【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】7

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581旧7
>>407
簡潔に言おう。状況はこうだ。

・「“アートマン”は無い」と明確に言われているわけではない。
・「“アートマン”でない」と言われるものの属する領域が、我々の知覚認識できる領域である。
・その領域の外が無記と言われる。(・・・カラス氏は、ここに大きく異を唱えるんでしょうが・・・。)
・上記3つから、「アートマンと呼べるもの(アートマンであるもの)は無い」こととなり、
 「(諸法)無我」という言い方が許容される。(ちなみに、上での“領域”は「空間的・場所的」なものではない。念の為w)
 ・・・(これは>>516 >逆に、「アートマンはない」と述べた経文がないのに、
    無我とはアートマンはないことだと解釈するほうが問題なのでは?  への返答。)
・“涅槃”はasaNkhataと言われる。 「saNkhAra」ではない。 生じるものでなく、また、滅するものでもない(≒縁起しない)。
・“涅槃”は、「全てが止滅された」「寂静」だと言われる。 境地(≒ThAna)とも言われる。
・ウダーナや如是語では、涅槃とはこれこれこういうものです、と述べられる。
・“涅槃”は、その多くが「否定の形(≒消去法)」で説明される。(つまり、「saNkhAraでないもの」ということ。)
・“涅槃”は、(行じ、完遂すれば)直ちに見られるものである。
・四諦にまとめられるように、そのような(苦の滅という)“境地”がある。
・《よく統御され、調えられ、日々の拠り所とされる「自己」》と《古来より伝統的に言われる「アートマン」》との同異は
 明確にされていない。 寧ろ、文脈的には異質であるように見受けられる。
・その《日々の拠り所とされる、洲(島)とされるべき「自己」》は、大切にされねばならない。全ての行(修行)の基本となる。
・“涅槃”に関して解説される際、所謂「アートマン」との関連には触れられていない。

さて、≪ 「涅槃」=「アートマン」 ≫や≪「アートマン」の存在を知ること≫や≪自身が「アートマン」であることに気付くこと≫
が仏教である、などと、どのようにしたら見えてくるんでしょうね・・・w