870 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:34:14 ID:duQXA7zC
>>863 >宗教に争いが多いのは、開祖の精神病故に、
>その思考の基盤が全く狂っているからである。
違います。
弟子や周囲の人々の無理解や誤解が原因。
人々が勝手に言い争っているのです。
>佛教スレの争いの原因は、「キリスト教(的)の要素」が混入した結果であることが大きい。
キリスト教など関係ありません。それはキリスト教以前の宗教だろうと状況は同じです。
教えの始祖が亡くなって時間の忘却と共に歪曲が進行し、人々の見解が割れだすからです。
いい加減、
カルトのキリスト教(の教理)の影響話しと混同するのは辞めましょう。
味噌もクソも見かけだけで一緒にするな。
871 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:36:01 ID:uZ5cBRLx
>>866 英語一々全部読むのめんどいんで、検索したんだが、とりあえず、
transmigration of the soul; the never‐ending cycle of reincarnation; metempsychosis
どれも単語がヒットしないんだが、どこに輪廻について書いてあるんだ?
872 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:38:18 ID:ZaP5Pz1Q
宗教は、例外なく開祖の精神病から発生したものであるから、すでに 精神医学的問題を有する者が宗教に接すると、それが悪化して、「狂信 者」が生じる。 実は、イエスは勿論のこと、釈迦も、程度は軽いが、その例外ではない のである。 宗教とは、人間の狂気、精神医学の対象以外の何物でもない。 「狂気」とは、「現実との接触の喪失(Loss of contact with reality) と定義される。
カルトが日本で儲けようと思ったら、仏教の看板を利用するのが手っ取り早いんだよ。 そのなかでも、業報輪廻転生論!が美味しいところ。 これと先祖供養を結びつければ天下無敵!
874 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 20:42:19 ID:duQXA7zC
>>865 >それこそ、釈尊に失礼だと思う。
正しく理解しようとすることは失礼にならない。
>四門出遊がフィクションだったとしても
輪廻による生まれ変わりという業の恐ろしさについて教えることが最重要課題。
「涅槃」はこの輪廻から脱した境地であり、目指すべきゴール。
人間の四苦八苦の恐ろしい姿は、業による輪廻の結果でありその様であるとして、
ゴータマは修行の末に知る---確認する
>>841 >>848---のです。
876 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:46:36 ID:jt7vPNjA
877 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:51:20 ID:uZ5cBRLx
>>868 記憶喪失では、空間的連続が切れない(体がそのまま)だから、苦が続くのは当然だろw
主体なき輪廻で、記憶も空間も連続が切れれば、当人にとっては苦が切れてしまうのも当然だろ?
878 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:53:25 ID:8reda7oW
>>868 >>858 の人はちゃんと「空間的連続性」と「記憶の連鎖」の
喪失という二つの要素をあげ、それらが失われれば、
同一人物であるとの認識不可能であると言っています。
あなたはその内「記憶の連鎖の切断」だけを取り出し、
苦の連続が容易に予想されると言っています。
空間的連続性に言及しなかったのは故意ですか?
そうでないのならば、人の書き込みを批判するときは
その内容を正確に把握してからするべきですね。
879 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 20:59:12 ID:jt7vPNjA
>>871 最後の四つの安寧だ。つまり結論部、その後に釈尊をみんなが称賛して終わる。
Then it is possible that at the dissolution of the body after death, I shall arise in the heavenly world, which is possessed of the state of bliss.' This is the first solace found by him.
その前に基準を論じるが、
ハッタリ男がコピペしたやつは、チベット伝承のタットヴァ・サングラハなどの一説が混じってるし、全然、正確な内容じゃないんだよ。
880 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:00:13 ID:jt7vPNjA
881 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 21:02:56 ID:duQXA7zC
882 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:03:42 ID:jt7vPNjA
>>877 そりゃ、ご都合解釈だな。少なくとも仏教の考え方では、
記憶喪失も、輪廻も変わらない苦の連続、だから輪廻、経巡りという。
空間的連続は仏教で問題にならないからね。
883 :
旧7 :2009/09/12(土) 21:13:08 ID:pSzvL9p6
>>874 >輪廻による生まれ変わりという業の恐ろしさについて教えることが最重要課題
前にも似た遣り取りをしたな・・・w
その時は、『宿命通(過去生を想起すること)が、悟りの要である』という貴方の発言に異を唱えたと思うが、
今度は、『輪廻の恐ろしさを提示し、知らしめることが、仏教の最重要課題』と来ましたかwww
臍で3度目の茶が沸いちまったよw
>>882 残念ですよ。
貴方が、宝珠と同類というか、肩を組んで歩くくらい親密だったとはね・・・w ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
>>879 >I shall arise in the heavenly world, which is possessed of the state of bliss.' This is the first solace found by him.
方便としての生天思想であっても輪廻転生論ではない。
アフォらし。
885 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:19:34 ID:jt7vPNjA
>>884 少なくとも、おまえは読んでなかったわけだ。
読んでたなら、以下が『カーラーマ・スッタ』に書いてあるとは言わないよな。
>>850 >「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。
>金は火によって試されるのだから」。
886 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:19:37 ID:uZ5cBRLx
>>876 「彫ったとしたら、殺される文化だから、これは人が彫ったモノではない」というのは、証拠のつもりなのか?
>>881 長南年恵は、尿を聖水として売ってたって有名な人でしょ?
甘くなった海水は、河口付近で、大雨で真水が増えただけって、書いてあるじゃんw
ガネーシャ像は、「うちにある像でも出来ちゃったw 単にミルクが溝を伝ってるだけでした」ってやつでしょ?
マリア像の血は、持ち主が、「自分の血とマリア像の血が一致するかどうか」の検査を拒否してる時点でw
後は知らないので、ソースplz
前半みたら、他のも期待できないが
むかーしね、比叡山の麓の坂本の町で あるアジャリがみたのね 重い荷物を背負って、あえぎながら坂道を登る牛を アジャリが見たのは、牛の傍らに寄りそう二人の童子で 他の人には見えないの(この世のものではない) それでアジャリは二人の童子に尋ねたのよ、なんでこの牛に付き添っているのかと 童子曰く、「この牛は前世で人間であった時、悪事を働いてこの有様であるよ」 「しかし一度だけ慈救呪を唱えた事があるから、誓願によりこうして助けているだよ」 というお話しあるけど 悪業は悪報として残り、善根は功徳として残り 相殺はされない というお話しだと思います こんなお話一つで、ふんふんと聞ける人と 怒りがみなぎる人といるわけです
888 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:22:22 ID:jt7vPNjA
>>886 せっかく、あげたんだから。英文も読めよ。
ただの揚げ足取りで、言ってみただけか。
こんなんばっか
>>879 which is possessed of the state of bliss.
業報輪廻って苦じゃなかったの?
知らなかったあw
890 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:24:37 ID:jt7vPNjA
>>889 くだらね〜、やつだな。ハッタリがばれてもいいわけか。
891 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:29:50 ID:uZ5cBRLx
>>882 いやいやw
誰が仏教の話をしました?
主体なき縁起による輪廻で、記憶も肉体も継承されないなら、
「普通の人」にとっては、全く意味がないじゃないですか。
「貴方が死ぬと、肉体も滅し、記憶もなくなります。
ですが、貴方の悪業を継承する存在が生まれます。
今貴方が悪い事をすると、貴方とは別人が悪い結果を受けます。」
と言われても、どうしろと?w
極論を言えば、何をしても自分には関係が無いから、好き勝手してもいいという結論になるじゃないですかw
892 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:32:58 ID:jt7vPNjA
>>891 オレは、仏教の話しかしてないんだが。それ以外は全て譬喩。
ところで主体無き縁起による輪廻って仏教の話じゃなくてなんなの?
因果、輪廻 あったりまえだよ これを議論してどうするの? 議論の間は何かから逃れられるの? 自分の瞑想で確かめたらよかろうよ
894 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:37:17 ID:uZ5cBRLx
>>888 英文って、単なるgooglの検索画面じゃんw
どのHPの事を言ってるんだ?
>>892 失敬。笑って打ち間違った。
仏教の話→仏教理論内の話
普通の人にとっては、意味がないと言いたいだけなんだが?
895 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:55:27 ID:jt7vPNjA
>>894 普通の人には意味ないよ。そりゃ。
仏教の中での話だから。
ここはそういうスレですよ。
896 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:59:27 ID:jt7vPNjA
>>893 まあ、もっともな話だが。
現代日本の仏教は、輪廻を否定する倒錯した見解が多いので、
それをちょっとは是正したいと思ってる。
輪廻なくして仏教なしってこと。
897 :
旧7 :2009/09/12(土) 22:09:08 ID:pSzvL9p6
>>887 『悪事』ねぇ・・・。
家庭不和から薬物に手を出し、町中で刃物を振るい、
今まさに、ある家族連れに暴行を加えようとした男がいたとする。
(アメリカなら即座に銃の登場だがw)、父親は幼い我が子を守るため、
彼をさえぎり、とっさに彼の命を奪ってしまう。
「殺生」には違いが無い。
人を殺すという悪業を避けるため、わが子が殺されるのを受け入れねばならないだろうか?
たとえわが子が殺されても、暴漢が目覚め、改心し、新たな生を歩きだすきっかけを作ったということで、
我が子を見殺しにしたことが善業となるだろうか?(我が子を直接殺してないから、人殺しという悪業にはならない?)
「悪事」って、何?
宝珠にもその傾向はあるが、「勝義」を美談として喧伝する輩が多過ぎる。
机然り。どこかの誰かさん然り。カラス然り。
だが、(その内の何人かは気付いている筈だ)、≪「業報(思想)」は世俗の事柄である≫と。
なのに、なぜ、「縁起だから」とか平気で言えるのか?
勝義での説明が説明にならないことくらい判りそうなもんだが・・。
世俗の事案であり、世俗でのみ通用することなれば、世俗での言辞が紡がれるべきだろ?
何人かの方は、まさにそれを要求しているわけだ。
しかし、誰一人、それに答える者はいない。
皆が皆一様に、「勝義から」述べ、「勝義ではそれらは仮説・虚妄です」としか言わない。
だったら、世俗の言辞に意味などなかろう?なぜ、他の事柄は執拗に解説ができる?
なぜ、業報に関してだけそれができない?
水野さんの選集2巻に、「業について」「業に関する若干の考察」という2論文が収められている。
積読ではどうしようもないんでw、今度ちょっと読んでみよう。
新たな感想があれば、もしかしたら書き込むこともあるかもしれない・・w
898 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:21:05 ID:uZ5cBRLx
>>895 おいおいw
つまり、輪廻は一般人には関係ない仏教者の信仰上の問題って事か?
主張を聞いてると、仏教が、
「有る証拠は無いが、輪廻を信じて、
来世に、自分の記憶を持たない、別人が生まれて苦しむのを防ぐために、
今苦労して修行する」という、
究極のオモシロ宗教に思えて来るんだが?
899 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:26:59 ID:jt7vPNjA
>>897 >皆が皆一様に、「勝義から」述べ、「勝義ではそれらは仮説・虚妄です」としか言わない。
>だったら、世俗の言辞に意味などなかろう?なぜ、他の事柄は執拗に解説ができる?
>なぜ、業報に関してだけそれができない?
え、分かんないの。理由は簡単。無我・空と業報・因果が矛盾するという話になるから。
無我・空を前提に話されちゃ、言語習慣なんか全て虚妄・幻でしょう。
900 :
旧7 :2009/09/12(土) 22:30:00 ID:pSzvL9p6
>>899 だからwww
ならば、なぜ、そのような虚妄なるものを啓蒙の主軸とするのか?
虚妄ならざるものを主軸にしなくてもいいのかい?
901 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:32:19 ID:jt7vPNjA
>>898 それで結構。仏教は信仰体系外の他人に何も強制しないからね。
勧めることはするよ。殺さない方がいいよとか。
なんと思われようと結構。ただ「仏教は〜だ」という断定で、伝聞するのは止めてもらいたい。
「仏教は〜だと思う」という所見で話して欲しい。
語らないのが、もちろん最も望ましい。
902 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:34:04 ID:jt7vPNjA
>>900 だって、無我と輪廻は矛盾するとか、アートマンはあるかというテーマだと
そうなるでしょう。方便ならありだが、ここは方便で語るとこじゃないでしょ。
903 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:36:27 ID:uZ5cBRLx
>>888 とりあえず一番上に来てた論文らしきものをざっと読んだが、比較文化論の話で、手形が奇跡の産物であるかどうかについては書いてないように読めるんだが?
第一、写真をよく見たら、手形がついてる部分と、その下の石の材質が違いすぎるw
石の上に、溶ける何かを垂らして、手形を押したように見えるんだが?
904 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 22:36:27 ID:duQXA7zC
>>883 >残念ですよ。貴方が、宝珠と同類というか、
>肩を組んで歩くくらい親密だったとはね・・・w ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
彼はどう見ているかはわかりませんが、
少なくともこの私からは、見解の違いとは、
“アートマン実在論⇔無我論(縁起)”の僅かな部分だけだろうと思っています。
私が主張するアートマンは不変ではなく、
スパーンの永い縁起存在であるので(阿頼耶識の想定はデタラメではないということ)、
そういう意味ではバラモン聖典はやや短絡的に説いてしまっているのです。
ゴータマはアートマンは不変ではないという意味も含め、
確認証明が困難なこの形而上学的問題の論争を避けることにして、詳細を説くことを辞めたのです。
そういうことであるから、業と縁起による輪廻論となっているのであり、
そのことを理解すれば大した問題ではないのです。
---だから、改める意志がないのだな!
と憤慨されるかもしれませんがw
それと、
私は伝統仏教の説く、主体を説かない業の輪廻論も意味するところもわかるので、
大して論争の意図はありません(何故なら、実際はアートマンが輪廻していることを
この私が知っていればそれで済む問題だからです-結果は同じ)。
ただ、“無我説は変化していった”ことについては提示したいと思ったのです。
>>896 輪廻なくして仏教なしってこと。
そういうこと。
905 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:39:00 ID:jt7vPNjA
>>903 オレが観てきた実物たちは、そうじゃなかったぞ。
しかも、誰が付けたかまで伝承されている。
現代人もいたような気がするが、あまり興味ないので憶えてない。
906 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 22:44:00 ID:duQXA7zC
>>901 >それで結構。仏教は信仰体系外の他人に何も強制しないからね。
>勧めることはするよ。殺さない方がいいよとか。
賛同!
仏教による世界支配なるものはない。
否定者は、
どうぞカラマ・スッタにより、ゴータマの話しを自分で吟味すればいいのです。
認められない人は信奉しなければいいだけです。
その自由が認められているということ。
凡夫に輪廻転生は確認されない。
ゴータマの教えに信頼性を得て、自ら体験すべく修行の入る以外はない。
907 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:44:36 ID:jt7vPNjA
>>904 >“アートマン実在論⇔無我論(縁起)”の僅かな部分だけだろうと思っています。
大きな違いだよ。ぜんぜん違う。
そこが仏教と他のほとんど全ての思想を分かつとこ。
そういう実在論、本質主義、有身見、我見を持って、
どんな三昧・禅定体験をしても解脱できないというのが、仏教で、
それが縁起によって無我・空を悟るか悟らないかに関わっている。
はっきりと、『梵網経』に書いてあるでしょ。
それから、長部・中部のほとんどの経典にも書いてあるぞ。
そっちはちょっと分かりにくいけど。
その縁起が分からない限り仏教の本質は理解できないよ。
908 :
旧7 :2009/09/12(土) 22:46:14 ID:pSzvL9p6
>>902 いやいやいやw
このスレ限定の話じゃないでしょw
仏教を説く(説法・法話する)際、
啓蒙の主軸として、発心のきっかけとして、修行の後押し・励ましとして機能する、
というのが貴方方の主張ではありませんでしたか?
それを今更翻すおつもりで?W
909 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/09/12(土) 22:54:20 ID:duQXA7zC
>>897 >「殺生」には違いが無い。
>「悪事」って、何?
そんな・・「殺されてもいい」などという話はありませんよ。
悪事の基準というのは、人の意識、“行為の意図”も問題視されるのです。
身口意の三業中、「意」が最重要視されるという意味はそういうことからくる。
910 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 22:54:30 ID:jt7vPNjA
>>908 それは本来の業報を仏教の文脈で語る場合ですね。
それが理想です。
ところがここはそうではない。ただの揚げ足取りがほとんだから。
ああいった語り方にならざるえない。
少なくとも私の能力では、その程度。もっと有能な人、慈悲に溢れた人なら、
別の形になると思いますが。
>>890 カルトの走狗 乙!
おめーのいつものインチキハッタリはとっくにバレまくってるぜw
思惑とふんどしは前からはずれるw
さてと、アレ嫁が変な目つきをしやがった、寝たふり、寝たふり!
912 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:08:33 ID:uZ5cBRLx
>>901-902 ナルホドね。
結局、「私は輪廻が有ると信じる!仏教は輪廻が根幹だ!輪廻と無我は矛盾しない!根拠は私が信じてるからだ。」と言いたいだけなのね。
一生懸命、論理を理解しようとしていた私がバカだった。
>>905 また、「俺は見た。だから信じる」か…。
もう少し客観的証拠は無いもん?
未だ嘗て、科学調査が入っても奇跡だと認定された「奇跡」を聞いたことが無い。
人間が石を溶かせるなんて現象がマジであったら、世界中の物理学者がすっ飛んでって研究するw
使いようによっちゃ、エネルギー問題が一挙に解決するからな。
そもそも、「石が手形状にへこんでるのを見た」であって、それが「奇跡によって作られたのを見た」訳では無いと思うんだが?
伝承についても「○○がつけたと言う伝承がある」と、「○○が実際に奇跡を起こした」と言う事は別問題。
石を彫って、伝承を創作した可能性が否定出来ない。
うちの庭に、モケケピロピロの足跡を作って、モケケピロピロが現れたと言う伝承を作ったら、モケケピロピロの存在証明になるか?
913 :
旧7 :2009/09/12(土) 23:11:55 ID:pSzvL9p6
>>909 ほうw
最重要視されるってのは1:1:3くらいか?w
(最近の近代戦争はともかくw)、戦場で前線に立った兵士は、
「自分の身を守る為」にも敵兵を殺す。
それは同時に、「故郷を(故郷の人々を)守ることでもある。作戦行動中の部隊の仲間たちを守るためでもある。
自分が死ぬことは、自軍の戦力が減ることだ。
もし死ぬならば、2人でも3人でも道連れにして、敵軍の戦力を割かねばならない。
慈悲心を起こし、敵兵の殺害を止めた時、彼は殺されることになろう。
故郷を守らなくてもいい?部隊の仲間を危険にさらしてもいい?
前線に居合わせる多くの兵士の意業を最重要視した時、彼らの業果はどう判定されるんだろうね・・・w
そこには、万華鏡のように、色んな「意」があるだろうね・・・。
いったい、どれが善でどれが悪かね・・。
彼らが戦争を起こしたわけでもなく、自ら前線に赴き敵兵と対峙したわけでもない。
ただただ、避けられない状況・流れの中、彼らは前線に立ち、互いに銃を構え合う。
ああ、そうか、簡単だ!w 彼らは、前世の悪業により、前線に赴いてるんだ!
皆同じような悪業を為してるのかもしれない。
だから戦場は地獄なのかwww AA(ry
914 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:18:12 ID:jt7vPNjA
>>912 まあ、それでいいよ。仏教に対して信がない人に説明しても無駄だと思うようになってきた。
つか、気がつくの遅かった
915 :
旧7 :2009/09/12(土) 23:21:11 ID:pSzvL9p6
>>914 今の時代、寧ろ
>仏教に対して信がない人
に対する言葉こそが、模索されるべきなんじゃないのかい?
敵前逃亡は重罪だぞw
916 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:24:09 ID:jt7vPNjA
>>913 >慈悲心を起こし、敵兵の殺害を止めた時、彼は殺されることになろう。
>故郷を守らなくてもいい?部隊の仲間を危険にさらしてもいい?
>前線に居合わせる多くの兵士の意業を最重要視した時、彼らの業果はどう判定されるんだろうね・・・w
>そこには、万華鏡のように、色んな「意」があるだろうね・・・。
>いったい、どれが善でどれが悪かね・・。
無我になった意が善で、我は悪、捨の利他は善で、エゴは悪。
状況とか結果は関係ない。その時の意が重要なんですね。仏教は。
>彼らが戦争を起こしたわけでもなく、自ら前線に赴き敵兵と対峙したわけでもない。
>ただただ、避けられない状況・流れの中、彼らは前線に立ち、互いに銃を構え合う。
>
>ああ、そうか、簡単だ!w 彼らは、前世の悪業により、前線に赴いてるんだ!
>皆同じような悪業を為してるのかもしれない。
>だから戦場は地獄なのかwww AA(ry
だめだな。それじゃ。運命論だ。縁起は過去の業とともに現在の身口意の行為で、縁起するし、もっとも重要なのが現在の意業というのが仏教でしょ。
それこそ、禅宗得意の今ここの意とでも言うべきか。
917 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 23:25:40 ID:jt7vPNjA
>>915 もっと修行して出直した方がよさそうだw
三年ぐらい篭もるか。
918 :
旧7 :2009/09/12(土) 23:26:14 ID:pSzvL9p6
>>916 >それこそ、禅宗得意の今ここの意とでも言うべきか
そう。
だから、禅宗は戦争に荷担できるのですw
919 :
神も仏も名無しさん :
2009/09/12(土) 23:34:50 ID:jt7vPNjA >>918 それは見性して、その状態から一歩も揺るがない人だけが可能な境地でしょ。
そういう人なら、どんな状況でも自然に何でも利他になるけど、
そんな人、何人いた? 昭和の禅宗に。
多くても100人いないと思うけど。
それにそんな人が1人でもいたら、日本仏教は再生してるよ。
見性しても揺らぐでしょ。それじゃ、そんな行為はできない。