536 :
宝珠愚者:
縁起氏へ
〜どうか教えて下さい!
『世間(生死の世界)には涅槃といかなる区別も存在しない。
涅槃には、世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない』(龍樹 中論25-19)
『涅槃の究極なるものは、すなわち世間(生死の世界)の究極でもある。
両者のあいだには、最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない』(同上25-20)
これが龍樹による輪廻否定の根拠だというのですが本当でしょうか?
“いかなる区別も”とは、どういうつもりで述べたものでしょう??
龍樹がゴータマ思想の良き理解者であるならば、輪廻否定など説く筈はありません。
是非、解説を希望します。
537 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/07(土) 18:32:46 ID:zIp1zZIS
なんか、他のスレで龍樹に興味がないとか言ってたヤツが、
殊勝なフリして質問してるが♪(笑)
(^。^)そのいやらしい釣り方はシンチガク風?(笑)
538 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 18:39:06 ID:d2NP4Hbi
>>537 そんな
いやらしい考えなどではないの!
しっかし、あなたはどこにでも出没するねぇ!
くっ付いて来なくてもイイから〜www
539 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/07(土) 18:43:09 ID:zIp1zZIS
>538
なら、シンチガクスレでも立ててヤレ♪
目障りなんだよ。
540 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 20:23:34 ID:qQudpn+Q
>>536 勝義だから。
勝義で輪廻はないでしょう。
輪廻は世俗なので『中論』1-25章では否定されますよ。
1-25章は勝義を説いているので輪廻もあらゆる現象もあるでもなくないでもない。
龍樹菩薩が世俗において輪廻を否定したことなどないでしょう。
『中論』では以下や、26章に明らかです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html また『勧戒王頌』『宝行王正論』『因縁心論』『廻諍論』に明かです。
特に『廻諍論』は疑いようのない『中論』の著者の著作であり、
『廻諍論』自註の最後の部分は明かに輪廻を前提としてます。
輪廻を前提としない仏教はありません。
同じくアートマンを認める仏教もありません。
541 :
宝珠愚者:2009/11/07(土) 21:17:24 ID:d2NP4Hbi
>>540 やっぱり、そう(勝義)でしたか!
大変よく納得できました。ありがとうございました。m(__)m
(さすが〜解答が早いですねぇ^^)
究極の勝義は、業報輪廻の否定論者には到底、
理解できない(自己都合に合わせて曲解してしまう)教えですねぇ。
どうも何か・・中論信奉者は否定論者が誤解して利用している感じが歪めません。
>特に『廻諍論』は疑いようのない『中論』の著者の著作であり、
>『廻諍論』自註の最後の部分は明かに輪廻を前提としてます。
大変、すみませんが・・
これらの誤解が一掃され駆逐されるよう、ハッキリと明確に、
だれにも分り易く龍樹が業報輪廻を肯定している部分があればそれを引用で示して頂けませんか?
『廻諍論』の一説でも構いません。もしできれば、
龍樹の作であるとする根拠部分も合わせて宜しくお願いします。
まっ、認めない人というのは何を提示してもダメなような気もしますが・・。
(きっと必要なときに適したキッカケと自己体験がないと・・それが「ご縁」なのかと)
542 :
神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 21:44:19 ID:qQudpn+Q
>>541 『中論』でもダメなんだから無駄でしょう。
輪廻論争は不毛です。もう関わりたくありません。
梶山先生の龍樹論集に訳されているので、ご自身で確かめてください。
『廻諍論』が真作である証拠はニヤーヤとの論争をトレースできるからです。
ここらへんも梶山先生、石飛先生の著作あたりに書いてあると思います。