†宗教に依存した所で死後は平等なんだよ†

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25宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10さんは、
仏教の説く輪廻転生の説明はご存知だろうと思うわけです(私などが話さなくても)。
しかし、その中には自分の疑問に解答している部分がないのではないか、と・・。
そして実際、仏教徒の誰もが経文の言葉や仏教用語を
ただオウムのごとく繰り返す反復行為しかできず、
それで現代人を納得させようとしている、と見なしているのではないかと。

参考までに、ヒンドゥーになると、
実はこれは、またもっと面白くなったりもします。
輪廻を説くのが当たり前と見なされるヒンドゥーでも、
そのアプローチ次第でいろいろな説き方があるのがわかります。


 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に
立ち帰るわけですが、その明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
  師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言っ
て、正反対に理解している。また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、
(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》(と、正反対に考えている)。-----
これが無明なのです。」』(シャンカラ/ウパデーシャ・サーハスリー:U散文篇.第2章49-50)

 『あらゆる人はアートマン(自己)の存在することを意識する。決して「われは存在しない」とは考えない。
実に、もしもアートマンの存在が確定していないのであれば、一切の人々は「われは存在しない」と意識
するに違いない。』(『ブラフマ・スートラ』シャンカラ註解)

 近代ヒンドゥーのアヴァターラ、ラーマナ・マハリシの教えによれば、「輪廻転生は真実か?」という問い
に対しては、『無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。
いまも、いままでも、そしてこれからも。これが真理である。』
(『あるがままに--ラーマナ・マハリシの教え』ナチュラルスピリット刊)