1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2013/05/17(金) 18:13:47.18 ID:MNfkTo4j
3 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/17(金) 19:10:28.21 ID:uzWvB3r9
【タンポポ常住論】修正版
昨年タンポポが咲き、同じ場所に今年もタンポポが咲くのでタンポポは常住であるという見解は間違いである。
でも、全く異なる訳でもなく、タンポポの花が桜の花になるわけでもない。
現代の科学知識で見れば、昨年のタンポポの花と種と、今年のタンポポの芽と花は遺伝子(DNA)では同じである。
更に分子レベルで見れば、昨年のタンポポの遺伝子と今年のタンポポの遺伝子とは異なる。
それで昨年のタンポポの遺伝子と今年のタンポポの遺伝子とは異なると断言するのは間違った見解である。
遺伝子という物質的媒体は異なるが、遺伝情報という非物質(質量零)は共通している。
だから昨年のタンポポの遺伝情報と今年のタンポポの遺伝情報とは同じと断言するのは間違った見解である。
昨年に自然環境(経験)と遺伝コピーエラー(業)とを因とする僅かな書き換え差があるからである。
よって昨年のタンポポと今年のタンポポとは「不一不異」である。
【展開】
同様に人間の身体においては、父母の遺伝情報が縁となって子供の遺伝情報が起こっているので親子は「不一不異」である。
また阿頼耶識という媒体(一種の種)に輪廻におけるカルマと知識、記憶が蓄積されており、今世に生まれた時に唯識(認識のみ)が生じる。
よって前世の識と今世の識とは「不一不異」である。
4 :
神も仏も名無しさん:2013/05/17(金) 21:12:12.28 ID:+6ItCi4Y
遅ぇわ乙
>>1 >>3 それは、タンポポ常住論じゃないだろw
タンポポ常住論の弁護と反駁の並列じゃないか・・・(^^;
お前さんは、どうしていつも、そういうズレた行為をするんだ?w
5 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/17(金) 21:22:42.54 ID:Ew91VqZF
スレ容量突破とは気がつかなかった^^;
ごめんなさい^^;
6 :
神も仏も名無しさん:2013/05/17(金) 21:27:04.22 ID:+6ItCi4Y
>>3 まとめるなら↓こうだろ・・・ orz んとに・・・。
〔タンポポ常住論〕
> 昨年タンポポが咲き、同じ場所に今年もタンポポが咲く ・・・@
ので『タンポポ』は常住である
> 昨年のタンポポの花と種と、今年のタンポポの芽と花は遺伝子(DNA)では同じである ・・・A
ので『タンポポ』は常住である
> 遺伝子という物質的媒体は異なるが、「遺伝情報という非物質(質量零)」は共通している ・・・B反駁Tへの反駁
ので『タンポポ』は常住である
〔タンポポ常住論〕への反駁
> 分子レベルで見れば、昨年のタンポポの遺伝子と今年のタンポポの遺伝子とは異なる ・・・@及びAへの反駁T
ので『タンポポ』は常住でない
> 自然環境(経験)と遺伝コピーエラー(業)とを因とする僅かな書き換え差がある ・・・Bへの反駁
ので『タンポポ』は常住でない
(>昨年のタンポポの遺伝情報と今年のタンポポの遺伝情報とは同じと断言するのは間違っ ている。)
〔両者への反駁〕
> でも、全く異なる訳でもなく、タンポポの花が桜の花になるわけでもない。
@・A及びTに > よって昨年のタンポポと今年のタンポポとは「不一不異」である。
7 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/17(金) 23:16:13.89 ID:uzWvB3r9
>>6 >まとめるなら↓こうだろ・・・ orz んとに・・・。
やはり最後は親切な貴僧がびしっとしめてくれました。
この書きこは忘れないようにファイルに保存しておきます。
幾世にもわたる対話を真に有り難うございました。
8 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 01:13:44.42 ID:DIGCEMDx
爾前の経典では歴劫修行(成仏する為に、長い期間にわたって諸行修すること)の課程を経なけれならないが、法華経如来寿量品第十六には「速成就仏身」と説かれてあり、これは「直達正観」といって、歴劫修行によらず、速やかに仏の境地に達することができるということです。
9 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 02:31:10.95 ID:boO8yYSN
「神様、ダメ。隣の部屋で孫悟空寝てる」
>>前スレ808>>前スレ810
>心霊科学方面は個人の信念に過ぎずここで論じる意味はないと思います
お話にならないです。
餓鬼が覚知されれば、それはいわゆる幽霊ということになる。
こりゃ〜つのだじろうの『恐怖新聞』『うしろの百太郎』からやり直しだね!
(世界の心霊運動---宗教の信仰レベルから本格的な心霊科学研究へ---の開始を
背後から刺激されたのは、ハイアラキーのヒラリオン覚者_/元・聖パウロによるもの)
>>前スレ819
>中有は最長49日なので。
テキスト主義者-乙!
「49日」(そんな日数)など、ただ一つの象徴的な目安にしか過ぎないから。
(まっ、幽霊も次の生存という捉え方も可能かもしれませんが・・・)
>>前スレ823
>やはり証果の多いと聞くチベットでは不成仏霊にも対応済みですか。
>原始仏教さながらに実践的ですね。
大乗の中でも密教の特徴といえるのが、
これら心霊に対処する理解と能力を保持するところ。
バラモン秘教の継承なのだから、それくらいは当たり前でしょうね。
でないと、密教の意味がない。
>>8 偽経(勝手デタラメ)。
>>前スレ821
> 【「アートマンは無い」と言われていないから、アートマンはあるんだ!】
> 【「飛行機で」と言われていないから、飛行機ではないんだ!】
いえ、(私は)そうはいってませんから。
私は、
仏教では「アートマンはない」などとは説かれていないといってるだけです。
なのにこのスレでは、伝統的な正統仏教では「(アートマンはないから)
アートマンを否定している」ものとしているので、その間違いを指摘しているのです。
しかし、仏教の摂った態度は無記それだけです。
アートマンが覚知できないのは、この現象界(一切)だけに限定された話です。
私はたまたま、
アートマン体験に基く伝統を学んできた者でありますが
本来であれば、アートマン否定をする筈のない仏教なのにも関らず、
案の定、誤解して伝えられている無我の理解から勝手に「ない」ことにしているので、
「それはないでしょうよ!」といってるのです。
けれども、ここの頑固な人たちはそれを頑なに認めようとしないのです(ご自由なのですけれど・・・)。
尚、「アートマンを(肯定的に)説くことが仏教である」などとは、
この私はまったく主張していないので、その辺については誤解の無きように。
>>前スレ865
>いやぁ、宝珠さんの解釈も字面だけみると気持ちはわかるけど、
>涅槃を寂滅や滅諦で表現することと整合がやっぱりとれないねぇ---中略---
>十二縁起の逆観で、「これ滅すれば、かれ滅す…すると、なんと最後に真実在が生じる!」とか言われてないしw
>最後は生じちゃうんかい、みたいな。論理的にも飛躍が出てきて、まずいことになる。
仏教の説く“滅する”という表現は、一切における現象界の非実体性に対する認識を示すものです。“自己と
自己のもの”として覚知されていた実体性についての崩壊です---つまり、これが「無我」ということ。
無我は一切(現象界)に限定されたものです。その性質が空性ということ(水野氏の解説を参照のこと)。アー
トマンは一切(内)には存在しないので、この一切における縁起の教えの中でアートマンが登場することはありま
せん(一切ではない、一切外においては無記)。
>あと、アートマンを説く外道や常識と何が違うのかも分からんし
ゴータマ時代のバラモンたちは皆、アートマンではないものをアートマンと勘違いした境地を説くものばかりでし
た(これが『梵網経』の真義)。つまり、アートマンを実現してみせたバラモンは当時、皆無だったのです。
そして真実は、アートマンを実現してみせたゴータマがそれらの間違ったバラモンたちとの混同を避けるべく、
アートマンを説く手法を自らは摂らなかったのだということ(ヴェーダも使用せず)。---これがすべての総てです。
いずれ(の近しい未来で)は、この私の主張の正しさが確認されるだろうと強く確信しています。
尚、現状では仏教学の成果により、仏教のアートマン否定は間違いであり、無我の理解にも誤解が生じていた、
ということまでは殆ど論証されたという段階といっていいでしょう。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
勿論仏教は中二病だと思うよ。
14 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 05:49:40.74 ID:SoSqM6dW
>>宝珠
アートマンはもういいから、ブラフマンについて語って。
15 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 07:48:55.32 ID:Pd8wBVL3
>>14 もう語んなくていいよ
要するに仏教じゃなく神智学を信じてるだけだから
16 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 08:07:07.16 ID:pWCF/u8S
>>11 宝珠氏
>アートマンが覚知できないのは、この現象界(一切)だけに限定された話です。
>>15 >要するに仏教じゃなく神智学を信じてるだけだから
神智学ではなく仏教徒、仏教学者の中村元先生も宝珠氏と似たことを述べておられますよ。
「仏教のこころ」中村元、P78、無我説−無霊魂説ではない
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かはということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認しました。
「仏教要語の基礎知識」水野弘元、P164、霊魂について
外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を保持している
霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。
本スレにて両先生の解説は度々紹介しておりますが、未だに誤解されておられる方々が散見されます。
「バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。
『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。
聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。
バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから
、聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、
識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、
バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、バーヒヤさん、それですから、
あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。
これこそは、苦しみの終極“おわり”です」と。
そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤですが、世尊の、この簡略なる法(教え)の説示によって、
まさしく、ただちに、〔何ものをも〕執取せずして、心は、諸々の煩悩から解脱しました
ウダーナ
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html
18 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 08:46:08.12 ID:Pd8wBVL3
>>16 中村先生は論じるに足りないんで措いて、
水野先生はキッチリ有為法って言ってるってみんな言ってるのになあ
有為法ってのは無常で無我、実体なく仮設されるだけのものって意味ね。
アラヤ識も仮設されるだけで本来実体ないんで
それは水野先生の『要語』全体を読めば明らかなことなんだが、
本体論実在論が明らかに遮断されている。
例えば旧版32, 130, 132, 146 に明らか。
その霊魂については旧版149で、重要でない細字の細目で、
しかも146以下の諸法無我、つまり無我、実体・本質がないという解説を受けてのものであり、
無我といっても言い習わしでいう仮設としての「我」「私」「本質」は言い習わし通り用いるという意味で、その意味の我も否定するような虚無主義、ニヒリズムではないという意味なんだが。
つまり、誤解してるのはいつものように在家とか宝珠に他ならない。
何度指摘されても繰り返すのが腹黒いと言われる由縁で、オイラも確信した。
神智学は外道神崇拝なんだろ。
ヒンズーの影響が大きいという話だな。
20 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 09:04:33.34 ID:pWCF/u8S
>>18 >有為法ってのは無常で無我、実体なく仮設されるだけのものって意味ね。
アラヤ識も仮設されるだけで本来実体ないんで
>つまり、誤解してるのはいつものように在家とか宝珠に他ならない。
何度指摘されても繰り返すのが腹黒いと言われる由縁で、オイラも確信した。
>>3 一在家
>また阿頼耶識という媒体(一種の種)に輪廻におけるカルマと知識、記憶が蓄積されており、今世に生まれた時に唯識(認識のみ)が生じる。
よって前世の識と今世の識とは「不一不異」である。
仮設されるアラヤ識が運ぶ「カルマと知識、記憶」は実体なき非物質で「識」も変化すると直近にまとめております。
オイラ氏の確信も空性だと宜しいのですが。
21 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 09:19:29.05 ID:Pd8wBVL3
>>20 全然分かってないんだから、まとめないで
あといつもながら、誤解していたことについて何も言わないよね
空性に決まってるでしょ
そういう発言は空性が分かってない証拠
ほんと全く分かってないって自覚してくれよん
じゃなきゃ、仏教を理解しようとするのやめるか
誤解を産むだけだから
仏教では三善趣と三悪趣に六道輪廻は分かれる。ってことはその善と悪の間があるということである。
輪廻という言葉で表されている何とも言えないカオス的なところが間なのだろう。
睡眠による夢も一種のカオスであると思う。もしその一種のカオスである夢が、
何らかの意味をなしているとするならば、意志疎通のためだとか、良くも悪くも知識知恵を
得る役割を果たすためのものだったりとか、いろいろである。
しかし人間はしょせん人間なのであって、五蘊を持つ者なのである。
しかし五蘊の法則が、いろいろな人間界があるので、違ってくるだろう。
そこが重要点だと思っている。睡眠の夢とはいろいろな人間界にいろいろな
法則に従属することは承知の上で生まれたきたいろいろな個性を持つ人間が
想念体で接しているのだろうと思う。しかし所詮人間であるため、堕落することもあるだろう。
私も堕落しかけた。でもその堕落からなんとか這い上がって、毎日の夢見という
恩恵を受けるようになった。
自分は一人じゃないんだと分かった気がする。自分は何の役割があるのだろう?
たぶん、一人間としてパソコンを死ぬまで投稿するということが私の使命であるのだろう。
というわけで私は一人間として死ぬまで投稿します。
23 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 12:06:27.82 ID:8teF0w9/
>>10 オイラ氏が出したのはチベット仏教においてのことで
それも神通力のある餓鬼のことです
宝珠さんが考える幽霊とは違いますね
また上座部の国々でも精霊ピーなどのたたりを信じる風習があるけど
それは土俗信仰でしょ
宝珠氏が考える霊障 幽霊のたたりなども日本の祖霊信仰 精霊信仰が
仏教の一部に混淆された結果に過ぎませんね
チベット仏教の一部もボン教などとミックスされていると思われるのですが
どうなのでしょうね
24 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 13:14:33.59 ID:Pd8wBVL3
>>23 いやいや、幽霊と餓鬼は同じですよ
チベットの先生も日本でもよく見る方がいます。
もちろん、49日以内の意成身も霊と呼ばれると思いますが、
いわゆる悪霊、怨霊とかは49日以降のもので餓鬼に相当するという意味です
25 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 14:03:13.44 ID:pWCF/u8S
意成身(心からなる存在)も執着が強いと49日以降は、チベットでも日本でも厄介そうですね。
26 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 14:21:21.43 ID:8teF0w9/
>>24 参考までにそれに関する経典など 教えていただけませんか?
27 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 15:22:00.04 ID:Pd8wBVL3
28 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 15:30:16.77 ID:8teF0w9/
>>27 すみません
漢訳なので^^;
翻訳かけてもわかりにくいし^^;
『バルド・トゥードゥル』のしっかりした翻訳を探したほうがいいですね
29 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 15:35:12.25 ID:pWCF/u8S
>>27 オイラ氏
>だから、49日以降は意成身ではなく餓鬼と解釈されると、
名称、呼称の違いということで。。納得しております。
もし、49日以降は存在が異なるのであれば、ただ私が知らないということです。
生霊と死霊と幽霊て何がちがうん
31 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 15:52:16.09 ID:Pd8wBVL3
>>28 ではリンク先のギュルメー・ドルジェ英訳をお勧めします
中有のことを確認するだけなら川崎訳で充分でしょう
文庫版113に明記されてます。
>>29 これは呼称、記号の問題ではありません。
そもそも中有というのは、ある生から次の生までの中間的あり方という意味なので、
北伝系では一貫してそう捉えています。
これは文献的問題ではなく、行者もそう認識してます。
こういう点も明らかなのに自説に都合悪いから改めないだけでしょう。
だから、アナタなどの自説に仏教を権威づけたい人たちは困るんですよ。
32 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 15:52:59.85 ID:pWCF/u8S
>>30 >生霊と死霊と幽霊て何がちがうん
生霊は幽体離脱した際の幽体のこと。
死霊と幽霊とはほぼ同じ意味かと思います。
死霊にも成仏した霊、浮遊霊、地縛霊、憑依霊と色々と分類されております。
よく心霊写真に映るのは浮遊霊、地縛霊。
霊動現象で出てくるのは憑依霊、新約聖書ではイエスや使徒達が除霊されました。
以上、心霊科学上での普通の分類だったと記憶します。(元心霊科学協会会員)
目下、この板では、死霊も49日以内は意成体で49日以降は餓鬼と解釈されるとオイラ氏より指摘がございました。
確かに49日以内にあの世に赴く(成仏)のルール違反は良くないことは異教でも伺っております。
33 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 15:58:01.21 ID:pWCF/u8S
>>31 >そもそも中有というのは、ある生から次の生までの中間的あり方という意味なので、
>北伝系では一貫してそう捉えています。
その定義ですと、天、地獄は次の生までの中間的あり方なので中有でしゅうか。
畜生は地獄の畜生道の場合と、次の性が畜生の場合もあり注意を要します。
>>15 あなたは都合の悪い内容(伝統仏教とやらの不条理や間違いの指摘)は、
いつも私の神智学信奉のせいにして逃げるのです。
いい逃げ道があって良かったですよね!
>>18 そうではなくて、本体論実在論の遮断というのは“無記としてこれを説かない”という意味。
>無我といっても言い習わしでいう仮設としての「我」「私」「本質」は
>言い習わし通り用いるという意味で、その意味の我も否定するような虚無主義、
>ニヒリズムではないという意味なんだが。
そんなことは百も承知。
35 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 16:04:56.12 ID:Pd8wBVL3
>>33 いやもう止めるはとにかく分かってないし
分かろうという気もないようですから
>>19 いえ、特定の神の信奉や聖典の偏愛はしません。
>>29 一代はテキスト主義者だから。
>>23 餓鬼の救済を説いてきた仏教において、幽霊問題の救済も同様に僧侶の勤めだと思いますよ。
あなたは幽霊問題を低レベルな土着の民族信仰による迷信の類いにしようとしています。あなた
のような者が一家の主だと霊障に苦しむその家庭は救われずに崩壊する。
在家さんのいう通り、事故多発の踏み切りや道路に潜む地縛霊を救済すれば、その日から嘘の
ように異常な多発事故は解消します。今、テレビを賑わせている突然変異の理由無き無差別殺人
の主な原因は凶悪な霊存在による憑依です。治癒無きままに何年〜何十年も精神科の牢獄にぶ
ち込まれている患者の何割かは霊障害です。これら精神科医がお手上げした患者が霊障を起して
いる霊を救済することで、その日から別人のように直った事例は少なくない。
真実を---あなたが知らないだけ。
サロメさん、あなたは一代にソックリ(のテキスト主義者)です。
Aの宗教とBの宗教で異なる表現になっていたら、それはもう別物です。これが同じことを指している
かどうかを自分で考える智慧がなく、正統とみなされている聖典や文献で、これらが同じものだとの
明確な説明文がない限りは認めることができない人です。
37 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 16:15:55.09 ID:pWCF/u8S
>>35 >分かろうという気もないようですから
如来の法身は自性か無自性かで見解が分かれるようです。
オイラ氏を始め過半数の仏教徒は「無自性」との理解でしょうか。
私は「自性」か否かは分かりませんが「意思」があると思います。
報身や応身の如来の「衆生済度」の本願が根拠です。
38 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 16:21:31.30 ID:Pd8wBVL3
>>37 >私は「自性」か否かは分かりませんが「意思」があると思います。
>報身や応身の如来の「衆生済度」の本願が根拠です。
意思、意欲があったら戯論寂滅してないでしょ
受用身・報身が誓願の果として現れ、無功用(意図せず自然)に化身が生じる
というのが大乗一般説で『入中論』にも書いてあるんだけどな
39 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 16:23:31.96 ID:r0flQ+8f
>>36 だから同じ手かざしでもャoカボンと真光系統では違うでしょと在家さんにお話しましたし^^
仏教における餓鬼の概念と民間習俗の心霊とは分けて論じましょう^^
あのー憑依霊とか地縛霊とかいい加減にしてください^^
仏教の概念に基づいて議論しましょう
>>33 在家さん。
一代の解釈は六道輪廻のことですよ。
六道のいずれかに赴けば、それは次の転生(生存)ということ。
餓鬼(幽霊)はすでに六道の一つである「餓鬼界」に転生した姿だという意味。
つまり、最長49日以内でこの六道のいずれかに人は転生するというもの。
まっ、私からいわせれば、この六道そのものも後代の付加解釈(本当は違うが)なのですが・・・。
41 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 16:28:14.48 ID:pWCF/u8S
>>36 宝珠氏
>一代はテキスト主義者だから。
70%はそうかも知れませんね、でも残りの30%はどうでしょうか?
チベット仏教はもちろんのこと真言宗は実践重視だと思いますので、実際に餓鬼の
影響(霊障)を受けた人々とそれに対応した僧侶達の事例はこのスレの誰よりも
よくご存じではないかと思料します。
多分、議論板では「テキスト一代」のスタンスを保たれたいだけかと推察します。
42 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 16:35:23.48 ID:pWCF/u8S
>>38 オイラ氏
>意思、意欲があったら戯論寂滅してないでしょ
>受用身・報身が誓願の果として現れ、無功用(意図せず自然)に化身が生じる
>というのが大乗一般説で『入中論』にも書いてあるんだけどな
(参考)「全訳 入中論」P76
12-42 世尊よ! 貴方は大悲により寂静から戻られた。だから貴方は涅槃されない。
大乗一般説はどうだか知りませんが、報身の如来も同様に涅槃に入らず無住処涅槃かと存じます。
43 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 16:35:24.24 ID:Pd8wBVL3
>>41 私の解釈ではテキストとなんの矛盾もないけど
弘法大師や『入中論』『スッタニパータ』などなどと
矛盾すると思うのはアナタがたが勝手な解釈を入れるからでしょう
44 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 16:42:10.22 ID:r0flQ+8f
>>43 いわゆる『霊障』についてはどうお考えですか?
餓鬼の範囲内で対処するのでしょうか?
45 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 16:43:53.87 ID:pWCF/u8S
>>40 宝珠氏
>餓鬼(幽霊)はすでに六道の一つである「餓鬼界」に転生した姿だという意味。
>つまり、最長49日以内でこの六道のいずれかに人は転生するというもの。
なるほど、そういう定義だったということで分かりました。
次の問題は餓鬼が憑依した事例が仏教テキストにあるか否かでしょうか。
一般に餓鬼に憑依されると食べても食べてもお腹が空いて太らないとも伺います。
46 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 16:54:45.57 ID:Pd8wBVL3
>>42 なんでそう断章だけ抜いて勝手な解釈するでしょうね
>>44 事例によって個別ですね。
>>45 この場合の餓鬼は神通のある悪霊みたいなヤツで、
日本で言う怨霊や天狗などに相当するでしょう。
言葉の対象は一義的ではないんです
特に仏教の場合は縁起・空なんで、全く当たり前なんですが
47 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 16:57:14.94 ID:Pd8wBVL3
>>45 だから、仏教の文脈で理解しないとダメなんですよ
あらゆる面で言葉切り取ってきて自分の見方を押し付けては
すべてのことが分からないでしょう。
それが妄想を産む要因ですね
48 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 16:58:44.90 ID:r0flQ+8f
>>46 子孫や敵 怨む相手に祟る餓鬼も存在はするのですね
49 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 17:06:12.23 ID:Pd8wBVL3
>>48 そうです。その典型がシュンデンだったりするわけです。
ただ、だからといって何でもかんでも霊障というのもないです
一般には世俗の合理的な因果関係に従って行動する。
その中で霊障も否定はしませんが、その影響力は一般に低いと思います。
ですから霊障を大きく謳う宗教は怪しいと思います。
50 :
サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/18(土) 17:12:33.57 ID:r0flQ+8f
>>49 ああなるほど^^
例えがわかりやすいですね アレはそういう存在なのですね^^;
51 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 17:39:30.29 ID:pWCF/u8S
>>46 >なんでそう断章だけ抜いて勝手な解釈するでしょうね
それでは、訳者解説、註、本文の順に紹介します。
(参考)「全訳 チャンドラキールティ 入中論」
P9
慈悲の完成は仏において見られるが、そこでは衆生が救われない限り、完全な涅槃には入らないという無住処涅槃に展開する。
仏は慈悲そのものであるから、起居動作はいうに及ばず、たとえ呼吸さえも全て利他の為にある。
それは仏が三有の衆生を全て一子のように愛するからである。 (中略)
この慈悲が根本となって全ての人々を救おうとする決意が生ずる。これが菩提心であって、
P26
入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。
入中論12-42:慈悲の心ある仏は涅槃に向かう心を退ける。
P76
12-42 世尊よ! 貴方は大悲により寂静から戻られた。だから貴方は涅槃されない。
以上、勝手な解釈と言われましても。。
52 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 17:43:28.82 ID:pWCF/u8S
「在家に長部」→「在家に大智度論」→「在家に入中論」と無常ですね。
大智度論と入中論を紹介して下さった貴僧に感謝しております。
次は→「在家に入中論の正しい解釈」の順番かと予想します。
>>41 一代にとっては、自身の体験とテキストとは矛盾するものではないです(よ)。
>>48 横レスですが、
霊障を生じている霊というのは、必ずしも相手を怨んでいるわけではありませんから
(怨みが霊障害のすべての根本ではない)。
「苦しい」とか「欲しい」という強い思いの想念がそのまま残存しているような状態であり、
この意識波動そのものが負のエネルギーであり、これが家族なり周囲(及び共振した霊媒体質の者)に
自己の苦しい思いをぶつけてくる状態(救済を求める)が実際的な悪影響となっているものをいいます。
よく云うような、先祖が子孫を怨んだり呪う筈はないからという解釈で霊障を否定する人がいますが、
まったくり誤解そのものです。
>>49 >その中で霊障も否定はしませんが、その影響力は一般に低いと思います。
>ですから霊障を大きく謳う宗教は怪しいと思います。
横レスですが、同意。
霊障を過剰を煽る宗教は金取り詐欺(宗教ビジネス)が多いから
(当人は大真面目で真剣にそう信じている場合はあるが・・・)。
>>54 それだと、釈迦はバラモンやヒンドゥーの正統派だったと言うことになる。
非正統派たる今の仏教は全て間違っていると主張したいの?
56 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 18:27:06.26 ID:pWCF/u8S
>>54 >梵天勧請の逸話(経文)はゴータマがバラモンの神々を平伏させたことにしたい神格化です。
>つまり、後代の付加挿入です
私も長部経典を読む前はそう考えておりました。
・ゴータマは梵天界から下生した・・・長部「大善見王経」、「典尊経」
・梵天界のことも梵天のこともよく知っている・・・長部「三明経」
・大梵天の中の一方に強く懇願されて釈尊は初転法輪を行った・・・長部「大本経」
人間社会で譬えますと、進退に困っていた時に旧友がやって来てそのアドバイスに従った、
という時々あることで神格化ではないでしょう。
換言しますと、「大本経」だけ読むと神格化ともとれますが、長部経典の34経を俯瞰しますと
釈尊と大梵天、梵天達との関係が明白で親密さがよく分かるかと存じます。
57 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 18:39:17.37 ID:pWCF/u8S
>>56 旧友や昔からの知人を平伏させたという解釈はかなり変です。
大乗仏教で創作されたのかも知れませんね。
58 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/18(土) 18:40:19.92 ID:VXBq8NFC BE:1847756939-2BP(333)
59 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 18:47:27.49 ID:pWCF/u8S
>>53 >霊障を生じている霊というのは、必ずしも相手を怨んでいるわけではありませんから
>(怨みが霊障害のすべての根本ではない)。
おっしゃる通りです。
祖母が亡くなって可愛がっていた孫に憑依した事例も結構あります。
でも祖母が結核の場合は、孫もよく似た症状になりますので悲惨です。もし祖母が癌だったら。。。
ご霊は「孫を助けて下さい。」と泣きながら出て参りますが、「貴女が執着を断ってあの世へ行って下さい。」と対話しております。
以上、霊障ネタは尽きませんが、スレ違いなので止めておきましょう。>宝珠氏
仏教でいう法身てのは、空や無我そのもののようなもんだよ
決して、我を認めるもんじゃないです。
例えば、
この世にこれが正しいっていう真実なんて存在しない
と言ったとする。
じゃあ、それが真実であるとしたら、上の文章そのものも真実じゃないのか?って問題が起こるでしょ
法身というのは、上の文章のように逆説的に浮き上がってくるもので、空でないとか我があるという意味じゃない。
まあ、そうやって法身てもんを仮設すること自体危険であるのだけれど
あくまで説明の弁として用いられている。
だから、実際にはいろもかたちもましまさずとか、悟りを得たものにしか分からないとか言われるんだよ
ところで、ダライラマの智慧の目を開くにも同じようなことが書かれてあったよ
ここには自性身というカテゴリーがあると書かれているが
厳密には、客塵清浄法身と自性清浄法身とがあるようだ。
前者は、煩悩を断滅しつくした後の心の状態、つまり煩悩を引いたあとに残るであろうという間接的な表現
後者は、それ自体法身であるという、直截的な表現
であろう。
61 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/18(土) 20:41:33.45 ID:pWCF/u8S
>>60 >仏教でいう法身てのは、空や無我そのもののようなもんだよ
>決して、我を認めるもんじゃないです。
「衆生済度」を応身の如来は発願します。意志があるので涅槃に入らず。
「衆生済度」を報身の如来は発願します。意志があるので涅槃に入らず。
法身の如来は意志が無い空や無我そのものですか。
では何が因で報身や応身の如来の「衆生済度」の本願が起こったのでしょうか?
尚、法身の如来が大慈悲にて「衆生済度」の本願をされたのであれば論理は整合します。
62 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 20:51:49.08 ID:Pd8wBVL3
>>52 いや、もっと清らかな人かと思ってたんだけど、真っ黒ですね。
以下はエゴまみれ、自分スキーなのは遊びやカラスと同じですね。
>「在家に長部」→「在家に大智度論」→「在家に入中論」と無常ですね。
別にアナタだけ特別にそう説いたわけじゃないよ。
長部ではなく『梵網経』でしょ。『梵網経』が仏教と他の見解との関係と
戒・定・慧の段階との対応が分かり、断見・常見・中道(縁起・空・仮設)の位置がよく分かるからですよ。
『大智度論』を説明した経緯は忘れたけど、『入中論』を勧めたのではなく
『全訳入中論』の評釈を勧めたんですよ。
なぜなら、私に連続して質問するからで、私の仏教全体に対する体系的な見方が評釈に表されているからです。
それはログに明らかでしょう。評釈では『梵網経』から説き起こしてますよ。
そして『梵網経』が『中論』にどう関わっているかも明解に書いたつもり。
63 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 20:55:12.57 ID:Pd8wBVL3
>>51 しょうがないから説明しましょう『全訳入中論』の科段をみてください。
12-42がどこに位置づけられているか。
224. B12. 仏地の功徳、つまり道を歩んだ結果どうなるかを説く中で、
以下の四仏身が説かれ、
229. C5. 仏身
230. D1. 法身
231. D2. 受用身
232. D3. 等流身
245. D4. 化身
その補足として
246. C6. 一乗
247. C7. 無住処涅槃 が説かれた中での話。
230. D1. 法身:認識対象という乾いた薪を残らず燃やし尽くしたので寂静。
つまり、諸仏の法身は、その時、不生不滅で、かの心の止滅を身体によって現前なさる。12-8
いつもいうように法身は寂静。だから意思などない。
231. D2. 受用身:、如意樹のように明らかで寂静な身体で、如意宝珠のように無分別。
世界が解脱するまで世間を満たすために恒常である。これは戯論を離れたものに現れる。12-9
64 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 20:56:33.61 ID:Pd8wBVL3
これが誓願の報いとしての身体で、自註で以下のように註釈され「意思などない」ことが明言されいる。
>「如意樹のように明らかで、如意宝珠のように無分別」という。
> つまり、これは無分別であっても、如意樹や如意宝珠のように望み求める事が叶う因そのものという意味である。
> この身体は輪廻がある限り世間を満たすために存続するものでもある。
> この「恒常」という言葉で、悠久に存続することを示す。
> それ故、世間があるかぎり、虚空が続くかぎり、諸仏はこのあり方で有情利益だけをなされて居られると理解すべきである。
これが無住処涅槃の意味。これが普賢行の誓願の果で、有名なところではアミダの誓願がある。アミダ仏も法身は寂静、受用身もしくは化身が無住処涅槃するのですよ。
で、上にあるように凡人には法身はもちろん受用身も知覚不可能で、
化身しか知覚できません。どういうことか、凡人の因果では仏の働きは考えられないということ。
なんで業とか仏とかそういう不可思議とわれることばかり云々するのか?
だから、誤解なんだって。
>>61 うーん、君ほんと基本的なことが分からないんだね
応身、報身は、いわば衆生に理解できる形でレベルを落としたものだよ
良い例が阿弥陀仏。これは報身。
何が原因て、大聖釈迦牟尼世尊に決まっとるがな
釈尊いまさずば、化身をも化身と思えず、報身をも報身と思えなかったんだよ、衆生は。
あと、本願つーのは、菩薩のときに起こすもんだからな
本てのは因と同じ。因願とも言われる。
仏が仏になっていないときに立てられるから本であり、因。
あと真宗では弥陀は、本師本仏と言われ、5劫前の菩薩の姿はあくまで
衆生を救うための方便だよ。つまり、五劫以前から仏。
66 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 21:27:21.71 ID:Pd8wBVL3
在家、いいかげん仏教がちっとも分かってないって自覚してくれよ
だから、仏教知りたいなら一旦、おじいちゃんとかマヒカリとかの教義を措いて、仏教の言う通りに読む聞くしてよ
それができないなら、仏教は知りませんって言った方がいいと思うよ
67 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 22:56:45.90 ID:VXRzdEmN
「カーシュパよ、スメールほどの量の我見はまだしも、
おごれる者達の空見はまったくいただけない。」
大宝積経 迦葉品
空見の徒で、しかもそれを自慢する者達、彼等にとっては、この教えに於いて、
その空性という解脱への門に於いて、空性に酔い痴れて、空性そのものがひとつのとらわれた見方となっている。
宝性論より
全ての人はいかなる菩薩であっても我見が出発点だったわけで、
ですから我見の人にも諦めることなく優しくしてあげて下さい(>_<)
>>55 つまり、バラモン教(といっても内容は広い)、及び当時のバラモンたちの間違いを正した方
(指摘された方)ということでしょうね。かといって、もちろんヴェーダやウパニシャッドをそのま
ま説くことはされなかった。ヴェーダにも迷信を含むし、ウパニシャッドのような覚知できない形
而上の追求という手法はゴータマは摂らなかった。
全部ということではないですが、今の仏教(伝統仏教といっておきます)が説く幾つかの部分
的な範囲がゴータマのものとは違っています。
まず、無我の誤解(アートマンはないという解釈の間違い)、空の誤解(涅槃も仏も空などとい
うのは根本的誤解)、六道輪廻や畜生道の誤解(後代の間違った解釈や道徳的方便の無理
解による迷信)、仏に対する無意味な神格化の付加挿入・・・等々による結果が、現代に伝わっ
ている伝統仏教というものです。
少なくとも、この私はそういう理解にあります。これらは私個人の独りよがりの偏見というもの
ではなく、仏教学的にそう認められている学者はいますから。いずれ、もっとハッキリとしてくる
でしょう。
>>61 法身というのは、単なる象徴と解した方がいいですよ。
この現象界の生じ在りて在るものとその背後にある根源的な力(作用)と法則、
及び非現象界におけるすべての総ての総計的なものに対する尊称が法身仏というものです。
この法身仏が慈悲を以って云々・・・とすると、おかしな流れになっていきます。
元々、“法身仏”などといって「仏」に分類されているから誤解されるのです。
70 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 00:57:49.37 ID:QvPHk3wt
>>61 一在家
>法身の如来は意志が無い空や無我そのものですか。
>では何が因で報身や応身の如来の「衆生済度」の本願が起こったのでしょうか?
>尚、法身の如来が大慈悲にて「衆生済度」の本願をされたのであれば論理は整合します。
>>64 オイラ氏
>これが無住処涅槃の意味。これが普賢行の誓願の果で、有名なところではアミダの誓願がある。アミダ仏も法身は寂静、受用身もしくは化身が無住処涅槃するのですよ。
>で、上にあるように凡人には法身はもちろん受用身も知覚不可能で、化身しか知覚できません。
>>65 >あと、本願つーのは、菩薩のときに起こすもんだからな
>本てのは因と同じ。因願とも言われる。
>仏が仏になっていないときに立てられるから本であり、因。
何か話がかみ合っていないようなので、言葉を換えて整理してみます。
法身の如来の化身や報身がおられます。
化身(応身仏?)の前世は菩薩でした。
菩薩の時に彼は本願を起こしました。「我汝を救わずは正覚をとらじ」と。
では何が因でこの菩薩の「衆生済度」の本願が起こったのでしょうか?
尚、法身の如来が大慈悲にて「衆生済度」を願われたならば論理は整合します。
法身が因で応身仏及び前世の菩薩が現れます。
法身の大慈悲が無くして応身の前世の「衆生済度」の本願が現れるでしょうか?
>しょうがないから説明しましょう『全訳入中論』の科段をみてください。
ここは貴僧の誤解が多少ございます。
私の手元の「全訳 入中論」には、 229. C5. 仏身 〜230. D1. 法身247. C7〜247. C7. 無住処涅槃まで
赤線がびっしりと引かれております。前からの文脈も見て、上記の問いが生じておりますので、あしからず。
71 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 01:01:59.53 ID:QvPHk3wt
>>67 >ですから我見の人にも諦めることなく優しくしてあげて下さい(>_<)
大層慈悲深いお言葉を有り難うございます。
我見の私もめげずに釈尊の本来の教えを勉強して参ります。
なんつーかね・・・。
三馬鹿トリオに共通してるのは、
所縁のものであり、実体なく、実在でなく、無常なるものなので却下された「A」の代わりに
『SP「A」』を新設するトコ
なんだけどね・・。
仏教の骨格、本質の上では、「A」だろうが『SP「A」』だろうが関係なく却下なのに・・・。
ここが判ってない。彼らが声高に掲げる『SP「A」』の性質、在り様、要素等もまた、
至極単純明解な形で却下対象なのに・・。
「A」は確かに所縁のものであり、無常であり、真実在ではない。
が、
『SP「A」』は、所縁のものでなく、常住であり、真実在であり、これが無いとは説かれていない。
と。
説く必要もないくらい、却下当然な内容なのに・・・。
つか、
涅槃を実体的に見てる時点でアウトか・・。
彼等三人の言い分は、すべて《涅槃を具体的に【対象化】している姿勢》に他ならないのに・・。
で、結局「梵我一如」そのものなわけで、
お釈迦さんがわざわざ新たに説き直す(修正する)必要なんてどこにもないwwwww
涅槃とはそういうものではない、というのがウダーナ8では言われているというのに。
73 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 01:14:54.17 ID:QvPHk3wt
>>69 宝珠氏
>この現象界の生じ在りて在るものとその背後にある根源的な力(作用)と法則、
>及び非現象界におけるすべての総ての総計的なものに対する尊称が法身仏というものです。
法身を「現象界及び非現象界の法則」と解釈するのですね。
太陽の周りを地球が万有引力(自然界の法則)にて廻っております。
この法が少しでも異なれば、人類を含めて万生は生存できません。
遠い宇宙劫の頃から、諸々の「自然界の法則」を設定された「大慈悲」こそ「法身の如来」だと仮設しております。
そして「大慈悲」を因として幾多の化身、報身が起こってきたと次に仮設しております。
あー、あと、
『第一原因の希求(≒それへの合一)を最終目標とする』とことか。
或いはまた、
『必ず、根源としての主体があって、すべては、その主体の行為(或いは意図・意思・意志・誓願)から始まる』
『主体の外の世界は、主体が見る対象であり、主体とは別』
『世界(外界)或いは主体が収まっている器は滅びても主体は滅びない』とか。
全部『反縁起』『反涅槃』なのにね・・・。
75 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 01:46:26.64 ID:QvPHk3wt
>>72 多分、セブン氏
>『SP「A」』は、所縁のものでなく、常住であり、真実在であり、これが無いとは説かれていない。
>と。
>説く必要もないくらい、却下当然な内容なのに・・・。
過去世(ログ)でも紹介しましたが、庭野先生は法華経「如来寿量品第十六」を以下のように訳されました。
その時も議論板住人からは「酷い訳だ」とブーイングでしたが。
すべてのものは、生まれ、かつ死に、必ず変化するものでありますが、それはただ現象の上だけのことであって、
如来の眼をもってすべてのものごとの実相を見れば、全ては消え去ることもなく、現れることもありません。
また、この世に在るとか、世を去るとかいうことは、本来ないのであります。
目の前に物事が現実に『在る』と見るのも間違いであれば、『無い』と断定するのも誤りです。
また、物事が常住するもののように考えるのも迷いでありますが、現象面だけ見て、常住するものがないと考えるのも浅い見方です。
(中略)
仏の目から見た本当の世界は、このように不滅・常住であるにもかかわらず、衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。
(参考)「現代語の法華経」庭野
末法の世に「王様は裸だ。」と叫ぶ仏教徒はおりませんか。
王様:伝統的な仏典解釈
>>61 法身というのは、単なる象徴と解した方がいいですよ。
この現象界の生じ在りて在るものとその背後にある根源的な力(作用)と法則、
及び非現象界におけるすべての総ての総計的なものに対する尊称が法身仏というものです。
この法身仏が慈悲を以って云々・・・とすると、おかしな流れになっていきます。
元々、“法身仏”などといって「仏」に分類されているから誤解されるのです。
>>73 確かに、在家さんのおっしゃる通り“意志は在る”んだけど、しかし、仏教ではそういうことは説かれ
ておらず、またゴータマもそう説いたかどうかは確認できていない、というのが現状ですから。
従って、法身そのものを以って慈悲へと結び付けても、議論としてはあまり意義はないかと思います。
ただいえる確かなこととは、下位にある者は上位の者に救いを求め、そして、上方に位置する者は自
分よりも下位にある者が不憫に見えて自然と手を差し出す、というのはものの道理です。
ましてや、完成者である如来にとっては、衆生に対して自然と慈悲心が湧き上がるであろうことは想
像に難くないでしょう(かつては自分もそうであったという同情と共感から)。
それと、法身の変化身としての如来という意味での「応身」「報身」というのは、いわば大乗の身勝手
論理というものなのです。つまり、法身の慈悲から使わされた仏である的な意味合いの無意味さ。これ
は、大日如来の教輪身としての不動明王という教義の無意味さも、また同様だということ。
>>72 >というのがウダーナ8では言われているというのに。
誤読-乙
>>74 >全部『反縁起』『反涅槃』なのにね・・・。
では、「縁起」は何故あるのか?これを仏教的に説明しなさいな。
それが出来ないなら、“第一原因の希求”などという尤もらしい批判は如何なものでしょうか?
>>72 >三馬鹿トリオに共通してるのは、
私、カラスさん、在家さんの三人に共通するのは、
“仏教以外では輪廻から免れず、従って、外道外教での救いはない”
という伝統仏教による理解の愚かさ(間違い)への指摘ですよ。
「この宗教だけが唯一の真理なので、他はすべてダメ」
などと説く宗教にはロクなところなし。
そういうことをいう宗教は例外なく低次元です。
自らコレを晒すのは愚かしい限り---実に恥ずかしいこと
79 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 02:30:21.99 ID:QvPHk3wt
>>75 >末法の世に「王様は裸だ。」と叫ぶ仏教徒はおりませんか。
>王様:伝統的な仏典解釈
いつも言葉足らずで誤解されることも多いし、慇懃無礼にもならないように、もう少し補足致します。
数年前に正法の世から末法の世へ移り変わった理由を考えてあれこれ仮説を立てました。
@釈尊が説かれた教え以外の教えが増えた
A原始仏典の解釈が段々変ってきてしまった
B正しく実践する者が少なくなった
@は、原始仏典以外の大乗経典で創作性の高いものはその可能性があります。また原始仏典でも後の世の追加や翻訳時の改竄はあり得ます。
Aは、もし原始仏典が原初の物とほぼ同じであったとしても、伝統的解釈が異なってきている場合です。
Bは、もし原始仏典が原初の物とほぼ同じであり、かつ解釈も原初とほぼ同じであっても、良き師の下で学ぶ機会が少ない場合です。
兎に角、「末法の世」という果を見て、その因を落ち着いて着実に見ることも重要かと存じます。
まずは原始仏典のテキストの検証から進めております。
もし庭野氏の訳に違和感がある仏教徒が多いとしたら、あの方が「王様は裸だ。」と叫ばれたのかも知れません。
何故多くの法華経訳の中で庭野日敬氏の訳かと申しますと、ただ師があの方と対談されたと伺ったことが縁です。
80 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 02:41:08.70 ID:QvPHk3wt
>>78 宝珠氏
>私、カラスさん、在家さんの三人に共通するのは、
>“仏教以外では輪廻から免れず、従って、外道外教での救いはない”
>という伝統仏教による理解の愚かさ(間違い)への指摘ですよ。
補足しますと「伝統仏教的解釈」とか「中論では」とかを上段に掲げられると??と思うことが多いです。
根拠は釈尊の最後の言葉が「自分と法を洲とせよ」だったからです。
「我見」は当然偏頗ですが、同様に「伝統仏教的解釈」も偏頗でしょう。
ここでむかっとくる方は、「正統のカトリック教会の解釈だから」と貴方が言われた場合にどう感じるかを
少しだけイメージすれば分かるかと存じます。
それと同じことを異教と仏教初心者に行っているかも知れませんので。
81 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 04:42:39.21 ID:WlCLC3ui
>>70 >化身(応身仏?)の前世は菩薩でした。
分かってないな。
化身ってのは、法身、あるいは受用身(報身)から誓願によって
無功用(意図せず自然)に化した身体なんですよ
これでも分からなければ、無理なんで自分が分かってないと自覚すればいいだけのことなんだけと
それと完全に誤解してた部分について訂正の発言が毎度ないってのもね
いっつも誤解でしょ。
82 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 04:45:33.92 ID:WlCLC3ui
>>72 それが有身見、我見だから
なんらかの基体(アルケー、元素)がなくてはならない、といった
これは「ライプニッツの問い」とおんなじことだと思うんだけど
なかなか抜け難い考えだとは思います
83 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 04:49:12.35 ID:WlCLC3ui
>>79 そりゃ自分の誤解を正当化するためのマヌケな理屈だって
やっぱ付き合えない、もう好きにしたらいいよ
随分、真面目に付き合ったのはマヌケだったと思う
もうオイラに聞くの止めてね
>>78 さすがに我田引水だろ。三人に共通しているのはスピリチュアルを実証しようとしていること。
それなら次から、バラモン、ヒンドゥーついでにエルカンターレスレにでもすればいい。
仏典の誤解と迷信で全ての説明がつくだろうし。
kkが入ると自説の権威付けに失敗するから反対?
それともスレに人が来なくjなるから反対?
ついでに他宗に対する恥ずかしい偏見が暴露するから反対?
85 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 06:31:27.65 ID:QvPHk3wt
>>83 オイラ氏
>随分、真面目に付き合ったのはマヌケだったと思う
>もうオイラに聞くの止めてね
それは大変残念です。これまで親切なコメントを有難うございました。
「自分を洲」として、もっと「入中論」を勉強して、今後も引用させていただきます。
86 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 07:50:35.95 ID:QvPHk3wt
>>72 >結局「梵我一如」そのものなわけで、
>お釈迦さんがわざわざ新たに説き直す(修正する)必要なんてどこにもないwwwww
釈尊以前に「輪廻」は説かれてましたが、釈尊も説かれました。
釈尊以前に「梵天界」は説かれてましたが、釈尊も説かれました。
釈尊以外の聖者が説かれていた法の中で間違いではないものはそのまま利用し、衆生済度の為に
輪廻からの解脱(涅槃入り)の法を新たに(オリジナルで)釈尊は説かれたという見方もございます。
根拠は長部19経「典尊経」におきまして、釈尊は前世でバラモンであり弟子達を梵天界へ再生させる法
までは説いたとご自身で述べておられますので。
87 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 08:29:36.54 ID:WlCLC3ui
>>72 セブンさん
さすがです。とても分かりやすいと思います。
そして、その「SP A」は外道だけではなく、
無宗教で特定の教義に依存していない、と思っている方々も、抱いているものなんだろうね
>>70 一在家さん
>尚、法身の如来が大慈悲にて「衆生済度」を願われたならば論理は整合します。
それを理由に如来に意志があるというならば、
砂塵を向かい風に向かって投げて、痛い目をみたとき、
「自業自得を教えてくれたとは、風と砂塵は慈悲深く私に法を説いたのだ、
だから、風と砂塵には意志があるのだ」
という論も、同様に認めることになる気がするよ
つまり、結局はこの一切に意志をもたないものはものはない=すべて平等
ということになる。
もちろん、意志という言葉を導くための方便として使うなら、この言い方も1つアリだとは思うけどね
>>84 「スピリチュアル」や「チャネリング」とか「ニューエージ」の主張が全面的に正しいわけじゃないから。
彼らに共通するものは、物質(肉体)次元を超越したところの存在(霊界や宇宙)、及び通信は何でも
高次高度である、という思い込みと決めつけによる誤解を持つこと。
確かに、ある程度の意識の高い存在か働いていたり、関与しているケースはあるけれども、少し詳
細をいえば、神智学的には1.5段階とか2段階程度(2段階は神通を発揮する)までのイニシエート存在
ばかりです。これらはすべてアストラル界(7界層在る)のレベルにしか過ぎず、そこからの情報では歪
曲は免れない(真実を知ることはできない)。本物の覚者方というのは、アストラル界層からコンタクト
をとってくることは決してないから(メンタル界層しか通信に使用しない)。
よって、そういうところと組することは、自らも似たもの同士を主張するようなもので愚かしいことです。
もちろん、真面目にやっているところもあるだろうから、そういう意味での評価はしますが・・・。
尚、KKというのは、教祖による自己満と権威意識を満たすための単なるビジネス商法にしか過ぎま
せんよ。元々、トーメン社で働いていたけれども、総理大臣になりたいとか、会社のトップに君臨したい
とかいう野心があって、もっといいビジネスに気付いたから始めたものです。
とにかく、本物を見抜く目を養うことが自分自身の修行の基本というものです。
たぶんセブン?かと思うけれども、
被災地にでも出向いて、供養がてらに心霊体験にでもトライしてみたらどう?
まずは行動を起こさないと、
いつまでも“物質レベルがすべて”などという低次元の視野から抜け出せないから。
どんな伝統諸宗教の聖人聖者も唯物主義であったことはなく、もちろん諸仏も同様ですからね
>>75 一在家さん
衆生が、生じる、滅する、来る、去る、同じ、異なる、常住、無常
といった見解(=行)を起こすのは、「自性・基底がある」という無明にあるからなんだろうね
逆に、無明を滅すると、そういった諸々の見解・行がおさまる
これは、哲学的にも当たってると思う
というのも、「生じる、滅する、来る、去る、同じ、異なる、常住、無常」
ということは、そのモノに自性を認めて初めて成り立つことだから
「仏教は自性を認めない」ということが強調されすぎて見落とされている気がするんだけど、
無明から起こる「その自性はあるんだ」といった諸々の行を筏として、
涅槃に向かうってこと。見解を利用して見解を滅するの。
で、筏の使い方とか、いくべき方角を教えてくれるのが「法」ね
92 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 09:39:40.80 ID:WlCLC3ui
>>91 いいですね。
その場合、勝義が不生、無自性。世俗あるいは仮設が生、自性。
世俗の言い習わしとして生や自性(本質)という諸法が幻のように仮設され、
幻のように対象作用としての因果を持つと。
輪廻の瀑流のなかで自洲法洲という道としての乗り物にのって、
彼岸という戯論寂滅へ渡った時、それら道としての諸法も寂滅すると
諸法も戯論に他ならないから。
>>92 一代さん
ですね〜。
勝義においては不生なるも、衆生世間の諦に随順する故に仮に生と名づく!みたいな
94 :
ブーメランに釣られる朝型人間:2013/05/19(日) 10:17:58.75 ID:V5nUqO12
>>10 >お話にならないです。
信仰・世界観上の機能や表現が被っているからといって混淆させても無意味ということだと思います。
>餓鬼が覚知されれば、それはいわゆる幽霊ということになる。
日本の通俗的心霊観での「幽霊」に近いのはプータやピトリでしょうか。
混ぜても無意味だと思うので「比較」はしても「同定」はしません。やっても
理解に益することは何もなく、「実は○○だった」設定の量が頭の中で多少増えるだけでしょう。
実際これまでも、グノーシス主義においてヤハウェがいわゆるアルコーンとされたり、
一在家氏によっていわゆる梵天の一柱だろうか、と言われたところで
当人たちにしか意味を持ち得なかったわけです。
他所の人達の信仰内容を、自分の信仰で処理しているだけです。
95 :
ブーメランに釣られる朝型人間:2013/05/19(日) 10:39:21.91 ID:V5nUqO12
>>12 >ゴータマ時代のバラモンたちは皆、
梵網経に最近の、と時代を限定する文句はありません。釈迦が
過去において「真のアートマン」に目覚めたリシやバラモンを挙げたこともありません。
彼が自分の悟りと、他の伝統・宗教の悟りを同定したこともありません。
たとえていうなら
キリスト教の聖者が見た「至聖三者」道教の聖者が見た「三清」
ヒンドゥーの聖者が見た「トリムールティ」を表現が似通っているからと
勝手に「同定」しているだけです。それを補完するために
梵網経の扱いに代表されるようなストーリーの追加を行う。
>ゴータマがそれらの間違ったバラモンたちとの混同を避けるべく、
>アートマンを説く手法を自らは摂らなかったのだということ(ヴェーダも使用せず)。---
筋が通ってないですね。「勝手に誤解」したのは単に「同時代のバラモン」だったはずです。
「本来の教え」を語るのなら、それだけで区別になるのであり、むしろ
混同を避け「誤謬との峻別」が可能です。イスラームや神智学がイエスの個人名をあげ、
キリスト教を誤解されたものだと言うように。
>>90 いや、残念ながらいろいろ違う。
kkが可笑しいのは、霊界にヒエラルキーを作っていいように人々を操ろうとしているから。
その点では、大川を非難しても、類似団体にとっては悔い改めにならない。
昔、学会員が空中浮遊について、真実だったとしても民衆の役には立たないと言っていた。
その学会にしても、GDPが20年間停滞している中で功徳が起こったとしても、それは搾取に当たることを思い浮かばない。
霊障にしてもそう、中世と現代、対策は中世のほうが行われていたはずなのに、現代は2倍の平均寿命を誇る。
この資本主義のご時勢、実際役に立てば、もっと皆が飛びつくはず。それが霊感商法位しか使われていないのはおかしいと思わないの?
97 :
ブーメランに釣られる朝型人間:2013/05/19(日) 10:58:40.88 ID:V5nUqO12
前回こういう話があったとき、どう言われたんでしたっけ。
「実際、釈迦はそうしたんだからしゃあないでしょ!」
だったでしょうか。
別に区別せんでもいい、それで問題ない。それに違和感も感じないためには、
万教帰一的な物の見方(どの宗教も「本来」目指すもの、行き着く先は同じ)、
それと伝統宗教みたくゴリゴリにやらなくても、
師子相承の場でやるような「真理」に対する厳密な前提の教示がなくても(「要点」が重なってればいい)、
なんかまあメソッドを一生懸命やればいつか行き着くだろう、という価値観が必要です。
要するに近代的な物の見方です。
そして特定の人間を、「開明的な自分たち」の側につける発想です。
彼らと同時代の他の人々と異なり、時代と文化を超えて自分達と同質である、という好意的な偏見です。
・団塊の世代の前後に生まれた者たちの時代を私はぶち壊す
彼らの築き上げてきたものは、団塊という言葉にあるように、塊なんだよ!
塊ってのはようは物質だね。物質でしかないね。つまり多種多様な物質を
作るために生まれてきた人々なんだよ。だからね、物質的な考えしか持っていない。
よって霊なんて分かるわけないんだよ。それなのに公然と霊を言っている。
そこに違和感を感じる。しかし若者は騙されやすいのはいつの世でも同じこと。
でも僕は絶対に騙されないからね。ちょっとの当て付けでも明確な目を以て反論するからね。
もうお気づきの方もおられると思われますが、哲学板と宗教板とオカルト板の内で、
もうこのスレッドと本家であるあっちの悟りスレッドしか生き残ってないってこと
が分かるよね?そう、後はこのスレッドをクリアーにすればもう2ちゃんは
一掃される。僕が明らかにする毎に、獣の刻印、闇の住人、魔、なんて表現しても
いいが、そのような輩はもういなくなる。でもね、自分を守っているそのような
類の連中はまだうじゃうじゃいるよ(爆笑)。あなた方が思っているほど、
娑婆は甘くない。このスレッドが一掃されても、また新たな視点を持った
というか即急に作った者たちが、またうじゃうじゃと出て来ると言っているのだよ私は。
でも彼ら団塊の世代の前後に生まれた者たちは、若者をある型にはめようと
躍起になる。それは恵まれた環境を持った次世代に対する僻み根性である。
つまり団塊の世代というのは、イイ物を作ろうという一致団結によって
出来たグループである。
まあね、僕のじいちゃんよりの家系図は平安末期まであって、それ以降は焼失して
なかったらしいんだけどね。僕のじいちゃんなんかは、一代で寺築いたんだけど、
だから僕が住職になったら三代目なんだけどね、じいちゃんは足が悪くてねー、
兵隊さんに連れていかれなかったんだ。そんでね、死ぬほど努力して、今の僕の
住むでっかい寺作ったんだけどね。
僕が言いたいことは団塊の世代の前の時代つまりじいちゃんの頃の時代の中では
御坊さんは凄い人いっぱいいたんだ。団塊の後、つまり父さんの頃の時代になると
ただ団塊の世代のレールに歩むだけの時代なんだよ。その悶々とした時に
いろいろな偏屈者が出てきたんだと思うよ。ここにいる人々は何歳が多いのかな?
偏屈者と革命家は違うよ。偏屈者が革命家であるという気持ちの悪い風潮が
もしまかり通る世の中ならば、僕はそれをぶち壊したい。もう僕らに老人中年は
引導を渡すべきだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ただ悶々とした中で生まれた偏屈者たちは時代の産物なんだよ。だからその産物を
美味しく頂くか、まずいと思い、ぺっぺっぺと唾を吐くかはキミたち次第なんだよ。
若者はいないのか?
100 :
ブーメランに釣られる朝型人間:2013/05/19(日) 11:13:04.35 ID:V5nUqO12
無為は存在論的なものじゃない、って要語145ページにありますね。
生死輪廻を越えているが故に涅槃のことをこう呼ぶけれども
心情的な表現で、客観的事実のものでないとも。
部派仏教では有為と対なる原理として実体視されてたのかー、興味深い。
101 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 11:16:11.52 ID:QzEcPwbR
仏教徒はお金儲けをしているから悟れない
仕事にしてはいけなかった
インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボーチルドレン
はいないのか?
おいおい。早く僕の考えにまで追いついてきてくれよ・・・。
僕がここまでこれたのは、中年老人の偏屈な卑屈になった人物像という産物を
美味しく頂いてきたからだ!何事にも諦めない、いつか分かってもらうんだ、
分かってもらえなくても、言い負かすんだという気持ち、それがなかったら
ここまで来れなかったと思う。そして奇跡。僕の身に、周りに起こった奇跡
がなかったらここまで来れなかった。
でも、暗黙の了解があり、老人中年の洗脳があり、社会のレールに従っている時代遅れの現状もあり、
僕たちは、それぞれの運命に流されているのだろう。でもそれはそれでいいのだよ。
一致団結したらだめ。今のままで行けるところまで行こう!絆を絶ち、ただ前を向いて
歩む姿勢。もし、あなた方が今思う理想でしかなかったならば、悲惨な理想だね。
夢は大きくって小学校の時に習わなかったの?? あなた方にある夢って極小だねw
まあ、それも分かる。だって自分をさらけだして、損することが多いもんね。
でも法律がある限り、善悪二元論でいう善は消えないよ。
104 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 11:21:53.10 ID:QvPHk3wt
>>91 >衆生が、生じる、滅する、来る、去る、同じ、異なる、常住、無常
>といった見解(=行)を起こすのは、「自性・基底がある」という無明にあるからなんだろうね
>逆に、無明を滅すると、そういった諸々の見解・行がおさまる
「行」の第一設立条件に「無明」の設定は必須でしょうか。
逆にもし人に「仏性」が宿るのであれば、第一原因は「無量光」でもおかしくはないと存じます。
最近、長部15経「大縁方便経」を読んだ縁でこのような考えが起こりました。
老死→誕生→生存(有)→執着→渇愛→感受→接触→名称と形態(名色)→識別作用→名称と形態
説法相手:アーナンダ(阿難)
特徴:十二支縁起説にある無明、行はこの経典では説かれていない。
本スレで議論されている「輪廻」からの解脱ですが、「識別作用」と「名称と形態」とがあっても、
「執着」、「渇愛」、「感受」、「接触」の何れかの連鎖を外せたら、再び母胎に宿ることはないことが分かります。
同様に「執着」、「渇愛」、「感受」、「接触」の何れかの連鎖を外せたら、
貴兄が御提示の「生じる、滅する、来る、去る、同じ、異なる、常住、無常」という見解も起きるのでしょうか。
私も伝統的仏教解釈を否定する者ではございません。ただ対機説法「四悉壇」を考慮されていないようなので
「○○経で釈尊はかくかくしかじかと説かれた」と大上段に言われても??と思うことが度々ございます。
105 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 11:28:08.31 ID:QzEcPwbR
>>102 もうとっくに追い越してる
住職としてお金儲けしてるから君は悟れないんだよ
そうしてる間は悟らない そして成長はありえない
小さな蠅の如き連中には用はない。問題は偏屈者という産物をどう料理して
美味しく頂くかだ。あなた方はそれは現れ出る縁であることをしらないだろう。
霊が憑りつくって言うけどそうじゃないと思う。霊と縁があったんだよ。
そして霊は奪うのが霊を取り扱うと自称する連中だ。彼らは私たちのような
若者に憑いている霊に嫉妬しているんだよ。もっと言えば私たちに嫉妬しているんだよ。
彼らを偏屈者と言い、又の名を団塊の世代の前後に生まれた者たちという。
>>101 金子大栄、曽我量深、安田理深なんかや他にもいろいろな真宗僧侶が
出てきたの知らないんでしょう?全部が全部真宗僧侶じゃないか・・・。
明治から昭和になる頃にたっくさん真宗僧侶を排出した浄土真宗は凄いなw
どうやらあなたの言っている悟りとは、神秘体験を超えた神秘体験のような類だと思われる。
たぶんそれが限界で常識なのだろう。(推測)
でも中年は善良な人々が多いように思う。また老人は人々を指導する役割をちゃんと
全うしているように思う。ならば、老人も中年も善良なのだろう。
でもその根性ははたしていかがなものなのだろうか・・・。僕の中では違和感が
沸き起こって来るのだが・・・。
107 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 11:41:36.50 ID:QzEcPwbR
>>106 その人達が本当に悟っていたらいいけどね
108 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 11:45:32.97 ID:QzEcPwbR
何を言っているのかわからないならそこまでの理解だったということだよ
>>105 僕は住職ではない。僧侶の卵であり、今学校に通って檀家参りしている者だ。
悟れないと言い、僕を考え込ませる。しかし考えてもどうしようもないことを考え込ませて
僕の生き方、人物像までも、勝手に決めてしまう。それが必然の成り行きになってしまう。
悟れないから悟る方法を探る。それはもう決められたものではないと納得しない。
納得しないので、僕はさらに考え込む。考え込んでまた言葉を出す。
そしてまた違う人々に何か言われて何か考え込む。そのやり取りが間違っている
ということではないが、でも善良な人はそれを見て、僕が間違っているように思う。
そして老人中年の洗脳に変わったりする。あなたの言いたいことは分かりますよ。
でも、乞食になるべきなのか?乞食になり、一生懸命努力するべきなのか。
それが出来ないんだろ?ってせせら笑っているあなたの顔が浮かぶ気がする。
とっくに追い越しているとは? 見越すと追い越すは違うよ。見越す人は
仏道を歩んでいない。ただ自分が一番になりたいという根性を曲げれないのだよ。
でもあなたの場合、言葉に出してまだ来ないので分からない。なにせ名無しなんだから・・・。
ただ仏教を学んでいる人々には、正直言って彼らは彼らなりの真理があるから
言い負かせる確率は極端に低いだろう。彼らの精神的境地の偉大さが浮かばれる。
彼らをどうやって言い負かせばいいのだろう?
ましてや僧侶の卵でしかない者である私が・・・。
>>104 一在家さん
>「行」の第一設立条件に「無明」の設定は必須でしょうか。
少なくとも、生滅、来去、一異、断常、(という行)が成り立つためには、
自性(があるという無明)は必須だと思う。
自性(同一性)を仮定しないと、変化(無常)を見ることはできないからね。
>「仏性」が宿るのであれば、第一原因は「無量光」でもおかしくはないと存じます
無量光は法と呼んでもいい?
それなら、第一原因と言ってもいいけど、その中身は勝義から言うと空だね
第一原因が実在だとすると、そこに自性を認めることになるので、
それはまだ、無明の域ということになるわけなんだけど…
あと、「なぜ、その第一原因は実在するのか」という難問を生み出すことになる
これだと、あらゆるものは因縁によって生じる、という縁起の理法と矛盾することになってしまう。
「原因なくして、有る」というものを、仏教では考えないよ
(ちなみに、涅槃は、無明が滅ぶことで、あらゆる因縁が滅した所だから、有る、というものではないからね〜。もし、有るものなら、縁起したものということ。)
112 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 12:38:43.45 ID:QzEcPwbR
俺はいじめたいわけでもなく事実を言ってるだけだよ
仏教を通して収入を得て悟らないか 仏教と収入を完全に分けて悟る道を選ぶか
2つに1つ 好きに選ぶのがいいよ
【因果を説く】〜本来の僕の言葉〜
矢が四方八方から飛んできたとします。自分をそこに仮定しているということが
原因(因)ということです。私は今最初に書いた文で一切、主人公がいることを
ほのめかしてはいません。がしかし、ほのめかさなくても、もう主人公がいるということで
話は進むはずです。それは二言目によって分かります。
二言目の例を言いますと、
じょうえい僧侶は驚愕して唖然とした。
この文で、結果が表れています。
つまり第一文目で私たちが推理することで、登場人物がいるという事を仮定するのです。
第二文目で私たちが理解することで、登場人物がいることが断定されるのです。
つまり仮定と断定が因果であるということです。これは見越すと追い越すということが因果ということです。
因とははっきり言って、概念の範囲を超えれない漢字です。言葉です。
ならば木々に熟している果実は事実として見ることが出来るものです。
であるから果とは見ることが出来るものなのです。
私たちは概念を作って、物を作っているのですが、物は自然と作られている
という風に思うこともできるのです。自然と人工ということ。
続く。
【因果を説く】〜本来の僕の言葉〜 2
概念を使って人工物を作ろうとすること、それが因果ということです。
ですが「私」「私たち」などという言葉が介入してくると、縁起に
なってきます。つまりお釈迦様が悟った内容は縁起であるということです。
縁起とは因果に縁があるということです。さきの二文の場合では、
じょうえい僧侶が御縁となっているのです。因と御縁によって果が
出来るという考えが縁起です。
つまり御縁とは果にあるように見えて実は因寄りのところにある、
つまり仮定した「者」であるということです。仮定ではなくて仮定した
「者」であるということです。
縁起がお釈迦様の悟った内容であるとするならば、それで伝わるということである。
それで伝わらないわけがないということである。つまり僧がそれを伝えるのであり、
別にお釈迦様が伝えるわけではないのである。お釈迦様の説法は、真理(法)に
目覚めた者である仏陀が説くということであります。僧は伝えることを伝えるのが
役割であるので、伝えることとは縁起の理法である。しかし龍樹菩薩に言わせれば
その僧ということではなくて菩薩ということであれば、空を伝えるのである。
続く。
>>88 >と思っている方々も
そ。
だから、彼等(凡夫)はanusotagAmin(流れに隨う者)であり、
私(比丘)はpaTisotagAmin(流れに反して往く者)だと言われるんだよねぇ・・。
だから、「この法は見難い」と言われるんだよねぇ・・。
その基本的立ち位置も、事象への眼差しも、その評価体系も、
通常の社会的価値観とは異質だったり真逆だったりするわけで・・。
*(だからこそ、真逆のものであるからこそ、
特に禅の系譜では、「市井に出ること」「入てん垂手」「あるがまま」ということが強調されるわけで・・。
真逆の位置にあるからこそ、そこに安住し易いからこそ、俗なる人間(じんかん)に歩を進めることが、
常に注意喚起され、推奨されるわけだ。
だから、単なる現状肯定でなく、トラックを一周してきた後のスタート地点なわけで・・。)
で、申し訳ないが、神智学等種々の新思想も、
新しい知見を取り入れたり、各宗教の要素を輸入しながらも、
通常の社会的価値観や視線のとり方を踏襲護持するものなんだよねぇ・・。
最も根本的な、お釈迦さんによって「斥けられたこと」をこそ追求するという構図、
世間一般の欲望充足のベクトルを慰撫増長するものでしかないのにね・・。
【因果を説く】〜本来の僕の言葉〜 3
御縁とは何か?御縁は仏縁です。なぜそうなのかというと、このじょうえい僧侶というのは
その名の通り、仏教の僧侶なのだからです。なぜじょうえい僧侶という御縁にしたのかというと
それが、一番低レベルな言葉の羅列だからです。この御縁には御縁としてなったほどの
何かがあるのです。この場合、26願テストということなのであるが・・・。
この二文は、面白いことをこいつは言うなという人びとに向けて書かれた者でもあります。
ですからそのような人々は、僕と同じところでつまずいているはずなのです。
どこでつまずいているのか?たぶん自力本願というものの別願を作るところで
つまずいているはずです。ただ僕は言いますが、これは偏屈者のために
説いた言葉ではありません。ですから偏屈者は見てもいいが、何も得もしないだろう。
話は変わって第一文目の解説をするなら、これは比喩です。矢とは敵ということです。
第二文目の解説をするならこれは方便です。あなたが主人公に照らし合わせる時なら
あなたはたぶん驚愕して唖然するだろうが、本当は違う、真があるということを
言いたいのです。こういうことは、第二文目を作成した段階では分からないことです。
・じょうえい僧侶の境地は何か?、この僧侶は自力本願のテストをしているので菩薩か?
仮定されたじょうえい僧侶なる者は、御縁として私たちの目の前にあらわれてくれた。
しかし私という書く者がいないならば、一生あなたたちの目の前にあらわれなかった。
書く者というのは第二の御縁なのだろう。そして第三の御縁があなたたちであるのだ。
ならば僕もあなたたちも仮定された者でしかないということである。
じゃあ断定は?と再度聞きたくなるのが、あなたたちの性分だろう。
であるから答えるが、断定は第二文目である。つまりじょうえい僧侶は
驚愕して唖然としたという文である。これは方便であるとさきに言った。
つまりあなた方は驚愕と言わねば驚愕じゃない心理が分からないし、
唖然したという心理も分からないだろう。つまり本当はじょうえい僧侶の
心理は驚愕も唖然もしなかったということである。じょうえい僧侶は
じゃあ敵に攻められるその時に、どういう心理が働いたのだろう?
それが分かれば、縁起はともかくわかったことになる。しかしなぜ迷うのだろう?
それは伝えるだけであるのだからです。
その前に言いたいことがある。私たちが推理して理解したら、理法があらわれて、
じょうえい僧侶という仮定の者の心理という風に進んできたのだが、この
流れを今言うなら合理的であるということである。あなたたちは縁起という
お釈迦様の悟りの内容の第三の御縁なのであることは百も承知であると思われる。
なぜ第一なのだろう?なぜ第二なのだろう?なぜ第三なのだろう?
真の仏弟子になることは簡単なのです。南無阿弥陀仏という真因によって
極楽浄土に往生するという話だから。これほど的を得た話はないでしょう。
しかしそれは親鸞聖人の話でしかないのです。親鸞聖人という者の話でしかないのです。
私の話ではない。私は私の話がしたいのです。
>>117 唖然したという心理も分からないだろう。×
唖然と言わねば唖然としなかったという心理が分からないだろう。○
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じょうえい僧侶がもし菩薩なら、自力本願のテストを出来るのは菩薩だから、
相手に菩薩になるために試験を与えているのだろうか?僧侶になるために
自力本願のテストをしているのだろうか?つまり菩薩になるのは当たり前として
試験を与えているのだろうか?それに通らなかったらただの俗人なのだろうか?
しっかし26願テストというのはふざけた名前にこの娑婆穢土忍土の人々には
伝わるだろう。なぜだろう?それはあなた方がもはや俗人でさえないということ
なのかもしれない。つまり魔、闇の勢力、獣の刻印の者たちでしかないのだろう。
そのような者たちに気を使っている自分に惨めさを感じる。
しかしそのような人々が現実娑婆にいることが問題なのである。
仮定とは見越すということですが、仮定を突き詰めてはならない。
それは見越すということが仮定にあるから。つまり僕の言う、魔、闇の勢力
獣の刻印の者たちは、見越すのである。そして仮定を突き詰めるのである。
それはダメである。合理的に追いついて追い越すというのは有り得るかもしれないが
非合理的に見越して、仮定を突き詰めるというやり方は、その名の通り、
非合理的である。
否定文句、悪口、脅し、疑問などのいろいろな口業に悩まされて一生涯を終えるだろう。
人々を威圧するのは外道のすることだ!!!!!!!!!!!!!!!
どのような真理も偏屈者にかかれば、魔、闇の勢力、獣の刻印の者たちの
巣窟と化す。だから一番最初に言ったでしょう?偏屈者という産物を
美味しく頂くか、ぺっぺっぺと唾を吐いて退けるかは、その人々次第なのです。
>>陰気、弱弱たるかな、強強なるかな?チャクラ開陣し、時の魔人、王と嘯き、
>>味覚の宗祖、矢負の影に大日として落ちる。善悪連民たる敵視すべき全人類に
>>鳳凰学授与すべきではない。心芽出て、心木になって、心枯木となって、
>>心墨となって心書するなりし時、宝の目を開眼せし。しかし矢負は全人類を
>>苦しめ、何も持たない命は木木に呪われ、海海に呪われ、居場所ありしと
>>喜ぶ我我天地人は心より悲泣するなり。小小大大にして壁を作り、負矢を
>>しのぎ国に國を作るなり。玉尊人人の心鷲掴みにして防ぐ手品なし。
>>玉尊は魔人なり。
例えば僕を悟っていないという人がいたが、その人が僕のこの文を見て回答出来なかったら
その人は悟っていないということである。悟っていない者が悟りについて真正面から
他人様に語ることなどないはずである。しかし現に語って来た。ならば僕の
上記の文章を解読せよ。僕を追い越したとするなら、僕の文章を解読せよ。
それが出来ないなら、僕にそのような無理難題を押し付けるな!!!!!!!
ヒントを言えば矢負と上記の文章にあるが、それは今日書いた第一文目の
文のことである。そこから解き明かせ!パソコンの時代、分からない言葉を
見つけたら僕の言っている意味を探せばいい。もし見つからなかったら自分で
解釈すればいい。それによりあなたの悟りが尚更分かる筈であるから。
まあ無視するだろうがね・・・。たぶんもうお前には返答しないと僕を傷つけたりするだろうが・・・。
122 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 15:43:09.73 ID:QvPHk3wt
>>111 >これだと、あらゆるものは因縁によって生じる、という縁起の理法と矛盾することになってしまう。
>「原因なくして、有る」というものを、仏教では考えないよ
いつもこのような議論になりますと「縁起の法は何故あるの?」という問いになります。
「原因なくして、縁起の法は有る」というものを、仏教では考えないそうですねので。
アインシュタインの「法には必ず立法者がいる」との発言の議論の際にも同様だった記憶します。
まあ、「縁起の法」に立法者がいるのか否かは直接は「衆生済度」には関係なさそうですし。。
>>122 >いつもこのような・・・・・・そうですので。
そ。
で、そうした第一原因探求の態度も、外道として斥けられてるでしょ?w
そして、(ここが重要なトコだがw)、『第一原因』は「不可知」だ、ということです。
梵網経であらゆる見解が解析されている如く、
どのような理屈付けを持ってきても、所詮、
「或る希望的理由」を第一原因というエアポケットに嵌め込んでいるだけなのです。
「始原(の様子)はこうあってほしい」という願望の投影でしかないのです。
決して知り得ない事柄をデコレーションして、
(―深い底なしの穴に《自分が理想とする「底の様子」》の絵を蓋のように貼り付けて―)、
さも解明できたかの如く考える姿勢なのです。
梵網経が長部一番目に置かれている意義を、もっと感じて欲しいものです・・w
(って、言及される側の外道のワシが言っても説得力ないけどwww)
ホンマに弁明法?
じょうえい僧侶のじょうえいという字を平仮名で書いたが実はそれは漢字になおせる。
上映と言う熟語になおせる。
上映僧侶は、私を上映して私という者に息吹を与えたのである。その息吹が
伝わって今度はみなさんが上映されているのである。
私と私たちは、上映僧侶の上映に過ぎないのである。
上映という言葉はそれほどすごいのである。そのような僧侶は当然、第八地以上の者であるだろう。
それはなぜかというと、第八地以上の者によって私や私たちは生まれてきたのだから。
つまり私たちは上映僧侶から第八地以上の者になるための試練として、
二十六願テストを与えられているのである。
しかし私と私たちは実はお釈迦様を上映している。どこで?脳で。
つまり私たちは見てもいない者を見ていると錯覚して上映しているのである。
しかし私の中から出てきた上映僧侶は私たちにちゃんと私を使って示しているではないか?
二十六願テストを受けなさいと。
街の一角にある寺に上映僧侶は、数人の弟子と共にいた。
あなた方の中で上映僧侶に会う者が出て来るかもしれない。
なぜなら上映僧侶は、実在の人物であるからである。
あなた方はなぜ菩薩がこの世から消えたと思う?
菩薩なんてどこ探してもいないでしょ?でも私たちが菩薩なんだよ。
でもそれに甘んじて生きているんだよ。菩薩なら菩薩らしい修行をすればいいと
甘んじているんだよ。または菩薩であると本当に知らなくて、無知なまま
堕落していく人々もいます。そうしたら自分自身が堕落していくのも
分からないってことなんだよ。
あなた方が菩薩なのに、あなた方は菩薩の使命を果たしていない。
むしろ堕落するか、外道になるかですね。
第八地というのは壁なんだよ。七地沈空の難と言いますよね?
私は七地であると思ってもらえればいいですよ。でもね、
上映僧侶に出会った私というのは、まだまだ未熟者であったのです。
気合いが足りないと上映僧侶に言われました。堕落者予備軍のような者です私はね。
悟りの現れが私たちであるならば、それで満足でしょうか?ここにはそれ以上に
なるほどの材料がたくさんあるんですよ。それを放棄して堕落したり、外道になったり
しているのがあなたたちなのではないでしょうか?
でも日本国に生まれたなら当然最初は厳しいほど孤立した人間たちの巣でしかないところだと
分かっています。その中でも材料はそろっていることは分かっています。
だから堕落者予備軍であることを合理的に乗り越えていきたいのです。
その時はじめて、上映僧侶の二十六願テストを受けれるのではないかと思うのです。
もし受けれなくても、一つの私自身の実力となるのでしょうね。
>>105 嘘でしょ?私を無視して、上映僧侶の上映が映るわけがない。
私が上映僧侶を見たからあなた方が上映されているのである。
あなたと私は違うんですよ?
違うのに、なぜ追い越さなければならないのでしょうか?
追いつくなら分かるのですが・・・。
言っておきますが、私にはここ(浄土)があるんですよ?ここ(浄土)があるってことは
どういうことなのだろう?あなた方にはここ(浄土)がありますか?私は悟りを開く
ってのは合理的な事だと思いますよ。あなた方が私を通して私の中で悪事を働いても
私がいなかったらその悪事をなす、魔、闇の勢力、獣の刻印を押された者たちは、
おれないんですよ。私がいるから彼らがいることが出来る。ならば、私が
無我つまりお釈迦様を手放せばもう彼らはいなくなる。つまり彼らはお釈迦様の
穢土娑婆忍土の言いなりでしかない。そして真のブッダはそのような娑婆穢土忍土などという
ものは手放していますけどねWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
私の言っていることは極楽浄土にも通じるブッダのやり方ですね。
私は以前に龍滅社会というスレッドで悟りを開いたと言いました。
つまり仏門の中に鳥居があってその道が永遠に続いているという感じでした。
神道とは神仏習合であって、すごいことを言っているんですよ?
仏門に留まってどうする?そうではなくて鳥居の永遠なる道に歩むということこそが
ブッダが阿弥陀になる道であるのです。
一応言いますが親鸞聖人の思想は、臨終来迎ではないですよ。事実を言いましたWWW
やっとわかった。創造主という境地はゴミのようなものでしかなったと。
そして親鸞聖人はやばすぎる。すごすぎる。彼は凄い人だ。たぶんブッダである。
なぜなら煩悩具足の凡夫ではなくて聖人であるのだからWWWWWWWWW
私の言っていることがたぶん算数の分からない人も算数が得意な人にも
分からないことだろう。どういうことかというと私の解いた算数の式があるが
それを見せないと分からないだろうからだ。そして算数の式を私は公開しない。
よって私は高みの見物としているが、あなたたちに説くこともする。
いやーすっきりした。親鸞聖人の南無阿弥陀仏が正しいことがやっとわかった。
親鸞聖人はその名の聖人という言葉の通りに正真正銘のブッダであるよWWWWW
129 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 18:12:17.21 ID:QvPHk3wt
>>123 >で、そうした第一原因探求の態度も、外道として斥けられてるでしょ?w
>そして、(ここが重要なトコだがw)、『第一原因』は「不可知」だ、ということです。
>梵網経であらゆる見解が解析されている如く、
現代人の大半は『第一原因』は「ビッグバーン」だ、ということです。
でも原始仏教を読んでいる仏教徒は91以上の「宇宙期(劫)」、世界の輪廻の説法を知っております。
「浄居天」には輪廻することのない神々がいて、この世界の輪廻を見てきたそうですし、応身の如来も
知っていたそうですので。
尚、「梵網経」では最初の梵天が「大梵天、創造主」と自称しますが、如来と「浄居天」の神々は
それ以前から存在していたとのことです。
応身の如来の前には法身の如来がおられ、その前に縁起の法が存在していたのか否かは不可知ですね。
尚、「法身の如来」を意思のない「自然の法則」のように解する方は多く、私は「衆生済度」の因となる
「大慈悲」を有する存在と仮設しております。
感動しました。俺、十号の意味分かるし、俺実践しているWWWWWWWWW
2013年5月19日、明日から学院の日である。ちょうど今日、
解脱知見という意味も分かりました。これほど分かりやすいものだったのか(呆然)
凄いことが分かりました。一気にここまでこれました。老人中年若者すべてに
感謝します(大爆笑)
難しいこと言わずに、南無阿弥陀仏唱えていれば救われるけど、それでいいの?
また難しいこと言わずに、南無阿弥陀仏を研究せよと言いたい。
>>115 セブンさん
>だから、彼等(凡夫)はanusotagAmin(流れに隨う者)であり、
>私(比丘)はpaTisotagAmin(流れに反して往く者)だと言われるんだよねぇ・・
なるほど〜、勉強になります
>で、申し訳ないが、神智学等種々の新思想も、
>新しい知見を取り入れたり、各宗教の要素を輸入しながらも、
>通常の社会的価値観や視線のとり方を踏襲護持するものなんだよねぇ・・。
>最も根本的な、お釈迦さんによって「斥けられたこと」をこそ追求するという構図、
そう!!!そうなんですよね〜。どんなに難しく理論武装しても、
根底には「究極なる何かが有る」っていう、第一原因的なものを残してるんですよね。
外道は数多あるかもしれないけど、大体どれも、ここは共通してるような…。
人間の思考の癖がよく現れていますね。
>>122 一在家さん
>いつもこのような議論になりますと「縁起の法は何故あるの?」という問いになります。
>「原因なくして、縁起の法は有る」というものを、仏教では考えないそうですねので。
「Aがあるとき、Bがある」という縁起、そして、ここで言われる「A」と「B」は実在として「有る」ものではないよ。なぜなら、原因と結果の関係について、それらは同じであるとしても、異なるとしても、成り立たないから。
つまり、原因と結果っていう縁起の理法は、"無明にある"衆生にはあたかも実体が有るかの如く、現れるのだけど、理屈で言うと、因果なんて成り立たないのよ。ここに、(因果があるという)体感と(因果はないという)理屈にズレが起こるよね。
で、仏法の役割は、因果は成り立たないという理屈に、体感を合わせることなのよ。そこで、自性(をみてしまう無明)を抜くことがポイントになってくるのよ。
>>129 一在家さん
>「法身の如来」を意思のない「自然の法則」のように解する方は多く、私は「衆生済度」の因となる
>「大慈悲」を有する存在と仮設しております。
「大慈悲を有する」というのは、決して否定はしないけど、そこに「意志」を見出すと、意志を持ってしまうために六道輪廻する衆生と、何も変わらないことになってしまうでしょ。
(1)生きるもの、(2)そうでないものを線引きするとき、「意志」や「意識」の有無でチェックしない?解脱を果たすというのは、(1)から(2)になることだよ。
(識についてはちと分からんけど、意志はないでしょう。)
で、この「意志」が完全に滅した姿こそが、もっとも慈悲深い、ということなんだよ。いつも、相手の求法を因として、相手のためになる姿になるという縁起の理法を体現することになるから。ここから、四悉壇ということも出てくるね。
そうか!!!!!!!!!俺が2ちゃん投稿してみんなと共に悟りを知りたいと思ってた
のは、嘘ではなかったのか!!!!!!!
これが菩薩からブッダになった悟りであるのか!!!!!!!!
お釈迦様は方便が巧みだなー。断定つまり因果の果を重視されたんだろうね。
そりゃあ誰だって人間なんだからお釈迦様も人間のときはいろいろ失敗したんだろうなー。
>>悪因苦果(あくいんくか)…悪を行うことが自分にとって望ましくない結果を招く
そうか!!!!!!!僕はお前の徳の高さはマイナス1だと言われた。
それはお前だ!!!!!!!!!と言い返したい。つまり彼は畜生界にいる者であるということが
分かって来た。彼は堕落した。人間界から一つ下の畜生界に人間界に生きたまま生まれたのだろう。
聞いたことがあると思うが三悪趣の一つである。私が堕落させたのではない。
彼と私は関係なかった。関係なかったということは彼自らが招いた悪業なのだろう。
私はブッダであるということは如来であるということである。真如から来る者であったのだ。
分かって来た。私が今まで行ってきた悪と見える者はすべて大きな目から見れば悪ではなかった。
その迷惑をかけた人々に与えた無理矢理の説法だったのだ。しかし今こうして
まともにしていることが、そもそも私はそのような悪をなしたくてなしたわけではないということ
の証明でもあるのだろう。そうでなければ彼のように悪に染まっていただろうからだ。
しかし私は懺悔を繰り返していた。でもそれはいつまでたっても続く懺悔道だったのだ。
つまりその懺悔道こそが鳥居からの一本の永遠なる道だったのだ。
一応言うがアセンションというのは、神人になるということであります。
ブッダの別名であるといってもいいだろう。
つまり定まれた運命があったのだ。
南無阿弥陀仏がそこまでの悪業を取り払ってくれたのだ。
そうだったのか?じいちゃんが建てた寺は本物だ。
じいちゃんのおかげでもある。
先祖は大事にしよう。
悟りたいなら、僧侶を止めろと言ってきた馬鹿者がいたが、それは全然の間違いであったのだ。
必ずその人は悪業となって苦しみの中で苦悶しなければならないだろう。
ブッダを誹謗することはいけないことであるのだ。
そして僕の使命は僕が作った。
僕は使命を携えて死ぬまで仏教を発展させるために尽くすだろう。
138 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 20:38:36.17 ID:QvPHk3wt
>>134 >で、この「意志」が完全に滅した姿こそが、もっとも慈悲深い、ということなんだよ。
>いつも、相手の求法を因として、相手のためになる姿になるという縁起の理法を体現することになるから。
私はオイラ氏からブラックのラベルを貼られましたが、また懲りずに「全訳 入中論」を引用します。
(参考)「全訳 チャンドラキールティ 入中論」
P9 訳者の解説より
慈悲の完成は仏において見られるが、そこでは衆生が救われない限り、完全な涅槃には入らないという無住処涅槃に展開する。
仏は慈悲そのものであるから、起居動作はいうに及ばず、たとえ呼吸さえも全て利他の為にある。
それは仏が三有の衆生を全て一子のように愛するからである。 (中略)
この慈悲が根本となって全ての人々を救おうとする決意が生ずる。これが菩提心であって、
上記テキストからは、もっとも慈悲深い仏は「意志」が完全に滅した姿どころか、「衆生済度」の権化の如しですね。
139 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 20:43:59.02 ID:QvPHk3wt
>>138 親切僧氏←仮称
>上記テキストからは、もっとも慈悲深い仏は「意志」が完全に滅した姿どころか、「衆生済度」の権化の如しですね。
異教でも神仏は衆生のような「小欲」は滅しておりますが、人類愛や衆生済度のような「大欲」は逆に大きいと伺っております。
140 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 21:03:10.71 ID:QvPHk3wt
>>139 だからw
それが顛倒妄想なのw
もし、入中論にそう述べられてるなら、入中論もまた顛倒妄想だよ。一代には悪いけどwwwww
なんつーかね・・・。
「○○がなければならない」ってのが、根本的誤謬、無明、妄想だって所が出発点なんだがねぇ・・。
ざkっくりと、
《「X」は所縁のもので、無常無我なるものである》というテーゼを前提とした時、
「A」だろうが『SP「A」』だろうが同じだというのがなぜ解らないのか?
SPAだろうがSPSPAだろうが、「X」は・・・と言われている以上、例外なぞありえないのに・・。
なぜ、「『SP「A」』だけは特別!(ゝ_ )b」と何の恥ずかしげもなく言えてしまうのか?
「いや、コイツだけは特別なんだw」と、
小学生が自分の考えたロボットの必殺技や強さを得意げに語るように、
鬼ごっこの途中、既存のルールを超えて「この石段の上はセーフ!」と
いきなりの追加ルールを設けるように、
【 《仮想ルール内の仮想キャラ、仮想設定》 を思い描いているだけ】なのに・・。
143 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 21:25:27.41 ID:WlCLC3ui
>>141 もちろん、述べられてるわけないでしょ
逆にそういった有身見がキッチリ寂滅に導かれてるし
解説はテキストじゃないし、瓜生津先生の解説を引用するってとこがまたアレだよねw
144 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 21:32:17.21 ID:QvPHk3wt
>>142 >《「X」は所縁のもので、無常無我なるものである》というテーゼを前提とした時、
>「A」だろうが『SP「A」』だろうが同じだというのがなぜ解らないのか?
縁起の法は因果の法で、因果の法は最初の因からスタートします。
応身の仏→報身の仏→法身の仏(元の因)
応身の仏の慈悲→報身の仏の慈悲→法身の仏は無慈悲?
応身の仏の本願→報身の仏の本願→法身の仏は無意志?・・・ある仏教徒は無意志と言いますが、腑に落ちないです。
「因果の法のルール」を適用する以上は、最初の因も不可知であっても不可欠でしょう。
>>144 だからwwwwwwwwwwwwwwww
不可知なのに「ゲッター線による!」と決め付けてるのは貴方方でしょ?w
だから小学生の鬼ごっこルールだと言うのです。
146 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 21:47:57.26 ID:QvPHk3wt
>>138 続き
P76 入中論(本頌)
12-40 勝者よ! あらゆる世間が無上の寂静に行かない限り、虚空が消滅しない限り、般若母が生み出した彼に対して慈しみが乳母のようになる。
だから、寂静となる(涅槃する)ものなど何処にあろうか?
12-41 暗愚という欠陥によって有毒な世間食をはむ人々の中で、その人を貴方が慈しむように、毒を飲み苦しむ子を母は苦しまぬか?
それ故、守護者は無上の寂静(涅槃)に趣かない。
12-42 (略)世尊よ! 貴方は大悲により寂静から戻られた。だから貴方は涅槃されない。
上記テキストからは、もっとも慈悲深い仏は「意志」が完全に滅した姿どころか、「衆生済度」の権化の如しですね。
(譬え話)読者の読書感想文を揶揄する著者
なんつーかね・・。
既存のモデル通りでないと駄目なのが、凡夫(通常認識)なのよね・・。
だから、たとえば、
「事象とは、述語のみで構成され、そこに主語は存在しない」という命題をうけいれることができない。
「主語(主体)がないところに、どうして述語(動詞、形容動詞)があり得ようか。いや、あり得る筈がない」 と。
だから、(非我だろうが無我だろうがw)こうした最初にして最後の仏教の根幹に納得できない。
「いや、どこかに必ず・最後に必ず主体が出てくる筈だ!」と。
《主語なき文法》が決して認められない。 そう
>>144の如く・・。
148 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/19(日) 22:29:47.46 ID:QvPHk3wt
>>147 >「いや、どこかに必ず・最後に必ず主体が出てくる筈だ!」と。
>《主語なき文法》が決して認められない。
確かに《主語なき文法》の事例として「自身を洲と、法を洲とせよ」があります。
でも釈尊は誰「主体」に言ったのでしょうか。
それとも「主体」は無いので虚空につぶやいたのでしょうか。
折角の貴僧の譬え話でしたのに、突っ込みを入れて申し訳ないです。
>>144 一在家さん
>ある仏教徒は無意志と言いますが、腑に落ちないです。
向かい風に砂塵を投げて痛い目にあうことがわかった時、
風や砂塵に意志があったから、と言うならば、
あるいは、叩かれた時に木魚が音を出すのは、意志があるからだ、と言うならば、
同様に仏にも意志があると言ってもいいよ
ただし、砂塵や風や木魚には意志がないが、仏には意志があるというならば、つじつまが合わないね。
ということなんだけど…。
150 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 22:36:22.71 ID:WlCLC3ui
>>147 因果は重要なんで、世俗を強調するのがアナタの立場ですよねw
普段、不思議を強調するオカルト派と立場が逆転してるのが面白い
仏教側は因果で説くべきは世俗諦としてキッチリ説き、勝義の部分で空性を説く面などキッチリ分けてるのに、
何故かオカルト派は世俗的なとこで不思議は簡単に納得するのに、
仏教で勝義や不可思議と態々断ってる部分に実在論的合理性を持ち込むのは不思議ですね。
おそらく神、創造主、実在、アートマンと言われる何かを虚妄とされては困るからなんだろうけど
そこに拘ったら縁起・空性・仮説が分からず、縁起・空性・仮説が分からなければ、仏典読んでも決して分からないでしょうが
>>144 一在家さん
これは、かなり際どい持論だけど、いまだに矛盾が起こってないので参考になれば…。
風も砂塵も木魚も、輪廻していないよね。生けとし生きるものではないから。
輪廻していないということは、涅槃にある、ということ。
実際、彼らは因果を認識することがないから、苦しみを受けることがない。
また、「どのように吹かれよう、どのような音を出そう」という迷いもない。
ただ、他者の働きを縁として、音を出したり砂を飛ばすといった働きが生じるだけで。
仏も、解脱したと言われるだけあって、同じようなものだよ。
「問いがある時、答えがある」と、他者に縁るだけなの。
釈尊のような応化身は、人身を残したままそうなってる、ここがすごいところ。
どんな人が相手でも、「どうやって法を説こう」という迷いがないのだから。
>>150 おしなべて世は事象のみ。
諸縁結すところに誰かある乎。
主語なき文法は、三世に跨る輪廻より何億倍もわかり易いw
153 :
神も仏も名無しさん:2013/05/19(日) 22:50:39.59 ID:7m1rn24C
本覚思想というのがあります。
人間は本来悟っており、悪行も善行も因果も幻にすぎないという思想のようです。
これは六師外道のプーラナ・カッサパの教えに近い危険な思想に思えます。
しかし、一方で、禅において本来悪も善もないと言う話も聞きます。
百丈野狐の逸話は、百丈和尚が自らの言に囚われて野狐に堕ちたとも感じます。
いったい、これはどういうことなのでしょう?
本覚思想そのものは、やはり誤りなのでしょうか?
>>153 >人間は本来悟っており、悪行も善行も因果も幻にすぎないという思想のようです。
>本覚思想そのものは、やはり誤りなのでしょうか?
理屈の上では、善悪も因果も、幻というのは、合ってるよ。
では、なぜ原子仏典でそのように説かれなかったというと、
それが衆生を悟りへ向かわせる方便(手段)として、有効ではなかったから。
悟るまでは、善も悪も因果も、あたかも実態を持つかのように現れるから、
善悪と因果を、悟りへの方便として説いたってことね。 (
>>133も参考になるかも)
ということで、「因果は幻」というのは、間違ってはいないけど、
現場肯定論や虚無論といった両極端の解釈を招くのであれば、
仏道を歩む上で妨げるになる教えだろうね〜。
一方、お釈迦さんの説いた因果を実在だと考えて、哲学の道具にしようとする人たちには、薬になるだろうね。
155 :
153:2013/05/20(月) 00:15:41.69 ID:0WF/8ERI
>>154 なるほど。
衆生にとっては因果は実在するも同然なので、
衆生が本覚を実感するのは間違うということでしょうか?
本覚思想の信仰は、煩悩に囚われた衆生にとっては、
さらに悪い業を積んでしまう結果になる。
というわけですね。
156 :
153:2013/05/20(月) 00:19:06.60 ID:0WF/8ERI
>>155つづき
私の考えたのは、
本覚しているのは、一般の衆生ではないということでした。
仏門に入り、戒律を守って煩悩を捨てようと実践している者だけ本覚しており、
禅の修行とはそれに気づくことではないかということです。
私の考えで違う点は、たとえ悟ったとしても仏道に外れた行いをした者は、
やはり、因果の法則に囚われてしまうということでしょうか?
いや、社会道徳的にそうあるべきと考えていたのですが。。。
>>155 >衆生にとっては因果は実在するも同然なので、
そうそう。
>衆生が本覚を実感するのは間違うということでしょうか?
本覚を実感する…というのはちと分からないけど、境地が高くなると、みんな仏のように見えてくるよ
>本覚思想の信仰は、煩悩に囚われた衆生にとっては、
>さらに悪い業を積んでしまう結果になる。
一概にそうは言えないけど、そういうこともある、という話ね。
どんな教えにも言えることだけど、毒にも薬にもなるってことね
>>156 >本覚しているのは、一般の衆生ではないということでした
そうだね
>私の考えで違う点は、たとえ悟ったとしても仏道に外れた行いをした者は、
>やはり、因果の法則に囚われてしまうということでしょうか?
あ、いや、悟ると、仏道にも道徳的にも外れた行いは、できないよ
で、業という因を作ることがないから、苦楽といった果を受けることがない
159 :
153:2013/05/20(月) 00:47:02.68 ID:0WF/8ERI
>>157 なるほど。ありがとうございました。
>本覚を実感する
勝手に作った言葉でした。
『本来悟っている』と自己流で実感(悟る)することです。
自己流なのでその悟りと感じた境地は煩悩によって歪んだ境地なのかもしれません。
160 :
153:2013/05/20(月) 00:59:11.16 ID:0WF/8ERI
>>158 >あ、いや、悟ると、仏道にも道徳的にも外れた行いは、できないよ
>で、業という因を作ることがないから、苦楽といった果を受けることがない
因果が幻ならば、業という因を作ることがないというのは分かりますが、
それがなぜ、仏道に外れた行いができなくなるのですか?
因果が幻なのだから、仏道に外れた行いをしても、因も果も無いままではないですか?
162 :
神も仏も名無しさん:2013/05/20(月) 05:53:51.94 ID:5ofV6PH1
>>153 >本覚思想というのがあります。
まず、本覚思想という呼称が間違ってます。思想ではなく、本覚門と呼ぶべきでしょう。仏教を思想と捉えるのは問題ありです。
なぜなら、何らかの思想や見解を主張しているのではないからです。
>人間は本来悟っており、悪行も善行も因果も幻にすぎないという思想のようです。
本来悟っているという教えは、仏性・如来蔵という教えもあって、インド伝来ですが、誤解している方は、本来悟っているからといって、
何もしなくてもいいわけではなく、仏性・如来蔵を持っていても、現在迷っているので修行が必要なことは言うまでもないことです。本覚門も同じです。
>これは六師外道のプーラナ・カッサパの教えに近い危険な思想に思えます。
これは誤解です。
>しかし、一方で、禅において本来悪も善もないと言う話も聞きます。
>百丈野狐の逸話は、百丈和尚が自らの言に囚われて野狐に堕ちたとも感じます。
これは勝義と世俗の文脈を混同しただけのことです。
「本来悪も善もない」という場合の「本来」が重要です。
「本来悪も善もない」が、現在の凡夫は因果の中にいるということです。
で、因果を撥無するような見解と掴むこと、それは単なる断見、虚無主義なので野狐に落ちるわけです。
>いったい、これはどういうことなのでしょう?
>本覚思想そのものは、やはり誤りなのでしょうか?
ですから「本覚思想批判」とか「如来蔵批判」とか言っている人たちが何も分かってないだけのことです。
彼らこそ因果撥無の断見者なので、彼らの言うことは全く論じるに値しません。
163 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 05:57:06.59 ID:X/iAxFZQ
>>151 親切僧氏
>仏も、解脱したと言われるだけあって、同じようなものだよ。
>「問いがある時、答えがある」と、他者に縁るだけなの。
いつ釈尊は解脱されましたか。この世を去るまでの数十年間何をされてましたか。
「問いがある時、答えただけ」と、他者に縁るだけでしたか。
それとも「衆生済度」の権化のごとく、お節介と言われようとも、各地を巡航して四諦の法を説かれましたか。
以上、ご持論へのコメントと致します。
涅槃に入ると阿羅漢達でも思考停止のようですが、如来は完全には入らず一人でも多くの衆生を救おうとされたのではなかったのでしょうか。
風上に良い香りがあって風下に流れていくように、風上に「大慈悲」があって報身や応身に慈悲が現れるように直感しております。
断見も本覚も似たようなもんだろ
現実はあるけれど本来ないから
ないないすべてないと思っていくわけで実際ないという意識になる
禅のある寺なんかは仏典すべて読むの禁止して修行したりするところもある
膨大な仏典を理解して縁起を完璧に理解し運が良ければ最後にないと気が付く
それなら初めからないないで行く方が早いんじゃねという方法
忙しい現代人には前者は不可能に近い
>>163 一在家さん
>「問いがある時、答えただけ」と、他者に縁るだけでしたか。
と、思う。問いがない時は、ひっそりしてたと思うよ。
じゃあ、なんで仏教が広まったかって、みんなが話を聞きたくなるような人だったからだろうね。
>それとも「衆生済度」の権化のごとく、お節介と言われようとも、各地を巡航して四諦の法を説かれましたか。
お節介は自分からの布教でしょ?ないだろう。
そして、各地を回ったのも、梵天さんがお願いしたからだよ。
梵天勧請こそ、他に縁る、をよく表してると思うな。
166 :
神も仏も名無しさん:2013/05/20(月) 07:43:07.11 ID:5ofV6PH1
>>164 いやいや、そういうもんじゃない
本覚と断見は全く違う
同じと考えるのは、全くの誤解だよ〜
そりゃ、空を虚無とか無、ニヒリズム、断見と考えるのと同じ
単に理解できないだけのこと
167 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 07:45:02.85 ID:X/iAxFZQ
>>165 親切僧さん←コテ出るまでの仮称
>そして、各地を回ったのも、梵天さんがお願いしたからだよ。
>梵天勧請こそ、他に縁る、をよく表してると思うな。
「大本経」を読みますとそうですね。でも初転法輪だけではないですか。
その梵天さん(大梵天の中のお一方)は梵天界でのお知り合いだったのでしょう。
根拠は仏陀が「心変わり」したのですから。
その梵天さんの「人類愛」無かりせば、初転法輪あらじ。初転法輪無かりせば、仏教あらじ。
これまで梵天さんへの感謝をしたことのある仏教徒は一人でも二人でもいたでしょうか。
逆に梵天勧請と呼んで嘲笑しておりませんでしょうか。
>>167 >これまで梵天さんへの感謝をしたことのある仏教徒は一人でも二人でもいたでしょうか。
わからないけど、みんな感謝してきたんじゃないの?
>逆に梵天勧請と呼んで嘲笑しておりませんでしょうか
作り話だろってこと?現代だと、そうかもね〜。
>>160 >それがなぜ、仏道に外れた行いができなくなるのですか?
悟ると、それまで歩んできた仏道は消える(涅槃へ導いてくれた筏を捨てる)から、
なぜ、道徳・倫理的に外れた行いができないか、という線で答えてもいい?
自分から何かをしようという我欲がなく、
他者の「苦を離れたい、法を聞きたい」という声に応えるだけ…だからなんだろうね。
いまいち、ピリッとしない答えだけどw
昨日は因果の話と縁起の話をした。今日は因果の道理を話したいと思う。
違いは因果は因がそのものについて話したが、因果の道理になってくると
大宇宙つまり全宇宙の真理についての話になってきてスケールが大きくなるのだ。
それは昨日の段階からいつか話したいと思っていたところである。
お釈迦様のとらえた範囲は、阿弥陀が限界なのであるが、阿弥陀は無限なので
限界ではないかもしれない。まあとにかく阿弥陀に至るまでにお釈迦様は、
全宇宙・大宇宙という壁があることを発見した。
真理というのも実は理なのでありまして、推理、理解、理法、心理、合理と来て
次は真理なのであるが、その前に、物理とは結局何なのかということについて
話したと思う。物理とは言わずと知れたあの物理学のことである。小耳にはさむ程度の
知恵知識で十分なのであるが、このような言葉を知っているだろうか?
カオス理論。それが物理そのものであるのだ。物理という言葉の上にカオスという言葉が
あり、カオスという言葉は、物理学で解き明かせるのだ。というかそれしかないのだ。
だから、推理から理解が生まれ、理法があらわれて、上映僧侶の心理に進み、
そこまでの流れは合理的であると分かり、その次に物理学に入った方がいいと
思われる。その学問からカオス理論を学び撞着して、大宇宙・全宇宙の真理を
発見するに至ることがブッダであることの証(あかし)であるんですけど、
実はそれだけでは荒削りな外郭を作るだけに終わったブッダでしかないのです。
真のブッダは理念を持っていた。その理念はたぶんお釈迦様には分からなかったのでしょうね。
なぜなら説法に郷愁という言葉が一言も出てこないからです。ならば、精密ではなくて
荒削りな説法で終わったということ。その代表格が華厳経であるのです。
それが最高な経典だとしている華厳宗は私個人的に好きですがねw
阿弥陀つまり南無阿弥陀仏という原理を明確に表した方が親鸞聖人という
方であったと思われます。だから順序的に言えば、推理→理解→理法→心理→合理
→物理→理論→真理→原理→理念 という風に前に進んでいけば正当に行き着くの
が実はアセンション後の世界ということなのですがね・・・。
171 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 08:14:08.23 ID:X/iAxFZQ
>>169 親切僧さん
>自分から何かをしようという我欲がなく、
>他者の「苦を離れたい、法を聞きたい」という声に応えるだけ…だからなんだろうね。
P76 入中論(本頌)
12-40 勝者よ! あらゆる世間が無上の寂静に行かない限り、虚空が消滅しない限り、般若母が生み出した彼に対して慈しみが乳母のようになる。
だから、寂静となる(涅槃する)ものなど何処にあろうか?
12-41 暗愚という欠陥によって有毒な世間食をはむ人々の中で、その人を貴方が慈しむように、毒を飲み苦しむ子を母は苦しまぬか?
それ故、守護者は無上の寂静(涅槃)に趣かない。
またオイラ氏に叱られそうですが、月称菩薩の解説だと「法を聞きたい」と懇願されなくても三毒子を助けようとする慈母の如し、かも。
僕はね、昨日も言ったとおもんだけど、カオスってのは、三悪趣と三善趣の
間にあるって言ったんだけどね。そのカオスってのは今さっきわかったことなんだけど、
どうやら天狗道・魔界であるのだ。つまりカオスはしょせんカオスであります。
だから因果の因を突き詰めてもダメであって、また理詰めになってもだめなんです。
ということは、仏教をもし利用してみたいと考えて科学と結びつけたりしたら、
その人は魔界に行くということです。僕は算数の足し算の段階で留めておきました。
それ以上は突き詰めてもダメだし、理詰めになる危険性があります。
じゃあ仏教を学ぶってのはどういうことなのだろう?
でも分かることはお釈迦様と同じ悟りを得たという人がいたとしたらば
その人は、天狗道・魔界・外道 にいる者なんでしょうね。なぜなら、
真理というのは三悪趣にいる者たちが欲しがる者であるだけだからです。
お釈迦様の悟りという実体があるわけがないのです。実体があると思うから
お釈迦様の悟り云々というのです。
ブッダというのは、悟りを開いた人でありますが、三悪趣を取り除き
清浄になった人であると思われます。つまり天狗道ならばまだ改心する
可能性を秘めていると思われます。その仏教的知識によって・・・。
でも最低の部類ですけどね・・・。
>>169 >自分から何かをしようという我欲がなく、
>他者の「苦を離れたい、法を聞きたい」という声に応えるだけ…だからなんだろうね。
我的には「ここでこの人の前で言うんかい!?」てタイミングで説法が始まることもあるよ
逆に他者に応えられないこともある
我的に言葉をかけてやりたいのに出てこず、沈黙の共感で応える
話そうと思えば話せるだろうけど、その話は我から出た行為だから選ばない
法が話すなら法に従う
法が黙るなら法に従う
我としては次に身体がどう行為するか知りません
そういうのが”自分から何かをしようという我欲がない”ということだと思うよ
この身体から言葉が出てこなくても、法が聴けないわけじゃないんだよね
違う身体から言葉が出てくるかもしれないし、起こった出来事から気づくかもしれないし色々だ
我がこの問題を何とかしなきゃとしなくてもいいんだよね
そもそも問題だとしているのは我だ
175 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 12:15:09.12 ID:X/iAxFZQ
>>174 >この身体から言葉が出てこなくても、法が聴けないわけじゃないんだよね
>違う身体から言葉が出てくるかもしれないし、起こった出来事から気づくかもしれないし色々だ
その話は腑に落ちますね。
異教でも「天地一切神の声」という教えがあって、自分の幼子や風になびく木の葉に気付かされることが
ありますので。
>>173 >法が話すなら法に従う
>法が黙るなら法に従う
この文脈で、法とは法身でしょうか。
>>171 一在家さん
どうも、職場にてID変わりました。
>月称菩薩の解説だと「法を聞きたい」と懇願されなくても三毒子を助けようとする慈母の如し、かも。
ああ、地図で道に迷ってる人がいたとき、
「道を教えてくれないかな〜でも声をかけにくいな〜(チラッ」
みたいなのも、問いに入るよ〜。意業による問いと言ってもいいかな。
一方、「いまは話しかけてくるなよ、法とか聞きたくねーから」
みたいな顔の人には、説かなかっただろうね。
177 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 15:39:32.29 ID:X/iAxFZQ
>>176 親切僧さん
サラリーマンのお坊さんでしたか。
>「道を教えてくれないかな〜でも声をかけにくいな〜(チラッ」
>みたいなのも、問いに入るよ〜。意業による問いと言ってもいいかな。
やはり問われないと答えられない縁起の法にこだわられますね。
まあ、不可知なのでこの議題は止論に致しましょう。
178 :
?:2013/05/20(月) 17:05:13.42 ID:jddIx4cp
>>177 一在家さん
そりゃ、煩悩もなく、輪廻していない木魚が、叩かれていないのに音を出したら、
木魚が煩悩や意志を持ってることになってしまうからね。
同様に、仏さんも求められていないのに、答えようとしたら、煩悩や意志を持っていることなってしまうよね。
逆に、煩悩の強い人は、聞かれてもいないのに、押しつけがましく、
「教えてやるよ」という態度で説こうとしてしまう、とも言えるね。
ここに、輪廻してしまう者の「意志」や、(六道の1つとしての)"人間くささ"を見ることができる。
>やはり問われないと答えられない縁起の法にこだわられますね
「矛盾が見つかれば、この解釈はいつでも捨てる」という気持ちで勉強してるつもりだよ〜。
実際、はじめてこのスレに来た時は、一代さんに質問しっぱなしだったし、一代さんの過去ログも相当、読み漁ったよ。
180 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 17:26:47.21 ID:X/iAxFZQ
>>178 ?氏
>輪廻の主体としての人格的主体である「補特伽羅(ほとがら)」(Skt.Pudgala)を
五薀のほかに想定したことが特徴である
>人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると
その影響は種子(阿頼耶識の内容)と呼ばれるものに記録され
阿頼耶識のなかにたくわえられると考えられる
やはり仏教でも記録媒体、メディアでしたか。
記録メディアも紙、テープ、フロッピー、CD、ICメモリー等々と無常でしたが、
阿頼耶識もまた常住不変ではないのかも知れませんね。
でも価値あるのはメディアでなく、その上に乗っている経験情報や人格的主体でしょうね。
死んで五蘊が消滅しても阿頼耶識に蓄積された情報が何らかの条件で投影されれば
貴兄が目撃されたという所謂「幽霊」なのかも知れませんね。
181 :
?:2013/05/20(月) 17:34:14.91 ID:jddIx4cp
前世は一在家さんへ
> (無明と渇愛に依存して)煩悩の強い人は …
> … 輪廻してしまう者の「意志」や …
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html 苦は、渇愛から生じます
渇愛は、再成し続け、喜びと愛着をともない、いつでも心の気に入る、という三つの特色をもち
五官を刺激したい、存在したい、壊したい、という三種類の欲で成り立っています
渇愛の特色の一つは『punabbhava』
これは puna (再び) と bhava (成ること) からできた言葉で
成っては消え、成っては消え、ずーっと何らかの状態に成り続けていくことです
たとえば欲深い人はそれなりに色々なことをしていくし
立派な人間になりたいという人もそれなりに色々なことをしていきます
そうやって動きながら、瞬間瞬間、私たちは変化していきます
それは止まりません
「私はこれで終わった、もう何もする必要はない」
という心の状態になることは、決してありません
次から次へと「何かになること」をくり返していきます
すべての苦しみのもとは、「生きていきたい」「ほしい」という心のはたらきです
仏教では、「ほしい、ほしい」と思うのは真実がわかっていないからだといっています
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って、無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
客観的に自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
182 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 17:53:23.96 ID:X/iAxFZQ
>>181 ?氏
>無明と渇愛がうまく絡み合って、無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
十二支縁起の1.無明→8.渇愛→11.生で、「無明」は過去世の無始の煩悩ですね。
如来蔵の視座では、本来は「無明」でなく「無量光」なのですが、過去世からのカルマにて曇りを積んで暗くなったのが原因かと存じます。
「無明」を「明智」に変えれば、一切が好循環することも十二支縁起からも分かり易いでしょう。
1.明智→8.利他愛→11.衆生済度、という連鎖を直感します。
183 :
?:2013/05/20(月) 18:04:37.21 ID:jddIx4cp
>>180 前世は一在家さんへ
>> 人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると
>> その影響は種子(阿頼耶識の内容)と呼ばれるものに記録され
>> 阿頼耶識のなかにたくわえられると考えられる
> やはり仏教でも記録媒体 …
http://www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html 釈迦は「生命の再生」を次のように説く。
生命(命体の意)は「火」であり、肉体は「薪(たきぎ/燃料の意)」であるが故に燃えるのである、と説く。
薪が尽きれば、炎は消えるが、しかし薪が尽きても、「火種(ひだね)」は残る。
残った火種こそ、
渇愛による
「異蘊(いおん/「蘊」とは、五蘊(ごうん)を指し、集合体の意で、現象界の存在の五種の原理をいう。
色(しき)・受・想・行(ぎよう)・識の総称で、物質と精神との諸要素を収める。
色は物質および肉体、受は感受作用、想は表象作用、行は意志・記憶など、識は認識作用・意識。
一切存在は五蘊から成り立っており、それ故に、「無常」とか「無我」であると説かれる。
異蘊は
「慢断(我慢を断滅すること)ぜざるがゆえに、此の蘊を捨て己(おわ)りて異蘊相続して生じる」
と言う一行が、そもそもの仏道の眼目とするところである)」である、と。
在家さん 神知学さんの話
は一般仏教徒はついていけない
布教のため懸命に書き込むのかなぁ
智慧のある私からみれば
彼らは外道の匂いがする
仏道に反する
185 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 18:29:52.57 ID:X/iAxFZQ
>>183 ?氏
>生命(命体の意)は「火」であり、肉体は「薪(たきぎ/燃料の意)」であるが故に燃えるのである、と説く。
薪が尽きれば、炎は消えるが、しかし薪が尽きても、「火種(ひだね)」は残る。
そして新しい「薪」があればまた「火」は燃えるということですね。
釈迦は「輪廻」を上記のように説いたのかも知れませんね。
186 :
?:2013/05/20(月) 18:31:22.52 ID:jddIx4cp
>>180 だからw
貴方はよく(PCの)「ソフト」と「ハード」と「記録媒体」、
或いは「情報(≒記録内容)」と「ハード」と「記録媒体」という喩え方をされますが、
その喩えを継承した上で、
ならば、
「ハード」(肉体)・「記録媒体」(阿頼耶識)の滅の後、
どのようにして『情報の保全と伝達』が可能だとお考えで?
(それは実は、古典的に言い古された《蝋燭の燈火の喩え》と何も変わりませんけど?)
188 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 18:37:14.21 ID:X/iAxFZQ
>>184 >布教のため懸命に書き込むのかなぁ
>智慧のある私からみれば 彼らは外道の匂いがする
基本スタンスは原始仏教の勉強ですので元々は私の方から質問しておりました。
ボケたことを書き込んで先生ら(セブン氏、オイラ氏、他)にいつも叱られているのが実相です。
最近は逆に質問されることも多くなり、汗をかきながらレスしている様が貴兄には懸命書きこに見えるのかも。
どこからどうみても異教(外道)ですので臭くて申し訳ないですね。
189 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 18:43:48.40 ID:X/iAxFZQ
>>187 >ならば、「ハード」(肉体)・「記録媒体」(阿頼耶識)の滅の後、
>どのようにして『情報の保全と伝達』が可能だとお考えで?
「記録媒体」(阿頼耶識)が滅する時はどのような場合ですか?
世界が消滅する時ですか?
その時は光音天の存在に『情報の保全と伝達』が起きるのではないですか?(長部「起源経」)
190 :
?:2013/05/20(月) 19:10:32.51 ID:jddIx4cp
>>189 >>180 >やはり仏教でも記録媒体、メディアでしたか。
>記録メディアも紙、テープ、フロッピー、CD、ICメモリー等々と無常でしたが、
>阿頼耶識もまた常住不変ではないのかも知れませんね。
で、役割がいかなるものであれ、(情報伝達のためであれ)、
【《五蘊滅後も継続(永続する)何ものか》を設けることは、著しく反仏教・反縁起】ということです。
たとえそれが、
「旧来(バラモン・ウパニシャド等で)言われるアートマンではなく、それとは別の真の実在である」
と言い換えたとしても、です。
だから、一代ですら、言葉を濁して確答し得ないわけですw
情報の伝達継承が如何にして可能なのか?を説明しているのは、
仏教ではなく、神智学や各種新興宗教なわけです。
ですから、
【もし、それらが、用意されるべき答えであるならば、人々が求め、解決すべき最重要課題であるならば、
各種新興宗教や神智学の方が、仏教よりも遥かに優れている】わけです。
仏教は、端からそこへ回答を用意していないのですから。
お釈迦さん、ゴータマ・シッダッタは、全然不十分だったということなのですwww
192 :
?:2013/05/20(月) 19:22:31.49 ID:jddIx4cp
193 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 20:00:10.39 ID:X/iAxFZQ
>>191 >情報の伝達継承が如何にして可能なのか?を説明しているのは、
>仏教ではなく、神智学や各種新興宗教なわけです。
でも情報の伝達継承の事実を最初に提示したのは仏教ですね。
如何にして可能なのか?は誰も問わなかっただけでしょう。
問われれば縁起にて仏は答えられた筈ですので。
194 :
?:2013/05/20(月) 20:10:14.09 ID:jddIx4cp
> 役割がいかなるものであれ、(情報伝達のためであれ)、
> 【《五蘊滅後も継続(永続する)何ものか》を設けることは、著しく反仏教・反縁起】ということです。
> たとえそれが、
> 「旧来(バラモン・ウパニシャド等で)言われるアートマンではなく、それとは別の真の実在である」
> と言い換えたとしても、です。
永久不滅・常住不変のアートマンではなく
それ自体の自性によって成立しているのではなく
空である故に
因と縁に依存して
我慢を断滅する事が出来ない場合は
現世で
此の蘊を捨て己(おわ)っても
異蘊相続して
又、次の、この世の生に戻り来る
漢訳 第一義空經(勝義空經、真実空經、勝義空契經)
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html → 此の陰滅し已らば異陰相續す ←
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す
比丘、是を第一義空法經と名づく
195 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/20(月) 20:11:29.98 ID:X/iAxFZQ
>>193 >如何にして可能なのか?は誰も問わなかっただけでしょう。
>問われれば縁起にて仏は答えられた筈ですので。
例えば長部17経「大善見王経」にて、釈尊が「実は私がその時のマハースダッサナ王であった。」と
告白した時に、アーナンダ(阿難)が一言「尊者よ、どうして覚えておられるのですか?」と質問
すればよかったのです。
同様に長部19経「典尊経」にて、釈尊が「実は私がその時のマハーゴーヴィンダ・バラモンであった。」と
告白した時に、ガンダッパ出身のパンチャシカが一言「尊者よ、どうして覚えておられるのですか?」と質問
すればよかったのです。
結局、釈尊が前世を語った時に誰も質問しなかったまま今日に至っております。
光音天なんかプラズマです!!
情報の伝達継承の事実が仏教にとって都合が悪かったからこその
女人差別でしょう!
なんだか、ズレてきてんな〜
法身仏ってのは、完全に涅槃に入ったもんだよ
石や砂と同じとは聞いたことはないが、
本願が達成されているから、そうした真理そのものという存在だろうな
たとえば、太陽は闇を照らし、衆生を温めるが、別にそれは
そうしようといった意志をもってそうしているわけじゃないだろ
報身仏ってのは、自受用と他受用があるが
生前の釈尊は自受用だ。俺たち凡夫が阿弥陀仏を仏と見るのは他受容だな。
このレベルの仏は業が存在する。もちろんそれらはすべて完全な智慧によっておこされた清浄業だが。
また、だからこそ人間に教えを直接伝えられるという稀有な存在でいられる。
そもそも衆生一般は法身仏を理解できないし、よって教えを受けることもできない。
仏は相念って言われて交流できるらしいがな。
あと慈悲というものを勘違いしている輩がいるが、それは人間が考える優しさなどと単純に考えない方がいい。
浄土の慈悲と聖道の慈悲を参照。
198 :
?:2013/05/20(月) 20:31:01.35 ID:jddIx4cp
清浄業が存在するなら俺は何で導引されているです?
200 :
?:2013/05/20(月) 20:57:23.45 ID:jddIx4cp
201 :
?:2013/05/20(月) 21:17:01.20 ID:jddIx4cp
仏性てのはあってないようなもんだよ
だからこそ、断ぜんごんがはじめのうちは想定されていたわけで
まあ、仏性なんて君らが考えることじゃないから。
>>175 前世は一在家さん
>この文脈で、法とは法身でしょうか。
こんばんは
仏教用語はよく知らないのです
言い換えれば身体というか、自然の流れというか、”(天地一切)神”というか…
身体は法、自然にお返ししましたので、法に使って頂きます
という感じです
> まあ、仏性なんて君らが考えることじゃないから。
俺もそう思うよ?
要は懸軍と言う軍隊の指揮権だもんね
>>193 >答えられた筈
それって、ずるいよなぁ・・・(^^;
どんなことでも、聞かれなかったから答えなかった(…資料(伝承)として残らなかった)。
「本当の教えは○○だった」って言えるもんなぁ・・・。
つまり、【誰も大川隆法の言うことを否定できない】ってこったw
だって、
【≪聞かれてもいない≫し≪説法の対象者の資質とも会わなかった≫し
≪当時に於いては誤解しか生まないという判断だった≫し
≪歴代の弟子達は間違って伝えてきていた≫のだし、
そうして、≪表に出なかった≫≪秘されていた≫≪真の≫≪高度な≫教えが、
今、説かれた 】
ということだもんなw
その内容の真偽や妥当性を確認できる者は一人もいないわけだ。
そりゃ神智学が最高宗教な筈だなwwwwwww
言葉上では仏陀になることは誰でも出来る。でも苦しんでいる自分というものを
抜きにしている。いろいろな点で苦しんでいるのにそれを抜きにして、さも
自分は仏陀として悟りを開いたとする事は誰でもあり得るだろう。でもそれでも
煩悩具足の凡夫であるという親鸞聖人のお言葉に、自分の今の仏陀であるという
ことを摩擦させる。そうすれば、今まで思ってた考えよりも、もっと洗練された
考えに行き着く。仏陀になったという事実と、煩悩具足の凡夫であるという事実を
照らし合わせる。それが僕の中での摩擦ということ。
仏典に書かれている通り、誰しもの生命には「仏性」が内在しており、よくダイヤモンドの原石に例えられる。
それを磨く磨かないは個々人の問題となる。
で、何時やるんだ?
今でしょ!って話だな。
なんつーかね・・・。
橋下発言に対する、マスコミ各社・ワイドショーのコメンテーター等等の反応見てると、
三馬鹿トリオ(&隠居)の御都合解釈を思い出して、更にムカっ腹が立つw
(一代は、「また閻魔をスルーしてる(´∀`)b」、と後ろ指指しそうだが・・・w)
むちゃくちゃ筋通ってるのに、どこをどう聞いたらああいう報道になるのか?ってのと同じで、
仏典のどこをどう読んだら、そんな解釈が出現するんだ?って感じで。
その意味では、現自民(≒安倍自民)が「橋下スタンスとは全く違う」と発言したのは
ちと残念だな・・。
周囲の顔色見過ぎだろ、と。
原理主義で行けとは言わないが、せめて、筋と矜持は通そうぜ、と・・。
(勿論、現代仏教もね。)
210 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/21(火) 00:00:33.95 ID:gKm0j/cx
>>206 >つまり、【誰も大川隆法の言うことを否定できない】ってこったw (中略)
>その内容の真偽や妥当性を確認できる者は一人もいないわけだ。
そうですか。
中川さんの初期の霊言集において、これから10年以内に起こることの予言があります。
どの程度当たっているかで、天眼通の有無が簡単に確認できますよ。
(絶版になっておれば、中古で買えば宜しいです。)
>>209 >三馬鹿トリオ
「去る者は去らず」を思い出しました。
安易でエキセントリックな、やっているつもりの仏教学だと当然話が噛み合う訳もなく、結論開示は天地驚愕の印章さえうける。
今あるこの世の善悪の基準は、人の価値観が基準であり、釈迦さんも苦悩に沈む者達を目にして、その救済をするが為に出家の道に入ったのはいうまでもなく、悟りを得てからも各地に遊行し、入滅するまで法を説き続けた。
あくまでもその目的は「人」であり、人の救済だった。
歴史上の生身の人間釈迦さんが仏陀になるべく悟りを得たということは、即ち万人の凡夫に悟りを得る可能性があるといえる。
詳細は省くが、仏典(金光明経)には三因仏性が説かれてあり「仏果を証する妙因となる」と説かれている。
イミフ
逃げ
>>210 いやいやいやw
それ(中川なんちゃら)が正当であるということが、どうやって担保されるのか?
ってことだよ。
その中川なんちゃらより遥かに正確で正当な伝承とされてきた各種経典の記述を、
「弟子達の間違いだった」と切り捨てているのに?
その中川なんちゃらの言っていることと、御隠居の言っていることと、
どっちが正しいかをどうやって見究めるのか?ってことだよ。
お前は、っっっっっっっとに頭悪いな・・。
んー、真剣に信じていない伝承なら途絶えても良いのか、
それとも今、真剣に信じている伝承よりも
過去の真剣に信じていない伝承を優先させるのか
って話?それともそれ以外の話が入ってる?
216 :
神も仏も名無しさん:2013/05/21(火) 04:10:51.76 ID:9EsGy5PX
>>209 wでいいでしょ
断見派:生命教、遊び、承狂
常見派:在家、宝珠、カラス
>>209 >仏典のどこをどう読んだら、そんな解釈が出現するんだ?って感じで。
その言葉はそっくりそのままお宅らに返すよ。特に禅宗を代表する詭弁断見末法仏教な。
>>216 俺は、断見でもない。常見でもない。中道の話をしているのに、俺の話のどこが常見になるんだよ。
理解力が無いのか、わかってて的外れなレッテル貼ってんのか知らんけど、どの道君らはどうしようもないな。
人のことより、多くの君らの末法仏教は断見か、詭弁論の外道だってことに早く気付けよ。
>初めに、ここには全く何も無かった。まさに死によって、これは覆われていた。飢えによって、なぜなら視は飢えであるからである。
>「私は身体を供えるようになろう」と、死は決心した。そこで死は賛歌を歌いながら行った。それが賛歌を歌っているときに水が生じた。
>〜中略氏は欲した。「私に第二の自己が生まれるように!」と。飢えである死は、その思考によって言葉と性交した。それより以前に
>年は存在しなかった。これだけの時間、すなわち、一年だけ、死はそれを保持した。これだけの時間が過ぎたあとで死はそれを流出した
>それが生まれるや否や、死はそれを呑み込もうとして口を開けた。それはブハーンと叫んだ。まさにそれが言語となった
〜プリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド
戯論寂滅を謳うチベット仏教は滅びの教えな。君らも四句分別など一切の分別のできない境地のようなものを
認めているんだろ?君らの涅槃はそこだ。君らはなにか仏教は他の宗教とは違う特別なものだと勘違いしているようだけど
君らの目指す境地は他の宗教でも説いているんだよ。キリスト教では中間の場所。安息日としてね。もちろんそれは
言葉では表現し得ない。なぜなら識別し得ないからだ。ゆえに、舌を上顎につけて女は黙っていなさいだ。
ま、宗教上の男の意味と、女の意味を理解しないとこの喩えもわからんし、男と女という時点で識別はあるが、ここで話すのは
やめておこう。中間の場所という表現はあくまで皆に説明する上で便宜上そのような記号を使っているにすぎない。
本物の宗教は、安息日を認識し、そこからの復活を謳うんだよ。君らのように安息日で終わりなら、それは滅びの教えだ。
たとえば睡眠で熟睡すれば皆は無の境地を認識するだろう。だがそれは目覚めるから熟睡時の無の境地を認識できるわけで、
目覚めなければ、認識するすべもなく、それで終わりである。安息日も同じこと。もちろん安息日を認識できるのは我々の自我では
ないけどね。むしろ今の自我を滅ぼした時にしかできない。たしかに完全に滅んでしまえば苦はなくなるわな。その代わり
楽もないが。いいかい、本物の宗教とは、最後の晩餐から、安息日。そして復活の教えを説くんだ。安息日がゴールの君ら
末法仏教の教えは、本来我々が最も恐れなければいけない、第二の死。滅びの教えだよ。
219 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/21(火) 05:48:44.92 ID:soDy7IO2
ゴータマさんは、生老病死で終わる我々の自我による生存は苦でしかないと教えた。この世界が二相対の世界で
あるなら、楽でしかない生存もあるわけだ。末法仏教を愛する君らには関係ない話かもしれないがね。頑張って君らは
滅びの道を進みたまえ。気の毒にな。
220 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/21(火) 06:10:37.53 ID:gKm0j/cx
>>218 カラス氏
>君らも四句分別など一切の分別のできない境地のようなものを認めているんだろ?
まあ識別作用が滅して、問われたら答えるが、自らは語らん人を目指すのであれば、あまり魅力を感じないのも現代人感覚ですね。
その境地から脱して、復活して、衆生救済に巡行された釈尊は立派だと存じます。
十二支縁起をよーく見れば、別に「識別作用」を滅しなくても、「渇愛」を「利他愛」に替え、「執着」を「自然体」に替えれば、
「苦の生」ではなく「楽の生」に変わるように私の眼には映ります。
カラスさん叩かれてるのかい?
流れよく見てないからあまり言えないけど、自我が死んだら、次のステップは
また生まれるのではなく復活をするんだなと思い至ると思うよ
222 :
?:2013/05/21(火) 12:42:28.17 ID:cUZ8nnjH
>>218 安息日についてそのように教えているキリスト教の正統的な教派はないと思いますが
まさかグノーシスですか?
グノーシスはキリスト教とは無関係です
224 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/21(火) 14:51:49.13 ID:gKm0j/cx
>>222 ?氏
>因と縁に依存して
>死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
なるほど、49日を過ぎた餓鬼(不成仏霊)を成仏させる為のワザが密教(真言宗など)の加持祈祷ですね。
貴僧が見たという餓鬼も成仏するとよいですね。
>>225 ヘレニズムの中で生まれた ゾロアスター教の強い影響を受けた宗教思想運動ですから
例えばマニ教が北伝仏教を取り込んだように グノーシス思想がキリスト教やユダヤ教を取り込んだのです
第三の眼 ヒマラヤ聖者の生活探求などがグノーシス主義者が書いた偽典聖書に近い存在であるようにです
>>226 なるほど、取り込まれると無関係になると
関係性を0にする秘術はどの宗教に伝わるのかね
>>228 混淆した側の作為であるわけで 混淆された側は無関係ですね
キリスト教はとくに内部からグノーシスに影響された部分を排除してきたわけですから
マニ教が北伝仏教と混淆しても 北伝仏教の側はマニ教とは無関係
神智学の信者がチベットに関する偽書を作成してもチベット仏教の側は神智学と無関係
なのと同じです
230 :
神も仏も名無しさん:2013/05/21(火) 20:25:12.25 ID:jacEGHWu
>>229 無関係の意味を一般的な日本語と違う定義で使ってるだけだろ……
カラスか?w
>>227 だから何?
209に於いてはどっちの意味でも構わんよw 君が好きな方の意味で読んだらいい(´∀`)b
つか、209のどこに「目的」だなんて意味のことが言われてるんだ?
単語が無いのは勿論、文意としても目的として解されるような文章は無い筈だが?
もしかしてアンカー違い?w
>>230 有名なインチキ本 第三の眼 を誰もチベット仏教に関係がある文献と呼ばないのと同じです
>>220 一在家さん
>まあ識別作用が滅して、問われたら答えるが、自らは語らん人を目指すのであれば、あまり魅力を感じないのも現代人感覚ですね。
ああ、そういう印象を持っちゃうわけか…勉強になります。
たしかに、その言い方だと、ありがたくはなさそうな仏さんだね。無関心そう。
>>220 一在家さん
>「執着」を「自然体」に替えれば、
>「苦の生」ではなく「楽の生」に変わるように私の眼には映ります
大体、仏教で「生じる」って言っちゃうと、「いずれ滅する」っていう
無常を含みやすいから、「楽の生」とはあまり言われないのだろうね。
生じる性質の楽といえば、社会的な富や名声とかを指すことの方が多いのかも。
235 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/21(火) 23:33:20.06 ID:gKm0j/cx
>>233 >>まあ識別作用が滅して、問われたら答えるが、自らは語らん人を目指すのであれば、あまり魅力を感じないのも現代人感覚ですね。
>たしかに、その言い方だと、ありがたくはなさそうな仏さんだね。無関心そう。
逆にとってもお節介で有難い仏さま。。を唄う。
♪風上に良き香りがないのに、どうして風下に良き香りがするのだろうか♪
♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
236 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/21(火) 23:44:33.95 ID:gKm0j/cx
>>234 >無常を含みやすいから、「楽の生」とはあまり言われないのだろうね。
素晴らしい芸術とか美しい風景、心地よい音楽や空気。。どうして本スレの住人は「涅槃」という言葉ばかり多用して
「極楽浄土」という言葉をあまり用いないのでしょうか。
阿弥陀如来の「衆生済度」は「涅槃」というよりも、まず衆生の「極楽浄土」入りかと思料します。
地獄→人→中有→極楽浄土→人→中有→極楽浄土→人→中有→極楽浄土→人→中有→梵天界→人→中有→涅槃 ってステップかも。
>>234 そうじゃない。
生ずるという意味でなく、(いや、勿論それをも含意はするだろうが)、
おそらく、十二支縁起の「生」(生存、生まれ、(人生))を指していると思われ・・・。
自然体で生きれば、その人生は、一切皆苦の生でなく、ゆったりとした(悩み無き)楽しき人生となろう、と。
>>236 その図式は、さすがに、浄土系の人が激怒するんじゃないか?w
>>219 ゴーダマさんの「苦」っていうのはそういう意味じゃなくて、
「楽」「苦」という二相対の世界にいるかぎり、その生存は苦でしかない、ってことでしょ。
つまり一段上の話をしてるんだよ。
>>235 一在家さん
あ〜ん、もう!そういう嫌味を言うから腹黒とか言われるんだよ笑
ってか、もう、ストレートに「私はこういう結論を導きたいんですけど、なんとかなりませんか?」
って言った方が、あんがい望ましい結論にいけるんじゃない?いまいち、一在家さんがいきたい方向も、うまくつかめてなくて。
こちらは、べつに慈悲を否定したり、仏は非人情的だって言いたいわけではないのだけど。
まあ、でも、僕の説明もだいぶ、偏ってたな〜、ごめん。
他に縁ることが、もっとも慈悲深いってことを伝えようとしたんだけど、
うまくいかないもんだなぁ…。
法が分かると、他を害さなくなり、慈悲に溢れてくる、ということだと思う、うん。
>>234 あ〜、勘違いしておりました、了解です
>>239 おお、中道ですね〜。輪廻を苦として涅槃を楽と言ったり、
苦楽の無常を苦として、苦楽を離れた常住を楽としたり、
苦楽については相手によっていろいろ言われるみたいだね。
で、こういうとこ(
>>236)を見ても、
やっぱり何にも解ってない、何にも見えてないってのが顕著だよなぁ・・・。 orz
>>240 彼は、―少なくともレスの仕方や内容(…我々が知り得る、彼の情報)からすれば―、
根っから“あざとい”人間だよ。
誠実さが裏目に出ているとか、そんな生温い不器用さじゃねーよw
彼のレスから、「解ってて、敢えて・・・」以外に何が見えるのか?と。
>もう、ストレートに
それは絶対にないでしょう。
なぜなら、彼は自分でも、その主張が仏教でないということを解っているから。
だから、そこは絶対に認めない。
その上で、その核の部分以外の周辺事項を、“仏教的謂い”とリンク結束させて、
その核となる部分をも仏教と繋がっている、という図式構築しようとしているのだから・・。
243 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 00:23:36.67 ID:nKXsUPOJ
>>240 >あ〜ん、もう!そういう嫌味を言うから腹黒とか言われるんだよ笑
>ってか、もう、ストレートに「私はこういう結論を導きたいんですけど、なんとかなりませんか?」
>>242 >それは絶対にないでしょう。
>なぜなら、彼は自分でも、その主張が仏教でないということを解っているから。
だから、何度もストレートに結論を言っておりますよ。貴僧らには伝わらないようですが。
♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
因果の法におきまして、報身と応身に慈悲という果が現れたのに、貴僧らは因は無く「空」だと言っておられます。
それが伝統的な仏教解釈だ(本当の仏教だ)と断言されましたら、腑に落ちませんが、これ以上仕方がないですね。
完全な涅槃に入らずに「衆生済度」を展開する報身と応身の「慈悲」に対し、ただ問われたら答えるですか?
縁起の法であれば「慈悲」の代わりに「無慈悲」が果として現れてもなんら矛盾はしないかと存じます。
244 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 00:28:44.24 ID:nKXsUPOJ
>>236 >地獄→人→中有→極楽浄土→人→中有→極楽浄土→人→中有→極楽浄土→人→中有→梵天界→人→中有→涅槃 ってステップかも。
>>238 >その図式は、さすがに、浄土系の人が激怒するんじゃないか?w
浄土系の方は是非添削して下さい。
245 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 00:37:45.57 ID:nKXsUPOJ
>>243 >だから、何度もストレートに結論を言っておりますよ。貴僧らには伝わらないようですが。
>♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
仮設の結論:法身は「大慈悲」のかたまりである。だから法身から生じる報身、応身、大宇宙も皆「慈悲」に溢れている。
「慈悲」の現れは問われたから答えるのでもなく、偶然でもなく、一切必然である。
246 :
神も仏も名無しさん:2013/05/22(水) 00:47:00.85 ID:726f5DPH
カラスさんの信じている教えは、
・隠れた目的
『アジア人は滅ぶべき』
・教えの趣旨
『レベルの低いアジア人は解脱もできず魂ごと滅ぶ』
・実践
『アジア人を支配する仏教含む現宗教を否定し、新真理(カラス教)を信仰せよ。
そうすれば、今生で計画された肉体の滅び(アジア人の間引き?)は免れることないが、
その魂は滅ぶことはなく、来世に生まれ変わることができる』
ゴータマさんが云々といろいろ書き込んでいるけど、要するにこういうことでしょう?
まあ、カルトですわ。
>>244 浄土系は中有なしにすぐに阿弥陀の浄土に転生 修行して解脱すると考える
真宗は信心の度合いは関係なし
>>232 正確に「正統に含まれない」と言えばいいだけ
「無関係」てのは距離離しすぎ
仏教スレなら関係性を軽視したらあかん
>>231 単に矜持より大事な目的があったから矜持を通さなかっただけじゃねーの?
ってだけなんだが、なんか気に障ったか?
矜持なんて重視しても仕方ない
>>248 第三の眼 と チベット仏教は何の関係性もないですって^^
捏造が確定しています
グノーシス主義の偽典とキリスト教も同じです
マニ教の経典が漢訳の仏教経典に似ていても無関係なのと同じです
>>250 捏造なら関係はあるよ?
偽典という時点で正典との縁が含まれてる
縁起バラせば必ず繋がりが出てくる
肯定的な関係性以外は関係性じゃないとでも思ってるんだろうか
>>226>>232 『ヒマラヤ聖者の生活探求』は神智学の重要文献、『第三の眼』などと同レベルに扱わないように。
まっ、いつもの如く本当の違いも分らないし、同じものもそれとして気付けない人だから、ショウガナイ
けれど・・・。
“第三の目”というのは、アジュナー・チャクラの肉体対応部位である脳下垂体とサハスラーラ・チャ
クラに対応する松果体の活性化に伴い、この両者の間に“磁気的な場”が形成されるもので、これが
いわゆる“第三の目”とも呼ばれる心眼(高度な霊視)を発揮する霊的器官であり、これは霊的進歩に
伴って自然と形成されていくもの。これはあくまでも純粋にエーテル体の機能の問題であって、ロブサ
ン・ランパの話のような黒魔術的な外科手術による形成などということは有得ません。これらはアスト
ラル的なデタラメです。
続く↓
252の続き
私たちの得ている情報によれば、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、探検家スポールディングは
1.6段階のイニシエートでした。この著作の中で展開された彼の体験、その驚異的な奇跡の数々はす
べて事実です。ただし、その出来事の幾つかはエーテル界層における彼の肉体外での出来事でした
(つまり、一部は濃密物質レベルの出来事ではなかった)。また、この著作の中に登場する謎のヒマラ
ヤ聖者の中にはマイトレーヤとイエス覚者も登場しています。
私は神智学への登竜門として、人々にはこの『-----生活探求』(全五巻)とイエス覚者のオーバー
シャドウにあったマクドナルド・ベイン著の『解脱の真理---ヒマラヤ大師の教え---』を強く推奨してい
ます。
>>184 はい、ごめんなさい!
寂しいことですが、そろそろ潮時かと・・・。
撤退の腹づもりでいます。
徐々に投稿数を控えます。
出発が迫ってきました。
今は巡礼の準備に注力します。
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コワ〜いパチンコ店の話(宝島文庫2011/3/18発行)
ある地域では、月に1回、その地域のパチンコ店と警察署と消防署で会合があります。
会合が終わったあとに警察と消防をソープランドに連れて行きます。
>>235 一在家さん
慈悲と空のことだけど、
たとえば、魔法の本があったとする。ページには、真っさらで何も書かれていない。
自分がどうしたらいいか分からない時にだけ、ページに文字が刻まれて、
どうすべきか教えてくれる。で、悩みが消えたら、また真っさらのページに戻る。
外見のデザインや重さも、限りなくその人が手に取りたくなるように姿を変える。
この本は慈悲深いか…まあ、慈悲深いといえば、慈悲深いね。
法身だろうと、応身だろうと、仏さんはこのような感じだろう、と思う。
法身は記されるのが非言語(あるいは難解な外国語)で、応身は母国語に訳された言語ってイメージ。
もし、空でないとすると、この本は意志をもって、読み手に必要なことを記すのではなく、
記されることが予め定まっていて、誰に対しても、同じことを記すことになる。
相手に縁らず、書きたいことが決まってるから。
258 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 08:08:46.37 ID:nKXsUPOJ
>>256 親切僧さん
>たとえば、魔法の本があったとする。ページには、真っさらで何も書かれていない。
>自分がどうしたらいいか分からない時にだけ、ページに文字が刻まれて、
>どうすべきか教えてくれる。で、悩みが消えたら、また真っさらのページに戻る。
たとえば、魔法の本があったとする。ページには、真っさらで何も書かれていない。
自分がどうしたらいいか分からない時にだけ、ページに文字が刻まれて、
どうすべきか教えてくれる。で、欲望を満たしたら、また真っさらのページに戻る。
魔法の本の属性が善でなく悪であっても縁起の法では同様でしょう。
よって私は本にかけられた魔法は善意(慈悲)だと私見(仮設)を申しております。
この私見(仮設)にブラックだとか、腹黒だとか、僧らがラベルを貼っておりますのが
現世のスレかと存じます。
259 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 08:15:59.34 ID:nKXsUPOJ
>>258 >魔法の本の属性が善でなく悪であっても縁起の法では同様でしょう。
>よって私は本にかけられた魔法は善意(慈悲)だと私見(仮設)を申しております。
「全訳 入中論」を読んだ縁で、不等式「一切智<衆生済度 涅槃<衆生済度」が起こりました。
いつの日か彼岸にて「空見」という筏を乗り捨てた時に、貴僧が出会うのは「大慈悲」そのものではないですか、と私見(仮設)を申しております。
智慧による涅槃寂静も慈悲による衆生済度も同じものの両面だよ
今が悪で苦だから、それを取り払ったら善で楽があらわれるように思えるだけでは
悩みや迷いを本心から楽しむ人間がもしいたなら、取り払うのは苦でしょう
どちらにせよ、一段上ではどちらもなくなる
>>258 >この私見(仮設)にブラックだとか、腹黒だとか、 >ラベルを
んとに、日本語読めてないな・・・。
どこの誰がそんなこと言ってるんだ?
君の発言の内容(趣旨)ではなく、その作文法及び資料や相手の発言の採用の仕方が狡猾だと言っているわけです。
263 :
?:2013/05/22(水) 10:48:19.86 ID:Wpdvzx8e
>>224 前世は一在家さんへ
> 餓鬼(不成仏霊)を成仏させる為のワザが密教(真言宗など)の加持祈祷ですね
> 貴僧が見たという餓鬼も成仏するとよいですね
私が目撃した落武者の霊の成仏供養は 『 前世は一在家さん 』 に御願い致します 屮(_ ._)屮
#4 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル01
https://www.youtube.com/watch?v=L9kLI8kEWqk #1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル04
https://www.youtube.com/watch?v=VktVMhs21xM 永久不滅・常住不変のアートマンではない
それ自体の自性によって成立しているのではない
衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である、但だ
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って
因と縁に依存して
阿弥陀仏は
みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い
衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代って完成し
これを名号(南無阿弥陀仏)に収めて衆生に回向している
ちなみに、
>>245 それが、顛倒妄想なの。
それは、「精子或いは卵子中に既に骨がある」ということだからだよ。
或いはリンゴの種の中に、既にリンゴの実があるってことだからね。
たぶん、こういう考え方にも、なんちゃらって名前があったような気もするが出てこない。
けど、別に【最初から種(法身)の中にリンゴの実(慈悲(心))が入っている必要はない】わけで・・w
あとから、実へと育っていく余裕(≒可能性)があればいい。
そこへ、種々の作用が加わって、将来、実となって結実する、と。
それでいいじゃん。【わざわざ種の中に実を仕込む必要】はない。
法身が慈悲を内包していなくても、ちゃんと必要な時には必要な作用が働いて、ちゃんと慈悲が働き出すでしょうよ。
つか、それが、空なればこそ、一切を包含し得る・あらゆる形で働きだせるってことでしょ。
卵子や精子に、将来の器官部位が確定しているわけじゃない。
(また、もし遺伝子レベルの話にするとしても、たとえばそこに(染色体の中に)骨が既にあるわけじゃないでしょ?
その意味では、生物としての各器官・組織の欠片もないでしょ。
また、【一対一対応としての】、将来骨となる基体、心臓となる基体、そうした『素』すらないでしょ?
けど、だからこそ、生物の発生・組織器官の発現ってのが可能なんでしょ?)
その発生分裂前には、或る細胞は或るものにしかならないと決まっていないからこそ、
一卵性の双子があり得るのでしょ? もし、卵子の時点で各器官の部位が決まっているなら、
双子は全て二卵からでなければならないし、一卵からならば、
全ての部位が、きれいに半分ずつになるということになるし、(そのイレギュラーがシャム双生児ということになるか)、
「細胞分化」があり得ないことになる。
※(説明が合ってるかどうかは知らんw けど、貴方の大好きな領域の話だと思いますが・・w)
だから、そういう構図として
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1367885600/654 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1367885600/648 (
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1367885600/625-626)
なわけ。
265 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 12:40:03.83 ID:nKXsUPOJ
>>265 >それが、顛倒妄想なの。
>それは、「精子或いは卵子中に既に骨がある」ということだからだよ。
>或いはリンゴの種の中に、既にリンゴの実があるってことだからね。
顛倒妄想という言葉を妄想(伝統的解釈)の中で使っておられませんか?
精子或いは卵子中に、リンゴの種の中に、「遺伝子」があり、精子或いは卵子及びリンゴの種の将来を決めております。
その遺伝子こそが今回の「慈悲」の譬えということです。
伝統的解釈が正しければどうして末法の世になったのでしょうか。
クリスチャンが「これがカトリックの伝統的解釈だ!」と言われた時に貴僧らの心境や如何に。。
「貴僧」とは在家僧のことかな?
中有が死してのちあるというのを心配するのは、外道と地獄と餓鬼と畜生と修羅の五つの内
いずれかの心地にいる人々であります。なぜなら外道がその他の四つの上にあるからです。
外道とは何事にも外在的にも内在的にも何かがあると思い、外界の物質の元となる素材を探しあて、
超能力を直に求めずしても得て、阿頼耶識(唯識)からカオス理論(物理学)へと移ることを
考えの根拠にして推理し理解し、理法を説き、心理を知り、真理に至るのです。
しかしこのような外道を客観的に見る人間こそが、地獄という機械的や主観的な生き方もせず、
餓鬼という神から魂を分け与えられたと信仰もせず、畜生という超人的な生き方もせず、
ただただ一人間として全うに生きることこそが、素晴らしい天への階段を上っていく
人なのです。つまりそういう人間はいつか三昧をする。三昧の中で、天の階層を
順々に上がっていく。そしてブッダになる。でも人間として書く中で神憑りが起きるのであるが、
何を書いているのかというと、菩薩の真理を目指すということを解明するのである。
つまり口ではブッダであると言っているが、本能的には菩薩になりたいのである。
そこで菩薩界というところに死後行くのはたぶんあまりいないだろう。
修羅については、春と修羅を読んで研究したいと考えていますw
>>265 だからw
遺伝子は骨なの?遺伝子は心臓なの?(´・ω・`)
そういうこと。 んとに喩え話が通じんやっちゃな・・。
つか、ちゃんと言及してるだろ? ちゃんと読めよ・・・。 orz
270 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/05/22(水) 13:14:56.95 ID:u8achsx6
>264
>その発生分裂前には、或る細胞は或るものにしかならないと決まっていないからこそ、
例えがおかしい。
細胞分裂が繰り返されて、最終的にはそれぞれの器官になるように分裂する。
従って、その過程の分裂もなるべくして成り、「あるものにしかならない」様にDNA、RNAが成り立っている。
この分裂時のエラーで奇形児が生まれる。
真諦と俗諦をうやむやに、いっしょくたに論じられてもな
君らが言う”慈悲”と仏教の言う慈悲はそもそも認識が異なるのだから
君らが理解できる”慈悲”というものによって報身が成り立っているはずなのだから
法身も、この”慈悲”の一分くらいは含まれているはずだって論理は成り立たないのだよ。
特に他受用報身である阿弥陀仏の話の外見だけを切り貼りして、
他受用報身が何も反論できないのをいい事にして我田引水するのは生兵法も甚だしい。
仏教の言う大慈悲とは執着がないのだから、一刹那でさえ清浄ならざるなしと言われる。
微塵の我見も含まれないからこそ君らにとっては非情であるとも言えるものだよ。
たとえば、死んだ子を生き返らせてくれと頼んだ母親に、今まで一人も死人が出たことのない家から芥子をもってこい
と言った釈尊の話があるが、これは一面において智慧であり、一面において慈悲なのだよ。
衆生を真理に導く智慧であり、衆生を救いに導く慈悲でもある。
同じものの側面を別の表現をして伝えているにすぎない。
272 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 13:33:01.88 ID:nKXsUPOJ
>>263 ?氏
>#1 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル04
御紹介の真言宗の浄霊ビデオを2本とも見ました。
特に後の方は我々が日々体験しております霊動現象そのもの(そっくり)でした。
違いは霊能者の読経の代わりに、普通の人(組み手、僧侶・神父含)が手をかざす点です。
海外のカトリックにはバチカン公認のエクソシストがおりますが、仏教にも密教修験者が餓鬼を
除霊されていることを確認しました。
イエスは憑依を説かれましたが、釈尊は餓鬼の憑依をどこかで説かれたのか、それとも
密教の高僧のどなたかが説かれたのか、ご存じの真言宗の方はご教示願います。
>私が目撃した落武者の霊の成仏供養は 『 前世は一在家さん 』 に御願い致します 屮(_ ._)屮
目撃したということは波調が合ったということです。その場合は憑依されている危険性もあり、
目撃した日以降に体調が悪くなったことはないでしょうか。
憑依した餓鬼は死んだ瞬間の痛みを何百年も引きずることが多く、首を切られた者は首に痛みを、
肩から切られた者は肩に痛みを生じさせて訴えるケースが多数ございます。
また水死した場合は「寒い、寒い」と言いながら、ぶるぶる震えます。
本スレは密教系の方もおられますので、一度紹介していただいては如何でしょうか。
それでも、厄介な場合は私のグループの公式ホームページをご参照下さい。 合掌
>>252 だからヒマラヤ云々はチベットと関係ないってコト^^
作者はチベット行った事ないんですから
あるなら客観的な 神智学方面でゃない証拠よろしく^^
274 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/05/22(水) 13:34:52.90 ID:dj9WH3SH BE:1231838036-2BP(333)
「人はなぜ生きるのか?」というYAHOO知恵袋の質問に、
「一般的には、人は、愛を残すために生きるとされています」と答えたんだけど、
これはキリスト教的だよね。
仏教的には、なんと答えたらいいのだろうか?
276 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 13:37:47.59 ID:dj9WH3SH BE:2463675449-2BP(333)
仏教てのは医者さん的
まず苦しんでいる人がいる。
仏さんが、スーパー知識でもってあなた病気ですよと診察する
衆生「え?マジ?」
処方箋を出す
薬を飲む
全快
智慧がもし真実の役目しか担わなかったら
仏「君、病気なってるぜ、サッ」
衆生「え?ちょまてよww」
てなもんでしょ
智慧と慈悲は同じ役目を担っているのが仏教。
一方、キリスト教は
まず、神が人間をつくる。
りんごを食べさせる。
神、罰として人間を苦しませる。
人間「どうすればいんだよーw」
279 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/05/22(水) 13:48:34.79 ID:dj9WH3SH BE:821225243-2BP(333)
>>277 あまりありがたくないなあ。
キリスト教は、イエスの教えなんてほとんどつまらないものだけど、
パウロがいった「預言者より愛が大切である」という教えは、強い。
これを吸収咀嚼したいのだけれど、いい仏教的、日本神話的解説はないなあ。
そうかな?
みんながハッピーになる教え
と
愛するけど、憎しみも生む教え
どっちがいい?
>>272 だからキリスト教は死者の祟りは教えていないから^^
エルカンターレファイトと手かザざしが違うのと同じ^^
>>280 憎しみを生むのは教えを誤解する人間です
だから仏教にもイスラムにもキリスト教にもビンラディンが生まれるのです
283 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 13:54:14.49 ID:dj9WH3SH BE:2189932984-2BP(333)
>>278 それもちがうなあ。
仏教は、人が生きているのは、一切皆苦であって、生きることは苦しいことなのだと教えている。
で、浄土真宗的には、人が生きていくのに存在する苦しみのない極楽浄土にみんないつかは転生させてあげると教えている。
キリスト教の流行や主流な教えなどどうでもよい。
やはりね、キリスト教の最大の特徴は、預言者より愛が大切だと教えているところだよ。
キリスト教会はそんな教えが主流になったら困るのかもしれないけど、
ちゃんと聖書に書いてあるし、いざとなった時、キリスト教は、このことばで再生すると思う。
イスラムには書いてないけどね。イスラムにはどういったらいいのだろうか?
キリスト教の人いたらごめんね
歴史的文脈無視して揚げ足取りしただけだからね
>>279 あなたは俗人にあこがれているんじゃないの?
若い人々を見ていると俗人っていいなーって思うんじゃないの?
だからそのような事を思うのでは? 預言者が書き記してきたことよりも
尊いことはないんですよたぶん。僧侶が伝えなかったら、誰も伝える者がいないんですよ。
同じように預言者がいなかったら伝えるものがいないということ。
俗人が俗人として納得する教えなんじゃないのその愛ってのは?
286 :
?:2013/05/22(水) 13:57:47.20 ID:Wpdvzx8e
>>283 だから僕は前にも言ったけど、仏教とキリスト教は表裏一体だってことを。
キリスト教の考えに偏れることは、仏教者には出来ないのです。でも客観的に
分かる。愛の教えが。でも仏教がなかったら今の私がいないということを
考えれば、愛の教えも吸収できるはずですね。なぜなら仏教を中心に考えれるから。
288 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 14:03:30.36 ID:dj9WH3SH BE:410612832-2BP(333)
>>285 あなたは僧侶だから、自分の存在価値に使命をもちたいのだろうけど、
在家としては、「なぜ、人は生きているのか?」というところまで降りてきて考えてもらわないと、
悩みはとれない。
そりゃ、現代文明を支えているのは、
年間日本だけで八万件におよぶ新特許の出願などによる技術者の研鑽のたまものだけど、
技術者をかつての僧侶のごとく崇拝すればよいというものでもない。
適所適材であって、ノスタルジアさんは適所である僧侶になったのだろうけど、
僧侶中心主義は、これからの世界人類を導くものではない。
289 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 14:05:17.57 ID:dj9WH3SH BE:2874287467-2BP(333)
>>287 愛の教えを吸収して、仏教として教えるとどうなりますか?
書くことのために生きているのですか?
かわいそうだねえ、かわいそうだねえって世界を救えばいいと思う
>>289 自分(僕)は俗人のように、はしゃげないw。
はしゃいでも、重荷が増えることがわかっているから。でもそれを知った後では
もう絶対はしゃぐことは今世で生きている内はしないだろう。
だから書くしかないのです。書くことをとったら、南無阿弥陀仏をとったら
僕に何が出来ると言うのだろう? 出来ないんです。出来ないと甘えているのではなくて、
まじで出来ない身になっていくのです僕の場合は。
292 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 14:14:43.18 ID:dj9WH3SH BE:1437144337-2BP(333)
>>291 ああ、あなたは自分の夢を見つけた人なのですね。
まあ、わたしも自分のすることは見つけていて、SF作家になることなんですけど。
でも、目標のない人に、なぜ生きているのか、答えられないのは、仏教として弱いなあ。
まあ、自分が何者かになれれば幸せになるはずだっていう惨劇を破していくのが仏教だからね
そしてそうすることがもっとも幸せになるという逆説。序破急のような終劇です。
294 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 14:22:03.25 ID:dj9WH3SH BE:615919133-2BP(333)
悟りを開くために生きている、と答えるのは狂信な気がするんですよねえ。
知らぬが仏。知らないほうがいいよ、むしろ聞くな
>>288 では、僧侶中心主義は、これからの世界人類を導くものではないならば
どのような主義がこれからの人類を導くものなのですか?
297 :
?:2013/05/22(水) 14:39:23.73 ID:Wpdvzx8e
298 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/05/22(水) 14:45:02.98 ID:dj9WH3SH BE:5543267999-2BP(333)
>>296 わたし個人の思想としては、
あらゆるものを全網羅して、デジタルクールに最適解を発見し、
大衆に与えればよいと思っています。
情報革命によって、それだけの大量の情報を処理することが可能になりました。
阿弥陀如来の極楽浄土とまではいかなくても、それに近い楽園を作ることはできるのではないかと思っています。
ただし、理系の人に、この思想は技術者の現場を理解していないといわれました。
それって家でずっとゲームやる世界じゃん
ゲームの中では勇者なのに、リアルはぜんぜんレベルアップしてないっていう
300 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/22(水) 14:48:19.21 ID:nKXsUPOJ
>>297 ?氏
> ↑ これですか?
はい、そうです。
>下ヨシ子の死後の世界 (図解雑学)/ナツメ社(2008/02)
貴兄は真言系の方でしたか。
>>298 僕は天がこの世を支配していると考えています。天と地にはすごく
大きな断絶があるようですが、三昧をすればそこに行き着くそうです。
そして天にも階層があるそうですよね?仏教ではそう言っていますよね?
であるから、自らが天に昇らずしてどのように理系の人が言ったように、
技術者の現場をみたとて意味がないのです。つまり天に昇り、人々を
導くんだという菩薩道を歩まれている方であるなら、この世を浄土化
することは出来るように思います。しかし今のところ、これでいいのだ、
と考えているのでしょうね。
302 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/05/22(水) 14:52:06.76 ID:dj9WH3SH BE:3353335177-2BP(333)
>>298 宇宙を生成できるくらいまで文明を発達させたいので、やることはたくさんあります。
最終的な目標は、たくさんある宇宙のうちの最も優れた宇宙を創造することにあります。
至高の創造神がどんな世界をつくるのか、今は想像だにできません。
狂信な気がするんですよねえ。
304 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/05/22(水) 14:55:59.04 ID:dj9WH3SH BE:3284899968-2BP(333)
>>301 わたしは現代文明は、一人で全部を理解できる人は存在しないと考えていますので、
自分も微力ながら協力しながら、みんなでよりよい文明を築けたらよいと考えています。
そこでは、僧侶は、ただの宗教家です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
宗教のもつファンタジーというものは、まだ現代に必要なものだと思っています。
なんかマトリックス思い出した
>>302 宇宙創造w それはブラフマンがもうしたことです。ブラフマンが
全宇宙なのでありまして、ブラフマンを超える言葉はありません。
その言葉が出来たら新思想の入り口であるということですねw
まあしかし僕は外宇宙というのを考えていまして、そこに行きたいと考えていました。
もちろん菩薩としてw でもそこまで行くには、いろいろな素晴らしいことを
なした後からでも遅くないし、その素晴らしいことを通過しないと行けれないと
考えています。
>>258 一在家さん
親切僧とか、お上手ですね〜
>魔法の本の属性が善でなく悪であっても縁起の法では同様でしょう
へ…?どゆこと?
>この私見(仮設)にブラックだとか、腹黒だとか、僧らがラベルを貼っておりますのが
>現世のスレかと存じます
ラベルを貼らないでいられるほどの人は、悟ってるって〜
しゃあない
>>259 一在家さん
>いつの日か彼岸にて「空見」という筏を乗り捨てた時に、貴僧が出会うのは「大慈悲」そのものではないですか、と私見(仮設)を申しております。
慈しみの心は、彼岸までいく途中でも養っていくものだよ。
相手に怒りを覚えても自分の苦しみは根絶できないから、
慈悲で己の心を調伏する、みたいな感じで。
309 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 00:23:00.21 ID:cLbbRoAB
>>307 親切僧さん
>>魔法の本の属性が善でなく悪であっても縁起の法では同様でしょう
>へ…?どゆこと?
>>いつの日か彼岸にて「空見」という筏を乗り捨てた時に、貴僧が出会うのは「大慈悲」そのものではないですか、と私見(仮設)を申しております。
縁起の法には「善」も「悪」もないように、「慈悲」も「無慈悲」もないという意味です。
しかるに到彼岸され(空見の筏も捨てた)如来は「慈悲」そのものです。
「慈悲」という果には因があるので、その因は法身にある、と私見(仮設)を繰り返しております。
またある住人は仏の「慈悲」は衆生の「慈悲」と異なるとおっしゃりましたが、月称菩薩の解説からは差異を感じられません。
(入中論12-41)
暗愚という欠陥によって有毒な世間食をはむ人々の中で、その人を貴方が慈しむように、毒を飲み苦しむ子を母は苦しまぬか?
それ故、守護者は無上の寂静(涅槃)に趣かない。
>>308 >慈しみの心は、彼岸までいく途中でも養っていくものだよ。
彼岸にて「空見」という筏を乗り捨てても、「慈悲」は乗り捨てれるどころか、ますます増大するようですね。
「如来」らほど「衆生済度」の化身の如しだからです。
その理由は「仏」と「仏性」との関係にあるのだろうと次の仮説を立てております。
310 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 00:26:01.73 ID:cLbbRoAB
>>309 △「如来」らほど「衆生済度」の化身の如しだからです。
○「如来」らほど「衆生済度」の権化の如しだからです。
311 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 00:33:49.02 ID:cLbbRoAB
>>309 >彼岸にて「空見」という筏を乗り捨てても、「慈悲」は乗り捨てれるどころか、ますます増大するようですね。
>>67 「カーシュパよ、スメールほどの量の我見はまだしも、
おごれる者達の空見はまったくいただけない。」
大宝積経 迦葉品
空見の徒で、しかもそれを自慢する者達、彼等にとっては、この教えに於いて、
その空性という解脱への門に於いて、空性に酔い痴れて、空性そのものがひとつのとらわれた見方となっている。
宝性論より
312 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 00:49:43.68 ID:cLbbRoAB
>>311 本日、皆様との対話が縁にてWiki「宝性論」に出会いました。
第2章は、同じ如来性が離垢清浄となった状態すなわち菩提の説明で、これを仏の法身の全現という意味で、転依と称する(身転清浄成菩提品第8)。
そして、転依によって仏の徳性(如来功徳品第9)と慈悲の働き(仏業品第10)がのこりなく顕現するというのが第3、4章の主題である。
「仏の法身の全現」という言葉は、私がこのスレで繰り返した私見(仮設)に似ているように思います。
>>235 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/21(火) 23:33:20.06 ID:gKm0j/cx
>♪風上に良き香りがないのに、どうして風下に良き香りがするのだろうか♪
>♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
314 :
私見(仮設):2013/05/23(木) 01:20:12.90 ID:gdNTP1z2
>>312 >♪風上に良き香りがないのに、どうして風下に良き香りがするのだろうか♪
それは、風上に香を発するものがあるか、途中に香を発するものがあるか、風下に香を発するものがあるかのいずれか。
【「風上」という何ものかが「香」を発しているわけではない】。
【「風上」が「香」であるわけではない】。
【「風上」が「香の素」であるわけではない】。
風が流れる、その道中に、香りが入り込む(作用する)から、そこ以降の風下に香りが漂う。
>♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
それは、法身に縁が作用して、(慈悲の具体的顕われとしての)報身応身が化作されるから。
【「法身」という何ものかが「慈悲」を生じているわけではない】。
【「法身」が「慈悲」であるわけではない】。
【「法身」が慈悲の素」であるわけではない】。
(慈悲へ繋がる)諸因諸縁によって、そのときの(限定された)因や縁によって、
慈悲という要素・性質が内包された)報身応身が現れる。
315 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/23(木) 06:35:46.27 ID:5vrgtOzC
>イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、
>また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、
>時のしるしを見分けることができないのか。 邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、
>なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。 〜マタイ
邪悪で不義な時代には、正法は示されない。12の数字は時を表す。もしくは時代。世代。イエスは12使徒から外れた13番目。
イスカリオテのユダも12使徒から外れた13番目。イスカリオテのユダがいなければイエスの十字架は成就しなかった。
伝承ではイエスが十字架に付けられたのは13日の金曜日。金曜日といえば第六の日。そしてイエスは三日後に復活された。
それは週の初め。日曜日。それは第一の日である。邪悪で不義な時代には、正法は示されない。それは今の時代。
イエスは今の正統派と自称するカトリックの初代教皇とされるペトロをサタンと呼んだ。今のキリスト教は、彼ら12使徒が立てたもの。
それは彼らの世代のもの。今のキリスト教は正法ではない。現代教育を受けたものなら当たり前の話。心配しないでも
我々の救いの為に正法が示される次の時代は用意されている。ユダの福音書もあるように、イスカリオテのユダは
グノーシス主義ではイエスの弟子の中ではイエスの教えを一番理解していた人物とされている。繰り返すがユダがいなければ
イエスの十字架は成就しなかった。カトリック初代教皇のペトロをイエスはサタンと呼んだんだよ。後のカトリック。
いやアメリカなどは実質立派なプロテスタント系キリスト教国であるから現代にいたる至るまで、12使徒の残したキリスト教の
所業は、サタンそのものだわな。でもこれは全て仕組まれたもの。イエスは言われた。
『地上に平和をもたらす為に私は来たと思うな。平和ではなく剣を投げ込む為に来たのである』〜マタイ
全ては仕組まれたものなんだよ。
316 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 06:42:54.79 ID:cLbbRoAB
>>67 弥勒氏(仮称)「宝性論」
>空見の徒で、しかもそれを自慢する者達、彼等にとっては、この教えに於いて、
>その空性という解脱への門に於いて、空性に酔い痴れて、空性そのものがひとつのとらわれた見方となっている。
>>314 >>♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
>それは、法身に縁が作用して、(慈悲の具体的顕われとしての)報身応身が化作されるから。
>【「法身」という何ものかが「慈悲」を生じているわけではない】。
>【「法身」が「慈悲」であるわけではない】。
なるほど、空性にとらわれた見方の事例に見えます。>弥勒氏
317 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 06:54:42.75 ID:cLbbRoAB
>>314 >>♪法身に慈悲がないのに、どうして報身と応身に慈悲が現れるのだろうか♪
>それは、法身に縁が作用して、(慈悲の具体的顕われとしての)報身応身が化作されるから。
>【「法身」という何ものかが「慈悲」を生じているわけではない】。
>【「法身」が「慈悲」であるわけではない】。
「報身、応身」はともかくとして「法身」の如来が縁起すれば無常となります。
かなり無理がある空性の捉え方のように思えますが、如何でしょうか?>空見の徒以外の仏教徒各位
断見の徒、常見の徒、に加えて空見の徒。。「空見」は筏と伺っておりますので。
318 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/23(木) 07:08:10.56 ID:5vrgtOzC
>>246 おや、日頃、執着してはならないと説く仏教の信奉者が、俺はアジア人だの、我が民族日本人だのと、つまらないことに
執着しまくりなのかい?愚か者めが。君ら末法仏教徒達は執着してはならないと説くが、ではなぜ執着してはならないのか
本当の意味を理解している者は少ない。なぜこの世のもの一切に執着してはならないのか?それは執着とは我々のエゴイズムを
生み出すものだからだ。それは我々の命に対しても同じこと。あなたは前からあこがれていた車を買った。それ傷つけるものがいたら
貴方はその人に復讐を誓うだろう。貴方は愛する女性がいた。その彼女を奪い去る男がいたら、相手を激しく憎むだろう。
貴方は愛する子供がいた。そのかけがえのない子供を理不尽に殺した者がいた。貴方はその相手に憎悪の炎を燃やし、心に
復讐を誓うだろう。あなたを殺そうとするものがいる。貴方は反撃する機会があれば、相手を殺してしまうだろう。
貴方は真理を語った。それに反論し、激しく否定する者が現れたえら、あなたはなんとかして相手をやっつけてしまおうと思うだろう。
執着すると言うことはこういうことだ。この世における善の修行とは、我々の心に巣食う、エゴイズムを滅ぼす道だ。
忍耐。これほどの荒行は無い。逆に何事においても執着心なくエゴイズムを完全に滅ぼしたものなら、目の前のご馳走を
本当に必要な人がいれば遠慮なく差し出し、自分は麦飯でもいいと思えるなら、喩え普段は大酒飲みの大食漢であろうと業を汚す
ことは無い。逆に本当に必要な人がいるのにその人たちに与えるのを惜しみ、自分だけ毎日ご馳走を平らげる者は業を汚すだろう。
人は善の修行を完成しないことには故郷には帰れない。この世のもの一切に対して断食をしないと、父をみない。救われる名前のある人。
智慧のある選ばれた人々なら、この言葉を受け入れるだろう。そして、つまらない民族意識。ナショナリズムに傾倒することが
どんなに愚かなことかを知るだろう。だが違う人はこれらの言葉を受け入れず、己のエゴを愛し続けるだろう。
319 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/23(木) 07:32:19.50 ID:5vrgtOzC
前スレ
>>852 人類は皆兄弟だと言う人が、自分の民族に執着する意味がわからない。
ましてや業報輪廻転生を説くゴータマさんの仏教を信奉するなら尚のこと。次はどの民族に生まれてくるかわからないというのに。
ゴータマさんの仏教より業報輪廻転生否定の末法仏教を愛しているなら別だが。ちなみに末法仏教では執着とは苦を
うむから駄目だと説く所が多いと思うが、宗教がなぜこの世のもの一切に執着してはならないと説くかは、そんな世俗的なもの
じゃないんだよ。エゴイズムを滅ぼさない者に救いは無い。エゴイズムを滅ぼす道。それは再びエゴ(自我)を生み出さない道。
その道を完成すれば再び我々は母胎へと入ることは無いだろう。輪廻の解脱とはそういうことだ。君らには関係のない話かもしらんがね。
320 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/23(木) 07:45:26.20 ID:5vrgtOzC
ここからは話半分に聞いてもらって結構。ま、話のネタに。建前で話してもしょうがない。本音で話そう。
はっきりいって民族によって生まれ持った民度の違いは歴然としてある。
神との新しい契約、新約とは、真理を明かし、地上世界に神の王国を築くというものだ。でもその前に生みの苦しみがある。
次に用意された戦争で人々はエゴイズムのもたらす悲惨な結末を目の当たりにするだろう。そして有事の際、
神を信じないニヒリスト共の神をも恐れぬ残酷な所業を目の当たりにするだろう。そうして人は、人の持つエゴイズムは我々に
どういう結末を与えるのかを学ぶのだ。こうして人々はあなた方は互いに愛し合いなさいというイエスの言葉を受け入れることのできる
精神性の高い人種に正法は示される。でもそこに、どうしても見えるものしか信じれない、神などどうしても信じれない傾向の強い
民族が隣人にいたらどうする?彼らはどうせ死ねば終わりだと、相も変わらずエゴを愛し続ける
だろう。そういう人々が隣人にいたら、どんなに心に強くイエスの教えを守ろうと思っていても躓く人が現れる。そうなれば
救われる人も救われない。過去の過ちを決して忘れず1000年恨み続けるという傾向の強い民族が隣人にいたとしたらどうする?
そういう人々が隣人にいたら、どんなに心に強くイエスの教えを守ろうと思っていても躓く人が現れる。そうなれば
救われる人も救われなくなる。
321 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/23(木) 07:51:31.67 ID:5vrgtOzC
>>320 続き
過去の過ちをちっとも反省せず詭弁ばっかり達者で、都合の悪いことは全てなかったことにしてしまい、
過去の被害者達の神経をさらに逆なでするような行動発言をし、匿名の掲示板だと国際問題になるくらいヘイトスピーチに溢れ
差別を楽しむ幼稚な精神性の持ち主で、強いものが押さえつけておかないと、ほっとけば過去の過ちをまた繰り返すだろう
傾向の強い民族が隣人にいたらそうする?そういう人々が隣人にいたら、どんなに心に強くイエスの教えを守ろうと思っていても躓く人が現れる。
そうなれば救われる人も救われない。正法を語っても決して聞く耳を持たず、むしろ噛み付いてきたり、茶化したり必死で否定する
傾向の強い民族が隣人にいたらどうする?そういう人々が隣人にいたら、どんなに心に強くイエスの教えを守ろうと思っていても躓く人が現れる。
教師までもがね。だから次の時代を迎える前に粛清は行われる。救われる人々が躓かない為に。誤解してはいけないのは、この世界は
救われない人の為に造られたのではなく、あくまで救われる人達の為に造られたのだ。心配しないでもアジア人は粛清の対象だからだと
ゲットーのようなものに閉じ込められて、屠殺されるというものじゃない。精神性の低いゴイム達は己のエゴイズムの赴くまま互いに
殺し合い自ら滅んでいくんだろう。もちろん白人も絡んでね。全ては仕組まれ、ゴイムは自業自得で滅んでいくんだろ。
322 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/23(木) 08:08:02.54 ID:5vrgtOzC
>>316 皆自分自身を愛しているだろう。愛しているのは本当は自分自身しかいないともいえる。
法身も報身も応身も、そして我々も。無であるか有であるか。元から悟っていてひとりでに生まれた身なのか
我々と同じく母体に入ってそれから悟りに入った身なのか、母体に入ってまだ悟りとは程遠い我々凡夫なのかはさておき
全て彼(仏=父)自身なのさ。だから悟りを開いて彼を認識した者は、慈悲の心に溢れるのさ。なぜなら全ての人は彼自身であり、
それはすなわち自分自身でもあるからね。自分が自分自身を愛する。当たり前のことじゃないか。
この真理を悟ると、なぜゴータマさんが四無量心の慈悲の心を説いたか、なぜイエスはあなた方は互いに愛し合いなさいと
説いたか、神はなぜ愛だと表現されるのかを悟るだろう。
>>321 キリスト教と仏教の人間の起源は違う。仏教はお釈迦様からである。
キリスト教はアダムとイヴからである。お釈迦様が生まれた約2500年前に
アダムとイヴがいるわけがない。アダムとイヴは聖書の創世記を読むと
お釈迦様よりもずっと前の話であるからである。
しかし僕は仏教とキリスト教は表裏一体であると思っている。
でも仏教徒である私にとっては、キリストという言葉しか重要性を発揮しない。
またはアイオーンという言葉しか重要性を発揮しない。キリストが真の神である
ということが仏教ではどういう位置づけになるのか?たぶん天上界にいる神の中でも
トップの神なのだろう。アイオーンとは高次な霊ということであるから、その
高次な霊とはキリストのことなのだろう。であるからグノーシス主義とは
天の真の神であるキリストを信じていない。なぜなら大は小を兼ねることが
出来ないからである。
阿弥陀はブッダの王である。当然において、神という言葉を超えたブッダである。
そのブッダの王が阿弥陀であると言っているのである。創造主、造物主、父なる神は
梵天(創造主)である。
もし323の文章であなたたちが混乱したなら、混乱そのものか、混乱して
生まれた者なのかの二択だろう。
そして僕の言葉を見て醜い顔になったならば、般若の面のようなものなのだろう。
般若に面を当てている。面で般若を覆っている。永遠の菩薩の道を歩まないでいるのだろう。
しかし矛盾や逆転という考えによって、自分の正義を貫き通すことならできるのだろう。
例えば僕が昨日、学校の同級生に、菩薩の真理を書き記していくことは雑行だって
言われて、僕自身の顔が醜い顔になったようなものであるのだろうか?
僕の場合は永遠の菩薩道に歩むことを咎められたのだが、あなたたちがもし
僕の、323の文章で醜い顔になったならば、ただ矛盾、逆転の考え方を
持ち合わせて本当はいないのだろうということだ。つまりキリスト教を
信仰しているだけ???
それは言葉による醜い顔という表現と、言葉によって客観的に般若の面を
剥がして邪淫しているようなものである。醜いという字は酉と鬼であるので、
餓えた鬼である餓鬼が、酉で飲んで、腹を満たし、逆に般若を犯している
ようなものである。つまり菩薩を犯すということ。
・餓鬼が地獄に堕ちる道程の説明
餓鬼は餓えた鬼である。鬼が云うので魂になる。その魂は、
神仏によって与えられる。しかしその間違った認識が、その者を餓鬼から地獄に堕ちさせる。
つまり睡眠時の夢など、すべて餓鬼なのである。例えばその神仏への信仰が侮辱されたら
餓鬼は、醜い顔になるだろう。つまり自分の率直な人相が出て来る。酉に鬼と書いて、醜いというが、
つまり酉によって空腹を満たしているのだよ。これが飲酒であり、戒に反することである。
しかし顔に表れなくても言葉で変換する人がいる。その場合でも同様である。
もう一つ、般若の面の話がある。僕は般若が面をかぶっているので、般若の面であると思っているのだが、
般若とは女性のことである。面の醜い顔をとってしまうということは、つまり
般若(女性)への邪淫である。そして般若への侮辱。菩薩への侮辱である。
または永遠なる菩薩道を歩む者に対しての侮辱。
言葉に変換することで醜い顔が如実に浮かぶような者ならば、そこから言い逃れるために
二言目を吐く。その二言目は当然醜い顔を取っ払って、般若(女性)を邪淫する形で
達成される。つまり菩薩への侮辱によって二言目を発するのである。
女性の菩薩の代表が観音である。つまり観音を邪淫するのである。此処まで来て
その者は地獄に堕ちたと、僕には分かる。
327 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/05/23(木) 09:54:32.99 ID:/JUZLHaE
おいおいwww
ここはいつから、キチガイたちの落書き帳になったんだよ?wwww
328 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 09:58:08.50 ID:Dxl1/yu5
>>317 314が理解できないってことは、仏教そのものがまったくわかっていない、ってことだよ。
別に、314は「空」から導いてるわけじゃないぜ? (結果として結びつけることは構わないがw)
で、
>>264は依然無視かよ。 (一度触れてるレスがあるが、重要部分には触れてないしなw)
こういうとこも隠居と同じ狡猾愚劣なとこなんだよ。
まあね、法身やら仏性やら如来蔵やらという考え方は、
こんな風に考える輩の輩出を助長するという側面(デメリット)を本来的に含有するからね・・・。
しかたないとこでもあるが・・・。 (ま、だから、ワシはこの方向性が嫌いw)
>>329 どんな教えも、「教え」という形をとれば同じ危険を孕む
真に伝えたいなら一人一人個別の方法を考えながら向き合うしかない
>>67 そうかな〜
だからチベットは民族浄化されようとしてるのに、
自殺を宗教で認めるのかとかあられもない批判すらさせられるという
いじめ殺しされてなお罪をかぶらされているという現状を生んでいると思うなあ。
悪意ある者に善意は伝わらない。独善の者に相補的な交渉はできない。
対話は否定しないが、相手を見極めることは大事だと思うよ。
わざわざ仏教スレでキリスト教名乗ってるやつらを相手にしても、ほぼ無駄。
護教はいざしらず、心の慰みに仏教を食いものにすることなきよう。
済度より布教と自己拡大を目的化している人に慈悲もくそもない。
>>330 うむ。
で、このスレは、そんなスパーリング場とも言えるか・・・w
>>331 彼らは彼らの知識と知恵の範囲でベストな選択をしているだけ
完全に隠蔽されたならともかく、世界にニュースが広まった時点で通じる奴には通じるし、
いつか何らかの形で彼らの目的は達せられるかもしれない
現状評価なんぞにお前が囚われてるだくでね
>>320 本音だが、民度なんてものは人の価値観の一つにすぎん。
ある民族集団の常識概念とまたある民族集団の常識概念は異なる。
どちらが上下であるかも、それぞれの民族集団の常識概念から判断されるのであって
どの物差しが最上かまた集団を統御する上で妥当か、絶対的価値基準があるわけではない。
ミミズとヒトがどちらが上かなんて所詮、人には自己中心的な価値観を抜きには決められない。
ミミズとヒトが共生という名で実質ヒトが上から目線で付き合うことはできるが
お互いの権利を平等にしてまで共生できるものではない。
ヒトどうしであっても、同じことが言える。
平等の権利というものを求めるならば、民族がそれぞれ自己の価値観を尊重できるような防衛の壁をもつことが
許されなければ、民族はより自己の意見を通そうとする民族によって一方的な関係ができあがるだけ。
手放しですべてが平等なんて言うのは無責任。
分かる人間だけにその人間に応じた知識を与え、その人と周りの人とが互いに傷つけ合わないような関係をつくることが
大事。
仏教というのは特定の価値観を与えるものではなく、結論としてどんな価値観も不完全であると主張しておいて
その結論にどうもっていくかが主な価値観となっている。
>>334 そうかねー、俺だて、シナ中共の残虐さを批判している方だが
世界が実質的な動きに出ているようには思えないな、大国や国際企業も見て見ぬふり。
仮にもしチベット人が完全に駆逐されてしまった場合、残念だったで済む問題なのかね。
>>336 けど、「実際問題(→実務上の問題)」として、
声を上げることは、(スポークスマンが不快感を表明する程度で済む?wだろうし)いくらでも可能だろうけど、
でも、『介入』となると話は別でしょ。
歴史上、「残念だった」で済ませてきた事例の方が圧倒的に多いんじゃないかな。
また、それが、世俗の(国際社会の)限界でもあろうしね。
だから、誰にでも優しくするってあり方は欺瞞であり
優しくするべき相手に優しくしているだけだろ、世間でも誰でも。
だから、優しくしないのも、優しくするのも両者は同じ最重要目的のために使われる手段であり、
どっちが上か下かも判断できない。両者は同じもの。
一つの優しくしないことをもって他人を批判できないということだ。
チベットの人たちはシナに優しくするということを最優先すべきなのかな、俺はそれが疑問。
まあ、俺は守ろうとは思うがな。
>>336 なるほど
「民族が滅びたら彼らの行為が無駄で無意味でクズで滑稽で愚かだったことになる」
という前提ならそうだな
>>338 優しさと甘さを取り違えてね?
自分の為、相手の為を思うことと、
甘くして欲しい相手に甘い顔を見せることは違うぞ
厳しい優しさというのめある
ちなみにキリスト教の隣人愛とは原文の意味は
最も愛を必要としている人を愛すること
です
抜苦与楽の概念に近いかもしれません
343 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 18:49:35.01 ID:HVnJXJVG
仏教無用
344 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 19:03:01.38 ID:+saMGewb
>>339 なぜ、そんな前提になったのか意味が分からない。
論理が飛びすぎ。
>>340 何が相手のためになるか、分かってれば区別できるんだろうが
実際どうすれば真に相手のためになるかなんて分からんだろ
優しくしたつもりが、付きまとわれて大変なことになった場合、その優しさは甘さだったってことになる。
>>345 残念だったで「済む」とか、何かが終わるみたいに言うからさ
残念で済ませるのは残念で済ましたい奴の心の中の話であって、無論何も済まないし終わらない
流れの一部でしかないんだから、民族なんぞ滅びてもいいやん?
348 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 19:49:45.77 ID:v2HOqt5a
もともとは、各部族が素朴に信仰していた精霊崇拝、文化などが、
異文化をとり入れながら拡張していき、ゆるい同質世界を共有する民族となり、
その民族が帝国を築く。しかし、ローカルな神々の支配する文化では異民族の同化には限界があり、
(異民族には異民族の神々がいるため)その限界を打破したのが、キリスト、仏教、イスラム教などの世界宗教でしょう。
>>345 >実際どうすれば真に相手のためになるかなんて分からんだろ
そう、相手の為なんてわからんから、自分の為に動けば良い
自分の心をしっかり見ることが必須
>優しくしたつもりが、付きまとわれて大変なことになった場合、その優しさは甘さだったってことになる。
自分の心が見えていないとそうなるな
350 :
348:2013/05/23(木) 19:53:15.84 ID:v2HOqt5a
>>348つづき
キリスト教の場合、隣人愛を実践することで、各民族の異質性を超えた協力関係が築けるようになったわけです。
しかも、隣人愛を唱えたのは神の子イエスであるので、隣人愛は神のお墨付きでもある。
一大勢力を築いた人類の一部がその宗教を選んだということは、隣人愛は人類にとっても安心できる教えでもあるわけです。
仏教の場合は、誰しも苦しみを持つという、同情や共感の念が、異質性を超えた協力関係を築く元になるんでしょう。
キリスト教と仏教は神への絶対的な信仰の有無で大きく異なりますが、実践面は非常に似ていますね。
>>344 キリスト教の隣人愛 の 愛 は本来
大切
と訳されてました
隣人愛の典型は新約のよきサマリア人の例えで
自分→身内→顔見知り→それ以外
という具合に同心円状に広げるものではなく
ユダヤ人に蔑視されていたサマリア人が そのユダヤ人の遭難者を直裁に助けたように
もっとも大切にされる必要がある人の側に行って大切にする 側にいること 隣人であろうとする
そういう意味だそうです
これはキリスト教だけではなく 仏教にもある精神だと思います
352 :
348:2013/05/23(木) 20:20:14.00 ID:v2HOqt5a
今、もしキリスト教や仏教(仏教はまだまだ残る可能性は高いが)を補完、
あるいはそれに代わるする新たな教えがあるとすれば、
その根拠は人類のアフリカ単一起源説がそれになるでしょう。
人類はみな兄弟であり、人類という種の考え方、価値観にそれほど大差はないということです。
そして、できるだけ大勢のどんな境遇の人間にとっても共感、安心できる教えでなければならない。
一部のエリートが安心できる、インド型のカースト社会であってはならない。
そう、カラスさんの宗教が目的とするのは、まさに、そのカースト社会でしょう。
階級で支配するには人類の数が多すぎる(エリートにとって敵が多すぎる)わけです。
>>352 多かろうが少なかろうが、生物は階級で別けるようにできていない
ただ役割や関係があるだけだ
>>347 彼は、
「残念だった」で済むのか?(いや、済むまい。済ませてはいけない。(自分は済ませたくない)。)
と言っている。 勿論、同時に、抗えない現実もあるだろうが、という言い方で。
人道的な意見の表明はされているが、
実際の具体的働きかけは世界のどこでもされていず、実質は容認されている、という国際社会への評でしょ。
少なくとも私は、
>>336をそう読んだが・・。
彼と貴方と、そんなに意見は違わないように見えるが・・。
(IDを追わなかったら、どっちがどっちか判らなくなるw)
355 :
348:2013/05/23(木) 20:29:00.96 ID:v2HOqt5a
>>353 >多かろうが少なかろうが、生物は階級で別けるようにできていない
そのとおり。だから、人類の歴史において、支配者には支配する根拠が常に必要になる。
バラモンの教え、王権神授説、預言者…。
356 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 20:35:49.47 ID:MOtwtFu3
>>354 彼の心のなかで済まないのなら残念だったで済まないだけのこと
「国際社会が残念だったで済ませる」事など気にする必要は全くない
他人の心がわからないんだから、国際社会がどう考えてるなんてもっとわからんのだから
357 :
348:2013/05/23(木) 20:39:41.00 ID:v2HOqt5a
>>355補足
カラスさんの宗教は、カーストで支配するには被支配者側の人類の数が多すぎる。
だから、民度なる尺度を設定し、宗教的な理論構築をしてそれを根拠とし、
滅んでもよい民族を滅ぼし、間引きし、新たな世界秩序(カースト社会)を築きたい。
俺にはそう見えるわけです。
>>347 残念だったで済む、と言ったのは君の意見が他人事だったからだよw
チベット人は自殺で世界に訴えているが
一方、アラブ人はテロさえ起こして政治的独立を達成しようとしている。
チベット人の方がアラブ人よりはるかに慈悲に満ちた対応をしているのに
自殺すら批判されているという始末に同情を禁じえないんだよ
それを彼らはベストを尽くしているとは、他人事すぎやしないか?
俺にはベストが尽くされているというより、やりきれないと言われた方が腑に落ちるよ。
359 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 20:47:47.36 ID:4UfnBZUh
新興宗教には在日朝鮮人教祖や在日信者が多い。
サリン事件のオウムの浅原死刑囚も在日朝鮮人だったw
在日サウスコリアン、ネ釜サロメおじさんは、何処の新興宗教かな?
>再度メディアに圧力をかけなければならない。
>「在日同胞の犯罪は徹底的に通名報道」にさせなければ。
>そうしないと、毎日のように我々「在日同胞の犯罪が世間にバレてしまう。」
>朴正一郎さん (@shikoshiko6) 2013年5月22日
>>349 だから、誰にでも優しくするっていうのは思い上がりでしかないってことだろ?
もう一度
>>67を見てみよう
我見の人の悪質な質問にいちいち対処してても埒があかない場合がある
そういう中で優しくしてあげてね、あまりにも空気を読まない理想論だとは思わんか。
相手を見極める間は対応を控えてもよかろうがさ。
>>358 他人の心は解らないんだろ?
正確に物事を見るなら他人事でなきゃならんのだよ
親身になる、てのは自分の心を相手に投影してるだけ
親身になること自体は良くも悪くもないんだが、例えばチベット人に親身になり、
アラブ人や中国人に親身にならないなら客観性が無く、物事を歪めてしか捉えられない
>>360 思い上がりですらない
誰にでも優しくしたいと本心から思えた時点で、他人は優しくしか見えないから
>>361 だから、宗教者が家族・家庭を持つことは、十分に批判対称なわけさw
万人に慈雨を降らせねばならないのに、家族優先になるのだから。
親身になること自体は良くも悪くもないんだが、例えば息子・娘に親身になり、
子の同級生や同い年の外国の子に親身にならないなら客観性が無く、物事を歪めてしか捉えられな
くてもしかたないでしょ。
それが、凡夫だし、社会だし、世俗で生きるということだから。
>>361 他人の心はわからんが、家族の心は分かるだろ。
家族なら気持ちを察して同情して痛みを分かち合うように
同じ民族や、同じ仏教徒として痛みを分かち合いたいという気持ちが当然起こると思うがなあ
あんたが仏教徒でなければ構わなくて別にいいがね。
親身になるのがいけないなら、およそすべての親切行為もする必要がないなw
蟻を踏む殺すように人も殺せばいいよ、平等にな。
>>362 そりゃもう完全に独り善がりの世界じゃないっすかw
相手が何思おうが、自分が思う善をしていけば世界が花びらが散って舞う、供養荘厳されたが如く映るてな感じの
なんとも少女漫画チックな自己憐憫と耽美主義的な香りがしますな
まあ、独善の人には相補的な交渉は無理ですから、多くは語りますまい。
365 :
348:2013/05/23(木) 21:23:45.03 ID:v2HOqt5a
>>321 あなたの中に特定の民族への憎しみが垣間見えますね。
過去の歴史の過ちと言いますが、実際にその過ちを犯した者がいたとして、
その者が今現在も生きているのですか?
その民族が過ちを犯したとして、今現在のその民族まで罪を背負わねばならないのですか?
もしそうなら、世界中のすべての民族は、過去数千年の犯した過ちを背負う必要がありますよ。
366 :
348:2013/05/23(木) 21:26:48.63 ID:v2HOqt5a
>>365つづき
やれることは、歴史教育の形で他国の罪や過ち含めて人類の過ちとして学ぶことだけです。
延々と次世代の民族が謝罪し続けることではありません。
謝罪を要求する民族もまた、被害者当人ではないのですから。
あなたはまず、仏陀の真の教えを考察する前に、その憎しみを植え付けたのが誰なのか、
それに目を向けた方がいいのではないですか?
その憎しみを植え付けた者は、神の代理人でもなんでもなく、単に、あなたを利用しているだけかもしれないですよ。
>>364 いや家族でも他人の心はわからんよ
本気でわかると考えてるなら電波受信気味だ
まあ家族なら勘違いしててもいいし、問題も起きにくいんだが、
自分に等しく無関係なはずのチベット人とアラブ人と中国人のうち、
一つを被害者、慈悲があると設定し、被害者、慈悲がある者のみ親身になる場合
それは単に自分が被害者で慈悲があると思いたいだけの心の動きに他ならない
もし俺が独りよがりに見えるなら、それは多分……
>>367 構図を見れば、その通りだろうが、
構図通りでは立ち行かない、ってのが社会ってもんだろw (だから、宗教者・聖者は脱世俗を目指すwww)
構図がそうである(→「どのような他者への行為(たとえば配慮)も、9部9厘自己のためである」)のだとしても、
だから、他者への配慮は不要だ、とはならないわけ。
わかっててもやらざるを得ない場面もあるわけ。
それを、偽善・欺瞞だと嘲笑するのは勝手だが、
それは、外科医が患者の身体にメスを入れるのは、他を害する行為だと糾弾するに等しい愚行なわけさ。
>>368 何故構図がこうであり、構図通りでないと思うのか、
仏教という強力な道具を手にしているのだから、
まずはそれを活かし自分の心を見つめると良いと思う
>>370 なんか宗教者を特別に考えすぎかな
凡人でも宗教者でも、何かを広める行為は、
何かを得た者と得ない者を結果的に別けざるをえない
自分は凡人だから、なんて言い訳は必要ないんよ
まずは自分を救ってから、
>>330程度のことが出来れば上々
>>367 いやいやいやwww
じゃあ、コミュニケーションそのものが成り立たねえだろww
完全には分からんが、分かる部分もある
家族ともなれば、他人のそれとは比べ物にならんほど分かる部分は多い。
針小棒大に論じすぎだ。
しかも、俺はアラブの事情はそれほどかもしらんが、
世界史の教科書レベルのことは知っている。
チベットと中国のことは一般人よりは知ってるつもりだよ。
チベット人の声もネットで届いてきているし
その知識でも十分、前後関係が分かるだろ。
きっと君は他人はおろか、自分のことすらわからんだろうな。
君の話からすれば、昨日、自分が食べた晩御飯を食べるときに何度食べ物を噛んだかも知らなければ
己のことを理解できていないかのような口ぶりだからさ。
懐疑論者のたぐいだ。
>>370 IDを見ることから始めろよw
配慮が9割9分9厘自分のためということはありえんだろうな。
それは、単に自己の行動には自分で責任をもてって意味でのみ理解できる理屈だよ。
ある意味、徹底した自己犠牲精神の発露としてあるべき言葉であって
日本人のかがみとは言えても、理性的とは言えないなあ。まあ俺は好きだよ。
他者への配慮がまったく不要とはここの誰もが言っていることじゃないな。
配慮する相手を選べってこと。
相手を見極めてから、そうすべきなのであって、
分からない間は、とりあえず配慮は払うべきだろうがな。
>>372 誰が言ったかでなく、何を言ったかが大事かと
あと、他人の心がわからないと知ることで、他人のことを歪めずありのまま見ることができるんよ
例えば、相手が投資の話を持ってきたとしよう
この場合、相手が善人か悪人か、そいつが自分を騙そうとしているのかそいつ自身も騙されているのか、そんなもんはわからない
善人でも投資は架空かもしれないし、悪人でも話の内容に問題がなければ投資して問題ない
だから解らないことは考えようとせず、
自分としては、単に投資が架空かどうかだけを確かめれば良い
コミュニケーションは成り立つよ
最後ちと違った、投資や契約の内容のみを吟味すれば良い
善人悪人だとか、実はこいつはこう考えてるんじゃないか、なんて、仏教的に自分の心が決めることでしかない
相手の心として考えると無駄な考えが多くなり、詐欺にかかったり、善意で投資話を持ってきた友人を失ったりする
377 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 23:24:07.15 ID:cLbbRoAB
>>374 >誰が言ったかでなく、何を言ったかが大事かと
更に仏説の場合は、何を言ったかでなく、誰に言ったかが大事かと←対機説法(四悉壇)
横レスにて失礼をば。
>>374 常にはじめて会ったつもりで相手を観察し、変わった部分を評価して接しろってことか?
会わなかった期間の成長分を加味する必要があるからと。
蟻すら踏まないように気をつけるが如きその志は立派だと思うが、
それは過大に配慮しすぎというものだな。常識的に考えても、効率的に考えてもな。
特に、ここでのコテハン相手にその慎重さは、もはや哀れさすら感じるよ。
あと、これはないと思うが、他人の心がまったく分からないから行間も無視して
単に表面だけしか見ませんてことなら、さぞ話の分からない、官僚のような人間だと思われるでしょうな。
また、単に自己満足だけでそうしているんなら、ウザイとだけ言っておく。
下段について。
白い猫も黒い猫もねずみをとる猫はいい猫だってか。
今度は、えらく実用主義的だね、俺はそういう考え方は好かんし、表面的だと思うがね。
薄利多売のクローバル的な商売をする者にとってはそういう倫理は合理的に映るのだろうが、やはり好かんな。
まあ、君が何が言いたいのか分からんな
>>376 へー、善意でどんだけ相手に親切しても、相手がふざけんなうぜんだよっ謝罪と賠償しろって言ってきても
反論もしないのかね。俺は交渉は相対的であるべきだと思うけどな。
日本は相手に迷惑をかけないようにって教育が徹底されているからそういう美徳をもつ人は多いけど。
社会的に許される限度ってものがやはり存在するよ。
とくに無礼な社会的集団に対してはね。
380 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 23:32:09.47 ID:cLbbRoAB
>>377 >更に仏説の場合は、何を言ったかでなく、誰に言ったかが大事かと←対機説法(四悉壇)
更にいつ言ったかも考慮した方が宜しいかと存じます。
同じ人に説いた場合でも、彼がバラモンの青年だった頃と、弟子になった後とでは説法も変わるかと存じます。
例)長部「三明経」ではバラモンの青年だったヴァーセッタさんも「起源経」では仏弟子になっております。
何度も登場するところを見ると彼は仏典結集に参加した阿羅漢かも知れませんね。
381 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 23:35:01.16 ID:4UfnBZUh
新宗教の教祖と信者に在日朝鮮人が多い。特に層化や統一教会や真光
382 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 23:37:43.49 ID:4UfnBZUh
伊藤博文を憎悪し
日露戦争でロシアを応援し
天皇を冒涜する通名(偽名)使う
滞日ネカマ星人
>>377 確かに
>>378 心を見ようなんて考えずに、単に言動を見ればよい
>>379 他人の心が解らないということは、当然、自分の心を相手は理解できない
こちらが善意のつもりでも相手には関係ないことだし、そいつが善人でも悪人でも正常でも異常でもこちらには関係ない
自分がそいつと居て楽しいと思えない時には離れればいい
これまた単に自分の問題
384 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 23:52:23.43 ID:cLbbRoAB
>>380 ヴァーセッタさんとバーラドヴァージャさんはSn.3.9でも行為でバラモンか、生まれでバラモンかで議論しております。
1)バラモン青年:Sn.3.9、行為でバラモンか、生まれでバラモンかで議論。
2)バラモン青年:DN13、梵天と共生する道で議論。
3)仏弟子見習い:DN27、来世は行為の善悪に左右されると釈尊は説かれた。
1)と3)とは時期が異なりますが、まだ腑に落ちていない両名に釈尊は再度説かれたように思います。
385 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/23(木) 23:57:37.18 ID:cLbbRoAB
>>381 >新宗教の教祖と信者に在日朝鮮人が多い。特に層化や統一教会や真光
師は織田家の子孫ですよ。
私は徳川家の旗本の子孫ですが。
嘘をつき過ぎるとある動物に転生しますので、あまり悪業を積まないように。
>>378 表明をありのまま見れば、行間も見えてくるよ
何故なら行間は第六感で受け取るオカルトではなく、
普通に文章内ににちりばめられた内容の集合だから
俺としては「好かん」て九州のイメージがあるが、
お前を九州人だと決め付けると視界が歪む
普段から自分の持つイメージを見つめることが大切
>>383 本題は、心を見ようじゃなくて、相手を見極めるか否かだよ。
文脈を理解しないねえ・・
君、話しているうちに何を話していたか分からなくなるって人に言われないか?
388 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 00:43:06.30 ID:GwIS8YpF
>嘘をつき過ぎるとある動物に転生しますので、あまり悪業を積まないように。
在家は無知だね、真光バカだからねw
層化の池田大作は、朝鮮人だよ。
層化芸能部も在日多数、信者も在日多数で悠々生活保護簡単受給でで生活。
統一教会の教祖も朝鮮人だし。
>>386 行間てのは経験と推理によって相手の気持ちを補完するものなんだよ。
だから、ありのままではない。
鳥頭には行間は読めんよ。
九州の件ははずれだな、当たっててもはずれてると言うけどさ。
そもそも、それは君のイメージであって自分で正確な知識か確認さえしていないじゃないか。
それは予断以前の問題だよ。しかし、プロファイルすることは相手と対話するにおいて重要なことだよ。
>>388 経験も記憶も推理も自分の中で合理的に考えて行うもの、相手は関係ない
そりゃ、己の判断に他人は関わってこねえよ、でも、だからなんだよ
>>389 いや、現実ではほぼ確認できてる
今まで「好かん」使った奴は全員九州出身だったから、俺の経験上はかなり妥当なんだ
そして、これがつまり偏見と呼ばれるものだ
お前の言う通り、本人にはいくら真実のように思えても、それは単なるイメージでしかない
いつかの中国人やチベット人についても同じ
>>391 だから相手の気持ちを補完するなど考える必要はない
自分の知識経験をもって自分の心だけで推理すれば行間も読める
394 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 01:04:17.05 ID:GwIS8YpF
仏教スレって、昔はもう少しまともな奴がいたはずだけど、今は、バカばっかりだなぁ〜
ひと目でサロメがネカマの変態だってわかるだろうに・・・・
>>392 そうなのか。
すまんが、俺は事実として九州人じゃないから
君の知識が間違えているのでなければ、俺がTVなどの影響をうけて
九州言葉を使っているかだな。
情報化社会という点を過小評価してしまったがゆえのミスだろう。
ま 俺としては
>今まで「好かん」使った奴は全員九州出身だったから
というのが雑すぎるなぁと思わざるをえんがなw
偏見か。真実ではなかったという意味においては偏見と言うことはできるな。
真実をどの程度に置くかにもよるがな。
人間の脳は視界ですら、情報処理によって加工しているし、だからこそだまし絵や錯覚なんてことがありうるんだからな。
今問題にしているのは、確率と特異点の関係として評価できるもの。
統計確率そのものが間違っていたというなら、データが異なるということになるが
統計確率があっていても、相手が一般より偏差が高いなら、データ通りにはいかない。
しかし、ものごとは標準的に考えていくことが常識的であり、効率的であり、社会的な判断というものだ。
間違っていても恥じるものではない。
もちろん、初対面の相手の見極めは慎重であるべきではあろうがな。
これは上でも書いていることだ。
>>393 意味が分からないわけだが。
推理している時点で、ありのまま+αの行為をしているわけで。
それは補完としか呼べないものだよ。
君は単にそう信じたいだけなのでは?
397 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 05:51:51.87 ID:GwIS8YpF
サリン事件のオウムの浅原死刑囚も在日朝鮮人だったw
サロメおじさんは、何処の新興宗教かな?
>>395 他人から見ると雑なんだけど、本人には真実だったりする
大半の偏見はこんなものだと思う
>>396 「相手の言いたいことを補完する」
「自分がどう読むのが妥当か考える」
行為は同じ
ただ相手が本当は何を言いたいかなんてわからないのは事実だから、ある情報だけで判断するしかない
本来わからない「相手の言いたいこと」を中心に考えると、偏見が入り込みやすい
まあ上手く行ってるときは実はどっちでも大差ない
問題は、行間を読んだのに結果が悲惨だった時などだ
自分が勝手にした行為だという自覚があれば、
自分の見方か、考え方か、伝え方が間違っていたか、単に運が悪かったかのどれかでしかない
偏見があったにせよ、情報が足りないのに結論出しちゃったにせよ、全て自分で改善できるしことだし、運ならもう仕方ない
しかし、相手の気持ちを汲んだつもりでいると、
なんで伝わらないんだ、こっちは善意でやってるのに、と相手を責めたり、
自分は人の心がわからない駄目な人間だと自分を責めたりしがち
心は伝わらなくて当然なので、どちらも改善しようがない無駄な考えであり、
本来改善すべきであった、自分の見方、考え方、伝え方を高める努力に繋がらない
ここが最大の違い
>>399 それは、一般論としてそういう傾向がある、ってことでしょ。
その「傾向」を絶対的・決定的ものとして語るから、昨夜から噛み付かれているのでしょw
>しかし、相手の気持ちを汲んだつもりでいると、
>なんで伝わらないんだ、こっちは善意でやってるのに、と相手を責めたり、
>自分は人の心がわからない駄目な人間だと自分を責めたりしがち
>心は伝わらなくて当然なので、どちらも改善しようがない無駄な考えであり、
>本来改善すべきであった、自分の見方、考え方、伝え方を高める努力に繋がらない
世の中には、上記の図式に当て嵌まらず、きちんと成長している人はたくさんいるでしょ。
例外なく、絶対的に >高める努力に繋がらない なんてことはない。
寧ろ、そうした経験の積み重ねが、「人の世」だと言っていい。
>>399 だから、 構図では「他者の想いを、“真に”知ることは不可能」だとしても、
それでも、自らの行為(三業)を、他者の想いを慮ったものに沿わせたものにしてゆく方向性は保持すべきだよ。
それが、社会的に生きるということだ。
「三輪空寂」という語があるが、同様に、 >相手を責めたり >自分を責めたり しないような自己調御が理想とされるし、
そこへ向かえばいい。
他者の想いが100%知り得ないとしても、完全な形で知り得ないとしても、
それでも、半分でも、3割でも、おぼろげな輪郭でも色合いでもいいから
見つめようという努力を侮蔑する気にはならない。
今、一方からの視点しか話題になっていないが、逆であっても
(→『他者の想いを知り得ない』というのは、裏を返せば『自分の想いは決して理解されえない、受け止められることはない』
とぴうことだが)、
『伝わった(届いた・受容された、(たとえ同意でなくとも)理解された)』ということは、
喜びになるし、充足・安堵。満足になるし、また、次のコミュニケーションの糧や種になる。
*(或いは、終末期医療でのケアに於いて、『どうせ他者の心は知り得ないのだから』という態度が好ましいとも思わんし。)
ニヒルに生きるのも一つの見識だが、そのこと(真の姿としての構図)通りである必要は無い。
で、基本、「他者の心を知り得ない」というテーゼを仏教では採らないのさ。
参:
SN.第T章-第3篇-第1章-第8節 "マッリカー"
Dhp.129-130偈
402 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 11:58:36.75 ID:WPRTzq4j
グダグダ言わず他者の身受心法と四念処やれ
自己に対して四念処しっかりやってる奴なら見たくないと思えば思うほど嫌になるくらい効果でるから
>>400 じゃれてるんだよ
噛み付かれているように見えるなら、お前の心がそう見せてる
んで、そういう素晴らしい人間は確かにいる
でも自覚がないと、見方、考え方、伝え方のどれかに寄りすぎる改善になる
んでうつ病になったりして、結局、本人も周辺も困る
どれかに寄らないためには心を見るのがいいんで観照しようぜって話さ
>>401 知り得ないからこそ、必死に考え想像はできる
伝わらないからこそ、伝わったと思いたいからこそ伝える努力ができる
まあ実際、同じ脳味噌持ってんだから自分の心さえしっかりわかればだいたい共有できる
他人の心は幻想だけど、幻想だから無意味で終わるのではなく、
我々には幻想しかないから幻想を大事にしようぜ、という話だ
空は色をもってしか現れないのだから
てか結論は一緒にしかならんよな
仏教スレだし
>>403 まるっと了解。
(戯れの中にも、一応どこかに、(互いのどちらかが)釘指しとかないと。
このスレで発言する人は、割と、当事者だけでなくその向こうの第三者(ROM者)
へ向けたものになっていることも多々あるし、誰かがそういう野暮な役回りをしなきゃ。)
406 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/24(金) 16:43:33.13 ID:GH02k5cu
>>352 俺の投稿のどこをどう読めばカースト制度を推奨しているのになるのか意味不明なんだよ。
むしろ、そのような社会が二度と起こらないような社会が次の時代に用意されているという話をしてるんだよ。
その為にも、足を引っ張る精神性の低い民族は粛清されるという話をしてるんだよ。ゴイム達は自業自得で滅んで
いくんだけどな。その時代には君のような悪意で人の話を湾曲するような人や、真理の言葉を聞いても
君らのよう素直に受け入れずに、にあーでもないこーでもないと言い逆らい、あげくに、エゴイズム剥き出しで自分達の
都合のいいように元の教えを曲解して違う教えにしてしまうような人は、ほとんどいなくなってると思うよ。
いても、精神性の高い民族の間では、ほとんど相手にされないだろう。選ばれた人達は、真理の言葉を聞き分けるからね。
>>348 中国人も、半島人も、日本人も、精神性の低さじゃ同じ穴の狢だという話をしているのに、どうして
>特定の民族への憎しみが垣間見えますね。 になるのか意味不明。一つはっきりいえるのは、民族意識剥き出しの
人。それを改められない人に、救いはないということ。あと、真理の言葉を聞いても、あーでもいない
こーでもないと言い逆らう屁理屈たれ。こういう人達をキリスト教では聖霊に言い逆らう人達と表現されるんだよ。
人の子や父を貶しても許される。だが、聖霊に言い逆らう人は、決して許されることは無い。
407 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/24(金) 16:54:29.65 ID:GH02k5cu
ここの多くの人はよほどイエスの説いた隣人愛を否定したいようだ。
特に、自分が親切だと思っていても、他人にとっては迷惑だと思われているかもしれない伝々と、隠居のような
屁理屈垂れてる人。誰が自分のエゴを押し付けろといった。隣人愛は何も難しく考えることじゃない。
本当に助けを必要そしている者がいれば、貴方の敵であろうと味方であろうと別け隔てなく助けてやれる心があるか否かを
問われているだけの話だ。自分の好き嫌いの愛は、ただのエゴイズム。イエスの説いた隣人愛とは、エゴイズム
を滅ぼす道。全く違う。この言葉に言い逆らう人に救いは無いよ。ま、君らは屁理屈全開で必死で言い逆らうんだろうけどな。
408 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/24(金) 17:10:40.29 ID:GH02k5cu
>>406 アンカーミス
誤
>>348 正
>>365 で、
>>365さんへ
>やれることは、歴史教育の形で他国の罪や過ち含めて人類の過ちとして学ぶことだけです。
その通りだね。だから尚のこと日本人は過去の歴史から逃げるんじゃなく、真摯に向き合う必要があるんじゃないの。
たとえば、自分の子供がいじめで自殺まで追い込まれてしまった。加害者側の家族は、そんなの
皆やってたことだからうちの子供は悪くない。勝手に自殺したほうが悪いと開き直ったら、被害者側の遺族の心は
癒されることなく、いつまでも恨みを抱きつづけ躓いてしまうよね。言ってる意味わかる?といっても君らはわからないんだろうな。
>>407 それは同じことなんよ
自利利他
自分の心を見つめ、本心からしたいことのみするエゴイズムは、同時に他人のためにもなる
隣人愛も根本は同じと思うが、正しく自分を救う行為は人を救うことになる
形だけ真似るのは善し悪しだけどな
感覚器や脳が物理的に損傷していたり、快/不快あたりから形成できてないレベルのごくごくごく一部の人間は例外になるが、
そのレベルなら言葉も覚えられないので相手する機会もなかろうよ
410 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 19:18:55.94 ID:GwIS8YpF
前世は一在家(崇教真光)へ警告か!
155 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2013/05/24(金) 18:16:15.89 ID:AAレスミガワリ
宗教掛け持ちで都合よく病気が癒されるって思い込んでる連中って本当に馬鹿www
久々にヲチ再開
数人で盛り上がってても面白くない
413 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 20:57:59.63 ID:GwIS8YpF
この前、先輩の組み手さんが御神体を戴きまして、お祝いを兼ねた御神体際を行いましたが、
兵庫大道場の道場長以下60〜70人が集まりました、私、参加させていただきました。
先輩は純粋で素直な気持ちの明るい人ですので、 式典の冒頭のご挨拶から御神体を戴けた
感激が素直に伝わって、モライ泣きしている人達を観ていると皆、「純粋で良いなァ」と
思っていました。
それと、感動が伝播していて「やっぱり、人は波動を感じ合う生き物なんだ」思いました、
唯、善の波動を広く大きくひろげれば、「世間に溢れ悪るの波動」を些かでも消した事に
なるのでしょうか、「善循環」を造る事、私達にできるのは、決して「手かざし」だけで
は無い様に思いました。 崇教に帰一するのです。
414 :
365:2013/05/24(金) 21:04:08.69 ID:Vrz99b6x
>>408 >だから尚のこと日本人は過去の歴史から逃げるんじゃなく、真摯に向き合う必要があるんじゃないの。
だから、なんで日本人で括るのかな?
日本人の誰かが犯罪を犯せば、その業は日本人全員が背負うべきなのか?
韓国人の誰かが犯罪を犯せば、その業は韓国人全員が背負うべきなのか?
過去に日本軍がアジアで戦争犯罪を犯せば、その業は現在の日本人も背負うべきなのか?
過去に韓国軍がベトナムで戦争犯罪を犯せば、その業は現在の韓国人も背負うべきなのか?
415 :
365:2013/05/24(金) 21:06:50.92 ID:Vrz99b6x
>>414つづき
言っていることが微妙におかしいんですよ。
民族にこだわっているのは寧ろあなたの方。
しかも、誰かが反省していないようなことを言っただけで、日本人全員が反省していないなどと断定する。
真実が明らかになり、その非道さが明らかなら、それに憤る日本人だってたくさんいるだろうに。
今はプロパガンダの可能性もあるので、保留しているだけでしょう。
416 :
365:2013/05/24(金) 21:10:26.70 ID:Vrz99b6x
>>415 そもそも、精神性の高低で人類は選別されるべきという時点で、カースト的と言っているんすよ。
まあ、あなたの主張が、精神性の低い人々は、神の計画に従い自然に淘汰されるというのならわかりますよ。
しかし、今、突然に精神性の低い人々は粛清されるという部分に人為的なものを感じるわけです。
なぜ、今なの?神は宇宙と同じ程の寿命を持っていると思うが、ずいぶんと性急な神ですね。
しかも、あなたの書き込みを読んでみると精神性の引い『民族』と、
民族ごとに淘汰されるようだ。巻き込まれる人間も出てくるだろう。
神の計画のわりには、ずいぶん杜撰な計画ですね。
417 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 23:15:21.45 ID:wXCbpLdu
バカ一在家っておもしれーこと言うんだよな(笑)
一卵性双子の性格が似てないのは別々の霊魂が個性を作ってる証拠なんだとwwwww
418 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 23:31:41.34 ID:4EzNCoMH
ガウタマ・シッダルタは、わかいころ、酒池肉林を味わい、色におぼれた経験があるのですか?
419 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/24(金) 23:44:36.43 ID:XgzQJ6/3
>>417 △ 一卵性双子の性格が似てないのは別々の霊魂が個性を作ってる証拠なんだとwwwww
○ 一卵性双子の性格及び知能指数が似てないのは別々の霊魂が個性を作ってる証拠なんだとwwwww
420 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 00:00:24.80 ID:KvU2oX1l
939 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:32:54.33 ID:c8booa7b
降ってきたという話でなく、タライというよりも洗面器一杯をひっ
くり返したような金粉が部屋の畳一面に現れたという30年以上前
の話ですよ。その場には私を含めて3名がおり、スプーンで金粉を
すくって食べてみましたが、
実体感も味も無い不思議な体験でした。
まあ弘法大師が天皇の御前で全身から光を発したという逸話もその
場に居合わせた当時の仏教界トップの面々以外は信じられないでし
ょうが、私は自身の神秘体験から十分にあり得ると思っております。
現代の仏教界ではこのような神秘体験はもう起こらないのでしょうか。
証果がまだあるというチベット仏教では多分あるかと存じます。
421 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 01:54:51.86 ID:KvU2oX1l
朝鮮人は、ユダヤの手下だよ。
真光の岡田光玉もホロコーストをユダヤ人のミソギと肯定している。
ホロコーストと同じだとか言ってユダヤ人も慰安婦糾弾に賛同してるし。
反日マスコミはどれもユダヤの息がかかってる。
おかしいと思わない? ユダヤ人は多民族の虐殺にはまったく冷淡なのにさ。
実は第一次大戦の頃から欧米のユダヤ人新聞は反日プロパガンダやってるんだよ。
イギリスはその罠に引っかかって日英同盟を破棄してしまった。
422 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 04:20:40.63 ID:KvU2oX1l
79 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/04/30(火) 19:02:53.01 ID:ErQz300L(エッセネ派ユダヤ教)
人は創造時に光のコアと闇のコアを宿す。よって聖者にも獣にもなり得る。
(法華経)
人は仏性を宿す仏子である。よって仏にも獣にもなり得る。
皆さんがご批判のサロメさんですが、最近の変化は著しく、いつか聖者に近づくかも知れませんよ。
423 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 05:25:56.59 ID:KvU2oX1l
ゴマの葉とニンニク、コチジャンを大量に入れて犬の臭みを取るみたい。
だから、富士TV 高島 彩アナも犬鍋を食べられたのかな?
>>422 こう言うと仏教にはならないが、胎内&産まれて数ヶ月で宿すと思う
425 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/25(土) 10:10:23.51 ID:vXGi2rwc
>>414 誰も、過去に日本人が戦争犯罪を犯したから今の日本人全員が犯罪者だと言ってないだろ。ただ過去の歴史認識から逃げるなと言ってるんだよ。
日本軍が慰安婦を直接強制連行した事実はなかった?
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」
https://www.youtube.com/watch?v=GlfhtnW4fM4 はっきりいって慰安婦制度というのは女性の人権を踏みにじる性奴隷制度だ。日本軍は、自国民の女性のみならず、
植民地支配していた国の女性を軍自ら関与して狩り出し、現地の元からあるそういう施設を利用したのじゃなく、
現地の女性を人権上問題のある方法で性奴隷化して利用していたのは間違いないだろう。過去に日本軍が倫理的に問題のある、
女性の人権を踏みにじる性奴隷制度を引いていたのは確実なんだよ。でもそれらの事実を直視して自分達民族の浅ましい過去を認めて、
人類の過ちとして学ぶ姿勢の日本人がどれだけいるんだよ?ほとんどが臭いものには蓋を。むしろ詭弁、揚げ足取りをを駆使して
そんなことはなかった。それどころか、彼女らは職業売春婦だと被害者をさらに侮辱する発言で溢れてるじゃねぇかよ。
こんな民族のどこが精神性が高いというんだ?人権意識の高い、精神性の高い神智学で言う第五種の人種の間では、政府が
過去の戦争犯罪を認める立場でいたら、ネット上でも君らのような被害者をさらに侮辱するような発言。他人の人権を
踏みにじるようなヘイトスピーチなどの言論の自由など認めないと思うぞ。過去にやってしまったものはしょうがない。
他国が問題にしているのは、そのような過去を直視せず、詭弁を駆使して自分達は悪くないと開き直り、被害者をさらに侮辱する
日本人の態度を問題にしてるんだよ。まぁ君らにいくら言ってもわからないと思うけど。少し思考回路が我々と違うようだから。
おっと、もちろん日本人全体が反省していないと言ってるわけじゃないよ。日本人の中にもまともな人はいる。ただ、ネットを見ても
わかるように、日本民族は自分達の過去の歴史を直視できず、差別を楽しみ、日本人は素晴らしいなどと勘違いの激しい
幼稚な精神性の持ち主が多い傾向にあるのは間違いないだろ。
426 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/25(土) 10:38:21.44 ID:vXGi2rwc
よく、ネトウヨなどの主張でみるのが、韓国軍もベトナムでレイプなど犯罪を起こしていたじゃないかというものだが、
他人も泥棒やってんだから、自分達も泥棒やって何が悪いというような論法は俺らからみると理解できない論法でもあるが、
もちろんそのような事実があり、ベトナム政府から公式に国際問題化されるなら韓国人もそのような歴史認識から逃げることなく
真摯に向き合わなきゃならないと思う。ただ興味深いのは、たとえばベトナム政府から公式に国際問題として提起され
韓国政府も公式に認め、謝罪する立場をとり、過去に自分達の民族がそのような戦争犯罪を犯したと、公式に広く国民に
認識された場合、君ら日本人のように、たとえば、その中に売春婦が複数いたら全ての被害者は職業売春婦だということに
してしまい、我々は売春婦を抱いただけだ。何が悪いと開き直ったり、プロパカンダで被害者の数の水増しがあれば
その揚げ足を取り、そんな数はありえないから、そんな事実は無かったなどと詭弁を使って、歴史事実そのものを無かったことに
してしまい、被害者をさらに侮辱するような世論に溢れるかどうか個人的には大変興味がある。多分、君らとは違う反応になると思うよ。
君らと中華民族とは共通の思考回路があると思う。韓民族は君らとは少し違うと思う。精神性の違いは君らと中華民族は
神を信じない傾向にあるが、韓民族は神を信じる傾向にある。君らもどちらかというと韓民族より中華民族にシンパシーを感じる
人が多いだろ。君らと俺らは明らかにマインドが違う。俺も実社会に揉まれてつくづくそう思うときがある。
おっと、勘違いするなよ。俺は何も韓民族は君らよりはるかに民度が高いなどと思ってないから。精神性の低さじゃ韓民族も
日本民族も、中華民族も、同じ穴の狢だと思っているから。ま、君らと違って、日本民族は民度が高くて素晴らしいなどと
客観的にみたらどうみても違うだろうという幼稚な自画自賛はしないけどね。
427 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/05/25(土) 10:52:08.13 ID:vXGi2rwc
もちろん日本人が全てネトウヨだとはいわない。日本人の中にも過去の歴史を直視しているまともな人もいる。
ただ傾向として日本人は第五種の民族と比べ、圧倒的にネトウヨのような精神的に未熟な人が多いというのは間違いないと思う。
もちろん韓民族もね。精神性の低い旧い世代の民族でも救われる人はいる。ただその数は驚くほど少ないのと同じでね。
仏典にはどうみてもゴータマさんは業報輪廻転生を説いている。それを自分達の都合のいいように詭弁を駆使して説いていなかった
ことにしてしまうのは君ら日本民族くらいなものだよ。この日本人特有の邪悪さは、歴史認識問題にも通じるものがあると思うよ。
ま、本音で書かせてもらった。宝珠さん。在家さん。その他の善良な日本人の皆さん。気を悪くしたらお許しを。僕も精神的には
まだまだ未熟なものですから。きっと僕も今のまま・・・いや、それどころか今生ではいくら瞑想をしたところで認識は与えられないでしょう。
いやいやそれどころか、僕自身救われる人なのかどうなのか疑わしいと思う。
>>425-427 今回の橋下発言(の意味・意義或いは効果)がまったく「解」ってないな・・。
つか、物事自体(何が問題点なのか?)が見えていないというか・・・w
君のスタンスは、君が揶揄する「ネトウヨ」と、
ちょうど対称の、鏡像の位置にあることに気付こうね(´∀`)b
429 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 12:11:51.83 ID:1xWYLDcQ
日本人ほど自らの歴史を真摯に見てる民族はない
他の民族は自分たちの悪逆非道にはほっかむりの知らん顔だ
知らん顔だけなら許せるが、正義面して他者を攻撃するとなると、もう許せん
>>427 物が見えてる人と見えてない人がいる、と考えてる段階だな
本当に未熟を自覚しているなら、もうちょい考えを進めてみ
自らの驕りや悪心をまわりに映してしまっているようだから、それが消えれば怒りも必要ない
日本人も日本民族も韓国人も国境も民族も空だとわかるから
1/2
>>427 神智学の説く人種論は発生における時系列を説くものなので、内在する魂の進化レベル(意識の
程度)そのものを指す意味合いはありません。つまり、肉体的にはモンゴロイド系人種の日本人、中
国人、エスキモー、南米インディオ等々は皆、アトランティス根源種なのですが、ただし、内在する魂
はそうではなくて、一様にアーリア種族の転生者たちだということ。
現在の欧米人はアーリア根源種の第五亜種です(どの根源種にも七つの亜種が発生する)。確か
に、まもなく発生してくるであろう次の第六亜種の人々は、更に現在よりも進化レベルが(平均的に)
高い魂が転生してくることが予測されてはいます。
日本人が諸外国(他の先進国)と比較して特に意識レベルが低いとは思いませんが、ただ、以前こ
のスレで述べたように、世界大戦において日本を支配した“闇の勢力”(ナチスヒトラーを憑依した同
じ魔のフォース)によって強烈に影響を受けた後遺症が、未だに色濃く尾を引いているということだろ
うと思います(世界における印象など)。
当時の“神国日本”なる意識の洗脳で世界支配に邁進した大日本帝国軍部のオゾマシイ実態、一
般庶民に対する冷酷無比な威圧行為、731部隊の生体マルタ実験、そして今、話題の従軍慰安婦の
件・・・など。
2/2
私はTV(NHK)で以前、朝鮮半島に進出した日本軍人が“狩出し”といって街や村にくり出して、未
婚のうら若き乙女を見つけ出して、両親の前でレイプしてから殺していた、という驚きの証言を生き
残り軍人である当人たちの口からそのことを聞きました。
やり口としては、まず三十代の夫婦を見つけてきます(十代の少女を娘に持つから)。隠れている
若き娘を見つけ出すのは実に簡単なことで、この夫婦に銃を向けて「殺すぞ!」と怒鳴ると、「どうか
助けて欲しい」といって娘が自分から出てくるからです。そして、三人の命は保証するからと嘘の約
束し、両親の前で娘との性行為に及ぶ。そして行為が済めば、口封じ(日本軍の痴態の封印)のた
めに皆殺しです(娘を銃殺するところを両親の目に焼き付けてから、その両親を殺す)。
彼らは、「当時は自分達の精神はまともではなかった・・・。今では、自分がそうだったことがとても
信じられないのです」と証言していました。私はこれらを見ると、当時の日本軍部がしていた慰安婦
の酷い実態も目に浮かぶような気がします。
日本人が、特に意識レベルが低いという見解は神智学にも私にもありませんけれど、ただ逆にい
えば、これも“神国日本”なる意識の影響なのか・・・日本が世界をリードする(に相応しい国家)とか、
日本民族が世界で一番優秀なのであるとか、救世主は日本に現れることになっているのだとか(或
いは、天皇がそうであるとか)、といった特別意識(選民意識)の方こそが私は問題だと思っています。
追記:
>それを自分達の都合のいいように詭弁を駆使して説いていなかった
>ことにしてしまうのは君ら日本民族くらいなものだよ。
(一部に見られる大乗のように)ゴータマ・ブッダまでも小乗扱いするといった、自分達が信奉する
教えを説いた開祖その方までも低い扱いをするという、他の宗教では決して考えられない愚かしくも
恥ずかしいことをしているところは、世界中においても他にはないでしょうね(これは日本という意味
ではなく)。
そして、カラスさんのいわれるように、法衣を纏う本物の僧侶が輪廻転生を信じず否定するなどと
いう陳腐は、確かに日本独自の姿であるかもしれません。
私も他に聞いたことがありませんから・・・。
>>433 だからw
あんたらは、なんで、いつもいつも
日本仏教の問題を「輪廻についての理解」へ一本化するんだよw
それは寧ろ問題として大きなものじゃない。
仏教の現代的解釈は日本だけの話じゃなかろ?(寧ろ、西洋的アプローチの輸入だろ)
別に、(このシリーズの発端でもあるし、一代が言うように重要な点でもあるし)、
スルーしろとは言わないが、
おたくらの言い分は、(カラスも在家もそうだが)、
二言目には「輪廻(の扱い)が・・・」、で、輪廻さえ理解できれば全部解決するかのごときなんだよ。
いや、それはわかってるから、それも問題だけど、
今はその話じゃないよね?別の議論だよね? ってとこでも、
いきなり、唐突に、「輪廻の理解が間違ってるから・・」と横入りしてくるから鬱陶しいわけ。
現代日本仏教の問題は、「輪廻に関する部分」じゃない。
435 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 17:25:40.74 ID:ImHx+FfC
宝珠どもが言いたいのは、日本人は輪廻して日本人になったが、
次は朝鮮人になるかもしれないぞ、と言っているように聞こえる。
しかしそう言いたいなら、日本人ではなく、
朝鮮人に向かって言った方がより効果的ではないかと思う。朝鮮人は
日本人になりたくてしょうがないのだから。
日本で日本人に、輪廻して次は朝鮮人だぞと言ったら、
日本人の怒りを買うだろう。
日本人は朝鮮人になりたいと思っていない。
436 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 17:31:49.67 ID:ImHx+FfC
>>432 そういうデタラメを書いて日本人を侮辱してはいかん。
>>430 >〜空だとわかるから
何も分らないクセに悟ったつもりで・・・
何処の禅カブレか?
そういった“批判そのものを否定”して、
戦争でも犯罪でも何でも「空」とかいって誤魔化す悪癖は、
いい加減に直したらどう?
>>433 ごめん!
これから行があるので失礼www
(施餓鬼供養と写経もあるのでなぁ・・・あと、ダービー2着馬の検討も^^)
とにかく忙しい。
>>437 空は否定ではないよ
空とはいえ、我々が認識するのは色なんだから
戦争は多少なり複雑だが、犯罪や国境なんかは少し考えてわかることだと思うが
まあ、疑い続け、考え続けることだよ
440 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 18:00:16.26 ID:KvU2oX1l
人間界の「輪廻の目的は、魂の質の向上」にある訳だから、
いろいろな人種に生まれて、金持ち、貧乏人、差別される側、差別する側
人によっては、何十回も輪廻を繰り返し、一定の魂の向上があると自然に
輪廻から脱出し、釈迦うあイエスと同じ魂の階層に行ける。
その世界は、食事や排便もする必要がないし、生活に必要なものは全てそろっている。
441 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 18:08:30.87 ID:ImHx+FfC
魂は最初から完璧だから、もはや進化することなどありえない。
そうでなければ悟りもありえない。
人間を含め、生き物の心が無明で覆われているだけ。
その無明を吹き払えば悟りの境地に入る。
442 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 18:47:51.92 ID:aXQreWXS
>>419 オイこのノータリン法螺吹き乞食wwwwwww
逆じゃねーのか?むしろ一卵性双生児の容姿おろか知能、行動、発想、嗜好がおんなじ過ぎるってケース(むしろそっちのほうが多く聞く)
はどぉ霊魂で説明すんだあ?wwwwwww
443 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 19:24:35.87 ID:KvU2oX1l
魂は不完全だから人間界(下界)に生まれて切磋琢磨して魂の向上に励む。
それを怠ると、以前の階層から落ちて「ヒトラーやオウムの浅原死刑囚
みたいな輩は地獄界で暮らす」ようになる。
地獄に落ちても、魂の向上を望んで切磋琢磨すればまた元の階層に戻れる。
人間の魂はそうやって、レベルが変化していき、いろいろな経験を経て
魂は、かなり長い年月を経て極楽浄土にたどり着く(人間界に誕生しない)
する。
完全なる魂は、初めから人間界に誕生しないでいる。
聖霊、妖精、天狗、龍など!
444 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/25(土) 20:01:41.28 ID:z1AMB2zs
>>437 宝珠氏
>そういった“批判そのものを否定”して、
>戦争でも犯罪でも何でも「空」とかいって誤魔化す悪癖は、
>いい加減に直したらどう?
空性の見方にとらわれた空見の徒は我見の徒よりも厄介とのことです。
大宝積経 迦葉品
「カーシュパよ、スメールほどの量の我見はまだしも、おごれる者達の空見はまったくいただけない。」
445 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/25(土) 20:07:28.12 ID:z1AMB2zs
>>443 >完全なる魂は、初めから人間界に誕生しないでいる。
>聖霊、妖精、天狗、龍など!
釈尊は梵天(梵天界の住人の意)でしたが人間界に誕生しております。
神々の上におられる梵天の魂が聖霊、妖精、天狗、龍などよりも不完全とは信じがたいですね。
それ以外の貴兄の論は概ね賛同します。
446 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 20:14:36.68 ID:iYLD1qoC
>>431 まずは、あなたが転生したらいかがですか?
そうすれば、精神レベルの低い民族に悩まされることも無いでしょう。
>>426 心の弱い人間を惑わし、いたずらに争いを煽る。
憎しみを植え付け、それを正当化させる理論を振りかざす。
あなたのしていることは悪魔のすることです。
心配せずとも遠からずあなたの周りから精神レベルの低い民族は消えるでしょう。
あなた自身の滅びとともにね。
>>435 >日本で日本人に、輪廻して次は朝鮮人だぞと言ったら、
>日本人の怒りを買うだろう。
>日本人は朝鮮人になりたいと思っていない。
それが道徳的抑制の意味を持つのかどうかは別にして・・・。
実際には寧ろ、多くの者が同一の民族国家内での転生を繰り返します。
更に云えば、一つの家族関係は繰り返し再現の転生を示します。
(あなたの妻は過去世でも妻であったや、あなたの母は過去世でも母だったことがある等々・・・)
尚、インド人とヨーロッパ人の間は比較的行き来し易い転生傾向にあるらしい
(インド・ヨーロッパ語族などというのは無関係ではない)。
>>436 私は、自分で実際に見た真面目な番組(衝撃の告白ということ)での出来事を話したのです。
彼らがそんな意図的な嘘やデタラメを話すメリットはどこにもなく、
そういうのは単に(彼らと日本国に対する)イメージを悪果させるだけでしかないから。
彼らは二度と戦争という悪夢が襲うことがないようにと願い、
自己反省の意味を込めて事実を告白したのです。
この私には、意図的な嘘やデタラメを述べることに感心がない。
【依頼に関してのコメントなど】幾つかありますが-代行よろしくお願いします
【板名】心と宗教 【スレッド名】仏教議論スレッド69
【スレッドのURL】
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/ 【名前欄】宝珠愚者@(規制代行) 【メール欄】sage 【本文】↓
>>441 「魂」はモナッド(真我)の反映であり、
その役目はロゴスの分霊である真我とパーソナリティとしての肉体精神との繋ぎ的な役割として、
物質の経験(及び人としての人生体験)の獲得と蓄積がその実際的な働きです。
経験知(データ)のすべては魂の鞘であるコーザル体へと蓄積されます。
これを便宜上、“魂の経験”といい、経験豊富な進歩した魂と未熟な魂などという表現をします。
>>443 はい、ある程度正しいです。
>>442 まっ、DNA的に同一ですからね。
これは共通する近似経験を経ることを目的とする二つの異なる魂による転生現象ですよ。
在家さんは別に間違ったことはいってないと思う。
性の不一致に悩む「性同一性障害」なんかは、
前世の異なる性記憶が強く残って作用している現象でしょう。
真性レズビアン、ホモセクシャル、オカマおなべ、楽しんごやはるな愛ちゃん・・・などもその方面。
>>444 ですね!
449 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 20:31:47.62 ID:KvU2oX1l
>釈尊は梵天(梵天界の住人の意)でしたが人間界に誕生しております。
例外もあります。
完全な魂で人間界に誕生する必要がないのに、人間界に誕生する魂もあります。
「人類救済の使命を持って誕生します」、そして、前世の記憶も覚えており
使命を全うするのです、それが釈迦やイエスなのです。
452 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 21:23:14.31 ID:iYLD1qoC
>>447 証明もできないことを、
「この私には、意図的な嘘やデタラメを述べることに感心がない」
などと、ワザとなのかなんなのか知らないが、
回りくどい怪しげな日本語で言われてもね。
まあ、ただのカルトだな。
仏教とは何の関係もない。
バラモンか、ヒンドゥー教の教えに近いな。
民族ごとに階層化されたカースト社会の肯定か。
はっきり言えば、頭がおかしい。
本気で思っているなら、精神科に行った方がいい。
>>444 空は空、で説明終わろうとする謎な連中に辟易してんだが、昔からいたんだな
筋道さえ確かなら空は空でも間違っちゃいないんだが、色は空、空は色、というのを先に踏まえなきゃいけない
そういう連中が
>>437みたいな勘違いを助長させるから、空ってだけで拒否反応起こされて困りるわ
454 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 23:04:11.02 ID:AQsHGGhN
>>447 在日朝鮮人の宝珠様
わたしが証拠だと、気違いじみたことを言っている
元売春婦・姦国の婆さんと同じレベルだね。
お前の話がウソかホントかを事実で証明する必要があるんだよ。
ウソなら日本人に対する重大な侮辱になる。
わかってるよね。
455 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 23:15:17.95 ID:KvU2oX1l
457 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 23:34:16.08 ID:KvU2oX1l
458 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 23:50:17.94 ID:KvU2oX1l
飢餓でもないのに何故犬肉を食べるの?
牛や豚のほうが美味いでしょ!
459 :
神も仏も名無しさん:2013/05/25(土) 23:51:41.27 ID:KvU2oX1l
朝鮮民族は、「犬を苛め抜いて残虐に殺して、喜んで食べる」悪習慣が
あるから、問題視されているよね。
ブッディストにもつまらんやつがおおいのなw
とりかえしのつかないことはなかったことにしたい人ら
正語も正精進も実践してないやつは仏教徒ではないか、落ちこぼれかの二択だろうけどな
>>452 >仏教とは何の関係もない。
このスレの住人のような、
文字通りにしか解釈できない原理主義者や法衣を纏った唯物主義者よりも、
ゴータマの真意に近いところを理解してるつもりですが。
>はっきり言えば、頭がおかしい。
>本気で思っているなら、精神科に行った方がいい。
ほぃ、お褒め頂いて恐縮ですね!
ブラヴァツキーは生前、
「神智学が誠に理解されるには100年はかかるでしょう」といっていました。
神智学協会の設立は1875年のこと。すでに神智学の教えが世界中の思想界を席巻、
大きく影響を与え、そして取り込まれてきました。
私が述べ、紹介している神智学情報の一部は、
覚者であるヒマラヤ大師の直接指導によって身につけた驚異の超常能力
(不可視の火炎で立木に焼き手形すら刻印できる)を獲得した協会員、
C・W・リードビーター(2.4段階イニシエート)よる検証実験によって確認された事実です
(彼はその目的のために特別にその能力を獲得した)。
まっ、あなたは更に100年が掛かりそうです。
>>454 この私には、朝鮮人を特別擁護するつもりもないし興味もない。
偏見は見苦しいですね!
万が一、その情報
>>432が間違いだったらごめんね。
私は、“知られざる真実を今、初公開する”といった趣旨の
非常に真面目な報道番組で見た生き残り兵士からの衝撃な告白をご紹介したまでですから。
あなたみたいな人を見ると、
神国日本を謳う右翼に近いものを感じます・・・。
>>455-456 世界人類にとっては、
いつかは完全な菜食生活(ベジタリアン)が理想と思われますが、
私は少なくとも、人間に近い高等動物、
及び人間に好意を持っている一部の愛玩動物については食用を反対します。
つまり、類人猿及び高等な猿類、鯨やイルカなどの海洋性哺乳類、
犬猫など人類が永くペットにして可愛がってきた動物たちについては。
466 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 00:49:43.73 ID:rLLHE/Rx
>>464 >まっ、あなたは更に100年が掛かりそうです。
いかにもカルトっぽい言い方ですね。
信じなければ救われない。
釈迦はそんなことを言っていたのでしょうか?
そして、都合が悪くなると、日本人の罪と言っていたのを人類の罪の側面と言い訳する。
それなら、最初からそう言えばいいものを。
『女性を性奴隷とすることは許されない』
というようにね。
467 :
365、446:2013/05/26(日) 00:51:55.75 ID:rLLHE/Rx
>>466つづき
まあ、わたしもこの件についてはこれ以上突っ込む気はありません。
疲れるだけなんで。
ただ、あなたは本当に悪魔のような男だとだけ言っておこう。
日韓両国の問題の解決に必要なのは、できるかぎり歴史の真実を追求することだ。
なのにあなたは、真実かどうか定かでないものをあたかも真実のように断定し、
日本人に対していらぬ苛立ちを掻き立てさせ、
韓国人(あるいは在日韓国)には不必要な憎しみを植え付けている。
468 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 00:58:22.87 ID:GN8kmRyG
一在家やゆとり世代みたいに、言葉の行間を読めないのも多いよ。
釈迦やイエスは、比喩を多用しているのも分かってないし。
>>466 >信じなければ救われない。
>釈迦はそんなことを言っていたのでしょうか?
私はそんなことは述べてません。
あなた方は“遅れてる”といったまで。とにかく、レベルが低過ぎるから。
>そして、都合が悪くなると、日本人の罪と言っていたのを人類の罪の側面と言い訳する。
>それなら、最初からそう言えばいいものを。『女性を性奴隷とすることは許されない』というようにね。
ハテ?意味不明ですね。
私は、旧日本帝国軍のおぞましい実態についての情報
---「生き残り兵士、自らによる証言を見ましたよ」といったまでのこと。
私個人からの意図的な着色もなければ誇張もありません。
戦争というものは、日本のみならず何処の国とも限らず狂気を産む実に恐ろしいものだということ。
サロメさんは、この私に対して性に大らかになどと主張したけれども、
性奴隷ということではなくて、私個人は女性自ら望む意志があるのならば、
性風俗には実に慣用的ですよ(売春は女性の最も古い商売だともいうが)。
周囲に迷惑を掛けないよう配慮するならば、大人が互いの了解において楽しむ分には何ら問題ない。
元々、性というのは法律で規制するようなものじゃないからね。
従軍慰安婦も女性が自らの意志で志願し、
それ相当の報酬を与えて待遇環境もちゃんとしてあげるのならば、
これも一つの立派な奉仕行為となるでしょう。
兵士にとっては大変な慰めと歓びとなり、そして、ストレスの発散になることは間違いない。
470 :
365、446:2013/05/26(日) 01:52:01.95 ID:rLLHE/Rx
>>469 >私はそんなことは述べてません。
>あなた方は“遅れてる”といったまで。とにかく、レベルが低過ぎるから。
やれやれ、という感じです。
まあ、せいぜい布教活動頑張ってください。
471 :
365、446:2013/05/26(日) 01:55:31.90 ID:rLLHE/Rx
>>470つづき
スレをよく見返してみました。たしかに、あなたは性奴隷云々とは言っていませんね。
これは私の早とちりです。申し訳ありません。
「朝鮮半島に進出した日本兵」というのが意味不明(当時朝鮮は日本国の一部。交戦相手ではない)ですが、
『戦争というものは、日本のみならず何処の国とも限らず狂気を産む実に恐ろしいものだということ』
これについては同意です。
世の中が平和であるように、常に自分自身が賢くありたいものです。
472 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 04:44:26.68 ID:nRoUy7bv
>>471 まず軍が直接関与指示して民間に慰安婦を集めさせたので、民間が勝手にやったことなんて
言い訳は通用しない。従軍というだけあって、慰安婦らは戦地に兵隊と共にいたので、命の保障は無かった。
彼女達は辞める自由は無かった。脱走しようものなら酷い目にあわされ、銃を持った兵隊が脱走出来ないように見張っていて、事実上
監禁状態だった。こういうのを普通、性奴隷というんですよ。確かに戦争犯罪は日本人だけの問題じゃなく、人類全体の問題です。
だからみんなやってるから日本人は悪くないと開き直る態度はよくないでしょう。それでは
過去の歴史になにも学ぶものはありませんからね。
473 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 06:44:25.22 ID:GN8kmRyG
パウロは(サウロ)宗教学者は、ホモかインポだと学説を説いている。
パウロは、歪んだ性格から、「性への戒律を作って=イエスの教えでないねつ造」
中世ヨーロッパにおいて長きにわたって青少年へ苦痛を与えた罪が大きいからだと
思う。
>>378 格ゲーやってたら結構当てはまる
1相手を属性(人種・体格・肩書きなど)で見るのがキャラ対策
2相手の過去リプレイを研究して闘うのがプレイヤー対策
3毎回観察して変わった部分を評価するのが考えながら闘うこと
自キャラ操作ができるのを前提として
1だけガッチリやれば上位1割には余裕で入れる上手いプレイヤー
12までやれば上位陣に食い込める、一般人から見れば十分に化け物レベル
123まで出来る奴がトッププレイヤー
475 :
474:2013/05/26(日) 08:07:39.30 ID:ncNF21bx
2が両方格ゲーだったw
2相手の過去の発言などを調べて考え方などを知るのがプレイヤー対策
現前の社会問題についての見解で
たやすく為政者のプロパガンダにとりこまれる
おまえさんら教学の知識こねるばかりで
修行が全然できてないよ
縁なき衆生は度し難きかなw
477 :
369:2013/05/26(日) 15:01:18.40 ID:rLLHE/Rx
478 :
質問:2013/05/26(日) 18:30:07.10 ID:jCsRwJp+
仏教にお詳しい方がいらっしゃると思うので、ここで質問させて頂きます。
Kyozan Joshu Sasaki RoshiのKyozanの部分の漢字を教えて頂けますか。
佐々木承周老師までは分かったのですが、その部分だけどうしても見つかりません。
よろしくお願いします。
479 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 19:41:52.46 ID:XCTEp+rp
>>445 よお、すっとぼけねーでよ変態カルト科学者さん
おめーの説は「一卵性双子の性格及び知能指数が似てないのは別々の霊魂が個性を作ってる証拠」
なんだろ?w「一卵性双子が性格及び知能指数が似てない」ってのはおめえソレどっから
の情報よ?wwwwwwwww
「一卵性双子の性格及び知能指数は似てる」ケースが一例でもあったらてめーの説は
破綻すんじゃね?www
世間で聞く話はむしろそっちの例のほうが多いような気がすんだけどなwww
480 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 19:57:39.01 ID:GN8kmRyG
問題の小説は20年前、ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ氏が書いた
『竹の森遠く(So far from the Bamboo Grove)』。
日帝敗亡直後、韓国内の日本人たちの受難を書いた本だ。
第2次大戦以前当時、韓国に住んでいた著者は、日本が戦争で負けて本国に帰るとき、
自分が見たり経験したりした悲劇を土台に小説を書いたという。当時11歳だった彼女は
韓国人たちによって日本人たちが無惨に殺害、レイプされる場面を目撃したと、
小説にはこうした内容が書かれている。
自己責任論はカースト制のなごりなのではないかと思うんだけど、どうかな。
派生元のバラモン教と仏教は輪廻転生の考え方が共通していて、階級間移動の可不可の違い
日本での民間における現世での災いの考え方は、前世の行い(自己責任)や憑き物筋(人のせい)でどちらにしても人災として捉えている。
キリスト教では全ての運命は神様の思し召しということだが、極表面的で根拠が弱い。
そもそも運命は逆らうことのできない大いなる力によるものと考えられ天災として捉えられている。
大元に弱者救済があるのかしらんが、偽経や説話では弱者救済が多い。
宗教の布教か、単に道徳的に自然な考えか、あるいはユダヤ選民思想の反動か。
日本におけるネトウヨの論理は「前世の行い」と「憑き物筋」を合わせたもので、
自分が不幸なのは「あいつらが生活保護や陰謀で楽をしているからだ」という憑き物で、
被差別者が不幸なのは「あいつらは低学歴で韓国人で勉強ができなくて(全て投影)なせいだ」という現世の行いによる報いと考える。
忘れてた。人気取りの大乗仏教では弱者救済の概念がある?
すると表面上としては共通してるのか。
484 :
質問:2013/05/26(日) 20:53:53.82 ID:jCsRwJp+
>>478さん
ありがとうございました。
>>484 すまん佐々木氏についてはそんなに詳しくないんだ。
単に山の名前かもしれん
氏か関係者のいる場所とか
>>482 投影にせよ逃避にせよ、ルサンチマンなんて階級が存在するどこの国でも類型あるやん
牽強付会でね
488 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/26(日) 22:01:25.86 ID:m5wX/rLY
>>479 >「一卵性双子の性格及び知能指数は似てる」ケースが一例でもあったらてめーの説は
破綻すんじゃね?www
ネットで調べますと、別々に育てられた一卵性双生児のIQの類似性(74%)は
一緒に育てられた二卵性双生児の類似性(60%)よりも高い、という研究発表がありました。
確かに14%高いですね。
逆に身体的な類似性はほぼ100%でしょうから、26%低いことになります。
五感の神経細胞も脳細胞も遺伝子はそっくりだとしたら、この差異はどこから生じるのか?ということになります。
よって「一卵性双子の知能指数は身体的特徴並みに似てる」ケースが過半数もあれば私の仮説は
破たんするでしょうが、一例では無理なことが分かるかと存じます。
489 :
神も仏も名無しさん:2013/05/26(日) 22:18:13.76 ID:lChdkOcn
佐々木承周 山 でググると杏山で出てきますよ
正しいかは知りませんが
490 :
神も仏も名無しさん:2013/05/27(月) 00:02:20.31 ID:XCTEp+rp
>>488 >五感の神経細胞も脳細胞も遺伝子はそっくりだとしたら、
>この差異はどこから生じるのか?ということになります。
差異って26%のことか? 「別々に育てられた一卵性双生児のIQの類似性(74%)」
なんだろ?「別々に育てられた」っつー環境要因で十分説明つくんじゃねーの?(笑)(笑)
>>488 身体が100%なわけないだろ……
身体は基本的に脳が動かしてんだぞ
>>486 やっぱこじつけでしかないか。俺にしてはウマいこと言ったと思ったんだけど。
493 :
神も仏も名無しさん:2013/05/27(月) 16:10:57.70 ID:rcGw0k56
宝珠さんへ。神智学について少し学びたいのですが、初心者でもわかるお勧めの書籍、HPなどがあれば教えてもらえませんか?
特に第四種だとか第五種だとか人種について詳しく解説してるのがあれば目を通しておきたいのですが。
仏陀って要するにリアリストってことなのかな とおもうのですが
リアリストだとしたら
皆に希望をもたせるために
教えのどこかで
リーダーとして敢えて嘘ついてる部分があるんじゃないか
と思うんですけど
どうなんでしょうか?
>>482 キリスト教は肉体が失われても復活して永遠に生きるという教えで
この世の生活はつかの間のかりそめの時間と考えるので
ユダヤ教や イスラムもそうですが 仏教とは枠組みが違います
だから天災による死もベッドの上で死ぬことも変わりはないのです
真宗の門徒も往生確定してるので似たような見解と思われます
>>494 きっと、
それは、
「近代仏教学というフィルター」「現代常識への阿諛」「凡夫の能力での物差し」であり、
「それでは仏教はわかりません」
といった反論が来ますよw
>>496 近代だの現代だのこそ関係なくね
仏教ならその区別はあるが、仏陀の話だろ
>>497 教学上重要でしょw
「ブッダは嘘をつくのかつかないのか」。
そしてこのとき、
「嘘=方便」という等式にどこまで正当性を見るか、も問われてくる。
嘘は全て方便か?と。
調べてみたら「嘘も方便」って仏教から来てるんですね。
でもそういう大事なことを伝えるための嘘とかじゃなくて
絶望を和らげるための嘘 というか
嘘じゃないにしても
敢えて伏せているというか口にだしていないこと みたいなのが
あるんじゃないかなぁってなんとなく思いました。
>>499 >敢えて伏せているというか口にだしていないこと みたいなのが
>あるんじゃないかなぁってなんとなく思いました。
いいね、そうだと思うよ
仏教は、他を積極的に救いに向かうっていうより、
他を害さないっていうのが基本にあるしね
教えを聞く準備ができた人にしか、教えは説かないのだろうね
>>494 むずかしいところだね〜
たとえば、物事には因果がある、行いには報いがある、といった縁起や業報とか、あるね
しかし、ほんとうに因果や、業と報いっていうのは実在するかっていうと、
中論などにも説かれるように、そうではない。
じゃあ、それらの教えは嘘なのか、というと、そうでもない。
教えを受ける者が、教わったことを体験してみると、
とても嘘をつかれたとは、思えないだろうから。
教えは何で説かれるのかって言えば、悟りや安楽を得させるための方便(手段)ってこと
その意味では、「皆に希望をもたせるために 」というのは、当たってると思うよ
なんとも、はぎれの悪い答えになっちゃったけど…。
>しかし、ほんとうに因果や、業と報いっていうのは実在するかっていうと、
>中論などにも説かれるように、そうではない。
因果律や中論は理論が成立した時期も違うのに一緒くたにしているところに
めまいがする思いです。狂ってる。議論にならない。
>その意味では、「皆に希望をもたせるために 」というのは、当たってると思うよ
わざわざそんなウソ方便を言う必要もないと思うけどな
苦(縁起・無常)があり、苦を滅する(空・無我)教えがある
まったくもって単純じゃないか
時期が違うもなにも普通に見れば同じ考えだろ
真実と方便、本当と嘘があるわけじゃない
・自分の敵は自分でしかない
・自分の味方は自分だけ
これはどっちも正しいし、同じ意味だろ
そしてどちらも正しいなら
・敵も味方もいないのが正しい
・敵も味方もいないのは間違っている(敵や味方がいるのは正しい)
となり、これも成立する
505 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/28(火) 08:40:02.02 ID:1PqNU9jY
>>501 >たとえば、物事には因果がある、行いには報いがある、といった縁起や業報とか、あるね
>しかし、ほんとうに因果や、業と報いっていうのは実在するかっていうと、
>中論などにも説かれるように、そうではない。
私見ですが、因と果は無常で因果の法は常住でしょう。
同様に縁と起は無常で縁起の法は常住でしょう。
もし縁起の法も無常だとしますと、論理的に破たんかと存じます。
506 :
神も仏も名無しさん:2013/05/28(火) 10:35:30.23 ID:4G260oIq
>>505 そこからが仏教哲学や近代西洋哲学のキモじゃないかと思う
論理とは何か、破綻とはどういう状態か、という考察を進めるといい
「『論理で論理がない世界を語ることはできない』という命題は論理的に真である」
という命題、これがヒントになれば幸い
論理が嫌なら、論理を縁起(の法)と読み替えるといい
仏典編集の第四回の結集には当時、修行僧だったキリストが参加していたと
いう話もあります。
>>505 一在家さん
>もし縁起の法も無常だとしますと、論理的に破たんかと存じます
縁起の法(教え)は、無常ではないだろうね。
ただ、全員が涅槃入りしたら、法を聞く者がいなくなるわけだから、
縁起の法は、誰からも聴聞されることはない、よね。
「法」は、無常(滅する性質)ではないけど、空だね。
>>506 まさに!たぶん、そんな感じだよね〜。
自分も、その辺りが凄く気になってたっす。
>>503 >因果律や中論は理論が成立した時期も違うのに一緒くたにしているところに
へ?どゆこと?
>>506 >論理とは何か、破綻とはどういう状態か、という考察を進めるといい
せっかくなんで、この考察について、聞かせてもらってもいいですか?
とても、興味があります。
言葉で表せない真理というものがある。禅宗の不立文字はそれを指している。
しかし、禅宗程、語録等文字表現の多い宗派もないという皮肉。
釈尊も悟りを開いた後2週間ただ一人で悟りの境地を楽しんだ〜とある。
梵天に勧められて大衆のために説法をする事に決めたらしい。
つまり、最初は言葉で伝えられるか極めて自信が無かったが、考えを改めて言葉で伝える
決心をした〜という事。
例えば輪廻転生。これも仏教では認めているようだが、一方で無我を説いている。
転生する主体を無〜としながら何が輪廻するのか?矛盾で嘘を言っているのか?
結局、輪廻転生は当時のインド一般の信仰を説法ために取り入れただけで、死後の事は
無記で何も言わなかった事からも釈尊は輪廻転生を積極的に説いたわけでは無かっただろう。
これを嘘と言えば嘘だろうが、方便とも言えるわけで、善因善果、悪因悪果の道徳的な意味で
輪廻転生を認めていたんだろうな。
仏教で教えている大事な点は以下のものだけ。
「執着するな、厭うな。」「自分以外のものに頼るな、自分(の心)に頼れ。」「生きとし生けるものに慈悲の心で接すべし。」
無我の教えがある一方で自灯明の教えがあるのも表面的には矛盾だが、深い意味では矛盾ではない。
>>510 論理的に、輪廻は仏教からは外せない教えだよ〜
というのも、仏教は基本的に、原因と結果という縁起論をとる。
前世を否定すると、原因無き結果を認めることになり、来世を否定すると、
結果を生み出さない行為というものを認めることになってしまうため、
因果を否定することになり、縁起論が成り立たなくなってしまうんだよ。
>転生する主体を無〜としながら何が輪廻するのか?
それだと、苦しみを受ける主体も無我って論につなげることも出来るから、
はじめっから仏教は不要だよねって話にもつながると思うんだけど…。
(もちろん、涅槃入りした者にとっては、そうなんだけど)
苦しみがあたかも実体のごとく起こるように、転生も起こる、ということだと思うよ。
生存の根本に対する無知、無明が輪廻転生を作っている。
仏教の理想は輪廻転生がら脱却する事でしょ=無知、無明を滅ぼし(煩悩を滅ぼし)安楽の境地(涅槃)に至る〜
死ねば煩悩も無くなり涅槃に入るから死=涅槃と捉えるケースもあるが広義には生きていても涅槃に至る道はある〜とするものだ。
もし何代にも渡って死んで生きてを繰り返す主体なるものがあるとしたら、人間は永久に輪廻から脱却できないことになる。
だから無知、無明を滅ぼせと釈尊は説いた訳だ。
悟ったのに口を噤まないで 他者に向けて語り出したってことは
やっぱり何かを隠してるというか伏せてる あいまいにしてる部分があると思う。
>>511 >前世を否定すると、原因無き結果を認めることになり、来世を否定すると、
これ主語を省略する日本語が錯覚生んでるだけじゃねー?
現世というなんらかの主体があるならば原因としての前世も結果としての来世も必要だけど、
一般的に、輪廻転生について語る際は、
魂なり我という主体があって、その主体にとっての前世来世があるかって話でしょ
その主体は生々流転する無常のものだから、主体にとっての前世や来世はなくても縁起は成立する
515 :
神も仏も名無しさん:2013/05/28(火) 22:37:02.53 ID:GWkN4Fy8
因果応報 = 原因があって、結果が出る。
今の自分は、過去の原因(自分の行った善、悪の行為)にある。
善、悪の判断は、この世の判断ではなく、釈迦やイエスの上の存在である
天地創造神や神界の判断による。
なんで自分が常住なんだよw
釈迦が無我を説かれたのは凡夫の我ありという盲見を破るため
客観的事実として輪廻が存在することは明らかに教典に説いてある、それを弟子に言うか言わないかは釈迦が判断されただろう
衆生はその盲見がある限り輪廻からは解脱できない、阿羅漢は無我を悟っているから輪廻から解脱して涅槃に入れる
あと因果の道理は3世を貫いているから当然前世の善悪の業が今世の生命の核になり、今世の善悪の業が来世の生命の核になる
善因善果、悪因悪果の因果の道理は仏教の基本で業報があるのは当たり前
その業報に翻弄されて衆生は地獄に生まれたり人間に生まれたり天上生まれたりしてる
じゃあ輪廻の根本原因は何かというと無明、これは無限の過去からつくってきた一切の生存に対する執着の業で
智慧が無いから無常、苦、無我などの真理(小乗法にとっての真理)に暗いんだよ
だからその無明が原因で善悪の業報に翻弄されてしまう
阿羅漢は無明(小乗法でいう無明・四諦を知らない心)を滅しているから善果も悪果も受けない、業報に翻弄されない(善悪の結果は還ってくるけどそれが障りにならない)
>客観的事実として輪廻が存在することは明らかに教典に説いてある、それを弟子に言うか言わないかは釈迦が判断されただろう
宗教かっ!
520 :
神も仏も名無しさん:2013/05/29(水) 00:52:56.76 ID:Pvo9AE39
輪廻から解脱した如来だからこそ輪廻がないと言えるのであって輪廻はある。
しかし輪廻はあるという常見を持ち続ける限りそこに有の執着が生まれるので解脱が難しくなるだろうし、
執着があるにも関わらず輪廻がないという断見に陥れば因果を昧すことになる。これも解脱を難しくする。
認識論や反形而上学的観点から頭で仏教を理解するからややこしくなる。
仏教は実践論として理解する必要がある。
>>519 宗教だよっ!
宗教…こう書いてるから、信じる
哲学…こう書いてるけど本当か考えよう、本当だった、信じる
最終的に行き着くところは同じでも、それまでは噛み合いようがないな
>>521 他の宗教はどうか知らんけど、仏教は、間に「頷き」が入るのさ。
宗教…こう書いてるから、信じる
哲学…こう書いてるけど本当か考えよう、本当だった、信じる
仏教…こう書いてある(こう教わった)→(信じる)→ああ、確かにそうだ→信じる
けど、噛み合い難いのは変わらんか・・w
>>520 確かにね、形而上学的に言えば輪廻は明らかにあるし、悟りを開く過程で天眼通を得れば実際に観ることができる
仏教の目的は輪廻からの解脱であり、生老病死苦を無くして常住不変の幸福を得ることでもある
524 :
神も仏も名無しさん:2013/05/29(水) 06:21:45.03 ID:0ho1efNk
輪廻がある?
そう言い切れる根拠は?
525 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/29(水) 06:23:52.45 ID:7/dfpH9s
>>508 >縁起の法(教え)は、無常ではないだろうね。 (中略)
>「法」は、無常(滅する性質)ではないけど、空だね。
無常でないならば「空」というよりも「非空」だと思います。
そして「空」と「非空」→「一切」かと。。
この世は無常なる存在と常住なる存在とからなり、
換言しますと仏の眼には世界は常住で美しく、衆生の眼には無常の現象界が見えるかと存じます。
PS
最近、またビジーになってきたので書きこも減っております。
亀レスからやがて無記になるかも知れません。
>>520 これはその通りだな
仏教は輪廻だ因縁だ八墓村だと強調しすぎる
歯医者に来た痛くないもんと言ってる子供に
いやいたいんだすごく痛いよと言ってるのと同じ
527 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/29(水) 06:33:06.58 ID:7/dfpH9s
>>523 >確かにね、形而上学的に言えば輪廻は明らかにあるし、悟りを開く過程で天眼通を得れば実際に観ることができる
>仏教の目的は輪廻からの解脱であり、生老病死苦を無くして常住不変の幸福を得ることでもある
仏教の目的はそのようですね。
そして仏の目的は「衆生済度」のようです。
不等式「一切智 < 衆生済度 涅槃 < 衆生済度」が見受けられますので。
「梵我一如」を換言しますと「如来仏性一如」または「如来仏性不二」でしょうか。
根拠は如来らは完全な涅槃に入らずに、慈母の如く無住処涅槃にて「衆生済度」を展開されておられるからです。
歯が痛いんだよ
という目的に導く衆生済度が最強っすかw
>>525 一在家さん
>無常でないならば「空」というよりも「非空」だと思います。
>そして「空」と「非空」→「一切」かと。。
うーん、無常なるものの正体は、ほんらい空で、空であるなら常住だと思うのだけど…。
空として見れないということは、アートマン的な実体をそこに見出す無明があるからで、
それが無常と苦の原因になってるってことだと思う。
非空で常住って、みんなが信じるアートマンとか、実体を持つようなものだよ。
>この世は無常なる存在と常住なる存在とからなり、
この世は、無明のあるものから見れば無常だったり、善悪や生滅がある苦の世界、
無明を滅したものからすると常住で、善悪不二の、不生不滅、楽の世界。
同じものの二側面っていうのかな。前者は世俗諦、後者は第一義諦で示される。
530 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/29(水) 09:23:25.50 ID:7/dfpH9s
>>529 親切僧さん
>この世は、無明のあるものから見れば無常だったり、善悪や生滅がある苦の世界、
>無明を滅したものからすると常住で、善悪不二の、不生不滅、楽の世界。
>同じものの二側面っていうのかな。前者は世俗諦、後者は第一義諦で示される。
>>525 一在家
>この世は無常なる存在と常住なる存在とからなり、
>換言しますと仏の眼には世界は常住で美しく、衆生の眼には無常の現象界が見えるかと存じます。
見解のほぼ一致かと存じます。 お後は宜しいようで。
どうもすみません-遅くなりましたm(__)m
神智学文献の推奨は何か?というのは、かなり難しいことです。「入門」を謳っている書(タイトル名)
が正直、あまりお奨めではないのもあり・・・。また、一通り読み下すだけでも非常に難しいものが多い
分野なので・・・。とにかく私自身が確認しており、間違いなく購入しても損のない良著や最高の名著だ
けを厳選して取り上げます。
日本に神智学を紹介すべく翻訳出版に人生を捧げられた仲里誠桔氏の翻訳シリーズ、特に『ヒマラ
ヤ聖者の生活探究』全五巻、『解脱の真理』(他にも、『キリストのヨーガ』『心身の神癒』など多数あり)。
ベンジャミン・クレーム氏の著作は、ブラヴァツキー神智学、ジュワル・クール覚者の教えであるアリス・
ベイリー著、ヘレナ・レーリッヒ女氏のアグニ・ヨガなど、トランス・ヒマラヤ秘教の全体系を包括的に教
えてくれ、入門ビギナーから永年の学徒までも奥深く学べます。最も読み易いのは『マイトレーヤと覚
者方の降臨』、内容に深みがあって膨大な情報を提供してくれる『マイトレーヤの使命』1.2.3巻は必携。
あとは神智学の全体的な教理を網羅した解説書として『神智学大要』全五巻(9冊)、最後として(ベ
イリー著は相当に難しいですが)、アリス・ベイリー著の抜粋『トランス・ヒマラヤ密教入門』全四巻です。
宝珠からの“推薦の言葉”
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1235556630/626-627 各出版社
*シャア・ジャパン出版
http://www.sjsh.co.jp/ *株式会社アルテ
http://www2.plala.or.jp/arte-pub/kikan.html *出帆新社
http://www.shuppansinsha.com/kikan.htm
533 :
神も仏も名無しさん:2013/05/29(水) 13:13:25.57 ID:Lb0x3JQW
カルト教団の信者になって、信仰、勧誘する行為は仏教的に言って
悪因果でしょうか?
無明のある凡夫は四顛倒の盲見があるので世間や衆生を常あり、楽あり、我あり、浄らかであると観る
この四顛倒を破れば(無明を破れば)苦しみが尽きる
無明(小乗でいう無明)のない阿羅漢は世間や衆生を無常・苦・無我・不浄と観じて煩悩の繋縛から離れている(法に対する執着が残っている)
仏は無明を滅し尽くしていて真の空(一切の法に対する執着まで滅している)を悟っているので世間や衆生を常楽我浄とも無常・苦・無我・不浄とも観じない
境地の深浅によって観方が変わってくる
あと仏にとって世間と涅槃は同じことで差別のないことだけど、阿羅漢にとっては世間と涅槃は差別があり世間は苦しみであり厭うべきものである
>>533 カルトでも三大でも似たようなもん
勧誘が楽しいなら素晴らしい
>>533 >カルト教団の信者になって、信仰、勧誘する行為は仏教的に言って
>悪因果でしょうか?
動機次第じゃない?
ただ、勧誘しようと意志する動機は、多くの場合、自分本位の場合が多いんじゃないかなぁ。
ほんとうに相手が知りたいことかっていえば、微妙だろうしね。
>>536 仏教を理解できている人と理解できていない人が居る、ということでしょうか
540 :
493:2013/05/29(水) 22:56:32.75 ID:OqwvdEAd
>>532 お答え、どうもありがとうございました。
541 :
神も仏も名無しさん:2013/05/29(水) 22:58:58.88 ID:dXLMfP6r
【韓国】 「百済の仏教文化が日本列島に及ぼした影響」探る韓日学術シンポ、来月ソウルで開催[05/28]
http: //awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1369832480/
>>540 はい!
少しでもお役に立てれば嬉しく思います。
>>531 「出帆新社」のリンク切れはURL末尾の「html」が「htm」になっていたのが原因です。
訂正:
http://www.shuppansinsha.com/kikan.html >>539 僧侶でありながら差別行為をするということは、
とても仏教を理解してる人間だとは思えないでしょう?
そうは思いませんか?
南方仏教の一部(カンボジア)には、
普通ではとても信じ難い差別行為がなされている実態があるようです
個人の僧侶がたまたまではなく、これは明らかにサンガ全体の組織的な醜態でしょう。
障害者は嘲笑の対象であり、それは前世の悪業による顕れであるから穢れた者としての酷い扱いがされます。
意味不明で首を傾げてしまう笑しな条項において、その対象者は僧侶になる得度は受けられず、
これに反して出家させた者は罪障を受けるという扱いです。
私もまさかそういうことがあろうとは知らず、大変ショックを受けました・・・。
しかしながら、これが仏教そのものの教えが悪いからだという誤解は如何なものか?
これら一部の馬鹿者たちのせいで、
仏教そのものが“差別の教えである”という悪評に繋がるのならば、
非常に残念なことだと私は思います。
>論はヒトラーの思想などとは全くの無関係です。また、仏教を理解できない人によって勝手になされた
>差別行為を示して、これを仏教のせいである(仏教の持つ差別思想である)などというトンデモない誤
いやいやいや、この部分を言っているのですが……
仏教を理解できる人と理解できない人を分けているのは、誰ですか?
もし仏教の理解こそが正しく、仏教の不理解が誤りで、仏教の不理解が差別を生むとするならば、
それは、仏教が自と他を正誤で別ける差別的な宗教であるという謗りは免れぬように思います
他の数多の宗教と同様に
>>543-544 >仏教が自と他を正誤で別ける差別的な宗教であるという謗りは
そんなことは云ってませんよ。
仏教は差別する教えなどではない、といったまで。
○○が仏教と関係ないなどと言うことも、仏教と非仏教を別ける思想も差別でしょう
区別なく、ヒトラーも貴方も私も差別主義者も仏教を理解できない人も、全て仏でよいかと
仏教は元々もっとも差別を排除する宗教だったのが、大乗仏教以降宗派が多数枝分かれして
当初あった差別を排するという教えをないがしろにしてきた面があるのでは?
釈迦は他の宗教も認めていたし、自分の教えこそ最高で最良のものだから従いなさい〜なんて
説法はしなかった。説法しても同意を得られなかった事もあったようだが、別段気にもとめなかった。
去るものは追わず、来るものは拒まず〜サンガに入れば席順は入った時期で分かれていたらしい。
国王が仏教に帰依しても国王と言えどサンガに入れば末席だった。
548 :
絶対神:2013/05/30(木) 13:01:47.33 ID:UQKQwQKG
実際、仏教は他を外道と言って差別するだろうw
一切の差別がない宗教なんて存在しないし現実的でない
>>547 そもそも自分だけが最高で、自分の教えは最高の教えであるというものでない限りひとは信じないし
従わない
他でもいいならそれを実行する必然性がまったくないのだよ
宗教こそもっとも差別するジャンルであるし(来世の運命まで決定する絶対的領域
だからな)
別にそれ自体はそれでいい
仏教の間違いは、仏教だけはその点において違うと主張するところ
まあ、ある意味、そう主張しているところがもっとも典型的な宗教であり
上の理屈が仏教徒にも当てはまる事を証明しているがね
>>548 だから、「元々〜」と言ったのだが。
今の仏教について言ったのではない。
釈迦は自分の教えを宗教だなんて思ってもいなかっただろう。
ただ、差別から最も遠い位置にいたのだけは確かだ。
そういう意味でも原始仏教は勉強になる。
大乗以降密教なんて含めての現代の仏教とは違う点がある。
550 :
絶対神:2013/05/30(木) 13:16:21.76 ID:UQKQwQKG
「宗教の場合」
『その宗教が、一番だ、偉いんだ、他は駄目なんだ』
という部分、言い続けていない限り
「魅力がなくなってしまうんだ」
宗教に限らず、誰だって、その世界で一番の存在に指導したり、認めて貰いたい
これさえあれば、他の一切を上回れるという要素がない限り
『その宗教の存続すら危うくなってしまう』
宗教は、永遠的領域、絶対的領域について語るものなので、より、その傾向が
強い
551 :
絶対神:2013/05/30(木) 13:22:24.77 ID:UQKQwQKG
「ある面、宗教は」
『謙虚さを教えながらも、自分が一番だとアピールし続けなければならない』
「大きなジレンマ、構造的欠陥を抱えていると言える」
宗教や哲学的な概念や集団を作った時点において
『既に他との差別化、他と戦っていかねばならない宿命を背負わされると思って』
仏教だろうが、キリスト教だろうが、これから逃れる事は出来ないんだ
>>547 少なくとも、
>自分の教えこそ最高で最良のもの だと自認(公言)しない限り、
涅槃へ導く唯一の法と行としての説示にならないね。
自分の差別心はなくすのは困難で、他人一人の差別心をなくすのは非常に難しく、
周りの人間から差別心をなくすには人生は短すぎ、人類から差別心をなくすのはもはや不可能だ
それこそエンジェルハイロゥで全人類を繋げるか、月光蝶で文明を消し尽くすような強行手段に出ない限りは
554 :
神も仏も名無しさん:2013/05/30(木) 18:04:56.27 ID:/nryvDGi
絶対神は非常に重要な指摘をしている。
キリスト教とイスラム教は永遠に敵対関係であり続けるだろう。
万教帰一を説く某宗派も、自分の宗派の信者を増やすために
そう言っているに過ぎない。自分のための万教帰一なり。
万教帰一を本当に信じるなら、自分の宗派など作るなと言いたい。
555 :
神も仏も名無しさん:2013/05/30(木) 18:16:30.92 ID:/nryvDGi
釈迦のすごさは、梵天勧請で「信仰をやめよ」と言うところ。
自灯明、信仰ではなく自分で体験すれば万事解決する。
涅槃を体験しろよ、凡夫たち。
556 :
神も仏も名無しさん:2013/05/30(木) 18:33:41.51 ID:/nryvDGi
無なんぞ永遠に体験できんぞ。
知らないものをいくら議論してもしょうがないだろ。
無を論じても無意味だよ。戯論だよ。
体験できるとしたら在る者でしかない。
「わたしはある」という者を探す方がどれだけ賢いかしれない。
無ではなく、神を探したらどうなんだと言いたい。
ヘノーマン、わかったか!
>>555 むしろそれを残した弟子が凄い
他の宗教でも、類する発言はあったかもしれない
558 :
神も仏も名無しさん:2013/05/30(木) 23:52:03.68 ID:T16XVsWi
理屈じゃないでしょう。
どんなに、自分の教えは最高だといったところで、『基地外がいる』で終わる。
それを主張する者は神でもなんでもなく、人間なのだから。
『私は絶対神だ』と主張したところで、嘲笑されるのがおち。
重要なのは、その教えを実践することで、多くの人間が幸せになれると確信できるかどうか。
そして、信者が多くなれば、信者同士の安全なコミユニティーが完成する。
それがプラスに働けば、社会も以前よりプラスに変化する。
人類の歴史はそうやって発展してきた。
自己の宗教組織の拡大ばかり考える宗教など、長く続かないだろう。
>>558 そ。
だから、「未信者には信を生じせしめ、既信者には信を増大せしめる」言動が求められる。
虚堂録に謂う。
「礼は玉帛に非ざれば表れず、楽は鐘鼓に非ざれば伝わらず」と。
形(具体的“あらわれ”)は大事だよ。
>>558 自己を保存しない、ただ自分と隣人のみ救う教えは短くすら続かない
盗難の仏像「返還しない」主張
長崎県の寺から盗まれて韓国で見つかった仏像がまだ返還されていない
問題を巡り30日、ソウルで討論会が開かれ、参加した韓国人の間からは
「仏像はもともと韓国内の寺が所有していたもので、返還すれば文化財に
対する主権を放棄したことになる」といった主張が相次ぎました。
この問題は、去年10月に長崎県対馬市の神社や寺から仏像2体が盗まれ、
ことし1月に韓国で見つかったものです。
2体のうち「観世音菩薩坐像」については、韓国の裁判所が、「もともと所有し
ていたのは自分たちだ」と主張する中部のプソク寺の檀家の請求を認めて、
仏像が対馬市に渡った経緯が明らかになるまで返還できないとする仮処分
の決定をしたため、今も韓国政府が保管したままです。
これに関して30日、ソウルでプソク寺の住職らが討論会を開き、参加した
研究者や国会議員などからは、「仏像を盗んだ行為は悪いが、もともとは
日本によって略奪されたものだ」という意見が多く出されました。
そのうえで参加者からは、「返還に応じれば、みずからの文化財に対する
主権を放棄したことになる」として、日本の返還要求に応じるべきでないと
いった主張が相次ぎました。
この問題を巡っては、韓国国内でも仏像は日本に返還するのが筋だと主
張する研究者などもおり、プソク寺としては自分たちの主張をアピールす
るねらいがあったとみられます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130530/k10014967481000.html
良寛さんの詩にこんなのがあったよねえ
一人で生まれ 一人で死に 一人で座り 一人で思う
そもそものはじめ それは知らぬ
いよいよの終わり それもまた知らぬ
転々するもの すべては空 空の流れのなかに しばらく我がいる
まして是もなければ非もないはず
そんなふうにわしは悟って 心ゆったりかまえている
輪廻とか涅槃なんてそもそも知らぬって態度 できてるなあって感じw
>>前世は一在家さん どう思われますか???
人間界から天に上るという方法は仏教ではあるのでしょうか?
僕自身はあなたの言う、浄居天というところに上りたいのですが。
天に上ることが人間界をプラスの意味で逸脱する方法であると思うのですが。
そしてその後、菩薩界というところに入りたいと思っています。
そしてここからが僕自身の独自の仏教解釈なのですが、その後如来界に行って、
大日如来の大不思議に悟入して、ブッダ意識つまり涅槃寂静という消極的境地と
無上涅槃という積極的境地という矛盾を抱えた状態になって、その後阿弥陀になって、
神人という境地で落ち着きたいと考えています。
あーなりたい、こーなりたい、と思っているようでは行き先は餓鬼・畜生界です。
現世で望みなし、来世にも望みなし、淡々と死期が来るのを待ち、淡々と死ぬ〜
位の状況でプラスマイナスゼロでしょうw
偏屈の本音には興味はないwww
大した知識が無いからはっきりとは分からないけど、苦行は天上界に至れる果報を得ることができるみたいなことは論書で見たなあ
涅槃に至れる道は八正道だから苦行では無理だね
あともし慈心観や数息観で色界禅定に入れたとしてもそれを死ぬ時に維持できなかったら(おそらく罪悪が重いと維持できない)色界に至ることはできない、預流果を得ていれば人間か天上界に生まれることができる
菩薩・仏に成りたいのなら大乗の自力修行をするか他力の阿弥陀仏に救ってもらうかだね
ただ大乗の自力修行をして仏に成れた人は今まで1人も居ない(釈迦のみ肉体を持ったまま仏に成れた)
阿弥陀仏の本願に救われた人は今まで沢山居る、大乗なら他力以外で仏に成ることは絶対に不可能だね
80 :サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c :2012/04/03(火) 19:14:15.16 ID:n/g5bNAA
>78
民族差別をしてる日の丸サタニストは
韓国朝鮮の守護聖人 イエズスの養父であられる義人聖ヨセフさえ
侮辱してるので地獄確定ですん♪
まぁソドムとゴモラの連中とおなじです
自分の経験からいっても苦行は間違いなく煩悩を遠ざける効果があると思う、慈心観もそうだね、心の領域を広げる効果がある
ただそれはしばらくの間だけで怠けていれば元の境地に戻ってしまう、何故かというと智慧を得たわけではないから(無明があるから)
この無明を観によって打ち破らないといけない、無明を完全に取り除けば涅槃に至ることができる
他力でも菩薩修行のコースが有るの?
570 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/31(金) 19:28:32.08 ID:lhTfn8OH
>>563 ノスタルジア氏
>人間界から天に上るという方法は仏教ではあるのでしょうか?
>僕自身はあなたの言う、浄居天というところに上りたいのですが。
>天に上ることが人間界をプラスの意味で逸脱する方法であると思うのですが。
長部経典では、梵天界に上る方法はいくつかの経典で説かれているようです。
例)長部13経「三明経」、19経「典尊経」
ただ、浄居天(再生することのない存在)に上る方法は長部の中では見出せておりませんし、
菩薩界は発願故に敢えて再生してきますので、両界の違いも分かりませんので、あしからず。
>>569 どのような修行をすれば阿弥陀仏に救われるか?悪いけどそれは自分には勉強不足で分からない
ただ阿弥陀仏の本願を信じれば救われるんだけど、その信じる心すらも阿弥陀仏が与えてくれるものなんだよね
その阿弥陀仏を信じる心を頂くには、阿弥陀仏に救ってもらいたいという自力の心を完全に捨て去らないといけない
その自力の心を完全に捨て去ったとき絶対他力の本願に救われた世界に入ることができるということだと思う
だから自力の心を捨てるのはもの凄く大変なことだろうね、並大抵のことではできないだろう
この世には救いがないことを認識する
↓
なんだこりゃ 死んだ方がマシ
↓
死の恐怖がなくなる
↓
救い
精神的にせよ肉体的にせよ、苦しみを貯めれば貯めるほど、悟りに至った時の快感が大きいのは間違いない
>>570 http://www.bukkyouoshie.com/tenkai/jyoukoten.html 面白いサイト見つけたので貼っておきますw
>>566 煩悩具足の我らは凡夫であることを頷かないとおれない時があります。
例えば、そのあなたの言う、苦行が出来るかという時。絶対やりたくないですよね?(笑)
そういう身なんだ、そういう思いしか持っていないんだという諦めこそが、
僕たちのスタート地点なわけだから、天上界に至れる方法は、苦行ではない
のでしょうね。
まあ前世は一在家さんの言葉を見て注意された言葉なのですが、「浄居天」という
言葉があるそうです。ここに住む神々は、前世は一在家さん曰く、再生することのない
存在であるそうです。つまり生まれることも死ぬこともない存在という風に言えば
分かりやすいでしょう。
僕自身はそのような生まれることも死ぬこともない境地にまず上がりたいと
考えました。これは今通っている学院の先生曰く、純粋な願いであるらしいです。
僕自身のその天上界(浄居天)に上がりたいという考えは、純粋な願いであると
先生はおっしゃられました。そして、阿弥陀の本願と同じであるとも言われました。
純粋ではない願いとは何か?それも先生は言われました。日々を生きる私たちの
愚痴です。それは我執によって起こるのですが、我執とは我れがあると思い、
その我れへの勝手な執着であるのです。無明とは愚痴のことで、我執が無明の因です。
(今日習ったことです。僕自身は日々を日本中の人々と共に成長したいと考えているので、
自分の日々の資料や考えは全部公開しているつもりです。)
真宗聖典の549ページに 法性のみやこ という言葉がありますが、それは
仏さんたちの願いの世界に自分たちが帰っていくということであり、
読み替えると、自分の願いの世界に自分が帰っていくことであります。
なぜなら、自分の純粋な願いと阿弥陀の願いは同じであるからです。
この場合は仏さんたちの願いというのは当然、阿弥陀の願いと同じものであるから、
自分の純粋な願いとも同じであると思うのです。
>>574の続き。
>>566さんへ。
僕たちはいつ死んでもおかしくない身を持っているのであり、刹那、刹那に
死があるという考えがあります。この死というのを天上界へ上がれるかという不安と
置き換えると、すごくプラス思考に変わると僕は今日発見しました。
つまりいつ天上界へ行ってもおかしくない身を持っているということ。
でもその天上界へ上がるという純粋な願いに対して、浅ましき、自分の罪が
、もっと言えば、長い長い過去世からの宿業が、僕自身を縛り付けていることでしょう。
その罪の自覚は大事であります。日々その罪を感じていたか?あなたはどうでしょう?
罪を感じていますか?僕自身は罪を感じて生きています。ですから余計に、
その罪から逃れる方法を探っているのです。もしそれを留める人がいたとするなら、
それは僕自身の危機的状況に、とても迷惑を感じた人であるかもしれません。
なぜそんな事が分かるのかというと、僕自身において、そういうことを言われた
迷惑をかけた人がいるからです。この点について何か分かる方がいたら、新たな視点や
助言や励ましの言葉をどれでもいいのでください・・・。
それは叶わない夢なんだと言われるのがオチであるのが、現代です。
僕たちは、叶うわけもないことを期待して生きていくのでしょうか?
69兆年ほど浄居天の神々は生きるそうです。さっき載せたサイトに
書いてありました。僕は神というよりも聖者と言った方が近いかもしれない
と考えています。これは僕自身が思うに命の書というヨハネ黙示録に
書かれている言葉があるのですが、その事がもしかしたら、何かこの天上界(浄居天)での
話のような気がするのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tenzinkuoshi/51047804.html
>>568 無明はね、長い長い間、言葉の研鑽をしたら、その言葉の力つまり智慧によって
打ち破ることが出来るのですよ。
命の書に書かれていない人々は獣を拝むらしいのですが、僕は一番自分が大切に
しているものが獣であると思うなーw
何を僕らは一番大切にしているんだろうね?それが獣だよ。だから獣って何なんだろうね?
みなさん、キリスト教に言う、獣ってなんなのでしょうか???
縁がつきれば終わっていくのが、阿弥陀より賜わった命なのです。
しかし娑婆に生きている私たちは命を粗末にして生きていますよね???
例えば、僕は昨日だったかな、真宗聖典に赤い蜘蛛がいました。それを
同級生に見せました。そしたら同級生が、それを殺したら殺傷になるね、
と言われました。僕はそれを聞いて、なんとなく、窓を開けて、蜘蛛を
指で払いました。つまりその時は命を粗末にしなかったのです。
縁が尽きるということはけっして死ぬことではないです。それを死ぬことと
解釈するのが、極楽往生です。それは地獄の裏にあると思います。
また、命の書に書かれている者は天国に行くという考えがありますが、
それは餓鬼の裏にある天国であると思います。
僕自身が考える、極楽浄土ではない真実報土というのと、天国ではない天上界というのは、
どちらも、マイナス的要素が介入しないものです。僕たちは隙あればよくマイナス的要素を
持ち込みます。それがいけないことなのです。
地獄というのは僕にとって、機械的に主観的に生きている人々です。
また餓鬼というのは、霊魂観を信じて、そのような実体的、具体的な
霊界というところに死後に行きたいと考えている人々です。
言葉は違っても言動でこの事は一人一人に現れ出ると僕は思います。
なにここ
>>571 勉強すれば分かってくるよw最近、僕は勉強面白くなったきたw
阿弥陀になるか、阿弥陀に救われるか。←この二択でどっちが興味をそそる?
阿弥陀になるでしょ??? それが因位の菩薩である証なんだよ。ブッダになるということが
目の前まで来た人、それが因位の菩薩w しかもただのブッダではない。
阿弥陀になるのだ。あなたを苦しめる思想は何か???阿弥陀はそんなことしないよ!!!
二択どちらにしても阿弥陀は阿弥陀だけどね。
阿弥陀如来が2ちゃんに書き込んでるところを始めて見た
>>580 阿弥陀経で、今現在説法というからねw今現にましまして法を説きたまうのでしょうね。
まあちょっと調子に乗るけど、阿弥陀如来ではなくて阿弥陀仏と言った方が近いかもねw
如来というのはブッダの十号の一つにすぎないからね。
582 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/05/31(金) 23:12:34.52 ID:lhTfn8OH
>>577 >また餓鬼というのは、霊魂観を信じて、そのような実体的、具体的な
>霊界というところに死後に行きたいと考えている人々です。
霊界(あの世)を信じて死後に行きたいと考えている人々の多くは成仏して、餓鬼にはならないかと思います。
不成仏の「心からなる存在」がこの世に残留して餓鬼(幽霊、憑依霊、他)と呼ばれているようですが。。
>>582 それは、分身の話をすれば分かると思いますが、分身の分身は当然、
分身よりも下ですよね?そのように、霊界を信じて成仏したらば、その程度の
成仏をするのだと思います。つまり僕自身は、成仏、不成仏という話は分からなかったのですが、
成仏だけならば、僕自身は、霊魂を信じるという異義に逆らいたく思っています。
つまり霊魂を信じて、成仏するかしないかという問題は頭にありませんでした。
だからありがとうございます。しかし僕自身は、霊魂の成仏、不成仏という視点を
頂きました上での、言動ですが、やはり成仏も不成仏も餓鬼として押さえるべきである
ように思うのです。これは直観です。しかしその僕自身の直観、僕自身の思いを
超えたところにある何か、という考えは霊魂的な考えなので出来ません。
ですので、そういう訳です。
ピラミッド構造というか、ハイアラーキーと言いますかそのような事を言うと
どうしても勘違いされるし、そのことはあまり深いことは考えていませんので
そういうことも考える予定であると言っておきます。
>>582 心からなる存在である餓鬼には、心を持つということは出来ないと思います。
であるから、成仏でも不成仏でも、僕自身は「この場合」餓鬼でしかないと思います。
上も下もないと言えば、ダメですが、上も下も同じ霊魂という言葉で終了するのです。
だからと言って、霊魂の世界で、下剋上が起きると言う風な、原始的なところでは
ないような気がします。
586 :
神も仏も名無しさん:2013/05/31(金) 23:36:42.48 ID:W6fr/TrO
>霊界(あの世)を信じて死後に行きたいと考えている人々の多くは成仏して、
>餓鬼にはならないかと思います。
そう持っていても、殺人や飲酒などの過失により交通事故で死亡させたりしれば
成仏できず、悪因果の重みで魂が三途の川を渡れす霊界の下の幽界か地獄へ落下
していくので?
霊魂観を持つ人々は、とても、超越ということを重視します。
であるから思いを超えたものとか、考えを超えたものなどを真理とします。
しかしそのようなところに真理はあっても、それはある型に嵌った真理なのです。
僕の場合、その真理の出所を餓鬼界としています。問題は餓鬼という字に
鬼があること。鬼は餓えている。しかし地獄にいけば鬼は餓えない。
鬼は鬼として地獄で生きられる。でもそれは間違いなのです。すべて
間違いなのです。そのような醜い世界から少しでも出ることです。
自己中心的とは、先生曰く、自己哀心的と言うそうです。
つまりかなしむ心ということです。自己が哀れんでいるのです。
かなしんでいるのです。
あなた方は哀れんでいますか?かんしんでいますか?それはある意味善いことなのです。
善い上から目線なのです。
阿弥陀仏は善悪を存知しているのですが、親鸞聖人は善悪を存知出来ないことを
智慧の信心によって分かったらしいのですが、これにより親鸞聖人は、
時代としての修羅場に勝てなかったのでしょうね。やはり時代に埋没した。
しかしそこで光り輝く何かを残したかったのでしょうね。言葉は光っているが、
親鸞自身は光れなかった。煩悩具足の凡夫であること、信心を得た修羅のような
存在であることから、抜け出せなかった。その点、僕たちは恵まれている。
平和主義の日本で今は平安に暮らせている。それは実は気づきによって、人間に
留まることが出来て、さらに高みを目指すことが出来ることなのです。
かんしんでいますか×
かなしんでいますか○
そもそも釈尊は死んだらこうなる〜なんて事は一言も言わなかった。(無記)
輪廻転生も仏教が作った仏教独特の思想ではない。釈尊が活動していた
当時、ジャイナ教はじめインド全般で信仰されていた考え方。仏教でもこれを
認めたのは、善因善果、悪因悪果〜の縁起の説明上取り入れただけでしょう。
死後の世界なんて形而上の事は無記で何も言わなかった。
死んでどうなる、こうなる、なんてのは、釈尊死後の釈尊の教えを弟子が
口伝〜書物に残しつつある過程で作られたもの。
死んだらどうなるか心配するより、あるいは希望するより、人間としての生き方を極めよ〜
というのが釈尊の教え。→八正道はその実践を説いたもの。
つまり、死後の世界を考えるより、正しくのほほんと生きる方が良いという事だ。
590 :
神も仏も名無しさん:2013/05/31(金) 23:55:15.10 ID:x1+en2vw
釈尊ってニートじゃん
>>589 つまるところ
どうせ死ぬんだ
安んじて逝けってこと?
最後に言っておきます。あなた方が僕の言葉に無味乾燥な気持ちになるのは、
時の流れの必然です。僕自身も明日にはまた違うことを考えますww
しかしあなた方は何かを忘れているとも解釈できるのです。
雲を掴むような話など無用だよ。
仏教はスーパーリアリズムだということ。
釈迦さんは云う。
「研究と努力を重ねなさい」と。
仏教は道理、棚からぼた餅はないのです。
「死んだら天国で幸せになれるよ」ってのはオトナの知恵じゃん
釈迦はリアリズムで終わったけど仏教はリアリズム捨てて一周したやん
596 :
神も仏も名無しさん:2013/06/01(土) 01:17:03.83 ID:J7GMBKFS
欲求が満たされた状態を幸せと言う
釈迦の前にも リアリズム→アンチリアリズム→リアリズム→アンチリアリズム→
つう繰り返しがあったんじゃね
歴史とかしらんけど 釈迦の前にとっくにリアリズムってたやつはいたと思う。
でも それじゃ人間やべー ってことで
リアリストのそいつがパンピー向けにフィクションを編み出した
598 :
ヘイヘイポーラ〜♪:2013/06/01(土) 01:55:11.96 ID:ID30mcTv
だろーね
てかリアリズムて言い方がいまいちピンと来ないな
動物価値…動物としての生存のための損得判断、効率的、好きなようにする生き方
人間価値…動物としては無意味な価値を創作、苦、迷い、無明、非効率、弱さの生き方
人間は、動物価値に人間価値がのっかってできていて、人間価値を減らすと楽だし、
人間価値を見ても愛せるしサイコーやん?てのが釈迦の至った境地であり初期仏教
確かに人間価値減らせば個人は楽だけど、いまんとこ種として繁栄してる理由、
苦しみながらも結果として個体が死ににくくなってる理由は人間価値によるもの
人間価値、迷い、弱さ……どの時点でどうやって生まれたんだこれ
>>582 キチガイにレスすんな。
まともな議論なんて出来ないぞ
自分の妄想ばっかり語ってるからな
>>599 >人間価値、迷い、弱さ……どの時点でどうやって生まれたんだこれ
それは動物と人間の脳の違からくるよ
動物の脳は記憶が出来ず忘れるから悩みもなく自然のままの状態を発揮できる
人間の脳は記憶ができる故に文字を作り永遠に妄想を溜めこみ続け文明を来ることができた
だが逆に悩みも増えた
仏教でいってるのはこの記憶からできた観念をを一回捨てよということ
248 : サロメKoS ◆LGhlot2baY [sage] 2011/01/28(金) 01:41:57 ID:MwQ970wM
×××は×××と九州旅行してやられたらしいwww 股が緩いのねwww ×××を腹の上に乗せたwwww
267 : サロメKoS ◆LGhlot2baY [sage] 2011/01/28(金) 01:53:34 ID:MwQ970wM
×××の観音様拝みなさいwww ×××の顔とか知ってるけど股開いて突っ込まれるなんてwww
301 : サロメKoS ◆LGhlot2baY [sage] 2011/01/28(金) 02:23:33 ID:MwQ970wM
×××と×××の九州セックスツアーwwww アップしてみろよ^^
レイプ体験で閉ざしていた股を オカルト板住人との天草原城あと旅行でオープンさせられ 女の喜びに目覚めた
415 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [] 2012/01/16(月) 16:08:02.30 ID:d2HYHKz3
汚れwww日活ロマンwww くぱって開けてズルムケお豆^^ 舌技に汚れカトリック悶絶www
418 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [] 2012/01/16(月) 16:14:02.45 ID:d2HYHKz3
年増の引きこもり女性カトリックの欲望に放火^^ はだかんぼにしてぺーろぺろwww
644 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [] 2012/01/17(火) 00:03:48.20 ID:qpS6kc+2
アタシは汚れがすきwww 甘酸っぱい乳頭^^ こりこり^^
811 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [] 2012/01/17(火) 18:29:28.73 ID:rEYIx6q7
汚れのカキタレ 甘酸っぱい乳糖のほうが大切です ちゅちゅちゅ
レイプ画像公開してよwww
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798 名前: 神も仏も名無しさん [sage] 投稿日: 2013/04/18(木) 01:22:33.71 ID:jqirOUjp
転載されているサロメさんのレスは
サロメさんが好意的だった×××さんという女性、否定的だった×××さんって男性が
九州旅行に一緒に行った疑惑をサロメさんが持って嫉妬して書いた内容です…
~~~~~~~~~~~~~~~~~
記憶からできた観念を捨てれるわけないけど
捨てれるってことにしたのが偉い
604 :
神も仏も名無しさん:2013/06/01(土) 14:52:58.95 ID:1KcpcM5A
積んだ「業」は、生命が顕現していようが冥伏していようが全て蓄積されている訳で、それは「縁」によって引き出されるものとするのが仏教でいう「縁起の法」です。
因みに地獄界の生命境涯の人の環境は、基本的に苦しみをもたらすものとなる。
極楽もそうだが、結局「地獄」と言っても、あの世の何処かに地獄があるというのは方便で、実際にはこの世で苦しまなければ為らない人の生命の境涯を著していると云うこと。
>>604 どのとおり!
5戒にある不邪淫戒を破ったりすると恐ろしいねえ。
矢口真理とかどうなることやら。
矢口真理に限らず今の時代多そうだから、不幸になる人は多いだろう。
テーリガータにある不邪淫戒を数世代前に犯したために現世でこんなに不幸なのです〜という
尼の告白なんてのは、物語としても面白い。
男が人妻と肉体関係をもった。→次の生まれ変わりで病気の家畜の腹に身ごもり悲惨な一生を送る。
→同様に悲惨な動物の腹に身ごもり悲惨な一生を送るのが数世代続き、やっと人間の腹に身ごもるも
生まれた後の人生は不幸の連続(夫に尽くしても、夫から逃げられて離婚を数回繰り返し、果てに尼になる)
この尼の告白だ。
>>605 こういうのを記憶からくる妄想とも言う
わざと自分で苦を創造し作りだして苦しいと騒ぎ立てる
前世の罪により離婚を数回繰り返し苦しいって?
面白くもないしくだらんw
前世の記憶なんて無いでしょう。
前世の記憶なしで前世が見えたのじゃないの。
現世では何も自分で苦を作る事はしていなくとも、起こる事全て悪いほうに流れる〜
のを見て何か感じるものがあったのじゃないの?
その尼は、「もうこのような世界からは離れることが出来ます。仏陀の八正道の実践によって〜」
と結んでいる。
ちなみに釈尊は形而上の事は無記で何も言わなかったが、人間が認識できるのもがこの世の
全てという考えではなかったようだ。
当時のインドでは世の中の70〜80%は人間には認識不可能で20〜30%の事しか人間は
認識できない、という考えがあって、それを認めていたのだろう。(割合は別としてそのとおりだと
私も思う。)
老子の道の教えと共通するものがあるが、大きな宇宙理論-法を感じて(あるいはそれに従って)生きるのが
望ましいという事でしょう。
あるともないとも言わなかったが、そういう考えは認めていたという事でしょう。
>>609 >釈迦は無記以外何もいわなかった
意図的にそう言っているのか、それとも単なる無知なのであろうか?
当時のバラモンの間でも聖人の出現は欣求されていて、釈迦さんが悟りをえたことは伝わっていた。
釈迦さんの説法には多くのバラモン僧を聴聞にきており、その場で説法(種々の経典)したとされている。
バラモン教の神々の中に釈迦さんが取り入れられたのも、その功績が受け入れられたからだと見るのが自然。
無知を私に対してなら無知でしょう。
私は私の知っている事、思っている事しか言いませんが、間違っていることもあるかと思います。
ゴータマシッダールタはバラモンの示す世界(司祭やら生活規範について)を「これは違う〜」
と非バラモンの世界を目指して、非差別の世界を目指して実践したのでしょう。
バラモンを頂点に置くカースト制度が今でもインドに多少なりとはいえ残っているのは残念です。
真のバラモンは〜と経典でも多数言っているのはゴータマがいかに当時のバラモンに不満をもって
いたかという事です。
ちなみに、
>釈迦は無記以外何もいわなかった
とは言っていませんが?
613 :
ヘイヘイポーラ〜♪:2013/06/02(日) 01:38:42.07 ID:qU5CE8gx
>真のバラモンは〜と経典でも多数言っているのはゴータマがいかに当時のバラモンに不満をもって
>いたかという事です。
多分これは違うだろう
単にその言い方が一番効果的だと思ったから使っただけじゃないかと
バラモンという価値観が支配するなら、その価値観を一部肯定しつつ縁起を悟らせるだけのこと
他の価値観を持った人には、その価値観にそって説法しただろう
615 :
神も仏も名無しさん:2013/06/02(日) 04:59:26.46 ID:Vwv4KDye
>>614 対機説法というものを信じたいんですね
わかります
でもただの言い伝えですよ
言い伝えというものは尾ひれがつくものです
そりゃまあ、書き伝えよりは尾ひれがつきやすいでしょうね
書いた時点で尾ひれがついてりゃ似たようなものですが
617 :
神も仏も名無しさん:2013/06/02(日) 05:29:33.19 ID:Vwv4KDye
書いた時点が伝承でなく創作なら
創作はそのまま伝えられてしまいますね
まぁ害がないならなんでもおkですが
618 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/06/02(日) 05:36:00.41 ID:jLtYBFqi
>>615 >対機説法というものを信じたいんですね
>わかります
>でもただの言い伝えですよ
龍樹が釈尊の説法を分析して「四悉壇」という解説を「大智度論」に残しております。
619 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/06/02(日) 05:38:16.58 ID:jLtYBFqi
最近、このスレもめっきり議論が減りましたね。
仏教板らしく「議論寂滅」でスレも「到涅槃」かも知れませんね。
ヒンズーの外道神礼讚して止まない、神智会信者宝珠がいうところの「仏典」が創作だとノタマウ根拠はなんだろか?
>>619 一在家さん
議論寂滅スレってw
一代さんが来なくなったせいか、遊びさんとか隠居さんとかも来ないね〜
>>617 道に入った人は、嘘をつけないと思うよ
まあ、このこと自体、信じられなければそれまでだけど
>>618 一在家さん
ですね〜。まあ、世間的には龍樹と釈尊は関係ないくらいの扱いかもしれないけど。
>>611 >真のバラモンは〜と経典でも多数言っているのはゴータマがいかに当時のバラモンに不満をもって
いたかという事です。
不満があったら、悟ってない普通の人ってことになっちゃうよ〜。
ただ、出家前は不満とか、疑問はあったのかもね。わからないけど。
バラモンが非人道的なカースト制度をつくるものだから、釈迦が批判したのは当然といえる。
そのカースト制度によって固定化された観念に覆われた、当時の人々が陥っていた厭世的な考えや快楽主義を打ち破るために無常・無我を説いたといえる。
625 :
611:2013/06/02(日) 12:53:36.78 ID:oa7onj8g
>>624 大乗仏典は全て偽経です。なぜなら経を作る人の解釈によって作られたものだから。
ゴータマは悟った後も普通の人間であった。悟ったらそれをきっかけにスーパーマンに
なったのではないと思います。それゆえに死ぬ前に、「この世は美しい。人生は甘美なものだ。」
と人生を振り返って感想を述べています。これは真実だと思います。
>>625 >大乗仏典は全て偽経です。なぜなら経を作る人の解釈によって作られたものだから。
経を説いたのは釈迦さんなんだが、ひょっとして翻訳した人のことかな?
だとしたら、外国人が著作した文学や研究書などを翻訳した場合、全てが「解釈」したものになるのかな?
何か勘違いしていると思うが、インドからサンスクリット経典を中国に持ち帰り翻訳した僧侶は数人いるが、何れも歴史に名を残す優秀な人物ばかりで、
インド人の父親をもつクマラジュという僧は、その地方の王より優秀さを認められ翻訳作業を頼まれて従事している。作業にあたっては、数百人の訳僧の監修者として立派に責任果たしています。
また、翻訳には主観を入れずそのままの意味を表現する様に心がけたとあります。
よく神仏と言えば「超人的」な存在と捉えている宗教が殆どだが、そんなことはありません。それこそまやかしです。
釈迦さんが悟ったのは、森羅万象の有りのままの姿を悉く悟ったとされている。決して、人間を離れて超人的なものに変身する訳ではないのです。
智恵に於ても慈悲に於ても凡人には理解出来ないほど広く深く、自在に使える境地を得た「人」だということです。
そう言う境地が誰しもにも、可能性として内在しているのだということ著しているのが仏教なのです。
仏教は、あくまでも道理を説いているのです。
ダンマパダ やスッタニパータは真経でしょう。
しかし、大乗経典は作者がいて作者の意図で書かれたもの。
そういう意味では全て偽経です。翻訳とかの意味ではありません。
>>627 w
スッタニパータなんて、当時の有名な詩句のキメラだぜ?w
小乗は6割、大乗は2割位が釈迦言ったこと
あとは創作でしょう
直筆で書いたもの以外は信用できないのは世界の常識
般若心経もそういう意味では偽経です。
しかし偽経だから言っている事が出鱈目という事ではありません。
ゴータマの説いた事がそのまま伝わるか、作者の意図で伝わるかの違いでしょう。
そのまま伝わったものが真経で作者の意図で伝わったものが偽経。
ちなみに「小乗」というのは大乗側からの一方的な呼び名であり、一般的ではありません。
上座部とか説一切有部とか言うべきです。
疑心暗鬼になっている人ばっかりwww
鬼として疑心暗鬼になっている人もいるwww
鬼神になって超然としている人もいるwww
修羅場にいる人もいるだろうwww
でもみーんな人間じゃないからカオスの内部に巻き込まれて入る。
言葉を出している人は希。
前進している人も希。
前進する言葉になった時、全知全能の神になる。
つまり言葉の完成は、全人類の方向性の完成www
そうやって方向性を決めてきた方がいるから今があるwww
それに今反抗しているのが私。
つまり全人類の方向性を決めるのは私であるwww
>>629 >小乗は6割、大乗は2割位が釈迦言ったこと
あとは創作でしょう
根拠あるの?
風説信じるのは勝手だが、当時の風習として、口承伝達がもちいられており南伝も北伝も文字化はしておらず、釈迦滅後に南伝はパーリ語、北伝はサンスクリット語で文字化されたもの。
仏典の結集は二度行われ、それぞれ伝承されてきた釈迦が説いた言葉纏めたたということ。
創作説は、仏教学的に根拠のない妄説。つまり、がせねたです。
いやいや創作・解釈はそりゃあっただろう
引き写しですら多少なり解釈が混ざる余地があるのに、
口伝や翻訳なんて……
どれくらいあったか、一割か十割か、
六割や二割に根拠があるかどうか、を語ることは大事だろうが、
あるかないで語るとかアホかと
鬼として疑心暗鬼になっている人もいるwww×
鬼として疑心暗鬼になっている人をいたぶる人もいるwww○
ははは、あなた方は、このままでは輪廻するだろうwww
でもここを見てたり、書いてたるする人は、間違いなく、純粋な人だね。
僕の云う、カオスの内部に巻き込まれて入っている部類は絶対一人もいないね。
南無阿弥陀仏を分からなくても称えているようなものだね、ははは。
でも、君たちのやり方では、神になれないよ、ははは。
僕自身はその肉体を逸脱する方法を見つけたwww
前進する言葉になるということが、肉体を逸脱する方法の一つであると信じている。
僕、勉強するの好きだから悪い神にはならないと思うwwww
まあ、永遠に努力する者になれるかな? www
>>634 お前さんは変な薬を止めて始めて人間になれる。
さっさと大麻なんてものから離れる事だ。
そうしなければ、餓鬼・畜生よりもっと下の世界で苦しむ事になるぞw
まあ、妄想で何をかたろうが勝手だが、空しい話だな。
口承文化とは、あの長いベェーダーでさえ正確に伝達されてきたのに、まして師匠なる釈迦の説法を弟子が改竄すると考えること自体が異常なことだ。それも、釈迦の説いた説法を複数で聞いているというのに間違える訳がないだろう。
>>632 えw?
人が一生で読み切れないほどの経典があるのに
全部を釈迦が語って全部を弟子がおぼえて
数百年後に一字一句逃さず経典化したとか信じてる人がいるとはw
ワロタ
大乗とかは数百年隠していて急に記憶していたものを経典化したってw?
>>635 例えが悪い。汚い言葉を使うな! ましてや俺にwww
だから、妄想ではなくて単に仏弟子によって口伝で伝えられたものをそのまま残すか、
新たに作者が創作して残すかの違いでしょう。
大乗経典は全て後者。しかし偽経だから嘘八百言っている訳ではない。
残されている仏典は全て真経(釈迦の言葉そのままのもの)と言う方が間違いですよ。
大麻体験は、そのまま悟りっぽいね
意識的な思考でたどり着いてないから、すぐ消えるけど
妄想でなかったら何処が創作箇所か具体的に説明してみ。
何時
何処で
誰が
何を
したか。根拠を揚げれば説得力あるけどな。
釈迦は48年間かけて法を説いた訳だが、もちろん修行期間は別としてだがね。
それにしても、妄想ばかりて具体的な史実に基づいた指摘が無いくせに言い張るのも異常なことだよ。
かつて、イギリスの考古学者達は釈迦が歴史的に実在する人物か疑問視していたのだが、様々な遺跡や出土品の発見によって、その存在を信じざるを得なくなったいきさつがある。
妄想厨も少しは古代仏教学と向き合えば良いと思うが。
>>640 大麻によるインスタント悟り、インスタント禅とかありましたねえw
しかし、薬物で悟った〜というのは哀れです。
そういう哀れな人をなるべく救うように行動するべきです。
まあ、全て真経と信じてもそれはそれで良いのではないでしょうか。
ひょっとしたら、それが正解で私が間違っているのかもしれません。
ただ、私は普通に自然に考えているだけですが。
2ちゃんは覚醒剤の売買事件があってから監視の目が厳しいらしい。
滅多なこというと捜査の手が伸びてくるかもよ。
ipなどすぐバレるからな。
売買事件があってからってか、常態化してたぽいね
仏教に薬は必要ないが、生理学神経学と悟りの関係を解き明かすには非常に重要なファクターではある
これは仮説だが、
・大麻は保持記憶が短くなることで、必然的に目の前のものにしか集中できなくなり、
固定概念・観念の適用が薄れ、物事をありのまま見たり、すべてに感謝したりできる
悟りで言うと、一瞬一瞬に悟る状態だな
・有機溶剤系(トルエンなど)は、脳が物理的に破壊されることで、
記憶が消滅し、それに対して脳は記憶を避難させようとする、
だから脳のデフラグである夢を見ている状態に近く、幻想を見ることになる
・覚醒剤は、単純に脳の動きが活発化して覚醒してる状態
無意識の動きも活発化するので、普段意識に上らないレベルのささいな違いが見えたりする
同じ動作をひたすら繰り返すのも、論理の探究が無限ループに陥るのを行動であらわしてるに過ぎない
それぞれ代表的な効果はこんなもんじゃないかな
もちろん独立はしておらず、例えば覚醒剤にも脳の破壊による混乱はあると思う
>>638 精神薬で悟ったつもりになってるのかコイツ
>>646 貴様、俺に勝てると思うのか? 疑心暗鬼になってるだけだからと言っても
承知しないぞ!ひと様を侮辱したら怨みは百倍にして返す。
そしてコイツという言葉遣い、お前何様だ!
ちなみに、もし
>>645の仮説が証明されればの話だが、
手軽に悟りを得たいなら大麻、自殺願望があるなら有機溶剤、
方向性さえ定まっていれば覚醒剤で悟りに近づくこともできる、ということになる
特に覚醒剤はただのドーピングであって一旦悟りに至れば消えないから、
仏教にとっても強力な道具になると言えるね
方向性定まる前にやっちゃうと……だから諸刃の剣だけど
また、動物に薬物を投与したときの反応により、
動物に「我」があるかどうかという命題に決着をつけることができる
だから、大麻やら薬物に堕ちる事自体不幸なことでしょう。
それが法に従った生き方なのか否か考える事が重要。
法は法律の法ではなく、宇宙、大自然の法則の法だ。
科学の発展のおかげで体は楽になった、しかし心の世界は科学では動かせない。
大自然、宇宙に目を向けて人間という生き物の立ち位置をこれだと考えたのが仏陀。
人間として薬物で何かを得よう〜という立ち位置は法に反する。
薬は人間が生きる上で必要なものを必要な分だけ摂れば良いだけ。
精神世界のために薬を〜と言うのはそういう利用法を逸脱している。
大麻なんかたいしたことないよ
アメリカでは合法化されてるし
むこうではタバコや酒のようなもん
大麻で悟れるならアメリカ人はみんな悟ってることになるw
大麻はアメリカで合法ではないですよ。
一部の州で限定合法で、吸うつもりの人は良く調べたほうが良いです。
アジア、東南アジアでは厳禁ですので見ず知らずの人からモノを預かったりしないことです。
インドも合法と思われていますが、大麻が認められているのは一部の州だけです。
インドで逮捕されたら悲惨な刑務所生活が待っています。非衛生的な刑務所らしいです。
>>650 効いてる間だけだよ
しかも自分で記憶の保持をコントロールできるわけじゃないから、
大麻で悟りの一歩手前状態になる人は、基本的にいくらやっても一歩手前にしかならない
まあ、急がば回れ、正攻法がいいのは間違いない
真如苑は、仏教だと言い張っていますが
本当でしょうか?
>>653 その教え(≒理と行)で仏陀となれるなら(≒なる可能性があるなら)、
仏教と呼ぶことも許容範囲と思いますよw
655 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/06/02(日) 23:28:41.97 ID:jLtYBFqi
>>629 >小乗は6割、大乗は2割位が釈迦言ったこと
>あとは創作でしょう
>>632 >風説信じるのは勝手だが、当時の風習として、口承伝達がもちいられており南伝も北伝も文字化はしておらず、
>釈迦滅後に南伝はパーリ語、北伝はサンスクリット語で文字化されたもの。
上座部の長部経典を読んでおりますと6割以上は釈迦が言ったことかな、と私見です。
根拠は簡単で、南伝の長部経典と北伝の長阿含の共通箇所が平均で6割位に直感するからです。
南伝の長部経典は北伝の長阿含に比べて冗長な繰り返しが多く、説法も具体的な経典が多いのが実際です。
これより、北伝の長阿含に意図的な削除がなされているか、それとも南伝の長部経典に追加・創作がなされて
いるのかという可能性が出て参ります。
まあ、共通箇所は釈尊の仏説だと信じております。
656 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/06/02(日) 23:33:23.42 ID:jLtYBFqi
>>655 >南伝の長部経典は北伝の長阿含に比べて冗長な繰り返しが多く、説法も具体的な経典が多いのが実際です。
>これより、北伝の長阿含に意図的な削除がなされているか、それとも南伝の長部経典に追加・創作がなされて
>いるのかという可能性が出て参ります。
>まあ、共通箇所は釈尊の仏説だと信じております。
本スレでも度々例示したのが「沙門果経」ですね。
修行成果として北伝の長阿含では「三明智」が得られ、南伝の長部経典では「六神通」が得られるとの説法です。
この場合は「三神通」は共通しております。
657 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/06/02(日) 23:44:15.29 ID:jLtYBFqi
>>621 >議論寂滅スレってw
>一代さんが来なくなったせいか、遊びさんとか隠居さんとかも来ないね〜
貴僧に同感です。
オイラ氏が来ないと、セブン氏もやる気が出ないようです。
このお二人がかきこしないと、宝珠氏、カラス氏、サロメさんも来ないようです。
オイラ氏とセブン氏が縁で議論が起きて69回も輪廻したこの世界も消滅の危機、
「議論寂滅」の時が近づいているように感じる次第です。
いっそ、貴僧がオイラ氏のように生まれ変わったら、また新しい世界が生成する
かも知れませんね。
かく言う私も、最近ビジーになってきて、めっきり書き込み時間も減りましたし。
自分で自分に賛同して何か意味があるのですか?
意味不明以上に怪しすぎますw
どうでもいいけど訳経僧すげーわ
よくあんな難解な経典を筆記媒体も不十分で教育学習の機会も
書物や情報に触れる機会もはるかに制約されていた時代にあれだけ精密に訳したもんだわ
超人的な作業に思える
日本仏教なんていまだに原語版からの翻訳をやらないからな。
もはやインドなり中国より向こうに原版かそれに近いものが
残っていないのは仕方がないとしても、だ。
なぜ日本語訳しないんだよ、漢訳の教典をありがたがるなんて
日本仏教界は根本的に姿勢が間違っているよ。
>>659 時間の使い方(→使える時間の量)が違うからねw
日常の色々・雑事をしなければ、結構な時間は取れる。
近年なら中村元の仕事量とかねw
ま、だからこそ、(学術的成果や訳出という学究の先にある“悟り”までを視野に入れるなら)、
出家僧は世俗と距離を置くべきであり、護るべきものを持っちゃいけないのさ。
出家と在家の垣根を取り払うムーブメントが大乗なら、
それは明らかに誤りだと、俺は思うね。
>>660 国訳シリーズや岩波文庫青すら知らんのか?w
いやぁ、そんな人間が、このスレに書き込んでくるとはな・・・w (゚д゚;)
あ、国訳は中国訳の読み下しだったなw すまんwww
>>660 けど、原版無いバージョンも多いからなぁ・・・(^^;
断片の発見は最近増えてるけど、
それでも断片には変わりないし、Sktでなく各地域の言語だし、
断片すら無い経は、チベット訳からの還梵から考察してるケースが殆どじゃない?
気持ちは判るけど、西暦2013年時点での限界を受け止めることも必要だと思うよ。
>>647 おまえ、仏教をテメーの妄想の遊び道具に使ってると
とんでもない仏罰が当たるぞ
2000年以上もわたって、あらゆる聖人賢者が大切にしてきた教えを
ここまで冒涜しやがってバカが。
その罪ははかり知れんぞ。
664 :
ブーメランに釣られる朝型人間:2013/06/03(月) 02:02:56.87 ID:K1FGie4Y
自前で(教団として)翻訳造れって意味じゃないですかね。
>>664 どこが「朝型」なのか自問することを要求するw
666 :
ブーメランに釣られる朝型人間:2013/06/03(月) 02:13:22.06 ID:K1FGie4Y
妙法蓮華経はくまらじゅう訳こそガチ、という理由付けがされているので
(舌が燃え残ったとかなんとか)
天台や日蓮系の人にとっては、梵本にこだわるほどの
希求があまり無いんじゃないですかね。
>>665 心がけようにも
染み付いた習慣というのはこわいもので……
これが熏習というやつですかね(悪い意味で)。
>>666 そう。
業は轍のようなもの。 だから、七仏通戒偈が大きな意味を持つ。
悪い想いや行為が習慣づけば、意識しない想いや行為は【轍に沿った】ものとなる。
いや、たとえ意識した思いや行為であっても、僅かでも既存の轍に関連することなれば、
轍に制御されるが如く・電車が線路に従って進むが如く、
既に確立された行為の形式を踏襲することになる。
悪しき轍なら、悪業を積み、悪果(苦果)へと誘うだろう。
善き轍なら、善業を積み、善果(楽果)へと導くだろう。
みんな いちいち物言いがおおげさだな。
なんか宗教がかってるぞ
宗教板だしな
最近仏教哲学に寄りすぎだったから、仏教学への揺り戻しもいんじゃね
あなた方は主観的機械者である。疑心暗鬼になって修羅場が投影されている
カオスに巻き込まれ入った者たちである。つまりあなた方は善悪判別不能なのである。
そして生きていく中で、超越的実在に憧れたり、憧れざるをえなくなったりするし、
霊魂実在主義になったりする。霊魂実在主義とは、ようは普通は見えないものを
幻視して見えているのだと錯覚するようなものである。
真実を映し出す鏡を見ることさえできないのだ。その鏡を見ることが出来ないということは、
あなた方は、真実を知らないということである。そしてその鏡を万が一見つけても、
自己というものに縛られるため、いつになっても鏡の世界には行けない。
鏡の世界に行く方法が自己中心的になることである。自己と他者を切り離して
しまうことで、自己中心的になれる。そうすると未だ未完だが、言葉は鏡の世界に
入れる。前進する自分は未だに鏡の世界に入れないのは、真実を映し出す鏡の
自己が置いてきぼりになっているからである。自己はどうすれば、鏡の世界
に入れるのだろう?
あなた方は、自己と他者が一体となっている社会に埋没しているために、
少しでも人と違ったことをやった場合に、人災が起きたり、老いていることが
原因となって、痴呆症になりせっかく時間が出来ても、思うように体が
動かなくなる末期症状になってしまう。
若いころに適材適所で全ての上で快適な環境が与えらていないということは、
その時点で、神仏の信仰者が最高の位なのであって、そのような者がどれだけ
素晴らしい地位を獲得しても、諸刃の剣にすぎないのである。地位とは、
仏教的な到達地点でもあるが・・・。まあ二乗に行くしか方法はないのであるが・・・。
このような事を言われると、腹が立つだろう。しかし腹が立ってもけっして、
打ち破ってはいけない法(ダルマ)がある。人々も法の顕現だ。であるから、
自分自身を深く反省して、カオスの中で生き続けてください。万が一、
二乗という高嶺の花に埋没したならば、もうあなたを救うべき者は誰一人として
いなくなります。
何かにとらわれながら生きることが、妥協をし続けてきたあなた方の試練と言えば
聞こえがいいですが、大事実なのです。
では僕自身が見つけ出した考えに従うならば、もしかしたら、手っ取り早く
いくかもしれませんね。しかしそのようなことは出来ないでしょう。どう
足掻いても、自分が自分ではなくなることは出来ないからです。
心が心ではなくなることは出来ないからです。
お前は大麻を止めてからものを言え。
>>663 非論理的な言葉をどれだけ並べ立てても、何の効果もない。
論理的な人間に対する、侮辱行為とも気づかず、善を悪用した悪。
善なる言葉を言えば、弱い自分は(まあ強いと思っているだろうが・・・)、
正当化されるだろうと言う試み。大丈夫wwwお前が生きている間は、
ずっと掲示板投稿し続けるからwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
怒りを買った怒り。因果関係の中にいることを少しも解消しようと思わない
未熟さ、闇。もうあなた方の時代はとっくの昔に終わったんだよwww
妄想妄想と言えば、大人しく引き下がる時代は幕を閉じた。
上昇の次は下降、下降の次は新しい上昇らしいwwww
あと言うが、やじうまに、僕自身の心は一つも乱されないからwwww
不動心、金剛心!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
山としての掲示板に逃げてきた、菩薩衆を殺傷しようとする、お前は山賊だよwwww
まあお前は、釈迦や観音や弥勒などの仏教的存在を崇めていればいいさww
その崇めている姿は善なんだーと誇っていればいいさwww
仏教に胡坐かいているのはお前だ!
自分には悪がないと思っているのか?
幼稚だねwww
愚弄する人は根源に悪を抱えている。その悪は悪のままであるwww
680 :
神も仏も名無しさん:2013/06/04(火) 00:22:33.34 ID:GVEPoNFR
愚かだなぁ〜、こいつ
てめーの妄想語るために、わざわざ仏教スレにまで押しかけてきて、
なにやってんだ?
キチガイっていうか、愚かだよ。
681 :
神も仏も名無しさん:2013/06/04(火) 00:49:44.59 ID:3zoeq6QO
宗教ブランド
神田明神、靖国神社、明治神宮、イグナチオ教会、増上寺、築地本願寺、護国寺、ニコライ堂
だいたいこんなものじゃないの。
682 :
神も仏も名無しさん:2013/06/04(火) 00:56:43.97 ID:3zoeq6QO
真言密教と夢を語っているが、現実は創価と同じなんちゃってンチキ仏教!
ノーベル平和賞を貰った
「ダライラマ14世猊下のチベット仏教やチベッタン密教」は、本物には遠く及ばない。
>>681 神社系なら「伊勢」「出雲」を外せないでしょ。
寺院(仏教)系なら「善光寺」「比叡山(延暦寺)」「高野山()」「永平寺」「成田山(新勝寺)」
とかも加えとかなきゃ。
でないと『ブランド』としての意義が薄れて、単に「著名である・参拝者が多い」ってだけでしかない。
684 :
神も仏も名無しさん:2013/06/04(火) 06:42:29.43 ID:GtOeCR+N
ブランドとか何言ってんだよ・・・
>>680 いやもともと仏教スレにいるじゃんかwwwwwwwwwwwww
>>684 ブランドとしても機能してる(人々の間で扱われている・見做されている・受け止められてる)
っていう現実の状況の話でしょ。
君たちの根性の悪さにあっけらかんとなった・・・。
拠点をオカルト板に移す!!!
言葉そのものはとうとう、宗教板に来る者たちを見捨てたwww
>>687 なるほど、嘘言を大事にするお前は
「また帰ってくる」
といいたいのだな。
だが
「二度と帰ってくるな」
アイル
ビーバップ
>>657 >このお二人がかきこしないと、宝珠氏、カラス氏、サロメさんも来ないようです。
別にそういう理由ではないけれど・・・。
エーと、まずは二泊三日(6月2日〜4日)の巡礼の旅から無事に帰宅したところですよ。
感想としては、私と一緒に最後まで手を合わせている真摯な僧侶や親切対応の寺院もあれば、
中には、内陣の灯明に火を灯そうとすらしてくれない寺院すらもある・・・。もしも、癌で死に掛け
ている家族のために必死の巡礼をしている参拝者だったら、そんな扱いでいいのか!!
(ご住職は顔を一度出しただけ/なーんだ。ちゃんといるないか!=j。こういうところにも僧侶
の性格や考え方、その寺院の姿勢がそこにもハッキリと表れる。
5分掛からないような般若心経一巻などという手抜きはしたくないので、私の軽く20分以上は掛か
る本格勤行では、浄三部被甲の本式護身法、及び各種手印を結んでの真言陀羅尼読誦含みによ
る参拝です。手抜きで略式ばかりの僧侶たちへ、敢て敢ての見せつけ(挑戦)です。
いつも略式、そして、本番でも略式・・・では、中には本式をすっかり忘れてできなくなった僧侶もい
るのでは?などとも疑っているこの私です。
サマヤだの地獄行きだの〜という僧侶が見れば、きっと口から泡を吹いて卒倒するかもしれませ
んが・・・。まっ、地獄行きとなるかどうかは、この私が自らシッカリと確認してくるから。
ていうよりは、手抜きが元々、嫌いな性格なので、仏教的な意味での“怠慢”とならないよう、ただ
自らを奮い立たすだけですが・・・。取り合えず(三年目ですが)、これで三十六札所の半分は超えた。
>>571 >その自力の心を完全に捨て去ったとき絶対他力の本願に救われた世界に入ることができるということ
“自己修練に真摯に取り組んで精出す修行者にこそ真の御加護(守護)がある”
これが本来(というより唯一)の仏教というものだと思います。
絶対他力という考え方は仏教のものではないです。
>>620 >宝珠がいうところの「仏典」が創作だとノタマウ根拠はなんだろか?
私は、「仏典」が創作などといった憶えはありません。「仏典」にも僅かに付加挿入などはある、
といったまで。ただし、大乗諸教は「仏典」ではないですから。
その辺を混同しないことです。----まっ、そういうこと。
まず、基本を押さえて頂かないと、とてもお話にはなりませんから。
>>632 >根拠あるの?風説信じるのは勝手だが、---中略---
>創作説は、仏教学的に根拠のない妄説。つまり、がせねたです。
大乗非仏説が仏教学の成果ですよ。
信仰の世界ですから・・・経典と名のつくものすべてを仏説として、
信じたいのはご自由なのですが、学術的な研究においては通用しません。
信仰は自由。地球中心に宇宙が回っていると信じるも自由です。
ただし、自然科学においては通用しませんね。
所詮、ただの迷信ですから・・・
自然科学の悪癖、定義問題に陥るだけのような
仏説を先に厳密に定義してくださいとしか
693 :
絶対神:2013/06/07(金) 00:46:27.31 ID:Q0e1mVLt
「こないだ宝なんちゃらがやった例にならって」
『俺も文献を列挙してやるか』
神様本人が列挙するありがたい文献だからしっかりとタイトルを記憶せよ
「まず、女子高生のこしつき」
『これは最高だぜ、二時間で三回もしゃせいしたよ』
「淫笑う看護婦」
この二巻目の、姉妹との3Pのシーンが最高
『何度も読み返して世話になったわ』
エロ本列挙しようかと思ったけど、馬鹿馬鹿しいので二冊までにしとくわ
694 :
絶対神:2013/06/07(金) 00:51:03.20 ID:Q0e1mVLt
「宝なんちゃら」
『お前を見ていると呆れるよ』
「まあ、お前の人生だからお前の好きにすればよいと思うが」
「あんだけ色んな本を読んでもはっきり言って「何の意味もないよ」」
まあ、君と私に接点があるとはとうてい思えないけど
『聖書を含めて、わたしゃ宗教書なんてもうなーんにも読んでないよ』
「真面目にエロ本を読んでた方がよっぽど有意義だと思う」
『少なくても性的快楽は得られるからな』(大笑)
695 :
絶対神:2013/06/07(金) 00:53:36.77 ID:Q0e1mVLt
『「神」がエロ本を紹介するのなんて本当にあるのかって?』
「ふつうはないだろうねえ」(笑)
「だけど、宝なんちゃらってのの書籍紹介を見てたら」
『なんとなくやりたくなっただけ』
「意味判るだろ、お前らにも」(大笑)
「神秘主義的な経典なんかよんで神仏を語るやつよりも」
『ソープにでも行って女犯してる人間の方が、なんとなくましな人間に思えてきただけ』
696 :
相対主義神:2013/06/07(金) 00:59:05.07 ID:AGLYk1Aw
神は一方通行ではないから
ご安心下さい
697 :
絶対神:2013/06/07(金) 00:59:42.77 ID:Q0e1mVLt
「糞真面目な顔をして」
『神の道を、超能力を、神秘の世界を教えて下さい!』
ってオカルティストが私の前に来たとしたらだよ
「これを読みなさい」
『ってエロまんがを渡したい気分にさせてくれたよ』
「宝なんちゃらは」
「エロ本100冊読んだら、聖典を読む準備がととのうかもねえ」ww
698 :
神も仏も名無しさん:2013/06/07(金) 01:09:32.66 ID:rCa/3dcX
南直哉先生の十二支縁起の解釈はなるほどと思いました。
699 :
絶対神:2013/06/07(金) 01:17:51.19 ID:Q0e1mVLt
「本心から幸福になりたいのだったらあ」
『たぶん、仏典を読むよりエロまんが読む方が幸福になれると思うなあ』
「「神様」の言っている事だから間違いないでしょ、きっと」(大笑)
700 :
絶対神:2013/06/07(金) 01:21:34.75 ID:Q0e1mVLt
「自然科学は客観的に証明可能だが」
『釈迦の言っている言葉だけを取り出す事が可能になったとしても』
「釈迦の言葉が正しいと証明する事は不可能だしね」
宝なんちゃらっていうのを見ていると不思議なんだけど
『なんで自分も宇宙が地球の周りを信じているという間違いを犯していないなんて言えるんだい?』
701 :
692:2013/06/07(金) 01:38:15.08 ID:HGIafc53
あー申し訳ない、俺が読み違えてた
>>632が仏教学という言葉を使ったから、その前提を上で使ったのか
素人相手に仲間内でしか使えない定義を持ち出すアホ学者の類かと勘違いしてしまった……
702 :
相対主義神:2013/06/07(金) 01:42:15.22 ID:rCa/3dcX
絶対的なものは存在しない。
という真理こそが、真理でしょう。
つまり絶対神など論理的にも存在できない。
相対主義神こそ唯一の神であることは明白なのです。
我思う、
故に、我あり
by デカルト
>>703 思うことが根拠になるんなら
なんだって肯定できてしまいますが。
我ほんにゃらうんたら星人の存在を思う。
故にほんにゃらうんたら星人あり???
アインシュタインの相対性原理は神ではないと思いますよ。
絶対神を人格神のように扱うキリスト、イスラム教は間違っていると思いますが、仏教では
いわゆるブラフマン(=宇宙の理)と捉える非人格神として扱うのはOKだと思います。
仏教でいう「法」とはこのブラフマンの事でしょう。宇宙の理は自分の心にも影響を与えている
ので、自分を頼れ(自灯明)は法灯明(法=宇宙の理に頼れ)と同じ意味と言えます。
自灯明=法灯明です。
美を感じる心
芸術を楽しむ心
ユーモアを感じる心
長期的展望
博愛
自己犠牲的愛
708 :
神も仏も名無しさん:2013/06/07(金) 11:53:24.33 ID:nhKfZUqt
肉身の分解=寂滅消灯
>>705 ここは漫才するところではないよ。
意味分かってて言ってんだよね?
>>709 けど
「思う」以前に「我」が居ては仏教にならないんだな、これがw
だから仏教は、デカルトさんとは相性が悪い。
強いて言えば、
「“思っている”まさにその時に、我がそこに生じている」
「“思っている”こと、そのこと(そうした“思い”)が我と見做し得るモノ」
という感じがギリギリの言い方だと思うよ。
だから、仏教では
≪思う 故に 思い あり≫ なのさ。
で、それぞれが、(時々の条件(環境・状況・歴史)によって)
「私(の)」といったような修飾された“思い”として認識される、と。
>>704は実在物と空想の境界を言っているのだと思うが、
同時に、(本人に、この↓意図があったかは知らんがw)
『「(我があると)思ってる」からといって、「我」があると、一足飛びには言えないよね?』
という指摘を含むよ。
ま、この懐疑法だと、仏教的な様々な考え方も疑わしく却下の対象になっちゃうけどね。
711 :
安堂:2013/06/08(土) 01:32:16.99 ID:mYYQeIeh
「我」思う、故に「我」あり。
これは間違えだすわ。
「我」思う、と「我」が思う、故に「我」ありかなぁ〜、と「我」思う、と思うのも「我」なのかと思う「我」も「我」?
>>710 無我を正しく理解していないと訳が分からなくなる。
諸行無常、瞬間瞬間に変化して、何一つ同じ状態のものはないということ。
故に無我な訳ね。
713 :
絶対神:2013/06/08(土) 01:59:30.51 ID:qNmYNALe
『で、この宝なんちゃらの面白いところは』
「自分が地震の起こる日にちを予言できると思い込んでいたところである」
『現代科学だって、30年以内に起きるとかその程度の予知しかできず』
「何カ月も日にちを予知するなんて事は不可能である」
科学がどうしたという言葉を持ち出すくせに
『科学的に絶対あり得ないような力が自分にあると思い込んでいるのである』
「読み違えとかそういうレベルではなく」
『元々、日にちまで予測する地震予知は、「科学的に不可能」である』
「お前は神かっつーの」
時々、人間には、呆れかえってしまう
714 :
絶対神:2013/06/08(土) 02:01:59.18 ID:qNmYNALe
何カ月も→何カ月も前から
『勿論、神様には日にちどころか秒単位で言うことも不可能ではない』
「それっぽい事をした事は私のスレの過去ログからも確認できる」
「神の力の偉大さ、人との決定的違いが」
『証明されているのである』(もっとも私は、毎回
毎回100パーセントそんな事ができるほど完璧な神様ではまだないがね)
715 :
絶対神:2013/06/08(土) 02:05:03.28 ID:qNmYNALe
「私のような優れた「予知能力者」は」
『勿論、「世界で唯一」であり』(まあ言ってもこいつら
には判らないと思うが)
「もはや、「予言者」ではなく「預言者」と言ってもよいレベルである」
(どころか、神自身なんだが……)
『今日は、これについてちょっと書くとしようか』
「我」がないと言ったところで、そう思う「我」がいるのも確かなんだが。
>>716 w
だからw
それは、「我」ではなくて「思い」(識)なわけ。
>>712のどこが無我なんだか・・w ┐(´ー`)┌
718 :
絶対神:2013/06/08(土) 02:30:18.71 ID:qNmYNALe
「宝なんとかくんは膨大な本を読んでいるらしいですが」
『それは単に妄想を深めるために役に立っているだけです』
と言って、私は、「なら真の神の道を教授してやろう」というほど「優しく
ありません」
「まあ、「神様」が「聖書」も「仏典」も重んじないのは当たり前なのかもしれませんが」
では、どうしろと言うのでしょうか?
『エロ本を100冊読め』
じゃなくてですね
私がちょっと信じられないのは、「ヒマラヤの聖者の生活」とかいうのを読んで
「信じ込んでしまうなんているんだな」(大笑)
「何か修行を積めば、単なる人間でも「不老不死」になれるなんて」
『どこをどうしたら信じられるんだろう』(大笑)
719 :
絶対神:2013/06/08(土) 02:49:54.77 ID:qNmYNALe
『未来を予言する事に意味があるか』
「人間の能力には限界がありますねえ」
『たとえば、ギャンブル狂はそれをすれば破滅すると判っていてもギャンブルします』
「また喧嘩する夫婦、別れる夫婦は、たとえ未来が判っていても結局そうなるでしょう」
『自分の能力を超えて忍耐心を身につける事もできないし、優しくなることも
楽しくない結婚生活を楽しいと思い込むこともできないからねえ』
「未来に破滅がまってると判っていても」
『その人間にはその程度の資質しかないので、大抵どうにもなりません』
即物的なことがらならなんとかなるかもしれないけどね
「それこそ、地震の日時とか、空襲の日時とか、明日のる予定の飛行機が落ちるとか」
『変えられるのは、「その程度でしょう」』
まあ、ほんとはもっと変えられると思うけど
「なんとなく人の運命に関することがらは、「かなり深刻」である事が判るでしょう」
しばしば未来が判っても
『そいつの能力には限界があるので未来は変わりません』
誰だって自分なりに考えて必死にやった結果が
「今ある人生なんですよ」
720 :
大佛:2013/06/08(土) 02:54:25.42 ID:mYYQeIeh
神なのに散々しゃべりまくって
何の説得力もないってのどういうことなのか?
721 :
絶対神:2013/06/08(土) 03:00:08.64 ID:qNmYNALe
『あるがままを受け入れよというのですか?』
「受け入れるもなにもさ、お前達は神様でなく未来なんてそもそも見えないんだから」
『嫌だろうが、不本意だろうが今ある人生を生きていくしかない訳さ』
まあ、前述した事の続きとして言うと
「そうは言ってもやっぱり未来は知りたいでしょう?」
たとえば事業の成功とか失敗は、そんな大層の人生の問題ではなく
『即物的な知識だけで十分だからね』
で、お前達は、「神様」の実在を知りました、神様には「本当に未来がわかるのです」
『凄いや!』
でも、重大な問題にお前達は気付くでしょう
「神様はひとりしかないし、お前の知り合いでもなんでもありませんでしたとさ」
『「神様」には、「ネットでしか会えません」』
722 :
絶対神:2013/06/08(土) 03:26:58.67 ID:qNmYNALe
『でも、「神」も「超能力」も実在しないよりも』
「手が届きそうだと思わないか?」(笑)
『この世界に「本当に神がいるんだぞ」』
「これは、だいぶ、「いない」のとは『違う』と思うねえ」
『君たちは、ついに、長年探し求めていた』
「究極の真理、「神」と出会う事ができたのさ」
『非常に「婉曲な意味でね」』
漫画じゃないよ、聖典じゃないよ、伝説じゃないよ
「文字には変わりないけど、確かに、「実在」するんだ」(笑)
なんというか、自分に酔っているようにしか見えないんだよな
目的意識が欠如している気がするわ
>>710 では、何故?
人は誰に教わらなくても自然と“我(われ)という自我意識”に目覚めるのか?
逆に、人間というものは“我(われ)ではない”
という意識や感覚を生じることは決してない。
人間は生まれると、まず私という自我意識に目覚める。
次に、私ではない他人としての母を認識する。
第三番目が他の家族か、他の人々となる。
これは絶対に変わることのない万人に共通した意識の認識過程です。
シャンカラは、その原因はアートマン存在にあるからだと述べた・・・。
>人間は生まれると、まず私という自我意識に目覚める。
>次に、私ではない他人としての母を認識する。
>第三番目が他の家族か、他の人々となる。
流れとしては合っていると思うけど、
自我意識は生まれてすぐ出てくるもんじゃなく、
生後数ヶ月〜数年をかけて人から学び形成されてゆく、ということだと思う
なんか腹減ってる死にそう、こういうときは泣いてみよう(意思のように書いてるけど、ここまでほぼ本能)
あ、飯もらえたうまくいった、次もそうしよう(学習による自分理論の形成)
という経験を通して自分理論を積み重ねることにより、心が形成されてゆく
んで、自分理論が一定以上溜まると、自分と他人が違うということに気づく、これが我
泣いたてからすぐに不快を解消してやる(餌をやる、便を拭く)と、自我の形成は遅れるし、
泣いてから一定時間待たせるようにすると、自我は早く形成されるんじゃないか
長男と次男の性格傾向はこういうところで説明できるんじゃないかね
一人目は、親も出来るだけ不快をすぐ解消しようとする
二人目からは、親があまり慌てすぎずに効率的に動く
自我は人間だけあるということを考えるのがわかりやすい
動物、植物、石に自我はない
輪廻するとして動物の時には自我はないけど
人間に生まれた時だけなぜ自我が発生するのか
答えは簡単すぎることに気が付く
>>724 シャンカラは知らないけど、神智学やヨーガでは「我はある」というのはマナスで、
「我」という自己意識はアハンカーラだよな
この辺りを整理すると、何か得るものがあるかもしれんね
>>727 動物に自我があるかは不明
他人に自我があるかも不明
他人に自我があるのもわからないのは幼稚園児以下ともいえるw
客観と主観が結びついていれば、他人に自我があることはほぼ確実だと分かるが、
確かめようはないんだよ
そういう無限な妄想を発展させて考えられるのが自我ともいえる
なんでもでき何でも作れる
それが人間
宗教、文化、文明 etc
それがないのが自然であり動物である
動物でも残害の苦を感じているんだよ。
人間でも動物でも能力の差こそあれ苦や恐怖等を感じる「我」はあるだろな。
もう一度言うが「無我」とは一瞬たりとも「固定」された 「我」は無いということだよ。
>>710 セブンさん
> ≪思う 故に 思い あり≫ なのさ
なるほど〜、そうも言えるわけですね、さすがっす。
>>711 安堂さん
「思いがある」といっても説明できるところを、「我が思う、思う者がいる」
って言っちゃうのが、デカルトの微妙なところだよね〜。我を第一原因におくあたりが西洋的というのかな。
釈迦さんが、わざわざ「感受がある」って言い方をするのもそれなりの理由があるんだね。
1/2
対話の成立しない愚か神が、この私の投稿を見てかなり精神的なショックを受けたみたいですが、
健全な読者が誤解してはいけないので、ここに地震予知に関してだけ簡単に述べておきます。
“地震予知はできない”といっているのは、地震学者らの予知法である傾斜計や歪計を用いた測地
学的観測法のこと。これは地中深くに計測器を埋め込む莫大な費用が必要であり、尚且つ、絶対に
直前予知の成功を見ない愚かで迷信的な方法のこと。こんなもの10年もやれば、これではダメだとい
うことがすぐに分る筈なのですが、地震学者というのは馬鹿であるから、これ以外の方法などは思い
つかない。東大教授ロバート・ゲラー(アメリカの地震学者)は、地震予知とは地震学者らの保身と研
究費維持確保のための詐欺である、とまでいっている。
しかし、この私が主張するのは地震学などではなく、“地震予知学”の分野で提唱されている電磁気
学的方法に基いた実に科学的な手法のこと。
これは地殻の岩盤がプレート応力によって破壊する際に生じるピエゾ電荷の電磁気を直接捉えるか、
もしくは、ピエゾ電荷に付随して生じる諸現象を捉えるという方法です。地殻に含まれる花崗岩などの
Si(石英結晶)が崩壊する際には莫大な電荷を発生することは室内実験でも簡単に確認できる。地殻
の岩盤が崩壊すると、現象としては地中には地電流が流れ、地表からは電磁波が放射される。また、
アコーステック・エミションという低周波音も発生する。要するに、地電流を捉えるか、電磁波を捉える
か、大地空間伝導管コンデンサ現象としての電離層攪乱に伴う電波異常の観測などの手法です。
また、NASAでは衛星観測で地殻から放射される(遠)赤外線観測の画期的な予知法でデータを蓄
積中。中国の観測チームは衛星画像分析で赤外線放射の変化を観察しており、特許を出願中だ。
2/2
私が特に期待を寄せているのは、この赤外線観測法と北大の森谷博士が研究して実績を上げてい
る電波の電離層異常伝播観測法です。
尚、私個人が普段、行っているものは電磁波影響による雲粒変化を地道に観察する地震雲観測法
というもの(歴史的には80年の経験則の蓄積がある)。これを目視と衛星画像から分析して予知する。
一応、この私も地震学会に会員登録して日々、メール情報だけはキャッチしている。まっ、学者らの
話などというのは実際、殆ど役に立たない屑情報ばかりなのですが・・・。
無知な人間というのは、自分の知らないことを語る人間を罵倒する傾向が強く、旧体制の保守的な
権威筋であれば新しものは潰しへと掛かる。彼らはこうして保身を謀る・・・。こういった古くて無知な連
中すべてをこの私は迷信に嵌った馬鹿者たちといっている。彼らは自分達こそ伝統を受け継ぐ正統派
と思っているから聞く耳も持たない、実に厄介な存在なのです。
それと、この私は地震学会登録の東大地震研の学者らとも公開の場で論争を挑んできた人間(仏教
よりも実際、こちらの方が詳しいから)。この私に地震予知に関して罵倒するのなら、それ相当の覚悟
で来るように。まっ、今は議論するつもりはない。
ヒンズーの外道神礼賛の神智会信者は、仏教批判に明け暮れているより痔スレ立てたほうが良いだろな。
無我・・死ぬ時には何も持って行けない。自分一人で死ななければならない。→つまり、あらゆるもの
は自分の所有ではない。たとえ自分の肉体でさえも。
というところから無我が出ている。無我というより非我というべきもの。
あらゆるものを自分のものとみなしてはいけない。
739 :
絶対神:2013/06/08(土) 15:08:38.17 ID:qNmYNALe
『しっかし、十代の頃に自分に超能力があると考えるのならまだ判るけどさあ』
「この宝なんちゃらって五十代くらいなんだろ?」
『そんな考えはとっくの昔に卒業しているべき年だけどな』w
だいたい話してると判るよな
「変なやつって」
大乗が非仏説なのは事実だろうし、宇宙は地球の周りをまわってないさw
『だがこいつの信じてる事だって、まったく似たようなもんじゃねーか』w
いいか、純粋に科学的に言えば
「仏典なんて妄想だし、仏教なんてものは「迷信」だからな」ww
悟りも解脱も、「漫画の世界」の出来ごとで
『実在はしないからな』w
人間は機能的に、「性欲」を超える事なんてできねーんだぞw
740 :
絶対神:2013/06/08(土) 15:11:43.11 ID:qNmYNALe
「元々、神智学とか人智学って」
『白人を中心とした教えで、本にはっきりと「東洋人とかは白人に従属した霊的に
下の存在」と書いてあるそうじゃねーか』w
「だから、オーストリアとかでは「発禁」になったんだってな」w
『人間に良識がある限り、まともな国では』
「もう全集が出る事もないそうじゃないか」w
根本的に間違った思想を持ってきて
『大乗や、天動説を否定されてもねえ』w
741 :
絶対神:2013/06/08(土) 15:17:16.01 ID:qNmYNALe
『あの創価学会だって』
「他の宗派との法論の時に」
『仏教は悟りを開くというけれど、じゃあ、今ここに悟りを開いた人を連れてきて
下さい』
「本当にそれが仏典が言っているような真の聖人なら我々は、仏教を、創価学会を
信じましょう」
と言われた時に
「まったくまともに答えられもせず、連れてこれもしなかったんだぞ」w
『いるわけないじゃん、「ブッダ」なんて』ww
ある意味、創価学会はまともだよな
「池田もブッダじゃない事を認めていた訳だからな、その時はww」
742 :
絶対神:2013/06/08(土) 15:33:15.56 ID:qNmYNALe
「キリスト教の場合は」
『19世紀の時点で、「イエスは精神病患者だ」という神学が』
「ふつうにあったけど」w
「シュヴァイツァーって有名な宣教師がいるが」
『彼は、イエスは「世の終わりが来ると確信して敗れた精神病患者で、彼の
精神性で見るべきところは、ただその情熱だけ」とはっきり言ってるよ』w
「ある意味、「キリスト教陣営」が世界の覇者になったのは」
『偶然ではないのだよ』
743 :
絶対神:2013/06/08(土) 15:35:41.68 ID:qNmYNALe
「じゃあなんでクリスチャンなんかやってんだよ」
『シュバイツァーの場合は、宗教が福祉と直結しているので』
「人類の福利厚生のためにやってた」
そして私は、証明してやったように
『「神様」だから「やっている」』
我があるから自分の造った善悪の業因によって、善悪の果報を受けてしまう
小さい悪業を造れば小さい悪報を受ける、大きい善業を造れば大きい善果を受ける
しかし悪業を造ってそれが大きな障りとなり地獄に堕ちる人と、同じ悪業を造っても大して障りにならず天上界にいく人が居る
心が狭く小さい人は少しの悪でも地獄に堕ちてしまう、心が広く大きい人は少しくらいの悪では地獄に堕ちない
その心を拡げるにはどうしたらいいか?
四無量心(慈悲喜捨の瞑想)はその手段の1つ、あとは苦行もかな?苦を観じるというのはとても重要なことだね
ただ心を広くしても五逆罪や謗法罪のような重い悪業を造ってしまったら天上界に行くことは難しいだろう
>しかし悪業を造ってそれが大きな障りとなり地獄に堕ちる人と、同じ悪業を造っても大して障りにならず天上界にいく人が居る
>心が狭く小さい人は少しの悪でも地獄に堕ちてしまう、心が広く大きい人は少しくらいの悪では地獄に堕ちない
この認識が間違いでしょう。業という事はあるだろうけど、心の大きさや小ささで左右されるものではない、と考えるべきだと思います。
天上界に行けなくとも良いのではないでしょうか?天上界に行きたい、行くように心を広げたい〜なんてのは餓鬼・畜生界に行くでしょう。
地獄に行っても良いや、今のままで良いや、悪い事をしない、悪い事を考えない、生まれたままの素のままで生きていこう〜でプラスマイナスゼロでしょう。
なにより望むのがいけないという事です。厭うのもいけない。望まず、厭わず、法に従って生きるだけ。
>>744-745 わざわざ宗教の言葉で語ろうとするより
心理学かなんかの言葉で語ったほうが
よっぽど簡単そうな話題だな
なるほど
宗教的な話にすれば素人でも知ったかで語り易い
ということか
だから、心理学の見本を。
子供じみた反応だなあ
心理学的表現はなしですかw
みなさんさようなら。
>>安藤様 恐縮ですが、とうとうこの日が来てしまいました。
僕は、ほんとにほんとに、罪深いことをしましたし、それに対して、いつも懺悔するどころか、
余計に罪深いことをしているのかもしれません。僕の中から強情さが抜けません。
今は反省しているというか、心に罪深い自分を悔やんでいるが、明日になったら、
また、ドヤ顔で、心にもないことをしています。いや心にあるからするのかもしれない。
正しい考えではない、考えをしているということによって本来の自分自身を苦しめている。
しかし、自分の中で、誰かに、何かを伝えたいと思っているものがあるとしていたが、
どうやら、名誉欲であるのかもしれません。 今まで書いてきたことなど、
どうでもいいのかもしれないです。そしてこうやって書いていることさえ、
みなさんに愛を伝えたいという気持ちから来ていると思っているが、本当は
ただの自己愛に過ぎないのかもしれないです。もうしわけないです。
安藤様には、時々、いろいろと気遣いの言葉をいただきました。
ありがとうございます。今はまだ自己愛ではあるが、これから変わりたいと
思っています。【ベールの彼方の生活】という本に感銘を受けて書いた文章です。
しばらくは、ご迷惑をかけた、宗教板への投稿をなるべく控えようと思います。
とうてい、僕というひねくれ者が、すぐに変われるわけはありませんので、
オカルト板で、投稿し続けます。その内、心のきれいになった、僕が宗教板に
訪れることを願って、byノスタルジア。
心理学なんて宗教より胡散臭いのが半分以上だよ
発達から追いかけたり、表現から遡るのはいいけど、
統計とかでいきなりど真ん中突っ込んで好きな結果引き出すのは学問とはいえない
そんな態度じゃ本能と学習の区別すらつかない
もちろん厳密に言えば明確な区別は無いが、それすら理解できないだろう
754 :
神も仏も名無しさん:2013/06/08(土) 19:46:25.45 ID:+ijxykWu
連投規制されたからケータイから
人の心なんて、胡散臭くしか語れないものだろ
それを超越的な教祖様のお言葉ってことで
あたかも確かなことのように語るのが宗教
しかも無駄にややこしい
人の心は進化と同じく連続して発展してきて形成されてんだから、
心理学が真面目に取り組めば学問できるよ
一部統計などにおいて偽心理学が多いというだけの話で
統計は正しくても解釈が酷かったりとか、もったいないよね
統計なんて学問的にやれば1000万レベルでかかるのに、それがゴミになってるとか……
心は胡散臭くしか語れない、なんてのは、
科学や宗教に騙されすぎてアレルギー起こしてるだけかと
学問で心理扱いたいなら、とりあえず精神現象学を読もう
めっさ難解だが、内容はほぼ正しい
宗教という言葉自体、そもそも日本語になかった言葉で西洋の「religion」を訳すに困って
「宗教」と名前をつけただけ。
つまり、宗教〜なんてのは極めて最近に使われ始めた言葉で、しかも海外の「religion」の
意味がそのまま「宗教」でイクオールとはならないという事をじっくり考えるべき。
宗教は枝葉が分かれて色々だけど、英語でreligionと言えば様々な宗教はあるだろうが、
その共通に根底に流れるもの〜という意味のようだ。
仏教はその根底に流れるものを、生きている人間に生々しく語る唯一の教えだと思う。
宗教なんて当時のゴータマは思ってもいなかっただろう。
その「唯一」ってのは、宗教の名札がついてない学問や思想と並べても唯一なんかい?
宗教じゃなくてただ単に考えてるだけなら仏教の枠にとらわれる意味なくね?
何故2千年前だかの教祖様という権威を使い続ける?
だよねえ
「根底に流れるもの」を語ればいいだけであって、
仏教というラベルは必要ないよね
「根底に流れるもの」を
直接的に(近くの視点で)語れば分かりにくいけど、そういうものがあることは分かる、
間接的に(遠くの視点で)語れば意識しにくいけど、一旦分かれば全体像が見えやすい
その程度の違いさ、宗教なんて
根底に流れるものなんて、何もそう難しく考える事はないでしょう。
慈愛・慈悲ですよ。
宗教戦争なんてのは根本から宗旨に反しているわけです。
慈悲の精神はすばらしいと思います。
武士も戦って敵を倒したなら、倒した敵に手を合わせて祈る。
靖国神社の政治家の参拝もOKでしょう。
ただ、神社仏閣全て人を選ばず受け入れ、参拝する人も対象を選ばずやれば、
何の問題も無い。政治家が神社仏閣を訪れば全て公式という事にすれば良いだけ。
靖国だけでなく他全ての神社仏閣でやれば、理路整然とする。
釈迦在世当時は既製宗教がはびこっていた訳だが、
釈迦族の王子が見た人々は生老病死の苦悩に喘いでいた。
その苦しみからの解放を誓った釈迦は出家を決意し、そして悟りを得た。
仏教は人々の幸福を目的として説かれたものなのだ。外道教には思いもよらない話な訳だ。
何故皇子としてよい政治を行なうという選択肢はなかったんでしょうか?
>>761 王様の子供ですから、まずはそのように思ったと思います。
ゴータマは子供時代には学校にも行っていたそうです。家庭教師が教えに来るのではなく。
ただ、残っているものによれば、女官達のとどめない姿を見て女を嫌うようになり、死にゆく人、
老人、病気の人、生き物全般を見て考えを改めたようです。
そして、人間の生き方の理想を求めて出家して苦労して出した答えが仏陀の説いた事です。
仏陀は自分の説いた事が宗教だとは思っていなかったと思います。
間違えました。
×女官達のとどめない姿を見て
○女官達のとめどない姿を見て
764 :
絶対神:2013/06/08(土) 23:19:29.13 ID:qNmYNALe
「まあ、なんていうのかな」
『「超能力」とか「神秘」とか「解脱」とか「神の道」とかいう事を言うのなら』
「「神様」ではないお前達には、根本的に「素質」がないので」
『ある面、「やめときなさい」というところかな』
お前達は
「神の言う事を聞いて、真理の道を歩く事は出来たとしても」
『自ら真理の道を発見したり、歩む事は「出来ないよ」』
「極めて、『当然』だけどね」
765 :
絶対神:2013/06/08(土) 23:21:18.19 ID:qNmYNALe
『「キリスト教」が仏教に比べて絶対的に正しいところは』
「「人間」が自力で「神の道」に至る事は」
『絶対に出来ない』
というところさね
『「神」以外は「神」には「絶対になれない」し』
「すべてを超えた「神秘の力」を持つ事も出来ん」
766 :
絶対神:2013/06/08(土) 23:28:12.28 ID:qNmYNALe
『で、「神様」が直接お前達に「法」を説いてくれる事なんて』
「基本的にないんだ」(大笑)
『当たり前だけどね』
767 :
絶対神:2013/06/08(土) 23:36:01.85 ID:qNmYNALe
『聖書に「神」は「神」を知ろうとしる人たちに「知識を得る道を与え」とか
書いてあるが』
「確かに「その程度」はしているね」
『大体、お前達日本人も「神様」と言えば、全知全能で完全無欠の』
「「キリスト教」の「神」を思い浮かべるだろう」
『確かに、「なにが神か」くらいの概念は、「教えてやっているよ」』
だが、基本的に
「それくらいじゃないのかね?」
バラモン教の始まりも、似たようなもんだったんじゃないかね
>>759 そら特定の宗教や
一にして全、特異点、混沌、すべて、無、根元、神、が同じ意味で、その分かたれていない状態がベースかと
そのあとに分別が現れる
宗教によって、最初に分けた(分けられた)のが男女、天地、光闇、善悪、みたいな違いはあるけどさ
神がさ超越者として居るならさ、完全スルーする仏教のほうが大正解だよね。
超越的存在が人間のどんな活動とも関わりをもつわけが無いからね。
持つわけが無いかどうかはともかく
今までどうだったかをよく見て考えてみれば
居ても居なくてもわかんねえからスルーが正解かな?って思いそうなもんではある
しかし昔の人にしてみりゃ、国同士の戦争の勝敗にも神様拝んでたかどうかが
関ってたように思えたりしたのかもなー
>>770 神なんて単なる擬人化
八百万の神と似たようなもん
>>711 こうじゃね
「我」思う、故に「我」あり。
「我」思わざれば、「我」なし。
違うでしょ。思わなくても暑いとか寒いとか快適とか色々感じているだけで我有りでしょ。
我死ねば我なし〜ですね。
>>774 で、
仏教では、“そのとき”「感受(のみ)がある」、と見るわけさ。
きっと、その「見てる者が居るじゃない」という考えに至るだろう。
だが、それもまた、「そのような思惟(のみ)がある」だけなのよね。
仏教で言う「空」とは「無」とは違うんだよ。
無とは何も無い事だが、空とは無い事を言っているのではない。
実体が無いのを空と言っているだけ。
あなたはいるでしょう。いる以上無とはいえない。ただ、あなたは必ず死ぬでしょう。
実体はその時点でなくなるわけで、空といえます。
だから、全てのものは空であり、空だからそこから実体(色)が生まれるのです。
>>776 趙州無字の禅宗全否定かw やるねwww
胎児は母親と自分の区別がついていないが、
脳は活動してるし思考もしてる、それだけのこったよ
また脳分割で実証されているように、右脳と左脳を分けても我は分かれない
アウェアネスが大脳皮質で発生することは証明されているから、
脳梁がなければ右脳と左脳は別々に感覚を受け取り別々に考えているのは明らか
なのに我が分割されないってことは、我はなくても思考が存在できるという事だろう
>我はなくても思考が存在できる
これは興味深いな
動物や植物も、或いはこういう状態なのかもしれんね
人間だけが考えられる頭が良いと言うのが間違い
PCは人間より頭が良いからな
悟りの状態も人間より植物の方が上
無我=空=悟り
人間は最も遠いし思考能力もクズなみ
その場合「P」は不要だと思うけど
コンピューターは人間が整えてやった計算式とデータから答えを導くことしか出来んぞ
20年後には人工知能が完成し
コンピューターが一番悟ってるということになるよw
悟りって概念自体があやふやな作り物なのに
「一番」悟るなんて不可能だろ
>>779 >>我はなくても思考が存在できる
>これは興味深いな
>動物や植物も、或いはこういう状態なのかもしれんね
六道の中に畜生があるのに、植物が説かれてないってことは、
植物は悟ってるんじゃない?
実際、植物は恐怖とかの反応を見せないしね〜。
その線でいったら、コンピュータも確かにそうかな。
入力したとおりに出力。
出力できないときは、煩悩によって拒んでるのではなく、壊れてるから。
肉体が滅びれば、言語で説法できないように。
一旦悩んで、その悩みから離れる事が出来た時が悟りでしょう。
その後、また悩んでも離れた事の実体験があるならその悩みからもまた離れる事が出来る可能性が高い。
そもそも動物や植物に悩みがあるのか?元の悩みが無ければ人だろうが動物だろうが植物だろうが最初から
悟りの状態にある。煩悩=無知=無明であるが、その煩悩があってもそれに気づいていない者に悟りなんてのは無縁。
PCなんて機械はいくら性能が上がってもなおさらの事。
>>564 ふ〜んw
まずは、「福井地方裁判所 妻帯」でぐぐって、
出てきた現役僧侶のブログを片っ端から読んで、自分の立ち位置を見つめ直してから出直して来い。
それから、
>>565も指摘しているが、
「信仰」或いは「祈り」というものが見えていない人間に、
あまつさえ >むしろ見苦しいから壊して撤去しろと と言ってのける人間に、
>供養の場面以外に、仏教が人々のために とか
>お堂に響く声明、揺らぐロウソクの炎、線香の煙で の癒しとかが「解」る筈もなし。
植物には寄生植物だの食虫植物だの居るし
ほかの木を絞め殺してしまったり、ほかの植物より上に出て日光を遮ったり
ほかの植物が生育しづらい成分を出したりするやつもいる
光を求めてそちらに伸びたりもする
何をもって悟りとするのかはわからんが
植物の世界にも欲はあるしそのためにほかの命を奪うこともあるぜ
564は私ですが、あなたの言っている意味が分かりません。
>>788 さー
仏事のときお坊さんが色々話してくれるし
家に仏教系の絵本もあったけど、記憶にないなあ
>>789 786は他スレに投稿するはずの書き込みを間違ってここに書いてるんだよw
だから番号はここのスレの番号ではない
>>789 仏とか原義とか原点とか、最初の姿を物置に仕舞いこんで、
(まさに貴方が探している如き)現代生活への援用こそが、現代日本仏教の姿だからだよ。
法事以外の場面がないと思ってるとこが世間知らずだってこと。
世の坊さん達は、教義なんて説かずに場面場面に合わせた処世訓しか説いてないんだよ。
それが、現代僧侶の法話の現実さ。
つまり、君が求める方向性は、既に巷に溢れ返ってるわけ。
(だから、(岩波青の刊行も追い風となり)原点回帰運動、上座部珍重の流れが生じている。)
落ち着いて、世間を見渡してみろ、ってこと。
或いは、東日本震災での、
仏教界というより個別の寺院や僧侶の動きとかも追ってみたらどうだ?
何か見えてくると思うぞ。
ん???
ID違うから、789はあっちのスレの564とは別人じゃないか?w
>>792 何か分かりませんが、あなたが現代の日本仏教を肯定する立ち位置で、そのなにがしさんが反対の
立ち位置にいるわけですねw
まあ、私も日本の現在の仏教には不満がある立ち位置です。
葬式仏教と言われても仕方ないでしょう。
ゴータマのように足すり減らして教えを説けとは言いませんが、死ぬ時期が迫っている人に
仏教ならではの説法をして慰めるくらい事はするべきで、現状していないのが残念です。
仏教は人の生きる姿勢を教えるものです。それは死ぬ間近で不安に陥っている人に慰めに
なるはずです。
>>794 ホスピスはキリスト教系の運営のとこが多いみたいだけど
お坊さんも訪問してるんじゃないか?
>>793 あ、ほんとだw ID確認してなかった。
リンク追ってコッチにきた本人と早とちりした・・・。
すまんな。 >>ALL
>>790 舎利弗出家の因縁だよ。
「友よ、釈迦族から出家した偉大な修行者がいます。
私はかの世尊を仰いで出家したのです。私の師はかの世尊です。私はかの世尊の“おしえ”を奉じているのです」
「では、貴方の師は何をどのように説かれるのですか」
「友よ、私はまだ未熟で、出家して日も浅く、この“おしえ”(と律)を奉じたばかりです。
私は貴方に“おしえ”(の全て)を(詳細に)説き示す事ができませんが、(略義として)要点をお話ししましょう」
「構いません。友よ、多少なりとも話して下さい。要点のみを語ってください。
要点こそが私にとっては意味あるものです。多くを語ることが何になりましょう」
そこでアッサジは次の偈(自らが知り、解した“おしえ”の要諦)を唱えた。
『諸法は因によって生じるものである。
. 如来はそれら(諸法)の因を説く。
. 又、それら(諸法)の止滅を説く。
. 偉大なる沙門はこのように説くのです』と。
で、ついでに、(あまりにも有名過ぎる)縁起の定型句も挙げとくわ。
これあればかれあり、これなければかれなし
これ生じるがゆえにかれ生ず、これ滅するがゆえにかれ滅す
仏教系のホスピスもあるでしょう。
しかし、一般的に死期が迫った人に寺の住職が説法をするという事はありません。
単に、葬式読経、法事読経〜等で経を読むだけ。しかもその経も聞いている人に
意味が分からないという現状では日本仏教の存在意義は無いに等しいでしょう。
東南アジアでは聞く人に理解できる言葉で経を読んでいます。
日本もそのあたりから改善していくべきだと思います。
ホスピス以外でもっていうのは法的な問題もあってなかなか難しいんじゃないかねえ
医療行為の邪魔になってもアレだしなあ
死に際だけよりも普段から心の支えになるような話が出来てるといいよねえ
800 :
絶対神:2013/06/09(日) 17:24:50.43 ID:j8BEmA0+
「逆に言うと悟りというのは」
『知的生物として未熟な状態、脳の機能不全』
「脳障害の一種を勘違いしてなにか凄い事と思い込んでいるだけだろう」
「私は、そんなに大したものとも優れたものとも思えないし」
仏教が定義するところの「悟り」なんて
『無いとはっきり思っている』(まともな社会生活すら
営めない)
「我がなくても思考できるなんて大したことじゃない」
なに大袈裟に考えてんだ
『赤ん坊はある段階までは全員自我を持ってないに決まってるだろ』
「だが凄い我儘だ、腹がすいたら泣きわめき、糞をしたら泣き喚く」
『もっとも「執着が強い身勝手な生き物だよ」』
「全然、悟ってなんかいないよ「馬鹿」」
『毎回思うんだが、お前ら、「頭大丈夫か?」』
ところでお前ら、私の出した課題は果たしたのか? w でなければ「神の道」
を教える訳にはいかんぞw
「エロ漫画100冊の行ははたしてきたのであろうな?」
802 :
絶対神:2013/06/09(日) 17:30:47.87 ID:j8BEmA0+
「自我を持つというのは」
『実はかなり高尚で高度な事なのだぞ』
「なにを勘違いしているかしらんが」
ある意味「仏教」って恐ろしい宗教だよね
変なインデントも読みづらいけど
カギ括弧使い過ぎで意味わからんぞ
せめて、それぞれの台詞は誰の担当かくらい書いとけ
>>801 原因や事の流れを考察するのはよいと思いますが
> 原因は私の、欲?怒り?怠け?プライド?
ってのは、ずいぶん限定してませんか
805 :
絶対神:2013/06/09(日) 17:43:57.82 ID:j8BEmA0+
「ああ、そういえば」
『お前達の教祖は』
「生まれた時点で自意識をきちんと持っていて」
『はいはいすらする事なく、すぐ自ら立ち上がって、天上を指し、「天上天下唯我独尊」とか『激むずかしい
言葉を言った』』
「超宇宙生命体だったな」ww
「赤ん坊が悟っていると錯覚してしまうのも仕方のないことなのか?」www
806 :
絶対神:2013/06/09(日) 17:52:19.88 ID:j8BEmA0+
『よく考えたら、仏教って』
「開祖の誕生にすっごいド派手な神話を持つ宗教だよね」w
『キリスト教なんてまったくおとなしめだよ』(単に、処女
から生まれてきただけだからな)
「仏教神話を書いたやつって、恥ずかしいと思わなかったのかな?」ww
女のわきの下から生まれ、すぐに立ちあがり、明確に言葉を喋り、天下をとる
宣言
『ただの「化け物」じゃねーか』ww
天上天下唯我独尊は後の創作でしょう。
後、仏陀が死んだ時に大地震が起きて花が咲き乱れる〜とかも。
そんな創作を排除して生きた仏陀を見るべきとは思います。
仏舎利が色とりどりの宝石だった〜というのも創作とは思いますが、人間が認識できるものが
全てではないとう立場では真実だったのかも知れません。
人間の認識しているのは真実世界の2〜3割り位らしいですよ。割合は別にして。
つまり、殆ど人間は何も分かっていないという事です。
>>801 心の原因はそんなもんだよ
外部の物事は、自分の心(つーか脳)を通して見るだろ
やっぱり仏教だな。
一番だよ、当然ながら。
他の宗教はとって付けたようでほころびが目立つ。
論外な訳だよ。
仏教は最も強制という立ち位置から離れている。
強制的にこの宗教(仏教)を信じろ!とは言わない。最も遠い位置にある。
インドの首相が仏教をリーストドグマティックと言う訳だ。
嫌がる人間に強制的に何かすることは無い。そういう意味ではこれほど純粋な宗教は無い。
でも多分いっちゃんわけわからんよ
そのまま語りすぎ
何が分かりませんか?
私の知る範囲でお話しましょう。
俺は突然わかったんでいいや
でも基本的には歳取らんと、あるいは弱くならんと実感しにくいよね
キリスト教なんかは若くてもそれなりに理解しやすいと思う
懺悔システムが秀逸だわ
仏教も、カルマの浄化的な意味で懺悔あるけど…
年取ってくると生老病死というどうしようもない苦への対処哲学が必要になるけど、
若い頃は、単に聞いてもらいたいだけの悩みのほうが多いんだよ
友達の恋人を好きになっちゃいましたとか、チンポが人より黒くて悩んでます、みたいなさ
この場合必要なのは単に聞いてやることであって、解決方法を示すことじゃない
それが分かっててできる坊主も多いだろうけど、クソ真面目に仏教的な解決を示す坊主もいるだろう
懺悔システムほどは整備されてないんじゃね
懺悔で単なる愚痴OKって、最近知ってすげーと思ったんだわ
まあなんというかキリスト教はノイズが多すぎる。
ノイズを取り去ると何も残らない。
ノイズで誤魔化してる。
あざといトランス音楽のようなもの。
>>816 OKなわけないんだけどね。
だから、いろいろあるがわかりやすい自己肯定システムを
持たないとミーハー信者が集まらないでしょ?
ミーハーを切り捨てるって結構エゲツねえぜ
まあ、ちんぽが黒いから悩む〜とか言うよりマシだな。
生きるか死ぬかの悩みで言ってくれ。
ちんぽが黒かろうか白かろうか生き死にには関係ない。
馬鹿なんか本来救われないんだからww
救われないものを救われたように装うのに
歴史が始まって以来どんだけコストかけてるんだよ。
馬鹿を黙らせるためには神という絶対権威が必要。
↓
馬鹿だから、神の名の下に大なり小なりの悪や災いをもたらしてしまう。
何だこれ。
>>820 本人にとっては切実や
悩みを質で分別するのば仏教の態度やないで
>>823 ちんぽが黒かろうが白かろうがどーでも良いというのが一般的でしょう。
一般的な感想に一人切実に向かって何の利がある?
そんなくだらん話は語るに値しない。
>>816 懺悔システムが優秀って仏教じゃそんなのいらんだろw
生老病死の苦を懺悔してもさらに苦を増やすだけ
>>825 懺悔=照顧脚下=軌道修正=於行増善減悪=安心=日日是好日
>>826 全部まったく違うだろw
懺悔が正見に反してることが問題なんだよ
正見からしたら懺悔は悪ともいえる
愚痴ることも許されないんじゃ、たいへんですね
1人で抱え込むしかないのか
懺悔がすばらしいと言ったからそういったまで
愚痴がすばらしいのか?
例えばDQNがまんびきして捕まってそのあと1ヶ月位懺悔していたとしよう
毎日「神様、もうまんびきはしません。許してください」と
優等生からしたらなにバカなことやってるんだw で終わり
やりたきゃやれば良いけど
優等生からしたらそれをすばらしいことなんだと宣伝するのに違和感があるだけ
軽い愚痴はともかく、万引きとかそういう罪の懺悔は完全に観照だろ
自分の罪の意識(自我)から目を背けることが苦だから、告白することで罪を自覚し、
自分の心(自我)と向き合うことで、自分の中の神(真我)が許し、苦が消える
自分を許せるのは自分だけ、キリスト教も仏教も同じだ
優等生意識なんて完全に苦を発する自我の固まりだぞオイ
なんか違和感あるなと思ったら罪の意識という言葉だな
罪の意識がない人は多いし、自分昔に克服したからまったくない
そういう人たちから見ると
わざわざ罪の意識を作りだし、苦を想像し、懺悔し、鑑賞し、苦を消した
すげーだろ
懺悔できないおまいらはーという
ん?
わけがわからないと言うのが本音w
優等生が自我のかたまりだと?
罪なんて自我以前の問題提起だぞ
>>831 あー、とんだ勘違いだよそれ、しかも重症だ
確かにお前は過去、罪の意識、自我、迷い、苦を滅した経験はあるかもしれない
しかし、今それがなくなってるという思いがあるなら、絶対になくなってはないから
初心に戻り改めて瞑想でもした方がいい
瞑想がポイントじゃないぞ、初心に戻り、が大切だ
一瞬一瞬に悟るってのは、常に自分を戒め続けることだ
罪の意識ないって
いわゆるネットで言うところのサイコパス?
怖い・・
>>831 罪の意識をどうやって克服したの?
それがドストエフスキーの『罪と罰』のテーマではなかった?
>>831 ちょっと関係ない話だけど、罪の意識がない人は、罪と言われるものを犯してないんだろうね。
ただ、自分と他人では罪がなんなのかは違うんだろうけど。
>>834 罪というのは観念だからなくすのは簡単だよ
極端に理想が高いものを信じ自分を低くすればギャップで崩壊する
数週間呼吸すること自体罪で死寸前まで行ってある一点で逆転して数週間
存在すること自体が歓喜というふうになった
勿論、罪や諸々の観念が幻想だと気が付いた
罪は仏教が言ってる縁起とか無常の根本苦よりなくしやすいだろう
837 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:27:45.97 ID:JIqtLiwr
>>836 罪は観念だろうか。たとえば殺人の罪は観念ではない。
それは事実であり事実の記憶ではないだろうか。記憶に刻まれているから、
思い出す度に苦しむことになる。
殺人を実行する時は、何らかの理由を考えて殺人を正当化している。
しかし、その理由が身勝手だったと気づいた時、罪の意識が生まれる。
罪の意識が生まれたら、その後は殺人を思い出すたびに苦しむことになる。
被害者は生き返らないから、罪の意識を克服することは困難だと思う。
ボケるか狂うかすれば話は別だが。
いや観念だろ
悪業を因として生じた、と考えると、罪悪感は1つの縁起した現象だね
自業自得というやつ
極悪人は、どれだけ悪業を積み重ねても、今生では罪悪感とか起こらなかったりする
来世でどばっと出ちゃうと思うけど
どして観念なの?
>>837 罪の意識がなければ欲望も理想もないから人なんか殺さない
そういう仮定が成立しない
>>841 それは欲望や理想という他の苦も消した場合の話だろう
相手が殺されたくないことも、自分が殺したくない、(殺すと損する)とわかるから全力で注意力や想像力働かせる
普通は罪の意識消したら連鎖的に他の苦も消えるけど、変なやり方で罪の意識"だけ"を無くすと、
想像力とか技術力が足りなくて他人を殺しちゃうことは充分あり得るよ
843 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 06:50:49.75 ID:UcAXoucu
他の宗教を馬鹿にして仏教を信じる己を優秀だと思う人間は実は悟りから最も遠い。
845 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 09:57:16.16 ID:7FStKspe
観念を定義しないと議論にならないのではないか。
観念小説があるように、事実・現実に基づいた写実小説もある。
観念はより主観的であり価値判断的だろうか。
写実(事実・現実)はより客観的であり、事実認識的だろうか。
両者は微妙に交錯している。
また、やって善いことと悪いことは、仏教でも聖書でも戒として存在する。
人の道のようなものは、観念の操作で左右したり、消去はできない。
美醜や、美味い不味いにも、おおよそ人類共通のものがある。
こういったもの(イデア)を認めるか否かも問題になる。
頭の中に浮かんでくる考えや思いつきのすべてを観念とし、
単なる観念だから操作可能、消去可能としたら、
(↑これも観念に過ぎないのだが)
たぶんその人は、手に負えない犯罪者になるか、
クルクルパーになり、やがてボケるのではないかと思う。
罪の意識(あるいは恥の意識)は、
事実、事実の記憶、善悪観(法律や道徳など)によって生まれる。
子供のうちは善悪観が十分に形成されてないので、
罪を犯しても罪の意識をほとんど感じないかもしれない。
しかし、そのまま大人になったら本人も困るし、周囲の人間も困る。
そういった未熟な人間とは一緒に暮らせない。
ある一つの行いがAさんによくてBさんには悪かった。
此処でとわれるのは「何の為にしたか」ということと、社会倫理に基づいたものかどうか。
仏教の場合「道理」を説くものであり、目的として「人」の為に説かれている。
5戒を守る事が前提。
・殺してはいけない
・盗んではいけない
・不倫をしてはいけない
・嘘をついてはいけない
・酒を飲んではいけない
まあ、私はたしなむ程度に酒は飲むから駄目だなw
他はしないで守っている。
三帰五戒は人に生まれる
・救うためには殺せ
・救うためには盗め
・救うためには不倫しろ
・救うためには嘘をつけ
・酒を飲んではいけない
絶対に嘘を使わない方便とか、哲学的言い回しとしてクドくなるだけかと
知ってる人が五戒の初めの殺してはいけないを破ると地獄に落ちるといってた
そして、歩くと微生物が死ぬから歩くたびに懺悔しなきゃいけないって
罪悪感肥大させまくって、反転させようとしてんじゃね
どんな感覚も、最大限まで肥大させたらハジケて混ざるしな
855 :
神も仏も名無しさん:2013/06/13(木) 07:41:26.82 ID:bMJaXFfj
.
856 :
絶対神:2013/06/13(木) 16:47:40.29 ID:F8LfIbkI
「仏教は、前から言っているように生命に対して「偏見」を持っている」
『別に命の価値は絶対ではないし』
「他の生き物を殺して食ったり、歩いている時に踏んで殺す事は「まったく悪ではない」」
「それこそ自然な事だ」
キリスト教に比べて、純粋な仏教は、異常なまでに人を生きにくくするし、社会と
隔絶させようとする
『だから、キリスト教国では仏教の割と広い宗派が「カルト指定」されている』
857 :
絶対神:2013/06/13(木) 16:50:44.11 ID:F8LfIbkI
『確かに比べてみると』
「「キリスト教」の方が、遥かに「現実的」で、「まし」な宗教であるという
のが良く判る」
『何度も言っているが、近代文明がキリスト教陣営で発達したのは』
「決して「偶然」ではない」
こことかネットで仏教を見ていて、仏教徒を見ていて
『寧ろ、キリスト教の方が、清濁併せのめるんじゃないかと思うようになった』
「灰いろの生き方を認められないような宗教では、結局、破綻するしかない」
858 :
絶対神:2013/06/13(木) 16:55:22.88 ID:F8LfIbkI
「仏教の構造的問題は」
『徹頭徹尾、「非現実的」であるところである』
「「キリスト教」は、「神」とか「奇跡」を抜いてしまえば」
『思想的には「かなり現実的である」』
解釈のしようによっては
『完全に現実的になるくらいである』
現在もそうだけど、恐らく、世界の標準的宗教は
「今後も一神教であり続けると思う」
859 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(2+0:3) :2013/06/13(木) 17:07:29.89 ID:r6xs78WC BE:1094966944-2BP(333)
>>858 神と奇跡を除いたキリスト教ってどんな教え?
860 :
絶対神:2013/06/13(木) 17:21:48.22 ID:F8LfIbkI
「もし、イエスが本当にこの世を支配している「神」であるのならば」
『私としては、『何百回十字架にかけても飽き足らないよ』』
「もっともそんなことは、「私に限らず」」
『大抵の人間の、大抵のクリスチャンの根底にある「思い」だとは思うがね』
「はっきりしている事は、「キリスト教」は」
『カケラも「真理」なんかではないという事だ!』
仏教の根本を全く理解していない戯言だな。
キリスト教についても同様。
つまり、宗教全般について何も分かっていない。
862 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(3+0:3) :2013/06/13(木) 17:25:47.57 ID:r6xs78WC BE:3832382887-2BP(333)
いや、仏教もキリスト教も、現代思想としては、欠片も真理ではないと思うよ。
ただし、得るものはあるね。
着想として、得るものはある。無執着とか、愛とか。
863 :
絶対神:2013/06/13(木) 17:27:20.31 ID:F8LfIbkI
「上のイエスを処刑してやりたいは、同性愛スレの誤爆ね」w
『私は神仏という存在に対して』
「非常に強い憎しみを抱いているよ」
書いたように、大抵の人間は、「本音」の部分ではそうだと思う
864 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(3+0:3) :2013/06/13(木) 17:31:28.38 ID:r6xs78WC BE:1642449683-2BP(333)
>>863 いや、神仏に憎しみなんて抱いていないよ。
抱いている人なんて、ネットでも、リアルでも、めったに見かけないけどなあ。
865 :
絶対神:2013/06/13(木) 17:35:02.40 ID:F8LfIbkI
「つまり、私は「キリスト教」を「仏教」より「ましだ」とは思っているけれども」
『それ自体を取り出して、「完全だ」とかなんだとか思っている訳ではない』
「単に「一神教」以上の宗教は『存在しない』し、『存在し得ない』と理解
しているのに過ぎない」
『そして「人間」には「宗教」が『必要』だと思っているのに過ぎない』
867 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(2+0:3) :2013/06/13(木) 17:40:29.99 ID:r6xs78WC BE:958096627-2BP(333)
>>865 きみもコーランを読んでないくちだね。
一神教としての宗教なら、キリスト教よりイスラム教のが優れていると思うよ。
ただし、イスラム教は戒律が厳しいね。
868 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(2+0:3) :2013/06/13(木) 17:46:35.17 ID:r6xs78WC BE:2053062656-2BP(333)
>>866 あいよ。
行ってみたけど、何が何だかわからないですよ。
869 :
絶対神:2013/06/13(木) 17:51:10.16 ID:F8LfIbkI
「ただ、知れば知るほど」
『「仏教」よりも「キリスト教」の方が『優れている』』
とは思う
「それと証明してやったように」
『私も、また「神」だからな』(笑)
神が神を憎んだところで、それは神の自由だが
「お前達にそれが「許される」という事ではない」
870 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 19:06:33.83 ID:r6xs78WC BE:4379866188-2BP(333)
哲学板だと連投規制が厳しいので、こちらで。
阿弥陀如来が西方浄土にいる理由が、悪人正機説と結びついて語られている部分は非常に面白かったです。
太陽が沈む光のなくなる場所だからこそ、悪人を救おうとする阿弥陀如来が西方にいるというのは、
たいへん面白い発想だと思いました。
>>859 如来と非想を除いた仏教みたいなもんさ
ラブアンドピース
>>870 すんまそんwww こちらでは投稿しないと言ったのだが、誓いを破りますww
その阿弥陀如来というのは、阿弥陀経では、十万億の国を超えたところにある
そうな。
華厳経では、離垢という世界があると言っています。
そしてそこでは如来は、[意成、知道、安住本、能解縛、通達義、楽分別、
最勝見、調伏行、衆苦行、具足力]という名号で言われているそうです。
そして、全部で、「百万億」の名号で言われているそうです。
よく考えてください。十万億と阿弥陀経では言ってて、華厳経では百万億と
言っています。つまり、十と百の違いがあるだけです。
十とは、百の十分の一です。つまり百万億の名号があるということは、
それだけ仏国があるということ。ですから、[意成、知道、安住本、能解縛、通達義、楽分別、
最勝見、調伏行、衆苦行、具足力]の中で、極楽浄土に該当する仏国があると
思える。それに該当すると思われるものは、楽分別という言葉。
つまりわれわれは、楽分別という名号のある仏による世界にいると、西の人たちは
考えるだろう。でも僕たちは西に行こうとしていながら、中心である、四天下の
中でずっと、とどまっている。
873 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 19:45:25.05 ID:r6xs78WC BE:1916191474-2BP(333)
>>872 当時のインドでは、諸国乱立でしょう。
邪馬台国の頃の日本が、何十か国に分かれていたようなものです。
原始仏典にも、インド内の国と国の戦争について釈尊が意見を述べている箇所もあります。
つまり、十億万の彼方というのは、
・見たことない世界
・単に遠くのこと
のどちらなのかわかりませんねえ。
阿弥陀経を書いた人は、極楽浄土があると聞いたという形をとっていると思いましたが、
確信はありません。阿弥陀経では、書いた人が極楽浄土を実際に見たという形をとっていたでしょうか?
874 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(2+0:3) :2013/06/13(木) 19:48:10.03 ID:r6xs78WC BE:2463674966-2BP(333)
まあ、インドのどの点を起点にしても、町村の単位で国としても、
十億万の国を数えるには、地球を一周しているでしょうねえ。
すると、宇宙でしょうか?
>>874 >>阿弥陀経では、書いた人が極楽浄土を実際に見たという形をとっていたでしょうか?
阿弥陀経の作者も、何らかの天才だったのだと思っています。
>>すると、宇宙でしょうか?
僕は、アメリカ大陸[南アメリカと北アメリカのこと]とアフリカ大陸と
オセアニア大陸とユーラシア大陸というのは須弥山思想の四州であると
思っています。つまり四天下の中というのは、その四大陸を含めた地球のこと
であると思っています。ここから、四神相応という他の思想を借りるのですが、
どうやら、このわれわれの住む日本国というのは、四大王衆天であるように
思うのです。つまり僕たちは四天王に管理された衆生であるということ。
これは、日本は、世界(他国)の鏡であるという考えにより、分かることです。
そこからの派生ですが、星々ということが、重要でしょうね。それがあなたの
言う宇宙ということ。しかしその前に、日本国の謎を解き明かすべきではない
かと思うのです。いろいろな奇妙な伝説がたくさんありますよね日本には・・・。
876 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 20:23:28.21 ID:r6xs78WC BE:1368708645-2BP(333)
向こうだと連投規制になるのがわかってるので、こっちに書きますが、
わたしは、神と人の区別のつかなくなる世界、である極楽浄土が、
この地球上に存在するとは思っていません。
強いていえば、神々と同じくらい強くなることのできるゲーム内の世界がそれかもしれません。
>>876 僕もこの地球上に存在するとは思いません。
しかし、現生往生の思想を信じています。どういう思想かというと、
現生で往生するということです。
それは生きている時に、達成するべきものであると思います。
親鸞は、極楽往生を説かなかった。
説いたのは法然さんです。
ゲームの世界ですか・・・。僕も幻獣になることが、僕の目的であるので
同感です。しかしゲーム内の世界に行ったら、そこでも、僕は書くことを
止めないと思います。
878 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 20:41:39.37 ID:r6xs78WC BE:2737416285-2BP(333)
>>877 現生往生ですか。
難しそうですね。
わたしは未来の科学発展に楽観的な見方をしていて、
100年後の未来はかなり快適な世界になると思っています。
文章自動生成ソフトや、東大入試に合格する人工知能が完成することによって、
その延長上にあるのは、どう考えても、素晴らしく楽しい世界です。
わたしは、人類はやがて楽園に至ると考えており、
わたしは無職ですが、それに微力ながらも協力するつもりでいます。
現生往生は、仏僧としては、非常に現実的なありえるべき思想だと思います。
しかし、不幸をこの世から消すことは困難だ。
数百年後なら、人類はロボットに培養される楽園にすんでいるのではと期待していますがねえ。
879 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 20:50:33.12 ID:r6xs78WC BE:4927349489-2BP(333)
ノスタルジアさんの進出したオカルト板のスレがわかると嬉しいんですが、
教えていただけますでしょうか?
>>878 100年後ですか、僕としては、科学的アプローチは出来ませんが、
宗教が誰でも、分かる時代がその頃までに来るように願っています。
そのためには、一人でも、多くの方が、肉体から逸脱する方法を
考え、世界を作って、法則を作って、未来の衆生のために、
陰ながら応援するというスタイルをとれるようにしたいのです。
僕としては、今は、肉体の中にただいますが、本当は、肉体を逸脱したい
のです。そのために、この四大王衆天の主である、四天王に了解をとりたい
のです。宇宙というのは、外国がやってればいいのです。僕たちは、そんな
ことよりもしないといけないことが、山ほどある。
浄土真宗の糞坊主は信じちゃだめ
妄想坊主だよ
883 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 21:18:50.90 ID:r6xs78WC BE:821225726-2BP(333)
>>880 100年後というのは適当で、
具体的には、
星新一に匹敵する文章自動生成ソフトの完成予定が四年後だか、三年後。
東大に入学できる人工知能が九年後、
十年後くらいに完成するアメリカのF−35戦闘機が、360度自動攻撃システムを搭載。
F−35の次世代(さらに20年後くらい?)の最先端戦闘機は、おそらく無人戦闘機になると思う。
つまり、30年後くらいから、戦争はロボットが戦うようになり、
人は戦争から解き放たれる。
この頃、世界政府が樹立するのではないだろうか?
884 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=14,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/13(木) 21:48:12.26 ID:r6xs78WC BE:3284899968-2BP(333)
F−35はもっと早く完成するみたいだ。
全自動自動車の完成も近いんじゃないかな。
今、事故を起こさないシステムの開発をしているはずで、
それが完成したら、全自動運転の自動車の開発が本格化すると思う。
これは、目の神経の研究と連動していて、眼球の研究はかなり完成しつつあると
おれは勝手に思っている。
あとは、大脳の研究だけど、うん、どうなるんだろうね?
期待は高いよ。
おれが死ぬ頃に、成功の報告が聞けると嬉しい。
仏陀は妄執を捨てろと説いた。
いかなる妄執も苦の原因。
それをじっくり見据えて捨て去れと。
妄執に留まる以上、苦の世界から逃れる事はできない。
886 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 10:14:34.55 ID:CgLs+FRK
>>886 この世で生きてる人の中で凡夫じゃない人っている?
889 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 13:12:52.52 ID:CgLs+FRK
>>889 >>まあ、信じるか信じないかですよ
結局こうなるわな
ココは仏教スレだから、個別に反論とかはしないけど
凡夫は、聖者ではないかもしれない。でも聖者は凡夫ではないと言うか
聖者は、常にどんな状況でも聖者であると取れる表現には違和感がある
阿羅漢だって夢精をするし釈尊だって悪魔など多くの欲望に悩まされた
下品と言うか極端な例だけどそのガルチェン・リンポチェさんの様な聖者でも
定期的に公演する程度なら問題無いと思うが、欲望にまみれた社会の中に
長期に滞在するorそれこそ骨を埋めるとしたら、どんどん凡夫の様になっていくと思う。
言ってみれば、多くの聖者()とは個人の努力以上に恵まれた環境によって
保たれているにすぎない温室植物の様な存在ではないか?と思う。
ある程度意識をコントロールする修行した事がある者は、社会で生活しながらでも
少々のことなら心の平静を保つ事が出来る。聖者と云われる人たちなら、それ以上
の事ができるだろう。しかし、雑務に忙殺される現代社会のなかで、自分に向けられた悪意
異性に対する欲望に一生耐えぬくのは、並大抵のことではない。コレを文字通り本当に
出来たとしたら正に真の聖者と言えると思う
ただ、そんな人を同じ人間だとは思いたくない。正直ほんとにいたら気持ちわるい。
釈尊も欲望に塗れた王宮の中では、この世の苦しみには気づけても苦しみから脱する事は出来なかった。
「凡夫」と云われる人たちは、例えるなら王宮から脱する事が出来ない人々。逆に「聖者」やそれを目指す修行者たちは
運良く脱した人々と言える。そして何れも今生を一生懸命生きている。今生を一生懸命生きている意味では、寧ろ凡夫の方が偉い。
誤解なきようにと、長々と書いてしまった。ココからが本題
>>凡夫の知覚は全て妄想なんですけどね
私には、この書き込みから恵まれた環境で「聖者」の片鱗を垣間見て「凡夫」を下に見ているというか。一種の「驕り」が感じられ嫌な感じがした。
891 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 15:27:17.55 ID:52qWIicu
ブッダの輪廻転生論批判。
ブッダは業報輪廻転生論を信じるジャイナ教信者に以下のように問い、批判する。
『友よ、ニガンダ派の人たちよ、あなたたちは、
〈 前世において私たちは存在していた、存在していなかったのではない 〉と知りません。
また、〈 前世において私たちは悪業を行った、行わなかったのではない 〉と知りません。
また、〈 私たちはこのような悪い業を、あるいはまたあのような悪い業を行った 〉と知りません。
また、〈 これだけの苦が滅尽した。あるいは、これだけの苦が滅尽するはずてある。
あるいは、これだけの苦が滅尽したとき、すべての苦が滅尽するはずてある。 〉と知りません。
また、〈 現在、この世において、不善の事柄を捨て去り、善の事柄を私たちは備えている 〉と知りません。
このように、何も知らないのならば、それでは何故、
「人が感受するところのものは、楽であれ、苦であれ、苦でも楽でもないものであれ、すべては前世に行なわれたことを原因とする。
それゆえ、苦行によって古い業を消滅させて、新しい業を作らないことによって、未来に結果がなくなる。
未来に結果がないことにより、業が消滅する。
業が消滅することにより、苦が消滅する。
苦が消滅することにより、感受が消滅する。
感受が消滅することにより、すべての苦が滅尽するであろう」
と答えることができるのでしょうか?
それらをすべて知っているのならば、そのように答えることは正しいでしょう。
しかし、何も知らないのならば、そのように答えることは正しくないのではありませんか?』
(中部経典 101より)
892 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 16:26:16.67 ID:CgLs+FRK
>>890 いやいやガルチェン・リンポチェを始め多くのチベット聖者は中共に長年に渡って拷問を受けて相手を恨まない方々だよ
見れば分かる「多く述べる必要あろう? 愚童が自分のためにし、聖仙が他人のためにする。二つの違いを鑑みよ」と『入菩提行論』にある通り
最後の文はオイラ的に言えば仏教が余りに軽視され常識的に解釈されていることへの残念さですがな
>>891 ちゃんと読め。そりゃそのジャイナ教徒が直接知覚でそう言っているか確認してるだけだ。
その経典の最後に戒定慧の順に仏教の道が説かれ、
慧の部分に果としての智慧として過去世を直接知覚する智慧が説かれてるでしょ。
それを宿命通って一般的に言うんだけど、果であって方便でもなんでもない。
こういう適当な読みが輪廻否定派には多い。そういう点からすると和辻はキッチリ読んだ上で詭弁説を立ててるところは流石に賢いと思う。
>>890 生活を営んで行く現場と離れたとこで精神が特別な状態になっても意味ねえんだよな
医学の実験で言うと試験管の中で常識外れの濃度で効果が出ても
生体の中で効果出ないと意味ないみたいな(いんびぼといんびとろ?)
仏教は輪廻転生を認めている。否定はしていない。しかし、その実体を認めているわけではない。
ゆえに、無我で我というものを無と主張している。転生する主体が無で輪廻転生もないだろう。
つまり、「輪廻転生」は五蘊思想の善因善果悪因悪果、で道徳的に意味があるので認めるが、その実体は無いというのが結論。
輪廻転生があるのは生存、存在に対して無知、無明があるため。その無知、無明が輪廻転生を作っている。
死んだら魂は残るのか〜など形而上の事は「無記」で有るとも無いとも何も言わなかった。
仏陀は人間が認識できるものがこの世の全て〜という立場ではなかった。
人間が認識しているのはこの世の1/4程度で3/4の大部分は人間には認識できないもの、
という考えに立っていた。これは当時のインドの主流の考えで、その考え方がインド全般に輪廻思想を行き渡らせた。
認識できないものについては語るべきではない
とはならずに
認識できないから有るんじゃね?ってなったのかw
いわゆる神秘主義思想も認める姿勢だったのでしょう。
ちなみに神秘主義思想はオカルト思想ではありません。
密教は仏教のこういう一面を拡大発展させたものです。
オカルトとは違うのか
898 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 20:16:03.30 ID:CgLs+FRK
>>894 テキストに基いてますが誤解ですね
無記で如来死後というのは、解脱者の死後という意味と
もう一つは勝義での不来不去という意味ですよ
仏教はキッチリ輪廻を基本にしています。
果としての宿命通はあらゆる過去世の記憶ですから
>>896 密教は神秘主義ではありませんよ。
縁起を高度に応用したものです。
儀礼とかは単なる習慣的縁起です。
五感で知りうる事しか経験できないが、五感で知りえない事もありうる、あるとは言わないがありうる。
→神秘主義思想の出発点
経験を超えたところに現象界の法則、思考の原則を適用しようとする。→オカルト
オカルトは思考の範囲の逸脱です。
神秘主義思想→イスラム教のスーフィズム、ユダヤ教のカバラ、仏教の密教、キリスト教の神秘主義、
これらは全部、神秘主義思想です。
900 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 20:39:25.81 ID:CgLs+FRK
>>899 いやいや、密教の伝統ではそういうものとは全く違うと必ず説かれますよ。
インドでもチベットでも日本でも
>>899 通俗的な理解だね
各々が自分と他は違うと主張するから、あまり踏み込み過ぎても実りは少ないと思うよ
仏教の「霊魂」やら「輪廻転生」というのは、この「あるとは言わないがありうる」という立場から
説かれたものです。まさに神秘主義です。
死後の世界も無記であるともないとも言わなかった→あるとは言わないがありうる。→神秘主義。
「あるとは言わないがありうる」というのはじゃあやっぱりあるんじゃないか?と思うかもしれませんが、
仏陀はどっちかというとない方に重点がかかっていたように思えますけどね。
繰り返しますが輪廻転生はありうるとは言え無知無明が原因で起こる一種の妄想でしょう。
無我の教えは全く真実で我執を取り除く事は教えの重要性として高かったと思います。
だから、仏陀は積極的には輪廻転生を説かなかった。無我と輪廻転生を両方積極的に説くと矛盾だからです。
無我の教えが主で輪廻転生は道徳的に認めるだけで否定はしない〜というところが真実だと思います。
>仏陀はどっちかというとない方に重点がかかっていたように思えますけどね。
そらまあ、「ありうる」って言葉は「無いけど」が前提にあるからな
翻訳が正しければそうなるだろ
905 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 07:51:59.80 ID:2UtGzb3E
>>903-904 そう四句分別という論理、しかも排中律とか使って考えると
仏教は分からない部分がある
難解な箇所はそう
といって鈴木大拙の神秘主義も間違い
仏教の最大の特徴って無我説でしょ
じゃあもう輪廻説より無我説採用でいいやん
有為法とか世俗諦には輪廻が適応されるのかもしれんけど、
今生きてる行為が細胞死んで再生してるんだし、これが輪廻ってことじゃないの?
907 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 09:40:46.21 ID:2UtGzb3E
>>906 それは輪廻と言えるかもしれないけど、輪廻の一部ね
仏教の最大の特徴は縁起、無我も縁起に集約される
これは間違いない
908 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 10:11:46.89 ID:aLTN3zoX
ブッダは断滅論?
『 比丘たちよ、私はそうではなく、またそうは言わないのに、
尊敬すべき沙門やバラモンたちは、不正に、虚しく、不真実に、偽って誹謗する。
「 沙門ゴータマは虚無論者である。生けとし生けるものの断滅、消滅、破滅を教える 」と。
比丘たちよ、私は以前も今も、苦しみと苦しみの止滅だけを教えるのである。』(中部 22より)
『人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないという考え方があろうと、
まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。 現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。』 (中部63)
909 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 10:20:05.48 ID:aLTN3zoX
龍樹 宝行王正論
「要約すると、(善悪の)業には果が存在しない、というのが虚無論(無見)であります。
これは不善であり、堕地獄であり、邪な考え方である、といわれます。」[43]
「要約すると、(善悪の)業には果が存在する、というのが実有論(有見)であります。
これは善であり、善にいたる正しい考え方である、といわれます。」[44]
「知にもとづいて無と有(の二見)を寂滅し、それによって罪福(善悪)を超えます。
これがかの悪と善趣からの解脱である、と聖者によって説かれています。」[45] (瓜生津隆真 訳 中公文庫p251)
一切行無常法印を踏まえて、上記の<実有論を正しい考え方>とする龍樹の見解(と言われる)につき自説を述べよ。
910 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 10:28:57.89 ID:2UtGzb3E
>>908 アナタは
>>891と同じ人ですか? もし同じ人なら輪廻批判と読んだのは誤読だったと書かないといけない
違う人なら、違いますと言ってください。
もちろん断滅論をブッダがとるわけがない
断滅論というのは仏教では輪廻や来世、因果がないという見方で、断見と言われるものです。
>『 比丘たちよ、私はそうではなく、またそうは言わないのに、
> 尊敬すべき沙門やバラモンたちは、不正に、虚しく、不真実に、偽って誹謗する。
> 「 沙門ゴータマは虚無論者である。生けとし生けるものの断滅、消滅、破滅を教える 」と。
上は他人がブッダを断滅論と誤解すると明記されてるでしょ。
> 比丘たちよ、私は以前も今も、苦しみと苦しみの止滅だけを教えるのである。』(中部 22より)
上は苦を止める無くすことを教えてるので断滅論とは関係ないです。
>『人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないという考え方があろうと、
> まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。 現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。』 (中部63)
上は形而上学的に実在でも虚無のどちらかというような議論は措いて、
あらゆる現象・体験・知覚は苦であり、その苦を無くす道を私は教えるということを示しているのです。
以上についても誤解していたと書かないといけない。
でなければ、もうアナタと思われる書き込みには答えません。
911 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 10:31:26.46 ID:2UtGzb3E
>>909 > 自説を述べよ。
これじゃ答えようとは思わないな
>>908 何かそれ読むと
「死語の話は私はノータッチ。無関係。生きてる間の苦しみの克服が私のテーマ」
って言ってるように読めますね
荘子の言う「死後の世界はあってもよく、なくてもよい。」という悟りが理想でしょう。
仏教的には「厭わず、執着せず」で生を厭わず執着せず、死を厭わず執着せずの姿勢ですね。
自殺で死に急ぐのは生を厭い死に執着している。
死に際で死にたくないと苦しむのも生に執着し死を厭うている。
普通には生物は全般に死を厭い生を望むものではあるが、究極的に人間の努力はいかに死を遅らせるかに注がれている。
そうではなく、いつでも死ぬ可能性があるのが事実であるのでそれをしっかり意識に根付かせて、
死ぬまでは普通に生きて死ぬ時が来たら素直に死を受け入れるという姿勢が大切。
死を遅らせる努力に励む姿勢は、後ろ向きで崖から突き落とされるように死ぬでしょう。
準備完了の人は前向きに崖に飛び込む。この違いは死に際で大きい。言葉をかえれば両者の人生は大きく異なる。
>>913 死ぬ時が来たかどうかはどうやって見極めるの?
普通に生きるの基準は?
>>914 臨死体験の本を読むと、死に際には独特の体験があるらしいから分かるはずです。
私は臨死体験したこと無いので分かりません。
交通事故で車とぶつかって死ぬのを考えても、即死のケースと病院に担ぎ込まれて死ぬとのでは
違うのかも知れませんが、死に際で「ああ、自分は死ぬんだ」と意識する瞬間はあるのではないでしょうか?
普通に生きるとは、食って糞して寝る〜という単純な事です。人間誰でもやってる事です。
え?そんなギリギリの瞬間の話なのかw
じゃあ別に医療を受ける事とかに反対なわけじゃないのねw
死ぬ瞬間に慌てふためかないというのは簡単なようで難しいと思いますよ。
立派な事を言う高僧も「死にたくない〜」っておろおろした〜という話もあります。
病気で医療を受けるのは当然の行為で反対する理由がありません。
末期患者に対する医療行為というのはもっと変えるべきとは思います。
末期患者も自分の死が遠くないのが分かればしっかりと準備をするべきです。
死の引き伸ばしは百害あって一利なし〜でしょう。
918 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 14:25:38.44 ID:2UtGzb3E
>>917 >立派な事を言う高僧も「死にたくない〜」っておろおろした〜という話もあります。
そりゃ単にその人が単なる偽物だったってだけでしょ
そういう偽物を基準に考えても仕方ない
ああいうのって、偉いお坊さんの人間くささや親しみ易さを伝えるために
伝記を書く時に付け加えられるエピソードだと思ってたww
少なくとも俺は「死にとうない」は、好意的に受け取ってしまうんだけどw
永平寺の宮崎奕保がNHKで語っていた。
悟りとはいつでも死ぬ覚悟ができている事だと長い間思っていた。
しかし、それは間違いだった。悟りとは死ぬ時まで普通に生きる事だ。
これは、さすがだと感心しました。
大体死ぬ前は半日〜一日くらい意識無い場合が多いんじゃね
死ぬ瞬間まで意識保ってるって、有り得ないとまでは言わないが基本ファンタジーだろう
事故とか突発の場合も、そもそも瞑想してる間以外は多少なり煩悩があるわけで、
酒飲んだ程度ですら正しく考えられなくなるのは仏教も認めてるんだから、
失血が多い場合なんかは確実に脳が普通に働かないからパニックになるだろう
例えばあらかじめ決まっていた処刑ならば
ある程度以上の坊主は安らかに死ねるかもな
>>920 「今日はいい日だ……ああ、死ぬにはいい日さ」
↓
「死ぬにはいい日など―、死ぬまでない!」
の境地だな
923 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 15:00:09.89 ID:2UtGzb3E
現代日本の僧侶はほとんど凡人なんで、あんまり基準にならないと思ってる
>>902 > 仏教の「霊魂」やら「輪廻転生」というのは、この「あるとは言わないがありうる」という立場から
説かれたものです。まさに神秘主義です。
いや、輪廻を認めないと、「なぜ、生まれ、自意識が生じ、このような体と環境を持ったのか」という問いに、
「偶然」と答えることになることになる。
あるいは、「万物の第一原因としての(原因のない)神が創った」ということになる。
こういった、原因を認めない考え方のほうが神秘主義でしょ〜。
926 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 07:46:31.66 ID:QqbfMk8W
>>917 浄土宗の場合は、臨終の瞬間には阿弥陀仏が迎えに来てくれるから、
阿弥陀仏の力で正念(しょうねん)になれる(落ち着いた心になれる。)と説かれます。
「死にたくないよぉぉ」ともがいて死んだ人でも、
最後臨終の刹那だけは阿弥陀仏の力で正念を得たはずだ、と考える。
>>925 それが輪廻という因なのか、他の因なのかは分からないから語らないって話でしょ
なんでリンネオアナッシングなんだよ
928 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 08:46:15.54 ID:PRkmze8a
>>928 ありがとう、しかし
>>925と
>>927ではおそらく噛みあってると思うんだ
テキストに基づいた話には基づいた話を、基づかない話には基づかない話をすること
正しい考えを持っているならば、常に相手に分かる言葉で話をできるということ
テキストに基づいた話に基づかない話をもってする、
テキストを知らぬ者にテキストを前提として答える
相手にわかる言葉で話す能力が無いなら、もはやその時点で正しくない
輪廻はほとんどの人は実感できないんだからないで良いでしょ
人間は主観的生き物
輪廻を見たと言ってる人もフラッシュバックとかビジョン、記憶誤認なだけだったりする
輪廻を見たと言ってる人の話を聞けば誰でも輪廻はないと確信できるよ
大川とかw
>>927 >それが輪廻という因なのか、他の因なのかは分からないから語らないって話でしょ
え?他の因ってどんなの?
前世が有名人の人は沢山いるのに
前世が無名の人という人はいないよね
釈迦が前世という人は沢山いるが
100人いるとしたら99人は100%誤認ということ
そういうまやかしを人生の基準にするのはたまらんよw
>>931 それこそ絶対者の神でもいいんだよ
生々流転も因果も縁起も、あくまでこの世界の法則としか確認されていない
他の世界を想定したときには何でも言える、だから語らない
「魂というものがもし存在し、他の世界を想定するとして、
他の世界とこの世界を、同じ法則が支配してるなら、
輪廻という考え方がふさわしいだろう」
程度の話
「魂というものがもし存在し、他の世界を想定するとして、
他の世界とこの世界の法則がまったく違うものであるならば、
絶対者としての神もありえるだろう」
ともいえる
我々の頭では、「この世界の法則」をもってしか物をとらえ事を語ることしかできないから、
不滅の神を具体的にはイメージできないけどね
934 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 09:43:39.95 ID:PRkmze8a
>>932 そりゃ大川みたいなインチキしか知らないから
無名な人もいっぱいる
>>933 なんでそういう一般論にするかな
少なくとも仏教では神ではない、常識で論じてもしかたない
テキストに基づこう
>>934 一般論に対してだから一般論で答えてるんだよ
テキストに基づいて回答したら、相手に通じるのか?
例えば中論の一部を取り出して、同じ事を示す箇所を抜き出すことは、可能だ
しかし、それでは
>>931には通じないだろ、単なるかりそめの自己満足だ
相手に通じないくらいなら、最初から話さないほうがマシなんだよ
俺がやりたいのは相手に通じることであって、
仏教オタ同士で喜びを分かち合うことじゃない
>>934 なんで大川がいんちきってわかるんだ?
前世を記憶してるって言っている大川だけいんちきなの?
テキストにかいてあるの?
前世は正しくて大川だけインチキってw
意味が分からんw
938 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 10:24:18.34 ID:PQ63UgQ9
お釈迦様の本心(想像)
「魂だの輪廻転生だの無いとは思うが俺は死んだことないから無いとは言えない」
「だけど身体も朽ち果てて変わらない何か(魂?)が残るとは思えないだろ?」
「これを言いたいから何度も諸行無常と言ってるにわからない奴はわからないのな」
「死んだらそれまでなんだから,その悟りを抱いて今生きているこの一瞬を生きよ。そしてそのうえで悪いことをせず,良いことをせよ」
939 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 10:44:01.75 ID:PRkmze8a
なんかどうしようもなくなってるな
>>939 >>935に対しては、返答(≒回答)があって然るべきだと思うよw
「開けられた門を入ってきた者だけに語る」というスタンスを基本とするとしても、
門外に居る者に、拉致監禁と思わせないための言葉は、(特に今の時代)必要だよ。
941 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 10:48:48.43 ID:PRkmze8a
諸行無常と言い輪廻があるというのは強欲だと思うよ
すべてが無常なのに永遠に輪廻していきたいという欲望
この一瞬を生きたらそんな欲望はなくなるんじゃ
また輪廻論争ですか。
魂とか輪廻転生とかは神秘主義という事でいいのではないでしょうか?
あるとは言えないがありうる。
これを、現象界の法則や思考の原則を適用して語ろうとするとオカルトになります。
仏陀はオカルトを説いた人ではなかったというのは真実です。
諸法無我は神秘主義ではありません。この世の言葉で説明できるのです。
だから神秘主義のものと非神秘主義のものと同様に扱わない事が必要だと思いますが。
944 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 11:01:32.10 ID:PRkmze8a
>>943 まあ、だったら仏教はこの世の言葉だけで説明できないものを
明らかに扱ってるんですよ
そして神秘主義ではない。そこを縁起で説明しているから。
945 :
絶対神:2013/06/16(日) 11:01:48.67 ID:VWeoFdJ+
>>942 「そもそも人間から欲望はなくなりません」
『人間である以上、誰だって凡夫です』
「悟り、解脱は「非科学的」であるばかりではなく」
『「非現実的」です』(進化論と違い、日常的に
誰もが「そんなものはあり得ない」と『確認できます』
>>933 「宗教の言っている事が、『ただの説』であってはいけません」
『やっぱり特殊な能力を持った「特別な存在」』
「神仏の啓示でければ『意味がない』のです」
でなければそんなものは、『ただの「哲学」にしかすぎません』
946 :
絶対神:2013/06/16(日) 11:05:50.79 ID:VWeoFdJ+
『じゃあ「神仏の啓示」なんて実在するのですか!』
「ありますよ」(笑)
『今あなたが読んでいるものが「そうです」』(大笑)
ただし私は完璧でも全知全能でも
「まったくないですが」ww
>>938 同じく想像
「だけど身体も朽ち果てて変わらない何か(魂?)が残るとは思えないだろ?」
は、あくまで「諸行無常を理解してる人」向けの言い方じゃねえかな
悟りの境地にある無を知れば、
形而上を語っても仕方ないことを実感として理解するしかなくなるけど、
逆にいえば、修行により悟らなきゃここは実感できない
さらに逆に言えば、修行以外でも、最悪騙してでも、それを実感さえさせれば同じ理解に至る
>>944 仏教では、それは扱わないのでは?
言葉「だけ」で扱えないとというのは一面正しいけれど、
それはもう言葉で説明できる能力が足りない人と、言葉を読み取る能力が足りない人がいるだけであって
948 :
絶対神:2013/06/16(日) 11:09:59.59 ID:VWeoFdJ+
「「仏教」が「悟り」や「解脱」を説いていることじたいが」
『「ただの哲学」では意味がない事を』
『理解している事の、裏返しです』
宗教には単なる哲学や、科学を超越した
「超能力的、超次元的、通常ではあり得ない」
『不可思議な部分がなければなりません』
>>945 欲望というか執着だよ
執着は心構え次第でだれでもなくせるよ
神なのにそんなのもできないの
950 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 11:17:35.62 ID:PRkmze8a
>>947 いやいや明らかに扱ってる
上でも示したように果として宿命通というあらゆる過去世の記憶が蘇る知を扱ってるし、
なによりアナタのような常識でしか見ないものに「凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、 卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない」と嘆息されている
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html たしかにオカルトやニューエイジは仏教ではない
しかし常識も仏教ではない
現代日本の仏教書は常識に阿ったものが多すぎる
>>944 縁起は仏教の基本教説であり中心観念ですが、これは神秘主義ではありません。
きちんとこの世の言葉で説明しうるし、仏陀も散々説いています。
縁起で魂や輪廻転生の事をこの世の言葉で説明したりする場面は無いはずですが。
>>950 貴方が今まさに言葉で扱っている、ということです
「凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、 卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない」
これはまさに貴方のことのように思いますが……
私の言葉が通じないのは私の責任なので、「お互い」これをもって己を省みましょう
953 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 11:27:07.25 ID:PRkmze8a
>>952 そんな言い習わしに依らなければ、他人に表せない
しかもネットでは尚更
そんなことにすり替えられてもね
言葉ってのは適当なもんで、お互いに理解する気がなければ通じない
仏教について語りたいのか、仏教を常識に貶めたいのかよく考えられたし
954 :
絶対神:2013/06/16(日) 11:29:10.99 ID:VWeoFdJ+
「つまりですね」
『「宗教」には「日常」を超えた「人生究極の答え的な」』
「売りがないと駄目なんです」
仏教においては「悟り」「解脱」なんかであり、キリスト教においては「絶対神」
だの「永遠の命」だの「罪のあがない」だのでしょう
『そういうものがない限り、人は信じようとしないし、広まりません』
ある面においては(すぐ嘘がばれますが)
「仏教ほどキャッチーな要素を売りにする宗教も珍しいでしょう」
『おカネがもうかるとか、運が開けるというより「キャッチー」です』
だって、「それさえ出来れば全部一発逆転できる要素」があるのですから(
キリスト教では救われるのは『飽くまで死後』ですが)
ただ、すぐばれるので
「世界的な規模ではあんまり広まらず」
『一神教の方が圧倒的に広まりました』(死後のことは
あなたたちも言っているように『確認できませんから』(大笑))
まあ、繰り返し言っておきますが
「私は『万能』でも『全能』でもないですよ」
『時々、「本当に未来が見える」くらいかな?』
>>950 あと、常識を持った人向けに書いている書物が、常識的なのは当たり前かと
何教でアレ?
>>953 >言葉ってのは適当なもんで、お互いに理解する気がなければ通じない
言葉に限りません
>仏教について語りたいのか、仏教を常識に貶めたいのかよく考えられたし
まず、常識に貶めるだの貶めないだのという価値観は貴方独自のものです、初心に戻って自覚されたし
私は「仏教について語りたい」のですが、
貴方はどちらかというと「仏教で語りたい」という囚われが強いのでは?
そのため、貶めるだの貶めないだのという、どうでもいい苦に陥っている、と見えます
間違っていたら申し訳ない
957 :
絶対神:2013/06/16(日) 11:42:29.02 ID:VWeoFdJ+
『つまり、現実的にして理想的な「宗教形態」とはですね』
「本当にあるていど、『通力』を持った「神様」が」
『自分の力を「大袈裟」に言って、神秘的哲学を作り』
「あの世はあるんだ、全知全能の神様はいるんだ」
と
『希望を持たせてやる宗教形態だと思います』
「これが「ギリギリ」で、これ以上はちょっと「現実的ではないのでは?」」
(そんな空をマッハで飛んだり、死人をどんどん生き返らせるような「能力者」が
実在するようにあなたには思われますかね? そういう意味で言うなら)
正法でないことを延々語っても、悪徳にしかならんのだよな
本人が正しいと思ってやり続ける限りは、もうどうにもならんけど
>>958 正法だと思って延々と語ることが悪徳
これが正法だという囚われが執着であり悪徳となるのでは
「仏教が正しく、常識やオカルトやニューエイジや仏教以外が間違っている」
というのが、仏教の考えに適うかどうか、という思索は必要かと
教条主義者vs修正主義者なんて図式になるならば、
もはや「相手しない」しか残らない訳だけど
↓こういうことじゃないのでしょうか?(上のリンクより)
以上、古層資料に見られる輪廻を概観したが、「輪廻」という語の他にも、表現が多様化しているとともに、来世の生存や生まれかわりを認め、最古層とは正反対ともいえる輪廻に対する肯定的な態度がはっきり読み取れる。?
最古層が輪廻へのこだわりに否定的な対応をとっていたのに対して、古層資料は輪廻を導入し、その枠組みを前提とした上でさまざまに教えが説かれたものと理解してよい。
さらにいえば、古層資料には仏教独自の思想に輪廻の考え方が組み込まれている例を見ることができる。たとえば、悟りを得た者を表現する「最後身」や、三種の明知をいう「三明」、ブッダの宗教的属性についての表現が挙げられる。
このことは、仏教が輪廻思想を導入しただけではなく、一層積極的に取り組み、定着させたことを示すものと理解できる。
963 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 13:04:01.38 ID:8HAIwp2j
けっきょく「一卵性双子の性格及び知能指数が似てないのは別々の霊魂が個性を作ってる証拠」
って糞一在家の主張はぜんぜん証拠に行きついてないってことで(笑)(笑)(笑)
>>959 正法を広めるのは自覚の有無に関わらず善徳だし、
邪法を広めるのは自覚の有無に関わらず悪徳だろ
リンゴを指して「これはリンゴです」と語るのが執着であり悪徳である、なんてことにはならないと思うが
誤「今この場においてリンゴである」
正「常住不変にリンゴである」
ということやね
逆だ…orz
>>941 オウムと寸分も変わらないなw
オウムとの差異をどこに設ける?
>>961 教条主義はそういうのがわからないから教条主義という
>>964 その言っていることそのものが悪法だと気が付かない愚かさ
>>968 すまんけど、何が言いたかったのかさっぱりわからんわ
三明とか輪廻とか仏教では枝葉という事でしょう。
幹の部分をしっかり汲み取る事が大切だと思います。
縁起こそは幹ですが、そこから分かれた色んなものは、仏教としてどういうふうに取り入れられたか
を考える必要があると思います。
そうすると枝葉を幹と勘違いせずに済むので利が大きいと思います。
>>970 正法というのは対機
聞く人、状況、時間、語る人により変わるもの
これが正法だと自慢すると悪法にもなるよということ
これは正しんだ!! ということそものが正しくはない
しかし、ここは仏教を語るスレであって、仏教の基本教説、中心観念が縁起なのは事実であって、
正法も悪法もないと思いますが?
基本教説、中心観念とは幹という事です。
ちなみに私は自慢をしてはいません。
>>970 まったく同意
その大前提の上で、枝葉に拘る人には枝葉をもって語るしかない
輪廻は枝はなんだけど金儲けの為に中心になったんだよね
無常と説き、執着を無くすことを説いてるのに布施の意味がないだろ?
来世で地獄に行かない為に布施をしなさいとくる
自分の考え、正法に反対したら地獄にいくとなる
つまり、自己中止的に都合の良い理論を作ってといているということ
悪徳を説いていると言うことに早く気が付いたほうが良い
>>971 言いたいことはわかったが、まあ、正しいものは正しいんだけどな
そんな当たり前のことがわからないやつがいるのかと悩んだが、
説明しようとすると案外難しいな
功徳や因果律の概念が科学的に証明されない限りは、説明出来ない気がするわ