仏教とキリスト教はどう違うの?

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952:2011/04/24(日) 02:10:24.03 ID:TE6YqZpj
371 神も仏も名無しさん sage 2010/10/27(水) 23:08:26 ID:wym37YXJ
>> 330
> お話にならない。
いやいやいやいやいやw  「 > お話にならない 」のは貴方のこのレスでしょう?w

> 兎に角、釈迦の鬱病の症状である「苦」を健常者に植え付けて洗脳するという
> 悪質な宗教勧誘行為はお止めください。  >> 328-329(>> 294>> 295>> 296>> 297)

それから、「 > 健常者 」と言いますが、その線引きは、怪我をした時のように明確ではありません。
平熱に個人差があり、熱に浮かされる体温基準も様々です。
或いは、心の病的な部分は、顕著に症状がでない限り、その境界は曖昧です。
(貴方は、どこまでが健常で、どこからが異常かという線引きができますか?
 その線引きは、数値化するが如く、一定のものですか? (違うでしょう?w))
それらよりも、更に個人差のある領域なのです。
「苦」の感じ方、その程度、痛み、重さ、耐え難さ、そして深刻さ・・。
この個人差の、どこに「健常」「異常」の線引きがし得ると言うのでしょう?
貴方の言辞は、いつもいつもステレオタイプで定型的で、
時に権威に寄りかかり、時に風説流説に流され、【現実に即していない】のです。
 *(だから、独善妄想と言われるのです。
  そして貴方こそが、過去の傷により、未だに病んでいるのではないか? と勘繰られるのです。)
深刻に受け止めている者には、その軽さを、
浮かれて気付いていない者には、その重さを、
それぞれ、慰撫し、示唆し、その因と縁への視線を促すなのです。

> キリスト教が「罪概念」を植え付けて洗脳しているのと全く同じ。
> 地獄に墜ちるに値する極めて悪質な布教手段です。
部外者なので踏み込んだ発言は控えますが、おそらく、同じ構図になると思いますよ。
どちらも、
≪(実存的に)自身の「生」(人生)を見つめ、その上での
 自分の行為(想い、行動)の『自覚』こそが必須である≫という意味で・・。
ま、貴方には「同じ穴の狢」「同じ病理、同じ勧誘手段」としか見えないのでしょうけどね・・w
ちなみに、貴方に、「自身の想いや【行為】の自覚」はあるんでしょうかねぇ・・・。
953:2011/04/24(日) 02:12:43.60 ID:TE6YqZpj
608 蛇足1 sage 2010/11/02(火) 19:51:40 ID:iBZYKRBS
>> 371補足として。(〔 平均を外れるとはどこから? 〕)
 *(数学・統計学には疎いので、間違っている部分が多いかもしれない。)

>> 379(>> 421)
> 「狂気」とは、共同体の成員の
> 平均的認識、思考、感情、行動からの著しい偏倚のことである。
「【著しい】差異」であるなら、よほど鈍感な者でない限り、気付くし、【異常】(常と異なる)だと認識するでしょう。
しかし、それを定量化できますか? 平均値よりどれほど差があれば異常なのですか?
いや、そもそも、【『平均値』自体に幅がある】ことを忘れてやしませんか?
身長を例にとりましょう。(エクセルで軽く計算してみた。数値は以下、
140、142、143、144、146、147、148、153、156、159、168、169、171、173、174、176、176、178、179、180)。
今、140cmから180cmまでの人間が20人いたとします。計算上の平均身長は161cmだったとします。
その近辺には168も居れば169も居れば171も居ます。159も居れば156も居れば153も居ます。
或いは逆に、【平均数値から大きく離れた者ばかり】になることもあるかもしれません。
どこまでが平均の幅ですか?
どこからを、180cmに近い「背の高い者」と称すのですか?
どこからを140cmに近い「背の低い者」と称すのですか?
棒グラフにしてみると、その困難さがよくわかるでしょう。
精神科の門を叩く者も、こうした幅の中に居る者です。
それぞれ、明確に病認定される場合も、軽度の○○とされる場合も、
相談だけで済んでしまう場合も、種々あるでしょう。
そこに、明快な境界はありません。
「誰もが、程度の差こそあれ病んでいる」とか「誰もが悩みを抱えている」とか
臭いことを言いたくはありませんがw、この境界上を無視しているのが、貴方の「(宗教)精神病論」なのです。

> 従って、平均的成員には、容易に判断可能。
お馬鹿さんですねw
大病かと思って診察受けたら、「風邪ですね」「疲労ですね」と言われることは、あり過ぎる事例なわけですw
また逆に、単なる風邪だと思ってたら肺炎だった、なんてこともあるわけです。
貴方が、いかにマニュアル的で、理論上だけの、機械的区分による思考をしているかの典型例です。
954神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 02:27:45.98 ID:tWzOra1I
>>946
「聖書上のイエス」を批判されると、今度は「聖書には書かれていない真実
のイエス」を持ち出したり、弟子に責任を押し付けたりして、イエスは絶対に
批判できない。それが、宗教の病理としての「個人崇拝」「偶像崇拝」なのです。
955神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 02:30:38.94 ID:tWzOra1I
>>954の続き
キリスト教の発生時、それがどれほどの超カルトであったかを、想像してみて
ください。世俗人であるピラトは、イエスを処刑するつもりは無かったが、
ユダヤ教徒たちの「殺せ、殺せ」の大合唱に押されてやむを得ず処刑したことは、
宗教と世俗との対照を際立たせるものとして興味深い出来事です。
956神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 02:33:33.28 ID:IdP/RmxA
宗教を精神病理と決め付けるのはどうかな
文明社会で失われた種としての本能のかわりに
社会を安定的に維持しようとして発生する現象だと思う
そりゃ白血球だって過剰に分泌されれば立派な病気だが
適切に機能すれば有効で有意義

精神医学の諸派も宗教みたいなもんだし
マルクス主義の宗教弾圧も宗教への嫉妬だね
957Johannes:2011/04/24(日) 02:35:43.55 ID:cEP17H7Q
【訂正】>>946でのアンカーはタイプミスでした。失礼しました。

誤:>>934 正:>>943
958Johannes:2011/04/24(日) 02:41:06.29 ID:cEP17H7Q
>>954
そんなことを言っているのではありません。
あなた自身の論理に矛盾があると言っているだけです。
>>955
あなたは、その証言者(キリストの弟子)の証言を「信じている」のですね。
959956:2011/04/24(日) 04:36:34.77 ID:IdP/RmxA
もしかして、宗教そのものが精神病理っていうんじゃなくて、
シャーマンや預言者のトランス状態のことを疾患の一種と考えるなら
わからなくもない。大脳生理学などでかなりのことが分かっているようだし。

でもそれだって社会に対する機能という点では、社会の自己回復機能の表れだろう。
支離滅裂なうわ言に対してすら、人はそれを神秘視し聖化し整理して解釈を加えて
道徳へと導いていくのだ。

医者の住みたがらない辺境でも金のかからない民間療法で回復する健康だってあるし、
蒙昧な迷信に見えても土地神を崇めることで守られる生態系だってある。

科学が宗教を駆逐できるというのなら、科学者がすべての人間の苦しみを完全に
解決できるようになりそれを自ら行動で示し続けてはじめて宗教を断罪できる説得力が持てるというものだ。
960神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 06:30:21.16 ID:ysd8SXCZ
宗教妄想
誇大妄想の延長上、またはひとつの症状として考えられる。統合失調症のひと
つの症状としても考えられているが、自分自身に何か超次元的で特別なパワー
があると信じたり、霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあ
らゆる病気を癒す力を授けられたなど、内容が極めて非日常的で壮大なもので
あり、訂正不能な強固な確信があることが特徴である。
961神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 06:40:05.07 ID:7GvEbdFR
>>960の続き
例えば自分はイエス・キリストの再来であるとか、釈迦の生まれ変わりである
とか、人類滅亡から世界を救うための救世主または預言者であるとか、現実世
界からは考え得ることのできない壮大なスケールによって描かれる妄想が大半
である。つまり自分自身を“神”であると信じてしまう症例である。
962神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 06:43:16.17 ID:7GvEbdFR
>>961の続き
人格崩壊まで至るケースは稀であるが憑依妄想を共に発症するケースが
ある。これが極端になると新興宗教の 教祖にまでなってしまうケースも
見受けられる。
963神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 07:17:27.90 ID:D7ZUZnxn
だーかーらー、この板には自分が神や仏になってる馬鹿教祖がたくさんいるんだよっ!
いや、神仏になってるならまだいいほうかもしんねーぞ。
すでにてめえは釈迦やキリストより偉くなってるって馬鹿も多いからなw。
964前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:12:32.29 ID:e4CgtKzZ
>>916
>「言った者勝ち」とは、まさに宗教の開祖のこと。
>「わたしは神の子」(イエス)
>「わたしは解脱した」(釈迦)

人類教となるような開祖の場合は、教えのみではなく「救い」がありましたことを
神懸かりと普通の統失との相違点として挙げます。

薄汚れたおっさんが「神」を説いても誰も相手にしませんから、感染など皆無です。
ただし、そのおっさんが重病人や気がふれた人達を現代医学のいかなる名医達よりも
短時間で大勢癒した場合は例外です。
真の預言者と偽の預言者とを見分ける場合にシンプルかつ有効な判別法です。

同様に薄汚れた坊さんが心で考えただけで、いきなり的確に回答したら、誰でも腰を
抜かして心服しますね。しかも、自分しか知らない苦しみの原因を現代のいかなる
精神科名医よりも瞬時に語り癒した場合は例外です。

「奇跡」は目的ではないですが、神仏から遣わされた開祖たちは、「人々を救った後に
教えを説かれていた」ということです。

論文を沢山書く人が偉大な科学者ではなく、宇宙法則(法、真理)を悟った人たちが
偉大な科学者であり、その法で人類に恩恵(救い)をもたらしてきたということです。

以上、預言者と統失者との見分け方です。>ご隠居と感染者一同
965前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:14:44.82 ID:e4CgtKzZ
>>916
>「わたしは最後の預言者」(ムハンマド)
>「わたしは釈迦の生まれ変わり」(大川)

信者の方は一度心の中で質問されたら如何でしょうか?
966前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:24:47.92 ID:e4CgtKzZ
>>964
>「奇跡」は目的ではないですが、神仏から遣わされた開祖たちは、「人々を救った後に
>教えを説かれていた」ということです。

イエスは著作を残しませんでしたし、四福音書も実際は誰が書いたかは分かりません。
しかしエイレナイオスは原始キリスト教時代の目撃した奇跡を彼の著作に残しており
ますので再掲します。

(聖エイレナイオスの証言)
師のポリュカルポスは夢の中で枕が燃え、「私は生きたまま焼かれる」と予言していたのでエイレナイオスは奇跡を否定しないし、彼自身啓示を受けていた。
「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真の彼の弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体にする人もいる。
然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」とエイレナイオスは語った。
出典:Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851)
967前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:33:58.32 ID:e4CgtKzZ
>>966
>「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語
>を語り、人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」

余談ですが、先週見ました映画「The Rite. エクソシスト」では、悪魔が同様の能力を
持っておりました。この映画は実話で、登場人物の二人のエクソシストも実在とのこと。

ただし悪魔が「悪霊を祓う、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体にする人もいる」
というのはないことは新約で(悪霊のボスと批判された)イエスが説かれてましたね。 
また何伝の何章だったかは探しておきます。
968神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 11:01:25.11 ID:odM9LFWb
日本でも狐つきをはらう、なんてことをやってたが、そういう事実があるからといって
実際に人間に憑依する悪魔や霊がいることにはならない。
969神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 11:12:17.94 ID:odM9LFWb

>薄汚れたおっさんが「神」を説いても誰も相手にしませんから、感染など皆無です

大川みてみなw
口がうまけりゃ騙される馬鹿は後を絶たないw
970前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 11:51:14.19 ID:RMPH0/BQ
>>969
>大川みてみなw
>口がうまけりゃ騙される馬鹿は後を絶たないw

それは現代の日本が衣食住で豊かだからでしょう。
イエスや釈迦のいた当時の生活環境とは違うでしょう。
971神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 12:20:02.77 ID:YnGFdxkx
>>970 関係ない。まずしい国では騙されるバカはいないのか?
頭のおかしい詐欺師でも口がうまけりゃ、騙されるバカは後を絶たない。
972神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 12:24:08.09 ID:vsgTjeys
ご隠居説に似ていますね。
豊かではない、昔の時代には人間はピュアで
「真実」への理解力があった。

発想としてはそれほど珍しいものでは無いのでしょうが。
973神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 13:16:40.74 ID:RvYLXeuj
>>972
>豊かではない、昔の時代には人間はピュアで
>「真実」への理解力があった。

昔の時代には精神医学が存在しなかったので、基地外が「病気」であることが
判らなかっただけ。しかし、いつの時代でも、病気は病気である。
974思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/24(日) 13:53:18.14 ID:8iAye7pq
□命の木
 聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり
  ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―人のいない林は楽しい―
   人の欲楽のためにあくせくする行為を自制し、森や林など大自然の安らぎの中で、世と自己との思い煩いのない世界を味わうことも宗教として行わねばならない。

 人々が自然にパワースポットと感じられることもあるように、内的に人の要素を持つ者は、大自然の安らぎの中で、滅びない力を得ることができると。偶像礼拝的に何も
 ものかを信じても御利益はないが、日々の暮らしの中で、そういったこともするから、命を得ることができる。

  ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々のことば)
  ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜(ルカ)イエスは昼のあいだ宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
975思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/24(日) 13:54:21.08 ID:8iAye7pq
■家畜(悪魔の子・地の奴隷)
 肉の欲・目の欲・持ち物の誇り、人々の富への執着、人々の権威や栄華のためにあくせく仕え、金を得て、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪り喜んでいる人々は、地の奴
 隷、神の左であると。
 動物を人より劣りだと思うのではなく、人々の貪欲のためにあくせくする人々も、家畜なのである。
   神の左であり、滅びの人々である。
976思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/24(日) 14:12:20.44 ID:8iAye7pq
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ人)

―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)

  全世界に公平・平等の存在で、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを自制して〔人の欲望を貪ることのできない人は、わたし(神)の兄弟〕、聖霊を喜び、大自然の
  安らぎの中で楽しみ、滅びない命を得ることもするだろうか。

  肉だけの人々はそれがなく、地のことにあくせくするだけであるが、内的に人の要素がある者は、それを行う。
977神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 14:40:02.26 ID:OGzLU4XN
>>943
そのまえに、精神医学とやらが、他の医学と違って嘘っぱちだ。

何人廃人にすれば気が済むのだい?
978神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 14:57:14.76 ID:TE6YqZpj
>>973
>しかし、いつの時代でも、病気は病気である。

アホやw
文化や時代が、それを「病気」と定義したに過ぎないw
時代や文化が違えば定義(の基準)も違う。


>>977
確かにw
「嘘っぱち」かどうかはともかくw、
その治療効果や治癒判断が、(経過観察を踏まえた)「蓋然性」や「見做し」に依っている、ということは留意されるべきだろう。
また、「どこをもって(何をもって)“治癒した”と判断するのか」が、恣意的領域を脱しきれない。
どれだけ多くの事例(臨床例)を重ねようとも、それぞれが個別の(唯一の)ケースであることを排除しきれない。
所謂「心の病」と言われる領域に於いての、肉体等の器質的疾患との決定的差異がそこにある。
979神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 15:21:44.23 ID:7zvNAkZy
>>978
病気とは、精神を含めた身体の特定の障害のことである。「定義」で病気に
なるのではない。

大昔の癌も現代の癌も、症状は同じ。

君は、精神病者と健常者との区別も付かないのか。聖書の時代でも、イエスを
身近によく知る家族や郷里の人々は、彼を基地外だとちゃんと判断しているぞ。
980神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 15:29:19.38 ID:OGzLU4XN
精神医学は、
一応、医学に分類されるが、唯一人を治せない医学であり、
その内容も如何わしいものが多い。

さすがに、ロボトミー手術はやめたらしいが、
電気ショックなんか、いまだに鬱病レベルで行われているポピュラーな治療法だ。
981神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 15:42:37.69 ID:TE6YqZpj
>>979

>>952-953>>978>所謂「心の病」と言われる領域に於いての、肉体等の器質的疾患との決定的差異


>>980が言うように、精神医学の領域は、
決定的治療法・対処法(≒不特定多数に最大公約数的に効果を見込めるものとして)を未だ見出し得ていない、模索中である、
という謙虚さを忘れない方がいい。
982神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 16:05:37.59 ID:OGzLU4XN
精神医学より、釈迦を実践したほうが治るな。
983Johannes:2011/04/24(日) 16:21:49.62 ID:cEP17H7Q
スレ最終局面で完全にスレ違いな流れとなりました。残念です。
「仏教とキリスト教はどう違うのか(スレタイトル)」であるにも関わらす、
宗教の功罪議論、宗教開祖の精神病認定議論になってしまいました。
仏教とキリスト教の違いについての意見・議論が見られないのが本当に残念です。

宗教の発生と展開のプロセスを汎精神病として捉えるのもその人の自由ですが、
それを主張する人の書き込みからは感情値の高さを窺い知る事が出来ます。
その人にとって「宗教汎精神病論」はイデオロギーとして固着しているものと推察するものです。
私はその人に対し「イデオロギー汎精神病論」が成り立つかどうかも考えて頂きたいと願うものです。
何れにせよ所謂スレチな横レスごり押しであることくらいは自覚して頂きたいものです。
984神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 16:48:45.68 ID:JhGQOmsz
タイトルにキリスト教と仏教両方入ってるし↓を次スレとして活用するのはどうか

「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1257857292/l50

仏教は独善的ではないのか?という感じで絡ませれば問題ない。多分。
そこから話をまた広げていけば。
985前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 16:57:27.43 ID:tn+St6cY
>>980
>仏教とキリスト教の違いについての意見・議論が見られないのが本当に残念です。

まあ、思慮さんが原始仏典と聖書との共通箇所を小まめに紹介して下さった
だけでも成果でしょう。
私も共通箇所を提示しましたが、それ以外は違い、オリジナリティでしょう。

仏教の五根の中にも信仰がありますし、イエスへの信仰と相通じますので、
ともに哲学ではなく宗教かと存じます。
仏教の五根の中にも実践がありますし、キリスト教の行いと相通じますが
そのウェイトはかなり異なるようです。
986神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:01:22.79 ID:JhGQOmsz
隠居が「いつもの話」をやって、それにツッコミが付随しただけ、とも言える。
スレ、話題ごとのネタを隠居が試案しない限り、どのスレでも起こり得る。
987神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:18:46.37 ID:JhGQOmsz
サロメもムハンマドをパラノイアって呼んでたなあ。

この話題は感情的になりやすい・
988神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:41:12.54 ID:En+/w39V
>>985

>哲学ではなく宗教かと存じます。

そもそも哲学と宗教を分けるのが西欧的、キリスト教的です。

仏教では哲学を進めて行くと宗教体験が得られ、サトリに通じて行きます。
それを明らかにしたのが龍樹(ナーガールジュナ)です。
大乗仏教哲学というのは龍樹から始まります。
 
989神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:58:32.98 ID:O/JM75Ny
>>983
>それを主張する人の書き込みからは感情値の高さを窺い知る事が出来ます。

感情値の高いのは、宗教信者のほう。自分の親でもない赤の他人の、しかも実
在の程も定かでない「教典上の開祖」を批判されると、感情的な罵詈雑言だけ
しか返せない。
990神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 18:02:00.27 ID:O/JM75Ny
>>989続き
仏教もキリスト教も「精神的な営み」なのだから、その相違を知るには、心理学的、
精神医学的アプローチは不可欠ではありませんか。さらに進んで、開祖の症状
を精神医学的に区別すれば、両者の相違が浮かび上がる。「現実から遊離した
観念の遊戯」の応酬で、一体何が決着するというのですか。
991神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 18:11:43.25 ID:OGzLU4XN
精神医学は非科学だよ。

何一つ確実なものが無い。
992神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 18:20:33.05 ID:En+/w39V
>>991
>精神医学は非科学だよ。

同意。
大脳生理学が飛躍的に進歩しない限り、精神医学は医学の名に値しない!
 
993神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 18:40:07.65 ID:TE6YqZpj
一蹴するつもりは無いがw、概ね同意。 >>991-992

乱暴な言い方をすれば、
(現時点では)「血液型占い」と同質、相似形であることを謙虚に受け止めるべきだ。
994神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:30:54.73 ID:OGzLU4XN

精神非科学的アプローチなど、ありえない。

先人達に失礼だよ。
995前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 19:31:44.54 ID:4np1Ljze
>>988
>大乗仏教哲学というのは龍樹から始まります。

多分、原初の釈迦の教えを変更した最大の縁は龍樹ですね。
因果の法から時間と運動を削除して縁起の法=空の哲学が
始まりました。

中論の八不の証明は「机上空論」、「机上=言語論理世界で」
「空論=空を証明した」と認識しております。
尚、私の所属グループの見解でなく、中村元先生と石飛先生の
龍樹解説本を読んだ後のあくまで私見ですけどね。

大体電子回路ならば縁から起までの刹那もあり得ますが、生物の
命を支える化学反応には因から果までの時間を要し、中卒以上
ならば自明かと存じます。

有機化学反応が刹那だと信じる限り、龍樹のマインドコントロール
からは解脱できないでしょう。
996神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:40:43.08 ID:En+/w39V
>>995
>私の所属グループの見解でなく、・・・

一体、何のグループなのでしょうか?

幼稚な頭で龍樹の哲学が解ったつもりになるなど、盲人が象のしっぽの毛に触って、
その毛が象だと思うようなものです。
  
997神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:46:26.25 ID:vsgTjeys
一在家氏による竜樹思想の捉え方はご隠居に近い・・・
でも評価は逆。
998前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 19:48:32.82 ID:4np1Ljze
>>996
>幼稚な頭で龍樹の哲学が解ったつもりになるなど、盲人が象のしっぽの毛に触って、
>その毛が象だと思うようなものです。

大乗の開祖、稀有の天才哲学者の「龍樹」。。。
裸の王様の寓話を連想します。大人たちはマイコンされ、子供が解きました。
999神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:50:41.97 ID:vsgTjeys
>>996
真光か、サイ科学会か、古神道系のどこかですかね。
1000神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:52:20.68 ID:En+/w39V
龍樹の哲学は道元禅師の 「正法眼蔵」 の哲学と同じであることが解らないようなら、
龍樹について物を言わない方がよいでしょう。馬鹿者であることがバレるだけです。
   
10011001
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