1 :
宝珠愚者の代理:
2 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 03:14:24 ID:H7sy4227
おもしろそうなスレなのに立ったばっかりなのね
凄く深遠なテーマなのに
草加統一電通仕込みの美わと江はらとかに大安売りされて
適当に食い潰され無数の詐欺占い被害者を増産
人騙すのもいい加減にしろと思う
輪廻転生はあると思うけどね
この板の住人の方が深い話ができるだろうからバトンタッチ
3 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 03:19:21 ID:H7sy4227
他のスレ覗いてマジレスを後悔した
みんなとても健全でいい感じだ
宗教は信じないほうが結果的にはよい
草加統一は現世利益だなちなみに
んなもん、今が一番大切に決まってんだろーがよ。
輪廻があろーが、無かろーが
輪廻があろーが、無かろーが
縁起の法を重視するならば、今が一番大切に決まってんだろーがよ。
6 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 04:44:23 ID:UzWOhMIG
三世両重は、十二因縁についての後世の説明の一つの説であり、
勿論、釈迦は過去世や来世を説かれたが、輪廻思想を肯定などされていない。
殺人や脱税を説明した者が、必ずしも犯罪者では無い様に。
(^。^)必要無い悪趣まで学ぶ必要無いだろ。(笑)
7 :
前スレ10:2009/10/26(月) 05:08:22 ID:7rm6BDwJ
8 :
析空:2009/10/26(月) 11:14:57 ID:l2GA/BC7
>>7:前スレ10
>なんで、輪廻(生まれ変わり)は起きるのか?
→回答:再生の素因があるから。
→現代語訳:迷いが原因で苦しみが発生するから。
>そのシステムはどういう仕組みなのか?
→回答:縁起
→現代語訳:これがあるからかれがある。
>なんで、悟ると、輪廻(生まれ変わり)は起きなくなるの?
→回答:再生の素因がなくならから。
→現代語訳:迷いが無くなれば計らいがなくなるから。
>なんで、輪廻(生まれ変わり)が起こるという根拠はあるの?
→回答:(生まれ変わり)の根拠を仏教は説かない。
→解説:(生まれ変わり)は経験上判断不可能であるから。
スッタニパータ836(マーガンディヤがいった)どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?
837 師は答えた「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」
9 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 11:25:42 ID:rbJxFSvl
横レスですけど 析空さん
>なんで、輪廻(生まれ変わり)は起きるのか?
→回答:再生の素因があるから。
→現代語訳:迷いが原因で苦しみが発生するから。
まず、始めのここから、回答になってないと思いますよ。
10さんの聞きたいことは、(私も同じですが)
「苦しみが発生すると」何故、輪廻(生まれ変わり)が起きるのか?
こういう問いだと思いますよ。
そして、それに対して、勿論「苦を滅すため」というのは、回答には
なりません。それでは、ループになってしまいます。
10 :
前スレ10:2009/10/26(月) 12:07:11 ID:7rm6BDwJ
>>8 回答になってない回答をするのではなく、
「現代日本人に分かるような解説」をお願いします。
ちなみに、「現代語訳」は、「現代日本人に分かるような解説」とはまったく違います。
9さんも仰ってますが、なんで「苦しみが発生すると」輪廻(生まれ変わり)が起きるんですか?
システムについても、単に「縁起」ではなく、「縁起と輪廻の関係」を解説していただきたいんです。
そして、確かあなたも、私の
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256027204/74 という質問に対して、以降のレスがないですね。
結局、
「仏教における輪廻とは、インドの言葉で、『この世に生まれて死ぬ』という意味で使われてたから、
『転生(生まれ変わり)』という意味ではない。
『この世に生まれて死ぬ』という部分は否定できないから、輪廻も否定できない。
『生まれ変わり』については否定されうるし仏教の根本ではない。」
という主張でよろしいですか?
もしそうだとすると、あなたの仰る「輪廻」が前提となっている「解脱」というのは、
「解脱=生まれ変わりしなくなる」という定義と矛盾しませんか?
なぜ苦しみが輪廻の原因となるのか?「迷い」に、
そんな機能とかパワーがあるのか?
仏典にそのメカニズムは書いてあるのでしょうか。
12 :
析空:2009/10/26(月) 12:28:29 ID:l2GA/BC7
>>9 なかなか的を得た質問です。
むしろこのような形で質問していただきたいものです。
>まず、始めのここから、回答になってないと思いますよ。
→ただし、この指摘は「よくない」とおもいます。
→あなたが「回答になっていない」と思ったとしても、回答する側は善意で回答しているのですから。
→よく聞いてください。
仏教では「迷いが原因で苦しみが発生する」ことを輪廻というのです。
>「苦しみが発生すると」何故、輪廻(生まれ変わり)が起きるのか?
→これについては
>>8の【「根拠」を仏教では説かない】というのが回答です。
→スッタニパータ837
師は答えた。「マーガンディアよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。
諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、
固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」
>>12 >→あなたが「回答になっていない」と思ったとしても、回答する側は善意で回答しているのですから。
善意での回答しているっていうのは論理が合ってるか間違ってるかには関係ないよね。
赤を色盲が青だと善意で回答しても現実がどうかには関係ない。
>仏教では「迷いが原因で苦しみが発生する」ことを輪廻というのです。
そうなんだ。死んで生まれ変わるっていうのが輪廻だと思ってた。
まずは輪廻転生の定義を決めませんか?
14 :
前スレ10:2009/10/26(月) 12:49:00 ID:7rm6BDwJ
>>12 >むしろこのような形で質問していただきたいものです。
この質問は最初の質問と本質的に全く同じですよ?
>仏教では「迷いが原因で苦しみが発生する」ことを輪廻というのです。
私の質問は「なんで、輪廻(生まれ変わり)は起きるのか?」ですよ?
迷いが原因で苦しみが発生する部分については質問してません。
この部分は、まったく回答になってないですね。
>>「苦しみが発生すると」何故、輪廻(生まれ変わり)が起きるのか?
>→これについては
>>8の【「根拠」を仏教では説かない】というのが回答です。
つまり、私の質問には答えられないという事ですね。
また、スルーされるおつもりかもしれませんが、
あなたの主張は、
「仏教における輪廻とは、インドの言葉で、『この世に生まれて死ぬ』という意味で使われてたから、
『転生(生まれ変わり)』という意味ではない。
『この世に生まれて死ぬ』という部分は否定できないから、輪廻も否定できない。
『生まれ変わり』については否定されうるし仏教の根本ではない。」
ということでよろしいですか?
もしそうだとすると、あなたの仰る「輪廻」が前提となっている「解脱」というのは、
「解脱=生まれ変わりしなくなる」という定義と矛盾しませんか?
15 :
析空:2009/10/26(月) 13:25:52 ID:l2GA/BC7
>>10 あなたは「このような形」が、どのような形か理解できていないのです。
一度に沢山の質問をしないでもらえませんか?
2と3の違いがわからないとは、どのようにわからないのですか?
2は【あの世】に生まれることです。極楽とか天国だと説明しましたね。
3はこの世に転生することです。
どうして違いがわからないのでしょう?
16 :
析空:2009/10/26(月) 13:40:49 ID:l2GA/BC7
>>10 >回答になってない回答をするのではなく、
>「現代日本人に分かるような解説」をお願いします。
→それには段階が必要です。
→
>>8の書き込みに対して
>>9の質問のようにひとつづつ質問と回答をしていくのが理想です。
>ちなみに、「現代語訳」は、「現代日本人に分かるような解説」とはまったく違います。
→違うのは当たり前です。【現代語訳】は【解説】ではなく【現代語訳】ですから。
→質問に回答して欲しいのであれば、回答に文句を言うべきでは無いのではありませんか?
>>16 ぎろん 1 【議論】
(名)スル
それぞれの考えを述べて論じあうこと。また、その内容。
goo辞書から。
俺には10さんは議論の形式にのっとっているように見えるんだけど、
あなたのやってるのは議論じゃないよね。
>>14 話しが通じるのに日本語を互いに理解していないとダメなように、
議論するにも形式を相互に理解していないと話しあいはできないと思う。
析空さんはそれがないので通じないのではないでしょうか?
>>16 明らかに貴方の方に論理矛盾がある。
まず釈尊が輪廻転生を明言していない、
ここが我々にとって決定的、致命的なんだよ。
我々に論拠は無い。
しかし文献や経験に於いて、一人の人間が
今生だけでこんな経験をできる筈がない。
と思わせる人間がいる。
状況証拠はこちらの正しさを示している。
それだけで十分である。
即座に議論を停止すべし。
たとえ2ちゃんと言えど仏教の根幹にかかわる
部分で法論に負けることは
好ましくはない。
19 :
前スレ10:2009/10/26(月) 14:00:22 ID:7rm6BDwJ
>>15 >一度に沢山の質問をしないでもらえませんか?
それは失礼しました。
では、一度に沢山の質問が生じるような突込みどころ満載の回答を繰り返さないようにお願いします。
あと、回答をしてくださらないと、どんどん質問が溜まっていってしまう訳でして。
>2は【あの世】に生まれることです。極楽とか天国だと説明しましたね。
>3はこの世に転生することです。
あなたの定義は了解しました。
ただ、私が確認した定義(そしてあなたに否定された)と、これがどう違うのかがさっぱり分かりません。
そして、このような枝葉末節の回答をしていないで、もっと本質的な質問についての回答をお願いします
>>16 >→
>>8の書き込みに対して
>>9の質問のようにひとつづつ質問と回答をしていくのが理想です。
いやいやw
8さんが言ってるのは、「答になってないよ」という突っ込みですよ?w
「なんで車は走るんですか?」という質問に対し、「アクセルを踏むと速度が上がるからです」と答えているようなものです。
結局の所、質問は一つのレスに一つにしろと言うご指示ですかね?
>→違うのは当たり前です。【現代語訳】は【解説】ではなく【現代語訳】ですから。
>→質問に回答して欲しいのであれば、回答に文句を言うべきでは無いのではありませんか?
「理解できるような回答をしてほしい」という非常に基本的な要望すら受け入れられないという事ですか…。
20 :
前スレ10:2009/10/26(月) 14:18:40 ID:7rm6BDwJ
>>17 議論してるつもりだったのは私だけだったというオチですか・・・
>>18 >しかし文献や経験に於いて、一人の人間が今生だけでこんな経験をできる筈がない。 と思わせる人間がいる。
状況証拠と言うには弱くないですか?
例えば、ちょっとまでは、100mを10秒以下で走るのは不可能でしたが、「ウサイン・ボルトは超能力を持っている」という証拠にはならないですよね?
>状況証拠はこちらの正しさを示している。
>それだけで十分である。
>即座に議論を停止すべし。
今まで散々、「輪廻転生は仏教の基本だ」とか、
「輪廻すら理解できないのに仏教を語るな」とか、
「輪廻は明らかに存在する」とか言われ続けてたんで、
明確な論拠があるものだと思ってたんですがね…。
根幹に関わるというなら、なおさら明確に議論しておくべきだと思います。
21 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 16:08:37 ID:rbJxFSvl
>>12 析空さん
>→あなたが「回答になっていない」と思ったとしても、回答する側は善意で回答しているのですから。
これは、全くいけません。良い機会なので一度言っておきます。
これは、あなたに限らず、このスレの関連スレの一部の常連にも共通する性質
ですが、質問に対して「俺は『善意』で答えてやってるんだ」というスタンスです。
その最初の質問が、特定の個人宛に発せられたものであるならば、まだしも
不特定多数向けに発せられたものであるならば、それに回答を付ける行為に
対して当然、反論、批判も予期するべきです。質問者全てが、自己の回答に
納得すると考えるほうがおかしいですね。弟子が師匠に尋ねているのでは
ないのです。 回答者の中には「教えてやっているんだ」という意識が常に
抜けないものが、多く見られますが、自己の回答に反論、批判をされるのを
好まないのであれば、初めからレスを付けないことです。
あなたのこの「善意で回答している」との書き込みにも、その意識が見られます。
その意識が、さらに発展すると、ある常連の決まり文句ですが
「私は、あなたと会話してあげているのです。気に入らないなら、どうぞ
ご自由に。私は、会話を打ち切っても構わないのですよ。出て行ってください。」
と、こうなります。
基本的にここは「議論」の場です。
回答者のレスにおかしなところがあれば、当然、指摘されます
あと、あなたの輪廻の定義は一般的意味と異なると思います
ある語彙に独自の意味を付加させる場合は、まず、それを徹底的に
認知させるべきです。そうでなければ相手は、一般的いみにとると思いますよ
22 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 16:35:05 ID:UzWOhMIG
>21
>常連にも共通〜
(^。^;)え?俺もか?(笑)
23 :
析空:2009/10/26(月) 16:40:17 ID:l2GA/BC7
>>11 苦しみが輪廻の原因なのではなく、迷いが苦しみの原因であり、
迷いによって苦しみが【生ずる】ことが縁起であり、輪廻(生死流転)なのです。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 16:45:41 ID:81m69nib
スッタ二パータを読むと釈尊は来世や地獄天国の話しばかりしているのに
釈尊は来世やあの世を説かなかったというのは無理があるだろ
25 :
析空:2009/10/26(月) 16:45:49 ID:l2GA/BC7
>>13 「回答になっていない」というのは「評価」であって、「事実」ではなからです。
回答内容が事実に反するなら、「そこ」を指摘すれば済むことです。
また回答内容が専門用語で(あなたにとって)意味が分からないのなら、専門用語の説明を求めるべきで、
専門用語を使用することを「責める」べきでは無いと申し上げているのです。
26 :
析空:2009/10/26(月) 16:59:01 ID:l2GA/BC7
>>14:前スレ10 :2009/10/26(月) 12:49:00 ID:7rm6BDwJ [sage]
>この質問は最初の質問と本質的に全く同じですよ?→質問内容が一点に絞られているという点において、あなたの質問の仕方とは天地の違いがあります。
>>仏教では「迷いが原因で苦しみが発生する」ことを輪廻というのです。
>私の質問は「なんで、輪廻(生まれ変わり)は起きるのか?」ですよ?
>迷いが原因で苦しみが発生する部分については質問してません。
>この部分は、まったく回答になってないですね。
→その部分は、あなたの質問への回答ではありません。
→あなたの質問への回答になっていないのは当然です。
スレ立てオメデトウございます。
>>1 >この教えを支持しない自称仏教徒も多い。その主な理由は、
>これは 事実確認ができない事柄であり、
>また生まれの差別を助長する非人道的な側面から仏教者として
>相応しい思想ではない、というものです。
こういう考えのチャネラーは少ない。
私が確認したのは一名だけ。
ほんとうに「多い」と思うのですか?
また、その「理由」というのも、
私は一名しか確認はしてない。
>>25 析空さんと俺との間には認識と理解に大きな差があるようです。
仏教徒といっても宗派によって教えが違うと思うのですが、
析空は何教?何宗?なのでしょうか?
俺の家は多分浄土真宗で個人的には無宗教です。
仏教哲学や実践に興味があり、本読んだりスレの議論で勉強させてもらってます。
29 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 21:05:08 ID:6qLiwdN+
---前スレ10さんへ、
折空氏との議論が在る程度、落ち着ついてから、
その次に私の番にしたいと思います。
どうぞ、宜しくお願いします!
>>27 >こういう考えのチャネラーは少ない。
>私が確認したのは一名だけ。
>ほんとうに「多い」と思うのですか?
「多い」というのは、確かに何人とか何割という意味ではないです。
しかし、反対論者の理由というのは主にコレではないのですか?
議論に参加された方の殆どはそういうことだった筈です。
もちろん、細かいことを言えば、
経典には書かれてはいるが、史実のゴータマか説いていた証拠にはならないとか、
当時の思想としてこれを方便的に説いただけだ(悪行を戒める効果はある・・)とか、
後代の経典製作者が勝手に挿入付加したもの、
という推測であったり、そのような意見を主張する人はいますが・・・。
>>26 相手は貴方の発言の言質を取ろうと
手ぐすね引いて待っているんだよ。
しかも詭弁の天才であるツクエが出てきた。
貴方の考え方には異論もあるが
概ね賛成である。
ご自分の修行を優先させてください。
こんな馬鹿な議論でエネルギーを
消費すべきではない。
逃げるのではない。
密教のように越法で斬ればいいのです。(これは我見ですがw)
>>29 できれば貴方も来て欲しくなかった。
別に神智学を否定しているわけではない。
肉体の他に身体があるのも認める。
しかし、それはクンダリーニ・ヨーガの
体系であって仏法の体系とは違う。
はっきり言うと迷惑としかいいようが
ないんです。
言質を取られるような事は
だれであろうと控えて欲しい。
本当に仏法を大切に思うなら。
32 :
析空:2009/10/26(月) 21:47:20 ID:l2GA/BC7
>>21 「回答してやっている」という意識が見えるのは、あなたの誤解です。
「善意」云々については説明が難しいのですが、善意に対しては善意で受け取るべきで、
回答が理解出来ないなら、まず理解しようと努力するべきでは無いでしょうか?
「回答になっていない」という発言をするべきでないについては
>>25で説明したので参照してください。
「現代人に解る言葉で説明しろ」というのも変な話しで、現代人である私が仏教用語を理解できたのだから、
仏教用語が理解できないのは、もっぱら質問者の努力不足なのではないかとおもいますよ。
※ちなみに「仏教用語の基礎知識」水野弘元がお勧め※輪廻は生死という意味もここから引用した。
甘いね〜
善意でやったから善意で返されるべきなんて。
善意でやっても唾吐きかけられる覚悟でやってください。
34 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 21:56:11 ID:UzWOhMIG
意訳♪
(T.T)だって、自分の言葉で説明出来るほど、ちゃんと判ってないんだもん。
35 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 21:57:46 ID:UzWOhMIG
(^。^;)アンカー忘れた。
>34は>32な。
36 :
析空:2009/10/26(月) 22:08:35 ID:l2GA/BC7
>>14:前スレ10
>つまり、私の質問には答えられないという事ですね。
→そのとおりです。「仏教では説いていない」「証明できない」と何度も何度も回答しましたが?
>また、スルーされるおつもりかもしれませんが、
→回答しているのにあなたが気がつかないだけでは?
>あなたの主張は、
> 「仏教における輪廻とは、インドの言葉で、『この世に生まれて死ぬ』という意味で使われてたから、
→そういう意味もあると申し上げました。輪廻の定義1です。
> 『転生(生まれ変わり)』という意味ではない。
→「〜ではない」とそんな話しはしていません。
→転生は輪廻の定義3であると説明しましたが?
> 『この世に生まれて死ぬ』という部分は否定できないから、輪廻も否定できない。
→曲解ですね。
> 『生まれ変わり』については否定されうるし仏教の根本ではない。」
ということでよろしいですか?
→だめです。
→生まれ変わりは証明不能、否定もできないと説明しましたが?
>もしそうだとすると、あなたの仰る「輪廻」が前提となっている「解脱」というのは、
「解脱=生まれ変わりしなくなる」という定義と矛盾しませんか?
→そうではありません。
→「もしそうだとすると」が間違っているのでそれ以降の質問は意味がないので、回答不用ですね。
37 :
析空:2009/10/26(月) 22:40:49 ID:l2GA/BC7
>>28 私は創価学会員で、「アンチ創価学会」ですが、ここでは創価学会の立場では話しをしていません。
基本的に、その辺の本屋で手に入る書籍を元に話しをしています。
大乗仏教が、釈尊の教えとかなり違うという認識は、宝珠愚者さんとほぼ一緒です。
38 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/26(月) 22:57:09 ID:6qLiwdN+
「答えてやってる!」というのは御幣が生じますが、
“善意の回答”とは、無視することなく誠意を以って答えようと努めている、
と解するならば何も問題なしかと^^
---前スレ10さんへ
エーと大変、すみませんが、
こちらのスレには、この私は“招かれざる客”のようです(苦笑)。
ここは仏教徒の皆さんにすべてお任せすることにします。
仏教の聖域ですからねw
もしも、あなたが仏教理論の枠を超えてまで
生まれ変わりについて理解したいと思うのならば、
或いは、仏典における記述についてのまさに現代人向けの説明を求めたいのならば、
神智学スレでならば会話してもいいです(私があなたを納得させてあげられるかどうかは分りませんが)。
気が向いたら、いつでもどうぞ!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239017285/l50 あっ、日本仏教スレには在住してますw
>>38 君のスレをちょっと覗いたがヤバイ。
ベンジャミン・クレームなんて引用しているようでは
どうしようもない。
最悪だ。
もう仏教スレには来てくれるな。
俺は間違っていた。クンダリーニ・ヨーガどころの
話ではない。
邪教中の邪教だ。
>>37 >ここでは創価学会の立場では話しをしていません。
それは理解しました。大乗が釈尊の教えとかなり違うという認識も理解できます。
神智学ですか?今日初めて知って、今ググってるんですが。
仏教ってブラットフォームを使ったら神智学とは相互に理解できないなぁと思いました。
41 :
前スレ10:2009/10/27(火) 00:14:32 ID:8C4nZgBa
>>23 >苦しみが輪廻の原因なのではなく、迷いが苦しみの原因であり、
>迷いによって苦しみが【生ずる】ことが縁起であり、輪廻(生死流転)なのです。
結局同じですね。
「何で生まれ変わりがあるといえるの?」という質問に対し、
「私の定義する『輪廻』は生まれ変わりのことではない」という回答しかしていないですね。
42 :
前スレ10:2009/10/27(火) 00:14:59 ID:8C4nZgBa
>>25 いやさ、評価だとか事実かどうかじゃなくて、それ以前に、「そもそも質問に対する答になってないですよ」と言いたいんですけど…。
そして、あなたの言う「輪廻」は「専門用語」ではなく、「あなたの定義」です。
定義を正確にしないと、議論がかみ合わないのは当然です。
もう少し、「議論のルール」を守っていただけませんか?
43 :
前スレ10:2009/10/27(火) 00:15:12 ID:8C4nZgBa
>>26 >>この部分は、まったく回答になってないですね。
>その部分は、あなたの質問への回答ではありません。
>>36 >>つまり、私の質問には答えられないという事ですね。
>→そのとおりです。「仏教では説いていない」「証明できない」と何度も何度も回答しましたが?
それなら、なんで私の質問にアンカーつけて、回答(?)を始めたんですか?w
そもそも、あなたの発言は私への回答じゃなかったという事なんですね。
あなたが私への回答をして下さっていたというのは私の妄想だったと言うオチですか…。
結論から言うと、「私には輪廻は説明できない」になっちゃいますよ?
あなたは、何を主張しにこのスレにいらっしゃったんですか?
44 :
前スレ10:2009/10/27(火) 00:15:25 ID:8C4nZgBa
>>26 >→生まれ変わりは証明不能、否定もできないと説明しましたが?
「なんで否定できないのですか?」と前にも質問したと思うんですが…
そのときのお答えは、「輪廻の1の部分は否定できない」というだけで、
「輪廻3の生まれ変わりの部分についても否定できない理由」については、
質問しても答えていただけてないですよね?
もしかして、証明不能だから否定不可能だという意味不明の理論ですか?
45 :
前スレ10:2009/10/27(火) 00:21:33 ID:8C4nZgBa
>>29 >その次に私の番にしたいと思います。
>>38 >こちらのスレには、この私は“招かれざる客”のようです(苦笑)。
>ここは仏教徒の皆さんにすべてお任せすることにします。
いやいや、スレ立ての代行を依頼したとはいえ、このスレを立てたのは実質的にあなたです。
あなたの為にこのスレがあるといっても過言ではありません。
順番云々など言わず、どんどん発言をして下さい。
>>31 私は宝珠愚者さんを擁護するわけではないですが、
スレ立て主を追い出すなどという法がありますかいなw
46 :
神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 01:57:46 ID:0/GVsNlj
>>32 >「回答してやっている」という意識が見えるのは、あなたの誤解です。
そうでしょうか?あなたの
>>16の
>→質問に回答して欲しいのであれば、回答に文句を言うべきでは無いのではありませんか?
この記述からも、「私は『回答してやっている』のだから、お前は黙ってきけ」
という意識が見えるとおもうのですが。
「回答になっていない」との発言をすべきではないとのことですが、
質問の意味を理解せずに見当はずれのレスを付けられたら、大方のひとは
「それは回答になっていません」と言うと思いますよ。
質問者は、「回答してもらった」のだから、どんなに見当はずれのレスでも
ありがたく拝聴して反論などするな。
と、このように言いたいわけですか?
>仏教用語が理解できないのは、もっぱら質問者の努力不足なのではないかとおもいますよ
「輪廻」という語彙は、一般的に「前世から今世への、または今世から来世への
『生まれ変わり』の意味として理解するのが一般的ですね。それ以外の意味で
使用するのであれば、「私は『このような意味でこの語を用いています』と相手に
はっきり認知させることが必要です。これは勉強不足、云々ということではなく
「通常と異なる意味」で語彙を使用する側にその責任があると思いますね。
>>29法珠どの
>しかし、反対論者の理由というのは主にコレではないのですか?
>議論に参加された方の殆どはそういうことだった筈です。
他の方はどうか分りかねますが、
私の場合は全然違いますね。
先ず、仏教史観から考察するのが賢明かと思います。
釈尊の出家当時は、バラモン教の修行者でした。
そこから独覚する訳ですから、
当然のことながら当時のイデオロギーを破壊していると解釈して宜しいかと思います。
ならば、
バラモン教の脈絡を継承している。というのは、どう考えても矛盾があります。
輪廻転生云々の話でしたら、
結果的には、釈尊は悟ってないことになりますね。
では、釈尊は“何を悟ったのか?”ってところが重要ポイントであって、
輪廻および業論は、その属性でしかない。
と私は考えております。
48 :
析空:2009/10/27(火) 08:10:01 ID:ENd8NpcX
>>42 以前私が「今生の輪廻」と書いたとき、あなたは意味不明だと文句をいいましたね。
しかし「今生の輪廻」はその前のレスで「輪廻には生死の意味がある」と説明し、
同時に「今生の人生と来世の人生」を区別していないとも説明済みです。
また私のいう輪廻については、3つに分けて説明しました。
あなたはその直後に、「輪廻を説明しろ」といいましたね。
私から見れば、回答済みの内容を何で何度も聞くのか、わたしのレスを読んでないのではないかと感じます。
49 :
析空:2009/10/27(火) 08:18:45 ID:ENd8NpcX
>>46 前スレ10さんには、輪廻の定義を説明済みです。
彼が私の話しを理解できていないだけです。
また、輪廻の定義は一般人はあまりよく考えず漠然と「生まれ変わり」ととらえています。
そして仏教徒に文句をいいますが、それはやはり勉強不足としかいいようがありません。
わたしの知識は、その辺の本屋さんで手に入る一般的な仏教書の話しであって、専門的な話しではありません。
50 :
析空:2009/10/27(火) 08:28:01 ID:ENd8NpcX
>>41 >>迷いによって苦しみが【生ずる】ことが縁起であり、輪廻(生死流転)なのです。
>結局同じですね。
>「何で生まれ変わりがあるといえるの?」という質問に対し、
>「私の定義する『輪廻』は生まれ変わりのことではない」という回答しかしていないですね。
→全然違いますよ。
私のレスをよく読んでないのではありませんか?
→「生まれ変わり」は定義の3だと、この指摘は2回目ですね。
→生まれ変わりを一度も否定していません。
→最初に、今生の人生と来世の人生を【区別していない】と説明しました。
→「迷いが原因で苦しみが発生する」を「来世」に当て嵌めて見たらいかがですか?
51 :
析空:2009/10/27(火) 08:40:23 ID:ENd8NpcX
>>43:前スレ10
>それなら、なんで私の質問にアンカーつけて、回答(?)を始めたんですか?w →それはあなたの誤解ですね。
→私の最初の輪廻についての【説明】は、あなたにアンカーをつけていません!。
→あなたが、私のレスにアンカーをつけて質問しきたので回答しているだけですよ。
>そもそも、あなたの発言は私への回答じゃなかったという事なんですね。
→まったくそのとおりです。
→一番最初に、仏教では説明していない、証明できないという話しをしましたね。
>あなたが私への回答をして下さっていたというのは私の妄想だったと言うオチですか…。
→まったくそのとおりです。
→いまごろ気がついたのですか?
>結論から言うと、「私には輪廻は説明できない」になっちゃいますよ?
→違いますよ。あなたは【説明】と【証明】の区別ができていないのではありませんか?
→何度も【説明】しましたね。【証明はできない】と。
>あなたは、何を主張しにこのスレにいらっしゃったんですか?
→わたしは何も主張していませんが?
52 :
析空:2009/10/27(火) 09:04:24 ID:ENd8NpcX
>>44:前スレ10
>「なんで否定できないのですか?」と前にも質問したと思うんですが…
→「日常の経験で判断できないから」と2回は回答しましたが?
>そのときのお答えは、「輪廻の1の部分は否定できない」というだけで、
>「輪廻3の生まれ変わりの部分についても否定できない理由」については、
>質問しても答えていただけてないですよね?
→いやいやいや、何度も説明しています。日常の経験で判断できないから、否定できないのですよ。
>もしかして、証明不能だから否定不可能だという意味不明の理論ですか?
→私のレスを良く読みなさい。「証明不能だから」とはいっていません。日常の経験で「判断できないから」といいました。
53 :
析空:2009/10/27(火) 09:32:54 ID:ENd8NpcX
総説
輪廻の思想は仏教以前からインドに広まっていた常識です。
輪廻には大きく3つのパターンがあります。
1.今生の人生(生死)
2.天界(または地獄界)
3.転生→来世」
インドでは、上記3つを特に区別していません。
また2と3については「日常の経験で判断不可能」であるため、証明も否定もできません。
仏教では輪廻の原理を縁起で説明しています。
「迷いによって苦しみが生じること」が生死流転であり三世に渡る輪廻です。
54 :
析空:2009/10/27(火) 09:54:16 ID:ENd8NpcX
ちなみに、輪廻を3つあるいはそれ以上に「細かく分けて捉えること」を分別(ふんべつ)といいます。
この3つを分けないことを無分別といいます。
分別は世俗諦で、無分別が勝義諦です。
3つに分けることは囚われであり、迷いの元です。
「回答になっていない」と思えるのは分別するからです。細かな違いにこだわるから全体が見えないのです。
実は正しく回答しているのです。
解脱は輪廻1ではなく3が前提となっているのでないか?
と聞いてくる人がいましたが、区別する→囚われだから分からなくなるのです。
1と3を区別しない→勝義諦で見れば同じというのがその答えです。
つまり肉体があるかどうかに関わらず
心は刹那に死に、刹那に生まれる。
生まれた心は縁起によって死んだ心と
似たものであるが実は別物だ。
この生滅は涅槃に到るまで続く。
原因は渇愛(タンハー)である。
不思議な事などなにもない。
56 :
前スレ10:2009/10/27(火) 12:35:18 ID:8C4nZgBa
>>48 >以前私が「今生の輪廻」と書いたとき、あなたは意味不明だと文句をいいましたね。
そりゃ、「輪廻」を定義するのに、「輪廻」と言う単語を使ったら文句も言いたくなりますよw
>また私のいう輪廻については、3つに分けて説明しました。
>あなたはその直後に、「輪廻を説明しろ」といいましたね。
>私から見れば、回答済みの内容を何で何度も聞くのか、わたしのレスを読んでないのではないかと感じます。
説明しろと言ったのではなく、「あなたの輪廻の定義が分からない」と言ったんですがね。
私が「あなたの定義はこういうことですか?」と聞く度に「違う」と言われれば、理解不能だといいたくもなりますよ。
57 :
前スレ10:2009/10/27(火) 12:35:25 ID:8C4nZgBa
>>50 なるほど。確かに言葉がが曖昧でしたね。訂正します
「何で生まれ変わりがあるといえるの?」という質問に対し、
「私の定義する『輪廻』は生まれ変わりのこと『だけ』ではない」というレスしかしていないですね。
>→「迷いが原因で苦しみが発生する」を「来世」に当て嵌めて見たらいかがですか?
意味が良く分からないので、「具体例を上げて」詳しく説明していただけませんか?
58 :
前スレ10:2009/10/27(火) 12:35:34 ID:8C4nZgBa
>>51 なるほど。
私が輪廻についての質問をした後に、輪廻について語りだしたのは、
私に対する回答ではなかったわけですか。
それは大変失礼しました。
>>結論から言うと、「私には輪廻は説明できない」になっちゃいますよ?
>→違いますよ。あなたは【説明】と【証明】の区別ができていないのではありませんか?
>→何度も【説明】しましたね。【証明はできない】と。
>>あなたは、何を主張しにこのスレにいらっしゃったんですか?
>→わたしは何も主張していませんが?
一体、何をしに、このスレにいらっしゃったんですか??
59 :
前スレ10:2009/10/27(火) 12:36:05 ID:8C4nZgBa
>>53-54 どうやら、私の質問に対する回答でも、何かを主張したい訳でもなく、
ただご自身の「輪廻観」を垂れ流しに来ただけのようですので、
改めてあなたの輪廻観について質問をしたいと思います。
(それとも、主張しに来たわけじゃないから、質問禁止ですか?)
あなたのご意見を纏めて頂きましたが、これまでのレスとあわせると、
仏教の目的である解脱の前提である『輪廻』は「インド人の常識」である。
『輪廻』は「日常の経験で判断不可能」であるため、証明も否定もできない。
『輪廻』は否定できないから、解脱の前提として何の問題もない。
と言う事ですよね。
しかし、「否定できない」から前提として問題ないというのは少し論理が飛躍してると思います。
例えば、「神の存在」は「日常の経験で判断不可能」で否定できないから、神は存在するとして論理を構築して問題ない事になります。
また、「現代日本人」にとっては、「インド人の常識」は無批判にはうけ入れがたいものです。
結局、「仏教は、インド人の常識を無批判に受け入れないと根底から覆される」と言うことでよろしいんですか?
>実は正しく回答しているのです。
あれ?私への回答ではない、証明不可能、と度々仰っていた気が…。
そして、最終的には、やっぱり「勝義諦」になるんですね。予想通りの回答有難うございます。
60 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/27(火) 18:13:51 ID:2H2cENWh
変なレスしか出来ないって事は、たぶん禁則事項なんだよ。
(^。^)って、インデックスさんが言ってませんね。(笑)
61 :
析空:2009/10/27(火) 20:06:22 ID:ENd8NpcX
>>56 >>57 再度あなたの間違いを指摘することも可能ですが、不毛な会話になるだけです。
>>58 あなたが質問をするから回答しただけだと、前回説明しました。
何度も同じ説明をしても意味がないので、もう辞めましょう。
クリシュナムルティが輪廻転生を語ったことは
多分無いと思う。
しかし、彼の言葉で強烈に印象に残っているのは
「実は肉体があるかどうかは、どうでもいいことなのです」
という一行だ。
Kは明らかに肉体を持たない存在態様を認めている。
死んだら無に帰する、という思想は
否定されている。
輪廻の存在の状況証拠としては十分過ぎる。
>>61 そうです。
不毛な議論は止めましょう。
我々の力では教化できない人間は
腐るほどいます。
己の修行に邁進しましょう。
いつか教化できる、力が付くかもしれない。
64 :
前スレ10:2009/10/27(火) 21:10:22 ID:8C4nZgBa
>>61 たしかに不毛な「会話」ですね。
「議論」が成立してませんから。
65 :
前スレ10:2009/10/27(火) 23:37:17 ID:8C4nZgBa
>>61 あなたは、私の質問に、回答したいのか、したくないのか、出来ないのか、どれなんですか?
明らかに、
>>7に対して、わざわざこのスレに来て、
>>8のように回答してますよね?
これは私に対する回答何じゃ無いんですか?
その上で、「回答になってない」と突っ込むと、
>質問に回答して欲しいのであれば、回答に文句を言うべきでは無い
>>16とか、
>「回答になっていない」というのは「評価」であって、「事実」ではない
>>25とか、
>その部分は、あなたの質問への回答ではありません。
>>26とか・・・
更につっこんだら、
>「仏教では説いていない」「証明できない」と何度も何度も回答しましたが?
>>36 >回答しているのにあなたが気がつかないだけ
挙句の果てに、
「私はあなたの質問に回答したわけじゃない」
>>51(
>>8はなんだったの?)
「私はこのスレに主張をしに来たんじゃない」
で、結局、
「不毛な議論は止めましょう。 」
ですか…。
本当に不毛でした。
66 :
T、T:2009/10/28(水) 16:27:12 ID:z1jeAazZ
輪廻は自己を見失っていると処から生じている。
従って、本来ある自己の立場に立てば輪廻なし。
67 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/28(水) 17:10:46 ID:MM5wlRhc
(^。^;)えー。
某氏は輪廻は有るが、悟ると無くなる
って考えらしいが、
何度も指摘している様に、
当時の常識として輪廻思想があり、その社会の中で
仏教でも輪廻が説かれ、悟れば輪廻しなくなる
と説かれた訳だな。
つまり、本意が輪廻などしないが、とりあえず話を合わせてただけって可能性もあるだろ。
だいたい、無記で死後の事など考えるなと説かれているのに、
何故素人に輪廻をわざわざ植え付ける必要が有るのか。
(^。^)商売上がったりだからだったりしてな。(笑)
因みに、チベットなどでも、もともと土着宗教に輪廻思想があったらしい。
68 :
前世は一在家:2009/10/28(水) 20:16:28 ID:38OllF2g
>24
>スッタ二パータを読むと釈尊は来世や地獄天国の話しばかりしているのに
>釈尊は来世やあの世を説かなかったというのは無理があるだろ
最古層の教えが多いと言われているスッタ二パータばかりでなく、
ディーガニカーヤ(長部経典)の半分以上の経典に輪廻、梵天・神、
自然霊達が説かれたという記載があります。
それでも、自称大乗仏教徒は「輪廻」の説法を聞いたことが無いという
人が多いようですね。
「机上で空を論じた」あの天才哲学者が「時間」を否定して、因果応報の
法はなく縁起の法のみであるというマイコンをかけたことが因または縁
だというのが私の仮説です。
まあ、大乗の中でも日蓮は常住の仏や仏子を説き、華厳経には守護霊
(同名天、同生天)が説かれているそうですので、かの天才哲学者の
マイコンを回避できた宗派もあるかと存じます。
69 :
神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 20:31:19 ID:TO+bRu5Q
結局日本仏教は、木村VS和辻宇井で、木村博士が急逝して、新カント派流仏教解釈(無霊魂)が主流となった。
>>68 馬鹿だろ?
>「時間」を否定して は、さておき、
>因果応報の法はなく縁起の法のみであるというマイコンを
「縁起」だから「因果応報が成立する」ってことがまだわからんらしい・・。
そんなんじゃ〔縁起先生〕が泣くぞw
71 :
神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 21:06:30 ID:KZrtjZnj
今テレビの世界仰天ニュースで
前世のテーマのお話しやってるよ
そういった問題ではないのだろうね。
前世があろうとなかろうと、自らの死にも関心無いなら
宗教に興味持つことの意味がわからないけど、
何故か仏教や宗教を否定したり議論したがる
そういった人ばかりだから
73 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/29(木) 12:22:49 ID:Tl1kaUgC
>>70 >>因果応報の法はなく縁起の法のみであるというマイコンを
>「縁起」だから「因果応報が成立する」ってことがまだわからんらしい・・。
「机上で空を論じた」天才哲学者が「運動」、「時間」を否定しました。
「因果応報」−「時間」=「縁起」 という式は認識しておりますよ。
天才哲学者のマイコンを受けている人は、
「去りつつあるものは、去らず」と唱えながら足元のアリさんを数分間
観察しても、「やっぱり運動は無いよ。」と言うから分りますね。
天才哲学者の最後のセリフは「君は私がいない方が良いと思うか?」
だったそうですが、「不去」であるならば「いなくなる」ことも不可
でしょう。
74 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/29(木) 17:39:53 ID:Tl1kaUgC
>>70 >そんなんじゃ〔縁起先生〕が泣くぞw
もし「泣く」が動作ならば、〔縁起先生〕は「泣かず」でしょう。
75 :
析空:2009/10/30(金) 12:45:39 ID:x4iX65Yi
さて不毛な会話を重ねて皆さんに迷惑をかけました。
まことに申し訳ありません。
今後は、心を入れ替えで、不毛な会話にならないよう注意いたします。
そのため、不毛な指摘は今後は無視します。
さて
>>8の回答は、素人さんにはいささか難しかったかもしれません。
分からないのなら、続けて質問していただければ、真面目に答えるつもりでしたが、
話しは変な方向へ流れてしまいました。
一度は「再生の素因があるから」と指摘することは重要なのことなので記述した次第です。
それを踏まえて輪廻の【説明】を続けようとおもいます。
76 :
析空:2009/10/30(金) 13:20:06 ID:x4iX65Yi
>>53で輪廻について簡単に記述しました。
補足すると、輪廻(サンサーラ)は生死という意味があり、今生の人生の浮き沈みを輪廻といい、
人生は今生だけでは無く、来世に続くと信じられているため、来世に生まれることも輪廻と呼ばれています。
釈尊が輪廻を否定していないのは事実です。
仏典に再生や上生が書かれているのも事実です。
とはいえ、輪廻を積極的に取り上げて論じるということはありません。
※啓示上の問題は論じないというのが仏教の立場です。
77 :
析空:2009/10/30(金) 16:22:44 ID:x4iX65Yi
仏教では【輪廻が前提となっている】と私は断言しました。
ここでいう輪廻が生まれ変わりを含むかどうかは【議論】の余地がありますが、いまは触れないでおきましょう。
輪廻が前提なのは、仏教では【輪廻からの解脱】を説くからです。
まず【一切は苦しみ】です。そして【苦しみは滅っする】ことができます。これは釈尊の悟りです。
悟りによって、苦しみから逃れることを【解脱】といいます。
今生の輪廻(生死)が、苦しみなら、その苦しみの輪廻から逃れることが解脱です。
そして解脱することによって【涅槃】を得るといいます。従って、【悟り】【解脱】【涅槃】は、同じこととされています。
ここで仏教徒にとって「確実なこと」は、釈尊は「悟った」「解脱した」「涅槃を得た」ということです。
そして釈尊は「苦しみを滅っする」方法として仏教を説きました。
輪廻について、統一的な説明は仏教にはありません。輪廻が何かなど、重要ではないからです。
78 :
析空:2009/10/30(金) 16:57:30 ID:x4iX65Yi
仏教徒にとって大事なことは、「今生における解脱」であって、輪廻を証明することではありません。
「今生における解脱」と「その方法」は、釈尊が体得した方法を説いたので、解脱は空理空論ではありません。
もっとも、釈尊が仏陀であると認めない人々にとってはその限りではありません。
79 :
前スレ10:2009/10/30(金) 17:35:07 ID:0MfXQ6lV
>>75 >そのため、不毛な指摘は今後は無視します。
自分の意見を否定するものは黙殺するってことですか…。
ほんとに何しに2CHに来たんですか?布教?
>さて
>>8の回答は、素人さんにはいささか難しかったかもしれません。
>分からないのなら、続けて質問していただければ、真面目に答えるつもりでしたが、
>話しは変な方向へ流れてしまいました。
結局「回答」だったんですね。
そして、明らかに、スレ立て者も、スレ設立の動機となった質問者(私)も、
「輪廻=生まれ変わり」 という定義で話していて、
質問も、「生まれ変わりは何で起きるのか?」と質問してるのに、
それについては、頓珍漢な回答しかせず、
だれも定義の問題を論じてないのに、「輪廻=生まれ変わり」ではなく、
「輪廻は今生の輪廻を含む概念だ」と、独自の定義(しかも曖昧)を主張した(失礼。主張じゃなかったんでしたっけ)のは、どこのどなた様ですかね?
まあ、また不毛な定義論争(誰もそこは問題としてないのに)が始まるので、これは愚痴として流してください。
80 :
前スレ10:2009/10/30(金) 17:35:25 ID:0MfXQ6lV
>>77 >仏教では【輪廻が前提となっている】と私は断言しました。
>ここでいう輪廻が生まれ変わりを含むかどうかは【議論】の余地がありますが、
>いまは触れないでおきましょう。
いやいやw このスレで問題になってるのは、この部分だけですよ?
あなたが
>>76-78で頑張って説明したような事は、誰も問題にしてません。
多くの方が、「輪廻=生まれ変わりを含む」(むしろ「輪廻=生まれ変わりそのもの」)と言う認識で、
かつ「輪廻は仏教の前提である」と主張しています。
それに対して、私が、「輪廻(生まれ変わり)があると主張するなら、そのメカニズムを説明してくれ。根拠はなんなんだ?」と質問したんです。
81 :
析空:2009/10/30(金) 18:29:34 ID:x4iX65Yi
このスレに来る方は、さまざまであり、私の書いた今生の輪廻は、私の独断ではありません。
間違っていれば、他のお偉いさんから指摘があるでしょう。
根拠の無い誹謗をする方もいますけどね。
82 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 18:38:23 ID:6dBWr13S
>81は、要するに、
転生については解んない
って話なのか?(笑)
(^。^)んじゃぁ、俺が>80に答えようか♪
転生は絶対に有り得ない。
仏教通が好む(輪廻)なる言葉は、転生の意味を含まない言葉です。
(^。^)仏教通は言葉遊びしているだけだから気にすんな♪
83 :
前スレ10:2009/10/30(金) 18:48:33 ID:0MfXQ6lV
>>81 あなたの「輪廻」の定義に賛同者が居る事は別に否定してませんよ。
定義が間違ってるとも言ったつもりもないです。
ただ、何度確認しても、ご自身の定義と違うと言われて、「理解できない」と言っただけです。別に、あなたの輪廻の定義を否定しているわけではありません。
ただ、大多数の人間が、「輪廻=生まれ変わり」であるとして会話してます。
そして、このスレの設立目的は、
「輪廻」の定義が「生まれ変わり」であるかではなく、
「輪廻(生まれ変わり)の根拠について話し合う」事です。
ついでに言えば、いい加減不毛な会話は止めるんじゃなかったんですか?
回答だったと言ってみたり、回答して無いと言ってみたり、
主張しに来たんじゃないといったのに、主張してみたり、
不毛な会話はもうしないといったのに、不毛な会話を始めてみたり…
本当に、このスレに何しに来たんですか?
84 :
前スレ10:2009/10/30(金) 18:49:53 ID:0MfXQ6lV
>>82 >転生は絶対に有り得ない。
回答有難うございます。
ただ、私としては、「転生はある」と言う人に根拠を聞きたいんですけどね。
85 :
前スレ10:2009/10/30(金) 19:18:21 ID:0MfXQ6lV
>>82 ついでにいうと、析空さんは、「仏教通が好む(輪廻)なる言葉は、転生の意味を含まない言葉です。 」というと、御ブチ切レになりますよ。
「輪廻には、転生の意味も含まれるんだ!輪廻と転生は不可分だ!」って。
86 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 19:31:45 ID:6dBWr13S
>84
(^。^;)相承候(笑)
>85
其故不知如何道候也(笑)
87 :
前世は一在家:2009/10/30(金) 21:14:01 ID:eNDHP+v4
>>79 前スレ10氏
>そして、明らかに、スレ立て者も、スレ設立の動機となった質問者(私)も、
>「輪廻=生まれ変わり」 という定義で話していて、
>質問も、「生まれ変わりは何で起きるのか?」と質問してるのに、
>それについては、頓珍漢な回答しかせず、
異教の私は「生まれ変わりは魂の成長の為」と伺っております。
証明などできる筈はないでしょうが、また長部経典の舎利佛が編纂した
経典(名前調べます)にヒントがあります。
仏(解脱)、菩薩に近付くほど、入胎時に記憶を失わなくなるという法が
あります。
何故、前世の記憶を失うのかでしょうか?
それは、現世の修行(→魂の成長)の邪魔になるからではないでしょうか。
もし前世の名前や職業や恋人や仇などを覚えていたら、固執が強すぎて
苦しみが深まりますね。
>>87 >また長部経典の舎利佛が編纂した経典(名前調べます)に
またかよ・・・。
いかげん、「勇み足&口から出まかせ」はやめろよ・・。 だから、「カス!屑!人間失格!」だと言うんだよ。
自歓喜経然り。Sn754偈然り。 他にも細かいことがあったように思うが、全部覆されて、まだ懲りないか?
どこかのどなたかさんABともに、何と言うか知らんが、
『現存仏典の編纂が、仏典に名前の出る初期の(釈尊在世時の)弟子の手になる、或いは主として関わっている』
なんてことはない。
てめーのいいかげんさには反吐が出るわ。
89 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 21:44:52 ID:6dBWr13S
異教ってどこだろうな♪
やっぱし、口にするのもオゾマシイ邪教なんだろうか♪
(^。^)大川某とか〜♪麻痺か罹とか〜♪(笑)
90 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 21:47:44 ID:4BJtjgcK
>>84 生まれ変わりの根拠として挙げられのは
1>各地の所謂「トンデモ転生事例」
2>仏典の記述
が主なものですが、1は勿論、実証された例はありませんし
2は「無我」との整合性のとれた論理体系が提示されたことはありません。
すなわち、「あると信じる」という個人的信仰以外には根拠はありません。
91 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 21:54:40 ID:6dBWr13S
>理論体系が〜
君はアレかね?
仏教哲学を記した経や論の全てを読破したとでも言うツモリなのかね?
転生する個人主体が有り得ない事を論証した、かの有名な論を一体どう理解しているのかね?
(-_-#)舐めた事ほざいてんじゃねぇぞ、コラ。
92 :
前スレ10:2009/10/30(金) 22:02:21 ID:0MfXQ6lV
>>90 だから、「ある」と言う人の意見を聞きたいんだってばw
>>91 >転生する個人主体が有り得ない事を論証した、かの有名な論
そこのところ是非くわしくお願いします。
93 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:07:28 ID:4BJtjgcK
>>91 ほ〜 「輪廻主体を設定せずに転生が行なわれる」
これが、業論と無矛盾で成立する論があると言うわけだな。
なら、ここに挙げてみろや。
クソが!逃げるなよ。
94 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 22:12:31 ID:6dBWr13S
>92
(^。^)ネタか?(笑)
釣られてみよう♪
仏教哲学の中観派の祖たる龍樹菩薩の著書である
中論
がそれです。
現在、テキストが手元に無いので、ググるか龍樹スレで質問するかして下さい。
95 :
前スレ10:2009/10/30(金) 22:15:56 ID:0MfXQ6lV
>>94 ネタじゃなくマジなんですけどね。
どの辺が無矛盾に論証してるんですかね?
要約してくれませんか?
中論は、どっちかと言うと、論理を超越しちゃってると思うんですが…。
96 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 22:16:15 ID:6dBWr13S
>93
誰が転生なんて非論理的なカビの生えた迷信を信じてるなんて言ったんだ?
日本語読めないなら母国に帰れや、ボケナスが。
97 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 22:17:53 ID:6dBWr13S
>95
テキストが無いんだってば。
>93にでも聞いてくれ♪(笑)
98 :
前スレ10:2009/10/30(金) 22:18:54 ID:0MfXQ6lV
>>96 おおっと、私も勘違いしてました。
てっきり、転生を肯定してて、
無我と輪廻との整合性のとれた論理体系が中論で有るという主張だと読んでました。
失敬。
99 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:21:20 ID:4BJtjgcK
>>96 あ?何言ってんだ?お前は。
>>91 は 俺の書き込みに付けたレスではないのか?
俺ははっきりと転生否定のスタンスをとっているのだかね。
それもわからないくらいバカのか?お前は。
100 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 22:30:38 ID:6dBWr13S
>99
>生まれ変わりの根拠として挙げられのは
>2>仏典の記述
が主なものですが、
>2は「無我」との整合性のとれた論理体系が提示されたことはありません。
これのドコが転生の否定なんだ?
仏教哲学を舐めた痛い転生信者のカキコ以外何物でも無いだろうが。
てか、名無しのスタンスなんか判る訳が無いだろうが。
俺が何を怒っているか、バカだから判らないのか?
101 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:35:30 ID:4BJtjgcK
>>100 あのなあ、「無我との整合性のとれた輪廻思想が提示されたことは、今までない」
普通にこのように読めるだろ?
お前は異常に読解力が、ない人なの?
日本語が不自由な人か?
102 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/30(金) 22:36:51 ID:6dBWr13S
もう落ちるが、文句が有るなら
「宗教板で罵りあうスレ」
まで来い。
(-_-#)明日レスしてやる。
103 :
神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:39:58 ID:4BJtjgcK
と言うか、俺の
>>90 の書き込み見て転生肯定論者だと
考える奴がいるのが不思議だ。
このコテ、こんなにバカなの?
104 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 01:09:18 ID:326jOQow
>>78 ゴータマさんは、涅槃に至るには、八正道しかないと言い切っているわけだ。
八正道の一番頭には、正見ってあるだろ。正見ってのは、要は、四諦の真理を理解することだ。
四諦の真理とはなにか?それは簡単に言うと、
苦とはなにか(輪廻により繰り返される迷いの生存)、
苦の滅とはなにか(輪廻の輪を断ち切り、迷いの生存を断ち切る)
その方法論(八正道)を知るということだ。このように、
四諦の真理と業法輪廻は深く関わっていて、切っても切れないものだ。
業法輪廻を理解しなければ、四諦の真理も理解できず、四諦の真理を理解できなければ、
正見を得ることもなく、正見無ければ、八正道もない。そして八正道なければ、
悟りに至り、涅槃に至ることもない。以上のように、ここの末法仏教徒のいうような、
業法輪廻思想なんて知らなくても悟りには関係ないなんて
とんでもない話なんだ。君らは本当に、ゴータマの仏教を知らないんだな。
105 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 03:01:55 ID:326jOQow
>>101 無我思想と整合性の取れた業法輪廻思想は、前シリーズから提示してきてるんだけどな。
ついでにいうと真我も見方によれば無我だとも説明してきた。原始経典を読めば、
業法による輪廻転生を説いているのは明らかだ。それを認めたく君らが曲解して
無理やり違う意味にしているだけで、本来議論になるほうがおかしい。
まともな人が読めば、ゴータマさんは輪廻転生があるのを前提に話しているのは明らかだ。
今更このテーマで議論になるほうがおかしい。え?そんな証明できない話信じられるか?
なら君らは仏教を捨てろよ。少なくとも業法による輪廻転生を認めなければ、
それはもう開祖の教えではないんだから、君らは仏教の看板を下ろすべきだ。
ゴータマは、間違った信仰は捨てろと言ったが、正しい信仰まで捨てろとは言っていない。
むしろ信仰は、この世の最上の宝だと言っている。一般的に証明できない
業法輪廻転生を信じるということは、信仰の問題なんだよ。
106 :
前スレ10:2009/10/31(土) 10:02:08 ID:y03jsnLt
>>104 苦諦って、そんな意味でしたっけ?
>>105 >無我思想と整合性の取れた業法輪廻思想は、前シリーズから提示してきてるんだけどな。
おお!ついに私の疑問にズバリ答えられる方が現れましたか!
是非是非、その「前シリーズで提示した」と言う部分をお教えください。
再度書き込んでくださると更にありがたいです。
107 :
析空:2009/10/31(土) 10:18:57 ID:lv3BX8u2
>>79 相変わらず【読解力】が無い人ですね。
>>1に、
> 仏教者たるものはこの思想と如何にして相対し、
>社会的にはどのように説かれていくべきなのでしょうか?
→とあるように、輪廻について誤解している点をまず指摘しておくことは大事なことです。
>業報、輪廻、転生、縁起、無常、無我、空・・・
>仏教理論についての議論の場としても、このスレを大いに活用しましょう!
→とも書かれているようにこの場は、素人さんだけのモノでは無いよ。
※輪廻には3つパターンがあり、その3つを区別しない見方があり、
今生の人生と次の人生の縁起が業により連続しているという見方が正しい輪廻の概念であり、
【縁起を理解すれば、輪廻再生が解る】というのが、正しい答である。
108 :
前スレ10:2009/10/31(土) 10:48:34 ID:y03jsnLt
>>107 【読解力】が無いのはどちらですかw
前のスレからあなたはずーっといますよね?
どこをどう読んでも、私の質問に宝珠愚者さんが答える為にこのスレは作られていますよね?
(何でか知らないですが、宝珠愚者さんは追い出されましたがw)
まあ、輪廻の定義を述べたいと言うのなら、どうぞご勝手に。
誰もそこは問題にしてません。
>※輪廻には3つパターンがあり、その3つを区別しない見方があり、
>今生の人生と次の人生の縁起が業により連続しているという見方が正しい輪廻の概念であり、
>【縁起を理解すれば、輪廻再生が解る】というのが、正しい答である。
結局、一番最初に予想したとおり、「縁起を理解すれば解る」で終了ですか…。
あなたが、「3つを区別しない」のはご自由ですが、
それなら、「再生(うまれかわり)」が起こる仕組みも説明して下さらないと、「輪廻」全体が起こる説明にならないですよ。
まさか、「今生の輪廻」が起こるのは自明だから、それと不可分の「再生」も自明であるとか言い出すんですか?
(この点は遥か昔に指摘済みで、未だに明解な回答が無いですね)
そして、「今生の人生と次の人生の縁起が業により連続している」と言う部分を詳しく説明して下さらないと、
「縁起だ」と言うだけではさっぱり説明になってないです。
輪廻の定義より、むしろ聞きたいのは「縁起によってどう連続しているのか」という部分です。
109 :
析空:2009/10/31(土) 12:53:08 ID:lv3BX8u2
>>106へ
カラスの唄さんの書き込み
>>104>>105は正確ですね。
私のカキコミと同じだと思いますが?
カラスの唄さんも【証明できない】という真理を正しく認識しています。
【証明できない】という回答が(理解できない)のは素人さんですね。
110 :
前スレ10:2009/10/31(土) 13:29:06 ID:y03jsnLt
>>109 いや、だからですね。
わたしは、「輪廻が証明できると主張するなら、証明してください」と質問しているんですから、
「証明が出来ない」が答ならそれでいいんですよ。「証明できる」と主張する別の方に聞きますから。
ただ、「証明が出来ない」と言う割には、
毎度、「縁起を理解すれば、輪廻再生が解る」と言い出して、あたかも「証明できる」かの如くに書き込みますよね?
ですから、「縁起でどう説明できるんですか?」と質問してるんですけどね……
素人がどうのこうのというのは、この議論の道筋に何か関係あるんですか?
もしかして、自分の意見を理解できない人は皆「素人だから」と切り捨てれば、自分が正当化されるとお思いで?
111 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 16:54:31 ID:326jOQow
>>106 心の宝を泥の中に投げてはならない。
彼らはあなたに感謝するどころか、噛みついてくるだろう。
俺は、豚に真珠は投げないよ。
ちゅうか、原始経典で、ゴータマは、何が回っているかはっきり言っている。
それを知っていれば、仏教は無我だから、業法による輪廻転生は無いなんか
言えなくなるはずなんだけどね。なにせ回っているのも、無我なるものだから。
それ以前に、ゴータマは、三世にわたる、業法輪廻転生を語っているのは明らかだ。
議論になること自体おかしい。君らは輪廻転生を認めたくないので、曲解をして違う意味にしているだけ。
まともな人が読めば、君らの解釈は、無理があると、相手にしない。
このスレは、「最終決着」のスレの流れを組むものだと思うけど、スレの流れ的に、
いまだに、仏教は無我だから、輪廻転生もないなどと、陳腐な
レベルの低い能書きを得意気に語っているのは君くらいなものだよ。
112 :
前スレ10:2009/10/31(土) 17:05:40 ID:y03jsnLt
>>111 だからですね、「その「前シリーズで提示した」と言う部分をお教えください。 」と言ってるんですがね。
なんでそれだけの事が出来無いんですか?
もしそれが出来ないなら、再度ご説明いただくか、「原始経典」の引用でも構いません。
「明らかだ」と言い切るには、明確な論拠があるって事ですよね?
まさか、「自分にとっては」明らかなだけなんですか?
少なくとも、まともな人ならば、「教えてください」と言う質問に対して、
「明らかだ」と言うのは回答になってないのは解りますよね?
113 :
前スレ10:2009/10/31(土) 17:49:43 ID:y03jsnLt
>>111 別に、業報輪廻を認めたくないわけじゃないですよ。ただ、信じる根拠も無いってだけで。
ついでに言えば、「仏教は無我だから、輪廻転生もない」なんていった記憶は無いんですけどね。
「輪廻(生まれ変わり)はある!」と強硬に主張する方が居るんで、その根拠を聞いてるだけです。
その上で、出来れば矛盾の無い説明が欲しいんで、無我との整合性を聞いてるんです。
輪廻を優先して、無我を否定するなら、それはそれで構いません。
ただ、そうすると、仏教の理論が殆ど崩壊する気がするんで、その部分の整合性が今度は気になりますね。
まあ、「仏教は理論を超越したもので、信じるしかないんだ!」と言うのが結論なら、これまた別に構いませんよ。
単に、「あなたの主張する仏教は、カルト宗教と本質的に何も変わらないんだな〜」と個人的に思うだけですから。
114 :
析空:2009/10/31(土) 18:03:09 ID:lv3BX8u2
>>110 そうだった。あなたは「説明」と「証明」の区別のできない人だった。
これは済まない。あなたには理解できない話しだった。
私が最初に輪廻について書き込んだのは、初心者質問すれだ。そこで「統一された説明」が無い理由を書いた。
そこで「無我と整合性の取れた説明」は、「ミリンダ王の問い」に書かれていると紹介した。
あくまでも「説明」だ。勝手に「証明」だと勘違いして文句をいう初心者がいたが。だから素人と認定した。
115 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 19:13:44 ID:326jOQow
>>112 だから俺は豚に真珠は投げないと言ってるんだよ。
おまえに教えてやる義理もないし、聞く耳の無い奴に話しても、エネルギーの無駄だ。
知りたきゃお前が過去スレ漁れ。「最終決着」の流れを組むここで議論したけりゃ
話の流れを理解するのは礼儀だしな。いつまでも、仏教は無我だから輪廻転生は無いなどという
陳腐な邪見を繰返されても困るんだよ。そもそも、仏教は無我だから輪廻転生は無い
という主張自体レベルが低く、話にならない。
だいたい仏教徒を自称するものが、輪廻する主体はなにかとゴータマが言っているのも知らないなんて、
洒落にもならない。ゴータマが言った輪廻する主体はなにかをしれば、
仏教とは無我だから輪廻転生は無いなどと寝言は、はかないだろう。何度もいうが、
君らのような、エゴに支配された人でない普通の人が原始経典を読めば、
ゴータマは、三世にわたる、業法輪廻転生を説いていたのは明らかだ。君らは輪廻転生を認めたくないので、
曲解して説いていないことにしているだけ。
主人公が日本に渡ったという本を読んだとする。それを、
その本のどこに主人公が日本に渡ったと書いてある?
その主人公が日本に渡ったというなら、その証拠を出せ。
なんて言ってる屁理屈垂れ相手に、まともな会話は成り立たない。
116 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 19:49:38 ID:326jOQow
>>113 だからなんで輪廻を肯定したら、無我を否定することになるんだよ、池沼。
おまえの言ってることは、縁起を肯定すると、無我を否定することになると言ってるようなものだ。
ま、この人のおつむじゃ、ここまで言ってあげても理解不能なんだろうけど。
ちゅうか、輪廻を語ればカルトかよ。この人は、カルトの定義も知らないらしい。
117 :
神も仏も名無しさん:2009/10/31(土) 20:38:17 ID:HLNywGOU
宇宙の謎に挑んだある有名科学者(戸塚?)が癌に犯され闘病した時、
仏教のあの世・世界観に興味を抱いたらしいが、花園大学?の仏教学者は問い答えていわく、
輪廻転生は実証されていない、人は死んだら「無」になる、とはっきり答えた
(NHKのドキュメント番組)
118 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 21:23:21 ID:326jOQow
>>117 だからそれ、ただの唯物論だって。
だいたいまだ実証されていないから輪廻はないと否定するのもおかしな話だ。
そもそも開祖が業法輪廻転生を説いているのに、否定するなら仏教の看板下ろせって。
死んだら無だと思ってんなら、墓も葬式も無駄だろ。
そんなもんで金恵んでもらうなよ、詐欺師共。
119 :
前スレ10:2009/10/31(土) 22:06:05 ID:y03jsnLt
>>114 いいかげん、日本語は正確に読めるようになったほうがいいですよ。
あと、議論のルールも、もう少し把握した方がいいと思います。
ミリンダ王についでは既に、「整合性が取れていない」と突っ込み済みで、それについても放置されてましたね。
120 :
前スレ10:2009/10/31(土) 22:06:13 ID:y03jsnLt
>>115 あなたも、日本語を正確に読めるようになりましょうよ。
これまでのスレを読んだ結果、「該当する箇所が見当たらない」から、どこの事を言ってるのか質問してるんです。
レス番の提示すら出来ないんでは、「既に説明済みだ」というあなたの主張も信じられなくなりますね。
もしかして、既に論破されて、再反論できていない部分を持ち出して、「説明済み、理解できない相手が悪い」とか言い出し始めるんですか?
121 :
前スレ10:2009/10/31(土) 22:06:20 ID:y03jsnLt
>>116 >だからなんで輪廻を肯定したら、無我を否定することになるんだよ、池沼。
あなたは、論理思考が出来無いんですか?
輪廻と、無我という二つの概念があれば、二つの関係は、
@輪廻も無我も肯定する=二つは矛盾しない (是非この説明をして下さい)
A輪廻を肯定し、無我を否定する
B輪廻を否定し、無我を肯定する
C輪廻も無我も否定する
この4パターンのみになりますよね?
113のレスは、あなたが輪廻を肯定する以上、@かAのパターンになるしかないことを指摘しただけです。
もしかして、この程度の論理思考も難しかったですか?
>輪廻を語ればカルトかよ。この人は、カルトの定義も知らないらしい。
本気で日本語読めてますか?
「論理を否定し、根拠を示せず、唯、自分の言う事を信じろと主張するなら、カルト教団の主張と一緒ですよ?」と指摘しただけです。
輪廻とカルトが直結するなんて、どこをどう縦読みしたんです?
122 :
ガラスの貝:2009/10/31(土) 23:22:06 ID:hkOvu6UQ
エクソシストについて〜何か教えて〜
ひまだから〜
123 :
カラスの唄:2009/10/31(土) 23:32:33 ID:326jOQow
>>121 よぉ屁理屈垂れ。お宅、相当頭悪いな。あれだけ分かりやすく書いてやってるのに、
やっぱりお宅のおつむじゃ理解不能らしい。ちゅうかこの人、根本的な部分で無我をわかっていないんじゃないか?
この人、仏典に三世にわたる業法輪廻について書かれているのに、いつまても、
どこに書いてあると、難癖つけてるように、いくら説明してあげても、
早く説明しろと、難癖つけてくるぜ。このタイプは、自分の気に入らないことは無かったことに脳内変換してしまうんだろ。
あまりにも我執がつよいので、思考回路が狂ってしまっている。それ以前にあまりの頭の悪さに、
いくら説明してあげても理解不能みたいだしな。別に俺達は、仏典をよめば三世にわたる、
業法輪廻のことがあるのを前提にゴータマは説法している。
その事実を曲げないで語っているだけだ。別に押し付けていない。
そう書かれているからそう書いていますよ。教義上からも、矛盾はありませんよと、と言ってるだけだ。
むしろ自分達が認めたくないから、書かれていることを、書かれていないことにしてしまったり、
曲解して違う意味にしてしまい、事実を曲げてしまう君らのほうが、カルトといえば、よほどカルトだよ。
ちゅうか、証明不能のことを述べればカルトだっていうと、世にある大半の宗教はカルトになってしまう。
おまえ、他人様をカルト呼ばわりするなら、せめてカルトの定義を理解してから言えや。
124 :
ガラスの貝:2009/10/31(土) 23:33:11 ID:hkOvu6UQ
それとね〜
ニャーヌッタラ長老ってさ
年老いたネコの呼び名であってますか〜
違うならね〜必ずね〜
証拠の提示をお願いしますよ〜
それ、あなたがたの義務ですからね〜
125 :
前スレ10:2009/10/31(土) 23:46:37 ID:y03jsnLt
>>123 え〜と、鏡が必要じゃないですか?
少なくとも、ご自宅にはないようですね。
ですから、
>仏典に三世にわたる業法輪廻について書かれている
と言うのは、どこの部分なんですか?
『書いてある』と言うだけなら、アホでも出来ます。
「どこの部分にどのようにかかれているか」を示していただけませんかね?
具体的に示すだけで、この下らない会話は終了するんですよ?
なんで、「書いてあるったら書いてあるんだ!」と、いつまでも駄々っ子みたいな発言を繰り返してるんですか?
そして、私は「根拠も、整合性の有る理論も提示できないなら、カルト宗教の唱える理論と本質的に一緒だ」と言ってるだけですよ?
なんでそれが、カルトそのものであるという事になるんですか?
126 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 01:04:41 ID:fLqRULs3
>>124 義務なんかねーよ。
君らは本当に考え方がおかしいね。
127 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 02:34:42 ID:TG3LlLGE
>>117 仮にも仏教教理に通じた専門学者が、死んだら無になるとか、
唯物論そのものの見解をはっきり語るのが理解できない
輪廻については肯定否定をぼかし(科学的に実証されてない)てるからともかく、
死んだら無になる=唯物論を語ってる方が信じられない
これをどう理解すれば良いのだろう…
見解を出してるのは、少なくとも2ちゃんにいる連中より遥かに知識があるプロの仏教学者だし
それも公共の電波(NHK)で堂々と…
128 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 02:41:24 ID:fLqRULs3
>>125 なんだおまえ、原始経典もろくに読んだことないのに、
ここであーでもないといってるのか。話にならないじゃないか。
あいにく出先だ。仏典の引用文出す以前に、原始経典では、悟りの境地に達した者は、
前世を全て思い出すことや、ゴータマが自分の前世を話す場面や、人は自分の成した業の報いにより、
生まれ変わるとゴータマが説法してる場面はいくらでも書かれてるんだがな。
おい、誰かこの馬鹿の為に仏典の文言Upしてやってくれよ。
輪廻と無我の整合性の話も、あれだけわかりやすいヒントを書いてあげてるのに、理解力ゼロ。
おまえは話にならないんだよ。
129 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 02:44:30 ID:fLqRULs3
>>125 おまえ、本当に頭悪いんだな。ここまで頭悪いと、真面目に気の毒になってくるよ。
130 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 07:16:57 ID:fLqRULs3
>>125 ま、おまえのおつむじゃ、このふたつ読んでも理解できるとは思えないが。
おまえ、仏典といえば、般若心経か、中論しか読んだことねぇんじゃないのか?(苦笑)
あのよ、自分の認めたくないことは、どうみても無理のある曲解をしてまで、
説いていないことにしている、一部の頭のおかしい人達がいるが、
一般的には、原始仏典には、ゴータマは業法輪廻転生はあるのを前提に、説法をしているということは、
常識なんだよ。おまえの問いは、アポすぎて話にならん。ちゅうかおまえ自信、レベルが低すぎて話にならない。
131 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 07:19:21 ID:fLqRULs3
>>125 おまえ、無我とは、死んだら我は無くなることだと思てるやろ。
池沼丸出し。
132 :
析空:2009/11/01(日) 07:41:59 ID:3KVOlBi/
>>117 >輪廻転生は実証されていない、人は死んだら「無」になる、とはっきり答えた
>(NHKのドキュメント番組)
→人は死んだら無になる、というのはその仏教学者の間違い。
→「無になる」という思想は、仏教では「断見」といい、「常見」と合わせて間違いとしている。
→(如来の)死後の世界については「語るヨスが無い」というのが正しい解釈です。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 08:16:41 ID:NEXdSzK9
昔、橋本治が釈迦が輪廻から解脱したというのは馬鹿な古代人の中で釈迦は近代的な見方が出来たからでその意味で現代人は皆解脱しており、マルクス革命を起こすのが正しいと言っていたが
馬鹿も休み休み言えという話だし
この手の知識人は犯罪的だな
134 :
析空:2009/11/01(日) 08:18:26 ID:3KVOlBi/
>>119 >
>>114 >いいかげん、日本語は正確に読めるようになったほうがいいですよ。
→だから「それ」が不毛な会話なのだ。
>あと、議論のルールも、もう少し把握した方がいいと思います。
→議論するつもりは無い。
>ミリンダ王についでは既に、「整合性が取れていない」と突っ込み済みで、それについても放置されてましたね。
→不毛な突っ込みは放置する。
※君が私に粘着するのは私にも責任のあることだから仕方ないが、
※他の方々にも「同じような対応」を続けると、誰も君を相手にしなくなるよ。※もうすでにその徴候が現れている。気をつけたほうがよい。
135 :
析空:2009/11/01(日) 08:42:16 ID:3KVOlBi/
>>121 >輪廻と、無我という二つの概念があれば、二つの関係は、
>@輪廻も無我も肯定する=二つは矛盾しない (是非この説明をして下さい)
>A輪廻を肯定し、無我を否定する
>B輪廻を否定し、無我を肯定する
>C輪廻も無我も否定する
>この4パターンのみになりますよね?
→これは違う。
>113のレスは、あなたが輪廻を肯定する以上、@かAのパターンになるしかないことを指摘しただけです。
→それは間違いだ。他のパターンがある。
>もしかして、この程度の論理思考も難しかったですか?
→だからそれが良くない。→他のパターンがあることに気がついていないにも係わらず、相手を「この程度」と蔑むのは良くない。
※「輪廻も無我も肯定」かつ「輪廻も無我も否定」するパターンがある。君には想像もつかないだろうがね。
136 :
前スレ10:2009/11/01(日) 08:55:11 ID:Vy8bNbd/
>>127-131 ですからね、「該当する場所に心当たりがない」と言ってるんです。
具体的に示すだけで、この下らない会話は終了するんですよ?
なんで、「書いてあるったら書いてあるんだ!」と、いつまでも駄々っ子みたいな発言を繰り返してるんですか?
137 :
前スレ10:2009/11/01(日) 08:55:21 ID:Vy8bNbd/
>>134 「自分を批判する意見は黙殺する」って事ですか。
本当にあなたの回答は、私の予想の範囲を出ませんね…
138 :
前スレ10:2009/11/01(日) 08:55:33 ID:Vy8bNbd/
>>134 >※他の方々にも「同じような対応」を続けると、誰も君を相手にしなくなるよ
鏡要りますか?
良くこのスレ見てくださいよ。3人以外にはほとんど居ません。
どちらかと言うと、相手にされていないのは…。
まあ、ボロクソに反論される事を「相手にされる」と言うなら、確かに人気者ですねあなたは。
このスレだけでなく、他のスレでも同じですよ。
ついでに言えば、私のどの辺りがおかしいですか?
私の発言は、ほとんど、
「主張をするなら根拠・理論を示してくれ。」
「質問に合っていない回答は、回答ではない。」
としか言ってないと思うんですが。
139 :
前スレ10:2009/11/01(日) 08:57:17 ID:Vy8bNbd/
>>135 >※「輪廻も無我も肯定」かつ「輪廻も無我も否定」するパターンがある。君には想像もつかないだろうがね。
いやいや、よく読みましょうよw
>>113の一番下にそのパターンは書いてありますよ。
本当にあなたの回答は予想の範囲を出ませんね。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 08:57:51 ID:GXcY2/YV
test
141 :
前スレ10:2009/11/01(日) 08:59:07 ID:Vy8bNbd/
っと、読み返していたら誤植発見
>>113 誤)「仏教は理論を超越したもので、信じるしかないんだ!」と言うのが結論なら、
正)「仏教は論理を超越したもので、信じるしかないんだ!」と言うのが結論なら、
失礼しました
142 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 09:07:50 ID:JU+YvLu3
輪廻転生は、科学が存在しなかった古代人が信じた多くの「迷信」のう
ちの一つ。現代人が大真面目に信じるものではない。
また「ゴータマが言った」ということはナンセンス。ゴータマが書いた
仏典など「皆無」だし、すべて又聞きの又聞き。現代の裁判では、この
ような又聞きは、伝聞証拠として、原則として証拠としても採用されない。
ましてや、それが「ゴータマの真意」などと信じこんでいる宗教者は、
滑稽極まりない。「イエスが言った」についても同じ。
143 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 09:22:10 ID:fLqRULs3
>>136 そりゃ般若心経には、業法輪廻転生のことは書いてないわな。
もし原始仏典を読んで該当する箇所が見つからないと本気でいっているなら、おまえは狂っているよ。
少なくともまともな会話の成り立つ相手ではない。
144 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 09:26:02 ID:2+nHB2E7
>折空氏へ
「証明できないこと」は、人前で語らず、自分の胸に秘めておいてください。
言語とは、「他者に対する意味伝達の手段」。「証明できないこと」
「自分でも分らないこと」を人前で口走ることは、人類最大の発明として
の言語の冒涜以外の何物でもありません。
また、仏教とは、無数の人々が長い年月をかけて作り上げた「論理の
体系」。「ゴータマが言った、言わない」は、もはや関係ありません。
開祖が言ったからという理由で無条件に信じていたら、少なくとも
現代の大乗仏教はありえなかったでしょう。それは、おどろおどろしい
古代の「小乗カルト」にしか過ぎません。
145 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 09:38:49 ID:G1BvAKhz
釈迦もイエスも、現代の科学の奇跡的発達は「夢想だに」できなかった
のです。科学の発達に応じて、宗教から「迷信」は一掃し、これらの
開祖が「現代に生きていたら、何を語るか」を考えるべきです。彼等は
当時における最先端の改革者であったはずです。彼等が現代に生きていたら、
2000年前の迷信を信じよ、などという訳がありません。それは、むしろ、
彼等を侮辱していることになります。
146 :
析空:2009/11/01(日) 10:24:15 ID:3KVOlBi/
>>144 >「証明できないこと」は、人前で語らず、自分の胸に秘めておいてください。→何か勘違いされているようですが、「証明できない」ことを指摘したのであって「証明できない」話しを「事実だ!」「信じろ!」などと【主張】していませんよ。
>言語とは、「他者に対する意味伝達の手段」。「証明できないこと」
>「自分でも分らないこと」を人前で口走ることは、人類最大の発明として
の言語の冒涜以外の何物でもありません。
→ここも間違いですね。
「証明できないこと」と「自分でも分からないこと」は同じではありません。
→仏典では何も証明してはいませんが、説明はしています。
→真面目な仏教徒は、その「説明」だけで真理を悟るのですよ。証明は不用なのです。
>また、仏教とは、無数の人々が長い年月をかけて作り上げた「論理の体系」。>「ゴータマが言った、言わない」は、もはや関係ありません。
→私はそんな話しはしていませんよ。
>開祖が言ったからという理由で無条件に信じていたら、
→私の話しがそのように受け取られたとしても、私には「開祖が言ったから」という考えは無いですね。
>少なくとも現代の大乗仏教はありえなかったでしょう。
→現代の大乗は、かなり変ですよ。
>それは、おどろおどろしい古代の「小乗カルト」にしか過ぎません。
→「小乗」という差別用語を使用している時点で、キミもアウトだね。
147 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 10:37:53 ID:5yoxn8hf
>>145 >→真面目な仏教徒は、その「説明」だけで真理を悟るのですよ。証明
>は不用なのです。
「真理」とは、「万人、万物に適用できることが検証・証明」された
事実を言います。「仏教徒だけに通用する」事実は、「人間界における
真理」ではありません。しかも、仏教徒の間でさえ、これほどの争いが
ある対象については、何おかいわんやですw。
開祖は、当時の知識水準で、当時の人々に対して語ったに過ぎません。
古代人の迷信を信じたい点で、あなたは現代人としては根本的に誤って
います。
148 :
前スレ10:2009/11/01(日) 10:38:17 ID:Vy8bNbd/
149 :
前スレ10:2009/11/01(日) 10:38:36 ID:Vy8bNbd/
>>146 >真面目な仏教徒は、その「説明」だけで真理を悟るのですよ。
こういう書き方をするから、「説明の振りをした証明」をしてるように読めてしまうんですよ。
>証明は不用なのです。
ですから、144さんも仰ってるように、証明できないなら、それでいいですから、沈黙していただけませんか?
私は、「『証明できる!』と主張するなら、証明してください」としか言ってないんです。
それに対して、「説明は出来る!説明すれば悟れる!悟れば理解できる!説明と証明は違う!」と繰り返すだけでは、議論になりませんよ。
それとも、「回答してない、主張してない」に続いて、今度は「議論してるわけじゃない」と言い出すんですか?
150 :
析空:2009/11/01(日) 11:23:42 ID:3KVOlBi/
>>137:前スレ10
>
>>134 >「自分を批判する意見は黙殺する」って事ですか。
→「不毛な会話をしない」といっているのに「自分を批判する意見は黙殺する」という受け取り方をする。→この応答が良くないと何度も指摘しているのだ。
>本当にあなたの回答は、私の予想の範囲を出ませんね…
→そうではない。君の予想外なので君には理解できないだけだ。
>>138 誰からも「ボロクソに反論」などされていないし、もともと何かを主張していないのだから議論にもならない。
このスレに3人しか居ないのは君が相手にされていない証拠だというのが解らんのか。
人の忠告も聞けない人間なのだな。
>>139 やはり君のレベルでは難しかったか。君は何もわかっていない。
>>149 「いいだす」のでないだろう。既に2回も「議論しない」といっている。何度も同じ話しをさせるな。
人に黙れというより、私に粘着するのをやめたまえよ。
151 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 12:09:07 ID:rhru/9BE
このスレに三人しかいないと言うのは言い過ぎでしょ?
少なくとも俺は始めから、いつ、輪廻に関する各種の疑問点に回答を
与えてくれる者が現れるのかと心待ちしているのだが。
152 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 12:13:04 ID:rhru/9BE
よけいな口はさむのも、よろしくないと思っていたので、ずっと黙って見ていたが、
そろそろ有意なやりとりをしてはどうかな?
153 :
暁:2009/11/01(日) 12:25:57 ID:NEy8eZHy
小乗アビダルマは、生あるもの(衆生)が三界を輪廻する過程を時間的に
十二因縁に当て嵌めて解釈する。これは三世両重の因果において説明する
胎生学的解釈といわれる。時間的継起関係とみなしていた考えだな。
だがその過程においてもおびただしい数の考えがあって一概にこれだと
仏教でいうのは困難だわ。
有部の『発智論』では、無明と行とを過去、生と老死とを未来、その他
八つを現在に配当して、輪廻の過程を示しているような考えがあらわれて
いる。これは胎生学的な解釈ではないというね。
154 :
前スレ10:2009/11/01(日) 13:26:07 ID:Vy8bNbd/
>>150 >この応答が良くないと何度も指摘しているのだ。
あなたの「不毛」の認定基準見てると、「反対意見の黙殺」としか思えないんですがねぇ。
>>134 >君の予想外なので君には理解できないだけだ。
一番最初に「こういう回答は止めてね」と断った回答から一歩も外に出てないと思うんですが。
ああ、失礼。こう書くと、私への回答じゃないとまた言い出すんでしたね。
>もともと何かを主張していないのだから議論にもならない。
予想通り、「主張してない」の次は、「議論などしていない」ですか…。
どこが、「君の予想外なので君には理解できないだけだ。」なんですかね?
>やはり君のレベルでは難しかったか。君は何もわかっていない。
いやいやw
>※「輪廻も無我も肯定」かつ「輪廻も無我も否定」する
というのは、明らかに論理を超越してますよね?
もし、これも論理的だと言い出すなら、中学生からやり直した方が良いと思います。
そして、このように基礎的な論理すら超越した理論ならば、カルト集団が良く提示する教義と、本質的に変わりがないですよと、指摘済みです。
155 :
前スレ10:2009/11/01(日) 13:26:17 ID:Vy8bNbd/
>>151-152 おっと、失礼しました。
表現が曖昧でしたね。
「このスレで発言をしている人は、ほぼ3人しか居ない」と訂正します。
私も有益な議論がしたいものです。
156 :
前スレ10:2009/11/01(日) 13:26:56 ID:Vy8bNbd/
>>153 おお、ついに回答につながりそうな方が現れましたね!
どうぞよろしく御教授お願いします。
>生あるもの(衆生)が三界を輪廻する過程を時間的に十二因縁に当て嵌めて解釈する。
十二因縁を輪廻に当てはめても、それが転生の根拠にはならないと思うんですよね。
結局、「転生は、行⇒識、有⇒生に対応する」というだけでは、
「なんでそうなるか」が今ひとつ説明不足だと思います。
上手い例えが咄嗟に思いつかないんですが、
「自動車は何で走るの?」という質問に対して、
「馬は草を食べると走るだろ?車もガソリンを入れれば走るんだ」と答えているようなものではないでしょうか?
>一概にこれだと仏教でいうのは困難だわ。
なんとか簡単に説明できませんかね?
157 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 13:47:31 ID:FTjUj7A9
>>152 >よけいな口はさむのも、よろしくないと思っていたので、ずっと黙って見ていたが、
>そろそろ有意なやりとりをしてはどうかな?
科学の無い時代の「迷信」は、はっきりとそう言い切るのが有意。「迷信」に有意も理屈もないw。世の中の
多数の迷信を数え上げてご覧。
158 :
暁:2009/11/01(日) 14:35:46 ID:NEy8eZHy
>>156 >「自動車は何で走るの?」という質問に対して、
>「馬は草を食べると走るだろ?車もガソリンを入れれば走るんだ」と答えているようなものではないでしょうか?
このような説明とはまた違うかもしれないけど、仏教は自然的事物、例えば
「瓶」でいえば、「瓶」の存在は否定しないわけだが「瓶」を「瓶」として成立させ
ている「ありかた」があるとは言えない立場だよ。それ自体を可能ならしめている高次元の何かがあるとする考
方だね。
生滅変還の哲学は、その対極にある不変の原理を探究するのが常であり、
そのような形而上学的立場をとった仏教学派も確かにいた訳ですが。
本来戯論(形而上学的な議論)の消滅を目指す仏教者にその説明を求めるのは
不可能なのかもしれん。
159 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 15:10:08 ID:rWHBxsDK
>158
(^。^;)仏教哲学は求道のツールなんだから、オカルトの還元主義的論証なんかに付き合わんっての。(笑)
てか、三世両重説って、有部後期とかって「龍樹」に書いてた様な気が。
160 :
暁:2009/11/01(日) 15:45:28 ID:NEy8eZHy
>承狂さん
うむ。確かに三世両重説は有部においても後代による見解だとされてますね。
俺は論証云々よか仏教の立場的な説明をして理解していただきたいなと思っ
て書いたつもりだったんだけどね(笑)
161 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 16:16:39 ID:rWHBxsDK
>160
(^。^)そりゃぁ、スタンスが違うからねぇ♪
てか、プトガラの記述でもアップしてあげたら?
162 :
析空:2009/11/01(日) 16:25:58 ID:3KVOlBi/
>>154:前スレ10
>あなたの「不毛」の認定基準見てると、「反対意見の黙殺」としか思えないんですがねぇ。
>>134 →つまりは、私が「反対意見の黙殺」とは「言っていない」が、あなたが勝手に「反対意見の黙殺」と思い込んだというにすぎない。
>ああ、失礼。こう書くと、私への回答じゃないとまた言い出すんでしたね。
→こういう応答が良くない。何度も指摘している。これも最後としよう。
>※「輪廻も無我も肯定」かつ「輪廻も無我も否定」する
>というのは、明らかに論理を超越してますよね?
→「明らかに〜」という言葉は、思い込みの激しい人間がよくつかう。
→君が【「肯定」かつ「否定」】という相反する概念を同時に認めることが理解力できないのは分かった。
→最後にこれの例をあげて終わりとしよう。
→たとえば「我」の有無を論じるとき、日本人なら
1.我は有る
2.我は無い
と、2つのパターンで思考する。
→インド人は違う。
1.我は有る
2.我は無い
3.我は有る、かつ無い」4.我は有るのでは無く、かつ無いのでは無い
と、このように4つのパターンで思考する。
インド人の方が論理的だ。
君が井の中の蛙であって、君の知らない世界があることに謙虚になるべきだな。
→と忠告しても君には無駄だろうから、これで最後にする。いいかもう一度いう「これで最後だ」もう説明しない。君には理解できないから。
163 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 16:28:38 ID:BT/9KeGI
>>161 各人のスタンス(観念)の違いで異なるものなど、人間界の「真理」と
は言えんな。各宗教・宗派の「自己満足」「自己欺瞞」「自己陶酔」に
しか過ぎん。
「迷信」をいくら論じても、「迷信」であることには変わりはない。
164 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 16:36:51 ID:TY8Y2Yr0
>>162 >→インド人は違う。
そう思考しているのもインド人の「我」だから、明らかに「論理矛盾」である。
165 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 16:37:34 ID:rWHBxsDK
>163
(^。^)ツヤつけとんしゃぁとこ、すんまっしぇんが、
私も転生否定なんですが。(笑)
166 :
暁:2009/11/01(日) 17:43:22 ID:NEy8eZHy
部派仏教の犢子部は、上座部系統である説一切有部から分かれたといわれてます。
特徴としては、輪廻の主体としての補特伽羅(プトガラ)を認めていました。
この補特伽羅説は、五蘊説と輪廻説の調和のために称えられた説だということです。
五蘊説による実体をもたない無我と、輪廻説による人間は死んだ後に輪廻
するという説明をするためだといいますね。
当時これは苦肉の策だったともいわれてます。五蘊説による主体が存在しない
輪廻の理解に苦しんだ仏教徒が、五蘊の他に「補特伽羅」という主体を想定
した訳ですよ。しかしこれだと厄介なことになるんですね。そうなると仏教
が排斥する常住に陥ることになり、輪廻からの解脱ができなくなるという
困難があるわけですよ。仏教においては、死後は無になるというような断滅論
も言えない訳で、輪廻転生の主体は一体何であるのかという疑問に相当苦しんだ
のではないかと思う訳ですよ。
当時「霊魂」なんていう表現はなく、各派それぞれ独自の主張があったといいます。
犢子部は「補特伽羅」、薩婆多部は「業」の輪廻を認め、化地部は「窮生死蘊」、
軽量部は「細意識」とかですかね。大乗仏教においても、唯識思想では「阿頼耶識」
などといった輪廻の主体のような表現がありますが。このような説を掲げる
とこに対しての批判は今だ少なくないですね。
承狂さんいかがでしょうかw
167 :
前スレ10:2009/11/01(日) 17:55:10 ID:Vy8bNbd/
>>158 >本来戯論(形而上学的な議論)の消滅を目指す仏教者にその説明を求めるのは不可能なのかもしれん。
まあ、そうでしょうね。
私は、「証明できる」と主張する人にその根拠を聞きたいだけなんで。
168 :
前スレ10:2009/11/01(日) 17:55:46 ID:Vy8bNbd/
>>162 >あなたが勝手に「反対意見の黙殺」と思い込んだというにすぎない。
まあ、その通りですが、実際問題として大きく違って居ないと思いますが?
反論に答えずに、「不毛な会話だ」って打ち切ってるんですから。
>君が【「肯定」かつ「否定」】という相反する概念を同時に認めることが理解力できないのは分かった。
まあ、とりあえずあなたの日本語が「理解力できない」のはわかりましたw
あなたの言う「論理」というのは、世間一般でいう「論理」とは大きく違うのは自覚なさってますか?
少なくとも、「肯定と否定を同時に満たす」というのは、「一般的な論理」を超越してると思います。
まあ、「あなたの言うインド人」には通用する論理なんでしょうね。
169 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 18:02:12 ID:rWHBxsDK
>166
(;・Д・)・・・
お見それしました。
俺は「龍樹」で読んだだけだから、そんな事まで知らんかった。
170 :
神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 18:55:58 ID:JNI7MM2K
>>166 >輪廻の理解に苦しんだ仏教徒が、
それは一体何百年前の話ですか。
「輪廻の理解に苦しんでいた」のは、少数の職業的仏教徒だけで、圧倒的大多数の生活者たちは、
その他者との係わりの中での日々の生存努力という最大の「修行」を通じて、「死ねば無」「苦
あれば楽あり」ということを悟っていたと思うよ。だから、家族が亡くなれば、例外なく悲しんだ。
来世があると信じているのなら、悲しむことはないはずだ。つまり、生活者たちは、人間として、
職業的仏教徒はもとより、御釈迦さんよりもはるかに悟っていたわけだ。
171 :
暁:2009/11/01(日) 19:08:12 ID:NEy8eZHy
>>170 ええと、冒頭で書いた部派仏教である犢子部や。その他各派と述べてるつもりだった
のですが…。
仏教徒という語に噛み付いたということは判りますが。
カラスや宝珠もそうだが、
御隠居は特に、挿入前にイっちゃうタイプだろ? 察しろよw
>>171
>>168 昔の人間は伝染病とか広がると
死体を積み上げたり、もっと死が現実に直面した問題だったわけで
あなたが自らの死に対して、輪廻や永遠の魂も求めないし、唯物でも構わないと言うのなら
それはあなたの勝手な訳ですよ。
仏教に死後も継続する救いを求めてる人は、輪廻も受け入れないといけなくて
それが仏教な訳で、
あなたが輪廻を否定するけど、無我は信じたいなら、仏教でないから新興宗教に救いを求めたらいいだけのこと
>>174 何が馬鹿なのか知りたい。
間違いなくあなたも何時かは死ぬのですけど?
特に恐ろしいのは死の手前です、もはやネットに書き込む元気さえ無いことでしょうから
その時に、馬鹿だと言い切るあなたは何に救いを見出すのでしょうかね。
>>175 過去の身口意の正当性と充実感に救われるだろうよw
近頃では無宗教の人も多く
死後も身体を構成していた窒素や炭素は
生きて地球を回るのだとの考え方をした人も居るのですけど、それを信仰するのは人の勝手な訳で
仏教でも何でもない仏教から見たら外道の思想なのだから、どうか我が道を探求してくださいな。
>>177 出た出たw
『仏教とは違う宗教に親しむ者は愚かで救われない』と、
『仏教を知らない人間は救われない』と、
お前のような傲慢の塊が仏教を口にすることの方が世も末だわw
179 :
カラスの唄:2009/11/01(日) 23:03:34 ID:fLqRULs3
>>133 末法仏教徒達にかかると、ゴータマのいった輪廻からの解脱とは、
輪廻という迷信からの脱却だ!ってことになるようだが、
それこそ、そんなこと仏典のどこに書いてある?って話なんだよ。
そういうのを、自分達の価値観に無理矢理合わせた、君らのエゴによる曲解っていうんだよ。
業法輪廻転生を認めたくなかったら、隠居の主張するように、はっきりと、ゴータマは間違っている。
彼も所詮は迷信に囚われた、古代人に過ぎない。だが彼の発見した
縁起などの思想は哲学的に見るべきものがある。我々は彼の思想を現代的にアレンジして、
より高度に仏教哲学を発展させたものだ。といえばいいんだよ。そう言えばこじれることはない。
それを、原始仏典では、どう読んでもゴータマは業法による輪廻転生を説いているのに、
自分達が認めたくないからと、どうみても無理のある曲解に次ぐ曲解を重ねては、
述べていることも述べていないことにしてしまい、自分達の都合のいい曲解を、これぞ
ゴータマの仏教と強弁して、邪見をぱら撒いているばかりか、
己のエコに汚されず、仏典を素直に読み、素直な見解を持つ者の発言を潰してしまう。
君らは自分が、真理の道に行くのを拒むばかりか、他人までその道に行かせないようにしている。
ここに君らの罪がある。ゴータマの仏教、業法輪廻、因果応報からすれば君らはその報いを受けることになる。
君らの心はますます頑なに、頑迷さを極め、決して真理を悟ることはないだろう。
その結末は、永遠の滅びた。まさに君らの望み通りの結末を手にするだろう。
180 :
前スレ10:2009/11/01(日) 23:10:31 ID:Vy8bNbd/
>>173 何で私にアンカーつけてるのか良く分からないですが、一応レスします。
いいですか、私は輪廻を否定するとは一言も言ってないですよ?
「輪廻は有ると主張するなら、根拠・理論を示してくれ」と言ってるだけです。
むしろあなたのように、輪廻に救いを求める立場ならば、
私のように、根拠・理論を求めるのが自然な感情だと思いますが?
まあ、鰯の頭を御神体にして信仰するのと同じレベルで良いと言うなら何も言いませんが。
余談ですが、私は無我について、実は懐疑的だったりしますw
無我ではなく、非我なら良く理解できるんですけど、「無我」と言うのは言いすぎな気がします。
まあ、このスレの主題に反するので、あまり突っ込みませんが。
>>179 >君らの心はますます頑なに、頑迷さを極め、決して真理を悟ることはないだろう。
>その結末は、永遠の滅びた。まさに君らの望み通りの結末を手にするだろう。
あれ?
(仏教的には)解脱しなかったら、永遠に輪廻し続けるんですよね?
1行目は、「“頑ななまま解脱できない人”のこと」ですよね?
で、
2行目は、「“そのような人”は永遠の滅びを迎える」ってことですよね?この人は輪廻しないんですか?
《永遠の滅び》という言い方は、《般涅槃》にこそふさわしいような気もしますが、《断滅》とどこが違うんですか?
滅びず、常住し、生き続け(法を説き続け)るのが、仏教の目指すところですかwww
素晴らしい夢物語ですねw
182 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 23:12:14 ID:rWHBxsDK
>177
物理的存在としての自分しか認識してないのかな?(笑)
我々は、人類を構成する一個体であり、共同体の一員としての
諸悪莫作諸善奉行
を為すべきであり、
自浄其意
を心がけるのが仏教徒としてのたしなみなのだがな。
(^。^)むしろ、転生を信じろなんて方が外道だろ♪(笑)
>>178 >『仏教とは違う宗教に親しむ者は愚かで救われない』と、
>『仏教を知らない人間は救われない』と、
このようなことを言った覚えなんかありませんが?
唯物が外道なのは、仏教語るなら常識なんですけどね。
184 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 23:19:34 ID:rWHBxsDK
>180
たぶん、無我って概念を誤解されてると思います。
(^。^)別に仏教は現実逃避を目指してはいませんから♪
単に利用する人が居るだけです♪(笑)
>>183 お前、日本語大丈夫か?w
>唯物が外道なのは、仏教語るなら常識なんですけどね。
→仏教(という価値観)の枠の外は外道である、ってことだよな?
で、
仏教(という価値観)の枠の外の人間は救われないってことに、
自動的に(→問答無用な論理的帰結としてw)ならないか?w
186 :
前スレ10:2009/11/01(日) 23:25:11 ID:Vy8bNbd/
>>184 スレ違いなんであんまり言いませんが、
「これは我でない、あれも我でない」という「非我」の思想は良く分かります。
でも、そこからイキナリ「我と言う存在は無い(無我)」と言い切っちゃうのは理論が飛躍しすぎだと思うんですよね。
まあ、個人的には、無我だとは思うんですが、論理的に少々無理があると思います。
187 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 23:25:30 ID:rWHBxsDK
>185
(^。^)ちっちゃい子供には、そんな理屈は通じんぞ♪(笑)
>>180 >「輪廻は有ると主張するなら、根拠・理論を示してくれ」と言ってるだけです。
証明するのは大変に難しいことだと思いますね。
仮にあなたが未来に行ったとして、不治の病も完治する医療を見てきたとします。
どうやって我々にそれを証明するのでしょうか?
そもそも輪廻のメカニズムを私があなたに説明できるくらい非凡なら、今頃多くの特許を取得してて億万長者ですよ。
自分でも出来ないことを他人に求めてはいけない。
189 :
前スレ10:2009/11/01(日) 23:34:35 ID:Vy8bNbd/
>>188 いや、だからですね、「ある!」と主張するからには、根拠があるんでしょうから、それを示して欲しいだけですよ。
根拠も無く、盲信しているんですか?
>仮にあなたが未来に行ったとして、不治の病も完治する医療を見てきたとします。
>どうやって我々にそれを証明するのでしょうか?
普通に治療法を順番に語ればいいと思いますが?何か問題でもあるんですか?
まさか、未来の医療は、論理を超越した魔法で治療してると言う想定なんですか??
>自分でも出来ないことを他人に求めてはいけない。
日本語がおかしいですよw
自分で輪廻のメカニズムが説明できるなら、質問してませんよw
それとも、「そこは聞いちゃいけないところだから、質問しちゃらめぇ」って事ですか?
>>185 そんなことは知らない。
唯物は仏教からは外道、それが仏教信じるならルールなのだから
社会にルールがあるのは当たり前
それが気に入らないなら、他の宗教を信じればいい。
そもそも外道と訳した人の匙加減できつく感じるだけで、
本来の言葉はもっと違ったのかも知れないから、言いがかり付けられても困るわ
>>188 >そもそも輪廻のメカニズムを私があなたに説明できるくらい非凡なら、今頃多くの特許を取得してて億万長者ですよ。
>自分でも出来ないことを他人に求めてはいけない。
そのようなことを根拠に、仏教は倫理道徳を説いてきたわけだが・・w
良かったな、君の周りの人間が素直な人ばかりでwwwww
>>189 つまり、自分で体験したことも無いのに輪廻あると断言するな、
ってことでいいんだろ
>>190 お前が、部屋の中に引き籠って、他者とのコミュニケーションを想像できない人間だというのは良くわかったw
仏教を信じない人間が存在することすら想像できないらしいwww
>>189 もちろん未来の進んだ医療を見ただけ!
って言うのが前提ですよ。
万能細胞とかそのような知識は皆無で、そんなもん
他人の借り知恵を駆使して説明するのとか邪道ですよ。不可知なものを説明しろってのだから
195 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 23:52:54 ID:rWHBxsDK
>186
仏教ってスタンスの論証なら有るのですが、まぁ、仏教自体に興味がないならどうでもいい話です♪(笑)
(^。^)興味あるなら、宗教板で罵り合うスレまで来られたし♪
196 :
前スレ10:2009/11/01(日) 23:55:23 ID:Vy8bNbd/
>>194 段々想定の条件が厳しくなってきましたねw
要するに、本来、「輪廻」は理論があり、明確なシステムがあるけれど、
それを見る人間がアホだから、システムについて説明できないという事ですか?
つまり、あなたがアホだから解説できないだけで、本当は証明可能なものなんだと言いたい訳ですよね?
なら、「システムも理論も理解できないのに盲信している人」ではなく、
「システムを理解できる人」に解説してもらいます。
あれだけ「輪廻はあるんだ!」と主張してる人が沢山いるんですから、一人ぐらい盲信じゃなくて、システムを理解している人がいるでしょう。
(あなたにとって)難しい質問をして済みませんでした。
まあそもそも、この比喩で言うならば、「進んだ医療を見た(輪廻を見た)」と言う点の証明も必要になりますよね?w
>>194 それは、
「夜中だよ!東の山の向こうから、でっけぇオレンジ色の光が飛んできて、
頭の上を過ぎたら消えちまったんだ。夢でも見たのかと思ったよ。
けど、隣のジョージも見たって言うからさ。 ありゃ、絶対宇宙人の乗り物だな」
という発言を信じるのと同じだと気付けw
インフォームドコンセントに於いて、
医師が患者及び関係者に説明する際、専門語・述語連発で終了でいいと思うか?
違うだろ?絶対、言い換えて、或いは解説している筈だ。
時代によって違いはあるが、医療や肉体の仕組みについて、それなりの知識はあるし、
補正されながら医師の説明を聞く。
杉田玄白ではないが、あの頃の医師は西洋(≒オランダ)医学を魔法のように感じたかもしれん。
(まさに、今話題に出ている『未来の技術』そのままだよ。)
けど、だからと言って盲目的に採用したわけではない。 確認しながら、
≪確かにそうだ≫ を重ねたんじゃないかい?
(仏の)おしえも、実は同じだ。
『ああ、確かにその通りだ・・』を重ねながら、釈尊の後姿を追うことになるのだ。
君らには解らんだろうがな・・・。
198 :
前スレ10:2009/11/01(日) 23:56:31 ID:Vy8bNbd/
>>195 まあ、とりあえず無我については、輪廻程には興味が無いんで、またの機会に。
>>198 参:
581 旧7 sage 2009/07/07(火) 21:59:39 ID:oEgt3csW
>> 407
簡潔に言おう。状況はこうだ。
・「“アートマン”は無い」と明確に言われているわけではない。
・「“アートマン”でない」と言われるものの属する領域が、我々の知覚認識できる領域である。
・その領域の外が無記と言われる。(・・・カラス氏は、ここに大きく異を唱えるんでしょうが・・・。)
・上記3つから、「アートマンと呼べるもの(アートマンであるもの)は無い」こととなり、
「(諸法)無我」という言い方が許容される。(ちなみに、上での“領域”は「空間的・場所的」なものではない。念の為w)
・・・(これは
>>516 >逆に、「アートマンはない」と述べた経文がないのに、
無我とはアートマンはないことだと解釈するほうが問題なのでは? への返答。)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1246545905/581
200 :
前スレ10:2009/11/02(月) 00:14:44 ID:lly73mDa
>>199 うん、その通りですね。
その上で、
>「(諸法)無我」という言い方が許容される。
と言う所が、チョイと論理が飛躍しすぎでないかと指摘しただけで。
無記ってのは、「無い」って事ではないので、ある可能性は否定されてないですから。
>>196 だからですねえ、あなたに生まれる前からの前世の記憶が残っていて
そこの住所に行って確認して、確かに前世の両親や記憶していた前世の名前での若く死んだ人が居たとして
それを我々にどうやって証明するんですか?そのエピソードだけで
記憶があるからその若く死んだ人が=あなたの前世とはならないでしょ?
信仰は万事そんなもので個人の主観に基づくものだから、他人に証明しろなんて無理な話な訳で
仮にあなたが天才で、前世の記憶が残ってるとしたら
わたしなら証明出来ると言い切るのなら、その偉大な能力をこんなところで無駄に使わず
社会に対して貢献してくださいな。
202 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 00:16:23 ID:rD3j3q1M
なんだ?また「仏教を信じてる僕ちゃんが一番偉いんだ」くんの登場か?
そして、相変わらず「いやなら仏教を信じなければいい」か?
カラスや宝珠を初め、ホントにこいつら、言うこと同じだな。
なら「輪廻は仏教徒限定です。」と言っとけ。
203 :
前スレ10:2009/11/02(月) 00:30:41 ID:lly73mDa
>>201 そもそも、そんな例があるんですかね?w
まあ少なくとも、前世の記憶があって、その記憶が今生では知りえない情報であるならば、少なくとも「記憶の転移は有る」と言う証拠にはなりますね。
もっとも、似た事例は山ほどあっても、結局、「実は小さい頃に親戚に聞いていた」なんて言うオチばっかりです。
たしか、正式に学術調査をしている人がいたはずですが、未だに確実な証拠は無いそうです。(5年ぐらい前の情報なんで、進展はあったかも)
で、結局「信仰なんだ」で終りなんですね。
ついでに言えば、あなたがアホで、天才なら輪廻を解説できると言うのは、あなたの主張から演繹した結果なんですが…。
更に言えば、私が天才だと言った覚えもないし、私が証明できると言った記憶も無いですが?
>>202 禿しく同意しておく。
特に、どこかのどなたかさん(ABどっちか判らないがwww)へも届けたいレスだなw
>なら「輪廻は仏教徒限定です。」と言っとけ。
この台詞は秀逸だw
205 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 00:47:43 ID:rD3j3q1M
>>203 「前世の記憶」に関して言えば、例えば、「私の前世は数学者です。」とか言って、非常に高度な 問題を
すらすら解く小学生とか現れたら信じられるがな。
あるいは、古代バビロニア語に精通してる、
おばさんとか。
今まで、一人もそういうのが出てきてない。
>>203 普通に考えたら、今生でもアルツハイマーとかの脳の病気を患えば
名前すら下手したら忘れるのに、前世のハッキリな記憶とかありえないのはわかるはずですが
>で、結局「信仰なんだ」で終りなんですね。
>なら「輪廻は仏教徒限定です。」と言っとけ。
これは本当にその通りですよ。輪廻を信じられないし、釈迦に対する信仰もないのなら
仏教を信心する意味もありませんから、誰にでも訪れる死に対する救いを求めて宗教はそもそもあるのですから
私は死後も物質に還る唯物論者でも良いと感じるのであれば、仏教に拘る理由がこちらから見ても謎なのですけど?
むしろ輪廻があるのか無いのかよりも、あなたが逆に仏教に何を求めているのか?をハッキリさせたほうが良いのではないのかと
>>204 仏教徒と言った覚えはないよ。
トイボーイ
おやすみ
208 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/02(月) 01:21:06 ID:U3k4/q+w
知らないハズの事を知っていたなんて話はゴマンとあるだろう。
転生って迷信が生まれている以上、そう思わせる事象がマレにあったと考えるのが自然だしな。
(^。^)霊的な事象を目の当たりにしないと霊なんか信じられないのと同じ話だ♪(笑)
209 :
カラスの唄:2009/11/02(月) 01:21:22 ID:Usx4/teC
>>181 生起したものは、滅びるんだろ。それが仏教だ。
なら宇宙もいつかは滅ぶ定め。輪廻する場が無くなれば、滅び去るしかないだろうが。言ってる意味わかる?
まさかおまえ、宇宙は、元からあって、この先も永遠だ。もしくは
宇宙は、生起したが、この先は永遠だ。とか抜かすつもりじゃないだろうな。
そうなりゃ宇宙は自性となり、無我の仏教ではないわな。で、永遠の滅びが涅槃だって?おまえ、
そういうのを断滅論つって、外道なんだよ。おまえの宗派は?多分邪見の王様、
禅宗なんだろうけど。おまえらにかかれば、業法輪廻転生は、お伽話になるわけだ。
ゴータマが説いた業法輪廻転生を、お伽噺だというなら、なんで、仏教徒を名乗るわけ?おまえらは頭がおかしいんだよ。
おっと、俺はいまの宇宙はいずれ滅びるが、それで終わりだといっていないぜ。生滅を繰り返すのが仏教だからな。
ただいまの宇宙に所属しているものは、今の宇宙の運命と共にあるということだ。
しかしここの集まりはレベルが低すぎて、退屈だな。
210 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/02(月) 01:26:13 ID:U3k4/q+w
(^。^)ウヒャヒャヒャ♪レ、レベルWWWWWWWWW(笑)
211 :
前スレ10:2009/11/02(月) 01:30:33 ID:lly73mDa
>>206 「普通にかんがえたら」、前世の記憶自体がありえないのはわかるはずじゃないですか?w
無理の有る仮定に、常識を持ち込まれても、返答に困りますw
ついでにいえば、輪廻に興味があるのは、
もし本当に輪廻があるなら、今の物理法則が崩壊して、今の文明自体が崩壊しかねないほどのファクターだからです。
何度も言いますが、みんなが「輪廻はある!」といってるから、その根拠を聞きたいだけなんですけどね〜。
まあ、「仏教徒にだけ通用する真理」なら、それはそれでいいんですが、皆さん「輪廻は普遍的な真理だ!」と主張なさるんで…。
更に言えば、仏教に、輪廻が本当に必要なのか疑問に思っていると言う点も有ります。
むしろ、あなた方が、何で証拠も論理も無いのに、輪廻にこだわるのかが不思議でしょうがないです。
そもそも、あなたは、死に対する救いを求める人が、死後も継続する救いを求める為に、輪廻を受け入れているといってますが、(
>>173)
それって、解脱を目指す仏教の根本理念と矛盾しませんか?
あなたの想定する死に対する救いとは、死後も命(?)が輪廻して永遠に続くと言うイメージですよね?(
>>173)
仏教は、それをブチキルのが目的だと思ったんですが…。
どちらかと言うと、あなたの主張の方が外道じゃないですか?
212 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/02(月) 01:59:52 ID:U3k4/q+w
なんか、現実逃避してる可哀想な人達を理詰めで玩んでるイジメッ子に見えてきたが。
(^。^)たかが迷信にそう目くじら立てんでも。
>>211 釈迦はグルイズムは否定しましたけど、法は重視しましたから
輪廻を信じるのは仏教徒なら当たり前のことで、信じられないなら信心が足りないとこういったわけです。
だから輪廻が「仏教徒にだけ通用する真理」だと、あなたに判断されてもなんら結構なんですよ、
釈迦も輪廻も信じられない者には仏教は用が無いはずですから、どうか無宗教でも何でもお好きな道を行ってください。
信仰は自由ですから
解脱に達するには世俗を断つくらいでないといけませんから
基本的には来世に幸せに生まれ変われるように功徳を積むのが、一般的な仏教徒の輪廻観ではないのでしょうか?
もちろん悟りを開く気概はごもっともですけど
釈迦も輪廻も信じられないなら、本当に何で宗教板の輪廻うんぬん
なんてスレに来るのですかね?
基本的に宗教は、誰にでも訪れる生死と向き合うためにあるのですよ。
唯物論者で輪廻や魂などは信じないというのであれば、どうぞご自由に
信仰は自由なので強制はしませんから、どうか釈迦や輪廻を信じてる人だけが仏教を信心してください。
仏教は解脱を目指す宗教なので、どうにも信じられないくらいの心構えでは到底無理ですから
215 :
カラスの唄:2009/11/02(月) 04:52:20 ID:Usx4/teC
>>182 おまえがいつ理詰めで人を追い詰めたんだよ?妄想は楽しいか?
で、おまえんとこのションベン教義だが、我々は人類を構成する一部であり、
共同体の一員であるから諸悪莫作諸善奉公を為すべきであり、自浄某意を心がけるのが仏教徒のたしなみであるって、
そんなの仏典のどこに書いてある。書いてなくても類推できるってんなら、その箇所の引用と説明してみな。
それ以前に、なんで共同体の一員だから、諸悪莫作諸善奉公を為さないといけないのか、論理的に説明してみろよ。
べつによ、死ねば終わりなら、利己的に生きたっていいわけだ。それともなにか?
おまえんとこは、ただの道徳を教えているだけなのか?おまえ、理詰めで追い詰めてんだろ?
逆に理詰めで追い詰められたくなかったら、ちゃんと論理的に答えてみろよ、宗教板で一番頭の悪い人。
釈迦は真理を説くことに
むしろ否定的だったくらいですから、梵天の勧めで重い腰を上げただけで
輪廻を信じさせてくれ、証明してくれ、などの問いは、釈迦から見たら
むしろどうでも良いことなのですよ。
仏教とは本来そのようなものなのですから、釈迦や輪廻を信じてる人だけが仏教を信仰するべきなのです。
217 :
カラスの唄:2009/11/02(月) 05:08:31 ID:Usx4/teC
>>182 あとおまえ、外道の意味もわかっていないんだな。
仏教のいうところの外道とは、ゴータマの教えとは違う教えを外道というんだよ。
ゴータマは業法による輪廻転生を説いてるのに、業法輪廻転生を説いてる奴は外道とは、
おまえの言ってることは滅茶苦茶なんだよ。さすが宗教板で一番頭の悪い人だ。
どう考えても外道はおまえ達の方だ。もう一度してやろうか?六師外道のはなし。
形而上の話を聞けば、条件反射的に馬鹿にするしか能のない、幼児性池沼が。
218 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 09:24:05 ID:rD3j3q1M
>>216 >輪廻を信じてる人だけが仏教を信仰するべきです。
これは、あんたの仏教に対する主観による決め付けにすぎない。
自分のスタンスを絶対視して、それを他人にも強制するのは、良くないでしょ?
仏教に輪廻転生思想など必要ないと考えている人も沢山いるの。
あんたは自己の見解にそぐわない者は全て排斥したいみたいだが、
そのような独善的な考えが仏教を貶めることくらい、わかれや。
219 :
析空:2009/11/02(月) 09:37:29 ID:845pvJFL
ここの集まりがレベルが低いのは。
人の話しをよく聞かず、直ぐに邪推して、勝手に誤解し、
その誤解を元に相手を罵倒し始める人がいるからですね。
220 :
前スレ10:2009/11/02(月) 09:56:06 ID:lly73mDa
>>213 結局、輪廻は普遍的真理ではなく、仏教と限定の真理だと言う結論ですね。
でもそうすると、「あなたの定義する仏教」って、物凄く変ですよ。
「あなたの仏教」の信仰は、「輪廻する苦しみ」を盲信して、それから逃れる為に、修行をするという…
なんか、自縄自縛というか、本末転倒というか…
仏教を信仰しなければ、少なくとも輪廻に対する恐れはないわけですから。
それとも、「やっぱり輪廻は普遍的真理だ!」といいだして、議論の無限ループですか?
>>214 ⇒
>>211 >>216 わけが解らないですね。
釈尊はあんまり真理を説きたくなかったから、我々も輪廻については追求してはならないと言う主張に読めるんですが、
釈尊が説きたくなかった真理を追求してはいけないなら、なんで、悟りについては追及しようとするんですか?
なぜ輪廻だけ例外扱いで追及しちゃいけないんですか?
そして、輪廻を証明する事に釈尊が否定的だとしたら、釈尊が輪廻自体を重要視していなかったと言うことではないのですか?
なんで、輪廻にこんなに拘るんですか?
221 :
前スレ10:2009/11/02(月) 09:56:41 ID:lly73mDa
222 :
前世は一在家:2009/11/02(月) 10:27:40 ID:EjxdTyOG
>>87 >証明などできる筈はないでしょうが、また長部経典の舎利佛が編纂した
>経典(名前調べます)にヒントがあります。
長部経典33経「等誦経」より本スレタイに関連の深い箇所を紹介します。
世尊、「サーリプッタよ、比丘たちに説法を行いなさい。
私は背中が痛みます。」と言って、ライオンの臥し方をとった。
それから、サーリプッタは法が組のものを順番に229法説き、
最後に釈尊は「善いことです。」と是認しました。
アビダルマ的色彩の濃い本経の中で、『輪廻』に関係のある教えを
一部紹介します。
アートマン、縁起と『輪廻』との関係を説いた他経をご存じの方は
ご紹介下さい。
223 :
前世は一在家:2009/11/02(月) 10:28:31 ID:EjxdTyOG
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない凡夫、A入胎時のみ意識の80大弟子、
B出胎時のみ意識を持たない舎利弗と目連、C三時に意識を持った仏陀
(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
・五種類のこの世に戻ることのない人。
@色界での寿命の中間で完全な涅槃に達する人、
A色界に生じて寿命の半分以上過ぎて完全な涅槃に達する人、
B苦労して完全な涅槃に達する人、C苦労をせずに涅槃に達する人、
D上の世界に向かいアカニッタ天に達する人
以上、出典は「長部経典」(中村元監修、春秋社)ですので、ご確認下さい。
224 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 10:59:50 ID:C7e8hCy6
釈迦は、「生に対する執着」を去ることにより、「生存苦」を離脱すること
を説いたはずなのに、「輪廻(来世、再来世、再々来世」などに「執着」すれば、
生存苦は永遠に続くことになり、釈迦の論理は完全に崩壊する。輪廻を逃れようと
する修行・解脱も、「生に対する執着の醜悪な行為」に過ぎなくなってしまう。
輪廻は、科学のなかった古代人の「迷信」を利用して、人が人を「脅迫」して
「支配」するための手段。カースト制度という「巨悪」を生み出し、現代でも
カルト被害の源泉となっている。現代において輪廻という迷信にやたらに執着
する人々は、そのような「矛盾と悪の思想」の持ち主。輪廻などが佛教の中心
思想だとしたら、佛教は、キリスト教やヒンドゥー教類似の「悪の宗教」に
なってしまう。
並川氏の近著「スッタニパータ」によれば、釈迦の言葉に最も近いと考えられる
最古層の仏典には、輪廻と言う概念は殆ど現われず、しかもすべて否定的な意味で
使用されており、釈迦は専ら「現世」を説いたそうだ。
釈迦は、占いや呪術を否定した。輪廻転生も「迷信」である点で本質的に同じ
である。
現代の仏教者は、佛教から迷信的、呪術的要素を一掃すべく努力を怠ってはならない。
釈迦は、当時における「最先端の改革者」だったはずである。釈迦が現代に生きて
いたら、「輪廻転生」などの迷信を説く訳がなかろう。佛教を、キリスト教やヒンドゥー
教と同様な「悪の宗教」「迷信の宗教」に堕さしめてはならないのは、現代の
仏教徒の至上の義務のはずである。
225 :
析空:2009/11/02(月) 11:20:17 ID:845pvJFL
>>224 カースト制度の原因は、仏教に因果応報ではなく「ヴェーダ」の創世神話です。
また因果応報が、差別を是認しているという考えは、そもそも誤解です。
因果における人間の本質はあくまで善でも悪でも無くす、行為によって変わるというものです。
仏典で悪いことしたら、地獄へいくとか、
良いことをしたら天に生まれるとか見たことがあるのですが、
同じ人間界に生まれて生前の行為により境遇が変わるという
仏典はどのようなものがあるのですか?
227 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 11:33:04 ID:n2egflZK
>>225 あなたは、仏教徒を自称しながら、何故それほどまでに生に「執着」する
のかね。それ自体が、釈迦の教えに反しているではないか。
仏陀が、来世、再来世、再々来世に執着せよ、とでも教えたのかね。
それとも、あなたは、仏教徒ではなく、ヒンドゥー教徒か。言っている
ことの内容は全く同じではないか。
228 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 11:43:07 ID:fyLs47OK
>>226 現代では、共同体における悪の行為(他の成員の生存を害する行為)
は、現世において共同体が裁く。
ありもしない、個人の「輪廻転生」の迷信による「脅迫」自体が、
現代では「犯罪」として裁かれる。真っ先に地獄に落とされるのは、
「輪廻転生による脅迫」という犯罪を犯した教祖または宗教者自身である。
229 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/02(月) 12:21:33 ID:EjxdTyOG
>>224 >並川氏の近著「スッタニパータ」によれば、釈迦の言葉に最も近いと考えられる
>最古層の仏典には、輪廻と言う概念は殆ど現われず、しかもすべて否定的な意味で
>使用されており、釈迦は専ら「現世」を説いたそうだ。
中村元の「スッタニパータ」では10回前後は輪廻の話が出てきますが。
「○○は再び母胎に宿りことはない」と。
230 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/02(月) 12:23:56 ID:EjxdTyOG
>>226 >仏典で悪いことしたら、地獄へいくとか、
中村元の「スッタニパータ」にも地獄の具体的な説法がありましたね。
231 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 12:26:37 ID:t+1SBa6I
>>228 輪廻があるから、悪い心を改めて善の心にしなくちゃいけない。
輪廻を知らない者は、いずれ悪の報いを受けるからかわいそう。
だから、輪廻について教えてあげることは相手のためになる。
で、同時に、生死輪廻は苦しみだから解脱・涅槃をめざしましょうと言う。
輪廻を信じることを前提にした一貫した筋書きになる。
輪廻を信じる仏教徒が輪廻を知らないで無茶な生き方をしてる人を見たら、
危なっかしくてしかたない、
輪廻について教えてあげないと…という気持ちになる。
大人が、危険を知らずに遊んでいる幼児を見たときに、
それが危険な遊びであることを教えてあげたくなるのと同じ。
232 :
前スレ10:2009/11/02(月) 12:39:06 ID:lly73mDa
>>222-223 引用有難うございます。
ありがたいのですが…、この引用は、「転生が有るという前提で、転生の仕方の違いを説いた」モノのようですので、
「なんで輪廻するのか、輪廻のシステムはどうなっているのか、輪廻の根拠は何なのか」に答えるものではないようですね。
そもそもの、経典の真偽については…、まあ、他の人に任せます。
233 :
前スレ10:2009/11/02(月) 12:39:15 ID:lly73mDa
>>231 おお、是非、「何であなたが輪廻の存在を信じているのか」の根拠をお教え頂けませんか?
輪廻を普遍的な真実として、周囲にも布教しようと言うあなたなら、お答えになれますよね?
234 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 12:41:50 ID:t+1SBa6I
輪廻を信じることと輪廻を信じないことのどちらが、
より仏道修行の妨げになるでしょうか?
私は、輪廻を信じることよりも、輪廻を信じないことのほうが、
仏道の妨げになりやすいと思います。
ただ、「輪廻」と聞いただけで拒否反応を示す人に対して
仏教を布教するのは、難しいと思います。
輪廻を信じなくてもいい仏教と言う方が、現代人には受け入れやすい。
235 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 12:44:47 ID:t+1SBa6I
>>233 お経に書かれてあるから、お坊様達がそう教えているからです。
仏教教団への信仰心があるため、
言われたことを鵜呑みにして信じるだけです。
宗教・信仰です。
236 :
前世は一在家:2009/11/02(月) 12:46:07 ID:EjxdTyOG
>>232 >「なんで輪廻するのか、輪廻のシステムはどうなっているのか、輪廻の根拠は何なのか」に答えるものではないようですね。
「なんで輪廻するのか」は記載があるでしょう。
「輪廻のシステムはどうなっているのか」は、死後の行き先と入胎の仕方の
システム関連の記載は若干あるでしょう。
なお、「輪廻の根拠は何なのか」は紹介しました経には無いようですね。
237 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 12:55:59 ID:t+1SBa6I
>>232 逆に、なぜ輪廻しないと思うのでしょう。
昨日眠った私の心と、今日目覚めた私の心とは、別の心です。
別の心ですが、因果関係はあります。
同じように、私が生まれる前に死んだ何者かの心と、
私が生まれたときの心とには、因果関係があるのだと思います。
238 :
前世は一在家:2009/11/02(月) 12:56:32 ID:EjxdTyOG
>なお、「輪廻の根拠は何なのか」は紹介しました経には無いようですね。
釈尊と弟子の修行完成者達は「三明智」を有すると記載された経典が
長部経典やスッタニパータにはあります。
「三明智」を用いますと相手の「前世」が詳しく見えたそうですので、
もし貴兄が「輪廻の根拠は何なのか」と釈尊らに質問したら、
「あなたの前世がよく見えるからですよ。」と回答があるかも知れません。
239 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 13:09:20 ID:TK890ZKR
>>229 中村元氏は、最古層、古層という分類はやっていない。仏典は、長い
期間をかけて出てきたものだから、期間ごとに大幅に異なる。期間の
分類なしでは無意味。それに、中村氏自身が「宗教学者」でありながら、
原始仏教に嵌っているから、客観性を旨とすべき学者のしての資格が
疑われる。
>>231 輪廻転生で信者を脅迫し、地獄に墜ちることが確定している教祖や信者
から教えられる謂れはない。
生が苦しみなら、輪廻転生(来世、再来世、再々来世)を否定するだけで、
苦しみの大半は簡単に消滅する。輪廻転生は、ことさらに生の苦しみを
作り出していること。全くの論理矛盾・論理破綻である。
240 :
前スレ10:2009/11/02(月) 13:11:05 ID:lly73mDa
>>234 あれ?
>>231と論調が変わっちゃいましたね…
輪廻は普遍的真実じゃ無いんですか?
まあ、それはいいとして、なんで、
>私は、輪廻を信じることよりも、輪廻を信じないことのほうが、仏道の妨げになりやすいと思います。
と、お考えになるかをお聞きしたい所です。
>>235 なるほど。つまり、客観的根拠は無いということですか……。
う〜ん、根拠も無いのに自分が信じているからと言うだけで布教するのは、
なんと言うか…言い方は悪いですが、新興宗教の勧誘とあんまり変わらないですよね?
241 :
前スレ10:2009/11/02(月) 13:11:51 ID:lly73mDa
>>237 別に無いとは主張してませんよ?
「有ると主張するなら根拠を知りたい」と言ってるだけです。
睡眠と、転生を関連付けるのは少々無理がありませんか?
転生すると、肉体も記憶も(我も)別のものになるんですよね?
睡眠は、意識は断絶しますが、肉体(記憶)は連続してますよね。
あなたの主張は、例えばAさんが寝ている間に、CさんがAさんとBさんをすり変えた場合(肉体も記憶も別人)、AさんとBさんに、因果関係があると言っているようなものですよ。
242 :
前スレ10:2009/11/02(月) 13:12:22 ID:lly73mDa
>>236 >「なんで輪廻するのか」は記載があるでしょう。
>>@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
この部分ですか?
これは、@〜Cが有ると輪廻すると言ってるだけで、
どうして@〜Cが有ると輪廻するかの答にはなってないですよね?
>システム関連の記載は若干あるでしょう。
確かに若干は有るでしょうが、
私の聞きたい「システム」と言うのは、どういう仕組みで、前世の業が、転生先に影響するのかと言う部分なんですけどね。
>>238 結局、客観的根拠は無いけど、超能力を身につければ輪廻が解るという結論ですか?
う〜ん、ますます怪しげになってきましたね…。
243 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 14:56:26 ID:2tC0fksa
>>237 >昨日眠った私の心と、今日目覚めた私の心とは、別の心です。
>別の心ですが、因果関係はあります。
↑同じであるはずがないでしょう。それが、生きると言う事なんですから。
同じベクトル上のことですから紛れも無く因果ですよ。
>同じように、(↓とは全く意味がちがうな)
>私が生まれる前に死んだ何者かの心と、
>私が生まれたときの心とには、因果関係があるのだと思います。
↑どこに因果があるのか不明。 見ず知らずの赤の他人の心が貴方の心に影響してんの?
醜い心も、清らかな心も何者かの心が影響するの? 他人が我を支配するって事?
現世というものに意味がないじゃん。
輪廻の存在を疑うのも、ひらたく言えば無明の一言なのです。
その無明から解き放たれるのが、釈迦の説く真理なのです。
だからこそ修行者は法をよりどころとし、自らをたよりとして、悟りの境地を目指さないといけないのですよ。
心彷徨わせる無常の全ては、無明の一言で終わらせるべきなのです。
246 :
前スレ10:2009/11/02(月) 17:12:37 ID:lly73mDa
>>244 どっちかというと、輪廻の存在を盲信するほうが無明だと思うんですが…
あなたの発言を見ると、輪廻に「永遠の生」を求めているようですから。
>>245 どうか釈迦の説いた真理を疑わずに修行し、自らの神通の目で御確認ください。
なぜなら、自らをよりどころとするのが仏教だからです。
>>247 あなたの主張は「お釈迦さんがそういってるから輪廻はする」ってことですよね。
お釈迦さまだからって全部信用するのは自灯明でないと思います。
永遠の生であるか、無我であるかも
法をよりどころとし、自らをたよりとして、無明を断ち切って
自らの神通の目で御確認ください。
それが仏教なのですから、冷たいようですが、それが釈迦の教えなのです。
250 :
前スレ10:2009/11/02(月) 18:47:56 ID:lly73mDa
>>249 無明を断ち切って、悟りを開き、神通力を手に入れないと、自分が正しいかどうか解らないんですよね?
つまり、無明が断ち切れるかどうかの保障が、断ち切れないとわからないということで、
修行しても、悟りに至れない場合、
@修行が足りない
Aそもそも修行の方向性がまちっがっている
の二つの可能性があり、その区別がつかないということですよね?
とてもじゃないですが、人生をかけたギャンブルなんて、私には出来そうも無いですね。
凄いギャンブラーですねあなたは。
251 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 20:54:09 ID:t+1SBa6I
仏教もまた宗教です。
自らをよりどころとし、法をよりどころとせよというのがブッダの教えですが、
ブッダや出家者を信じることを否定するものではない。
ブッダが言ったことは信じるが、
ブッダに甘えはしないということ。
252 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 21:25:42 ID:2tC0fksa
>>輪廻の存在を疑うのも、ひらたく言えば無明の一言なのです
これは無明というより、矛盾 今、ここに書き込んでいるのは誰の意思?
今を生きているのは誰? 自分は自分じゃないの?
自分で無いとしてならば、生きている意味は(誰のため)?
253 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 22:15:20 ID:rD3j3q1M
つまり、こういうことか?
経典には輪廻に関する記述がある。
経典に書いてあるんだから、お釈迦様が言ったに違いない。
お釈迦様が言ったんだから真実に違いない。
とまぁ、このような思考なのかな?
254 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 22:38:45 ID:sZeFulMA
>>244 >輪廻の存在を疑うのも、ひらたく言えば無明の一言なのです。
>その無明から解き放たれるのが、釈迦の説く真理なのです。
古代人の迷信に過ぎない輪廻転生など信じ込むことこそ、典型的な無明。
釈迦もバラモン教だったから、その迷信を信じ込まされたのだろう。
生が苦なら、来世、再来世、再々来世などがあったら、苦は無限に増す
ばかりではないか。釈迦の「苦の除去」とは、全くの正反対。
これ以上の論理矛盾・誤りはない。
修行は、「自分の輪廻」からの離脱のためという、生への執着とエゴに
まみれた醜悪な行為。これも、釈迦の教えとは正反対。
輪廻転生という無明から目覚めれば、残りは「現世における悟り」のみ
だから、悟りははるかに容易。この悟りは、自分の趣味・娯楽としての
修行などではなく、他者との係わり合いの中での日々の生存努力という
「大修行」によってのみ得られる。
君の佛教解釈は、すべて釈迦の教えとは正反対。そんな佛教なら、無意味
有害な、大昔のカルト宗教にしか過ぎない。
なお、「永遠の生命」とは、キリスト教の概念。生が永遠なら、生の苦悩
は永遠に続くだけ。馬鹿じゃないのかね。
>>242 喩えを一つ。
「野菜を塩揉みすると水が出る」。
これは、調理を(それを)したことのない者にとっては、言語上の(音声・文献上の)知識でしかないわけだが、
やってみた者にとっては、「経験的に知られる」事象の一つだ。
(※ 「経験的に知られる事実」と言ってしまってもよいんだが、一応避けておいた。)
「未経験(→未達)の者」(→凡夫)は、
「『それ』(野菜に塩を加えると水が出るという現象・事象・(事実))が確かである」ということを
信じるか信じないか、しかない。 実際に調理して(→行じて)みるしかない。
「経験した者」(→行の進んだ者)は、『それ』が確かなことであることを知る。確かなことであると告げる(説く)。
この時、【なぜ、塩が加わると水が出るのか?】【その理由がわからずとも】、
おばあちゃんの知恵袋的に、【そういうものである】として知られるのみであっても、
理由は分からずとも、その現象を見る、知る。その現象を利用することはできる。
理由は、知られてもいいし、知らないままでも不都合はない。(江戸時代の花火職人は化学式なぞ夢想もしないだろうw)
「不問でよい」というのは、そういう位置付けであるから、と言える。
仏教に限らず、宗教的なこと・・・いや、宗教にも限らんな。
スポーツとか伝統芸能とか、職人さんの世界とか、そういう所でも相似形が見いだせるだろうが、
このような、「冷暖自知とでもいうような領域がある」ことは解っていただけますよね。
そして、ブラックボックス的扱いが、必ずしも避けられたり、良くないこととはされるわけではない、と。
※勿論、レシピとしてさえも提示できないのはどうよ?的な面もあるわけだが・・・w
レシピとして提示できるからこそ、入口の案内矢印足り得るわけだし。
また、入門・入口でなくとも、(特に医療分野等では)知っていた方が良い場合も多々あろう。
新たな知見は貪欲に吸収されるべきだろうし・・・。
※我々が料理する時、ミクロでの化学的な影響の与え合いなぞ知らないし、気付かないし、理解不能だ。
けど、ちゃんと美味しく出来上がるw
256 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 23:40:15 ID:t+1SBa6I
>>241 眠りから覚めたときに過去の記憶を忘れているのです。
私達は、赤ちゃんのときの記憶を忘れているけど、
赤ちゃんのときの体験が今の人格に影響を与えているはず。
そのように、前世の記憶を忘れているけど、
今の性格に影響を与えているのです。
輪廻の根拠は、お経に書かれてあることです。
私は、歴史の教科書を通じて過去の歴史を認識しています。
考古学の知識はありませんが、教科書を根拠に歴史を認識しています。
それと同じです。
アビダンマや唯識では輪廻のしくみも説明しているでしょうけど、
そんな思想以前に、お経に書かれてあることが根拠です。
ブッダや仏弟子は戒を破らないはずだから、嘘をつかないはず。
だから、輪廻についての説も嘘ではないはずです。
257 :
前スレ10:2009/11/02(月) 23:45:34 ID:lly73mDa
>>255 輪廻を、野菜の塩揉みに例える場合の問題点が一つありますね。
「再現性は有るのか?」
野菜の塩揉みは、誰がやっても同じ結果になります
じっさい、そこには、浸透圧と言う科学法則が有るため、誰が、何回やっても同じ結果になるのです。
問題は、輪廻についても同じ事が言えるかどうかです。
修行をすれば、誰でも同じ知識をえる(輪廻を実感できる)と言うなら、あなたの例えは正しいですが、
そこの部分が成り立たないなら、例えとして適切じゃないですね。
そして、現状として、修行者の間でも輪廻に対する意見が食い違う事を考えれば、再現性は無きに等しいのではないですかね?
また、そもそも、
「行の進んだ者は、輪廻が確かなことであると感じる事」と、
「輪廻が実際に有るという事」は、別次元の話だと思うんですが。
258 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 23:51:51 ID:m3byEMMM
>>256 赤ん坊が成長するにあたっては、環境が一番影響しています。
毒矢のたとえがよく理解できるスレだな
260 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 23:56:07 ID:5p5mWtXK
>>255 それは何時の時代の話か。現代では、優秀な子供なら中学生でも、ましてや高
校生になれば、理科の知識によって理論的に説明できるはずだ。
「やってみればわかる。まずやってみなさい」と言うのが、カルトの常套文句。
うっかりその言葉につられてやってみたために洗脳されてしまった例が、圧倒
的多数である。
それよりも、カルトの脱洗脳の方法について語るべきであろう。
>>255 俺はその解釈でいいや。
>「未経験(→未達)の者」(→凡夫)は、
>「『それ』(野菜に塩を加えると水が出るという現象・事象・(事実))が確かである」ということを
>信じるか信じないか、しかない。
俺は自らをよりどころとして、輪廻転生は信じないことを選ぶよ。
【そういうものである】って言われて信じるのが宗教なんだろうな。
宗教としては関わらん。体と脳の使い方、哲学として関わっていくよ。
じゃないと
>>260さんの言うとおり、洗脳の手段に使われる。
疑問。【そういうものである】と言われて信じることができる人が信じようと決める動機は何なんだろうか?
お釈迦さんへの信頼なのかな。みのもんたに輪廻転生するって言われても誰も信じないと思うんだ。
信頼だったら盲信に見える。
262 :
前スレ10:2009/11/03(火) 00:09:16 ID:zj2NV7JZ
>>256 ですから、眠りと転生を対比させるのには、無理が有ると言う指摘なんですが…
赤ん坊の記憶も同じですよ。
Aちゃんという赤ん坊がいて、それとは肉体も記憶も違うBさんが居たときに、Aちゃんの体験がBさんに影響を与えるというのは、無理な発想ですよね?
教科書の例についても、適切な例示とは言いがたいと思います。
教科書と言うのは、「現時点で、一番矛盾の無い説」を載せているだけに過ぎません。
ついこの間も、生物の教科書に、大嘘が書かれていた事が判明しましたしね。
教科書に信頼性が有るのは、「常に更新されている」からです。
例えば、16世紀の教科書には、天動説が載っていますが、天動説は正しいと考えますか?
ですから、「少なくとも現時点では、一番無矛盾で整合性の取れた説が載っている本」として信用できるわけです。
翻って、経典を見ると、更新されていますかね?
また、「ブッダや仏弟子は戒を破らないはずだから、嘘をつかないはず。」と言う根拠も、
「ブッタや仏弟子が間違っている」可能性を否定するものではないことは解りますよね?
有る人物が、嘘を着いていない事と、その発言が正しい事は別問題です。
263 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 00:19:44 ID:SAlLqoIh
>>255 それは、理論はわからずも検証の積み上げによるもの。 誰でも、いつでも検証可能なもの。
数学は昔から有るので、統計の積み上げはある。
何も不思議なことではない。
ところが、輪廻は検証不能。それだけのこと。
>>255 そうか、荒川渡って赤羽に着いたか
よかったね
265 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 01:17:15 ID:OmJ850fT
宗教者が、ありもしない「輪廻転生」を信者に植え付けて「脅迫」または「甘言」
の行為をなしたら、脅迫罪、詐欺罪、強要罪などの「犯罪」となり、それによ
って精神の変調を生じ、現実や社会常識からの離脱、それを原因とする家庭の
破壊などを生じたら、精神的不法行為として民事上の損害賠償の対象となる。
そして、「輪廻転生」を脅迫と甘言の手段とした宗教者は、「悪業」をなした
のだから、当然、地獄に墜ちるw。
宗教者が、これらの刑事・民事の責任を逃れるためには、裁判官の面前で、
「輪廻転生」が事実であることを、証拠によって証明しなければならない。
「釈迦が言った」「経典に書いてある」では、一切証拠にはならない。
法の華の教祖福永法源は、検察官の執拗な尋問にも拘らず、法廷で「天の声」
の実在を証明できなかったため、懲役13年の実刑判決を受けた。
すべての宗教者は、心されたい。
>265
宗教に関係なく、この世に騙すのが生業みたいな人は、たくさんいるよ
そういった人ばかりを探して糾弾する事が
己の正義感をくすぐる、幼稚にくすぐる
こればかりしていても、成長は見込めないよ
267 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 01:52:34 ID:cdvejaMG
>>266 「正義感を幼稚にくすぐる」「成長は見込めない」は、宗教者特有の、
内容空虚な観念語。具体的に定義してくれ。
宗教者は、まず、現実界に還元できない、内容空虚な観念語の使用を
一切止めることから始めることだ。言葉がコミューニケーションの
手段としての機能をもはや果たしていないから、宗教には、永遠に
争いが絶えない。中東の惨状を見よ。
>>267 私の文章は、定義するまでもないくらい、ストレートだと思うよ
小学生並みな文章だよ
何を定義しろと?
赤ん坊の頃から母のおっぱいに、ます(これは何か)定義したの?
ガラクタを捨てて感性を鍛えよ
おやすみ
269 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 02:38:23 ID:r7xcUHn8
>>267 >赤ん坊の頃から母のおっぱいに、ます(これは何か)定義したの?
生まれたばかりの赤ん坊は、教わりもしないのに母親のオッパイに
しゃぶりつき、生命を維持しようとする。このオッパイは実在するか、
とか、オッパイの「定義」や「正義感」「成長」などの「観念語」は
一切使用しない。これが人間の原点だ。
「感性を鍛えよ」とは、またまた、内容空虚な観念語。具体的に定義
されたし。
宗教から「内容空虚な、具体的意味不明な観念語」を一切取り除いたら、
一体何が残るか。ゼロだろ。創唱宗教が、例外なく、開祖の精神障害の
症状としての「内容空虚な観念の遊戯」から始まっているからだ。信者は、
その精神障害が感染した状態に過ぎない。
佛教には、釈迦の症状が軽かったことから、いささかでも「現実性」を
期待したのだが、このザマだ。このスレを見て、佛教に「人間界における
価値」を認める部外者がいると思うかね。
並川さんの「スッタニパータ」の表紙の帯には、「現世を見すえたゴー
タマ・ブッダ」と書いてあるのだがw。このスレには「現世を見すえる
ブッダ」の姿は、どこにも見当たらない。
まず、生まれ変わりというのは、
仏教では色(この世)を幻と捉えているのだから、
一つの幻を見たあとに、その主体が違う幻を見るという
現象のことです
ですから、物理的に生体として生まれるとか、物質科学的に
ありえる、ありえないという話は一切意味がないです
そういう枠のものではなく、一つの幻の経験が、更なる
幻に嵌り込んで行く種になっていくのか、それとも、幻を幻でしかないと見切って、
物質的思考を断念して高次の思考に切り替えるかが問われるという
物語が永久に続いている人生の学びの輪郭なわけです
271 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 03:09:34 ID:ITQsyYj5
>>270 佛教がこの世を「幻」と捉えているのなら、それは妄想患者の症状に
過ぎない。「色即是空・空即是色」なら、「色と空」とは等価。「幻」
などとは、どこにも言っていない。
釈迦はそうかも知れないが、少なくとも竜樹は、釈迦とは異なり、
「厳然として実在する現実界の構成原理(相互依存性・関係性)」を
説いていると解する。この原理は、万物に適用可能である。まさに
「現世を見すえた竜樹」である。
佛教の非現実性は、開祖と原始仏典の盲信・崇拝が原因である。狂信者、
盲信者が必ず生じるのが、まさに宗教の最大の「病理」である。東南ア
ジアの佛教とキリスト教(一神教)の影響であることは、確実である。
「高次の思考」「人生の学びの輪郭」も、具体的定義を要する「内容空虚
な観念語」。「高次の」とは、何を基準とした高低か。人間は、物質を
離れたら一瞬も生存できないのだから、「物質的思考の断念」が、いかなる
意味でも人生の学びにはなりえない。ナンセンスに過ぎない。
272 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 07:12:20 ID:2QvfbiCE
>>270 唯識思想では特にそうですね。
地獄の鬼が地獄の炎にあたっても平気なのは、
地獄も鬼も炎も、すべては識が見ている夢だからだと、
唯識を大成した世親菩薩が言ったそうです。
>>262 AちゃんとBさんの心が連続しているのです。
Bさんに記憶がないだけで。
仏教では、肉体の無い生命の存在も認めます。
ですから、前世の私と今の私が連続した肉体ではつながっていなくても、
仏教的には問題ありません。
肉体は別でも心は連続している。
肉体のある生命から肉体のない生命に輪廻することもあるのだから。
>>273 つまり、今生で「肉体が所縁によって連続しているように」(連続しているから、色としての同一性が仮設される)、
三世に亘っても「【心】が【所縁によって】【連続している】から」仏教的に問題はない、と。
(で、三世に亘っての場合は、「(凡夫には?)心としての同一性が仮設される」と)、
こういうことですかな?
275 :
析空:2009/11/03(火) 08:17:59 ID:r4zRWjH8
>>227 >それほどまでに生に「執着」するのか
ええっと?
そんなに生に執着しているように見えましたか?^^
輪廻(生まれ変わり)に執着した覚えはないですよ。
確かに仏典は生まれ変わりを否定していませんし、生まれ変わりを前提とした話しが書かれています。
しかし、それは【素人向け】の方便だと私は思います。
そもそも仏教では(生まれ変わり)に執着していないし私もそうです。
真面目な修行者には「迷いの生存を繰り返すな」→「解脱」を説いていて、こっちが仏教の目的ですね。
>>270 まったくそのとおりですね。
感覚器官である五感だけに頼って、真理を知ろうとする前提が
話が噛みあっていない所だと思う。
277 :
前スレ10:2009/11/03(火) 09:41:58 ID:zj2NV7JZ
>>269 いやいや、空虚なのは、「267さんの仏教」だけだと思いますよ。
ゴータマさんは、「実際に見えるものは存在する、見えないものについては語らない」と言うスタンスだったはずです。
その上で、「実際に見えて存在しようと、無常であるから、私にとっては幻のように執着する必要の無いものだ」と言ったに過ぎないと理解しています。
それを後代の人が聞きかじって、「全ては幻である!」と言い切っちゃったんでしょうね。
もし本当に全てが幻だと言うなら、「幻」の車道に飛び出して、「幻」の車に轢かれて見て欲しいものです。
278 :
前スレ10:2009/11/03(火) 09:42:35 ID:zj2NV7JZ
>>270 えーと、主体を認めちゃうわけですか…?
そうなると、今度はその「主体」が存在する証明が必要になってきますよね?
問題がスライドしただけです。
また、「我」と言う主体を否定したゴータマさんの教えとの整合性はどうするんですか?
279 :
前スレ10:2009/11/03(火) 09:43:35 ID:zj2NV7JZ
>>273 ( ゚д゚)えええええ????
>AちゃんとBさんの心が連続しているのです。
はっきりと書きましたが、Aちゃんの成長した姿がBさんではないんですよ?
AちゃんとBさんは別人ですよ?
自分の心が、出会った事も無い他人の赤ん坊の時の行為によって、影響を受けていると言う事ですか??
もしこれが成り立つなら、Aちゃんの行為は、Aちゃんが成長したA'さんだけでなく、Bさんという二人の人間に影響をする事になりますよね?
これを転生に当てはめるなら、αさんの業が、βさん、θさん、γさん…といった、複数の人に転移し、一人の人間が、複数に転生することになりませんか???
それとも、Aちゃんが死んだ途端に、Bさんの心に突然Aちゃんの影響が現れるんですか??
>肉体は別でも心は連続している。
えーと、これを根拠にするということは、つまり、転生する主体として「心」と言うものを想定するということですよね?
「我」とか、「霊魂」を、「心」と言い換えただけじゃないですか?
280 :
前スレ10:2009/11/03(火) 09:43:45 ID:zj2NV7JZ
>>276 >感覚器官である五感だけに頼って、真理を知ろうとする前提が話が噛みあっていない所だと思う。
えーと、感覚器官以外を頼ると言うと、何を頼るんですか?
超能力?妄想?霊感?天の声?
281 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 10:17:36 ID:Iv9guQrI
>>266 >宗教に関係なく、この世に騙すのが生業みたいな人は、たくさんいるよ
いたとしても、それらの人々は少数で、行為は多分に偶発的で小規模。心のど
こかに良心の呵責はあるはずだ。
宗教は、組織全体が脅迫と詐欺の体系。しかも、良心の呵責のカケラもない
ばかりか、他人の心に土足で上がりこみ、他人を害することが、むしろ無上の
喜び。自分では「善いことをした」と思い込んでいる。「100%の善意で、
最大の悪をなす」。これが宗教の本質である。
同じ詐欺でも、組織的、団体的詐欺は、刑法上も、罪が格段に重くなっている
ことを忘れてはならない。
282 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 10:46:51 ID:Vy7gX3Ty
>>275 >そんなに生に執着しているように見えましたか?^^
>輪廻(生まれ変わり)に執着した覚えはないですよ。
輪廻(来世、再来世、再々来世)を信じる者は、常にそれに執着して
いる。常にそれに怯え、不安が絶えず、何とかして「自分の」輪廻を逃
れようと、「自分の我と生」に汲々とし、執着している。そこには、
「他者」の存在はない。
「素人向けの方便」とは、世間に対する「詐欺」「脅迫」「甘言」の別
名以外の何物でもないではないか。
宗教は、現代においては、自己満足、自己陶酔、反社会性という「悪の
体系」であり、速やかに廃棄されるべきもの。
宗教は、原初的には、古代人の生存のための「手段(即ち、現代の科学の
代替品)」として発生したが、創唱宗教における開祖の精神病の介入に
よって、生存との関係が断ち切られ、本来、生存の「手段」であるものを、
生存の「目的」とするという倒錯に陥ってしまったのである。古代人は、
「精神性」という「心の病」には侵されてはいなかった。「自分の心」
などを意識することは、心がすでに病んでいることの証拠である。
>>278 主体は、感じるところ、感覚があるところに存在してますね。
感覚という妄想を絶えず生み出している主体があることですから。
「色は我であるとも、我は色を有すとも、我が中に色有りとも、色の中に我有りとも、見ることはない。」
という解説に続けて、「我というものはない。また、我が物というものもない。」
と知れと書いてあるとおり、感覚の世界の中に我というものはないので、感覚にドップリじゃダメで
もっと上の世界に達してなければならないです。
>>271 高い次元というのは、見える世界(結果)ではなく、物質として現れる前の(原因の世界)のこと
そんなものはないよ、ということは可能ですが、必ずどこかで現象によって気付かされ
結果だけを見ていても解けないことがある、と知ることになるから、それでもいいんですけど
永遠に続いている学びの修行を遠回りすることになります
285 :
前スレ10:2009/11/03(火) 13:11:48 ID:zj2NV7JZ
286 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 13:13:55 ID:bTCIBHK5
>>284 結局、「僕はそう信じてるんです。」
以上のことは言ってないな。
あなたが、そのように「信じる」ことは、勿論、自由だが
正直、信仰告白はもう飽きた。
>>280 自分の見たもの、聞いたものを、ただ漫然と見て過ごしてるんじゃなしに、
無い筈のところから、なぜそれらが生じているのかという、原因面のほうに
目を向けていくんです。無意味に現象が生じてるんじゃなくて
何か自分に気付かせるためにそこにあるんですから。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 13:33:40 ID:1fP25mHJ
>>283 精神医学では、「知覚(感覚)される対象が存在しない。知覚(感覚)されない
対象が存在する」を信じ込むのを、「知覚異常」「幻覚」「妄想」と呼ぶのだよ。
君の言っていることは、精神医学的には、全くの誤り。
「色」を知覚しているのは「我」なのに、「我がない」というのは、釈迦の誤り。
それとも釈迦は、「色」が我とは無関係に存在しているという「唯物論者」かw。
「もっと上の世界」を判断する基準は何?実は、「もっと下の世界」かも
知れないぞw。
>>284 その「高い次元」についても、上記と同じ。「見える世界」以外の存在を
信じることは「妄想」であり、精神の病として治療の対象となるだけ。
「妄想」や「幻覚」がひどければ、精神病の疑いがあるから、早急に精神科に
よる治療を受けること。「宗教」とは関係ない「心の病」に過ぎない。ひたむきに
生きている生活者は、そんなことは考えないものだよ。現実界における生存努力
によって、心が満足しているからだ。
>>286 もうこれ以上こんな話は聞きたくないと思ったら、
どうして自分がそう思ってしまうのかと自分に聞いてみたらいいでしょうね
290 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 13:40:37 ID:bTCIBHK5
>>289 自分に聞いてみたら、分かったよ。
あなたの話が、何の論拠もない個人の妄想にすぎないからだね。
スピリチュアル系のスレと間違えてませか?
>>288 そうです。現実の日常生活そのものがすでに宗教的なので
宗教など不要。宗教は人間が考えたものにすぎない
くだらないものといえますね。
292 :
前スレ10:2009/11/03(火) 15:03:05 ID:zj2NV7JZ
>>287 え〜と、ややこしい言い方してますが、要するに、
五感を否定してるのではなく、五感で感知したことから、その背後の関係性を類推しろってことですか?
それは、普通に科学的思考法で、私が行っている事ですね。
問題は、「五感で感知できる証拠」が無い事です。
スタート地点が何も無いなら、類推しようが無いです。
もし、五感で感知できる証拠は無いけど、その背後に何かが有るんだと妄想することを主張しているのでしたら、チョット危ない人ですよ?
しかも、全ての現象に自分に対するメッセージが込められているという妄想は、非常に危険な部類に入ると思うんですが…。
293 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 15:36:44 ID:uZRf6+78
>>292 >しかも、全ての現象に自分に対するメッセージが込められているという妄想
>は、非常に危険な部類に入ると思うんですが…。
「実際には自分と関係ない偶然の出来事を自分と関係づけ、自分に対する特別
の意味があると確信する妄想」を、精神医学では「関係妄想(delusion of
reference)と呼び、統合失調症に多いが、アルコール精神病や覚醒剤精神病、
神経症圏、鬱病の一部にも見られる症状です。その方は、精神科による早急な
治療が必要だと思われます。
294 :
暁:2009/11/03(火) 16:08:36 ID:YaAqQsQ0
精神疾患者とスピの出会いはまずすぎた
千と千尋に出てくるカオナシみたいになっちゃっているから
蛙を飲めば蛙の個性で話してくる感じで
同時に別スレはまる一年荒らし続けたり
スピ系統の後始末をやれる人は少ないしで
296 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 16:54:43 ID:Ks5G52YZ
ところで、
「輪廻転生」の生まれ変わりがある
と考えている方々にとって、 「生きる」ってなんですか?
「死」ってなんですか? 肉体のみの話なんですか?
>>296 睡眠と同じ。寝たら寝たままじゃなくて次の朝になったら起きてる。
というように、理由もなく生かされてるわけでも身体を与えられてるわけでもなくて
自分の身体から学べるようにできている。わからなくなったら自分自身に聞きなさいということは、
仏教でも言ってるし、まさに至言といえるのです。
>>292 感覚しているということは、
その感覚として妄想をせっせと作りだして見ている自分がいるということに他なりません
ですが、その感覚される世界の中に自分が入りきってしまっていると、そのことが
理解できなくなって、元々自由な存在なのに、不自由を覚えるようになります
そんなとき宗教などに縋ってしまおうものなら、おかしな方向に行ってしまい
戻って来れなくなってしまいます
299 :
析空:2009/11/03(火) 22:47:02 ID:r4zRWjH8
>>297 何でもかんでも、ただ自分に聞けばいいというものではないですね。
法に照らし、律に照らし、良く調えた自己に聞くということですね。
300 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 23:09:34 ID:2QvfbiCE
>>279 輪廻の話をしてるんですから、
Aちゃんが死んだ瞬間の心と、
その次の瞬間に生まれたBさんの心とに因果関係があるという意味です。
我執が輪廻の原動力です。
死んだときに、心はまだ生きていたいから、心が新たな生に向かうのです。
怪談に出てくる「成仏できない」幽霊みたいなもんです。
生きている私達自体が、「成仏できない幽霊」
みたいな迷える存在なのです。
302 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 23:15:02 ID:2QvfbiCE
>296 生きることは苦しみです。
一切(眼耳鼻舌身意の六根・色声香味触法の六境・眼耳鼻舌身意の六識)は
すべて苦しみです。
しかし、私達の心は、生きること、すなわち一切の現象が苦しみだとわかっていないから、
死ぬときにまだ生きていたいというエネルギーが消えず、
また輪廻してしまうのです。
一切皆苦を悟ったら、はじめて輪廻から解脱し、
平安なる滅びに入れるのです。
303 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 23:27:55 ID:SAlLqoIh
>>302 生きるのは苦しみだけだからと、自害する人はどうなんでしょう?
304 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 23:39:12 ID:SAlLqoIh
>>302 人の意思は転生はどう考えているんですか?
305 :
神も仏も名無しさん:2009/11/03(火) 23:46:20 ID:SAlLqoIh
>>302 地球上の人口が増え続けている事はどうしたら説明できるんですか?
307 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 00:50:28 ID:SIBqlSGq
>>303 自殺者は、今の生が苦しいから逃げたいだけであり、
おいしいものを食べることを楽しむ気持ちや、
その他心身の楽や喜びに対する欲はあるはずです。
そういう欲もなくならないかぎり、輪廻してしまうのです。
心の底では生きていたいという煩悩があるから。
自殺したい人でも、夢の中で楽しいできごとを見て楽しむこともあるでしょう。
自殺したい人でも、映画やゲームに熱中してる間だけは、
その楽しいことが続くことを望んで、
だから映画やゲームから意識をはなさずに
一定の時間映画やゲームを続けるでしょう。
本当に何もかも「むなしい」と悟ったわけじゃなく、
大きな苦しみから逃れたいから自殺したいのでしょう。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 00:54:34 ID:SIBqlSGq
>>304 質問の意味がわかりませんが、
肉体や能が弱って壊れた先の、
つまり脳の縛りを離れた心の本音は、まだ心を継続したがっている。
いや、そんな意識的な気持ちもなくても、私達は、
もうどうしようもなく勝手に、
昨日のあとにまた今日が始まってしまってるでしょう?
309 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 00:56:49 ID:SIBqlSGq
>>305 人間以外にも生命はいるし、
地球以外にも、物質世界以外にも生命はいます。
人間が死んで神様になることもあるし、
神様が死んで人間になることもある。
310 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 01:12:16 ID:w6t9VCLL
>>309 生命体の総数プラス神様の総数は一定という事でいいんですか?
311 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 01:19:41 ID:w6t9VCLL
>>308 質問の仕方が良くなかったですね
心と意思は同じ意味ですか?
あくまで、肉体の死後としての転生をお伺いしています。
312 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 01:34:17 ID:w6t9VCLL
>>307 いかにも宗教らしい表現ですね。
生まれ変わりたいと願う人もいるでしょうが、生きている意味がわからない人もいますよ。
俺なんか未練などないけどね。ただ、自殺するにも今は出来ない環境があるのと、その勇気がないだけ。
めぐりあわせではいつ逝ってもいいと思っているけどね
313 :
前スレ10:2009/11/04(水) 01:55:12 ID:RAOIXaHy
>>298 なんか話の流れが滅茶苦茶ですね。
回答でもないし、話につながりも薄いし…。
もしかしてアンカーミスですか?
そもそも何を言いたいのか良く分かりません。
314 :
前スレ10:2009/11/04(水) 01:55:17 ID:RAOIXaHy
>>300 え〜と、あなたは、話の流れをまったく理解してませんね。
AちゃんとBさんの話は、赤ん坊の経験が、成長後の大人に影響を及ぼす事を、輪廻に対比していることに対する矛盾点の指摘ですよ?
つまり、Aちゃんが20年後A'さんになった時に、Aちゃんの行為の影響がA'さんに有るのは、肉体の連続性が有るからです。
一方、生まれ変わりの場合には、「肉体的な連続」がありません。
Aちゃんと同時に生まれたBちゃんがいるとします。
あなたの生まれ変わり(肉体が別なのに影響を及ぼす)を、当てはめて見ましょう。
そうすると、Aちゃんの行為の影響が、20年後に、肉体的にAちゃんと連続していない、Bちゃんの成長した姿のB’さんに、
(Aちゃんが生きていようと居まいと、)影響を与える言う事になってしまいます。
これだけでも異常な事態ですが、このとき、A’さんが生きていたら、Aちゃんが影響を与える存在が2人になりますよね?
さらに、演繹していけば、複数人に影響を与える事になってしまいますよね?
これは、非常におかしな結果になりませんか?
このように、わけの分からない事になる原因は、
「肉体的連続が有る場合」を、「肉体的に連続ではない輪廻の場合」に当てはめるから起こるのです。
ですから、あなたが根拠として示した例示は、輪廻には全く相応しくありません。
315 :
前スレ10:2009/11/04(水) 02:03:51 ID:RAOIXaHy
>>300 >>302 えーと、なんで、我執があると、「心」に「エネルギー」が残って、生まれ変わるのか、
そこのところが全く解りません。
そもそも、「心」とはなんですか?
「エネルギー」とは、どんな種類のエネルギーなんですか?
そのエネルギーが、どうやって物質に影響を与えて、この世に生まれてくるんですか?
私が思うに、あなたの言う「心」は、釈尊が否定した「我」と全く一緒の性質を備えたもののように思えます。
>>308 >昨日のあとにまた今日が始まってしまってるでしょう?
ですから、あなたの根拠とする例示は、全て「肉体的に(記憶も)連続している」場合であって、
生まれ変わりのように、「肉体が断絶している場合」の例示には全くふさわしくありませんよ。
316 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 02:09:08 ID:w6t9VCLL
>>312の続き
今の輪廻転生概念を貫き万人が理解することがあったなら
医学の進歩など不要の産物になりかねないですね
>>313 五感から得た情報そのものを思考材料にして考えを進めるのではなく、
なぜそれを見させられているのか、というふうに原因に目を向けて
何を教えようとして現象が起こっているのかという意味を汲み取る練習を
常にするわけです。馴れの問題です。
結果の世界ばかり見て一喜一憂していたらわかりませんよ。
318 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 08:02:23 ID:SIBqlSGq
>310 悟って涅槃に入ったら、その者は輪廻から解脱するから、生命は減ります。
減ることができるなら、逆に、生命が増えることもあるかも。
その点について説かれたお経を私は知りません。
>311 輪廻するのは、心に煩悩があるからだと仏教では説きます。
煩悩がなくなれば輪廻から解脱します。
>>317 >なぜそれを見させられているのか、というふうに原因に目を向け
>何を教えようとして現象が起こっているのかという意味を汲み取る練習を する
ことは、
>五感から得た情報(そのもの)を思考材料にして考えを進める
こととは違うんですか?
【そのもの】という箇所が抵触するわけですか?
それとも、
>なぜそれを見させられているのか、というふうに原因に目を向け
>何を教えようとして現象が起こっているのかという意味を汲み取る練習を する
ことは、 >五感から得た情報 に拠らず、別な方向からアプローチするということですか?
(いかにもありそうにない、胡散臭い考え方になりそうですが・・・w)
320 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 08:07:42 ID:SIBqlSGq
>>312 心臓が無意識にでも動きつづけて生きてますよね。
本当に生きるのが嫌になったら、
そういう無意識の生命活動さえなくなるのです。
仏教では、無意識の活動にも無意識の心がはたらいていると考えます。
細胞1個のときにも、そういう生きようと活動する心があるのです。
複雑な思考はできなくても、生きようと活動する心があるのです。
>>320 >細胞1個のときにも、そういう生きようと活動する心があるのです。
>複雑な思考はできなくても、生きようと活動する心があるのです。
仏教という枠内と限定するにしても、それは行き過ぎだと思うぞw
(君は、禅や華厳系かい?)
ノシ
>>317 併せて質問しておきます。
(人に於いて)六根以外で感受するということがありえるのですか?
ノシ
323 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 08:28:13 ID:SIBqlSGq
>>315 心とは、五蘊(色受想行識)のうちの、受想行識の現象です。
エネルギーと言ったのは、わかりやすく言っただけで、
物理的なエネルギーかどうかはわかりません。
なぜなら、肉体(物質)のない生命にも心があるからです。
心は、一瞬一瞬ごとに生まれては死んでいますから、
ずーっと同じ心ではないし、ずーっと同じ「私」ではありません。
一瞬前の私の心と今の私の心とに因果関係があるだけで、
本当は、一瞬ごとに違う私なのです。
ですから、心は無常・無我であり、我ではありません。
324 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 11:02:38 ID:FBnJ23VH
>>323 >本当は、一瞬ごとに違う私なのです。
>ですから、心は無常・無我であり、我ではありません。
一瞬ごとの我はあるから「無」我ではない。「変わる」ということは、「変わらない
状態」の存在を前提とする。従って、「無常=無我」という釈迦の論理は誤り。
やはり、竜樹の言うとおり、「相互依存性ゆえの無自性」と解釈しない限り、
釈迦の誤り・矛盾は解決できない。
既にのべたとおり、釈迦の「中道」の論理的誤りも同様である。
>>324 その「相互依存性ゆえの無自性」は中論のどの部分を指しているのかね?
具代的に、何章のここにあると示してくれないか?
326 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 11:16:53 ID:aG3uC2QR
>一切皆苦を悟ったら、はじめて輪廻から解脱し、 平安なる滅びに入れるのです。
>>302より
>人間が死んで神様になることもあるし、 神様が死んで人間になることもある。
>>309より
>悟って涅槃に入ったら、その者は輪廻から解脱するから、生命は減ります。
>>318より
↑ これで、地球上の人口増加との整合性がとれますかね。
>人間以外にも生命はいるし
>>309より これは、昆虫や小動物等も指すのですかね。
全ての生命体を 心 は行ったり来たりしているのでしょうか。
人間誰しも持つ思考・意思と 心は 同意語ですか?
また、ID:SIBqlSGqさんにとって 「生きる」とはなんですか? 「死」とはなんですか?
327 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 11:21:23 ID:YZOTf5iJ
>>325 中論の頌全体の解釈から読み取れ。「相対性」という言葉だけで充分
であろう。「相対性」とは、「絶対は存在しない」ということ。
中論第一章
もろもろのものはどのようなものでも、どこにあっても、何時でも、
自らも、他からも、自他の二からも、さらに無因からも、
生じたものとして認められない。
ここでは、あなたのいう相対性(自他の二からも)が否定されているが如何?
329 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 11:54:28 ID:JeiGDLVL
>>328 「生じたもの」ではないとは、「相互依存・相対の関係性」に過ぎない
ということ。「もろもろのもの」だから、この「関係性」は、自他を
はじめとする「万物」について適用される。「関係性」に過ぎないから、
「それ自体としての固有の性質(自性)」はない。
いえ、自他の二からも、・・・・生じたものとしては認められないと、
はっきり書いてありますが?
>>329 >自他を
>はじめとする「万物」について適用される。
に対する反論ですが如何?
まあ、この中論の一部から
>自らも、他からも、自他の二からも、さらに無因からも、
を除いた、
>もろもろのものはどのようなものでも、どこにあっても、何時でも、
>生じたものとして認められない。
でも同じ意味になると理解できなければ、日本語が理解できてるとは思えませんがね。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 12:23:55 ID:SIBqlSGq
>>324 「無我」とは、無自性・空と同じ意味だと思います。
「私という主体が無い」という意味ではなく、
「私という主体は五蘊仮和合であり、縁起・無自性・空だ」
ということだと思います。
無我で無常で苦なのだから、我(わたし)が滅びてもかまわないのに、
わたしの心は滅びたくないと執着し、
次の心、また次の心へと相続しているのです。
つまり、心は心として動きつづけたがっているから、
動き(心の現象)が相続している。
心が満足しきって、もう動く必要がないとなったら、
動き(心の現象)が終了し、心が相続しなくなるのです。
それが輪廻からの解脱であり涅槃です。
334 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 12:26:23 ID:IDixbHg4
>>330 「関係性による集合体」だから「独立体として生じたもの」ではない。
そして、「自他」も、「関係性の集合」である。
>>331 すべての物質は原子(さらには電子、陽子、その他の素粒子)の関係的
集合からなる。物質に固有の性質があるように見えても、それは、これら
の素粒子の「関係的集合」の相違によるものだから、その物質の固有の
性質とはいえない。これらの素粒子も、さらなる素粒子の関係的集合で
あることが、発見されつつある。
「我(生命)」も同様。両親を初め、それに先立つ無数の生命と、その
生命を維持してくれた自然との関係的集合に過ぎない。
竜樹は、この「相互依存性・関係性」の原理の発見によって、釈迦の
「縁起・空・中道」を、論理的に見事に解明した。釈迦は、論理的には、
いまだ極めて不十分であった。
335 :
前世は一在家:2009/11/04(水) 12:29:46 ID:3EgWuptf
>>222 >長部経典33経「等誦経」より本スレタイ輪廻に関連の深い箇所を紹介します。
釈尊は輪廻を前提にして関連するいくつかの法を説かれたとの記載があります。
有名な「三明智」も輪廻を前提にした神通力です。
本スレで輪廻を「不幸」だとの論調を見かけますが、本当にそう思っておられる
のでしょうか。
輪廻の法に関係の深い因果応報の法では、悪因悪果、善因善果となりますので
自身の前世か先祖が善行を行い徳を積んでいた場合は、現世では所謂ラッキー者
になるかと存じます。
イエスも「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」と同じく因果応報の法を説かれて
おりますが、「机上で空を論じた」かの大天才が「運動」と「時間」を否定した
ものですから、
「因果応報の法−時間=縁起の法」と変更されて、「因果応報の法」を前提とした
「輪廻の法」も否定する自称大乗仏教徒(かの大天才のフォロアー)が本スレでは
多いかと推察します。
以上、私の仮説ですが、一度輪廻を否定する仏教徒に「君は因果応報の法も否定か?」
と質問してみれば検証できると思料します。
多分、輪廻肯定者の100%近くは因果応報の法の肯定者でしょうから。
336 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 12:31:03 ID:SIBqlSGq
>>326 動物とは、六道輪廻でいえば畜生道ですから、
人間が動物に輪廻したり、
動物が人間に輪廻したりもありえますね。
死とは、この身が壊れることです。
生きることは、苦しみ・不満から逃れるために、
新たな苦しみ・不満に乗換えることです。
息を吸ったら、吸いつづけるのが苦しくなるから、
今度は吐きたくなる。
しかし、吐くこともまた苦しみだから、
吐きつづけると苦しくなり、また吸いたくなる。
生きることは、麻薬の中毒と同じ。
麻薬を使うのは苦しみを伴うのに、麻薬を手放せない。
本当の解決は、麻薬を手放すこと。
本当の解決は、生きること(死んでまた輪廻することも含む)を手放すこと。
337 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/04(水) 12:33:01 ID:/w+E/um9
>334
(^。^)陽子、中性子などは素粒子の複合体ですが、何か?
あと、論は法の下位概念ですが、何か?(笑)
338 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 12:37:31 ID:SIBqlSGq
>>326 宇宙人から地球人に輪廻する可能性もあります。
このスレ見てると大乗はこうやって進化してきたのだろうなって思う。
340 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 12:43:41 ID:Tf7hWM8a
>335
君の言ってることが、まさに、カルト宗教の「輪廻転生」を利用した信者に対する「脅迫」と「甘言」
という「悪業」なのだよ。「輪廻転生」による「脅迫」と「甘言」という悪業を行った者の来世は
どうなるのかねw。
世俗化した大乗ならば、哲学としての仏教も役に立ってる
釈迦のように無記で通すのは失礼だし、悟ってるわけでもないから
342 :
326:2009/11/04(水) 12:50:36 ID:aG3uC2QR
>>336 貴方が今このスレにいるのは貴方の意思・思考ですか、それとも心ですか?
犬や猫の心にも仏教概念が意識として存在するのですか?
343 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 12:56:50 ID:h5AhwdJZ
>>337 「複合体」というよりも「関係的集合」というべき。素粒子が「くっつ
き合っている」訳ではない。最近の高校化学の教科書の「原子模型」を
参照されたし。昔とは違って、現在では、電子は雲のように、不定形で
ある。その位置も運動も確定できない。
竜樹は、その「相互依存性・関係性」の原理の発見により、「普遍の法を
発見した」のである。
意思・思考・感情が複雑にからんだものが心。
345 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 13:05:00 ID:VxCmhiTN
竜樹が分子論や素粒子論を理解していたんだ。
どうやって?W
346 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/04(水) 13:09:54 ID:/w+E/um9
>343
(^。^;)最近の教科書なんか持って無いって。
ハイゼンブルグなら知ってるよ。
あと、龍樹の独創なら、中論に帰依分なんか付けんだろ。
お釈迦さんが、
彼あれば是あり
と縁起を説かれた事を承けての話だ。
347 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 13:44:13 ID:mlL4/NWC
>>346 釈迦からヒントをもらったのだから、一応挨拶しただけ。しかし、釈迦
を抜いたという竜樹の自負が感じられる。釈迦の「これがあるから、あれ
がある」の矛盾も、しっかりと批判している。
釈迦の偉大さは、大乗仏教の巨大・精密な体系を生み出すヒントと与えた
ところにある。
竜樹の大哲学に比肩しうる西洋の宗教家や哲学者は皆無である。「相互
依存性・関係性」など、イエスの念頭にも浮かばなかった。
348 :
前スレ10:2009/11/04(水) 14:08:52 ID:RAOIXaHy
>>317 話がかみ合っていないので、話を元に戻しますが、
最初から指摘しているように、
現象から、原因(法則)を求める行為は、科学的思考そのものであり、私の思考方法です。
ただ、私は、「五感の感覚で感知できること」を出発点にしています。
そして、あなたの指摘は、
「感覚器官である五感だけに頼って、真理を知ろうとする前提が話が噛みあっていない所」
>>276 でしたが、「五感以外の感覚に頼る」と言う主張に読めるんですが、それであっていますか?
349 :
前スレ10:2009/11/04(水) 14:09:00 ID:RAOIXaHy
>>318 生命の総数が増えると言う事は、
前世に業を持たない生命が生まれると言う事ですよね?
そうすると、なんの業もつくっていないのに、果を受けるんですか?
あるいは、全然関係ない生命の果を受けちゃうんですか?
「あなたの言う因果の法則」が崩壊しませんか?
350 :
前スレ10:2009/11/04(水) 14:09:11 ID:RAOIXaHy
>>320 >細胞1個のときにも、そういう生きようと活動する心があるのです。
え〜と、そうすると、細胞一つ一つが輪廻転生し始めるという事になっちゃうと思うんですが。
それとも、細胞一つの場合には輪廻しないんですか?
心臓移植した場合は、心臓は移植先の人が死ぬまで転生しないんですか?
351 :
前スレ10:2009/11/04(水) 14:09:24 ID:RAOIXaHy
>>323 心とエネルギーに関するあなたの定義はわかりました。
で、なんで、その心のエネルギーによって、生まれ変わりが起きるんですか?
生まれ変わると言う事は、物質に影響を与えているんですよね?
そして、あなたの心の説明では、転生の主体としての常住の我を「心」としているように読めるのですが。(
>>333)
352 :
前スレ10:2009/11/04(水) 14:09:36 ID:RAOIXaHy
>>335 えーと、毎度思うんですが、「因果の法則(結果には原因が有る)」と、
「因果応報(よい行いにはよい結果が、悪い行いには悪い結果が起こる)」は、
全く別モノだと思うんです。
因果の法則は、自然界を観察した結果、反例が見当たらないので、仮説として十分蓋然性が有ると思いますが、
因果応報が成立するという根拠はなんなんですか?
353 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 14:19:10 ID:aG3uC2QR
>>335 因果応報の法では、悪因悪果、善因善果となりますので
これは、輪廻を説くための方便ですね。因果律は認めますが、善悪とはそもそも何ですか?
例えば、結果として人を殺してしまった時、理由はどうであれ悪行ですか?
レイプされ子供ができてしまった時、その後の女のとる行動は?
因果とは原因があって結果がある ただそれだけのことです。
354 :
暁:2009/11/04(水) 14:23:24 ID:2Ui5tsVR
>>347 [宇宙においては]何ものも消滅することなく(不滅)、何ものもあらたに生ずることなく(不生)、何ものも終末
あることなく(不断)、何ものも常恒であることなく(不常)、何ものもそれ自身と同一であることなく(不一義)、
何ものもそれ自身において分かれた別のものであることはなく(不異義)、何ものも[われらに向かって]来ること
もなく(不来)、[われらから]去ることもない(不出)、戯論(形而上学的論議)の消滅というめでたい縁起の
ことわりを説きたもうた仏を、もろもろの脱法者のうちでの最も勝れた人として敬礼する。
御隠居はコレ(帰敬序)を何度も読み返したらいいよ。特に後半を。
355 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/04(水) 15:09:55 ID:CRAqmjdx
>>354 >何ものも常恒であることなく(不常)、
法華経では「仏は常住」と記載されております。
原始仏典の「大本経」では、仏は常住とは説かない代わりに
「宇宙劫」スケールで存在すると記載されております。
何億年も存在する場合は普通「常住」と言ってよいかと
思料します。
「仏も無常」は龍樹理論の仮説であり、もし釈尊が説いたならば
敬意を示しますというのが「帰敬序」に秘めた本心でしょうか。
356 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/04(水) 15:20:18 ID:CRAqmjdx
>「仏も無常」は龍樹理論の仮説であり、もし釈尊が説いたならば
>敬意を示しますというのが「帰敬序」に秘めた本心でしょうか。
もし「仏も無常」と釈尊が説かなかったならば、敬意に値しませんよ
という自負心が「帰敬序」に伏せられているように感じます。
大乗の中でも法華経、華厳経などは龍樹のマイコンを免れたようですが
「因果の法」を否定した大乗経典は皆龍網経かも知れませんね。
「自灯明とせよ」と釈尊が説かれた場合は、「やがて仏になり得る仏子」、
「仏性を宿す尊い自己」であれば、論理的矛盾も無いでしょう。
357 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 17:09:07 ID:On4a3Jsm
>>355 >法華経では「仏は常住」と記載されております。
法華経の「久遠実成の本仏」とは、「関係性の集合体としての種属としての
人間の生命とその生命を支える大自然」の象徴であると解する。そうすれば、
竜樹とも少しも矛盾しない。釈迦も竜樹も、「自然によって支えられた己の
生命(我)」を以って説いたのだから、それを否定することは不可能である。
単に、「生命も自然も、関係性の集合体だから、自性はない」ということに
過ぎない。竜樹に始まる大乗仏教が、竜樹をさらに改良したのである。釈迦は
勿論、竜樹においてもまだ不十分であった「生命の根源性」を補足したもの
であろう。
このように、大乗仏教は、そのいずれの宗派においても、それぞれの一家言
と真理を有する。このことは、やはり、竜樹の「相互依存性・関係性」の大
原理の賜物であろう。
>>354 その「帰敬序」には、竜樹自身の思想と解釈が大分入っているのではないか。
それに対応する釈迦の言葉が、原始仏典にありますか。
なお、「脱法者」は、「説法者」の誤りでは?
358 :
暁:2009/11/04(水) 17:31:22 ID:2Ui5tsVR
>>357 ちょwコピぺ元が間違えてる
そのとおり説法者です。
359 :
暁:2009/11/04(水) 20:00:44 ID:2Ui5tsVR
一乗思想や久遠の本仏の観念も思想史的現実に、その教説は存在意義を有しているらしいが。法華経はこ
の道理を戯曲的構想と文芸的形式をかりて表現している?というけど。三乗(声聞、縁覚、菩薩)は皮相の
見解であるとし、これら大乗の実践は一乗に帰すると主張している。三乗とは方便であり、真実は一乗法
あるのみである、みたいだね。
一偈を聞いて受持せる者は、何人であれ仏の慈悲に救われる。仏の慈悲とは絶対であると。
肉身の釈迦の所説ではない。その根源は時間や空間を超越し、そこに現れる絶対者、諸法実相の理にほか
ならない。これが久遠の本仏であるらしい。要するに生身のブッダは方便の姿であり、永遠の昔に悟りを
開き衆生を教化してるのであるから、常住不滅であるとするものだね。
このような仏の本性に関する思索が契機となり、仏身論が急速に発展した。そしてさらに発展して、仏教
外の異端説にも、その存在意義を認めたという。
この宥和的態度が、外教徒にも受けがいいのだろうか。
360 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 21:10:32 ID:TfCOiWqX
>>359 法華経のオカルト的要素は気になるね。下手すると、一神教類似になってしま
う。カルト宗教にも利用されやすい。法華系佛教は、充分な注意が必要だろう。
その意味で、「久遠実成の本仏」につき、前レスでの解釈を提唱した次第。
>>335 >自身の前世か先祖が善行を行い徳を積んでいた場合は、現世では所謂ラッキー者
自業自得に抵触しないのか?w
それからな、≪『因果応報』は『恣意的な価値判断』≫だということを肝に銘じておけw
362 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 22:54:27 ID:ayj6kxEs
「善いことも、悪いこともやった人間(すべての人間がそうであろう)の来世はどうなるか」の質問に
全く答えられないから、「輪廻転生」の理論は完全に崩壊する。解脱した人間が悪いやったらどうなるか。
悪いことをやった人間が解脱したらどうなるか。
また、「善悪」は、誰が、どのような基準で決めるのか。「善悪」は、特定の具体的状況において変動する。
人の身体を傷つけることは「悪」だが、医師が手術で患者の身体を傷つけることはどうか。自他の身を守る
ために人を傷つけた場合(正当防衛)はどうか。「過剰防衛」であるか否かは誰が判断するか。死刑囚を
処刑した死刑執行者はどうか。それを命じた裁判官や法務大臣はどうか。
いずれにせよ、「輪廻転生」の理論は、矛盾と疑問だらけで、初めから崩壊している。
363 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 23:17:59 ID:SIBqlSGq
>>342 仏教を知らなくても、犬や猫の心は生きようとします。
生きようとする性質、滅びたくないと滅びから逃げまわりたがる性質
をもった心が、犬や猫にも宿っているのです。
仏教を知ってるから生きようとするのではありません。
むしろ、仏教を知らないから生に執着しているのです。
364 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 23:23:15 ID:SIBqlSGq
>>349 まずお断りしておきますと、
生命の総数が増える可能性については、
仏教に説かれた話ではなく、私の妄想です。
で、そもそも心がどのように生じるのかは、わかりません。
たまたま生じた認識作用が、
何かのきっかけで生存・存続に執着する心になるのかどうか、
そのあたりもわかりません。
365 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 23:35:43 ID:SIBqlSGq
>>350 細胞一つ一つが輪廻転生し始めるという事になっちゃう可能性もあるかも。
そのあたりはわかりません。
私自身の体にはたくさんの細胞がありますが、
今のこの私の心は、その複数の細胞のネットワークとつながっています。
しかし、私が受精卵だったときから、
すでにそこに心が宿っていたのだと思います。
アビダンマで有分心といわれる微細な心です。
細胞一つの場合にも、心があってその細胞が死ぬ場合で、
その心に生へ執着する煩悩が残っている場合には、
その心は輪廻すると思います。
私は、煩悩が輪廻の原因だという仏教を信じる立場です。
心臓移植した場合は、心臓は移植先の人が死ぬまで転生しないんですか?
心臓移植の例は、心が何に執着しているのかで決まるでしょう。
心という子供が肉体という人形で遊んでいる。
人形の一部がとれて人形が二つに割れても、
遊んでいる子供が一人だから、
割れたうちのどちらかでしか遊べない。
>>362 矛盾していると思うのは、知らない事が多いから。人生経験を多く積み、よく考える癖を付けると、貴方の言っている事の答えが見えて来るよ。
矛盾=無知とも言える。先ずは色々と学び、自分の頭で考えましょう。
367 :
神も仏も名無しさん:2009/11/04(水) 23:54:10 ID:SIBqlSGq
>>351 輪廻すると言っても、私達の毎日の心、
一瞬一瞬に生まれては滅しながら相続している心の延長です。
ですから、常住ではありません。
印刷物をコピー機でコピーして、そのときにもとの原本(1号)は破棄する。
で、残ったコピー(2号)をまたコピー機にかけて3号ができて、
2号は破棄され、またその3号から4号へ写しとって3号は破棄して…
というような感じで、心は入れ替わっていってるので、
常住ではありません。
(もちろん、たとえ話のように単なるコピーではなく、変化してゆきます。)
で、なぜその心のエネルギー(煩悩)によって輪廻が生じるのか、
その理由については、私にはわかりません。
ただ、煩悩があるから輪廻し、煩悩がなくなれば輪廻が止まるということは、
仏教の教えとして、私は信じていす。
なぜそうなっているのかよりも、
どうすれば輪廻から解脱できるのかに興味があります。
無始よりこのかた(始まりもわからないほどはるか昔から)、
ずっとそのようにして輪廻をくりかえしているのだと、
仏教徒はそう表現したりします。
「神様がそのように創ったのだ」などと、答えを決めようとはしません。
なぜかわからないが、そのような因果の法則があるようだ、
と、瞑想により神通力を得た聖者たちが経験的にそう感じているのです。
私は、そのような聖者たちの言うことを信じる立場です。
たくさんの尊敬する先輩達がそう言うんだから、
これは単なる嘘とかではないんじゃないかと、
仏教の先輩達を尊敬する仏教徒として、私はそう思います。
368 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 00:08:33 ID:o0WjO0y9
>>351 心が物質にはたらきかけて生命たらしめているのか、
あるいは、生命としての器をそなえたオモチャができたら、
それを狙っていた心という子供がオモチャを手にとって遊びだすのか、
それはどちらかわかりません。
仏教の中でも唯識思想の場合は、
物質もまた識(心)がつくりだす幻だととらえるかもしれませんね。
また私の妄想ですが、たとえば新しい受精卵一つが生まれた瞬間に、
どこかで二つの生物が死んだ場合に、
その二人つの死者のうち一つは、
受精卵に乗り移って新しい肉体に宿り、
もう一方の死者は乗りうつる肉体の入れ物がないから、
肉体のない心だけの生命になるのかもしれません。
遊びたがっている子供が二人いても、
おもちゃが一つしかなかったら、
子供は一人あってしまうので、おもちゃなして遊ぶしかありません。
それでも心という子供には、
遊びつづけたいというエネルギー(煩悩)があるから、
おもちゃ(肉体)がなくても遊びをやめない。
私自身、今眠りについて、明日目覚めないこととか想像できない。
心が相続するのがあたりまえだと思っています。
心が滅びることのほうが考えにくい。
だから、輪廻がないことのほうが、考えにくい。
369 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 00:17:22 ID:o0WjO0y9
>>362 仏教における悪とは、輪廻の原因になる思考、
つまりは煩悩を増やす方向性のことです。
仏教における善とは、輪廻からの解脱にむかうような思考、
つまりは煩悩をなくす訓練に役立つ方向性が善です。
ですから、世間・社会で「善だ正義だ」と言われることでも、
仏教的にみたら悪であるかもしれません。
たとえば人を殺すことは、
どんなに世間で正義のためだと言われても、
仏教では悪です。
人を殺そうという怒りの煩悩もまた、
苦しみから苦しみへと逃げまわって生存しつづけたいという、
煩悩から派生した感情なのです。
殺意・怒りをなくす訓練が善です。
煩悩をなくす訓練をして煩悩がなくなれば、輪廻から解脱します。
>>367 今までで三本の指に入るくらいの素晴らしいレスだ。(惚れてしまいそうだよw)
(※勿論、コピーの譬えでなく「信仰告白」の方ねw)
>>368 >私自身、 ・・・・・・ 考えにくい。
この部分の「感覚(感性)」「類推法」「類推方向」(「類推の為の材料選びと臨床事例の選び方」)等が違うんだな・・。
なるほど・・。
この部分は、行(→定)で埋まるものだろうか?また、仏教のそれは、ヒンズー系ヨガのような体系だったものと同じか否か?
※宝珠は、「同じであるが、仏教はそれを説いていない」。説いていない理由は、
「当たり前過ぎるから」「当然修されているべきことだから」「ブッダはバラモン教を説いたのだから」
とかなんとか言いそうだが・・・w
ノシ
371 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 01:06:17 ID:o0WjO0y9
>>362 アビダンマでは、
臨終の瞬間に善の心を思い出せば良いところ(レベルの高い生命)
に輪廻するし、
悪い心を思い出せば悪いところ(レベルの低い生命)
に輪廻するのだと言うようです。
臨終の瞬間の心が、その次の瞬間に生まれる新しい生命の心を決めるから、
臨終の瞬間に何を思うか、どんな心で死ぬかが重要。
臨終の瞬間に善の心が浮かびやすくするためには、
日頃から善行の修行を積んで、
善の心が浮かびやすい性格になるよう訓練しなければならない。
逆に、悪を積んでばかりだと悪い心が浮かびやすいから、
怒りんぼの性格で死んだら、
次の瞬間に生まれかわったときも怒りんぼの性格になってしまう。
そうすると、怒りんぼの性格は、その一生の間つづく基本的な性格となるので、
その一生の間は修行しにくい生涯になってしまう。
もちろん、わずかな善しか積んでいなくても、
たまたま臨終のときに善の心が生じてくれるラッキーパンチもあり、
そのときには、次の生の基本的性格がより善の性格になるため、
その一生の間は修行しやすい。
修行しやすいときにさらに修行をつめば、
またその臨終のときには善の心で死ねる可能性が高くなる。
そうやって、少しずつ善を積み重ねて功徳をつむことで、
やがて悟りを得て煩悩がなくなり輪廻から解脱できるチャンスがある。
372 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/05(木) 01:19:47 ID:3TNKiTre
>>371 臨終の瞬間は大切だと思います。
少し話がそれますが、スッタニパータでは悪行を為した者や悪の心を
持って臨終した魂(我)は相応の地獄で苦しみながら修行をします。
地獄の修行を終えて、また輪廻しますが、来世では善人と呼ばれる人になる
ことが多いと師より伺っております。
顕在意識の記憶は長い苦行中と入胎の時に無くなりますが、潜在意識には
「悪因を積めば地獄で苦しむ」ことが刻まれているからだそうです。
373 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 01:25:42 ID:HM1teqT7
「仏教の中には輪廻転生を説くものがあります。
これは、それが存在する理由もそのシステムも説明
することは出来ませんが多くの先達たちが、それを
信じてきました。私も仏教徒
の一人として、それを信じて行きたいと思います。」とまぁ、このように「個人の信仰」の範疇
で語れば問題はなかろう。しかし、多くのものが、
それでは満足せず「転生は普遍的現象である。それが理解できないのは、
お前らが無知だから。」とこのように喚き出す。終いには「科学が進歩すれば実証されるに違いない」とまで言う奴もいる。
だから、それなら、実証なり、整合性のとれた論証を提示してくださいとなるわけよ。
わかる?
374 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 01:36:34 ID:HM1teqT7
何度でも言うがね、
障害をもって生まれてきた赤ん坊を指し
「これは前世のカルマが原因である」と言うのならば
ちゃんと、説明するべきではないのか?
それが出来ないのであれば、それは決して人前で公言するべきではなかろう?
個人の信仰として、胸の奥にしまい込み、地獄にもって行きなさい。
「輪廻転生は仏教徒限定です」とするなら、全く構わないが。
375 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 01:58:19 ID:LFCh9KUE
>>366 >矛盾=無知とも言える。先ずは色々と学び、自分の頭で考えましょう。
自分が反論できなくなると、相手を無知呼ばわり。それが仏教徒のやること
かね。
君の書き込みは、そっくりそのまま、「輪廻」という、宗教から人為的に植えつけられた
だけの『煩悩』に狂った、君たち佛教カルトに当てはまる。
人生経験とは「他者との係わり合いの中に生存のための努力の経験」のことだよ。
その意味で、君たちは、生きているのではなく、死んでいるのである。従って、
人生経験はゼロ。宗教をいくらやっても、それは人生経験にはならない。
煩悩とは、生きていることの証明。生きるための原動力。それを否定したのは、
まともな人生経験のなかった釈迦の誤り。
ひたすらに生きる努力を怠り、社会に何の貢献もせず、「自己満足」と「自己陶酔」
のエゴにふける君たちに、人生経験を語る資格が、どこにあるのかね。他人の
考えに過ぎない経典から一歩も踏み出せず、思考停止に陥った君たちは、「自分の
頭で考えること」は不可能な状態にあることを悟れないのかね。人生経験を積み重ねている一般の生活者たちは、その生活という最大の修行の
中で、すべて、人生経験皆無な釈迦や仏教徒より悟っているのだよ。
宗教から人為的に植えつけられた、ありもしない架空の「輪廻」という「煩悩」
に狂いまわって、「自分の解脱」というエゴ(我)の行為を求めて足掻いて
いるのが、君たちの醜悪な姿なのである。煩悩をなくしたいのなら、「輪廻」
という煩悩を、まず去ることではないのかね。
人間は、すべて他者(社会)によって生かされている。それに対する感謝のカケラも
なく、ひたすら「自分の解脱」というエゴ(我)に執着している君たちは、
まさに「忘恩の輩」「人でなし」という最大の「悪業」を行っていることに
なる。君の来世はどうなるのかw。君はどこの「小乗カルト」か。大乗仏教では
ないことは明らか。大乗の人は、輪廻や我に、それほどまでには執着しない。
ニケーア宗教会議でバッサリ削られる前は、
キリスト教にも輪廻転生の概念は存在していました。
精子と卵子が結合して生命が誕生するという「現象」は説明できても、
誰が何故そういう「しくみ」を作ったか、誰も説明できません。
ましてや「輪廻転生」など、だれも「しくみ」など説明できるわけもありません。
死んだら終わりということで「輪廻転生」を否定する人もいますし、議論するのは不毛です。
存在するか、しないかの2択ではないです。
信じるか、信じないかの2択でしょうね。
信じること、信じないことに理屈は不要ですから。
378 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 03:50:30 ID:05rvTT4S
>>376 科学が存在しなかった古代には、輪廻転生その他の多くの迷信が、どこの国で
も存在していたのは、当然のこと。
君は古代人かw。何のために、9年間もの義務教育を受けたのかね。すべて、
古代人の迷信を排除するためではないのかね。
379 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 04:03:24 ID:oeZLJDER
>>377 >信じるか、信じないかの2択でしょうね。
現代の社会は、「現実性・合理性・科学性」に基づいて構成され、維持
されている。現代人が、その基盤から外れたことを信じれば、社会は
瞬時にして崩壊することは、ちょっと考えてみれば分ること。現代人で
有る限り、何でも信じることは許されない。
精子と卵子の結合は、誰でも顕微鏡で見れば分る。即ち、証明されている。
輪廻転生は、一度も証明されたことはない。「しくみ」そのものが存在しない
のだから、「誰がしくみをつくったか」を考える前提さえないw。
380 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 08:03:21 ID:o0WjO0y9
>>379 仏教は出世間の教え。
仏教の教えと世間の考え方とに違いがあるなら、
そのときは仏教が正しく世間が間違っている。
そう考えるのが宗教です。
信じるということは、本気でそれが正しいと思うことだから、
輪廻を信じる人は、輪廻は事実だと思うわけです。
世間からカルトと言われようとも、
それはカルトと言う世間のほうが悪い。
>>373 伝統的な仏教徒なら、そんな押し付けがましいこと言わないと思うよ。
実際、私も他人が輪廻を信じようと信じまいとどうでもいいし
テーラワーダスレでも禅定の方法論とか現実的だから、
輪廻があるかないかより、今現在に心が安らぐほうが大切なのは当たり前
382 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 08:56:37 ID:HM1teqT7
>>381 「押し付けがましいこと」とは、俺の後半の書き込みを
指して言っているのだと思うが「輪廻転生肯定論者」は、ほぼそのような意識を
もっていると思うが?
勿論、肯定も否定もしない無関心派はそのようなことはないかもしれないが、
このスレ及び関連スレにいる肯定派が、そうでないことは明らかだろ?
>>382 新興宗教かスピチュアル系か
他の何かではないですか?真面目に仏教やってる人には
あまり押し付けがましいのは居ないと思うけど
多分
384 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 09:40:35 ID:HM1teqT7
>>383 信仰宗教、スピリチュアル系は言うに及ばず、
真面目にやってるかどうかは知らんが、仏教徒を名乗る奴にも、かなりいると思うぞ。
このスレ及び関連スレに関してだが。
>>384 そりゃ、信じてるか信じてないかと言われたら、信じてると言うでしょ?
仏教徒なんだから、
ただ心の働きまでの当たり障りの無いところで留めていたほうがいいな。
禅定に結びつかないなら意味がないから
387 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 13:14:39 ID:nQNBWzNY
>仏教は出世間の教え。
佛教も、その他のすべての宗教も、世間における無数の営みのうちの一つに
過ぎない。世間を離れたら、そもそも生きてゆけないのだから、宗教もやれ
ないw。
「慈悲」も「善悪」も、世間(共同体)を維持するための概念。出世間なら、
そもそも「善悪」の概念などない。自分のやりたいことが善で、やりたくな
いことことが悪である。そんな善悪観念なら、世間から弾き飛ばされ、宗教
もやれなくなる。輪廻でいう「善業」「悪業」も、徹頭徹尾「世間的」概念。
それなしでは、「輪廻」も成立しないではないか。人間もその他のいかなる動物も、世間(共同体)としてしか生存できない。
生存できなければ、宗教もない。これが「悟り」の基本。
宗教の開祖は、さかんに「善悪」を唱えたが、誰もそれを定義できた者はいない。
「善悪」という言葉に自己陶酔するだけで、その「意味」を理解していなかった
からである。開祖らに代わって、善悪を定義でぃておく。
「善とは、共同体における他の成員の生存を助ける行為。悪とは、その生存を
害する行為」。これ以外の定義は在り得ない。
宗教の最大の欠陥は、「我(エゴ)」のみで、「他者」「世間」が不在である
こと。大乗仏教は、「自利利他」「衆生心(真如)」「一切衆生悉有仏性」等の
概念で、その欠陥を初めて是正したのである。
小乗は、「我への執着」「自己満足」「自己陶酔」の倒錯と狂気以外の何物で
もない。
宗教者が、この世は「幻」と言いながら、来世、再来世の「実在」を認めたら、
それこそ「筋金入りの唯物論」ではないのかねw。
388 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 13:20:53 ID:y9nyxi/u
アカシックレコード。
この世界は既に一切全てのものが描かれた絵である。
ゆえに善悪も前世来世もあるとも言えるし、ないとも言える。
389 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 13:35:02 ID:cOwKiX12
>>388 それも、「世間で生かされている」からこそ言えることw。死者には
言えない。
390 :
析空:2009/11/05(木) 14:31:17 ID:ZtTACgfE
>>388 アカシックレコードは、仏教の概念ではないが?
仏教ではアカーシャガルバかな?
根本人種だのアトランティスだのが続いて出てくるんでしょうか。
宝珠さんも神智学ネタはこのスレでは自重するというのに。
392 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 15:56:28 ID:y9nyxi/u
死後の世界からだと現世はまるでゲームのようなもの。
悪役がやりたい魂は悪役になる。それだけ。
しかし人生は短く、世はうつろい、善悪は定まらない。
世間でいう善悪を基準に転生しているわけではないことは確か。
393 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 16:21:32 ID:NCPrandb
>>392 >世間でいう善悪を基準に転生しているわけではないことは確か。
ならば、「輪廻」は、人間界においては、「反倫理」という「悪業」に
過ぎない。輪廻を唱えた者、信じた者が真っ先に地獄に墜ちる仕組み。
輪廻を逃れようと修行すればするほど、地獄に近づいているということ。
394 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 16:37:51 ID:y9nyxi/u
唯我論的な悟りで「自分だけ」輪廻転生を逃れようとするのは確かに悪行になる。
禅宗から異端的な坊主が出やすいのは、唯我の限界と傲慢さに気付くから。
世に降りて教え広めたほうが効率いいじゃん。てことだわな。
395 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 16:44:33 ID:L9Non0WP
>>394 >唯我論的な悟りで「自分だけ」輪廻転生を逃れようとするのは確かに
>悪行になる。
輪廻転生肯定者は、皆同じ。例外はない。すべて「自分の」輪廻を逃れ
ようとする「我(エゴ)」への執着と欲望。
396 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 16:59:35 ID:y9nyxi/u
>「自分の」輪廻を逃れようとする「我(エゴ)」への執着と欲望。
悟りを開くと
>「我(エゴ)」への執着と欲望
は消える。
だから教えのために野に下るんだよ。十牛図に描いてあるだろ。
順序でいえば、悟れぬ者だけが輪廻転生に関わる。
397 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 17:09:43 ID:g6wMoM/K
>>396 「自分の」輪廻を逃れるために「悟ろう」とする欲望自体が、我への
執着と煩悩。いくらやっても無駄である。
まず、「輪廻」という「最大の煩悩」を捨てなければならない。
398 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 19:40:25 ID:1t0cXP/g
人間も虫となんらかわりない 死んだらそれで終わり無になるだけなんだ
399 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 19:44:45 ID:y9nyxi/u
だったら他人に親切にして楽しまないとな!
400 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 21:30:15 ID:o0WjO0y9
>>387 世間を離れて生きることを辞めるのが、
仏教の最終目標です。
402 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/05(木) 21:48:53 ID:3TNKiTre
>>396 >だから教えのために野に下るんだよ。十牛図に描いてあるだろ。
「悟る」目的は輪廻からの解脱ではなく、少しでも衆生済度の能力を
増す為にあるかと存じます。
それとも「衆生済度を発願」された菩薩達との「差を取る」為かも。
長部経典でも梵天と共生する法が説かれてましたね。
輪廻転生を信じている方に伺いたいんだけど
小動物も輪廻転生するの?
人間は生き延びるために多くの小動物を殺している(小動物には非はないけど)
また、逆に小動物が人間を襲ったりもする(これは、一種の自己防衛だが生き延びるため)
人と人も殺し合いをするが生き延びるため
404 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 23:21:52 ID:o0WjO0y9
>>400 せみません。
生死輪廻の世間を離れること、
生きることをやめることが、
仏教の最終目標だと思います。
405 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 23:23:18 ID:o0WjO0y9
あ、今度はすみませんがせみませんに!
あぁ解脱したい!
406 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 23:27:57 ID:o0WjO0y9
>>403 小動物も輪廻します。
天・人・阿修羅・地獄・餓鬼・畜生の六道でいうと、
小動物は、畜生道というカテゴリーの生命になります。
畜生が人に輪廻したり、人が畜生に輪廻する可能性もあります。
>>405 携帯か・・・。まさに「sati!sati!」だなw
もちつけw AA(ry
408 :
神も仏も名無しさん:2009/11/05(木) 23:36:10 ID:urrKn36E
>>406 そうすると、肉体こそ違えども人が人を食べて生き延びているとも言えますね
409 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 00:05:28 ID:HOA74Pn5
>>408 そうですね。
昨日食べた牛肉が、実は死んだおじいちゃんの
生まれかわりだったかもしれない。
410 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 00:21:10 ID:rGQiI4Xw
>>409 それは、同時に自分が生き延びる為には、肉親さえも殺してしまう事をも意味していまうんだよな
こんな迷信信じるなよw
>>410 そうではない。
【《「連続性」はある》が《「同一性は」ない》】というのが、縁起に則った「(三世に跨った)輪廻」だから。
「次の生を受け、生きている存在」は、「過去の存在と同じではない」。
(PTS辞書が“new birth”と釈しているのもまんざらではない。)
過去、「肉親であったという関係性」は、死(≒五蘊の滅)と再生(≒五蘊の生起)との間で消失する。
再生した存在は、別人(別存在)。
(ここに於いて意味のある連続性は、(当人としての)業果が連続しているということだけ。
他者との関係性は問われない。外から見て・第三者から見て・客観的に同一であるかどうかは問わない。)
仮に、食されるサンマが前世でAさんの爺さんであったとしても、
今まさに食されるその瞬間、サンマがAさんの肉親であるわけではなかろう?
あくまでも、サンマの時はサンマでしかない。
(過去)所縁によってAさんの爺さんという存在であっただけであり、
(現在(今))所縁によりサンマであるだけだ。
言語習慣上、世俗上、仮設される同一性を見てしまいがちだが、そのようなものはない。
「爺さん(という関係性)」も「(食される)サンマ(という関係性)」も、
それぞれ、その時その時の縁により生じ、構築される関係性に他ならない。
だから、単語上の「非我」が「無我」へと昇華される。
案ずる必要はない。
(と、類推を重ねて記してみたが、どこまで言い得ているかは疑問だw)
ノシ
413 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 01:23:39 ID:HOA74Pn5
>>412 輪廻を信じると、殺されるサンマを殺される人間と同等にかわいそうだと感じる、
そのような思考になっていく。
蚊を殺すのも人を殺すのと同じような罪の意識が芽生える。
415 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 01:29:08 ID:rGQiI4Xw
>>412 転生後が人であり、人の転生後の秋刀魚を食せば、人が人を殺して生き延びていることにかわりはない。
これが、転生の本質。
違うとするなら、転生を唱えても意味がなくなる。
と、同時に人の肉体が人の本質より優れている事になってしまう。
>>299 何でもかんでも自分に聞かなきゃダメ
答えは既に自分自身の中にあって
何でも自分自身に問えばわかるように出来ています
法、律といったって誰かから聞いた話にすぎないのに
どこでどう間違っているかしれないものを自分の中に入れることは
できませんよね?
417 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 01:53:00 ID:5XSoOzzb
>>412 それは無理。連続性のみを認め、同一性を否定するのであれば、
例えば、前世の「個」を現在の自己とは異なる「個」と見なし、単なる「業の引き受け手」
としてのみ、認識することになる。前世の「個」を時代は異なるが、確かにあれは自分であると
認識するからこそ、その業の果を甘んじて引き受けられる
わけであり、何処の誰とも分からぬ、おっさんが犯した殺人の
業の果だけを引き受けさせられたのでは、たまったものではない。
418 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 02:51:16 ID:5XSoOzzb
補足すると「同一性を否定し、連続性のみを認める」のであれば、
「何によって連続性」を担保するのか?
「継承されるあらゆるもの」を否定するのであれば、
それは「業の作り手」と「その業の引き受け手」という現象の連鎖により、
連続性を担保するしかないが、「同一性を否定した」個から個への業の転移を
誰が認めるのか?
誰がどこのだれともわからない、おっさんが積んだ悪業を引き受けるか?
また、「悪いことをすれば、来世においてその報いを受ける」という
業論の論理はどうなる?いくら悪業を積もうが、その報いを受けるのが
同一性を否定されたもの、すなわち自分でないのならば、関係なしとなってしまう。
419 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 02:57:52 ID:5XSoOzzb
最後に誤解がないように断っておくが、俺は「何かしらの輪廻主体を設定した
輪廻肯定論者」では全くないので、間違えないでね。
輪廻には、鉱物⇒植物⇒動物⇒人間 みたいな一方通行の考え方は無いの?
人間⇒動物という逆方向は考えにくいんだけど。
精神的に堕落してしまうと、そういう逆もありということなのかなぁ。
自殺したりして、自分を否定すると、そういった逆もあるんだろうか。
それから、人間にはいろんな人がいるけど。
日常生活の中で、尊敬できる人もいれば、軽蔑に値する人も見かける。
この個体差は、どこからくるのかなぁ。やっぱり人間をやった輪廻の回数なんだろうか?
輪廻を重ねて、だんだん完成度を上げたという結果なんだろうか。
まぁ、答えは出ないよね。推定はできるだろうけど。
輪廻のしくみを作った存在以外には真実はわからない事だし。
輪廻は、見えないし聞こえないし、あるかないかわからないんだけど、
自分としては、自殺しないで正解だった、輪廻を信じてよかった、
って思いながら死ねたらいいなと思っている。
421 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 07:58:43 ID:HOA74Pn5
>>420 臨終の瞬間の心が、
次にどんな生命に輪廻するのかを決定するようです。
私達の心は、普段でも、色んなことを考え、想い浮かべます。
普段の生活でも、いきなり鼻唄が浮かぶこともあれば、
いきなり昨日のできごとが浮かぶことも、
なぜか急に幼い日の1場面が浮かぶこともあります。
ですから、臨終のときに、どんな心が浮かぶのかわからない。
普段から善を心掛けていても、臨終の瞬間に、
必ずしもレベルの高い善の心が浮かぶとはかぎらない。
善の心で死ねば人間や天に生まれる可能性が高いでしょうけど、
欲や怒りや迷いの心で死ねば、
餓鬼や地獄や畜生や修羅におちてしまうかもしれない。
だからこそ、普段から反復練習で、
善の心が浮かびやすい性格になるよう訓練するのです。
422 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 08:17:29 ID:CyDIQYuX
初期の仏教においては、死んでから母体に再び入ることが輪廻であり、
人が動物に生まれ変わったら、その動物も人であるという考えは、
常住に執っしているとみなされる。
423 :
閻魔大王 :2009/11/06(金) 08:26:20 ID:vz0NzoOz
書き込み規制は解除されたようだなw
警戒警報発令!
俺を含めクチを縛られていた魑魅魍魎ドモが暴れだすぞ。
424 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 08:27:37 ID:CyDIQYuX
体があって初めて心が生まれる。
人の体があればこそ人の心が生まれる。
体と心を二つにわけられる(心などを自性とみなす)ことは仏教では外道とされる。
425 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/06(金) 11:02:35 ID:GDRop3Lq
>>403 >輪廻転生を信じている方に伺いたいんだけど
>小動物も輪廻転生するの?
私は異教ですが、師より人は小動物にも転生すると伺っております。
また、朝見かける蜘蛛は先祖の生まれ変わりの場合もあるのでむやみに
殺さないようにと伺っております。
畜生道に落ちた元人が犬猫や蛇に転生した後また死んだ憑依霊とは
しばしば間接的に当メンバーと対話する事例も結構多いです。
確かウサギに生まれ変わった人の話が仏教関連説話にもありましたね。
ただし、我々の神秘体験蓄積も50年になりましたが、元々動物が人に
転生した後また死んだ憑依霊と対話または動作確認したという事例は皆無です。
人→動物→人はありますが、元々動物→人は無いのが転生の法のようです。
またスレ違いですので、おあとは宜しいようで。
426 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/06(金) 12:03:42 ID:62Y4QPYt
(^。^;)うお?落ちが判らん!(笑)
427 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:24:15 ID:kmfUJUK5
>>425 生き物をむやみに殺してはいけないのは、それぞれに「生命」があるから。
「人間」の生まれ変わりであるからではない。それでは、人間以外の動物
の生命を軽視していることになる。
「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めたのが、
釈迦の教え。
君の、「カルト教祖」の口からでまかせを鵜呑みにしないで、その真偽
を自分で検証するのが、現代の大人のやるべきこと。教師の教えを鵜呑
みにするのは、小学生まで。君は小学生か。いや、小学生であっても、
「自分で考える」ことを教えるのが、現代の教育。
君の「口から出任せカルト教師」に、よーく教えておけ。
428 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:33:32 ID:HOA74Pn5
>>427 経典では、神様(梵天)や悪魔も登場します。
仏教とはそういう宗教です。
429 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:35:52 ID:EKIXGssu
>>406 人間から動物への転生の例を仏典から引用してください。
よければなるべくパーリ仏典で。
(仏教の教え上でも)人間は動物に転生しない、
という宝珠さんの意見への反論になると思います。
430 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:40:50 ID:EKIXGssu
>>428 メイン(又は最終目的)ではないだけですね。
431 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/06(金) 12:42:38 ID:GDRop3Lq
>>429 >人間から動物への転生の例を仏典から引用してください。
>よければなるべくパーリ仏典で。
長部経典33経「等誦経」より本スレタイに関連の深い箇所を紹介済みです。
(5つ一組) 25法の中の1法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:42:42 ID:HOA74Pn5
>>424 心という現象はあるが、縁起・無常・無我だから、
心それ自体が独立して常住するような自性はありません。
仏教では、無色界の心も説かれています。
物質から離れている心だけで存在する状態も
あるということです。
ですから、肉体がなくても心だけが存在する生命もあるのです。
心に必ず肉体がくっついているわけではないのです。
しかし、五感の刺激に執着している私達の心は、
肉体のある生命に輪廻したがるから、
結果として肉体のある状態になっているだけです。
433 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:48:24 ID:UdmzmTFq
>>428 >経典では、神様(梵天)や悪魔も登場します。仏教とはそういう宗教です。
バラモン教からの過渡期の記述であったことも理解できないのかね。
そのバラモン教を、結果的には完全に否定し、佛教を樹立したのが
釈迦である。「佛教とはそういう宗教」であることも理解できない
のか。
434 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 12:59:12 ID:EKIXGssu
>>433 バラモンの権威を否定したこと等は踏まえられていると思います。
428さん、どうでしょうか。
435 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 13:12:57 ID:xVNzKn/B
原始仏典は、科学が存在しなかった時代の書物だから、当然のことながら、
迷信が多数混入している。「輪廻転生」が、その迷信の典型。
現代の知識水準に照らして、仏典から「迷信」を一切排除するのが、
現代の知識人の務めではないか。それが「当時の最先端の改革者」で
あった仏陀のの願いでもある。仏陀が「現代に生きていれば何を教えたか」
を常に考えるべきではないのかね。仏陀は、占いや呪術を否定している。
現代の迷信を否定するのは、当然であろう。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 15:13:02 ID:u1I2n5uS
輪廻はある。
だが、同じ状態はない。
広義ではあるが、狭義ではない。
人は本来、二度と同じ時間を過ごすことがない。だが、見かけは同じ時間を過ごしているように見える。これが狭義と広義である。
双方が正しい。
437 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 17:17:22 ID:VzZZ2vUh
>原始仏典は、科学が存在しなかった時代の書物だから、
釈迦は現代科学が存在しなかった時代の人物です。
唯物論者ですら四大元素がどうのと言う時代でした。
>それが「当時の最先端の改革者」であった仏陀のの願いでもある。
あちらのスレで曲解を訂正しておきました。
>仏陀が「現代に生きていれば何を教えたか」を常に考えるべきではないのかね。
「現代に生まれた釈迦」とオリジナルの釈迦との同一性は何によって保障されるのでしょうか。
>仏陀は、占いや呪術を否定している。
自分との共通点があるからといって、他の部分も自分色に染めることは合理的ではありません。
それはただの飛躍です。
438 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/06(金) 17:58:11 ID:GDRop3Lq
>>435 >原始仏典は、科学が存在しなかった時代の書物だから、当然のことながら、
>迷信が多数混入している。「輪廻転生」が、その迷信の典型。
あのー、本スレでも紹介済みですが、現代の先進国の日本でも
「霊魂はあると思うか?」、「生まれ変わりはあると思うか?」と
アンケート調査した結果では「はい。」がメジャーですよ。
現代の先進国の日本人の大半が迷信を信じていると貴兄は断言して
おられることを認識されてますか。
同様に欧米で「神は存在しない。」と言えば、野蛮人として認識
されるのが現代のグローバル常識です。
439 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 18:16:47 ID:VzZZ2vUh
>>438 所謂「アンケート」というものの結果が眉唾であることは、
過去シリーズで宝珠相手に提示済みだが?
441 :
ブッダ最後の旅より:2009/11/06(金) 18:40:48 ID:HOA74Pn5
アーナンダよ。これこそ『法の鏡』という名の法門であって、
それを具現したならば、立派な弟子は、もしも望むならば、
みずから自分の運命をはっきり見究めることができるであろう、
「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。
餓鬼の境涯も消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。
わたしは聖者の流れに踏み入った者である。
わたしはもはや堕することの無い者である。
わたしは必ずさとりを究める者である」と。
【以上引用おわり】
→人間が畜生になる心配があるからこそ、
法の鏡の教えで畜生になる心配がなくなると説かれる。
442 :
宝珠愚者:2009/11/06(金) 19:18:05 ID:sYZBEaOD
>>440 ん?セブン-どこが「眉唾」なの?
アンケートは一例に限らず、その他でも似た傾向は示されています。
“生まれ変わりの思想”は日本人には受け入れられない、
といった決め付けについても、そうともいえない調査結果を
後ほど提示するつもりで纏め中です。
>>442 「眉唾」は言い過ぎた。 丁寧に、
アンケート調査は、
『結果として出た数値は、“その読み方”を恣意的に操作可能』で、
『設問の仕方(“言い回し・文末の〆方・使用する用語術語・文全体の構成)で答えを誘導できる』
と言い直しておくよw
444 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 19:42:33 ID:ZkajA/kX
輪廻とか業とか否定してしまうと、悟りと自殺の差がなくなる。
445 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 19:53:13 ID:VzZZ2vUh
日本人の来世観というのは、
「特定の信仰を持ってなくても(信心深くなくても)
善人なら天国に行く、と何となく考えている。
経典上、伝統上での根拠、という発想はそもそも無い」
という印象ですね。
446 :
閻魔大王 :2009/11/06(金) 20:17:47 ID:vz0NzoOz
>>442 >そうともいえない調査結果
調査結果そのものには大した興味はない。
しかし、なぜそう判断するのかの根拠には興味がある。
そのへんをしっかり「調査」した「結果」を示しとくれ。
ほとんどが既成概念や刷り込みで“なんとなく、そうおもう”だろう。
そんな調査結果とやらは宗教社会学的参考資料以上の意味はない。
やっと,口封じ状態から開放されたようだな。
さて、準備体操
)、._人_人__,.イ.、._人_人_人
<´ 仏罰じゃ、これは仏罰だったんじゃ!>
⌒ v'⌒ヽr -、_ ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: < _,ノ`' 、ヽ、_ ノ ;;;ヽ //
///// /:::: (y○')`ヽ) ( ´(y○') ;;| /
// //,|::: ( ( / ヽ) )+ ;| /
/ // |::: + ) )|~ ̄ ̄~.|( ( ;;;|// ////
/// :|:: ( (||||! i: |||! !| |) ) ;;;|// ///
////|:::: + U | |||| !! !!||| :U ;;; ;;;| ///
////|::::: | |!!||l ll|| !! !!| | ;;;;;;| ////
// / ヽ::::: | ! || | ||!!| ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: : | `ー----−' |__////
>>319 外界の情報など、ただのカス(結果)を見聞きしているだけにすぎず、
崇高なものなどどこにもないのだから、スルーしなければならない
じゃないと宗教で「この神様は凄い」って言われてコロッと信じてしまうからね
なので錯覚を錯覚であるとわかってスルーする「スルー力」が非常に大事
バーチャルである三次元の世界に暮らして何かを知覚しても、それに
捉われずに適切に処理して別のことを考えていればよく、常に原因のほうを見てりゃいい
>>322 五官(性欲が作り出す妄想)の情報にはなんら価値はなく、
五官以外によらねば正しい判断や行動は絶対に不可能
六根というのは、たぶん五官と同じく性欲由来の妄想だと思う
それよりも、元になっている性欲そのもののほうが強烈な感覚として受信されてるはず
448 :
神も仏も名無しさん:2009/11/06(金) 20:44:02 ID:bjiX6XY2
宗教者(仏陀、イエスを含む)がいくら足掻いてみても、そのすべての宗教概念、
神概念、輪廻概念は、その肉体に宿る生物的生命の機能であり(死人に口なし)、
その生命は、五感で知覚できる世界、即ち現実界に100%既存しない限り、一瞬
たりとも維持できない。「人は、パンがなければ生きられない」。
圧倒的多数の生活者たちは、、生活という「大修行」をひたむきに生きること
により、この真理を悟り、苦しみの中にもささやかな喜びを見出し、他者との
係わり合い(共生)を大切にして、現実界を生きている。悟っていないのは、
ひたすら「自分の輪廻からの離脱」「自分の救い」という「他者不在のエゴ」を
求める宗教者のみ。
宗教者は、いい加減で妄想から目覚め、「生命」とそれを支える「現実界」
に帰還されたし。彼岸から此岸に帰還することこそ、「人間の営み」としての
宗教の目的であるはずだ。それを「悟り」という。
なお、「人間の生死」や「肉体の生まれ変わり」は、医学や生物学の専門分野。
宗教の出る幕ではない。宗教が「専門外の分野」に首を突っ込まないよう、遠慮
されたし。
449 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:18:03 ID:Uj5avWh8
>>364 なるほど、全てあなたの妄想でしたか。
>>365 >細胞一つ一つが輪廻転生し始めるという事になっちゃう可能性もあるかも。
え〜と、そうすると、ドンドン訳の解らない状態になりますね。
例えば、右手で人を殺して、左手で人を助けたら、右手と左手で別々の転生をしちゃったりするんですかね?
>割れたうちのどちらかでしか遊べない。
そうすると、これまでの「細胞転生説」と矛盾しませんかね?
450 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:18:17 ID:Uj5avWh8
>>367 >常住ではありません。
刹那滅を主張した所で、
>>333 >>368を読む限りでは、あなたの主張する「心」は、「常住の我」と、本質的に変わりないと思いますよ。
で、輪廻の根拠については「ブッタが言ったから」ですか…。
451 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:18:39 ID:Uj5avWh8
>>368 あなたの妄想だと、「空きが有るかどうか」で転生する先がきまり、
業によって生まれ変わり先が決まる転生ではないと言う事ですか??
452 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:18:52 ID:Uj5avWh8
>>371 逆に言うと、とてつもない修行をしてても、たまたまアンラッキーで僅かな悪行の事を思い出しちゃったら、
それまでの積み上げは全部チャラで、修行しにくい来世を送るって事ですが?
なんともギャンブラーな人生ですね。
453 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:19:04 ID:Uj5avWh8
>>372 よく、「死ぬ時に笑えて死ねれば、いい人生だった」なんていって、
臨終の瞬間を重要視する風潮がありますが、私はそうは思いません。
「臨終の瞬間」などという短時間で、かつ、一般的に肉体的苦痛に満ちた時間に、
どのような感情を抱くかは、あまり重要な問題ではないと思います。
それよりも、そこに至るまでの長い人生の時間の中で、
どれだけ平穏に、苦しみの少ない時間を送れたかの方が重要ではないでしょうか?
454 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:19:15 ID:Uj5avWh8
>>377 受精のしくみで、「説明できない」のは、「誰が作ったか」だけですよ。
(だって、誰も作ってないんですからw)
システムについては一から十まで解説できます。
輪廻の例えとしては不適切ですね。
455 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:19:28 ID:Uj5avWh8
>>438 >本スレでも紹介済みです
突っ込みに付いても済んでますが、スルー済みですね。
ついでに言えば、「日本人」の「輪廻」のイメージは、
「無限に生まれ変わりを繰り替えす」というモノではなく、
「死んだらどこかに生まれ変わる」と言う、
輪廻思想とはかけ離れた、「来世」だけを重要視したものだと思います。
456 :
前スレ10:2009/11/07(土) 01:19:37 ID:Uj5avWh8
>>447 え〜と、結局、五感以外を根拠とするんですか…。
それって、神の声?超能力?妄想?霊感?
457 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 10:09:56 ID:tQzpVBQu
>451
生命に起きるできごとの原因は単純ではないです。
最近の業、遠い昔の業、周囲の環境・状況が
複雑にからみあって結果が出るのです。
>452
臨終の心が、次の瞬間に新しく生まれる生命の心の直前の心なので、
臨終の心が、どんな生命に転生するか関してはかなり影響します。
しかし、生まれてから死ぬまでの間をどう過ごすかは、
生まれてからいろんな因縁や自身の努力により
向上したり堕落したりできます。
涅槃に向かってステップアップしてゆく過程を考えるときに、
もちろん今生で悟るのがいちばんいいんですが、それができなかった場合、
次の生で悟れる可能性を高くするためには、
次の生でどのような能力・性格を得るかが重要です。
例えは悪いですが、臨終の心は、受験の本番です。
本番で結果がだせれば、レベルの高い大学に進学できる。
受験で結果がだせなければ、たとえ秘めたる実力はあっても、
目標の大学には入れない。
458 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 10:18:01 ID:tQzpVBQu
>>452 いったん生まれてしまったら、
その一生の間は、その生まれた肉体や環境の縛り
の中でしか修行できないのです。
体が死んで生まれかわるとは、
乗ってた車が壊れて乗り変えるようなものです。
たまたま車が壊れたときに赤い車が欲しい気分なら、
赤い車に買い換えてしまいます。
あとになって、「なんであのとき赤を選んだのだろう?
本当は白がいちばん好きな色なんだけどな。」
と思っても、買ってしまったら、その車に乗るしかない。
瞑想の訓練で心を制御する癖がついている人は、
臨終のときに衝動的に「赤い車」(悪)を欲しがったりせずに、
常日頃からいちばん欲しかった「白い車」(善)を冷静に選べるのです。
>>458 喩え方としては秀逸だなw
解り易い。 GJw
460 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 10:31:22 ID:rYzkXbit
幼児・児童………と一人では何一つできないんだけどね
食を与えてもらえてはじめて色々な事が言えるわけだけど
命をもらったところで環境によってかわるんだよな
これも因果のひとつ
461 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:03:11 ID:I2/t3kq+
>>457 あなたの言う「心」とは、結局、魂、霊、アートマン、真我などの言い換えに過ぎません。
いくら、「心」は常に変化しているので無常であり無我であると
言っても、「一本のライン上」を継承されていくものである限り、
それは「自他を識別する属性」においては恒常です。
即ち、名称を如何に変えその解説に無常無我をどのように付加
させても同一性を担保させる限り「無我」に抵触してしまいます。
つまり、仏説との整合性はとれません。これは今まで多くのものが、クリアーを目して
挑戦してきましたが一つも成功してませんね。
あなたは「自分の説は仏教と関係はない」と言うかもしれませんが
それならば、私はあらためて御聞きしたいと思います。
「あなたの説の論拠は何でしょうか?」
462 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/07(土) 11:17:30 ID:av6gT794
>長部経典33経「等誦経」より本スレタイに関連の深い箇所を紹介済みです。
>(5つ一組) 25法の中の1法
>・五つの赴く先。
> @地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
横レスで済みません。
「等誦経」に記載の法では、生前の行いや臨終時の想念を因・縁として、
死後の行き先が決まるようです。
地獄や天を経由して生まれ変わる場合は、多分地獄や天での行ないや想念も
因・縁として次の生が決まるかと思料します。
つまり地獄で悔い改めた者は善人として次の生をスタートすることかと存じます。
天で欲を出した者はその逆になるかも知れませんね。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:28:23 ID:rYzkXbit
>>462 その論だと休まる(無)になることは永遠に無い事になる
464 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:42:25 ID:I2/t3kq+
ちなみに
>>417〜
>>419の書き込みも私のものです。
私は一般的な意味における輪廻転生思想の否定論者です。これは「現時点において実証されておらず、また有意な仮説により将来、実証される可能性も低い」ものは「存在しないと認識する」
という意味における『否定』ですが。
さて、転生肯定論者の多くはその論拠を経典の記述、即ち、仏説に求めますが
少なくとも「生まれ変わり」と「無我」の思想は二律背反であり両立しないことは明らかです。
整合性のとれた論理により、それを解説し得たものは今までいません。
「そこはとにかく、なんかわからんが、うまいことなってる。」としか、いいようがないのです。
つまり、なんかわからないけど経典に書いてあるから信じようとするしかないわけですね。
根拠を仏教に求めのでなければ、それはまた異なる論理体系を提示することも
可能でしょう。しかし、それについても現代の知見に照らして十分、説得力のある論理体系が
提示されたことはなく、「ボクはそう考えます」レベルのものしか見かけないのは残念です。
465 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:48:27 ID:tQzpVBQu
>>461 真我やアートマンは滅ぼせないもののような感じがします。
心は、煩悩がなくなれば滅びます。
わからないものはわからない
467 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:55:40 ID:yDLb3eo7
>>457 >>458 いい大人が、自分でも経験したこともない臨終時のことを、口からでま
かせに人前で語るなよ。恥ずかしくはないのかね。
「即死」の場合にはどうなるのかねw。
医学的には、身体の生理的変化により、重病の場合の臨終時には、まず
昏睡状態(coma)に陥るから、一切の思考は不可能になる。それより
軽度の場合には、譫妄状態(delirium)となり、軽度の意識混濁がある
ときに、精神的興奮が加わって、意味不明のことを口走ったり、体を
動かしたりする。幻覚や妄想を伴うこともある。死亡により、脳の
機能は一切停止し、身体は腐敗を始め、火葬により灰になる。来世が
あろうとなからろうと、それを知覚・認識することは出来ないのだから、
完全な無である。
来世などという「生への執着」や「煩悩」を捨てなければ、「悟り」
や「解脱」など在り得ないではないか。
468 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 11:57:42 ID:I2/t3kq+
>>465 同じことです。例えばこのスレによく登場する
宝珠は「アートマンは涅槃に達すれば滅びる。だから、無常であり無我と抵触しない。」と言います。
つまり、如何にそのものに無常無我の属性を付加させようとしても、
何世代にもわたり継承されていくものを設定する限り同じことなのです。
煩悩がなくならなければ永遠に「心」が継承されていくことになります。
これを恒常と言います。
469 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:03:55 ID:tQzpVBQu
>>461 心は一本のライン上のように、連続して相続しているでしょう。
しかし、それは生きて存在いる間だけの話で、
煩悩がなくなれば体も心も手放して滅びに入るのです。
一切(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)はみな苦であり、
煩悩をなくして苦を滅ぼすときには一切(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)が滅びるので、
心(意・法)も滅びます。
輪廻を認めない場合には、悟らずに煩悩があるままでも死んだら
心が滅びるということでしょうか?
私は輪廻を信じるので、
煩悩があるまま死んでも心は相続して滅びない、
煩悩がなくならないかぎり死んでもまた生まれて苦をくりかえしてしまう、
…と考えています。
470 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:05:57 ID:tQzpVBQu
>>468 煩悩がなくなれば滅びるんだから、
恒常でも永遠でもないでしょう。
471 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:15:34 ID:I2/t3kq+
>>470 「煩悩が滅びない限り」心は永遠に継承されるわけですね?
それこそ、何万世代にもわたり、何百億年にも渡り、宇宙が消滅しても、
それは継続する。
仏教はそのようなものを肯定しているのかな?
普通はそのような高度な継続性を有するものを「恒常」と表現するが。
472 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:18:20 ID:onOwZqN1
死とは、生命の機能としての知覚、認識、思考が一切失われること。
それらが「一切通用しない世界」。
生時の知覚、認識、思考を以って、得々と死後を語ることの矛盾、愚か
さ、滑稽さを、いい加減で覚れ。
死後に生命があるのなら、火葬は殺人罪になるぞ。君等は、ライフスペース
の信者と全く同じ。
原始仏教からのオウムの発生は必然的だったと確信できるな。死刑に処する
べきは、大乗仏教の国日本で小乗仏教などを唱えた、中村元を初めとする
原始仏教学者たちであろ。
オウムの信者たちは、これらの学者やそれに影響された麻原を信じて、
「100%の善意で」殺人を行った。ここに宗教の持つ底知れぬ恐ろし
さと限りない害悪がある。
473 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:18:42 ID:tQzpVBQu
>>467 肉体・脳は、心を縛る器でしかないと思います。
脳が弱まっても、心臓が動いてるなら、心臓の動きに伴う心が続いている。
心に接続された肉体というネットワークの一部、
たとえば脳が滅びても、他の肉体の系統が動いている間は、
それに伴う心が存続する。
複雑な思考はできなくても、心臓や内蔵は動くでしょう。
脳が壊れても、肉体にはまだ、
死ぬのが嫌だと生きようとする反応があるでしょう。
それも心の動きなのです。
複雑な思考はないが、単純な心が続いているのです。
474 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:32:11 ID:tQzpVBQu
>>472 死体にはもう「生き続ける」というはたらきもなくなっています。
生続けるはたらきをする心、
眼耳鼻舌身意の刺激がないとき(手術で麻酔など)に、
ただ生きることを続ける心、
刺激のないときにもただ心を次から次に繋げて続けるはたらきだけな心がある。
アビダンマでは「有分心」というそうですが、
その有分心さえも離れてしまったら、死体になるのです。
475 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:36:48 ID:ktDZSRxX
煩悩があるから人間で、生命としての継承が行われているんだけどな。
煩悩が悪として 煩悩が人類からなくなれば、それは人類滅亡を意味してしまうんだな。
煩悩がそんなに悪い事なのか?(そもそも論だが)
476 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:39:11 ID:tQzpVBQu
アルボムッレ・スマナサーラと藤本晃の著
「アビダンマ講義シリーズ ブッダの実践心理学 第四巻 心の生滅の分析」
より引用します。
市販の本を引用するのは気がひけますが。
【以下引用】
@結生・有分・死の作用
死ぬ生命が、次の瞬間で新たに生まれるのです。
死と次の結生は、隙間なく連続しているのです。
前の刹那は死で、次の刹那は結生です。
結生心が生まれたら、そこから新たな生命として成長していくのです。
その生命の結生した心は、一生、有分というはたらきもしてくれるのです。
有分心とは、特別に何かを認識しないとき、起こる心なのです。
477 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:40:55 ID://pJNr3y
>>473 君は白痴か。
死の三徴候は、「心停止」「呼吸停止」「反射の停止(瞳孔散大)」。
脳死は、設備の整った大病院で、人工呼吸により無理やり心臓と呼吸
を機能させている特別の場合。程なく、完全な死に至る。
脳は、三分間以上心臓により血液が送られなければ、不可逆的な障害
に陥る。救命に緊急を要する所以である。
釈迦は、「生存は苦」と言ったが、来世を信じる君たちは、永遠に、生
の苦に苛まれたいのかね。
生死は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。宗教やるまえに、
まず、生理学や医学の基礎を学べ。
478 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:43:54 ID:ktDZSRxX
今の文明の力(利器)PC も煩悩あればこそ
電子レンジも携帯電話も 煩悩あればこそ これら文明の発達を全て否定するのかな?
479 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:44:20 ID:tQzpVBQu
【引用つづき】
ようするに、一つの認識ともう一つの認識の間を、
有分心が刹那ごとに生滅して繋いでくれるということです。
心が機能しない瞬間はないのです。
それから、その生命の最後の心を死心と言うのです。
その死ぬはたらきをするのは、結生した同じ心なのです。
ということは、一つの生命に「生まれる」ときに現れる心が、
一生「心を繋ぐ」はたらきをして、
最後の「死」というはたらきもするということです。
過去世の死心と、今世の結生心は違うものです。
死が訪れる前に、生命は何かの業に引っかかっているのです。
結生心はその業に敵した心になるのです。
480 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:48:27 ID:tQzpVBQu
【引用さらにつづき】
一旦生まれてしまったら、それから何を認識しても、
認識を作る基本的な心は有分心になるのです。
有分心も結生心も、同じ心です。
もしも基本的に弱い心で生まれたならば、
生涯、この影響を受けなくてはいけないのです。
たとえば動物として生まれたとしましょう。
どれほどがんばっても、人間の心に現れる強い認識(
例えばサマーディを作ること)は作れないのです。
481 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 12:55:37 ID://pJNr3y
>>476 >>478 スマナサーラは、「東南アジアの小乗カルト」。小乗カルトの妄想など
引用して、何になる?すべて口から出任せ。彼は、まず自分が死んでから、
死後を語るべき。
ある大乗の高僧に、信者が「死後の世界はあるのですか」と聞いたら、
「死んで見なくちゃ分らん」と答えたそうだ。これが唯一の正解。
482 :
たろすけ:2009/11/07(土) 12:58:06 ID:0I1T3ITb
今生の
今生における
今生のための〈苦諦〉の認識が釈迦の出発点。
輪廻転生〉は原因を滅ぼさない限り
苦しみが再現なく続くという比喩程度にしか意味を持たない。、
頭髪が燃えている者にとって問題となるのは今生の苦。釈迦は〈〈〈そういう者〉〉〉のために教えを説いた。
だから輪廻転生を云々する人は、〈苦諦〉という出発点に立っていないのに仏教をしている人。
釈迦は聞き手に体系を与えた訳じゃない。解決法を与えたのです。
体系の完全さを志すなら、心理学や科学の完成を待つ方が確実。
輪廻転生を考えている時点で、釈迦の教え〈今生での解決を図る気が〉を聴く気がないのだから、原始仏典などにこだわらず、
より良い緻密な体系をひたすら摂取してまとめていけばいい。
でもそうしないのはそれでは、飯が不味くなるから。
自分が仏教徒じゃないことを認めないといけない。
別に仏教徒でないことは優秀でないことを意味しない。仏陀の扉にご自分の鍵が合わないんだからいい加減別のを探したらどうですか?
それとも仏教やってんのにご自分の〈優秀な頭脳〉を捨てるのは惜しい訳ですか?
意地でもこういう気づきを避けるには何か理由があるんじゃないですか?
やはり惜しいですかね?仏教を題材とした論理ゲームを止めるのが。
・・・そうか、きっと頭のできが良すぎたんだな。
483 :
たろすけ:2009/11/07(土) 13:03:44 ID:0I1T3ITb
※補足
苦諦が真理だと思う人は〈体系借用する〉異教徒。
事実〈現実〉だと思う人は仏教徒。
でも異教徒でもいいんです。それでも灯明はある。
484 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 13:11:48 ID:hDzgo5w5
御釈迦さんが「苦の滅」などを説きながら、「輪廻転生」など説いたと
すれば、「最大・永遠の苦」を作り出したことになるね。
「生存苦の滅」は、「来世に対する執着」を離れることから始まる。
485 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 13:23:06 ID:2l7FYUjA
中村元その他の原始仏教学者は、このスレの小乗カルトの狂乱状態に
対し、一体どう責任を取る積りか。オウムがその典型。生まれながらには
善良・純粋だった人間をここまで狂わせるとは、処刑に値する。
だれか、これら無責任な小乗仏教学者の名前を、すべて挙げてくれ。
486 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:01 ID:Uj5avWh8
>>457-458 いやいや。
あなたの妄想による転生のイメージだと、「業」よりも、転生先に空きが有るかどうかが優先されてますよw
「複雑だから」と言うのは解説になってないです。
で、結局、悟りの一歩手前であっても、たまたま悪の心を抱いて死んでしまえば、
次の生は悪の心を生じ易い体に生まれてしまい、悪の心を抱いて死に易くなり…
本当にギャンブルですね〜
皆、死の瞬間には、混乱したり、苦痛で訳の解らない状態になるのに、
そのときの精神状態がクリティカルに重要とは、酷いシステムですねw
そんな酷いシステムに怯えて生きるより、そこに至るまでの人生を有意義に生きるように頑張ったほうがいいんじゃないですかね?
487 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:09 ID:Uj5avWh8
488 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:18 ID:Uj5avWh8
>>473 前にも質問しましたが、あなたの説を採用すると、心臓移植をした場合には、色々と面倒な事が起こります。
あるいは、将来、脳移植なんかが可能になった場合、脳は生き続けているのに、残された肉体のほうは転生するんですかね?
あるいは、脳死して、脳だけ別人が入り込んだ場合、脳死した脳は転生するんですか?
また、がん細胞などは、本人が死んだ後も培養し続ければ、半永久的に増殖します(テロメア異常のため寿命が無い)。培養がん細胞はいつまでも転生し無いんですか?
かように、「肉体の動き」に心を想定すると、色々問題が起こりますよw
489 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:26 ID:Uj5avWh8
>>475 >>478 煩悩自体は別に悪くないと思いますよ、社会にとっては。
ただ、個人にとっては、苦しみの原因となっているので、煩悩を滅する事が出来れば、個人的に幸せになれます。
そもそも仏教って、本質的に反社会的・反倫理的なものじゃないですかね?
490 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:33 ID:Uj5avWh8
>>478 >生死は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
それはチョット言いすぎかと。
「肉体の新陳代謝の停止」までについては、医学の専門分野だと思いますが、
その後の「死(死後)」については、本質的に解らないことなんだから、医学の分野じゃないと思いますよ。
まあ、宗教だから「死」が解るってもんでも無いですし、
「仏教」は生きている間の問題を扱ったもので、
死後の問題を扱ったものでは無いと私も思ってますが。
491 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:45 ID:Uj5avWh8
>>479 毎度思うんですが、「心は刹那滅だから常住じゃない」と言うのは、何にも解決していないと思うんです。
そもそも、心が刹那滅である根拠が不明ですし。
492 :
前スレ10:2009/11/07(土) 13:34:54 ID:Uj5avWh8
>>482 リンカーンの演説ならぬ、たろすけの演説ですかwww(個人的にツボに嵌りました)
閑話休題。大筋で同意見です。
>>489 いや、個人的にも煩悩なしでは生活できませんよ
向上心も煩悩の成せる業。自己啓発も考えなくとも良いと言う事になってしまいますよ。
494 :
前スレ10:2009/11/07(土) 14:01:36 ID:Uj5avWh8
>>493 極論すれば、煩悩を滅すれば死ぬと思いますよ。
それで、「個人的」には何も不都合はないかと思います。
社会的には大問題ですがw
向上心も、煩悩を滅し終わってしまったら、関係ないですしね。
順番的には一番最後に滅されるでしょうが。
(到達してしまえば、向上する必要ないですから)
>>494 確かにそうなるんだよね。
だから、しきりに「煩悩があるから輪廻」と言う発想も理解しがたいんだけどね。
誰しも「煩悩」によって成されているものにあやかりながら(ある意味感謝)しながら
生活がなりたっているのに、煩悩を非すかのように輪廻にからめる。
人が人である以上、煩悩なく死する人などいるでしょうか。
悟る(と言うのかな?)瞬間が死という人などいるのでしょうか。不思議でならないです。
>>495 のつづき
悪行ももちろんのこと、善行も煩悩があれば行える事なんだけどね。
497 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 15:21:35 ID:d2NP4Hbi
>>468 >例えばこのスレによく登場する宝珠は
エーと、よくは登場しませんw
遠慮しているからですねぇ^^
それと呼び捨てはよくない。宝珠タン♪
>宝珠は「アートマンは涅槃に達すれば滅びる。
>だから、無常であり無我と抵触しない。」と言います。
正しくは、“アートマンは無常”(ここがヴェーダと異なる部分)であり、
涅槃に達すれば真我に吸収されて消失し、その用(輪廻する主体としての)を終える、というもの。
「真我」は恒常不滅であるが、これは仏教の説く“実在論の否定意”とは抵触しない、という持論なのです。
何故なら、実在論の否定とは現象世界における限定意だからです(これを仏教では「一切法」という)。
現象界を超越した無為(における真我)についてはゴータマは“沈黙を保った”というのが、
本来の正しい理解でしょう。
私の持論ですから無視して構いません
ですが、仏教的理解からみても矛盾しないものです。
498 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 15:56:27 ID:+6lYNQzA
>>490 >>生死は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
>それはチョット言いすぎかと。
>「肉体の新陳代謝の停止」までについては、医学の専門分野だと思いますが、
>その後の「死(死後)」については、本質的に解らないことなんだから、医学の
>分野じゃないと思いますよ。
肉体の新陳代謝が停止すると、感覚器官、思考器官、運動器官、記憶器官はすべ
て腐敗し、やがて分解して消滅します。これは、すべての人が観察できること。
従って、死後は、感覚、思考、運動、記憶がすべて消滅するから、外界の認識
もそれに対する反応も不可能で、死者にとっては外界は無になるから、医師は
死亡診断書を作成し、火葬の許可が出るのです。
医師が、「死後のことはわからないで」死亡診断書を出したら、医師は殺人罪に
なりますよ。
なお、「心(感情と理性)」は身体から生じるもの。身体が腐敗・分解して消滅
すれば、心が発する場所もなくなります。従って、死者には、いくら語りかけて
みても、心の表現は不可能です。これも、万人が観察できること。
死後は無であることが分っているからこそ、医師は死亡診断書を出し、火葬が
行われるのです。「死後のことは分らない」などというと、必死で自己正当化を
求めている宗教者に余計な誤解を与え、その確信を強めてしまうことになります。
499 :
前スレ10:2009/11/07(土) 16:03:25 ID:Uj5avWh8
>>497 そりゃ「矛盾」はしないでしょうよw
仏教の扱う範囲を「現象世界」としておいて、あなたの論理は「現象界を超越した」モノであると定義しているんですから。
例えて言えば、
「科学は観測可能な事実から論理を導くもの。私の主張する「魔法」は、観測可能な世界ではないので、科学と矛盾しない」
と言っているようなものです。
500 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 16:16:55 ID:d2NP4Hbi
>>499 誤解と無理解から
勝手なことばかりいってるのは自称仏教徒らの多くです。
---この私ではない。
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(p127)
『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現
象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは違った性格
のものとなった。』(p143)
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1印/春秋社刊)
501 :
絶対神:2009/11/07(土) 16:21:12 ID:GYRZtuVj
つーか、釈迦の言葉が既にして、現象界を出てるんだがなあ。
縁起の法則なんて、「ありえーねーし」ww
502 :
前スレ10:2009/11/07(土) 16:24:08 ID:Uj5avWh8
>>498 私の書き方が悪かったですね。
私が言いたかったのは、肉体の死後ではなく、精神が、死後も有るかどうかの分野です。
まあ、私も精神は肉体(ハード)に依存したソフトのようなものだと思ってるので、
死後も存続するとは思いませんが、これも推測に過ぎませんよね?
同様に、「あの世が存在しない」と考える根拠も無いです。
余談ですが、死亡診断書云々は、「心停止などのいくつかの条件を満たすと、再度生き返る事例がほぼ無い」から書けるだけです。(キリストという例外があると主張する人もいますがw)
かつては、医学が未発達で、心停止したと思ったのに、30時間後ぐらいにひょっこり息を吹き返してしまった事例が多々あったので、死亡後48時間は火葬できませんでした。
医学の進歩により、待機時間は24時間に短縮されましたが、それでも、「死」の最終確認は、「時間がたっても生き返らないか」で判断している部分が有るんですよ。
閑話休題
結局、私が言いたいのは、死後の世界が有るとか、死は宗教のものだとかではなく、
「死後の世界は有るかどうか本質的にわからないんだから、(医者・宗教家を含めて)言及すべきではない。」
と言う事です。
503 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 16:31:33 ID:d2NP4Hbi
追記:
仏教が説く“実在論の否定意”とは、一切法の中での教えです。
これを認めたくない人が勝手に、「一切以外の(デタラメな)一切を説くな」などと愚論をいうのです。
私は仏教理論に即して「一切と一切外」について述べるだけです。
(あっ、「新版第1印」は「新版第1刷」の誤字でした)
「仏教では仮和合の我もアートマン、バラモンの教義もアートマン、
そして、仏教が目指す真実に立脚すべき自己も同じくアートマンと呼ぶのです。
だから、“ごちゃまぜにするな”といってるのですよ。」(日本仏教スレ/805)
まだの人は、これを読んで確認して下さい。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
504 :
前スレ10:2009/11/07(土) 16:33:47 ID:Uj5avWh8
>>500 え〜と、あなたの説く「真我」は、現象界(一切)を超越してるという主張に読めたんですが?
だから、引用で言っている、「原始仏教とは違った性質の教え」とは、あなたの主張の事をまさしく行っているのだと思うんですが。
505 :
前スレ10:2009/11/07(土) 16:36:47 ID:Uj5avWh8
>>503 「一切以外の(デタラメな)一切を説くな」と言ってるんじゃなくて、
「一切以外の事を扱うのは、仏教じゃない。第一、一切以外のことは、本質的に確認しようが無いから、議論しても無駄で、信じることも出来ない」
と言ってるだけでは?
学習せず懲りない所は、
一在家、宝珠、カラスに、揃って共通する素晴らしい素質かもしれんwww
507 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 16:47:00 ID:d2NP4Hbi
『原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていた』(水野著『要語』)
この中には、“恒常不変の実在は存在しない”というのが、
仏教の説く“実在論の否定意”です。
無為の関しては沈黙したのです(正しくは「詳細解説を避けた」ということ)。
>>501 >現象界を出てるんだがなあ。
それが分ってるなら、
「縁起の法則なんて有り得ない」といった愚かな発言はしないでしょうw
“縁起の法”は、凡夫が認知できる範囲と不可知の範囲を含めた
すべてを洞察した上でゴータマによって語られたものです。
これが業報輪廻の根底理由なのです。
508 :
絶対神:2009/11/07(土) 16:51:51 ID:GYRZtuVj
>>507 だからさ。
それが詭弁だって言ってるの。
判らない?
ゴータマが超人である事を認めた場合、既にして合理的な現象界を
出た、形而上学的な領域の事を話している事になる訳よ。
まあ、釈迦が私と同じ神なら、本当に超越的知覚で見えたのかもね。
その事まで絶対的には否定しないさ。
「ただ、どちらにしろ、どこかで不合理を受けれない限り、仏教は成立しない
という私の理屈が正しい事は証明された訳だ」
509 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 16:52:51 ID:d2NP4Hbi
>>505 惜しいけれど・・でも全然、違います。
一切外にあるものが涅槃であり、言葉で語り示すことのできないものであり、
しかし、これこそが仏教の目指す究極の境地である、ということ。
10さんの姿勢は示せないものは信じない、
というものでしょう?だから、(仏教を)信奉しなくてもいいのですよ。
511 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 17:08:45 ID:d2NP4Hbi
>>504 >え〜と、あなたの説く「真我」は、現象界(一切)を超越してるという主張に読めたんですが?
はい、それでいいのです。
一切法とは別名、「有為」ともいいます。
ゴータマは一切外の「無為」についても述べたのです。それがこの経文です。
『生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。もしも生じないもの、
生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、生じたもの、生成したもの、つく
られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、生じたもの、
生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるの
である。』(ウダーナ8:3)
しかし・・まだ、分る人が出てこないのですね・・(この経文の理解)。
分る人は2chネラーなどにはならない、という証明なのでしょう。
512 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 17:10:42 ID:d2NP4Hbi
>>508 ゴータマは、形而上学的な領域の事実を否定したのではなく、
無益な議論(物質現象のように簡単にコレといって示せるものではないから)となって、
修行の妨げになるものとして戒めただけです。
形而上学的な事実は“修行による実体験で確認される”と説いたのです。
〜あなたは全部、はじめ(一)からすべて確認し直すべきです。
513 :
前スレ10:2009/11/07(土) 17:13:32 ID:Uj5avWh8
>>509 会話がまた無限ループに入りましたねw
「仏教徒だけの真理である」というのなら、別にそれで構いませんよ。
ですが、「普遍的真理である」と主張なさるのなら、根拠を示してください。
示せないなら、「『(あなたの主張する)仏教』を信じるものだけに通用する真実である」と訂正してくださいな。
ついでにいえば、「一般的な仏教」では、一切外の事に関しては関知しない立場だと思うので、
あなたの言う「仏教」は、普通の仏教ではないと思いますよ。
>>512 >形而上学的な事実は“修行による実体験で確認される”と説いたのです。
ソースをお願いします。
度を超えた疑念の塊
これも六種根本煩悩の中にある姿です
一杯の水でも
天界の人が飲めば、甘露水
阿修羅界の人が飲めば、この水は俺を落とし入れる陰謀に違いないとなり
地獄界の住人には、熱湯に感じられ
餓鬼界の住人には、飲んも飲んでも足りる事がなく感じられる
等のたとえは、昔からあります
とにかく、修羅界の《疑念の塊》優雅にくつろぐ人々に
ひたすら《仕掛けたい本能》
これが修羅魂です
515 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 17:25:17 ID:d2NP4Hbi
>>513 >示せないなら
その努力はしてるわけです。ゴータマであれ同じことですよ。
それでも理解しない認めない自由はあなた方に与えられている。
まっ、説明不足というのはいけないですねぇ!
最もいけないことは、
相手の自由意志を奪い強制力によって従わせようとする行為です。
これが最大の「悪」だといういい方も可能です。
解脱者がその大いなる能力と智恵を駆使して、
現代大衆に示してくれないのは、我々の自由意志を尊重するからです。
自分で考えた上で理解しようとするところが成長だからです。
>>形而上学的な事実は“修行による実体験で確認される”と説いたのです。
>ソースをお願いします。
過去スレで提示済みですが、また後ほど・・。
(提示できる方がいましたら〜宜しく♪)
>>509 >10さんの姿勢は示せないものは信じない、
>というものでしょう?だから、(仏教を)信奉しなくてもいいのですよ。
一切外で裸踊りをやりたい『戯論派』(カラス、宝珠、一在家など)は、
まさしく外道以外のなにものでもない。
ブッダの合理的な経験主義的検証性が全くないのだ。
たしかに各人の能力差はあるだろう。
しかし、ブッダの経験主義は超越的経験ではなく、いわば凡人的経験主義であることが特徴だ。
生存苦から解脱すべきは超人ではなく、凡人だからだ。
だから、普通の凡夫でも了解できることに特徴がある。方便を駆使する根拠でもある。
また、凡夫が確認しようがない戯論(形而上的論議)を無視(無記)するのも当然だ。
・スッタニパータ1053 「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、“いま眼のあたり体得される”この理法を、
わたしはそなたに解いて明かすであろう。」
・スッタニパータ1066 「ドータカよ。伝承によるのではない、“まのあたり体得される”この安らぎを、
そなたに説き明かすであろう。」
・カーラーマ・スッタ「“よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること”、善いこと、自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを
真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。
・・・私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから」。
517 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 17:33:49 ID:d2NP4Hbi
>>506 >学習せず懲りない所は、
>一在家、宝珠、カラスに、揃って共通する素晴らしい素質かもしれんwww
はい、私は認めますヽ(`Д´)ノ
けれども、この中には自分は入らないのかい?セブン???
信じないは個人の自由だけど、
業報輪廻を認めない仏教だなんて、そんなのいつから駒沢大で教えたです?
奈良先生がそれを知ったら、きっとお嘆きにはならないのかなぁ?www
「私の講義の何を聴いていたのか!」ってw
518 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 17:39:10 ID:tQzpVBQu
>>488 そもそも五蘊仮和合なわけだから、
色受想行識のからみあいによって、
色んな可能性があるでしょう。
体が二つに割れても二つそれぞれが生きていられるような技術ができた場合、
二つの体それぞれに心が生じるでしょうね。
システムがつながってるならつながってる範囲でひとつの心、
システムの接続が切れて別れたら、別れた数だけ心が生じるのかも。
>>517 スッタニパータ836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、
あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」
837 師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、
諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」
「どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」という問いに対して、ブッダは「『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」 と退け、
このような問い自体が執着・偏見かつ戯論であるから、執着を捨て、固執することを止め、省察しつつ内心の安らぎを得ると、教えられたのだ。
ブッダは業報輪廻転生論のような戯論そのものを説かれるということはない。
よって、このクソスレは終了ということで、おあとがよろしいようで。
520 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 17:49:28 ID:d2NP4Hbi
>>510 「教えたです?」
>>517 あ〜ぁ、タラちゃん言葉になってもうたばぃ(涙)
しかし、あなたは頭いいんだからさ、頼むわホントw
もう、インク切れするな.....(涙)
>>516 >一切外で裸踊りをやりたい『戯論派』(カラス、宝珠、一在家など)は、
何が一切外で裸踊りなの?(でも、いいフレーズかもw)
ニルヴァーナこそが仏教の目指す境地であり目的です。
それを“一切からの超越”というのです。
一切(内)に縛られ続ける者を輪廻する凡夫というの。
わかる?
ブッダは輪廻転生論=『生存状態に生まれかわること』を
明確に『説かない』と断言しておられるのだ。
これ以上、なにを迷妄する?
522 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 18:02:10 ID:d2NP4Hbi
>>519>>521 コレ、後で私が完全に論破しますよw
なーんだ、こんな些細なことで引っ掛かっていたのですか?
ついに氷解できる機会ができて良かったですねぇ^^
>>520 煩悩即菩提。
>ニルヴァーナこそが仏教の目指す境地であり目的です。
>それを“一切からの超越”というのです。
『世間(生死の世界)には涅槃といかなる区別も存在しない。
涅槃には、世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない』(龍樹 中論25-19)
『涅槃の究極なるものは、すなわち世間(生死の世界)の究極でもある。
両者のあいだには、最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない』(同上25-20)
わかる?
めし=ファミリータイム
落ちる
525 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 18:21:35 ID:d2NP4Hbi
>>523 「いかなる区別も」ねぇ・・・
果たして、
これがどういう意味で述べたものかが分らないから、私にはなんともいえない・・。
それに、この私は基本的には中論(龍樹)に興味がない。
ゴータマの教えについて中論を根拠に主張されても、また困るしw
では、
「龍樹はゴータマ思想の良き理解者である」と主張する縁起氏に確認してみよう!
まっ、私は嫌われたようだから、親切に対応してもらえるかはわからないけどぉw
>>524 それはいいですねぇ!
では、こちらもw
526 :
前スレ10:2009/11/07(土) 18:29:10 ID:Uj5avWh8
>>515 >その努力はしてるわけです。ゴータマであれ同じことですよ。
え〜と、私の513は、
「根拠が示せないなら、それはあなただけに通用する主張であり、
そもそもあなたの「仏教」は仏教じゃないと思います。」
と言ったつもりなんですが……
ついでに言えば、「ブッタが根拠を示さなかった事は説明が付く」ことと、
「実際に根拠が有る」ことは別問題だという自覚はありますか?
>過去スレで提示済みです
またですか……。
527 :
前スレ10:2009/11/07(土) 18:29:32 ID:Uj5avWh8
>>518 >体が二つに割れても二つそれぞれが生きていられるような技術ができた場合、
>二つの体それぞれに心が生じるでしょうね。
これも指摘済みなんですが、そうすると、二つに分かれる前に生じた業は、どちらに行くんですかね?
業が一対一対応しなくなると、業報理論は崩壊しちゃいますよ?
528 :
前スレ10:2009/11/07(土) 18:29:58 ID:Uj5avWh8
>>522 >コレ、後で私が完全に論破しますよw
ワクテカしてお待ちしております。
ご飯からのお早いお戻りを〜
529 :
前スレ10:2009/11/07(土) 18:30:06 ID:Uj5avWh8
>>524 皆ファミリータイム早いですねw
うちは7時過ぎです
530 :
絶対神:2009/11/07(土) 19:12:04 ID:GYRZtuVj
つまり、はっきりしている事があるとすれば、
釈迦が本当に「神」だった場合。その場合なら、なおさら、
『私は釈迦に等しいか、それを超えた存在だという事だろうね』
「それだけは間違いないと思うし」
「お前たちもそれを認めなければならないと思う」
お前たちの言葉じゃ、こういう存在の事をなんて言うんだっけ?
『天輪法王だっけ?』
まあ、別にわたしゃー仏教なんて信じてないけど。
「要するに、比喩すれば、「そんな存在」なんだろうな」
531 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 20:26:36 ID:I2/t3kq+
ん? いつの間にか、話題が昔のことに戻ってないか?
また宝珠が未練たらしく、引っ掻きまわしてるわけか?
532 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 21:29:08 ID:d2NP4Hbi
>>530 唯一なる実在としての「神」とは“存在そのもの”をいう。
口から語られるものは神でもなければ、それを語る者も神などでは有り得ない。
神は人格神(情緒に訴える)ではない。「我は神なり」はいい得ない。
「これが神である」といって示すことなどは不可能です。
よって示すことのできないものについては説くことをしなかった、
これがゴータマのアプローチの在り方。
533 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 22:43:53 ID:d2NP4Hbi
>>519>>521-522 その、『わたくしはこのことを説く、ということがわたくしにはない。』(Sn.837)は、質問(Sn.836)
に対する返答としてのものであり、これなどはいつものゴータマ特有の言い回しの一つです。
質問者(マーガンディア)のそれは世俗の王様との対比において為された問いであり、ゴータ
マの解答が意味するところは「解脱した完成者というものは、世俗の観点では推し量ることが
できない」からなのです。だから、「このことを説く、ということはしない」わけです。
これと同じ対応は、有名なこの経にも示されています。『マールンキャープッタ、ゆえに、わたし
が説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは説くと了解せよ。』(『マッジマニカー
ヤ第63経/毒矢のたとえ』)。
これらはこのようにして、「如来の死後について」(の質問に)はその解答を控えているわけで
す。世俗の観点でしか理解できない輩に対しては“誤解を招くから説かない”ということ。決して、
「存在しない」(とか輪廻転生はない)という意味ではありませんから、ここのところをよ〜く理解し、
誤解しないようにお願いします。
534 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 22:46:02 ID:d2NP4Hbi
そして、人の死後の行く末に関してはこういう経文もあるわけです。
『心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、たくみで、確立し
不動になったときに、多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。すなわち、わたしは清浄で
超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわち、卑しい人と高
貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従って
いるのを見た。
「じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多く
の聖者を非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体
が壊れ死んだ後、悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い
行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、
正しい見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる」と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれ
ぞれの行為に従っているのを見た。バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得ら
れた第二の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。それはつと
め励み、努力している人に現れるのである。』(『マッジマ・ニカーヤ100/サンガーラヴァ経』)
535 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 22:48:05 ID:d2NP4Hbi
ただし、死後の霊的な界や天界/地獄への再生しか説かれてないと誤解されては困るので、ゴ
ータマの説く輪廻とは明確に来世における母胎での再生を含むことであることを明記しておきます。
『実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から
暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。』(スッタニパータ/Sn.278)
仏教に関していえば、業報輪廻転生の思想は完全にあらゆる法の中で組み込まれているので、
これだけを抜き出して壊滅しようなどとしても不可能です。
唯一、否定論者ができることというのは、「この私は仏教は理解できません。仏教など信じませ
ん」ということのみです。---以上
536 :
絶対神:2009/11/08(日) 01:20:57 ID:e6dH9DeP
>>532 『それこそ人間の理屈だよ』
「神」が「他者の理屈」に縛られる訳ないだろう。
大体、「私の人格が神の本質」と言ったつもりはない。
「人格など人とコミュニュケートする為に便宜上持っているかも知れないではないか」
それこそ、釈迦にだって「人格」はあったろ(笑)
まあ、私が本当に神だった場合、
『お前の発言が滑稽である事だけは事実だな』
537 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 01:23:23 ID:OVkwao6+
>>533-535 追記:
もう一つ二つ、肝心な経の掲載を忘れてました。
人の死後の生れ先についてゴータマが解説したという内容です。修行の進歩に応じた死後の境
地、転生回数といった四向四果の解説は、更に重要なものです。内容の解説が非常に具体的で
あり、かつ詳細だからです。これは仏道と修行の成果との関係を示す決定的なものです。
『このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が「この者は、このところへ生ま
れる。この者は、このところへ生まれる」と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人
に吹聴するためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、「わたしは、このような超能力が
あることを人は知れ」というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な
喜悦をもつ、良家の子はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、そ
れは長いあいだ利益をもたらし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。
尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』(『中阿含経第77/帝三族姓子経』)
『アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れの無
い【心の解脱】【智慧による解脱】をみずから知り、体得し、具現していた。したがって、この比丘は今
さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。
アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたの
で、おのずから善き世界に化生した。この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこ
の世に戻ることはない。
アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り
・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、【一度だけ戻ってくる者(=一来)】
となった。この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入
るであろう。
アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、【聖者の流れに踏み
入った人(=預流)】となった。この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさ
とりを得ることが確定している。
538 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 01:25:20 ID:OVkwao6+
アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、
おのずから善き世界に化生した。この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこ
の世に戻ることはない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、トゥッタ、サン
トゥッタ、バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくした
ので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの世界
に入り、再びこの世に戻ることはない。
アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に結びつけ
る五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはそ
の天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつ
くしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているの
で、【一度だけ戻ってくる者】となった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りな
く滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつ
くしたから、【聖者の流れに踏み入った人(=預流)】となった。これらの信者たちは、もはや悪しき
世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。』
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
「四向四果(四双八輩)の説は部派によるものであり、ゴータマ本来の教えにはなかった」という
批判をする人もいますが、それは間違いだと思います(ここで反論しておきます)。ゴータマの時代
には体系的に説かれたわけではなかったというだけで、教えはすでにありました(水野著『要語』
を参照のこと)。
これはその他の教義に関しても同じことがいえます。体系化された教義に編纂されたのはすべ
て後代です。
539 :
絶対神:2009/11/08(日) 01:25:32 ID:e6dH9DeP
ま、どちらにしろ私は、
『言葉ではなく、奇跡(ちから)で証明するタイプだ』
このような事に関して、「議論」は無意味だ。
540 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 01:27:00 ID:OVkwao6+
『その教法は原始仏教においては、五蘊・十二処・十八界・三法印(四法印)・十二縁起・四諦・
三学・三十七菩提分・四向四果などと説かれており』([108)
『原始経典に僧伽(三宝の一としての僧宝)の説明として掲げられている定型的な定義は次の
ごとくである。「仏の弟子僧伽は、妙行をそなえ、質直行をそなえ、如理行をそなえ、正行をそな
えている。すなわちそれは四双八輩である。この弟子僧伽は世間から供養せられるべく、恭敬
せらるべく、布施せらるべく、合掌せらるべき、無上の福田である。」この定義はパーリ阿含経の
ものであるが、漢訳阿含経のものも殆ど同じである。ただ漢訳阿含経の中には、この僧伽が戒・
定・慧・解脱・解脱知見の徳をそなえているということを加えているものもある。』(p118)
『釈尊は修道の階位をまとめて説かれることはあまりなかった。しかし初歩の悟りを得て四双
八輩というような聖者位を進むことは、すでに阿含経に説かれている。』(p231)
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
以上
541 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 01:55:34 ID:OVkwao6+
542 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 02:03:38 ID:21u8GTGy
だからね、いくら経典にある輪廻の記述を挙げても、なんの解決にもならないの。
いいか?仏教は真我、アートマンは認めていないの。
それは散々、前のアートマンスレでやって完全論破だったね。
「アートマンを認める仏教などは存在しないの」
ならば、仏教における転生思想はどうなるか?
これはもう、論理的整合性は一切無視。論理破綻は顧みず、ただ、経典にそのような記述があるという
理由のみにおいて「信仰」するのみ。そう、説明も解説も論理も不要。ただ、信じるだけ。
仏教というフレーム内において転生を肯定するならば、それしかないわけ。
無常無我という根幹教義を捨て去ることが出来ない限り、それしかないの。
まず、そこを理解しなよ。
そこを理解できずに無我と転生、業論の整合性をとろうと様々な説が出たが全て失敗したでしょ?
仏教に転生の根拠を求めることが、仏教の根幹教義の無我を否定することになるのを
いい加減にわかれや。
俺は仏教徒が転生を「信仰」すること自体は勿論、否定したりはしないよ。
信仰は自由だ。それが内心に留まるならね。
しかし、人前で公言するときは、余程の注意をもってしないとな。
障害をもって生まれた赤ん坊を指して「これは前世の悪業が原因だ」などとほざくバカを見かけたら、間違いなく殴り倒すよ、俺は。
543 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 02:07:06 ID:OVkwao6+
>>539 “言葉じゃなく力で証明”とは有難いこと。
ここ仏教関係スレでは、霊的真理の無理解と誤解から
大勢の唯物論者たちが巣食っています。
あなたは神を自称するのだから当然、物質界の制御しコントロールする能力はあるわけでしょう?
では、それをお願いします。
空中浮遊の決定的瞬間、いやその状態を動画に収めて公開して下さい。
麻原のごときジャンプした瞬間のインチキなチンケな写真は興味ありません。
金獲りや信者獲得や名誉欲ではなく、無知の根絶のためにです。
最近、一人それができるという人の投稿がありましたが、
次スレが暫く立たない状態が続いて会話は途切れました・・。
>「議論」は無意味だ。
はい、神通力の在る無し議論をこれで終らせましょう!
是非、宜しくお願いします。
544 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 02:20:04 ID:OVkwao6+
>>542 無我論(アートマン否定)は輪廻転生論とは相成れないという主張ですね!
なるほど、私はそれはある意味で同意しますよ。
ただ伝統仏教者は、そのような批判は実在論の否定意を誤解しているものとして批難し、
アートマンを無用とする縁起輪廻を説きます。
私の主張は無我論の誤解というものです。
アートマンについての誤解です。これを読めば矛盾は氷解できると思いますが・・。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm >障害をもって生まれた赤ん坊を指して「これは前世の悪業が原因だ」
>などとほざくバカを見かけたら、間違いなく殴り倒すよ、俺は。
誰もそうなことはしないでしょう。
業報理論は本人の自省をそれとして自然と(本人に)促すものです。
545 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 02:26:44 ID:21u8GTGy
このスレ及び関連スレにも少数ながら、「論理的整合性のとれた説明は不可能です。しかし、『私は転生があると信じたい』」と
このようなスタンスのものがいた。それはそれで、結構、「輪廻転生が仏教徒以外の人間も含め、全ての人間に干渉する
普遍的現象である」と主張するのでなければ、「あぁ、あなたはそのようなことを信じているのですか」で終了だね。
しかし、転生肯定論者と言うのは、ほとんどが、そうではないよな?
全ての人間に起こる普遍的現象であると主張する。
なら、それをきちんと解説してごらんとなるわけだ。
そして、現代の知見に照らして十分、無矛盾の説得力のある解説は皆無だね。
全てファンタジーの域をでない。
546 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 02:47:20 ID:21u8GTGy
>>544 わからん奴だな。
仏教がアートマンを認めないということについては、前アートマンスレで完全決着済みだ。
「釈尊がアートマンを説いた確証」を最後まで提示出来なかったのをもう忘れたのか?
俺が言っているのは「仏教に転生の根拠を求めても無我との矛盾を生み、論理破綻を来す」
こういうことだ。
何故、仏教に転生の根拠を求めようとする?
何故、神智学に転生の根拠を求めないのだ?
神智学には権威となる人物も経典も存在しないからか?
俺はたとえ神智学であろうと、それが現代の知見と無矛盾で十分、説得力のあるもので
あるならば喜んで受け入れるがな。
何故、そのような体系を提示しないのか?
「ボクはこのように信じてています」というファンタジーのレベルだからか?
547 :
卍党:2009/11/08(日) 03:00:48 ID:eSs98QE6
548 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 03:17:54 ID:OVkwao6+
>>545 ここでは、
仏教の教理に限定した話しとなるよう気をつけていますが、
しかし、こちらでは仏教枠に限定せずにもっと自由な観点で投稿しています。
つまり、この私の持論を展開している最中です(まだまだ続けます)。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255484423/l50 輪廻転生が科学的にも認知されるときはくると思います。
今は転生現象の検証のためのデータを蓄積している最中という段階なのでしょう。
私が知る検証データの話しについても紹介したいと思っています。
どうぞ宜しく。
>>546 >仏教がアートマンを認めないということについては、前アートマンスレで完全決着済みだ。
>「釈尊がアートマンを説いた確証」を最後まで提示出来なかったのをもう忘れたのか?
私は認めてないし、論破された覚えもない。
それは、あなた方の無理解と誤解が示されただけのこと。
「アートマンは無い」などいうことはゴータマは述べてない。
ゴータマが説いたアートマンはバラモンの説くアートマンと同意ではない。
ゴータマは、明確に仮和合の我と求めるべき真実の自己としての我の二つを説いた。
549 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 03:19:30 ID:OVkwao6+
>俺が言っているのは
>「仏教に転生の根拠を求めても無我との矛盾を生み、論理破綻を来す」こういうことだ。
無我の解釈が間違えているからです。
仏教徒(弟子ら)が間違えたからです。簡単な話しですよ(矛盾無し)。
>何故、仏教に転生の根拠を求めようとする?
私が勝手に挿入したものではなく、説かれているものだからです。
それを勝手に否定しようとしているのはあなた方です。
>何故、神智学に転生の根拠を求めないのだ? --中略--
>何故、そのような体系を提示しないのか?
心配ご無用です。
神智学徒の間による混乱はなく、すべてが提示されています。
私は仏教者にデタラメは止めましょう、といってるだけです。
550 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 03:30:39 ID:21u8GTGy
>>578 だったら、そのスレに早く「現代の知見に無矛盾の十分、説得力のある解説」を挙げたらどうだ?
もう、大分以前から10氏が要求してると思うが?
だからゴータマが真実の自己としての我を説いたことを最後まで
論証出来なかったでしょ?と言ってるの。
「アートマンは無い」と言ってないことは「アートマンはある」と言っていることにはならないと何度言ったらわかるの?
551 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 03:32:24 ID:OVkwao6+
>>513 >>形而上学的な事実は“修行による実体験で確認される”と説いたのです。
>>512 >ソースをお願いします。
取り合えず、以前の投稿ネタ〜
『サーリブッタよ、この五百の比丘たちのうち、六十人の比丘たちはすでに三明をえた者であり、
六十人の比丘たちはすでに六通をえた者であり、さらに六十人の比丘たちは 倶解脱をえた者で
あり、その他の者は慧解脱をえた者である。』(サンユッタ・ニカーヤ8-6)
これは以前のコピペですが、《「三明」(宿命智・天眼智・漏尽智)を得た者、「六通」(神足通・他心
通・天耳通を加えた六神通の幾つか)を得た者、「戒・定・慧」の三学修行における「倶解脱」を得た
者、「慧解脱」を得た者とあり、これはつまり、修行の段階に応じた達成のことを示しているのです。
500人の比丘の内、120人が何らかの神通力を有していたことになります。》
ということで、「戒」によって心身が調整され、呼吸と精神を鎮めて「定」に入って統一し、「慧」(八
正道の正見、正思惟、正精進)で仏教の智慧が身につくようになるということは、即ち、自己意識
の制御(コントロール)が完成したというこであり、その結果として「倶解脱/慧解脱」を得た者だと
いっている。これは阿羅漢ということになるので、必然的に阿羅漢の能力としての六神通は当然の
ものとして説かれます。精神のコントロールによって神通力が発揮できるようになることについては、
仏典の随所で説かれています。
552 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 03:33:44 ID:OVkwao6+
『アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、(軛
を結びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、
みごとになしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいは
それよりも長いあいだでも留まることができるであろう。』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
『また、比丘は心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、さまざまな超能力(神通)に心を傾け、
心を向けます。比丘は、さまざまな超能力を体験します。すなわち、一から多になり、また多から一
になります。あるいは姿を現したり隠したり、塀や城壁や山の向こう側へ障害もなく、まるで空中を
行くように通り抜け、あるいはあたかも水中でするように大地にも潜ったり浮かび出たり、また、地
上を行くように、水の上も(水面を)割ることなく歩み、また、羽のある鳥のように空中も足を組んで
飛び歩き、また、かくも偉大な力を持ち、かくも輝かしい威光を備えた月と太陽に手で触ったり撫で
たりし、果ては(人が到達すべき最高の世界である)梵天の世界にさえ、肉体を持ったままで到達
します。』(『ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳』)
553 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 03:38:37 ID:21u8GTGy
>>549 しかし、ホントに読解力というものがないね。誰が「神智学徒間」での話をしている?
転生を主張するのであれば神智学からでもいいから、きちんとした解説を提示しなさいよと言っているの。わかる?
554 :
卍党:2009/11/08(日) 03:41:23 ID:eSs98QE6
布藻k樓経(ポッタパーダ・スッタ) 第五章
ttp://www.nurs.or.jp/~academy/butten/pottapada5.htm 「尊師よ、アートマンにより、心が生じて、世界を観じるときに、世界を感じるのですか。
アートマンが無ければ、心は生じないのですか。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、物なるもの、欲界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、欲界を越えています。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、形あるもの、色界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、色界を越えています。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、意なるもの、法界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、無色界を越えてます。」
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。
無我を観じられないと、真我を感じられない。これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
「行者よ、語ることが出来る、四つの真理、実際に確めることが出来る、四つの諦がある。
それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。第一は、全ては苦しみであること、苦諦である。
第二は、苦しみは必ず生じること、集諦である。第三は、苦しみは必ず滅すること、滅諦である。
第四は、苦を越える道があること、道諦である。」心から感動して、ポッタパーダは、こう言った。
「ああ、これは、とても、妙なる教えです。さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」
555 :
卍党:2009/11/08(日) 03:42:27 ID:eSs98QE6
布藻k樓経(ポッタパーダ・スッタ) 第六章
ttp://www.nurs.or.jp/~academy/butten/pottapada6.htm その数日後、象使いの子である、チッタは、仏陀の止まる、アナータピンディカ園を訪れ、
恭しく挨拶すると、仏陀に対して、こう尋ねた。
「有るとも言えて、無いとも言えるような、真我なるものを、どうして説くのでしょうか。
尊師よ、解かない法が、良いのではないですか。」
「チッタよ、その問いに、答えるためには、この頼み事に、応えてもらわないとならない。
さあ、ここまで、最高の美女を連れて来なさい。」
「尊師よ、その美女の名前を教えて下さい。」
「チッタよ、名は知らないが、最高の美女だ。」
「では、無理です、誰が最高か確められません。」
「チッタよ、まさしく、これと同じである。名が付けられるのは、命を確めるためであり、
実に、概念を説くのは、概念を解くためである。」
「真我を説くのは、真我を解くためであり、真我に囚われて、真我を論じるためではない。
越えるべきものに、囚われるのは、転倒である。」
心から感動して、チッタは、このように言った。
「ああ、これは、とても、妙なる教えです。さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」
「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」
こうして、象使いのチッタは、出家を果した。
そして、戒律を受けて励み、阿羅漢に到達した。
____________________________________
釈尊はアートマンは有るとも言及せず無いとも言及せずその真意は
有ると思えば在る縁起順観 無いと思えば無い縁起逆観
五蘊皆空、無我相、色即是空空即是色と同じですね。
556 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 03:58:12 ID:21u8GTGy
>>548 それから「科学が進歩すれば、いずれ〜は正しいと実証される」
いい加減にこの下らないレスはもう止めようね。
「科学が進歩したら、〜は間違いでそんなものはなかった」ことが実証されるかもしれないよ。
つまり、お前の言ってることは単に自己の願望の告白に過ぎないわけ。
それから、検証データを紹介するとのことだが、トンデモ本レベルの与太話は止めてくれよ。
ちゃんと『実証』されたものを頼むよ。
期待してるから。
557 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 04:04:11 ID:OVkwao6+
>>550 >「アートマンは無い」と言ってないことは「アートマンはある」
>と言っていることにはならないと何度言ったらわかるの?
>だからゴータマが真実の自己としての我を説いたことを最後まで
>論証出来なかったでしょ?と言ってるの。
そうではなくて、「バラモンの説くようなアートマン存在はない」とは述べなかったということ。
単に、「それらはアートマンではない」という非我を説いたのです。ゴータマが説いたアートマ
ンとは、「真実の自己(アートマン)を求めよ」という単純な教えなのでした。私は幾つも根拠を
提示してきています。ただ反対論者たちが感情的に認めないだけのことでしたね。けれどもゴ
ータマは、それがバラモンの説くものと同じかどうかなどといった形而上学を説くことはしなかっ
た、といってるのですよ。
しかし、ホント誰一人として分らないなぁ〜・・・やはり(正しい理解の)仏教学者たちくらいしか
いない。これを読めば、私の主張とは矛盾してないことを理解できます。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm 仏教では仮和合の我もアートマン、バラモンの教義もアートマン、 そして仏教が目指す真実
に立脚すべき自己も同じくアートマンと呼ぶ。だから、“ごちゃまぜにするな”と、この私はいって
るのですよ。
では、どうやってそれを区別するのか?当然、文章の前後すべてから文意を汲み取ることで区
別するといってるです。文章とはそういうものです。当たり前の事。
しかし、こんな話しですらもなんと反論してきましたか?「同じ単語(アッタン/アートマン)だから
同じだろ」って次元なのでしたね!呆れました・・。
つまり、誰一人も理解しようという真摯な人はついに現れなかった。いや、僅かに少数の華厳
氏とかその他、そんなに議論に加わらなかった人の中には理解を示すような人は見られました
が・・・。あまり、伝統枠とは囚われていない人たちが多いと思う。
558 :
宝珠愚者:2009/11/08(日) 04:12:07 ID:OVkwao6+
>だったら、そのスレに早く「現代の知見に無矛盾の十分、
>説得力のある解説」を挙げたらどうだ? もう、大分以前から10氏が要求してると思うが?
>>550 >転生を主張するのであれば神智学からでもいいから、
>きちんとした解説を提示しなさいよと言っているの。わかる?
>>553 はい!(涙)
激しく-わかる!!!m(__)m
559 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 04:29:31 ID:21u8GTGy
>>557 だからね、そのリンク先の諸説も以前アートマンスレで挙げたとき、
みんなにスルーされてたでしょ?
何故だかわからなかったの?
その中で認められている「真実の自己」とは、実現すべき理想としての自己、すなわち倫理的視野に立ったものでしょ?
いったい、どこに「輪廻主体」として認められる自己を釈尊が説いた言う記述がある?
560 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 04:34:33 ID:AVIxbZ1p
>>527 仮に、心が二つに分裂したとして、
そのときに過去の業も半分ずつに分配されたり、
あるいは二つの心の両方ともに同じ業がコピーされたりしたとしましょう。
その場合でも、業報輪廻に矛盾しないと思いますよ。
今の心の動きが生じる因縁として過去の業がある、
ただそれだけのことですから、
過去の業がどんなパターンだろうと、
それに応じた結果として現在の心が生じるだけでしょう。
あと、逆に、臓器移植により別々の肉体だったものが
ひとつにくっついた場合も、
もしかしたら二つの心が合併してひとつになるかもしれません。
生きている臓器には臓器が生きようとする心、
臓器の「有分心」があるかもしれないが、
それが移植によって新しい肉体のネットワークに接続されたら、
ひとつのネットワーク、ひとつの心にくっつくかもしれませんね。
それはそれで、輪廻に支障はないのでは?
561 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 04:45:21 ID:AVIxbZ1p
>>542 輪廻と無我は矛盾しません。
心は苦・無常・無我です。
前世の心と現在の心とに因縁があるが、
同じ心ではないでしょう。
ろうそくの火が別のろうそくのに燃え移って、
もとのろうそくの火が消えるようなかんじ。
火は一瞬一瞬ごとに新しい火です。
しかし、過去の火の影響で今の火があるのです。
で、火は永遠不滅ではありません。
消える条件が整ったら火は消えることができます。
輪廻する心という火も、
煩悩がなくなれば消え去ることができます。
煩悩がなくなるとは、つまり、
肉体というろうそくが短くなって燃えつきそうになったときに、
火が「消えたくないぞ」と新しいろうそくに燃え移ることです。
562 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 04:50:27 ID:AVIxbZ1p
何度言われても、輪廻と無我が矛盾するということに納得いかない。
心という火は、心が苦・無常・無我だと気付いたら、
新しいろうそくに燃えうつろうとすること(輪廻)をやめるのです。
なぜ苦労して燃え続ける必要があるんだ、
虚しいじゃないか、あほらしいじゃないか、と気付いたた心の火は、
もう新しいろうそくに燃え移るのやーめた、
今のろうそくが尽きたらおとなしく消え去りまーす、
となるのです。
563 :
561:2009/11/08(日) 04:53:19 ID:AVIxbZ1p
>561 を訂正。
煩悩がなくなるとは、
つまり、
肉体というろうそくが短くなって燃えつきそうになったときに、
火が「消えたくないぞ」と新しいろうそくに燃え移ることを、
やめることです。
564 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 04:55:12 ID:21u8GTGy
565 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 04:57:25 ID:XJ3Wbq+T
>>560 普通に一卵性双生児によくあるシンクロ現象として起きている事ですね
妹が外で転んで足に怪我して家に帰ってくると
姉は外出せず家に居たにもかかわず
妹が怪我した処と同じ場所に青アザができている。
姉を風を引いて体調を崩すと
妹は風を引いていないのに同じ症状で体調を崩す。
自我意識という顕在意識は集合無意識の中の小さな小さな我だということですね。
566 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:01:54 ID:21u8GTGy
>>560 一卵性双生児にそのようなシンクロ現象はありません。
少なくとも、現代医学において認知されている普遍的現象ではありませんね。
全くのオカルトです。
567 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:05:39 ID:XJ3Wbq+T
>>566 日本の世界で最っも遅れた精神科の医者みたいな否定をするね
唯物論でしか物事を判断し見れないから真我も無我も解らないわけだよ。
568 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:07:20 ID:AVIxbZ1p
>>527 仏教が説きたいことは、
煩悩がなくなれば生死輪廻から解脱して涅槃に入れること、
でしょうね。
燃えている火をどうやったら消せるのか、です。
過去に火が燃えうつってきた経緯を
詳しく知る必要はありません。
今の火を消す方法、未来に火を相続させない方法を教えるだけです。
火が燃えることは苦である。
どこかから火が燃えうつってきたから今の火がある。
火を新しいろうそくに燃え移さないようにすれば、
やがてろうそくが尽きたときに火は消える。
火を新しいろうそくに燃え移らせないようにする方法はある。
569 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:07:58 ID:21u8GTGy
もう落ちますわ。
あとは、俺とスタンスが近い(と勝手に思っている)
10氏やセブンに期待。
よろしく頼んますわ。
570 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:09:47 ID:XJ3Wbq+T
>唯物論でしか物事を判断し見れないから
仏教の学者の研究、及び解訳にもその壁はある。
571 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:11:23 ID:XJ3Wbq+T
572 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:12:27 ID:21u8GTGy
アホが沸いたみたいなので最後に一言
「なら、双子の片割れが事故にあって死んだら、残りも死ぬわけか?」
お前はオカルトスレに行きな
573 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:14:37 ID:AVIxbZ1p
>>471 仏教では、耳にたこができるほど「無常」だと言われます。
四念処の実践でも、「心は無常である」と観察するわけです。
「心は恒常である」と思うことは、煩悩の親玉である「無明」でしょう。
仏教は、「心が恒常だというのは生命達がいだく愚かな勘違いなのだ、
心は無常なのだと気付きなさい」という教えです。
身は不浄である。
受は苦である。
心は無常である。
法は無我である。
…と観察するのです。
574 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:18:56 ID:XJ3Wbq+T
>>572 プッだから、あなたはこれの意味が理解できないのです。
七識住(大因経第一)
仏は告げられた「人々の住む世界は七階層とその上に二つの世界がある。
一番目は身体を持つ人々があって、それぞれ個別の身体と個別の想念を持っている。
これが欲天と我々の住む人間界である。
仏陀「また、二番目に身体を持っている人々がいて、個々別々の身体を持っているが
想念は一つに統一されている。この世界を梵天というが、この世界の寿命は非常に長い。
また三番目は身体を持つ人々がいて、身体は一つに統一されているが、想念は個々別々である。
この世界を晃c天という。
また四番目は身体を持っている人々が住んでいて、身体は一つに統一されており、
想念も一つに統一されている。この世界を遍浄天という。」
575 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:19:50 ID:AVIxbZ1p
>>572 双子は別々の個々だから、
別々にそれぞれ生死輪廻します。
双子がまったく同じ人生を過ごすのは無理ですよね。
だから、見聞きすることや考えること、
つまり業には差異があります。
業に違いが生じるならば、未来も違ってきます。
576 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:25:26 ID:AVIxbZ1p
>>574 なるほど。
梵我一如や入我我入みたいなのをめざすのは、
遍浄天をめざすことであり、
解脱をめざすのではないことになりますね。
日本の宗派では、遍浄天をめざしてる人が多い気がする。
577 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 05:46:42 ID:XJ3Wbq+T
>>574 これも無常ではあるけどこれはこれで大事なことでもあるんですね
一切衆生への菩提心も持ちますから
個別の身体と個別の想念だからの欲界の意識は秋葉原の無差別殺人や
オームの大量殺人となるわけです。
578 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 06:14:45 ID:ZnNFHKID
>>574 七識住(大因経第一)の後の部分。
仏陀「五番目の世界は身体のない人々がいて、一切の物質的想念を超越し人に対する想念を滅し、
個々別々の想念を持たず、空の世界に住む。この世界を無量空処天という。
六番目は身体のない人々がいて、一切の無量空処を渡り無量識処に成就して住む。この世界を無量識処天という。
また七番目の世界は身体のない人々がいて、一切の無量識処を渡り、無所有処に住む。これを無所有処天という。
では、その上の二つの世界とはなにか。
一つの世界は身体のある人々がいて、想念もなく、覚知も持たない。これを無想天という。
二つ目の世界は身体を持たない人々がいて、一切の無所有処を渡り非有想非無想処に住む。
これを非有想非無想処天という。」
世尊は言われた「阿難、八解脱がある。何を八というか。色色を観る。これを第一解脱という。
また次に内色想が無くて、外色を観る。これを第二解脱という。また次に浄解脱身に作證して、成就して遊ぶ。
これを第三解脱という。また一切の色想を超越し有に対する想念を滅し、多くの想念をしない。
無量空處を成就して遊ぶ。これを第四解脱という。
また次に一切無量空處を超越し、無量識處を成就して遊ぶ。これを第五解脱という。
また次に一切無量識處を超越し、無所有處を成就して遊ぶ。これを第六解脱という。
また次に一切無所有處を超越し、非有想非無想處を成就して遊ぶ。これを第七解脱という。
また次に非有想非無想處を超越し、滅解脱身に作證し、成就して遊ぶと知り、及び智慧によって観察し、諸々の漏が尽きたことを知る。
これを第八解脱という。
阿難、比丘がいて、七識住と二處について如実に知り、心が染まることなく、解脱を得。
しかもこの八解脱を逆に順々に身に作證して成就して遊び、また智慧によって観察し、諸漏が尽きれば、
これを阿羅漢と言い、解脱が備わった者という。
579 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:02 ID:HyaSSaJ5
>>533 ワクテカして待てたんですが…
結局、「その経典は、世俗のものに、仮の教えとして輪廻は無いと説いたものだ」と仰りたいんですか?
そうすると、指摘が2つ
@ 世俗のものに「無い」と仮に説いた事が、釈尊(解脱者)が「輪廻はある」と考えていたことを意味しないですよね?
釈尊が「存在しない」とは考えていなかったことが、「存在する」と考えていたことにはなりません。
むしろ、釈尊は、そのどちらでもない(有るか無いかは本質的にわからない)と考えていたのではないかと言う指摘は、ずーっと前からしてるんですが…。
A まあ、仮にあなたの仰るように、「輪廻は有る」と釈尊が説いたとしましょう。
その場合でも、あなたの主張は結局、「経典に書いてあるから」という範囲を一歩も出てませんね。
580 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:12 ID:HyaSSaJ5
>>534-535 >>537-538 前レスで、「輪廻の否定は世俗の人向けの方便だった」と言う論理で否定なさっていたので、
まねをさせていただきます。
「この、輪廻の肯定に見える説明は、「世俗向けの方便」です。」
さあ、これを否定すれば、前レスを否定し、輪廻は肯定されてしまいますよw
まあ冗談は置いておいて、結局これも「経典に書いてあるから、釈尊が有ると言ったから」の範囲を一歩も出ていないですね。
何度も言いますが、「輪廻は仏教徒専用の論理です」と仰るならそれで構いません。
ですが、「普遍的真理です」と仰るなら、「仏教徒以外にも通じる論拠」をお示しください。
出来ないなら、肯定論者ができることというのは、
「この私は仏教徒以外に通用する論理を提示できません。輪廻は仏教徒専用の論理です」
ということのみです。 ---以上
581 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:21 ID:HyaSSaJ5
>>541 え〜と、読んできましたが、
「輪廻は、世俗諦では、有る。勝義諦では、無い。」で、結局「無い」と言ってるんでは?
ついでに余談ですが、石飛先生は、中学レベルの論理学も満足に理解しておらず、
しかもそれを指摘できる人間が周囲に居ないようです。
ちょっと、そんな人の論理を引き合いに出すのは……ちょっとねえ?恥ずかしいですよ?
582 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:28 ID:HyaSSaJ5
>>544 >業報理論は本人の自省をそれとして自然と(本人に)促すものです。
他人へのレスはあんまり突っ込まないようにしてるんですが、これは見過ごせません。
つまり、難病にかかった人間に、「それはお前の前世の悪業が原因だと理解しろ」と自省を促すと言うことですよね?
「自省を促す」と表現を変えただけで、やっていることは一緒です。自覚はありますか?
流石にこれはアウトだと思います。
583 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:34 ID:HyaSSaJ5
>>545 まったくですね……。
いつになったら、彼らの主張する、矛盾の無い輪廻説が開陳されるんでしょうね?
584 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:42 ID:HyaSSaJ5
>>548 >輪廻転生が科学的にも認知されるときはくると思います。
既に指摘されていますが、それは貴方の願望を示しているだけです。
現状では、否定的証拠が無数にあり、肯定的証拠は全くありません。
>私が知る検証データの話しについても紹介したいと思っています。
是非お示しください。(検証可能なものをお願いします)
585 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:03:53 ID:HyaSSaJ5
>>551-552 古代インドでは、修行をすると神通力が付くとされていたから、
釈尊もそれに習って「神通力が付くよ〜」と解説したんじゃないですかね?
まあ、事実の通りに書かれていたとしましょう。
そうすると、今度は、
何で修行によって神通力が付くのか、
神通力はどういう仕組みで働くのか、
そもそも、神通力が有るという証拠はあるのか?
という疑問がむくむくと沸いてきますw
まあ、「神通力」の存在証明だけでも構いませんよ。
勿論、「現代」の話でお願いします。(「経典に有る」ではまた水掛け論ですから)
586 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:04:01 ID:HyaSSaJ5
>>560 え〜と、業が二つに分配されたり、二つが合併してしまっても問題ないと…?
善業しか行ってこなかった人が、極悪人の心臓を移植されたら、悪業の報いを受けると?
逆に、極悪人も、善人の肉体を移植されれば、善業の果報を受けられると?
自分の前世でない存在の、業の果を受けることになっちゃいますよね?
業報理論と矛盾してません?
(第一、善行するより、善行を積んだ人をクローニングして、移植手術をしたほうがお手軽になっちゃいますw)
さらに、分裂が起こるなら、例えば、アメーバのように、単性生殖で自分と全く同じ存在二つに分裂(クローン)して増えていく生物に転生したら、一度転生したら無限に同じ「心」が増えていく事になっちゃいませんか?
587 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:04:09 ID:HyaSSaJ5
>>561 以前の突込みを反省して、「もとのろうそくの火が消えるようなかんじ。」としてますが、
結局、炎が移る時には、同時に二つの炎が存在してますよね?
また、ロウソクは、炎を誰かが移してやらねば、火は移りません。
「神」や「真我」のような、輪廻を実行する存在を仮定するんですか?
ですから、輪廻の例示としては適切ではありません。
588 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:04:17 ID:HyaSSaJ5
>>562 無我と言うから話がわかりにくくなるんですかね。
「輪廻する主体」を、仏教は否定しているのに、無矛盾な「主体無き輪廻」理論を提示できていない
といってるだけです。
589 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:04:22 ID:HyaSSaJ5
>>565 一卵性双生児のシンクロ現象は(もし有るとしても)、「業の分離・結合論」とは関係ないですね。
ここで論じているのは、分離する前に作った業が、分離後にどう影響するかですから、
分離後に、一方が作った業が他方に影響するのは、更に別の話になります。
それとも、これを主張するんですか?更に訳の解らない事になりますよ?
590 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:04:30 ID:HyaSSaJ5
>>568 >仏教が説きたいことは、煩悩がなくなれば生死輪廻から解脱して涅槃に入れること、でしょうね
結局、なんでそこで輪廻が入ってくるのかが理解できないんですよね…。
「苦の原因を(実際に観測可能な現象から)探ると無明であるので、無明を滅すれば、苦が滅する」
と言うのが、仏教の言いたいことなんじゃないですかね?
591 :
前スレ10:2009/11/08(日) 12:04:36 ID:HyaSSaJ5
>>574 え〜と、貴方の説明こそまさしく、オカルト(観測可能な事実に基づかない妄想)じゃないですかね?
592 :
519(1) :2009/11/08(日) 13:07:13 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
>「解脱した完成者というものは、世俗の観点では推し量ることができない」から
>なのです。だから、「このことを説く、ということはしない」わけです。
いつもながらのインチキ浅薄手口で、宝珠は趣旨を御都合主義的に曲解している。
宝珠はアートマン・スレであれだけさんざん論破されたのに、まだこんなことを言っているのか!呆れるしかない。
(1) ブッダは戯論を排して、すべてを教えられる
経験主義的に検証できない戯論(形而上学的論説)にすぎないがゆえに『説くことがない』のだ。
検証不能の矛盾相対論を主張しても結論が出るわけがなく、徒労・不毛だからだ。
このことは戯論(形而上学的論議)の消滅というめでたい縁起のことわり(龍樹:帰敬序)というブッダなるがゆえのコンセプトだ。
・『わたしは、内も外もなく、ことごとく法を説いてきた。アーナンダよ、如来の法には、
あるものを弟子に隠すというがごとき、教師の握り締める秘密はないのである。』(長部経典 16)
超人の俺は解かるが凡夫のおまえには解からんから「このことを説く、ということはしない」、などという
インチキ宝珠の解説のようないわば不埒な態度はブッダはとられないんだよ。
・ブッダは導師として涅槃に至る道を隠し事なく“すべて”教えておられる(中部経典107)。
(2)業報輪廻転生論は検証不能の戯論である
だから逆に検証不能の業報輪廻転生論はまさに戯論であって、『法』ではない。
戯論であるがゆえに説かれない⇒本来『無記』事項なのだ。マールンキャープッタ経についても同趣旨なのはいうまでもない。
もっとも(仏典)概念スコラ主義者の宝珠にはどうしても業報輪廻に触れる言辞が原始『仏』典に見えるか?
『法』(月)よりも『仏典の字句』(指)をみるスコラ御都合主義だからだ。
宝珠やカラスは『法』を観る(縁起の現観)ことはない。
業報輪廻転生論(『どのような生存状態に生まれかわることを説くSn.836』)は主に
ヤージュニャヴァルキャによってご都合主義的に「創作」された戯論(形而上学的論議)以外の何ものでもなく、
バラモン側の謀略や原理的理会不足のバラモン汚染僧侶による編入である。
このことは後に触れる。
593 :
519(2) :2009/11/08(日) 13:15:10 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
業報輪廻転生論についていえば、そもそも『業(カルマ)の思想』を開発・創作・でっち上げしたのは、
侵略民族アーリア⇒バラモンの末裔イデオローグである主にヤージュニャヴァルキャによるものだ。
これによって、先住インド土着の封鎖的農村共同体の単純素朴な輪廻転生「説話」(わが村への先祖帰り)に
『業(カルマ)の思想』を強制注入し、たんなる死生観から恐るべき因果応報の理論に創作的に変更させ、
これによりアーリア=バラモン支配体制イデオロギー確立に成功したカースト制度だった。
この根源的差別思想が今日でもインド社会を歪ませる根本的原因となる。
多くの人を犬以下の人生に追い詰めてきた害悪思想のだ。
因果応報+輪廻転生を担保するためのアートマン観念を創作、ブラフマン観念に五火説さらに二道説追加と
理論的追加及び修正をほどこしながら徐々に梵我一如論+業報輪廻転生論を人工的に『創作』しながら完成させていったのだ。
もちろん「創作」なのだから経験主義的検証に耐えうるようなシロモノではない。
戯論だから、いくらでも哲学⇒宗教と言う名の「妄想論理」は組み立てられる。
今日の日本でも幸福の科学をはじめとするカルト新興宗教がやっているではないか。
まさにヤージュニャヴァルキャは天才的御都合主義哲学者というべきだろう。 あっぱれ! あっぱれ!!
しかし、こんな御都合主義丸出しの戯論が「真理」などであるわけがない。
594 :
519(3) :2009/11/08(日) 13:16:47 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
このヤージュニャヴァルキャのバラモン支配イデオロギーに対する革命的“アンチ・テーゼ”のひとつ(サマタ=自由思想家のひとり)が、
自由思想家ゴータマ・ブッダの「縁起」の思想だった。
ゲマインシャフト(封鎖的農村共同体)からゲゼルシャフト(商業資本主義商品交換自由社会)への歴史的変転を背景とする流れであることはいうまでもない。
ヤージュニャヴァルキャの所論を読めば検証性無視の戯論(形而上学的論議)に終始しており、
経験主義的なブッダの教えがいかに当時のバラモン階級にとって衝撃的な説得力のあるアンチ・テーゼであったか、
革命的存在であったか、が判る。
両者は歴史的背景・原理が全く異質なのであって、仏教に業報輪廻転生論を注入・定着させることは、
歴史的社会学的にみても原理的矛盾以外のなにものでもない。
もちろんバラモンからの謀略的注入があったにせよ、仏教内部でも原理的矛盾に苦しむことになり、
現代でもいままでのスレのように議論が絶えないことはご承知の通り。
あの狡猾なヤージュニャヴァルキャの亡霊が高笑いしているではないか!
595 :
519(4) :2009/11/08(日) 13:23:20 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
しかし、ブッダの無常縁起思想も、商品交換社会の無限の商品流通を体得・分析しなければ到底発想しうるものではない。
ブッダがゴータマとしてシャクトリア(武士)であったとき、商品満載の荷車の護衛をやりながら
革命的な商業資本主義の勃興を体感していたはずだ。
だからこその「自由思想家」のひとりとしての出現であり、またのちに各種のコンサルタント的活動となってあらわれている。
しかし「商品」は単に基本的生存本能の充足のみならず、それ以上の「欲望」の創出=執着渇望をもたらし、
次々と現れる欲望を体現した商品の奔流のなかで人間が翻弄される姿が常態となる。
ゲマインシャフトに対しゲゼルシャフトでは『人間の欲望』=苦しみのあり方が大変転していたのだ。
ここにブッダ出現の宗教的意味がある。
商品交換社会における新しい人間のあり方⇒生存苦をもたらす我執に溺れない
自由で慶安な生きかたのきわめて実践的な哲学を説かざるを得なかったのだ。
596 :
519(5) :2009/11/08(日) 13:28:34 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
ブッダの“信仰を捨てよ”とは「バラモン教の神々にたいする信仰はもとより、
輪廻転生思想と深く結びついた共同体的(ゲマインシャフト)な拘束をも棄てて、
わがもとへ来たれ」というアンチ・テーゼ、呼びかけの言葉なのである。
まさにゲゼルシャフト的エートスに満ちていた革命的主張だったといえよう。
だから、このような経緯からみても、仏教内で業報輪廻転生論を肯定することは、
出自的にも原理的にも完全な矛盾であり、ブッダの意思に反する反仏教思想と断言できる。
597 :
519(6) :2009/11/08(日) 13:31:29 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
しかし、前2世紀の統一王権の成立によって、その戦いも終焉を迎える。
仏教の完全敗北である。
遠隔貿易の没落とともに商品交換社会のエートスも減退し、
ふたたびバラモンの祈祷の声が溶暗の森に鳴り響き、仏教仏典にもバラモンたちの思想を混入させ、
ブッダはヒンドゥの超下級神として辱められる。
原始仏典における業報輪廻転生的言辞潜入謀略により仏教のバラモン=ヒンドゥ体制への実質的編入・折伏を図ったのだ。
巧妙と言う以外にない。
仏教内でも、仏典名目で無理やり両立させるために詭弁を弄して概念スコラ仏教主義に堕落し、
ブッダの革命思想を歪ませてきたのが仏教の歴史といえるのだ。
そこにおいては呪術を悦び、バケモノのような超能力スーパーブッダ像が出来上がった。
その影で、古代商業資本主義的自由のエートスを体現し、
商品を満載した牛に引かせた荷車のわだちを踏みしめる自由人ブッダは歴史の舞台から消えていったのである。
その結果が今日の日本における葬式仏教=かつてのバラモン儀式主義へと
転落した惨状として現示している。
598 :
519(7) :2009/11/08(日) 13:34:43 ID:ZzcC6cOi
>>533 宝珠
宝珠やカラスの主張は所詮このような歴史的社会的経済的分析を無視した
字句に捉われたゲマインシャフト的スコラ概念仏教論にすぎない。
シーラカンス的化石仏教観といわざるを得ないだろう。
外道であるゆえんだ。
とうてい現代に生きる仏教像を提出できるシロモノではない。
だから
>>534>>535>>537>>538などとバラモン汚染まみれの原始仏典をスコラ概念仏教論的に振り回しても全く無意味なのだ。
そこには上部構造を成立させる歴史的社会的経済的分析
=多因多果としての仏教本来の『縁起的分析』が完全欠落しているからである。
縁起ネットワーク分析がないのだ。
今後仏教学もいっそうの学際的研究の必要があるだろう。
599 :
519(8) :2009/11/08(日) 14:05:50 ID:ZzcC6cOi
管理コンピューターから教育的指導をうけました。
とりあえず、以上にしときますw
600 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 14:31:35 ID:SLjrlDEc
601 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 14:42:04 ID:AVIxbZ1p
>>586 今の心が受け継いでいる業の報いを受けるんだから、
矛盾しないじゃないですか。
二つの心から業を相続するというだけの話。
他人の業の影響を受けるのはおかしいという意味で
おっしゃってるんですよね。
もともと無我・非我であり、「わたし」という概念は幻です。
一瞬前の「わたし」も、本当は他人なんです。
肉体も心も、一瞬一瞬ごとに生滅しています。
一瞬前のわたしの肉体も心も、今はもう無いんです。
ただ、一瞬前の「他人」の影響を受けた新しい肉体と心が生じただけです。
それを、つなげて、連続した「わたし」という概念にしてるだけ。
もともとが一瞬ごとに他人なんです。
しかし、その他人の影響を受けて今がある。
602 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 14:53:45 ID:AVIxbZ1p
>>586 心臓移植するときに、本当に心が分裂するのかはわかりません。
仮定の話におつきあいしてるだけです。
アメーバが増えるのは、子供を産んだ場合と同じで、
新しい生命の誕生ととらえられるかも。
つまり、新しい肉体が一つできたときに、
その肉体に新しくどこから、死んだ者が転生してくるのかも。
これも仮定の話ですが。
どのみち、五蘊仮和合です。
色・受・想・行・識の五種類の現象があるだけです。
それがどのような連続しかたで連なるかの話だけです。
ひとつの生命だとか、「わたし」「他人」だとか、
そういうのはただの概念です。
因縁によって五蘊が生まれては滅しているのです。
603 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 15:00:33 ID:AVIxbZ1p
>>587 火を例にしたのは、一瞬一瞬新しい現象だと言いたかったのです。
火の光と熱は、一瞬一瞬に発せられて散じていきます。
だから、同じ火が同時に二つなんてありえません。
一瞬一瞬ごとに、また場所ごとに、別々の火(光と熱)です。
心は、自分から輪廻しようとします。
肉体だって、自分から食べものを食べて肉体を維持するでしょう?
心も、自分から色声香味触法の刺激を「食べて」、
心の相続を維持しようとするのです。
相続、維持と言っても、一瞬一瞬ごとに生滅して新しい心、別々の心ですが。
別々の心ですが、因果関係はあるということ。
604 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 15:15:03 ID:AVIxbZ1p
過去の「わたし」と今の「わたし」は、
本当は別々の現象なのです。
火が私達に見えてるとき、
その火の光が私達の目に届いたんだから、
届いた光はもう目のところに来てるわけで、
もとの火の場所にはありません。
一瞬ごとに新しい光が発せられているのです。
別々の光です。何時何分何秒の火と、その1秒後の火とは、
別々の火(光・熱)です。
そんなかんじで、「同じ私だ」というのは幻であり、
本来は無我です。
無我ですが、火が連続して相続しているように、
心が連続して相続して、輪廻できるのです。
ですから、無我と輪廻は矛盾しません。
前世の「わたし」と今の「わたし」は、本来は別人・他人です。
無我ですから。
しかし、因果関係はあるのです。
605 :
前スレ10:2009/11/08(日) 17:00:01 ID:HyaSSaJ5
>>600-604 どうでもいい話ですが、テロメア問題は今の進歩速度から考えると、10年以内に解決すると思います。
まあ、技術的制約より、倫理的制約の問題で、人間のクローニングは難しいと思いますが。
閑話休題。
体の一部に入った、肉体的に全く他人の業を、体全体が引っ被るのを認めちゃうわけですか……。
しかも、輪廻するときは、肉体的にも全く関係ない肉体に移る事を認めちゃうわけですよね。
そして、新しく分裂(クローニング)した細胞(アメーバ)に、別の心が入ることを認めてしまう。
もしそうなら、人間は新陳代謝で新しい細胞が生まれているので、
肉体的にも「こころ」的にも全く別人の「こころ」が新生細胞に移ってきて、
全く別人の業の果をドンドン受ける事も認めないわけにはいかないですよね?
つまり、自分が何をしようと、どうしようと関係なく、他人の業がドンドンかぶさってきてしまう事を意味しますよね?
もはや滅茶苦茶としかいいようが無いと思うんですが……。
606 :
前スレ10:2009/11/08(日) 17:01:34 ID:HyaSSaJ5
>>603 一瞬一瞬別の火だと言いますが、炎が点滅しているとでも思っているのですか?
炎は、「連続的に」変化しています。
常に、大部分は一瞬前と同じで、かつ、一部分のみが変化するので、全体としては微妙に変化しながら、同じように見えるわけです。
人間で言えば、肉体は新陳代謝して、一部が常に変化しながらも、全体としては一気には変化していないので、変化はあまり目立たず、同じ人間として認識されます。
ですから、一瞬一瞬に全く別の人間になっているかのようなイメージは間違いですね。
そして、転生の場合には、「肉体的にも記憶的にも空間的にも断絶している」ので、
何度も言うように、ロウソクのイメージは合いません。
さらに、炎を移す「神」のような存在も想定しなないんですか…。
もし、貴方の言う通りの、転生に適合する「ロウソク」を想定するとなると、
「一瞬ごとに炎が消えて、熱も光も無くなり、次の瞬間にはまた炎の熱と光が生じる。
しかも、何もしてないのに、離れた場所(地球の裏側とか)にあるロウソクに突然炎が移り、しかも、移った瞬間に元の炎は消える」
という、奇怪なロウソクになってしまいます。
そんなロウソク見たことありますか?
607 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 17:50:24 ID:d34yr7/m
佛教が、「輪廻転生」をその中心思想、至上の原理とするなら、いくら正当化
してみても、(1)「自分の輪廻からの解脱」は「我欲に発しており」、(2)
それを唱導す者は、現実上の根拠皆無な虚言による「脅迫」と「甘言」により
他者を支配するという「悪業」を犯しているのであるから、「他者へのまなざし」
「慈悲」などは、どこからも生じ得ない。
それに、現世の空や無我を説きながら、来世、再来世、再々来世の実在や転生
(更なる我)を認めれば、完全な論理矛盾である。「究極のの唯物論」である。
原始仏教は、現実上も論理上も破綻した、古代の迷信・カルト宗教に過ぎない。
「ゴータマが言った、言わない」は、現代における「現実性・合理性・論理性」とは、
一切関係ない。
自分は楽してなくても、他人に苦しみをいつまでも押し付けるのは
大乗とはいわないよ。
大乗は衆生の解脱をこそ望むものだ。
609 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 23:33:07 ID:AVIxbZ1p
>>606 紙が燃えるときに、紙の分子がはしから順番に燃えるとしたら、
すでに燃えた紙の部分は灰になって、
まだ燃えていない紙の部分が燃える。
次々に新しい紙が燃えるんだから、新しい火です。
同じ紙が何度も燃えることはできません。
分子レベルでみたら、紙の分子が順番に
燃えて燃え尽きていってるはずでしょう?
それと、仏教では、心は物質(色)ではないのです。
ですから、心は物理の法則を超えます。
なぜ、輪廻に神様とかが必要だと考えるのですか?
生物が生物自身の意思で生きようと動くのにも、
生命を動かしている神様が必要ですか?
他人の業を受け継いだりできるのかという話は、
仏教で説かれてる話ではなく、
あなたの仮定に私なりにおつきあいして妄想してお話してるだけです。
五蘊仮和合です。
複雑に因縁がからみあっているのです。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 23:56:56 ID:AVIxbZ1p
>>606 ろうそくは上から順番に燃えていきます。
先に燃えたろうそくの部分の炎から、
次に燃えるろうそくの部分の炎に移る。
新しい炎です。
611 :
前スレ10:2009/11/09(月) 00:02:09 ID:OUYZ5Sps
>>609-610 え〜と、わたしが指摘してるのは、「ロウソクは点滅していない」ってことなんですが…
あなたの言うように、燃える部分は順次移ってますが、
「熱を持って燃えている部分」が存在しないと、次の部分が燃えないですよね?
炎が瞬間ごとに新しくなっているのではなく、有る炎が次の部分を燃やして、順次移ってるわけです。
つまり、「一瞬ごとに全く新しい炎になる」のではなく、「炎の一部分ずつが徐々に変化する」わけです。
そして、徐々に変化すると言うことは、別のロウソクに一瞬で移るということがありえないと言う意味でもあります。
つまり、輪廻の例示にはふさわしくないですよね?
そして、「心は物理法則を超えている」と言う主張なら、なおさら物理法則に従う「ロウソク」の例えは適切じゃないですよね?
無理に当てはめようとするから、あなたの想定する「こころ」をロウソクに当てはめようとすると、
>>606のようにトンでもないことになります。
そして、あなたは「ロウソクで成り立つんだから、こころでも成り立つはずだ」という論旨で書いていますが、
「こころが物理法則を超えている」のなら、あなたの論旨は崩壊しますよ?
「他人の業を受け継いだりできるのかという話」は、
もともと、貴方がトンデモない妄想を、披露し始めたので、
そんな妄想を仮定すると、とんでもない結論に達すると言う指摘をしただけです。
そしてその妄想は、「複雑だから」で、片付く程度の生易しい「トンでも」じゃないですよw
ご自分の妄想を披露するのは勝手ですが、余りにお粗末過ぎる妄想じゃないですかね?
>>609 |
|゚) <その、紙の喩えのように【繋がって(連なって)いれば】構わない。
| 蝋燭の喩えもよく解る。最初の提示だけでも十分だ。言わんとする所は解る。(古人は流石だ。)
確かに【連鎖して】生じ、滅し、業果の繋がりは保持できる。
しかし《「三世に跨った場合」、それは【長野の竈と鹿児島の竈】になっていないか?》
というのが、10氏他数名の問いかけなのだよ。
>>610 |
|゚) <その1本のろうそくが、五蘊だよね。
| (正確に言えば「色(・受)」がろうそくで「(受・)想・行・識」が炎か?w)
さて・・燃え尽きる前に次のろうそくを見つけられるか・・・。
(ああ・・、あちこち探し回る期間が中有かwww)
613 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 00:19:08 ID:CP/mvLP2
蝋燭の話では似たような話なら聞いた事あるぞ
猿が芋を洗って食べる知恵を付けたら
地球の裏側の猿も時期を同じくして芋を洗って食べる知恵を付けた。
個体であった物体が、世界同時期一斉にその同じ質量を持つ物体が
突然、液体に変化をしたなどの話があるな。
それでもって蝋燭などの話術で説明に詰まると
オカルトだー!っと誤魔化すか手がなくなる
こんなもんですね人間の知恵って。
>>611 |
|゚) < 妄想は酷いなぁ・・・w
| 蝋燭の炎の喩えは、伝統的な定番譬喩なんだけどな・・・w
風に吹かれ、或いは自重で、傾き、倒れ、次の芯と繋がっちゃうんだよ。(コレは今思いついたアレンジだがw)
風に吹かれようとも、長くて自重に揺られようとも、
バランスを取って、次の炎が生じないよう、次の炎の因となる芯と接触しないようにするのが、
善行、梵行と言えるかもしれないね。
615 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 00:32:51 ID:CtqeMXF3
前レスをよく読んでいないから誤解しているかも知れんが、蝋燭や紙が萌え続ける
のは、同じ芯、同じ紙だからである。離れたところにある別の芯、別の紙に燃え移る
ことはない。芯や紙を人に喩えると、輪廻転生とは逆の話になる。
なお、縁起と因果関係は全く異なる。因果関係は、二つの独立した実体間の関係。
縁起は「非実体間の相互依存関係」である。
616 :
前スレ10:2009/11/09(月) 00:35:28 ID:OUYZ5Sps
617 :
前スレ10:2009/11/09(月) 00:35:35 ID:OUYZ5Sps
>>614 「妄想」は、相手が自分で言い出した単語ですよw
「伝統的比喩である」という理由では、比喩としてふさわしくないと言う事実は変わりませんよ?
そして、「風」を想定すると言うことは、輪廻を媒介する超越的存在を仮定するとこになってしまいますが?
>>617 「風あたり」という言葉があろう?w
文字通りの風じゃないよ。
棒状のものに風が吹きつけて揺らぐように、そのように、
人生に於いて降りかかってくる様々な誘惑、障害、苦難、喜び、快感、満足、etc.etc.をイメージしてくれw
てか、喩えってそういうものだし、この辺の感性を育てないと仏典や語録を読むのに苦労するぞw
619 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 00:57:44 ID:ErVQxOQ3
>>618 >棒状のものに風が吹きつけて揺らぐように、そのように、
>人生に於いて降りかかってくる様々な誘惑、障害、苦難、喜び、快感、満足、
>etc.etc.をイメージしてくれw
それらはすべて外部的要因による煩悩であり、己の「業」ではない。輪廻転生
の原因となるのは「己の業」だけであるはず。
620 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 01:14:40 ID:hF2axQah
話しぶった切りでスマンですが、チョット質問です。
浄土宗って、どんな人々であろうと
死んだら阿弥陀仏の名を唱えることで解脱を果たし、
極楽浄土で往生できるんじゃなかったでしたっけ?
浄土真宗も 確かそんな感じだったような。
どうしても輪廻転生しなきゃならん仏教って何?
>>619 ・「風に吹かれて」 → 「揺らいで」 → 「倒れて」 → 「次の炎が燃え上がる」
・「或る事件が起き」.→ 「腹を立て」 → 「八つ当たりをし」 → 「後悔という苦を感受」
・「或る感情 「強い報復の念、 「その行為の影響が
.. (怒りや憎しみ等) → 意(おもい)を抱き」.→ (習慣性として或いは 《→》 「次の生存の因となる」
.. に満たされ」 他者を酷く害し」 折癖のように)残り」
ここまで丁寧に比較しないと解らんか?w
※(勿論、《→》の部分に最大の問題があることは判っているが、
今は敢えて伝統説擁護の方面からレスしている。)
622 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 01:28:23 ID:Q34O2Amd
>>621 と言うか、セブン、「最大の問題」と言うより、そこが全てだろう?
そこが解明されれば、全てが解決だ。
しかし、それが真実であると実証された瞬間、カーナビを初め、現代の物理法則が崩壊して仕舞うがね。
まさしく新時代の幕開けとなる。
>>622 >そこが全てだろう?
まあ、そうなんだがw、「ブラックボックスとして処理する方法」もあることは留意されていい。
他者が啓蒙するのでなく(指摘されるでなく)、
自身の内省として、観察し、見つめ、腹の底で納得し、受け止め、
善なる方向へとベクトルを変換することができるなら、それでいい。
そういう懺悔と菩提心があってもいい。
ただ、あくまでも、「自分は、こう受け止める」という範疇を超えない範囲で、だが・・・。
夜更かしが過ぎるな・・・。
ノシ
624 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/09(月) 01:48:23 ID:3zelOqu7
>620
念仏は、解脱出来るんじゃなくて、浄土に行けるパスワードみたいな考え方。
あと、個人が転生するって考えは、仏教の一部で、けして主流などでは無い。
(^。^)モルモンがヤソの主流じゃないみたいな話だ♪(笑)
625 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 01:59:03 ID:Q34O2Amd
>>623 そう、そこを「ブラックボックス」と認められるかが、一つのポイントだな。
そこを認められる者は、方向性が変わって、いわゆる「信仰の世界」ってやつに入っていくのでは?と思うね。
俺にはおそらく縁のない世界だろうが、そういうベクトルは十分、尊重するよ。
しかし、この宗教板にはそれでは満足できない「信者」が多すぎる。
626 :
前スレ10:2009/11/09(月) 02:05:16 ID:OUYZ5Sps
>>618 >喩えってそういうものだし、この辺の感性を育てないと仏典や語録を読むのに苦労するぞw
いや、わたしの一連の突っ込みは、
「喩え」としてだけの機能をしているのなら、別に厳密に対応して無くてもいいんですが、
「喩え」を根拠のようにして論じるなら、厳密に対応していないとまずいだろうと言う、突っ込みなんですがね。
>>621 >※(勿論、《→》の部分に最大の問題があることは判っているが、
先に
>>622さんに突っ込まれてしまいましたが、そこをブラックボックスにするのなら、一連の説明は、単に論点がスライドしただけですよw
>>623 その通りですね。
だから、わたしは、
>>580後半のように主張してるんですが…。
根拠も無いのに、普遍的真理であるかのように主張する人が多すぎる!
627 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/09(月) 02:31:11 ID:3zelOqu7
この登山に正規ルートなんざ無ぇと連中も言うておるに、何を目くじら立ててンだろうねぇ。(笑)
(^。^)俺みたく楽しく下山するモンからみたら、大差ない話なんだがな♪(笑)
628 :
たろすけ:2009/11/09(月) 03:56:30 ID:goWoEoAY
> しかし、この宗教板にはそれでは満足できない「信者」が多すぎる。
信者なんてどこにもいませんて。ストゥーパという名の我塔を滑稽に守っている番人気取りの人たちがいるだけですってw
だから、誰かが教えてあげないといけない。〈もしもし、そこにはもうお釈迦さんはいませんよォ〉ってね。
それぞれのストゥーパにはもとから仏舎利はない訳だから、そのまま自分たちが入る墓となるわけだけど(T-T)
629 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 04:01:36 ID:JtSvi1nv
仏教用語講座
______________
お前、俺に
【因縁】を付けとるんか!
【大袈裟】な事ばかりこきやがって
【金輪際】にしてくれ
【五択】ばかり並べやがって!
お前そんなに
【お釈迦】にされてぇのか!
ならしてやらぁ、迷わず
【成仏】しな。
______________
釈迦は信者を否定してたと思うが。
そこが、仏教が他教と大きく違うところだと思っていたが、
国内の大乗は違うのか?
631 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 08:02:38 ID:Q34O2Amd
う〜ん 困った。俺は
「自己の見解に固執し、決してその盲信を放棄または
修正しない者」のことを指して「信者」と表現したのだがね。
だから、わざわざ「 」付きで表記したのだが。
632 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 08:04:14 ID:Vnr+fLur
>>611 火を例に出したのは、無常・無我を説明したかったからです。
他の肉体にどうやって輪廻できるかを説明するためではありません。
心がもともと物質世界全体に及んでいるとしたらどうですか?
物質世界全体に心がつながっているが、
その心が、あるひとつの肉体に執着している。
心を子供、肉体を子供が遊ぶお人形だとする。
子供にはたくさんのお人形が見えている。
その人形達の中から、リカちゃん人形を手とり、
そのときはリカちゃんになりきって、リカちゃんごっこをする。
しかし、やがてリカちゃん人形が壊れたら、
次は仮面ライダーの人形を手にとり、
リカちゃんのキャラは忘れて仮面ライダーのキャラになりきって遊ぶ。
肉体より小さな魂みたいなのが物質から物質へ移るかんじではなく、
物質世界よりも大きい心がすべての物質世界を見渡せるが、
肉体を手にして遊ぶときには肉体に夢中になるため、
肉体の視点からしか見えなくなる。
禅定で肉体の縛りから解放されたら、
すべての世界を見渡せる。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 08:29:35 ID:Vnr+fLur
無色世界の禅定には、
空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処という段階があります。
空無辺処は、禅定が深まり肉体的な色声香味触の刺激が消えて、
空間が際限なくひろがっているような状態。
つまり、リカちゃん人形というひとつのおもちゃで遊ぶのに
夢中になっていたのを離れて、
たくさんのおもちゃ全体を見渡している状態になる。
次に、さらに禅定が深まり識無辺処になると、
おもちゃを見ることからも離れる。
634 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 08:31:02 ID:22ubwddG
業報輪廻転生論は検証不能の戯論である。
だから逆に検証不能の業報輪廻転生論はまさに戯論であって、『法』ではない。
戯論であるがゆえに説かれない⇒本来『無記』事項なのだ。
マールンキャープッタ経についても同趣旨なのはいうまでもない。
業報輪廻転生論(『どのような生存状態に生まれかわることを説くSn.836』)は、
主にヤージュニャヴァルキャによってバラモン四姓制度支配(カースト制度)のためのご都合主義的に「創作」された
戯論(形而上学的論議)以外の何ものでもなく、バラモン側の謀略や原理的理会不足のバラモン汚染僧侶による編入である。
ブッダ没後数百年間の弟子たちは実ににボンクラ凡庸な連中(彼らは断じて仏ではない)ばかりで、
ブッダの鋭い無我の思想をナマクラなくだらない思想に堕落させてしまっている。
そのボンクラ凡庸の末裔たちがこのスレの『仏典に書いてあるから』だけが根拠のアキメクラたちだ。
業報輪廻転生論は人類になんら資するべきものがない害悪思想であって、廃絶するのが当然だ。
636 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 08:38:38 ID:22ubwddG
では
>>632について印籠を出しましょう。
ヴァッチャ火経 第四章
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/vaccha-f4.htm 「それでは、こうして、解脱を果した者は、その次に、何処へと、生まれ変わるのですか。」
「生まれ変わると、考えるのは、適切ではない。」
「それでは、こうして、解脱を果した者は、その次に、何処にも、生れ変らないのですか。」
「生れ変らないと、考えるのは、適切ではない。」
「生まれ変るでも、生れ変らないでもない。
ゴータマよ、これは、どういうことでしょう。」「ヴァッチャよ、実に、このように考えなさい。」
「小さな器で、大海の水を、救い上げた時、大海の水は、果たして、どこにあるだろうか。」
「ゴータマよ、水は、小さな器に閉じています。」
「小さな器を、こなごなに、打ち砕いた時、大海の水は、果たして、どこにあるだろうか。
「ゴータマよ、水は、大きな海に開いています。」
「色として捉えると、如来は生まれている。色として捕らえないと、如来は生まれてない。
如来は、普遍に広がって、世界に遍在している。」
「受として捉えると、如来は生まれている。受として捕らえないと、如来は生まれてない。
如来は、普遍に広がって、世界に遍在している。」
「想として捉えると、如来は生まれている。想として捕らえないと、如来は生まれてない。
如来は、普遍に広がって、世界に遍在している。」
「行として捉えると、如来は生まれている。行として捕らえないと、如来は生まれてない。
如来は、普遍に広がって、世界に遍在している。」
「識として捉えると、如来は生まれている。識として捕らえないと、如来は生まれてない。
如来は、普遍に広がって、世界に遍在している。」
法悦が湧き上がった、彼は、このように言った。
「ああ、これは、とても、妙なる教えです。さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」
「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」
>>632 >物質世界よりも大きい心
なんなのそれ?
アートマンですか、ブラフマンですか?
“よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること”(カーラーマ・スッタ)ですか?
理性と経験によって承認するために、証明・検証してください。
『たとえば湿った薪に火をつけると、その火から煙が別々の方向に立ち昇るように、
じつにこの<偉大な実在mahat bhuta=アートマン>から、この「リグ・ヴェーダ」も
「ヤジュル・ヴェーダ」も「アタルヴァ・ヴェーダ」も、史詩も、古伝説も、
もろもろの学問vidyaも、もろもろの秘説も、もろもろの説明書も、祭式も、供物も、食物も、飲料も、
この女も、かの世も、一切の生存する者どもも、
――これらすべてのものは、この<偉大なる実在>から息吹きだされて現われたものである』と。
(ヤージニャヴァルキヤ 「ブリハドアーラヌヤカ」4.5.11)
こういう類の検証不能の形而上学的論議=戯論とどう違うのですか?
仏法は無我にて候(蓮如)
638 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/09(月) 09:40:21 ID:SuI5pdWD
>>478 亀レス
>今の文明の力(利器)PC も煩悩あればこそ
>電子レンジも携帯電話も 煩悩あればこそ
>これら文明の発達を全て否定するのかな?
私も煩悩=欲を否定する必要もないと思います。
生活欲があるから衣食住を得る為に働きます。
絆を深める欲があるから周囲とコミュニケーションをします。
自尊欲があるからお洒落したり、格好良くありたいと頑張ります。
自己実現欲があるから、スポーツマン、芸術家、科学者も努力を
重ね進歩します。悟りを得たいという欲も近いでしょう。
更に欲の上位には愛(利他)があります。
エッセネ派ユダヤ教(死海文書の宗教要覧)にも、
「全ての人は光の箇所と闇の箇所を有する。」との法が記載されて
おり、「光の箇所」が「仏性、利他、良心」であれば、
「闇の箇所」が「欲、利己、煩悩」かなと推察しております。
ようは光と闇、仏性と欲とのバランスが肝要かと存じます。
639 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 09:51:46 ID:xj0J9lnn
>>637 後は自分で確認するしかなく百回聞いても同じだと思うよ
だから五通の一身が多身、多身が一身の意味も解らないでしょう。
それより戒行、心(漏)解脱のほうが一番重要だろうね。
640 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/09(月) 11:55:00 ID:CF2YwdJV
>>593 >もちろん「創作」なのだから経験主義的検証に耐えうるようなシロモノではない。
>戯論だから、いくらでも哲学⇒宗教と言う名の「妄想論理」は組み立てられる。
横レスで済みませんが、龍樹の「不去」を含む「八不」も
経験主義的検証に耐えうるようなシロモノではないでしょう。
足元のアリさんを見ながら、108回「去るものは去らず」と唱えても
経験主義的検証は如何でしょうか?
641 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 12:59:36 ID:Vnr+fLur
>>637 そもそも無色界心になると物質・空間もなくなるのだから、
「大きい」という表現はちがうかもしれませんね。
物理法則に縛られない心です。
検証するためには、無色界の禅定をマスターして体験するしかありません。
それができる、やったことがあるという人達が昔はいました。
仏教の高僧だから嘘をつくはずがない。(戒を守るから)。
>>641 >昔はいました >嘘をつくはずがない
それが、「感覚」「感性」「個人的経験」「外部へ表出(表現)不能な経験」であることを忘れていないか?
「そういうものが、敢えて言語表現されている」ということを忘れていないか?
「仏教は独我論を超えられるのか?」と、何度か問うた筈だ。
湯船に飛び込んでみたら冷たかった。
単に「冷たい」という『記号的、抽象化された情報』を伝えるならそれでもよい。
が、もし、その時の、「全身の筋肉が縮み上がり、○○がキューと縮み上がり、脳天を貫くような刺激が背筋を走る」ような
(こうした言語表現も所詮影絵に過ぎないが・・・w)、そうした『経験』を一体誰が共有できようか。伝え得ようか。
だから哲学界(或いは心理学、脳科学、認知学etc.etc.)では、『クオリア』なる概念に御登場願わねばならなかった。
(※だから、自歓喜経の舎利弗の宣言が興味深いものとして浮き上がってくるw)
「甘い」という言表(表記)は、同一の内容を担保しない・・・。
(ま、それを言っちゃうと、文献を読むという行為自体を無効化することになってしまうが・・・w)
『何が』『どのような感性によって“その言葉”へと結晶したのか』、誰も辿ることはできない。類推するのみだ。
だから、追体験であり、言語化不能であり、冷暖自知であり、「頷き」が最後のピースなのだろう・・。
そう。貴方が >検証するためには >体験するしかありません と言うように・・・。
(※そしてそれは、本来は間断なく継承されるべきであったわけだ。
継承され、いつの時代も、常に確認され続けていなければならない、と。)
しかし、その体験も、【先達の体験と同じものであるかどうか】は【類推の域を出ない】・・・。
643 :
↑:2009/11/09(月) 14:51:55 ID:DEqW4NYC
こうして仏教徒のサンガの協調性は失われ小さな船という誤解のレッテルも貼られ分裂していったんじゃないかな?
644 :
暁:2009/11/09(月) 18:11:50 ID:pC36kW5C
◆0X0XQc1Pepx3
このコテは麻痺借の在家さんかね?
>>640 龍樹の中論は言語論理的論証=言語批判である。
事実証明による追体験的検証ではない。
勉強すれば賢くなると100回唱えても、賢くならない。
龍樹の論に従えば、
(1)<すでに業報輪廻転生したもの>は、業報輪廻転生しない。
(2)<いまだ業報輪廻転生しないもの>も、業報輪廻転生しない。
(3)<いま現に業報輪廻転生しつつあるもの>も、業報輪廻転生しない。(中論2-1)
<いま現に業報輪廻転生しつつあるもの>が、その上更に<いま業報輪廻転生する>ことは不可能である。
*では、なにが転生するのか。
<転生する主体>も<転生しない主体>も転生しない。←(同上2-1
この両者と異なった主体は存在しない。(同上2-8)
*<転生主体>と<転生運動>は不一不異である。(同上2-18)
両者は個々に成立しない(同上-21)
仏法は無我にて候(蓮如)、したがって<転生運動>のみ単独は成立し得ない。
いわゆる三時門破である。
ゆえに、過去・現在・未来(三時)において、業報輪廻転生は存在しない。
中論で業報輪廻転生肯定論を主張するものは、論理破綻の迷妄執着にあるにすぎない。
ブッダは不生・不住・不滅の甘露な法を教えられるのである。
646 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/09(月) 18:59:34 ID:SuI5pdWD
>>644 >このコテは麻痺借の在家さんかね?
はい、真光の一在家です。
たまたま0X0Xが出たので、気に入ってキャップしてます。
「机上で空を論じた」大天才の言を借りたら、私は不生不滅だそうですので、
あまり気にせんといて下さい。
647 :
暁:2009/11/10(火) 10:27:44 ID:dpgsOScd
>>646 気にはならない訳だが、手を換え品を換えみたいな有様が諸問題を抱える教団の信者らしいなと思っただけだよ。
それにしても輪廻転生にしても業にしても、
古代インドのド田舎のおとぎ話・作り話、
それを利用した狡猾バラモンのでっちあげ教説を
現代においてもここまで信用してしまうノータリンが多いのには、
呆れるしかないな。
ブッダ没後の愚昧そのものの「仏弟子」たちが「書いた」仏典とやらを
丸呑みする「学者」の罪は深い。
俺は別にゴックン主義者の宮本啓一のことを言ってる訳ではないよw
およそブッダの縁起思想とは水と油ではないか。
649 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/10(火) 12:40:06 ID:5j+zG7X1
>>647 暁氏
>気にはならない訳だが、手を換え品を換えみたいな有様が諸問題を
>抱える教団の信者らしいなと思っただけだよ。
ご指摘の通り、可も無く不可もない無難な教団ではないと同感です。
よく実践して神秘体験をした者の多くは私のように残りますし、
体験されなかった方々の多くは退会されます。諸問題ですね。
650 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/10(火) 12:49:27 ID:5j+zG7X1
>>648 >およそブッダの縁起思想とは水と油ではないか。
「縁起」を展開した大哲学者の辞世のセリフは、
「君は私がいないほうがよいと思うか?」だったそうですが。
仏陀は「因果」思想だったようですが。
>ブッダは不生・不住・不滅の甘露な法を教えられるのである。
第一義諦と世俗諦を混同していないか?
>>456 神の声も五感も一緒
判断するのは自分
自分以外に根拠などないです
五感の中にもそこらじゅうにメッセージはあっても、
五感の世界の成功などを目的として生きている人は気付きもしないような独特の
美的バランスの保たれた、完全なやり方で示されるものだから、外に目を向けているか、
真剣に自分自身に問いながら生きているかでは同じように暮
らしているように見えて
内的に全然違う歩みの次元になってるってことです
653 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 22:02:32 ID:NgL27t+Z
>>648 でも、信じやすいことだけ信じるというのもどうなんだろうか?
そもそもブッダや阿羅漢が煩悩を滅しているということも、
信じるしかないわけでしょう?
654 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 22:11:48 ID:NgL27t+Z
ところで、仏教の中でもとりわけ輪廻と切り話せないのが浄土教です。
ですが、輪廻がなくて誰でも死んで終わりだとしたら、
かえってそのほうが、浄土教を信じることの意義が高まる。
往生浄土を信じて安らかに一生を終えてハッピーエンドになりうるから。
これが、実際に輪廻はあるが浄土は嘘だったとした場合には最悪。
浄土に往生できると思って念仏ばかりして他の修行はしてなかったがために、
いざ亡くなったら悪趣に輪廻、なんてことにもなりかねない。
死んで終わりなら、死人に口なしで、
浄土の救いが嘘だともバレないが、
輪廻があるなら、往生浄土が嘘だったとバレる可能性がある。
655 :
神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 22:20:30 ID:g7YuA449
今まで嘘だとバレたことはない。
即ち、輪廻があると証明されたことはないな。
常に自分の身の心配、自分の〈取り分〉はどうなるか・・
ここに重きをおくから、不安になるんでしょ
たとえ間違って地獄に派遣されようと
堂々と生活してきたらいいんじやないの
どこの国の話しか、忘れたけど
ある小さな島に、無知で無学な三人兄弟が、暮らしていました
三人は朝から晩まで、自分達で考えたお祈りをしていました
ある時、島に立ち寄ったある宗教家の弟子は
この三人の事を師に報告しました
師は「それは哀れだ」と思い、今度「正しい信仰の祈り方を教えてあげよう」となりました
そして一緒に島に渡って、一通りの祈りの言葉を覚えさせたのです
三人はいたく感激してたくさんお礼を言いました
師らは大変良い事をしたと満足して、船に乗り込み少し走りだしたところ
島から光の束が船に飛び込んできました
何かと思うと、それは先ほどの三人でした
そして、せっかく教えてもらったお祈りの一部がわからなくなりました
忘れてしまった箇所をもう一度教えて下さいと
それを見た師は
「いや、すみませんでした、私が貴方方に教える事は何もありません」
どうぞこれまでのままで・・
658 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 00:05:03 ID:e98LsrCH
659 :
前スレ10:2009/11/11(水) 00:06:41 ID:psZOPTR8
>>632 >火を例に出したのは、無常・無我を説明したかったからです。
え〜と、私の指摘を理解してます?
「ロウソクは喩えとして適切ではない」と言ってるんですがね?
どう見ても、「他の肉体に転生する」という事象の例示に、「ロウソク」は不適切です。
それなのに、「ロウソクは無常だから、我も無常だ」と言われても、訳がわかりません。
第一、ロウソクは貴方のイメージするように点滅してませんよ?
そして、前から指摘していますが、貴方の説明を読んでると、
アートマンとか、ブラーフマンとか、真我とかと、
ほぼ同じ定義の「転生の主体(常住の我)」を想定しているとしか思えないんですが?
で、結局、「禅定で肉体の縛りから解放されたら、すべての世界を見渡せる。」ですか…。
つまり、「超感覚で関知しないと、論証不可能」という事で、論理的に説明する事を放棄するわけですね。
それって麻原が、「私は悟っているから、私の言う事を信じなさい」と言ってたのと大差ないですよね。
660 :
前スレ10:2009/11/11(水) 00:07:26 ID:psZOPTR8
>>633 何が言いたいのかよく分からないし、各状態の解釈については、あまり深くは突っ込みませんが、
これだけは指摘しておきます。
釈尊は、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の禅では悟りに至れないとしてますよね?
661 :
前スレ10:2009/11/11(水) 00:07:52 ID:psZOPTR8
>>641 結局、「超能力で感知」ですか……。
そして、以前から何度も指摘していますが、
「嘘をつくはずが無い」事と、「高僧が語る事は正しい」事は、全くの別問題だと言う事は認識なさってますかね?
喩えば、精神病棟に行くと、「俺はナポレオンだ!」と、「正直」に、「その人にとっての真実」を語っている患者に出会えます。
662 :
前スレ10:2009/11/11(水) 00:08:20 ID:psZOPTR8
>>638 う〜ん、社会的には煩悩は有効ですが、あんまり肯定してしまうのもどうかと思いますね。
やはり、個人にとっては苦しみの原因となるので、
個人的な幸せを目指すなら、煩悩を滅する事を考えた方がいいと思います。
ついでに言えば、修行の為に利他の行は行うべきだとは思いますが、
利他も最終的には滅されるべき煩悩だと思いますね。
663 :
前スレ10:2009/11/11(水) 00:08:53 ID:psZOPTR8
>>652 >神の声も五感も一緒
法の華三法行……(ry
閑話休題
神の声(自分にしか聞こえない声)を、五感と同レベル(寧ろ五感より優先?)して扱う訳ですか…
しかも、自分だけを根拠に生きると……
まあ、出張帰りで疲れているんで、論語の引用だけにしておきます。
子曰はく、
「学びて思はざれば則ち罔く、思ひて学ばざれば則ち殆し。」
664 :
前スレ10:2009/11/11(水) 00:09:03 ID:psZOPTR8
>>657 う〜む、その宗教家が仏教者じゃないなら分かりますが、
仏教者なら、何で謝罪する必要があるのかさっぱり分からないです。
神通力を持っていることと、仏教には何の関連性も無いと思うんですがね…。
>>664 お話の設定に詳細な条件を後付けするのはあまりよくない。
この場合、その対話の内容は重要ではない。
その師匠と3人のそれぞれのスタンス・やり方と関係性に焦点があっているお話と見たが・・。
(で、前提として、そうした超能力(?)の獲得が価値あること或いは求められることの一つとなっている。)
物語を成立させている、或いは根幹、骨格となっている、或いは主題となっている事項に手を加えることは、
物語の位置付け自体を変える為のものでない限り、通常は避けられるべきだろう。
(ツッコミが許されるのは、根幹・骨格・主題となっている事案を炙り出すためにふさわしいかどうかの基準に照らされたものだけ。)
たとえば、嘘つき村と正直村との分かれ道で旅人が問う時、
嘘つき村の村人は必ず嘘をつくし、正直村の村人は嘘をつかない。
これがお話の大前提だ。もし、この前提を崩してしまったら何も成立しない。
「正直村の村人だって機嫌の悪い時くらいあるだろう。
そんな時はムシャクシャして、一見の旅人には嘘をついてしまうかもしれない」
なんて条件を加えるのは“ルール違反”だw
まさしく、設定として仏教者が3人と対話したというならば、
その時初めて貴方のツッコミは正当性を得る。
喩え話や(フィクションとしての)事例は、得てしてそういうものだ。
互いに「ルールを守る」「物語の大前提に従う」のが鉄則だろう。
666 :
前スレ10:2009/11/11(水) 01:01:12 ID:psZOPTR8
>>665 いや、条件後付と言うか、
「仏教の輪廻スレ」で、この話を書くということの意図を聞きたかったんですよ。
ある意味、このスレに書く事は、宗教家=仏教徒であると言うのが前提のように思えたんですが、
それだと、話がよく分からなくなると言う突っ込みです。
おとぎ話を書いた者だけど
解説が必要でありますか?
書くとシラケまたは、非難の荒らしが想定されますが
また今度、気がむいたらでいいですよね
ときにセブンよ
じゃ、私に何か名をつけて呼んだら
一人謎がへるじゃろ
いやならこのまま君と同じ、どこかの誰かだけどね別に
668 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 02:35:27 ID:QsJDnndV
>659
「ロウソクは無常だから、我も無常だ」と言ってるのではありません。
「まるでロウソクの火のように我も無常だ」です。
根拠じゃなくて例です。
まず、あなたが仏教徒かどうかもわからないから、
無常の説明から入る必要があったわけです。
ロウソクを通じて無常を理解してもらいたかった。
ロウソクの火は点滅というか、生滅しています。
全体でひとかたまりの火として見るのは、
私達がひとかたまりとして認識してるだけ。
でも、分子レベルでみると、
分子がひとつずつ燃えていってるわけでしょう。
全体でとらえずに、一瞬一瞬を別々に。
パラパラ漫画を連続した物語としてではなく、
1コマ1コマ別々の絵としてとらえる。
私達の概念が、別々のものをひとかたまりに処理してるだけ。
「転生の主体(常住の我)」も、
パラパラ漫画の1コマずつのように、別々なのです。
1コマずつ別の紙だし、別のインクですよね。別のものです。
「超感覚で関知しないと、論証不可能」という事は、そのとおりですよ。
修行して確かめるしかないのです。
669 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 02:42:19 ID:QsJDnndV
>>660 輪廻の話ですから、悟っていない場合の話です。
完全に悟ったら輪廻から解脱します。
何がいいたいかというと、
肉体をとびこえて心だけでも存在できるから、
別々の肉体に輪廻したり、
肉体のない生きものに輪廻したりもありえるということ。
もちろんこの話も、無色界の禅定というのは、
禅定をマスターした修行者達の話を信じることから入るしかありません。
670 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 02:53:51 ID:QsJDnndV
>>661 おっしゃることはわかります。
で、私は仏教徒だから、仏教の高僧達の言うことを信じます。
仏教も宗教ですからね。
仏教徒でない人が輪廻を信じないのは、仕方ありません。
問題は、仏教徒を名乗る人なら輪廻も信じないとおかしくないか、ということ。
信じたい部分は信じるけど、信じたくない部分は信じないというなら、
仏教思想の中から好きな部分をつまみ食いして抽出して、
新興宗教を起こせばよいと思うんです。
671 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 10:54:43 ID:e98LsrCH
>>670 その手の話は今まで何度も取り上げられましたね。
あなたの論法でいくと経典に記述のある全てをしんじなければ「仏教徒」ではなくなりますよ。
経典の記述は全て釈迦の真意であり、比喩、方便も認めず、釈迦が空を飛んだとか、全ての記述を「事実」として受け入れなければ「仏教徒」ではないことになる。
あなたは、このように「全てをそのまま受け入れなければ仏教徒ではない」と主張する人ですか?
あなたのように主張する仏教徒はそんなに多くはないと思いますが
672 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 11:05:51 ID:e98LsrCH
>>670 あなたの主張はまず「自分の信じる仏教」というものがあり、それにそぐわないものは「仏教」を名乗るな。
仏教以外である新興宗教をつくれ とまあ、こういうものだが、この主張は自己の見解を受け入れない者に対して、
よく「仏教徒」さんたちが口にするね。
輪廻を受け入れなければ仏教徒ではないのか?
釈迦が空を飛んだと信じなければ仏教徒ではない?
密教などで行なう祈祷の効力を信じなければ仏教徒ではない?
阿弥陀を信じなければ仏教徒ではない?
673 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/11(水) 12:05:21 ID:6KlrizfI
>衆知の通り、「中論」の論理のコアは「八不」の証明にあり、中でも「不去」の
>言語論理学上(机上)での証明から始まります。
>彼は「八不」にて、「運動」、「時間」の存在を否定し、「因果の法」から「時間」
>を引いたものが「縁起の法」と見なしております。
仏教で特徴のある「輪廻転生の法」は「因果の法」が前提にあります。
ですから、「因果の法」から「時間」を否定した「縁起の法」では
「輪廻転生の法」は成立しません。
最近、自称大乗仏教徒の中で「輪廻転生の法」を否定する方が結構多いのも
大哲学者の論理の継承があるとの仮説を立てております。
674 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 12:22:34 ID:QsJDnndV
>>671 仏教のサンガが公式見解として、
経典のこの部分は後世の創作でしたと認めないかぎり、
輪廻と空を飛んだのもテレポーテーションも信じるのが仏教徒だと思います。
>>674 だから、貴方とは絶対に理解し合えないんですよw
676 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 12:34:18 ID:QsJDnndV
私の理解は、現在の仏教団体の公式見解は、
経典どおり輪廻を信じる立場だと推測されるという理解です。
テーラワーダの場合はパーリ語三蔵を信じ、
大乗の場合は大乗経典も含めて信じる。
公式見解を変えたいなら、「結集」でも開いて、経典から輪廻の記述を削除すればよい。
それがなされないかぎり、輪廻は仏教の教えの一部だと思います。
とはいえ、「公式見解」を変えるためには賛成・反対ね議論が必要ですけどね。
677 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 12:44:41 ID:ZideqBZC
すべては――因果なのさ。
古今東西なにもかもが決まりきったこの世界で、
怨んだり呪ったりしてちゃー、時間の無駄だ。そうだろ?
賢く逝こうぜブッディスト。
善行に対価はナシだ。OK?
輪廻転生は人類全てに適用されるの?
動物や細菌もあり?ヒト発生前は?
キリスト狂やイスラム狂の人怒らないかな
679 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 16:50:37 ID:e98LsrCH
>>676 公式見解?確か、禅宗系は輪廻転生なで認めてなかったような?
すると禅宗系は「仏教」ではない、とこうなるわけかな?
テラワダは確か、日本の大乗など「仏教」と認めてなかったね?スマさんが、しょっちゅう言ってるな。
また、空中飛行やテレポーテーションを認めている「仏教」は多数派か?
いったい何をもって「公式見解」と言っているのだ?各宗派、その主張はバラバラではないか?
これら全てが「仏教」ではないのか?
680 :
前スレ10:2009/11/11(水) 17:31:53 ID:psZOPTR8
>>668 >「ロウソクは無常だから、我も無常だ」と言ってるのではありません。
>「まるでロウソクの火のように我も無常だ」です。
私の頭が悪いせいか、どこが違うのか全くわかりませんね。
第一、私がずーっと指摘しているのは、「ロウソクが無常か」ではなく、
「ロウソクは『貴方の想定する我』の喩えとしては適切ではない」と言う事です。
例えば、
「鮭の卵は5mm位だから、鯨の卵は10cm位有るはずだ」という主張に対し、
「鮭は魚類、鯨は哺乳類だから、比較するものが間違っている」と、言っているようなものです。
681 :
前スレ10:2009/11/11(水) 17:33:09 ID:psZOPTR8
>>668 そして、私の発言をさっぱり読んで居ないようですが、
分子単位で見ても、本質は全く変わっていないですよ?
貴方の想定する、輪廻の主体としての「我」の「喩え」として最低限必要な要件は、
@一瞬ごとに生成消滅を繰り返し、別の存在になる。
(なぜなら、連続的に変化してしまうと、転生の瞬間に同じ存在が二人存在するという矛盾が生じてしまうから)
A他者の媒介を受けずに、空間的に離れた場所にある、別の存在に転移する。
(「輪廻」は、肉体的にも空間的にも記憶的にも全く別の存在に転移するから)
B転移した瞬間に元の場所にあった存在は消滅する。
(消滅しないと、同じ存在が同時に二人存在すると言う矛盾が生じるから)
そして、いくら分子単位で燃えているといっても、その燃焼は連続的です。
分子レベルで見ても、ある分子が燃えるためには、隣の別の分子が燃えて、熱を放出している必要があります。
もし、貴方の主張するように断絶しているならば、隣の分子が熱を放出していないので、燃えることはありえません。
よって@の要件を満たしません。
さらに、現実にあるロウソクは、ABの要件を満たさないのは明らかです。
ですから、貴方がいくら「ロウソクは無常だ」と言っても、例示としてふさわしくないので、
「我も無常だ」と主張するのは、非常に無理があります。
>「超感覚で関知しないと、論証不可能」という事は、そのとおりですよ。
つまり、麻原尊師と、なんら変わりない主張だと……。
682 :
前スレ10:2009/11/11(水) 17:33:35 ID:psZOPTR8
>>669 >肉体をとびこえて心だけでも存在できる
え〜と?その主張をするには、とりあえず肉体を火葬炉に放り込んで、
肉体が灰になっても心が存在する事を確かめないといけないですよね?
貴方の言う、禅で「肉体的な色声香味触の刺激が消えて、空間が際限なくひろがっているような状態」を感じる事と、「心が肉体に依存しない」事は、全くの別問題ですよね?
683 :
前スレ10:2009/11/11(水) 17:33:57 ID:psZOPTR8
>>670 何度も指摘しているんですが、釈尊は弟子に「盲信」を求めましたっけ?
疑問に思ったことを突き詰めて、「納得した上で信じろ」と言ってませんでしたっけ?
まあ、その部分はおいておいても、「どの仏教思想を信じるか」は、誰が決めるんですか?
「教祖」の言う事を盲信するんですか?
それとも、釈尊滅後にまとめられ、現代人がかってに選別した「原始仏教」を盲信するんですか?
あるいは、矛盾する仏教思想全てを、矛盾したまま盲信するんですか?
どれも、釈尊の説いた教えに反すると思います。
684 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 18:22:03 ID:e98LsrCH
>>676 俺が思うに
あなたの言うように「ある一定の基準を設け、仏教と非仏教を線引きする」こと
自体、不可能だと思うよ。あなたの主張するように経典の字句をそのまま受け入れ
比喩、方便も認めないとする「仏教徒」が何れだけいる?
各宗派の教義がこれほどまでに、異なってしまった現在、公式見解などありようはずもない。
あるのは「各宗派ごと」の見解だよ。
あなたは、「自分の信じる見解」を受け入れないものは仏教徒を名乗るな。
仏教ではない新興宗教をつくれと言うが、これほど傲慢な意見もなかろう?
「あなたの信じる仏教が正統なんですか?」
「仏教とは何か?」
それは、釈迦の教えを理解し、その説こうとした真意を学ぼうとする『心情』『姿勢』そのものが仏教なのではないか?
これは〜を信じてないからダメ。あれは〜という説をとってないから正式な仏教ではない。
こんなものではなかろう?
とまぁ、これも仏教に対する「俺の私見」にすぎないがね
685 :
暁:2009/11/11(水) 19:24:04 ID:BfoWqOeZ
>>673 あのさ、八不の中の縁起は不生と述べられているとこちゃんと理解できてる?
生起を認めてないのではなく、それ自体(自性上)の不生を説いてるんだよ。
縁を得て生じたもの(法)は、すべて※自性上生起したものではないと述べてる。
輪廻も相依してると観ずれば、それは自性上生起したものではなく、本体寂静
している空だろう。
「八不、戯論の寂滅、めでたさ」は縁起に関していわれる訳だが、これは元来涅槃に関していわれるものだ。
相依している諸事象を無明に束縛された凡夫の立場から眺めた場合には輪廻で
あり、反してその諸事象の縁起している如実相を徹見すればそれが涅槃といわれる。
帰敬序が縁起に関して述べてるのは、相依相関で成立している諸事象と涅槃
とは無別無異であることを前提としている。
686 :
暁:2009/11/11(水) 19:36:14 ID:BfoWqOeZ
しかし因果とは無常においていわれる訳だが、それを高次に持ってって
そんな在り方が有るとするから矛盾が生じて説明がつかなくなるつうのが
どうしてわかんないのかな。
それは有るに違いないとか、有るはずとか、有るといいなとかの願望や想定
に過ぎない訳で、こんなこと子供でもわかりそうなもんだけどね。そんで文芸的経典にソースを求めざる
をえなくなるのはわかるけどさ。
まあある種のファンタジーだな。
687 :
1/2:2009/11/11(水) 19:44:22 ID:Vzj0CRAz
>>676 だから私は、常に「公式見解」と「個人の見解」を併せ持っている。
必要な時に、必要な方を基軸に言葉を紡ぐ。それを批難するなら批難していい。
(貴方のようなスタンスからなら、その批難も、外道の称号も甘んじて受ける。)
だが、「核(コア)」をピンボケさせるような、ベクトルを変じさせるような輩の言辞には、断固として対峙する。
(どの方面を視野に入れてるかはお判りでしょう?w)
いずれ、(“特に貴方用として”w)私と輪廻思想との距離を信仰告白すべきなのかもしれない。
貴方は≪「仏典への批判」を「現代の(時代の制約を受けた)常識(≒知見)への阿諛」≫と言う。
では、貴方はなぜ、チベット語(サンスクリットでもいいが)で会話し、記し、議論をしないのか?
(ま、【環境がそれを可能にしていない】わけだがw)、「現在身を置いている環境への阿諛」ではないのか?
《この意味での制約が、『三世に跨った輪廻及び転生』には掛かってきている》と、私は述べ続けている。
この制約は、貴方が主張するように「『心』『意識』には影響しない・関連していない」というならそれも良い。
だが、それは絶対にありえない。釈尊の入滅を、(ヒトという生物の)現象として受け止めるなら、
肉体を離れた『心』『意識』を想定するわけにはいかない。(沙門果経に言われる通りだ。)
遊行した先で、その土地の言葉を用いるように、(また、それしかできないわけだが)、
《2500年前には見えなかった制約がかかってきている》ことを、私は受け入れているだけだ。
また、「常識だから」受け入れるのではない。
「反証が未提示であり、確からしさ(蓋然性)が非常に高い」ことを理由に、信じるに値する(仮設)としているだけだ。
それは、貴方が先達の言葉、経文を受け入れているのと、たいした違いはない。
どちらの根拠も「冷暖自知」、自身で確かめる以外に術はない。又聞きであることは一緒だ。
688 :
2/2:2009/11/11(水) 19:46:06 ID:Vzj0CRAz
>>676 話を戻せば、そうした言語環境と違い、
貴方の批判する現代の知見のうちの幾つかの制約から『生物としてのヒト』は逃れられるのか?
平たく言えば、≪「貴方が批判する【現代の知見】」から、貴方は逃げられるのか?≫ということだ。
※ブッダは【当時の知見】から逃れ得たのか?という問いへ変換してもいい。
(私は、逃れ得ていないと考えているが・・・w)
そして、当時と現代とで変わっていない部分(おそらく今後も変わらないであろう部分)
についても、貴方は受け入れないのか?ということだ。
「異本が数多くあるという現実」、「自身の身口意の(五蘊の)観察」、「他者の身口意の観察」、「外界の観察」、
これらを考慮した時、仏典は所詮伝言ゲームの際に使用されたメモに過ぎない。
勿論、私だって敬意を持って仏典を読む。だが、コーランのような扱いはしない。ただそれだけだ。
(※「テルマ」という考え方や扱いも個人的には好きではない部類だw
「エッセンスを継承している」ということとは異質な香りがするw)
689 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/11(水) 21:52:46 ID:6KlrizfI
>>686 >あのさ、八不の中の縁起は不生と述べられているとこちゃんと理解できてる?
>生起を認めてないのではなく、それ自体(自性上)の不生を説いてるんだよ。
>(中略)
>輪廻も相依してると観ずれば、それは自性上生起したものではなく、本体寂静
>している空だろう。
現実世界では、例えば病院で「不生」と貴兄は言えますでしょうか?
私も「輪廻も相依してる」ということには特に異論はないですよ。
「赤ちゃん」を縁にして「父母が出会う」というのも「縁起の法」でしょうが、
「因果の法」では成立しないでしょう。
「八不」にて「因果の法」が消されてしまったことが、今日の大乗仏教、日本仏教
の現状を「起」こした「因」だと仮説を立てております。
「相依している諸事象を無明に束縛された凡夫の立場から眺めた場合には輪廻で
あり、反してその諸事象の縁起している如実相を徹見すればそれが涅槃といわれる。」
とかの大哲学者が刷り込んだのでしょうか。違ってたら済みません。
690 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 21:57:43 ID:e98LsrCH
輪廻の話に戻ったのかな?
輪廻転生の肯定論者に繰り返し言ってることは「輪廻転生が事実であると言い、また、それが仏教徒以外の全ての
人間に起こる普遍的現象であると主張するのであれば、とりあえず論拠をあげて整合性のとれた説明を提示
してくれ とこう言ってるわけ。
しかし、現在までのところ、回答といえるものは「経典にそのような記述がある」と、ここで止まってしまっている。
その記述が何故、信頼できるものなのか?
その説明が全くない。
また、それ以前に転生のシステムそのものの解説の提示も出来てない。
とにかく、「人間には前世があり、その時の業の果を現世で受けてるんだ」
これしか言ってないよね?あと「悟れば、超能力が身につき、そのシステムがわかる」と言う意見があったか。
これではどうしようもないだろ?
691 :
678:2009/11/11(水) 22:08:31 ID:qL43AXe6
(討論中失礼します)
>>678の件もよろしくお願いします
692 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 22:15:13 ID:QsJDnndV
>>680 私達が見ている火は、眼に届いた光ですよね。
光は一瞬一瞬新しい光です。
一瞬ごとに新しい火でしょう。
>>679 >
>>676 公式見解?確か、禅宗系は輪廻転生なで認めてなかったような?
> すると禅宗系は「仏教」ではない、とこうなるわけかな?
>
> テラワダは確か、日本の大乗など「仏教」と認めてなかったね?スマさんが、しょっちゅう言ってるな。
戯論の応酬ですな。ちゃんと、空の観法をやれば、そういった観念論は崩壊するよ。
三明通がでてくれば、誰がどういう因でどこに転生しているか、認識できるようになる。
そうすれば、自分が飼っているワンちゃんが、誰か(人間)の転生であることすらわかるぜ。
694 :
暁:2009/11/11(水) 22:16:15 ID:BfoWqOeZ
>>689 法を法とならしめている、より高次元の何かが有ると想定した部派の説を排斥したのが中論だよ。
縁を得て生じた「赤ちゃん」を否定している訳ではない。「赤ちゃん」を「赤ちゃん」とならしめている「ありかた」
の否定だ。それをそれとして成立させている人間の認識領域を超えた何かだ。
おいおい。君とこの教祖さんのプラシーボを利用した刷り込みよりもよっぽど矛盾なきものだと思うがな。
神様の使いパシリを掲げる団体が常住に執するのはやむを得ない訳のは判るが、一乗や原始仏典を持ち出し
て人を陥れたり搾取に利用するのはいい加減に止めにしたらいかがかね?
被害者に対して申し訳ないとか、良心が痛むというような感覚を君は持ち合わせていないのかね。騙される側が
悪いと言い切れるのかよ。
695 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 22:17:36 ID:e98LsrCH
>>691 俺は転生肯定論者ではないが、今まであった「仏教における輪廻転生」論では
「勿論、人間全てが輪廻する。動物にも輪廻する。
細菌には言及なし。人間発生以前も言及なし。」
確か、このようなものだったはず。
詳しくは肯定論者によろしく。
696 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 22:23:59 ID:e98LsrCH
>>693 それで、あなたは自分のワンちゃんが誰の生まれ変わりか分かっているの?
697 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 22:24:18 ID:QsJDnndV
>>691 悟らないかぎり、生命はすべて輪廻します。
肉体のない梵天も生命です。
宇宙に肉体のある生命がなくても、
肉体のない梵天はたくさんいたのかもしれません。
肉体がないんだから、梵天が存在するのには空間も必要ありません。
698 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 22:28:44 ID:QsJDnndV
>>683 サンガ(教団)や僧侶を信じればよいでしょう。
ブッダの弟子の弟子の弟子…の弟子が今も地球上に
たくさんいらっしゃいますよね。
で、僧侶達の中でも誰に師事するかは、「縁」かもしれません。
>>696 >
>>693 それで、あなたは自分のワンちゃんが誰の生まれ変わりか分かっているの?
勿論。別に信じてもらわなくてもいいけどw
原則、動物に生まれ変わるのは「痴(おろかさ)」が因になりますね。
因果の理法に暗いと動物に転生する。おいらのワンちゃんは、前世で人間
だったときに、悪質なクレーマでしょっちゅう他人に怒鳴りしらしていた。
んで、来世、生まれ変わったら、誰彼無しに吼えるバカ犬に転生した。
700 :
暁:2009/11/11(水) 22:38:12 ID:BfoWqOeZ
俺の前世はエアコンのリモコンだと言われたことあるよw
>>699 まあ、ちゃんと空の瞑想を毎日実践しておれば、三明通が出てくるはず。
2ちゃんで議論していても、三明通なんか出てこない。
ちなみに、万引きの常習者なんかもその「痴」が因となって、おサルさん
とか転生すると思います。
これを防止するのは五戒・十善戒を授戒して、「悪いことはしないこと」。
702 :
神も仏も名無しさん:2009/11/11(水) 22:52:01 ID:QsJDnndV
>>698 だいたい、ブッダが悟っていたのかどうか、
煩悩を滅するこてはできるのか、
煩悩を消せば苦悩が消せるのかなども、
信じることから入るしかないでしょう?
ブッダが悟っていたということを信じるのも、
妄信だと言えますよね。
仏教ファンタジストの皆さん、
妄想人生は楽しいですか?
なんで俺は投稿規制に何度もひっかかるんだ?
>>651 >第一義諦と世俗諦を混同していないか?
⇒中論で業報輪廻転生肯定論を主張するものは、論理破綻の迷妄執着にあるにすぎない。
およそ形成された一切諸行は執着による虚妄である(中論 13-1)。
これは生滅(有為)世界(世俗諦)であり、他は戯論(形而上的論議)も滅した吉祥な無為世界(勝義諦)であって、
そこにおいてブッダはいかなる教えも説かれなかった(同上 24-8・9・10;25-24)。
およそ業報輪廻転生論は過去世、来世を問題とする迷妄戯論以外のなにものでもなく(同上 25-21・23)、
ブッダは何をも語られなかったのである(無記)。
『世間(生死の世界)には涅槃といかなる区別も存在しない。
涅槃には、世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない』(龍樹 中論25-19)
『涅槃の究極なるものは、すなわち世間(生死の世界)の究極でもある。
両者のあいだには、最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない』(同上25-20)
707 :
前スレ10:2009/11/11(水) 23:10:44 ID:psZOPTR8
>>692 いや、だから、ですね………
もう一回冷静に
>>680-681読み返してください。
私がずーっと指摘しているのは、「ロウソクが無常か」ではなく、
「ロウソクは『貴方の想定する我』の喩えとしては適切ではない」と言う事です。
708 :
前スレ10:2009/11/11(水) 23:11:19 ID:psZOPTR8
>>698 だからですね、貴方の言ってることは、
「私は麻原尊師を信じています。だから、悪業を断つために、ポア(大量殺人)を実行します。」
といってた人と、同値の発言になっちゃいますよ?
709 :
前スレ10:2009/11/11(水) 23:11:34 ID:psZOPTR8
>>702 いやいやいやw
仏陀の教えの内容を検証して、納得が言った上で信じるのと、
「ブッタが言ったんだから」というだけで盲信するのでは、天地の開きがありますよ。
「信」と言う言葉を、少々履き違えているのでは?
710 :
705:2009/11/11(水) 23:51:55 ID:OtTwsbCt
<業報輪廻転生論はインチキ論理>
ヴェーダの哲学者たちは人間の本質が徹底した欲望の塊であることを認識していた。
業報輪廻転生論も、その損得勝負を刺激するいわば取引(過去世・来世概念と『業』による『宿命』論)によって
成立させた。
現世(今)における自力向上をあきらめさせ、来世のために現世をバラモンのコントロール下に置く支配者のための論理である。
その中核(コア)は我執欲望にある。
<業報輪廻妄想は、機能的には我執=無明=苦を常に刺激増大させる方向に働く。>
何のために現世で我執を滅するか、よき来世という我執のため=取引だ。
我執のために、我執を滅するという矛盾論理だ。
これがヤージュニャヴァルキャが仕掛けた巧妙なインチキ論理だ。
この理論を前提とする限り、ひとは永遠に輪廻(我執)から逃れることは『論理的に』不可能だなのだ。
まさにバラモン支配の恒常化に資する御都合主義そのものだ。
こんなインチキ論理をブッダが説かれたと信じるほうが、アタマがいかれているというべきだろう。
ブッダの即今、即時の八正道=自己浄化と悟りへの道とは、機能的に明白に矛盾する俗物イデオロギーだからだ。
バラモン的梵我一如論・輪廻転生論のアンチ・テーゼが無常=無我=縁起=空だと言えるのだ。
人間としての倫理は 、ブッダの縁起思想そのものから、
自由かつ厳しいかたちで導き出しうる。
711 :
678:2009/11/11(水) 23:55:23 ID:qL43AXe6
712 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 00:08:56 ID:piWzwxqE
>>707 私が想定する我は無常だと言ってるんです。
無常・無我を理解していただければ、
例えは何でもよいのですが、
ろうそくの火がたまたま思い浮かんだので。
無常・無我は輪廻と矛盾しないと考えます。
>>710 だから、言葉は堂々巡りするから、不毛。
只管打坐。まあ、坐れや。
714 :
705:2009/11/12(木) 00:18:42 ID:kHYJdWyU
ただ坐るだけでは、霊性は低いままどころか
師のレベルに付き合わされる、とって憑かれる事象も
よくよく吟味されたしね
見分けるポイントは、魔境におちいった弟子を救えたのか
と言うかそれ以前に、何故魔境にとって食われる因縁が
どこで生じたのか、初対面で諭せないなら
大した師ではないと他を当たるがいいよ
これは基本的な師の選び方だよ
716 :
前スレ10:2009/11/12(木) 08:00:45 ID:QCJzplbz
>>712 私は、ロウソクが無常である(同じ姿に見えても常に変化している)事は少しも否定していないんですよ?
「貴方の想定している「我」の喩えとしては、ロウソクは適切でない」といってるんです。
「貴方の主張する我」のようなロウソクを想像してみましょう。
一瞬ごとに、別々の火(光)になるわけですよね?
しかも、一つ一つの分子が、他の分子とは全く別々に(断絶して)燃えていく。
(何度も指摘しているように、連続的に変化すると、同時に二つの「我」が存在する事になりますよね?)
この条件を満たすロウソクは、
火を近づけなくても燃え出す(だって、断絶してても燃えるんですから)、
しかも、どの部位でも突然燃え出す(連続的でも、物理的に接触してなくてもいいんですから)、
さらに、突然消えたり、点いたりする(断続的なんでしょ?)。
奇怪なロウソクですね。
じゃあ、逆に、「通常のロウソク」のような「無常の我」を想定しましょう。
通常のロウソクは、分子が燃えるために、活性化障壁を乗り越える為の、熱エネルギーが必要です。
つまり、隣の分子が燃えている必要があります。
特に、ロウソクAからロウソクBへ炎を移す時には、AをBに物理的に近づけてやる必要があります。
さらに、Bが点火するためには、Aが燃えていないとダメなので、一瞬であろうとも、AとBの炎が同時に存在していないと、点火できません。
よって、「通常のロウソク」のような「我」は、転生するとき、物理的に接触し、かつ二つ以上同時に存在していないと、転生できない事になります。
こんな「転生」って、おかしくないですか?
717 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 08:29:58 ID:piWzwxqE
>>712 火とは、生きようとする心です。
ひとつめの体ではもう生きられないから、
新しい体に燃えうつるわけで、
仮に同時に二つ存在したとしても、
ひとつめが死ぬ一瞬の間だけのことです。
718 :
前世は一在家:2009/11/12(木) 08:59:19 ID:fWCosF1M
>>694 暁氏
>神様の使いパシリを掲げる団体が常住に執するのはやむを得ない訳のは判るが、
>一乗や原始仏典を持ち出して人を陥れたり搾取に利用するのは
>いい加減に止めにしたらいかがかね?
前スレでは一度説明しましたが、貴兄には伝えていなかったようですね。
私は異教ですが、所属グループの0.1%も原始仏典は読んでおりませんし
内容も知りません。
入信前に大乗仏教徒だったかたは、確か2割ほどいたように記憶します。
個人的に原始仏教や原始ユダヤ教を調べているだけですので、以後誤解無き
よう宜しくお願いします。
719 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/12(木) 09:01:21 ID:fWCosF1M
私が半年前に「中論」の帰敬序を読んだ時に、釈尊への敬意というよりも
釈尊を超えたとの自負が感じられましたが、その理由は分りませんでした。
If 釈尊は宗教者 and 龍樹は哲学者 then 哲学者が宗教者に敬意を払うか?
If 釈尊の説に哲学的要素有り and 龍樹がそれを完成 then 哲学者も宗教者に感謝.
「師が説いた因果の法を私は八不の証明で抹殺しました。私は師を超えましたよ。」
という自負があったのであれば、彼の辞世のセリフも因果の法の結果でしょう。
以上、私の仮説ですがこの板で因縁のある各位と検証して参りましょう。
「輪廻の法」の大前提の「因果の法」を抹消した「縁起の法(空)」の検証です。
はあ。
どうして、「否定するために現象を説明する」
という仏教の基本が解っていない人が後を絶たないのかね。
>>716 顕微鏡倍率×10の観察結果(古人曰く)と×100の観察結果(10氏曰く)とを同じには見れないよ。
どなたかさんが釈するように、蝋燭の喩えは、
《「実体のない、所縁によって現象している五蘊」というポイント》を強調している。
寧ろ、《滅しては生じ滅しては生じすること》は《当たり前の前提、それしかない前提として》捉えられている。
だから、《恒常的主体があり、それが存在し続ける》のではなく、《生滅の変遷である》ことを示すのが目的である為、
貴方が指摘するような部分(≒燃焼の仕組み)は《想定されていない》のです。
強いて言えば、それが『業(業果)による』ということになるのですが、ココが貴方が突っ込んでいる中心点です。
しかしこれもまた、《当たり前の前提、それしかない前提として》捉えられている部分であり、
謂わば、蝋燭の喩えに於ける2つの大前提なのです。
(ま、だから、貴方(10氏)用としては別の喩えが用意されねばならないのでしょうが・・・。)
少なくとも、上記二つの大前提を容認した時(伝統的仏教の枠組みで見た時)、この喩えは大変美しいものとなります。
(※炎は煩悩の炎としてイメージがリンクし、火の滅はニッバーナ(寂滅)とリンクする。
(風により)ふらふらと揺らぐ様子も人の生、心の似姿となる。自身が持つ熱は周囲・他者へと影響を及ぼす。
燃料が多ければ大きく激しく燃え盛ることだろう。強い風が吹けば消えてしまう儚さもイメージし得る。
貴方の指摘は御尤もだが、それを帳消しにして余りある、実に多くのメリットがこの喩えにはある。)
(※だから、今でも頻繁に用いられるw)
(つまり、この喩えは、火が燃える仕組みを知らない者・仏教に信のある者・
【喩え話(≒物語)の前提として】上記2点を許容する者向けのものだと言えるかもしれません。)
そろそろ別の喩えを要求するか、或いはいっそ、
(対論者のスタンスとなってみて)御自身で喩えを試論してみては?w
722 :
絶対神:2009/11/12(木) 09:11:34 ID:exIgbVal
単純に言うとだね。
「人が業から逃れられないのは事実なんだが、だとすれば、空だとか悟り
だとか解脱も」
「バラモンと同じくらいあり得ない理屈になる訳だよ」
うーん。なんていうのかな?
「結局、人間が全知全能で完全な存在になれないのは明らかなんだから」
「ある程度、人間以上の存在を想定して、それに従う事を前提としないと」
『救いなんて存在出来ないのよ』
つまり、「因果律」というものは「元々、絶対神の代わりに持ってきたもの
なの」。
「既に言ったように、人間を救う神秘的な力が実在しない事にはどうにもならないから」
『そういう意味では、輪廻を認めようが認めまいが、仏教であろうが
キリスト教であろうが』
『本質的な違いは何もないんです』
皆、「私のような神様的要素が実在しないと成り立たない」。
「妄想的な空論を言っているという事なんです」
723 :
絶対神:2009/11/12(木) 09:14:12 ID:exIgbVal
だからね。
「輪廻と言おうが、因果といおうが、縁起といおうが、絶対神といおうが」
「通常の人間を超えて、すべてを支配する「絶対的な神秘的要素」」を
認めないと、
「「宗教」や「救済」が成り立たない」という事なんです。
ある意味においては、
『その内容や、どう呼称するかは、余り問題ではないという事なんです』
「判った?」
724 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 09:14:41 ID:WQUfJhTs
「サンユッタ・ニカーヤ」(相応部)の第四篇第三章第三節。
イシギリ(仙人の住所)といういわば聖地に住むゴーディカは、熱心に修行に精励して、
さとり(心解脱)が得るが、そのさとりは一時的なものであって、再び元に戻ってしまう。
そこでまた熱心に修行に精励して、さとりを得るが、また戻ってしまう、そういうことを計6回繰り返し、
その7度目にさとり(心解脱)に到達しましたときに、今回もまた従来と同じように、それが一時的であって
元に戻ることを恐れまして、剣をとって、自殺しようとします。
それを知った悪魔が釈尊のところに来て、そのことを告げたそのときに、ゴーディカは自殺をとげました。
そこで釈尊はその悪魔に向かい、「ゴーディカは英雄のように渇愛を根絶してニルヴァーナに入った」という詩を唱える。
さらに、釈尊がその現場まで来ると、そこには四方にも上下にも煙が立ち昇っていて、
釈尊は「ゴーディカはニルヴァーナに入った」という詩をとなえる。
「阿含経を読む」 青土社刊より。
この部分を「サンユッタ・ニカーヤ」 中村元訳、岩波文庫では
悪魔が 「尊師よ。教えを喜ぶあたなの弟子が、まだ心にさとりを得ないで、まだ修め学ぶべきであるのに、
どうして死を遂げるということがあってよいでしょうか。」
これに対し釈迦は
「思慮ある人々は、実にこのようにするのである。
生命を[延ばすことを]期待していない。
妄執を、根こそぎにえぐり出して、ゴーティカは安らぎに帰したのである」
と答えた。
725 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 09:15:49 ID:WQUfJhTs
(サンユッタ・ニカーヤ(相応部22.87))
長者ヴァッカリは、陶器づくりの者の家で、病に臥、困苦し、重病だった。
ヴァッカリの願いで釈迦が病床に訪れ、体の具合を尋ねる。
ヴァッカリは釈迦に答える。
「師よ、私にはしんぼうができません。元気もございません。強い痛みが増して、薄らぎはしません」
釈迦はヴァッカリに無常を説いた後、帰る。
その夜、鬼神が釈迦を訪れ、ヴァッカリの涅槃(同時に自殺でもある)を予言する。
釈尊はその夜が過ぎてのち、比丘たちに呼びかけられた。
「比丘たちよ、あなたがたはヴァッカリ比丘のところへいきなさい。
行ってヴァッカリ比丘に次のように伝えなさい。
「ヴァッカリよ、おそれるな。
おまえの死は罪に汚れてはいない。罪なくして臨終を終えるであろう」
比丘たちはヴァッカリに釈迦の伝言を伝える。
ヴァッカリは教えに疑念を持っていないと釈迦に伝えてくれと比丘たちに頼む。
「友よ、承知しました」と、比丘たちは長者ヴァッカリに返事をして、帰って行った。
そのとき長者ヴァッカリは、この比丘たちが出てゆくや否や、刀を取り出した。
ヴァッカリは自殺した。
後にそれを知って釈迦は次のように述べた。
「比丘たちよ。善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、完全な涅槃に入ったのである」
『バラモン教典・原始仏典』。中央公論社
726 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 09:35:45 ID:iyWsaKVw
心解脱で最も還俗しやすい執着は
家族を亡くされた人は一番、解るんじゃないかな。
727 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/12(木) 09:39:25 ID:fWCosF1M
>どうして、「否定するために現象を説明する」
>という仏教の基本が解っていない人が後を絶たないのかね。
どうして、否定の論理「破邪の論理」という中論の基本が
解っていない人が後を絶たないのかね、だったら同感です。
728 :
絶対神:2009/11/12(木) 10:07:50 ID:exIgbVal
つまりね。
「どのような形態の宗教も、何らかの人を超えた神秘的要素を信じている事には
変わりはないわけよ」
「だから、それが実在するのなら、それを崇めるべきな訳だ」
『つまり、お前たち仏教徒も、例外ではなく、我々、神々を崇める必要があると
言う事だ』
「判った?」
『自分たちだけが「例外」だと思うな』
>>722>>723 >「通常の人間を超えて、すべてを支配する「絶対的な神秘的要素」」を
>認めないと、 「「宗教」や「救済」が成り立たない」という事なんです。
「宗教」の定義はゴマンとあるが、その最低の条件はカミであれホトケであれウンコであれ、
とにかく「超越的存在」を前提とし、検証抜きの迷妄「信仰」を前提とていることだろう。
その意味では純粋仏教は宗教ではない。
たしかにブッダもまた、古代人としての超えがたい限界や、多くの制約をもっている。
しかし、そういう超越的存在に依拠することだけはしなかったことだけは確かだ。
ブッダが生涯かけて戦わねばならなかった相手は、四姓の最高位に君臨するバラモン階級が奉じる、
壮大にして鉄壁のヴェーダ哲学の体系に裏づけられたバラモン教であり、
宇宙の根本原理を体現する、その最高神ブラフマンだったのである。
その戦う最高の武器が『縁起の思想』だったのだ。
ゲマインシャフト(封鎖的原始共同体)からゲゼルシャフト(商品交換自由社会)への歴史的状況を背景とし、
個人不在の迷妄溶暗宗教性から 、個人的独立合理主義精神(ある意味で疎外精神)への革命である。
仏教の歴史は、ブッダの鋭い『縁起の思想』を愚昧な連中が迷妄溶暗宗教性へと
変節堕落させてきた愚かな過程だったといえる。
その始まりは第一次結集のプロデューサーがマハーカッサバだったことにある。
彼はブッダの合理主義が判らなかった苦行主義者だったのであり、溶暗宗教性体質を色濃く持っていたのだ。
『仏教』という名の「宗教」を開始した宗祖はマハーカッサバだったというよう。
サリープッタがプロデューサーだったなら、まったく違った『仏教』があったであろう。
>>729 確かにそれは感じる。
滅後の中心が摩訶迦葉(の系譜)であった影響は大きいだろう。
もし、舎利弗であったなら、「小小戒は廃されたかもしれないし」
「経も律もフレキシブルに扱われ、固定化されなかった(固定化された権威とはならなかった)かもしれない」。
「理知的な教えに満ちたかもしれない」。
しかし、逆に、【あっという間に滅んでしまったかもしれない】!。
滅後の結集の方向性こそが、2500年にわたる仏教の存続を可能としたのだろうとも、また思うわけで・・。
ま、所詮「たられば」の妄想でしかないわけだが・・・w
>>728 絶対神
>『つまり、お前たち仏教徒も、例外ではなく、我々、神々を崇める必要があると 言う事だ』
個人不在の迷妄溶暗宗教性のウンコ外道に用はない。
>実在するのなら、それを崇めるべきな
『実在』の語は相応しくない←この意味が解せないなら『絶対神』ではない。
Get Out !
732 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 11:11:55 ID:rN2f5Yq6
あの蝋燭の喩えを語っている人は10氏の指摘を理解した上での回答なのかな?
まず、そこが疑問。
10氏は「燃焼のシステム上、必ず二つの炎の同時存在の瞬間があるわけであり、
我を炎に喩えると二つの我が同時存在する瞬間を認めることになり不合理。
よって転生を炎に喩えるのは不適切。」
こういうものだよな?
これ元ネタは確かミリンダ王で、10氏と同じ論法でその不適切さを指摘していた学者がいたな。
確かに、この喩えは他の要素の象徴も含めてよくできてるものなのかもしれないが、「継承システム」という核心部において
不合理性が(現代の知見により)明らかになってしまった現在、
他のよりふさわしい喩えを提示することを考える必要があるだろうね、転生肯定論者たちは。
733 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/12(木) 11:15:19 ID:fWCosF1M
>>729 以下、相槌的レスで失礼します。
>その戦う最高の武器が『縁起の思想』だったのだ。
「時間」、「運動」を除かない「縁起の法」=「因果の法」であれば同感です。
>サリープッタがプロデューサーだったなら、まったく違った『仏教』があったであろう。
第一次結集の際には舎利佛の弟子が参加したとか。(出典:片山「パーリ仏典入門」)
長部経典の中でサリープッタが話した内容を釈尊が保証したのが
「自歓喜経」、「等誦経」で私も何回か引用、紹介しました。
734 :
暁:2009/11/12(木) 12:10:56 ID:EqiIX0ps
>>718 なら仏典で。
常住に執する団体が仏教に依る必要無し。
あんたらの信者の前歴など知らんがな。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 12:37:22 ID:piWzwxqE
>>732 ろうそくネタの者です。
10さんの指摘は理解しておりますが、
同時に、指摘されている点はあまりどうでもいいことだとも思います。
心の最少単位であり時間の最少単位ともいえる「刹那」を考えるとき、
臨終の瞬間、死ぬときの最後の「刹那」は死心と呼ばれ、
次の「刹那」には死心から結生心になります。
結生心は、生命が生まれる瞬間の心です。
つまり、心の時間の単位でいえば「2刹那」の時間、
いいかえれば心の映画フィルム2コマの間に、死から生につながる。
で、死心も結生心も、どちらも有分心です。
有分心とは、ただ生きてるだけの心であり、何の認識もない。
映画のフィルムにたとえるなら、何も映っていない2コマ、
火でたとえるなら、ろうそくがなくなり、
一瞬(2刹那の間)だけ火の光と熱が空中に浮いてるのが死心と結生心です。
736 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 12:46:29 ID:piWzwxqE
ろうそくの光は、私達の眼にとどきます。
眼球をろうそくに接触させなくても、光は眼に届きます。
ろうそくが尽きる最後の瞬間に放たれた光が、
別のろうそくを点火させるほどのエネルギーをもっているのです。
生きようとする心(有分心)である死心は、
消えたくないという渇愛のエネルギーを帯びているから、
結生心となって生命活動を再会するのです。
>>732 >我を炎に喩えると二つの我が同時存在する瞬間を認めることになり
してるんじゃね、自己意識、肉体に
さらに霊魂も認めたら三つの我が同時存在をする。
まるで三位一体みたいだな。
738 :
前スレ10:2009/11/12(木) 13:31:18 ID:QCJzplbz
>>717 >>735-736 え〜と、ついに同時に二つ存在してしまう事を認めてしまいましたか……。
輪廻の概念的には、ひじょ〜にまずいとは思うんですが、
そこはまあおいといても、
>>681で指摘した、
A他者の媒介を受けずに、空間的に離れた場所にある、別の存在に転移する。
は全く満たしていないですよね?
依然として、ロウソクのたとえは、貴方の想定する『我』の喩えとしては適切では無い事になります。
739 :
前スレ10:2009/11/12(木) 13:31:54 ID:QCJzplbz
>>721 「×100の観察」を言い出したのは私じゃなくて相手の方なんですが…。
閑話休題
ロウソクの喩えが、「無常の我」を上手く表現しようとしている事は、認めていますよ?
ただ、「輪廻の主体としてpiWzwxqEさんが想定している我」の喩えとしては、適切では無いと言ってるのです。
輪廻と矛盾しない無常・無我の説明としては、全く成立していないと言う指摘です。
>そろそろ別の喩えを要求
そうですね。
まあ、喩えではなく、別の論拠を示して欲しいところです。
740 :
前スレ10:2009/11/12(木) 13:32:10 ID:QCJzplbz
>>732 その通りですね。
元ネタはミリンダ王で間違いないと思いますよ。
前スレからまったく同じ、同じ論争してますから。
741 :
前スレ10:2009/11/12(木) 13:34:32 ID:QCJzplbz
>>737 新説ですね〜。
「我」は、@自己意識 A肉体 B霊魂 の3つが存在すると言う説ですか…
ちなみに、いま論争しているのは、同じ形態の「我」が、同時に二つ存在する事であって、
「我の別形態が複数存在する事」ではないので、貴方の突っ込みは的外れです。
742 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 13:58:33 ID:LysXqTPB
同じ形態の「我」が、二つある。
一方は死に行く体にある「我」
もう一方は生まれたての体にある「我」
積んでる業は同じはずなのにこの扱いの違いは何だろう。
不平等にもほどがある。
二つの我、ドッペルガー現象みたいだな。
もう一人の我を見たら死期が近いというが。
>>736 横スレだが・・
龍樹は『因縁心論』のなかでこう論ずる。
(問 う) それでは、すべての身体の主である有情というのは何であり、
その作用はどのようなものでしょうか 。
(答える)世界はすべて 因 と果であり、比喩的にではなく、ここにはほかにいかなる有情もない。
これは真実として考察されてのことであって 、ただ比喩的表現として (そうだというの)ではない。
比喩的にあるものは、実際としてそうであることにはならないのである。
(問 う)もしそうであるならば、それでは誰がこの 世からかの 世へ 行くのですか。
(答える)ここからかの 世へ 微塵ほどのものも 移りはしない。
そうではなくて、空にすぎないものから空 なるものが 生じるだけである。
ほのおの比喩は苦しいね。>比喩的にあるものは、実際としてそうであることにはならないのである。
はっきりいうと、もう完全にパンクしており、詭弁に落ちている。
>空にすぎないものから空なるものが生じるだけである←「生じる」は当然空なるものゆえ『不生』の謂いね。
ここまで来るともはや、本来の輪廻転生論は完全に形骸化しており、主張する意味がない。
もしあるとすれば、あなたの心の奥底にある消えたくないという我執だろう。
ブッダは『自我に固執する見解をうち破って、』(スッタニパータ1119)と明解に教えておられる。
745 :
744:2009/11/12(木) 15:23:03 ID:kHYJdWyU
× スレ
〇 レス
どうしよう。日本仏教スレに真正の人が居ついちゃった。
747 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/12(木) 20:35:27 ID:fWCosF1M
>>744 >(答える)世界はすべて 因 と果であり、比喩的にではなく、
>ここにはほかにいかなる有情もない。
あれー、龍樹も「因果の法」を説かれておりますね。
世界はすべて「原因」と「結果」であると。
素粒子が作った「原因」とその「結果」だとも読めます。
そして彼は「八不」にて「原因」→「結果」の因果の法から
「時間」を否定し、「原因」と「結果」を同時としてしまいます。
皆さんの「自灯明」で照らしてみて如何でしょうか?
>>747 同じコテつけたままageるのはやめて欲しい。
見えない敵と戦うあの人が嗅ぎ付けるかもしれない。
749 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/11/12(木) 20:39:24 ID:fWCosF1M
>>746 >どうしよう。日本仏教スレに真正の人が居ついちゃった。
真光現役と創価会員とを人違いして、信じて疑わないようですね。
私も法華経を読みますし、日蓮に敬意を表しますので、
ますます見分けがつかないかも知れません。
>>749 だから、ageるのはやめてくれ。
ただでさえ関連スレで危険なのに。
751 :
前スレ10:2009/11/12(木) 20:50:44 ID:QCJzplbz
>>749 真光現役と創価会員の区別が付かないというか、
自分以外は全員「谷洋一郎」認定を始めてますよw
私もめでたく谷洋一郎認定されましたw
752 :
前世は一在家:2009/11/12(木) 21:18:47 ID:fWCosF1M
>>748 >同じコテつけたままageるのはやめて欲しい。
今、事態を悟りました。
手遅れかも知れませんが、済みません。>各位
確かに、ウザいね、あれは。
どうやら、真性のひとみたいなんで何言ってもダメだろうし。
sageる→目に付きにくくする
コテを変える→ageられて目につきやすくなった状態で
名前を追ってやってくるのを防ぐ。
名前はもう出しちゃったんだからせめてsageもしないと。
755 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/12(木) 21:46:10 ID:hBBgU/l9
(^。^)まぁ、そんな事言わずに上げ上げで行こうぜ♪(笑)
この程度は可愛いもんよw
よそのキ○ガイはもっとひどいぞw
もし依頼したら通ると思うが、
(それが本当かどうかはさておき)具体的情報付きで個人攻撃を繰り返している、
という点で、削除要件は満たすんじゃないかね。
で、書き込みの繰り返しが過ぎれば、規制対象に格上げもあるかもしれんが、
規制となる繰り返しはこんなもんじゃないから・・・w
スルー徹底すればすぐ収まるよ。
757 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 22:54:29 ID:piWzwxqE
>>738 仮に、二つの心が同時にあってもいいじゃないか、と言っただけです。
死心が結生心に入れ替わるわけですから、
死心と結生心が同時にあるわけじゃないでしょうけどね。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/11/12(木) 23:06:58 ID:piWzwxqE
>>738 じゃあ別の喩え。
心が夢を見ていて(レム睡眠だったっけ?)、
その夢が終わって、夢を見ていない睡眠(有分心)に入る。
夢が終わった直後の心が死心、
次の夢が始まる直前の心が結生心です。
実際の夢と夢との間は数十分の時間があるようですが、
喩え話だからそこは違います。
輪廻の場合は、前の夢と次の夢との間隔は一瞬です。
(四十九日の中陰を想定しない、テーラワーダ仏教の場合。)
夢の喩えで言いたいことは、空間さえも夢のできごとであり、
空間的に離れた生物に一瞬で輪廻することを言いたい。
もちろん、夢を見ている心も煩悩がなくなれば滅びますから、
永遠不滅の大我とかではない。
>>757 たぶん、こういう台詞は、「前提からして違う!」と却下するだろうし、
嫌いで、聞きたくない言い草でスルーかもしれないが、
一度、《仏教という枠の外で》輪廻(或いは転生)を考えて見ないか?
最初に設定した前提に縛られ過ぎだと思う。(→アビダルマ系の短所は、まさにここにあると思うが・・。それは今は措こう。)
件の蝋燭の喩えにしても、《喩えの為の(=喩え話を成立させる為の)掘り下げた解説》になってないだろうか?
(→アビダルマ仏教は、まさに、こうした辻褄合わせの大系と言い得ないだろうか・・・。)
貴方は、潔しとしないだろう。(真に【行者として】生きるなら、今のままでいい。 てか、【今のままの方がいいw】)
だが、2chで発言したり、或いは多様な価値観の中で発言をし、理解を得る方向性を少しでも想い描くなら、
信仰告白でなく、研究成果という位置付け・色合いを残すなら(更には学際的であるなら)、
一度は試みてみるべき方法だと思うぞ。
さて、仏教というフレームを取り去って転生を考察すると言う視点が語られたので
言うが「ある個の死と同時に他の生が生起する」
テラワダの説か?これは、現代物理学の知見と真っ向から対立してしまうぜ。
これは光速を超える情報伝達を意味し、相対性理論によれば、時系列が逆転し、
因果律が崩壊する。仏教が因果律を崩壊させてはまずいだろ?
それとも、相対性理論などあてになるかと開き直るか?
これは、地球はたいらだ。太陽は冷たいと言うのと同じレベルだが。
761 :
前スレ10:2009/11/13(金) 10:05:41 ID:A+TuGjBw
>>757 結局、同時に有るとまずいという認識は、お持ちなんですね。
同時に存在する事すらも否定するのでは、ロウソクの喩えは、全く適切じゃない事になりますね。
>>758 今度は「夢」である為に、空間の距離に依存しなくなると言う主張ですか…。
確かに、一見
>>681で指摘した要件は、満たすように見えます。
ですが、今度は、「夢を見る心」が想定される事になってしまいます。
結局、「我」が「心」にスライドしただけで、何も解決して無いのでは?
これでは、論理的無限後退に陥ります。
(「我」とは何?→「心の見る夢」である。→「心」ってなに?→心の心が見る夢である。→心の心ってなに?…)
そして、「心」が無常である事を「煩悩が無くなれば滅びるから」としていますが、
その保障はどこから来たんですか?
まさか、「心」は、心の心が見る夢だからだと言う理由じゃないですよね?
また無限後退になりますよ。
そして、根本的な指摘なんですが、ある現象について、似た現象があるから、結果も似た物になるはずだというのは、論理的飛躍だと思います。
例えば、鯨は魚に似ていますが、「魚は卵を産む」といくら主張しても、鯨が卵を産むことにはなりません。
同様に、貴方の想定する「輪廻する我」が夢に似ていたとしても、夢と同じであるとは言えませんよね?
762 :
神も仏も名無しさん:2009/11/13(金) 12:44:26 ID:3qoU+9lh
>>761 おっしゃるように、夢と同じではありません。
夢の喩えで言いたいポイントは、心は、物理的な空間を超えている、
夢から夢へ一瞬で変わるかのように、
空間的に離れた肉体へも一瞬で転生できるのだ、ということです。
夢がそうだから輪廻もそうだ、というわけではありません。
まるで夢みたいだってことです。
我とは五蘊の仮和合です。
五蘊のチーム編成が解散したら涅槃です。
例として二人の我、ドッペルゲンガーは何だよ?
>>761 現象を六識で把握できなければ
とりあえずは知識での推論しかなかろう
つまり議論しても卵か先か鶏が先でしかないだろ
764 :
白蓮:2009/11/13(金) 14:44:29 ID:82SevAb5
>そのとき長者ヴァッカリは、この比丘たちが出てゆくや否や、刀を取り出した。
ヴァッカリは自殺した。
後にそれを知って釈迦は次のように述べた。
「比丘たちよ。善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、完全な
涅槃に入ったのである」
※上記内容は好ましくないですね。自殺の勧めであるように見えなくもないですね。
ヴァッカリが自殺したら完全な涅槃には入りません。ヴァッカリに憑いていた鬼神
の魔が悪さをしていたのでしょう。
それを見抜いたお釈迦様はヴァッカリに無常を教え諭して、還ったお釈迦様は鬼神
の魔がやってきたので教え諭し撃退したから、痛みも苦しみも癒えているはずであ
ります。お釈迦様の伝言の「ヴァッカリよ、おそれるな。おまえの死は罪に汚れて
はいない。罪なくして臨終を終えるであろう」 となれば、お釈迦様の在家の仏弟子
として余生を仏道修業として過ごし天寿を真っ当すべきでありました。
天寿迎える前に自殺したことは、仏法に反します。自殺の正当性は無いのであります。
よって完全涅槃には入らないと思います。あの世の天国に行けず、この世にあって
天寿まであの世に旅立てません。まして自殺後、天寿の歳を迎えて、あの世に行く
世界は天国ではありません。従って上記内容は矛盾を感じます。バラモン教にとっ
て都合の良い弟子の解釈かと思われます。
>>764 釈尊も自殺しようとしたがブラフマーが仏法を説かせるために止めたんじゃ
なかったかな?
これは仏典での話だろ
100人中100人が自殺を図る者はまず欝状態でタンハーを残しているだろう
先ず現世へのタンハーが有るか無いかだろ
死にかたの理由は関係がない
死にかたによって天国、地獄が決まるという六道輪廻の色に囚われた妄執があるならそうなる。
だからカルト洗脳は恐ろしい。
うそヴァッカリ
767 :
前スレ10:2009/11/13(金) 19:26:21 ID:A+TuGjBw
>>762 え〜と、貴方の仰る事は、
「マンガに神様って出てくるでしょ?マンガの神様って、物理的限界を無視しているよね?
それと同じように、絶対神は物理的制約に囚われないんだよ。
マンガがそうだから、絶対神もそうだと言ってるんじゃなくて、
まるでマンガみたいだってことです。」
と言ってるようなものなんですが……。
768 :
前世は一在家:2009/11/13(金) 19:38:14 ID:3PYGXvs5
>>764 白蓮氏
>ヴァッカリに憑いていた鬼神の魔が悪さをしていたのでしょう。
仏典で憑依霊が登場するのは珍しいですね。
聖書では人に憑依した悪霊とイエスや弟子達との戦いが
しばしば登場します。
良い霊では守護霊や指導霊がおります。
日蓮は華厳経の中に、「同名天、同生天」として釈尊が説かれたと
真筆で残されたそうです。(出典:日蓮大聖人御遺文集)
どなたか華厳信者で経典をご存じの方はご教示いただきたく。
769 :
前スレ10:2009/11/13(金) 19:41:22 ID:A+TuGjBw
>>763 いやさ、五感で把握できないなら、その件については沈黙すると言うのが釈迦の作法じゃないですかね?
それをあえて「有る」と主張するなら、五感で把握できる根拠に還元して、説明して欲しいと要求しているんですが…。
ついでに言えば、全然「卵か先か鶏が先か」だとは思えないんですが、
この議論のどこが、鶏と卵のような展開になってますか?
770 :
宝珠愚者:2009/11/14(土) 01:24:26 ID:0cjwO6RW
>>768 一在家さん、他〜
まず基本的理解として悪霊と悪魔(魔)とは違うものです。
憑依(現象)と転生も異なるものです(ここでは解説しません。
しかし、誤解が甚だしいので、これについては他でいずれ詳しく扱います)。
識別を学ぶ必要があります。これらが同一視されたりし、誤解されたりしています。
そして、仏典中における悪魔(魔)とは繰り返し述べてきたとおり、
精神性の意識状態や心の迷い(ブッダの迷いとは凡夫レベルとは次元が異なるもの)
の象徴化したものです。事実、悪魔(魔)の正体については“仏典は明かしている”のです。
もちろん、梵天勧請の逸話もまた同様です。
迷信の排除と唯物論化についても混同しないようにあるべきです。
スッタニパータ
『(師((ブッダ))は語った)、「われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪と貪欲(という三人の魔女)
を見ても、かれらと性の交わりを行いたいという欲望さえも起らなかった。大小便に満ちたこの(女が)そ
もそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足で触れることさえも欲しない。」』(Sn.835)
『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございます
か」「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は
悪魔である。識(意識)は悪魔である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧
を離れることによって、解脱する。」』(『相応部経典』23-11/羅陀相応魔)
771 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 02:31:19 ID:Q5t12ip1
>>767 そうですよ。
「こんなふうにイメージしたらわかりやすいのでは」
って言ってるだけです。
極端な話、「喩えるならまるで魔法みたいなもんです。」でもいいんです。
言ってることを理解してもらうための喩えであり、
言ってることを信じてもらえる根拠にはならないです。
>>769 >いやさ、五感で把握できないなら、その件については沈黙すると言うのが釈迦の作法じゃないですかね?
つまるところ五感で把握したものさえ妄想であるから経典も妄想といえる発言をしてたよね。
773 :
前スレ10:2009/11/14(土) 09:06:54 ID:CKKFUPrX
>>771 つまり、貴方の考える「輪廻」・「我」は、マンガとか魔法と同じレベルの、「根拠の無い妄想」だというわけですか?
ご自分の妄想の開陳なら、オカルト版へどうぞ。
そうで無いなら、いつまでも喩えを言ってるのではなく、根拠をお示しください。
774 :
前スレ10:2009/11/14(土) 09:07:17 ID:CKKFUPrX
>>772 主語が無いんで、「誰が発言した」といってるのかがわからないんですが、
少なくとも私は言ってないですし、釈尊も言ってましたっけ?
ついでに言えば、五感すら否定するなら、是非、「妄想の自動車」に突っ込んでみて、死なない事を確認してみてください。
775 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 09:51:28 ID:7aqjUtXr
>ついでに言えば、五感すら否定するなら、是非、「妄想の自動車」に突っ込んでみて、死なない事を確認してみてください。
論争でただ上回ろうとして五択を並べても屁理屈にしかならない
例えば自分の手や足は、もちろん自分であるが事故で足が切り離された時、足にもはや五感も無く
足はもはや自分ではない物質でしかない。
「妄想の自動車」に突っ込んでみて、死なないでなく、仏教の場合は明智を得ていれば
死んで妄想世界から入滅するという教義のはずですが。
776 :
前スレ10:2009/11/14(土) 10:01:27 ID:CKKFUPrX
>>772 >>775 すみませんが、マジで、貴方が何を言いたいのか解らないんですが…。
もう少し解り易い日本語で書いていただけませんか?
主語・述語の対応をハッキリさせて、
「主張」と、その「根拠」、わかりやすくする為の「例示」など、明確に分けて書いてくださると助かるんですが。
ついでにIDをころころ変えられてしまうと、識別が困難なので、コテハンつけてくれませんか?
それとも、別人ですか?
777 :
108煩悩:2009/11/14(土) 10:14:05 ID:1HrND3I9
>>776 IDが変わるのはプロバイダーを切って時折、スパイウェア検査してるためで
やもえない
これから108煩悩とでもつけとくよ
778 :
前スレ10:2009/11/14(土) 11:16:01 ID:CKKFUPrX
>>777 108煩悩さん、コテハン了解しました
で、どんな主張をなさりたかったのかが、結局よく分からないんですが。
779 :
108煩悩:2009/11/14(土) 12:29:59 ID:/WSa2Wuo
>>778 いつ五感の否定をした?、しかし五感は常住でなく無常でしかないが
神経を切ったら五感は得られなくなるし死んでも同じ
肉体が受ける苦痛は色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊よる五感と感情(享楽)への執着(五蘊盛苦)しかないが。
妄想だと固定概念が入るから妄想でなくて妄執の世界と言ったほうがよかったかな。
780 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 16:46:13 ID:Q5t12ip1
>>773 根拠は、経典や僧侶達が輪廻を教えているということです。
私が比喩を使って説明したかったことは、
輪廻があるという根拠ではありません。
言いたかったのは、経典のとおり輪廻があると考えた場合に、
無常・無我と輪廻は別に矛盾しないじゃないか、ということです。
私は、お経を信じて輪廻を信じています。
根拠はありません。信じるしかないことです。
ただ、無常・無我と輪廻は矛盾しないと思います。
もちろん、矛盾しないからといって、それで輪廻がある根拠にはなりません。
信じるか信じないかの話です。
仏教もまた宗教なのですから。
781 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 16:54:07 ID:Q5t12ip1
>>773 「根拠」とは、輪廻があるという根拠ですか?
782 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 17:15:31 ID:I7kNTeL+
>>780 輪廻を単に流転という意味に解するのならばともかく、転生
すなわち「生まれ変わり」と言う意味にとり「業論」と結びつけるのであれば
明らかに「無常無我」と矛盾します。輪廻主体を設定しない業論はあり得なく、主体設定をすると「無我無我」に抵触します。
この二律背反を解消するべく各宗派が様々な説を提示してきましたが、
その何れもが失敗したのは仏教史の示す通りです。
また、この関連スレでも主体設定をしない輪廻を主張する人とかなり
突っ込んで議論しましたが結局、矛盾解消する説の提示は不可能でした。
要するに仏教という枠組みの中で転生を主張するのであれば、「論理的整合性のとれた説明は不可能。矛盾には目を瞑り、とにかく、なんかわからないが、うまいことなっているみたいだ。」
て言うくらいしかあり得ないのです。
たとえば、水俣病の胎児性患者の上村智子(21歳で死亡)さんは、
前世の業とやらで水俣病に罹らなければならなかったのか?
原因はチッソが排出、垂れ流した有機水銀であることが科学的に証明されている。
まさに縁起=因果関係が経験主義的に証明されている。
それでも業報輪廻転生論は上村智子さんの前世の業が原因だと主張するのか?
正直いうと一瞬だが殺意を覚える。
業報輪廻転生論は絶対に縁起の思想とは両立しない。
バラモン的業報輪廻転生論のアンチテーゼが縁起の思想であることは、
歴史的経緯からみても明確である。
>>780 >無常・無我と輪廻は矛盾しないと思います。
明白に矛盾する。
過去のアートマンスレで論破は完了している。
>信じるか信じないかの話です。
>仏教もまた宗教なのですから。
仏教は「理性と経験」による検証・納得(カーラーマ・スッタ)を重んじる。
仏教は検証性抜きのオカルトではない。
あなたは上述の水俣病の上村智子さんや家族の方に、
業報輪廻転生であることを証明・説明しなければならない。
784 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 17:39:43 ID:D5QeMQZ9
>仏教は「理性と経験」による検証・納得(カーラーマ・スッタ)を重んじる。
釈迦が実際に涅槃に至ったということをどのように検証・納得したのか
参考までに教えてほしい。
>>1 >輪廻転生説はどう扱うべきか!?
バラモン=ヒンドゥの潜入論である業報輪廻転生論を徹底して撲滅・廃棄し、
無常=無我=縁起=空=中道に純化すべきである。
>>784 >釈迦が実際に涅槃に至ったということをどのように検証・納得したのか
ブッダ成道時の悟り⇒涅槃がいかなる内容だったかは知りえない。
それは客観的な言語表現不能だといえる。
仏教においては悟りの内容(=あえていえば真理)は各人が主体的に探求すべきものだからだ。
逆にいえば、すべては彼岸=悟りへの筏(ブッダさえも)なのだ。
しかし、ブッダの生きざまという筏をみれば、ここに人間として
もっとも精神の高みに達した人がいるということは感じられる。
まさに自己との対話・検証だといえる(自灯明・法灯明)。
ただ、対話・検証すれば、伝えられることのなかには余りにも狂雑物が多いことも
解かってくる。
業報輪廻転生論は狂雑物の代表と認識している。
787 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 18:21:39 ID:D5QeMQZ9
>>787 >検証・納得はしていない
?
>>786で充分解かっていただけると思っていましたが。
あえていえば、ブッダの悟りとは「?〇▽×*!#」です。
>>786 >ブッダ成道時の悟り⇒涅槃がいかなる内容だったかは知りえない。
>それは客観的な言語表現不能だといえる。
既出であるが
>>636で釈迦は涅槃について言語表現をしているな。
言語表現不能ならこうなるだろうな
ヴァッチャよ解脱(涅槃)は言葉で表現できるものではない。
「生れ変らないと、考えるのは、適切ではないし生まれ変わると、考えるのも、適切ではない。」
それは語るべきものでなく自分で確かめるしかない。
>>788 つまり、わけがわからなくても構わずゴックンしていると。
792 :
前スレ10:2009/11/14(土) 23:10:29 ID:CKKFUPrX
>>779 >いつ五感の否定をした?
>>772の、>つまるところ五感で把握したものさえ妄想
と言う所は、「五感=妄想」で、すなわち「五感の否定」なんでは?
そして、相変わらず何を主張したいのかがワケワカメです
793 :
前スレ10:2009/11/14(土) 23:10:55 ID:CKKFUPrX
>>780 つまり、貴方のたとえ話は、「輪廻の存在」の根拠ではなく、
「輪廻が無常・無我と矛盾しない事」の根拠のつもりだったんですか……。
それは私が読み間違えてました。失礼しました。
結局、存在の客観的根拠については、「無い」と言う事ですか…
で、無常無我と輪廻の矛盾しない事を「夢」の喩えで示そうとしたわけですね。
ですが、
>>761で指摘したように、問題点がスライドしただけの様に思えます。
輪廻の主体である「我」を、無常・無我である事にする為に、
「夢を見ている心」を想定しているのですから。
業報輪廻のシステムは、常住の主体を想定しないと、成立しないと思います。
主体なき輪廻システムを構築できると言うなら、是非お示しください。
794 :
前スレ10:2009/11/14(土) 23:13:16 ID:CKKFUPrX
>>784 横レスですが。
成道前後の言動を見るに、私は、成道時に釈迦が悟った事は、四諦八正道だと思っています。
極論すれば、「苦しみの原因は無明であり、無明を滅すれば苦しみも滅する」と言う事ではないでしょうか?
実際に観測可能な事実を出発点にして、科学的に考察した結果が、因果の法則(業報ではない)であり、それを「苦」に適応したもの(十二因縁)が、悟りの内容だと思います。
そう考えれば、現代人にも十分納得できる理論かと思います。
「悟り」とか言うと、何か非常に超常現象が起きているように思えますが、
実際には、論理的考察の結果なんでは無いでしょうか?
795 :
784:2009/11/14(土) 23:24:47 ID:9mw9Yyw9
>>798 >釈迦は涅槃について言語表現をしているな。
その言葉が本当にブッダの言葉かどうかは知らん。
しかし、勝義は分別言語をもってしては“否定表現”でしか表しえないのは当然だ。
『ウパーシヴァよ。滅びてしまった者には、それを図る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである』
(スッタニパータ1076)
>『生まれかわる』ということは相応しくありません。
>『生まれかわらない』ということは相応しくありません。
>『生まれかわり、また生まれかわらない』ということは相応しくありません。
>『生まれかわらないし、また生まれかわらないのでもない』ということは相応しくありま>せん。」
796 :
784:2009/11/14(土) 23:33:35 ID:9mw9Yyw9
>>791 >つまり、わけがわからなくても構わずゴックンしていると。
わけがわからないのはあなたでしょう。
明白です。
『わかる』(分別)ということは相応しくありません。
797 :
神も仏も名無しさん:2009/11/14(土) 23:58:43 ID:Q5t12ip1
>>793 もともと五蘊仮和合なんだから、
最初から主体は無我ですよね。
「私が歩く」も「私がスレを読む」も「私が輪廻する」も、
世俗諦の表現としては可能ですが、
勝義諦としては間違いです。
世俗諦と勝義諦をごちゃまぜにしてはわけがわからない。
輪廻があると言うのは世俗諦の話です。
五蘊の変化の因果関係、
あるいは、色・心・心所の変化の因果関係に、
輪廻と名付ける場合は、それは世俗諦です。
ラーメンとライスがばらばらに存在するが、
それをまとめてラーメン定食という概念を与えることはできます。
輪廻という概念も、五蘊の変化に名付けた概念だし、
輪廻の主体というのも概念にすぎません。
798 :
784:2009/11/15(日) 00:00:41 ID:EbeWk9pO
>>794 >実際には、論理的考察の結果なんでは無いでしょうか?
ブッダの悟りの境地「?〇▽×*!#」から還滅して、
あえて言語化すればそういえるでしょう。
しかし、成道後最初に逢った邪命外道ウパカに「一切智者」宣言をしながら、内容は説いていない。
「?〇▽×*!#」を悟って、な〜んだそうだったのか!という境地になっても、
得力のある言語化が出来ていなかったのでしょう。
だから、ウパカは「??やれやれ??また“悟った基地害”か・・」と首を振ってバイバイしました。
いずれにせよ、言語論理は「?〇▽×*!#」への筏でしょう。
悟りそのものではないと思います。
言語論理だけなら、たんなる哲学でしかありません。
799 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 00:18:12 ID:wggGM57w
>>783 すべてのできごとが過去の業のせい、ではない。
そんな単純なものではない。
過去の業の影響を縦糸だとすると、
現在の環境等の周囲の条件が横糸です。
人間に生まれたことや、持って生まれた性格・徳などは、
過去の業の現れでしょう。
受精卵に命が宿った瞬間にできる有分心は、
過去の業の現れとして結生する。
それ以降の生命体の変化には、有分心に相続された業だけではなく、
周囲からの影響や、
周囲からの刺激に対してどう反応するかによって変わる、
新たな業の影響が関わってきます。
もって生まれた徳が高い人でも、
悪人に毒を飲まされたら被害を受けますよね。
たまたま近所に悪人がいたら、そうなります。
しかし、徳が高いなら、その悪人を憎んで新たに怒りの罪業をつんだりしない。
800 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 00:28:11 ID:wggGM57w
>>783 天人や梵天に生まれれば病気にもならなかったでしょう。
人間に生まれてしまったから病気になるリスクがあった。
人間に生まれてしまったことは、過去の業のせいだと諦めるしかない。
で、人間に生まれたから病気になったとします。
病気の原因が他人でも、その他人を憎むなら、
そこでまた、怒りの悪業を積むことになります。
怒りを静めて慈悲喜捨の心を育てるしかないのです。
業報輪廻を考えて過去にこだわるのではなく、
業報輪廻だから仕方ないなと諦めて、
今・ここの善業に専念すべきだと思います。
悪いことを自分のせいだと思って諦めをつけるための道具として、
業報輪廻の思想を有効利用すればいいと思います。
周囲を憎まず、
「自分がやったことの報いだから仕方ないなぁ、これから気を付けようっ!」
…と、明るく精進するために、輪廻思想は「使える道具」だと思います。
801 :
784:2009/11/15(日) 00:44:26 ID:EbeWk9pO
>>799 >人間に生まれたことや、持って生まれた性格・徳などは、
>過去の業の現れでしょう。
>受精卵に命が宿った瞬間にできる有分心は、
>過去の業の現れとして結生する。
あまりにも愚かしい。
経験主義的に検証に耐えるかたちで明確に証明してください。
言う、主張するだけのチンケ妄想なら馬鹿でもできる。
あなたのようにね。
インチキカルトもおなじようにやっている。
上村智子さんのお母さんの食された魚を通じてチッソが排出した有機水銀が
卵子に蓄積され、胎児性水俣病が発症したことは動物実験でも検証されている。
水俣で「水俣病で苦しむのは、おまえたちの過去世の悪業のせいだ」と叫んで来い。
ヤージニャヴァルキヤの高笑いがいまだに聞えるだろう?
「奴隷とおなじように、おまえらみたいな愚かな奴を騙すのは簡単だwwww」とね。
802 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 00:50:36 ID:wggGM57w
過去の煩悩が残っていたから、生命として生まれてきた。
滅びたくない、生きていたいんだと、生きることへの執着があるから、
生きものとして生まれた。
で、梵天や天人になるほどの能力は備えてなかったが、
阿修羅・地獄・餓鬼・畜生になるほどのコンディションでもなかったので、
人間に生まれることができた。
そこから先については、過去の業だけで決まる話ではありません。
しかし、過去の業の影響もあります。
同じものを見ても、人によって感情の反応がちがいます。
それは、もっている業の違いでしょう。
で、どんな感情・思考をするかで、また新しい業に違いがでる。
怒れば怒るほど怒りっぽくなるし、欲ばれば欲ばるほど欲ばりになる。
過去の業のせいで怒りっぽい性格の人が、
何かの刺激に対して怒れば、
さらに怒りっぽい性格になるための悪業を積むことになる。
怒りがでたときに、意識的に怒りを制するなら、
怒りにくい性格に改善するための善業になる。
戒・禅定・智慧によって自分をプロデュースし、
業をプロデュースして、解脱をめざすわけです。
803 :
784:2009/11/15(日) 00:57:01 ID:EbeWk9pO
>>800 >業報輪廻を考えて過去にこだわるのではなく、
>業報輪廻だから仕方ないなと諦めて、
>今・ここの善業に専念すべきだと思います。
ヤージニャヴァルキヤも、まさにそのように奴隷たちに説いた。
劣悪境遇を政治社会問題に目を向けさせず、自業 ⇒おまえが悪い、と
抵抗反抗を抑圧し精神的なキバを抜いた。
しかし、業報輪廻転生論は、来世への我執をコアとして、現世の我執をあきらめるという
我執矛盾論理を秘匿させているインチキ論理だ。論理的に絶対に救われない誤謬そのものだ。
ヤージニャヴァルキヤは本当に狡猾な奴だ。
現在を殺すものは、未来も殺す。
804 :
784:2009/11/15(日) 01:00:19 ID:EbeWk9pO
>>802 あんたのウンコ妄想はいいから、
⇒経験主義的に検証に耐えるかたちで明確に証明してください。
言う、主張するだけのチンケ妄想なら馬鹿でもできる。
あなたのようにね。
805 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 01:03:53 ID:wggGM57w
>>801 病気になったのは業のせいだけじゃないと言ってるのです。
しかし、病気になるリスクのある人間界に生まれたのは、
それは業の影響が大です。
生きることは苦しみであり、人間には病苦もつきものです。
そんな苦しみ多き人間になってでもいいから生きていたい、
病気のリスクのある人間になってでもいいから滅ぶのだけは勘弁だ、
というような煩悩をもっているから、人間になったのです。
生まれたかったから生まれたのです。
806 :
784:2009/11/15(日) 01:05:46 ID:EbeWk9pO
>>802 もうウソップ物語(これも奴隷教育向け)の御託はうんざりだから、
速く、業報輪廻転生を証明しろよ。
807 :
784:2009/11/15(日) 01:09:22 ID:EbeWk9pO
>それは業の影響が大です。
それを、証明せよと何度言ったらわかるんだ?
縁起の思想と業報輪廻転生論はあわない。
水と油だ。
808 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 01:14:38 ID:wggGM57w
>>804 アルボムッレ・スマナサーラ長老と、藤本晃氏の共著、
アビダンマ講義シリーズをお読みください。
私は、仏教教団が伝える経・論を信じるだけです。
深い禅定をマスターすれば経験できるかもしれませんが、
私はそのレベルに達していません。
逆に言えば、そのレベルに達した上で
「実際やってみたら違った、嘘だった」と確かめないかぎり、
嘘だとも断言できません。
仏教徒だから仏教の僧侶達を信じてるだけ。
水俣病患者が仏教徒ならば輪廻の話に耳を傾ければいいし、
仏教徒じゃないならそもそも話を聞く必要もないはず。
仏教的な善をめざす耳で聴けば、怒るような聴き方にはならない。
善をめざす耳のない人が聴けば、ムカつく話かもしれないが。
809 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 01:20:29 ID:wggGM57w
>>806 「ごたくはうんざりだ」というような怒りをなくすための仏教なのに、
なぜ怒りながら話を聴こうとするのか。
善の心を育てるために役立てようというつもりで輪廻の話も聴けば、
聴こえ方が違ってくると思います。
証拠をだせとか、そんなふうな聴き方をするのではなくて、
修行の励みにするような聴き方で輪廻の話を聴けばいいと思います。
810 :
784:2009/11/15(日) 01:22:04 ID:EbeWk9pO
業報輪廻転生論は真理でもなんでもなく、
バラモン至上主義者ヤージニャヴァルキヤによって、
きわめて政治主義的にでっちあげられた『創作フィクション』にしかすぎない。
しかも来世我執によって現世我執を殺す我執まみれの救いのない矛盾論理だ。
政治主義まるだしの御都合主義俗物思想なんだよ。
だからインチキカルトが過去にも、現在でも利用しまくっている。
811 :
784:2009/11/15(日) 01:27:00 ID:EbeWk9pO
>>809 現にただいま、業報輪廻転生という極悪論理で苦しんでいる人たちがいるから、
主張している。
812 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 01:30:01 ID:wggGM57w
>>794 四諦・八正道を前提に考えるとき、
煩悩がなくなれば苦しみが消えるのはわかります。
では、逆にいうと、煩悩がある場合は苦しみが消えないと考えるのが普通では?
つまり、煩悩があるまま、悟らないままで死んだ場合には、
苦しみが続いてしまう→輪廻となるのでは?
それとも、悟らなくても死ねば終わり、
死ねば煩悩も消えるから苦しみも消える、という考えでしょうか?
一切皆苦も仏教の基礎ですよね。
一切とは、眼耳鼻舌身意の六根と眼耳鼻舌身意の六識と色声香味触法の六境、
つまり十八界のことだと思います。
生きてるかぎり苦は尽きない。
煩悩があるかぎり苦はつきない。
苦がつきないということは一切(十八界)がつきない。
つまり、生きものとして存続している。
煩悩があるかぎり生きものとして存続してしまう。
813 :
784:2009/11/15(日) 01:38:07 ID:EbeWk9pO
>>808 だったら、アルボムッレ・スマナサーラ爺さんをこのスレに出せよ。
>仏教徒だから仏教の僧侶達を信じてるだけ。
その僧侶もその前の僧侶を信じるだけ、というだろう。
ひとり馬鹿僧侶が混じれば、その後は全員馬鹿になってしまう。
>水俣病患者が仏教徒ならば輪廻の話に耳を傾ければいいし、
確実に証明されている事実から、
愚かで妄想に過ぎないチンケ主張で目をそらさせるな。
それこそ悪業だぞ!
寺和田仏教はマハーカッサバの超劣化仏教であって、釈迦仏教だという保証はない。
814 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 01:41:08 ID:wggGM57w
>>811 その場合の「苦しんでいる」とは、どういうことですか?
悩み苦しみは煩悩が原因のはず。
仏教は、煩悩をなくして悩み苦しみをなくす教え。
仏教で輪廻を説くときにも、
煩悩をなくすために役立てなければ意味がない。
輪廻を説くための輪廻説ではなく、
四諦八正道、戒・定・慧の励みとするための輪廻説であるはず。
輪廻説を聞いて悩み苦しみが増大するようなら、煩悩が増大してるんだから、
それは説く側も聴く側も、仏教的ではないと思います。
まず釈尊は形而上学的概念に関しては断定しません。
なので我々は釈尊の考えを推測する他ないわけです。
さて、仏教は無我を説きました。
ウパニシャッド哲学においては明確に「輪廻転生する主体はアートマンである」と規定しています。
であるなら、前述の通り仏教はアートマン説を認めていないので、何も輪廻するものがない。
つまり、間接的に輪廻転生はあり得ないというわけです。
日本での仏教再興を望みます。
816 :
784:2009/11/15(日) 02:53:20 ID:EbeWk9pO
>>814 >「苦しんでいる」とは、どういうことですか?
インチキカルトで平穏だった家族生活を破壊された人たちを
何組か知っている。
また、現在でも、インドの田舎や
都市部の貧民街に行って実体験してくればいい。
犬以下の生活の膨大なシュードラ以下の人たちをみるだろう。
盗みや少女売春をしなければ食べていけない多くのひとをみるだろう。
>輪廻説を聞いて悩み苦しみが増大するようなら、煩悩が増大してるんだから、
その通り。業報輪廻転生論はコアにおいて我執(エゴイズム)そのもの、
いわばアメとムチで我執を刺激する損得取引であって、
論理的に絶対救いのない構成になっている。
なぜこんな簡単なダマシ論理を見破れないのだろう。
支配者にとって狡猾な論理だ。
⇒
>>810 人間としての倫理的生活は『縁起思想』から充分導きうる。
縁起は複雑な多因多果のネットワークであって、自他は不一不二だろう。
まさに『尽十方界是一顆明珠』(道元 正法眼蔵)だ。
・ブッダは、バラモンのようにすべて業(カルマ)の所為にはしなかった。
そこに人間の意思の介在を認めて、運命はみずからの知慧と努力によって切り拓けと説いたのである。
・また、自分の行動が即他者(世界)に影響を及ぼすことを自覚すれば、
どうあるべきかは明らかだろう。
劫初より造りいとなむ殿堂に、われも黄金の釘一つうつ(与謝野晶子)
817 :
784:2009/11/15(日) 02:59:33 ID:EbeWk9pO
業報論理はバラモン御都合主義『宿命論』であって、
ブッダの縁起のなかの自由意思で切り拓く『運命論』とは相容れない。
818 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 03:25:05 ID:wggGM57w
>>817 輪廻を認めることは、すべてが宿命などという思想と直結することではない。
身分差別や病気の問題にからめるなら、輪廻思想がなくても、
煩悩を否定する仏教は、どんなに辛い現状でも、
「小欲知足で満足すべきだ」という教えだから、
差別されても病気でも怒らず堪え忍びなさい、
という教えにもなりますよね。
>>818 貴方方サイドからは、
「自覚」という要素がすっぽりと抜け落ちた言辞が重ね繰り返されるから、
敢えて封印したらどうですか?w と言ってるんですよ。タコ助w
貴方のレスからも、仏教からは程遠い、実に傲慢な香りがプンプン漂ってきてますよ。
御自身では気付かないでしょうけどね・・・w
820 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 09:50:15 ID:/EGnpMAu
>>818 おい、テラワダ野郎!
ふざけた口きくのもたいがいにしろよ。
障害をもって生まれてきた人間に対して、それを前世の悪業のせい
であるとする業論はどのように取り繕うと差別思想なんだよ。
仏教徒でないものにとっては決してそのように認識してもらいたくないわけ。
わかるか?
それは輪廻転生肯定論者たちだけの真実であり、それを信じてないものにとってはただの中傷にすぎないの。
だから何度も言ってるんだよ。
「転生というのは仏教徒限定です。」と言えってね。
それができないなら、山にこもって、仏教徒でない者の目につかないところに引っ込んでなさい。
821 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 11:00:57 ID:lFIeJNhI
test
822 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 11:17:58 ID:8/4qDYDW
昔々、人間は地球が平らだと思い込んでいた。
釈尊の時代の民は平らの大地を象が抱えてると信じていた。
昔々、人間は地球が宇宙の中心で太陽が廻っていると信じていた。
823 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 11:19:00 ID:MMw6lHcL
「真理」とは、時代を問わず、「すべての人間」「すべての事物」に
適用可能な原理をいう。
「釈迦が言った、言わない」「経典に書いてある、書いてない」は、
「真理」とは一切関係ない。
現代人が真理か否かを判断するのは、現代の知識(科学)に基づく、
現代人の知性(批判力)である。釈迦は、何の為に「自灯明」を教え
たか。
古代の迷信に過ぎない輪廻転生さえ否定できない仏教徒は、釈迦の
教えに真っ向から反していることを自覚すべし。自灯明などという言葉
を言えた宗教の開祖は、釈迦以外には「皆無」である。
釈迦の偉大さは、実にこの「自灯明」にある。佛教を、単なる輪廻転生
のカルト宗教に堕さしめてはならない。それでは、現代社会のどこにも
通用しない。
824 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 11:44:18 ID:1lN+llrL
釈迦の「自灯明」の教えを忠実に守り、「相互依存性・関係性」と
いう、時代を越え、すべての人間と万物に適用される原理としての
「真理」を発見したのが竜樹である。竜樹は、原始仏典における、現代
人にとって不合理な部分は、すべて的確に批判している。
竜樹の卓越した頭脳を経由しない原始仏典の部分は、「非真理」として
すべてまとめて廃棄すべきもの。
825 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 12:17:43 ID:/KvIll9L
輪廻転生などを信じる人間には、必然的に、「自分の輪廻から逃れたい」
という「我欲」を生じる。従って、いくら「修行」してみても、それは
「我欲」に基づくものだから、「悟り」や「解脱」からは、遠ざかる一方
であることを、忘れてはならない。
826 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 12:51:19 ID:GZLw8ZO6
煩悩とは、すべての人間が有する「生きるための原動力」「生きている
ことの証(あかし)」である。
「煩悩を去れ」というのも「煩悩」である。
「煩悩」は、それを「あるがままに受け入れる」ことにより、もはや
煩悩ではなくなる。対象と一体化することにより、対象は消滅する。
「煩悩を去る」という煩悩に苛まされるより、むしろそれをあるがままに
受け入れ、生きる原動力として有効利用することである。
釈迦の論理の根本的欠陥、そうでなくても、最も誤解を招く部分であると
いえる。
827 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 17:55:56 ID:fKp/X1Lp
東方花映塚…
828 :
絶対神:2009/11/15(日) 18:06:08 ID:BWhVCh1K
元々、生まれ変わりとは、キリスト教でいう楽園でのアダムとイブの堕罪と
一緒で、
「人間はどうしてこんなに不条理で不幸な体験を多くするんだろう、この世界
のシステムはいったいどうなっているんだろう?」
という言ってみれば、「不幸の根源」を、「不条理の根源」を、理屈付けようと
して生まれただけのものだと思うよ。
だからどうしても突き詰めて考えれば、おかしなところが出てくるんだよ。
たとえば、アダムとイブの場合は、そんなに遠い昔の人間が神にそむいた事なんて
知るか! という気になるし。
輪廻の場合は、ダイレクトに障害者差別に繋がる、という風にね。
『ある意味、根本的に無理のある理屈なんだと思う』
829 :
絶対神:2009/11/15(日) 18:15:44 ID:BWhVCh1K
「いや、自灯明なんてどこの宗教の教祖でも言ってるけどさ」
たとえば、聖書のイエスの自分絶対者宣言とか、そういうのは「後の時代の弟子
のねつ造」である事が判ってるよ。
寧ろ、ワリと平凡な言葉だと思う。
麻原だって言ってたらしいしね。
もし、釈迦が「自灯明」なんて言ったとしたら、根本的に錯誤しているね。
「人間が自分の頭で考えて、人生における絶対の律=真理なんて判る訳ないもの」
830 :
前スレ10:2009/11/15(日) 19:51:12 ID:C8feEU5w
以下、連投失礼します
>>797 >もともと五蘊仮和合なんだから、最初から主体は無我ですよね。
ですからね、何度も指摘してますが、貴方の言うように、輪廻を想定すると、
輪廻する主体が必要になるわけです。
そして、その輪廻の主体は、常住でないと「輪廻」はおかしなことになりますよね?
「五蘊仮和合の無常の我」と、「貴方の主張する輪廻する我」は、天と地程の違いがあります。
両者が同じ「我」と命名してあるからといって、同じものだとしないで下さい。
>輪廻があると言うのは世俗諦の話です。
またぞろ「世俗諦と勝義諦」が出てきましたが、
後半の説明を読んだ限りでは、「輪廻は無い」と言う結論でよろしいんですか?
なら、今まで散々説明してきたのは何だったんですか?
831 :
前スレ10:2009/11/15(日) 19:51:32 ID:C8feEU5w
>>799 又横スレですが、
「すべてのできごとが過去の業のせい、ではない。」と言うなら、業のせいにする必要も無いと思うんですが……
そして、貴方が業のせいだと言っている、「生まれた環境」こそ、差別につながる問題だと思います。
「あなたの性格が歪んだのは、貧しい家に生まれたからで、それは過去の業のせいだ」と、言うおつもりですか?
生まれた瞬間から持っている先天的疾患についても、過去の業のせいですか?
832 :
前スレ10:2009/11/15(日) 19:52:10 ID:C8feEU5w
>>808 >深い禅定をマスターすれば経験できるかもしれません
>そのレベルに達した上で「実際やってみたら違った、嘘だった」と確かめないかぎり、 嘘だとも断言できません。
なんとも都合のいい理論ですね。
修行しても理解できない場合は、「修行が足りない」と言えばいいんですから。
何度も言いますが、
「業報輪廻は仏教徒専用の理論」なら、普遍的真理であるかの様な語り口は止めてください。
普遍的真理だと主張するなら、根拠をお示し下さい。
どちらも出来ないなら、発言をおやめ下さい。
833 :
前スレ10:2009/11/15(日) 19:53:22 ID:C8feEU5w
>>812 先ず、誤解が有るようですが、古代インド人がもっとも恐れた苦しみは「死」です。
(余談ですが、古代インド人が輪廻と言う迷信の中でもっとも恐れたのは、
「悪い所に生を受ける事(再生)」ではなく、
「死に続けないといけない事(再死)」だそうです)
そして、その次に恐れたことが、生きている間に受ける苦しみです。
ですから、死んで苦しみを逃れると言う発想はありえません。
「苦しみの無い生き方を模索する」と言うのが仏教の目的だと思います。
次に、煩悩が苦しみの原因であるので、死ねば煩悩も無くなり、苦しみも発生しなくなります。
(原因がなくなるので、結果がなくなるのは当然ですよね?)
よって、死後も苦しみが消えないと言う事はありえません。
貴方の主張は、死後も「煩悩」をもつ「主体」が残り、その主体が苦しむと言う、
単なる「霊魂」信仰に過ぎませんよ?
834 :
前スレ10:2009/11/15(日) 19:53:40 ID:C8feEU5w
>>818 え〜と、だいぶ違うと思いますが……
仏教で言う場合は、「満足しなさい」ではなく、
「現状で実際に病気なんだから、いくら悩んでも祈っても願っても現状が変わる訳は無い。
だから、そこを悩んでも、しょうがない。
しょうがない事は受け入れて、どうにかできる部分をどうにかしましょう。」
という事だと思います。
「病気は前世の業(お前)の責任だ!」と言うのとは、雲泥の差がありますよね?
835 :
前スレ10:2009/11/15(日) 19:54:59 ID:C8feEU5w
>>826 煩悩肯定論ですか…。
釈迦は、苦の原因は煩悩(無明)であると見抜かれ、煩悩を「滅する」事で苦から脱する事を説かれたんだと思います。
煩悩と一体化というとカッコいいですが、それでは、野生の動物は全て悟りを開いて成仏してしまいます。
欲望の赴くままに生きれば成仏してしまうんですか?
以下、個人的意見ですが、
基本的に、仏教は、非社会的、反倫理的教えだと思うんです。
社会を維持する為には煩悩は必須であり、
仏教が社会的にも有用だと示したいあまり、
煩悩を肯定する風潮がありますが、それは誤りだと思います。
また、修行の助けとして、心身を整える為に善行を行いますが、善行そのものに、悟りに至る「力」は無いと思います。
仏教が道徳的だと示したいあまり、善行自体に「力」が有るような意見も、よく見ます。
あくまで、悟りに至るには、智により、無明(煩悩)を滅する以外に方法が無いと思います。
連投失礼しました。
私は、《単純に「無我と“輪廻(或いは転生)”が抵触する」》と言っているのではない。
それ(「輪廻と無我が抵触する場合」)は、
《輪廻(或いは転生)に際し、「業力を(或いは業果)継承する主体が想定されている場合」抵触する》ということだ。
※ 少なくともこれまでは『そうした“主体ありきの輪廻・転生”意見』にしか出会っていなかったし、
今でも、肯定論者の9割がそのスタンスだろう。 (そうでないのは極々一部だwww)
※※ 私が提示したのは、《寧ろ、「三世に跨った輪廻及び転生」こそが、「縁起」に(或いは因果律に)抵触するのではないか?》
ということ。(詳細は過去スレ。)
※※※ 宝珠がスレを建てるまで、私は「輪廻及び転生」を蚊帳の外に置いてきたし、必要な時に
「仏教ではこれこれこのように言われます」と触れるに留めてきたし、それで事足りてきた。
今後もそうするつもりだし、誰かさんは「それは世俗的方便だ」と評していたが、
輪廻自体が世俗の方便なんだろ?w 咎められる謂れもなかろう?w
ただ、誰かさん(AB或いはC)のおかげで、「厭離の基盤」であり「解脱の語義とのリンク」等を鑑みれば、
やはり適度に触れたほうが良いとも思った。そして、その時の「主体なき輪廻」についての語り口は、
幾つか自分で試みた分も含め、大変勉強になった。いい喩えにもいっぱい触れることができた。
その意味では、宝珠にも(!www)感謝に堪えないw
“主体を立てない輪廻(或いは転生)”に関しては、
勿論、《【仏教の枠内では】無矛盾であり整合性が取れている》と思っている。
(おそらく相手は10氏だったろうが)、稚拙ながら何度か解説もさせて貰った。
だから、ここから先が分水嶺となる。(量子力学や相対性理論を言い出す者もいるがw)、
そこまで仔細な、専門的な領域に入らずとも、日常レベルでの名色の変異をどう受け止めるかという部分で。
(宝珠はつまみ食い的引用しかしないのでスルーとしてw)、沙門果経に述べられるように、
今、現象している(縁起している)この肉体(色)を離れての名或いは想・行・識はない。
このことの反例・反証は古代の文献(聖典)以外に存在しない。(宿命通も同じ。)
リアルに、如実に、自身の心身を観察して見えてくるのは「無常なる五蘊」「縁起する五蘊」だ。
勿論、インドの世界観、仏教の世界観として、「生成と破壊の繰り返し」「無始劫来の輪廻」があることは承知だ。
が、それは現代宇宙論や或いは科学、物理学等でも同じこと。
人が、始原を問うこと・辿りつく事の一歩手前で立ち止まる諦観はあろう。
しかし、【始原を問えない】からと言って、
「輪廻し、生まれ変わり、継続してゆく事象((更新されつつの)存在)」を想定する必要はあるまい?
事象の連鎖に断裂が見られた時、その時初めて「断滅」「断見」となるが、“世界”はそうではない。
“世界”は間断なく繋がっている(連鎖している)。
《「如実に見る時」「そこに“常”も“”断」もない》と言われる時、それはまさしくその通りであろう。
逆に、「輪廻を(転生を)認めなければ断滅となる」と言う時、それは、
《『断滅する何ものか』が、そこに想定されている》。
→ ≪いったい、【何が】断滅なのか(断滅するのか)?≫
→ ≪【断滅してはならない何ものか】が断滅する思想・考え方・見解だから批判されるのならば、
【それは何か】? そして、それは【恒常的に存在する】ことを意味しないのか?≫
「心」と称しようが「識」と称しようが「霊魂」と称しようが「アートマン」と称しようが、「意識」と称しようが、何も変わらない。
【それらは(教義上・伝統上)継続せねばならないもの】だから、
【断滅せず】【継承され】【過去のデータは蓄積され続け】、
【「心」として、或いは「意識」として、【その在り様・要素・性質のまま!】存在し続ける】。
どなたかさんが、無常であり、変転している、そうした移相を言うかもしれないが、
おっとどっこいだ。 この変転の仕方である限り、(世俗的名称としての)ラベルが貼り替えられているだけで、
その中身は常住だよw だろ?w
「因により縁により諸法は生じ、また滅す」と言う時、「それを見、知り、頷く」時、
スパンの長さ(三世に跨るかどうか)は関係ない。
(寧ろ、そのスパンを過・現・未と区分すること自体が、如実に見ることに反する。
誰かさんが言った「輪廻は世俗のことである」「勝義にはない」という台詞にも見える通りだ。)
そして、「人の意識が、死によって(=肉体の壊滅によって)そこに生じなくなる」という
現代の(世俗の!)常識(≒知見)がまさしくその通りである“可能性w”は依然として残っている。
これを覆した聖者はいない筈だ。
問う。
「風化し、摩滅し、細かな塵となって雲散霧消した石を
“断滅(した)”と(「石という(世俗的)存在」の断滅と)見るのか?」。
「心停止し、止まった血液の【流れ】を『血液の流れの断滅』と見るのか?」。
風化し、摩滅し、散逸した【石の在り様の果】を断滅と見るなら、【血液の“流れ”の停止】を断滅と見るなら、
上記の場合の人の意識を断滅と見做すのも筋が通る。
が、そうでないならば、人の意識にも又、「断滅」という表現をもってくるべきではない。
「人の意識(≒「心」)だけが、滅せず継続されてゆくのか?」 そして、
「滅して、また所縁によって生じる時、(それは“別もの”であるわけだが)、
ここを繋ぐ『業力』を納得し得るかどうか?」が、2つ目の分水嶺だ。
ほか全ての事象が、生じ滅し、事象として変遷継続してゆく際に、
過去のデータが関与し、且つそれが抽出可能であることなどない。
唯一、「心」「意識」だけが、それを可能としている。
(※勿論、業(業力)を積み得るのがまさしく「心」「意識」だけだ、という方向性もあるが、今は措く。)
ここに於いて、『転生が無ければ断滅だ』という指摘の背後に見えるのは、
≪人の意識を特別視し、【継続すべき事象である】と見做している≫ことに他ならない。
上(
>>838)で指摘する通りだ。
まるで、因により縁により生じ、継続し、滅するものであることを忘れているかのようだ。
間断なく連続している事象の連鎖に於いて、過去世・現世・来世を区分すること自体が既に迷いであろう?
だから「願望」だと、「来世での帳尻合わせを願う根性」だと批判した。
意識が脳の所産であって、なぜ仏教と(縁起と)抵触するのか不思議でしょうがない。
【抵触しているのは】【三世に跨った輪廻《のみ》】だ。
(※私の立場は、《「血流」と「意識」「心」とを同格・等価・等質に見做す》ものだと思って貰えばいい。
「意識」だけを特別扱いする理由は微塵もない。)
だから、「仏教という枠組み」の重要性、場面場面で(議論に於いて、或いは解説に於いて或いは法話に於いて)
それがどの程度の拘束力で効いているのか(→《話の中で、どの程度まで効かせていくのか》)
の見極めが重要なのだ。 そして、仏教の枠外との対話が生じた時、
話者は「自身のスタンス」と「言葉の選び方」を、望むと望まざるとに関わらず問われることになる。
自分が用いようと思っている枠組み・前提が、今臨んでいる現場に於いて通用するのかどうかの見極めを・・・。
(ここを間違えると、以降どれだけ言葉を重ねても、修復困難が予想される。)
話者は、仏教の枠内で通用することを援用する際に、その話術を問われることになる。
それが、相手の枠内でもまた通用するのかどうか。相反する場合どうするか。
10氏や他何人かが問うているのは、まさにこの部分なわけだ。
仏教と無関係な者も輪廻し転生するなら、仏教の枠を越えて語ることが可能でなければならない。
また、現に、《神智学の枠内での輪廻(及び転生)は、【仏教のそれと大きく異なっている!】》
《仏教の枠内の者は仏教的に転生し、神智学の枠内の者は神智学的に転生する》、ということか?
それは、どうにも不自然だ・・・w
自身の意識(の存在)とラッシュアワーの人の流れとの間に、さしたる違いはない。
そして、更に蛇足を加えるなら、
『三世に跨らない方が、業報思想(業報論)はその完成度を高める(完成形となる)』と私は考えている。
蛇足:
《仏教が認識論であり、「当人にとって、どのように認識されるか(=受け止められるか)」》 であるなら、
そして、
《「輪廻(及び転生)」が、「当人の自覚として」、「過去世の業果を受けている」と、
「当人に於いて」「認識される」もの》 であるなら、
《そのように見做され、区分され、分別され、認識される事象
(―それは、世俗的言辞で「輪廻(或いは転生)」と称される事象であるが―)は、
「その人にとってのみ」「輪廻」であり「転生」であり「懺悔の由」であり「発奮・菩提心のきっかけ」》であろう。
《「その人以外にとっては」、その事象は「全く違う見え方」をし、「違う受け止められ方」をし、「違う意味」を持とう。》
そして、《「その事象の真の姿(≒在り様)」に於いて、これのみが正しい、ということはない》であろう。
それが、認識論と評した場合の限界であろう? この時、「勝義という括り」もまた力を失う。
所詮、当人にとってのみの勝義なのだから・・・。
そして、
《三世に跨った輪廻及び転生が抵触するのは、
まさにここを逸脱し、『当人以外に適用されている』という点なわけだ。
しかも『問答無用(≒当人の自覚無視!)に適用される』という点なわけだ。》
とてもじゃないが、「認識論だ!」なんて言えないと思いますがね・・・。
────────────────────────
十分に推敲・構成はできてないが、大筋は示せてるんじゃなかろうか・・・。
追記:
>>840中の“蛇足”と
>>841の“蛇足”に関連はありませんw
あと、2chでは唯識系の意見をあまり聞かないな・・。
禅、上座部、中論ベースの人は沢山いるけど・・・。
なんでかな? (´・ω・`)
843 :
前スレ10:2009/11/15(日) 22:25:59 ID:C8feEU5w
>>836-842 大筋でその通りだと思います。
唯識が居ないのは…・・・自己完結しちゃうからでは?w
844 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 22:33:29 ID:rmmvDFX1
>>835 >釈迦は、苦の原因は煩悩(無明)であると見抜かれ、煩悩を「滅する」事で苦から脱する事を説かれたんだと思います。
>煩悩と一体化というとカッコいいですが、それでは、野生の動物は全て悟りを開いて成仏してしまいます。
>欲望の赴くままに生きれば成仏してしまうんですか?
それが、釈迦の基本的誤り。というよりも、彼の鬱病という「心の病」の症状。煩悩とは、換言すれば「生物的
生存本能(生命)」のこと。あらゆる時代と地域を越えた、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実。
生命の指示によってひたむきに生きる生活者や野生の動物は、煩悩という「苦」や「煩悩から逃れようとする」
「我執」や「苦」はない。
さらに、生命(生存本能)は、独りで維持することは絶対に不可能なことを、これも本能的に知っているから、
生存本能から、共同体形成維持本能、自他の死への恐れ、他者への思いやりという自然の感情が派生する。
即ち、生存本能は、すべての「善」の根源でもある。この本能は、すべての人間ばかりか、すべての動物の
身体に宿る肉体的本能だから、他者から教えられるいわれはなく、教えられてはならないもの。教えられれば、
肉体的本能が観念化され、変容・歪曲され、結局は破壊されることになる。
百獣の王ライオンでさえ、自分の家族には優しい。動物たちは、生存という目的を離れた、「人為的観念の遊戯」
に過ぎない宗教のために、他の動物を殺すことはない。
結論的には、すべての生活者も野生の動物も悟っている。悟っていない、成仏できないのは、生存本能から
隔絶した人為的観念の虜になった、宗教者のみである。
↑こういうのも極論過ぎてアウトだけどね・・・w
846 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 22:41:15 ID:wggGM57w
>>830 おかしいでしょう。
あなたの言い方では、生きていることを認めると、
生きている主体が必要になることになります。
しかし、生きている主体は世俗諦であり、概念上の存在です。
と言っても、生きているという現象が無いわけではありません。
主体を認めつつもその主体は無常・無我・世俗諦だということです。
なんで主体が常住じゃないと輪廻できないんですか?
主体が常住じゃなくても、あなたも私も毎日生きてるでしょう。
847 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 22:53:33 ID:wggGM57w
>831 何もかもが過去の業のせいだとも思ってないし、
生まれた環境がすべて過去の業のせいだとも思ってません。
ただ、人間に生まれたことは過去の業のせいだと思います。
また、過去の業が、持って生まれた性格に影響を与えてるとは思います。
848 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 22:54:06 ID:5gSm2MqN
>>845 ちっとも極論ではない。むしろ、「動物としての人間」という最も
基本的な事実。
宗教者とは、「人間としての根源」を忘れて「精神病者である1個人の
観念で狂わされた人々」のこと。
そもそも、健常者であれば、「一切皆苦」などと考える者は皆無である。
「苦があるからこそ、楽も存在し得る」という「真理」を悟って、その
真理に基づいて生存を続けている。
膨大な原始仏教の経典から、「時代と地域を越えた、万人と万物に適用
できる原理」、即ち、「真理」のカケラでも得られるのかね。
849 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 23:04:21 ID:wggGM57w
>>830 輪廻と呼ばれる現象はあるし、
輪廻の主体と言える心という現象もある。
しかし、過去の現象もあったし、現在の現象もあったし、
過去と現在の因果関係もある。
しかし、過去の現象と現在の現象とは別ものである。
映画のフィルムの1コマ1コマが別々の画像であるのと似ている。
コマとコマを連続した動画として見ることはできる。
しかし、実際には、コマとコマは別々の画像であり、
コマに映った絵が動いてるわけではない。
現象はあるが、無常・無私です。
本当は動画ではなく、静止画像の連続。(1コマごとに滅ぶ無常・無我)
しかし、連続した静止画は存在してるので、無ではない。
動画に見える現象はある。(輪廻はある。)
しかし、本当は動画ではない。
(輪廻の主体は1コマずつ生じては滅びていく無常・無我。)
850 :
神も仏も名無しさん:2009/11/15(日) 23:07:24 ID:bgGgs0bi
宗教の最大の欠陥は、それが「百人百様の観念の遊戯」に過ぎず、その
正誤・正邪を判断する「現実界」という確固たる基準が皆無だからである。
従って、宗教における「真理」は、必ず「争いの原因」となるだけ。
一方、自然科学における「真理」は、全人類的合意が容易に到達できる。
これは何故であるかを、よーく考えてみて欲しい。
>>848 あのな・・・w
仏教に於いては、人が生きる上で二つのスタンスの取り方を、(目指すべきものとして)設定している。
一つは
《苦楽を併せ呑み、楽を享受しながら、(代償とも言うべき)苦を甘んじて受けつつ生きる》 こと。
もう一つは
《Sn.ダニヤの章に象徴されるように、無常なる一切を厭い、(負債無き境地と讃される)出家者(比丘・遊行者)として生きる》 ことだ。
貴方の言っているのは前者だ。
(しかも、後者を視野に入れつつ、その手前の段階であることが把握されねばならない。)
仏教では、それを無価値だとは言わない。
ただ、そうした、苦楽併存した煩わしさを超えた境地が、釈尊一押しの生き方として提示されているわけだ。
御隠居は、ダニヤの章をしっかりと読み込むべきかと思うw
852 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:04:52 ID:zREsI+eD
>>844 >煩悩とは、換言すれば「生物的生存本能(生命)」のこと。
>あらゆる時代と地域を越えた、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実。
え〜と?煩悩が全人類が共通して持っている性質である事と、煩悩が肯定されることに、何の関係が有るんですか?
まさか、全人類が煩悩を持っているから、煩悩は肯定されるべきだと?w
>結論的には、すべての生活者も野生の動物も悟っている。
野生動物のように生きろと?
それは、人間性を全て捨てろと言う事ですかね?
貴方の主張のように、煩悩に従って生きた場合、一番の問題点は、
「世界の中心は貴方ではない」事ですね。
具体例でいえば、お腹の空いた貴方が、煩悩に従ってコンビニの棚のパンを食べ始めたら、
パンの持ち主(店主)に起こられて、逮捕されますよね?
即ち、逮捕されると言う「苦」が生じます。
他にも、『常に健康で若く死なないで居たい』と、あなたが煩悩に従って望んでも、貴方は、病み、老い、死にます。
貴方が、無病で、不老不死にならない限り、いくら煩悩に忠実に生きようとも、この苦しみは止まらないですよね?
もし、世界が貴方の思うように改変されうるものであるなら、煩悩のままに生きても、何の苦も無いと思いますが、
世界が貴方とは別の存在で有る以上、煩悩は、苦の原因になると思います。
煩悩と一体となって生きると言うカッコいいフレーズに酔うのはいいですが、もう少し冷静になって考察しましょうよ。
853 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:05:00 ID:zREsI+eD
>>846 え〜と?なんで、生きていると常住の主体が要るんですか?
単に今生を生きるのに、常住の主体を想定する必要は無いと思っていますが?
何度も指摘していますが、私は「無我」は肯定してるんですよ?
ただ、「輪廻を想定すると」、輪廻する主体としての我が必要となると指摘しているだけです。
そして、輪廻に主体が必要なのは、貴方の仰る輪廻は「業」を来世の肉体に伝える「存在」が必要になっているからです。
854 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:05:06 ID:zREsI+eD
>>847 ドンドン「業」の影響範囲が狭くなりますねw
生誕後の人生は、過去の業の結果ではなく、生誕時の環境も、過去の業の結果ではないと言う事は、
つまり、「人間に生まれた事」だけが業の結果なんですよね?
そうすると、今の人間は、全て同じ程度の善悪の業しか犯していないと言う事で、
人間同士を比較した場合には、前世の業の影響は皆無だと言う事になります。
もはや、一般的応報輪廻からはかけ離れた新説ですね。
これが貴方の主張する業報輪廻ですか?
855 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:05:11 ID:zREsI+eD
>>849 今度は映画のコマですか……
また、輪廻と無我が矛盾しない根拠を示そうとなさっているようですが、
今回の「映画のコマ」も、無常の説明にはいいかもしれませんが、輪廻の説明に向いていませんね
「輪廻」をする為には、一つ前のコマ(今世)と、次のコマ(来世)の間に関係性が無いといけないわけですが、
そのためには、監督と言う存在(主体)が想定されなければなりません。
また、問題点のスライドです。
もし、監督が居ない(主体が無い)とすると、一コマごとに関係性の無いランダムな絵が現れることになり、それは輪廻とは対応していないですよね?
無常である事を説明しようと頑張ったあまり、「主体無き輪廻」と対応していない例を、またまた引っ張ってきてしまいましたね。
856 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:05:16 ID:zREsI+eD
>>850 >自然科学における「真理」は、全人類的合意が容易に到達できる。
いやいやw 自然科学会でも百家争鳴してますよw
全人類が合意した「真理」なんて自然科学には存在しません。
あるのは、「真理に近いのではないかと多くの人が推測する仮説」だけです。
857 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 00:24:12 ID:KRYCvEby
>>851 ダニヤの章を読んだが、釈尊は、ダニヤをそれまでの「真理(すべての人間に
共通する原理)」から引き離してしまったようだな。即ち、「健常者」としての
ダニヤの人生を破壊するという、巨悪を行ったことになる。現代のカルト教祖と
何らの相違も無い。
釈尊が「俺は悟っている」「俺は偉い」という意味の発言を常にするのが気に
なる。彼は、うつ症状としての厭世観と同時に、躁状態としての「誇大妄想」
もあったようだ。現代の精神医学では「鬱病」という言葉はあまり使わず、
「双極性障害」という言葉を使う。即ち、ここでの釈尊のように、うつ状態と
躁状態とが共存し、または交代して現われる。
付き合うなら、精神病者ではなく、健常者の人格者と付き合うべき。君の人生
に巨大な禍根を残す。
駒沢の教授は、己が嵌った原始仏教を、教壇の上から布教し、学生を洗脳して
いるのか。テラワダ信者も紛れ込んでいるようだ。それでは、「客観性」を生
命とすべき学者の資格は、もはやない。
858 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 00:26:44 ID:JfPAdkfc
>>856 別に隠居を擁護するつもりもないが、
それは単なる揚げ足とりのコメントだろう?
例えば「地球は丸い」「太陽は熱い」などの事例に関して一部のものは異を
唱えるかもしれないが「全人類的な合意」のとれている真理と表現しても、
問題はなかろう?それとも、お宅は「そのことを自分で確認したわけでなかろう?ならば、
それは極めて蓋然性の高い仮説にすぎない」と言うか?
であるならば、我々が通常しようする「真理」と言う表現はほとんど全ての場合において不適切な表記となってしまうが。
859 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 00:34:27 ID:cRSkDcC8
>>852 他者概念は、「生存本能」から「のみ」、生じるのだよ。他者への配慮が
なければ、自分も生存できないことを、これも本能的に知っているからだ。
他者が存在しないのが、観念の遊戯によって本能を破壊された、宗教者の
姿である。
860 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:40:15 ID:zREsI+eD
>>858 いや、揚げ足取りではなく、科学の本質の話なんですがね。
例えば、「地球が丸い」という仮説は、人工衛星による詳細な観測の結果、実は楕円球(しかも南北で極率が違う)であった事がわかりました。
ニュートン力学は、相対性理論によって、速度が光速より十分に遅い場合の近似値に過ぎない事が解りました。
そのほか枚挙に暇が無いですが、全ての科学法則は、いつか否定されうる「仮説」に過ぎません。
自分が確認したか否かは、この話には全く関係がありません。
全ての科学法則は、いつか否定される可能性を秘めた「仮説」に過ぎないというのが、「科学」の大原則なのです。
極論すれば、「科学において」は、「真理」はありえません。
「現時点で真理に限りなく近づいた仮説」が有るだけです。
861 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/16(月) 00:44:21 ID:ieyMGrs1
>858
(^。^;)ヨコレスだが、それこそ揚げ足だ。
科学的な【真理】は、>856の立場から還元主義的に追実験による検証を重ねて最も妥当な仮説を採択する事により万物理論の構築を目指す事を言う。
地球が楕円形である事や、重水素核融合の発する高熱などは、観測データであり、所謂【真理】では無い。
(^。^)さぁ、間違い探しだ♪(笑)
そのようなオーヴァーエンジニアリングみたいなのは必要ない。
近似値で実用性に足る。
誰のために、何のために必要となるのか?
真理なんて言葉、中学生までにしときなさいな。
863 :
前スレ10:2009/11/16(月) 00:47:45 ID:zREsI+eD
>>859 え〜と?私の発言をきちっと読んでますか?
煩悩=生存本能で有る以上、死は絶対的な苦しみですよね?
他者が存在しようとしまいと、貴方は死にますよね?
よって、煩悩に従っていようと、死ぬなら、苦が生じますよね?
それとも、煩悩に忠実に生きると、死ななくなるんですか?
864 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 00:57:10 ID:JfPAdkfc
>>860 だから、それは極論だろうと言っている。
そのようなことを言い出せば、現に我々が存在していると考えているこの世界の実在
さえも不確かになり全ての試みが無意味となる。
現時点において我々は「地球は丸い」を真理と表現する。たとえ、厳密に言えば将来、それが覆される可能性が
ゼロではないが現時点ではそれが真理であることは、まぎれもなく我々の共通認識であり
そのように表記することな何の問題もない。
それとも、お宅は「全ての事例は将来、覆される可能性があるから『全人類的な合意のある真理』と言う表現は
使用するべきではない」とこう言うのかな?
俺が思うに『全人類的な合意のある真理』と表現することが不都合とは考えられない
科学的知見は多数あると思うがな。
865 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/16(月) 00:57:22 ID:ieyMGrs1
>863
(^。^)解説しよう♪
ご隠居は、かの【水槽の脳髄】でさえも無視する事が出来る豊かな想像力をお持ちの勇者なのである!(爆)
866 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 01:05:58 ID:vz3QtRPz
>>863 死は、すべての人間、すべての生物に、極めて公平に訪れる大自然の
摂理。個体の死によって、新陳代謝が行われ、種としての生命の維持
が可能になる。
死ねば、煩悩は完全に無くなるのだから、煩悩を無くすためには、死ぬ
のが一番。それでも、すべての生物は、ただひたすらに生きようとする。
生きているうちに煩悩を「苦」とする釈迦は、わざわざ二重の苦を作り
だしていることになるw。これが彼の鬱病の典型的な症状。
867 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 01:08:15 ID:JfPAdkfc
例えば「人間はいつか死ぬ」
これも現時点において「死なない人間」が観測されていないから「極めて蓋然性の高い仮説」である。
しかし、将来「死なない人間」が現れる可能性もゼロではないから「真理」とは言えない。
厳密に言えば、そのような論も成り立つが
我々は一般的にこれを
「全人類的な合意のとれた真理」であると認識し、そのように表記することに問題はないと考える。
違うかい?
868 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 01:19:16 ID:JfPAdkfc
誤解がないように断っておくが、俺は別に隠居を擁護してるわけではない。
ただし
>>850 の書き込みだけに限定すれば、これは間違った見解ではないと
考えたので、それに揚げ足とり的なレスをつけたお宅に絡んだわけよ。
>>850 百人百様の思想が認められない、一党独裁共産思想乙w
もしくはファシストか?
870 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 01:37:15 ID:WMu4wmK0
>>869 思想も、人間の生命の機能である。人間は、現実界に100%依存しな
い限り、絶対に生存できないのだから、現実界から隔絶した思想は、
生によって生を否定するという矛盾を犯しており、人間にとって無意味
で有害。マルクス主義やファシストの思想が、まさにその典型である。
これらは、生によって生を否定するという矛盾を犯した「宗教」である。
871 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 01:38:51 ID:JfPAdkfc
>>869 そうとるか?
確かに隠居は偏向性の強い独断的な見解の持ち主だと思うが
>>850 は「宗教における真理と科学における真理の客観的検証性の違い」を指摘したに過ぎないと俺は読んだのだがな。
そうであるならば、この点についてのみは、俺は隠居に同意するね。
真理なるものがあるとするならば、
「常見」
になるだろうなあ。
日常において、生きるだの、死ぬだの大騒ぎしないのが
まっとうな健常者の精神。
873 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 08:01:07 ID:p/PujghC
>>853 生きてるときだって、一瞬一瞬ごとの肉体と肉体をつなぐ主体があるから生きているわけです。
生きてる人の肉体も心も、映画のコマです。
(点滅してる。)
それをつなぐ監督が無明・渇愛でしょう。
生きている人には無明があります。
過去に生きていた人にも、今生きている人にも無明があります。
無明という監督がいるのです。
しかし、無明という煩悩は常住ではなく、滅ぼせるのです。
874 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 08:05:11 ID:p/PujghC
>>854 一か百かという話をしてるわけではない。
病気になったのも自分の過去世の業かもしれないし、
生まれてから新たに起きたことが原因かもしれない。
仏教は慈悲を説きます。
輪廻肯定派だって、病人やその他悩み苦しんでる人への慈悲を肯定しています。
875 :
神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 08:28:27 ID:p/PujghC
>>855 赤ちゃんのときの記憶がない人が、
赤ちゃんのときの自分と今の自分との連続性をなぜ信じられるのか?
写真に映ってる過去の赤ちゃんをみて、
過去にその赤ちゃんがいた物証とすることはできても、
今の自分の心と赤ちゃんの心との因果関係をどうやって信じてるのですか、
それを信じるように、輪廻も信じることは不可能ですか?
業報輪廻転生論の仕掛け人でバラモン至上主義者ヤージュニャヴァルキャと
釈尊をわからなかった世間知らずの苦行主義者マハーカッサバ
このふたりのマイナス影響が釈尊像を歪ませている。
>>875 あなたが無明だから、>自分と>輪廻を「信じる」ことができるのです。
>>875 あなたは過去→現在という時系列的な実体論発想に陥っており、
それはなんらの根拠もない妄想分別でしかないことは縁起の思想から明らかです。
あなたのいう自分(龍樹のいわゆる化人)の行為(業)を実体化し、そこに輪廻転生を構想することの愚行は、
釈尊の「縁起」=空=中道によって否定されたはずです。
輪廻転生論と縁起の思想が水と油、両立できないことは明らかです。
そもそもテーラワーダは苦行主義者マハーカッサバ教の劣化版であっても、
釈迦仏教であるとはいえないのです。
アビダルマ部派仏教の実体論的発想における仏道は、
釈尊が無駄であると捨て去った修定主義か苦行主義かに陥らざるをえないものであり、
精神や肉体の安定を計る程度のヨーガ的な役割しか果たし得ません。
マハーカッサバ教である所以です。