レベルで解明された事実のギャップが大きいのも注目に値する。客観的に様々な実験や多くの科学者の意見をもとに、他の動物と比較してイルカがずばぬけ た知性の持ち主である事を立証してみせたTV番組や雑誌記事は、私の知る限りでは無いようである。だが、なんとなくイルカは動物の中で特別な知性を持っているかのような印象を与えるTV番組でのナレーションに接したり、思わせぶりなタイトルの本を目にする事は多いと思う 。たぶんこのあたりに、イルカが人間に近いレベルの知能を持っているとボンヤリ思いながらも、それを理路整然と説明する事などおぼつかないという事の原因がありそうである。
61 :
名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 13:38:33 ID:+1YbRIWS
かつてナチス・ドイツの宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)は「豚の事をライオンであると100回言えば、豚はライオンとして通用する」というような事を言っていたと思うが、似たような状況にあるのが鯨類の知能をめぐる世間の認識の状況である。 鯨や魚など水産資源の捕獲枠を決める際の重要な概念が「最大持続生産量(Maximum Sustainable Yield - MSY)」というもので、これは今現在のIWCの捕獲枠算定方式である改訂管理方式(Revised Management Procedure - RMP)や70年代半ばに採用された新管理方式 (New Management Procedure - NMP)を理解する上で欠かせない。そこで、この概念について簡単に解説しておく。 今、ミンククジラの集団があるとする(別に他の鯨種であっても、魚類であってもいいのだが)。人間がこの集団から捕獲しない場合、環境の激変などがないかぎり、頭数はだいたい一定である。この時の頭数を初期資源量という(環境が許容する最大限の量という事で 「環境収容量」という言葉もある。 これは当然、環境の変化に応じて時間的に変わるから、初期資源量は「捕獲開始直前における環境収容量」といってもよいであろう)。これは、この集団で毎年死ぬクジラと生まれてくるクジラの頭数がだいたい釣り合っている事を意味 する。仮に最初の頭数を10000頭として、毎年300頭が自然上の理由で死に(シャチなどの天敵に襲われる場合も含む)、300頭程度が生まれているとする。さて、この集団から何年か捕獲を続けて頭数が6000頭に減ったとする。この時、自然上の理由で死ぬ頭数と新しく生まれ る頭数は釣り合っているだろうか?このような状況に関する数多くの野生生物の研究で、新しく生まれる頭数の方が自然死するものより多い事が知られている。一種の法則のようなものである。これは、マクロの視点から見ると、あたかも集団が頭数を元に回復しようとして いる一種の防御機能のように見えるが、ミクロというか個体レベルの視点では頭数が減る事によって群れの密度が減少し一頭当たりの餌の量が増えたりストレスも減るなど、繁殖を促進する要素が効いてくるためである。このような回復力があるからこそ、過去に過剰に捕獲 した鯨種も、捕獲をやめればだんだんと資源量が回復してくるわけである。
ただし、ものごとには限度というものがあり、あまり頭数が減ってしまうと回復も難しくなる(極端な話、数10頭まで減ってしまうと思わぬ災害で全滅する可能性もでてくる)。 この様子をグラフで簡単に表すと下図のようになる。横軸が集団の頭数で、縦軸が頭数の自然増加分(= 生まれる頭数 - 死ぬ頭数)である。この曲線のピークに対応する増加分 をMSY(最大持続生産量)といい、その状態になる頭数をMSYレベルといい、初期資源量の50%から70%程度の場合が多いようである。 さて、10000頭いたクジラの集団のMSYレベル が7000頭であり、捕獲によって現在7000頭にまで減って、毎年410頭が生まれて200頭が死んでいるとする(数値はあくまで例えである)。この状態では余剰分は 410-200、すな わち翌年までに210頭増える事になる。「MSYレベルが7000頭」という事は、頭数が6000頭や8000頭の場合でもさらに増加はするが、毎年の増加分は頭数が7000頭の場合の210より は少ない、というわけである。さて、ここでこの集団から捕獲しなければ、翌年には頭数は7210頭に増えるが、もしここで210頭捕獲すると、来年までに増えているはずの頭数は また7000になり、同じ状況がくりかえされて、410頭生まれて200頭自然死し、翌年また210頭捕獲すれば総頭数は7000という状況が再現される事になる。総頭数が7000頭以外の場 合には、毎年の増加分はこの210頭より少ないので、従って、このレベルで捕獲を続けていくのが、もっとも効率よく安定した生産を続ける事ができるわけである。また、捕獲量 を210頭より少なく設定すれば、捕獲を続けていながら頭数も当初の10000頭に向けて徐々に増えていく。 以上が1931年にイギリスのラッセルによって提唱され、その後の漁業資 源管理に大きく影響を与えたMSY理論の考え方の概要である。無論、実際の捕獲においては捕獲するクジラの雄と雌の比率や年齢なども考慮に入れるなど複雑な要素が入ってくる し、現実の自然界では、捕獲を開始する前だからといって資源量が安定しているとは限らないのだが、基本的な考え方は以上のようなものである。
余談だが、IWCの歴史においてこのような考え方を鯨種ごとに当てはめて捕獲枠を設定したのは1970年代半ばからであり、また南氷洋のシロナガスクジラでは、このMSY理論が出るのとほぼ同じ(すなわち、まだ普及していない)1930/31シーズンに年間3万頭弱の捕獲が 行われてピークを迎えている。ちなみに当時の南氷洋捕鯨はノルウェーとイギリスがメインであり、日本が参加するのは遅れて1934/35シーズンからであった。よく反捕鯨団体の主張を見ると、商業捕鯨を再開させたら今世紀始めのような乱獲状態に逆戻りする、という 類の文を見かけるが、誇大妄想の感が強く、また捕鯨の資源管理の歴史に疎い一般市民をターゲットにしたプロパガンダと言っても良いと思う。さて、実際の例で見ると、例えば、コククジラ(Gray whales)の北東太平洋系統群は、初期資源は30000頭程度と考えられ ているが、19世紀半ばからの過剰な捕獲によって20世紀初頭までには2000頭程度までに減ったと考えられている。その後資源は保護されたが1960年代終りから1980年代終りまで、回遊ルートの西側にあたるロシア沿岸で原住民のために年平均174頭捕獲されても、年3% 以上の増加を続け、その後も年間100数十頭の捕獲を続けながら1996年にはMSYレベルより若干高いレベルにあたる24000頭程度まで回復している。 MSYの推定値は670頭で、これは現在の頭数の3%程度に当たり、一方、原住民に許可された捕獲頭数は年平均で140頭程度に すぎないから、今後も増えていく事が期待できる。また、ホッキョククジラ(Bowhead whales)も同様で、初期資源量が10000から20000頭程度と推定されるべーリング海系統群は過剰な捕獲によって激減し、1980年頃には3000頭程度だったが、その後、原住民生存捕鯨 で年間40頭程度の捕獲を続けながら、現在では8000頭以上にまで増えてきている。最近の研究では、資源量はMSYレベル近くまで回復してきており、年間100頭以上捕獲しても、なお増加し続けると考えられている(IWC 1998)。さて、商業捕鯨の最後の頃に日本が南氷洋 で捕っていたミンククジラの場合、状況はどうであろうか?
まず、上の議論はそのまま単純に適用できない。これはどういう事かというと、南氷洋のミンククジラの初期資源量は、今現在の推定資源量の76万頭をはるかに下回るせいぜい20万頭程度というのが大方の科学者の見方で(日本が本格的捕獲を始める直前の1971年当時、 IWC科学委員会による推定資源量は15万頭から20万頭で推定MSYは5000程度であった。ただ、この時点ではIDCR調査航海は始まっていない)、つまりシロナガスクジラなどのようにオキアミというエサをめぐって競合する他の大型種が捕獲で激減しために、エサをめぐる環 境が好転してしまい、商業捕獲を開始する前にすでに数が当初より増えていたと考えられるからである(これは、今世紀前半からのミンククジラの妊娠率の増加や性成熟年齢の低下、成長曲線の経年変化などから考えられる)。南氷洋でのシロナガスクジラなども含めた 捕鯨が始まる前のミンククジラ資源量を基準に考えるべきか、それともミンククジラの本格的な捕獲が始まった1970年頃の資源量を「初期資源量」と見なすべきかは、素人の私には判らない。実際IWCでも新管理方式(NMP)という方法で捕獲枠を設定していた1970年代半 ば以降では、1970頃のミンククジラ資源量は初期資源量と見なせないとして、毎年の増加量(Replaceent Yield - RY)をもとに捕獲枠を決めていた。商業捕鯨が一時停止してから10年以上経つが、今仮に、「今現在の頭数を減らさない」事を指針にしたとすると、調査に よって判っている年間5%前後という増加率と76万頭という90年代初頭の推定量から考えても、万単位の捕獲枠が出てくる。ただ、現在IWCで採用されている改訂管理方式(RMP)は「超」慎重に控え目な数字を出すように設計されているので2000頭程度の捕獲枠しか出てこ ない。ミンククジラだけの事を考えているなら、これはこれでけっこうだが、シロナガスクジラを早く回復させたい野心家(?)には、生態系のバランスを更にミンククジラ有利に傾けかねない危ない数字に映るかもしれない。このように、10000トンの埋蔵量がある鉱脈 から毎年100トン採掘すれば100年で枯渇するのと違い、生物資源の場合には上手に利用すれば持続的に利用し続ける事が可能なわけである。MSYの説明もしたので、ここでIWCによる捕獲枠設定の歴史を見てみる。BWU(Blue Whale Unit − シロナガス換算方式)
第2時大戦後にIWCが設立されて後、南氷洋などにおける捕獲枠の設定はBWUによって行われていた(BWU自身は戦前から用いられていた)。これは、ナガスクジラ(Fin Whales)は2頭、ザトウクジラ(Humpback Whales)は2.5頭、イワシクジラ (Sei Whales)は6頭を、それぞれシロナガククジラ1頭の捕獲に等しいとするもので、鯨油の生産が目的であった西欧諸国が生産調整のために導入した方式である(戦前の換算ではイワシクジラは5頭であった)。例えば、捕獲枠が1500BWUの 場合、シロナガスクジラだけを捕った場合には1500頭の捕獲ができ、ナガスクジラだけを捕れば3000頭捕獲でき、あるいはシロナガスクジラを1000頭にナガスクジラを1000頭捕る事も可能である。、このように、鯨の種類ごとに捕獲枠を設定 するわけではないので、競って効率の良い大きい鯨種が狙われる事となり、大きい鯨種から順次資源状態が悪くなる事態を招いた。科学委員会ではすでに60年代から、南氷洋で鯨種別の捕獲枠を設定するように主張していたが、本会議レベルで 廃止が決まったのは70年代に入ってからで、1972/73シーズンからは捕獲枠が鯨種別に設定されるようになった(北太平洋では1960年代終りから鯨種別に捕獲枠が設定されていた)。 NMP(New Management Procedure − 新管理方式)1974年のオーストラリアの提案に基づいて、同年12月に科学委員会で細部が検討され、翌75年の会議で正式に採択されてさっそく適用されたもので、MSY理論の一種であるペラ・トムリンソン (Pella-Tomlinson)モデルに基づいている。これによって、鯨の資源状態は以下の3種類に分類された。 初期管理資源(Initial Management Stocks)資源量がMSYレベルを基準にしてそれより20%以上のあるもの。捕獲限度はMSYの90%とする。 維持管理資源(Sustained Management Stocks)資源量がMSYレベルを基準に、マイナス10%からプラス20%の範囲にあるもの。捕獲限度は、ゼロからMSYの90%まで資源量に応じて決める。 保護資源(Protection Stocks)資源量がMSYレベルを基準に、それより10%以下のもの。捕獲限度はゼロ。 なお、MSYレベルは初期資源の60%に設定されたので、実質上の分類としては、初期管理資源は資源量が捕獲開始前の72%(72=60+20x0.6)
初期管理資源の捕獲限度をMSYの90%としたのは、資源量など各種の推定値に伴う誤差を考慮に入れた安全措置だったようである。さて、このNMPでは初期資源量、現在の資源量、MSYの3つが判っていないと捕獲枠を設定できないが、これらを精度良く推定するのは難しい。 何がなんでも捕鯨を禁止したい勢力からすれば、初期資源量を大きめに推定したり、現在の資源量を少なく推定すれば、対象の鯨種を保護資源に分類させて捕獲をストップさせる事も可能となる。例えば、以前ミンククジラの資源量で取り上げた、反捕鯨派の科学者シド ニー・ホルト(Sidney J. Holt)によるあまりにも低い資源量の推定値(1978年に2万頭説を唱えた)なども、こういう政治的意図に基づいている疑いが強いし、反捕鯨派科学者が少ない資源推定量を出すためにインチキ計算をした例もいくつか指摘されている。また、 使用した理論的モデルも鯨に適用して妥当だという裏付けがあった訳でなく、捕鯨側、反捕鯨側の間で使用するパラメーターの値をめぐって論争が続いた。 RMP(Revised Management Procedure − 改訂管理方式)NMPをめぐる上記のような背景から、1986年に、このよ うな欠陥を改善して少ない知識で捕獲枠を算定できる新しい方式を開発する事が決められ、翌1987年にはNMPにとって替わる新しい方式の目標として以下の3つが採用されている。 捕獲限度枠が年によって大きく変動しない(捕鯨業のスムーズな進行のため)。 資源量がある一定の危険なレベル以下に枯渇しない。なるべく高い持続的な捕獲限度を与える。このような状況のもと、様々な科学者によって、NMPにとって替わる新しい管理方式が提案されたが、提案者の名前をとって以下のように呼ばれる。 de la Mareの方式(dlM Procedure) Cookeの方式(C Procedure)PuntとButterworthの方式(PB Procedure) SakuramotoとTanakaの方式(ST Procedure)MagnussonとStefanssonの方式(MS Procedure)最初の3つはNMPで用いられたのと同じMSY理論のモデルを用いる ので、モデル依存型とよばれ、後の2つはそのようなモデルを仮定しないので、モデル独立型と呼ばれる。
ただし、科学委員会と違ってIWC本会議は政治的動機が強く入って来る 場であり、「何が何でも捕鯨を再開させたくない」勢力が幅を利かせていたから、正式に本会議で採択されたのは1994年である。専門家が長年苦心して開発してきたRMPが本会議で採用されないのに抗議して、1993年の会議後に当時の科学委員会の議長であったフィリップ・ハ モンド(Phillip Hammond)は辞任しているが、一方、この年のアメリカ政府代表であったマイケル・ティルマン(Michael Tillmann)は、RMP採択を阻止したとして翌年に反捕鯨団体の動物福祉協会(Animal Welfare Institute)からシュヴァイツアー賞(Albert Schweitzer Medal)を授与され「感動し心から喜んでいる」と述べている。さて、ミンククジラの資源の頑健さが既に包括的資源評価によって確認され、捕獲枠算定方式も完成されたとあっては、商業捕鯨が再開されかねないので、反捕鯨国側は1992年にRMS(Revised Management Scheme − 改訂管理制度)という監視・取締制度が完成するまで商業捕鯨を再開しない事を提案し、多数決で採択された。国際監視員制度などはすでに70年代から適用されており、その他の操業管理上の細目などは通常の漁業交渉などでは数時間の討議で決まる類のもので、本来数年 を要する代物ではないのだが、「鯨のような大きくて美しい動物を食べる必要はない」(1991年、オーストラリア政府代表のピーター・ブリッジウォーター(Peter Bridgewater))とか「捕鯨を禁止させる科学的な理由はもうないから倫理的な理由で反対していく」(1991年、 アメリカ政府代表のジョン・クナウス(John Knauss))という、条約目的とは異なった文化帝国主義的な動機で政策を決めている国が多数いるのがIWCの現状であるから、反捕鯨側はRMSの審議を遅らせる戦略によって商業捕鯨の再開を阻もうとしている。さらに南氷洋を鯨の サンクチュアリー(聖域)にする事によって捕鯨再開を阻む事を企て、サンクチュアリーの設定には科学的認定に基づく、というIWCの条約第5条第2項を無視して科学委員会の勧告もないまま強引に多数決でもって1994年に成立させている。
さて、ミンククジラの資源の頑健さが既に包括的資源評価によって確認され、捕獲枠算定方式も完成されたとあっては、商業捕鯨が再開されかねないので、反捕鯨国側は1992年にRMS(Revised Management Scheme − 改訂管理制度)という監視・取締制度が完成するまで商業捕鯨 を再開しない事を提案し、多数決で採択された。国際監視員制度などはすでに70年代から適用されており、その他の操業管理上の細目などは通常の漁業交渉などでは数時間の討議で決まる類のもので、本来数年を要する代物ではないのだが、「鯨のような大きくて美しい動物を食 べる必要はない」(1991年、オーストラリア政府代表のピーター・ブリッジウォーター(Peter Bridgewater))とか「捕鯨を禁止させる科学的な理由はもうないから倫理的な理由で反対していく」(1991年、アメリカ政府代表のジョン・クナウス(John Knauss))という、条約 目的とは異なった文化帝国主義的な動機で政策を決めている国が多数いるのがIWCの現状であるから、反捕鯨側はRMSの審議を遅らせる戦略によって商業捕鯨の再開を阻もうとしている。さらに南氷洋を鯨のサンクチュアリー(聖域)にする事によって捕鯨再開を阻む事を企て、サ ンクチュアリーの設定には科学的認定に基づく、というIWCの条約第5条第2項を無視して科学委員会の勧告もないまま強引に多数決でもって1994年に成立させている。なお、RMPの明細はNMPに比べて複雑なので、詳細は専門家による解説などにまかせるが(例えば、自身も新しい 方式を提唱した田中昌一博士による解説 − 1 、 2 )、簡単に言えば捕獲データに加えて5年に一度義務付けられる資源推定調査の結果をフィードバックさせて、徐々に理想的な捕獲枠に近づけていこうとするもの、ということになるだろうか。また、系統群についての知識の誤 りなどが悪影響を与えないように、様々な安全措置が施されている。実際、RMPが与える捕獲限度が非常に控え目であるため、同種の手法が他の漁業にも適用されるとほとんどの漁業が商業的に成り立たなくなるという事が、1995年4月にIWCの事務局長を呼んで行われたEUの特別公 聴会における質疑で話題になっている。無論「100%安全」であるなどと保証はできないが、そのような事を求めるのは例えて言えば「交通事故がこの世からなくなるまで子供が外出するのを禁止しましょう」というのと同レベルの発想である。「100%安全とは保証できない」のは
反捕鯨国でも行われている他の漁業や狩猟における管理手法、果ては他の分野の様々な事柄でも同じであり、捕鯨に関してだけ特別に厳しい基準を要求するのは、鯨可愛さに目がくらんで上での世界中の誰にも殺させたくないという 愛好家心理の隠れ蓑としてか、あるいは今世紀中頃までの捕鯨の知識から受けた心理的トラウマ(例えていえば、一度水に溺れた人間が水泳を拒否し続けるような)や、捕鯨に関して嘘と誇張を交えたプロパガンダ情報だけに接して きて自分で各種文献を当たった事がない事からくる思い込み、あるいは捕鯨だけにスポットを当てて他の人間の活動と客観的に比較した事がないというバランスに欠いた思考回路、といったものからであろう。 なお、今現在のRMPの 対象はヒゲ鯨類であり、雄が複数の雌とハーレムを形成するなど特異な集団構成を持つマッコウクジラをはじめ歯鯨類は対象外である。20世紀最後のIWC総会は去る7月3日から6日まで行われた。開催地はアメリカなどよりも強硬な反 捕鯨国であるオーストラリアで、しかもロバート・ヒル(Robert Hill)環境大臣の選挙区内のアデレード市であった。ヒル環境大臣といえば1997年9月に、全世界の海で永久的に捕鯨を禁止するグローバル・ホエール・サンクチュア リー構想を明らかにした事で知られ、今回の南太平洋サンクチュアリー案はその第一歩とも見られる。部外者としては会議のなりゆきが気になったが、捕鯨の当事国である日本では全国紙での取り上げは簡単で、あまり詳細は伝わっ てこない。各種投票結果などは、例えば農水省のプレスリリースページにある 結果の概要 にあり、表に現れる投票結果などでは従来から目立った進展はなかったが、ネット上での海外のニュースで注意をひいた点をいくつか書き留 めておく。 − ワシントン条約事務局長からIWCへの手紙 −今年は4月に、ワシントン条約(CITES)の締約国会議が開かれ、日本とノルウェーが提案していたミンククジラのダウンリスティング案は否決された。これまでのIWCに よる公式の資源評価からみると、ミンククジラは全世界で100万頭に迫る数が生息していると見られ、とてもではないが、現在分類されているような「絶滅に瀕している種」ではない。当初はワシントン条約の事務局でも、現状は絶滅 に瀕した種と認定するための科学的基準に合わないとして、
提案どおりミンククジラを付属書Iから付属書IIへ移す事を勧告していたが、反捕鯨勢力の圧力を受けたのか撤回し、事務局のお墨付きを失った格好になった提案は浮動票を集めきれず否決された。ただ、商業捕鯨のモラトリアム後の資 改訂管理制度を完成させるよう、催促の手紙を書いたのだが、その文面は反捕鯨国などの反発もあって、マスコミなどには非公開となった。ただ、中立系の国が、IWCの現状がその国際的信用を落とす事を恐れ、2001年2月までに改訂管理 制度の完成に向けた会合を開く事などを提案して合意された。 − ドミニカ騒動 −カリブ海には中部に「ドミニカ共和国」(Dominican Republic)という比較的大きな島国と、東部に「ドミニカ国」(Commonwealth of Dominica、あるいは単にDominica)という奄美大島より少し大きくて人口が7 万人程度の島国があるが、後者はIWCの加盟国であり、そこを舞台にひと騒動があった。以下、現地紙の「The Chronicle」をはじめ、この騒動を報じた複数の記事やネット上の情報、IWCの資料などからまとめてみる。 ドミニカでは今年1月の総選挙を受けて、連立内閣が誕生したが、自身は出馬しなかったものの通商産業協会の推薦を受けて農業・環境・企画大臣に就任していたAtherton Martin氏は、ドミニカがIWC総会でオーストラリアなどが提案し た南太平洋のサンクチュアリー(聖域)案に反対票を投じたのに抗議して、「これは海外援助にからんで日本が圧力をかけたためだ」として、抗議のために辞任すると本国での記者会見で発表した。会見の席でMartin大臣は「内閣はIWC におけるすべての投票で棄権する事を決めていた」と主張し、また彼自身がRoosevelt Douglas首相に対して、IWCへのドミニカ政府代表であるLloyd Pascal氏を召還するよう要請していたが、却下されたとも述べた。ドミニカではホエ ール・ウォッチングが比較的盛んであり、Martin大臣はこれら観光産業の利益も主張している。
大臣に就任するまでMartin氏はドミニカの反捕鯨団体であるドミニカ自然保護協会(Dominica Conservation Association - DCA)の会長だったが、後述する外国NGOとの関係を考慮してか、捕鯨問題に関する管轄はIWC開催前に外務省へと移管されていた。 Martin大臣の言い分に対し、Douglas首相は「代表団に対しては、現地で得られるすべての情報をもとに独自の裁量で投票するように指示してあった」と反論、「オーストラリアなどのサンクチュアリー案は(条約第5条で規定されているような)科学的 裏付けが得られていなかった」とも指摘し、7月10日にMartin大臣の辞任は受理された。 Douglas首相と同じドミニカ労働党に属するPascalコミッショナーも「Martin氏は海外の反捕鯨団体の影響下にある人物だ」とコメントし、またサンクチュアリーにつ いてはIWCの長年の懸案である改定管理制度(RMS)が完成しても豊富な鯨種の捕獲を不可能にするもので、原則にそぐわないとの認識を示した。Martin氏の政治キャンペーンが、反捕鯨団体である国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfa re - IFAW)のテレビ広告を活用して行われていた事から、DCAはIFAWの傀儡であると見る現地筋もあり、金銭関係も指摘されている。連立内閣においてMartin氏は自身の諸政策に対する他の閣僚の支持をとりつけるのに失敗してきていたという。 DCAは反捕 鯨団体としては日本ではなじみが薄いが、IWC総会には1995年から参加している。 1998年のIWC総会においては、IWCと同じ略称を持つ国際野生連合(International Wildlife Coalition)というNGOと共に、「日本はカリブ海諸国への経済援助と引き替えにI WCでの支持を受けている」という今回同様の主張をはじめ脅迫めいた言説を含む開会声明を発表して日本とカリブ海諸国の猛反発を買い、結局IWC議長の働きかけにより国際野生連合の声明はIWCのドキュメントから削除されるという騒動があった。 東部カリブ海諸国(Antigua & Barbuda、St. Lucia、St. Vincent & Grenadines、St. Kitts & Nevis、Grenada、Dominica)は1970年代終りまでの植民地時代のバナナ・プランテーション的経済状態、すなわちバナナの輸出や観光で得た金で外国から安い肉 を買うといった状態から脱却して周囲の豊富な漁業資源を自分達で活用するために漁の加工や保存などで日本の技術援助を受けている。
ドミニカについて言えば、従来のバナナ農業はハリケーンなどの気候の影響のために収穫が不安定であり、砂浜が少なく入り組んだ海岸線と国際空港の不在から観光産業の発展も難航していて、政府は海の利用に活路を求める政策を推し進めている。東部カリブ海諸国の多くは当初、 独立して間もない頃に欧米の反捕鯨団体の資金援助のもとにIWCに加盟したと言われ、事実、モラトリアム採択時には外国人の反捕鯨活動家が政府代表として投票していた国すらあった事は以前ふれた。その後は「科学的根拠に基づいて利用可能な海洋資源は合理的・持続的に利用す る」という、考えてみればごく当たり前の立場に変わり、条約の範囲外である倫理的理由をかざして捕鯨に反対する欧米諸国とは一線を画していて、小国ながら雄弁な様子はIWCの議長報告書からもうかがえる。日本からの海外援助に関した反捕鯨NGOの宣伝に対しても「我々は日本 よりもEUからより多くの援助を受けているが、もし我々がEU諸国と同じ投票をしたら、カリブ海諸国はEUに買収されていると言うのですか?」と反論している。 なお、Martin大臣は会見で「今回の投票によってドミニカの観光産業は大打撃を受けるであろう」と述べていたが、IWCにおいて条約の規定を満たさない提案に反対票を投じた事が観光客の心理に重大な影響を与えると考えるのは誇大妄想というものではないだろうか。 21世紀最初のIWC総会は去る7月23日から27日までロンドンで開催された。近年共通の主要議題については、例年と大差ない議論が展開され、概要は 本家IWCのプレスリリース や 水産庁のプレスリリース を見ていただきたい。 − アイスランドの加盟問題 − 今年の諸議題のうち、過去に例を見ない揉め方をしたのがアイスランドの再加盟問題であったので、以下、この点をまとめてみる。 アイスランドは、北大西洋にポッカリと浮かぶ島国で、デンマーク領グリーンランド、イギリス、ノルウェーの間に位置する。面積は10万3000平方 キロで人口は28万弱(1999年)である、といってもピンとこないであろうから、少しわかりやすく書くと、北海道より2割ほど広い島国に、函館市と同程度の人口が住んでいることになる。日本同様の火山国で、氷河、火山、オーロラなどが観光客を引き寄せる源となっている
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名無しさん@3周年 :2009/01/14(水) 14:40:02 ID:+1YbRIWS
農耕には向かない地理的環境で漁業が盛んであり、輸出の7割を依存している。漁業政策上の理由により、EUには未加盟である。 IWCには設立当初から加盟しており、自国の近海でナガスクジラ、イワシクジラ、ミンククジラ、マッコウクジラなどを捕獲していた。 1982年にIWCでモラトリアムが採択された後、捕鯨国であった日本、ノルウェーは条約に定められた意義申し立てをした。 IWCの科学委員会が、ミンククジラなど資源量が豊富な鯨種がいる以上、全ての鯨種の捕獲を禁止する包括的モラトリウムに科学的根拠なしとする中で、 鯨を特別視する風潮にすっかり染まった大多数の加盟国が、条約第5条の「科学的認定」を無視してモラトリアムを可決した状況は、とうてい受け入れ難かったのである。日本は当時、アメリカには弱いことで定評があった中曽根総理の政権下であり、アメリカの水域内での 日本漁船への漁獲割り当てへの削減で脅されて、モラトリアムへの異議申し立てを撤回してしまう。やがて、異議申し立ての撤回によって守りぬいたと思った、アメリカの水域での漁獲割り当ても、先方からの一方的通告で失い、禍根を残す結果となった。 ノルウェーは、異議申し立てをしたまま、商業捕鯨は自主的に停止していたが、1990年代に入って再開し、今日に至っている。さて、捕鯨国であるアイスランドはモラトリアムへの異議申し立てはしなかった。モラトリアムの条文には「遅くとも1990年までに鯨資源の包括的 評価を行なって見直す」とあったので、見直しに備えて調査捕鯨でデータを集める路線を最初から選択した(1986年からの4年間の調査で捕獲した合計は、ナガスクジラが292頭、イワシクジラが70頭)。調査捕鯨に際しては、反捕鯨団体のシーシェパードに研究施設を破壊さ れたり捕鯨船を沈められるという被害にも会っている。科学的に鯨資源の状況を示せば、モラトリアムは解除されると見込んでいたようだが、1990年にはIWCの科学委員会が鯨資源の包括的評価をしてもモラトリアムが解除されない中、1991年に自国で開催されたIWCの会議の 場で 脱退を表明 する。IWCから脱退すればもはやモラトリアムに拘束されることなく捕鯨はできるのだが、捕鯨再開の意思を国会決議で示すことはあっても、実際に行なうことはなかった。ただ、1992年に結成されたNAMMCO(North Atlantic Marine Mammal Commission、北大 西洋海産哺乳類委員会)には加盟している。
IWC脱退後は、様々な国から再加盟するように要請されたが、そのような中、今年6月についに加盟の手続きをした。ただし、「モラトリアムには異議申し立てをする」という条件付きであった。これは、再加盟した後も、モラトリアムに束縛されることなく、ノルウェーのように 商業捕鯨を再開できることを意味する。過去にも、こういう「条件付き加盟」の例はあった。例えば、ペルーやチリが1979年に加盟した際、自国の200カイリ以内の水域では国際捕鯨取締条約の制約は受けない旨の注釈付きであった。エクアドルも同様の条件付きで加盟している。 IWCの国際捕鯨取締条約の条文には加盟については、「この条約に署名しなかった政府は、この条約が効力を生じた後、アメリカ合衆国政府に対する通告書によってこの条約に加入することができる。」(条約第10条2項)とあるだけで、IWCの既存の措置について意義を申し立て たままでの加盟の可否については全く既定がない。そこで、国際条約や協定について定めた「ウィーン条約法条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)」に照らし合わせると、「異議申し立てをした状態での加盟をIWCの国際捕鯨取締条約が禁止していない以上、国際法 的に問題なし」となる。個々の加盟国が、アイスランドとの2国間レベルで異議を唱えるのは勝手だが、条約機関であるIWCが組織として加盟を拒否できる問題ではないのである。 むろん、反捕鯨国にとっては異議申し立てをしたまま加盟されて捕鯨を再開される事態は容認できる はずはないから、さっそく会議初日に「異議申し立て状態での加盟は認めない」という動議を出した。これに対し捕鯨国側が、国際法的にIWCはこの問題を扱う権限がないと反対したが、賛成19、反対18、棄権1で、この問題を扱うことが認められた。さらに「アイスランドを 投票権のないオブザーバーとする」動議が、賛成18、反対16、棄権3で採択された。「棄権3」は、「この件で投票すること自体が国際法的に根拠なし」という立場を表明していた、スイス、フランス、オーストリアである。 この結果に反対する捕鯨国側は、以後すべての議 案の投票において、アイスランドの票をカウントした分を正当なものと見なす旨のコメントを付け加えるという、前代未聞の会議となったのであった。2002年のIWC年次会議は、
1993年の京都以来9年ぶりに日本での開催であり、捕鯨基地としての役割を果たしてきた山口県の下関市での開催であった。会議前に6カ国が新規加盟したため、今年の会議で懸案になると思われた日本の北西太平洋の調査捕鯨における捕獲鯨種の拡大に対する 反対決議案などでの採択に影響が出るかどうかが、例年と違う点だろうと予想していたが、原住民生存捕鯨をめぐる思わぬ展開に会議が振り回され、議題を全部消化することなく時間切れで閉幕という前代未聞の終わり方をした。ここで、IWCの原住民生存捕鯨 について簡単に記しておく。対象となっているのは、デンマーク領グリーンランドの原住民(ナガス鯨とミンク鯨)、ロシアのシベリア東部のチュコト半島のチュクチ族(コククジラとホッキョク鯨)、アラスカのエスキモー(ホッキョク鯨)、アメリカのワシ ントン州のインディアンであるマカー族(コククジラ)、カリブ海のセント・ヴィンセントの原住民(ザトウ鯨)。捕獲枠は毎年決められるものではなく、数年に一度、「この地域のこの鯨種は、何年から何年の間に何頭」という「ブロック・クォータ」で決め られる。地域によって、捕獲枠の更新年は違うが、今年は久しぶりに全部の原住民生存捕鯨の新捕獲枠が検討される年だった。捕獲枠は条約の附表に記載されるので、条約に沿えば本来はコンセンサスではなく4分の3の多数決で決められるべきだが、近年は投 票なしのコンセンサスで決定してきた。さて、日本は鮎川など捕鯨の伝統が文化に深く根付いた地域に対しても、原住民生存捕鯨と同等な特殊な扱いが認められるべきだと主張してきたし、これを裏付ける内外の文化人類学者の研究も数多くあるが、50頭のミ ンク鯨をこれら捕鯨に縁のある地域に対する救済枠として認めるように求めた提案は過去十数年、反捕鯨勢力によって日の目を見なかった。そこで今年は、資源量が9000頭程度で毎年50頭前後捕られてきているホッキョク鯨の分について、多数決で決める ことを日本が主張し、投票の結果、ホッキョク鯨の原住民生存捕鯨枠の案は拒否された。この背景には、商業捕鯨のための捕獲枠算定方式であるRMP(改定管理方式)を適用するならばホッキョク鯨の資源量は30年間は捕獲禁止措置になるほどの低さなのに対 し、
反捕鯨国でも行われている他の漁業や狩猟における管理手法、果ては他の分野の様々な事柄でも同じであり、捕鯨に関してだけ特別に厳しい基準を要求するのは、鯨可愛さに目がくらんで上での世界中の誰にも殺させたくないという 愛好家心理の隠れ蓑としてか、あるいは今世紀中頃までの捕鯨の知識から受けた心理的トラウマ(例えていえば、一度水に溺れた人間が水泳を拒否し続けるような)や、捕鯨に関して嘘と誇張を交えたプロパガンダ情報だけに接して きて自分で各種文献を当たった事がない事からくる思い込み、あるいは捕鯨だけにスポットを当てて他の人間の活動と客観的に比較した事がないというバランスに欠いた思考回路、といったものからであろう。 なお、今現在のRMPの 対象はヒゲ鯨類であり、雄が複数の雌とハーレムを形成するなど特異な集団構成を持つマッコウクジラをはじめ歯鯨類は対象外である。20世紀最後のIWC総会は去る7月3日から6日まで行われた。開催地はアメリカなどよりも強硬な反 捕鯨国であるオーストラリアで、しかもロバート・ヒル(Robert Hill)環境大臣の選挙区内のアデレード市であった。ヒル環境大臣といえば1997年9月に、全世界の海で永久的に捕鯨を禁止するグローバル・ホエール・サンクチュア リー構想を明らかにした事で知られ、今回の南太平洋サンクチュアリー案はその第一歩とも見られる。部外者としては会議のなりゆきが気になったが、捕鯨の当事国である日本では全国紙での取り上げは簡単で、あまり詳細は伝わっ てこない。各種投票結果などは、例えば農水省のプレスリリースページにある 結果の概要 にあり、表に現れる投票結果などでは従来から目立った進展はなかったが、ネット上での海外のニュースで注意をひいた点をいくつか書き留 めておく。 − ワシントン条約事務局長からIWCへの手紙 −今年は4月に、ワシントン条約(CITES)の締約国会議が開かれ、日本とノルウェーが提案していたミンククジラのダウンリスティング案は否決された。これまでのIWCに よる公式の資源評価からみると、ミンククジラは全世界で100万頭に迫る数が生息していると見られ、とてもではないが、現在分類されているような「絶滅に瀕している種」ではない。当初はワシントン条約の事務局でも、現状は絶滅 に瀕した種と認定するための科学的基準に合わないとして、
提案どおりミンククジラを付属書Iから付属書IIへ移す事を勧告していたが、反捕鯨勢力の圧力を受けたのか撤回し、事務局のお墨付きを失った格好になった提案は浮動票を集めきれず否決された。ただ、商業捕鯨のモラトリアム後の資 改訂管理制度を完成させるよう、催促の手紙を書いたのだが、その文面は反捕鯨国などの反発もあって、マスコミなどには非公開となった。ただ、中立系の国が、IWCの現状がその国際的信用を落とす事を恐れ、2001年2月までに改訂管理 制度の完成に向けた会合を開く事などを提案して合意された。 − ドミニカ騒動 −カリブ海には中部に「ドミニカ共和国」(Dominican Republic)という比較的大きな島国と、東部に「ドミニカ国」(Commonwealth of Dominica、あるいは単にDominica)という奄美大島より少し大きくて人口が7 万人程度の島国があるが、後者はIWCの加盟国であり、そこを舞台にひと騒動があった。以下、現地紙の「The Chronicle」をはじめ、この騒動を報じた複数の記事やネット上の情報、IWCの資料などからまとめてみる。 ドミニカでは今年1月の総選挙を受けて、連立内閣が誕生したが、自身は出馬しなかったものの通商産業協会の推薦を受けて農業・環境・企画大臣に就任していたAtherton Martin氏は、ドミニカがIWC総会でオーストラリアなどが提案し た南太平洋のサンクチュアリー(聖域)案に反対票を投じたのに抗議して、「これは海外援助にからんで日本が圧力をかけたためだ」として、抗議のために辞任すると本国での記者会見で発表した。会見の席でMartin大臣は「内閣はIWC におけるすべての投票で棄権する事を決めていた」と主張し、また彼自身がRoosevelt Douglas首相に対して、IWCへのドミニカ政府代表であるLloyd Pascal氏を召還するよう要請していたが、却下されたとも述べた。ドミニカではホエ ール・ウォッチングが比較的盛んであり、Martin大臣はこれら観光産業の利益も主張している。
大臣に就任するまでMartin氏はドミニカの反捕鯨団体であるドミニカ自然保護協会(Dominica Conservation Association - DCA)の会長だったが、後述する外国NGOとの関係を考慮してか、捕鯨問題に関する管轄はIWC開催前に外務省へと移管されていた。 Martin大臣の言い分に対し、Douglas首相は「代表団に対しては、現地で得られるすべての情報をもとに独自の裁量で投票するように指示してあった」と反論、「オーストラリアなどのサンクチュアリー案は(条約第5条で規定されているような)科学的 裏付けが得られていなかった」とも指摘し、7月10日にMartin大臣の辞任は受理された。 Douglas首相と同じドミニカ労働党に属するPascalコミッショナーも「Martin氏は海外の反捕鯨団体の影響下にある人物だ」とコメントし、またサンクチュアリーにつ いてはIWCの長年の懸案である改定管理制度(RMS)が完成しても豊富な鯨種の捕獲を不可能にするもので、原則にそぐわないとの認識を示した。Martin氏の政治キャンペーンが、反捕鯨団体である国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfa re - IFAW)のテレビ広告を活用して行われていた事から、DCAはIFAWの傀儡であると見る現地筋もあり、金銭関係も指摘されている。連立内閣においてMartin氏は自身の諸政策に対する他の閣僚の支持をとりつけるのに失敗してきていたという。 DCAは反捕 鯨団体としては日本ではなじみが薄いが、IWC総会には1995年から参加している。 1998年のIWC総会においては、IWCと同じ略称を持つ国際野生連合(International Wildlife Coalition)というNGOと共に、「日本はカリブ海諸国への経済援助と引き替えにI WCでの支持を受けている」という今回同様の主張をはじめ脅迫めいた言説を含む開会声明を発表して日本とカリブ海諸国の猛反発を買い、結局IWC議長の働きかけにより国際野生連合の声明はIWCのドキュメントから削除されるという騒動があった。 東部カリブ海諸国(Antigua & Barbuda、St. Lucia、St. Vincent & Grenadines、St. Kitts & Nevis、Grenada、Dominica)は1970年代終りまでの植民地時代のバナナ・プランテーション的経済状態、すなわちバナナの輸出や観光で得た金で外国から安い肉 を買うといった状態から脱却して周囲の豊富な漁業資源を自分達で活用するために漁の加工や保存などで日本の技術援助を受けている。
ドミニカについて言えば、従来のバナナ農業はハリケーンなどの気候の影響のために収穫が不安定であり、砂浜が少なく入り組んだ海岸線と国際空港の不在から観光産業の発展も難航していて、政府は海の利用に活路を求める政策を推し進めている。東部カリブ海諸国の多くは当初、 独立して間もない頃に欧米の反捕鯨団体の資金援助のもとにIWCに加盟したと言われ、事実、モラトリアム採択時には外国人の反捕鯨活動家が政府代表として投票していた国すらあった事は以前ふれた。その後は「科学的根拠に基づいて利用可能な海洋資源は合理的・持続的に利用す る」という、考えてみればごく当たり前の立場に変わり、条約の範囲外である倫理的理由をかざして捕鯨に反対する欧米諸国とは一線を画していて、小国ながら雄弁な様子はIWCの議長報告書からもうかがえる。日本からの海外援助に関した反捕鯨NGOの宣伝に対しても「我々は日本 よりもEUからより多くの援助を受けているが、もし我々がEU諸国と同じ投票をしたら、カリブ海諸国はEUに買収されていると言うのですか?」と反論している。 なお、Martin大臣は会見で「今回の投票によってドミニカの観光産業は大打撃を受けるであろう」と述べていたが、IWCにおいて条約の規定を満たさない提案に反対票を投じた事が観光客の心理に重大な影響を与えると考えるのは誇大妄想というものではないだろうか。 21世紀最初のIWC総会は去る7月23日から27日までロンドンで開催された。近年共通の主要議題については、例年と大差ない議論が展開され、概要は 本家IWCのプレスリリース や 水産庁のプレスリリース を見ていただきたい。 − アイスランドの加盟問題 − 今年の諸議題のうち、過去に例を見ない揉め方をしたのがアイスランドの再加盟問題であったので、以下、この点をまとめてみる。 アイスランドは、北大西洋にポッカリと浮かぶ島国で、デンマーク領グリーンランド、イギリス、ノルウェーの間に位置する。面積は10万3000平方 キロで人口は28万弱(1999年)である、といってもピンとこないであろうから、少しわかりやすく書くと、北海道より2割ほど広い島国に、函館市と同程度の人口が住んでいることになる。日本同様の火山国で、氷河、火山、オーロラなどが観光客を引き寄せる源となっている。
農耕には向かない地理的環境で漁業が盛んであり、輸出の7割を依存している。漁業政策上の理由により、EUには未加盟である。 IWCには設立当初から加盟しており、自国の近海でナガスクジラ、イワシクジラ、ミンククジラ、マッコウクジラなどを捕獲していた。 1982年にIWCでモラトリアムが採択された後、捕鯨国であった日本、ノルウェーは条約に定められた意義申し立てをした。 IWCの科学委員会が、ミンククジラなど資源量が豊富な鯨種がいる以上、全ての鯨種の捕獲を禁止する包括的モラトリウムに科学的根拠なしとする中で、 鯨を特別視する風潮にすっかり染まった大多数の加盟国が、条約第5条の「科学的認定」を無視してモラトリアムを可決した状況は、とうてい受け入れ難かったのである。日本は当時、アメリカには弱いことで定評があった中曽根総理の政権下であり、アメリカの水域内での 日本漁船への漁獲割り当てへの削減で脅されて、モラトリアムへの異議申し立てを撤回してしまう。やがて、異議申し立ての撤回によって守りぬいたと思った、アメリカの水域での漁獲割り当ても、先方からの一方的通告で失い、禍根を残す結果となった。 ノルウェーは、異議申し立てをしたまま、商業捕鯨は自主的に停止していたが、1990年代に入って再開し、今日に至っている。さて、捕鯨国であるアイスランドはモラトリアムへの異議申し立てはしなかった。モラトリアムの条文には「遅くとも1990年までに鯨資源の包括的 評価を行なって見直す」とあったので、見直しに備えて調査捕鯨でデータを集める路線を最初から選択した(1986年からの4年間の調査で捕獲した合計は、ナガスクジラが292頭、イワシクジラが70頭)。調査捕鯨に際しては、反捕鯨団体のシーシェパードに研究施設を破壊さ れたり捕鯨船を沈められるという被害にも会っている。科学的に鯨資源の状況を示せば、モラトリアムは解除されると見込んでいたようだが、1990年にはIWCの科学委員会が鯨資源の包括的評価をしてもモラトリアムが解除されない中、1991年に自国で開催されたIWCの会議の 場で 脱退を表明 する。IWCから脱退すればもはやモラトリアムに拘束されることなく捕鯨はできるのだが、捕鯨再開の意思を国会決議で示すことはあっても、実際に行なうことはなかった。ただ、1992年に結成されたNAMMCO(North Atlantic Marine Mammal Commission、北大 西洋海産哺乳類委員会)には加盟している。
IWC脱退後は、様々な国から再加盟するように要請されたが、そのような中、今年6月についに加盟の手続きをした。ただし、「モラトリアムには異議申し立てをする」という条件付きであった。これは、再加盟した後も、モラトリアムに束縛されることなく、ノルウェーのように 商業捕鯨を再開できることを意味する。過去にも、こういう「条件付き加盟」の例はあった。例えば、ペルーやチリが1979年に加盟した際、自国の200カイリ以内の水域では国際捕鯨取締条約の制約は受けない旨の注釈付きであった。エクアドルも同様の条件付きで加盟している。 IWCの国際捕鯨取締条約の条文には加盟については、「この条約に署名しなかった政府は、この条約が効力を生じた後、アメリカ合衆国政府に対する通告書によってこの条約に加入することができる。」(条約第10条2項)とあるだけで、IWCの既存の措置について意義を申し立て たままでの加盟の可否については全く既定がない。そこで、国際条約や協定について定めた「ウィーン条約法条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)」に照らし合わせると、「異議申し立てをした状態での加盟をIWCの国際捕鯨取締条約が禁止していない以上、国際法 的に問題なし」となる。個々の加盟国が、アイスランドとの2国間レベルで異議を唱えるのは勝手だが、条約機関であるIWCが組織として加盟を拒否できる問題ではないのである。 むろん、反捕鯨国にとっては異議申し立てをしたまま加盟されて捕鯨を再開される事態は容認できる はずはないから、さっそく会議初日に「異議申し立て状態での加盟は認めない」という動議を出した。これに対し捕鯨国側が、国際法的にIWCはこの問題を扱う権限がないと反対したが、賛成19、反対18、棄権1で、この問題を扱うことが認められた。さらに「アイスランドを 投票権のないオブザーバーとする」動議が、賛成18、反対16、棄権3で採択された。「棄権3」は、「この件で投票すること自体が国際法的に根拠なし」という立場を表明していた、スイス、フランス、オーストリアである。 この結果に反対する捕鯨国側は、以後すべての議 案の投票において、アイスランドの票をカウントした分を正当なものと見なす旨のコメントを付け加えるという、前代未聞の会議となったのであった。2002年のIWC年次会議は、
1993年の京都以来9年ぶりに日本での開催であり、捕鯨基地としての役割を果たしてきた山口県の下関市での開催であった。会議前に6カ国が新規加盟したため、今年の会議で懸案になると思われた日本の北西太平洋の調査捕鯨における捕獲鯨種の拡大に対する 反対決議案などでの採択に影響が出るかどうかが、例年と違う点だろうと予想していたが、原住民生存捕鯨をめぐる思わぬ展開に会議が振り回され、議題を全部消化することなく時間切れで閉幕という前代未聞の終わり方をした。ここで、IWCの原住民生存捕鯨 について簡単に記しておく。対象となっているのは、デンマーク領グリーンランドの原住民(ナガス鯨とミンク鯨)、ロシアのシベリア東部のチュコト半島のチュクチ族(コククジラとホッキョク鯨)、アラスカのエスキモー(ホッキョク鯨)、アメリカのワシ ントン州のインディアンであるマカー族(コククジラ)、カリブ海のセント・ヴィンセントの原住民(ザトウ鯨)。捕獲枠は毎年決められるものではなく、数年に一度、「この地域のこの鯨種は、何年から何年の間に何頭」という「ブロック・クォータ」で決め られる。地域によって、捕獲枠の更新年は違うが、今年は久しぶりに全部の原住民生存捕鯨の新捕獲枠が検討される年だった。捕獲枠は条約の附表に記載されるので、条約に沿えば本来はコンセンサスではなく4分の3の多数決で決められるべきだが、近年は投 票なしのコンセンサスで決定してきた。さて、日本は鮎川など捕鯨の伝統が文化に深く根付いた地域に対しても、原住民生存捕鯨と同等な特殊な扱いが認められるべきだと主張してきたし、これを裏付ける内外の文化人類学者の研究も数多くあるが、50頭のミ ンク鯨をこれら捕鯨に縁のある地域に対する救済枠として認めるように求めた提案は過去十数年、反捕鯨勢力によって日の目を見なかった。そこで今年は、資源量が9000頭程度で毎年50頭前後捕られてきているホッキョク鯨の分について、多数決で決める ことを日本が主張し、投票の結果、ホッキョク鯨の原住民生存捕鯨枠の案は拒否された。この背景には、商業捕鯨のための捕獲枠算定方式であるRMP(改定管理方式)を適用するならばホッキョク鯨の資源量は30年間は捕獲禁止措置になるほどの低さなのに対 し、
原住民生存捕鯨のための捕獲枠算定方式であるSLA (命中枠算定法)では年間60頭の捕獲が認められるという事態に見られる「科学の2重基準」に対する日本側の反発もあったようだ。なお、ホッキョク鯨よりは資源量の多い他の鯨種の原住民生存捕鯨の捕獲枠はすべて通った。 一部の人は、現代とはかなり違った状況下での今世紀半ばまでの捕鯨を例にとって「商業=悪」のような図式で捕鯨問題を考えがちだが、IWCの違反委員会の記録を見ればわかるように、原住民生存捕鯨でも違反はけっこう報告されているのであり(この点は再開して10年ほど になるノルウェーの商業捕鯨と対照的である)、資源量が少ない種においては原住民生存捕鯨だからといって、5年間のブロック・クォータを安直に設定する事態に疑問が起きても不思議ではないと思う。ここで、事情を知らない人は、ロシアとアラスカの原住民が飢えるので はないかと思うだろうが(事実、反捕鯨団体は一般の知識不足につけこんで、そのような宣伝をしているが)、現実はそんな単純なものではない。まず、近年の 捕獲統計 を見ればわかるが、ロシアのチュクチ族は今回捕獲が認められたコククジラを年平均100頭以上捕って いるのに対し、ホッキョク鯨は1頭そこそこであった(捕獲枠としては年平均5頭まで捕れたが)。彼らはIWCの管轄外である小型鯨類も捕獲しており、ホッキョク鯨が捕れなくなったからといって餓死することは考えられない。ただし、彼らの文化においてはコククジラを捕る よりはホッキョク鯨を捕る方が重要らしい。一方、アラスカの町バーロウでホッキョク鯨を捕っているエスキモーはどうであろうか?以下は現地を訪れた方の描写である。 もし貴方が豊かであれば、民族はその食生活を転換出来ると安易に考えているのならば、私は北米大陸の北端にあるアラスカ州のバーロウの町を訪れることをお勧めしたい。バーロウでは、世界でも最も枯渇の水準が心配されている鯨種である北極セミ鯨(英語で Bowheadと呼 ぶ)を住民が捕獲することをIWCが許可しており、それは、これらの住民が豊かでないからではない。いや、むしろ豊かであるからこそ、捕鯨が催事として許可されているのである。町の公共施設は完備し、住民の多くはセントラルヒーティングのある広い住宅に住む。町のスー パーマーケットには、牛肉から日本の白菜まで、あらゆる食品が揃っている。
ビデオショップには、最新のハリウッド映画のビデオが揃っており、明け方まで、暴走族めいたスノーモービルやバギーカーの騒音でゆっくりと眠る時間もない。若者達は、私の訪問した9月の末の長い日照時間をフルにエンジョイしていた。バーロウで捕鯨のキャプテンの 地位を保持するのは、単に人望があるだけではなく、資産が必要であると私は何度も聞かされた。なぜならば、ここの捕鯨は原住民/生存捕鯨としてIWCが認定しており、その為には、金銀による鯨肉の取り引きが出来ないからである。捕鯨を続ける為には、近代化されたモー ターボート(秋に氷が接岸していない時期に行う捕鯨には、非伝統的なモーターボートが必需品である)をはじめとし、ガソリン代、気象状況モニターの為に欠かす事の出来ないコンピュターや、高性能の無線機、モリ撃ちの銃、一隻に五人は要するクルーの日当、(時には、 一ケ月もの日数がかかる)など莫大な経費が必要であるからである。町は石油や天然ガスなどの資源開発に伴って、財政が豊かであり、財テクの専門家も郡役所に配置されている。 この豊かさをもって、住民は、米国本土から野性生物研究の科学者を雇用し、ワシントンには 弁護士を置き、連邦政府の内務省に人権問題であると訴え、その結果枯渇した北極セミ鯨の捕獲をIWCに認めさせたのである。 IWCの科学小委員会は、今でも、この北極セミ鯨の系統群が十分な資源状態にあるという意見はもってはいない。バーロウの町の統計には、鯨肉は住 民の 蛋白源のわずか8%程度であり、主食としての役割を果たしてはいないことが判る。・・・三崎滋子「ゲームの名は捕鯨問題 」、1994年、より」 もし、彼らが本当にホッキョク鯨の捕獲なしで窮状に陥るのなら、他国の人権事情に口出しするのが大好きなアメリカ政府のことだから、国際捕鯨取締条約に従って「異議申し立て」をした上で自国民に捕獲させるなどわけないことであり、ロシアとアラスカにおいて、今回の 騒動の果てにひもじい思いをする原住民は一人も出ないことは断言して良いだろう。 特別会合 この、ホッキョク鯨の捕獲枠設定の否決という事態を受けて、10月14日からイギリスのケンブリッジで特別会議が開催され、再度討議された。その結果、IWC科学委員会による ホッキョク鯨の資源量評価の結果によっては捕獲量を修正するという条件のもとで、投票にかけずに合意のもとに捕獲枠は承認された。
捕獲枠は、「2003年から2007までの5年間で280頭以内(年平均にして、アメリカが51頭、ロシアは5頭)、ただし、ある1年における捕獲は67頭を超えてはいけない」という、従来の数字と同じである。また、この特別会議において、アイスランドが商業捕鯨モラト リアムへの異議申し立てをした状態で加盟する件も再度討議され、19対18の一票差で正式加盟が認められた。アイスランド政府は2006年までは捕鯨を再開しない旨言明しており、また、再開する際にはIWCが認める捕獲枠に従ってミンククジラ、ナガスクジラ、イワシ クジラを捕ることになるだろうという。更に、日本が過去十数年求めながらも否決され続けてきた、伝統的な沿岸捕鯨地域での50頭のミンククジラの捕獲要求は投票にかけられたものの16対19(棄権2)で否決されたが、ホッキョク鯨の件が無事一件落着したアメ リカとロシアは賛成票だった。特に過去と打って変わったアメリカの賛成票は目を引く。 捕鯨問題とは関係のない話題だが、今世紀半ばに活躍したオランダの著名な鯨類学者 E.J. シュライパー (E.J. Slijper)博士の著書「鯨」に以下のような記述がある "イルカは昔からたまたま海岸に近づいたところを捕らえられた(図 15)。散発的に獲られたこともあり、あるいは規則的にしかも1つの産業といっていいほど多数獲られたこともある。たとえば、11世紀にノルマンディーの海岸で盛んに獲られ、1098年には法律による捕 獲制限が行なわれたくらいである。イルカの油はとも燈火用に使われ、肉は人間の食糧となった。イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ、1426年の年代記によれば、英国のヘンリー6世はこれをとても好んだという。かれの後継者であるヘンリー7世の戴冠式の正餐 にもイルカの肉はいろいろに調理して、メインコースあるいはパイとして供せられたという。伝統的な国民ではあるが、イギリス人は今日ではイルカの肉を食べない。ただし宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった。(細川宏・神谷敏郎訳、東京大 出版会、1984、42頁)日頃から、日本におけるイルカ肉の扱われ方に違和感があったので、中世からルネサンス期のヨーロッパにおけるイルカ料理について少し調べてみた。
まず、上のヘンリー6世についての記述は若干疑問が残る。というのは、彼の生年は1421年であり、父のヘンリー5世が若くして死んだために生後9ヶ月で即位したものの、「年代記」の書かれた1426年には5歳前後で、いくら王とはいえ、子供の食事上の好みに 年代記が言及するだろうかという気はする。年代記の執筆年が誤りか、あるいは父のヘンリー5世の誤りである可能性はあると思う。なお、時代で言えば、ヘンリー6世はフランスとの間の百年戦争末期から、王室の後継争いのバラ戦争初期の王であり、代表的 なパブリック・スクールであるイートン校(Eton College)やケンブリッジ大学のキングス・カレッジ(King's College)は彼が創立した。また些細な事だが、上の引用部でヘンリー7世がヘンリー6世の「後継者」となっているが、実際には赤バラを紋章とす るランカスター家のヘンリー6世の後は、白バラを紋章とするヨーク家のエドワード4世、エドワード5世、リチャード3世が即位し、バラ戦争の勝利者ヘンリー7世は、新たなテューダー朝の創始者であって、直接の後継者ではない点を注意しておく。 さて、当時のヨーロッパではキリスト教の力は強大であり、復活祭の前の40日間にわたる四旬節(Lent)や断食日(fast day)といった、肉食禁止の日が設けられていた。ただし、昔の日本と同様、イルカや鯨は魚類と見なされて、これらの日にも食べる事は 認められていた。例えば、ヘンリー6世の父であるヘンリー5世はフランスから迎えた妻キャサリンの王妃としての戴冠式を1421年の2月に行なっているが、この時期は四旬節の最中であったので、式典で供された食事は、30種類以上に及ぶシーフードが主であり 、イルカも含まれていた。イルカが哺乳類である事は、すでに古代ギリシャのアリストテレスが見抜いていたはずだが、こういう哲学とは無縁の業績は中世までには忘れ去られていたのだろうか。なお、食感が魚類よりは陸上の動物の肉に近いという点は鯨類 の肉が当時好まれた理由の1つのようである。 14世紀のミラノの医者 Maino de' Maineriが著した本で海産種で良いものとして挙げられているのはイルカ類、サメ、タラなどで、ヒメジ、ホウボウ、ツノガレイ、シタビラメなどがそれに続くという。
ところで、英語ではイルカ類のうち、口がとがったものをドルフィン(dolphin)、そうでないものをポーパス(porpoise)というが、当時の料理を調べると後者の方をよく見かける。ヘンリー5世の上の儀式でもそうであり、また彼が開いた他の宴会のメニューには 「ロースト・ポーパス」(Roasted Porpoise)という料理も見られる。たぶん、イギリス南西部沿岸やノルマンディーで捕られたネズミイルカ(Harbor porpoise)ではないかと思う。なお、シイラ(dorado)という魚もdolphinと呼ばれることがあり、しかも料理さ れるので、"dolphin"をキーワードに検索する際には要注意である。15世紀前半の家庭向けのメニューを集めた"John Russell's Boke of Nurture"にもイルカは登場するし、イングランド東部の町イプスウィッチ(Ipswich)の記録でも、魚市場でも、サケ、チョウザ メ、ニシンなどと並んで鯨肉とイルカが並び、イルカやサケなどは一種の贅沢品として、その取引自体に料金が課せられた、とある。ロンドン市長の食卓にも鯨やイルカは並び、鯨については串に刺してローストしたり、ボイルされたものが豆と一緒に出され、舌と 尾の身が好まれた。イルカはまるごと調理されてナイフで切り分けてマスタードを付けて食べた、とある。 時代が変ってテューダー朝の時代に入っても宮廷では食べられ、ヘンリー8世やその娘であるエリザベス1世の時代にも、ごく普通に食べられていた。また、 イングランドのみならずスコットランドの宮廷でもイルカは食べられていたことが、女王メアリー・スチュアートの時代の16世紀半ばの記録にうかがえる。冒頭に引用したシュライパー博士の「宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった」という 言葉からすると、スチュアート朝の末期の名誉革命に際して、国王ジェームズ2世の娘婿のオランダ総督がウィリアム3世として即位したあたりが、宮廷からイルカ料理が消えた頃、という事になるが、宮廷内の人的変化が原因というよりも、イギリス社会における畜 産の発展や、大航海時代に入って海外からもたらされる産物などによる食生活の変化によって、17世紀末に向けて徐々にすたれていったのではないかと想像する。
なお、今日のイギリス料理の味に対する評価を考えると「イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ」という記述に疑念をいだく人も多いであろうが、フランスのアンジュー伯がイギリスのヘンリー2世となった12世紀半ば以降、百年戦争に敗北するまでは、イングランド王は
フランスにも領地を持っていて宮廷にもフランスからの人間は大勢いたようだから、料理をめぐる文化的状況は近代国家成立後とは違ったであろうと思う。フランスでもイルカや鯨肉は中世の市場で売られてきており、著名なレストランのトゥール・ダルジャン(Tour d'Argent)
が16世紀のパリにオープンした際にもメニューにはイルカのパイ(Porpoise pie)があった。と、ここまで書いてくると、当時のイルカ料理はどのようなものだったのか知りたくなるのだが、中世やルネサンス期の料理を紹介し、そのレシピも書いてある本やホームページはいく
つかあるものの、イルカのように今日のヨーロッパ圏では食卓から消えた食材を扱ったものは、取り上げられるのが稀なようである。今回ネット上を検索していて見つかったのは、以下に挙げるイルカのプディング(Pudding of porpoise)くらいである。
イルカのプディング イルカの血と脂を取り出し、オートミールと混ぜて、塩、胡椒、ショウガで味を付け、イルカの腸(Gut)につめる。お湯に入れて、強火でゆでた後に火を弱める。お湯から取り出して、よく水分を切り、表面がパリパリになるまで火であぶり、出来上がり。
ただ、古語を直訳した文と現代文による解説を比較してみると、「腸」と訳した言葉(大文字で始まる"Gut")は内蔵を取り除いた体全体、という意味かもしれない(
http://www.godecookery.com/mtrans/mtrans19.htm 参照 )。つまりイルカの体全体に詰め物をした、というわ
けで、先にでてきたイルカをまるごと調理したものが、この料理かも知れない。いったいどのような味がするのか興味をかき立てられる。さて、現代の日本に話を戻すと、商業捕鯨のモラトリアム以後、鯨肉の代用品としてイルカの捕獲量が増大し、イシイルカ(Dall's porpois
e)を中心に年間2万頭ほど捕られているが、「イルカ肉」ではなく「鯨肉」のラベルを貼られて店頭に並ぶ事は珍しくない。日本では様々な食材が料理されているが、伝統的な材料においても、様々な手法によって新しい料理が創られている。
その事をふまえて、上に挙げた、日本ではまだ試された事がないであろうイルカ料理の事を考えると、単に鯨の代用品として風味の異なるイルカを扱うのは、何かもったいないように思う。「鯨肉」とラベルを貼られ、買って食べた消費者から「昔食べた味と違うなあ」と 思われるのでは、死んだイルカも哀れではないだろうか。鯨類は、とかく伝統的な料理にスポットが当られがちで、イルカについても一部の地方に伝統料理はあるのだが、今日では、昔と比べて様々な調味料があり、様々な調理器具があるのである。ならば、積極的にそれ らを駆使して、今日の日本で調理しうる美味しいイルカ料理とはどのようなものか、挑戦して創り上げる料理人がいても良いように思うのだが。 シロナガスクジラは海獣類(海産哺乳類)のみならず、これまで地球上に生息した動物の中では最大の体長を持ち(植物の中にはもっと大きな物はあるが)、平均して25m程度にまで成長する(亜種のピグミー・シロナガスでは20m程度)が過去に捕獲された例では30mを越 える個体もあったという。「シロナガス」と言うものの、鈴木その子のように白いわけではなく、青と灰色の中間のような色に薄い斑点状の模様が散らばっている。ヒゲクジラ亜目のナガスクジラ科に属するが、体の背中側が黒くて腹が白っぽいというナガスクジラ科の他 の種と違って、腹部の側も白くない。多くの人にとって本物を見る機会はないだろうが、東京・上野の国立科学博物館の敷地には専門家の助言のもとに作られた、実物大の模型がある。なお、肉質はピンク色で脂がのっているというが、IWCが禁漁にしたのが1960年代半ば であるから、極めて残念ながら食べた事はない。 同じヒゲ鯨でも脂肪が豊富で太ったセミクジラなどとは違い、スマートで泳ぐ速度が速く、死ぬと短時間で沈んでしまうシロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラなどは、昔の捕鯨技術ではなかなか捕獲が難しい種 であり、本格的に捕られ始めたのは、ノルウェーのスヴェン・フォイン(Svend Foyn)が、ロープの付いた銛を高速の船に載せた捕鯨砲から撃つ方法を導入した19世紀後半以降である。 南氷洋における捕獲開始前のシロナガスクジラ資源量は20万頭程度と推定されている。 余談だが、今世紀初めに南氷洋がいかに鯨が多い海であったかという逸話を記しておこう。
1912年に日本人として初めて南極探検を行なった白瀬中尉の記録である。 「ロス海に突入して一つの湾に船を寄せようとすると、まるで算盤の玉を並べた様に大きな丘が海中一面にある。調べてみると皆鯨だから驚いた。隊員の中には、この鯨の大群の中をどうして通り抜けることが出来るだろうかと心配した者さえあった。構わずどんどん進んでい くと、流石に鯨も船には恐れたのか、通り路だけは開けてくれたので、やっと安心したが、一時はどうなるだろうかと少々不安に思った。これが即ち鯨湾である。」(板橋守邦著「南氷洋捕鯨史」、1987年、中公新書 842) 南氷洋のシロナガスクジラはほとんどオキアミだけを たべるという極端な偏食である。同じ南氷洋でもミンククジラやナガスクジラなどはオキアミ以外にもカイアシ類などの他の動物プランクトンや小魚も状況に応じて食べるのとは違っている。これは、オキアミにありつけなくなると、やがて集団の繁殖にも支障をきたす事態に なる事を暗示しているが、事実、南氷洋でシロナガスクジラが減ったためにミンククジラやカニクイアザラシなどが大量の余剰オキアミを得て増える一方、それが長年捕獲が禁止されたシロナガスの回復を阻害しているという、何人かの科学者による説と整合する。このシロナ ガスクジラの空白を埋めるように、それまで高緯度海域ではあまり見かけなかったイワシクジラも索餌域が南下してきたといわれている。さて南氷洋における今世紀前半の 捕獲統計 を見ると、すさまじい量の鯨が捕獲されている。シロナガスクジラでいえば、1930/31漁期には 3万頭にせまる頭数が捕られ、その後も1930年代半ばには毎シーズン1万5千頭以上も捕獲されていて、現代どころか捕鯨問題が世間の注目を浴び出した1970年代初頭の資源管理でも考えられない量である。 1930年代終りに捕鯨操業を管理するための国際捕鯨協定は作られたが、 捕獲枠などは設定していなく、また間もなく第2次大戦に突入して南氷洋での捕鯨は2シーズン中断した。第2次大戦が終りかかる1944年、7ヵ国が会議を開いて捕獲枠を戦前の捕獲実績の2/3程度に当たる16000BWUに抑える取り決めを交し、1946年に新たに作られた国際捕鯨取締条 約のもとでIWCが捕鯨を管理するようになってからもこのレベルの捕獲は続くが、当時はまだ、国際的な鯨の資源調査が行なわれていない時代であり、
また、各国の科学者が自国の操業海域のデータをもとに、シロナガスなどの資源の減少を警告しても、南氷洋全域でデータをまとめた研究がないなど、業界の利益優先の風潮を覆すには説得力が欠け、さらに捕獲枠は鯨種ごとではなく BWU制 で決められている時代であった。ま た、例えば10万頭いる鯨の集団から仮に3000頭捕獲するにしても、この集団における年齢構成が違えば捕獲の影響は全く違うが(たとえば年寄が多くて若い鯨が少ない集団と、その逆の構成の集団では、捕獲がその後の繁殖に与える影響は異なる)、ヒゲ鯨の年齢査定法をイギリ スのパーヴェス(P.E. Purves)が見いだしたのは1955年になってからと遅い。当時と今では鯨の資源量の解析手法やデータの質と量、鯨に対する需要、管理手法など何もかも違うのであるが、こうした昔と今の違いなど無視して、商業捕鯨を再開すると当時のような乱獲が再び 始まると宣伝しているのが内外の反捕鯨団体である。さて、表題の「3人委員会」であるが、このように、科学委員会が業界を説得しきれずに、過剰と確信される捕獲枠が設定され続ける状況を打開するために、資源統計や解析に明るい外部の科学者に委託して、各国の長年のデ ータをまとめて解析して捕獲枠への助言を行なうために、1960年のIWC年次会議においてその設置が決められた。任命されたのはFAO(国連食糧農業機関)のホルト(Sidney J. Holt), ワシントン大学のチャップマン(Douglas G. Chapman)、ニュージーランド水産局のアレン (Kay Radway Allen)であり、遅くとも1964年7月末までには彼らの結果に従った捕獲枠を設定する事になっていた。 1963年には任期の1年延長に伴って英国水産研究所のガランド(John A. Gulland)も加わって4人委員会になり、1964年に彼らの任期が終わった後の数年間はFAO が資源評価の作業を引き継いだ。3人委員会の解析の結果は1963年6月の第15回年次会議に報告された。シロナガスクジラとザトウクジラは資源の回復に50年以上見込まれるためただちに捕獲を禁止するよう勧告され、またナガスクジラは年間の捕獲量を7000頭以下に減らす事が勧 告された。各国のデータを総合して当時の最先端の手法で分析した勧告がようやく出たわけである。なお、資源評価の継続やこれまでIWC内部でも検討されたBWU制の廃止も勧告されたが、後者が実現したのは70年代に入ってからである。
さっそくザトウクジラとシロナガスクジラは1963/64シーズンから捕獲禁止になり(ただし、捕獲歴史の浅い亜種のピグミー・シロナガスは1963/64には捕獲が認められた)、総捕獲枠は前年の15,000BWUから10,000BWUへと削減された。南氷洋のシロナガスクジラはついに安息の時 を得たというわけである(なお、北大西洋のシロナガスクジラはすでに戦前から保護されており、北太平洋では1966年から保護された)。翌年の1964年の会議は4人委員会の結果に従った捕獲枠を設定する期限であった。前シーズンの捕獲量を考慮に入れて4人委員会が出した勧告 はナガスクジラは4000頭、まだ情報の少ないイワシクジラについては2400から8000の間という範囲内での低めの数字が推奨された。会議では合意がまとまらず、結局会議後に捕鯨国が自主的に8000BWUに決めて落ち着いたが、鯨種別の捕獲枠ではないために実際の操業では捕鯨各国 によるナガスクジラの総捕獲は7000頭以上に達した。これがBWU制の怖い点である。もっとも、以後BWU捕獲枠は年々コンスタントに削減され、60年代後半には安全を見込んでナガスクジラとイワシクジラの推定持続生産量の合計よりも低めの捕獲枠を設定するなど、遅まきながら 削減傾向は定着していった。第2次大戦後に14,500BWUから16,000BWUの間で変動していた捕獲枠は、1971/72シーズンには2,300BWUまでに削減され、これを最後にBWU捕獲枠制度は廃止され、鯨種ごとに捕獲枠が設定されるようになった。 こうした時期、すなわち1970年代初頭にア メリカのニクソン政権が捕鯨に関する管轄を商務省から大統領府に移し、当時の代表的な反捕鯨団体プロジェクト・ヨナなど連携して反捕鯨政策を大々的に開始し、別の機会に述べようと思うが、1972年の国連人間環境会議において「IWCのもとで商業捕鯨の10年間のモラトリアム を実施するように求める」決議を通らせたものの、直後に開催されたIWCの年次会議ではアメリカのチャップマンが議長を務める科学委員会において、鯨種ごとの資源状態が違うにもかかわらずすべての鯨種の捕鯨モラトリアムを実施する事は科学的に必要性なし、として全会一致 で退けられ、総会でも否決された。余談になるが、この1972年のIWCでの敗北の後、アメリカ政府はIWCへ送り込む科学者を大幅に入れ替えるなど、いかにもニクソン政権らしい行動に出た。また、ホルトのように反捕鯨団体に取り込まれた科学者も出てきて、
科学委員会の様相も変る。かつての3人委員会のメンバーは反捕鯨派に変貌した上に(4人目のガランドだけは別で、例えば後年FAOのオブザーバーとして1982年のモラトリアム採択に際しても、それを批判する声明を出している)、反捕鯨団体の資金援助を受けたり縁の深い科学 者が続々と科学委員会に登場する。よく目にする名前は、 Jutine G. Cooke (IUCN)、 John R. Beddington (イギリス)、 William K. de la Mare (オーストラリア)、 J.G. van Beek (オランダ)、 K. Lankester (オランダ)、 Elisabeth Slooten(ニュージーランド) 、 C.S.Baker(ニュージーランド) といった面々である。すでに最近のIWCには登場していない顔触れもあるが、逆にここには載っていない名前もまだまだある。彼らの特徴は、自分でデータを収集して科学的な真実を追求するというよりは、もっぱら捕鯨国側の科学者が出した データを基にいかに反捕鯨に有利な結論や仮説に導いたり、捕鯨国側の科学者の見解にケチをつけるかという、政治的動機で動いている点にあるといえる。比較的近年では、日本が北太平洋でミンククジラの調査捕鯨を開始するキッカケになった系統群分類の仮説などが、そのほ んの一例である。科学委員会のレポートを読んでいて「大多数のメンバーの見解では○○××だが、何人かのメンバーは××△△であると主張した」というような記述があって、その「××△△」がいかにも反捕鯨側に都合の良いような場合は、この「何人か」というのが、これ らの面々であると見て大体間違いない。そして、科学委員会内部では少数であった彼らの意見が、英語圏のメディアによって大多数の見解のように宣伝されたり、それらに沿った措置が本会議では反捕鯨国の数的優位によって採決されるというのが、70年代半ば以降の捕鯨問題に おける一つのパターンである。例えば、手もとにあるイギリスのガーディアン紙の記事(1989年1月31日付)には、南氷洋のミンククジラの資源量について「(捕鯨開始前の)半分に減ったと推定されている」とあるが、科学委員会がこのような見解で合意したためしはない。それ どころか、全会一致の合意ではないものの、シロナガス鯨の激減による餌の余剰によってミンククジラは増加したというのが大方の見方であり、従って捕獲が本格的に開始した1970年代初頭の資源量は初期資源量とは見なせないために、 MSY(最大持続生産量)
の代わりに毎年の加入量の推定を基に捕獲枠を決めていたはずである。また、この記事には日本での鯨肉の消費について「大部分は60歳以上の人間によって特別な機会に食べられている」とあるが、「大部分」の消費がこのような「特別な機会」に限られたものなら、全国の鯨料理店 はとっくに店じまいを余儀なくされていたであろう。大御所のホルトは、かつてミンククジラを資源が大幅に減少した保護資源に分類すべく、2万頭説を提唱して逆に科学委員会で失笑を買ったが、グリーンピース・イタリアの設立に関わったり、イタリアがIWCに加盟する前年の1997 年のIWC総会ではイタリア人ではない彼がイタリア代表団の「通訳」として本会議に参加するなど、もはや活動分野は科学者としてのそれから遊離しているようだが、まだまだ後継者には不足していないようである。 Q1: 鯨は何種類いますか。 鯨は大きく分けてヒゲクジラと歯クジラの2種類に分かれます。ヒゲクジラは主として沖アミや小さな魚を海水と共に口の中に入れ、ヒゲでこして呑み込みます。シロナガスクジラやミンククジラなど10数種類がいます。歯クジラはイカや魚を歯でとらえて呑み込みます。マッコウ クジラやイルカ類など70種類にのぼります。鯨には80種類程度のものが知られていますが、このうち伝統的に捕鯨の対象となったのは、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラ、ミンククジラなどです。 Q2: 鯨はすべて絶滅に瀕しているのではないですか。 捕鯨の対象でないカワイルカなど、少数の種類を除けば、本当に絶滅に瀕している鯨はいません。一口に鯨といっても大きいものは体長30メートルに達するシロナガスクジラから、小さいものは1メートルそこそこのコビトイルカまで多様です。普通4メートルより大きいものをク ジラ、これより小さいものをイルカと呼んでいます。かつての鯨乱獲時代に大型の鯨であるシロナガスクジラ、ナガスクジラ、セミクジラなどはきわめて低い水準にまで減少しました。しかし、これらの鯨類は完全に保護されています。一方、南氷洋や北西大平洋および北大西洋のミ ンククジラ、あるいは北西太平洋のニタリクジラのように、捕獲の対象にできるほど資源状態のよい種類もあります。
Q3: しかし、それでも国際捕鯨委員会(以下IWCと略称)は72年以降、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラ等の資源を、保護資源に指定しています。乱獲は、1982年の商業捕鯨モラトリアム(一時中止)の成立まで続いたのではないですか。 票の上で圧倒的な力を持つ反捕鯨勢力が乱獲を許すわけがありません。ただ、国連人間環境会議が開催された1972年以降、科学委員会に大きな変化が生まれました。その直後に開催されたIWCの科学委員会が、国連人間環境会議が採択した「捕鯨の10年禁止決議には 正当な科学的根拠がない」と全会一致で結論したからです。このため翌年から米、英などの反捕鯨国は、自国の科学者の総入れ替えに近いことを行い、保護主義的色彩の濃い科学者、反捕鯨団体のリーダーたちを科学委員会に大量に送りこみました。その結果、73年以降の 科学委員会では、以前のように答申を一本化しようとする努力は行われなくなり、反捕鯨の立場に立つ学者は、むしろ自己の意見をそのまま答申の中に独立した提案として盛り込み、本会議では、票の力で、これを採択し、次々と自分たちに都合のよい結論を押しつけたので す。しかし、それにもかかわらず、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性や必要性がない」とする科学委員会の判断には、最後まで彼らもチャレンジできませんでした。 (わずかでも捕獲すれば、生態系が乱されるなどという主張が、科学的に成立するわけがないのは当然です) Q4: くどいようですが、76年の南氷洋のナガスクジラの保護資源指定 -- 禁猟など一連の禁猟決定は、例え、保護主義の色彩の強い学者の発言でも、それなりの科学的根拠があったのではないですか。 IWCが定義する保護資源には、75年以降とそれ以前では、本質的な差があります。1960年代前半までに、英国、オランダが採算上の理由から、南氷洋捕鯨から撤退すると、IWCは急に規制の強化に乗り出し、70年代に入って、シロナガスクジラ等、乱獲によりいため られた資源を保護資源に指定しました。遅すぎた保護といってもよいと思います。しかし、75年以後の禁猟措置をこれと同列に置くことはできません。新しい資源管理のルールが採択され、保護資源にまったく新しい定義が導入されたからです。前にも触れましたが、
前にも触れましたが、IWCの科学委員会は、1972、73年の会議で再度にわたり、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性も必要性もない」と全会一致で答申しました。このため1975年、ついに米国はオーストラリアなどと図り、捕鯨モラトリアムに代わる措置として、 新しい資源管理方式を提案し、これが翌年採択されました。この方式は、捕鯨の対象を資源状態が極めて良いものに限定し、もし、その資源が最大持続的生産量を実現する水準(MSYレベル)以下と判定されれば、これを保護資源に指定するというシステムです。以前の保護 資源の定義が、絶滅の危険のある水準を念頭においたものとすれば、新しい定義は、資源の年々の増加が最大になる水準を基準に考え、捕鯨の対象をこの水準を超えた豊かな資源に限定したのです。しかし、この新しい定義には、当時、日本の学者が指摘していたように学問的 にいろいろ困難があります。具体的にどこにその水準を設定するのか、いろいろな仮定を置く必要があります。保護主義の立場に立つ学者は、これをうまく利用しました。例えば、彼らは処女資源水準(資源が開発される以前の水準)を不当に高く推定する一方、現在の資源水 準を非常識と思われるほどの低いレベルに推定することによって、できるだけ多くの鯨種を保護資源におとす提案をし、票の力をもって本会議で採択させるという手段をとったのです。しかし、そうした彼らのやり方をもってしても、南氷洋のミンククジラや北西太平洋のニタ リクジラなどについては、最後まで新しい定義による保護資源に分類することはできなかったのです。 Q5: IWC科学委員会では、世界の鯨資源量をどの程度に推定しているのですか。 IWC科学委員会が推定している主要鯨種の資源量は次のとおりです。 種類 海域 生息頭数 ミンククジラ 南氷洋北太平洋西系北大西洋全体 760、300 (d)28、000 (e)74、700 ー 145、200 (d) ニタリクジラ 全海域北太平洋西系 90、000 (a)22、600 (c) マッコウクジラ 全海域 1、950、000
(a) ホッキョククジラ アラスカ系 7、800 (a) セミクジラ 南半球 3、000 (a) コククジラ カリフォルニア系 24、400 (g) ザトウクジラ 北大西洋西系 5、800 (b) シロナガスクジラ 全海域 14、000 (a) ナガスクジラ 全海域 120、 000 (a) イワシクジラ 全海域 54、000 (a) ツチクジラ 日本沿岸 4、220 (f) 注: (a) Oceanus 32(1): 12 - 3 (1989)(b) Rep. int. Whal. Commn 34:54 (1984)(c) Rep. int. Whal. Commn 36:249 - 55 (1986)(d) Rep. int. Whal. Commn 41:(in press) (19 91)(e) Rep. int. Whal. Commn 32:283 - 6 (1982)(f) Rep. int. Whal. Commn 39:117 (1989)(g) IWC/SC/44/PS1 (1992) Q1: IWCで商業捕鯨中止が採択されたあとも、世界の各地で捕鯨が行われていますが、なぜですか。 現在、世界で行われている捕鯨は次の3つのタイプです。 (イ) IWCがみとめている原住民生存捕鯨 アラスカでのホッキョククジラ、ロシア・極東地方でのコククジラ、デンマーク(グリーンランド)でのナガスクジラとミンククジラ、セントビンセントでのザトウクジラなどが、原住民の生存のための捕鯨として認められています。 (ロ) IWCの管轄外にある小型鯨類の捕獲 IWCは大型鯨種だけを管轄しており、イルカ類などの小型鯨類は管轄の対象にしておりません。日本の沿岸では昔からツチクジラ、ゴンドウクジラ、イルカなどの小型鯨種を捕獲しており、日本政府の監督下で行われています。もち ろん、資源量に見合った捕獲枠も設けられています。日本以外でも、デンマーク(フェロー諸島)などがゴンドウクジラなどの小型鯨類を少量捕獲しています。 (ハ) IWC非加盟国による捕獲 カナダのホッキョククジラ、インドネシアのマッコウクジラ・ニタリクジラ、スリランカのマッコウクジラ、南太平洋諸国のザトウクジラなどが捕獲されています。 これらの国は、IWCに加盟していないため、IWCの規制を受けません。 Q2: 伝統的な捕鯨国である、アイスランドとノルウェーは、現在捕鯨をしているのですか。 捕鯨を重要な産業としているアイスランドは1992年にIWCを脱退しました。
前にも触れましたが、IWCの科学委員会は、1972、73年の会議で再度にわたり、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性も必要性もない」と全会一致で答申しました。このため1975年、ついに米国はオーストラリアなどと図り、捕鯨モラトリアムに代わる措置として、 新しい資源管理方式を提案し、これが翌年採択されました。この方式は、捕鯨の対象を資源状態が極めて良いものに限定し、もし、その資源が最大持続的生産量を実現する水準(MSYレベル)以下と判定されれば、これを保護資源に指定するというシステムです。以前の保護 資源の定義が、絶滅の危険のある水準を念頭においたものとすれば、新しい定義は、資源の年々の増加が最大になる水準を基準に考え、捕鯨の対象をこの水準を超えた豊かな資源に限定したのです。しかし、この新しい定義には、当時、日本の学者が指摘していたように学問的 にいろいろ困難があります。具体的にどこにその水準を設定するのか、いろいろな仮定を置く必要があります。保護主義の立場に立つ学者は、これをうまく利用しました。例えば、彼らは処女資源水準(資源が開発される以前の水準)を不当に高く推定する一方、現在の資源水 準を非常識と思われるほどの低いレベルに推定することによって、できるだけ多くの鯨種を保護資源におとす提案をし、票の力をもって本会議で採択させるという手段をとったのです。しかし、そうした彼らのやり方をもってしても、南氷洋のミンククジラや北西太平洋のニタ リクジラなどについては、最後まで新しい定義による保護資源に分類することはできなかったのです。 Q5: IWC科学委員会では、世界の鯨資源量をどの程度に推定しているのですか。 IWC科学委員会が推定している主要鯨種の資源量は次のとおりです。 種類 海域 生息頭数 ミンククジラ 南氷洋北太平洋西系北大西洋全体 760、300 (d)28、000 (e)74、700 ー 145、200 (d) ニタリクジラ 全海域北太平洋西系 90、000 (a)22、600 (c) マッコウクジラ 全海域 1、950、000
Q4: そんなに費用がかかるのにどうして毎年実施するのですか。2 - 3年に1度でもよいと思いますが。 南氷洋は広大な海域です。採取標本数は限られており、また1回で調査できる範囲は限られています。ですから毎年、調査を実施する必要があります。また、鯨資源の管理に必要なデータは、時系列的なものでなければなりません。継続的な標本採取は資源調査の精度を高める ことに不可欠です。 Q5: 鯨を殺さないで、皮膚の1部だけをとってDNA等を調べれば十分という声もありますが。 日本鯨類研究所はバイオプシーという、皮膚を採取して検査するための皮膚採取銃を開発して、すでにこの種の鯨の非致死調査を行っています。しかし、皮膚のDNAからは、性別、親子関係など、ごく限られた情報しか得られません。このため捕獲調査によってしか得られな い耳こう栓や、卵巣などの標本を取り、年齢構成、妊娠状態や妊娠歴などを調べています。 Q1: 捕鯨論争はいまや資源などの科学面を超えて、鯨に対する動物観の違いに移っているようです。欧米諸国のほとんどが捕鯨に反対しているのであれば、日本も国際協調の精神から捕鯨を放棄したほうがプラスになるのではないですか・・・。 そうは思いません。動物観の違いは民族の文化そのもので、お互いが干渉したり、非難したりすべきものではありません。反捕鯨国は鯨を聖獣視し、「人道的捕殺がなされていない」「捕鯨は倫理に反する」ということを言います。それでは昔、欧米の実施していた捕鯨は人道 的捕殺をし、倫理にも反さなかったのでしょうか。この反論に対し欧米人は「だから捕鯨を止めた」と言うでしょう。 しかし、それは詭弁です。欧米の捕鯨は昔の帆船式捕鯨や近代捕鯨でも採油が目的でした。石油や他の食用油が出回り、産業として成り立たなくなったため、自然に消滅したのです。一方、日本は肉を主体に丸ごと利用し、鯨肉に対する強い嗜好があるため、依然として産業と して立派に成り立つのです。