【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】13
1 :
神も仏も名無しさん :
2009/04/05(日) 11:37:55 ID:2i9Lq9wl
2 :
神も仏も名無しさん :2009/04/05(日) 11:42:11 ID:2i9Lq9wl
3 :
神も仏も名無しさん :2009/04/05(日) 12:01:37 ID:2i9Lq9wl
**全過去ログ/リンク集
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html 仏教は輪廻が前提となっています。以下、よくある反論に対する回答。
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
4 :
神も仏も名無しさん :2009/04/05(日) 12:04:10 ID:2i9Lq9wl
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように 原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、 それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。 6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:常識論 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、 始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。 7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧 反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。 古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。 8.四聖諦が中心思想で輪廻を説いてない。主要論者:2CHネラー(著名な主要論者をご存知の方はお知らせ願います) 反証:四聖諦は縁起であり、縁起は輪廻を前提としている。
5 :
神も仏も名無しさん :2009/04/05(日) 12:05:58 ID:2i9Lq9wl
あとは住人が徹底スルーするだけですね。
7 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 02:18:35 ID:k5uv72gW
神智学を読んでいると大変眠くなりますw 知識として必要かと言われればはなはだ疑問です。 ただ嘘だとか妄想だというのは的はずれでしょうね。 純然たるオカルト科学であり、世界にかんする真相でしょう。 モナッドが存在するのは初源の高位世界ですから 物質界の有り様から類推するのは無理があるのです。 盲人が象をなでてその本質を言い当てるゲームみたいなものです。 それで多くの人はありえないものと判断してしまいます。 クートフミ大師が人類に知恵をつけるために書き送った書物ですが、 ある知性段階以上でないとまず活用できないものです。 ムルティジもこうした知識には批判的であったように思います。
8 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 08:36:02 ID:eY+U/CnK
9 :
宝珠愚者 :2009/04/06(月) 12:28:25 ID:Go5EjR/h
>>8 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1236847266/843で 、私が述べた通り、
このスレ建ての本来の目的は、業報輪廻/転生の教えを仏教ではないとする
愚かな偽りを説く擬似仏教徒らのデタラメ見解を駆逐するためでした。
その仏典を根拠した論証---仏教の教えの確認は仏典に基く以外ないのは当たり前なのですが
---については、このスレではすでに十分なされてきたものと思います。
今後ついては、
できれば更に、業報輪廻/転生の教えをどのように説いていくべきか?
そして、現実に起こっている差別問題の解消(仏教理論の間違いに拠るわけではない)
に向けての取り込みと、仏教の社会との関わり---つまり、今後の日本仏教の在り方について等々、
話し合えれば、もっと有意義なものとなるかと思っています。
10 :
宝珠愚者 :2009/04/06(月) 12:31:04 ID:Go5EjR/h
それと、
確かに神智学についてはこのスレ題からは外れていますが・・
ただ、「今後の日本仏教の在り方について」という意味では、
神智学的なアプローチから学べものはかなりあるのではないか?と見ています。
果たして本当に、神智学と仏教は相成れないものなのかどうか・・・。
私は、現代人の提示する疑問の解消には仏教の説く縁起空といった経典理論の説明だけでは、
どうも物足りないのではないかと感じるのです。
これは、あくまでも私の個人的な見解によるものですが。
〜というわけで皆さん、***お願い!***
もし神智学に関わる話題が出た際には、当面の間はこちらを利用したいと思うので宜しくお願いします。
(適当なスレはないようです)。何かご意見があった場合はこのスレリンクを貼って下さい。
私からは2件、白眠さんと
>>7 について投稿しました!
☆★宗教なんでも@質問箱11★☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230709603/l50 *エーと、やっと大規模な投稿規制が解除されました^^
11 :
宝珠愚者 :2009/04/06(月) 12:49:00 ID:Go5EjR/h
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1236847266/750 などの事例についての---
つまり、仏教徒による差別社会の実情の問題のことですが、
まず、ここでいうところの仏教徒というのが、
そもそも本当に仏教の教えに従った人たちなのかどうか?
というのが大いに疑問なのです。
例え彼らが実際に南方仏教国の一般大衆であり、確かに仏教徒と呼ばれる人々であるからといって、
彼らの理解が正しい仏教であるといえるわけではなく、
中には仏教精神を誤解していたり、戒律にも全く従わないような人々まで広く含むからです。
生まれつきの障害者を馬鹿にするなど、
仏教精神からみて論外であって--とんでもないことです。
馬鹿にするどころか、そのような人に接して世話をさせて頂くことで慈悲の実践を学ぶわけです。
「お世話させて頂く」という、逆に感謝の念の元に接していくというのが仏教精神なのでは?
12 :
宝珠愚者 :2009/04/06(月) 13:30:23 ID:Go5EjR/h
>>5 ---同感です!
ご紹介ヴェブについての説明がなかったので、ググりました^^
『山下良道氏(スダンマチャーラ比丘)経歴---1956年、東京生まれ。大学卒業後、曹洞宗の禅
僧となる。二十年間の坐禅修行の後、仏教の源流を学ぶために2001年ビルマにゆき、パオ森林
僧院にて比丘になり瞑想修行にうちこむ。スリランカ、ネパールを経て、昨夏(06年)、帰国。鎌倉の
一法庵にて「ワンダルマの会」を設立し、現在、瞑想を通しての「こころの平和」運動を展開中。』
http://www.jmfa.or.jp/tokyo/jmfak_katudou.htm
13 :
初代スレ7 :2009/04/06(月) 15:42:05 ID:h1QZCxrf
>>11 前スレでも言ったが、やっぱり読めてないな・・・。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1236847266/207の論考を再度熟読されることをお薦めする 。
(同和問題でもそうであろうが)、先の論考でのカンボジアの事例も、
≪『>(生まれつきの)障害者を馬鹿にする』ことが、問題であり主軸である≫というものではない。
社会的様相として実際に表れている(皮相な)ことの一つであるから取り上げられているだけで、
≪『(仏教の)前世の業という考え方が、馬鹿にする理由(根源)になっている』と論じているわけではない≫。
(ついでに言えば、「差別」が無いわけではないが「日本のような『差別』」が中心として批判されているわけでもない。)
彼女は、仏教のそうした考え方(仏教的文化・世界観)を「環境障壁」と見做している。
それは、悪い意味での「諦観」「あきらめ」、「だって仕方ないじゃない。(報いなんだから。)」
という思考ベクトルが、環境改善の速度を遅くしている(或いはブレーキになっている)という意味だ。
あのURLを貼る際に、危惧した事がある。それは、
「“娯楽の対象とされることや、滑稽さの象徴、素材とされることがある”という記述が、主題として引用されないだろうか?」
というものだ。案の定、その通りとなった。(センセーショナルで取っ付き易いのかもしれんが・・・)。
(これらは、仏教と直接関係することではなく(―仏教関係なく様々な文化の中で見られる事象だ―)、
社会学的に(社会心理学的或いは民俗学的に、文化人類学的に)考察されるべきものであろうに・・・)。
勿論、それらを戒める言辞が、仏教用語・仏教的価値観によって紡がれるべきではあろうが、
それはまた別の、「現に存する事態への仏教の対応の仕方」という議論だ。
理解して頂けるだろうか?
14 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 16:11:35 ID:eY+U/CnK
>>12 たぶん、この方の姿勢と宝珠さんや、カラスさんは同じ方向なのではないでしょうか?
私も、この現象・体験・知覚が虚妄であり、
真実を体験・知覚するために道があるという基本的姿勢は全く同意します。
しかし、ながらその道が縁起に基づくかどうかで
真実に向かうかどうかを根本的に決定すると確信します。
それは、水野弘元『要語』パユトー『仏法』ダライラマ『智慧の眼をひらく』
石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』を読んでいただければ理解できるだろうと思うのですが、いかがでしょうか?
15 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 16:49:49 ID:scOLfA35
こんにちは。 たまたま通りすがったので初めて書き込みします。 輪廻転生はありますよ。 お世話になってる先生や自分の周りにいる人たちは多少わかりますよ。 アトランティス時代の記憶だったりもろもろの記憶が出てきてたりしてます。 妄想と言われればそれまでですが。
16 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 18:25:11 ID:mWgtqR3V
ここは、「仏教をカルト宗教にするスレ」。 超オカルト宗教であるキリスト教やキリスト教崩れの神智学による、仏教の汚 染を許してはならない。彼らは、釈迦の空の思想によって、自分の神やイエス が一瞬にして吹っ飛ぶのを、死ぬほど恐れているだけ。 原始仏典に書いてあっても、現代人の知識と理性に合致しない言葉は、片っ端から 放棄することが絶対に必要。それが「自灯明」の意味である。
17 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 20:12:56 ID:eY+U/CnK
>>16 「自灯明」の意味は、そうではありません。
「自灯明」ではなく、「自州」であり、
輪廻という暴流の中で、仏教を修行できる人身が「自州」であり、
この「自州」から仏道という舟で解脱という彼岸(向こう岸)へ渡るという
文脈の中で述べられる言葉が原義です。
後世の「自灯明」という意味も、「現代人の知識と理性に合致しない言葉は、片っ端から放棄することが絶対に必要」という意味には決してなりません。
「現代人の知識と理性」というのは唯の凡人の妄想であり、
その妄想から修行することで解脱しようということが基本です。
これが了解できないなら、『梵網経』でいう凡人の位置、
ただ平凡に見えるものが実在するという妄想の世界で生きているだけなので、
仏教とは全く関係のない世界です。改めるか、もうこないでくださいね。
仏教用語としてでない「醍醐味」のようなものだと 本人が割り切っているのなら文句は無いんですがね……
19 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 20:31:52 ID:xRsKXylI
20 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 21:00:10 ID:mWgtqR3V
>>17 「自灯明・法灯明」の定義:
「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)を
灯明として、真理をよりどころとして、他のものをよりどころにせずにあれ。」
(岩波仏教辞典 第2版)
21 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 21:10:34 ID:mWgtqR3V
精神病(psychosis)の定義: 「現実と非現実との区別がつかない現実検討能力の障害された状態を 精神病状態とよぶ。現実と非現実との区別がつかないとどのような症状 が現われるかというと、「知覚」すべき対象が実在しないところに非現 実の知覚を生じたり(幻覚)、現実にそぐわない「信念」を現実である と確信したりする(妄想)。」 妄想(delusion)の定義: 「現実にそぐわないにもかかわらず現実検討能力が障害されているために それと認識できず、現実に即したように改編することもできない「信念」 を「妄想」とよぶ。」 (以上、「心理学辞典」(2007年3月20日有斐閣発行)より) キリスト教や神智学は、あきらかに精神病の妄想。仏教が影響を受けないように、 徹底的に警戒する必要がある。
22 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 21:22:20 ID:eY+U/CnK
>>20-21 そんな辞書の定義なんか根拠にしないで。
しかも、妄想というのは仏教でいう虚妄の意味であって、
心理学や国語辞典的な世俗用法ではありません。
岩波仏教辞典初版だと、その後に「本来「島」と訳されるべきところ.....
(灯明と)漢訳者が誤訳したものと考えられている。」とある、
この「島」が「州」に他ならない。
なにも分かってないの分かって。
23 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 21:30:39 ID:ukujz6xj
>>20 その「真理」の部分に入るのは仏陀の説いた教義です。
説いた本人にとっては悟りで得たものであり、創作したものではありません。
仮にゴータマが存在しなかったり、悟らなかったとしても真理として厳としてある。
物理法則とか、技術を当てはめると当人らにとってどういう感覚だったかが
ほんのりと掴めるかも知れません。
そもそも当人らにとっての「真理」が、
唯物論(アジタさん)など六師外道な人達との認識とは異なっていることは明らかですが。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 21:44:37 ID:mWgtqR3V
>>23 >その「真理」の部分に入るのは仏陀の説いた教義です。
仏陀は、「自らをたよりとして、他人をたよりとせず」と自灯明を説きながら、
「俺にたよれ」と言ってるのかね。仏陀ともあろう人が、そんな矛盾したこと
を言う訳がないだろう。
25 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 21:47:57 ID:ukujz6xj
>>24 >仮にゴータマが存在しなかったり、悟らなかったとしても真理として厳としてある。
>物理法則とか、技術を当てはめると当人らにとってどういう感覚だったかが
>ほんのりと掴めるかも知れません。
例えば師匠や学者が弟子に「自由にやれ」と言ったとしましょう。
方程式とか基礎とか全部無視して好き勝手にやれ、という意味にはなりません。
26 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:03:30 ID:eY+U/CnK
>>24 だから、その解釈は漢訳の誤訳に基づく、勝手な解釈であって、
釈尊はそんなことは言ってませんて、
あなたの解釈は始めにただの現代人の常識をアレンジした妄想があって、
それに適当に仏教の断章を解釈して自分流に読み込んだだけで、
釈尊の言葉の教えとは全く別の自分の思いを述べてるだけなんだって、
なんで、ここにくるのかな〜
27 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:05:39 ID:mWgtqR3V
>>25 「自由にやれ」と言った場合は、当然に、師匠を超えることも含む。優れた
教師にとっては、弟子が自分を超えてくれることが、最大の喜びである。
さもなければ、「優れた教師」とはいえない。
28 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:11:25 ID:mWgtqR3V
>>26 君は、あの世に行って、釈迦の「真意」を聞いてきたのかねw。
釈迦の真意など、もはや誰にも判らない。現実に立脚して、現代人の知
識と理性で解釈するのが、「自灯明」である。
29 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:13:11 ID:ukujz6xj
>>27 >当然に、師匠を超えることも含む。
仏陀とアーナンダの場合「当人らにとっては」より仏教を体現した覚者になる、より悟った(仏教的な意味で)人になる。
とかそういうことになるでしょう。仏教を説きだした教祖と長年連れ添った弟子の間の会話ですからね。
「仏教が真理であることが自明」という二人の会話なんですから、仏教を誤りとする、という考え自体生じないでしょう。
30 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:22:09 ID:gepaXwr4
ちょっと確認したいんだけど、 キリスト教は霊魂は無いといってるんでしょ? 確か、死んだら眠らされているとか? それで、王国が誕生したときに復活するという話しを聞いたけど・・ だから、生まれ変わることも無く、ただ一度きりの生命らしい。 キリスト教徒の人、合ってます? この話し。 それと、仏教は霊界のことはまるで解いていませんよね? 輪廻はまあ、分るとしても・・・
31 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:22:52 ID:eY+U/CnK
>>28 テキストに基づく限りあなたのような解釈はできない。
テーラワーダの伝統、大乗仏教の伝統でもあなたのような解釈はない。
あなたのような解釈を行うのは通俗本の説く仏教だけ。
まあ、仕方がない、どうしてもここにいたいなら好きにすればいい。
32 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:24:58 ID:ukujz6xj
33 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:25:21 ID:mWgtqR3V
>>30 釈迦は、「神や霊など、人間が考えても無意味なことは考えるな」と
戒めた。そのお陰で、キリスト教とは全く異なり、仏教は2500年間
殆ど人を殺さなかった。これが釈迦の比類のない偉大さと先見性である。
34 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:27:16 ID:eY+U/CnK
>>30 説いてません。中有というものは説きますが、霊界ではありません。
キリスト教のことは他でやってください。
35 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:36:02 ID:mWgtqR3V
>>34 >説いてません。
説いたら、困ることでもあるのかねw。
36 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:36:27 ID:gepaXwr4
確認のために聞いたんですけどね。 私の言うことが合っていれば、キリスト関係の人は話が合わないからこのスレには 不要になるわけですね? 私はそれを信じていませんから、念のために・ 輪廻転生があるとすれば、あの世がどういう役割をしているか、ということが重要に なりませんか? その意味からして詳しく知る必要がありませんか?
37 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:42:38 ID:ukujz6xj
>>36 仏教の話をしてくれるなら、信仰信条がクリスチャンムスリムヒンドゥー道教神道その他
だろうが、誰でもおkだと思います。
他所でやってほしいのは「キリスト教の話」であって
「キリスト教徒である人が話すこと」そのものじゃないです。
38 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:45:07 ID:mWgtqR3V
>>36 >輪廻転生があるとすれば、あの世がどういう役割をしているか、とい
>うことが重要になりませんか?
アホですか。あの世は、現世の生命がない世界。従って、現世の生命
による知覚、認識、思考は、一切通用しないところ。現世で考えるだけ
ムダ。
あの世は、君が死んでから、ゆっくり考えてくれ。あの世がなくても、
責任は負わんがねw。
39 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:46:38 ID:gepaXwr4
>>37 キリスト教の話しはしません。
仏教に関しては疑問が多いので質問する立場です。
年忌は真実ですかね? 釈迦が教えましたか? 戒名にしてもてもですね?
40 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:49:03 ID:gepaXwr4
41 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:49:08 ID:eY+U/CnK
>>36 仏教で言う輪廻とは究極的には、一瞬一瞬生が無常に縁起して意識が連続していくことです。
死を起点として身体の形態を変えても、別に同じことです。
業に従って縁起し、それぞれの現れが人や動物などなどになるだけで、
霊界というものは設定されません。
ただ中有を設定する北伝系と設定しないテーラワーダ系の違いなど、
微妙な違いはありますが、輪廻に関しては基本的に一致しています。
霊界という発想も、何か外界が実在するというような実在論的発想、
あるいは素朴実在論の変形のようなものなのではないでしょうか?
縁起とは相容れないものに思えます。
因みに縁起なので輪廻の主体や実体もありません。
現在の我々の主体や実体が空ということと同じです。
ただ、言語習慣に従って私とか心と名指しされ対象は指示されますが、
実体はありません。
42 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:52:14 ID:eY+U/CnK
>>39 年忌は儒教に基づくものです。仏教はそれぞれの社会習慣を尊重します。
戒名は、死者に戒を授けることで福徳を与えて輪廻をよくしようという方便です。
43 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:53:44 ID:gepaXwr4
>>41 ということは、死んだら間髪をいれずに直ちに生まれ変わるというのですか?
生物、つまり物質界は限定していて、すぐ生まれ変わりを受け入れる用意は出来ているとは
思えませんが、どうでしょうか?
44 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 22:58:03 ID:gepaXwr4
>>42 回答をいただけるとはありがたいです。他のスレではなかったからうれしいです。
45 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:00:58 ID:gepaXwr4
それにね、輪廻転生があるならどうして記憶が無くて生まれてくるのでしょうね? それって意味があることでしょうか?
46 :
初代スレ7 :2009/04/06(月) 23:01:51 ID:h1QZCxrf
>>44 「戒名と日本人-あの世の名前は必要か-」(保坂俊司/祥伝社新書)
47 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:02:13 ID:mWgtqR3V
>>40 >じゃあ、あんたが答えてくれますか?
来世のことを、現世の生命で考えることは、ナンセンスで不可能だと
言ってるでしょ。来世は、現世の考えが一切通用しない世界ですから、
現世で考えるだけ無意味。
48 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:08:33 ID:eY+U/CnK
>>43 >ということは、死んだら間髪をいれずに直ちに生まれ変わるというのですか?
テーラワーダ系、スリランカ、ビルマ、タイなどの仏教ではそう考えます。
北伝系、チベット、モンゴル、シナ、日本などの仏教では中有を説きます。
これは最長49日の間、意成身と呼ばれる謂わば幽霊になって次の生を模索する期間です。
>生物、つまり物質界は限定していて、すぐ生まれ変わりを受け入れる用意は出来ているとは
>思えませんが、どうでしょうか?
生物と言っても地上に限りません。神々や地獄、餓鬼なども射程に入りますし、
時間もどうも実在していないようです。つまり、可逆的な時間とは考えない。
時間の限定もそれぞれの縁起によってバラバラのようです。
ということで、答えになったでしょうか?
縁起というのは、行為による限定はありますが、現象としては、ほとんどなんでもありです。
49 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:09:07 ID:gepaXwr4
>>47 そういうふうに答えるのは、あの世を認めているわけですね?
それでいて、>>現世の考えが一切通用しない世界ですから
って、妄想に近いと思いますが・・・
なぜなら、業報輪廻が継続されるわけですから分らない世界とはいえませんね?
50 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:10:54 ID:eY+U/CnK
>>45 それはショック状態による記憶喪失と説明されます。
まれに記憶のある人がいたりしますが、
行の結果として宿命通と呼ばれるものがあり、
それは全ての過去の記憶の蘇りです。
51 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:13:10 ID:gSB3Yqr5
>>49 この世の生命はなくなる訳でしょ。この世の生命がない世界を、この世の
生命で考えることは、ナンセンスだということですよ。
52 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:18:26 ID:gepaXwr4
>>50 全く素朴な回答を感謝します。
実は私は霊界に詳しいので、それらについてはほとんど解決しています。
私は、このスレにはふさわしくないので、このような話はこれで止めようと思います。
このスレに合うような質問に切り替えようと思いますので・・・また、
53 :
初代スレ7 :2009/04/06(月) 23:22:26 ID:h1QZCxrf
別に、自分のことを正統だとは言わないけれども、 なんでこう、オカルト、キリスト、神智、神秘、心霊関係ばかり集まってくるんだ?このスレは・・・w
54 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:26:36 ID:eY+U/CnK
>>52 是非、水野弘元『要語』パユトー『仏法』ダライラマ『智慧の眼をひらく』
のいづれかを読んでみてください。
55 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:28:22 ID:gSB3Yqr5
>>53 仏教をカルト宗教化しようという陰謀でしょうw。釈迦の「空」では、
彼らの神や霊が、一発で吹っ飛んでしまうのが、怖いだけです。
56 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:29:26 ID:gepaXwr4
>>53 そういうふうに受取りましたか? 素朴な疑問だと思いましたが、
あなたは偏った思考をしているように見受けられますね?
そのような思考法からは、真実は見出せないように思えるのですが、よくないと思いますよ?
58 :
初代スレ7 :2009/04/06(月) 23:31:49 ID:h1QZCxrf
>>56 受け取りましたかも何もw、
スレ1から、この13までの流れを俯瞰すれば明らかだろ?w
59 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:32:47 ID:ukujz6xj
>>55 他宗教が何を説こうが、知ったことではないでしょう。
相手の宗教を変形させたところで護教になるわけでもなし。
(無我無霊魂)仏教原理主義者=カルト=唯物論者=反宗教者(アンチキリスト)=蟹工船=ルサンチマン=スレ違い
日本の伝統といえば仏教だが、これは歴史的ブッダの仏教とは相当に違っ ている。歴史的ブッダとは、インド思想の中ではアノマリーである。ふつうで はない。なぜふつうではないかというと、「永遠の自己」の実在を否定するし、 宇宙の究極的実体も否定するし、霊的ヒエラルキアも説かないからである。 これは当時のバラモン教のあり方に対する宗教改革であったわけで、アンチ テーゼという意味がある。が、これはあくまで「余計なものを捨てる」ことに ウェイトが置かれたもので、ポジティブに何かを表現する思想ではない。 つまり、否定神学という意味合いがある。スピリットの世界の超絶性を強調 するのだ。その意味では、ナーガールジュナも、禅も、そういう仏教精神を 忠実に受け継いでいるものだ。 なるほど、こういう選択肢を人類が持っているということも必要であったのだな、 といえる。だが、こういう仏教だけではまた、霊的思想として不十分である ことも事実だ。というのは、この思想は基本的に唯名論である。すべての 実在性を否定する方向である。その反面、ここに現象している世界が絶対の 顕現である、という側面は弱くなる。イデア的なるものは究極的には幻想 であるが、相対的には実在である。「永遠の自己」は、究極からみれば幻想 ではあるが、相対的には実在する。そうでなければ、輪廻の主体というものが 立てられない。「自己はない」と仏教が言ってしまうとき、そこには「自己の 多元性」という思考があまり入っていない。表層的な自我意識が幻想である ことを言おうとするあまり、永遠の自己がその深奥にあるということも否定 している。これは思想としてはやや行きすぎ、偏りになる可能性がある。 宮元啓一氏は、仏教徒が尊崇する「ミリンダ王の問い」について、「仏教の 言う論理はどうみたって無理で破綻している」などと、例の口調で言い切って しまっており、仏教徒が聞いたら椅子から転げ落ちそうであるが、それは まったくあたっていないというわけではなく、私もまた、仏教が「永遠の自己」 さえも否定するのはいきすぎであり、思想としてバランスの悪いものになって いると見る。それはもちろん、現在という立場から見てということである。
62 :
神も仏も名無しさん :2009/04/06(月) 23:46:08 ID:eY+U/CnK
もちろん受け入れがたい見解もあると思いますが、私も沢山あります、 ここは仏教的に宥和、アヒンサーで冷静、穏やかにいきましょう。 私も反省して心がけたいと思います。(_ _ )/ハンセイ
世に何十冊もあるであろう般若心経入門の本だって、たぶんだいたいは、 「自我の執着から離れなさい」「この世には何も実体はない」ということを いっているわけで、これは唯名論的宗教観というべきものである。こういう 唯名論的仏教解釈は、たしかに正しいが、正しいというだけでは足りない。 霊的世界観として現代人に訴えるためには、もう少し実在論的でなければ ならない。つまり、いまそこにある形態をもった現象があるのは、絶対精神 の顕現だということもいわねばならない。つまり、「そこに何かがある」という ことを絶対的に肯定できるという部分がないと、思想としてバランスを欠くと 思うのだ。 たぶん、そういう方向を示しているのが、空海の密教哲学である。空海の 思想は、歴史的仏陀の仏教とはまったく似ても似つかぬものである。はっ きりいって、これは唯名論ではなく、有神論的仏教である。宇宙の中核には 大日如来という絶対神がいる。そして大日如来が無限のエネルギーを放射し、 さまざまな如来、菩薩、明王等の霊的ヒエラルキアをつくりだし、さらに 自然界全体をそのエネルギーで満たしているのである。そして私たちの精神 の中にもそのエネルギーが入ってきており、そのルートを通して私は 大日如来と一体化するところまで上昇することが可能だ・・ これは、仏陀の 教えたこととはまったく違うことである。しかしながら、私が受け入れている 仏教とは、まさしくそのようなものである。 これはもちろん、空海が独力で造り出したものではなく、ブッダというものを 宇宙的な存在と見なすようになるのは、大乗仏教がおこり、密教へ展開する 中で、徐々に起こってきたことである。
むかしから「大乗非仏説」という論があって、つまり、大乗仏教はもはや ブッダの教えとは違うものである、という主張がある。これは、まったくその 通りである。しかし、「その通りですがそれが何か?」ということである。 歴史的ブッダというものは、そもそも宇宙的なブッダの化身の一つである、 という理解は「仏身論」という考え方の中にあるものだ。現在の「精神世界」 の考えには、ブッダとは宇宙的マスターの一人であり、その肉体的化身 (つまりインドでいうアヴァターラ)が歴史的ブッダだ、というものがあるが、 これに似た考えはもともと大乗・密教の中にはあったのである。 したがって、現在の霊的世界観を考えるにあたって、そこに仏教が参照 されるとすると、それはもっぱら空海的な仏教になってくるのである。そちら の方が、はるかに普遍性がある。歴史的ブッダとか、その流れをくむ龍樹 や禅などの思想は、特に執着が強いような特殊な場合にあてはまるべき 例外的なケースである。歴史的ブッダの思想は反世界観的であって、 それをもとにして何かの世界観を構想すること自体が基本的なまちがい である。 歴史的ブッダが何を言ったか、ということにとらわれなくてもいい。それと まったく違っていてもいっこうにかまわないのである。私たちが目を向ける べきものは宇宙に遍満する宇宙的マスターとしてのブッダである、と言って もさしつかえないだろう。それは空海の思想をいいかえたものにほかなら ないのである。
65 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 00:09:10 ID:3Z1svo1i
>>63 色即是空空即是色は、唯名論ではありません。縁起論です。
弘法大師の密教は有神論ではありません。
確かに高野山真言宗ではそのように説きますが、
大日如来も空です。
66 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 00:14:26 ID:BvnluDl9
67 :
初代スレ7 :2009/04/07(火) 00:35:59 ID:LMlNuhJU
寝る前に、もう一言投げつけておくか。
>>56 “偏った思考”をしているのは、貴方方の方かもしれませんよ?w
おやすみ ノシ
68 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 02:15:05 ID:s0re+vRj
>>63 大日如来や曼荼羅は、あくまで、自然界の象徴。一神教のような「自然から隔
絶した超越神」ではない。
69 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 04:02:12 ID:IfBGc2d/
説いたって恐山のイタコさんが言ってたからもういいじゃん。
>>13 だからよ、そういう考え方もあれば、宝珠氏のいうように、
正しく業報輪廻思想を理解すれば、そういう人達を差別するのは
よくないことだと知り、むしろ差別はなくなるという考え方もあり、事実
ゴータマの説いた業報輪廻をよく理解すれば、決してそういう人達を差別
することはしないだろう。あんたの見方はいつも偏ってるんだよ。
原始経典を読めば、ゴータマは業報輪廻思想を有るのを前提に
語っていたのは明らかだ。それを認められないのなら、あんたがゴータマの
仏教を捨てればいいだけの話なんだよ。だがあんたは、なぜか仏教に
執着し、自分の価値観に合わない部分は、解釈を捻じ曲げている。
そして、正当なゴータマの仏教を語る者の口を、業報輪廻思想は差別環境改善
のブレーキになるという、これまた偏った意見を根拠に、業報輪廻を説くなと
言っている。ま、こいつはいろいろ理由付けしているが、結局は、単なる唯物論者で
形而上のことは内心馬鹿にしてて、なぜか自分が執着している仏教の始祖
ゴータマがそんなことを説くのは許せない。自分の権威付け利用している
仏教が、自分が真理だと信じる唯物論と相反することを教えるものだとは受け入れられないし
認められないだから、いろいろ理由付けしては、仏教からそれらの思想を排除
しようとしている。そんなところだ。それは結局、あんたのエゴなんだよ。
いっといてやるよ。あんたがいくらどうこう吼えようと、ゴータマは業報輪廻を説いていたし、
業報輪廻思想があろうがなかろうが、障害者や生まれによる差別問題は無くならない。
なぜなら我々はそういう存在だからだ。我々は善と悪に分けた、エゴイズムにより生まれた
悪い存在だからな。むしろ業報輪廻思想は、その思想を正しく理解することにより、
自分の心から、差別心という負の感情を戒めることができるっていうもんなんだよ。
>>67 >“偏った思考”をしているのは、貴方方の方かもしれませんよ?w
なんでやねん。原始経典を読めばゴータマは明らかに業報輪廻思想を
かたっているのだから、そう主張するのがなんで偏った見方になるんだよ、吉外。
おまえさ、業報輪廻思想をどうしても認められないんなら、仏教捨てろよ。
唯物論者で賢い人なら、間違いなくそうすると思うぜ。なに、自分の価値観である
唯物論を否定した、仏教に執着してんだか。馬鹿に付けるクスリはなしだな。
よぉ、末法仏教のドメクラ共。ここにこういうお経がある。 >「無明は常ならざるもの、人のいとなみによるもの、条件によって生ずるもの、なくすことのできる >もの、こわれてしまうもの、貪りを離るべきもの、そして、なくなるものなのである。 >比丘たちよ、聖なる弟子たちは、この縁起の法および縁生の法を、正しい智慧をもって、あるがままに >よく見る。だが彼らもまた過去世のことを想い起こすことがあるであろう。−−−−」 >相応部 12 20 つまりこの縁起でなる、いずれは無くなるもの。この現象世界は無明であり。 裏を返すと、無明でないものは、常であり、人の営みでないもの、条件によって生ずることもなければ、 滅することもなく、貪りでなく、を離るべきものでもなく、恒常普遍のものである。ということを いっている。また、正しく縁起の法を智恵を持ってあるがままを見る者は、自分の前世の ことを思い起こすと、ゴータマは説いたということだ。 元々ゴータマの仏教は生じてはいつかは滅ぶこの現象世界は幻影のようなものであり、 それは苦である。そこから解脱し、恒常普遍なものを目指しなさい。それが得がたき自己であり、 それがあなたがたの真実の自己であり、そこに苦の滅があると説いたのに、竜樹のアホ以降なぜか、 ゴータマはそこは苦であり、そこからの解脱を目指しなさいと説いたこの現象世界だけで 完結し、ゴータマの説いたゴールを省いてしまい、ゴータマはそこから解脱しなさいと 説いた、この現象世界だけで完結してしまう、おかしなものになっている。これははっきりいって 後退だ。竜樹にかぶれ、それは苦ですよとゴータマが説いた縁起、空を、 縁起、空だけで仏教を完結してしまう君ら末法仏教徒の君らの迷いは深い。 何で、ゴータマが外道だと称した唯物論者が、ゴータマの仏教に執着してんだか、理解に苦しむよ。
>>72 おいおい。ゴータマは人を口汚く罵ることをどう言ってるよ?
ゴータマが業報について語る時、口の業についてどう言ってるよ?
何で、人を蔑み罵りまくりたいという欲望を制御しようともしない奴が、
ゴータマについて何偉そうに語ってんだか、理解に苦しむよ。
ぷぷぷ。 こいつって現実見ずに愚痴ばっかりいってるんだな。 で、仕事できないで、自分は認められないとか、不満ばっかり言うタイプだろ。 だっせえ。
75 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 10:57:13 ID:kHMVeIeo
>>73 人を口汚く罵るのと、ゴータマの教えを正しく伝えているかは
別のはなし。俺が教えを理解しても自分の心を制することが出来ずに、
滅びようとも、俺自身の問題で、おまえには関係のない話だ。
ここのテーマは、俺の口が汚いか否かではなく、
ゴータマは業報輪廻転生を説いたか説いていないかである。
おまえにはおまえは遭難したとき、自分の間違いを認めず、
自分の我を通す奴を口汚く罵るが、正しく助かる道を説くものより、
口は汚くないが、そいつについていけば
間違いなく皆死ぬ明らかに間違った道を導き、そこにいくと皆死にますよ
と、間違いを正しても、決して自分の間違いを認めず、自分の我を通す人のほうが
正しいというのか?何度も言うが原始経典を読めば、ゴータマは明らかに
業報輪廻を説いている。ま、おまえは、自分の好き嫌いで、どんなに正しいことを言う人
より、自分の価値観に合う人を選ぶんだろうな。だが言っておく、それはエゴだ。
人はこのエゴによって生まれ、このエゴによって滅びる。あんたが自分の好き嫌いで
間違った教えを取り、その結果滅びようとも、自業自得だな。
>>74 妄想乙。
多分俺は、おまえより稼いでると思うよ。
www.23ch.info/test/read.cgi/psy/1201311959/ 宝珠たん いるようないないような
キリスト教徒人数少ないくせに2chに張り付きすぎw ワロタw
竜樹の中論に毒された、アホ末法仏教徒に掛かれば、
>>72 に上げた、経も、そこは、
仏教とは、無明も悟りもない中道で、無常も、高異常普遍も、無くなるものも
無くならないものも無く、生も死も無い中道だべ〜。これが真理だべ〜。
てなもんだろ(大爆笑)
賢い人は、こんなのはただの言葉遊びでしかない偽論、詭弁でしかなく、
糞の役にも立たないものだと、一発で見抜く。おまえらがいくら言葉遊びでしかない
詭弁論、君ら解釈の中道を説こうとも、実際には人は生まれて死ぬ。
この世は生も死も無い、中道だべ〜〜〜と、何か特別なことを語っているつもりになっていても
この世は、人は、生まれ、そしていずれは必ず死ぬ。それがこの世の真理なんだよ。
わかったか?無明に囚われたアホ共。ま、エゴに囚われた人達にいくらなにを言っても
無駄なんだろうけどな。
中論読んでるふりしているアホ発見。
まあこの程度の読解力だと仕事もできんわな。
>>76 何故二択になるんだ?
正しい内容を話すことと、自己制御することとは
両立できないとてでも言うのか?
口が汚かろうと内容は正しいということはあるだろう。
しかしな。
自ら業報について語りながら、その口で人を罵倒しているというのは
どういうことだというんだよ。
「暴力はいかん」と言いながら人を殴るようなもんじゃないのか?
言ってることが正しかろうと、やってることはおかしいだろ。
そしておかしい分、説得力が皆無だろ。
ゴータマが業報について説いたのは
意身口を慎むよう促すためではなかったのか?
83 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 23:26:25 ID:JRLkO2p6
2ちゃんねるとはそういうところだよ。 マジメに語れば受け入れられるとも限らない。 どちらかといえば無法者が多いからなあ。
84 :
神も仏も名無しさん :2009/04/07(火) 23:52:04 ID:3Z1svo1i
>>83 2ちゃんであれ、仏教の語り口が悪口であってはいけないでしょう。
他者を害することを釈尊は強く禁止したし、言い争いも否定された。
悪業を積むだけであり、両者に益をもたらさないから。
冷静に話したいものです。
とはいえ、輪廻を釈尊が説かれたこと、教えの前提となっていることは、
このスレで論証され、反論は全て論破されたと見て良いでしょう。
85 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 00:18:26 ID:Xtq/H73P
>>84 ああ、それね、宗教に凝っている人の言いそうな文句ですね?
確かに本来、悪口は良くないけど、2ちゃんねるは無法地帯だから、悪い人を戒めるためには
どうしても出てしまうと思うんですがね?
それって、ある程度自然でしょ?
それから、釈迦が真理を説いたからって釈迦の言うことがすべてにおいて正しいとは言い切れない。
だぜなら、今を生きているのは私、つまりそれぞれの自分ですからね。
己が正しいと思うことをやればいいんじゃないですか?
前提に正しいことに自信を持っているならばね。
>反論は全て論破されたと・・
まあ、そう思うのは自己満足かもしれませんよ?
そういうのは理解した人にしか分かりませんし、このスレの常連以外は論外だし・・
86 :
初代スレ7 :2009/04/08(水) 00:49:26 ID:a3lHW5LY
では、少し混ぜっ返してみるかw ≪「同一性」のない所に「報い」はあり得ない≫ と仮説してみる。 この時、この言明を反証し得るだろうか? 賢い住人の方々宜しくw ノシ
87 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 02:02:23 ID:mwJxKLmP
>>84 >とはいえ、輪廻を釈尊が説かれたこと、教えの前提となっていることは、
>このスレで論証され、反論は全て論破されたと見て良いでしょう。
輪廻転生が教えの「前提」なら、「空の思想」は出てこない。釈迦は矛盾して
いることになる。
そもそも、「現在の生命」を以って、「生命が失われた後の世界」を認識、
思考することは、ナンセンスで不可能。その世界は、現在の生命による認識、
思考が通用しない世界なのだから。
輪廻転生は、バラモン教の残糟に過ぎず、仏教においては完全に否定・無視
すべきもの。「空の思想」においては、神だけでなく、この世界の存在その
ものが「色」として否定される。
釈迦が、現在の世界を否定して、来世を肯定するならば、これほどの論理矛盾
はなかろう。
88 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 04:16:55 ID:SvmC3ZU7
そもそも神智学をおこしたクートフミは仏陀の高弟。 仏陀は現在も活動中であり、現存している意識である。 空は自性。 自性の一形態がこの物質界。 自性の一形態があの霊界。 人格神による天地創造は暗喩。 人格神も暗喩。 天地創造も暗喩。 天地さえも空。 創造は自性。 この自性が天地創造。 暗喩レベルで、人格神による天地創造が語られたからと言って、 それが空性のもたらす言語上の制約。
89 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 04:26:09 ID:mwJxKLmP
>>86 例えクローン動物でも、外見が同一であるだけで、全体としての同一性はない。
「同一性」の根拠は、完成された脳における「経験の記憶」であり、クローン
動物においては、脳は胚芽から発生しなおすものであるから、記憶は継承され
ないからである。
従って、たとえクローン人間であっても、クローニング前の人間がなした罪業
は、クローン人間とは無関係である。
「獲得形質(カルマ)は遺伝しない」。これが現代生物学の原則。
90 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 07:24:50 ID:4bKcRLLn
>>86 同一性こそが縁起によって仮設された妄想に過ぎない。
無常・無我・空なものに同一性などあろうか?
このことは別に仏教徒でなくても誰もが直観しているはずである。
我々は「これがあるときこれがある」という縁起による指示と名称の
習慣によって曖昧な本質・同一性などを獲得して用いている。
しかし、x とは何かと改めて、その本質・同一性を分析・定義しようとすると困難で難しいことに突き当たる。
これは『メノン』でソクラテスが西洋に始めて指摘してから、
クリプキ『名指しと必然性』に至るまでごちゃごちゃと本質・同一性を追究してきたが、
全く成功していないことからも明らかである。
例えば「猫」とは何か? そんなの自明だと思うだろう。
では猫は辞書の「食肉目ネコ科の哺乳類。体長50センチメートル内外。毛色は多様。
指先にはしまい込むことのできるかぎ爪がある。足裏には肉球が発達し、音をたてずに歩く。
夜行性で、瞳孔は円形から針状まで大きく変化する。本来は肉食性。
舌は鋭い小突起でおおわれ、ザラザラしている。長いひげは感覚器官の一つ。」
以上の属性の集合、あるいは以上の命題の連言論理和が「猫」だという。
では「かぎ爪が」なかったり「音をたて」て「歩く」猫は猫ではないのか?
そんなことはない。
これを中期中観派は、「分析しなければ喜ばしいもの」と表現した。
つまり、言い慣わし通りに用いるなら便利なものだが、
分析して追求してみると本質・同一性などない。
縁起によって仮設されただけのものだからだ。
ということで納得していただけただろうか?
縁起というのは本当に奥深く完全な思想であることを知れば知るほど納得できる。
>>90 論点がずれてるだろ?
>>86 で、初代スレ7さんの言ってることは、
「同一性という概念を導入することなしに、悪因悪果などの業報思想はありえない」
ということを言ってるんだろ?
逆の言い方をすれば、
「悪因悪果などの業報思想は、『同一性』という概念を否定した上でなりたつのか?」
こういうことだろ?
92 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 09:43:21 ID:4bKcRLLn
>>91 困ったな、縁起して同一性は習慣としてなりたつということ。
そのなかで因果性も習慣として成立するが、仮設であり空であるということ。
だから、〜とは何と言ったとたんに何も成立しないということ。
これが芭蕉やラッキョウに芯や実がないのと同じ。
つまり、業も同一性も習慣・仮設としては認識され存在すると言えるが、
ではそれは何かと分析するなら何も確かなものなどないということ。
これは何が輪廻するかという答えでもある。
意識が輪廻するとも、自相続が輪廻するとも、私が輪廻するとも、
言うことはできるが、それらが何かと言えば確かな本質・実体・同一性はない。
習慣によるあいまいな本質・実体・同一性が縁起して認識されるだけ。
全然、ずれてない。彼の問いが、矛盾点を突こうという意図が見え見えなので、
ああ答えたまで。 分からないなら縁起と無我について何も分かってないだけのこと。
>>92 そうなのか?俺は初代スレ7さんでは、ないので
>>86 の書きこみ
の真意は推測によるしかないが、7さんは
「一般的な意味における業報思想、すなわち今世で悪いことを行えば来世
においてその報いをうけることになる」という思想は、今世のAとその継承体
であるBとの間に『同一性』を見出すことなく成り立ちえるものなのか?
こういうお題をふったものと理解したのだがね。
勿論、ここで言う『同一性』とは、ごく一般的な意味における解釈で
BをAの継承体であると認識するのに十分な属性という意味で俺はこの語
を使用してるのだが。
94 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 10:22:19 ID:4bKcRLLn
>>93 >「一般的な意味における業報思想、すなわち今世で悪いことを行えば来世
>においてその報いをうけることになる」という思想は、今世のAとその継承体
>であるBとの間に『同一性』を見出すことなく成り立ちえるものなのか?
つまり、無我と矛盾しないかということを語外に含んだトリッキーな
トラップと私は深読みしたわけですね。
今までの彼の言動から。
つまり、7さんのふったお題は「輪廻をどのように解釈するか?」ではなかった と思うのだがね。(これは7さん自身に補足説明してもらうよりないが) 輪廻の解釈は、まさに多様で宝珠氏のように輪廻主体(アートマンだったか?) を仮説するもの、スマさんみたいに「心が輪廻する」というもの。 石飛のように、『業』そのものが輪廻して、輪廻する基体の存在を否定するもの (おそらく、お宅はこの説の支持者だね?) 色々あるが、ここで問題となるのは「悪いことすれば、来世でその報いをうける」 という一般的な「業報思想」は、BがAの生まれ変わりであるという認識なしに 成り立ち得るのか? こういうことを聞いてるんだろ? まあ、石飛以外の説は、何らかの輪廻主体を仮設してるわけだから、 初めから『同一性』が問題となることはないが。
96 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 10:53:08 ID:14/XNebp
>>90 ≪「同一性」のない所に「報い」はあり得ない≫ とは、「前者が後者の輪廻
あるいは転生といいうるためには、前者と後者との間に『同一性』がなければ
ならない」という意味に、素直に解したのだが。
従って、同一性がなければ、輪廻転生の概念など無意味ということになる。
「これがあるから、あれがある」と言う場合に、「これ」自体の同一性、「あ
れ」自体の同一性は既に前提としており、その二つの同一性同士の「関連性」
を説くのが「縁起」なのである。二つの同一性の間の相互依存性の故に、逆に
同一性が否定されるのである。
なお、猫をそのように言葉や概念で分析しようとするから複雑になるので、
同一文化圏内の人が、現物を見れば一発で判る。即ち、言葉や概念は初めから
不完全なものであるが、具象は完全であるということである。言葉や概念は、
共同体内で、その成員間において、相互にある具象物の意味を伝達しようとす
る場合の極めて不完全な「手段」に過ぎない。具象物があって言葉や概念が生
じるのであり、その逆ではない。西洋哲学の言語論や観念論は、その点におい
て既に誤っているのである。ソクラテス以来の誤謬である。
97 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:21:47 ID:4bKcRLLn
>>95 だから、心が輪廻すると言ってもいい。
ただ、その心が仮設された言語習慣であって実体でない縁起・空であると分かって使っていれば。
ところがアートマンというと実体を持った空でないもの、
確固とした本質を持った基盤というものではないのである。
私の見解は『縁経』『清浄道論』『サーティ経?』『因縁心論』等に基づいている。
多分、これ以上言っても無理。
98 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:28:01 ID:14/XNebp
>>87 >だから、心が輪廻すると言ってもいい。
その場合でも、輪廻の前後の「心」の同一性は、再び問題になる。
そして、「心」は、具象物としての「身体」のみにしか、宿れない。
99 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:29:25 ID:4bKcRLLn
>>96 >「これがあるから、あれがある」と言う場合に、「これ」自体の同一性、「あ
>れ」自体の同一性は既に前提としており、その二つの同一性同士の「関連性」
>を説くのが「縁起」なのである。二つの同一性の間の相互依存性の故に、逆に
>同一性が否定されるのである。
全く違う。これという同一性が認識されてあれという同一性が認識される。
本来、そこに同一性などないが生物的認識機能も含む習慣によって仮設される。
対象が実在するのではなく縁起によって認識されるだけなのである。
対象の側に何か実在する基体があるのではない。
同一性は縁起に基づく仮設された認識であることを理解して欲しい。
関連性君も仏教を論じるなら、仏教文献を基礎としてくれ。
>なお、猫をそのように言葉や概念で分析しようとするから複雑になるので、
>同一文化圏内の人が、現物を見れば一発で判る。即ち、言葉や概念は初めから
>不完全なものであるが、具象は完全であるということである。言葉や概念は、
>共同体内で、その成員間において、相互にある具象物の意味を伝達しようとす
>る場合の極めて不完全な「手段」に過ぎない。具象物があって言葉や概念が生
>じるのであり、その逆ではない。西洋哲学の言語論や観念論は、その点におい
>て既に誤っているのである。ソクラテス以来の誤謬である。
それこそが言語習慣に基づく仮設ということに他ならない。
同一文化圏内の人、つまり、同様の言語習慣を共有する人の中で仮設され、
名称、指示、対象、意味があるていど一致しているということ。
だから仏教でも「私は〜」ということは可能なのである。
しかし、私とは何かと言うとそれはもう不可能なのである。
この「何か」という本質を追究してきたのが西洋哲学で、
最近の「言語学的転換」まで無自覚だった。
仏教は釈尊から完璧なのである。凄い! 釈尊だからこそと言うべきか?
くどくなるかもしれんが、もう一度まとめておくか。 一般的な意味における業報思想というのは「悪因悪果、すなわち悪い ことすれば来世でその報いを受ける」 こういうものだよな? この思想は、「アートマン」であれ、「心」であれ、なにかしらの 輪廻主体(それが実体的なものであるか否かによらず)を仮設しな ければ、成り立ち得ないということ。例えば今世で悪事を働いたAの 報いを来世でAの生まれ代わりであるBが受けることになる。Aの悪事 の報いを全く関係のないCが受けたんではCはたまったもんじゃない。 ここではAの生まれ変わりはBであり、Cではないと認識しうる、何らかの 関連性がAとBとの間に見出されなければならない。これを『AとBとの間に おける同一性』と定義するのであれば、業報思想はこの概念なしでは 初めから崩壊してしまう。 勘違いしてもらっては困るが、俺は「仏教における輪廻の解釈論」を 述べてるのではないよ。それは、実に多様であり定説はないわけだろ? 俺がここで述べたのは、一般的な意味における業報思想は、あくまでも 「個」の概念がその基礎にあり、「今世の個」と「来世の個」との間に その連鎖を担保する「同一性」がなければ成り立ち得ない思想だ と、まあこういうこと。
101 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:41:47 ID:4bKcRLLn
>>100 >一般的な意味における業報思想というのは「悪因悪果、すなわち悪い
>ことすれば来世でその報いを受ける」 こういうものだよな?
そう。
>その連鎖を担保する「同一性」がなければ成り立ち得ない思想だ
違う、縁起こそがその思想基盤、説明基盤である。
では、今、あなたが生まれてからずっと「同一性」を保ってると思ってる。
それを仏教は無我・無常・空と言わないと思う?
>>101 刹那滅のことを言いたいのかな?
俺が言いたいのは、「Aの悪事の報いがCではなく、Bに起きた。」
それは、なぜか? それは勿論、偶然なのではなくBがその報いを
受けるべき当然の理由がなければならない。つまり、そこには
AとCはなんら関係性がないが、AとBは、その間に何らかの関連性が
見出されなければならないだろ? そうだろ?
その関連性とは何か? こう聞いてるわけ。
103 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:52:47 ID:14/XNebp
>>99 >全く違う。これという同一性が認識されてあれという同一性が認識される。
>本来、そこに同一性などないが生物的認識機能も含む習慣によって仮設される。
苦しい説明だねw。ならば、初めから「これ」「あれ」と言う言葉も使うべきでは
ない。「生物的認識機能による仮設」などというが、人間は生物以外の何物でも
ないのだから、それは「仮設」とは言えない。その「仮設概念」こそ、「仮設」で
ある。
> それこそが言語習慣に基づく仮設ということに他ならない。
猫は、人間の言語習慣形成前から存在したと思うがw。
すべてが「仮設」なら、すべては「現実」である。「空即是色」である。
104 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:56:23 ID:4bKcRLLn
>>101 >>一般的な意味における業報思想というのは「悪因悪果、すなわち悪い
>>ことすれば来世でその報いを受ける」 こういうものだよな?
訂正。来世に限定されない。悪いことをすれば苦を味わう。
業が熟する、生成する時も縁起による何時生成するかは、縁しだい。
そして悪いことも苦も仮設に他ならない。
上のような文は、あくまで言語習慣に添った言い方であることを理解すべきである。
別の表現でいうと、「BはAの生まれかわり」なわけだ。 Aの悪事の報いを受けたのだから、当然そうでなければならない。 では、BがAの生まれ代わりであると言うのは何をもってそういえる? 同様にCはAの生まれ変わりではないと言うのは何をもってそう言える のか?
106 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 11:59:42 ID:4bKcRLLn
>>102 セツナ滅は、だめ。セツナを実体としてるから。
関連性は縁起に他ならない。
107 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 12:04:31 ID:4bKcRLLn
>>103 >「生物的認識機能による仮設」
ではない、「生物的認識機能も含む習慣によって仮設」である。
>猫は、人間の言語習慣形成前から存在したと思うがw。
これが実在論的前提、ただの思い込みであると仏教は言う。
いつもながら不毛だ。ただの常識に生きたいならここにこなければいいだけの話なんだが。
>>104 >訂正。来世に限定されない。悪いことをすれば苦を味わう。
業が熟する、生成する時も縁起による何時生成するかは、縁しだい。
だれも「果」が来世限定だなんて言ってない。
「来世に果が生じるときのこと」を論じている。
>そして悪いことも苦も仮設に他ならない。
上のような文は、あくまで言語習慣に添った言い方であることを理解すべきである。
これはどういう意味かな?
「悪いことをすれば、その報いを受ける」とは、単に方便であると
言いたいのかな? 別に「悪いこと」に限定する必要もないのだがね。
言い換えようか?
Aが今世で行ったことの果が来世において、Bに現われたとする。
当然AとBの間には、何らかの関連性が見出されなければならない。
それは何か?AとCとの間には見られないが、AとBとの間には見出される
関連性とは何か?
109 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 12:12:08 ID:14/XNebp
要するに、すべての認識や思考は、人間の生命の機能に過ぎないから、 その意味で「仮設」「空」だが、人間にとっては、その「仮設」「空」 の世界が、すべてであり、「唯一の現実」である、ということではないのか。 だから、人間がいくら「仮設」「空」と言ってみても、意味がないこと である。 従って、「縁起・空」とは、その「人間にとっての現実」の諸要素間の 相互依存性・関係性と解しなければ、無意味な概念である。
>>106 今までのお宅のレスを見てもAの行為の果(報い)を受けた
B、すなわちAの生まれ代わりであるBとAと関連性のないC。
このBとCの相違点を示す属性について全く説明がなされていない。
BとCを分かつものは何?
111 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 12:21:45 ID:4bKcRLLn
>>105 神通、それ以外に何かある?
それを認めないなら「Aの悪事の報いを受けた」とは何をもって言うのか?
>>108 >「悪いことをすれば、その報いを受ける」とは、単に方便であると
>言いたいのかな? 別に「悪いこと」に限定する必要もないのだがね。
違う。無我・空という勝義、つまりほんとうのことと、
仮設された言語習慣での話は違うということ。
無我・縁起・空ということを理解していない人に、
「悪いことをすれば、その報いを受ける」と説くということ。
関連性は縁起による連続。来世で考えないで今の自分で考えれば分かる。
私は腹が減った。飯を食う。腹一杯。私が縁起して連続しているから。
しかし、私は無我であり、空であって縁起して私と仮設されているだけ。
>>111 >神通、それ以外に何かある?
それを認めないなら「Aの悪事の報いを受けた」とは何をもって言うのか?
別に確認法を聞いたのではない。
>>110 の意味で聞いたのだがね。
それで、このBとCの違いを示すものは?
113 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 12:36:51 ID:14/XNebp
>>111 >私は腹が減った。飯を食う。腹一杯。私が縁起して連続しているから。
縁起とは、そんな単純な、時間的なものだけではない。何故腹が減るか、
飯を食うか、飯を食うと何故腹いっぱいになるか、その間の、体内の諸器官は
どのような共同作業をしているか、その飯はどこから、どうやって生じるのか、
排泄物は誰が、どうやって処理しているのか、etc.etc.のすべてが縁起なので
ある。
そして、私の存在自体が、不特定多数の他者による私の身体の認識によって
成立している。これも縁起である。
縁起を、一方向だけの時間的変化と誤解するから、「空」が理解・説明できなく
なる。
114 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 13:46:37 ID:4bKcRLLn
>>112 意識が縁起して連続しているかどうかということ。
115 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 15:11:39 ID:SvmC3ZU7
言語指示機能が対象の同一性を設定していることなど当たり前であり、 輪廻の主体は実体は無我の本性をもとうがもたなかろうがそんなことは輪廻議論の範疇外である。 とは言え、輪廻の主体は対象と自己の不二、無臭着への執着さえも捨てる事で輪廻を逃れる。
116 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 15:25:37 ID:D8dLAWvT
>>115 >輪廻の主体は実体は無我の本性をもとうがもたなかろうがそんなこと
>は輪廻議論の範疇外である。
「範疇外」どころか、それが仏教における輪廻議論の中心なのではないのか。
>とは言え、輪廻の主体は対象と自己の不二、無執着への執着さえも捨
>てる事で輪廻を逃れる。
「自分が」輪廻を逃れようとすることこそ、最大の同一性であり、執着
の表れではないのかね。
117 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 15:46:45 ID:SvmC3ZU7
>>116 言葉の意味を理解したならばそのような反論などありえない。
輪廻を逃れるまでは、便宜上エゴ実体の同一性は担保される。
善因善果、悪因悪果はエゴ実体の輪廻における存在状況として説明される。
それが輪廻議論の最初。
つぎに、エゴ実体の存在状況は迷妄を破り、空性にもとづいて生きるべきであることが説明される。
それが輪廻議論の最後。
>>114 また極めて抽象的な単文だな。
はっきり言ってそれで理解できる奴はいないと思うぞ。
この場合の「意識」とは? その定義は?
「意識が縁起して連続するとは?」具体的にどのような現象?
勘違いされると困るので断っておくが、俺がここで述べていることは
いわゆる「業報思想の否定」でもなければ、「基体を設定した輪廻思想
の肯定」でもない。俺が言ってることは、ただ一点
「一般的意味における業報思想を是認するのであれば、そこには何らかの
基体を仮設しなければ、論自体が初めから崩壊する」
と、こういうこと。仏教における輪廻思想の解釈でもないし、また
そこからの解脱の意味について論じてるのでもない。
今は時間がないので夜にまた、まとめて論証する。
119 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 16:18:34 ID:D8dLAWvT
>>117 >善因善果、悪因悪果
良いことも悪いこともした場合の輪廻は、どうなるのかね。すべての人間は
その範疇に含まれると思うが。
そもそも、悪があるから、善があり得るのである。善だけの世界は、悪だけの
世界と同じであることを、認識しなければならない。
それに、善悪が、誰がどんな基準で判断するのか。善悪は、具体的状況次第
で変動しうるが、その場合はどうなるのか。
120 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 16:42:54 ID:4bKcRLLn
>>118 疑問点は分かってるつもり。
基体を仮設するのは、あくまで言語化した場合のものである。
それを意識とよぼうと、心とよぼうと、相続とよぼうと結構だが、
それは本来仮設されたもので無我・空だということ。
これ以上、なにもいうことがない。
意識の連続は、例えば川が川として認識されるのは、
水が連続して流れているからで、利根川と信濃川では縁起が違うが、
川と呼ばれるものも、水が連続して流れているものを、
過去の習慣から利根川だの信濃川だのと呼んでるだけで、
なにか不変の利根川や信濃川があるわけではないということ、
この譬喩で理解できなければ、現時点では理解できなと思うよ。
私は、自分で説明できることは全て言ったつもり。
121 :
初代スレ7 :2009/04/08(水) 20:12:07 ID:a3lHW5LY
>>90 (
>>120 )
では、≪(勝義に於いては)「報い」は無い≫ということで宜しいでしょうか?
>>86 に於いて立てた命題は、
≪そこに「同一性」が見られるから、或る事象を「報い」として見ることができる≫
≪そこに「同一性」が見られないならば、或る事象を「報い」として見ることができない≫
という意味なのだが・・・。(同一性の曖昧さはよく理解できます。)
また、少し指摘するならば、90の分析は、
自己の外を眺めた時、そこに見られる様々な事象(の「(他の)同一性」)について言われているものだが、
「自己同一性」についてはどうか?
同様の分析で「同一性」を斥けられるだろうか。別の考察が加えられるべきだろうか。
そして、もし、同一性が斥けられたならば、そこに「自業自得」という≪「報い」の原則≫は見出し得るだろうか・・・。
*****************
貴方は、「同一性」については詳細に語ってくれましたが
「報い」については一言も触れていらっしゃいません。
≪仏教は、「報い」について「あるとも無いとも言わない」≫ということでしょうか?
それとも、
≪「報い」は、純然たる「世俗の言辞」「世俗の事象」であり、方便であり、
未だ法眼の開いていない者に対して、戒めと方向性を与える為の言辞であり、
勝義に於いては捨象されるべき考え方・概念である≫
ということでしょうか?
(この点、宝珠氏とは対照的ですね。
彼は『「報い」の必要性』を前面に押し出し、それを「輪廻」(という考え方)の存在意義と位置付けている。
(いや、逆か?≪「輪廻」するからこそ、そこに「報い」を見て、向上の糧とすべき≫という感じか・・・。)
また、業を継承する主体も設定されている。)
122 :
初代スレ7 :2009/04/08(水) 20:21:41 ID:a3lHW5LY
>>86 の意図は、
>>93 及び
>>100 でほぼ正解かな。
(しかも、私より解り易く拡張高い言い回しになっているw 文才なくって申し訳ない・・m(_ _)m )
で、
>>95 にあるように>「輪廻をどのように解釈するか?」ではないし、
>>108 にあるように、来世限定の話でもない。
(→尤も、今生については、同一性が仮設されるのは明白なので、
実際は「三世に跨った場合にどうなのか」という話にならざるを得ないが・・・。)
そして、86の先に設定される問いは、
≪「報い」とは(「報い」という言い方は)、(それが、善きこと悪しきこと、楽なること苦なること問わず)、
【文脈が設けられた後の】評価(価値判断)ではないのか?≫というものになる。
『因果応報』という言葉が醸し出すイメージ、“一般的”理解、その語義を“教訓・戒め”として使用できる理由、等にも、
その構図は見てとれる。
そして、もし、
>>104 >悪いことも苦も仮設に他ならない。
>>111 >無我・縁起・空ということを理解していない人に、「悪いことをすれば、その報いを受ける」と説くということ。
であるならば、やはり ≪(勝義に於いては)「報い」は無い≫ とするしかないように思うが如何か?
86の後すぐに、
≪『
>>114 >意識が縁起して連続している・
>>111 >(私が)縁起して連続している』
から、同一性が保たれ、報いは(≒自業自得は)成立する≫
としてくれれば、早かったのに・・w
そして、≪同一性が仮説であるので、そこに見られる報いもまた仮設である(世俗の事象、世俗の言辞である)≫と・・・。
また、『間断なく連続している』ことが肝であるとなった時、
この時、「来世ではどうなのか(→三世に跨った場合どうなのか)?」という問いに踏み込んでいくことになる。
123 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 20:27:57 ID:4bKcRLLn
>>121 勝義では無いとも有るとも断定できませんよ。
世俗では報いはある。
124 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 22:00:01 ID:SvmC3ZU7
カルマとは自己修復プログラムである。 肉体のもつ治癒力等、免疫システムに比定されるべき自己防御プログラムなのである。 しかしこの精緻な生体プログラムにも破綻点は生じる。 まして知性、感情を制御する人魂のカルマプログラムは仏陀以前の時代から迷路に入り込み、破綻の極にある。 単純な因果応報など誰にも実感できない。 仏陀の使命はこの混乱したカルマプログラムからいかにして人類を救い出すかにあった。
125 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 22:25:01 ID:yP4X5Hwf
>>120 >水が連続して流れているからで、利根川と信濃川では縁起が違うが、
>川と呼ばれるものも、水が連続して流れているものを、
>過去の習慣から利根川だの信濃川だのと呼んでるだけで、
>なにか不変の利根川や信濃川があるわけではないということ、
>この譬喩で理解できなければ、現時点では理解できなと思うよ。
要するに、観念を捨てて、具象に直結しろ、という訳ですか。しかし、それだと、
殆どすべての宗教は崩壊するw。
言語とは、さまざまな具象を「区別」するための、人間が考え出した「手段」
に過ぎません。まず具象があって、それに対応する言語や観念が生じた。その
逆ではないことを、宗教者は忘れてはなりません。具象に対応しない言語や
観念は、百人百様で、共同体の意思伝達手段としては無効です。
126 :
亭白 :2009/04/08(水) 22:42:48 ID:QH2v0PJH
書き込み読んでも意味が高尚しすぎて内容が理解出来ないのか? はたまたあまり理解出来ていないのに理解しているように装う から糸が絡まって何がなんだか解らなくなっているのか? たぶん後者の方だと思います。 要はよく解らないと言いたいのではありませんか。 御自分の解る範囲を書き込みして頂ければ理解できると思います。
127 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 22:56:06 ID:4bKcRLLn
>>125 それに近いです。
言語習慣は、世俗では尊重します。
世間の用法のまま、そのまま使います。
ただ、その言語が指し示す対象を実在と観ない所が、違う。
128 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 22:56:20 ID:yP4X5Hwf
>>129 「具体的意味不明な、具象を離れた観念論」が「高尚」な訳ではないよ。
むしろその反対だ。勘違いしてはならない。百人百様の観念論は、もはや
意思疎通の機能を果たしえない。
とりあえず、
>>119 の質問に対して、「高尚」な回答をしてみてくれw。
ホント、つまんねースレになったな。 魑魅魍魎動物園じゃねーかw
130 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 22:59:00 ID:4bKcRLLn
>>126 いえ、自分では分かってるつもりです。
この縁起については、通常の思考様式を一旦、壊さないと理解できません。
もともと、質問が嫌みだったので、ちょっとむっとして書いたので、
それがよくなかった。動機が悪かったんです。反省、ばっかだ。
原始仏典のブッダとは 俺のことか?と、ブッダ謂い ,、 '";ィ' ________ /::::::/l:l ─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、 __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !| . : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l| 、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ! ,、- 、 .ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙::: rー-:'、 / }¬、 . \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''":::::::::: ,...,:::,::., :::':、 _,,/,, ,、.,/ } ヽ:ヽ、 /::::::::::::::::::::::::: _ `゙''‐''" __,,',,,,___ /~ ヾ::::ツ,、-/ `ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ- _| 、-l、,},,  ̄""'''¬-, ' ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ _,,,、-‐l'''"´:::::::' ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、, ,.' j゙,,, ´ 7 ,、-''" .l:::::::::::;、-''" ,.-' ゙、""ヾ'r-;;:l 冫、 ヽ、 / __,,.ノ:::::ヽ. / またまたご冗談を l;、-'゙: ,/ ゞ=‐'"~゙゙') ./. \ / '''"/::::;:::;r-''‐ヽ ,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙ ,,. ,r/ ./ ヽ. ,' '、ノ''" ノ ,、‐'゙ ン;"::::::. "´ '゙ ´ / ゙、 ,' / ' //::::::::: {. V / / ./::::::::::::: ', / / . / /:::::::::::::::::. ',. / ,.、 / ∧∧ (д`* ) (⊃⌒*⌒⊂) バ〜カw /__ノωヽ__)
132 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 23:06:33 ID:yP4X5Hwf
>>128 は、
>>126 へのレスに訂正。
>>129 クリスレよりは、はるかにマシ。あそこはもはや、狂乱状態。
ここは、クリやクリ崩れが群がってこなければ、少なくとも頭の体操と
老化防止に役立つ。御釈迦さんは偉大だったw。
133 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 23:28:34 ID:KMr/Te60
わけ分らなくなっているから、自分の確立している考えをいうと、 魂というのは永遠であり、輪廻を通して成長を続ける。 これは現象界においての成長は、経験と学習しか我々には理解できないが、 それには縁起があり、因果応報(カルマ)が生ずる。 魂は宇宙の摂理を学習するわけではあるが、間違い(摂理から外れる)に気づくことにより 理解され、摂理へと戻る。 これにはカルマの解消が成さねばならないのはいうまでもない。 こういうことの繰り返しが成長なのである。 これでどうですか?
134 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 23:39:47 ID:yP4X5Hwf
>>133 カルマとは、「行為」のことだよ。「魂(精神性)」などではない。
キリスト教とは異なり、バラモン教や仏教の輪廻転生が、「精神性」
ではなく、「行為」を問題にしていることが、キリスト教との本質的
相違であり、桁違いに優れている点であることを、忘れてはならない。
ユダヤ教も、民族の生存のための「骨太の行為規範」であり、キリスト教
のような「甘ったれた精神規範」ではない。
>>123 了解。(しておこう、一応w)
であるならば、
世俗に於いて成立する『「報い」と「同一性」の関係』及び『“報いとして表れる”システム』が、
『三世に跨る場合には』どのように適用され、整合性を持って受け入れられるのか、を、
世俗のこととして、世俗の言辞をもってして、
考察し、記述し、提示することも、まんざら無意味でもなかろう?w
(
>>93 や
>>100 は、まさに、このベクトルでの問いと言えるのではないか?)
「(特に現代社会の)世俗の者」に、
「倫理道徳の基盤」として、「悪を離れ、善に近付こうとする姿勢の育成手段」として、
「向上の為の動機付け」として、或いは「入信の入口」として、
理解し納得させる為には必要なことかもしれない・・・。
勿論、この時、上の87〜120までの間のような勝義の話に用は無い。
勝義に於いては、「同一性」も「報い」も、凝視されてはならないのだから・・・。
勝義を持ちだした途端、《「倫理道徳の基盤としての」「『報い』という考え方」》は、
その基盤としての足場を喪失するのではないか?
(参:
>>111 >無我・空という勝義、つまりほんとうのことと、仮設された言語習慣での話は違うということ。
>無我・縁起・空ということを理解していない人に、「悪いことをすれば、その報いを受ける」と説くということ。)
貴方は、93や100(或いは86)(という世俗の問い)に対して、勝義に於いて回答した。
それは、「問いの中に散りばめられたモチーフ(素材)」も、そして「問いそのもの」も、
どちらも離れるべきこととして扱われていることを意味する。
「同一性」が「世俗に於ける迷いの見解」だとしたなら、
それが前提となる「報い(という考え方)」もまた「世俗に於ける迷いの見解」ということになろう。
であるならば、《「業報に於ける公平性」もまた、離れるべき虚妄であり迷いの見解である》
と見做せるのではなかろうか・・・? (→「報い」という言い方は「公平性」という感覚と直結している。)
(いや、ここまで大胆に言ってしまうと「業報」もまた「離れるべき見解」となってしまうか?
さすがにそれは避けられねばならないかもしれん・・・w)
さて・・・。
ここでまた
>>86 に戻ってしまいそうだ。
≪同一性を斥けても尚、成立する「報い」とは如何なるものか?≫
もし、同一性を斥けた上で「報い」が成立したとしても、
それは最早、「報い」という表現がふさわしくないものかもしれない・・・。
137 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 23:56:28 ID:4bKcRLLn
>>133 > 魂というのは永遠であり、輪廻を通して成長を続ける。
無明によって私があると迷った意識は縁起して輪廻する。
>これは現象界においての成長は、経験と学習しか我々には理解できないが、
>それには縁起があり、因果応報(カルマ)が生ずる。
その縁起によって諸法(諸現象)を認識する。
縁起は因果であり、連続する。これが輪廻である。
その認識、感受は全て苦である。
>魂は宇宙の摂理を学習するわけではあるが、間違い(摂理から外れる)に気づくことにより
>理解され、摂理へと戻る。
>これにはカルマの解消が成さねばならないのはいうまでもない。
> こういうことの繰り返しが成長なのである。
この無明、業から解脱した境地が、ネハンでそれだけが安楽である。
そこに至るためには法を聖者から聞き、よく考え、身につけなければならない。
身につける方法は、戒を守り、禅定によって意識を集中させ、
集中状態で縁起観をすることで智慧を得ることである。
といったかんじです。
138 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 23:57:20 ID:yP4X5Hwf
>>133 「業(s;karman, p;kamma」の定義:
「漢語(業)は仕事・事業などの<事>の意。原語の基本的意味は、
<なすこと><なすもの><なす力>などで、作用、行為、行為対象、
祭祀などを表わす語としてインド思想一般で広く用いられた。」
(岩波仏教辞典 第2版)
139 :
神も仏も名無しさん :2009/04/08(水) 23:59:44 ID:KMr/Te60
>>134 なんか、カルマ=行為 と、本を丸読みしているような感じだね?
私はカルマ=魂とも言っていないんだが・・
カルマは償わければならない「行為」のことだな。
だから、宇宙の摂理から外れると言ったんだが・・
以下、キリスト教だろうがバラモンであろうがどうでもいい。
140 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:00:14 ID:FoJstRox
>>135 >世俗に於いて成立する『「報い」と「同一性」の関係』及び『“報いとして表れる”システム』が、
>『三世に跨る場合には』どのように適用され、整合性を持って受け入れられるのか、を、
>世俗のこととして、世俗の言辞をもってして、
>考察し、記述し、提示することも、まんざら無意味でもなかろう?w
正にこれを記述しようとして縁起から逸脱するのが、
アビダルマや唯識。
なぜ、あなたはそうつまんないことにばかり拘るのか?
141 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:07:41 ID:KMr/Te60
>>137 あなたは、言葉の羅列で納得しているように見受けられますね?
で、訊ねますが、あなたの生きている目的とは何ですかね?
できれば誰にも分る言葉でお願いしたい。
142 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:12:09 ID:96sHq4EJ
>>139 >カルマは償わければならない「行為」のことだな。
「悪しき行為」に限るのか。キリスト教の「罪概念」を持ち込みたい
のか。
「償い」などという言葉は、キリスト教のもの。
「徳のある人は、(前世の)徳のある行為(業)によって生じ、悪人は
悪しき行為によって生じる。」(ウパニシャッドの著名な哲人の言葉)
143 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:19:11 ID:FoJstRox
144 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:19:16 ID:96sHq4EJ
>>139 >だから、宇宙の摂理から外れると言ったんだが・・
釈迦は、「宇宙の摂理」などを語ったのか。
145 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:22:01 ID:FRnySAgl
>>142 カルマを背負うという言い方がある。置き換えて、行為を背負うなんて言わないな。
キリスト教のものって考えすぎ・・
最後の哲人の言葉は別に間違ってもいないけど・・
146 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:23:38 ID:FoJstRox
>>141 そもそも
>>137 はできるだけ簡単な言葉で言ったつもりだし、
仏教の基本、四諦を開いて説明しただけなんですが。
あそこに出てくる言葉から、説明しろというと、
それは困るですよ。(^_^;
147 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:25:40 ID:96sHq4EJ
>>145 カルマを、「行為」ではなく、「魂(精神性)」などと誤解したから、
オウムが生まれたのではないか。
麻原は、キリスト教の影響を、強く受けている。
148 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:26:49 ID:FRnySAgl
唯識とならんでアビダルマを学ぶということはひじょうに有効であるので (伝統的には、アビダルマを八年やってから唯識に進むことになっていた のだが)、スマナサーラ師のアビダルマ講義シリーズには大いに期待して よいと思う。 ともあれ、「人生はドゥッカ(苦)であり、早く出離せよ」という教えは、一面の 真理をもつが、部分的真理であって、それだけでは現代の霊性として十分 でない。スマナサーラ師の『死後はどうなるの?』は上座部仏教の立場から 死後世界を解説したものだ。要するに、どういう世界に行くかは心の持ち方で 決まる、ということで、それはそうに違いない。その具体的な説明としては、 六道輪廻が中心となっている。しかしこれも、師が超感覚で実際に見たと いうよりは、教典や宗派の教えを解説しているに過ぎない、という感じがする。 「永遠の哲学」による宇宙の基本モデルによると、宇宙はこの物質界の他、 アストラル界、コーザル界、プルシャ界、そして絶対(無、空)という次元に 大別されるといわれる。六道輪廻(地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天)という のは(「人」のレベル以外は)基本的にアストラル界のことをいうようだ。 仏教で「三界」と言った場合にはだいたい、物質界・アストラル界・コーザル界 を総称しているようだ。そこまでがカルマによる輪廻がありうる領域である。 カルマを超える、輪廻から抜け出すというのはプルシャ界以上に行くという 意味になる。
三島由紀夫の小説にもある「天人五衰」というのは、よいカルマによって天に 昇った魂も、そのカルマを消費してばかりだとそれが尽きてしまい、いつか は転落するという話だが、これはアストラル上界のことを指すらしい。スマナ サーラ師は、神々もまた落ちることがあると言っているが、それがアストラル 上界なのか、コーザル界なのかよくわからない。一般に神々と言われる存在 はプルシャ界の次元であり、そこはカルマを超えているので、転落は起こら ない。私の立場からは、スマナサーラ師は間違っていると明言することは できないわけだが(自分で見たわけではないので)、少なくとも、上座部仏教 における宇宙次元のとらえ方は、永遠の哲学のモデルとは異なっている ということは指摘しうるだろう。プルシャ界、コーザル界などについての明確な 概念を持っていない、ということになる。『死後はどうなるの?』という本を書く からには、自分が実際に超感覚で見たことを書いてくれるのを読者は期待 するわけで、ただ教典の解説くらいなものでは「はぐらかし」であるだろう。 永遠の哲学における宇宙次元モデルについては、『忘れられた真理』に 詳しく説明してあるので、知らない人はぜひ参照してもらいたいと思う。 自分には何もわからないから判断しない、というのはどうだろうか。少なく とも世に提出されているいくつかの考え方を比較して、どれがいちばん真理 に近いのか、その時点で自分のもっているすべてを動員して何らかの判断 をするということは、どうしても必要になると思う。そもそも「悟り」とはいったい どういうことであるのか、それについてまったく何のイメージも持てなかったら、 どのように進歩していくのだろうか。目的地がわからずに歩き出すことは できない。あとで間違ったとわかってもいいから、いまそこで自分にできる 限りの霊的判断(それを「サニワ」と言うが)はしなくてはいけないものと思う。 私はそのような立場から、上座部仏教における宇宙次元のとらえ方には 限界があり、永遠の哲学でのモデルの方がより全体的であり、現代の霊的 地図にふさわしい、という判断をするのである。
151 :
初代スレ7 :2009/04/09(木) 00:31:43 ID:MLjPHrUG
152 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:39:39 ID:96sHq4EJ
>>151 >世俗の者が、仏教への入り口として、或いは倫理道徳の基盤として仏
>教的価値観に寄り添おうとする時、それらは有効なのでは?
「輪廻転生」による「脅迫」で「道徳倫理」を教えるのは筋違い。「脅
迫」そのものが、道徳倫理に反しているではないか。
人間は、「脅迫されなければ善を成し得ない」存在ではない。そのよう
な人間否定・軽視は、むしろ仏教思想を根底から破壊する。
153 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:39:51 ID:FoJstRox
>>148 じゃこれでどう。
迷って私があると思い苦しみ、悩み、行い、また苦しむ、その経巡りが輪廻。
苦の原因は、私など諸現象が実在すると見る迷いである。
その迷い輪廻から解放されたものが楽である。
楽を得るためには修行する必要がある。
ま、そゆことでおやすみないさい。
154 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:43:16 ID:FRnySAgl
>>146 あなたも含めてなんですけど、ここのスレの人たちってやたらと難しい言葉を使うんですね?
ある宗教の言葉をそのまま使用するけど、それは読んだ人にしか分からないし、他人に伝えるには
不便でしょうがないように思う。
そういう言葉は死んだら後の生に持ち越せるわけではないから、損のような気がするな。
どのような難しい言葉でも、自分用の言葉に訳せなければ本当の理解には結び付けないはず。
分ったような振りして会話していると、結局最後にはあやふやに終わってしまうのでは
ないでしょうか?
宇宙の真理は赤子からでも教われるとか、何かで読んだことがあるけど・・
155 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:48:57 ID:FRnySAgl
>>153 あなた、日常の生活は苦しいですか? この世は毎日修行の場だと思っていますか?
私は楽しいほうが多いですけど・・
156 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:51:19 ID:96sHq4EJ
>>153 業が「行為」であることを無視したら、キリスト教の忌むべき「罪概念」
と同じになってしまう。最も警戒すべき点である。
キリスト教の「具象を離れた精神性」が、史上、どれほどの流血を生み出
したか、現在も生み出しつつあるか、事実が明白に証明しているでは
ないか。
人間は具象に100%依存しない限り生存できない。従って、具象に接して、
初めて心の平安を安定を得る。「具象を離れた精神性」がもたらすのは、
「狂気」のみである。
「聖書のみ、信仰のみ」の宗教「改革」後、人間同士の争いが飛躍的に
増加したのは何故か。
157 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 00:51:36 ID:FoJstRox
>>155 もちろんです。あなたは仏教ではない何かを覚ってると思ってるでしょう。
それもいいですが、ここで話すなら最低、仏教に基づいて話してくれませんか?
いやならいいですが。
158 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 01:00:15 ID:FRnySAgl
>>157 仏教は真理を扱っていないんですか?
私は真理の話しをしているんですがね?
たぶん、あなたたちの仏教の話は言葉遊びになっているような気がしますが・・
159 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 01:05:44 ID:96sHq4EJ
>>157 >仏教に基づいて話してくれませんか?
君には、仏教ではなく、キリスト教の臭いがぷんぷんするな。
君こそ、仏教に基づいて語れ。まず、仏教とキリスト教との本質的
相違を、しっかりと理解することだ。
妄想病患者は相手にしないように。
161 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 08:09:02 ID:FoJstRox
>>158 私がした縁起・空の話は、もっとも真理に近い話だと思ってます。
そもそも、真理というのは完全に覚った人しか分かりません。
意識を集中するとその過程でいろいろ体験がでてきますが、
それを真理とするのは間違いであると釈尊が説かれ、仏教の諸聖者も口を揃えて仰られます。
どうもあなたは霊界云々と仰られていた方のように思いますが、
あなたの体験が真理だと保証するものはなんでしょうか?
あなたはあなたの体験に一致しないことは認めないのでしょうが、
その体験が真理であるとは、残念ながら思えません。
なぜなら、以下が縁起・空に反するものであり、
意識集中のある状態を真理と誤認したと容易に分かるからです。
>>133 >魂というのは永遠であり、輪廻を通して成長を続ける。
反論があればどうぞ、まずは何が真理かから。
162 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 08:51:26 ID:kZsyIAKQ
>>90 /ID:4bKcRLLnさんと
>>91 /ID:aWEHQtOrさんの議論はとても重要な部分です。
>>61 >すべての実在性を否定する方向である。
>その反面、ここに現象している世界が絶対の顕現である、という側面は弱くなる。
>イデア的なるものは究極的には幻想であるが、相対的には実在である。
>「永遠の自己」は、究極からみれば幻想ではあるが、相対的には実在する。
>そうでなければ、輪廻の主体というものが立てられない。
>「自己はない」と仏教が言ってしまうとき、そこには「自己の多元性」という思考があまり入っていない。
>表層的な自我意識が幻想であることを言おうとするあまり、
>永遠の自己がその深奥にあるということも否定している。
>これは思想としてはやや行きすぎ、偏りになる可能性がある。
>
>私もまた、仏教が「永遠の自己」さえも否定するのはいきすぎであり、
>思想としてバランスの悪いものになっていると見る。
>
>>63 >霊的世界観として現代人に訴えるためには、もう少し実在論的でなければならない。
>つまり、いまそこにある形態をもった現象があるのは、
>絶対精神の顕現だということもいわねばならない。
(長々、引用させてもらいますが)これは、
実に素晴らしい意見であったと、私はとても“高く高く”評価します。
私からの意見としては、いくら縁起と非実在を強調しようとも、
その現象界に生存している我々には医学が有用かつ必要であるように、
この現象界の存在意義や活用の仕方について学ぶ必要があるのです。
それが私の推奨する(私の場合にはですが・・)---神智学です。
163 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 08:53:51 ID:kZsyIAKQ
>>151 >(現に宝珠氏はそのように位置付けている。)
>もっとも、そのような世俗的言辞をすっ飛ばし、勝義のみで行くべきというなら、
>「輪廻」(という世俗的言辞)もまた不要だろ?w
ま〜そういうことかなぁw
実際、「勝義のみで生きる」ことは不可能なのですよ。何故なら、こうして解脱について論じ合って
いる我々(この肉体生命)は、実に縁起してる無常空の存在(非実在)そのものだからです。
解脱した存在(の意識)が“唯一なる実在”なのです。縁起する無常空なる世界から解脱するという
ことは、無常なる自己(低我)から実在の自己に目覚めということ。真言氏(ID:4bKcRLLnと同一か?)
はこれを実在論として切り捨てようとしますが、ニルヴァーナ意識境/仏陀存在までも無常空としてしま
うと、仏教の解脱論までが崩壊するのです。
森羅万象の現象界存在の一切が縁起してる無常空であり、そこから解脱するのが仏道の目的。現象
世界の性質/無常空を知ることが解脱ではないのであって、その制約そのものからから完全に解放され
ることをいう。
ニルヴァーナ意識(実在の自己)は本来、元々から輪廻などしていない・・(実はね!)。これがホント
の勝義---だから使えないのです。ゴータマはバラモン伝統の間違いの数々を指摘したが、アートマン
否定などは教えていない。
164 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 08:54:34 ID:kZsyIAKQ
>>65 >大日如来も空です。
大日如来は真理(法)そのものの体現/象徴ですから“永久不滅”なのです。
ダールマ(法)とホトケまで空にしてはいけない!
これではホントに中身の無い空っぽになってしまう・・。
真理と仏は永久不滅---これを否定したら意味がない。
>>152 >「輪廻転生」による「脅迫」で「道徳倫理」を教えるのは筋違い。「脅
>迫」そのものが、道徳倫理に反しているではないか。
輪廻転生は脅迫などではなく、ゴータマが直知体感した現象界に生存する人間の性質を示したもの。
>人間は、「脅迫されなければ善を成し得ない」存在ではない。そのよう
>な人間否定・軽視は、むしろ仏教思想を根底から破壊する。
事実誤認も甚だしい・・人類の歴史とは戦争と殺戮のこと。
同種族間の殺し合いに明け暮れる生物は人類だけです---これが歴史の事実!
あなたのこのようなある種の身勝手な楽観主義は、
ただ輪廻転生を否定したいが為のその場だけのこじつけ。
165 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 09:03:34 ID:FoJstRox
>>164 いえ、空です。法も大日如来も空。
法性と呼ばれる法則と、ネハンが永遠不滅。
法則は縁起することであって、何かが実在することではありません。
ネハンも常住のブラフマンに帰入するという意味ではありません。
例えば、無常であること、生まれれば死ぬことといった、
縁起の法則が永遠であって他は空です。
166 :
亭白 :2009/04/09(木) 09:15:43 ID:1i4j+SdP
>>134 :神も仏も名無しさん
>>133 カルマとは、「行為」のことだよ。「魂(精神性)」などではない。
☆カルマは良き行為によって起きるときは、心の向上につながります。
悪しき行為によって起きることは心の退化につながります。
特に悪しきカルマについて人生の課題として精算することになります。
この世で精算なるか、あの世で精算なるか、未来世で精算するかになることになります。
因縁果報の連続体として三世(過去・現在・未来)を貫いています。
行為の前に心(魂)の精神性の発露として行為に移ることになります。
ゆえに愛念の思いの心(精神性)の顕れとしての善なる行為となって現れてまいります。
良き心は良き行為となる良きカルマは神仏が喜ばれるカルマです。
問題は神仏が喜ばない、害したいという恨みなどの思いの心(精神性)のあらわれとして悪なる行為となって現れてまいります。
それは、この世とあの世を貫く永遠普遍の真理価値の則に従い自覚するしないに関わらず悪しきカルマとして現れてまいります。
悪しき心(精神性)が連動して悪しき行為につながります。そのことが悪しきカルマになるのです。
そのことが心(精神性)は永遠の生命の心(精神性)の修行を通して人生の課題として精算することとなります。
行為と心(精神性)は連動していて不即不離の関係です。
よってカルマは行為と心(精神性)は連動していることが御解りになられたと思います。
167 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 09:18:34 ID:kZsyIAKQ
>>165 私に誤解あり??
「縁起の法則」と「ニルヴァーナ」は永遠にして永久不滅と。
はぃ、それならば同意しますよ!
ただ縁起は法則は何かが実在することではないという意味は理解しますが、
「ネハンが永遠不滅」だという認識ですよね・・ならば、涅槃に在住する存在は永久不滅でしょう?
ニルヴァーナが不滅の境地なのに、そこに在住するホトケは不滅ではないと??
しかし、どうもまだ腑に落ちません・・(私の理解不足?)。
石飛 道子著『ブッダと龍樹の論理学--縁起と中道』
とにかく・・「読め〜!!」いわれてるからw
この本から読んだほうがいいのかなぁと思っています。
そろそろ着本予定です。
検証不能の妄想ばかりだなw アフォかw
169 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 09:38:27 ID:ZC+sQ/Bt
>>152 >人間は、「脅迫されなければ善を成し得ない」存在ではない。そのよう
>な人間否定・軽視は、むしろ仏教思想を根底から破壊する。
仏陀にとっては「都合に合わせて自分で考えたもの」ではなく事実ですから。
例え「本人が悟った事実」が善悪関わりなく天上やらに生まれられる、というものであっても
仏陀はそのまま語り、それに合わせた戒めを説いたりしてたでしょう。
>>164 >しかし、どうもまだ腑に落ちません・・(私の理解不足?)。
【到達点】としては永遠にあるものだけど、そこに入ってくる人はとくに
永遠というわけではない、とすれば矛盾はしないでしょう。
170 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 09:48:56 ID:FoJstRox
>>167 現象=空、真実=実在というのは誤解です。
何か現象以外に永遠不滅の実体・基体を想定するのは、
劣った聖者の常見であると『梵網経』にはっきり説かれています。
パユットーの『仏法』にも明解に説かれているのでそこを読んでみてください。
ダライラマ『智慧の眼をひらく』141頁以下もどうぞ。
171 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 09:50:42 ID:kZsyIAKQ
>>169 ニルヴァーナは無常なる現象世界からの解脱した果てにある境地なのですから、
つまり、その対極にある状態の永遠なる世界です。
ニルヴァーナに到達しておきながら再び転落しかねないような、
そんな不確かにものを仏教が目指しているわけではない。
では、永遠なる境地であるところのニルヴァーナに在住する存在とは何か?
要するに、仏陀(ホトケ)存在とは永久不滅の存在に他ならないのです。
仏教界は「常住」否定についての理解に失敗し、
誤解を起こしてトラウマに陥ってる・・。
172 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 09:54:19 ID:kZsyIAKQ
>>170 はい、確認します!
それと『梵網経』の邦訳はネット上どこにあります?
書籍ではありますか?
>ニルヴァーナに到達しておきながら再び転落しかねないような、 「そこに入ってくる人はとくに永遠というわけではない、」 というのは心変わりする、とか堕落するとかいう意味ではないです。
174 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 10:07:05 ID:AMPBQTD2
>>166 「良い」「悪い」「心の向上」「心の退化」「神仏が喜ばれる」など、抽象語、
観念語ばかりで、具体的な意味が全く不明。
共同体においては、他人が心の中で何を考えているかなど、誰にも判らず、
関係ないこと。自分でいくら良い心だと思っていても、他者から見れば悪い
心かも知れない。いくら神仏に喜ばれると思っても、人間には喜ばれないかも
知れない。共同体において「良い」「悪い」が判断できるのは、あくまで行為
として表現された場合のみ。自分の心(精神性)など、一切関係ない。
例え大悪人であっても、土壇場で人を助ける行為をすれば、その行為は善で
ある。たとえ偽善であっても、偽善であることを自覚して行う行為は、善で
ある。
「善とは、相手の生存を助ける『行為』。悪とは、相手の生存を害する『行為』」
である。」
カルマが、「心(精神性)」などではなく、「行為」であることの意味の巨大
さを理解すべきである。
カルマを背負って生きるなどと言っても、誰にも理解できないが、行為を背負って
生きると言えば、その意味は誰にも判る。行為の善悪は、前記の定義に照らせば、
万人に明白だからである。
175 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 10:13:40 ID:AMPBQTD2
>>166 自分が信じる神仏を喜ばす積りで、100%の善意で人を殺せば、その
行為は悪である。神仏に背く積りで、人を助ければ、その行為は善である。
176 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 10:15:46 ID:7p8tn03v
>>174 他人の目の中で生きている人間にとってはそうだろう
自分と言う存在が、他人の目の中でしか存在しえないのなら。
あなたはあなたを知っているし、あなたしか知らない。
行為の主体が、善と思うのでなければ、その主体にとって何の意味もない。何の意味も。
あなたは、他人の中でしか生きていない。人の目を気にしている。
行為には意味はない、結果にも意味はない、あるとするなら、その行為の主体に根ざした純粋性・・・・それは善意と言ってもいいかもしれない
177 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 10:23:17 ID:FoJstRox
178 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 10:30:12 ID:AMPBQTD2
>>176 >他人の目の中で生きている人間にとってはそうだろう
まず、人間は、他の生物と同様、「独りでは絶対に生きられない」ことを
自覚するのが先決である。だから、常に共同体を形成する。自分の生存が、
先人を含む無数の他者や、他の事物によって支えられていることを自覚す
ることが、縁起の自覚であり、大人であることの証である。
共同体における「共生」とは、「他人の目の中で生きる」ことである。
そのことを忘れ、「自分の心」などに執着することを、「エゴ」と呼ぶ。
179 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 10:43:39 ID:7p8tn03v
>>178 もちろん独りでは生きられない。
まさしくそのとおり。
人だけではない。
草木、空気、太陽、風、動物、その他なにもかもが我々とつながっている。
君がお茶えお飲むとしよう。
そのお茶は君に飲まれるために生まれてきたって思うか?思わないだろう。
お茶はお茶自身でそれでいい。
君も君自身でそのままでいい。
だからこそ、自分として生きなくてはならない。
自分に素直に生きなくてはならない。自分の人生を。
自分のエゴに執着すればそれはエゴだ
それは果てしない苦しみを生むだろう。それが本当の自分の心から来ていない欲望であれば。
他人に執着する君の背後にあるのは、他人からよく思われたい、この共同体で上手くやっていきたい、好かれたい、尊敬されたい・・・・
というエゴだ。
なぜそんなエゴがあるか?
ここからつまはじきになっては生きていけない、苦しむ、やっていけない、こうすれば生きていける・・・・という防衛反応だ。猿でも、虫でもやってる事だ。動物的な防衛反応。
他人の眼の中で生きてどうする。
釈迦が他人の眼の中で生きたか?
イエスが他人の眼の中で生きたか?
自分の眼の中で生きろ。自分自身を生きろ、何も恐れず、行為に執着することなく、結果に執着することなく。
自分が本当に納得できる生き方をして、死ね。いつか必ず死ぬんだ。例外なく。
君が共同体から離れられないのは怖いから。恐怖というエゴから離れられない。
一人になることを恐れるな。犀の角のように一人行けっていうだろw
信仰が共有された社会では、神や宗教のために生きることが義とされますね。 >共同体における「共生」とは、「他人の目の中で生きる」ことである。 >そのことを忘れ、「自分の心」などに執着することを、「エゴ」と呼ぶ。 「もしかしたら、『イスラームをやめる自由』はないのでは?という質問がされるかもしれません。 確かに、イスラームの決まりでは、ムスリムがイスラームをやめることはできません。しかし、心の自由はあります。 イスラームでは、ムスリム同士でも他人の内面の信仰をとやかく言うことを禁じています。 ですから、イスラームを信じなくなった人がいても、それが心の信条である限りは問題はありません。 ただ、そのことを広言することは、他の人にイスラームを捨てるよう求めることと同じですから、 それは禁止しています。それを、内部での争いを呼ぶ行為と考えているのです」 (『イスラームという生き方-その50の魅力-』P.17「心の自由」より。出版元…イスラーム文化センター。2007/4/20発行) ウィキペディア日本語版の「イスラム教における棄教」にあった文章ですが、 この点では、隠居さんの考えはムスリムと通ずるのです。 「先人を含む無数の他者」を無視し、他の宗教に行ったり無神論になることを表明することは 社会から見て大きな逸脱であり、周囲に構わず押し通す「エゴ」なのです。
181 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 11:00:29 ID:AMPBQTD2
>>179 >他人に執着する君の背後にあるのは、他人からよく思われたい、この共同体
>で上手くやっていきたい、好かれたい、尊敬されたい・・・・というエゴだ。
共同体で上手くやってゆく、好かれる、尊敬される、名誉を得る、ということは、
とりもなおさず社会に貢献していること。人間にそのような気持ちがあるからこそ、
社会が維持され、全体として向上する。
社会に貢献しない自己満足を、(悪しき)エゴというのである。
釈迦やイエスに、その自覚が欠けていれば、その欠点まで真似る必要はない。
それこそ「特定の他人の目の中だけで生きる」ことになってしまう。社会とは、
不特定多数の成員によって構成される共同体のことであり、特定の個人ではない。
182 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 11:10:23 ID:7p8tn03v
>>181 社会とは何か。
社会とは何か。人の集まりを社会と呼ぶのか。
人とは誰か。
ある集団を社会と呼ぶのか。
極端な例を出して考えてみよう。
ある集団がたとえば戦争やったり、植民地広げるために貧しい国にで略奪しようとしてる。
君は社会貢献だ、と言って我さきに人を殺し、略奪する、君はその集団のヒーローだ。君は「社会」に貢献した。
一方で、自分の良心に従って「略奪は嫌だ、人殺しは嫌だな」と言う人がいたとしよう。
彼は社会から嫌悪され、馬鹿にされ、社会貢献しないと非難される。
君は、「不特定多数の成員」とか、「共同体」とか貢献とか言ってるけど、なんのことはない、怖いだけ。自分の臆病さへの自己欺瞞だ。
わかっててわかってないふりをしてる。
別にいいんだ。それでも。「おれは怖いから、この方が楽だからこうする。社会が間違っていようが自分が本当はそんなことしたくないけど、いいんだ。」と言うなら、はいそうですか、お好きなように、と言おう。
君はその自己欺瞞に気づいてるかな?気づいてて、それでもこの方が楽なんだ、このエゴを満足させた方が、人生が楽だし、俺は幸せなんだ、と言うならそれはそれでいいだろう。おれがとやかく言うことじゃない。
183 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 11:25:16 ID:AMPBQTD2
>>182 >ある集団がたとえば戦争やったり、植民地広げるために貧しい国にで略奪し
>ようとしてる。君は社会貢献だ、と言って我さきに人を殺し、略奪する、君
>はその集団のヒーローだ。君は「社会」に貢献した。
社会とは、夫婦、家族、市町村、都道府県、国家、世界と、重層的に形成され
ている。人を殺し、略奪することは、そのどの社会においても、社会貢献とは
言わない。
しかし、社会への貢献は、まずその最も近しい社会への貢献から始まる。いくら
世界への貢献と言ってみても、夫婦、家族、国家などという近しい社会に貢献
できていなければ、社会への貢献ではない。
なお、日本は、イスラム社会でも、キリスト教社会でもない。
184 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 11:36:43 ID:7p8tn03v
>>183 >社会に貢献しない自己満足を、(悪しき)エゴというのである。
この言葉をいろんなとこで同時に発してみよう。
タリバンの基地で、アメリカ人に爆弾で突っ込もうとしている青年。
彼は、やはり、やりたくない、と言う。
アメリカ人だって、人間、俺たちと同じ人間だ、悪い奴らだって言うのはわかる、でもなぜか、なぜか嫌なんだ、やりたくない・・・おれはやりたくない
タリバンのボスはこういう。お前がやりたくないのはお前のエゴだ。
「タリバンに貢献しない自己満足を、(悪しき)エゴというのである。 」
タリバンとは社会だ。
アメリカがイラクで爆撃する。
ああ、なぜ人殺しをしなくてはならないのだろう、これが正義だからだ・・・いやしかし、彼らにも正義があるだろう、わからない
それを上司に言う。
すると上司がこういう。お前のその欲望は自己満足だ。
「軍に貢献しない自己満足を、(悪しき)エゴというのである。」
軍とは社会だ。
彼らは近しい「社会」なるものへの「貢献」をしたに過ぎない。
ある人は仕事を自分と思うだろう。職場こそ我の社会。
それが相対的に優越感を刺激するようなものならなおさらだ。
「私は、財務相に勤務している。これこそ私だ。社会だ。」というだろう。
そして、財務省の利益にのらない行為を行う職員に、こういう
「省に貢献しない自己満足を、(悪しき)エゴというのである。 」
省とは社会だ。
しかし彼が満たそうとしているのは、自分自身であるとみなした「社会」、つまりここでは「財務省」のエゴだ。
ある社会の利益はある社会にとっては不利益になることがある。
この事に気づけるだろうか。気づいた上で話をしているのだろうか?
185 :
宝珠愚者 :2009/04/09(木) 11:45:32 ID:kZsyIAKQ
>>177 ありがとうございます--ご親切に感謝!!
これも必ず目を通したいと思います^^(悔しいのでウ〜〜www)
186 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 11:50:08 ID:AMPBQTD2
>>184 >>183 で述べたこと、特に「社会の重層構造性」を参照されたし。
なお、タリバンもアメリカも、宗教という「特定個人の目の中だけで」生きて
いる人々である。
187 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 11:54:12 ID:7p8tn03v
>>186 特定個人の目じゃない目があるのか?
おしえてくれ、それはなんだ??
188 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 12:00:07 ID:7p8tn03v
>>186 あなたが属している社会も、特定個人の目だ。
完全な共同体なんてものが存在するか?
あったら教えてくれ。
それがあるとするなら、自分だ。自分の反対側にいる自分だ。そこではみんながつながってる。
人も草も木も花も空も太陽も肥溜めも爪もキーボードも全部。
だから言うんだよ、自分だろ、と。自分に素直になるしかないんだ、と。
先の例で、タリバンでテロを犯す人の社会貢献と、恵まれない人へ募金する、本当の愛情からボランティアをする人の違いはなんだ?
それが本心かどうか、それだけだ。
だから自分に素直になるしかない、と言うわけだ。
189 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 13:39:16 ID:uLWeEJG4
>>161 >私がした縁起・空の話は、もっとも真理に近い話だと思ってます。
縁起、空については人によって解釈が違っているように思いますね。
>そもそも、真理というのは完全に覚った人しか分かりません。
と、いうなら、真理を語ることは誰にも出来ないということになりますね?
私は真理について話をしようとしているつもりだけどね。
まあ、誰でも同じだけど。
私は霊界の話しはしないと言ったし、してもいないでしょう?
それに、私が体験から霊界を知っているように受け止められているようですが、
私は多数の本からなので・・
でもどうでもいいことだけどね・・
最後のところは意味不明。
190 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 13:53:59 ID:FoJstRox
>>189 あれ、自分で体験したことを真理と言っているのかと思った。
では、どんな本を根拠にしているのでしょうか?
191 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 13:56:10 ID:uLWeEJG4
>>190 何で分らないの? その話しはしないと言った。
192 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 13:57:45 ID:FoJstRox
>>190 そうですか。じゃ、あなたとはもうこれまでということで。
真理はそれが『理』である以上言語論理で表現できる世俗諦のものであり、 仮設であって妄想にしかすぎない。
>>193 日本語つかうのやめたら妄想じゃなくなるんじゃね?www
>>194 まともに相手にするに値せず、よって却下
196 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 15:30:13 ID:vAEudPdZ
>>188 >あなたが属している社会も、特定個人の目だ。
>完全な共同体なんてものが存在するか?
>あったら教えてくれ。
宗教の場合は、1個人である開祖とその教義の目から、一歩も踏み出すことは
できない。社会の場合は、その多数の成員の目である。
>先の例で、タリバンでテロを犯す人の社会貢献と、恵まれない人へ募金する
>本当の愛情からボランティアをする人の違いはなんだ?
「社会への貢献(善)とは、他者の生存を助ける行為、悪とは、他者の生存を
害する行為」という、前レスでの定義に従えは、容易に判断することが出来る。
「社会の重層的構成」から、自己の属する最も近しい社会への貢献が優先され
ざるを得ない。祖国の生存を守るために、他国の侵略・攻撃に対して戦うこと
は、社会への貢献である。その逆は、社会への貢献とは言いがたい。直近の
社会への貢献から始めることが、順序である。
自分の家族を犠牲にして「社会運動」に走ることは、社会への貢献とはいえない。
言語で意思疎通がとれているのは無数の「前提」が共有されているからにすぎない。 真実のみで構成されている現象そのものには共有差した前提など存在しない。 ありのままの現実は言語レベルでの理を超えている。言語などというスカスカのツールでは 何もひとつ正確に記述することはできない。 真理であると言語的に認識すれば則ち真理から離れる。 結局のところ、この世界は言語では構成されていない。言語は一部を切り取るのみ。 故に不立文字。
198 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 16:05:34 ID:vAEudPdZ
>>197 >結局のところ、この世界は言語では構成されていない。言語は一部を切り
>取るのみ。故に不立文字。
同意。言語や観念は、この世の森羅万象を表現するには、極めて不十分な代物。
宗教者は、言語と観念ですべてが表現できると勘違いしているフシがある。
言語は、人間を含む具象物の発生後に、人間が共同体を形成した後、その成員間
の意思の疎通のために人間が作り上げた最大の発明物。よって、「初めに言葉が
あった」という聖書の言葉は、全くの誤り。
>>198 このスレでキリスト教の話題をワザワザ振るのはいい加減にやめてもらいたいんだが、
「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった。」
言葉というのはギリシャ語のロゴスの訳で、いわゆる言語のこととは違う。
こういう話をしたいならキリスト教の初心者スレみたいなとこにでも行ってくれ。
201 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 19:51:36 ID:1FyjlExI
>>199 日本が60年前に飴に負けてから仏教はどんどん小さくなってるぞ
何やってんだよ、カスどもが
この基地外板でも上位の大半はキリスト教系w
嘆かわしいな
これと言うのも金儲け主義に走りすぎたからだろ
202 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 20:08:48 ID:FoJstRox
>>201 仏教が小さくなったのは江戸時代からで、明治時代に大打撃を受けた。
戦後の反宗教教育も大きかったけどね。
203 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/09(木) 20:48:50 ID:KF8/HmnN
仏教も変な宗教だね。 生まれ変わと教えながら、 供養だとか戒名だとか成仏させるとか命日だとか色々とお金が掛かりますね。 生まれ変わるのなら必要無いよね! 何か信じられません。 そもそも解脱って生まれ変わらなく成る事でしょ! 何で悟れば解脱に成るの? 悟る事と解脱の因果関係が解りません。 仏に成っても全知、全能、普遍に成る訳でも無いし、 意味が解りません。
204 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 20:54:50 ID:eheYSVOt
>供養だとか戒名だとか金掛かる 元々は意味があったのだが、今は単なる商売になってしまった 要はお前の言うとおりだ >悟る事と解脱の因果関係が解りません。 「悟り」という現象が特に日本では誤解されている 要はお前の言うとおりだ
空海の書いたものから論理的に考えるならば答えは一つしかないはず。 即身成仏とは「大日如来と一体になること」以外ではない。そして大日如来 とは宇宙そのものであり、つまり「自分が宇宙になる」ことが即身成仏で あるはずである。それ以外の答えがあろうとは思われないし、単純明快だと 思うのだが……というのも、プロティノスの言う「一との合一」ということと、 それは本質的に同じことを述べている思想であり、きわめてはっきりして いると思うのだ。宇宙になること、それは言いかえれば、神になることである。 これは文字通り、宇宙、神ということだ。その点は一銭もまからない。つまり、 この宇宙全体――むろん、地球以外の世界領域も含めて――が、すべて 自分にほかならないこと、その意味で、宇宙にはただ一人自分しかないと いうこと、宇宙のすべてのことは、自分の中にあるものとして、完全にわかる という「全知」を持つこと――それが密教でいう「法界体性智」の世界だ。 (だから、この全知に達すれば当然ながら普通に言う「超能力」はすべて 含まれてしまう。宇宙のすべてがわかるのだから何でも不可能なことでは ない。そのレベルに達するのが成仏ということだ。こういう「神通」の理解は、 仏教でも、ヨーガ・スートラでも同じはずである)
はっきりしていることは、空海は「誰でも密教の修行をすればすぐに即身成仏 できる」と説いたが、空海以後、それを達成した人は一人もいないということだ。 つまり、「誰でもすぐになれる」というのは空海一流のプロパガンダなのである。 実際には、よほど過去生で修行を積んでいるか、あるいはもともと解脱して いる世界からわざわざ物質界にやって来たという菩薩でない限り、ちょっと 修行をしたから大日如来と一体になれるはずがないのだ。空海が本当に 悟りを得たのなら、そういうことくらいはわかっているはずで、「誰でもできる」 と書いたのは、何とかして密教の修行をやってもらうためにそういう宣伝文を 書いたのだ、と理解する方がいいように思う。いいかえれば、それだけこの 修行はすごいのだと空海は思っていたわけで、何とかしてそれを広めたいと、 戦略を考えたのだ。空海の書いたものは全部プロパガンダであり、言うならば 「受け」をねらっていたと、私は見ている。布教的戦略による文書である。 即身成仏が本当にできるのか、できないのか、という問題なのではなく、 「ごくまれには、できる人もいる」というのが本当のところではないだろうか。 できるのかできないのかという問題設定がおかしい。人間は過去生のカルマ によってここにあるのだから、それを考えに入れずに「人間一般」を設定しても しかたがないのだ。大部分の人はぜったいにできない。一歩ずつ階段を 上がるしかない。しかし、優れた師匠についてよい修行法をすればぐんと 早くなる。だからこそ空海は何としても密教修行をやらせたかったのであると 思う。即身成仏はできない。しかしその善業は未来生へとつづくのである。
また思ったことは、仏教の学者はだいたい、仏教はヒンドゥー教とくらべて 優れているということを言いすぎることだ。しかしインドでできた宗教思想を 全体としてながめてみれば、仏教とヒンドゥー教は一長一短なのだ。それ ぞれに優れているところとうまくできてないところがある。そもそも空海の 思想は仏教といえば仏教だが、限りなくインド的な思想に近いことも事実 である。仏教重視の姿勢が強いために、日本ではヒンドゥー的な霊的伝統 への優れた解説書が少ないということもある。 たしかに即身成仏、大日如来そのものになるということはとんでもない思想 である。しかしそういう思想は、プラトン主義もウパニシャッドもみんな言って いるのである。「神化」のイデーはあくまで絶対であり、宇宙の全知と同一化 しない限りそれは究極に達したとは言われない。これは常識からいえば ありえないことであるが、それは「信仰」として受け入れるしかないのである。 なぜそのイデーが真実であるのかわかるのか、といえば、それは「魂に おける知」として直覚的にわかるしかない、という意味である。そういう 「信の力」が求められるのである。
208 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 21:17:27 ID:eheYSVOt
フン、空海ねぇw もし空海が本当に「悟った」のなら、何故その教えの伝播は限定的なのだろう? 仏陀やモーゼやイエスやマホメットの教えは広範囲に広まったのに・・・ ちょっと考えれば分かることだろw
209 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 21:32:19 ID:FoJstRox
>>208 >仏陀やモーゼやイエスやマホメットの教えは広範囲に広まったのに・・・
つまり、悟りと流行はなんの関係もないってこと。
ラスタファリズムとか日蓮系仏教が世界に伝搬してるんだよ。
210 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 21:46:36 ID:eheYSVOt
>>209 大宗教が広範囲に広まり勢力を持ったのが流行?w
違うだろ、大宗教とチンケな新興宗教とを混同してはいけない
伝播の規模、人々や文化に与える影響力が雲泥の差
もっとはっきり言えば教祖の質が雲泥の差
ただの金の亡者 or 基地外と本物は区別しなくてはならない
211 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:16:24 ID:irz/S5EH
なんか、死後の世界の話をしたいような雰囲気になって来ているなあ・・ でも我慢がまん!
>>205 プロティノスの体験のようなものは大洋感情といわれるが、
これはむしろイスラムの「神秘体験」とか黄金の蝶とかいう言葉の方に近い。
即身成仏はそれとは質が違う。
呪術的な力で精神の一カ所だけを一点突破的に神仏の世界に接続させる。
大洋感情 → 多幸感の中で自我の枠が外れる体験。場合によっては高次の自己(他者と認識される事もある)が見える。 即身成仏 → 極限状態の中で呪術に関係する精神の一点だけに全生命エネルギーを注入することで祈祷の世界に精神が踏み込む。
214 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:32:29 ID:FoJstRox
>>205 宇宙と合一、梵我一如、ネオ・プラトニズムと弘法大師が同じということは
ありえません。なぜなら、その考え方をご自身がきっちり否定されているからです。
『祕藏寶鑰』でこのように。
T2426_.77.0365a25: 由他主空三昧空惠發生。由此三學得
T2426_.77.0365a26: 上天妙樂。雖然道非究竟故不能出生死
T2426_.77.0365a27: 得涅槃。上射非想還墜地獄。
この「他主空三昧」は、チベット訳で gzhan gyi dbang gis stong pa nyid kyi ting nge 'dzin
つまり「依他が空である三昧」と読め、現象が空でアートマンが実在であるという意味と思われる。
そのような三昧の結果、天界の楽が得られるがネハンは得られず、やがて地獄に落ちると。
さらに続けて、
T2426_.77.0365b02: 定帶二見故。問。同觀非有非無。何墮二
T2426_.77.0365b03: 邊二見乎。繋屬他主不知因縁中道故。因
T2426_.77.0365b04: 縁中道其意云何。觀因縁有故不墮斷邊。
T2426_.77.0365b05: 觀自性空故不墜常見。觀有空即法界
T2426_.77.0365b06: 即得中道正觀。由此中道正觀故早得涅
T2426_.77.0365b07: 槃。外道邪見人不知此義。是故不得眞圓
T2426_.77.0365b08: 寂。若聞此理即得羅漢。
アートマン、実体によって縁起を知らないから、そうなると説かれています。
「觀自性空故不墜常見」とは、自性が空、アートマン、本質、実体が空と
観じるから、常見に落ちないとハッキリと説かれています。
215 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:33:54 ID:FoJstRox
さらに『十住心論』では、以下のように『大日経』と『大日経疏』を引用して T2425_.77.0323b07: 又云。祕密主。 T2425_.77.0323b08: 世間因果及業若生若滅繋屬他主空三昧 T2425_.77.0323b09: 生。是名世間三昧道者。釋云。謂一切世間 T2425_.77.0323b10: 三昧。以要言之。至於究竟之處皆滅壞因 T2425_.77.0323b11: 果及從因辨果時所有作業。謂此三事若生 T2425_.77.0323b12: 若滅皆繋屬於他。他謂神我也。所以然者。 T2425_.77.0323b13: 若行人不解正因縁義而修證諸禪。必當 T2425_.77.0323b14: 計著自心以爲内我。彼見世間萬法因心 T2425_.77.0323b15: 而有則謂由神我生。設令不依内我必 T2425_.77.0323b16: 依外我。即是自在梵天等也。若深求此中至 T2425_.77.0323b17: 頤。自然撥除因果唯我性獨存。乃至無一 T2425_.77.0323b18: 法入心而證空定。最是世間究極之理。是故 T2425_.77.0323b19: 垂盡三有還墮三途。雖於禪定中發種 T2425_.77.0323b20: 種世間勝智具五神通。研其宗趣終歸是 T2425_.77.0323b21: 處。故以斯一印。統收一切世間三昧道 上の『祕藏寶鑰』の主張の根拠を示し、その後で『梵網経』のように どのような三昧の結果、どのような天界に転生するかを示しています。 ということで、弘法大師宇宙合一説はありえません。 大日如来にしろ、他の本尊にしろ空です。それを実体視しては世間の三昧になり、 悟りはもたらしません。これはインド・チベットの密教の殆どが一致して説くことです。 例外はありますが、異端とされます。 >205
216 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:40:35 ID:FoJstRox
>>206 即身成仏は、ジャンマニ イハという由緒正しいサンスクリットが
金剛頂経にあり、インド・チベットでも今生で成仏ということは沢山いわれ、
多くの結果がでています。有名なところではミラレパ。
>>207 仏教がヒンドゥーと比べて優れているのは、沢山ありますが、
なにをおいても縁起です。これは釈尊のみの本当に素晴らしい教えであり、
縁起がないと上の『十住心論』などのように悟れない。
なぜなら、実体視してしまうから。『梵網経』に明らかなように。
これは、釈尊以来の仏教の最も重要な部分です。
217 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:43:05 ID:FoJstRox
>>212 >呪術的な力で精神の一カ所だけを一点突破的に神仏の世界に接続させる。
なんですかこれは?
空って何ですか?
219 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:43:59 ID:irz/S5EH
釈迦が瞑想をして悟りを開き、宇宙を理解したというけど、そんなこと可能なのか? 凡人が瞑想を、どれだけやったってできるとは思えない。 何で釈迦には、無念無想だけで悟ることができるのだ? それに「悟り」って何だ?
ミラレパはほんとにあれでよかったのか。 プロティノスはほんとにあれでよかったのか。 非常に疑問。 弘法大師はあれでよかったという気がするが。
222 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 22:58:47 ID:irz/S5EH
即身成仏しなくたって、誰でもふつう成仏するけどね。仏になる。
223 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 23:31:40 ID:FoJstRox
>>218 認識できるものは縁起しているもので実体はないということです。
よく似た例は、現代物理学でものには原子やクォークといった実体がないということです。
>>219 瞑想してとか宇宙を理解したとは言いません。
無念無想も誤った段階と説かれます。
禅定などで意識の散乱を鎮めて集中させて、
縁起を観じることで悟ると言われます。
悟りは悟ってみないと分かりません。
一応、空や無我、縁起が実感できることとされます。
>>220 ミラレパはよかったもなにも一生で悟ったから、いいと言う以外ないでしょう。
>>221 それは、即身成仏もどきでしょう(^^)
224 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 23:50:06 ID:xWbDeMUK
>>199 仏教を、キリスト教やキリスト教崩れで汚染することは止めてくれ。輪廻転生
肯定論者の殆どが、クリスチャンかクリスチャン崩れ。仏教の空を認めると、
彼らの神やイエスが一発で吹っ飛ぶ恐怖感からである。
キリスト教とは異なり、2500年間殆ど人を殺していない仏教は、あくまで
キリスト教との本質的相違において考えるべきもの。
ロゴスが、ギリシャ哲学の猿真似であることは判っているが、それなら何故
「言葉」などと訳したのか?言葉は、人類が発生して、共同体を形成した後、
その成員の生存のための意思の疎通の手段として人間が発明した最大の発明
物。従って、生存圏ごとに言葉は異なる、はじめに言葉があったのなら、神
はその言葉を、一体、どこの生活圏の人間から教わり、誰に対して使ったの
かね。クリスチャンは、驚くことに、このロゴスを「ナザレ村のイエス」と
解釈しているw。
225 :
神も仏も名無しさん :2009/04/09(木) 23:52:03 ID:irz/S5EH
>>223 >縁起を観じることで悟ると言われます。
>空や無我、縁起が実感できることとされます。
空を実感できるとは思えないが、他は誰でも観たり実感しているから、ある程度の
理解は得られるかもね。
でも凡人には現世の執着が邪魔をするから、明確な宇宙を描くのには限界があるんだろうと思うが、
唯一、有能な哲学者、科学者なら僅かながら垣間見ることができるかもしれないとは
考えられる。
それから、「悟り」とは一般的に用いるのとは別のある状態をいうのだと思う。
>現代物理学でものには原子やクォークといった実体がないということです 意味がわかりません。
>>224 >輪廻転生肯定論者の殆どが、
歴史上で釈迦自身が説いたことは確定的なので仕方がありません。
>仏教の空を認めると、
輪廻と空は(仏教の教え上で)矛盾しあうものではありません。
また、ある宗教が何を言おうが、別の宗教にとってはどうでもよいことです。
例えばヒンドゥー教徒が仏陀は悪人をヴェーダから引き離すためにヴィシュヌ神が化身したもの、
と主張しようがそれによって、仏教や仏陀が吹っ飛ぶと仏教徒は考えません。
この人の相手はこれくらいでいいでしょう。
以後スルーでいいのではないでしょうか。
229 :
神も仏も名無しさん :2009/04/10(金) 10:47:56 ID:VbzQeSlY
>>228 コテつけてくれれば簡単にスル〜できるんですが。
ID が変わると同定するまで別人だと思ってしまうのです。
230 :
神も仏も名無しさん :2009/04/10(金) 11:04:57 ID:11YR9e8f
>>228 >歴史上で釈迦自身が説いたことは確定的なので仕方がありません。
そうやって、「開祖・教祖が言った」というだけで、ミソもくそも盲信
するのを、カルトと呼ぶのだよ。
仏教は、唯一の実証的宗教。仏教を、カルト化する動きから防がなけれ
ばならない。
常に、現代人としての知性と知識で批判することを忘れてはならない。
>>228 >歴史上で釈迦自身が説いたことは確定的なので仕方がありません。
『確定的』であることを証明してもらおうか。
単に原始仏典に書いてあるではアカンでw
ほんと、まだこんなことを言っている奴がいるんだから、ウンザリする。
>>228 >輪廻と空は(仏教の教え上で)矛盾しあうものではありません。
輪廻は世俗的分別思考そのものであり、
それ自体が迷いの産物=妄想以外の何ものでもない。
ほんと、まだ228みたいな低レベルなことを言っているカルト奴がいるんだから、ウンザリする。
233 :
神も仏も名無しさん :2009/04/10(金) 11:19:10 ID:11YR9e8f
>>228 >ある宗教が何を言おうが、別の宗教にとってはどうでもよいことです
どうでもよいことなら、キリスト教批判に何故そんなに反発するのかね?
仏陀は、もともと空を唱えているのだから、吹っ飛ぶわけがないが、
キリスト教の唯一絶対神やイエスは、完全に吹っ飛ぶ。
234 :
232 :2009/04/10(金) 11:19:49 ID:wJRwHryS
訂正 × 輪廻 〇 輪廻転生論
235 :
亭白 :2009/04/10(金) 11:21:57 ID:0Gx+GD+M
>>205 :神も仏も名無しさん
ある意味悟りの確信がないとできない内容を論じてますね。
236 :
神も仏も名無しさん :2009/04/10(金) 11:29:04 ID:11YR9e8f
>>235 宇宙を「実在」として執着している点で、ちっとも悟っていはいない。
なんで空海的一元論が仏教なんだ? 大日如来=昔風にいえばデウス=ブラフマンそのものではないかw
生まれ変わりとか、 神とか、 悪魔とか、 前世とか、 来世とか、 絶対の存在とか、 そんなものがあると思っている時点で 悟ってないんだよ。
悟ってはいないことを悟った
>>231 >単に原始仏典に書いてあるではアカンでw
これでいいんじゃないかと思っていました。書かれているのは、
ごく一部ではないですし。解釈によってはそう読める、というのではなく
事実として語っているように見えます。
>>232 >輪廻は世俗的分別思考そのものであり、
仏教で説かれたそうした教えと矛盾するものであるため、輪廻説は釈迦の説いたものではなく
後代に土着宗教の影響を受けた人達によって混入されたものだと考えられる、ということでしょうか。
243 :
亭白 :2009/04/10(金) 14:16:20 ID:0Gx+GD+M
>>238 :神も仏も名無しさん
生まれ変わりとか、
神とか、
悪魔とか、
前世とか、
来世とか、
絶対の存在とか、
そんなものがあると思っている時点で
悟ってないんだよ。
☆上記内容を知らないのは悟る悟らない以前の問題です。
244 :
宝珠愚者 :2009/04/10(金) 14:50:55 ID:vKlrG5kU
本日、以前から日本の全ての宗派に私が問いだした「輪廻転生の有無に対する宗派見解」とい うことで1通の返答が着信しましたので、約束通りにここへ報告しておきます。 返答は明快であり、「浄土宗総本山/知恩院」からです。『浄土宗聖典』3巻と5巻から引用され、 “輪廻転生を繰り返してきた衆生が阿弥陀の本願によって浄土へと往生し、輪廻から脱する”と いうことでした。 私が求めた「宗派の公式見解」となると手続きがいろいろとあって難しいということでした。しかし、 返答を頂いた僧侶からは、この内容は浄土宗として離れてはいけない教えで間違いないものとして、 大変、長文かつ丁寧な文面を頂いています。 (これで今のところ、 日本仏教の中で輪廻転生を否定する宗派は、浄土真宗と禅の一派だけの可能性・・)
浄土真宗と禅の一派はどういう理由で否定しているんですか? 浄土真宗も往生するといっている限りにおいて、転生を認めているのでは?
246 :
宝珠愚者 :2009/04/10(金) 16:40:45 ID:vKlrG5kU
>>245 浄土真宗は浄土宗からの分派の筈ですが、どうも全く見解が異なっているようです。このウェブ(当
転生スレのテンプレ・リンク---論題---)の主張はまさにこのスレに巣食う輪廻転生否定論者たちの
主張のほぼ100%に近いくらい同じものです。否定論仏教者はこちらに改宗するのも一つの道かもし
れませんね。
禅(一派)の否定理由は確認していません。ま〜禅問答は・・「あると思えばある、ないと思えばない。
これが悟りなのじゃ〜」みたいなところがあるので、こんなもんなのかも知れませんね。
---日本の宗派仏教については、もっと詳しい人がいると思います。
『◆ 迷信の根源が霊魂不滅の輪廻転生思想
釈尊の真意は、輪廻転生や死後の世界を実相として語るバラモン教を批判(否定ではない)し、宗教
的真理を固定化実体化する理性を批判し、宗教的動機を問い、道理に合った正しい法を説かれたの
です。しかし後世に未熟な僧侶が多数出て、仏意に反して輪廻転生を実相として理解してしまったので
しょう。正しい仏教は、死後ではなく、どう生きるかを説くのですが、こんな基本さえ今は忘れ去られよう
としています。このことは、歎いても歎き足りない仏教史の汚点です。
輪廻転生の思想は、カーストという身分差別を正当化する悪思想なのですが、この思想を固定化する
ところに展開するのはやはり悪辣な差別の正当化で、実際、日本においても身分差別が根付く原因に
なってしまいました。しかも、これが仏教の誤解からきている、ということが解ると、私は実に情けなく忸
怩[じくじ]たる思いをします。これは名のある学者でさえ誤解がありますので、辞典を引く時も気をつけな
ければなりません。』
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_11_25.html
247 :
宝珠愚者 :2009/04/10(金) 16:42:18 ID:vKlrG5kU
『差別に苦しんでいる人がいたら、あなたはその人のところに行って「前世の業が原因です」と説明さ
れるのでしょうか? 仏教徒であれば、その人に寄り添い、苦しみの声や叫びを聞いて、差別を無くす
ため私に何ができるかを考え、行動して下さい。それ以外にすべきことは無いはずです。仏教では、過
去の問題は「宿命」とか「宿業」という視点で「過去的な一切のものを背負う」とか「引き受ける」ことをし
ます。ここにおいて現在の私が立ち上がるのです。しかしそれは、「前世の業によって現世が決る」とい
う狭く閉じた業とは違います。』
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_02_04.html 以上
野呂芳男の「輪廻神学」として、次のような文章がある。
> そうしますと,別に聖書と矛盾する訳ではありませんから,サムサーラの
> 思想をキリスト教の中に受け入れても差支えないのではないかと私は
> 思います。聖書の中にそういう教えはないから考えることはやめた方が
> よい,というのでは,納得できません。それでは前にも申上げましたが,
> 私たちはテレビもラジオも,自動車も飛行機も使うべきではなくなります。
> 勿論,私もサムサーラの信仰が,インドではカースト制度を守るために
> 使われていることはよく承知しております。従って,サムサーラにバプテ
> スマを授けて,キリスト教化しなければなりません。サムサーラを神の
> アガペーによる訓練の期間と見るのです。中世には練獄思想がありまし
> たけれども,これは勿論聖書にはない思想でしたが,教会はこの思想に
> 見られるように,死後における人間の聖化について考えざるを得なかった
> のです。サムサーラの思想の方が,同じ目的のために私にはより良い
> ものだと思えるのです。
> 生れ死に,生れ死にながら,宇宙空間のどこかで,あるいは,宇宙空間
> を越えた所で,神の良しとする所で,私たちはもっと愛の訓練を受ける
> 必要があります。この汚れた私たちが,死後いきなり神と1つとなるとは
> 私には思えない。愛は実に忍耐強いものですから,神はおいそぎになり
> ません。私たちも自分の聖化をいそいではいけないのです。無理やりに
> 自分を聖化するなどは,神の愛の何であるかを知らない者のする自己
> いじめであり,自己義認です。
死をめぐって説教で何を語るか
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1595/1986shiwomeguttel.html
私に言わせればまったくもって当然の考え方だと思うが・・ 特に「宇宙 空間を越えたところでもっと愛の訓練を受ける」というのはいい。こういう 想像力を持っている神学者は希有である。この論文のほかのところでも 言っているが、輪廻を肯定するためにはそれとセットとして「霊魂不滅」が なければならないのだ。ところが正統派のキリスト教では、「霊肉一致」 を原則とするので、魂が肉と離れて存在すると考えては困るらしいので ある。古代教父のオリゲネスなどは、ギリシア的な霊魂観が強くあった ので、輪廻を肯定したのであった。
キリスト教と輪廻ネタは
>>200 のリンク先でも話されてますし
仮に続きをするならあちらでお願いします。
251 :
宝珠愚者 :2009/04/10(金) 18:01:23 ID:vKlrG5kU
「つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。 そうすれば死を乗り越えることができるであろう。 このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない。」 <スッタニパータ 1119> われ(アートマン)というものはない。 また、わがものというものもない。 すでにわれなしと知らば、 何によってか、わがものがあろうか。 (相応部経典22.55 増谷文雄訳) これが、ブッダの思想の「無我」の思想です。 「無我」の思想は、単に自己中心主義(エゴイズム)を否定しているのではなく、 ブッダはより根本的にバラモン教の教えである魂(アートマン)の輪廻説を否定したのです。 後代の仏教はやがてバラモン教(ヒンズー教)の教えを再び導入し浸食されていってしまいますが、 魂の輪廻説を否定したブッダの「無我」の思想は、いくつかの禅の伝統及びまともな現代人にはまだ生き残っているように思えます。 仏教の本来的意義はあくまで、妄想来世のエゴイスティックな動機に訴える取引的希望より、 いま ここ じこ についての根本的悟りによる苦しみからの解放にあります。 魑魅魍魎たちの幻惑に惑わされる必要はありません。
「死後再生への執着が今の迷い(輪廻転生論)を引き起こす。 死後とは確認できないもので 言及すべき対象ではない」(無記答)
254 :
初代スレ7 :2009/04/10(金) 21:30:35 ID:OkJwwy/W
では、また混ぜっ返してみるかw 週末、田中さんが、『居酒屋に立ち寄り』『いつもより多く』『酒を飲んだ』。 カウンターで『隣り合わせたおっちゃん』と『意気投合』。『更に飲んだ』。『楽しい充実した夕べを過ごした』。 翌朝、昨日完成した『プレゼン用の書類が無い』ことに『気付く』。居酒屋にも駅にも交番にも届いてない。 もう一度作り直しだ。田中さんは『休日全てを使い』、『一から作業をし直した』。まさに苦役だった。 「作業をしながら」、大いなる『苦を感じた』。その心は、突き刺さるような『後悔に満たされた』。 「作業を終え」、田中さんは『疲労困憊していた』。 「週が明け」、いよいよプレゼンの時、何度も何度も想定したシュミレーションを遙かに超え、 『簡潔で、より主張のはっきりしたプレゼンとなった』。 田中さんは思った。(作業のし直しで、『整理と要点が炙り出され』『役立った』のか?)と。 プレゼンは『評価され』、正式な企画として『採用され』た。田中さんは『チーフを任された』。 さて、主要なものとして拾い上げられる事象の幾つかを『 』で括っておいた。 この時、 ≪何が「因(縁)」で、何が「果」となっているのだろうか≫ ≪どの「因(縁)」が、どの「果」へと連なっているのだろうか≫ ≪何が、どの(行為の)報いなのだろうか≫ ≪もっと細かく拾い上げねばならないだろうか≫ 甚だ俗っぽくて申し訳ないが、賢い住人の方々、再び宜しくw (※世俗の話だけど、勝義で語るもまた良しw)
255 :
神も仏も名無しさん :2009/04/10(金) 22:14:09 ID:pw/b2jei
>>118 >一般的意味における業報思想を是認するのであれば、そこには何らかの
基体を仮設しなければ、論自体が初めから崩壊する
それは、諸経験や三世が無因待であると誤解しているからです。
複数の無因待者が有ること、それが無常だと誤解するからこそ、
それらを統一するべき何某かが不可欠だと考えるわけです。
ところが、無因待ならば、無常は破壊されます。
>>165 >法性と呼ばれる法則と、ネハンが永遠不滅。
法則は縁起することであって、何かが実在することではありません。
しかしながら、「永遠不滅」という表現ですと、有自性見者には、
どうしても、無自性で不生不滅、ではなく、有自性で常住としか、
映らないと思います。
すべての経典の中で最古層とされる、『スッタニパータ』の第4章、及び、序と結語を除く第5章には、 saMsAra(輪廻)・saMsarati(輪廻する)という語自体は存在しませんが、輪廻思想自体は紀元前 800年頃に始まるとのことであり、釈尊当時の宗教・思想界に普及していたことは確かでしょう。 しかし、釈尊ご自身の、アートマンと輪廻に関する見方はどのようなものだったのか。 それを窺わせるのが、以下に引用する、中でも最古とされる『スッタニパータ』第4章15です。 937 世界はどこでも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき 住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。 938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。 またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。 939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。 この矢を抜いたならば、(あちこちを)駆けめぐることもなく、沈むこともない。 937 アートマンの王宮/住居(bhavanam attano)、938 心(心臓)を依り所とする(hadaya-nissitaM) −−アートマンの王宮をいくら探しても、苦しみに取り憑かれていない所は見つからなかった。 >「このブラフマンの都城(brahma-pura)の内にある小さな白蓮華の形(=心臓)をした住居 >――その内部に小さな空処がある。その内にあるもの(=アートマン)、それを尋ね求むべし。 >実にそれを知ろうと欲すべし。」(チャーンドーギヤ・ウパニシャッド 8.1.1) 939 あらゆる方角をかけめぐる(disA sabbA vidhAvati)−−これが釈尊にとっての「輪廻」を 意味しているのでしょう。煩悩がその原因であると説かれています。
257 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 07:26:31 ID:dY108oN1
>>255 >しかしながら、「永遠不滅」という表現ですと、有自性見者には、
>どうしても、無自性で不生不滅、ではなく、有自性で常住としか、
>映らないと思います。
最もです。では、あなたが上手く説明してください。
>
>>255 >>しかしながら、「永遠不滅」という表現ですと、有自性見者には、
>>どうしても、無自性で不生不滅、ではなく、有自性で常住としか、
>>映らないと思います。
>最もです。では、あなたが上手く説明してください。
に加え、
>>1-
>>256 ,
>>258 まで皆、空です。
まぁ、どちらさんも上手く説明してみろや
260 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 15:31:57 ID:dY108oN1
文部科学省検定済み教科書 佐藤次高『詳説世界史』山川出版社、2006、54頁では次のように。 > ガウタマは、心の内面から人びとの悩みをとくことを重視し、 > 生前の行為によって死後に別の生をうける過程がくりかえされるという > 輪廻転生という迷いの道から、人はいかに脱却するかという解脱の道を説いた。
「つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。 そうすれば死を乗り越えることができるであろう。 このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない。」 <スッタニパータ 1119>
262 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 19:22:16 ID:ZExChVXt
釈迦は約2500年前の人ではないか。 その釈迦が、何を悟り、何を語ったのかを論じるのは、空虚であり無意味。 それより経典ごとの思想を論じ、経典ごとに学んだほうがよさそう。 実際にはそうやってるよね。
263 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 19:41:17 ID:ZExChVXt
転生とか業報とか言っている人がいる。 かれらは、釈迦が説いたかどうかわからない経典を、根拠にする。 しかしその経典が怪しいのだ。 こんなことで議論しあっても空虚だし無意味だと思わないか。 そんな経典はニセモノだと言ってしまおう。 転生や業報など、現代人の感覚に合わない。
264 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 19:51:22 ID:ZExChVXt
あなたは前世から転生したと本当に知っているのか? あなたは前世の業報で生まれたと本当に知っているのか? そんなことを知っている人はいないのであり、 だれも知らないことを論じても空虚であり無意味だろう。ちがう? いや釈迦があ、とか言っている人はとても正気と思えない。
265 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 20:01:17 ID:ZExChVXt
もう正気に返ろう。怪しげな経典は処分しよう。 あらゆる経典を、どれも大事にすることは無理がある。 経典同士に矛盾がある。 これこそは信じるに価するという経典がいくつかあればいい。 転生や業報を説くような、怪しげな教典は捨ててしまおう。
>>265 『厨論』と『法華経』は 焚書してよい
気違いとカルトだけを いたずらに増加させて来た偽書だからだ
理由は これだけで必要十分
暇つぶしに書いてみようっと。 「説く」と、単に「書いた」「喋った」「考えた」とは違うからな。 文章として「○○」が書いてあったとしても、「説いた」ことにはならんのよ。 空虚な暇つぶししてないで、さっさと自分で悟ろうね。
268 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 20:32:46 ID:ZExChVXt
大乗は偽書を土台にしている → → ふたつを焚書してしまえばスカスカになるだろう → レンコン教
別に「輪廻」を各自が考えるのは自由だが、 それを「説く」のは、ナンセンスだねぇ。 もっとも現代で、友達にそんなのを真剣に説いてもみんな引くだろし。
270 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 20:57:30 ID:ZExChVXt
確かに考えるだけなら自由だね。 それにしても優劣があり、転生ならまだしも、たしかに輪廻は引くだろうね。 善因善果、悪因悪果の業報になればさらに引いてしまう。 この業報は、「オーム真理教のポワ」と同じ考え方なのではないか? 殺された人は、殺されてもカルマを減らしたことになる。 殺した人は、殺された人のカルマを減らし、貢献したことになる。
まあ、考えて業報があったり無くなったりしたら仏教なんていらんがな。
272 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 21:12:00 ID:ZExChVXt
あれ、仏教は業報だけだった? 業報は「オーム真理教のポワ」と同じじゃない?
報いは人がすることでは無いから知らないね。
274 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 21:24:37 ID:ZExChVXt
知らぷりですかあ。 いままでの流れに、業報の考え方が「オームのポワ」と似ている という指摘はなかったのですかね。新しいテーマかも。
業報はオウムのポアとは、ちょっと違うんじゃないの? 業報輪廻をそのまま解釈したとすると、 ポアで人を殺した場合は、その報いを受けなければならなくなる。
276 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 21:50:49 ID:ZExChVXt
業報の場合は・・・全体としてのカルマは変化しない 殺された人は、殺されたことでカルマが減る・・・善果 殺した人は、殺したことでカルマが増える・・・悪因 オームのポワの場合は・・・全体としてのカルマの増減がある 殺された人は、殺されたことでカルマが減る・・・善果 殺した人は、カルマを減らしの貢献によってカルマが減る・・・善因 こういったことだとすれば、業報は悪因善果、ポワは善因善果
Wikipediaによると、 業(ごう 梵: ??????、巴: ???? karman)とは、サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞である。 したがって、「なすことそれ自身」という意味であって、古人が「造作」の義と言い伝えてきたとおり、 動作の抽象的非人格的なものを言う。そこには、一般に言われている「なすもの」「なされたこと」「つくられたもの」などの意味はない。 だってさ。
278 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 22:03:24 ID:ZExChVXt
業報は、悪因善果、善因悪果を説いている。 オームのポワは、善因善果、悪因悪果を説いている。 オームのほうが正しそうではないですか? どこか間違ってません?
仏教徒たるもの善果を求めて善行するなど卑しいこと。 ◎善果を求めず、考えもせず善行をする
>>278 機械的に処理すると、
業報の場合は・・・全体としてのカルマは変化しない
・・・・
オームのポワの場合は・・・全体としてのカルマの増減がある
って言って定義してんだから、
業報と、オームのポワとは違い、さらに、変化しないと増減だから重なり合う部分もない。
よって、業報とオームのポワとは全く違い、正しいかどうかの優劣のつけようがない。
281 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 22:20:16 ID:ZExChVXt
殺された人だけ見ても変だよね 過去に悪因(カルマ増) → その結果、殺されるという善果(カルマ減) やはり悪因善果になるよね。 殺されることを悪果とすれば悪因悪果になる。 殺されるのは悪因によるから、自業自得になり、加害者を責められない。 そうすると加害者の行為は何だろう? 「空」ではないのか? 殺害行為を行っても、その行為は「空」(^^) 悪因にならない。やはりポワ
282 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 22:32:29 ID:ZExChVXt
>>280 正しいか正しくないかは、善因善果・悪因悪果になっているかどうかです。
オームのポワはこの言葉通りになる → こちらが正しそう
283 :
亭白 :2009/04/11(土) 22:36:31 ID:VAvPBgF/
報復で人を殺せば悪しきカルマをつくることななり、また報復で人を殺せば悪しきカルマとなり報復する限り悪しきカルマは増える一方であり、悪しきカルマを持ったものは反省せず死んだら悪しきカルマにふさわしいあの世の地獄界に落ちてしまいます。 無反省なまま無責任な欲望の自由のまま生きることは「危うい」と警告しています。 皆があの世の天国に行くなら問題ないが、半数以上地獄界に落ちいくから問題なのです。 心は永遠の転生輪廻で幾百転生幾千転生幾万転生している魂です。何回でもやり直しがききます。 あの世の天国の門に入るには「清い心」です。故に反省が必要なんです。 清い心は反省と正しい信仰によって育まれてまいります。 人は思うように動きません。だから一人一人に自己責任の原則があります。 この世での考え方や行為のなかに目に見えない自己責任が一人一人に掛かってまいります。 自己責任は死後この世考えなり行為が善きも悪しきも相殺されて、その精算があの世の天国地獄の住み分けになってまいります。 そうであってこその本当の公平であります。 でも地獄に落ちたままでは、この世の地上に生まれることはできません。
284 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 22:38:35 ID:ZExChVXt
このテーマは論じられてこなかったのかな。 善因善果・悪因悪果は存在しないのではないか? なんか「空」のような雰囲気がある。 もともと業報などは存在しないのではないか?
285 :
亭白 :2009/04/11(土) 22:38:50 ID:VAvPBgF/
>>283 続きです。
前生悔い改めて反省すれば導きの霊が迎えに来て、一緒に天国の手前の精霊界で天国の勉強終えてから天国に上がれます。
天国では、地獄にいた時会えなかった懐かしい方々と会うことになります。
そして天国の住人となって早くて数十年で地上に生まれ変わることになります。
地上に生まれる前に、両親となる霊に良くお願いしてから、両親となる霊がこの世の地上に生まれ結婚したあたりに、地上の母となる母体に宿ることとなります。
赤ちゃんとして誕生して、成人となって前世での無責任な欲望の自由という悪しき考えなり悪しき行為をするか試されます。
また前世と同じ悪しき行き方をして一生終わったらまた地獄に落ちて、暗く寒く何も無い状態で悪魔の責め苦に苦しめられます。
前世の悪しき誘惑に勝ち正しい信仰に入り、私たちはゴミ屑でも川原の小石ではない神仏から分かれた神の子仏の子の神々しい輝きを知ったとき、仏法真理の学びを通して本当の反省し心の清らかさの心の軽さ爽やかさを実体験することになります。
愛は奪うものと考えていたが、愛を奪えば奪うほど自分が不幸になり、本当の愛は智慧のある思いやりや優しさを与える愛と言い幸せになる幸せの法則を知ります。
無私の心で世のため人のため生きてより豊かな心になって死後天国に還ることになります。
前世の悪しき人生のカルマの課題をクリアした智慧で、多くの方々の悪しき者の気持ちが解り病・貧・争の抜苦与楽で「煩悩即菩提」のように、多くの救済の智慧となります。
死後、天国に還ることになり陰ながら応援して頂いた霊人達などの前で帰還報告をすることになります。
>>282 ポワというのがそういうものなら、それでもいい。
ただ、なんかしっくりこないんだよねぇ。
Wikipediaによると、
業(ごう 梵: ??????、巴: ???? karman)とは、サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞である。
したがって、「なすことそれ自身」という意味であって、古人が「造作」の義と言い伝えてきたとおり、
動作の抽象的非人格的なものを言う。そこには、一般に言われている「なすもの」「なされたこと」「つくられたもの」などの意味はない。
だってさ。
業・・・には、一般に言われている「なすもの」「なされたこと」「つくられたもの」などの意味はない。
んだってさ。
だから、殺すのは業だが、殺されるのは業ではないんだよね。
殺すと思うのは空だが、それを行為に移すと空ではなくなるんだよね。
何が言いたいんだろうね。
287 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 22:48:16 ID:ZExChVXt
業報は「ポワ」の思想を内包している。 仏教のなかに業報思想がある? そしたらオームと同じになる。 そういうことじゃないのか?
288 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 22:51:13 ID:YRCxrPUc
>>283 「カルマ(業)」とは、あくまで「共同体における行為そのもの」であ
り、「清い」「汚い」などという「主観的精神性」は含まれていない。
その「行為」の価値判断は、共同体の総意で行う。行為者の「主観」は
関係ない。
オウム信者たちも、みな、「清い心」で人を殺したのである。
>>285 天国で住めるようになったら、天国でずっと住みたいです。
地上に生まれないように拒否でますか?
そもそも善VS悪とは二項対立世俗的相対観念にしか過ぎない。 善因善果、悪因悪果などという観念相対論理を出しているだけで、 世俗的迷妄の産物にしか過ぎないことを自白していることになる。 業報輪廻転生論はご都合主義的世俗迷妄論であることは明白。 差別主義カースト制度のための政治的腐敗臭が充満して反吐が出る。
291 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 23:00:47 ID:ZExChVXt
>>286 業と果を区別し、業は果ではないということですね。
業の中身は意思であり、問われるのは意思。
そうすると善因善果・悪因悪果という言葉はたぶん誤りですね。
言葉に誤りがあるのか、適用の仕方に誤りがあるのか、
もう少し検討する必要があるかとは思いますが。
臭いにおいはもとから断たなきゃ、ダメ! もっとも、このスレには腐敗臭も平気なカルトドブねずみやゴキブリが 4〜5匹いるからなあw
>>288 清い心で殺したなら、焼肉にして食うだろ
清い心で無駄な殺生するな。
>>291 業っていうのは、国語辞典とかでも、たいてい、行いのことを意味するようなので、それを覆すのは難しいね。
おれだったら、意思は、業の中身というより、業の前提と説くね。
善悪って誰が判定するのであるか? いつの時代、地域を基準にするのであるか? 善悪を構成するファクターとはなんであるか? 2500年前のカースト制度下と現代日本では善悪基準は同じなのか? 子供を殺された親が犯人の死刑や復讐を希求するのは悪か? 第二次大戦の天皇ヒロヒトの行為は悪か? 以上に答え、且つ第一義空経との関係を論ぜよ。
296 :
神も仏も名無しさん :2009/04/11(土) 23:21:09 ID:ZExChVXt
善因善果・悪因悪果を骨子とする、業報という考え方自体に 論理的な矛盾がないのかどうか・・・ありそうですね。 業報には、どうもうさんくさいものがあった。
「自分のちっぽけな存続を気にかけるのは愚かで無知な人です。そのよう な人たちは生まれ変わりの理論を自分の恐怖を覆い隠す手段として、 自分の愚劣なつまらない存続(継続)を保障してくれるものとして用います。 「私」が生まれ変わりを通じて真理へと向かって存続する(=生まれ変わり を通じて存続し、進歩、向上してついに真理へと至る)という理論は誤った 考えです。それは真実ではありません」 クリシュナムルティ 『人生をどう生きますか?』 p266 「私の教えが、輪廻の説から来ていることを否定します。私にとっては、 輪廻転生は実際に起こった事実です。私はある確かな事を、覚えている からです。「何を覚えているのですか?」と聞くでしょう。十年前のある日に 何かしたかいう事がとても重要な事でしょうか? 自分の過去の生活を 知っていると言っている人のほとんどが、何時も自分は王様や女王や、 偉大な聖者、偉大な弟子だった、と言います。決して道端の貧しい乞食 ではありません。なんと簡単に自分を騙すのでしょう! 人はなんと得意 になりたい事でしょう! 輪廻転生は私にとって、事実です。信念ではあり ません。しかし皆さんに輪廻転生を信じて欲しくありません。逆にはね つけなさい。心から追い出しなさい。そしてただ自分は過去の産物である という事だけを思い起こしなさい。そうすれば未来を管理出来ます。 あなたが自分の主人公です。自分の手の中に永遠があります」 クリシュナムルティ 『クリシュナムルティの言葉vol.73』 p19-20
299 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 04:00:43 ID:WOlkm/gm
>>296 そもそも、「善悪とは具体的に何か」を定義できた宗教の開祖は誰もいない
のだから、「善悪」を語ること自体が無意味。善悪とは、共生のための、
具体的状況に応じた概念。具体的状況に応じて、常に変動し、また、変動すべき
もの。
さらに、善も悪もやった人間(殆どすべての人間がそうである)の輪廻はどう
なるのか、また善悪は、誰がどのように判断するか、の問題を解決しない限り、
輪廻転生の概念は無意味である。
私の「善悪」の定義は、次の通り。人間の本質は、生存本能(生命)を中核と
する動物の一種に過ぎないからである。
「善とは、他者の生存を助ける『行為』」「悪とは、他者の生存を害する
『行為』」である。人間共同体においては、「内心の考え」「精神性」は、
他者には誰にも判らないのだから、無意味。それが、他者に対する「行為」
として表現された場合に、初めて問題となる。たとえ内心で殺意を抱いても、
それを我慢できないで、行為に表わした場合にのみ「殺人罪」が成立する。
300 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 08:50:37 ID:28a1Bgj/
>>299 少しは仏教を勉強してから騙りましょう。
仏教では善は楽をもたらす行為、悪は苦をもたらす行為と明解ですが。
安楽死の場合はどうするんだ。
>>299 によれば安楽死は悪であり、
>>300 によれば安楽死は善である。
302 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 09:19:03 ID:IZ6w6XFi
>>295 それぞれのテーマごとに解きほぐして考えるべきなのでしょう。
最初から判断不能としない、しつこく追いかける、
そうするとある日突然、善悪の視界が開けるかもしれない。
>>298 クリシュナムルティのその見方には共感しますね。
303 :
木蓮 :2009/04/12(日) 09:43:58 ID:IZ6w6XFi
このスレで語られている「業報」を洗い直しましょうよ 最初に結論・・・「業報」はオームの「ポワ」に通底している 考察の対象・・・ある殺人事件に対する某レス(やりとり) カルマが減ったからいいんだよ・・・同意する
304 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 09:47:25 ID:GFqcO6dm
>>300 >仏教では善は楽をもたらす行為、悪は苦をもたらす行為と明解ですが。
人間は、共同体としてしか生存できないのだから、そんな個人的主観感情
だけでは無意味。
善悪とは、あくまで共同体における「共生」のための技術的概念。
独りで生きているのなら、そもそも善悪の概念など生じない。
苦しい思いをして他者の生命を助けることは、善か悪か。
苦楽の感情も、結局は、生存への方向によって決まる。生存の方向に向う
場合に楽が生じ、その逆の場合に苦が生じる。そして、その生存は、他者
なしでは不可能なのである。
どんなに苦しい人でも、実は生存していること自体が、大いなる喜びで
あるこに気付かなければならない。
305 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 09:56:08 ID:dDyxls3C
俺も経典ぐらいは創作できるよ 名づけて「21世紀経」
306 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 10:02:20 ID:GFqcO6dm
>>304 の続き
生・病・老・死の「四苦」も、「生存」に対する障害である。死は、その極限。
生(出産)も、特に往時は、胎児及び母体の両者にとって、多大の生命の危険を伴った。
>>295 答えは、
@善悪って判定するは
空で人間それぞれ
A
いつの時代、地域を基準にするのか、
善悪を構成するファクターとはなんであるか
2500年前のカースト制度下と現代日本では善悪基準は同じなのか
は空で人間それぞれ。
B
子供を殺された親が犯人の死刑や復讐を希求する
第二次大戦の天皇ヒロヒトの行為
はそこから苦が生じるなら悪で空であり
C逆に
子供を殺された親が犯人の死刑や復讐を希求する
第二次大戦の天皇ヒロヒトの行為
から苦が生じなければ、自然のまま、あるがまま
よって、第一義空経と特に関係があるのは、そのまま自然と化している、Cとなる。
308 :
木蓮 :2009/04/12(日) 10:04:41 ID:IZ6w6XFi
業報を語る人から整理すれば、殺された人は、 過去に悪因があり、その結果が、殺されるという悪果になった。 殺されることで、その人のカルマが減ったのだから、 殺されることは幸いだったのだ・・・という理屈なのだろう。 悪因悪果は自業自得である・・・その人の責任である その上、殺されることでカルマが減っている。よかったじゃないか かれらの業報はこういったことなのだろう。
>>299 >人間共同体においては、「内心の考え」「精神性」は、
>他者には誰にも判らないのだから、無意味。それが、他者に対する「行為」
>として表現された場合に、初めて問題となる。
それって、ヘーゲルのいう欲望の体系としての外形的基本的人権論であって、
根源的なありようを問題とする「宗教」に正面から対峙していない議論だ。
310 :
木蓮 :2009/04/12(日) 10:13:36 ID:IZ6w6XFi
業報論者の主張は、そのまま「ポワ」の思想ではないか? 悪因悪果・・・自業自得・・・殺されたことでカルマが減った 殺してやることは・・・その人のカルマ落としに貢献したいる 結果がいいのだから、よいことをしたのである。
311 :
木蓮 :2009/04/12(日) 10:21:37 ID:IZ6w6XFi
業報論者は、業報がなければ道徳がなくなってしまう、という。 しかし話は逆であり、業報は「ポワ」に通底しており、 きわめて不道徳、退廃的、反社会的な考え方を後ろに隠している。
釈迦は業報を説いたんですか?
313 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 10:32:17 ID:GFqcO6dm
>>309 人間の「根源的なありよう」とは、具体的に何か。まずその言葉の意味から、
「根源的に」考えることだな。
クリスチャンのヘーゲルなど、関係ない。
314 :
木蓮 :2009/04/12(日) 10:42:13 ID:IZ6w6XFi
業報であれ、「ポワ」であれ、殺人を正当化する考えは腐っている。 このスレで何度も見かける話がある。 なんとか尊者は、殺されることがわかっていたが、 自分のカルマを落とすために、殺されることを選び、殺されたという。 この話をよく眺めれば、自分のことしか考えていないエゴイスト なんとか尊者の姿が浮かび上がってくる。 自分のカルマ落としがすべてであり、 殺人者のカルマはすっかり忘れ、まったく考えていない。 これが業報論者の切り札らしい。 この話から、業報がなければ社会道徳は成立しない、と飛躍する。
315 :
木蓮 :2009/04/12(日) 10:50:02 ID:IZ6w6XFi
>>312 業報論者はそう言っており、そういった経典を探している。
314の、なんとか尊者の話は経典にあるらしい。
316 :
木蓮 :2009/04/12(日) 11:11:40 ID:IZ6w6XFi
業報論者の卑劣なところは、 殺されたことを殺された人の責任にすりかえ、 殺人を直接に肯定しないで、間接的に肯定することだろう。 そしてさらに卑劣なのは、「ポワ」を裏付けるために、 殺される人の話を作り、殺されることがカルマ落としであることを、 経典として残したことだろう。 「業報」は、「ポワ」に匹敵する危険思想である。
317 :
亭白 :2009/04/12(日) 11:38:36 ID:kQheJ9dF
>>288 :神も仏も名無しさん
「カルマ(業)」とは、あくまで「共同体における行為そのもの」であ 、「清い」「汚い」などという「主観的精神性」は含まれていない。
その「行為」の価値判断は、共同体の総意で行う。行為者の「主観」は関係ない。オウム信者たちも、みな、「清い心」で人を殺したのである。
☆個人においてのカルマも「業」といい清い心で生きたら良き業になり、悪しき心は悪業になってしまうのであります。
あくまでも真理に則して善悪が分かれてまいります。
共同体の民族としての良きにつけ悪しきにつけカルマを「共業」であって、真理価値に基づいて分かれてまいります。
「清い」「汚い」などという「主観的精神性」であっても、その選択の集積によって、数多くの人々の集合想念で真理に則して善と悪に分かれてカルマがでてまいります。
「清い心」で原則人を殺すことはできません。ただ国防の危機でやむなく戦争にかりだされた場合があります。
危機に瀕している多くの人を守るため神仏の心に適った正当防衛で人を殺してしまうことは罪にならない場合もあります。
本則は正しい目的のため手段を選ばない殺人は犯罪であります。
「醜い欲心」によって手段を選ばず、人を殺すことは悪しきカルマを持つことになります。
「清い心」は思いの時点で悪しく思ったら反省が入り「清い心」に戻るのです。
「醜き欲心」には反省がありません。悪しき行為の前に悪しき思いがあったのです。
知性が高くてこの世的に頭が良くても理性が低いため善悪の判断力がなかったため人を殺すことに罪悪は感じていないのでしょう。
恐ろしいことです。地獄の阿修羅の世界です。
>>289 :神も仏も名無しさん
天国で住めるようになったら、天国でずっと住みたいです。 地上に生まれないように拒否でますか?
☆拒否しても人生課題のクリアのために、いずれは心(魂)修行のため地上に生まれ変わりなさいと指導している霊人に背中を押され送り出されます。
318 :
木蓮 :2009/04/12(日) 11:42:27 ID:IZ6w6XFi
業報論者は、業報がなければ道徳が成立しない、と主張している。 その主張が「ポワ」のようなものであることは置いておき、 かれらの主張を少しだけ批判しよう。 いまの日本で、「業報」を信じている人はきわめて少数である。 それにも関わらず、社会はほぼ安定し、安全が保たれている。 個人はふつう、それなりに道徳的であり、法を守ろうとして生活している。 業報論者の「業報」などなくても、社会はそれなりに安全であり、 個人はそれなりに道徳的なのはどうしてだろう? 業報論者の主張がまちがっているからである。
319 :
木蓮 :2009/04/12(日) 12:04:28 ID:IZ6w6XFi
オーム真理教の「ポワ」と通底する、 きわめて危険な業報論者の「業報」を内容とするスレが、 13回も続いたってぇ・・・仏教者の恥ではないのだろうか? 苦い。
320 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 12:53:11 ID:eVA+aaWt
>>317 >「清い心」で原則人を殺すことはできません。
それは全く事実に反する。すべての宗教戦争では、「神のため」「信仰のため」
という「100%の善意」で、人を殺しまくってるではないか。
321 :
木蓮 :2009/04/12(日) 14:37:04 ID:YblEQMRj
「清い心」で人を殺せるのは洗脳されているからです。 オーム真理教の教祖から、あいつを「ポワ」しろと指示され、 教祖に従う信者は「ポワ」をよいことだと思って「清い心」で人を殺した。 教祖は悪魔。教祖に洗脳された、指示される信者は悪魔の道具になります。
322 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 15:35:10 ID:28a1Bgj/
>>312 もちろんです。なぜなら、釈尊自ら、
sammāsambuddho kammavādo ca kiriyavādo ca viriyavādo ca.
完全なブッダは、業論者であり、行為論者であり、精進論者である。
と『アングッタラニカーカ』で説かれ、以下のようにバラモンたちも
Samaṇo khalu, bho, gotamo kammavādī kiriyavādī
皆さん、道の人ゴータマは、業論者であり、行為論者であり、
と『デーガニカーカ』で四箇所、『マッジマニカーカ』で二箇所見られるように、
認識しています。
また、律では外道が出家する場合、一定の期間、ビクたちと別の所に住んで、
今までの生活習慣や見解を修正する期間を設けた。しかし、ある外道には
その必要がなくすぐに完全な戒を授けることができた、その理由を
釈尊は次のように述べておられる。
Taṃ kissa hetu. Kammavādino ete bhikkhave, kiriyavādino.
それは何故か、ビクらよ!、彼らは業論者だからあり、行為論者だからである。
以上のように釈尊、仏教が業論者であることは明らかであり。
以後、どの時代のどの地域の仏教徒も業論者でした。
それが問題になるのは、導入期と現代日本ぐらいでしょう。
323 :
宝珠愚者 :2009/04/12(日) 16:12:20 ID:ePGmfl11
もう、おいらが登場せんでもいいように、 あなたから(末法断滅論仏教者らに)仏教の何たるのかについて ミッチリと教えてあげて欲しい!頼むわ (^*^)/~~ ガンガレ
324 :
宝珠愚者 :2009/04/12(日) 16:13:20 ID:ePGmfl11
325 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 16:24:52 ID:eVA+aaWt
>>322 すべて「行為」であり、「精神論」ではなく、また、良いことも、悪いことも
した人間(即ち、すべての人間)には通用しない代物であることを、忘れては
ならない。
矛盾があるから、「仏陀の誤り」として無視・廃棄すべきもの。
326 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 16:30:00 ID:28a1Bgj/
>>323 宝珠さんが登場しないなら、もう終了ですね。
私は、あなたが縁起を理解するスレだと考えています。
他は、おまけみたいなもの。
327 :
宝珠愚者 :2009/04/12(日) 16:50:39 ID:ePGmfl11
>>326 >私は、あなたが縁起を理解するスレだと考えています。
ハァ??
それについては、
ちゃ〜んとあなたからの説明は有難く拝しているし、
そして読まなければならない書物もある・・これは時間を要します。
現段階における私からの見解は、
これは(経典成立の段階なのか?---仏教者側に)何か“誤解が生じている”というものです。
>もう終了ですね。
いやいや、それはちょっと待って下さいなぁ ^-^;
了解しました---今後も「縁起/実在論」に関する部分については、
あなたと対話していきたいと思います。宜しくどうぞ
また、たぶん私からも言いたいことや知りたいこと(質問)なども出てくると思いますし。
328 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 16:52:30 ID:28a1Bgj/
>>325 何が言いたいのかよく分かりませんが、仏教で言う行為は、心を中心とした
身口意の三つの行為です。口というのは、言葉以外に気・プラーナも含みます。
仏教が心を重視することは 『ウパーリ経』に明らかで、ジャイナが身体行為を重視するのに対し、
釈尊は心の行為が重要であると説き、ジャイナの高弟ウパーリは仏教に改宗し、
その改宗を聞いたニガンダ・ナータプッタは血を吐いて死んだと言われます。
それほど、どちらを重視するかが重要だということです。
329 :
木蓮 :2009/04/12(日) 16:58:37 ID:GF0gUTjh
「業報」が経典にあるからといって正しいわけでもあるまい。 どこかから怪しげな話を拾い出し、それを根拠に、 「業報」などという、バカげた主張は終わりにしたほうがいい。 「業報」はオームの「ポワ」に通底している。 退廃的で、不道徳で、危険な考え方でしかない。
330 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 17:10:24 ID:28a1Bgj/
>>327 宝珠さん、では、縁起に集中しましょう。
読んでいただいて分からないところは、分かるかぎり答えたいと思います。
331 :
木蓮 :2009/04/12(日) 17:10:27 ID:GF0gUTjh
>>326 神智学徒である宝珠愚者とだけ話したいなら、
個人的にメールのやりとりをすればいいだけの話だろう。
それに神智学スレもできている。
あなたも何か尊大になり、カン違いしているように思う。
333 :
木蓮 :2009/04/12(日) 17:18:02 ID:GF0gUTjh
>>330 それにここは転生とか業報を話すスレではないのか?
縁起ではないだろう。
>>322 sammasambuddhoって何?
buddhoなら分かるが。
335 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 20:07:29 ID:28a1Bgj/
>>334 完全なブッダ、完全に覚ったもの、「正等覚」と漢訳されるのが一般的です。
>>335 勉強になりました。
気をつけないといけないね。
単にbuddhoと書いただけなら、
覚ってない場合もあるんだね。
337 :
神も仏も名無しさん :2009/04/12(日) 20:58:12 ID:28a1Bgj/
>>336 いえそうではなくて如来十号とよばれる釈尊の属性を示す限定句、形容詞と考えてください。
水野弘元先生の『要語』あたりを見てください。
それにしても、sammasambuddhoって書いた人って、 相当えらいんだね。 buddhoに修飾語をつけて、評価してるんだから buddho以上だ
339 :
初代スレ7 :2009/04/12(日) 21:14:45 ID:ywQLndHi
>>338 選手→名選手、人→偉人、業→偉業、先輩→大先輩、丈夫→大丈夫、
販売→特売、売り→安売り→大安売り、星→金星→大金星、etc.etc.
>>339 なるほど、選手→名選手と同じようなものか。
王、長嶋、金田、田淵・・・たくさんの選手がいて、その中の名選手
1仏陀、2仏陀、3仏陀、4仏陀・・・たくさんの仏陀がいて、その中の名仏陀
昔は多くの仏陀がいたんだね。
いやいや屁理屈をいってんじゃないよ。
それぐらい言葉を大切にして解釈しようとしてんだからね。
俺だったら、仏陀は最高ランク、最も尊敬すべき人なので、sammasambuddhoなんて表現はしないな。
342 :
初代スレ7 :2009/04/12(日) 21:26:50 ID:ywQLndHi
345 :
亭白 :2009/04/12(日) 22:07:31 ID:6okudM3T
>>320 :神も仏も名無しさん
☆清い心の方は平静心を好み仏教信じる者は平和主義者です。あなた様は[100%の善意」で、
人を殺しまくってるではないか。 と言うがそれが何故「清い心」と解るのですか。
何故それが100%の善意だとあなた様は解るのですか。単に相手の言う聖戦と言っているから
清い心の人々と言われているのですか?聖戦と言っているから100%の善意なのですか?
それは単なる思考停止状態で鵜呑みにしているだけではありませか?それを洗脳というのです。
清い心の真なる意味は解っているのですか?善なる心の真なる意味が解っていますか?
清い心の者・善なる心の者は天国に住まう心であります。天国では聖戦と言って人の殺し合いは
していません。 聖戦と言って人を殺しあっている所は阿修羅地獄です。目的が正しくても手段
が間違えれば地獄に行く確率は高くなります。あなた様の書き込みを拡大解釈し100歩譲った
ら、人は皆「清らかな心で赤ちゃん」となって生まれてまいります。
でも生きてく中にこの世的に頭が良くても理性が薄くて、善悪が解らず人を殺すのは後をたちま
せん。そういう意味ではそうかも知れません。
宗教の教えの狭さが寛容さを落とし教条的になるのでお互いの宗教の教えが弟子によってそのよ
うな歪みもあるのでしょう。
だから世界の宗教の教え正邪を示し、お互いの違いは違いとして理解し合いながらも神仏の真理
に照らして明らかな間違いは説明しきり、正しい真理価値に基づいた世界の共通認識を持てば戦
争も無くなってまいります。
それには卓越した普遍的法の教えの高みがあれば、世界を統合できてまいり、世界平和が築ける
ものであります。
世界広しといえど、良い教えは世界にもあるでありましょう。しかし普遍的法の高みで世界を統
合できるのは、幸福の科学の教えであり、主なる父であるエル・カンターレ本仏大川隆法総裁の
教えを凌ぐものはありません。
世界のあらゆる学派宗教を統合するのは大救世主超偉大な大川隆法総裁の教えしかありません。
幸福の科学の教えこそ唯一幸福の科学の教えこそ世界を救う教えであります。断言!!
346 :
初代スレ7 :2009/04/12(日) 22:10:22 ID:ywQLndHi
>>343 日本語に不自由な方でしたか・・・。失礼しましたw
347 :
亭白 :2009/04/12(日) 22:53:54 ID:6okudM3T
>>314 :木蓮さん
なんとか尊者は、殺されることがわかっていたが、
自分のカルマを落とすために、殺されることを選び、殺されたという。
この話をよく眺めれば、自分のことしか考えていないエゴイスト
なんとか尊者の姿が浮かび上がってくる。
☆尊者の姿が浮かび上がってきまた。「モクレン」です。
目連(もくれん)
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/Mokuren.html 釈迦の弟子1250人の中、舎利弗と双璧を成す長老格の著名な弟子。「神足(じんそく)第一」と讃えられる。「神足」とは超能力のことである。
舎利弗とは隣村同士の友人であり、他教団の支部長をしていた時にも同僚として一緒にいた。
「第一」と謳われた神通力に関しては様々な説話がある。舎利弗にまんまと欺かれた話(「舎利弗」項参照)も、原意としては目連の力が仏の外には無双であることを示すエピソードである。
目連は神通力を駆使して五趣(:「六道」に阿修羅を算入しない数え方)を巡検し、仲間にその様を詳しく語り聞かせていた。
釈迦もその目連の活動の意義を認め、「いつでもどこでも目連がいる訳ではないから」として、五趣の有様を図画するように定めた。
これにより、仏教圏では広く「五趣生死輪(ごしゅしょうじりん)」と言われる絵図が流布することとなった。
「お盆」の由来を説く『盂蘭盆(うらぼん)経』の説話では彼が主役である。
神通力を得た目連は、母の育ての恩に報いようと思い立ち、今は亡き母を探し回った。
すると、あろう事か餓鬼となって苦しんでいる母を彼は発見する。
目連は甚だ悲しみ、すぐに食事を差し出すのだが、餓鬼の定めで食は口に入れる寸前で炎となるばかり。得意の神通力を以てしても如何ともし難く、師匠の釈迦に縋り付いた。
この時釈迦は、僧が暇になる7月15日に彼らを派手にもてなせばその功徳で餓鬼の母が天に生まれられると教えた。
勿論目連はその通りに実行し、母も餓鬼道の苦を免れて天に生まれ変わることができたのであった。
349 :
亭白 :2009/04/12(日) 23:12:01 ID:6okudM3T
>>347 の続きです。
お釈迦様の十大弟子のお一人で神通第一「大目連(マハーマウドガリヤーヤナ)」でした。
大目連の前は「目連」でした。 太陽の法(大川隆法著)から一部抜粋しました。
目連の最期については悲惨な伝説が残されている。 釈迦80歳の夏安居のこと。既に釈迦は残りの寿命もこの年限りと定まり、目連と舎利弗もまた連れ立ってこの夏安居が明けたら自殺しようと心に期していた。 目連はいつもの通り王舎城に托鉢に出かけた。ところが、そんな彼の姿をバラモン達が目敏く見つけた。バラモン達は互いに語らう。 「彼は釈迦の弟子の中でも右に出る者がいない人物だ。皆で囲んで打ち殺そう!」哀れ目連は取り囲まれて石くれでしこたま袋叩きにされ、ズタボロにされて打ち捨てられた。 肉も骨もぐしゃぐしゃで、全身激痛の固まりである。 目連は立ち上がる気力も残っていなかったので、神通力で帰還した。そして舎利弗の前に最初に姿を現し、悲痛な告白をした。 「もう死のうと思う。それで君に別れを告げに来たのだ」。 聞いて舎利弗は開口一番尋ねる。「釈尊の弟子の中でも“神足第一”の誉れ高い君ではなかったか!何故その神足を使って逃げなかったのだ!?」 …尤もな疑問である。これに目連は「宿業の報いと云うものだ。業報から逃れることなどできはしないさ」と答え、重ねて死の決意を述べた。 それでも舎利弗は食い下がる。「神通力を極めた者は自在に寿命を操作できると言うではないか!どうして死のうなどと言うのか!?」。 しかしこれには目連にも言い分がある。「その通りだ。しかし、釈尊ももう亡くなられるのだ。私は釈尊が亡くなるのを見たくはない」。 ここに至って舎利弗も説得することは諦めた。最早理屈ではない。「少し待て。先に死ぬから」と言い置くと、本当に舎利弗は先立ってしまった。(「舎利弗」項参照) 残された目連は、舎利弗の死を聞くと釈迦に面会して「お別れに参りました。死のうと思います」と言上する。釈迦は何も言わない。 目連は再三同じやりとりを繰り返すが、やはり何の返答も無い。釈迦の諾否を得ぬまま、目連は釈迦の前を辞して生まれ故郷に帰っていった。 多くの出家者達が目連と同道し、目連が故郷で滅度を遂げる様を、村一円を埋め尽くした天人達と共に見届けたのであった。 ところで、他の声聞の弟子達同様、目連もまた『法華経』の説法によって大乗に転向して将来は成仏すると云うことにされた。 「多摩羅跋旃檀香如来」と云う仏に成り、「意楽」と云う仏国土を建設すると言われている。
351 :
亭白 :2009/04/12(日) 23:19:12 ID:6okudM3T
>>348 :神も仏も名無しさん
「大目連」の詳しいご解説ありがとうございました。
目連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%80%A3 伝説では、釈迦の涅槃に先だって上足の二弟子がまず涅槃するのは、三世(過去現在未来)諸仏の常法といわれる。
また『阿毘曇八健度論』巻28には、目連と舎利弗が釈迦に先んじて滅したのは、
釈迦の説法が正しいことを証明するために成仏の実相を示した、と説かれているが、
彼の臨終の模様については以下の通り(増一阿含経18-19、毘奈耶雑事18、戒因縁経2毘婆沙論4など)。
舎利弗と目連は、釈迦が涅槃せんとするのを知り、夏坐竟てまさに涅槃とす。この時目連は羅閲城に入って行乞した。
外道である執杖梵士は彼を見て、「これは沙門瞿曇(釈迦)の弟子だ、かの弟子中でも目連の上に出るものはいない。我等が共に囲んで打ち殺そう」と言った。
諸の梵士共に囲って之を打ち捨てて爛尽し苦悩甚だしく、この時目連は神通で脱し祇園精舎に還り舎利弗の所へ至った。
舎利弗は「世尊第一の神通の弟子であるのに、なぜ神通を以って避けられずや」と問うと、
「我が宿業極めて重く、我れ神の字に於いて尚憶ふと能わず、況(いわん)や通を発せんをや、我れ極めて疼痛を患う。来たって汝に辞して般涅槃を取る」といった。
舎利弗は「汝、いま少し停(とどま)れ、我れまさに先ず滅度を取るべし」といった。舎利弗は釈尊の所へ至り辞して、去って本生処に至り説法して滅度を取った」(「増一阿含経」)
阿闍世王は、目連が梵士に打ちのめされ瀕死となっているのを聞き、極めて瞋恚して(怒って)大臣に「かの外道を探索してこれを焼き殺せ」と命じた。 目連はこれを聞き報じて曰く「尊命違い難く、もし捉え得れば但国を出でしむべし」(毘奈耶雑事18) 然るに目連に2人の弟子があり、いわゆる六群比丘(釈迦弟子中、悪事を働いた6人)の馬宿と満宿が、師である目連の撲殺されるを聞き、憤怒に堪えず、身毛悉く堅ち、大力士の力を以って尽し執杖梵士を捕えて殺した。 後にある弟子(比丘)が釈迦にこの件について質問した。聖者目連は何の業があって外道にその身を粉砕せられたのかと問うと、 「目連はかつて過去世に、バラモンの子となりその婦人に婬溺して母に不幸した。 ある日母を怒り悪語を発す、曰く如何ぞ勇力の人を得てかの身形を打たんと。この麁悪語に依って五百生の中に於いて当に打砕せられ今日聖道を証し神通第一なるも、なおこの報いを受く」と説明した。(毘奈耶雑事18) また、彼は昔、弊魔たる時、しばしば拘楼孫仏(過去七仏の一仏)の上足の弟子尊者・毘楼を触嬈し、化して小児となり大杖を以って彼の首を撃ち血を流した。 その時に地獄に堕した。その宿業に依って今日釈迦文仏の上足となり外道の為に撲殺された。(魔嬈乳経)
354 :
宝珠愚者 :2009/04/13(月) 00:33:27 ID:+Bn5f3+P
>>331 それは、この公開の場での討論によって、
閲覧している皆さんにも益するものと考えているからだと思います。
>>332 まっ、「金玉愚者さん」という人など知りませんが・・。
私は
>>322 さんの解説される、
ゴータマは業論者であり、行為論者であったとする説明には何の反論もありません。
すべて同意します。私と彼とは、そんなところなんかで見解の相違などありません。
355 :
初代スレ7 :2009/04/13(月) 01:35:41 ID:Ah5g/UJ/
>>354 >私と彼とは、そんなところなんかで見解の相違などありません。
>>322 に於いては、
『kammavAdin、kiriyavAdinと呼ばれる所以の“その内実”』は記されていない。
それなのに、なぜ相違が無いと言えるのかね?
「kamma」が、その語義の発展として、(単なる“行為”以上の含みを持って)、
(「vipAka」としてのもの(phala)も射程に入った)「報いをもたらすもの」というニュアンスを包含するとしても、
『貴方の期待する業報』(≒『手垢のついた、あちこちで誇大利用される“カルマ”』)と同義かは判らんだろ?w
釈尊が「業論者」と言われる時、それが「報いを説く者」という意味なのかどうか、
吟味検討した上での発言かい? そうではないだろう?
貴方による、他者の意見の読解は、いつもいつも皮相的だ。
おやすみ ノシ
356 :
宝珠愚者 :2009/04/13(月) 07:23:42 ID:+Bn5f3+P
>>355 「業報」は仏教用語でしょう。その「報」は“報い”として使われる。
誤解されては困るのは、「あちこちで誇大利用される“カルマ”」論なるものは、
カルト宗教などの勝手に拠るものであって---仏教のせいではない。
混同しない方がいいでしょう。
私は、極端な事例(分りやすい話)として、
今も出ているモッガラーナ殺害の出来事などもそうだといってるのです。
357 :
宝珠愚者 :2009/04/13(月) 08:09:40 ID:+Bn5f3+P
358 :
亭白 :2009/04/13(月) 09:43:36 ID:EMbFjahN
>>321 :木蓮さん 昨日は失礼しました。「モクレン」と書いたら気づくかなと思ったのとあなた様をコバカにして
笑ったこと、この場にてお詫び致します。「申し訳ございませんでした。」
☆私たちは義務教育は大事ですから学校で学ぶことを否定しません。
学校教育で既に何の疑いもせず、無批判に洗脳を受けていたのですよ。
確かに清い心の方も洗脳されています。なかには天才肌で洗脳されたふりをしている場合もあります。
秀才タイプは完全な洗脳になる場合があるので、洗脳に固まってしまうと思います。
波長同通から行けば清い心の方は正しい宗教につながります。
間違った宗教に入るのは悪しき欲心があるから入るのであります。
悪しき欲心を持った状態で清い心の方はいません。必ず悪なる部分が心の傾向性にあって磁石のように引き合うのであります。
故に「教祖に従う信者は「ポワ」をよいことだと思って「清い心」で人を殺した。」というのは当てはまりません。
それは勝手な思い込みです。
>>359 大川って自分のことを唯一神エルカンターレでありかつ、
ゴータマの生まれ変わりと称する人ですよね?たしか。
361 :
亭白 :2009/04/13(月) 11:00:58 ID:EMbFjahN
>>360 :神も仏も名無しさん
>>359 大川って自分のことを唯一神エルカンターレでありかつ、
ゴータマの生まれ変わりと称する人ですよね?たしか。
☆間違いなく唯一神エルカンターレでありかつ、ゴータマの生まれ変わりと称する人ですから
呼び捨てにしないようにしてください。
それは地獄に落ちないようあなたのために注意しておきます。
>>360 そうです。仏典から論証していきたいこのスレで、
この新興宗教の経典から貼り付ける人がたびたび現われるので困りますね。
まあ、隠居と同じくスルーが一番なんでしょうけども……
363 :
亭白 :2009/04/13(月) 11:10:54 ID:EMbFjahN
364 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 11:17:13 ID:mZOfz4OL
>>362 思うに
>>189 とか、霊界とか言ってた方も幸福の科学だと思います。
ほとんど一番不可解なのが幸福の科学信者、なんであれを信じられるか理解できない。
365 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 11:20:14 ID:mZOfz4OL
>>359 >宗教性を持った新興宗教にひとが流れていくことは避けられないでしょう。
だったらテーラワーダとかチベット仏教に行けばいいのに、
まあ、それも縁起ですね。
366 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 11:37:05 ID:6iDL2NRC
>>364 まぁ乙女マリアが神の子を生んだというヨタ話を
信じる人もいることですから。世の中は広いです。
367 :
189 :2009/04/13(月) 12:07:12 ID:5rWbMAwX
>>364 私が霊界とか言ったのが気に掛かっている人が、何人かいるようですね?
私は宗教はやらないので幸福の科学とはまったく関係ありません。
それに関してはあなたとほぼ同意見ですよ。
霊界に関しては(死後について)、著書をひとつ紹介しておきましょう。
「神との対話」を愛読していますので、そのシリーズの「神へ帰る」を読むといいでしょう。
368 :
木蓮 :2009/04/13(月) 12:28:29 ID:du5DYKJm
>>354 神智学徒・宝珠愚者
>それは、この公開の場での討論によって、
>閲覧している皆さんにも益するものと考えているからだと思います。
あなたの話が「益」になるという発想が尊大・傲慢である。
オームの「ポワ」のような話は「害悪」でしかない。
あなたの、鈍感な人柄がもろに出てますね。
それにもともと、真言と呼ばれている方へのレスだったのに、
横取りしましたね。 やはりあなたは尊大で鈍感です。
ふたりでメールのやりとりをしていなさい。
369 :
木蓮 :2009/04/13(月) 12:38:17 ID:du5DYKJm
>>354 神智学徒・宝珠愚者
>私は
>>322 さんの解説される、
>ゴータマは業論者であり、行為論者であったとする説明には
>何の反論もありません。すべて同意します。
>私と彼とは、そんなところなんかで見解の相違などありません。
宝珠愚者は神智学から転生や業報を語り、神智学を宣伝としている。
真言と呼ばれる方は、宝珠愚者を縁起論者にしようと考えている。
どちらも相手を折伏しようとしている。
わきから見てると、どちらも尊大であり、傲慢にしか見えない。
自分の方が上だと思い、見下ろしながら語っている。
>>364 >ほとんど一番不可解なのが幸福の科学信者、なんであれを信じられるか理解できない。
世の中、8:2法則が支配している。
その2の部分に‐インチキでも何でも-集中的に訴えかける。
まともな8は無視。
まことに出版商売が上手なお方です。
一時の角川春樹さんみたいなお方ですなあw
371 :
木蓮 :2009/04/13(月) 12:48:22 ID:du5DYKJm
>>358 なんとかの化学・亭白
>木蓮さん 昨日は失礼しました。「モクレン」と書いたら気づくかなと
>思ったのとあなた様をコバカにして笑ったこと、
>この場にてお詫び致します。「申し訳ございませんでした。」
なんのなんの。あなたの洞察力に感心した。
つまらないオヤジギャグで、こちらこそ失礼した。
372 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 13:35:40 ID:iup8DhJB
>宝珠愚者氏へ 輪廻転生など認めたら、大川のような「釈迦の生まれ変わり」の自称者が続々 と出てくるぞ。「言った者勝ち」だからな。具体的には、「生まれ変わり」 かどうかを、どう判定する?教えてくれ。 精神病院に行くと、「イエスの生まれ変わり」と信じ込んでいる患者が必ず いる。「神様」もいるw。 君自身は誰の生まれ変わりか?「イエス・キリスト」かw。
373 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 14:29:06 ID:mZOfz4OL
>>366 キリスト教は、イエスが復活したから信じたわけでしょう。
ユダヤはモーセ、イスラムはムハンマドが同様の奇跡を起こしたから信じた。
>>367 『神との対話』インチキ本じゃないですか、ご隠居と同じ。
>>370 まあ、インチキ本も幸福の科学本も同じようなもの。
>>372 言動をみればすぐ分かる。
374 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 14:37:18 ID:iup8DhJB
>>357 >『大法輪』からだそうです。
>なかなか良いことが書かれてあったので紹介します。
>『誤解される業報輪廻思想』
>
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/blog-entry-1342.html チベット仏教の輪廻転生による「あるがままの受け入れ」を賞賛しているが、
とんでもない誤り。
チベットの仏教徒は「現状不満」で暴動まで起こしている、輪廻転生が何の役
にも立っていないことの、明らかな証拠。デモ行進、政治運動、暴動などやる
のが仏教徒かね。
日本の仏教界が、チベット問題について、ヒステリックな反応を示さず、法句経
の「己が身に引き比べて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」と言う感動的
な言葉を引用するに留まったことは、誠に仏教徒らしい態度であった。
>>361 いやー、世の中の人の大半は釈迦とかゴータマとかいって
既に呼び捨てにしてますよ。
いちいち釈尊とか釈迦牟尼仏とかいわない事も多いと思いますね。
それとも転生前は呼び捨てにしてもいいけど今はダメになったんすか??
呼び捨てにしたくらいで地獄に落ちるなんてことがあるなら、
世の中の大半の人を地獄に落とす存在ってことです。
376 :
木蓮 :2009/04/13(月) 18:04:29 ID:w8ObaRE/
このスレは濁った川。いろいろな魚が住み着いている。 賑やかでいいかな、という見方もあるね。 清い心などとほざく、カルトを見切りました。
377 :
木蓮 :2009/04/13(月) 18:11:37 ID:w8ObaRE/
あっごめん。見切りましたではなくて、見つけましたのまちがい。 天皇妄想とキリスト妄想と仏陀妄想には共通するものがある。 いまそのあたりを探求している(^^)
378 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 18:27:40 ID:7XaTZQgE
>>377 天皇妄想は、終戦と共に、殆ど一夜で解けたが、キリスト妄想と仏陀
妄想は、2000年以上も解けない。この原因は何だろうね。
仏陀妄想は、輪廻転生さえ排除すれば、妄想とはいえないと思う。人間
や現実からの逸脱はない。
379 :
木蓮 :2009/04/13(月) 18:40:10 ID:w8ObaRE/
>>378 戦争に負け、天皇を語っても尊敬されないというあたりですかね。
キリストと仏陀はまだまだ支持者が多い。→妄想の原因
支持者がいないのでは意味がない。日本でムハンマド妄想はない。
輪廻転生は検討の余地がある。しかし業報やカルマを説くなら、
妄想・洗脳・カルトではないかと推測される。
380 :
木蓮 :2009/04/13(月) 19:03:53 ID:w8ObaRE/
妄想や洗脳が成功して、ある程度の支持者ができてしまうと、 それを潰すのは容易でない。芽のうちに潰さないとカルトになる。 共同幻想の成立である。 妄想や洗脳を拡大しようとする力、そしてこれを潰そうとする力、 ここに表の部隊と裏の部隊が生まれ、裏の部隊の「ポワ」が生まれる。 これが仏陀の弟子、神通第一の目蓮が殺された事情だろう。
381 :
神も仏も名無しさん :2009/04/13(月) 19:21:42 ID:7XaTZQgE
>>379 >戦争に負け、天皇を語っても尊敬されないというあたりですかね。
日本人の、生来の「賢明さ」だと思うよ。
382 :
189 :2009/04/13(月) 19:27:34 ID:RIASEneY
>>373 「神対」はあんたが読んでも分らんかったんやろな。結果、インチキ本と決め付けですか?
それでまあ、よく幸福の科学を批判できたもんだわ。
ID:mZOfz4OLは今後無視してもよさそうだ。
383 :
木蓮 :2009/04/13(月) 19:35:30 ID:w8ObaRE/
仏陀の有力な弟子が、自殺したり、他殺されたりしたのでは、面目丸潰れ。 その教えが無益であると見なされ、支持者を失い、組織が崩壊する。 その結果、目蓮の悲劇に作り話が生まれた。 神通第一の木蓮が殺された! そんなバカな、かれには神通力があったはず。 敵の待ち伏せを予想できたはずだ。神通力はウソだったのか? いやそうじゃなかったと思うね。 カルマ落としのために、自分から望んで、飛んで火に入る夏の虫だろう。 目撃者がいないのだから真実は不明。そういった推測も成立する。
384 :
木蓮 :2009/04/13(月) 19:53:12 ID:w8ObaRE/
>>381 その「賢明さ」とは何か。
そして中国人にはないのか。欧米人にはないのか。
インド人やアラブ人にはないのか。
インド人やアラブ人や欧米人に仏陀妄想はないと思う。
インド人や中国人にキリスト妄想はないと思う。
385 :
木蓮 :2009/04/13(月) 20:10:48 ID:w8ObaRE/
賢明さが現実的ということなら中国人の方が上かもしれない。 中国は現実的な国だから妄想が少なそう。 モンゴルならジンギスカン。
チベット各地でのデモ、四川大地震など、チベットの人々の苦難が続いています。 チベットで苦難に遭われた、苦難に遭い続けている全ての人に対して追善法要を執り行います。 チベット追善法要 インド音楽と雅楽 京都常盤 西方寺 四川大地震供養 あわせて、チベット人が多く移り住むインドと日本の両宗教楽器での平和を祈る追福演奏と、 失われつつあるチベットの文化を知っていただくための追福講演をいたします。 2009年5月6日(休) 16:30開場17:00開始 京都には堕落三昧の観光寺院ばかりではない。 連帯!を求めて、孤立を怖れず、 京都にもマトモな仏教者がいることを知っていただきたい。 どうか宗派を問わず、ご参加をお願いしたい。
>>382 私の頭の中では幸福の科学=インチキ
昔、山登りのため、長野の田舎の駅に降りた。すると、
「号外でーす、号外でーす」と駅の前で3人の男性が新聞を配っていたので、
何事だ!!と思って、新聞を貰うと、それは幸福の科学新聞で
記事は「幸福の科学の○○の発言が日本政府に重要な影響を与えた!!」ってな内容の新聞で、一面にはどでかく幸福の科学の信者と思われる大勢の人たちが都会の中でばんざーいしている写真がどでかく乗っていた。
田舎の駅で。ほんと、呆れた。都会でやってたら大問題です。
388 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 00:58:59 ID:zvHPVZa0
仏教の「神通力」に関しては再検討する必要がある。 科学的な証明もないのに、さも存在するかのように語られている。 未熟な人たちは巧妙な言葉に洗脳される。 そして「神通力」なる、怪しげなものを信じてしまう。
389 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 01:07:52 ID:zvHPVZa0
自分には霊能力があると信じている人たちがいる。 かれらはその能力が守護霊からやってくると主張している。 しかし守護霊は死者の霊である。
390 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 01:17:23 ID:zvHPVZa0
自称霊能者たちから連想するのは怪談「耳なし芳一」である。 目の見えない芳一は琵琶を持って夜な夜な墓場に出かけていく。 心配した隣人が後をつけると、 芳一は墓場で、死者を相手に琵琶をひいている。ぞ〜 続きはネットで検索してください。ひと足早い怪談話でした。
391 :
ウッドベル暗黒教団 :2009/04/14(火) 01:24:00 ID:xBPidphx
シッタータもまた「古代の書」を読んだ男なんでっせ。 あの人は「ものつくり」には興味が無くて「宇宙物理学」に興味があったから 魂の重量がどうのとか、宇宙の構造がどうの・・とか弟子に書を読んで聞かせたのや。 弟子は「お経」として宇宙物理学を毎日忘れんように読んでいたのや。 せやから「お経」を読むのも「ざ・コスモス」を読むのも同じ事なんや。
392 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 01:35:34 ID:mz+BOhNJ
仏教国タイの現在の混乱振りはどうか。 やはり、小乗仏教は、どこか間違ってるということだな。
>>224 >仏教の空を認めると、
>彼らの神やイエスが一発で吹っ飛ぶ恐怖感からである。
ふっとばねぇよ、吉外。
イエスもゴータマも、この世は流転する幻。そんな幻には執着するなと
説いた。二人の教えの根幹は同じものだ。むしろ吹っ飛ぶのは、全ての根源
である自性を認めたら、おまえ達の価値観が吹っ飛ぶ、唯物論者達だろう。
おまえらはなんとしてでもそれは認めたくない。なぜならおまえらは、自分達の
エゴが大好き人間だからな。ところでおまえ。我があまりにも強いあまり、
他人とうまくコミニュケーションが取れない発達生涯のかたわの癖に、しゃしゃり出て
くるんじゃねぇよ。我が恐ろしく強いあまり他人とうまくコミニュケーションも
取れないおまえら引き篭もりは、ネット社会でも不愉快なんだよ。
394 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 12:19:59 ID:yzHCxwHA
エル・カンターレをネットで検索したら、 約6億年前に金星から地球にやってきたらしい。 この時代にいた生き物と言えば、三葉虫。 そうするとエル・カンターレは・・・「三葉虫の神さま」ですか? 詳しい方、教えてください。
395 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 12:38:01 ID:yzHCxwHA
エル・カンターレは「大川隆法」のことらしい。 そしてイエスが「父よ」と祈った神は、 このエル・カンターレのことである、とも書いてあった。 そうすると「大川隆法」は「創造神」なのでしょうか? 本当なら「創造神」が発見されたことになる。大発見です。 詳しい方の解説を望む。
396 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 12:50:39 ID:4DpPr/Ft
397 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 12:51:54 ID:4DpPr/Ft
>>395 でも信じるか信じないかは個人の意思だと思うんで
お好きなように信じてください。
私はそうおもわない、というだけですので・・・
398 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 13:09:47 ID:JT3P0y6t
>>394 マウリツィオ・ガヴァロ氏の「私はクラリオン星人にさらわれた私」によると、
金星は6億年前には存在しなくて、他から太陽系に捕らえられたらしいです。
セガリア・シッチンによると、古代シュメールの壁画には金星はありません。
写真入りで紹介しているのは有名です。
太陽系というのは活動していて常に変化しているそうです。
我々が思っているような恒常的ではないのだそうです。
大川隆法氏の本では何故か、区切りのいい数字で地球ができたとか、エルカンターレが
来たとか、信用するに乏しい。どうせ太古なんて人に分からない、証拠なないから、
と思っていたのだろうか?
399 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 14:02:16 ID:GJYq0PgY
>大川隆法氏 大川隆法氏www セガリア・シッチン=大川隆法=オカルト屋93
>>393 お前も不愉快だけどな。
ご隠居にエサを与えるなと何度いったら(ry
401 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 17:22:15 ID:CqyCNwd9
>約6億年前に金星から地球にやってきたらしい。 ここだけ読むと、神智学系のサナート・クマラのパクリなんだけど...
403 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 17:33:42 ID:9kVxrf8T
サナットね。細かいね。
404 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 17:36:41 ID:hULflEVZ
大川について質問した者ですが、貴重な回答をありがとう。 6億年前に金星がなかったとか、神智学のパクリのようだとか、 興味深くて、おもしろい話でした。 わたしもマユツバかなと思っています。 なぜなら、大川は主張だけで証拠を何も示さないからです。 主張だけなら何とでも言えますね。
>>404 金星の表面温度を調べてみてくれ!
はたして、金星に生物が生存できる 環境や条件が あるか?ないか?
学や教養って 大事だなぁと思えるようになるよw
ここまで、無知 無学 無教養だと
東京大学卒って経歴も 怪しいもんだねw
406 :
神も仏も名無しさん :2009/04/14(火) 18:02:42 ID:hULflEVZ
えー東大卒なんですか? 信じられないですね。 だいたい創造神が金星人だったなんて、子供なら喜びそうだけど、 世界から完全に無視されてますね。
>>406 あれだけ 悪魔として虚偽を重ね悪事を積み重ねたら、
もう、6な死に方はしません。
早いとこ、賠償してもらいたいものです
408 :
木蓮 :2009/04/14(火) 19:08:33 ID:V6Tr+Xhv
神智学徒・宝珠愚者が主張している「業報」だけど、 その根拠のひとつが神通第一、仏陀の弟子・目連にあるらしいことが わかった。しかし神通力は仏陀の悟りに合うのだろうか? 仏陀はこの世からの解脱を説いた。あの世のことは無記である。 そんな方が神通力を説いたはずがない。 神通力は、現世利益にまみれ、汚れている。 神通第一が殺されたのでは話にならない。そこでウソ、と推測する。 盂蘭盆を含め、目連の話は虚偽である。
409 :
木蓮 :2009/04/14(火) 19:34:57 ID:V6Tr+Xhv
仏陀はあの世を語らなかったのに、目連の盂蘭盆会の話はあの世の話。 ここからして目連の盂蘭盆会はまったくのウソ、作り話である。 人はこんな簡単なトリックに気づかない。無明。 生まれ生まれ生まれ生まれて暗し、死んで死んで死んで死んで昏し
410 :
宝珠愚者 :2009/04/14(火) 19:48:56 ID:Ox4OwH1L
411 :
木蓮 :2009/04/14(火) 19:58:41 ID:V6Tr+Xhv
>>410 神智学徒・宝珠愚者
あなたはこういうレスをしているから尊大、傲慢なのです。
主張には理由、根拠をつけないとダメ。
あれ読め、これ読めはなしね・・・がっかりするのがオチ
質問者 「輪廻転生は真実でしょうか?」 マハリシ 「無知が存在する限り、輪廻転生は存在する。本当は輪廻転生 などまったく存在しない。今も、今までも、そしてこれからも。これが真理 である」 質問者 「ヨーギ(ヨガ行者)は過去生を知ることができるのでしょうか?」 マハリシ 「あなたは過去を知りたがっている。現在の人生を知っているの かね? 現在を見出しなさい。そうすれば他のことは明らかになる。現在の この限られた知識にあってさえ、こんなにも苦しんでいると言うのに、なぜ より多くの知識の重荷を自分に負わせなくてはならないのか? もっと 苦しむためかね?」 「至高の真我から見れば、この蜃気楼のような世界の中で生を授かると 言う幻想は、「私」と身体との同一化という利己的な無知以外の何者でも ない。真我を忘れ果てた者たちは、生まれては死に、死んでは再び生まれ ることだろう。だが、至高の実在を実現して心が死に果てた者は、生死を 越えた実在の中だけにとどまる。真我を忘れて身体を真我と想いなし、 果てしなく誕生を繰り返し、そしてついに真我を知って真我になるという ことは、世界中を放浪した夢から覚めるようなものだ」
413 :
木蓮 :2009/04/14(火) 20:20:06 ID:V6Tr+Xhv
神智学に、あの世がないことはもう知られている。 この宇宙には、基本粒子モナッドがあり、それがやがて肉体になるという。 転生はあるけど、あの世などない。これが神智学だ。
414 :
木蓮 :2009/04/14(火) 20:42:09 ID:V6Tr+Xhv
目連の話を肯定すると、仏教はオームの「ポワ」を認めることになる。 目連の話を否定すると、神通力も盂蘭盆会も否定されてしまう。 どっちにしてもマズイ。なぜこんなことになったのか? だれかが作り話をでっちあげたからだろう。
415 :
宝珠愚者 :2009/04/14(火) 20:56:49 ID:Ox4OwH1L
416 :
木蓮 :2009/04/14(火) 21:04:16 ID:V6Tr+Xhv
>>415 神智学徒・宝珠愚者
理由を書かないで、あれ読め、これ読めでは失礼だと思う。
これは真言という人も同じ。
あなたの主張だけでは、あなたの妄想のようなものだろう。
417 :
宝珠愚者 :2009/04/14(火) 21:36:06 ID:Ox4OwH1L
>>414 オウムは殺人の肯定に「ポア」というチベット密教ゾクチェンの秘儀を悪用した。
『「時みちればポワを行ぜよ。時いまだみちざるにポワを行えぜば、神々を殺害するにいたる」
といわれているように、まだ本当に死を迎えていないうちに、ポワで身体から意識をぬいてしまうと、
わたしたちの身体に宿る百の神々を殺害することになってしまうからである。』
(ラマ・ケツン・サンポ著『虹の階段』チベット密教の瞑想修行/平河出版刊)
として、まだ息があるうちには決して修してはならないという禁断の法を、
なんと彼らは、自分たちの殺人肯定の“合言葉”として使用した。
理解できる境地に達した者でなければ真義を明かさない思想(伝統)を「密教」(秘教)といいますが、
これら基地外どもがどうにでも曲解、悪用していくのだから・・まさに、これはどうしようもない。
ゴータマのせいでも何でもない。
418 :
木蓮 :2009/04/14(火) 21:39:33 ID:V6Tr+Xhv
話を換え、守護霊についていくつか 守護霊をありがたがっている人たちがいる。でも守護霊は死者の霊であり、 死者とつながることはどうなのかな。マズクない? 死者と話す? 死者と交わる? そんなことやってていいのかな?
419 :
初代スレ7 :2009/04/14(火) 21:47:24 ID:lupDZqjb
>>417 そのことだけに限らず、
『 利用(≒悪用)できてしまう 』、『 悪用を防ぐ言辞が無い 』、
というところに問題があるのさw
解らんかもしれんけど・・・。
≪ 「利用(≒悪用)できてしまう」ということは、「そうした方向性」の要素を(初めから)含有している ≫
ということさ。
おやすみ ノシ
420 :
木蓮 :2009/04/14(火) 21:51:30 ID:V6Tr+Xhv
守護霊を語り、これを重んじる宗派もあるのだろう。 しかし守護霊と聞くと、死者たちの踊りを思い浮かべてしまう。 守護霊などと、いったいだれが言い始めたのだろう。 そんなに古い話ではないと思う。きっと種本があるのだろう。 死者の霊に憑かれ、何が嬉しいのか、わからない。
ポワといえば 美少女戦士ポワトリン
422 :
宝珠愚者 :2009/04/14(火) 21:54:41 ID:Ox4OwH1L
>>419 >解らんかもしれんけど・・・。
>≪ 「利用(≒悪用)できてしまう」ということは、
>「そうした方向性」の要素を(初めから)含有している ≫ということさ。
もちろん、言いた意味は分ってる。
しかし、いくらゴータマが仏陀であり解脱者であろうとも、
経典の教えが人間の原語(言葉)で記されたものである以上、
それは全能ではなく、必然的に限定意を形成する。
一つの事柄を何か言葉にした瞬間--限定が形作られ、本来の姿からは遠ざかる。
>>420 ゴースト ニューヨークの幻
が種です。
424 :
木蓮 :2009/04/14(火) 22:02:17 ID:V6Tr+Xhv
>>422 経典の中にニセモノ、作り話が混じっていることを考慮している?
仏陀の悟りから、逆に推測できるのではないだろうか。
ポワを否定できないような経典はニセモノ。
425 :
初代スレ7 :2009/04/14(火) 22:03:19 ID:lupDZqjb
>>422 そうさ。
だから、多くの註釈がなされるのだ。
だから、龍樹は中論を著わさねばならなかった。その中論も注釈されねばならなかった。
だから、律蔵は制定の因縁が併せて述べられ、付随事項が加えられてゆくのだ。
だから我々は、現代に於いて仏教を運用する際に、
ふさわしい言葉と文脈を紡ぎだす責務を負っているのだよ。
よし、みんな乾杯だー
427 :
宝珠愚者 :2009/04/14(火) 22:17:11 ID:Ox4OwH1L
>>424 もちろん、逸話というものはある。
しかし、モッガラーナの死については実話でなかったとする理由が存在しない。
ここで示されている業報と死の関係についても仏教的には整合性は取れている。
(だから---経典としてこの話は残されているわけですよ)
これを「オカシイ」などと騒ぎ立てるのは、仏教を理解しない者の摂る態度に過ぎない。
>>425 オウムのポワのように、
始めから殺人を意図している者らの前には、どんな注釈も無意味ですよ。
単にそれは正当化の言葉として利用しただけであり、
元々ポアは生存者に修する法ではないとして、誰がどう読んだってそれとして理解される。
しかし、彼らにそんな禁断など無関係。
428 :
木蓮 :2009/04/14(火) 22:36:09 ID:V6Tr+Xhv
>>427 神智学徒・宝珠愚者
業報と死の関係? どう整合が取れている?
そういえば涅槃経にも殺人を容認するかのような記述があったような。
429 :
初代スレ7 :2009/04/14(火) 22:37:29 ID:lupDZqjb
>>427 >どんな注釈も無意味ですよ。
その「あきらめ(→怠慢)」が、魑魅魍魎の跋扈を許しているのだ。
貴方も、そうした伝統諸宗派の怠慢を非難する立場じゃなかったんですか?
貴方にも、悪用を防ぐ言辞の模索が課せられているのではないですか?
>ここで示されている業報と死の関係についても仏教的には整合性は取れている。
大雑把な整合性ならね・・・。
430 :
宝珠愚者 :2009/04/14(火) 22:52:25 ID:Ox4OwH1L
>>428 >そういえば涅槃経にも殺人を容認するかのような記述があったような。
ゴータマへのチュンダの供養の話か?
『お釈迦さまは八十歳でお亡くなりになったが、その直前、最後の食物の供養を捧げたのは、鍛
冶屋のチュンダである。チュンダの供養したキノコ料理を食したお釈迦さまは、そのために具合を
悪くされたと伝えられている。
お釈迦さまはお弟子のアーナンダに、おっしゃった。「私が死した後、チュンダを責める者がある
かも知れない。その時は伝えなさい。私が悟りを得た時の食物の供養と、私への最後の食物の供
養は、さまざまな供養の中でも、特にすぐれた供養であることを」。』
(『ブッダ最後の旅 ― 大パリニッバーナ経』中村元訳)
>>429 >貴方も、そうした伝統諸宗派の怠慢を非難する立場じゃなかったんですか?
>貴方にも、悪用を防ぐ言辞の模索が課せられているのではないですか?
もちろん、その通りですが・・
教えの本質を捻じ曲げることではない。
誤解を説くよう、誤解を招かない説明のあり方について必要だと思う。
仏典の言葉だけでは理解できない者にはどうするか?
その辺りは模索中・・。
431 :
木蓮 :2009/04/14(火) 23:01:26 ID:V6Tr+Xhv
>>430 神智学・宝珠愚者
チュンダの話は、仏陀に神通力がなかったことの証明だろう。
まして目連に神通力などあるものか。
涅槃経は謗法者を殺すことを認めているのではないか。
チュンダの話ではない。
432 :
初代スレ7 :2009/04/14(火) 23:09:31 ID:lupDZqjb
>>430 私が書き込みを続けてきたのは、
貴方に、そうした(向上の≒前向きの≒未来へ向いた)方向性が垣間見えるからです。
(私が思いもよらないような、21世紀にふさわしい言辞に、このスレで出会えるかもしれないと思ったからですw)
子供に、包丁やナイフの使い方を教える時、(一度や二度は指を切る経験も必要だと思うがw)、
その危険性をきちんと示すのが、先達の責務だろうと思うのだ。
そしてその言辞は、単なる孫引き・引用でなく、咀嚼し消化した「自分の言葉」であるべきなのだろう、と・・・。
その意味で、(2chの参加者は)皆、学びの最中であろう、と・・・。
貴方にこそお願いしたい。 私のレスを、スレ1から、何度も熟読してくれ・・・。
ほんとにおやすみ zzz
大乗の涅槃経の話だね。
434 :
木蓮 :2009/04/14(火) 23:17:13 ID:V6Tr+Xhv
涅槃経は大乗涅槃経のこと。 ここに「謗法者なら殺してもいい」ようなことが書かれているという。 仏教の経典の中に、こういった恐ろしいものが混じっている。 目連の話も、虹の階段も同じである。
確かに、破戒の比丘の迫害から守るために、その比丘を殺す王の比喩があるが、 それは、殺人を肯定しているわけではない。 教えを守護するために、刀や杖を持つべきと言っているだけ。 それを拡大解釈したのが僧兵。 オウムのポアというのは、チベット密教よりもどちらかというと、この話の方が 近いと思う。
>>434 あなたの場合は
「神通など無い。仏法を誹る者であっても殺してはならない」と認識していて構わない。
しかし、それはあなたの場合であって、世の中には実に多様な人がいる。
その人、その人の機縁に応じて、法はその現れ方を変える。
そして今のあなたはそれを知るべき時に至っていない。
恐ろしいものが混じっているという感覚はまったく正しい。
その感覚を研ぎ澄ます方が、多様な他者をしることよりも早道になる。
以上。
比喩は間違い。釈迦の過去世の話だった。
438 :
木蓮 :2009/04/15(水) 12:09:59 ID:lCyuGvoB
>>436 >しかし、それはあなたの場合であって、世の中には実に多様な人がいる。
>その人、その人の機縁に応じて、法はその現れ方を変える。
>そして今のあなたはそれを知るべき時に至っていない。
意味不明。歯に衣をかぶせたような発言になっている。
あなたはオームの「ポワ」を認めているのか?
439 :
木蓮 :2009/04/15(水) 12:17:36 ID:lCyuGvoB
神智学に、あの世がないことはもう知られている。 この宇宙には、基本粒子モナッドがあり、それがやがて肉体になるという。 転生はあるけど、あの世などない。 そして基本粒子モナッドは銀河系に600億個あるという。 神智学徒・宝珠愚者によれば、500億個or600億個or700億個 この考え方は唯物論ではないのか?
440 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 12:22:09 ID:zaDlv0jq
そんなことは神智学スレで聞きなよ。
441 :
木蓮 :2009/04/15(水) 12:31:09 ID:lCyuGvoB
>>427 神智学徒・宝珠愚者
>しかし、モッガラーナの死については実話でなかったとする理由が存在
>しない。ここで示されている業報と死の関係についても仏教的には整合性
>は取れている。(だから---経典としてこの話は残されているわけですよ)
あなたが言う、業報と死の関係とは、どのような関係なのですか?
また、仏教的な整合性が、どのように成立しているのですか?
442 :
木蓮 :2009/04/15(水) 12:43:31 ID:lCyuGvoB
>>417 神智学徒・宝珠愚者
>『「時みちればポワを行ぜよ。・・・』・・・ 『虹の階段』・・・
>理解できる境地に達した者でなければ真義を明かさない思想(伝統)を
>「密教」(秘教)といいますが、これら基地外どもがどうにでも曲解、
>悪用していくのだから・・まさに、これはどうしようもない。
>ゴータマのせいでも何でもない。
ブッダが「ポワ」を説くだろうか? なぜゴータマの名前が出てくる。
>>438 神や霊の世界に首を突っ込んでいい人といけない人がいる。
キミはやめとけ。必要ない。
と、ここまで言えば少しは通じるのか?
オウムとかポワとか、認めるとか認めないとか私にとってはどうでもいいことですよ。
札束と一緒に屋根裏に隠れてガタガタ震えてたような男が、
一時的な万能感に浸って人を殺す快感に浸っていたことに、
いちいち宗教的な意味を見出そうとする人間がいる方が驚き。
>神や霊の世界に首を突っ込んでいい人といけない人がいる。 人によって、学習することが禁止されるような知識は、 人類にとって普遍的な知識とは、なり得ない。 テキストの解釈によって、殺人教唆になったり、修行法になったりするもの など、人にとっては有害でしかないのだ。 従って、仏教の経典は役に立たないとみなし、全て捨て去るべきである。
>>444 密教とか認めない、というスタンスは時々ある。
それもそれでいいんじゃない?
そう思うなら仏教のスレから去ればいいと思うよ。
誰も止めないだろうし。
446 :
木蓮 :2009/04/15(水) 18:26:04 ID:zA2Xy4mb
>>417 宝珠愚者
>『「時みちればポワを行ぜよ。時いまだみちざるにポワを行えぜば、
>神々を殺害するにいたる」といわれているように、
>まだ本当に死を迎えていないうちに、ポワで身体から意識をぬいてしまうと、
>わたしたちの身体に宿る百の神々を殺害することになってしまうからである。』
>(ラマ・ケツン・サンポ著『虹の階段』チベット密教の瞑想修行/平河出版刊)
この引用には驚いた。こんな経典があるのかと恐くなった。
時がみちたとか、時がみちざればとか、そんなことをだれが判断するの?
教祖か? 有力な弟子たちか? 一般の信者か?
447 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 18:36:10 ID:nJxyl4B+
そして、時が満ちたと判断した麻原の命令でサリン事件が起きたわけか。 やれやれだね。
オウムのポワは、言葉を踏襲してるだけで実際にはただの殺人。 霊的な何かをしてるとかそーゆー次元の問題として考えるのはどーかと思うよ。 あれはいわゆる殺人事件。
449 :
木蓮 :2009/04/15(水) 18:40:54 ID:zA2Xy4mb
>>443 >神や霊の世界に首を突っ込んでいい人といけない人がいる。
>キミはやめとけ。必要ない。
>と、ここまで言えば少しは通じるのか?
理由のない、単なる主張では意味不明。
>オウムとかポワとか、認めるとか認めないとか
>私にとってはどうでもいいことですよ。
あなたの信じる密教が「ポワ」を認めるかどうかは重要だろう?
認めるなら犯罪集団になる。
同じ経典を信じていたら、同じことをやる可能性がある。
450 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 18:47:36 ID:nJxyl4B+
麻原自身がどのような認識で命令を下したのかは、わからんが教義を利用したのは事実。 また実行犯たちは、その教義を信じて実行したわけだ。 少なくとも、殺人の正当化に利用される危険な思想であることは間違いない。
>>449 理由はもう書いたじゃないか。
密教なんてなくったって悟りに向かって精神を研ぎ澄ましていくことはできるんだから、
いちいち首なんか突っ込む必要ないってこと。
むしろ遠回りになることの方が多い。だから秘密の経典なんだろうに。
> あなたの信じる密教が「ポワ」を認めるかどうかは重要だろう?
いや、別に犯罪行為には興味ないし。犯罪はどうかと思うよ。社会的に。
毒ガスで大量殺人したり、殺人して機械で骨とか砕いて証拠隠滅のために捨てたり、
そういうのが密教かと言われれば全く違うだろ。
オウムってのは、ヒーローごっことか、秘密基地ごっこの感覚で
チベット仏教ごっことか、ロシア正教ごっこしちゃってるわけでしょ。
しかも現実に金と権力つかって、犯罪行為をすることで自分のヒーロー気分を満喫しようとした。
そんな「ぼくヒーロー」「ぼくは転輪聖王で、しかも仏陀で、最終解脱したんだぞー、すごいんだぞー」
とか言ってるお子ちゃまの精神性が密教の真髄だということはまったくないと思いますよ。
>>450 それはアレだね。麻原が毒ガス製造の過程で水を使ったから、
水は毒ガス清造につかわれる可能性のある危険な液体だというのと同じ論理だね。
453 :
木蓮 :2009/04/15(水) 18:55:42 ID:zA2Xy4mb
>>450 経典が殺人の正当化に利用された、まったくその通りですね。
麻原とかって、ぶっちゃけ頭おかしいわけじゃん? そいつらが「これのせいで俺は人を殺すんだ〜」とかいってたって、 そんなのまともな人間が耳貸したらダメだと思うよ?
455 :
木蓮 :2009/04/15(水) 18:59:52 ID:zA2Xy4mb
456 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 18:59:54 ID:nJxyl4B+
>>452 それもよくある自己正当化の詭弁だな。
密教の教義の中に明らかに殺人を許容する記述があるのにそれを無視してはいかんね。
オウムとかって、結局、自分の気にいらないから殺しただけでしょう? いったいどの辺が仏教的なのかと。 もうちょっと頭冷やせよ。オウムって普通に頭おかしいぞ? オウムの言ってることなんて、全然論理破綻してるんだってことに早く気づいてほしいね。
458 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 19:06:04 ID:twG5Ntgj
そもそも、仏教ではおもいっきり 「殺すな」って言ってるわけだからね。 不殺生。 これが仏教の大きな教えの一つ。オウムはこれをなんかわけのわからん理屈をこねて破った。 しかも、仏教では嘘をつかないことも大事な教えなのに、これも破った。 オウムは仏教でもなんでもないんだよ。
>>456 密教の教義について話すんなら話せば?
まず何故殺人はいけないのか、みたいなところからかなりはなしていかなきゃいけないし、
そもそも悟りとは何か、そのために必要なプロセスとは何かについて整理しないといけないけどね。
もしできるなら話せば?
でも、オウムが正当化につかったら云々ってのは話にならないよ。
460 :
木蓮 :2009/04/15(水) 19:17:17 ID:zA2Xy4mb
>>458 ブッダの原点に帰れば、「ポワ」など簡単に一蹴できる。
そんな可能性を認める経典を認めなければいい。
しかしこのスレには、「ポワ」に惑い、それができない人もいる。
461 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 19:18:18 ID:55A92Hif
オウムを本物だと言っていた宗教学者や評論家がいたことを 私たちは忘れてはならない。 彼らはなぜ本物だと受け止めたのであろうか。 彼らは反省したのであろうか。 私たちの中にも彼らと同じような芽が隠れていないか日々反省したい。
462 :
木蓮 :2009/04/15(水) 19:26:47 ID:zA2Xy4mb
>>459 それではあなたに聞くけど、
ブッダは毒キノコにあたって亡くなったわけだが、
この経過を見ればブッダに神通力はなかったと言えないだろうか?
ここで神通力とはいわゆる六神通。
>>462 キノコ説も豚肉説もあるけど、いずれにせよ毒と承知していて食べた可能性もあるし、
そうとは知らずに食べた可能性もあるし、そこは分らない。
悟りを開くと恐怖を避ける必要がなくなるし、嫌だという考えも基本的にはないから、
その食事を食べる事が全体としてどういう意味を持つかということでしか動かないかもしれない。
つまり、毒でも食べる可能性はある。
いずれにしても神通力があるかどうかとか、割とどうでもいい問題な気がしないでもない。
(漏尽通は別として)
464 :
木蓮 :2009/04/15(水) 20:18:03 ID:zA2Xy4mb
>>463 何を言ってるのか意味不明。
常識的には、いわゆる神通力などなかったのだと思う。
ブッダにないのだから、まして目連に神通力などあるはずがない。
ブッダの食中毒は目連の話が作り話だという証拠である。
それに、ブッダの有力な弟子が「カルマ落とし」で殺されたわけだが、
これも理解できない。ブッダの教えは縁起であり、
殺されることによる「カルマ落とし」などであるわけがない。
465 :
木蓮 :2009/04/15(水) 20:24:18 ID:zA2Xy4mb
目に見えるものでも、見えないものでも、 遠くに住むものでも、近くに住むものでも、 すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、 一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。 ・・・スッタニパータ 8.147
466 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 20:33:06 ID:nJxyl4B+
>>459 誰が密教の教義について話すなどと言ったか?
俺が書いたのは密教の教義に殺人を許容していると受け取れる記述があると言っただけだろ?
何論点すり替えてるの?
それを麻原が利用した。
どこが間違っている?
467 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/15(水) 21:59:23 ID:uIKFAL5e
お釈迦は仏に成ったんだから再生しないよ〜。 死んだっきりだね。 解脱したから生まれ変わらないらしいし。 釈迦以外に悟りを開いた人を知ってる? 居ないよね? それは、悟り自体が無いからかな? 釈迦の悟りを証明できる? 何か胡散臭いと思わない? 何か変だね。
468 :
宝珠愚者 :2009/04/15(水) 22:05:45 ID:3nLRviZI
>>432 これは、一応〜褒め言葉でしょうか??(笑)
それはどうも有難うございます。しかし、その期待には添えないと思う・・。
でも、まぁ〜純粋な仏教徒といった人間などではない私だからこそ、
仏教改革に向けて何かできるような・・
ていうか、何かできないだろうか?という想いかな。
つまり、自分から見た現代仏教(界)に対する不満といったものです。
ただこの中には、
「転生というものはない(そんなものは説いてない)」
というのが正しい仏教だとする虚偽を駆逐し、
これらが誤解や勝手なご都合主義に過ぎないことを論証することも含みます。
---私は、これが第一のスタートだと思っています。
>何度も熟読してくれ・・・。
はい、7さんのお気持ちは分っているつもりです。
469 :
封印しよう :2009/04/15(水) 22:06:16 ID:zA2Xy4mb
人間の世界と、死者の世界は、切り離されている。 人間が死者と交流することは許されていない。 死者が人間と交流することは許されていない。
470 :
宝珠愚者 :2009/04/15(水) 22:08:33 ID:3nLRviZI
>>450 あなたの主張は子供と一緒です。
交通事故死を無くすべく、車を無くせとか・・車の発明者を罵るのと全く同レベルです。
>>456 >密教の教義の中に明らかに殺人を許容する記述があるのにそれを無視してはいかんね。
それはどれのこと?
私はそんなものはないと思ってるけどね・・。
*是非、その根拠となる出典引用を宜しくお願いします!
471 :
封印しよう :2009/04/15(水) 22:15:31 ID:zA2Xy4mb
人間が死者と交流することは許されていない。 死者は死者の業を、自分自身で果たすことが求められている。 生きている人間が、死者の業を死者の代わりに果たすことは誤り。 生きている人間は死者の世界に干渉できない。
472 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/15(水) 22:20:36 ID:uIKFAL5e
死後の世界はお釈迦が考え出したの? お釈迦の弟子なの? その後の仏教指導者なの? 教えてください。
473 :
封印しよう :2009/04/15(水) 22:23:40 ID:zA2Xy4mb
死者が人間と交流することは許されていない。 死者には、生きている人間を支配することが許されていない。 死者はこの世の出来事に責任を取れないからである。 死者は生きている人間に干渉できない。
474 :
封印しよう :2009/04/15(水) 22:31:16 ID:zA2Xy4mb
>>472 死後の世界があればの話です。仮定の話なので安心してください。
守護霊など、霊界と交流したがる人が増えたので警告です。
錬金術で死者が蘇るらしいが…
476 :
宝珠愚者 :2009/04/15(水) 22:37:06 ID:3nLRviZI
>>431 >チュンダの話は、仏陀に神通力がなかったことの証明だろう。
(同様
>>462 )
ゴータマはすでに80歳の高齢でした。
「すでに成すべきことを成し終えた」と判断して、
解脱者というものは自ら意図的に死去する(肉体を捨てる)のですよ。
おわかりか?常識中の常識です。
解脱者はその気になれば、更に何十年だろう何百年だろうとも延命可能です。
477 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/15(水) 22:38:43 ID:uIKFAL5e
>>474 心配して下されて、有難うございます。
死後の世界も仏教も他の宗教も信じてはいません。
生きている今が花と思い幸せに成る事が一番と信じています。
478 :
宝珠愚者 :2009/04/15(水) 22:43:32 ID:3nLRviZI
>>446 熟達した密教行者に決まってるでしょ。
これは「死者のポワ」と呼ばれるもので、殺人なんかじゃないから。
“生きてるうちに修してはならない”と、そこでも言ってるでしょ!
『人の臨終のまぎわ、または死者の意識がバルドにある間、瞑想にたくみでバルドの状態にもよくつうじ
ている密教行者が、死者の意識を追いかけ、つかまえて、悪い生存におちこまないようにするポワである。
すでに身体をぬけだしてバルドにある意識にポワを行うためには、死者の意識がバルドのどの状態に
あるかを正確に見ぬく透視力と、その意識をつかまえ、ひきあげられるだけのヨーガの能力とがそなわっ
ていなければならない。そういう行者なりラマなりが身近にいてくれれば、すでに完全な死の状態にある者
の意識をポワして、最悪の事態からまぬがれることができる。けれども、この「死者のポワ」を行ってくれる
行者は、死者の運命を救おうという深い慈悲につきうごかされてやってくるような、すぐれた心の持ち主を
選ぶ必要がある。』
(ラマ・ケツン・サンポ著『虹の階段』チベット密教の瞑想修行/平河出版刊)
あなたはとにかく、何も分ってない・・。あまりの無知蒙昧。
小学を出てない者が高等教育の内容について批判(議論)しようなど、
そもそも話しに成らず論外ですよ。
479 :
封印しよう :2009/04/15(水) 22:45:18 ID:zA2Xy4mb
>>476 妄想愚者
あなたも早く解脱して、何百年でも何千年でも長生きしてください。
480 :
宝珠愚者 :2009/04/15(水) 22:45:25 ID:3nLRviZI
>>476 訂正
×解脱者というものは自ら意図的に死去する
○解脱者というものは自ら意識的に死去する
481 :
神も仏も名無しさん :2009/04/15(水) 22:49:15 ID:U0IOZcWy
>>476 ちょっと違うな。
人生は生まれる前にすでに計画されているんですよ。
一般的に、死のときにはなんとなくそれが分る。
それに人生の一大事の前にも自分の意識に忠実に従っているなら予感があることが分る。
起きた後で分ったりするんです。
本来人間はかなり長く生きられます。
でも一般的に寿命は誰もが考えている通りです。そういうこの世界に生まれてくることを選んだのです。
仏教とは離れた別の話しです。
482 :
封印しよう :2009/04/15(水) 22:57:45 ID:zA2Xy4mb
483 :
封印しよう :2009/04/15(水) 23:11:29 ID:zA2Xy4mb
守護霊の種本は、ニューヨークの灯ではなくて、スエデンボルグあたりか。 ただ、スエデンボルグの場合は、死者の霊ではなく、天使が守護役になる。 天使がどこで死者の霊になったのか不明。
484 :
封印しよう :2009/04/15(水) 23:29:08 ID:zA2Xy4mb
生きている人間と、死んだ人間が交流すると、 業報が混乱し、カルマの法則が混乱し、神の秩序が混乱する。 死んだ霊に支配された人間が、殺人事件を起こしたらどうなる? 業やカルマはだれに行く? 死んだ霊か、それとも、その霊に支配された人間か。
485 :
封印しよう :2009/04/15(水) 23:39:48 ID:zA2Xy4mb
生きている人間と、死んだ人間の間には境界線がある。 この境界線を越えて交流するのは邪道である。 耳なし芳一は、死んだ霊と交流し、墓場で夜な夜な琵琶をひいた。 そのために両耳を失うことになった。 死んだ霊と交流することは危険である。よいことはない。
>>476 >解脱者はその気になれば、更に何十年だろう何百年だろうとも延命可能です。
「つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない。」
スッタニパータ 1119
おまいら魑魅魍魎カルトはとことん世俗諦二項対立相対主義者だなw
延命もへちまも、無常=無我=縁起=空=中道という仏教の本義から直覚すれば、
生死を相対と見るのはおまいが無明そのものだからだ。
487 :
486 :2009/04/16(木) 09:33:50 ID:Q2ku66Np
訂正 × おまい(単数) 〇 おまいら(複数)
488 :
封印しよう :2009/04/16(木) 12:41:10 ID:sp5tOLFf
ブッダの弟子、神通第一の目連は他宗派の待ち伏せで殺されてしまった。 目連に神通力などなかったことの明白な証拠である。 師匠のブッダも毒キノコで命を落とした。やはり神通力はなかった。 当たり前だろう。ブッダは神通力など説いていない。 ブッダが説いたのは縁起・中道である。
>>488 聞きたいんだが目蓮の神通力っていうのは危険を100%の確率で予知する能力なのか?
冥想している時に地獄とか天界とかの様子をビジョンとして見るだけの能力なんじゃないのか?
490 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 12:54:13 ID:gpUArJXx
>>488 仏陀も、異常は気付いていたのではないか。食物の異常は、誰にでも
判ること。
しかし、弟子が折角作ってくれたのだからと、無理して食べたのでは
ないだろうか。
そこに仏陀の、人間に対する深い慈愛を感じるね。
491 :
486 :2009/04/16(木) 13:02:35 ID:Q2ku66Np
後世の馬鹿坊主連中の贔屓の引き倒しでっち上げを、 経典に書かれている(宝珠愚者のお得意理由)だけで信じるなど ナンセンス過ぎる。 振り込め詐欺に引っかかる連中と変わらないw 大川隆法のインチキに引っかかるのとおなじだな。
492 :
封印しよう :2009/04/16(木) 13:03:42 ID:sp5tOLFf
六神通のなかに宿命通がある。 これは自分と他人の過去生をみる能力らしい。 目連にもこの能力があったとされる。 結論から言えば、これはまったくの作り話である。 宿命通なる能力は、ウソであり、妄想であり、100%存在しない。 前世とか来世を語る「自称霊能者」は真っ赤なニセモノである。 ブッダにもそんな能力はない。当然、目連にもない。 だから当然、自称霊能者にもない。
493 :
封印しよう :2009/04/16(木) 13:11:03 ID:sp5tOLFf
>>489 目連は待ち伏せを100%予知したが、前世のカルマ落としのために
わざと殺されたという。あの世が見えるぐらいだから、
この世のことはそれ以上に見えるのだろう。
494 :
封印しよう :2009/04/16(木) 13:18:27 ID:sp5tOLFf
>>490 それはどうかな?
ブッダは、具合が悪くなってから、料理したチュンダをかばっている。
しかしかばうぐらいなら、最初から食べるなよって言いたい。
とんちんかんな話になる。
>>492 > 六神通のなかに宿命通がある。
> これは自分と他人の過去生をみる能力らしい。
> 目連にもこの能力があったとされる。
そうですか。でも過去を知ったからといって危険は察知できないのでは?
将来的に殺されそうだということは分っても、いつどこで待ち伏せているかを
知ることは別では?
> 宿命通なる能力は、ウソであり、妄想であり、100%存在しない。
> 前世とか来世を語る「自称霊能者」は真っ赤なニセモノである。
理由が皆目書かれていませんが、
それはあなたの信仰ですか?それともこの判断には根拠があるのですか?
> 目連は待ち伏せを100%予知したが、前世のカルマ落としのために
> わざと殺されたという。あの世が見えるぐらいだから、
> この世のことはそれ以上に見えるのだろう。
あの世が見えるからといって、この世のことが見えるとは限らないのでは?
まずは、本当に予知していたという事についての判断理由をおしえてください。
496 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 15:12:06 ID:HnIp4I+R
>>495 ここまで来て仏教は輪廻を説かないとか、「自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)を打ち破って」とか言ってる人は、
なんの根拠もない信仰・信念を述べてるだけなのでスル〜するのがよろしいかと思います。
497 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 16:01:57 ID:fEOmta2Z
>>496 大昔の開祖や教典の「言葉」だけに執着し、現代人の知識と知性でそれを
取捨選択しようとしない者を、「カルト」「原理主義」「逐語霊感」と呼ぶ
のだよ。
オウムが使ってた → 密教は邪教 目蓮が殺された → 神通力は存在しない とても現代人の知性とは思えない件。
というか、解脱すれば寿命も思いのまま。何万年でも生きられる。 なんか、宝珠はインドの聖者が3万年だか、生きてるとか言ってたような。 お前ら、マジでこんな話信じてるの?中学生にも笑われるぞ。 こういうことを信じ込んでるやつとは議論以前の問題だと思うがね。 仏典にどのように記述されているかなどを精査するより、自分の思考を 疑ってみたほうが良いと思うがね。 そういえば、お釈迦様はスーパーマンみたいに、空を飛びまわってた などとも言ってたな。「仏陀マン」なんてのを主人公に漫画でも描いたら?
500 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 16:15:02 ID:KgCNALUu
>>499 その話は『ヒマラヤ聖者の生活探究』に書いてある。
なぜ3万年も生きることが可能なのかは、この本を読んだだけでは分らない。
まあ、だけどそのレスからみるとあんたは生涯中、縁がないかもしれないと思ったりする。
>>499 いや、それは信じてない。
ハチミツと日光だけで生きられるとか、いろいろな話を聞いたりはするが
あやしいとしか思わない。(個人的には)
ヒマラヤ聖者〜とかの本も、個人的に面白いとは思うが現実的にありかといわれると
非常にあやしい。
しかしながら「本当に否定できるか?」といわれると、否定しきる理由がない。
そしてまた当然ながら「肯定できる」という前提に立つのは危険すぎる。
結局考えても無駄なんじゃないかと思うんだが(俺的結論)、
どうしても結論導きたいなら少なくとも論理性は通してもらいたい。
仏典は創作されたものが大半なわけだが、ソースがここにあるというのは豆知識的には
意味がある。
502 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 16:53:28 ID:NGFcQxJC
3万年生きてる? ホントにそんなこと信じてるバカいるの? 輪廻うんぬんの話どころじゃないだろ? 「俺は神様だ」って言ってるのと同じレベルじゃん
空中浮遊とかはあるよ ヨガの世界ではね 高次元のレベルで動いているから 物理法則の支配からある程度自由でいられる
504 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 17:15:10 ID:NGFcQxJC
それってもしかしたら麻原が座禅くんで足バタバタさせて飛び上がってたやつか?
>>504 もちろん超能力=精神的発達が高いではないよ。
でも、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』という
有名な本には、そういう世界が紹介されている。
ヨガの世界ってのはなんでもありなんだ。
506 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 17:39:36 ID:NGFcQxJC
つまり、ヨガやれば超能力が身に付き空中に浮かぶことも出来ると?
507 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 17:42:02 ID:QphHHkbg
インド軍でも取り入れ始めているらしい。
509 :
封印しよう :2009/04/16(木) 18:05:57 ID:ZVNz8a6+
飛び上がれば、だれだって空中に浮く。瞬間的だけどね。 足を使った麻原がそうだったよね。 三段跳び・棒高跳びなんか、思いっきり空中浮揚だろう。
510 :
封印しよう :2009/04/16(木) 18:20:09 ID:ZVNz8a6+
>>495 あなたは、「あの世」を見るのと、「この世」を見るのと
どちらが難しいと思う?
だいたいあなたは、「あの世」の存在を信じているだろうか?
>>499 昔、レインボーマンっていなかったけ?
アノクタラサンミャクサンボダイ、とか唱えていたよ。
512 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 18:24:09 ID:7olSU5MA
>>509 >瞬間的だけどね。
連続写真であることがその可能性を否定してる。
513 :
封印しよう :2009/04/16(木) 18:31:08 ID:ZVNz8a6+
>>512 浮かびたい人はかってに浮かんでてかまわないと思う。
少しくらい浮いても、何の役にも立たない。
ピョンピョン飛んでいるのを連続で撮影して、もっともらしく並べた可能性はないのか?
515 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 19:31:10 ID:NGFcQxJC
インド軍が取り入れてる? マジか?
516 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 20:06:59 ID:+JepJ3BS
空中浮遊ならエガちゃんの十八番だな
空中浮遊ってwww 麻原というインチキの見本があったばかりなのに、よくこんなのを信じられるね。 輪廻転生を信じてる奴って、こんなレベルなのかよ。 カルトだとか、それ以前に人間性を疑うよ。
518 :
宝珠愚者 :2009/04/16(木) 20:38:53 ID:8yQZtPib
>>482 卑怯な奴だな!
アクセス規制かけたんだね!
---身勝手な主張ばかりしておきながら議論から逃げる気だ・・。
>>486 しかし何度、言っても・・・
「自我(アートマン)に固執する見解」というのは、
正しくは、「アートマンではないものをアートマンであると固執する間違った見解」のことです。
延命可能はゴータマ自らの言葉でも分ること。
『尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限り
この世に留まってください。――多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の
人々をあわれむために、神々と人間との利益のために、幸福のために。
アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば、修行完成者はお前の二度にわたる
(懇請の)ことばを退けたかもしれないが、しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。
それだから、アーナンダよ、これはお前の罪である。これはお前の過失である。』
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
519 :
宝珠愚者 :2009/04/16(木) 20:41:07 ID:8yQZtPib
>>488-489 >ブッダの弟子、神通第一の目連は他宗派の待ち伏せで殺されてしまった。
>目連に神通力などなかったことの明白な証拠である。
>冥想している時に地獄とか天界とかの様子をビジョンとして見るだけの能力なんじゃないのか?
事前に全て分っていたし、その場は逃げることも十分にできるが、カルマが消化するまでは
また同じような機会が再び巡ってきてキリが無いことを知っているから逃げるのを自ら辞めたのです。
結果的には、その方が解脱に早いことになるから。
まったく・・デタラメ(自己都合-解釈)ばかりですねぇ。
>>490 それは表向きの見方です。
真実は-解脱者の死期は自らが決めるのです。
520 :
宝珠愚者 :2009/04/16(木) 20:42:58 ID:8yQZtPib
>>499 >というか、解脱すれば寿命も思いのまま。何万年でも生きられる。
>なんか、宝珠はインドの聖者が3万年だか、生きてるとか言ってたような。
>そういえば、お釈迦様はスーパーマンみたいに、空を飛びまわってたなどとも言ってたな。
あ・た・り・ま・えの話ですね---これ常識(笑)
ヨーガスートラくらいは一読して欲しい。
まっ、仏典も読まないのだから、話にならん・・
これは理解力の問題ですね。
521 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 21:14:54 ID:NGFcQxJC
常識なのか?いったい何処の常識なんだ? 少なくとも、日本の常識とは思えないがインドでは当たり前なのか?
522 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 21:40:30 ID:NGFcQxJC
なんかおかしくね? 仏教やってる奴はみんな、こんなオカルト本気で信じこんでるわけ? 俺は宗教じたいは決して否定するものではないが、空中に浮かんだり、何万年も生きてるだの言われたら、そら引くわ。 神はいるってのなら、まだついてけるがね。
523 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 21:45:50 ID:+JepJ3BS
弘法大師が奥の院で今だに生きてるとか聞いたことあるw
524 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 21:50:12 ID:EZ8w2qVJ
>>522 空中浮遊はよくわからない。
ヨガで体を鍛えたら、できるのかもね。
それができようが、できまいが、実際問題大したことじゃないよ。
浮いたからって今の人間の問題が解決するわけじゃないからね。
何万年も生きるっていうのは、人間の肉体としてはないだろうね。
ただ、輪廻というか、転生は、たぶんある。魂っていうのがどういうものなかはわからないけど、これはたぶん間違いなくある。
輪廻も多分、ある。
魂的なものっては必ずあると思う。それがモノとして存在するか、はたまたそうではない何かエネルギーなのか、それはわからないけれど。
宗教ってのは、方便ってのが存在する。
神って言葉だって、言葉でしかない。だから理解させるためには、言葉を使って行かなくちゃならない。
大事な事は、全てを既存の科学で記述しようとしても、何も解決しないって事だと思う。
525 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 22:12:04 ID:KgCNALUu
既存の常識に縛られていては本当の現実(真実)はわからないの!
もし、空中浮遊ができるのであれば、 ヨガ行者が、オリンピックの走り高飛びに出場したら 簡単に優勝してしまいますねw 物理法則に反することは、いくら修行を積んでも、できる訳ありません。
だから悟ると世界は奇跡らしいし、受精卵が人になるまで大きくなるとか凄い奇跡らしいけど、 何故か些細な、物が浮いたよ、幽霊が出たよ、とかの変化を普通の人は騒ぐらしい
528 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 22:18:21 ID:EZ8w2qVJ
>>526 ただね、ヨガの業者はたとえば30分くらい息をとめたり(水に潜る)、ずっと飲まず食わずだったり、
自力で心臓を止めたり(実際に止まる)、致死量の毒薬を飲んだり・・
ほんとにやるんだよ。今でも。
>>510 その人に見えるあの世を見る方が、
その人に見えないこの世を見るよりは簡単だろうと推測される、としか言えない。
個人的にはあの世の存在は一応あるかもしれないと思っているが確信は全くない。
自我や表層意識は消えると思うんだが、精神の「底流にある一定の領域というかベクトル」みたいのは
残るんじゃないかと思ったりすることがある。しかしやはり確信はない。
でも自分にこの世しか見えないからといって、他の人もそうとは言えないとは思う。
仏典にある足歩虚空とかは、まずウソだろうと思う。
これも確信はない。でも個人的には無理な気がしてならない。
>>519 > 事前に全て分っていたし、その場は逃げることも十分にできるが、カルマが消化するまでは
> また同じような機会が再び巡ってきてキリが無いことを知っているから逃げるのを自ら辞めたのです。
これってソースあります? まぁ、逃げるのを自らやめるというのはありうると思います。
530 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 22:23:47 ID:NGFcQxJC
いくら常識にとらわれてはいかんとか言っても 空とんだり、何万年も生きてるなんて話を信じるほうが、どうみても異常に思えるがな。 「神様はいる。魂はある」ってくらいは、そうかもねって言えるが
531 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 22:59:43 ID:KgCNALUu
>>530 そういう現実をあんたが知らないだけ。
おそらく、そのような関連することを非常識だと考えて、無意識のうちに払い捨てている
あんたが思い浮かぶ。
つまり、オカルトというだけで毛嫌いするんだろ?
現実だと思われているものが、実は巧妙に仕組まれたものだったりする。
わからないだろうな?
532 :
宝珠愚者 :2009/04/16(木) 23:00:18 ID:8yQZtPib
>>528 はぃ、全くその通りです。
鍵は呼吸の制御(+意識のあり方)です。
アートマン(魂)の原語も「吐息」(呼吸)というからね。
『それから修得が進むにつれて、3ガティカ(約1時間半)のクンバカ行ができるようになる。これに
よって、ヨーギーは必ず、望みどおりのシッディが全部得られる。(3・62)
ヨーギーは次の如きシッディが得られる---予言能力、思いのままに移動する能力、遠隔透視能力
(千里眼)、遠隔透聴能力、微視能力、多身に入る能力、大小便で磨いて劣等な金属を黄金に変える
能力、事物を見えなくする能力。(3・63-64)』
(『シヴァ・サンヒター』第3章62-64節)
533 :
宝珠愚者 :2009/04/16(木) 23:02:18 ID:8yQZtPib
>>482 私はこれまで血反吐が吐いてノイローゼになるくらいの激しい議論というか、
誹謗中傷を受けながらの2CH討論を体験しています(宗教内容ではない)。
しかし・・相手が投稿できないように規制を掛ける
などという人は初めて見ました。
そういう卑怯な人は皆無でしたね。
534 :
宝珠愚者 :2009/04/16(木) 23:03:35 ID:8yQZtPib
535 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/16(木) 23:34:08 ID:8vFIkEbJ
人は遺伝子で生きる長さが決まってるらしいね。 長く生きる細胞は癌細胞だけらしいね。 お釈迦は癌細胞で出来てはいないはず。 人並みに死んだのでは? 少しは長生きだったのでは? 若い頃に楽して良い物を食べてたから、 長生きしても変ではないね。 当時の一般人は食べ物にも苦労してたのにね。 人並みに暮らして苦労してはじめて人の道が解るものだと思います。 お釈迦に解ったのか疑問です。
536 :
486 :2009/04/16(木) 23:45:22 ID:Q2ku66Np
>>518 >>519 「つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない。」
スッタニパータ 1119
おまいら魑魅魍魎カルトはとことん世俗諦二項対立相対主義者だなw
延命もへちまも、無常=無我=縁起=空=中道という仏教の本義から直覚すれば、
生死を相対と見るのはおまいが無明そのものだからだ。
まさに>まったく・・デタラメ(自己都合-解釈)ばかりですねぇ。(w
537 :
神も仏も名無しさん :2009/04/16(木) 23:49:39 ID:EZ8w2qVJ
釈迦は死ぬときに、弟子にもうちょっと生きていて下さいって言われるんだよ。 でも釈迦は、これは私がずっと待ち望んでいたことなんだ。悲しむんじゃないって言うんだよ。 食べ物に関しては釈迦もさんざん苦行をした。 米一粒ゴマ一粒だけの食事なんて時期もあった。その結果、そういう苦行はやめようって思った。
しかし残念ながらそういう苦行的というかスピリチュアル的な部分をとりのぞき すぎたために見事にインドで仏教は滅んだ。 だいたい密教は仏教ではないというのもおかしいと思うが。
539 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 00:26:19 ID:FddhIxa4
>>532 そんな本の邦訳があるんですか。マハーバーラタの翻訳引継ぎが
いまだに行われないこの国で。
バーガヴァタ・プラーナ下巻は5月上旬発売です。
みんなで買いましょう。
540 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 00:30:37 ID:CcsPeIgg
>>533 宝珠さん、なんで規制かけたって分かったんですか?
非仏教文献を根拠にするから、このような人たちが集まるのではないでしょうか?
もう、輪廻を釈尊が説いたことは明らかだから、
信念表明されている方々に、一々コメントする必要はないでしょう。
541 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 00:40:43 ID:CcsPeIgg
>>539 たしか、佐保田鶴冶訳『続ヨーガ根本教典』平河出版社に入っていたと思います。
しかし、ここは仏教に関してテキストに基づいて語るスレですよね。
542 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 01:31:35 ID:CcsPeIgg
>>536 君が「デタラメ(自己都合-解釈)」の典型なんだけど。
『スッタニパータ』PTS.1119=第六結集版1226
Attānudiṭṭhiṃ ūhacca
我見を打ち破って
『小義釈』
Attānudiṭṭhiṃ ūhaccāti attānudiṭṭhi vuccati vīsativatthukā sakkāyadiṭṭhi.
「我見を打ち破って」とは以下の如し。「我見」と言うのは、二十種の有身見である。
『アッタカター』
Attānudiṭṭhiṃ ūhaccāti sakkāyadiṭṭhiṃ uddharitvā.
「我見を打ち破って」とは、有身見を取り除いて。
『小義釈アッタカター』
Attānudiṭṭhiṃ ūhaccāti sakkāyadiṭṭhiṃ uddharitvā.
「我見を打ち破って」とは、有身見を取り除いて。
以上のように Attānudiṭṭhiṃ は、有身見を意味する我見である。
それは現代語にすれば様々な形態の実在論である。
中村先生のように「自我に固執する見解」と訳せるが
業報輪廻転生論という意味には、とても取れない。
もちろん、我見から解放されれば輪廻から解脱できるのだが、
君のデタラメな主張とは全く意味が異なる。
無常、無我、縁起、空、中道は確かに仏教の根本教義だが、輪廻とは矛盾しない。
君は、その根拠を何度提示しても信念を曲げようとせず、陳腐なご都合解釈を繰り返すのみで、
スル〜する以外に、どうしろと言うのかな?
543 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 10:53:07 ID:ROtK4Y8C
なぜ釈迦は唯物論の代弁者にさせられがちなのか? その謎に迫ってみるのも面白そうです。
いわゆる「世界宗教」の中で一神教ではないものが仏教だけだからじゃね? 要するにアンチキリストの温床になってるだけでは?
>>534 元サイトは見てみましたが、ネット以外にソースないですか?
その文章自体はどの経典から持ってきてるんですか?
546 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 14:26:50 ID:CcsPeIgg
>>545 『ダンマパダ』137〜140に対する伝ブッダゴーサ註が最も近いです。
以下、バーリンゲイムの『ハーヴァード・オリエンタル・シリーズ』の該当箇所英訳です。
感動的です。OCR をざっと修正したものなので誤字は適当に修正して読んでください。
7. DEATH OF MOGGALLANA THE GREAT
Whosoever visits punishment. This religious instruction was given
by the Teacher while he was in residence at Veluvana with reference
to Elder Moggallana the Great. [65]
For once upon a time the heretics met together and said to each
other, "Brethren, do you know the reason why the gifts and offerings
to the monk Got- have waxed great?" "No, we do not know; but
do you know?" "Indeed we do know; it has all come about through
one Moggallfina the Great. For Moggallha the Great goes to heaven
and asks the deities what deeds of merit they performed; and then
he comes back to earth and says to men, 'By doing this and that men
receive such and such glory.' Then he goes to Hell and asks also those
who have been reborn in Hell what they did; and comes back to earth
and says to men, 'By doing this and that men experience such and
such suffering.' Men listen to what he says, and bring rich gifts and
offerings. Now if we succeed in killing him, all these rich gifts and
offerings will fall to us."
547 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 14:27:38 ID:CcsPeIgg
"That is a way indeed!" exclaimed all the heretics. So all the heretics with one accord formed the resolution, "We will kill him by hook or by crook." Accordingly they roused their own supporters, procured a thousand pieces of money, and formed a plot to kill Moggallana the Great. Summoning some wandering thieves, they gave them the thousand pieces of money and said to them, "Elder Moggallana the Great lives at Black Rock. Go there and kill him." The money attracted the thieves and they immediately agreed to do as they were asked. "Yes, indeed," said the thieves; "we will kill the Elder." So they went and surrounded the Elder's place of abode. The Elder, knowing that his place of abode was surrounded, slipped out through the keyhole and escaped. The thieves, not seeing the Elder that day, came back on the following day, and again surrounded the Elder's place of abode. [66] But the Elder knew, and so he broke through the circular peak of the house and soared away into the air. Thus did the thieves attempt both in the first month and in the second month to catch the Elder, but without success. But when the third month came, the Elder felt the compelling force of the evil deed he had himself committed in a previous state of existence, and made no attempt to get away.
548 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 14:28:22 ID:CcsPeIgg
At last the thieves succeeded in catching the Elder. When they had so done, they tore him limb from limb, and pounded his bones until they were as small as grains of rice. Then t hinking to themselves, "He is dead," they tossed his bones behind a certain clump of bushes and went their way. The Elder thought to himself, "I will pay my respects to the Teacher before I pass into Nibbana." Accordingly he swathed himself with meditation as with a cloth, made himself rigid, and soaring through the air, he proceeded to the Teacher, paid obeisance to the Teacher, and said to him, "Reverend Sir, I , am about to pass into Nibbana." "You are about to pass into Nibbana, Moggallana?" "Yes, Reverend Sir." "To what region of the earth are you going?" "To Black Rock, Reverend Sir." "Well then, Moggalha, preach the Law to me before you go, for hereafter I shall have no such disciple as you to look upon." "That will I do, Reverend Sir," replied Moggallana. So first paying obeisance to the Teacher, he rose into the air, performed all manner of miracles just as did the Elder Shiriputta on the day when he passed into Nibbana, preached the Law, paid obeisance to the Teacher, and then went to Black Rock forest and passed into Nibbana.
551 :
波紋 :2009/04/17(金) 18:47:27 ID:hQ+kbdrb
>>533 宝珠氏はアク禁になったと騒いでいるけど、それは妄想。
どこにも通報していない。しかし通報するなら松沢方面を考えている。
油断しないほうがいい。
552 :
波紋 :2009/04/17(金) 19:08:32 ID:hQ+kbdrb
宝珠氏には作業療法、大小便で黄金を作るチームに入ってもらう。
553 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 19:16:25 ID:5RgR09Ry
輪廻転生を証明した例は無いよね。 悟り、解脱した事を証明した例も無いよね。 どうして、信仰できるの? 不思議です。
554 :
波紋 :2009/04/17(金) 19:25:42 ID:hQ+kbdrb
輪廻転生とかを論じる前に、釈迦の悟りが何だったのかを論じるべし。 宝珠氏は、神智学という無神論、唯物論から仏教に近づき、 「ポワを行ぜよ」などという怪しげな経典をしつこく探し回っている。 だからかれは、縁起・中道なんかに興味がない。
555 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 19:32:01 ID:5RgR09Ry
>>554 お釈迦は何を悟ったの?
それが何で解脱に成るの?
解脱すると何で輪廻の輪からは外れるの?
証明した例は有るの?
556 :
波紋 :2009/04/17(金) 19:48:27 ID:hQ+kbdrb
>>555 あなたのレス内容から、逆に聞きたいことがある。
輪廻があると思っているようですが、その根拠は何でしょう。
経典に書いてあるはなしね。理証を聞きたい。
>お釈迦は何を悟ったの? この世の中の事象は縁起によって成り立っているということ。
お釈迦様は霊界の真実を伝えんとして、仏教をつくったということですね。 つまりキリスト教でいう預言者みたいなものです。 キリスト教ならキリストグループ、お釈迦様なら仏教グループみたいなものが あって、真理を伝えているということです。
559 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 19:56:45 ID:5RgR09Ry
>>556 神かまうな仏ほっとけです。
輪廻転生は嘘だと思います。
コロコロ生まれ変わったら大変ですよ。
前世の記憶が有るとか云うのもね、嘘っぽいですし。
解脱も、お釈迦に出来て、他に人に出来ないのも変ですよ!
そもそも、妥当普遍性に欠けてますし、道理に合いません。
お釈迦が特別ってのもね。
お釈迦より優れた人が現れなかったのも変でしょ?
560 :
波紋 :2009/04/17(金) 20:07:59 ID:hQ+kbdrb
>>559 非常にまともです。その考え方でいいと思います。
輪廻転生などよりも、今生の、いま現在の苦痛はなぜだ!
生きていても「苦」ばかりではないか。
そこに真理探究、求道があるように思います。
561 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 20:14:44 ID:5RgR09Ry
>>560 宗教なんか信じないで、
人生の分岐点での選択を誤らない方法を見つけ出す方が先ですね。
562 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 20:18:26 ID:CcsPeIgg
>>561 じゃ、コテ通り、我々にかまわずほっといてくださいw
563 :
波紋 :2009/04/17(金) 20:25:48 ID:hQ+kbdrb
>>561 分岐点で、損を先にし得を後にしたら、解脱に近い。
善悪は善が先、損得は損が先。
564 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 20:25:51 ID:5RgR09Ry
>>562 宗教は信じてはいませんが、
宗教を信じる気持ちを知りたいのです。
宗教の教義が矛盾してるのに、
信じられる心が知りたいのです。
教義の根本を証明した例が有れば理解し易いと思いましたので、
現れました。
565 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 20:35:52 ID:CcsPeIgg
>>564 知りたいなら、姿勢というものがあると思いますが?
そのような侮蔑的、挑発的なコテに真っ当な人が答えると思いますか?
少なくとも私は、真面目に答えたくありません。
566 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 20:39:41 ID:5RgR09Ry
>>565 漠然と聞いているだけで、
特定の誰かに聞いている訳では有りません。
気に障ったのなら無視してください。
567 :
波紋 :2009/04/17(金) 20:47:17 ID:hQ+kbdrb
>>565 あなただって偉そうなこと言えないでしょう?
あなたは「神も仏も名無しさん」
568 :
亭白 :2009/04/17(金) 20:47:52 ID:f0awW792
>>555 名前:神かまうな仏ほっとけ。さん
>>554 お釈迦は何を悟ったの?☆ 根本仏以外被造物の存在及び世界に仮のものであることを悟り、この世とあの世の世界の存在意義とこの世とあの世の仏の子としてのあらゆる生命の存在意義を掴み
今世預言者としての使命悟られ仏法真理の学びで正しく生きる意味をこの世とあの世に住まう生命達に教え諭して、病・貧・争の苦の心の解放として抜苦与楽の救
いの法を説かれてます。それ以外高次な法も説かれています。
それが何で解脱に成るの?☆ 悪しきカルマの刈り取りの人生の課題をクリアしているので、カルマの刈り取りとしてあの世の天国で命令されて生まれる必要ないことと如来・大如来の正理を悟
ればカルマの刈り取りの命令のくびきから脱し解放されること解脱と言います。如来となれば自由裁量で好きなように選択して使命遂行のためこの世に生まれてまいります。
解脱すると何で輪廻の輪からは外れるの? ☆あの世の天国から人生の課題を持ってこの世に生まれます。今世、本仏に帰依し仏法真理を良く学び利自即利他で伝道し続けて、過去世に遣り残した悪し
きカルマの刈り取りを終え更に如来の悟りの心境で、死後あの世の如来界に帰還すればこの世に生まれる悪しきカルマの刈り取りもないので、命令され
て輪廻転生することも不必要になることををの輪廻の輪からは外れると言います。
証明した例は有るの? ☆大川隆法総裁の経典書籍にあります。全員が如来になれないので現在は証明できません。
569 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 20:52:55 ID:5RgR09Ry
>>563 なかなか、損を先得を後には出来ませんね。
得ばかりに目が行き易く、
得自体を逃がしてしまいます。
目先の事ばかり考えずに長い目で考えたいのですが、
なかなか出来ません。
精進したいと思います。
570 :
波紋 :2009/04/17(金) 20:53:50 ID:hQ+kbdrb
>>568 亭白さんの話は読むのがかったるい。もっと短く。
あなたの師匠は金星人なのですか?
あなたの師匠は造物主なのですか?
これに答えてくれたら、あなたの言いたいことはだいたいわかる。
大川隆法 = エルカンターレ = 金星人 = 造物主??
571 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 20:58:24 ID:5RgR09Ry
>>568 よく解りません。
本当に全く理解できません。
ごめんなさい。
572 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 20:59:00 ID:5R589Td9
573 :
波紋 :2009/04/17(金) 21:17:56 ID:hQ+kbdrb
>>572 このスレに現れた、幸福の科学の会員、亭白さんに聞いているのです。
質問されるのが嫌なら、どうしてここに現れるのでしょうか?
>>573 >質問されるのが嫌なら、
本人が嫌がっているとは言ってません。
>どうしてここに現れるのでしょうか?
新興宗教をねじ込むためです。
かまえば相手の思う壺で、どんどんスレの主題からズレていくでしょう。
そして教祖を宣伝する場と化します。
どうせグルで質問しあっているだけ。 他はよせつけないカルト。
577 :
波紋 :2009/04/17(金) 21:37:43 ID:hQ+kbdrb
>574 「造物主」の弟子かもしれない、亭白氏が現れたなら事情がちがうだろ。 輪廻とか転生とか業報とかの議論どころではない。 大川が「造物主」ならすべてが明らかになる。 だからまず、大川が「造物主」かどうかを確認したいのですね。
578 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 21:40:45 ID:CcsPeIgg
>>577 見え見えすぎ。ワロタ、茶番にも程があるw
579 :
神かまうな仏ほっとけ。 :2009/04/17(金) 22:02:03 ID:5RgR09Ry
疑問が解決しなかったのは残念ですが、 また、来ます。 その時は親切な方、 宜しくお願いします。 おやすみなさい。
580 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 22:03:48 ID:gWw6HmmP
なんだ?茶番って
581 :
波紋 :2009/04/17(金) 22:07:40 ID:hQ+kbdrb
>>579 おやすみなさい。信仰は一生かけて築きあげるもの。
急がないで少しづつゆっくり行こう。
582 :
宝珠愚者 :2009/04/17(金) 22:22:48 ID:ydTnU5Om
583 :
宝珠愚者 :2009/04/17(金) 22:31:22 ID:ydTnU5Om
>>540 >宝珠さん、なんで規制かけたって分かったんですか?
2ch内のアクセス規制(投稿付加)に関するページを見ました。
彼が「通報した」などと投稿した、その翌未明から、
私のIPが(全公開ではありませんが)“全サーバーで規制”と書かれてありました。
その後、次の投稿からはPCでは不可となり、私は面倒にも携帯から投稿したのです。
私からの怒りのメッセージが役立ったのか?
今日、何故か解除されています。
もしも、個人の気分一つでそんな規制が掛けられて、
サーバーに自分で解除依頼をしない限りは解けないとしたら・・
まるで電車痴漢の冤罪のようなもんですね。
---つまり、やったもん勝ちですねぇ!
>>540 >非仏教文献を根拠にするから、このような人たちが集まるのではないでしょうか?
>もう、輪廻を釈尊が説いたことは明らかだから、
>信念表明されている方々に、一々コメントする必要はないでしょう。
叱られてしまった...シュン(涙)
>>541 >たしか、佐保田鶴冶訳『続ヨーガ根本教典』平河出版社に入っていたと思います。
さすが〜よくご存知で!
>しかし、ここは仏教に関してテキストに基づいて語るスレですよね。
デス(涙)
584 :
宝珠愚者 :2009/04/17(金) 22:35:08 ID:ydTnU5Om
>>554 >輪廻転生とかを論じる前に、釈迦の悟りが何だったのかを論じるべし。
ご都合-解釈デス。
森羅万象の本質を見抜いたものが輪廻です。
輪廻から解脱したという自覚が生じるのが悟りです。
>宝珠氏は、神智学という無神論、唯物論から仏教に近づき、
全然、違います。
まず・・なんで無神論/唯物論なのです?
神智学は真言氏からも実在論の範疇だと批判されているというのに・・。
あなたのそれは、一体、どういう感覚なのか?
また、私の“霊性の道”の経緯は、
心霊科学→仏教→近代インドのアヴァター(マハリシやヨガナンダなど)
→神智学 の順です。
>だからかれは、縁起・中道なんかに興味がない。
これもご都合主義です。
真言氏の指摘通り、それは輪廻の否定にはならない。
585 :
神も仏も名無しさん :2009/04/17(金) 22:49:23 ID:CcsPeIgg
>>583 そうですか。もし、だとすれば宝珠さんのメッセを 2ch はカルトと見なしたということになりますね。
それは宝珠さんが非常識的側面を強調しすぎるからではないでしょうか?
神通とか輪廻とかは、最低限前提となることは私も全く賛成ですが、
強調しすぎると詐欺宗教みたいだと思いますよ。
仏教がそうならないのは縁起を説いたからだと思います。
縁起が合理的解釈、体験に基づく理解を提示するからだと思います。
しかも、一切の実体・基体を排除して。
586 :
初代スレ7 :2009/04/17(金) 22:54:03 ID:ncv/40yS
自分の感受性くらい 茨木のりこ ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を 輪廻転生のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくにわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と 茨木のり子
589 :
宝珠愚者 :2009/04/17(金) 23:09:31 ID:ydTnU5Om
>>586 私からのダライラマ14世についての話、転生の事例の紹介!
これを転生であるとして信じるに足りるものとする理由についてですね・・。
簡単にいえば、その方が整合性が取れているからです。
これがただの偶然に過ぎないとする確率の低さからみても妥当。
数学者なら算出可能か?--つまり合理的見解というものです。
これが私の理由ね。
しかし・・7さんは偉い!!
古い投稿レスもちゃんと考察のネタにしている。
これは、なかなかできることではありません。
590 :
宝珠愚者 :2009/04/17(金) 23:38:49 ID:ydTnU5Om
>>585 >それは宝珠さんが非常識的側面を強調しすぎるからではないでしょうか?
>神通とか輪廻とかは、最低限前提となることは私も全く賛成ですが、
>強調しすぎると詐欺宗教みたいだと思いますよ。
そうかもしれません。
私は敢えて強調してるのです。
現代末法、唯物社会に対するアンチテーゼです。
私に示す力があれば、遠慮なく証拠を見せるのですがw
>縁起が合理的解釈、体験に基づく理解を提示するからだと思います。
>しかも、一切の実体・基体を排除して。
もしも、私が仏道一本の歩みを続けていたら、
たぶん、もう少しあなたと似ていた可能性はあります。
教えの根底に据えるものとして〜原始経典を読みつつ、
後期大乗とも称する、あらゆる大乗の集大成としての「密教」での仏道修行。
ダライラマ『智慧の眼をひらく』について
---まだパラパラ見の段階ですが、これは確かに素晴らしい書物ですね。
ただ、ご指摘部分の141頁以下で解説されている実在論、アートマン否定意の説明は、
やはり、私は勘違いが起こっていると見ました。
尊敬する法王といえども、仏教の歴史的伝統をそのまま受け継いだための誤解ではないかと思います。
これは説一切有部に対するアンチテーゼに固執している印象。
まるで末法、断滅論仏教者たちと無我の理解が酷似していますよ!
明日はご紹介の、
中村元監修『原始仏典』第一巻、春秋社
その他、梶山雄一編、片山一良訳、丘山新編の現代語訳シリーズ・・
を求めて、図書館へと出向きます。もし、なければ図書館で手配してもらいます。
あからさまなコテハン叩きスレですら残り続ける場ですし、 理由があって処置がされたとは断言できないでしょう。
592 :
初代スレ7 :2009/04/17(金) 23:55:32 ID:ncv/40yS
>>589 「 >合理的(見解) 」 ですか・・・。
「合理性」も、それが属する枠組みによって変わりそうですけどね・・・。
Zという見解が、
Aという枠組みでは完璧な合理性を見せても、Bという枠組みでは支離滅裂、
ということも、あり得そうな気がする・・・w
>>590 私と貴方は鏡の裏表でしょうかね?www
>私は敢えて強調してるのです。
>現代末法、唯物社会に対するアンチテーゼです。
>私に示す力があれば、遠慮なく証拠を見せるのですがw
私も敢えて強調しています。
現代オカルト、心霊・霊魂主義に対するアンチテーゼです。
私に巧みな文章力があれば、諸問題を明確に提示できるのですが・・・w
593 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 00:02:24 ID:ZPnHzfsu
>>590 >ダライラマ『智慧の眼をひらく』について
これはチベット語の原書も持ってますし、チベットは一番得意な分野なので、
この本で攻めていただければ最もやりやすいです。
>ただ、ご指摘部分の141頁以下で解説されている実在論、アートマン否定意の説明は、
>やはり、私は勘違いが起こっていると見ました。
>尊敬する法王といえども、仏教の歴史的伝統をそのまま受け継いだための誤解ではないかと思います。
>
>これは説一切有部に対するアンチテーゼに固執している印象。
>まるで末法、断滅論仏教者たちと無我の理解が酷似していますよ!
それはあなたがただサーティ比丘のように実体視してるだけですよ。
>明日はご紹介の、
>中村元監修『原始仏典』第一巻、春秋社
>その他、梶山雄一編、片山一良訳、丘山新編の現代語訳シリーズ・・
>を求めて、図書館へと出向きます。もし、なければ図書館で手配してもらいます。
がんばってください。公立図書館で駒沢大学、立正大学、大正大学などの仏教大学の図書館の閲覧できるように紹介状を書いて貰うこともできますよ。
近くに大学図書館があればの話ですが。
594 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 00:03:42 ID:ZPnHzfsu
>>591 ごもっとも、では可能性としてください。
595 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 00:21:20 ID:XLicXT4G
真言氏に一つ、聞いておこう! 例えば、肉体を持った不死の存在にバッタリと出会うという可能性について、 それはあなたの仏教的理解では在り得るできごとですか? それとも、それは単なる実在論の妄想の範疇と見なしますか? では、オヤスミなさい^^
596 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 01:09:42 ID:PUZvOO8V
>>宝珠愚者どんへ >このスレ建ての本来の目的は、業報輪廻/転生の教えを仏教ではないとする >愚かな偽りを説く擬似仏教徒らのデタラメ見解を駆逐するためでした。 なぜ彼らがそうなってしまったのかを、落ち着いて正見しましょう。 同じ原始仏典でも北伝の長阿含と南伝の長部経典とを読み比べると 後者にある説法の多くが前者では削減されていることが分かります。 つまりシナの坊さん達が何かの都合でカットを続けていたということです。 長阿含以外でも日本に入った法華経他多数の経文のほとんどはシナの坊さん を経由しておりますから、同様のカットまたは改竄がなされたとみても 極自然だと思います。 南伝からカットされた説法には、神通力、神や霊、輪廻転生の話が特に 多いことが分かります。
597 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 01:11:44 ID:PUZvOO8V
以上、正見すれば「愚かな偽りを説く擬似仏教徒」の実相は、 「シナの坊さん達に元の教えを伝えてもらえなかった自称仏教徒」だと いうことでしょうか。 参考までに紀元前300年頃に記載された死海文書の内容は、現代の旧約聖書と ほぼ一致しております。仏教に比べて改竄や省略が少なかったということです。 ユダヤ教のラビ達は正確に教えを伝え、シナの坊さん達は不正確に教えを伝えて きたということが、最近のパーリ語経典との比較研究にて明らかになってきた ということです。
598 :
初代スレ7 :2009/04/18(土) 01:16:21 ID:24dB7y8A
>>596 お前さん、
原仏談話室その2・その3辺りで、自歓喜経を持ちだして、
「お釈迦さんは常住論を説いた」と主張した“一在家”か?
だったら帰りな。 お前の書き込みも鬱陶しいw
599 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 01:25:15 ID:PUZvOO8V
前世の証明には例えば退行催眠が良いかと思います。 特に前世で住んでいた場所や出会った人々の話を 記録しておき、それが現世で行ったことのない場所や 出会ったことのない人であれば証拠性が高まります。 私も無くなった方のご霊が生者に憑依して語った内容が その通りだった時には震えました。 「私は死ぬ前にこの部屋でこの本を読み、このページに 栞を入れました。」と霊が語り、後日その方の家を訪問して 実際に本箱でその本を見つけて、栞のページを開いたら 全くその通りだったという神秘体験でした。 少なくとも釈尊の頃には、そのような神秘体験は日常茶飯事 にあったことと推測します。 神秘体験はカットし、仏教を哲学化したのは多分シナの坊さん達 ではなかったと思います。
600 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 01:29:16 ID:PUZvOO8V
>>598 お宅こそ、シナの坊さんの経典を有難く信じている自称仏教徒
ですか?
私の話が鬱陶しいとしたら図星だということでしょう。
>>599 へ〜それはすごい話ですね。
憑依された方とその霊とは知り合いとかだったわけではないんですか?
602 :
初代スレ7 :2009/04/18(土) 01:33:17 ID:24dB7y8A
>>600 中国経由の経典が脚色されているなんてのは周知の事実だと思ってたが、
君はそれを最近知ったのかい?w
603 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 01:47:43 ID:PUZvOO8V
しかし長阿含の省略は甚だしいですね。 例えば、対応する長部経典の六神通が「三明知」に減っているのを 確認した時には、北伝の坊さん達にカットされたとすぐ分かりました。 また法華経の如来神通力品にある神通力の一つ「広長舌相」は、長部経典の 「三十二相経」に明記されている偉大な人の身体的特徴の一つに過ぎない ですね。 法華経の作者がたまたま知らなかったのか、シナの坊さんが間違ったのかは 分かりませんが、法華経に帰依する者は「広長舌相」は神通力と信じて 疑ってはならないでしょう。
604 :
* :2009/04/18(土) 01:48:33 ID:X0l4b1VS
605 :
初代スレ7 :2009/04/18(土) 01:59:39 ID:24dB7y8A
>>604 推測ではあっても、「実証的」ではないよなw
おやすみ ノシ
606 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 02:09:58 ID:PUZvOO8V
この板では原始仏典からの参照はウェルカムと入り口に書かれてました。 長部経典の「自歓喜経」には、 「世尊が常住論について教えを説かれたやり方は最高のものです。」と サーリプッタは前置きした後に3種類の常住論を解説しておられます。 「アートマン(個我)と世界は、常住であり、何も生み出さず、不動で あり、石柱のように固定して、かの生けるものたちは生死流転し、輪廻 しているけれども、まさに常住不変に存在している。」と。 そしてこれを聴いた仏陀は、サーリプッタの表明が正確であると保証 されました。
607 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 02:11:01 ID:PUZvOO8V
さすがに法華経の作者と、シナの坊さん達もこの教えは知っており、 「如来寿量品第十六」の中で、「如来の眼をもってすべての物事の 実相を見れば、すべては消え去ることもなく、現れることもありません。」 と釈迦は説かれてます。 少なくとも原始仏典と法華経では輪廻も常住論も説かれていると思います。
608 :
一在家通りすがり :2009/04/18(土) 02:32:55 ID:PUZvOO8V
>>601 >へ〜それはすごい話ですね。
>憑依された方とその霊とは知り合いとかだったわけではないんですか?
家族ではなく、知り合いだったですね。
でも亡くなった方が死ぬ直前に読んだ本の話などは当然知るすべも
ないですね。
ご霊は命を奪った悪霊(ある霊能力者の眷属)の正体と自分との因果関係
を伝え、それ以降は誰にも出て来なかったですので、霊界に入ったと思います。
スパニターヤにしばしば記載のあるように「再び母胎に宿る」日まで
霊界で修行をして、前世の記憶を忘れさるのでしょう。
>>558 キリスト教も仏教も
教祖は普遍の真理に気付いて同じことを悟ったんだよな
しかし末端信徒が宗教観で争ったりは惨め
610 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 04:40:36 ID:oKcnWqkm
>>568 「造物主」とか「被造物」などという言葉は、キリスト教用語。釈迦は、そんな
言葉は使っていない。
大川隆法が、仏教徒ではなく、仏教徒を騙ったクリスチャンであることが、如実
に証明されている。
自分のことを唯一神なんて言うクリスチャンなんかいねーよ。アホか。
612 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 04:54:10 ID:oKcnWqkm
>>611 イエスは、自分は「神の子」だと「自称」している。
イエスが自分に祈ったりすんのかよwwwww アホか?! 頭大丈夫か??
614 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 06:18:40 ID:aaWp0FoX
クリスチャンは、自分が神になった積りで、神を解釈し、饒舌に騙っている のは確かだな。神とは、「人間には計り知れない存在」のはずだが。 イエスは、人が自分を神の子と信じてくれるのが、最大の関心事。自分を 信じない者は、「裁かれるべき存在」に過ぎなかった。
615 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 09:08:55 ID:ZPnHzfsu
>>596 あの北伝系と南伝系はインドでそもそもテキストが違ってます。
伝承する部派が別なんです。例えば重要な『勝義空性経』はパーリにはありません。
『縁経』をパーリ、サンスクリット、漢訳、蔵訳で比較してもそれほど差はありません。
神通や過去世の話が多いのは、部派の問題だと思います。
根拠は、律です。パーリ律は、それほど神通や過去世の話が多いと思えませんが、
根本説一切有部律は、梵蔵漢がありますが、非常に神通や過去世の話が多いからです。
過去の因縁が釈尊によって語られ、その時のaが釈尊でbがデーヴァダッタといった話です。
616 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 09:10:06 ID:ZPnHzfsu
>>597 以上のように、あなたの説は不当な前提に基づく謬見です。
617 :
亭白 :2009/04/18(土) 09:26:59 ID:WtPeOgOF
波紋さん 既に御承知と思いますが質疑の返答は「幸福の科学』統合スレッドpart262」にてお伝えしました。 すれ違いで、お気遣いやら疑念を抱かせることになり失礼致しました。
618 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 09:27:27 ID:ZPnHzfsu
>>603 パーリにも三明経 Tevijjasutta がありますよ。誤解です。
デーガニカーヤ第13経です。
如来神力品に「広長舌」に出てきますが、もちろん三十二相を前提としています。
その上で、その舌が梵天まで届くとしたのが法華ですね。
梵本にも書かれています。
619 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 09:33:35 ID:ZPnHzfsu
>>606 これは即答できないのでちょっと調べてみます。
>>607 これは常住論ではありませんね。空、不生です。
>>608 >スパニターヤにしばしば記載のあるように「再び母胎に宿る」日まで
>霊界で修行をして、前世の記憶を忘れさるのでしょう。
仏教では霊界とはいいません。修行は人間と低いレヴェルの神々のみしか、
修行可能な条件を満たさないと説かれます。
620 :
亭白 :2009/04/18(土) 09:55:00 ID:WtPeOgOF
>>607 :一在家通りすがり:さん
「如来寿量品第十六」の中で、「如来の眼をもってすべての物事の
実相を見れば、すべては消え去ることもなく、現れることもありません。」
☆永遠の生命のことですね。
>>599 退行催眠は記憶の捏造で多くの問題を生んだ代物です。
輪廻の証明には逆に害となるでしょう。
>>611 隠居が610で書いたのは蔑称としての「クリスチャン」だからおk。
「カーフィル」とか「ビッチ」みたいなものです。まともにとりあう必要ないです。
>>619 >
>>607 >これは常住論ではありませんね。空、不生です。
またお得意の曲解か。なんでもかんでも縁起、空、中道だと曲解
してんじゃねぇよ、吉外。おまえあれだろ。
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
の経も、お得意の曲解で、これは不生不滅を説いた中道だべ〜。とか能書き垂れてた吉外だろ。
おまえ達の能書きはただの言葉遊びでしかない曲解で、ゴータマの教えを捻じ曲げるばかりか、
実質的には全く意味のないものなんだよ。わかる?おまえらのはただの言葉遊びにしか過ぎない
偽論なんだよ。
>>606 のお経は、素直に解釈すれば、ゴータマは日頃、我々の今の自我である肉の自我は、
常駐ではない無常なものであり、無自性な空であり、アートマンではないと説く傍ら、一方
アートマン(真我)とは、常駐であると説いている。それをおまえら自性仏教徒の似非仏教徒は、
無我思想を誤謬し、その誤謬に執着するあまり、書かれていることを曲解している。その内容はただの言葉遊び
でしかない、現実的にはそんな言葉遊びで苦など取り払われることもなく、もちろん全く意味のないものになっている。
もちろん
>>622 にあげたウダーナの経も、
これは不生不滅の中道のことをいってるんだべ〜〜と、
中身はただの言葉遊びでしかない中道遊びではなく、単純に、
この世界は生じ、滅する、苦しみでしかないものであるが、
生じなければ滅することもない世界(境地)がある。その世界(境地)
があるからこそ、苦しみでしかない、縁起でしか成り立たない、
生じては滅する定めのこの世界から脱することが出来ると説いているんだよ。
これが本当なら、ただの言葉遊びではなく、合理的な話しだし、
言葉遊びではなく、現実に、苦であるこの世界から解脱できる。
あとはそれを信じれるかどうかの問題であり、ゴータマはそう言っているのに、
自分達はそれを受け入れないからと、無理に曲解して違う意味にしてしまうのは
おまえらのエゴだ。おなじく、原始経典を読めばゴータマは業報輪廻転生を
説いているのは明らかだし、それを自分達は受け入れられないからと、
無理やり曲解して、そんなことは説いていないことにしてしまうのも、おまえらの
エゴだ。おまえらさ、ゴータマの教えを受け入れられないのなら、
仏教の看板を下ろすなり、きっぱり仏教を捨てろよ。
624 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 10:35:54 ID:ZPnHzfsu
>>622 ハイハイ、ワロスワロス。もう何度も論証してきて、
その度に論破されてるのに未だそのウダーナですかw
それは不生不滅ではなく「ネハン相応」というタイトルが付いていると教えたんですが。
いや、あなたこそ仏教をただの常住論に貶める邪見者です。
縁起というのはただの世俗を説明するものではなく、
三昧状態で縁起観をすることで悟りを得るものです。
縁起観、ヴィパシャナーがあるかないかが、仏教とヒンドゥーを分けるもので、
非常に重要なのです。これは仏教で一貫しています。
『梵網経』に端的です。
もう、これ以上は答えませんのであしからず。
え?宝珠氏にアクセス規制が掛けられたって?
どうよ、この汚い手口。いよいよ言論封殺という手に出やがった。
ここの唯物似非仏教徒達の汚いエゴを見ろよ。
前にも、前世を記憶する子供達と、立花隆の臨死体験の話題がでたとき、
前世を記憶する子供達の著者の見解は、ここのHPにもあるように、
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-3.htm 「生まれ変わり」であるといっているのに、どうせみんな読んでないだろうと
たかをくくり、その本の、生まれ変わりについて否定的な見解の一例をあげて、
この本の結論も、やはり生まれ変わりなどないだろうというものだと、
皆をミスリードしようとした奴がいた。そして立花隆の臨死体験についても、
立花隆の見解は、臨死体験のほとんどは、脳内の生理現象で説明できるが、
だがそれだけではどうしても説明できない事例もあるというものであるのに、
これもどうせ皆読んでないだろうとたかをくくり、同じ人物が、その本の臨死体験の
否定的な事例の一例だけをあげて、本全体的にも、やはり、臨死体験など
ないという結論だというように、皆をミスリードしようとした。これも、他の人に
立花隆氏の見解をその本引用文から示されて、恥をかかされ、なんの謝罪もなく
そのまま逃げてしまった。この事実を捻じ曲げてまで、皆をミスリードしようとするこの
人物の心の邪悪さをみろ。これもこいつのエゴだ。肝心なことを全て削除した
中国の坊主もその動機は、エゴだ。隠居とか言う、発達障害のかたわの引き篭もりも
同じことをしたいと願っている。つまり原始経典に書かれていることを、自分の価値観に合わない
ものは削除せよといっている。これもエゴだ。そして原始経典には明らかに
業報輪廻転生が書かれているのに、それを無理やり曲解して違う意味にして、ゴータマは
そんなことは言っていないことにしてしまう。これもこいつらのエゴだ。
エゴ、エゴ、エゴ、エゴ、エゴ、エゴ。こいつらゴイム共は、なによりも己のエゴを愛している。
そのエゴ(エゴイズム)こそが、繰り返し肉の自我を生み出す素因となり、
ゴータマが苦しみだと説いた、生存を生み出す素因になっていることも知らないで。
>>624 おまえに論破された覚えはない。
論破されているのはいつもおまえのほうだろ。
縁起とはあくまで、この現象世界説明しているものに過ぎない。
三昧状態で縁起観をしているというのは、想が止滅していない有想三昧で、
悟りの状態ではない。それはあくまで思考でこの世界を知るということで、
思考が生きている状態である。悟りは有想三昧ではなく、無想三昧のときに
得られるんだよ。思考が働いているヴィパッサナーの状態では
真の悟りは得られないんだよ。こいつは、ヨーガスートラも読んだことが
ないんだな。アホちゃうか。
しかしある種の人格障害者は、自分が論破されているのに、自分が論破していると
脳内変換できるらしい(苦笑)
>>624 >それは不生不滅ではなく「ネハン相応」というタイトルが付いていると教えたんですが。
だから?相応の反語には、不相応というのがある。これは身分不相応という単語
としてよく使われる。つまり、おまえの卑しい身分には、今の身分は相応しくないということだ。
涅槃相応ということは、涅槃とはそういうことだといういみだよな。
つまり涅槃とは、生じえず、滅することもない、永遠不滅のものだということだ。
俺の話となんの矛盾がある?まさかおまえ、内容で勝負せず、
おれが不生不滅とタイトルをつけたが、その経は、涅槃相応というタイトルだからおまえは
間違ってるという意味で、勝ったつもりになってるわけ?これだから池沼。
呆れて話にならないな、おまえは。
ゴータマの悟りとは単純明快だ。 彼はこの現象世界なにひとつ縁起でしか成り立たない、 それ一本で成り立つものがない、主体性(アートマン)のない、いつかは滅する 定めの幻だと知ったと同時に、実体とも言える、自性を知ったんだよ。 それはブラフマンともいえる、真我すらをも生み出した全ての根源であり、 生命そのものである。この世の生き物は、そこに帰ることにこそ、真の幸せであり そこに苦しみの終焉がある。そういうことだ。中道とはその真理の領域のことであり この現象世界はあくまで、善と悪があり、貴方と私がいる、二元世界である。 善も悪もない中道とは、あくまで一つの領域のことであり、たった一人しかいなければ、 善も悪もなく、私と貴方も無いのである。もっと深く言うと、それを一つというのも 正確ではない。なぜなら言葉は識別智であり一という言葉は、他という概念、言葉があるから なりたつものであるからである。だから ”それ” は、本来、言葉では正確には言い表せない 性格のもので、ただ、便宜上、一と表現しているだけである。 ではそこに帰るにはどうすればいいのか?それは八正道である。八正道とは簡単に 説明すると、精神統一(瞑想)をし、その境地を知り。この世の生存は苦しみであるという 真理を知り、その苦しみから解脱するとはどういうことかという真理を知り、そこに帰るには どうすればいいかを知り、現実の生活で、そこに帰る生き方を実践することである。 ではその生き方とは何か?それは清く正しく生きろということである。原始仏教には、慈悲の瞑想 というものがある。これは生きとし生けるものは全て幸せであれというものだ。そこに好き嫌いは無い。 生きとし生けるものは全て、幸せであれというものだ。この別け隔てない愛こそが、 八正道の正しい生き方とは何かを理解できるものでわり、真理を悟ると、なぜ、好き嫌い関係無しに 善人も悪人も別け隔てない愛を示す心が必要なのかを悟るだろう。肉の自我を持つ 我々の心に必ず巣食う、このエゴイズムを滅ぼさない限りそこには帰れない。涅槃に入ることは出来ない のである。自分はどこから来て、どこに帰るべき存在なのかを知る人は幸いである。
>>625 個人情報漏洩とか犯罪予告とかしてなければ
書込み内容で規制されることはまずない。
たぶん他の荒らしが規制されたのに巻き込まれただけ。
630 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 16:29:30 ID:XLicXT4G
>>629 そうですか!であれば、ま〜いいんですけど。
これまで私は、
1ヶ月間の大規模(広範囲)なアクセス規制に巻き込まれていまして
(それでこのスレの投稿者も激減していたと思います)、やっと解除されてヤレヤレでしたからね^^
それがまた投稿不可に・・・。
それで翌日、自分でサーバーに直接確認しようとしてたのでしたが、
取り合えずは、再び解除されたようでヨカッタです^^
631 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 16:30:25 ID:XLicXT4G
>>626 う〜む、カラスさんは
いつも私のいいたいことを代弁してくれています^^
>縁起とはあくまで、この現象世界説明しているものに過ぎない。
そうそう、これが大切だと思う。
>三昧状態で縁起観をしているというのは、想が止滅していない有想三昧で、悟りの状態ではない。
>それはあくまで思考でこの世界を知るということで、思考が生きている状態である。
>悟りは有想三昧ではなく、無想三昧のときに得られるんだよ。
>思考が働いているヴィパッサナーの状態では真の悟りは得られないんだよ。
同意!
>>628 激しく同意 !!
632 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 16:31:20 ID:XLicXT4G
>>593 >がんばってください。公立図書館で駒沢大学、立正大学、
>大正大学などの仏教大学の図書館の閲覧できるように紹介状を書いて貰うこともできますよ。
>近くに大学図書館があればの話ですが。
本日は近郊、公立図書館を2ヶ所ほど行ってきましたが、案の定なくて取り寄せを依頼してきました。
“一在家通りすがり”さんのお奨め、「自歓喜経」が読めようなやつも一緒に。
633 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 16:40:32 ID:QnPkdxdW
どうにもカラスや宝珠は何かしらの基体がなければ不安でいけないみたいだな。 其れが常住であると気づか無い限り先には行けない。 座れ。思考を離れることだな
634 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 16:54:24 ID:XLicXT4G
>>632 訂正
×「自歓喜経」が読めようなやつも一緒に。
○「自歓喜経」が読めそうなやつも一緒に。
635 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 17:14:58 ID:ZPnHzfsu
>>631 >>縁起とはあくまで、この現象世界説明しているものに過ぎない。
>
>そうそう、これが大切だと思う。
>
>>三昧状態で縁起観をしているというのは、想が止滅していない有想三昧で、悟りの状態ではない。
>>それはあくまで思考でこの世界を知るということで、思考が生きている状態である。
>>悟りは有想三昧ではなく、無想三昧のときに得られるんだよ。
>>思考が働いているヴィパッサナーの状態では真の悟りは得られないんだよ。
彼では話にならないので、宝珠さんに言いますが、根拠が『ヨーガスートラ』じゃ話になりません。
なぜなら、縁起・ヴィパシャナーのないヒンドゥーだから。
だから、二人は仏教が分からない。
これについては宝珠さんが長部経典を手に入れてから詳しく検討しましょう。
ここが重要です。
宝珠さんが宮元啓一さんに賛同していたのはよく分かりますよ。
宮元啓一さんの発想は、ほとんどヒンドゥーだからです。
宮元さんより津田真一先生により賛同されることとも思います。
しかしながら『ヨーガスートラ』は、仏教とヒンドゥーがどう違うかがハッキリ分かるので、いいものを出してくれたと思います。
宝珠さんが『梵網経』や他の長部経典を手に入れた時、比較しましょう。
釈尊は必ず三昧が安定した者にヴィパシャナー/縁起を説かれていること、
その縁起観によって釈尊も諸弟子も悟っていることがハッキリするからです。
636 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 17:17:59 ID:ZPnHzfsu
>>633 それじゃ二人と変わらないように思いますが。
坐るだけじゃ、無想三昧など無色界の境地に行くだけだと思います。
仏教なら三昧が深まった所で、縁起観などを用いて実体を打ち壊すはずです。
637 :
亭白 :2009/04/18(土) 18:10:31 ID:Gke/cPBR
>>610 :神も仏も名無しさん:
>>568 「造物主」とか「被造物」などという言葉は、キリスト教用語。釈迦は、そんな
言葉は使っていない。
☆本仏大川隆法総裁が教えの中で使われておられます。
キリスト教も仏教もイスラム教などの預言者の教えを統合しているのが、
本仏主エル・カンターレであります。
大川隆法が、仏教徒ではなく、仏教徒を騙ったクリスチャンであることが、如実
に証明されている。
☆仏教徒並びにクリスチャンなどの預言者の仏神の師の最高の指導者であります。
638 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 18:10:55 ID:9rMO9m+N
>>635 テーラーガータ(仏弟子の告白)を読めばわかりますが、
彼らは、はっきりと、自分達の瞑想のことを、ヨーガと読んでいます。
ヨーガスートラは、彼ら釈迦の直弟子である荒羅漢達が
、編集に加わったであろうと、説をたてている学者さんもいます。
もちろんお釈迦さんが悟りを開いた瞑想も、このヨーガです。ヨーガとは、合一という意味です。
あなたは、なにも知らないんですね。
639 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 18:14:49 ID:XLicXT4G
>>621 >退行催眠は記憶の捏造で多くの問題を生んだ代物です。
>輪廻の証明には逆に害となるでしょう。
ま〜確かに、カオス的なゴッタな世界ですから・・。
しかし、その語られた言葉の中に決定的な事物の検証確認に成功すればいいのです。
知り得る筈のない事柄(過去世の本人しか知らない内容)の正確性が確認できればいい。
たった一例の決定的な事例が得られれば、偶然説などは希薄と化す。
640 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 19:04:05 ID:XLicXT4G
>>638 そのようですねぇ!
金倉 円照「ヨーガ・スートラの成立と仏教との関係」
日本印度学仏教学会データベースセンター
http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0000-027 『282 実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧が
ほろびる。生じることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をと
とのえよ。
372 明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らか
な知慧が無い。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近
くにいる。(ダンマパダ)
訳注282
心が統一され---Yoga.原始仏教もヨーガを認めていたのである。ヨーガとは「結びつける」という意
味で、心を散乱させないように一つの対象に結びつけることである。しかしそれは後代の曲芸のよう
なハタ・ヨーガとは異なっていた。』
641 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 19:04:59 ID:XLicXT4G
642 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 19:14:43 ID:QnPkdxdW
知識だけを積み重ねることに執着することの愚かさを言っているのだ。 勿論、知識は全く必要ないなどと言っているのではない。 ここでの議論はあまりに仏典の記述の些末に囚われているように見えたからな
643 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 19:27:20 ID:XLicXT4G
>>642 ご忠告に感謝!!
ここは知識のための知識とするのではなく、根拠を確認するための議論の場です。
ご理解と参加のほどを^^
644 :
初代スレ7 :2009/04/18(土) 19:34:05 ID:24dB7y8A
645 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 19:52:09 ID:XLicXT4G
>>644 フ〜ム・・名無しの7氏に、カラスさんもいるな^^
646 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 19:56:09 ID:ZPnHzfsu
>>638 これは奇遇ですね。同じことをカラスさんも主張されてました。
別にヨーガを否定する気はありません。
サーンキャやヨーガの古い形態が仏教以前の宗教者、苦行者の共通財産だったことは概ね学者が認めることです。
ですが、仏教がそれらと大きく異なるのは縁起等のヴィパシャナーを用いたことにあります。
これは釈尊の伝記で二師に就いて悟りを得られず、縁起観によって解脱すること、
そして長部経典にハッキリと示されるように戒・定によって精神を集中した、
つまり三昧が安定した状態で縁起観を説かれることの二つに明解に示されます。
また、後代の北伝南伝の両アビダルマ、『クシャ論』『清浄道論』などでも同じです。
大乗でも『入中論』『入菩提行論』などに明解に説かれ、
シナでも『摩訶止観』が正にタイトルにも明瞭に示されています。
日本でも『十住心論』『止観坐禅記』『往生要集』などに明瞭です。
チベットでも『ラムリム』『タルゲン』『ロジョン』などに。
タイでも『仏法』にそう書いてあるでしょう。
そもそも空=実体、輪廻の主体説をとらないと、 六師外道のいう肉体の消滅にすぎない、 ニヒリズム、プーラナやアジタ、サンジャヤ、 ジャイナ教のヴァルダマーナとほとんどかわらないとなる。 彼らもバラモンの権威を否定した思想家であったわけだし。 ほんとうに生老病死について考えたのは釈尊であり、 その解脱として、般若心経にもある苦しみ(四苦)のない 実相世界というものを説いたのだ。
648 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 20:11:25 ID:OVlnY8sE
>>642 わたしもそう見える。同意!
解決するには程遠い気がする。
649 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 20:20:06 ID:ZPnHzfsu
>>647 >そもそも空=実体、輪廻の主体説をとらないと、
>六師外道のいう肉体の消滅にすぎない、
どゆこと?
>その解脱として、般若心経にもある苦しみ(四苦)のない
>実相世界というものを説いたのだ。
実相世界とは? その内容が問題ですね。
カラスの唄さんは相当な知識レベルだ いや他の人もだけれど。 知識だけとか言ってるひともいるけど、それだけ真剣で誠実だから知識が増えるんだ。 カラスの唄さんは言葉がきつすぎるけどww 素直に、その情熱と知識、知性に敬意を持つ。
651 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 20:26:05 ID:QnPkdxdW
知識を蓄えること自体は全く悪いことではない。 しかし、多くのものはその蓄積した知識により自分を縛ってしまう。 大切なのは其れを捨てられるかどうか。
652 :
亭白 :2009/04/18(土) 20:31:17 ID:Gke/cPBR
仏教学は思想としか捉えていないので、仏教学の教授には成れても 般若の智慧を得ることは難しいので、故に阿羅漢以上に悟ることが出来 ないと思います。
653 :
亭白 :2009/04/18(土) 20:42:57 ID:Gke/cPBR
>>652 続きです。
仏教学者で大川隆法総裁の説かれる仏法真理を思想としてでなく、生活の場に仏法真理を実践している人は
阿羅漢以上に悟ることが可能であります。
654 :
神も仏も名無しさん :2009/04/18(土) 20:45:41 ID:jvcoerPF
>>646 ナーガールジュナが最も重視した「般舟三昧」(『菩提資糧論』)は、
(止心を前提した)観察に相当するのでしょうか?
人間を原子の集合体であり、こんなものに実体やアートマンなどない、 つまり常住なるものはないという空の思想は一応成り立ちはするが、 これでは外道のいうことと同じとなる。 釈尊はそれをみとめつつ、「空即是色」を説き、常住的、実体とみえしものは 仏の念いが言葉になったときにそれが具象化したという真理を悟った。 仏の念いがある以上、やはりこの世のものもあるわけであり、 仏の念いがなくなれば、物質や実相世界(光)もなくなるわけです。 しかしその仏の念いによってつくられた光子が凝集して、霊子、陽子、 原子、分子、粒子となり、物質ができるということです。
656 :
初代スレ7 :2009/04/18(土) 21:25:08 ID:24dB7y8A
657 :
宝珠愚者 :2009/04/18(土) 21:34:51 ID:XLicXT4G
>>650 >カラスの唄さんは相当な知識レベルだ
う〜む。同意!
確かにチト悪い言葉使いではあるがw
これは相当な知識レベルと理解がなければ、こうスラスラ〜とは書くない。
>それだけ真剣で誠実だから知識が増えるんだ。
ですね!
これは勝手に身につくものできないので、
真理を求める強い想いと熱誠、その努力がなければできる筈がない。
>カラスの唄さんは言葉がきつすぎるけどww 素直に、その情熱と知識、知性に敬意を持つ。 GJ! 愛がわからんやつが中国系知識人(進歩的知識人)に多すぎる!
659 :
初代スレ7 :2009/04/18(土) 21:49:44 ID:24dB7y8A
コピペ 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w 馬鹿だろ?w
661 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 01:49:47 ID:FZaJufka
お前ら、大昔の他人の「借り物」の知識ばかり振り回して、何の意味がある のかね。少しは、自分の頭で考えたらどうかね。頭を取られてしまたのかw。
663 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 02:02:28 ID:FZaJufka
>>662 これまで散々披露している。前レス読め。
名無しじゃ誰だかわかんないんですけどw 名前欄に名前入れてくださいよ。 それともエスパー相手にしか会話しないとか?w
665 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 02:11:21 ID:FZaJufka
>>662 「自灯明」などと言い切れた宗教の開祖は、御釈迦さん唯一人である
ことを、忘れてはならない。
イエスなどには、逆立ちしても言えなかった言葉である。
666 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 04:12:53 ID:rqe7wt6g
常に「俺が、俺が」のエゴの塊であるイエスと比較することにより、釈迦の 本当の偉大さが理解できる。キリスト教とは全く異なり、仏教が2500年間、 殆ど人を殺さなかった理由はそこにある。仏教徒であれば、少なくとも、それ を理解すべきである。 理解できないのは、大川、カラス、宝珠愚者などの、「仏教徒を騙るクリス チャン」だけである。
まさにここに思想的に原始仏教の欠陥があることがわかる。 キリストが仏陀の弟子であることが理解できれば、 なんの問題もない。
668 :
一在家通りすがり :2009/04/19(日) 06:57:17 ID:5xshH4QM
>>632 宝珠愚者さま
>“一在家通りすがり”さんのお奨め、「自歓喜経」が読めようなやつも一緒に。
出典は春秋社「長部経典V」中村元監修(6500円)です。
ジュンク堂でイスに座って読めました、そしてTとUも買いました。
サーリープッタは仏陀に対して、自分が理解した内容を順に表明し、
これを聴いた仏陀はその表明が正しいと保証されました。
「尊い方よ、熱意をもち、努力し、専修し、怠らず、正しく考える修行者、
バラモンは、精神統一した状態で、さまざまな前世のありかたを憶い出す
ようにして、心の統一に至るのです。
すなわち、一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、
百生、千生、十万生において、『わたしは、あるところで、これこれの名であり、
これこれの姓であり、これこれの階級であり、これこれが食べ物であり、
これこれの苦楽を受け、これこれの寿命が尽きた、そしてそこで死ぬと、
またあるところの生まれた、そこでこれこれの名であり(続く)』」
669 :
一在家通りすがり :2009/04/19(日) 07:03:39 ID:5xshH4QM
>>628 カラスの唄さま
>彼はこの現象世界なにひとつ縁起でしか成り立たない、
>それ一本で成り立つものがない、主体性(アートマン)のない、いつかは滅する
>定めの幻だと知ったと同時に、実体とも言える、自性を知ったんだよ。
この現象世界、現界、三次元世界では常住の物は無いから固執して苦しむ
必要はないが(凡夫救済の方便の為の四諦は真の如き教えかも?)、
仏の眼にはアートマンと(高次元)世界は常住不変に存在しているし、
高次元世界に存在するブラフマンの一部を仏教以外では「神」と言っている
というな認識で宜しいのかも知れませんね。
三次元世界と高次元世界とが密接な関係があれば、解脱した修行完成者達が
ミッションを持って再生するということも理解できます。
670 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 08:04:08 ID:xRgZZBzo
>>667 >キリストが仏陀の弟子であることが理解できれば、
>なんの問題もない。
聖書を読む限り、仏陀とイエスの思想との間には、何の関係もないばかりか、
むしろ対極的である。
671 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 08:27:41 ID:l0uvs3q6
口にするのも恥ずかしいけど、キリストがブッダの弟子だと言うのは、 思想と言うより、大川が創作した単なる作り話だろう。 大川が、元金星人であり、本当の仏であり、造物主であり・・・ ということを、信じられる人は信じたらいいと思う。
672 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 08:41:08 ID:l0uvs3q6
大川は食事をするか? 排泄するか? 病気をするか? 妻はいるか? 子供はいるか? 車に乗るか? 電車に乗るか? 本を読むか? テレビを見るか? 映画を見るか? 寝るか? 夢を見るか? 話をするか? こんなことをひとつでもやっていたら、単なる人間だと思うが・・・ かれを造物主だと思う人はそう思えばいいだろう。
673 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 08:53:23 ID:wDjWhckp
霊の目で黄金の仏像と重なって見えた。 決して悪くはいうまいぞ。いえまいぞ。
信者乙。 いままでもたまに書くことあったけど、 この言葉がこれほどピッタリな状況って無かったな。
675 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 09:31:34 ID:l0uvs3q6
>>673 参考までに、その黄金の仏像は何万円なのかね。
安ければ買いたい人もいるだろう。
676 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 09:45:24 ID:l0uvs3q6
ユダヤ教では、神を自称する者は神の冒涜罪で死刑に処せられる。 大川は神を自称しているが、神を冒涜していないのかね? 古来からブッダやイエスやムハンマドのような聖賢は、 自らを神であるとは決して言わなかった。 自分から神を自称するような人は到底まともとは思えないのだが。
大川は、曲がりなりにも東大出ているくせに、 よくあんな誇大妄想をぶち上げる気になったもんだ。 金に目がくらんだのだろうw
678 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 10:02:16 ID:l0uvs3q6
大川が造物主であり、旧約の神エルであり、イエスの父であり、 ムハンマドも統べるなら、すぐにでもパレスチナに行き、 パレスチナ紛争を解決し、パレスチナに平和をもたらしてくれ。 造物主よ、勇気をだせ。造物主よ、パレスチナへ行け。
679 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 10:08:09 ID:LHKFXr4y
幸福の科学スレでお願いします。
680 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 10:10:41 ID:GI3+wbYQ
>>654 >ナーガールジュナが最も重視した「般舟三昧」(『菩提資糧論』)は、
>(止心を前提した)観察に相当するのでしょうか?
「般舟三昧」は、諸仏をまのあたりにする三昧という意味でしたら、
それこそ止の方便だと思います。
しかも、その諸仏が空とはっきり『般舟三昧経』に書いてあります、
この空と了解しながらという部分が観に当たります。
止というのは意識を一点に集中させることだからです。
呼吸や心の動き、図像なども同じく集中させる方便です。
観というのは、ただの観察ではありません。
縁起というのも、ただ因果関係を示したものでないのと同様です。
681 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 10:48:32 ID:l0uvs3q6
大川隆法は「本仏」だから、 このスレに「真打ち」が登場したことになります。 「本仏」を忘れ、排除しては、本末転倒ということになります。
>>646 おまえよ、意味わかって言ってんの?
心が止滅した状態の第四禅の状態のときは思考は働いていない。
思考が働いていない以上、その状態のときに、おまえの主張する思考の
産物、ヴィパッサナーは行えない得ない。
>知慧なき者に、瞑想は存在しない。瞑想なき者に、知慧は存在しない。
>彼において、瞑想と知慧とがあるなら、まさに、彼は、涅槃の現前にある」
〜ダンマパダ・372
悟りとは、心の止滅から得られる。
では心の止滅はどうやって得られるか?それは、己の心を観察し、己の
心がどう生起するか、己の心とはなんなのか?を知る智慧を得て初めて成し遂げられる。
ここがヴィパッサナーだ。では心が止滅した後に得られる智慧とは?それは悟りの
境地にいるときに、この世の断りと、本当の自分自身を、”直感智” で全て悟るということだ。
でもこれで終わりではない。その直感智で得られた智慧は、瞑想から覚めた後は、
「言」による知恵として残る。ここが重要だ。死んでも生きる。なぜなら、「言」は、
「人」がいる限り存在するものだからだ。その知恵は、真摯に求める人がいる限り、
その人の知恵となり、永遠に生きる。その知恵は形あるものは名称によって成り、名称は「言」によって
成る。識別智である「言」は我々「人」を殺したが、この「言」による知恵こそが、
再び我々を生かす。
「言」はおしゃべりして、名称を与え(識別)、この物質世界を生み出し 我々を識別し我々「人」を殺したが、「言」による知恵で、「言」は再び黙り{識別を止め)、我々を 一つにするだろう。そのとき我々は不死を知るのだ。識別智である「言」は万物の母であり、 女性性のものである。彼女ははじめ無知であり、何度もこの世界を貴方という肉の自我とともに 再生する。だが彼女は、人間の生の間に知恵を得ると、おしゃべり(識別)を止め、 再び肉の自我を再生することなく、この世界に安住する。そして、今の時が終わるとき、安息する。 君ら似非仏教徒の大好きな、無の境地だ。そして再び目覚め、新たな創造を始める。新たな知恵を 獲得するために。こうして一つの命の知恵は、無限に拡大していく。この流れは、永遠に止むことは無い。 彼女はヴェーダ、ヒンドゥー、仏教では、ブラフマンと呼ばれる。女は、元の夫の元に帰り、 男と一体となったときに、本当の自分を知り、永遠を手にする。「言」は人の心に宿る。 女は男のハート。彼女は命。元の夫の元に返り、男と一体である彼女は、他者と交わることは無い、 永遠に処女である。彼女の知恵は、キリスト教では聖霊と呼ばれる。
>>683 > その直感智で得られた智慧は、瞑想から覚めた後は、
> 「言」による知恵として残る。
これが分らない。冥想から覚めても直観智自体との接続は切れないじゃん?
なんで智慧だけが「言」として残ってるの?
ま、おまえらエゴに塗れた末法仏教徒、ゴイム達に聞かせてもしかたない 話だが、俺の話を聞いてくれる人もいるようなので話した。 キリスト教では、肉の体の他に、霊の体があると説く。そして霊の体は肉の体とは別の ものではなく、切っても切れないものであるとも説く。我々人の体は、神の霊が宿る 神殿だと説く。漢字とは面白いもので、キリスト教とは関係ないと思われている 東洋から生まれたものなのに、その文字は、非常にキリスト教的である。たとえば、 聖という文字は、耳と、口と、王と、書く。そして体は、人に、本と書く。ちなみに魂とは 鬼が伝わるだ。体という文字に注目。霊の体の意味を悟るものは、幸いだ。 キリストの肉を食べ、血の杯を飲む者は、永遠に生きるだろう。
>>685 言を持たない獣は、夢を見ても、知恵として残らない。
もちろん、縁起や、空などというものも理解できない。「言」を持たない
獣は、たとえその境地をz知ったところで、それがなにかも理解できない。
キリストの肉を食べ、血の杯を飲むというのは、なにも イエス個人のことを言っているのではない。誰でも真理を悟り、正しい 教えを説く人の言葉は、聖霊なのだ。キリストとは、インドで言うところの 仏陀と同じ意味である。それは欠乏なき、完全な器。
だいたいよ、ここの似非仏教徒達は、なぜ原始仏典では、 ヴェーダを肯定する傍ら、ブラフマンをも肯定し、ゴータマをブラフマン と同一視し、褒め称える一節もあれば、一方で、ブラフマンを馬鹿にし、 ゴータマ仏陀を上にみるような記述のある矛盾を説明できないボンクラばかり なんだよ。残念ながらゴイムは永遠に悟ることはないだろう。君らの受け取る報酬は 永遠の滅びだ。ま、君ら唯物論者は、死ねば無になるのが真理なのだから、 それでいいのだろう。心配しないでも君らは望みどおりの結末を手にするだろう。
>>688 それはひとつの解釈ですけど、化体説では
イエスの血と肉に物理的に変化するといってますね。
カトリックの教義は否定する立場ということでいいですか?
691 :
宝珠愚者 :2009/04/19(日) 12:57:15 ID:OnT2BP3L
>>668 >出典は春秋社「長部経典V」中村元監修(6500円)です。
ありがとうございます。またご教授ください。
ネット検索して、図書館に依頼したのはその文献です。
それは、この経文とほぼ等しい感じですね!
『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿
住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、
ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯を想
起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・
壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこうであっ
た。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの年齢ま
で生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり(続く)』
(ディーガ・ニカーヤ2:93/出家の功徳)
>>690 化体説なんていうのは、迷信。
カトリックのあの儀式は元々、イエスが十字架にかかる前、
最後の晩餐のときに、弟子達に、私を記念するために、行いなさいという儀式
であり、その儀式自体には、意味は無い。もちろん、その儀式に
参加する、しないなどは、救いに関係ない。ただイエスは記念に。このような
儀式を行いなさいと、言っただけなのだ。だがその儀式には意味がある。
キリスト教の言う、パンとは、比喩である。もちろん血の杯も、比喩である。
その本当の意味を知る者は少ない。おまえは、これだけわかりやすく、書いてきたのに
なにも、意味を見出さないんだな。だからキリスト教のパンの意味もわからず、
ちんぷんかんぷんな、問いをしてくる。彼は一つのパンを裂き、弟子の一人一人に
与えた。
>>692 少し訂正。
×だがその儀式には意味がある。
○その儀式自体には意味は無いが、その儀式には
秘められたメッセージが込められている。そのメッセージには意味がある。
>>690 すまん、よく読まないでレスを返した。
カトリックの教義は御伽噺だ。その御伽噺を
そのまま信じる者は、おめでたい。
だがその御伽噺には真理が隠されている。
聖体拝領の儀式もそうだし、煉獄の思想もそうだ。
煉獄とは死後のあの世の話ではない。そんなものはない。
煉獄とは、価値観の新たまった次の時代のことであり
その時代に始めてキリストの兄弟達は、悔い改め、真理に即した
生き方実践し、真理に至る。今の時代、今の世俗の中に生きる限り
イエスの掟を守り生きるのは至難の業だ。だから次の時代が
用意されている。価値観の改まった次の時代を迎えるには、エポックメイキングな
出来事が必要だし、一度今の秩序をリセットしなければいけない。その次の
時代のことをカトリックでは煉獄という御伽噺で例えられる。
カトリックの教義は、肝心なことは全て御伽噺に例えられて、隠されている。
その御伽噺をそのまま信じる奴は、真におめでたい。
>>692 勘違いしているようだけど、私は化体説とか信じてるわけじゃないよ。
むしろ象徴的な理解の方がいいというか、象徴的にしか理解しようがないとは思います。
肉体をもって復活するとか、処女懐胎するとか、生きたまま天上に帰るとか。
秘められたメッセージっていうのは、霊性の伝授みたいなことじゃなくて?
696 :
宝珠愚者 :2009/04/19(日) 14:56:43 ID:OnT2BP3L
697 :
宝珠愚者 :2009/04/19(日) 14:57:30 ID:OnT2BP3L
>>593 >
>>590 >ダライラマ『智慧の眼をひらく』について
>これはチベット語の原書も持ってますし、チベットは一番得意な分野なので、
>この本で攻めていただければ最もやりやすいです。
では、まった〜りと、少しづつ宜しくお願いします。
お題は、実在論/常住論に同じく通じる根本義である-【無我】(の誤解)についてです。
無我がアートマン否定意のことであるとして、さもそれが当たり前のものだとされては困ります。
この仏教2600年間?の大誤解について、皆さんもご一緒に参加して下さい!
『わたしがここで強調したいのは、無我の教えは仏教思想上のすべての学派によって主張されると
いうことである。なぜかというと、すべての学派がアートマン論、すなわち永遠の自我的実体に執着す
る見解を、一切の苦悩として認めているからである。』
(ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ著『ダライラマ--智慧の眼をひらく』春愁社刊)
まず、私はこの基本認識からして疑問だとするのです。ゴータマが説いたのは、「永遠の自我的実体
に執着する見解を、一切の苦悩として認めている」のではなくて、“アートマン(自己)ではないものを自
己(アートマン)であると見なして、その見解に固執するところからくる苦悩”について説いているのです。
やはり、法王といえども大乗の流れから来ている歴史的伝統の誤解をそのまま受けているものと見
受けられます(そこが大乗の恐ろしくネックとなる部分です)。これは、元々は「非我」とでも呼ぶべき教
えが、後代にアートマン否定意としての「無我」と誤解して継承されていったものと理解します。
698 :
宝珠愚者 :2009/04/19(日) 14:58:39 ID:OnT2BP3L
『この主張においては、わたしたちは、アートマンと五つのあつまりとはまったく無関係であり、まったく 異なる存在であるということを認めなければならないであろう。そのような場合には、アートマンは、生じ、 存続し、消滅する、という五つのあつまり(五蘊)の性格をはなれたものとなることを認めざるえない。そ こで、アートマンが個体の構成要素とは別のものであるというアートマン論を信奉するものは、アートマン は五つのあつまりから独立して存在しており、五つのあつまりとは関係をもっていないということを証明し なければならなくなる。 しかし、これは不可能である(なぜかというと、アートマンと五つの知覚しうるすべての手段は、五つの あつまりのなかにあるからである)。それゆえに、アートマンと五つのあつまりとがまったく異なるもので あると主張することは正しくない。これが(アートマンと五つのあつまりとは)「異体であることと結びつか ないことが判定される弱点」といわれるのである。』(同著『智慧の眼をひらく』p147) 『注(8)---もし、アートマンの存在が五つのあつまり(五蘊)とはなれていて、別のものであるとすれば、 その場合には、ブッダとその伝統のもとにある諸師によって主張されたような個体についての徹底的な 分析は不可能であろう。しかし、このことは経験上の観察によっても、また、洞察力(vipasyana 観)によ る智慧の完成により結果した探求によっても支持されないであろう。また、他に依存しないのであるから、 それはいかなる関係性ももたないことになろう。それゆえに、どんな場合でも、どのような方法でも知る ことはできないことになるであろう。そして、もし、その存在の五つのあつまりと異ならないとしたら、すな わち、五つのあつまりと離れていないとしたら、それは独立したものではありえず、アートマンの概念と矛 盾することになるであろう。』(同著『智慧の眼をひらく』p155-156)
699 :
宝珠愚者 :2009/04/19(日) 15:11:00 ID:5W++4XDD
残念ながら、これら
>>698 は解脱を得ていない(未体験)者による典型的な発言だと思います。まず
第一に、ゴータマは明確に“アートマンは五蘊ではない。五蘊の中にもない”と断言しました。根本的に
いって・・その辺の認識からしてズレていると思います。
では、どうすれば、アートマンは知覚されうるのでしょうか?この旨い説明なり、根拠を提示するのは、
かなり難しいことです・・。私なりに努めますが・・困難です(涙)
ちょいと参考まで:
『「古いパーリ語の韻文の経には、しばしば「アッタン(サンスクリット語形のアートマン)」の語が
現れ「無我」の語はかえって現れない。」
ところが、「自灯明」の「自」とはなんとアートマン(我)なんだそうで、ああそうかと納得。
1,釈尊の教えはバラモン教やジャイナ教と同じく我の実在を説く
中村元もその一人で、非我説=我実在論=仏教インド思想伝統論、さらにいうと、すべての宗教は
結局のところ同じことを説いているんだ、という考えなんだそうだ。』
参考:(松本史朗「縁起と空」7,自灯明とは何か)
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/12c2a22ae6567df92065b7237c13b89c
>>696 どうも失礼しました。カラスさんもレスありがとう。
701 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 15:56:12 ID:euSEW0nW
>中村元はインド思想の権威だと私は思っていたんですが、ある先生の話だと結構間違いが多く、誤訳もあるしで、問題がかなりあるそうです。 たしかに >さらにいうと、すべての宗教は結局のところ同じことを説いているんだ、という考えなんだそうだ。』 これは突き抜け過ぎですね。イスラムとキリストが同じ、と言ったらカラスさんの怒髪が天を突いてしまいます。 こういう結論ってどうやって至るもんなんでしょう。似通った境地とか精神性のところだけ取り出して 他の部分はそぎ落として地ならししちゃうんでしょうか。
702 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 16:20:11 ID:GI3+wbYQ
>>697 宝珠さん、これについては、先ず輪廻否定論者の言い分を思い出してください。
彼らの内で、ブッダは輪廻転生を否定したが弟子たちが勘違いしたという説を唱える人がいます。
それと同じことを、宝珠さんは主張しています。それを考慮して再掲しますので、読んでください。これに尽きると思います。
132 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/02/26(木) 20:34:00 ID: sRGuMdI5
>>118 宝珠さん、「それは我(アートマン)ではない」という文についてパユットー『仏教』70頁以下は、こう述べています。
ヒンドゥーや西洋の多くの学者は、このことについて次のような理由をあげて説明しようとしている。
「ブッダは、我、あるいは最高のアートマンを否定されていない。
ただ、様々な現象である法だけを否定されているのだ。
例えば、この経などにあるように、五蘊のすべては我ではないと否定されたが、
これは、五蘊に我あると間違って思い込まないようにという説明に過ぎない。
というのも、存在する真の我は五蘊ではないからだ」
彼らは、そのほかの多くの仏語を取り上げて、
ブッダは様々な現象である法だけが我ではないと否定されたが、
最高の段階のアートマンを認められているということを示すために、
涅槃がアートマンと同一の状態である、
あついは涅槃こそ我である、と説明しようと努力している。
(中略)
凡夫、特にアートマンに関する信仰体系を学び修習してきた者は、
何らかの色の中に自我があるという偏った考え方に固執し、あるいは求めて、
知らず知らずのうちに心の奥深くある望みに応えようとする。
ある色(五蘊の段階で)の中には自我があるという気持ちを失わなければ[なら]ないとき、
新しいものを考えるか、または固執しようとする。
しかし、仏法の原理に従えば、一つのものに固執するために一つのものを解き放つこと、
もしくはもう一度奴隷に陥るために一度の自由から逃げることはない。
今一度考えてもらうために、簡単に言っておこう。
自我のあるものは存在しえない。存在しうるものに自我はありえない。
703 :
一在家通りすがり :2009/04/19(日) 16:40:07 ID:2A8eVP3p
出典は春秋社「長部経典U」中村元監修の「大善見王経」。 クシナーラーで涅槃に入るときに尊者アーナンダと釈尊との 対話を記録した経。 「アーナンダよ、わたしは六回にわたり、この地域に遺体を 捨て置くことを経験し、(中略)如来が八回目に遺体を捨て置く ことになるその地域を、決して見ることはない」 以上を世尊は仰いました。 現代におきまして釈尊の生まれ変わりだと自称される方々を お見かけしますが、「大善見王経」では釈尊は念押しされて ますね。
704 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 16:40:24 ID:GI3+wbYQ
>>699 > 残念ながら、これら
>>698 は解脱を得ていない(未体験)者による典型的な発言だと思います。まず
>第一に、ゴータマは明確に“アートマンは五蘊ではない。五蘊の中にもない”と断言しました。根本的に
>いって・・その辺の認識からしてズレていると思います。
> では、どうすれば、アートマンは知覚されうるのでしょうか?この旨い説明なり、根拠を提示するのは、
>かなり難しいことです・・。私なりに努めますが・・困難です(涙)
とするとチョナン派を除くチベット仏教や、テーラワーダには悟ったものがいないことになりますね。
>>702 に引用したようにテーラワーダの見解も同じですし、
シナ・日本も同様です。つまり、ほとんどの仏教は勘違いしていて、
ヒンドゥーや神智学、オウムなどが正しいことになりますが、そんなことあるでしょうか?
> 『「古いパーリ語の韻文の経には、しばしば「アッタン(サンスクリット語形のアートマン)」の語が
>現れ「無我」の語はかえって現れない。」
> ところが、「自灯明」の「自」とはなんとアートマン(我)なんだそうで、ああそうかと納得。
「自灯明」は「自州」であり、輪廻の暴流のなかで修行できる人身という
中州によって仏教という舟にのって解脱の彼岸へ渡れという意味です。
まっとうな学者はこう解釈していますよ。
> 1,釈尊の教えはバラモン教やジャイナ教と同じく我の実在を説く
>中村元もその一人で、非我説=我実在論=仏教インド思想伝統論、さらにいうと、すべての宗教は
>結局のところ同じことを説いているんだ、という考えなんだそうだ。』
>>702 に言う通りです。日本で最もヒンドゥー的なのが津田真一先生と
宮元啓一さんです。これらはただの誤解です。
705 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 16:42:09 ID:GI3+wbYQ
>>701 誰もが最も信用できる学者とするのが水野弘元先生です。
水野弘元先生は素晴らしいです。
『要語』は名著です。
706 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 16:44:59 ID:GI3+wbYQ
>>703 仏教が輪廻を説くという点は、既に一致してますのでご心配なく。
現在、輪廻否定論をこのスレで説く方は、信念表明されたり、布教活動されたりしてるだけです。
なんの根拠もありません。
707 :
一在家通りすがり :2009/04/19(日) 17:04:38 ID:2A8eVP3p
私はコーランも一読しましたが、モーゼもイエスもマホメットも アッラーの使わした預言者という扱いをしております。 有名人の釈尊については、まったく触れられてないようですが。 悟りを開いた後に布教を無理と感じていた仏陀の心変わりを促した 大梵天の中の一神のことが、長部経典の「大本経」には詳しく記載 されております。 「大本経」で私が興味を持ったのはその一節でした。つまり、大梵天が 複数存在するという点です。 ヒンズー教の神、ユダヤ教のエホバ、イスラム教のアッラー、それぞれが 大梵天であれば、そしてご性格が異なれば人類の救済の仕方にいろいろな 方法があっても極自然だと感じております次第です。 余談ですが、死海文書と旧約聖書とのわずかな相違点の一つに、死海文書 では複数神の存在が記載されていることです。 それでは、また来週にこの板を訪れる予定です。 宝珠愚者さんが新しい見解をアップされていることを楽しみにして。
>>701 中村元という人は比較思想学会とか作った人です。
この宗教のAという概念とこの宗教のBという概念は似ている、というような
ことを整理して、宗教的叡智とは何か?みたいなことを探りたいと思っていた
人のように思います。
このスレでも神智学と仏教の概念をつきあわせて、これはこれじゃない?
みたいな議論が出てますけど、少し似ているんじゃないかと思います。
誤訳の件も時々言われますね。
その後の先生方がまた緻密だったので対比的に。
709 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 17:20:30 ID:euSEW0nW
>>707 >そしてご性格が異なれば人類の救済の仕方にいろいろな方法があっても
「アッラーの御目からすれば真の宗教はただ一つイスラームあるのみ」 (メディナ啓示イムラーン一家 17)
イスラム大梵天はユダヤ教やキリスト教の大梵天とは仲が悪いようですね。
人類の救済、というよりも大梵天同士の信者の取り合い、教勢拡大競争という図が浮かびます。
710 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 18:26:53 ID:yZ4BD7qQ
宝珠氏の信じる神智学は無神論であり唯物論です。 神智学という立場から仏教にアプローチすることは誤りです。
711 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 18:32:16 ID:yZ4BD7qQ
唯物主義者・宝珠氏は、転生と業報から仏教に近づき、 縁起や中道を完全に無視しています。まさに神智学の視点であり、 獅子身中の虫ではないでしょうか?
唯物主義者・宝珠氏には神智学スレを勧めます。 唯物論と無神論に抱かれ、そこで眠り、深く深く埋もれてください。
713 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 19:37:01 ID:vT4cv+Ll
>706 仏教が輪廻を否定した事は、明白な史実です♪ 仏教と、輪廻を説くカルトとを間違えない様に気をつけましょう♪(笑)
714 :
一在家通りすがり :2009/04/19(日) 19:40:02 ID:VMvR7e+E
>>709 >イスラム大梵天はユダヤ教やキリスト教の大梵天とは仲が悪いようですね。
「大善見王経」でも、釈尊の前世の転輪聖王は肉体を離れた後にブラフマン
(梵天)の世界に往かれたと記載されております。
大梵天同士はお互いをよく理解しあっており、仲が悪いはずはないと
見るのが正見でしょう。
預言者達も同様でしょうが、その数百年、数千年後の弟子達は仲が悪い
ようですね。
この板で仏教には霊界は無いという方がおられましたが、「霊界」という
言葉が無いだけではないでしょうか。
長部経典の「大本経」と「大善見王経」を続けて読みますと、菩薩は
ト卒天から生まれ(下生)、菩薩を生んだ母親は7日後に亡くなって
ト卒天に生まれた(帰った)と明記されています。
心霊科学のいう霊界は仏教ではト卒天だと理解しても宜しいかと存じます。
715 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 20:05:59 ID:GI3+wbYQ
>>713 それでは、>3 を覆すかそれ以外の根拠を示してください。
輪廻を前提にしない仏教は、現代の少数の例外以外にどんな地域にも
どんな時代にも正統な伝統として存在した例を私は知りません。
716 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 20:16:38 ID:vT4cv+Ll
>714 キリスト教などは、梵天では無い。 有頂天なのだから当然に自在天だろう。 因みに、仏教の裾野には「霊界」と同様な概念は当然有ります。 いわゆる六道輪廻ですね。 斯様な妄執を否定し或いは超えた点は仏教の偉大さと言えよう♪ (^。^)判るまいが♪(笑)
717 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 20:18:24 ID:vT4cv+Ll
>715 つ中論
718 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 20:29:35 ID:GI3+wbYQ
>>717 『中論』は輪廻を前提にしてるでしょ。26, 27章をよく読んでください。
1-25章は、勝義の話なんで、有るとか無いとか言えないことを説いてます。
それを誤読するというのは、何も分かってないということです。
719 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 20:39:13 ID:vT4cv+Ll
>718 (^。^)ほほう♪ なら、同16章は一体何が書かれているんですか?(笑)
720 :
てすと :2009/04/19(日) 20:44:38 ID:+xFFhfgw
まだやってんのか。 対機説法なんだから、輪廻をといた奴には解いた、解く必要のない奴には解かなかった。 どちらが釈迦の本心かはわからないし、それを知ることに意味はない。 輪廻があるとすることで、苦しみの原因が取り除けるなら使ったんでしょう。 「本当の仏教(笑)」を求める連中が輪廻は真理でないと叫びたくて、 グチャグチャ言っているだけでしょ。
721 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 20:45:37 ID:WiSY8Cpl
722 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 20:49:20 ID:vT4cv+Ll
>721 煎餅売り♪(笑)
723 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 20:59:28 ID:GI3+wbYQ
>>719 だから勝義の話ですよ。輪廻というのは仮設ですよ。
仮設というのは、今、自分自身があるということと同じです。
例えば、今、モニターにあるドットの集合で文字が認識されるように、
輪廻や自分自身があるということ、これが仮設であり世俗です。
ところが、15章で自分自身も有るでもなく、無いでもない、といい。
16章で輪廻も有るでもなく、無いでもない、という。
モニターに見える文字は、ただのドットの集合で文字という実体ではない。
これが勝義なんです。これが分からないようでは何も分からない。
少なくとも今の私自身と輪廻は同一のリアリティと仏教は説いてます。
逆にあなたは『中論』26, 27章『宝行王正論』I-35~39, 43~45
『勧戒王頌』23, 31, 58~104をどう読むのですか?
あるいは『四百論』1-8章、『入菩提行論』などはどう解釈するのでしょう?
724 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 21:26:36 ID:vT4cv+Ll
>723 説法は説く側と聴く側があって成立する訳ですが、 貴方は、当時の聴衆の側に立って居る訳ですね。 私は、現代教育を受けた者として、当時の説法者の意思を聴きたいと願う立場ですので、この話は平行線のままでしょう。 (^。^)ノシ
725 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 21:40:25 ID:GI3+wbYQ
>>724 どうぞご自由に。ただもう中論が輪廻を否定するとは他で説かないでください。
直弟子のアーリャ・デーヴァを始めインドの聖者も、シナ、チベット、
日本の中論を尊重するもので、世俗として輪廻がないなどと言う聖者が
いなかったということを考えれば、その解釈がいかに不十分で、
現代に阿諛したものか、簡単に分かると思います。
726 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 21:51:23 ID:vT4cv+Ll
>725 (^。^;)君はバカかね? 君こそ、当時の聴衆の常識を中論の所説と言うのは止めなさい。
727 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 22:02:52 ID:v+Q9jbBn
現代に説かれていたら中論には輪廻否定が書かれていただろう、ということですか。
728 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 22:13:58 ID:GI3+wbYQ
>>726 いや、あなたこそ、何も知らずに困ったもんだ。
輪廻は体験であって、唯の信仰とか迷信ではない。
パーリ『梵網経』を読めば、あなたの立場がただの凡夫であることが分かるでしょう。
そして輪廻という概念は、シナや日本、ミリンダ王、現代西洋社会になかった。
あなたの前提なら聴衆に輪廻という常識がないなら、説く必要はないことになるが、
ところがみな絶対必要な概念として強い抵抗に遭いながらも粘り強く説得している。
あなたが仏教について何も知らない、何も分かってないということを自覚しなければならない。
まあ、これ以上いうことはありません。
729 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 22:16:19 ID:vT4cv+Ll
>727 (^。^;)いえ、そうではありません。 中論の16章で、 「もし、個人存在が輪廻するならば、5蘊12処18界のうち、何れが輪廻するのか。」 などと説かれているのです。 まぁ、実際のトコは中論を読んで確かめて下さい。 (^。^)てか、輪廻とか普通に考えて有り得んわな。(笑)
730 :
初代スレ7 :2009/04/19(日) 22:28:05 ID:D4WcQTUU
>>728 >輪廻は体験であって、唯の信仰とか迷信ではない。
であるならば、(いや、だからこそ)、
他者の境遇に対して「前世の業が云々」という発言は許容されるのか? ということです。
宝珠氏始め幾人かの方は、
べトちゃんドクちゃんにしても、綾瀬コンクリート事件の被害者にしても、ガザ空爆の犠牲者にしても、
それらは前世の業による報いだと発言していました。これは不遜なことではないのですか?
「旅人とおにぎり」のレスを引用したことがあったが、貴方ならあのレスに何を見ますか?
重要なことは、
『自身に於いての、「これは、遡ってみればコレコレこういうことが因となっていたのだな・・・」という受け止め方(≒頷き)』
ではないでしょうか・・・。
731 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/19(日) 22:33:12 ID:vT4cv+Ll
>730 (^。^;)そんな事言うヤツラが居たのか? 被害者にムチ打つ様なヤツラはゲスのクソ以下だな。 プルトニウムと一緒に埋めなきゃならんな。(笑)
732 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 22:38:03 ID:GI3+wbYQ
>>730 7さんが、それに拘るのは宝珠さんが神通に拘ることと同じだと思いますが。
仰る通り、人の業を云々するのは不遜でしょう。
業にしろ、戒律にしろ人を云々するものではなく、
自分を律するものでしょう。
もちろん、私も自分より他人に向かうことが多いのですがw
とにかく輪廻がないと仏教は始まらないというのが、
伝統的仏教徒のスタンスです。
これは西洋人に対して教える場合のテーラワーダやチベットの諸師に
はっきり現れています。
もちろん、中には阿る人もいますが、それは教えているのではなく、
商売していると私は思います。
733 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 22:40:27 ID:gvKyzBVl
同意。前世の業など宣う輩は総じてクズだろう
734 :
初代スレ7 :2009/04/19(日) 22:44:37 ID:D4WcQTUU
>>732 >7さんが、それに拘るのは宝珠さんが神通に拘ることと同じだと思いますが。
意味不明。もう少し噛み砕いていただけますか?
>とにかく・・・・・・現れています。
で、現代日本に於いて、輪廻思想の復活には何が必要だと思いますか?
(或いは、何が環境障壁になっていて、それを排除するためには、どうすればよいと考えていますか?)
735 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 23:07:40 ID:GI3+wbYQ
>>734 では、マールンキャプッタの現代版と言えばご理解いただけるでしょうか。
要するに悟りの道に関係ない部分に拘り過ぎということ。
私も別の所で、そうなんですが。
別に現代日本社会で輪廻が復活しなくてもいいんです。
ただ、真剣に悟りに向かおう、仏教を学ぼうと思ってる人には、
変な方向に向かって欲しくないと思うだけで。
ですから、少なくとも仏教書や仏教者で輪廻を否定するようなものが
あっては困ると思います。
まあ、そういう縁も自業自得といえばそれまでですが。
ここらへんは難しいところです。自然な流れに逆らわずに正しい方向に。
未熟ななので、どうしてもエゴがありますからw
736 :
初代スレ7 :2009/04/19(日) 23:07:58 ID:D4WcQTUU
ついでに、宝珠氏の胡散臭さを新たに感じたので指摘しておくか・・・w
彼は、
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234594095/836 に於いて、
> >> 799
> >が、試しに「(自)歓喜経/長部28」でも読んで味噌。(大般涅槃経にも同じ一節はあるが・・・。)
>
> ご紹介に感謝!!
> 早速、一部を拝読しました。こ
> の経は、さすがって感じのチョイスですね-なるほどねぇ^^
とレスしている。これは、「自歓喜経」が手元にあり参照可能であるからこその発言、と私は読んだ。
ところが、今スレの
>>632 >>691 を見ると、
まるで「自歓喜経」を読んだことも見たことも無い者の発言に思える・・・。
宝珠氏よ、どっちなんだ? 君は「自歓喜経」を参照できる状況に居るのかい?
それとも、スレ10の836の発言は嘘かい? でまかせかい?
737 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 23:10:09 ID:GI3+wbYQ
738 :
初代スレ7 :2009/04/19(日) 23:10:40 ID:D4WcQTUU
>>735 だとしたら、私のスタンスと8割9割同じなんですが、貴方としては心外かもしれませんね・・・w
739 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 23:26:02 ID:v+Q9jbBn
『中論』のおすすめ訳は中村元さんのでしょうか。
amazonの説明文に
>一切は空である。あらゆるものは真実には存在せず、見せかけだけの現象にすぎない。
とあるんですが、輪廻の扱いもこのノリということはないでしょうか。犬とか石ころと同じで。
>>729 で引用された部分は「有るでもなく」の部分かと思いますが、
「無いでもない」の部分はどんな書き方になっているのでしょうか。
740 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 23:27:57 ID:GI3+wbYQ
>>738 意外ですが、心外ではありません。
似た考えの人がいるのは嬉しいものです。
ところで自歓喜経の常住論は、釈尊が他のバラモン、シャモンの説として説いたものだとほぼ得心しました。
梵網経で釈尊が凡夫、聖者、覚者の三者に分けて説く中で、
中間の聖者、つまりバラモン、シャモンの説として同様の常住論を説かれていることと、
漢訳・自歓喜経では常住論(常法)は、釈尊より劣ったバラモン、シャモンの説と明記されていることが
今のところ根拠です。
後で、きっちり論証するつもりです。
741 :
初代スレ7 :2009/04/19(日) 23:36:33 ID:D4WcQTUU
>>740 >釈尊が他のバラモン、シャモンの説として説いたものだとほぼ得心しました。
ですよねぇ・・・。素直に読めばそうなりますよねぇ・・・w
(※私は、自歓喜経のみを素材としても、その構成の仕方からも導けると考えていますが・・・。
それを、梵網経の記述と大般涅槃経の記述で補強する感じで・・・。)
>意外ですが、心外ではありません。
私の過去レスを参照していただければ、意外ではないと思いますが・・・w (^^;
問題は、残り1割の部分ということになるのかもしれませんね・・w
742 :
神も仏も名無しさん :2009/04/19(日) 23:42:39 ID:GI3+wbYQ
>>741 >大般涅槃経の記述
これはどの部分でしょうか? 教えていただけると助かります。
残りの一部が、大きかったりして。近親憎悪とか(^^)
そこら辺を超えられるかが私の場合、とりあえずの壁なんでしょうね。
743 :
初代スレ7 :2009/04/19(日) 23:59:05 ID:D4WcQTUU
>>742 季刊原始仏教の21頁〜24頁(PTS版の82頁から)だけど、
ごめんwww 大般涅槃経の方は常住論関連でなく、舎利弗の“法の推知”に関してだった・・・。
お詫びして訂正します。 →「梵網経の記述との比較に於いて」と・・・。 orz
申し訳ない・・・。
(※そもそも、私が、この長部28経が気になったのは、この舎利弗の宣言に関してだったので・・・)
残りの一部は、
≪業報思想の不完全さ(曖昧さ)≫と≪現象として輪廻(≒転生)があり得るのか?≫
そして、≪「肯定だろうが否定だろうが、どっちにしても追体験してから言え!」という印籠に勝てない≫
ということでしょうかね・・・。
現代(日本)社会にふさわしい言辞・解説が必要なことは、論を待たないだろうと思いますし。
744 :
初代スレ7 :2009/04/20(月) 01:32:46 ID:ItyZJORi
>>742 追記。
今、パラパラとめくってみたが、
沙門果経との比較も有効かも。
寝るzzzzz
745 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:10:38 ID:dAMWKtcI
>>730 べトちゃんドクちゃんの話などは、業報について分りやすくするための例え話です。
個々の事例については特定できないといったでしょう!
綾瀬コンクリート事件の被害者の話は、仮に彼女が自殺したとしてもそれを責められないし、
自殺を選択する権利もあるということを私は述べたのです。
>>736 >宝珠氏よ、どっちなんだ? 君は「自歓喜経」を参照できる状況に居るのかい?
>それとも、スレ10の836の発言は嘘かい? でまかせかい?
なんで出まかせなの?プンプン
ネット検索で一部が掲載されていた経文を見たのですよ。
今回はできれば全文が読みたいから手配してるのです。
746 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:11:33 ID:dAMWKtcI
>>729 >(^。^)てか、輪廻とか普通に考えて有り得んわな。(笑)
俗な発想ですねw
>>701 >>708 中村 元氏については、非我説に対する批判であるとか、
バラモンの哲人も目指すゴールは同じであるとする見解には当然、批判の声はあるでしょう・・。
しかし、誤訳の間違いが多いとはどういうことなのか?具体的には一体、何なのか?
私は中身のある批判を見たことがありません。
ご存知の方は是非、それを提示して欲しいです。
747 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:14:15 ID:dAMWKtcI
>>702 >彼らの内で、ブッダは輪廻転生を否定したが弟子たちが勘違いしたという説を唱える人がいます。
>それと同じことを、宝珠さんは主張しています。
輪廻を否定した経文は存在しません。それと同じく、“アートマンは存在しない”と説かれた経文もない。
>涅槃がアートマンと同一の状態である、
>あついは涅槃こそ我である、と説明しようと努力している。
私は(神智学徒なので)ちょっと違いますけどね。
アートマンもある種、縁起で生じており、輪廻が止んだ段階でモナッドに吸収されて消滅します。
>自我のあるものは存在しえない。存在しうるものに自我はありえない。
これは現象界の存在一切についてです。
つまり、法王の論法
>>698 とは、「人は五蘊によって事物を知覚する」→
「アートマンが五蘊と分離独立した存在ならば、それは知覚され得ない」→
「このことはアートマン論の崩壊を意味する」→「従って、アートマンは存在していない」というもの。
しかし、本来からしてアートマンは五蘊によって知覚しようとするものではないでしょう。
748 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:18:20 ID:ziIfmML+
>>704 >とするとチョナン派を除くチベット仏教や、テーラワーダには悟ったものがいないことになりますね。
“悟り”という言葉には広く含みがあり、いろんな段階と意味に使われます。明確に、仏教の目指す
目的は“解脱(成仏)”と呼ぶことで統一すべきです。ゴータマ入滅以降〜私は仏教界(名の知られて
いる人物の中)では、解脱成仏した覚者はついに排出できなかった、と見ています(あなたと同じく、
ミラレパあたりが恐らく最高レベルかと見なしてはいますが・・)。
>つまり、ほとんどの仏教は勘違いしていて、
>ヒンドゥーや神智学、オウムなどが正しいことになりますが、そんなことあるでしょうか?
“無我の間違い”については、近代仏教学がようやく気付いたことなのだと思います。これが解脱者
を輩出できない直接的な原因というわけではないと思いますが・・いや、やっぱりアートマン否定は良
くないですね(笑)
ただし、これはゴータマ仏陀(仏教)の間違いではなく、後代の弟子の誤解によるものです。ヒンドゥー
は迷信的信仰も含めて幅があまりに広大です。ですが、ラマナ・マハリシなどの説いた教えは重要です。
何故なら、すでに歪曲してしまった数百数千年もの古代の記述(経典)とは異なり、時代の変色を受け
ていないからです。彼らはヒンドゥー社会に出現したのでヒンドゥー伝統の枠内で語ってはいますが、そ
の教えを知るならば、アートマンと仏教徒の誤解については悉く氷解するでしょう。
マハリシ関係書籍は数冊ありますが、私からのお奨めは絶対コレ!!
おおえまさのり訳編『南インドの瞑想―ラマナ・マハリシとの対話』大陸書房刊
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w22490702#enlargeimg >>735 >ですから、少なくとも仏教書や仏教者で輪廻を否定するようなものがあっては困ると思います。
これには強く共鳴します!
749 :
てすと :2009/04/20(月) 09:19:22 ID:b7gx0kVA
生も死も、人間が便宜上ある状態をそう名付けたに過ぎないのだから、 輪廻もただ便利だからそういう概念が生まれただけなので、実際にはあるのでもないのでもないでしょう。 メートルとかフィートとかの単位みたいなもの。 センチメートルがあるかないか?なんて議論はそもそもおかしいでしょ。
750 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:30:10 ID:dAMWKtcI
私はオツムが悪いので、 学者さんの主張をそのままご紹介させてもらいます。 『じつはブッダは輪廻転生思想を否定した、認めなかったとする人がかなりいます。そういう人たちの多 くは、ブッダは無我説を説いたから、というのです。---中略--- しかし、ブッダは、自己が存在しないなどとは1度も語ったことはありません。ブッダは、五蘊(心身)のい ずれも自己ではない(非我)とか、みずからの実存にまつわるすべての事象は自己ではない(諸法非我)と は語りましたが、五蘊は無我であるとか諸法は無我であるとは説きませんでした。』 (『大法輪』第76巻第4号/特集-輪廻転生を考える(P78)『ブッダの輪廻観』宮元 啓一著) 『例えばブッダの根本教説のひとつとされる「無我」の教えについていえば、それは無主体とか無霊魂とい うことではなかった。無我の「我」とはウパニシャッドの哲学に説く絶対原理であるアートマンのことである。』 (インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
751 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:31:07 ID:dAMWKtcI
『仏教は無我説を立てることで有名であるが、その思想内容は歴史的にかなりな変遷がある。それにと もない「諸法無我」の解釈にも変化がみられる。 無我説の始まりは、最古層の経典の執着するな、わがものという観念をすてよという教えにある。初期 の無我説は、「我は存在しない」ことを説くのではない。倫理主体としての真の我の確立は、むしろ積極 的に求められていた。 「常に思念をたもち、自己に関する誤った見解を捨てて、世界を空なるものとして観よ。そうすれば、死を 超越したものとなるであろう。このように世界を考察するものは、死神には見えない。」(Sn.1119.) 無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、という教 えから始まる。当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説か れたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。 原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつ について「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説か れる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。』 (インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)
752 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:35:36 ID:dAMWKtcI
『三法印の一「諸法無我」は厳密には「諸法非我」と訳されるべき。諸法(=一切の存在)とはなにか?
「それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、
身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが『一切』と呼ばれるものである。」
(SN. 33.1.3)
一切の作られたものは無常sabbe sa kh?r? anicc?(Dhp.277)一切の作られたものは苦sabbe sa kh?r?
dukkh?(Dhp.278) 一切の存在は無我sabbe dhamm? anatt?(Dhp.279)
「比丘たちよ、眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である。す
べて無我なるものは『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』と、
このように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。比丘たちよ、耳について言うも同
じである。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言うも同じであり、また、
意について言うも同じである。」(SN. 35:1)
*ここでいう苦(dukkh?)とは、苦痛とか苦悩という意味ではなく、「思い通りにならない」ことである。無常で
自分の思い通りにならないようなものを「アートマン」と呼ぶことはできない、という趣旨である。
すなわち、釈尊がアートマンを否定する論法は、「一切とは何か」を規定し、「そのいずれもがアートマン
ではあり得ない」というもので、「アートマンは存在しない」と主張したのではない。この違いが重要である
のは、当時のインド哲学・宗教一般ではアートマンの存在は自明なこととされていたので、それに対して単
純に「存在せず」と主張することは、形而上学論争になってしまうからだと思われる。
釈尊が無用な形而上学論争を禁止し、それに対する回答を拒止した(無記)ことは、「毒矢の譬喩」から
も知られる。釈尊の否定は、あくまでも形而下(経験できる範囲)の世界におけるものであって、それを超
える事柄は全く問題にしなかった。』
参考:(諸法無我と諸法非我)
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar2.pdf
753 :
てすと :2009/04/20(月) 09:38:00 ID:b7gx0kVA
そりゃ釈迦が正しいでしょ。 無我も有我も観察の切り取り方の違いなんだから。 顕微鏡で星が見えないからといって、星の存在を否定する奴なんていないでしょうし。 はさみとホッチキスのどちらが正しいかなんて議論はあほくさい。 目的に応じて使い分けりゃいいだけの話。
754 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:43:11 ID:ziIfmML+
『考えることを排斥している。そうして修行者はまず『わがもの』という観念を捨てねばならぬという。した がって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである。 以上、古い詩句の中において『わがもの』あるいは『アートマン』の観念について論及している諸句を検討 したのであるが、それらの所説は、古ウパニシャッド及びジャイナ教において説くところと大体において共通 である。 初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶ ことを躊躇する。『無我』という語は誤解をひき起し易い。初期の仏教においては決して『アートマンが存在 しない』とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するのである。 自己を愛し、自己を実現すべきことを説いているにもかかわらず、その自己(アートマン)がいかなるもの であるか、ということについて、形而上学的にいかなる説明も与えていないのである。この事実は、インドに おける他の哲学学派と、いちじるしい対照を示している。---中略--- 最初期の仏教が多く、『わがもの』という所有観念を捨てるべきことを教え、アートマンに関しては、アー トマンを愛し、護り、アートマンを実現すべきことを強調するのに対して、散文の部分においては、むしろわ れわれが対象的に把捉し得る何ものもアートマンではない、ということを強調する。ところで散文の部分で 強調されている思想を受けて、後世になると遂に『アートマンは存在しない』という意味の無我説が確立す るに至った。』(中村元著『自我と無我』平楽寺書店刊)
755 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:47:48 ID:ziIfmML+
『初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。 ・・・更にアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥られているのであるから、アートマンをア ートマンと見なすことは、正しいことなのではないだろうか。聖典自身は明らかにこの立場を認めており、 原始仏教においては自己を自己として追求することが正しい実践目標として示されている。すなわち真実 の自己を求むべきことを勧めているのである。 ---かりに『無我説』と呼ぶにしても、それは決して『アートマンが存在しない』と主張したのではない。 ただ客観的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。
756 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 09:48:57 ID:ziIfmML+
ところで《自己を(アートマン)を尋ね求める》ということは、実はジャイナ教においても説くところであり、 表現の文句まで一致している。のみならず歴史的に遡って追求すると、このような思想は、少なくとも表現 の文句の表面に関する限りは、ウパニシャッドにおいて「アートマンが探求せらるべきなり」と説かれている のと全く軌を一にしている。「このブラフマンの都(身体)の内ある小さい蓮華の形をなす一住居----その 内部に小さな空処がある。その内にあるもの(アートマン)、それを尋ね求むべし。実にそれを知ろうと欲す べし。」(チャーンドーギア・ウパニシャッド[.1.1) ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そして原始仏教においては、「自 己を知る人」が尊重されているのである。 「自己の利を知って常に自己に専念せよ。たとえいかに大事であろうとも、自己ならざる他のものの利の 故に、自己の利を捨て去ってはならぬ。」(ダンマパダ:166) こういう表現は、古ウパニシャッドにおけるアートマン論と著しく類似している。---中略--- 原始仏教では自己を愛することを教えている。アートマンは愛しきものである。ある小さな神が 《子に等しい愛しいものはない。》といったのに対して、釈尊は「自己(アートマン)に等しい愛しい ものはない。」(アングッタラ・ニカーヤ:U.21)と答えた。これは明らかに古ウパニシャッドにおいて哲人 ヤージニャヴァルキヤが・・・などと説いた教えにちょうど対応するものである。』 (中村 元著『原始仏教-その思想と生活』NHKブックス刊)
757 :
てすと :2009/04/20(月) 09:52:42 ID:b7gx0kVA
輪廻の問題は、無我ではなく縁起を使って解かないとわからないと思うよ。 一瞬輪廻なんてないようにみえるけど、あるかないかをいえば、結論としてはあるんだよね。 見えない人には太陽が地球を回っているようにしかみえないだろうが、ようは視点の違い。
758 :
てすと :2009/04/20(月) 09:55:05 ID:b7gx0kVA
つうか、引用が多すぎると著作権に引っかかるだろ。 コピペするぐらいなら、アマゾンのリンクはっとけよ。
759 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 10:01:25 ID:Pwc3oqEF
>>744 ども!
>>746 訳に間違いがあるのは仕方ないこと。完全な訳などありえない。
なぜなら言葉だから。特に国訳みたいな書き下しなら、誤訳は少ないけど、
現代語訳にした場合、ある程度意味を切り捨てられることは仕方ない。
>>747 パーリのニカーヤにはないかもしれませんが、後代はみな
アートマンはないとしてますよ。端的に無我です。
重要なのは現代のチベット仏教でもテーラワーダでも日本でも、
みな無我であるということは認めなければならない。
一部の輪廻否定者が釈尊だけが輪廻を否定して後は誤解したと言ってるように
釈尊だけが非我で、後は無我と誤解したと言っているということです。
760 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 10:05:15 ID:dAMWKtcI
取り合えず、今回ま資料は以上。
>>758 (純粋な)学問の目的のためならいいの!
これを了承しないと学問の研究は進まない。
と、著作権問題については私は確認しており、そのように理解してる。
761 :
てすと :2009/04/20(月) 10:08:47 ID:b7gx0kVA
>>760 だから、引用箇所が多すぎるでしょ。
大学の卒論で参考文献の内容が8割だったらそんなの研究じゃなくて、
ただ盲目的になってるだけじゃん。
>>757 結論だけ出したってこのスレ的には無意味でしょう。
何故その結論になるのかを書いてくれないと。
>>761 数ページでしょ?それほど多いとも思わないけど。
763 :
てすと :2009/04/20(月) 10:16:29 ID:b7gx0kVA
>>762 物事には段階があるので、順をおって説明しなきゃならないのだけど、
まず、人間、生、死、などが構成される要素を抜き出すと、それらが単独で存在しないのはわかるかな?
むずかしい?
もっと簡単にいうと、果物、親、雲、が存在するためには何が必要?
764 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 10:18:54 ID:Pwc3oqEF
>>748 ミラレパも無我ですよ。
弘法大師もアートマン説が第三住心であるとしていることは前に引用した通り。
私の言うヒンドゥーは、まあ常住論と考えて貰えば結構です。
現象が空で、アートマンは常住であるという考え。
これは漢訳『自歓喜経』では後で詳しく指摘しますが明解に否定されてます。
後、そのラマナ・マラリシの本も昔読んだことがありますよ。
しかし、普通はヒンドゥーと言えばシャンカラとかバルトリハリとか、
古代の有名人の説を想定しています。
>>750 もっとも権威のある水野弘元先生の説が学者なら重要です。
たしか『要語』をお持ちと言ってましたので、是非それを熟読してください。
中村先生や宮元さんなどは、あまり無我説の部分では権威とは思えません。
>>756 ジャイナやウパニシャッド、叙事詩などと共通のフレーズが原始仏教に見出されます。
それら共通の部分を苦行者文学と呼び釈尊もそのような伝統を利用したことが
荒巻典俊先生を始めとする方々によって進められました。
おそらく、その研究の影響を受けて中村先生は岩波文庫シリーズを改訂されたように思われます。
しかし、全く荒巻先生に触れていない。
中村先生は以前、辻直四郎先生に対しても同じようなことをしています。
>>763 物体はその構成要素が特定の構造をとるという状況下において
物体としての相を示しているということは理解しています。
766 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 10:21:10 ID:dAMWKtcI
>>759 >現代語訳にした場合、ある程度意味を切り捨てられることは仕方ない。
ですか-了解!
>釈尊だけが非我で、後は無我と誤解したと言っているということです。
私はその誤りが起こったのだと思います。
つまり、掻い摘んでいうとこうなります。
「アレもアートマンではない。それもアートマンではない。」というゴータマの話から、
後代の弟子たちは、ブッダは全てアートマンではないとして否定してるのであるから、
結局、アートマンはどこにも無いのではないか!ゴータマは、どれがアートマンで
アートマンとは如何なるものだとも説かれなかった・・。
このことが、アートマンは存在しないとする「無我」の教えとされたのです。
真言さんはゴータマだけが非我を説き、弟子は皆んな無我となったとは不自然だといいますが、
それが起こったとしても無理もないことだと思いませんか?
何故なら、ゴータマはあれもそれも違うとだけ云って、解説しなかったからです。
しかしながら、「アートマンは無い」などと述べた経文は存在しない。
「五蘊はアートマンではない。アートマンではないものを自己と見なすなかれ!」
としか述べていないのです。
真言さんは、原語も読めるのだから解るでしょ!!
767 :
てすと :2009/04/20(月) 10:27:52 ID:b7gx0kVA
>>765 一応、あなたの状態を確認するけど、いくつかの質問に返答お願いします。
それから次へ進みましょう。
りんごは存在してますか?してませんか?
雲は存在してますか?してませんか?
生命は存在してますか?してませんか?
死と岩の違いはなんですか?
768 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 10:30:40 ID:dAMWKtcI
>>764 >たしか『要語』をお持ちと言ってましたので、是非それを熟読してください。
25年も前の話です。
お恥ずかしい限りですが、購入し立てでまだパラパラ見してないのに
自分の不徳に至りで無くしてしまったのです(あ〜理由は聞かないでw)。
はい、これは座右の携帯図書だと思うので、再び入手します。
769 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 10:31:36 ID:Pwc3oqEF
>>766 >真言さんはゴータマだけが非我を説き、弟子は皆んな無我となったとは不自然だといいますが、
>それが起こったとしても無理もないことだと思いませんか?
>何故なら、ゴータマはあれもそれも違うとだけ云って、解説しなかったからです。
同じことを輪廻について輪廻否定者が言っていることは分かりますね。
非我ではなく無我であるというのは『梵網経』から明らかですよ。
なぜなら、凡夫より常住論のバラモン・シャモンの方が聖者で、
見解が高いと仰られていますが、それらの見解では解脱できない、
それぞれに相応しい来世があるだけだと明解に説かれているからです。
これについては、宝珠さんが『梵網経』を手に入れてからやりましょう。
今、この問題についてこれ以上、云々しても無駄だと思います。
770 :
てすと :2009/04/20(月) 10:37:58 ID:b7gx0kVA
うーん、仏教を学ぶなら、日本語訳よりも英語訳の方がいいと思うけどね。
りんごは存在しているように見えています。 その状態を一般的には存在していると言っています。 私はりんごという相を示していると認識しています。 雲に関しても同様です。 死は命が絶えるというプロセスを指しますが、 岩はその物質の現状を指しています。 生命や死はやや概念が多様ですから、 生命体の維持機能の意味か、生きているという状態、生きていないという状態という意味か 死にゆくプロセスか、生きていくプロセスか、によって違ってくるように思います。 死の世界、生の世界といっている場合は、より抽象的な概念を指しているように思います。
772 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 10:48:28 ID:dAMWKtcI
>>769 >凡夫より常住論のバラモン・シャモンの方が聖者で、
>見解が高いと仰られていますが、それらの見解では解脱できない、
>それぞれに相応しい来世があるだけだと明解に説かれているからです。
つまり、よくいうところの・・
仏教的には神々は輪廻する存在である、という話のことですよね?
>これについては、宝珠さんが『梵網経』を手に入れてからやりましょう。
分りました。
また宜しくお願いします。
773 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 10:58:43 ID:Pwc3oqEF
>>772 >つまり、よくいうところの・・
>仏教的には神々は輪廻する存在である、という話のことですよね?
強調したいのは、アートマンは常住であるという見解、境地の三昧を
解脱と見なす人は、解脱していないということです。
これも『梵網経』などの長部経典を手に入れてからやりましょう。
先ず、読んでからでないと、一方的に説明しても納得しずらいと思うので。
当時のバラモン達が常駐だと説いたのは、 今の私の自我。魂のことだろ。彼らはウパニシャッドの真我論を 誤謬し、今の私を認識している今の意識こそが本当の私であり、死後も 永遠不滅に生きる真我だと説いたんだろ。つまり永遠不滅の魂だ。 ちなみにこの誤謬は、オウムの麻原もやらかしていた。彼らは真我とは、 肉体が死んでも、この意識は残り、それが真我だと勘違いしていた。 ここに彼らの教義がいかにお粗末なものだったかがうかがい知れる。 ゴータマはそうではない。我々の意識、我々の今の肉の自我、魂などというものは 所詮、無自性(無我)なものでしかなく、それらのものは、輪廻する苦でしかないものだ。 そんなものに執着するなと説いたんだよ。もちろんゴータマは、アートマン 自体は否定していない。ただ、当時のバラモン達が、これがアートマンだと説いた ものを、それはアートマンではないですよと、正したに過ぎない。
>>767 あんた偉そうだな。なら一つ、俺もあんたに聞こう。
りんごを存在ならしめた縁起そのものはどこからきた?
宇宙そのものはどこから来た?
まさか縁起だけは、元から在る常駐論を説くおつもりじゃないだろうね。
賢い人ならわかるはずだ。縁起も二項からなる主体性のない空であり、
宇宙の誕生と共に生まれたものである。もちろん生まれたものには、終わりがある。
さぁ、答えてみろ。
肉体およびその肉体のなかに肉体状の形で入っている魂、 これを、有我、アートマンといい、釈尊はこのアートマンなる見方を 否定することによって、梵我一如=ブラーフマンを示そうとしたのだ。 つまり三法印によって、バラモン的邪見をうちやぶり、かつ、断見なる 唯物的な考えも排除し真のアートマンつまりアナートマンという悟りを示した のだ。そのアナートマンとは潜在意識のなかにある、もう一人の自分とつながって おり、さらには、他者、宇宙意識なるものともつながっているという自分という 意味なのだ。
777 :
亭白 :2009/04/20(月) 11:25:57 ID:Pqgq/K/H
>>766 :宝珠愚者さん
アートマンは無我説を説いたから「我が無い」から死んだら終わりという考えは
間違っていますね。
そもそも「無我」は高次な悟りの心境を述べています。
778 :
てすと :2009/04/20(月) 11:36:15 ID:b7gx0kVA
>>771 ひとつひとついきましょうか。
りんごの相が現れるための条件はなんでしょうか?
人はなにをもってして「それ」をりんごと呼んだのでしょうか?
>>695 宝珠氏はそういったが、せっかくだから答えましょう。
そこを幻影のようなものだと考えてはならない。むしろ、この現象世界
こそが幻なのだ。幻影の中で生きる者は死ぬだろう、どうして
幻影の世界で生きられようか。富める者は貧しくなり、王達は投げ捨てられる。
万物は流転するものなのだ。しかし復活とは、これらのこととは
無縁のものである。なぜならそれは真理であり、確固としてたつもの。
真に存在するものだからである。誰にとっても、多くの仕方で実践を積み、
この肉という要素から解き放たることは良いことである。そうすれば、
もはや迷うことなく、再び元から在った、自分自身を受け取るだろう。
復活とは、元から在った自分自身を再び受け取ることである。
キリスト教の言う死人とは、墓場に眠る死体のことではない。それは我々のことなのだ。
そして墓場とは、この現象世界。処女受胎とは、聖霊は処女であり、人の子は
聖霊によって生まれたという、譬え。彼女(聖霊)は、初めから在った男(人)と一つ
であり、他者と交わることのない、永遠の処女である。彼女の言葉は、我々を再び
一つとするだろう。人の子は、この聖霊によってうまれ、彼の心は、聖霊に満たされていた。
聖霊とは父の御心である。「言」は「人」の心であり、女は、男のハートである。
そして彼女は、万物の母である。名称は「言」によってなり、「言」みよって成らない名称は
何一つない。彼女は元の夫の元から去り、他者と交わり、姦淫の罪を犯している。
姦淫によって生まれる子供は全て呪われている。その受け取る報いは、死だ。
我々は姦淫によって生まれた子である。再臨とは、なにもイエスという男がそのまま肉の姿で
蘇って我々の前に現れるというものではない。この先真理を悟り、皆を導くものが現れる。
彼こそが、イエスの再臨である。2000年前のイエスという肉の男は大して重要ではない。
彼の肉の自我は死んだが、彼の言葉は生きている。そして彼は我々の中で生きている。
なぜなら復活を遂げた彼は、命そのものだからだ。だから彼の言葉は生きる。
イエスの言葉は聖霊であったように、後に我々を導く人の言葉も聖霊であり、父(根源)の御心
である聖霊は、父と一つであり、その言葉を話す子も、父と一つである。
>>695 少しはキリスト教のことがわかっていただけだろうか?
ま、キリスト教の話はスレ違いなので、この辺で。
781 :
てすと :2009/04/20(月) 11:47:06 ID:b7gx0kVA
>>775 >宇宙の誕生と共に生まれたものである。
「宇宙」「誕生」「共」はどこからきたの?
君はあほなの?
>>778 りんごという概念に当てはまるかどうかで、それをりんごと判断していると思います。
基本的には色・形状・質感・触感・香り・味などで判断してると思いますが、DNAの塩基配列に至るまで
細かい判断基準は無限にあると思います。
完全に全ての条件を確認してから判断することは希というよりほとんど不可能でしょうが、
ある程度条件に合致していれば、イミテーションでもりんごとして認識することはよくあります。
>>781 縁起は現象世界と共にあるわけだろう。
それとも縁起だけは独立してあるとでもいいたいわけ?
お宅禅宗のもんか?禅宗の者は。それは違うというだけで、
なにがどう違うのかということは決して言わず、偽論から逃げて
義論に勝ったつもりでいる。あんたもごまかさないで、俺に
文句があるなら、論旨をはっきりした書き込みで勝負してみな。
どうせ言葉遊びの義論でしかものをいえないんだろうけどさ。
784 :
てすと :2009/04/20(月) 11:55:59 ID:b7gx0kVA
キリスト教徒は線上で物事を考え、仏教徒は球面で考えるんだよ。 海の波の始まりがどことか聞かれても「それがなに?w」としか答えようがない。 文字とおり「次元」が違うからクリスチャンは仏教徒に喧嘩売らない方がいいと思うよ。
>>782 そいつの罠にはまるな。
俺がテストとやらに聞いてやろう。
そういうあんたは、りんごは存在していますか?していませんか?
回りくどいことしないで、自分の意見があるなら、それをはっきりと
ここに書けば、それで済む話なんだよ。テストさんとやら、逃げないで答えろよ。
786 :
宝珠愚者 :2009/04/20(月) 11:58:12 ID:dAMWKtcI
>>777 私が述べてるのは全く違うことです。
ゴータマは無我(アートマンはない)などとは述べてない。
「それらはアートマンではない」という非我(アートマンにあらず)を説いたというものです。
「我が無いから死んだら終わり。従って輪廻転生もない」と主張するのが、
ここに巣食う末法断滅論、擬似仏教者たちです。
また対する真言氏は、無我(アートマンはない)であるが縁起して輪廻するというものです。
恐らくこれが伝統仏教の解釈です---私は反対しますが・・。
>そもそも「無我」は高次な悟りの心境を述べています。
これも違うと思います。
元々ただ、「それら(五蘊)はアートマンではない」とそれだけのことです。
それが「無我の境地」などと使われるようになったのは、遙か後代のことでしょう。
多く禅の悟りとして好まれる表現であり、そのようにして使われていたりします。
>>774 >今の意識こそが本当の私であり、死後も永遠不滅に生きる真我だと説いたんだろ。
まず、この間違い(迷信)を正すことが最重要でした。
私はカラスさんの見解にほぼ同意です。
787 :
てすと :2009/04/20(月) 12:06:05 ID:b7gx0kVA
>>785 仏教は基本的にオーダーメイドなんだよ。君関係ないじゃん。
かまって欲しいなら君用に対応しようか?
別にID:aySxaJW3さんが得るものがないと判断すればやめるけど?
>>784 屁理屈で勝負してんじゃねぇよ。
おまえは宇宙の始まりはなかったというのか?(苦笑)
つまりあんたは、ビックバン理論を否定するんだな?
のらりくらりと、屁理屈でしかない偽論しか語れない似非仏教徒が
大層な口きいてんじゃねぇよ。
俺は単純に、現象世界であるこの宇宙には始まりがあった。
それは縁起の始まりである。もちろん始まったものは、終わりがある。
波のはじまりはどこかなどとは、全然違う話なのだ。
おまえは、海の誕生と、波の始まりはどこかという問いと、同じ次元で扱うのかよ(苦笑)
詭弁だらけの、ペテン師が。
>>787 だからあんたの意見をまず言えば済む話なんだと言ってるんだよ。
あんた、日本語通じないの?さすが詭弁、屁理屈だらけの、禅宗だな。
ちなみに禅宗は仏教じゃないから。
790 :
てすと :2009/04/20(月) 12:14:09 ID:b7gx0kVA
>>788 >つまりあんたは、ビックバン理論を否定するんだな?
宇宙をつくったのは神だよ。「光あれ」といってできた。
そんな事もしらないの?
「無」を理解できない禅は野狐禅。
>>790 すみません、その神の名前をきいてもいいですか?
793 :
てすと :2009/04/20(月) 12:18:01 ID:b7gx0kVA
>>789 ほれほれ、どうした。意見を言ったぞw
光あれ〜〜〜で宇宙ができた〜〜〜ww
アダムとイブが〜最初の人間だ〜〜〜♪
イエスが泣いている。
>>790 神は、”言われた”。光あれ。そうして、光と闇は分かれた。
第一の日であり、”光と闇”。縁起の始まりだ。
あんた、意味わかって言ってんの?その神と呼ばれている存在とはなんだ?
言ってみろ。
796 :
てすと :2009/04/20(月) 12:22:48 ID:b7gx0kVA
>>795 聖書に書いてないから知らん♪おせーておせーて♪
光あれで、光ができたのに。
799 :
てすと :2009/04/20(月) 12:27:01 ID:b7gx0kVA
>>797 もう面倒くさいから聖書に書いてあるとおりでいいよw
スッタニパータにもあるように、形態は名称によって成ったものである。 〜スッタニパータ 950 名称と形態について、<わがものという思い> の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人 かれは実に世の中にあっても老いることがない。 1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、 いかなる場合に消滅するのですか? おたずねしますが、 このことをわたしに説いてください。」 1037 アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。 識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、 この名称と形態とが滅びる。 「言」とは識別智である。この識別が、現象世界を生んだ。縁起の始まりである。 人は、この識別作用を止滅させたとき、元の一つとなるだろう。 ま、おまえら似非仏教徒達には永遠にわからん道理だ。特に詭弁、言葉遊びに生きる テストとかいう大ばか者にはな。
801 :
てすと :2009/04/20(月) 12:30:36 ID:b7gx0kVA
>>798 ごめんごめん、横槍が入ったのでw
アボーンして無視しますね。
名称は「言」によってなる。「言」によって成らない名称は何一つない。 「言」は識別智であるから。彼女は万物の母である。彼女がおしゃべりを止め、 識別を止めたとき、元の夫の元に帰るだろう。 キリスト教の言う女とは、「言」を持つ我々の心。魂のことである。
>>800 > 「言」とは識別智である。この識別が、現象世界を生んだ。縁起の始まりである。
> 人は、この識別作用を止滅させたとき、元の一つとなるだろう。
意識レベルでの識別作用を滅ぼしても意味ないですよね。
無意識レベルでの識別作用を滅ぼさないと。
で、無意識レベルの識別作用を滅ぼすためには、いったん
無意識の働きに関して意識的に識別する必要があると思うんですが、
どうでしょう?
>>784 イエス(聖霊)に喧嘩を売っても恥をかくのはおまえら、似非仏教徒のほうだ。
イエスの教えと、おまえら禅宗を代表する、似非仏教の坊主達の説教とは、次元が違う。
805 :
てすと :2009/04/20(月) 12:41:23 ID:b7gx0kVA
>>803 カラスの対応するなら、そっちとやっちゃって。
グチャグチャになるので。
りんごを識別するにはオレンジなどが必要です。
キリスト教には他の宗教が必要です。
806 :
てすと :2009/04/20(月) 12:44:12 ID:b7gx0kVA
>>804 >イエス(精霊)
なんか一つ足りねーぞ。
>>805 りんごを識別するのにオレンジはいらないと思います。
オレンジや他の果物が世界からなくなっても
りんごがあれば人はそれを認識すると思います。
カラスさんとは別の話題ですから関係ないのでは?
808 :
てすと :2009/04/20(月) 12:48:22 ID:b7gx0kVA
>>807 だからそれはもう、りんごじゃないんですよ。
赤色の陰影しかない世界は白黒と同じなんですよ。
人がみな吸血鬼になれば、吸血鬼は消滅するのです。
ちょっとむずかしいかな・・
809 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 12:50:28 ID:kaAtsjWC
吸血鬼の世界にいってみれば。馬鹿すぎ。
>>808 オレンジと対比することがりんごの概念としての必須条件であれば、
それは「りんご」ではないことになるでしょう。
オレンジと対比することが条件から外れていればそれでも「りんご」でしょう。
ただ、これはいずれにしても概念の話でしかありません。
人間がどう認識するかということと、そのものがどういう状態のものであるかは関係がありません。
「群盲象を撫でる」で、人間が柱と認識するか箒と認識するかということと、
それが象であるかどうかはあまり関係がありません。
812 :
てすと :2009/04/20(月) 13:01:01 ID:b7gx0kVA
>>811 うんだから、それはりんごでなく「それ」とか「何か」は確かに認識できるけど、
リンゴやAppleでなくてもいいというのはわかる?
「それ」「何か」を否定してるんじゃないよ。あくまでも確認ね。
哲学問題を、形而下的にしか考えられない人は 消滅してしまうとしか考えられいということですね。
>>812 言語記号の恣意性のことなら認識しています。
>>812 言葉が概念にすぎず、その概念は人間の認識状況によって異なるということも
理解はしているつもりです。
ゆえに神に関しても実在していると、形而下的に 考えて、常住といっているバラモンと同じ見解である ということだ。
817 :
てすと :2009/04/20(月) 13:14:16 ID:b7gx0kVA
>>815 で、認識するためには、体の器官というインプット装置が必要だよね。
目だったり、口だったり、鼻だったり。
もっと別な言い方をすれば、認識したくなくても、意思と関係なく強制的に認識させられていて、
ストップできないものが体には備わっているという事実があるよね。
>>817 そうですね。概念の構成には情報が必要ですが、その情報は
感覚器官などからの情報に頼っていることが多いですね。
819 :
てすと :2009/04/20(月) 13:28:51 ID:b7gx0kVA
>>818 で、一連の流れを整理すると、
情報 →器官(強制)→ 概念(調整)→ 反応
になるよね。
820 :
てすと :2009/04/20(月) 13:47:16 ID:b7gx0kVA
基本的に宗教は、器官を抑制するものと、ダミーの概念で抑制するものの二つがあるんだけど、 たとえば、性欲を抑えるために 「女に近づくな」が器官抑制。 「母や妹と思え」「もともと汚い存在だ」とかいうのは調整テクニックでしょう。 人間は関数みたいなもので、インプット→人→アウトプットの繰り返しなので、 宗教や社会教育によって、よりその社会での生存に適した関数に書き換えられる。
>>819 そうですね。
直観知みたいのは別にあるかもしれませんが、通常の認識作用は大体
そんな感じだと思います。
>>820 意図的であれ、自然なものであれ、
人が学習された認識パターンで行動するというのはよく分る話です。
新興宗教などでマインドコントロールされた場合などは
リプログラミングする必要がありますね。
822 :
てすと :2009/04/20(月) 14:06:09 ID:b7gx0kVA
>>821 で、スレタイの輪廻の問題にもどるんだけど、輪廻の問題をややこしくしているのは、
概念上の輪廻と認識を突き詰めたときの輪廻はわけて考えなきゃいけないということ。
概念上の輪廻なら簡単でしょ。「悪いことやったら地獄に落ちる」と同じなので釈迦が説こうがなんだろうが得に重要ではないでしょう。
なので、ここでの問題は「感覚器官によって、輪廻が認識できるか否か。それを釈迦が説いたのか」
という事になると思いますが、ここまでで何かありますか?
>>822 概念と実際を分けるのは分ります。
ただ、輪廻に関しては感覚器官で認識しているのかどうかは不明ではないかと思います。
たとえば数学者が長大な方程式を見た時に、
パッと答えだけをまず最初に書いてしまうことがあります。
化学者が分子構造を突然パッと書いてしまうことがあります。
検証は後からですね。
そういう場合は、いわゆる五感的な感覚器官で認識した情報を統合しているのかどうか
ややあやしい気がします。
ただいずれにしてもヒラメキを司る神経の働きがあるのは確かです。
824 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 14:23:29 ID:CWidsb0V
>>820 >宗教や社会教育によって、よりその社会での生存に適した関数に書き換えられる。
少なくとも、キリスト教は、「生存」には一切関心がないぞw。むしろ、生存を
否定する倒錯した宗教。
825 :
てすと :2009/04/20(月) 14:30:41 ID:b7gx0kVA
>>823 私もあなたも感覚を研ぎ澄ませているわけじゃないので、
あくまでも推測なのですが、以前自分が手術で全身麻酔をしたときに、
「時間認識を失う」体験をしました。普通の睡眠なら時間が経過したと認識できますが、
まばたきしたら3日たってました。睡眠とは違う感覚です。
で、推論なんですが、輪廻というのは当然過去の人間が死んで今に生存することなんですが、
そもそも過去現在未来という時間感覚が何をよりどころにしているのかが怪しいなら、
輪廻の意味も変わってくると思っています。
従来の時間感覚では輪廻はないと考えるのが普通ですが・・・
>>825 現在、過去、未来が霊的次元では同時に存在する、という考え方は確かにありますが、
輪廻がある、といった場合は、やはり「過去世を想起できること」が前提になるのではないでしょうか?
この転生の前はこれ、その前はこれ、そのまた前はこういう人生だった、というように
Aの生のあとBの生、C、Dと続いている場合、ABCDは世界の歴史の時間軸に沿った順番になっていると
考える事が多いと思いますが、場合によってACDBのような順番で人生を送るというのも
「無い」とは思いません。それはありうるかもしれません。
またBと同時期にB1とかB2のような人生を別の人間として送っている、ということもありうるかもしれません。
ただ、いずれにしても輪廻を認識する場合は、それぞれの人生を「想起できる」必要はあるような気がします。
そういう意味で、想起できるものは「過去世」。想起している現在の生は「現世」。そして想起できずこれから
こうなるだろうと予測するだけのものは「来世」ということになるのではないでしょうか?
827 :
亭白 :2009/04/20(月) 15:40:09 ID:QzX2X5Cu
784 :てすと:さん ☆なかなか鋭い所を突いたテストだね。テストがあることは答えがある訳ですね。 答えはあの世の霊天上界です。と言わないよね。 キリスト教徒は線上で物事を考え―地球の地上を認識にたって物事を考える。 仏教徒は球面で考え―霊的認識があるため地球的認識にたって物事を考える。
てすと氏は旋火輪について説教したいんでしょうよ?
意地悪しないで付き合ってあげなよ。
>>826 如来の化現について話しても混乱するだけだと思うが
829 :
てすと :2009/04/20(月) 16:22:22 ID:b7gx0kVA
>>826 こればっかりは感覚器官の問題なので、実際に自らが経験できない以上、
そこが限界ではないでしょうか。
ただ、仏教だけでなく、地理的文化的に接触がない人たちが同じようなビジョンを認識したという記録もありますし、
実際にあるかないかはともかく、そのような感覚そのものを完全に否定はできないのかもしれません。
>>829 結局、輪廻はあるかないか分らない、ということですね。
私の個人的意見としても、なんとなくありそうな気はするものの、
正直分らないです。
831 :
てすと :2009/04/20(月) 16:35:03 ID:b7gx0kVA
>>830 もう少しでそこまでは到達できそうな気がするんですよ。
感覚の制御はある程度できるようになりました。
832 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 16:40:56 ID:6TZTJA5n
遺伝子の伝達を輪廻と解釈するのか、占いのおばさんやシャーマン、カルト団体の教祖が自称○○の生まれ変わりと宣うことが輪廻なのか解らん。 輪廻が勝義だとすると、そこに輪廻などという言葉で定義するのも変な感じがする。 理解できるように便宜上「輪廻」という言葉で表現されているものなのかな。
いろんな考え方があると思いますが、 自分の悪意に気づくことができないと過去世は思い出せないような気がします。 普段でも自分のことをよく思いたい、自分に対していいイメージをもっていたいという気持ちがあると 自己に対して否定的な事柄に関して誤魔化したりスルーしてしまうのが人間です。 過去世を思い出すにあたって、無数の悪行を積んだ自己イメージに耐えられる精神力は必須のような気がします。 (イメージで考えないというのがひとつの道なのでしょうけれども) 釈尊は成道前に悪魔と対話しますが、悪魔というのは釈尊の心にある悪意だと思います。 自分自身が抱える全ての悪意を直視できるようになること、その悪意に対する全責任を自分自身が負っていくという 覚悟が決めるという事は、輪廻の有無を問わず必要なことのような気がします。
>>833 輪廻するには主体があるわけで、あなたのように解釈されると
困るので、霊はあるといっておきます。
>>831 また何かわかったらおしえてください。
所用があって出かけます。
今日はいろいろありがとうございました。
>>834 なんで困るのかわかりませんが、主体があるとすれば悪意でしょうね。
煩悩という言い方もありますが。ただ別の言い方をすると悪意を浄化していこうとする
働きが主体ともいえるでしょうね。それを霊というかグループソウルというかハイヤーセルフというか
ひとぞれぞれでしょうけれども。ではまた。
836 :
てすと :2009/04/20(月) 17:02:22 ID:b7gx0kVA
まあ、2chは言語による掲示板なので、意思の疎通に限界はあるでしょう。 あと自分は感覚を研ぎ澄まして、いけるところまでいくだけかな。 報告しようにも伝えようがないので、みんなも頑張れとしかいえないが。
837 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 17:28:05 ID:JtF7ueWm
宝珠氏が無神論の唯物主義者であることは明らかである。 オカルトや神智学や神通力や輪廻転生や業報などへのしつこい好奇心、 これがかれの目的を教えてくれる。かれの歩んだ道がかれの目的である。 かれは神になりたがっている。
838 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 17:36:13 ID:JtF7ueWm
神になりたがっていること。これが宝珠氏の誤り。 いつになったら気づくのか? 気づかないで終わるのか? わたしは正しい、どこがまちがっていると抗議するヨブに似ている。 ただの、みんなと同じ、単なる人間になろうよ。
839 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 17:43:59 ID:JtF7ueWm
宝珠氏、魔法のランプなどないのだ。そこから人生を歩もうよ。 もっと謙虚になろう。怪しげな経典を探しまわるな。 経典は忘れたほうがいい。それよりもまず、自分の頭で考えよう。
輪廻があるもクソも そんな証明しようのないことをどうやってあるかないかを断言したらいいんだ。
841 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 17:51:00 ID:JtF7ueWm
カラス氏には共感することが多い。 しかし2は2であり、1は1である。これが永遠の真理である。 2が1になると言い張っているところが誤り。 永遠に、人は神になれない。
842 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 17:54:03 ID:JtF7ueWm
テスト氏のスタンスは正解だろうと思う。 自分で考えている。
843 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 17:59:43 ID:JtF7ueWm
>>840 ほんとだよね。経典は作り話でいっぱい。
そしたら、自分で考えて納得できるかどうかだろう。
合理的かどうか、理証しかない。
844 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 18:11:00 ID:JtF7ueWm
この川は濁った川、いろんな魚が住む。いいですね。
845 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 18:27:24 ID:JtF7ueWm
顕微鏡で見ると驚くけど、望遠鏡で見れば感動するみたいなもの よくよく話せば、それほどの違いはない
846 :
亭白 :2009/04/20(月) 18:28:15 ID:QzX2X5Cu
>>825 :てすとさん
あくまでも推測なのですが、以前自分が手術で全身麻酔をしたときに、
「時間認識を失う」体験をしました。普通の睡眠なら時間が経過したと認識できますが、
まばたきしたら3日たってました。睡眠とは違う感覚です。
☆輪廻転生は100%あります。
時計時間を超えて感覚器官も越えます。
時計時間や感覚器官に囚われていると限界ですよ。輪廻転生は理解できないよ。
御解りでしょうか?
>>827 の答えはまだでしょうか。まさか答えありません。って言わないでね。
847 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 18:42:36 ID:JtF7ueWm
亭白さんには、新しい宗派を建てるように提案します。 元金星人・大川についていてはいいことがない。
848 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:00:07 ID:6TZTJA5n
何かを崇めるよりも、独自の世界観を主張する人の方が見てて面白いw
849 :
初代スレ7 :2009/04/20(月) 19:01:58 ID:ItyZJORi
>>745 >なんで出まかせなの?プンプン
了解。 スマンかったw
>べトちゃん・・・・・・述べたのです。
それなりに違いのある発言を混ぜ込んでしまい申し訳なかった。
ただ、方向性というか、視線の方向での大きな括りとして一つにしたかった。
大雑把に過ぎたことは反省する・・・。許せw
850 :
てすと :2009/04/20(月) 19:16:12 ID:b7gx0kVA
>>846 だれお前? お前とやりとりした覚えはねぇ。
あっち行けよ、低脳。
851 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:23:19 ID:G5p9MBsw
>>804 >イエス(聖霊)に喧嘩を売っても恥をかくのはおまえら、似非仏教徒のほうだ。
私はイエスは梵天で、エホバは大梵天だとの仮説を持っております。
悟りを得た仏は説法は無理だと思っておられましたが、読心通で仏の心を
読み大梵天の中の1神が人類の救済の為に立ち上がって欲しいと幾度も
仏に懇願して仏も心変わりする経緯が「大本経」に明記されております。
後世の仏教徒は梵天勧請といって仏より梵天は低い存在だと見下しておられる
ようですが、イエス様のような大きな人類愛をむしろ大梵天の中の1神に
感じる次第です。
生業中の、一在家通りすがり
852 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:27:22 ID:JtF7ueWm
梵天だとか大梵天だとか、もういい加減にしたらどうだろう? あなたは見たのか、見ていないのか。 見ていないのなら口を慎め
853 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:34:51 ID:G5p9MBsw
大梵天が複数存在する記述は長部経典の「大本経」以外でも見られます。 原始キリスト教と呼ぶのでしょうか、正統派からは異端とされており、 近年に発見された「死海文書」や「ユダの福音書」にも記載があります。 紀元前に書かれた「死海文書」は驚くほど現代の旧約聖書と内容が一致して おりますが、一部だけ異なっております。(何れかに改竄あり?) 複数の神が存在するということを意味する箇所があるからです。 その箇所は「死海文書」板では、結構知られていると思います。 一方「ユダの福音書」では、弟子達がエホバ神に祈りをささげているのを 見られたイエス様が「私はより上位の神の名を知っている。」と微笑んだ という記述があります。 原始仏教と原始キリスト教に元還りすれば、皆争わなくても良いかも知れません。 生業中の、一在家通りすがり
854 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:38:57 ID:G5p9MBsw
>梵天だとか大梵天だとか、もういい加減にしたらどうだろう? >あなたは見たのか、見ていないのか。 見ていないのなら口を慎め あなたは一度この板の入り口の看板を正見して下さい。 *仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。 原始仏典の「大本経」からの引用と所感の域を出ておりませんが。
855 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:39:02 ID:JtF7ueWm
>>853 結局、本の知識じゃない
知識だけでは不足。知識をもとに考えてくれ。そして実行する!
856 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 19:43:14 ID:JtF7ueWm
>>854 あなたには過去の経典を吟味しようという姿勢を感じない。
その経典は真実なのか、インチキなのか、
それを吟味しなさい。
感覚器官によって、輪廻が認識できるか否かだって? 輪廻が認識できたところで、第三者に証明することは不可能なのだから、妄想とみなされるだけだろう。 宿命通があったところで、それは、精神異常者の神がかりと区別はつけられない。 「自分の認識」から出発しては、どうやっても、輪廻転生が成り立つことはあり得ないよ。
858 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 20:43:46 ID:JtF7ueWm
>>857 まずは自分が認識できるかどうか、それが最初でしょう?
自分が認識できないのでは話にならない。
そしてつまるところ、自分が認識できればそれでいい。
859 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 20:54:28 ID:B2uqSo+C
>紀元前に書かれた「死海文書」は驚くほど現代の旧約聖書と内容が一致して >おりますが、一部だけ異なっております。(何れかに改竄あり?) >複数の神が存在するということを意味する箇所があるからです。 もしかして「死海文書」を一つの本だとお考えなのではありませんか。
860 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 20:58:08 ID:kaAtsjWC
>>836 お釈迦さんは業法輪廻転生を説いているのに、
檀家から貰った金で飯食わせてもらってる分際で、
あるかないかわからんじゃ、話にならないな。
お釈迦さんは、業法輪廻転生を説いた。それを自分が確かめられないからと、
あるかないかわからないというスタンスを通すなら、
仏教の看板下ろせよ。
861 :
亭白 :2009/04/20(月) 21:10:01 ID:kJbIosf9
850 :てすと:さん
>>846 ☆ここはてすとさんの貸切ではないのですよ。
ここはてすとさんの私物ではありません。
ここは公器の場ですから。
公器の場ですから書き込みしたい人が書き込みするところです。
皆さんの共有の場ですから。
そこの所理解して下さい。
低脳コンプレックスあるのですか?
それで怒っておられるのですか?
てすとさんが相手にされてないので
思いやりでお相手したのです。
そこの所解ってください。
だから答えを教えてください。
784 :てすと:さんの問題を出されましたですね。
だから答えを教えてください。
忘れましたか?
だったら公の場でテストの問題を出さないでください。
期待はずれでした。
862 :
てすと :2009/04/20(月) 21:10:24 ID:b7gx0kVA
>>860 アンカーミスか?
なんで俺が檀家から食わせてもらっていることになっているんだ・・
863 :
てすと :2009/04/20(月) 21:16:57 ID:b7gx0kVA
>>861 >書き込みしたい人が書き込みするところです。
ではあなたの対応は遠慮させていただきます。得るものないですし。
あなたには答えません。んじゃさよなら。
>期待はずれでした。
期待するなよww
864 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 21:52:21 ID:G5p9MBsw
>>859 >もしかして「死海文書」を一つの本だとお考えなのではありませんか。
死海のそばの洞窟から発見された多くの書物の集合体だと
知ってますよ。
その中に旧約聖書に対応する文献も含まれてますし、
エッセネ派の図書館だったようです。
最近の研究では、エッセネ派の行動パターンは洗礼ヨハネと類似していたとか。
これ以上は板違いだから止めておきます。
中村元先生は仏典Aと仏典Bとの比較研究をされたと伺いしましたが、
原始仏教Aと原始キリスト教Bとの比較研究もまた宜しいかと存じます。
865 :
亭白 :2009/04/20(月) 22:10:28 ID:kJbIosf9
>>847 :神も仏も名無しさん
新しい宗派を建てるように提案します。
元金星人・大川についていてはいいことがない。
☆超偉大な本仏再誕の大川隆法総裁は私の永遠の大師です。
私が新しい宗派を立てたら悪魔達が大喜びして、私は無間地獄に落ちてしまいます。
ですから無理ですね。他の方が経験しないであろう奇跡奇瑞を沢山頂いています。
あなた様も本仏主エル・カンターレに帰依されてはいかがでしょうか?
>>858 輪廻を認識できる人はまずいないでしょ?
だから、最初から、誰にとっても「話にならない」ことなんだよ。
大した根拠もないのに、認識できないものを、修行することで、認識できるようになる、
と思い込むことは希望的観測でしかないと思うよ。
867 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 22:14:37 ID:B2uqSo+C
では、一部が異なっている、というのはイザヤ書なり 「正典」とされる文書の内容に違うがあるということですか。 それともユダヤ教やキリスト教では使われてない文書が 含まれているという意味ですか。
868 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 22:35:14 ID:0DjZoJqQ
>宝珠愚者氏へ 大川隆法が釈迦の生まれ変わりかどうか、君には判定できるかね。 輪廻転生などを肯定すると、釈迦の生まれ変わりを自称するカルト教祖が 続々と出てくるぞ。「言った者勝ち」だからね。君はどうする積りか。
輪廻を否定しても生命教みたいなカルトが出てくるしな。 輪廻の否定肯定は、本質的な事柄じゃないってことでは? むしろ自分自身や自分の思想に対して誇大妄想的な部分が あるかどうかが問われているような気がする。 たとえば自分の思想に対して「いままで誰も思いつかなかった」と言ったり 自分は○○の生まれ変わりだと言ったりして権威付けするのは どちらも誇大的自己をアピールしたいという衝動をもってる点で一致している。
870 :
亭白 :2009/04/21(火) 01:09:09 ID:lVDatWZD
あなた方の限定的認識によって、あなた方と同じような限定のかかった認識力と 同列にお釈迦様を貶めないで頂きたい。 解らないことは解らないとして心素直に受け取ることです。解らないの に解ったように自分なりの背丈にあった解釈を入れるからなお仏法を貶 めているのです。 仏法は人間の生ずる前にあり、しかして人間の終わりてなおある存在である。 仏法の教えは神仏の光であり、神仏そのものであります。自分の背丈に合わせた 仏法解釈は神仏を殺すことと同義である。神仏をポアしてはならない。 例えば神仏は太陽のようであり、人間は蟻のようである。蟻が太陽を解釈して 蟻が認識できる範囲にしたならばどうだろうか。蟻は本来の太陽を観たことは 無い。太陽を見たことが無い蟻が太陽を自分の背丈に合わせて解釈すると、羽 のある蟻が、太陽はそんなにおまえ達のように小さくは無いと説明するだろう。 羽のある蟻は数匹でまわりにいないから、羽のない蟻は何百何千匹もいる。羽 のある蟻は太陽の話しをすると、羽の無い多くの蟻は「太陽があると嘘を言っ ている。騙されるな。詐欺師だ。洗脳されるぞ。太陽は我々と同じ背丈だ。」 と羽の無い蟻がしたり顔でプライドで主張する。羽のある蟻は怯まず説得する。 太陽は蟻ごとき認識力ではかれるものではないのです。
>>870 完全に手かざし系というか、
皆さんはキリストと同じ力があるんですよ、
って感じですね。
実際、釈迦が自分が神だとか言い出したり 生命は自分が創造したんだから進化論を認めないとか そーゆーこと言い出したら興ざめだろうな。 自分の背丈に合わせた解釈か。確かに最低だな。
釈尊が信仰を説かなかった理由が分かる気がする。 信仰しないと悟れないというのは偏狭な考え方だ。 転生輪廻も有我論にいくのは必定だから、無我を説くのだろうが、 輪廻を信じないキリスト教の否定はイエス・神の否定につながる。
874 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 08:05:45 ID:qhSomo8X
仏教と輪廻転生を分けて理解したほうがいい。 仏教は輪廻転生がなくても成立する。 輪廻転生がなくても、四諦八正道は悟るための必要なプロセスである。 他方で輪廻転生は、この世のありさま、時間的な因果から推測している。 少なくてもそれが輪廻転生という言葉の出発点だろう。 人々の間にちがいがあるのはなぜ? 原因があれば結果がある。 人々のちがいには何らかの原因があるはず。→人間は輪廻転生している。 しかしこの推測には乱暴な飛躍がある。
つまり推測で結論出したわけじゃないってことでは? 推測だけで過去世を思い出せるようになるはずもない。
876 :
宝珠愚者 :2009/04/21(火) 08:33:32 ID:9/3OP4Of
>>868 >輪廻転生などを肯定すると、釈迦の生まれ変わりを自称するカルト教祖が
>続々と出てくるぞ。「言った者勝ち」だからね。君はどうする積りか。
それは私のせいでもゴータマのせいでもありませんね。そもそも、あなたは唯物論者であり、宗教そ
のものの撲滅が望みなのでしょう?輪廻転生、云々・・とかいう問題じゃない。
>大川隆法が釈迦の生まれ変わりかどうか、君には判定できるかね。
これについては、もう再三やりました!ゴータマ仏陀の“再誕は在り得ません”。ここに私からの見解
をもう1度、纏めることにします。
まず断っておきますが、解脱した存在は不死であり、望みさえすればいつでも好きな時に好きな場所
へと再誕できる。その気になれば母胎にすら宿ることなく、肉体で出現すら可能です。これが物質界の
諸法則から解放された解脱者の能力というものです。しかし、ゴータマにはその意志は全くありません
(その必要がない)。
『アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、「教えを説かれた師はましま
さぬ、もはやわれらの師はおられないのだ」と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのため
にわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである 。』
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
このようにしてゴータマは、自分は二度と帰って来ないから、私がいなくても、この法(残した教え)を
拠り所として自分自身で修行しなさい、と教えた。ご自身が45年間、説いてきた教えのことをこのよう
に述べて、ハッキリとさよならを告げたのです!であるのに、それを今更になって、「実はそれらは方
便であり、本当は救世のためにまた転生する気でしたよ!じゃんじゃ〜ん♪」って、そんな馬鹿なこと
は在り得ません。
877 :
宝珠愚者 :2009/04/21(火) 08:34:56 ID:9/3OP4Of
『「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼ってい る」とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた 人は「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼って いる」とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。』(同) しかも、このようにゴータマは、自分が教団の長であるという自覚する持たないような方でした。それ が何故、今頃になって新興宗教の教祖なんかをやるというのか?そして日々、他の新興宗教の教団 と勢力競争を繰り広げていると?到底、在り得ません・・。 ゴータマは生前、世界を救うために再び再誕しようとか述べてましたか?もし本当にそのような意志 があるならば、イエスの場合のように入滅までには明確に宣言していたでしょう!「再び帰ってくるから、 それまでしっかりやってなさい」と述べた筈です。しかし、ゴータマにはそれはなかった。 『尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこ の世に留まってください。――多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々 をあわれむために、神々と人間との利益のために、幸福のために。 アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば、修行完成者はお前の二度にわたる(懇請 の)ことばを退けたかもしれないが、しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。それだから、 アーナンダよ、これはお前の罪である。これはお前の過失である。』(同) アーナンダの延命の願いすらも断った方です。教えるべきことも全て語ったといい、自分の死後はそ れを頼りにしなさいといって入滅したのです。そのゴータマには再誕の意志は皆無です。 最後に、もう一つオマケです。大川さんは時々、神智学について解説してるのですが、ハッキリいって 全部、間違ってるので正直、迷惑しています。語るのであれば、ちゃんと勉強してから語るようにして欲 しいものです。また仏典中の再誕の根拠を弥勒の話まで自身に用いているようですが--論外です。 ----大川さんの件はこれでおわりにします。
878 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 08:39:35 ID:qhSomo8X
輪廻転生を説く場合、 前世と来世の関係になるから、前世と来世を証明する必要がある。 しかしそれらを直接に証明することは不可能である。 前世と来世を、手につまんで見せることはできない。 そこで間接的な証明が可能かどうかということになる。 1 人には、過去から来世にかけ、貫いているものがあるのか。 2 輪廻あるいは転生する合理的な理由があるのか。 3 自分の中に、前世の記憶があるのか。 そしてその前に、死後の世界があるのかどうかも証明する必要がある。 死後の世界がなければ輪廻転生もないからである。 1 あの世(霊界)はあるのか、ないのか。 2 あの世(霊界)と輪廻転生の関係は何か。 これらを素通りし、古い経典の中に輪廻転生の記述を探したり、 数少ない前世の記憶らしき例を根拠にする人もいる。 しかしかれらには、いかがわしいものがある。 かれらには、冷静に考えようとする人たちを説得できない。
メチャ視力良い人がライオンが来てるから逃げようって言っても 見えないなら、それ信じるか信じないかだけだからね。 釈迦の言ってることが信じられないなら、視力鍛えて我が道行くしかないな
880 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 08:46:56 ID:qhSomo8X
>>875 輪廻転生が架空の概念であるという可能性もある。
そしてたぶん、そう考えたほうが、より健全でありより生産的である。
>>880 架空の可能性はあると思うけど、
架空と考えた方がいいというのはどうかな。
母体に宿ることもなく転生できるとかいわれても、
ポカーンって感じだけど、生命教みたいのもいるからね。
宝珠とご隠居どっちがマシかっていったら、宝珠の方だとは思うよ。
まだ人がいい部分がありそうだからね。
882 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 09:00:46 ID:qhSomo8X
個人的には、ご隠居の生命教・常識教のほうがいい。 むしろ宝珠氏こそ、無神論の唯物主義者だろう。かれは不道徳である。 殺された人を自業自得とするような考え方の持ち主だ。 かれは神を信仰していない。無神論者だと思う。
883 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 09:11:51 ID:kfcs0tZL
転生や永遠の命が分からないということは まだ、知るだけの素地ができていないということなんだろう。 それでもここにきているということは 転生や永遠の命を知ることは近いのかもしれないともいえる。
884 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 09:21:51 ID:qhSomo8X
神を信じないで「神通力を得よう」などと図図しいやろうだ。 まず神を知れ。まず己を知れ。 神も知らず、己も知らない者が、輪廻とか転生とか語るな
要するに宝珠が嫌いなだけだな。
886 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 09:46:45 ID:wn6SQ70k
大昔の仏典にどう書いてあるかとか、宝珠愚者が嫌いだとか、の問題 ではない。「現代人」の知性と知識でどう考えるかの問題。 釈迦を初め同時代の人々は、現代の科学の発達を「夢想だに」し得なか ったのである。 科学の発達の恩恵をたっぷりと享受しながら、一方では大昔の宗教に 固執するのは矛盾ではないかね。ここまでの科学の発達を実現するため にあらゆる犠牲を払った先人の努力に対する感謝を忘れた、「忘恩の輩」 といえる。宗教どころか、人間としての資格はない。 時代の改革者であった釈迦やイエスが、そんなことを是認すると思うか。
おやおや、テストの能書きを黙ってみていたが、 いよいよ輪廻転生は感覚器官認識できるかなんていってるぜ(爆笑) えらそうな能書き垂れてる割に、このうすら馬鹿は、スッタニパータも読んだ こともないらしい。自分の前世をしる宿命通は、悟りを開いた人間が 得られるというものというのは、もちろん皆さんご存知だろう。 その悟りの境地とは、名称と、形態がことごとく滅んだ状態だと、ゴータマは説く。 〜スッタニパータ >872 「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は >欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わかもの>という我執も存在しない。 >形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」 その境地にいるときは、感覚器官は働かないんだよボケ。なにしろ形態が滅んだ状態 なんだからな。こいつらはそんな基本的なことも知らないで、ご大層に仏教を語ってやがる。 その境地にいるときは、形態が滅んでいる。もちろん感覚器官など働かない。 では、それを理解するのは何か?それは「言」である。「言」があるからこそ、悟りを 開きたいという欲求も生まれ、その境地に達する智慧も生まれ、その境地に達したときも その境地を理解する智慧も得られ、現世に戻っても、その境地を理解する知恵を 持っている。おまえら末法仏教の禅宗は、言葉を軽視するが、言葉は重要だ。 「言」による識別が我々「人」を殺したが、この「言」による知恵こそが、我々を再び生かす。 女はおしゃべ(識別)りを止め、男性と一つとなり自らを男性としなければ命はないが、 その知恵は、万物の母である女「言」によってもたらされるのだ。おまえら末法仏教徒でも 智慧は重要なことくらい知ってるだろう。この智慧は、「言」あってこそ初めて得られるんだよ。 それを末法仏教の一翼、禅宗などは、言葉をないがしろにしている。彼らの盲目度は高い。 言ってることは、実質的には糞の役にも立たない、単なる言葉遊びの屁理屈ばかりだしな(苦笑) しかしよ、その境地に入ってはじめて得られる宿命通を、感覚器官で得られないと知りようがない などとちんぷんかんぷんなことを得意げに語るとこなんざいかにも唯物論者らしいものだな。 いっぱしの自称仏教徒が、キリスト教徒の俺より、仏教を知らないところが、真に笑える。
>>886 そう思うなら、おまえが仏教を捨てれば済む話なんだよ。
仏教の教えの始祖の話を、おまえが信じられないからと、教義を
削ったり、違う教えにしてしまったら、それはもはや仏教じゃねぇんだよ。
わかったか?恐ろしく強い我を持つ、発達障害の吉外。
889 :
てすと :2009/04/21(火) 10:45:24 ID:6PGC0KTn
>>887 わかったわかった。もうイエスでいいからさ。
だから、早く消えてね。
結局テストなんてバッタもんの似非仏教の程度の低いものは
義論に負けるとわかれば、>798
>>796 >>799 のように、論で勝負できずに、
罵倒するしか能がない。この程度の低い煽りをみろよ。実に下らない人だ。
言っとくが俺のキリスト教の話は、今の教会が教えるキリスト教徒とは全然違うぞ。
もちろんイエスの教えも、今の教会の教えとは全然違う。
本当のキリスト教を知れば、今の仏教の教えよりはるかにレベルが高いことを知るだろう。
今の仏教は、キリスト教の言う安息日である、無の境地ばかり注目して、
なぜ、この現象世界があるのか、なぜ、我々がここにいるのか説明できないでいる。
そして、「言」そのものの重要性を理解できないでいる。
891 :
てすと :2009/04/21(火) 10:53:16 ID:6PGC0KTn
>>890 信仰告白すりゃいいんだろ?はいはいはい。
我らは信じかつ告白す。
旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一の正典なり。
されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひ(い)につきて、全き知識を我らに与ふ(う)る神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位(み)一体の神にていましたまふ(もう)。
御(み)子は我ら罪人(つみびと)の救ひ(い)のために人となり、十字架にかかり、ひとたび己(おのれ)を全き犠牲(いけにへ(え))として神にささげ、
我らの贖ひ(あがない)となりたまへ(え)り。
神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦(ゆる)して義としたまふ(もう)。
この変わらざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔(きよ)めて義の果(み)を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就したまふ(もう)。
教会は主キリストの体(からだ)にして、恵みにより召されたる者の集ひ(い)なり。
教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣(の)べ伝へ(え)、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、
愛のわざに励みつつ、主の再び来(きた)りたまふ(もう)を待ち望む。
我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。
我は天地の造り主全能の父なる神を信ず。
我はその独(ひと)り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへ(え)り、天に昇(のぼ)り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへ(え)り、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまは(わ)ん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交は(わ)り、
罪の赦し、身体(からだ)のよみがへ(え)り、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。
>>889 ←ほらな。こいつは罵倒しか出来ないだろう。
程度の低い者は、こんな程度だ。
ちなみにおまえはいくら座っても悟れないよ。
今の末法仏教徒達はいくら座っても悟れない。なぜならテクニック面で
君らは一番重要なものがすっぽり抜け落ちているからだ。
せいぜい脳内現象のトランス状態が得られるだけ。残念だったね。
まず危険なのは、転生輪廻やあの世の思想が、麻薬や麻酔薬のように なるということ。 死に対して恐怖心をなくすということ、麻痺そして、マインドコントロールに 使われるという意味では仏教は危険であり、とくに密教系や現世利益は だいぶ仏教からかけ離れていくであろう。 やはり空海、真言密教の真髄・即身成仏こそ仏教の真髄ではないだろうか。 空海は釈迦の教えを受け継いでいると考えてもよいのではないかと思うの ですが。
>>891 ただの信仰告白など意味ねぇんだよ、ば〜か。
おまえは人の話が全然理解できないんだな。ま、名前のない人は
いくら聞かせても、理解できないものだ。君らは見える目があるのに見えず、
聞こえる耳があるのに聞こえない。
895 :
てすと :2009/04/21(火) 11:01:58 ID:6PGC0KTn
>>890 議論もなにも、君が正しいよ。もう最高。
>言っとくが俺のキリスト教の話は、今の教会が教えるキリスト教徒とは全然違うぞ。
聞いてねーよww
>>892 悟りってなんのことだよw 君は勝手に重要なものを体得してくれw
住む世界が違うからさ、がんばって上から見下ろしてくれていいよww
>>891 で、宿命通は、感覚器官で認識できるんでちゅか?(大爆笑)
君ら末法仏教徒達は、一度豆腐の角で頭ぶつけて死んだほうがいいよ。
馬鹿すぎるから。
>>895 結局こいつは、人の話も聞かないで、相手を否定するわけだ。
俺は少なくとも君らの下らない話を聞いた上で、それは違うと言っている。
こいつははじめからキリスト教は下らないという先入観から入っている。
ここが真の求道者と、単なる己のエゴを満足させるためだけに仏教をやっている
人間の差が出るわけだ。おまえは下らないよ。
898 :
てすと :2009/04/21(火) 11:06:01 ID:6PGC0KTn
>>896 はいはい。馬鹿なんで、豆腐の角に頭ぶつけて死にましたよ。
君みたいな素晴らしいお方が自分のような下賤なものに粘着されなてくも結構ですよ。
>>898 ま、禅宗は、仏教を名乗らないこった。
念仏系の似非仏教もな。ゴータマノ仏教とは違うから、君らは。
エゴに囚われ、エゴを制する知恵を得る術もなく、
エゴのまま生きる獣が、生まれながらに悟っているなど、誤謬もはなはだしい。
邪教なんだよ、君らは。
900 :
てすと :2009/04/21(火) 11:12:59 ID:6PGC0KTn
>>897 だから下らない奴でいいってばw しつこいなー。
イエスにお祈りしておくからさw ごめんねw
>>899 だから、聞いてねーよww 勝手に独演してくださいw
邪教で結構ですってw
901 :
てすと :2009/04/21(火) 11:22:48 ID:6PGC0KTn
>>897 >こいつははじめからキリスト教は下らないという先入観から入っている。
そんなことないですよ〜♪ キリスト教はすばらしい宗教ですよ〜(^^) キリスト教もう最高。
キリスト教と比べたら仏教はだめだね。天国てんごくぅ〜〜〜!!
ま、テストとかいう下らない人の化けの皮がはがれたところで、 聞く耳のある人に聞かせよう。 ゴータマは、名称と形態というように、スッタニパータのクライマックスに、 形態を言い表すときに、必ず名称をセットに言っていることに注目。そして形態が滅んだ 形態我滅び、感覚器官の働かない涅槃の境地は、識別の止んだときだと教えている。 名称は「言」によって成り、「言」によって成らない名称はなにもない。 名称は識別するもの。智慧のある人ならわかるだろう。縁起はどこから来て、この物質世界 の創造主は誰なのかを。 神は、光あれと ”言われた” そのとき、光と闇が誕生した。それは縁起の始まりであり、 第一の日である。
俺は求め、いいものを下さったが、掟を守れないでいる。 俺は今生では無理だろう。このテストとかいう下らない奴も、自分のことのように 思い、愛するなんてことは。今の俺には中々難しい。俺はまた、裁かれるだろう。 キリスト教の言う神の裁きとは、とどのつまり、因果応報のことを言っているんだよ。 お休みだアホ共。早く悟れよ。
904 :
てすと :2009/04/21(火) 11:29:32 ID:6PGC0KTn
>>902 >光あれと ”言われた”
言い終わるまで1秒以上時間がかかるだろ。どアホ。
たしかに仏教や釈迦の教えは100%言葉による解脱、認識であるから、 早とちり的な解釈の弊害は恐ろしいものがあるし、それがまた伝播しまくる からたちが悪い。
>>904 このうすら馬鹿は、神は光あれと言ったと言えば、
文字通りその言葉を発したと思っていやがる。この智慧の無さをみろよ。
それは比喩だ、アホウ。
おまえの盲人ぶりは、すさまじいな。
907 :
てすと :2009/04/21(火) 11:39:47 ID:6PGC0KTn
>>906 比喩という言葉を発するにも、0.5秒ぐらいかかってるね。
空気の振動になるまえはどこにあったんだ?w
>>907 空気の振動?おまえは馬鹿だな。
俺が比喩だといった意味が全く理解しとらん。
文句があるんなら、禅問答でごまかさないで、どこがどう間違ってるのか
おまえの意見を最初に書けよ、詭弁家の卑怯者。
比喩というのは、こういうことではないでしょうか たとえば、頭が痛いことを表現するときに、その痛みの100%を言葉では絶対に表現できない。 このとき、この痛みを言葉の機能、つまり比喩を用いる場合がおうおうにしてある。 たとえば頭が割れるように痛い、など。実際に割れた経験などないわけだから。 これを文字通りに受け取ると誤解が生じる
910 :
てすと :2009/04/21(火) 11:49:27 ID:6PGC0KTn
>>908 >おまえの意見を最初に書けよ、詭弁家の卑怯者。
センスないなー。
結局あなたの言っている事は説明になってなくて、
「頭よけりゃわかるでしょ?」といっているだけのオナニーなんですよ。
縁起がどこからきて、誰が物質世界の創造主なのか、お前の意見を最初にかけよ。
↓
名称は「言」によって成り、「言」によって成らない名称はなにもない。
名称は識別するもの。
智慧のある人ならわかるだろう。縁起はどこから来て、この物質世界 の創造主は誰なのかを。
911 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 11:50:04 ID:0TsdJ29c
>>896 >で、宿命通は、感覚器官で認識できるんでちゅか?(大爆笑)
もし中学生に、法華経の如来神通力品と長部経典の六神通(宿命通含む)を
読ませて、どちらが正しそうか?と聞いてみれば、結果は明白だと思う。
釈尊の待機説法や衆生救済には、読心通と宿命通がどれだけ有効だった
かは、現代でもよく拝察できます。
>>910 ま、失礼な物言いは悪かった。許せ。
もう寝るわ。俺、夜仕事なんでな。あんたも悟ればいいな。
陰ながら、祈ってるよ。俺も全てを知ったわけではないが、少なくとも
君らより知っている。全てを知った後で今のままでは、俺は決して許されない
だろう。だから今のままでいいのかもしれない。
今度こそお休みだ、アホ共。早く悟れよ。
>>910 キリスト教徒なら自明の理ですけれども、
仏教はさらにもっと高度な教えを説いているのですよ。
914 :
てすと :2009/04/21(火) 12:02:14 ID:6PGC0KTn
>>912 せめて、誰が物質世界の創造主なのか、意見を述べてくれればいいのに。
>>913 だから誰よ?
キリスト教徒なら主とか神とかキリストなんだけれども、 普遍的説明となると、科学的な説明が必要になるのは たしかだね。
916 :
てすと :2009/04/21(火) 12:18:13 ID:6PGC0KTn
917 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 12:18:55 ID:+4REptUn
最高の存在は、幸福の科学では元金星人であり、 神智学ではロゴス星人である。 妄想のようだが、信者たちにとっては妄想ではない。 強制ではないから、かれらは自分から喜んでだまされている。
918 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 12:22:32 ID:0TsdJ29c
この板に日蓮大聖人の自称弟子が来て、神と霊を否定したら 是非伝えて下さい。 大聖人は神を敬い、守護霊(同名天)の存在を説いたと。 詳細はグーグルで「日蓮 天照大神」、「日蓮 同名天」で 検索のこと。 出典:日蓮大聖人ご遺文集(創価発行)
ヘーゲル的ににいうと「絶対精神」とか。
>>916 仏と一体になるという教え、即身成仏とかではないかと。
つまり空海密教=原始仏教の立場であり、
顕教を否定する感じ。
920 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 12:26:08 ID:+4REptUn
>>916 仏教の高度な教えとは、カラス氏の発言から推測すれば、
おそらくロゴスと因果法則だろうか。
ざっと読んだ感じでは、縁起以前を言ってるように思う。
921 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 12:36:45 ID:+4REptUn
ユダヤ教、キリスト教でロゴスが重要視されるのは、 認識の始まりに関係するからではないのか。 三重苦のヘレンケラーにとってはロゴスが世界の始まりになる。 イエス=ロゴスには、そういった位置づけがあるのではないだろうか。
922 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 12:46:10 ID:+4REptUn
テスト氏の、全身麻酔の話には共感する。 わたしも体験したが、時間が飛び、まったく何も覚えていない。 夢とはちがう感じがする。 その間、何かが継続していて、この世に舞い戻ってきたのだろう。 この「何か」が問題になる。 テスト氏はこれを認識したいのだと思う。
923 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 13:14:14 ID:hpBW2YsV
>>921 「ロゴス」とは、要するに、当時流行のギリシャ哲学の特殊概念のパクリ。
人間が、被造物であるという身の程を忘れて、「神になろうとする」冒涜の
行為。
キリスト教では、「初めに言葉(ロゴス)があった」のロゴスを、何と「イエス」
と解釈している。呆れ果てた話。イエスを「神」にでっち上げるための、なりふり
構わぬ小細工。年代が大幅に違うのではないかねw。
>>921 ヘレンケラーの思想的バックボーンはスウェーデンボルク。
>>923 まず比喩を勉強してから出直した方がいいよ。
トンチンカンなことばかりでは、批判にもならないからね。
925 :
亭白 :2009/04/21(火) 15:28:23 ID:EOeVYk+C
>>914 :てすとさん
>>912 せめて、誰が物質世界の創造主なのか、意見を述べてくれればいいのに。
☆主エル・カンターレです。お釈迦様の本体本仏です。
>>913 だから誰よ?
☆お釈迦様の本体本仏です。日本に大救世主として本仏が再誕しています。
915 :神も仏も名無しさん:2009/04/21(火) 12:13:19 ID:hB7QFGZL
キリスト教徒なら主とか神とかキリストなんだけれども、
普遍的説明となると、科学的な説明が必要になるのは
たしかだね。
>>916 :てすと:さん
>>915 仏教のもっと高度な教えって何?
☆幸福の科学の教えです。知らないの?
麻原も仏陀だと自称してたな。そういえば。 仏教の高度な教えはオウム真理教。とか言ってたような気がするしな。
927 :
てすと :2009/04/21(火) 15:50:17 ID:6PGC0KTn
>>925 ええーーっ!!しらなかった、目から鱗とはこのこと。
教えてくれてありがとう。
928 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 17:43:00 ID:AZpLFdKD
>>923 >「ロゴス」とは、・・・「神になろうとする」冒涜の行為。
神が世界を創造し、その世界を「ロゴス」によって認識する。
認識は創造ではない。認識を創造だとカン違いすることは冒涜かもしれない。
>キリスト教では、・・・ロゴスを、何と「イエス」と解釈している。
ロゴスを認識の道具とすれば違和感がない。
ロゴスの中には、世界認識のための文法が備わっている。
これが人間の思いを圧倒する。
イエスの役割は、神こそがロゴス(認識)を完全にするという導きでは?
929 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 17:57:14 ID:xB9pM/PF
>>928 「現代ではこうした自然や他民族の征服が、西洋文明の根幹である
ロゴス中心主義の帰結として深刻に批判されている。」
(「岩波キリスト教辞典」より)
930 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 17:59:33 ID:AZpLFdKD
新興の宗教に、金星人とかロゴス星人とかが登場するのは、 この地球に疲れた人たちを誘惑するための道具立てではないのか? この地球の自分は仮の姿であり、 本当は金星人でありロゴス星人であるという虚構を生きられる。 伝統の宗教が過去の利権にアグラをかいている間に、 そこからこぼれ落ちていく人たちが新興の宗教に流れていく。 新興の宗教には人殺しを容認するものもある。 気がつこうよ、そんなものを容認したら宗教の破滅だろう。
931 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:07:11 ID:xB9pM/PF
>>925 仏教には、ユダヤ・キリスト教のような「創造主」などという概念はない。
仏陀は、そのような概念を、「人間が考えても無意味なもの。涅槃に到らず」
として戒めている(無記)。
大川が、「仏教徒を騙るクリスチャン」であることが、明白に証明され
ている。さかんに「愛」などという言葉を口にする大川のパンフをみた
だけで明らか。仏教における「愛」の意味は、キリスト教とは異なる。
932 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:11:01 ID:AZpLFdKD
>>929 ロゴスという概念にどういった意味をこめるのかによって異なる。
ロゴスを「言葉による認識である」とすれば、
その認識をどう利用するのかという価値判断とは区別される。
西洋文明への批判は、その根底にある価値判断に向けられている。
933 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:12:11 ID:xB9pM/PF
>>928 「ナザレ村の大工の子倅で、まともな教育も人生経験もない、30歳
そこそこの気の狂った若者イエス」の出る幕ではない。
934 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:14:45 ID:VA8pJk9i
処女マリアから生まれたキリストは架空の人物。 実在していない。
935 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:25:20 ID:AZpLFdKD
>>932 だったら、いくつぐらいから舞台に出られるのですか?
釈迦は35、6歳だし、空海は30歳以前でしょ。
あまり年取ってからだと、悟って終わりになり、後世に伝わらない。
936 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:29:53 ID:0TsdJ29c
神智学の三つの柱 Wikipedia 1)全宇宙には至高の神霊や無限の霊力が存在 2)人間は至高の神霊と同一の本質を共有しているがために永遠で不滅 3)「神聖な仕事」を通じて神々の働きを実現で不滅 1)原始仏教に度々登場する、大梵天が近いですね。 2)法華経の、全ての人には仏性がありいつか仏になり得ると同義でしょう。 原始仏教の「自歓喜経」で保証された常住論も近い真理ですね。 3)神々の祈りは地球温暖化を食い止めて、「地上天国建設」でしょうか。 現代の神智学のトップは欧米で発達した心霊科学とも歩みをともにした のでしょう。 「万教の元一つ」という意味では、今日まで神智学の意味をまったく知らなかった 私も共感を感じる次第です。
937 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:33:55 ID:AZpLFdKD
>>936 >全宇宙には至高の神霊や無限の霊力が存在
これだけで神智学が、唯物論、無神論であることがわかります。
938 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:36:50 ID:AZpLFdKD
詳しい経緯は知りませんが、 クリシュナやシュタイナーが神智学を見捨てたのは当然だろう。
>>937 前から気になってたんだが、
至高の神霊が存在と書いてあるんだから、神や霊は存在してると思ってるんじゃないか?
何故、無神論?
940 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:53:10 ID:AZpLFdKD
>>939 至高の神霊は、五蘊でできた全宇宙にいる。
これがウソ
ウソかどうか知らないけど、神は存在してるらしいから無神論じゃなくね?
942 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 19:10:42 ID:AZpLFdKD
この世を見渡せば金持ちも貧乏人もいる。どうしてなのか? きっと前世の因果にちがいない。 この世を見渡せばクジラもメダカもいる。千年杉もタンポポもいる。 きっと前世の因果にちがいない。 そんなバカな。そう思うなら、それはあなたの妄想だろう。
943 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 19:21:38 ID:AZpLFdKD
>>941 あなたは箱庭を作る。そしてその箱庭に入る。
それは可能なのか?
944 :
初代スレ7 :2009/04/21(火) 19:39:15 ID:VwWByEsC
>>943 世界観というものは、往々にして、そういうことではないかい?w
それが、思想だろうと宗教だろうと哲学だろうと人生観だろうとポリシーだろうと、
箱庭の作成、設定なしには、腰を下ろす場所が無い・・・。
そして、仏教も例外ではない・・・。
945 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 19:57:58 ID:AZpLFdKD
>>944 確かにね。人は箱庭を作り、その枠組みに入ったつもりで生きようとする。
時に壊し、また新しい箱庭を作る。そういう幻想は可能かもしれない。
そしてそういう幻想がないと生きにくいかもしれない。
しかし神は、無数の幻想を受け入れなければならない。
だから幻想以上であり、無数の幻想を受け入れる「場」ではないだろうか?
ただし、それがどんなシステムなのかは不明。
946 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 20:49:40 ID:AZpLFdKD
>>945 >神は、無数の幻想を受け入れなければならない。
>だから幻想以上であり、無数の幻想を受け入れる「場」ではないだろうか?
>ただし、それがどんなシステムなのかは不明。
この文章は我ながら難解だが、こうやって独立させて眺めれば、
なんとなくわかるような気もしないではない。
しかしうざいので削除させてください。
947 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 21:20:34 ID:0TsdJ29c
前世では望遠鏡で宇宙を見た。 太陽の周りを回る星を見て感動した。 現世では電子顕微鏡で原子核を見た。 陽子の周りを回る電子を見て感動した。 そして宇宙の秩序と、秩序を作り上げた意思を 悟った。 ビッグバンではこの秩序は生まれないと悟った。 目に見えるものは、全て電子顕微鏡で見れば ほとんどが真空、「色即是空」だと。 電子顕微鏡も望遠鏡も無い数千年前に「色即是空」 を悟った聖者がおられたそうな。 細胞、DNAの複製には時間がかかる。 ニューロンの可塑性変更にも時間がかかる。 瞬時に記憶できることをニューロンの可塑性に求めても 無理なことが分るでしょう。
釈尊はなぜアートマンを否定したのか。 そもそも梵天と称して出てきた神がじつは悪魔 だったからだ。 ようは悪霊のすすめ。 悪魔は釈尊を自分の支配下において、思いのままに 自由に操ろうとしたのです。 人が生まれる理由も、こういう転生する システムがあり、この世での霊的借金の清算と いうのもあるようです。 なぜ人は輪廻するのか?なんですね。
否定してないだろ
950 :
亭白 :2009/04/21(火) 23:01:28 ID:oqkoob8+
>>948 :神も仏も名無しさん
X 釈尊はなぜアートマンを否定したのか。
☆お釈迦様はアートマンは無我説で死後消滅する考えでなく、「自分が自分が」の我執の囚われの心を持
たないで、我執の執着から離れ無念無想の境地から明鏡止水の境地の維持ができれば般若の智慧を手にす
る悟りの境地であり、前段階は無我の心の心境が大事です。
お釈迦様は無我説の意味を自我の存在の否定していません。
お釈迦様は無我説の本当の意味は我執から離れ無執着の心境のことをお説きになられたのです。
御解りでしょうか?
X 梵天と称して出てきた神がじつは悪魔
☆梵天は悪魔ではありません。降魔成道(パピアスマーラーの悪魔と悪魔の配下と戦って勝利しました。)で悪魔が梵天に似せて出てはきています。
本当の梵天は天国である霊天上界の如来界の手前の世界梵天界がございます。
梵天勧請も伝道に出てくださいと三度勧められたとのことです。
そしてお釈迦様は伝道の旅に出られたとのことです。
御解りでしょうか?
O 人が生まれる理由も、こういう転生するシステムがあり、この世での霊的借金の清算というのもあるようです。
アートマンとは、単なる自己ではなく、それによって現象界の個体が成立する永遠不変の本質あるいは原理と見なされた。 このような思想に対する批判として、「諸法無我」は、「すべての事物は我(永遠不変の本質)をもたない」と解釈されるようになる。 一般に無我説という場合、このような意味が含まれる。 中村元編『自我と無我』平楽寺書店、1972年、56頁参照
>>951 諸法って言葉をパーリ語で調べるように。
953 :
初代スレ7 :2009/04/22(水) 00:05:11 ID:VwWByEsC
saNkhAra が、 anicca で dukkha 。 dhamma が、 anattan 。 paJca khandha が、 anattan で anicca で dukkha 。 (上記だけでも面白いがw)、さて、nibbAna は?
>>953 はい、
dhammaがanattanと言っている。
それが諸法無我ですね。
つまり、これをアートマンと訳した人はdhammaの意味をはきちがえたのでしょう。
ちなみにsaNkhAraは訳がすごく難しいところ。
意見が分かれるところでしょうが、saNkhAraは諸行や一切と訳されています。これは微妙。
むしろsaNkhAraは、「自我」、とでも訳した方が近い・・・
これは意見が分かれるところなんで聞き流してください。
とにかく、諸法無我だからアートマンを否定したっていうのは間違いです。dhammaがanattanということです。
>>950 あなたのはアビダルマ(説一切有部だっけ?)なんですよ。
結局、涅槃目指しているんでしょ。
だから涅槃という実体を他派から否定されるのもうなずけるんですよ。
いくらアビダルマが自我や魂を肯定してもアビダルマは変わらない。
956 :
初代スレ7 :2009/04/22(水) 01:06:30 ID:DKgt1HAZ
諸行無常と言われるが、諸法無常とは言われない。 また逆に、 諸法無我と言われるが、諸行無我とは言われない。 (→実質は、そうであるかもしれないが、スローガン・定型句として成立していない、という意味で。) 興味深いですね・・・w ね、真言さん?w
957 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 03:24:13 ID:aPPcseJw
944 :初代スレ7
>
>>943 >世界観というものは、往々にして、そういうことではないかい?w
>それが、思想だろうと宗教だろうと哲学だろうと人生観だろうとポリシーだろうと、
>箱庭の作成、設定なしには、腰を下ろす場所が無い・・・。
>そして、仏教も例外ではない・・・。
7氏の話を誤解しました。945と946を全部削除します。
「神ー作品」で箱庭を話したら、7氏は「人ー思い」で聞いてきました。
話がズレていました。
「神ー思いー作品」と、「人ー思いー行為」との対応ですね。
958 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 03:31:43 ID:aPPcseJw
>>956 ここでも7氏は、「人ー思い」と「人ー行為」を同じにしている。
気のせいかな。
アートマンそのものは存在しないでしょ アートマンより低い次元の想念や幽体が、この世に執着して輪廻するから
アートマンは海を策で遮った海水 低い次元の想念や幽体が策、欲や執着が無いなら、策が無くなり海とひとつになる
961 :
てすと :2009/04/22(水) 07:46:20 ID:lqJnUDvp
別に輪廻があろうがなかろうが、神がいようがいまいが、 結局のところ今現在を力強く生きることしか選択できないのだから、そうするしかないよね。
962 :
てすと :2009/04/22(水) 08:03:41 ID:lqJnUDvp
悟る事はできそうもないが、真理も神も使わなくてすむ人生になりそうだ。 彼の岸を目指してみたが、此の岸に戻されたので、もう最後までここでやってくわ。 あがいたところで何も変わらんし、現状を100%受け入れるよ。
ひとつ心の垢を落とせば、ひとつ清浄になる。 ふたつ落とせば、ふたつ清浄になる。 全部落とせば、全部清浄になる。 ひとつも落とさなければ、穢れていく。
964 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 10:52:31 ID:M8hD3oXt
>>963 「心の垢」って何?
具体的でな「観念語」「抽象語」は一切使わないでくれ。読む者に判らん。
言語とは、他者に対し、具体的意味を伝達するための手段。「独り言」は、
言語ではない。
垢は体から出るもの。洗わないと残るもの。
>穢れていく。
風呂などで一気に落とせるイメージもある。
でも洗わないとどんどん臭くなる。
心の垢を落とすとは、精神面から生じてしまうしがらみやこだわりから
脱してスッキリするものだと考えられる。
テレビやリアル社会で一度たりとも聞いたことの無い表現、ではなかろう。
よって
>>964 は釣りと考えられる。以降はスルーが奨励されるものである。
>>965 それはいいすぎ。
比喩は解釈が難しいのだから、聞くことはある意味当然なのでは?
たとえば道元は身心脱落といって、心塵脱落を聞き違えたらしい。 心塵脱落とは心に塵が落ちるということ。 だけどその身も心も脱落の境地こそが、空海のいう即身成仏 宇宙と一体となる我の悟りなんですよ。 これが無我であり、原始仏教の悟りでもあるんですよ。
969 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 12:35:26 ID:2LpyiqlO
>>962 君がそう思うのは勝手だが、
それじゃ屁理屈だけは立派な、ただの凡夫なんだよね。
もともと禅宗なんか、そんなものだから仕方ないんだろうけど。
これからは、君はただの凡夫だということをよく自覚して、
他人様に偉そうにテストなんてしないことだ。
君はただの凡夫なんだから。
970 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 12:45:23 ID:hIfYXJ+o
>>964 心の垢を語った人は、神道の「ケガレ」「キヨメ」のイメージで
汚れとか、風呂で洗うとか、言ってるような感じがする。
クソコテは名無しで出てくるな。アボーンしてるんだから。
973 :
亭白 :2009/04/22(水) 14:04:51 ID:LXkI8hQX
>>962 :てすとさん
そうです。悟る事は現状を100%受け入れる所から始まります。
KK会員は、まずは進化論を受入れるところから
975 :
亭白 :2009/04/22(水) 15:04:55 ID:LXkI8hQX
>>964 :神も仏も名無しさん
☆最初満月のように善なる心が支配していたら良かったんだけど、何かの
きっかけで自暴自棄で心が波立ってくると今までやり過ごしていたパチ
ンコや競輪をしたり、繁華街で暴飲暴食すると真理の物差しから見て無
軌道な生き方で善なる心の言うことを聞かない悪なる心が首をもたげて
来ます。止めるにも止められなくなり、体が勝手に動いて無軌道な生き
方を重ねると、それが長い年月を重ねると無軌道に生きる悪の澱が心に
溜まくると、仏法真理に則した反省を長年しないでいるとと澱が垢のよ
うになって仏法真理に則した反省をしても取れなくなってしまいます。
それを心の垢といいます。
黒い陰りの心の垢を縁として邪霊・悪霊がかかわってまいります。
自分の善なる心が小さくなって支配できなくなり、邪霊・悪霊に心を
乗っ取られ、知らない間に人を傷つけたり犯罪に手をそめるようにな
ります。肉体に完全憑依して悪霊・悪魔が犯罪をしていますから、御
本人は記憶がないでので「私は無実です。」と言い続けます。
そして刑務所のお世話になります。
邪霊・悪霊は悪魔の配下であり、生前果たせなかった欲望をはらすのに、
無軌道な人間に憑依して欲望をはたそうとします。
そして無軌道な人の人生を破滅させるのが彼らの眼目です。
あの世の地獄世界に落として地獄領域を広げて行くことが目的です。
977 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 16:05:06 ID:cSJf6rAB
菩薩になるのも現代は金が必要らしい 世の中タチが悪い神仏で溢れてるわ 俺個人を法人化したいわ 税金高すぎw
978 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 16:17:14 ID:MtBO4I4Y
輪廻転生は、身体の変化だから、あくまで生物学の対象。 「獲得形質(カルマ)は遺伝しない」。これが現代の生物学の大原則。 従って、輪廻転生はない。
>輪廻転生は、身体の変化だから この仮定が間違い
980 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 16:42:51 ID:MtBO4I4Y
>>972 転生とは、「身体の変化」ではないのかね。さもなければ、どこが変化する
のか。
大川の「釈迦の生まれ変わり」も、「顔が釈迦とそっくり」だということだろ。
転生は、英語では、reincarnation。即ち「肉体の変化」である。
あくまでも、転生があると仮定した上での話だが。転生があるかないかは議論しません。 転生で変化するのは身体だけではない。まず第一に時間が変化する。そして、主体であるアートマンは、変化しない。 であるならば単純な生物という定義の中における生物学が機能するはずがないのでは? 不死という生物学では非常識な現象が生じる以上、この学問の上で語ることはできません。 DNAはその個体が物理的に死ねば消滅しますが、アートマンとなると、消滅しないのだから。 そんな時間を超えた、また不滅のアートマンなんてない、という話はまた別の話で、それがあるとするなら生物学の原則は、多分通用しないと思われます。
982 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 17:06:15 ID:MtBO4I4Y
>>981 アートマンは、「肉体」にのみ宿りうる。従って、死んで肉体が
腐敗分解すれば、アートマンも消滅する。
DNAは高分子化合物の分子だから、死んでも消滅しない。
物理的時間は、1秒たりとも変化しない。心理的時間は、物理的時間
との対比における、単なる心理現象。
>>982 アートマンの定義としては不滅ですね。アートマンが消滅するという定義であるならば、輪廻はない、という定義になります。
輪廻があるという定義を行うならば、アートマンは不滅です。アートマンは物質ではないですから。
DNAに関しては、個々の分子はたしかに消滅しませんが、その個体が死ねば、そのDNAの集合はなくなりますね。たとえ遺伝したとしても同じDNA配列にはなりませんから。
輪廻という定義における時間は、この現象世界の時間とは異なるもの、と言われています。あくまでも言われているということで、それが正しいとも、絶対とも言いません。
時間が絶対であるというのは、この3次元の空間においてだけの話ですね。
984 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 17:23:24 ID:MtBO4I4Y
>>983 現実界と照合して検証できないものを、「空想」「妄想」と呼ぶ。
985 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 17:39:53 ID:3jWiX0vQ
>>967 >たとえば道元は身心脱落といって、心塵脱落を聞き違えたらしい。
>心塵脱落とは心に塵が落ちるということ。
>だけどその身も心も脱落の境地こそが、空海のいう即身成仏
道元が聞き間違えたことは知りませんでした。
心身脱落。これは究極の出来事であり、残るものは何かという話になる。
それがアートマンですね。
・輪廻転生は、身体の変化だから ・獲得形質(カルマ) ・大川の「釈迦の生まれ変わり」も、「顔が釈迦とそっくり」だということだろ。 ・転生は、英語では、reincarnation。即ち「肉体の変化」である。 ・アートマンは、「肉体」にのみ宿りうる。 ・DNAは高分子化合物の分子だから、死んでも消滅しない。 ・現実界と照合して検証できないものを、「空想」「妄想」と呼ぶ。 これらは全部、ID:MtBO4I4Yが勝手に定義した内容。 まず勝手に定義 → 身勝手な前提に基づいて論理らしきものを作る → 自分の希望通りの結論完成。 → 本人は万能感 → 実際はひとりでお話してる可哀想な(キモイ)人
987 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 17:51:43 ID:3jWiX0vQ
テスト氏の全身麻酔の話はアートマンの手がかりではないですか? わたしも経験しているし、このスレには他の経験者もいると思う。 麻酔は加減を誤ると死ぬ、という相当危険な医療技術だという。 患者はどのくらいの深さで眠っているのか? 熟睡とちがう。 熟睡なら手術を始めた瞬間に目が覚めるだろう。 そうじゃなく、もっと根源的に、体と心が分離しているように思う。 体と分離している心・・・そこにアートマンがいるように思う。
988 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 18:09:24 ID:3jWiX0vQ
>>983 アートマンが不滅であっても、輪廻転生があるとは限らない。
霊界があり、そこで永遠に暮らす可能性もある。
989 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 19:51:06 ID:epdUoske
>>982 >>983 脳神経、ニューロンは電子を伝えても、保持できない。
つまり記憶できない。
遺伝子は情報を記録できるが時間がかかる上に意図した
書き換えはできない。
つまり体験を記録することも、瞬時に記憶することもできない。
しかし私達は思考し、瞬時に記憶している。
原子、電子、以外の素粒子で構成された情報系があると仮定
しないと説明がつかない。
その情報系を霊魂や神と六感で悟ったのが聖者であろう。
人体を電子顕微鏡で見れば、真空に見えるが、もっと未来の顕微鏡
でみれば素粒子か波が見えるはずである。
「光」も「言葉」も波である点は共通している。
案外、三次元の音波や光を五感で変換して、霊魂と通信を行うのが
脳の実相かも知れませんね。
990 :
初代スレ7 :2009/04/22(水) 19:58:24 ID:DKgt1HAZ
もはや、言った者勝ちスレだな・・・w
991 :
初代スレ7 :2009/04/22(水) 20:00:10 ID:DKgt1HAZ
お、初の1000行くか?w
輪廻があるかどうかはわからないけれど 掲示板とはいえ、こうやって俺たちがここで出会ったって事も、はるか昔に交わした、約束だったのかもね・・・
993 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 20:03:11 ID:cSJf6rAB
仮観とすればしっくりくるね
994 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 20:53:32 ID:3jWiX0vQ
そろそろ最終決着にしようか。 → 仏陀は転生を説かなかった。 理由 解脱前であれば、転生があるのかどうか不明である。 解脱後であれば、転生は無意味であり、転生など説かない。 仏陀が説いたのは解脱の方法である。
>>994 解脱しない魂はどうなるんですか?
解脱した魂はどこへいくのですか?
解脱しようがしまいが、消滅するなら同じだと思うのですが。
仏陀の悟りはうそだったのですか?
996 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 21:19:15 ID:3jWiX0vQ
転生論者の根拠である「前世の記憶」だが、 ここにいる論者はだれもその記憶を持っていない。 これが致命的である。伝聞や経典では根拠が薄くて弱い。 ほとんどの人間が「前世の記憶」を持っていないということは、 転生がないか、あっても構造的に思い出さないかの、どちらかだろう。 神によって消された記憶を探し回ってもムダ骨に終わるだろう。
997 :
亭白 :2009/04/22(水) 21:28:27 ID:kUy0WElp
>>994 :神も仏も名無しさん
仏陀は転生を肯定しています。
理由
仏陀は過去七仏の転生輪廻し2600年後未来仏が東の国に本仏として再誕
すると現代まで伝承として伝わっています。
合計八仏を知れば仏陀はこの世に生まれる前に悟っていたことになります。
この世的カルマの刈り取りがない解脱者である仏陀は過去七回も生まれ変わって転生輪廻しています。
そして王冠を被り宝石の首飾りをしている未来仏は過去七仏の王であり本仏であります。
八回目の生まれ変わりとして転生輪廻し東の国の日本に本仏エル・カンターレとして御降臨されています。
過去七仏と未来仏の一仏を入れて合計八仏の転生輪廻は、日本にて結実したのであります。
998 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 21:30:23 ID:3jWiX0vQ
>>995 解脱した魂は「天界」の高みに上るだろう。
そのほかの魂は、「霊界」である程度過ごし、その後
再び転生するチャンスがあると思う。
仏陀の悟りは、仏陀が人間であることから完璧ではなく、
神になるのではなく「天界」の高みに上ることを意味すると思う。
転生があるかどうかということと、
仏陀がそれを説いたかどうかは別のことだと理解してください。
今だ!1000ゲトォォォォォォォォォォ!!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´ ∧∧ ) (´⌒(´ ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡  ̄ ̄ (´⌒(´⌒;; ズザーーーーーッ ・・・・・・・・・  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ∧∧ (´;; ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ (´⌒(´ まだ か・・・・・・・・・  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ∧∧ ⊂( ゚Д゚⊂⌒`つ; (´⌒(´
1000 :
神も仏も名無しさん :2009/04/22(水) 21:56:12 ID:MtBO4I4Y
大川氏に負けずに、全員、仏陀に生まれ変わろうw。
1001 :
1001 :
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