1 :
名無し野電車区:
2 :
名無し野電車区:2006/07/12(水) 23:42:06 ID:CTWhWfaB
丶 ', ', ,' ; ' ,.ィ ヽ、
゙、 ', ', ; ,'/_ レ'Z/} /| /l , } 〉
∠、 '、 ,' '/ rデミー' 'イーk'}ル'ソ
/,ゝ、`ー' , '〈_j ゛`ー′ /でン/}'´
,. ┴─‐ l゛−"/ ハ 、 .ゝ ゛,'ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ `、 ハ n /} / ヽ ヾニァ' /、 <
>>1 糞スレ立てんな、蛆虫、氏ね。
. / ヽ. ト、]_[ノ { \ ` ,.イ ト 、 \______________
. / { / ̄'| |`ヾ、`ー-、`´__ l l l \
/ ヽ〈 rニL上z'^) i´ | l l , }
ノ⌒ヽL{ 、___厂丶 l l. l l / |
l7丁{ 、___}、 ヽ ! l. l | l`l、__
K`Y^>、___,ノ ヽ. `、 / / l ∠b }〉
|、>へ//7ー′ `、 '、 ン′/ ノ∠仏レヘ
lヘ/ // ヽ ∨ / /仏j/ \
|'´ // l/ / /ム/ ∧
l // / / /レ'′ /×\
3 :
名無し野電車区:2006/07/13(木) 07:24:19 ID:ZSlxOSjf
4 :
4番げったー:2006/07/13(木) 13:14:46 ID:F2i/pEQx
4様
4番げったー系4様番台
5 :
:2006/07/13(木) 15:32:29 ID:sEOO080L
東京メトロ05系最終車・東葉2000系2次車:
・10000系をベースにした05系/東葉2000系。
・台車はFS-778(10000系のFS-777の改良型)
※05系はオリジナル→ワイドドア→06/07ベース→ソニック顔(06/07ベース)→08ベースの次にあたる。
6 :
名無し野電車区:2006/07/13(木) 22:51:28 ID:9nofrtiJ
相鉄10000系6扉車
相鉄が埼京線直通時に8両編成の10703-10708に連結した車両。
相鉄3000系
相鉄が宇都宮線・高崎線直通も開始した時に導入した車両。主な変更点はこちら
@自動放送設置
A車内LEDは2段式
Bグリーン車連結(グリーン車パスモサービスあります)
C速度計はデジタル式
DE231系近郊型を上回る加速力
Eトイレ設置
となっている。尚、10000系も自動放送を設置した。
相鉄2000系・6000系
相鉄が東急東横線・東京メトロ13号線・西武池袋線・東武東上線直通時に導入した車両。
何故、2000系と6000系になったかと言うと、2000系は東急5050系、6000系は東武50070系ベースの新車となった為である。(日立とは和解。)
自動放送は、どちらも東急の自動放送と同じ人を採用(10000系、3000系はJR東日本と同じ)これらの車両は、線内運用に入る場合もある為、横浜方面の行先も入れている。
ただこれら車両の増備により、かしわ台電車区に入りきらなくなり、急遽湘南藤沢に電車区を建設する事になった。
7 :
名無し野電車区:2006/07/14(金) 11:22:28 ID:vbvlXuAO
8 :
:2006/07/14(金) 13:05:21 ID:5q9AArWW
台車関係:
FS-778:東京メトロ05系最終型/東葉2000系2次・(FS-777の改良型)・07系/08系増備車
FS-779:東京メトロ01/02系更新用台車
FS-780:千葉NT鉄道9200形・成田新高速10000系等
SS-177/077:FS-777/778のボルスタレス版・メトロ8000系及び03/05系初期車の更新及び
06系量産車及び北綾瀬支線用
SS-178/078:東武50000/50050後期車・50070用
FS-781:東武9000/10000系VVVF改造用(M台車のみ)
SS-179:東武20000VVVF改造用(M台車のみ)
FS-782:西武2000系/9000系/NRA(10000系)乗り心地改善用
9 :
:2006/07/14(金) 17:45:24 ID:5q9AArWW
西武2000系・4000系・9000系・10000系(NRA)乗り心地改善車:
台車をFS-372/072/542/042(ペデスタル(542/042は積層ゴム改造))をモノリンクのFS-782に交換したもの。
併せて、NRA抵抗制御車両のVVVF改造も行う(9000系は改造済み)・4000系は秩父鉄道直通の関係でVVVF改造は見送り。
10 :
名無し野電車区:2006/07/14(金) 22:51:09 ID:O4LXSlqL
相鉄15000系
相鉄10000系のマイナーチェンジバージョン。
機構や車体は従来の10000系と変わりないが、車内に関して以下の点が変更されている。
・座席・つり革がJR東日本E531系と同一のものに変更
・セミクロスシート車の登場
・客室情報装置のLEDが二段式に変更
・制御装置が日立2レベルIGBT(E231系近郊型と同じ墜落インバータ)に変更
11 :
名無し野電車区:2006/07/15(土) 00:30:02 ID:gHXK9DZf
誰か、7〜8スレ目のモナメントミラー作ってくれませんか?
ガイドライン板のミラー変換ツール使っても中途半端のしか見つからない。
12 :
名無し野電車区:2006/07/15(土) 03:02:08 ID:UuekLqrG
南海1000系7次車〜
機構や車体は従来の1000系6次車と変わりないが、車内に関して各点でコストダウンが図られている。
・側ドアがJR東日本E231系と同一の安物に変更
・貫通扉も金属むき出しの安物に変更。
・車端部のボックスシートが廃止され座席配置がオールロングシートに。
・また、座席の詰め物もE231系に準じた硬い安物を使用。
・客室情報装置のLEDも6次車から幅を縮めた安物の仕様の物に変更 但し。
・ラインデリアも連続式から必要箇所のみの配置となり、材質も安物のFRP製に変更。
・座席端部の袖仕切りと網棚と側窓と行き先・種別表示装置は6次車から全く変更は無く幕のまま。
将来、サザンの新形式と併結することから4連・2連で投入予定。
南海12000系
10000系の代替として南海線に投入されるサザンの次世代形特急車両
・車体デザインに関しては、前面はそのまま1000系を流用しコストダウン
・側扉は、E231系サロに準じた安物仕様 内側も金属剥きだしの安物
・ただし、シートピッチは着席定員増強の為、940mmに大幅縮小
・リクライニングシートもE231サロと全くの同一品
・トイレや自動販売機も廃止しコストダウン
・デッキの照明は、間接照明でもスポットライトでも無ければカバー剥き
出しの安物仕様
・連結間の貫通扉も金属むき出しの安物
・側窓も1枚の物から古臭い2個1組の物に変更
・制御装置も1000系6・7次車と同一
・行き先・種別表示・号車表示装置は幕使用。
全て2両編成の投入でラッシュ時間帯は、2連×4本で8連を組み全指定席特急に使用
昼間時間帯は、12000系2連+1000系6次車or7次車4連で6連を組み一部指定席特急に使用
13 :
名無し野電車区:2006/07/15(土) 07:56:36 ID:1hPq+/kW
>>12 こいつまだE231の椅子が硬いと思ってるよ
14 :
名無し野電車区:2006/07/15(土) 13:10:43 ID:pn3Kyaxw
E331系近郊型仕様
総武快速・横須賀線のE217系の置き換えと15両化とりんかい線買収による編入で
京葉線直通が実現された埼京線の新型車両として導入された。
性能と主要機器は京葉線のE331系通勤型と同一であるが、先頭車は衝撃吸収構造を採用しており
前面の運転台上部はE531系と同様の行先表示機、前照灯、尾灯を配置している。
総武快速・横須賀線用と埼京線用のどちらも20m級車両15両に相当する21両編成となっているが、
総武快速・横須賀用は逗子駅での留置線の有効長から基本編成は7M9Tの16両、付属編成は2M3Tの5両、
埼京用は基本編成で6M8Tの10両、付属編成で3M4Tの7両となっている。
付属編成には号車番号表示のステッカーが貼られていない。
グリーン車は基本編成の5号車、6号車、7号車に連結されている。
セミクロスシート車は総武快速・横須賀用は基本編成の13号車〜16号車、
埼京用は基本編成の混雑事情から付属編成の全てとされ、他はグリーン車を除いて全てロングシート車である。
トイレは総武快速・横須賀用は基本・付属ともに久里浜寄り先頭車に設置されているが、
埼京用では14号車を女性専用車両とする関係から13号車に設置され、車椅子スペースもそこに設置されている。
だが付属編成は大宮寄り先頭車に設置されている。
15 :
前112:2006/07/15(土) 16:12:35 ID:1ehdTyn2
レ15000形
1961〜63年に270両製造された無氷槽式冷蔵車
車体はレ12000形から天井氷槽を撤去したような形態で、最大積載荷重は14dに向上した。
保冷材はガラス綿でレ12000を上回る断熱性能を持ち、漁業関係者からは絶大な支持を受けていた。
廃車は1978年に始まり、1982年に運用消滅。形式消滅は1985年3月。
16 :
名無し野電車区:2006/07/15(土) 19:19:17 ID:GFmCO/eR
富士急行2330系
JR東日本中央本線への直通を増加させるため、富士急行側でも直通用の車両を新製。
車両はJR東日本E233系をベースとしたものである。
E233系との大きな相違点は形式名の違い、富士急行カラー(富士急行1000系に準じている)である程度。
1本あたり6両と4両、耐寒耐雪構造、半自動ドア設置は同一である。
この車両同士の併結は勿論のこと、E233系との併結も可能である。
運用については東京〜大月〜河口湖間の直通運用となる。富士急行線内のみの運用も可能である。
また、この車両は中央本線大月以東直通用だが、E233系導入予定の青梅線・五日市線・八高線への乗り入れ、
大月以西への直通も可能になっている。
17 :
16:2006/07/15(土) 19:20:21 ID:GFmCO/eR
>>16 形式名の由来はE233系ベースであることから。
これを入れるのを忘れていた・・・orz
18 :
名無し野電車区:2006/07/16(日) 10:12:47 ID:Jyg544ua
211系5200番台
JR東海で211系5000番台の連結緩衝器をシリコン緩衝器に交換した車両。
211系5000番台は電動車が偏っているため、発車時の衝撃が非常に大きいという欠点がある。
シリコン緩衝器にすることにより衝撃を大幅に軽減。
19 :
ミユナ:2006/07/16(日) 20:36:41 ID:I0OJJm8T
>>18に追加
211系6200番台 213系5200番台
2両編成型の御殿場線等で使用する6000番台および関西線等で使用する
213系に
>>18と同様のシリコン緩衝器を取り付けたもの。
211系1200 3200番台
同様の編成抱える東日本も緩衝器を取り付けられたために生まれた形式。
1200番台は1000番台・3200番台は3000番台にシリコン緩衝器を取り付けたもの。
但し取り付け対象編成は5両編成型のみでグリーン車を組み込み、
10両編成に組み替えた編成は対象外。
20 :
名無し野電車区:2006/07/17(月) 10:24:10 ID:iEeWrjb/
113系1900番台
国鉄が製造した113系のアルミ車体試験車。
塗装されているため見た目は普通の113系と変わらないが、軽量化と腐食対策のため車体がアルミである。
4両編成で、塩害の影響を受けやすい房総地区で運用された。
21 :
名無し野電車区:2006/07/17(月) 10:59:37 ID:MTGEV1nK
京王9430系(通称)
現行の6400系(6000系2連)の代替車として登場。
9000系、7000系のほか、都交10-300系とも連結可能になっている。
22 :
名無し野電車区:2006/07/17(月) 22:58:51 ID:gw7Hn2w+
名古屋市営地下鉄2050形
名古屋市交通局が名城線用に開発した2000形のマイナーチェンジ版。
コストダウンのため主電動機出力が130KWに、MT比が3M3Tに、主制御器がIGBTに変更されている。
23 :
:2006/07/18(火) 14:34:53 ID:yTZiI97C
07系東西線転属仕様:
・05系最終形置換えまでのつなぎ。
・運用区間は中野〜東葉勝田台のみ(JR直通は保安機器の関係で保安機器搭載見送り)
・有楽町線復帰に備えて東武・西武ATSは残す。
↓
07系有楽町線復帰仕様:
・ATO装置搭載(ワンマンは行わない)
24 :
15:2006/07/18(火) 19:45:12 ID:6i7l8L3w
キロハ25→キハ26300→キユニ26・キニ26(史実歪曲)
1次車(1〜8)
キハ55形によるディーゼル準急は好評で、乗客からは2等車連結の要望も出たため、一部列車にはキロハ18形が連結されたが、設備、特にハ室が客車ロハ車や後発形式に比べて大きく見劣りし不評だった。
このため、1958年3〜5月に新潟鉄工で製造され、宇都宮、田端等に配置され、準急「日光」等に投入された。
形態はキハ5516〜・キハ261〜に相当する。(ハ室はバス窓)
1967〜68年に格下げされてキハ26301〜308に改称。
1973〜74年に全車キユニ26とキニ26に改造された。
2次車(11〜30)
キハ55・26101〜に相当。
11〜20は1958年11・12月に、21〜30は1960年8〜11月、ともに新潟鉄工で製造。11〜20は宮原と高松、21〜30は新潟、盛岡、鹿児島に配置された。
1967・68年に格下げされてキハ26311〜330に改称。
1973〜74年に12両がキユニ26とキニ26に改造された。
残る18両は盛岡、山形、鹿児島でローカル運用に従事。乗客からは好評で、1985年3月まで運用され、1985年度中に全廃された。
25 :
15:2006/07/18(火) 19:49:43 ID:6i7l8L3w
↑訂正。
2次車でキハのまま残ったのは10両、キユニ・キニ改造は10両。
26 :
名無し野電車区:2006/07/18(火) 21:48:02 ID:rNQ9gail
421系900番台
国鉄が開発した421系のステンレス車体試験車。
関門トンネルでの海水腐食対策でステンレス車体を試験的に採用。
車体は無塗装。
27 :
名無し野電車区:2006/07/18(火) 22:32:12 ID:8Mf1iLqN
207系最終増備車(例の事故は無かったものとして考える)
学研都市線京田辺改良後、ますます乗客が増え快速電車を8連にすることに
なり4連を増やす為に造られたが、既に321系が製造に入った後だったので321系仕様の車体に
207-2000代相当の足回りを組み合わせて出来た車両。但し車内は321系に存在した
モニターは207系既番台と混結することと学研都市線がWAN非対応なことからモニターの代わりに207系と
同じくドア上にLED車内案内装置が千鳥配置で設置された。
前面では助士席側に編成両数表示装置が取り付けられた。4+4で8連を
組む場合「8」と表示して8連編成をアピールした。4連や7連で運用の時は
表示されない。この表示機は他の207系(T・Z・H編成)にも取り付けられた。
このような風貌や後継車種の車体を持ちながら形式は前の形式であることから、
「学研都市線版京阪6014F」というあだ名が付いたかどうかは定かではない。
28 :
名無し野電車区:2006/07/19(水) 23:14:24 ID:FuPe0NVe
小田急6000形
小田急が3000形の増備と並行して投入した3000形もどき。・・・であるが、その正体は何とあの5000形の車体更新車である。
そう、5000形の電装品を3000形の車体に取り付けた電車なのだ。
しかも何を間違ったのか、空調機器(ファンデリア含む)まで5000形の流用である。
口の悪い鉄ヲタからは「平成の4000形」と呼ばれているとかなんとか・・・
29 :
名無し野電車区:2006/07/21(金) 12:36:52 ID:19+afrq4
↑だからこういう書き方は止めれ。
30 :
名無し野電車区:2006/07/21(金) 21:44:46 ID:J/IuRiw2
東武40050系
東武鉄道が開発した50050系ベースのレールブレーキ試験車。
「開かずの踏切」での事故が多いため、ブレーキを徹底的に強化して事故防止を図る。
台車に電磁式レールブレーキを搭載。
安全のため車内の手すりにゴムを巻いている。
31 :
名無し野電車区:2006/07/22(土) 00:00:30 ID:kE1MXwYf
サハ581
急行きたぐに向けにサシ581をカーペットカーに改造した車両
32 :
15:2006/07/22(土) 13:03:39 ID:N/loV8Za
DF501000番台
500番台のMAN主機関を1500馬力に強化し発電機、主電動機を出力アップした強化改良形。
主電動機は140KW。
0・500番台とも総括運転可能だが、混成運転した例は少なく、500番台とだけである。
1962年春に1001号が竣工して秋田機関区に配置。
1963〜65年に1002〜1031の30両が製造されて秋田・新小岩機関区に配置。
1972年の羽越線電化後は米子・新小岩に配置。米子区所属機は1984年に全廃。
新小岩所属機は1987年に全廃されたが、1022号機が幕張メッセ前に、1031号機が葛西臨海公園内で屋内保存されている。
33 :
名無し野電車区:2006/07/22(土) 20:41:51 ID:2F5LDG4B
EF510型8000番台
カシオペア・北斗星の牽引用にJR東日本がJR貨物の
協力を仰いで製造したEF510の派生型。
0番台と性能に差は無いが、重量が大きく、出力が要求される貨物列車を
牽引する訳ではないため通常はリミッターがかけられている。
また、青函トンネル用ATCが搭載され、トンネル通過が可能。
カシオペア仕様の1両(8001)と北斗星仕様(予備含む)の5両(8002〜8006)が製造された。
なお、JR西日本もトワイライトエクスプレス牽引用に同型機を8500番台として
増備する予定。
34 :
ミユナ:2006/07/22(土) 21:41:20 ID:/ij0Ku20
>>33にもう一つ
EF510型8800番台
EF510型8000番台(
>>33)の長岡配備型。こちらは貨物牽引も
考慮した貨物・旅客切替式になっている。主な用途は
寝台特急北陸の牽引(これにより上野〜金沢間の全区間牽引が可能になる)だが、
新津車両製作所で新造された車両の首都圏への配給搬送や新潟・秋田・青森地区の
車両検査のために郡山への搬送など田端以上に任務が多いため
それを考慮し6両が配備された。青森にも4両配備されている。
>>33 現行カシオペア用81は3両いるので予備含めても最低でも3両は必要。
北斗星用を含めても8〜10両は必要になる。
35 :
名無し野電車区:2006/07/22(土) 22:00:16 ID:ipHk4+43
205系2000番台
205系0番台の地下鉄乗り入れ仕様
当初の車種構成は三鷹方からT'c-M-M'-M-M'-M-M'-M-M'-Tc
下まわりは基本的に205系基本番台とかわらない。
車体は207系900番台に準じている。
7本が製造された(301系と103系1200番台は京葉線に転用)が
2004年に東西線CS-ATC化にそなえ205系7000番台に全車改造された。
36 :
名無し野電車区:2006/07/22(土) 22:10:00 ID:ipHk4+43
>>35に訂正 製造されたのは8本
205系7000番台
205系2000番台の改造車だが、
205系5000番台の地下鉄乗り入れ仕様とも言える
車種構成は三鷹方からT'c-M-M'-T0-T1-M-M'-M-M'-Tc
改造内容は
クハ205-7000(Tc)、クハ204-7000(T'c)…東西線用CS-ATC取り付け
モハ205-7000(M)、モハ204-7000(M')…5000番台に準じる
サハ205-7000(T0)…モハ204を電装解除
サハ205-7100(T1)…モハ205を電装解除
37 :
名無し野電車区:2006/07/22(土) 22:19:03 ID:Yj1yrg64
阪急2000系・2100系改
阪急電鉄で2000系・2100系を界磁チョッパ制御に改造した車両。
2300系に倣い界磁チョッパ制御を採用。
2100系は2000系と同一モーターに交換した上で改造を行っている。
38 :
鉄道タイムズ:2006/07/23(日) 00:36:10 ID:PyRLR+Xx
○所属:草軽登山鉄道(旧草軽電気鉄道)○運行路線:軽井沢―万座・鹿沢口―草津温泉
○車種:ラックレール対応登山電車 ○形式称号:100型、デハ100+デハ150 ○製造年:1962 ○廃車年:1992
○軌間:1067mm ○ラックレール方式:シュトルプ(最急勾配:250‰)
○メカニック:ラックレール区間用の駆動歯車、直流モータ、抵抗器制御、発電ブレーキ、架線集電、など。
○エクステリア:車体長16mのモノコック構造・高抗張力鋼、二扉、など。 ○インテリア:クロスシート、和式便所(デハ150)、など。
○概説:
「おい、急勾配なのに結構スピードを出しているな。碓氷峠と同じアプト式なのに」、「碓氷峠のは機関車、これは電車、機関車と電車の違いでしょうか」、
「草軽のを、これ(今乗車中の電車)にしたら、西武のバスに勝てるかもしれんぞ」―これは、1950年代末期、東急グループの総帥五島氏ら一行がスイスへの視察旅行、
ルツェルンからインターラーケン・オスト経由でユングフラウヨッホへ至る道中で交わされた会話の抜粋である。
因みに、一行が乗車した各路線の、80‰を越える急勾配克服に使用されているラックレールはアプト式では無く、リッゲンバッハ式とシュトルプ式である。
当時の日本のラックレール方式はアプト式しか無く、通常の線路の真ん中に歯車状のレールがあるもの全てをアプト式と誤解していた。
スイスへの視察旅行の目的は軽井沢でのリゾート開発の参考である。伊豆・箱根と同様に軽井沢でも東急と西武が競争。西武の方がリードしていた。
東急の傘下にある草軽電気鉄道は西武系列のバスと競合していたが、舗装された道路を走るバスとの競合が無かった戦前にスピードよりも建設費低減重視で建設された
軽便鉄道が故に、廃止されてもおかしくはない程に劣勢であった。山間部を、トンネルを造らず、架橋を避ける為に、等高線に逆らわずに、日光のいろは坂の如く、
最大33.3‰の勾配で沢山曲りくねって徐々に高度を稼いでいく線形で、しかも加減速が低い電機牽引が祟って、バスに比べてあまりにも遅かった。
そして、決断の時が来た。1959年の夏、台風により草軽電鉄は甚大な被害を受け、部分廃止か、全線廃止か、それとも・・・の岐路に立たされた。
続く 恐らく
>>39へ
39 :
鉄道タイムズ:2006/07/23(日) 00:38:27 ID:PyRLR+Xx
>>38の続き
ついに決断が下された、「草軽電鉄をスイスの近代的な登山鉄道の様に大改良せよ!」と。1959年、全線運転休止し、62年をめどに、大改良工事が実行された。
この大改良の狙いは、平坦部では従来通りの粘着方式だが、山間部をシュトルプ式のラックレール(最大勾配250‰)で以て一気に乗り越える事で距離を短縮し、
その上で、通常の粘着区間は最高100km/hで尚かつラックレール区間を最高50km/hで走行出来る高加減速の電車の導入により、所要時間を従来の半分に短縮する事で、
競合するバスとの競争に優位に立つというものであった。あのスイスでの視察が反映された事は言うまでもない。軌間は762mmから1067mmへ拡幅した。
これにより新しく製造されたのが、100型電車である。勾配≦80‰では普通の電車と同様に通常の粘着方式で走行し、80‰<勾配≦250‰ではラックレールに頼って、
いずれも高速運転する為に特殊な駆動方式を必要とし、電車向けの国産技術が無かったので、スイスの技術を導入した。
車体構造は同時期の東急電鉄の5000系(初代)電車と同じモノコック構造・高抗張力鋼により軽量化されている。
かくして、1962年、草軽電鉄は、近代的な登山鉄道へと生まれ変わり、草軽登山鉄道へと改称された。
一方、碓氷峠―国鉄の横川・軽井沢間―は、一年後の63年に、アプト式から粘着式に切り替えられた。
100型電車は東急5000系電車と外見が同じなので“森カエル”の愛称で親しまれた。老朽化により、1992年に廃車された。200系へと世代交代した。
草軽登山鉄道は、風光明媚の上に、軽井沢・三笠間の道端軌道、ラックレール区間ありと、鉄道ファンにとっては最も魅力ある路線であり、
軽井沢と草津温泉という二大観光地を結び、眺望のすばらしさから、マスメディアに「浅間山の麓を走る高原列車」として頻繁に取り上げられ、知名度が高く、
オンシーズンには大混雑する人気路線である。
続く 恐らく
>>40へ
40 :
鉄道タイムズ:2006/07/23(日) 00:40:08 ID:PyRLR+Xx
41 :
15:2006/07/23(日) 20:44:27 ID:7ihv0ZWg
いすゞBH60R高速路線乗合自動車
いすゞ自動車が東名高速路線バス用として1971年に製造を始めた。専用高速バスとしてはBH50Pに続くもの。
エンジンはV形10気筒360馬力。最高速度は150km/h以上で、2年前に登場した三菱ふそうB906R形を上回る性能と称された。
車体は川崎航空機製で、前面形状はいわゆる「オバQ」タイプだが、前モデル同様、ハイウェイ形特有の「笑うオバQ」形である。
「笑うオバQ」顔は1973年の観光形フルモデルチェンジまでで、以後は観光形に準じた没個性形に変わった。
「オバQ」形BH60は1981年まで東名高速線で運用された後、状態良好車は長野原・小諸地区に移って1985年2月まで在籍した。
42 :
名無し野電車区:2006/07/23(日) 22:53:56 ID:k51/fysx
E995系
JR東日本が開発した「透明電車」。
眺望を良くするために車体が透明アクリルで出来ている。
43 :
15:2006/07/24(月) 10:51:39 ID:UMGgXyUj
E−AU113形分散式ユニットクーラー
1996年、JR東日本と三菱電機・日立・東芝が共同開発したインバータ式ユニットクーラー。
AU13形のキセにそのまま収まり、消費電力は約40%減になった他、外気導入冷房や除湿機能も付加された。
485系更新車を中心に取り付けられている。
44 :
名無し野電車区:2006/07/25(火) 00:42:36 ID:MpI3sKVN
クモハ320-500番台
JR西日本が製造した321系のトイレつき先頭車。
45 :
名無し野電車区:2006/07/25(火) 08:37:00 ID:H/0H1OHx
205系1000番台東海道緩行線仕様
JR西日本が東海道緩行線に投入した205系1000番台。
7両編成で、前面形状やベンチレータの数が違うためかなり目立つ。
1991年に207系が登場すると製造が打ち切られた。
321系投入後は阪和線に転属した。
46 :
15:2006/07/25(火) 13:14:13 ID:pekS2qDR
AU175形屋根上集中式ユニットクーラー
1998年、AU75形クーラーの代替としてJR旅客旅客各社と三菱・日立・東芝が共同開発した。
インバータ式で、カタログデータでは旧型より約4割の電力を削減。
除湿と外気導入冷房機能を持つ。
47 :
名無し野電車区:2006/07/26(水) 00:49:19 ID:D80FKgYj
営団地下鉄06系二次車(06-102F〜106F)
旧営団地下鉄が千代田線に投入した、改良型の06系。
車体は101Fと同一であるが、101Fの足回り(4M6T・205kW電動機・ギア比1:7.79)では空転が多発した為、新05系・08系に似た構成に変更された。
(5M5T・165kW電動機・ギア比1:6.21)
このため9000系から新05系へのアーキテクチャの過渡期の存在とも言える。
またWNの精度も向上している。
ギア比が低くなった為、高速性能も向上しており運転最高速度は110km/h(設計120km/h)となった。
ちなみに107F以降は新05系と同じAトレ仕様(通称・N06系)になっている・・・
48 :
ミユナ:2006/07/26(水) 14:19:55 ID:spBsBz73
>>47追加
営団地下鉄(東京メトロ)07系2次型[07-005・006F]
同時期に製造された有楽町線用07系の2次型で、帯色を除き
>>47と同様になっている。
さらに新05系と同じ車体をA-trainにした07-007〜010も計画されたが
折しも13号線が具体化されたことから008編成までで製造は打ち切られた。
なお13号線具体化後のため東西線・千代田線へ移籍も可能な様作られている。
13号線に新型車両を投入することから、製造からわずか2年で置き換え対象になった。
005・006Fは
>>001〜004F共々東西線に移籍され、007・008Fは
千代田線に移籍し新06系続番となった。
49 :
.:2006/07/26(水) 17:06:18 ID:i9bhqKi7
東京メトロ007系:
有楽町線復帰がなかなか実現しない07系の代わりで、7000系老朽化置換え用。
10000系を有楽町線仕様にしたもの。
102F以降はあぼーんした7000系のアルミリサイクルを本格採用。
東京メトロ006系:
千代田線の6000系老朽化置換え用。
05系最終増備形を千代田線仕様にしたもの。
102F以降はあぼーんした6000系のアルミリサイクル。
50 :
ミウナ:2006/07/28(金) 09:14:55 ID:8F+ZuhaY
AU712V屋根上分散式冷房装置
改良型AU712で除湿および外気導入冷房機能をもつ。風道も
ラインファン式に改良された。
103系の冷房改造型でテストを重ね205系からAU75Gに代わって
搭載された。インバーター電源は先頭車に搭載する。東武鉄道30000系の
冷房装置に似ている。これにより通風器がなくなった。3基/1両で搭載する。
51 :
名無し野電車区:2006/07/28(金) 21:48:29 ID:NX5IFv5E
>>38-40にちょっと補足。
大改良に当たって建設された新ルートはほぼ新規建設に匹敵する大工事
で、途中1000mクラスのトンネルと大橋梁数ヶ所ずつが建設された。また
大きなネックだった吾妻側の橋梁も、洪水対策として強固なコンクリートアーチ
橋に架け直された。二度上駅などにあったスイッチバックも全廃され、ルート
変更に伴いいくつかの駅が移転している。
100形電車はMc+Mc2の2連固定で6本が製造され、'92年の引退まで草軽
登山鉄道の主力として活躍した。その後を継ぐ200系電車は100形と同じく6本が
製造され、ハイデッカー構造で前後に展望席を持つ(JR東日本のKenjiみたいな
スタイル)。Mc+M+Mcの3両固定編成で、車体構造は100形をベースにさらなる
構造強化などがなされた。性能的にはVVVF制御・回生ブレーキつきとして粘着力
の向上が図られ、車内も真空式車椅子対応トイレ・回転リクライニングシート・フリー
スペースなど大幅にグレードアップしている。なお旧来の車両であるデキ12形電機
などは改軌に伴い全て引退し、デキ13号と客車ホハ10形1両が新軽井沢駅前に、
トロッコ客車のサマーオープンカーが草津温泉駅前に保存展示されている。
ところで
>>11にもあったけど、誰か7〜8スレ目のモナメントミラー作ってくれませんか?
ガイドライン板のミラー変換ツール使っても中途半端のしか見つからないんですが。
52 :
名無し野電車区:2006/07/29(土) 23:38:10 ID:WQZfvdeD
阪急6300系6331F〜
阪急電鉄が京都線特急の10両編成化用に製造した6300系の2両編成。
足回りは6330形と同様の界磁チョッパ制御で、将来の8連化に備えてオールMである。
53 :
名無し野電車区:2006/07/30(日) 20:06:54 ID:fki1UrmX
225系
製造開始から20年近く経過した221系の置き換え用にJR西日本が投入した直流用一般型電車。
最短2両から最長8両までの編成が組め、直流電化区間であればワンマン列車から新快速まで、
列車種別を選ばない汎用性の高さを誇る。
MT比は1:1とし、特に高速域での加速力を向上させている。
221系の置き換え用であるため、最高速度は120km/hに抑えられているが、
ブレーキ装置の改良を行えば十分に130km/h走行が可能である。
車両は以下の4種
クモハ225(Mc):制御電動車。主制御装置、補助電源装置、電動空気圧縮機を搭載。
クハ225(Tc):制御車。電動空気圧縮機を搭載。
モハ225(M):中間電動車。主制御装置、補助電源装置を搭載。
サハ225(T):中間付随車。自車の必要機器のみ搭載。
制御装置は1C1M制御のIGBT-VVVFインバータで、補助電源装置を併設している。
全車3扉・転換クロスシート。
クハ225型の連結面寄りに電動車椅子対応の大型サニタリー設備を持つ。
また、将来、閑散線区へ転用を行う際に、改造を最低限に抑えるため、
先頭車にはワンマン運転の準備工事がされている。
丹波路快速、大和路快速等に優先的に充当されるが、普通列車の運用に入る事もある。
54 :
名無し野電車区:2006/07/30(日) 22:51:14 ID:1DAnd8VL
55 :
名無し野電車区:2006/07/31(月) 00:35:47 ID:49IBf05u
営団地下鉄06系第2次車(6000系1次車・2次車・3次車のB修・GTOチョッパ化・VVVF化・1段窓化は行われていないとする)
営団地下鉄が6000系試作車・第1次車・第2次車・第3次車を取替えする為に導入した車両。
車体のベースは東西線05N系をベースとしている。また、車内は第1次車と同じ寒色模様となっている。
営団地下鉄07R系(7000系第1次車・第2次車のB修・GTOチョッパ化・VVVF化・1段窓化は行われていないとする)
営団地下鉄が7000系置換用に07系第3次車を導入する計画があったのだが、民営化前なのでお金が無く、結果的に都営10-300R系と同じような車両を導入する事となった。
車内は1・2次車と同じように暖色系となっている。
まだ未定だが、この編成が13号線開通時に8両編成になるとの噂も有る。
(ちなみに種車は7000系3次車)
営団地下鉄08R系(VVVF化・B修は行われていないとする)
営団地下鉄が東武直通増加で08系を導入する計画だったが、民営化前なのでお金が無く、結果的に都営10-300R系と同じような車両を導入する事となった。
種車は8000系の6次車で、10両2本が造られた。
ちなみに廃車された6000系・7000系はインドネシアに輸出。8000系は13号線各停用に有楽町線に転出。
しかし、06N系以外は叩かれる事が多い。これは来ても見送るクソ車両のあるカキコである。
和光市駅で待ちます(有直限定)
キタ---(゚∀゚)---!! 東武9050系
サイコー 西武6000系
マアマア 東武9000系・営団07系
ショボーン 営団7000系
コショウマハトットトキタタテバヤシニイケ! 営団07R系
押上駅で待ちます(半直限定)
珍しいのキタ--(゚∀゚)--!! 東武30000系、東急2000系
マアマア 東武50050系、東急5000系、営団08系
ショボーン 営団8000系、東急8500系
コショウマハトットトキタタテバヤシニカナガツタニイケ! 営団08R系
56 :
名無し野電車区:2006/08/01(火) 22:09:12 ID:a3iqLpls
57 :
名無し野電車区:2006/08/01(火) 22:19:43 ID:mJNMnHMa
>>53 >直流電化区間であればワンマン列車から新快速まで、
列車種別を選ばない汎用性の高さを誇る。
の部分は「東西線と学研都市線を除く直流電化区間であればワンマン列車から新快速まで、
列車種別を選ばない汎用性の高さを誇る。」
と訂正したほうが良くない?
58 :
名無し野電車区:2006/08/01(火) 23:41:40 ID:b+tgTuTa
クヤ321
JR西日本が「安全性向上計画」の一環として製造した321系ベースの軌道検測車。
321系や207系、223系などと連結して使用する。
クモエ125
JR西日本が「安全性向上計画」の一環として製造した125系ベースの救援車。
車体は125系と同じだが、車内に救援資材を積んでいる。
クヤ103
JR西日本が「安全性向上計画」の一環としてクハ103を改造して作った教習車。
車内に教習用機器を搭載している。
59 :
名無し野電車区:2006/08/02(水) 23:56:26 ID:ffoqx1HP
東京都交通局 10-300形増備車
京王の9030系投入による相模原線直通の一部列車の10連化が好評だったことにより
都営車運用を含め完全10両化を実施することになり中間車が増備された
新造中間車と同一仕様で1M1T構成になっており10-3x2と10-3x5の間に組み込まれた
なお線内運用は8両と十分と判断され、10-000形および10-300Rへの組み込みは見送られた
60 :
は@ c178.016.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2006/08/03(木) 00:55:19 ID:Atd4Gg4v BE:121047146-2BP(1)
>>59 10-000や10-300Rにも入れた方がゲテモノ度がうpして(ry
61 :
名無し野電車区:2006/08/03(木) 09:36:13 ID:RKprZDk3
203系5000番台
陳腐化した203系の置き換えが検討されたが、トンネル限界の都合で
現在JR-Eが増備を進めているE231系列などの広幅車体の新型車両の入線が
困難で、今更狭幅車体の車両を大量増備することに上層部が難色を示したため、
武蔵野線205系5000番台と同様のVVVFインバーター改造でお茶を濁すこととなった。
外観、内装についてはほとんど手は加えられておらず、
外見ではまったく区別はつかない。
62 :
名無し野電車区:2006/08/03(木) 17:56:14 ID:xViK4cpE
新幹線キハ5000系気動車
東海旅客鉄道(JR東海)が新幹線電車救援用として製造された気動車で、911形ディーゼル機関車の後継車種。
車体は箱型片運転台構造で、700系をベースとしているが多少の尖りがある。塗装は新幹線事業車共通の青と黄となっている。
エンジンはDE10形と同じ1250psのDML61ZAが使用されている。
最高速度は220km/hで、新幹線では初めての気動車である。
63 :
名無し野電車区:2006/08/03(木) 22:25:34 ID:anBFF+qG
113系2500番台
国鉄が製造した113系のオールロングシート仕様。
東海道線の混雑が激しくなったため製造した。
窓割りは2000番台と同じ。
64 :
鉄道タイムズ:2006/08/03(木) 23:46:13 ID:BZkt+/e5
○分類:一般型直流電車;改造車 ○形式称号:201系8000番台 ○車種:クハ201-8000(Tc)、モハ200-8000(M)、モハ201-8000(M')、クハ200-8000(Tc')
○所属:JR西日本 ○主営業運行路線:阪和線、関西線、奈良線
○メカニック:電機子チョッパ制御 ○エクステリア:ステンレス、四扉 ○インテリア:ロングシート
○改造種車:電動台車と電機子チョッパ制御装置などの駆動部はJR東日本201系、それ以外―車体など―は東急8000/8500系 ○改造年:2007
○概説:
前世紀の国鉄分割民営化から二十年が経ってなおも、JR西日本は103系という古い低性能電車を大量に抱えていた。
酷く進行した老朽化を原因とする故障の多発に伴い運行トラブルが多発した事で乗客のみならず現場サイドでさえも厄介な存在と化し、
しかも追い打ちを掛ける様に長期に渡る中東情勢の悪化による原油高騰に伴う電気料金の上昇で、103系の運行コストが突出し、電力浪費も無視出来ない問題となった。
この103系という古い低性能電車を一刻も早く廃車して、京阪神地区(大阪近郊区間)だけでも相対的に優れた電車へと置き換える事が、
JR西日本にとっての緊急課題となった。321系という新車を導入しているが、JR西日本の経営体力上、数年でその課題を達成するには無理であった。
そこで、やむを得ず、321系の新造投入を継続する一方で、
続く、恐らく
>>65へ続く
65 :
鉄道タイムズ:2006/08/03(木) 23:47:10 ID:BZkt+/e5
>>64の続き
東急から、5000系による置換で廃車が開始されている8000/8500系を購入する事となった。
が、しかし、現場サイドにこの旨を告知するとクレームが来た。旧国鉄時代から現在に至るまで、8000/8500系に搭載されている界磁チョッパ制御自体は
現場サイドにとっては未知の存在であった。尼崎の大事故以来、上から現場に対して「努力しろ!勉強しろ!」云々と強く命令する事は困難になっていた。
幸運にも、同時期、JR東日本にてE233系による置換で201系の廃止が開始されており、
苦肉の策として、8000/8500系からモーター搭載の電動台車を含む界磁チョッパ制御装置を外して、
代わりにJR東日本から購入した201系の電動台車や電機子チョッパ制御装置などの駆動部を取り付ける事にした。
駆動部が201系なので形式は201系、番号区分は8000/8500から、で、8000代で始まる車番自体は、東急時代のものを引き継いでいる。
かくして、車体が東急のステンレスで、走りが旧国鉄201系という、unbelievable!な“201系8000番台”が誕生した。
TcMM'Tc'の四両編成、TcMM'MM'MM'Tc'の六両編成があり、2008年現在、阪和線、関西線、奈良線に集中投入されている。
今後の321系投入進捗状況により201系8000番台は玉突きで岡山や広島都市圏などの地方へ転属する予定であり、
その際には半自動ドア化とセミクロスシート化とクハ200-8000にトイレが設置される予定である。
66 :
名無し野電車区:2006/08/04(金) 12:30:13 ID:wXiKIqNk
キハ52形5000番台
JR東海で52のエンジンをカミンズ製のC-DMF14HZに交換した車両。
関西本線や高山本線に導入されたが、構造上ワンマン化改造が不可能なため専ら増結用だった。
110km/h運転も可能で、快速「みえ」に投入されたこともある。
1999年に全車廃車になった。
67 :
名無し野電車区:2006/08/04(金) 16:46:41 ID:sIBOGbw5
113系3000番台
すでに211系が開発されていたものの、価格、在来型113系との混結を考慮して、
113系の足周りと211系のステンレス車体、エアサス台車を組み合わせた車両。
一部には、廃車となった非冷房の113系初期車の部品が流用された。
国鉄末期に西日本に投入され、分割併合を行う東海道本線大垣行き快速や、
この頃電化された福知山線に投入された。
しかし、民営化後は221系、223系投入により冷遇されることになり、
現在では山陰線と広島地区に転じている。
68 :
ミウナ:2006/08/04(金) 17:58:34 ID:wi8vHQx9
107系200 300番台
107系を増備するにあたり種車の165系が枯渇したため下回りを115系に
仕様変更したもの。主に長野と新潟を中心に配備された。制御装置
主電動機を115系から台車のDT32は485系と183・189系の廃車発生品
を使用しTR69はやはり485系およびサロ183・189とサロ110の発生品を
使用している。補助電源装置は70kvA。冷房装置は201〜204 301〜303
まではAU75G1基。それ以降はAU712を改良したラインファン式のAU712G。
200番台と300番台の区別点はトイレの有無で後は共通である。なお座席は
海側セミクロス・山側ロングシートの変則式。
松本・長野・上沼垂・新潟・長岡に配備され、主な使用先は
中央本線の岡谷〜塩尻間(旧線辰野まわり)のミニエコークモハ123取替えと
篠ノ井線・大糸線・信越線・白新線と羽越線の一部・越後線・弥彦線・上越線である。
また羽越線の新津〜新発田〜村上間でも気動車からの置き換えで使用する。
なお300番台2本は弥彦線ワンマン運転にも対応している。当初房総各線にも
配備される予定だったが見送られた。霜取用にパンタを2基化した編成もある。
04年からリニューアル改造を実施。パンタグラフのシングルアーム(PS35)化
と車内の更新および補助電源のSIV(210kvA)化・台車の密封コロ軸受化が行われた。
なおクハの台車を211系廃車発生品のTR235に履き替える計画もあったが見送られた。
69 :
名無し野電車区:2006/08/04(金) 23:25:13 ID:6p+Y66oC
321系1000、2000番台
1000番台は関西、奈良、阪和線の103系淘汰のため増備され、4または6両編成で奈良、日根野電車区に配置。
2000番台は学研都市、東西線乗り入れを前提とし、207系0番台を置き換えるため、3または4両編成で淀川電車区に配置。
置き換えられた207系0番台は奈良電車区に転属。
奈良電車区に配置、転属の車両は濃淡グリーンの帯を、日根野電車区に配置された車両は223系0番台に準じた帯をそれぞれ巻いている。
また、1000番台、2000番台は207系との併結を可能にしている。
続くかも
70 :
名無し野電車区:2006/08/05(土) 02:42:22 ID:x1Sr0bVu
>>69続き
321系3000番台
特殊さゆえに持て余されていた環状線201系の置き換え用に8両貫通編成を製造。
1000番台の8両版というだけで特に変わったところはない。帯はオレンジ一色。
125系1000番台、1500番台
和歌山線用の105系の置き換えと、将来の関西線加茂〜柘植間の電化に備え登場。
1000番台は小浜、加古川線用の0番台の暖地向け仕様で、帯の色が青一色に変更されている。
1500番台は2両固定編成で、新形式クハ124が誕生している。帯の色は青だが、関西線転属時はキハ120に倣い紫一色になる予定。
このクハ124は関西線電化開業時には電装されクモハ124になる予定。
1000番台7両、1500番台8編成16両が和歌山線、桜井線、紀勢線和歌山〜和歌山市間で使用されている。
また、1500番台は極稀にみやこ路快速の代走で奈良線を走行することがある。数少ない2編成連結運用である。
現在暫定的にクモハ125-1007、クモハ125-1508、クハ124-1508が日根野電車区に配置され、羽衣線を往復している。
221系8000番台
製造後20年を経て、更新時期を迎えたため、制御装置をIGBT-VVVFインバータに取り替えた。
これを機にJR琵琶湖、京都、神戸線から撤退(京都〜山科を除く)、一部が福知山支社と岡山支社に転属した。
なお、上記車両の登場により余剰となった車両は広島支社に転属し、同支社管内の車両の近代化に貢献した。
以上、アーバンネットワークの新車を妄想してみた。
71 :
15改めエセレブ:2006/08/05(土) 12:15:22 ID:zzUknIvD
JR総研キハ22形バイオディーゼル試験車
1995年、旧JR北のキハ22を改造した植物油燃焼試験車。
旭川に配置され、菜種・胡麻・落花生・紅花・コーン油や天ぷら廃油等で試験を実施。1998年解体された。
2005年、関東鉄道常総線で廃車されたキハ100をJR総研が改造し、DMF13系機関での実験を始めている。
72 :
名無し野電車区:2006/08/05(土) 13:07:52 ID:KfqYpXlc
静岡鉄道7000系
静岡市の政令都市化により、混雑が増した静岡鉄道に導入した車両。
編成は7707+7105+7106+7502の4両である。この編成番号から解るように、相模鉄道から譲渡された車両である。
主な改造内容はこちら
@ワンマン運転対応
A車椅子スペースを7707、7502に設置
Bドアチャイム設置
となっている。ちなみに相模鉄道としては今後も譲渡を考えている。
73 :
名無し野電車区:2006/08/05(土) 14:12:57 ID:q1VD731H
421系1000番台
JR九州で床置式冷房を搭載した421系にSIVを増設した車両。
421系はJR化以降は床置式冷房を搭載していたが、電源は主変圧器3次巻線から取るために直流区間では使えないという欠点があった。
そこでSIVを増設することにより直流区間での使用も可能にした。
74 :
名無し野電車区:2006/08/05(土) 14:17:47 ID:o0sth5YN
西鉄宮地岳線8000形
同路線の「福岡市営地下鉄箱崎線」乗り入れに対して導入された車両
なぜか新製車両ではなく元・東急の8500系を移籍投入した。
地下鉄乗り入れ用に「ワンマン運転・ATO装置」を装備したのはいうまでもない。
75 :
エセレブ:2006/08/05(土) 14:25:39 ID:zzUknIvD
JR北 DD51形2000番台
1992〜93年に機関と変速機を換装し車体更新を施した。
JR貨物更新機とほぼ同じ更新内容だが、在来機に合わせてスペックダウンした貨物機とは異なり、こちらはフルスペック仕様。
最高速度は変わらないが、加速力と均衡速度が向上した。
定期「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」牽引にあたっている。
76 :
エセレブ:2006/08/05(土) 14:54:39 ID:zzUknIvD
JR東 キハ181・180・キロハ180形
秋田新幹線工事を間近に控えた束がリリーフ連絡列車用として1993年4月1日付でJR四国から譲り受けたが、実際には同年2〜3月に高松から仮留置塲の郡山・小牛田に回送されている。
改装は郡山・土崎工場で施工。
外板の腐食箇所張替や配線の引き替え、国鉄色への復元、耐寒耐雪工事を施工。
秋田配属で、仙台・北上〜秋田間新幹線連絡特急「きたかみ」に運用。
秋田新幹線開業後はキロハが全廃され、キハも一部が廃車されたが、残存車は再更新され、4両3本と6両1本に組み直されて波動用として使用。甲子園臨で関西に乗り入れることもある。
4両1本を除いて首都圏乗り入れが可能。中越地震後しばらくは新潟支社に貸与され、磐越西線内快速や臨時快速ムーンライトあがのに使用された。
77 :
エセレブ:2006/08/05(土) 15:09:18 ID:zzUknIvD
茨城県キハ7000形
2005年、稼動率が低い「マリンライナーはまなす」の運行主体をJR東・水戸支社に変更。定置塲も水戸に代え、郡山車輌センターで更新工事を施工。
機関はDMF13HZ(330PS)に換装。台車と変速機は廃車になったキハ40形から流用。
78 :
エセレブ:2006/08/05(土) 15:34:22 ID:zzUknIvD
国鉄キハ13・14形
キハ04〜07形等の後継として1965〜69年に製造された支線区用中型ディーゼル車。
キハ13は本州以南用でキハ14は北海道(一部は東北地方に投入)用。
全長は17mで車体幅は2.8m。
前面はキハ20系車輌と同じだが、ヘッドライトはシールドビーム2個で島原鉄道キハ26・55形後期車とほぼ同形態。
側面はキハ22形に準じたが、キハ13形はキハ20と同じ二段窓。
足回りは在来車と概ね同形で、機関はDMH17H形、台車は国鉄初の偏心形台車DT34・TR63。
全国の閑散支線区に配属され、1985年以降廃車で減少しながらも半数はJR(東海除く)に継承された。
しかし床下スペースが小さく、冷房の搭載が困難だったこともあり、1995年までに全廃された。
79 :
名無し野電車区:2006/08/06(日) 08:39:04 ID:/gazrJ2w
113系3000番台は西日本に導入されたが、関東にも同様の成り立ちの車輌が投入された。
113系3500番台
113系の足周りと211系のステンレス車体、エアサス台車を組み合わせた
113系3000番台(
>>67参照)の地下線仕様。
こちらは国鉄末期に総武快速・横須賀線に投入された。
こちらは民営化後も引き続き総武快速・横須賀線で活躍を続け、
さらに二階建てグリーン車サロ124・125まで連結したが、
総武快速・横須賀線のE217系投入により冷遇されることになり、
大半が幕張に集結し房総ローカルに転じたが、
一部は西日本に売却され山陰線と広島地区に転じた。
サロ110-3500・111-3500
113系3500番台向けに登場したグリーン車。
基本的にはサロ111、サロ110(1000、1200、1300)、サロ113も連結可能だが、
新たにサロ210・211と同様の車体・仕様で新造された。
サロ210・211との違いは引き通し関係が113系仕様となっていること。
なお、二階建てグリーン車は他の113系と同様にサロ124・125が使用された。
113系3500番台と同時に登場したが、113系3500番台自体が総武快速・横須賀線から撤退し、
房総ローカル・山陰線・広島地区に転ずるとともにサロ210・211に編入改造された。
80 :
エセレブ:2006/08/06(日) 12:20:13 ID:RFYwB4GV
103系4000番台
JR東の103系のうち、1980・83年製の車を1991年に組み直して205系同様の界磁添加励磁制御に改造したもの。
ブレーキはもとのままなので、クハを介すれば元の103系とも組成できる。
8両編成3本が改造されて武蔵野線に投入。
1995年に車内をリフレッシュ。
2005年にJR西日本に全車売却された。
81 :
エセレブ:2006/08/06(日) 12:32:50 ID:RFYwB4GV
JR西日本 エコチャージ装着ディーゼル車
島田紳助とチームを組んで鈴鹿8耐に出場したことで知られる元レーシングライダー・千石清一氏が開発した「エコチャージ」に着目したJR西日本が2004年以降自社のディーゼル車に取り付けたもの。
40系以降の車輌に取り付けを進め、2006年度中に対象全車への取り付けを完了する予定。
他社も導入を検討している。
82 :
鉄道タイムズ:2006/08/06(日) 17:07:05 ID:tGEfwI9H
◎川崎市交通局地下鉄電車
○形式・車種:100系;Tc1-100 M1-100 M2-100 Tc2-100 ○製造年:201X
○運行路線:川崎市営地下鉄 JR南武・武蔵野線 小田急多摩線;川崎〜尻手〜新川崎〜(JR新鶴見信号所)〜武蔵小杉〜宮前平〜新百合ヶ丘〜唐木田
○特記要素:第三軌条・架線ハイブリッド集電 交流三相モーター ステンレス 四扉 外吊り式プラグドア ロングシート
○概説
「まるでロンドンの地下鉄(tube)みたい♪」と、100系を見て、そう抱く人々―多摩丘陵在住の欧州通の上流?―が多い程、正に蒲鉾(かまぼこ)形状である。
紆余曲折を経て漸く川崎縦貫高速鉄道いわゆる川崎市営地下鉄(JR新鶴見信号所〜武蔵小杉〜新百合ヶ丘間)が201X年に開業した。
同時に地下鉄の各末端からJR武蔵野・南武線で川崎へ且つ小田急多摩線で唐木田への直通も開始。Tc1M1M2M1M2Tc2の六両編成で運行。
地下鉄の建設費低減を究めた結果が、あの蒲鉾型、そう、集電方式を第三軌条にしてまでトンネル断面を従来の半分程までにさらに小さくしたのであった。
地下鉄線内の第三軌条集電用の集電靴を台車に取り付け、直通先のJR・小田急は架線集電なので屋根にはシングルアーム状のパンタグラフも搭載、
いわゆる第三軌条・架線ハイブリッド集電に。蒲鉾形状の車体なので、通常の戸袋・引き戸では無く、外吊り式プラグドアを採用。
この様な特殊車両を必要とする地下鉄なので、JRと小田急は直通用車両を用意せず、川崎市の片乗り入れになっている。
チューブの様な直径3m台の小断面トンネルと中を走る蒲鉾形状車体、第三軌条・架線ハイブリッド集電、これらは大きなインパクトを与えた、
特に、地下鉄軌道構想を練っている地方都市や、直通拡大を検討中の大阪市営地下鉄に。201X年ブルーリボン賞を獲得した。
○参考サイト
Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/London_Underground http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E7%B8%A6%E8%B2%AB%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93 川崎市交通局
http://www.city.kawasaki.jp/82/82tetudo/home/
83 :
鉄道タイムズ:2006/08/06(日) 17:48:39 ID:tGEfwI9H
>>82の追記と補記
JR新鶴見信号所から、JR武蔵野線(新鶴見信号所から新川崎を経て鶴見まで横須賀線電車が走る品鶴線と並行している)、新川崎を越して、途中から分岐して
南武線の尻手へ向かう武蔵野線と南武線を連絡する支線を経由し、尻手から南武線に入りて、川崎へと――JRへの直通によって、
地下鉄のみの武蔵小杉・川崎区間―第二期整備は、白紙にされてしまった。
このJR直通の為に、武蔵野線に新川崎駅のホームを設置、尻手駅構内の配線改良、川崎駅でのホーム増設、列車本数を増やす為の信号系統の改良などが、
川崎市の財政支援によって実施された。
が、しかし、JR直通列車は設定本数が制限されている。
一方、純粋な新線である武蔵小杉・新百合ヶ丘間は区間列車の設定により高頻度に設定される。その区間沿線は、開業前は不便な鉄道空白地帯であった。
社会情勢の変化で、第二期整備(武蔵小杉・川崎間)が復活したら、京急大師線と直通を考慮とした標準軌間(1435mm)になり、
先述の第一期区間(新百合ヶ丘・武蔵小杉・JR新鶴見信号所)とは直通出来ない独立路線になるであろうか。
>>82を含めた以上の記述は、無論、あくまでも、フィクションで、言い換えれば、私の脳内パラレルワールドでのお話です(笑)
84 :
エセレブ:2006/08/06(日) 19:38:39 ID:RFYwB4GV
国鉄→JR北キハ82・80、キロ80形 宗谷急行仕様車(番号不変)
1986年11月に80系DCを急行「宗谷」「天北」に転用したもの。(86年10月までは急行形が運用されていた)
特別保全工事(実態は車体更新)未施工車は施工し、基本5両3本と名寄回転キハ82、増結用キハ80を各3両用意し、多客期は急行形を稚内方に増結することにしたため、稚内方キハ82に制御回路読替装置を設置した。
塗装は変更されず、絵入りヘッドマークもつき、編成こそ短縮されたが、塩狩越えや利尻富士をバックに走る姿は北の80系の最期を飾るに相応しいと絶賛された。
1993年7月に183系0番台と交代し引退したが、さよなら運転を兼ねて8月下旬まで運用された後全廃された。
85 :
名無し野電車区:2006/08/07(月) 11:06:18 ID:HbzullLN
101系5000・5800・6000・6800番台(JR東海)
JR東海で101系にインバータ形冷房を搭載した車両。
DC-DCコンバータから給電するC-AU711Dを搭載。
パンタグラフは国鉄時代に5800・6800番台を除きPS23Bに取り替えられたが、これでも身延線に入線できないため◆マークは付いていない。
6000・6800番台は愛知環状鉄道100形にモーターを供出してMT54に交換された車両である。
他にもドアエンジンの交換や側面方向幕の設置、ユニット窓化などが行われている。
7+3分割編成で、中央西線で運行された(3連は一部関西本線や静岡地区でも運行)。
103系よりも高速性能に優れていたため101系では珍しく平成11年秋頃まで生き延びた。
86 :
ミウナ:2006/08/07(月) 21:09:45 ID:UmJEjl92
101系2000番台
武蔵野線長大トンネル対応型1000番台の主電動機をMT54化したもの。
当時製造開始される予定だった201系投入による転配計画で武蔵野線
への103系の配備が定数通り進まなかったことから南武線で使用され
ていた冷房改造型にMT54を搭載して長大トンネル対応を施し、急場を
しのぐことになった。改造は多岐にわたリ、側面方向幕設置、ユニット窓化
に改修などを行っている。昭和60年に特別保全工事を行った編成や
異例の平成元年に車両更新を行った超珍車も出現した。しかし年功には
勝てず特別保全工事を行った車両は平成10年に103系大転配による
捻出の103系に取り替えられて廃車になり、更新車も当初仙石線での
転用や秩父鉄道売却も検討されたが平成13年に廃車された。
87 :
名無し野電車区:2006/08/07(月) 22:16:27 ID:FoGoaAum
キハ200形200・1200番台
JR九州が製造したキハ220形200番台の片運転台仕様。
トイレは200番台にある。
88 :
名無し野電車区:2006/08/09(水) 01:03:04 ID:o3tEvws4
JR西日本431系
JR西日本が北陸地区の419・457・475系の置き換えの為に投入した車両で、521系よりも更なるコストダウンを図った。
しかしその実態はまさしく「超弩級のDQN車両」である。
車体は521系をベースとしているが、足回りや電装品は103・113・115・415系の廃車発生品を完全に流用している
(交流機器は419・457・475・485・489系からも流用)。 そのため性能と乗り心地は恐ろしく悪い。
座席は「走ルンです」張りの固い物が採用された上、バケット形状すら無い(丁度りんかい線70-000形や東武50000系列、TX-1000・2000系のような物)ため座り心地は最悪。
やはりトイレは全番台とも非搭載。
走行性能に関しては、只でさえ低性能な国鉄型の足回りに加え車体が異常に重い(T車でも42t、M車に関しては50tはあるらしい)上1M1Tのため限りなく悪い。
ステンレス車体、3ドアロングシート(トイレ無し)、2連
永久直列抵抗制御、MT54/55(110/120kw)、ギア比91:15=1:6.07
起動加速度1.6km/h/s程度(実測値)、最高運転速度90km/h、減速度常用3.5・非常3.7。
あらゆる方面の鉄道ファンからはおろか沿線住民からも散々に叩かれているのは言うまでも無い。
別(蔑)名「交直流版131系」、「電車版キハ32(キハ120以下の車両ということらしい)」、「究極の嘘タイプ」、「ゴミタイプ」。
89 :
は@ c178.016.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2006/08/09(水) 01:21:31 ID:ZyqWWlvF BE:60523643-2BP(1)
>>88 流石にそれはないだろう。
西日本旅客鉄道433系
521系よりも更にコストダウンを狙って作られた。
車体は521系をベースとし、足まわりや電装品は(415・)419・457・475・485・489系から流用し、
113・115・415系から外してきたギヤを使って近郊形としての高速性能と加速を確保している。
座席は現在導入中の321系と同等の物が利用され、トイレは非搭載。
2連が基本となり、Mc-M'c編成となる予定である。
いくら何でもこれ程度が妥当かと。
90 :
名無し野電車区:2006/08/09(水) 23:13:40 ID:pAFZxPyX
>>88-89 ちなみに来ても見送るクソ車両スレでは・・・
キタ━━(゚∀゚)━━!!! 521系
もうそろそろ引退するのキター!! 国鉄形(419系以外)
食パン(#゚A゚)凸カエレ! 419系
GYAAAAAAAAAAAAAA!!!!!ヤバイのがでたぁ!逃走決定! 433系
あれ?今日って迷惑ウヤの日だったっけ?(無視を決め込む) 431系
91 :
は@ c178.016.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2006/08/10(木) 01:27:22 ID:b+4pTTCF BE:121046483-2BP(1)
京浜急行150形コンテナ貨物電車(1500形6連化はV改しないで行われる世界にて)
6連化に伴い余った先頭ユニットのパーツを剥ぎ取って台車、電装品等は流用し、台枠、車体等を新製して製造。
ブレーキはMBS-Rのまま。牽引力を上げるために動軸の辺りに死重を積んでいる。
制御電動車は1500形時代の区分けを継承しデコ150形、デコ160形、付随車はサコ190形となっている。
92 :
名無し野電車区:2006/08/10(木) 02:24:48 ID:SmvYEhki
サロ88
国鉄が伊東線直通準急の目玉として昭和27年から導入した
80系の2階建2等車(当時は3等級制)
153系導入後は80系編成から外れ、横須賀線70系編成に
老朽化したサロ45の代替として組み込まれ113系置き換えまで活躍。
昭和43年ごろサハ格下げの上飯田線に転出、流電の中間に組み込まれた。
観光用として生まれたものの通勤用としてもその特長を
発揮することとなった隠れた名車であるが、非冷房のうえ構造上
側窓開口が小さかったため、夏場は暑いのが欠点であった。
93 :
名無し野電車区:2006/08/10(木) 08:44:34 ID:OEHgMZKR
207系0番台常磐快速線仕様
JR東日本で何を思ったのかJR西日本仕様の207系を常磐快速線にOEMで投入した車両。
10両編成(4M6T)と5両編成(2M3T)がある。
帯の色はエメラルドグリーンであるため福知山線脱線事故後の塗色変更の対象外だった。
近年になってE231系と併結できるように改造された。
94 :
名無し野電車区:2006/08/10(木) 10:46:50 ID:8rijRjAU
旧国鉄→JR東日本 モハ72800・クハ79800
旧国鉄が川越線に投入した、72系の車体更新車。
72系ベースの牽引車を元に、205系に準じた車体を載せて旅客用電車に再改造した形式である。
車体こそ205系であり、冷房装置やラインデリアまで搭載されているものの、床下機器は72系という妙な車両。
MGのみは冷房搭載のため103系と同一のものになっている。
編成は2M2Tの4連を組む。
現在でも川越線で釣り掛け駆動のままで運用に就いており、205系の車体と釣り掛け駆動というシステムが鉄道ファンから人気を博している。
尚、平成6年頃、補助電源装置がMGからSIVに交換された。
95 :
.:2006/08/10(木) 12:35:50 ID:G2o8bs4t
>>88-89 結果、681/683系雷鳥白鷺白鷹が糞列車で邪魔されるのであぼーんされる。
交直流機器は束の(“「過激派」動労”で有名な)千葉支社へ譲渡。
(鹿嶋りんかい鉄道をJR束納豆支社が買い取り、交流電化)
マリ113系の交流対応化に捻出。
96 :
エセレブ:2006/08/10(木) 16:27:00 ID:+Zr+CoCH
国鉄一般形等気動車特別保全工事
蒸気機関車の全廃に続いて国鉄が実施した。
1975年度以降、準急形と一般形の1958年度以降に製造した車両のうち状態のいいものに対し、1985年度までの使用に耐えるよう、客室内の改装を中心に施工。10系全車や55・20系のバス窓車は全て対象から外れている。
一部にはさらにバス用クーラーを取り付けたものもある。
1984年度まで断続的に施工されたが、キハ52形100番台は1985年度以降も施工され、JR東所属車はさらに車体更新を施工された車もある。
同一形式でも年度や施工所により形態は異なる。
1984年度からは施工車からも廃車が出始め、準急形とキハ25形はJRには残らなかった。
キハ20形は1992年(九・四)、キハ22形は2001年(北)、キハ52形0番台は1993年(九)に全廃されたが、キハ20の一部は島原鉄道と水島臨海鉄道に移籍した。
97 :
エセレブ:2006/08/10(木) 16:38:53 ID:+Zr+CoCH
急行形・近郊形等気動車特別保全工事
1979年度よりDMH17H機関搭載の状態良好車に施工された。
但し少数形式のキハ57・キロ27は全車除外された他、キロ28形も施工車は少数に留まった。
一部の車は冷房化されている。
国鉄では1986年度まで施工され、JR発足後は東日本のみが機関取替を含む車体更新工事を実施した。
>>88客室をもう少しコストダウン
JR西日本431系
JR西日本が北陸地区の419・457・475系の置き換えの為に投入した車両で、521系よりも更なるコストダウンを図った。
しかしその実態はまさしく「超弩級のDQN車両」である。
車体は521系をベースとしているが、足回りや電装品は103・113・115・415系の廃車発生品を完全に流用している
(交流機器は419・457・475・485・489系からも流用)。 そのため性能と乗り心地は恐ろしく悪い。
座席は先頭車両に転換クロスシートを4列設置、DXグリーン料金をとる。それ以外は混雑緩和の為に座席の設置はなし。
やはりトイレは全番台とも非搭載。
走行性能に関しては、只でさえ低性能な国鉄型の足回りに加え車体が異常に重い(T車でも42t、M車に関しては50tはあるらしい)上1M1Tのため限りなく悪い。
ステンレス車体、1扉2連
永久直列抵抗制御、MT54/55(110/120kw)、ギア比91:15=1:6.07
起動加速度1.6km/h/s程度(実測値)、最高運転速度90km/h、減速度常用3.5・非常3.7。
こんな低性能車両ながら、唯一凄いのはJR酉が開発した「無人運転装置」を搭載した車両である事。
基本的には扉開閉時刻や発着時刻まで全て入力されたプログラムによって動く為、駆け込み乗車対策にも一役買った。
災害時のみ支社の運転センターで遠隔操作で運転する。1人の指令員が3編成の運転を受け持つ。
鉄道ファンからはおろか沿線住民からも散々に叩かれているのは言うまでも無い。
別(蔑)名「交直流版131系」、「電車版キハ32(キハ120以下の車両ということらしい)」、「究極の嘘タイプ」、「ゴミタイプ」。
431系の直流専用版として225系を岡山・広島・和歌山地区に、気動車版としてキハ140形として広島・岡山地区に投入。
【431系DXグリーン料金】
50kmまで・・・2500円/100kmまで5000円/150kmまで10000円/200kmまで15000円/201km以上20000円
99 :
エセレブ:2006/08/10(木) 20:41:30 ID:+Zr+CoCH
あり得ねーはずの配置
赤字国鉄は蒸機の現役終末期に広域異動を行ったが、その後も不可解な転属をしている。
北海道と北東北で生涯を送ったスハユニ62形だが、その1号車の終焉の地が宮崎・都城だったのはその最たるものだが、気動車でもいくつかの実例があった。
八高線のキハ26・55
1975年5月、高崎第一機関区にキハ26・55(100番台)が各2両、キハ17・16の代替として、美濃太田、中込から転属してきた。しかも気動車リフレッシュ工事施工車第一陣として。
近郊形か通勤形を希望していた同区は頭を抱えたが、配属された以上は有効に使わねばならない。
ラッシュ向きでないこの4両は主として平日の朝以外と休日に使った他、オールクロスシートに等しい客室を活かして休日の行楽臨時列車に充当した。
例えば川越線大宮〜寄居・秩父鉄道上長瀞間や高崎〜秩鉄秩父・三峰口間、正月の高尾臨、夏の児玉・寄居〜茅ヶ崎・大磯間海水浴臨等である。
その間、1979年春にはバス用クーラー使用の冷房試験に供された。
キハ26は専用機関式、キハ55は走行機関直結式で、ヂーゼル機器(現ゼクセル)製(サブエンジンはいすゞ製)と三菱重工製(サブエンジンは三菱自動車製)が搭載され、扇風機と併用した。
冷房試験は1980年夏で終わり、非冷房に戻す予定だったが、話を漏れ聞いた乗客から抗議が相次ぎ、1981年以降はヂーゼル機器製に統一して使われることになったが、費用を理由に他車にはなかなか普及しなかった。
同系車が淘汰され行く中でも冷房というアドバンテージがあったのかしぶとく生き延びたが、1986年9月に引退。12月に4両とも廃車された。
100 :
エセレブ:2006/08/11(金) 08:14:40 ID:oy3A27Kj
広域転属その2
九州のキハ22
準急・一般形の若番台車等の置き替えのため、道内の支線廃止や40系投入で余剰車が出ていたキハ22形の200番台車の一部が内窓の撤去や貫通扉の交換等を施されて九州に転属した。
類似形態のキハ26形の代替になることが多く、全車国鉄と運命をともにした。
101 :
名無し野電車区:2006/08/11(金) 10:04:46 ID:l4MQO9Qs
785系1000番台
JR北海道が特急「はつかり」に投入した785系。
青函ATCを搭載し、6両編成である。
編成はクロハ‐モハ‐サハ‐モハ‐サハ‐クモハ。
増結用にサハ‐クモハの編成もある(サハは簡易運転台装備のため1200番台)。
現在は特急「スーパー白鳥」「つがる」に使われている。
性能的には160キロオーバーも可能だが、現在は140キロ運転である。
102 :
ミウナ:2006/08/11(金) 11:15:45 ID:fX2fdt2g
>>94の似た例で
旧国鉄→JR東海クハ66800・モハ62800
身延線モハ72系に113系系統の新型車体に乗せ変えたクハ66・モハ62に
さらに211系の車体に乗せ変えたとんでもない車両。冷房もC-AU711B
2基搭載で70KvAMGを搭載している。車体こそ211系で、ラインデリア
まで搭載されているものの、床下機器は72系という妙な車両。
しかしパンタがPS23でないことから富士〜西富士宮までしか運用できない。
釣りかけサウンドを轟かせて走るさまは富士の人気者だったが、しかしさらに
とんでもない大手術で恐るべき形式が生まれることになる。
211系5900番台
その66系800を何とそれを最低でも20年計画で使おうと画策していたことから
新性能化が計画され当初は113系の廃車発生品を使う予定だったが当時製造を開始
していた211系に計画変更し何と211系同様の界磁添加励磁制御にしてしまった
恐るべき車両。台車もDT13・TR36・DT17・TR48→DT50・TR235
にまでしているなど一見しても211系と見分けがつかないほどにまで作っている。
冷房と電源方式をDC-DCコンバータから給電するC-AU711Dにしたため5000・6000
表示とし、旧型ベースであることから5900・6900番台とした。なお3両に短縮された。
パンタもPS23Bとしたが西富士宮までの運用のみに変わりはないものの
東海道線と御殿場線にも入線可能になった。
別名な〜んちゃって211系
編成
66系800 211系5900番台
クハ66800-モハ62800-モハ62801-クハ66801→クモハ211-5901-モハ210-5901-クハ210-6901
クハ66802-モハ62802-モハ62803-クハ66803→クモハ211-5902-モハ210-5902-クハ210-6902
クハ66803-モハ62803-モハ62804-クハ66804→クモハ211-5903-モハ210-5903-クハ210-6903
103 :
.:2006/08/11(金) 12:37:10 ID:Rd+Mh5df
>>88-89>>95>>98 >>98も不評で廃車。
束に売却した431/433系の交直流機器を使った車両:
415系2000番台:
幕張113系1000番台に431/433の交直流機器を搭載して、415系とも連結可能にした物。
E511系:
田町→幕張に転属した211系に431/433系の(ry
上記2編成は鹿嶋りんかい鉄道を束が水戸支社買収電化直通(JR大洗線)に対応
(地磁気観測所の関係で(ry)
E511系1000番台:
(E233の大宮総合車両センター投入(211-1000/3000(高崎車両センター及び籠原/新前橋派出所)の)で余剰なった)
高崎/新前橋→上沼垂に転属した211-1000/3000に(ry
羽越線村上セクション通過運用に用いる。
京阪4000系
京阪線の昇圧時に廃車になった1300、1700、旧600、630各形式の下回りと6000系と同型の車体を組み合わせたDQN車両。
冷房装置搭載等の関係で台車のみ新製されたが駆動装置は吊掛式のまま。
当初は7連18本が登場し、後に2本が代替増備された。
また、最終編成は6000系6014Fに先駆けてVVVFインバータの試験車にもなった。ただしこちらは東芝製の制御装置を搭載している。
現在は全編成が8連化され、一部が下回りを2600系の廃車発生品と取り替え、室内更新の上6015F〜として6000系に編入されている。
105 :
名無し野電車区:2006/08/11(金) 20:05:00 ID:e7vBo1ef
>>104 一部からは「西の小田急4000形」と呼ばれている。
106 :
エセレブ:2006/08/11(金) 20:32:58 ID:oy3A27Kj
103系1000番台の九州(筑肥線)転属。
電化&福岡市地下鉄相互乗り入れを果たした筑肥線の増発用として、203系投入で余剰になった103系1000番台を1984年に転属させたもの。
とはいえ103系1500番台との格差は否めず、小倉工場で冷房取り付けとアコモ改良を施工した。
1992年に車体更新を施工。303系の投入により2006年度末までに全廃されることになった。
107 :
名無し野電車区:2006/08/11(金) 21:37:07 ID:39vkiBGD
阪急3200系
阪急電鉄が製造した車体更新車両。
710系などの車体を7000系と同一のものに更新。
足回りが釣り掛けで異彩を放っていたが、低性能のため支線区に追いやられ、最終的には電装解除や足回り更新で7000系に編入されてしまった。
日本で唯一の「ワンハンドルマスコンの釣り掛け車」だったりする。
108 :
名無し野電車区:2006/08/12(土) 00:35:30 ID:jKintDRi
110 :
名無し野電車区:2006/08/12(土) 11:04:02 ID:7drlgvsO
キハ65系急行「おが」仕様
急行「おが」が板谷峠で時速20キロくらいしか出ないため、国鉄が急遽キハ65を持ってきて投入。
エンジン出力が500PSと大きいため登坂性能がアップ。
ラジエーターが強制風冷式のためキハ181系とは違いオーバーヒートは起こしにくかった。
小田急600形
JR御殿場線の「小田急移譲」にともない同線用車両として2600形を改造した車両。
ワンマン運転用のEB装置・抑速ブレーキ・車内運賃箱・側ドアの「ボタン式半自動化」等の改造を受けた。
編成は↓のとおり
<ヌマ コツ>
クハ600-01・モハ600-02・モハ600-03・クハ600-04
御殿場線用として12編成が導入された
のちに本線系末端区間(新松田〜小田原;藤沢〜片瀬江ノ島)用に抑速ブレーキを省略した編成(600形650番代)が登場した。
112 :
名無し野電車区:2006/08/12(土) 14:03:23 ID:7drlgvsO
キハ39
JR西日本で50系客車を気動車に改造した車両。
キハ33の片運転台バージョンで、トイレがある。
オハフ50が種車となっているため乗務員室がある。
113 :
名無し野電車区:2006/08/12(土) 14:39:48 ID:Ag2FYKWT
N500系
登場から10年が経過し、その過酷な運用から故障が多発するようになった500系の後継として、JR西日本が開発した新幹線電車。
デザインは500系と一切変わらないが、両先頭車のロゴは「JR N500 WEST JAPAN」に改められている。
性能は、500系の16Mをそのまま踏襲しつつもモーター出力を350kwまで増強し、上り10‰勾配での均衡速度は402km/hにもなる。
現在、24編成が博多総合車両所に在籍、東京−博多間の「のぞみ」の他、朝夕の速達タイプ「ひかりレールスター」で活躍している。
N500系スペック
車体長:27000mm(先頭車)、25000mm(中間車)
車体幅:3360mm
車体高:3700mm
起動加速度:3.5km/h/s
減速度:4.9km/h/s(常用最大)、5.6km/h/s(非常)
設計最高速度:548km/h
営業最高速度:380km/h
114 :
名無し野電車区:2006/08/12(土) 14:48:17 ID:Ag2FYKWT
>>113に補足
なお、東海道・山陽新幹線スピード向上計画に従って、空気ばね式車体傾斜装置を搭載、東海道新幹線の2500Rを270km/h、山陽新幹線の4000Rを350km/hで通過できる。
211系500、1500番台(→7000、8000番台)
国鉄末期、京阪神地区の117系が朝のラッシュ時に乗降時間がかかりすぎるため、
この問題を解決し、なおかつ新快速運用を可能にした211系の新番台区分。
500番台は暖地向け、1500番台は寒冷地仕様。
車内は転換クロスシート、また将来の120km/h運転に備え、歯車比を大幅に引き上げた。
帯の色は117系のシティライナーカラーを踏襲している。
後に223系1000番台が登場し、新快速の130km/h運転が始まるまで221系とともに新快速運用に就いていた。
2003年度から快速車両のない東西、学研都市線乗り入れ対策と、
207系に性能を合わせるため制御装置の更新が行われた。
この時、500番台は7000番台に、1500番台は8000番台に形式変更された。
多客期は213系と併結し、岡山地区へ直通することもある。
現在7000番台、8000番台ともにアーバン各線で活躍しているが、
8000番台は極稀に山陰、小浜線などの寒冷地路線に入線することもある。
116 :
エセレブ:2006/08/12(土) 16:59:20 ID:M3ZbDQ5W
JR東日本キハ55形
キハ52・58若番台の代替として1987・88年に新潟鉄工と富士重工で30両製造した両運転台気動車。
基本設計はキハ54形0番台だが、足回りはほぼ新製で、台車もボルスタレス式。トルコンはDB115形。
側窓は大型の一段下降式で直結式冷房付き。
中込・新潟・盛岡に配置されたが、中込車はキハ110系投入のため長野、のち新潟・盛岡に転属した。
2002・03年に客室の改装とトルコン取替を行い、バリアフリー対応トイレを設置し、最高速度も110km/hに向上したが、旧国鉄車とも引き続き組成できる。
【JR西日本209系7500番台】
JR東日本が京浜東北線に新型車両E235系500番台を投入する事で、
廃車予定だった209系を買い取ったもの。
一部、改造をして岡山・広島地区の旧型車両を置き換えた。
・「走ルンです」車両ながら更に20年使えるように改造
・ロングシートを撤去し、転換クロスシートに変更
・4扉を2扉に変更(扉 扉 扉 扉 から 扉 × 扉 × に変更)
・前面の行き先表示器は路線名のシールに変更し、ちょっとだけコストダウン。
・側面の行き先表示器はフルカラーLEDに変更
・帯色を新たに定めた路線カラーに変更
・ワンマン対応工事
・トイレ設置
・車内の案内表示器をLCD2画面に変更。
【JR西日本209系7800番台】
7500番台のサービスレベルが高い事に北陸地域から苦情が相次いだ為、
JR西日本が若干のサービスダウンを行った車両。
改造内容を変更し、旧型車両を置き換えた。
・「走ルンです」車両ながら更に20年使えるように改造
・ロングシートを4両編成中最前部・最後部の2両のみに変更
・行き先表示器・帯・車内の案内表示器は撤去
・ワンマン対応工事
118 :
ミユナ:2006/08/12(土) 20:08:15 ID:PRLf7Qpt
>>116の派生
キハ55-500番台
>>116の急行仕様型で30両が盛岡と新潟に配備された。
>>116の違いは座席が新幹線200系発生品のリクライニングであること。
急行「月山」「陸中」と山田線の快速「リアス」で使われたが、
急行月山は廃止され、陸中が快速に格下げされた事や
キハ110系の進出で釜石・山田線の普通・快速用に残す12両を除き
新潟と小牛田に移動した。新潟に行った6両は米坂線用として
>>116と同仕様に戻され、
>>116の続番になる。
小牛田の6両は快速「南三陸」の指定席用車となる。残る6両は秋田に運び込まれた。
男鹿線で使う説もあったが実はあるクルージングトレインの
種車としての足回り用としてだった。そうリゾートしらかみ用としてである。
JR西日本723系
ここは金沢駅。
つい先日から運用を始めた新型車両がホームに入線してきた。
ただし、交直両用車はコストがかかるとされ、交流専用車として、
武生−泊間の限定運用となった。
TOWNトレインの一員らしく、白い車体にライトブルーのラインが
二本入っているが、どうやらJR西日本のオリジナル車両ではないらしい。
前面はパノラミックウィンドウで高運転台だが、
旧国鉄伝統のいわゆる「東海型」フェイスとは違っていて、やや角ばった感じである。
ドア配置もユニークで、運転台の直後に片開きドアがあって、
連結面よりには両開きドアがある。
連結面には貫通ドアが設置されているが、元はキノコ型の広幅貫通路だった
らしく、それを無理やり狭めた痕が歴然である。
一方、仙台駅では、JR東日本E721系のコピーと思われる2両編成の電車が見られる。
SAT721系と同じ青と緑ながら、それと区別するためなのか、斜めのラインが入っている。
側面をみると、「AKM721-1」と「AKT721-1」というナンバーが入っていて、
側面の行き先表示には「梁川経由福島」とある。
723系の正体は…(以下ry
120 :
名無しでGO!::2006/08/13(日) 07:17:36 ID:cwJJYmH0
>>116 想定の時点で本来のキハ55は消滅していたかな?
形式名は一考の余地あり。
121 :
ミウナ:2006/08/13(日) 09:03:17 ID:GApPXv4w
>>120をふまえて
>>116と
>>118を改良
キハ54系1000番台
東日本向けに作られたキハ54系。ベースはキハ54形0番台だが、
北海道ほどではない東北と新潟と長野用であることから下まわり
は新造で、ボルスタ付き空気バネ台車を装備しトルコンは
キハ37系のものを使用し、エンジンもキハ37系と同じ
直噴式を使用している。長野(飯山)中込(小海)新潟(米坂・羽越・磐越西)
盛岡(釜石・山田・花輪)に配置されたが、中込車と長野車はキハ110系が投入
されたのためのちに新潟・盛岡に転属した。当初一ノ関(大船渡)横手(北上)
郡山(磐越東)水戸(水郡)も予定されたがキハ100・110系の配備に切り替えたため
見送られた。秋田(男鹿・五能)も配備は見送られたが次の1500番台で別の意味
で関わることになる。なお2002年〜2004年に客室の改装とトルコンとエンジンを
キハ110系と同一のに取替を行い、バリアフリー対応トイレを設置し、最高速度を
110km/hに向上したが旧国鉄車と引き続き組成可能である。
キハ54系1500番台
北海道用急行仕様のキハ54系500番台の本州型である。座席が新幹線200系
発生品のリクライニング式になってるのが特徴。片運転台半室グリーン車の
キロハ54もある。盛岡・秋田・新潟に配備され、急行「月山」「よねしろ」
「陸中」と山田線の快速「リアス」で使われたが山形新幹線の延長で
月山が廃止され、急行よねしろも廃止になり、急行陸中も快速はまゆりに
格下げられたことでキハ110系でも運用できることや快速リアスも一般型
キハ54でも運用できることなどもあり、すべて一般型1000番台に
改修され、一般型との続番となった。改修後はすべて小牛田に移動され、
気仙沼・石巻線用と快速「南三陸」用になった。3両作られたキロハ54だけ
は秋田に集められた。当初男鹿線や五能線の快速深浦で使うかと思われたが
クルージングトレイン「リゾートしらかみ」の種車としての転属で、
リゾートしらかみ青池U世に改造された。全車グリーン3両編成にグレードアップした。
初代青池編成はJTおばこUとなる。
122 :
名無し野電車区:2006/08/13(日) 18:21:14 ID:kvc5RoSn
111系3800番台
JR西日本で113系3800番台のモーターをMT46に換装した車両。
オールMでは出力が大きすぎるためMT46に換装してパワーダウンさせた。
101系や111系の廃車発生品を流用。
123 :
エセレブ:2006/08/13(日) 20:44:03 ID:pAaYghAr
JR東 キハ22形更新車
JR東所属になったキハ22形(200番台のみ)のうち製造年次が新しく車体の状態が良好な車を20両抽出し、1989〜90年に車体更新、機関換装、火災防止工事を行った。
機関は当初縦形の新潟DMF13S形を予定していたが、横型の新潟DMF13HZと小松DMF11HZをデチューンして搭載。のちゼクセル製の直結クーラーを取り付けた。
2002年に全廃されたが、新潟機関搭載車5両は津軽鉄道と茨城交通に譲渡された。
124 :
エセレブ:2006/08/13(日) 21:02:43 ID:pAaYghAr
JR東 キハ30・35・37・38・110・111・112形DPF取付車
2003年、ディーゼル自動車のNOx・PM法施行に伴い、矛先が鉄道車両にも来ることを予想したJR東は八高線と久留里線のディーゼル車に対策を施すこととし、2005年度末に対象全車にDPF取付を済ませた。
続いて烏山線用キハ40にも取り付ける予定。
125 :
名無し野電車区:2006/08/13(日) 23:49:05 ID:0LASjDdU
キハ185系2000番台
JR九州でキハ185系のエンジンをDMF13HZ(330PS)に換装した車両。
変速機も直結2段式に交換され、最高速度が120km/hに向上。
豊肥本線の高速化に合わせて投入。
国鉄(→JR北海道)キシ182
昭和56年10月のダイヤ改正で量産車が投入された北海道のキハ183系は
ハイグレードなアコモもあいまってきわめて好評だったが、やはり食堂車が
ないという一点はいかんともしようがなかった。そこで、翌57年7月のダイ
ヤ改正で電車化された“やくも”に使用されていたキサシ180を耐寒耐雪機能
の強化+動力車化を施すことでキハ183系への編入が行われた。
下回りは台車を含めてキハ183と同等のものに置き換えられた一方、動力車化
したことから水タンクが床上搭載とならざるを得ず、食堂定員が奇しくも先輩
格のキハ80系食堂車・キシ80と同じ32人となっている。
種車の両数がわずか7両と少なかったことと、食堂車の撤退傾向への道筋は変
えられなかったことから運用は函館〜網走間“おおとり”と函館〜釧路間“お
おぞら”各1往復、函館〜札幌間“北斗”2往復とかなり限定されたが、長距
離列車優先で投入されたことと、道産子料理が多く用意され、利用者からは大
いに喜ばれた。
JR化後はニューカラーとなり、運用列車も“おおぞら”“北斗”中心になっ
たが、平成6年の“スーパー北斗”デビューと同時に全車両が惜しまれつつも
引退・廃車した。
127 :
.:2006/08/14(月) 15:53:05 ID:cW4DKIuy
120系客車:
12/14/50系の老朽化及び、旧客の老朽化や安全性で、
SL列車牽引客車・夜行客車の体質改善の為に、20数年ぶりに製造された客車。
車体はアルミ製で軽量化。
・ナハ120/ナハフ120/オハフ120(DG搭載)/ナロ120/オロフ120(DG搭載)/オロフテ120(DG搭載・やまぐち号専用)→12/50系置換え
・ナハ121/オハフ121/オハフ121→14系置換え
128 :
エセレブ:2006/08/14(月) 15:59:35 ID:ohEoDI1Y
120
問題なし。
国鉄のキハ55系列はJRには引き継がれていない。
最後まで残ったのは高松のキハ552と水戸のキニ563で1987年2月の廃車。
いずれも実際に準急「日光」に使われた初期車(キニ563は一次量産形のキハ5514改造)が最後まで残ったのはネ申。
129 :
エセレブ:2006/08/14(月) 18:49:14 ID:ohEoDI1Y
JR東 キハ151形
1989年3月のダイヤ改正で就役した特急形気動車で、トイレ・洗面所付の0番台となしの1000番台で、要はキハ185形の寒地向け仕様車である。
車体はキハ185形に準じ、台車とトルコンはキハ183系Nタイプに準じ、機関は中間冷却機を付加した新潟DMF13HZ(330PS)とし、最高速度は120km/hで、性能はキハ85系やKTR2000系と拮抗する。
1988年末〜89年2月に0番台10両、1000番台7両が新潟鉄工で製造されて小牛田に配属。
北上線経由仙台〜秋田・大館間特急「きたかみ」に投入され、「たざわ」を補完するとともに仙秋インターシティとして高速バスと競合したが、秋田新幹線開業後は全車秋田に転属して「きたかみ」(基本2両に減車)や急行「よねしろ」に転用された。
また、「いなほ」「かもしか」の代走や増発、波動臨・団体臨にも使用。
1998年に3両が堀ごたつ式お座敷車に改造され、「おばこ」と命名された。
2005〜06年に「おばこ」も含めて更新工事を施工。客室・サニタリーのリニューアル、側窓・運転士席前面ガラスのUVカットガラス化(側窓はフィルム貼付・運転士窓はガラス取替)、クーラーの代替フロン化、DPFを取付等を行った。
なお、中越地震で上越線が不通になっていた2004年11月〜2005年1月の間、新潟に6両が貸し出されて磐越西線内臨時快速に使用されていた。
130 :
エセレブ:2006/08/14(月) 18:50:46 ID:ohEoDI1Y
JR東 キハ151形
1989年3月のダイヤ改正で就役した特急形気動車で、トイレ・洗面所付の0番台となしの1000番台で、要はキハ185形の寒地向け仕様車である。
車体はキハ185形に準じ、台車とトルコンはキハ183系Nタイプに準じ、機関は中間冷却機を付加した新潟DMF13HZ(330PS)とし、最高速度は120km/hで、性能はキハ85系やKTR2000系と拮抗する。
1988年末〜89年2月に0番台11両、1000番台7両が新潟鉄工で製造されて小牛田に配属。
北上線経由仙台〜秋田・大館間特急「きたかみ」に投入され、「たざわ」を補完するとともに仙秋インターシティとして高速バスと競合したが、秋田新幹線開業後は全車秋田に転属して「きたかみ」(基本2両に減車)や急行「よねしろ」に転用された。
また、「いなほ」「かもしか」の代走や増発、波動臨・団体臨にも使用。
1998年に3両が堀ごたつ式お座敷車に改造され、「おばこ」と命名された。
2005〜06年に「おばこ」も含めて更新工事を施工。客室・サニタリーのリニューアル、側窓・運転士席前面ガラスのUVカットガラス化(側窓はフィルム貼付・運転士窓はガラス取替)、クーラーの代替フロン化、DPFを取付等を行った。
なお、中越地震で上越線が不通になっていた2004年11月〜2005年1月の間、新潟に6両が貸し出されて磐越西線内臨時快速に使用されていた。
131 :
エセレブ:2006/08/14(月) 18:53:54 ID:ohEoDI1Y
↑
スマヌ。129は両数間違えたので鹿屠してたもれ。
132 :
エセレブ:2006/08/14(月) 22:13:13 ID:ohEoDI1Y
国鉄→JR東711系500番台
711系0番台の本州向け仕様。
東北地区で使うため耐寒耐雪装備を一部省略した代わりに回生ブレーキを採用。側窓を二段式にした。
上野方からクハ710+モハ711+クハ711。
1970〜72年に10編成が仙台に配置され、東北線福島〜一ノ関・利府、常磐線原ノ町以北で使用。
1987〜89年に特別保全工事と冷房化(AU712)、1993〜94年に延命工事を施工。同時に全車青森に転属。
現在は東北線八戸以北と奥羽線秋田以北、津軽線蟹田以南で運用中だが、本系列の代替としてE721系一般形の製造が2007年度以降予定されており、玉突きで淘汰されると思われる。
133 :
名無し野電車区:2006/08/14(月) 22:38:47 ID:ja84fmlC
E535系&E565系
水戸支社は今月、TXとのこれ以上の対抗は意味がないと発表した。
水戸支社が導入してきたTX対抗車のE531系の製造を中止し、E535系を導入すると水戸支社は発表した。
また特急列車E651系をE565系に置き換える事を発表した。
◆E535系◆JR車両図鑑より
E531系(試作車)を元に完全に実用化するために平成18年から製造される。
最高速度を120kmとし、加速度2.5 減速度を4.0kmとした。
4,5号車はグリーン車、1,2,14,15号車はボックスシートで長距離旅行者にも配慮している。
◆E565系◆水戸支社発表記事より
JR東日本で初めての150km運転が出来る特急列車。
4号車の人気のグリーン車は2+1の座席配置を改良し、2+2の座席となり定員がこれよりも増える。
またこの列車の指定席(グリーン車を含む)では試験的にSUICA特急券システムを採用している。
また、普通列車から快適な特急列車への置き換えをし、スピードアップにより特急列車の本数が増え乗車機会が遥かに全駅で増加する。
朝ラッシュ時は20分間隔
日中もその本数を維持し夕方ラッシュ時は15分間隔運転をする。
主な駅の特急列車停車増加率
日暮里 +50% 柏 +40% 土浦 +30%
そして特急列車を日中は00分スーパーひたち 20分フレッシュひたち 40分ひたち
とし、それぞれの目的にあった特急列車にご乗車頂けます。
停車駅は スーパーひたち 上野ー水戸ー勝田ー
フレッシュひたち 上野ー柏ー土浦ー石岡ー友部ー水戸ー勝田ー
ひたち(現特別快速) 上野ー日暮里ー松戸ー柏ー取手ー佐貫ー牛久ー土浦ー神立ー石岡ー友部ー赤塚ー水戸ー勝田ー
134 :
名無し野電車区:2006/08/14(月) 22:41:27 ID:ja84fmlC
予想ダイヤ
00分sひたち
05分 勝田
(10分 取手)
20分fひたち
25分 取手
35分 いわき
40分ひたち
45分 成田
50分 土浦
135 :
エセレブ:2006/08/15(火) 17:47:56 ID:ca1Q+nI7
国鉄→北海道以外のJR旅客各社キハ60形(U)
キハ40形の高出力バージョン。あるいはキハ183系の一般バージョンで、キハ55やキハ52の代替として計画された。
配属地域により0(北海道)・500(本州寒地)・1000(暖地)の各番台が予定されていた。
機関・足回りはキハ182形に準じており、機関はDML30HSB形(440HP)で、台車も全番台共通でシュリーレン形の二軸駆動形。
在来の一般〜急行形とも組成運転できるが、キハ60形のみであれば最高速度100km/hが可能。
1981〜82年に500番台30両、1000番台55両が製造されたが、国鉄の財政が末期的状況に陥り、以後の増備は中止された。
現在は北海道以外のJR旅客各社で全車健在。JR形の気動車に互して勾配線区で活躍中。
車体更新や機関・トルコンを換装したものも存在する。
136 :
名無し野電車区:2006/08/15(火) 17:52:56 ID:CdU+e44j
137 :
名無し野電車区:2006/08/15(火) 17:54:27 ID:CdU+e44j
×いらない
○付かない
138 :
名無し野電車区:2006/08/15(火) 22:10:01 ID:TKiN4r9E
423系6000番台
415系6000番台・415系6500番台
JR九州が最高速度が従来車より大幅向上した811・813・キハ200系の登場で、普通・快速がスピードアップした。
これら車輛の運行の障害にならない様に台車に増圧装置及び応荷重装置を取り付け、制輪子を交換、ブレーキてこ比の変更の実施するなどして高速域からの減速力を強化した車両である。
台車バネやモーターなどについては特に改造前と変化がない。
対象となったのはJR九州に所属するほぼすべての423・415系で、これにより最高速度が110km/hに上がった。
421系はその出力からこの改造の対象には1両もならなかった。
なお、423系のうち、AU1X・AU2X系冷房を搭載するものはAU75系に更新となった。
139 :
名無し野電車区:2006/08/15(火) 22:12:35 ID:TKiN4r9E
415系7500番台
>>138の423系6000番台・415系6000番台・415系6500番台と同様の改造を受け速度向上をしたもの。
すべての九州の415系1500番台すべてが対象になった。
この改造により、九州から415系1500番台が消滅した。
>>138に追加。
415系100番台→415系6100番台。
141 :
名無し野電車区:2006/08/16(水) 01:59:20 ID:qdClko3x
203系500番台
JR東日本が製造した203系。
制御装置がGTOチョッパに、側扉がステンレス製の大窓ドアに変更されている。
東西線乗り入れ用で、わずか2編成しか投入されなかった。
E231系800番台投入後も現役で活躍中である。
142 :
名無し野電車区:2006/08/16(水) 18:19:44 ID:BF5xHBgq
キハ200系3000番台・4000番台
キハ200系0番台・1000番台に足回りやアコモなど準じているがステンレスボディでありワンマン対応である。
ステンレスボディという事にもあらわれている通り、関門トンネルの塩害対策が細かい部分にもなされている。
また半自動扉対策もしている。
日田彦山線〜山陰本線直通および各線内運転が主であるが、間合いで山陽本線・鹿児島本線・日豊本線・後藤寺線の運用もある。
新製当初は竹下・直方・鹿児島の配置で竹下・直方は上記以外にもかつては筑豊本線・日豊本線と鹿児島本線の鹿児島口・肥薩線・吉都線・指宿枕崎線の運用もあったが現在では門司港と直方のみの配置となった。
東は新山口、北は益田、南は由布院まで行き関門地区の女王である。
143 :
エセレブ:2006/08/16(水) 20:35:43 ID:03n/hd5W
JR東日本 KenjiU(キハ84形101・102、キハ83形101)
盛岡局のJT「kenji」の老朽化代替として、2003年にJR北海道から「トマム・サホロエクスプレス」のうち両先頭車とキハ83101を譲受し、盛岡・郡山工場で改造した。
車体は1987年製のため更新修繕し、機関は旧Kenjiから移植したが、330PSのフルスペックに再調整された。
ブレーキ装置やトルコンはキハ40形の廃車発生品や整備用在庫品を改造して充当。最高速度は110km/hに向上したが、旧国鉄車とも組成運転は可能。
形式・番号はJR北時代と同じ。
144 :
名無し野電車区:2006/08/17(木) 09:16:29 ID:KkBDKOMW
キハ150系900番台
JR北海道が根室本線用に開発した「戦闘気動車」。
ロシア船からの機銃掃射に耐えられるようにボディが装甲で覆われている。
さらに屋根上に20ミリ機関砲を装備している。
1両のみ。
145 :
◆k/eHA2U6ak :2006/08/17(木) 09:49:28 ID:2aGs70TW
オハ51 42
札幌圏のラッシュ対策のために3ドア改造された
オハ51 41に続いて試験的に4ドアに改造されたオハ51。
4ドア車ながらもデッキを付けなくてはいけない為、
あまり幅の広いドアを付けられなかったことと、オールロングシートに
改造はしたものの、4ドアデッキ付きと言う構造上客室部分が
狭くなってしまい、かえって詰め込みが聞かず乗車時間が延びてしまうと
いう皮肉な結果を招いてしまった。
146 :
.:2006/08/17(木) 16:13:46 ID:oIW49D6y
>>127に追加
120系客車:
北:すずらん編成等
束:奥利根用一般車・磐越専用車・東北地区専用車
酉:やまぐち号専用車等
四:ムーンライト用ロザ等
九:あそ用等
私鉄には大井川鉄道・秩父鉄道・真岡鉄道・IGR/青い森にもOEM
・大井川鉄道(川根路)仕様車は旧客もどきのダミーのリブ
座席は不燃木・荷棚はグラスファイバー網で旧客を再現。
旧客はナショナルトラストに譲渡
・秩父鉄道(パレオ)・真岡鉄道(SL真岡号):通常のボックスシート
IGR/青い森:SL銀河鉄道999号/SL銀河鉄道の夜号運行の為、新規に投入。束からのリース・保守点検は盛岡車両センター。
147 :
名無し野電車区:2006/08/17(木) 20:07:14 ID:Nu3/MFFD
名古屋市交通局東山線N5000形。既存の5000形の置換え用に投入された。車体構造はは名古屋地区初お目見えの日立A-train。一方、同じく5000形置換え用に日車で製造されたのは、引き続き5050形を名乗るが、車体構造が日車ブロックとなっている。
148 :
エセレブ:2006/08/18(金) 21:06:50 ID:SnH/5VZU
99に連動
九州地区一般・近郊形気動車冷房化工事
1979年春、高鉄局が八高線に冷房付気動車を試験投入することを知った門鉄局もこれに刺激され、かつてキロ28で試用したバス用クーラーによる冷房化を再度計画。
同年6月、直方に配置されていたキハ47形2両に小倉工場で走行機関直結式クーラーを取り付けた。
クーラーは三菱重工製とヂーゼル機器製で、試験は1980年まで続けられ、1981年以降は大分、熊本、鹿児島管内のキハ23・45・40・47形に順次取付が決まったが、国鉄の財政が事実上破綻したため、取付は遅々として進まず、本格的な取付はJR発足後になった。
キハ40・47(140・147)形は全車冷房化されたが、キハ23・45形は少数に取り付けられたのみで、それらの車両も2003年度までに全廃された。
四鉄局でも1982年度からキハ40系列に取付を始めたが、本格的な冷房化はJR体制下でのことになった。
149 :
エセレブ:2006/08/18(金) 21:32:08 ID:SnH/5VZU
JR東 415系2000番台
2004〜06年、武蔵野線に転属しVVVF化された205系5000番台車から取り外された旧機器を活用して界磁添加励磁制御・回生制動式に改造され、同時に客室をE231系並にリニューアルしたもの。
対象は勝田の1500番台車全車で、同時に仙台地区での使用も考慮した耐寒耐雪化工事も施工。
但し空気ブレーキは電磁直通式のままで、201・203系と同じくSELR(HSC-R)式になった。
当面は勝田所属のままで403・415系鋼製車と共通運用されているが、E531系の増備が進行により水戸以北中心の運用になる予定。
150 :
名無し野電車区:2006/08/18(金) 23:09:41 ID:ae9R4Y7x
213系2000番台
JR四国が投入した213系。
0番台とほぼ同じだが、帯の色が異なる。
パンタグラフは後年S-PS58に取り替えられた。
かつては快速マリンライナーで運用されていたが、現在は予讃線で使われている。
3両編成では加速度が1.4km/h/sと低いためサハ213を6000系に供出して2連化された編成がある。
6000系のうちサハ213を組み込んだ編成は6000-サハ213-6100という編成を組み、2扉と3扉が混在する珍しい編成になっている。
151 :
名無し野電車区:2006/08/18(金) 23:11:52 ID:ae9R4Y7x
>>150 追記
急行「いよ」に使われたこともある。
152 :
名無し野電車区:2006/08/19(土) 00:30:50 ID:a1A7I6Fb
三木鉄道ミキ600形
20XX年、神戸市営地下鉄西神・山手線の西神中央〜三木間延伸に伴い、三木鉄道も社運を賭け起死回生を
図るべく電化・改軌の上神戸地下鉄・北神急行との相互乗り入れを実施する為に導入した車両。
しかしその実態はまさしく女尊男卑の集大成ともいうべきDQN車両である。
座席は一般車が詰め込み可能なようにドア間千鳥配置のロングシート(しかも折りたたみ式で乗務員の気分に
よっては全て収納)で、しかもステンレス製の滑りやすいものである。それに対して女性専用車は混雑率の低さから
座席はリクライニングシートで、空気清浄機や冷房装置(一般車は非冷房)、飲料水の自販機等が設置される等、徹底的な差別化を
図っている。編成は4+2両の6連で、三木鉄道直通電車は三木駅で谷上方2両を増解結する(三木線内は4両で運転)。
神戸地下鉄との相互直通運転開始に伴い、三木鉄道も女性専用車両の導入を正式決定している(設定時間は平日・休日を問わず終日実施、
設定車両は谷上方3両目{三木線内は三木・谷上方先頭車}及び厄神方先頭車)。
編成
ミキ600-10x−ミキ600-20x−ミキ600-30x−ミキ600-40x+ミキ600-50x−ミキ600-60x
(ミキ600-10x・ミキ600-40x:女性専用車、ミキ600-50x:簡易運転台設置{営業運転時は移動交番に転用})
口の悪い男性客や鉄道ファンは「女尊男卑のゴミクズタイプ」、「究極の腐れ電車」、「フェミ政策のてんこ盛り」、「E233系崩れ」、
「地球滅亡級の野郎冷遇電車」等と呼んでいる
更に神戸市や北神急行も三木鉄道との相互直通運転の為にミキ600形のOEM車両(神戸市6000系、北神急行8000系)も導入され、
在来車両では神戸市3000系に対し三木鉄道直通対応化改造が実施された(神戸市1000・2000系及び北神急行7000系はサークルKでの運用の後廃車)。
153 :
152の訂正:2006/08/19(土) 00:45:31 ID:a1A7I6Fb
編成
←厄神 谷上→
ミキ600-10x−ミキ600-20x−ミキ600-30x−ミキ600-40x+ミキ600-50x−ミキ600-60x
(ミキ600-10x・ミキ600-40x:女性専用車、ミキ600-50x:簡易運転台設置{営業運転時は移動交番に転用}、
ミキ600-40x:貫通型運転台設置。車号末尾のxには編成番号が入る{例:ミキ600-101〜401・501〜601})
154 :
名無し野電車区:2006/08/19(土) 12:22:27 ID:XBz4dTwp
DMH17HZA型エンジン。
非力で燃費も悪いDMH17Hを直噴ターボ仕様に改造したエンジン。最大出力は550ps。
JR九州で試験的に5基が改造された。ただしその後はDMF15HSAの直噴ターボ化改造に移行した。
155 :
.:2006/08/19(土) 16:54:17 ID:BQPAOeP4
秩父鉄道7000系:
小田急5200系を改造した物
秩父鉄道8000系:
東急8500系を改造した物
秩父鉄道9000系:
東武8000系800/850形を譲り受けた物
秩父鉄道10000系:
西武2000系を改造した物
秩父鉄道11000系:
束205系3連を譲り受けた物
156 :
エセレブ:2006/08/19(土) 21:18:03 ID:KQWYDhJe
台湾鉄道庁C59形1〜10→CT291〜297
省C59形の台湾向けとして1943〜44年に汽車で製造した。
内地向けC59形の一次形後期車同様、炭水車の台車枠は鋳鋼製を採用した。
また内地向けとは違い、台湾の住民に本国・大日本帝國の威信(実態は虚勢になりつつあったが)を示す必要があるため、代用材は殆ど使われなかった。
10両全てが出揃う直前の1944年5月、1〜3号機は神戸で船舶運営会の基隆行き貨物船「南平丸」に搭載され台湾に向かったが、同月末、石垣島沖でアメリカ潜水艦の雷撃により南平丸ごと轟沈。
残る7両は船が手配できずにメーカー工場に留置されていたが、鉄道省が借用し姫路機関区に配置した。(ナンバーは暫定でC59101〜107)
敗戦後もしばらく姫路にあって京都〜岡山間で使用されていたが、GHQから台湾への引き渡し命令が出たため、メーカーで整備の上1946年8〜9月に台湾に移送された。
台湾では台北〜高雄間で特急・急行列車牽引を中心に活躍。蒋介石総統の特別列車牽引も行った。
1960年代に日本製のDR2700系気動車等が投入されると真っ先に運用を奪われ、CT250・270(旧C55・57)形より早く引退に追い込まれた。
定期運用は日本の同形機同様1970年に終了。
その後も準戦時体制の元、予備機として在籍したが、蒋介石総統が他界した翌1976年に全廃。CT294号機が静態保存されている。
157 :
エセレブ:2006/08/19(土) 23:49:44 ID:KQWYDhJe
キハ58形・キロ28形900番台、キハ28形2900番台
1968年に東急車輌で製造されたキハ58系のオールステンレス車体試作車
キハ58は4両(901〜904)、キハ28は2901・2902、キロ28も901・902の各2両が製造。
キハは前面形状に近郊形同様のスカート+スノープロゥ付パノラミックウィンドウを初めて採用し、電車急行と比べても野暮ったさが薄められた。
車体はステンレス車体の冷たさを補うため、側窓したに気動車急行色のカラーテープを貼り付けた。
また、キハはAU13形ユニットクーラーを標準搭載しており、キハ28形にはVK4形発電機を初めて搭載し、自車を含めて3両の冷房電源をまかなえるようにした。
キロの冷房電源は当初自車のみだったが、1972年の全検時に4VK形に換装し、2901・2902に改番した。(最終的にはキハ285901・5902)
千葉に仮配置して試運転した後、4月に竹下に配置。九州内急行で使用開始した。
直方や熊本、鹿児島等に転属する車が出たが、キハ282902とキハ58903以外は九州を離れることはなくJR九州籍になり、旧キロが保留車になった以外は全車直方所属で健在。
キハ282902とキハ58903は1982年に新潟に転属。長野工場で耐寒工事を施工。
1991年に火災防止&更新工事を受け、カミンズDMF14HZ機関に換装されて、現在も磐越西線・米坂線や臨時列車に活躍中。
158 :
名無し野電車区:2006/08/20(日) 10:38:15 ID:V/lJQP1C
815系1000番台
JR九州が製造した815系の改良版。
車体がジュラルミンに変更され、強度が向上。
「平成のジュラ電」と呼ばれているが、従来の815系のように塗装されているため腐食しない。
福知山線脱線事故で軽量車体の脆弱性が明るみに出たため、強度を高めた車両を開発することにした。
159 :
エセレブ:2006/08/20(日) 15:29:08 ID:K3JXUPY/
キハ65形550番台
キハ65形の寒地向け500番台のマイナーチェンジ版で耐寒耐雪対策を強化した。
1970・71年に16両製造されて新潟、秋田、山形に配置。
「おが」「出羽」「ざおう」「いいで」等上野発着の東北線経由気動車急行に優先的に連結されて冷房化率向上と編成出力維持に貢献した。
東北新幹線開業でこれらの列車が廃止されると、一部は盛岡や小牛田に転属して東北地方内急行〜ローカルで運用。
全車JR東籍になり、1991〜93年に車体更新。
現在は新津、山形、秋田、盛岡で全車健在。
160 :
名無し野電車区:2006/08/20(日) 15:55:06 ID:WzDwqRlI
M550系
日本海縦貫線や津軽海峡線の貨物列車の高速化のため、
M250系スーパーレールカーゴの交直流版として製造された。
耐寒耐雪機構を持ち、北海道への入線も可能。
2006年に16連3編成が製造され、標準最高速度は120km/h、青函トンネルでは140km/hの高速性能を発揮。
M250系と違い、昼間に運行される。
161 :
エセレブ:2006/08/20(日) 16:52:09 ID:K3JXUPY/
タイ国鉄譲渡気動車群
1967年以降、廃車になった戦後製キハ07形を譲渡してから、国鉄は廃車した気動車の(特急形除く)一部をタイ国鉄に譲渡するようになった。
旧キハ10系は1974〜78年に譲渡され、1990年まで使用。
旧キハ55系は1980〜84年に譲渡され、1998年まで使用。
旧キハ20系(北海道形除くは)1981〜86年譲渡で、2002年まで使用。
急行形・通勤形・近郊形は1985年からで、JR発足後も国鉄清算事業団からも含めて何度か譲渡され、こちらは現在も使用中。
162 :
エセレブ:2006/08/20(日) 17:16:03 ID:K3JXUPY/
台湾鐵路局窄軌柴油車DR1000形
1966-68年、当時ナローの東部線光華號特快用として日本車輌で製造。
機関はDMF13S形(キハ04系列に使われた機関のターボチャージド版)で、最高速度は75km/hだが、在来のDR2100形より加速が良くなった。
東部線が改軌された後はトレーラ化され、ローカル運用に従事。2003年に引退した。
ナロー時代の光華號特快は、軽便規格では世界最速列車として知られていた。
163 :
名無し野電車区:2006/08/21(月) 00:24:01 ID:2NtoBZuL
101系920番台
国鉄が製造した101系の試作冷房車(試作冷改車ではない)。
103系試作冷房車のようにAU73X、AU74X、AU75X形集中型クーラーを搭載している。
6M4Tの10両貫通編成で、MGは1編成当たり2台搭載。
冷房搭載による重量増に対応して主電動機はMT54に変更(当初MT46で8M2Tにすることも検討されたが消費電力が大きくなりすぎるため断念)
クーラーは後年AU75に交換された。
164 :
エセレブ:2006/08/21(月) 10:40:13 ID:IYMF6Kyk
101系1100番台
101系1000番台を界磁添加励磁制御化し、試作中のAU712クーラーを追加搭載したもので、1983〜84年に6両2本が改造された。
試運転の後武蔵野線と青梅線で営業運転を兼ねた長期試験を実施。
また駅間距離の短い南武線にも貸し出されてデータを収集。205・211系の開発に貢献した。
武蔵野線101系引退により1986年9月に中原に転属、1992年3月に廃車された。
165 :
エセレブ:2006/08/21(月) 11:03:45 ID:IYMF6Kyk
オハネフ13形100番台
1975年、品川のオハネフ13形3両に気動車連結対策工事を施した。
気動車用ジャンパ栓と引き通し配線、ヴェバスト燃焼ヒーター取付、客用側扉の電気錠化等だが、塗装は変わらなかった。
施工後尾久に転属し、DC夜行急行「出羽」の上野−新庄間にて運用したが、季節急行「ざおう」運転日以外は福島・米沢間でED78と協調運転を余儀なくされた。
1982年11月改正で引退。1984年に全廃された。
166 :
名無し野電車区:2006/08/21(月) 17:37:47 ID:yQnG8mJE
E4系P101編成〜
JR東日本が開発したE4系の八戸乗り入れ対応仕様。
足回りは従来のE4系と同様だが、制御プログラムの変更して定出力域(直流モーターの弱め界磁に相当)を追加することにより275km/h運転が可能である。
「Maxはやて」で運用されるが、車体断面積の関係で騒音が非常に大きいのが欠点。
167 :
名無し野電車区:2006/08/21(月) 19:38:26 ID:aSsIAih2
営団地下鉄(現・東京メトロ)06系・07系。
1988年〜東西線に投入された05系1次車と同一仕様で
7128F、7129F、7130F、7131F、7132Fの替わりに製造された07系1次車。
1989年〜東西線に投入された05系2次車と同一仕様で
6135F、7133F、7134Fの替わりに製造された06系1次車と07系2次車。
以降も増備が続き、現行の06系と07系は陽の目を見ることは無かった。
168 :
名無し野電車区:2006/08/21(月) 20:45:21 ID:fJto/Ble
>>166 現状でもE4の八戸乗り入れ対応編成無かった?
最高速こそ240km/hだが。
169 :
名無し野電車区:2006/08/21(月) 22:48:50 ID:mwOtT5zd
キロ28形1000・3000番台
国鉄でキロ28を先頭車化改造した車両。
片側にキハ58と同一の運転台(パノラミックウィンドウ)を取り付けた。
3000番台は冷房用発電エンジン付き。
170 :
エセレブ:2006/08/22(火) 15:59:10 ID:P9vXX4Ss
オハネフ12形200番台(201〜205)
1972年、四国の気動車列車用に余剰が出始めていた同形を多度津工場で改造したもの。
改造は制御・放送回路引き通し、密着自動連結器への取替、燃焼ヒーター取付、貫通幌の改造、客用側扉の電気錠化等だが、当初は4VK機関搭載のキハ28・65から給電する案もあった。
高松に配置され、1972年5月より高松〜宇和島・窪川間夜行普通列車に連結された。
1984年2月のダイヤ改正で引退し、3月に廃車された。
171 :
名無し野電車区:2006/08/23(水) 11:57:23 ID:p4NInuL5
50系52型
3扉デッキなしの仕様で当初から冷房付き。
特筆すべきは50系52型対応機関車と併結時、緩急車の制御室から制御できるため場合によっては気回しなしで運転できる。
オハフ52
オハ52
スハフ52
で構成される。
基本番台はセミクロス車、500番台転換クロス車となっている。
50系からの改造車はそれぞれ1000番台と1500番台である。
スハフ52は6両まで給電できる。
また重連対応機関車の場合、たとえプッシュプル客車をはさみながらも重連統括運転できるため後ろは無人で制御できる。
対応機関車は原番号+2000となっている。
該当車はED62、EF61〜62、EF64〜65、ED72〜78、EF70〜71、EF81、DD16、DD51、DE10などである。
北海道以外の各地で現在も走っている。
172 :
名無し野電車区:2006/08/23(水) 14:33:42 ID:tS1liFqZ
103系5500番台
JR九州で103系1500番台のブレーキを電気指令式に改造した車両。
従来の電磁直通ブレーキではATOに対応できないため、ATOの設置と同時にブレーキを交換。
ブレーキハンドルは従来と同じ抜き取り式である。
加速が悪いため限定運用が組まれている。
173 :
名無し野電車区:2006/08/23(水) 14:48:46 ID:tS1liFqZ
阪急5210形
5100系の番号がC#5149に達してしまい、番号が不足したため5200番台に飛ばされた。
5200系が存在するため5210から番号が付けられたが、5200系との関連性は全く無い。
174 :
.:2006/08/23(水) 16:06:24 ID:yis4c6OP
>>152-153 女尊男卑が通勤客の多くの利用客を奪い、路線バスは満員に、また、抗議乗車多発で治安が悪化。
三木鉄道・北神急行破綻・神戸市交通局もその為、地下鉄の売却構想がある。
その後、大阪電鉄(大阪西宮電気鉄道※阪神・阪急が合併した鉄道会社)・神戸高速鉄道・山陽電鉄・近鉄で
新会社を設立(背後にはオリックスの影響も…)・三神地下鉄道が発足
車両は誰にでも優しく、コストパフォーマンスに優れ、メンテナンスフリーをコンセプト
川崎重工製A-TrainOEM・全車セミクロスの車両・3000系を開発。
←厄3100-3200-3300-3400+4100-4200谷→
三木鉄道直通では4000形を切り離し
また、旧三木・神戸市・北神の車両は一般車がタイやインドネシア譲渡・雌車は一般化して地方私鉄売却。
175 :
.:2006/08/23(水) 16:17:24 ID:yis4c6OP
>>152-153>>174 修正:
三木鉄道自体がバス転換されているのを忘れていた。
で、編成は3100-3200-3300-3400-3500-3600の貫通編成
三木バスはDMV(コヒで実用化)の神戸メトロへの(神戸地下鉄)直通計画がある。
176 :
エセレブ:2006/08/23(水) 19:31:07 ID:zRJ1pVFF
大井川鉄道 18000系
1982年、近鉄で廃車された釣掛狭幅特急車18000系の車体・補助機器と小田急2220・2300・2320形の台車・走行機器を組み合わせた急行専用車で、大鉄籍車では初の冷房車。
2両2本で車番は近鉄時代を踏襲。
311・351系に変わって急行運用に入り、翌年入線した旧小田急3000形より使いやすかったため20年以上にわたって使用。
2006年現在定期運用はなく、週に1・2回運用されるのみである。
177 :
名無し野電車区:2006/08/23(水) 20:08:27 ID:tS1liFqZ
能勢電鉄1900系
能勢電鉄が投入した元阪急5100系。
方向幕取り付け改造車が種車で、2両編成と4両編成がある。
2両編成はオールMのため加速が爆発的。
178 :
名無し野電車区:2006/08/24(木) 00:04:53 ID:l2qsmlxx
国鉄モハ62・クハ66形。
身延線の車両のアコモ改善を図るべく72系電車を改造。車体は115系に準じ、モハ72970・クハ79600同様台枠も新製した完全な新品となっている。昭和59年に新性能化がなされ、後述する115系5000番台に改番された。
179 :
115-5000(1/3):2006/08/24(木) 00:07:09 ID:0vNKh1KC
115系5000番台。
先のモハ62・クハ66を新性能化改造(ただし、走行機器は111、165系等から流用)した。身延線の輸送力の適正化を図るべく3両編成化(クモハ115-5000・モハ114-5000・クハ115-5000)された。
180 :
名無し野電車区:2006/08/24(木) 00:08:04 ID:KsRac6yA
815系900番台
JR九州が開発した815系のアルミハニカム車体試験車。
従来の815系はアルミダブルスキン車体であるが、新幹線500系に採用されているアルミハニカムパネルを使用することにより強度の向上を図った。
181 :
115-5000(2/3):2006/08/24(木) 00:13:20 ID:0vNKh1KC
その際余剰となったモハ62はサハ115-5000となり、なぜか広島に飛ばされた。JR化後に冷房化もなされたが、東海車はC-AU711に、西日本車はWAU102に改造された。身延線用は313-3100が投入される2006年をもって引退予定。
182 :
115-5000(3/3):2006/08/24(木) 00:17:47 ID:0vNKh1KC
一方広島に飛ばされた車両は、リニューアルを受けて、あと最低20年は活躍するとのこと。
言い忘れたが、東海・西日本車共一部の115系に+5000改番がなされることになり、8000番台に再改番がなされている。
183 :
注記:2006/08/24(木) 00:25:13 ID:0vNKh1KC
>>178 現実のモハ62・クハ66は、台枠は元のモハ72・クハ79から流用したため、裾部分が垂直となり、台枠より上を拡幅したため、独特の断面となっている。
184 :
小湊鐡道キハ220(1/2):2006/08/24(木) 12:16:52 ID:0vNKh1KC
小湊鐡道キハ220形。
既存のキハ200形置換えとワンマン化のため、これまでの小湊鐡道や京成グループ(関鉄除く)の慣例上日本車輌で製造された。が、この車両、コストダウンのため同じく日車で製造されたJR九州の「あの」キハ220をベースとしている。
185 :
小湊鐡道キハ220(2/2):2006/08/24(木) 12:19:10 ID:0vNKh1KC
そのため、一般利用者の評判は比較的いい(オールロング→部分転クロになったため)ものの、2ちゃんねらーに叩かれる羽目になった。
186 :
エセレブ:2006/08/24(木) 23:04:59 ID:cQ0aW2kc
国鉄→JR海・西163系直流急行形電車(強力東海形)
山陽線電化に伴い153系電車の出力増強形として1962年末から1966年にかけて製造された系列。
独自の型式はサロ163形とモハ162・163ユニットのみで、クハ・サハは153系の連番(サハシは新製せず)になり、互いの組成運転もできるが、出力が違うため163系側は限流値を落とさなければならず、モハユニット同士の混結例は少ない。
同時開発の165系とはトレーラはもとよりモハユニット単位であれば電動車の組成も可能だが、抑速制動は使えない。
新製配置は宮原・下関で、第一陣は東京急行「なにわ」「六甲」「いこま」の153系車両を置き換えた。
その後も増備が続いたが、163系に適した線区(東海道・山陽線筋)は電化があらかた完了してしまい、残る直流電化予定線区の多くは勾配、積雪線区で165系の投入対象になっていたため、1966年3月限りで増備は打ち切られた。
ちなみに修学旅行用車167系は、議論の末使用範囲が広い165系グループとして登場することになっている。
サロは1965年以降は冷房付で新製され、在来車も1966年までに取付完了。ハザは1967〜70年に全車取付。
山陽新幹線の延伸に伴い153系共々追い詰められ、1972〜75年に一部が大垣、幕張、田町に転属した他、モハ、サハの中には165系に改造されたものもある。
その後、田町・幕張車は1983年までに全廃された153系の補充で大垣、下関に異動。
JR発足の時点では静岡・宮原・下関に所属し、急行運用は静岡車で大垣夜行運用もあった。
静岡車は1996年に373系に代替され、1998年に165系共々JR東海から消滅。
JR西日本車も下関車は1997年に引退。宮原車は波動用として残っていた6両1本が165・167系共々2002年に全廃された。
187 :
名無し野電車区:2006/08/24(木) 23:11:59 ID:CABLJLXf
>>186 架空に突っ込むのも悪いが、山陽本線はセノハチもあるので東海道本線からの転用でなく新製投入だったら抑速付を投入するのでは?
188 :
名無し野電車区:2006/08/25(金) 00:26:20 ID:2wfemCg4
小田急電鉄新5000系列(5300・5800系)
小田急電鉄が5000・5200系の置き換え及び日中・土休日における急行や快速急行、箱根登山鉄道直通電車の
サービス改善の為に導入した車両。車体・主要機器はJR東日本のE531系がベースだが、交流機器を
省略しているところやMT比の違いが相違点である。どちらも6+4両編成で、MT比は1:1(3M3T+2M2T)、最高速度:130km/h、
車内表示機はLCDモニター(3000系と同タイプだが、2面化準備工事が行われている)
5300系
4ドアロングシートの通勤仕様車で、2000系以来の広幅車体として輸送力を増強。既存の1000・3000・8000系等との
併結に対応するためブレーキ読み替え装置を搭載している(併結運用時は性能を相手の編成に合わせる)。
座席はE531系ロングをベースとしながらも座り心地を改善し、吊り革もE531系と同じタイプとしている。
5800系
日中時間帯や土休日、観光シーズンにおける急行や快速急行のサービス改善の為に導入した3ドア転換クロスシートの
中電仕様車で、6連の両先頭車及び4連の新宿方先頭車にバリアフリー対応トイレ及びサーフボードも置ける荷物置き場を設置。
他形式とは全くの別運用のためブレーキ読み替え装置は搭載せず、またラッシュ時は運用から外れるため雌車表示も省略している。
どちらも箱根登山鉄道への乗り入れに対応しており、プロ市民対策としてモーター等には消音機を取り付けている
189 :
名無し野電車区:2006/08/25(金) 12:05:30 ID:nY2Mr7Sq
583系JR九州仕様
JR九州に承継された583系。
特急「有明」「にちりん」の他、急行「日南」「かいもん」などにも運用された。
787系の増備により平成7年に廃車された。
190 :
エセレブ:2006/08/25(金) 12:32:16 ID:Xb1qA/Zz
187
それも考えたけんど、山陽の急勾配は片勾配のセノハチくらいしか考えられず、抑速なしの電車も行き交っていたのを考えると、わざわざ165や115を持っていくのはどーかな?と思たので。
165や115が東海道・山陽走る姿に違和感覚えたのは儂だけかな?
191 :
エセレブ:2006/08/25(金) 20:26:59 ID:Xb1qA/Zz
国鉄マシ40形鋼製食堂車(1〜3)
1954年1〜2月に特急「かもめ」用として近畿車輌で3両製造された。
マシ35の改良形という位置付けで、前年から製造している近鉄2250・6421系の影響も受けている。
車体は全鋼製を踏襲したが、ウィンドヘッダーに続きシルも内装化したため完全ノーシル・ノーヘッダーの車体になったとともに、物質搬入口を初めて調理室と側通路に設けた。
前位車端は手洗器付喫煙所と専務車掌室。
食堂はマシ35に準じたが、壁は鋼板にクリーム色のビニールクロスを貼った。
照明は天井灯が蛍光灯で、初めて間接照明を採用。テーブルスポットには片持白熱灯を使用した。
調理室はマシ35よりステンレス鋼板の使用を増やしている。
側通路の物資搬入口近くには手洗器を配置。
台車はTR46A、空調装置はマシ29103〜105からコンバートした川重KM7形だが、バッテリ駆動対応に改造した。
>>189 平成3年頃からリニューアルされ、内外装ともドーンデザインとなった。
車体は藍色一色となり、黄色で「MULTI EXPRESS SERIES 583」のロゴが入った。
同時に先頭部は貫通路が塞がれ、表情が少し変わった。
なお、九州入線時に交直切り替えスイッチ等が撤去された。
193 :
エセレブ:2006/08/25(金) 20:59:27 ID:Xb1qA/Zz
191続き
落成したマシ40は九州側関係者の危惧どおり、「案の定」品川に配置されて主として「つばめ」運用に入ることになり、竹下にはマシ351〜3が転属して「かもめ」運用についた。
東海道全線電化により「つばめ」「はと」をオシ17形に譲り、新夜行特急「あさかぜ」に転じたものの、程なくオシ17に追われて臨時特急「さくら」用になった。
1958年10月にさくら編成ごと尾久に移り、東北特急「はつかり」運用についたが、これも1年でオシ17と交替。青森に転属して急行「みちのく」のスシ28形を代替した。
この間、1959年に空調装置をダイハツ3PKディーゼル機関+三菱電機CAE81形に換装している。
1961年5〜6月に盛岡工場で近代化工事を受けて食堂側窓を熱線吸収式複層固定ガラスにし、内装のビニールクロスを貼り替えた。
また電気暖房装置を取り付け、車番を2001〜2003に改めた。
その後は常磐〜東北線急行「みちのく」「十和田」「北斗」「北上」等に使用。1970年10月に休車となり、1971年3月に全廃された。
但し2001は大宮工場で保管され、一般公開時にしばしば展示されていたが、2007年開館の鉄道博物館で改めて展示されるため、大宮車両センターで復元工事中。
194 :
ミウナ:2006/08/25(金) 21:25:31 ID:hf945OzW
オハ52・オハフ52・オハ53・オハフ53
50系・51系客車の改良型である。12系とあわせた構造で
冷房も取り付けられた。冷房装置は53系はAU13E5基を
52系は集中式のAU71系を搭載する。オハフ52・53には
電源用ディーゼルエンジンのある0番台とない100番台がある。
塗装は北海道仕様である53系は赤塗装だが東北と山陰・筑豊に
投入された52系は43系統と同じ青塗装。52系は東北線の盛岡以北
および山陰・筑豊線・久大線などの客車列車用として、また北海道仕様の
53系は函館線を中心に使用され、夜行急行まりも・利尻の座席車用と
しても重用された。山陰線では超長距離普通列車824レでも使われ、
旧型客車を一掃している。しかし東北線は701系の投入・北海道は
気動車化や721系・731系の導入・山陰ではキハ120系などの
投入・九州では筑豊・篠栗線の一部電化化やキハ200導入もあり、
一部気動車に改造されたのを除き北海道で残存車両は一部海峡線でも
使われたがそれ以外は廃車となった。山陰線で出雲・米子に残存した車両は
当初SLやまぐち号用として使う予定もあったが12系があることや
改造費が莫大になる理由で見送られている。やまぐち号用展望車としても
改造する計画もあった。
195 :
エセレブ:2006/08/26(土) 00:35:53 ID:TVNCJORI
99の続編
高崎のキハ28・58
1986年9月、EF551の復活に沸く高崎に新津と金沢からキハ28・58形冷房平窓車(1966・67年製)各2両が転属してきた。
11年にわたって八高線ローカルや臨時列車に活躍してきたキハ26・55の引退代替としてで、秩父鉄道用ATSも移植した。
10月より八高線での運用を始め、12月には早くも秩父鉄道乗り入れを果たしている。
1991年に郡山工場で火災防止工事と更新工事を施工。機関はカミンズDMF14HZに変わった。
車体塗装も旧国鉄色から新前橋の165系類似のモントレー色に変わった。
この間の運転範囲は長岡、茅ヶ崎、阿字ヶ浦、横川、甲府、三峰口に及んでいる。
2003年、一部の165系とともに旧国鉄急行色に再塗装された。
2004〜05年は中越地震後の交通確保のため新津に派遣されて磐越西線で運行された。
2006年現在も健在だが、2007年度中の引退が噂されている。
196 :
鉄道タイムズ:2006/08/26(土) 01:53:40 ID:Kqf/4TTK
TX開業一周年記念 &
>>38-40に続く廃線存続ネタ
◎筑波鉄道気動車
○形式 キハ100型 ○製造年 1983
○運行路線 筑波線・研究学園都市線(土浦〜新土浦〜虫掛〜竹園〜つくばセンター)
○構造 直接噴射式ディーゼルエンジン(210PS/1600rpm) 空気バネ台車 車長20m 片側二扉 両運転台 セミクロスシート バス用冷暖房流用 ワンマン運転対応
○概説
筑波研究学園都市整備構想にて職住近接を目指していたので当初から鉄軌道の計画は無かった。職住近接を目指した研究学園都市自体は最寄り駅である国鉄常磐線の
荒川駅と土浦駅からはバスでも数十分台と遠く離れていたにも拘らず、大学や研究機関が研究学園都市に移転すれに連れ、構想に反してそれら職場の近隣に定住せずに
電車・バスで長距離通勤する―若しくは単身赴任する―人達が増えてきた。それは同時に鉄軌道整備の気運が醸成されつつあった。
検討の結果、費用対効果の観点から、土浦・筑波・岩瀬間を走る関東鉄道筑波線の虫掛駅から分岐して筑波研究学園都市のつくばセンターへ至る支線の建設決定。
支線は単線非電化で地平・高架、駅は四両停車。着工中、筑波線は経営改善の為に分社化されて筑波鉄道に。
1983年に筑波鉄道研究学園都市線として開業。キハ100型を導入。
キハ100型は、同時期に製造された国鉄初の直噴式ディーゼルエンジン搭載のキハ37型で目指す方向性が同一で、類似。
両形式とも、後の、電車に劣らない高性能気動車の先駆者である。
1987年3月、国鉄分割民営化と同時期に虫掛・筑波・岩瀬間は廃止された。残った土浦・つくばセンター間でキハ100型は今も活躍している。
但し、TX開業の影響で筑波鉄道経由常磐線上野口の利用客が減少して存亡の危機が囁かれる。
○参考サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E9%89%84%E9%81%93 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%82%AD%E3%83%8F37%E5%BD%A2%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A
京阪5000系5500形
バブル期、沿線の客数増加に伴う5000系8連化のため7両製造された付随車。
当初5501、5502は4+3編成の3両編成側に連結され、枚方市駅での連解運用(本線〜交野線)に用いられた。
現在は5501〜5507の全車が更新工事を受け、朝ラッシュ時を中心に運用されている。
また、朝のK特急にも使用され、5ドアの威力を遺憾なく発揮している。
198 :
名無し野電車区:2006/08/26(土) 07:51:39 ID:5UfMCsdi
721系8000番台
JR北海道が札沼線電化用に投入した車両。
2両編成である。
形式は「721系」を名乗っているが、実はJR東日本のE721系のコピー電車である。
床面高さが低くなったため乗り降りが楽になった。
従来の721系や731系、キハ201系との併結も可能である。
199 :
エセレブ:2006/08/26(土) 20:43:18 ID:TVNCJORI
JR東12系客車(延命工事施工)
1998-2000年に大宮・郡山工場で蒸機列車用に充当される12系客車に対し車体更新工事を施工したもの。
「ばんえつ物語」編成の座席車が改装時に併施し、高崎所の1編成が2000年に実施。
主要な施工内容は、塗装総剥離と再塗装、傷んだ外板と屋根板の張替、内装の一新(壁に難燃性木材を採用)、電気配線の総引替、ディーゼル発電装置の更新(コマツDMF11HZ-G+DM100A(ブラシレス形270KVA))
、ユニットクーラー取替(E-AU113)、乗務員室への冷気導入、暖房装置取替(遠赤外線ヒーター)、
軸受けの密封化、トイレ・洗面所のリニューアル(真空水洗・汚物燃焼処理化。但し一部車両は撤去)、ベンチレータ撤去等。
マニアの評価は「やまぐち編成の魔改造よりはなんぼかマシ」だとか。
200 :
ミユナ:2006/08/26(土) 21:49:43 ID:FRXCUzAc
>>199に加わる仲間たち
オハ14-2201
>>199の12系更新延命工事と同時に中間に「ばんえつ物語号」と同型の
展望車両を追加する事になった。改造種車がオハネ14のため、
便宜上14系となっている。引き通しを12系に合わせた他、冷房装置の取り替えと
「ばんえつ物語号」の展望車と同様の窓割にしている。なお座席はない。
当初最後尾に展望車を計画されたが、秋田から搬入して改造を
予定されたノスタルビューの展望車は50系であることや、冷房取付などに
改造費用が膨大になるためにまた他の12系や14系座席車も頭数がなく、
寝台車からでは最後尾展望車両に改造するのは困難なため、
真ん中に組み込む展望車で落ち着いた。
配置は高崎でSL奥利根号用だが他線で出張運転する場合は重量のからみで
補助機関車が連結されないと展望車の連結が出来ない場合がある。
奥利根号では補助機関車の連結はないが、磐越西線や釜石線の出張では
展望車を連結した場合最後尾に補助機関車連結が必要になった。
で200ゲット
201 :
エセレブ:2006/08/27(日) 00:09:08 ID:IdAPnynl
酷鉄→JR束・廻167系100番台
1977・78年、元修学旅行電155系の後期車(1963-65製造)の走行用機器を、廃車された181系0番台のそれに取り替え、同時に冷房化と塗装変更(修学旅行→湘南)、クハの前面強化、ヘッドライトのシールドビーム化を施したもの。
改造は大宮・大船・高砂工場で実施。
クハの前面塗り分けは165系に準じたため、独特の雰囲気になった。
全車JR東(田町)・東海(大垣)に引き継がれ、田町車は更新工事も受けた。(但しボックスシートのまま)
通常の臨時運用や修学旅行集約臨、大垣夜行の増結、救済臨運用に活躍したが、大垣車は1993年夏の救済臨を最後に全廃。
田町車はもう少し長生きしたが、2001年に4両2本が修学旅行カラーに戻された。
残る2本は2002年5月に創通との半年契約で1本ずつトリコロールカラーと赤にラッピングされたが、事前告知がなかったため、新「ガンダム」制作の噂が立った。
これは事実で、夏に「ガンダムSEED」の制作が発表されると、トリコロール編成の側面には「ストライクガンダム+キラ・ヤマト」と「(初代)ガンダム+アムロ・レイ」が、
赤編成には「イージスガンダム+アスラン・ザラ」と「ザクU+シャア・アズナブル(ジオン軍服+仮面)」のラッピングが加わった。
創通の経営幹部に全盛期の155系に乗車した者がいたことから、このような「悪夢」企画が持ち上がったと言われる。
言わばガンダム編成はこの年で廃車され、残るオリジナルカラー編成も2003年の春休みにJR東西の共同企画「さよならひので号・きぼう号」として東京〜京都間を運転したのを最後に引退した。
202 :
エセレブ:2006/08/27(日) 00:15:41 ID:IdAPnynl
201続き
クハ1両は解体されず、鎌倉車両センターに保管されていたが、原型に復元して鉄道博物館で展示する予定。
203 :
エセレブ:2006/08/27(日) 00:50:33 ID:IdAPnynl
国鉄→JR東181系残存編成
181系電車のうち「あさま」用の100番台最終グループは1969年製造で481・483系やキハ80系よりも新しく、さほど傷みもなかった。
このため、1982年に在来線「とき」が廃止された後、一時休車されたものの、1983年春、ハザ7両(4M3T)に組み直されて田町電車区に転属。団臨中心の運用についたが、シーズンには臨時「踊り子」「そよかぜ」「白根(草津)」「アルプス」等の運用にもついた。
この間、1986年に特別保全工事を施工され、1994年には再度修繕された。
2001年に引退発表。2002年秋の全検切れまでにJR東・海・西の様々な記念列車に起用され、2002年10月、「想い出のとき」がラストランになった。
クハ181-109が鉄道博物館で復元展示予定。クハ180-5は碓氷鉄道文化むらで保存。(車内非公開)
204 :
ミウナ:2006/08/27(日) 09:34:32 ID:/0aWIVqN
>>201の姉妹車として
酷鉄→JR廻167系200番台
同時期に同じく元修学旅行用電159系に
>>201と同じく走行用機器に取り替え
湘南色に変更・冷房の搭載(クハ159・モハ159・サハ159→AU13EN5基
モハ158→AU71 1基)・前面の補強とシールドビーム化を施したもの。
最初に配備された12両とその後に配備された4両ともども改造された。
サハ159を抜かれた6両編成1本と4両編成1本が東海(大垣)に引き継がれた。
>>201よりも原形車両が古かったにもかかわらず、通常の臨時運用や修学旅行集約臨、
大垣夜行の増結、救済臨運用に活躍した。引退する1995年には修学旅行塗装に戻され、
最終運用「思い出のこまどり」を大垣救済臨のすじを使っての運転を最後に引退した。
205 :
エセレブ:2006/08/27(日) 15:47:56 ID:IdAPnynl
JR旅客各社所有キハ80系動態保存編成
1987年JR旅客各社の共通プロジェクトとして、全国を巡回して名車を運転する企画が持ち上がり、居住性と運転実績地域の広さ、機動性でキハ80系に決定。食堂車を含む基本6両を組むことになった。
車両はJR北と海から抽出して車体更新工事を実施。
キロは1+2人掛けシートに改め、キハはシートピッチを940_に拡大した。
エンジンは新潟DMF13HZを250PSにデチューンしたものに換装し、トルコンも新品のDB115に取り替えた。
因みに食堂車は異端・最終車のキシ8037で、テーブルは4+2人掛けの定員24名。
厨房も器具を含めて全て一新し、従業員便所は洋式便器に変更。
営業は、原則として東日本地域運転時をNRE、西日本地域運転時はFSNが行うことにしているが、実態はカフェラウンジ的な存在。
所有は各社で1両ずつ。全体の車籍はJR北とした。
1995年の阪神・淡路大震災の際には、キシの代わりにJR東海車を1両増結して他の応援車とともに臨時迂回列車に活躍した。
206 :
名無し野電車区:2006/08/27(日) 17:38:25 ID:tTPCDRBF
>>112 キハ39形1000番台
キハ39形のトイレなし仕様。
オハ50が種車のためキハ33のように乗務員室扉がない。
207 :
名無し野電車区:2006/08/27(日) 20:59:56 ID:tTPCDRBF
クハ122
JR西日本でオハフ50を電車化した車両。
123系と組み合わせて運用される。
208 :
53:2006/08/28(月) 12:46:50 ID:2E+wPf4s
>>53のつづき
225系1000番台
関空快速・紀州路快速専用で運用される225系の派生型。
当初から130km/h走行が可能。
3両、または5両編成での運転でもMT比を1:1にそろえるため、
>>53の4車種に加え、クモハ225とユニットを組む0.5M方式の
モハ224型が製造された。
シート配列は2列×1列としている。
また、日本語、英語、中国語(北京語)、韓国語の4ヶ国語での
自動放送装置と、321系で実績のある液晶ディスプレイによる案内装置を持つ。
223系6000・6500番台
上記225系1000番台の投入により余剰となった関空快速・紀州路快速用
0番台・2500番台をローカル線へ転用するため改造した車輌。
2〜4両に組みなおされ、併結時に編成間を行き来できるように
5000番台に準じた運転室に乗せかえられた。座席も2×2に変更されている。
一部の編成はワンマン運転に対応している。
山陰本線の京都地区と山陽本線・伯備線の岡山地区に投入された。
209 :
.:2006/08/28(月) 18:03:39 ID:EzXR6qw6
E233系500番台:
埼京線・京浜東北線に投入されるマイナーチェンジ車両
VVVFは基本番台の三菱製に対して、日立製を採用。
大きな相違点は
・通信衛星回線(JCSAT-3/4/10・NSAT-110・スーパーバード系衛星)を用いたデータ受信サービス。
・FOMA-HI SPEED回線・WIN回線・AIR-EDGE-PRO回線を用いた双方向データ通信サービス。
・扉上液晶が16:9に変更
・扉開放時の注意音(東武50050のポンポンのような)
・ドアチャイムの変更(海側開・海側閉・山側開・山側閉で異なる音色(都営三田やTXのような))
E233系近郊タイプ:
高崎/新前橋の211-1000/3000と田町の211-0/2000の縦貫線非対応のための置換え
E233-500をベース。
サロのデッキ側扉と平屋仕切り扉にも液晶設置、
サロ客席部はVIS表示にプラズマディスプレイ採用。ヲタからはクイズダービーと揶揄される事も…。。。
高タカ→宮オオ・東チタ→東オクへ転属配置
(宇都宮・高崎線仕様は東海道との編成の統一で、新前橋のドックの有効長の関係で大宮へ転属
東海道線仕様は田町車両センターの尾久車両センター統合の為の閉鎖の為の転属)
211系は田町車は千葉地区へ、高崎車は群馬ローカル及び新潟地区へ特別保全工事の上、転属へ。
210 :
名無し野電車区:2006/08/28(月) 20:28:11 ID:t7JuEPLq
長野電鉄5000系
長野電鉄が導入した東急5000系ベースの新型車両。
2両編成と3両編成があり、ワンマン運転に対応。
3両編成はMT比を半々にするため、313系1500番台のように中間車はモーターを2個だけ搭載している。
信州中野〜湯田中間の急勾配に対応して抑速ブレーキを搭載。
加速度は2.5km/h/sにデチューンされている。
211 :
エセレブ:2006/08/28(月) 23:36:22 ID:iGErhJSD
国鉄→JR東・海・西・四・九 キハ61系急行形気動車
(キハ65は生産されなかったと仮定)
形式 キハ61・62、キロ61
1968年末〜1972年初まで製造された強力形急行車。
走行部は181系に準じるが、機関は480PSにデチューンし、ラジエーターは強制通風とした。
車体は、運転室周りはキハ58最後期車に準じ、客室等は165系電車とほぼ同じだが、化粧板はやや安物。
キハの側窓も電車と同じ二段窓で客用扉は2枚折戸。
キロは客用扉が折戸であること以外はキロ28の最終期車と準同形車体。
キハ61は便・洗面所付でキハ62は便洗面所がない代わりに4VK電源装置が付く。
いずれも暖地向けは0番台、寒地向けは500番台である。
キロ61は暖地・寒地向けと搭載電源装置により0・500・1000・1500番台に分かれ、0・500番台はキハ61系での編成で運用するため自車のみ、1000・1500番台はキハ58系での運用も考慮して4VK機関付きとした。
最高速度は、61系のみであれば110km/hだが、急行形〜一般形とも組成可で、冷房電源も相互供給できる。その時は最高速度95km/h。
第一陣は松本に配置され、気動車「アルプス」「白馬」に投入。
その後は東北を中心に本州・四国・九州の山岳地区中心に配置。「おが」「しらゆき」「赤倉」「いいで」「出羽」などの名だたる長距離DC急行の冷房化と編成出力向上に貢献。
キハ181系と比べても運転実績は安定していたが、製造コストの高さが難点で、キハ58系との混結が多かった。
皮肉にも国鉄末期、気動車急行が衰退してからキハ61系オンリーの列車が出始めた。
「たかやま」「えびの」「べにばな」等がそうで、東海道・鹿児島線区間を110km/hの制限いっぱいで快走してみせた。
JRにはキハは全て引き継がれ、キロは東日本と東海以外の各社に引き継がれた。(四・九はほどなく格下げ)
キロ61は1997年の「たかやま」格上げで全廃されたが、キハは車体更新や機関更新で、まだ過半数車がローカルから快速、臨時運用に健在。キハ58系の代わりにジョイフルトレインに改造されたものもある。
212 :
209:2006/08/29(火) 16:23:32 ID:BMQoUvb1
E233近郊タイプ補足:
尾久配属編成は313系との混結対応回路を装備
E231系国府津車にも313系混結対応改造を施した。
213 :
名無し野電車区:2006/08/29(火) 20:16:58 ID:OoJc2ASs
長野電鉄7000系
長野電鉄が投入した元東急7000系。
2両編成で、ワンマン装置を装備している。
214 :
エセレブ:2006/08/29(火) 20:18:30 ID:yun4Pogx
国鉄→JR北 キハ61系 キハ63・64・キロ62形
キハ61系の北海道仕様車で1970-72年に製造。
キハの車体はキハ56形200番台に、キロはキロ26形100番台に準じ、客用扉は引戸
キハ63・64はキハ61・62に相当し、キロ62の冷房電源は自車専用のみ。
札幌と函館に配置され、「すずらん」「狩勝」「大雪」「ニセコ」「宗谷」「天北」等中・長距離の急行に運用された。
1985年、「宗谷」「天北」から原則としてキハ56・27を退役させ、高速バス対策としてキハ63・64のグレードアップとキロ62のキロハ化改造(キロハ62)を行い、札幌・旭川間の110km/h走行を実現。2000年にキハ261系に代替されるまで運用した。
キロ62は1997年、キロハ62は2002年に全廃されたが、キハは半数近くが健在で、札幌・函館配置のまま、多くはセミクロス化されてローカル用として函館・江差・札沼・千歳線ローカルに、クロスシート編成は波動臨に使用。
1987年に4両がお座敷車に改造されてキロ63・64に改称。2004年にリニューアルされた。
215 :
ミウナ:2006/08/29(火) 21:32:34 ID:omtziCRa
キハ68・69型
キハ40系の強馬力型。あまりにも馬力がありすぎ、北九州などに
しか配備できなかったキハ66・67の失敗を反省した設計。
エンジンはキハ65系を原型としているが440PSに馬力を落とした
ことでキハ66・67にあったラジエーターはなくなった。
片運転台式のキハ68・69で必ず編成を組む設計で単独では使用できない。
またキハ69には4VK機関付きである。急行用には使用しない近郊用および
都市部非電化線用として美濃太田(高山)高崎(八高)新潟(羽越・磐越西)
に配備された。車体はキハ47に準じた両開きデッキなし構造。側面方向幕が
取り付けられるなど近郊型電車並にグレードアップしている。車内はほぼ
113系に準じた構造になっている。
後に1000番台が最終的に木更津(久留里・木原)に配備されたところで
生産終了になった。木原線廃止後に相模線に移動したが電車化に伴い
久留里に舞い戻る数奇な編成もある。現在も現存だが東日本では
機関をDMF13HZにしてトルクコンバーターを更新する車も最近出ている。
八高線の電車化に伴い現在新潟と木更津と烏山線営業所に配備されている。
美濃太田車は後に名古屋に移動し快速みえ用として使われたが、
キハ75系の導入で武豊線で使用されている。現在キハ75系のエンジンに
更新されている。また城北線に売却された編成もある。
216 :
名無し野電車区:2006/08/30(水) 00:08:14 ID:+cmf/8sY
松浦鉄道MR-120形
松浦鉄道が平成5年から製造したMR-100形のステンレス車体仕様。
カッティングシートで赤と青とオレンジの帯を貼り付けている。
エンジン出力は330PSに強化されている。
217 :
エセレブ:2006/08/30(水) 20:37:50 ID:BdElndKj
国鉄DMH17HA形ディーゼル機関
1960年代、国鉄はキハ60形で試用した大出力機関は早期実用は困難であるため、既存の機関を改良することを決定。特急形に搭載しているDMH17H形機関を対象とした。
新潟・振興・池貝等エンジンメーカーとの共同プロジェクトを1960年末に立ち上げた。
ターボ過給化の試作も行ったが、トータルコストで有利な直噴形シリンダヘッドと吸排気系チューン、噴射ポンプ変更を採用した。
ほぼ同じ燃費で定格200PSをマークし、現行のトルコンは改造不要で使用できるため、1963年、千葉のキハ35形3両に搭載して実車試験を実施。
概ね良好な結果を得たため、1964年度製造の車両から搭載。
同時に既存車対象の改造工事を実施し、特急形は1966年、急行形は1968年、通勤形とキハ52形(100番台)は1969年に完了した。
218 :
エセレブ:2006/08/30(水) 21:18:58 ID:BdElndKj
国鉄 キハ58・28形更新工事(部内裏通称はどさくさ食い逃げ魔改造という)
1986年晩秋、技術伝承を目的に、長野・土崎・郡山工場でキハ58形2両、キハ28形1両(全て1961・62年製造の冷房車)の車両更新工事に着手した。
1987年3月に3両とも出場したが、文字どおり新車の出来栄えだった。
………それもそのはず、車体や機関等は新製されていたからである。
車体は番号不変で、元の平窓車とほぼ同じ寸法ながら高耐候性鋼板で新製。
客室は固定クロスシートながらバケットタイプシートになり、窓際に大型テーブルを取付。巻き上げカーテンはフリーストップ式にした。
便所は洋式にし、電熱便座を採用。またカセット式処理装置を使用。
洗面所は自動水栓式に変更したが、キハ28形はいずれも廃止して大型手荷物置場にした。
機関は新潟DMF13HS形に換装。ラバーマウントにして振動軽減を図り、4VK発電機も同様の支持にした。
3月中旬、新潟所に復帰。下旬から急行「べにばな」中心の運用についた。
新潟で12年あまり運用されていたが、1999年秋、突如高崎運転所に転属。
ATS-P取付等の整備を受けた後、八高・上越・両毛・信越・吾妻・高崎各線で臨客運用についた。
2003年にヘッドライトをHIDバルブに交換し、2005年にDPFを取付。しばらくは現役で走る姿が見られそうだ。
219 :
名無し野電車区:2006/08/30(水) 23:09:24 ID:2BqoazVq
C-DMH17HS形ディーゼル機関
JR東海でDMH17Hにボルトオンターボを取り付けたエンジン。
ターボの取り付けによりエンジン出力が270PSにパワーアップ。
キハ82形5000番台
キハ82のエンジンを上記のC-DMH17HSに改造した車両。
出力アップにより速度が向上した。
220 :
名無し野電車区:2006/08/31(木) 11:56:07 ID:Fl/0vaAh
サハ205-1000番台
JR西日本が製造した205系1000番台の中間付随車。
東海道緩行線と大阪環状線に投入。
321系500番台
大阪環状線専用に製造された321系の改良型。
Mc+M’+T+M+M’+T+M+Mc’の8両編成を組む。
各M車は0.5M構成であるため、MT比は3:5となる。
また、大阪環状線内での運用に限定されているため、通常の321系に比べ
最高速度を抑え、加速度を向上させている。
一部の編成はUSJ仕様となっている。
E233-500/近郊タイプの一部についての追記:
・日立の要望でPAM-IGBT/PWM-IEGT/PAM-IEGT(いずれもセンサレス対応)試作VVVF搭載編成がある
編成番号の()は落成メーカー
日立PAM-IGBT:
・ハエ502(日車)/ウラ501(JR新津)/オオD-03+E-03(東急)/オクP-02+P-52(川重)
日立PWM-IEGT:
・ハエ505(東急)/ウラ507(日車)/オオD-08+E-08(JR新津)/オクP-04+P-54(JR新津)
日立PAM-IEGT:
・ハエ508(川重)/ウラ509(JR新津)/オオD-07+E-07(日車)/オクP-07+P-57(東急)
※ちなみに、基本番台の三菱IEGT試用編成は
・トタ10両固定最終編成(新津)
また、313系連結対応試験編成は
E231:K-01・K-02・K-03(いずれも大井・大宮で改造)
E233:P-01・P-03・P-05(いずれも落成時)
223 :
エセレブ:2006/08/31(木) 18:44:02 ID:6mKZ89Fy
103系930・940番台
1979・80年、東急車輌で試作されたステンレス車体を持つ103系。
930番台はシングルスキン構造、940番台はダブルスキン構造。
窓下に線区別のカラーテープを貼るようにした。
6両・4両高運非ATC仕様編成を各1本ずつ製造し、豊田に配置して中央快速・武蔵野・青梅・五日市線で運用。
2004年に車体更新と界磁添加励磁制御化を実施。モハは5000(←930)・5050(←940)番台に改番
6両編成は南武線に転属。4両編成は耐寒工事も受けて仙石線に転属した。
224 :
エセレブ:2006/08/31(木) 19:53:48 ID:6mKZ89Fy
国鉄→JR東・九 キハ58・28形800番台第2次増備車(キハ58820-834、キハ28814-823)
キハ58系修学旅行車の第3次車で1966年度に新潟鉄工と日本車輌で製造。
キハ58734-に相当し、便所側戸袋窓は長方形になったが客室設備は変わらない。
キハ58820-826と28814-818は暖地仕様で直方に追加配置され、残りは寒地仕様で山形への追加配置と秋田への新規配置分になった。
1974年に修学旅行運用が終わった後は他の急行形や一般形と混じって運用された。
1976-79年に標準急行色に塗り替えられるとともに直方車は冷房化され、キハ28形は2800番台に改番した。
山形・秋田車は全て非冷房のままで、1982年までは急行運用で上野まで乗り入れていた。
JR移行時、全廃された1・2次車とは対象的に全車が継承され、東北車はさらに更新・機関更新工事を受けた。
その後は後継車両配置や老朽化で廃車が進み、現在JR九では直方に2両、鹿児島に1両のみ在籍。
JR東では新津と盛岡に各2両が在籍し、2003-04年に修学旅行色に戻された。
JR西日本221系1000番台
1991年に登場した207系0番台に合わせてマイナーチェンジを行った車輌。
主な変更点は、インバーター制御化や、車端部にあった旅客案内表示を207系と同じ側面ドア上への変更、
ドアチャイムの装備などであり、221系と207系のあいのこのような車輌である。
また1994年に製造が開始された223系までの橋渡し的な役割を果たした。
226 :
エセレブ:2006/09/01(金) 20:30:12 ID:V6aPNxva
スハ44・スハフ43増備車
1954年、東京・大阪間不定期特急「さくら」を定期化するため製造された。
スハ44(35-45)は汽車製造、スハフ43(4-6)は帝国車輌で製造した。
(スハニ35は仙台の10-12を充当のため増備なし)
同時期製造のスハ43同様、部分的に軽量化がなされていた。
1958年、電車特急「こだま」の運転開始後も「さくら」運用についていたが、1959年「ひびき」運転開始とともに運用離脱。
その後は臨時「つばめ」運用についたが、1960年の全面151系化に伴い特急運用から離脱。
同年〜1961年に近代化工事を施工されると同時に、スハ44の一部はスハフ43に改造。(35-38→スハフ4325-28)
近代化工事後は宮原所属で臨時運用についたが、本グループのスハフ43全車とスハ4443-45は1965年に函館と札幌に転属。
苗穂・五稜郭工場で耐寒耐雪改造を施され、函館車は「ていね」「ニセコ」に、札幌車は「まりも」「狩勝」「石狩」運用についた。
宮原に残ったスハ4439-42は急行「銀河」運用につき、1976年の20系化に伴い引退し廃車。
函館・札幌車は14系ハザ投入により1982年までに一部が廃車、残りは座席を東北・上越新幹線200系と同じ集団見合い形に固定され、函館線ローカル運用に転じ、1986年3月まで使用された。
1987年2月に全廃され、スハフ435は北海道交通記念館で保存、スハフ4328は青函連絡船羊蹄丸船内に収められ、船の科学館で公開中。
227 :
ミユナ:2006/09/01(金) 21:56:15 ID:+Cya0nhi
>>226の派生で
オハ45(1〜8) オハフ44(1〜4)
>>226の最後に増備されたスハ44系(スハ44-46〜54 スハフ43-7〜10)で、
オハ46系の製造法が取り入れられたため、それまでのス級からオ級に
軽量化されたため新形式オハ45系として製造された。
スハニ35の軽量化型オハニ37もあるが、一部をオハニ36で
充当したため2両しか作られなかった。
主に「かもめ」用としてナハ10系に換えられるまで使用された。
特急運用撤退後に近代化改修と共に電気暖房取付と固定クロス→セミクロスに
取り替えるなどしたためオハ46に改番されたり、さらに台車のTR47を
スハネ16の冷房化に伴う台車取り替えでTR23F TR34に
振替られた車両はオハ47に改番されたのもおり、オハフ44は全て
この改造のためオハフ46に編入されている。
改修改造後は金沢に集められ、急行能登や越前として夜行急行の座席車
用として使われたり北陸線の普通列車用として1983年まで現役であった。
なおオハニ37は近代化改修されず、わずか9年でマニ36に
改造されてしまい消滅した。
228 :
エセレブ:2006/09/02(土) 00:00:07 ID:54jq/kC8
国鉄→JR東157系50番台
特急「ひびき」定期化と日光準急増発用として1962年2-3月に7連3本が製造されて田町に配属された。
形式・性能・大まかな寸法は「日光」用の0番台と変わらないが、最初から冷房付で側窓は二重固定ガラスである。
また、踏切事故対策としてクモハ157の前面と運転室周りは強化された。
当時は新潟電化間近でもあり、上越・信越線への入線も考慮して耐寒耐雪対策を強化し、クモハ157にはスノープロウを取り付けた。
車体の塗り分けも0番台と同じだが、色は151系と同じにして特急車らしくしてある。
2編成が竣工した段階で「ひびき」運用に入った他、1962年5月には第3編成単独及び新設の「とき」用161系との混結で上野・新潟間を試運転した。
東海道新幹線開業で「ひびき」運用がなくなった1965年に大船・大宮工場で横軽対策と機器更新・出力向上工事を受け、165系と同一性能になった。
その後は田町所属のまま東京口で伊東・下田方面急行や特急「あまぎ」
新宿口で臨時「あずさ」
上野口で臨時「とき」「」「あさま」、季節特急「そよかぜ」「白根」、スキー特急「新雪」等に運用。
1975年に新前橋に移籍してからは「白根」「そよかぜ」等上野口の近距離特急に専念。この時編成に2両あったサロ157のうち上野寄りの1両はサハ157(151-153)に改造された。
1981年以降、0番台全廃や185系の登場で去就が注目されたが、全車特別保全工事を受け、普通車はリクライニングシートになる等、グレードでは185系を凌いでいた。
1985年3月のダイヤ改正で定期運用から退き、元サロのサハは廃車された。
残存車はJR東所属になり、引き続き高崎・上信越方面の臨時特急や海水浴臨「くじらなみ」(「青海川」の時期あり)、「シュプール上越」等にも使われたが、さすがに老いは隠せず、1992年9月に全車引退。
伊豆急下田や日光等への記念運転が行われ、小田急や東武の新旧特急車との競演も見られた。
全廃後、クモハ157-51+モハ156-51が碓氷鉄道文化むらで保存・公開されている。
229 :
エセレブ:2006/09/02(土) 00:20:39 ID:54jq/kC8
228補足
モハ156のサロ・サハ寄りにあった売店は、1967-68年に奇数車(伊東・上野側)は車販準備室と業務室に改造され、偶数車はその部分を、客用扉を車端寄りに設置した新構体に付け替えて定員を8名増やした。
521系1000番台
北陸本線に投入された521系の改良型。
4両編成で、関門地区で使用される。
JR西日本と九州が半数ずつ所有しているが、整備等は
九州の門司港運転区に委託している。
客室は両開き3ドア・転換クロスシート
231 :
エセレブ:2006/09/02(土) 12:40:41 ID:54jq/kC8
国鉄→四国以外のJR各社 DE50形(量産しとったら)
大型機関1基搭載形として1970年に試作され、1974-79年とJR貨物が1988年に計105両製造した本線貨物・固定編成客車用ディーゼル機関車。
運転整備重量は70dでDD51やC57の運用線区に入線可能。
機関は20気筒のDMT95Z(A)・2000PS(2300PS)で最高速度は95km/h。
1号機が試作機で、1972年製の2-6号機が増加試作機。
7号機以降がDMT95ZA機関搭載の量産機。
DD51やDE10等と同様、A/B寒地仕様と暖地仕様があるが、番台区分はない。
DD51やDE10・11とも総括制御運転が可能。
1976年に1-6号機も量産仕様に改装した。
試作機は新小岩区配置。量産第一陣は米子に配属。以降、蒸機やDF50、DD54の代替として増備された。
1979年、97号機の竣工を最後に生産はいったん打ち切られたが、1988年にJR貨物がDD51の代替として101-108号機が製造され鷲別に配置された。
在来機は四国以外のJR各社に継承されている
淘汰はDD51から進められており、2005年度までに廃車されたのは試作・増加試作の1-6号機のみ。
SGがないため客車列車牽引実績は少ないが、JR北海道所属の全機がブレーキを強化されて本州直通寝台特急牽引にあたっている。
更新はJR貨物の若番機から実施されており、主機関換装を伴うA更新と車体・補機までのB更新に分けられる。
232 :
エセレブ:2006/09/02(土) 12:57:32 ID:54jq/kC8
国鉄→四国以外のJR各社 DE50形(量産しとったら)
大型機関1基搭載形として1970年に試作され、1974-79年とJR貨物が1988年に計105両製造した本線貨物・固定編成客車用ディーゼル機関車。
運転整備重量は70dでDD51やC57の運用線区に入線可能。
機関は20気筒のDMT95Z(A)・2000PS(2300PS)で最高速度は95km/h。
1号機が試作機で、1972年製の2-6号機が増加試作機。
7号機以降がDMT95ZA機関搭載の量産機。
DD51やDE10等と同様、A/B寒地仕様と暖地仕様があるが、番台区分はない。
DD51やDE10・11とも総括制御運転が可能。
1976年に1-6号機も量産仕様に改装した。
試作機は新小岩区配置。量産第一陣は米子に配属。以降、蒸機やDF50、DD54の代替として増備された。
1979年、97号機の竣工を最後に生産はいったん打ち切られたが、1988年にJR貨物がDD51の代替として101-108号機が製造され鷲別に配置された。
在来機は四国以外のJR各社に継承されている
淘汰はDD51から進められており、2005年度までに廃車されたのは試作・増加試作の1-6号機のみ。
SGがないため客車列車牽引実績は少ないが、JR北海道所属の全機がブレーキを強化されて本州直通寝台特急牽引にあたっている。
更新はJR貨物の若番機から実施されており、主機関換装(IHI製直噴18気筒2500PS)を伴うA更新と車体・補機までのB更新に分けられる。
233 :
エセレブ:2006/09/02(土) 21:36:49 ID:54jq/kC8
キロ27・28・58形(if)
1960年、急行形気動車の設計の際、内地向けロザの設計が議論の的になった。
最初に製造する北海道向け車は二重窓設計のため座席一列ごとの小窓にすることが決まっていたが、信越線長野急行向けのエアサス車と主力増備形式の側窓をどうするかで喧々囂々になったのだ。
東海道電車急行用のロザは大型の一段下降窓にすることが決まっていたが、気動車にも同じ形状にするか、ナロ10形と同じ一段上昇窓にするかで揉めたのである。
見た目の豪華さと、顔に直接風があたらないという点、開閉のしやすさでは電車急行タイプだが、製造コストや保守ではナロ10タイプに軍配があがるからであった。
議論の結果、大量増備が予想される急行形キロの内地向け車はナロ10形並の上昇窓して製造することにした。
但しカギ段数は、北海道向けも含めてナロ10形より増やすこととしている。
以降、1960年度末に北海道向けのキロ26形1次車が落成し、1961年度になってすぐ、信越用キロ27形、続いて主力形式キロ28形が登場した。
1963年には中央東線用の2機関タイプ・キロ58形が登場。
1966年以降の車は冷房車として製造、在来車も順次改造を受け、1969年まで製造された。
(以後の消長は史実と同じ)
234 :
エセレブ:2006/09/02(土) 21:49:02 ID:54jq/kC8
続き
結果としてキロ28形等の窓をナロ10形タイプにしたことは製造・保守コストパフォーマンスの点で成功したといえる。
下降窓を採用した電車急行サロや10系ハネ等がことごとく雨水侵入による車体腐食に悩まされ、早期に廃車される車や見栄えのしないユニット式二段窓に改装されたからである。
235 :
ミウナ:2006/09/03(日) 16:56:11 ID:rpk+l2aV
>>231をふまえて
DE50 1000番台 京葉臨海鉄道KE50型
1979年に製造された最終型で1001〜1008までの8両は
高崎に、特殊装備仕様の成田空港ジェット燃料輸送列車用として
1201〜1206の6両が新小岩(後に佐倉)に配備された。
1200番台は当時過激派の襲撃が予想されたため側窓には金網が
設置されているほか前面窓には厚さ50mmの防弾ガラスで覆われた
完全防護仕様である。輸送列車運転終了後は総武・成田・鹿島線の貨物列車
運転に従事したが、鹿島サッカースタジアムまでEF65等が入線可能
になり、ディーゼル機関車の必要性がなくなったことや佐倉機関区の
閉鎖等ですべて愛知機関区に移籍となった。
高崎に配置された1000番台は八高線の貨物列車用としてセメント輸送
等で使われたが高麗川の工場の鉄道輸送廃止で1005〜1008は
除雪用として改造され、DE55(後述)になり、残りは高崎で残っている。
なお1004号機は御召し仕様でDD51−842と同じ装備。
京葉臨海鉄道KE50型はりんてつ本線(蘇我〜京葉久保田)から新小岩までの
直通を念頭に5両製造された臨海鉄道最大、最強のDE型機で、ブルー塗装の
牽引するDLとして総武線の異彩を放ったが、武蔵野・京葉線経由が確立すると
途端に活躍の場を失った。しかし1988年製であったためKD55−201と
KD60配備を待って3両が愛知の衣浦臨海鉄道に譲渡された。なお残った2両は
亀戸貨物線を含む小名木川貨物線〜東京レールセンター間が京葉臨海に譲渡されたため
専用牽引機として東京レールセンター〜新小岩(操)間で使用している。検査は
宇都宮へ委託している。なお臨海鉄道仕様のDE50型は他に神奈川臨海鉄道
がKDE50型として興味を示したが使い勝手のいいDD13型系統のDD55
で十分との見方が強く量産は見送られた。
236 :
ミウナ:2006/09/03(日) 17:13:14 ID:rpk+l2aV
DE55
除雪仕様のDE50で両頭単線型の0番台と両頭複線型の500番台の
2種で新潟と長岡に配備された。ラッセルヘッドはDE15型とほぼ同じ
構造で連結方式もほぼ同じである。4両作られた複線型は主に上越・信越線
の除雪用として使われたが単線型は米坂線や只見線では線路規格が低くて
使えず、3両のみの製造にとどまった。なお同系のロータリー仕様のDE53
型も計画されたがエンジンが1基しかなく全動力で投雪せざるを得ず、付近
家屋の破壊等の危険性が高いため計画のみで生産はされなかった。
DE55−1000番台
同系の標準軌仕様型でDE50−1000番台の1005〜1008と
DE55型の単線型2両の計6両が改造された。DE50改造型のラッセル
ヘッドは新規で製造している。山形と秋田に各3両ずつ配置。
237 :
名無し野電車区:2006/09/03(日) 17:42:25 ID:NuEIaF84
キハE230
JR東日本キハE200の量産型車両
路線・地域事情によっていくつかの番台が存在する。
0番台…3つ扉セミクロス(ボックスシートを多めに設置) 片運転台ワンマン仕様、トイレ無し
1000番台…3つ扉セミクロス 片運転台ワンマン仕様 トイレあり。
※通常は0番台と1000番台の2両編成にて運用に就く。
1500番台…3つ扉セミクロスorオールロング 増結対応車両(主に通学輸送時)なので運転台は無し
※これらはキハ58・28の置き換え車両として、花輪線などへの投入を予定している。
2000番台…2つ扉セミクロス 両運転台ワンマン対応 トイレあり 2エンジン仕様
※キハ52の置き換え車両として、米坂線などへの投入を予定している。
3000番台…2つ扉セミクロス 両運転台ワンマン対応 トイレあり ノーマルタイプ
※キハ40などの置き換え車両として、五能線や只見線などへの投入を予定している。
五能線運用車両については、普通列車の削減解消のためにリゾートしらかみに連結できるための機器を取り付けている。
(コバンザメのようにリゾートしらかみに連結して、指定券を持たない一般客専用車両としての扱いを行なう)
4000番台…2つ扉オールクロス(オールボックスorオール転換or複合配置) 売店コーナーあり トイレ無し 片運転台ワンマン対応
5000番台…2つ扉オールクロス(オールボックスorオール転換or複合配置) トイレあり 片運転台ワンマン対応
6000番台…運転台と扉はなし お座敷車両(テーブル&カラオケセット付き 一般使用時はカラオケ使用不可・テーブルを収納) トイレあり
※この車両も2両編成での運用が基本。6000番台は団体客専用(中間増結仕様)だが、団体客がいない時は一般開放する。
特に観光輸送に力を入れている路線の眺望用・行楽用車両としていろんな路線に導入予定(現時点では只見・花輪・米坂線などへの導入を検討)。
路線ごとの車窓などに応じて座席のレイアウトがそれぞれ違うのが特徴。
※これら車両は各路線ごとに異なるカラーリング(色帯)と線名(または列車名)ロゴを入れて、視覚的に分かりやすくしてある。
共通事項として、行き先案内は運転席上部と側面にJR九州のキハ220系列に見られる大型のものを取り付けてあり、トイレは車椅子対応・喫煙防止機能を備えている。
238 :
鉄道タイムズ:2006/09/03(日) 18:30:40 ID:PGP7R+54
>>64-65に続く、中古車でJR西の103系置き換えシリーズ第二弾
◎JR西日本一般型直流電車 中古車
○形式 301系5000番台 ○車種 クハ301-5000(Tc)、モハ301-5000(M1)、モハ300-5000(M2)、クモハ300-5000(M2c)、サハ301-5000(T)
○改造元種車 営団地下鉄(現、東京地下鉄/東京メトロ)5000系 東葉高速鉄道1000系 ○購入・改造・車籍登録年 2001〜06
○メカニック 界磁添加励磁制御 ○エクステリア スキンステンレス、四扉 ○インテリア ロングシート
○主営業運行路線 阪和線、大阪環状線
○概説
前世紀の国鉄分割民営化から十数年が経ってなおも、JR西日本は103系という古い低性能電車を大量に抱えていた。
この103系自体が酷く進行して老朽化した事で乗客のみならず現場サイドでさえも厄介な存在と化し、これを一刻も早く廃車して、
京阪神地区(大阪近郊区間)だけでも相対的に優れた電車へと置き換える事が、JR西日本にとっての緊急課題の一つとなった。
207系・321系という新車を導入しているが、JR西日本の経営体力上、数年でその課題を達成するには無理であった。
そこで、やむを得ず、新車投入を継続する一方で、2001年以後、営団地下鉄(現、東京地下鉄)から、
05系による置換で廃車継続中の5000系を購入し、改造する事となった。
国鉄・JR東への乗り入れ実績並びに国鉄・JRでも馴染み深い界磁添加励磁制御の使用が決め手となって選ばれた。
形式称号は、中古車にわざわざ新形式を付与するのは得策では無いとの判断により、301系5000番台となった。
これは、東京地下鉄東西線への国鉄直通車に301系が存在した事、5000番台は5000系に由来する。
購入後、延命体質改善工事などJR西日本仕様への改造が実施され、( Tc M1 M2 M1 M2 T M1 M2c )の八両編成で組成。
阪和線と大阪環状線の103系を置き換えた。
後に東葉高速鉄道からも1000系を購入する事となった。これは元々は営団地下鉄(現、東京地下鉄)5000系を東葉高速が購入し、改造したものであった。
これも先に購入した車両と同様に改造された。
239 :
エセレブ:2006/09/03(日) 18:34:21 ID:g0/WWWM8
(与太電車)
JR東日本211系3000番台幕張車
E231系増備等のため幕張に転属した211系は房総各線向け工事を受けたが、独特なのが、部内で「アンチ・セイガク」といわれる対生徒・学生付加装備である。
便所は朝7〜9時と14〜18時は運転士・車掌が電子ロックをかけ、使いたい者はドア横のカメラ付きインターホンでロックを解除してもらわなければならない。
便所内には煙感知器とスプリンクラーが付く。
中間車のうち2両は禁携帯車として天井には携帯ジャマー(総務省認定)を取り付け、通勤通学時間帯は車内全てで電波を遮断する。
乗務員室には沿線の高校と警察署を入力した自動車電話を設置した。
240 :
名無し野電車区:2006/09/03(日) 19:06:48 ID:xKUVE/iK
モハ103-2000番台
JR東日本でモハ103のパンタグラフをPS23に交換した車両(原番号+2000)。
中央本線の高尾以西に入線可能になった。
241 :
エセレブ:2006/09/03(日) 20:37:32 ID:g0/WWWM8
↑
103系の2000番台はモハ102形の最終グループに存在しまつよ。
242 :
エセレブ:2006/09/03(日) 20:39:20 ID:g0/WWWM8
↑
不覚…。形式間違えますた…。
243 :
名無し野電車区:2006/09/03(日) 21:05:40 ID:NuEIaF84
京急N2200形
※2100形の成田空港直通列車(新スカイライナー)バージョン
頭のNは、新しいという意味のNewの頭文字と成田空港のNaritaを差している。
※2つ扉、オールクロスシート(一部はコンパートメント)、トイレ・自動販売機完備
2100形と同じ基本8両編成仕様、最高時速は160キロ、側面には成田空港と羽田空港のイラストが8両全体に渡って描かれている。
なお、相互乗り入れの関係で都営・北総鉄道も同様の形式を保持する事になった(都営はN6200系、北総はN9200系を名乗る)。
ただし、京成はスカイライナー用車両を保有しているため、今回の導入は見送る事になった。
基本は羽田空港〜成田空港の空港アクセス列車運用に充当されるが、間合いでWING号の運用にも就く。
従来のWING号と同等の値段で利用できるため、利用者からの評判が高くなりそうだ。
244 :
エセレブ:2006/09/03(日) 22:48:01 ID:g0/WWWM8
拙作DE50の企画
JR東日本秋田運転所 DE50形73-76号機
1990年、山形新幹線工事で寝台特急「あけぼの」を陸羽東線経由にし、秋田所のDE50形(総重量が軽いので同線にも入れる)を仙台に派遣し、仙台〜新庄間をスルー牽引させることとした。
東北線内は許容速力ギリギリで運転するため、JR北所属機を参考にブレーキを強化するとともに、冬季深夜〜未明の陸羽東線運用のために前後端ケーシング上にヘッドライトを増設し、「三つ目」になった。
1993年に「あけぼの」が上越線経由になったため秋田に戻ったが、しばらく全機が「三つ目」でいた。
その後も「あけぼの」が迂回で北上線経由になった時などは北上〜秋田間の牽引に充当されている。
245 :
名無し野電車区:2006/09/03(日) 22:55:58 ID:D4NlNxT2
阪神3000系
阪神電鉄が製造した「万能電車」。
加速度の切り替えで普通列車と優等列車の両方に使えるようにした。
運転台のスイッチで「赤胴車モード(3.0km/h/s)」と「ジェットカーモード(4.0km/h/s)」を切り替えできる。
4両編成(3M1T)と2両編成(オールMだがモーターは各車両3個)があり、最大8両編成を組むことが出来る。
246 :
エセレブ:2006/09/03(日) 23:08:49 ID:g0/WWWM8
国鉄暖房車 マヌ34形50番台
都心部の煤煙解消策と担当機関士の省力化として1960-61年に重油専焼式に5両改造した。
飯田町配置で、EF64の中央東線配属と重油焚きのため明治時代製造のボイラーの傷みが激しく、暖房車全体が余剰で転用も困難のため、1971年に廃車された。
JRQ 601系交直流電車
2008年、老朽化の激しい415系を置き換えるため、TX2000系をベースにした通勤型電車。
下関〜久留米、新田原、福北ゆたか線に於いて、主に各駅停車で活躍
以下TX2000からの変更点
1.交流周波数の変更(50Hz→60Hz)
2.高加減速化(特急、快速からある程度逃げ切るため)
3トイレの追加
4.6両編成から4両編成に
5.前面の変更(800系新幹線テイストなTX2000系、もちろん非常用貫通路つき)
6.カラーリングは基本無地、ドア部がスカイブルーに塗られている
7.インテリアはオールロングシートながら革張りで床はフローリング
8.ブレーキ読み替え装置搭載による在来車両との連結
なお、この車両の登場により、北九州エリアの各駅停車事情(特に関門間)が大幅に改善された
◎形式
JR西日本225系5000番台(近郊型直流電車)
○投入目的
老朽化の激しい廣嶋地区の車両置き換え用として投入した新型車両。
高級感溢れるデザイン+内装。
○編成
クモハ225-5000+クハ224-5000
○主な設備
・リクライニングシートの3扉⇒新幹線グリーン車と同じ座席を使用
・2009年から投入(2両×5本のみで製造終了)
・LCDが扉間に設置(321系と同じ感じ)
・デッキと座席部を分離
・窓は開閉可能な物を使用
・トイレは身障者用設備を持ち1編成につき1箇所
・トイレの他にも手洗い専用のコーナーも設置
・観光旅客の為に観光情報を閲覧出来るLCDを各編成中間部に設置
・帯色は青色と深緑を使用し、山陽線を中心に運用
○結果
利用客から好評を得るも、コストの大幅増により5編成で製造を打ち切る事に。
後に投入する223系3000番台と併結「シティーライナー」の指定席車として運用する事になり、
廣嶋地区の国鉄型全廃には余り貢献しなかった。
249 :
エセレブ:2006/09/04(月) 20:50:51 ID:PEgKJuQX
架空列車
急行「とき」
上野〜新潟間急行として1960年6月に運転開始。
車両は新潟機関区に新製配置されたキハ55形8両とキロハ25形2両で、通常は6両編成。うちハザ1両とロザ24席が指定席。
上野口の電車ダイヤと上越越え、冬の重く湿った降雪の中で高速・定時運行を維持するため、キハは全て2機関車とした。
新潟を朝発・夜着のダイヤ設定と所要5時間20分前後という快速ぶりで評判を呼び、運転開始3ヵ月後にはキロハ25形はキロ25形に代わり、キハ55形も所定1両増結されたが予備車が足りず、年末年始や検査・故障時はキハ52形が増結された。
1961年5月以降キハ58系が新潟に配置されたため、「とき」も指定席ハザから順次キハ58形、ロザは2両になり、指定席はキロ28形、自由席がキロ25形になるとともに、所定9両編成になった。
1961年末には所定車は全てキハ58系に統一されたが、1962年6月10日のダイヤ改正で161系電車特急に格上げされて発展的解消を遂げ、車両は「とき」と逆の時間帯で運転される新設急行「いなほ」に運用を変更した。
新潟まで電化されても全区間架線下の気動車急行が残ったのは車両需給の逼迫のためであるが、80系電車で設定した急行が不評を買うのを予想し、165系投入まで気動車急行も残すことにした。
1963年6月1日に165系化され、「佐渡」に統合された。
250 :
名無し野電車区:2006/09/04(月) 23:05:58 ID:TTDdM3hP
785系1000番台
JR北海道で特急「スーパーホワイトアロー」の増発用に製造した車両。
5両編成2本と余剰となったNE-105編成に組み込むための中間車3両がある。
インバータがIGBTに変更されている。
251 :
エセレブ:2006/09/06(水) 15:35:53 ID:F8rIKXJj
国鉄キハ180形500番台
(表記は「ハ」の右上に小さく「シ」)
1971-72年に四国内特急用として7両製造。
キハ180形0番台に改造できるよう、後位部の設計は同一。
前位の約4割はオープンカウンター式の軽食・車販準備スペースで、カウンターの前位側は讃岐うどんコーナーになっている。
軽食コーナーの営業は1985年3月改正までで、多度津工場でキハ180形150番台に改造し、155-157は向日町に転属。
JR四国の151-154は1993年に全廃。JR西日本の3両は2004年までに全廃された。
252 :
名無し野電車区:2006/09/06(水) 16:07:05 ID:/hu8HiDN
E531系通勤型
JR東日本が製造したE531系の通勤型バージョン。
全車オールロングシートで、トイレが省略されている。
10両編成と5両編成があり、10両編成には6ドア車も連結。
上野〜土浦間のみの限定運用であるが、取手以北へは朝夕ラッシュ時のみ乗り入れる。
253 :
名無し野電車区:2006/09/06(水) 16:48:55 ID:d1pdHe53
125系1000番台
JR西日本が製造した125系のマイナーチェンジ版。
主電動機が永久磁石モーターに変更されている。
さらに省エネになり、変電所の少ない小浜線でも加速度2.5km/h/sを出せるようになった。
254 :
名無し野電車区:2006/09/06(水) 18:40:57 ID:9Wgd78gj
>>248 225系5000番台の製造が打ち切られた後は131系(
>>88の431系の直流専用版。一部の編成は後にトイレ設置を行ったが、
仕切りはカーテンで囲っただけ)の製造にシフトし、225系5000番台はホームライナーや団体・臨時列車をメインとした運用
(臨時列車ではG車指定席扱いになったとかならなかったとか?他には雌車扱いになったとの噂も・・・・)に留められてしまったらしい。
・・・・・ここからが本題・・・・・
>>238の応用
秩父鉄道7000系
老朽化の進んだ旧国鉄101系改造の1000系を一斉に淘汰すべく、東京メトロ5000系や東葉高速鉄道1000形を購入・改造したものである。
主な改造点は・・・・
(1):秩鉄入線に際し、編成を10Rから3R(羽←Tc-M-M'c→三)に変更
(2):車体の劣化箇所の修繕及び内装のリニューアル(更に元メトロ車は前頭部を元東葉車と同一にした上で、ドアも大窓化)、
LED表示機や車外スピーカー、ワンマン機器及び乗降促進ブザー・ドアチャイム(JR東205系改造車と同タイプ)の設置
(3):誘導障害対策及び耐寒耐雪工事、ドアの半自動化等
7000系投入により1000系は順次廃車され、秩鉄における完全冷房化(1000系は中間車に冷房機を搭載していない為)を達成した。
255 :
エセレブ:2006/09/06(水) 20:25:28 ID:F8rIKXJj
親王殿下御誕生記念
お召し気動車 キクロ27+キロ57
1963年に非電化区間用の天皇・皇太子お召し用として、キクロは大井工場、キロは大宮工場で製造された。
車体設計は、御料車たるキクロは特急形を、動力車兼供奉車たるキロはキハ57形をベースとしたが、キクロのサービス電源を賄うため、運転室後位床上に3PKディーゼル発電装置を3基セットした。(のち4VK2基に変更)
足回りは82系特急形なみだが、急行・一般形とも組成運転が可能。
キクロは当然防弾対策を施した。
運用は線区にもよるが、キハ58・65形や181系特急形なら前後に2両ずつ、80系特急形では前後3両ずつ連結した。
竣工当初から向日町配属で、主に山陰・九州で使用。
JR西日本に継承後、1990年に車体更新され、機関はDMF13HZに交換、変速機も交換されて181系と同一性能になった。
天皇・皇后両陛下のご公務先により、JR四・九に貸し出されたり、JR東・海の管轄に乗り入れることもある。
256 :
エセレブ:2006/09/06(水) 20:31:27 ID:F8rIKXJj
255続き
JR四国管内で運用する時はキハ185形、JR九州管内で運用する時はキハ183系またはキハ185系と組む。
257 :
エセレブ:2006/09/06(水) 23:18:35 ID:F8rIKXJj
255・256続き
キクロ27形は車体更新時に12・14系客車とも連結・給電可能になり、「サロンカーなにわ」の中間に入ることもある。(都度、幌を客車用に交換)
258 :
エセレブ:2006/09/07(木) 18:40:16 ID:rejWy7Nj
国鉄80系700・750番台交流専用電車
仙台地区の混雑緩和を目的に1968-70年に80系200・300番台を改造したもので、旧200番台が700番台、旧300番台が750番台で、サハ85・サハ87及び旧サロのクハ85からの改造はない。
構成は上野方←Tc奇数+M奇数+M偶数+Tc偶数→青森方で、耐寒・耐雪対策は新潟の70系より強化されている。
交流・整流関係機器はクハに搭載し、MGとCPもクハに移設したため、クハ86/85+モハ80で1ユニットである。
モハ80は屋根の絶縁が強化され、通風器が耐雪形になった。
客室はロングシート部が拡大されているが、デッキ付きのため客用扉の半自動化はなされていない。
塗り分けは東海道・山陽時代と同じだが、色は交直流急行電車と同色になった。
仙台に4両10編成が配置され、うち2編成が750番台。
運用範囲は東北線黒磯〜一ノ関、常磐線平(いわき)以北、仙山線で、1985年3月まで運用され、1987年に全廃された。
259 :
エセレブ:2006/09/07(木) 19:06:30 ID:rejWy7Nj
258続き
デッキにはステップを増設し、妻面窓は防寒のため埋め込まれた。
1975-77年に体質改善(特別保全)工事を受け、床・化粧板張替、便所整備等がなされた。
1983年に飯田線の300番台が引退するとみちのくの700・750番台は注目の的となり、1984年3月に751+752が湘南色に戻され、翌年の引退までそのまま運用された。
引退後もクハ86751は郡山工場で保管され続け、碓氷鉄道文化むら開設時にデッキを東海道時代の高さに復元して展示されている。
260 :
名無し野電車区:2006/09/07(木) 20:42:41 ID:qdn0TaTp
E217系3000番台
JR東日本が製造したE217系の寒冷地仕様。
4両編成で、半自動ドアスイッチを搭載。
車内はセミクロスシートである。
両毛線と長野・新潟地区に投入。
261 :
名無し野電車区:2006/09/08(金) 15:20:51 ID:SMw3vYnv
E333系
JR東日本が製造したE331系の改良版。
E331系の車体とE233系の内装を組み合わせた。
14両編成であるが、モーターを増設して加速度を向上させた。
262 :
エセレブ:2006/09/08(金) 21:59:21 ID:I7skiWEU
架空列車
蒸機特急「おおぞら」
1958年、東北特急「はつかり」の設定にともない、北海道側でもこれに接続して函館と札幌、旭川を結ぶ特急列車新設の気運が高まった。
北海道総局や道選出代議士らの熱心(「実弾」が飛んだとの噂も)な運動の結果、1959年度中に海線経由での運転開始が決まった。
しかし車両需給の関係で客車の新製はなく、既存車の整備改造で間に合わせるしかなかった。
客車の大部分は電車・気動車化で捻出した内地からの転属車に耐寒耐雪対策を施して充てた。
特ロはスロ54形、食堂車はマシ35形(1-3)、ハザはスハ42形をナハ11形並のアコモに更新・シェイプアップしたオハ36形と、やはり同様の設備に改装したスハフ42形を充当。ハニはオハニ36形とした。
所定編成は函館・旭川←オハニ36+スロ54×2+マシ35+オハ36×3+スハフ42→札幌の8両で、所属は函館。
但し当初はハザとハニの予備車が足りず、スハニ32形やスハ45形、スハフ44形が入ることもあった。
機関車は函館−札幌はC57形、札幌−旭川間はC62形で、いずれも小樽築港所属機。仁山越えには函館の8620形かC58形が後補機についた。(少しでも速度を稼ぐため、敢えてD51は使わなかったらしい)
もっとも、ダイヤが乱れた時にイレギュラーでC51形やC55形が牽引したり、山線経由になった時は急行をD51に振り替え、C62重連で牽引したこともある。
運転開始は1959年6月1日で、函館−札幌間は5時間ジャスト。
函館・札幌間牽引のC57形はかつての超特急「燕」以上のハードな運転で各部の傷みが早く、小樽築港機関区や苗穂工場は泣かされたとの記録や談話が残されている。
一方で札幌・旭川間牽引のC62は余裕釈々で、20分の遅れを回復した記録もある。
このため、函館・札幌間もC62牽引にすることも検討されたが、当時の千歳線の線路と路盤がC62の大重量と高速運転に耐えられるか不安視されたのと、1961年度中の特急形気動車投入が確約されたため沙汰やみになった。
1959年9月には北海道視察に赴かれた皇太子殿下(今上天皇陛下)が札幌→旭川間で下り1レをご利用になり、最後尾に御乗用車マイテ3911を連結するため、ハザを1両減車したこともある。
雪や台風による遅延や運休を除けば人身事故等の事故に見舞われることもなく、1961年10月改正で新鋭キハ82系に代替され、函館−釧路・旭川間特急として新装開店した。
263 :
エセレブ:2006/09/08(金) 22:14:08 ID:I7skiWEU
↑続き
珍しい記録では、1960年10月4・5日、台風による山線の土砂崩れと室蘭線鷲別付近での貨物列車の脱線事故の影響で1・2レとも胆振線経由になり、9600形が重連で牽引している。
E335系
スウェーデンS−TOGと同じ一軸台車連接構造を採用
車体長は10000mmx10両x2ユニット、アルミダブルスキン構造で一部にアルミハニカム
を使い台車の簡略化からE331、E333を上回る超軽量化で省エネを図る
DDM駆動のオールM
265 :
名無し野電車区:2006/09/09(土) 10:44:50 ID:ptc/M/Au
C-AU75D形クーラー
JR東海が開発したAU75のDC600V駆動仕様。
インバータ制御で省エネ化。
115系冷房準備車に搭載される。
別途DC-DCコンバータをクハ115に搭載しなければならない。
266 :
鉄道タイムズ:2006/09/09(土) 22:34:18 ID:pfGx+4Ta
◎国鉄(JR西日本/四国)近郊型交流電車713系1000番台
○車種 クモハ713-1000(Mc)、クハ712-1000(T'Ac) ○製造・車籍登録年 1987
○仕様 サイリスタ位相制御、ステンレス、三扉、セミクロスシート、ワンマン運転対応、半自動扉、クハに便所
○運行路線 因美・山陰線(郡家〜鳥取〜鳥取大学前)、鳴門・高徳・牟岐線(鳴門〜徳島〜阿南)、土讃線(土佐山田〜高知〜伊野)
○概説
1980年代、二十数兆円規模の赤字によって経営破綻した国鉄に対して再建と改革を実行された。
再建策の一つとして電化や新車導入などの新規投資が抑制され、さらに最後の処方箋として国鉄分割民営化が答申された。
この流れに「県庁所在地でありながら地元の国鉄がずっと非電化のままで取り残される」と危惧した鳥取、徳島、高知、松山の各市は電化の陳情を開始した。
ハチマキをして「電化で我が○×市に電車という都会的で洗練された乗り物を!」という趣旨の垂れ幕を持った陳情団が国鉄本社前、霞ヶ関、永田町にやって来た。
専門家や当の国鉄やから無駄の指摘があったにも拘らず、政治家をも巻き込んだ陳情の甲斐あって鳥取、徳島、高知、松山の各都市圏の電化が決まってしまった。
構想では鳥取では倉吉までだったのだが、現鳥取大学以西は小断面のトンネルが多く、費用が膨らむ事から断念。
電化方式は電車の本数が少ないと予想されたが為に費用が最少に済む交流の直接吊架方式、いわゆる簡易電化にした。
交流では架線の半径1m以内に近寄るだけで感電する危険があるので例えば陸橋下では路盤下げ工事を行うなど絶縁空間の確保が必要なのだが、
工事費削減の為に何と陸橋下などの該当箇所を無電区間にした。この距離はせいぜい20m未満。
267 :
鉄道タイムズ:2006/09/09(土) 22:34:56 ID:pfGx+4Ta
>>266の続き
この様な所に導入されたのが、83年に長崎・佐世保線用に新造された713系900番台を元に仕様を小変更された713系1000番台である。
同時期に高松都市圏用に新造された121系直流電車と共通点が多い。
車体幅は2,800mmとした裾を絞らない箱型のステンレス車体、ワンマン運転に対応した扉の配置―運転室隣など両端の扉は片開き、中央は両開き。
新製費用抑制の為に、ステンレス車体による軽量化とサイリスタ位相制御による粘着性能向上によりモーターの数を四つから二つに減らし―0.5M化し、
例えば台車は101系の廃車発生品再利用など可能な限り廃車発生品を流用した。
無電区間対策としてクモハのみならずクハにもパンタグラフを設置し、屋根上の高圧ケーブルを介してクモハに電気を供給。
運転台の近くの屋根上にパンタを設置。
電化区間が飛び地なので、ディーゼル機関車を使った回送や救援を考慮して自動連結器を採用。実は気動車との協調運転の可能性も考慮していた。
国鉄分割民営化直前の1987年3月、因美・山陰線の郡家〜鳥取〜鳥取大学前、牟岐線の徳島〜南小松島、土讃線の後免〜高知、予讃線の松山〜伊予市が電化開業、
713系1000番台が営業運転開始した。
都会と同じステンレス車体で冷房付きの電車が走る事は地元にとって悲願であり、地元の若者に憧れの原宿・渋谷の山手線―当時の主力―205系電車の様な
ナウイ電車を目にして歓喜し、開業当日は打ち上げ花火やパレードなどの電化祝賀イベントが開催されるなど祝賀ムードに包まれた。
1987年4月の民営化―JR発足―後、全車、JR西日本、JR四国の各社に承継された。
松山に配属された車両は、90年代初めに予讃線にて特急電車による高速化の為に高松〜伊予市が直流に統一された事で、
同時期に自治体支援で電化延伸した徳島と高知へ転属した。
268 :
鉄道タイムズ:2006/09/09(土) 22:43:16 ID:pfGx+4Ta
>>266-267の追記
これらの飛び地的な交流電化によって、沖縄を除く全国の各県庁所在地のJRは電化された。
269 :
ミウナ:2006/09/09(土) 23:09:32 ID:VC9zqHvK
蒸気列車特急「ニセコ」
>>262の運転開始に合わせて山線の急行「ニセコ」も特急に格上げしようという
構想が浮上した。それに備えて44系の北海道仕様を急遽製造されることになった。
形式はスハ46とスハフ45でスハニ35の北海道型にし、郵便合造化した
スハユニ35もある。狭い窓幅はやめ、スハ45・スハフ44と同じ窓割で
一見しても43系と見分けがつかない。シートは回転式クロスシートである。
新規製造された車両と内地用スハ44・スハフ43から改造された50番台がある。
また食堂車としてマシ35のほかにオシ16とオシ17が極寒改造の上500番台
として編入・またグリーン車はスロ54のほかにスロ60・ナロ10・オロ11
が内地から編入された。後にスロ54・62とオロ11となる。S44年にハザを
45系に統一化し、スハ45-800番台とスハフ44-800番台に改番された。
編成は
函館←スハユニ36-スロ54(スロ62・オロ11)-マシ35(オシ16・17)-スハ46(45)×3-スハフ45(44)→札幌
配置は札幌。牽引は全区間C62型で小樽からは重連運転である。まれにD51
型を使用することもあった。またさらに滝川を経由して帯広まで運転する「とかち」
としても使用され、この場合は滝川まではC62・滝川からは根室線はC58又は
9600型を使用した。狩勝峠ではD51又は9600型が後部補機となった。
北見行きの「北海」では旭川までは
>>262と同じで石北線では9600型を使用し、
常紋・石北越えでは9600型の重連で牽引した。
新鋭キハ82系の生産が軌道に乗り始めるとこのような列車の存在価値を失うことに
なり、1969年にニセコを除いてすべて気動車特急化されてしまった。
ニセコは87年まで特急で生き残ったがこの時は食堂車とグリーン車は消え、
編成も14系の5両にまで減車された。牽引も蒸機からDD51型となった。
止めを刺したのはキハ183系の投入・室蘭・千歳線経由の常態化であったのは
言うまでもない。
270 :
鉄道タイムズ:2006/09/10(日) 02:35:35 ID:MWn1vK+w
>>268の注記と訂正
後で気が付いたのですが、
>>266-268を記した当時、三重県の県庁所在地である津市並びに津市を通るJR紀勢線のことを忘れていました。
1982年に既に電化された関西線の名古屋〜亀山を―亀山で方向転換した上で―電化延伸する様に、
国鉄分割民営化直前の1987年3月に紀勢線の亀山〜津も電化された、
と補完しておきましょう。
>沖縄を除く全国の各県庁所在地のJRは電化された。× → 沖縄を除く全国の各県庁所在地のJRには必ず電化路線が存在するようになった。○
271 :
二百求刑:2006/09/10(日) 03:10:49 ID:Bl/ugMQf
国鉄・207系量産車
207系900番台はVVVFのコストが高くて1本だけにとどまったが。
当形式は205系と同様の界磁添加励磁制御となった。
よって203,207とはパンタグラフの位置が違い、前面も207−900の左右対称から
左側に非常ドアをオフセットした非対称前面となった。
運用は203等と共通のK運用。
205系と同じモータなので、10連10本が作られ、松戸電車区に配置
272 :
名無しでGO!::2006/09/10(日) 08:30:48 ID:10KZmQD1
>>268 >>270 「架空」の話だから良いかも知れないが、全国の県庁所在地(除く沖縄)でJR線非電化の都市としては、
津(三重)の他に鳥取、徳島、高知があり、山口も合併で新山口が山口市に編入されたが、県庁所在地代表駅の山口は非電化。
273 :
名無し野電車区:2006/09/10(日) 16:16:26 ID:I2EHcvMA
サロ211-5000番台
JR東海が製造した211系5000番台のグリーン車。
車体は0番台と同様だが、冷房がC-AU711に変更されている。
名鉄特急に対抗して製造。
一部311系に組み込まれた車両もある。
>>271で閃いた!
JR束 207系800番台
この車両は京葉線と有楽町線の直通運転用に製造された。
貫通扉の位置は900番台と不変で
帯の色は黄色である。
運転区間は和光市〜新木場〜蘇我または東京〜蘇我である。
275 :
エセレブ:2006/09/10(日) 19:01:02 ID:bRdOvM7Y
JR北 新10系客車
2005-06年、JR東がE231系増備と211系転配の過程で余剰になった普通形グリーン車のサロ210・211形を譲受し、14系座席車の代替に客車化したもの。
中間車はオハ10形でトイレ・洗面所付。
0番台は自由席車。100番台はドリームカー(通年指定席)でシートピッチを1250_とした。
緩急車はトイレ・洗面所なしで、発電機関はコマツDMF11HZ-Gで、発電機は300KVA。
改造範囲を抑えるため、乗務員室位置はサロ時代のまま。後方監視用のリヤビューカメラが妻面貫通路真上に設けられた。
ブレーキはサロ時代の電気指令式を踏襲(改造)し、最高速度は110km/h。
各車間には特急車同様のダンパーを通して高速運転時の動揺抑制を図った。
設備は基本的にサロ時代のものを整備して再用。但し天井板・内張・床は全面更新。また、ドリームカーはキロ182形の座席を整備して再用。
外装はステンレス外板にクリーニングとコーティングを施し、窓下のカラーストライプはぶどう色1号をベースに、中央に金色のラインを通した。
酷寒地対策を施し、客用扉はボタン式半自動開閉も可能。
2006年11月より急行「はまなす」の座席車を代替する予定だが、苗穂には未改造のサロ211形が数両あり、1・2レに座席車を増結するという噂が取り沙汰されている。
276 :
エセレブ:2006/09/10(日) 19:10:14 ID:bRdOvM7Y
追加・補足
緩急車形式はスハフ10形。
側窓は二重・固定化された。
JR貨物14系客車&客貨列車
スイスの郵便バスを参考に「貨物列車に客も乗せる事はできないか?」という突拍子もないアイデアでもって誕生。
車両はJR各社で持て余されていた14系座席車を借用(のちに購入)。内外装共に変更は無く、深夜帯コンテナ貨物列車の最後尾あるいは機関車次位に一両から三両ぐらい連結。
乗り心地は微妙な上、客扱いは貨物駅にてというものだったが、料金が格安(高速バスと同等以下)であり、なかなかの人気を博している。
JR貨物では、廃車予定の電車を客車化改造して、客車増備を進めていくと同時に、寝台車連結も検討しているとの事。
もちろん、「貨物鉄道がなぜ旅客を?」「旅客鉄道各社を潰す気か?」という疑問の声は内外から根強くあり、2ちゃんねるでも賛否両論別れている。
しかしながら、地方在住のヲタからは「この列車のおかげでコミケに行けるようになった」と感謝されているらしい。
ハイファンタジーな列車スマソ。
でも、個人的にはこれが最も効率的な客車の運用方法だと思う。
278 :
名無し野電車区:2006/09/10(日) 23:24:13 ID:AntFz9Pq
キモハ40・47・48・52・58など
電車と気動車の両方をこなせる万能型車両
現在上記のキハが導入されているすべての路線が導入対象となっており、電化区間はパンタグラフを上げて高速走行、非電化区間への出入りの際はパンタグラフを落として、搭載されているディーゼルエンジンで走行する。
ステンレス仕様ながらも全面塗装されており、昔ながらの車両を再現できているのがいいという評判を生んでいる。
内装はセミクロス主体でボックスシートのシートピッチは910ミリと広めに作成されており、ミニロングシートが一部のみに存在している。ただし、導入線区によってオールロングシート車も導入される予定だ。
もちろんトイレ(車椅子対応)も完備されている。
この車両の導入目的は、乗り換えの負担削減による大中小都市間の相互輸送改善によるものである。
279 :
名無し野電車区:2006/09/11(月) 00:38:17 ID:VN7T45yA
E233系800番台
JR東日本が開発したE233系の地下鉄乗り入れ仕様。
車体幅が2800mmに縮小され、前面に貫通扉が付いた。
内装はE233系と同じ。
千代田線の203系置き換え用。
>>278 少し便乗します。
キモハ11-100
キモハ40シリーズと同じ発想でJR東海が製造した車両。
内外装はキハ11と共通であるものの、駆動方式は電気式に変更され、パンダグラフがつけられるなど、奇妙奇天烈な車両に仕上がった。
エンジンと発電機の大きさの都合上、やむなく釣り掛け式を導入。爆音を轟かせながら高山本線を疾走していた。
連結器は自動連結器で、キハ11と併結可能。(ただしキハ11側はエンジン使わずT車扱い)
四両製作されたものの、整備が面倒な上に電化区間乗り入れ運用がほとんど皆無であるなどの理由により、増備予定は無く、キハ11に置き換えられた上で早々に休車。103と104は試験的に燃料電池車化改造される予定だが、101と102の処遇は不明。
なお、東海交通事業城北線も同型車(キモハ11ー200)を所有しており、こちらは中央西線高架化に合わせて名古屋から直通列車を走らせる為に使用する予定との事。
281 :
エセレブ@会社でンコ中 :2006/09/11(月) 12:29:04 ID:JldwqrtP
>277
格安高速バス同様、JR貨物直営の旅行会社主催のツアー列車にしては?
安い代わり変更不可とか。
282 :
高橋愛長細い顔:2006/09/11(月) 14:17:04 ID:lVmyJZES
JR東日本E533系
羽越本線の交直デッドセクション通過用の新型ローカル電車。
JR西日本521系に次いで2番目に登場するワンマン運転も可能な交直流ローカル電車である。
室内はオールロングシート。
運転区間は羽越本線新津〜酒田及び白新線全線。
283 :
.:2006/09/11(月) 14:42:30 ID:oTqe5m0X
ワム80000形680000番台:
車体直結車輪を一軸台車にマイナーチェンジした物。
コンテナ輸送に押され、旅客転用(トロッコ列車の種車)
284 :
名無し野電車区:2006/09/11(月) 15:38:16 ID:4EJAPaRF
E721系2000番台
JR東日本が製造したE721系の長大編成対応バージョン。
形式は「E721系」を名乗っているが、実際はJR北海道の721系1000番台のコピー電車である。
3両編成と6両編成があり、北海道の721系とは異なり9両編成でも運転可能(システム上は15両編成まで連結可能)。
従来のE721系や701系とも併結可能。
285 :
名無し野電車区:2006/09/11(月) 15:58:28 ID:4EJAPaRF
50系客車JR東海仕様
JR東海に承継された50系客車。
全車両にC-AU711で冷改され、一部のオハフ50は冷房用発電エンジンを搭載し「スハフ50」に改番された。
塗装はJR東海標準色に変更。
紀勢本線や高山本線の普通列車のほか、一部は急行「ちくま」やトロッコファミリー号でも運用されたが、現在は全車廃車されている。
286 :
名無し野電車区:2006/09/11(月) 17:15:31 ID:0r4Y+cJb
JR九州 305系
この車両は103系1500番台の置換用。
筑前前原以西の3連ワンマン運用と6連ATOワンマン運転が共に可能。
もちろん内装はクロスシート
287 :
名無し野電車区:2006/09/11(月) 20:38:10 ID:kBMp2D3H
278の応用編
キモハシ10
基本的な構造は278のキモハ40などに順ずるが、こちらは小さな簡易食堂と普通客室の合造車両である。
オールボックスでテーブル付きの客室(座席数は32、8ボックス)と小さな調理設備(電子レンジ&IA調理器&ビヤサーバー付き)を持った食堂部分があり、かつてのサハシを思わせる内容となっている。
主にローカル線のイベント列車(ビール列車など)に活用するための車両として導入されたが、好評な事から、電化・非電化区間を問わずに臨時列車の増結車両としていろんな路線にひっぱりだこの人気振りを見せている。
サロシE533系
上記車両ベースの常磐線限定グリーン車・食堂車の合造車両
288 :
エセレブ:2006/09/11(月) 20:40:36 ID:JldwqrtP
架空列車のフジムラ教授的ヒストリー
特急「きたかみ」仙台〜秋田間(北上線経由)
ルーツは1958年3月に運転開始した客車快速。
オハ35・オハフ33とスロハ38・32を組んだ所定5両だが、牽引機がD51・D60で快速とは名ばかりの所要8時間超という鈍足ぶりだった。
それでも同年10月には東北・奥羽線の牽引がC57に代わり、7時間台に短縮した。
289 :
エセレブ:2006/09/11(月) 20:52:59 ID:JldwqrtP
>288続き
同時に準急に格上げされ、「仙秋」の愛称がついた。
1960年10月、小牛田にキハ55系が新製配置され、早速「仙秋」にも投入。所要6時間を切った。
1962年10月には2往復に増え、キハ58系の投入が始まった。
1964年10月には急行に格上げ。さらに1往復増発されたが、これは青森まで延長され、「あけぼの」と名乗った。
1968年10月には「あけぼの」が秋田発着に短縮され、同時に「仙秋」も含めて「きたかみ」に統一された。
290 :
エセレブ:2006/09/11(月) 21:12:40 ID:JldwqrtP
>288-289続き
1971年10月、仙台発1号と秋田発3号が特急「つばさ」のキハ181系付属編成を間合使用して特急に格上げ。「あおば」を名乗り、1972年3月には基本編成使用に変わって食堂も営業を始めた。所要時間は約3時間50分。
しかし1975年10月に奥羽線秋田電化が完成。「つばさ」が電車化されたため、「あおば」は急行「きたかみ1・3号」に戻った。
この頃の所定編成はキハ583両・キハ282両・キロ281両の6両で、最短4時間25分だった。
1982年の東北新幹線開業と田沢湖線電化・新幹線接続特急「たざわ」の運転開始で、「きたかみ」は仙秋インターシティの座を譲った。
291 :
エセレブ:2006/09/11(月) 21:27:44 ID:JldwqrtP
>288-290続き
ローカル急行になり、グリーン車も無くした「きたかみ」ではあるが、車両は水戸や美濃太田等から転属してきた冷房車に変わった。
仙台と一ノ関〜北上・横手地方への連絡や北上から横手地区への新幹線連絡、横手地区と県都秋田との気軽な速達列車としての使命は残っていた。
編成は所定3両に短縮されながらもJR移行後も「きたかみ」は踏み止まった。
しかしさすがのキハ58系も旧式化が否めず、近年中に開通する秋田自動車道に走り出す都市間バスとの闘いに敗れることは目に見えていた。
E竜宮07系
雛見沢線用に開発された車両。ベースはE233系で内装はE231系近郊型。車体にはひぐらしキャラのラッピングが貼られている。
クラクションの音は例の「嘘だ!!」である。ほかにも「はぅ〜」もある。
293 :
エセレブ:2006/09/11(月) 22:55:45 ID:JldwqrtP
>291続き
特急格上げと新型車投入の積極策か、快速格下げ・廃止の現実策か、多くの関係者や沿線住民は当然現実策を予想したが、あにはからんや、JR東は新型車代替策をとった。
即ち、1988年JR四国の汎用特急車・キハ185系を寒地向けにした準同形車「キハ151形」を富士重工に発注した。
但しキハ151形は主機関がコマツ製DMF11HZ(330PS)になり、液体変速機も新開発の3段直結式になった。
最高速度も120km/hと、同時開発の651系電車には及ばないものの、485系とほぼ同等、キハ181系を上回る高性能車だった。
1989年3月、「スーパーひたち」651系と同時デビューした「特急きたかみ」キハ151形は仙秋間を最短3時間21分で結んだ。
秋田新幹線工事による田沢湖線運休期間中はJR四国から移籍したキハ181系最終ロット車や急造特急車キハ110系が助っ人として加わり、北上発着の「きたかみ101〜号」としても運行した。
秋田新幹線開業と同時にキハ151形は小牛田から秋田に移籍。3両がお座敷気動車「おばこ(U)」(801-802・1801)に改造されるとともに「かもしか」1往復を485系から引き継ぎ、急行「よねしろ」も格上げ代替した。(普通列車区間は変更なし)
「きたかみ」は所定2両に短縮されながらも、定時運行と安全で秋田道高速バスとバトル中。冬季は3両に増結される他、田沢湖線が大雪で抑止された時は予備車も動員して5両になる。
相鉄編
10000系EVO(エボリューション)
10000系のボディに9000系の改良型パワートレーンを移植した車両。
主な改良点はVVVFをIGBT化、出力アップ(180KW→280KW)、ブレンボ社製ブレーキシステム装備、ビルシュタイン製ワンオフエアサス、ゲトラグ社製直角カルダンギア、特製エアロパーツ、レカロ社製フルバケットシート(運転席)などである。
295 :
エセレブ:2006/09/12(火) 09:47:56 ID:sQCVU+3n
JR キハ185系特急形気動車グループ(1986〜)
北海道向けのキハ(N)183系とともに国鉄最後の特急形気動車として登場し、四国に配属された。
JRになってから移籍や強馬力形等がJR他社にも登場し、表看板車両ではないが、急行形のコンセプトを受け継ぐ「軽」特急車として活躍を続けている。
但し、JR四国・九州の「本家」0・1000番台は割愛。
JR東日本キハ151形
1988-89年に製造された。
機関はコマツ製330馬力2基。液体変速機も新型で、最高速度は120`時。
現在は全車秋田車両センター所属で、特急「きたかみ」「よねしろ」「かもしか」に運用中。
また、1997年に3両がお座敷車「おばこ」に改造。
JR西日本 キハ185系100・1100番台
1989-90・93年に山陰線西部用として製造された。
足周りや性能はキハ151形とほば同じ。
「おき」「いそかぜ」に投入されたが、キハ187形が投入されたため、「いそかぜ」のみに運用中。
元「おき」車は岡山と広島に転属し、「砂丘」「いなば」「みよし」に使用中。
JRE キハE151系特急型気動車
2011年、磐越西線高速化により運行開始した新潟〜郡山、いわき間(なお郡山駅で仙台、盛岡方面の新幹線と接続)特急『びゃっこ』用として製造されたハイブリッド気動車。
キロハ含む4両(キロハE151+キハE150+キハE150-100+キハE151)の基本編成と2両の付属編成(キハE151-100+キハE151-200)に別れ、『いなほ』、各種臨時列車にも使用されるなど汎用性が高く、最高時速130キロと意外と高性能で、都内にも乗り入れ可能。
車体構成はE257系電車ベースとされ、キロハはE653ライクな非貫通型、その他の先頭車はE257系貫通型ベースの前面になっている。
エクステリアコンセプトは白ベースで四聖獣が水墨画調で描かれて(キロハE151・白虎、キハE150・朱雀、キハE150-100・青龍、キハE151・玄武、キハE151-100・白虎と朱雀、キハE151-200・青龍と玄武)おり、キロハE151はクロハ884よろしく中央にドアとデッキが付いている。
インテリアコンセプトは基本的にE257系ベースで、モノトーンベースにアクセントカラー(デッキ部はドア、客室内はシートモケットのツートーンになっているところ、サニタリーの外板の一部)が効いたもの。
シートはE257系のものを改良し、グリーン車は横4列ながらリクライニング角度が増し、レグレストと収納型テーブルが付き、普通車は簡易型フットレストが付いた。
サニタリーはキロハE151、キハE150-100、キハE151-100に付いており、キハE150-100とキハE151-100は車椅子対応。
室内アクセントカラーはキロハE151がシルバーグレー、キハE150がレッド、キハE150-100がブルー、キハE151がグリーン、キハE151-100がイエロー、キハE151-200がパープルとなっている。
余談ながら某音楽ゲームファンの鉄から『カーディナルゲート特急』と呼ばれている。
297 :
名無し野電車区:2006/09/12(火) 19:39:42 ID:zz19RWJC
>>285 50系6000番台
JR東海で50系客車にリクライニングシート化改造を行った車両。
やはり塗装はJR東海標準色である。
急行「ちくま」や団体臨時列車などに使われた。
298 :
エセレブ@コテハンて儂か:2006/09/12(火) 19:49:33 ID:sQCVU+3n
↑巨大なお世話様。
C61形改修車
C61のボイラーを高圧缶(16kg/cm3)に取り替え、シリンダーをボアダウンした。
これによりシリンダ牽引力が上がり、軸重とのバランスを取るため死重を搭載。
これで機関車重量は81.9t、動輪軸重は14.5tになってC57より大きくなったが、使用線区はD51と同一だったため、実用上は何の問題もなかった。
むしろ、軸重増とシリンダ牽引力増でより運転しやすくなったと機関士からは好評を得た。
1956-58年に大宮・郡山・盛岡・土崎・小倉工場で33両全てに施工。
E235系5000番台
2014年に横須賀線E217系の後継として投入されたE235系0番台を相鉄直通仕様に仕立てた車両。
車体幅を2930oに変更した以外は標準車と同一である。
300 :
名無し野電車区:2006/09/12(火) 23:54:06 ID:Mvwco4I/
東武鉄道2000系一般型電車
東武鉄道が8000系の総取替え用に投入を開始した、新型通勤電車。8000系と同じく長期使用を見越しているのか、かなりの重装備になっている。また、東武鉄道の全線区と、乗り入れ先にまで対応できるように設計されている。
車体は50000系列に引き続き、日立A-train規格アルミダブルスキン構造を採用。20m車体、片側4ドア。
編成数は2・3・4・6・8・10連が存在。3連は伊勢崎線末端区間のワンマン運転用、10連は東上線及び半直用。
なお、長距離乗車に配慮し2・10連以外は先頭車に洋式トイレを設置した(反対側は車椅子スペース)。
MT比は1:1を基本としているが、3連車は故障時のバックアップ用に2M1T、地下鉄用の10連は6M4Tとなっている。
座席はオールロングシート。天井部はメトロ10000系で実用化されたユニット形の天井部を採用。室内蛍光灯はHfランプ(高周波点灯蛍光灯)を採用した。32Wのものを一両辺り26本設置。
各ドア上に二枚の液晶モニタによる情報装置を設置。ドアは冬季条件を考慮し、半自動扱い可能。
制御装置は日立2レベルIGBT1C4M2群制御。主電動機は新開発の交流同期電動機TM-10(250kW)。出力は250kWと大きい。
閑散区間での回生失効に備え、T車の床下にブレーキ抵抗器を設置。
駆動方式はTD継手並行カルダン。ギア比1:5.31(16:85)。
台車は車体直結式空気バネ台車(ボルスタアンカ付き)。軸箱支持方式は軸はり式。
起動加速度は3.3km/h/s、最高運転速度は130km/h。130km/h時加速余力1.6km/h/sと高い。
A-A基準に対応し、また東武ATS・メトロATC・東急ATC・ATS-P・西武ATS・秩父ATS・会津/野岩ATSに対応しているため、理論上東武鉄道の直通先全てで運用可能。
301 :
名無し野電車区:2006/09/13(水) 17:20:37 ID:d+Qz3W7a
313系6000番台
JR東海が製造した313系の8両固定編成バージョン。
車体や内装は5000番台とほぼ同様。
JR西日本の新快速に対抗して8両編成を登場させ、ラッシュ時には12両編成での運転も見られる。
15両編成(0or1000番台+6000番台+1500or8500番台)も可能らしい。
302 :
名無し野電車区:2006/09/13(水) 22:00:03 ID:rSYNJItj
東武・野岩・会津6100系
快速などに使用されている6050系の後継車両
2扉・セミクロス・トイレ付きという内装形態は現状とほぼ変わらないが、ボックスシートのシートピッチが少し拡大された。このため、扉横のミニロングシートはすべて無くなっている。
ちなみにこの車両は、278などで紹介しているような電車・気動車兼用車両である。
基本運用範囲は浅草〜会津田島で、兼用という長所を生かして会津若松まで運転される運用も存在する。また、地下線乗り入れの機器や性能を持っているので、最長で中央林間までの乗り入れが可能だ。
(ただし、中央林間〜会津若松までを結ぶ通し運用は無し。中央林間〜押上間は臨時列車などの運用のみで見られる)
303 :
名無し野電車区:2006/09/14(木) 01:55:13 ID:23nToHuv
オハ15・スハフ15・オハ25・オハフ25
客が減っていった寝台急行・寝台特急に座席車が連結される事になった。
オハ14・オハフ14と基本的には同じだが、当初から回転リクライニングシートを採用したり、集中式クーラーの設置、コンセントの全座席に設置などが行われている。
14系15形客車に関しては発電は発電容量が14系14形より大幅に大きくなっている。
また300番台はシャワー室が2つついておりサービス向上が図られた。
304 :
名無し野電車区:2006/09/14(木) 12:11:59 ID:JarKRhUk
サロE233・サロE232
E233系のグリーン車。
305 :
名無し野電車区:2006/09/14(木) 12:56:45 ID:JarKRhUk
クモハ201・200-1000番台
JR東日本で201系を2連化するためにモハユニットを先頭車化改造した車両。
クモハ201は「前パン」を避けるため方転の上パンタグラフのない側に運転台を取り付けている。
南武支線専用。
限流値を下げているが、これでも加速度3.5km/h/sは出ていると言われている。
306 :
エセレブ:2006/09/14(木) 20:47:30 ID:h3Y3DSm1
実在車でっちあげ履歴
JR東日本 C6223号機
1970年10月の呉線電化で糸崎区のC59とC62は全運用から退き、廃車前提の一休になった。
しかし遠く小樽築港へのDD51配属が遅れ、急行仕業に就くC6232・44号機の全検切れも近づいたため、検査期限に充分余裕がある15号機と16号機に白羽の矢が立った
ところが16号機の台枠に致命的な亀裂が見つかったため、検査期限はやや早いが、常磐線時代から好調ぶりには定評があった23号機が急遽転属。苗穂工場で改装工事を施工。
同機は元々軽軸重のため、先に全検が切れたC6232に代わって1970年11月下旬に運用入り。12月初めに32号機とテンダを振り替えた。
23号機は「ゆうづる」専用機と言われた元常磐線のトップスター機で、2号機との重連は「特急仕業」と言われ、2+3号機のゴールデンコンビと人気を分けた。
1971年9月15日の「ニセコ」最終仕業は103レの本務機だった。
本機は9月下旬に休車となり、1972年3月末で廃車されたが、福島県いわき市をはじめ、常磐線沿線の各市町村が保存を希望し、結局いわき市に貸与が決定。
1973年6月、常磐ハワイアンセンター内に屋根付で静態保存されたが、旧平機関区OBや有志による保存会の手で完璧に近いコンディションが維持された。
1987年、JR東の蒸機動態保存計画では最終選考まで残ったが、僅差で後閑のD51498号機に敗れたが、復活待望の声は止まなかった。
1990年、2年後のJR5周年記念行事の一つとして蒸機復活第2弾が計画され、本機が選ばれた。
大宮工場で整備の末、1992年1月に竣工・車籍復帰し、高崎運転所に所属。
「奥利根」号をはじめ、主に本線筋でのイベント列車牽引に従事。常磐線や東北線では最高95キロ時で快走する。
307 :
名無し野電車区:2006/09/14(木) 21:04:37 ID:6Uq+Cs9s
>>306 C62絡みではこんなでっち上げ履歴は・・・(史実を改変)
JR西日本C621・JR北海道C624号機
1956年の東海道本線全線電化後、先に渡道していた2・3号機の後を追う
ように一時期の保留状態を経て小樽築港機関区に配置された。その後、1+2,3+4号機の組み合わせ
が人気となり、北海道引退時は2+1+3、2+3+4という組み合わせのさよなら
3重連運転で最後を飾った。梅小路蒸気機関車館設立時は原則トップナンバーを
保存することから1号機が選ばれたが、ぜひ2号機も加えて欲しいという声で当時の国鉄本社が
1・2両機の保存を決定、動態保存された。
3・4号機はその後延命嘆願で1976年まで車籍が残り、廃車後3号機は手宮に
静態保存され、4号機は北海道の某所で静態保存された。
国鉄が民営化後、1・2号機はJR西日本の所属になり現在に至り、3号機は
国鉄最終日に構内走行した後復活工事により蘇った。そして「やはり山線
は重連を」という声が高まり、現役時代名コンビを組んだ4号機の復活を計画
され、3号機に準ずるレストアを施された。
その後はJR西日本の1・2号機は引き続き梅小路で時々スチーム号の牽引で、
3・4号機は苗穂工場で保管されている。
308 :
エセレブ:2006/09/15(金) 21:01:41 ID:5dZFw/6E
国鉄→JR東・貨ED62形(史実のED62形はED63形になる)
輸入機や社形電機の代替を狙って1958年に登場したED60形だったが、実際に運用してみると、線区によっては出力過大で電圧降下を起こすことがあり、より小型軽量のD形電機が求められ、1960年度に設計が始まった。
基本性能は定格出力1000KW、運転整備重量52トン、全界磁定格速度38km/h、最高速度95km/h
牽引力は9600形蒸機、最高速度はC50形蒸機を目安とした。
主電動機は新開発のMT53形(定格255KW・総定格出力1020KW)、駆動方式はクイル式が日本には合わないことが明らかになっていたため、安定した釣掛式を採用。
制御方式はEF62・63形同様の電動カム軸バーニア式で粘着性能向上を狙った。
また耐寒耐雪構造で重連総括制御としている。
外観はED75形交流電機の縮小版で貫通扉付きである。カラーリングは初めから青系の一般形塗装を採用した。
1962年8月に日立製の1号機と日本車輌+東洋電機製の2号機が竣工し、国立機関区に配属されて南武線・青梅線で実用試験が行われた。
1963年9月に第1次生産形の3〜7号機が日車、日立で竣工した。
生産は3次にわたり、1968年9月竣工の25号機で終了した。
1・2号機も1967年に量産形化工事を施工し、機器更新された。
新製配置は国立・甲府・伊那松島機関区で、南武線、青梅線、身延線、飯田線飯田以北で運用。
ED16以外の旧形・輸入・社形電機が一気に淘汰されたため、旧形電機ファンからは蒸機ファンにとってのDD51・DE10形同様怨嗟の的になった。
使用線区の軌道強化や貨物輸送の減少によって1970年代後半から異動機が出始め、沼津機関区や高崎第二機関区等への転属が相次いだ。
ローカル線の貨物輸送縮小・廃止や大型機への代替で1981年には1・2号機が廃車。以降、国鉄消滅までに15両が廃車された。
JR東には23-25号機が継承され、高崎車両センター所属で3両とも健在。
イベント列車の牽引・補機や工臨・配給で運用中。
12系客車6両程度なら問題なく牽引できるため、「奥利根」運用で年に数回、上野に姿を見せている。
貨物に継承された7両は全機篠ノ井に配置され、主に飯田線で運用されたが、1998年に全廃された。
19号機がJR東海に譲渡され、佐久間レールパークに保存されている他、大宮工場に12号機が保管されている。
309 :
名無し野電車区:2006/09/16(土) 01:19:25 ID:QT0htu+v
阪急7200系
阪急電鉄が製造した7000系ベースの純電気ブレーキ試験車。
VVVFインバータ制御じゃないのに強引に純電気ブレーキを搭載。
回生失効後はモーターに逆方向の電圧をかけることで低速でも電制がかけられるようにした。
しかしモーターの負荷が大きすぎるために実用化されなかった。
310 :
鉄道タイムズ:2006/09/16(土) 03:10:03 ID:kAPEYweC
◎国鉄近郊型交直流電車401/403系郵便荷物合造車クハユニ401
○車種 クハユニ401(Tpgc)
○製造・車籍登録年 1966 ○廃止・車籍抹消年 1986
○仕様 運転室寄り車体半分が郵便荷物室、残りが普通客室 客室用両扉二つ、郵便荷物室用防護柵付両扉一つ 客室セミクロスシート 便所付
○運行路線 常磐線上野口、水戸線
○概説
1961年の常磐線取手以北の交流電化以後、客車を用いた普通列車を電車に置き換える為に401/403系交直流近郊型電車が投入された。
電車へと置き換え対象になる客車列車には郵便・荷物車を連結したものがあった。
そこで、東海道などの既存の直流電化路線と同様に、郵便荷物電車の製造が企画された。
当初は、東海道などの既存の直流電化路線に使用されているクモユニ74の交直流版を目指していたのだが、
当時の技術水準では、交直流電車自体が直流電車に比べて高価な上に、室内に機器室を設置しなければ単行運転可能な交直流電車を製造出来無かった。
結局、クハ401-23〜を
恐らく
>>311へ続く
311 :
鉄道タイムズ:2006/09/16(土) 03:11:09 ID:kAPEYweC
>>310の続き
土台にした郵便荷物合造付随車を製作する事となった。
車体の内、郵便荷物室と客室が半々であり、運転室寄りが郵便荷物室である。運転室から、一般的な運転士などの乗務員扉、郵便荷物室用の防護柵付両扉一つ、
客室用両扉二つであり、真ん中の客室用扉の運転室寄りが郵便荷物室と客室の境界となった。
車両呼称はクハユニ401。
1966年にデビュー。モハ401/403、モハ400/402、クハ401と共に[上野← Tpgc + M' + M + Tc ]の四両編成に組成された上で、
常磐線の―特に交流区間にて―各駅停車の郵便・荷物・新聞輸送に従事した。水戸線にも活躍の場を広げた。
クモユニ74と違って単行運転が出来無いなど使い勝手が悪く、三両しか製造されなかった。
70年以後、緩行線と千代田線の相互直通がブレイクとなって常磐線沿線開発が深度化し、茨城へと拡大し、通勤客が年々大きく増加するなど通勤事情が悪化する中、
クハユニ401を上野方向に組み込んだ編成は邪魔者扱いされてしまい、土浦以南―上野口へ運行される機会が減らされた。
同時期に製造された403系は冷房改造されたが、クハユニ401は最後まで非冷房のままで、全車が401系のみからなる編成に組み込まれた。
82年に道路事情改善による鉄道郵便荷物新聞輸送需要の減少を理由にクハユニ401による郵便荷物新聞輸送が廃止。
85年のつくば万博用の臨時列車(取手〜土浦)を最後の花道とし、国鉄分割民営化の前年である86年に廃車された。
312 :
エセレブ:2006/09/17(日) 00:12:38 ID:J1aYXM8/
国鉄 3等・食堂合造車 スハシ38形 スハシ38151
1953年にマハ49形から整備改造されたハシ車。
元々は1935年に小倉工場で製造され、九州内急行に投入されたスロシ38009→スロシ3820(1941)→マハ4920(1944)で、軸受の焼き付きで広島駅構内に留置中の1945年8月6日に被爆。屋根をほぼ焼失した。
復旧は小倉工場で1946年2月完工。窓配置は変わらないが、絞り折妻・リベットレスの姿に生まれ変わった。
厨房の復旧は最小限で、石炭レンジは存置されたが、天井水タンクや冷蔵庫は焼損がひどく撤去された。
その後は品川に転属し、長距離列車で車販基地兼用車として運用されたが、食堂車の需要増のため復元されることになり、1953年7月初めに長野工場を出場した。
スハシ38形の丸屋根グループだが、屋根周りの形態等が異なるため、150番台151号車になった。
3等客室は他車同様スハ43形に準じたが、照明も2列にしたため明るくなった。
厨房は石炭レンジ以外はほぼ一新され、流しや蹴込み板をステンレス製にする等、マシ35形の影響を色濃く受けた。
また、氷冷蔵庫も保冷能力が高い新型を導入した。
本車は仙台に配属され、スハシ29形等と共通運用で急行「青葉」「松島」等に使用された。
1960年にオシ172051-2055が仙台に配置されると運用を失ったが、ほどなくスハシ385とともに秋田に転属し、羽越線経由上野−秋田間急行「鳥海」(奥羽線経由急行は「たざわ」と改名)運用についた。
(予備車は「たざわ」と共通のオハシ30形)
しかし、1962年、秋田にオシ17形が転属するとスハシ385は廃車。新潟に転属してオハシ30形2002・2003とともに上野−新潟間急行下り「佐渡」上り「越路」に運用された。
3軸ボギーの本車は当初こそ予備車だったが、当時営業を担当した「聚楽」従業員によれば、休憩室があり厨房の設計が新しい本車の方が圧倒的に好評で、利用客の評判も同様だったため、ほどなくオハシ302003とレギュラー運用を交代した。
1963年6月の165系電車化によりリタイアしたが、翌年末、スエ38形に改造。長野に配置され、1981年に廃車された。
313 :
名無し野電車区:2006/09/17(日) 11:44:45 ID:1J4CKbEC
クモハ415-0番台
415系の制御電動車。
羽越本線に投入。
315 :
名無し野電車区:2006/09/17(日) 18:37:01 ID:/9RTmpEy
485系両軌道・両電圧対応版
1992年7月1日の福島〜山形間、1999年12月4日の山形〜新庄間の標準軌化に伴い、
福島〜秋田間の直通が不可能となったが、同区間の直通の要請の声があり、
直通列車の設定に伴い登場した車両。
400系、E3系のある山形車両センターに所属。
列車愛称はかつての山形〜秋田間を中心に運転されていた特急の「こまくさ」となる。
両電圧と対応となったのは、東京直通にも対応するため。
新幹線駅ではステップが出るように対応。
繁忙期の臨時「つばさ」として充当もできる。
316 :
名無し野電車区:2006/09/17(日) 18:47:25 ID:/9RTmpEy
>>315の続き・訂正・補足
奥羽本線福島〜秋田間の485系両軌道・両電圧対応版だが、
田沢湖・奥羽本線の盛岡〜青森間の直通を可能にするため、
E3系のある秋田車両センターにも配置。
こちらの愛称は「たざわ」となった。
山形車同様、新幹線駅ではステップが出るように対応。
繁忙期の臨時「こまち」として充当もできる。
訂正
東京直通にも対応するため。→新幹線経由で東京直通にも対応するため。
補足
最高速度については、在来線区間は130km/h、新幹線区間は160km/hまで対応改造。
臨時「こまち」・「つばさ」の場合、400系・E3系充当よりも時間はかかるが、
東京〜秋田間(福島・山形・新庄経由)の「つばさ」や東京〜青森間(盛岡・大曲・秋田・大館・弘前経由の)「こまち」も設定が可能になった。
317 :
名無し野電車区:2006/09/17(日) 18:49:50 ID:/9RTmpEy
>>316の2行目の最初に
1997年3月22日に不可能となった
を追加
318 :
317:2006/09/17(日) 18:50:21 ID:/9RTmpEy
スマソ、3行目だった・・・orz
319 :
エセレブ:2006/09/17(日) 20:20:04 ID:J1aYXM8/
鉄道省スロネ37450形→スロネ36形→スロネ37形
マロネ37400形の増備として1940年に大宮工場で3両製造された。
車体はマロネ37400形全溶接車と基本的に同じだが、客室側窓はオロ40・スロハ32ロ室と同じ1200mm幅の磨きガラスを採用した。
台車は試作のゲルリッツ2軸台車を採用。
このため自重が若干軽くなり、「ス」級に納まった。
1941年12月の形式称号改正でスロネ36形(1-3)に改称。
3両とも戦災を免れ、1945年9月には早くも占領軍車両に指定され、1949年12月末まで指定されていた。
1950年に大宮工場で更新修繕を行い、同時に台車をTR40Bに交換した。
1953年に再度形式称号改正が行われ、スロネ37形に改称された。
デビュー時は2等寝台車唯一の「ス」級だったため、初めは上野〜長野・金沢経由〜大阪間急行に使用。戦後の米軍用指定解除後は東北・奥羽線方面の急行に使用された。
1959年に電気暖房化されてスロネ372001-2003に改番されたが、オロネ10形の増備で1960年には急行運用から退き、1963年には準急からも退くこととなり、専ら多客期臨時列車用になった。
1965年には竣工時から所属していた尾久から品川に転属して淘汰が進むマロネ29形を代替したが、1968年10月のダイヤ改正での非冷房ロネ全廃により引退。1969年3月末に廃車された。
大井工場に2001が保管され、2002・2003は1969年8月に大宮工場で解体された。
2001は長らく保管されていたが、大宮鉄道博物館で公開展示される予定である。
320 :
名無し野電車区:2006/09/17(日) 21:15:26 ID:XMlZ3WOz
413系1000番台
国鉄が製造した413系の50Hz仕様。
451・453系が種車である。
羽越本線と東北本線に投入。
交直両用であるため東北本線用は以前は宇都宮まで乗り入れる運用があった。
|∀゚)っ[ 417 ]
オロ11
オロネ10の好評に続き、優等列車用に製造された1等座席車
ベースは同じく20系のナロ20であるが、発電機を吊り下げる
など、相違点が見受けられる。
なお、ナロ10を低屋根化の上、冷改した車両は500番台を
名乗る。
全国の急行列車に連結され、一般型客車の全廃まで活躍
した。
以下、チラシの裏
他のスレから来ますた。がいしゅつネタかと思いますが。
Nゲージで客車急行をイメージして編成を組むと、スロ62や史実
のオロ11では寝台車と屋根の深さに段が出るのがなんとなく
好みでないので、中古で買ったナロ20をベースに改造を考えた。
323 :
鉄道タイムズ:2006/09/18(月) 04:08:51 ID:Kwr/tu9b
>>38-40に続くラックレール空想
【1】国鉄(JR西日本)交流電気機関車EB40形
・特記仕様:ラックレール対応;シュトルプ式―最急勾配120‰、動輪用電動機二基&ラックレール歯輪用二基、軸配置;A-1-z-z-1-A
サイリスタ位相制御、1時間定格出力;1000kw(動輪)&1000kw(歯輪)、回生ブレーキ、電磁吸着ブレーキ、ステンレス車体、貫通路
477系や487系との協調運転;双頭型両用連結器、電気連結器
・運行経路:黒部北アルプス線;大町温泉〜扇沢〜黒部ダム〜馬場島〜水橋、北陸線;水橋〜富山
・製造年:1981
【2】国鉄(JR西)交直流急行型電車477系
・車種:クモハ477(Mc)、クモハ476(M'c)
・特記仕様:EB40との協調運転;電気連結器、空気バネ台車パンク装置、クモハの先頭台車電動機未搭載、ステンレス車体
・製造年:1981〜83
・運行経路:大糸線;松本〜北大町&黒部北アルプス線;〜大町温泉〜黒部ダム〜&北陸線;水橋〜富山
【3】国鉄(JR西)交直流特急形電車487系
・車種:クモハ487(Mc)、クモハ486(M'c)、モハ487(M)、モハ486(M')、サロ486(T'ks)
・特記仕様:477系を土台に特急電車化;歯車比変更、高運転台非貫通、片側扉一つ、サロに厨房付売店
・製造年:1983
・運行経路:新宿〜信濃大町〜黒部ダム〜富山〜金沢〜福井
○概説:
古来より東京と富山や金沢との交通は日本海まで迫る長大で急峻な飛騨山脈(北アルプス)に阻まれ遠回りせざる得なかった。
黒部ダムへの資材運搬用トンネルを活用した立山黒部アルペンルートの整備並びにラックレールを採用した草軽登山鉄道(
>>38-40)に感化されて
国鉄は東京と富山の近道として信濃大町から富山を直結する新線を計画。
※恐らく
>>324へ続くだろう
324 :
鉄道タイムズ:2006/09/18(月) 04:09:24 ID:Kwr/tu9b
>>323の続き
飛騨山脈を水平に貫通する長大トンネルの建設は地質学的に当時の技術水準からも難工事が予想されるが故に否定。
ラックレールで飛騨山脈を越える―大糸線の北大町駅から、途中でラックレールを要する程の急勾配で扇沢へ、関電トンネルに沿って赤沢岳を貫き、
黒部ダムを頂点として経由、ラックレールのトンネルで剣岳を貫き、早月川に沿い、北陸線水橋駅に至る―経路に決定。
ラックレールは構造が簡単なシュトルプ式を採用、最急勾配120‰。因みに碓氷峠は66.7‰、箱根登山は80、大井川鉄道井川線は90。
交流車は直流車に比べて粘着係数が高いが故に全線交流電化、甲規格単線。
こんな特殊な路線に投入されたのが、EB40形と477系と487系である。
EB40形には、動輪用に電動機が二個、線路中央のシュトルプ式ラックレールに噛み合わせる歯車駆動用にも二個、計四基搭載。
鉄車輪が四軸なので一見するとD形機の様だが動輪軸は二つ。パンタは二つ
通常の線路上走行では1時間定格出力1000kw、ラックレール区間では歯輪電動機も稼働して併せて2000kwに。
当路線の急勾配区間にて477/487系の編成両端にEB40を連結し―2両のEB40に電車が挟まれて―協調運転を行う。
477/487系には、EB40との協調運転で以てラックレール区間などの急勾配を通過可能しめる黒部対策が施され、碓氷峠対策と同様に、連結器部分の強化、
急勾配通過にて車体の横動と連結器への過負荷の防止の為に台車の空気バネをパンクさせ、通過後に空気を再注入する装置、などである。
連結作業の省力化の為、EB40と477/487系には電気連結器を併用。
※恐らく
>>325へ続くだろう
325 :
鉄道タイムズ:2006/09/18(月) 04:09:57 ID:Kwr/tu9b
>>324の続き
当路線は気候条件からデッキ付が必要で、加えて大町温泉〜馬場島間は急行・特急だけの運行計画があったので久々に急行電車を新造、477系。
477系と特急用487系の駆動部分は歯車比を除いて同一。
477/487系のクモハ、先頭台車は電動機未搭載で0.5Mに、編成内の電動機数適正化。パンタはM'c /M'に一つ。
477系は二両編成:Mc + M'c 、487系は九両編成:Mc + M' + M + M' + T'ks + M + M' + M + M'c 。
477/487系の普通車のトイレは全車に設置せず二両置きに、487系に男子用トイレ。
サロ486の内装は同時期のキロ182と同様、給食可能な厨房付売店設置。
EB40と477/487系の車体は、軽量化並びにトンネル内への湧水量が多いので腐蝕対策の為にステンレス、コルゲート有り。
その上、477/487系は、広幅、一/二扉、正面切り妻で、ステンレス通勤電車とは異なる姿が故に、アムトラック的な日本離れしている、と当時話題に。
開業に先立つ81年に部分的に完成したラックレール区間を使ってEB40と477系の試作車による長期試験が実施され、その結果に基づき各車量産。
83年の黒部北アルプス線開業で487系による新宿〜金沢を結ぶ特急が新設、従来の上野〜長岡〜金沢の特急に比べ30分短縮され、五時間台に。
477系はローカル輸送に。
当路線は地方交通線扱いされたが、立山黒部アルペンルートの一部―信濃大町〜黒部ダム間―も担ってオンシーズンには大賑わい。
85年の東北・上越新幹線の上野乗り入れ以後、東京圏と北陸のメインルートは上越新幹線経由になったが、487系の新宿〜金沢特急は健在。
87年の国鉄分割民営化後、当路線とこれら車両はJR西日本に承継され、2003年に各車に体質改善工事が実施された。
以上です。
326 :
鉄道タイムズ:2006/09/18(月) 18:16:59 ID:Kwr/tu9b
>>323-325の続編
【4】国鉄(JR貨物)交直流電気機関車ED80形
・特記仕様:EB40との協調運転―ラックレール区間がある黒部北アルプス線用の特殊装備、
電機子チョッパ制御、軸配置;B-2-B、1時間定格出力;2000kw、回生ブレーキ、電気連結器、ステンレス車体、貫通路、中間台車
・運行経路:篠ノ井線;塩尻〜松本&大糸線;〜北大町&黒部北アルプス線;〜扇沢〜黒部ダム〜馬場島〜&北陸線;水橋〜富山
・製造年:1981
○概説
ラックレールを要する程の急勾配が在る黒部北アルプス線用に補機としてのEB40形と共に本務機としてのED80形も製造された。
首都圏対北陸間の貨物輸送において、当路線は碓氷峠を凌駕する程の急勾配なので輸送能力はかなり小さく、長岡経由が主流となると想定されていたので、
D級として設計。部品についてEB40との共通化を可能な限り実施。
当路線の急勾配区間にてED80牽引列車にEB40を連結し―2両のEB40にED80牽引列車が挟まれて―協調運転を行う。
81年に試作車が完成し、EB40の試作車と共に試験が実施され、量産車に結果が反映されるはずだったのだが、鉄道貨物の衰退と合理化を理由に当路線には
貨物列車設定せずと決定されたが為に試作車の一両のみになった。一方、EB40は83年まで量産された。因みに84年に碓氷峠越えの貨物も廃止。
83年の当路線の開業以後、しばらく休車扱いされたが、国鉄分割民営化前年の86年に臨時貨物列車が設定され、牽引を担う事となった。
この貨物の設定理由は次の通りである。
ダムは100年経つと砂に埋もれて使えなくなる―堆砂問題の解決策として大量放流をやったら河川の水質悪化を招いたが故に、
代わりにダムの底に堆積した砂や汚泥・ヘドロを浚渫した上でこれらを鉄道で輸送する事とした。
使用される貨車は、関電関連企業の私有貨車で、連結器の強化や機関車運転制御ケーブルなどの当路線の事情を反映した特殊仕様になっている。
ED80はJR貨物に承継された。
現在も不定期ながらダムの浚渫物を輸送する貨物を牽引している。無論、JR貨物の環境保護貢献の一つとして大いに紹介されている。
以上。
327 :
ミウナ:2006/09/18(月) 18:59:16 ID:5669b6Zi
>>323-326を発展させて
E451系・E457系
>>323-326の開業に際し東日本も新宿〜北大町〜黒部北アルプス線経由で
北陸線の富山までいく直通特急を画策。そこで開発されたものである。
E451系はE351系の交直流両用・黒部北アルプス線対応型で
松本までは12両・富山までは基本8両。E457系はE257系の
交直流両用・黒部北アルプス線対応型で9両編成のみで作られた。
両編成ともEB40型との協調運転機能を備える。上越新幹線経由が
主体になっていく中でも奮闘が続き、新宿からアルペンルートを
直行できる利便性と高さや富山方面の利用もさておき乗鞍方面にも
使用できるとあって特に中高年層の北アルプス登山などでも重宝られた。
愛称は「スーパーたてやま」と「たてやま」で487系と並んで使用
されることになる。
328 :
エセレブ:2006/09/18(月) 22:23:48 ID:77BVxHUq
国鉄マロネフ58形101号車
1955年の1等寝台廃止と形式称号整理に伴い、マロネフ38101を改番した2等A・C寝台車
元々は日本海航路経由ヨーロッパへの渡航・帰国者用として東京−敦賀港間を結ぶため1931年に小倉工場で製造された1・2等寝台緩急車、マイロネフ37280形37282号をルーツとする。
1935年に失火で車体の過半を焼失したため、年内に丸屋根全溶接車体を新製して復旧した。
復旧後はマイロネフ37290号を名乗り、事実上、秩父宮殿下専用車になっていたが、1938年に直宮専用車である新マイロネフ37290形3両が竣工したため、車番をマイロネフ37285形37285号と改めた。
1941年マイロネフ373、1953年マイロネフ293と、旧37280形車の続番を名乗っていたが、1954年に全室2等寝台に格下げされてマロネフ38形101号と改称。
さらに1955年の1等寝台廃止によりマロネフ58形101号となった。
1959年まで急行「能登」で運用されたが、オロネ10形と交替して団体臨時用になった。
二重屋根・リベット車体のマロネフ581・2が1964年に廃車された後も在籍し、1968年3月末に廃車された。
329 :
名無し野電車区:2006/09/18(月) 23:44:54 ID:R2GjNGUi
JR東日本 E233系5000番台
山手線で使われているE231系500番台車の取り替えで導入。
ラッシュ時の混雑がひどいため全車6扉車で新製。ただし先頭車は5扉。
ラッシュ時は座席をたたんで全員立って乗らなくてはならないが混雑はゆるんだ。
なお、E231系500番台車車は埼京線か京葉線に転属。余った205系は関西送り。
330 :
エセレブ:2006/09/19(火) 19:57:26 ID:41f+i25T
DF50形574-580号機
DF50の北海道配属車
1963年に川崎車輌で製造され、全車小樽築港機関区に配置して山線を中心に試用。
スノープロゥは秋田機関区配属機より鋭角である。
同年秋に苗穂で耐寒耐雪対策を強化したが、冬季に主電動機のトラブルが続出し、対策に追われた。
1964年度は小樽−釧路間の狩勝越え運用を中心に試用され、春〜秋はC57に代わって急行「まりも」と函館−釧路間普通421・422レの本務機仕業を受け持ち、乗客の好評を博したが、冬季は引き続き山線中心で運用された。
1965年度以降は通年で狩勝越え運用を中心に就いたが、1966年度にDD51形500番台が配属されたのに伴って運用を譲り、三たび山線運用に戻ったが、1971年10月のダイヤ改正で全機高松米子機関区に転属し、1981年度に全廃された。
331 :
名無し野電車区:2006/09/20(水) 10:01:43 ID:4UZjggom
クモニ313
JR東海が製造した313系ベースの荷物車。
中央西線の新聞輸送用。
781系1000番台
北海道に投入された781系の九州仕様。
変更点としては、
・各電気機器の60Hz対応型への変更
・耐寒・耐雪構造の省略
・グリーン車(クロ780)の連結
・分割・併合のため先頭車に貫通扉の設置、など
投入当初は「かもめ」「有明」で使用された。
貫通扉は設置されているが実際に使用されることは少なかった。
民営化前後から短編成化に伴うモハ・サハのクモハ・クハ化、
クロのクロハ・クハ化改造が行われた。
現在も鹿児島・大分に配置され「にちりん」「ひゅうが」等で使用されている。
>>332を参考に
国鉄711系1000番台
北九州地区の快速用として昭和58年から昭和60年にかけて製造された。
115系3000番台の車体に711系の足回りを60Hz仕様にしたものを換装しているのが特徴。
カラーリングは当初713系900番台のものと同一だったが、JR発足後に九州一般色に変更されている。
813系登場にともない、現在は鹿児島と大分に転属。
>>333 野暮な突っ込みだが、国鉄時代は小郡・宇部岬・宇部新川・下関・門司港〜小倉・福間・博多・南福岡・鳥栖・久留米・荒木・久留米・荒尾の直通が多かったから交流専用車は長崎本線・佐世保線と鹿児島口運用くらいしか居場所なかったかも。
335 :
エセレブ:2006/09/20(水) 20:34:25 ID:EfmGN1KD
スロハフ30形17〜30
1937〜38年に田中、梅鉢で製造。(1941年12月以前はスロハフ31750形31753〜31766)
1931〜32年に16両製造されて東鉄・大鉄・札鉄局に配置されたスロハフ31700・31750形(→スロハフ301〜16)は臨時増結用等で使いやすく、名鉄、仙鉄、門鉄局等から配属要請が寄せられた。
そのため、スロハ31500形31517(スロハ3141)以降の仕様で製造されたが、新製配置は東鉄・大鉄・名鉄で、既存車が仙鉄・門鉄・名鉄に転出した。
戦災で24が廃車された。
残存車は1963年以降、オハネ17形、マニ36形に改造されたり、スハフ34形に格下げされた後、オハネやマニに改造又は廃車で1967年までに姿を消した。
スロハ32形73〜90
1946〜47年に日立、帝国車輌で製造。
形態は全溶接・絞り折妻・鋼板屋根で統一されたが、台車は標準のTR34の他、在庫のTR23、電車用のTR35も使用した。
主に東海道・山陽線以外の本線筋で使用され、東北・北陸方面のグループは、1959年以降電気暖房を取り付けた。また、ロ室の整備工事を受けたものもある。
1963年以降、オハネ17形に改造されたり、格下げでスハ50形121〜になった後改造・廃車で数を減らし、1971年には佐倉のスハ502134(←スロハ322090)1両を残すだけになった。
1975年1月には2134も廃車されて大宮工場に回送されたが、そのまま保管された。
そしてJR発足前年の1986年6月に大宮工場で修繕整備され、スロハ322090で車籍復活。高崎に配置されてスハフ42等とともに各種イベント列車に使用中(オール普通席)。
復活後のスロハ322090は、旧ロ室と車体中央の便・洗面所のウインドシル下にかつての2等車を象徴する青色1号帯を入れたが、照明は旧白熱灯具に直管蛍光灯を取り付けた現役末期のままである。
扇風機は、かつては旧ロ室のみにあったが、復活時にハ室にも取り付けた。
EH550型
カシオペア、ならびに新北斗星牽引用
青函トンネルを越えて上野〜函館間にて運用。
北海道内はDH80が牽引。
E28系&28系
カシオベアではなく、北斗星の新型客車。
E28系がJR東日本、28系がJR北海道、基本的に同一仕様。
337 :
名無し野電車区:2006/09/21(木) 10:25:33 ID:IEbMWCWk
>>333 九州に入るならこうなるだろう?
国鉄417系1000番台
仙台地区に投入されて好評の417系の九州バージョン。
(以下略)
338 :
エセレブ:2006/09/21(木) 10:57:24 ID:bqBDnwZH
>337
417系じゃ福岡圈のラッシュを捌ききれないのでは?
339 :
名無し野電車区:2006/09/21(木) 15:51:11 ID:0gtj656f
C231系
・東海道線JR東日本区間乗り入れ入れ用車両
・仕様は国府津車両センターのE231系付属編成に準ずるが
・主に国府津車両センターのE231系と併結して東京地区を走る
340 :
名無し野電車区:2006/09/21(木) 17:57:47 ID:EQZRNMSC
>>338 だな。そんな車輛投入したら福岡都市圏&関門・北九州都市圏で上尾事件級の暴動が起こりかねん。
特に関門・北九州都市圏が血の気多い人多いし。
そもそも
>>334のような形態が国鉄も客も当たり前と思ってたから長崎方面と鹿児島方面以外には国鉄時代なら交直流車投入が自然。
341 :
333:2006/09/21(木) 19:43:06 ID:pulGh+V2
何か凄いことになってるな。
カキコしたオレが無知なのがいけないんだけど(汗
342 :
エセレブ:2006/09/21(木) 20:36:18 ID:bqBDnwZH
>340
でがしょ?
洩れ的には417系は北陸線向きだと思ふのです。
上尾事件とは懐かしい。
洩れの親父はその前夜の「津軽1号赤羽の乱」のとばっちりで怪我して帰ってきますた。
417系異聞(現実の車両とは異なる)
遅くてポンコツだらけの客車列車と暑くてうるさい気動車列車、速くて快適だがラッシュに向かない急行形電車の間合い運用にローカル輸送を頼っている南東北と北陸両地区の輸送改善を狙って、1978-80年に川崎重工と東急車両で製造された。
基本コンセプトは115系1000番台の交直流版で、Mc417+M'416+Tc417の3両ユニットである。
車体も115系1000番台に準じ、さらにステップを付けたが、機器と足回りは485系1000番台に準じ、台車もDT32E・TR69Fを履いた。
(計画時点ではキハ47形類似の2ドアも候補に上がったが、設計の共通化とラッシュ対応力の高さで近郊形標準の3ドアに落ち着いた)
冷房は貧乏国鉄の悲しさで準備工場のみ。本工事はJR発足前後であった。
客用ドアはキハ35系で使用されていた押しボタン開閉装置を改良して取り付けた。
1978年に製造された8編成は仙台に配置、翌年増備された8編成は金沢に配置された。
1980年の第3次車6編成は3編成ずつ仙台と金沢に配置され、以後の増備は東北新幹線開業で急行形電車が余剰になるとして打ち切られた。
1980年10月のダイヤ改正時、仙台車の運用範囲は東北線福島〜一ノ関間、常磐線原ノ町以北だが、宇都宮乗り入れや福島〜米沢間投入も考慮されていた。
また金沢車は北陸線全線と信越線長野〜長岡間で定期運用されていた。
全車JR発足前後の1986-88年に冷房化。
仙台車は1999-2003年に郡山・土崎工場で車両更新工事を施工され、金沢車は2001-2004年に松任・後藤工場で延命N40工事を受けた。
2006年4月現在、仙台車は東北線黒磯〜石越間、常磐線いわき以北、仙山線で運用中。
金沢車は北陸線・湖西線・七尾線で定期運用されている他、臨時で山陽線姫路や信越線長野まで入ることもある。
343 :
名無し野電車区:2006/09/22(金) 00:22:50 ID:bqj6p8m3
419系2000番台
JR東日本で715系1000番台を羽越本線に転用するため、交直切り替えスイッチを再度取り付けて419系に編入した車両。
デッドセクションがある関係で普通列車は気動車で運行されていたが、この車両の導入により電車化される。
344 :
名無し野電車区:2006/09/22(金) 00:51:57 ID:0qc2HwUx
600系
色違いの2階建てばかり造り、不評。
JR九州N800系新幹線16両編成仕様
九州新幹線全通&東京乗り入れに伴いN700をベースに制作。ただし全車Mで、最高速度は300km/h。
これにより、高規格な山陽九州新幹線区間と悪路の東海道新幹線区間の両方を快適に走る事が可能となった。
例によって和風内装&食堂車付き。もちろん車体デザインはあのお方。
和風の内装で、京都へ行く外人さん達に大人気w
日本の新幹線の代名詞的存在になり、東海を少し嫉妬させるが、運用的にはN700と同じように扱えて便利なので締め出しできない。
346 :
ミウナ:2006/09/22(金) 18:33:46 ID:K3OC6kXZ
そこで・・・
711系2000番台
>>333と同様だがこちらは東北用で昭和60年から61年に製造された。
北海道用の711系と異なるのは4両になっていること(クハ710とモハ
711がある)と3ドアデッキなしで415系500・700番台と同一であること。
(415系に直流をなくしたものと考えればいい)セミロング仕様であることなど。
よって定員はクハ車が116名(クハ710はトイレつきのため112名)モハ
車が132名となっている。新造時から冷房搭載で冷房はAU75Dの
ラインファン式を採用。補助電源は190kvAブラシレス式を使用。
台車も201系と同一のDT46系のDT46C/TR231Cとなっている。
変圧器と整流器は415系と同一のを使用しているため50Hzと60Hz両用である。
車内も415系700番台と同一である。仙台に4両編成6本24両配備されたが
4両編成であることからの特異性とステップがないことから東北・常磐線の
一部区間でしか使用できない不便性で不評を買い、東北新幹線開業で
交直流急行型の近郊型改造や近郊型車体改造車の717系の改造体制
が整ったことから12本配備予定だったがそのまま打ち切られた。その後
東北線・常磐線からは撤退し、磐越西線の快速ばんだい用となった。
2003年からリニューアル化改造で赤塗装と座席のリニューアルを実施。
なおクハ710が1両クハ411−702に改造されたためその穴埋めに
なんと455系のクロハ455-1を連結した珍編成もあり、会津の超ネ申的編成で
君臨している。当初順調に行けば羽越線用として秋田と一ノ関以北用
として盛岡にも配備し、客車列車を早期に駆逐する予定だった。
347 :
名無し野電車区:2006/09/22(金) 20:04:40 ID:WxXjJxZv
てゆーか、北海道じゃなければ(粉雪が降らない地方ならば)711系である必要はないのでは?
…というツッコミはなしですよね?
348 :
エセレブ:2006/09/22(金) 23:42:24 ID:U53yuayb
さりげなく…国鉄→JR東・九713系(0・500)
交流電化で乗客がさほど多くなかったり寒さが厳しい線区用で、旧型の客車や気動車の代替を兼ねた。
南・西九州や北東北地区向けとして1982-85年に日本車輌と東急車輌で製造された。
711系を手本にしたサイリスタ位相制御で1M1T方式を採用。
車体は417系(史実とは異なる漏れ的3ドア車)で没になっていたキハ47タイプの2ドアとし、BLMGとCPとトイレはクハ712形に搭載。
ブレーキは国鉄初の電気指令式を採用したが、投入線区の関係で回生ブレーキではなく発電ブレーキを採用し、クモハ713形の屋根に抵抗放熱器がついている。
ドアは押しボタン開閉式で、九州向けは単線での冷房効果維持、東北向けは暖房効果維持のために導入した。
0番台(1982-83に6編成)
九州向けで塩害・降灰対策を施し、当初は長崎・佐世保線に投入。
冷房付きでスノープロゥはない。
JR移行後、815系の投入により日豊線大分〜都城間運用に転じ、さらに宮崎空港線運用のために室内をリニューアル・グレードアップして「サンシャイン」を名乗る。
500番台(1983-85に6編成)
東北線盛岡地区用として投入。
冷房は準備工事のみで、JR後に本工事を受けた。
耐寒・耐雪・塩害対策済みでスノープロゥ付き。
当初は一ノ関−八戸間で運用されたが、701系に押し出される形で青森に転属。
現在は東北線野辺地以北と奥羽線秋田以北、津軽線蟹田以南で運用。
2005年より特別保全工事を施工中。
349 :
名無し野電車区:2006/09/23(土) 11:05:40 ID:2z4dODhg
103系1500番台オールM仕様
JR九州で103系1500番台を編成組み換えでオールMに変更した車両。
加速度3.3km/h/sを出すために3連を組み替えオールMに変更した。
余ったクハは廃車される。
350 :
名無し野電車区:2006/09/23(土) 11:09:43 ID:2z4dODhg
クモル321・クモル320
JR西日本が開発した321系ベースの配給車。
車体長が17mに短縮されている。
321系と同様各車両の片側の台車のみモーターを搭載。
351 :
エセレブ:2006/09/23(土) 14:03:16 ID:GaaWM2xZ
国鉄3等→2等寝台車・スハネ30if(早期復活)
1950年、駐留軍民間輸送司令部(RTO)は国鉄が求めていた国内用2・3等寝台車の製造を条件付きで認めた。
つまり、2等寝台車は新製で良いが、より需要が高い3等寝台車については、新製ではなく戦前に3等寝台車だったオハ34形の大部分を復元して充てよとの命令だった。
2等寝台車は同年春に改造で登場したマロネ39形の改良バージョンで近畿車輌に発注され、翌年春にスロネ30形として竣工した。
一方、3等寝台車は国鉄工場で更新修繕も兼ねて復元することになり、1951年2-3月に第1陣が高砂・長野工場で15両竣工し、二代目スハネ30形を襲名した。
復元はマロネ39に倣って片デッキとし、便所2カ所と洗面器3個を取り付け。
反対側の便所跡には給仕室を設置した。
寝台には全てを覆えるカーテンと寝台灯を取り付け、天井には夏に扇風機を取り付けるようブラケットを取り付けた。
なお、北海道向けは特に番台区分はされていない。
スハネ30は1951年4月より東海道線急行で運用開始。
その後も四国以外の各局から配属要請があり、1956年4月までに残存していた元スハネ30・31形のオハ34形103両中102両が復元され、3等寝台車の増備はナハネ10形に移行した。
種車には1931年製の旧スハネ30形も含まれ、一部を除いて車体に縦リベットが並んでおり異彩を放った。
1959-61年には34両が電気暖房を取り付け、また6両が緩急設備を付加してスハネフ30 1-3・2004-2006になった。
しかし10系・20系寝台車の増備が進むと見劣りがしてしまい、老朽化も手伝って、1965年度に廃車が始まり、1968年のダイヤ改正で定期急行仕業から引退した。
その後は臨急、団臨、夜行普通列車で運用されたが、1970年には本州以南の車両は全廃。残るは北海道の小樽〜釧路間普通423・424用の6両だけになった。
それもつかの間、1972年10月のダイヤ改正で引退し、1974年11月に最後まで在籍した49・50が廃車されて形式消滅した。
保存車は大阪・交通科学博物館に展示されている14(旧スハネ305)と、苗穂工場に保管されている50(旧スハネ3188)で、14は保存前に鷹取工場で戦前の姿に復元された。
352 :
鉄道タイムズ:2006/09/23(土) 23:06:24 ID:dy55F2xv
◎東急電鉄特急用電車X100系
・車種・編成:X110(Tc2) + X120(M3) + X130(M2) + X140(M1) + X150(Tc1)
・特記仕様:JR東日本E257系500番台ベース、東急の車両限界対応、ステンレス車体
・運行路線:東京地下鉄半蔵門線、東急田園都市線、JR東日本の横浜・東海道・伊東・中央の各線、伊豆急
・製造年:2007
○概説
十年ほど前の不動産バブル崩壊以後、携帯電話中毒貧乏や海外格安航空券などの人々のライフスタイルの変化によって、伊豆の観光産業は低迷している。
東急の子会社である伊豆急も利用客減少に悩んでいた。このままではじり貧で、打開策となるべきインパクトが必要であった。
一方、田園都市線の混雑は酷く、利用客から、JR東日本のグリーン車や小田急のロマンスカーの様な着席サービスを求める声が日増しに強くなっていた。
特に、田園都市沿線に東急が分譲した庭付き一戸建てを購入した高所得者層―いわゆる上流の人々を中心に。
これらに応え、平日には着席を保証する田園都市線用特急、土休日には田園都市線からJRと伊豆急に直通する観光特急、渋谷駅折り返しは無理なので
小田急の千代田線直通特急を手本に半蔵門線にも直通出来る―として新造されたのが、
恐らく
>>353へ続くだろう
353 :
鉄道タイムズ:2006/09/23(土) 23:08:01 ID:dy55F2xv
>>352の続き
X100系である。
設計の際、JR東日本への直通距離が長いが故に且つ製造費削減の為にJRのE257系500番台を土台に、東急の車両限界対応やステンレス車体や間接照明多用
などで以て東急用に部分変更された。五両一編成で、三編成製造。需要に応じて五両ないし十両で運行。
臨時、団体として中央線への入線も可能。長津田駅にて東急とJRの渡り線増設、東神奈川にて横浜・京浜東北線と東海道に渡り線新設。
設定列車の停車駅は以下。
土休日運転の伊豆直通特急:半蔵門〜(回送)〜永田町〜表参道〜渋谷〜二子玉川〜溝の口〜鷺沼〜たまプラーザ〜あざみ野〜青葉台〜長津田〜
〜中山〜新横浜〜横浜〜(略、踊り子と同じ)〜伊豆急下田
平日の着席保証用線内特急:清澄白河〜大手町〜永田町〜表参道〜渋谷〜たまプラーザ〜あざみ野〜青葉台〜長津田
列車愛称は、着席保証用線内特急は近鉄と同様に名無し、伊豆直通特急には“東伊豆”。特急は全車指定、追加料金必要。
かくして、2008年ダイヤ改正にX100系は営業開始。
伊豆直通特急運行初日、伊東・伊豆急沿線は、花火や太鼓有りの祝賀イベントが開催され、祝賀ムードに包まれた。
今後、団塊の世代大量退職の影響並びに線増完成に伴いダイヤに余裕が出来る事から、X100系の増備と特急増発が予想される。
354 :
エセレブ:2006/09/24(日) 00:28:53 ID:Fiq9tQ5C
郵便・荷物合造車シリーズ。
マユニ32形
亜幹線に残る雑形ユニの代替を進めるため、マユニ31形の増備として1939-40年に11両製造された。1941年12月まではマユニ36300形。
積載荷重は郵便7d・荷物6d。
1939年に1〜6(36300〜36305)が梅鉢で製造。
形態は標準形である。
1940年に梅鉢で7〜11(36306〜36310)を増備。
この5両は全溶接車体で張上屋根+長柱構造である。
全車戦災を免れ、全車ユニのまま1967-72年に廃車された。
スユニ35形
1952・53年に帝国車輌で6両製造された戦後唯一の新製ユニで、後のスユニ60形は本形の量産形とも言える。
荷重は郵便4d・荷物6d。
台車はTR23B(TR34の平軸受を平軸受にしたもの)。
4〜6は1959年に電気暖房化されて2004-2006と改番された。
郵便・荷物輸送の斜陽化とスユニ50形の増備により1982年に全廃された。
355 :
名無し野電車区:2006/09/24(日) 01:59:09 ID:XAQDHKX3
115系東海道本線仕様
なぜか東海道本線に投入された115系。
塗装が違うためすぐ目立った。
しかし113系のグリーン車を組み込んだため抑速ブレーキが使えなかった。
356 :
名無し野電車区:2006/09/24(日) 19:07:55 ID:Fw8sT8Pi
>>355の発展
サロ114
115系に組み込みの111・113系サロを115系化したもの。
寒冷地転属を考慮して耐寒耐雪仕様になる一方、暖地仕様にも考慮して空調の強化が図られた。
サロ115
115系サロとして新造。仕様はサロ114とほぼ同じ。
信越・首都圏・静岡・名古屋・京阪神・岡山・広島・下関地区に投入。
>>315-316 形式は485系5000番台とかどう?719系や701系の標準軌用
バージョンと合わせて。あとこれっていわゆるフリーゲージトレインなのよね。
358 :
エセレブ:2006/09/25(月) 21:03:43 ID:LANmS6VB
早い段階で113/115系を統合してたら…。
収支が悪くなり、1964年度には赤字転落が避けられなくなった国鉄は製造・運用の合理化を進めるため、製造が始まった一部系列を統合することになり、直流急行形の平坦線用強力形・163系を、寒地・勾配線用強力形の165系に統合することになった。
近郊形についても東海道・横須賀線用の113系を上野口用の115系に統合することにし、1964年度後期製造分からは全て115系として製造するとともに、既存の111・113系については機器を更新して1968年度までに115系化することにした。
但し、東海道・横須賀線車は寒地向け装備を省略(後付け可)して番号で区別した。
(1966年10月現在)
0番台
東海道・山陽・横須賀線用の暖地形。
クハのマスコンは111・113系のものと同形で抑速ブレーキは使えないが、将来、上信越地区も含めた広域転属を考慮して抑速対応マスコンへの交換、暖房強化や機器への耐寒耐雪用カバーやヒーターの追加は短時間で行える。
冬季の優等列車待ち合わせを考慮して客用扉は半自動対応。
500番台
旧111系からの改造。東海道・横須賀線用。
600番台
旧113系からの改造で主電動機はそのまま使用。
但しクハは旧クハ111-1→クハ115-501の続番とした。
サロ115形
本形は旧サロ111-1〜をサロ115-1〜とし、新製車はその続番とした。
(後年、サロ153形をサロ114形、サロ152形をサロ113形にした時も同様に1〜とした)
1000番台。
上野口の寒地向けグループ。抑速ブレーキも使用できる。
統合前に製造された1〜を1001〜とし、統合後の新製グループはその続番とした。
800番台(クモハ115-1〜+モハ114-801〜)
1000番台ベースの中央東線向け。モハのパンタグラフ部の屋根が低い。クハは1000番台を共用。
寒地向けグループは過去、普通列車ロザの利用率がの低かったことと、165系のローカル運用もあったため、サロの連結はないが、サロ165形を小改造で連結できた。
○形式:127系900番台
○編成:Mc_Tc`
○投入:W紀勢線2連×5本(2008〜2009)
○設備:紀勢線車両の老朽化にあわせて、JR西日本が新たに開発した新性能電車。
従来の125系よりコスト削減及びサービス向上に努めたつもりだそう。
車内は間接照明を使用したほか、茶系の高級感溢れるデザインとした。
座席は人間工学に基づいたE721系と同じセミクロス配置とし、コストを削減した。
外装はステンレスにオーシャンブルーの帯をまいている。
トイレは車椅子対応のバリアフリートイレとし、Tc`に設置した。
案内表示は車外はフルカラーLEDを使用、車内はLCDとした。
4両等での運転を考慮し、貫通タイプとした。
○形式:323系5000番台
○編成:Tc_M_M`_T_T`_Tc`
○投入:W紀勢線6連×10本(2010〜2012)
○設備:阪和線車両の老朽化にあわせて、JR西日本が新たに開発した新性能電車。
従来の321系よりコスト削減及びサービス向上に努めたつもりだそう。
車内はE233系中央線に基づくが、暖色系ではなく青系の涼やかな内装とした。
座席は人間工学に基づいたE233系と同じロング配置とし、コストを削減した。
外装はステンレスにオーシャンブルーの帯をまいている。
トイレは車椅子対応のバリアフリートイレとし、Tc,Tc`に設置した。
案内表示は車外はフルカラーLEDを使用、車内はLCDとした。
連結を考慮し、貫通タイプとした。
360 :
エセレブ:2006/09/25(月) 21:29:20 ID:LANmS6VB
>358続き
配属は東海道・山陽配属車が田町・国府津・高槻・宮原で、田町・国府津車は宮東京〜浜松間と横須賀線、伊東線、伊豆急だが、東北線小山、高崎線籠原までの定期運用もある。
また、夏季はリゾート臨で軽井沢・黒磯まで、冬季はスキー臨で上越線石打まで乗り入れる。
高槻・宮原車は米原〜網干間で運用中。
上野口車は新前橋配置で上野〜黒磯・日光・長岡・軽井沢間だが、東海道線静岡までの定期運用がある他、夏季は伊豆急下田までの運用もある。
中央東線は豊田配属で新宿〜松本間だが、総武線千葉までの定期運用もある。
阪神電気鉄道1300系
当初阪神は近鉄との直通に18m3扉の9000系と1000系を充てていた。
しかし土曜休日の奈良線区間で混雑することと直通快急で3扉4扉どっちがくるのか分からないということで乗客には不評であった。
そこで登場したのがこの車両である。
内容は20m4扉であること以外は1000系と同一である。
昼間は近鉄直通の運用に限定運用となっている。
ラッシュ時は西大阪線が近鉄車のみとなるので20m車入線可能な三宮以東のみで運転される区間特急や快速急行に入っている。
この車両の投入により9000系と1000系は線内の急行運用が中心となり、2000系を置き換えた。
また、西大阪線区間は全列車が20m4扉車となり分かりやすくなった。
362 :
名無し野電車区:2006/09/25(月) 23:13:37 ID:Fj8uJ50U
モハ451・モハ471
451・471系の中間電動車。
製造両数はわずかで、モハ471に至ってはたった5両だけという希少車だったりする(しかもJR西日本で2両健在)。
363 :
名無し野電車区:2006/09/25(月) 23:21:55 ID:Fj8uJ50U
クハ471
451・453・471・473系の両渡りクハ。
>>362のモハ451・471と同時に製造された。
364 :
315-316:2006/09/26(火) 06:59:44 ID:dDHSfaPS
365 :
ミウナ:2006/09/26(火) 12:17:28 ID:uN14Som/
>>362-363 モハ452・453 472・473
MT46→MT54にした473系と453系の中間電動車。使い勝手が悪く、
各形式わずか4両しか作られなかった。早々に413系および717系の
改造種車にされてしまい消滅した。
クハ453
モハ453・452と同時に製造された。これもわずか4両で生産打ち切り。
冷房搭載なども行われたが使い勝手の悪さで槍玉に上がり運転台部分に
モハ453の部分を移植することにより、クモハ717にされてしまった。
715系2000番台
新幹線開業等で余剰になった485系の苦肉の案として改造が予定
されていた。583系ベースの715系2000番台の種車を485にしたものと
考えればいい。クハ715−2001〜2006はクハ481ベース。主に200・300
番台が中心だが2005は唯一のボンネット車型クハ481ベースで2006以降は
1000・1500番台改造者もある。クハ714−2001〜2004まではクハ481ベース・
それ以降はサロ481・サハ481・サシ481から改造やモハ485電装解除型も
ある。こちらは盛岡・秋田に配備され、羽越線の普通列車と東北線
一ノ関以北の普通で使われた。編成は4両。つり革等が設置された以外は
種の485系座席等は生かされてる。
>>358 >>360 山陽本線は姫路〜小郡・下関は新製なら抑速付が基本になるはずなのでもし113・115系が統合するなら113系を115系改造の上、抑速付になってたはず。
クハ111のうち115系統併結前提のものは抑速ブレーキ使えるよう改造受けたのが現実にある事だし。
367 :
エセレブ:2006/09/26(火) 20:53:45 ID:Q55nbez6
>366
そうなんだけど、時代を追うに従って番台が増えて収拾がつかなくなりそうなので初期グループに留めますた。
姫路以西配属のグループは暖地向け抑速マスコン付ということになりますな。
オハ34形近代化工事車、オハフ34形
1961年、団体輸送用としてオハ34形原形車(1-12)に高砂・長野・大宮工場で近代化工事を施工するとともに4両を緩急車に改装したもの。
工事内容はオハ36形に準じたが、窓枠は木製のまま。
座席枠は整備に留め、座面はネットスプリング式に、背ずりを南海電車で導入が進んでいたラテックススポンジゴム入りモケットにして座り心地を改善。
塗色も青15号に変わった。
4両は並行して車掌室と緩急設備を取り付け、オハフ34形(1-4)と改称された。
品川に転属し、6両×2編成で団体輸送に従事したが、12系の登場により1970年に米子・福知山に転属。
山陰線普通列車で晩年を過ごし、1976年に全廃された。
ED200 Bo−Bo
DDMドライブで省エネ、省メンテ、低騒音化を配慮した次世代ハイテクロコ
重量 67,2t
軸重 16,8t
1時間定格出力 3000kw
15分定格出力 3850kw
引張力 19500kg
最大運転速度 120km/h(130km/h)
台車軸間2200mm 自己操舵制御
全長 13000mm
全幅 2800mm
全高 3950mm
外観はアトム機関車ED60をオマージュ 重連総括制御付きで重連でEF200
と同等のスペックとなる、モーターの冷却を水冷式にしたことで短時間出力の向上と安定化を
はかった DLのようなラジエターと屋根上の冷却ファンが特徴
DDMと自己操舵システム及び個別制御によるヨコ圧の軽減から本則+15km/hの
カーブ制限速度の向上も図った
369 :
エセレブ:2006/09/28(木) 20:51:52 ID:tK9Kbed5
試作荷物車 マニ34形(U)
カニ38形に続く近代化荷物車の試作第2弾として1965年にオハ55形(旧オロ36・40)の台枠から下を流用して車体を新製した改造車。
2001-2003が大宮工場で改造された。
車体はカニ38形を基本としたが、荷物室はワキ5000形に準じた総開き扉のパレット荷室(荷重11d)を主体とし、荷重3dのばら積み室を乗務員室との間に設けた。
乗務員室は貨物列車への連結も考慮して石油ストーブも設置した。
台車はTR23をコロ軸受にしてバネを強化、車軸を13d軸にしたTR23J形。
竣工と同時に尾久に配置し、急行「津軽」に連結した。
1975年、急行「鳥海」に転じたが、1978年にスニ41形と交代して引退。1980年3月に全廃された。
370 :
は@ c178.016.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2006/09/28(木) 22:51:49 ID:YTM0zTXg BE:90784692-2BP(1)
ことでん クハ900形
JRで余剰となっているワム80000を購入し、旅客用に徹底改造した物。
ワフ形とは違って設備を完全に旅客用にしたので苦情は殆ど来なかった。
長尾線の大型車に連結するために仏生山で改造。無論冷房車。
近郊型電車511系・821系
511系は九州新幹線全通後、老朽化した415系の置き換えのため
製作された車両。足回りは815/817系と共通とし、
関門トンネル対策のため2M1Tの組成としている。
最高速度は120km/hのままだが、起動加速度は通常2.6km/h/s、
高加速モードの時は303系同様の3.5km/h/sが可能になった。
現行のダイヤでは415/813/811系共に遅延が多く、
ソニックも日豊線内での遅延が多いことから、
相互の影響を受けて遅延が拡大することは日常茶飯事だった。
しかし、この車両の登場により定時運行率は大幅に向上している。
劣化の激しい811系についても415系と同時に置き換えが行われた。
性能は511系と共通の821系交流近郊型電車である。
511系はラッシュ対策のためロングシート、
821系は5列の転換クロスシートとなっている。
これらの車両の増備により、813系は快速運用を821/511に譲り、
鹿児島線の普通運用か、もしくは日豊線での運用に就いている。
372 :
名無し野電車区:2006/09/28(木) 23:57:30 ID:mFnw3heA
521系1000番台
JR西日本が導入した521系の九州乗り入れ仕様。
耐寒耐雪構造が簡素化されているが、降雪時に備え耐雪ブレーキを装備している。
1M2Tの3両編成である。
811〜817系と併結可能。
373 :
エセレブ:2006/09/29(金) 21:18:23 ID:AA0REpGn
キハ28形900番台、キハ58形・キロ28形・キハ65形500番台横軽対策車
1963年、信越線横軽間の粘着運転開始に伴い、輸送力向上と所要時間短縮を狙って開発した協調運転仕様車。
横川寄りには必ずキハ28900番台がついてEF63形と連結した。
1964年1月、横軽対策を施したキハ58形3両と、EF63電機との協調運転機器を取り付けたアダプター車キハ28 901が新潟鉄工で竣工し、高崎第一機関区に配属された。
4両は横川機関区常駐で2月中旬から協調運転試験に入り、7月から高崎−小諸間普通列車で実用試験を行った。
そして同年末よりキハ28 902-905と横軽対策キハ58・キロ28が増備され、上野−金沢間急行「白山」高速化用として金沢に配置。
先行の4両も転属して、1965年2月1日より「白山」は所定10両のDC急行に変身。上野−金沢間は客レ時代より一気に1時間短縮。
キハ82系特急「(上野)白鳥」→「はくたか」編成の故障で遜色特急として代走したことも複数回あり、信越・北陸線内ではダイヤより早着気味で運転した。
横軽対策キハ58・キロ28形は1967年まで製造され、金沢・富山に配置された。
1969-70年には普通車の冷房化促進のためキハ65形500番台の金沢・富山配属予定車も横軽対策を施工して配置。「白山」は1970年夏には全車冷房化を達成している。
しかし、1972年の「白山」格上げにより489系電車にバトンタッチ。碓氷峠から豪快なエキゾーストノートが消えた。
374 :
名無し野電車区:2006/09/30(土) 10:26:29 ID:8BTYPa1W
キハ181系JR東日本仕様
JR東日本に承継されたキハ181系。
東北地区にはDC特急が運転されていないため臨時列車専用だった。
一時期特急「秋田リレー号」に使われたこともある。
375 :
名無し野電車区:2006/09/30(土) 13:22:56 ID:KSaYabSf
東武70000系・西武30000系・相鉄15000系
東武鉄道・西武鉄道・相模鉄道では、在来車の置き換えのため、3社が共同で車両を開発しました。
三社は東急電鉄直通を控え、地下鉄直通車両及び在来車の置き換えが必要となり、大量の車両を製作しなければならない状況になったので、コストを抑えるために共同開発に踏み切りました。
この車両は徹底的に共通化が図られており、多機能で、しかし低価格を実現した。
基本はJR東日本のE233系の構造を踏襲しているが、地下鉄直通規格の為、幅が2800mmに抑えられているほか、ホームドアに対応するため、先頭車両の衝撃吸収構造は省かれている。
また制御装置は、以前から三社との取引きがある日立製を使用している。
376 :
エセレブ:2006/09/30(土) 20:47:56 ID:Eb/ZM94f
国鉄 2等→1等→A寝台車 スロネ31形
スロネ30形の改良増備形として1955年に近畿車輌で12両製造された。
コンパートメント室式のマロネ39・スロネ30形は寝台提供数増には貢献したが、寝台幅や間隔が狭い上、見ず知らずの個人客同士が一室になる等で、在来のマロネ29形の方が好評だった。
このため、当初はマロネ29の2軸ボギー車版として計画されたが、日中の居住性をも考慮した結果、マイネ41形の一般形仕様として計画がまとまった。
寝室はマイネ41形同様のプルマン式開放寝台とし、寝台定員は28名、座席定員は56名を確保した。
便所・洗面所はスロネ30形同様、前位車端に集約している。
設計に際しては近畿車輌の提案を受け入れ、同期製造の近鉄2250・6421系特急車製造のノウハウを導入して軽量化対策を施した。
側窓周りはノーシル・ノーヘッダとし、窓枠は初めてナニワ工機(→アルナ工機)式軽合金サッシを採用した。
品川に配置され、マロネ29形等に代わって九州方面急行を中心に運用。
特急「あさかぜ」「さちかぜ」にも連結された。
1959年以降、ナロネ21形やオロネ10形の増備により見劣りしてきたため、1959-60年に大宮・長野工場で近代化と冷房化工事を施工。
ダイハツ3PK発電機とCU床下ユニットクーラーを取り付け、側窓は二重固定式。
天井・内張板はアルミデコラ板に全面張替。
台車はTR40Bから防振ゴム付きのTR52B形に履き替えた。
なお、全備重量の関係で電気暖房は取り付けられなかった。
引き続き東京・大阪口の夜行急行で運用されたが、1968年10月以降は団体臨時用になり、1974年11月に全廃された。
377 :
名無し野電車区:2006/10/01(日) 10:57:31 ID:+MTA6E98
秩父鉄道9000系
秩父鉄道が投入した元JR209系。
1000系の置き換えを目的にE233系投入で余剰となった京浜東北線の209系を購入。
2M1T(主電動機出力が低く、急勾配が多いため1M2Tに出来なかった)の3両編成で、秩父鉄道初のVVVF車である。
譲渡に際しクハ208にモハ208の床下機器を移植してクモハ化する改造を行った車両と中間車を先頭車化改造した車両があるため顔が2種類ある。
378 :
ミウナ:2006/10/01(日) 16:22:38 ID:idIy4w81
東京地下鉄10系
10000系のコンセプトをベースにした銀座線用の新型車両。
16m3ドアで10000系同様日立Aトレベースのアルミニウム
ダブルスキン構造式。01系のうち初期の生産された冷房改造型すべて
を取り替える。新造時から冷房付きで量産された車両は最終型同様の
VVVF化と10系と同様の車内に更新される。
20000系
同じく10000系コンセプトにした丸の内線の新型車。10系とほぼ同じで
18mになってること程度である。冷房改造型の初期型のみの取替え。
30000系
10000系の3ドア18m型で日比谷線03系置き換え用。初期型を
この車両に取り替える。また5ドア車だけを取り替える30000R系
というのもあるのが特徴。
50000系
東西線05系の約半数を取り替えるために製造された。ほぼ10000系と
同様の車体・車内構造を持つ。05−001〜05−024までを取替えで
廃車にはせずに千代田線に移動。6000系初期型を取り替える。
ワイドドア車は北綾瀬支線用として3両に改造。6000系試作・5000系
を取り替える。
80000系
10000系の半蔵門線型。スピードが出ないなど何かと乗り入れで叩かれて
いる8000系すべてを取り替える。
なお千代田線用60000系は東西線05系移動により、有楽町線用の
70000系は10000系量産により計画のみで終わり、10000系
6両型の南北線用09系も製造段階だったが結局見送られた。
379 :
エセレブ:2006/10/01(日) 19:59:22 ID:+7zDiWXD
新「総統閣下のC55」(C5563-87)
1936年、日独防共協定締結により同盟関係を結んだドイツ第3帝国A・ヒトラー総統のひと声で鉄道省に蒸気機関車25両が寄贈される運びになった。
機関車の諸元は当時最新形の幹線旅客機C55形に準じたもので、製造は明治末の最優秀輸入機・8850形と同じボルジッヒ社。
但し8850形とは異なり、主動輪はオーソドックスな第2動輪である。
全体的なスタイルはドイツの代表的な旅客機「01形」をリファインしたもので、キャブはテンダ機では初めて密閉形を採用した。
ボイラと主台枠はクルップ鋼で、ボイラは15kg/cm3での使用が可能だった。
除煙板はウィッテ式切取タイプで、戦後の門デフ・長工式デフの基本になった。なお、CP、給水ポンプ等の補機類は陸揚げ後、鉄道省標準品を付けた。
1937年1-2月に横浜・神戸で陸揚げし、大宮・鷹取・浜松・名古屋工場で補機類取り付け等を実施。3月中に25両全機が出揃った。
1937年3月21日に木曽川鉄橋上で実施した高速度試験では狭軌SL最速の124km/hを記録した。
63-74号機が尾久、75-87号機が大里に集中配置されてC51形を代替した。
使用成績は良好で、保守も集中配置が幸いしたか、特に悪評は出なかった。
本家C55同様戦災に遭ったものはなく、1948年には尾久配置の全機が鹿児島に転属した。
廃車は1965年からで、1972年3月に鹿児島にいた75・84号機が廃車されたことで全機引退した。
全廃後、75号機が小倉工場を経て九州鉄道記念館で展示。84号機の第2動輪と煙室扉+ナンバープレートが東京のドイツ連邦共和国大使館内で展示されている。
380 :
.:2006/10/02(月) 18:22:55 ID:OXHdY/2I
>>375 ちなみに日立製作所A-Train仕様との折衷。
東急N8000系:
>>375の東急バージョン。東武・西武・相鉄・メトロ4社の要望から軽量SUSからA-Train仕様に
また、西武・相鉄・メトロ(05系運転台と共通化でコスト削減)の要望で左手ワンハンドル(東武も追従)をやむなく採用。
381 :
名無し野電車区:2006/10/03(火) 21:14:16 ID:bhDu/c9+
>>379 GJ!
次回の作品を楽しみにしています。
382 :
名無しでGO!:2006/10/03(火) 21:43:23 ID:LJmm+wiD
阪急京都線9303F(8連)
種々検討の結果、6300系を神戸線5000並の更新を行なうことになり、入場中の特急車充当のため投入。
基本的には既存3本と大差ない。
完了後は、必然的に2300の経年車が廃車となろう。
383 :
名無し野電車区:2006/10/04(水) 22:54:08 ID:+NmB5Wlu
万が一このスレが落ちたら、
次の新スレは鉄道総合板に建てて欲しい。
と言うのも、この鉄道路線・車両板、
最近、頻繁に糞スレを建てる奴が増えたせいで、
良スレが落ち易くなっているので。
384 :
エセレブ:2006/10/04(水) 22:55:41 ID:Z3V/7oFd
禁忌ネタ?
国鉄→東海以外のJR旅客各社 C63形
国鉄は蒸機の製造を1949年度で一旦打ち切ったが、亜幹線や支線で多数が使われている8620・C51が代替機のめどがつかないまま使用され、故障の増加などのため現場サイドから強い不満の声が上がり続けることに方針を転換した。
検討の末、1951年末にC58形ベースでの新型機開発が決まり、翌年、設計に着手するとともにC58形数両でボイラー昇圧運用試験を実施。
概ね良好な結果を得たため、1953年度に1・2号機ロールアウトの予定で最終設計を完了。日本車輌に発注された。
1・2号機は1953年8月に竣工。千葉機関区に配属された。
基本諸元はC58に準じたが、ボイラ圧力向上により動輪周出力はC58より1割増の1200HPに達し、牽引力もC57を上回る13.0tになった。
また全ての軸受にローラーベアリングを用いてフリクションロスを軽減。運転最高速度は90km/hに向上した。
デフレクターは長野工場式切り取り形を採用したが、九州配属機の多くは小倉工場形に改装された。
ボイラーは初めから重油対応で、C59127のデータも活かして専焼式への改造も可能とした。(重油専焼の時はシリンダボアを縮小する)
1953年度後半より量産形ともいえる3号機以降が日本車輌と川崎車輌で順次竣工。
1956年度末には100両に達し、四国を含む全国に配置された。
製造は1957年9月末に183両で終了。
主としてC58の使用線区に投入され、捻出されたC58が8620の使用線に転属してハチロクを淘汰したが、吉松や鹿児島等ではC51形をも淘汰している。
普通列車や貨物列車ではC63形の方が能力が高いのだが、このため8620やC51ファンからは蛇蝎の如く嫌われてしまった。
廃車は1970年に開始。1975年に一般営業運転から退いたが、1976年には早くも観光列車用としてラストグループの179号機が山口線で再登場した他、最終的には5両が本線用として復活を遂げた。
>>383 あっちも似たようなもんだが。
(´‐`)ノ←みたいなのがいるし。
386 :
名無し野電車区:2006/10/05(木) 00:05:36 ID:93ECsGra
JR四国8500系
JR四国が特急「しおかぜ」「いしづち」の増発用に製造した特急形電車。
インバータがIGBTに変更されている。
パンタグラフには新開発の「ワイド摺り板」を採用し、ワイヤーロープ式架線追従装置を廃止した。
387 :
名無し野電車区:2006/10/05(木) 14:18:11 ID:cydGCJHe
>>383 なら負けずに書き込めば?
非難するだけなら簡単。
388 :
名無し野電車区:2006/10/05(木) 15:37:08 ID:p75tgL40
キハ183系1000番台(史実と異なる)
国鉄が1986年11月改正に「ひだ」「南紀」のキハ80系を淘汰するために製造
した特急気動車。同時期に北海道に投入されたキハ183−500に準じるが、
耐寒耐雪機能をはじめとする部分が異なっている。
前面はキハ183−500の腰部前照灯を省略したため、キハ185に近い
印象となった。車体塗色は白一色に東海道新幹線と同じ青色の帯が2本となっ
ていて、塗り分けはキハ185系に近い。
車両は発電ユニット付き先頭車がキハ183−1000、中間車キハ182
−1000、グリーン車のキロ182−1000で構成される。グリーン車
も北海道向けとほぼ同一でハイデッカー構造だが、売店が縮小されて座席定員
が8名分増やされている。
基本的にはグリーン車1両連結の5連を組むが、繁忙期は適時増結車を連結
して最長9連での運転も存在した。
「ひだ」「南紀」のキハ80系を置き換えた。
分割民営後は高山線急行「のりくら」の特急格上げのため増備されるが、
この時に短編成化のため発電ユニットのない先頭車であるキハ183−
1100が追加された。1989年からは帯色の青をコーポレートカラーである
オレンジに塗り替えられた。
さらに特急となった「たかやま」にも運用され、大阪にも顔を出している。
現在はホームライナー運用などにも入り、JR東海唯一の気動車特急車として
活躍が続く。
389 :
名無し野電車区:2006/10/05(木) 18:52:40 ID:WhGFSToG
EF61 19〜30
EF61 1〜18の増備車で、主電動機がMT49からMT54になり、ギヤ比は3.83となった。
車体は全長が300mm長くなり、前照灯がシールドビーム2灯(EF80前期型やED74
と同じスタイル)となった。登場以来、宮原に配置され旅客用として活躍したが、
昭和40年ごろ一旦貨物用になり岡山に転属、昭和47年3月のダイヤ改正で宮原に戻り
山陽地区のブルートレイン用に転用、元ダメ管を通しP型となり、昭和50年3月まで
新大阪⇔下関で使用、昭和50年3月改正では高崎に移動、P型の設備を生か、特急
「北陸」などを牽引、上越国境の補機なし運転を行う。昭和55年ごろからEF64 1000
の登場で再び東海道の荷物列車牽引用として浜松に転属、EF58の老朽車を置き換えるも
昭和59年2月改正で全廃。
390 :
名無し野電車区:2006/10/05(木) 19:01:10 ID:2O+SBSPa
EF66 500番台(P型)
高速貨物用として開発されたEF66だが、ブルートレインの需要が増加して
牽引力増強を図る為に増備された。EF65の性能ではこれ以上の高速化は
難しいので牽引力増強を図る必要があり、客貨両用ながら高速域での加速
に難があり、EF58より運転しにくいという乗務員の声からEF66化を要望されていた。
仕様は標準EF66にEF65P型の装備を加えたものとなっている。
391 :
名無し野電車区:2006/10/06(金) 09:55:29 ID:rTEoOhyC
>389
揚げ足取りでスマソ。
電機の主電動機はMT52ね。あと駆動方式モナー。
クイル式→吊掛式。
392 :
名無し野電車区:2006/10/06(金) 10:00:59 ID:rTEoOhyC
>390
EF66は、重連をしないこと以外はエアサス付の10000形貨車を牽引する65F形同様の装備を持っていたから、20系はすぐ牽引できたのでは?
393 :
389:2006/10/06(金) 18:06:09 ID:JWzjq9DC
394 :
名無し野電車区:2006/10/07(土) 10:49:06 ID:8g3JKwBk
EF72
国鉄が開発したEF66の交流専用バージョン。
出力は3900KWだが、サイリスタ位相制御のためEF66よりも高性能である。
板谷峠を高速登板できる。
山形新幹線開業後は東北本線の高速貨物用に転用された。
EF220
EF66の老朽化対策として開発された新型の電気機関車。
様々な点でEF200の問題点を解決したものとなっている。
車体形状は置き換え対象のEF66を意識したものとなっている。
投入後は未更新のEF66を置き換えていくが、後述するセノハチ用新型機の種車用の
100番台の捻出という目的もあったりする。
EF67 200番台
EF67の増備として経年の浅いEF65 1000番台から改造された。
改造の内容や性能はEF67 100番台までと同等。
EF67 500番台 もしくは新形式のEF68
EF220の増備により捻出されたEF66 100番台を種車にEF67 0番台置き換え用として
改造されたセノハチ補機専用の機関車である。
改造にあたってはEF67と同等の改造が行われた他は、VVVF化が行われている。
EF67と総括制御が可能であることから500番台を名乗っているが、新形式のEF68に改番する
予定もあると噂される。
なお、塗装はEF67更新車と同じものになっている。
396 :
エセレブ:2006/10/07(土) 17:58:16 ID:OBjnh3Tm
鉄道省→国鉄 D52形(史実のD52とは異なる)
9600形の代替として製造された1D形テンダ機関車
製造は汽車製造と三菱重工で、1939-45年に305両が竣工。
また樺太向けに15両が製造されている。
ボイラはC58とほぼ同型で、動輪は1250_径のボックス形。
公称出力は1010PSでシリンダ牽引力は14250kg。
台枠は厚鋼板切抜の棒台枠である。
基本形と戦時形があり、基本形は1-206と樺太向けの207-221で1944年3月まで製造。
戦時形(251-414)は1944年5月から1946年3月まで164両が製造された。
外観では蒸気溜と砂箱の一体ドームが蒲鉾状になり、炭水車も変わった。
四国以外の各地区に投入され、亜幹線・支線の貨物列車牽引や入換に使用された。
廃車は1967年に始まり、1976年3月に形式消滅。
全国に39両が静態保存されている他、JR九州に200号機が動態保存されている。
(史実のD52はD53になる)
397 :
ピーチライナー:2006/10/07(土) 19:34:24 ID:IdNYccxH
>>377に負けず
秩父鉄道・7000系。
JR中央線・青梅・五日市線へのE233系投入により余剰となった201系を購入したもの。
2M1Tとされ、三峰口方からクハ7200(旧クハ201)−デハ7100(旧モハ201)−デハ7000(旧モハ200)。
最大の変更点はモハ200を先頭車化改造した点。(クハ200の前面を接合)
1000系の置き換え用だが、し尺で大量に余ったため、3連12本に加え、3連4本も改造された。
これにより5000系もあぼーんされる。
398 :
久留米市民 ◆Goofy/5b1o :2006/10/07(土) 20:22:36 ID:V8xBVJ2s
813系2000番台
日豊本線の大分、佐伯以南の極端な長距離輸送に対応するべく製造された車両。
一編成あたり3両で、柔軟な編成が組める。
内装は長時間乗車でも疲れないよう、パステル系の色を採用。
シートは淡い桃色、床は薄い灰色で、壁はベージュで、シートは転換クロスシート装備。シートピッチも広くなっている。
その他扉選択機能、運賃箱、自動放送などワンマン運転に対応。
外見上の違いは、車体の下部に赤いラインが引かれていることと、シルバーとダークシルバーのツートーンになっている部分である。
399 :
ミユナ:2006/10/07(土) 21:58:38 ID:eLf9XjRW
EF250
セノハチ用EF210で
>>395のセノハチ用2形式と並行して新造された。
名称は「ECO POWER ホワイトタイガー」。
連結器に自動解錠装置が装備されており、走行中の解放も可能になっている。
(これは
>>395にも一部装備されている)
これにより一部高速貨物列車でEF59〜EF67初期で行われていた走行解放が復活する。
>>395の改造機が優先されたため4両しか作られなかった。
400 :
名無し野電車区:2006/10/07(土) 23:40:33 ID:bv2CUI4h
EF62 500
昭和47年3月改正で急行「越前」が特急格上されたのに伴い5両が改造された。
特急牽引用といっても速度の関係から電磁ブレーキの取り付けは見送られ、また元ダメ管は
EF62が元々重連仕様のため既に取り付けられており、特急塗装への変更のみとなる。昭和53年、
越前14系化に伴い復元改造、面倒な特急塗装をやめた。
この車両が出現前に天賞堂から既に特急塗装のEF62が発売されており、実物が後追いした車両
として評判となった。
(天賞堂のEF62特急塗装のみ実話)
401 :
エセレブ:2006/10/08(日) 10:47:36 ID:mka0Lxz5
鉄道省→国鉄 D10形タンク式蒸気機関車
老朽化が目立ち始めた4110形の代替を含めた勾配・重入換・短距離重量列車用として1940-44年に85両が製造された。
D51形と同等の性能を企図し、部品も共通化を図ったため、前頭部から第4動輪まではD51と似通っている。
竣工当初は動力逆転機を持っていたが、操車場配置機以外は手動式に改造してしまった。
テンダがない分、同じカットオフ率での加速力はD51より優れており、吹田・大宮・稲沢配属機は普通旅客列車の定期仕業を持つ時期があった。
勾配用としては新得・一戸・米沢・金沢・人吉に配置された。
1966年までは戦災も含めて1両も欠けなかったが、1966年10月の根室線落合・新得間の新線切替・無煙化実施により新得区配置機から廃車が出たのを皮切りに、大宮・稲沢・吹田操車場等の全面無煙化等で一気に淘汰が進んだ。
1969年度末には人吉区配置機のみとなり、1972年の全面無煙化により全廃された。
保存機は7両。
402 :
名無し野電車区:2006/10/08(日) 11:16:31 ID:MJMZK0oJ
北海道新幹線用E5系(12両)について誰か書いて
403 :
名無し野電車区:2006/10/08(日) 11:42:33 ID:Gvb5Mg9k
>>402 ・紺に紫の帯(同じ色合いだが、わかりやすく配色する事に努力。)
・初期は12両だが、後に8両化。
・当初はE2-2000を計画。
・当然、車内のシートは暖色。
404 :
ミウナ:2006/10/08(日) 12:40:21 ID:8hfGhLo+
EF62 1000
最終型のEF62で初期型を置き換えるべく昭和56年に製造された。
当時製造されていたEF64 1000に準じた車体になっているのが特徴で
台車配置もC-CからEF63と同じオーソドックスなB-B-Bになっている。
急行越前と急行能登の牽引用という用途が主体だが。貨物用として
も特に高速コンテナ列車用としても使用されている。なお新幹線構想から
廃線時にはEF64 1000に編入可能に作られている。1001〜1008までの8両が
作られて高崎に配置され初期型を駆逐した。牽引力が高いことからこれまで
運転できなかった高速コンテナ列車も牽引可能になり、横川〜軽井沢では
EF63の助けは借りるもコキ50000系なら12両まで牽引可能になり、これまで
中央・篠ノ井線経由で頼っていた運用をシフトさせることに成功した。
急行越前の廃止・能登の電車化後は貨物用として主にコンテナ列車用として
使用された。長野新幹線開業前からすでにEF64 1000への編入が開始され、
1053号機からの続番として1054〜1061号機として編入された。ほとんどが
高崎と篠ノ井に残されたが1058〜1061号機は岡山に移籍され、伯備線用と
なっている。その際寝台特急出雲1号も伯備線経由化されたためブルトレ
牽引という大役も果たしている。高崎と篠ノ井配置機は更新されJRF塗装に
されてしまったのもいる。
EF63 1000
昭和55年に作られた最終形のEF63で当初25からの続番が予定されたが、ベースが
EF64 1000になったことから1000番台で分類されることになった。車体はEF64 1000
で下回りは63という構造である。電車は現行どおりだが機関車の対応できるのは
前述のEF62 1000のみで旧式の62とは協調運転はできない。また旧式の63との混結も
できず、必ず同形式2両一組の重連で組む。1001-1002 1003-1004 1005-1006 1007-1008
の2両重連4組8両が作られた。これにより一部初期型63が駆逐されている。
長野新幹線開業に伴い廃止後に台車取替えや機器変更などでEF64 1000への編入され
1062〜1069号機として編入された。やはりJRF所有で高崎と篠ノ井に配置換えされたが
1067号機と1069号機は長岡に配置され、双頭連結器もそのまま生かし新津車両製作所
から新造された電車の首都圏配給用として1030・1031号機ともども使用され、
寝台特急北陸の牽引もこなしている。
406 :
は@ c178.016.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2006/10/08(日) 18:59:20 ID:NPuJE7Z8 BE:60523834-2BP(10)
秩父鉄道7000形
西武新101系を改造した代物。
6000形そっくりに改造しているが、真ん中の扉はそのまま。
1000形をこれによって置き換える。
407 :
名無し野電車区:2006/10/08(日) 21:20:58 ID:thqm6NSl
サハ101-800番台
国鉄がサハ101を改造して作った101系の高圧引き通し線付きサハ。
阪急5100系のようなクモハ101-サハ101-クモハ100といったMM'ユニット間に付随車が入る編成を組むことが出来る。
クモハが大量に余ってしまったため改造した。
408 :
鉄道タイムズ:2006/10/09(月) 01:40:24 ID:mlY4eLQu
◎JR東日本E233系4000番台電車
・車種:クハ233/232-4000(Tc/T'c)、モハ233/232-4000(M/M')、サハ233/232-4000(T/T')、デハ233-4000(M1)、クロ233(Tsc)
・特記仕様:E233系ベース、ストレート車体―買収した西武各線の車両限界に適合、特急小江戸の代替用グリーン車
・営業運行路線:新宿〜歌舞伎町(旧西武新宿)〜狭山線(旧新宿線)〜小平〜本川越/拝島
○概説
西武鉄道グループは、2005年の証券取引法違反―有価証券報告書の虚偽記載、インサイダー取引―によりワンマンな世襲オーナーの逮捕並びに上場廃止以後、
金融企業の支援の下で経営再建に努めていた。邦銀のみならず外資系ファンドも資本参加した。その過程で赤字のゴルフ場、スキー場、ホテルなどを売却した。
証券取引法違反が発覚する以前に西武鉄道グループ企業の株を買って大損した法人や投資家達が、株主代表訴訟などの民事裁判を起こした。
裁判の結果、西武は巨額の賠償金を支払うはめに陥った。これは、いずれ儲けようと思って資本参加していた外資系ファンドにとっても最大の危機であったので、
何が何でも儲けを得てから撤退したいが為に収益率が最も低い鉄道を売却すべしと経営陣に強く迫った。
もはや西武は鉄道を売却せざる得ないところまで追い込まれた。
経営から退いたとは言え、依然影響力が大きい元オーナーの「グループ発祥の旧多摩湖・武蔵野鉄道だけは残せ!手放したら、死んだ親父に申し訳ない!」
云々の執念が実ったのか、政財官への濃密な人脈のお陰か、鉄道全線の売却は免れ、新宿線、拝島線、所沢・新秋津貨物連絡線、多摩川線が売却対象となった。
売却公表後、購入に手を挙げる企業はなかなか現れ無かった。
このままでは廃線になると危惧した沿線自治体と政財官がJR東日本に強く働きかけた結果、JRは売却対象全線を買い取った。
因みに、東村山〜所沢は、西武国分寺線の西武池袋線所沢直通連絡の為に、豊橋駅〜平井信号所間のJR飯田線と名鉄の共有と同様な、西武とJRの共用区間である。
又、新宿線と地下鉄東西線との相互直通はJR買収後も白紙にならず、実現に向けて進展中。
JR編入が決定次第、次の様な変更と改良がJR編入日まで短期に渡って実施された。
恐らく
>>409へ続くだろう
409 :
鉄道タイムズ:2006/10/09(月) 01:42:20 ID:mlY4eLQu
>>408の続き
西武新宿駅の横に近接した山手線と中央総武緩行線に新宿線との乗り換え客用ホームの新設。本川越駅近傍を通過する川越線にホーム新設。
西武新宿駅の三番線から隣接する埼京線への渡り線を新設し、JR新宿駅へ乗り入れる。
西武新宿駅は歌舞伎町と改称。
新宿線は沿線の狭山丘陵やお茶に因んで狭山線と改称。
信号などの運行システムをJR仕様に変更。
これらJRへのドラスティックな統合の象徴として、西武鉄道の電車を引き継がず、代わって導入されたのがE233系4000番台である。
E233系をベースに、買収した西武各線の車両限界への適合の為に、E231系800番台と同様のストレート車体となった。
普通車である全車、ロングシート。
編成のMT比を1:1へと最適化する為に、モハ233-4000(M)+232-4000(M')の二両一ユニットに加え、1M方式のデハ233-4000(M1)も製造。
二両一ユニットとの区別の明確化の為に1M方式を表す形式記号として“デ”を新規採用。
因みに、4200番台は永久欠番である。
特急小江戸の代替としてグリーン車もクロ233(Tsc)として製造。車両限界の関係上、二階建てでは無く平屋、片側二扉。
リクライニングシート、トイレ、化粧室、グリーンアテンダント業務室を設置。グリーン車は原則として座席指定制。
次の様に三種の編成が用意された。
恐らく
>>410へ続くだろう
410 :
鉄道タイムズ:2006/10/09(月) 01:43:58 ID:mlY4eLQu
>>409の続き
各停用の八両編成: 新宿← Tc + M + M' + T' + T + M + M' + T'c
快速用の十両編成: 新宿← Tc + M + M' + T'c + Tc + M + M' + T + M1 + T'c
特快用の十両編成: 新宿← Tc + M + M' + T' + T + M + M' + T + M1 + Tsc
JR編入に先立つ三ヶ月前に、編入予定の各路線にてJR移籍予定の運転士などの乗務員による習熟運転を開始した、車内には西武用の保安装置を搭載の上で。
JR編入の三日前には、新宿線、拝島線、多摩川線は西武鉄道としての営業を終了し、二日間運休し、
その間のJR編入への準備―西武とJR間の車両移動など―は、かなり大規模なものになった。
かくして、E233系4000番台はデビューした。
沿線住民は、新宿へ直通する列車の設定が―全列車では無く一部が乗り入れるに過ぎないのだが増発の期待感から―高く評価され、JR編入を大歓迎。
これに応えて、JRは、狭山線全列車新宿直通化の改良工事を高田馬場〜新宿間にて着手した。
なお、西武鉄道の一部がJRに売却された出来事は、鉄道愛好者にとっては、阪神・阪急の経営統合以上に衝撃的であった。
>>408-410で以て終わり
・参考サイト
http://www.lt-empower.com/mailmag/back_05/050624_b.html
411 :
名無し野電車区:2006/10/09(月) 10:18:06 ID:hPT2PK3p
>>402 ●E5系2000番代
2021年の北海道新幹線札幌延伸に伴い製造された車輌。本来はJR北海道の車輌なので
「E」は付かないはずだがE954系の量産車、E5系と基本的に性能は同じため2000番代となった。
412 :
名無し野電車区:2006/10/09(月) 10:54:52 ID:hPT2PK3p
>>411続き
性能は同一なので省略。12両編成である。車体の上半分はメタリックブルーで
イーストグリーンの0番代との違いが分かるようになっている。グリーン車は
11号車のみ。2+2シートで革張りなのが特徴。繁忙期にはプラチナチケット化
は必至の様相。オーディオパネル・無線LANなど設備が整う。パーソナルモニタ
も装備。どこぞの飛行機のようになっている。一方普通車は1〜10号車と12号車。
こちらも2+2シートである。重厚なG車に対しこちらはカジュアル。なお、10号車
は「サイレンスカー」となる場合もある。
413 :
名無し野電車区:2006/10/09(月) 11:07:56 ID:hPT2PK3p
>>412追記
なお、グリーン車にはカウンターのような車掌室がある。
414 :
鉄道タイムズ:2006/10/09(月) 18:10:09 ID:mlY4eLQu
◎国鉄新幹線0系10000番台電車
・車種:先頭車;21-10000(Mc)、22-10000(M'c)、中間車;25-10000(M)、26-10000(M')、中間グリーン車;16-10000(M's)、
ビュッフェ普通客室合造・障害者対応車;37-10000(Mb)
・特記仕様:各停用に従来の低圧タップ制御からサイリスタ位相制御へ変更
・運行路線:東海道山陽新幹線
・製造年:1981-86
○概説
1964年の東海道新幹線開業以来、0系が投入され続けていた。国鉄時代、0系の寿命は十二年程度だった。
労働組合は「新車導入は人員削減に繋がり、勉強や新車故の初期故障の対応などで負担が重くなる!」云々で新技術採用の新車導入に否定的であったが故に、
革新的な試作車を製作したにも拘らず、寿命尽きた0系を同じ時代遅れ仕様の新製0系で置き換えていた。
1980年に東北上越向けにサイリスタ位相制御採用の200系が登場してもなお相変わらず時代遅れの低圧タップ制御の0系を新製していた。
これはいくら何でもまずいだろうと言う事で、
81年、こだま号用に加減速度向上で所要時間短縮と省エネ効果を目的に従来の低圧タップ制御からサイリスタ連続位相制御へ変更した
0系10000番台が登場した。
ひかり号用には従来ながらの低圧タップ制御の0系2000番台を導入。
国鉄の財政破綻寸前状況下、各停だから加減速が頻繁で、それに伴うエネルギー消費も大なので、こだま向けに絞ってサイリスタ位相制御を採用した。
制御装置以外は、2000番台と同じ。従来の低圧タップ制御車との混結可能、但し、本来の性能活かせず。
因みに、ダイヤ改正などで編成組み換えの際に低圧タップからサイリスタ位相へ換装した改造車も存在、原車番+15000と新区分。
両番台、真の新型車である100系の量産開始まで製造された。
87年、JR東海・西日本に承継。2006年現在、山陽新幹線に残存、こだま号として使用。
415 :
エセレブ:2006/10/10(火) 12:46:24 ID:YZVgBG9v
南武鉄道電気機関車・1100形→鉄道省→国鉄ED34形5・6→ED27形21・22号機
旧南武鉄道が貨物輸送力増強のため1939年に日立で製造した。
1928年製1000形(→国鉄ED2711-14)の改良形ともいうべき52d箱形B-B電機で電空単位スイッチ制御、定格出力は740KW。
車体は全溶接で省EF10・EF56形電機同様の丸みを帯びており、「小坊主」「小僧」の異名をとった。
南武鉄道が1944年に国有化された後も同線を離れず、さらに戦後は青梅線・五日市線でも運用された。
1972年に伊那松島区に転属。飯田線北部で運用されたが、1978年に運用離脱。同年度末に廃車された。
ED2722号機が昭和記念公園内に静態保存されている。
416 :
.:2006/10/10(火) 13:46:27 ID:3IWgY2Wu
KORAIL6000系電車
ソウル広域電鉄1号線系列の特別快速運転用に5000系最新型をベースに開発された。
転換クロス3ドアでしかも身障者トイレ付きとここ最近の日本の近郊型をパクッたような雰囲気の車両である。
418 :
名無し野電車区:2006/10/10(火) 23:23:07 ID:lM79clsM
関東鉄道キハ2100形高速化改造車
関東鉄道が快速列車の速度向上のため、2100形に高速化改造を行った車両。
主機関は小松製の485kW(660PS)機関に交換され、変速機は直結3段のものに変更。
台車はJR東日本E531系と同一のものに交換されている。
この改造により、120km/h運転を可能とした。
419 :
高橋愛長細い顔:2006/10/11(水) 13:57:53 ID:vJKXmZYI
JR西日本125系100番台
関西本線加茂〜亀山間の電化に合わせて登場した車両。
加太越え対応の車両でもある。
420 :
名無し野電車区:2006/10/11(水) 16:40:09 ID:MQqkHZhz
>419
小浜線用125系とどこが違うのかを書いとくれ。
抽象的過ぎて解らん。
421 :
名無し野電車区:2006/10/11(水) 21:39:27 ID:M/uE3Xvo
E933系
JR東日本が開発したコンパクト収納電車。
見かけは1両編成であるが、混雑時に車内からもう一つ車体を引き出して2両編成にすることができる。
別名「マトリョーシカ電車」。
422 :
名無し野電車区:2006/10/12(木) 18:17:00 ID:3BLwjkG7
423 :
名無し野電車区:2006/10/12(木) 18:45:56 ID:0Yrx8TCl
K231系
韓国鉄道公社が近郊型車輛として製造した車輛。
形式はJR束のE231系を真似している。
しかも、10両で5号車と、4号車はグリーン車である。
その為か、2chでは叩かれている。
しかも、韓国では、「うちら韓国が作った新作ニダ、日本が真似したニダ」と言っている。
もうそのころにはE231は廃車が始まりました。
425 :
名無し野電車区:2006/10/12(木) 20:36:52 ID:QgnVjeDi
EF85
EF58の交直改造車で2両改造。1号車はローズピンクと屋根機器がうざくなってヲタから不評をかって2号車では屋根機器を全て車内に移設したが乗務員から文句言われて2両とも早々にあぼ〜ん。
426 :
名無し野電車区:2006/10/12(木) 20:52:58 ID:re/GLVna
E919系交直流型近郊型車輛。
東北本線・常磐線で走行中の701系の後継車で2両固定編成を2組落成した。
「走るんです」シリーズの701系を全廃し、919を投入し、シートはセミクロスシート
ドア数は2ドア、719系や721-500等と連結する事が出来る。
予想運行内容は上野(東北本線)〜黒磯〜盛岡と常磐線の勝田〜原ノ町〜岩沼までを走らせる予定。
勿論、東北本線から湘南新宿ラインを通って大船発も3往復用意される。
427 :
高橋愛長細い顔:2006/10/12(木) 22:52:34 ID:me9NGIaU
JR東日本E233系1000番台
東京メトロ千代田線から常磐緩行線へ乗り入れる、老朽化した203系置き換え用の新型車両。
中央快速線用と京浜東北線用とは異なって、地下鉄線に乗り入れるため、こちらは車体幅が狭く、非常貫通扉を設置している。
小田急線との乗り入れにも対応している。
428 :
名無し野電車区:2006/10/12(木) 22:55:04 ID:7IoTdSjw
>427
900番台は試作形。
制式車ならE533系とかでは?
2ドアじゃ首都圏は使いものにならんし仙台地区でもしんどい。
ヲタ以外は長距離乗るなら新幹線か飛行機。
429 :
高橋愛長細い顔:2006/10/13(金) 09:52:02 ID:beoWfFx0
JR東日本E601系
東京メトロ千代田線から常磐緩行線を経由して交流区間へ乗り入れる通勤型車両。
>>427の交直流版でもある。
>>427と同じく小田急線との乗り入れにも対応している。
モハ75-1
倒壊の参宮線が突然オール電化が決定した為急遽改造した電車。
足回り、モーター等は先日踏切事故で廃車となった211系を流用した。
ありえねーwwwww
431 :
名無し野電車区:2006/10/13(金) 19:05:52 ID:g3YbvWZX
東京臨海高速鉄道70-000系付随車
組み換えによる全列車10両化の際、廃車予定だったサハ205をJR東日本から購入
内装は70-000系にあわせられLED案内装置が取り付けられた
なおりんかい線側も余剰になった70-000系6両をJR東日本へ売却している
433 :
高橋愛長細い顔:2006/10/13(金) 20:44:11 ID:lb1kNfcT
JR九州611系
唐津線電化により、登場した交直流電車。
ワンマン運転にも対応している。
先頭車は817系を基本としている。
単行運転も可能である。
JR太東 763系
太東〜東京・新宿へのダイレクトアクセスに使用。
E129系
JR東日本の近郊型電車で、107、113、115系を置き換える目的で登場した。
各番台とも車体形状は仙台地区に導入されたE721系に準じており、編成は
Mc-Tcの2連が基本となっている。
基本番台
高崎地区の107、115系置き換え用として導入。
京浜東北線から撤退した209系の機器を転用しており、新製扱いではなく車体更新による
改造扱いとなっているのが特徴である。寒冷地で使用されることから、扉が半自動で使用
できる等の寒冷地仕様となっていることは言うまでもない。
帯の色は、新前橋の107系に近いものとなっている。
100番台
新潟地区の115系を置き換える目的で新製された車両であり、209系の部品は転用されていない。
高崎地区に導入した基本番台よりも耐寒耐雪機能を強化しており、エアカーテンも装備されている。
帯の色はE127系のものと同様である。
なお、千葉地区の113系置き換えのために暖地向けのものの導入が予定されていたが、諸事情
により無期限延期となってしまった。
E261系
JR東日本の臨時列車用の車両で165系などの置き換え用に登場
3ドアでセミクロスシート 半自動ドア対応で
窓は大型1枚窓 ボックス席には液晶モニター完備で
様々なコンテンツを楽しむことが出来る
ドア上モニターも装備し東日本の全電化駅に対応
最高加速度4km/h/sで最高速度130km/h
4連+6連が基本だが3連も製造され交直流対応のE561系も5連で登場した
437 :
鉄道タイムズ:2006/10/14(土) 22:01:57 ID:av04f8ZG
◎JR貨物EF71形100番台電気機関車
・改造種車:EF71
・改造要点:東北線での重連解消を目的に急勾配専用から最高110km/h貨物列車単機牽引へ
・運行路線:東北線(黒磯駅〜青森信号所)
・改造年:1991-92
○概説
東北線黒磯以北の交流電化区間にて、連続勾配の区間の存在に加えて、車両基地の統合や所要時間短縮により、
ED75形を重連で使用する事が普通になってしなった。
これに対して、第二種鉄道事業者としてJR貨物が線路保有会社であるJR東日本に支払う線路使用料は、重連なので機関車二両分を支払っている。
91年初めの不動産などの資産バブル崩壊後、JR貨物は、経営強化の一環としての線路使用料削減を目的に、
東北線で最高速度110km/hの貨物列車を単機で牽引可能な機関車を必要としていた。
丁度その頃、板谷峠専用機であるが故にED75よりも大出力のEF71が、91年の奥羽線の福島・山形間での標準軌への改軌による新幹線直通工事開始に伴い、
廃車となったので、JR東から10両譲受し、先述の要求を満たす様に―元々の33.3‰の急勾配専用機として必要な高出力を活かして
最高110km/h貨物列車単機牽引機へと―改造する事となった。形式称号については新形式を起こさず、原車番+100と新番台に。
92年から運用開始。2006年現在も東北線にてEH500と一緒に活躍中。
東京メトロ06系2次車
06系が好評だった事と事故により廃車が決定した6000系2編成を補う為に20両2編成が製造された。
変更点はパンタグラフがシングルアーム化され、M車を1両増やし5M5Tとした。
これにより加速度も僅かながら上昇した。
439 :
名無し野電車区:2006/10/15(日) 14:46:21 ID:0nPR1ptM
相模鉄道11000系
相模鉄道が投入したE233系ベースの新型車両。
10両編成と8両編成があるが、10両編成は6M4Tに変更された。
440 :
エセレブ:2006/10/15(日) 23:49:08 ID:zbxEfZPt
JR北海道・東日本 スハ24形
2005年、「グランシャリオ」の営業中止(カシオペアは営業)に伴い、スシ24形は状態の悪い車両が廃車され、残存車をフリースペース兼自販機コーナーに改装した。
厨房部分を車販準備室と自販機コーナーにし、廊下部分はカウンター。
旧テーブル席はそのままだが禁煙席とした。
自販機は飲物と冷凍食品。(車両基地での解凍防止のため地上電源を接続可能)
ビール、カップ酒は、当初は終夜販売だったが、2006年9月以降は降車後の飲酒運転を防止するため22時で販売を打ち切っている。また一時、冷凍寿司自販機も設置されたが短期間で中止された。
441 :
高橋愛長細い顔:2006/10/16(月) 14:56:12 ID:w5XcXk0q
JR西日本125系500番台
自力走行のトロッコ列車。
パンタグラフ付きの電車トロッコでもある。
伯備線を走行。
既存の125系との併結も可能である。
ただし、電化区間のみの走行である。
442 :
名無し野電車区:2006/10/16(月) 17:16:52 ID:JRB8ySbZ
JR東日本E233系100番台JR東日本初めての転換クロスシート車の近郊形車で、関東向きが、100番台で、東北向きが300番台として、導入の決断で、利用者からは、賛否両論とはいえ、快適だの喜びの声がいい反響と、呼んだ。
近鉄9830系/9040系
2007年度以降の新造車は新形式となった。従来車との変更点は
・車体をアルミからステンレスに変更(前面部はほぼ同一、ドア下部分(ドア部含まず)にシリーズ21の茶色の帯)
・搭載VVVFを変更(三菱製のみで音は7020系に近い…だが何故かシリーズ21以上にうるさい)
・コスト削減のため更に車両ドア(車両間貫通扉を含む)の化粧板を廃止
見た目が従来車以上に安っぽく、更に音もうるさくなったので利用客には不評でヲタからは「VVVF版東急8000」と言われている。
なおこの音のうるささは半端じゃなく夜になると線路から1km離れた地点でこれの走行音が聞けるという。
地下では上本町駅で難波駅を出たこれの音が聞こえるとか…
444 :
名無し野電車区:2006/10/16(月) 23:46:41 ID:9WaeKhI3
>>442 しかし某K氏だけは・・・
「JR東日本は大きな間違いを犯した。首都圏のような過密地帯に転換クロスシートを導入するというのは、混雑時を無視しているとしか思えない。
関西地方や中部地方で転換クロスシート車が多いのは、並行私鉄の存在により混雑を分散させられるこや、利用者数が少ないためにクロスシートでも捌ける程度であるからなのである。
対する首都圏には一部を除き並行私鉄は存在せず、それにも関らず利用者数は絶対的に多い。
転換クロスシートで一時の快適性を目指すよりも、JR西日本の207系のような快適なロングシートを持つ車両を投入して混雑の緩和を図るべきである。
着席以前に「輸送」こそが、鉄道の根本的なサービスであることを忘れてはならない。幾ら快適でも乗れなければ意味が無いのだ」とか何とか。
209系1000番台改造車
VVVFをGTOから3レベルIGBTへ変更し、パンタグラフをシングルアーム化した。
更に純電制ブレーキを搭載し起動加速度を3.5km/h/sへと僅かながら引き上げた。
446 :
ミウナ:2006/10/17(火) 18:28:13 ID:PcyaJWIe
DF54
日立が試作していたDF90・91を原型に、電気式をやめ、強馬力エンジン2基による
駆動式で採用された本線用ディーゼル機関車。エンジンとしてドイツマン製の
1800馬力のディーゼルエンジンを前後に2基搭載している。台車配置は当初B-B-B
を予定したが、DF90系と同じC-Cに変更された。計3600馬力はDD51の1.5倍の
牽引力でC62型やD52型をも超える。昭和37年から量産され、0番台が45両が
すべて北海道に配備された。これによりD51型を駆逐したことから、函館線や
室蘭・石北・根室線で牽引する貨物列車に投石する等、道内のSLファンから
徹底的に目の敵にされた。SGを搭載し、旅客用にも使用可能になった500番台
が量産されると急行「ニセコ」の牽引がC62から全区間これになったことから
さらに嫌がらせが拍車になった。また急行「大雪」や「利尻」までもこれになった。
首都圏や本州にも配備が本格化してDF50型やDD51をも脅かした。
500番台は777まで計276両生産され、後に1000番台に移行される。SGなしの貨物用の
配備が望まれると800番台が88両生産され、主に首都圏に配備してなんとDD51をも
駆逐した。1000番台は500番台の発展型として山陰などを中心に48両生産された。
最終型として成田空港ジェット燃料輸送用として運転席窓の防弾ガラスや投石防止の
金網まで装備した特化型の1800番台8両作られた。過激派の攻撃を予測しての装備
だったが、後に取り外され通常型に戻された。昭和37年から最終的には昭和53年まで
製造される息の長い機関車だった。やはり老朽化の波には勝てず初期型0番台は
全車廃車された。500番台も北海道に15両までに激減し、800番台も八高線の貨物廃
などで激減し、愛知に10両高崎に4両が残るのみに。1800番台も佐倉機関区の廃止で
愛知に全車両移籍して全車現存。1000番台も山陰に5両と北海道に20両現存。
内北海道の10両はブルトレ牽引用で青塗装6両とトワイライト用ダークグリーン2両
カシオペア用の塗装も2両あり、単機で牽引する。
機関の更新を行ったのも多く、ほとんどがカミンズ(小松)製の2000馬力エンジンへの
換装が行われている。なお高崎の837号機はお召し専用機。首都圏配備機はエンジン
換装で小松とダイムラーベンツ社製の2000馬力に換装され、DPFも標準装備された。
447 :
鉄道タイムズ:2006/10/17(火) 22:06:26 ID:r17uuIlm
◎JR東日本211系4000番台近郊形直流電車
・車種:クハ211/210-4000(Tc/Tc')、モハ211/210-4000(M/M')
・特記仕様:東京湾側はセミクロスシート、反対側はロング
・製造年:1989-90
・営業運行路線:京葉、内房、外房、東金
・編成:東京←Tc'M'MM'MTc+Tc'M'MTc→蘇我
○概説
90年の京葉線新木場〜東京駅間の開業に備え、京葉線経由による内房、外房、東金の各線への直通列車用に211系4000番台が新製された。
当時、不動産バブル好況の影響で東京都心と周辺の地価が高騰し、手頃な値段で購入可能な庭付き一戸建てが遠退き、長距離通勤客の増加、
並びに、沿線にはディズニーランドなどのレジャー施設が存在し、観光客の増加も見込まれたが故に、着席サービス向上を目的に、
クロスシートがある車両が求められた。が、しかし、京葉線は東京都心と直結するにも拘らず、同様の他路線とは異なり、複々線では無いので、
今後、沿線開発次第では、ラッシュ時の混雑は厳しいものになる、と予想されていたので、従来ながらのセミクロスとはならず、結局、
眺望のきく東京湾側のみを従来の211系0・1000番台と同様のセミクロスにし、反対側を2000・3000番台と同様のロングにした。
その為、番台を4000と新区分。蘇我以遠、分割併合を行う為、4M2Tの六両編成と2M2Tの四両編成が準備された。
4+6で6M4Tとなり、東海道などの他線の211系の4M6Tや(2M3T)*2と異なり、同時期に京葉線に投入された205系並の加速度等の性能を有す事となり、
快速のみならず各停にも使える。Tc'にトイレが設置。
京葉線用205系と同様に、当車のステンレス車体に京葉線のラインカラーであるワインレッドの帯を、先頭車の貫通扉もワインレッドに塗られた。
2006年現在も、蘇我以遠各線への直通する通勤快速や快速を主に使用されている。
E257系 1000番台 新前橋所属車
上越特急などに使用されている185系200番台を置き換えるために製造された新型車両。
あずさ・かいじ用(0番台)よりも耐寒耐雪機能を向上させたために1000番台が与えられた。
編成は185系と同じものとするために全室グリーン車(サロE257 1000)が設定された。
外観は前面が0番台をベースに若干のアレンジが加えられ、側面は185系同様のブロック
パターン塗装となっているが、ロゴは省略されている。
185系 200番台 房総特急仕様
前述にE257系1000の投入によって捻出される185系200番台は千葉地区に残る183・189系の置き換え
に転用されることとなった。
塗装がブロックパターンの部分を青と黄色に変更した以外はほとんどそのままである。
これによって予定されていたE257系500番台はの投入は中止となった。
もし新型特急車両が千葉ではなく上越地区に投入されていたら・・・という話でした。
>>448 残念ながらE257系0番台の中にモハE257-1000が存在するんだ。
450 :
高橋愛長細い顔:2006/10/18(水) 13:24:39 ID:BjFb6E3f
JR西日本523系
単行運転が可能な交直流型車両。
ワンマン運転にも対応している。
125系・521系との併結も可能である。
所属表記は「金フイ」。
運転区間は湖西線・北陸本線・小浜線。
それにより、米原・長浜〜福井間の直通運転が復活。
451 :
448:2006/10/18(水) 18:29:54 ID:VqxfeDzO
>>449 調べてなかった・・・ 無知スマン
2000番台か3000番台にでもしようかな。
452 :
ミウナ:2006/10/18(水) 22:25:16 ID:OTdjoFhj
>>448と
>>451をふまえて
E257系 2000番台
草津・水上・あかぎ・ホームタウンとちぎなどに使われている新前橋区の185系200番台
と、踊り子・はまかいじなどでも使われる田町区の185系200番台を置き換えるために
製作された新型車両。分割運転や2編成組み合わせる長編成の運用もある関係で、
基本的には房総特急用のE257系500番台と同様の前面形状にしている。当初先頭車
をグリーン車とした5両編成を予定したが185系と極力合わせることから7両編成となった。
塗装はE257系500番台に似たもので黄色青を赤黄色パターンにした程度。
編成
上野・新宿 水上・長野原草津口・前橋・高崎・黒磯
東京 伊豆急下田(踊り子)
東京 小田原(湘南ライナー)
クハE257-2000-モハE257-2000-モハE256-2000-モハE257-3000-モハE256-3000-サロハE257-2000-クハE256-2000
これにより上越口と宇都宮線の特急および踊り子の一部、はまかいじも新型車になった。
なおはまかいじはE257-2000投入によりあずさに改称され、はまあずさ81号・82号となる。
なお捻出される185系の一部は6両編成に組み替え等を行い、幕張・田町に波動用として配置し、
一部183系、189系を取り替える。また一部は長野に転属し、妙高号用として189系を取り替える。
485系「ゆとり」U
客車で残る「ゆとり」の老朽化に伴い、電車型のJTに改造するもので種車となる183系や189系の枯渇に
伴い、今回から新型車投入で捻出された185系に変更された。また交流用の変圧器と整流器は485系では
なく何と今回から415系の廃車発生部品に変更された。車体形状や車内はニューなのはな
に準じており、お座敷と座席の兼用式。
453 :
高橋愛長細い顔:2006/10/18(水) 23:07:12 ID:LcX6styL
JR西日本223系500番台
山陰本線園部〜城崎温泉間・福知山線篠山口〜福知山間・舞鶴線の113・115系老朽化取替え用の新型車両。
2両編成でワンマン運転にも対応している。
室内は転換クロスシート。
所属は「福フチ」。
運転区間は園部〜福知山。
JR西日本223系600番台
こちらは山陰本線米子〜出雲市・西出雲間の普通列車のオール電車化(但し、快速アクアライナー・とっとりライナーを除く)用の車両。
こちらも500番台と同じく2両編成でワンマン運転にも対応している。
室内はこちらも転換クロスシート。
所属は「米イモ」。
454 :
名無し野電車区:2006/10/18(水) 23:52:48 ID:ocwfUU+6
115系500番台
国鉄が製造した115系の総武地下線仕様。
車体がA-A基準を満たした難燃構造に変更され、クハにATCを搭載している。
113系と共通運用されたが、前面部の塗り分けが違うためすぐ目立つ。
抑速ブレーキ付きであることを生かして中央本線への乗り入れも行われた(パンタグラフが全車PS23になっているのはそのため)。
現在は房総地区や中央本線に残存している。
455 :
高橋愛長細い顔:2006/10/19(木) 10:11:03 ID:Uf3oV1nr
JR西日本287系
北陸新幹線金沢開業に伴い、余剰となった681系を直流化。
特急「きのさき」「はしだて」「たんば」「まいづる」「北近畿」「文殊」「はまかぜ(播但線完全電化後ですが)」に投入。
456 :
エセレブ:2006/10/19(木) 19:48:16 ID:QOAtF8+U
みちのくの大パシ・C59異聞。
戦後の復興期、東北・北海道からの輸送路として東北線の輸送量が増え、山陽線とともに軌道の強化が進められた。
1954年宇都宮、1955年白河、1956年福島と進み、1957年には仙台まで重軌条化が進められ、C59・D52クラスの運転可能区間が広がった。
1954年2月、宇都宮にC59の配属が始まり、東海道線の電化につれて白河・福島・仙台とC59の配置が進んだ。
このためC60・C61は順次盛岡・青森と常磐線に移ってC55・C57を押し出してC51を廃車に追い込み、最終的には秋田にも転属して羽越・奥羽線にまで進出し1971年まで活躍した。
一方、東北線の電化と仙台以北の軌道強化も進み、1961年には仙台まで電化された。
C59はその前年に盛岡乗り入れを果たしており、仙台〜盛岡間ではC61に代わって特急「はつかり」牽引にあたった。
この時期がみちのくC59の全盛期で、1965年秋の盛岡電化で一気に衰亡していく。
1964-65年の特急「はくつる」牽引が最後の華ともいえたが、国鉄の赤字転落がED75の増備にブレーキをかけた。
1965年10月以降も仙台に11・90・92・176の4両が残り、小荷物専用列車と区間普通列車の牽引にあたっていたが、1967年3月29日をもって全運用を離脱。同年9月末までに全廃・解体された。
457 :
名無し野電車区:2006/10/19(木) 22:41:25 ID:KRQ0KJA0
>>452 さらに残念な事に今の高崎・上越優等は大宮持ちだったり。
ちなみに鈍行は高崎・国府津・小山だが。
458 :
高橋愛長細い顔:2006/10/20(金) 09:49:24 ID:dxrtm+jJ
JR西日本289系
>>455の683系バージョン。
奈良線・小浜線の特急列車設定用に683系を直流化改造。
201X年
相鉄の新型車両として導入
ステンレスに代わり一般への普及が進んだカーボン素材を多用
窓もガラスではなく強化プラスチックを使用し徹底的に軽量化を図り
10000系に比べ約30%の省エネで運転可能
加速度は最高7.5km/h/s
最高速度は130km/hだが一応150km/hまで出せ150km/hまで30秒で加速可能
そのハイスペックにより西武、京王、小田急など私鉄他社にも類似車両が導入された
460 :
高橋愛長細い顔:2006/10/20(金) 16:08:43 ID:dxrtm+jJ
JR西日本425系
北陸本線の福井以北ワンマン化により、JR東海から飯田線の313系投入により余剰となった119系を交直流化改造。
415系2000番台
最終型415系で、1500番台の車体に211系と同じ界磁添加励磁制御に
変更されたため211系と部品共通化が図られた。編成も変わり、
M'cMTTM'MTc
クモハ415-2000‐モハ414-2000‐サハ415-2000-サハ414-2700-モハ415-2700-モハ414-2700-クハ414-2000
の7両編成と
M'cMTTc
クモハ415-2000‐モハ414-2000‐サハ415-2000-クハ414-2000の4両編成からなる。
編成順序も変わった関係で新形式でクモハ415・モハ414と電動車順序が逆に
なったほか、サハ411改めサハ415・クハ411改めクハ414が登場した。
なお2000番台はオールロングシート・2700番台は連結面ロングのセミロング仕様。
しかし1500番台をも含めて他の415系の異形式との連結ができないため、同形式
7+4の11両編成でしか組成できず、1500番台を組み込んで15両編成にしようにも
出来ないためラッシュ時では使い物ならず、厄介者に扱われる結果となった。
また先頭がクモハになったことから発車時の衝撃も大きく不評を買う結果になった。
結局7両編成8本と4両編成6本のみで製造は打ち切られた。結局平成17年から
交流用の機器を撤去した上で211系に編入され、7両から5両に減車した編成は
幕張へ、4両編成車は余剰サハ415(一部サハ211)を組み込んだ上でやはり
幕張に移籍された。
462 :
◆MVJIES.73. :2006/10/20(金) 22:18:31 ID:d5UedCat
131系
国鉄分割民営化前に試作された急行兼通勤型試作近郊型電車。
走行機器は本四備讃線213系0番台と同一だが
仕様は戸袋部分にロングシート、窓割部分は転換クロスシートが配置される4扉セミ転換クロスシート式。(車端部はロングシート)。
窓割は205系二次車以降と同一で扉窓も205系の昭和63年からの増備車(横浜線などに投入された)と同じ。
前面は207系900番台を広幅にした感じである。
編成はMc+Tcの二両編成で、Tcには洋式トイレが付帯。
日根野、静岡、神領、新前橋に二両二本ずつ配置され、主に日光線、両毛線、吾妻線、紀勢本線、和歌山線、東海道本線、中央本線、関西本線、御殿場線などのローカルに投入され、阪和線直通快速やするがシャトルなどに使用。
勿論、205、211、213、313などと連結され
東北・高崎線上野、東海道線名古屋、阪和線天王寺まで乗り入れる運用もある。
民営化後はバリアフリー化、アコモ改造、ワンマン対応などの各種工事を経て現在に至る。
静岡配置の車両は一時期、小田急・営団乗り入れに使用する案もあり、
日根野配置の車両は近鉄、南海乗り入れ対応に改造する案や
新前橋配置の車両は東武乗り入れ対応改造する案もあった。(いずれも実現せず)
463 :
名無し野電車区:2006/10/20(金) 22:58:34 ID:yiBHVy1f
JR東日本E261・E551・E753系特急形電車
JR東日本がローカル地区の特急網整備のために開発した特急形電車。
形式は3種類あるが基本構造や電気系統は完全に同一であり、電気方式の違いにより分かれるに過ぎない(交流受電設備の付け外しにより使い回すことすら可能)。
編成は1M1Tの2連。必要に応じて増結して運用される。
車体はE257-500をベースとしている。
客室はモノクラス仕様。座面スライド機構付き回転リクライニングシート(2-2配列・970mmピッチ)。
Tc車には車椅子対応の大型洋式トイレを設置。Mcしゃには飲料・軽食類販売機を搭載(車内販売の省力化のため)。
主回路系統はE531系を基本とし、コストダウンを図った。
制御方式は日立2レベルIGBTインバータ、主電動機はMT75(140kW)。TD継手平行カルダン駆動。ギア比1:5.65(17:96)。
起動加速度2.5km/h/s、最高運転速度130km/h。
464 :
エセレブ:2006/10/21(土) 10:54:59 ID:CCWuWJNi
オハユニ30
1928-29年に40両製造された3等・郵便・荷物車。
1941年以前はオハユニ35600形
前位から客室(定員28人)・便所・郵便室(区分棚と押印台付・荷重2t)・荷物室(荷重3t)・車掌室。
亜幹線や距離の長い支線に投入され、明治期の雑形改造ハユニを一部淘汰した。
戦後もオハユニ61・スハユニ62と並行で使われたが、キハユニ25・26の増備により廃車またはスエ30への改造で淘汰され、1966年に形式消滅した。
スエ30に改造された車も1986年までに全廃されている。
465 :
エセレブ:2006/10/21(土) 11:25:18 ID:CCWuWJNi
JR貨物 スユ15形(所有は郵政省→郵政公社)
国鉄末期、鉄道郵便の全廃が議論されたが、モーダルシフトに逆行するとの批判が上がり、1985年3月以降、大都市相互間の護送便は順次コンテナ特急貨物列車への併結または専用コンテナ積みに移行した。
これにより、郵便車は110km/h運転対応のスユ15形(2次形以降)のみがJR貨物に継承された。
締切郵袋室はバラ積・パレット積みともに対応しており、ラッシング設備が追加された。
乗務員室は貨物列車連結により、ミクニ製ベバスト形燃焼ヒーターがつき、便所も高速バスと同様のタンク形に改造された。
現在は3次形のみ12両が使用されている。
466 :
◆MVJIES.73. :2006/10/21(土) 12:50:49 ID:rmhgxde2
JR東日本207系900番台更新車。
常磐緩行線207系900番台の車内及び制御装置を更新した。
VVVF制御装置は各々、更新前のメーカー(東芝、東洋、三菱、日立、富士電機)を引き継いだ形でIGBT素子を用いたものに変更。
このうち東芝製の一両は廃車となった103系DDM試験車のVVVFと主電動機(DDM)を流用している。
行き先表示機はフルカラーLEDに変更。
車内は座席と内装がE233系の流れを汲んだユニバーサルデザインに変更。
各車に車椅子スペースが設けられ
ドア上には液晶式(LCD)の案内表示機が設けられる。
また千代田線乗り入れ用である為、小田急乗り入れ準備工事も行われ、最高速度も120km/hに引き上げられた。
467 :
名無し野電車区:2006/10/21(土) 18:36:58 ID:n8kujJpd
神戸新交通3000系
愛知県小牧市の桃花台新交通廃止に伴い余剰となった車両を買い取ったもの。
簡易運転台側の2両は廃車し、残った2両を背中合わせに連結した。
同時にバリアフリー工事も行われた。
六甲ライナーで使用されている。
468 :
エセレブ:2006/10/21(土) 19:30:17 ID:CCWuWJNi
国鉄 オユ63形
鋼体化改造により1954年に郡山工場で3両製造した。
車体・設備は同期新製のスユ42形11-13とほぼ同形で、台車は電車用のTR35U。電気暖房は取り付けられず1959年以降は西日本方面で運用され、1974年に全廃された。
スユ67→スユ68
戦後唯一の3軸ボギー郵便車。
1950年末、3軸ボギー大形木造客車を種車に大宮工場で2両鋼体化改造を行った。(種車は旧3等特急用スハ28400形)
車体は当初オユ36と同形の通常単送形で計画したが、日本の郵便事情に合わないことが判ってきたため、通常・小包併送形に設計を改めた。
車体設計はスユ41以降の基本となっている。
台車はTR71B形。
1953年の形式称号改定でスユ68形に改番。
他の鋼体化郵便車とは異なり、3軸ボギーゆえの走行性能で急行列車にも使われたが、オユ10形の増備により1968年にスエ38形に改造され形式消滅した。
469 :
鉄道タイムズ:2006/10/21(土) 20:01:06 ID:9cmsJZ/e
北陸線敦賀以南直流電車営業運行開始記念
◎国鉄・JR西日本417系1000番台近郊形交直流電車
・車種:クモハ417-1000(Mc)、モハ416-1000(M')、クハ416-1000(T'c)
・特記仕様:417系をベースにステンレス車体とボルスタレス台車、113系との併結協調運転可
・製造年:1986
・営業運行路線:東海道、湖西、北陸
・編成:福井←McM'T'c→京都
○概説
旧国鉄の分割民営化直前の1985〜86年にかけて継承する各社の経営強化を目的に日本各地に様々な新車が投入された。
その一つとして、後のJR西日本向けに、湖西線・北陸線の交流直流電化区間直通用に417系1000番台が新製された。
これは、83年に仙台地区に導入された417系をベースにステンレス車体とボルスタレス台車を採用したものであり、
後述する様に直流区間では113系と併結協調運転可能である。二扉セミクロスシートで、T'cにトイレ。
その頃に新製された415系1000番台の設計思想に類似。投入路線の事情と設計製造期間の短縮により、415系では無く、
耐寒耐雪設備・勾配抑速発電ブレーキ・ステップ付の417系になった。
北陸線が交流に対して湖西線が直流と、電化方式の違いにより、なおかつ交直流電車は高価な故に、湖西線開業当初から、北陸線から湖西線経由で
京都へ直通する普通列車の設定は無かった。敦賀市などの沿線から直通普通の設定を求める声があったが、なかなか実現しなかった。
が、しかし、当時、都心と周辺の地価がどんどん上昇する不動産バブルが始まり、影響として手頃な値段で購入可能な庭付き一戸建てが遠退き、
京阪神の通勤圏拡大と長距離通勤客の増加傾向が後押しとなって、当417系1000番台が誕生した。
国鉄末期での高価な交直流電車の上に普通用途が故に三両一編成で三編成の計九両しか製造されず、
湖西線を二扉の三両で運行させるのは難があるので、直流区間の湖西線永原以南では113系を増結し、協調運転を行う。
86年11月の国鉄最後の全国的ダイヤ大改正で、京都〜湖西線〜敦賀/福井の直通普通列車でデビュー。
JR西の承継後、増備されず。2006年秋の北陸線敦賀以南の直流化と直流電車運行開始後は敦賀以北ローカルに使用。
470 :
鉄道タイムズ:2006/10/21(土) 20:07:50 ID:9cmsJZ/e
>>469の訂正
誤:>83年に仙台地区に導入された417系を
↓
正:78年に仙台地区に導入された417系を
471 :
高橋愛長細い顔:2006/10/21(土) 20:09:11 ID:c0g/geou
JR西日本417系5000番台
湖西線のATS-P導入により余剰となった117系を交直流化改造。
金沢地区で導入。
ワンマン運転にも対応している。
472 :
名無し野電車区:2006/10/21(土) 23:03:49 ID:C00Kb9zN
お付き合い。
>>456 もし盛岡まで重軌条化が進んだ場合、D52は盛岡まで入ったのでしょうか。
そうなれば一関のD62はどうなっていたのでしょうか?
また、C60の改造計画まで影響があったと思いますが。
>>464 たしかにオハユニは32でも35でも存在してもよさそうな物だが、これは既出?
しかし頭を冷やして考えればやはり作られないだろう。
>>465 本来こうあるべきだった。ついでにスユ44も。短命に終わった彼らに、合掌。
>>468 3軸ボギーの切妻車体は他に例がないのでは。(除カニ38)
473 :
名無し野電車区:2006/10/21(土) 23:14:52 ID:94dnZtIe
お付き合い。
>>456 もし盛岡まで重軌条化が進んだ場合、D52は盛岡まで入ったのでしょうか。
そうなれば一関のD62はどうなっていたのでしょうか?
また、C60の改造計画まで影響があったと思いますが。
>>464 たしかにオハユニは32でも35でも存在してもよさそうな物だが、これは既出?
しかし頭を冷やして考えればやはり作られないだろう。
>>465 本来こうあるべきだった。ついでにスユ44も。短命に終わった彼らに、合掌。
>>468 3軸ボギーの切妻車体は他に例がないのでは。(除カニ38)
474 :
472・473:2006/10/21(土) 23:20:08 ID:zlLHrGHt
すまぬ、ダブった。
475 :
.:2006/10/22(日) 00:31:15 ID:Elg74Sss
E233系近郊タイプ:
10000番台:東海道線・宇都宮線・高崎線・湘南新宿向け。(田町・高崎の211置き換え)
耐寒耐雪・半自動対応。
大宮・尾久に配置
15000番台:横須賀線・総武快速向け。(老朽化したE217の置き換え)
耐寒耐雪は省略・半自動は準備工事のみ。
E233系通勤タイプバリエーション:
1000番台:千代田線・東西線直通用。
5000番台:埼京線・武蔵野線(南線旅客化に伴う増発用)・横浜線等改良形。
476 :
エセレブ:2006/10/22(日) 07:40:12 ID:ITWOo5E0
>473
[みちのくC59]
D52が東北線に入ったかは微妙ですな。東海道・山陽線の電化次第では?
また、D62は軸重軽減工事を受けずに配置されていたかも。
[オハユニ30]
ハユニはローカル線用ですからな。現実は、戦前はローカル用に鋼製車を造るような趨勢ではなかったですな。
よくても10000・20000系列木造客車の旧優等車からの改造でせう。(食堂車改造のオハユニ25400等の実例あり)
[スユ68]
確かに、実在すれば完全切妻車体の3軸ボギー車は空前絶後。
[JRFスユ15]
マニ30がコンテナ列車にぶら下がって運用してたのだから、護送郵便車だって可能だったでしょうからね。史実の彼らがあまりに不憫でならなかったので(泣)
477 :
名無し野電車区:2006/10/22(日) 08:22:05 ID:bcOhP3zY
>>456 となるとみちのくにはC62は配置されなかったことにならない?
478 :
高橋愛長細い顔:2006/10/22(日) 08:30:48 ID:l4ev6pWA
JR西日本427系
東海道・山陽本線快速のオール223系化により余剰となった221系を交直流化改造。
金沢地区のローカル列車に投入。
479 :
エセレブ:2006/10/22(日) 10:55:05 ID:ITWOo5E0
>477
C59が盛岡にまで入れればC62は常磐線に専念できるし、C60の需要も少なかったべね。
常磐線は軌道強化が進まないのに北海道とのメインルートだから、大出力の軽量形C62は必要不可欠と思ふ。
一方で東北線は黒磯−白石間で勾配が多いなどの制限はあるけれど、沿線人口では常磐線を大きく上回っているから優等列車でも停車駅は増える。
そーなると多少出力は低くてもふんばりが効くC59の方がC61や東日本仕様C62より有利。
E731系
201X年 老朽化した701系の代わりに導入
高齢化に伴う交通事故が多発し高齢ドライバーに対する免許更新を厳しくした結果
車から公共交通へのシフトが起きた
そこで徹底的なバリアフリー化が行われた
座席は通勤用の1000番台を除いてセミクロスorクロスシートで
つり革は掴み易いが背の高い人が当たらないように伸縮式を採用
半自動ドアは閉め忘れが無いようセンサーで自動的にしまるようにし
車椅子スペースを増設
全車共通 2両1ユニット8両まで連結可能 最高速度120km/h(標準軌仕様は130kmh) 加速度3km/h/s
0番台 セミクロスシート 運行区間東北本線黒磯―盛岡間 常磐線いわき以北 磐越西線電化区間
1000番台 ロングシート 運行区間東北本線白石―一ノ関間 仙山線作並以東 常磐線原ノ町以北
2000番台 クロスシート 運行区間東北本線八戸以北 羽越本線あつみ温泉以北 奥羽本線新庄以北
5000番台 セミクロスシート 運行区間奥羽本線新庄以南
5500番台 クロスシート 運行区間田沢湖線全線 奥羽本線大曲―秋田間
481 :
名無し野電車区:2006/10/22(日) 14:46:45 ID:AC4yA9sA
115系神領電車区仕様
なぜか神領電車区に配属された115系。
中央本線で113系と混じって運用されている。
抑速ブレーキがあるため「ナイスホリデー木曽路」にも使われる。
482 :
ミウナ:2006/10/22(日) 17:37:44 ID:bpV3kZR0
スユニ46
パレット式の郵便・荷物車である。スニ40・スユ44と同構造で
貨車ベースのワキ10000系を原型にしている。また荷物列車廃止に
備えてワキ10000や50000にも編入可能にしている。なお台車は
TR203ではなくコキ50000系と同じTR223を使用している。
荷重は荷物10トン・護送郵便8トン。郵便と荷物等で仕切りが
なく、そのまま郵便も荷物もパレット式だからと混載にしてしまう
かなり乱暴な積載構造。65両が作られ、主に客車急行用として
マニ36・37やマニ60らを駆逐した。また客車車体のスユニ
50に比べても建造費用が安く、貨車車体であることからローカル
線でも使われた。これによりオハユニ61らを駆逐した線区もある。
しかし鉄道郵便輸送廃止がおおきな足かせとなり、貨車改造しようにも
郵便車両であったことから郵政省が許さず、一部は救援車両として
機械扱いにされた車両以外は全車廃車の憂き目になってしまった。
483 :
名無し野電車区:2006/10/22(日) 18:21:06 ID:AC4yA9sA
阪急8210系
阪急電鉄が製造した8000系のワンマン仕様。
200KWモーターを搭載し、1M2Tで、ワンマン設備を搭載している。
8210系を名乗っているが車体は8040形と同じである。
阪急一過酷なMT比のため加速度が2.5km/h/sと8000系より若干劣るが、最高速度が低いため問題は無いとしている。
484 :
エセレブ:2006/10/22(日) 22:30:41 ID:ITWOo5E0
国鉄 スハニ32形70-84
戦災で失われたオハニ30、スハニ31・32の補充名目で1947-49年に日本車輌で製造された。
形態はオハ35700〜と同じだが、全車鋼板屋根。台車はTR23・34。
1947年竣工の70-74は「絞り折妻」で、荷物室側窓は戦前形同様2個×4組。
1948-49年竣工の75-は「茸折妻」で、荷物室側窓は1個×4組となり、後続のオハニ・スハニ(スハニ35・オハニ40除く)もこの配置を踏襲した。
80-85は復活が予定されていた特急用に指定され、扇風機配線を施されていた。スハニ35・オハニ36の登場までは特急・急行にも使われたが、その後は亜幹線筋で使用された。
一部は1959年以降電気暖房化されたが、1964年以降マニ35・36に改造されたり廃車されたりで、1982年に形式消滅した。
485 :
名無し野電車区:2006/10/23(月) 15:01:16 ID:C+yGvVhY
>>467 さすがに中央案内軌条式を側方案内軌条式に改造するのは無理があると思われ。
115系3800番台
将来の山陽本線広島口ワンマン化を見据えて4両編成を2両編成に改造。もはや説明の必要もないと思う。
487 :
エセレブ:2006/10/23(月) 19:25:22 ID:ZgF4GEMS
ナロネ10→ナロネ11→オロネ10901-906
10系寝台初の2等寝台車(C)として1956年に近畿車両で6両製造。
寝台はプルマン式開放室で寝台28、座席56(並ロ)。
便所・洗面所はナハネ10同様前位に集中した。
側窓は水切り付きの上昇式で、上段寝台用にスポット式強制通風装置を付けた。
竣工後すぐ特急「あさかぜ」「さちかぜ」「平和」「はやぶさ」に使用されたが、1959年に冷房付のオロネ10が登場すると同時にナロネ11と改称。
1961年にAU12クーラー(屋根両端)と3PK形DGを取り付けて冷房化と固定窓化。オロネ10に編入されて900番台を名乗った。
1968年以降は団体・波動用になり、1975年に全廃された。
488 :
高橋愛長細い顔:2006/10/23(月) 22:27:54 ID:Z4NCcLFN
JR西日本415系1800番台
東海道本線静岡地区の313系化により余剰となった211系5000番台を交直流化改造した車両。
室内はオールロングシートからセミクロスシートに変更され、トイレが設置されている。
北陸本線金沢地区と七尾線で活躍。
489 :
名無し野電車区:2006/10/24(火) 01:25:07 ID:bn1sgApo
国鉄→JR西113系5400番台
福知山線電化用として登場。編成はTcMM'T'cだが、前面形状は福知山線の先輩に当たる
DD54最終増備車にそっくりのデザインで登場した。したがって非貫通。他の113との併結は可能。
JR西に引き継がれた後、播但線の電化に際し一部が転出。
短命だったDD54の分まで長生きすることになろう。
>487 >484 等、有難うございました。(=>473)
490 :
名無し野電車区:2006/10/24(火) 14:20:59 ID:ddKp+5v2
京急2500系
快特(特急)専用地下鉄乗り入れ規格の3ドア自動転換クロス
本線が130km/h化されたのを機に導入
600の後継車
最初はありえてもおかしくないかもってのが多かったのに、最近は厨レベルというか何と言うか。。。
レベル落ちてきたな。
492 :
名無し野電車区:2006/10/24(火) 16:22:07 ID:GvUECdkz
103系東海道線仕様
国鉄が何を思ったのか東海道線に投入した103系。
混雑が激しいためやむを得ず103系を投入。
11両編成と4両編成があり、車体の色は湘南色。
しかし高速性能に劣るため早々と撤退。
493 :
エセレブ:2006/10/24(火) 20:21:40 ID:kl89KU5f
鉄道院→鉄道省→国鉄 8880形蒸気機関車
1911年に大量輸入された大型旅客機関車群「陸の八八艦隊」(by臼井茂信)の一形式。
欧米各メーカーからの見積を検討したが、ドイツの各メーカーはどれも優秀なプランを提示してきたため、島安次郎技師長の判断でベルリーナ(→シュワルツコップ)・ボルジッヒ・ヘンシェルの3社に12両ずつ発注することになり、それぞれ8800・8850・8880形とした。
ヘンシェル案の主務者フォン・リヒトホーフェンは、「レッド・バロン」の従兄に当たる人物で天才を謳われたが、本形式の竣工直後に事故死を遂げている。
軸配置は2Cのテンホイラーだが、エクステリアデザインは直線を強調し、ランボード前端部は斜めに立ち上げた。
さらに周囲を驚かせたのが蒸気ドームとサンドドームを一体ケーシング化したことで、C53形以降の昭和機を先取りした極めて斬新なスタイルになった。
テンダは他の輸入機同様国産(大宮工場製)の3軸車。
1911年11月までに全機竣工し、8850形とともに東京に配置。東海道線沼津以東と東北線白河以南で最急行・急行を中心に牽引。1912年に運転を始めた特別急行1・2列車も1920年まで牽引した。
1920年に国産の新型旅客機関車18900形(C51)18905号機と8885号機の比較試験が行われたが、最高速度は18905の99.1km/hに対し、8885は107.8km/hをマークし、関係者が真っ青になる一幕があったが、それは戦後まで長く封印されていた。
18900形の増備により、1921年には全機水戸に移動。
1927年には小山に移り、水戸線と両毛線で運用された。
全機戦災を免れ、1951年に全廃。
お召し指定機だった8888号機が大井工場内に長らく保管されていたが、2007年開館予定の鉄道博物館にお召し装備で展示される予定。
494 :
名無し野電車区:2006/10/24(火) 20:27:23 ID:pDnybIMn
211系 横須賀線・総武快速線仕様
JR化直後の1988年から、横須賀線・総武快速線にも211系が導入された。
帯は青色15号+クリーム色1号の“スカ色”。湘南色とは塗分け位置が異なる。
東海道線では基本4M-6T/付属2M-3Tであるが、出力不足が見込まれるほか、従来の113系と揃える目的
で、5M-6T/2M-2T組成となった。
車号はセミクロス車とグリーン車が500番台、ロング車が2500番台。
セミクロスシートは基本3編成のみで打ち切り、他はすべてロングシートで製造された。
基本編成は5Mを実現するため、213系のシステムを用いた1M車「モハ211形5500・7500番台」が入る。
この考え方はのちJR西日本の221系や、JR東海の371系でも受け継がれた。
また付属編成の奇数先頭には、ATCと便所を省略した「クハ211形2600番台」が連結される。
<基本編成>普通車ロングシート車は車号にプラス2000。
[Jクハ211-500|Iサハ211-500|HGモハ211・210-500|Fサハ211-500|Eモハ211-5500|
Dサロ213-500|Cサロ212-500|BAモハ211・210-500|@クハ210-500]
<付属編成>すべてロングシート
[増Cクハ211-2600|増B増Aモハ211・210-2500|増@クハ210-2500]
495 :
名無し野電車区:2006/10/24(火) 22:07:35 ID:GvUECdkz
123系1000番台
国鉄でクモニ83を旅客用に改造した車両。
クモハ84と同一車体であるが、足回りも更新されているため123系を名乗る。
主電動機はMT57を採用しているが、DT13に強引に搭載したため乗り心地が悪い。
冷房(AU75G)があるため見分けが付く。
496 :
名無し野電車区:2006/10/25(水) 02:07:10 ID:OZi79gXu
神戸市交通局西神・山手線 女性専用車
神戸市交通局では2002年12月より西神・山手線全編成の4号車に女性専用車を設定する事となったが、
その際、3号車‐4号車間に貫通扉が無いのでは十分な効果が期待できないのではないかという事が問題となった。
そこで、同年4月より該当箇所に貫通扉を設置する改造が始まった。
工事はリニューアルと併施ではとても間に合わないため、3、4号車のみの緊急入場という形で施行された。
内容は4号車への貫通扉の設置(既存の扉とほぼ同形態)と、専用車である事を示すための4号車窓上帯の青色化で、
費用、時間の低減を図るために3号車は貫通路の縮小以外改造は加えられていない。
工事は1回に2編成のペースで急速に進められ、翌年4月に全車の改造が終了した。工事中は余った車両を有効活用して、片方にもう片方の2、5号車を挿入した「Mc2− M1− M1(T代用)− M1'(T'代用)− M1'− Mc2'」という編成が見られた。
なお、帯色の変更により、側面に貼られる女性専用車シールは史実よりずっと少ない。
497 :
名無し野電車区:2006/10/25(水) 02:09:44 ID:OZi79gXu
>>496の続き
女性専用車リフレッシュ工事
女性専用車への扉設置は利用者から好評で、これに気を良くした交通局は2003年10月より更なる女性の利用者増を目論んで4号車のみの特別リフレッシュ工事を始めた。
内容は、力の無い女性が操作しやすいようにヨロイ式日除けをフリーストップ式カーテンに変更、隣車からの視線を排除するために妻部窓にカーテンを新設(構造上フック式)、
居住性向上のために冷房室外機を更新しての除湿・花粉カット機能追加、背の低い利用者のためにドア付近と車端部のつり手を低い物に交換で、
リニューアル工事の施行、未施行とは関係なく、前回同様1回に2編成のペースで進められた。
これには男性利用者からの抗議が殺到したが、優先席付近の日除けとつり手の交換を約束したのみで、リフレッシュ工事を止める気配は未だ見せていない。
ちなみに、交通局の説明によると、4号車以外が優先席付近のみのサービスアップなのは「全車両に行うと金銭的に問題があるため」、
室外機更新が4号車のみなのは「1000系初期車が装備する小型クーラーは改造が難しいため」だそうである。
4号車以外に妻部窓のカーテン増設を行わない明確な理由説明は無い。
現在、全車のリフレッシュが完了した編成が12本、4号車のみ改造がなされている編成が4本存在する。
尚、一部の1000系はリニューアル時にリフレッシュを施行された。
こんなんされたら絶対乗らねえ。
498 :
名無し野電車区:2006/10/25(水) 10:09:25 ID:Tpyovh4M
221系500番台
セキ115系550番台の置き換えのために余剰となったホシ221系を改造。
お得意の中間車を先頭化改造。105系みたいなパンダ顔に。
だがヘッドライトは四角いのでそれで区別は付く。
221系800番台
フチへ転属する際に寒冷地仕様に改造。
帯は113系800番台と同じ茶色に塗り替え。
499 :
高橋愛長細い顔:2006/10/25(水) 10:37:01 ID:zxHKENsX
JR西日本405系
京浜東北線・根岸線のE233系投入により余剰となった209系を束から購入して交直流化改造。
北陸本線・七尾線で運用。
500 :
名無し野電車区:2006/10/25(水) 10:47:22 ID:/nKLHsC/
500 GET
209系3400番台
京浜東北・根岸線のE233系投入により余剰となった209系0番台を
八高・川越線の増発用に改造
2M2Tの4両で3000,3100番台と同様に半自動ドアに
車端部の3人がけの座席は折りたたみ式に改造
モーターを交換し130km/h走行に対応
従来の209系3000,3100番台と205系3500番台も同様に改造しそれぞれ
209系3200,3300番台と205系3600番台に変更
3400番台は205系の中間車先頭車化改造のような前面に仕上がっている
502 :
ミユナ:2006/10/25(水) 20:38:30 ID:gBapvtnL
東京臨海高速鉄道(りんかい線)70-200系
京浜東北・根岸線のE233系投入により余剰となった209系0番台を
りんかい線の増発分として8本導入したものである。同時に編成替えを行い、
埼京線205系と同じ6ドア車を2両連結にしており、埼京線205系と同じになった。
また主電動機をとVVVF装置をE233系と同じものに交換されているため、
130km運転にも対応。8本導入により東臨運輸区だけでは収容できなくなり、
やむなく京葉電車区にも2本収容するために新習志野行きを設定せざるを得なく
なり、川越発新習志野行きという電車も登場。ついに埼京線がりんかい線経由で
京葉線直通が行われることになった。(川越・埼京線内通勤快速{休日は快速}
りんかい線・京葉線内普通)なお既存の70−000系にも6ドア車両を組み込むため、
8編成分×2のサハ208型16両を購入することになった。これによりまたも編成と
一部車両が改番となる。6ドア編入で捻出される70-××4と6が廃車となる。
当初E231系に準じた新型車を予定したが、209系の大量離脱により車両部品等で
共用可能な209系購入に転換した。なお幅広車の500番台2編成も購入を計画したが、
6ドアが組めないことやすでに京葉への転出が決まっており、見送られた。
>>486 山陽本線広島口は4両ないと無理だよ。
115系T編成が岩国以東に入ってないことからもわかりそうなものだけど・・・
504 :
西の人:2006/10/25(水) 23:03:02 ID:OZi79gXu
>>496=497=自分 名前を付けてみた。
JR西日本207系3000番台
京阪神地区の各駅停車の8両編成化と7両固定編成であるF1編成の解消のため、
2004年〜2005年に増備された207系の最終製造グループ。
車体は当時開発途中だった321系と同一のビードが無く、屋根肩に丸みが付いたデザインをしており、
台車も321系とタイプの物を履いているのが大きな特徴である。
前面形状、電装品、妻部の構造は207系2000番台とほぼ同一で、321系への編入は考慮されていない。
一方で中間車の車端部(両端とも)はブロック構造で運転台やトイレユニットの取り付けが容易に行えるようになっており、
207系としての様々な転用計画が既に盛り込まれていると考えられる。
脱線事故で一部計画が変更となったものの、最終的に次のように編成替えされた。
*クハ207-1+モハ207-1+モハ206-1+クハ206-1(2代目Z16編成、F1編成を短縮)
*クハ207-3001+モハ207-2+モハ207-3001+クハ206-3001(H17編成)
*クモハ207-10XX+サハ207-10XX+モハ207-3002〜+クハ206-10XX(新S編成、19〜55は編成番号が-1された)
*クモハ207-20XX+サハ207-20XX+モハ207-3056〜+クハ206-20XX(新S編成、全て編成番号が-1された)
*モハ207-3001のみモハ207-1500番台のようにパンタグラフを持たない。
製造は321系を発注した近畿車輛は避けられ、川重で39両と日車で30両が製造された。
また、製造途中に帯色変更が決まったため、一部中間1両のみ帯が異なる編成が存在した。
現在は全ての編成が共通運用されている。
しかし、こんな事になったら女性専用車はどうなるのだろうか?連結時は1編成に2両?
505 :
西の人:2006/10/25(水) 23:13:14 ID:OZi79gXu
書き忘れ
この編成替えで余剰となった旧F1編成のサハ207-1は保留車となり、
現在はスペースの関係から宮原総合運転所内に留置されている。
一部情報では、今後キヤ141の中間検束車に改造される計画もあるという。
225系
酉が地方用次世代車両として広島岡山の115系老朽車の置き換えで投入。
側面は223系、台車は321系、しかし顔は125系と同じ。
シートは転換クロスだが車端部はロング。束のE531と同じ2段ドア上液晶表示付き。
しかし223系転属も控えてるので多くは投入されず。
223系1500番台
広島岡山へ転属の際に元々8両編成だったものを4両編成化の際に中間車を先頭車化したもの
前述の225系との併結が可能。
801系
Qが415系置き換えのために投入。
車体は817系と同じだが
転換クロスではなく303系と同じタイプのロングシートである。
ちなみに3ドア。
ちなみに下関へはキハ200のみが乗り入れ。
(もちろん連絡ダイヤになっている)
>>507 てかそれは815系やんけとふと気付いたw
さらにIDが4Mw
>>491 せっかくだから、
リアルティがあって良いかも!という例とか、
どう考えたってあるわけないだろう!という厨レベルの例とか、
良い例と、悪い例を挙げるとか、
批評したら、どうよ?
213系8000番台
関西線のライナー運用が決定したため、313系増便で余剰となった213系を使用した改造車。
室内は313系と同様の転換クロスシートに置き換えられ、足にヨーダンパを設置した。
またカラーリングもセントラルライナーと同様のものとなった。
室内の色彩は青をベースにした落ち着いたものになった。
9両3編成製造
E129系
新潟長野の115系置き換えのために作られたE721の直流版。
E127との併結が可能。
>>509 ネタスレで批判ウザスとか言うやつが絶対出てくるからなぁ。
まぁ、ネタで書いてる奴と妄想で書いてる奴と両方いるし。
もうちょっと様子見てみるよ。
513 :
名無し野電車区:2006/10/26(木) 18:11:19 ID:orb5xKYg
>>501 209系3500番台
新潟地区の165系などの置き換え・増発用に導入
基本的に八高線用とほとんど代わりはないが
前面が貫通扉に改造されておりスカートも雪への対応を強化したものに交換された
514 :
ピーチライナー:2006/10/26(木) 19:48:59 ID:8QO4Aswj
西武30000系
束メト13号線への直通乗り入れに向けて製造。
車体はE231ベース。前面は東急新5000と都営10−300を足して二で割ったようなかんじ
5M5T。なお、本系列投入に伴い、新101が廃車。6000の一部は新宿線へ。
東武50500系
野田線の8000系置き換えのために投入。
6両編成。
516 :
エセレブ:2006/10/26(木) 23:41:29 ID:LnefixWh
国鉄 スハシ39形(1-5)
戦後、食堂車の復旧が進むにつれて、日本人向け復活食堂車第1号として1949年に改造されたオハシ30形の見劣りが著しくなり、乗客からの不評が目立つようになったため、代替が計画された。
とはいえ食堂車の種車自体も逼迫し、残存していたスハ48・マハ49を全車復旧しても足りなかったため、費用削減も兼ねてスロ50形同様、新車予算ながら例外的に鋼体化改造でまかなうことにした。
種車になったのは29000番台の大形木造客車の3軸ボギー客車で、元寝台車や食堂車の通勤3等車や荷物車だった。
しかも改造費用削減と急行運用時の乗り心地維持のため、種車の台車TR71形を一部改造(バネ交換等)のうえ再用した。
車体はスハ43系に準じた切妻で、車内配置はスハシ38形と同じだが、3等室の照明はスハ43形と同じ2列配置とした。
外観は、3等室側はスハ43形と同じ。食堂側は1200_の広窓を採用した。
厨房側窓はスハシ38形同様の700_二段窓3個で、廊下側は1000_窓2個。
半車食堂車では一番近代的な車体だが、台車がイコライザ形3軸なのが恐ろしくミスマッチな車両になったが、国鉄はあまり長く使うつもりがなかったか、割り切っていたようだ。
施工は長野工場で、1953年8〜9月に竣工。
本車は青森に投入されて急行「みちのく」のオハシ30を代替。オハシ30はスハ32・オハ35に復旧された。
晩年は新潟と函館に配置されたが、新潟の2001・2002(1959年に電気暖房化)は165系電車に代替されて1963年にスエ38に改造。
函館の3-5も1965-67年にスエ38、スヤ39に改造されて消滅した。
517 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 00:03:43 ID:mlhLFRu6
東武50070(50870)
TQ、13号直通用。
メトロ10000、TQ5000、西武30000を見てさすがの東武も危機感を感じて作った形式。
TQ各停直通用に8両編成の50870系も導入(急行停車駅は10両対応工事済)
#前面・側面LEDはフルカラー(側面は30000と50000の中間位の幅)
#台車をボルスタ付に変更。
#車内案内装置としてLCDモニタを各扉上に2基設置。
#前面のLEDは種別・行き先独立型から、一体型に変更。
#新たに6ダァ車を設置。
ま、豆腐゙がするわけがない。
518 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 00:33:06 ID:biWoSrWI
>>517 案外やるんじゃないの?w
直通先に「だけ」は見栄張るのも東武クオリティの一つだし(ex.2000系の蛍光灯カバー、30000系・・・)。
519 :
西の人:2006/10/27(金) 01:42:26 ID:Toe/XBT+
>>504 さらに追記。
旅客案内装置は電光掲示板が、シートは柔らかく奥行きがある物が、
内壁は白色系統の物がそれぞれ採用されており、車内は混結する既存の207系との調和が図られている。
但し、座席区分は6人掛けで、室内灯カバーがつり手一体型になっているなど、321系の影響も多少見られる。
シートモケットも薄紫ながら321系風のすべすべとした材質である。
外部行先表示機は321系の鋼体を利用している関係で、幅広のLED表示機が使われているものの、
号車番号表示は行っておらず、それを表示する為のLED自体始めから組み込まれていない。
あと、サハ207-2も余るの忘れてた・・・
520 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 11:45:11 ID:kwQEVdMk
>512
ここはネタの板なんだから単なる評論家は不要。否定的な批評もいいが、自分も提案して晦。
521 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 12:06:48 ID:biWoSrWI
E231系3100番台(E231系仙石線向け車両:205系の転入がなかったという設定で)
JR東日本が仙石線の103系置き換えのために投入したE231系。
通勤タイプをベースといているが、実際には通勤型と近郊型の中間的な存在になっている独特の仕様。
編成は2M2Tの4連。
車体は通勤タイプがベースであるが、中間M車はセミクロスシートになっている。
また、先頭車にはトイレ設備も搭載されており、内装は近郊タイプに近い。
客室情報装置は常磐快速線用で採用された二段式のLED表示機を採用。TIMS・VISを搭載。
制御装置は三菱電機製3レベルIPM-IGBTインバータ。主電動機はMT73(95kW)。ギア比1:7.07。
MT比が1:1のため、起動加速度は3.0km/h/sとなっている。最高運転速度120km/h。
522 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 18:39:47 ID:VWUsbVH/
阪急3030系・5030系
神戸線115km/h運転のため3000系・5000系のブレーキ装置を改良した車両。
車番は、原番号+30。
523 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 19:10:24 ID:5MLCsMDx
東京メトロ南北線用の09系
524 :
名無し野電車区:2006/10/27(金) 19:10:27 ID:YU9I1bSd
525 :
ミユナ:2006/10/27(金) 19:59:09 ID:8NK1yaS8
>>521の似た設定で
E127系3000・3100番台(鶴見線に205系の転入がなかったという設定)
鶴見線・南武支線の101系・103系を置き換えのために投入したE127系。
新潟仕様をベースにしているが、首都圏のため耐寒耐雪装備の必要は
ないため内装はほぼE231系と同等のオールロングシート仕様。
2両編成と3両編成であるが、客室情報装置も常磐快速線用E231系と同じ
二段式のLED表示機を採用し、TIMS・VISも搭載という豪華装備。
南武支線用2両編成3100番台4本と鶴見線用3000番台3両編成8本が中原
(鶴見線営業所)に配備された。帯色は鶴見線は黄色に白・赤帯。
南武支線は黄色にモスグリーン帯。なお南武支線用の3100番台は
閑散時では鶴見線でも使用する。高速を出す必要性のない路線の
ため制御装置は東洋電機製3レベルIPM-IGBTインバータとなる。
編成
南武支線仕様
尻手 浜川崎
クモハE127-3101ークハE126-3101
クモハE127-3102ークハE126-3102
クモハE127-3103ークハE126-3103
クモハE127-3104ークハE126-3104
鶴見線仕様
鶴見 扇町・海芝浦・大川
クモハE127-3001ーサハE127-3001-クハE126-3001
クモハE127-3002ーサハE127-3002-クハE126-3002
クモハE127-3003ーサハE127-3003-クハE126-3003
クモハE127-3004ーサハE127-3004-クハE126-3004
クモハE127-3005ーサハE127-3005-クハE126-3005
クモハE127-3006ーサハE127-3006-クハE126-3006
クモハE127-3007ーサハE127-3007-クハE126-3007
クモハE127-3008ーサハE127-3008-クハE126-3008
526 :
西の人:2006/10/27(金) 22:23:02 ID:Toe/XBT+
>>524 それも考えたが、側面つるつるの207を見てみたいなーとも思って。
527 :
名無し野電車区:2006/10/28(土) 09:23:22 ID:YgDiOC+s
モハ223・サハ223-2500番台
JR西日本で関空快速の増発用に製造した223系。
JR四国5000系増備車
JR四国が快速サンポート用に増備した5000系。高松方から5150形Tc-5000形Mcの2両編成で編成番号はPM-xとなった。
なお、多客時などにマリンライナーの増結用として使用されるため、編成の向きが223系5000番台と同じであり、
121系・6000系・7000系などとは編成が逆になる。(121系・6000系・7000系では高松側がMcになる)
また、狭小トンネルがある観音寺以西には入線できない。
これらの問題から5000系・223系5000番台を除いた既存の形式とは併結できないので、
原則として高松〜琴平・観音寺間のサンポート専用となり、独立運用を組んでいる。
ただし、運用の関係で一部に普通列車での運用が存在する。
余談だが、香川県内のみしか運用できないこの車両の導入でJR四国はますます「JR香川県」と呼ばれるようになったという(w
5150形
JR四国が快速サンポート用に増備した5000系の高松側先頭車。
デザイン・内装等含めてJR西日本クハ223-5000と同じだが、
JRマークのみが5000系と同じく水色である。
529 :
訂正:2006/10/28(土) 10:02:47 ID:1UUKJnRT
×クハ223-5000
↓
○クハ222-5000
530 :
エセレブ@旧客中心だな:2006/10/28(土) 21:06:27 ID:wTK4tUWB
国鉄 郵便・荷物車 スユニ17形
昭和初期製のスユニ30形や戦災復旧ユニ車等を代替するため、戦前製20m2軸ボギー客車の台車・台枠を流用して10系の軽量車体に更新したもので、1960-63年に27両(うち北海道向け500番台は7両)が盛岡・小倉工場で改造された。
車内配置はスユニ60形に準じたが、郵便区分棚付近に採光窓を取り付け、床下には電気排塵扇を取り付けてオユ10・11形並の設備を持たせたが、次のスユニ61形では何故か見送られている。
積載荷重は郵便・荷物ともに各5d。
台車は種車と同様でTR23。
北海道・山陰・九州の夜行急行での運用が多かったが、鉄道郵便・荷物の斜陽化と後継車スユニ50形の登場で1979年から廃車が始まり、1986年に全廃された。
531 :
ミユナ:2006/10/28(土) 23:14:34 ID:AjmfkzV+
スロハ12
急行用として投入した12系の普通・グリーン合造車である。
定員は普通28名・グリーン20名。窓割は普通車は12系と同じでグリーン車は、
当時改造されていたサロ165同型のユニット窓である。
スロ・スロフ62などの取り替えとして「津軽」「八甲田」「鳥海」などの
夜行急行を中心に使われた。ドアを引き戸にし、
耐寒耐雪強化と14系の引き通しを施した500番台もあり、
北海道にて夜行急行「まりも」「利尻」で使われた他、末期の「ニセコ」でも使われている。
しかし相次ぐ客車急行の廃止をまともに喰らい、普通・グリーンの
合造の特殊さも災いして普通列車用にも改造出来ず、500番台8両含めて
20両作られたが、2両を除き全車廃車になった。
唯一残った8は尾久に在籍してSL列車用として、11は後藤に配置され、
SLやまぐち号用グリーン車としてグリーン車共々使用している。
532 :
ミユナ:2006/10/28(土) 23:36:18 ID:AjmfkzV+
もう一つ
スユニ17
スユ15べースに開発された護送郵便・荷物合造車。荷重は荷物12トン
護送郵便8トンでパレット積載も可能。しかし新造のコストが莫大で、
旧型客車の下回りを転用するスユニ50型が開発されると生産は打ち切られた。
4両のみ作られたが2両で車体や下回りベースが異なる。(1・2は12系 3・4は50系)
やはり荷物列車廃止をまともに喰らい、マニ50やスユニ50型などでも
救援車用には充分である事から、救援車の機械扱いにもされず全滅。
533 :
エセレブ:2006/10/28(土) 23:41:27 ID:wTK4tUWB
形式ではなく列車。
1970年の鉄道の日に大阪−西舞鶴?を走った記念列車の関東版を考へた。
出発:上野。
行き先不明のミステリートレイン。(考えつかんかったorz)
上野発車時の牽引機はEF579。
編成はスハフ322136(尾久)+スロフ512027(品川)+オハ552114(旧オロ362014:長岡)+マシ352011(尾久)+スハ332176+スハ332872+スハネ302117(品川)+スハフ362010(尾久)
★客車は1970年10月14日現在で史実通り在籍していたもの。
534 :
エセレブ:2006/10/28(土) 23:58:29 ID:wTK4tUWB
↑補足
前月末で「十和田」からはずれたマシ35形の引退列車も兼ねているため食堂は当然営業。
担当は日食上野で、厨房スタッフは石炭レンジ・氷冷蔵庫経験者。
マシ35の次位のスハ322176とスハ332872は共に尾久車で、スハ33は元樺太向けの内地残留車。
また、スハ32・スハフ32は全て丸屋根の初期仕様車(座席背ずりはモケット張り)で組んだ。
オハ55は窓下に青色1号帯を付加。
酉127系
もちろん束のE127とは全くの別モノ。可部線の105系置き換えに投入。1M。
外観は125系の2両バージョンといった感じで車内は321系のと同じロングシートでワンマンにも対応。
広島県と広島市も負担している。
酉201系5000番台
広島地区の103系置き換えのために束から中央線お払い箱のを安く購入し改造。
4両編成化、N40工事(関西のと同じ)、瀬戸内塗装化、寒冷時半自動ドアボタン付き。
静シス117系
名古屋地区の313系増備にともない大垣から静岡へ転属したもの。
とりあえず18きっパーからはそこそこ好評w
>>536 わざわざそんな大きな番台にせんでも1000でも2000でもあいてるじゃん。
そういや、昔RMモデルズで201系を瀬戸内色に塗り替えてる人居たな。
秩父鉄道7000系
元101系の1000系置き換えのために東武8000系を購入し改造したもの。
540 :
来春登場予定の予想諸元:2006/10/29(日) 16:54:08 ID:JjCfzMKS
《名古屋市交通局東山線N5000形》
将来の5000形置換えを睨み、先行車6連1本が投入。車体は、コストダウンを図るべく、日車ブロック工法で、前面は京成3000形や小田急3000形みたいな「新日車顔」となっている。車内には液晶案内装置を備える。
541 :
来春登場予定の予想諸元:2006/10/29(日) 16:56:50 ID:JjCfzMKS
《名古屋市交通局東山線N5000形続き》
制御方式は、IGBT-VVVFで、東山線初となるワンハンドルマスコンを採用。なお、熱線吸収ガラス採用により、ブラインドはない。
542 :
鉄道タイムズ:2006/10/29(日) 17:32:59 ID:SsP41/Yt
>>414に続く新幹線もの
◎JR東海100系新幹線電車二階建ビュッフェ・グリーン客室合造車
・車種:二階建ビュッフェ・グリーン客室合造車169形(TDsb)
・特記仕様:二階はグリーン客室、一階はビュッフェ―― Fast food (ファストフード) 店
・運行路線:東海道山陽新幹線
・製造年:1988
○概説
1987年の或る日、日本マクドナルド初代社長故藤田田氏がカフェテリア・グリーン室合造車(148形)を組み込んだ100系G編成に乗車中、
偶然居合わせた同窓生のJR東海幹部と一緒にカフェテリアへ行った際、藤田氏が「うちもここに出店したら」云々と述べ、
「それはおもしろい!」と幹部が答えた。これを切っ掛けに、乗って楽しい新幹線という大義名分でマクドナルドの出店が決まり、
二階はグリーン客室、一階はカフェテリアに代ってマクドナルドなどのファストフード店に対応したビュッフェ(軽食堂)という
二階建ビュッフェ・グリーン客室合造車169形が88年に新製された。因みにX/V編成に組み込まれた二階建全室食堂車は168形。
100系製造終了の91年度まで148形と共に製造され続けた。148形を組み込んだG編成に対し、169形を組み込んだものはGf編成と符号。
Gf編成使用のひかり号でのマクドナルド開店初日、マスコットキャラクター達が乗客を迎えるなどの各種イベントが実施された。
169形にはマックカーの愛称がつけられた、但し、関西弁の人々は敢えてマクドカーと呼んだ。テレビなどのマスメディアによく取り上げられた。
マックカーは子供連れの家族にとっては大好評で、それを目当てにGf編成が来るまで電車を見送る家族が少なくない程であった。
が、しかし、92年の最高270km/hの300系とのぞみ号の登場以後、状況が一変し、新幹線の高速化に対応出来無い100系は主役から退き、
ついに99年にはファストフード店営業停止、2003年の初めに引退し、全車廃車された。マックカー営業最終日、謝恩半額セールが実施された。
注記:Fast food の日本語表記をファストフードとした。ファーストだと First を連想させ、何か違和感を覚えるので。
2000系機関換装車
JR四国は環境保全志向の高まりを受け、2000系特急型気動車のエンジンを
1500型一般型気動車と同じ環境負荷軽減型(SA6D140HE-2 450PS)に換装した。
また、同時に変速機も交換されている。
出力の向上により加速度が大幅に改善された。
544 :
名無し野電車区:2006/10/29(日) 21:26:32 ID:3seJJPeP
東武870系
8000系を800・850系に改造した時に余ったサハを廃車になった1800系通勤車の機器を使って電装・先頭車化の改造を行った車両。
野田線に6両編成×2本が導入された。前頭部は従来の8000系修繕車と同じである。
野田・ゴミ貯めというイメージからドラマ「のだめカンタービレ」の野田恵に例えられ「のだめ」という愛称がファンから付けられた。
また、以前野田線を走っていた2080系を連想させることから「現代の2080系」という愛称も付いている。
東武2050系
廃車になった2000系の台車や電動機などの主要機器を再利用した電車。
車体は当時新造中の10050系と同じ車体を採用し、20m級車になったのが大きな特徴。
そのままでは抵抗制御となるため、界磁添加励磁制御装置が新製され、200系電車と同じ界磁添加励磁制御となった。
名鉄5300系の東武版と言った存在か。
3000系や5000系などの釣りかけ車が多く残る野田線に導入された。その為、3000系や5000系は史実より早く野田線から引退している。
本線と同じ(に見える)電車が導入されたので、乗客からは喜ばれたという。
近年、電気機器の老朽化に伴い、30000系と同じインバーター制御に改造されつつある。
うーん、最初12050系にしようと思ったが、10050系と車番がかぶりそうだったからやめた。
なかなか、事実に即してうまい形式をつけるのも難しいな。
546 :
名無し野電車区:2006/10/29(日) 22:31:34 ID:t5n6Yyii
>>540 >>541 名古屋市交通局5000形更新車
名古屋市営地下鉄東山線の5000形は多くの車両が製造されてから20年以上経っているがアルミ車体で丈夫なため部品取りの車両(車籍抹消済)を除いて更新されることとなった。更新後5000形は20年間使われる予定である。
工事の内容は内張りの張替え(クリーム色→白色)、制御方式のIGBT−VVVFへの変更、初期車への車内案内表示器の設置(後期車と同じように連結間通路の上部に設置、路線図式案内表示は設置されない)といったことである。
更新後も外観や座席、床敷物は従来と同じである。
547 :
名無し野電車区:2006/10/29(日) 22:36:44 ID:t5n6Yyii
>>546追記
5000形更新車も従来と同じようにロングシートの端だけに荷物棚が設置された格好である。(荷物棚は増設していない。)
また、運転台は5050形と同じ形に改造されている。
548 :
名無し野電車区:2006/10/29(日) 22:50:02 ID:M/p72ts6
もしも今だに相鉄2100系が残っていたらの話相鉄2100系延命N40工事車
老朽化が進んでいた、一段窓の2100系を今後40年使用する為に相鉄は延命工事を開始した。主な延命N40工事内容はこちら
@先頭車に車椅子スペースを設置(非常通報装置完備)
A座席にセンターポール設置(バリアフリー対応)
B吊革・荷物棚を従来より低めに設定(吊革はそのまま)
Cダァチャイム設置(2109編成には福市交1000系タイプ、2113編成には東武通勤車タイプ)
D抵抗制御から日立VVVFに変更。
となっている。
※VVVF化により、発電力がアップした為加速力も上がっている。
更に、先頭車の中間車改造も同時に行われている。
先頭車の中間車改造車→2113・2117・2606・2605・2610
また、編成変更が行われている。
Tc'2608+M'2113+M2114+M'2115+M2116+M'2117+M2118+Tc2607の8両1本と
Tc'2109+M'2110+M2111+T2112+T2606+T2610+T2605+M'2119+M2120+Tc2609の10両1本の合計18両になった。
改造は10000系制作後、一度は離縁したが、和解した日立製作所が施行した。
ちなみに編成変更で余った田窓車は、2601・2602・2603・2604はモヤ200に
2101・2102・2103・2104・2105・2106・2107・2108は、2105は方転し2108に車番を変更し、2108は2105に車番を変更した。
これら8両はインドネシアに行く。
東武5000系列カルダン化改造車
釣りかけ車を車体更新した5000系列は車体が新しいものの釣りかけ駆動のままだった。
そこで、廃車になった2000系から機器と台車を流用して電気機器の更新と高性能化を行ったもの。
その時にあわせて車体も8000系並に更新され、前面も8000系更新車と同じになった。
一部は廃車になった1800系の機器を使い、改造の上で8000系や800・850系に編入された車両も居る。
勿論
>>545が無かった場合という前提になるが・・・。
550 :
名無し野電車区:2006/10/30(月) 00:44:28 ID:VXEbp36k
C62−50
保存運転用の蒸気機関車は長年の無理な使用がたたり、各部の損傷など老朽化が顕著になってきていたため、
JRが旧国鉄から引き継いだ資料や車両メーカーに残っていた資料を元に、JIS規格にて復刻生産されたC62。
形式名はC62を名乗るものの、メンテナンス性向上、運行の省力化のためと、一部の部品は現在では生産されていないため、かなりの部品が新規で設計された。一部には現代の電気機関車や電車の部品が流用されている。
従台車と炭水車の台車・・・・EF210電気機関車の台車をトレーラー化したもの
ヘッドライト・・・・HID
テールライト・・・・LED化
石炭と水の供給量の調整、ボイラーの圧力の調整は電子制御で行う。
前方および後方視界確保用にボイラー前と炭水車後部にテレビカメラ、運転室に液晶モニターが設置された。
滑走防止機能つき電気指令ブレーキ搭載。動輪の空転防止には、ピストン用蒸気圧を自動調整し空転を防止する装置が採用され、砂撒き装置にかわりセラジェットが搭載された。
他にも部品一つ一つに至るまで、現代の技術でリメイクされている。
ナンバーはC62のラストナンバーが49号なので50号になった。某テレビアニメに登場したC62と同じナンバーなので、実は宇宙も飛べるのではという噂がある。
551 :
名無し野電車区:2006/10/30(月) 10:04:56 ID:P9PxyPQG
E583系寝台電車
大阪や秋田に残る583系を置き換えるために作られた最新型の寝台電車。
1から完全新造したものを0番台、元583から改造したものを3000番台と呼ぶ。
大阪や秋田のほか田町や尾久、高崎にも新制配置された。
ステンレス車体での2段寝台で重量は(583の)70%まで重量削減に成功、しかし
昼間の運用時は寝台を収納するため重心が上がってしまうためメトロ10000形の台車SF777形台車ににた
ボルスタアンカ、ヨーダンパつきのDT888を採用、付随台車はTR888となりました。
寝心地のよさを優先した結果、台車の支持は連接台車と同一の4点支持、車間には車体間ダンパを設置、
制御方式はVVVFインバータ制御となった。
交流区間も走行でき、線路さえあればどこでも走行できるようになっている。
3000番台は車体はそのまま台車と車体間ダンパ、制御方式とブレーキ装置を変更、
前面形状の変更など大幅な変更が施されている。
0番台との併結運転もできるようにしてあります。
ヘッドライトはHID、テールライトはLEDになり視認性の向上に一役かっている。
なお増結編成のみパワー不足を補うためモハ車は2パンタ仕様となっています。
編成図
基本編成
く く く
クハネE583,モハネE583,モハネE582、サハネE583、モハネE583、モハネE582、サロネE583、モハネE583、モハネE582、クハネE582
増結編成
く く
クハネE583、モハネE583、モハネE582、サロネE583、クハネE583
552 :
511:2006/10/30(月) 10:06:18 ID:P9PxyPQG
パンタ位置がずれました、正しくはモハネE583の上が正しいです。
>>537 これにより熱海〜三島間では兄弟車の束185系と時々会うので
もちろん鉄道雑誌に117系と185系がすれ違う所の写真が載るのだった。
554 :
550:2006/10/30(月) 23:53:18 ID:VXEbp36k
550のつづき
運転席および助士席の計器類は数個の多目的液晶ディスプレイ表示にかわり、非常にすっきりした運転席になった。
各部のポテンシャルが高くなったため最高運転速度も95km/hから110km/hに向上した。
のちに、C11やD51、C57も復刻生産されたため、重連総括制御機能が付与された。
555 :
名無し野電車区:2006/10/31(火) 00:35:22 ID:eB+xUaWP
157系1000番台
国鉄が1964年以降に製造した157系のマイナーチェンジ版。
側窓が固定窓に、主電動機がMT54に変更され、製造当初から冷房を搭載。
0番台とは異なりモハ157があるのが特徴。
雨水浸入による車体腐食がないため一部がJR東日本に承継され、主に臨時列車に使われた。
JR四国121系更新車
製造後20年が経過し、車内も陳腐化し始めたことから更新が始まった。
特に、快速サンポート運用を意識した上で下回りの更新にも力を入れているのが特徴で、
台車の変更と限流値UP、ブレーキの増強を行って最高速度を110km/hに向上した。
車内は113系と同様に転換クロスシート化とドアチャイム、車内情報装置の取り付けを行った。
また、クハ120の連結面にはトイレが増設された。
これらの改造でようやくマシになったといえるところだろうか。
JR四国113系110km/h対応車
121系の110km/h対応化に伴い、113系も限流値UPとブレーキの増強を行ったもの。
JR西日本113系5000番台の四国版といったところであるが、
車内は既に大幅な更新が行われているので特に変化はない。
一連の改造が終了し、ようやく高松〜伊予西条間での普通・快速列車の110km/h運転が開始された。
なお、多度津〜琴平間は架線構造の関係で95km/h制限であることに変化はない。
557 :
ミユナ:2006/10/31(火) 09:16:53 ID:t8NJc0nI
東武鉄道6090系
廃車になった1800系の下回りを使い、6050系と同様の車体にしたもの。
6050系列唯一の4両貫通編成で組成した。なおロングシート部を除き、
1800系の座席の回転クロスシートはそのまま生かされている。これに
より300・350系・通勤型ヘの改造は見送られた。なお電動車だけも
残されたためこれも6050系と同じ2連に改造され61300シリーズとなる。
浅草 東武日光・会津高原尾瀬口・会津田島
6191-6291-6391-6491(旧1813F)
6192-6292-6392-6492(旧1816F)
6193-6293-6393-6493(旧1817F)
6494-6294-6394-6494(旧1818F)
61301-62301(旧1813F電動車)
61302-61302(旧1816F電動車)
61303-62303(旧1817F電動車)
61304-62304(旧1818F電動車)
558 :
エセレブ@ギクーリ腰だぜベイベェ…orz:2006/10/31(火) 19:48:54 ID:9CEiJRFV
国鉄 オロハネ17形→スロハネ16形(史実のナロハネ10→オロハネ10に相当)
ナハネ10・11形の好評を受けて、これまで寝台車が運転されなかった亜幹線や勾配線区の夜行準急・急行列車のサービスアップを狙って計画された。
計画時は完全新造で「ナロハネ10形」となっていたが、主力形式ではないため、費用削減を兼ねてオシ17形同様、マハネ29形等、駐留軍用を解除されてから遊休状態の3軸ボギー客車の台枠を利用し、軽量車体と新型台車を組み合わせた改造車に変更した。
種車はマハ29形・マハネ29形のうち、1929年度以降製造の車両である。
車体は計画時と変わらず、中央デッキ式で前位にプルマン式のロネ室(12/24人)と喫煙所、後位にハネ室(30/40名)と給仕室としたが、計画より車体長が50a短いので、寝台の長さと幅を除く各部の寸法を少しずつ詰めた形で図面を引き直した。
台車はオハニ36と同じTR52形だが、バネを柔らかくし、軸バネと揺れ枕に防振護謨を挿入したTR52A形とした。
施工は小倉・幡生・後藤工場で、1958年に1-7、1962年に電気暖房付2051-2057、1964年に北海道用の501-506が竣工した。
2051以降はハネ室通路側腰板の腐食対策にステンレス材を試用している。
1964-66年にロネ室がダイハツ3PK形ディーゼル発電機とAU12形冷房装置を取り付けて固定窓化し、重量増加のためスロハネ16形と改称。
また、1966-68年にハネ室もAU14形冷房装置を取り付けた。
1-7は中央線や上信越線を経て九州・山陰で運用され、「かいもん」「日南」を最後に1979年に全廃。
2051-2057は中央東・西線で長らく使用され、「きそ」「アルプス」を最後に、1983年に全廃。
501-506は「利尻」「石北→大雪」に長らく使用されて1983年に全廃された。
211系運転台簡易撤去車
新前橋所属の211系のうち、グリーン車を組み込んだために中間封じ込めになった
クモハとクハの制御車としての機能を無くしたもの。
ただし、運転台としての機能は完全に撤去されてはおらず、簡易運転台としての
機能が生きており、助手席側が乗務員扉を固定したうえで立席スペースとなった
ぐらいである。
外見は前面が方向幕関係を撤去したぐらいで、ライト類は残っているが、基本的
には中間車としての使用が前提のため、外ホロが取り付けられている。
もちろんアンテナ類も撤去されている。
酉109系
広島地区の4扉105系を置き換えるために投入。(広島県と広島市も負担)
321系ベースで外観は321系の2両固定といったところである。
内装も321系に準じているが天井の液晶ディスプレイはない。
ワンマン対応で1Mである。
561 :
名無し野電車区:2006/11/01(水) 00:16:53 ID:r/HKwt2U
321系900番台
JR西日本が「安全性向上計画」の一環として製造した「飲酒運転防止電車」。
運転台にアルコール検知器を搭載しており、万が一アルコールに反応した場合発車できなくすることで飲酒運転を防止する。
>>561 西鉄も導入を検討したのは
言うまでもない・・・
563 :
高橋愛長細い顔:2006/11/01(水) 12:44:45 ID:FMKwznHt
JR東日本E487系
特急「踊り子」の新型車両E259系の投入により余剰となった185系を交直流化改造。
特急「いなほ」として運用。
564 :
名無し野電車区:2006/11/01(水) 20:06:01 ID:0cPo3CBw
>>496-497 更に3-4・4-5号車間のドアは4号車側からロック出来る構造(非常開錠装置付きで、ロックを外すとブザーが鳴る)と
した上で、暫定編成及び未改造編成のドアの付いていない車両間には『女性専用車』と書かれた大きな布(JRの荷物室・荷物専用車や
京成の行商専用車と同様)を張り、通り抜け出来なくしている。また、神戸市は男性利用者からの抗議を一蹴した上で、
雌車マイラーには4号車周辺に終日制服警官・警備員を配置して強制排除に乗り出したとか・・。
そーでなくとも神戸地下鉄はボイコットしたる・・・・てなわけで此処からが本題。
JR東日本・東京メトロ・東葉高速鉄道ワム・ワムフ280000&トラ280000
総武緩行線・東京メトロ東西線・東葉高速鉄道への雌車導入及び総武快速線・房総各線への『学生隔離車』導入のために導入した車両。
ワム・ワムフ280000:総武緩行線の女性専用車及び総武快速線・房総各線の学生隔離車に使われる車両で、ワムは乗務員室無し、ワムフは
乗務員室付きで、総武快速線や房総各線では乗務員室を移動交番として使う為、基本的にワムフで運行する(総武緩行線ではワム・ワムフの
共通運行)。旅客用への転用に際しては103・113系の廃車発生品のAU712S(SIVは床下搭載)による冷房化及び窓設置等の改造が行われ、
ワム・ワムフ共に『女性専用車』と『学生隔離車』のリバーシブル表示(路線によって反転して使う)が設置された。
トラ280000:東京メトロ東西線(総武緩行線からの直通電車含む)や東葉高速鉄道の女性専用車向けの車両で、一般車の自動ドア開閉に
連動して側面のハッチが自動開閉するように改造された。
ワム・ワムフ280000外装イメージ:
ttp://cocoa.gazo-ch.net/bbs/37/img/200504/258620.jpg ワム・ワムフ280000車内イメージ:
ttp://cocoa.gazo-ch.net/bbs/37/img/200604/696959.jpg トラ280000外装イメージ:
ttp://cocoa.gazo-ch.net/bbs/37/img/200504/258621.jpg これらの車両の導入により、駅員や警備員等が女性客や学生を増結した女性専用車や学生隔離車に誘導する光景が日常茶飯事になったとか・・・・。
566 :
564:2006/11/01(水) 20:27:23 ID:0cPo3CBw
>>564追記
ワム・ワムフ280000は113・201・205・209・211・E217・E231・253・255・E257系及びキハ30・37・38の各形式との併結及び総括運転が可能で、
トラ280000はJR・東京メトロ・東葉高速鉄道の各社車両との併結及び総括運転が可能である。
終着駅ではモーターカーやレールスター等で電留線に運び込み、逆送する電車(例:東京メトロ東西線では東行電車、総武緩行線や
東葉高速鉄道等では下り電車)の最後部に数両ぶら下げて回送するらしい(房総各線では繋ぎ換えて逆送するとか)。
567 :
名無し野電車区:2006/11/01(水) 20:29:30 ID:+OXoiR8V
ワム380000(雌車仕様)
雌車仕様のワム80000の軸受をコロ軸受に改造した車両。
これにより雌車のサービスが格段に向上した
569 :
名無し野電車区:2006/11/01(水) 20:49:40 ID:cwfntrXe
>548の続き
相模鉄道 モヤ200系入換用電車
編成変更で余った田窓車12両だが、8両はインドネシアに輸出され、4両はモヤ200系に改造された。
車番の変更は、2601→201、2602→202、2603→203、2604→204となっている。
主な搭載装置は202に架線観測装置、204に回転式ジブクレーン2基(定格加重150Kg)となっている。
改造車のうち、202、204はモハ車に改造された。
570 :
名無し野電車区:2006/11/01(水) 22:39:01 ID:NKt9cpuy
クハ103-2500・2550番台増備車、クハ102型
学研都市線・木津電化で松井山手以東は4連で運行することとなり、既存の
7連は4連と8連に組替えることとなり増備された。
先に登場した大和路線用の続番で付番された。とりわけクハ103-2554は
先に大和路線用改造から漏れたモハ103-232から改造された。非冷房車
に関しては改造と併施でWAU102で冷房化された。
またTc2559,2560、T'c2509,2510はユニット窓車が種車となった。この時点
で学研都市線からボロモハユニットは全滅した。
そして編成を7連をバラしたことから、サハが余ったので先頭車化改造を
行い新形式であるクハ102とした。更に4連組の先頭車は全て電連を装備した。
その後学研都市線に207系が配置されたことから、8連貫通編成は大阪環状線に、
4連の内集中クーラー車は大和路線、阪和線、広島地区の老朽車取替えに使用
され、WAU102クーラー車は廃車された。そしてこれにより先頭車を失った編成は
各路線のボロモハユニット取替に充当された。
近江鉄道900系
西武2000系電車を譲渡し、2両固定に改造。
>>571 まだ気が早いな。それなら新101系を入れてやれ。
東武50070系
東武6050系の後継として開発された東武50000系列
これまでの東武50000系列とは異なり、増解結可能なように設計され、
座席はデュアルシート方式に変更されている
51271F〜51292Fの22両が製造された
訂正
東武50070系
東武6050系の後継として開発された東武50000系列
これまでの東武50000系列とは異なり、増解結可能なように設計され、
座席はデュアルシート方式に変更されている
51271F〜51292Fの22本44両が製造された
575 :
名無し野電車区:2006/11/02(木) 18:36:36 ID:7WdC/V7a
>>573-574 ちなみに日光線の勾配に備え、発電ブレーキ用抵抗器を搭載している。
尚、デュアルシートを採用した点については「混雑時には楽だ」「テーブルが無くなった」と、賛否両論。ちなみに某スレにこんな書き込みが…
【所属】東武
【形式】50070系
【コメント】腰痛椅子の次はニコイチシートかよ!
しかもテーブルは無くなったも同然だし前後の目線が気になるし…
束や近鉄が全面採用を渋った代物を、なんで今更採用するのかな。
576 :
エセレブ:2006/11/02(木) 19:52:38 ID:yuiXjCIY
↑のスレを見て思い付く。
客車準急「日光」「中禅寺」
戦前、帝都〜日光間で鉄道省は食堂車付き快速等で東武の特急電車に対抗したが、戦後は全体の復興を優先したため、行楽列車の運転は後回しになっていた。
一方、東武は戦前の特急車デハ10系の一部をクロスシートに復元して特急運転を再開。1951年には新型特急車5700系と急行・快速車5320系を新造して攻勢に出た。
これを見て国鉄も対抗策を取り、1951年春に上野〜日光間に準急の運転を開始。愛称は「日光」と命名された。
2等車を含む所定7両編成で、全て更新修繕施工済の車を充当した他、行楽シーズンには外国人の利用を見越してスロ60形も増結した。
また、1952年には「日光」専用の半車軽食堂車スハシ37形20番台(後述)が加わった。
所要時間も2時間半を切り、東北線にC59が入線した1955年には2時間15分に達していた。
1956年11月のダイヤ改正でキハ44800形気動車が日光準急でデビューすると「日光」の愛称を譲り、新たに列車名「中禅寺」を名乗り、客車は全て品川区に転属して東京発着となった。
しばらくはC59やEF57牽引の客車とキハ55系との競演が見られたが、1959年9月のダイヤ改正でともに157系に代替されて発展的解消を遂げた。
577 :
エセレブ:2006/11/02(木) 20:29:46 ID:yuiXjCIY
国鉄 3等・食堂合造車 スハシ37形21・22→スハシ29形201・202
戦後運転を開始した準急「日光」用として1952年にマハ47形(旧マロネロ37形改造)を大宮工場で更新修繕とともに2両改造した。
食堂車とはいえ、短距離の行楽列車での喫茶・軽食提供を目的にしたため、厨房設備は簡素なものだった。
旧2等寝室全部と旧2等室の一部(側窓2個分)を片側通路式セミオープン厨房と食堂(定員18名)。
旧2等室の大部分をスハ43形並の3等室(定員32名)に改装した。
厨房は流しが一箇所になり、石炭レンジや冷蔵庫も小ぶりなものを使用。
食堂の配置は既存の半車食堂車に準じ、テーブルライトも付いた。
近距離の列車で運行時間帯も概ね定食時間をはずれていたため、茶菓と軽食、メニューを絞った一品料理程度にした。(日本食堂上野→東京営業所が営業)
1959年、157系電車の登場でお役御免になり、翌年2両ともマユニ78形(101・102)に改造。(新形式を避けて戦災復旧車形式に編入)
1970年スエ78形(21・22)に改造され、1984年に全廃された。
酉413系N40延命工事車
窓枠交換、内装も化粧板交換、席も転換クロスシートに交換。半自動ドアボタンも装備。
579 :
ピーチライナー:2006/11/03(金) 17:55:19 ID:Y0SZFmR1
いずれできるだろう・・・・・・・
総武流山電鉄5000系
西武から新101系を購入した車両。
2両固定編成が2本、「青空」「なの花」として流電2000の代替として登場
車体塗装は先代に準じる
580 :
Com.Rapid ◆k/eHA2U6ak :2006/11/03(金) 18:37:53 ID:Zt57snV7
京成電鉄3150形芝山鉄道向け改造車
当初、成田空港(現東成田)〜整備場前(現芝山千代田)の区間運転を
計画していた芝山鉄道への車両譲渡を目的に改造された3150形。
中間車に運転台を増設して2両固定編成にし、ワンマン運転の準備工事も
施工されていた。2両編成2本が改造された。
外観は京成標準色のまま、2編成連結した4両編成で一般の3150形と同様に
運用されていた。
その後芝山鉄道の開業の遅れや、当初計画の成田空港(現東成田)発着から
京成成田発着への計画変更などから当初の改造目的を失い、運転台を増設した
ことにより4両固定の3150形に比べて収容力が減ったことが仇となり、
皮肉にも芝山鉄道開業を目にすることもなく廃車となった。
581 :
鉄道タイムズ:2006/11/03(金) 21:41:59 ID:W0QDxGb9
◎国鉄コンテナ輸送気動車試験車キコ91形
・改造種車:コキ10000形
・特記仕様:エンジンはDML30HS系(440PS)
・製造年:1981
○概説
1960年代、国鉄は、ローカル線での貨物輸送合理化を目的にキワ90形と称する気動貨車を試作した。
これは、ワムなどの有蓋車に運転台とディーゼルエンジンを取り付けて、自走可能な有蓋貨車としたものであった。
当時、鉄道開業以来84年までヤード輸送方式が主流であった。
これを現代の拠点間方式で喩えるなら都道府県規模の圏内にある貨物駅を拠点としたトラックの集配までを鉄道で行う様なもの。
今と異なり、貨物取り扱い駅は数多く存在し、市町村規模の圏内に駅があった。
普通貨物列車はこれら各駅を丹念に停車し、その都度目的地が異なる貨車を連結し、操車場などのヤードに向かい、そこで貨車は切り離される。
ヤードにて各地から集められた各貨車は各々目的地に近いヤードに向かう列車へ連結し直され、次のヤードに向かう。
到着後、目的地がある路線に向かう列車へ連結し直され、各駅に丹念に停車し、その都度貨車は切り離される。
この様な貨車の解結を頻繁に行うヤード中継式では、貨車が自走出来無いが故に距離の割には時間を浪費し、トラックとの競争には明らかに不利であった。
キワ90形の試作にはこれを解決する意図もあった。妻線(84年に廃線)で試用。諸般の事情で実用化され無かった。
80年代に入り、国鉄の経営は危機的状況に陥った。国鉄の巨額な赤字の三分の二程が貨物部門だった。
この状況を打開すべく、
恐らく
>>582へ続く
582 :
鉄道タイムズ:2006/11/03(金) 21:43:22 ID:W0QDxGb9
>>581の続き
貨物部門再建の一環としての競争力強化を目的に、81年にコンテナ気動車キコ91形が試作車として誕生した。
先述のキワ90形の意図を承継したものであり、貨物駅での荷役作業合理化の為にコンテナ車となった。
余剰となっていたコキ10000形を種車に、台枠下にエンジンを搭載、車端片側に運転室の取り付け、などの改造により二両製造。
エンジンはキハ66・183系に使われているDML30HS系(440PS)を種車の狭い台枠下に搭載出来る様に再設計。
キコ91-1+キコ91-2で以て一ユニット。
自走出来るので駅やヤードでの入れ換え作業は機関車不要となり時間短縮。貨物駅とヤード間の集配列車はキコ91形のみで組成すると機関車不要。
ヤード間は従来通り機関車牽引で他の貨車と編成を組む。
本州と九州の幾つかの路線で試運転を実施。
コンテナを搭載する際の衝撃で台枠下のエンジンが故障するなどの各種トラブルが起き、その都度改良された。
将来を期待されていたが、時、既に遅し、84年、国鉄再建の一環として貨物のリストラクチャリング(再構築、改革)が断行され、
鉄道開業以来のヤード中継輸送方式が全廃され、拠点間直行輸送方式のみに特化された。
これにより、キコ91形は休車扱いされ、87年4月のJR発足を前にして廃車―車籍抹消―された。
余談だが、動力分散式の貨物車両は、約20年程にしてJR貨物のM250系として再登場した。
ED800型
JR貨物が九州地区のED76型を置き換えるため投入した交流用電気機関車。
軸重軽減のためB−2−Bの軸配置とし、中間台車は軸重可変機構をもつ。
車体はEF210型やEF510型とほぼ同型で、性能も両機のちょうど2/3の
1時間定格2260kW、30分定格2360kWとした。
車体は黒と濃いグレー系統の塗装に黄色のラインを入れた。
愛称は「ECO−POWER BLACK THUNDER」。
EH500型1000番台
本州〜九州間を直通する貨物列車の牽引用に製造された交直両用電気機関車。
東北用の0番台と異なり、DC1500V、AC20kV(60Hz)のみに対応している。
また、耐寒・耐雪装備も省略されている。このため0番台に比べ内部機器は軽量化されているが、
粘着力を確保するため外板をやや厚くしたほか、走行時の騒音対策が強化されているため、総重量は変わらない。
電源設備の強化が完了した東海道・山陽区間では1時間定格4520kWの性能をフルに発揮することができる。
塗装は0番台とほぼ同じだが、識別のため黄色いラインが2本入っている。
愛称は引き続き「ECO−POWER 金太郎」。
EH500型300番台
関門地区のEF81型を置き換えるため少数生産されたEH500型のマイナーチェンジバージョン。
塩害防止のため、ステンレス車体となった。性能は前述した1000番台と同等であり、
同じくAC20kV(50Hz)には対応していない。
国鉄型電気機関車の置き換えが完了した際は1300番台として、
本州〜九州間を直通する1000番台と共通の運用に入る予定。
愛称は「ECO−POWER SILVER THUNDER」。
585 :
名無し野電車区:2006/11/03(金) 23:53:50 ID:wk4CE4Ft
京王1000S系
京王電鉄は200X年に井の頭線でホームドア方式のワンマン運転を行うため、扉位置の違う3000系を全廃することになった。
そこで作られたのが1000S系である。この車両は従来の1000系と以下のことで違っている。
@車体構造が9000系と同じ(ブロック工法)になった。また、ドアは9030系と同じ物になった。
A台車など主要部品で3000系の廃車発生品を利用しコストを削減している。
Bワンマン対応のための機器を登場時から搭載している。自動放送は日本語と英語で行われる。
1000S系は5両編成×14本が投入される予定である。
サロE721、サロSAT721
仙台空港に乗り入れるE721-500およびSAT721に組み込まれるグリーン車。
E231のグリーン車がベース。
587 :
名無し野電車区:2006/11/04(土) 02:20:53 ID:5zApoq+J
北総開発鉄道8000形
北総開発鉄道の高砂延長開業時、新京成線の新鎌ヶ谷駅が未開業だった為
新京成線〜北総線ユーザーから40分おきの松戸直通列車増発の声が高まった。
これに対応するべく、すでにリースしていた800形に加えてさらに8000形1本
がリースされた。
外観に特に手を加えられなかった800形と異なり、帯を北総開発車に準じた
青の濃淡の帯に変更された。その姿はファンの間では否定的な意見が大勢を
占め、『青ダヌキ』と酷評されることとなる。
翌年の新京成線新鎌ヶ谷駅開業による新京成線と北総・公団線(当時)の
相互直通運転廃止に伴い新京成電鉄に返却。塗装も元に戻され、青ダヌキは
わずか1年で過去のものとなった。
588 :
西の人:2006/11/04(土) 04:54:36 ID:XqJzryWW
国鉄203系ウソ履歴
国鉄は地下での温度上昇などの問題を抱えていた301系・103系地下鉄乗り入れ車に代わる
次世代地下鉄直通車として、201系をベースにした新たな通勤型電車、203系を開発していた。
第1次投入路線には7→10両化が計画されており、近い将来車両の増備ないし編成組み換えが必要となる事が確実であった
中央―東西―総武直通運用が選ばれ、1981年に先行型2本が10両編成を組んで三鷹電車区に投入された。
先行型の特徴としては、雨樋が従来どおり側面に張り出している点、付随台車が201系と同構造のTR231を履く点、
側面に黄色文字で車番が書かれたナンバープレートを備えている点、窓上にも黄帯が配されている点が挙げられる。
1983年にはこれらを史実と同形態に改良した量産型の製造と、常磐線―千代田線直通運用への投入がそれぞれ始まり(史実の先行型は造られず)、
1984年までに三鷹電車区に10両編成3本が、松戸電車区に100番台に区分された10両編成10本が投入された。
この時点で先行型の台車は保守性の問題からTR234に取り替えられている(捻出したTR231は1984年製造の201系に転用された)。
新型通勤車205系が1984年に登場し、203系も同年発注分から足回りを205系同様のボルスタレス台車に変更した500、600番台(史実の100番台)に移行した。
1986年までに三鷹電車区に500番台10両編成5本が、
松戸電車区に600番台10両編成7本が投入され、製造は終了。旧型車を全て置き換えた。
最後に製造された500番台の第9、10編成は側面窓を1段下降とする計画もあったものの、
結局は投入を迅速に行う事を優先して通常形態で製造された。
589 :
西の人:2006/11/04(土) 04:57:27 ID:XqJzryWW
続き
その後は大きな変化は無く、国鉄民営化時に全車JNRマークに代わってJRマークが貼り付けられた位であったが、
1989年に総武慣行線に投入された205系との誤乗を防ぐため、三鷹所属車は全車帯のスカイブルー化が行われ、
同時に残りの8編成にも窓上帯が取り付けられた。
更に、1999年には千代田線乗り入れの運用増により、
数に余裕のあった三鷹車の内、0番台量産車の3本全てが窓上帯の撤去と
窓下帯のエメラルド化の上で松戸区に移籍となった(史実の209系1000番台は製造されず)。
これにより、現在の配置本数は三鷹7本、松戸20本となっている。
置き換え計画は今の所無く(史実のE231系800番台は製造されず)、しばらくはこの体制が続くと思われる。
多分営団の車両計画も大幅に変わっていると思うが、そこまで考えてない・・・
590 :
名無し野電車区:2006/11/04(土) 11:00:53 ID:cBmS/23C
>548、>569の続き
相鉄5000系延命N40工事
平成元年、5100系からVVVF改造され、5000系になったが、JR・東急直通で車両の運用が足りなくなる恐が出てきた為、2100系と共に延命N40工事が行われた。
また、乗務員室撤去車もある→5551、5553、5052、5054
改造内容は
@1・10号車に車椅子スペース設置(非常通報装置完備)
Aダァチャイム設置(5051編成には阪急式のダァチャイム、5053編成には泉北式のダァチャイムを設置)
B黒Hゴム支持枠をステンレス支持枠に変更
C次駅案内(今まで付いていたマップ式は撤去、マップ式を改造した次駅案内を設置)※2100系にも追加設置
D車外スピーカー設置※2100系にも追加設置
Eセンターポール設置
となっている。
改造後も、バリバリ活躍している。
JR西日本キハ135・136
20XX年、ここは広島駅外れにある芸備線ホーム。
ディーゼルカーがアイドリング音を唸らせて発車を待っている。
本日からディーゼルカーでは珍しい3ドアの新形式が
運用を開始したようで、乗車位置の変更を含め、
その旨の張り紙が時刻表の脇に張られている。
この新形式キハ135・136は、黄色と白の広島支社標準カラーに
塗装されている。
デザインは割りと近代的だが、室内はロングシートで、
ドア間に2連窓が2つあり、トイレはついていない。
ちなみに、この形式はJR西日本のオリジナルではなく、
電化で不要となった関東の私鉄から譲り受けたものだという。
こいつの正体は(以下ry
関東鉄道3000系
常総線取手ー水海道間は、予てから磁気観測所の問題から、
旺盛な需要にも関わらず、電化が見送られていたが、
変電所を小規模化した特殊な方法で、漸く電化が実現の運びとなった。
それに当たって、3000系電車が投入された。
親会社の京成3000形に準じた、ドア部分を別パーツ化した
工法のボディが採用され、それを20m・3ドア・狭軌にアレンジした
スタイルだが、正面は通り抜け可能な貫通式となっている。
なお、非電化で残る水海道ー下館間および、電化後も存続する
快速列車水海道以南乗り入れ用(加えて、電化を機に快速の真岡線
片乗り入れが開始されたため、この分を含む)を除き、
余剰となったDCは、他社に譲渡された。
593 :
鉄道タイムズ:2006/11/05(日) 01:43:19 ID:5680COlL
>>323-326と
>>437に続く架空路線と機関車もの
◎JR貨物EF64形1500番台電気機関車
・特記仕様:EF64形1000番台のマイナーチェンジ、労働環境改善など
・製造年:1990-91
・主営業運行路線:中山道ルート(東北、高崎、碓氷峠バイパス―信越、和田、中央)
○概説
駿河湾を震源とする東海地震に備えて1978年に大規模地震対策特別措置法が制定されたのを機に国鉄は東海道線の迂回路整備に着手した。
その一つが中山道ルート:東京〜大宮〜高崎〜大家〜下諏訪〜塩尻〜名古屋である。
信越線大家と中央線下諏訪の間には鉄道が無かったので和田峠を長大トンネルで貫く新線を建設。和田線と命名。
信越線の碓氷峠にて既存線が66.7‰の急勾配では輸送能力が大きく落ちて迂回路としては役に立た無いので、サミットである軽井沢を無視して、
横川と御代田を長大トンネルで以て短絡する新線を建設。信越線の支線としての碓氷峠バイパス線と命名。
両新線は、最急勾配30‰―甲種、直流電化、複線の規格で設計。開業時は単線だが、東海大震災の際には目的通りに複線化。
碓氷峠バイパスの―軽井沢辺りの地下を通る―大碓氷峠トンネル、和田線の和田峠トンネル、全長は北陸トンネルを凌駕。
両線は80年に着工、東海地震に備えた迂回路が故に国鉄改革時には凍結されずに建設継続、87年に国鉄からJR東日本へ承継、91年に地方交通線として開業。
この中山道ルート経由の貨物列車が設定された。碓氷峠バイパスのお陰で、信越線の上田〜安中間に―国鉄末期に合理化の為に廃止された―貨物列車も復活、
これ即ち、軽井沢に用が無ければEF63の補機を必要とし無くなったのだ。
開業直前のバブル好況の影響で貨物列車が増発され、機関車が不足していた。
JR貨物は、中山道ルート向けとしてEF64形1500番台を新製した。
経営基盤が弱いが故に開発期間と費用を要する新型機の投入には困難であったので、70年代末期設計のEF64形1000番台を基に
労働環境改善の為に冷房取り付けなど80年代末期の技術発展に応じた各種改良を施したものを投入する事となった。
因みに、EF66-100、EF81-500、EF81-450も然り。
余談だが、97年の長野新幹線開業まで上野発着の信越線特急の一部が碓氷峠バイパス経由にした事で所要時間短縮を成し得た。
594 :
鉄道タイムズ:2006/11/05(日) 02:20:56 ID:5680COlL
◎JR東海385系特急形直流電車
・車種:クモハ385(Mc)、クハ384(T'c)
・特記仕様:車体傾斜制御装置
・製造年:1999-2001
・主営業運行路線:中央、中津川、飯田
・編成:名古屋←Mc+T'c
○概説
東海地震に備えた東海道の迂回路(詳細は
>>593を参照)を構成する中央西線の中津川〜塩尻間は、単線が部分的に残り、
深い木曽谷を通るせいで、他線と比較して、急曲線が多いのみならず、豪雨発生や土砂崩れなどの自然災害のリスクが高く、心許ない。
そこで、東海大震災の際には、飯田線と、未成線の中津川線を、東海道の迂回路となる中央西線の補助路線として活用する事となり、
中津川線(中津川〜飯田)の建設は国鉄改革時に凍結されずに継続され、87年に国鉄からJR東海へ承継、
迂回路の補助線が故に予算配分が少なかったせいで、漸く96年に地方交通線として開業。
同時期に特急しなの号への383系の投入によって捻出された381系を使って名古屋と飯田を結ぶ特急の運行を開始。
飯田線飯田以北での運行は、高速道路に対して優位に立つ為の高速化工事を必要とし、費用対効果に疑問があったので見送られた。
1999年、老朽化した381系の取替え並びに飯田線飯田以北での特急運行を目的に、車体傾斜制御装置を搭載した385系を開発。
飯田線飯田以北の高速化費用削減の為に、381/383系と同様の本格的な振り子式では無く、JR北海道の201/261系と同様の車体傾斜制御装置を採用。
さらに、飯田線と首都圏を結ぶ特急設定の意図から、車体傾斜制御停止の上でJR東日本のE257系と併結協調運転可能。
車体と車内は383系に類似。ステンレス車体、IGBT-VVVFインバータ制御、ボルスタレス台車。
クモハ385とクハ384の二両で一ユニット、クハに障害者対応トイレなどのサービス設備を集約。
2000年に量産車登場、381系を順次置換え。01年、名古屋〜飯田〜岡谷〜新宿経路の特急が運行開始。
車体傾斜制御による曲線通過速度向上で飯田線飯田以北の所要時間が大きく短縮された。
名古屋〜飯田間は一列車2ユニット組成、飯田以北は1ユニット、中央線では車体傾斜制御を停止してE257系使用のあずさ号九両編成の新宿側に併結。
以上、新宿若しくは名古屋と飯田線飯田以北―伊那谷を結ぶ公共交通において、所要時間の点では、鉄道が何とか高速バスに対して優位に立てたが。
595 :
鉄道タイムズ:2006/11/05(日) 12:44:23 ID:5680COlL
◎JR東日本E129系一般形直流電車
・車種:クモハ129/128(Mc/Mc')
・特記仕様:66.7‰の急勾配を補機無しで自走可
・製造年:1996-97
・営業運行路線:信越(あさま)線高崎・小諸間
・編成:小諸←Mc+Mc'→高崎
○概説
国鉄の経営破綻によって整備新幹線の建設は凍結されていたが、分割民営化によるJR発足後、凍結解除を求める声が日増しに大きくなり、
当初『地方の新幹線はたいした黒字が見込めず、それが並行在来線の赤字補填に消えてしまったら、国鉄の二の舞になるだろう』云々の考えにより、
並行在来線の廃止が条件となった。第三セクターで存続させようにも地方自治体にとっては重荷である。JR東日本が黒字であった事から、
『税金等の公的資金の援助で新幹線という良い商売道具を手に入れて、儲からない在来線を地元に押し付けるのは、そこまで一民間企業を
厚遇して良いものだろうか』云々の批判を受け、結局、上下分離方式を採用し、線路等のインフラは自治体主導出資の第三セクターである
しなの鉄道が第三種鉄道事業者として保有し、JRが第二種鉄道事業者として運行を継続する事となった。
これにより、信越線から横川・篠ノ井間があさま線として分離し、運賃は地方交通線分類で擬制キロを採用。
北陸新幹線長野先行開業に伴う並行在来線の体質強化の一環として、96年、最急勾配66.7‰の碓氷峠を補機無しで自走出来るE129系が開発された。
E127系をベースに、車体の強度を増し、急勾配通過にて車体の横動と連結器への過負荷防止の為の空気バネ台車パンク装置、急勾配上で停車する為の
電磁吸着レールブレーキなどの従来通りの各種碓氷峠対策を施し、出力と粘着力を強化した。
E127-0とのその他の違いは、シングルアームのパンタ、セミクロスシート、クモハ128に障害者対応トイレ。
97年に量産車が登場。同年秋の新幹線開業以後、信越・あさま線の高崎・小諸間軽井沢経由ローカル列車に使用されている。
E129系は、66.7‰の碓氷峠を通過―横川から軽井沢へ直行―出来る唯一の車両である。
他の車両は、横川と御代田を大碓氷峠トンネルで以て軽井沢を無視して短絡する碓氷峠バイパス(詳細は
>>593を参照)を経由し、
団臨などで軽井沢発着する場合一旦御代田か小諸で方向転換する必要がある。
596 :
名無し野電車区:2006/11/06(月) 09:40:17 ID:1eDHgmUx
205系800番台
JR東日本が1989年に製造した地下鉄直通仕様の205系で10両編成1編成が製造された。
車体は209-900系と同じだが扉窓は同時期製造の205系と同じく大型である。
帯色は黄色でなく東西線ラインカラーのライトブルーとされた。
床下機器は205系とほぼ同一とされている。
だが、営団の新車とサービスレベルを合わせるため、JR東の通勤車両としては始めて、
ドア上の案内表示器とドアチャイムを設置した。
当初は東西線直通車冷房改造時に予備車確保として投入され、冷房改造後は
全編成10連化時の不足車を補うためにそのまま残った。
その後、E231-800系投入時に車両企画統一を目的に置き換え対象とされ、
編成はバラされて中間4両は3000番台に改造されて川越線へ、両端3両ずつ
の6両は東西線用信号機器や保安機器類を下ろして南武線へ転属した。
転属改造の際、車内の案内表示器は209系と同じものに交換されている(案内表示器の
整備の都合で既に209系が投入されている線区が転属先に選ばれたとの説もある)。
南武線のものは元番号のまま転属した(サハは番台区分消滅・モハの802番ユニット
は欠番となる)。1編成だけの貫通型クハとして異彩を放っている。
(この世界では史実の103-1000系の松戸電車区→三鷹電車区転属はない)
静岡鉄道2000系
老朽化した1000系置き換えのために投入された。東急車輛製。
外観はまんま横浜高速鉄道Y000系だが、600V仕様なのが大きな違いである。
599 :
名無し野電車区:2006/11/06(月) 11:12:15 ID:6OzlaT/D
西武30000系
米軍横田基地の軍民共用化によって空港へのアクセスとして
西武拝島線が拝島―空港―瑞穂と延長された際に導入
ボディー強化と軽量化のためカーボンやグラスファイバー素材を多用し
加速や高速走行での省エネに貢献
主に新設された空港快急の運用に充てられ
最高速度130km/hで100km/hまで加速度5km/h
西武新宿から空港までを35分で結ぶ
>>599 西武新宿線のカーブの多さを知らないだろ?
601 :
名無し野電車区:2006/11/07(火) 11:20:06 ID:Xsf91jGF
JR東日本185系「踊り子」用改造車
JR東日本が発足直後、伊豆方面への特急「踊り子」用の185系に大改造を行った車両。
当時乗り入れ先の伊豆急行には「リゾート21」こと2100系が就役しており、185系の設備では見劣りがすること、また251系の編成数が少ないことから代替機能を持たせるために誕生した車両である。
普通車の側窓は251系並の天井まで届く大窓に改造された。またこれに伴う車体強度の都合と、景観を阻害する可能性から荷物棚は撤去され、座席下部に荷物置き場を設置した。
照明装置は中央に一本のライン状に配置された(南海特急車のような感じ)。改造の結果、冷房装置は251系と同じ車端部搭載に変更されている。
座席は970mm(グリーン車1100mm)ピッチ回転リクライニングシートに変更。荷物置き場を確保する為、カンチレバー形を採用。
主電動機はMT61に交換の上、ブレーキシステムも一新し120km/h走行に対応させてある。
尚、当時としては普通車のシートピッチが251系よりも広かった為か、こっそり251系よりも人気があったらしい。
602 :
ミユナ:2006/11/07(火) 11:22:36 ID:jtkeoc8w
もし415系の生産が多少なりと違ったものになっていたら・・
クハ401-91〜100 102〜104・モハ402・403-21〜27
403系の最終型で基本的にはクハ401-89・90 モハ402・403-20に準じてるが
97以降の編成は窓はユニット窓となり、冷房準備を施しているため415系の
極初期型に近くなっている。なおクハ401-101はクハ115の改造車だが、401系の
編成から外し、AU712搭載の上そのまま使用したが後にクハ401-51とトレードの
上廃車となった。
クハ401-91-モハ402-21-モハ403-21-クハ401-92
クハ401-93-モハ402-22-モハ403-22-クハ401-94
クハ401-95-モハ402-23-モハ403-23-クハ401-96
クハ401-97-モハ402-24-モハ403-24-クハ401-98
クハ401-99-モハ402-25-モハ403-25-クハ401-100
クハ401-101-モハ402-26-モハ403-26-クハ401-102(101は後にクハ401-51に変更 101のみ冷房AU712{INV} )
クハ401-103-モハ402-27-モハ403-27-クハ401-104
当初300番台で0台で行く予定だった415系は100番台から0台に行く分け方に変更された。
603 :
名無し野電車区:2006/11/08(水) 00:10:51 ID:QC1tomSm
キハ181系JR九州仕様
JR九州に承継されたキハ181系。
国鉄時代は特急「にちりん」「おおよど」に使われていたが、1979年の日豊本線全線電化後は急行「火の山」「由布」などに使われていたらしい。
JR化後は485系のように車体を真っ赤に染められてしまった。
現在は特急「ゆふ」「九州横断特急」などに使われているが、最短連結両数が3両であり、ワンマン設備がないことから多客期のみの運用となっている模様。
極稀に特急「はやとの風」の代走に入ることもある。
>>600 新宿線?拝島線のほうが多いんじゃないか?
小川駅前後に東大和市―玉川上水間のに拝島直前
+単線―複線のポイントで
605 :
エセレブ:2006/11/08(水) 19:50:31 ID:hspzBEen
JR東日本 スハシ38形(1)
スハシ38 1(1930大宮工製旧マイシ・マロシ37900→マロシ371→マハ491→1953改造)は1960年に「十和田」からはずされた後も保留車で在籍し、1962年10月に廃車された後は大井工場で長らく保管されていた。
しかし国鉄末期の1985年にイベント用として車籍復活が決定。1986年2月に故郷の大宮工場に入場。4月に竣工し車籍復活した。
食堂のインテリアは戦前の白木屋風造りに近づけた。
厨房は全面リニューアルして軽食・茶菓用の電化キッチンとし、照明も含めて床下に吊った小型DGから給電。
専務車掌室は放送機器を更新。従業員室は授乳やおむつ交換等の多目的室にした。
座席室も整備したものの、基本的には変更なしとした。
屋根は二重屋根を維持したが、雨漏りや強度対策のため梁等はアングル、チャンネル材に取り替え、屋根布はイボ付ビニールに張り替えた。
台車はスハシに改造する時にスシ48 1と交換したためTR74を履いていたが、1982年に青梅鉄道公園で解体されたスシ28 102が履いていて保管されていたTR73に再度履き替えた。
高崎に配置され、ある程度運転時間があるレトロトレイン等に使用されている他、1988-2000年は「パレオエクスプレス」にもしばしば運用された。
>>591>>592 JR東日本千葉支社キハ39系気動車
久留里線のキハ30、37、38置き換えに投入。
これも茨城の某私鉄から譲渡されたものらしい。
211系8000番台
セントラルライナーの増発を目論むJR東海が考えた末、211系の3両編成を改造しようという結論になった。
改造プランは311系やキハ75形に採用されている転クロを211系に移植、行き先表示をLED化、車間ダンパの設置、東芝製IGBT-VVVFへの換装、シングルアームパンタ化である。
またカラーリングも313系と同じセントラルライナーカラーとなった。
9両3編成が製造され、客からは乗り心地が良いと人気である。
608 :
名無し野電車区:2006/11/09(木) 12:15:40 ID:BWT8YYK+
クハ311・モハ311
JR東海が製造した311系の改良版。
従来のクモハ311-モハ310-サハ311-クハ310の編成ではM車が偏っているため連結器の衝撃が大きく不評だった。
M車を編成中心に持って来てクハ311-モハ311-モハ310-クハ311の編成を組むことにより衝撃を緩和。
モハ311は6両編成化用もあるため製造両数が多い。
609 :
名無し野電車区:2006/11/09(木) 12:21:35 ID:BWT8YYK+
名鉄6000系高速化改造車
名鉄で6000系を6800系相当に改造した車両。
歯車比の変更(6.07→5.6)と界磁添加励磁制御化を行う。
瀬戸線用は界磁添加励磁制御化のみ施工。
610 :
高橋愛長細い顔:2006/11/09(木) 16:14:44 ID:NS78Ew1i
JR東日本E521系
羽越本線のローカル用気動車の電車化用の新型車両。
JR西日本521系とJR東日本E127系を併せ持った車体である。
室内はJR西日本521系が転クロ(車端部ロングシート)に対してこちらはセミクロスシート。
運転区間は越後線新潟〜吉田、弥彦線、信越本線長岡〜新潟、白新線、羽越本線新津〜酒田間で運用。
611 :
名無し野電車区:2006/11/09(木) 18:25:26 ID:rDew7d7D
名鉄9000系
名鉄が開発した「補助ジェットエンジン試験車」。
2000系をベースに急発進・急停車が可能なように屋根上にジェットエンジンを搭載。
運転台にある「急発進レバー」を操作すれば急発進し、「急停止レバー」を操作すれば急停止する。
所要時間の短縮と事故の減少を図る。
612 :
名無し野電車区:2006/11/09(木) 21:19:15 ID:ASg/dnsl
>>609に便乗
名鉄6000系高速化車両
名鉄で6000系を6500系相当とする車両。
歯車比の変更(6.07→5.6)と界磁チョッパ制御化を行う。
足回りに関しては1000系の廃車発生品を流用する。
4両固定のみで、組成はTc1−M2−M1−Tc2となる。
2010年から非ワンマン4連×14本に対して施工される予定。
613 :
エセレブ:2006/11/09(木) 21:38:50 ID:5kG2HJnW
オシ17形北海道配属車
1968年、急行「ていね」に連結されているマシ35形3両が10〜12月に相次いで検査期限を迎えるため、同年10月のダイヤ改正で余剰車が出るオシ17形の前期車3両を7〜8月に函館へ転属させたもの。
五稜郭工場で暖房強化と耐寒耐雪工事を行い、9月下旬からマシ35に代わって編成に入った。
CAE81空調装置の床下ユニットと3PK駆動エンジンはマシ35からそっくり移植した他、喫煙室側の非常口ドアは雪侵入防止のため溶接され、喫煙室と専務車掌室の側窓は二段窓から二重式一段上昇窓に改造された。
「ていね」最末期〜DD51「ニセコ」に運用されたが、1972年11月の北陸トンネル火災事故の影響で、11月11日の103レを最後に運用離脱し、1973年9月までに全廃された。
614 :
エセレブ:2006/11/09(木) 23:16:57 ID:5kG2HJnW
オユ10・11冷房車(史実改変)
車両冷房が安定するにつれ、郵政省は乗務員の作業環境改善のため郵便車の冷房化を検討。やはり一般形客車の冷房化を検討中の国鉄とタイアップし、1964年、オユ10の試作冷房車(901・902)を日本車輌蕨支店で製造した。
AU31形(減格)ユニットクーラーと3PK発電機を付け、郵便扱室と通常郵袋室を冷房したが、総重量をオ級に収めるため荷重は7dに減らされた。
運用成績は良好だったが、冷房機器の重量が大きく、電気暖房装置を付けるとさらに荷重を減らされる可能性があるため、より軽量にできる屋上分散形クーラーの使用が検討された。
しかし一目でクーラーとわかると冷房の恩恵を受けられない一般乗客の反発を買いかねないとの懸念の声が上がった。
このため2等寝台車用クーラーとして試作されたAU14形を5基(後にオユ11は6基)搭載したオユ10の追加試作冷房車を1966年に日車蕨で3両(2911-2913)試作した。
試験運用の結果、オユ10・11の1967年度製造分から910番台方式で量産冷房車が登場。
オユ10は2521〜で、オユ11を含む既存車も1967年以降改造された。
青函航路運用車は1969年以降、船側(津軽丸以降に設備追加、渡島丸以降は当初から取付)から冷暖房電源の供給を受けるための受電設備を追加した。
本形式の増備でマユ35までの旧形郵便車は1972年までに淘汰されている。
1972年以降登場のオユ14・スユ16形はAU13A形クーラーを搭載したが、鉄道郵便の大幅削減で1987年までに全廃。護送専用車のスユ15形のみがJR貨物に引き継がれた。
伊豆急新1000系
名鉄で廃車となった1000系を伊豆急に譲渡したもの。
車体は老朽部分の補修、塩害対策などを中心に加工されカラーリングは青を中心としたさわやかなものになっているが第1編成のみ名鉄カラーのままで会社の友好記念車両としている
最終的に1001〜1010Fの4×10本が譲渡される予定
616 :
エセレブ:2006/11/10(金) 22:58:25 ID:Q9l3s2ax
DD54形(沿革改変)
1962年に新三菱重工が国鉄に貸与して試用したB-1-BのDD91形(マイバッハ形機関+メキドロ式変速機)と日本車輌+石川島播磨重工(艦船用改良機関+ホイト式変速機)が貸与したDD92形を比較した国鉄が、1964年に三菱案の機関とIHI案変速機での開発・量産化を決定したもの。
機関はインタークーラーターボチャージャーを改良して1900HPに出力を上げ、効率低下を補った。
また、貨客兼用であるためSGを搭載した。
車体はヨーロッパ調の箱形を採用。後のEF66形にも影響を与えた。
1966年2月に新三菱製の1・2号機と日車製の3号機が竣工し、姫路に配置して播但線で試験を始めたが、安定させるのに時間がかかり、先行量産車4-9号機の完成は1967年晩秋にずれ込んだ。
量産は1968年度から開始され、三菱製造車は福知山(山陰・福知山線)、高松(予讃・土讃線)に配置。
日車製造車は郡山(磐越東線)と秋田(奧羽線山形〜秋田間・北上線・田沢湖線)に配置された。
量産は1978年まで断続的に続き、三菱重工96両、日本車輌72両の合計168両にのぼった。
使用線区も上記線区に加えて伯備線・紀勢線・関西線・磐越西線も加わった。
もっとも寝台特急は安定性に優れたDD51が牽くことが多く、DD54の寝台特急定期仕業は「紀伊」のみであった。(迂回運転では「あけぼの」「はくつる」「鳥海」「出羽」「出雲」の牽引実績あり)
客車・貨物列車の削減で1984年以降休車・廃車が出始め、JR(東・西・四・貨)に引き継がれたのは79両。
山陰線、磐越西線、男鹿線の客レ運用消滅後は工臨や臨客運用が主だが、高松所属機は季節快速「ムーンライト高知・松山」運用で岡山まで入る。
また、長岡所属機は磐越西線の他、春・秋の臨時快速「レトロあぶくま」牽引のため磐越東線にも顔を出している。
2004年の中越地震で上越線が長期不通になった時は長岡所属機が磐越西線で臨客貨牽引に従事した他、南秋田所属機が迂回「あけぼの」を北上〜秋田間ヘッドマーク付きで牽引した。
E217系更新車
更新プランは、行き先表示のLED化、ヨーダンパの装備、強力なモーター(150kw辺り)に載せ変え、VVVFソフト更新、起動加速度の上昇(2.4km/s)である。
足回りのガタはヨーダンパ、VVVF等はソフト更新といったあんばいである。
618 :
名無し野電車区:2006/11/11(土) 16:42:53 ID:qNcaMySF
113系5000番台改
JR西日本が「安全性向上計画」の一環としてボディ剛性を上げた113系。
車体接合部に「スポット増し」を行うことにより強度を上げた。
E233系800番台(別名 ミュージックトレイン)
JR東日本が導入 通常のE233系に防音剤を入れ
ディスプレーはスピーカー内蔵型にし壁面にも多くのスピーカーを設置
ディスプレー連動で新曲のCMとしてPVを流すなどして広告収入を狙い
ケータイなどからのリクエストも可
但し音楽を聴きたくない人のためにサイレントカーを10両中2〜4両設置
620 :
名無し野電車区:2006/11/11(土) 17:10:07 ID:TrOMG1P+
札幌市交通局 5000S系
200x年、札幌市営地下鉄各線ではホームドア方式のワンマン運転を行うため、扉位置の違う南北線3000系を全廃することになった。
そこで導入されたのが南北線向けの5000S系である。また、この車両は従来の5000系とは以下の点で異なる
(1):台車等は3000系の廃車発生品をオーバーホールの上再利用し、コストを削減している。
(2):東西線8000N系と同様に車両間へのドアや座席中間への握り棒の設置並びに一部の吊り革を低くした。
(3):JR東日本E233系に倣い、車両故障対策として主要機器を二重系統化した上で、花粉カット機能付き空気清浄機の搭載。
(4):客室情報装置はLCDモニター方式とし、ドア上に各1面設置(2面化準備工事も行われている)。
(5):南北線では地上(シェルター)区間の走行があることを考慮し、冷房装置の準備工事を実施。
(6):ワンマン対応のための機器を新製時から搭載している。
5000S系は6両編成3本が投入される予定で、5000S系新製及び従来の5000系のワンマン対応化工事に伴う輸送力確保の為に
完全新製の5000N系も6両編成5本を投入予定。
621 :
エセレブ:2006/11/11(土) 19:54:28 ID:FVA77gXT
3等→2等・食堂合造車 スハシ38形200番台(201-210)
戦後の食堂車需要の増加への対応と見劣りが著しいオハシ30形を代替するため、1953年、マハ47形・マハネ37形(マロネロ37改)を種車に土崎・郡山工場で更新修繕とともに施工した。
(旧マロシ37・スロシ38だったマハ49形の残存車全てを改造しても足りないため、窓割が近い旧マロネロ車を充当した)
車内配置はスハシ38形共通だが、土崎工場施工の207-210は秋田杉を使用し、室内を塗り潰した。
201-206は宮原に配置して「日本海」「なにわ」で使用。
207-209は大分に配置して「高千穂」に使用。
210は旭川改造の101-104とともに尾久に配置して「十和田」「北斗」の予備車になった。
オシ17形や電車化によって1964年3月で全廃され、一部はスエ38に改造された。
622 :
名無し野電車区:2006/11/11(土) 20:00:16 ID:x4zDJWau
クハE931・クハE930
山手線DJトレイン計画に伴って1999年に各1両が試作された。
主にMOTER MANでブレイクしたSUPER BELL"Zが乗務し、オープンライブスペースとして使用した。
通常の車掌も乗務するために乗務員室兼ライブスペースは広くとられている。
205系のクハと差し替えられてE231系置き換えまで使用されたが、現在は保留車となっている。
623 :
名無し野電車区:2006/11/11(土) 20:51:06 ID:qNcaMySF
103系1200番台京葉線仕様
JR東日本で103系1200番台を京葉線に転用。
従来の103系は地下駅でブロワー音がうるさいという欠点があったが、自然通風式のため解消。
8M2Tでは過剰性能のため0番台のサハを組み込んで6M4T化している。
編成はTcMM'TMM'TTMM'cである。
余剰となったM車は0番台のクハを組み合わせて編成を組成した。
624 :
高橋愛長細い顔:2006/11/12(日) 14:04:59 ID:gHooJoFC
JR東海313系2600番台
313系初のオールロングシート車。
トイレはもちろんなし。
東海道本線の名古屋地区の普通に投入。
625 :
名無し野電車区:2006/11/12(日) 16:39:48 ID:H5DIE9lY
165系セントラルライナー仕様
セントラルライナー用に改造された165系。
内装を転換クロスシートに改良し、ブレーキの強化で120km/h運転に対応。
臨時大垣夜行にも使われた。
626 :
エセレブ:2006/11/12(日) 21:31:42 ID:HjXN21eD
キハ183系0番台・JR東日本移籍車
NN183系や281系の投入で余剰になったキハ183・182の6両3編成を1994年にJR東日本に譲渡したもの。
土崎工場で青函トンネル通行対策を含む整備後、南秋田に配置して「秋田リレー」に使用。(旧国鉄色)
秋田新幹線開業後は12系・14系に代わって波動臨用になり、2001-2002年に土崎工場で延命工事を施工。車体内外と機関、発電装置を更新。
(走行機関と変速機は183がDMF13HZ+DW13A、182がDML30HZ+DW12A、発電機関はDMF13HS-G)
最高速度は110km/hのままだが、加速性能と勾配均衡速度の向上に振り向けた。引き続き秋田車両センターにあって波動臨や団体臨等に使用される他、中越地震で上越新幹線が不通になった時は新津に貸し出されて磐越西線内臨時快速に使われている。
3編成ともATS-PとDPFを装備し、首都圏はもとより甲子園臨で大阪まで乗り入れることもある。
627 :
名無し野電車区:2006/11/12(日) 23:33:49 ID:wW6fnXw+
E233系京葉線仕様
JR東日本が京葉線に投入したE233系。
E331系は14両固定編成のため分割運用ができないが、E233系では6+4分割にすることにより東金線への乗り入れを可能にした。
帯の色は赤色。
>>617書いといてなんだけど足回り大してガタきてへんとちゃう?
夏にエアポート成田乗ったけど揺れも気にならなかったんだが…俺が鈍感なだけ?
以上チラ裏
新京成8900系京成本線乗入れ対応車
成田線乗入れの為ヨーダンパを追加した。
又車間ダンパを装備し、試験結果がよければAE系に流用する予定だ。
629 :
名無し野電車区:2006/11/12(日) 23:47:18 ID:b8OAzQFS
C62・20系牽引対策車
1968年ダイヤ改正で寝台特急はスピードアップされたが、未だSL牽引が
残っている呉線に寝台特急が走ることになり、糸崎区のC62に20系牽引
対応工事を行うことになった。いわゆるP型化。
元空気溜め管を増設した。
>>624 マジで出そうな悪寒
>>560 109系は車両代負担した広島県と広島市の強い要望で側面などがベース車の321系に比べて強化されている。
(理由はもちろん例の大事故による)
これはのちに321系と207系の強化改造メニューに取り入れられた。
なお109系にはバリアフリー対応循環式トイレも付いている。
>>630 広島地区初のカセット式トイレ・・・とかのほうがさらにいいな。
632 :
エセレブ:2006/11/13(月) 20:55:38 ID:pnUA+pHG
C54・C55異聞「さくらんぼの里のスポーク三姉妹」
C54編
戦前以来長らくC51の天下だった奧羽線南部(米沢−秋田)にC54が姿を見せたのは1947年。
福知山と福島から5・6・8・10・11・15・17号機が米沢機関区に配属されたのである。
(残る10両のC54は状態不良のため部品取りにされ、1950年までに廃車)
もっとも、相前後して前年山形に新製配置されていたC57180・186・187が新津などに転属したため、待望のC57を手放させられた乗務員や機関区員は大ブーイングだったのは言うまでもなかった。
それでもC54は大きなトラブルもなく黙々と普通列車や臨客仕業につき、C57や後述するC55の転入で1964年3月に6・10号機が廃車されるまで17年間働いた。
全廃後、C5417号機の第2動輪とテンダ後部のナンバープレートが米沢機関区で保管されていたが、1973年3月以降、米沢駅前に展示されている。
633 :
エセレブ:2006/11/13(月) 22:19:45 ID:pnUA+pHG
>632続き
C55編(1/2)
C55は戦前、1939-43年に3・10・19・38・55号機が秋田機関区に在籍して羽越・奧羽線酒田−青森間で運用されていた。
戦後も1947-58年に10・19・55号機が再び秋田にあって酒田以北で活躍。急行「日本海」も牽引したが、C57の転入で宮崎に転出。
10・19は後年、九州の標準デフC55として有名になった。
秋田からC55が転出した5年後の1963年2月、福知山区からC559が米沢に転入。以後、5月までに7・25・36・38号機が名門・名古屋区から米沢に転入した。
これらは1963年4月の北陸線金沢電化でC57が押し出されたためで、C55は当初北海道に行く予定だったが、無煙化が早くなる奧羽線に先が見えたC55を押し込んでC51・C54を一掃することにしたと推測される。
事実、米沢に残っていたC51・C54は間もなく全廃された。
名古屋から来た4両は全てナンバープレートが赤地で、7号機は煙室プレートがオリジナルの形式入り。
25・36・38は元流線形機で、25号機は超特急「燕(臨時の方だが所要時間は全く同じ)」の牽引実績を持つ白眉的機関車だった。
1964年1月まではC51・C54も仕業があったため、僅か1年足らずの間だが、国産のスポークパシフィック三姉妹が顔を揃えていた。
既に急行「津軽」「たざわ」等はDF50牽引になっており、C55・C57は米沢−秋田間での普通客レ牽引がメインだったが、お盆や年末年始の臨時急行「ざおう」「出羽」はC55かC57が牽引した。
また、DF50は故障も多く、「津軽」「たざわ」をC55・C57が単機または重連で牽くこともあった。
C55の評判はC57に劣らず、6-7両程度の普通列車ではむしろC57より運転しやすいと言われ、冬場は元流線機の密閉キャブが好評だった。
DD51が秋田以南にも入り始めた1967年、7号機が廃車。
そして1968年、東北線全線電化によるDD51の異動と米沢−山形間電化により米沢からC55・C57は追放され、C55は7・36号機が廃車。1967-68年に全検を受けていた25・38号機はC57170・198号機ととも新庄機関区に転属した。
634 :
名無し野電車区:2006/11/13(月) 23:02:34 ID:vUNj2pDk
207系900番台車両更新工事車
JR東日本で207系900番台に更新工事を行なった車両。
主制御器をIGBTに載せ変え、内装をJR西日本の207系並にリニューアル。
純電気ブレーキの使用が可能になり、空転が減少した。
635 :
ミユナ:2006/11/13(月) 23:54:35 ID:wyWVQh7Y
>>626追加
キハ183系東日本譲渡(第2期分)
>>626に次いで今度は283系の増備が進んだ事から今度は183N系車が東日本に
譲渡される事になった。配置先は小牛田と盛岡。キハ183・182-500・1500の他、
キハ184とキロ182が2両ずつおよび放置プレーされていた
キサロハ182型全部も含まれる。盛岡にはキハ183-182-183の
3両編成5本が配備され、特急「陸中」として釜石線で、
また山田線快速「リアス」でも使われている。
小牛田にはキハ184とキロ182を含めて5両編成2本配備で、
快速「南三陸」用としてキハ40系を置き換えた。その際、
快速から特急に格上げられている。なお
>>626同様、機関更新と車体の
更新が行われ、小牛田配備車はATS-PおよびDPFも追加している。
キサロハ182に関しては秋田と八戸に配置され、あるものに
改造されるのだか、それは次のレスで・・・。
636 :
ミユナ:2006/11/14(火) 00:12:10 ID:ky+pQfKK
>>635続く
キサロ48 キサハ48 サロハ485
>>635の中でキサロハ182をどうするのかと言う問題になった。
そこで秋田と八戸と上沼垂に配置させる事にした。秋田配置の1・2は
「リゾートしらかみ」の2号車特別車両としてグリーン車扱いで、
青池とくまげらの編成に組み込まれた。
八戸配置の3は「きらきらみちのく」の3号車に普通車として組み込まれた。
いずれもキハ40系連結に対応して引き通しを替えている。
残る4は上沼垂に配置され、「きらきらうえつ」のグリーン車として使われる事になり、
形式もサロ485とし、485系連結に対応して引き通しを変更している。
637 :
エセレブ:2006/11/14(火) 11:55:23 ID:jddNQ+jB
>633続き
C55編2/2
1968年のダイヤ改正は東北線全線電化や485・583系デビュー等の華やかなものだったが、一方で赤字体質の慢性化で電機やディーゼル機の投入が遅れたため、架線の下を大型蒸機が闊歩する光景が各所で見られ、乗客や沿線住民から不評を買っていた。
奧羽線南部でも状況は同じで、ダイヤ改正の時点で新庄にC55とC57が2両ずつ、横手にはD51の準戦時形や戦時形ばかり8両が残存した。
新庄の4両は3両使用、1両予備で山形−新庄間の普通列車と山形−新庄−秋田間の荷物専用列車の牽引についたが、牽引力が劣るC55はたいてい1両が新庄機関区で昼寝していた。
それでも帰省シーズンの臨時急行「出羽51号」が運転されると山形−新庄間で先頭に立つ姿が1971年夏まで見られた。
1971年晩夏には新主力機DD54が大挙秋田に配属され、秋のダイヤ改正で旅客列車の完全無煙化が達成。
新庄のC57は2両とも紀伊田辺に転属し、車検が切れたC5538は10月初めに土崎工場に回送され、翌年秋田市に引き取られた。
C5525も一休指定を受け、新庄区構内で冷たくなってしまった。
C55は数を減らし続け、北海道では1号機が梅小路に回送され、映画撮影後そのまま機関車館入り。
九州では吉松所属機が一気に全廃され、若松所属機も吉松に転属した52・57号機以外は全て廃車。かつて秋田にいた標準デフ機10・19号機や吉松にいた元流線形機も全て消え、C55は一次形が全て引退した。
一休のC5525が再び目覚めたのは1972年3月。
検査期限が8月にずれ込み、仙台や秋田、はては水戸まで出張してイベント列車を牽引した。
72年8月25日、山形−新庄間のさよなら臨客の牽引を最後に、8月31日に二休指定。9月30日に廃車決済が下りた。
本機は貴重な元流線形機関車であり、「オールド・スワローエンジェル」「ごご25」などと言われた人気機関車でもあるため、大宮工場に回送され保管された。
638 :
名無し野電車区:2006/11/14(火) 17:38:13 ID:Zkv/z6e3
>55に続く
営団地下鉄07R系、8000系編入車両
13号線用に、8両化される事が決定した07R系だが、東横線各駅停車用として転属してきた、8000系を10両化し半蔵門線に復帰させる為に旧7000系、現07R系中間付随車を連結させる事にした。
8000系に編入される07R系の車番は07-351から07-356及び07-551から07-556となってる。
改造後は、半蔵門線に転属し、現役で活躍中。
営団地下鉄07R系8両化改造車
今まで、暫定的に10両で有楽町線で使われていた07R系だが、13号線開通に伴い8両化される事となった。
また、計画が変更され、07系も8両化される事となった。
この為、一部07R系に07系の付随車を組込し、07系に編入される事も決定した。
更に、有楽町線に10000系(今走っている車両とは違う)が導入される事となった。
この為、千・有・半線の大幅な転属計画が立てられた。※千代田・有楽町・半蔵門線の略
639 :
名無し野電車区:2006/11/14(火) 17:53:46 ID:Zkv/z6e3
>55、>638の続き
@有楽町線に10000系導入
A13号線用に、07系、07R系を8両化
Bこの時、07系から抜かれた付随車3両化したのを07R系に連結し、07系に編入。
C07R系から抜いた旧7000系52両のうち、12両は8000系に編入改造し、残りの40両は5M3Tの8両にして新造した7000系の先頭車と編成を組む(車番は7033、7034、7035、7036、7037。逆向きはこれに100を追加。)(今までの7033、7034編成は7038、7039に改番。)を導入し7000系に編入。
Dその後、有楽町線は全て、13号線は暫定的に10000系に統一。
E10000系導入で捻出された、7000系は千代田線に転属。6000系に編入。6022から6034は、6001から6013に車番変更された。旧7000系の7021から7037は、6014から6031に車番変更された。6000系、7000系の6035、7033、7034はそれぞれ、6032、6033、6034に車番変更された。
F06系は有楽町線に転属。ただし中間車8両のみ。先頭車2両は千代田支線に。
G千代田線から来た中間車8両の06系は3・3・2両に分けられ、07R系に組込、07系に編入。
Hこの時、07R系に1両だけ旧7000系が組み込まれている編成が出来てしまうので、07R系のある編成と交換し、07系に編入。
I千代田線に導入された06N系は東西線に転属。
となっている。
>639に続く
640 :
07R系→8000系・07R系→07系改造車の番号(付随車、先頭車のみ):2006/11/14(火) 18:39:50 ID:Zkv/z6e3
>55、>638、>639の続き
07-351→8601
07-352→8602
07-353→8603
07-354→8604
07-355→8605
07-356→8606
07-357→8607
07-371→8701
07-372→8702
07-373→8703
07-374→8704
07-375→8705
07-376→8706
07-377→8707
07-151→07-007
07-152→07-008
07-153→07-009
07-154→07-010
07-155→07-011
07-156→07-012
07-157→07-013
となっている。
641 :
エセレブ:2006/11/14(火) 18:41:22 ID:jddNQ+jB
JR東日本 487系特急形電車
北陸新幹線の開業や255系・E351系の増備で余剰になる183系1000番台や189系に485系初期車の廃車で発生した交流機器を組み合わせ、煙害対策を施して運用範囲を拡大したもの。
改造は1992-94年に大宮・郡山・盛岡工場で実施。
各形式はクロハ487・モハ486+487・クハ487で、番号は種車の番号順に1001〜とした。
上沼垂・仙台・青森に配置され、485系200番台以前車や583系中期車を代替したが、現在は上沼垂に集中配置され、快速くびき野や波動臨に使用中。
また、甲子園臨や修学旅行臨で京阪神や松山・博多への運行実績がある。
642 :
エセレブ:2006/11/14(火) 19:52:30 ID:jddNQ+jB
旧客特急「はくつる」
1961年以降、「はつかり」に続く北海道連絡特急の運転を求める声が高くなった。
「はつかり」ルートが札幌翌日昼着なのに対し、「あさかぜ」形車両の特急を走らせ、函館で釧路行き急行「まりも」に接続して札幌に翌日夜着。釧路には三日目の朝着。
北見・網走や稚内方面には札幌で夜行準急に連絡できるというものだった。
国鉄も検討に入り、線路容量から既存の急行を格上げすることになり、宇都宮・福島経由の「北上」と常磐線経由の「北斗」が候補になったが、仙台まで電化した全線東北線経由の方がダイヤに余裕がある等の理由で「北上」格上げと1963年6月運転開始が決まった。
機関車はEF57・ED71・C61(盛岡以北は前にC60かC61)ですんなり決まったが、客車は新幹線建設のあおりで20系の新製は「みずほ」分のみに抑えられたため、やむなく10系主体でスタートした。
ロネはオロネ10、ハネはオハネ17で、いずれも落成したての車両を充当。
ロザはオロ61、ハザは両端の1・10号車に近代化工事施工済のオハフ45、食堂車はオシ17を再整備して充当。客車にはかつての客車「はつかり」塗装が施された。
口が悪い向きからは「特急鳥目」と揶揄されたが、東北・北海道方面の乗客は
「乗車率が高ければ早く新型車に代わるはず」
と、周囲に乗車を呼び掛ける人もいた。
その甲斐あってか翌年10月のダイヤ改正で20系に代替された。
「はくつる」の運転初期はまだ仙台にC59が健在で、旧客時代の1964年4月と20系時代の1965年6月に上り2レがED71の故障のため、C5990(1964)、C59176(1965)が仙台−福島間で牽引している。
643 :
名無し野電車区:2006/11/14(火) 23:35:44 ID:spDag1iP
クハ103-911
国鉄が1両だけ試しに作った「トタン電車」。
ATC車をベースに車体に亜鉛めっき鋼板を使用することにより耐久性を向上させた。
オロ12
当初は普通車のみだった12系だが定期急行に入れる際、グリーン車が必要と判断され製造された
車体や内装はサロ165をベースしたものの扉が折り戸になったほか、
下回りの車軸発電機やレンジシューなどは12系標準のものを積んでいる
1973年のお盆の臨時列車より運用開始になり、1994年のかいもん・日南廃止により形式消滅した
14系に編入されたものや普通車化されたもの、さらに1000番台に改造されて近郊化されたものも存在した
また電車化改造され113系に組み込まれ東京地下ホームに入ったものも存在した
645 :
名無し野電車区:2006/11/15(水) 23:09:13 ID:wVDc0+4P
都営10-300形マイナーチェンジ車
東京都交通局で10-300形を突如設計変更。
95KWモーターで5M3Tだったのを165KWモーターで4M4Tに変更することにより製造コストを削減。
部品共通化のためか歯車比は7.07のまま。
646 :
エセレブ:2006/11/15(水) 23:22:58 ID:wNt+LS+u
>626「キハ183系0番台譲渡車」増補改訂
1981-83年に量産され、安定した性能と高い居住性で名車キハ80系を代替したキハ183系0番台だったが、N・NN183系やFURICO281系が増備されると、居住性はともかく性能で後続車群に劣るため中途半端な存在になりつつあった。
それに目をつけたのがJR東日本で、秋田新幹線建設中のアクセス特急や東北地区配置の12・14系客車の代替用である。
移籍は1994・95年にかけて行われた。
移籍したのはキハ182-9・19・20・28〜40、キハ183-1〜6・16・101・102の計27両だが、キロ182-1・10・901がドライリースされて加わった。
譲受車は土崎・郡山工場で耐寒装備の一部省略(一部車のみ)や塩害対策、床材・シートモケットの張り替え、旧国鉄色への塗り替え、キハ183-2・4・6の客室拡張(業務室を改装)とキハ183-1・3・5・16に車掌室設置(業務室にドア開閉装置・放送装置等設置と下降窓取付)等を行った。
また、半数には青函トンネル通過対策も施工した。
当初は全車小牛田運転所に配置され、キハ110系300番台とともに仙台・北上−秋田間の新幹線連絡特急「秋田リレー号」と、間合いで「おはようライナー仙台」・「ホームライナー一ノ関」等に運用され、キロ182形の車販準備室も活用された。(901は通常予備)
秋田新幹線開業後は全車南秋田運転所(現秋田車両センター)に転属し、キロ182形は返却された。
転属後は団体・波動臨を中心に運用されている他、485系の故障代替で「白鳥(旧)」「いなほ」「かもしか」運用についたり、2002年夏までは臨時「はつかり」運用にも入っていた。
また、修学旅行臨、甲子園臨で京阪神地区に乗り入れたり、津軽海峡をくぐって古巣にも度々顔を出している。
この間、1998年10月にキハ183-3とキハ182-9が回送中に踏切事故で脱線大中破して運用離脱した。(99年9月廃車)
その他の全車は2002-03年に土崎総合車両所で車両更新工事を施工。
車体内外のリニューアルとコマツ製の走行機関・変速機に換装。最高速度は変わらないが、加速性能と勾配均衡速度が向上した。
また、キハ183の発電装置も高出力形に更新して、青森以南の運転では通常1台運転とした。
647 :
エセレブ:2006/11/15(水) 23:59:28 ID:wNt+LS+u
↑
車両更新の施工所は「土崎車両センター」に訂正。
酉と混同しちまった…orz
648 :
エセレブ:2006/11/16(木) 06:52:19 ID:jWzVjrp9
JR東日本 オハネフ25形青函トンネル対策車(エルム兼用)1996年、キハ183系との組成運転用に盛岡工場で2両改造した。
「エルム」用予備車が種車だが、北海道のスハネフ14とは違って塗装は変えず、キハ183形から給電する。(通常運用も可能)
臨時急行「はまなす91・92号」(盛岡→八戸〜札幌間:青函間はED79牽引)に運用。
649 :
名無し野電車区:2006/11/16(木) 09:50:45 ID:Gheo5V89
オロフ15
14系座席車を「つばさ」に運用した際に改造した14系簡易グリーン車。
1976年に2両がオハフ15から改造されて南秋田運転所に配属された。
車号はハがロに変わっただけであった。
車体はオハフ15と全く同じで、車内の座席だけが485系グリーン車と同じもの
に交換されていた。したがって窓ピッチとシートピッチが不一致であった。
座席以外にも車内妻面の内装を木目調にするなど一部変更されている。
なお種車をオハフ15としたのは、グリーン車に専務車掌室を設置したいという
現場の意向によるものである。
オロフ15は季節運転の14系「つばさ」の他、団体列車にも運用されることが
しばしばあった。
1982年にオハフ15に復元され、車号も元車号に戻った。しかし一部木目調の
内装はそのままで、異彩を放っていた。
650 :
ミユナ:2006/11/16(木) 10:01:07 ID:d2oP/mCO
>>644 これだとお座敷列車用のと混同してしまうので・・・
オロ13
急行「八甲田」「津軽」「きたぐに」のロザ車スロ62系もさすがに
老朽化が著しくなり、新たに12系ベースでロザ車を新造する計画だったが
予算がかかる事からてっとり早い手段として余剰のサロ481・489を転用することした。
今の北斗星のスシ24がサシ481を転用したのと同じ手法である。
特急電車用グリーン車に改造ベースにしたのは丁度客車急行の廃止を
前提にした際に廃止時に復帰が容易に出来るためである。
そのため改造はスハフ12から給電する引き通しの改造程度に留めている。
きたぐに用の宮原車(1〜3)は489系改造のため冷房はAU12E6基(3のみAU13E5基)搭載。
津軽・八甲田用の尾久・青森車(4〜7)は485系200・300番代車で
冷房はAU13E5基と冷房が異なる。
きたぐに電車化で客車運転が廃止された際、電車復帰がされず、
全てサロ110-350(3は1350)に改造され、東海道線・横須賀線に転用された。
青森と尾久車は廃止後485系に復帰したがそれもつかの間。ひたち用の
クハ481-1100番代の改造種車にされ、E653系化の際に派動用以外は全滅。
残存車もJTの種車にされてしまい、消滅した。
651 :
エセレブ:2006/11/17(金) 19:39:26 ID:4zsfTBdR
>646・648の続き
JR東日本キロ182形(完全移籍)
キハ183・182のJR東日本移籍車と同時に貸し出され、新幹線建設中の秋田アクセス特急に活躍したキロ182-901・1・10は、秋田新幹線開業後に一旦JR北海道に返却されたが、既にキハ183系0番台は二線級の存在になっており、函館で遊休化してしまった。
しかしまたも東日本が目をつけ、1998年に-1・10が正式に譲渡され、南秋田所属になった。
土崎工場で整備とキハ同様のカラーリングに変更(準こまちカラー)され、主として多客臨に使用した。
なお、特徴的な厨房式車販準備室は存置され、イベント運転時にはホットメニューが提供された。
2002年に車両更新工事を施工。車体内外のリニューアルと機関・変速機を換装。
この時撤去が予想された車販準備室は厨房機器を一部更新の上温存された。
南秋田所のキハ183系の現状はスラントノーズ編成が6両3本(DX01〜03)と「坊主」編成が5両1本(DX04)で、キロ182の2両は適宜連結になっている。
このうち、DX01とキロ182-1は更新時に三度国鉄色になり、イベント運用でしばしば上京。セミリバイバル特急(「いなほ」「ひたち」等)にも使用されている他、2002年夏には「ディーゼル特急・はつかり号」として常磐線経由で上野〜青森間を運転した。
652 :
.:2006/11/17(金) 23:55:54 ID:S4TwZriz
E233(235?)系近郊タイプ:
(10000番台)
東北縦貫線(上野〜東京)に耐えられそうにない211系の置き換え。
高崎車両センター/新前橋電車区の検修設備の関係で、
籠原運輸区に検修設備を新設・熊谷車両センター(高クマ)に配置。
もしくは、大宮車両センター(宮オオ)に配置。
高崎の211は上越ローカルに転用又は、房総地区転属。
田町車両センター分は尾久車両センター(チタ閉鎖の関係)に配置(東オク)。
国府津E217も尾久新車で置き換え。(実質コツ→オク転属)。
211は耐寒耐雪工事をして房総地区へ。
(15000番台)
横須賀線E217の思わぬ老朽化で急遽製造。
耐寒耐雪省略・半自動準備。
E531系大宮配置編成:
常磐線E531の東海道線内新快速運用・東海道線普通運用が増加した為、
走行キロ調整と車両不足対策で投入。
653 :
エセレブ:2006/11/18(土) 13:05:36 ID:a8DD2tka
JR東日本 E661系
201X年、羽越線高速化により、特急「いなほ」に投入するため新製したエアサスチルト式特急形電車
「北越」系統への投入も考慮して3電気対応とした。
青森・秋田←クロハE661+モハE661+モハE660-100(車掌室・車販準備室・バリアフリー室)+モハE661+モハE660+クハE660→新潟
トイレ(大小)・洗面所は偶数号車にあり、オストメイト対応。
最高運転速度は130km/hだが、許容は180km/h。
定期「いなほ」は本形に統一されるため、列車名に「スーパー」はつかない。
654 :
エセレブ:2006/11/18(土) 15:47:54 ID:a8DD2tka
鉄道省 EF54形1〜3(史実改変)
1936年、EF55とほぼ同時に登場した流線形電機。
2年前、アメリカ・ペンシルベニア鉄道に登場し、後年アメリカ電機の女王と謳われることになる「GG1形」に倣ったセンターキャブ形。
性能はEF53と同じだが、暖房用重油ボイラを中央部に設置。冬季の牽引定数維持を図った。
1号機は日車+東洋電機、2号機は日立、3号機は三菱重工+三菱電機で製造。
東京機関区に配置され、早速超特急「燕」、特急「富士」「櫻」牽引についた。
同時デビューのEF55と比べると、運用面ではEF54に利がある反面、機器室への出入りが難しく、運転室の前に機器室があるため、前方視界は悪かった。
C55やEF55よりも洗練された流線形ボディで人気も高かったが、戦時中は暖房ボイラが使えず、1945年6月には大磯駅で2号機牽引の下り普通列車がアメリカ軍のP51戦闘機10機の機銃掃射に遭って乗客・乗務員158名が死傷。2号機も運転不能になった。
(この日の攻撃で父親と兄を失った乗客の一少女が戦後著した「ガ○スのうさぎ」は映画やTVドラマにもなる大ヒットを記録した)
戦後も1952年まで東海道線浜松以東で活躍。
1952年、高崎線電化により高崎第二機関区に転属。
1958年、宇都宮機関区に転属し、1968年9月限りで引退。
1号機が大宮工場で保存され、2007年開館の鉄道博物館で展示予定。
JR東日本 E235系
201X年 南武線、横浜線用の205系老朽化による置き換え&高速化のために導入
駅、踏切共に高速化改造され高速通過が可能になりそれに際した車両が必要になった
両線共駅間距離が短いため加減速時の省エネのためカーボン素材を使用し軽量化を図った
最高速度130km/hまで40秒で加速し各停で現行より7分の短縮を図ることに成功した
656 :
名無し野電車区:2006/11/19(日) 10:00:20 ID:hhs1wxxP
375系
JR東海が開発した新型特急形車両。
373系をベースに足回りを313系と同じものに変更(但し歯車比は5.65)し、性能を向上させた。
313系や373系と併結可能。
この車両の導入により特急「ふじかわ」「伊那路」から坂道に弱い373系が撤退した。
657 :
名無し野電車区:2006/11/19(日) 11:07:22 ID:hhs1wxxP
WAU75形クーラー
JR西日本でAU75のキセをFRP化したもの。
国鉄キハ22型1500番台
北海道のローカル線単行用に1983年ごろ改造されたキハ22型。
従来のエンジンに加え廃車発生品のエンジンをもう1機搭載し、馬力不足を解消し、台車もキハ80型の物に変更された。
また、内装も51系客車のものに変更され、ワンマン機器を搭載した車両も存在する。
この形式は全部で18両が存在し、意外と重宝されたのか1998年に日高本線から引退するまで現役であった。
スレ違いながら
>>657に便乗
C-DMF14HZB改
機関を全てオーバーホールしたもの。
同時にタービン形状の見直し、ピストンやブロックの強化、コンピュータのリセッティングを施した。
よって400Psを出すエンジンに生まれ変わった。
>>656 主にデッキ付近の乗客から不評だった両開きドア・ドア無しデッキは改善され
片開きドア・デッキにはタッチセンサー付きドアが設置された。
また夜行での運用を考慮し、減光装置も取り付けられた。
Mc - M - Tc
中間電動車は0.5M車となっており、全電動車にブレーキチョッパを装備している。
661 :
鉄道タイムズ:2006/11/19(日) 21:40:05 ID:WXwhKgua
>>64-65と
>>238に続く、JR西の103系置き換えシリーズ
◎JR西日本109系通勤型直流電車
・車種:クモハ109(Mc)、モハ109(M)、サハ109(T)、クハ109(Tc)
・生産国:韓国
・製造・輸入年:2000〜05
・仕様:四扉ステンレス製幅狭車体、先頭車貫通型、1M方式、GTO-VVVFインバータ、ボルスタレス台車、シングルアームパンタ、ロングシート
・運行路線:阪和、関西、大阪環状
○概説
JR西日本は老朽化した103系―1960年代設計の低性能電車―を大量に抱え、自社の競争力強化と経費削減の為には、
せめて大阪近郊区間だけでも一刻も早くこれらを廃車して相対的に優れた新しい電車へ置き換える事が緊急課題となった。
JR西の体力上、207系の大量投入によるこの課題達成は無理であった。
尤もJR東西線直通列車の設定が無い路線までにも207系を各停主用途の通勤型電車として投入する必要性はあまり無く、
走りがJR東の209並の性能で廉価なVVVFインバータ制御のステンレス製電車を求められていた。
設計上の十数年程度の廃車前提は求めて居無かったのでJR西版209/E231系は実現し無かった。
探した結果が、国産では無く、韓国産の購入となった。
決め手は、97年のアジア通貨危機以後のウォン安の御陰で以前から生産コストが低かった韓国製がかなり格安な事、
そして日本と同じ狭軌の台湾への電車輸出実績も。
2000年から阪和・関西線の103系取り替え用に韓国製の新しい電車を購入。
>>662へ続くだろう
662 :
鉄道タイムズ:2006/11/19(日) 21:40:44 ID:WXwhKgua
>>661の続き
形式称号は、109系。
1M方式のVVVFインバータ制御で各電動車にパンタグラフがあり、自由自在に編成を組める。
先述の各線では、McTMTcの四両、McTMTMTcの六両編成。
外見は台湾の韓国製電車EMU400/500(※)に類似。
一方で、東西線関連は国産207系投入を継続。
JR東209系並の安さの御陰で109系は阪和・関西線に、昼間に103系の走る姿無しまでに―大量投入されていたが、05年に止めた。
理由は、ウォン高進み、韓国製品の価格上昇で購入の利点が消失。
だが、03年の韓国大邱地下鉄放火事件によって車輌製造を含む韓国鉄道システム―と言うよりは韓国社会―での瑕疵が露呈され、
109系にも瑕疵が予見されるが故に、尼崎の大事故を契機に、そうなった、とも囁かれている。
台湾でも今後の電車新規購入では韓国製を止めて日本製に。
当年、全て固定窓だったのを一部開閉可能工事を実施。
同じ製造コスト低減を目指しながら、革新的な設計思想に基づくJR東の209/E231系と、内外価格差を活用したJR西の109系は、比較対象の定番。
○こぼれ話
JR西が韓国製電車の購入を決定した時や109系運行開始などの際、何故か朝日新聞や毎日新聞が全国版で109系に関する大きな記事や特集をよく掲載していた。
※参考
http://zh.wikipedia.org/wiki/Image:Emu500-single.jpg http://www.geocities.jp/morimoritpts42002/index.html
663 :
エセレブ:2006/11/19(日) 22:57:27 ID:qZP4nohv
ED74形(改変)
本形は北陸線用ながら、将来は東北・常磐線筋での運用も考慮したため、機器は50/60Hz共用になっていた。
このため、EF70の増備進行で中途半端になりつつあったED74は1966年に内郷機関区に転属。水戸〜平間の客貨運用につき、1967年の仙台電化後は仙台まで乗り入れた。
常磐線時代、優等列車は運用範囲が広いEF80・ED75が担当していたため、ED74は専ら普通列車と臨客の牽引に当たった。
しかし1978年頃からED75にも余剰が出始め、あおりで6両しかないED74は1980年に全機休車され、1983年に全廃された。
664 :
名無し野電車区:2006/11/20(月) 21:54:12 ID:WhdDu01g
JR酉日本キハ127系
広島と岡山に投入。
キハ121・126ベースだが、前面が束E217以上に強化され
さらにスカートは線路の落石もある程度なら粉砕できるという。
665 :
名無し野電車区:2006/11/20(月) 23:02:14 ID:LtH59di2
JR東海313系6000番台
117系の置き換え用に投入された車両で、313系2600番台をもとに6両編成にしたロングシート車である。
投入される線区は混雑の激しい中央線である。東海道線所属の117系は中央線の313系1000番台を転属させることで置き換える。
この313系6000番台投入によりJR東海117系は全車両廃車解体となる予定である。
JR東海キハ75形2000番台
太多線から中央線名古屋駅までの直通運転用に作られた気動車で、中央線内の混雑に対応するためロングシート車となる。
朝夕は名古屋−多治見−美濃太田を中心に運行され、昼間は多治見−美濃太田−岐阜で運行される。
このキハ75系2000番台の投入により、JR東海のキハ47は全車両廃車解体となる予定である。
>>665 廃車解体するなら酉か死酷にあげてやれ(w
JR東海313系2000番台
神領車両区の211系5000番台4連を置き換えるために登場。
4連20本が製造された。編成は名古屋方から
クハ312-2300(Tc'2) - モハ313-2000(M1) - サハ313-2000(T2) - クモハ313-2000(Mc1)
となっており、基本的に1100番台の座席がロングシートになったに過ぎない。
座席はドア間10人、車端部4人掛けのロングシート。
668 :
ミユナ:2006/11/21(火) 04:31:51 ID:lZeLpoBE
>>646 >>648 >>651を元に
JR東日本キハ183系 「リゾートしらかみ」「きらきらみちのく」
>>646 >>648 >>651の0番台移籍である程度の評価を得たことから、
キハ283系・261系投入に伴い、いわゆるN183系と言われる500番台にも
余剰が出たことから東日本に譲渡されたものである。
譲渡されたのは
キハ183-501・502・507・508・513・514・1505・1506
キハ182-501・502・513・514
キロ182-501・505・507・508と
0番台に属するキハ184-5・8・9を含めた5両編成3本と4両が1本。
グリーン車は当初ハイデッカーではなくキサロハ182型の譲渡
を申し出たが断られている。3本は秋田に配備され、土崎工場
にて展望用スペースなどを取り付けた上でリゾートしらかみに
改造された。なおキハ183系化に伴い快速から特急に格上げられた。
橅 キハ183-501-キハ182-501-キハ184-5-キロ182-501-キハ183-501
青池 キハ183-507-キハ182-502-キハ184-8-キロ182-505-キハ183-508
くまげら キハ183-513-キハ182-513-キハ184-9-キロ182-507-キハ183-514
なお青森まで延長されたことでかもしかの485系の置き換えなどの
皮肉な結果が生じた。
4両編成は八戸に配備され、きらきらみちのくとなりこれも快速から
特急に格上げられた。
きらきらみちのく キハ183-1505-キハ182-514-キロ182-508-キハ183-1506
なお後に機関更新とATS-P取付けおよびDPF取付けが行われている。
669 :
エセレブ:2006/11/21(火) 12:51:04 ID:M45FHmwX
ED77形100番台
1975年の奥羽線山形ー秋田間と翌年の北上線電化に備えて45両増備された。
磐越西線の基本形をベースに耐寒耐雪対策の強化と、羽越線への入線も考慮して塩害対策も施した。
またED75との重連総括制御も可能としている。
国鉄末期にED75の淘汰が始まると東北線にも進出。
また、1987-90年に青函トンネル専用機として500番台18両が改造されている。
670 :
エセレブ:2006/11/22(水) 12:55:57 ID:LQhC6nPI
EF17形(1-3)
元々はEF57形16-18として1943年末に完成する予定だったが、戦時体制下の貨物用機関車緊急増備方針により、ギア比をEF12形並に改めて1944年初に竣工した。
当初はEF14の続形式としてEF15形を名乗り、水上機関区に配置されて水上〜石打間で運用されたが、1947年、新型貨物電機に形式を譲り、EF57との関連から形式番号末尾を7にしたEF17形とした。
1952年、高崎第二機関区に転属して上越・両毛・吾妻線の近距離貨物や臨貨、工臨などの牽引にあたり、1981年にEF12とともに引退した。
671 :
エセレブ:2006/11/22(水) 16:57:27 ID:LQhC6nPI
JR東日本動態保存機関車 EF12 1(高崎車両センター)
EF57形と共に戦前形電機の最優秀作であるEF12形は1981年に現役を退いたが、1号機(スノープロゥ付)とラストナンバー17号機が解体保留のまま、それぞれ大宮工場と高崎第一機関区に留置された。
国鉄末期、EF55 1の復活計画が持ち上がった時、部品確保用としてEF12の2両が着目され、実車を検査したところ、1号機が予想以上に状態良好であることがわかった。
このため、EF55のランニングメイトとして復元されることが決まった。(17は両機の部品取りに供され1988年解体)
1号機の復元工事は大宮工場で1986年10月に着手。
EF15・58や17号機の部品を一部流用(主電動機はオーバーホールで全導線を巻き直し)して修復され、1987年6月に竣工、車籍復帰した。
以後は高崎運転所→高崎車両センターにあって上越線(原則水上以南)・両毛線・吾妻線中心でイベント運用についている。
単発では上越線越後湯沢、中央東線(八王子−小淵沢)、南武線・青梅線・五日市線・横浜線・八高線(高麗川以南)での運用実績もある。
スノープロゥは引き続き通年装備で、耐寒耐雪対策もかつての高崎ニ・長岡ニ所属のEF58並に施されている。
672 :
エセレブ:2006/11/23(木) 06:36:20 ID:zi/zkQti
>671続き
復籍後の本機の愛称は「イーエフ・ワンツー」。
673 :
名無し野電車区:2006/11/23(木) 10:07:47 ID:WbnDw/PZ
223系6000番台
広島と岡山の115系300番台置き換えに投入。
オールロングシートである。
674 :
名無し野電車区:2006/11/23(木) 10:35:45 ID:EwDaMRR7
183系JR四国仕様
JR東日本で余剰となった183系をJR四国が譲り受けたもの。
6両編成で、予讃線の特急「しおかぜ」「いしづち」に投入されたが、性能が劣るため現在は臨時列車用である。
一時期快速「マリンライナー」の代走に使われたこともある。
元々屋根高さが低いためパンタ交換なしで予讃線のトンネルに入線可能。
JR東海クハ312型2400・3300・3400番台
JR東海の静岡地区オールロングシート化政策第1弾が予想以上に不評だったため、
第2弾として予定されていた313系オールロングワンマン車の投入を中止することにした。
それに伴い、ローカル線区である御殿場線・身延線に運用される313系2600番台については、
既に静岡に配置されていた313系3000・3100番台編成とクハをトレードすることによって
各編成に1両ずつボックスシート車両を確保することとした。
・クハ312-2400・・・クハ312-2300にワンマン機器を搭載(クハ312-3000・3100からの発生品)したもの。
クモハ313-3000と編成を組んでワンマン運転ほか2両編成での運転に充当される。
・クハ312-3300・・・クハ312-3000からワンマン機器を撤去したもの。方向幕がLED化されるなどの
改造が施されている。クモハ313・モハ313-2600と編成を組んで御殿場線・身延線などのローカル線
運用のほか東海道線静岡地区でも運用される。
・クハ312-3400・・・クハ312-3100からワンマン機器を撤去したもの。元車両の仕様変更に伴う相違点
以外はクハ312-3300に準ずる。
676 :
エセレブ:2006/11/23(木) 20:08:51 ID:zi/zkQti
省形電機のゲルググ(ドムかな?)ことEF12シリーズ2(Gファーストの頃はEF12もエフトー(EF10)も生きとったんだ…)
西武鉄道E751形751-755
1970年代、セメント需要が拡大し、E851形や旧型輸入電機では足りなくなり、国鉄でだぶつき気味の旧型F級貨物電機数両を調達することにし、1975年、国鉄に打診した。
候補には新鶴見区・八王子区のEF10・EF12・EF13があがったが、性能と信頼性でEF12と決定した。
1976年に7-9、11・12が譲渡されて武蔵野線経由で搬入。所沢工場で整備と重連化工事を受けて元の番号順にE751-755と付番された。
他、部品確保用でEF578が宇都宮から搬入されていたが、1979年に解体された。
車体は輸入機と同色に塗り替えられ、E851形同様秋津−横瀬間で運用され、1985年に全廃された。
E751号機が横瀬で静態保存されている。
JR東海クハ210型5100番台
JR東海の静岡地区113・115系更新による211系5000番台大量投入により
トイレ無し編成が大幅に増えたが、長距離運用に入ることも多く
各方面から苦情が予想以上に多いうえに、
国からトイレ設置編成を増やすよう行政指導があったため、
211系5000番台SS編成(11編成)のクハ210をトイレ設置改造することとした。
トイレは313系2600番台と同じ身障者対応仕様となり、
トイレ向かい側ロングシートは車椅子スペースを確保するために撤去された。
設置改造に伴い車番がプラス100となった。
678 :
名無し野電車区:2006/11/24(金) 00:11:29 ID:Okw7I9NM
211系0番台伊東線仕様
国鉄が伊東線に投入した211系0番台。
グリーン車組み込みの7連と4連がある。
伊豆急行にも乗り入れていた。
しかしJR化後に中間車を新製して10+5連に組み替えられて東海道線に転用されてしまい、短命に終わった。
0番台と2000番台のごちゃまぜ編成は伊東線仕様の名残である。
679 :
ミユナ:2006/11/24(金) 16:07:49 ID:SARA4M05
>>676 これならどうかと
西武鉄道E881型
セメント需要の増加は輸入旧式機関車にも影響を生じ、期待されたE851型も4両のみの
量産だったため、旧式機の老朽化も著しくなった。
そこで西武鉄道はE851型と同等の機関車を国鉄からリースで導入する事になり、
選ばれたのがほぼ同等の車体・出力を持つEF65型であった。
昭和57年に一般型のEF65-7・9・56号機がE881〜883として、
500番台の535・539・541号機がE884〜886としてそれぞれ国鉄から借り入れられた。
E851型と同じ塗装にはしているが、改造に際しては返却時の復帰を考慮して
西武用保安装置取り付けのみの必要最小限に止めている。
1988年に一般型改造のE881〜883型はJR貨物に返却されたが、
56号機を除き原車号に復帰される事なく廃車になった。
500番台車改造のE884〜886は人気が高く、セメント貨物運転廃止時まて生き残り、
E851型と同時に西武から引退。さよなら運転では885と886型2両を
特急色に復元し、運転で使用する客車にもこだわるなど12系を使用した
E851型とは大違いな超VIP待遇で行った。
新宿線で引退運転の885型には14系14形を使用し、「さくら」のヘッドマーク。池袋線での886型は24系25形を使用し、「はやぶさ」のヘッドマークで
それぞれ新宿(池袋)〜横瀬間を牽引。
また西武色で残った884型は旧型客車を使用して国分寺線経由による
引退運転で最後の華を飾り 、東日本に返却される886型を除き、JR貨物に返却された。
返却後は原車号に復帰し、東日本返却車を除き、更新が行われている。
680 :
エセレブ:2006/11/24(金) 18:54:36 ID:2pjrhHXR
>>679 E851の減速比・牽引性能曲線はEF60量産車(15-)と同等で、しかも余りかかっていたから、EF6015〜なら国鉄も貸してくれるのでは?
EF15ならタダ同然…。
681 :
名無し野電車区:2006/11/24(金) 23:22:42 ID:mtvNuNs3
211系5000番台東京乗り入れ仕様
JR東海が製造した211系5000番台の東京乗り入れ仕様。
グリーン車を連結している。
編成はMcM'TTTTsTsMM'Tc+McM'TTTcであり、東京方にクモハを連結しているのが特徴。
静岡運転所に配置。
682 :
名無し野電車区:2006/11/25(土) 15:44:14 ID:tGPU9KDP
E127系900番台
JR東日本が試作した「ガスヒーポン電車」。
ガスヒートポンプエアコン(ガスエンジンで冷媒コンプレッサを動かすエアコン)を搭載することにより、消費電力の低減と暖房能力の強化を実現した。
燃料は圧縮天然ガスを使用。
西武9000系50番台
9000系10連のVVVF化が一段落したところで、起動回数の多い新宿線各停の省エネ車比率を上げるため、
新2000系8両固定のうち平成4年度製造の2055F、2087〜97Fの7本を9000系と同じ電装品でVVVF改造。
種車には池袋線所属車もあるが改造と同時に新宿線に転属。
改造により車体も走行機器も9000系とほぼ同一になったことから
改造車は9000系に編入。車番は50番台となり2087〜97F→9151F〜9156F、2055F→9157Fとなっている。
VVVF化後の走行機器は9000系10連と同じだが、種車が2000系のためブレーキは種車のものにT車遅れ込め制御を追加したものとなっている。
MT比率は2000系時代と変わらず6M2T。
改造と同時に電連を撤去し、8連専用となった。
また、VVVF化と同時にリニューアルも実施。車体の腐食部分の修繕、内装更新、スタンションポール設置、Tc車への車椅子スペース設置、
案内表示機設置、非常通報装置交換、自動放送設置、TIMS設置、CP交換(スクリュー式)、前面・側面の表示機のフルカラーLED化など改造は多岐にわたり、
新車同様の内容に生まれ変わっている。
この7編成の改造と新車投入により、新宿線のVVVF車率が向上した。
余談だが、2097Fのモハ2197の三菱VVVFは改造と同時に他車と同じものに交換された。
311系1000番台
平成3〜4年に静岡地区の113系初期車置き換え用として4連10本投入。
113系4連の置き換えで長距離運用にも運用する為、211系6000番台の反省も踏まえて
トイレ付きクロス車を投入することとなり、211系5000番台4連ではなく当車が投入された。
車内はドア間は0番台と同じ転換クロスシートだが車端部はロングシートとなり、配色は211系5000番台に合わせられた。
また、0番台で設置されているカード式公衆電話と案内表示機は省略されている。
車体と走行機器は0番台と変わらないが、静岡ローカル用のため車体帯は湘南色で、
ヨーダンパとブレーキ増圧は準備工事のみとなっている。この関係で最高速度は110km/h。
編成は←熱海クモハ311-1000(Mc)+モハ310-1000(M')+サハ311-1000(T)+クハ310-0(Tc')米原→
クハのみトイレ横の座席の関係で0番台の追番となるが、仕様は編成中の他の3両に合わせられているため、
クハ310は同一番台で2タイプが生じている。
主に東海道線熱海〜豊橋間で運用され、ラッシュ時には211系との併結も行なわれている。
>>684 Tc'も車内仕様変えてるのなら番台変えた方が良い希ガス
E521系
E721系をベースにした交直流一般型電車。
日光線107系、水戸線403・415系、東北本線417・455系(黒磯口の運用のみ)の置き換え用として小山車両センターに投入。
編成は2連と3連の2タイプ。
2連
←小山クモハE521-0+クハE520-0日光・郡山・勝田→
3連
クモハE521-0+モハE521-0+クハE520-0
車体・室内の仕様はE721系0番台に準じる。
車体帯はJR東日本のコーポレートカラーのグリーンと水戸線のラインカラーのブルーの組み合わせ。
運用範囲は広く、日光線・水戸線全線、常磐線友部〜勝田と東北本線小山〜郡山のほか、間合い使用で両毛線と磐越西線電化区間でも運用される。
>>686を修正
E521系
E721系をベースにした交直流一般型電車。
日光線107系、水戸線403・415系、東北本線417・455系(黒磯口の運用のみ)の置き換え、
そして東北本線宇都宮〜黒磯間の日中の輸送力適正化を目的として小山車両センターに投入。
編成は2連と3連の2タイプ。2連はワンマン対応設備の関係で100番台で区分。
2連
←日光・郡山・勝田クモハE521-100+クハE520-100小山→
3連
クモハE521-0+モハE521-0+クハE520-0
車体・室内の仕様はE721系0番台に準じる。
車体帯はJR東日本のコーポレートカラーのグリーンと水戸線のラインカラーのブルーの組み合わせ。
運用範囲は広く、日光線・水戸線全線、東北本線小山〜郡山のほか、間合い使用で両毛線と磐越西線郡山〜会津若松
でも運用される。
東北本線黒磯〜郡山と日光線ではワンマン運転を実施。
688 :
名無し野電車区:2006/11/26(日) 23:16:01 ID:A5uBu6Id
>>669 >北上線電化
昔から東北・奥羽・羽越の各線の迂回路として使われる事が多いから、
国鉄時代に電化されてもおかしくはなかったよね。
でも、雪がアフォほど多そうだから、冬の保守が大変だろうな……
690 :
名無し野電車区:2006/11/26(日) 23:52:52 ID:LAXdzves
サロ165-500番台・サロ110-402〜
国鉄が製造したサロ165のアルミ車体バージョン。
サロ165は下降窓のために雨水侵入による腐食が発生しやすいという欠点があるが、アルミ車体を採用することにより腐食防止を図った。
塗装されているため見た目はサロ165-0番台と変わらない。
製造費が高くついたために8両しか製造されず、そのうち2両はサロ110-400番台(402〜)に改造されたものの、全車がJR東日本とJR東海に承継された。
サロ165-500番台は急行東海廃止時に廃車されたが、サロ110-400番台は平成18年まで生き残った。
691 :
名無し野電車区:2006/11/27(月) 20:38:24 ID:sI4Mv4qT
>669・688・689
釜石線も電化計画あったし、田沢湖線ももっと早く電化されてりゃED77の増備も見込めた。
サイリスタ制御はまさに豪雪地域向けで、ED75の後継機になれたかも知れん。昔、臨時「ざおう・ばんだい」に乗っててそう思た。
692 :
名無し野電車区:2006/11/27(月) 21:27:34 ID:1wfvpSqg
東急7700系増備車(7916F〜、史実の東横線〜日比谷線直通電車の間引き運転が行われなかったことを想定して)
7915Fに続き、余剰になったT車を有効活用すべく電装・先頭車化の改造を行った車両。
編成はTc7900+M'7800+Mc7700の3連だが、当初から3連での運行を前提とするため2M方式
(通常の7700系は1M方式)としている。前頭部は7915Fが9000系に準じたものに対し、
7916F以降は3000系に準じたもので、排障器は当初から装備している。
制御装置は東洋製IGBT-VVVF(速度センサレスベクトル制御)で、京成新3000形や
JR東日本205系5000番台で採用したものに近いのだが、主電動機は部品共通化のため
従来通りTKM86(170kW)とした。
内装についても3000系に準じたものに改良され、LED式客室情報装置やドアチャイム、
座席中間への握り棒の設置並びに一部の吊り革を低くした。
別名『スーパー7700系』
N700系7000番台
「ひかりレールスター」用にJR西日本が投入したN700系の派生型。
現在の700系7000番台と同じく8両編成だが、将来的な九州新幹線への
乗り入れのためオールMとなった。また、純電気ブレーキに対応している。
最高速度300km/h(九州新幹線内は最高速度260km/h)、起動加速度2.6km/h/sの
性能は基本型に揃えられた他、車体傾斜装置も装備している。
繁忙期の「ひかりレールスター」を8+8の16両で運転するため、
また、将来的な九州乗り入れ時は新大阪〜博多間で「つばめ」と併結して走行するため、
両先頭車に分割・併合装置を持つ。
700系7000番台と同じく普通車モノクラスで、8号車(増結時16号車)には4人用個室が
4室設けられている。また、引き続き4号車(同12号車)はサイレンスカーに設定されているが、
座席背面のチケットホルダーは省略された。
座席配置は引き続き指定席が2列×2列のサルーンシート、自由席が3列×2列。
3号車と7号車のデッキには性能を向上させた「旅指南」を設置している。
>>693のつづき
N700系8000番台
「つばめ」の山陽新幹線乗り入れのため製造されたN700系。
頭部デザインが東海・西日本の編成とは異なっており、800系に近いものとなっている。
システムは7000番台と同型であり、分割・併合に対応するため、
新大阪寄り先頭車(8号車)に分割・併合装置を持つ。
車内も同じく普通車モノクラスであり、8号車の4人用個室や4号車のサイレンスカーも
同一であるが、デザイナーサイドからの要望により、7号車に
787系に設置され人気のあったビュッフェ(下り寄り・半室)が設けられている。
なお、ビュッフェは車内販売の準備室をかねている。
山陽新幹線内の停車駅は現行の「ひかりレールスター」と同じ。
繁忙期は博多〜新大阪間で臨時「ひかりレールスター」と併結走行を行う
博多駅で分割後は、「つばめ」は速達列車として鹿児島中央へ、
「(臨時)ひかりレールスター」は準速達列車として熊本へ向かう。
また、開業当初からの800系は、6両編成のまま九州内の「ありあけ」
(小倉・博多〜鹿児島中央)の運用に入ることとなった。
さらにつづき
700系7000番台改造車
上記N700系7000番台の投入によって余剰となった
700系7000番台を山陽区間の「こだま」用に短編成化した車輌。
現在の8両編成から4,5号車(M2,M2w)を抜いた上で、同車に搭載されていた
主変換装置2機を2,7号車(M1,M1H)に移し配線を変更、また、主変圧器を交換した。
座席については、抜いた2両から取り外したサルーンシートを2,3号車に移し、
1号車と旧8号車の個室を撤去した部分については
N700系7000番台と同型のサルーンシートを設置した。
あわせて「旅指南」も撤去された。
696 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 19:40:25 ID:p6ffFiHj
阪神10000系
阪神電鉄が導入した阪急・阪神規格統一車。
何と阪急9000系がベースになっている(色はジャイアンツカラー)。
6両編成と増結用2両編成がある。
697 :
エセレブ:2006/11/29(水) 20:21:30 ID:dpgzmTFj
ED77形100番台(焼き直し)・200番台
1971年の奥羽北線(秋田以北)電化用として計画された。
ED75形の増備も検討されたが、ヨンサントウ以降、冬季、盛岡以北での運用で雪による故障が少なからず発生していた。
一方でサイリスタ制御のED76500・ED77・ED78等の冬季の成績が良好だったため、将来、北上線や田沢湖線等支線区の電化を見越してED77形を増備することとした。
磐越西線の901・1〜15をベースに耐寒耐雪対策の強化とED75との総括運転装置を付加。また1972年予定の羽越線電化の際に入線も考慮して塩害対策も施した。
製造初年は1971年。
羽越線や奥羽線山形−秋田間電化、さらには北上線電化に対応して1978年までに95両(101-195)を製造し、秋田・青森運転所に配属された。
運用範囲は奥羽線米沢以北、羽越線酒田以北、北上線、田沢湖線、東北線長町−北上間と八戸以北。
優等列車では寝台特急「日本海」「あけぼの」、臨時特急「つばさ51・52号」、急行「きたぐに」「津軽」「おが」を牽引した。
1985年以降、ED75形若番車の廃車が始まると東北線八戸以南にも入り始めている。
青函トンネル開通に伴い、1987-90年に150-185が回生ブレーキやATC等を搭載して200番台201〜236に改造し、JR北海道函館所とJR貨物五稜郭区に配属された。
2006年現在、100番台がJR東日本南秋田所・仙台区、JR貨物長町区に37両。
仙台・長町所属機は黒磯駅での機関車交換のため直流区間冒進防止装置を持つ。
200番台がJR北海道函館所、JR貨物五稜郭区に29両(何れも保留車含む)
JR東海キハ40系R0番台
キハ40系の体質改善車
窓をキハ11系と同様の降下形にし、座席もバケットシートとした。
室内はライトブルーをベースに、パステルカラーを使用。客からもまずまず好評である。
Rはリニューアルの頭文字からとった
313系5300番台
313系5000番台の2両バージョン。
5000番台同様、扉横や車端部も含めたすべての座席を転換可能で、
セミアクティブダンパや車体間ダンパを装備する。
313系5500番台
313系5300番台の寒冷地及びワンマン運転仕様車。
飯田線119系置換え用として投入されるが、
300、5300番台と予備車が共通となるため東海道線名古屋口運用に入ることもある。
押しボタン式の半自動ドア(ワンマン運転対応)を装備、
霜取り対策としてパンタグラフを2基搭載。
先頭車にはスノウブラウが備えられている。
JR東海クモロ212・サロ213・クロ213「東海道の旅人」
東海が久々に造ったジョイフルトレイン。
フルクロスシートのそれは300系G車のものを使用、椅子にダンパー状のエアサスを使用することで座り心地をよくした。椅子を窓側に固定することが可能である
防音対策を施し、デッキを追加した車内はモノトーンの落ち着いた色合いとなっていて、手元にはスタンドライトがひょっこり立っている。
よって同じように窓側に椅子を固定できるリゾート21とはまた違う雰囲気を漂わせている
例えて言うならリゾート21がお洒落で賑やかなカフェならこれは静かな夜のバーといったところか
シートピッチはかなり広めで、リクライニングは45゚まで倒すことができる。
足回りはヨーダンパにオイルダンパー、車間ダンパーも追加している。また制御方式はVVVFだが、何故か日立製IGBT制御である。補助電源をSIVに変更している。
エクステリアは正面ライトが四角形となりHIDを搭載、中央には強化ガラスで覆ったフルカラーモニターによって東海道の旅人のロゴを表示している。
中高年をターゲットとした造り込みで、お洒落な電車として有名になった。
>>700 インバーター制御ならわざわざ211系にしなくても・・・。
>>701 それは205系5000番台の存在意義が(ry
>>700 (゚Д゜)…
( ゚Д゜)
やっぱベース車は313系だな
704 :
エセレブ:2006/11/30(木) 21:16:46 ID:z+Ax+rTP
EF19形貨物用電機
1954年デビューの超大型高速貨物機・EH10形は期待どおりの性能を発揮したが、2連結車体は用途が限られ保守性が悪いため、汎用性を高めた1車体形に戻して設計された。
EF15形をベースに、主電動機は新型のMT44形(400KW)とした。
主抵抗器の容量増大のため車体は台枠いっぱいに延長され、EF58形同様の正面2枚窓・側面出入口になったが、EH10同様のスカートが付き、貨物機らしく傾斜がないボクシースタイルになった。
総出力は2370KWで最高運転速度はEH10並の80km時になった。
1955年7月に日立製の1号機と東芝製の2号機が竣工し新鶴見機関区に配置して試験やEF15、EH10との比較がなされた。
結果、牽引力でEF15を上回り、EH10と比べても牽引力は互角に近く、取り扱いではEF19に軍配が上がった。
1956年度より量産が始まり、同年11月初めまでに新鶴見、稲沢第二、吹田第二機関区に配置。
さらに高崎第二・長岡第二・宇都宮機関区にも配属され、1959年3月までに計96両が製造された。
運用区間は東海道〜山陽線広島、東北線黒磯、高崎〜信越線上沼垂に及んだ。
なお、高二・長二機はつらら切り、スカートにスノープロウを取り付けている。
EF60形以降の新型機と比較してもさほど劣らず、長く互して使われたが、貨物輸送の斜陽化で1980年から廃車が始まり、1985年度で形式消滅した。
保存機は1号機が碓氷鉄道文化むら、34号機がJR貨物広島機関区内。
705 :
名無し野電車区:2006/11/30(木) 21:34:12 ID:3ZZLQB8l
JR東海315系
JR東海がアーバンネットワーク直通の新快速用に導入した車両。
外見・内装は313系と同様だが、
内部システムはJR北海道の721系5100番台の直流化したものとほぼ同等のもの。
基本は3両編成で最大12両編成まで組める。
これにより、アーバンネットワークダイヤにも余裕で走り、315系の新快速は一度も遅れたことがない。
よし、形式はクモロ312、サロ313、クロ313か。
つか、素直に373形ベースで良いのでは?
↓ここから仮想史↓
2030年日本に通称「国防法」成立。
このため日本全国津々浦々にある線路を軌間の同じ物だけ出来る限り繋げよとの命令が出た。
これによって今まで分断されていた東海道・山陽新幹線と上越・北陸・東北新幹線の直通が可能となった。
そして東京都交通局と京王は政府から圧力をかけられ京王線・新宿線を標準軌に改軌の上本八幡で京成八幡と接続。
そして京王井の頭線と小田急小田原線に過去存在した代田連絡線を復活させた。
以下省略(書ける人よろ。)
>>706 373系の存在を忘れてた
ごめんよ373系MLながらで世話になったのにな
国防法続き
これにより各社乗入れが活発化し、私鉄では近鉄にラピートが乗入れ、八王子からスカイライナーが発車したりと面白い光景が当たり前になってしまった。
JRは大きな変化はなく、今までどうりに運行している。
>>706-707 >「国防法」
ちなみに、高速道路は「大日本高速度自動車道路営団」を発足させ、
全国の高速道路ならびに首都高速・阪神高速などの都市高速道路、
それに瀬戸大橋、東京湾アクアラインなどを
一元管理する運びとなった。
(NEXCO各社や首都高速会社をはじめとする各道路会社は解散)
709 :
名無し野電車区:2006/12/01(金) 18:49:41 ID:vkN6G8Zz
「国防法」続く
統合の動きは運輸業界にも及び、(陸運・海運は省略)
航空業界は日航グループと全日空グループを統合して新日本航空グループが発足した。
しかしシステムを日航式にし、経営陣の多くも旧日航出身者だったため、旧全日空出身者との溝は深まった。
社内対立は運航にも悪影響を及ぼし、2035年8月12日、三陸沖で満席の日航機同士が空中衝突し、双方の乗員・乗客1007名が死亡する史上最悪の航空事故を起こすに至った。
流れを無視して投下
7500形近郊型直流電車
老朽化が進んだ113系・121系の置き換え用としてJR四国が投入した
近郊型電車。車体は自社の1500型気動車、走行装置はJR西日本の125系を
ベースとし、単行運転のため両運転台構造とした。
IGBT素子を使用したVVVFインバータにより、2機の主電動機(定格出力220kW)
を制御する。このため1両でのMT比は0.5:0.5となる。
また、故障時に冗長性を持たせるため1C1M制御とした。
同様に、補助電源用SIV、コンプレッサー等の主要な補助機器は待機2重系とし、
どちらか一方が故障しても運転に支障がないよう設計されている。
車体、および車内設備は1500型気動車に準じており、
片開き3ドア・転換クロスシート(2列+2列)とし、一部のデッキ脇に補助腰掛を設けた。
搭載機器の小型化により、車両の床面高さを1100mmとしたため、
乗降口のステップは省略した。
ワンマン運転に対応しており、必要機器を備えている。
また、バリアフリー対策として高松側の車端部に
車椅子での使用に対応する洋式サニタリー設備、及び車椅子スペースを設けた。
運行に柔軟性を持たせるため、従来の6000系、7000系との併結運転を
可能としている。その際のMT比は、それぞれ1.5:2.5(6000系3連)、
1.5:1.5(7000系2連)、0.5:1.5(7100型)となる。
また、瀬戸大橋線への入線も可能。
キハ393型試験用電気式ガスタービン動車
北海道新幹線の新函館開業に伴い、JR北海道は函館〜新函館〜札幌を結ぶ
新型特急車輌を投入することとなったが、原油の高騰が続いていることや、
近い将来の原油枯渇を考慮した結果、ディーゼルエンジンの使用は見送られた。
燃料電池の使用や函館本線の電化も検討されたが、最終的に水素を燃料とする
ガスタービンエンジンで発電し、誘導電動機をVVVFインバータで制御する方式に決定した。
その技術を確立するため製作されたのがこのキハ393系である。
函館方(1号車)から、
キハ393−1(Gc)+モハ392−1(M)+キロ392−1(Gs)+モハ393−1(Mc)の
4両編成を組む。構成はM−Tの2両ユニットとし、
M車に制御装置と補助電源装置、空気圧縮機、T車にガスタービンエンジンと発電機、
燃料(水素)タンク、余剰電力を蓄えるリチウムイオン電池を搭載した。
ガスタービンエンジンは定格出力1400ps(約1030kw/16000rpm)の物を
各T車に1機ずつ搭載している。
これにより、定格出力240kwの誘導電動機4基を駆動する。
なお、比較・検討のため、モハ393−1は直接駆動方式電動機(DDM)、
モハ392−1は789系のものを改良した通常の誘導電動機を搭載した。
このため、両車で台車及び電動機の形式が異なる。
走行性能は789系を上回っており、最高速度140km/h(160km/h走行に対応)、
定格速度80km/h、起動加速度2.6km/h/sの高性能を誇る。
また、ハイブリッド車体傾斜装置を装備し、最大8度まで車体を傾斜させることにより、
これまで以上の速度で曲線部を通過することが可能。
傾斜装置の制御装置は両先頭車に搭載されている。
ガスタービンエンジン、及びその燃料として水素を使用するため、
特に厳重な騒音、火災対策が施されている。
712 :
名無し野電車区:2006/12/02(土) 01:19:28 ID:T4gbOxuV
かわいい♪かわいい♪茉莉ちゃんかわいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪
713 :
エセレブ:2006/12/02(土) 07:10:27 ID:KGSGySoV
EF61形客貨両用電機
(史実とは異なる)
山陽線広島・下関や信越線新潟電化に対応して1962〜64年に27両製造された。
当初はEF60初期形ベースで計画されたが、駆動方式の問題が解決できず、北陸線用の交流機関車EF70形との共通設計に変更。電気暖房付きのため新潟方面に投入されることになった。
全機高崎第二・長岡第二機関区に配置。上野・隅田川ー新潟間で旅客と貨物両方に運用。後に信越線直江津までも運用された。(EF58は東海道・山陽線に転用)
旅客列車では水上ー石打間の補機は不要であるが、1975年の碓氷峠での機関車転落事故後は安全策をとって全列車補機付きになった。
EF641000形の増備と東海道・山陽線荷物列車用EF58形の老朽化により1981〜82年に全機下関機関区に転属。1987年に全廃された。
保存は高崎市役所第二庁舎前の1号機、本庄市役所前の24号機。
外観では16号機までがヘッドライト1灯、17号機以降がシールドビーム2灯。
714 :
エセレブ:2006/12/02(土) 11:45:19 ID:DRD6IfqA
中華民国台湾省鉄路局CT270形285-291号(予定)→国鉄C57形211-217号(台湾納入キャンセル車)
1950年、アメリカ政府は中台湾鉄路局向けとして台湾向けC57ことCT270形15両を日立製作所に発注した。
しかし朝鮮戦争が勃発したため納入が遅れ、しかも7両が納入をキャンセルされてしまった。
マイネ40形製造時と同様のドタバタに、日立製作所は日米両政府へ強硬に抗議。
その結果、日本国鉄への納入が決定し、C57仕様に変更して1953年に竣工した。
発注仕様が戦前形ベースのため、番号は独立させて211号以降にしている。
台湾仕様は2次形(139-169)+プレート形先従輪・テンダ車輪だったが、エア冷却パイプをランボード下に収める等、3次形(170-189)仕様になった。
新製配属は211-214が鳥栖、215-217は青森。
その後は同形機同様の生涯を送り、北海道や山陰等でも働いた。
九州では212号機が鹿児島機関区で1975年3月まで稼動し、北海道では216号機が岩見沢第一機関区で1975年11月まで稼動した。
212号機が都城市で保存されている。
本グループではボイラ載せ換え工事は行われていない。
715 :
名無し野電車区:2006/12/02(土) 12:57:18 ID:Kt2fqwA8
103系930番台
国鉄が開発した「焼き入れ電車」。
車体の製造工程で「焼き入れ」を施すことにより剛性をアップ。
しかし車体が割れやすいという欠点が発覚し、わずか1年で廃車された。
716 :
名無し野電車区:2006/12/02(土) 13:52:24 ID:Kt2fqwA8
117系JR四国仕様
JR東海で余剰になった117系をJR四国が譲り受けたもの。
4両編成で、111系と同一のJR四国標準色に変更された。
予讃線の低断面トンネル対策でパンタグラフがS-PS58に換装されているが、滅多に乗り入れない。
快速「サンポート」の運用がメインであるが、以前は快速「マリンライナー」の運用に就いたことがある。
717 :
名無し野電車区:2006/12/02(土) 14:47:37 ID:Kt2fqwA8
京王10000系
京王電鉄が開発した特急用の新型車両。
片側2ドアで、車内は転換クロスシートで、特急料金を徴収する。
車体はステンレスであるが、何と「グリーン車」も連結しており、この車両のみ車体が緑色で塗りつぶされている。
グリーン車は座席が2+1配列のリクライニングシートで、しかもJRと同じグリーン車マークもあり、もちろんグリーン料金を徴収する。
718 :
鉄道タイムズ:2006/12/03(日) 16:43:35 ID:OB+iH8Z/
◎国鉄・JR四国83系特急形気動車
・車種:キハ83/84(Mc/M'c)
・特記仕様:キハ66系をベース、キハ83のみにトイレと洗面所、83と84で一ユニット
・製造年:1975
○概説
1975年秋、改正鉄道敷設法に従って淡路島経由で神戸と鳴門を結ぶ国鉄―明石航路(舞子〜長浜)、淡路線(長浜〜岩屋〜洲本〜福良〜伊昆)、
鳴門航路(伊昆〜福池)、鳴門線延伸(福池〜鳴門)―本四淡路ルートが開業。
淡路線は74年開業の湖西線と同規格で単線・非電化。鉄道連絡航路の新設に伴う港湾の整備も実施。
淡路線両端の航路では、宇高や青函と違い、貨物列車のみならず旅客列車の航送を実施。各航路が数kmと短く、利便性や需給の観点から連絡船は
自走可能なはしけの様なもので充分で甲板に線路が敷かれた開放型なので事故の際の旅客車輌からの脱出が容易であったが故に。
この経路による新大阪と徳島を直結する特急列車用にキハ83系が新造された。
分割併合の想定や航送の際に編成を分割するので二両で組成可能なものを求められ、開発・製造の期間とコストの制約により、キハ66系を
特急仕様に小改良しただけなので、三桁形式を付与され無かった。
先頭はキハ181類似の貫通型だが機械室は無く、海難事故に備えて乗降用の扉二つと中央に非常口、全窓一段下降。
開業してしばらくは、特急は、ゆったりした列車航送が二つあっても、他の交通機関に比べて優位に立てたのだが、高速道路の整備進捗や、
現場での左翼系労働運動によるサービス劣化のせいで客離れが進んだ。鉄道愛好者にとっては大人気の列車・路線の一つであったが。
87年の国鉄分割民営化の際、JR四国に承継、本四淡路ルートも地方交通線として。
鉄道に比べて運休率が高い航路が二つもあるせいで当経路の本四直通特急は新大阪〜徳島の一系統しか設定され無かった。
開放型連絡船での航送が原因の塩害による酷い老朽化により93年に廃車され、対高速道路の競争力があるものに委ねた。
鳴門・明石各航路も、順に大鳴門橋や明石海峡トンネルに切り換えられ、列車に乗ったまま船で運ばれる―これこそ鉄道連絡船だと言える情景が消えた。
なお、86-7年、北海道でキハ82改造車に重複形式が発生した。
719 :
鉄道タイムズ:2006/12/03(日) 17:39:48 ID:OB+iH8Z/
>>719 >開放型連絡船
元々連絡船の車両甲板は露天積みだったんだよ。
青函連絡船の「第一青函丸」「第二青函丸」で、時化の時にあまりの波浪で貨車が破壊され、また大雪の時に
貨車の下回りが雪に埋まって固定具が外せなくなる事象が発生したために甲板は密閉式になった。
それでも洞爺丸事故までは貨車積み込み口にフタがなかったが。
洞爺丸形までは車両甲板下に三等船室があったんだよ。
宇高連絡船は最後の貨車専用船だった「第三宇高丸」まで開放タイプだったが、その後は車両甲板上に客室が
ついたため結果的に露天積みでなくなったが、車両甲板は密閉されて無く積んである貨車が見えた。
関門航路は言うまでもなく、全貨車専用船が露天積み。しかも喫水線のすぐ上が車両甲板。
つまり宇高連絡船で貨車の塩害被害は無かったので、このストーリーには無理があるかと。
721 :
名無し野電車区:2006/12/03(日) 21:40:59 ID:/G0Y6XCW
103系相模線仕様
JR東日本が相模線に導入した103系。
205系500番台の投入が間に合わず、暫定的に投入したため半自動化改造は行なわれず、ラッシュ時のみの限定運用だった。
4両編成で、車体の色はキハ30と同じクリーム色と青のツートンカラーを踏襲したため広島の103系にそっくり。
しかし205系の増備により撤退した。
JR東海300系改造車
東京口の東海道新幹線通勤通学需要に答えるため、
N700系本格投入以降も当分残る予定であるJ19編成以降の
8・10号車グリーン車を普通車に改造した。
シートはJ2〜18編成の廃車発生品を再利用した。
これによりJR東海ツアーズの「ぷらっとこだまグリーン車プラン」は
廃止となった。
723 :
名無し野電車区:2006/12/04(月) 02:21:11 ID:DE2/dicB
クモニ113・モニ112 JR倒壊静岡死者
18キッパーを着席させないために、座席を撤去して床をカーペット張りにしたもの。
DQNが酒盛りしてゲロを吐きまくり、文字通り汚物車輌となったため、僅か三ヶ月で廃車となった。
因みに形式名の「ニ」は普通車以下の意味と荷物の意味を掛けてあるらしい。
火災(談)
724 :
名無し野電車区:2006/12/04(月) 18:42:38 ID:LGMAYMy3
クモハ211-2000番台
211系2000番台の制御電動車。
>>722 ごく一部の編成は試験的に全車オールロングシートに改造されたものもあるが、
効果のほどは如何に・・・
726 :
名無し野電車区:2006/12/04(月) 21:09:08 ID:LGMAYMy3
クモハ103・モハ103-6000番台
JR東海でパンタグラフをC-PS24に交換した103系。
番号は+6000で、車番に◆マークが付いた。
中央本線の臨時列車運用が可能になった。
727 :
名無し野電車区:2006/12/04(月) 21:23:28 ID:LGMAYMy3
阪急5100系5600形
阪急電鉄が製造した5100系の中間電動車。
奇数車と偶数車でユニットを組む。
組成の仕方は5100形奇数車+5600形偶数車もしくは5600形奇数車+5100形偶数車。
6両編成を組むために製造された。
宝塚線6M2T編成(McM'TTMM'cMcM'c)と今津北線用編成に組み込まれる。
現在は一部電装解除された車両もある。
>>722に補足
改造車内のシートはJ2〜18編成の廃車発生品を再利用したが、
立ち客スペースを確保するために2&2シートとなった。
また、デッキと客室との扉を撤去したうえに開口部を広くし、
通路真ん中にスタンションポール10箇所及びつり革が新たに設置された。
試行的に8・10号車をオールロングシート改造した編成もあったが、
思うような効果は得られず1編成のみの改造に終わった。
313系2700番台
313系2500番台の改良型。
着席者の居住性を向上させるため、
窓の上下が100mm小さくし、ロングシート背面を高くした。
スタンションポールもユニバーサルデザインの発想を導入し、
JR東海コーポレートカラーであるオレンジ色となった。
また、都市型ワンマン運転対応車でもある。
(同時に2500・2600番台も対応車に改造)
しかし、低コスト化のため2500、2600番台では装備されていた、
窓ロールカーテン及び蛍光灯カバー、ヨーダンパ等が省略されたほか、
扉上に必ず装備されていたLED案内表示も半分に減少、
全面及び側面のLED行先表示器もフルカラーから単色となった。
115系置き換え及び東海道線静岡地区ワンマン運転化を目的に静岡区に投入。
E103系
JR20周年記念として10両1編成が製造された。
外観は103系そのものである。
足回りはDT61/TR246系をベースに開発したDT61B/TR246Bを履いている。
この台車はボルスタアンカーを装備しているのが最大の特徴である。
パンタはPS33B型を搭載、純電気ブレーキにステンレス車体と、中身は最新の電車となっている。
歯車比6.06、最高速度130km/h、6M4Tにより起動加速度3.3km/h/sとなっている。
D-ATCも装備している為、常磐線以外なら走行可能となっている。
731 :
エセレブ:2006/12/06(水) 11:33:37 ID:XItUB45Z
115系3000番台 JR東日本車
1982年に広島地区に導入された115系3000番台だが、広島周辺の通勤ラッシュに対応しきれない面もあったため、4編成16両を新前橋区の115系300・1000番台と差し替えた。
1000番台車のうち冷房未装備車は大船工場で取り付けて転出している。
入れ代わりに新前橋入りした3000番台は大船・大宮工場で耐雪工事を受けた後、高崎以北の運用についた。
アコモレベルは関東中電では一段高いため、スキー・行楽臨に使われる機会も多く、JR発足後は首都圏発着の運用も加わっている。
2002-03年に全車延命工事を受けた。
732 :
名無し野電車区:2006/12/06(水) 14:13:34 ID:+YA4lg3p
115系8000番台
JR西日本で115系3000番台を117系相当にグレードアップした車両。
110km/h対応改造だけでなく、台車をDT32/TR69に交換している。
台車は165系や485系の廃車発生品を再利用している。
733 :
名無し野電車区:2006/12/06(水) 15:52:12 ID:VIaBjsUi
東武鉄道ED100・西武鉄道E70
東武鉄道・西武鉄道が共同で開発した電気機関車。
デザインは西武鉄道E41を基本とし、全照灯を腰部に下ろした形になっている。また、主電動機は東武8000系の、台車は西武N101系の廃車発生品をそれぞれ使用している。
また、地下区間も走行できるよう、車両限界を地下鉄線規格に合わせて造られた。
734 :
名無し野電車区:2006/12/06(水) 17:12:13 ID:VZgnSilo
・415系1000番台
電化区間ながら普通列車のほとんど(または全て)が気動車で運転される羽越線新津〜新発田・村上〜酒田に、
常磐線のE531系導入で余剰となった415系の一部が耐寒耐雪改造の上導入されることになった。
3両1編成となっており、モハ415は廃車となった415系の機器を流用して先頭車化改造の上でクモハ415となった。
この車両の導入に伴い羽越線の架線下DCは全廃となり、新津所属のキハ52・58全編成とキハ40系列の一部が廃車となった。
735 :
エセレブ:2006/12/06(水) 17:17:20 ID:XItUB45Z
JR東・西武 大宮〜西武秩父相互乗り入れ(ツッチー電車)
1998年、土屋義彦埼玉県知事(当時)の
「秩父と浦和・大宮間に直通電車がないのは(・A・)!」
一声から端を発し、県・JR・西武・秩父市等との間で協議と調整が行われた。
その結果、2001年3月から東飯能駅経由で相互乗り入れを始めることになった。
車両は西武が新101系(301系)、JRが103系3500番台各4両2編成に改造を加えて使用することとした。
停車駅は大宮及び川越以西の各駅で、平日と冬季休日はJR車のみの1往復、4〜11月の休日は西武車を交えた2往復を設定。秩父夜祭や芝桜の時期は予備編成も使うこととした。
2004年以降はJR側が205系に代わったが、クハ205に仙石線同様の2wayシートとトイレを後付けし、抑速制動を付加した3050番台とした。
205系3050番台は通常の川越・八高線運用にも使われるが、トイレは秩父直通時のみ使用できる。
736 :
名無し野電車区:2006/12/06(水) 18:30:51 ID:VZgnSilo
千代田線N06系・半蔵門線N08系
大規模修繕が実施された千代田線6000系・有楽町線7000系・半蔵門線8000系であったが、それでも老朽化が進行し、
6000系はN06系に、8000系はN08系にそれぞれ置き換えられることになった。
また、7000系は13号線と共通の10000系の追加導入で置き換えが実施されることになった。
N06系・N08系共に13号線・有楽町線用の10000系をベースとしている。
そのころ、東急から8500系の置き換えとして6ドア車を連結した5000系の大量増備が発表されたため、
東京メトロのN08系にも5000系と同じ5・8号車に6ドア車が設置された。
この車両の導入に伴い6000系・7000系・8000系は大量に廃車となった。
なお、6000系の一部は改造され北綾瀬支線に転用され、北綾瀬支線の6000系ハイフン車・5000系も廃車となった。
東武50070系・50050系6ドア車
伊勢崎線・日光線の8000系及び野田線8000系の置き換え用に登場した車両。
伊勢崎線・日光線用は4両編成と6両編成の2種類で、最大10両の運用が可能。さらに、10000系列・30000系列との連結も可能。
一方、野田線用は6両編成。
そのころ、東京メトロや東急から相次いで6ドア車を連結した新型車両の大量増備が発表され、東武の50050系にも5・8号車に6ドア車が連結された。
このため、50070系の一部は50050系から捻出されたサハが組み込まれることになった。
この車両の導入に伴い、8000系はその数を大幅に減らすことになった。
JR東海205系2000番台
103・113系の置き換え用として昭和63〜平成3年に導入した車両。
神領電車区(現:車両区)に4両編成と6両編成の2種類が配置された。
これにより103系は全廃となった。
前面については、増解結が多いことにより貫通扉及び幌付きとなった。
冷房装置はインバータ制御方式の集約分散式C-AU711D形2基に変更。
それ以外はこれまで投入された205系と同一である。
なお、平成3年投入の3次車はJR東海管内の全電化在来線に対応するため
パンタグラフは狭小限界トンネル対応のC-PS24A形とされ、取付部が20mm低くなった。
738 :
エセレブ:2006/12/07(木) 12:53:38 ID:fNQ9GTQe
阪和電鉄→南海電鉄ロコ1200形(1201-1203)→国鉄EF11形(5-7)
阪和電鉄が鉄道省紀勢西線からの直通貨物等の増加に対応して1936年に日本車輌+東洋電機で製造した大型貨物電機で、現在・過去を通じて唯一の関西形大型電機。
鉄道省EF11形とほぼ同形の回生制動付だが、弱め界磁を強めて高速性能を上げている。
形態は省EF56に先んじた全溶接丸形車体+組立台車枠で、車体(屋根除く)を淡青色に塗ったため「川坊主」の異名がついた。
阪和電鉄は1940年に南海に経営統合され、1943年に国有化され、塗装もぶどう色1号に改められた。(回生制動装置も撤去)
1947年にはいち早くEF11形に編入され、番号も続番とされた。
3両とも終生阪和線を離れず、1978年に全廃。
EF11 5が阪和ロコ1201当時の外見に復元されて交通科学博物館で展示されている。
739 :
名無し野電車区:2006/12/07(木) 18:58:14 ID:xI3wvY0X
E129系
老朽化した115系などの置き換えを目的に登場。
基本的には仙台地区に大量導入されたE721系の直流版。
車体はE721系に準じており2両1編成で構成。また、一部編成はワンマン運転に対応している。
また、車内もE721系同様にセミクロス配置になっている。さらに、E127系との連結運転にも対応している。
この車両は長野・新潟・群馬地区の各線と日光線に導入され、これらの地区からは115系・107系・123系といった旧型車は一掃された。
なお、しなの鉄道にもE129系と同じ仕様の車両が導入され、しなの鉄道の車両は同車に統一された。
>>739 長野地区のE129系は全車長野配置で、セミクロス車は信越本線・篠ノ井線・大糸線・
しなの鉄道直通・中央本線辰野経由に限定され、
中央本線みどり湖経由は以下の車輌によりオールロング化されることとなった・・・
E129系2000番台
E129系の中央本線(甲府以西)向け仕様で、車内はオールロングシート。配属は全車長野。
E233系2000番台
中央快速線(東京〜高尾)で使用中のE233系ベースにトイレを設置した車輌で、
こちらは6連が松本に配属される他、4連が八王子地区の豊田に配属。
6連と4連がそれぞれ立川〜小淵沢(豊田車)・松本(松本車)で単独運用される他、
E233系2000番台同士の6+4連またはE233系基本番台との混結で東京にも顔を出す。
>>731 転換クロスシートはもちろんのちにオールロングに(ry
・東武1000系&1050系
東武8000系列のワンマン編成の後継として登場
東武10000系の8R1本を4R2本に分割し、ワンマン化改造したもの
方向幕のLCD化やVVVF換装も施されている
ローカル線区の伊勢崎線久喜以北、日光線南栗橋以北、
東上線小川町以北、宇都宮線、佐野線、越生線に投入された
・東武1030系&1080系
東武1000系や東武1050系と同時に採用
東武10000系を元に改造している点は東武1000系や東武1050系と同じだが、
こちらは6R1本を3R2本に分割したものである
亀戸線、大師線、桐生線、小泉線に投入された
こうしないと足りなくなるの忘れてた
○ 東武10000系の8Rないし10R1本を4R2本に分割し、
× 東武10000系の8R1本を4R2本に分割し、
744 :
鉄道タイムズ:2006/12/09(土) 05:37:30 ID:EUYvJtjM
◎国鉄EF61形500番台旅客用直流電気機関車
・特記仕様:交流機EF70を旅客用直流機へ改造
・主営業運行路線:東海道・山陽
○概説
1980年代前半、東海道・山陽線にて郵便・荷物列車牽引に就役していたEF58の老朽化が深刻化し、代替機関車が必要となった。
郵便・荷物列車を編成する各車両は自前で暖房を行えず、編成にも暖房用電源車や暖房用蒸気供給車も無く、各車両の暖房は機関車が供給する必要があり、
代替機にはEF58と同様に暖房供給装置を備えた専用機が必須であった。
当時の国鉄は、巨額の債務を抱え、所謂大赤字で、荷物輸送の需要も落ち込み、郵便・荷物列車専用機関車を新造する余裕が無かった。
そこで、北陸線での交直流機EF81の進出により大量余剰となった交流機EF70を直流機に改造し、これを充てる事とした。
当時、F級で電気暖房供給装置が最初から備わっている余剰機はEF70だった。
直流機改造に伴う新形式称号は“EF61-500番台”と命名。
EF70からEF61-500へと五両改造された辺りで転機が訪れた。
それは、1984年2月ダイヤ改正で信越線碓氷峠経由の貨物列車全廃により電気暖房供給装置付きのEF62が大量余剰となった事から
EF58の代替にはEF62を充てる事となって、EF70からEF61-500への改造は中止された。
1000kmに渡る高速運転を要求される東海道・山陽線の郵便・荷物列車牽引にはEF62は適材適所では無い――元々、碓氷峠越え用として、設計上、速度よりも
牽引力を最重視した造りであり、長距離に渡る高速連続運転下の使用を全く考慮して居無かった――にも拘らず、
敢えてそうしたのは、改造費用を削減したい程に国鉄の財政は破綻寸前だった。
86年11月の国鉄最後のダイヤ改正で国鉄全線の郵便・荷物列車全廃により、翌87年に発足するJRに承継される事無く、EF61-500全機廃車された。
時代に翻弄された悲運の機関車である。
745 :
鉄道タイムズ:2006/12/09(土) 06:16:08 ID:EUYvJtjM
>>744の訂正と追記
> 直流機改造に伴う新形式称号は“EF61-500番台”と命名。
↓
直流機改造に伴う新形式称号は、当時既存の旅客用直流機EF61形の新区分番台として“EF61形500番台”と命名。
元のEF61-0や200とは大きく異なっているので実質―例えばEF67(当時は存在せず)などの―別の新形式になるはずなのだが、
当時の労働組合対策のせいでそうならざる得なかった。国鉄を蝕んだ――客そっちのけで身勝手な左翼運動に邁進したが為に国民の鉄道離れを促進した―
―左翼系労働組合は「新型車導入は人員削減に繋がり、新型車取り扱いの勉強や新型車故の初期故障の対応などで俺達の負担が重くなる!駄目なものは駄目!」
云々で以て新型車――として一目瞭然の新形式車――導入には否定的であったが故に。
同様の例としては、EF76-500、EF64-1000など。
746 :
鉄道タイムズ:2006/12/09(土) 06:26:36 ID:EUYvJtjM
>>745の訂正
>EF67(当時は存在せず)などの ×
↓
EF68などの ○
747 :
エセレブ:2006/12/09(土) 09:36:51 ID:sUJmOT23
鉄道省→国鉄ED16形19-24号機
ED16形の第2次増備機で1937年に日立笠戸(19-21)・三菱三原(22-24)で製造。
性能・構造は1-18と変わらないが、車体はEF11 4やEF56形同様の丸形で「小坊主」「小僧」のあだ名がついた。
甲府と水上に配置されたが、ほどなく水上にEF10が配置されたため甲府に集結。
しかし水上新製配置の19-21は最後まで前面窓のつらら切りやスノープロゥ付きであった。
晩年は1次形とともに立川に集結。1985年に形式消滅した。
保存機はJR貨物高崎機関区内の20号機で、イベント時に公開される。
748 :
名無し野電車区:2006/12/09(土) 10:38:39 ID:TyaqFYNy
東急5070系
大井町線の溝の口延伸・急行運転開始に伴って登場した5000系の大井町線仕様車。
車体の色は大井町線の8500系などと同じものを採用。また、九品仏・戸越公園で行われるドアカットにも対応している。
この車両は当初溝の口延伸・急行運転開始に伴う増発分のみ導入。
その後は8000系統の置き換え用として増備が続けられ、大井町線の車両は9000系1本を除き全て5070系に統一された。
東急新4000系
東急の18M線区(池上線・多摩川線)用の車両のうち、老朽化している7000系統(7600系・7700系)の置き換え用として登場。
基本的には5000系の18Mバージョンになっている。また、両線のワンマン運転にも対応。
この車両の導入により7000系統は全廃された。
名鉄350系
鶴舞線直通用の名鉄100系の置き換え用に登場。
基本的には上飯田連絡線用の300系をベースにしているが、300系とは異なり6両固定&オールロングシートである。
この350系は100系を全て置き換えた。
置き換えられた100系のうち、製造から30年近く経過していた抵抗制御の5編成は廃車された。
それ以外の編成は20M車両という利点を生かし、朝夕の輸送力増強用に名古屋本線などに転用された。
なお、100系の転用に伴い6000系の一部が廃車となった。
749 :
.:2006/12/09(土) 13:15:26 ID:HTnw6MXQ
国鉄・JR酉EF67-500:
EF71(板谷峠)で余剰なカマをセノハチ転用。
国鉄時代は、旅客列車の電車化で余剰。
JR酉では、束の山形新幹線工事の関係で譲渡。
750 :
ミユナ:2006/12/09(土) 14:49:17 ID:Xeno+VJx
>>748に追加
東急電鉄5090系
>>748の8両編成型で日比谷線直通用1000系の一部を取り替えるために開発。
東横線用の5050系を縮小したスタイルで帯色は東横線ど同色。
この配備により1000系は5050系と同じVVVFに取り替える2編成を除き、
3両編成にばらされた上で多摩川・池上線に転用された他、
一部は7000系の老朽化が進む福島交通にも2両編成にした上で譲渡された。
この車両を使用して日比谷線直通の新種別として快速急行を運転する。
快速急行の停車駅は中目黒より自由が丘・武蔵小杉・日吉・菊名からは各駅。
東急は北千住までの運転だか、東武と東京メトロ車は竹ノ塚・北越谷・北春日部行きも運転。
(東武伊勢崎線内普通)
なお東武車は20050・20070系のみの限定、東京メトロ車もVVVF車の限定で、
初期のチョッパ車と5ドアは充当しない。ただし東武に限り5ドア車も運用に使われる。
土休日には東武動物公園発元町・中華街行きが数本運転される。
(東武伊勢崎線内区間準急又は区間急行・日比谷線内普通・東急東横線内快速急行又は特急)
名鉄新3400系
栄光のいもむしの形式を継承した車両は名古屋市営地下鉄鶴舞線に直通する
犬山・豊田線用100系の全てを取り替えるために開発された。
名古屋本線用の新型車3300系を20mにストレッチしたものと思えばいい。
地下鉄を走るため非常口設置の関係で前面は3300系を貫通にした構造。
これにより犬山までの運転を名鉄岐阜までに直通を延伸し、区間急行も登場した。
当初名鉄岐阜から犬山線経由で名古屋市営地下鉄鶴舞線および豊田線・三河線経由で
知立まで行く全車ミューチケット必要のパノラマスーパーが計画されていたが、
地下鉄直通用特急車両の開発が難しく、1600系の改造にも限界があるため見送られた。。
751 :
名無し野電車区:2006/12/09(土) 15:10:02 ID:oLvzPoTE
E353系
中央本線の特急「スーパーあずさ」号のE351系の置換用に導入
高速バスへの対抗のためさまざまなところが改良されている
座席にはテンピュール素材を使用し
車内にはネット接続が可能なように無線LANや接続端子を装備し
走行による揺れの低減のために従来のバネだけでなくゲル素材を車体下に入れている
軽量化によるカーボン製の車体のため加速度は5.5km/h/s
最高速度140km/hを誇り新宿―松本間を2時間20分台で結ぶ
752 :
.:2006/12/09(土) 16:31:02 ID:HTnw6MXQ
JR束E219系(計画のみ):
東海道線/宇都宮・高崎線の113/115系の老朽化取り替えを目的。
ベースはE217だが、M-M'は3ドアセミクロス・TC/Tは5ドアロング。
モーターも走るんですやBVEの反省(高速運転に不向き)で190kwに変更。IGBT-VVVFを採用。
また、TC貫通路は自動幌で通り抜け可能(東海道線では使われなかった)。
但し、E231系投入計画で計画のみで終焉。
753 :
.:2006/12/09(土) 16:40:45 ID:HTnw6MXQ
E2系増備車:
山形新幹線が新庄〜大曲〜秋田へ延伸された時に増備。
但し、牛牛詰めは改善されず…。。。
E721-5000
ミニ新幹線区間普通列車の増備。山形新幹線延伸による。
754 :
名無し野電車区:2006/12/09(土) 17:18:20 ID:y07xL1pj
721系6000番台
製造から30年近く経過した711系の置き換え用に登場。
711系の運用が閑散地区での運用(苫小牧以西・岩見沢以北)にほぼ限定されていたため2両固定・ワンマン対応車であることが大きな特徴。
さらに、ワンマン運転にも対応している。それ以外に関しては既存の721系と同仕様である。
この車両の導入に伴い711系は全廃された。
なお、基本的に苫小牧以西・岩見沢以北での運用が中心である。
ただし、入出庫時やラッシュ時は札幌近郊にも顔を出し、721系0番台や731系との混結運用もある。
755 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 11:01:41 ID:wvj5fEZJ
E233系3000番台、3500番台 キハE132系
八高線高速化のために登場
南線導入のE233系3000、3500番台は
120km/h運転対応で4ドア半自動ドア可
3000番台は2M2Tの4連、3500番台は2Mの2連
但し車内モニターは無くLED案内板にとどめている
キハE132系は北線導入用の車両も120km/h運転対応で半自動可の3ドア
LED案内板を装備しワンマン運転可能となっている
さらにハイブリッド方式を採用したので2割ほど省エネになっている
E233系3500番台とキハE132系は2+2の4連の協調運転が可能で
E233側から電力を受けることにより
キハE132側はエンジンを動かさなくても走行が出来る
在来の205、209系は仙石、両毛線へ、キハ110は盛岡地区へ配置された
756 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 11:15:32 ID:MEoys98/
207系3000番台
JR西日本が製造した207系の半自動ドアスイッチ付き仕様。
2両編成で、ワンマン運転が可能。
207系では唯一トイレがある。
播但線と岡山・広島地区に投入。
ラインカラーが違う(播但線は赤色、岡山地区は緑色、広島地区は紺色)ため福知山線脱線事故後の塗色変更の対象外だった。
757 :
エセレブ:2006/12/10(日) 19:31:55 ID:y1OHAqcr
運輸省→国鉄EF13形32号機
1947年4月に三菱電機+三菱重工で竣工し、国府津機関区に配置された。
本機はEF13形の中でも一際特異な存在で、最後まで強烈な存在感を持っていた。
本機の個性を象徴したのが車体で、凸型ボディの同形機に対し、1946年5月に追突事故で大破し廃車になったEF57形12号機の車体を修理して搭載したため、初めから両デッキの箱形車体で登場した。
東海道線で復興輸送に働き始めたが、1950年の沼津〜浜松電化の際にEF572〜と同様、パンタグラフの取付位置を前進・低位にセットしたため精悍さを増した。
1952年、高崎第二機関区へ転属。長岡乗り入れのため耐寒耐雪工事を受け、運転室前面窓のつらら切りと汽笛の防雪カバーが付き、武骨さを増している。
1958年に甲府に転属。中央東線での運用の後、EF64の投入で1970年に終の住み処・立川区に転属。南武線で運用された後、1979年に廃車された。
廃車後三菱重工に譲渡され、同社三原製作所構内でC57形76号機とともに保存されている。
758 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 23:04:33 ID:c1lCuloe
>>748 東急新7000系
東急7600系・7700系の車体更新車で、VVVFや台車・冷房装置は7600系・7700系のものを流用している。
車体は5080系を基本にしている。車内案内表示器は5080系初期車と同じLED表示である。また、行先表示もフルカラーLEDではなく、通常のLEDである。
名鉄新1700系
「平成生まれのつりかけ電車」こと6750系をVVVF化改造して、
一部特別車編成となる1600系の一般席車両となった。
内装も2200系一般車同様に一部が転換クロスシート化のうえモケットも張り替えられ、
車内案内表示機が取り付けられたが、ロールカーテンはそのまま残された。
VVVF及び3両分の台車、パンタグラフは新造されたものの、
運転台及びサ1760の台車は廃車となった旧ク1600の機器を流用した。
改造によりモ1700+サ1750+モ1710+サ1760+サ1650+モ1600(旧モ1700)に
改番された。
名鉄1730系
1700系の2両バージョン。
2編成のみゆえ普段は3100・3150系と共通運用を組んでいる。
キハ11系500番台(耐寒対策車600番台)
キハ11系300番台のオールロングシート車バージョン。
キハ40系列の置き換え用として投入。
トイレ付きであることから高山線では100番台と組んで
白川口以北の運用に就くことが可能となった。
キハ11形400番台
キハ11形300番台の寒冷地仕様バージョン。
キハ40系の置き換え用として登場。
長距離運用に就くことから車椅子対応トイレを設置しており
セミクロスシートとなっている。
E457系
475系置き換えの為製造された特急形電車。
E257系をベースにし、6両を基本編成とし4両を付属とした。又、機関類はE257系と同じ物を搭載している。
外観はE217系のライト位置にE257系の骨格を組み合わせたようなものとなっている。
基本編成4M2T、付属編成2M2Tとし、起動加速度は2.4km/h/sとした。
最高速度は160km/hだが、これは青函トンネル内での高速運転に対応する為であり、営業運転では130km/hが最高速度である。
500番台の東武乗入れ仕様車は、最高速度120km/hまでに留めてある。
内装はユニークだ。コンセントが各車輌に6つずつ(そのうち1つは消臭プラグか刺さっている。因みにG車には2つ刺さっている)配備され、各デッキには携帯充電器が設置されている。
シートは九州の883系に負けず劣らずのウミネコをイメージした素敵デザインの2X2シート(G車は3列)。
座り心地はかなり柔らかいので、良いか悪いかは人それぞれといったところか。
763 :
エセレブ:2006/12/12(火) 12:52:41 ID:Ytt+Y+e0
鉄道省 タヌ1(未成)
弾丸列車(東京〜下関)の電化区間(東京〜静岡)用に計画された暖房車
当初は電機に重油ボイラを積む予定だったが、石油事情の悪化で急遽計画された。
余剰になっていた8800・9580形蒸機のボイラを流用する予定だった。
764 :
名無し野電車区:2006/12/12(火) 18:43:20 ID:u1LSYm8U
E5系&E6系
何れも16両貫通編成
普通車は座面スライド機能搭載
グリーン車はE3系・E257系・E751などと同じ座席
1/2/4/5/6/7/10/11/12/13/14/15号車
普通車・禁煙
3/16号車
普通車・喫煙
8/9/10号車
グリーン車・禁煙
E5系...平屋
E6系...2階建Max
E6系はE4/E1系と異なり普通車自由席区画も全席リクライニングシート
東武400系電車
東上線の座席指定特急の設定に伴い開発された特急形車両。
調達コスト削減のため、JR東日本E257系500番台の設計をベースにしており、
また、東京メトロ13号線との直通運転も視野に入れていたことから、CS-ATCと
ATOの設置スペースが確保されている。
東武450系電車
400系の派生型。
旧式化した300系と350系の置き換え用に増備された特急形車両。
こちらは400系とは異なり、JR線との直通運転を視野に入れていたため、ATS-Pや
EB・TE装置などを搭載している。
766 :
名無し野電車区:2006/12/13(水) 16:26:01 ID:mUmkD6JX
E257系5000番台
東武直通特急に使用されている485系及び予備車である189系彩野の置き換え用として登場。
この車両は6両1編成となっており、スペーシアと同じく6号車にはコンパートメントを設置。
一方、普通車に関してはスペーシアに合わせてシートピッチを960mmから1,100mmへ拡大した。
この車両は2編成が製造された。これに伴いスペーシアがJR車の代走に入ることはほとんどなくなった。
一方、置き換えられた485系は再改造の上で新潟に転属となり、状態の悪い485系1編成を置き換えた。
また、189系彩野は元の彩野色に戻り、波動運用に使用されている。
767 :
名無し野電車区:2006/12/14(木) 01:28:50 ID:MnoRvKIH
211系1000番台湖西線仕様
国鉄が湖西線に投入した211系1000番台。
0番台ではなく1000番台なのは寒地向けで、半自動ドアスイッチがあるため。
McM'TTcの4両編成で、帯の色は湘南色。
最高速度は221系登場時に全車120km/hに引き上げられた。
221系や223系と併結可能。
最大12両編成で東海道線を走行する運用もある。
768 :
ミユナ:2006/12/14(木) 16:17:49 ID:IYRn+XLY
213系湖西線仕様
>>767の213系型。もし湖西線が近江塩津構内に直流専用ホームを
設置の上、交流と直流とで分断されていたらこのような車両も作られて
いただろう。
瀬戸大橋線仕様とほぼ同じだが帯は湘南帯で半自動ドアスイッチが装備
されている。なお座席は転換クロスではなくセミクロスのロングの変則式。
主に近江今津〜近江塩津間で使われたが北陸線が敦賀まで直流化されると
使用区間が延び、米原〜敦賀間など北陸線でも使われることとなった。
しかし521系の配備や新快速の延長・125系の配備などもあり、
小浜・舞鶴線等に転用されてしまった。当初485系の発生交流機器を
移植し、523系として交直両用化する案も出たが改造費用が莫大で
521系新造のが安上がりである理由で見送られた。
769 :
名無し野電車区:2006/12/14(木) 20:23:27 ID:RHnOIFRo
近鉄850系特急車
680・683系により運転されていた特急のさらなる増発をはかるため、特急運転開始
の際に一旦却下された800系の特急車化が実行に移される事となった。'65年に
モ801〜804を種車として改造され、Mc車はそのままモ850形、Tc車は電装を外した
ク750形となり、680系に準じて固定窓化・冷房化・オール転換クロスシート化・連結面
部への車販基地とトイレの新設といった改造がなされた。カラーリングもオレンジに紺帯
の特急色となり、湘南顔に逆三角形の特急標識をつけた。なおTc化によって捻出され
た機器は683系の新性能化に当てられ、編成はモ684を方向転換したモ684+ク583の
2連にモ683を加えた3連となり、固定窓化・冷房化も合わせて行われたが座席の方は
セミクロスのままであった。両形式とも680系と同時に一般用に格下げされ、その後は
奈良線・橿原線系統で一般用・団体用として働いた。
Wikiで見た800系の特急車化が実現したら、という「if」です。もしこれが実現してたら
18000系は生まれなかったかもね。あの湘南顔には特急色と特急標識は結構似合うと思う。
771 :
エセレブ:2006/12/15(金) 20:02:34 ID:tHiVJd6G
ホヌ30形50番台(51〜56)暖房車
1956年、福島第一機関区に在籍していた板谷峠用のホヌ30形6両のうち1と2を、C59127の実績を参考にして郡山工場で重油専焼式に改造して試用した。
結果は良好だったため1958-59年に残る4両も改造された。
番台は種車の番号順である。
EF64の投入後も全車が残ったが、1968年の山形交流電化完成に伴い全廃された。
772 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 17:23:01 ID:Iell7AuB
京急8000形
京急が姉妹提携を結んだ阪神から借り入れられた8000系。京急に貸出時に、当初の予定ではワンハンドルに変更される予定だったが、阪神側が拒否した為そのままとなっている。
貸出時に8両1本と4両1本に編成替された。
現在は阪神に戻っている。
773 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 17:46:37 ID:pUXo83Hc
313系3200番台。
中央線〜愛環直通列車はJRの片乗り入れだったが、相互乗り入れとすることになった。これに伴い、愛環も4両固定編成2本を投入することになり、余剰となった2000系2連4本をJRに譲渡した。カラーリングは313系に準じるが、表情が異なる。
774 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 17:53:26 ID:pUXo83Hc
>>773 なお、愛環に入った4両固定編成は2500系と称すが、実は新車ではなく、313系1000番台。愛環カラーに改められた。
775 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 18:37:27 ID:WkpNO2KB
165系1200番台
国鉄が昭和45年から製造した165系の改良版。
側面に方向幕が付いた。
長大編成対応のためモハ165とサハ165の製造量数が多い。
JR西日本ではN40リニューアル+120km/h対応化で6200番台に改番されたものもある。
776 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 19:13:12 ID:cg38J17b
JRW207系は半自動標準装備ですが?
>>772 阪神8051形
一時的に京急に貸し出した8000形で阪神に復帰したもの。
京急へ行く際、先頭車Mc化が必要だったために、編成がMc-M'-T-T-M-Mc'に組み替えられたため、番号区分が
必要となった。
他の8000形と共通運用されている。
778 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 20:52:39 ID:Iell7AuB
>772、>777
山陽電気鉄道 3300系
山陽電気鉄道が線内普通車両数増加に伴い、京成電鉄から購入した車両。何と、悪夢な事に赤電である!
3200系4両2本、3300系4両3本の20両が導入された。
※余談になるが、高砂幕は京成時代のまま。
779 :
名無し野電車区:2006/12/17(日) 14:55:27 ID:mJ/eNsSS
>>767 211系1200番台
湖西線用の211系1000番台をJR西日本で独自に改良。
205系1000番台に準じた改良が行なわれている。
・モーターの変更(WMT61)
・台車の変更(WDT50/WTR235)
・補助電源をSIVに変更
・ベンチレータの削減
・前面窓の大型化(211系5000番台や213系と同様の前面になった)
最高速度は製造当初から120キロである。
780 :
エセレブ:2006/12/17(日) 17:14:04 ID:LkAAta74
国鉄キハユニ27形
オハユニ61形の代替で1973−75年にキハ26形0・100番台から21両改造された。番台も同じく1〜、101〜 になっている。
東北以南に投入され、1986年に全廃された。
塗装は旧一般色→首都圏色に変わった。
781 :
名無し野電車区:2006/12/18(月) 21:07:25 ID:F3KhGVUI
愛環2300系。
愛環沿線のラッシュの激化に伴い、ついに愛環にもロングシート車を投入することになった。但し、新車ではなく、313-2350と交換されることになった。それでラッシュ時には威力を発揮したが、昼間はロングシートということで、評判はイマイチだった。
782 :
名無し野電車区:2006/12/18(月) 21:16:12 ID:F3KhGVUI
>>781補足
なお、これに伴い捻出された2000系は313-3200ver.U(
>>773と同じ)となり、静岡に移った。
キハ75形リニューアル車(0~100番台)
スピードアップを図るため
>>659のエンジンに換装、クラッチの見直し(トリプルプレートの爪クラッチ)の改造を施したもの。
これにより加速度がグンと向上、変速時のタイムラグもほとんどなくなった。
足回りの見直しも同時に図られ、ヨーダンパの形状見直し等軽量化されている。
足回りの軽量化により乗り心地もよくなった。
保線強化により気勢線内の120`運転が可能となったこともあいまって、スピードアップに貢献した。
>>782 3300番台のほうがいいと思われ。下回りは300番台で車内設備が3000番台だから(ワンマン設備除く)
東海道の旅人、373系使えばいいじゃんてツッコミ貰ってたし妄想してみる。
クモロ373・サロ373・クロ373
「東海道の旅人」
JR東海が久々に造ったジョイフルトレイン。
ターゲットは中高年に絞った造りこみとなっている。
一段高い位置に設置されたシートは300系G車の物を改良し、坐り心地を中高年が好む味付けとした。
座席は手摺りとフットレストを追加、エアサスを座席と床の間に配置し、乗り心地を更に上げている。
また窓側に椅子を固定することが可能で、名鉄と平走する区間では通勤ラッシュの傍らでゆったりとさようならなんて事も。
1号車デッキには椅子と喫煙スペースを配置、タバコを吸いに行った先でのちょっとした世間話にも対応できるようにという意味らしい。
VVVFは東芝IGBTに変更し、走行音を静かにした。純電気ブレーキも採用し、乗り心地の向上も図っている。
外観はカラーリングが変更された程度ではあるが、HIDにより存在感を高めている。
内装は凝っているが、外観はシンプルに纏めた為他のジョイフルトレインより安く製造することができた。
中々の評判でJRも思わぬ臨時収入がでたと自他共に認めている。
キハネ183
14系寝台車を種車とし、台車・ブレーキにキハ183の廃車発生品を用いることで110km/hに対応。
エンジンは500番台に準じた660ps1基。石北・塩狩・日勝の山越えも難なくこなせることで
先頭と最後尾を除いて寝台をつなぎまくることも可能。
また、札幌近辺では昼行と同じスジで走ることもできるので、通勤輸送としても遜色ないものになっている。
787 :
名無し野電車区:2006/12/20(水) 23:14:35 ID:CXCC+Fay
>>772 >>777 95年の阪神淡路大震災で、多くの車両が被災して廃車になるなど大被害を被った阪神に対して、
京急が、奇しくもその頃に新型車導入で余剰車が発生し、建築限界や車体寸法も大差が無いから、それら余剰車を譲与しよう、
とした話が、当時の鉄道趣味仲間の間で囁かれていたな。
本当に話があったけどお流れになったと聞いたが?(確か旧1000形だったと思う)
789 :
ミユナ:2006/12/22(金) 08:19:03 ID:GRisAS5f
山陽電鉄6000系
現行の大阪・姫路ライナー用の山陽車両の総VVVF車化をするにあたり、
阪神HDより新型車1000系のOEM型を打診を受けて製造されるもの。
編成は6両だが予定されている近鉄奈良への直通には使用しないため
貫通で組成されている。6両編成7本が配備され、5000系を自社線内用に
撤退して3200系を取替える。5030系に関してはVVVFであることから
継続使用。山陽電鉄初のステンレス車両となる。
790 :
名無し野電車区:2006/12/22(金) 08:26:45 ID:itaVr4NT
373系5000番台
JR東海で373系の足回りを313系相当に改造した車両。
サハ373を電装化してMT比を半々にし、歯車比を5.65に変更して高速性能を改善した。
最高速度を130キロに向上。
791 :
エセレブ:2006/12/22(金) 20:52:47 ID:7UQA3Vl9
キハ55形47〜85、キハ26形23〜54
準急形キハ55系バス窓グループの最終増備車
キハ55は1958年5〜9月、キハ26は同年7〜9月に製造。
機関が180馬力のDMH17C形に変わった他、100番台に導入予定の改良・コストダウン設計を数多く前倒しで採用した。
792 :
エセレブ:2006/12/22(金) 21:05:31 ID:7UQA3Vl9
国鉄 気動車用主機関 DMH17D・DMH17HA形
DMH17系の低燃費・高出力用試作機関。1961年に数基試作されている。
シリンダヘッドを直噴タイプにした。
定格出力は190馬力にアップしたが、騒音・振動・黒煙も増大したため、基本設計の古い本系の改良は打ち切られた。
793 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 01:17:09 ID:s4oiNcDR
373系8500番台
特急東海の廃止に伴って発生した余剰車をセントラルライナー用に改造したもの。
詳細は思いつかないので省略。
>>787-788 ファンか何かの雑誌にも載ってたらしい
JR東・東海113系寝台化改造車
夜行快速用に余剰の113系の内装を更新。
ドア間に24人分の寝台を設置。
寝台券でなく指定券が必要。
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もしJR東以外がDDMのテストしてたら…
北海道…シラネ
東海…211系
西…221系か体質改善車辺り
四国…213系
九州…415系?
もし繋がりで北川知事が三重新幹線を強行していたら…('A`)
流石にこればっかりは妄想できんわ
798 :
名無し野電車区:2006/12/24(日) 13:39:54 ID:MaBx0BXA
E731系
JR東日本が製造した731系のコピー電車。
仙台地区専用である。
799 :
名無し野電車区:2006/12/24(日) 19:27:28 ID:MaBx0BXA
阪神9300系8両編成バージョン
阪神電鉄が阪急電鉄に対抗して導入した9300系の8両編成。
6M2Tの8両編成である。
ラッシュ時の輸送力増強に貢献したが、編成が長すぎて新開地以西や三宮駅3番線に入線できないのが欠点。
JR西日本125系増備車
伯備線新見以北と山陰本線・米子〜西出雲間で使用。
基本的に既存車両と同一仕様だが、前面窓下(ライト周り)は青色で、
側面帯はキハ121・126に合わせた青と赤の2色帯。
801 :
名無し野電車区:2006/12/25(月) 17:08:06 ID:ZbJAQmzG
E233系「四季彩」
201系の「四季彩」の後継車両として製造
201系バージョンとの主な違いは
全席ボックス席 半自動ドア化
そのほかは通常のE233系と同様の仕様で貫通扉は立川方に設置し
休日の朝の下りと夕方の上りでは青梅特快に連結して東京まで乗り入れることもある
802 :
名無し野電車区:2006/12/25(月) 21:41:03 ID:BGcuGLbZ
205系1500番台
JR九州が筑肥線に導入した205系。
車体は207系900番台と同じで、モーターはMT61Qを搭載。
帯の色は当初は青色だったがのちに赤色に変更。
4M2Tの6両編成で、後にATOが取り付けられたが、加速度が3.0km/h/sと303系より劣るため限定運用が組まれているようである。
803 :
名無し野電車区:2006/12/26(火) 17:56:16 ID:A/TBrEPI
箱根登山鉄道3000形
箱根登山鉄道のうち、2006年3月以降小田急車のみの運用になっていた小田原〜箱根湯本の狭軌区間用の自社車両として登場。
車両自体は小田急3000形と全く同じで、小田急3000形との違いは塗装が赤色に変更されていることのみである。
この車両は6両×3本が導入された。ただし、管理は小田急に全面的に委託しており所属も小田急の海老名検車区である。
また、運用も小田急車と共通で小田急線のみの運用もあるほか江ノ島線・多摩線に乗り入れることもある。
804 :
名無し野電車区:2006/12/26(火) 22:04:57 ID:k20NsoKW
箱根登山鉄道50000系
ロマンスカーVSEの増備車で1編成が製作されたが、小田急と箱根登山鉄道との車輌キロ調整のため
箱根登山鉄道が所有することとなった。
外装、内装共に小田急のVSEとほぼ同じで、番号も小田急の続番となっている。
>>800の宇部・小野田線用1000番台
オールロングシートである。
>>800 宇野線にも共通運用を期待したくなる・・・・・
>>800 オーシャン色のきのくに線仕様
基本的に紀伊田辺〜新宮、和歌山〜五条で運用される。
なお、日根野〜和歌山においては送り込み運用も存在する。
紀伊田辺には221系などと併結できることを生かし、和歌山から元新宮夜行につなげて送り込む。
逆は始発の221につなぐということで。
・東武270系
・東武290系
2000年に就役した東武200系の派生型
日光線急行の任務に就いてる東武300系と東武350系を置き換えるために登場した
東武1700系や東武1720系を種車にしている東武200系とは異なり、休車扱いとなっていた
東武1800系の1811F・1812F・1814F・1815Fを元に製造していて、6両編成は東武270系(271F・272F)、
4両編成は東武290系(291F・292F・293F)に分類されている
後に1819Fも流用され、東武270系の3番車(273F)として更新された
・東武300系通勤形
・東武350系通勤形
2001年に登場した通勤形車両
東武200系列の就役に伴い余剰となった東武300系列を用い、行先案内器のLED化や
ロングシート化、吊革の設置や客用扉の増設、東武8000系に準じた塗装の変更を行う事で誕生した
支線区で運用されていた東武5050系や東武5070系を置き換えている
809 :
エセレブ:2006/12/27(水) 19:47:32 ID:QEjDQX9q
EF12形9・10号機戦時簡易形(史実は普通車体)
EF12形のうち、1944年度に製造された9・10号機は次期製造予定のEF13形の先行試作車として凸型車体で製造され、1944年9月に完成した。
凸型車体にはまだ丸みがあったが、間もなく製造が始まったEF13では丸みも消えた。
稼働率はEF13よりはましだったが、優秀を讃えられた1〜8号機とは比べるとかなり劣った。
1952年にEF15形並の車体を新製して載せ替え、性能改善工事も併施した。
1977年、新鶴見区を最後に廃車された。
810 :
ミユナ:
>>803-804 それ以外に各種小田急車両が一部箱根登山鉄道に売却及びウェットリースでの
譲渡が行われた。
対象は1000系6両2本・2000系6両1本(8両編成からサハを抜き取り、6両に短縮)
8000系(VVVF化車のみ)6両2本及び特急ロマンスカーの7000系11両1本と30000系EXE10両1本
(当初基本編成6両のみの予定だったが10両丸ごとに変更された)である。
1000系と2000系に間しては帯を赤に変更している。当初8000系も赤帯にする予定で、
小田急往年のお買い物列車を彷彿とする塗装が注目されたが、30000系EXE10両共々、
箱根登山鉄道が姉妹提携しているスイスのラーディッシュ鉄道の塗装と同じ
赤基調の派手な塗装に変更され、赤い30000系には「赤EXE」や「紅い彗星」の異名までなった。
なお7000系は新型ロマンスカー譲渡時に小田急への返却前提のため塗装変更はしない。
当初20000系7両1本も譲渡される予定だったが、乗り入れ先のJR東海が
箱根登山鉄道への譲渡を認めず見送られ、10000系は長野電鉄への譲渡で、
5000・5200系は廃車予定である事からそれぞれ見送られた。
なお捻出される2000系サハ2両は8両編成1本に組み込まれた上で2040〜2090に改番の上で
千代田線直通用に転用。1000系10両貫通編成を8両に変更するため初めて1000系2両が廃車になる。
また千代田線直通用新型ロマンスカー60000系も10両1編成を箱根登山に
リースする予定である。
検査等は全て小田急が全面委託で所属も喜多見・大野・海老名所属は変わりない。
また他の小田急車両とも共用で多摩線や江ノ島線でも使われるのも変わりない。