340 :
N ◆5UMm.mhSro :
2008/12/09(火) 07:04:48 ID:Zu/YH/8H
341 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:06:02 ID:Zu/YH/8H
126頁/結論部つづき 「捕獲量が高ければ高いほど、生物的に持続可能ではなくなるという リスクが高まる。個体群を十分に「マネージ」して目標レベルに 導くという捕獲レベルは、予期せぬ枯渇という高いリスクを生じ させる。(#これ、ミンクが増えすぎてるから間引いて、なんてことが絶対うまく 行きっこないということを示しています。本文の121ページあたり、RMPで実際 シミュレーションした時の誤差の暴れ方のところを丁寧に読まないと、あまり実感 がわかないかもしれません。) 鯨類個体群をマネージすることはできない:われわれができることは もっともうまくいったとしても、捕獲が個体数にインパクトを 与えない水準に制限するということだけである。このために必要 なのは、あらかじめ十分低い捕獲枠を設定し、捕獲される個体群に 大きな影響があらわれないようにすることであり、ネガティブな 傾向の証拠を待っていてはいけない。 持続可能性を科学的に管理するというアプローチは、このアプローチ を追求し、これを機能させることに利益を見いだすという、十分に 強力な選挙民が存在する場合にのみ実行可能である。 捕鯨の歴史という政治的経験、そして捕鯨管理についての包括的 かつ規制的な制度を策定し実行するということについての政治的 経験は、上記のことが起こらないということを示している。」
342 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:07:14 ID:Zu/YH/8H
はじめにもどって
http://www.cbialdia.mardecetaceos.net/archivos/download/7_Cooke_Papastavroufp11169.pdf 【大海性野生動物の持続的利用 /商業捕鯨から何を学ぶか?】
ワシリー・パパスタヴロウ&ジャスティン・クック
再生可能な自然資源を持続的に利用することの失敗例として
商業捕鯨の歴史は広く引用されている。
何世紀にもわたって一つのクジラ個体群から次のクジラ個体群
へと、資源は絶滅の瀬戸際に立たされてきた。その間、技術と
市場の開発が、捕鯨産業を新たな漁場、新たなクジラ種へと
向かわせた。
20世紀の産業捕鯨は、南大洋の膨大な鯨ポピュレイションを
大きく減耗させた。1946年に締結された国際捕鯨取締条約は
国際捕鯨委員会(IWC)を設立し、その目的は捕鯨を管理して
クジラ資源(ストック)を将来世代に保全して残すこと、その
際すでに現在クジラを利用している人々の利益を無視しないこと
というものであった。
343 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:08:05 ID:Zu/YH/8H
はじめの四半世紀、IWCは単にクジラ資源低落の司会者の役割 をはたしたにすぎないが、そのほとんどのメンバーが捕鯨を やめると、委員会は次第に強いクジラ資源保全の手段を可決する ようになり、それは1986年発効の商業捕鯨モラトリアム、 1994年の南大洋サンクチュアリー設定で最高潮に達した。 IWCによる名目上の禁止にもかかわらず、基本的に商業的目的 であるような捕鯨は、1989年の326頭という低水準から、2005 年には約1500頭捕獲予定というところまで拡大した(原住民に よる捕鯨、漁業での混獲は含めない)。現在のIWC加盟国66カ国 (2005年10月3日現在)はクジラ保護に賛成する国々と、クジラ の開発(収奪)に賛成する国々でほぼ半々に分かれている。 IWCは合意によるか、一国一票制によるかで決定を行っているが、 捕鯨について拘束力のある規制の決議には4分の3多数を必要とする。
344 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:09:43 ID:Zu/YH/8H
モラトリアム期間中、IWCはちょうど漁業管理スタンダードに 先導される形で、捕鯨がクジラの生息数にリスクを与えない ような保障を目的とする方式を開発していた。 しかしこれは操業を国際的に管理されることを嫌った捕鯨国からも、 捕鯨国際管理の再導入は、現実に起っていることを裏から支える ものと解釈されるのではないかと杞憂する捕鯨反対国からも抵抗を 受け、実現が不可能となった。 捕鯨反対国は、みずからそれによって何の利益も生みださない行為 のために、連帯責任を取らされる立場に置かれるのではないかと 心配したのである。
345 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:11:20 ID:Zu/YH/8H
この稿ではクジラ類に対する収奪的開発の過去と最近の歴史を 概観し、これを管理しようとする国際的な試みと、科学的な 作業として行われたこと、捕鯨管理のためのより信頼できる アプローチを開発するためになされた仕事を俯瞰する。 われわれはクジラを持続的に消費利用しようという従来型の パラダイムが、なぜ実行困難なのかといういくつかの理由を 特定する。 結論の核心は、収奪的開発の生物学的持続可能性を安全に確保 しようという時に要求されるマネージメント体制が、政治的 にはどうやら持続可能ではないようだということである。 このことは、従来型の持続的消費利用パラダイムからは離れた、 他の種類の保全アプローチを追求することの重要性を強調する。
346 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:13:37 ID:Zu/YH/8H
347 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:14:10 ID:Zu/YH/8H
[The era of unrestricted whaling] [規制の無い時代] バスクの捕鯨者たちは東部北大西洋で事実上キタタイセイヨウ セミクジラ(Eubalaena glacialis) を絶滅させた。これは15世紀おわり のことであり、この時彼らは新たな採掘場を求めて西方への冒険に 向かった。 16世紀と17世紀にはバスク人、オランダ人、イギリス人たちが もっぱら北大西洋と西部北極海のセミクジラとホッキョククジラ (Balaena mysticetus)を壊滅させることに専念した。 大西洋のコククジラ(Eschrichtius robustus)は、18世紀に捕鯨者たちに よって絶滅させられたと考えられている。(5) 18世紀末期になると、捕鯨者たちは南半球に展開し、ミナミセミ クジラを激しく枯渇させた。 19世紀にはアメリカの捕鯨者がマッコウクジラ(Physeter macrocephalus) の捕獲法を収得した。北西大西洋の資源を枯渇させると、彼らは 南半球に移り、さらに北太平洋へと移動して1860年代にはそれまで 孤立していた日本との接触を拓いた。
>>343 日本が行っている調査捕鯨では
毎年1000頭近くを捕獲していますが、
で鯨の生態に影響を与えましたか。
これは、この程度の規模で商業捕鯨再開しても
全く問題がないと言う事でしょう。
349 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:21:36 ID:aAcaTvzl
北太平洋とベーリング海では、セミクジラ、コククジラ、ホッキョク クジラが商業的な意味では絶滅というところまで捕獲された。 19世紀の中頃には、マッコウクジラが目に見えて減少したが、石油が 新たな発光源として見いだされると、マッコウ油の需要が低下し、 1870年頃まだ個体数が危険なほど減少する以前に経済的理由から マッコウクジラの漁が終止された。20世紀にマッコウ油の産業的 利用が発見されるとマッコウクジラ漁はリバイバルを迎え、枯渇へ むかう新たな波にさらされることになる。(6) 20世紀初期には捕鯨の焦点は南大洋へと向かい、セミクジラ、ザトウ クジラ(Megaptera novaeangliae)につづいて、ヒゲクジラ類が大きさの 順につぎつぎと開発搾取された。はじめにシロナガスクジラ(Balaenoptera musculus) 次に、ナガスクジラ(Balaenoptera physalus)、そしてイワシクジラ (Balaenoptera borealis) 最後にミンククジラ (Balaenoptera acutorostrata とBalaenoptera bonaerensis) という具合にである。(7) 1930年のシーズンには1夏だけで3万頭以上のシロナガスクジラが 捕殺された。比較のために今日の南極海のシロナガスクジラ生息数を 挙げてくと、30年以上にもわたる保護にもかかわらず、1000―2000 頭に過ぎない。(8) [最新のIWC推定だと、1997/98に南緯60°以南で 2,300頭(95% 信頼区間 = 1,150-4,500頭) ですね。ソース:2007年IWCアンカレッジ大会科学委員会報告37頁]
350 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:23:49 ID:aAcaTvzl
【大海性野生動物の持続的利用 /商業捕鯨から何を学ぶか?】 ワシリー・パパスタヴロウ&ジャスティン・クック 114 頁 First attempts at international regulation of whaling [捕鯨を国際的に規制する最初の試み] 捕鯨を国際的に規制しようという試みは1930年代に国際連盟の下で 始まったが、これは第二次世界大戦の到来とともに断念され、鯨に とっては数年間の相対的猶予が訪れた。新たなイニシアチブが戦後 開始され、国際捕鯨取締条約(ICRW)という形で1946年に署名された。 この条約が国際捕鯨委員会(IWC)を設立し、これは主に南極海の捕鯨を 規制することに焦点を当てた。南極海捕鯨は主要に英国、ノルウェー、 オランダ、日本、ソ連の船団によって行われていた。 捕獲レベルはストック(資源/系群)が持続可能であるよりはるか 上方に戻った。1950年代中頃にはシロナガスクジラとザトウクジラが 希少になり、ナガスクジラが減少していると推察された。 しかし捕獲を抑制しようという真摯な努力はなされなかった。 どの国も捕獲の大きな切り下げを受け入れようとはしないようだった。 受け入れるならば、捕獲装備への投資のかなりの部分を損金処理しな ければならないということを意味したからであろう。国際捕鯨委員会は 南極海のヒゲクジラ捕獲に全般的制限を設定したが、これはあまりにも 多すぎ、また種類別の区分さえされていなかった。
351 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:25:13 ID:aAcaTvzl
トレンドはもはや明らかだった。これは漁業管理のみならず、環境管理 においてさえ広く見られる一般的な傾向だった。管理行動をとることに 失敗したという原因は、主に参加者たちの合理的な自己利益によるものなの だが、このことをオープンに認める者は少ない。 そのかわりに、捕獲枠削減の反対者たちは、削減を必要とする科学的証拠 で争った。実際には目的と意図をめぐる論争のはずが、あたかも事実(facts) をめぐる論争であるかのように装われた。 捕鯨委員会は鯨ストックの状態についてアドヴァイスするための科学委員会 を持っていたが、本委員会自身でさえ科学委員会が客観的アドヴァイスをする にはあまりにも政治的すぎるということを認めるような状態だった。 科学委員会はしばしば合意を形成することができず、本委員会はこれを 無作為の言い訳に利用した。 誠意のある科学者たちは、捕獲レベルがストックを持続させるレベルを 大きく上回っていると認識していたが、捕獲をどれだけ削減する必要が あるのかという、曖昧さを含まないアドヴァイスをすることはできなかった。
352 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:26:49 ID:aAcaTvzl
1961年に、捕鯨委員会は3人(後に4人)の科学者から成る特別委員会を 選任し、独立レポートを作成するよう委任した。(9) このグループはシロナガスクジラが当初の数に比べてのほんのわずかな 割合しかいないほどに枯渇しており、少なくとも50年間の完全保護(=禁漁) が必要であると確認し、またザトウクジラも完全に保護せねばならないと 確証した。 特別委員会はまた、ナガスクジラの生物的持続可能性のためには捕獲を 約3分の2削減する必要があると推定した。他の鯨種が希少になるにつれて 拡大したイワシクジラの捕鯨は、データがより多く入手できるまで監視下に 置くこととした。 この頃ほとんどの国々がこの産業から撤退し、1960年代末には日本とソ連 だけが南極海で捕鯨を続けていた。この当時の主要に捕鯨されていたのは マッコウクジラとイワシクジラだった。1970年代末期には、それまで捕鯨船 に無視されていたミンククジラが主要ターゲットになった。 これは産業が、常に規制の努力より一歩先を行っているという例である。 3人委員会はナガスクジラとシロナガスクジラに焦点を絞るようにと言われて いた。しかしちょうどこの時、産業は低緯度地方でイワシクジラの漁をはじめ ていた。
353 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:28:54 ID:aAcaTvzl
はやい話が、捕鯨業界はそれが長期的に必要とする鯨類個体群よりも 業界自身の面倒を見るというふうになっていたのである。 多くの著者がコリン・クラーク(10)を引用するが、彼は1973年に 野生生物資源を採取する場合の利潤最大化コンセプトを検討していた。 K選択種(鯨のように成長率の遅い生物種)では持続可能な収量が 低いが、そういう種ではなぜ鉱山採掘型の、商業的には絶滅レベルに 至らしめるような獲り方が、最も儲かる選択肢になるのかということ をクラークは説明した。 獲得した収穫金が銀行で増殖するほうが、生物種の再生産より早い という簡単な論理である。 南極海のように複数種を捕鯨するところでは、シロナガスクジラの ような脆弱度と価値のより高い種で状況が特に悪化した。
354 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:29:48 ID:aAcaTvzl
もうすでにシロナガスクジラ漁を目指す価値がないほどに数が 減っても(クラークの言う商業的絶滅)、他の鯨を目的とする 捕鯨のかたわら、シロナガスクジラは依然としてついでに獲られた。 シロナガスクジラは20世紀のじはじめに南大洋に25万いたと 推定されているが(いわゆるピグミーシロナガスBalaenoptera musculus brevicaudaを除く)、1970年代の初め、法的保護がついに 効力を発した時には数百にまで減っていた。その後限られた増加は 見られたが。(11) ソビエト連邦の崩壊後、南極捕鯨は当時知られていた状態より もっと悪いものだったということがわかった。 1950年代と60年代に、ソ連の捕鯨船団は大量の保護対象種を秘密に 捕獲しており、これには1935年から法で禁漁となっているセミクジラ も含まれていた。 さらに国際社会に提出されていた捕獲データもシステマティックに 偽造されていたことがわかった。(12) この詐欺は1972年に母船に対する国際監視人交換制度が発効する まで続いた。
355 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:31:20 ID:aAcaTvzl
1946年の国際捕鯨取締条約前文は、個体群マネージメント理論の 基本的な考え方を確認していて、捕獲を継続することが可能な ストック(系群/資源)について語り、また鯨ストックの最適 水準について語っている。しかし条約はこの考え方を実行に移す ストラテジーには欠けていた。 条約は鯨類ストックを可能な限り速やかに最適水準へ到達させる という目的を示しながら、これに「広範囲の経済上及び栄養上の 困窮を起こさずに」という条件を付けている。
356 :
N ◆5UMm.mhSro :2008/12/09(火) 07:32:00 ID:aAcaTvzl
1950年代と60年代には経済的な困窮条項が、捕鯨船投資からの 収益を削減させるような一切の手段を拒否する理由に使われた。 鯨類個体群に重大なダメージが起るまで、保全手段は大幅に遅らされた。 実際に南極海捕鯨が最終的に崩壊した時には、「広範囲の経済上 及び栄養上の困窮」は発生しなかった。第二次世界大戦の破壊から 当該諸国の食糧生産はすでに立ち直っており、高度経済成長と 完全雇用を謳歌していたこれらの国々で、この産業の雇用者が他の 職を見つけることは容易だった(4)。