1 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :
2009/09/12(土) 08:04:32 ID:duQXA7zC
2 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 08:07:17 ID:duQXA7zC
3 :
前世は一在家 :2009/09/12(土) 11:13:41 ID:LTeDGYub
私が「不去」の二文字にこだわるのは、「不去」の証明が縁となり、 「八不」の証明が起こり、「中論」が起こり、現代の大乗仏教が起こった との仮説があるからです。 もし、「不去」の証明が当て馬の有部への破邪の論理での「机上空論」で あることが証明され、1人でも多くの仏教徒が認識できれば、末法からの 方向転換(正法の世へ)も可能性もあるかと存じます。 尚、私の所属するグループでの「中論」や「龍樹」へのコメントは一切 ございませんので誤解なきよう。
4 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 23:44:26 ID:duQXA7zC
やはり、 業報と生まれ変わりという輪廻論が1番、血気盛んに賑やかになりますねw シリーズ1が集結したとはいえ、納得してない人が大勢いるからなのでしょう^^ 次のお題は、 第二章-【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】 ですか?? Vo\oV フォフォフォ ------------------------------------------------- >>スレ14/907 >どんな三昧・禅定体験をしても解脱できないというのが それは、ゴータマが捨てたという非想非非想処の瞑想境地のことでしょう。 しかし一度、ニルビカルパ・サマーディに達していながら、 意識レベル(境地)が再び転落することはありませんよ。 と、思うw(弱気)。
5 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 23:45:23 ID:duQXA7zC
>>スレ14/913 >(最近の近代戦争はともかくw)、戦場で前線に立った兵士は、 >「自分の身を守る為」にも敵兵を殺す。 それは、望まずして止む無き行為(殺人)というのに該当します。 そのような場合には、“無執着に行為して義務を果すべし””とギーター(仏典じゃないなw)は説く。 無執着に為される行為は、行為者にとって非行為となる。 そこに行為者という主体は存在しないのだと。 これがカルマ・ヨーガの極意であり、ゴータマはその達人ですよ。 >>スレ14/915 >今の時代、寧ろ >仏教に対して信がない人に対する言葉こそが、 >模索されるべきなんじゃないのかい? 敵前逃亡は重罪だぞw さすが旧7氏。 ただ罵倒する連中たちとは違って、たまにいいことをいいますね!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/914 >まあ、それでいいよ。仏教に対して信がない人に説明しても無駄だと思うようになってきた。
「自分の妄想を信じさせるのは無理だった」の間違いだろ?w
皮肉が通じないようなんで、はっきり言おう
真面目に矛盾の無い仏教理論を構築しようとしている人たちの説を散々否定しておいて、
その挙句に「根拠は、私が信じてるからだ」で終りなのは、酷すぎだろ
自分の信仰を押し付けたいだけなら、自分の部屋でつぶやいていれば?
ここは、議論を戦わせて、より良い結論を模索する場所じゃなかったのか?
7 :
前世は一在家 :2009/09/13(日) 00:27:10 ID:Kp26KRnF
>>887 /スレ14
>それでアジャリは二人の童子に尋ねたのよ、なんでこの牛に付き添っているのかと
>童子曰く、「この牛は前世で人間であった時、悪事を働いてこの有様であるよ」
>「しかし一度だけ慈救呪を唱えた事があるから、誓願によりこうして助けているだよ」
>というお話しあるけど
>悪業は悪報として残り、善根は功徳として残り相殺はされない
>というお話しだと思います
>こんなお話一つで、ふんふんと聞ける人と
ふんふん、とても良いお話ですね。
日蓮も釈尊が説かれた話として、誰でも生まれた時から同名天と同生天の二天が
ついて、悪行と善行とをカウントして上の天に報告すると説かれております。
(出典:日蓮大聖人御遺文集、真筆)
日蓮がどの経典を参照したのか、ご存じの博識はご紹介願います。
心霊科学で言うところの守護霊と非常に似ておりますね。
さっきまでテレビで見てたやつ フィリピンのモンテンパル刑務所で、日本兵が処刑されてゆくの 戦争終わっているのにね 自分の名前を呼ばれたら、娘の写真を胸に、泣きながら死刑台に登るのよ みんな、若い父さんだね 今の時代ならまだ子供よ そんな番組見て泣いていたけど 旧7さん、私が兵士ならバリバリ殺すですよ 昔から人類は殺戮の歴史でしたよ 大きなカルマに入ったら、個人のカルマの出る幕じゃないし 悪種はこういう状況下で、兵士全員に受け継がれるとは限らないと思う やはり内面性の問題と思う
9 :
前世は一在家 :2009/09/13(日) 00:36:39 ID:Kp26KRnF
>日蓮がどの経典を参照したのか、ご存じの博識はご紹介願います。 道場神守護事(御書一〇五二頁) 建治二年一二月一三日 日蓮 五五歳 「人所生の時より二神守護す。所謂同生天・同名天、是を倶生神と云ふ。 華厳経の文なり。」 ※済みません、華厳経での釈尊の法とのことです。
10 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 00:42:27 ID:6A0fy5da
前スレ
>>871 来世(Hereafter)があろうとなかろうと関係ない。この世がすべてである、と
言っている。つまり、輪廻など問題にしていない。
11 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 00:50:38 ID:6A0fy5da
>>3 >尚、私の所属するグループでの「中論」や「龍樹」へのコメントは一
>切ございませんので誤解なきよう。
カルトの洗脳が解けるから、竜樹には近寄らないだけ。いやしくも佛教を
語るのなら、「八宗の祖」である竜樹は徹底的に学ぶべき。また、世界
最大の思想家とも評価される道元も同様。
君の「宗教」は、完全に片手落ち。
12 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 00:52:38 ID:kL0zPySP
そのアジャリの話し書いたのmeだけど いや、日蓮とか真光とか出てきて まぁここぶっ飛ぶわ
13 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 01:04:27 ID:6A0fy5da
前スレ
>>870 >カルトのキリスト教(の教理)の影響話しと混同するのは辞めましょう。
>味噌もクソも見かけだけで一緒にするな。
そのクソである超カルトの神智学と真光に、イエスの影響がある事実は、
否定できない。
>>10 ,前スレ
>>871 前スレID:jt7vPNjAのインチキ、ハッタリぶりはカルトの典型だな。
間違いを指摘されても、ウソ・ハッタリを張りまくるw
立派なオレオレ詐欺師になれる。
寺和田はじめカルトの走狗連中の必死のハッタリにご注意!
15 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 01:18:34 ID:kS1RpZrx
確かに 前スレの ID:jt7vPNjA 氏の「自己の信じる佛教以外は 佛教ではない」というスタンスは問題ありだと思いますね。 結局、彼の主張の論拠は「自分がそう信じているから」であり、 自己の信仰を語るのは自由だと思いますが、それを根拠に他人の 見解を批判するのは、慎むべきだと考えますね。
16 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 01:55:01 ID:kS1RpZrx
前スレの終わりのほうに書かれていた「戦争における兵士の話」は おもしろいですね。 彼が選択できる具体的行動は2つ 1 自国民の命を守るため、敵兵士を殺しまくる 2 たとえ敵兵士といえども殺人は許容できないのでやらず、自国民が 敵に殺されるのを許す さて、「善業」を積むためには、どちらの行動を選択するのが正解なのでしょうか? あるいはどちらの行動を選択すると「悪業」を積むことになるのでしょうか? 業報思想に詳しい人に解説よろしく。
17 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 02:09:59 ID:si61xGoc
>>16 もっと簡単には、殺人犯が人の生命を助けた場合の輪廻は、どうなるのか。
18 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 02:18:33 ID:4HTQb80W
>>4 訂正(また、間違ってしまったw)
×【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】ですか??
○【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】ですか??
>>6 >ここは、議論を戦わせて、より良い結論を模索する場所じゃなかったのか?
確かに-それは認めます (´・ω・`)やあ
>>8 国家のカルマ、民族のカルマ・・といった大きな枠の流れがあります。
悲しいかな・・どうしても大河に流されて行くかざる得ない場合があります。
その場合には自分にできるだけのことを為して、
淡々と自分の義務を果たしていく以外にはないでしょう。
19 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 02:29:40 ID:kS1RpZrx
なんですか?それ。 国家のカルマ?民族のカルマ? 業の対象単位を国家や民族まで広めるの? 例えば、国民ではなく永住外国人は? 他国に帰化した人は元の国のカルマは免れるの? ハーフの人は2つの民族のカルマを背負うの?
20 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 02:33:23 ID:4HTQb80W
>>19 屁理屈をいっても現実は変わらない。
人には、避け難い“運命共同体”という部分があるといっているのです。
>>15 >確かに 前スレの ID:jt7vPNjA 氏の「自己の信じる佛教以外は
>佛教ではない」というスタンスは問題ありだと思いますね。
それは彼の立場上は止む得ないものです。
彼の説く内容と示す根拠が正統な伝統仏教の見解でしょうね。
うーむ。
しかし、ここは反伝統仏教の革命者が多いよなぁ^^
21 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 02:36:23 ID:4HTQb80W
>>16 簡単ですよ。
理想と最善は2.です。ダライラマ法王のような姿勢が最も正しい。
1.はそのままだと語弊ありでしょう。淡々と自分の義務を果たしていくということであり、
殺しまくるべきではないでしょう。できれば、殺害しないで済む場合にはしない。
私は自分が殺すくらいなら、殺されようと思う。
(この国に私一人しかいなかったら自衛隊すら撤廃し、攻めたい国がいたら相手の好きにさせるつもり)
しかし、他の人々は決してそうじゃないから、もし他国に攻め込まれたら闘うべきです。
やはり、あなたは「殺されてもいい」というわけにはいかないので・・・。
>>17 良い行為と悪しき行為の両方を人々はしているから、
業報理論は矛盾するという指摘を繰り返している人がいますが、
何度も述べてきたように、「善行」と「悪行」はそれぞれ個別に作用して果報を迎えるでしょう。
モッガラーナですら、過去の業により殺害されてしまうという逸話はそのことを示しています。
22 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 02:55:00 ID:4HTQb80W
>>21 自衛隊については保留(笑)
抑止力の効果があるならば、あるほうがいいでしょう。
とにかく、わざわざ戦争を誘発するようなことは極力、避けたいところです。
>>スレ14/886
>長南年恵は、尿を聖水として売ってたって有名な人でしょ?
裁判所において全裸で封をしたビンに聖水を満たしたのです。
だから、インチキ説が晴れて無罪釈放されたとあるでしょう!
まっ、あなたの確認せずに断ずる姿勢はよ〜く分りましたから。
>甘くなった海水は、河口付近で、大雨で真水が増えただけって、書いてあるじゃんw
たぶん、いつもの科学者らによるいい加減な決めつけでしょうね。この出来事は06年8月です。
ムンバイは元々、降水量が多く(インドは年間降水量世界一であり、ムンバイも当然多い)、6月
〜8月にかけての降雨量が飛び抜けていて、この時期に年間雨量の8割ほどが集中するという。
しかしながら、前年の05年でもムンバイ周辺で記録的豪雨が発生し、1,000人以上が死亡。7月
27日のムンバイの24時間降水量は944ミリに達し、従来の記録(375ミリ)を大幅に上回った(2005
年の世界の異常気象と気象災害より)。このときにはそういう出来事の報道はありませんでした。
彼らは「甘い」といっているのであり、「塩気が薄い」とはいってない。
>ガネーシャ像は、「うちにある像でも出来ちゃったw 単にミルクが溝を伝ってるだけでした」ってやつでしょ?
これは95年9月に5日間に渡って、世界中にあるヒンドゥー教の神聖な像が供えられたミルクを飲
んだという奇跡現象です。実に何百万という人々がミルクが消えるというとてつもない世界的現象を
目撃したのです。それ以前には普通の神像であったのが、世界中で一斉に起きて、そしてまた再び
一斉に現象が止んだ。また飲むのはミルクだけであり、水は飲まないという。
以上のことから毛細管現象だと説く科学者の話などでは説明にはなりません。彼らは原因不明の
場合、いつもそのように決め付けて仕事(科学者としての)を放棄するのです。
23 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 02:57:47 ID:4HTQb80W
24 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 03:08:35 ID:kS1RpZrx
>>20 >屁理屈をいっても現実は変わらない。
人には、避け難い“運命共同体”という部分があるといっているのです。
屁理屈?あなたの言うように「国家のカルマ」とか「民族のカルマ」
とか言うのであれば誰もが、もつ疑問点だと思いますがね?
回答できないことは「屁理屈」として拒否ですか?
>>21 何の回答にもなってないですね。
今、敵兵が自国に攻めてきた。ここで敵兵士を殺さなければ自国民が
殺される。一人でも多くの敵兵士を殺すことによって自国民の命を
一人でも多く救う道を選ぶか? あるいは、自身で殺人を行うのを
良しとせず、敵兵士が自国民を殺すのを許容するか?
この選択ですよ。語弊がどうこうの問題ではありません。
自国民を救う道を選択するのならば、一人でも多くの敵兵士を殺さなくては
なりません。そうすることによって、一人でも多くの自国民の命が助かる
からです。自らの殺人を良しとしないのならば、敵兵士が自国民を殺戮するのを
許容しなければなりません。どっちを選択しても人は死ぬのです。
つまり、自らの手で行う殺人と間接的に行う殺人(敵兵士に自国民を殺させる)
のどちらが、善行でどちらが悪行かを問うているのです。
25 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 04:20:48 ID:si61xGoc
>>21 >何度も述べてきたように、「善行」と「悪行」はそれぞれ個別に作用して果
>報を迎えるでしょう。
追加の例として、人の生命を身を以って助けた者が、その後、人を殺した場合
はどうなるか。
ならば、一度悪を犯した者は、善を行う意欲を失い、一度善をなした者は安心して
悪を犯せることになり、却って悪を助長する結果になる。善と悪とが相殺される
なら、輪廻転生など無意味。すべての人間が、その長い一生においては、善い
ことも悪いこともやるものである。
輪廻転生は、脅迫と甘言によって成り立つものであるから、最大の悪であり、
それを唱えた者の輪廻はどうなるのかは、あまりにも自明であろう。カースト
制度を支えている支配者側の、悪質なトリック、忌むべき支配の手段に過ぎない。
これで、輪廻転生の理論は完全に崩壊する。
26 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 04:33:39 ID:si61xGoc
>>21 >ダライラマ法王のような姿勢が最も正しい。
ダライラマは、自分は海外に逃げて、海外からチベット暴動を煽った
という疑いもある。彼が、海外で、キリスト教徒やヒンドゥー教徒と
接触し、その影響を受けたとすれば、在り得ないことではない。
そもそも、デモをやったり、暴力に訴えるのが、仏教徒としてあるべき
姿かね。ヒステリックな反応を一切示さず、法句経の「己が身に引き比べて」
の一句を引用するに止めた日本の佛教界は、仏教徒に相応しい姿であった。
デモの鎮圧に当たった人民解放軍の兵士が、チベット仏教徒を「まるで
基地外だ」と言ったいたが、その気持ちは痛いほど理解できる。
27 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 04:41:03 ID:4HTQb80W
>>24 >屁理屈?あなたの言うように「国家のカルマ」とか「民族のカルマ」
>とか言うのであれば誰もが、もつ疑問点だと思いますがね?
>回答できないことは「屁理屈」として拒否ですか?
あなたは日本に生れることを、
日本人として生を受けることを自覚して、自ら選択したのですか?
このような自分の意志では決定できない不可効力を業の作用というのです。
日本人には日本人(民族)としての、日本国には日本国(国家)としての、
そこに所属する以上は避け難い運命共同体としての力が働いています。
あなたがそれを辞めたいと思ってみたところで、
あなたが明日から白人や黒人に変身できたりしません。
また、日本国で生れたという事実については
たとえ海外移住しても決して消すことはできないのです。
それを個人のカルマに対して、
「国家のカルマ」とか「民族のカルマ」というのです。
>何の回答にもなってないですね。--略--
>つまり、自らの手で行う殺人と間接的に行う殺人(敵兵士に自国民を殺させる)
>のどちらが、善行でどちらが悪行かを問うているのです。
28 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 04:42:28 ID:4HTQb80W
はい、私は答えましたね。
「もし他国に攻め込まれたら闘うべきです。」
>>21 と、
いった通りですよ。
基本的には、相手を殺さずに殺されていくことが最善でしょう。
しかしながら、戦争という国家の命令に止む無き、従わざる得ない場合においては、
淡々と自己の義務を果たして闘う以外にないということ(つまり、止む無く敵を殺害するということ)。
無執着に相手の死後の安楽を祈りつつにです(相手も義務や止む得ず行動していることを理解)。
すでにカルマ・ヨーガの教えを説いたでしょ!
ギーターは、
同民族内での戦争で闘いを躊躇う主人公アルジュナに無執着で義務的行為(闘い)を果たすよう説く、
クリシュナからのカルマ・ヨーガの教えです。これはもちろん戦争を推奨しているのではなくて、
このような物語を象徴的な題材として用いながら、自己意識の持ち方や姿勢について教えているわけです。
『おまえは義務的行為を行なえ。なぜなら、行為は無行為にまさるから。行為がなければ、おまえの
身体を維持することさえおぼつかないであろう。』(バガヴァッド・ギーター3:8)
『たとえ不完全でも、自己の(義務的)行為は、みごとになされた他人の(義務的)行為にまさる。』(同18:4)
29 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 04:47:19 ID:si61xGoc
30 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 04:54:03 ID:4HTQb80W
>>25 病的、ヘリクツに乙w
善悪の行為は個別に業報として作用すると述べたばかりです。
人を助けたから、今度は悪いこともしていいということにはなりません。
一生懸命、善行に励んでさえも、過去の業によって殺害されたゴータマの高弟の話しをしたでしょ!
あなたが納得する必要はないです。
好きにしなさいな!-あなたの自由そのものは尊重される。
>>26 あなたは中国情報にでも踊らされているのですか?
ありえませんね。仏教精神というのは他を害さないことだといってるでしょ。
この頂点のある方が・・ありえない。
法王は日頃から暴力的な反発は決してしないよう、若い反対勢力を諭し、押さえてきたのです。
もし、戦争になるくらいならば、チベットは喜んで中国に統一されるといってるのです。
法王が最も避けたいのは戦争、殺害行為です。
そして、次に避けたいことがチベット国の伝統(宗教)と文化、民族としてのアイデンティティーの存続です。
>チベット仏教徒を「まるで基地外だ」と言ったいたが、その気持ちは痛いほど理解できる。
あなたはチベットが如何に酷い仕打ちを受けているか知らないのですか?
デモ行進そのものは民主的平和行動ですよ。一般大衆は中国に憎悪を抱いていても当たり前のこと。
法王の言うことをただ聞いていてはチベットは滅ぶとして、
反旗をひるがえしたいという革命派も当然、存在します。
まっ、政治的な話しは得意ではないので辞めておきます。
31 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 04:58:23 ID:4HTQb80W
>>29 宗教法人に甘んじて悪用していることを良しなどは誰もいってません。
基本的な義務を無視していたり、脱税したり・・・。
話になりません。
そういう批判は大いにやって頂いて結構かと思います。
応援しますよ!(他スレでやって下さい^^)
32 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 05:00:27 ID:4HTQb80W
訂正 ×民族としてのアイデンティティーの存続です。 ○民族としてのアイデンティティーの消失です。
33 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 07:10:54 ID:IS4bQ+0e
>>21 法珠どの
>簡単ですよ。
>理想と最善は2.です。ダライラマ法王のような姿勢が最も正しい。
理想とか最善というのは、指針や信条でありまして、それを二項で判断するのは不可能です。
理想&最善を追求した思想が陽明学でして、これは行動哲学です。
二項において「至上善」を追求するとどうなるか?
これは最終的には自滅しか選択肢はないのです。
三島がこれで自決したんですよ。
どんなに理想・最善を尽くしたとしても、結果的には誰かに迷惑を掛けてるのでして、
極を追求することが、どんなに愚かなことか、
これを明白にしたのが中道思想であります。
前スレで「禅宗は戦争に加担した」とか・・・云々の書き込みがありましたけど、
たしかに間違ってはいないでしょうけど、
それは極論というもんですね。
いくら見性したからと逝って、多角的にパーフェクトな人間など有史以来皆無ですよ。
だから一切皆苦なんであって、
だから慈悲喜捨なんです。
良寛が、甥を救ってやれない不甲斐なさに涙する話が残ってますけど、
あの涙に菩薩を見るんじゃ〜ないですか。
だからこそ甥は救われるのです。
先ずもって慢心を捨て去るべきですね。
理想とか最善などは「ない」ってことを悟るべきです。
34 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 07:35:09 ID:IS4bQ+0e
>>2 法珠氏、スレ立て乙です。
拙者も一度スレ立てたのですが、二度目が規制があって立てられませんでした。
>当スレッドNo.15を以って最終章となるでしょうか !?
いんや、このスレはカルト所属の御仁が常駐してまして、
論客の書き込みで、少しずつマイコンが緩和されてるよぉな気がします。
「不去」が未だ解らん御仁もおりますしね。
「机上の空論」とか逝ってますから。
いくらか目を覚ましてやりたいですねw
35 :
析空 :2009/09/13(日) 08:34:10 ID:LhTlkuAp
36 :
析空 :2009/09/13(日) 08:58:10 ID:LhTlkuAp
>>7 >>9 「どうしょうどうみょう」については、【十王経】(卍字続蔵経2乙、23、4、382丁)および【止観輔行伝弘決巻八】(大正蔵46巻401ページ)を参照されたし
37 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 09:04:56 ID:LthXlV2s
>>6 意味、分かってないな。
仏教経典は、全て私の言う通りにしか書いてない。
問題はその記述を信じるか信じないかであって、
ここで話しているのは、その記述の範囲で合否を争う、
つまり、記述に常識という他の信仰を持ち込むなということだ。
オレが信じることを信じろなどとはいっとらん。
>>10 お前、ほんとバカだろ。
>>14 どこがだ。
>>15 上の通りだ。仏教体系を信じることを前提で説いている。
常識の信仰体系なんか持ち込んだらテキストはよめん。
オレの発言には全てテキストと伝統の根拠がある。
別にオレの信仰の話などしとらんは。
オレの信仰の話ならパーリなどださない。
そもそも原始仏教やテーラワーダなど語らない。
たく、どいつもこいつもアホばっかだ。
旧7と数名の名無しのみだ。
>>35 で言われた神話について知りたいなら「プルシャ」で検索
39 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 09:19:29 ID:kS1RpZrx
>>27 どうも自分で「国家のカルマ」とか「民族のカルマ」などと
言っておきながら、その概念がわかってないみたいですね。
>あなたは日本に生れることを、
日本人として生を受けることを自覚して、自ら選択したのですか?
このような自分の意志では決定できない不可効力を業の作用というのです。
日本人には日本人(民族)としての、日本国には日本国(国家)としての、
そこに所属する以上は避け難い運命共同体としての力が働いています。
>あなたがそれを辞めたいと思ってみたところで、
あなたが明日から白人や黒人に変身できたりしません。
また、日本国で生れたという事実については
たとえ海外移住しても決して消すことはできないのです。
>それを個人のカルマに対して、
「国家のカルマ」とか「民族のカルマ」というのです。
これは「個人の」のカルマでしょ?
どこの国に生まれるか。どの民族に生まれるか。これらは、金持ちに生まれるや
障害をもって生まれてくるなどと同じ、「個人」のカルマによるものでしょ?
「国家のカルマ」というように業の対象単位を拡大するのであれば、
その所属を離れれば無関係でしょ?その所属を離れた後も関係するのであれば
それは「個人」に対して作用しているのであって、「国家」という単位に作用
している業ではないですね?
よって、他国に帰化したら元の国の業は消えて、新しく帰化した国の業を
新たに背負うことになるのか?と聞いたわけですよ。
40 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 10:24:25 ID:4HTQb80W
>>33 >理想とか最善というのは、指針や信条でありまして、それを二項で判断するのは不可能です。--略--
>理想とか最善などは「ない」ってことを悟るべきです。
確かに、凡夫には何が最善であるかなどは簡単には分りません。
しかし、机さんの話しは“涅槃すらも理想とは見なさない”ことと同じです。
まったくの中道に対する誤読と誤解だと思います。
中道とは“極端”な騙った見解や姿勢を摂らず、バランスを摂ることです。
しかしながら、涅槃は目指すべき明確なゴール“極”です。
>>34 >法珠氏、スレ立て乙です。
>拙者も一度スレ立てたのですが、二度目が規制があって立てられませんでした。
はーい^^
ま〜皆さん次第ですが、
このアートマンシリーズが終了したら“第三弾”があるしょうか??
41 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 10:25:41 ID:4HTQb80W
>>28 訂正
×(同18:4)
○(同18:47)
>>39 たくっ、言葉尻を捉えたヘリクツしかないのですねぇ!
確かに、日本に日本民族として生れたのは個人のカルマの結果です。
しかし、生れたらグループとしてのカルマも背負うのです。
あなたも日本人としての運命共同体としての不可抗力を追っています。
それを選択したのはあなたの過去背の業なのですよ。
>よって、他国に帰化したら元の国の業は消えて、新しく帰化した国の業を
>新たに背負うことになるのか?と聞いたわけですよ。
消えません。
最低限の日本人として生れたという事実に基く様々な責任がある。
はい、新しく気化した国家の制約やら責任やら様々なものを背負います。
人は常に新しいカルマを作ります。
別に分らなくてもいいです。
あなたが理解しなければならない必要性はない。
42 :
析空 :2009/09/13(日) 10:32:57 ID:LhTlkuAp
>>40 アートマンの論争に終止符を打つ、決定打の投稿は、いつになるのでしょうか?
ここは魑魅魍魎カルトのガス抜きスレなのかw 縁起に業が乗ってぐるぐる巡回しているなど、 バラモン=ヒンドゥ汚染カルトのお召し上げSFフィクションにしか過ぎん。 理性と経験によってさえ承認できることではない。
カルマとやらがあるとすれば、 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk がここまで執着するのは 前世でよほどの悪業を背負ったのだろうw モッガラーナを惨殺したバラモン請負のチンピラ下手人はおのれか? おらおら、前世の記憶を再現してみなよ!w
45 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 10:41:59 ID:4HTQb80W
>>42 打ち込み作業そのものは終ったので、
もし可能ならば今夜中か・・・遅れても2,3日内です。
間違いなく、このスレ15中にupして読むことができるようになります。
“アートマンがある”というものではなく、
無我説の誤解と解釈の変化についての理解を助ける仏教学的解説です。
遅れていて、ごめんなさいm(__)m
46 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 10:44:55 ID:4HTQb80W
>>43-44 ついに無意味な罵倒しかできることがなくなったようですねぇ^^
はい、お疲れさまでした ( ̄ー ̄)ニヤリッ
47 :
析空 :2009/09/13(日) 10:46:17 ID:LhTlkuAp
>>18 「国家のカルマ」「民族のカルマ」という流れは、そこの所属する個人と無縁では
ありません。
見方を変えれば、個人個人のカルマの総体を仮に「国会のカルマ」と呼んでいる
だけであって、見方を変えれば【国家のカルマ】なんて無いともいえます。
48 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 10:56:37 ID:4HTQb80W
>>26 >ダライラマは、自分は海外に逃げて
法王はチベットに残ることが最善と見なした場合にはそうしたでしょう。
結果として殺されたとしてもです。
しかし、自分がどうなろうとも構わないが、
チベットの民を勇気付ける(自分の存在そのものが勇気付けている事実がある)と共に、
国民に指揮を取り続ける必要性から異国への亡命を止む無き中での最善として選択したのです。
もしも、自分がチベットに残ることや自分一人の死がこの悲劇を救うのであれば、
法王は喜んでそうするでしょう。
あまり、法王を馬鹿にするのは辞めたほうがいい。
49 :
析空 :2009/09/13(日) 11:09:54 ID:LhTlkuAp
>>33 先生!
いくら菩薩が涙を流しても、結局、甥は【救われない】のではありませんか?
>>48 ダライラマが残ってあそこで殺されてたら、リーダーとしての義務を忘れて
殉教という偽善にはしった、とほざくだけ……。
困ったときにはとりあえず陰謀論、な人に何を言っても時間の無駄。
51 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 11:39:57 ID:4HTQb80W
>>50 はい、その通りですね!
了解です^^
(読者のために述べています)
52 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 11:58:31 ID:IS4bQ+0e
>>40 法珠どの
>確かに、凡夫には何が最善であるかなどは簡単には分りません。
これは、どんな覚者であっても分りません。
光があれば影ができるように、最善であればそこに影も生じる。
ひとりが救われたとしても、その隣人は泣くこともある。
(一般的には、この方が多い)
>しかし、机さんの話しは“涅槃すらも理想とは見なさない”ことと同じです。
>まったくの中道に対する誤読と誤解だと思います。
>中道とは“極端”な騙った見解や姿勢を摂らず、バランスを摂ることです。
>しかしながら、涅槃は目指すべき明確なゴール“極”です。
ほとんど文言が滅茶苦茶で、どこから突っ込んでいいか分りません><
「中道がバランスを摂る」と「涅槃が極」では論理矛盾です。
とにかく涅槃を理想化しておるようですけど、
涅槃というのは理想ではなく現実ですね。
仏教は全て現実がモチーフであります。
「色即是空」→全て現実です。
53 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 12:01:41 ID:ReEzJNk7
輪廻転生を主張する人は、 ほとんどの人に前世の記憶がないことをどう説明するのだろうか。 合理的な説明ができないなら、輪廻転生は怪しいとも言える。
54 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 12:10:13 ID:IS4bQ+0e
>>49 析空どの
>いくら菩薩が涙を流しても、結局、甥は【救われない】のではありませんか?
これはですね、臨済宗の「隻手の音声」という公案を想起すれば簡単な話なんですよ。
「無音の音を聴け」って話なんですがね、
これをどうやって聴くのか?
聴こうとすれば聴けるもんじゃないです。
聴くんじゃなくて、相手の心に飛び込むんですよ。
さすれば無音が聴こえてくるんですね。
結論
甥は、涙を縁としまして、良寛の心に飛び込んだのであります。
そして無言の良寛のメッセージをキャッチすることが出来ました。
甥はそのご、遊行の自分を恥じて改心したそうです。
これが「救われた」の意味です。
55 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 12:14:47 ID:ReEzJNk7
経典に宿命通という神通力のことが書かれているから、 悟れば前世の記憶がよみがえる? そう経典に説かれているから、では説明にならない。 それに悟ってから前世を思い出しても仕方ないような気もする。
56 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 12:38:05 ID:4HTQb80W
>>53 >>55 私からは回答していますが・・
納得しないようですね。では、もう少し。
参考:
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239017285/433 >>52 >これは、どんな覚者であっても分りません。
それでは「覚者」とはいえない。
>ほとんど文言が滅茶苦茶で、どこから突っ込んでいいか分りません><
>「中道がバランスを摂る」と「涅槃が極」では論理矛盾です。
それはあなたの無理解によるものです。
涅槃という極限の境地へと向かうための必要な姿勢が中道です。
ご存知と思いますが、元々は、ゴータマが解脱に至る経緯として
苦行という極端(な姿勢)を離れたことからきています。
とにかく仏典を読んで下さいよ。--原始仏典ね!
まず、あなたは仏教を“知らない”。
>とにかく涅槃を理想化しておるようですけど、
>涅槃というのは理想ではなく現実ですね。
>仏教は全て現実がモチーフであります。
>「色即是空」→全て現実です。
そういう解釈はすべてダメなのです。
「気の持ちよう」とか「考え方一つでいい」みたいなものでは。
それでは、決して輪廻からは解脱しません。
57 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 12:38:57 ID:4HTQb80W
そういう禅問答じみたものでは輪廻からは解脱しません。 人々は耳に心地良い話しを受け入れ、ゴータマの説法を拒否るのですよ。 『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。 如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と 相応しているものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を 傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよ く熟達すべきものであるとは考えないであろう。 これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来 するものであり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく 聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持 すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。』(サンユッタ・ニカーヤ20.74-5)
58 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 12:59:08 ID:ReEzJNk7
他スレからの引用した宝珠氏の見解 >修行によって進んだものにしか過去世が見られないのは何故なんですか。 それは簡単に言うと、通常の人間であれば精神的に対処できず、耐えられないからだと思います。「ああ、 もっといいところに生まれ変わろう。そして現世で修行しようと思う。みんなが善行を積み、世界が平和にな る。」という具合に建設的に捉えられればいいのでしょうが、そうはいかないということでしょう。 もし、すべての過去生の記憶があったなら、幾生涯の過去では自分が如何に酷い残酷な行為をしてきたか? その罪の意識に際悩まされるでしょう。自分が残虐なことをした相手やそのご家族が今はあそこでこのよう な生(境涯)を受けているのも分った時、私たちは無関心でいられるでしょうか?幾生涯の過去での愛すべき 家族や自分の子供たちの今や、死ぬほど愛しかったかつての恋人の現世を知ったときに葛藤はしないで しょうか?幾生涯の過去で自分の愛する人を詰り殺した憎き相手が近くに転生している事実を知ったとき、 憎悪は起こらないでしょうか? 過去世の記憶の想起(回復)と現世の生活との関係において、狼狽や葛藤はしないで対処できるでしょう か?きっと現世の生活と社会の成り立ちに障害が出てしまうのではないでしょうか。 高い精神的な成長に到達した者でなければそれには耐えられないから、私たちは自己保存的な安全機能 が働いて、生れと同時に過去世の記憶がない状態になっているようです。 従って、過去世の記憶の回復には一般人にはデメリット部分が大きいものと思われます。 それで意識レベルの発達の段階として、自然な目覚めとして過去世の記憶回復があるということであり、この ような境地の人は振り回されることなく、過去世の記憶情報を自己のものとすることができるということでしょう。
59 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 13:09:39 ID:ReEzJNk7
>>58 の訂正 他スレからの引用 → 他スレから
この文章にはいくつか疑問がある
1 前世の記憶はどこに保存されていますか
2 デメリットを判断する主体は何ですか
3 覚者が前世の記憶を思い出すメリットは何ですか
4 全体のメカニズムを合理的に説明できますか
60 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 13:17:07 ID:4HTQb80W
>>58 要するに、自己保全のための安全機能です。
火事場の馬鹿力が普段、発揮されていては自己の生命力は持たずに破碇します。
同様に、自己の精神が崩壊しないよう安全機能が働いていて過去世の記憶は内奥の深くへと沈み、
意識的には想起できない仕組みとなっているのです。
人は生れと同時にこの装置が作動して、過去世の記憶は奥々へと沈んでいきます。
この装置の稼動がゆっくりな個人においては稀に、幼児期に体内記憶や前世について語ります。
しかし、ほぼ99%は年齢と共に記憶は引き出せなくなり、
社会の一般常識が植えつけられて、子供時代の戯言や夢の中の記憶だった・・
ということにされていくのです。
自分から意識的に(しかも安全に)過去世の記憶をすべて想起できるのは、
修行完成者だけです。
これ以上の説明は今の私には無理。
後は皆さん、それぞれ自分自身で考えることです。
>>56 ほんと宝珠愚者 ってカルト丸出しだなw
>自己保存的な安全機能
これって、宝珠愚者にお似合いの証明不能のベタベタな俗物論妄想なんだけど。
おなたのお好きな(バラモン=ヒンドゥ汚染の)原始仏典上の裏付け文言証拠を提出してください。
ほんと、突っ込みどころが満載過ぎて困る。
62 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 13:21:06 ID:IS4bQ+0e
>>56 法珠どの
>それでは「覚者」とはいえない
どんな偉い覚者でも、間違いを犯すがな(笑
人間なんだから、神様と違うんですよ。
>とにかく仏典を読んで下さいよ。--原始仏典ね!
>まず、あなたは仏教を“知らない”。
最古層といわれるウダーナヴァルガにも空の萌芽がありますから、
歴史的には説一切有部と同列です。
実有論だけが原始仏教ではない。
ただ貴殿は、情報が偏ってるだけです。
大局的観点が必要ですね。
>涅槃という極限の境地へと向かうための必要な姿勢が中道です。
涅槃は極限でもなんでもない。
その反対の「アンチ極」ですね。
(涅槃は中道です)
63 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 13:21:22 ID:4HTQb80W
>>59 この記憶場所とメカニズムについては過去スレで回答しましたね(何処だっけ?)。
他の質問にも回答可能ですが、すべては仏教枠では不可能なことです。
仏典を開いたって無理です。記されてなどはいません。
ここ(このスレ)では辞めろといわれているので、仏教徒は知りたくないようです。
私は分っています。
64 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 13:24:39 ID:WsqJ/HtS
>>33 >理想とか最善などは「ない」ってことを悟るべきです。
世界最大の西洋哲学者の言われる英国のヒュームも、200年前に、「最善
は最悪を生む」「一神教によって流された血は、多神教によるものよりもはるかに
大量である」と喝破している。現在の中東情勢をみても、この言葉は見事に証明
されている。
いわゆる「理想主義」ほど、人間にとって有害な思想はない。あるがままの現
実に「すでに」存在する価値が、見えなくなってしまうからである。
65 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 13:28:09 ID:4HTQb80W
>>62 >どんな偉い覚者でも、間違いを犯すがな(笑
>人間なんだから、神様と違うんですよ。
そういうのを凡夫扱いするという。
世俗の価値観に過ぎない。仏陀は異なるのです。
中道は涅槃へと向かうための修行の姿勢のことです。
そのようにして、究極の涅槃の境地に到達するのです。
それは無常空なる縁起世界から脱する究極の状態です。
従って、物質レベルの制約すらも解放されるのです。
不死の境地であり、その気になれば肉体すら存続可能です。
あなたは知らな過ぎる。
現実が涅槃でいいとか、気の持ちようだとか・・
そういうものならば、現代の心理カウンセラーで十分に役立ちます。
66 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 13:30:20 ID:IS4bQ+0e
>>64 同意です。
なかなかいいレスポンスです(*^^)v
>>63 だったら、いさぎよくわたくし宝珠愚者の「俗物妄想」ですと認めたらどうでしゅか?
だって、あなたの全ての発言からは勝義からの還滅の姿勢がみられない。
すべて世俗物妄想の発想範囲です。
もともと神智学とはそのレベルのシロモノです。
>過去スレで回答しましたね(何処だっけ?)。
また別のウンコカルトと共通のデタラメな「過去スレ嫁」だ。
かりに読んでも噴飯モノで論外なのばっかり。
68 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 13:34:43 ID:4HTQb80W
>>64 >>66 何イッテルのですか?
涅槃が“理想”であり、覚者の教えが“最善”でしょう。
それが認められないなら、
「どうぞ信奉するな!」といってるのです。あなた方の自由ですから。
69 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 13:43:28 ID:IS4bQ+0e
>>68 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。by親鸞
これは親鸞の有名な句でありますが、
「悪人」というのは自分であることの自覚こそ要諦ですね。
そういった自省があるとこに菩提心も起きるのでありまして、
それなくば彼岸到達は困難です。
>>65 >究極の涅槃の境地
>無常空なる縁起世界から脱する究極の状態
>その気になれば肉体すら存続可能です
すべての文言が仏教に相応しくない。
ベタベタな俗物世俗妄想発想からのカルト特有の文言です。
すべての文言が仏教に相応しくない。
71 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 13:48:14 ID:WsqJ/HtS
>>30 >仏教精神というのは他を害さないことだといってるでしょ
オウムの上祐も、テレビで、「We are buddhists. We do not kill people」と、
英語で語っていたw。オウムは、チベット仏教の影響をたっぷりと受けている。
宗教学者でありながらチベット仏教に嵌ってしまった中沢新一は、「オウムの
精神的指導者であった」として激しく批判されている。
史上そして現在も、最も多くの人を、最も残虐な方法で殺しているのは「宗教」
である。唯物論者や無神論者ではない。あるがままの具象や現実から離脱した
「理想主義」や「精神性」が実は人間の狂気を招くことを、心理学的に考察さ
れたし。マルクスも、ヒットラーも、スターリンも、すべて「理想と正義」に
燃えるクリスチャンである。
72 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 13:48:54 ID:ReEzJNk7
>>63 仏教でも悟りとの関連で宿命通が語られているし、
前世の記憶も語られているし、輪廻の問題とも直結している。
仏教の範囲内でしょう。
かりに前世の記憶が思い出せるなら、
それが必要なのは悟る前であり、悟った後はまったく不要に思う。
むしろ嫌な記憶、苦しい思い出を忘却できることが、
悟りの成果ではないかとも考えられる。
>>68 >涅槃が“理想”であり、覚者の教えが“最善”でしょう。
すべての文言が仏教に相応しくない。仏教にベクトルなぞない!
これが掴めてないから、たかが神智学なんかに嵌るんだ。
なんでそんなベタベタ世俗的相対発想しか出来ないんだろう?
カルトで自己マインドコントロールして呪縛状態にいるからだ。
なんで自由であろうとしないんだろう、不思議だ。
74 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 14:15:30 ID:WsqJ/HtS
>>37 >仏教経典は、全て私の言う通りにしか書いてない。
>問題はその記述を信じるか信じないかであって、
>ここで話しているのは、その記述の範囲で合否を争う、
>つまり、記述に常識という他の信仰を持ち込むなということだ。
アホか。追求すべきは、時代も全く異なる2500年前の仏典に書かれたこと
ではなく、「釈迦が現代に生きていれば、何を教えるか」ということだろ。
そんな「仏典の範囲で合否を争う」ことに、一体どんな意味と価値があるのかね。
時代錯誤を、釈迦が教えるとでも思っているのかねw。釈迦は、「当時の」
バラモン教の「改革者」であったことを、忘れてはならない。
75 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 14:32:51 ID:WsqJ/HtS
>>35 >輪廻転生や因果応報は【法】であって、中立です。
>何かの原因ではありません。
まさにそのような「脅迫」によって、カースト制度が維持されているのでは
ないかね。その「法」なるものは、支配階級がでっち上げた「法」である。
「普遍としての法」の、むしろ対極にあるもの。
76 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 14:45:59 ID:ReEzJNk7
>>58 > 過去世の記憶の想起(回復)と現世の生活との関係において、
>狼狽や葛藤はしないで対処できるでしょうか?
>きっと現世の生活と社会の成り立ちに障害が出てしまうのでは
>ないでしょうか。
これは宝珠氏の想像なのだろう。しかし実際には心配無用である。
なぜなら、そういった過去世を、過去において実際に生きていたのだから、
今生において耐えられないという理屈が成り立たない。
77 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 14:51:37 ID:WsqJ/HtS
>>30 >善悪の行為は個別に業報として作用すると述べたばかりです
輪廻転生は、一人の人間の身体を、その各善悪の行為ごとに「こま切れにして」
生じるものなのかね。そんなことが、仏典のどこに書いてあるか。
そんな輪廻転生なら、一体、どんな形で転生するのか。当人にとっては、痛くも
かゆくも無い、全くの無意味。
いずれにせよ、輪廻転生の理論は、上記でさまざまに反論したところにより、
完全に崩壊している。無知蒙昧だった古代人とは異なり、現代人には、バラモン
支配階級の「脅迫」と「甘言」は、もやは一切通用しない。
78 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 15:01:43 ID:ReEzJNk7
>>63 宝珠愚者氏
>私は分っています。
わかっているなら教えてください。ほかの人も知りたいと思いますよ。
79 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 15:01:43 ID:yC7a5NOx
ご隠居さん、あなたは半分は、非常に良いことを言っていると 思うが、残り半分は極端すぎてついていけない。 もう少し柔軟な思考ができればと、もったいなく思うのですがね。
80 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 15:16:33 ID:4HTQb80W
>>70 >すべての文言が仏教に相応しくない。
仏典の通りですよ。
現象界を超越する意識状態に到達して神通も発揮します。
その気にならば、延命すらできることもゴータマは語ったのです。
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
仏教の説く神通を勝手にすべて後代の神格化で処理するべからず。
それは、現在社会の無知で世俗の凡夫意識による判断行動です。
>>77 >輪廻転生は、一人の人間の身体を、その各善悪の行為ごとに「こま切れにして」
>生じるものなのかね。そんなことが、仏典のどこに書いてあるか。
その必要はない。
善悪の果報き個別に作用し、一人の人間において科せられます。
>>21 の最下段を再読のこと。
81 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 15:24:50 ID:4HTQb80W
>>76 >しかし実際には心配無用である。
それは、あなただからでしょう。
もし、自分が思い出した過去世の相手が、傍にいたら、
相手にも自分を思い出して欲しくなりませんか?
その相手が過去世の愛していながら引き裂かれた恋人だったら。
または、その恋人を残虐に殺害した相手だったら?
それを他の人と同様に普通に接することができますか?
まずは大抵、自己意識が平常を保てないのです。
しかし通常、過去世のいつにどうだったという話を持ち出したら、
現代の社会生活がままならなくなる弊害が出ます。
>>78 ですから仏教枠では無理なのです。
ここにはそれを望む人はいません(あなた以外は)。
「神智学」以外にこれらを解き明かした理論はどこにも存在しません。
しかし、神智学はそれを望む個人、自らの意志で学ぶべきものなのです。
通常は知らなくても私生活には何ら支障はきたしません。
知りたい人は、
自ら神智学スレで真面目に投稿して下さい。
私などよりも遙かに詳しい人も大勢います。
親切に回答してくれるでしょう。
しかし、このスレのように罵倒する意識のような人は相手にされないでしょう。
82 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 15:33:22 ID:4HTQb80W
83 :
1/2 旧7 :2009/09/13(日) 15:35:28 ID:wOKemhoH
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/ 前スレ824(&820(&826(&898)))
以前、私が横入りして提示した幾つかの考察、視線の方向性、
あれが、『(現時点の)仏教が内包する言語(術語・概念)に於いて可能な説明』のギリギリの形でしょう。
どこかのどなたかさんは、ここにこれ以上の説明体系・言語(術語・概念)を重ねることは、
行き詰まった西洋哲学に堕することになる、或いは問いそのものが実在論だと言っている。
そして、不足しているように感じる部分は、(本来、他者への証明を要請されるものでなく)、
《行じることにより、自らにありありと自覚される「生滅のことわり(→縁起)」》であろうと思う。
だから、一概に彼を責めるわけにもいかない。
基本的に仏教が言葉にしているのはここまでで、このレベル以上のことが、
まさに「来なさい、比丘よ」「来て、見よ」と言われる部分であろうし所以であろうと思う。
21世紀の現代(いま)は、もう少し踏み込んで、言語化の範囲を広げた方が良いようにも思われるが、
彼が指摘するように、幾つかの試み(アビダルマ、唯識・倶舎、(華厳もか?))は既に為されていて、
必ずしも成功してはいない。(※私は、中論が成功しているとも、また思わないが・・・。)
が、いずれにしろ、実在論的同一性或いは基体を設けずに、
業果の連続性・継承のモデル化を、(無駄かもしれないが)今一度試みてみよう。
ただ、一つだけ、(完全な納得でなくてもいいから)押さえてほしい前提がある。
それは、《「因」により「縁」により「事象」は生じ、或いは滅し、「連鎖」してゆく(≒間断が無い)》
という在り方(≒構図・レイアウト)を一旦は許容すること。全てはこの構図に則している、と。
また、これまで「Aさん」「aさん」と称してきたが、これらも実は、
《Aさんとして表れている事象「A」》《aさんとして表れている事象「a」》 というのが厳密な見方である、ということ。
この二つを押さえてもらって次へ進もう。
84 :
2/2 旧7 :2009/09/13(日) 15:36:24 ID:wOKemhoH
さて、或る因或いは縁により「A」が生じているとする。この「A」の業(影響力(行為))が「a」を生じさせるとする。 「A□→a◇」という図式を設定して見る。□◇という事象にA(Aさん)やa(aさん)というラベルが貼られていると考えていい。 (間はちょっと省略するけれども、間断なく連鎖していると見てほしいw) ここで普通の考察は≪「A→a」が繋がっていることがなぜ担保できるのか?≫というものになる。 だが、ここで、上記の前提を思いだして欲しい。A(Aさん)やa(aさん)は便宜上のラベルであり、 つまり、図式はこのようになる、と。『□→◇』。これが、縁起としての原則となる。 そして、 ≪「□は、Aと仮設されるものであり」「◇は、aと仮設される」。だから、「A→a」は成立する≫、 こういう考察順序となるわけだ。 ≪《「A→a」ありき》ではなく、《『□→◇』》であり、それぞれ《「□はA」と見做され「◇はa」と見做される》≫から、 ≪「A→a」が担保される≫、と。(→この意味で≪「A→a」を担保するのは『□→◇』(縁起)である≫と・・。) ※(また、この矢印は間断なく続くもの故に時制の楔を外し得る。 たとえば、昨日と今日の境目はどこか?成人と未成年の境目はどこか? 春と夏の境目はどこか? そして、事象として『□→◇』なれば、「A→a」が後付けのラベルなれば、 時制で区切られることにあまり意味はない。三世を跨いだとしても、昨日と今日とでも事情は一緒である。) とまあ、 こういう説明では如何なもんでしょうか・・・w >> 前スレ834、最終ID:FqGqSr5Z オソルオソル… | |゚) |ノ
85 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 15:42:12 ID:4HTQb80W
>>78 追記:
もし、ここに書いたって、
ただ罵倒して「仏教じゃないから辞めろ」と喚くだけのことです。
「心霊」程度(仏教の話しにもあるのに!)の低レベルな話しすらも
理解できないような人々が、神智学の説く内容を理解できる筈がないのです。
到底、仏教理論だけでは物足りなくなった者でなければ、自ら学ぼうという意識にはならないのです。
現状を満足している人々には、ただの押し売りになるだけです。
なのでこれ以降は神智学スレで続けることになります。
87 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 15:55:38 ID:ReEzJNk7
>>81 自分の過去世を思い出すことと、
他人の過去世がわかることは区別すべきだと思う。
いまは自分の過去世のことを話している。
かりに輪廻転生があるとしても、
今生において同じ性別、風貌であることは無理な想像である。
それゆえに社会的な混乱は生じないだろう。
88 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 16:12:27 ID:4HTQb80W
>>87 通常は仏教で説く「宿命通」は、
自分だけでなく他の人間の前世も知る能力です。
もし仮に、自己の過去世だけに限定してみても、
過去における自己の様々な行為や降りかかった出来事を想起した場合、
それまでの平常心は保てないでしょう。
平常心というよりは、それまでの自分では同じでは要られないということです。
捕らわれることなく達観でき、想起した記憶を更に良き方向へと用いることが
できる意識状態へと達する必要があるでしょう。
そうでなければ、想起されないようなっているのです。
それが仕組みです。
89 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 16:16:31 ID:ReEzJNk7
>>81 業報思想から言っても、前世の記憶がないことは矛盾している。
記憶がないのに、懲役10年、懲役20年、あるいは死刑?
これではただ理不尽であるとしか思えない。
業報の教育的効果は、前世の記憶を前提にして成立する。
前世の記憶がなければ冤罪としか思えない。
90 :
旧7 :2009/09/13(日) 16:17:24 ID:wOKemhoH
>>85 だからw
神智学関連のスレでやれば済むことなのに、仏教を巻き込む必要などどこにもないのに、
なぜ、『ブッダが説いたかどうか』 に特化したスレを立てた?
真理としては、ブッダが説いてない事の方がはるかに多いんだろ?
ブッダはまだ半人前なんだろ?仏教は真理を説ききっていないんだろ?
なんでわざわざブッダの名前を出す必要があるんだ? 理解に苦しむよwww
91 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 16:35:55 ID:ReEzJNk7
>>88 神通力の区別はともかく、宝珠氏は
前世の記憶がよみがえらない理由を今生の混乱にしている。
それでは楽しい思い出、心が安らぐような思い出、
天文や地理に関する知識、その時代のこまごましたニュースなどが
よみがえらないのはどうしてだろう?
>>85 > 「心霊」程度(仏教の話しにもあるのに!)の低レベルな話しすらも
> 理解できないような人々が、神智学の説く内容を理解できる筈がないのです。
理解とかいってるけど、ただ信仰してるだけだし。
> 到底、仏教理論だけでは物足りなくなった者でなければ、自ら学ぼうという意識にはならないのです。
> 現状を満足している人々には、ただの押し売りになるだけです。
まったくだねぇ。心霊現象がある、と「信じている現状」に満足しちゃってる人々に、
客観性の重要性を説いても「豚に真珠」。
そういう人々は客観性について学ぼうという意識にはならないですよ。
カルマ的な事で言えば、女の人に有りがちな嫁ぐ、住む土地が変わる その家系の子を産む等により 背負うものが変化しますし、縁によりて 例えば今、ニ軒先のおやじと何かで争って裁判沙汰の最中であったとして 震災でも起きれば争いに関係なく、地域が全滅してしまうです より大きなうごめきの前では、自分の小さな思いはあっけなくとびます 戦争になれば、いや俺には関係ないにはなれません
94 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 16:58:48 ID:kL0zPySP
心霊現象にはまったまま、この生を終えるのは愚かです しかし通過点としてそこも認識できなければ そこにはまった人に、あなた今ここですとはアドバイス出来ません
95 :
前世は一在家 :2009/09/13(日) 16:59:46 ID:yh3DNX+u
>>34 机氏
>いんや、このスレはカルト所属の御仁が常駐してまして、
>論客の書き込みで、少しずつマイコンが緩和されてるよぉな気がします。
>「不去」が未だ解らん御仁もおりますしね。
>「机上の空論」とか逝ってますから。
過去スレで、龍樹が有部を当て馬にしたことを私に教えたのは誰ですか?
過去スレで、空を現象世界で当時は証明できないと、私に言ったのは誰ですか?
全て貴兄の発言が縁になって、龍樹が有部の「去りつつあるものは去る」を
破邪の論理(言語の論理世界=机上)で否定し「去りつつあるものは去らず」を
証明したことが、住人各位に確認された次第です。
中観派は通常は断定しないものですが、カルトと断定する発言を繰り返しておられ
ますが大丈夫ですか。
瞑想を指導する人は、まずこの人間はどんな縁でここに来たのか そしてどんなカルマにあえいでいるのか、見抜けないと 通過の手助けにならないと思います
97 :
前世は一在家 :2009/09/13(日) 17:11:50 ID:yh3DNX+u
>>58 >過去世の記憶の想起(回復)と現世の生活との関係において、狼狽や葛藤は
>しないで対処できるでしょうか?
>きっと現世の生活と社会の成り立ちに障害が出てしまうのではないでしょうか。
過去世は菩薩しか記憶したまま出胎できないと、長部経典の「自歓喜経」や
「等誦経」にも法として記載されております。
その理由は色々と考えられますが、「法」だということです。
98 :
前世は一在家 :2009/09/13(日) 17:17:57 ID:yh3DNX+u
譬え話をしますと、ある日ウィルスが見える視力になった人がいた とします。 彼は平常心でいられるでしょうか? ずっと好きだった彼女の顔を見るとばい菌だらけ。 自分の手の平も、食べ物も何らかのばい菌だらけで、食事もできず 飢えて死んでしまいます。 前世が見えるとどうなるのかは想像できそうでしょう。
99 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 17:24:09 ID:WsqJ/HtS
>>80 >善悪の果報は個別に作用し、一人の人間において科せられます。
個別に作用するのなら、一人の人間が多数の存在に「転生」するのか。この
狭い地球には転生者があふれて、忽ち住めなくなり、住民全員が滅亡し、
佛教も神智学もなくなるw。
それから、「前世の記憶」などというが、人間には、赤ん坊時代の記憶さえ
ない。記憶は、「脳細胞」に蓄積されるのだから、死んで脳細胞が灰になれば、
記憶は一切失われる。「前世の記憶」とは、現在の生者の生きている脳細胞に
よる妄想以外の何物でもない。前世の記憶なるものは、生者がどこかの本で読
んだ「他人の」出来事を、現世で記憶し、「前世の記憶」と称しているに過ぎない。
嘘八百である。
人間は、過去の記憶の忘却という作用があるからこそ、生存できるのである。
>>98 >前世が見えるとどうなる
すぐに病院へ行ったほうがいい。
覚者なら廓然無聖、すべてがベタベタ俗物妄想とわかる。
うんこカルトはお前のようなベタな既成概念言辞でインチキをかますw
日常、そんなヘタクソなだまし方をしているのかw
カルト修行がたりんなあ。
101 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 17:45:42 ID:IS4bQ+0e
>>95 在家どの
>中観派は通常は断定しないものですが、カルトと断定する発言を繰り返しておられ
>ますが大丈夫ですか。
いやいや、中観派は断定しますよw
そもそも「破邪の論理」ってのは断定の論理じゃないですか。
世俗言語慣習に沿って断定します。
しかしながら勝義諦は断定は出来ないですね。
(空性ってのは、そもそも断定できるもんじゃないですからね)
中論に準拠すれば、カルトであるのは即明白になります。
拙者はカルト・バスターというベクトルで語ちとるんですよ(笑
カルトかそうでないかは一発で的中します。
まあ、これを世俗智とか言うんですけど。
つまり世俗で生きるための般若波羅密ですよね。
原始仏教から脈絡を有する第一義空諦は、膨大な量の大般若経に纏められ、
そのエッセンスとして親しまれておりますのが、
皆様ご存知の般若心経でございます。
どうか人生の指針といたしまして、心経の本懐であります
般若波羅密を体得して下さいまし。
>>99 結局、人間とは記憶の集合なんだよ。
そして、記憶とは無明分別による時間と空間(自己と世界)の構成の擦過の(変容)記録だ。
分別以前の赤ん坊にとって記憶=時空がないのは当然だ。
記憶=自己だから自己意識もない。
時空は無明分別による仮構だからだ。
だから、彼岸(無分別智)に達し、迷妄から脱し慶安にいき直すには
自己意識の解体=色即是空→還滅的再生=空即是色という過程を経ることになる。
103 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 18:45:35 ID:ExCSx5bU
>>102 記憶の連鎖では、同一性は担保は確実ではないよ。
何故なら、その記憶も無常で、今度は、その無常な記憶の同一性の担保が問題になるから。
つまり、一期の生存における同一性の担保は、そんな簡単な話ではない。
>>22 全裸とか、ビンに封がしてあったというのは、噂に尾ひれがついただけw
まっ、あなたの確認せずに断ずる姿勢はよ〜く分りましたからw
「甘い海水」は、結局、検査してもただの水
むしろ、すぐ近くに、工業排水が流れ込んでるから、市が飲むのを止めさせたそうなw
結局、「海水を飲んだら、塩辛くないぞ!→海水が甘いそうだ!→皆で見に行こうぜ!」
あの変じゃこの類の「奇跡」は日常茶飯事だそうでw
ガネーシャ像は、「スプーンからミルクが減った」のを見たのであって、
「ミルクが消えた」のを見たわけでもないし、
「ミルクが溝を伝っただけ」と言う可能性を否定するものではない。
現実に、唯の像でも全く同じ現象が確認された。
全く同じ現象なら、「奇跡」を持ち出す必要があるか?
>>23 マリア像については、「キリスト教関係者の依頼で、関係者が調査した結果、血が人間の男性の物である事が確認された」として、関係者が、「超常現象である」と認定しただけ。
「持ち主が血をつけた可能性」や、「血が、持ち主の男性の物である可能性」は、持ち主が調査を拒否した為、確認できていない。
全然、科学的調査とはいえない。
トラコテの水については、「プラシーボ効果」と、「二重盲検比較対照試験」のキーワードだけで反論できるw
医者が、「この水を飲むとよくなりますよ」と言って患者に飲ませたら、「何となくよくなった気がします」と患者が言って、医者も、「やっぱりよくなりましたか!」と喜んだと言う、幼稚園児のような話w
活性水素について解説してる教授とか、論文引用が滅茶苦茶で、英語も読めない教授として有名w
存在自体が確定されていな物を、定量分析したとか、物笑いの種だw
そもそも、活性水素とか、疑似科学認定されてる物を持ち出されてもwww
エイズウイルスが増殖しなくなる程、プロテアーゼを活性水素が阻害したら、細胞の活動自体が止まって、水を飲んだとたん死ぬぞwww
ガンを防ぐほどテロメラーゼを阻害したら、水を飲んだとたん、生殖細胞が死ぬぞwww飲んではいけないwwww
久々に笑いすぎて腹筋が痛くなったw
オモシロ動画を有難うm(_ _)m
光のサークルについては、最後に物理的説明がついてるじゃんw
まあ、騙されて、治安が改善したなら、「イワシも頭も何とやら」で、めでたい限りw
とりあえず、どの奇跡も、やってることが大げさすぎるw どれ一つとっても、物理的に証明されれば、ノーベル賞どころか、永遠に歴史に名が残るレベルの現象。 応用できれば、ビルゲイツも真っ青な金が稼げる。 本当ならば、既に科学者が群がって、研究してるだろうよw あなたは、科学機器を使った調査と、科学的手法を用いた調査の違いを正確に認識した方がいい。 テレビで紹介されたり、何となく科学用語風の単語が並んでるだけで、科学的に証明された気になるのは、愚か者の判断。 「あるある大辞典」の事件で何も学ばなかったのか?w
107 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 19:06:36 ID:kS1RpZrx
>>83 前スレのID:FqGqSr5Z です。
>>84 とあわせて読ませてもらいましたが
実に興味深い論でした。つまり「業の作り手」と「業の引き受け手」という
概念を最初に設けず、まずは「業の連鎖」のみを仮設する。その後に、「因となる
業の創造主体をA」そして「果となる業の引き受け手をa」とする。「認識の前後関係
の入れ替え」ですね。「業の連鎖、まずありき」という論ですね。
(誤認をしていたら、指摘してください)
さて、大変興味深い説ですが、疑問点を少し まず
1 「この『業』の属性上、その作り手や引き受け手などの基体の後付が可能か?」
ということなんですが。つまり、その作り手や引き受け手を後回しにして
『業の連鎖』のみを最初に仮設することが妥当か?ということが一点。そして
2 「この業は決して単一の業の連鎖のみではなく、複数の業の連鎖があると思い
ます。例えば、ある殺人事件があって、「業」が創造されたとします。そして
その『業』が来世において、「果」となりある人が殺されたとしましょう。
この業の連鎖において、後付的に「殺人事件の加害者をAさん」とし、「来世に
おいて殺された人をAさんの生まれ代わりのaさん」と 認識するわけですが、
この単一の業の連鎖によってのみ、二人の人間の因果関係を規定できるのか?
つまり来世で殺された人は、この殺人事件以外の業も多数、干渉しているわけであり
それら多数の業の作り手との関係性はどのようになるのか?」
と、このような疑問が生じてしまいます。
108 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 19:14:17 ID:WsqJ/HtS
>>103 圧倒的多数の健常者は、記憶によって同一性を担保する。御釈迦さんも、同様
だったはず。
君が記憶消失症なら、宗教やる前に、精神科の診断と治療を受けること。
109 :
前世は一在家 :2009/09/13(日) 19:23:20 ID:7iOwgo6z
>>101 >いやいや、中観派は断定しますよw
>そもそも「破邪の論理」ってのは断定の論理じゃないですか。
>世俗言語慣習に沿って断定します。
>しかしながら勝義諦は断定は出来ないですね。
>(空性ってのは、そもそも断定できるもんじゃないですからね)
そうですか?
「破邪の論理」は先に断定した阿呆を否定する論理だったと
記憶しております。(中村元氏は阿呆とは言いませんでしたが。)
>中論に準拠すれば、カルトであるのは即明白になります。
>拙者はカルト・バスターというベクトルで語ちとるんですよ(笑
>カルトかそうでないかは一発で的中します。
貴兄は自称カルト・バスターですか。(快笑)
そういうお話は前世の「一在家」の頃に聞いておけば良かったですね。
>>83-84 「□→◇という縁起があるとして、あとから、□=A ◇=aとラベリングしたら、A→aになるだろ?」
と言われても、なんで、□=A ◇=aとラベリング出来るのかが不明
□→◇が起きる根拠として、「A aが便宜上のラベル」と言っておきながら、後で「□=A ◇=aである」と主張するとかw
循環論法じゃんw
しかも、縁起が、時制を無視できる根拠が、「間断なく続くもの」であるからだとすると、
「昨日と今日の境目を判別できないから、昨日は、1年前の事です」と主張してるようなものだぞw
111 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 19:32:52 ID:IS4bQ+0e
記憶ってのも縁起ですね、刹那に生起するけど刹那に滅する。 縁起ですから連鎖することはなく、間断され終了です。 この刹那にいおいて無限なる時空があるわけですが、 この時空とて刹那ですね。 刹那に連続性がある。という相矛盾性を空と逝っております。 勘違いしては困ってしまいますが、 同一性が連続性としてある訳ではありません。 無我ですから、我は生起・生滅であります。 刹那に同一性は担保されますね。 つまり同一性というのは非連続であります。 (無我ですから当然ですよ) つまり、 非連続性は、刹那に連続性として同一性が担保される。 ってことですよ。 この法理こそ釈尊の本懐でして、 先ずもって仏教のアカデミックさには驚嘆するばかりですよね。
112 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 19:39:45 ID:WsqJ/HtS
>>109 >貴兄は自称カルト・バスターですか。(快笑)
机師は、その前コテの「髑髏仮面」wの時代から、自他共に認める2ch切って
のカルトバスターです。
君のカルト洗脳が、机師の話を聞いても抜けないほどの重症なら、しばらく
座禅をやったらどうですか。禅は、「観念」を除去するものですから、君の
「神」や「守護霊」などの観念も吹っ飛ぶはずです。
113 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/13(日) 19:44:01 ID:IS4bQ+0e
>>109 在家どの
>「破邪の論理」は先に断定した阿呆を否定する論理だったと記憶しております。
「否定」というのは「肯定」と相反する概念ですから、
二項における一項選択で「断定」ですね。
>貴兄は自称カルト・バスターですか。(快笑)
ええ、随分前になりますけど「2ちゃんねるガイド」で
「カルト・バスターとして紹介されたんですよ(笑
古層のチャネラーは知ってますけどね(笑
(でも、その頃のハンドルネームは捨てました)
だから「自称」じゃないんです(大笑
114 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 19:45:47 ID:kS1RpZrx
>>110 いえね、旧7さんは、前提条件を設けたうえでの「特化した」
条件下での思考実験をしてるわけだから、それ以外の諸要素はとりあえず
考慮外ということで、お願いしますよ。
115 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 19:54:16 ID:l8ovzy9y
スッタニ・パータの中でも特に最古の章に、ハッキリと論争を禁じてるのに そのような基本的な教えも守れない奴等は仏教徒でもない、 しかし、仏教もどきの新興宗教ばかりの集まりだな。
思考実験のスレだそうですから 思考から何が生まれるのかいな だよ 関係ないけど、五井昌久も、途中までオカルト青年だったよ
117 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 20:15:56 ID:ExCSx5bU
>>108 >圧倒的多数の健常者は、記憶によって同一性を担保する。
その記憶も無常だが、その無常な記憶の同一性はどうやって担保されるか、という話。
これが担保されねば、「記憶の連鎖」そのものが不確実になってしまうから、
「記憶の連鎖」によって同一性を担保するという発想にとって問題のはずなのだけどね。
ちなみに、意味不明ならスルーしてね。
118 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 20:27:16 ID:WsqJ/HtS
>>116 五井昌久(大本系の白光真宏会の創始者)は、最後までオカルト青年。
ご他聞にもれず、「釈迦とキリストとの合一」を体験しているw。
キリスト教の影響を受けた宗教が、例外なくカルトであることの一例。
119 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 20:30:45 ID:LthXlV2s
>>84 >≪《「A→a」ありき》ではなく、《『□→◇』》であり、それぞれ《「□はA」と見做され「◇はa」と見做される》≫から、
>≪「A→a」が担保される≫、と。(→この意味で≪「A→a」を担保するのは『□→◇』(縁起)である≫と・・。)
ほとんど同じだよね。宜しい、宜しい。
中論は傑作だよ。縁起に関しては因縁心論もいいと思う。
120 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 20:51:13 ID:4HTQb80W
>>89 >前世の記憶がなければ冤罪としか思えない。
業報においては、
「私には見に覚えがありません」というのは通用しません。
責任逃れは不可能であり、そこが業報の恐ろしさなのですよ。
本人は覚えてないから、不条理に見えて可哀想でしょ?
しかし、いずれは全部を想起するときがくるのです。
仏教は、この不条理な世界は、
輪廻を脱しない限り繰り返される悲劇だといってるのです。
>>91 >それでは楽しい思い出、心が安らぐような思い出
それらもすべて囚われになるからですよ。
準備が整ったら自然と想起されるようになっている。
121 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 20:52:17 ID:4HTQb80W
>>62 >最古層といわれるウダーナヴァルガにも空の萌芽がありますから、
>歴史的には説一切有部と同列です。 実有論だけが原始仏教ではない。
>ただ貴殿は、情報が偏ってるだけです。大局的観点が必要ですね。
意味不明です。
それに原始経典群としての分類は統一されているものと思います。
私はまだまだその一部しか知りませんが、基本的にはいずれの経も差別意識なく扱います。
あとは中身の問題であり、最終的に判断して読み解くのは自分自身ですよ。
まっ、私は現代和訳しか読めませんが・・。
参考:
http://www.sakya-muni.jp/goku01.html >>94 >心霊現象にはまったまま、この生を終えるのは愚かです
嵌るのではなくて、
「そんなものは取るに足らない、ごくごく当たり前の常識のコンコンチキ」だから、
「そんなものには執着すべきでな〜い」と知るということなのですよ。
どう、お分かり??
122 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 20:53:45 ID:4HTQb80W
>>96 瞑想について指導することとは直接は結びつかないように思います。
瞑想そのものの修得と悩み事相談とは違う。
ただ、ヒーリングとかの分野であれば、また別でしょう。
それは重要視されるでしょうね。
>>97 意識レベルの進化段階が高いと、ある程度は転生先や時期については自ら選択できるようになります。
当然、想起された過去世の記憶も消えることはなく、転生しても最初から覚えています。
>>104-106 自分が体験しない限りは理解できない典型的な唯物論者の症状ですね。
とても喜んで頂けたようで結構です-はい、お疲れ様でした^^
123 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 20:55:06 ID:4HTQb80W
>>90 >真理としては、ブッダが説いてない事の方がはるかに多いんだろ?
>ブッダはまだ半人前なんだろ?仏教は真理を説ききっていないんだろ?
そう。ゴータマとて全知全能ではないです。
やはり、基本的には自己の経験にないことは知らないでしょうね。
とはいえ、過去世のあらゆる記憶と体験に基く知識と理解、
及び他者の心を読み解く能力などから途轍もない叡智を持っているでしょう。
また、その気にさえなれば、如何なる難解な新しい理論体系だろうとも、
瞬時にして会得してしまい、そして二度と忘れることも皆無です。
>なんでわざわざブッダの名前を出す必要があるんだ? 理解に苦しむよwww
たまたま、
この私、個人がゴータマが好きだったからですよ!
自称仏教徒らのいい加減な話しに、新しく仏教に関心を持つ人たちが
誤解しないようにとココへとやってきましたよw
124 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 20:57:37 ID:4HTQb80W
ハッキリいって ヒンドゥーの方が遙かに優れています。 ヒンドゥーの自称信徒らでこんなに勝手三昧で見解がバラバラなことは有り得ません。 信徒同士のこのような混乱を招く討論はまず起きない。 聖典の説くの内容も細部まで行き届いており、レベルが非常に高度です。 曖昧さが少なくて教えが膨大。私はついつい比較してしまう・・。 私は仏教界では、どうも解脱者などはいないとみています。この近年〜数百年来・・。 いや、出てるでしょうが、知られている人物の中にはいそうにはないと。 従って、太古の記述にしか頼らざる得ないところから、時代の経過に伴う限界性がある。 しかし、ヒンドゥー世界では近代においてもラマナ・マハリシを排出した (このような偉大な聖者が途切れることがない)。 当然、古代の聖典などよりも、生ける本物の覚者から直接に学ぶほうが遙かに優れています。 つまり、時代の変色がないし、質問をしてその回答をもらうことができるからです。 ただの外道などいうレッテル付けは誤解であり、無知な証拠です。 そういう人はまず大抵、ラマナ・マハリシの教えを知らない。 誤解されないようにいうと、 レベルが低いのは「仏教」ではなくて、自称仏教徒たちのことね。 唯物論者が紛れていたり、業報を否定したり、ヒンドゥーでは有り得ない・・。
>>114 その、「前提条件を設けたうえでの「特化した」 条件下での思考実験」が、論理的におかしいと言う指摘なんだが?
誰も「それ以外の諸要素」の話はしてないぞ?
gdgdの論理の枝葉末節を削ると、
前提として、「A(Aさん)やa(aさん)は便宜上のラベル、実際には『□→◇』が起こる」としたのに、
いきなり前提を否定して、「A=□、a=◇」だから、「A→aである」と言う結論になる。
まずここが一つ目のおかしい点
そして、二つめが、
「A→aを保障するものは何か?」と言う質問に対し、「前提として□→◇という縁起が成立してるからだ。」と言う答。
これまで、縁起が成り立つ証拠として、生まれ変わりや、過去世の記憶を持ち出したのとあわせれば、
循環論法成立。
「縁起を前提してるんだから」という主張は、
「神が存在すると前提すれば、奇跡が存在する。奇跡があるなら、神は存在する」と言ってるのと同じレベルだぞ?
ついでに言えば、もう一つ。107が指摘してるが、業が複数有った場合、全ての果が、一人の人間に集まる理論を説明できなければ、aとラベリングするのは不可能。
(それぞれの果が、別々の人に現れて、全てをaだとラベリングするなら、別だがw)
126 :
析空 :2009/09/13(日) 21:19:05 ID:LhTlkuAp
>>54 机先生!
「隻手の音声」という公案は、
「無音の音を聴け」ということなのですか?
ここで、相手の心に飛び込めとは?
「隻手の音声」という公案の、どこに相手がいるのですか?
私の理解では、「隻手の音声」という公案は、
【相手が居ないと音がでない】ということをに気が付くことが目的なのでは?
127 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 21:25:20 ID:kS1RpZrx
>>125 私が旧7さんの書き込みを読んで理解したところは
>>107 に書いた通り。私が誤読をしている可能性も高いので
まず、旧7さんの意見を聞いてから、コメントしたいと思います。
>>122 むしろ俺には、どれも典型的迷信成立過程の症例にしか見えない。
まあ、あんたが信じたいなら、どうぞご勝手に。
だが、これを奇跡だと騒ぐのはやめておいたほうがいいぞ。
恥をかくだけじゃなくて、病院に担ぎ込まれるのがオチだw
俺は、自分が体験しないから信じないんじゃなくて、
もし本当に起こっていたら、今の文明がぶっ飛ぶぐらいのレベルの話なのに、
未だに日常がぶっ飛んでないんで、嘘だとしか思えない。
本当にエイズが治る水なら、既に全世界で発売されて、エイズは撲滅されてるだろ?
本当に、聖水が出たり、ミルクが消えたりする(質量保存則が破れる)なら、エネルギー問題が解決されてるだろ?
なんで、こういうオカルトにつっこみを入れると、「体験して無いから理解できないんだ!」としかいえないのかね…?
俺は別に宇宙に行った事はないが、ラグランジュポイントでは無重力になる事を信じてる。
要は、論理的に整合性があるかの問題だ。
活性水素なんか、科学風の用語を使っただけで、「モケケピロピロが有効成分として入っています」と主張してるのと同じだぞ?
科学的調査をパスした「奇跡」って物を一つでいいから、例示してくれよ。出来るんならなw
ちなみに、身内が「科学機器」を使って調べただけの物は科学的調査とは言わんぞw
「科学者は頭から否定的だからダメだ」なんてのも無しなw
量子論なんか、頭から否定されてたのに、実験の結果、現在では認められている。
129 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 21:31:42 ID:LthXlV2s
>>124 チベットでもビルマでも輩出してるっつ〜〜の。知らないだけだ。
日本が和辻以降特殊なだけなの。
それまでは仏教は聖者だけが論じられるものだった。
和辻がその伝統を破壊して勝手なことをいうようになった。
問題はその覚者が本物かどうかなんだな。
そのレヴェルを判断する基準として聖典がある。
ちなみに仏教からみたらヒンドゥーの聖者はもちろん。
『梵網経』の外道以外のなにものでもない。
チベットの聖者はヒンドゥーの聖者を覚者と認めません。
君は、基準をヒンドゥーとか神智学に置いているから、
ただの外道なんだよ。その基準で仏教を計ってほしくない。
どこかの仏教国では生まれながらの菩薩が大切にされてて、ラマナ・マハリシのように ある年齢になると態度が豹変して母親に対しても礼儀正しくなって出家していくらしい。 どこまで本当か真偽はわからないが、その辺りでは本物の解脱者がいそうだ。
131 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 21:43:01 ID:LthXlV2s
>>130 チベット文化圏にはたくさんいらっしゃいますよ。
日本にもかつていらっしゃった。聖徳太子や弘法大師がそう。
>>129 今まで面倒なんでつっこまなかったんだが、梵網経って、中国で作られた経典じゃなかったっけ?
それを根拠に色々論じてるけど、そこに矛盾は感じないの?
133 :
旧7 :2009/09/13(日) 22:02:07 ID:wOKemhoH
>>132 真面目に返答しようと思ってたが、そのレベルかよwww
帰れ。お前に言う言葉は無いw
100年勉強してから出直してこい。
134 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:05:14 ID:qIsbQ6pY
誰が解脱者かなんて自分には分からないし、分かりもしないのにあーだこーだ優劣比較するなんてとてもできない。 そういう態度は、なんというか、敬意が欠けている。
>>133 反論できなくて、つっこめる所探してたんですか?w
で、どの辺が勉強不足でしたかね?
梵網経って、大乗戒の根拠の、あの梵網経ですよね?
タイムスリップしてゴータマに会いに行って、このスレの人達が 輪廻はある? アートマンはある?って質問したら 「・・・・」 多分、沈黙して何も答えないだろうな
137 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:18:41 ID:LthXlV2s
138 :
旧7 :2009/09/13(日) 22:19:32 ID:wOKemhoH
>>127 前段の要約は妥当。(
>>119 さんがどう言うかは知らんがw)
後半の指摘(及び
>>125 )は、尤もな疑義。
そして、私自身答えを持っていない。これまで述べた理屈は、
あくまで、積極的に肯定するなら、どのような言い方が可能か?を模索したものであり、
自分自身疑問を持っている点をどう消化できるかという自分へのチャレンジでもある。
ただ、前シリーズでまとめて記したように、私自身の本音は
《三世に跨る業報思想には異議あり!》なんで、自ずと解説には限界がある。許せw
139 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:20:54 ID:LthXlV2s
>>133 そいつには答えないくていいよ。
kS1RpZrxが答えを待ってるぞ。
オレは期待してっから、よろ。
140 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:22:30 ID:qIsbQ6pY
それから、本来は主観的・体験的なことを、主観的・体験的に得ていない段階で、事実のように語るのは如何なものかと思う。 輪廻とか、業報とか、そういうのは主観的・体験的な事実でしか有り得ないんだから。 無我や涅槃についても、そう。
141 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:25:25 ID:LthXlV2s
>>138 アレ、それで終わりか。
まあ、業不思議だから。無理だ。
何か基体を設定すれば実在論。
設定しない釈尊、中観説は、詭弁とかごまかしと言われる。
142 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:27:49 ID:LthXlV2s
>>140 テキストと伝承に基づいてしか基本的に述べてません。
体験とか常識などを混ぜてもしかたがない。
それらの正当性、妥当性を保証するものはないから。
143 :
旧7 :2009/09/13(日) 22:32:01 ID:wOKemhoH
144 :
旧7 :2009/09/13(日) 22:32:44 ID:wOKemhoH
>>139 『三世に跨る業果・業報』を語る御仁達は、自分達の「因果の拾い上げ方の基準」について自覚はあるんだろうか?
※反感を買いそうなw事例をもう一つ二つ挙げておこう。
・朝、いつもは左足から履く筈の「靴を右足から履いた」。
.昼、職場の「段差で(右足から)つまずいた」。
.夜、「右靴下の先が破れている」ことに気がついた。
・(昨日、友達と喧嘩した。)
.朝、(腹いせもあって)通学途中、路駐してる「車を500円玉で擦った」。
.昼、購買部の前に来て、「500円玉が無い」ことに気がついた。
.夜、「家の車に硬貨で擦られたような傷が付いていた」。
いずれも、ここに有意な関連性を設けるのは、荒唐無稽で、およそあり得ない考察だ。
おそらく誰もが、このような『因果の拾い上げ』は却下するだろう。
しかし、ここにも「因果を【見ること】は可能」だ。 そう。 【見ることだけ】は・・・。
(もしかしたら、本当に全て連なって生じた事象群かもしれないが・・・www)
人が、こうした関連性にさえも因果を見る癖があることは、「地鎮祭」や
「赤子の初参り」「七五三」「厄落とし」等が今でも多く続けられていることからも推察できる。
時代劇でよく見られる「外出前の火打石」も同様の側面を持つ。
そう、「どちらの足から靴を履くか」と類似した側面を・・。
「或る行為をすることによる、どのような果が期待されているのか」。
「或る行為をしないことによる、どのような果が恐れられているのか」。
私は、『三世に跨る業果』について、上の二つの例と同じ構図を見ているのだ。
上の二つのような例と、ベトちゃんドクちゃんの例(→彼らが、前世の業によりあのように生まれたということ)と
どこに違いがあるのか?
こうした結び付け方が「同じ構図でない」というなら、その違いを、明確に、論理的に説明してほしいものだ。
「上記二例のようなこと」と「前世の業&今生の果」が同じでない理由を・・・。
(ロングパスとしても長過ぎやしないか?・・とw)
>>137 それは失礼。確かに私の勉強不足だった。
素直に非を認める。
何十回も繰り返されるなら、一言「パーリー語の」と付け加えてくれていれば済んだ話なんだが。
まあ、言った本人に言わないとしょうがないかw
>>138 やっぱり、問題の論点がスライドしただけか…。
結局、「信じるしかない」と言う結論になっちゃうわけね。
146 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:36:15 ID:qIsbQ6pY
>>107 >1 「この『業』の属性上、その作り手や引き受け手などの基体の後付が可能か?」
単なる思想を追っかけているから、大事なポイントを逃しているんじゃない?
まず、事象に過ぎない「◇」を、どういう訳か「自分だ(aだ)」と思い込んでいる(引き受けている)という“主観的な事実”があるんでしょ。
そこから、遡行的に、縁起という教え(□→◇)たにたどり着く。
>>121 >>122 瞑想とか座禅で、おかしくなった人を治すのは誰?
瞑想する前からおかしい傾向の人が
瞑想で楽になりたいと言ってきたら、まず何をするべきでしょうか
インドの様なお国がらなら、クリシュナの目を見たー
とかで床を転げ回ったり、1日中笑っている人がいても
ある意味讃えられるらしい?です
日本のある地域でも、神ダーリーとか神がかりが出やすい所あります
が、地域的に珍しくないので10年スパンで放っておかれている感じです
148 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 22:46:27 ID:f3J+rR5D
>>142 >体験とか常識などを混ぜてもしかたがない。
>それらの正当性、妥当性を保証するものはないから。
常識は、常識であることによって、正当性・妥当性を有する。無数の人間
により、多年にわたって築き上げれらた、人間の共生のための叡智だか
らである。
個人の著作に過ぎないテキストには、そのような正当性・妥当性は皆無
である。勘違いも甚だしい。
149 :
旧7 :2009/09/13(日) 22:51:08 ID:wOKemhoH
>>145 TPOに於いて、パーリ経典に馴染んだ人が少ないと推察した場合、
話題がパーリや原始仏教に限定されていない場合などは、
「パーリ梵網経」「漢訳梵網経」と区別して表現するさ。
けど、前シリーズ&このシリーズではパーリ経典を出典として利用する手法が定着している。
だから皆、「パーリ梵網経」であることを前提として断りなく記す。
つまり、このスレに於いて、「梵網経」と言えば「パーリ梵網経」であるということは、
地域性によって「雑煮と言えば角餅」「雑煮と言えば丸餅」ということと同じだ。
このシリーズではパーリ梵網経しかありえないんだよ。
漢訳である場合に限って、その旨を注記する形となる。 桶?
>結局、「信じるしかない」と言う結論になっちゃうわけね
はい。
(第一歩にある)凡夫には、それしかありません。
だから、本来は『信・戒・定・慧・信』というコースなのです。
150 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 22:55:33 ID:4HTQb80W
>>129 >チベットでもビルマでも輩出してるっつ〜〜の。知らないだけだ。
確かにいるかもしれません。
まーチベットにはいそうです。ただそれは、一般には知られていない僧侶の中にです。
まるでゴム毬のようにバウンドして、大空を弧を描きながら飛んでいたチベット僧を神智学関係者は目撃しています。
こういう得たいの知れない人物が不死の領域に突入している存在かもしれませんね。
私は神智学徒ゆえチベットの覚者を一人知っています。
ただしチベットの高僧としての姿というのは仮(の姿)でしかない。
周囲の高弟の僅か数名の側近だけがその正体を知っていますが、しかし、一般には明かされていません。
あまり「仏教」・・・かどうかとか、そういうのも殆ど関係ないので。
>日本が和辻以降特殊なだけなの。
>それまでは仏教は聖者だけが論じられるものだった。
>和辻がその伝統を破壊して勝手なことをいうようになった。
なるほどね---了解しました^^
ま〜自称仏教者らがあなたのような見解で統一されるのであれば、この私は文句ないw
しっかりと教化して下さいよ!いつでも引っ込むからwww
(もし教化できるなら、アートマンの件も目をつむりますがw)
>チベットの聖者はヒンドゥーの聖者を覚者と認めません。
僧侶レベルの主張でしょ!
>君は、基準をヒンドゥーとか神智学に置いているから、
>ただの外道なんだよ。その基準で仏教を計ってほしくない。
そういう人ほどラマナ・マハリシも神智学も知らないのです。
152 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 22:56:48 ID:4HTQb80W
>日本にもかつていらっしゃった。聖徳太子や弘法大師がそう。 失礼ながら違うと思いますね。 いや、聖者の悪口は基本的にはいいませんので。 たしかに素晴らしい方々には違いないでしょう。空海も太子も道元も・・。 あなたのいう完成者というのもほぼ把握済みです。 私は宗祖レベルには詳しくないですが、 たまたま知っている空海は尊敬しています。 大乗で興味も持ったのは唯一、密教だったというのもありますが。 映画、「空海」も見たしねw
>>123 >自称仏教徒らのいい加減な話しに、新しく仏教に関心を持つ人たちが
>誤解しないようにとココへとやってきましたよw
小さな親切、大きなお世話w
曲解しまくっているのはカルト宝珠愚者おのれだ。
何の実証性もない戯論でしかない。
前スレでは、バラモン=ヒンドゥ汚染仏典に「書いてある」ことを根拠にし、
今スレでは、自説がバラモン=ヒンドゥ汚染仏典に書いてなかったまたは、
矛盾していても強引な歪曲でごまかし、不都合なレスはスルーする。
実証不能の超然的立場から中道歪曲御都合主義偏見による
仏教と無縁の迷妄論を垂れ流す。まさに龍樹のいわゆる戯論のみ。
戯論の消滅というめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、
もろもろの説法者のうちでの最も勝れた人として敬礼する。
御都合主義オカルト神智学は何の実証性もない世俗物論でしかない。
だいたい「神」なぞ出してくるのはぜ〜んぶ ア ウ ト !
154 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 23:01:22 ID:4HTQb80W
>>128 >本当にエイズが治る水なら、既に全世界で発売されて、エイズは撲滅されてるだろ?
あなたが遅れているだけです。これは“人類へのプレゼント”として与えられたものです。
望むならば、あなたが現地に飛んで調査すればいい。成分でもなんでも・・・。
はい、この“聖なる奇跡の水”から造られたホメオパシー療法の薬剤(錠剤・粒剤・液剤)がイギリス
の薬局から手に入ります。実際、水は直接に飲み過ぎられており、下痢などの弊害が起こっています。
また、これらの水は効力が強く、日に小さじ2〜3杯にすべきなのですが、多くの人々は量を飲むほど
良いと思いがちで何リットルも摂ったりします。これは非常によくないです。
ロンドンのエインズ・ワースからの薬剤はこの奇跡の水の効力を更に高めてくれています。適切な
希釈度で製法されているのです。
希望者がいましたら、自分自身で確認の上で自己責任で購入して下さい(FAX注文が中心です)。
膨大な種類のホメオパシー療法の薬剤を扱っているので、必ず「トラコテの水」が希望だと告げること。
【入手先と方法】
Ainsworths
36 New Cavendish StreetLondonW1G 8UF
TEL:(国際)0171-935-5330 FAX:001-44-171-486-4313
・14g錠剤(1瓶)、 4.50 USドル
・14g粒剤(1瓶)、 4.50 USドル
・30ml液剤(1瓶)、9.50 USドル
営業時間/月〜金曜9:00〜19:00、土曜9:00〜16:00 定休日/日曜
上記は目安として98年当時の価格(現在については確認して下さい)。
他にプラス送料分で入手出来ます。支払いはVISAが便利。
http://www.ainsworths.com/site/welcome.aspx 参考:
https://tabidachi.ana.co.jp/card/418560
神智学というのがいかにいいかげんなダメ教説かを よくぞ周知徹底されました。 感謝いたします。 合掌
>>154 宝珠
責任を持って実証しろよw 公的機関によって効能が保証されていることを。
そうでなければ、幸福の科学のグッズ類と変わらない。
157 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 23:13:09 ID:ReEzJNk7
>>120 宝珠愚者氏
>本人は覚えてないから、不条理に見えて可哀想でしょ?
>しかし、いずれは全部を想起するときがくるのです。
↑ これは想像で言ってるわけですよね、過去世を思い出さないのに。
こういうのを妄信と言いませんでしたか。
>仏教は、この不条理な世界は、
>輪廻を脱しない限り繰り返される悲劇だといってるのです。
輪廻を明らかにするために前世の記憶を取り上げている。
しかしあなたは、輪廻を前提にして自分の話を組み立てている。
やはり、輪廻があることを頭から妄信しているようです。
158 :
旧7 :2009/09/13(日) 23:20:06 ID:wOKemhoH
>>154 には特保マーク付いてんのかな・・・(´・ω・`)
159 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/13(日) 23:21:50 ID:ReEzJNk7
>>120 宝珠愚者氏
>>それでは楽しい思い出、心が安らぐような思い出
>それらもすべて囚われになるからですよ。
>準備が整ったら自然と想起されるようになっている。
囚われになるから想起しない? では今生の記憶はどうなのですか。
嫌な記憶もあれば楽しい記憶もある。
あなたの理由では、前世の記憶を思い出さないことが説明できない。
ほとんどの人に前世の記憶がない。→ なぜないのか説明できない。
であれば、輪廻がないのではないか、という疑いが深まる。
>>154 怪しげなショップで売られている事が効能の証明になるのか?w
そもそも、現地でも、金とって売ってるぞw
俺は、「本当にエイズが治る水なら、既に全世界で発売されて、エイズは撲滅されてるはず」と言ったんだ。
未だに世界中の製薬会社が、莫大な資金をかけて、エイズの治療薬を研究してるのはどう説明するんだ?
この水を飲めば治ると言うのなら、エイズウイルスを自分に注射する覚悟ぐらいはあるんだろうな?
161 :
旧7 :2009/09/13(日) 23:30:54 ID:wOKemhoH
>>160 ※効能には個人差があります。
って書いてなかったか?w
ああ、あれはダイエット製品だったか・・。
162 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/13(日) 23:35:20 ID:4HTQb80W
>>153 >小さな親切、大きなお世話w
お決まりのツッコミでしたねwww
>>147 本当は、
基本的で正しい瞑想であれば、おかしくなることはないのです。
ですが、怪しい指導を受けていると危険かもしれませんね。
瞑想は治療ではないですが、
しかし、正しく基本的な瞑想をすれば心身共に健善になることは保証します。
>インドの様なお国がらなら、クリシュナの目を見たー
>とかで床を転げ回ったり、1日中笑っている人がいても
>ある意味讃えられるらしい?です
お国柄です。
そういう情緒反応はいいことではないです。
>日本のある地域でも、神ダーリーとか神がかりが出やすい所あります。
「ダキニ(ダーキニー)」ですか?「女神カーリー」?
いずれにせよ、これらには不用意にあまり近づくべきではないです。
特にカーリー(及び稲荷)は推奨しない。
現地インドのカーリー女神像には動物の生き血を注ぐので、
通常の視力では見えない不浄で醜悪な微生体(エレメンタリ/ピトリス)が群がっています。
基本的に神がかりというのは宜しくないです。
それらは憑依現象、トランスです。
体質によっては過剰な情緒が心霊(神霊)と感応するのです。
>>161 「飲むだけで健康的に痩せるダイエット薬」も、本当に開発されれば、ノーベル賞級だからなー
確かに同じレベルの話w
もう宝珠のインチキぶりにはウンザリだ。 無駄。うんこ。カス。 要するに、私が信じているから真実です、に尽きる。 やってられんわw
宝珠 もう、醜悪だな
166 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/14(月) 00:02:04 ID:ReEzJNk7
宝珠氏はどうしたのですか? 集中砲火を浴びてますね。 エイズを治す水? ルルドの水のようなもの? そういえば今日の夕方、TVで歯周病を治す水を紹介していたがw
>>150 > まるでゴム毬のようにバウンドして、大空を弧を描きながら飛んでいたチベット僧を神智学関係者は目撃しています。
だから何だというんでしょうか。くだらなさすぎて欠伸が出そうです。
> 私は神智学徒ゆえチベットの覚者を一人知っています。
> そういう人ほどラマナ・マハリシも神智学も知らないのです。
知ってるからどうなんですか?
知ってたらエライわけですか?
まったく意味不明ですね。
自慢にもならないことしか誇るものがないんでしょうか。
168 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 00:04:04 ID:bYV46PPu
>>157 >>159 仏教理論と比べても矛盾はないでしょう。
輪廻転生を否定しては仏教理論そのものがすべて崩壊しますよ。
ID:LthXlV2s氏から教わって下さい。
ここを通過しないことにはどうしょうもない・・。
あなたはアートマンの存在を信じながら輪廻を否定する。
それは、キリスト教影響の霊界論(スエデンボリ)を信奉しているからでしょうか?
霊界論はいいとして(彼にはその能力があったでしょう)、
キリスト教の転生否定論というのは後代の改変だと以前にこの私はここでも教えたでしょ!
イエスも本当は説いていた業報と転生の教えが
ローマ皇帝の命令で排除された歴史的改ざんというのは有名な承知の事実なのですよ。
いいですか?
人間がたった一度だけの人生で神に裁かれたり、
地獄に行ったりするのであれば、生れてすぐに死去してしまった赤子については説明できない
(裁きようがないから-まだ何もしていないのです)。
また、最初から生まれの差別が生じている(生れの環境)という不平等の中で生きて、
それが同等の測りに掛けられて評価できよう筈がないのですよ。
不平等な条件を与えて勝手に評価を下す神などは、この宇宙には存在しないと知るべきです。
すべては平等であり、生れの差は自業自得に拠るものです。
他人のせいや神のせいというものはないのです。
この平等に作用する宇宙法則の中で我々は生存しています。
>>166 単に、「輪廻の根拠が、結局、個人の信仰の問題だった」 って決着がついて、
他につっこむネタがないんだろw
パーリー梵網経を、漢語梵網経と勘違いしたアホはあっさりあやまっちゃったしな。(俺の事だがw)
>>168 > キリスト教の転生否定論というのは後代の改変だと以前にこの私はここでも教えたでしょ!
> イエスも本当は説いていた業報と転生の教えが
> ローマ皇帝の命令で排除された歴史的改ざんというのは有名な承知の事実なのですよ。
あんまり周知じゃないけど。どの皇帝の命令ですか?
まさかニカイア公会議のことじゃないよね?
>>162 ダキニ天の事ではありません
いやはや、大体わかりました。
あなたになだめられたくて、書いたのではありませんし
瞑想行は危険な所を通過するんです
師ならば弟子の脳内が、まるわかりであるのは必須の能力でなくてはなりません
瞑想が進んだ場合もアストラル界のどこまで行った
とリアルタイムで見れなきゃなりませんよ
そして誰しも必ずカルマが噴出してきて、足止めにもなります
普通の人が順調に、一気に進める代物じゃないです
空を語る人と、空の体現者とは別物ですから
由緒ある寺のお坊さんにも、ほとんどいないと思いました
仕方ないです
そういう世界でありますから
だからこそ、一生懸命やって、オカルト止まりな人を
はなから馬鹿にしても気の毒ではありますよ
172 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 00:15:19 ID:Ex6AOAol
>>168 失礼だが、宝珠愚者氏は、これまで、ご家族や精神科医から、精神医学的問題
の指摘を受けたことはありませんか。
宗教由来、若しくは原発性の、統合失調症の疑いがあります。
173 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/14(月) 00:26:07 ID:D7EU9Zro
>>169 梵網経については同じ間違いをしたw
しかし内容が違うのだろうか。その辺が不明のままになっている。
174 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 00:26:58 ID:bYV46PPu
>>170 当時のユスチウス皇帝。
コンスタンチノーブル(553年)の「第五次汎宗教(キリスト教)会議」です。
生まれ変わりは不敬な思想であるとして排除が強要されたのです。
何故なら、キリストの絶対性を揺るぎないものにするには向かないものと見なしたからです。
生まれ変わりは何度も人生経験を積むことで学びを得ることを意味しており、
万人が神に近づいていける思想だからですよ。
これはイエスの神としての絶対性が揺らぐものだからです。
皇帝にとり、利用すべき国教としてのキリスト教には絶対でなければならないのです。
>>172 この方は特に病気などではありませんよ
今ここにいて自分の解る、信じる事を語っているんで
何でもかんでも病気にしたら、かわいそうです
あちらこちらによく見かけますよ
176 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 00:33:36 ID:bYV46PPu
>>172 わたしは家族の信頼が厚いw
当然、私の理解と知識もです。
ご心配なく。
>>171 >瞑想行は危険な所を通過するんです
そういう(危ない)ものを指導するからですよ。
簡単な話しなのですが・・分らないのでしょう?
なので、この話は終わりにしますね^^
>>174 553年だからユスティニアヌス帝の時の、第2コンスタンティノポリス公会議だと思うけど違うの?
ユスチウスって書き間違い?
第五次汎宗教会議って第2コンスタンティノポリス公会議の別名?
あと生まれ変わりを説いていた学派ってどれのことですか?
>>168 輪廻を否定して崩壊するのは、貴方の仏教理論だけだろ?
アートマンも、輪廻も否定する私は、輪廻を否定しても何も困らない。
赤子で死んでも、そもそも来世がないなら何も困らない。
むしろ、輪廻・業報を仮定すると、どんな業を積むと、赤子で死ぬ果になるのかが問題にならないか?w
生まれた瞬間に死んだら、死ぬ以外の果を受ける暇がない=前世で、死ぬと言う果以外の業を積まなかったという事になる。
どんな人生だったのか想像がつかないんだが?w
まあ、こんなこというと、「和辻論乙。既に論破済み」とか言い出して、
どのスレのどの辺で、どのように論破したのかを聞いても、答えてくれなくなるんだろうが・・・
179 :
◆/yQ8v8XK8Y :2009/09/14(月) 00:47:50 ID:D7EU9Zro
>>168 宝珠愚者氏
輪廻を否定しているのではなく、また肯定しているのでもなく、
前世の記憶がないことが不思議なのです。
いまのところ、輪廻があるのかないのか、よくわからない。
前世の記憶は、空や無我の話が一段落したので、
というか飽きてきたので出てきた話題です。他意はない。
180 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 00:52:17 ID:bYV46PPu
>>177 第2次と第5次は、共にコンスタンチノーブルでした。
わたしがいっているのは、第5次コンスタンチノーブルでのものです。
そう、ユスティニアヌス帝です(ただの表記違い)。
ここで現代に見るキリスト教の殆どのドグマが形成されました。
>あと生まれ変わりを説いていた学派ってどれのことですか?
学派ではなくて、元々はイエスが説いていたのです。
後に僅かに少数の異端派(カタリ派など)がそれを伝承しています。
>>178 はい、あなたはそれで結構です。
自分の信じる道をどうぞ!誰も邪魔しません。
181 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 00:53:23 ID:ptfoFCGc
輪廻とか超常的なことを、自分の体験もないのに事実のように語るのはどうかと思うよ。 しかし、だからといって、そういうのを嘘とか精神異常と決め付けるのも、ある意味で知性を欠いているように見える。 もし前世を覚えているなら、それは不思議なことではあるが事実だろうし 覚えていないなら、それは単に分からないことに過ぎない(分からないことはたくさんある)。
182 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 00:54:32 ID:bYV46PPu
>>166 >エイズを治す水? ルルドの水のようなもの?
そうです。ルルドよりも強力です。
別に秘密でも何でもない情報なので、
>>23 で動画を全部見ておいて下さい!
取り合えず面白い筈ですよ。
損は絶対にしない筈です。
>オモシロ動画を有難うm(_ _)m
>>105 にも好評でしたからw
183 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 00:58:35 ID:bYV46PPu
>>179 了解しました。
たしかに神秘といえば神秘です。
だから、覚者と呼ばれるような存在しか分らないのですよ。
では、オヤスミなさいm(__)m
>>180 > 第2次と第5次は、共にコンスタンチノーブルでした。
コンスタンティノポリス公会議は4回までしかありませんが。
> わたしがいっているのは、第5次コンスタンチノーブルでのものです。
> そう、ユスティニアヌス帝です(ただの表記違い)。
ユスティニアヌス帝の時のは第2次です。
何をいっているのかよく分らないのですが。
> >あと生まれ変わりを説いていた学派ってどれのことですか?
> 学派ではなくて、元々はイエスが説いていたのです。
> 後に僅かに少数の異端派(カタリ派など)がそれを伝承しています。
公会議で否定されているからには、何かの団体か学派、もしくは○○説、というような
呼び名があるはずです。それは何ですか?
>>180 「輪廻はあるんだ!」って、邪魔してるじゃんw
他人の主張を攻撃しといて、「邪魔しません」って、本気で頭が大丈夫か心配になるぞw
で、赤子で死ぬ人の前世は、どんな人生だったんだ?
>>182 確かに、つっこみどころ満載のオモシロ動画だった。爆笑しすぎて腹筋が未だに痛むw
とくに、宝珠愚者 がこれを信じて、真剣に見ている姿を想像したら、笑いが止まらなくなったw
186 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 01:22:21 ID:WHSaMWSF
え〜と、 前スレのID:FqGqSr5Z で 昨日のID:kS1RpZrx ですが なんか、ちょっと離れていた間に、またえらく進んでいて、よく 話が見えませんが、とりあえず、旧7さんのお題はみなさん納得で よろしいみたいですね。 それで、現在のお題は、? なんか、瞑想、記憶、キリスト教、 超常現象と盛りだくさんで。 個人的におもしろそうなのは、なんかの水? 動画も、書き込みもよくみてないけど、よくある「神秘の薬」?なの?
187 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/14(月) 01:22:31 ID:bYV46PPu
>>184 第1/ケニア/皇帝コンスタンテイヌス
第2/コンスタンチノーブル/皇帝テオドシウス1世
第3/エフェソス/皇帝テオドシウス2世
第4/カルケドン/ビザンチンの皇帝マルキアヌス
* 第5/コンスタンチノーブル/東ローマ皇帝コンスタンテイヌス1世
ギリシアのオリゲネス(西暦185-253)の説くものが異端の烙印を押されたのです。
彼はアレキサンドリア教理学校の教師で、初期キリスト教界屈指の神学者でした。
またプラトン派についての教養も深く、イエスの説いた生まれ変わりの法則を強調していました。
そこまで確認してどうするのです?
あなたはクリスチャン?私と話したクリスチャンでこれを認めた人は皆無でしたね・・。
ここはイエスの話しをする場所ではないので、後はご自分で確認されて下さい。
受け入れるかどうかはお任せしますから。
188 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 02:24:06 ID:WHSaMWSF
今、トラコテの水とかいう動画みてきましたが、それで その水を持ち帰ったプロバスケの選手は、その水のおかげでエイズが治った のですか? また、エイズが100%治るとのことでしたが、それは例えば1000人のエイズ患者 が全て完治したとか言う話なのですか? ある一人のエイズ患者が治ったのを100%と言っているのでしょうか? (それならば、そもそもその人が本当にエイズであったのかにも疑問が生じますが) そして何よりも「特命」のほうには、この水に本当に治癒力があるとの前提のうえで その原因を科学的に分析してますが、その仮説は全く超常的な要素などなく、 何処が「奇跡」なのか、さっぱりなんですが? ただ、単に「活性水素」には、各種疾患の治癒能力を認められる可能性があると 言っているだけでしょ?
>>187 > * 第5/コンスタンチノーブル/東ローマ皇帝コンスタンテイヌス1世
なるほど確かに第五公会議は、第二コンスタンティノープル公会議のことですが、
ユスティニアヌス帝の時ではないのですか? コンスタンテイヌス1世では時代が合わないのではありませんか?
言っていることがよく分らないのですが。
> ギリシアのオリゲネス(西暦185-253)の説くものが異端の烙印を押されたのです。
> 彼はアレキサンドリア教理学校の教師で、初期キリスト教界屈指の神学者でした。
ああ。オリゲネスですか。彼はアレキサンドリア学派の代表的存在です。
あなたは「学派ではなくて、元々はイエスが説いていたのです。」と言っていましたが、
こういう場合は普通「アレキサンドリア学派」と言います。
何故、最初からアレキサンドリア学派であると言わなかったのですか?
何か意図でもあるのでしょうか?
> またプラトン派についての教養も深く、イエスの説いた生まれ変わりの法則を強調していました。
そこが分りません。オリゲネスは新プラトン主義の影響を受けていますが、新プラトン主義自体は
輪廻転生を主張しません。オリゲネス自身は魂は肉体に先行して存在するという見解をもっていましたが、
そのことと輪廻転生とはまた別ではないでしょうか?
> そこまで確認してどうするのです?
そこまでも何も、あなたの言ってることがよく分らないから
こういうことになっているのです。すみませんが分るようにお願いします。
> ここはイエスの話しをする場所ではないので、後はご自分で確認されて下さい。
確認する以前に、何をいってるのか意味不明な箇所が散見されます。
大上段に振りかぶってる割に、本当は知識があやふやなのではありませんか?
190 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 03:07:51 ID:kac7fWB+
>>175 >この方は特に病気などではありませんよ
>今ここにいて自分の解る、信じる事を語っているんで
>何でもかんでも病気にしたら、かわいそうです
「妄想」とは、「健常者にとっては現実にはあり得ない事を、あると確信する
こと」です。
これほど妄想がひどければ、病気としか考えられません。
統合失調症の特徴は、「了解不可能性」にあります。あなたは、彼の言っている
ことが「了解」できるのですか。
>>188 要するにトラコテの水には、水素が含まれているということです。
「水素水」で検索してみれば効能はよく分ると思います。
水素は体内の活性酸素と結合して水になる。
活性酸素(フリーラジカル)が減少するので、健康にいい。
水素は軽いので、水素が水に溶ければ、その水の比重は当然ながら軽くなる。
水素が含まれているような水は非常に少ない。
以上、非常に分りやすい話なのですが、
「通常、自然界では比重の軽い水などは存在しないのです。」などといって
「奇蹟の水」などというのは、狂気の沙汰ではないかと思います。
ただの水素水です。装置さえ買えば家庭でも作れます。
192 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 03:19:00 ID:kac7fWB+
科学が発達していなかった古代の人々は、現代人からみると、多くの 非科学的な迷信を信じていました。「輪廻転生」も、その迷信の一つ に過ぎません。大真面目に考えることは無いのではw。
実際にトラコテの水をのんでエイズが治った人もいるかもしれませんが、 100%なんてことはないと思います。 水素水の効果に関してはフリーラジカルが原因になっているものには効果があるかもしれない、 くらいの話であって、「エイズが治る」などというものではありません。 もし本当に100%であれば、エイズの特効薬ということになりますが、 それほどの話にしては、ニュースになっていません。 病気で苦しんでいる人は真剣なのですから、 こういうペテンの可能性が高いものを安易に人に伝えるべきではないでしょう。 これは人としての良識の問題です。
194 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 03:29:45 ID:kac7fWB+
>>193 同意。現実に、多くの被害者が発生しています。
宗教者も、現代の科学から見て古代人の迷信に属することは、一切排除
すべきでしょう。さもなければ、「霊感商法」の被害は絶えることが
ありません。
だって、カルトなんだもんw
196 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 05:39:48 ID:DqozD+wS
>>195 すべてのカルトも、伝統宗教を母体として発生し、その教義や洗脳テクニック
をすべて利用している。従って、カルトと伝統宗教との間には、「原理的な
相違」はない。
「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、 このようなものに立脚した教え、 つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、 まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22) もうこのスレ終了。
198 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 06:52:25 ID:oykZeNPa
>>146 いいね、いね、いね〜
>単なる思想を追っかけているから、大事なポイントを逃しているんじゃない?
>まず、事象に過ぎない「◇」を、どういう訳か「自分だ(aだ)」と思い込んでいる(引き受けている)という“主観的な事実”があるんでしょ。
そこが実在論、本質主義による同一律の適応ですね。
仏教的にいえば、我見、有身見。
>そこから、遡行的に、縁起という教え(□→◇)たにたどり着く。
なぜ、そのような倒錯した感覚を当たり前の前提としているかが
問題ですね。それに気がつかないかぎり縁起も実体的に考えてしまう。
本質x という原因が本質 x' という果を生み出すというのが実体的縁起。
そんな理解は縁起でもなんでもない。
199 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 06:53:22 ID:looN52CH
>>126 析空どの
>私の理解では、「隻手の音声」という公案は、
>【相手が居ないと音がでない】ということをに気が付くことが目的なのでは?
これはですね、両手でッパンってやれば音がでますけど、
片手だとッパンってのは出来んでしょ?
出来んから音は出ません。
出ない音(無音)を白隠は修行僧に「聴け」と言うておるんです。
この公案というのはですね、無音という音に囚われておったら駄目なんですよ。
旧7氏のように、いつまでも考えてたら・・・絶対に解けないんですね。
つまり理屈を捏ね回してたらアウトですね。
(何度も言うよおに、仏教とは知識じゃないですからね)
白隠は「聴け」と言っておるんですから、発信側と受信側が対立したら聴けんでしょ?
つまり論理的には主客対立になるんです。
勝義諦と言いますのは主客未分であります。
よって白隠は公案において、暗に主客未分を提示しておるんですね。
(理論的には、そういう公案です)
主客未分というのはですね、白隠と一体になることですよ。
ならば「白隠の心に飛び込めば宜しい」ってことになりますね。
まあ、こういう公案というのはですね、
あまりにも簡単しすぎて、アタマのキレル?旧7氏あたりは難題になるんですよw
200 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 06:56:03 ID:oykZeNPa
>>144 本来、世界全体が縁起なんで一つとして縁にならないものはないです。
それが重々帝網、法界、マンダラなどと言われる意味。
だけど、これあらばこれありで分析され導きだされるものは、
主要な因、生がなければ死がないみたいな。
201 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 06:59:32 ID:oykZeNPa
>>150 >まーチベットにはいそうです。ただそれは、一般には知られていない僧侶の中にです。
たくさんいるつーの。チベットの場合は、死ぬ時にハッキリ境地が示されるのでどうしようもない。
202 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 07:07:40 ID:oykZeNPa
>>145 おお! 立派な態度。これは対論者として優秀。
>>169 個人の信仰じゃない。
仏教の信じるか信じないかという意味。
別に信じなくてもいいが、ここで述べているのは仏教のテキストや伝承内の話であって、
それが科学とか常識に耐えるかどうかなんて、別の思想体系を持ち込むなってことだっての。
つまり、仏教ではこう輪廻を捉えているという意味。
リクエストに応えて、超常現象などを示したが、
あれはどうでもいい無関係な話。
科学や常識内の話などは全て譬喩。
203 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 07:38:06 ID:593922zb
仏教はすべて空理空論だということか? 世俗の常識としての教えこそ仏教だろうに。 仏教は対機説法として説かれた法だろう。 勝義は論理ではなく、たんなるこころの境地だろ。 だから現実の風景をその比喩として説明されている。
204 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 08:17:41 ID:oykZeNPa
>>203 完全な誤認。何故、出家して戒定慧の道を歩み、
世俗の生産経済になるべく関わらないようにするのかよく考えてみるといい。
変な、世間に媚びた仏教解説本を読むと倒錯したことが書いてあるが、
そういう本は捨てないとね。
205 :
析空 :2009/09/14(月) 08:27:27 ID:mhUOKiTZ
>>199 机先生!!
「白隠の心に飛び込む」ということを、何か別な表現で
言葉で説明していただけますか?
主客未分という言葉は知っていますが。。
白隠の心は、【相手がいなければ音がでないってことに気づけ】ではないのですか?
206 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 08:53:35 ID:looN52CH
>>205 >白隠の心は、【相手がいなければ音がでないってことに気づけ】ではないのですか?
いくらなんでも一応は公案ですから、相手(つまり客体)を設定することはないですね。
俗世間的な問答と違うんですよw
、
>「白隠の心に飛び込む」ということを、何か別な表現で
>言葉で説明していただけますか?
ああ、これは簡単なことですよ。
白隠が無言のメッセージを発信してるんですから、
白隠の気持ちに成り切る。ってことですね。
さすれば白隠のメッセージを受信できるでしょ?
つまりですね、
音とういう先入観の破壊です。
無音も音であります。そのメッセージが込められてるんですよ。
ようするに二項対立の破壊です。
207 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 09:06:45 ID:looN52CH
(つづき) 「無音と音」 よく「無心」とか言いますね。 無心も心ですね。 無音も音です。 このような説明で解りましたでしょうか?
白隠和尚が解説する、隻手の声てんぷれ・・ 蓋し隻手の声とは如何なる事ぞとならば、 即今両手打合せて打つ時は丁丁として声あり。 唯隻手を挙ぐる時は、音もなく、香もなし。 是れ彼の孔夫子の所謂烝天の事といはんか、 将又彼の山姥が云ひけん丁丁空しき谷の響は、 無生音をきく便りと成るとは、此等の大事にや。 是れ全く耳を以てきくべきにあらず。 思慮分別を交へず、見聞覚知を離れて、 単々に行住座臥の上に於て、 透間もなく参究しもて行き侍れば、 理尽き詞究まる処に於て、 忽然として生死の業根を抜翻し、 無明の窟宅を劈破し、鳳、金網を離れ、 鶴、籠を抛つ底の安堵を得。 此時に当りて、何時しか心意識情の根盤を撃砕し、 流転常没の幻境を撥転し、三身四智の宝聚を運出し、 六通三明の神境を超過す。云々。
210 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 10:33:28 ID:oykZeNPa
>>210 あちらのスレの296の内容に関するアンカーでしょうか?
212 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 11:04:17 ID:oykZeNPa
>>211 ちがいます。一応、いろいろ調べて理解しようという姿勢と、
ただ妄想詭弁振りまいてるだけでは違うということ。
宝珠さんの学びがご隠居に劣っているとは考えていません。 それとは別に 誤った引用の仕方(この場合オリゲネスや聖書について)をして、 キリスト教でそうなっている部分についてはすべて教会の陰謀と する点で私は共通していると考えました。 隠居の場合だと自灯明の歪曲、並川氏の輪廻否定論に 「はからずもそう説いた」「後代の混入」を足し合わせているのに 相当すると考えます。自分のイエス観・仏陀観に近づけようとしている。
「濫用」(乱用)という表現がそればかり、という意味合いになってしまったのかもしれません。 これは「使用」に訂正させて頂きます。
>>197 「仏陀のアートマン否定は物質界限定の話である」という
アートマン論者たちの妄想が、これで完全に否定されましたね。
> もうこのスレ終了。
そうですね。実にすっきりしました。ありがとう。
216 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 11:29:08 ID:oykZeNPa
>>213 それはその通り。方法は同じだが。過程での努力がちがう。
それと彼はまだ誤りが認められるが、淫嘘は全くトンチンカンなのに
まるで誤りを認めたことがない。その違いは大きいということ。
それだけです。
217 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 11:35:32 ID:oykZeNPa
>>215 アートマン否定もずっと前に論証済みだが、
>「仏陀のアートマン否定は物質界限定の話である」という
ではない。認識的限界です。
例えば五蘊、色は物質と観ることも可能だろうが、
受想行識は、物質ではありえない。
色すら、本来、物質ではないと思われる。ここは難しい。
218 :
前世は一在家 :2009/09/14(月) 12:04:13 ID:MXzS3v3W
>>112 及び机氏
>君のカルト洗脳が、机師の話を聞いても抜けないほどの重症なら、しばらく
>座禅をやったらどうですか。禅は、「観念」を除去するものですから、君の
>「神」や「守護霊」などの観念も吹っ飛ぶはずです。
私どもは「瞑想」をしないように伺っております。
トランス状態に近いほど霊に憑依され易いからです。
滝や川で修行した人や瞑想者から強い霊動が確認された事例が初期の頃
あったからです。
非常に強い自然霊か修行中に無くなった修行者のご霊が多かったそうです。
古神道では、トランス状態に近い神懸りになる人の横で、霊視がきく
審神者(さにわ)が見張っていて、良くない霊が憑依しようとすると
横で祓っていたそうです。
瞑想していた人が(悟りや人格の向上を伴わずに)急に神通力を得た
という話は禅ではあまりないのでしょうか?
219 :
前世は一在家 :2009/09/14(月) 12:11:50 ID:MXzS3v3W
>>112 及び机氏
>君のカルト洗脳が、机師の話を聞いても抜けないほどの重症なら、しばらく
>座禅をやったらどうですか。禅は、「観念」を除去するものですから、君の
>「神」や「守護霊」などの観念も吹っ飛ぶはずです。
私どもは「瞑想」をしないように伺っております。
トランス状態に近いほど霊に憑依され易いからです。
滝や川で修行した人や瞑想者から強い霊動が確認された事例が初期の頃
あったからです。
非常に強い自然霊か修行中に無くなった修行者のご霊が多かったそうです。
古神道では、トランス状態に近い神懸りになる人の横で、霊視がきく
審神者(さにわ)が見張っていて、良くない霊が憑依しようとすると
横で祓っていたそうです。
瞑想していた人が(悟りや人格の向上を伴わずに)急に神通力を得た
という話は禅ではあまりないのでしょうか?
220 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 12:29:26 ID:looN52CH
>>218 在家氏
>瞑想していた人が(悟りや人格の向上を伴わずに)急に神通力を得た
>という話は禅ではあまりないのでしょうか?
空性の開悟以前に、自覚的に「悟りの頂点」に達するんですよ。
この時は気分的に有頂天になります。
(こんな境地は凡人には到底わかるまい、とかね)
しかしこれは自分的なオナニー状態ですから、
次第に段々孤独感を有するようになる。
(こういう状態が数年とか続くようだと禅病になりやすい)
だから、こういう状態を一度破壊しなければ・・・本当の悟りは得られない。
この破壊がつまり空性なわけです。
(この段階で「色即是空」は体得です)
ここで留まってしまう御仁もいますが、これだけでは未だ完成ではないんです。
そこからですね、如何にして破壊された脳を蘇生させるか?
って難題がある訳です。
つまり世俗に還滅です。
これが少しずつ出来るようになって「空即是色」の完成ですね。
完成までは個人差がありますけど、数年は掛かるのが一般的です。
また、急に神通力を得た、ということは皆無であります。
221 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 12:40:04 ID:looN52CH
>>218 在家氏
>トランス状態に近いほど霊に憑依され易いからです。
だから、既にこういう書き込みするのがマインドコントロールに掛かってるんですよ。
霊なんてのは先入観を植え付ければ、誰だって憑依しますよ。
自己暗示に掛かりますからね。
勤勉実直な方は簡単に憑依するでしょうね。
あまり真面目すぎるから、素直に簡単に憑依してしまうんですよw
まあ、拙者はあまり不真面目な方ですから・・・
憑依はしないですがね(笑
>良くない霊が憑依しようとすると横で祓っていたそうです。
騙されやすい御仁は、簡単なお祓いで直ぐに憑依から抜け出せる。
まあ、ようするに、人の言うことは何でも信じちゃうんですよね。
もっと主体的な生き方をしようじゃないか!!!
ってのが禅のテーゼであります。
>>188 >>191 科学的に説明がつけば、奇跡でもなんでもないという指摘は、ごもっともなんですが、
問題は、そもそも、その「科学的説明」すら出鱈目であるという所。
このような出鱈目の宣伝を信じて、通常の医療を拒否して、死亡する人々が増えている。
そもそも、「活性水素」も、フリーラジカルの一種。
活性酸素とだけ選択的に反応する可能性も非常に低い。
よって、活性水素は活性酸素と同レベルに危険。
第一、活性水素は反応性が高いので、生じても一瞬で何かと反応して消滅してしまう。
水中で安定に存在するとは考えにくい
万が一、何かと結合する形で安定するならば、今度は反応性が下がって、役に立たない。
>>202 仏教テキスト内では、矛盾してて、「このテキストにはあると書いてある」「いや、こっちには無いと書いてある」「いや、無記だ」で、堂々巡り。
だから、昔では教判が盛んだったし、現代では比較文献学による研究が盛んなんでしょ?
仏教テキストや伝承が全て仏説だとするなら、天台学が一番精緻に作られていると思うし、
比較文献学なら、皆さんが大嫌いな和辻理論辺りが結構精緻に作られてると思うんだが?
これらを否定したら、結局、「私はこの仏典が正しいと信じていて、ここにあると書いてあるから、あるんだ」と言う主張しか成立しないでしょ?
これが個人の信仰の問題じゃなくて、何だと?
224 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 13:49:46 ID:oykZeNPa
>>223 >仏教テキストや伝承が全て仏説だとするなら、天台学が一番精緻に作られていると思うし、
>比較文献学なら、皆さんが大嫌いな和辻理論辺りが結構精緻に作られてると思うんだが?
細かいところは色々相違があるけど、
輪廻、アートマンに関しては一致してます。
仏典は、基本はそんなに違いありません。
違うように見えるのは、文献学者にしろ伝統学者にしろ、
学者は、違いを論じたがるからです。
それと、違うように見えるのも縁起的に見ないことと、
方便を弁別しないことが大きいようです。
弘法大師やミパム・リンポチェの解説をみると、正にそう見えます。
輪廻を前提としない仏典があるなら、教えてください。
因みに、天台より華厳と真言教学、タットヴァ・サングラハ、
ギャワ・ロンチェンパ、ミパム・リンポチェなど緻密なものは沢山あるし、
和辻より、水野先生、石飛先生、オルデンベルク、ベック、フラウワルネル辺りですね。
なんといっても、和辻は矛盾が多すぎる。
和辻の矛盾は津田真一先生、下田正弘先生、吉村均先生の近著に明かですよ。
今西順吉先生の指摘による聡明さと狡猾さの指摘もなかなか面白い。
225 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 14:19:33 ID:RQW8kfJJ
>>224 兎に角、宗教は、科学について無知蒙昧だった古代人の「妄想」は、すべて排
除する努力をすべき。釈迦も、現代におけるような科学の飛躍的発達は、夢想
だにしなかったのだから。
それから、学者の名前を羅列して、その「借り物」の見解に頼るのではなく、
現代人としての知識と常識に立脚して判断すること。「古代人の妄想」を、
いくら追いかけても、時間と労力の無駄である。
226 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 14:29:58 ID:RQW8kfJJ
>>225 の訂正
×「古代人の妄想」
○「古代人の妄想と迷信」
>>225 竜樹も科学について無知蒙昧な古代人であることを忘れてはならない。
「古代人の妄想と迷信」を、いくら追いかけても、時間と労力の無駄である。
>>225 >このスレでやることに意義を感じない方は他に有効な時間の使い方を探してはいかがでしょうか。
229 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 18:03:10 ID:CZng8iNl
>>228 宗教戦争、宗教紛争の撲滅と言う意味で、人類史的意義がある。
中東で、殆ど毎日のように続く宗教による殺戮行為に眼を背けて、「古代人
の妄想と迷信」を論じて止まない君たち宗教者こそ、一体どんな人生の意義を
感じているのかね。
ここにいる人は人類史的意義(笑)を感じてないのです。 だから乗ってもらえてないわけです。 物分りの悪い宗教者ども、シンパの巣窟から離れてはいかがでしょう。
231 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 18:12:00 ID:CZng8iNl
>>227 竜樹は、現実界(現象界)の「構成原理」を見出し、自然科学の基礎を
築いた。
佛教、特に竜樹に始まる大乗仏教は、「古代人の妄想と迷信」をすべて
除いても、現代に通用する真理を維持できる、稀な宗教である。その
原因は、佛教が、「人間と自然とから決して遊離しない宗教」だからで
ある。
232 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 18:27:00 ID:looN52CH
>>229 貴殿は大川隆法総裁ですか?
えらい大風呂敷で語ちてるようですけど(笑
拙者は人類史的意義で語ちとるんじゃないですよ(大笑
日々是好日で語ちとるんです。
233 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 18:48:57 ID:woKeHZsj
>>232 少し大風呂敷を広げ過ぎたが、広げない宗教の開祖はいませんねw。
御釈迦さんも、「天上天下唯我独尊」と言った。
佛教のその「日々是好日」こそが、人類の平和に繋がるのです。
カルトバスターとか言って既成の宗教叩きに励む人は いいですよ、その仕事、八十まで出来ますよ 元々は普通以上に期待、憧れが強いゆへに 叩き専門になったんでしょうから ボーダーが逆上した時の行為そのままですよ まあそんな事に人生注ぎ込むより、何でそうなるか、どこで間違うか、じゃ理想の姿とは のスペシャリストに方向転換したらどうですか 叩き専の人は昼夜問わずのエネルギーは、凄いようですしね
日々是うんたらとかね、へーきで生きるとかね いざというときの隠れ蓑にする言葉は「へっ?」ての テレビで仏教講座やってた90越えた坊さんも言ってたよ 参った参った ところで、五井昌久は生前、どんな迷惑かけたの?
236 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 19:26:13 ID:7bUzSMkX
>>232 イエスは「俺は、神の子。神の座の右に座る。アブラハムより前からいた」、、
ムハンマドは、「俺は最後の預言者」などと大風呂敷を広げた。宗教とは、
開祖の大風呂敷に惑わされた無知な信者が集まる現象のようですね。
机師も、もっと大風呂敷を広げて、反カルトの開祖になってください。人類の
平和のためには大歓迎ですw。
237 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/14(月) 19:57:19 ID:looN52CH
>>233 >佛教のその「日々是好日」こそが、人類の平和に繋がるのです。
なんとなく矛盾を感じます。
つまり宗教戦争ってのは、宗教が体性と迎合することが事の発端でしょ?
そこに本質があるから戦争になるんであって、
イデオロギーと宗教は別もんですよね。
そういう区分をすることなくして戦争は避けられません。
戦争ってのは平和のためにするんですから。
宗教ってのは、あくまでも個人の問題です。
これを日々是好日と逝っておるんです。
宗教が人類の平和に繋がらんでしょ?
仏教はチベットがありますね。
武器を持たないゆえの悲劇がある。
宗教とイデオロギーは別もんである。という
認識こそ重要なんじゃないでしょうか?
>>229 >宗教戦争、宗教紛争の撲滅
アフォらしい。
現代において、戦争における宗教はタテマエ(下っ端だけがタテマエに踊らされるのは、
国家のみならずカルト宗教でも同じ)。
現代においては国家または超国家(超国家資本)エゴイズムに戦争、紛争の本質がある。
特に、資源帝国主義(軍事資本、石油資本など)だということは、中国、米国、仏中心の西欧資本の動きから明らか。
中国の国際戦略は資源帝国主義で一貫している。
戦前の日本も資源帝国主義であり、タテマエとして天皇制国家神道イデオロギーに踊らされた。
現代における宗教なぞタテマエにしかすぎん。
なにトンチンカンなこといってんの?
>>224 つまり、仏典内で矛盾する部分は、「縁起で見れば矛盾しない。方便だ!」で解決する方針なんですね。
あなたが挙げた人々の論理に比べて、なんとも簡単な論ですね。
パキスタンなんて中国と仲いいしな。 大人の事情って怖いわ。
アフリカ、(中東)、チベット、新疆ウィグル、北朝鮮、ビルマ,日本(尖閣列島)etc すべて中国の狙いは資源、そのルートの確保と強奪にある。 まさに帝国主義という以外にない。 もうすぐモンゴルとも地下資源狙いで紛争を仕掛けるだろう。 チベット(仏教)ウィグル(イスラム)の宗教は中国にとってはやっかいな抵抗勢力だ。
242 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 20:43:57 ID:oykZeNPa
>>239 弘法大師、香象大師、ミパム・リンポチェは、簡単に言えばそうだと言ってると思うよ。
それを分からない人に説明する方便、説明装置として論理をたて、
様々な角度から、分析して説明してるだけ。
その説明法を述べても、ここでは分かんないでしょう。
非常にテクニカルな前提がたくさんあるんで、
それで述べません。
243 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 21:03:26 ID:7bUzSMkX
>>235 五井昌久は、大本系の白光真宏会の創始者。「日常生活が不可能なほど
霊的現象が頻繁に起こった」そうだ。やはり、宗教を原因とする精神
障害である。
大本は日本のカルトの源泉。信者の狂気と嵌り込みが特に深い。
やはり被害者の会が出来てるはずだ。私の経験では、キリスト教の
影響を受けた他の宗教は、すべてカルト化する。
>>231 > 竜樹は、現実界(現象界)の「構成原理」を見出し、自然科学の基礎を
> 築いた。
自然科学の基礎という割には、竜樹を引用した科学論文がひとつもないではないか。
以前そのことを指摘したのに、キミは記憶が保持できないのかね?
竜樹は、科学もない時代に、科学もない時代の人々に対して説いたのである。
そんな過去の遺物にいつまでもすがっていて何になるのかね?
245 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 22:54:43 ID:sAjBqiiw
>>244 >> 竜樹は、現実界(現象界)の「構成原理」を見出し、自然科学の基礎を
> 築いた。
龍樹は机上で空を論じ、言語論理学の基礎を築いた大天才だと思います。
>>243 被害者の会?そんなものあるの?
なんか随分怨みがあるようだね
キリスト関連の団体に何かされたの?
私は特に五井昌久を信望してきたわけではないけど
本を読む限り、手かざししたり、生長の家の教義の押し売りしたり
鬱陶しいタイプであったでしょ
そのうち、キツネつきみたくなって大変な所をくぐり抜けたのを
正直に書いているでしょ
破れたような靴で雨に濡れたまま、ただ歩いている乞食みたいな時期があったわけよ
そのあとただ吐くだけの呼吸で、引き上げられて行った記述があるんだけど
恥をさらして貴重なもの残してくれたと思っていますよ
普通の坊さんはあれ読んでも、意味わからないはずだよ
合一なんてしていないんだからだよ
本当に信憑性が高い釈迦の言葉はスッタニパータの4,5章のみ アートマン云々とかは、下手したら後世の創作の可能性すらある。 それ考えたら、マジで不毛なスレだな、、
248 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 02:10:34 ID:QLhnFvtL
>>247 いずれにせよ、「古代人の妄想と迷信」だから、現代では無意味。
249 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:00:20 ID:n35VNC6Q
>>197 >>215 >アートマン論者たちの妄想が、これで完全に否定されましたね。
『「真実として捉えられるものではない」というのは、それが実証できない主張、つまり単なる空想的独断
に過ぎないこと、を意味しています。
このように、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、ブッダは、同じ次元で「アートマンは
無い」と単純に言い返したのでは有りません。現代仏教学者が、ときどき、初期の仏教は決して「アートマン
は存在しない」と主張したのではないというのは、この意味からです。
初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しない」とは説いていない。・・・アートマンが存在するかしな
いかという形而上学な問題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。』
(中村元、『仏教語辞典』「無我」、1316p)
(マッジマニカーヤ 中部経典22)については
〜こういうことです。宜しくご理解のほどをどうぞ^^
250 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:09:11 ID:n35VNC6Q
ちょっと仏教から外れた余談的な内容ですが、少し息抜きとしてお許しをw
(私からの投稿はレスが遅れることが多いのでご了承下さい)
---------------------------------------
>>188 >今、トラコテの水とかいう動画みてきましたが、
>それでその水を持ち帰ったプロバスケの選手は、その水のおかげでエイズが治ったのですか?
はい。発病が確認されプロバスケを引退したのは91年でしたが、
病状は改善して、彼は96年に試合復帰を果たしました。97年頃には完治したと見られています。
『1991年10月に、ジョンソンは生命保険の関係で健康診断を受けた。その診断の結果、ジョンソンが
HIVに感染していることが判明した。さらなる精密検査を受けたが結果は同様だった。--中略--1991年
11月7日にジョンソンは自らのHIV感染とバスケットボールからの引退を発表した。--中略--この記者会
見は全米で放映されたのみならず、CNNなどを通じて全世界がジョンソンのHIV感染と引退をほとんど
同時に知ることとなった。』(Wiki)
『もとNBAのプロバスケットプレイヤーのマジック・ジョンソン氏(38歳)のプロバスケット界への復帰の
ニュースには全く驚いた。彼は、エイズ患者であったはずである。しかし、彼は足繁くトラコテに通ってい
た一人でもあった。これは、延べ800万人が訪れるというトラコテの水が、彼をエイズから救ったというの
であろうか・・・?』(ネットからコピペ)
251 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:11:13 ID:n35VNC6Q
『【10月11日 AFP】元NBA選手のマジック・ジョンソン(Magic Johnson)氏が、ミネソタ(Minnesota)州の ラジオトークショーの司会がジョンソン氏のエイズウイルス(HIV)感染がうそであると発言したことに対 し憤慨した。 ミネアポリス(Minneapolis)のFM放送局、KTLK-FMのクリス・ベーカー(Chris Baker)とラングドン・ペリー (Langdon Perry)は、1980年代のロサンゼルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers)で活躍しバスケットボ ール殿堂(Basketball Hall of Fame)入りを果たしているジョンソン氏が1991年にHIV感染を告白した際に 真実を語ったのかどうか、疑問を投げかけた。 ジョンソン氏は「KTLKの放送にひどく失望している。クリス・ベーカーとラングドン・ペリーが、命にかか わる深刻な問題を軽視していることにとても憤っている。何百万人がエイズで犠牲になっている。私の 立場をからかったことは信じられない。クリス、ラングドン、KTLKは、ばかげた冗談を言うのではなく人々 にHIVの検査を受けるように勧めるなど、もっと別のことに力を注ぐべきだ」と語っている。----HIV感染 偽装発言に憤るマジック・ジョンソン氏/2008年10月11日 11:52 発信地:ロサンゼルス/米国』 (ネットからコピペ) >また、エイズが100%治るとのことでしたが、 >それは例えば1000人のエイズ患者が全て完治したとか言う話なのですか? >ある一人のエイズ患者が治ったのを100%と言っているのでしょうか? >(それならば、そもそもその人が本当にエイズであったのかにも疑問が生じますが) 違います。 モンテビデオ総合病院のグラシェラ・カンプス・サラベリー医師は、 トラコテの水を3,673人に与え、臨床データを記録している。 それによると、病状の改善率(病状の好転率)は、
252 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:17:15 ID:n35VNC6Q
エイズ・・・・・・・100%
アレルギー・・・・99%
皮膚疾患・・・・・96%
呼吸器疾患・・・89%
消化器疾患・・・91%
神経疾患・・・・・59%
骨関節炎・・・・・87%
糖尿病・・・・・・・88%
であり、すべての病状が改善されたというものです。
エイズについては、100%直ったではなくて「100%改善した」というものですよ
(完治した人も中に含むでしょう)。
あなたのいう通りで、「元々、エイズではなかったのではないか?」といった
懐疑が持たれるほど大変、驚かれた出来事だったことが、上記のMジョンソンの事例によく現れています。
(動画にはトラコテで治癒された人々のカルテの記録が保管されている)
>そして何よりも「特命」のほうには、この水に本当に治癒力があるとの前提のうえで
>その原因を科学的に分析してますが、その仮説は全く超常的な要素などなく、
>何処が「奇跡」なのか、さっぱりなんですが?
ですから、私は“全部”を見るようにいったでしょう!
>>23 これは自然現象で発生したのではなく、大いなる超常的な力で人類に与えられたプレゼントです。
もちろん、そのことは明確に知られてはいないし、当然、科学者たちが結びつけることはありません。
この奇跡の水の発生経緯(“大いなる存在”の力による)については、
わたしたちは当初からズーと知っているのです。
http://www.youtube.com/watch?v=ajp5p0b0-6E (動画:日本TV『スーパーテレビ』)
253 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:31:33 ID:n35VNC6Q
>>191 >「通常、自然界では比重の軽い水などは存在しないのです。」などといって
>「奇蹟の水」などというのは、狂気の沙汰ではないかと思います。
>ただの水素水です。装置さえ買えば家庭でも作れます。
確かに、電解水だけならば装置によっても作れますが、
特命リサーチの動画中、「弱った細胞を回復する効力はトラコテが上であり、
そのメカニズムはよく判っていない」と発言しています。
「自然界でこのような水ができたこと自体が奇跡的かもしれない」と結んでいます。
この水は途轍もなく“大いなる存在”によって超常的に活性化されたものです。
科学力で同一のものを造ることなどは不可能です。
>>193 >病気で苦しんでいる人は真剣なのですから、
>こういうペテンの可能性が高いものを安易に人に伝えるべきではないでしょう。
>これは人としての良識の問題です。
この水について更に盛り上げたのは、
ギネス認定のエンターティナーである皆さん大好きな“みのさん”で〜す^^w
http://www.youtube.com/watch?v=nFa-Gz5s2HY&feature=related (2002年9月25日「おもいっきりテレビ」)
254 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:36:12 ID:n35VNC6Q
>>222 では、
あなたの方がこのトラコテ水について研究をしているという白畑教授よりも詳しいということでOK?
『"水" が21世紀のキーになる---1980年代終わりから1990年代前半にかけて、メキシコ、インド、ドイツそ
して日田でと、この時期にあちこちで発見されたことは、偶然ではないような気がします。地球は水の惑星で
すし、人間の身体の70%は水でできています。こうした人間にとっての生命の根源である水、しかも身体に効
果のある天然の活性水素水の存在は、私たちに地球環境の浄化の大切さや自然の摂理にしたがって生き
ることの大切さを気づかせようとしているのかも知れません。そういう意味で、私は、水の大切さを知る人が
増え、社会全体がその重要性に気づくことが、21世紀の進歩した社会と言えるのではないかと思います。』
(コラム「身体と社会を健康にする水」白畑實隆先生)
白畑實隆(九州大学大学院/農学研究院遺伝子資源工学部門教授)
http://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K001591/
255 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 05:38:55 ID:n35VNC6Q
>>218 >私どもは「瞑想」をしないように伺っております。
一つ言える重要なことは、
霊媒体質者というのは意識の焦点の置き方が間違っており、
それらの人々は、生まれながら体質的に無意識でそうしてしまうので
いっても指導通りにはなかなかできない傾向が強いです。
従って、霊媒体質者は高次の瞑想行為の筈が
下手をすると逆に低次の心霊存在とのチャンネルに集中するという
憑依現象を高めることになる可能性があるからです。
正しい指導が受けられない場合には、
そういう傾向の人には勧められません。
本来であれば、
正しい瞑想の実践はそれらの悪しき体質を改善に向かわせることができます。
霊媒や心霊に関ることは推奨できません。
256 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 06:04:38 ID:n35VNC6Q
>>105 >トラコテの水については、「プラシーボ効果」と、「二重盲検比較対照試験」のキーワードだけで反論できるw
>医者が、「この水を飲むとよくなりますよ」と言って患者に飲ませたら、
>「何となくよくなった気がします」と患者が言って、医者も、「やっぱりよくなりましたか!」
>と喜んだと言う、幼稚園児のような話w
はいはい^^
では、プラシーボ効果ということであなたについては納得して下さいよ。
「奇跡の水ですよ」といった暗示効果であったと。これほどの驚くべき治癒の事実が???
他の普通の水でもなんでも暗示で同様の効果が出せるとね(笑)
モンテビデオ総合病院の
グラシェラ・カンプス・サラベリー医師による3,673人からの臨床データを??
“信じない人には何をいっても無駄”の教科書の典型のような人ですね!
分りやすくてイイ!!
257 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/15(火) 06:39:20 ID:n35VNC6Q
>>189 >>209 >>213 要するに、あなた方というのは、「それらは○○派の勝手な主張であり、だから異端の烙印を
押された。イエスはそんな(転生の)教えなどは決して説かない」といいたいわけですよ。
あなたがたは、“聖書のイエスの言葉そのものを無視して”いつもそうです。転生についてのイ
エスの教えは新約に書かれている(といっても誤読扱いで絶対に認めないわけです)。
イエスに従わずに、いつも勝手三昧を繰り広げてきたというのがキリスト教のしてきた揺るぎな
い歴史(事実)です。勝手なことを始めておきながら、自分らとは異なる者には異端の烙印を押し、
そして焼き殺してきた。あなた方のご先輩たちというのは、どうも生き血と焼肉がお好きなようです。
イエスが一体、いつ人肉は旨いぞと教えたのか??改ざんにもほどがある。
であるから、このスレには執拗にキリスト教に対して憎悪を燃やす人がいるのです。私にもその
気持ちがよーく分る。まっ、これはあなたのせいなどではありませんが。
真実のイエスの姿(教え)というものは、あなた方が切り捨ててきた異端派側にこそ原初の流れ
が伝わっているのです。イエスから最も遠く離れたのがキリスト教徒。伝統教会なるドグマなど・・
殆どが改ざんの改ざんのまた改ざんです。
【業報と転生を説かない聖者などはもぐり(インチキ)】です(私は一人も知らない)。
クリスチャンを相手する時間などはないので、
私の過去の投稿を見てあとで自分らで考えることです。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1224/12243/1224385381.html 14-15、17-18、28、34、37、39-45、58-60、82-84、88-90、98-99、224-225(名無し)
以上
>>249 「このようなもの(アートマン)に立脚した教え、
つまり、『我と世界は一つである』とか、
『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えである」
1)演繹的には演繹視点そのものは非形而上姿勢=無記=反戯論により否定(言及せず)はしないが、
帰納的・間接的には結論<凡(ブラフマン)我(アートマン)一如論>を否定しているのだから、
間接的に(少なくとも形而下では)アートマン論はナンセンス(愚か)だと批判している。
前提論を“否定”せずとも、その結論を<愚かなり>と“批判”されている。
2)結果として宝珠の>《「作られざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。》(宝珠13/
>>789 )という主張、論理構成は
『まったく愚かな教えである』と結論的に明解に批判されている。
結局、<作られたもの>vs<作られざるもの>という二項相対論は世俗諦的迷妄であり、
勝義中道を掴めていない文字通り「愚者」(ベタな世俗物)の主張なのだ。
259 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/15(火) 07:34:54 ID:dklO6w6a
>>234 >>235 >日々是うんたらとかね、へーきで生きるとかね
>いざというときの隠れ蓑にする言葉は「へっ?」ての
なかなか達観した坊主ですね^^
書き込みからすると禅僧らしいですけど。
空性を体得すると、ある分野においては全く無関心になるんじゃないでしょうか?
「へーきで生きる」ってのは既に「死に体」になってる訳ですから、
余計な頓着がない分、感性は非常に豊かになりまして
人生が楽しくてしょがない様相が拝せられます。
一般的に、禅者というのは長生きすると言われます。
これは「死に体」だからです。
不死の境地ってのは、ボケ予防にはいいですよね。
<日々是好日>
260 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 07:56:11 ID:llZ4Sp1a
> <日々是好日> <日々是悪日>といわないのはなぜ?www
262 :
258 :2009/09/15(火) 08:45:22 ID:cyIdABRK
訂正 × <凡(ブラフマン)我(アートマン)一如論> 〇 <梵(ブラフマン)我(アートマン)一如論>
>>257 反論も無くヘイトスピーチに終始するとは、呆れてものが言えません。
クリスチャン認定(無意味なレッテル貼り)とか隠居そのものではありませんか。
これはひどい。
>【業報と転生を説かない聖者などはもぐり(インチキ)】です(私は一人も知らない)。
イエスを「聖者」にカテゴライズしたいという欲求は捨てるべきです。
これは釈迦を「合理主義者」に含めたいという欲求と同質なものです。
聖者は聖者でも、彼はインドの宗教とは全く異なる、ヘブライ宗教の系譜にある宗教家です。
輪廻転生を説いていたらバラモン(ヒンドゥー)の迷信にとらわれていることになり、 教えを説いた意味がなくなる、とか輪廻転生を説いてなかったら聖者じゃなくなる、とか 自分の都合を相手の事情にすりかえるべきではありません。 私が次スレを立てられるならテンプレに「○○教徒認定は不毛なのでおやめください」を加えようと思います。 他の方が立てられる場合も、もしよろしければ入れて頂けると嬉しいです。
265 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 10:48:51 ID:7cMdKF+v
>>253 この活性水素も効能自体が未解明であり、現在、どれほどの効果が
あるのかは研究中ですね。その真偽はいずれ解明されるでしょうが、
「この活性水素がトラコテの水に多く含まれる原因として『特命』では
1 火山地帯などの地形の特殊性
2 ミネラルの効能の可能性
など、合理的仮説をあげており、「大いなる存在」によって、そのようになった
などと、結論付けてはいませんよ。あなたは、結びの
「自然界でこのような水ができたこと自体が奇跡的かもしれない」をもって
そのような印象操作をしているだけで、全体を見れば、そのような「超常的存在」
の介入など、全く主張していません。自己に都合の良いとこだけを拾い上げて
印象操作するのは止めましょう。
また、「スーパーテレビ」のほうですが、「クレイム」とか言うひとが
「大いなる存在が、やっていることだ」と主張しているに過ぎず、
「そのように考えるべき根拠、そう考えざるを得ない必然性を有する論拠」が
全く提示されていません。
つまり、「そのように考えたい人が、そのように信じている」に過ぎません。
そして、あなたも「そのように信じたい人」であると、信仰告白しているだけですよ。
266 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 11:11:40 ID:hJCGKFUE
合理的というが、問題は、その理がどんなものかで合理性が一変する。 大抵の現代人は、同一律のような形而上学的前提を無批判に信仰しているから、 それが理だと思って疑わない。仏教を理解できない根本的問題はそこにある。
267 :
析空 :2009/09/15(火) 11:26:47 ID:a/Ggv/F8
>>206 机先生!
白隠の心に飛び込むこととは如何なる意味か、よく分かりました。
机先生ほど、公案を分かりやすく解説してくださる方を、他には知りません。
御教授ありがとうございました。
少々、スレチな質問で他の方々に迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
>>250-256 今まで、ネタで言ってると思って、からかい半分だったのですが、
どうやら、ネタではなく、本気で信じている危険な状態のようなので、本気で答えます。
『マジックジョンソン氏のエイズが治癒したと言う事実はありません』
本人が否定しています。
そもそも、ジョンソン氏は、HIVウイルスに『感染』したのであって、エイズを『発病』したわけではありません。
発症しなければ、身体に影響はさほど無く、試合に出る事も可能です。
そして、エイズが『完治』したのではなく、『感染』後、カクテル療法によりウイルスの増殖を抑え、『発症を防いでいる』のが現状です。
現在も、カクテル療法を継続しており、一回でも薬を飲み忘れれば、即座にウイルスが増殖しはじめ、エイズが『発症』します。
『完治』と言う誤報は、HIVウイルスの数が、検出限界以下に『減少』した為に、新聞社が勘違いした為で、後に訂正されています。
あなたが引用した記事も、『感染』を疑われて憤慨しただけで、『治癒』したとは一言も言っていません。
http://www.t3.rim.or.jp/~aids/essay4.html
また、あなたは二重盲検比較対照試験についての知識が全く無いようですね。 病状は何もしなくても『改善』する場合があります。 あなたの言うように、『普通の水』を「ききます」と言って飲ませて、効果が「無い」事を証明しない限り、プラシーボ効果は否定できません。 そのため、比較する対象として、治験者の半数には効果の無い水を投与する必要があります。 ただの水に比べて、トラコテの水を与えた治験者の『改善』率が高ければ、トラコテの水に効果があったと判断できます。(比較対照試験) そして、ここが重要な点ですが、患者が効果があると信じて飲めば、「何となくよくなった気がする」と答えるでしょうし、投与する医者も、効果があると信じて投与すれば「効果があった気がする」と思い込んでしまいがちです。 そこで、正確に確認する為には、「患者」も「医者」も、どれが普通の水で、どれがトラコテの水か分からない状態で投与する必要があります。(二重盲検) ですが、このサラベリー医師の調査は、『全ての患者』にトラコテの水を与え、患者も医師も、「この水には効果がある」と信じた状態で服用した結果、患者と医師が、「改善した」と『感じた』比率が高いと言うだけです。 調査数が多かったり、医者が調査したと言うだけで、科学的に証明されたと思うのは間違いです。 二重盲検比較対照試験といった、科学的「手法」を用いた調査でないと、全く意味がありません。
テレビで紹介されると、「それは真実である」と考えるゆとりが幅を利かせていますが、
『発掘!あるある大事典』の事件の様に、テレビは決して科学の専門家ではありません。
あくまで、エンターテイメントとして、面白いか否かで判断しており、嘘も平然とつきます。
『学会で発表』と言う肩書きも大好きなようですが、『学会』は、申し込みさえすれば、誰でも発表できます。私が出かけていって、「私は神である」という発表をする事も出来ます。
>あなたの方がこのトラコテ水について研究をしているという白畑教授よりも詳しいということでOK?
少なくとも、化学を学んだ人間としては、「リンゴを手から離したら、落ちずに宇宙にすっ飛んでいった」と同レベルの話を信じる気にはなれません。
白畑教授についての問題点は、
@そもそも、「活性水素」の存在を証明できていない
A「活性水素」の測定方法を明らかにしていない
B活性酸素消去効果を、自分で白金の触媒作用について言及しておきながら、効果が白金触媒によるものでは無いと否定できていない。
C「活性水素」が活性酸素とのみ特異的に反応する根拠が無い
その他の問題点については、
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/appendix/app22.html http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html をご参考にどうぞ。
信じたい事を信じるのは貴方の勝手ですが、多くの人に害悪をもたらしかねない嘘を、流布するのは止めて下さい。
万が一、重病の患者があなたレスを信じ、通常の医療を拒否して死亡する事があれば、殺人に等しいと思います。
271 :
189 :2009/09/15(火) 12:53:03 ID:x70M5RuU
>>257 > 要するに、あなた方というのは、「それらは○○派の勝手な主張であり、だから異端の烙印を
> 押された。イエスはそんな(転生の)教えなどは決して説かない」といいたいわけですよ。
いえ、そんなことは一言も言っていません。それ以前の問題で、
あなたの言ってる内容が意味不明なのです。繰り返し質問します。
> * 第5/コンスタンチノーブル/東ローマ皇帝コンスタンテイヌス1世
なるほど確かに第五公会議は、第二コンスタンティノープル公会議のことですが、
ユスティニアヌス帝の時ではないのですか? コンスタンテイヌス1世では時代が合わないのではありませんか?
言っていることがよく分らないのですが。
> ギリシアのオリゲネス(西暦185-253)の説くものが異端の烙印を押されたのです。
> 彼はアレキサンドリア教理学校の教師で、初期キリスト教界屈指の神学者でした。
ああ。オリゲネスですか。彼はアレキサンドリア学派の代表的存在です。
あなたは「学派ではなくて、元々はイエスが説いていたのです。」と言っていましたが、
こういう場合は普通「アレキサンドリア学派」と言います。
何故、最初からアレキサンドリア学派であると言わなかったのですか?何か意図でもあるのでしょうか?
> またプラトン派についての教養も深く、イエスの説いた生まれ変わりの法則を強調していました。
そこが分りません。オリゲネスは新プラトン主義の影響を受けていますが、新プラトン主義自体は
輪廻転生を主張しません。オリゲネス自身は魂は肉体に先行して存在するという見解をもっていましたが、
そのことと輪廻転生とはまた別ではないでしょうか?
> ここはイエスの話しをする場所ではないので、後はご自分で確認されて下さい。
確認する以前に、何をいってるのか意味不明な箇所が散見されます。
大上段に振りかぶってる割に、本当は知識があやふやなのではありませんか?
>>249 > このように、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、ブッダは、同じ次元で「アートマンは
> 無い」と単純に言い返したのでは有りません。現代仏教学者が、ときどき、初期の仏教は決して「アートマン
> は存在しない」と主張したのではないというのは、この意味からです。
存在しないかどうかというより「アートマンが存在するという考えは愚かである」と断言しています。
故に、アートマンが存在するという考えを持つ者は、ゴータマから見て愚かだという自覚を持つべきです。
そう思わない人間は、ゴータマの真意について語る資格を持たない。
ゴータマや仏教について語らなければいいのです。
宜しくご理解のほどを^^
273 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 13:24:55 ID:llZ4Sp1a
>>261 >即今即所
そこは善悪の彼岸ではないね。www
好悪に執着してるんではないか?
274 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 14:10:01 ID:UWIofU+o
>>273 >>即今即所
>そこは善悪の彼岸ではないね。www
>好悪に執着してるんではないか?
善悪の彼岸や好悪を考えているのも、即今即所(いま、この)の生命の機能
だということだよ。
日々是好日とは、いま、ここに、生きていることの喜び。
なんだかんだ言ってみてみ、人間は、いま、ここに生きていることに、最大の
喜びを感じているのだよ。
「一切皆苦」とは、釈迦の鬱病の症状以外の何物でもない。即ち、釈迦は、
全く悟ってはいなかったのである。
275 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/15(火) 16:51:47 ID:dklO6w6a
>>260 ><日々是悪日>といわないのはなぜ?www
これはですね、悟ってみれば解るんですが、
実に世界が美しく感じられます。
霧が無くなった状態、快晴、こんな感じです。
「無明」とはよく言ったもんですね。
悟る前は・・・→世界は暗い。ってことでしょうから。
「好日」ってのは、そういう意味も含まれてますね。
で、アートマンがどうの、こうの、とかはとっくに悟っている訳ですが、
それでも、
掲示板とかですね、迷う御仁があったら・・・一緒になって迷うんですよ。
これを主客未分の「成り切り」って言うんですがね。
もちろん冷やかしではなく、真剣に悩むんですね。
(これを慈悲という)→つまり、悩みの「分かち合い」のことです。
こういったベクトルを、禅では「喫茶去」とか言ったりします。
まあ、肩の力を抜いて、お茶でもどうぞ。
ってな感じですね。
実に粋じゃあないですか^^
276 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 17:45:26 ID:llZ4Sp1a
>>274 >日々是好日とは、いま、ここに、生きていることの喜び。
これは涅槃の境地じゃないね。無上の静けさからは程遠い。
六道輪廻そのものだね。
>「一切皆苦」とは、釈迦の鬱病の症状以外の何物でもない。即ち、釈迦は、
>全く悟ってはいなかったのである。
一切の苦しみからまったく解脱したのが涅槃であり涅槃の境地を知るのが悟り
だから仏陀に一切皆苦は知ってるだろ。この世が一切皆苦だと感じてない人が
無明だね。
277 :
前世は一在家 :2009/09/15(火) 17:51:51 ID:jv94Ho17
>>275 >実に世界が美しく感じられます。
そうですね。最近、世界も人も動物も美しく感じられます。
「腹見せて 息も絶えんと 喘ぐセミ 僅かと知りて また手を添えん」
278 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 18:10:50 ID:EBc7d41d
>>276 >この世が一切皆苦だと感じてない人が無明だね。
圧倒的多数の生活者は、この世は「苦があるからこそ、楽も存在しうる」
ことを悟っている。「生きることが辛い、苦しい、死にたい」などと
思うのは、鬱病患者だけである。
そもそも、「悟る」ことを目標としていくら修行しても、悟り永遠に
得られない。悟りたいという「執着」「欲望」「煩悩」があるからである。
悟りは、悟りを忘れた時、煩悩を、生きている証として、あるがままに
受け入れたときに、初めて得られるのである。
その意味で、自分が悟ったなどと思い込んだ釈迦や、悟りを求めて修行
する宗教者は、実は、果てしなく、悟りから遠ざかっていることを自覚
する必要がある。
>>259 「へっ」と思ったのはこの私のリアクションだよ
なんつー生き物だろかという反応
悪いがね、禅などの世話になる前から、へーきで生きてきたし
だから禅は病人むけにはまぁ、ありかね
見てっと、更に別の症状を植えこんでるようだけど
机ちん、体得したの?何を?
レスから全くの熱量も感じとれん
2ちゃん虫なのはわかるよ
280 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/15(火) 18:54:21 ID:dklO6w6a
>>279 >机ちん、体得したの?何を?
>レスから全くの熱量も感じとれん
それは無為だから特別なものはないですね。
>2ちゃん虫なのはわかるよ
あのですね、2ちゃんをやるときは夢中こいてやるもんですよ。
ふざけ半分でやるもんじゃない。
人生ってのは、どんな時でも真剣なのがテーゼです。
これは茶道で培いました。
では、おやすみ。
281 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 19:02:19 ID:huycyfn6
>>277 「暮れてなお、命の限り蝉時雨」(中曽根康弘)。
いい句だね。
>>280 無為だから何も感じないだろーっつうの
予想通りの返答でキモかったよ
無為だからじゃなくてね、長年の2ちゃん虫だからだと思うよ
例えば同じ部屋に同席したとして
何も感じさせない覚者なんていないはずだよ
無為だからなんて、そんなばかな
こんな時間に寝るのもおかしいよ2ちゃん虫ちゃん
おやすみ
>>278 一切皆苦ってのは、あんたの言う、「苦があるからこそ、楽も存在しうる」 と同じ。
つまり、「楽があるからこそ、苦も存在しうる。」
楽に執着するから、苦が生じる。
執着を離れれば、苦も滅する。
そして、その執着を離れる方法を説いたのが釈尊だろ?
第一、「死にたい」なんてどこから出てきたw
「死」は四苦の一つだ
むしろ、「死にたくない」と執着するから苦しむ
「悟りたい」と言うのが執着だと言う意見は同意するが、
「煩悩をあるがまま受け入れる」と言うのは、本覚思想の下手な焼き直しだろ?w
284 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 20:52:33 ID:huycyfn6
>>283 ならば、「楽」という言葉を、どこかに入れるべきだったな。「一切皆苦」は
やはり誤り。
「生きるのが辛い、苦しい」のなら、死ぬしかないではないかw。王子様と
して何不自由なく暮らしていた釈迦の「贅沢病」だろう。鬱病であったこと
は、否定できない。
彼は、「煩悩」とは、人間が生きていることの証であり、生存の維持に不可欠
であることには、思い至らなかった。
本覚思想の、どこが問題なのか、「人間論」の見地から批判してご覧。
煩悩と涅槃に違いは無いのよ 覚めてるかどうかの違いだけでしょ
>>284 よく読めよw
>ならば、「楽」という言葉を、どこかに入れるべきだったな。「一切皆苦」はやはり誤り。
楽も、全て苦になると言うのだから、「一切皆苦」であってるだろw
>「生きるのが辛い、苦しい」のなら、死ぬしかないではないかw
死にたく無いから、死の苦しみから逃れる為に出家したんだろw
このスレに居るのに、四門出遊も知らんのか?
>本覚思想の、どこが問題なのか、「人間論」の見地から批判してご覧。
「人間論」が広すぎて何を言いたいのかが分からないが、
少なくとも本覚思想の問題点は、全ての煩悩を肯定してしまう点。
仏道修行もする必要が無く、あるがままに生きれば、それが悟りの境地だと言うのは、一見素晴らしく聞こえるが、
全ての煩悩を肯定してしまえば、獣と同じレベルになってしまう危険をはらんでいる。
これでは、返って苦の源になってしまう
例を上げれば、「食欲」は3大欲求の一つだが、欲望の赴くままに喰い続ければ、そのときは楽しいが、食べ過ぎれば肥満となり、病気にもなる。
煩悩の赴くままに生きることが、「楽」だと言うのは、邪見。
結局、苦しみになってしまう。すなわち、「一切皆苦」だ。
まあ、獣の様に生きてそれを恥とも思わず、社会から弾き出されて野垂れ死にしても、何にも感じない境地になるのが、あなたの「悟り」の境地なら、別に止めはしない。
好きに野垂れ死んでくれ。
私の近くには居ないで欲しいがw
287 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 21:50:30 ID:huycyfn6
>>286 人間は、獣の一種であるという自覚が、悟りの第一歩。
それに、食べ過ぎれば、それ以上は食べたくなくなる。獣としての肉体的本能
が、自動的に調節してくれている。現代では、メタボが諸病の原因になることは、
常識。別に御釈迦さんから教えて貰う必要はない。
288 :
旧7 :2009/09/15(火) 21:55:58 ID:fT3vQfT8
>>284 う〜んw なんて言ったらいいのか・・・w
或る方向性での視線に於いて、カテゴリの最大枠として「苦」なんだよ。(端的に表してるのが、Sn.18-34)
たとえば、
「車両」が、「移動や輸送手段として用いられる、車輪及びそれに準じた移動機構を持ったもの」を「総括して」言われるように・・・。
その中には、自転車も、四輪自動車も、バイクも、バスも、ショベルカーもクレーン車も、客車も貨車も、リヤカーも人力車も、
枠組みの取り方によっては別分類され、同等に扱えず、相反する概念で括られる場合があるようなものも、
全て「車両」で括ることができる。
そのように、
無常なるものは(=縁起するもの(諸法、諸行)は)苦である、と。
仏典はこう述べるのだ。ダンマパダや転法輪経に言う通りだ。
御理解いただけるかな?
ちなみに、苦も楽も、上で述べたように、そのカテゴライズの仕方で、それぞれの中に見られるので次元の違いがあるぞ。
更にちなみに、「本覚思想が悪い」のではなく、「その拡大解釈の仕方がマズイ」ということでしょう?
>>283 は。
「迷ったまま」で「それを悟りだ」とは、よほどの禅家でも言わないでしょうw
トラックを一周してきて同じ場所にいるようなもんだ。そこには天と地ほどの違いがある。
或いは、気付き、自覚があるかどうかを見てもいい。
いずれにしろ、「あるがままでいい」と言うのは、
「自覚し、受け入れ、真っ向立ち向かって」、その時初めて当てはまる言葉だと知らねばならない。
その時初めて、それは(貴方の好きなw)「生命の絶対的肯定」となる。
「生かされ、支え合い、関係し合い、今ここにあること」、この通過点なき「あるがまま」は、享楽主義に堕することになる。
だからこそ、古人は、(たとえ本覚・如来蔵の系譜でも)、多くの苦言・辛言を残しているんじゃないか?
289 :
旧7 :2009/09/15(火) 22:01:20 ID:fT3vQfT8
あ、
>>288 に入れ忘れたが、「戦車」もなw
そして、なかなかピンとこないけど、
(作業用)一輪車も、サーカスの一輪車も、車両として括り得るだろうよ。
290 :
前世は一在家 :2009/09/15(火) 22:37:57 ID:jv94Ho17
>>280 机氏
貴兄は中観派の方かと当初思いましたが、禅の体験も豊富なので
禅宗の方にも見えます。
「八不」を禅に適用しますと、
「座りつつあるものは座らず」
「悟りつつあるものは悟らず」、
「解脱しつつあるものは解脱せず」、
「瞑想しつつあるものは瞑想せず」となります。
またご回答は、「それは○○でありんす」でしょうか。
>>290 一重の原理(事柄は二重に起きることはない)=三時門破
→<もの>は、不生・不住・不滅・・・・無為(
>>280 )
*生・住・滅は執着による仮構・・・・有為
我なるものは無く、無我なるものも無い→不生不滅(中論18-7)
なんであれなにものも執着されるべきでない−“Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.”
色即是空
空即是色
292 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 01:45:30 ID:CgrcZWTq
>>288 当時の庶民の苦とは、そのような漠然とした、抽象的なものではあるまい。
専ら、病気の苦、物資的不足による苦、暴力による苦であったと推測される。
釈迦は、庶民の苦を分析・分類して、それぞれの苦に対する、それぞれの
対応方法を考えるべきであった。釈迦のいう苦には、「貧」や「暴力」や「戦
争」は出てくるのか。あくまで釈迦の鬱病の症状としての、彼の特殊(病的)な
心象世界、主観的な「生存苦・実存苦」のように思える。
「無常なるもの」が何故「苦」に連なるのか。庶民は、そんなものは「苦」など
と感じてはいない。もっと「切実な」苦があったはずである。
「すべてが無常」なのなら、むしろそれらをあるがままに受け入れることが、
唯一の苦の除去の繋がるのではないか。
>>290 竜樹自身の説明によれば、「去りつつある者」が「去る」と言えば、「同一人」が、
「同一の動作」を「同時に」行うことになるから、論理矛盾だと言っているの
である。これは、「現実上」も不可能なことである。英語で"A walking man
walks"と言ったら英語にならないのと同様である。竜樹の「空(相互依存性・
相対性)」は、「机上の空論」どころか、すべて現象界(現実界)に適用でき
るのが、その「凄さ」である。物質とその構成原子との関係や、最先端の科学
理論としての「相対性原理」「量子力学」、さらには現在の「環境科学」を見
れば明らかであろう。哲学や心理学の分野においても、「世界内存在」「現象
学」「ゲシュタルト心理学」など、皆、然りである。科学においても、思想・
哲学においても、人類が今後向うべき方向を指し示した、「永遠・普遍の原理」
であるといえよう。
>>292 > 科学においても、思想・
> 哲学においても、人類が今後向うべき方向を指し示した、「永遠・普遍の原理」
> であるといえよう。
科学はキリスト教社会において成立したので、反面教師的意味でキリスト教の影響を受けているとは
いえるかもしれないが、竜樹の影響を受けているとは、まず言えないであろう。
科学は竜樹の時代よりも遙かに後代に成立している。
竜樹は科学というものがこの世にあらわれるなどということは「想像さえ」できなかった。
完全に思い至らなかったのである。
その竜樹が科学の向かうべき方向を示した、などというのは決してありえない「妄想」である。
294 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 02:15:27 ID:CgrcZWTq
>>293 現象界(現実界)の構成原理は、太古の昔も今も、少しも変わりはない。
卓越した観察眼と頭脳で現象界を観察すれば、その構成原理が見えない
訳ではなかろう。凡人には、無理なことだが。
人間は、昔も今も変わりの無い、あるがままの現象界のみにおいて生存
し、思考が可能なのである。自然科学は、専ら、その現象界を対象と
するものである。
295 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 02:27:23 ID:CgrcZWTq
>>293 科学や人間理性の発達にとって、キリスト教が反面教師であったことには
同意。その発達は、「神」や「超越性」から、「人間と自然」を取り戻す
努力であった。イエスには、「存在論」「自然論」、ましてや「相互依存性・関
係性」の思想は「皆無」である。すべて、彼の統合失調症の症状としての
現象界から遊離しまくった「狂気の精神性」「妄想」のみである。釈迦
や、特に竜樹とは、本質的に異なる。
296 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 02:40:06 ID:CgrcZWTq
>>293 >科学は竜樹の時代よりも遙かに後代に成立している。
科学を、「厳しい自然と対応して、人間が生存するための手段」と考え
れば、それは、人類の発生以来存在したはず。さもなければ、人類は、
自然との闘いにやぶれ、とっくに消滅しているはずである。現に、消滅
した生物の種属も、多数存在する。
宗教の発生は、人間の生存のための手段、生存のための彼らなりの精一杯
の「現実性・合理性・科学性」の表れであり、現代の科学の代替品であった。
古代人は、現代の宗教者とは異なり、生存の「手段」としての宗教を、生存
の「目的」とするという倒錯には陥っていなかった。この、宗教の生存のため
の「手段性」が失われたのは、創唱宗教の開祖の精神障害に基づく、
自然宗教の観念化、抽象化、精神化が原因である。信者は、その精神障害の
「感染者」に過ぎない。フロイトが説くとおり、「精神性」は、特に感染
する。
297 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 02:47:51 ID:CgrcZWTq
>>288 >「迷ったまま」で「それを悟りだ」とは、よほどの禅家でも言わないでしょうw
その「悟り」なるものが、実は「迷い」ではないことを、どうやって証明するのかね。
>>296 >
>>293 > >科学は竜樹の時代よりも遙かに後代に成立している。
> 科学を、「厳しい自然と対応して、人間が生存するための手段」と考え
> れば、それは、人類の発生以来存在したはず。さもなければ、人類は、
> 自然との闘いにやぶれ、とっくに消滅しているはずである。現に、消滅
> した生物の種属も、多数存在する。
それはただの拡大解釈にすぎない。現代の生活を支えている科学技術は
そのような大昔には想像もできなかったものであり、昨今の進歩の著しさは
そのような過去の時代、竜樹の時代には「想像もできなかった」ものである。
> 宗教の発生は、人間の生存のための手段、生存のための彼らなりの精一杯
> の「現実性・合理性・科学性」の表れであり、現代の科学の代替品であった。
ではキミは代替品であった原始時代の生活をしたいと思うのかね?
その生活スタイルに相応しい迷信の時代に生きたいと本気で考えるのかね?
> 古代人は、現代の宗教者とは異なり、生存の「手段」としての宗教を、生存
> の「目的」とするという倒錯には陥っていなかった。
これはとんでもない誤りである。太古においては人身供犠や人柱のようなことは
非常に頻繁に行われていたのである。創唱宗教だけではない。古代においては
大半の宗教がまじないや迷信に充ち満ちていたのである。
299 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 05:42:17 ID:oHruG1mj
>>291 >なんであれなにものも執着されるべきでない−“Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.”
恥ずかしいぞ
300 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 05:45:51 ID:oHruG1mj
>>288 >更にちなみに、「本覚思想が悪い」のではなく、「その拡大解釈の仕方がマズイ」ということで
そうそう。「本覚思想が悪い」なんていう人は、本覚門が分かってない。
本覚門は日本仏教で最も高い見解、縁起も色即是空も密教も分からない人が分かるわけがない。
301 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/16(水) 06:50:09 ID:9QnK9YlU
>>282 >予想通りの返答でキモかったよ
>何も感じさせない覚者なんていないはずだよ
そりゃ〜貴殿の勝手であって、拙者は一切責任はもてんですねw
>こんな時間に寝るのもおかしいよ2ちゃん虫ちゃん
>おやすみ
ありがとうございます。昨夜はよく眠れましたでしょうか?
302 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/16(水) 07:25:41 ID:9QnK9YlU
>>290 在家氏
>またご回答は、「それは○○でありんす」でしょうか。
回答は、
>>291 >>292 が正解です。
いわゆる「二重動作は論法的矛盾である」。ということが一般的な論理ですね。
あと、ふたつの論破方法もあります。
「去る」は「去らない」という相対を前程とせねば成立しない。
ってことも言えますし、
また、言語自体に「即非」が内在してまして、
究極的には論法、それ自体が不可という見方もあります。
今、「一切皆苦」が論題になってますが、
これはニーチェの永劫回帰を想起すると解りやすいですね。
つまり、究極的な虚無である。と解釈するのは自由でありますが、
それだけではニーチェの思想には全く届いておらんのですよ。
ニーチェも仏教も、いわゆる逆説的なんですよ。
究極的否定ってのは、いわゆる究極的肯定でありんす。
まあ、これをヒントとしまして「一切皆苦」を解釈して頂きたいですね。
仏教というのは非常に奥が深いものでありまして、
実際、アートマンがどうで、こうで、なんてのは末節枝葉の話ですから・・・
303 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 08:09:42 ID:oHruG1mj
>>302 >ニーチェも仏教も、いわゆる逆説的なんですよ。
ニーチェも仏教も全く分かってないのに、このホラ吹き男はw
>>299 >>なんであれなにものも執着されるべきでない−“Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.”
> 恥ずかしいぞ
?
>>292 >釈迦は、庶民の苦を分析・分類して、それぞれの苦に対する、それぞれの対応方法を考えるべきであった。
まさしくそれを行ったと思うんだが?
>釈迦のいう苦には、「貧」や「暴力」や「戦争」は出てくるのか。
病気の苦=病苦、
物資的不足による苦=求不得苦
暴力=怨憎会苦・五蘊盛苦・病苦・死苦 etc.
貧=生・求不得苦、
戦争=病・死・愛別離苦・怨憎会苦
などに分類可能だと思うが?
>「無常なるもの」が何故「苦」に連なるのか。庶民は、そんなものは「苦」など
>と感じてはいない。もっと「切実な」苦があったはずである。
庶民の切実な苦の原因をたどると、無常であるものに執着することから起こる。
無常だから直接苦につながるわけではない。
無常なるものに、執着するから、苦になる。
あなたの言う「あるがままにうけいれる」と言うのが、物事の本質を正確に見抜き、執着を離れると言う意味なら、まさしくそれが釈尊の教え。
たが、「欲望全てOK」と言う意味なら、それは本覚思想崩れのグダグダ人生。
306 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 12:11:00 ID:Xzx42E16
>>305 >庶民の切実な苦の原因をたどると、無常であるものに執着することから起こる。
そんなことで、例えば子に与える食物の不足で苦しんでいる人間が納得すると
思うか。赤ん坊がオッパイを求めて泣くのは、生命を維持するために不可欠である
からである。釈迦は、そんな赤ん坊に「執着するな」などとでもいうつもりか。
生存に最低限必要な物質に対する執着は、生命の維持に不可欠だからである。
それが欠乏すれば、争いや暴力も生じる。それらから生じる苦を除去するための
唯一の方法は、物資を供給することである。
すべての最低限必要な物質に対する欲望・執着・煩悩は、肉体的生命の維持の
ために生じている自然の摂理、即ち「法」であることを、「物質的に満ち足り
た」釈迦には理解でなかったのである。
なお、純粋に精神的な苦悩は、自己中心主義から生じる。自己を離れて、家族
などの身近な他者に心を移すことにより、この苦しみは、軽減され、除去される。
このことも、釈迦は理解できなかった。彼は、生まれたばかりの赤ん坊を残して
家出した釈迦の、残された家族の苦しみは理解したのか。
釈迦の「苦」に対する理解は、要するに贅沢病に過ぎない。
>>306 釈迦も大概かもしれないが、竜樹なんてレイプだからな。
もはや人間として異常。釈迦とは比較にならない悪人。
竜樹に「苦」に対する理解なんてあるわけがない。
竜樹を信奉する人間というのは、そういうレベル。
308 :
析空 :2009/09/16(水) 14:48:00 ID:ggyergS7
>>306 釈尊が説いた法は、誰か他人が認めるとか認めないということと無縁です。
かつて池田大作が仏法民主主義を唱えましたが、
仏法の正邪は、民主主義で決まるものではありません。
あなたが単に、「無常なるものは苦しみである」という言葉の意味を
理解できていないだけです。
309 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 16:11:23 ID:oHruG1mj
>>308 >かつて池田大作が仏法民主主義を唱えましたが、
そんなこと言ってたの。流石、非仏教日蓮の末流。唖然!
>>301 机ちん、私の眠り具合は大変よかったでありんすよ
ところで、アートマンスレは、何のきっかけで、たつに至ったのけ?
アートマンが存在する派の人は、アートマンって情報空間に存在すると思ってるの? それとも物理空間に存在すると思ってるの?
312 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 16:35:16 ID:5BimcKg9
>>310 宝珠愚者などのキリスト教の影響を受けた人々が、その「唯一絶対神」
の観念をどうしても捨てられず、何とかして守りたいため。
無我だと、彼らが信じて止まない絶対神の観念が吹っ飛んでしまうから
です。
313 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/16(水) 16:35:38 ID:9QnK9YlU
>>310 たった経緯をこれから御説明申し上げます。
ニーチェでもなんでもそうですが、やはり人生経験を積んでいって、
それから色々と分ってくることもございます。
例示としまして、
ジェームス・ディーン主演の有名な映画があるのですが、
(タイトルは略させて頂きます)
これは独身の頃に一回観て、それから家族を持ってからもう一度観る。
同じ映画でも、まったく感想が違ってまいります。
それは明らかに視座が違うことに起因するのでありましょ。
それで、何でしたっけ?
ああ、アートマンでしたね。
もともと拙者には、アートマンという観念はありませんでしたから、
その究明の意味で勉学をしている途上であいうえお。
>>313 うんわかったよ〜
なーんも答えんでいいからね〜
はい、どうどう
もう寝る時間かなー?
315 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 18:04:37 ID:HgJ9NK9k
>>311 その「情報空間」と「物理空間」と言う表現法は、なかなかいいかも。
>>312 そですか。
いぇ自分あるところで、「それはアートマンだ」
と書いた場面があって、気になっていまして
自分のなかで、そこ重要でなかったもので
いいです、どうもどうも
>>315 苫米地さんの言葉です
アートマンが物理空間に存在するという考えは、現代の科学では宇宙には始まりと終わりがあると
考えられているので、アートマンの永続性の点で整合性が取れない
情報空間に存在するというなら、それは否定できない
情報空間には龍も火星人も金星人も存在するからね
318 :
旧7 :2009/09/16(水) 19:15:38 ID:yy7BkW4J
>>317 物理空間に依拠しない情報空間って、どんなの?
もしかして霊界とか?w
319 :
旧7 :2009/09/16(水) 19:17:04 ID:yy7BkW4J
もし、そうだとしたら、宝珠陣営の大勝利だなwww
320 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 20:03:06 ID:HgJ9NK9k
>>318 いや、そうではなくて「観念上の仮想空間」みたいなものではないかと理解したのだが。
各情報を処理するためだけの意味をもつ仮想空間を仮設して、その中において情報処理を実行する。
その構成要素を「情報」のみに限定する世界。科学の世界ではよくあること。簡単に言えば、実在しない観念上の世界。
まぁ、苫米地氏がどのように意味付けしたかはしりませんが。
321 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 20:16:12 ID:HgJ9NK9k
例えば「ネット空間」という言葉があるが、これは別に現実にそのように表記される 空間が存在しているわけではない。 我々がネットを使用し情報のやりとりしている世界を指して そのように表現しているだけ。
>>306 アンタの理論は、「無限の食料が存在し、それを全員に分配できる」と言う前提が無いと成立しないw
飢えている人間が居て、「もし食料があるなら」、与えるのは当然。
だが、「絶対に食料が手に入らない状態」なら、食料を手に入れようとジタバタすると苦しくなるだけだと言ってるんだ。
努力するのは良い。だが、絶対に不可能な事(永遠に死ない等)に執着するのは苦の原因にしかならない。
まあ、仏教には限界があるのは確か。
ご指摘の通り、赤ん坊に法を説いても、理解できないと思う
言葉と理性が通じ無い相手(あなたみたいなw)は救えない。
もっとも、アンタの理論で言えば、赤ん坊は、欲望に忠実な、悟りの境地に居るって事になる。
最早、悟りの境地なんだから、そのまま死んでもいいってことになるだろ?あなたの理論ならw
この世には、自分でどうにかなる事(持っている食料を与える)と、自分ではどうにもならない事(先天性の病気、寿命、事故など)がある。
前者は、どんどんやればいい。
だが、後者のどうにも出来ない事に、執着するのは無意味。受け入れるしかない。
その分別をはっきりとさせるのが、正見ってことだろ?
また、家族を愛することによって、苦しみが一時的に軽減される事は否定しないが、
それに執着すれば、愛別離苦を受ける。
ちと、苦に対する考察が足りないんじゃないか?
323 :
1/5 旧7 :2009/09/16(水) 23:46:35 ID:yy7BkW4J
>>292 > 当時の庶民の苦とは、そのような漠然とした、抽象的なものではあるまい。
> 専ら、病気の苦、物資的不足による苦、暴力による苦であったと推測される。
そうだよ。
日常的に・具体的に切迫した「苦」とは、まさしく具体的で即物的なものだ。
> 釈迦は、庶民の苦を分析・分類して、それぞれの苦に対する、それぞれの
> 対応方法を考えるべきであった。
分析・分類して、その最大の括りを提示し、その解決策を提示したのが仏教だよ。
> 釈迦のいう苦には、「貧」や「暴力」や「戦争」は出てくるのか。
出てきてるだろ?w 仏典読んでないのか?w
ただ、同時に、それらの“元締め”としての「苦」をメインに説いているんだよ。
下位レベルの苦は、それ自体の解決は、具体的な社会や環境が変わらない限り根本解決にはならない。
それらを、【直接的に解決】するのは仏教じゃない。
(―せいぜい緩和するのみだw →だから、出家と在家の別、聖と俗の別があるわけなんだが・・―)
技術であり、地域であり、文化であり、社会であり、政治であろう。
まさに人々の日々の生業(≒occupation?)が解決すべきことであろう。
その意味でも、人類総出家が仏教の目指すところとはならない。
社会を変えるのは比丘じゃない。社会で(世俗で)、今まさに生きている最中の人が変えるものだ。
また、悟ったら・・・、もといw、
「仏教で」癌が治るかと言えば治らんだろうw 失くした脚が生えてくることもないw
では「そこに苦の滅は無いのか?」と言えばそんなことはない。
そこにも、確かな安楽・安心(あんじん)があるだろう。
(ああ、前シリーズでの宝珠の
「死ぬ間際に悟ったとして(仏教と出会ったとして)何の意味があるのか?!」という発言を思い出したよw)
324 :
2/5 旧7 :2009/09/16(水) 23:49:08 ID:yy7BkW4J
>>292 > あくまで釈迦の鬱病の症状としての、彼の特殊(病的)な心象世界、主観的な「生存苦・実存苦」のように思える。
そうだよ。
仏教は、敢えて、抽象的に「苦」を括り、その抽象的在り方の苦の解消を提唱した。
なぜか?
病気は医術・医療が治す。貧困は社会が(行政が・政治が)解決する。
暴力は治安維持のシステムが、物資の不足は生産効率と過剰消費の緩和が解決策となる。
誇大広告を打たないのさ、仏教は。
具体的にアレが治ります・コレが解決します。こんなに豊かになります、とか言わないんだよ。
勿論、何とかの水を売ったりもしないw
まさに、『 > 【主観的な】「生存苦・実存苦」 』の解決・解消が目的なのだからwww
シッダッタの病的な素養に関しては知る術もないが、そうした傾向があったろうことは想像できる。
が、だからと言って、その後説かれた教えに曇りが生じることもない。
むしろ、シッダッタにそのような傾向があったからこそ、仏教は誕生し得たとも言えるわけだw
> 「無常なるもの」が何故「苦」に連なるのか。
とにかく貴方は、なるべく多くの仏典を読むことです。南伝が嫌いなら、漢訳阿含でいい。
そうすれば、何が、どのようなことが「苦である」と言われているのか、少しは見えてくるでしょう。
このスレでも前シリーズでも、何度となく色んな方が述べていたと思うが、一向に届いていないようだ・・w
御自身で、読み、見出されることを祈るばかりです・・・。
> 庶民は、そんなものは「苦」などと感じてはいない。もっと「切実な」苦があったはずである。
そうでしょう。
だから、「この法は見難い」のです。
「anusotagAmin(流れに随い往く者)、paTisotagAmin(流れに逆らい往く者)」という言葉があるが、
まさに、一般的・世間的・日常的価値観とは逆の【視線】を要求するから、
仏教は「難解、困難、反世間的、特殊な生き方、等々」として距離を置かれてしまうわけですw
325 :
3/5 旧7 :2009/09/16(水) 23:50:45 ID:yy7BkW4J
>>292 > 「すべてが無常」なのなら、むしろそれらをあるがままに受け入れることが、
> 唯一の苦の除去の繋がるのではないか。
はい。
まさしく、お釈迦さんはそのように説いていらっしゃるのですw
>>306 > >庶民の切実な苦の原因をたどると、無常であるものに執着することから起こる。
> そんなことで、例えば子に与える食物の不足で苦しんでいる人間が納得すると
> 思うか。赤ん坊がオッパイを求めて泣くのは、生命を維持するために不可欠である
> からである。釈迦は、そんな赤ん坊に「執着するな」などとでもいうつもりか。
その通りです。貴方はスッタニパータはお持ちなのでしょう?
お釈迦さんは、牛飼いダニヤとどんなやりとりをしてますか?
また様々な場面で、親しい者・愛する者を亡くした者に何と言っているか。
「泣いても疲労が堪るだけだから泣くな」と言うのですw
しかし、ここで忘れてはなりません。
比丘は(比丘尼は)子を持たないからです。赤子を育てたりしないからです。
子を持ち、赤子を育てる者は、当然のことながら義務を背負います。
過剰な執着はしないまでも(―それは往々にして却って子供を不幸にする―)、
そこには、「関心と、注意と、働きかけ」等が必要です。
出家者にとってそれらは煩いである、と言われますが、
世俗の者は、【その方向性】を【知る・気付く】だけでも良いのです。
それが、日々の負担(ストレス等)の軽減・緩和に繋がれば十分です。
そこで、「さらに求めよう」と思った者が釈尊の(或いはサンガの)許へ行き、出家を願うのです。
出家と在家、聖と俗、このニ面性なくして仏教はあり得ません。
貴方は、これを一元化したいのかもしれませんが、それは無理です。
出家の(勝義の)視線、価値観あってこその仏教なのですから・・・。
すべては、そこから敷衍されねばなりません。
だから、(心理的)カウンセリングの枠を超え得るのです。(これは、超常現象や神秘的事例とは一切関係ありませんw)
326 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/17(木) 00:12:23 ID:nRxIa/Q3
327 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/17(木) 00:19:03 ID:nRxIa/Q3
328 :
4/5 旧7 :2009/09/17(木) 00:21:13 ID:3ARwcdgG
>>306 > 生存に最低限必要な物質に対する執着は、生命の維持に不可欠だからである。
> それが欠乏すれば、争いや暴力も生じる。それらから生じる苦を除去するための
> 唯一の方法は、物資を供給することである。
はい。 ですから、それをするのは社会であり、行政でしょう?
比丘が(宗教者が(聖者がw))物資を供給すべきだ、と?
その最初の原因を断つ、或いは、何が最初の原因か気付くことは、
その後生じ得る様々な悪しき事象の生じることを妨げ、或いは減らし、或いは無くすことができるかもしれません。
少なくとも、気付けた者は、その方向性で互いに歩み寄り、協力できるかもしれません。
そうした可能性の扉を開いているのが仏教なのです。
悟った者だけが仏教を利用する資格があるわけではありません。
触れ、感銘を受けた者は、誰もが、それを胸に抱き歩くことを妨げられません。(本来は、たとえ宝珠氏であっても・・w)
> すべての最低限必要な物質に対する欲望・執着・煩悩は、肉体的生命の維持の
> ために生じている自然の摂理、即ち「法」であることを、「物質的に満ち足りた」釈迦には理解でなかったのである。
社会が円滑に機能する為に必要であることを知っているからこそ、
各国の王を出家せしめていないのでは?
望む者は別としても、要職にあるものや社会的に必要な仕事を為す者を、無理に出家させてはいないのでは?
※注) ただし、当時の仏教が、(御隠居の指摘が半ば以上当たる形で)、
「エリートのもの」(出家後の厳しさ、出家前の前知識の有利さの面で)であり、
「出家できるのは限られた者」(出家が可能な環境という面で)であり、
「地域社会に寄生する形でのみ存在し得る」ものであり、
「現実問題として、或いは実際として、万人の無条件出家が可能だったわけではない」
ことは常に留意されていて良いと思う。
329 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/17(木) 00:23:25 ID:nRxIa/Q3
申し訳ありませんが 資料upはもう少しだけ待って下さい!<各位オール あとはスペルチェックな構成・・程度です。 勤務が多忙になってしまった(;><)
330 :
5/5 旧7 :2009/09/17(木) 00:25:06 ID:3ARwcdgG
>>306 > なお、純粋に精神的な苦悩は、自己中心主義から生じる。
ですね。
> 自己を離れて、家族などの身近な他者に心を移すことにより、この苦しみは、軽減され、除去される。
はい。 通常の、極々一般的な解決策ですね。そして、有効性が極めて高い。
> このことも、釈迦は理解できなかった。彼は、生まれたばかりの赤ん坊を残して
> 家出した釈迦の、残された家族の苦しみは理解したのか。
そうでしょうか・・?
彼が、ラーフラの誕生を待ち、29歳という(御隠居分析の彼の性格からすれば遅すぎるくらいの)出家、
それなりに考えた、時期の選び方ではなかったろうか。
また、出家時点では「今は苦しませてすまない。きっと解決しに戻ってくる」くらいの気持ちだったんじゃないか?w
実際そのような足跡だしw
また、出家の時点では、「苦の解決、解脱とは、そのように『持ち帰れり与え得るもの』」という認識だったかもしれない。
実際、菩提樹下での成道は、それから更に6年後のことなのだから・・・w
そして何より、シッダッタが目指したのは、通常の、極々一般的な解決策を超えた、
根こそぎの解決であったことを想い起こすべきだと思う。
> 釈迦の「苦」に対する理解は、要するに贅沢病に過ぎない。
以上に述べたように、その側面を捨て切れはしないが、決してそれだけではないだろうし、
そのような面があったとしても、補填して余りある(いや、余り過ぎる程の)「おしえ」を残している点で、
帳消しでいいだろ?w 出家時の家族の悲しみも、これを癒しと位置付けてもいいだろ?w
ま、最後釈迦族は滅ぼされちゃうわけだが・・・w
331 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 02:21:08 ID:YSZ+N4Pa
>>323 以降の旧7氏の佛教に関する見解は、興味深く読ませてもらいました。
その底流に流れるものは、御隠居に通じるところも多いですね。
私も、このご隠居という人の意見も半分は、正論であると思います。
(残り半分は、極端すぎてとてもついていけませんが。特に宗教の『負の面』
ばかりに着目し、宗教の果たしてきた役割も認める柔軟さがあればと思います)
旧7氏は > 「仏教で」癌が治るかと言えば治らんだろうw 失くした脚が生えてくることもないw
また、 >だから、(心理的)カウンセリングの枠を超え得るのです。(これは、超常現象や神秘的事例とは一切関係ありませんw)
のように言いますが、このスレには、「覚者」「聖者」になれば、神通力を身につけ
空中を自在に飛行し、望めば何万年でも生きて、岩に触ればその手形を残すと
主張する仏教徒もいますよ。
また、出家と在家の二面性の上において佛教が成立するとの意見は同意です。
もし、多くの在家が出家を望み、出家の生存を支えることが不可能になる事態
が生じたとき、出家は在家に対して「それは止めろ」と言うべきか、
あるいは「共に餓死の道を選ぼう」と言うべきか。
どちらの道が、「仏教徒」に相応しいと考えますか?
332 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 02:55:51 ID:cAoR5nvX
>>313 >ニーチェでもなんでもそうですが、やはり人生経験を積んでいって、
>それから色々と分ってくることもございます。
なるほど年の功が、妄想の根拠と告白ですなあw
正直でよろしい。
333 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 02:58:09 ID:cAoR5nvX
>>331 >が生じたとき、出家は在家に対して「それは止めろ」と言うべきか、
>あるいは「共に餓死の道を選ぼう」と言うべきか。
>どちらの道が、「仏教徒」に相応しいと考えますか?
「共に餓死の道を選ぼう」ですね。
パーリ・ニカーヤに行乞して食が得られなくても、他の手段で食を得るより
死を選ぼうという説があったと記憶します。
334 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 03:30:30 ID:YSZ+N4Pa
>>333 なるほど、それが仏教徒のあるべき姿ですか。
ならば、これは極論ですが、全ての在家がそのようにして出家し
全ての人間が餓死するとすれば、人類が絶滅してしまいます。
出家して解脱を目指すのが佛教の理想であるとするのであれば
その理想をめざし全ての人が仏道を歩み始めると人類が絶滅すると
いうことになってしまいます。
「全ての人が佛教に帰依し仏道を歩み始めるのが理想」→「人類の滅亡」
この図式は矛盾ではありませんか?
335 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 03:44:14 ID:dMWil7JE
>>333 >「共に餓死の道を選ぼう」ですね。
それは、「生存本能(生命)」という、「人間を初めとするすべての生物
に普遍の根源」、即ち「最も根源的な法」に反している。出家者故の誤り
である。
>>335 だから、性欲という本能に従ってレイプをした竜樹は正しいというわけですね?
337 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 05:22:38 ID:a9p3nyyJ
>>336 性的に成熟した異性同士が「お互いに」求め合うのは、「種属としての生存本能」
という「根源的法」である。
いわゆる「セクハラ」概念は、アメリカの判例の無批判な猿真似。「セクハラ
防止」に狂奔する司法、行政、大学などは、この「根源的法」に反した狂気で
ある。司法では、この「倒錯」は、次第に是正されつつあるようだ。
昔は、略奪婚まであった。性欲を否定すれば、人類は滅亡する。イエスの「性欲
を抱いて女を見る者は、心の中で姦淫の罪を犯した。目玉を抉り取られる」など
という「根源的法」に反した言葉に、その責任の一端がある。旧約聖書は、こんな
アホなことは言わない。
「朝立ちしない男は、信用するな」という言葉もある。土壇場で人を助けるのは、
むしろ竜樹のような「ちゃらんぽらんな」男である。「聖人君子」ではない。
パウロは、信者が火あぶりにされ、ライオンに食わされているのに、ただ「祈る」
ばかりで、結局は見殺しにした。体を張って助けようとしたのは、「未信者」の
若者であった。
「愛」とは、「土壇場で人を助ける行為」と定義する。
338 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/17(木) 07:48:06 ID:qOJVMlOF
>>320 >>321 おもしろい書き込みですね。
あえてレスポンスさせて頂きます。
@TDR(ディズニーランド)は、虚構の世界を楽しむテーマパークですね。
A水木しげるの世界も虚構ではあるけど、何故か現実的な夢を与えてくれる。
Bネット空間というのは、具体的な情報交換してるので、これはリアル性がある。
まあ、大雑把に分類すると、こんな感じじゃないでしょうか?
アートマン観念というのは、つまりAですね。
妖怪とか、妖精とか、もしかしたら居るかもしれない。
(妖精の画像も現存している→真贋は不明)
いんや、絶対に居るはず。と思うのは、これはあるかと思います。
@とAの中間部分というのは、いわゆるファジーですから、
ここにロマンを求めるのは、人類の歴史でもあった訳です。
社会通念上における宗教というのも、元々はこのベクトルですね。
一連の流れにおいて、アンチ的立場なのが仏教かと思います。
釈尊在世当時としまして、仏教は異端であったろう?
宗教的な概念空間にアートマンは存在するけど 物理空間に存在すると言わないでねってことでしょ
340 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 08:55:18 ID:qDllNgnT
物理空間と情報空間は仏教用語でいえば「名色」に相当する概念ではないか? 物理空間が「色」で、いわゆる色や形などとして感覚で認識できる空間(世界) ということだろう。 情報空間とは「名」で、言葉だけで認識される意識空間(世界)ということだろう。 広松哲学の「モノ」と「コト」に対応するのかもしれない。 しかし物理空間すなわち「色」といえども仏教では実体のない空の世界として 認識するのが科学実在論の立場とは違うだろうね。
341 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 09:32:16 ID:ANm821zv
>>337 上一段と下が矛盾しているのですが。
反感を感じるものと取り合えず繋ぎ合わせても駄目です。
342 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/17(木) 09:40:30 ID:qOJVMlOF
>>340 そうですね、仏教的には@ABは同じなんですね。
アートマンだけ特出したものではなくて・・・
一切が空である。ってことになる。
虚構性、ならびにリアル性は、思慮分別であり、
これ即ち世俗諦に他ならない。
一切が勝義諦にて調へば、既に戯言に過ぎない。
ってことになりますね。
仏教だとアートマンも空なんだけど、アートマンを信じてる人に アートマンは空ですよって言っても全然受け入れないというかw堂々巡りなわけで 特に仏教に関心の無い人に説明する時は、339の説明がベターでしょ
344 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/17(木) 11:59:23 ID:qOJVMlOF
>>339 >特に仏教に関心の無い人に説明する時は、339の説明がベターでしょ
そうですね。
あくまでも世俗諦としてベターですね。
だけどこれでは納得いかん輩が出てくるから、
勝義諦で説明する。
そうすると机上の空論とか・・・
分らんことを言い出す。
>宗教的な概念空間にアートマンは存在するけど
>物理空間に存在すると言わないでねってことでしょ
この論法は、月に対峙している時に「月」は存在している。
月に背を向けたとしても、なお月は存在している。
ってことになる。
(一度、月を目撃すると、それは永久に?存在し続ける)
345 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 12:06:53 ID:4xC+9laU
>>325 (旧7氏へ)
>出家と在家、聖と俗、このニ面性なくして仏教はあり得ません。
>貴方は、これを一元化したいのかもしれませんが、それは無理です。
>出家の(勝義の)視線、価値観あってこその仏教なのですから・・・。
>すべては、そこから敷衍されねばなりません。
詳細なご回答、ご反論多謝。しかし、全体的に「東南アジアの佛教」としての
視座ですね。その「誤り」を是正したのが「大乗仏教」ではないでしょうか。
「他者との係わり合いの中で、ひたむきに生存の努力を続ける圧倒的多数の生
活者」は、貴殿のご意見のような考え方はしていないでしょう。そのことは、
ご意見が「人間界における真理」とはいえないことを意味します。
「出家者故の誤り」については、
>>335 に書き込んだとおり。
同じ人間を「聖」と「俗」に分類することは、オットーなどが唱えたような
キリスト教的概念。そのような分別からは、「あるがままのすべての人間」に
対する「慈悲」が出てくることは困難ではないでしょうか。
「聖」と「俗」は、宗教者による勝手な分別に過ぎず、むしろ、生存本能(生
命)という「根源的法」に従って生存を続ける人々のほうが「聖」であるとも
いえます。
346 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 12:42:37 ID:qDllNgnT
>>342 >これ即ち世俗諦に他ならない。
>一切が勝義諦にて調へば、既に戯言に過ぎない。
世俗諦と勝義諦を分別するのも妄想・戯言に過ぎない。
不二不一の縁起の理法しかない。
>>344 いやいや、
TDRは実在するし、
水木しげるなどの創作物は、紙などの媒体上に存在するし、
ネット区間は、サーバー上に実在する。
情報空間は、その情報を記録する媒体が必要になる。
宗教的な概念空間は、人間の脳みそを媒体として記録されている。
つまり、339は、アートマンは人間の頭の中だけの存在だと言いたいんだと思うが?
故に、実在する月の例示は不適当。
適当に例示するとすれば、
ネッシーについて書かれた本を読んで、その存在を信じれば、
その人の頭の中(と本のなか)では、ネッシーが存在する。
だが、その人が死んで、本も燃えれば、ネッシーは存在しなくなる。
(一度信じれば、その人(情報記録媒体)がなくなるまでは、存在し続ける)
>>337 要するにレイプは犯罪ではないし、どんどんやるべきだという意見ですね?
349 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/17(木) 19:05:09 ID:qOJVMlOF
>>347 貴殿は、なかなか思慮分別の激しい御仁とお見受けします。
月も、ネッシーも、アートマンも、あらゆるもんは非有非無でありますね。
TDRが実在とか、紙に媒体上に存在するとか、サーバー上の実在とか、
なんか訳の分らんことを書いておるようですが、
拙者は
>宗教的な概念空間にアートマンは存在するけど
>物理空間に存在すると言わないでねってことでしょ
これ↑は、あくまでも世俗諦ではベターと言っておるんで、
勝義諦では、まったくベターではないですよ。
>特に仏教に関心の無い人に説明する時は、339の説明がベターでしょ
>>343 仏教に無知であるなら、339の説明でオッケーということでしょう。
(あくまでも方便ですよね)
勝義諦で語ちても、仏教に無関心なら意味不明ですから><
では、おやすみ。
350 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/17(木) 19:26:50 ID:qOJVMlOF
>>346 >世俗諦と勝義諦を分別するのも妄想・戯言に過ぎない。
>不二不一の縁起の理法しかない。
色即是空であっても、世俗諦と勝義諦は全然違いますよ。
まあ、暇があれば説明しますけど、
今から寝るんで、
また明日にでも・・・
では・・・
351 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 20:01:07 ID:qDllNgnT
>>350 >世俗諦と勝義諦は全然違いますよ。
中論も知らないみたいだね。
中論25−20
「涅槃の究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには
もっとも微細なるいかなる区別も存在しない。」
輪廻は世俗、涅槃は勝義と勘違いしてるんじゃないだろね。www
>>351 >輪廻は世俗、涅槃は勝義と勘違いしてるんじゃないだろね。www
『世間(生死の世界)には、涅槃といかなる区別も存在しない。
涅槃には、世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない』(中論25-19)
『涅槃の究極なるものは、即ち世間(生死の世界)の究極でもある。
最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない』(中論25-20)
生死即涅槃(色即是空)、涅槃即生死(空即是色)
『(涅槃とは)一切の得ること(対象の実体的知覚)および戯論(形而上学的議論)
が消滅した、めでたい吉祥なる境地である。
ブッダはいかなる教え(戯論)も、どこにおいても、誰のためにも説かなかったのである。』
(中論25-24)
戯論オンリーの宝珠には秋田県。
娑婆即寂光土 日々是好日
ごきげんよう
355 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/17(木) 21:26:34 ID:nRxIa/Q3
>>265 そのトラコテの地質的な条件というのもただの仮説に過ぎません。たまたまトラコテの火山地帯を
取り上げていましたが、ではドイツのノルデナウについてはどうなのか?確かにそのような諸条件も
(大いなる方は)利用したかもしれませんが、しかし、これは基本的に超常力によって活性化した水
なのであり、別に地質的条件がどうであっても同様の水を出現させることができます。ただし、途切
れることのない水源は必要だといわれています。地理的条件は当然、選択されるでしょう。
『1980年代終わりから1990年代前半にかけて、メキシコ、インド、ドイツそして日田でと、この時期
にあちこちで発見されたことは、偶然ではないような気がします。』
>>254 という白畑教授の感想は尤もなことです。これは大いなる方によって、意識的にそして計画に沿って
行われているものだからです。発見されたのはまだ3ヶ所(トラコテ、ノルデナウ、ニューデリー近郊
ナダーナ/日田は違う)ですが、 すでに286ヶ所の泉や井戸が活性化されたといわれており(94年当時
の情報で)、今後、更に続々と発見されることになっています(次はテキサス州サンアントニオ近郊だと
推察されている)。最終的には777ヶ所になるだろうといわれています。
>信仰告白しているだけですよ。
私たちは、これらの奇跡の水が発見される以前からすべての経緯について知っています。しかし、あ
なた方は知らない。唯一、その違いだけだと思います。
356 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/17(木) 21:27:53 ID:nRxIa/Q3
>>269-270 はい、あなたの「プラシーボ効果」及び「二重盲検比較対照試験」についての説明は確かに正しい
ものでしょう。もちろん私もそれくらい知っています。ですが、わたしがモンテビデオ総合病院の臨床
データに立ち会ったわけじゃないし、重要なのは“治癒の効果という現実”に向けられるべきでしょう。
私はその検証実験は、恐らく被験者たちに水のことを伝えないで投与したのではないかと推察しま
す。何故なら、「治癒が期待されている奇跡の水です」などと告げても、多くの人にはただ懐疑心しか
湧かないでしょう。もし本当にプラシーボ効果であれば、それに対して期待を寄せたごく一部の患者
だけに劇的変化があった、という結果になる筈なのです。この実験が示した改善好転率はそういうも
のでは説明がつかないものです。
更にいえば、二重盲検比較対照試験が重要なのではなく、“治癒の結果という事実”に意味があり
ます。
>信じたい事を信じるのは貴方の勝手ですが、
>多くの人に害悪をもたらしかねない嘘を、流布するのは止めて下さい。
>万が一、重病の患者があなたレスを信じ、
>通常の医療を拒否して死亡する事があれば、殺人に等しいと思います。
あなたからの情報というのは“そんな筈は有り得ない”と決め付けてかかっているものに過ぎないよ
うに見えますが・・・。M・ジョンソンの事例は唯一のものではなくて、単に彼が世界的に有名なスーパ
ープレーヤーとして世界的に取り沙汰され、騒ぎになったものにしか過ぎません。
トラコテの水はエイズHIVに顕著な効果があるといわれており(他の疾病以上かも?)、完治した人は
すでに何十人〜いや、それ以上なのです。
もし、仮にあなたのいうようにエイズ・ウイルスを消失することは不可能なのだとしても、その発病を
押さえ込むといった改善率が100%ならば、何の文句もないでしょう(ウイルスを撃退できるという科学
的な説はもちろんある)。
357 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/17(木) 21:30:05 ID:nRxIa/Q3
この水だけを頼りにして医療を拒絶したなどという話は聞いたことはありません。そうではなくて、医 学に見放された患者が治癒したという揺るぎない事実(もちろん完治を含む)としての証拠データを蓄 積、保存している最中であることがVTRにも示されていた通りですよ。 私の知人(直に何度も会っている)には、生まれつきの虚弱体質で過激な運動は制限されていました が、トラコテのホメオパシー錠剤を数年、摂取していたところ、体質は改善され、今では子供時代から の夢だった空手道場に通う日々です(彼は強くなりたがっていた)。 これは水(ホメオパリー良薬も)として摂取するものであって、医療とごく普通に併用されます。「この 水によって必ず完治するので医学は不要なので受けるべきではない・・」などという話しはどこにもあり ません。 という、 私の信仰のお話しなのでした^^ 〜この話題はこれでおわりで構いません-どうも失礼m(__)m
はいはい、ご苦労さんw 長い時間かかった必死の取り繕い! 執着心満載だね あふぉらしw インチキと戯論には秋田県 三重県はるのは山形県
359 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 23:49:19 ID:YSZ+N4Pa
>>355 あのですね、「そのトラコテの地質的な条件というのもただの仮説に過ぎません」
これを仮説して排斥するのであれば、あなたの言う「大いなる方」の介入などは
その「仮説」にもならない、「トンでも話」に過ぎませんね?
その「大いなる方」の介入はどのように実証されたのですか?
>これは基本的に超常力によって活性化した水なのであり、・・・・
ですから、その「超常力」によってなされた根拠が皆無でしょ?
あなたが、そのように決めているだけです。
> すでに286ヶ所の泉や井戸が活性化されたといわれており・・・
>最終的には777ヶ所になるだろうといわれています・・・
「いわれている」ってあなたの同類の人たちが勝手に言ってるでけでしょ?
>私たちは、これらの奇跡の水が発見される以前からすべての経緯について知っています。しかし、あ
なた方は知らない。唯一、その違いだけだと思います。
あのですね、「『19〜年に』『〜で』活性水素を多量に含有した水が発見され、多くのものが
救われる」と事前に知っていた証拠があるのですか? ルルドをねたに
「『世界各地で』『奇跡の水』が発見され、多くのものを救うであろう」
こんなものでしょ? 正確な「時」と「場所」を限定した上での「予言」なのですか?
「あなたは、自己の願望から何の実証もないものを真実であると思い込んでいる」
「私は、そのような根拠の無い妄想を信じ込んだりしない」
>唯一、その違いだけだと思います。
>>334 > この図式は矛盾ではありませんか?
(一般的価値観からすれば、「異質」ではありますが)『矛盾』、ではありません。 なぜか?
仏教は 『《個に於ける苦の解決》を説いている』 からです。
《集団の、共同体の苦の解決》が説かれているわけではありません。
それは、付随して顕れ、求められ、願われるものです。
『《個に於ける苦の解決》の周縁にあたる事象』です。
けっして、それが第一番目に希求されるものではありません。
勿論、御隠居の言う通り、この優先順位を入れ替え、『《集団の苦の解決》を前面に押し出した』のが、
(特に後期)大乗仏教だと言い得るかもしれません。(維摩居士が何か言ってましたねw)
いずれにしろ、それこそ、「縁あって」継続している人類の繁栄ですが、
「縁によって」それが途切れることもまた、ありえないことではありません。
『努力』はしてもいい。いや、是非とも『しなければならない』。が、見極め、腹を括ることも大事だ。
世界では多くの生物が絶滅してきたし今もし続けている。(新しい種の誕生もあるのかもしれないが・・。)
人間だけが、そうなってはならないというのは傲慢であろう。
《「人類の滅亡」》を《「避けねばならないこと」「嫌悪すべきこと」「悪しき事態」「負なる事象」》とは見ないからです。
人類の繁栄も滅亡も、(勝義に於いては)どちらも等価なのです。
(また、インドの世界観は《【破壊】と生成の繰り返し》だし・・・w)
釈尊は、瑠璃王の進軍を木陰に坐って2度止めた。3度目は進軍するに任せた。 ここをよくよく味わうべきだろう。 ≪「亡びてしまえばいい」というのではない。が、また、「永続せねばならない」というのでもない。≫ 理解していただくのは難しいかもしれないが、これが、仏教のスタンスだと思うよ。 滅びてしまう時は仕方が無い。 皆が皆、涅槃の楽を享受し、安心を得るなら、 その結果が人類の滅亡であっても構わないという心構えであるべきだろう。 てか、皆が皆解脱したなら、そもそも人類の存続とか考える者もいなくなるんじゃねwwwww ※それに、人間なんて居ない方が、ぶっちゃけ《地球環境にとって》は良いんじゃないか? (俺が神様なら、他の多くの生物の生存を守るため、人類絶滅計画でも立てるなw)
362 :
2/6 旧7 :2009/09/18(金) 00:42:00 ID:YIwpV8RG
>>345 > その「誤り」を是正したのが「大乗仏教」ではないでしょうか。
『誤りの是正』なのか、『本質から目を逸らす姿勢』なのかは吟味されていいw
寧ろ、(或る種の)大乗仏教の理想世界の希求の方が、現実否定・現実無視の危険な思想かもしれんぞw
「なんせ、《“今ここ”じゃない、どこかの理想世界を求め、“慈悲”という大義名分の下、
そのために現状の破壊・改革が許容される》のだから・・・w」。
とまあ、それは冗談にしても、少なくとも、
≪『今ここ』という現状を否認し、『慈悲』という御旗を掲げ『皆のため』『より善き世界のため』邁進する行為が、
優れて評価される素因≫は大乗の中にあるし、多くの新興宗教はココを利用している。
少しは自覚した方がいいと思うよ。
> ご意見が「人間界における真理」とはいえないことを意味します。
ここがそもそも間違ってるw 人間界に於ける(そのような絶対的)真理である必要はないでしょう?w
どこかのどなたかさんは異議を唱えるだろうがwww、
私は、真理は複数あると思っているし(逆に『大統一真理』なる御大層なものはないと思ってるし)、
saccaとは、《仏教としての》真理だと考えている。もう少し踏み込んで言うなら
「人の心の動きについての真理」くらいのものだろう。(だから、中論はトガリ過ぎだと感じるわけで・・・w)
「主観的『頷き』」の上に、仏教の真理は現れるのさw
(だから、四大教法が説かれたりもするわけで・・・w)
>>356 これ以上、人を欺く情報を垂れ流すのは辞めてください。
『あなたは、二重盲検比較対照試験の本質について、全く理解されていません。』
カクテル療法によりHIVウイルスを押さえ込んでいる人が「水も」飲んでいた事例はあっても、
水だけでエイズの発症を抑えられた事例は一切報告されていません。(
>>268 )
他の病気についても同様です。
つまり、効果があったのは、通常の医療で、水には何の効果もありません。
“治癒の結果という事実”といっていますが、それはあなたの妄想です。
モンテビデオ総合病院の例は、『改善されたと思い込んだ人の割合』であって、『治癒した人の割合』ではありません。
すなわち、モンテビデオ総合病院の例は、トラコテの水のプラシーボ効果の強さを測定しているに過ぎません。
あなたは、「この世には奇跡がある」と決め付けて、
自分の都合の良い情報だけを集め、都合の悪いものは無視する、典型的事例です。
何度も言いますが、
トラコテの水にエイズの治癒効果があったという証拠は一切ありません。
トラコテの水がエイズ発症を押さえ込んだと言う証拠も一切ありません。
トラコテの水がウイルスを撃退できるという「科学的説明」も一切ありません。
(疑似科学の間違った説明はありますが)
>>357 毎年多くの方が、奇跡の水をはじめとする、疑似科学的代替医療を信じ、通常の医療を拒否する事によって、死亡しています。
また、通常医療を拒否しないまでも、代替医療が通常医療の邪魔となり、死亡する事例が多々あります。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=487954518X&uid=NULLGWDOCOMO (癌における代替医療の現状についての本)
トラコテの水の事例だけを見ても、既に死亡者が居ます。
(医者に水分の摂取を禁止されていたのに、トラコテの水を飲んで死亡)
「知人の体験談」を乗せていますが、代替医療詐欺における「体験談」とまったく同じです。
信用性を比較すると、
二重盲検比較試験>比較試験>コンフォート研究>患者対照研究>症例報告>試験管内実験>>体験談
(参考
http://www.jcam-net.jp/topics/data/cam_guide.pdf 日本補完代替医療学会著)
いかに体験談の信用性が低いか、理解できますか?
また、あなたが観測した『事実』は、「友人が元気になった」事だけであり、「トラコテの水が効果を発揮した」事ではありません。
例えば、私の幼馴染も、虚弱体質でした。そして、トラコテの水を飲んでないのに、現在は元気に働いています。
「トラコテの水が効果を発揮した」事を証明する為には、比較対照実験が必須です。
そもそも、もし本当に効くなら医薬品なり医薬部外品、特定保険機能食品や特定栄養補助食品の認可を受けて売ってる筈です。
売上が三割ぐらい違うらしいですから、当然売れる方法で売るでしょう。利用者も、保険が利けば安く手に入ります。
何の認可も取らずに売っているという事は、「全く効き目が無い」から認可を取れないという事です。
個人の信仰の告白なら、自宅でつぶやいてください。
公共の場で、人が信じて死亡しかねない危険な情報をばら撒かないで下さい。
365 :
3/6 旧7 :2009/09/18(金) 00:51:56 ID:YIwpV8RG
>>345 > 「出家者故の誤り」については、
>>335 に書き込んだとおり。
それは、誤りでなく、《役割分担》であり《分業》であり《相互補助》であり《棲み分け》であり、
(まさに)《価値観の相違》だよ。
グリップの良い靴を履いて、段差もなく、滑りにくいレスリングのマットのような土俵にする方が、
勝負の効率はいい、勝ち易くもなるだろう。膝当てや肘当ても装着した方が、怪我も少なくて済むだろう。
野球選手なんて、どれだけのプロテクターを付けていることかw
また、角刈りや坊主頭、短髪にすれば、髪に指が引っ掛かることもないし、反則すれすれで掴まれることもない。
けど、相撲界はそうしない。なぜだろうね?w
裸足で、マワシだけの装備wで、髷を結って、土俵に上がる・・・。なぜだろうね・・・w
次の聖と俗というダブルスタンダードとも関わるが、先日のレスで述べたように、
全く違う次元での「解決法」を採る以上、一般的価値観での最上位をそのまま最上位としないだけだ。
また、御隠居のその価値観設定も、《実は「一般的ではない」》かもしれんぞw
一般的市井の人々は、
≪「生存本能(生命)」を、「人間を初めとするすべての生物に普遍の根源」、即ち「最も根源的な法」≫
だなんて見做していないと思うが如何?w
それこそ、貴方の主張も又、世間の流れ(価値観)に逆らったものかもしれませんよ?www
>>345 > 同じ人間を「聖」と「俗」に分類することは、オットーなどが唱えたようなキリスト教的概念。
キリスト教誕生以前から、インドはもとより、世界中あらゆる所での宗教的事象には、
この「聖」と「俗」という【区分】は存在する。日本には別のニュアンスとして「ハレ」と「ケ」という概念も存在する。
何でもかんでもキリスト教と結び付けりゃいいってもんでもないw
そして、この≪「聖」と「俗」、「ハレ」と「ケ」、「非日常」と「日常」、「稀」と「頻」、「異」と「同」、「あちら」と「こちら」≫等は、
「光と闇」や「明暗」、「善悪」のような二項対立ではない。
そこに価値の上下や優劣はない。あってもそれは流動的であり、TPOで大きく変容する。
それらは並列されるものであり、【その、在り様が、性質が、役割が、期待されるものが違う】のだ。
だから、区分されるのだ。だから 『結界』 という言葉・概念が存在するのだ。
列挙した≪「聖」と「俗」、「ハレ」と「ケ」、「非日常」と「日常」、「稀」と「頻」、「異」と「同」、「あちら」と「こちら」≫のような言い方、
それぞれ意味がある。歴史的、地域的、文化的視点で、価値の変転事例が見いだせる筈だ。
そして、(古代インドに於いて)、遊行者が、沙門が、どこに位置づけられるか、
聡明な貴方ならお分かりでしょう?
古代インドに限らず、《宗教的領域に属する事柄、人、物、(思想)》が、どこに位置づけられるか、
(→《人々にどのように受け止められるか》)、お分かりでしょうw
それらが、なぜ【自分達の世界と違う領域のこととされる】のか? なぜ、【そこに、区分が(結界が)設けられねばならない】のか? 少し考えてみられたら如何でしょう?(人類学や民俗学の話になっても来ますが・・・w) この理由こそが、仏教の、「出家」と「在家」という二面性であり、「経」と「律」というニ本柱の理由であり、 「法」と「僧」という両輪が敬うべき三宝の内に収められている理由とも繋がっているのです。 この理由が、それらを支えているのです。 「聖」と「俗」は(世界各地どんな宗教的事象に於いても)互いに補助し合うものなのです。 互いができないことをサポートし合っているのです。 決して、対立するものではありません。原初的に優劣のあるものではありません。 「主観的『頷き』」と「向上の想い」の上に(解脱や涅槃を基準とした時に)初めて、優劣が生じるのです。 (或いは、俺が俺が、という自己愛・自己保身が基準となった時、優劣が生じるのです。) 「優劣」(【という価値観の別】)が先にあるのではなく、初めにあるのは(単なる)「違い」のみなのです。 その「違い」に、「優劣」がまとわりついてゆくのです。(これも、人の心の動きの、見据えるべき姿です。)
368 :
5/6 旧7 :2009/09/18(金) 01:28:33 ID:YIwpV8RG
>>345 > そのような分別からは、「あるがままのすべての人間」に
> 対する「慈悲」が出てくることは困難ではないでしょうか。
すぐ上の文 ≪ >同じ人間を「聖」と「俗」に分類することは ≫ という言い方から察するに、
貴方は、
≪「聖」=善、優、有価値、目標、理想、あるべき姿≫・≪「俗」=悪、劣、無価値、捨てられるべき姿≫
と見ているのではありませんか?
仏教に於いて、解脱や涅槃を目標として設定した場合、確かにそのように見做す必要が生じます。
「解脱や涅槃を目標として設定した場合」にはね・・・。(これは、先日のレスの通り。)
少なくとも、神と悪魔、光と闇のような険悪な対立ではありません。(ここを押さえるだけでも大分違うんですけどね・・・。)
そのような序列の上での考え方
私には、貴方自身こそが、キリスト教的価値観に汚染されているように見えてなりません・・・。
上で述べてきたように、その実情を鑑みるなら、(貴方が「聖と俗」という言い方に差別的匂いを感じるなら)、
別に「AとB」でも「甲と乙」でも「薔薇と百合」でも「月と星」でも「鶴と亀」でも何でもいい。
そこに、【差異をベースとした区分】が設定できればそれでいい。
また、「慈悲」の生起に関して、そのような危惧を抱く必要はないでしょう?w
「慈」であろうと「悲」であろうと、原点は《わが身に引き当てる》ということなのですから。
慈悲はそこから生じてくるものであるし、それが、最も確かで、力強いものとなるでしょう。
369 :
6/6 旧7 :2009/09/18(金) 01:31:05 ID:YIwpV8RG
>>345 > 「聖」と「俗」は、宗教者による勝手な分別に過ぎず
たらたらと述べてきたように、この(聖と俗という)区分は、
(貴方の好きなw)共同体の中で、その維持結束、永続の為に生じた事象であり区分である、
ということは押さえられていいと思う。オットーだか納豆だか知らんが、もう一つだ。
宗教者が「聖俗の区分」をするのではない。(する時は、既に社会にそれが存在している時だ。)
共同体が、自分達の(【共同体としての)アイデンティティ】を際立たせる為に、確立させる為に、
顕著に認められる(知覚認識される)差異を元にして設けられた区分から始まっているんだよ。
ですから、勿論、
> ・・・・・・ 人々のほうが「聖」であるともいえます。
このような言明も成立します。理にかなってます。あり得ます。
ただ、一般的な「聖俗」の枠組みとは色合いが全く変わってしまうので、
何か特別な名称を付けるか、新たな枠組み(価値観・世界観)として提示される必要があるでしょうね。
それは、「負けるが勝ち」という諺と同種の価値転換を迫りますから・・・w
てか、
みんなもっと書き込めよw
連投規制を掻い潜れないじゃないかwww
370 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 01:55:47 ID:Fkj7qbwn
>>360 >仏教は 『《個に於ける苦の解決》を説いている』 からです。
《集団の、共同体の苦の解決》が説かれているわけではありません。
それは、付随して顕れ、求められ、願われるものです。
『《個に於ける苦の解決》の周縁にあたる事象』です。
けっして、それが第一番目に希求されるものではありません
つまり、佛教の第一義の目的は、あくまでも「個の苦の解決」である。
それはわかります。それでは、佛教は在家に対して「出家」を薦める
ことは基本的に行わないのでしょうか?これは仏道を歩むことの「強制」
という意味ではなく、「苦しんでいるものに対して出家による解脱への
道を推奨」しないのでしょうか?もしするのであれば
「出家の推奨」→「人類の滅亡」 これは「佛教が個の解脱を最優先し、
人類全体の繁栄自体をその目的にしているのではない」 との、ことからわかりますが、
「出家の推奨」→「生産人口の減少」→「共倒れ」→「出家者自身も解脱前に
死を迎える」→「苦の未解決」
もちろんこれは極論ですが、矛盾を含んではいないでしょうか?
このとき、出家者は出家を望む在家に対して
「お前たちが、そんなに大勢、出家するとお前達も我々、出家も一年もしないうちに共に滅びる。
すると、お前達はもちろん、我々出家も解脱する前に滅びることになってしまう。
そんなことになっては大変だ。だから、お前達は出家するな。」 こう言うのがよいか?あるいは
「お前達が解脱をめざし出家を望むのは、まことに尤もなことである。お前達が、みな
出家すると我々の生活を支えるものがいなくなり、一年のうちに共に滅びることは
明らかであるが、それもまた『縁』である。解脱はかなわないが、共に滅びよう。」
これが正解か?後者のほうが、佛教らしいですが、すると、在家に出家を薦めること自体が
「自己の修行の妨げ」(自己の苦を解決する前に滅亡する道を推奨する)になってしまうという矛盾があるように思えますが?
自己の解脱を最優先に考えるなら、他の在家に出家を薦めるべきではない。
これが佛教のスタンスでしょうか?
371 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 02:10:06 ID:VVOH5JU3
ローテーションを決めて出家したらどうだw
372 :
旧7 :2009/09/18(金) 02:18:48 ID:YIwpV8RG
>>370 部分読み、一部読み、好きなとこだけ読み、は一在家だけで十分です。
レスを全部読んでください。
答えは書いてある筈です。
ノシ
別に出家しなくともいいよ 仏教そのものが、有情に内在するものだから、 戦乱が続けば自然発生する。 そこから顕在的な僧団になるのは段階があるけど。
374 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 02:49:59 ID:RD8of/r3
男はロマンチスト テラコテの水と言うよりも モーゼが海割ったって衆生はしばらくすれば、喉かわいた水だせっつうのよ 死ぬまで文句言うし、次何してもらえるか待ってんのよ で何の話しなの
375 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 02:56:52 ID:z8d8U82V
とりあえず、出家について一言。 往時は、食料も少なかったから、餓死する貧困者も多数いたと推定される。 出家すれば、布施という「安定収入」があるから、餓死することはあるまい。 今で言えば「就職」である。従って、出家も「自己の生物的生命の維持」の ための手段であった。多くの「職業」のうちの一つである。現代の職業分類 でも、僧侶、神主、神父、牧師等の宗教者は「職業」である。彼らは、神仏 などではなく、実は自己の「生物的生命」に仕えていたのである。 そして、出家者も、托鉢に応じてくれる者がいなければ生きられないのだから、 「共同体」の概念は、しっかりと存在する。 当時、家族もその成員の出家に反対せず、むしろ安心し、誇りに思ったので はないか。 出家者も、自分が「特別の存在」だと思い上がらず、「食うための手段」「職業」 と割り切るべきであろう。「葬式佛教」を非難する理由はない。 それどころか、現代では、神仏は、製造原価、仕入原価はゼロで、「宗教」行 為からの収入は無税だから、「最も美味しい職業」であるw。
376 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 03:07:56 ID:z8d8U82V
宗教が「聖」「俗」の区別をし、自己を「聖」だと「消費者」に思い 込ませるのは、「職業としての宗教」の、高度の「営業戦略」に過ぎない。
377 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 03:17:28 ID:Fkj7qbwn
>>372 読み返してみましたが、よくわかりませんでした。
私が
>>370 であげたのはまず「解脱を至上目的としている出家者のグループ」
というものがいて、これをAとしましょうか。そして、「解脱を自己の至上目的
とはしてなかった在家のグループ」がいます。これをBとします。
このBが、それまでの価値観を変更してAに加わりたいと言い出したとき
(すなわち、Aが説く解脱に価値を見出し、それへの最も有効な出家への参加
を希望したとき)のAの態度について問うているわけです。
BがAに加わることを認めれば、すなわちそれは、共倒れになり解脱という
自己の目的の障害となります。自己の目的達成のためにBのAへの参加を
思いとどまるように言うか、あるいは、自己の目的達成は不可能になることを
承知してBを受け入れるか?
どちらが、仏教徒のとる態度なのか?を問うたわけですが。
378 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 06:53:16 ID:u5skN59+
>>375 そいう出家は少なくとも卑しまれている。
379 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 06:55:24 ID:u5skN59+
>>334 >「全ての人が佛教に帰依し仏道を歩み始めるのが理想」→「人類の滅亡」
>この図式は矛盾ではありませんか?
矛盾ではありません。人類ではなく全生命の止滅が仏教の願いだから。
380 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 07:09:52 ID:u5skN59+
>>340 >物理空間と情報空間は仏教用語でいえば「名色」に相当する概念ではないか?
物理空間と情報空間は幼稚な概念だ。
先ず、仰るように現象世界を実在論に基づく物理空間を基礎としていること。
仏教は現象世界を実在論で観ないので物理空間という考えは可笑しい。
仰るように物理空間は色に相当すると思われるが、
受想行識が情報空間に相当するだろうか?
まあ、想あたりに入れるのが無難かもしれないが、かなり窮屈だ。
仏教、ダルマキールティ以降は、対象作用のあるなしで、
世俗的に存在するか、ただの妄想かを判断している。
対象作用は、実在ではなく習慣・仮設に過ぎないが、
習慣で曖昧に想定されている意味・対象・内容が働くことといった意味である。
例えば、美女という曖昧な対象作用を考えてみよう。
美しい女という曖昧な意味・対象・内容が想定できるだろう。
もちろん、人によって意味・対象・内容に揺れがあるが、働きはちゃんとあり、
美女という言語記号で指示対象はきっちり示すことができる。
381 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 07:13:59 ID:u5skN59+
ところがアートマンや唯一神はどうだろう。 これらの言語記号が対象作用を持つだろうか? 指示対象があるだろうか? 仏教ではないと考える。 これを対象作用がないという。 遙かに優れた概念装置だと思わないだろうか? 仏教の法、術語は、非常に優れいるものが多い。 なんといっても縁起こそがその最大のものだろう。
382 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 07:36:26 ID:WMMvOmj2
>>375 >今で言えば「就職」である。
いや、そんなことはない。
釈尊の時代というのは、ちょうどバラモン教の変革期にあたっていたんだよ。
つまり宗教(バラモン)の形骸化において、
その価値観や体制に対するアンチの風潮がヤングの間で起きた。
今でいう、60年代のアメリカとよく似ている。
この時代は、ヤングを中心として新たな文化が形成された。
(Beatlsのレノンなんかは、その文化に生涯影響された)
その頃のアメリカ文化は、日本でももちろん影響を受けた。
釈尊とは次元の差はあったとしても、いわゆる出家でした。
つまり、社会(体制)へのアンチ表明です。
つまり仏教というのは、時代的に新思想が誕生しやすい土壌があって、
その時代に偶然?釈尊という人物が重なった。ということだよ。
龍樹もそうだけど、やはり既成におけるアンチという立場を鮮明化することにおいて、
宗教や思想というのは進歩し続ける。
体制は腐敗しやすく、破壊において蘇生する。
(今の日本の政界・仏教界にも通じる)
ある部外者の疑問 仏教の本質とは何か ある部外者の観察 部外者から見て、仏教徒と自称する者の間に、何らかの共通の了解事項があるように見える。 部外者から見て、仏教徒と自称する者は、何らかの理由で仏教の本質について明言しない。 ある部外者の判断 仏教徒による無我、空、縁起の説明は充分なものではない。 彼ら自身の仏教徒としての対応を見るに、彼らが主張するようには行動してない。 ある部外者の予想 理念、建前の上では縁起、無我は彼らの説明通りとしても、 行動の上でもっと簡略化した仏教徒としての内規、判断基準があるはずだ。 ある部外者の試行 では問いをたて、仏教徒の返答の仕方を観察しよう。 そうすれば彼らが実際に従っている仏教徒としての内規を抽出できるはずだ。
384 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 09:29:00 ID:+OWYxRTy
>>383 >行動の上でもっと簡略化した仏教徒としての内規、判断基準があるはずだ。
それは簡略ではない詳細な内部規律としての律蔵だろ。
仏教徒としての戒律を説いたものが律蔵だね。
在家の「殺すな、盗むな、うそ言うな、不倫するな、酒飲むな」の五戒くらい
常識として聞いたことがあるだろ。
まぁ、普通の人にはわかっちゃいるけどやめられないことだろう。
385 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 09:29:29 ID:WMMvOmj2
>>351 >輪廻は世俗、涅槃は勝義と勘違いしてるんじゃないだろね。www
中論の解説をします。
@縁らずに、依存してないのがニルヴァーナ>25/9
A非有非無の中道がニルヴァーナ>25/10
(@とAは論理的矛盾)
B涅槃の究極なるものはすなわち輪廻の究極である>25/20
(これはAと同義)
C一切の得ることが寂滅し、戯論が寂滅>25/24
(これは@と同義)
Bは明らかに相対の仮設になる。
Cは明らかに釈尊が説かれることはないニルヴァーナ。
ここで問題になるのが、BとCはどちらがモノホンのニルヴァーナなのか?
ってことになる。
無分別であっても対立することもある、ってことですよ、
そうでなければ中論自体が成立しないことになりますから。
これで納得頂けましたでしょうか?
386 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 09:39:30 ID:u5skN59+
>>385 また、適当な妄想をw
なんも分かってないのに。
じゃ聞くが、中論でいう戯論と仮設ってどいういう意味だ。
ちゃんと根拠を示して説明できる?
387 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 09:53:28 ID:WMMvOmj2
>>386 >また、適当な妄想をw
中論や正法眼蔵において、論理二面性は避けられない。
この基本を把握しておりませんと、
戯論とか、仮設も殆ど意味不明であります。
これは「台風は動いていない」を、
どんなに説明しても意味不明なのと同じですね。
残念ですが><
388 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 10:01:59 ID:Fkj7qbwn
>>379 >矛盾ではありません。人類ではなく全生命の止滅が仏教の願いだから。
この「全生命の止滅」とは、全ての人間が苦を滅し、解脱することを
意味してるとおもいますが、全ての在家がそれを目指し、出家すると
出家、在家双方が、共倒れになり(すなわち人類滅亡)、解脱を目指しての
修行そのものができなくなる。それは、どうするのでしょうか?
389 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 10:49:04 ID:u5skN59+
>>387 だから、戯論と仮設を説明してよ。
中論のどこに依って、どういう意味か?
できないなら、ただの妄想って決定だな。少なくともオレ的にはw
390 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 10:56:50 ID:u5skN59+
>>388 >この「全生命の止滅」とは、全ての人間が苦を滅し、解脱することを
人だけでなく、神々とかバクテリアも含む全ての生き物です。
>意味してるとおもいますが、全ての在家がそれを目指し、出家すると
>出家、在家双方が、共倒れになり(すなわち人類滅亡)、解脱を目指しての
>修行そのものができなくなる。それは、どうするのでしょうか?
そういう論理的な仮定は現実的でないから、考察しないのでしょう。
逆に普賢行は生物が尽きないからこそ、普賢行なのでしょう。
>>375 レイプを犯罪だとも思わないような人間が、
思い上がりがどうこうとか言ってもな。
392 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 11:05:44 ID:Fkj7qbwn
>>390 >そういう論理的な仮定は現実的でないから、考察しないのでしょう
これはダメでしょう。少なくとも「全ての存在が解脱することを理想」
と掲げる限りにおいては、そこに矛盾があってはなりません。
それを「現実的でない」と排斥するのであれば、そもそも始めに
掲げた理想そのものが「現実的でない妄想」となってしまいます。
あなたの言うように「人類ではなく全生命の止滅が仏教の願いだから。」
と、『佛教の理想を掲げるのであれば』、そこに矛盾があってはなりません。
393 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 11:13:00 ID:dSxx89un
>旧7氏へ
あなたの大文章による書き込みも、そこに述べられたさまざまな議論、思考、
営みも、すべてあなたの「生物的生命」の機能です。死ねば、一切不可能です。
生物たちは、自然に対応し、その形態さえ変化させながら生存を続けてきました。
絶滅した生物たちも、好き好んで絶滅したのではない。生存のための激しい
自然との闘いに命尽きたのです。
サラリーマンが、満員電車にすし詰めになりながら毎日出勤するのも、自分と
家族が「食うため」「生きるため」です。しかし、人間は、働くことの中に、
「苦を上回る喜び」を得ています。「一切皆苦」などではありません。働く
機会を奪われた「窓際族」こそ、一切皆苦です。だからこそ、人類がこれまで
存続し、ますます発展を続けているのです。
圧倒的多数の生活者たちは、意識的、無意識的に、この生命の神秘、力、それ
がもたらす喜びを「悟って」います。悟っていないのは、開祖の精神障害が伝
染した宗教者のみです。しかし、出家者でさえ、托鉢によって生命を維持しようと
します。
「ハレ」と「ケ」は、すべての生活者に適用されます。宗教者のいう「聖」と
「俗」には、必ずしも対応しないと思う。
出家についての批判は、
>>375 で述べたとおり。
生命は、意識する、しないに拘らず、常に、「すべて」に優先し、「すべて」
の根源なのです。
>>386 >>389 >また、適当な妄想をw
>なんも分かってないのに。
じゃーおまいは>分かって いるということを前提としているんだから、
先ず、自分が分ってるとこを主張・解説してみw
→>なんも分かってないのに
俺? →不識
支配空間について 手のある人は手の届く範囲の物を触ったり掴んだりできる。 もし棒があれば、手の長さに棒の長さを足した範囲のものを叩いたり引き寄せたりできる。 銃があれば更に遠くのものを壊すことができる。 この場合、道具を使うことにより、影響を与えることができる空間の範囲が広くなる。 ----------------------------------------------------------------- 道具は便利だし、必要です。 でも友達とお茶を飲む時に棒はいらないし、 一日を終えて寝る時、夢の中にまで銃を持っていけません。 更に神経過敏な人に言わせれば、 目が覚めているときでさえ道具を持つことで人は何かしらを失うそうです。?。 棒があれば棒を使えばいいし、棒が使えるからといって手が使えなくなるわけでもないのに。 さて、道具を使えることで何を人は失うのでしょうねw
>>393 > 生物たちは、自然に対応し、その形態さえ変化させながら生存を続けてきました。
別に自分で形態を変化させたわけじゃないしね。たまたま変化しただけのこと。
> 絶滅した生物たちも、好き好んで絶滅したのではない。生存のための激しい
> 自然との闘いに命尽きたのです。
それはどうかな。魚の自殺なんかも知られてるしね。自殺ってことは広く自然界にあるよ。
> しかし、人間は、働くことの中に、「苦を上回る喜び」を得ています。「一切皆苦」などではありません。
そんなことは分かりきったことでしょう。つまり一切皆苦というのは
もうちょっと奥が深いことを言ってるんだと思いますよ。無常ってことですがね。
> 機会を奪われた「窓際族」こそ、一切皆苦です。だからこそ、人類がこれまで
> 存続し、ますます発展を続けているのです。
発展してるというのは19世紀的視点でもう古いです。21世紀的視点では、
滅亡に向かって一直線という意見ですね。
> 圧倒的多数の生活者たちは、意識的、無意識的に、この生命の神秘、力、それ
> がもたらす喜びを「悟って」います。
とんでもない。生命が神秘だとかいうのは、オカルト信者だけですよ。生命なんてのは
ただの偶然の産物にすぎません。物理現象、化学反応、そういったものの複合体でしかありません。
神秘だのなんだのという発想は病的なものです。統合失調症が疑われます。
> 生命は、意識する、しないに拘らず、常に、「すべて」に優先し、「すべて」 の根源なのです。
そうではありません。生命現象さえ、物理法則、化学反応などに逆らうことはないのです。
科学的法則こそ、すべての根源です。
397 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 11:51:38 ID:u5skN59+
>>392 そう思うならどうぞ。仏教は論理的だが、論理によって矛盾なく構成された思想体系でもありません。
アビダルマのように論理的整合性を追求すると逆に破綻するものです。
ほどよい適当さが、言語の本質でしょう。
確実に指示できない、適当曖昧にしか。
ある程度の確実性を持たせるのは、信の弱い人への方便です。
言語には矛盾があるから、それが戯論そのものです。
398 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 11:59:02 ID:u5skN59+
>>394 戯論は、凡夫が意識で分別して捉えるための根本的妄想力。
これが無明であって、これで妄想が展開する。
だから言語は広がりを原義とするプラパンチャ。
このことは『中論』18-5, 9 などで説かれる。
仮設とは、空・無我であるものが縁起によって、x であると認識されること、
x という我、本質、実体を仮に設けられることを言う。
このことは『中論』24-18 に明かである。
以上が現在の私の理解ですが。
399 :
前世は一在家 :2009/09/18(金) 12:14:15 ID:6w/V8IlV
中論の「八不」にて仏教を見ますと、 「悟りつつあるものは悟らず」でありんす、と机氏のお話が聞けるかと 期待しておりましたが、それはご都合が宜しくないようですね。 お後は宜しいようで。
400 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 12:30:27 ID:M/VjqIhV
401 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 12:33:06 ID:+OWYxRTy
>>379 >人類ではなく全生命の止滅が仏教の願いだから。
仏教には不殺生戒があることも知らないのか?
「すべての生き物を殺してはいけない、殺させてもいけない」
とはダンマパダ129から132で説くところだ。
402 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 12:52:30 ID:u5skN59+
>>401 止滅というのは涅槃なんだが、それぐらい分かろうよ。
403 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 12:57:10 ID:ni6S5Rs+
>>396 >そんなことは分かりきったことでしょう。つまり一切皆苦というのは
>もうちょっと奥が深いことを言ってるんだと思いますよ。無常ってことですがね。
無常が何故苦に繋がるのかね。「苦」もまた無常だから(苦あれば楽あり)、
むしろ逆ではないか。「終末論」は、精神医学では「世界没落体験」と呼び、
統合失調症の症状の一つ。
奥が深くても浅くても、「苦」には何らの相違も無い。浅い傷でも深い傷でも、
「痛い」ことには変わりはない。
「根源としての肉体的生命」に思い到った伝統宗教やカルトの教組は、古今東西
皆無である。すべて、「根源を忘れた観念の遊戯」のみではないか。
「科学的法則」を認識するのも、「生物的生命」である。
404 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 13:01:43 ID:ni6S5Rs+
>>400 突然変異のことを言いたいのなら、それは、ダーウィンが先行者に
対抗するために、後からくっつけた理論。
>>403 > 無常が何故苦に繋がるのかね。「苦」もまた無常だから(苦あれば楽あり)、
> むしろ逆ではないか。
いや、そういう意味じゃない。だから奥が深いっていうんだね。
>「終末論」は、精神医学では「世界没落体験」と呼び、
> 統合失調症の症状の一つ。
終末論と無常は関係ないけど、どうしてここで出てくるのかな?
身近にクリスチャンでもいるの?
> 奥が深くても浅くても、「苦」には何らの相違も無い。浅い傷でも深い傷でも、
> 「痛い」ことには変わりはない。
そのことと発言の底が浅いこととは関係ないね。
> 「根源としての肉体的生命」に思い到った伝統宗教やカルトの教組は、古今東西
> 皆無である。
あまりにもバカバカしかったから、宗教としてさえ成立しなかっただけだろ。
> すべて、「根源を忘れた観念の遊戯」のみではないか。
生命を根源とかいうのも「根源を忘れた観念の遊技」にすぎないけどなw
> 「科学的法則」を認識するのも、「生物的生命」である。
認識しなくても科学法則は作用してるが、科学法則が成立していなければ
生命というものを維持すること自体不可能。
生命は科学法則に100%依存している。
406 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 13:09:58 ID:ni6S5Rs+
>>405 科学で生命が作り出せるかね。作り出せたとしても、それも科学者の生命の
機能。
宗教の開祖や信者がいくら足掻いても、生命の呪縛からだけは逃れることはできない。
407 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 13:15:43 ID:ni6S5Rs+
>>405 無常が苦だというのは、現状が変わることに対する苦だろ。それは、
「終末論」という「精神病理」に通じるよ。終末論は、最も大規模な
無常である。
すべての生命は、「新陳代謝」という「無常」によって維持されている。
無常が苦であることを、論理的、科学的に説明してご覧。
408 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 13:37:53 ID:WMMvOmj2
>>399 在家氏
貴殿には何度もレスポンスしてるけど、
貴殿自身が、モノゴトの本質を掴めてないだけ。
中論は個別的モチーフを用いたとしても、それは全て本質覚醒への方法です。
>「悟りつつあるものは悟らず」でありんす、
「悟る」というのは特殊な概念です。
悟った者が「悟ったと自覚」するか?というと、
自覚がある場合と、そうでない場合がある。
(自覚がある場合は、悟りへの未達であります)
つまり、悟った者は悟ってないことになる。
>「悟りつつあるものは悟らず」
は、そのとおりであります。
「悟った」と自覚がある者は、過去への執着があるだけです。
モノホンの悟りとは、悟らない。ってことです。
(戯論の寂滅)
409 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 13:45:22 ID:u5skN59+
>>405 >> 「根源としての肉体的生命」に思い到った伝統宗教やカルトの教組は、古今東西
>> 皆無である。
>
>あまりにもバカバカしかったから、宗教としてさえ成立しなかっただけだろ。
いやいや、まさにローカーヤタがそう。
とにかく死んだら終わりだ、適当に快楽を味わえという、
いつの世もただの凡人の考えることは、あまりかわらない。
いうまでもなく宗教でなく、ただの現世肯定論、
インドの諸宗教から軽蔑されたが、恐らくどの時代でもどの地域でも最も人気のある考えと思われる。
なぜなら、人は現状を認める妄想をしがちだから。
410 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 13:51:52 ID:WMMvOmj2
>>389 >だから、戯論と仮設を説明してよ。
>中論のどこに依って、どういう意味か?
中論は仮設において成り立っているのが基本テーゼです。
これを学術的に解明しようとせば、するほどに戯論に近づく。
という特殊性があります。
まあ、だから、中論も「ほどほどがイイ」ってことになる。
以上です。
411 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 14:10:13 ID:u5skN59+
>>410 また、適当なことを。答えが出ても答えすら分からないから、
適当にもっともらしく言い換えてw
412 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 14:25:02 ID:WMMvOmj2
>>411 貴殿は、もっと核心的なレスポンした方がいい。
例えば、
「涅槃の究極」って何か?とか、
(ただし、これには応答しない)
「自分はこう思うけど、龍之介はどうか?」。とか、
先ず貴殿の見解を提示することだね。
そうじあないと、レス乞食になるw
>>406 一定の元素と温度と雷などの条件がそろえば、生命は誕生することが知られている。
科学者がそれを作ることもできたが、科学的法則によって生命は誕生している。
科学者などの「生命機能」は生命を作る上で必要ではない。
必要なのは科学法則。
生命の呪縛などというくだらないものがいくらあがこうと、
科学の法則からは逃れることができない。
>>407 > すべての生命は、「新陳代謝」という「無常」によって維持されている。
そのことと無常とは関係がない。
> 無常が苦であることを、論理的、科学的に説明してご覧。
そもそも無常ということがどういうことか理解できているのか疑問なんだが。
>>407 > 無常が苦だというのは、現状が変わることに対する苦だろ。それは、
> 「終末論」という「精神病理」に通じるよ。終末論は、最も大規模な
> 無常である。
全然ピントこない。クリスチャンの友達でもいないとその発想は理解できそうもないな。
世界そのものが滅びて最後の審判が行われるとか、千年王国がどうとか、まったく荒唐無稽。
こんな概念につきあっているから、
生命が根源などという過ちに囚われるのではないかと思う。
416 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 15:18:03 ID:+OWYxRTy
>>409 >恐らくどの時代でもどの地域でも最も人気のある考えと思われる。
そうだね。インドで仏教はすでに滅亡したがローカヤタ(唯物論)は
現在でも存在する哲学だね。
ほんと、このスレでわかることは 人間って愚かなものだし、 言語や論理ってホントに不自由なものだ、ということだね。 せっかくの空=中道なんだから、呪縛から開放されたら?
418 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 15:20:43 ID:+OWYxRTy
>>402 >止滅というのは涅槃なんだが、それぐらい分かろうよ。
なんだ、死んだら誰でもホトケさまの葬式仏教しか知らないのか。www
419 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 15:48:29 ID:ni6S5Rs+
>>417 >人間って愚かなものだし
その「愚かな人間」の一人であるお前がいうなw。
420 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 15:57:58 ID:u5skN59+
>>412 机さんが、10年間ほとんど進歩なく、
禅擬きのもったいつけた偽物だってよく分かってるんで、
そんな無駄なことは、しないよ。
たまにレス付けるのは、たまに勘違いする人が出ないように
この人は何も分かってないと教えてあげるためであって、
貴方と何か話し合おうなんて気は毛頭ありませんので、あしからず。
うぜえ
422 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 16:03:49 ID:u5skN59+
>>416 >そうだね。インドで仏教はすでに滅亡したがローカヤタ(唯物論)は
>現在でも存在する哲学だね。
そうそう。ジャヤラーシまで洗練されないものの、
どの国でもあるとおもわれ。ただのエゴでしょ。
423 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 16:06:29 ID:u5skN59+
>>417 ごもっとも
>>418 >なんだ、死んだら誰でもホトケさまの葬式仏教しか知らないのか。www
全く違うつーの。一応、一通り、インドから東アジアまでの大凡の仏教は
押さえてるつもりだけど。
424 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 16:48:30 ID:ni6S5Rs+
>>422 >ただのエゴでしょ。
ひたすら「自分の」解脱、「自分の」悟り、「自分の」涅槃を求める
こと以上の「エゴ」があるかね。
425 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 17:22:55 ID:WMMvOmj2
>>420 >貴方と何か話し合おうなんて気は毛頭ありませんので、あしからず。
いや、それじゃぁ駄目だ。
拙者も教育界の末席にいた者として発言させて頂きますけど。
まず子供に「主張できる人間になれ!」。って方向で教育する。
主張できないところからイジメ問題とかも派生してくる。
失敗を恐れずに、先ず自分の考えを相手に伝えること。
これが非常に大事です。
こういう訓練を、今の義務教育はあまりしてこなかった。
「先生の言うことを無条件に了承する」ことが良いとされた。
これじゃ〜駄目なんだよ。
自分で考えて、自分で結論を出す、主体性がないと・・・
今の世は生きるに苦労する。
主張する、ってことは「相手に立ち向かう」ことだ。
勇気をもって主張してください。
そして、妥協するとこは妥協する。
その訓練が重要です。
426 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 17:35:14 ID:u5skN59+
>>425 いや、貴方や誤淫嘘とは話でも通じない人と判定したので、
現在の私の能力ではいかんともしがたく
427 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 17:48:04 ID:WMMvOmj2
>>426 >いや、貴方や誤淫嘘とは話でも通じない人と判定したので、
通じない、ったって、ここは通じるよぉに設定された言説空間であろう?
基本的に、ネット・コミュニティーというのは、そのためにある。
だから、そのツールが提供されてるんだかた、
必死こいてレスポンするんだよ(笑
即今即所。
熱中するのは「今」しかない。
まあ、せいぜい、必死なレスポンスをきぼんぬします^m^
428 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/18(金) 18:00:59 ID:WMMvOmj2
>>420 >そんな無駄なことは、しないよ。
人生において無駄なことは、なにひとつない。
自分の殻を破って挑戦してみること。
失敗しても、その失敗はけっして無駄ではない。
人間の器が大きくなるのは確か。
若い時は、どんどん失敗すること。
そのノウハウが、長い人生においてはリスク回避の智慧となる。
429 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 18:04:21 ID:M/VjqIhV
>>404 何を意識したのかは知らんが、
> 生物たちは、自然に対応し、その形態さえ変化させながら生存を続けてきました。
という通俗的な誤りの部分だよ。
ttp://www24.atwiki.jp/kumicit/pages/271.html >誤解:「自然淘汰は、生物が適応しようとしていることを意味します。」
>正解:自然淘汰は適応を導きますが、その過程には「適応しようとする」ことは含まれません。
>自然淘汰は、遺伝子の多様性と、集団にいる変種たちからの選択を意味します。
>個体が生き残り繁殖するに十分よい遺伝子を持っているかどうかにかかわらず、
>"適応"しようとすることで、正しい遺伝子を手に入れられません。
>>406 約四十億年前の地球に科学者が降臨して最初の命を創造したわけではあるまいw
430 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 18:14:44 ID:M/VjqIhV
「生まれたいお!」と物質が願いをもったわけでもない。 法則に応じて発生する機会を得ただけ。生命が存在できるかが 環境に応じて大きく左右されていることは太陽系に 地球しか生物がいないことからも明らか。生命の存在は めぐり合わせのおこぼれに預かっているだけに過ぎない。 「生命が根源」という文面自体に具体性は無く、議論上の 都合に合わせて玉虫色に変形するだけだから真面目に相手にする 意味はないんだろうけどね。
431 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 18:49:36 ID:5ifo2VhZ
「生命の根源」を字義通りにとらえると、科学法則ということは確か。
隠居のは何が元になっているのか、という実際の起源や条件、メカニズムの
話じゃなく価値付けの話なんだろうね。
元になっているのは欲望と気分と都合だから
>>337 みたいなことになる。
しっかし前に他者への共感がどうの、と言っていた気がするが
甚だしい恐怖と不快感におそわれる女性への共感・思いやりが
清清しいくらい抜け落ちてるな。
せめて母体には負担がかかるわけだから相手を選んで当然、と
いう観点から踏みとどまって欲しいものだ。
「触られるぐらいなら我慢しろよ減るもんじゃないだろ」
「男性を元気付けることで種に(二通りの意味で)貢献するべき」
「むしろいい予行練習になる」という方向に突き抜けてしまったら後は知らない。
432 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 19:23:03 ID:YsAX1AXg
>>431 >せめて母体には負担がかかるわけだから相手を選んで当然
どんな相手を選んでも、妊娠すれば母体に負担がかかるのは同じ。何を寝惚けた
ことを言っているw。
どんなフェミニストでも、「性的」に強靭な、逞しい男に惹かれる。男性から
迫られて「甚だしい恐怖と不快感に襲われる」など感じるのは、もはや病気か、
または、「セクハラ」を理由に相手から損害賠償を騙し取る女の決まり文句。
433 :
旧7 :2009/09/18(金) 19:30:23 ID:YIwpV8RG
434 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 19:34:25 ID:0B22rv9v
>>432 独善もそこまでいくと完全に病気。
全ての女が、相手かまわず性的関係を男性に求められることを望んでいる
と考えるのは異常としか思えませんよ
435 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 19:34:51 ID:5ifo2VhZ
>>432 えっと……ネタだよな?
別に無理しなくていいんだが……
436 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 20:25:47 ID:u5skN59+
>>432 >どんなフェミニストでも、「性的」に強靭な、逞しい男に惹かれる。男性から
>迫られて「甚だしい恐怖と不快感に襲われる」など感じるのは、もはや病気か、
>または、「セクハラ」を理由に相手から損害賠償を騙し取る女の決まり文句。
かあちゃん以外の女と話したことあるのかw
437 :
1/3 旧7 :2009/09/18(金) 20:48:52 ID:YIwpV8RG
>>377 > 読み返してみましたが、よくわかりませんでした。
そうですか・・。
>>360 >《「人類の滅亡」》を《「避けねばならないこと」「嫌悪すべきこと」「悪しき事態」「負なる事象」》とは見ない
.>人類の繁栄も滅亡も、(勝義に於いては)どちらも等価
.>人間だけが、そうなって(→滅びて)はならないというのは傲慢
>>361 >≪「亡びてしまえばいい」というのではない。が、また、「永続せねばならない」というのでもない。≫
.>滅びてしまう時は仕方が無い。
.>皆が皆、涅槃の楽を享受し、安心を得るなら、 (→そこへ向かい、充実し、満ち足りるなら)
.>その結果が人類の滅亡であっても構わないという心構え
>>333 >「共に餓死の道を選ぼう」
↑で、十分な答えになっていませんか?w
> どちらが、仏教徒のとる態度なのか?を問うたわけですが。
まさしく333が一つの答えでしょう?
既に回答を貰っていながら、更に何を欲するのです?w
また、サービスして答えるなら、もしBが全員出家修行を望むなら、私の答えも同じだ。
共に餓死すべきだろう。(ま、家庭菜園くらいは構わんような気もするがwww、今は措こうw)
438 :
2/3 旧7 :2009/09/18(金) 20:50:38 ID:YIwpV8RG
>>377 もし、具体的に「以下の場合はどうなのか?」と問うているならば、
ケースバイケースと言わざるを得ない。 (けど、違うだろ?w 「全員が」という問いだろ?w)
たとえば、(これは、貴方自身が、問いを発する際に想定しているかどうかとも関わるが)、
0:そもそも、Bというグループは何人なのか? ・・・・・・(は、とりあえず措くとしてもw)
Bの構成員のうち
イ:一人が、或いは数人が望んだ場合は?
ロ:3分の1が望んだ場合は?
ハ:半分が望んだ場合は?
ニ:3分の2が望んだ場合は?
ホ:一人を、或いは数人を残して望んだ場合は?
・ホは、残りのものを説得する道もある。(拉致して、洗脳して、折伏するかい?w)
が、
・ニの場合どうか?
ちょうどこれからの高齢化社会、少ない若者で多くの高齢者を支える形を想像して貰えばいい。
それってアリか?w 支える者達が納得するかどうか・・・。他の宗教を信奉する者もいるかもしれない。
・ハの場合、社会的権力・存在感をどちらが握っているかによるかもしれない。
(今の日本は、宗教者としての【社会的】特権は無い。
行政システム上平等だ。所得税も払うし、保険料も年金も住民税も払う。
当然、《それに見合うだけの【個人的】収入》が無ければならない。家庭を持っていたら更に【金が要る】www)
・ロの場合は、これまでの年金システムのように、何とか回っていきそうにも思う。w
・イは、ロと同じく、現状或いは当時の出家と在家の関係そのままだ。
緊張を孕むのは、やはり「ハ」と「ニ」ということになるし、
考究すべき問いとしては、(極論としての377ではなく)、
『現実的な「ハ」や「ニ」のような事態に対して、仏教はどう対するべきか?』
であろうと思う。真剣に考える価値がある。(現代日本仏教を考えることでもある。)
「全員が出家を望んだ時」或いは「一人も出家を望まない時」という条件なら、
《皆で飢える》か《一人で寿命を全うするか》、どちらかだろう?w 何も難しいことはないwww
439 :
3/3 旧7 :2009/09/18(金) 20:56:51 ID:YIwpV8RG
仏典に於いて、最初期の弟子達は、あまり名前が(→「逸話や法話、感興の言葉」が)残っていない。 名前の登場頻度だけを見ても少ない。 後期・晩年の者の方が多い傾向があるように見える。(気のせい?) (初期の「散っていった弟子達」と「大きな精舎(→広い場所)での定住生活」という対比も含め、 その少ない理由と被ってくるかもしれないが)、律蔵大品ヤサまでを見ると、少し想像が膨らんでくる。 律蔵大品は言う。「この時、世に六十人の阿羅漢があった」と。 そこで釈尊は彼らに何と言ったか? 思い出されて良いと思う。 釈尊は「遊行せよ」と言った。 「地方を経巡(へめぐ)りなさい」と言った。 なぜだろう? ・無所有とリンクする「一所不住」の具体的在り様、とは言えると思う。(→この「一所不住」も重要なポイントだが・・。) また、 ・「多くの人の耳に、この教えを届けろ」ということかもしれない。気付きを生じる者がいる筈だ、と。 ・「教えに触れた者が増えれば、社会自体も(善い方向へ)変化してゆくだろう」という期待もあったかもしれん。 この二つが、仏典の中で、そして通仏教的に前面に押し出されている「遊行の理由」だ。 そしてもう一つ、上の「一所不住」とも被るが、 ・【「食を乞わねばならない自分達」の在り方】として、あるべき形が示された。 と見ることもできる。 大勢が食を乞えば、それだけ在家には負担となるからだ。 (はっきりと、この意味のことが述べられた経があったような気もする・・・。) 仮に、小さかったとしても、村全体が出家したらどうなるか? (貴方の思考実験では、在家者ゼロなわけですが)、他の村に依存することになる。 子供や乳幼児のこともあるので、これも極端な話であるが、 いずれにしろ、この方向性があるから、 ≪【固まって住むことなく】(【固まって托鉢せず】)【定住せず】、【各地へ散らねばならなかった】のだ≫と・・・。 私は、そう考えている。(※散って、林住メインだから、名前の残り方が薄い、と・・・w ? ) そして、それ(各種対処)が不可能な、上記の「ゼロか百か」の思考実験に於いては、単純な答えしか導かれない。 多少はお解り頂けるだろうか・・・?
440 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/18(金) 21:35:28 ID:ztcosjcO
インドにおける輪廻転生思想では、 輪廻することは苦であり、“そこから解放されたい”というアプローチしかなかった。 つまり、人間が輪廻転生することは必要不可欠な進化システムであった、 というボジテプな概念がついに現れることがなかった。 どうしても、 出家することが優れており、理想の究極的な姿として提示するのがインド宗教なのです。 では、皆して出家したらどうなるのか?とか、出家と在家の比率の理想はどうあるべきか? などといったジレンマが生じることになるのです。 要するに、これが私が最終的にインド宗教を 自己の目指すべき理想の中心視とすることから離脱していった理由なのです。 何故、人は転生を繰り返しているのか? それは人生経験の蓄積による学びのためである、という視点のことなのです。 つまり、基本的には転生することで人は経験を獲得して進歩、前進していると。 そして、必要な経験を修得し終えればその人は転生を止むことになる、と。 このように見なすとき、つまり、社会生活の中での人生経験の必要価値に気付くならば、 インド宗教の摂る出家至上主義の囚われから解放されることができるのです。 しかし、輪廻転生そのものすらも理解できない自称仏教徒ばかりで、 到底、そこまで話しが進まないわけです。
441 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 21:39:33 ID:YsAX1AXg
>旧7氏へ 貴方が「仏教学者」なら、大乗仏教からの視点も両論併記・比較で願います。 日本は、大乗仏教の国。東南アジアではない。
442 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/18(金) 21:48:39 ID:ztcosjcO
>>441 「輪廻転生はカルト」などという馬鹿発言を反省するならば、
もちろん大乗思想の中からの見直し論もありでしょう。
443 :
旧7 :2009/09/18(金) 21:49:30 ID:YIwpV8RG
>>440 何とでも吠えていれば宜しいw
私は、貴方の、あまりにも浅薄で愚かな
>>323 >「死ぬ間際に悟ったとして(仏教と出会ったとして)何の意味があるのか?!」という発言
を決して忘れはしませんよw (該当レスのURL貼りましょうか? 何なら前文コピペでも・・・w)
444 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/18(金) 21:53:15 ID:ztcosjcO
>>443 転生思想の否定は愚かの一言。
撤回すべきものはない。
445 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 21:53:26 ID:YsAX1AXg
>>434 >全ての女が、相手かまわず性的関係を男性に求められることを望んでいる
>と考えるのは異常としか思えませんよ
だから、「性的に強靭な、逞しい男」と言ってるだろ。よく読め。
不能者と結婚する勇気ある女は、いないはずだ。
君は、いわゆる「セクハラ事件」の実態について、どれほど調べているのかね。
女が「セクハラ」とさ訴えれば、男性側の言い分は頭から拒否する、司法・行政・
大学の姿が、倒錯だとは思わないのかね。さすがに、司法は、最近はようやくその
誤りに気付き、是正してきている。
>>444 転生思想の肯定は愚かの一言。
撤回すべきものはない。
447 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 22:07:27 ID:0B22rv9v
>>445 どうしたら「全ての女性は『性的に強靭で逞しい男』との性的関係を求める」などと言う短絡思考が
できるのか、不思議でなりません。
女性は皆、自己の愛情の対象をそのような基準で選択しているとホントに信じているのですか?
すると強姦事件の被害者は全て、ホントは加害者に強姦されることを望んでいたことになりますね?
448 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/18(金) 22:09:41 ID:ztcosjcO
>>443 >何とでも吠えていれば宜しいw
わたしが述べればシンプルで分り易く、実に簡単な話しになったでしょ!
>>446 輪廻転生は仏教の中心思想です。
それを否定する人はご自由にどうぞ。はぃ、仏教からサヨナラして下さいな。
449 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 22:11:41 ID:0B22rv9v
セクハラも被害者は実は、そうされることを望んでいた。 痴漢の被害者も実は、内心、喜んでいる。 と、こういうわけですね。
450 :
1/2 旧7 :2009/09/18(金) 22:13:22 ID:YIwpV8RG
>>393 > あなたの大文章による書き込みも、そこに述べられたさまざまな議論、思考、
> 営みも、すべてあなたの「生物的生命」の機能です。死ねば、一切不可能です。
仰る通りです。何の異論もございません。
てか、私はこれまで、この意見には賛同していたでしょう?(貴方も他人のレスを読まない口ですか?w)
なぜ、この文を私に向けて送ってくるのか、意味不明でんがなw
> 出家者でさえ、托鉢によって生命を維持しようとします。
だから?w
与えられた(所縁によって現象している)この命を維持しても構わんだろ?w
「維持してはならない」などと言われてはいないのだから。寧ろ「大切にしろ」と言われているのに・・w
451 :
2/2 旧7 :2009/09/18(金) 22:15:01 ID:YIwpV8RG
>>393 > 「ハレ」と「ケ」は、すべての生活者に適用されます。
> 宗教者のいう「聖」と「俗」には、必ずしも対応しないと思う。
あのぉ・・・w 「ハレ」と「ケ」って解ってます?
>すべての生活者に適用され ・・・・・・当り前じゃないですかw
人の(共同体の)文化として、その生活領域、認識領域の種別・区分が「ハレ」と「ケ」なんですから。
そこに、宗教者も宗教者でない者も関係ない。
そして、(少々強引な対比の言い回しだがwww)、
「ケ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが在家であり、
「ハレ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが出家である、と。
このように対比できると言ってるんだよ。
もっと言っちゃえば、「日常」と「非日常」という対比だと言ってもいい。これは、世俗から見た言い回しだ。
逆ならば、「俗(なる領域)」と「聖(なる領域)」となるだろう。これが勝義(出家)から見た言い回しとなる。
日本の神事は、いや、およそ伝えられてきている数々の習俗は、
こうした《「ケ」‐「日常」-「俗」》と《「ハレ」‐「非日常」-「聖」》との、
せめぎ合いだったり、橋渡しだったり、融合だったり、補填・補充・回復のし合いだったりしてるんだぜw
巫女的存在或いはシャーマン的存在は、神に最も近い、近づくことを許された聖なる存在だが、
同時に、社会から(≒世俗から)排除される存在でもある。(インドや他の地域でも、同様の価値観がある筈だ。)
「ハレ」に属する者(或いは「事」)は「ケ」に入ってきてはならないのだ。
葬送の習俗を見れば、いかにその区別化が図られているか、目の当たりにするだろ?
もっと勉強しようやw
>>448 輪廻転生は仏教の中心思想ではありません。
それを否定する人はご自由にどうぞ。はぃ、仏教からサヨナラして下さいな。
453 :
旧7 :2009/09/18(金) 22:20:42 ID:YIwpV8RG
>>407 > 無常が苦であることを、論理的、科学的に説明してご覧。
私のレス読んでます?w
(無常なるものは)《「苦」である》という言明は、主観的頷きだと言ったでしょう?w
主観的であるからこそ、滅することが可能なんですよ。
(参考レスのURL貼っておきますねw 読めないようなら言ってくださいねw
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/452 )
心の在り様のことですから、科学的にというのは「心理学」系とか「脳神経科学」とかそっちの仕事になるでしょうし、
論理的側面は、それこそまさに「縁起」でしょう?w
(※勿論「内縁起」ですよ。 龍樹厨や中論厨が濫用する「外縁起」じゃありませんよw)
>>448 > わたしが述べればシンプルで分り易く、実に簡単な話しになったでしょ!
簡単すぎて、仏教から14万8千光年離れてしまいましたねw
> 輪廻転生は仏教の中心思想です。
> それを否定する人はご自由にどうぞ。はぃ、仏教からサヨナラして下さいな。
> 90 旧7 sage New! 2009/09/13(日) 16:17:24 ID:wOKemhoH
>
>>85 > だからw
> 神智学関連のスレでやれば済むことなのに、仏教を巻き込む必要などどこにもないのに、
> なぜ、『ブッダが説いたかどうか』 に特化したスレを立てた?
> 真理としては、ブッダが説いてない事の方がはるかに多いんだろ?
> ブッダはまだ半人前なんだろ?仏教は真理を説ききっていないんだろ?
> なんでわざわざブッダの名前を出す必要があるんだ? 理解に苦しむよwww
神智学マンセー人間が、
なんで仏教の中心思想にこだわるんだ? 理解に苦しむよwww
>>453 だって、かまって欲しいし、
見栄はりたいんだもん。
神智学は人少なすぎで見栄の張りがいが無いんだよ。
見栄張り執着心満載! だから御都合主義変節丸出しになる。 仏教はネタにしかすぎん。 反証不能の戯論だけなら妄想展開はいくらでも可能。 スルー推奨
456 :
旧7 :2009/09/18(金) 22:47:35 ID:YIwpV8RG
>>375 > 往時は、食料も少なかったから、餓死する貧困者も多数いたと推定される。
> 出家すれば、布施という「安定収入」があるから、餓死することはあるまい。
或る意味格差社会的になっていた筈だからね。
社会全体が貧しかったわけじゃない。
ただ、貧しい者の出家は、教えへの感銘よりも貧しさの比重の方が大きかったかもしれん。
> 今で言えば「就職」である。従って、出家も「自己の生物的生命の維持」のための手段であった。
だから何?w
いいじゃんw 出家して、サンガに入り、修行するうちに目覚めればそれでいい。
(現にそういう人はいたと思うが・・・。長老偈とかに無かったかな・・。)
> 現代の職業分類でも、僧侶、神主、神父、牧師等の宗教者は「職業」である。
行政上ね。
だって、そうしないと市政・県政・国政が円滑にいかないでしょ。
東南アジアのように、そうした文化的・行政的・社会的基盤が無いんだから・・・w
> そして、出家者も、托鉢に応じてくれる者がいなければ生きられないのだから、
> 「共同体」の概念は、しっかりと存在する。
その最小単位が「サンガ(僧伽)」でしょ?w 「精舎」でしょ?w
だから、(上でも述べたが)遊行が推奨されるんじゃねーの?www
自分が属するわけではなくとも、自分の生活領域と重なる村という共同体を大切にしてた筈だよ?
> 当時、家族もその成員の出家に反対せず、むしろ安心し、誇りに思ったのではないか。
そういうこともあるだろうね。 特に「九族生天」は大乗でウケてるよね。
> 出家者も、自分が「特別の存在」だと思い上がらず、
必要な姿勢でしょうねw
> 「食うための手段」「職業」と割り切るべきであろう。
勿論その通りです。手段としての托鉢でしょう?w
以下3行は、巧妙な批判・皮肉になってしまっているなwww
457 :
旧7 :2009/09/18(金) 22:51:40 ID:YIwpV8RG
あ!
>>451 9・10行目、校正ミス。
>「ケ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが在家であり、
>「ハレ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが出家である、と。
正しくは、
「ケ」の領域に定住し、「ケ」の価値観を主軸とするのが在家であり、
「ハレ」の領域に定住し、「ハレ」の価値観を主軸とするのが出家である、と。
お詫びして訂正します・・・ m(_ _)m
458 :
旧7 :2009/09/18(金) 23:24:20 ID:YIwpV8RG
今日はちょいと書き込み過ぎたなw 週末だが、深夜のスレ再起動まで起きてるかわからんが、 努力して暫く静観しとくわ。 一応おやすみ ノシ
459 :
旧7 :2009/09/19(土) 00:19:29 ID:LQWq+rNG
って、おい!w スレストかよwww みんな怠慢なんじゃないか?w しかし、嫌われてんなぁ・・・俺w ┼─┨ そりゃ外道かもしれんけどさwww ┼─┨ ┼─┨ ,_ .┌─┐ ┷━┫ 酒⊂(` ) . |||||| .| ┃ ==============⊂ \ ||||||.│ ━━┛ || || ノ,_) [ ̄ ̄]〜〜 ⌒~⌒~⌒~⌒~⌒ ⌒~⌒~⌒~⌒~⌒⌒~⌒~⌒⌒~⌒~⌒~⌒~⌒~⌒~⌒ ノシ
>>445 > だから、「性的に強靭な、逞しい男」と言ってるだろ。よく読め。
> 不能者と結婚する勇気ある女は、いないはずだ。
何人もいるけど? もしかして心底、情報弱者で、妄想でしか物事考えてない??
まずは、レイプは犯罪なんだってことをさっさと認識しなよ。
>>440 > というボジテプな概念がついに現れることがなかった。
(註:ポジテブな概念とは神智学の教義のこと)
> 要するに、これが私が最終的にインド宗教を
> 自己の目指すべき理想の中心視とすることから離脱していった理由なのです。
(なんでこの人はスレを私物化したがるのだろうか。こんなやつの経緯なんて誰も興味ないだろうに)
> このように見なすとき、つまり、社会生活の中での人生経験の必要価値に気付くならば、
(註:このように見なすときというのは、神智学の教義という色眼鏡で見るときという意味)
> しかし、輪廻転生そのものすらも理解できない自称仏教徒ばかりで、
> 到底、そこまで話しが進まないわけです。
(宝珠愚者は、仏教徒を洗脳して神智学の教義に染め上げたいのだが、
転生という概念そのものが仏教には特別必要ではないという意見があるために
洗脳のための下準備ができないことを嘆いている。)
462 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 01:09:21 ID:hYtnfwkk
>>460 >まずは、レイプは犯罪なんだってことをさっさと認識しなよ。
当方は、法律の専門家だから、強姦が犯罪であることはとっくに承知。
しかし、宗教者なら、「世俗の」法律に無批判で飛びつくのではなく、法律の
拠って立つ基盤そのものを、もっと本質的に掘り下げて、思考すべきであろう。
ちなみに、強姦やわいせつ罪にいたらない「異性にアプローチする」いわゆる
「セクハラ」は、何罪に該当するか。
宗教による洗脳により相手の自由意思を奪い、または心理的に抵抗不能にして
姦淫した者は、「準強姦」として、「強姦罪」に準じる。13歳未満の女子を
姦淫した者も同様。
>>462 >もっと本質的に掘り下げて、思考すべきであろう。
なんでもかんでも「生命バンザイ」で思考停止している風に見えるけど。
464 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 01:38:16 ID:hYtnfwkk
>>463 生命以外のバンザイすべき対象とその理由は何か?「御釈迦さん」「イエス」
か。それとも「空想上の神」か。
>>464 何がバンザイとか、そんなことを言いたいのではなくてねw
キミは「生命とはなにか」と問われても「生命には生命のことは答えられない」という解答で止まってしまっているよ、と。
466 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 01:46:52 ID:9IUBMb7v
>>437 どうも、こちらの意図が伝わらないみたいですね。
「全ての存在が解脱するのが佛教の理想」 そして 「そのための最善の方法が出家」
すると「共倒れになり、双方とも解脱不能」 ならば「在家に出家を薦めるのはおかしい?」
こういうことなんですがね。
喩えて言うと「今、合格すると、この上ない最高の状態になれる試験(解脱試験とでも
しておきましょうか)があり、出家者Aさんが、その合格をめざしてがんばってます。
Aさんにとっては、この試験に合格することだけが、唯一、の目標です。ところが
この試験には、ひとつ問題があり、ある一定以上の受験者があると試験そのものが
永久に中止となってしまいます。しかしAさんは、この試験に合格したときの
すばらしさを熟知しており、一人でも多くの合格者を出したいとみんな(在家)に
この試験を受けるように薦めて回ったのです。その結果、受験者が多すぎて試験が
永久に中止となってしまい、Aさんはもとより、全てのひとがこの試験を受けられ
なくなってしまいました。Aさんは、一人でも多くの合格者を出したいという善意
より、皆に受験を薦めて回ったのでしたが、それは自らの唯一、至高の目標を自分で
破壊することになってしまったのです。」
さて、Aさんの行動はどのように認識すべきなのでしょうか?
試験を合格したときのすばらしさを皆に教え、その受験を薦めて回ったAさんの
行動自体は、良いことでしょう。しかし、同時にその行動が受験そのものをなくして
しまう結果を招くわけです。(皆が出家し、共倒れになり、解脱を目指して
修行すること自体を不可能にする。すなわち、自らの最高の目標を自分で破壊する。
また、それは同時に全ての人の解脱も不能にする)
この矛盾の指摘なわけです。
であるならば、在家に出家など薦めずに、自分ひとりがただひたすら解脱を
めざして修行するのがベストということになりますね?
>>466 輪廻なしという前提付きだと、そんな回りくどい状況設定を持ち出さなくても、「ほとんど不合格」「永久に再試験なし」だね。
>>467 いや、消えて無くなっちゃうんだから「全員合格」かw
469 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 02:18:57 ID:p5RtsphU
>>462 >当方は、法律の専門家だから、強姦が犯罪であることはとっくに承知。
これって、以下を書いた誤淫嘘だよな。
>>432 >どんなフェミニストでも、「性的」に強靭な、逞しい男に惹かれる。男性から
>迫られて「甚だしい恐怖と不快感に襲われる」など感じるのは、もはや病気か、
>または、「セクハラ」を理由に相手から損害賠償を騙し取る女の決まり文句。
誤淫嘘が法律の専門家とは思えないな。文章読解能力が著しく低すぎる。
たぶん、関連スレの常連さんで一番、低いとオレは思ってる。
岩波辞典の「自灯明」の読みといい、この前の『カーラーマ・スッタ』の英訳の読みといい。
そして上の一連の発言から、性的には高校生以下と思われる、
たぶん、女とまともに話したことがないとしか思えない人格、
あるいは以前から感じているように障害がある人なのだろう。
>>462 > 当方は、法律の専門家だから、強姦が犯罪であることはとっくに承知。
では、竜樹のような人間は犯罪者であり、人間のクズではないのかね?
> しかし、宗教者なら、「世俗の」法律に無批判で飛びつくのではなく、法律の
> 拠って立つ基盤そのものを、もっと本質的に掘り下げて、思考すべきであろう。
強姦が犯罪であり、強姦を犯した者は処罰に値する、ということに異議を唱える意味が分らないね。
強姦がある国において合法であろうと、ある国において非合法であろうと、
レイプは人間として最低の行為のひとつであって、
人間として、このような行為を認めるべきではない。
夜這い大好き
蛇を見て心底憎悪する人がいますけど あんな姿になってまで、何故ここにいるのか 肉体のまま生存するのに、まだ何に執着しているのか もう手や足がないあの姿でずるずる、地を這っている意味がわからない あの状態なら、とっくに成仏していてもいいだろってこと はよ、絶滅しなされよってことかな
手足があってのし歩いている状態は 未だ玄武であるから 玄武である以上は、何らかの対象に対してはたらく 戦いたい生命体であるこの姿 背骨一本になったなら、もういいでしょ はやく絶滅してみなされよ
おまいら、ここは仏教スレなのに、 徹底的に意味・価値・比較などの相対論根性だな。 こんな無明相対論根性の連中が仏教を「論じる」など ほとんどマンガとしか思えんな。
475 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 08:11:49 ID:o/URxdFD
>>468 >いや、消えて無くなっちゃうんだから「全員合格」かw
そうだね。それが死んだら誰でも仏様の日本の葬式仏教だろう。
日本では結局、輪廻転生という概念は根付かなかった。
生まれ変わりなんか基地外しか信じないのが日本人だね。
476 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/19(土) 08:21:58 ID:j2Aomgh6
>>469 >そして上の一連の発言から、性的には高校生以下と思われる、
>たぶん、女とまともに話したことがないとしか思えない人格、
>あるいは以前から感じているように障害がある人なのだろう。
そうですね。
拙者が先ず感じていたのは、絶対なる?確実性なるものを「生命」としたところに、
一種の寂しさがありますね。
結婚とか、家族を持ったりすると、守備範囲が広くなりますから、
自分個人的な問題というのは希薄になります。
よって、個別性よりもトータルとしてのバランスを優先させる。
(早い話が、生命というのは、その構成要素、ってくらいしか認識はない)
そこが独身者と既婚者の違いですが、
ネットというのは、そういった一連の生活環境まで晒してしまうのが、
なんとも滑稽というか、オモシロイですよね。
無礼な、ええい頭が高い! ここに粘着されるご隠居サ〜マをどなたと心得る! 短小、包茎、童貞を愛する友の会 先の副会長 早漏土坐衛門サ〜マなるぞ ご隠居サ〜マの浅薄立論をもっと高度に語っているように思えるのは、 ラ・メトリ『人間機械論』とカール・レーヴィット『共同存在の現象学』(ともに岩波文庫)DRうが、 仏教はもっと深いところを凝視して突き抜けているよーだのう。 敬老の日は近い。年寄りを大事にしませう。
>>459 嫌われてるわけではないと思います。
USTREAMとかニコニコとかどうですか?
情報配信の形として定まりきらないからトラブルも多いけど
初期の2ちゃんのような熱気があって楽しいですよ。
人が目と耳に頼る部分はとても大きくて、 生物に特有とされる情緒の部分も、 粗方パターンとして電脳に網羅回収されつつあるのを、 ほんとうにひしひし感じます。 情緒がパタンとして回収されるのは既に倶舎論に論として示されていますがね。 新たな展開というか問題が見えてきているような気がしますがまだボンヤリしていますし 当事者の意識の成熟もまだなんでお呼びがかからない状況ですw 人の値段がますます安くなるw
480 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 10:28:40 ID:yju9JcSY
>>469 >岩波辞典の「自灯明」の読みといい、
旧7氏が、パーリ語原典とその水野氏等による翻訳を引用してくれたお陰で、
岩波辞典やそれに基づく私の解釈どおりであり、君たちは、旧7氏も含めて
すべて大間違いであったことが証明されている。前レスをよーく読んで、「初
心者用の」岩波辞書くらいは常時参照して、基礎的知識を得ることだ。
殆ど毎日のように続く中東での大量虐殺には平気なのに、「強姦」や「セクハラ」
には逆上して、官僚並みの浅薄な「世俗の論理」を振り回す君たちは、狂っ
ているとしかいいようがない。
旧7さんが
>>453 で述べているように
(自分も
>>395 触れましたが)
ハッキリ論理の異なる2領域(あるいは3領域)があり両方を見ればいいとおもいますけど
お腹を空かした人が二人いて
二人の飢餓感と満腹感は互いに伝播共振できるものでしょう。
お腹を空かした人が二人いて
体重100キロの人と体重50キロの人では満腹までに必要な食物量は異なるでしょう。
そして事実は一つです。あるいはズレがあります(完全な均衡は認識できません)。
これだけ揃えば解決策はみつかります。もしそこに問題があれば。
問題がなければそれでよし。
482 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 11:00:20 ID:9IUBMb7v
>>480 >殆ど毎日のように続く中東での大量虐殺には平気なのに、「強姦」や「セクハラ」
には逆上して、官僚並みの浅薄な「世俗の論理」を振り回す君たちは、狂っ
ているとしかいいようがない。
ご隠居さん、こういうのはダメです。「中東で大量虐殺が行われていることと」
「強姦、セクハラ」は、関係ありません。
これでは、「世界中で毎日、凶悪犯罪が起こっている。だから、窃盗くらい
構わないだろう?」と言ってるのと同じですよ。
>官僚並みの浅薄な「世俗の論理」を振り回す君たちは、狂っ
ているとしかいいようがない。
犯罪に対処するのは「世俗の論理」です。
それを狂っていると考えるあなたこそ、自己の思考を疑ってみるべきです。
あなたの一連の書き込みは「強姦、セクハラ」を男性の当然の属性から生じるもの
であり、何ら非難されるべきものではない。また、女性も内心それを望んでいるという
実に身勝手な、独善的な、通常の思考回路の持ち主であれば、決して述べない
見解です。あなたが、それを自己の信念として曲げるつもりがないのならば
それはそれで結構ですが、もし、間違ったことを言ったと考えるのならば、
>>480 のような、つまらない誤魔化しはしないで、真摯に誤りを認めたほうが
良いと思いますが。
>>480 > 殆ど毎日のように続く中東での大量虐殺には平気なのに、「強姦」や「セクハラ」
> には逆上して、官僚並みの浅薄な「世俗の論理」を振り回す君たちは、狂っ
> ているとしかいいようがない。
ということは、竜樹のレイプ、強姦に関しては平気なのに、
釈迦が家族を捨てたことがどうとかに逆上するご隠居は
狂ってるとしかいいようがない、ってことでOKですね?
484 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 11:55:14 ID:yju9JcSY
>>483 異性に対する欲望やわが子に対する愛着心は、「種属としての人類の生命の
維持」のために存在する肉体的本能、大自然の摂理、即ち「法」である。
竜樹は「法」に従い、釈迦は「法」に反した、ということ。
それに、「竜樹のレイプ」というが、竜樹のやったのは「夜這い」だろ。
竜樹が人を殺したか。夜這いや略奪婚は大昔からあった。源氏物語を読め。
世俗的にも、非難の対象にはなっていない。
「セクハラ」概念は、フェミニズムに発するアメリカ判例の直輸入に、西洋
大好きの日本人が浅薄かつ無批判に狂っているだけ。
キリスト教→マルクス主義→フェミニズムと繋がる。
485 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/19(土) 11:55:27 ID:j2Aomgh6
>>480 >殆ど毎日のように続く中東での大量虐殺には平気なのに、「強姦」や「セクハラ」
>には逆上して、官僚並みの浅薄な「世俗の論理」を振り回す君たちは、狂っ
>ているとしかいいようがない。
先ず、政治犯罪と個人犯罪は違います。これは重要ですね。
で、強姦ですけど、
強姦しようとすると女性の抵抗力は凄いですよ。
この段階では、普通の男だったら体力的に男女、五分五分です。
ここで大体の男は諦めます。
人間は、感情と理性のバランスにおいて行動するので、理性が働くのです。
それでも人間、男の感情が優先してしまうと、拳でもって女の抵抗力を弱めたり、
または凶器で脅かしたりするのです。
つまり、女の体力、あるいは精神にダメージを与えませんと強姦はできない。
強姦しようとしたら、それに女が察知して必ず又を開くか?
って逝ったら、それは大間違いです。
女が又開いて、男を待つ話は婆子焼庵ですけど、
これは殆ど稀ですね。
女は、イザとなると簡単には転ばないですよw
転ぶ女は、強姦する必要はない。
486 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 12:13:50 ID:yju9JcSY
>>485 強姦と和姦との区別は、裁判における事実認定上、極めて微妙で困難な
場合が多い。
問題は、セクハラと称して、男から損害賠償を騙し取ることを「職業」と
している女が、多数いるということです。男の被害者は、金を取られる
ばかりか、名誉も地位も職も失い、一生を台無しにされてしまいます。
婆子焼庵の話を皆さんに紹介してあげてください。この場合の男と女の
どちらに、机師は味方されますか。
487 :
析空 :2009/09/19(土) 12:27:20 ID:OzcZ714u
>>370 仏教のスタンスとしては、「出家は在家に出家することを奨める」ということ
はありません。
従って、在家が皆、出家して出家の生活が維持できなくなっても、
出家が在家に、「出家するな」とはいいません。
※しかし、出家の生活が維持できなければ、在家は出家しようとは
思わないだろうから、現実にはありえない設問ですね。
(こういうのを戯論というのでは?)
488 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/19(土) 12:46:54 ID:j2Aomgh6
>>486 >強姦と和姦との区別は、裁判における事実認定上、極めて微妙で困難な場合が多い。
女ってのはね、その気がないと“身体を硬直”してセックルが出来ないようになってるんだよ。
もう、セックル拒否のオーラだ漂ってくると・・・
それだけで男ってのは萎えるもんさw
(そのオーラが良い、ってんで男が暴力かけて無理にやるのが強姦)
セックルってのは、女が身体の力を抜いて、スタンバイ・オッケーだから
男は挿入できるのさw
(これが和姦)
先ず、ネット情報より、自分で経験せんと・・・女ってのは分らない。
犬でも猫でも、本能的に拒否の体勢になることもある。
これを「毛嫌い」と言ったりする。
特に人間は、日常という空間に「エロい概念」が入るのを
男女とも極端に嫌悪感を感じる。
これがセクハラのテーゼです。
>婆子焼庵の話を皆さんに紹介してあげてください。この場合の男と女の
>どちらに、机師は味方されますか。
上記、拙者の書き込みが全てを語ちております。
エロは、その関係性において善意にもなり、悪意にもなる。
婆子焼庵の公案は、その提示であります。
>>484 > 異性に対する欲望やわが子に対する愛着心は、「種属としての人類の生命の
> 維持」のために存在する肉体的本能、大自然の摂理、即ち「法」である。
つまり、レイプは大自然の摂理だからOKってことですか?
> それに、「竜樹のレイプ」というが、竜樹のやったのは「夜這い」だろ。
どう違うというんですか。
> 竜樹が人を殺したか。夜這いや略奪婚は大昔からあった。源氏物語を読め。
じゃあ殺人も昔からあったて物語にも出てくるからOKなんですか?
出家も昔からあったからOKなんですか?
説明になってないだろ。頭大丈夫か?
> 世俗的にも、非難の対象にはなっていない。
ほほう。じゃあキミは「スーパーフリー」とかいうレイプサークルは
世俗的にも非難の対象になってないというのかね?
>>485 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
ははは。 デスクさん 元気そうだね。
>>485 何だか、現実感ありそうな言葉だね、こういったことに関しては。
そうか?! 以前、「 薬で女性を・・ 」ってのは
そこからの 「 リスク回避の智慧 」 (
>>428 ) って わけだね?
( 冗談。 )
もう、考えが 固まってしまった部分が多く、感じられ見うけられるけど
デスクさんがそうだと、もったいないように・・
>>486 冤罪の問題があることと「だからレイプはやってもいい」って話は別だろ。
手当たり次第に材料探して、レイプが犯罪であることを否定したくないみたいだけど
要するにご隠居さんは、レイプOKセクハラOKの「性犯罪者予備軍」だってことだろ?
492 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 13:46:48 ID:ZZZPtfF8
ガイアが俺にもっと犯せと囁いている
人間は社会的諸関係の総体である(マルクス フォイエルバッハ・テーゼ7)。 社会的諸関係を無視して、レイプも現今から良否は決せられない。 ブッダの教説も同じだ。
マルクス フォイエルバッハ・テーゼ7→6〜7
「フォイエルバッハは、宗教的本質を人間的本質に解消する。 しかし、人間的本質は、個々の個人に内在するいかなる抽象物でもない。 人間的本質は、その現実性においては、社会的諸関係の総体である」(第6テーゼ) 「したがって、フォイエルバッハは、『宗教的心情』そのものが一つの社会的所産であること、 そして彼が分析しだす抽象的個人が、現実には特定の社会形態にぞくしていることをみない」 (第7テーゼ)
社会的諸関係を→縁起的諸関係に転換すれば 内心では納得する人が多いのではないか? 社会的諸関係も縁起(相互依存関係)によるからだ。
497 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 16:05:54 ID:nJN5XSx/
>>489 >じゃあ殺人も昔からあったて物語にも出てくるからOKなんですか?
史上、成員の殺人を肯定した共同体は皆無であろう。夜這い、略奪婚は、そうでは
ない。
498 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 16:15:08 ID:nJN5XSx/
>>485 >先ず、政治犯罪と個人犯罪は違います。これは重要ですね。
イスラーム諸国は、トルコを除いては、「政教一致」の国です。アメリカの
キリスト教原理主義(福音派)も、実質的には政教一致ですね。
>>488 > 女ってのはね、その気がないと“身体を硬直”してセックルが出来ないよ
>うになってるんだよ
その女の硬直した身体が、次第に柔軟になってきたら、どうしたらよいでしょうか。
女が腰を上げたかどうかで、強姦と和姦とを区別している判例もあるようです。
499 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/19(土) 16:40:13 ID:j2Aomgh6
>>490 > 何だか、現実感ありそうな言葉だね、こういったことに関しては。
いやいや、強姦について空想で語ちてる御仁がおるようですから、
その件に関して、誤解のないよう説明しておるんです。
実際に強姦しようとしたことはありません。
しかしながら、男というのは「もし、実力行使をしたら女の反応は?」。
というのは、どなたも関心があるんじゃないでしょうか?
その範囲で、実験的に試された御仁もあろうかと思います。
こういう場合は、女の本性ってのが露見されますから、
女性考察としてのモチーフと成り得ましょう。
こういう経験を踏まえまして、ある意味、女性への理解も深まる。
龍樹レイプ説がスレに飛びかってますけど、あれは和姦でしょ?
日本でいえば大奥進入ですから、レイプなら即刻大騒ぎになる。
発覚の経緯からするとレイプではない。
500 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/19(土) 17:01:29 ID:j2Aomgh6
>>498 >その女の硬直した身体が、次第に柔軟になってきたら、どうしたらよいでしょうか。
硬直してる、ってのは、まだ女が体力があって、男に抵抗できる段階です。
しかしながら体力を使いきるまで消耗すれば身体も柔軟に成り得ることもある。
だけどよく考えてください。
そこまで女が体力を使ったら、それで男も同時に体力を使いきるよw
男は持続性がないのさ。
だから拳の暴力とか凶器で脅かすんだよ。
女が自発的に身体が柔軟になる。というのは有り得ない。
>女が腰を上げたかどうかで、強姦と和姦とを区別している判例もあるようです。
状況が異常な状態で、そんな冷静な判断は出来ない。
しかしながら「出来ない」もんを「出来て」しまうのが裁判というもんさ。
「カミュ著:異邦人」には、裁判の不条理が書いてある。
参照されたし。
>>497 つまり殺人はダメだけどレイプはOKなんですか。
人類社会の害虫ですね。キミは。
502 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 17:27:49 ID:7Ar8wcMT
503 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 17:45:40 ID:ALKDKfFA
>>502 宗教の狂気の一例。自然の摂理である肉体的本能を否定して、「レイプ」
「セクハラ」などと騒ぎ立てるから、このようなことが生じる。
米国で大量発生している聖職者による性犯罪事件は、イエスの「心の中で
姦淫の罪を犯した」などという性欲の誤った否定・抑圧から、人間(内
なる神)を取り戻そうとする、いささかゆがんだ努力の表れである。
>>503 レイプを禁止されたのが気に入らなくて、キリスト教を目の敵にしてきたわけか。
>>503 ご隠居へのマルクスの批判
第9テーゼ
観照的な唯物論、すなわち感性を実践的行動として理解しない唯物論が到達しうるのは、
せいぜい個々の個人と市民社会の直観である。
第10テーゼ
古い唯物論の立脚点は市民社会であり、新しい唯物論の立脚点は人間的社会あるいは社会化された人類なのである。
<全員へ>
第11テーゼ
哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。
問題なのは世界を変えることなのである。
506 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 17:58:36 ID:7Ar8wcMT
>>503 >自然の摂理である肉体的本能を否定して、「レイプ」
>「セクハラ」などと騒ぎ立てるから、このようなことが生じる。
何が本能の否定ですか!!!(怒)
人間、生殖本能と性欲のままに行動していいとでも言いたいわけですか?
それじゃ〜まるで犬猫、同然でしょ。
相手の意思、そして時と場所をわきまえるのが社会生活です。
性行為が悪などとは誰もいってない。
はい、分りました。
あなたは本能欲望の全面肯定主義なのですねぇ!
そういう人は現代社会の中では集団生活はできませんよ。
とんでもない事です。
507 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:12:42 ID:ALKDKfFA
>>506 生存本能(生命)は、独りでは絶対に生存できないことを知っている
から、この本能から、共同体形成維持本能、自他の死への恐れ、他者への
思いやりという、本能や自然の感情が派生し、自動制御を行う。それに
より、人間共同体が維持されている。
宗教は、この肉体的本能を宗教観念により否定・破壊するから、本能に
よる自動制御がもはや作動しなくなり、殺し合いや争いが生じ、共同体
の破壊を招く。
創造論的には、創造されたままの、あるがままの人間とその社会および
自然を受け入れない限り、必ずしっぺ返しにあう。
508 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:15:20 ID:pt29buys
他者への共感がぶっ壊れた隠居が信奉してるのも宗教に過ぎない、というわけだね。
>>507 ところで貴方は、そのあるがままの欲望とやらを謳歌して
レイプとかセクハラとかしたことあるの?
それともそういう経験もなく口先で言ってるだけなの?
510 :
旧7 :2009/09/19(土) 18:23:59 ID:LQWq+rNG
>>508 およそ人が、感銘を受け(或いは疑いなく)、確かにその通りと実感し、
それが自分のみならず社会に対しても利益となると見做され、それを行動規範とする時、
そのような思想、価値観、世界観は宗教的様相を帯びる、ってこった。
科学然り。貨幣然り。医学然り。唯物論然り。生存本能然り・・・。
511 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:24:36 ID:ALKDKfFA
>>508 人間が、そのすべての営みの根源としての生命と、生命を支える自然
とに最大の価値を置くことは、如何なる意味でも「宗教」ではない。
人類共同体の成員としての「至上の義務」である。
512 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:34:22 ID:pt29buys
またまたw 他者への共感がぶっ壊れているという意味では宗教であることを あるがままに、思い思いに体現しているじゃないか。 別に宗教と呼ばれてもいいじゃないか。むしろキリスト教やイスラムのような 偶像崇拝とは違う「真の宗教」である、と正直に宣言すべき。
513 :
旧7 :2009/09/19(土) 18:39:23 ID:LQWq+rNG
>>511 が、その文が、その主張の仕方が、まさに「宗教的要素」だと言ってるのさw
大変良く「宗教の特徴」を表わしている、とね。
この流れを知らない宗教学者が初見で読んだら、
躊躇なく宗教として分類するだろうよw
>>512 >「真の宗教」である、と正直に宣言すべき。
同意。
漢らしくて寧ろカッコイイ。 股を開く女続出だろうw
レイプだ、セクハラだと訴えられる心配をしなくて済むぞwww
514 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:40:16 ID:pt29buys
もし
>>502 が宗教がらみの話でなかったら、隠居が反発していたかどうかは非常に疑わしい。
せっかく逞しい男が性教育or種つけをしてあげようとしているのに素直にならず
喚いたり暴れたりするから殺さなくてはならなくなった、野放しにすれば共同体の規律を
破壊するかもしれないしやむをえない。けしからんのでもっとやれ。となるはずである。
515 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 18:50:11 ID:7Ar8wcMT
>>507 >宗教は、この肉体的本能を宗教観念により否定・破壊するから
だから〜
仏教というのは肉体的本能のままに生きることなどは説いてない。
あなたには仏教を学ぶのはまだ無理ですわ。
だから、どっか行ってください、といってるのですよ。
何が〜
人は一人で生きられない「人間共同体」ですか!!!
あなたのいってることというのは、人は社会生活の中で肉体本能のままに、
時には欲情もそのままに満たしなさい、ということじゃないか。
呆れかえった(驚)
516 :
旧7 :2009/09/19(土) 18:55:02 ID:LQWq+rNG
>>502 君らの論理でいけば、
その娘は前世で男で、誰かをレイプし、最後鈍器で殴り殺すか何かしてたんじゃねw
だから、今世でレイプされ、投石処刑されるという報いを受けたんじゃないの?
こういう推測は高い確率で成り立つよね。
この推測は、「三世を跨ぐ不平等」を解決してるよね。
そこんとこどうなん?
もし覚者がいたら、
a「違う因縁である」と言うかね?
b「受けるべき報いを受けた」と静観し、人々を責めないだろうかね?
このことは、覚者しか知りえないとするなら、
凡夫は、abどちらだと受け止めるべきなんでしょうかね・・・?
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( ゚∀゚) ζ
`ヽ_っ⌒/⌒c 旦
⌒ ⌒
517 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:56:40 ID:pt29buys
なんとなれば、「至上の義務」に則った美俗を維持するためだからである。 いや、もしかしたらそうではないかもしれない。 女体は殺すには惜しい、重要な資源である。 たとえ過ちを犯したとしても(思想的にはともかく) 彼女達はまだ「至上の義務」に参加できるのだから。 性の喜びを受け入れるようになれば、彼女達も悔い改めるであろう。
518 :
旧7 :2009/09/19(土) 18:58:28 ID:LQWq+rNG
>>516 当然、bと受け止めるべきだろうな。
そのように受け止め、戒めの訓話、事例として受け止めるから、
倫理的教育の要として輪廻及び前世の悪業は有効となるのだから・・・。
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( ゚∀゚) ζ
`ヽ_っ⌒/⌒c 旦
⌒ ⌒
519 :
旧7 :2009/09/19(土) 19:08:17 ID:LQWq+rNG
そして、bと受け止めた上で、 綾瀬コンクリ事件の被害者も、 次の生では、きっとより良き歩みとなっていることでしょう。 あのような暴行で前世の業果を清算し、より、悟りに近づいた生を歩んでいることでしょう。 ですから、みなさん、迫害されても、暴行されても、殺されても、恨んではいけません。 その相手は、貴方に罪の清算をさせているのです。寧ろ、暴行されることをありがたく思わねばなりません。 そうして、その逆境を受け入れ、加害者を許し、慈悲の心を満たすことで、 来世には、より修行のし易い環境に生まれ、悟りに近づくことができるのです。 そう。 レイプ犯、殺人犯等加害者は菩薩の化身なのです。 貴方に、罪の清算と気付きを与えに来ているのです。 だから、感謝しつつ、ありがたく、犯され、殺されるべきなのです。 なんてなw 〃〃∩ _, ,_ ⊂⌒( ゚∀゚ ) ζ `ヽ_っ⌒/⌒c 旦 ⌒ ⌒
520 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 19:35:37 ID:7Ar8wcMT
---旧7さんへ 仏教というのは、 そんな運命決定論じゃないから! あなたほど仏教に詳しい立場の筈の人間が・・ そんなことも理解できないとは---お話にならないね(悲)
521 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:08:26 ID:BHWdE2uZ
>>520 基本は旧7氏の言ってることに違いはないのでは?
強姦されたのは、前世の悪業のせい。
これが業報思想でしょ?
522 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:24:01 ID:p5RtsphU
>>472 天人から見た人間も同じようなものでしょう。
蛇、かわいいけどね〜
523 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:31:41 ID:p5RtsphU
>>480 ほらほら、可笑しいでしょ。もうこの人は相手にできんはw
>>482 こいつは、どうも誤魔化しでなく本気なんじゃないかと思う、恐ろしさよw
>>516 業は業、意志は意志。業は仕方がない過去の話だから、まあ、浄化法もあるが。
問題とすべきは今の心、意志だろう。そこが重要だ。
>>466 とりあえず、真偽やその確からしさ、現実的「リアリティ」はともかく、
仏典或いは註釈で言われているフレーズを見てみましょう。
《涅槃は、「時をおかず、ただちに見られる」ものである》、と・・・。
(まじめに、正しく、怠らず、無駄な時間なく)行じれば、完遂できるものである、と。
よーするに、【まじめにやれば、あっという間】だってことさw
(※俺は勿論w、【誰かさん】もまた、あんまり真面目にやってないのかもしれんwww)
飢え死にする前に、みんな「覚悟完r・・・いや、「解脱完了」だw
※勿論、ここでの「時をおかず」とは、本来は上のようなニュアンスではなく、
《「行じた途端に」「突然に」という「禅的な頓悟」或いは「時間的前後の瞬間」》 を意味するものでなく、
《(行じる中で)『気付き、理解、頷き』があった時、『その時ただちに』》 というもの(≒論理的直結)ではあるが・・・。
(※ここを指して『現観(abhisamaya)』と言うのかもしれん。)
また、「共に歩む仲間」を拒む理由もない。
たとえコンスタントに食を得ることができていたとしても、不慮の事故で命を落とすこともあるかもしれない。
が、不慮の事故で道半ばで死ぬとしても、布施者がなく飢え死にするとしても、
両者には何の違いもない。 ただそこに、五蘊の滅があるだけだ。
(輪廻するなら次のチャンスもあるwww)
だから、貴方の問いは単純で簡単だというのです。
>>466 また、他の人(或いは(特に後期)大乗)がどうかは知りませんがw、
私は、 >「全ての存在が解脱するのが佛教の理想」 とは思ってませんし・・・w
結果としてそうなることがあってもいいし、もしそうなるならば、それはそれは素晴らしいかもしれんが、
まずは、気付き、求める者が達成することが重要でしょ。
強制的に、まだその気もない者に、まだ機縁の熟していない者に、そこまで望んではいない者に、
押し付ける形で説くことはない。 当人の気付き、自覚を待つだけだ。
また、理想は理想であり、実現できないことを嘆くことも戒められるべきでしょう?
それこそ宝珠氏の 「死の間際に仏教と出会っても無意味だ!」 発言と同じです。
貴方もそう思うのですか? 私はそうは思わない。そこにも、確かな安心(あんじん)があると思う。
貴方も宝珠のように「達成できなければ無価値」「道半ばに倒れたら無価値、敗者、無意味」
とお考えですか?
理想論として「万人解脱」が掲げられたとして、その達成が為されなかったなら無価値・無意味だ、と?
仏教では、そうした(善なる)方向性(≒動機(≒意業))、発心と努力を重視するのです。
前のレスでも言ったように、一人残らず出家する場合は、「共に餓死」ですよ。
(来世でどうなるかは知らんw)
>>466 >在家に出家など薦めずに、自分ひとりがただひたすら解脱をめざして修行するのが・・・
ほとんどの宗教が、(内実は)そうでしょう?w
(「世界の救済、人々の救済」、「より良き社会の実現・理想形」を高らかに掲げる新興宗教・新宗教等は、
そうした建前の裏に「自己満足」や「自分の救済」が強固な前提となっている筈です。)
そして、実は仏教もそうです。他者の救済や慈悲は、《【自己の精進に】【付随する】もの》です。
その意味で、≪ 「 >自分ひとりがただひたすら解脱をめざして 」いること ≫という批判への
フォローと反駁は、常に用意されねばなりません。
(「犀の角」という在り方も、「悪しき者・修行の妨げとなる者と交わるな」なども「林住の薦め・称賛」も、
ここを批判する者にとっては格好の材料となり得ますw)
「これを潔しとしない価値観の方々が、大乗仏教を支え、発展させてきた」、とは言えるかもしれません。
この位相を逆転させ、《「慈悲」と「他者の救済」》を主軸にした、教えの再構築の歴史が、
大乗仏教の歴史である、と・・・。
「世俗という大海・大渦へ飛び込まずにどうするのか」という禅のスタンスに繋がるのでしょう。
「俗なる存在のまま、聖なる領域と固く結ばれ得ることを宣言」したのが、親鸞、浄土門となるのでしょう。
(※ ↑詳しい方、添削宜しく。 m(_ _)m )
また、大乗的に言うなら、ゴールへ至らなくても、共に歩み、目指したことに意義があるでしょうし・・・。
>>466 また、現代日本仏教でも、(少なくとも伝統諸宗派は)、
全ての関わった人に「出家し、修行し、僧侶になりなさい」と積極的勧誘をすることはない。
今ある生活の中で、どこまでお釈迦さんの真意を知り得るか、近付けるか、「より善き生」とし得るか、にある。
(―そりゃ今でも、(その形態、関係性は現代的になってはいても)「弟子」という言葉はまだ生きているし、
そのような形で、仏門へ誘うことはあろう。だが、そこには当人の意向が確かなものとしてある。
戦後や大昔のように、口減らしに寺へ預けられる末っ子のようなことは、もはや無い。
今は、純粋に望む者が、山門をくぐる形になっている。―)
その意味では、今でも、(大乗仏教でも!)《「衆生済度」は「自己の精進に付随する」もの》だ。
「自未得度先度他」とは、ゴールまでのあと一歩を保留して、後続を待ち、或いは共に歩み、
最後の一歩だけ他者を先に行かせる、そういうものであろう。
けっしてそこに、自身の行が無いわけではない。
そこに、自身の行が無ければ、どうして他者を支え誘(いざな)うことができようか。
現在の上座部でも≪自身の行、自身の解脱が、(結果として)世の為になる≫というものではなかろうか。
>>466 >「全ての存在が解脱するのが佛教の理想」 だとしても、
その前に、その前提、その条件として、【自身の解脱】が必要ではないでしょうか。
そして、「菩薩」とは「学びの途上にある者」でしょうし、ならば、手を取り合って歩むことになるでしょう。
「来る者拒まず、去る者追わず」で、向上を目指す者は喜んで受け入れられるでしょう。
そこで最も重要なのは【目指していること】【今まさに目指している最中であること】なのですから。
ゼロか1か、でなく、その途上の0.5や0.8も評価し、十分であると見做せるわけです。
貴方は、『1でなければ駄目だ!』というスタンスを基軸としてレスをしてきたと思いますが、
そこが違うということです。0.8でも良いんです。(特に輪廻を認めるなら尚更ねw)
この方向性に於いて、大乗や(特に)本覚思想は強みを持つ。「発心」が大切だ、と。
「初発心時便成正覚」なんて言葉もなかったっけ?
この立場に立てば、貴方の先の問いは杞憂に終わる。
皆が出家を望んだ時点で、理想は完成だw
529 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 21:51:53 ID:9K9zSWGC
>>513 >大変良く「宗教の特徴」を表わしている、とね。
>この流れを知らない宗教学者が初見で読んだら、
>躊躇なく宗教として分類するだろうよw
「すべての人間の『生物的生命(生物的生存本能)そのもの』」を信仰する宗
教などないだろ。宗教学者が腰を抜かすぞ。現に、宝珠愚者氏がギャーギャー
言っているw。
まあ、人間が対象化できない唯一の存在(即ち、神)は「生命」だから、「究
極の宗教」といえないこともないが。
その他雑感:
私は、「自未得度先度他」という言葉が昔から嫌いだった。「自未得度」なら、共に歩むべきだろう。
自分がまだ確認していない所へ他者を誘い背中を押すのはどうかと思った時期もあったw
そんな風に思っていた。 (今はさすがにそこまでないけれどもw)、それでもあまり意義を感じない。
嫌味な批判者なら「毒味をさせてるのかよw」「偵察させて安全かどうか確かめてるのかよw」とか言うかもしれないw
しかし、その側面があることは自覚されねばならない。まさに
>>527 で触れたようなものであるべきだろう。
大乗の菩薩が、自らの意思で仏陀とならないのだとしても、そこには、
《実質的には完遂した上で、共に歩む》、そうした菩薩像がイメージされていよう。
大乗の、《「菩薩という位階」の改訂》による最大の売りは、そこにあるだろうと思うから・・・。
そして、(「未だ菩薩でもない」w)学びの途上にある凡夫は、共に学ぶ仲間を大切にせねばならないだろうし、
時に支え合い、時に叱咤し合い、時に励まし合い、共に向上の道を歩み続けることになろう。
たとえ、その果てに餓死があろうとも、そのような、同じく学びを望む者をどうして拒むことができようか。
(※勿論、ここには輪廻(≒次の生がある)という保険が有効に働くわけだが・・・。)
余談w:
さて・・、人類全てが悟り、解脱するような事態が、不可能な、あり得ない、想像上のこととするなら、
維摩居士の病気はいつ治るのだろうか・・・?w
(維摩経ベースにあれこれ考察するのも面白いかもしれん・・w)
思考及び修行オナニストより、 人助けしてる人の方が尊いだろ。 常識的に考えて。
532 :
前世は一在家 :2009/09/19(土) 22:07:52 ID:VsD8nICh
>>408 机氏
>>「悟りつつあるものは悟らず」
>は、そのとおりであります。
>「悟った」と自覚がある者は、過去への執着があるだけです。
やっと明確な回答を有難うございます。
やはり予想した通り、龍樹の視点では、
「悟りつつあるものは悟らず」、
「涅槃に入りつつあるものは入らず」でありんすを
確認致しました。
釈尊は悟った後に布教に立ち上がりましたが、
本ネタは涅槃入りしましたので、以降は質問を控えることと
致します。
533 :
旧7 :2009/09/19(土) 22:15:26 ID:LQWq+rNG
更に雑記w:
あ、もう一つ、別の形で、
輪廻(≒次の生がある)が保険として作用することもあるか・・・。
「自分は次の生で構いませんから、どうぞ僧侶方は行者として目的を完遂してください。
そして、法を説いてください。私達は貴方方の支援を致しましょう。」
という、《「輪廻」と「法施」と「財施」という考え方》により、
人類総出家という事態は生じ得ない、と・・・。 (てか、これが、歴史的・伝統的な実際の姿なわけだが・・・w)
そして、ドッジボールで、内野の人が少なくなるように、
再び生を受けてくる人間が少なくなってきたら、
それこそ、皆で申し合わせ、意見を合わせ、共に修行して、
食糧が底をつく前に解脱することが目指されるのだろう。
そして、人間の居ない、バランスのとれた地球環境の出来上がり、とw
そうか!仏教は、極限的エコを目指した宗教だったのか!w
>>531 >人助け って、具体的にはどんな行為なんだろうね・・・。
人助けでない行為、人助けとならない行為ってどんな行為だろうね・・・。
その区分は、どのような基準で為されるべきなんだろうね・・・。
>人助けでない行為、人助けとならない行為ってどんな行為だろうね・・・。 >その区分は、どのような基準で為されるべきなんだろうね・・・。 誰が何のために基準なんていう分別を必要とするのでしょうね? 仏教において。
菩薩における救済とはこういうものであると、
大乗では説明しておりますな。
>「それは、何故かと言えば、スブーティよ。
>もし、生きものという実体に、囚われるなら、
>もはや、かれは、菩薩と、言えないからである。」
>「それは、何故かと言えば、スブーティよ。
>もし、自我や生命という実体に、囚われたり、
>もし、個体や個人という実体に、囚われるなら、
>もはや、かれは、菩薩とは、言えないからである。」
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/kongou3.htm
536 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 22:30:25 ID:7Ar8wcMT
---旧7さんへ たくっ、 いつもそうやって、この私にすぐ反発意識で嫌味な投稿をする・・。 では、「三世に跨る業報を説かないのがゴータマの教えである。それこそが正しい本来の仏教だ」 という論証をして下さいよ。わたしは、そのように前スレシリーズからズーといってるというのに、あな たは何一つとして、それができないではありませんか? ゴータマがいつあなたのような唯物主義が正しいものと教えたのか?あなたの主張を根拠づける その経文を提示して下さいよ。 「ゴータマは間違えている。仏教思想は間違った教えだ」というのならばいい。それはあなたの個人 的な受け取り方としては筋が通っていますからね。 尚、この私は最初から仏教徒を自称することなく、一貫して神智学徒としての姿勢を示した。仏典と 神智学の共通する真理について述べ、その正しさについてを論証し、更には、仏典を補足するものと しての神智学の教えについて述べてきました。どう?筋が通ってるでしょ! もう、間もなく私もこのスレを去る。どうか宜しくお願いしますよ。
537 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 22:31:40 ID:7Ar8wcMT
--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*-- 私は親切なので、 もう1度だけ、ポイントをおさらいしておきますよ。 1.自業自得は基本的な真理ですが、100%を以って過去世の自業自得のものであるかどうかは不明。 また仏教の説く業報理論は運命絶対論ではなく、対処の応じて幾らでも道は開かれていく。 2.個々のケースについては、我々、凡人にはそれが過去世の業によるものかどうか、またどんな因果で あるかの特定はできない。 3.悪業の果報を受ける場所と機会を提供することについて考える必然性などはない。レイプ行為をした その者は単に新たな悪業を積んだことになるのであり、相手の悪業の果報としてカルマの清算役を 果たしてあげた、などという理論は成立しない。心を入れ替え行為を正すことによって悪業を積むこ とから離れるように説くのが仏教。 以上のことから、 何もあなたがカルマの清算の機会などを考える必要はない。 ましてやレイプの正当性(カルマの清算役としての)などという話しは・・ もっての外だと思います!!
538 :
旧7 :2009/09/19(土) 22:35:22 ID:LQWq+rNG
>>534 言い出しっぺの貴方が考えるべきでしょう?w
ましてや、
>>531 で
> 思考及び修行オナニストより、 > 人助けしてる人の方が尊い
と、《「思考及び修行」は「人助けという行為」よりも劣る》という構図、
《「思考及び修行」は「人助けという行為」とはならない》という構図を示しています。
この構図を成立させるには(このような発言をする為には)、
貴方の中に、《両者が区別され、且つ、優劣を設ける基準》が必要です。
次の行の > 常識的に考えて。 にあるように、
それは、「常識」という基準だということですか?
>>535 ああ、空教信者でしたか・・・。それは失礼いたしました。
それはね、あなたが救われようがほとんど 他の人にとっては何の意味も無いからですよ。 だから、オナニストなのです。
540 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 22:46:50 ID:7Ar8wcMT
---旧7さんへ あなたは確かに、 学者並の知性と膨大な知識を有しているようです。 ところが、思考は混乱していて自分自身の中では何も整理がついていないとお見受けします。 繰り返します。 「三世に跨る業報を説かないのがゴータマの教えである。 それこそが正しい本来の仏教だ」という論証を仏典から根拠を提示しながらやって下さい。 できないのなら、ゴータマ(仏教)は間違いだと主張すべきです。
541 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 22:47:37 ID:D0NmiUMo
日本の自称仏教者と進歩的文化人(マルクス唯物論者)は同じにおいがする
542 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 22:54:06 ID:9K9zSWGC
>>532 >やはり予想した通り、龍樹の視点では、
>「悟りつつあるものは悟らず」、
>「涅槃に入りつつあるものは入らず」でありんすを
>確認致しました。
竜樹の「不去」をもう理解できたのかね。君は天才だw。
中論の頌第2章は、超難しい。こんなに頭のいい人間が、よくいたものだと感
心する。ゼノンとは、レベルが違う。やはり、夜這いやったのが効いたのか。
言語論理上の相互依存の視点から、言語論理の矛盾を徹底的に分析し、戯論を
破壊し、その結果として、主体と行為の無自性に到達したのだと思う。
君がいみじくも指摘したように、竜樹には、縁起の解釈と展開において、釈尊
を抜いた、という自負が感じられる。
竜樹の「不去」をさらに突き進めれば、「悟った者は悟らず」にも到達できるぞ。
>>541 マルクス主義者が進歩的とはいささか古すぎませんかね?
哲学の業界用語?
>>540 依拠仏典がゴータマ・ブッダの教えを正確に描写しているという保証を
誰がするのだ?
仏典から根拠を提示しながらやって下さい。 >仏典から根拠を提示しながらやって下さい。
と主張する以上、アプリオリに仏典は正確なゴータマ・ブッダの教えであることが
当然の前提になるが、宝珠が保証する根拠を先ず明示してから要求すべきだろう。
仏典はすべて金口の説法なのか?
ブッダが亡くなられた直後に速くも、遺言に反して葬式仏教を始めた連中の末裔連中が書いた
シロモノ、それが仏典なるものの実態なのさ。
宝珠の保証の根拠を説明してもらおうか。
なお、宝珠の仏典に対する態度が変節してきたことはこのスレの住人は知っている。
545 :
旧7 :2009/09/19(土) 23:13:15 ID:LQWq+rNG
>>540 > 「三世に跨る業報を説かないのがゴータマの教えである。
> それこそが正しい本来の仏教だ」という論証を仏典から根拠を提示しながらやって下さい。
現存仏典からは、明確な記述を拾うことは不可能だよ。
ちょうど貴方が、「アートマンが肯定的に説かれている記述」を探せないようにw
前シリーズでもはっきりレスしたように、私は《「仏典には」そのように説かれている》と述べた筈ですが?
そして、仏教を仏教たらしめる要素として、業報を「三世に跨らせずともよい」として幾つか仮説したと思いますが?
仏典の新古を釈尊まで辿れない以上、原初の思想は推測するしかない。
だから、貴方の「無我ではない。むしろ“我(アートマン)”が説かれた」という主張も、完全否定されるものではない。
ただ、文脈上、或いは総合的に、「ちょいと苦しい読みじゃないか?」という疑義が出されたわけだ。
同様に、私の主張に関しても、真言氏始め何人かの方から、
「記述に反する」「考え方の土台を崩すことになる」「世俗的方便としては三世無しもありだ」等の反論を受けている。
文脈上、或いは総合的に「根幹の一つを外すことになる」「仏教とは呼べなくなる」、と・・・。
貴方は、前シリーズも今シリーズも、私のレスのどこを読んでいるのか?
貴方の質問の大半は、十分私の過去の発言の中に散らばっている。
> できないのなら、ゴータマ(仏教)は間違いだと主張すべきです。
「三世に跨る業報」に関しては間違いだと思ってるよ。それが何か?(だから、外道の称号を受け入れたw)
そのことで、他の教えが色褪せることもない。(寧ろ、より鮮やかになると思ってるがね。)
たった一つの欠点で全てをゴミ箱に捨てるような愚行に走りたくないだけさw
貴方の恋人は大変でしょうね・・。完全無欠でないと別れることになるんですから・・・w
言っときますが、
>>537 は何も言ってないに等しいですよw
「よくわかりません」という内容でしかない。中身スッカラカンだぞw
>>531 そんなに違いないw
>>541 日本の専業マルキストは倫理意識ないから
自称でない伝統を受け継いだ仏教徒は宗派所属の企業戦士。
骨の髄から封建主義者。
>>542 夜這いの時はまだ非信者w
友達が目の前で膾にされたんで人格崩壊したのかもよw
中論の二章だけで何倍飯喰ってるんだろか? ここの連中は。
549 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 23:36:55 ID:7Ar8wcMT
>>544 そんなことを言い出したら、どうしょうもないでしょ。
だから、あなたは信頼しないのであればそれでいいことですよ。
はい、「仏典などゴータマの教えであるという保証はどこにもない」
ということで、お・わ・りですね。
あなたは、どうぞそうして下さいな。
別に誰も困らないのから!
550 :
旧7 :2009/09/19(土) 23:43:29 ID:LQWq+rNG
>>549 どうしてお前は、そう短絡的なんだ・・w
白か黒しかないのか? グレーはないのか?グラデーションはないのか?
八百屋でカボチャを買ったら、小動物に一部齧られたような痕があった。
君はそのカボチャを捨てるんだろうな・・・。
10キロの米を買ったら、中に虫がいた。君はその米10キロ全て捨てちまうんだろうな・・・。
ま、
あなたは、どうぞそうして下さいな。
別に誰も困らないのから!
551 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/19(土) 23:58:23 ID:7Ar8wcMT
>>550 何故、
原始経典が最もゴータマの言説を伝えている資料であるとして、
その研究対象とされているかについては述べてきました。
それを〜だからといってその保証はどこにもない、誰も見てきたわけじゃない。
本人が書いたわけでもない・・・と言い張る者に対して、
それ以上のことが、
一体、何を言えるというのです?
「確かにそうですね。お好きにどうぞ!」
としか言いようがないでしょう?
552 :
旧7 :2009/09/20(日) 00:03:03 ID:LQWq+rNG
>>551 文献学、原典批判研究という言葉を知らなかったのか・・。
なら仕方ないw
553 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 01:19:52 ID:pxlTDYJO
>> 旧7氏へ 2、3箇所、輪廻に言及しているところがありましたが、私の極論では 「出家、在家共々滅亡との設定ですので来世そのものがありえません。 人間以外の虫や動物になって来世を歩むとの仮定で話を繋げることもできますが 論点がぼやけるので、止めましょう。」 さて、非常に長文のレスなので要点がまとめにくいですが、ポイントは 1 「いわゆる『在家の発心』に最上の価値を認める」 2 「他者の救済や慈悲は、《【自己の精進に】【付随する】もの》です」 この2点でよろしいですね?(間違っていたら、指摘してください) まず1ですが、これは 「在家の発心」に最上の価値を認めるというものですね。 在家が皆、仏道を歩み始め、その結果出家、在家共々、解脱することなしに 共倒れで滅亡しても、『在家が発心』したことこそ価値あることで、これは 自己の解脱という目標を犠牲にしても良いほどの価値がある。 解脱というゴールにたどり着いたか否かは二の次。何よりも、そこを目指す 姿勢、過程に価値を見出すべきであるから、「自己が解脱する機会が失われ ようとも、在家の発心を促すべきである」 このような見解ですね? 確かに、このような見解であれば矛盾はありませんね。 ゴールにたどり着いたか否かは、さして重要ではない。それを目指すことが 重要なんだという見解であるならば、共倒れが自明であり、解脱不能が明らか でも在家に仏道を歩むことを促すことに矛盾はありません。
554 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 01:21:25 ID:pxlTDYJO
2は「個人の修行、精進を最優先させるべきであり、他者への慈悲は、あくまでも 付随的なもの。すなわち、全生命が解脱することは、確かに最上の理想かも しれないが、まずは、「個」が解脱すること。このスタンスであるならば、 「もし問われるならば」仏法を説くこともしよう。しかし、自ら進んで仏法を 説いて回ったりはしないし、ましてや在家に仏道を勧めたり、その最善の形態と 考えられる出家を薦めたりすることは、もちろん行わない。 これもいいでしょう。何よりもまず、自己の解脱、修行を最優先に考える。 それの障害になる「在家への解脱の薦め」などは、もちろん拒否。 (在家が皆、出家して共倒れになることを避ける) 在家の出家への転進は、「自己の修行の妨げにならない範囲」で、 共に歩む友として歓迎する。 大雑把に言うと1が大乗、2が小乗ということになりますか? 2は、「自己の修行が最優先。その妨げになるなら、出家を薦めること自体を しない。」 1は「自己の解脱、および、それへの修行よりも『在家の発心』を優先。 たとえ、自己の解脱の機会が失われようとも在家が発心すれば、それで良し」 これは思考実験なので、1も2も極端な形でパターン化しましたが、結論としては 1か2のスタンスで論理矛盾を解消できるということですね。 (方向性は正反対ですが)
555 :
旧7 :2009/09/20(日) 01:42:28 ID:D5gHC9B5
>>553 いやいや、(個人的には)最大の目玉は、
>>524 > (まじめに、正しく、怠らず、無駄な時間なく)行じれば、完遂できるものである、と。
> よーするに、【まじめにやれば、あっという間】だってことさw
> 飢え死にする前に、みんな「覚悟完r・・・いや、「解脱完了」だw
ですよw
>>554 は、全く違いますね。
特に
>それの障害になる「在家への解脱の薦め」などは、もちろん拒否。
ということはない。
貴方も宝珠の
>>549 (
>>551 )のように極論がお好きなようですね。
拉致監禁して勧誘しないだけで、求めがあればそれには当然応じることになる。(律の規定は今は措く。)
>大雑把に言うと1が大乗、2が小乗ということに
は当たりですが、
だからと言って、2のスタンスが、他者を、衆生を蔑にするものではない。
「おしえ」は常に説かれる。そして、望む者に扉は開かれている。
律蔵大品をよく読んで欲しい。
成立の過程、時期等には疑義が挟まれるかもしれんが、そこには、
経蔵で説かれる「おしえ」の全てが、そのエッセンスが、
「“菩提樹下から二大弟子の帰依まで”の仏伝」という形の中に詰め込まれている。
1でも2でも、「共に餓死」が選ばれることに変わりはありません。
556 :
旧7 :2009/09/20(日) 01:49:13 ID:D5gHC9B5
大型連休か・・・。 みんな、どっか出掛けんのかな・・・。 (´・ω・`) おやすみ ノシ
557 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 02:10:31 ID:pxlTDYJO
>>555 >貴方も宝珠の
>>549 (
>>551 )のように極論がお好きなようですね
あのですね、これは初めから「極論における思考実験」でしょ?
それなのに、何故このような発言がでるのですか?
>「おしえ」は常に説かれる。そして、望む者に扉は開かれている。
だから、「自己の解脱」を最優先の目標とするのであれば、全ての在家が
出家に転進して自己の修行の継続が妨げられる事態は、避けられなければ
ならないでしょ?あなた自身が
>>526 でかいているでしょ?
自己の解脱以外に優先する価値を設定するのであれば、結局、1と同じに
なりますね。
558 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 06:00:28 ID:EjZPzjXM
>>530 外道+小乗だな〜 普賢行が美しいだけではなく大乗の核心なんだが
559 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/20(日) 07:43:40 ID:VvIFRe4A
>>532 在家氏
>「涅槃に入りつつあるものは入らず」でありんすを
>確認致しました。
>釈尊は悟った後に布教に立ち上がりましたが、
>本ネタは涅槃入りしましたので
この書き込みからすると、貴殿はなんも解ってないようです(笑
(
>>542 が正解)
中論は非常に難解なのであります。
逆説的表現をどう解釈するか?
ってところがポイントですね。
ああ、でもこれをまた解説しても誤解の恐れがある。
(例の「台風は動いていない」で、解説が無駄なのは学習してますからw)
>以降は質問を控えることと致します。
了解しました。
560 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 08:09:54 ID:z2sB32OC
エーと、 やっと資料のページができました。 あ〜ぁ、時間がかかりました・・(待ちきれずに去った方には大変、申し訳ないm(__)m)。 私、宝珠愚者がこのアートマンスレで主張したいのは以下の3点でした。 --要約-- 1.ブッダは「アートマンはない」などとは説いていない 2.ブッダは求めるべき(真実の)自己について説いた(これもアートマンである) 3.ブッダの説くニルヴァーナとは永遠不変の境地である ただ残念ながら、 3.の涅槃の永遠不変性については今回の資料では提示されてはいません。 ここにupした資料は書籍(抜粋)からのコピペであり、わたし個人の意見などは全く入っていません。 単に、転載文を横書きで統一し、漢数字はアラビア数字に直しただけです。書籍からの打ち込みは 5冊(恐らくネット上、初公開 !?)で、ネットのウェブサイトからのコピーは2ヶ所です(元情報はリンクし てあります)。すべてこのスレで初めてのものに厳選し、既出ものは外してあります。 この資料を読まれるならば、ゴータマが本来、説いた「無我」の教えとは、「アートマンはない」などい う形而上学的な意味での存在そのものの否定意なのではなくて、「非我」(「それらはアートマンでは ない」というもの)であった。「アートマンはない」などとは説くことは有り得ない、ということがわかるも のと思います。 後代の、「アートマンはない」という「無我論」として改変され伝えられるに至ったその原因を作った のが、部派仏教に由来するものだという疑いが非常に高いということ。 また、バラモンの説く形而上学的なアートマンの実在論ではなくて、ゴータマの独自の視点から真 実の自己を探求することを説いていたということが見えてくるのです(これも「アートマン」として述べ ているのです)。つまり、それが仏教の目指す理想としての自己であり、修行者としての理想の姿で あり、そして最終的には塗れた煩悩を引き剥がした末に立ち現れる自己ということでしょう。
561 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 08:18:45 ID:z2sB32OC
このスレ中で天才だと賛辞を贈っていた方がいましたが、確かに石飛道子女史の解説は現時点
における一般書として入手できる最高レベルのものではないか、と私も思いました。ただし、その方
は「自己(アートマン)はない」と石飛氏が結論づけたように主張しましたが、それは違うと思います。
それは中論上での龍樹(彼はアートマンの存在否定論者)の主張ということなのでしょう。石飛氏は
あくまでも非我論者です(彼女のサイトでも確認済み)。
私としては、
この資料が皆さんの仏教理解にとって役に立つものであればとても幸いです。
本来の無我説:
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
562 :
前世は一在家 :2009/09/20(日) 08:24:22 ID:zarpeIOA
>>542 >君がいみじくも指摘したように、竜樹には、縁起の解釈と展開において、
>釈尊を抜いた、という自負が感じられる。
>>559 机氏
>この書き込みからすると、貴殿はなんも解ってないようです(笑
ええ、私もこれ以上「中論」を学ぶことはペンディングすることにします。
これまでの学習で私なりに分かったことは、釈尊は偉大な宗教者であり、
一方龍樹は偉大な哲学者であったということです。
個人的な定義で恐縮ですが、宗教者はロジックよりも衆生の救済に重きを
置きます。所謂「衆生済度」の発願です。
時には前言と矛盾していても、相手の苦しみを読みながら方便で説かれた
ことでしょう。
一方哲学者は衆生の救済はドントケアでロジカル証明に重きを置きます。
龍樹の最期のせりふ「君(達)は私がいない方がよいと思うか?」に鮮明に
実証されておりますね。
さて皆さんの師は偉大な宗教者ですか?
それとも偉大な哲学者ですか?>本スレ住人各位
563 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 09:29:40 ID:pxlTDYJO
>>561 何ら目新しい、説が見当たらないんですが。
以前あった(まとめ1〜4)と同じですね。
「現象界にはアートマンと言えるものはない」→「認識不能域については無記」
→「アートマンなど、どこにも説かれていない」 終了
これと変わりありません。 以下、再掲しておきます。
まとめ(その1) 仏陀のスタンスについて
ブッダは経験・観察できない世界(形而上学の世界)に関しては沈黙し、(無記)
経験・観察できる世界においては無我(アートマンの否定)を主張した。
すなわち、仏陀は「認識不能域」については無記とし、
認識可能域(現象界)においては、はっきりとアートマンを否定した。
マールンキャプッタよ、ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。
わたしが説くことは説くと了解せよ。
(ブッダ、「毒矢のたとえ」)
564 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 09:30:42 ID:pxlTDYJO
まとめ(その2) 仏陀の否定法について ブッダは形而上学的ことがらについては沈黙したといわれるのですから、 「アートマンは存在しない」となどと主張せず、知覚し経験できる、 人間存在を成立させている要素(色・受・想・行・識)のひとつひとつに対して、 これも非我なり、これも非我なり、と否定する方法を取ったわけです。 たとえば、ある図書館において、「その本はない」などと言わず、 その図書館の蔵書すべての本をひとつひとつしらべて、「これはそれではない」 「これもそれではない」とすべての本について否定する、という方法がとられているわけです。 その結果、「その本はない」といわなくても、その本が、知覚し経験できる範囲には、 存在しないことが示されるのです。 仏教はジャイナ教と同じく諸要素の集合論をとる。しかし、ジャイナ教が業物質の担い手 としての霊魂(ジ−ヴァ、生命体)を想定したのに対し、仏教は肉体を物質(色) の要素一本にまとめる代わりに、こころを感覚(受)・想念(想)・意志(行)・認識(識) の四種の作用に分解し、そのいずれもがアートマン(霊魂)ではない、という論理で、 間接的に霊魂の実体性を否定し、同時に業とはそれらの心身の営むはたらきとみることで徹底した。 (高崎直道、『インド思想論』、法蔵館、12頁) 仏典のいわゆる無我説法といわれる経典は、いずれも、まことにみごとなまでに、 そのことを徹底しています。つまり、「アートマンは存在しない」 となどという形而上学的主張に陥らず、知覚し経験できる事柄(諸法)に関して 「これも、これも、どれも、永遠不滅のアートマンではない、 なぜなら知覚し経験できる事柄(諸法)はすべて変滅するから・・・」と主張する方法 が取られているわけです。これが仏教の永遠の魂(アートマン)否定の方法だったわけです。
565 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 09:33:08 ID:pxlTDYJO
まとめ(その3) 認識不能域について 仏陀は現象界を超越した認識不能域において「アートマンが存在する」と推論したり 主張することを『おろかな考え』 『独断』 と激しい言葉によって排斥している。 知覚し経験できない世界に関しては、ブッダは、つぎのような言葉を 「一切」という短いお経の中に残しています。 比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。 「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、 耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、 身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。 これが「一切」と呼ばれるものです。 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、 それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、 その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、 彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。 (サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3) だから、ブッダの言う「一切」とは別の「一切」を考えて、アートマン(永遠の魂)説 に立脚して、「我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう」などと考えるのは、 「まったく愚かな教え」であると、これを否定しました。
566 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 09:34:12 ID:z2sB32OC
>>561 ご紹介した、
『講座 東洋思想5/仏教思想T』の方は本文を大幅に省いて掲載したものであり、
「無我」についての全文は究めて膨大な文章量です。
関心を持たれた方には是非、お奨め致します。
価値は大きいです(たぶん絶版にて古書探しの必要あり)。
また石飛著は、10年に一冊の名著と評する人がいますが、
私もその通りかと思いました(こちらも無我の解説は大長文)。
『講座 東洋思想5/仏教思想T』東京大学出版会刊¥2,520 (税込)
石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社刊¥1,575 (税込)
567 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 09:37:29 ID:pxlTDYJO
まとめ(その3) のつづき 「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではない のであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、 『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、 まったく『愚かな教え』であると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく『愚かな教え』であると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22) ヴァッチャというある修行者がブッダを訪ねて、「世界は常住であるかどうか」 「世界には辺限があるかどうか」「霊魂と身体は一つであるかどうか」 「人は死後にもなお存在するかどうか」などの質問をしますが、これらの問いに 関してはブッダは意見を持たないことをヴァッチャに告げます。そこで、 ヴァッチャは、「いったい、世尊は、いかなるわざわいを見るがゆえに、 かように一切の見解をしりぞけられるのであるか」と問います。そこで、ブッダは答えます。 ヴァッチャよ、そのような種類の問いに対する見解は、 『独断に陥っている』ものであり、 見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。 (マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)
568 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 09:38:25 ID:pxlTDYJO
まとめ(その4) 最終結論 すなわち、知覚し経験できる事柄にはアートマン(永遠の魂)はない。 なぜなら、わたしたちの知覚し経験できる事柄はすべては変滅するからである。 知覚し経験できない事柄に関しては沈黙すべきである。なぜなら、そのような事柄は 人間の認識能力を越えており、真実として確立できるものではないからである。 仏教の無我の思想(アートマン説の否定)というのは、厳密にに言おうとすれば、 このように二つの側面に分けて理解すべきである。 仏教はさまざまな思想を含む複雑な思想ですが、アートマン説(すなわちアートマン が存在すると主張すること)だけは一貫して否定してきました。 この無我の思想だけは、始めから今日に至るまで、すべての教派を通じて、 一貫して伝えられてきた仏教の本質的伝統です。 「心身関係」対「個体のアイデンティティー」の本性についての、ブッダの見解は、 無我論の原則にしたがっています。その原則は、存在を構成するスカンダ(蘊)、 つまり心理・身体的集合体のほかには、それから独立の、自律性を持った、 永遠に生き続ける魂などはない、というものです。 これは、仏教のすべての宗派に共通で、普遍的な教義です。 (ダライ・ラマ、『ダライ・ラマ、イエスを語る』、角川書店、108頁)
569 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/20(日) 09:39:01 ID:VvIFRe4A
>>562 在家氏
>さて皆さんの師は偉大な宗教者ですか?
>それとも偉大な哲学者ですか?>本スレ住人各位
仏教は、宗教・哲学双方からアプローチできますし、
むしろそういう垣根さえいらないですね。
(本家の印哲がそうですから)
旧7氏が、「聖」だとか「俗」だとか講釈しているようですけど、
そういうのもあまり意味はない。
釈尊や、龍樹、慧能など、世俗的にはパーフェクトではないですから。
(パーフェクトな人間など、誰もいない)
その人格云々というよりも、
思想家として尊敬しておるのであって、
龍樹も、一時期は釈尊を抜いたと思ったらしいですけど、
中論の冒頭にありますように、
「敬礼たてまつる」ってのは、やはり法を求める者として、
全ての仏教徒が、先達には敬意をもってます。
それは法の開拓者だからです。
570 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 09:48:34 ID:z2sB32OC
>>565 >だから、ブッダの言う「一切」とは別の「一切」を考えて
これは違うと思います。
(その他のあなたの理解による説明は正しいと思います)
わたしは、
『誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき 』(SN. 33.1.3)
とある「一切」の否定などはしていません。この一切について了承した上で、
アートマンは一切ではないものには該当しないといっているのです。
それは別の一切ではないということ。つまり、一切外の話しです。
「一切」とは現象世界であり、知覚されえない認識領域世界のことです。
ゴータマは一切ではない世界があるといいました。
もちろんニルヴァーナがそれにあたるわけですが、
元々、現象界を超越した概念であるという意味においてはアートマンも同様なのです。
従って、これについてはゴータマの否定はない、と思います。
まっ、それしかいえない・・・。
それしか述べられてはいないでしょう。
あとは私個人の信仰の問題です。
571 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 10:11:55 ID:pxlTDYJO
それでは最終結論 この現象界には、言うまでも無く「アートマンなどはない」 また、「現象界を超越した認識不能域にアートマンが存在する」と推測 したり、論じることは『愚かな考え』であり『独断に陥っているもの』 である。 すなわち、「仏教においては」アートマンの存在などは、現象界、および 認識不能域の双方において説かれていないのであり、それを肯定する 教義、仏説はない。 以上、最終結論がでました。
>>570 おまいのは、先ずアプリオリに自分の結論を固定しておいて、
あとはご都合主義的につじつまあわせの詭弁を弄するもの。
まったく『愚かな主張』であると言えないだろうか。
573 :
旧7 :2009/09/20(日) 10:38:17 ID:D5gHC9B5
>>558 同意ですよ。(どちらの台詞もねw)
ただ、中華のフルコースは確かに美味しそうだし(・・・利が、役立ちがあるし)、
たまには食べたいし(・・・魅力があるし)、
腹も膨れるだろうし、(油分は多いかもしれんがw)漢方の影響はあるだろうし(役立ち・効果はあるだろうし)、
良いけれども、自分はやっぱり
「サンマの塩焼きに大根おろし、飯汁漬物でいいやw」ってこと。 (だから、「その他雑感」w)
昔は、スローガン的なもの、或いはスローガンの美しさ自体を嫌っていた所もあったからね。
今は、美しいものは美しい(役立つものは役立つ)、(ちゃんと意味がある)、と素直に受け止めてるよ。
「四弘誓願」は素晴らしいと思うよw (ま、実際、植木等だけどなw)
>>570 おまいの
>>570 での主張については、各々の論理につき
既に詳細に論破済み。
まだ平気でぶり返し主張するカエルの面に小便的態度は大したものだ。
カルトの鏡だな。
575 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 11:23:18 ID:z2sB32OC
>>570 しかし、
否定論者たちは表現(言葉使い)が汚いな。
痛いところを突かれるので、
心の中での“動揺と葛藤ぶり”がそのまま反映されているものとお見受けしますw
576 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 11:24:19 ID:z2sB32OC
577 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 11:39:51 ID:z2sB32OC
>>571 >また、「現象界を超越した認識不能域にアートマンが存在する」と推測
>したり、論じることは『愚かな考え』であり『独断に陥っているもの』である。
問題はここでしょうね。。
認識不能域というのはあくまでも凡夫のものであり、
修行が進めばその状況は変わるのです。
つまり、常人に捉えられないものが捉えられる状態となるということ。
しかし、このことを凡夫に説いても、所詮、理解され得ないものであるから説くことを辞めたのであり、
議論に耽ることなく“実体験せよ”ということ。そうすればわかる、と。
このことは、
理解できる者には何ら障害とはならないのです。
578 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 11:48:31 ID:z2sB32OC
ということで、 以上をもちまして私からの無我(と、仏教におけるアートマンの話し)についての主張は、 これにていったん終了としたいと思います。 スレの住人の皆さん、 及び多くの閲覧者の皆様、 永い間、ご静聴ありがとうごいました(実際は罵声の荒しでしたがw)!
579 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 11:51:08 ID:KEyxbmCb
真我→真実の「我」、つまり認識者自身である「我」は、「現象界を超越した認識不能域」なのだ。
580 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 11:51:59 ID:dvTnhruu
>>577 だから、それは神智学の解釈でしょ?
どの仏典に「修行が進み常人でなくなれば、認識不能域にアートマンが存在することがわかる」などと記述されていますか?
581 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/20(日) 12:01:47 ID:VvIFRe4A
>>577 法珠氏
>修行が進めばその状況は変わるのです。
>つまり、常人に捉えられないものが捉えられる状態となるということ。
ある程度、修行を積むと、禅でもこの境地にはなる。
(これは自己暗示ということもあって、一般的には誰でもなる)
止観というのは、この状態で留まることだろう?
白隠が何度も「大悟」を連発したのは、このことだよ。
たぶん師は感情の起伏が激しかったのかと思う。
非常に大袈裟な表現で記述してるから。
禅では、この状態は達観したような印象があるが、それはどうだろう?
むしろ精神的には非常に不安定です。
(何故不安定なのか?ってのは、その時点ではなかなか解らない)
これが続くようだと、禅病とか神経衰弱とかなる。
(白隠の弟子は、これで自死してる修行僧数名がいる)
582 :
1/2 旧7 :2009/09/20(日) 12:13:45 ID:D5gHC9B5
>>557 > あのですね、これは初めから「極論における思考実験」でしょ?
でしたら、
>>333 (或いは
>>437 )の返答で全て終了でしょう?
極論に於ける思考実験で極論としての問いならば、
極論としての、定型的な答えがでるのは当然です。
(さりながら貴方自身が、その定型外のことを問うているように見えたのです。)
> それなのに、何故このような発言がでるのですか?
ただ、それでは満足されていないようなので、違う答え方をする為に、
極論としてのレベルを一旦少し下げました。その上で、もう一度定型的答えに戻った形になります。
また、何よりも、
>>554 に於ける
> それの障害になる「在家への解脱の薦め」などは、もちろん拒否。
や、
> 2は、「自己の修行が最優先。その妨げになるなら、出家を薦めること自体をしない。」
という言い方が、(問いとは別に!)極論だと感じたのです。
なぜなら、少なくとも私は、「自己の修行の【障害・妨げになるから】」とは言っていない筈です。
また、
> 「もし問われるならば」仏法を説くこともしよう。しかし、自ら進んで仏法を
> 説いて回ったりはしないし、ましてや在家に仏道を勧めたり、その最善の形態と
> 考えられる出家を薦めたりすることは、もちろん行わない。
これも、極端な誤解である、と。
問われずとも説く。そして、相手が現状で良いと考えるなら、それはそれで尊重する。
なんとなれば、「おしえ」は、その殆どが【出家の素晴らしさを讃える】ものだからです。
だから、その上で、出家を望む者には「来なさい」と言うし、
そうでない者には「善をなし悪を為さないようにしなさい」と言われるのです。
出家に関することを、秘匿し、私物化し、外へ出さないということはありません。
出家は常に薦められているのです。
583 :
2/2 旧7 :2009/09/20(日) 12:14:53 ID:D5gHC9B5
>>557 > あなた自身が
>>526 でかいているでしょ?
(私の書き方のせいでしょうが・・)誤読です。
受験の倍率を下げるような形で他者を排除するものではない。
結果として餓死が待っていようとも、受験を望むものに受験をあきらめろとは言わない。
倍率が上がることを已む無しとして受け入れる。
> 建前の裏に「自己満足」や「自分の救済」が強固な前提と と記した後、(・・・この文ですね?w)
なぜ、《【自己の精進に】【付随する】もの》 という言い方をしたかと言えば、
『他者の向上を排除するものではない』ことを示したかったからだ。そのよう利己的なものではないからだ。
単純に、「噂ではあの店、美味しいらしいよ?」ではなく「あの店は確かに美味しいよ」だからです。
この違いが解って頂けるだろうか・・・。
> 自己の解脱以外に優先する価値を設定するのであれば、
優先順位が1番2番であったとしても、そして、たとえ極論に於いても2番を却下はしないのです。
1番と2番はセット物です。少なくとも、そのように考えることが、
釈尊が菩提樹下から立ち上がった意義を伝承してゆくことだからです。
ですから
> 結局、1と同じになりますね。
その通りです。
>>555 最後の行となるわけです。
584 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 12:16:07 ID:z2sB32OC
>>580 このアートマンというものは、凡夫にとっては認識不能域のものですが、
修行が進むことで認識できるものとなります。
しかしながら、尚且つ、バラモンのアートマン論とは異なり、
これは“永遠不変性”ではなく、縁起しているスパーンの永い無常の存在なのです。
究極のニルヴァーナにおいてはこのアートマンは消失し、
唯一なる真我がそこに立ち現れるのです。
以上のことは
私たちだから理解できるものなのであり、
仏典解釈だけでは無理がある、ということで構いません。
(意義なし)
>>581 暗示解釈などは辞めて下さい。
所詮、“唯物論者”には理解不能域の話しです。
無理に理解する必要はないです。
言葉でわかろうなどとしてもあなた方には無理ですよ。
ごく僅かな一部の人にしか・・。
“唯物論者”には内容を稀薄にすることしかできない。
論破されたら居直るのはいつもどおりのカルトの手口だw 曰く >凡夫にとっては認識不能域のものです >私たちだから理解できるものなの >理解不能域の話 >あなた方には無理 ・・・・・・・・・ おんなの腐ったのが、「あなたたちは、私の気持ちが分らないのよ!」って ヒステリックに泣き喚くのと同じだ。 フィクションや実証不能の妄想戯論だけなら誰でも語れる。 信じるものが救われる、は仏教ではない。
197 神も仏も名無しさん sage 2009/09/14(月) 05:46:01 ID:R+tBAqZp 「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、 このようなものに立脚した教え、 つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、 まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22) もうこのスレ終了。
>>584 > このアートマンというものは、凡夫にとっては認識不能域のものですが、
> 修行が進むことで認識できるものとなります。
ゴータマはそれが認識できるかどうかについて言いたいのではなく、
それが「真実ではない」と言いたいのではないでしょうか。
> 唯一なる真我がそこに立ち現れるのです。
それは「愚かな教え」であるとゴータマは断定しています。
> 以上のことは
> 私たちだから理解できるものなのであり、
> 仏典解釈だけでは無理がある、ということで構いません。
> (意義なし)
ということは、ゴータマの真意について完全に無視しており、
今後ゴータマの真意について語る資格を持たない、ということではないでしょうか。
588 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/20(日) 13:51:28 ID:VvIFRe4A
>>584 法珠どの
>無理に理解する必要はないです。
>言葉でわかろうなどとしてもあなた方には無理ですよ。
いやいや、そうじゃなくて、
瞑想の初期の段階では、誰でも「イケイケ覚醒状態」にはなるんですよ。
止観とか禅とかは関係なしになるんです!!
禅では、この段階は陶酔状態、という位置づけです。
つまり精神的にラリってる状態ですよ。
白隠は、この状態で「自分ほどこの境地に達した者はおらんだろう」。
とか思ったくらいですから、
いかにこの段階においてはインパクトがあったのかと推測する。
(普通はそこまで大袈裟には考えないですから)
で、禅ではこれを魔境とか言うんです。
ここで脱落する僧もいるくらいですから、ここから脱するのは
かなりの精神的に安定した状態でないと無理です。
>ごく僅かな一部の人にしか・・。
そうじゃなくて、誰でもラリルのは簡単なのです。
(かえって、ここに留まるのは危険です。禅病のリスクあり)
しかしながら・・・ここからが難関なんですね。
ここから一大インパクトがありまして・・・般若の空は完成です。
589 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 14:33:23 ID:RUG3tpAT
>旧7氏へ あなたの「仏教学者」としての名講義を、是非、竜樹についてもお願いします。 竜樹の超難解度にくれべれば、原始仏典などjokeのようなもの。一読すれば、 誰にでも分ります。 それから、世界最大の思想家との評価もある、「道元」につての講義もお願い します。 最も難解なこの両者を、省略しておられるw。 原始仏典が、宝珠愚者や在家氏のような「他宗教のカルト」に「利用される」 という弱点があることにつては、「仏教学者」として反省の余地があるのでは ないでしょうか。
590 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 15:13:48 ID:RUG3tpAT
>>562 >一方哲学者は衆生の救済はドントケアでロジカル証明に重きを置きます。
>龍樹の最期のせりふ「君(達)は私がいない方がよいと思うか?」に鮮明に
>実証されておりますね。
それはちょっと浅いよ。
人は、自分独りで存在しているのではなく、このあるがままの世界、万物との
相互依存の産物であり、「自他の同一性」「自己と万物との同一性」の自覚が
あって、初めて、精神のゆるぎない安定と充実した平安、即ち「救済」が得られる
ものなのだよ。
スピノザの「神、即ち自然」も同様な趣旨である。スピノザも一読されること
をお勧めする。
>>589 > 原始仏典が、宝珠愚者や在家氏のような「他宗教のカルト」に「利用される」
> という弱点があることにつては、「仏教学者」として反省の余地があるのでは
> ないでしょうか。
それも問題であり反省の余地があるが、
竜樹の中論がレイプ肯定論者に利用されるということの方が問題。
宝珠愚者や一在家はただの変な人でしかないが、
レイプやセクハラを肯定するのは犯罪者もしくは犯罪予備軍。
> スピノザの「神、即ち自然」も同様な趣旨である。スピノザも一読されること
> をお勧めする。
スピノザはよく読むが、「同様な主旨」ではないようだ。
該当箇所があるなら引用してみてもらいたい。
592 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 18:03:03 ID:RUG3tpAT
>>591 >竜樹の中論がレイプ肯定論者に利用されるということの方が問題。
竜樹の「縁起・空」を理解すれば、「自他同一」が悟れるから、他者を犯す
ことはない。「夜這い」は、竜樹が、大自然の摂理、即ち「法」に従った
もの。女も、男の夜這いを心待ちしていたのである。「セクハラ」と称して、
異性に対する愛着心とアプローチ自体を禁止するような愚かなこと、「法」に
違反することをすれば、人類は滅亡する。その兆しは、「小子化」や「セックスレス」
として、既に現われているではないか。
スピノザは、あるがままの自然そのものを「神」とした。自然に神が「宿る」
のではない。しかし、自然の構成原理としての「相互依存性」には思いいたらな
かった。その点で、竜樹とは、格段のレベルの違いがある。
593 :
旧7 :2009/09/20(日) 18:38:20 ID:D5gHC9B5
>>589 やだねw
だって、中論はレグルス文庫を一読しただけだしw、
道元は正法眼蔵読んでないしw、又聞きだけだしw、
そもそもできないから、茶々入れしかしてないわけだしw
どっちも難しいからヤダ。 (´・ω・`)
>反省の余地が
無理っしょwww
だって、仏典の実際の記述が、利用可能な状態で記されてるんだから。
あとは、
私が、真言氏始め多くの人から外道呼ばわりされるのを覚悟で解釈の亜流を示しているように、
読み方の重要性を発信していくしかない。
でなければ、仏典そのものを廃棄する必要に迫られる。
しかし、流石にそれでは行き過ぎなんで、間を取って、
やっぱり、(解説の、解釈の)言葉を紡いでいくことになる。
地道で、遅々としたものではあるが、それしかないと思うわけで・・・w
(※片山さんの「入門」も、そうした方向性の中の貴重な一書と位置付けても良いと思う。)
594 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 19:25:15 ID:0i7UrVyl
>>693 今からでも遅くないから、是非読んで、講義してください。名講義が勿体無い。
正法眼蔵読まないで卒業できる駒澤大学って、フゥー、「いい大学」だなw。
緑ヶ丘に住んでた頃、駒沢公園には、よく遊びに行ったものですよ。
レグルス文庫って、確か翻訳でしょ。ガイジンは中論をどう理解しているのか、
興味があります。
595 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 20:23:27 ID:EjZPzjXM
>>568 みごと。終了ですね。アートマンは否定されたと。
596 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 20:32:35 ID:EjZPzjXM
>>570 それは違う。この一切以外に別のものはない。
それをパユトーとダライラマ猊下、テーラワーダと大乗が口を揃えて、
アートマンを否定しているということ、
お二人ともヒンドゥーや西洋人はこの一切以外にアートマンを想定して、
アートマンを擁護します。あなたと同じように。
しかし、それが誤りだと明言してますね。
この論理はテーラワーダ、大乗を問わず一貫したものですよ。
パーリ『梵網経』以来。
それと「一切」が凡夫の知覚領域だけではなく、
三界や三時を含むことも『梵網経』から一貫してます。
そこを常識が一切と誤解するのが凡夫の見解、
貴方のは外道の見解だと『梵網経』に明かです。
597 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 20:34:58 ID:EjZPzjXM
>>573 オレは毎日中華でOK!
「四弘誓願」をスローガンにしちゃいけない、
「四弘誓願」だからこそ一切智にいけるのだから。
598 :
旧7 :2009/09/20(日) 21:10:58 ID:D5gHC9B5
599 :
旧7 :2009/09/20(日) 21:21:26 ID:D5gHC9B5
600 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 21:34:51 ID:z2sB32OC
>>596 >それは違う。この一切以外に別のものはない。
また、肝心なところで・・
そういうテキトウなことをいう・・。だから、ダメなんですよ!
それじゃ〜締めくくりにならないでしょw
『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教
では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加える
ようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始
仏教とは違った性格のものとなった。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷p143)
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では
一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(同.p127)
無為も含めようとするのは部派仏教であり、本来のゴータマの教説ではないといってるでしょ。
「一切」とは現象界に限定されるのだといっているのです。そして、一切外のものがあるとゴータ
マは教えた。それがウダーナ8.:3です。〜勘弁して下さいよ!
『生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。もしも生じないも
の、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、生じたもの、生成したもの、
つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、生じたもの、
生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるの
である。』(ウダーナ8:3)
「一切外はニルヴァーナだけです」と、あなたがいうのならば、私は黙ろうかと思うけれども・・
「一切外はない」などという虚言を吐く。
どうもあなたの理解や発言というのは・・殆ど部派影響によるものではないかとさえ思えてきます。
確かに古い諸派ですが・・。
601 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 21:40:37 ID:EjZPzjXM
>>598 文字通り誓い、そしてそしてそれこそ菩提心、
しかも、三輪清浄なら勝義の菩提心。
602 :
旧7 :2009/09/20(日) 21:44:20 ID:D5gHC9B5
603 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 21:50:06 ID:EjZPzjXM
>>600 > 『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教
>では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加える
>ようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始
>仏教とは違った性格のものとなった。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷p143)
>
> 『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では
>一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(同.p127)
>
> 無為も含めようとするのは部派仏教であり、本来のゴータマの教説ではないといってるでしょ。
だからこそ、君の理解は部派にほかならない。
つまり、釈尊は現象界以外は想定しなかった。
涅槃というのは現象が鎮まった境地、それは実在するものではない。
それを述べるのが以下のウダーナ、実在/現象の二分法ではない。
これはハッキリしている。君がただただ『梵網経』の外道解釈なだけ。
>「一切」とは現象界に限定されるのだといっているのです。そして、一切外のものがあるとゴータ
>マは教えた。それがウダーナ8.:3です。〜勘弁して下さいよ!
>
> 『生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。もしも生じないも
>の、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、生じたもの、生成したもの、
>つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
> 生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、生じたもの、
>生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるの
>である。』(ウダーナ8:3)
604 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 21:51:44 ID:z2sB32OC
>>599 う〜む。
こんなにも立派な論文があるのですね!
途中までは読みました。確かにこれは面白いです。
ただPDFは見辛くて疲れる・・(皆さんはそんなことないのかな?)。
是非、要点を纏めて投稿して欲しいものです^^
605 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 21:52:05 ID:EjZPzjXM
> 「一切外はニルヴァーナだけです」と、あなたがいうのならば、私は黙ろうかと思うけれども・・ >「一切外はない」などという虚言を吐く。 虚言ではない、君の理解は仏教ではチベットのチョナン派などと真言宗の一部の現代解釈だけしかないと思うぞ。 ああ、あるいは日蓮系がそうかも、オレはそっちは知らないから。
606 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 21:55:08 ID:EjZPzjXM
>>602 いや、この見解、心こそが一切智への門に他ならない。
これが分かんないと大乗はほど遠い。
縁起とかのテーラワーダの見解は結構、よく理解してると思うけど、
大乗はまだまだですな。
607 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 21:56:04 ID:z2sB32OC
>>603 では、その“現象が鎮まった境地”というのは、どんなものなのか?、
現象界なのか?現象界外なのか?認識領域なのか?非認識領域なのか?
説明して下さい。
言語を超えた境地で説明不能・・
といって、それで済まさないで欲しい。
608 :
旧7 :2009/09/20(日) 22:01:05 ID:D5gHC9B5
>>604 他人のレスを読んでない証拠か?w
つ【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226102674/124 124 7 sage 2008/11/15(土) 16:44:45 ID:Cj97H0TG
探して読める人は参考にどうぞ。
論文自体への評価は別にして、大変興味深い内容(結びの文)になっていますw
|, ,_
|∀゚)
| つ「ブッダの自我と無我について」―『駒沢大学仏教学部論集』3(1972)所収(p.31〜50)
つーか、プリントアウトしろよwww そのためのPDF化だと思われるが?w
609 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 22:03:46 ID:z2sB32OC
>>608 はーいよ、ごめんねぇ^^
今、プリント中です!!!
(親切に感謝!!!)
610 :
旧7 :2009/09/20(日) 22:07:05 ID:D5gHC9B5
>>606 「スローガンとして機能している」と言ってるんだが?w
それは、菩提心の崇高さとは関係ない。
(ま、私が砕け過ぎなのかもしれんがw)、
貴方の語り(≒語彙、用語、語用)はカタイのだと思われる。
仲間内で使われる隠語が多用され、隠語のまま外へ発信されている感がある。
総じて、偏狭な印象があるぞw
>この見解、心こそが一切智への門に他ならない。
そう。
胸に抱き、高らかと掲げ、旗印としての宣言でもあり、それを軌として歩んでゆく・・・。
十分スローガン的だと思うが?
それとも、『「スローガン」という言葉が、「誓願」の持つ崇高なイメージを貶めている!』
という糾弾かな?w
611 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 22:08:11 ID:EjZPzjXM
>>608-609 プリントすんなよ。エコだろエコ。
田上さんは、あんまり評価できないな。
612 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 22:13:35 ID:z2sB32OC
>>611 タハハッ!!印刷終了です。
地球に優しくなくてスマソ^^
PDFなんてモニターで読む気力失せる・・(笑)
613 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 22:16:17 ID:B+U/1RTV
>>600 >『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では
>一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』
これじゃ、諸行無常と諸法無我の違いを説明できないだろ。
無常の現象世界が諸行であり、感覚による現象世界だけでなく意識される世界も
含めたのが諸法ということだろ。涅槃も自覚され意識される境地だから当然意識界に
含まれる「法」だね。だから、アビダルマでは諸法つまり一切法を有為法と無為法に
分類したのだろ。
一切法以外の法がある、というのは一切はすべてであるという論理を無視した無法
に過ぎない。
614 :
旧7 :2009/09/20(日) 22:16:58 ID:D5gHC9B5
>>611 >プリントすんなよ。エコだろエコ。
貴方は、古代インド人並の記憶力と理解力があるのですね。羨ましいwwwww
最近でこそ、ほぼ読むだけでも構わなくなってきたが、
学生の頃は、読む本、コピーした経典、コピーした論文、全て付箋の山、書き込みの山だw
だからこそ頭に入った面もあるし、すぐに「あそこにあったな・・・」と参照できるし、
要点がマーカー引いてあったり、色分けしてあったり、「→○頁」となってたり、
今のPCの検索並の有用性だよ。(今でもなw)
我々凡愚は、【貴方のように聡明で優れていないので】、
こうでもしないと頭に入らないんですよ。 何卒御容赦願いたいwwwww
>>592 > ことはない。「夜這い」は、竜樹が、大自然の摂理、即ち「法」に従った
> もの。女も、男の夜這いを心待ちしていたのである。
スーパーフリーの人達も「同意の上」、
「本人たちが望んだこと」と最初は言っていたな。
やっぱり同類か。
616 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 22:21:00 ID:z2sB32OC
>>605 フーム・・・
私は現代日本語で書かれてあるものに対しての、
文面通りの素直な理解だと思いますが?何故、それのどこがダメなのか??
まーあなたは読むのではなくて師から聞くのだという人でしょう???
それじゃ〜門外漢には分る筈もない・・わ。ほとんど秘密結社の世界ですなぁ^^
つまり、この世界は読んでも無駄ということか!
617 :
前世は一在家 :2009/09/20(日) 22:21:26 ID:KCBfIGB9
>>569 机氏
>釈尊や、龍樹、慧能など、世俗的にはパーフェクトではないですから。
>(パーフェクトな人間など、誰もいない)
人々に惜しまれた釈尊の最期は「私のことをいつまでも頼りにしないように。
自らを燈明に、法を燈明にすること。」だったのでしょうか。
一方、龍樹の最期は対照的で「君らは私がいない方が良いと思うか?」だった
とのことです。
衆生救済を「縁」とした釈尊と、言語世界の哲学を「縁」とした龍樹の
最期「起」は対照的でしたが、皆さんは何れを師と仰ぎトレースされる
でしょうか?というのが私の問いでしたが、貴殿は両者をパーフェクトでないと
見なして、中道を選ばれたということでしょう。
>>592 > スピノザは、あるがままの自然そのものを「神」とした。
言葉としては合ってるけど、意味が違ってるような気がするよ。
> 自然に神が「宿る」のではない。
分っていたら、こういうニュアンスで否定的にはとらえないと思うんだよね。
> しかし、自然の構成原理としての「相互依存性」には思いいたらな
> かった。その点で、竜樹とは、格段のレベルの違いがある。
やっぱり何か分ってない気がする。とりあえずエチカを読んでみるとことをおすすめ。
619 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 22:30:33 ID:z2sB32OC
>>613 >これじゃ、諸行無常と諸法無我の違いを説明できないだろ。
いいえ-同じです。
少なくとも水野氏の理解によれば。
『諸行とは生滅変化する一切の現象法を指し、有為と同義である。すべての現象は一瞬の停止
もなく、無常にして生滅変化するというのが諸行無常である。』(同.p158)
『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。』(同.p160)<諸法無我の「諸法」です>
>>607 > 言語を超えた境地で説明不能・・
> といって、それで済まさないで欲しい。
それで済ませてるのはゴータマ自身ですよ。
つまり、あなたはゴータマが気に入らないわけです。
621 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 22:43:20 ID:z2sB32OC
まっ、あなたに聞いてるわけじゃないけどね! >それで済ませてるのはゴータマ自身ですよ。 >つまり、あなたはゴータマが気に入らないわけです。 それは仕方ない。 時代の限界性、説いている相手に対する限界性というものがある。 私はゴータマは大好きですよ。 ゴータマが気に入らないのではなくて、仏教の持つ限界性についてです。 であるから、自ら外道を歩んでいるのです。どう-これなら文句ないでしょ? 更にもっと気に入らないのは、自称仏教徒たちです(一部の)www
>>621 > ゴータマが気に入らないのではなくて、仏教の持つ限界性についてです。
つまり、にゴータマ自身の限界性とやらが気に入らないんだと思いますよ。
好き言う割には、ゴータマのいう「愚かな教え」にしがみついていますしね。
自分の矛盾に気がつかないだけではないでしょうか。
624 :
不説 :2009/09/20(日) 23:22:46 ID:LPG5Vov7
>>599 素晴しい論文ですね。一気に読み通しました。ご紹介に感謝いたします。
特に「仏陀の沈黙」についての説明が的を射ているのではないかと。
P.S. 久し振りに覗かせてもらいましたが、ラッキーでした。
>>616 またまた、カエルの面に小便をやっている。
たとえばたった一例で、スレ13/
>>517 ,13/
>>518 ,13/
>>521 ,13/
>>531 ,13/
>>537 ,13/
>>590 ,などを読み返せよ。
また、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、
まったく愚かな主張である(マッジマニカーヤ 中部経典22改)
宝珠は神智学的立場に合わせられる結論を先ず固定しておいて、
御都合主義戯論を弄しているに過ぎない。
その視点は、実は徹底的な世俗諦俗物妄想主義であって実証できないシロモノだ。
ブッダの縁起=空=中道(不一不二)などはクスリにもしたくないのが本音だろう。
そもそも宝珠が好きな「永遠不変」という概念は中道に相応しくない。
カルト外道たるゆえんだ。
626 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/20(日) 23:38:47 ID:z2sB32OC
>>625 やっぱり、大王か!
その下品さは名無しでも隠せないらしいw
輪廻も理解できない人にいわれたくない。
ただの「中道」好き(誤読)だし。
627 :
旧7 :2009/09/20(日) 23:45:18 ID:D5gHC9B5
>>624 なんとまあw
田上さんもまた賛否両論ある学者だがw、
件の論文(特にその「沈黙」の部分において顕著になるが)も、やはり禅的なバイアスのかかり方は大きいと思う。
禅関係の著作や共著も多い。(勿論、通常は、かなり道元寄りではあるが)、
この論文も「本来の面目」「一無位の真人」という方向での自己を想定し、
『それ』と「“我”(アートマン)」とを結合させようという試みに見える。
(西洋的、デカルト的“懐疑の果ての思惟の主体としての自己”ではなさそうだ・・。)
そして『それ』は、(宝珠がどう読み取るか知らないが)、
(結びの文に自ら反しw)所謂伝統的アートマンとは異質なものとして炙り出される結果となったように見える。
(貴方の触れた、5.沈黙の理由の項結び方は禅のスタンスそのままだw)
つか、あの論文の最大の長所は、(論文としての結論ではなくw)、
《「無我についての諸学者の見解」がまとめられている》点にあるのかもしれないが・・・w
お元気でしたか?w
おやすみ ノシ
628 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 00:53:55 ID:Mt8a0+uj
田上論文では、「仏陀はブラフマンになられた」そうだが、ホントか。 仏教学者による仏陀の「神格化」が。学者の資格はないな。
629 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 01:35:26 ID:Mt8a0+uj
田上論文における「仏陀の沈黙」の意味は、仏陀が自己の「自己撞着」を 隠すためであったに過ぎないように思われる。
630 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 01:44:28 ID:Mt8a0+uj
五蘊は、すべて「生命(アートマン)」から生じるのであるから、生命 (アートマン)を肯定して五蘊を否定すれば、釈迦は自己撞着に陥る。 「生命(アートマン)」が無ければ(即ち、死者には)、「五蘊」は生 じない。 釈迦の自己撞着に、少しは同情してあげるべきw。
631 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 01:50:14 ID:Mt8a0+uj
>>627 >《「無我についての諸学者の見解」がまとめられている》点にあるのかも
>しれないが・・・w
田上氏も触れているように、これらの諸学者の意見は、その信仰や立場によっ
て180度異なる。クリスチャンの学者がいれば、その結論は決まっているw。
従って、「諸学者の意見」などいくら引用しても無意味w。
632 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 02:03:44 ID:Mt8a0+uj
「生存本能(生命)」を基盤とすれば、釈迦の「自己撞着」は一発で 解決できる。即ち、「五蘊は、生命から発生し、その生命の維持に 不可欠な欲求であるが、同じく生存本能から発生する『共生の本能』 により、『自覚的・他覚的』に、自動制御される」。
>>632 それを実践した結果が「セクハラは自然な本能なのでOK」
634 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 06:10:27 ID:PWaLp6PN
>>610 その見解は思想・哲学という意味ではなく、
見方、あるがままに無我で慈悲をもって見られることを言うんです。
635 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 06:11:13 ID:PWaLp6PN
636 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 06:13:16 ID:PWaLp6PN
>>614 PDF にもマーカー機能とかあるよ。
オイラがそんなに賢いわけないだろ。
どうでもいいことはよく憶えてるが重要なことはよく忘れると言われます。
637 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/21(月) 07:32:34 ID:PkGFVgML
>>617 在家氏
>衆生救済を「縁」とした釈尊と、言語世界の哲学を「縁」とした龍樹の
>最期「起」は対照的でしたが、
歴史的背景が、釈尊と龍樹じゃ全然違うだろ。
開祖(釈尊)と、その脈絡を継承する小乗へのレジスタンス(龍樹)。
全然違う。
いつの時代でも、改革者は暗殺されても全然不思議ではない。
禅の六祖も殺されかけたし。
釈尊と龍樹の共通点というのは、世俗の価値観には無頓着ということだよ。
つまり世俗的には“変人”なんだよ。
天才とか、おしなべて世間で高く評価されるのは、
こういった変人というレッテルを貼られた人間が、
dでもない思想を打ち立てたりする。
優等生といわれた神秀が、何故没落したのか?
日本の優等生である道元が、何故没落しなかったのか?
優等生である光秀が、何故本能寺で失敗したのか?
それとも秀吉が戦略的に優秀であったためか?→そうじゃない
よくよく考えてみなされ。
既に答は貴殿の心ひとつなり。
<机龍之介・花押>
638 :
前世は一在家 :2009/09/21(月) 07:37:11 ID:9sCCe5xe
>>591 「ただの変な人」を現代辞書で引きますと「オンリーワン」かも。
龍樹の連続レイプが「縁」となって、何かが「起」こったことになります。
最期のセリフ「君らは私がいない方がいいと思うか?」もその一つかも
知れませんね。
長部経典でも釈尊の弟子の中に「父親殺し」がおりまして、優秀な弟子
でしたがカルマ故に阿羅漢にはなれないと釈尊は言われたそうです。
639 :
前世は一在家 :2009/09/21(月) 07:43:12 ID:9sCCe5xe
>>637 机氏
えー、龍樹は暗殺されたのですか?
伝記を読みますと自ら生を断ったように思いましたよ。
他の哲学者でもそういう方はおられませんでしたか。
釈尊もモーゼもマホメットも暗殺はされなかったのでは。
640 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/21(月) 07:53:14 ID:PkGFVgML
>>639 >えー、龍樹は暗殺されたのですか?
いや、殺されそうになったのは慧能です。
龍樹は暗殺されてないw
ちなみに、ニーチェは性病で亡くなったと記憶している。
(精神病ではない)
641 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 07:55:43 ID:WEi3QnpT
>>619 >『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。』
諸法と諸行がゝというのは誤解だね。
仏典の中で一回でも「諸行無我」と表現されてるのを見たことあるか?
諸行が有為の現象であることは知っている。
諸法は有為法と無為法からなるとするのがアビダルマだね。
アビダルマは経・律・論すべてを解釈したうえでの理論的見解だろ。
642 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 08:06:46 ID:WEi3QnpT
>>627 >《「無我についての諸学者の見解」がまとめられている》点にあるのかもしれないが・・・w
なるほど。梵網経や沙門果経と同じような語り口なのかな?
外道の見解の解説のみ詳しくて釈迦の本意の結論については黙秘となっている。
643 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 08:20:58 ID:WEi3QnpT
>>635 >意識も現象界でしょ。
もちろん、意識にも「いま・ここ」の現象に対する意識もある。
しかし、意識には「現」ではない「過去」の記憶や「未来」の
願望もあるでしょう。
感覚・知覚による五識を外界現象と区分しただけ。
644 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 08:25:41 ID:PWaLp6PN
>>616 素直な理解は、
>>613 や
>>571 が結論のpxlTDYJO さんの読み。
貴方の結論は、田上さんの論文にあるような実在論的前提に基づく、
なにかが無ければおかしいという偏見で読んでるだけ。
>>627 真面目、とか真人って真言宗の大日如来と同じで空なんだよね。
それをブラフマン的に解釈するなら、外道に他ならない。
645 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 10:20:53 ID:fHQ86TI+
>>624 OH〜お元気そうで何よりでした^^
>>630 >釈迦の自己撞着に、少しは同情してあげるべきw。
相変わらず馬鹿なことしかいえない・・・
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。 ナ〜ム
>>626 に追記:
つまり、あなた(大王)のいってることというのは、
“凡夫は輪廻している”などという極端な見解から離れ、
“輪廻から解脱する”という(これが涅槃なのだが)極端な見解をも離れて、
その中道を歩みなさい、というものです。
では、
それが正しい仏教だとする根拠を仏典から経文を抜き出して提示して見せて下さいな。
それができないのならば、自らちゃんと外道宣言すべきです---正直にあるべき。
これは机さんも同類ですね。
思想は自由。何を信奉するも自由です。
信仰は何者も妨げることができません。
しかし、ゴータマ(これが仏教)の信奉者ではないことは宣言すべきです。
646 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 10:22:44 ID:fHQ86TI+
>>641 >諸法は有為法と無為法からなるとするのがアビダルマだね。
>アビダルマは経・律・論すべてを解釈したうえでの理論的見解だろ。
では、
あなたはゴータマにより近い教説に迫ることなく、アビダルマ信奉でいってください。
『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教
では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加える
ようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始
仏教とは違った性格のものとなった。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷p143)
といい、その原因が部派によるものだということ。つまり、本来のゴータマの教えとは異なるもの。
そして水野氏は、パーリ仏教は原始仏教と同様に“涅槃だけを無為”とした(同.p146)といってい
るのです。
『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では
一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(同.p127)
>>600 ということで、「諸法」(もろもろの法)とは「一切法」(一切の法)と同義であり、これは有為(現象
界)についての性質を説くものです。
647 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 10:25:16 ID:fHQ86TI+
>>644 >素直な理解は、
>>613 や
>>571 が結論のpxlTDYJO さんの読み。
>貴方の結論は、田上さんの論文にあるような実在論的前提に基づく、
>なにかが無ければおかしいという偏見で読んでるだけ。
逆では?
素直に読む結果としてでしょ!
てか・・・、
あなたは「実在」の意味を俗な解釈でしかしていないのですよ。
インド教が説く「実在」とは「有」のことじゃ〜ないから!
この基本を押さえていない人はすべてに勘違いするのです。
実在とは唯一であって、現象界の俗人が「有」と認識しているものはすべて「非実在」です。
仏教理論もすべてこの前提に上に築かれている。
「実在」を否定するというのは、完全な「無」(虚無)のことであって、
それは“涅槃の境地すらも無い”という矛盾に陥る愚論です。
あなたの話は仏も非実在、仏は無いというものです。
>真面目、とか真人って真言宗の大日如来と同じで空なんだよね。
>それをブラフマン的に解釈するなら、外道に他ならない。
無我を涅槃と同義と解するから間違うのです。
同じく、「空」を涅槃と同義という間違いをしている。
「仏」(大日如来という仮説は置いといて)を空にしたら話にならないから。
「空」というのは現象界の生滅変化する性質(の本質)を表現した言葉です。
生滅変化するものは実在とはいえないから「空」と呼ぶと。
その世界にあってはすべて「我(真実の自己)」と呼べるものはない、という教え、
それが「無我」であり、現象界の一切には「我」はないというのが諸法無我ということ。
従って、涅槃は無我などといういうのは全くの誤解からくる虚言となるのです。
「無我というのも現象としての一切法が無我の状態にあることを示している」と。
648 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 10:27:52 ID:fHQ86TI+
『空や無は何もないという虚無の意味ではない。有とか無とかいう存在論や本体論に関係した ことは、仏教ではこれを取り扱うことを禁じたことはしばしばのべた通りであって、仏教で空や無 というのは本体論的意味ではなく、現象が空や無の状態にあることを指すのである。無我という のも現象としての一切法が無我の状態にあることを示している』(同.p163) しかし・・ あなたは真言氏ではないのか? どうも次第に内容のレベルが低下しているように見受けられる・・・。 あなた方はあまりに頭がいいものだから、 ついつい先へ先へと進んでしまって、 気付いたら(というか気付けてないが)仏教の基本的部分の理解が疎かになっていた・・ ということのようです。 私は何十年もまともに仏教書を読んでなかったから、 今こうして確認しながらやってるわけですよ。 そしたら、あなた方というのは要語の用い方と理解が異なってるわけです。 高慢に要語を多用しても、現代日常言葉に直せば理解が違っていたことが判明するもの・・。 それに比べれば、旧7氏は日常言葉に噛み砕いて話すことができ、 その要語の使い方と意味する所は概ね正しい。
649 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 10:57:12 ID:9mswUrS1
>>645 >>釈迦の自己撞着に、少しは同情してあげるべきw。
>相変わらず馬鹿なことしかいえない・・・
>つД`)・゚・。・゚゚・*:.。 ナ〜ム
釈迦も「人間」のうちの一人。コンピュータではない。人間なら、間違いや
自己撞着は必ずあるもの。
「釈迦だから間違いはない」というのは、「金正日だから間違いはない」と
信じている北朝鮮の人民と同じ「愚かな、馬鹿げた」姿である。
650 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 11:25:04 ID:9mswUrS1
釈迦も、自己の「我」を以って教えを説きながら「無我」などというから、 自己撞着であり、沈黙や歯切れが悪くならざるを得ないのである。
>>650 それは単に無我という概念を理解できてないだけでは。
このスレでも「如是我聞」とあるからアートマンがあるとかいう
トンデモを唱えていた人がいるけど、
無我だからといって別に何かの存在が消滅するわけじゃないからね。
652 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 11:39:41 ID:9mswUrS1
>>651 では、釈迦自身についても、無我や空は、当然適用されるはずだな。
>>645 > しかし、ゴータマ(これが仏教)の信奉者ではないことは宣言すべきです。
では、宝珠愚者さんはゴータマの意見を正しいものとは思っていないし、
ゴータマの信奉者でもない、ということを宣言しているわけですね?
>>646 > あなたはゴータマにより近い教説に迫ることなく、アビダルマ信奉でいってください。
では、宝珠愚者さんはゴータマにより近い教説に迫ることなく、神智学信奉でいってください、
ということになると思います。
>>647 > 素直に読む結果としてでしょ!
問題は何を素直に読むかですね。644さんが言ってるのは仏典に対して素直に読むことであって、
宝珠愚者さんがいってるのは、田上さんの論文に対して素直に読むことだということでしょう。
> 仏教理論もすべてこの前提に上に築かれている。
基本、前提という割には、あまりにも知られていなさそうなのですが、
そういうのは前提になっていない、というのではないかという危惧があります。
書いていただいた文章からは、意図がよく分らないのですがどういうことを言っているのでしょうか。
経典からの引用は可能ですか?
> 「仏」(大日如来という仮説は置いといて)を空にしたら話にならないから。
それは空の意味が分っていないのでは?無無明 亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 というのが空です。
苦集滅道というのは仏法の中核であり仏の法身であるわけですが、
それについて無苦集滅道であり、智というものも無であり(その法門によって)得るところも無いという話です。
宝珠愚者さんのいう「話にならない」という理解が正に空の本質の一部にあるわけです。
> 生滅変化するものは実在とはいえないから「空」と呼ぶと。
それは空というより無常ですが、内容的には近いです。惜しいです。
> その世界にあってはすべて「我(真実の自己)」と呼べるものはない、という教え、
> それが「無我」であり、現象界の一切には「我」はないというのが諸法無我ということ。
「その世界にあっては」とか、「現象界の」という限定をつける根拠はどこにあるのですか?
>>652 そうです。当然そうなります。
無我というのは、私も無我、あなたも無我、釈迦も無我、竜樹も無我ということです。
要するにこれも我ではない、これも非我、これも非我、結局、我は無いということで
無我なわけです。
一切皆空なのですから、釈迦も竜樹も空に決まっています。
656 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 12:19:10 ID:fHQ86TI+
>>649 ゴータマとて全知全能ではありませんが、
凡夫のレベルに見下げるのはトンでもない。
仏陀というのは、ただの天才や哲人とは違うのです。
>>653 >では、宝珠愚者さんはゴータマの意見を正しいものとは思っていないし、
>ゴータマの信奉者でもない、ということを宣言しているわけですね?
どの部分??
>では、宝珠愚者さんはゴータマにより近い教説に迫ることなく、
>神智学信奉でいってください、ということになると思います。
とっくの昔からいってるwwwwwwwwww
>>655 だから、「一切」というのは、
現象界についての話しに限定されるといってるのです。
そこを間違うとすべてダメなんですよ!
あなたの説明は結構、広く一般的にいわれているものです。
でも、それは間違ってますから。
再読してください
>>646
657 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 12:20:06 ID:fHQ86TI+
>>627 >そして『それ』は、(宝珠がどう読み取るか知らないが)、
--結論--
「ゴータマはブラフマン(=アートマン)を説いた」
ということで、めでたく論決しましたね^^
エッ?「やっぱり、な!」って??(笑)
『私(ブッダ)は梵となりたる<もの>であり、無比であり、
魔軍をほろぼしすべての敵を屈服させ、おそれることなく喜ぶ。』(Sn.561)
Sn.561では、ゴータマは自分を「梵となりたる<もの>」(ブラフマンになった人)と述べていた
と(Sn.563もほぼ同様)。もうこうなってくると、やはり原語が読めない者には限界性がありますね。
中村氏訳の「わたしは神聖な者であり」(Sn.561)「神聖な者」(Sn.563)では分らないし、また特に
何の注釈もなかった。
ただし、いわれてみれば、Sn.508(と、対する返答の509)には気付けないこともない部分ではあ
ります・・。『わたくしは今梵天をまのあたり見たのです。真にあなたはわれわれにとっては梵天に
等しいかただからです。』(Sn.508)中村氏訳
『私(マーガ)はいま梵(Brahma)に遭うことができた。
あなたこそ本当に梵(Brahma)と等しい方である。』(Sn.508)田上氏訳
658 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 12:21:13 ID:fHQ86TI+
そして、 『ここで注意すべきことは、マーガがブッダに対して、ブラフマンに遭えたとか、ブラフマンに等しい 方であるとか言っているのに、ブッダは何の反応も示されずにその呼称・表現をそのまま受けてお られることである。なぜなら、もしブッダがウパニシャッドのブラフマンを否定されたのであれば自分 自身をブラフマンと呼称されることを拒絶され、正しい呼称を教えられたに相違ないからである。考 えるにブッダはブラフマンの存在を認め、したがってアートマンの存在をも同時に認めておられたの ではないか。前の例証のように、ブッダはブラフマンになった人であるから、他の人からブラフマン に等しい方、ブラフマン!と呼称されても当然だと思っておられたのではないか。かくてブッダの自 己とはまさにブラフマン即アートマンのアートマンであったと考えられる。ただこれらの2・3例でもって 即断することは危険であるが、『スッタニパータ』でこのような表現が伝えられていることは、初期の 段階では、注目すべき点だといえる。』(田上太秀著『ブッダの自我と無我について』p46) という考察をしています。 これは相当、以上に重要な意味を持っていると思います。つまり、暗に内に肯定している姿勢が示 されているということ。
>>656 > どの部分??
>>645 を書くということはそういうことではないかということです。
> >では、宝珠愚者さんはゴータマにより近い教説に迫ることなく、
> >神智学信奉でいってください、ということになると思います。
> とっくの昔からいってるwwwwwwwwww
ゴータマの真意がどうとか言うのはやめた方がよろしいのではないかというお話なのですが
意味は伝わっておりますでしょうか。
>
>>655 > だから、「一切」というのは、
> 現象界についての話しに限定されるといってるのです。
> そこを間違うとすべてダメなんですよ!
> あなたの説明は結構、広く一般的にいわれているものです。
> でも、それは間違ってますから。
> 再読してください
>>646 あのぅ。申し上げにくいのですが空の概念というのは
主として大乗仏教のものでありまして、原始仏教ではないと思うのです。
従いまして、水野さんのおっしゃる「原始仏教」や「パーリ仏教」についてのお話をいくら引用されても
正直申し上げて無駄といいますか、見当違いということに該当するかと思います。
660 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 12:30:55 ID:fHQ86TI+
>>657 > 梵天に等しいかた
ご存じないかもしれませんが、仏教においては
梵天というのは神々のひとりであって、いわゆる「梵我一如」の梵(ブラフマン)とは異なります。
後代には詳しく分類されますが、色界十八天のうち、初禅三天の最高位(第三天)である大梵天
に住んでいる天人のことを指して梵天といっていたりするわけです。
梵我一如の梵は、現在一時的に天上界にいて、六道輪廻したりするような存在ではないわけです。
662 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 12:37:12 ID:fHQ86TI+
>>659 >ゴータマの真意がどうとか言うのはやめた方がよろしいのではないかというお話なのですが
>意味は伝わっておりますでしょうか。
神智学というのは、あらゆる宗教の中の本質を見出すという学問のことです。
よって仏教も対象であっても自然なことなのですね^^
>あのぅ。申し上げにくいのですが空の概念というのは
原始経典にも「空」は登場します(詳しい人は知っています)。
それに大乗の説く「空」は原始仏教の何に相当するものであると解することは、
何ら異質な話しではないと思います。
>>660 五蘊が非我であることは何の問題もありません。
>>662 > 神智学というのは、あらゆる宗教の中の本質を見出すという学問のことです。
> よって仏教も対象であっても自然なことなのですね^^
それは結構なのですが、神智学から見た仏教というのは、既に仏教そのものとは乖離していると
考えるのが妥当だと思います。オウムや○○の科学から見た仏教もまた仏教そのものとは乖離していると
いえるのではないかと思います。
> >あのぅ。申し上げにくいのですが空の概念というのは
> 原始経典にも「空」は登場します(詳しい人は知っています)。
そのことを踏まえているので「主として大乗仏教のもの」という書き方をしているわけです。
> それに大乗の説く「空」は原始仏教の何に相当するものであると解することは、
> 何ら異質な話しではないと思います。
相当するものかどうかを考えるはご自由なのですが、
>>646 をお読みになれば、部派仏教においては原始仏教の「一切」の概念が拡張されて
いると明言してあるのが読み取れるかと思います。
大乗には説一切有部などへのアンチテーゼとして生まれた経緯がありますから、当然ながら
「拡張された一切」の概念を用いた空の概念になっているわけです。
この空に対して、原始仏教の一切の範疇で考えるのは当然ながら無理であり異質であるということになるかと思います。
664 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 12:53:35 ID:fHQ86TI+
>>659 >ゴータマの真意がどうとか言うのはやめた方がよろしいのではないかというお話なのですが
>意味は伝わっておりますでしょうか。
神智学というのは、あらゆる宗教の中の本質を見出すという学問のことです。
よって仏教も対象であっても自然なことなのですね^^
>あのぅ。申し上げにくいのですが空の概念というのは
原始経典にも「空」は登場します。
それに大乗の説く「空」は原始仏教の何に相当するものであると解することは、
何ら異質な話しではないと思います。
>>661 それは仏教側の立場ですね。
しかし、マーガがブッダに対して、
「梵天(ブラフマー)に遭えた」とか「あなたは梵天に等しい」というときには、
それは、バラモンであるマーガにとっては、
ゴータマのことを“ブラフマン(梵)の化身としてのプラフマー(梵天)”として呼称しています。
それに対して、ゴータマはこれを拒絶することなく是認しているということなのですよ。
これ重要です。
>>664 >
>>661 > それは仏教側の立場ですね。
仏教なのでそれは当然かと思います。むしろ仏教に対してバラモン教や他の宗教の立場で
解釈するとおかしなことになっていくでしょう。
> しかし、マーガがブッダに対して、
> 「梵天(ブラフマー)に遭えた」とか「あなたは梵天に等しい」というときには、
> それは、バラモンであるマーガにとっては、
> ゴータマのことを“ブラフマン(梵)の化身としてのプラフマー(梵天)”として呼称しています。
> それに対して、ゴータマはこれを拒絶することなく是認しているということなのですよ。
> これ重要です。
これは非常によくあるケースなのですが、
ゴータマに対して「真のバラモンである」といったとき、ゴータマがバラモンの出自だという風には
誰も考えないわけです。そしてまた「バラモンである」と言われたことをゴータマが是認したからといって、
ゴータマがカースト制度を肯定した、とも誰も考えないでしょう。
同様に、ゴータマはブラフマンの化身であると言われたからといっても
それはゴータマの叡智に対する尊敬を表わした言葉ということであって、梵我一如を説いたとか
アートマンがあるとか、ブラフマンがあるとかいった風には、あまり捉える必要はないわけです。
666 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/21(月) 13:08:38 ID:fHQ86TI+
このスレの住人は、
「バラモンは間違い」「ヴェーダは間違い」という迷信(勘違い)に陥っている人ばかりです。
しかし、ゴータマのとった姿勢のすべてというのは、
正しいバラモンの姿と正しいヴェーダの理解を説くもの(それを示そうとしたもの)でした。
-------------------------------------------
>>665 >それはゴータマの叡智に対する尊敬を表わした言葉ということであって、梵我一如を説いたとか
>アートマンがあるとか、ブラフマンがあるとかいった風には、あまり捉える必要はないわけです。
それは分ります。
しかし、それと同時に梵我一如を否定せずむしろ認めていた、
という可能性も浮上したわけです。
----では、退席しま〜すm(__)m
>>666 > 「バラモンは間違い」「ヴェーダは間違い」という迷信(勘違い)に陥っている人ばかりです。
> しかし、ゴータマのとった姿勢のすべてというのは、
> 正しいバラモンの姿と正しいヴェーダの理解を説くもの(それを示そうとしたもの)でした。
真のバラモンやヴェーダの達人などという言い方がされているからといって、
バラモン教や「いわゆるヴェーダ」を説いているわけではありません。
これは文字だけで考えた場合に陥りやすい誤謬です。
ゴータマはバラモン教の根幹であるカースト制度を否定していますし、
真のバラモンといいながら、結局はバラモン教を換骨奪胎して自分の思想を布教しているわけです。
「換骨奪胎」というのがここの本質ですから、ヴェーダを説くといっても換骨奪胎されています。
つまり従来のヴェーダをそのまま継承して説いているわけではないわけです。
この辺のところは経典の内容から明らかでありまして、
既にこのスレでも指摘がありますが、
アートマン説などに関しては「愚かな教え」との烙印がキッチリと押されていたりするわけです。
こんな風ですから、本当にヴェーダを説いているかと言われれば、説いているとはとてもいえないわけです。
ただ、インドにおいては尊敬されるべき人という意味で「バラモン」が代名詞のように使われます。
同様に「叡智に満ちた教説」として「ヴェーダ」が代名詞のように使われるわけです。
> >それはゴータマの叡智に対する尊敬を表わした言葉ということであって、梵我一如を説いたとか
> >アートマンがあるとか、ブラフマンがあるとかいった風には、あまり捉える必要はないわけです。
> それは分ります。
> しかし、それと同時に梵我一如を否定せずむしろ認めていた、
> という可能性も浮上したわけです。
とくに否定していないだけで、認めているという部分が全く「浮上」しているようには見えませんが、
どの辺りでそう思うのでしょうか?
もし個人的な願望としてそのように思いこみたいだけ、ということではなく、
根拠があるようでしたらご指摘願えればと思います。
「弟子たちよ、『梵(ブラフマン)』と『我(アートマン)』や『我がもの』などは、 真実として捉えられるものではないのであるから、 このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は(梵と一如となって)、 死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、 まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22改) 無記 否定せず、批判(愚説)する 田上は元々アフォな輪廻転生論者だから、強烈なバイアスがかかっている。
>真実として捉えられるものではない この言葉は重い
670 :
旧7 :2009/09/21(月) 14:01:26 ID:bc9E7bC2
「バラモン」 日本語で言う「先生」みたいなもんだなw 代議士も先生、弁護士も先生、医者も先生、小説家も先生、漫画家も先生、 その道(各種趣味、スポーツ、芸、伝統職人等々)の先輩、或いはインストラクターも先生、 見ず知らずでも、言葉や行動に感銘を受けたら「心の師」とも言われるな。立派な先生だな。 (筆おろししてくれて、あれこれ手ほどきしてくれたら、そのお姉さんも先生だなw) そして教師も先生。大学の教授だろうが幼稚園の教職員だろうが、 (特に幼稚園等では、事務担当だろうが)先生。 さあて、「先生」ってどういう人のことを言うんだろうね・・・。 「バラモン」って、どういう人のことを言うんだろうね・・・w
671 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 14:53:39 ID:JGSacbWO
>>657 >『私(マーガ)はいま梵(Brahma)に遭うことができた。
>あなたこそ本当に梵(Brahma)と等しい方である。』
イエスと同様、自分を「神」だとか「神の子」だとか「神人合一」などという
宗教の開祖や教組は、すべて胡散臭い詐欺師であると考えてよい。すべて「自
称」であり、客観的な根拠は「皆無」だからである。
釈迦は、本当に、自分が「梵天」であると思い込んでいたのだろうか。若し
そうなら、大問題であろう。
672 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 15:01:18 ID:JGSacbWO
>>671 の訂正
×詐欺師
○詐欺師か基地外
なお、現代の精神病院でも「神」や「イエス」や「仏陀」を自称する
患者は、必ず何人かいる。精神医学では、これを「宗教妄想」と呼び、
精神病の症状の一つ。
673 :
旧7 :2009/09/21(月) 15:19:13 ID:bc9E7bC2
674 :
旧7 :2009/09/21(月) 15:21:04 ID:bc9E7bC2
「ヴェーダ」 日本語で言う「教科書」みたいなもんだなw 学校で使う文科省の検定を受けたものも教科書(受けてなくても教科書w)、 ゼミで使うメインテキストも教科書、楽器のレッスンの教則本も練習用の楽譜も教科書、 自動車学校の教本も教科書、漫画の描き方なんて本も教科書、 絵画の技法解説本も教科書、スポーツ選手の解説指導本も教科書、 或る人が、何かの学びの為に、或いは手本として利用したら漫画でも小説でも教科書だ。映画でも教科書だ。 或いは、日本語で言う『バイブル』の方が、より適切な例となるか・・・w 漫画や小説、映画、著名人の自伝等々は、この表現がされ易い。 たとえば、《「めぞん一刻」は浪人生のバイブルだ》という言い方に異議を唱える者はあまり居まいw ほか、不良にとってのビーバップとか、走り屋にとっての頭Dとか、バイク乗りならバリ伝とかw 他、ドカベン、軽シン、童夢、タッチ、ホットロード、銀鉄、ガラスの仮面、エースを狙え、ベルばら、etc.etc. 候補がいっぱいあるw(漫画ばっかだなwww) みんな≪『バイブル』【と呼ばれるにふさわしい】要素を持っている≫ってこった。 さあて・・・(ry
675 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 15:57:08 ID:CDfK84XN
釈迦は、弟子から「梵天」と呼ばれて、答えなかったところがさすが。イエスは、 「自分から」私は神の子だと言ったw。
676 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 16:13:54 ID:UXsrxTkY
第一に、先ず、SN35.23では、十二処(縁已生法)を「一切」とする。 SN22.59等では、五蘊(縁已生法)は、三世(=一切時)に我ではないとする。 したがって、一切は一切時に我ではない、のであり、我の密輸の余地は全く無い。 次に、「一切」とは縁已生法であるから、当然ながら、四諦=縁起の流転・還滅と相応する。 そしてニルヴァーナとは「滅諦」であり、生支・老死支の滅であるから、当然、不生不滅。 (そもそも、一切が無常な縁已生法であるからこそ、道諦・滅諦が可能。) 更に、ニルヴァーナについての有我見的疑義に対しては、Sn1073-1076等が明確に説かれる。 第二に、SN35.23では、十二処を一切とし、他の一切を説くならば、 ありもしないものを説いていると明言している。 さて、「Aは一切」と説かれ、更に「他の一切」を説くならば「ありもしないもの」を説いている、 と明言するときに、「非A有り」と言い出すならば、その言い出した者においては、 当然ながら、「Aと非Aこそが一切」であり、「ありもしないもの」を説いている。 これは、小学生でも分かる言語慣習上の問題であって、これを否認する類があるとすれば、 このような類は、言葉でやり取り可能な精神状態ではない。 (言語慣習を承認している者であれば、当然ながら、『ウダーナ』等についても、 SN35.23に背反しないように、上記した如くに理解するわけである。) 加えて、水野先生『要語』p132に拠れば、 「無為の語は原始経典にも涅槃の同義語としてしばしば出ている。 しかし原始経典で説く無為とは存在論的なものではなく、涅槃が生死輪廻を超えているとされるために、 生死にわたらないということを無為といったものであって、 それは主観的の心情をのべたもので、客観的事実としてのものではない。 それを部派仏教では不生不滅の客観的事実としての存在として無為を考え、 有為という存在に対するものとした。これは原始仏教で説かない概念であって、 仏教本来の立場を逸脱したものである。」 つまり「Aと非Aこそが一切」即ち「“十二処”と“十二処外の我”こそが一切」との邪見は、 水野先生に拠るならば、「原始仏教」ではなく「部派仏教」のそれに他ならない。
些細な点ではありますが 部派仏教でも無我を認め、真我を否定するので邪見は言いすぎかと思います。 実践上で考えても ほぼ部派仏教に近い現代上座部の10年程経験を積まれた真面目な実践者が、 半年ほど経験しかない大乗仏教の初心者に劣るとは通常は考えらない。 と、思います。
678 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 19:09:32 ID:PWaLp6PN
>>647 逆、逆、ダライラマ猊下、パユトーを始め伝統の諸師はそう解釈している。
>あなたは「実在」の意味を俗な解釈でしかしていないのですよ。
>インド教が説く「実在」とは「有」のことじゃ〜ないから!
まあ、記号はなんといっても『梵網経』ではっきり否定されてるんで、
>「仏」(大日如来という仮説は置いといて)を空にしたら話にならないから。
上が実在論的前提、仏教では我見、有身見といわれ『梵網経』を始めとして、
諸経ではっきり否定されている。
話にならないよ。
679 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 19:10:31 ID:PWaLp6PN
>>654 >問題は何を素直に読むかですね。644さんが言ってるのは仏典に対して素直に読むことであって、
>宝珠愚者さんがいってるのは、田上さんの論文に対して素直に読むことだということでしょう。
ああ、オレは田上さんなんか認めてないからw
だれか、田上のおっさんをここに呼べや。 ここは日常のチンタラ教室と違うことぐらいはわかってるやろ。 ちょっとだけ、エグイで。
681 :
旧7 :2009/09/21(月) 19:46:14 ID:bc9E7bC2
>>680 37年前の論文だ、大目に見ろよw
37年前の自分と今の自分と、同じ価値観、同じ主張だという自負はあるかい?w
てか、あの論文は、
無我と有我(真我)の間隙を縫う形(「(五蘊)非我」へ向かう論立て)になっているんだが、やはり解り辛いか・・・w
山口組嫌いのどこかのどなたさんは、微妙なニュアンスの違いに気付くかとも思ったが・・・。
682 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 20:15:39 ID:PWaLp6PN
>>681 もちろん、そんなことは言わないが、菩提心の研究とかいう本あったでしょ。
あれが酷かった記憶がもう印象を決定づけてるんで、すまんです。
無我・非我については馬場先生と石飛先生で決まりだと思うよ。
まあ、すくなくとも当分、この二人を超えるものは出ないと思われ。
683 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 20:19:17 ID:PWaLp6PN
>>681 しかし、というか分かりきったことか。
宝珠ちゃんは最後まで、変わらなかったなw
684 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 20:47:19 ID:+EjjMhWL
すべてを説いたから、釈迦は仏陀になったはず。 だからこんなスレがあるのかな?
685 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 20:56:34 ID:KxBPWWih
そもそも、生存本能を中核とする動物に過ぎない人間に対して、「無我」「解 脱」「悟り」「煩悩を去れ」などと言っても無理な話。人間の本性に反している から。それよりも、生存本能の健全な育成こそ、必要であろう。その意味で、 大乗仏教の「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の考えが、唯一の正しい方向だと 思われる、
686 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 21:14:11 ID:KxBPWWih
最初から主張しているように、原始仏教は、開祖と原始仏典盲信のカルトである。
このスレでシリーズ完結っぽい
>>685 煩悩即菩提という言葉もご隠居にかかると
「だからセクハラOK、性犯罪OK」となってしまうから問題ですね。
これが唯一の正しい方向というのも如何なものか。
仏教ではしばしば分別を去れという言い方をしますが、
ご隠居の場合は、まず犯罪行為かそうでないかを分別するところから
始めないとまずいでしょうね。
689 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 22:16:49 ID:PWaLp6PN
>>688 ただの現状肯定でしょ。笑っちゃうよ。
ただひたすら自分の惨憺たる現状を、これでいいんだよと韜晦するのみw
ストーカーが女に「きも、もう二度と顔みせんな」とか言われて、
「ボクのこと思って言ってくたんだよね、わかります、わかります」とか言うようなもんw
>>674 > たとえば、《「めぞん一刻」は浪人生のバイブルだ》という言い方に異議を唱える者はあまり居まいw
強いていうなれば「古すぎる」ということでしょうか。
先日、ふと単行本を手にとってみましたが、五代くんや響子さんの服装があまりにも過去の遺物だったので
少なからず衝撃を受けました。
> ほか、不良にとってのビーバップとか、走り屋にとっての頭Dとか、バイク乗りならバリ伝とかw
> 他、ドカベン、軽シン、童夢、タッチ、ホットロード、銀鉄、ガラスの仮面、エースを狙え、ベルばら、etc.et
> みんな≪『バイブル』【と呼ばれるにふさわしい】要素を持っている≫ってこった。
> さあて・・・(ry
大体みんな四半世紀ほど前の有名作品ですから、これらは古典だと思います。
しかしですね。バイブルというからには「古典的価値をもつ」ということの他に
「時代を超えて通用する」「時代を超えて生き続けている」という側面も必要なのではないかと。
その意味では、今でも読み継がれているのは頭文字Dくらいでしょうか。
ただ、これも遅かれ早かれ車が古くなりますからね。
四半世紀後には読まれなくなることが確定していそうな気もします。
案外、ベルバラが宝塚などを起点に生き残り続けたりするかもしれませんが。
時代モノはその意味では古くなりにくいですね。
>>685 爺さん、今日は敬老の日だから、あんまり言わんが、
おまいも、相変わらずその奥まで問おうとしない無明のままだな。
長生きせーよw
692 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 22:29:08 ID:KxBPWWih
>>691 「奥」に何かがあると期待しているところが、まだ幼いw。
693 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 22:30:31 ID:PWaLp6PN
>>674 ことごとく外してるな〜
せめて、時事ネタでクレシンとか、ご冥福をお祈り申し上げます、にならないか?
>>658 >マーガがブッダに対して、ブラフマンに遭えたとか、ブラフマンに等しい
>方であるとか言っているのに、ブッダは何の反応も示されずにその呼称・表現をそのまま受けてお
>られることである。なぜなら、もしブッダがウパニシャッドのブラフマンを否定されたのであれば自分
>自身をブラフマンと呼称されることを拒絶され、正しい呼称を教えられたに相違ないからである。考
>えるにブッダはブラフマンの存在を認め、したがってアートマンの存在をも同時に認めておられたの
>ではないか。
宝珠よ、これは田上の我田引水的な強引な推測にしか過ぎん。学者だとは思えないw
おまいの好きな原始仏典上の明晰な根拠を田上に聞いたらどうだ?
ブッダは田上のようなアフォ言説は真実として捉えられるものではないから無視(無記)されたんだよ。
「弟子たちよ、『梵(ブラフマン)』と『我(アートマン)』や『我がもの』などは、
真実として捉えられるものではないのであるから、
このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は(梵と一如となって)、
死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、
まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」
「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマニカーヤ 中部経典22改)
無記 否定せず、批判(愚説)する
田上は元々アフォな輪廻転生論者だから、強烈なバイアスがかかっている。(
>>668 )
695 :
旧7 :2009/09/21(月) 22:51:52 ID:bc9E7bC2
>>690 ※(そうか、バイブルの「歴史的位相」という要素に着目したわけか・・。ならば、貴方の言う通りだw が、)
古いかどうかじゃないよw
その人の規範、その人の指針、その人の支え、となっているか、
その人の(心)中に占める大きさ、大切さ、抱き続けねば!という義務感、を生じさせてるかどうか、
俺(だけ)はこの良さを解ってる!という内容への、高い(主観的)評価、
(たとえ主観的であったとしても)世の在り様を、或いは人の(心の)在り様を的確に表現してる!、などなど、
これらがあれば、【その人にとっての】バイブルと【評し得る】、と。
「永く読み継がれていればバイブルと評し得るか」と言えば、私はそうは思わない。
単に、ギネスに載るような「ベストセラー」としての位置付けしかそこには表れない。
そうじゃない要素に着目したいから、674のような例になった。
(ま、実際は自分が知っててすぐ出てくる名前だったから、というのが最大の理由だが・・・w)
>>693 悪かったなw ならねーよw (お祈りだけはしとくわ。 (-人-) ・・・・・・ )
上のような理由からクレしんの名前は出てこなかったし、
遭難・死亡のニュースで真っ先に浮かんだのは、「獏ちゃん!もう山やめろ!」だったよw
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1246620316/ ま、もう諦めてるけどな・・・ orz
てか、思いつきのレスに返レスしてくんなよw
しかもスルーしにくい内容で・・・・(^^;
批判すれども、否定せず。 断定否定すれば戯論論者と同じ戯論土俵に立つことになるから。 宝珠や田上その他の外道は、ブッダから観れば戯論土俵にたつ、愚かな論者。
454KB
認識主体はどの段階においても存在する かたちなき非我はあっても 無我はない
語りえぬものをペラペラしゃべると、分かりもせずに分かった気になるので実践の妨げになる、という趣旨は分かるのだが、 「無我」という考え方はどうも実践上において無理がある、というか非実践的・思弁的な感じがする。 我は対象物ではない、ゆえに一切の対象物(物、思考、感情…)を「我に非ず」として否定する「非我」のアプローチは、単純で分かりやすく実践的。 直接的に我に向かっていく。 対して、我を含む一切を「空」であるとしていきなり否定する「無我」のアプローチは、「空」を思弁的に誤解する危険性が高く、非実践的。 知的・言語的に解釈できるもの、認識対象となりえるものは、対象物(物、思考、感情…)でしかありえない。 だから、「空」を知的・言語的に解釈できるとするならば、それは対象物を「空」として語っているにすぎない。 「空」が対象物を語っているとするならば、「空」に我は含まれていないことになる。 そうすると、「無我」の考え方は「非我」の考え方に回収されることになる。
逆だろ。空は数字のゼロのように+−の両極を統合した状態で内包している。 つまり空は有=存在であって無ではない。
あ、わるい。よく読んでなかったわ。
702 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 00:16:57 ID:o5Ea5fBt
「無我」を求めているのも「我」だから、「無我」など初めから不可能。 「無我」を悟ってみても、それは「我」の証明にしか過ぎない。
703 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 01:13:36 ID:o5Ea5fBt
本来的に「有なる我」が「無なる我」を求めれば求めるほど、「有なる我」が 増大するというジレンマが生じる。「有なる我」をあるがままに受け入れる ことにより、その働きと増大は止む。「有にして無」の状態、即ち「無我」の 状態が生じる。 般若心経では、「無もまた無」である。二重否定により「有」となる。 「色即是空・空即是色」。「色」と「空」とは「等価」である。 これが、般若心経、そして佛教の「凄さ」なのである。
704 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 01:51:38 ID:tzcm0+OY
>>582 旧7氏へ 私は
>>557 ですが、レスが開いてしまい、現在は「無我論」
の話で流れを切ってしまうのでは?と思い躊躇しましたが、とりあえずレスします。
私の提示した問いを別の形で再掲しますが
例えば「100人の在家と数人の出家者がいるとします。出家はその生活の全てを在家に
頼っています。そして、出家は毎日、在家たちに解脱のすばらしさ、そして、それに
至る最善の方法が出家であること、さらに在家に、皆が望むならば共に出家になり、
解脱をめざそうと説きます。」そこで、ある一人の在家が、そのように説く出家に
聞きます。 「あなたが言う解脱のすばらしさ、そして、それに至る最善の方法が
出家であること、そして望むのであれば皆が出家して解脱を目指すのを受け入れることも
わかりました。しかし、私達、在家100人が皆、出家して解脱を目指せば、即座に
あなた方出家も、そして私達在家も死んでしまいます。そうなれば、あなた方出家も、そして
私達在家も解脱できずにすぐに死んでしまいます。私達はいったい何のために
出家するのでしょうか?また、あなた方出家は毎日、解脱を目指して修行して
いますが、私達が皆、出家するとあなた方も解脱できずに死んでしまいます。
誰、一人解脱できなくなる道をあなたは何故、説くのですか?」
二重否定により「有」となる あほか
706 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 01:52:33 ID:tzcm0+OY
出家が答えて「確かに、あなた方在家が皆、出家すると、私達も、そして あなた達もすぐに死にます。その結果、誰一人、解脱は叶わないでしょう。 しかし、それでも良いのです。誰かが解脱することよりも、それを目指して 仏道を歩み始めること、すなわち『発心』のほうが、はるかに大切なのです。」 「しかし、我々、在家100人が出家しますと来年を待たずして皆、死に絶えます。 それまでに解脱可能とは、とても思えません。すると、私達は初めから解脱が できないことがわかっているのに出家することになります。仏道を歩むことの すばらしさは、たとえ解脱ができようが、できまいがに係わり無く、発心し 修行を行うことが大切なのはわかりますが、初めから解脱不可能がわかりきって いるのに、そのような道を歩むことに意味があるのでしょうか?」 出家が答えて「確かに、皆が出家すれば私達は皆、死に絶える。しかし、出家 した瞬間に死ぬわけではない。確かに解脱は叶わないだろうが、死ぬまでの 数ヶ月は、共に仏道を歩めるではないか。それが大切なことなのだ。そのとき が来れば共に死のう。」 と、こういうことですか?
707 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 01:59:33 ID:hyiGeBwH
>>705 その有も否定されるのだから、「有にして無」「無にして有」の状態
が生じる。
般若心経を読まれたし。
708 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 02:11:55 ID:tzcm0+OY
無我を認識するのが「我」であるから、と言う論拠で「認識主体」 を主張する人がいますが、これはデカルトの古典論そのものですね。 佛教はその認識主体の「実体性の否定」に依拠したものですから、 初めから認識の方向性が違っていると思いますね。
709 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 02:16:22 ID:hyiGeBwH
>>706 横レス申し訳ないが、出家の「自己の解脱」の努力は、「有なる我」の
働きである。それは、「有なる我」の増大を招くのみで、「無我」や
「解脱」は、永遠に到達できない。
在家は、その「他者との係わりの中での生存努力」において、「あるが
ままの現実と我」を受け入れることにより、「有なる我」の働きとその
増大が停止し、「無我」「解脱」の状態に至る。
二重否定と記述した途端、既に在りえない立場を捏造している。 仮に二重否定したと認めても有にはならない。 なぜなら「無もまた有」という記述は無く、「無もまた無」となっているから。
711 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 02:26:11 ID:tzcm0+OY
>>709 それは「解脱を求めると解脱に『執着』するので結局、解脱不能。
逆説的に、解脱を望まないところにこそ、解脱への道がある」
と、こういうことですね。私は、「解脱とは何か?解脱へ至る道は?」
これらに関しては語りませんし、自分には語ることができないと思ってます。
712 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 02:27:13 ID:hyiGeBwH
>>708 「あるがままの我」を受ける入れることには、「我」の認識を要しない。
その生命の指示するままであるから、むしろ、「我」の認識は消滅する。
即ち、「我思う」必要はない。「我」は、「我の生命」を対象化する
ことはできない。従って、デカルトとは異なる。
713 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 02:34:44 ID:hyiGeBwH
>>710 「無もまた無」「有は無」と「セット」になっていることに留意されたし。
「色不異空」「空不異色」である。
>>712 つまり毎晩眠っているときは誰でも解脱しているんだなw
・非存在である「無」から有や色が生じることはない 無は何も生まないし何も認識しない 無は無である ・存在である「空」から有や色は生じる 「空」は無限の有や色を生みだしそれぞれのレベルにおいて認識している 有は有である 「色即是空」は正しいが「色即是無」は正しくない 誤解が生まれる理由は「存在としての無」を想定する人々がいるところにある しかしこれは矛盾している「存在である無」「形なき有」のことを「空」というのであって本来の「無」とは意味が異なるだ 「無」ではなく「空」を用いることを推奨したい
異なるだ>異なるからだ
「有」 と 「無」 にこだわらないことが本当の「無。」 例えば目の前に大福があるとする。 この大福が 「有る」 とか 「無い」 とか言ってるうちは、 それを認識している我が有ることになる。 しかし、目の前に大福があろうと無かろうが、それを認識する我が無ければ、 有大福も、無大福も、無い。
718 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 03:40:46 ID:tzcm0+OY
>それを認識している我が有ることになる その『我』に実体性を認めないのが佛教だと思いますが。 >しかし、目の前に大福があろうと無かろうが、それを認識する我が無ければ、 有大福も、無大福も、無い。 「存在」(それが五蘊の仮和合であっても)を認識に帰結させるのは明らかに 間違いです。これは「あなたが見ていなくても月はある」という昔からの 言葉に集約されています。
>>718 >「あなたが見ていなくても月はある」
ではその 「月がある」というのは誰の認識でしょうか?
認識なくして 「月がある」 と言えるでしょうか?
>その『我』に実体性を認めないのが佛教だと思いますが。
その通りです。
720 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 04:00:59 ID:SXDlXmsE
>>694 > 田上は元々アフォな輪廻転生論者だから、強烈なバイアスがかかっている。(
>>668 )
田上さんは認めないが、輪廻否定論者こそアホだと思うけどw
和辻を始めとして増谷、山口組とか、秋月さん、並川さんとか、
721 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 04:20:17 ID:tzcm0+OY
>>719 >ではその 「月がある」というのは誰の認識でしょうか?
認識なくして 「月がある」 と言えるでしょうか?
この問い自体も昔からあるものです。
「月がある」という発言者は確かに「月を認識」しなくてはなりません。
しかし『月の存在』自体は認識に依存しません。認識しなければ、それは
存在しないという見解は、認識主体とその認識の客体以外の全ての要素を
除外した、特化された条件下のみにおいて妥当性を有するものです。
例えば「認識なくして存在はあり得ない」との説は、(これは強度の人間原理
と言われるものですが)、全ての認識主体の不存在の状況下(宇宙の創成期など)
には、あらゆる物が存在しないことになり、認識主体の出現と同時に全てのもの
が出現するという極めて不合理なことになります。
(もちろんこれは現代科学における定量観測により否定されています。)
あなたは、もし明日地球が消滅し、月を観測するものが全くいなくなれば
月自体も消滅すると考えますか?
722 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 04:38:50 ID:wyf/pUst
>>721 >しかし『月の存在』自体は認識に依存しません。
で、「認識に依存しない」「『月の存在』自体」が
存在することをどうやって“認識”したわけ?
こういうのを「極めて不合理」と称する。
723 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 04:43:41 ID:wyf/pUst
>>721 >あなたは、もし明日地球が消滅し、月を観測するものが全くいなくなれば
>月自体も消滅すると考えますか?
その、「考えますか?」という設問そのものにすでに答えが含まれてるね。
724 :
キャップテスト :2009/09/22(火) 06:32:19 ID:/eWLVIUK
もうこのスレも一杯ですか? もうこのスレは終了ですか?
725 :
◆ULtDL9BE8Dme :2009/09/22(火) 06:40:46 ID:/eWLVIUK
>>724 トリップと間違えました。失礼。
田上論文も紹介されたし、本スレも終わりですか?
次のスレタイ候補
「原始仏典から大乗仏典への差異が生じた真因?」
726 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/22(火) 06:53:28 ID:/eWLVIUK
何度転生しても、名前やトリップを変えても、アートマンは変わらず すぐ誰だか分かってしまいますね。 私は衆生救済の為の宗教だった仏教が段々と仏教哲学になってしまった 真因をあの方だと仮定しております。 哲学では悩める人々の心を救うことができますでしょうか? 病気は「気を病む」という意味もあり、心が救われれば、更に自然な 食物を食していれば改善するものも多いかと存じます。 あの方とは「君らは私がいない方がよいと思うか?」と辞世のセリフを 残して一人寂しく去った方です。 彼を慕い、同じ生き方をトレースする方々も多いかと存じます。
727 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/22(火) 07:02:19 ID:/eWLVIUK
>>726 >哲学では悩める人々の心を救うことができますでしょうか?
中論の視点では、衆生救済を発願すること自体が間違いだと明言する
方も本スレでは見受けました。
衆生済度を発願した菩薩達も全てパロディー化されてしまうという「縁」
で、悩める現代人が伝統仏教に魅力を失っていく仏教離れが「起」って
いるようにも見えます。
そのような伝統仏教の状況を正しく見ずに、勢いのある新興の教団を
皆カルト扱いして満足しても、伝統仏教の改革には無明でしょうか。
シュレーディンガーの猫のパラドックスは今も解決されたわけじゃない >月を観測するものが全くいなくなれば月自体も消滅すると考えますか?という問いに「その通り」という答えることもじゅうぶん自然な答えだ 誰も(月自身も)対象に意識を向けていない時 全てのものは波動関数の重ね合わせの中にある スープのようなものをイメージしてもいい ところが観測者が対象に意識を向けた瞬間 スープのように溶け合った状態から特定の状態へと固定される まるで「達磨さんが転んだ」でもしているかのように それは観測機器を使っている場合も同じだ(そもそもその機械は誰が作ったのか 観測結果を確認認識するのは誰か) 宗教においても哲学においても科学においても意識抜きで存在を語ることはできないし意識は物質の中にだけ存在するものでもない
729 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/22(火) 07:24:42 ID:ij7lny6u
>>699 おもしろい書き込みですのでレスポンスします。
「非我」は、我に非ず、ですから我の否定のニュアンスです。
(否定というのは肯定の意味も含まれる)
「無我」というのは、もともと我という概念の滅侭のニュアンス。
どちらかというと、拙者は「無我」のがスッキリ逝く。
田上氏のURLは読んでませんけど、
スレの流れだと、田上はブラフマン肯定か?(ファジーな部分で)
ブラフマン肯定でも、ブラフマン否定でも、中論で解釈すれば同じこと。
例えば、如来蔵思想だと
「森羅万象仏の当体」とか逝ったりするが、
非当体というのが存在しなければ、それは当体にも非当体にも成り得ない。
ってことですから、空以上の勝義諦はそもそも想定するのは不可ってことです。
(如来蔵思想の場合は、ここの見解は違いますけど)
どちらにしても、森羅万象という見地からしますと、
そもそも「我」という概念が入り込む余地が全くない。
よって、改めて「非我」と、
我を否定する意味も消滅する。
730 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 07:36:14 ID:tzcm0+OY
>>722 >で、「認識に依存しない」「『月の存在』自体」が
存在することをどうやって“認識”したわけ?
こういうのを「極めて不合理」と称する。
これもこの説のパターンどおりのレスですね。
「存在論」と「認識論」を混同してしまっています。
すなわち、存在には認識が必要条件であるとの誤謬です。
「存在」には「認識」を必要としません。もし「存在」に「認識」が
必要であるならば、「未知の物」全てが存在しないことになりますね。
例えば、現在まで人類は数多くの元素を発見してきましたが、それらは
皆、発見と同時に出現したことになり、それ以前はそれらの元素はこの
「宇宙に存在してなかった」ことになりますね。
「存在することをどうやって“認識”したわけ?」これが、典型的な
論点のすり替えです。「存在には認識が必要」との前提にたち
「存在論」を「認識論」へと転換しています。
この説によるならば、「認識により存在する」すなわち「認識しないものは
存在しない」となりますが、全てのものは私達が認識した瞬間に出現することに
なってしまいます。
そして、この説の主張者たちは、「それならば私達が存在する以前は宇宙は
なかったのか?」 決してこの矛盾に答えようとしません。
さらに、また
>>721 で提示した矛盾にも
>>あなたは、もし明日地球が消滅し、月を観測するものが全くいなくなれば
>月自体も消滅すると考えますか?
>その、「考えますか?」という設問そのものにすでに答えが含まれてるね
このように決して答えず誤魔化します。
731 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/09/22(火) 07:36:36 ID:/eWLVIUK
「風の中のアミダ、草原のミロク、 街角のヤクシ、みんな何処へ行った」 衆生済度を発願した如来も菩薩達も全てパロディー化してしまっては 祈りが通じなくなるのも縁起ですね。
732 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/22(火) 07:38:00 ID:ij7lny6u
>>726 >>727 自作自演ですか?
>衆生済度を発願した菩薩達も全てパロディー化されてしまうという「縁」
>で、悩める現代人が伝統仏教に魅力を失っていく仏教離れが「起」って
>いるようにも見えます。
そんなことはないです。
そもそも、衆生済度で、済度する人間が2人かち合ったら、
どちらが済度する側で、どちらが済度される側になりますか?
2人で話し合って決めるのですか?
こういう場合は、カルマのこともありますから、
善行の押し売りになるんじゃないでしょうか?
あまり余計なことはせんでいい。
ってことですよ
えらい迷惑してるんですからね><
733 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 08:14:18 ID:tzcm0+OY
>>728 え〜とですね、ここはスレ違いなので詳しくは論じませんが
ほとんど間違ってますよ。特に「観測者の意識が個々の状態に干渉する」
以前はこのようなトンでも説を言ってた人も確かにいましたが、現在は
一人もいませんよ。観測問題は単に確率の収束にすぎません。
734 :
析空 :2009/09/22(火) 09:13:46 ID:Ywoz+tct
>>711 解脱へ至る道→仏道→八正道
「みんなが出家すれば、解脱できない」という前提が間違い。
涅槃とは、八正道である。by舎利佛
735 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/22(火) 10:10:57 ID:HwB4dvka
どなたか、もう1スレ立てませんか?
次シリーズの議題を決めては如何でしょうか?
------------------------------------------------------
>>725 >次のスレタイ候補
>「原始仏典から大乗仏典への差異が生じた真因?」
違いがあるから、
「原始」or「大乗」なんだから、
どうせなら、「大乗仏教発生の真因とその必要性 !?」って感じではどう?
736 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/22(火) 10:14:23 ID:HwB4dvka
>>654 >経典からの引用は可能ですか?
無理でしょう。仏典においてはすべて、
五蘊や六根などを使った「無常」や「無我」の説法があるだけだろうと思います。
自分でヴェーダーンタ哲学とか知るならば理解されるものと思います。
私から見れば、ヴェーダーンタの「マーヤー」(幻力/幻影)と
仏教の「無常/空」は本質的に同じことを示そうとしています。
>>676 >更に、ニルヴァーナについての有我見的疑義に対しては、Sn1073-1076等が明確に説かれる。
現象界の基準、つまり「有・無」によっては示せない、といっているだけです。
>第二に、SN35.23では、十二処を一切とし、他の一切を説くならば、
>ありもしないものを説いていると明言している。
しかし、分らないですねぇ・・・(涙)
仏教でいう「一切」というのは、もうそれ自体が仏教独自の用語なのであって、
日常で我々が普通に生活で使っているところの「一切」とは、かなり違う性質のものです。
『比丘たちよ、なにをか一切となすのであろうか。それは、眼と色(物体)とである。耳と声とである。
鼻と香とである。舌と味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)とである。比丘たちよ、これ
を名づけて一切というのである。
比丘たちよ、もし人ありて、<わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、そのように言う
ものがあったならば、それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明でき
ないばかりか、さらに困難に陥るだろう。何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを
語っているからである。』(SN.35:23)
737 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/22(火) 10:15:27 ID:HwB4dvka
“それ以外の一切”などという勝手な話しをしているのではありません。 別に、「一切」の内容を変えているわけではないのです。 仏教における「一切」とは現象界の性質に“限定するもの”であり、 「一切」と「一切外」の二つがあるのですよ。 このSN.35:23の中身を読めば、それは瞭然でしょう! 「六根」「六境」を上げて、それらは現象界を捉えるものであるとして、 “それ”が「一切」であるとして教えているのです。 そして、この“現象界の一切”(有為)と“ 一切ではない世界(一切外)”である涅槃(=無為)を説くのです。 “「現象界」と「それではないもの」がある”と説いているのが、『ウダーナ8:3』ですよ。 涅槃は一切外であるから現象界の基準では測れないし、 それを指し示すことができないと教えているわけです。 無いのではなくて在るんだれど、それを示す手段がないということ。 であるから、体験によって知りなさいというのが仏教の立場です。 もう、私は「一切」についての説明はしません。 どうぞ好きにやって下さい!
738 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/22(火) 10:22:20 ID:HwB4dvka
>>704 >>706 その「出家」と「在家」の関係についていわせていただくと、
どうも出家者は在家者が支える関係というのが絶対のものだという話しになっていますね。
そもそも、そこが全く間違っているものと思います。
出家の根本義とは家無き生活に入ることであり、社会生活からの遠離のことです。
何か在家がいないと食が得られずに餓死するとかの発想が間違っている。
自分で生存すべく山野に入り、木の実や果物、野草を摂るという。
本来はサバイバルですよ。
僧院が形成されて、出家者を在家が支えるとか、
それが在家者の功徳になるとか・・いつしかそんなシステムが確立していった・・。
それは遙か後代の整備された関係のことです。
元々、本来は独りで山野に篭る。これが出家の姿です。
生存しながら修行生活を維持したければ、もちろん必死に自分で食を得る。
意味はそれだけのことですよ。
在家がいないと(托鉢で食を得ないと)餓死する
といった発想は本来の出家とは意味が異なります。
在家がいなくたって餓死なんかしません。
>>737 > もう、私は「一切」についての説明はしません。
> どうぞ好きにやって下さい!
なぁ〜に一人で興奮してるんですかぁ?w
> 仏教における「一切」とは現象界の性質に“限定するもの”であり、
というのは原始仏教の話にすぎないということが貴方の投稿から
明らかじゃ、あ〜〜りませんか。
> 「一切」と「一切外」の二つがあるのですよ。
でもって、原始仏教においては「一切外」に真我があるとか言うのは
「頭がおかすぃ!」というレッテルが貼られちゃってるわけじゃないですか。
ちゃんちゃん!
740 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/22(火) 10:39:51 ID:HwB4dvka
>>739 >というのは原始仏教の話にすぎないということが貴方の投稿から
>明らかじゃ、あ〜〜りませんか。
当たり前です。
原始仏教の教えに遡ろうとしているのですから。
>でもって、原始仏教においては「一切外」に真我があるとか言うのは
>「頭がおかすぃ!」というレッテルが貼られちゃってるわけじゃないですか。
>ちゃんちゃん!
一切外にあるのものとは“涅槃の境地”です。これが仏典の説くもの。
ただし、明確に真我が涅槃において顕れる、といった解説はありまぜん。
私は、「アートマン」(バラモンが説くような)を教えたなどとはいっていません。
ただし、説いてないから「無い」ことにはならない。
神智学的に現象界と非現象界を妄想し、 非現象界を永遠不滅の清浄なる“ある”ものを 戯論しとかないと「宗教」にならんから、 神智学的に執着してるだけ。 簡単な手口でしゅ。 カルトとしては、実証不能のそーゆー構造でないと 逆に反証可能となって、お召し上げしにくい。 仏教以外の「宗教」はこういう構造になっているから簡単だが、 仏教はー特に中観はー手ごわい。そんな幼稚な哲理ではなかった。 鎧袖一触。 宝珠の、仏教とくに中観のレイプは大失敗に終わりますた。 言辞を弄するほどに、どつきまわされてボロボロになっております。
742 :
旧7 :2009/09/22(火) 11:21:13 ID:Ws0NLxwH
ID:tzcm0+OYさんの片方の問い(
>>721 )は、畢竟こういうことになる。
≪もし、認識論の方向で徹底するならば、
(たとえば、「(私が)認識するから(私にとっては)月が(―仏教的には、所縁により仮設されたものとして、だが―)ある」というような時)、
仏教は(或いは唯識教学は)『独我論』を超えられるのか?≫ というものだ。
≪もし、
>>717 >>719 >>723 (或いは過去スレの遣り取りから拾った方が良いかもしれんが)のように、
認識論的に先鋭化させるなら、『仏教(或いは唯識教学)は独我論である』という言明・評(≒批判?)は
受け入れられるものかどうか?≫ と・・・。
≪仏教は、その出発点及び本義に於いて、
実存的教え、認識、受け止め、頷き、(そして実践、到達)なのであるから、独我論的で当然、寧ろ名誉(?)なこと≫
と言えるかどうか?
また、
上の例で、「月が、所縁により仮設されたものとして、ある」と言う時、
その縁の中に認識者の知覚認識が関わっている(―根境識の和合、或いは接触を縁としてと言われる部分―な)わけだが、
認識論的に先鋭化した場合、「境との和合」とはどういうことか?「受」とはどういうことか?
「識」の対象としての「境」は、「受(感受)」と「“(完全)同時に”生起する」ものなのか?
「感受以前に識としてある」という言明を却下するなら、「境(対象)」の生起は「受(感受)」と同時ということになる。
これが、『(縁起の)相依性、相互依存性』であり、『これあれば、かれあり』『これなければ、かれなし』であり、
華厳教学、法界縁起にまで研磨されていくのだろうが、《同時》ということは許容し得るものだろうか?
ここを簡単に許容し得るものとするのが、実存的捉え方を踏まえた独我論的方向性となるわけだが、
≪仏教に於いて、認識論的方向性の先鋭化は、極限まで進めてしまってもいいのか?≫という問いとも言える。
「仏教」の神智学的歪曲・曲解 ←これが宝珠のすべて もっとも、到彼岸でないと現観とはならないだろう。
「弟子たちよ、『梵(ブラフマン)』と『我(アートマン)』や『我がもの』などは、 真実として捉えられるものではないのであるから、 このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は(梵と一如となって)、 死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、 まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ 中部経典22改) 本当に釈迦がこのような事を言ったのだろうか?死後何百年、500年ほど経てから編集された経典なんでしょ? 仮にこのようなことを本当に言ってたのだとしたら、ヒンズー教徒とは相容れないわな さも、釈迦の言葉であるように創作してるなら罪深い
745 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 12:17:39 ID:5IVrNgMF
>>721 >強度の人間原理
そう考えるのも人間w。
人間界におけるすべての知覚、認識、思考は、すべて人間による。「強度」も
「弱度」もない。
目の前にこのPCが実在することの証明は、「人間の五感で知覚できる」こと
以外にはない。人間界は本質的に共同体だから、不特定多数人のほぼ同一の知
覚により知覚できるものでなければならない。さもなければ、「幻覚」「妄想」
になる。
過去に知覚できなかった対象が実在した、ということは、「現在知覚できるもの
からの推測」であり、実在の「証明」ではない。人間は、知覚(即ち、物の
実在)を記憶し、また言語によって他の成員に伝達することができる。
ものの実在のテストは、「人間の生命の維持に直接関係するか否か」である。
生命がなければ、いかなる知覚、認識、思考も不可能であるからである。
「神」は、煮て食うことも、衣服にして寒気を防ぐこともできないから、非実在、
空想である。路上の石ころは、投げて外敵を防ぎ、また積み上げて塀や家屋を
作ることも出来るから、実在である。
すべての人間が死に絶えたと仮定した場合、この世界は実在するか。その実在
は、誰が、どうやって証明するのか。
746 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 12:31:34 ID:6tahbdKn
>>745 今から40億年前、地球上に未だ生命が誕生していないころ、地球は存在したか?
747 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 12:37:31 ID:5IVrNgMF
>>746 「現在知覚できる対象」から、存在したと「推測」されている。
生命発生前の地球のGCなどは、あくまで「想像画」w。
748 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 12:44:02 ID:5IVrNgMF
佛教の偉大さは、その「強度の人間原理」にある。釈迦は、「人間が 考ええも無意味なものは考えるな。涅槃に到らず」と説いた。
749 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 12:47:24 ID:6tahbdKn
>>747 いえ、論理的帰結です。現在、存在する数多くの生命はその誕生において、
「誕生しうる『場』の存在が大前提」です。
誕生する場がないのでは、誕生そのものがなりたちません
あなたも、人間の誕生と同時に地球も誕生したと主張するトンデモさんですか?
750 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 13:28:36 ID:MEoHDkd9
>>744 >仮にこのようなことを本当に言ってたのだとしたら、ヒンズー教徒とは相容れないわな
ヒンズー教ができたのは仏教よりずっと後のことだろ。インドの正統宗教はバラモン教だった。
バラモン教が仏教やジャイナ教の思想に感化されてできたのがヒンズー教だろ。
751 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 13:45:27 ID:wyf/pUst
>>730 >「存在論」と「認識論」を混同してしまっています。
>すなわち、存在には認識が必要条件であるとの誤謬です。
認識論的反省が皆無なことと、縁起への無知。
>もし「存在」に「認識」が必要であるならば、「未知の物」全てが存在しないことになりますね。
『二十論』の論敵と同じこと言ってる。『二十論』読もうね、ただし自分で。
>>で、「認識に依存しない」「『月の存在』自体」が
存在することをどうやって“認識”したわけ?
>>その、「考えますか?」という設問そのものにすでに答えが含まれてるね
>このように決して答えず誤魔化します。
で、「認識に依存しない」「『月の存在』自体」が存在することを
どうやって“認識”したの? 「誤魔化」さずに早く答えようよ。
752 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 13:45:38 ID:MEoHDkd9
無神教の仏教を神智学で理解するのはもともと無理だろ。 人智学ならいざ知らず。仏教は仏教学で理解すればいいじゃん。
753 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/22(火) 14:14:04 ID:ij7lny6u
>>730 存在論と、仏教の認識論は全然違いますね。
月はそれ自体が自性としては存在してない。
存在してる、ってのは認識対象化させなければ存在していることにはならないんで、
そもそも対象化させる認識主体が前程となる。
仮設として、認識対象と認識主体がマッチングして、
そこで初めて「月の存在」って仮設が成りたつ。
(これを仏教では無自性としている)
だけど、認識対象、および認識主体がそれぞれ無自性ですから、
あくまでも「月の存在」は仮設として成り立つもんで、
実際、実在論とは程遠いもんです。
「原始仏教は素朴実在論」。と逝ってた電波氏(コテハン)も、あれは大間違い。
>>あなたは、もし明日地球が消滅し、月を観測するものが全くいなくなれば
>月自体も消滅すると考えますか?
月自体が消滅するどころか、そもそも月は存在してない。
縁起において存在(現認)することもある。
これが正解です。
>>744 >仮にこのようなことを本当に言ってたのだとしたら、ヒンズー教徒とは相容れないわな
14世紀にヴェーダ聖典権威絶対主義のヒンドゥ教のマーダヴァが著した『全哲学綱要』によれば、
最低最悪なのは、唯物論(ご隠居):そもそも精神の独自性を認めないから
2番目に劣っているのは、仏教:ヴェーダもアートマンも認めないから
3番目に劣っているのは、ジャイナ教:アートマンは認めるがヴェーダを認めないから。
こーゆーよーに徹底研究したヒンドゥのエライサンからもお墨付きを頂いているのだから、
本スレのテーマについては結論は明白。
755 :
旧7 :2009/09/22(火) 15:01:25 ID:Ws0NLxwH
>>735 テーマ及びスレタイ案
大乗仏教の特性:その長所と短所
【長所】大乗仏教の誕生と発展及び意義【短所】
「涅槃」或いは「悟り」或いは「縁起」或いは「苦」の主観的限界。客観性を持たせ得るか?
(→結局は、どこまで行っても、『自身にとってどうなのか』でしかない。 →他者には当てはめ得ない。)
《畢竟『仏教は「自覚の宗教」』であり、言及できる部分(分野、領域)は極端に少ない》。
【主観?】「涅槃」及「苦」は個人的自覚【妄想?】
仏教に於いて、(現在その全てが(理念通り)履行されているかどうかはともかく)、
《「聖」と「俗」》《「勝義諦」と「世俗諦」》
《「隠棲」と「市井」》《「脱社会」と「社会性の維持」》
《「非生産者」と「生産者」》《「法施」と「財施(=食施)」》
《「無所有」と「所有」》《「社会的責務の免除」と「社会的責務の遵守」》
などの区分(≒結界)は本当に必要か?
(→在家無き仏教はあり得るか? 逆に出家(者)の無い仏教はあり得るか?
寧ろ、両者のハイブリッドこそが理想形か?)
或いは《「聖なる領域」は「世俗の最大・最高規範」の上位に位置づけ得るか?》
或いは《他の宗教に於ける「聖と俗の対比」と、どこが相似し、どこが異なるのか?》
【出家】「聖」と「俗」の交錯点【在家】
『三世に跨る業報の不完全性』、『因果の取捨選択は枠組み次第(≒恣意的)』
『「転生」という概念の曖昧さ』、『過去生の想起は果たして可能なのか』
《当人の自覚以上のことを、他者、第三者が断定し、告げ、思い込ませていいのか?》
【輪廻】その果は何を因としているのか?【業報】
【自覚】その果は何を因としているのか?【告知】
【授記】その果は何を因としているのか?【断罪】
大切なことは、社会を生きてゆく上での ブッダの教えの現代の実践的意義だろう。 単なる知的興味にとどまるなら学問、哲学としての意味しかない。 ここにいる皆さんは、仏教を生きていくうえで、どう生かされているか聞きたい。
一切の現われが唯の認識に過ぎなくとも、 その顕現に強制力があるなら、存在自体が存在する、と言ってもいいような気がする たとえば 後ろからいきなりぶん殴られた時 認識と1刹那前の殴打の関係を合理的に説明した上で抗議するのには無理が出てくる。 「殴られるその刹那を目撃していない」「『殴る行為の存在』自体」が存在することを どうやって”認識”したの? 生じたことについて異義を立てない。 殴られても報復しない。 その姿勢が前提にある坊さんなら問題ないのだろうけど。 一切の過去の”苦”の認識について、あるいは既に積んだ業対象ならば喜んで合意するが 一般化されるとどうも。 伝統的な釈を聞くと諧謔としか受け取れない部分がある。 とくに帰ビョウ法厨の坊様の釈は、受けを絶対に狙ってるw もっとも反語や含みは釈尊以来の伝統ともいえる部分なんだよね。
758 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 16:42:49 ID:W7yy3w33
>>756 単なる知的興味なら、学問、哲学、そして宗教としての意味もないね。
そのような宗教批判は、生きる意味と力を与えてくれるw。
759 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 17:01:17 ID:tzcm0+OY
>>751 >認識論的反省が皆無なことと、縁起への無知。
「存在」に「認識論的反省」が必要なことが論証されていないので無意味です。
「縁起への無知」→これも「存在には認識が必須」との見解に何故、縁起が
関係してくるのかの説明が全くありません。
佛教でいうところの「縁起」とは、「全ての存在は自性が欠如していて、無限の
関係性の上においてのみ意味をもつものである。我々が通常、『存在している』と
誤認しているものは『五蘊の仮和合によって仮設されたもの』に過ぎない」
と、こういうものだと思いますが、これによると「認識」も「無限にある関係性、
諸要因」のひとつに過ぎず、これが失われたからといって、その『仮設されているもの』を
成り立たせている「縁起」が、消失するわけではありません。
>『二十論』の論敵と同じこと言ってる。『二十論』読もうね、ただし自分で。
このレスも全くダメです。返答に詰まったときに使われる常套手段です。
「まずは〜を読んで来い。話はそれからだ」 逃げの常套句です。
このような掲示板では、誰もが共通認識として了解している事項以外は、
「著書名」「学者名」を挙げるだけでは、全く無意味であり、その著書、
あるいは学者は、「〜のように述べている」と記述しなければ、単に逃げて
いるに過ぎません。最低限、そのくらいのことは理解しましょう。
760 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 17:02:14 ID:tzcm0+OY
>で、「認識に依存しない」「『月の存在』自体」が存在することを どうやって“認識”したの? 「誤魔化」さずに早く答えようよ。 これも、自己の回答不能を誤魔化すための手段にすぎません。 私は『存在に認識は不要』と主張しているにも、かかわらず 「どうやって『認識』したの?」と、私に『認識法』の説明を求めます。 一見、関係があるように見える無関係な話題を振り(あるいは逆質問を提示し) 自己の回答を回避する典型的手法です。 「存在に認識は必須である。認識なくしては存在はあり得ない」との説の 反証を以下にあげておきます。 「もし、上記の説をとるならば、認識主体の存在が大前提ですね。『存在 していると言えるには、それを認識しているものがいなくてはならない』 これがこの説の中核思想だからです。さて、それではこの認識主体が誕生 するには、その誕生する『場』が、なければなりません。(例えば、この 認識主体を人間としたとき、人間が誕生する地球というものがなければ 「誕生」そのものがあり得ません) それでは、この認識主体が誕生する『場』というものは存在しているのでしょうか? 人間は誕生以前には、地球を認識できませんから、地球は存在しないことになります。 しかし、地球が存在しないのであれば、認識主体の人間そのものが誕生できません。 ?????? わかりますか? この説の論理矛盾が。 『認識により存在が 成立する』とするのであれば、必然的に認識によらないものの存在を許容しなければならなくなります。 この説は大昔からある「人間原理」と呼ばれる説で、とっくにその論理矛盾が 指摘されて消え去ったものです。未だにこの説を主張する者がいること自体が 驚きなんですが。
761 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 17:12:23 ID:tzcm0+OY
>>755 次回のスレたいのテーマですか。大変興味深いですね。
個人として、「佛教における主観と客観」に関するものを望みたいですね。
どこまで佛教に普遍性を求め得るか?みたいなやつ。
佛教は他の宗教と違い論理的整合性を重視する側面があると思いますが
それがどこまで可能なのか? には興味がありますね。
場の論理による唯識批判w
763 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/09/22(火) 17:31:36 ID:ij7lny6u
>>760 >人間は誕生以前には、地球を認識できませんから、地球は存在しないことになりま。
>しかし、地球が存在しないのであれば、認識主体の人間そのものが誕生できません。
これは昔聞いたような記憶がありますが、今、思いだしましましたよw
ゴルバチョフが逝ってました。
「人間が誕生する以前に地球があったから、唯物論は正しい」。
つまり物質世界における派生として生命が誕生した。
この理論は、当時、最も合理的な考えとして、
直ぐ唯物思想は全世界に拡大し、イデオロギーとして学生運動の理論武装となっていった。
そして、60年・70年安保になっていく。
764 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 18:15:10 ID:wyf/pUst
>>759-760 >これも、自己の回答不能を誤魔化すための手段にすぎません。
>私は『存在に認識は不要』と主張しているにも、かかわらず
>「どうやって『認識』したの?」と、私に『認識法』の説明を求めます。
>一見、関係があるように見える無関係な話題を振り(あるいは逆質問を提示し)
>自己の回答を回避する典型的手法です。
これこそ、「自己の回答不能を誤魔化すための手段にすぎません。
一見、関係があるように見える無関係な話題を振り(あるいは逆質問を提示し)
自己の回答を回避する典型的手法です。」
さあ、「自己の回答を回避」し「誤魔化」し続けないで、
>>で、「認識に依存しない」「『月の存在』自体」が存在することを
>>どうやって“認識”したの?
に早く答えようよ。
ところで、『二十論』が何かすらも分かってない?
>認識により存在が成立する』とするのであれば、
>必然的に認識によらないものの存在を許容しなければならなくなります。
「許容」即ち「認識」を介さずして↑とどうやって“認識”したのですか?
「?????? わかりますか? この説の論理矛盾が。」
こうした「論理矛盾」を「誤魔化」すことを「認識論的反省」が皆無だと言っている。
ご参考に [認識方法と認識対象の]二つは自立的に存在しない。 もし認識方法とその対象との二つが本体[実体]として存在しているなら、 認識方法[がある]、認識対象[がある]などと言われることもできよう。 しかるに、[相互に]依存して存在しているということは相互に成立させあうという意味であって、 それは自立的存在[客観的実在]ではないのである。 (ナーガールジュナ、梶山訳、『ヴァイダルヤ論』、2)
やばい、もうすぐ終わりや 496KB
767 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 18:28:43 ID:wyf/pUst
>>765 もちろん、同箇所を知っております。『廻諍論』の量批判も。
だいたい、例えば『三十頌』等は、能取が実在するなんて言っていないわけですよ。
所取が無いから能取も無い。
>>740 > 一切外にあるのものとは“涅槃の境地”です。これが仏典の説くもの。
あ〜、これ間違いね。「一切外にあるもの」なんて説いてないんだな。これが。
煩悩の「滅び」や煩悩が尽きるという表現があるだけで、「一切外」に「ある」なんてものはぁ〜なぃわけ。
そーゆー「一切外」に「あるもの」なんて概念は、原始仏教には「無い」わけですよ。
一切外という概念もなければ、そこに「あるもの」という概念も無いんだから、あるわけないんだよね。
ぜぇ〜んぶ、新興宗教の人の「ね・つ・ぞ・う」なんだから!
いい加減にしたらって思うんですよぉ。
> ただし、明確に真我が涅槃において顕れる、といった解説はありまぜん。
> 私は、「アートマン」(バラモンが説くような)を教えたなどとはいっていません。
> ただし、説いてないから「無い」ことにはならない。
なんかさぁ、そういうのって右目が腫れ上がったボクサー相手に右に右に回り込んでいくのに
似てるよね〜。そーやって、死角に死角に逃げていくのって情けなくないのかな?かな?
見えてなければ「何言ってもおっけー!」ってわけにはいかないんですよ。ざぁ〜んねん!!
説いていなどころか、これ以上ないくらいハッキリと「愚かな教えである」と明言されてんのですよ。
もー、何をいっても無駄なことに気づいてほしいな〜〜
いや〜見苦しい、見苦しいw
770 :
旧7 :2009/09/22(火) 18:48:02 ID:Ws0NLxwH
>>769 >*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの
おいおいw
大乗仏教のの発展なんだから、中心となるのは『大乗仏典の変遷』だろwww
百歩譲って、その萌芽がどの辺りにあるかを検討するくらいだ。
この一文は無意味。
>スレ立てされる方 「仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの」 を削るか 「大乗仏典と、また比較対照としてパーリ仏典からの」 みたいな感じの文言といれかえるかして頂けると助かります。
772 :
神も仏も名無しさん :
2009/09/22(火) 19:09:48 ID:tzcm0+OY >>764 全くダメですね。あなたは、オウム返しによるレスという最も稚拙な方法
と単なる使用語彙の揚げ足とりしか、行わないのですね。
「許容」という語が気に入らないのであれば、「前提」でも同じことです。
どちらにしろ、あなたは自己の主張の論証を一切せず、また、こちらの問いに
全く答えようとする姿勢が見えません。オウム返しと揚げ足取りでは、どうしようも
ありませんので、終了します。