【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】12
1 :
神も仏も名無しさん :
2009/03/12(木) 17:41:06 ID:ODqShb9s
2 :
神も仏も名無しさん :2009/03/12(木) 17:42:00 ID:ODqShb9s
3 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/12(木) 17:46:02 ID:ODqShb9s
スレを立てましたが、
>>2 のスレ10と、スレ11は
コピーペーストしてから検索してください。
(コピペ失敗です)
4 :
神も仏も名無しさん :2009/03/12(木) 19:54:24 ID:+DP2/wdH
前レス
>>811 >つまりは「縁起」とか「無自性」とかの意がそもそも解っておらんのでしょ?
>解っておる人は、そもそも「事実」とか「自然現象」とかは言わんですね。
「事実」や「自然現象」自体が、観測者の知覚も含めて無数の要素の相互依存
と関係の塊であり、変転極まりないこと(「空」)を前提とすれば、「事実」
「自然現象」と呼んでも、ちっとも差し支えない。
「時間が恒常普遍」などと言った覚えは無い。「時間は、単なる自然の変化」と
言っている。「時間」を、独立の概念として固定するのは誤り。なお、「心理
的時間」は、「物理的時間(自然の変化)」との対応における、単なる「心理
現象」である。
5 :
宝珠愚者 :2009/03/12(木) 21:50:16 ID:EMhUB78v
**全過去ログ/リンク集
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html スレ建てご苦労さまでした^^
*繰り返し投稿を希望される方はできるだけコテハンの使用を推奨します。
(あなたの見解を明確に示しやすくするためです)
-----否定意見に対する解答-----
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
6 :
宝珠愚者 :2009/03/12(木) 21:51:04 ID:EMhUB78v
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように 原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、 それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。 6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:常識論 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、 始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。 7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧 反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。 古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。 8.四聖諦で輪廻を説いてない。主要論者:2CHネラー(著名な主要論者をご存知の方はお知らせ願います) 反証:経典は四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言している。『大品/第六薬助謫』 『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』
514 名前:名無しさん@引く手あまた :2009/03/12(木) 21:34:02 ID:HfdTiVYJ0 ■私の納棺師の実体験 ・遺体をアルコールで拭き、白衣(仏衣)を着せ、髪や顔を整え数珠を持たせる ・死後硬直が始まった遺体はむりやり納棺時に骨を折りたたみ納棺 ・轢死の場合は現地で警察(鑑識)と一緒にビニール袋もってバラバラ遺体を 拾ってあるく。鱈の白子のような脳ミソは箸を使って拾う ・首吊り死体は警察官と一緒に下に下ろす ・死亡1ヶ月の水死体などは海岸まで出張納棺 ・一人暮らしで何ヶ月も放置された遺体は室内のウジをほうきで掃除し肋骨の 中でうごめいているウジの固まりも掃除
8 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 06:48:04 ID:eJC1xUe8
>>4 >なお、「心理的時間」は、「物理的時間(自然の変化)」との対応における、
>単なる「心理現象」である。
可笑しな論法ですよねw
心理的時間と物理的時間が対立してるじゃ〜ないですか?
して、対立した結果が「心理現象」とか?
こんな論法は妄想というんじゃ〜ないですか?
(そもそも、時間とは何ぞや?ってことから始めませんとあかんですね)
先ず基本的に仏教は、対立として結果が導きだされるもんじゃ〜ないです。
(これは非常に重要です)
>「時間は、単なる自然の変化」と言っている。
これもそもそも可笑しな話じゃ〜ないですか?
縁起・無自性を言いながら、時間だけ「単なる自然の変化」ってのは論理的矛盾でありますね。
まあ、貴殿の論法を整理してみますと・・・
xyzが→縁起・無自性
tが→→「事実」であって「単なる自然の変化」
あ〜〜〜っはっはっは、
そういうことは有り得んですね。
xyztが縁起・無自性ですね。→これが釈尊の本懐です。
前スレ
>>805 >悟りを開いた未来ビジョンをありありと明確化し、
>利自即利他を含んだ悟りの世界のビジョンの継続・・
・・以下、雑文
どーでもいいが、矛盾だらけの支離滅裂って解かるよね?
いかにも解かった風なことをいうカルト教祖が
信者相手に眼くらましにいう御託だなw
このスレでよくもそんな騙し雑文を書き込むものだな。
アフォらしいので以下応答せず。
tibyaku、逝ってよし
10 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 11:48:41 ID:W3KRP47h
>>8 >心理的時間と物理的時間が対立してるじゃ〜ないですか?
「一般に言われている」物理的時間と心理的時間の二分法についてコメント
しただけ。心理的時間は「時間」ではないということ。
>xyztが縁起・無自性ですね。→これが釈尊の本懐です。
「自然」自体が縁起・無自性、即ち「変化」だから、その「自然の変化」であ
る「時間」を、別概念、別次元として、観念的に「固定」するのは、論理的誤
りであるということ。即ち、「仏教は四次元」という命題がおかしい。次元そ
のものが「空」なのだから。三次元までは、五感の知覚の対象となる。しかし
時間はそうではない。単なる「妄想」だということ。「色」にも含まれない。
11 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 12:03:31 ID:3IDalVX9
>即ち、「仏教は四次元」という命題がおかしい。 机氏は「悟りとは四次元を体感すること」とおっしゃっている。
12 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 12:18:35 ID:jgfMN00Y
>>10 貴殿の書き込みを読んでみますと、
いかに初期仏教(部派仏教)が苦悩の歴史であったか推測できます。
実際、初期仏教では時間という概念が釈尊の本懐に届いていなかったのであります。
したがって時間とは、貴殿がおっさる物理的時間?の肯定をしていました。
(過去・現在・未来の肯定)
しかしこれでは宗義にもなにもならんので、
それなりの意味付けをして・・・
なんとか宗義らしきもんを構築していったのであります。
しかし直ぐに唯識論にとって替わりましたが。
>即ち、「仏教は四次元」という命題がおかしい。次元そ
>のものが「空」なのだから。
ほらほら、やはり論理的矛盾があるでしょ?
「次元そのものが空」であるなら、三次元・四次元に関わらず空なのです。
>三次元までは、五感の知覚の対象となる。しかし
>時間はそうではない。単なる「妄想」だということ。「色」にも含まれない。
こういうことは有り得んですね。
仏教の本義は「一切皆空」です。
よって、xyztは空ですね。
13 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 12:22:48 ID:W3KRP47h
>>11 「時間」を含めた四次元の体感は、「誰でも」がやってること。それら
の次元そのものが「空」であることを悟るとが「悟り」である。即ち、
いずれも「人間」の知覚に過ぎず、それらが「実在」する訳ではない。
時間は、五感の知覚の対象でさえもない。
釈迦は、「色」を、あくまで「人間の五感の知覚の対象」に限定している。
彼は「妄想」を語っているのではない。
14 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 12:39:57 ID:W3KRP47h
>>12 空であるはずの、三次元・四次元などという分別概念を、最初にもちだされたのは
貴殿ですw。
xyztを、あたかも別個独立の要素の如く並列に並べるのは、論理的誤り。
xyz=tだからです。
15 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 12:46:49 ID:eJC1xUe8
>>14 では、貴殿は既に悟っておられるようですから、ひとつ質問しますが、
時間というのは「事実」であって「単なる変化であり」したがって
過去から未来へと方向性を常にもちえておるのが時間ということで宜しいのですか?
16 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 13:07:02 ID:W3KRP47h
>>15 >過去から未来へと方向性を常にもちえておるのが時間ということで宜
>しいのですか?
「悟っておられる」などとご冗談をw。
「過去から未来への方向性」などありません。あるのは「今ここ」だけ
です。それが「生命」であり、「悟り」です。「過去」や「未来」を
考えることは、「今ここ」にある生命の機能に過ぎないからです。
釈迦が「過去から未来への方向性」など考えたとしたら、それは誤り。
ニーチェは「永劫回帰」と言った。しかし、この訳語はおかしい。原語
では「永遠に反復すること」です。「永劫回帰」では、「永劫が」回帰
するのか、「永劫に」回帰するのか、さっぱり分らん。
「今ここ」が永遠に繰り返すのだから、「今ここがすべて」ということに
なります。
西洋哲学者たちは、この「永劫回帰」の解釈に四苦八苦し、ピント外れの
解釈ばかりしているが、仏教者には容易に理解できることですね。
17 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 13:36:35 ID:jgfMN00Y
>>16 >「過去から未来への方向性」などありません。
時間の概念というのは、五蘊における識蘊ですね。
経験則的データベースにおいて「時間」の概念が形成される。
それは「過去から未来への方向性」をイメージ化したものです。
時間自体が方向性をもつものではない。
よって、貴殿が第一義とする「生命」についても、やはり同じですね。
生命というのは本来ない。
(これを仏教では「本来無一物」などと言ったりする。→金剛般若経参照)
過去から未来への方向性がないなら、現在がありようがない。
現在とは来つつあることだし、また去りつつあることだから、
来つつあって、なお且つ去りつつあることは現在ではない。→中論参照
ということで、
無自性を言うておる御仁が、
生命教の開祖である。ってのも可笑しな話ですね。
悟りを開いたら、「本来は生命などありゅらん」と
宗旨訂正したら如何ですか?
18 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 16:08:00 ID:RW8LnbN1
>>17 >悟りを開いたら、「本来は生命などありゅらん」と宗旨訂正したら如何ですか?
「生命などありゅらん」と「考えて」、「宗旨訂正する」のも、「生命」の
機能ですから、いくら足掻いても「生命」からは逃れることは出来ませんよw。
生命を以って、「生命のない世界(死後・来世)」を考えるのもナンセンスですね。
そこは、生命の機能としての知覚や思考とは、一切関係ない世界なのですから。
19 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 16:41:03 ID:jgfMN00Y
>>18 >生命を以って、「生命のない世界(死後・来世)」を考えるのもナンセンスですね。
>そこは、生命の機能としての知覚や思考とは、一切関係ない世界なのですから。
仏教でいう「生命はない」というのは、そういう意味ではありません。
自我の正体というのは、
あらゆる情報を蓄積しながら、やがて自己形成という段階を辿る。
つまり自我というのはイメージとして作りあげられたものに過ぎない。
ってことだよ。
(これは時間概念と同じ)
これを仏教では無我といい、五蘊における識作用(識蘊)に過ぎない。
ってことだね。
この五蘊の作用は、色即是空の「色」にあたるが、
それも一切が空である。ってのが「五蘊皆空」。→般若心経より
縁起の現観とは、時間とか生命とかの名称およびその形態が寂滅することだよ。
だから貴殿の論法というのは、仏教には全く関係なくて・・・
ただの唯心論です。
20 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 17:07:23 ID:RW8LnbN1
>>19 >あらゆる情報を蓄積しながら、やがて自己形成という段階を辿る。
その情報が、歴史を通じて形成された共生の叡智としての「常識」なのです。
しかし、「生物的生命」というcoreがなければ、自己は形成されません。
>だから貴殿の論法というのは、仏教には全く関係なくて・・・
>ただの唯心論です。
そのcoreである生物的生命が、万物・万人と相互依存・縁起の関係にあれば、
生命も「空」であり、立派な仏教です。
21 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 17:39:19 ID:eJC1xUe8
>>20 >その情報が、歴史を通じて形成された共生の叡智としての「常識」なのです。
>しかし、「生物的生命」というcoreがなければ、自己は形成されません。
元来、人間はそんなcoreなどありませんね。
(つまり生得的にはない、という意味です)
先ず、幼少のころに自我が芽生えますね。
この時点において自他分別の概念が形成されるのですが、
これを起点としまして、命とかの属性概念が発達して逝くのであります。
やがて、自他分別の概念を因としまして、同時にこれを無明の因とする見解なのであります。
>そのcoreである生物的生命が、万物・万人と相互依存・縁起の関係にあれば、
>生命も「空」であり、立派な仏教です。
生命が万物・万人と相依しているわけではなく、
色心不二であり、命も相依においてしか縁生はないのです。
つまり相依が第一義であり、命というのはその二義なのであります。
ですから、貴殿が吹聴しておるのは仏教ではないですね。
残念ですが・・・
22 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 17:59:50 ID:RW8LnbN1
>>21 >元来、人間はそんなcoreなどありませんね。
早い話、貴殿が死ねば、その書き込みはできない、ということですw。
> つまり相依が第一義であり、命というのはその二義なのであります。
第一義、第二義、などという分別をしないのが「空」です。生命について言えば、
「相互依存即生命」です。
23 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 18:21:36 ID:jgfMN00Y
>>22 >第一義、第二義、などという分別をしないのが「空」です。
そうではありません。
雑阿含経、第一義空経にありますように、原始仏教から「空」は第一義であります。
「生命」という言語概念は世俗諦になりますね。
ですから仏教は、先ず相対概念を第一義とすることはないのです。
>生命について言えば、「相互依存即生命」です。
相互依存において、生命とかの自覚が生起するのであります。
相互依存なくして、なんで生命などの自覚がありや?
小1時間問いたいですね。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/03/13(金) 18:37:56 ID:pQxipqrz
>>23 釈迦が相互依存、空を悟ったのも、その生物的生命によってであります。
死者には、悟りも、その他、如何なる営みも不可能です。
25 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 18:56:02 ID:jgfMN00Y
>>24 いや、そうではないですね。
釈尊は「生者」とか「死者」とか、あらゆる概念が寂滅しまして、
すでにそういった囚われから解脱した瞬間に、光明を見出したのであります。
それは「生」とか「死」とかは殆ど意味がなさないのであります。
貴殿が、生死に迷っておる状況とは違いますね。
26 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/13(金) 19:14:34 ID:eJC1xUe8
では、これにて寝ます。 生命教というのは、ただ生命に囚われておっただけですね。
27 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 10:17:22 ID:B5WKVtWA
>釈迦が相互依存、空を悟ったのも、その生物的生命によってであります。 >死者には、悟りも、その他、如何なる営みも不可能です。 この理屈だと、苦しみがあるのも生物的生命があるから。 死んでしまえばいかなる苦しみも消え失せる。 死んだほうが良い。 なんだ生命教でなく実は自殺教ですか・・・
28 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 11:32:45 ID:1NKIrW4n
>>26 >>27 生存本能(生物的生命)は、人間を初め、すべての生物に共通する唯一の普遍
の事実。
苦しみが無ければ喜びもなく、死ねば永遠の無であることを悟っているから、
一度限りの生、今ここの生を、より良く生きる意欲が生じる。
釈迦も、「より良き生」のために、苦からの離脱を説いたのである。しかし
彼は、その鬱病ゆえに、苦や死に囚われ過ぎた。即ち、悟りが、もう一歩足り
なかった。
29 :
大王 :2009/03/14(土) 11:42:18 ID:ScMiNJCq
机対インキョ真理教の戦いかあ。 マア、机君が勝利する為には、哲学センスが勝負、昆布ドンレベルあれば、論破可能だが。 机君も真面目に仏教主義主張を保持し過ぎるからなあ、 インキョ真理教の強引な理論展開を細かく論破すれば、 インキョ真理教は意味不明論理立てか逃亡するだろうと。
30 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 11:54:24 ID:1NKIrW4n
>>29 生命を以って生命を否定・論破することは、初めからナンセンスで不可能。
昆布氏は、陰湿な宗教擁護者、宗教の黒幕に過ぎない。
>>30 あんたの二項相対主義にたいする机氏の批判に対してなんにも答えていないよ。
>>30 >生命を以って生命を否定・論破する
論点ずれまくりじゃんw
33 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 12:15:15 ID:1NKIrW4n
>>31 机師の、二項対立を批判しながらの二項対立という矛盾については、前レスで
すでに批判済み。
>>33 それにしても、あんたよくずーっとこのスレに張り付いていられるね。
感心、感心w
一番安上がりのレジャーだけどねw
じゃ、おいらはホームレスの人たちの健康状態をみてきますので、また!
35 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/14(土) 12:22:23 ID:1VkhTIf2
>>29 >マア、机君が勝利する為には、
拙者は、法論で勝負を決するつもりはありませんね。
日蓮宗(日蓮正宗)とは違いますから。
ご隠居氏の書き込みを拝しますと、たぶんアートマン的な世界観があるかと想像しています。
ですからあえて、人間の命を「生物的生命」と言っておるんでしょうね。
つぅことは、
「生物的生命」以外の生命を想定しておるんでしょうから、
そのバックボーンである「生命」というのを根本義として語ちとる。
人間が死んだら、その根本義たる生命に吸収合併される。とか・・
それがご隠居氏の安心立命であることが、ほぼ確定しました。
仏教の位置づけといういのは、その担保ですね。
果たしてそれが担保になったかどうか?
それは拙者には解りませんが。
36 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 12:26:04 ID:1NKIrW4n
>>34 つい最近、クリスレから出張してきただけだよ。
しかし、クリスレに比べて、仏教スレは頭が疲れる。御釈迦さんは手ご
わい。イエスは、妄想と思考停止だけだが。
仏教は、現代的には、宗教などというチンケなものではなく、むしろ冷
厳な合理主義的哲学、自然科学として捉えるべきものだとおもう。
37 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 12:36:26 ID:1NKIrW4n
>>35 >「生物的生命」以外の生命を想定しておるんでしょうから、
それは全く違いますよ。宗教者が、「生命」をことさら「いのち」などと表記
して、「生物的生命」を避けているから、「生命(いのち)」には、「生物的
生命」以外にはないことを、明確にするためです。
それにしても、宗教者は、何故「いのち」などと表記するのか。自分が「生物
の一種に過ぎない」ことを自覚するのが、怖いのではないか。
「人間とは、生存本能(生命)を中核とする動物の一種に過ぎない」という、
「すべての人間に共通する唯一の普遍の事実」を思考の基盤としない議論は、
百人百様の「観念の遊戯」に堕してしまい、何千年議論しても、合意には到り
得ません。
38 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/14(土) 13:40:52 ID:1VkhTIf2
>>37 >それにしても、宗教者は、何故「いのち」などと表記するのか。自分が「生物
>の一種に過ぎない」ことを自覚するのが、怖いのではないか。
仏教者はあまり「いのち」とか表記しているのは見掛けたことはないですね。
つうか、
「いのち」とは何か?なんてあまり考えませんし、
総じて拘りとかがなくなりますね。
自由解放というのでしょうか?
こればかりは仏教者にしか解らんかと思いますね。
仏教に惹かれる。というのは、それなりの魅力があるからです。
>「人間とは、生存本能(生命)を中核とする動物の一種に過ぎない」という、
こういうことも考えませんね。
つうか、
生命どころか、あらゆる根本義が説き明かされるのです。
パーツどころではないですね。
そうでなければ、仏教は既に淘汰されてましたよ。
39 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 14:05:52 ID:b2ZALWps
>>38 >生命どころか、あらゆる根本義が説き明かされるのです。
>パーツどころではないですね。
その「あらゆる根本義の解き明かし」も、生物的生命の機能であったことに、
思い至る必要があります。若し、釈迦が今生に生を受けなければ、一切不可能
だったことです。
宗教を含め、人間の「ありとあらゆる営みの根源」は、その生物的生命です。
死者には、一切不可能。
生命は、パーツではなく、すべての根源です。
40 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/14(土) 14:14:03 ID:1VkhTIf2
>>39 >その「あらゆる根本義の解き明かし」も、生物的生命の機能であったことに、
だから、本来、生物的生命の機能などはないのですよw
五蘊においても縁起があって主客が分別され、その主体を生命と言うておるんです。
縁起があって→→そして生命の機能が発動です。
飯を食うと「美味い」ってのがあって、そして生命の機能があり、
またその対象となるご飯があるのです。
縁起がなければ生命はありようがない。
41 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 14:50:03 ID:b2ZALWps
>>40 「縁起がなければ生命はありようがない」ことに思い到ったのも、釈迦の
生物的生命w。
その生命が、万物との関連性の塊(空)であることに思い至ったのも、釈迦の
生物的生命。
42 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 15:12:32 ID:b2ZALWps
宗教、特に創唱宗教は、その開祖の精神障害の症状としての「観念過剰」 故に、頭のてっぺんでしか物事を考えないから、「人間が特別の存在」と いう錯誤に陥り、その生物としての身体とその中に宿る生存本能に思い 到らなかった。これは宗教の「最大の見落とし」。 昨日の新聞だかで読んだが、蝿の脳も、その構造と機能において、人間の 脳と変わりはないそうだw。知覚や感覚の原理は同じw。
43 :
初代スレ7 :2009/03/14(土) 17:35:45 ID:YW8I6Bl6
>>40 &
>>41 >縁起があって→→そして生命の機能が発動です。
>「縁起がなければ生命はありようがない」ことに思い到ったのも、釈迦の生物的生命
縁起によって(縁によって)生命がある
↓
「縁起によって(縁によって)生命がある」と「観察し・思考している」のは生物的生命
↓
その生命は縁によって生じている
↓
「その(この)生命は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は縁によって生じている
↓
「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは『その(この)生命』
↓
『その生命』は縁によって生じている
↓
「『その(この)生命』は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは《その(この)生命》
↓
《その生命》は縁によって生じている
↓
「《その(この)生命》は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは≪その(この)生命≫
↓
≪その生命≫は・・・・・・・
↓
・
・
・
・
;´ー`)y━~~
44 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 17:39:57 ID:c7dgK11E
机氏は空論を説いているけど、 机氏の場合、道徳や倫理はどこから出てくるのだろうか? 世渡りのための見せ掛け? そこを机氏に聞いてみたい気がする。
昔も今も宗教は、生やさしいものではない。 論争に負ければ、耳や鼻をそがれたり、熱湯を浴びせられたり、 島流しにされたり、殺されたりする。 匿名掲示板である2ちゃんねる・・・宗教が持っている残酷な側面を緩和し、 みんなの宗教意識を高めるために多大の貢献をしていると思う。
46 :
初代スレ7 :2009/03/14(土) 18:24:48 ID:YW8I6Bl6
あ、全部同じ括弧でいいのかw 縁起によって(縁によって)生命がある ↓ 「縁起によって(縁によって)生命がある」と「観察し・思考している」のはその生命 ↓ その生命は縁によって生じている ↓ 「その(この)生命は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」 ↓ 「その生命」は縁によって生じている ↓ 「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」 ↓ 「その生命」は縁によって生じている ↓ 「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」 ↓ 「その生命」は縁によって生じている ↓ 「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」 ↓ 「その生命」は縁によって生じている ↓ 「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」 ↓ 「その生命」は・・・・・・ ↓ ・ ・ ・ ・
>>43 >>46 生命という言葉に二通りの意味がこめられている。
ひとつは食べたり飲んだりして維持されている身体的な意味である。
もうひとつは、身体的な意味とは違う、根源的な意味である。
ご隠居の話が循環しているわけではない。
48 :
初代スレ7 :2009/03/14(土) 18:47:25 ID:YW8I6Bl6
>>47 ??? (´・ω・`)
どちらかといえば、
むしろ、御隠居擁護仏教批判になると思うが?
禅宗が鎌倉武士や戦国武士たちに受け入れられたのは、 人殺しをしても罪を問われないという空論に理由があるのではないか? 他人殺しも自分殺しも空である。 これが空論であり、そこには道徳も倫理もまったくない。
>>48 ご隠居はともかく、
仏教批判ではなくて、大乗中観派に対する批判である。
51 :
机龍之介 :2009/03/14(土) 19:01:33 ID:Ej2uAvOZ
>「縁起によって(縁によって)生命がある」と「観察し・思考している」のは生物的生命
これについて説明いたします。
「観察し・思考している」というのは、五蘊の想蘊にあたりますから、
拙者が前記いたしました
「美味しい」って五感の感受(受蘊)と同じ五蘊、つまり現象(縁起)です。
よって、理論的には
>飯を食うと「美味い」ってのがあって、そして生命の機能があり、
>またその対象となるご飯があるのです。
>>40 と同義です。
受蘊も想蘊も縁においてしか生起しないですね。
どんな論法であっても、すべてが縁生・縁滅の理法に見事に一致するのです。
この五蘊の作用は、色即是空の「色」。つまり現象ですね。
現象において自覚、つまり自己認識が可能となります。
つまり、現象なくば、自己認識は全くないですね。
(心臓がパクパクしておったとしても、縁起がなければ機械的にパクパクしているだけです)
#、、プロバイダー規制中のため、代行レスポンスです。
要するに、肥えたブタでいいのか、やせたソクラテスがいいのか、 というテーマが、ご隠居VS机氏の背景に横たわっている。
53 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 20:32:34 ID:a5rVmfD7
>>46 前後関係が混乱している。縁を認識するのは、あくまで生物的生命である。
生命が無くなれば、縁起の認識が出来なくなるから、「はい、それまでよ」で
ある。
般若心経も、生命による「色」の知覚がまずあって、それが「空」であると
悟るのである。
>>52 ソクラテスを有難がるのは、ギリシャ哲学→キリスト教→西洋観念論哲学の
系統。東洋哲学とは、対極にある。
矢内原元当代総長は、東大の卒業式で、「肥えた豚ではなく、やせたソクラテス
になれ」などと訓話したが、これは彼がクリスチャン(プロテスタント)で
あったからである。卒業生の心には、響かなかったと思う。我々には、極めて
違和感があった。
>>53 ご隠居の背景にソクラテスを見たのだが・・・
肥えたブタのほうだったか ^△^
55 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 21:11:51 ID:a5rVmfD7
>>54 そもそも、矢内原が、人間を「豚」と「ソクラテス」に差別し、自分の気に入
らない人間を「豚呼ばわり」した時点で、彼の人間性は終わっている。イエス
の「豚に真珠」などという誤った言葉が、念頭にあったのだろう。
ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」とは何かを、有識者に聞いて回ったが、
誰も「具体例」を挙げるだけで、その言葉の「定義」が出来なかったので、彼
らを無知であるとした。しかし、無知だったのは、ソクラテスのほう。これら
の言葉は、具体的状況下における具体的事物の属性であり、それを離れて抽象
的・観念的には存在しえないものであることに、彼は思い至らなかった。西洋
学の長い誤謬の始まりである。
「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない。」(小林 秀雄)
56 :
美とは :2009/03/14(土) 21:53:49 ID:qOsHPv8h
私は単純に「美」と「芸術」とを等しいものとは見ない。 「美」とは、一者に対する現象の透明性(現象を透過して一者が現れること)であり、 「芸術」とは、そのまわりに枠組みを持つもののことである。 モナ・リサは「芸術」であり、「美」であるが、 トマト・スープの缶は「芸術」である。 物質的に美しい何かを見ることは、 <神なるもの>の<美>に至る最短の道である。 それは輝く<神の顔>である無限の<美>の小さな限定版であり、 小さな縮小版である。そう、縮小されている。 しかし、それでもやはり<神なるもの>の光である。 プラトンの『饗宴(Symposium)』は、あらためて言うまでもなく、 私たちがこの物質的な美の光から始め、 それを使って<善>や究極の<美>それ自体のヴィジョンにさかのぼる ことができるのを思い出させてくれる。 ホワイトヘッドの有名な評言、 「西洋的伝統は基本的にプラトンへの一連の脚注である」というのは 本当かもしれませんが、それらの脚注が分裂したのです。 人々は自分の気に入るプラトンの「半分」――来世的か現世的――を 受け入れがちで、全部を受け入れることはまれでした。 私たちはプラトンへの分裂した脚注に固着している必要はありません。 上昇および下降潮流はプラトンにおいて結合されていたのであり、 プロティノスにおいて結合されたことは絶対に確実です。 ケン・ウィルバー
57 :
プロティノス :2009/03/14(土) 22:06:25 ID:qOsHPv8h
プラトンから、非二元性、統合的なヴィジョンの伝統は、無傷のまま、 そのもっとも有名な代表者プロティノスに受け継げられた。彼はその伝統に、 古今東西を通じてほかのどんな形式に見出されるよりも力強く、圧倒的で、 完全な言語表現を与えた。どこまでも独自の思想を構築した哲学者であり、 黙想の聖者であったプロティノスは、他に類を見ない規模の総合力を 持った天才であり、そこに彼の重要性が存在する。 「師は何ごとにおいても簡素であった」とポルピュリオスは述べている、 「一切の厳格な苦行なしに、師はその穏やかで愛情に満ち溢れた性質で、 すべての人の心をつかんだ」(これは誇張ではない。ローマにいる間、 彼はただの一人も目立った敵を作らなかった。これはその当時、ほとんど 不可能なことである)。「彼はこの世のすべての美わしきもの、良きものに 共感を抱いていた。彼の、自然に美しい表情は、友人と話すとき、光と愛と に満ちていた」(「語るときには、英知が彼の表情に表れて、その光で顔を 照らした。普段から、見て魅力的であったが、そのときはとりわけ美しく 見えた。うっすらと汗がにじんで、柔和さが顔一面に輝きわたった」)。 ポリピュリオス『プロティノス伝』田中美知太郎訳による――訳注』。 彼は最終的にはバガヴァッド・ギータにおけるカルマ・ヨーガに似たタイプの 実践を記述している。 統一性(ユニティ)に根を置いて、汝の義務をなせ。そして義務をなすときは、 完全に「この世界」のなかでなすこと。カール・ヤスパースは書いている。 「彼は紛争の調停者として呼ばれることはあっても、けっして敵を作らな かった。優れた男女が臨終の床にあってかれを呼び、自分の子弟の教育や、 その財産の管理を託した。このため彼の家は、いつも少年少女で溢れていた」。 孤児で一杯の家。この人物こそ、ヤスパースが正確に、そして多大の尊敬を 込めて次のように讃えた人であった。「プロティノスほど一者と共に生きた 哲学者はいない」。確かにプロティノスが真実の一者は他者を抱擁すると 述べるとき、彼の言葉は真実に満ちていた。
58 :
プロティノス :2009/03/14(土) 22:10:56 ID:qOsHPv8h
プロティノスはカンパーニアにある家に滞在していたとき病魔におそわれ、 友人で医師のエウストキウスが急行したが、時間がかかりすぎたのかも 知れない。というのもエウストキウスが到着したとき、プロティノスは、ただ 次のように言うのだった、「私たちのなかにある神性」(彼はけっして「私の なかにある神性」とは言わなかった)が、すべてのなかにある神性へと 旅立つ前に、あなたにお会いしようと待っていました」。そして彼は眼を閉じて、 息をひきとったのである。 * プロティノスは答える。それは、今、ここで起きているのだ、と。 この時間のない瞬間において、 万物は絶対の一者から、やむことなく流出している。 存在のすべての段階は この最高位の次元から一歩ずつ降りていったものである。 多元的なプロティノスのコスモスにおいては、 一者が他者――そして全部を誕生させ、全部は一者へ帰還する。 全部を構成するそれぞれは、無限の一者の完全な体現者である。 一者はそれぞれおよび全部の基底なのである。 * プロティノス語録 「世界魂は世界のなかにない。 むしろ世界がそのなかに、抱擁され、形成されて、ある」 「魂は身体のなかにない。 しかし身体は、それを作りだした魂に包まれ、充満されているのである」
59 :
* :2009/03/14(土) 22:13:41 ID:qOsHPv8h
プロティノスによる存在のホラーキー(階層) 絶対の一者 ヌース(直覚・英知) 魂・世界魂 創造的理性 論理的機能 概念と意見 イメージ 快楽・苦痛 知覚 植物性機能 物質
60 :
神も仏も名無しさん :2009/03/14(土) 22:38:06 ID:UZ+MFe+f
日本の戦後インテリ仏教者は、漢字仏教用語を使って、勝義とか第一とか空とか縁起とかいって誤魔化すが、100%がちの唯物論者に1ペソ
61 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 01:36:40 ID:NAN43sCJ
>>59 根拠皆無な、「観念の遊戯」による分別の見本。
世界は「絶対の一者」などではなく、「生命」という「無数の絶対者」によっ
て形成されている。
62 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 09:23:24 ID:8XrdCJXJ
>>55 >ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」とは何かを、有識者に聞いて回ったが、
>誰も「具体例」を挙げるだけで、その言葉の「定義」が出来なかったので、彼
>らを無知であるとした。しかし、無知だったのは、ソクラテスのほう。これら
>の言葉は、具体的状況下における具体的事物の属性であり、それを離れて抽象
>的・観念的には存在しえないものであることに、彼は思い至らなかった。西洋
>学の長い誤謬の始まりである。
>「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない。」(小林 秀雄)
人間には「勇気」や「正義」や「美」などの純粋なイメージがありそうだ。
はっきり定義できなくても、そういったイメージがありそうだ。
そしてそのイメージから、この花はあの花より美しい、という判断をする。
ソクラテスはこのイメージを問題にしたのだろう。
この問題を設定しなおせば「なんじ自身を知れ」ということだろう。
2ch規制 2chを利用しているのだから、ぜひ対価を払いたいと思っている。 しかしクレジットを使いたくない。そこで提案したい。 1 2chの振込み口座に、HN名(トリップ付き)で振り込む。 これなら利用料以外に、2ch応援のためにも使える。 2 たとえばノートンのように、2ch利用のキーを電器店などで売る。 規制されたら、このキーによってログインする。
64 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 10:53:02 ID:ype7zJLd
>>62 そんなイメージなら、百人百様で、言葉としての意味伝達のの機能を果たしえない。
キリスト教徒の「正義」とイスラームの「正義」とは、同じ意味かねw。
自分で自分を知ることは不可能。どこまで行っても「自分の」主観に過ぎない。
>>64 「正義」や「善」などのイメージとは、
ソクラテスの場合、心の奥底から聞こえてくるような、幽かなものを
指していたように思う。これが「ものさし」になっている。
キリスト教徒やイスラム教徒などは、各宗教による独自の洗脳があり、
かれらの価値観がまったく重なるということはない。
しかし、善や正義を説くなど、おおよその骨格は同じだろう。
>自分で自分を知ることは不可能。
そうは思わない。自分がわからなければ、他人のこともわからない。
それでは共同体が成立しない。
66 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 11:15:51 ID:7MEzGFvo
初代スレ7 さんが前スレで語っていた、 無数の因縁の、いったいどれが人間の業になるのか、というテーマ。 その人の身口意が問われ、「意志」が問われるのだと思う。 悪い「意志」が人間の「業」になる。
>>55 矢内原って知らんが、ソクラテスと豚のメタファーはベンサムだよ。
ベンサムは、後世にも何かできることはないかと考えて、自分のミイラを作らせた人間だから、まあ、その人間性は推して知るべし♪
70 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 12:52:48 ID:FgQbqa7p
>>69 自分の気に入らない人間を「豚呼ばわり」したのは、イエスが最初だろう。
ベンサムは英国国教徒。
ゴイム乙♪
72 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 15:31:32 ID:7rEHkv+U
>>51 言いたいことは分かる。
しかし、釈迦も、生命によって知覚できる「色」、生命によって知覚できる
「苦」をまず前提としている。その逆ではない。最初から縁起など考えるの
ではない。生命によって知覚できない、神や霊、絶対の一者などの「形而上」
は否定する。まず「心臓がパクパク動いていること」が前提なのである。そし
て、「苦の除去」も、「身体のより良き生」という極めて形而下的なものである。
つまり、釈迦は、生命に無関係な「妄想」「形而上」を語っているのではない
ことを、忘れてはならない。
73 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 15:48:31 ID:Ae8v/I8m
悟りへの最短コース 大乗仏教の土台は唯識と空観である。現代風に言えば心理学と哲学である。 悟るためには、ひとつではなく、これらふたつが必要になる。 <心理学>はたとえばフロイトの精神分析など。 単なる知識ではなく、自分自身と格闘し、自分自身を分析する。 <哲学>は正反合の弁証法がいい。解説書程度の簡単なものでかまわない。 これも単なる知識ではなく、正反合の思考方法を体で消化する。 あとは学んだことを社会生活の中で実践する。 急がば回れ、これが早いと思う。そして射程距離も長くなる。
74 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 15:56:48 ID:7rEHkv+U
>>73 仏教に、何故、フロイトや弁証法などの西洋思想を持ち出すのかね。
東洋思想と西洋思想の本質的相違も理解できないのでは、仏教を語る
資格はない。
弁証法は、物事を「正」と「反」に分別するが、このような分別自体が
仏教ではない。弁証法は、「正」と「反」のそれぞれが、「正」と「反」
によって構成されており、従って弁証法など成立しないという、初歩的
な論理の誤りを犯している。
>>74 弁証法では、ふたつのものの「正」と「反」ではなく、
ひとつのものの中に「正」と「反」を見つけることが重要になる。
これは相関関係(空間)の中に因果関係(時間)を見ることと同じ。
渦を巻いている銀河を見れば、空間の中に時間があることがわかる。 道教の太極図も、その意味をシンボル化したと思われる。
77 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 16:52:00 ID:2Z3ysBBG
>>67 >その人の身口意が問われ、「意志」が問われるのだと思う。
>悪い「意志」が人間の「業」になる。
それは誤り。「業」とは、あくまで「行為」である。 いかなる意思を抱いても、
それが「行為」に表れない限り、共同体としては問題にしない。それが、道徳・
倫理の本質である。
業報論は、仏教の中心思想などではないが、仏教は、あくまで「行為」を問題と
しているところが、キリスト教との巨大な相違であることを、理解すべきである。
イエスとは異なり、仏教は、「淫らな心で女を見ただけで、姦淫の罪を犯した」
などという、アホなことは言わない。
元気そうで相変わらずなご隠居w
79 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/15(日) 17:05:37 ID:RxrV4dvO
>77 つ蜜厳院発露懺悔文 (^。^)普通に書いてますが?(笑)
80 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 17:12:43 ID:8CJBRg66
アジャンタ石窟寺院の第17窟の入り口には、8人の仏陀が描かれた壁画があります。 左から数えて6人目までが過去世の仏陀、7人目が釈尊、そして一番右側の王冠をかぶった 仏陀が未来に再誕する仏陀(未来仏)だと考えられています。 再誕の時期については、4千年説、5千年説から数億年先という説まで諸説紛々のようですが、 アジャンタ村では「仏陀は2500年後に生まれ変わってくる」という先祖からの言い伝えが 今も強く信じられているのです。 仏陀の生まれ変わりを信じない仏教徒も少なくないインドにおいて、これは異例のことといっても よいと思います。 そのアジャンタ村で、セミナーを開催し、彼らが慕ってやまない仏陀が今、日本に生まれ変わって いること、そして、日本人のためだけでなく、仏教徒のためだけでなく、世界のすべて人々を導く ために新たな教えを説いていることを伝えました。 セミナーが終わった後も誰も帰ろうとせず、その様子を聞いて地元のプレスが取材に来たりしたため、 メディア局の方々の午後のスケジュールはキャンセルせざるを得なくなりました。 仏陀の再誕を知った村の人々の思いは、「死ぬまでに一度でいいから再誕の仏陀に会いたい」という 声に代表されます。 現在、主がさまざまな国を訪問され、法を説かれていること、かつての母国であるインドにもきっと 近い将来、訪ねてくださるであろうこと、そのためにも熱心に教えを学び、多くの人に伝えていくこと が大事であることを話すと、「私たちはすでに2500年間も待ち続けてきたのだ」と、真剣な目で 訴えられました。 「どうか私たちのことを忘れないでほしい。どうか、必ずまた来て、再誕の仏陀の教えを話してほしい」 と何度も何度も懇願する人々に次の訪問を約束し、アジャンタ村を後にしました。
81 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/15(日) 17:19:39 ID:RxrV4dvO
>80 お釈迦さんの生まれ変わりなんて罰当たりな戯言を抜かすメタボの学歴コンプレックスの某の信者さんですね♪(笑) (^。^)判ります♪お仕事乙♪(笑)
82 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 17:23:41 ID:8CJBRg66
インドの仏教徒というのは、その大部分がアンベドカル博士の信奉者です。 アンベドカル博士は、ヒンズー教のアウトカーストの出身ですが、苦学して世に認め られるよういなり、インドの法務大臣にまで上り詰めました。 その過程で仏教に出会い、カーストによる差別を認めない教えであることを知って改 宗し、その後、何十万人もの人々をヒンズー教から仏教へと改宗させた方です。 インドでいったん滅んでいた仏教を再興させた功績は確かに大きいのですが、その考 え方には「仏陀以外の神を崇めてはならない」など、多分に排他的な要素が含まれて いて、「仏陀の再誕」も否定しています。 セミナーの会場は、仏教寺院を兼ねた施設となっていて、正面に仏像が祀られ、その 右手にアンベドカル博士の銅像が置かれてありました。「かなり濃いなあ・・・」と いう感じです。 私は冒頭に思い切って、「皆さんは、仏陀はもう生まれ変わらないと思いますか?」 と尋ねました。ほとんどの人が、「生まれ変わらない」と言いながら頷いています。 「『自分は涅槃に入ったから、もう地上の人は関係ない、苦しんでいても関係ない』 と、本当に仏陀がそう考えていると思いますか?」と重ねて問いかけました。今度は 皆、沈黙しています。 そこで、私は、仏陀が入寂の前に自ら予言したとおりに、東の国、日本に再誕され、 新たな教えを説いておられること、その教えを学び実践することにより、どんな環境 にある人でも必ず幸せになれること、中でももっとも重要な教えは愛の原理であり、 その実践により人類は宗教や民族の違いを乗り超えて調和することができる、という ことなどを話しました。 終わった後は何となく騒然とした感じでしたが、再びリーダーが前に出てきて、大き な声で激しく何かを訴えています。通訳してもらうと、「今日、私たちはたいへん大事なことを学んだ。こういう教えが あれば、世界はきっと平和になる。みんなでしっかり勉強しよう」というような内容 だということでした。 「仏陀再誕」の事実を、アンベドカル派の仏教徒の方々にも受け入れていただけたの は、大きな収穫でした。 この日は、約200名の参加者のうちちょうど180名が入会されました。
まあ、そう言うなよ。 釈迦もやっぱりその辺のおっさんと変わらんってだけのことだろう。 苦行に飽きてスジャータとやってしまったのに開き直って「ブッタ」といったらしいし、まあ、輪廻から解脱してないのもわかるじゃん♪ 詐欺だねぇ〜w
84 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/15(日) 17:29:07 ID:RxrV4dvO
>82 民主化の為に努力している社会運動グループから、カルトに勧誘した訳ですか。 ( ̄∀ ̄)君たち、あんまり悪戯ばかりついていると地獄に落ちますよ。
85 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/15(日) 17:29:48 ID:RxrV4dvO
>82 民主化の為に努力している社会運動グループから、カルトに勧誘した訳ですか。 ( ̄∀ ̄)因業な・・・
86 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/15(日) 17:33:49 ID:RxrV4dvO
(^。^;)失敗した♪(笑) >83 (´д`)・・・
なに興奮してんだか笑 アホw
88 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/15(日) 18:01:00 ID:RxrV4dvO
>87 (^。^;)イカン。下品なレスしか浮かばない。
品性が出てるだけだろう♪ 隠したって、無駄無駄w どうせばれる(^。^)y-.。o○
90 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 18:14:58 ID:T9oDzRme
>>77 >イエスとは異なり、仏教は、「淫らな心で女を見ただけで、姦淫の罪を犯した」
>などという、アホなことは言わない。
唯識や空観のように、仏教はきわめて唯心論的なものである。
心に思ったことが現実であり、悪い意志によって業が積み重なることになる。
イエスの言っていることとまったく同じ。
>>77 常識や道徳を基盤とする法律においても、
ある行為が意図的であるかそうでないかはきわめて重要であり、
その行為の責任問題を左右する。
>>77 何をやったかではなくて、何を思ったかがその人の運命を左右する。
霊界では、その人の地上での思いによって裁かれる。
これは相当に愉快な話ではないか。
93 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 19:29:48 ID:B+zwLgAe
>>91 それはあくまで「行為」を前提とする。意思だけで罰せられるような犯罪は
ない。
「殺したい」と思っただけで、殺人罪になるか。イエスの、「姦淫の罪を犯した」
は、それと同じことになる。共同体における道徳・倫理・法とは何かを、理解
していないのである。
94 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 19:35:16 ID:B+zwLgAe
>>90 >イエスの言っていることとまったく同じ。
またクリスチャンが湧いてきたな。カルトはお断り。
95 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 19:41:54 ID:B+zwLgAe
>>89 昆布君。北海道あたりの牧師(?)で、宗教擁護の黒幕の君が、
「無神論無宗教」では、虚偽表示。住民に誤認混同を招く。
イエスを批判されると反応する「無神論無宗教」は痛いw。
私はアンチじゃないからなw
97 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 20:02:41 ID:T9oDzRme
>>93 たしかにこの世では、
行為がまず問われ、そのつぎに意思や動機が問われる。
意思と行為との間にはかなりの距離がある。
しかし意思されたことは、チャンスがあれば実行されるのであり、
意思と行為との距離はどんどん縮まる。
そう考えれば、イエスは真実を語っている。
そして意思がそのまま行為になる霊界ではまったくの真実である。
>>93 想念を現実だと理解する仏教のほうがイエスの上を行くのではないか?
99 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 20:50:28 ID:B+zwLgAe
>>97 >しかし意思されたことは、チャンスがあれば実行されるのであり、
そんなことはない。自己の意思を、他者を考慮して抑えるのが、道徳・倫理・
法である。
宗教者なのに、道徳の原理も知らないのかw。
ふだん思っていることが夢になる。 そして、ある人間の思いは、ある人格レベルに集約されていく。 このことは霊界における生活を暗示させる。 霊界では、その人の思うがままであり、同じ人格レベルが永遠に続く。 苦しむ霊がいるなら永遠に苦しむことになる。 かりに転生があるなら、永遠の苦しみ、これに関係しているのではないか。 苦しむことによって業がつき、神の慈悲によって再びこの世に生まれる。
101 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 20:58:49 ID:B+zwLgAe
イエスに、道徳の原理を教えてあげよう。 「すべての人は死を恐れ、すべての人は暴力に怯える。己が身に引き比 べて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(法句経)。 イエスが逆立ちしても、言えない言葉である。
>>101 死を恐れ、暴力に怯えるところに、悟り不足を感じてしまう。
それより十戒の、「殺すな」という掟のほうがいい。
103 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 21:16:36 ID:B+zwLgAe
>>102 >それより十戒の、「殺すな」という掟のほうがいい。
「殺すな」という「命令」だけで、その理由も述べなければ、説得力が
ないばかりか、かえって反発・逆効果を招く。
旧約の「殺すな」は、原義では、「殺すはずがない」ということだそうだ。
ちゃんとそう訳せば、人間に対する大いなる信頼が感じられ、より説得力が
増す。
>死を恐れ、暴力に怯えるところに、悟り不足を感じてしまう。
悟れば、殺してもよいのか。「すべての人は死を恐れる」というところ
に、人間性の洞察がある。イエスには、人間性の洞察は皆無である。
転生し、新しく生まれた人はゼロからスタートする。 霊界で業はつき、善でもなく悪でもない白紙の状態になっている。 転生は神の御業であり、前世など、論じるべきことではないと思う。 大富豪が乞食になり、乞食が大富豪になるかもしれない。 男が女になり、女が男になるかもしれない。 転生すること自体が神の奇跡なのではなかろうか。
105 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 21:27:20 ID:B+zwLgAe
>>100 >神の慈悲によって再びこの世に生まれる。
仏教は、神や霊のような、「人間が考えても無意味なもの」は考えない。
孔子も、「怪力・乱神」は語らなかった。
>>103 神の命令に理由があっては不自然に思う。
原義よりも、「殺すな」だけのほうがすっきりして神らしい。
覚悟していない人に対する説教だったら、法句経でいいのかもしれない。
しかし時には、死を覚悟することもあるし、そしたら暴力にも怯えないだろう。
そうすると「己が身に引き比べて」という部分が意味をなさなくなる。
>>105 神や霊を考えない思想は哲学であり、宗教ではない。
釈迦や孔子が、神や霊を否定して語らなかったのか、
肯定していたが周囲の事情で語れなかったのか、どちらなのだろう?
秋葉原で死を覚悟した人の事件があった。彼には「殺すな」と言いたい。 孔子は今で言う葬祭業者だったらしい。少なくても霊を感じていたはず。
109 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 22:32:38 ID:twlivWLJ
>>107 >神や霊を考えない思想は哲学であり、宗教ではない。
人間の空想の産物に過ぎない神や霊が「実在する」と信じ込ませるのが、人間
にとって最も有害。一旦信じ込ませれば、人間はその現実性を破壊されて狂い、
後は、人間が人間を自由に操れることになる。これ以上の「人権侵害」はない。
神や霊を振り回すことは、もはや法律で禁止すべきもの。
霊は、英語ではsoul,spirit。即ち、人間の精神のこと。人間の外部には、どこにも
存在しないのである。
キリスト教の「聖霊」も、旧約聖書では、創造主がすべての人間に吹き込んだ
「ルーアッハ」「プネウマ」即ち「空気」「生命」「精神」のこと。それを、
新約聖書が、「人間のどこか外部から鳩のように舞い降りてくる物」に歪曲・
捏造したものである。聖霊を冒涜しているのは、他ならぬ新約聖書なのである。
110 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 22:39:56 ID:T9oDzRme
あとは前世の記憶だが、これにはいい予感を少しも感じない。 たとえば、前世がサルであり、ネズミであったことを思い出してどうする? 前世の業がつき、新しく転生したことで十分ではないだろうか? 前世の記憶が思い出せないということ。 これは神が、人間の「知識」を重要視していないことなのかとも思う。 それが重要なら寿命を200年300年にすればいいだろう。 しかし「知識」ではないから70年80年なのだろう。 重要なのは「知識」ではなくて「意志」である。
>>109 ご隠居は宗教の洗脳を語っている。それは正しいと思う。
しかし個人的な体験であれば洗脳ではない。
ご隠居に欠けているもの、それは体験だと思う。
聖霊についての説明にはおおよそ同意する。
ただし鳩の話は内的な心的なドラマだと。
112 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 23:13:15 ID:twlivWLJ
>>111 >しかし個人的な体験であれば洗脳ではない。
>ご隠居に欠けているもの、それは体験だと思う。
体験って、洗脳体験のことか。一旦神や霊で洗脳されれば、一生涯離脱は
極めて困難。幸運にして離脱できても、洗脳期間と同期間の「のたうちまわる」
苦しみを経験する。結局は、宗教から宗教へ渡り歩くことになる。一生は破滅
である。家庭を初め、人間関係はすべて破壊される。身近で洗脳患者を観察し
ているから、最も良く知っている。
前世の記憶・・・これを思い出してどうするのだろう? 前世での失敗、悔いることを思い出してもどうすることもできない。 思い出しても意味がないし、つらいだけだろう。 記憶を思い出すこと、これには不思議なものがある。 だいたい、いやなことを思い出す。 いいこともたくさんあったはずなのに、どうしてなのだろう? ごめんね、ごめんねと言うことに意味があるのか? きっとそうなのだろう。
114 :
大王 :2009/03/15(日) 23:18:41 ID:ExRe/v0v
まあ、議論スレで転生なんて、関心が無いんで、ここじゃ隠居を論破する気がおきないな。 議論である以上、隠居氏の発言も認知されるべきだろうと思うからね。
115 :
大王 :2009/03/15(日) 23:20:29 ID:ExRe/v0v
転生を論理性で裁断する的な隠居論のみに関しては異論は別にないからなあ。
116 :
神も仏も名無しさん :2009/03/15(日) 23:40:07 ID:T9oDzRme
>>112 洗脳体験ではなくて、空の体験・聖霊体験・アートマン体験ですよ。
早くこういった体験をしてください。
ご隠居の原点が、身近な人の洗脳体験だったことを知り、
その頑固さに納得しました。ご隠居の論理は、
ソクラテスの産婆術のような印象だったけど、がっかりしました。
今日はありがとうです。でわでわ、おやすみ。
117 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 00:51:36 ID:hh9Vlw8k
>>116 >洗脳体験ではなくて、空の体験・聖霊体験・アートマン体験ですよ。
それが、洗脳体験というのだよw。変性意識により気が狂うということ。
一旦経験したら、人生オシマイ。
118 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 08:24:51 ID:zHDb6Ng7
>>107 釈迦は神々について普通に話してるけど。
神学みたいな込み入った設定がないだけ。
119 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 09:32:57 ID:eN+oJYq9
>>118 >釈迦は神々について普通に話してるけど。
バラモン教からの過渡期に過ぎない。その意味で、原始仏典は無視すべき。
「空」が仏教の中心思想であるのに、「神や霊」の実在など認めたら、仏教は
矛盾しまくりの宗教になってしまう。
120 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 11:28:02 ID:zHDb6Ng7
>>119 >「神や霊」
神も霊も「空」で何の問題がある?キリスト教的な見方をひきずってるだろ。
仏教では神も霊も因果を超越とかしてない。神々もただの衆生。
仏教で否定される神は「絶対神」や「主宰神」の類だ。
121 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 12:02:22 ID:vWLYlDrD
仏陀は輪廻も神も霊も説いている。
122 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 12:30:58 ID:xvpJeUw7
>>121 だからそれは、バラモン教をまだ引きずっている状態。仏教としては
無視すべきもの。さもなければ、仏教がバラモン教に逆戻りする。何の
ための仏教か。
123 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 13:56:03 ID:zHDb6Ng7
>>122 仏陀本人が引きずってるんだから仕方が無い。
仏陀の考えは仏陀の考えとして、仏教とは別個に
仏教から一部ネタを拝借した。
「進歩的な考え」でも作ればいいんじゃないの。
124 :
生命とは何か :2009/03/16(月) 14:01:48 ID:lm4bm2/G
玉城康四郎(仏教学者、元東大名誉教授)『生命とは何か―ブッダをとおして の人間の原像』を読んでみた。わかったポイントは、次のようなものである。 1.玉城氏は、「ダンマの顕現」や「永遠のいのち」などといわれる世界を 直覚した。 2.同時に、自分の根底には、輪廻転生する主体であるところの「業熟体」 があるという自覚が生じている。この業熟体とはアーラヤ識に対応する と言っている。つまり、「個的な自己」の根源としてのアーラヤ識は自覚 しうるものであり、それが自覚できたときに、それが業のかたまりである ことも自覚され、そしてその業のかたまりの中に顕現するのがダンマで あるということである。 3.この本では、臨死体験や体外離脱に経験についてかなり語られ、それ が仏教で言う「中有」であることが論じられている。そして玉城氏がそれ がある意味で実在していることを肯定している(ある意味、というのは、 仏教においては根源的な意味では何も実在するものは認めないから である)。 玉城氏のこのような発言はいまだに無視され続けている。君子危うきに 近寄らず、という名の保身主義であろう。しかし、死後はどうなるのかという もっとも根源的な問いに取り組むことなしに、霊性(スピリチュアル)もへっ たくれもない、というのが私の立場である。
125 :
生命とは何か :2009/03/16(月) 14:02:31 ID:lm4bm2/G
微細次元の身体が実在するということはそれほど怪しげな言説であろうか。 思うに、自己性の根源としてアーラヤ識があり、それこそが身体性を形成 する原理である、ということが承認されるならば、その身体性のあり方には 複数のタイプがありうること(これが微細身)、そして同次元においても継起的 に複数の身体性を形成すること(これが転生)、という可能性を否定する 根拠も、論理的には何もないのである。それが仏教本来の見方であると 私は思っている。その意味で私の論も決してトンデモではなく、伝統に根ざ したことを述べているだけだ、と考えるものである。 ただ、この本を読むとわかるが、玉城氏は自在に体外に離脱したり、また、 微細レベルに存在する身体を直接に見たりすることはできなかったようである。 そう考えると、玉城氏の悟りというのも、究極である「法界体性智」というか、 究極まで到達したものではなかった、という判断ができると思う。こう言うのは ずいぶん僭越、傲慢と感じる人もあろうが、本当に仏智に達するということは 宇宙的な絶対智の達成にほかならないので、それをいっさいまげずに考えれば、 玉城氏の見た光明の世界は、悟りの世界の「入り口」であった、と結論すべき だと私は思う。 というのも以前に、「玉城氏には超感覚的な能力はないようであるが、それ なら、そういう超感覚の発達という道筋を通らずに絶対に至るという道もある ということだろうか」というような質問を送って来た人がいたのである。しかし、 それならばそれはもはや絶対とは呼べないだろう。論理的には、玉城氏は 究極までは行っていない、と考えるしかないのである。だからといって玉城氏 に対する尊敬の念が変化するわけではない。ただ、玉城氏と空海とは同等 ではない、と述べているだけである。玉城氏自身、空海と同等だと思っていた わけではないと思う。 ただ、この「ダンマの顕現」の体験は、いわばスタートラインだと思っている。 このことがわかってはじめて、霊性(スピリチュアル)について何か発言する ことが可能になるという、基本線なのである。最低限そこまではなんとなく でもわからないと、というのが私の「自主基準」である。
126 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 14:15:10 ID:/j6kZMUF
>>123 仏陀の誤りがあれば正し、それを一歩進めることが、弟子の義務ではないのか。
仏陀は何のために「自灯明」を説いたのか、よーく考えてみて欲しい。
自灯明などと言い切れたのは、多くの宗教の開祖のうち、釈迦のみである。
127 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 14:25:25 ID:/j6kZMUF
>>125 「悟り」とは、「万物の複雑な相互依存性・関連性の自覚」という、極めて冷
厳・合理的・理性的な営みである。「神秘体験」などとは対極にあるもの。
128 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 22:01:49 ID:4ytXD+u1
>>126 >仏陀の誤りがあれば正し、
自覚してるんなら、それでよし。例えて言うなら
今は仏陀は生きていないけども、仮に同席する機会があったとして
認めないようなら仏陀に「アンタ駄目やね」と言って捨て置くならおk。
口先で自灯明を掲げつつ、仏陀(仏教)ブランドに擦り寄るなら本末転倒。
自分なりに自灯明した結果、仏陀の教えを承服しきれず、批判する立場になれば
自分が「仏の」「仏教の」などと名乗る理由は存在しないから。
仮に名乗るとすると、そもそも、なぜ主張に誤りのある人間の
称号をわざわざくっつけなくてはならないのかという疑問が生じる。
ゴータマは教えに誤りを含んだ男で、自分は彼よりも正しい、
もしくは自分こそが本物の「仏陀」だ、というなら主張に少しは整合性があるが。
129 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 22:04:26 ID:vWLYlDrD
コピペ お釈迦様が説いた「四諦八正道(したいはちしょうどう)」 「四諦」とは「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の四つ。 1、「苦諦」苦しみは何ですか。(病・貧・争) 2、「集諦」仏法真理知識で苦しみの原因を突き止める。 3、「滅諦」苦の原因の欲・執着から離れは爽やかな軽い心になったら良いですね。 4、「道諦」八正道の反省を通して抜苦与楽し爽やかな軽い心を取り戻す。 積極的人生の幸福な生き方ができるようになる。 お釈迦様は無神論は説いていません。霊的人生観こそ真の幸福に到る方法であります。 この世とあの世を貫いた幸福を真なる幸福であります。
130 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 22:13:41 ID:4ytXD+u1
糞味噌はこうして混ぜられていく、という実例を見せられた思いだ。
131 :
神も仏も名無しさん :2009/03/16(月) 23:00:08 ID:KEAy3Qtt
明日、輪廻=仏法の教義説を唱えるゲストが来る予定。 よろしく。
132 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 00:10:32 ID:Hn1DWe+N
>>128 「教祖は完全で、誤りが無い」と思い込むのが、まさに宗教によるマインドコントロール、
宗教の「病理」である。
133 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 00:15:26 ID:Hn1DWe+N
>>131 いい加減で、輪廻転生に対する執着を去ったらどうかね。自分の信じる
「唯一神」を失いたくない、という意図的な執着以外には考えられない。
輪廻転生が中心思想の宗教など、無意味・無価値である。
134 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 10:31:06 ID:7Rer/evc
>>132 >認めないようなら仏陀に「アンタ駄目やね」と言って捨て置くならおk。
>口先で自灯明を掲げつつ、仏陀(仏教)ブランドに擦り寄るなら本末転倒。
135 :
初代スレ7 :2009/03/17(火) 11:23:49 ID:YbmlI9mA
>>131 wktkだなw
では、ツッコミ用のネタも兼ねて、私個人のスタンスを略記しておこう。
《「輪廻」は、仏教の【前提の一つ】ではあるが【教義】ではない》
(→ここに於いて「前提」と「教義」を分けている点を重視していただきたい。
なぜ「前提足り得ても教義足り得ないのか」を。)
《「輪廻」は、「転生」という概念・用語・言い方を含まざるを得ないが、
「転生」の語義は(仏教という枠組みにふさわしい範囲に)狭めるべきである》
面倒なので詳説はしない。好き勝手に読み解いてくれw
136 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 11:24:27 ID:Bk1rkK0X
>>128 >口先で自灯明を掲げつつ、仏陀(仏教)ブランドに擦り寄るなら本末転倒。
そんなことはない。開祖の誤りは正し、「現代でも通用する部分」があれば、
その部分のみを認めることは、むしろ「宗教の現代的あり方」であろう。さも
なければ、単なる「盲信」「原理主義」に過ぎない。
137 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 11:31:08 ID:7Rer/evc
>>136 >「現代でも通用する部分」があれば、その部分のみを認めることは
思想の中から、ある部分を流用することを否定した覚えは無いが。
>仏陀の考えは仏陀の考えとして、仏教とは別個に
>仏教から一部ネタを拝借した。
>「進歩的な考え」でも作ればいいんじゃないの。
「宗教として」支持してるわけでもない人間が、なぜ看板を背負う必要があるのか?
138 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 11:39:54 ID:Bk1rkK0X
>>137 君は、「盲信」だけが宗教だと勘違いしているのかね。尤も、心理的に
盲信に陥らざるを得ないのが、宗教の最大の「病理」なのだが。
139 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 11:46:19 ID:7Rer/evc
>>138 >君は、「盲信」だけが宗教だと勘違いしているのかね。
いや、もう一つ「辻褄合わせ」がある。大雑把に言えば「盲信」の範疇だが。
神話を「誤り」としないために、象徴的に解したりすること等がこれにあたる。
ユダヤ教徒やキリスト教徒で進化論者や地質学者をしている人はこれをやっていると言える。
140 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 12:02:11 ID:Bk1rkK0X
>>139 もともと辻褄が合っていない大昔の宗教を、辻褄合わせようとすれば、
かえって辻褄が合わなくなるだけ。
その進化論者や地質学者は、宗教の「現代に適用しない部分」は廃棄し
ようと努力している。それが、むしろ「宗教の正しいあり方」ではない
のか。
宗教の開祖は、あくまで、「当時の状況における当時の人々」に対して
説いたのである。ならば、開祖の意図を尊重するためには、常に時代の
変化と進歩に応じてアップデートして行く努力をすることが、弟子たちの
義務であるはず。さもなければ、むしろ、開祖の意図を尊重していない
ことになる。
開祖が何を説いたかではなく、開祖が現代に生きていれば何を説くか、
を考えることが必要。
141 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 12:24:32 ID:7Rer/evc
隠居は仏教を「宗教として」支持しているのか。
仏教を信じているのか?仏教徒なのか?違うだろ。
今までの流れを見るに、自灯明をすすめる態度や「空」や縁起に
「現代人から見ても妥当性がある」という「評価」をくだしているだけだ。
なら仏陀の思想のうち、この部分には共感する、と言って引用すればいいだけの話であって、
それで何の問題があるんだろう。この時点で仏陀への批判はできており、また盲信になっていないというのに。
>>140 >宗教の「現代に適用しない部分」は廃棄しようと努力している。
廃棄する部分に「聖典そのもの」は入っていない。
バチカンは進化論に妥当性を認めているが、創世記を誤りだとして否定したわけではない。
神の意思だとか、霊的ななんじゃらかんじゃらという解釈を与えてるだけ。
辻褄合わせの例が見たいならwikipediaの「聖書への批判」でも見ればいいよ。
>宗教の開祖は、あくまで、「当時の状況における当時の人々」に対して説いたのである。
(当たり前だが)ある時代に生まれた人間はその時代にしか生きられず、
また同時代の人々にしか会うことがないから結果的にそうなっているだけ。
>開祖の意図を尊重するためには、常に時代の変化と進歩に応じてアップデートして行く努力をすることが、
仏陀にとっての転生は本人にとって前提となる「事実」にあたる部分だ。「方法論」の部分ではない。
>開祖が何を説いたかではなく、開祖が現代に生きていれば何を説くか、を考えることが必要。
そこで形作られた仏陀像があくまで仮想上のものであることを自覚してるなら、それでいいと思うよ。
142 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 12:40:19 ID:7Rer/evc
これまでの話のなかで隠居が ・転生説を蒙昧なものとして否定している。が、 ・仏陀が過去に「転生(再生誕)を説いた」ことは事実として認める。 ・仏陀が説いたこととは言え、不合理な転生説は否定されるべきである。 と考えていることは明らかになった。 これから先の話として、仏陀の思想のうち、不合理なものは否定し 合理的なものを流用する(これ自体はこちらも否定してない)うえで、 そうして作った思想に「仏教」というラベルを貼るのは妥当か否か、という議論になっている。 が、これ以上のことはある事柄に対する基準の違い、 価値観の違いということになるだろう。 この件についてこちらが言うべきことは全部言ったし、 これ以上、続けても前言ったことを別の言い回しで返すだけになる。 というわけで、この議論について、こちらはこのレスをもって終わりとする。
釈迦はある人には転生はあると話し、ある人には転生は無いと話した。
どういう文脈で、どんな相手に対して言ったのか、 出典つきで書いてほしい。
145 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 14:17:51 ID:CIzMvmrL
>>142 >仏陀が過去に「転生(再生誕)を説いた」ことは事実として認める。
「説いた」というのは誤り。仏陀の死後はるか後に、弟子たちが作った「原始
仏典」に「書いてある」というだけ。「仏陀自身が説いた」という保証はゼロ
である。
>>145 >保証は
歴史のことだからねえ。
前スレでも書いたが、仏典全体にわたって様々な状況で散りばめられていることから
仏陀が転生説を否定した可能性はかなり小さいと言える。
逆に仏陀自身が説いた可能性は非常に高い。仏陀の、本人らにとっての価値を鑑みれば、
伝承が、転生説についても○か×か程度の情報で誤りが出るほど疎かなものになるとは考えにくい。
来世のディディールのそのまた細部なら誤差も十分出てくるだろうが。
アレクサンダー大王が何をしたか、とか、イエスやらソクラテスが何を説いたか、 と同じ程度には仏陀は「転生説を説いた」と言えるし、自分はその意味で 仏陀は説いた、というレスをしている。
148 :
中庸 :2009/03/17(火) 17:30:12 ID:0hDiIM3n
この世から霊界に行き、霊界からこの世に転生するかもしれない、 というあたりまでわかってきました。 あとは前世の記憶ですかね。
149 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 17:37:16 ID:EXTMb5je
>>148 この世の存在さえ認めない釈迦が、霊界の存在など認める訳がないだろうw。
150 :
中庸 :2009/03/17(火) 18:01:09 ID:0hDiIM3n
前世の記憶を考える手がかりは、 この記憶がどこで消えてしまうのかを推測することにありそうです。 霊界が夢を見ているようなものだと仮定すれば、 霊界の段階ではこの世の記憶があると言えるのかもしれません。 なぜなら夢は、記憶を材料にしているから。 ただし夢には意識がありません。 そして転生する理由は、霊界での永遠の苦しみを避けるため、 その霊の業がつきたときに、その霊に再びチャンスを与えるためです。 そして「業がつきた」ということがポイントのように思えます。
151 :
tibyaku :2009/03/17(火) 18:13:40 ID:5JC8CIJ0
前世の記憶は肉体脳の記憶とは別次元のことで、前世の記憶は心の記憶のことを 意味しています。この世の人生で経験で学んだ心の糧とか心に痛みを伴う苦しみは、 心のという所に蓄積されます。 例えば 1300年 890年前 100年前 天国 天国 天国 1000年前 600年前 現在 イラン人 アメリカ人 日本人 520年前 地獄 上記の転生輪廻を例えて上げましたが現在日本人になっている時点の前世の記憶はイラン人としての心の記憶、アメリカ人としての心の記憶が前世の記憶にあたります。 心の記憶は魂の記憶でもあります。お解りでしょうか?
152 :
tibyaku :2009/03/17(火) 18:24:04 ID:5JC8CIJ0
>>151の続き 心(魂)の記憶は心の想念帯に記憶されます。守護霊がご本人を撮影しますから 三途の川を渡ってあの世の寄り合い場所ドームみたいなところでご本人の認識に あわせて映画がいい場合は映画の上映が始まります。ご本人様の生まれて死ぬま での人生ドラマみたいに観れます。先にお亡くなりになった親戚や友人・知人・ 大切な方と一緒に鑑賞できますので、秘密や内緒など洗いざらい出てまいります。 そして人生劇場が終わった頃天国か地獄か定まります。
153 :
中庸 :2009/03/17(火) 18:28:59 ID:0hDiIM3n
>>149 竜樹の空とか聖徳太子の世間虚仮ですかね?
前世の記憶はすぐ終わります。少し待ってください、onz
「業がつきた」ということは、記憶されていたことがエネルギーを失い、
世親が語る根本種子に変換されたのではないかと思うのです。
そうすると、転生して、新しく誕生するということは、
古いアラヤ識がなくなるのではなく、古いアラヤ識が不活性化しているだけ
ということになります。そのアラヤ識に根本種子が存在します。
ではなぜ思い出さないのかと言えば、
不活性化しているからであり、それらの種子は死んでいるからです。
つまりアラヤ識とは、前世の記憶と言うより、過去世の集合死体なのです。
言うのも馬鹿馬鹿しいが証拠を持って出直しなさい
155 :
中庸 :2009/03/17(火) 18:45:08 ID:0hDiIM3n
>>151 >>152 チビャクさんには大半同意します。しかし同意できない点もあります。
前世の記憶に関する結論は、業がつきたような、
そういった記憶は無意味であり、それ以下ではないのか、
ということです。それらは不浄なものです。
156 :
中庸 :2009/03/17(火) 19:05:10 ID:0hDiIM3n
アラヤ識を過去世の集合死体とすれば、 それらを思い出さないのはまったくの当然であり、そして同時に、 前世の記憶を語るケースも想定できるのです。 前世の記憶を語るケースは、頭の配線が混乱したのではないかと。 なぜなら、前世の記憶など、まったくの無意味であり、それ以下だからです。
157 :
中庸 :2009/03/17(火) 19:23:05 ID:0hDiIM3n
ある霊の「業がつきた」とき、 なぜその霊が神のニルバーナに行かないのでしょうか? これについては、アラヤ識からエネルギーが消失しただけであり、 清浄なアートマンを、不活性化したとはいえ、不浄なアラヤ識が覆っている からだろうと思います。 付け加えれば、マナ識はアラヤ識とともに存在しています。意識は消失。
158 :
中庸 :2009/03/17(火) 19:34:20 ID:0hDiIM3n
前世の記憶があったら困るケースはいくらでもある 前世は天皇であった・・・精神病院に直行 前世はあの家の息子だった・・・関係者全員が不幸になる 前世で隣人に殺された・・・事件に発展するかも 子供が、じつは前世で親だったと言い始めた・・・げんこつもの
159 :
中庸 :2009/03/17(火) 19:58:24 ID:0hDiIM3n
>>154 以上、証拠はないけど、推理・推測に基づく仮説でした。
160 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 20:00:58 ID:7WbmyMYN
>>150 中庸は、どこのカルトか。所属カルト名を名乗れ。
tibyakuは、超カルトの幸福の科学。大川隆法は、「自称釈迦の生まれ変わり」。
釈迦は解脱したので、生まれ変わらないはずだが。大川は明らかに偽物・詐欺師
なので、即刻逮捕すべし。
161 :
中庸 :2009/03/17(火) 20:11:26 ID:0hDiIM3n
>>160 中庸と名乗るぐらいだからカルトとは100%無縁。
たしかに釈迦やイエスの生まれ変わりは信じられないですね。
釈迦やイエスを侮辱しているような気もする。
そうでないというなら解脱思想、転生思想を語るべきでしょう。
162 :
中庸 :2009/03/17(火) 20:22:40 ID:0hDiIM3n
そういえば、孔子・ソクラテス・ムハンマド・ジンギスカン・聖徳太子 の生まれ変わりを名乗る人はいなそうですね。
163 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 20:47:47 ID:+kzdF/b4
「輪廻転生」などと肯定する限り、これからも、釈迦の生まれ変わりと自称する 詐欺師は、続々と現われるぞ。見分ける方法はないのだから、否定もできない。 輪廻転生肯定論者は、どう責任を取るつもりかね。
164 :
中庸 :2009/03/17(火) 21:20:02 ID:0hDiIM3n
解脱思想、転生思想、前世の記憶、輪廻思想などを語ってくれたら、 自称かどうかが明らかになると思いますね。
165 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 21:58:03 ID:pgKUZYnC
>>164 そんなありもしないことを得々と語る者が、偽者に決まってるw。
166 :
神も仏も名無しさん :2009/03/17(火) 22:03:37 ID:pgKUZYnC
「世界を空と観ぜよ」と言った釈迦が、神・霊・前世・来世の「実在」 など口にしたら、釈迦は論理矛盾の塊と化す。
>ムハンマド いかん、危ない危ない危ない… いたらある意味、逆に尊敬してしまうかもしれない。
168 :
中庸 :2009/03/17(火) 22:14:57 ID:0hDiIM3n
わたしのは推測に基づく仮説にすぎません。 釈迦の生まれ変わりはマユツバであり、 解脱した以上、生まれ変わるはずがなかろうと。
「解脱したはずなのにまた生まれ変わっちゃったよ〜(泣)」という路線の 自称釈迦っていないの?
170 :
中庸 :2009/03/17(火) 22:32:22 ID:0hDiIM3n
>>166 この世を空とし、あの世を実在としたのだからスジが通ってません?
>>167 何の得も想像できないから逆に本当らしくて、確かに危ないですね。
171 :
中庸 :2009/03/17(火) 22:43:54 ID:0hDiIM3n
>>169 その場合はふつう、恥ずかしくて自称を控えると思うのだが・・・
173 :
131 :2009/03/17(火) 23:56:43 ID:DsAcKLIo
輪廻転生=仏教の教義説を唱えるゲストは逃亡したようだ。 輪廻転生の根拠はこのスレのテンプレだとさ。馬鹿らし・・・ 時間の無駄だった。
174 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 00:53:01 ID:tQhNP5CH
>>170 >この世を空とし、あの世を実在としたのだからスジが通ってません?
なんだね、それは。「空」とは、文字通りすべて「空」ということ。君は、
釈迦をアホ扱いしているのか。
釈迦は、すべてこの世の苦の除去を語っているのだが、あの世の苦は、すっかり
忘れていたとでもいいたいのかね。あの世に同じ苦が待っているのなら、解脱
しても無意味だろう。釈迦の教えはナンセンスな妄言ということになってしまうぞ。
175 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 06:35:34 ID:vC/WxSwy
永いこと投稿規制に巻き込まれており、 これは携帯からの投稿です(従って、あまり投稿は難しい・・)。 また、ブラヴァツキーに対する懐疑の問題、 英国心霊研究協会(SPR)の“ホジソン報告の件については、今、執筆中です。 ご意見を頂いた方は、もう暫くお待ち願います m(__)m
176 :
片岡数吉 ◆X8bUvIiQ1A :2009/03/18(水) 06:36:47 ID:Gy1Rdywa
僕のブログが 協力者の支援を持って 「神は慈愛なり」に なりました 是非ご覧下さい
177 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 06:38:58 ID:vC/WxSwy
-----議論が盛んなことは大いに結構です!! この前、ご指摘があったから『大法輪』(第76巻第4号)を20年振りに購入しました。なるほど「特集-輪 廻転生を考える」という有意義な内容になっていました。 しかし、この『【総説】輪廻転生をめぐる様々な問題と現代』(山崎 龍明著)というのは、まったく以って 今一つです。ど〜して、TV番組が取り上げる興味半分で安易な心霊主義と仏教の説く輪廻転生を同一 次元で論じるのか? この山崎教授というのは、仏教の根本理論を全く理解してないのではないかと思われてくる。 『日本仏教の歴史では、現実の事象はすべて前世の業の結果だから、あきらめなさい(断念)と説いて きました。上に立つ者にとってはまことに都合のよい理論です。業思想は過酷な現実に目を閉じさせるた めに利用されました。』(P71) お話にならない!輪廻思想は未来及び来世に対する希望を保証するものであって、人々に諦めを説く 教えではない。誤解を招きかねないので一応、言っておきましが、仮に前世の業というものが存在しない と過程したところで、現実の生まれの境涯(個人の差異)が解消するわけではなく、それは逆に、未来世 に対する可能性も摘み取るものなのです。どーして輪廻と前世の業思想が上に立つ者にとっての勝手都 合となるのか?理解に苦しむ・・。 TV番組が提供してきた心霊モノは、愚かな唯物主義という迷信の排除には大きく貢献してきましたが、 もちろん弊害があるのは分る。しかし、今の仏教界には心霊主義に対して確実に反論したり、大衆に明 確な指針を示すことすらできない状態に陥っている、ということが根本問題となっているのです。
178 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 06:41:59 ID:vC/WxSwy
この輪廻の特集に中では、最も価値在る寄稿は『ブッダの輪廻観』(宮元 啓一著)でしょう。その他、宗 派の解説などは正直いってどうでもよい。 『じつはブッダは輪廻転生思想を否定した、認めなかったとする人がかなりいます。そういう人たちの多 くは、ブッダは無我説を説いたから、というのです。 無我とは、「個体の本体である自己(サンスクリット語でアートマン、パーリ語でアッタン)が存在しない」と いうことです。一般に(例外はありますが)インドでは、自己は認識主体であると同時に、業の担い手・業の 果報の享受者、つまり輪廻転生の主体であると考えられています。ですから、自己が存在しないとする無 我説は、輪廻転生思想とは両立しないのです。 しかし、ブッダは、自己が存在しないなどとは1度も語ったことはありません。ブッダは、五蘊(心身)のい ずれも自己ではない(非我)とか、みずからの実存にまつわるすべての事象は自己ではない(諸法非我)と は語りましたが、五蘊は無我であるとか諸法は無我であるとは説きませんでした。』(P78) この基本部分は、しっかりと押さえておきたいところです。
179 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 07:01:42 ID:vC/WxSwy
私たちが、歴史上のゴータマが何を語り、 どのように生きたのかについて知ろうとする場合には、 現存する仏典の記述に拠る以外に術はないのであるから、 その仏典の記述内容を無視した意見というのは全くの論外なのです。 従って、 仏典の記述に反する主張をする人は、その根拠を提示する必要があります。 勝手にゴータマが述べた証拠はないから・・などというのは理由にならない。
180 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 08:23:16 ID:vrPlFXQb
>宝珠愚者氏へ いい加減で、君の輪廻転生に対する異常な執着を諦めたらどうかね。その 執着は、君のキリスト教的唯一神を守るための意図的なもの。仏教ではない。 そのような執着を脱することを教えているのが、仏教なのである。 仏陀は、現世における苦の滅除を説いている。来世のことなどではない。 仏陀のいう苦とは、すべて現世の肉体に関するものではないか。 仏教者間でも、これだけ賛否両論が分かれている輪廻転生は、もはや仏教の 中心思想などにはなり得ないことは明らかだろう。 キリスト教の、罪による「脅迫」と同様、輪廻転生で「脅迫」する仏教など、 如何なる意味と価値があるか。それが、世界の人々が期待している仏教か。 そんな宗教など真っ平御免である。「脅迫」は、「悪業」の最たるものである ことを、忘れてはならない。 君にとって輪廻転生がそれほど重要なら、今すぐ仏教者という看板をおろして、ヒン ドゥー教に改宗しなさい。
>>180 動機なんぞどうでもいい。
問題は言っている事が妥当かどうか、だけだ。
182 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 09:05:29 ID:vC/WxSwy
>>180 「四つの尊い真実を
如実に知らずにいた故に
長き流転の歳重ね
幾多の生を受けにしを
深き道理をさとりえて
妄執すでに断ち切れば
もはや苦悩の根は断たれ
迷いの生はさらになし」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
「弟子たちよ、輪廻はその始めを知らない。生きとし生ける者が、無明に覆われ、渇愛に縛られて、流転
し輪廻した越し方は、知ることができぬ。弟子たちよ、たとえば、ここに人があって、草や枝をとり、あなじ場
所にあつめ、指四つほどの方形に堆みあげて、これはわが母である、これはわが母の母であると、数え置
こうとするに、その人が、いまだ越し方の母を数え終わらぬうちに、この世界の草も枝も、尽き果てるであろう。
弟子たちよ、そのわけは何であろうか。輪廻はその始めを知らず、生きとし生ける者が無明に覆われ、渇
愛に縛られて、流転し輪廻した来し方は知ることができぬからである。弟子たちよ、かように、人は、長夜に
苦しみを受け、痛みを受け、失いを受けて、ただ墓所のみが増大したのである。
されば、諸行は厭うべく、厭い離れるべく、解脱すべきものであるというのである。」
(南伝相応部経典15-4/漢訳雑阿含経33-34)
183 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 09:08:31 ID:vC/WxSwy
>仏陀のいう苦とは、すべて現世の肉体に関するものではないか。 その原因をゴータマは輪廻を発動する渇愛という意識であるといっているのでする。四聖諦の真理を知ら ぬまでは流転輪廻していたのであり、その苦悩の根源たる渇愛(タンハー)によって無明に陥っていたと。 >仏教者間でも、これだけ賛否両論が分かれている輪廻転生は、 >もはや仏教の中心思想などにはなり得ないことは明らかだろう。 仏教の基本すら理解できず、愚かな唯物主義(目先だけの現象)に目が眩んでいるからです。 >そんな宗教など真っ平御免である。「脅迫」は、「悪業」の最たるものであることを、忘れてはならない。 >君にとって輪廻転生がそれほど重要なら、今すぐ仏教者という看板をおろして、 >ヒン ドゥー教に改宗しなさい。 私にとってではなく、そんなことは仏教そのものの理論が成り立たず崩壊する暴論だからです。仏教によ る強制勧誘などというものはない。「真っ平御免」大いに結構です。理解できない輩は信奉しなければいい だけのことです。 脅迫などというのはあなたの勝手な誤解です。業報輪廻を認めないということは、人が死後に何らの果 報も受けないという考えは、「100人殺した殺人鬼」も「人を救って殉教した者」も死ねば同じというメチャク チャな思想。であるから、来世を信じない者は悪事を為すともいわれるのです。
>>182 マハー・パリニッバーナ・スッタンタのほうの引用箇所を示してけろ。
185 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 09:21:36 ID:vC/WxSwy
>業報輪廻を認めないということは、人が死後に何らの果報も受けないという考えは、
>「100人殺した殺人鬼」も「人を救って殉教した者」も死ねば同じというメチャクチャな思想。であるから、
苦難に逢った人を強制的に「元・悪人」にしてしまうというムチャクチャさもある。
この後、隠居は「生は一度だからこそ命の大切さが」云々言うだろう。
転生説のほうも、悪人は人間に生まれ変われない、とか調整をすればいいんだろうが
まぁ、この場では無意味だろう。昨日以上のループが続いていくことが危惧される。
>>184 リンク先のほうも出典の引用箇所は示してないのね。信徒団体が捏造経文を載せるとは思いがたいが。
187 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 09:36:47 ID:vrPlFXQb
>>183 >であるから、来世を信じない者は悪事を為すともいわれるのです。
一度きりの生だからこそ、よりよく生きるという意欲が生じる、という考えも、
全く同様に成り立つぞ。
輪廻転生の「脅迫」による善行は、専ら、自分の輪廻を免れたいという「エゴ」
「欲望」に基づくものであり、それは善行とは対極にある悪業である。
脅かさない限り人間は善をなしえない、という君の考えは、肝心の人間を軽視
・否定するという「最大の悪業」であり、それこそ、地獄行きは確定。
すべての人間を「罪人」扱いし、「死後の裁き」で脅迫する、忌むべきキリスト教
と全く同じである。
君は、輪廻で脅かされない限り、善はなしえない人間なのか。他のすべての
人間は、生まれながらに仏性を有する。善をなしたとき、最大の喜びと満足を
感じ、悪をなした時、良心の呵責を感じるのは、一体何故だと思うか。
輪廻転生は、すべての人間の心に宿る「良心」「善意」「仏性」とは、真っ向から
対立する「悪魔の思想」である。
調べてみたところ、岩波文庫版『ブッダ最後の旅』では45ページにある。
189 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 09:40:22 ID:vC/WxSwy
>>186 >苦難に逢った人を強制的に「元・悪人」にしてしまうというムチャクチャさもある。
>
「悪人」などという短絡的なカテゴリーの押し込めが脅迫といった発想を生んでいるのです。我々、凡夫
には原因を見通す力はありませんが、生まれながらの境涯の差異の原因は前世に求めるのは当たり前
のこと。仏教的観点においては、自己に原因なくして受ける境涯というものはない。
>リンク先のほうも出典の引用箇所は示してないのね。信徒団体が捏造経文を載せるとは思いがたいが。
ほぼ同じ内容かと・・。
『時に世尊は拘利村に到りたまえり。此に世尊は拘利村に住したまへり。此に世尊は比丘等に告げて言
いたまへり、「比丘等よ、四聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。
何をか四と為すや。比丘等よ、苦聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も 汝等も久しく流転輪
廻せり。苦集聖諦を[…乃至…]苦滅聖諦を[…乃至…]順苦滅道聖諦を了悟せず通達せざるによりて此
の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。』(大品/第六薬助謫29-1)
『比丘等よ、今や苦聖諦を了悟し通達せり、苦集聖諦を了悟し通達せり、苦滅聖諦を了悟し通達せり、
有愛を断じ有索を尽くし更に後有を受けず。
四の聖諦を如実に
観ぜざるによりて
久しく処処の生に
輪廻したりき
此等の[聖諦]を観じたれば
有索を滅し
苦の根本を断ち
更に後有を受けず』(大品/第六薬助謫29-2)
190 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 09:44:09 ID:vrPlFXQb
>>187 の追加
輪廻転生は、生まれながらに善である人間の「心」「仏性」を無視し、
来世とやらの「実在」を認める、君が嫌悪する「唯物論」そのままでは
ないか。それは専ら君が信奉して止まないキリスト教の思想であり、
仏教の思想ではない。
191 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 09:47:01 ID:vC/WxSwy
>>187 >一度きりの生だからこそ、よりよく生きるという意欲が生じる、という考えも、全く同様に成り立つぞ。
それは通用しない!
この場合、「だからこそ自分は好き勝手にさせてもらう。他人の迷惑や苦悩は自分には関係がない」
とする悪鬼を制する理法がそこにはない。
192 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 09:47:58 ID:vC/WxSwy
>>187 >一度きりの生だからこそ、よりよく生きるという意欲が生じる、という考えも、全く同様に成り立つぞ。
それは通用しない!
この場合、「だからこそ自分は好き勝手にさせてもらう。他人の迷惑や苦悩は自分には関係がない」
とする悪鬼を制する理法がそこにはない。
>>189 >「悪人」などという短絡的なカテゴリーの押し込めが脅迫といった発想を生んでいるのです。
大雑把ではあっても、全く的外れとは言えまい。酷い境涯に生まれるからには
それなりの業があってのこと、というのが業報輪廻なんだろ。
ブッダ自身は、そいつは過去生で邪悪だったから見下していいよ、
などとは言ってないが、業報輪廻単体で言えば良くも悪くもどうにも解釈され得る。
良いか悪いかなんて感性や価値観の問題なんだから、これからいくらぶつけ合っても進展は無いだろう。
194 :
初代スレ7 :2009/03/18(水) 09:57:43 ID:NjZqh2LK
195 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 09:58:38 ID:vC/WxSwy
>>190 そういうのは「唯物論」とはいわない。
私はイエスも尊敬するだけであり、なにもキリスト教の信奉者ではない(寧ろ逆の批判論者である)。
あなたには、
このように基本的な定義すらもできていないから、全てメチャクチャなのでは??
「脅迫」観念という受け方はあなたの誤解です。
輪廻転生を否定するということは、
救いの可能性も全て閉ざすことになるということがまだ分らないのか!!
死んだら終わりでは、善行善果という救いも希望も、
善を成さんとする意欲までも掻き消す暴論なのですよ。
(では、また〜)
196 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 10:00:07 ID:vC/WxSwy
でした
>>195 >死んだら終わりでは、善行善果という救いも希望も、
>善を成さんとする意欲までも掻き消す暴論なのですよ。
>>187 >脅かさない限り人間は善をなしえない、という君の考えは、肝心の人間を軽視 ・否定するという「最大の悪業」であり、
>君は、輪廻で脅かされない限り、善はなしえない人間なのか。
以下ループ。
198 :
初代スレ7 :2009/03/18(水) 10:10:07 ID:NjZqh2LK
で、宝珠氏は、例によって私の指摘を悉くスルー続行、と・・・w
>>183 も
>>192 も
>>195 も、(時にはカラス氏相手の時も名無しさん相手の時もあったが)、
御隠居の対極として極論だと、(或いは「願望・希望」にその端を発している、と)何度も申し上げているのに・・・w
199 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 10:16:53 ID:vC/WxSwy
>>194 >その解釈や受け止め方を適切なものへと誘導すべきである、という意見だ。
には、特に反対する何ものありません・・。
リンクページは後でジックリ読ませて頂きます---大感謝 !!
200 :
初代スレ7 :2009/03/18(水) 10:22:40 ID:NjZqh2LK
201 :
宝珠愚者 :2009/03/18(水) 10:31:59 ID:vC/WxSwy
以前、
真言師から伝統仏教の立場から私に読むよう奨められた書籍の中から、
ポー・オー・パユットー著『仏法---テーラワーダ仏教の叡智』サンガ刊
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツオ著『智恵の眼をひらく』春秋社刊
の2冊を購入し、手元に届きました。
すぐには読めそうにありませんが、序々に拝読します。
>>200 ありがとうございます!
202 :
亭白 :2009/03/18(水) 11:43:11 ID:GNOxbh3T
>>183>>192は、宝珠愚者様の言われるとおり正理を得ています。 理解しやすくなり「やまと言葉」でありがたい限りです。 救済力が高まる力強さを感じます。 例え話しですが大学教授ともなれば大学生に小学校低学年の学ぶ内容は理解 していますから改まって小学低学年の学ぶ内容を教え大学生に教えたりはし ませんね。大学教授はあえて教えないでしょう。大学教授が言わないから小 学低学年の教えは説かなかったので「無い」とはならない。 なにを述べたいかと言いますとインドにお釈迦様がおられた時は転生輪廻 は常識でしたので、あえてお釈迦様は輪廻転生があることは熟知していまし たが仏弟子もお釈迦様から教えを受けずとも転生輪廻は常識の範疇で知って いたので余り輪廻転生の教えを説いていなかったことは言えます。 ただもう一つは仏弟子の多くの認識が地上で歩く平面的思考もあって、平面 的に考え「点から線、線から面」の考え方の展開で、なかなか立体的思考が できなかったため、転生輪廻やあの世は有ることは説いていたと思いますし、 人間仏の子仏性あり心は永遠の生命であり永遠の転生輪廻を説いていたと思 います。あの世の天国からこの世に生まれ死後あの世に旅立っていたことを 説法なされてあの世の次元構造を詳しくは説きえなかったのが実情でありま しょう。 唯物論者や無神論者が地獄へ落ちないようサポートして霊的事実をお伝えす るのに仏の教えを解りやすく噛み砕いて離乳食のような感じで与えても「こ んなもの解るか!洗脳する気か!ペテン師の話しは嘘だ!」とか暴言をはく となれば、可愛くないので暫くほっとくしかないですね。
203 :
転生 :2009/03/18(水) 12:13:39 ID:/EOc4EaL
プロティノスを読んでみよう。 「われわれ人間の魂も、その全体が感性界に沈潜しているのではなくて、 その或る部分は常に知性界にある」プロティノス全集第三巻P.338「魂の 肉体への降下について」 ここでいう知性界とは、ふつうの知性ではなくて、「叡知界」とむしろ訳す べきか、宇宙的叡知の領域というイメージで理解すべきものである。 つまりプロティノスがいう魂とは、知性界にいる部分を含む、多次元的存在 なのである。しかし一般に、魂というときは、プロティノスのいう「個霊」 (個別的霊魂)のみを指すのである。プロティノスによれば、魂は、上位では 分かれていないのである。 「個霊たちは、どうしても知性界の生活を送ったり逆に感性界の生活を 送ったりしなければならない、いわば両生類のようなものとなっているので あって、長期にわたって知性と共にいることのできる個霊たちは、それだけ ながく知性界にとどまり、自然によるか、あるいは運命によるか、その いずれかによって(知性的なものとは)相反するものをもっている個霊たちは、 それだけ長く感性界にとどまることになるのである」同P.332 多次元なる魂の、高次の部分においては、神的なるものとの一体性が あって、そこでは、完全に「個」が全体から分離しているわけではない。 プロティノスは、なぜ魂が感性界に転生することがあるのか、その理由に ついても明確に述べている。
204 :
転生 :2009/03/18(水) 12:14:49 ID:/EOc4EaL
「その魂が感性界で見たり受けたりしたことの情報(すなわち経験)を積み 重ねることによってあの知性界でのあり方がいかなるものであるかを学び、 これといわば正反対のあり方をしているものどもとの比較を通して、知性界 のよりすぐれた諸存在をいわばさらに明確に知るならば、その魂は、感性界 を脱して再び知性界へと昇っていくことができるのである。すなわち、脆弱 なる力のゆえに<劣悪なるもの>の知識を経験に先立って獲得することの できぬ人びとにとっては、劣悪なるものを経験することが、善きものをより 明確に知ることへと結びつくのである」同P.337-8 つまり、この世界に「悪」があるのは、「善」と正反対なるものの経験を通して、 「善」をよく知るためにある、という意味であろう。相反するものの経験を十分 にしたならば、それはもう用済みであって、再び知性界に帰ることになる。 また、後半部分でプロティノスが言っているのは、この<劣悪なるもの>は、 経験を通して学ばなくてもいいということだ。どうしても経験を通さなくては わからない者は、そういう経験をしなければならない、ということだ。 それはたぶんイマジネーションのようなものだろう。たとえば、「追いつめら れて人を殺してしまう」というような経験とはどういうものか、それを実際に やってみれば体験することができるが、それをしなくても、そういうことを 描いた優れた映画や小説などに接して、そういう経験をする人の気持ちに 入り込むことができれば、自分で実際にやらなくても、ある程度はどういう ものであるのかを知ることができる、というようなものである。
205 :
転生 :2009/03/18(水) 12:15:36 ID:/EOc4EaL
優れた魂は、そのように、自分の知性の内部だけで、相反するものの経験を 理解することができるので、そのために、それを実際に感性界で実行する 必要はない。プロティノスは、そういう劣悪なるものの知識を「経験に先立って 獲得することも可能であり、そうすれば転生は必要ない」と明確に述べている のである。 さて、このように、魂が多次元的であるというのは、その根源においては 永遠の世界と切れ目なくつながっているという意味であって、そういう部分を 自覚するということは、自分の本体は光の世界にあるのだ、という感覚を いだくということでもある。また、そういう光を自覚することなしに、カルマの 浄化などありえないことであろう。 転生の継起性についてプロティノスがふれているところは: 「なお、魂の犯す過ちには二通りあって、その一つは魂の降下の原因に かかわりがあり、他の一つは、魂がこの感性界に到達してから犯す悪行に かかわりがあるのである。前者の罰は、魂が感性界に降下してこうむって いることそのことにほかならず、後者の比較的軽い罰は、過去の行いを 勘案した判決に基づいて他の肉体へと沈んでいくこと、しかもすみやかに 沈んでいくことである」同P.334 ふつうの意味での輪廻について触れているのはこの引用の後者であろう。 つまり感性界にとらわれて「はまって」しまい、次々と肉体を輪廻していくと いうことだ。プロティノスの輪廻観は、いささかインド的でもあり、輪廻経験の 肯定的な意味を認めていないところはある。
以前、宝珠氏が「南方仏教ではどうなのか?」
(
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/777 )
と問うていたが、
《「日本のように、明確な、大きな、強固な形式として」「歴史的にも長い」輪廻や前世の悪業の弊害》
が見られることはないだろうが、
(奇をてらった変人のブログではあるがwww(元オウム関係者?w)、その中で
『上座部仏教の国で、お墓を見ない。なぜかというと、輪廻転生が信じられているからだ。
輪廻転生=死んだら生まれ変わるなら、別に墓は必要ない。
それとこちらの仏教徒は、カルマ(業)という考えが強い。たとえば、俺が売春婦に殺されるとする。
しかし、家族は俺のカルマだから仕方ないと復讐はしない。さっぱりと諦める。
このカルマというのは、俺が前世で行った行為。俺は前世で買春する男を殺したことがあるって考える。
前世で人殺しをした者は、現世で誰かに殺されると考える。だから、それを断ち切るために、復讐は一切しない。
戦争で殺されるこどもたちも、前世でこどもを殺していた、という例えをお坊さんがしていた。
これには、腹がたった。しかし、戦争がずっと復讐として連鎖しているのは事実だ。
この連鎖が断ち切れない限り戦争は終わらない気がする。
もしも、カルマという考えに従ったら、この復讐の連鎖は切れるかもしれない。
そう考えると、あながち、カルマや輪廻転生が悪いものではない気がした。』
ttp://osasimiichiban.blog67.fc2.com/blog-date-200610.html と述べるように、その有効性は評価できるとしても・・。)
それでも、興味深い論考を一つ挙げておこう。
忙しかったこともあるが、文章量も多く、重いテーマでもあるので、プリントアウトしたまま暫く放置していたが、
先ほど読み終えたので貼っておく。
カンボジア人の障害者観における一考察 −開発途上国におけるCBRと比較して−
平成16年度(2004年度)卒業論文 東京外国語大学外国語学部東南アジア課程カンボジア語専攻 本間 順子
ttp://www.asiadisability.com/~yuki/Theses14.html それなりに長いので、以下のページをざっくり読んでみるだけでも、このスレ的には有意義だろう。
4/32、5/32、7/32、8/32、13/32、14/32、15/32、22/32(註52,54)、
特に8/32中段、13/32中段、15/32中段は目を通して欲しい。
(※00/32は、プリントアウトした場合の32ページ中の何ページかということ。)
全くの仏教畑外の論考だが、だからこそ、逆に的確であるとも言い得るのではないだろうか。
主題的には、『仏教(宗教)云々ではなく、「障害を巡る“社会の在り方”」』がテーマなわけだが、
示唆に富む、良い論文だと思う。
208 :
初代スレ7 :2009/03/18(水) 14:36:37 ID:NjZqh2LK
勢い 35.3 か・・・。
初期に比べるとだいぶ過疎ってきたな。皆そろそろ飽きが来たか・・・w
ま、スレの主旨的には(
>>147 が端的に述べているが)答えが出てるわけだし、
「ゴータマ・ブッダ【個人が】どのように語ったか」については、推測による解釈(或いは追体験による検証)しかない。
あとは、
二次的考察として各種語義解釈、
三次的考察として、これまでの誤解・俗解の検証、修正、
四次的考察として、「輪廻」や「業」「業報」の『説き方・運用の仕方』(解説の仕方・用い方)、
といった所だろうか・・・w
「輪廻」や「業報」を、今後も前面に押し出していくなら、
三次四次の部分についての考察は避けて通れないだろう。
しかし、スレ違いには変わりないので、(その意味では、私の発言の殆どがスレ違いだったわけだが・・・w)、
このスレも終了ということでいいのかな・・・?w
209 :
机龍之介 :2009/03/18(水) 14:53:06 ID:varIb929
>>44 >机氏の場合、道徳や倫理はどこから出てくるのだろうか?
>世渡りのための見せ掛け? そこを机氏に聞いてみたい気がする。
世渡りの見せ掛けでは全くないですね。
道徳や倫理観というのは、社会通念上や社会規範をデータベースとしている訳ではない。
(これは、仏教徒と非仏教徒の大いなる違いであろう)
ではどういうふうに違うのか?
それは蓄積されたデータベースをいったん廃棄してしまうのです。
(正法眼蔵における、身心脱落、即心即仏、円相の位相。の部分です)
世の中がどんなに不条理であろうとも、その延長線で考えることはなく、
その全てを白紙の状態にする。→(一切皆苦ですね)
人間の思考には限界がある。ってことです。
(これは輪廻転生論においても言えることです)
現在、拙者は投稿規制に引っ掛かってる状態で詳しくは書けませんが、
今後こういった仏教の核心部分は、あえて書いていこうと思っている次第です。
乞う期待あれ。
#、この書込みは代行レスです。
210 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 16:45:41 ID:XW++tPM4
輪廻転生肯定論者がここまで必死になっているのは、結局、無我を排除し、 アートマンを認めたいからである。なぜなら、無我であれば、唯一人格神 もイエスも吹っ飛んでしまうからである。言うなれば、一神教による仏教の 解体である。「空(縁起・関係性)の原理」がなくなれば、仏教はもはや仏教 ではなくなる。一神教と仏教との「宗教戦争」である。 宝珠愚者氏が「絶賛する」宮元啓一氏は、「大法輪」の「輪廻転生特集号」で 次のように述べている(宮元氏は、国学院大学教授だから、神道の影響もある と思われる)。 「仏陀は徹底的な経験論者でしたから、経験的に知ることのできない事象を 出発点とするいわゆる形而上学的な議論をよしとしませんでした。ヤージュニャ ヴァルキャ以来、自己は認識主体であるがゆえに認識対象たりえない、つまり 経験的に知りえない存在だということは、学識のあるインド人には常識だったの です。ですから、仏陀は、経験的に知ることのできない自己を主題とした議論を 展開しなかったのです。自己は存在しないとする理論的な無我説が登場する最初 の文献は、『ミリンダ王の問い』で、仏陀入滅から300年も経ってからの ことでした。」 しかし、宮元氏のこの見解は、「仏陀は徹底的な経験論者」「自己は自己を 知りえない(自分探しの無意味さ)」と説く点では正しいが、他の点では 矛盾していると思う。即ち、 1.仏陀が徹底的な経験論者なら、「輪廻転生」「神や霊」は経験不能である。 2.仏陀は諸法非我は語ったが、五蘊は無我であるとか諸法は無我であるとは 説いていない、というが、五蘊や諸法を「自己」から切り離すことはできない。 従って、非我を説いたのは、無我を説いたことになる。非我と無我とをこのように 区別するのは、それこそ形而上学的である。 結局、「アートマン自体が、万物との関係内存在であり、従って無自性」という 理論構成以外には、仏教の「空の原理」を護る方法はないであろう。
211 :
中庸 :2009/03/18(水) 17:43:23 ID:IQDRpD64
>>209 了解しました。規制中なのに乙です。
>>210 ご隠居はいつも元気でなにより。
しかし空の体験がないのに空の原理を守ろうというわけですか?
212 :
中庸 :2009/03/18(水) 17:51:44 ID:IQDRpD64
宝珠さんは、六道輪廻を主張しているのか、それともカーストのような この世の幸不幸を前世の業で理解したいのか、どっちでしょう? 答えは規制がなくなってからでかまいません。
213 :
中庸 :2009/03/18(水) 18:03:20 ID:IQDRpD64
チビャクさんは、悟りや解脱とは何かをぜひ語ってください。 逃げていたら信用を失うと思いますよ。お願いします。 天命さんは本の引用ではなく自分の言葉で語ってください。
214 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 18:27:08 ID:WVpGxwWQ
>>211 >しかし空の体験がないのに空の原理を守ろうというわけですか?
空とは、体験したり、悟ったりするものではなく、むしろ、高度の知性を以って
理解すべき、知的体系である。現実界の徹底的観察とそれに基づく理性的思索
なしには、理解は不可能。
215 :
中庸 :2009/03/18(水) 18:34:25 ID:IQDRpD64
>>214 空とは言葉のやむところ、戯論のやむところ、不立文字です。
ご隠居はその正反対を向いています。
216 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/18(水) 18:34:36 ID:WqT7rRCG
>214 (^。^;)君もバカなんですね♪(笑)
217 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 18:52:13 ID:WVpGxwWQ
>>215 空や仏教を「神秘体験」だと誤解してはならない。それらは、宗教などという
チンケなものではなく、西洋人が何人も思い至らなかった「大哲学」である。
218 :
初代スレ7 :2009/03/18(水) 18:58:37 ID:NjZqh2LK
しかし、どうしてこう“ねらー”には「空」好きが多いかなぁ・・・w 「空」の何が、彼らを惹き付けるんだろう? これはこれで面白いテーマかもしれんwwwww
219 :
中庸 :2009/03/18(水) 19:10:14 ID:IQDRpD64
>>217 そう思うならそれでいいのですが、
空を知るために瞑想(坐禅)をやったらどうでしょう。
経験しないことには、空の味がわからないでしょう?
釈迦も瞑想によって悟りを得ています。
220 :
中庸 :2009/03/18(水) 19:14:23 ID:IQDRpD64
>>218 空は悟りの第一歩、悟りの入り口だからだと思います。
>>218 空を虚無としか理解できない馬鹿とは違うからだよ。
222 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 19:27:21 ID:WVpGxwWQ
>>219 御釈迦さんは、単に無念無想で瞑想したのではなく、相当考え抜いたはずだよ。
さもなければ、複雑な事象から、あれほどの原理を発見できたはずがない。
現実界の徹底的観察によって、初めて可能なことだと思う。
「縁起・空・関係性」の原理は、社会及び自然科学のすべての分野に適用が
可能である。
223 :
中庸 :2009/03/18(水) 19:28:31 ID:IQDRpD64
>>218 創世記に善悪を知る木の話がありますが、
空はこの善悪を相対化して実体がないものにしてしまう。
空と創世記の話は関連しているように思います。
224 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 19:34:38 ID:WVpGxwWQ
>>223 創世記は、「人間が自然状態を離れて神のようになり、善悪の観念を
持つこと」を「原罪」であると喝破している。これも、物凄い真理。
イエスは、原罪の権化ということになる。
むしろ、善悪をはかる基準を無くすことが 無自性空といえようか。 自分の視点でもなく、 他人の視点でもなく、 宇宙人の視点でもなく、 犬の視点でもなく、 地球の視点でもなく、 なんの視点でもないもの、これを仏眼といえようか。
226 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 19:38:04 ID:kLswP/cE
「キリスト教の歴史」 邪教だからぶっ殺せ!(十字軍の遠征) 自分がやられないためには他人に罪をかぶせろ!(魔女狩り) 土人はクリスチャンじゃないからぶっ殺せ!(南米はじめ後進国を陵辱) ベトナム戦争はフランス人宣教師から始まったのを知っていますか? キリスト教の歴史は血まみれの殺戮の歴史。 右のほおを打たれたら、相手の息の根の止まるまで殴り続けるのがキリスト教の本質だ。 歴史を勉強しましょう。侵略の先兵は必ず宣教師だったことを。 (いまのアメリカはどうです?ピューリタンの国は戦争したくてしかたがありません) 日本がザビエルなどの言う事を信じなかったからこそ、今の日本がある。 キリスト教を受け入れなかった祖先に感謝します。
227 :
中庸 :2009/03/18(水) 19:38:45 ID:IQDRpD64
>>222 解説書で眺めただけですが、天台教学や華厳教学は、
ご隠居の好みに合うのではないかと思われます。
不立文字というのに、自分から袋小路に迷い込んだ趣味人・・・。
228 :
中庸 :2009/03/18(水) 20:23:17 ID:IQDRpD64
>>227 昔からご隠居のように考える人々が大勢いたということですね。
229 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 20:58:06 ID:gQwODrqx
>>225 「善悪」とは、共同体における人間の共生のための、技術的概念。
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
宗教は、善悪を説くが、善悪を定義できた宗教は「皆無」である。
230 :
中庸 :2009/03/18(水) 21:08:08 ID:IQDRpD64
前世の記憶を言い当てる「自称霊能者」は本物か? アラヤ識に過去生の記憶が蓄積されている。 これらは、業がつき、エネルギーを失った根本種子である。 これら根本種子は、集合死体のようなものであり、活性化することはない。 つまり過去生の記憶が心に浮かんで来ることはありえない。 このことからつぎのことが結論できる。 「自称霊能力者」が他人の過去生を言い当てることは100%不可能である。 それよりも、たとえば数字などを思い浮かべてもらい、 それを言い当てるほうがはるかに簡単である。 しかし「自称霊能者」にはそれさえもできないだろう。 心に浮かべていることも言い当てられないのに、 心に浮かんでもいない過去生をどうして言い当てられるだろうか。
231 :
神も仏も名無しさん :2009/03/18(水) 23:06:24 ID:bsYEu/b2
日本においては、「仏教」が最後のマルキスト(唯物論者)の砦である。死守せよ。
232 :
宝珠愚者 :2009/03/19(木) 07:31:57 ID:feZDDFJi
はぁ〜 大規模な投稿規制のせいで面倒なことになってる。
PCで打った文章をメールで携帯に飛ばしてコピー投稿、というハメになってるw
これはいつ解除されるのかな??
>>206 >しかし、戦争がずっと復讐として連鎖しているのは事実だ。
>この連鎖が断ち切れない限り戦争は終わらない気がする。
>もしも、カルマという考えに従ったら、この復讐の連鎖は切れるかもしれない。
>そう考えると、あながち、カルマや輪廻転生が悪いものではない気がした。
すべての原因を自分自身に求める限り、
「復讐」や「戦争」などは皆無であり、起こりようがないのです。
起因を自己に求めるということは、
「悪を為さず善を成す」という姿勢と意識を育むということを意味するのです。
いずれはその結果として、悪果悪報という非業もみないで済むようになる。
233 :
中庸 :2009/03/19(木) 07:33:29 ID:Zkx5Iree
>>227 :中庸:2009/03/18(水) 19:38:45 ID:IQDRpD64
>>222 >不立文字というのに、自分から袋小路に迷い込んだ趣味人・・・。
これは意味がはっきりしなかったですね。失礼しました。
自分から袋小路に迷い込んだ趣味人・・・とは、ひどく煩瑣な教学を作り、
それらにのめりこみ、病膏肓に入るといった類の人々です。
空の境地は不立文字だから、その視点からはそう見えるということです。
234 :
宝珠愚者 :2009/03/19(木) 07:44:06 ID:feZDDFJi
>>210 >なぜなら、無我であれば、唯一人格神もイエスも吹っ飛んでしまうからである。
>言うなれば、一神教による仏教の解体である。
>「空(縁起・関係性)の原理」がなくなれば、仏教はもはや仏教ではなくなる。
>一神教と仏教との「宗教戦争」である。
あまりにメチャクチャのデタラメなので全面的に反論します!一神教とかイエスの話などはしていない。
話を誤魔化すのは止めましょうよ。「空」というのは古代インド思想の観点からは「実在」といえるものは
何もない、という現象界の森羅万象の性質を示すものであって、これが流転変滅を繰り返している実態
を指摘した教えなのです。人間存在においては輪廻転生がこれに該当するのです(即ち、肉体を纏った
り失ったりを繰り返している)。「空」と「輪廻」は矛盾しないし、寧ろ空の性質を現している現象なのです。
235 :
宝珠愚者 :2009/03/19(木) 07:50:10 ID:feZDDFJi
>1.仏陀が徹底的な経験論者なら、「輪廻転生」「神や霊」は経験不能である。 仏陀が経験論者であったこととも全く矛盾しません。ゴータマは「仏陀」存在であり、常人(物質次元の 現象しか把握できないレベル)ではありません。ゴータマは仏陀としての超常的な大いなる能力によって、 輪廻(転生)の現象を体感して確認しました。その上で語っているのです。誤解しないようにしましょう!
236 :
宝珠愚者 :2009/03/19(木) 07:52:11 ID:feZDDFJi
>2.五蘊や諸法を「自己」から切り離すことはできない。従って、非我を説いたのは、 > >無我を説いたことになる。非我と無我とをこのように区別するのは、それこそ形而上学的である。 全然、違います。この場合の「自己」とは自己存在に実在している「本質」(本性)のことです。《五蘊や諸 法を「自己」から切り離すことはできない》というその部分とは、ただの物質界で感知できる範囲に限定し た話に過ぎません。「アートマン(真実の自己)はそれら(諸法/五蘊)ではない」(非我)と述べたのです。 「アートマンは存在しない」(無我)などと述べた経文は存在しません。 それから誤解してるようですが、形而上学の全てを語らなかったわけではありません。アートマン性質に ついての解説はしなかったが、「それら(五蘊)はアートマンではない」「アートマンではないものを自己と同 一視することなかれ」程度のことは明確に述べており、これは重要なことと見えて繰り返し経で説かれてい る部分です。何故なら、自己の苦悩の原因は、「自己(アートマン)でないものを自己のものとして固執する」 ところから起きている、と指摘しているからです。
237 :
宝珠愚者 :2009/03/19(木) 08:08:45 ID:feZDDFJi
>>212 カーストという差別についてはゴータマは真っ向から否定したのです。
これは誤解を生むので、どうか宜しくお願いします。
私が主張していることは、もちろん前世の業による今生の境涯の差異です。
人間の生まれ変わりの繰り返しを述べています。
238 :
神も仏も名無しさん :2009/03/19(木) 17:00:51 ID:as6QXYaC
>>236 > 全然、違います。この場合の「自己」とは自己存在に実在している
>「本質」(本性)のことです。
自己が自己の本質など、知ることは不可能。認識主体と認識対象とが同一なのだから、
認識は最初から成立せず、ナンセンスで不可能。
>《五蘊や諸法を「自己」から切り離すことはできない》というその部分とは、
>ただの物質界で感知できる範囲に限定し た話に過ぎません。
釈迦は、「自己から切り離された物質界」などと認めたのか。ならば彼は、極
め付きの「唯物論者」である。
>「アートマン(真実の自己)はそれら(諸法/五蘊)ではない」(非我)と述
>べたのです。「アートマンは存在しない」(無我)などと述べた経文は存在
>しません。
経文が存在しようとしまいと、自己から発する諸法/五蘊を否定している以上、
自己も否定しているとするのが、当然の解釈。肝心の自己(エゴ・煩悩の源)を
否定しないでは、「空」などありえない。
>>237 > 私が主張していることは、もちろん前世の業による今生の境涯の差異です。
完全に経験主義に反する。
> 肝心の自己(エゴ・煩悩の源)を > 否定しないでは、「空」などありえない。 煩悩の源を否定しているのだから、煩悩自体を否定していると考えるのが当然。 よって欲望などの煩悩を制御したりする必要なども無いと考えるのが当然。 よって、何もしなくてもいいし、やりたい放題やっても問題ない?
>>239 好きにすればいいよ。
報いを受けるのは君だから。
縁起の勉強になっていいんじゃない?
241 :
中庸 :2009/03/19(木) 18:28:23 ID:0GIpDahV
>>238 >自己が自己の本質など、知ることは不可能。認識主体と認識対象とが同一なのだから、
>認識は最初から成立せず、ナンセンスで不可能。
反省は自己が自己を振り返ることです。不可能ではなく可能です。
242 :
中庸 :2009/03/19(木) 18:53:23 ID:0GIpDahV
>>237 >私が主張していることは、もちろん前世の業による今生の境涯の差異です。
>人間の生まれ変わりの繰り返しを述べています。
境涯とは人が置かれている立場や地位のことです。
境涯はカーストを含む言葉のように思いますがどうでしょうか?
たとえば障害・貧困・病気・災難などは境涯に含まれますか?
人生万事塞翁が馬。 何が良いことで何が悪かっただなんて、 結論は簡単には出ないもんだよ。 色々複雑な要素、外因などを考慮する必要が あるから、縁起であり、空なんだ。
244 :
宝珠愚者 :2009/03/19(木) 19:04:17 ID:feZDDFJi
>>238 >自己が自己の本質など、知ることは不可能。認識主体と認識対象とが同一なのだから、
>
>認識は最初から成立せず、ナンセンスで不可能。
その五蘊を超えた真実の自己を知る日がくることをゴータマは教えたのです。
あなたは唯物論だから理解不能なのです。仏教ではそれが可能!
>釈迦は、「自己から切り離された物質界」などと認めたのか。ならば彼は、極め付きの「唯物論者」である。
はぃ明確に宣言しました!だから経典を読んで下さい。
>経文が存在しようとしまいと、自己から発する諸法/五蘊を否定している以上、自己も否定していると
>するのが、当然の解釈。肝心の自己(エゴ・煩悩の源)を否定しないでは、「空」などありえない。
五蘊が自己(真実の)であるとすると「空」ではなくなる(笑)。
あなたの大好きな「空」理論は崩壊します。
経典から根拠を提示しますか?
まっ、してもあなたはいつもの如く、
「本当にゴータマがいったかどうは確認できない」などと煙に巻いて逃げるだけw
この問題はシャンカラとマハルシでFAですよ。 わかる人だけにわかるように出来てるから
246 :
神も仏も名無しさん :2009/03/19(木) 23:26:15 ID:Ams3/0Bn
>>244 >その五蘊を超えた真実の自己を知る日がくることをゴータマは教えたのです。
その「真実の自己」を知ろうとしているのは、「もう一人の自己」、その「もう
一人の自己」を知ろうとしているのは「更にもう一人の自己」と永遠に連続し、
どこまで言っても主観を免れることはできない。「合わせ鏡」の鏡像と同じ。
>五蘊が自己(真実の)であるとすると「空」ではなくなる(笑)。
>あなたの大好きな「空」理論は崩壊します。
だから、アートマンを否定しない限り、「空」などあり得ないと言っている。
釈迦は、苦を除滅するため、自己を含めすべてを「空」と観ぜよ、と教えたわけ
だが、それよりも、苦や欲望を「生きていることの証」として感謝して受け入
れたほうが、かえって、苦や欲望のほうが逃げて行き、一方、他者の苦や欲望も
理解できるようになり、勝手なことは出来なくなるから、釈迦の方法よりも
ベターだと思う。
なお、アートマンを認めても、そのアートマン自体が万物との関係の中にのみ
存在し得ることを悟れば、アートマンは、空・無自性となる。
247 :
神も仏も名無しさん :2009/03/19(木) 23:35:01 ID:Ams3/0Bn
「空」は、仏教のすべての宗派に共通する「仏教の中心思想」。「空」 を否定したら、仏教は、バラモン教に逆戻りするだけ。
>>246 > 釈迦は、苦を除滅するため、自己を含めすべてを「空」と観ぜよ、と教えたわけ
> だが、それよりも、苦や欲望を「生きていることの証」として感謝して受け入
> れたほうが、かえって、苦や欲望のほうが逃げて行き、一方、他者の苦や欲望も
> 理解できるようになり、勝手なことは出来なくなるから、釈迦の方法よりも
> ベターだと思う。
そもそも苦も欲望も空なのに、何故感謝して受入れるとかいう「宗教的」なことを云うんですか?
別に何してたって空なんじゃないんですか?
自ずと感謝したくなった時に感謝するならともかく、
「生きていることの証として」なんて無理矢理、感謝の気持ちを感じようとしたって
人工的な感情でしかないでしょ。
ベターな「方法」に従った感情なんてニセモノだと思いませんか?
249 :
神も仏も名無しさん :2009/03/19(木) 23:57:12 ID:BHimWLPN
仏教から神秘は排除されなければならない。 唯物論者や無神論者の避難所を奪わないでくれ。
中国や北朝鮮へ行けばよかろう?
まあ、自分で証明できない事をベラベラ話す人間を信用するのは 愚かしいがな。
252 :
初代スレ7 :2009/03/20(金) 00:31:33 ID:Ry326WzV
・本来一体である「認識(という行為)」と「主体(認識する者)」とを切り離す。 ・メタな視線。 ・「行為のみ(の存在)」という在り方。 これらを認め得るかどうかが、仏教に頷けるかどうかの分水嶺かもしれない・・・。
253 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 00:40:42 ID:m+WADNLV
仏教こそはヒンヅーからマルクス史観的に進化を遂げたのである。科学的進歩的知識人の常識であるそ。
時代はソフトウェアだよ。 情報がたくさん入った商品以外はたいして儲からない。 唯物は時代遅れ。
255 :
初代スレ7 :2009/03/20(金) 01:00:46 ID:Ry326WzV
>>254 ソフトウェアのみが、どうやって存在し、どうやって干渉するんだろうね?w
おやすみ ノシ
256 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 02:09:49 ID:O7k48G+m
>>248 >そもそも苦も欲望も空なのに
釈迦は、その苦や欲望という「身体関連不都合」を自ら痛感したあまり、それら
を除去するための「方法」として、空を唱えたのだよ。順序を間違えてはならない。
>人工的な感情でしかないでしょ。
実際に存在する苦や欲望を、「空」という「観念」で誤魔化すほうが、よほど
人工的。
257 :
中庸 :2009/03/20(金) 05:42:20 ID:993tyUK1
死と霊界と転生についての推測 まず「意識」からスタートしよう。 1 人の「意識」は懐中電灯のようなものである。 2 人は「意識」を集中することで、「無意識」という暗い書庫に入る。 3 そして懐中電灯の光を頼りに必要な「本」を探し出す。 4 その「本」から過去の記憶をよみがえらし利用する。 人には、この世に生きている間だけ、「意識」がある。 肉体の死・・・死ぬとこの「意識」を失う。
258 :
中庸 :2009/03/20(金) 06:04:37 ID:993tyUK1
霊界は「無意識」の世界である。 1 霊界はたとえれば夢のようなものである。 2 人はここで霊体として生活する。 3 霊界は夢のようなものであり霊体には視覚がある。 他の感覚(聴覚・嗅覚・味覚・触覚)もありそうである。 無意識は、「マナ識」と「アラヤ識」からなる。 「マナ識」は「アラヤ識」を自分だと思ってこれに愛着する。 「アラヤ識」は過去生の集合死体である。 人には、霊界で生きている間だけ、「マナ識」がある。 霊体の死・・・霊体が死ぬと「マナ識」を失う。
>>254 「のみ」を入れる議論の愚かさに気づきなさい。
261 :
中庸 :2009/03/20(金) 06:17:12 ID:993tyUK1
霊界から転生へ・・・この世に再び誕生する。 1 前世から継続しているのは「アラヤ識」である。 2 この世に誕生した後に、新しい「マナ識」が形成される。 3 さらにその後に、新しい「意識」が形成される。 こういった事情から、古い「アラヤ識」と、 新しい「マナ識」および「意識」との間には、超えがたい断絶がある。 そのために通常、過去生を思い出すことはない。
262 :
中庸 :2009/03/20(金) 06:24:33 ID:993tyUK1
死と霊界と転生を流れる普遍的もの 1 ひとつは「アラヤ識」 これがいわゆるアカシックレコードかもしれない。 2 もうひとつは「魂」であるアートマン これはアカシックレコードよりも高次元だろうと思う。
263 :
中庸 :2009/03/20(金) 06:34:59 ID:993tyUK1
以上、推測である。これらのことからさらに妄想すれば、 霊界についての興味深い結論が出てくる。それについてはまたいづれ。
264 :
宝珠愚者 :2009/03/20(金) 07:01:05 ID:HntOWMpk
>>246 >その「真実の自己」を知ろうとしているのは、「もう一人の自己」、
>その「もう一人の自己」を知ろうとしているのは「更にもう一人の自己」と永遠に連続し、
永遠には繰り返しません。アートマンではない五蘊という自己(肉体次元及び表層意識)とアートマンの
二つがあるだけであり、意識の焦点の移行の問題なのです。意識の焦点が五蘊に置かれているか、アー
トマンであるかのいずれかです。
>だから、アートマンを否定しない限り、「空」などあり得ないと言っている。
あなたが否定するのは勝手です。しかし、ゴータマは否定などしていない。「アートマンは無い」とはいった
ことがない。「五蘊のいずれもアートマンではないから、アートマンではないものを自己と同一視するな」と、
繰り返し教えたのです。アートマンはあらゆる相対的な性質では捉えられるものではない。
「比丘たちよ、眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である。すべ
て無我なるものは『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』と、この
ように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。比丘たちよ、耳について言うも同じであ
る。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言うも同じであり、また、意につ
いて言うも同じである。」(サンユッタニカーヤ35-1)
>>247 >「空」は、仏教のすべての宗派に共通する「仏教の中心思想」。
>「空」を否定したら、仏教は、バラモン教に逆戻りするだけ。
「空」とは、森羅万象の一切は「無常」の性質であるという意味です。無常だから「輪廻」してるのです!
無常と輪廻も同義語です。バラモン教などに逆戻りなどしません。仏教は輪廻の性質を更に詳しく見た
のであり、それを「空」と一語で看破したのです。
「空」が好きな割りには何も理解していない・・w
265 :
宝珠愚者 :2009/03/20(金) 07:12:15 ID:HntOWMpk
>>238 >完全に経験主義に反する。
「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
バラモンの行者たちが聖典の記述をただそのまま信奉しているのとは異なり、ゴータマの場合は己れの
大いなる超常的能力でそれを如実に見、体感した上で述べているのです。従ってそれは、空想や想像、聖
典の記述の鵜呑みなどとは違います。
全て、ゴータマの直知体験に拠るものであり、経験主義に反しない!
266 :
宝珠愚者 :2009/03/20(金) 07:45:52 ID:HntOWMpk
ゴータマを罵倒したり、仏教を否定するのは全くのご自由。しかし、これこれかしこが正しいゴータマの 教えであると主張するのであれば、それは経典からその部分の根拠を提示した上で解説願います。それ ができないものは仏教とはいえない。 仏教は経典を唯一の拠り所とするのです。それ以上のものでも、それ以下でもない。
267 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 09:24:48 ID:WSU7qzVE
>>266 > 仏教は経典を唯一の拠り所とするのです。それ以上のものでも、それ以下
>でもない。
時代も異なる大昔の経典を盲信するのは、カルトであり、原理主義に過ぎない。
釈迦が何を言ったか、ではなく、釈迦が、現代に生きていれば何を言うか、を
常に考えることが必要。それに、経典が釈迦自身の言葉であるという保証は、皆無
である。
釈迦は、超能力者などではなく、冷厳な合理主義者、無神論者、唯物論者、科
学者である。
268 :
宝珠愚者 :2009/03/20(金) 09:53:40 ID:HntOWMpk
>>267 >時代も異なる大昔の経典を盲信するのは、カルトであり、原理主義に過ぎない。
妄信ではなく、内容が論理的で整合性が取れているので納得できるからです。あなたが仏典の内容を
信用しないのは勝手です。ですから、他の人々については、それぞれ当人たちに判断を任せるべきです。
あなたのような見解を支持するか否かは、その方々が自分自身で決めるからです。
>釈迦が何を言ったか、ではなく、釈迦が、現代に生きていれば何を言うか、を常に考えることが必要。
「森羅万象のメカニズムは、如来の出現の如何に関わらず定まっている」と経典が説く通りです。古代人
だけが輪廻しており、現代人は輪廻しないなどという道理はない。時代も場所も問わない。ゴータマが現代
にいれば、現代の言葉で語り、その出現地域に合わせた教え方をするのは当然のことです。ただし、唯物
論者に合わせて主張を撤回するということは在り得ない。断滅論(死後に意識は存続しない)は最もゴータ
マが戒めた最悪の思想です。
>それに、経典が釈迦自身の言葉であるという保証は、皆無である。
別に誰でもいい。その語られている内容が真理であればいい。ゴータマでもコータロウでも構わない。経
典の記述の内容を受け入れ、信奉するのです。
>釈迦は、超能力者などではなく、冷厳な合理主義者、無神論者、唯物論者、科学者である。
では経典の中からその根拠を提示して下さい!そうでないから、ただのあなたの妄想に過ぎません。こち
ら側はゴータマが超常能力者で、唯物論の否定者であった根拠をいつでも提示できます!!
269 :
宝珠愚者 :2009/03/20(金) 10:02:05 ID:HntOWMpk
あなたの行為(投稿)そのものは、 益々、あなたの理想からみて不利な方向へと働くだけです。 つまり、あなたの意見には何らの根拠もない。 ただのあなたの妄想と願望の連呼でしかないからです、 そのことが、閲覧者の皆さんにより鮮明となるだけのこと。
270 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 10:10:14 ID:WSU7qzVE
>>264 アートマン(生命)は、身体に宿る。五蘊や無常の認識はすべてアートマンの
機能であり、アートマンそのものであるので、五蘊を否定しながらアートマン
を肯定するのは、理論的に無理。
身体が死ねば、原子に分解し、五蘊や無常の認識の機能は消失する。即ち、
アートマンは消滅する。輪廻は、身体の生存中、即ち、アートマンの存続中
だけである。死後の輪廻転生は、少なくとも現代の科学水準においてはあり
得ない。あるとすれば、原子の自然界における循環だけだが、原子は、思考
認識能力は有しないので、アートマン(生命)とは言えない。
271 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 10:17:55 ID:WSU7qzVE
>>268 君が死ねば、そのような書き込みも一切できなくなるという事実だけで、充分
だろう。
>>256 > 釈迦は、その苦や欲望という「身体関連不都合」を自ら痛感したあまり、それら
> を除去するための「方法」として、空を唱えたのだよ。順序を間違えてはならない
そんなのあなたの思いこみじゃないの?
そもそも釈迦の直筆とか残ってないんでしょ?
妄想は気持ち悪いからやめなよ。
> >人工的な感情でしかないでしょ。
> 実際に存在する苦や欲望を、「空」という「観念」で誤魔化すほうが、よほど
> 人工的。
なにそれ?空で誤魔化してるってことはホントは空じゃなくて「ある」んじゃん?
空とかって概念自体無意味ってことだと思わない?
いや、無意味というよりむしろ有害じゃんか。
なにが縁起だよバカバカしくね?
何のために空とかいってるんだよ。
273 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 10:51:11 ID:WSU7qzVE
>>258 >霊界は「無意識」の世界である。
無意識を意識したら、もはや無意識ではない。言ってることが矛盾している。
生命を以って、生命のない世界を語ることはナンセンス。生命による認識や概念
や思考は、一切通用しない世界なのだから。
>>273 あなたの図式だと、意識と無意識は二律背反だけど、
本当は意識の領域、無意識の領域、意識と無意識が重なり合う領域というのがあるんじゃね?
もしあなたの図式が正しいのであれば、夢は認識した時点で夢じゃなく意識した内容ということになるけど、
こういう夢を見たといっている時の夢の内容は、意識に残っている領域ではあるけど、やっぱり夢の話でしかないよ。
275 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 10:58:03 ID:WSU7qzVE
>>272 >空とかって概念自体無意味ってことだと思わない?
縁起(空)とは、「個は、他との関連においてのみ存在し得る」という関係性
の原理である。現代の世界において、人間の共生のために「最も必要」な概念。
>>275 「最も必要な概念」?ハァ?
あんた自身が、「空という「観念」で誤魔化すほうが、よほど人工的。」とハッキリ明言してるじゃないか。
空なんて有害無益だろ。
誤魔化しのどの辺が有益だって? もっと現実見ろよ。
277 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 11:07:48 ID:8ZkxpEtB
内容:
>>274 だから、無意識を「意識的に」語るのはナンセンスだといっている。
夢は、睡眠時における脳細胞の混乱による。やはり、すべて、一度経験
意識したことが現われるようだね。「神様」を夢に見たという話は聞か
ないw。
>>277 説明になってないし。
説明できないからただ言い張ってるだけですか?
あと神様を夢に見たという話はよく聞くよ。
明恵上人とかだってよく神様を夢に見てたし。
一体、どれだけ情報弱者なんだよ。
279 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 11:12:57 ID:WSU7qzVE
>>278 そもそも、僧侶が、「仏様」ではなく、「神様」などと言う言葉を
使うのか。そんな僧侶がいれば、檀家からは即刻クビである。
>>279 日本は神仏習合なの。まったくしょうがねぇなぁ。
弁天様や、七福神まつってるお寺なんていくらでもあんだろうが。
神社だって普賢菩薩のお守り売ってたりするぞ。
そんなんでクビとかいってんのはオマエだけ。
恥ずかしいからもう黙ってろよ。
なんか、神と仏にやたら区別つけたがる人って、アレな人が多いよね。。
282 :
初代スレ7 :2009/03/20(金) 13:01:29 ID:Ry326WzV
>>259-260 >>254 が、「のみ」に偏っていないことは解ります。
他の方への牽制として茶々入れしただけです。気に障ったならすみません。
(このスレには“心霊大好きっ子”はいないので、牽制の意味はあまりないのかもしれんが・・w)
また、(対話の構図上、或いは唯物論批判・唯物論的アプローチ批判に於いて)、
「のみ」に捉われた発言は転生肯定側の方が多いし、先に言いだすことも多いような気がしますが・・・w
(→類似した、短絡的断定の《「死後世界が無いこと」と「自殺・享楽・刹那主義」との直結議論》も飽き飽きですw)
283 :
初代スレ7 :2009/03/20(金) 13:02:55 ID:Ry326WzV
>>264 > >その「真実の自己」を知ろうとしているのは、「もう一人の自己」、
> >その「もう一人の自己」を知ろうとしているのは「更にもう一人の自己」と永遠に連続し、
> 永遠には繰り返しません。・・・・・・のいずれかです。
この件で彼が言わんとしていることは、
「認識に於いて超越者(→【超越的視点】)を認め得るかどうか」ということだよ。 (違うかな?www)
眼球やカメラの例がよく出されるが、「視線の原点は、自らを見ることができるのか」ということだ。
(これは、「客観はあり得るのか?」ということとも一部リンクする。
「全ては主観を通過せずにはあり得ないのではないか?」と。)
また、
たとえ肉体(色)を別にして、魂なり何なりスピリチュアルな認識主体を想定したとしても生じ得る構図だ。
「何事かを見、見做し、認識し、“このようである”と知る時、それは、そこに【そのように知る者(見る者)】が想定されてしまう」
ということだ。
肉体を持つ一般的人間存在だろうが心だろうが霊魂だろうが霊体だろうがアートマンだろうがエネルギー体であろうが関係ない。
「見る・知る」という(行為の持つ)根本的仕組み(システム?)に潜むブラックホールだ。
以前、田上氏の若かりし頃の論文を引用したことがあるが、あの内容もまた、このこととリンクしている。
また、この「不可知である原点」の解消の為に、禅はあのような言辞を重ねねばならなかっただろうし、
「国師良久」「外道問仏」の公案、「父母未生以前本来の面目という言い方」等々で
『無我なる自己』を提示せねばならなかったこととも構図上の相似がある。(パーリなら「ヴァッチャゴッタの問い」か・・。)
(それは、あれこれ言辞を重ねるでなく、「これだ!」として無言で提示せざるを得ないからだろう。
相手の面前へ思い切り放り出し、ぶち当てるしかなかったのだろう。
逃げ水のように、捉えようとすればすり抜ける《“自己(≒認識主体)”=“原点”》を提示するにはそれしか無かったのだろう。)
龍樹にしてもそれは同じだ。一切が縁起するとして、《【そのように思考する(見る)】原点》を【消去】し切れているのか? と・・・。
284 :
初代スレ7 :2009/03/20(金) 13:04:47 ID:Ry326WzV
以下は難癖です。嘲笑とともに読み飛ばしていただいても結構w
>>265 > バラモンの行者たちが聖典の記述をただそのまま信奉しているのとは異なり、
・・・・・・
> 全て、ゴータマの直知体験に拠るものであり、経験主義に反しない!
「バラモンの行者たちが直知体験していない」と、なぜ言えるのかな?w
>>266 > 仏教は経典を唯一の拠り所とするのです。それ以上のものでも、それ以下でもない。
>>268 > 内容が論理的で整合性が取れているので・・・・・・
> 仏典の内容を信用しないのは・・・
経典・仏典の成立史を許容するなら、記述(内容)の取捨選択も許容されねばならない。
現に貴方自身も、仏典の記述を(或いは仏典そのものを)取捨選択していらっしゃる。
もし、「取捨選択すること自体を批判するのでなく、その方法が違う」というなら、
貴方の取捨選択法が正しい理由を提示できますか?
もし、「取捨選択すること自体を批判するのでなく、選択された内容の正当性の有無だ」というなら、
貴方の選択した内容の正当性は、何によって担保されるのですか?
285 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 16:18:36 ID:HvHhbU9F
286 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 16:19:26 ID:HvHhbU9F
中国は嘗て日本に侵略されたと声高に言いますが(日本の侵略戦争は事実だが)、
中国こそ現在進行形の侵略国家です。
中国の国民はチベットだけでなく、未だ信教の自由も思想の自由もありません。
中国は、未だ国土拡大の野望を捨てておらず、自分より弱 国には躊躇せず侵略し、
蹂躙する国家だと肝に銘じる必要があります。
>チベット亡命政府が収集した情報をまとめると、1949〜1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らない
ttp://www.tibethouse.jp/human_rights/human38.html 「チベット大虐殺」
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・ 破壊・強奪・強姦が行われた。
15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、
尼僧に対し警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や
「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。
生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。
「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、
個人的に、また故意に殺されたのである。(略)彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、
生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、
首を吊って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。又、ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、
首を切られたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。
1950年10月、3万5千の中国軍が独立国であったチベットを侵略して以来,
半世紀以上も繰り返されて来た惨劇である...
287 :
中庸 :2009/03/20(金) 17:09:25 ID:Q17B5KrF
>>249 >仏教から神秘は排除されなければならない。
>唯物論者や無神論者の避難所を奪わないでくれ。
笑えましたよ。仏教徒は仏教が宗教であることを主張しているのに、
何で唯物論や無神論にしがみついているのですかね?
ダブルスタンダードは金のためですか?
288 :
中庸 :2009/03/20(金) 17:16:22 ID:Q17B5KrF
老荘流の虚無主義や仏教の寂滅主義・・・は、 ・・・高遠でありながら実は無内容である。 などと朱子にバカにされている。
289 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 17:17:58 ID:Ksu8RH2k
>>280 少なくとも、日本の仏教では、神と仏とは本質的に異なる。
一神教では、神は人間とは隔絶したものであり、人間は神に近づくこと
さえ許されない。神格化されてイエスに対しても同様である。
一方、日本では、人間そのままが神であり、すべての先祖及び死者を
仏と呼び、神とは呼ばない。すべての人間が仏になれる(悉有仏性)。
日本で、死者が神と呼ばれるのは、家康、東郷、乃木などの「著名人」だけである。
なお、簡単に神仏習合の対象となった日本の神々は、一神教的唯一人神
とは性質が異なる。後者は、習合の対象にはならない。
要約すれば、日本における神々とは、人間または自然という、人間に近
い存在。一神教における神とは、人間や自然とは隔絶した「人工神」で
ある。ヒンドゥー教は、形式的には多神教だが、実質的には一神教的
性格が強い。
290 :
中庸 :2009/03/20(金) 17:23:33 ID:Q17B5KrF
高遠でありながら実は無内容・・・ まさにその典型が法華経・・・一乗と久遠の本仏を説くだけなら、 ほんの少しで終わりだろうと思う。 あとは無内容の「空」ではないですか? 箱の中はカラッポですね。
291 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 17:33:39 ID:Ksu8RH2k
>>290 法華経は、内容的にキリスト教そっくりだね。オカルト性が強い。
成立が、起源50年から150年あたりだそうだから、キリスト教の
影響を受けた可能性が充分にある。
誰か、識者に、ご教示願いたい。
292 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 17:42:38 ID:Ksu8RH2k
>>288 >・・・高遠でありながら実は無内容である。
これは、すべての宗教に共通する特徴。
しかし、仏教は経験主義、合理主義だから、多少違うと思う。仏教は、
宗教というより、高度の哲学。
293 :
中庸 :2009/03/20(金) 17:42:44 ID:Q17B5KrF
かって浄土三部教を読み流したことがある。ほとんど忘れたが、 今思えば、これもキリスト教とよく似ているように思う。
294 :
中庸 :2009/03/20(金) 17:47:32 ID:Q17B5KrF
>>292 仏教を哲学と割り切るなら同意しますね。
しかし仏教徒の煮え切らなさはいったいどうしたことか?
哲学なら宗教法人であってはいけない。
295 :
中庸 :2009/03/20(金) 18:00:48 ID:Q17B5KrF
このスレに仏教関係の方がいるなら、この彼岸の中日に、 唯物論、無神論でしかない宗教法人であることを心から恥じてほしいです。
>>109 キリストが、神のプネウマ(風・息吹き・霊)によって、
死せる者にゾーエー(命)を与え復活させる、と。
【創世記】
2:7 そこで神は土(アダマー)の塵で人(アダム)を造り、その鼻に命の息(ルーアハ
希:プノエー;プネウマ)を吹き込んだ。するとこの人は生ける魂(ネフェシュ
希:プシュケー)となった。
【ヨハネ伝】
3:5 人は霊によって生まれなければ神の国に入ることはできない。
3:7 あなたたちは新しく生まれ直さなければならない。
11:25 私は復活(アナスタシス)であり命(ゾーエー)である。
私を信じる者は、たとえ死んでも生きるであろう。
【コリント前書】
15:45 最初の人アダムは命ある魂(プシュケー)となったと書かれている。
最後の人[イエス・キリスト]は命をつくる霊(プネウマ)となった。
>>289 少なくとも、日本の仏教では
仏教には帝釈天とか梵天とか四天王とか十二神将とかいろいろ出てくるワケですが、
仏教にはバラモン教(ヒンドゥー教)の神々が入ってますよね。
しかも弁天様なんかは個別礼拝の対象になっている。この辺どう思ってるんです。
298 :
中庸 :2009/03/20(金) 18:53:37 ID:Q17B5KrF
>>296 仏教とキリスト教のアプローチ(ベクトル)は逆なのかなと思います。
仏教は、原罪を持った人間 → <神>に近づこうというアプローチ
キリスト教・イスラム教は、<神> → 「悔い改めよ」というアプローチ
299 :
* :2009/03/20(金) 19:27:11 ID:zQRQtWUQ
「私の直接の第一人称経験において、黙想の現象的な状態は、『私は岩を 見ている』という粗大な現象から、『私は光と幸福感に包まれ大きな愛を 感じている』という微細な現象へ、『ただここには、広大な空、無限の深淵が ある』という元因の現象へ、そして『神聖な空と相対的な色は二つではない』 という非二元にへと展開する」 (ケン・ウィルバー『インテグラル・スピリチュアリティ』(春秋社, 2008)) ウィルバーが示すスピリチュアリティとは、怪しげな心霊主義ではなく、 合理性を超えた意識レベルのことを指す。 ・意識の状態 説明 仏教 井筒理論 粗大(Gross) 覚醒状態 応身 A 表層 微細(Subtle) 夢、白昼夢、瞑想 報身 M 中間層 元因(Causal) 夢のない眠り、空 法身 B アラヤ識 非二元(Nondual) 全ての基底 自性身 C 無 意識の状態とは、一人の人物が瞑想などによって変化する意識をさす。 通常意識は「粗大」であり、夢をみれば「微細」。瞑想が進むと「元因」 「非二元」を経験することも可能になる。(通常は経験を実感できない) 井筒理論に照らせば、粗大はA表層、微細はM中間層、元因はBアラヤ識、 非二元はC無と対応するだろう。井筒氏も、禅や密教のアプローチによって、 A,M,B,Cを人の意識は行き来することを説明した。 同様に、この意識の状態も、その場その時と手法によって自由に行き来 することができる。
そういった話は、同じような意識レベルにあるもの同士でしか共感も得られないし、なにがなにやら シャンカラも仏教徒とかと議論してたらしいけど、その仏教徒も悟っていたのかな?
301 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 20:29:36 ID:Ksu8RH2k
>>295 >唯物論、無神論でしかない宗教法人であることを心から恥じてほしいです。
何故恥じる必要がある?釈迦が、「神や霊など、人間が考えても無意味なものは
考えるな」と戒めたことこそ、彼の比類の無い偉大さと洞察性ではないか。
このお陰で、仏教は、キリスト教とは全く異なり、2500年間殆ど人を殺す
ことがなかったのである。史上そして現代においても、大殺戮の原因は、すべて、
「人間が考えても無意味な架空の神」が原因であることを忘れてはならない。
マルクス主義も、キリスト教を起源とし、「人間が考えても無意味な、現実には
ありえない共産主義ユートピア」という「神の国」の「観念」を信仰する擬似
宗教である。
>>301 >
>>295 > >唯物論、無神論でしかない宗教法人であることを心から恥じてほしいです。
> 何故恥じる必要がある?釈迦が、「神や霊など、人間が考えても無意味なものは
> 考えるな」と戒めたことこそ、彼の比類の無い偉大さと洞察性ではないか。
だから釈迦の直筆なんて残ってないんだろ?
妄想はやめろと何度いったら分るんだ。この観念論者が。
303 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 20:59:52 ID:HvHhbU9F
____ Y/ニニ|>o<|\ / //\___\ |/ / === |  ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | / ・ ・ | キリスト狂を信仰すると \(6 (_λ_)\ 精神障害になるのだ / _ ||||||| _| |(( \□ ̄□/| 我 ◆82SSORBSMoは毎晩 \  ̄ ̄ ̄ ノ 。。 錯乱状態なのだ。 / ̄ ̄\ /  ̄ ̄ ̄ ̄。|了 \______ / |: | ̄ ̄ ̄。。 | |______| 。 | | | | | | | | 。 | | | | | | | | † ヨーロッパの歴史は史実を見れば、キリスト教の歴史としても見ることが可能でしょうが、 キリスト教の広まりに拠って公衆衛生が悪化してペストの大流行に繋がったり、 異教破壊や魔女狩りに代表される宗教裁判・異端審問、天道説地動説等の科学否定、十字軍、宗教戦争、 さらには布教と一体となった植民地主義など数々の問題を引き起こしてきた。 自分達の神のみが唯一とうそぶき、原住民の宗教を破壊し、強引に改宗させるのがキリスト教。 列強国の植民地支配の先頭にはいつもキリスト教の伝道者がいた。 日本でも、スペインは宣教師を送って、それから軍隊を送る計画だった事が判明。 秀吉が激怒してキリスト教を禁教にしてしまった。 これは秀吉の快挙である。
キリスト教国が中心になって、宗教の自由と人権が守られ戦争がなくなって いくという現実w
>>303 > キリスト教の広まりに拠って公衆衛生が悪化してペストの大流行に繋がったり、
またウソ800か。虚言症って病気かもしれんな。
キリスト教がヨーロッパに広まっていったのは、ローマ帝国の時代。
ベストの流行って、もしかしてその千年後のことか?www
306 :
宝珠愚者 :2009/03/20(金) 23:59:25 ID:HntOWMpk
>>270-271 >君が死ねば、そのような書き込みも一切できなくなるという事実だけで、充分だろう。
>
五蘊はアートマンではないので、死後において身体が分解しようとも、アートマンそのものは消滅しない。
そもそもアートマンは現状の唯物科学では感知できない存在。
アートマンそのものではないが、肉体消滅後の意識ということでいえば、心霊現象の範疇ならば様々な
現象(行為)についての膨大な記録がある。あなた自身にはなくても、周囲に“虫の知らせ”程度の体験話
はいくらでもあるでしょう。物理的現象を伴うことも珍しくはない。「肉体がなければ何もできない」など・・100
年前の議論ですか?
307 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 00:01:22 ID:fMCWMpiO
>「バラモンの行者たちが直知体験していない」と、なぜ言えるのかな?w つまり、当時のバラモン聖典の説く真理(と、それ以上の真理)の完全なる体現者がゴータマでした。 人間及び生命たちの輪廻の様子を超常能力で見てとったのです。一般的なバラモン行者たちにはで きない。 >貴方の取捨選択法が正しい理由を提示できますか? >貴方の選択した内容の正当性は、何によって担保されるのですか? 「輪廻転生」は根本的な部分です。これが理解されないなら、それ以上のことは無理です。
308 :
初代スレ7 :2009/03/21(土) 00:22:57 ID:fE9Slzpk
>>307 もしかして複数人が同じコテ使ってんのか?
あまりにも稚拙なレスだぞ?
問いの文章を引用していながら、応答がズレ過ぎ。 沙門果経風に言えば
「マンゴーについて問われながらラブジャのことを説明したり、ラブジャについて問われながらマンゴーのことを説明するようなものです」
「別の点から別のことを説明したのです」
って感じだw
309 :
亭白 :2009/03/21(土) 00:40:38 ID:Kb77qT5G
お釈迦様はが説いたこの世の「諸行無常」のところだけを読んだら唯物論者は、 それ見たことか我々と同じことを説いているではないかとなりますが、諸行無 常のその後を読まないから、お釈迦様は唯物論になります。本当はお釈迦様は 唯物論者ではありません。 例えば「この世の家屋に執着してはいけない。諸行無常で家屋はいつかは朽ちて 無くなります。」これだけを読めば唯物論の解釈にもなりますが、ここで言いた いことは、「あの世の天国に上がるためには、この世の一切の執着から離れなさ い。この世は諸行無常を知りなさい。いつまでもこの世のものに執着すると 心の苦しみをつくりカルマ(業)をつくりますよ」とこの世のものに執着一杯の 方々に説いた教えです。この世の物は諸行無常で無くなることは誰でも解る唯物 論は凡人が説いても、お釈迦様は唯物論を説きません。凡人が解る唯物論を説い たとしたらお釈迦様は凡人と変わらない認識となり、なにも高い悟りは必要なく なります。お釈迦様の悟りを凡人と同じ認識に引き下げて約2500年法の教え がのこるはずはありません。唯物論は凡人の教えです。凡人と違う高い教えだか ら約2500年法の教えがのこったのです。
310 :
初代スレ7 :2009/03/21(土) 00:46:55 ID:fE9Slzpk
>>309 逆にお前らは、お釈迦さんを高い所に上げ過ぎなんだよ。
奉り過ぎ崇め過ぎは窮屈この上ない。
お釈迦さんも、さぞ迷惑だろうよw
おやすみ ノシ
311 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 01:36:58 ID:Gx9/s4eO
>>309 それって一体どこの宗教ですか。
御釈迦さんは、「この世の苦を逃れるため」、即ち「この世をより良く生きる
ため」、生・老・病・死など「この世の苦」の無常を説いたのです。「死」も
苦と看做していますから、まさか「自殺」を勧める訳がありません。
人類は、その発生以来、100%物質に依存して生存してきました。その意味で、
すべての人間は「唯物論者」です。御釈迦さんも例外ではありません。
仏教は、「死の宗教」などではなく、「大いなる生の宗教」です。ニーチェが、
「唯一の実証的宗教」「優れた精神衛生法」として絶賛する所以です。
312 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 01:51:19 ID:Gx9/s4eO
>>311 の続き
19世紀最大の哲学者であり、「生の哲学者」と呼ばれるニーチェは、
彼の思想の集大成・到達点といわれる、最晩年の作品「反キリスト者
(アンチクリスト)」において、キリスト教を、「人間の生を脆弱化
させるもの」として徹底的に批判しましたが、仏教に対しては、上記の
理由により、最大限の評価を与えたのです。
313 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 07:23:04 ID:fMCWMpiO
>>308 だからね・・
輪廻転生のところで引っかかってるような輩に指摘されるような問題じゃない、といってるのです。私は何
も、字句一句そのままに受け取る原理主義者ではない。
ただ、人間が虫ケラにも転生するかどうか、そういった方便的な比喩に対する理解の問題(伝統仏教者は
経典に書かれてあるといいそのままに受け取るが、この私は人間は人間にしか転生しないと説く)と、仏教
理論の根底から成り立たなくなるような輪廻問題の否定といった問題とを同じ次元で論じるな、といってるの
です。
>>310 >逆にお前らは、お釈迦さんを高い所に上げ過ぎなんだよ。
それはないなぁ。
全ては、経典に書かれてある範疇に過ぎませんね!
意図的な、或いは過剰で感情的な崇拝意識によるものはどこにもない。
314 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 07:45:47 ID:xgnIGQRA
>>306 >「肉体がなければ何もできない」など・・100
>年前の議論ですか?
それはあなたが死んで火葬され、完全に灰にになってから書き込んで
くださいね。待っていますよw。
アートマンとは、語源的にも「生物的生命」の意味であることは明らか
でしょう。古代の人々でも、その程度の常識はあった訳ですよ。
あなたは、オカルト本の読みすぎで、完全に狂っている。日常生活、
社会生活にも、支障を来たしているはずです。
315 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 08:02:34 ID:fMCWMpiO
>>311 >人類は、その発生以来、100%物質に依存して生存してきました。その意味で、
>すべての人間は「唯物論者」です。御釈迦さんも例外ではありません。
物質を物質として認識してるのは「精神」に拠るもの。
精神がなければ、物資が「在るもの」として認識できない。
物質科学は物質から何故、精神が生じるのかを説明できない。
それ以外の部分はまぁ〜OK!
もちろん、仏教は人の生き方を説くものに間違いはない。
しかし、その根底にある理論根拠は唯物論ではない。
誤解しないようにしましょうか。
316 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 08:52:37 ID:rdJ9ZcDi
>>315 >物質を物質として認識してるのは「精神」に拠るもの。
>精神がなければ、物資が「在るもの」として認識できない。
その精神は、物質としての脳を含む身体のみに宿り、身体のみから発生
する。
>物質科学は物質から何故、精神が生じるのかを説明できない。
精神病の原因が、「脳内神経伝達『物質』」の異常であるという発見は、
人類史上最大の発見のひとつでしょう。この発見後は、すべての宗教も
思想も、完全に書き換えられる必要がある。
オカルト本ばかり読まないで、大脳生理学を初めとする解剖生理学も
充分に勉強してくださいね。
これからの宗教も、まず解剖生理学から入るべきでしょう。釈迦は、
すでに2500年前に、その先鞭をつけているのです。それが、まさに、
自分自身を知ることではありませんか。生命を以って、生命そのもの
とは何かを知ることはできないが、外部に表現された、生命の機能と
しての「生命現象」は知ることができます。この生命現象の存在から、
生命の存在が判断されるのです。
317 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 09:01:00 ID:fMCWMpiO
>>314 >あなたは、オカルト本の読みすぎで、完全に狂っている。日常生活、
>社会生活にも、支障を来たしているはずです。
わたしは変わり者でも狂ってもいないな。
残念ながら、真実は逆であって、あなたのような唯物主義者のほうが実際にはかなり少ない。これは
街頭アンケートの実施でもそれは明らかです。
「信教の自由」を国家が保証すると掲げているということは、大多数の国民がそれを支持しているから
に他なりません。唯物論が真理であり、全ての宗教が妄想と迷信であると支持を受けるならば、自然と
宗教教団も信徒も消滅していく筈です。ところがそうではない。
あなたは日本国家が宗教の支持者たちで構成されていることを知らないのか?日本の宗教登録信者数
は2億以上(掛け持ち含む)、宗教法人数は約20万を数える。唯物主義を真理などと見なしている者などご
く少数です。何故なら人々を納得させる力がないからです。これが日本社会の実態!
>アートマンとは、語源的にも「生物的生命」の意味であることは明らか
>でしょう。古代の人々でも、その程度の常識はあった訳ですよ。
『もと、アートマンとは、人間の「息」「気息」「呼吸」を意味する言葉であった。ドイツ語のatmen, Odemや、
ギリシア語のatomosと同語源である。atmos-phereという英語があるが、そのatmosである。』
(中村 元著『思想をどうとらえるか--比較思想の道標』東書選書刊)
聖書では“息を吹き込まれた”という言葉もありますが、これは「息=生命」という確認であり、その生命
の根源を古代インドではアートマンとして、「物質から何故、精神が生じるのか」
>>315 の根拠としたのです。
そこに真義がある。
古代ヨーガでは呼吸の制御によってアートマンに目覚めようとするメソッド(術)を確立しており、これが
熟達すると自己の意思によって自在に心臓の鼓動すらも停止することができる。これは肉体レベルのエ
ネルギーの余計な消耗を最低限に抑えて、全てを意識が内部に集中できるようにするためのもの。仏教
の数息観もそこからきている。
318 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 09:05:44 ID:fMCWMpiO
>それはあなたが死んで火葬され、完全に灰にになってから書き込んでくださいね。待っていますよw。 発明王、トーマス・エジソンの晩年の開発が霊界通信装置であったことはあまり知られていない。彼はア メリカの最も尊敬できる好きな科学者の1位にも選出されたことがある人物であり、彼を狂人呼ばわりする 人などはいない。 尚、エジソンがこの実験に成功したという話は聞きませんが、この実験は心霊研究のグループが現代に も引き継がれており、霊界とのコンタクトは成功しているのです。モニター画面を用いたものです。
319 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 09:16:04 ID:fMCWMpiO
>>316 私は大脳生理学の基本も分っているし、批判論者たちが「脳内神経伝達『物質』の異常」で説明しよう
とすることも承知しています。しかし、宗教世界やオカルトにおいては実際的な物理現象も伴う事実が確
認されているので、脳内物質の反応による「妄想」(幻覚)では説明はできません。
あなたは批判論者側の理論しか知らない。
320 :
亭白 :2009/03/21(土) 09:24:08 ID:kSoe5d/+
>>315@宝珠愚者さんの下記内容は鋭く突いていています。 唯物論者に対して至言ですね。 >物質を物質として認識してるのは「精神」に拠るもの。 精神がなければ、物資が「在るもの」として認識できない。 物質科学は物質から何故、精神が生じるのかを説明できない。 @精神は神仏から来るから人間には解明できないですね。 トマス・モアのユートピア島では唯物論者は公に発言できないことになっています。 霊的真実を踏まえた信仰者は公の発言が許されています。信教告白の自由があって信教の自由があり、 それが公に認められてその下に言論の自由が許されていることを知れば、信教の自由が言論の自由の 上にある観点で、トマス・モアのユートピア島では唯物論者の発言はまわりの人々に害を与え、反ユ ートピアになるので公の発言は出来ないことになっています。どういう場合発言が許されるかという と、悔い改めとしての機会としての発言が許されています。 現代はトマス・モアのユートピア島の反対ですね。言論の自由より先に出来た尊ぶべき信教の自由 が公の発言を抑止され、公の発言を許されない唯物論者が公の場に傲慢にどんどん発言を繰り広げてい ます。トマス・モアのユートピア島では唯物論者は肩身が狭いのですね。 日本もトマス・モアのユートピア島を見習ったら理想国家日本が誕生しますね。 そうしたら日本国がユートピア島になれば世界各国のユートピアモデル国の模範になり、世界各国が ユートピアになりますね。そうすると世界人類がユートピアになりますね。
>>316 > これからの宗教も、まず解剖生理学から入るべきでしょう。釈迦は、
> すでに2500年前に、その先鞭をつけているのです。
妄想はやめろ。何度も言わせるな。クズが。
人間そのものは無記。 立場は無我=空。 それがブッダでは。
>>289 おいおい。結局、
>>297 には何にも答えられないのかよ?
恥ずかしいから黙ってろというレスに無理矢理レスしておいてコレですか?
>>312 「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。
…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。
…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。
…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」
ニーチェ自身の手による、コジマ・ワーグナー宛の手紙。
ニーチェって、晩年こんな風。
325 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 09:52:24 ID:fMCWMpiO
>>314 >それはあなたが死んで火葬され、完全に灰にになってから書き込んでくださいね。待っていますよw。
仏典においては、肉体を抜け出て活動したり、別の意生身を作り出すことも、壁を通り抜けることや空中
飛行も意のまま。解脱者は物質界の諸法則の制約から解放されるのです。
あなたが唯物論を支持するのは全くのご自由です。しかし、仏典から勝手に唯物主義に都合良く聞こえ
る狭きその一部分だけを抜き出して利用するのは止めるべきです。
「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
「また、比丘は心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、さまざまな超能力(神通)に心を傾け、心を向
けます。比丘は、さまざまな超能力を体験します。すなわち、一から多になり、また多から一になります。
あるいは姿を現したり隠したり、塀や城壁や山の向こう側へ障害もなく、まるで空中を行くように通り抜け、
あるいはあたかも水中でするように大地にも潜ったり浮かび出たり、また、地上を行くように、水の上も
(水面を)割ることなく歩み、また、羽のある鳥のように空中も足を組んで飛び歩き、また、かくも偉大な力
を持ち、かくも輝かしい威光を備えた月と太陽に手で触ったり撫でたりし、果ては(人が到達すべき最高の
世界である)梵天の世界にさえ、肉体を持ったままで到達します。」(同)
326 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 10:01:12 ID:dVmKFlWA
>>324 原因は梅毒、梅毒でおかしくなって死ぬなんて人間的だわ、
という感じのレスが返ってくる。経験上ね。
なるほど。じゃあ妄想に浸ってオカルトに走るのも人間的ということになりますね。 オウムや某学会などのカルトに入信したりするのも人間的ということになりますね、と予め返しておくか。
一から他へ。そして他から一へ。
>>271 >君が死ねば、そのような書き込みも一切できなくなるという事実だけで、充分
>だろう。
ところがそうじゃない。たとえば宝珠氏が、全てを悟り、キリスト教のいう永遠の命。
仏教のいうところの不死の境地である涅槃に入ったとしよう。彼の肉がその死によって
滅び、自我も滅んだとしても、ここに俺や、おまえ。赤の他人がここに
書き込む限り、彼が書いているといえるんだよ。
貴方が真理をつたえようと人前に立ったとする。そのとき、なにを話そうか?
どのように話そうか?などと思い悩むな。その場で、そのときになれば、聖霊が
全てを教えてくれる。貴方が悟る者なら、聖霊が全てを語らせる。貴方は自然に
話せばいい。貴方の言葉が、聖霊なのだ。そして彼は聖霊なのだ。彼は貴方の中で
生きている。そして滅びる定めのおまえの中でも生きている。なぜなら彼は、
命そのものだからだ。永遠の命とはそういうものだ。わかるか?
ゴータマもいうように、全ては命に縁して認識され、成るものだ。
そしてその命は、からだの内にある。からだなくして命はないのだ。またこの世に
命が一つもなかったのなら、からだもない。そして全てを認識する主体もない。
ところで闇サイトで知り合った屑共に殺された被害者は、あの母親共々、 熱心な層化学会員だってね。あの母親や、被害者である娘さんには心底気の毒だと 思うが、あの母親の復讐に燃えて、皆死刑にしろという会見をみるにつけ、 あの母親の苦悩と、復讐に燃える人間の醜い姿と、唯物論を真理とする 仏教とは、あくまで現世での苦を滅ぼすものだと、とどのつまり現世利益を最優先 させる、層化を代表する、日本の唯物末法仏教が、実は現世での苦をも取り除くことも出来ない まったく糞の役にも立たないものだということが如実に証明しているものだと感じる。 真の宗教者なら、あの母親にはこう諭すだろう。 悲しむことはない。貴方の娘さんは、負の業の清算を済ませたのだ。来世では きっと幸せになれる。だから悲しまなくていい。むしろ喜び、彼女の来世の幸せと、もう負の 業を積むことなく、来世では真理を掴み、真の幸せを掴むよう、祈ってあげなさい。 そして貴方は、あの犯人達を許してあげなさい。彼らは、自分のしたことがどういうことか、 わかっていない、可哀想な人達なのです。他人にしたことは、全て自分自身にしたこと。 だから貴方はあの人達を許してあげなさい。そうすれば貴方も許される。 人は全て自分が他人を計った秤で計り返される。だから貴方はあの可哀想な人達を 許してあげなさい。私達は本当は一つなのです。だから許してあげなさい。 貴方が裁かなくても、彼らは報いを受ける。それは世において、刑罰という報いとして 返るだろう。また、たとえそれを免れても、来世、必ずその報いは受ける。なぜなら他人に したことは、全て、自分自身に成したことだからです。だから貴方も同じ罪を犯してはならない。 あなたは彼らを許してあげなさい。そうすれば、貴方も許されるのです。 真理を理解し、受け入れるなら、あの母親は、苦しみから解放されるだろう。
ちなみにここの隠居とか呼ばれている引き篭もりの屑は、層化の人な。 皆そのつもりでこの人の投稿を読めばいいし、レスを返せばいいと思うよ。 ちなみにカルトにはまると、真理から最も遠いところにいることになり、 また、真理を掴むことは、とても困難な思考回路を形成することになる。 そういう宗教にはまり、また、そういう宗教にはまっている家庭に生まれるということは、 そういう業を背負って生まれてきたということなんだろう。
331 :
宝珠愚者 :2009/03/21(土) 11:08:38 ID:fMCWMpiO
>>329 完全に同意します。
仏教には、「復讐」「報復」するという概念は存在しない。
「自己の行為はそれと同等価の果報を受ける」という真理を示したものです。
このことが全ての地上の人間に理解されたとき、
戦争や侵略、強奪といった人間社会の愚弄は消滅し、
法律規制の裁きすらも不要となる世界が出現できるです。
これ以外には達成の道は在り得ない。
輪廻転生はこの法則の延長の結果としてあるもの。
ところで末法仏教者の皆さん。アメリカの一ドル紙幣には、 他から一へという文言が入っているのを知ってるかい?俺はそれを しったとき、少しながら、興奮した。あの国はフリーメーソンが建国したとも言える国だ。 フリーメーソンといえば、石工大工。イエスは大工の息子。 新約とは神との新しい契約。その契約とは、神の国をこの地上に樹立するということだ。 ユダヤ人の本当の意味とは、神から選ばれた人々のこと。それ以外の人々のことを、ゴイム と呼ぶ。エゴのまま生き、己のエゴをなによりも愛する彼らは人にあらず。ただの獣である。 中東の一地域を不法に占拠し、その土地に住んでた人々を虐殺、不法にしいたげている 自らをユダヤ人だと名乗っている、一民族に過ぎないあの人々の中にも、ゴイムはたくさんいる。 そして、ここにもたくさんいる。 今は悔い改めていないキリストの兄弟達も、価値観の改まったその時代には、悔い改め、 初めて真理に沿った生き方を実践するだろう。真のユダヤ人である、神から選ばれた人々が 悔い改めたとき、父の右の座に座しているキリストは、そのとき立ち上がる。その時代のことを カトリックでは、煉獄という御伽噺でたとえられる。新約は必ず成就する。必ずね。
333 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 11:46:58 ID:5hJJV/82
またキチガイカラスが妄想を垂れ流してる
>>333 おや、層化を貶されて、頭にきたか?
層化は、仏教を語るんじゃねぇよ。何勘違いしてんだか。
オバマは黒人初の大統領だ。全ては予定通りなんだよ。 俺は彼は大統領になるといった」。 ニューワールドオーダー。世界新秩序。 新約は必ず成就する。だがそのまえに、生みの苦しみがある。 なぜなら、新しい価値観を受け入れるには、人々は学ばなければいけないし、 新しい秩序を構築するには、今の秩序を、リセットしなければいけないからだ。 俺の話が妄想かどうか?ま、みてな。
336 :
初代スレ7 :2009/03/21(土) 12:10:10 ID:fE9Slzpk
>>313 まあいいやw
戯言のつもりだったし、これ以上食い下がっても、貴方は話を逸らし続けるだけでしょうから・・・。
けど、
>>325 > しかし、仏典から勝手に唯物主義に都合良く聞こえる狭きその一部分だけを抜き出して利用するのは止めるべきです。
自分も同じであることに、まだ気付かないのか・・・。
(だから
>>284 後段(或いは
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/343 )であるのに・・・w)
で、
>>325 の引用だが、
(以前にも似たことがあったなw)、引用して茶々入れしようか迷ってたら、自分から引用してきましたね。
(で、いつも通り、自分に都合の悪い部分は拾い上げない姿勢も相変わらず、とw)
貴方の引用部分の前に、興味深い記述があるんですけどねぇ・・・。
煩瑣になるが、細部を省略しながら当該部分を引用しようか?それとも、自分で見つけるかい?w
(´ー`)y━~~
337 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 12:53:18 ID:bcE6Ev8U
>>320 >そうしたら日本国がユートピア島になれば世界各国のユートピアモデル国の
>模範になり、世界各国が ユートピアになりますね。そうすると世界人類が
>ユートピアになりますね。
Utopiaという言葉の語源を知っていますか。これは、トマス・モアの造語で、
ギリシャ語のou(noの意味)にtopos(place)を加えたもの。Nowhere(どこにも
ない)の意味で、「どこにも存在しない、空想的社会」のことです。トマス・
モアは、皮肉っているのですよw。
Samuel Butlerは、utopiaのことを"Erewhon"と名づけていますが、これは
"Nowhere"を逆に綴ったものです。
人間の精神に最も有害なのが、この「ユートピア概念」です。あるがままの
現実に宿る価値が、見えなくなるからです。
>>335 「計画通り(ニヤリ)」
「ボクは新世界の神になる!」
デスノートとかそういうのを思い出すなぁ。
中二病っていうんだよね。こういうの。
背伸びしたい年頃にはありがちな傾向なんだけど、
大体、選挙権もらう頃になるとこの頃の自分を
恥ずかしく思うようになるもんだね。
339 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 13:07:21 ID:bcE6Ev8U
>>324 >ニーチェって、晩年こんな風。
それは、彼の発病後(狂気の発生後)の文章w。
>>339 そうなんだよ。ニーチェは発狂しちゃった人なんだよね。
ニーチェの思想に変にかぶれてるやつらも結構発狂気味だったりするということが
いいたいわけさ。
つか、ニーチェ星人は、宗教板から出てニーチェ星に帰った方がいいと思うよ。
日本マンセーの国粋主義的だったり、「ソクラテスに始まるギリシャ哲学」とか
いう発言したりするのもニーチェ星人だからだろ。
ニーチェがそこまで悪いわけでもないと思うけど、星人はまずいね。
ニーチェがユダヤ人やキリスト教を排撃したがごとく、キリスト教徒を排撃したりするのがニーチェ星人。
ナチスのホロコーストと同じようなことがニーチェ星人の脳内妄想にはあるわけでね。
341 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 14:22:01 ID:bcE6Ev8U
>>340 >ニーチェがユダヤ人やキリスト教を排撃したがごとく、キリスト教徒を排撃
>ニーチェ星人。ナチスのホロコーストと同じようなことがニーチェ星人の脳
>内妄想にはあるわけでね。
ニーチェは、キリスト教を「批判」したのであり、ユダヤ人を排斥したりは
していない。彼は、反ユダヤ主義者を憎んだ。陰湿、執拗、かつ2000年
に及ぶ反ユダヤ主義は、キリスト教の伝統。
ホロコーストも、キリスト教の反ユダヤ主義の影響が大きい。ヒットラーは
クリスチャンだし、ホロコーストのプログラムは、ほとんどそのまま、すでに
ルターがその論文で提案している。
>>341 ああ。反ユダヤ主義者を排斥したの間違いだね。
全然逆のこと書いてしまってすまなかったよ。
ただニーチェ自身の思想がどうあれ、
「ニーチェ星人」の思想とナチズムとは非常に近いね。
ニーチェの思想がナチスのイデオロギーに利用されたことは歴史的事実。
ニーチェにかぶれると結構こうなる。
ナチス → ユダヤ人排斥 → ホロコースト ニーチェ星人 → キリスト教排斥 → キリスト教徒撲滅運動 キリスト教徒 → イエスを批判できない。全ては信者の誤解のせい。 ニーチェ星人 → ニーチェを批判できない。全てはニーチェを利用した人間のせい。
釈迦のように自分の死を弟子に知らせたり、死後何日も経って人を生き返ったりさせることのできるイエスは特別な存在なんだから (億マン長者もノーベル科学者も金メダリストもそんなことは出来ない) まさに何十億分の一の超特別なんだから、妄想はやめて、おとなしく師のいうことに従えというのはあるね。
345 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 21:03:46 ID:BlKSxLbd
仏教の混乱は教団のダブルスタンダードにありそうですね 1 唯物論あるいは唯心論であり、無神論なのか 2 唯物論あるいは唯心論であり、有神論なのか
唯物論であっても唯心論であっても、無神論ではだめだろう。 この板に存在すること自体が誤りである。 無神論の疑いがあるから、その疑惑を明らかにするというなら、 多少の存在理由もあるだろう。しかし仏教の唯物論・無神論を積極的に 主張するなら世俗の話になってしまう。
霊界を認めるのか、認めないのかによっても話が異なる。 霊界があれば、そこで人の業果は熟し、収穫され、不要なものは燃やされる。 仏性は認めるけど、神を認めないという理屈は誤り。 なぜならその仏性の起源を問われるから。
348 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 22:03:34 ID:BlKSxLbd
霊界がないとか、霊界があっても霊界を素通りし、 業果は来世に熟し、問われるという考え方には無理がある。 最初から善人悪人が分かれるなら、まじめな努力はまったく無意味であり、 誕生の意味が消えてしまう。 前世の業果が今生で熟することを認めたにせよ、 それがどのような形で現れるかはまったくわからないのだ。 まったくわからないことを、考えたり議論したりすることはできない。 何もわからないのだから、あれは前世の業、これも前世の業などと かってなことを語ってはいけない。 そうではなく、そう語ることが業なのだと気づくべきではないだろうか。
オカルト本読むとアホになるんだな。 笑かせてもらってますわ。
>>347 霊界?なんですかそれ?
この世とは別の霊界なんてものなんか、ねぇよ。
あるのはこの世と、静寂だけだ。天も地も表裏一体。別個のものではない。
違いは、ただ、認識の違いだけなのだ。この世とは別個の、天国や地獄。
はたまた霊界などと戯言を抜かす宗教者は、全てバッタもんである。
偽預言者には気を付けなさい。彼らは羊の皮を被っているが、中身は貪欲な狼である。
うっかり騙されようものなら、彼らは、あなたの財産のみならず、
一番大事なものまで、全て奪いさるだろう。
351 :
カラスの唄 :2009/03/21(土) 22:20:35 ID:4eM2NIS1
>>349 君は、聖書にある、豚に真珠。という聖句があるのを知ってるかい?
殺された理由を、その人の過去生の業だと考えたら、 加害者の責任を免罪してしまわないだろうか? 母一人娘一人で暮らしていたとき、その娘を殺されたら、 その母は胸が張り裂けるような思いだろう。 殺人鬼を極刑にしてほしい、という思いにまったく同感する。 死刑制度には反対だし、またどの宗教団体ということでもない。 しかし宗教の本質という次元から母の思いに共感する。
353 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 22:36:35 ID:22vxW9nY
>>348 何も分らなくても現実は眼前としてある。
分らないことを分るようにするのが人間の成長する意味。
カルマは引き継がれていると思うし、善悪がはじめから分かれているのではなく、
魂の成長においてレベルが生じているだけだろう。
>>353 話としては無難だが、魂のレベルとは具体的に何だろう?
それに魂とはどういった意味?
355 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 22:53:53 ID:22vxW9nY
>>354 魂が分らなければそのレベルも分らないのは当然だな。
ふつうに誰でも言っているから分りそうなもんだが・・
356 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 22:54:38 ID:JEy6bnmf
>>346 >>347 「神」など、「人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めたのが、
孔子や釈迦などの、「東洋の偉大な叡智」なのである。「空想上の神」
のために、果てしない殺し合いと争いを続ける、一神教の惨状を見よ。
宗教は、「世俗に近づけば近づくほど、即ち宗教でなくなればなくなる
ほどマトモになる」という、顕著な「特徴」を有するw。
仏性は、生命に発することは自明のこと。そして、「生命とは何か」を
生命を以って知ることはできない。この意味で、生命のみが「神と呼び
うる唯一の存在」である。
357 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 22:58:48 ID:JEy6bnmf
>>351 >君は、聖書にある、豚に真珠。という聖句があるのを知ってるかい?
すべて「神の子」であるはずの人間を、「豚」「サタン」呼ばわりした
イエスの正体こそ、「豚」であり「サタン」であったことが、如実に
証明されている。
>>355 魂の意味をたずねたのは、
おたがいの言葉の使い方が異なることによる空転を避けたかった。
わたしが使っている「魂」の意味は、定まった状態であり、
レベルのないものである。「魂のレベル」が不明。
359 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:05:43 ID:22vxW9nY
>>356 ほぼ同意見だが、世俗に近づけば近づくほどマトモになるというのはどうか?
なぜなら、世俗は人間が創った幻想だからだ。
>生命のみが「神と呼びうる唯一の存在」である。
これは私の持っている本には、神と生命と愛は入れ替えて使用することができる、
と書かれている。つまりイコールということ。
360 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:10:09 ID:r7dSAHyD
>世俗に近づけば近づくほどマトモになるというのはどうか? まあ、イスラム国ではイスラムっぽいほどまともに見える、というのと同じだろう。 日本でも完全な唯物論者というのは少ないが、宗教的な事柄を強く主張するのをウザ がる空気くらいはあると思う。そういう中では、そういった特徴が薄い個人や団体が 「まともに」見える、ということだろう。
361 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:10:33 ID:22vxW9nY
>>353 それは君の限定した考え方だ。
ふつうに使う意味でいいのでは?
人の成長に差があるのはれきぜんとしているだろう?
君の限定している魂の意味の話しでも構わないが?
362 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:12:01 ID:22vxW9nY
>>356 ご隠居ですか? 主張に定石のようなものがありますよね。
しかし、もう何回も論破されていませんか?
不死鳥のようであり、死ぬことのないアートマンのようですね。
364 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:19:36 ID:JEy6bnmf
>>359 世俗は、人間の生存に直結する営みだから、「幻想」ではない唯一の
もの。生存に直結しない宗教こそ、「幻想」の最たるもの。
生命は、「愛」だけでなく、「憎しみ」「怒り」「羨望」「嫉妬」など、
他の無数の要素を有し、それらは、現実界の具体的状況に応じて変化し、
人間の生命を維持し、その共生を支えていることを、忘れてはならない。
「愛」だけの世界は、「憎悪」だけの世界と同義である。生命は、そんな
矮小なものではなく、あらゆる多様性と変化に満ちている。
365 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:27:56 ID:22vxW9nY
>>364 いや、君は分かっていない。
神は愛。
すべては愛で出来ていることを、ね
>「憎しみ」「怒り」「羨望」「嫉妬」など
これは愛の周波数を下げて変化したものなんだよ。
つまり、温度とよく似ている、冷たいと暖かいの関係。善と悪の関係も・・
幻想の中で生きている人間が、本来の意識のあり方から遠ざかって生きている
現実がある。
366 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:28:32 ID:r7dSAHyD
>>362 どこらへんが?隠居の言う「世俗〜マトモ」云々の仕組みはこれだろう。
マトモというのは、単にその社会でそう見えやすいということにすぎない。
古代のある地域では、人身御供をするのがマトモだった。
現代でも性器切除をマトモとする地域が存在している。
367 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:32:41 ID:22vxW9nY
>>366 そうだ。それが人々が幻想の中にいることなのだ。
マトモだと思い込んでいるのだ。
368 :
初代スレ7 :2009/03/21(土) 23:36:34 ID:fE9Slzpk
>>367 君たちが《【真に】「マトモ」である》と、なぜ言えるのかね?w
369 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:39:52 ID:22vxW9nY
君たちとは?
>>361 >>353 >何も分らなくても現実は眼前としてある。
>分らないことを分るようにするのが人間の成長する意味。
分かろうとする対象が問題。業果は神の御業であり、
物質的なことでないから、分かろうとしても100%無理。
>カルマは引き継がれていると思うし、善悪がはじめから分かれているのではなく、
>魂の成長においてレベルが生じているだけだろう。
カルマが引き継がれるなら、魂(心)のレベルは前世と同じである。
魂(心)のレベルは比較対象がないので測定不能。
371 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:49:51 ID:22vxW9nY
>>370 君の言うことは物質でないものは証拠がないから、取り扱うことが出来ない。
ということのように思える。
精神性を扱うときは心で行うと思う。
372 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:50:38 ID:/mCl8J0L
転生者オンム・セティと古代エジプトの謎―3000年前の記憶をもった考古学者がいた! (単行本) ハニー・エル・ゼイニ (著), キャサリン・ディーズ (著), 田中 真知 (翻訳) 出版社/著者からの内容紹介 TBS「世界ふしぎ発見!」(2009年3月7日放映)で紹介!! 現在、ザヒ・ハワス(エジプト考古庁長官)のもとで発掘が進む、女王ネフェルティティの墓。 それは本当に、生前、オンム・セティが著者のエル・ゼイニに伝えていた場所==ツタンカーメンの墓の下にあるのかもしれません。 彼女が「秘密の日誌」に記した古代エジプトの謎(オシリスの墓のありか、ケイシーが予言した「記録の間」のありか、 大ピラミッドの建造方法、セティ一世神殿の「秘密の部屋」など)も魅力的な内容です。 しかし、3000年前の記憶が甦ることなどあるのでしょうか? ありえない。わからない。信じたい!? いずれにしても、読む人それぞれの捉え方でかまわないと思います。 最後まで読んでいただければ、セティ一世への愛を貫き通したオンム・セティの生涯にこそ胸をうたれるはず。 いまエジプト考古学で注目されている女王ネフェルティティの墓のありか。実は、王家の谷を調査したアマルナ王墓プロジェクトにより、 生前オンム・セティが著者のエル・ゼイニに伝えていた場所の近くから、その墓の存在を示唆する手がかりが見つかっています。 それは思いもよらない驚愕の場所です。また、彼女の数奇な生涯もさることながら、 その口から語られた古代エジプトの謎(オシリスの墓のありか、記録の間のありか、大ピラミッドの建造方法など)も魅力的な内容になっています。 時のファラオ、セティ一世を、そしてエジプトを愛したオンム・セティの気持ちが伝わってくる一冊。 邦訳版の特典として、巻頭に河江肖剰氏が撮影したアビドス(セティ一世神殿)を初めとする写真も掲載。
373 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:51:00 ID:/mCl8J0L
目次 プロローグ 第1部......覚醒した記憶 ◆第1章 ナイルのほとりの物語 ◆第2章 エジプトに憑かれた少女 ◆第3章 セティ一世とその時代 ◆第4章 イギリスのドロシー 第2部......魂の故郷へ ◆第5章 エジプトへの旅立ち ◆第6章 カイロのナイチンゲール ◆第7章 ホル・ラーの物語 ◆第8章 古代へのアストラル・トリップ ◆第9章 ピラミッドの女考古学者 第3部......アビドスの魔力 ◆第10章 聖地アビドスへ ◆第11章 古代エジプト魔術の世界 ◆第12章 セティ一世神殿の謎 ◆第13章 神秘の館、オシレイオン ◆第14章 晩年の日々 第4部......転生者の予言 ◆第15章 セティが語った秘密のエジプト史 ◆第16章 二人の女の秘密 ◆第17章 失われた「記録の間」 ◆第18章 ネフェルティティを探して エピローグ
374 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:51:40 ID:/mCl8J0L
書評 ルドルフ・シュタイナーは、キリスト者でありながら、転生を信じ、かつ著作や講演で説き続けた。 「シュタイナーは、オカルティストなのだから、当たり前だ」 と言われそうだが、自動車王のヘンリー・フォードも、転生を信じていたことは、つとに知られている。 ヘンリー・フォードは、こう語っている。 「あなたも私も、つまり、私どもは皆、何度も繰り返し生まれてきて、何回も人生を生き抜き、豊な経験を蓄積するのである。 いわゆる直観的才能とみられるものは、実は、多くの労苦を経て手に入れた経験に他ならない」 (エミール・ボック『繰り返される地上の生、ドイツ精神史における再生の思想』ウラッフハウス出版社、1975) そして、オンム・セティの転生体験を書いたこの本は、私がこれまでに読み漁ってきた類似の本の中でも、ダントツの説得力を持って訴えかけてくる。 信じられない話がいくつも飛び出してくるが、非常にリアルだし、シュタイナーの転生論とも矛盾しない、と私は思っている。 人類が、エゴイズムを克服するにあたっての特効薬の役割を、この本は果たしてくれるに違いない。 ともあれ、途中で本を閉じれないので、睡眠不足になるのを覚悟して、手に取ってみるべきです(笑)。
375 :
神も仏も名無しさん :2009/03/21(土) 23:56:18 ID:JEy6bnmf
>>365 >神は愛。
>すべては愛で出来ていることを、ね
全くの誤り。愛とは、「人間」の感情に過ぎない。人間にあらざる神が、
なぜ人間の感情を持っているのかねw。宗教者の語る神は、すべて人間
の勝手な解釈による、人間の考え。神の「擬人化」に過ぎない。
そして、「神の言葉」を「騙る」ことにより、人間が人間を支配する
ための手段。
神が存在するとすれば、それは「人間には計り知れないもの」。「人間
が人間として、神などに依存せず、自主的に生きることを可能にして
くれている存在」としか言えないだろう。
376 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 00:06:51 ID:5ljXB3sR
>>375 君の考えならそれはそれでいいんだけどね、レス全体的に。
押し付けるつもりはないよ。もちろん・・
神の概念を理解するには程遠いみたいだけど、求めていれば分かるだろうね。
いつまでも自分の中だけにはいないで、他をも探すように・・
377 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 00:20:19 ID:wP/La+hy
>>376 >いつまでも自分の中だけにはいないで、他をも探すように・・
それは、自分の宗教の教祖の言葉や教典から一歩も踏み出すことが出来ない、
すべての宗教信者に対して言ってくれw。
そもそも「神を理解する」「神を求める」などということ自体が、人間
の傲慢さ、冒涜、エゴの表れであることを、忘れてはならない。
神は、人間の思考、理解、追求、崇拝、依存の対象にはならない。ただ、
今ここにあるだけである。「生命」が、「神」該当する。
378 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 00:25:28 ID:5ljXB3sR
>>377 神の概念を理解することを求める。勘違いしないように・・
君のレスを読んで感じたことを君に伝えたんだけどね。
きちんと読んだほうがいい。忠告を・・
おわり
379 :
初代スレ7 :2009/03/22(日) 00:37:34 ID:IOBRQfyp
なんだか、益々お花畑になってきたなw おやすみ ノシ
380 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 00:39:36 ID:M5IdNFnR
「キリスト教の歴史」 邪教だからぶっ殺せ!(十字軍の遠征) 自分がやられないためには他人に罪をかぶせろ!(魔女狩り) 土人はクリスチャンじゃないからぶっ殺せ!(南米はじめ後進国を陵辱) ベトナム戦争はフランス人宣教師から始まったのを知っていますか? キリスト教の歴史は血まみれの殺戮の歴史。 右のほおを打たれたら、相手の息の根の止まるまで殴り続けるのがキリスト教の本質だ。 歴史を勉強しましょう。侵略の先兵は必ず宣教師だったことを。 (いまのアメリカはどうです?ピューリタンの国は戦争したくてしかたがありません) 日本がザビエルなどの言う事を信じなかったからこそ、今の日本がある。 キリスト教を受け入れなかった祖先に感謝します。
381 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 00:55:03 ID:SJJms55p
>>374 >ルドルフ・シュタイナーは、キリスト者でありながら、転生を信じ、かつ著
>作や講演で説き続けた。「シュタイナーは、オカルティストなのだから、当
>たり前だ」 と言われそうだが、自動車王のヘンリー・フォードも、転生を
>信じていたことは、つとに知られている。
神智学は、やっぱり、キリスト教崩れだったのだな。仏陀とイエスとは、本質的
に異なる。キリスト教による仏教の汚染を、許してはならない。
フォードは巨万の富を気付いた。資本主義は、プロテスタントから発生した。
いずれも、唯物論者顔負けである。信仰は、エゴの行為の極致である。
382 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 01:12:58 ID:nTgyRVYW
この本を読め。アンチキリスト教に拍車がかかるぞw 定方晟 『憎悪の宗教―ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』(2005年) ・定方晟(さだかた・あきら) 1936年東京生まれ。東京大学教養学部卒業。 同大学大学院印度哲学博士課程修了。文学博士。 東海大学専任講師・助教授を経て、東海大学文学部教授。 紛争の最大の原因は宗教にある!信仰する人間は平和を愛し、 そうでない者が戦争を起こし虐殺に走るのだ、とわたしたちは考えがちだ。 だが、それは宗教が善であるという先入観にとらわれた見方で、 宗教ゆえに起きる戦争のいかに多いかを知るべきである。 十字軍、異端者狩り、インディオの大虐殺、ナチスのユダヤ人虐殺、 北アイルランドのカソリックとプロテスタントの抗争、 そして今イラクに起こっていること― それらはみな「ヤルダバオトの宗教」、 すなわち自分のまわりに敵を認める ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する現象なのだ。 インド哲学・仏教思想の碩学が常識を覆し、 宗教に潜む「聖なる憎悪」の本質を暴く。
釈迦の誕生日に甘茶をぶっ掛けるのはキリスト教と根本は同じであることの 証拠のひとつ
384 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 01:24:05 ID:l2NEvGrU
反オカルト=戦後左翼マルキスト(唯物論者)=進歩的知識人(仏教学者)
アンチキリスト教ってのも憎悪の宗教なんだから他人のことは言えない
386 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 01:58:22 ID:s7k4aawa
>>385 アンチキリスト教は、人間としてのクリスチャンを批判しているのではない。
彼らを人間として大切に思うがゆえに、彼らを狂わせたイエス(パウロ)の狂
気とエゴを批判しているのである。
いずれにしても憎悪の宗教であることに変わりはない件。
そういう自分のエゴはみないで他を批判しようとする姿勢をイエスは何か言ってたな
389 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 02:29:22 ID:s7k4aawa
>>388 イエスの言葉は、常に、「自分の気に入らない人間に対する憎悪・非難・排斥
とセットになっている。聖書を、初めから有難がらないで、知性と批判力を
以って読めば、あまりにも自明である。
イエスは、神どころか、人間としても最低の部類に属する。
390 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 04:01:03 ID:keW+4urv
>>389 >聖書を、初めから有難がらないで、知性と批判力を以って読めば、あまりにも自明である。
まぁ〜これはいいとして・・だ。
しかし、それにしてもです。あなたがイエス嫌いであることは全くのご自由ですが、いつもあなたの主張
の理由となる筈の根拠が全然、こちらには見えてこない。
>イエスの言葉は、常に、「自分の気に入らない人間に対する憎悪・非難・排斥とセットになっている。
では、具体的には聖書のどの句のことをいってるのか?それを提示して下さいな!とにかく根拠を示し
なさい、その根拠を!それは新約の何の書で何章何節なの???
できないなら、ただのあなたの勝手な妄想ということになる。私はイエスは寛大な心を示したと思いますが。
こちらはいつでもその根拠の句を提示できる。
>>389 あなたは層化学会の人であるという説が流れていますが、
本当でしょうか?
392 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 07:50:16 ID:77/szaOO
>>371 >君の言うことは物質でないものは証拠がないから、取り扱うことが出来ない。
>ということのように思える。
>精神性を扱うときは心で行うと思う。
精神性を扱うときは、経験を比較し反省し、推理・推測・仮説で行う。
しかし前世の業果については、前世の記憶がないのだから、何の手がかりもなく、
そもそも業果を論じる土台がない。
魂(心)の成長は、誕生後の努力によって生じるものであり、
前世の業果によって生じるものではない。
誕生したときに、この子は魂(心)のレベルが高いとか低いとか、
だれも思わない。なぜなら比較の対象がないのだから。
393 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 08:13:41 ID:77/szaOO
前世の業果が今生で熟するという考え方の人は、 今生における、どれが前世の業果であり、どれが今生の業であると 区別し判断するのだろう。そんな区別はできるはずがない。 こんなバカげた考え方自体があなたの業である。 そうでないというなら業を区別する基準を示してほしい。
394 :
一父親 :2009/03/22(日) 08:50:11 ID:sEkV8huQ
子供たちに教える場合にも困るので、仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか? 原始仏典のスッパニターヤ、南伝の長部経典では説かれたと記載。 北伝の長阿含では説かれたという記載は減り、法華経では不明。。 親として南伝の長部経典を論拠として、説かれたと考えると子供には 伝えることにしよう。 どの掲示板も無限の輪廻モードになっているように伺える。
395 :
一父親 :2009/03/22(日) 08:55:08 ID:sEkV8huQ
現世での魂の修行の邪魔にならないように、前世での記憶は忘れて 肉体に宿り誕生するのが宇宙のルール、真理の一つでしょう。 悟りを得た者と、退行催眠者は前世を思い出すようですが。。
396 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 09:14:30 ID:nuXNE/li
>>396 >親として南伝の長部経典を論拠として、説かれたと考えると子供には
>伝えることにしよう。
親の宗教エゴから、判断力の不十分な子供に、カルトを植え付けるのはやめな
さい。幼少時に植え付けられた観念からは、一生涯逃れることは不能になる。
これ以上の、子供の「人権侵害」「精神の虐待」があるかね。
397 :
393 :2009/03/22(日) 09:23:58 ID:+/AaSGzc
>>395 >現世での魂の修行の邪魔にならないように、前世での記憶は忘れて
>肉体に宿り誕生するのが宇宙のルール、真理の一つでしょう。
わたしも同じように考えています。
前世の業は、霊界で実り、熟し、そこで収穫されます。
398 :
393 :2009/03/22(日) 09:28:17 ID:+/AaSGzc
>>396 心配は無用。子供は親の話をストレートに受け入れない。
子供なりの鋭敏なフィルターを持っている。
399 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 09:34:42 ID:nuXNE/li
>>398 実際には、荒唐無稽を受け入れてしまう「危険」は、常に存在する。
「二世問題」の深刻さに注目されたし。
400 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 09:44:01 ID:nuXNE/li
>>390 >私はイエスは寛大な心を示したと思いますが。
>こちらはいつでもその根拠の句を提示できる。
仏教徒を自称する君にとって、イエス批判が何故そんなに気になるの
かね。仏教をキリスト教で「汚染」することは、絶対に許されない。
イエスの言動の具体的批判は、クリスレを初め、このスレの前スレでも
多数行っている。
君のその「根拠の句」を挙げて御覧なさい。一発で論破可能である。
401 :
393 :2009/03/22(日) 09:49:39 ID:+/AaSGzc
>>399 親はだれよりも子供のことを心配している。
その親が子供のために役立つと思って教える。悪いはずがない。
他人のなかで洗脳され、他人のエゴイズムに翻弄されるよりいい。
>>396 カトリックはカルトに含まれますか?
層化はカルトに含まれますか?
403 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 11:38:30 ID:NqCin6LQ
>>401 残念ながら、親が宗教に嵌ると、わが子でさえも、自然の感情ではなく、宗教
のフィルターを通してしか見ることができなくなる。これは、恐ろしい事態で
ある。
横田めぐみさんのお母さんは、最近、キリスト教に入信したそうだが、その
結果、お母さんにとっては、めぐみさんよりもイエスのほうが大切になった
のである。めぐみさんにとって、これほど残酷なことがあろうか。
>>402 すべてのカルトは、伝統宗教を母体として発生し、その教義や宗教的テクニック
を利用している。従って、伝統宗教もカルトも「原理的には」同じ。反社会性の
程度の差だけである。
伝統宗教も、カルトを原理的に批判することはできない。すべて自分に跳ね返って
くるからである。
「反社会性」とは、世俗からからの逸脱をいう。
キリスト教自体が、ユダヤ教から発生した超カルトであるが、カトリックは、
長い年月をかけて、儀式や人間の取り込み(例えば、マリアや聖人崇拝)に
より、かなり世俗化したと思う。一方、プロテスタントからは、無数のカルト
が発生し、発生し続けている。
創価は、最初から人間主義を標榜しているから、あまり問題はないのではなか
ろうか。創価から発生したカルトがあれば、教えて欲しい。
>>403 > キリスト教自体が、ユダヤ教から発生した超カルトであるが、カトリックは、
> 長い年月をかけて、儀式や人間の取り込み(例えば、マリアや聖人崇拝)に
> より、かなり世俗化したと思う。一方、プロテスタントからは、無数のカルト
> が発生し、発生し続けている。
つまり、現状ではカトリックやプロテスタントはカルトではなく、
プロテスタントから派生したキリスト教系カルトが存在する、ということでいいですか?
> 創価は、最初から人間主義を標榜しているから、あまり問題はないのではなか
> ろうか。創価から発生したカルトがあれば、教えて欲しい。
あなたは層化の人だといわれていますが、
この意見はあなた自身が層化であるということと関係がありますか?
>>403 > 横田めぐみさんのお母さんは、最近、キリスト教に入信したそうだが、その
> 結果、お母さんにとっては、めぐみさんよりもイエスのほうが大切になった
> のである。めぐみさんにとって、これほど残酷なことがあろうか。
あなたは死後の魂を信じているのでしょうか?
そのお母さんの気持ちが冷たいというなら分るのですが、
もう亡くなっている人にとって残酷というのはどういう意味ですか?
406 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 12:28:00 ID:/XoeRtx8
本人は死んだ、と信じてないですね。もちろん蔑ろにしているわけでもない。
407 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 12:29:48 ID:NqCin6LQ
>>404 >つまり、現状ではカトリックやプロテスタントはカルトではなく、
>プロテスタントから派生したキリスト教系カルトが存在する、ということで
>いいですか?
両者共、狂人で、神の冒涜罪で処刑されたイエスを崇めるという点では、カル
トです。しかし、カトは、儀式や人間の取入れで、イエスの狂気を薄め、かな
り世俗化してきていると思われる。世俗、即ち、人間の日常生活と一体になれ
ば、それはもはや風習であり、カルトとは言えないでしょう。プロは、紛れも
無くカルトであり、カルトの源泉です。
私は、宗教、特にその「病理」について研究している者です。創価、その他特
定の宗教とは、一切関係ありません。創価も、オカルト性の強い法華経信仰と
いう点で、危惧があります。
>>405 めぐみさんが、もう亡くなっているとは、あなたは北朝鮮の方ですか。
408 :
371 :2009/03/22(日) 12:43:52 ID:CNBDgluC
>>392 >魂(心)の成長は、誕生後の努力によって生じるものであり、前世の業果によって
生じるものではない。
誕生したときに、この子は魂(心)のレベルが高いとか低いとか、だれも思わない。
なぜなら比較の対象がないのだから・・
、当たりまえだ。
私はそんなことは言ってはいない。あんたの思い込みだ。
>精神性を扱うときは、経験を比較し反省し、推理・推測・仮説で行う。
、関係ないことだな。
>しかし前世の業果については、前世の記憶がないのだから、何の手がかりもなく、
そもそも業果を論じる土台がない。
、前世の業果なんて扱えるわけないだろ?
現実のなかで善行、悪行をする者がいるのは前果によるものだろうという推測だ。
409 :
393 :2009/03/22(日) 12:55:45 ID:+/AaSGzc
>>408 >現実のなかで善行、悪行をする者がいるのは前果によるもの
>だろうという推測だ。
前果によるものと、今生の業になるものとの区別は? 判断基準は?
410 :
408 :2009/03/22(日) 18:23:24 ID:k5ZCSNnw
>>409 あんた、あたまよくないね。他の人から聞いてみたら・・
411 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 18:32:50 ID:keW+4urv
>>396 私も子供には宗教の植え付けには反対します。子供の精神はまだ未発達。神はいるとかいないとかも・・
自然な成長に任せて自分自身で考えさせるべきです。子供から質問を受けた場合には、正直な親の意見
は伝えてもいいとは思う。ただし、あくまでもそれについて自分で考えるようにさせ、押し付けは避けたい。
尚、ゴータマが輪廻転生を説いたであろうことは、現存する経典からはほぼ間違いないものとして推測さ
れる。という歴史的な学問上の事実としては、子供たちに教えても当然のことです(定説として教えることは
問題ない)。ただし、自分が輪廻転生を理解でき、それを信じられるかどうかといったことは、また別問題で
す。
ごっちゃ煮にするのは止めましょう!
412 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 18:35:19 ID:keW+4urv
>>393 >>409 話としては簡単なことです。生まれの境涯は過去世(前世)からの業によるものです。尚、人生の中での
出来事の幾つかは前世の業の影響だろうと見なされますが、ただどれとどれが前世の業でどれがそうで
はないかなどは、我々、凡人には判別は困難であるし、その確認の術はない。
かなり勘違いしている輩が多いようですが、悲惨な出来事の全てが前世の自己の行為による報いである
とは限らない(別の理由があると見なされる)。仏教は宿命決定論ではない。人生で遭遇する出来事に対す
る対処の在り方によって、前途の道は多様であり、大きく開かれる。ただし、物事を判断する上での人の趣
向性(癖)のようなものは、ある程度、前世の影響が在るとは考えられる。
自業自得は一つの分りやすい典型的な仏教理論(業報輪廻)のパーターンなのです。誤解してはいけな
いのは、仏教には悲惨な状態にある者や出来事に遭遇して苦しんでいる人を嘲笑ったり、それを放置すべ
きだ、といった見解はない。
慈悲(大乗的言葉ではあるが)と奉仕の精神は仏教者としてのあるべき基本中の基本です。
413 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 18:38:01 ID:keW+4urv
>>400 >仏教をキリスト教で「汚染」することは、絶対に許されない。
誰もキリスト教の話をしたいとは思っていません。あなたが勝手にそれを持ち上げてるだけです。仏教
理論は仏教のみで成立してる。輪廻転生は仏教理論です。キリスト教やイエスを持ち出す必要はありま
せん。いつも持ち出しているのはあなたなのです。
>イエスの言動の具体的批判は、クリスレを初め、このスレの前スレでも
>多数行っている。君のその「根拠の句」を挙げて御覧なさい。一発で論破可能である。
>
あなたが勝手にイエス批判を展開したがってるのですから、その理由となる根拠はあなたが提示すべき
です。これはあなたの意見を聞いた人に求められれば、その論を展開しようとする側の者が応じる義務が
あります。聖書引用はあなたからどうぞ!わたしはその後で、その意見の反論としてすぐに提示します。
できないとは言わせません(聖書ならどこにでもある)。
ネット検索して下さい。あるいは書店で聖書を開いてきて下さい。
以上、お願いします!
414 :
393 :2009/03/22(日) 19:40:09 ID:Lw19BTx6
>>412 >話としては簡単なことです。生まれの境涯は過去世(前世)からの業に
>よるものです。尚、人生の中での出来事の幾つかは前世の業の影響だろう
>と見なされますが、ただどれとどれが前世の業でどれがそうではないか
>などは、我々、凡人には判別は困難であるし、その確認の術はない。
宝珠さんは無意味なことを語っているように思う。
生まれの境涯とは具体的に何でしょうか。 障害・病気・家柄・・・
またその業果が、前世のものか現世のものかを区別できないのであれば、
前世の業果については沈黙すべきではないでしょうか。
それともその基準が古い経典に語られているとでも言うのでしょうか。
415 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 20:24:51 ID:3QYhmrH5
>>414 いずれにせよ、前世だの後世だのは、一切証明できないのだから、それらに
ついて仏典に何が書いてあろうと、いかに議論しようと、一切ナンセンスで
時間の無駄。単に、無視するだけでよく、また、無視すべきもの。2ch用語
で言えば、「仏典のスルー」であるw。
416 :
初代スレ7 :2009/03/22(日) 20:38:34 ID:IOBRQfyp
>>414 ※ 〔 〕は引用者が挿入。
>>412 には、
> ただどれとどれが前世の業でどれがそうではないか
〔→どの業が(どのような業が)、その果(この果)を生じさせたのか〕などは、
> 我々、凡人には判別は困難であるし、その確認の術はない。
のに、
> 生まれの境涯は過去世(前世)からの業によるものです。
> 尚、人生の中での出来事の幾つかは前世の業の影響だろうと見なされます
と言い得るのはなぜか?
と、問いを重ねるべきです。
そしてそれは、
【詳細が不明であるのに(→その“関連”が不明であるのに)】、
【大枠を確定できる(→前世の業と今生の果を必然として結びつけて語れる)(→法則化できる)のはなぜか?】
ということです。(“カルマの法則”という言い方は良く目にしますし、宝珠氏自身も何度か使っていたと思います。)
勿論、
詳細は不明でも、(たとえ大枠としてで(しかなくと)も)『前世の業が、その果(この果)を生じさせている』ということは、
『【嘘をつかない】覚者がそのように言ったから』『そうであると信じる(よりほかない)』のだ、
とは言えます。
『覚者(解脱者)はその詳細を、その関連を知り得る』のだ、と。
『知り、見たからこそ、大枠としてのその法則を説いた』のだ、と。
417 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 20:47:33 ID:M9v1LUPQ
横レス失礼 佛教の立場は古代インド思想の輪廻思想を批判する立場にある。 古代インドの輪廻観は、死後人間が実的存在として何処か定まった場所で 何らかの形態を具して生まれ変るということである。 佛教はこの思想に対して、一体、死後に輪廻すると言われている実的存在は何であるか、 我であるのか、霊魂であるのか、と批判をしている。 仏陀は作用論者であり業論者であり、また精進論者であった。(アンダッタラ・ニカーヤ、一巻 P287) 業論とは、行為についての作用性を基礎的原理としているもの。 この佛教内に限定された作用は古代インドにおける宇宙的シャクティの分割である。 業は宇宙的シャクティの人間における分割動作であった。動きを本質とする根源力(シャクティ)の上に人間的行為がある。 それゆえに、行為もまた、作用であり精進を促進するものである。 一切は動かない物体でなくして、絶えず動きにおいて存在する。 一切は常住の物体ではなく常ならざる無常であり、動的、流転的なのだ。 これは、ギリシャのヘラクリトスの言うパンタ・レイ(万物流転する)に同じ発想だ。 万物と同じく、人間の生命もまた永遠に流れ、そして動く。 輪廻の原語サムサーラは「動く」「流れる」を原意としている概念である。 佛教は輪廻を生命の無限性のシンボルと捉え、内的、心理的に意識の奥において捉えた。 心は刹那的であり、もっとも動き易いものとして考えられていた。 輪廻論もまた、生命の動きである限り、動きを本質とする心の次元で捉えている。これは佛教の合理性を示すものに他ならない。
418 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 20:52:08 ID:3QYhmrH5
>>416 その前提として、まず、前世・来世の存在の科学的証明が必要。証明できなければ、
議論は無意味・時間の無駄。
419 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 21:04:40 ID:M9v1LUPQ
佛教は帰納的思考方法であり科学は演繹法であって、 それを科学的根拠ウンヌンは如何なものであろうか? 物事を捉える視点・角度がまったく異なるものなのである。
420 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 21:09:07 ID:3QYhmrH5
>>419 >佛教は帰納的思考方法であり科学は演繹法であって
それは逆だろ。仏教のどこが帰納的?
宗教は、「科学が存在しなかった時代の、古代人の妄想」。
現代とは、時代が大違い。時代錯誤は、いい加減でやめるべき。
421 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 21:10:34 ID:keW+4urv
>>414 基準?意味不明ですね・・。
生まれの境涯といったら、「境涯」ですよ。
それは前世に規定する業がなければ、決定のしようがない。
当たり前の話です。
これが認められない人は仏教に信奉しなければいい。
>>415 >>418 それは、
あなたは科学者が証明してから受け入れればいいだけの話です。
何も無理して仏教の信をおく必要はない。
>>416 7さんは仏典の何を読んできたのか?
不満なら信奉するでない!
422 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 21:20:08 ID:3QYhmrH5
>>421 >あなたは科学者が証明してから受け入れればいいだけの話です。
証明できると本気で思っているの?科学の分野では、毎年、新しい発見が
続々となされているが、神や霊や前世・来世の証明は、数千年間、皆無。
あと何千年かかる?
君は、オカルト本の読みすぎ。まともな人たちは、オカルト本など
問題にしていないのだよ。読書傾向偏り過ぎ。他には、一体、どんな
本を読んでるのかね。漫画かw。
423 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 21:33:48 ID:M9v1LUPQ
>>419 訂正
佛教は帰納的思考方法であり科学は演繹法であって
↓
佛教は演繹的思考方法であり科学は帰納法であって
>>420 ↑orz
424 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 21:35:34 ID:l2NEvGrU
唯物論者は、自分の立場が揺らぐが故に、宗教・オカルト・トンデモ・疑似科学・ニューサイエンス・生気論に過剰に反応する傾向にある。=ドーキンス
425 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 21:54:40 ID:3QYhmrH5
>>423 その誤りを指摘したのは私だが、しかし、宗教の中で、仏教だけは、
帰納的思考も充分に持っている。
釈迦による「五感」や「空」の発見は、現実界の徹底的観察とそれから
の帰納がなければ、ありえなかったと思う。「四苦」も、城門を出た釈
迦の、苦しむ人々の姿からの帰納であったのだろう。
色即是空、空即是色も、やはり、現実界の徹底的観察からの帰納だと
思うね。単に引き篭もって瞑想しているだけでは、絶対に到達できない
思想である。
仏教の帰納的思考性も、大いに指摘して、論じて欲しいね。そもそも、
仏陀が形而上を否定したのも、演繹的思考の否定なのだから。釈迦の
比類の無い偉大さは、むしろその点にあるのだと思う。イエスとは異
なり、仏陀は「妄想患者」ではなかった。
426 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 22:01:07 ID:3QYhmrH5
>>424 「実在」のみを信じる「唯物論者」は、「立場が揺らぐ」ことなど
絶対にない。「実在」は揺らがない。
ドーキンスは、近著「神は妄想である」の著者で、無神論者。
427 :
初代スレ7 :2009/03/22(日) 22:02:35 ID:IOBRQfyp
428 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 22:07:57 ID:keW+4urv
hhh
430 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 22:11:40 ID:gUdqN87j
悟ってるけど、なんか質問ある?
431 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 22:22:42 ID:keW+4urv
>>427 >って、これは流石に勇み足&暴論か・・・www 少し反省・・w m(_ _)m
まっ、自分の信念に基いて大いに主張すること自体は何ら問題ない。
私は、ここに投稿してる唯物論者と宗教否定者も、宗教グループがなしてきた血の歴史の事実に対す
る嫌悪感と怒りからくる正義感で主張してるものと受け止めている。それ自体については同意するが、宗
教そのものの迷信論には同意しない。それは料理包丁で怪我をしたから、「包丁を無くせ」と主張してる
に等しい暴論だからです。包丁についての理解がない人には納得できないようです。
>などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。
しかし、7さんの主張を裏付ける内容(仏典の根拠)は乏しいのでは?
432 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 22:25:48 ID:keW+4urv
433 :
初代スレ7 :2009/03/22(日) 22:30:49 ID:IOBRQfyp
>>431 > しかし、7さんの主張を裏付ける内容(仏典の根拠)は乏しいのでは?
どれを指してるの? >>主張
434 :
宝珠愚者 :2009/03/22(日) 22:43:42 ID:keW+4urv
7さんが転生を信じないのも自由。 あるかもしれないが科学的には証明されてないという意見も自由です。 業報思想は差別的で良くないというのも自由です(こいつは私は大誤解だと思いますが!) しかし、7さんの主張見解が仏教的に正しいものとする仏典中の根拠は何か? その狭き部分だけ抜き出すのではなく、仏典記述の他の部分や、 仏教体系全体としての教えとの比較と整合性において、 それは7さんの考えを後押しする十分な根拠となりますか?? ---という意味ですw
>>434 だから、どれ?w
それによって、
(私とて、膨大な仏典の極一部にしか触れていないので、学者さん達に比べたらはるかに経証としては弱いだろうがw)、
或るものは仏典にその根拠を探せるだろうし、
或るものは記述からの推論となるだろうし、
或るものは記述の比較検討による推定となるだろうし、
或るものは各記述を総合し俯瞰した所からの推論となるだろう。
また或るものは、自身の経験・知識からの敷衍&記述との擦り合わせのこともあろう。
記述外の事案もあろうが、それも記述の援用をしているつもりだ。
また、当然、それらの推論のうちには記述からの逸脱もある。(このスレでの議論の多くは、そうなっているだろう。)
また、仏典の成立史や、各地域での受容のされ方・変容の仕方、歴史的推移、
社会の中でどのように受けとめられてきたのか、等への視線にも気をつけたいと思っている。
それを考慮した時、「(解釈を除いた・字句通りの)仏典の記述」の根拠としての力は弱まらざるを得ない。
>仏教体系全体としての教えとの比較と整合性において
>後押しする十分な根拠となりますか??
(「そのようにして、今現在、私個人が受け止めている、仏教(についての考え方)」について)、
今のところ大きな反証が無い、という消極的な形でならねw
>>434 (Part12にもなるがw)このスレに於いて、私のレスに仏典の引用が少ないことにお気づきだろうか。
どこか一ヶ所(或いは数ヶ所)を根拠にするのでなく、
これまでに、触れ、受けとめてきた各記述を総合した上で言葉を紡いでいるからだ。
もう随分長いこと自分の中で熟成され、整理されたものになってきていると言えるのかもしれない・・。
(勿論、未消化未整理な部分もある。棚上げしてきたものもある。
輪廻や、三世に跨る業報を巡る考察もその一つだ。だから、このスレに関わってきた。)
だから、(具体的言表について根拠の提示を求められたとしても)、
内様によっては顕著な記述を探すことは可能だと思うが、
どれか一ヶ所(或いは数ヶ所)を選び出すのは(少ないサンプルながらもw)骨が折れるw
(そこまで記憶力良くないしwww)
慎重に言葉を選んだので、時間もかかった、随分と言い訳染みたレスになったが、
いずれにしろ、金口の説法に遡れない以上、
誰もが、大なり小なり推論に拠らざるを得ないことに変わりはないと思っている。
これを越えるのは、(名無しさんが何度か書き込んでいるが)『追体験』しかない。
その意味では、自分の意見の妥当性を言うことはできても「(絶対的に)正しい」と言うことはできない。
(だから、貴方に対しても「〜ではないか?」「〜ではないのか?」「だろう」というレスが多くなる。
断定口調をとらないわけではないが、それは「絶対的正しさ」ではなく「確からしさ或いは妥当性」に於いて
そのように言い切っても良いだろうという判断からだ。)
ただ、少なくとも、これまでに触れてきた仏典の記述に依拠しているという自負はあるつもりだ。
てか、100%言い訳だな、こりゃwww
おやすみ ノシ
437 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 04:14:01 ID:QP+PSHjN
■ 【世界平和を一度も実現できない一神教の神】 ■
..◇・。..☆*。
゜゜・*:..。.。★◎@ ○☆。..:*・゜
゜゜・*:..。.。◇@☆*・゜★。。.:*・☆*・。..:*
人
人 (__)
(__) ∨ (__) ゜゜・*:..。.。◇@☆
( ・D・) ▼ (・∀・ ,,) < 平和ってありがたいね 中東も平和にしてください!☆★
┃ ( つ ┻ と ) ┃ 全知全能のか・み・さ・ま・・・w
┗┳ヽ__)_) (_(__ノ┳┛ やっぱり、祈っても無駄かw・・・ 効果ないし〜w
''''''''''' ┻''''''''''''''''''''''''''''''' ┻ ''''''''''''''''' マザーもそれでずーっと悩んでいたからね☆★
..◇・。..☆*。
■
http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803 ■
438 :
宝珠愚者 :2009/03/23(月) 05:52:02 ID:VHKXvynE
>>435 >だから、どれ?w
う〜ん???
>「“連続殺人犯の自殺(という死)と消防士の殉職(という死)”とが等価であってはならない」
>などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。
>>427 といった7さんの姿勢についてなどです。
私はこの双方の異なる行為の死は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課されるということ
を仏典の記述は教えているとして、それらの経文を根拠として提示してきました。それは仏教全体の理
念とも何ら矛盾しません。
もし、7さんがそうではないとするのならば、それを後押しする仏典の記述とはどれなのか?それは仏
教全体の理念とも整合性はとれるのか?という意味です。
ま〜私も、原始仏典の教えの世界を現代社会に適応するにあたってどうあるべきか?という議論は、
とても有意義だと見なしているので(逆にいえばそのままでは疑問附)、今後はこのスレでは、そんな意
見も投稿されるようになってくれば理想的だと思っています。
〜という意味においては、7さんがこの前上げてくれたウェブサイト(業報の現代社会の説き方につい
て)の内容などは確かに必要課題でしょう。
これについて目を通し終えたら、私から何かこれらの内容に対しての意見を投稿したいと思います。
是非、業報思想の問題点と現代社会における適切な説き方、といったことについて、7さん及び皆さんか
らのご意見を頂戴したいと思います。
>>436 >どれか一ヶ所(或いは数ヶ所)を選び出すのは(少ないサンプルながらもw)骨が折れるw
>てか、100%言い訳だな、こりゃwww
それは分りますが・・でも必要な作業です。この私もこのスレが立つまでは、この10年間というもの・・仏
典をこんなに読み返したり、引用部分を探し回ったりしたことはないw
---まっ、私には相手に強要しようとする意図はありませんけど!
439 :
宝珠愚者 :2009/03/23(月) 06:06:46 ID:VHKXvynE
>>437 一神教だから〜という問題ではない。全知全能なる神というものはいないし、神が世界を平和にしてく
れるということもない。世界平和は我々、人間によって成し遂げるべき課題です。これは(神への)祈りに
よっては達成されない。あくまでも実際的な平和へ向けた行動によって初めて変化が起こるのです。
私は、宗教者たちの神への祈りの行為を無駄とは見なさないが、彼らはあまりに過剰に礼拝行為にエ
ネルギーを費やしており、非常に勿体無いことだと思う。真実の聖なる存在は人々の崇拝など求めない。
仏教信者らの仏像への崇拝もあまりに過剰であり、エネルギーの無駄を生じている。そんなことをゴータ
マはいつ教えたか??
440 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/23(月) 06:32:31 ID:Hkq9jTDS
(^。^;)まだやってたのか、このスレ。(笑) お前ら、中論読め。 答えは明確に記されているぞ。
441 :
宝珠愚者 :2009/03/23(月) 06:47:53 ID:VHKXvynE
>>440 私は、中論を悪くいうつもりはない・・。
しかし、原始仏典を在りのままに読んでいれば、別に必要な書物だとは思わないが。
---失礼
442 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 08:51:53 ID:xjrCfbF8
>>441 原始仏典には、「空」について、どれほどの理論が展開されているのかね。
>>441 私は、原始仏典を悪くいうつもりはない・・。
しかし、現象を在りのままに見ていれば、別に必要な書物だとは思わないが。
--失礼
>>442 中論にはどれほどの理論が展開されているのかね。縁起による現象は相であって
実体的存在とはいえないということが提示されているだけではないのかね。
445 :
宝珠愚者 :2009/03/23(月) 10:00:08 ID:VHKXvynE
>>スレ11/643-644
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1235/12355/1235556630.dat これは内容と文脈から推察して、『トンデモ超常現象99の真相』(と学会著/洋泉社刊P302)から纏め上
げたものと推察します。実はこの私も、と学会のトンデモシリーズ本は大好きであり、オカルトについては
大いに参照させて頂くことがあるのですが、しかし残念ながら、シリーズ本の『--99の真相』に限っては、
決め付けと判断ミスが多く散見されるので、かなりガッカリしています(それを逐一、ここで指摘する気はあ
りませんが・・)。
まず、あなたは英国心霊研究協会(SPR)が、例の“ホジソン報告”の件について、とっくに謝罪を済ませ
ていたという事実をご存知でしたか?
やっとホジソン報告といったブラヴァツキー批判に対する私からの返答がここに纏まりました。これはあ
なたが納得できるような内容とはいえないかもしれませんが、これが今の私にできる最大限の情報の提
供です。
ここにあるものは、ネット初公開となる文章ばかりであろうとこの私が自負するものです。ブラヴァツキー
信頼の回復に僅かでも貢献できるよう、私からネット利用者に心から捧げます。
引用転載量が多いのでヴェブページを作成しました。是非、参考にして下さい!
*『ブラヴァツキー懐疑批判に異をとなえる』
http://houjugusya.web.fc2.com/hpb.html
446 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 10:37:11 ID:ARO3gblE
447 :
亭白 :2009/03/23(月) 11:14:47 ID:QsqlG6DD
>>430 神も仏も名無しさん
悟ってるけど、なんか質問ある?
@どのような悟りをお持ちですか?
[あなた様の悟りとは何でしょうか?]
448 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 22:38:56 ID:5umqnIql
>>439 >一神教だから〜という問題ではない。
一神教に、大殺戮や争いが最も多いという「事実」から眼を背けずに、その
原因を分析・解明して、除去することが、現代の宗教者の最大の義務ではない
のか。
中村元博士でさえも、一神教を極めて激しい言葉で非難している。
激しく非難するのが当然だとでもいいたいのかね。 やっぱり宗教に凝り固まってるやつらはみんな一緒だな。 キリスト教徒だろうと仏教徒だろうと。狂信者乙。
450 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 23:03:09 ID:49wAedmg
除去することや、非難することは結構、簡単なんだよ〜ん。
と、激しく非難する人がいる。
まあ百億回非難されたところで罪が消えるわけじゃ無いんだが。
453 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 23:10:10 ID:49wAedmg
空だな。
そう。罪は空であるから、消えないのよーん。 罪を犯したら自分で償ってね
455 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 23:15:07 ID:5umqnIql
>>452 感情的な非難ではなく、現代人の知識と理性による、一神教の弊害の原
因の「原理的」分析と解明が必要。
犯罪を裁くには、自分の感情をいれずに、被害者の感情を考慮に入れるのよ。 人を物としてみるのは、イカレタ共産主愚者だけで十分。
457 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 23:20:46 ID:49wAedmg
手に釘が刺さったキチガイ像を ニヤついた仏像に置き換えることだな。
金正日のほうがええんでないかい?
459 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 23:34:56 ID:49wAedmg
十字架の裸の将軍様、笑うわ。
ひょうきん族の懺悔室思い出すよな。
461 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 23:40:54 ID:49wAedmg
なつかしいな、西川のりおのオバQの懺悔とか
462 :
宝珠愚者 :2009/03/24(火) 06:52:31 ID:SE+sEPg9
>448
>中村元博士でさえも、一神教を極めて激しい言葉で非難している。
なるほど確かに、歴史的には結果としてはそうかもしれない。
しかし、私は戦争は人間が勝手に行うという見方をします。
宗教が勝手にしてるわけではなく、また基本的に殺人を進める教えはないのでは?
では是非、その中村氏の言葉を引用紹介して下さい!
どの著作で何と??
参考ページ:
「一神教は争いを引き起こす」という言説について
http://d.hatena.ne.jp/ryoto/20070405 ・肯定する意見と否定する意見の双方を上げて比較、検討している。
463 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 16:11:40 ID:+vJqGDb0
>>462 >しかし、私は戦争は人間が勝手に行うという見方をします。
>宗教が勝手にしてるわけではなく、また基本的に殺人を進める教えはないの
>では?
そうやって、自分の宗教や教祖は一切批判できず、すべての責任を「人間」に
押し付けるのが、まさに戦争の原因なのだよ。
特定の教義の言葉ではなく、その宗教の思想全体の問題。「きれいごと」は、
いくらでも言えるのである。
「隣人を愛せよ」「敵を愛せよ」と教えるキリスト教が、史上そして現在も、
最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺しているのは何故かね。
要するに、「善悪・清濁併せ持つ、あるがままの人間に対する愛の欠如」が
原因なのである。
>>463 そうやって、自分自身やニーチェを批判できず、すべての責任をキリスト教やユダヤ教などに
押しつけるのが、まさにナチスによるホロコーストの原因なのだよ。
465 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 16:41:23 ID:+vJqGDb0
>>464 ホロコースは、キリスト教の仕業というのが、ユダヤ人の常識的理解。
ホロコーストのプログラムは、ルターが殆どそのまま既に提案している。
ニーチェは、生物的生存本能については思考の基盤としているが、「共同体
形成・維持本能」については、充分に思い至っていない。それが彼の限界で
ある。
466 :
も :2009/03/24(火) 16:57:56 ID:M+onZrCm
インキョラー以外に神は無し! インキョラー以外の真理無し! 本能共同体は真理である。
>>465 ニーチェの生物的生存本能を基盤にした考え方自体が、
ナチスによってホロコーストにつながる思想として利用されたというのが常識的理解。
そこの部分を批判できない点は、キリスト教徒の頑迷さと全く同一であることを理解されたし。
468 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 17:57:35 ID:+vJqGDb0
>>467 ヒットラーはキリスト教徒。一旦、イエスの思想で犯されると、ニーチェを
本当に理解することは絶対に不可能。
469 :
宝珠愚者 :2009/03/24(火) 18:34:15 ID:SE+sEPg9
>>463 宗教戦争や殺戮の酷さは意味は分る。それが一神教に顕著というご指摘も分る。しかし、どうも府に
落ちない・・あなたの主張は不可解な見解に見えます。
>そうやって、自分の宗教や教祖は一切批判できず、すべての責任を「人間」に
>「隣人を愛せよ」「敵を愛せよ」と教えるキリスト教が、史上そして現在も、
>最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺しているのは何故かね。
それを守らないのだから、ど〜しようもないのでは?どんな教えでも、守ってないのでは同じでしょう!
いくら、「私は仏教信奉してます。教えはよく知ってます」といったところで、それを守らないのでは、やは
り殺戮も起こりかねないわけでしょう!どう-違いますか?
>要するに、「善悪・清濁併せ持つ、あるがままの人間に対する愛の欠如」が原因なのである。
ま〜それと近い意見だけれども・・インド宗教の基本--「ナマスカラナ」といって相手に合掌して拝み挨拶
する精神。つまり、どんな人間も神聖な---神と同一不可分の---性質を内在しており、見た目というのは
仮の一時の姿に過ぎない・・という思想。その内在する神に畏怖と尊崇の念を抱くことで、これが相手を尊
重する姿勢と態度に繋がる。この精神があれば、殺戮などは決して怒り得ないのではありませんか?
仏教にも大乗的には仏性という概念がある。イエスも内在のキリスト意識という同様の概念を教えていた
が、教会の教義からは削除されてしまったのです。誰でも、キリストのごとく成れる可能性という思想は抹殺
された。これが、平気で相手の命も奪う行動も起こしやすくするのだろうと思う。
470 :
宝珠愚者 :2009/03/24(火) 18:35:37 ID:SE+sEPg9
>>463 >そうやって、自分の宗教や教祖は一切批判できず、
とにかくあなたは「イエス」と「キリスト教」を混同し、それを同一視する癖は止めたほうがいい。
それは、自ら無知を露呈して晒す行為です。
で、例の聖句を引用してもらえます!
>>413 >>389 >イエスの言葉は、常に、「自分の気に入らない人間に対する憎悪・非難・排斥とセットになっている。
>イエスは、神どころか、人間としても最低の部類に属する。
そのイエスが気に入らない人間には憎悪・非難・排斥しているという、人間としても最低というその
部分を聖書から示して下さい。確認したいので、それは何書で何章何節なのか?
どうかその根拠を提示してください。宜しくお願いします!
>>468 ヒトラーはニーチェの教えを正しく理解できていないといいたいようだが、
イエスのおしえを正しく理解できていないだけだというキリスト教徒と
キミは一体どう違うのかね?
472 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 20:48:24 ID:YIunLtFu
ニーチェ川柳 旅の途中 ちょっとニーチェで 雨宿り
473 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 20:50:07 ID:04Sy1aF9
また、クリスチャンが湧いてきたな。仏教スレなのに、クリスチャンが一杯
群がってくることの不思議。
>>469 >教会の教義からは削除されてしまったのです
教会の教義から削除されたものを云々しても無意味。削除した者もイエスを
信じていた者だ。従って、削除そのものが、イエスの「教え」の結果である。
>>470 > そのイエスが気に入らない人間には憎悪・非難・排斥しているという、
>人間としても最低というその部分を聖書から示して下さい。確認したいので、
>それは何書で何章何節なのか?
これまでたびたび批判している。言うなれば、イエスの言葉の「すべて」だ。
前レスを参照されたし。
代表的なものを一つだけ上げれば、マタイ10:34以下だ。君は読んでいない
のかね。
それよりも、仏教者を自称する君が、何故イエス批判がそれほど気になるのか
を説明してくれ。
>>471 まず、ニーチェは無神論者・無宗教者だから、「教え」などとは言わない。
ヒットラーがニーチェを理解しているわけではなかったことは、ニーチェに
関する研究書を読んでくれ。
クリスチャンのヒットラーがニーチェを理解できないことは、君たちがニーチェ
を理解できないのと同様。
474 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 21:00:03 ID:04Sy1aF9
>>471 ホロコーストがキリスト教由来であることは、ルターの小論文を読めば
自明のことだ。
475 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 21:24:35 ID:YIunLtFu
子供っぽいヒトラーが、ニーチェの年寄りじみた文章を読んでたら、眠たくなるやろね。
476 :
宝珠愚者 :2009/03/24(火) 22:28:36 ID:SE+sEPg9
>473 >代表的なものを一つだけ上げれば、マタイ10:34以下だ。君は読んでいないのかね。 で、この句をあなたはどう受けとめたのです? 具体的には、これをどういう意味と解するからこの言葉がダメだと? それに応じて私も返答します。 >それよりも、仏教者を自称する君が、何故イエス批判がそれほど気になるのかを説明してくれ。 どうにも府に落ちない(あなたの話に説得力が感じられない)のは、 何か、料理中に包丁で指を切ったから「包丁を無くせ」とか、 自動車事故で死亡者が出るからと車の「発明者を」責めてるかのように聞こえてくるからですよ。
477 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 22:55:02 ID:wRtq7tX1
地球上に戦争があるのはそれを好む人間がまだいるということですよ。 人を殺してもどうにも思わない者がいるんです。 銃を持つということが、何をしているかということが分らないでいるのです。 身近には、人を傷つけるということの意味が十分に分かっていないんです。 幸福とはどういうものかが分らないんです。
478 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 23:05:35 ID:WokO/DFZ
>>469 >イエスも内在のキリスト意識という同様の概念を教えていた
出典は何でしょうか。
>>473 > まず、ニーチェは無神論者・無宗教者だから、「教え」などとは言わない。
教えといおうが哲学と言おうが思想と言おうが言葉の問題にすぎないことを認識すべき。
> ヒットラーがニーチェを理解しているわけではなかったことは、ニーチェに
> 関する研究書を読んでくれ。
別に知っているし、ヒトラーがニーチェを理解していない事について異を唱えてなどいないわけだが。
あまりトンチンカンなことを書かれても困る。
> クリスチャンのヒットラーがニーチェを理解できないことは、君たちがニーチェ
> を理解できないのと同様。
勘違いしているようだが、私はニーチェを理解していないわけではないのだよ。
ツァラトストラなども読んでいるしね。
人のことに話題を振って誤魔化すのではなく、
キミ自身がニーチェの生物的生命を基盤とする思想領域に関して持ち上げるしかできない事自体が
クリ共と同じだということを認識してはどうなのかね。
>>474 どうでもいいな。そんなことは。キリスト教起源の部分があろうとなかろうと、
ニーチェの思想をナチスが利用していたという事実とはなぁ〜〜〜んの関係もない。
私はキリスト教など別に擁護する気もないのだよ。
ただキミが頑迷なるキリスト教徒と同じだと言いたいだけでね。
481 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 23:15:36 ID:FxuioZdC
>>476 >料理中に包丁で指を切ったから「包丁を無くせ」とか、
>自動車事故で死亡者が出るからと車の「発明者を」責めてるかのよう
>に聞こえてくるからですよ。
全く分っていない。包丁や自動車は、「人間の生存」のために、必要・
有用だが、宗教はそうではない。
483 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 23:18:20 ID:WokO/DFZ
>教会の教義からは削除されてしまったのです。誰でも、キリストのごとく成れる可能性という思想は抹殺された。 なぜ初期の教会に、イエスへの悪意を抱かせたがるのか、理解に苦しみます。 教えの内容に都合の悪いところがあったとして、あなたは 「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか? 教会の人達にとってイエスがどういう存在か考えることはないのですか?
484 :
宝珠愚者 :2009/03/24(火) 23:26:15 ID:SE+sEPg9
>>483 うん?私にいってるの?
何をいいたいのか?さっぱり意味不明なのですが・・。
私が、イエスへの悪意を抱かせたがってると??
485 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 23:33:12 ID:YIunLtFu
>>481 免許もってません。私は生存できないでしょうか?
486 :
宝珠愚者 :2009/03/24(火) 23:42:08 ID:SE+sEPg9
>>483 あ〜わかった!教会が本来のイエスの教えに反したドグマを形成していったとする私の意見が気に入
らないのですね?あなたはクリスチャンなのかな?
何も私が勝手に捻じ曲げてるのではなく、教会がイエスを教えを捻じ曲げたのですよ。その上で更に馬
鹿なことばかりしてきたから、キリスト教に憎悪を抱いて、更にそれをイエスと重ねてしまって見てる者が
続出するのです。まっ無理もない・・。
>>478 も含め、明日以降にしましょう!
スレ違いにならない程度で簡単に説明します。
487 :
神も仏も名無しさん :2009/03/24(火) 23:42:43 ID:FxuioZdC
>>485 自動車は、生存に「有用」なだけだから、免許が無くても生存はできる。
しかし、人間に包丁(物を切る道具)がなかったら、恐らく生存は出来なかっ
ただろう。人間は、他の動物のような鋭い歯や牙を持たない。
488 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:01:27 ID:YIunLtFu
>>487 なぜ、「恐らく」って言ってるんですか?
なぜ、「だろう」という表現を使ってるんですか?
包丁なくても生存します。
あんた、生きる気、あるんですか?
489 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:04:28 ID:FxuioZdC
>>479 >キミ自身がニーチェの生物的生命を基盤とする思想領域に関して持ち上げる
>しかできない事自体がクリ共と同じだということを認識してはどうなのかね。
全くのピント外れ。
持ち上げるも何もない。そもそも、生物的生命がなければ、思想も宗教も初め
から発生しない。その「事実」を述べているだけ。
イエスは、そのすべての根源としての「生物的生命」に、全く思い至っていない。
ニーチェ以外の西洋観念論哲学者も同様。
490 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:10:09 ID:IyqPYvdj
>>488 >包丁なくても生存します。
君は、野生の植物や動物を、君の歯で噛み切って処理し、食べられる
のかねw。
491 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:11:21 ID:e8qMPIfH
492 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:14:29 ID:IyqPYvdj
>>491 鶏を殺すのも、解体するのも、君の歯でやったのかねw。
493 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:17:17 ID:e8qMPIfH
>>491 殺すのは首を捻れば簡単です。
それを熱湯に入れて、毛をむしります。
包丁使わんでも、コキッとモモ取れます。
やってみなさい。
494 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:23:28 ID:F0N5Qy+j
なんとムダな会話なんでしょう
495 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:25:49 ID:e8qMPIfH
すまんすまん、横スレで脱線した。
>>481 >全く分っていない。包丁や自動車は、「人間の生存」のために、必要・
>有用だが、宗教はそうではない。
宗教分かってるんなら、さっさと宝玉愚者を論破しちゃってね。
496 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:28:28 ID:IyqPYvdj
>>493 最古の石器にも、かならず石包丁や石斧が見られるのは、やはり「物を
切る」ということが、生存に絶対必要だったからだろう。
君は、石器時代以前の人間w。
497 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:30:31 ID:e8qMPIfH
>>496 包丁にこだわるんだね。
まぁ、よく切れるいい包丁買って、幸せな人生送ってね。
498 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:30:49 ID:F0N5Qy+j
宗教やってる人は自分で結構まともだと思っているんですよ。 でもね、真実からは離れていることを知らない。 幻想というこの世にどっぷりと浸っていて気がつかないでいる。 一般人も同様です。
499 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:33:51 ID:IyqPYvdj
>>494 >なんとムダな会話なんでしょう
ムダではない。原始時代の人間がどうやって生存に努めたかという原点
から出発することが、すべての思考の基盤。
500 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:35:53 ID:F0N5Qy+j
501 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:38:49 ID:IyqPYvdj
>>495 >宗教分かってるんなら、さっさと宝玉愚者を論破しちゃってね。
生存から離れた観念の虜になっている者は、「観念の病」という病気
なのだから、説得は極めて難しい。妄想患者は、目の前に証拠を突き
付けられても、絶対に認めない。
502 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 00:44:38 ID:e8qMPIfH
>>501 生存から離れた観念の虜って、君自身じゃないだろうね。
認めるんなら、まず、鶏の毛を毟るところからね。
>>489 全くビントハズレなのはキミの方なのだよ。
その「事実」とやらに「感染」し、クリ攻撃に執着している姿は
まったくもって、ナチスとそっくりではないか。
そのことに思い至らない愚かさを理解されたし。
事実は事実でしかなく、そこに思想など存在しないのである。
事実を根拠に他者を否定だのなんだのを「しなければならない」だの
「するべきである」などと言い始めるのは事実の曲解、利用である。
中国やソ連などがどれだけ非道な大量虐殺をしたのか考えてみれば
物質性を重んじ精神性を軽んじる輩がどれだけ危険か理解できるはず。
それができないのは狂信的に唯物主義的な思想にかぶれている感染者だからである。
>>500 いや、凝り固まっていなければいいんじゃね?
ご隠居はちょっとヤバイだろ。JK。
人間学序説--輪廻思想を中心にして (共同研究 綜合仏教研究所研究助成中間報告) / 輪廻思想研究会 大正大学綜合佛教研究所年報. (通号 19) [1997.03] このような論文があって、輪廻思想をまじめに研究しようというものである らしい。この中で、キリスト教神学者の野呂芳男が、輪廻転生を承認し、 それを組みこんだ神学を考えていることを知った。野呂氏の名は、ウェズ レー研究者としては知っていたのだが、輪廻神学を構想していたとはうかつ にも知らなかった。いうなれば野呂は輪廻転生・再生(リンカネーション)を 最後の審判すなわち最後の救済にいたるまでの期間、神のアガペーの もとで不信仰者が信仰篤き者になるまでの、何度も何度も生じて滅する 神より課せられたトレーニングとして積極的に捉えるものである。つまり、 サムサーラとカルマは、神が万有を最終的に救済していくための訓練だと いうのである。 シュタイナーはすでに100年前に、「キリスト精神と輪廻転生思想が結び つくことが現代の霊的思想の課題だ」と語っていた。これまでの仏教や インド思想の輪廻思想では足りないものがあり、また、これまでのキリスト教 にも足りないものがあるのだ。伝統的なインドの輪廻観は、非常に輪廻を ネガティブに見る感覚が支配的であり、ひたすら輪廻からの解放を願う というものであったらしい。輪廻転生を、「経験による成長のチャンスを神が 与えてくれたものだ」と積極的に捉えるという発想は近年になって急速に 拡大したものである。とりあえず、こうした輪廻観が、現代に出てくるいろいろ な文献、情報においては支配的だというのは、何か深い意味がありそうだ とは言えるだろう。 野呂氏の神学の話に戻るが、そこで「救済」というのはおそらく「永遠の生命を 得る」ことであろう。もっとも人間は最初から永遠の生命を持っているので、 それを自覚するということだろう、と私は思うが。しかし野呂氏はプロテスタント 系であるので、救済から一歩進んで「神化」を言うことまでは至っていない。
神化とは、文字通り、人間が神と合一するという神秘のことである。このことは、 カトリック、プロテスタントなど西方ラテン世界のキリスト教では原則として 認められていないことだが(例外はいろいろある)、ギリシア語圏の東方キリスト 教(ビザンチンを中心とする)ではむしろ神学の基本テーマだったという。 私はその昔、ロースキーの名著『キリスト教東方の神秘思想』に衝撃を受けて、 おそらくあれほど何度も反復して読んだ思想書はほかにないだろう。実は、 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とか、ああいう世界は東方キリスト教 のスピリチュアルな世界を土台にしている。 仏教とは、人間が仏になれるという思想である。つまり人間は神になるということ である。「えっ、そうなの?」と思った人は、不幸にしてこれまでまともに仏教に ついての教育を受けていなかったのだと思ったほうがいい。仏教は、人間が 仏になるということである。禅とか念仏、密教というのは、そのための方法論に よって分かれているだけである。つまり、仏教とはいかにとんでもないことを 言っているのかということをもっと自覚した方がいいということである。そのための 「鏡」として、東方キリスト教について知ることは有益である。 悟りとは神化のことである。救済とは、永遠の生命を知ることである。神化とは、 さらに階段を上り、ついに神と合一するという神秘を達成することである。 さらに言えば、救済とは仏教でいえば「菩薩の初地」に該当する。つまりやっと スタートラインに立ったという状態である。救済と神化とは無限に離れている。 その中間段階に菩薩や天使の階梯があるのだろう。このように、仏教とキリスト教 は、東方キリスト教という媒介項を入れると、統合されたヴィジョンが見えてくる。 もっとも、東方キリスト教についての認知度は低くて、超マイナーなマニアックな 分野だと思われているが。
507 :
輪廻 :2009/03/25(水) 01:20:09 ID:HR+wVNwx
輪廻ということは、ただちに、輪廻する主体は何か、死を超えて生きる魂という ものがあるのか、という問いになる。仏教では輪廻主体の問題について、 無我説との葛藤から、唯識でのアラヤ識説が立てられた。この唯識思想が、 輪廻神学としては過去の思想の中でもっとも「真相に迫ったもの」ではないか と私は判断している。ただ世界の生成をすべて個的なアラヤ識として立てること には無理があると考えて、「集合的なアラヤ識」があること、つまり「世界霊」 というべき次元があることを考えた。世界霊というコンセプトそのものは 西洋古代哲学にあることである。私が思うのは、宇宙に存在するものには すべてそれぞれのアラヤ識的な根源があるということである。その無数の アラヤ識が多重に重畳し調和しているという、ライプニッツ的な宇宙調和を 思い描くことができる。 真の意味で、「近代の後に来る思想」とは、宇宙が神的根源に発し、宇宙と 人間が存在することは神的な目的に向けて方向づけられており、それは 最終的には「神化」、すなわち、ヨハネ福音書にあるような、万物が「すべてに おいて一つ」となる栄光へと向けられている、というイデーに基づくべきである。 そのことを表現してきたことにおいて、キリスト教思想の偉大さを率直に認める べきである。ただ、キリスト教には、魂の先在、そして神の摂理の一環として 輪廻転生があるということが、受け入れられていなかった。この点を補うべき であると考える。 従って、現代の霊的思想は、その基本的な骨格は、新プラトン主義を内在 させたところのキリスト教思想においてできあがっており、それに輪廻転生 という重要なイデーを追加した形になっているわけである(キリスト教思想と 輪廻イデーとの結合は、100年前にシュタイナーが予言したところであることは、 すでに述べたが、実際にそのように動いているのである)。
508 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 01:30:16 ID:IyqPYvdj
>>503 >中国やソ連などがどれだけ非道な大量虐殺をしたのか考えてみれば
>物質性を重んじ精神性を軽んじる輩がどれだけ危険か理解できるはず。
>それができないのは狂信的に唯物主義的な思想にかぶれている感染者
>だからである。
それも全くのピント外れ。事実に反する。
マルクスは、ユダヤ教から改宗したクリスチャン。唯物論を自称するが、実は、
ヘーゲル直系のドイツ観念論哲学。現実にはありえない「共産主義ユートピア
(神の国)」の「観念」を信仰する宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれる。
他の宗教とは、「信じる神」が違うだけ。
彼の「宗教は阿片」は、お決まりの宗教間紛争。
ちなみに、「血の粛清」を行ったスターリンは、グルジアの神学校を卒業した、
キリスト教の聖職資格者。現在のアフリカでの大虐殺の主導者も、皆、キリスト教
のリーダー。
キリスト教だからこそ、良心の呵責なく、大量の人間を殺害することが可能になる。
無神論者(唯物論者)は、百人百様の観念としての神ではなく、被造物として
の全実在(すべての人間と自然)に最大の価値を認めるから、人を大量に虐殺
することは、「原理的に」不可能。
創造(全実在)を離れた精神性は、人間の狂気を招く。上記のように、大虐殺
はすべてキリスト教に起因しているという事実からも、そのことが如実に証明
されている。すべての原因は、イエスの「愛の思想」にある。
509 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 01:38:53 ID:IyqPYvdj
510 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 02:01:40 ID:IyqPYvdj
>>507 「最終的な人間の神化」などいまさら考えなくても、仏教では、「一切衆生
悉有仏性」と、とっくの昔に喝破している。
511 :
* :2009/03/25(水) 02:18:09 ID:HR+wVNwx
ここへ来て、いわゆる「ポストモダン思想」といわれていたものが、本当の 意味で近代を乗り越える思想ではなかったことが、はっきりしてきてしまった。 ドゥルーズとか、デリダとかは、根本的にはニーチェの思想を超えていない ように思う。つまり、何ら中心がないという意味でのニヒリズムから転じて生の 絶対的肯定へ至ろうという思想であるが、結局のところ、宇宙的な目的を 見失い、無制約的な自由をもてあましている近代人の枠組みを超えるもの ではなかった。その象徴がドゥルーズの自殺である、と私は思っている。 自殺に終わる哲学は絶対に善いものではない。作品と生活を混同するな、 なんて陳腐な批判は受けつけない。それは、生の肯定に失敗した哲学だと 自ら宣言したところになるのであり、哲学者というものは絶対に自殺しては いけない。自分を生み出したところの宇宙に対する深い感謝の念を持って 終わることができない哲学に、何の意味があろうか。ポストモダン思想とは、 つまるところモダン思想の中のバリエーションにすぎなかったのである。 近代というものの自明の前提となっていることがらをさらに問い直していく 必要がある。 ポストモダン思想を、ベルグソンなどと関連づけて、「生命の思想」として位置 づけようとする人もいるが、そもそも、宇宙根源や宇宙的目的というイデーを 喪失したまま、無目的な「生命」を持ち出したところで、それが解決となるの であろうか。そこでさらに西田幾多郎を持ち上げたところで同じことである。 根本的に、存在はどこから発出し、どこへ向かうのかという目的論的構成を 見失ったままで、「生命」だけが一人歩きしてもしかたがない。「生きること」は 自己目的ではないのである。それはより高次の宇宙的目的に属するものとして 初めて成り立つのである。まだまだ、神と向き合うことを回避した思想が多い ということである。
>>508 マルキストは唯物論者だよ。キミがどういう妄想を抱こうと勝手だがね。
そうでないなら、何故、共産圏で大規模粛正などということが起こるのかね?
これにまず答えてみたらドウカネ?
マルクスはキミが言っているように、唯物論を自称しているのだよ。
そもそも弁証法を用いているというだけで観念論だという証拠にはなるわけもない。
彼の「宗教は阿片」は、マルクスの宗教否定を端的に物語っている。
ちなみに、「血の粛清」を行ったスターリンは、グルジアの神学校を卒業した後、
マルクス主義に傾倒してキリスト教を激しく憎むようになった。
中国のチベットにおける蛮行も、共産主義の結果のひとつ。
無神論で物質主義者だからこそ、良心の呵責なく、大量の人間を殺害することが可能になる。
一神教は、百人百様の観念としての神ではなく、被造物として
の全実在(すべての人間と自然)に最大の価値を認めるから、人を大量に虐殺
することは、「原理的に」不可能。
創造(全実在)を離れた精神性は、人間の狂気を招く。上記のように、大虐殺
はすべて物質主義に起因しているという事実からも、そのことが如実に証明
されている。すべての原因は、ニーチェやマルクスの「物質主義性」にある。
513 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 04:16:31 ID:IyqPYvdj
>>512 >一神教は、百人百様の観念としての神ではなく、被造物として
>の全実在(すべての人間と自然)に最大の価値を認めるから、人を大量に
>虐殺することは、「原理的に」不可能。
これも全くピント外れ。創造とは全実在(人間と自然、物質)のことだよ。
イエスが価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、専ら「精神性」。 従って、「創造(あるがままの全実在)に対する畏敬」は皆無
である。その創造を無視した精神性そが、本来、実在に100%依存して生存
するようにプログラムされている人間の精神を狂わせ、大殺戮をもたらし、
現在ももたらし続けているのである。
その点、ユダヤ教は、その長年にわたる迫害の経験から、かなり目覚めてきた
ようだ。ユダヤ教徒であり、当代切っての哲学者であるレヴィナスは、神と
は何かについて考えあぐんだ末、「神とは全実在」「その意味で、一神教は
無神論」という結論に達せざるを得なかった。
>>513 これも全くピント外れ。創造とは全実在(人間と自然、物質)のことだよ。
唯物主義者が価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、
専ら「物質性」。 従って、「創造(あるがままの全実在)に対する畏敬」は皆無である。
何故なら、畏敬とは精神性そのものであるから。
その創造を無視した物質性そが、本来、実在に100%依存して生存
するようにプログラムされている人間の精神を狂わせ、大殺戮をもたらし、
現在ももたらし続けているのである。
>>509 この辺の頭の弱さはいっいどうしたもんだろうね。
一部の人間が仏教徒を騙るクリだからといって、
輪廻を肯定論者がクリだという「証明」にはならないではないか。
いえるのはせいぜい「輪廻肯定論者の中には、クリもいると思われる」というところまででしかない。
お粗末。
516 :
宝珠愚者 :2009/03/25(水) 07:14:58 ID:EYN4c0Yq
>>505 >シュタイナーはすでに100年前に、「キリスト精神と輪廻転生思想が結びつくことが現代の霊的思想
>の課題だ」と語っていた。これまでの仏教やインド思想の輪廻思想では足りないものがあり、また、
>これまでのキリスト教にも足りないものがあるのだ。
このスレ上にも何度か名前が上がったシュタイナー。
日本ではシュタイナー教育などから認知度が高いようですが、
彼は元々、神智学徒の一会員であり、
大本の根幹はブラヴァツキーにあるのです。
517 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 08:20:58 ID:/qMWzp2/
>>486 >何も私が勝手に捻じ曲げてるのではなく、教会がイエスを教えを捻じ曲げたのですよ
最初から貴方がそう主張していると言ってます。
で、あなたは政治的に都合が悪くなったら
「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか?
>あなたはクリスチャンなのかな?
いいえ。
518 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 08:32:22 ID:/qMWzp2/
>在ロシア大使館公使だった河東哲夫も「すべてを説明することのできる究極の理由」を探し出そうとする癖は
>マルクス主義の影響で、何か事件が起こるとすぐ誰かの悪意に発した陰謀をその背後に探そうとするのは
>遊牧民族から何度も侵略を受けたロシア人の癖だと述べています(『外交官の仕事』草思社、191-2頁)。
ttp://www6.plala.or.jp/Djehuti/732.htm 陰謀論に偏る思考も、共産主義が害をなした理由でしょうか。
何も無いところにも敵や敵意を見出さずにはおれない。
そういや中東でもユダヤ陰謀論がはびこってますね。
519 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 08:55:37 ID:BH7lEKOQ
>>514 >唯物主義者が価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、
>専ら「物質性」。
「創造(被造物、物質)」と「物質性」とはどう違う?同じことでは
ないか。
>従って、「創造(あるがままの全実在)に対する畏敬」は皆無である。
>何故なら、畏敬とは精神性そのものであるから。
「精神性」は、「物質」としての「身体」のみに宿る。イエスに、創造
(被造物、物質)に価値を認める「精神性」があるかね?
520 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 10:09:52 ID:pYZBwEz4
>>505 >もっとも人間は最初から永遠の生命を持っているので、それを自覚するということだろう、
と私は思うが。
だったら、人間も「神」と言えないか?
具体的には、「魂」は神の子。潜在的に神のように自由な存在のはずだ。
ヨハネ福音書は思想的に仏教やギータに近いから イエスの教えをよく理解した使徒が書き残してると思う。
>>519 > >唯物主義者が価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、
> >専ら「物質性」。
>
> 「創造(被造物、物質)」と「物質性」とはどう違う?同じことでは
> ないか。
唯物主義者が価値を認めるのは、専ら「物質性」。
(削除を忘れた。失礼しました)
> 「精神性」は、「物質」としての「身体」のみに宿る。
またピント外れ。
何に宿っているかに関係なく、畏敬の念というのは精神性以外のものではありえない。
もし物質性のみを重視するのであれば「畏敬の念」などという「観念」は完全に放棄すべき。
それともキミは、畏敬の念というものが物質性そのものだとでもいうのかね?
物質にしか価値を置かず、精神に価値を置かないから、共産圏では大規模粛正が行われたのである。
生物的生命にのみ基盤を求める唯物論的思考の大罪である。
523 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 16:54:55 ID:ELFd2skx
>>522 マルクス主義も、実は、キリスト教由来の極端な精神論・観念論であったこと
を忘れてはならなりません。だから「擬似宗教」と呼ばれるのです。「血の大
粛清」の原因となったのは、「精神」ではありませんか。
マルクスの「下部構造」には、「上部構造」であるはずの「価値感」がたっぷ
りと含まれています。彼の、富に対する憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、イエス
の思想のそのままの承継です。
生存本能による争いは、相手を皆殺しにしたら自己の生存も危うくなる、少な
くとも不利になることを、これも本能的に知っているため、生存本能による自
動制御と計算が働き、適当なところで和解が可能になります。宗教紛争は、宗
教観念により生存本能が制限・破壊されるため、このような計算が不可能であ
り、あるのは憎悪のみで、相手を皆殺しにするまで、止めることが出来ません。
すべての人間に与えられた肉体的本能である生存本能からこそ、自他の死への
恐れや他者への思いやりという「精神性」が派生するのです。
一神教の言う創造(あるがままの実在)の尊重が、まさに、無神論・唯物論
なのです。この意味で、無神論・唯物論こそ、神の意図に最も近いと言えましょう。
旧約聖書は、「人間が自然状態を離れ、神のようになり、善悪の観念を持つこと」
が「原罪」であると喝破しています。イエスはまさに、原罪の権化ではあり
ませんか。
>>523 > 「血の大
> 粛清」の原因となったのは、「精神」ではありませんか。
勘違いしてはいけない。粛正の原因になったのは「唯物論」という精神。
物質中心主義がいけないのだと何度もいっている。
> マルクスの「下部構造」には、「上部構造」であるはずの「価値感」がたっぷ
> りと含まれています。彼の、富に対する憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、イエス
> の思想のそのままの承継です。
だから唯物論やニーチェを標榜する者はクリと同じ過ちを犯しつづけているのである。
しかも自分自身には目を向けず、クリにばかり目を向けている辺りが手に負えない。
> 一神教の言う創造(あるがままの実在)の尊重が、まさに、無神論・唯物論
> なのです。この意味で、無神論・唯物論こそ、神の意図に最も近いと言えましょう。
この発言自体も、クリと唯物論、共産主義やニーチェの思考が結局のところ似たような過ちに走る原因を
持っていることを示しているといえよう。
クリの非道を訴えるのであれば、まず自分自身の中にある非道さを直視し改善すべき。
525 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 17:24:28 ID:ELFd2skx
>>524 「唯物論」を、「主義」などと解釈するからおかしくなる。「主義」は、「思
想」「観念」であり、「物」と同一平面に置くのは矛盾。「実在」は、「主義」
「思想」「観念」の介入を要しないもの。
真の意味での唯物論とは、創造、即ち、生命を含むあるがままの「実在」を受
け入れる生活態度、即ち、「万物に対する愛」です。それは、圧倒的多数の人間
の日常の生活態度に過ぎません。
釈尊が何を悟り、何故教えを人々に説いたかを考えれば 転生とか馬鹿な話は出てこないだろう。 宇宙の広さとか転生とか論証不可能で役に立たないものは一切説いていない。 議論好きもいいが論証不可能なものに囚われるより 己の仏性を啓く行いをして行こうじゃないか。
>>525 > 「実在」は、「主義」
> 「思想」「観念」の介入を要しないもの。
まったくだ。然るにキミは、キリスト教はダメだのイエスはどうだの
一神教に対して解明すべきだのと、思想、主義、観念を並べ立てる。
これが矛盾だと言っている。
>即ち、「万物に対する愛」です。
愛とは観念ではないのかね?
愛とは精神ではないのかね?
そもそもそれではキリスト教徒などの博愛と同じでしかあるまいよ。
キミが真の唯物論というのなら、クリ共も真のキリスト教とか言い始めるだろうよ。
>>438 > >「“連続殺人犯の自殺(という死)と消防士の殉職(という死)”とが等価であってはならない」
> >などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。
>>427 > といった7さんの姿勢についてなどです。
であるならば、その典拠はないw 貴方の姿勢に対する(皮肉めいた)私の感想なのだからwww
この言表そのもの、或いは相似した構図を持つ記述は仏典にはない。(と思うw)
このような言い方を仏教はしないだろう。
強いて言えば、
>>435 中の4つ目《>或るものは各記述を総合し俯瞰した所からの推論》に該当するかもしれないが、
「売り言葉に買い言葉」としての性格の方が強い。だから、(貴方への誹謗を含むので)言い過ぎてるなと断り書きした。
※(ただ、(個々の事例のみでなく)総合して判断するなら、「(上の文に限らず)『「死」という果』はあくまで等価である」
と読めるのではないか、と考えているのだ。(もっと丁寧に言うなら「価値判断を外す」べきではないか、と。)
等価であるからこそ、定型句として(→一般化して(→誰もが見据えることが可能な(見据えるべき)「“苦”の一端」として))
「老病死」と括れるのではないか。
※(→このような等値させる見方は、大乗仏教の「一」(一相)や(禅の)「平等(思想)」等とリンクするものかもしれない。)
現に貴方は《【両者の『行為の果』】を【来世に設定している】》し、
貴方の論理では《【「死」という果】が【来世の果の「因(或いは縁)」となってはいない】筈だ》。
そして、貴方は「行為」を問うているつもりだろうが、【実際は「死」という果の価値評価に堕している】ように見える。
(本当は、二人の「死という果」ではなく「行為」をこそ評価したいのでしょう?)
だから、つい427の発言をしてしまったし、何度もそうした傾向を指摘してきた。
※さて、《「行為の果」は、来世を待たねばならないのだろうか?》
《【そこに】表れていない(表れない)のだろうか・・?》。)
※大学図書館は遠いし、片山訳は(続刊中だし)金銭的な面で追いかけ切れてないしで、 業報(特に三世に跨る業報)や異熟に関しての考察は断片的であることを告白しておく。 今後の課題として、抱えていきたいと思っている。(特に細部に於いては仏典の記述外となるであろうから・・・。) (あんな長文を投下したのも、「誰かピンポイントで批判・指摘してくれないかな・・・」 という期待と他力依存が裏にあったことも併せて告白しておくw)
530 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 19:01:46 ID:ELFd2skx
>>527 「生命」と「生命によって知覚される実在」という「事実」を述べているだけ。
これは「観念」ではない。
「愛」は、すべての人間の身体から発生する、共生のための「肉体的本能」。
これも「観念」ではない。
※また、528で少し触れたように、「等価である」と見做し得るのはなぜか? どういう場合か?
という考察があっても良いのではないか。
貴方が
>>331 で > 「自己の行為は【それと同等価の】果報を受ける」という真理を示したものです。
と述べる時、私はそこに“貴方の願望”を見てしまうのです。(【 】は引用者が挿入。)
その時、何が等価なのか?『なぜ、【等価】だと言えるのか?』
※「ふさわしい」「適している」「相応である」という言い方なら、(「同じじゃねーかw」というツッコミがあるかもしれませんが・・・w)、
(その言葉通りではないにしても)仏典の記述そのものに根拠を探し得るかもしれない※
勿論、私の『「死という果」は等価ではないか?』という発言も吟味検証されるべきだ。
(
>>438 )
そして、(
>>436 で(見苦しいw)言い訳をしたように)、「縁起」が、仏教の中心思想として抽出される理由は、
(たとえ「縁起」という言葉が用いられていなくとも、直接的に“それ”が述べられていなくとも)、
仏典の種々の記述から(いや、全ての記述から)、“それ”が炙り出されるからではなかろうか。
同様の考察の仕方(≒読み方)でもって、私は(427発言の元でもあるが)《「無味乾燥な繋がり」を示している》と読んでいる。
そこへの意味付けは、『どの文脈で見るか(→世俗との接点を設けること)』を定めた後のことになろう、と。
※(「どれがそうか?」と問われるなら、「全て」と答えるよりほかはないが、一例で、
沙門果経に於ける“(目に見える)沙門の果報”も、
(その幾つかは顕著な形で)『或る文脈・或る条件下で、善き果報と見做されるもの』だ。
そこに見られる《『沙門である』ということがもたらすもの》は、彼が、どのような社会(環境)の中に居るかで変わる。
沙門であることで、保護され尊敬されるどころか、迫害される場合もありうる。
この時、《“沙門であること”がもたらすのは“迫害という果報”》だ。
貴方の論理で、この事態を反証し得ますか?
常不軽菩薩の登場は、この消息を示唆してはいないか?)
机氏を批判しながらも、自分も勝義という言い方を多用する理由はここにある。
だから、(晩年の体調不良・食中毒・サンガの論争・二大弟子の死を例にとってもよいが)、
涅槃は「寂滅」であり「寂静」なのだ、と。
如来にとってそれらは“苦”ではない、と・・・。
如来に“苦”は生じない、と・・・。
「因(縁)があれば必ず果がある」という骨格のみが見出され、
どれだけ理不尽に見えても、それを見据えねばならないのだろう、と。
アッサジは謙遜しながら舎利弗に答えたが、見事なフレーズだと言わねばなるまい・・・。
また、釈尊が「業論者(kamma-vAdin)」「行為論者(kiriya-vAdin)と呼ばれる時、それは、
「【業報(業の異熟:kamma-vipAka)】を説く者」ではなく、
「(生まれによる決定を斥け)、行為の重要性(及び行為にはそれに応じた果がある)を説く者」と見るべきではなかろうか。
業報は業の亜種である、と。
531でPTS辞書のURLを貼ったが、その中でも興味深い部分を (自身の根拠ということでなく、議論自体への参考として)引用してみる。 II. Applied (pregnant) meaning: doing, acting with ref. to both deed and doer. It is impossible to draw a clear line between the source of the act (i. e. the acting subject, the actor) and the act (either the object or phenomenon acted, produced, i. e. the deed as objective phenomenon, or the process of acting, i. e. the deed as subjective phenomenon). Since the latter (the act) is to be judged by its consequences, its effects, its manifestation always assumes a quality (in its most obvious characteristics either good or bad or indifferent), and since the act reflects on the actor, this quality is also attached to him. This is the popular, psychological view, and so it is expressed in language, although reason attributes goodness and badness to the actor first, and then to the act.
In the expression of language there is no difference between: 1. the deed as such and the doer in character: anything done (as good or bad) has a corresponding source; 2. the performance of the single act and the habit of acting: anything done tends to be repeated; 3. the deed with ref. both to its cause and its effect: anything done is caused and is in itself the cause of something else. As meanings of kamma we therefore have to distinguish the following different sides of a "deed," viz. 1. the deed as expressing the doer's will, i. e. qualified deed, good or bad; 2. the repeated deed as expression of the doer's habit=his character; 3. the deed as having consequences for the doer, as such a source qualified according to good and evil; as deed done accumulated and forming a deposit of the doer's merit and demerit (his "karma"). Thus pApakamma=a bad deed, one who has done a bad deed, one who has a bad character, the potential effect of a bad deed=bad karma. The context alone decides which of these meanings is the one intended by the speaker or writer. しかし長いw kammaの項は(関連造語や出典の量が多いせいでもあるが)冊子の方では4頁半あるもんな・・・(^^;
>>530 こういうのを詭弁という。
キリスト教はダメだのイエスはどうだの、
一神教に対して解明すべきだのというのは、思想、主義、観念等と呼ばれるものではないのかね?
> 「愛」は、すべての人間の身体から発生する、共生のための「肉体的本能」。
> これも「観念」ではない。
そんなこといえばクリ共の信仰だって、生きるために自分の支えがほしいという、
生存のための「肉体的本能」だろうよ。
>>438 また、貴方は、
> 私はこの双方の異なる行為の死は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課されるということ
> を仏典の記述は教えているとして、それらの経文を根拠として提示してきました。
と述べるように、目連さんや、仏法を(或いは仏を)誹謗した者、父母を殺した者、等についての記述を引用していたように記憶するが、
それら記述は、(私の
>>427 が「俯瞰した後の推論(感想)」であるのと同様)、
〔 > 双方の異なる行為【の死】は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課される 〕
ことを示し得るだろうか? そのように言うには、あまりに特殊で、少数過ぎやしないか? と。
前スレ(及び前々スレ)の長文で提起したように、
そこに「強引な結びつけ」「願望・希望・無根拠な理由付け」が見られないか? と。
まず「文脈ありき(≒罰としての報いが無ければならない)」ではないだろうか?
PTS辞書は言う。
Since the latter (the act) is to be judged by its consequences, its effects, its manifestation
always assumes a quality (in its most obvious characteristics either good or bad or indifferent),
と・・・。
(
>>438 )
※上の引用文で、貴方は迂闊にも「死」という言葉を挿入している。本来なら(→真に“三世に跨る業報”を言うならば)、
[ > 双方の異なる行為は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課される ] とすべきではないか?
そして、私なら次のような文にするだろう。
[ > 双方の行為は、それぞれに果報として課される ] と・・・。
そしてそれは、貴方が何度か述べた「自業自得」という言葉が示すように(―この“語自体”はパーリには無いようだが―)、
[ 行為の果は当人が受ける ]ということになろう。(※これは、必ずしも「他者は(間接的に)その果を受けない」ということを意味しない。)
(PTS辞書―3. (Interaction) A. in subjective relation;の項)
(b) the effect of the deed on the doer: the consequences fall upon the doer,
in the majority of cases expressed as punishment or affliction:
yathA yathA ayaM puriso kammaM karoti tathA tathA taM paTisaMvedissati. …☆
"in whichever way this man does a deed, in the same way he will experience it (in its effect)"A i.249;
仏典に於いては、この骨格が述べられていると私は読む。少なくとも、全ての記述に共通するのはこの骨格のみであろう、と。
そしてこの骨格は、「その果に対する“他者からの評価”」とは一線を画すべきだろう。
それは、仏教が「気付き」「自覚」をその出発点としていることとリンクさせれば、よりはっきりすると思う。
( 同項より。 kamma vipAka kovida "【 well aware 】 of the fruit of action," i. e. of retribution Sn 653; )
そして、記述の外へはみ出す形で推論を重ねるなら、
「“【殺人犯の】殺害という行為”は、【直接には】本人に【“満足・快楽・喜び”という果】をもたらし」
「“【消防士の】救助・消火という行為”は、【直接には】本人に【“満足・達成感・充実感・喜び”という果】をもたらし」
ている。そして、その後の縁によっては(→≒文脈の導入の仕方によっては)「後悔」や「死」という果も生じ得る、と。
(
>>438 )
貴方が引用したものは全て、
「【それでは理不尽だから】理由が探された」形であり、
「【それでは溜飲が下がらないから】“罰・報復”としての果が想定されている」形であるという、
この可能性を否定することはできないでしょう?
少なくとも、正当性・妥当性の主張には、前スレ長文のような疑義がクリアされねばならない。
たとえそこに「文脈の導入」が必須であったとしても、その文脈こそが、「仏教的にどうなのか?」と問われるべきだろう。
上や下に引用するPTS辞書の記述(事例としての出典)からしても、
(善きことだけでなく)業果・業報に「罰」の意味が付加されていることは見てとれる。
今生の果の因を過去世の行為(業)に遡及して求める視線も見いだせる。
「業果は(当人が)必ず受けねばならない」というのが仏教の骨子となっているのも解る。
だからこそ、記述自体への視線にも懐疑的でありたいと思う。そして敢えて問いたいと思う。
『なぜ、異熟(≒vipAka)という概念が導入されねばならなかったのか?』と。
それは、直接的な業果のみでは、理不尽に感じられる事象を説明し辛かったからではないか?と。
「三世に絡んだ(跨った)場合」と「理不尽な(→理不尽に見える)直接的“果の表れ”」について、
「胸を撫で下ろす形・溜飲の下がる形での納得」が要請されるからではないか?
或いは、『そのような価値判断とセットでの「業果は(当人が)必ず受けねばならない」』
という鉄則の維持の為には必須な概念とも言えるだろう。
参:vipAkaの項抜粋。
fruit, fruition, product;
always in pregnant meaning of "result, effect, consequence (of one's action),"
either as good & meritorious (kusala) or bad & detrimental (akusala).
Hence "retribution" (kamma-vipAka), reward or punishment.
(
>>438 )
「果が、時を異にして熟す(表れる)」ということが、(因果の拾い上げに際し)
スパンを長くとった場合にも適用可能にする為であることは容易に理解できる。(卑俗な喩えで恐縮だがw)、
「(宿題(課題)を後回しにし、)誘われた飲み会に出かける(=行為)」・・・A
→「楽しい時間を過ごす(=楽)」〈来て良かったw〉・・・b
→「宿題の量と難しさに愕然とする(睡眠時間を削られる)(=苦)」〈行かなきゃよかったorz〉・・・c
ここに於いて(【宿題をやっている最中には!】)「因果の拾い上げ」「因果の結びつき」は、
〔Aによるc苦〕となる。(もし、【歓談の最中ならば!】当然〔Aによるb楽〕だ。)
※勿論、これらの結びつけの間を更に刻むことも可能だ。※
ここで、もう少し長くスパンをとってみよう。
→「就寝前、一人の友より電話がくる。〈実は明日引越すんだ・・〉と。〈会えて良かった〉と。
彼は思う。〈行って良かった〉と。〈彼と騒いで良かった〉と・・。」・・・d
さて、
≪彼にとって、Aという行為は“苦”の因か?“楽”の因か?(この場合“善”も含ませる)≫
≪彼が受けた「Aという行為の果」は何か?どのようなものか?≫
以前貴方に《「自殺という行為」の“果”とは何か?》と問うたことがある。同じ構図だ。
(
>>438 )
※文脈の他に重要な問題の一つは、(上の宿題・飲み会の件はともかくwww)
『こうした関連を、(遡及して)観察し、確かにその通りである、と自覚、納得できるかどうか』にある。
だから私は、三世に跨る業果について疑問符を付けるのだ。(参:前スレ668、670-671)
上の方で述べたような『骨格としての業果(≒因果(→縁起))』を見ることが大切ではないか?と。
他者がそれを判断・断定して良いのか?と。
再度引用しよう。《 kamma vipAka kovida "【 well aware 】 of the fruit of action, Sn 653 》
酒のせいもあり、おざなりな課題の処理で、教授から小言を貰い、提出のし直しを求められ、
各人のレポートをまとめる者は期限オーバーについて嫌みを言う。確かに迷惑をかけている。
だが、彼は、本当に飲み会には行かない方が良かったのか?
飲み会に行ったことは、(大勢に迷惑を掛けた)「悪業」の範疇に入るのか?
誰がそれを判定するのか?
迷惑を被った者達にしてみれば、まさに悪業かもしれない。それを為さずに、責務を果たしてくれ、と。
友人は思うかもしれない。来てくれてありがたかったと。他の誰でもないお前と、騒ぎ、笑って旅立ちたかった、と。
さて、彼は自分の行為Aを、どう見るべきだろうか・・・。
(※この事例の登場人物全てが、根本的構図として「エゴを基点にしている」ことも注視されるべきかもしれない。)
ここに於いて、bでもcでもdでも、「受け止め方」「視線の向け方」で、(実際には全て世俗の雑事・夢幻泡影であるわけだが・・)、
実は『苦でも楽でもない、只の“Aによる結果”である』或いは『(一切行苦の意味で)どちらも苦である』と見る視線が存在する。
それが、勝義としての業果ではなかろうか・・・。
※(上の653偈を含む、Sn大品ヴァーセッタ経も大変興味深い。)
(
>>438 )
※こうした一連の考察は、金口の説法を辿れないのと同様に、現存仏典の記述のみでは根拠として弱い。
なぜなら、『三世に跨る業報の詳細(→その「因果としての」結び付き)は語られていない』からだ。
法則化するには、事例として少なく、特殊であるからだ。(
>>416 )
だから私は、多くの問いを貴方に投げかけている(―それは自分への投げかけでもあるが―)。
私の知らない(≒まだ咀嚼整理し終わっていない)「三世に跨る業報の正当性・妥当性」を貴方は知っていて、
知っているからこそ、私を論難するのだろう、と。
だから、この議論に関しては「外道」の称号を甘んじて受け入れている。
kamma-vipAka / kamma-phala とは、
往々にして「過去世から現世へ跨って(時を異にして熟す(表れる))こと」及び「罰としての報い」を指すからだ。
参:3. (Interaction) A. in subjective relation;の項から抜粋。
(a) character of interaction as regards action; action or deed as having results:
phala and vipAka (fruit and maturing); both expressions being used either singly or jointly, either singly or independent;
* phala: tassa mayhaM atIte katassa kammassa phalaM
"the fruit of a deed done by me in former times" ThA 270; Vv 479 (=VvA 202);
* vipAka: yassa kammassa vipAkena . . . niraye pacceyyAsi . . .
"through the ripening of whatever deed will you be matured (i. e. tortured) in Name." M ii.104;
tassa kammassa vipAkena saggaM lokaM uppajji
"by the result of that deed he went to Heaven" S i.92; ii.255;
kamma vipAka kovida "well aware of the fruit of action," i. e. of retribution Sn 653;
前スレの長文は、貴方にこそ回答してほしかった。(他の方でツッコんでくれる人がいるかと思ったが、それもないw) (あれは、仏典中に根拠を探してくれということではない。それ以上に、≪貴方自身の見解≫をこそ問うているのだ。) 仏典の記述に例を探せば、(このスレの最初の主旨同様)【そうした内容を意味する記述は存在する】。 だがそれが、貴方の主張を、完全に、不備なく、例外なく後押しするかと言えば、 上に(ダラダラとw)述べてきたように、一抹の疑義を感じるのだ・・・。
>>438 > それは仏教全体の理念とも何ら矛盾しません。
仏教全体の理念とは何か?
縁起、無常、無我(非我)、四諦(八正道)、涅槃、これ以外に何があるのか?
そして、輪廻も、業果も、業報も、縁起の範疇に含み得る。
だとすれば、矛盾しないのは当たり前だ。
問題は、仏典の成立史・変遷を考慮するなら、この2500年の間、本当に「各記述の仔細が互いに齟齬を生じていないか」だ。
ここについて、一歩退いた、慎重な態度も必要ではなかろうか。
※貴方の挙げたものと逆の事例はどうか?或いは、そうした極端なことでなく、些細な行為の場合はどうか?
貴方の提示した例は、本当に
>双方の異なる行為の死は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課される
ということを示し得るだろうか?
法則化して捉えるには、あまりに性急ではないか?(だから
>>416 となるし、この点での考察は仏典の記述外になります。)
仏典には『そのような【詳細(→必然的結び付きの理由)】は説かれていない』。
圧倒的量で説かれているのは、『縁起』という骨格、『涅槃(の希求)』『梵行・正道』『正見』『戒』という基準ではないか?
> もし、7さんが ・・・・・・ 意味です。
今はまだわからない。(他の方が、(私の書き込みを)検証断罪してくれるのでは?w)
> ま〜私も、 ・・・・・・ 思っています。
ですね。
> 〜という意味に ・・・・・・ したいと思います。
期待してますよw
> でも必要な作業です。
ですよねぇ〜・・・w orz
545 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 22:45:57 ID:c4pohMUV
*
546 :
神も仏も名無しさん :2009/03/25(水) 22:54:16 ID:c4pohMUV
ご隠居の典拠、インチキ本には笑った。たぶん、このスレで一番レヴェルが低い。 机さん並み。あるいは以下。
547 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 00:21:52 ID:L8PqqDQb
>>536 >そんなこといえばクリ共の信仰だって、生きるために自分の支えがほしいという、
>生存のための「肉体的本能」だろうよ。
生存のための支えは、衣食住。イエスや神は一切関係ない。イエス自身の生存に
ついても、全く同じ。
極限の飢餓状態においては一切れのパン、極限の寒気においては一枚の衣服が
「神」である。他の神は必要としない。
神とは、信仰とは何かは、極限の生存状態においてのみ、判明する。
548 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 00:38:59 ID:L8PqqDQb
>>546 インチキ本とは、事実に反する本のこと。だとすれば、最大のインチキ本は、
聖書であることには、間違いない。
549 :
絶対神 :2009/03/26(木) 00:44:40 ID:pObmWUjT
まあそれを言うなら仏典だってそうだね。
現代人から見れば、「嘘ばかり」
「嘘が全くない宗教書なんて存在しないよ」
逆に聖書は、奇跡描写を置いとけば、歴史的事実がワリと書かれてる
事が考古学的に証明されている。
だから、逆に、聖書はかなり事実に適合しているのでインチキ本とは
言えない。
>>547 俺が言いたいのはそういう事。
「本当の神様は飢えている人間に食料を与える存在でなければいけない」
って事。
「物理的に救う能力があってこそ、人を本当に救えるの」
だから、「本当に奇跡の力を持ってないと。つまり、全能に近くないと
人は救えない訳よ」
ただ無論、ただの衣服やパンが「神」な訳がない(本気でそう思って
るのなら、そいつはただの馬鹿)。
衣服は道具だし、パンは人間が作った食料であってそれ以上ではない。
だが、「飢えている人間や、寒さで凍えている人間を救えもしない存在
が偉そうに神を名乗っていけないのも、また事実」
「神とは宗教を教える存在ではなく、現実に人を救える存在」
550 :
絶対神 :2009/03/26(木) 00:47:04 ID:pObmWUjT
人を救うのは、釈迦でもない、仏教でも仏典でもない。 「本当に奇跡能力を持った、私のような生き神だけ」なんだ。 わかった?
>>547 > 生存のための支えは、衣食住。イエスや神は一切関係ない。イエス自身の生存に
> ついても、全く同じ。
そりゃそうでしょうよ。物質的なことさえ満たされていればそれでいいという視点で考えるなら
という前提はつくがね。
> 極限の飢餓状態においては一切れのパン、極限の寒気においては一枚の衣服が
> 「神」である。他の神は必要としない。
だから唯物論的な視点に立つ限り、キミの言う「愛」なども必要としないのだよ。
> 神とは、信仰とは何かは、極限の生存状態においてのみ、判明する。
何がいいたいのか意味がわからんね。
苦行することで極限状態を作り出すのはよくある修行法だが、苦行のすすめでもしたいのか?
552 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 03:17:21 ID:FrEjZbli
>>551 >そりゃそうでしょうよ。物質的なことさえ満たされていればそれでいいとい
>う視点で考えるならという前提はつくがね。
他のすべての生物と同様、人間の本質はその生存本能。人類の歴史は、生存の
ための「物質的充足」の追求の歴史。甘ったれた「精神的充足」などではない。
>だから唯物論的な視点に立つ限り、キミの言う「愛」なども必要としないの
>だよ。
人間は、一人では生命を維持できないことを、これも本能的に知っているから、
生存本能から、共同体形成・維持の本能、自他の死への恐れ、他者への思いやり
(愛)という本能や自然の感情が派生する。これらはすべての人間に生来的に
ビルトインされている「肉体的本能」であるから、宗教から教えられる謂れ
はなく、教えられてはならないもの。
生命は、その38億年前のシアノバクテリアの発生時から、共同体。神は、
人間を「男と女」に創った。原初から共同体である。
>>552 > 人間は、一人では生命を維持できないことを、これも本能的に知っているから、
> 生存本能から、共同体形成・維持の本能、自他の死への恐れ、他者への思いやり
> (愛)という本能や自然の感情が派生する。これらはすべての人間に生来的に
> ビルトインされている「肉体的本能」であるから、宗教から教えられる謂れ
> はなく、教えられてはならないもの。
バカかね。人は一人でも生きていけるではないか。
無人島で生きながらえた人もいれば、太平洋戦争が終ったことを知らず、
一人でずっと隠れ住んでいた人もいる。
一人で生命を維持できないなどという甘ったれたことを言うのはやめたまえ。
554 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 10:25:08 ID:mzvkdAAQ
>>553 >バカかね。人は一人でも生きていけるではないか。
無人島で独りで生きた人も、先人及び同時代人によるあらゆる知恵と文明の
利器を使用している。これらの知恵と利器がなければ、たちまち飢え死にする
か、猛獣に襲われて死ぬだけだろう。
独りでは、子供が出来ず、種属としの生命は維持できないw。
>>554 では道具を使うことが愛なのかね?
拡大解釈にもほどがあるとは思わないのか。
556 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 10:49:05 ID:sXqx/hIg
ご隠居のつまんない。凡百のニヒリズム独白は聞き飽きました。 スレに関係ないだから、よそでやってくれないか? 頼むよ。オイ!
557 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 10:49:51 ID:sXqx/hIg
ああ、生命教と常識教も同じね。
558 :
亭白 :2009/03/26(木) 10:51:36 ID:ulKYQTtR
>>550 絶対神さん
人を救うのは、釈迦でもない、仏教でも仏典でもない。
「本当に奇跡能力を持った、私のような生き神だけ」なんだ。
わかった?
@どことなく愛嬌のあって憎めませんが「人を救うのは、釈迦でもない、仏教でも仏典でもない。」
それはあなたが無智をさらけ出しているにすぎない。御自分のあるべき理想と現実のギャップに
苦しんでいるのはわかります。地団駄踏む気持ちもわかります。その悶々とした気持ち、鬱積を
持って渇愛の心で「生き神だ」と名乗られても、その勢いを借りてヘドロ沼に捨てるしかないのです。
心の内からこみ上げる使命観にも似たうずきなのか?
悪魔に憑依され押さえがたき怒りに似た「生き神」の名誉心か?
メジャの多神教を嫉妬した一神教の祟り神の生まれ変わりですか?
絶対神さん孫悟空みたいな行為はもうやめてはいかがでしょうか?
超能力の善のために使う如意棒は、小さくして耳の穴にしまっていただきますか?
559 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 10:56:47 ID:mzvkdAAQ
>>555 愛とは、生物的生命の維持と、他者の存在と、相手が助けを要する
具体的状況との三つの条件を必要とする。抽象的・観念的な愛など
ない。
つまり、愛とは、「土壇場で相手を助ける『行動』」である。そうでない
愛は、単に自己の満足というエゴの行為であり、相手にとってはウザく、
有難迷惑なだけ。
イエスやクリスチャンは、このことに気付いているかねw。
560 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 11:00:36 ID:JqoY+h96
ケン・ウィルバーさんとかプロティノスのも もういいです。ここであくまで「仏陀の、仏教の」 生まれ変わりはどうなのか話をする場では? まあ、それについてはもう結論づいちゃった感もありますし、 スレを保守するためには仕方が無いのかもしれません。
561 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 11:07:57 ID:sXqx/hIg
>>560 だよね。もう、何かを主張するなら仏典に基づいてくれって感じだよ。
まあ、仏教で輪廻が前提となっていることはどうしようもないことですが、
なんでキリスト教とかプロティノスとかトランパーソナルなのか?
たぶん、ご隠居みたいに読みやすいインチキ本から得られる知識だからだろうけど。
562 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 11:34:06 ID:mzvkdAAQ
>>561 >なんでキリスト教とかプロティノスとかトランパーソナルなのか?
執拗な輪廻転生肯定者が、それらの影響を受けていることは明らかだから、
大いに関係がある。
前レスで、どなたかが、無意識であるはずのアラヤ識を意識的に判断してw、
「アラヤ識は汚れている」などと言っていたが、これは、キリスト教の「罪の
意識」そのままではないか。
キリスト教による仏教の「汚染」が、かなり進行しているは、事実であろう。
563 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 11:40:47 ID:hk99lA1a
564 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 11:41:28 ID:sXqx/hIg
>>562 それを関係づけるのは、あんたの妄想以外のなんでもないでしょ。
絶対関係あるってんなら、典拠をだして論証してね。
まあ、2ちゃんだからしょうがないちゃ、しょうがないが。
565 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 12:01:49 ID:mzvkdAAQ
>>564 典拠のある宗教などないよw。典拠自体に、現実上の根拠はないのだから。
566 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 12:11:42 ID:mzvkdAAQ
>>563 >あなたの「愛」はなんと狭いんですね?
それ以外の愛などないよ。それは、他者に対する愛ではなく、自己満足と
いう「エゴの行為」に過ぎない。
567 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 12:17:02 ID:sXqx/hIg
>>566 結局、キリスト教徒と言ってることが同じな件。
569 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 19:00:31 ID:3N9+gdm0
>>568 イエスは、「生命がすべての根源」という、最も肝心なことには、全く
思い至っていないよ。
570 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 19:32:01 ID:gMZy76U2
キリスト教の歴史 邪教だからぶっ殺せ!(十字軍の遠征) 自分がやられないためには他人に罪をかぶせろ!(魔女狩り) 土人はクリスチャンじゃないからぶっ殺せ!(南米はじめ後進国を陵辱) ベトナム戦争はフランス人宣教師から始まったのを知っていますか? キリスト教の歴史は血まみれの殺戮の歴史。 右のほおを打たれたら、相手の息の根の止まるまで殴り続けるのがキリスト教の本質だ。 歴史を勉強しましょう。侵略の先兵は必ず宣教師だったことを。 (いまのアメリカはどうです?ピューリタンの国は戦争したくてしかたがありません) 日本がザビエルなどの言う下劣な妄想を信じなかったからこそ、今の日本がある。 キリスト教を受け入れなかった祖先に感謝します。
>>569 生命が根源と口先だけで言っていても、結局は愛がどうのという
思想、主義、観念にしがみついており、クリ共と変るところがない。
根源が生命であろうと神であろうと、やってることは同じ。
スパゲティモンスターが生物的生命という名前になっただけのこと。
観念的だという意味でクリと同一だということを理解されたし。
キリスト教はダメだのイエスはどうだの、
一神教に対して解明すべきだのというのが、思想、主義、観念等と
呼ばれるものであることを一刻も早く理解すべき。
>>570 まぁそれはそうだと思うだが、
生物的生命に基盤を置く唯物論も同じようなものだということを早く認識すべき。
573 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 19:55:05 ID:sXqx/hIg
はあ〜、ま、スル〜するしかないか(^-^)
574 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 22:54:15 ID:Xw58HzNC
>>571 生命がなければ、唯物論も観念論も、その他の人間の如何なる思考・営みも
発生しない。従って、生命は、物でも観念でもない唯一の存在であり、すべての
根源である。「神」と呼ぶに相応しい唯一の存在である。宗教でいう神は、生
命の機能としての観念作用の産物に過ぎず、従って、すべての神概念は、生命
に従属する。
>>572 >生物的生命に基盤を置く唯物論
君にとっては、「生命」も、それから発生する精神も「物」なのか。それこそ
極め付きの唯物論だろう。
575 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 22:54:23 ID:TZcgEYK4
>>566 やっぱりですね。
はなしにもならない。
576 :
神も仏も名無しさん :2009/03/26(木) 23:56:21 ID:Xw58HzNC
「物」とは「実在物」をいう。 従って、「神」「霊」「魂」「前世」「来世」が「実在する」と信じる者は、 すべて「唯物論者」である。
>>574 > 生命は、物でも観念でもない唯一の存在であり、すべての
> 根源である。「神」と呼ぶに相応しい唯一の存在である。
ナニコレ? イエスは神の子である。イエスは命である、というのと何が違うのか意味不明〜wwww
唯一の神とか言っちゃって、ほんとに隠れキリシタンもいいところだな。
だったら最初からクリだと宣言すればいいんだよ。まったく無駄に時間とらせやがって。
神を生命に置き換えただけで、結局、クリのパクリじゃねぇか。
> 君にとっては、「生命」も、それから発生する精神も「物」なのか。それこそ
> 極め付きの唯物論だろう。
自分にとってはモノじゃないよ。精神は精神。モノはモノ。
ただキミの論旨が矛盾しているから、こういう発言になっているだけ。
>>576 なんだかしらんが、あんたは「「神」と呼ぶに相応しい唯一の存在である。」
とまでイッチャッテるんだから、
あんたの定義によれば、あんた自身は唯物論者なんだろうよ。
実態はカルト系のクリスチャンだけどな。
579 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 00:09:27 ID:Y64ivOmB
>>578 イエスもクリスチャンも、「人間の生物的生命」などに、何の価値も
認めない。だから、良心の呵責なく、大虐殺を行うことが可能になる。
キリスト教から発生した「擬似宗教」であるマルクス主義も同じ。
イエスが「生命の尊重」を説いた箇所が、聖書の中に一箇所でもあるかね。
彼は、「この世に勝つ」と言っている。即ち、人間全体を敵視している
のである。「敵を愛せよ」などと説教垂れながら、自分は全く実行でき
ていない。イエスは「言行不一致」の典型。神どころか、人間としても
クズである。
580 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 00:38:07 ID:y51zYFA7
>>576 勝手な定義だなw
唯物論ってのは、物質還元主義で、精神とか神、霊、魂などを認めないから、
唯・物論っていうんじゃないのか?
しかも、仏教は実在は認めない、縁起だからだ。
それも分からないんだから、出直してこい!
581 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 01:05:22 ID:hvI+VDLX
>>580 >唯物論ってのは、物質還元主義で、精神とか神、霊、魂などを認めないから、
>唯・物論っていうんじゃないのか?
そこが、君の浅はかさ。「神」「霊」「魂」「前世」「来世」が「実在する」
というのは、それらを「物質」としていること。どこが違う?それらが物質で
なければ、単なる空想・妄想である。「もの」には、「実在物(物質)」と
「空想の産物」とのいずれかしかない。それらの「中間物」は存在しない。
>しかも、仏教は実在は認めない、縁起だからだ。
>それも分からないんだから、出直してこい!
輪廻転生肯定者は、「前世」「来世」「生まれ変わりの肉体」が、「実在する」
と主張していることについては、どう思うのかね。
582 :
初代スレ7 :2009/03/27(金) 01:09:08 ID:uypD1OZo
>>580 どっちも極論に違いはないw
>精神とか神、霊、魂などを認めないから、唯・物論っていうんじゃないのか?
違うんじゃないでしょうかね?w (Wikiの記述は妥当だと思いますよw)
仏教が実在を認めないなら、
なぜ、律や学処が制定されねばならないんでしょうね?
なぜ、托鉢して、食物を得ねばならないんでしょうね?
我々の世界には、なぜ、病院があるんでしょうね?
ジーヴァカは何をしてたんでしょうね?
おやすみ ノシ
>>582 きっと誤記じゃまいか?w
実在そのものを認めずに否定してしまうと、
縁起自体が成立しなくなってしまいますからw
584 :
初代スレ7 :2009/03/27(金) 01:13:31 ID:uypD1OZo
>>582 補足。
たぶん、お二人の間で、「実在」の定義(語義)が違うんでしょうね・・・w
585 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 01:21:55 ID:hvI+VDLX
>>583 >実在そのものを認めずに否定してしまうと、
>縁起自体が成立しなくなってしまいますからw
仏教徒でありながら、仏教の中心思想である「縁起・空」をちっとも
理解していないw。君も、クリスチャンか。
>>579 > イエスもクリスチャンも、「人間の生物的生命」などに、何の価値も
> 認めない。
それは違うと思うよ。なんでそう信じたいのか知らんが。
マザーテレサの後半生は、一部の講演などをのぞけば
ほとんどの時間を食事や医療の提供、生活空間の確保など
人間の生物的生命の保護に「のみ」献身してきたわけで。
あんたはクリと同じだよ。妄想乙。
> イエスは「言行不一致」の典型。神どころか、人間としても
> クズである。
ほほう。じゃああんたみたいに、観念だの思想だのをあざけってきたくせに
自分自身は観念や思想を騙っているようなやつは、人間としてもクズなわけだね。
まったくどこまでもクリと同じだ
587 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 01:51:59 ID:hvI+VDLX
>>586 マザーテレサは、医師や看護婦の資格はないから、「生命を助ける」行為は
できない。もっぱら、「死なせた」だけ。
彼女は、自己の宗教的満足という「エゴの行為」のために、極貧の中で死に行
く人々を「利用」したに過ぎない。相手に対する「人間としての愛」からでは
なかった。
彼女の死後、その個人口座には100億円(?)の預金が発見されたそうだ。
588 :
ウッドベル暗黒教団 :2009/03/27(金) 01:55:22 ID:TNm8BTNY
仏陀は「居眠りしていて悟った」ちゅうオモロイ人や。 たぶん本当の話やと思う。 せやけど、お経という「量子力学の講和」は、古代の「知恵の書」からの 抜粋やで。 シャカとは関係あらへんがな。
589 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 02:01:51 ID:hvI+VDLX
>>586 >まったくどこまでもクリと同じだ
そうやって、人間としてのクリは批判するのに、イエスを少しでも
批判されると激昂するのが、クリスチャンの見分け方。イエス(パウロ)
依存症の最大の「病理」である。
>>585 ならば、縁起とは 何を基に 何を為してしまう代物なのかしらねぇ〜wプププ
形而上学で 縁起は 縁起として完結するもんかいなwプププ をっと、脳内空理空論信者には 縁起は難しすぎたかな? クスクス
>>587 オマエなんて、看取ることさえせずに何もしてないじゃないかwwww
人間としての愛だぁ?ハァ?
そんなこと言ってるだけで実際の行動は何ぁんにもしない奴が偉っらそうにwwww
口先人間は氏ねばいいと思うよ。
> そうやって、人間としてのクリは批判するのに、イエスを少しでも
> 批判されると激昂するのが、クリスチャンの見分け方。イエス(パウロ)
> 依存症の最大の「病理」である。
つか、お前も生命教を批判されると異常に粘着的になって必ずレスつけずにはいられないけどな。
生命教依存症の最大の「病理」である。ほんとにクリと同じだな。
>>587 > 彼女は、自己の宗教的満足という「エゴの行為」のために、極貧の中で死に行
> く人々を「利用」したに過ぎない。相手に対する「人間としての愛」からでは
> なかった。
エゴではない、人間としての愛だぁ?
また隣人愛のパクリですか。
最初からありがたがってキリスト教の教義を受け売りするのはやめて、
いい加減、自分自身の思考を持ったらどうかね。
594 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 03:29:25 ID:D9VQKSzl
>>また隣人愛のパクリですか。 >最初からありがたがってキリスト教の教義を受け売りするのはやめて、 >いい加減、自分自身の思考を持ったらどうかね。 イエスも、その弟子も、また他の如何なる宗教の開祖も出来なかった、「愛」 と「善悪」の定義を、前レスでちゃんとやってるよ。 なお、イエスの唱えたアガペーは、ギリシャ哲学の特殊概念のパクリに過ぎず、 それは愛ではない。
595 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 08:08:33 ID:y51zYFA7
>>581 話にならなんな。仏教は縁起だから、この世もあの世も縁起するだけで、
実在するものはなにもないと考える。
今の感覚も縁起で無我、本質を欠くように、輪廻の主体も無我・無常
>>583 >実在そのものを認めずに否定してしまうと、
>縁起自体が成立しなくなってしまいますからw
これが縁起が分かってない典型的、実在論思考。
なにも分かってないことを自覚されたし。
>>590 >ならば、縁起とは 何を基に 何を為してしまう代物なのかしらねぇ〜wプププ
諸因と諸縁だよ。しかし、この因縁も実体も本質も欠く。
原子もクォークも本質も本質も欠く。
君には難し過ぎるかなw
>>594 キリスト教は確かにパクリ宗教だが、あんたのもパクリでしかないよ。
毛を三本生やしたらオリジナル、というのをやめてもらいたいね。
結局、観念、思想といった妄想系のものへの信仰に人を導こうとしている以上、
そのルーツが生命だろうと神だろうと、それがキミの言うカルトであることに変わりはないのだよ。
物質的基盤に意味があり、観念には意味がないと言ったかと思えば、平然と言行不一致なことをして
しかもそのことに自覚さえないだろ?
愛だのキリスト教はダメだのという観念や思想にしがみつき、スレ違いと言われても何度となく同じような文章を貼り付けて
人を「洗脳」しようとする。カルトだよ、カルト。
断っても断っても呼び鈴を押してくるキリスト教系の「アレ」とどう違うのかね?
結局、自分が嫌ってるものはキミ自身の性質そのものなのだということを理解すべき。
本当は、アガペーは神(秩序などを含む)への愛を指すし、 キリスト教の隣人愛は人間同士の愛のことを表すので、概念としては本当は違う。 が、キリスト教がほんとどパクリでできているのは確かなので、まぁどっちでもいい。 イエスという概念もミトラ教とかその辺からのパクリ。 ただ、一番大事なのはご隠居の意見というのが キリスト教からのパクリでできてるってことだ。 「ご隠居の言う愛」と「隣人愛」の距離は非常に近いが、 隣人愛とアガペーの距離は結構離れている。
598 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 10:23:29 ID:gs2eCk58
>>596 >そのルーツが生命だろうと神だろうと、それがキミの言うカルトであること
>に変わりはないのだよ。
生命は、「神概念」をも生み出した根源。神は、生命の機能としての観念作用
の産物に過ぎない。イエスはそのことに全く思い至っていない。生命とその
産物である神概念とを、同じ平面状に置くことは出来ない。
人間が、人間の「生命」に最大の価値を置くことは、宗教でもカルトでもない。
すべての人間の共生のための至上の義務である。勘違いしてはならない。
> 人間の「生命」に最大の価値を置くこと これはキミの個人的な価値観でしかないよ。 > 生命は、「神概念」をも生み出した根源。神は、生命の機能としての観念作用 > の産物に過ぎない。イエスはそのことに全く思い至っていない。生命とその > 産物である神概念とを、同じ平面状に置くことは出来ない。 イエスは思い至ってないかもしれないが、キリスト教というのは既にイエス自身がどうかということとは 関係なく進んでいるのだよ。そもそも死んだ人間が復活するかね? イエスが思い至ろうが至らなかろうが問題ではない。 「キリストは命である」といってるんだから、同一平面上だろうよ。 隣人愛のようなことを推奨しているようだし、キミがカルト系クリスチャンであることは自明だね。 > 人間が、人間の「生命」に最大の価値を置くことは、宗教でもカルトでもない。 > すべての人間の共生のための至上の義務である。勘違いしてはならない。 それはキミの価値観にすぎない。特定の価値観だけが正しいとして「こうでなければならない」などという 凝り固まった考え方をするから、宗教戦争や粛正のようなことが起きるのだ。 自分と同じコリカタマッタ連中のやった大罪を理解されたし。
そもそもご隠居は「生命に最大の価値を置く」と口先で言ってるだけで、 実際には何もしていない。 実際には自分の思想に人々を「洗脳」することに最大の価値を置いているのである。 こういう偽善を許してはならない。
601 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 10:56:30 ID:gs2eCk58
>>599 >これはキミの個人的な価値観でしかないよ。
その価値感も、生命がなければ一切発生しないのだがw。
生存本能(生命)は、宗教を含む「人間のすべての営み」の根源である。人生
とは、「生存本能の応用問題」に過ぎない。
いい加減で、自分の勘違いに気付け。
602 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 11:59:54 ID:y51zYFA7
>>601 生命に最大の「価値を置くこと」が価値観でないというのかね?
生命に基づいているかどうかと価値を置くことに何の関係がアルのかね?
いい加減で、自分の勘違いに気づけ。
トンチンカンなこと言うのも大概にしろ。
>>602 すいません。確かにカルトに何をいっても無駄かもしれません。
あまり迷惑なようならレス控えます。
605 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 12:53:04 ID:dcJauKah
>>603 >生命に最大の「価値を置くこと」が価値観でないというのかね?
生命に「価値」をつけることは出来ない。価値をつけているのも生命の機能
だから、ナンセンスである。
生命とは、ただ「今ここにある」だけである。
606 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 12:58:09 ID:dcJauKah
「価値感」の対象になり得ない、ということが、生命の価値といえよう。
>>606 もう言葉が崩壊してますね。価値を置いてるのは価値観ですよ。
価値をつけることができないなら、価値を置くこともできないんです。
生命がただ今、ここにあるだけなら、
価値を置くとかそういうことはできないんです。
価値観の対象になりえないなら、最大の価値を置くという言葉はナンセンス。
イエスに「価値」をつけることはできない、価値をつけているのも神の働きによるのだから ナンセンスである。 ちょっと入れ替えて見たけど、やっぱりクリスチャンと言ってることは同じだぁね。 生命を価値から外して批判を許さないようにするのは、イエスを価値から外して批判を許さないのと まぁ限りなく同じことしてるよ。 イエスを生命に置き換えただけのキリスト教カルト。
609 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 15:06:19 ID:iUZyjWmp
>>608 >生命を価値から外して批判を許さないようにするのは
批判も「生命の機能」だから、生命を以って生命を批判するのはナンセンス。
イエスや神の認識も、生命の機能に過ぎないから、批判はいくらでも可能で
ある。
610 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 15:12:44 ID:iUZyjWmp
生命のみは、生命の機能に過ぎない批判、理解、崇拝、その他人間の いかなる営みの対象にもなり得ない。生命は、それらすべての根源で あるからである。 「生命の最大の価値」とは、「価値の対象になり得ない」という価値 である。
611 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 15:43:44 ID:iUZyjWmp
>>602 >ご隠居なんてスル〜しようよ。
本質論に限定した真面目な書き込みに対し、「スルー」などという言葉を使う
ことは、書き込み者に対する侮辱であり、あなたの人格を疑われますよ。あなた
はどこの宗教信者?
612 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 16:06:42 ID:y51zYFA7
>>611 どこが真面目なのか? なんの根拠も示さずにただのインチキ本を読んで
思いつきを垂れ流して得々としてるだけだろ。君も同じだ。
スレ違いだから消えるか、コテつけてくれ。スル〜しやすいから。
>>610 > 批判も「生命の機能」だから、生命を以って生命を批判するのはナンセンス。
批判も神の機能だから、神をもって神を批判するのはナンセンス。
生命も神の機能にすぎないから、批判はいくらでも可能である。
と、このくらいの書き換えは自分でしてくれよ。クリスチャンカルトさんよぉ。
もういちいち書くのだるいんだから。
> 「生命の最大の価値」とは、「価値の対象になり得ない」という価値
> である。
詭弁詭弁。ただの言葉遊び。
もし言葉遊びじゃないんだったら、生命は価値の対象になりえないので
重んじる必要もないわけですよ。
でも、あんたの価値の対象になりえない、の意味はPricelessの意味で
至上の価値、という意味でしか使ってない。だからただの詭弁。
まぁ詐欺師だね。ペテンだよこんなの。
614 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 17:51:41 ID:iUZyjWmp
>>612 どこの宗教の信者か、明らかにしてくれ。
>>613 「神」は、生命の機能としての観念の産物に過ぎない。「生命」とは、レベル
が全く違う。
キリスト教ほど、詐欺的でも、ペテンでもない。
615 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 18:44:17 ID:+7lDh6rx
>>473 >代表的なものを一つだけ上げれば、マタイ10:34以下だ。君は読んでいないのかね。
私はあなたに、この句をどう理解したのかと訊ねたのですが、返答はありませんでしたね。まっ、い
いです。この句は誤解されやすいものなので、あなたがイエスを批難の材料としてこれを上げることな
ど容易に察しがつきます。
『わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらす
ために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうと
めに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくな
い。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたし
に従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために
命を失う者は、かえってそれを得るのである。』(マタイ10:34〜39)
キリスト教国家及びキリスト教ほど攻撃的な戦闘の歴史を刻んだ宗教はない。彼らは教会の説く教え
に反する者はすべて異端であり、サタンのごとくであり、神の裁きを与えるものとして平気で命をも奪っ
てきた。
しかし、これはとんでもない誤解であって、イエスはとても寛容的で広大な心の人でしたが、後のクリス
チャンはそのことをすっかり忘れてしまった・・。
616 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 18:46:28 ID:+7lDh6rx
『剣をもとに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。』(マタイ26:52)とイエスはいったが、実際にイ エスが剣を振りかざしたという事実はない。イエスは平和主義者だったのであって、これが武勇的英雄と してローマから解放してくれるものと期待していたユダヤ大衆のメシア観を完全に裏切って失望させたの です。 旧約では、「剣」は「火」と共に(終末の)裁きを意味します。では、マタイ10:34〜でいうイエスの「剣」(つ るぎ)とは何か?これはキリストとして、イエスが本来やってきた目的を端的に表わしたものであり、つまり、 世俗の誤った価値観とイエスの説く霊的な真義との闘いを示すもの。ここでイエスは、あなた方はそのど ちらを選択するのか?と問うてるのです。 『彼の振りかざす剣は、霊の剣である。真の霊性と習慣的な物質主義との間に分裂をつくり出す剣であ る。彼の降臨の主要な影響は、すぺての地に包括の精神の効果を示すことであろう。』 (A・A・ベイリー著『キリストの再臨』エイト社刊) マタイ10:34〜は、イエスが弟子達を伝道に遣わしたときに述べたものなので、迫害に遭って暖かく穏や かなものではないので、その戦いについて覚悟するように厳しく戒めているのです。 ----この問題はこれにて終わりにしたい!
617 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 18:49:17 ID:+7lDh6rx
>>483 >教えの内容に都合の悪いところがあったとして、あなたは
>>517 >で、あなたは政治的に都合が悪くなったら
>「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか?
もし都合が悪いというか〜誤解を招きかねない部分があったとしても、それに対して明快に答えられ
るだけの理解と説明力があれば何ら問題はないわけです。それでもどうしても理解しない輩に対しては、
その姿勢も相手の自由なのであるから、相手の意思を尊重して好きにさせる以外にはないでしょう。
つまり、教えを勝手に捻じ曲げるのではなくて、私はその誤解を解くように努めます。
>>483 >教会の人達にとってイエスがどういう存在か考えることはないのですか?
キリスト教徒たちにとってイエスが心の支えであり、どんなに尊崇しているか分ってますよ。もし本当に
イエスを心から尊敬し、その教えを学びたいのであれば、尚更、教会の教えに従うなどというのは如何な
ものでしょうか?
まっ、多くの平均的なクリスチャンは無知が災いしていて(或いは教会によって洗脳され)、教会が説く
捻じ曲げた話をイエスの教えとして誤認しているのが実態です。イエスの教えと教会主義(独断的やデタ
ラメな教条/ドグマ)のあまりの違いに気付くようになれば、意志が強ければ自ら教会とは距離を置くよう
になるでしょう。イエスの教えは教会に拠らなくても自分で学び実践できるからです。
>>614 別に神と生命とでレベルが違ってもいいんだけど、同じようなことしか言ってないね。
キミ自身だって生命が唯一神だといってたわけだし。
まー、そこのトコくらいしかキリスト教と差異がないわけだから、必死になるんだろうけど。
結局はlove in action(人命救助など、行動で示す愛)とか、
隣人愛(直接接触する生きた人間同士の愛)とか、クリ共の教義に回収されてるみたいだし。
キリスト教は結構メジャーだけど生命教はほんとに劣化コピーだね。
その意味でキリスト教ほど大規模な詐欺もできてない。それは当たってるよ。
相手にされてないからね。
いずれにしても「キリスト教ほど」と言ってる時点で、自分が詐欺ペテンの類だというのを
多少なりとも自覚できたのは一歩前進かな。
619 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 18:59:35 ID:+7lDh6rx
>なぜ初期の教会に、イエスへの悪意を抱かせたがるのか、理解に苦しみます。 彼らはイエスの教えを曲解し、或いは意図的に作り変えてイエスを抹殺したからです。教えを意図的に 捻じ曲げたということは、イエスを抹殺したも同然の愚業です。だから、いつもの唯物論者にもいうのです よ。キリスト教とイエスを混同するなと。 これは仏教の場合にも当てハマルものがある。広義で仏教という場合には、その中にゴータマの教えで はないものも含めるし、ゴータマに反するものすらも含めると。 “初期の教会”というか〜もちろん原始キリスト教の時代においては、イエスの教えはまだ部分的にはか なり引き継がれていました。がしかし、教会は次第にガリラヤの優しい大工を説かず、パウロの律法尊重 主義へと傾いていった。 そして、最悪なことにキリスト教は国教として、(大衆を都合よく統治するため)ローマ皇帝の支配の道具 として使われたのであり、ニケア(288年〜)、コンスタイチノーブル、エフェソス、カルケドン、そして再びコン スタイチノーブル(483年〜)で開催された5回もの汎宗教会議によって、今日に見るキリスト教の骨格--- 神に等しいイエス、マリア崇拝、“神の言葉”に背く者には異端者の烙印を押すなど---の殆どが造られた。 これらのドグマの形成時において、邪魔な概念は悉く教理から排除していったのです。 重要なことはイエスの神にも等しい絶対性であり、如何なる他の追従をも許さないことにあります。生ま れ変わりの概念が排除されたのもそのためでした。誰でもキリストの如く近づける可能性を認めることは断 じて許されないことであって、万人に内在するキリスト意識の成長という概念を排除したのもこのためです。
620 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 19:05:20 ID:+7lDh6rx
>>478 >出典は何でしょうか。
キリスト教徒はイエスを見習おうとすることは恐れ多く、それすら誰にも許されていないものと考える
傾向がある。しかし、イエスはなんていったか?
『天の父が完全であるように(あなたがたも)完全でありなさい。』(マタイ伝5章48節) そして、『わた
しは父のもとに行くのであるから、あなたがたはわたしがなしたことよりも更に大いなることをなすであ
ろう。』(ヨハネ伝14章12節)といい、イエスは、私たちも彼のようになれることを、その可能性を、自ら
手本を示すことで教えたのです。
その私たちに潜在(内在)しているその可能性を「キリストの原理」、または「キリスト意識」と呼ぶ。こ
のことは原始キリスト教の時代ではよく知られていた。これがパウロの『汝らの中に在すキリストにして
栄光の望みなり。』(コロサイ書1章27節)といわれた所以です。いずれ私たちもキリストのように完全な
る段階に達することにより、『キリストの満足れるほどに至る。』(エペソ書4章13節)までになるのです。
>>595 あ〜キミ 全然ダメだよそれじゃ 何にも分かってないから回答にもなってないじゃんかよ プゲラ
だから 前以て、先回りして模範回答しといたからね
つ
>>591 いったい、きみわ何年仏教モドキをかじって 今日の路頭に迷ったのかね?(失笑)
>>595 >諸因と諸縁だよ
多田、そのマンマじゃんかw
坊やのチン解凍には、笑わせてもらったよ あ〜あ
ダメだろ!、浅学での知ったかぶりわwwwwww
実在についてはパルメニデス読んだ方がいいだろうな。一度は。
624 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 20:15:09 ID:y51zYFA7
>>621 はあ、何も知らないでよく言うは。
じゃ聞くが、縁起とは何か?
典拠を示して答えよ。
625 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 20:16:26 ID:y51zYFA7
>>622 なら、梵パ蔵漢の根拠を出してもいいが、君は読めるのか?
626 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 21:06:53 ID:d26q1mvr
>>619 >パウロの律法尊重主義へと傾いていった。
イエス自身、律法を尊重してます。その根本とみなす教えを
全ての律法に先立つものとしただけです。
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、
愛の伴う信仰こそ大切です」(ガラテヤ5章1節)
イエスの愛の教えはパウロにも受け継がれてますよ。
>マリア崇拝、“
そのわりには新約聖書でのマリアの扱いはそっけないですよね。
捏造上等の連中だったら、この時から無原罪だの被昇天だのという設定を新たに盛り込みそうなものですが。
>“神の言葉”に背く者には異端者の烙印を押すなど
これを「不当」とするのは、旧約聖書から続く「神のメッセンジャー」の伝統、
アブラハムの宗教への理解のなさを示しているように思えます。
旧約聖書の「預言」の多くは、神の教えから逸れた民への厳しい調子の「告発」という形をとってます。
もちろん不道徳を除けば客観的には罵詈雑言の類でしょう。ですが宗教的には、当人らにとっては違います。
627 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 21:14:13 ID:d26q1mvr
628 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 21:23:07 ID:d26q1mvr
>>617 >もし都合が悪いというか〜誤解を招きかねない部分があったとしても、
理解度の話をしているのではありません。
政治のために、ローマ皇帝のために都合の良い様に
作り変えるという部分は「理解度」の問題ではありません。
あなたは教会が、信徒に理解しずらいから簡単にしたとか、
限度があるのはやむなしと放置したから教えが削られた、と主張したのではありません。
これを踏まえて頂き、もう一度聞きます。
>あなたは政治的に都合が悪くなったら
>「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか?
これを曲げることで為政者に取り入ることもでき
旨味のある、という状況を思い浮かべて頂ければ
こちらの問うところも把握してもらえると思います。
>>624 キミが無知蒙昧だと(因)、
分かってしまったから(縁)、
既に模範回答をしといた筈だよボウヤwww(果報)
理解できもしないにも関わらず(因)、
愚問を再三問うてしまう邪心に堕落したキミのテンテンやらみすぼらしい知能で(縁)、
因縁などが理解できるとは、到底、思えないのだがな(果報)
無知なボウヤよ、身の程を弁え給え(因果応報)プププwwwwww
630 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 21:35:32 ID:+7lDh6rx
>>626 まっ、別に好きにすればいいのです。言い訳の多いクリスチャンなどと議論する気にもなれない。ここで
はスレ違いということもあり、私は“詳しく扱わないだけ”です。
イエスの教えに背いているのが、実にキリスト教であるという自覚がないのだから、とてもお話にもならな
いので。
私はキリスト教批判者ですが、なにもイエス批判はしていないので。
とにかく、神の言葉どころか〜偽造と改変に満ちた聖書の実態と勝手にイエスの教えを曲解して造り変え
た教会のドグマについて。もっと勉強して下さいな!
バチカンのあのザマは何か?殺戮を繰り返した挙句、迷信にしがみ付き続け、金銀財宝の煌びやかな教
会の装飾・・。そんなもんイエスが見たら、きっと口から泡吹いて倒れるわ!
>>625 つ
>>629 、
>>591 大河は 上から 下へ 流れるもの(因縁)
底無しの愚かなる無知には(因)、
やはり無記が上策だろうか?(縁)
ボウヤ、せめて分を知り、身の程を弁え給え
632 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 21:55:54 ID:+7lDh6rx
>>473 イエスは“世俗の誤った価値観”に闘いを挑んでいるのだから、唯物主義のあなたが敵対心を抱くの
も当然のことです。最悪の見解は唯物主義であり、死んだらそれで終わり。どんな果報も受けることが
ないというもの。あなたはイエスどころか、仏陀とも敵対しているということを自覚されたし!
ゴータマは業論者なのです。死後には果報を受けない、などという最も情けない理論は説かない。都
合のいい狭き部分だけの抜き取り誤用は仏教的には大迷惑でしょう。
『けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』(スッタニパータ666)
とにかく、このスレはあなたのような典型的な唯物論者が遊びに来るような場所ではないのでは?
確かに、あなたの主張のように、「宗教」が無くても人間は死なない。生存だけはできるでしょう。
サルと人との境はどこにあるのか?それは、同胞の遺体を葬る行為をしたときからサルは人となった
のだ、といういい方があります。つまり、死後の意識の存続という概念が生じたのです。物質レベルを超
えたところに認識を持つようになった。
実際、物質科学では説明のつかない出来事をゴータマもイエスも示したし、多くの人々がそれらを直接、
体験してきた。現在においても神秘現象は起こっており、実体験者が途絶えることがない。
唯物論者はこれらの都合の悪いものについては蓋をして見ないフリをする傾向が強いのです。
633 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 22:05:39 ID:d26q1mvr
イエスを見習うことは、信徒ばかりでなく教会の人も説いてます。
そう目指すことが罪になることはなく、むしろ徳とみなされてますね。
現代でも引用できる通り、聖書からも別に削られていません。
その背後には「イエスは神性においても、人性においても完全」という教義も
あると考えられます。わざわざ「神が人となって現れた」のがキリスト教のキモでもあります。
イエスの人としての行動を見習ったからといって、「神の真似事をした」というマイナスな意味合いを持つことが無い。
イエスのようになる、ことで否定されることがあるとすれば、
それは神性を主張する時、イエスとは別のキリストを名乗る時でしょう。
これまでのことを踏まえてみて、私は宝珠愚者さんが教会が何を隠蔽したと主張してるのか
判然としなくなったところがあります。そこで私なりに考えてみました。完全に想像ですけど。
宝珠愚者さんは「キリスト」を霊的階梯やある境地に至った覚者の称号(「ブッダ」のような)だと思っているのではないか?
そう考えると
>>620 も「アートマン」や「仏性」のようにとらえた解釈として腑に落ちる点があるのです。
>言い訳の多いクリスチャンなどと議論する気にもなれない。
これが私を「隠れクリスチャン」とみなした上での発言でないことを願うばかりです。
隠居の同類とかこれ以上いてほしくない……
634 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 23:15:27 ID:+7lDh6rx
>>633 私はキリスト教は大嫌いですが、なにも個々のクリスチャンたちが嫌いなわけではなく、寧ろ、逆にか
なり好感を抱いていたりもします。実は内心、例えば日本の平均的な自称仏教徒たちよりも高く評価し
ている・・・まっ、余計なおしゃべりは辞めとこう!(笑)
>これが私を「隠れクリスチャン」とみなした上での発言でないことを願うばかりです。
>
>隠居の同類とかこれ以上いてほしくない……
そう?ならば、もう少しお付き合いも構いません。
>イエスを見習うことは、信徒ばかりでなく教会の人も説いてます。そう目指すことが罪になることはなく、
>むしろ徳とみなされてますね。イエスの人としての行動を見習ったからといって、「神の真似事をした」と
>いうマイナスな意味合いを持つことが無い。
ほ〜う!では、現在の教会は少しは反省、進歩したのかな??
>イエスのようになる、ことで否定されることがあるとすれば、
>それは神性を主張する時、イエスとは別のキリストを名乗る時でしょう。
それはそうでしょうね。「私は仏陀である」などという○○の科学みたいな主張は仏教界からも総スカンです。
635 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 23:17:34 ID:+7lDh6rx
>宝珠愚者さんは「キリスト」を霊的階梯やある境地に至った覚者の称号(「ブッダ」のような)だと思って
>いるのではないか? そう考えると
>>620 も「アートマン」や「仏性」のようにとらえた解釈として腑に落ち
>る点があるのです。
「キリスト」という言葉は、仏教の仏陀という呼称に相当するような意味合いのものです。これは元々は、
イエスに限定する言葉ではなくて、本来は“ヤーウェー(主)に油を注がれた者”を意味するギリシア語
の「クリストス」からきているのです。油を注ぐ行為は一種の宗教的秘儀であり、古代オリエントなどでは
多くの神の使者や霊的教師たちへの尊称として使われてきた名称でした。
これはイエス個人に限定するものではなく、霊性の境地を示すものなので、つまり、誰でもキリストにな
る可能性はあるのです。仏教が誰でも解脱成仏できることを説くが、通常はゴータマ個人に対する尊称
として仏陀と呼ぶことと意味合い的に酷似する(ゴータマ以外の者には通常、仏陀とは呼ばない)。
>私は宝珠愚者さんが教会が何を隠蔽したと主張してるのか
私は、なにも個人のクリスチャンを批難してるのではなく、歴史における教会の欺瞞性について激怒す
るのです。教会が勝手に創りあげた嘘とは、処女懐胎、無原罪の御宿り、原罪の神学、父と子と精霊の
三位一体説、キリストによる贖罪、異端(教会の説くデタラメ教義に反する思想に対して)の烙印を押し付
けての殺害、などなど。
教会が抹殺した大切なイエスの思想(教え)は、カルマ(仏教の業報)の法則、生まれ変わり転生の概念、
万人に等しく宿るキリスト意識(誰でもキリストのような意識に到達できる)、他の人々(異なる思想)に対す
る寛容さ、などなどです。
636 :
神も仏も名無しさん :2009/03/27(金) 23:20:33 ID:y51zYFA7
>>631 たしかにオレはアホだ。こんなどっからみても馬鹿を相手にすることがその証拠に他ならない。
そして縁起は、深淵でその意味を完全に理解しているとはとても言えない。
しかしながら、以下のような発言をするものが縁起について何も分かっていないことは確信できる。
そのぐらいの知識は持っている。
>>583 > 実在そのものを認めずに否定してしまうと、
> 縁起自体が成立しなくなってしまいますからw
なぜか。何か実在・実体を想定しているからである。
原子であれクォークであれ時間であれ実在・実体のあるところに縁起はないからである。
『縁経』は次のように述べる。
katamo ca bhikkhave, paṭiccasamuppādo? jātipaccayā bhikkhave jarāmaraṇaṃ |
云何爲因縁法。謂此有故彼有。謂縁無明行。縁行識。
pratītya-samutpādaḥ katamaḥ | yad utāsmin satīdaṃ bhavaty asyotpādād idam utpadyate | yad utāvidyā-pratyayāḥ saṃskārāḥ yāva samudayo bhavati |
縁起とは何か? いわく「これあればこれあり、これ生じてこれ生ず」である。
そして、無明を縁とする諸行など多くの集起がある。
在る、生ずというのも、ただ諸因縁によって生じている条件の中で、
習慣、習わしに従って仮設、認識されだけで、何の実体も実在もない。
ところが実在論・実体論的に論理構築する部派が出現する。
説一切有部である。同様にいくつかの部派も原子などを実在・実体とした。
これでは縁起から逸脱してしまうので、それらを批判したのが中観である。
『中論』24.14, 16-19 『因縁心論』4は簡潔にそれを述べている。
この点が分からず、ただの実体的な因果関係を縁起と捉えるなら、
少なくとも縁起の本質は何も捉えられていないのである。
どうせ、こう書いても君が何も分からず詭弁を重ねるのがオチだと分かってるけどね(^^)
637 :
宝珠愚者 :2009/03/27(金) 23:46:55 ID:+7lDh6rx
>>636 う〜む、久し振りに良い解説を見た気がする。
乾杯!!
>>636 中論破綻者だということぐらい 見抜いていないままで 坊やをボウヤ扱いしていたとでも 思っているみたいだな(笑)
キミは 何も知らないで 識らない形而上学で いい気になっているボウヤなんだよ
笑止千万だとは 思えないかね?
それを識らないから ボウヤ扱いでバカにされているのだよ
縁起自体を知らないキミが 何を識ったかぶっているのかね
単立なんてないのだ これを知らない だから識ったかぶるのがボウヤなんだな
原子もクォークも 太陽も月も 『実在する』
あるものをあると認識することから始まるのだよ
こんな子供や昆虫や動物でも認識し得る実在をも知らない(無知)と見透かされてしまったから
因果が何も分かっていないとバカにされてんだなw
おバカなボウヤは どうして、今、存在 していられるのかね〜?(失笑)
無知なメクラに手を引かれて、危ない道を道案内されるほど、
こちとらヤキがまわってなどいないんだけどな〜wwwwww
639 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 00:20:25 ID:UGon8DHd
>>628 >これを踏まえて頂き、もう一度聞きます。
>
>>あなたは政治的に都合が悪くなったら
>>「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか?
私には、もちろんその意志はありませんが、しかし教会は捻じ曲げたのです。これは歴史的な事実で
す。当時の聖職者たちはそれが真意ではなかったかもしれません(それを確認する術がない)。がしか
し、ローマ皇帝の絶対性に逆らうことは無理であって、これは強制的に施行されたのです。それが継承
されていく内に、それがキリスト教のドグマとして定説化した。
これは古代に起きた悲劇だったといういい方も可能かもしれませんが(当時の聖職者は望んでなかっ
たのかもしれない)、ならば何故、中世の異端尋問/魔女狩りの殺戮、十字軍の殺戮、といったことは起
こるのか?
イエスは、「わたしに主よ主よ」といってもダメだ!とハッキリ述べたのに、そんな教会に通い教義を信
奉し、賛美歌を歌ったところで認められるわけがない。イエスはきっと、聖書やキリストのキの字も知らず
にイエスの御心に適う義の行動の人を讃えて賞賛するでしょう。そういう意味で、私は教会に拠らずとも
イエスを学べるというのです。
640 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 00:29:43 ID:Ccw319aU
>>638 それら言説の根拠が言えないなら、ただの妄想なんだが。
それも分からないのが君や、ご隠居や、生命教、常識教さんたち。
641 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 00:34:44 ID:Ccw319aU
>>638 >原子もクォークも 太陽も月も 『実在する』
>あるものをあると認識することから始まるのだよ
>
>こんな子供や昆虫や動物でも認識し得る実在をも知らない(無知)と見透かされてしまったから
>因果が何も分かっていないとバカにされてんだなw
仏教ではこれが愚者、実在論で、苦の根源なんだけどね。
つまり、縁起・空・無常・無我の対極。
しかし、なにも知らないのになんでこう尊大無礼なのだろうと思ったら。
何も知らないからこそ尊大無礼なんだと気がついた。おお! ひらめき!
>>640 バカ?w
縁起なんて難しいことが 分からないお前みたいなおバカさんには
もっと仏教の基礎の基礎から勉強し直せと 言っているんだよ
ま、地下鉄に毒ガスばらまいた破壊カルトでしかない糞価学会SGIのお前じゃ
その基礎の基礎にも
『全く気が付くワケない』だろうがなwwwwww
643 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 00:41:24 ID:Ccw319aU
>>637 宝珠さん、ども〜。
キリスト教とか、ニーチェとか、生命とか云々する人たちはスル〜しましょうよ。
それから、何かを主張、断言、否定、反論する場合に根拠を示さない言説もスル〜するというのはいかがでしょう?
644 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 00:41:42 ID:JXIetpm0
実在は揺るがないと信仰している=唯物論者 霊や神を実体視することこそ唯物論だと主張する=唯物論者 オカルト論者は空(竜樹)を勉強しろという=唯物論者 キリスト教は非科学的だと嫌悪する=唯物論者 仏教は宗教ではないと強弁する=唯物論者
>>641 なんだ 同じボウヤだったのかよwwwwww
中論厨房のお前に縁起の理解は到底、ムリだよ
ホントにボウヤは何も気付いていなかったんだなwwwwww
そのせいで糞価学会SGIの嵐かと勘違いしちまったよw
単立だよバカ厨房!
646 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 00:52:48 ID:Ccw319aU
>>644 唯物論は簡単に破綻する。なぜなら、今、言葉を使っているから。
言葉で何か意味・対象を認識しているから。
言葉や認識は、物質 materia に還元することはできないだろう。
脳や神経、脳内物質に言葉は還元できない。
なぜなら、不安定で無常な習慣だからだ。
言葉に基づく認識も無常で不安定なものとなる。
>>646 テメーが例えに出して来た原子もクォークも存在しないなんて どんだけバカなの?
無常じゃね〜よ バカめが! 無知蒙昧のボウヤは脳内麻薬でラリってるのかね
649 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 01:04:08 ID:3vjL2LJL
>>646 唯物論者は、言葉を使わなくても、目の前にその物があれば「指し示す」
ことができる。
観念論者には、「指し示す対象」が無いw。脳内観念と対象とが、分裂して、
相互に無関係になっているからだ。つまり、眼に前に物をつきつけられ
でも、その物との「連合」が不可能。これを「妄想」と呼ぶ。
実在か否かのテストは、対象が人間の生存に直接役立つか否かである。
> 実在か否かのテストは、対象が人間の生存に直接役立つか否かである。 この定義だと、人間の文明度合いの変化に応じて 「実在したり実在しなくなったり」ということが起こりそうだな。
>>641 虫や動物ですら 敵がいれば 相応の行動をとるものだ
だが脳内麻薬バカには 無知蒙昧の現実認識すらも
正しく認識できないらしい
身の程識らず まるで 気違い
652 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 01:15:39 ID:3vjL2LJL
>>650 人間の文明度合いと生存とは関係ないよ。
例えば、石ころは、道路を作ったり、積み上げて壁にし、家屋を作って、
生存を守る。ゆえに、実在。
神は、煮て食うことも、衣服にして、人間の生命を寒気から守ること
もできない。ゆえに非実在・空想・妄想。
>>652 > 対象が人間の生存に直接役立つか否かである。
たとえば木星は人間の生存に直接役に立たない。今のところ。
でも宇宙開発が進めば木星の資源が利用できるようになり直接役に立つ。
よって現在は木星は実在しない。しかし将来的に木星は実在する可能性がある。
あなたが言ってるのはそういうこと。
ちなみに神が煮て食えないように、生命自体も煮て食うことも、衣服にして
人間を寒気から守ることもできない。ゆえに非実在・空想・妄想。
ということになる。
654 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 02:16:28 ID:3vjL2LJL
「縁起・空」の意味を本当には理解していない仏教徒がいるのではないか。 (それ自体井が根拠皆無な)典拠にばかり執着して、現代人としての自分の 頭で考えないから、理解ができないのであろう。 五感で知覚できる物が「ない」、知覚できない物が「ある」などと言ったら、 「お前アホか」と馬鹿にされるだけ。向こうから走ってくる車が「ない」など と思ったら、一発で正面衝突してあの世行き。車が来てはいないのに、「来てる」 などと思ったら、怖くて道路は歩けなくなる。 縁起・空とは、「これがあるから、あれがある」。「これ」も「あれ」も代名 詞だから、「あれがあるから、これがある」と容易に言い換えることが出来る。 即ち「相互依存」の関係にある。「個は、他との関連においてのみ存在し得る」 という「関係性の原理」である。 「五感で知覚できる物は実在するが、その物は万物との関連の中で存在して いるに過ぎないから、自性はない、即ち「空」である」という関係性として 「縁起・空」を捉えない限り、にっちもさっちも行かなくなる。 「関係性の原理」であれば、あらゆる事象、あらゆる対象に適用できる。 神もイエスも、「関係内存在」だから、「自性はない」、即ち「空」である。
人間が道具を使うようになる前は、石は道路にもできなかったし 家屋も造れなかった。故に、非実在だった。 そのうち道具や材料として石を使えるようになったから実在になった。 なんで自分の言ってることの筋道がこうなってると考えつかないのかフシギちゃん。 最初から神が人間の道具として石を与えたとでも思ってるのかもしれないな。 キリスト教系カルトだから仕方ないか。
. . . ┌固定的・不変的に存在する ・・・哲学的語義 . . . │ (顛倒妄想として) . . . ├恒常的に存在する ・・・哲学的語義 . . . │ (顛倒妄想として) . . . │━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ .┌『実在』(する)┴五感に知覚されるものとして存在する ・・・一般的・日常語義…★ 『ある』(在る) ┼〔 *1 〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「存在する(bhavati)」 .│ (縁起し仮設・認識されたものとして。) .│ ――(特に「生じたもの」という意味で?) .├〔 *2 〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「ある(atthi)」 .│ (縁起し仮設・認識されたものとして。) .├五感に知覚されるものとして『存在』(する) ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、 .│ 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」 .│ (縁起し仮設・認識されたものとして。) .│────────────────────────────────────
>>654 ちなみに神が煮て食えないように、縁起・空も煮て食うことも、衣服にして
人間を寒気から守ることもできない。ゆえに非実在・空想・妄想。
ということになる。
な?ほんとにこのロジック笑えるよ。
さすがカルト。ロジックの破綻も見事ですなw
.├五感に知覚されるものとして『存在』(する) ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、 .│ 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」 .│ (縁起し仮設・認識されたものとして。) .│──────────────────────────────────── .├観念・思考・思想・感情・想い等“(所謂)非物質的在り方で”『ある』 ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、 .│ ※(意によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」 .│ (縁起し仮設・認識されたものとして) .│------------------------------------------------------------------- .├動き、様相、関係性、構造的なものとして『ある』 ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、 .│ ※(意によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」? .│ (縁起し仮設・認識されたものとして) .│━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ .└幻想されたもの・妄想されたもの・想像されたものとして『ある』 ※(意によって知覚されるもの) ・・・言語表現上「ある」と言われるもの(仏教で言う「ある(atthi)」?)
>>636 >>644 >>646 >>654 貴方の(貴方方の)博識で、>>@@@-@@@の修正をお願いします。
酔った勢いと私のスキルではここまでですwww
※辞書はまだ調べていないw
(*1、*2、どちらも、そこより下位の概念を含ませるか?別の用語を用意するか?
はたまた、既存の用語で代用するか?)
駄目だ・・眠い・・・ zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
つまり転生輪廻を認めればすべてはまるくおさまるのです。
>>661 馬鹿発見wwwwwwwwwwwwwwwwww
663 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 02:39:59 ID:3vjL2LJL
>>653 >ちなみに神が煮て食えないように、生命自体も煮て食うことも、衣服
>にして人間を寒気から守ることもできない。ゆえに非実在・空想・妄想。
君は、生命を、神と同様、思考・認識の対象とするという誤りを犯して
いる。人間による神の思考・認識とは異なり、生命を以って生命そのもの
を思考・認識することは出来ない。思考・認識主体とその対象とが同一だから、
思考・認識は初めから成立せず、不可能でナンセンスだからである。
生命とは異なり、神は生命外的存在だから、生命の機能によって思考が
可能になる。しかしそれは、あくまで、生命の機能の結果に過ぎず、生命
には従属する。
神は、五感で知覚できないから、実在でもない。木星は、知覚できる
から実在であり、人間が木星に到達できれば、人間の生存に直接関係
する。
石ころは、道具がなくても、手で路上に敷き、又、積み上げて壁を
造ることが出来る。道具がなかった時代の古代人は、みなそうやって
いたはずだ。
なお「人間の生存に役立つ」は、「人間の生存に直接関係する」に訂正
する。五感で知覚できるが、生存を脅かす実在物もあるからである。
その場合は、その実在物を避けることにより、生存が可能になる。
664 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 02:52:01 ID:3vjL2LJL
>>656 「存在」という言葉は止めて、「実在」という言葉を使うべき。
「存在」なら、空想も、妄想も「存在」することになり、無意味になる。
「日常の世界」と「仏教の世界」とを分けているが、釈迦は仮想現実を
語ったのかね。「色」が仮想なら、わざわざ「色即是空」などという
判りきったことを言う必要はない。
665 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 02:56:42 ID:3vjL2LJL
初代スレ7さんは、頭が良すぎて、考えすぎ。考えすぎると、真理に 到達しても、それを突き抜けてしまう。 なお、何を思考するかの前に、何を基盤として思考するかを思考して 決定することが必要。思考は、その基盤次第で、百人百様となり、無意味 だからである。
ヨーロッパの歴史は史実を見れば、キリスト教の歴史としても見ることが可能でしょうが、 キリスト教の広まりに拠って公衆衛生が悪化してペストの大流行に繋がったり、 異教破壊や魔女狩りに代表される宗教裁判・異端審問、天道説地動説等の科学否定、十字軍、宗教戦争、 さらには布教と一体となった植民地主義など数々の問題を引き起こしてきた。 自分達の神のみが唯一とうそぶき、原住民の宗教を破壊し、強引に改宗させるのがキリスト教。 列強国の植民地支配の先頭にはいつもキリスト教の伝道者がいた。 日本でも、スペインは宣教師を送って、それから軍隊を送る計画だった事が判明。 秀吉が激怒してキリスト教を禁教にしてしまった。 これは秀吉の快挙である。 キリスト教の歴史は血まみれの殺戮の歴史。 右のほおを打たれたら、相手の息の根の止まるまで殴り続けるのがキリスト教の本質だ。 歴史を勉強しましょう。侵略の先兵は必ず宣教師だったことを。 (いまのアメリカはどうです?ピューリタンの国は戦争したくてしかたがありません) 日本がザビエルなどの言う事を信じなかったからこそ、今の日本がある。 キリスト教を受け入れなかった祖先に感謝します。
>>663 > 人間による神の思考・認識とは異なり、生命を以って生命そのもの
> を思考・認識することは出来ない。思考・認識主体とその対象とが同一だから、
> 思考・認識は初めから成立せず、不可能でナンセンスだからである。
じゃあお前さんが生命云々といってるのは認識に基づいて書いているわけじゃなく妄想というわけかね?
生命は認識できないんだろ?
生命について思考することは成立しないし、ナンセンスだって?
ナンセンスなら一体なんでこんな文章書いてんだよ。
> 木星は、知覚できる
> から実在であり、人間が木星に到達できれば、人間の生存に直接関係
> する。
ほほう。じゃあ、目が見えない人にとっては木星は実在しないが、目が見えるようになったら
実在するってことになるけどw
アンドロメダにある小惑星なんかは古代人にとっては五感で知覚できないけど、
存在しないってことでいいんかね?
668 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 09:16:33 ID:Xs1AbTJ9
>>634 >ほ〜う!では、現在の教会は少しは反省、進歩したのかな??
かつての教会で、
>>627 の意味ですら「イエスを見習う」ことを悪としたという
根拠はありますか。
>>635 >尊称として使われてきた名称でした。
これも出典をお願いします。旧約で油を注がれる例も「祭司」や「王」といった役目、に基づいたものです。
キリスト教ではそこから派生した意味で使われていますね。イエスは「王」であると同時に「祭司」とされます。
他のオリエント地域に「油を注ぐ」慣習があったとして、そこでの意味合いを
ヘブライ文化、キリスト教文化に輸入するのは変でしょう。
メシアを待望したユダヤ人たちも「ある霊的段階の人」という意味では使ってません。
>それはそうでしょうね。「私は仏陀である」などという○○の科学みたいな主張は仏教界からも総スカンです。
KKが総スカンなのは、教義のおかしさもさることながら、
「過去に仏陀となったのに」輪廻を脱さずまた生まれるという矛盾した主張のためですね。
この現世で「仏陀となり」立派な教説を説いていたとしたら、注目する人もいたかもしれません。
669 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 09:25:26 ID:emSFIusi
>>667 >ほほう。じゃあ、目が見えない人にとっては木星は実在しないが、目が見えるようになったら
>実在するってことになるけどw
>アンドロメダにある小惑星なんかは古代人にとっては五感で知覚できないけど、
>存在しないってことでいいんかね?
目の見えない人にとっては実在しないでいいんでないの?
670 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 09:36:07 ID:Xs1AbTJ9
>>635 >(ゴータマ以外の者には通常、仏陀とは呼ばない)。
一応、過去七仏、とか本初仏とかいますね。釈迦の尊称である「如来」の
名を関した尊格は数多くいても、歴史的人物では「菩薩」とつく人物(竜樹菩薩)まで、というのは
世界宗教であるだけに祖師を超えられるような人物がなかなか現れられないのが理由でしょうが。
>処女懐胎、
正直、奇跡を認める宝珠愚者さんがなぜこれを捏造とするのか不明です。
>>639 >ならば何故、中世の異端尋問/魔女狩りの殺戮、十字軍の殺戮、といったことは起
>こるのか?
歪めるまでもなく、聖書からその根拠を引き出せたからです。異端の「悪」、また魔女を
殺害するべきことは旧約聖書からも取り出せます。加えて、異教徒をどう扱うか、という
方法論の部分が載ってなかったためでしょう。新約に載っているのは所詮、
異教徒側が強い場合、せいぜい異教徒側と対等な時、という具合。
だから一定以上のパワーを得た後は歯止めがきかなかった。
671 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 09:55:34 ID:Ccw319aU
>>668 >KKが総スカンなのは、教義のおかしさもさることながら、
>「過去に仏陀となったのに」輪廻を脱さずまた生まれるという矛盾した主張のためですね。
>この現世で「仏陀となり」立派な教説を説いていたとしたら、注目する人もいたかもしれません。
教義がマンガであることに尽きるでしょう。
あれを信じる人の気持ちが全く理解できない。
ここに登場する生命教や常識教、ニーチェもどきはよく理解できるけど。
大乗解釈なら、解脱しても化身として化現すると解釈できます。
672 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 09:56:04 ID:Xs1AbTJ9
>教会が抹殺した大切なイエスの思想(教え)は、カルマ(仏教の業報)の法則、生まれ変わり転生の概念、 >万人に等しく宿るキリスト意識(誰でもキリストのような意識に到達できる)、他の人々(異なる思想)に対する寛容さ、などなどです。 イエスは「人性においても完全」である以上、他の人間(その他被造物)のように輪廻しようと何ら問題はありません。 そのほかの教義もですが、あなたは「イエスの絶対性のために」削除しなければならない理由を示せていません。
673 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 10:30:11 ID:Xs1AbTJ9
>他の人々(異なる思想)に対する寛容さ、 彼が他宗教や「異端」の思想と対決する場面が福音書に無いためでしょうか。 イエスは同性愛を悪としていない、という主張も直接否定した場面がないところからきていました。 ぶつかっているのは当時のユダヤ教内での腐敗。サマリア人の例でも あくまでその行動であり、彼らの教義には言及してません。 姦淫した女は出てきても、同性愛者は出てこない。 書かれていない例の人達への対応として考えられるのは 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。 これからは、もう罪を犯してはならない。」(ヨハネ福音書8章11節) でしょうか。ここは後世の追加らしいですが。 律法を完成する、と主張する人物が、実社会では実害を与えない、 という以上の意味での寛容を示すとは考えにくいです。 ですが、(例え歓迎されなくても)実害を与えない、という点では ルカ福音書9章52節〜55節にはっきりと残されています。
674 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 10:46:10 ID:UGon8DHd
>>665 >初代スレ7さんは、頭が良すぎて、考えすぎ。考えすぎると、
>真理に到達しても、それを突き抜けてしまう。
同意 !!!
分析力が在り過ぎるので、つい物事を細分化し過ぎて全体を見失う傾向かな?
その即物的な趣向性が“抽象概念の認識”を邪魔している・・w
>>638 >原子もクォークも 太陽も月も 『実在する』
>あるものをあると認識することから始まるのだよ
>>641 >仏教ではこれが愚者、実在論で、苦の根源なんだけどね。
>つまり、縁起・空・無常・無我の対極。
インド思想的にいうところの唯一なる実在(アートマン)という概念は、
仏教においては、無常なる縁起/空の森羅万象を超越した世界「ニルヴァーナ意識境」であると説かれた。
かといって、現象界に対する基本認識がなければ我々は生存すらできない。
無常なる縁起/空の性質を理解しつつ、この身/肉体を維持しながら健やかに生存すべき。
仏教的立場からは、「原子もクォークも 太陽も月も」実在として強調しないのは、
これら現象界の知識については、ことさら仏教が取り上げるまでもないからでしょう。
ただし対極の最悪は、「病気は存在しない」などといって
医療を全面拒否するようなクリスチャン・サイエンス的な世界です。
675 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 10:59:11 ID:Ccw319aU
>>674 原子もクォークも実在としないのは、よく知りませんが現代科学も同じことと聞いてますけど。
旧世代の科学は、素朴実在論に近い原子など究極物質実在に還元出来ると信仰していた。
ところが、素粒子論以降の現代物理ではそんな還元主義は過去の遺物となり、
素朴実在論は否定された。
実在という場合、なにか究極の物質が独立不羈に他の条件に依存することなく存在しているという意味で使ってます。
素朴実在論でも、そのような意味で外界実在と信仰しているでしょう。
それが根本的無明だというのが仏教で、釈尊と中観はそう仰います。
世俗の現象は、存在するとか在るとか、ただの言い慣わし、
私たちが、なんとなく「それ」と捉えてた意味と名称で名指され、
認識、了解されるものを言いますが、それが実在するとは言ってはいけない。
なぜかというと、実在という場合、本当にある、真実としてあるという含みがあり、
無明を助長するだけだからです。
676 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 11:21:12 ID:UGon8DHd
>>675 フ〜ム。お話は全て分ります!
で、あなたはどの辺りからこのスレシリーズに登場したの??
677 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 11:41:15 ID:Ccw319aU
>>676 それは置いといて、宝珠さんの場合、現象は幻、三昧が真実と取ってませんか?
そういう仏教もありますが、見解、境地が低いと言わざる得ません。
現象と三昧状態が一致しないのは、初歩の行者とするのが大乗です。
宝珠さんは、大乗をどうも誤解されているように思います。
678 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 12:19:04 ID:UGon8DHd
>>677 >宝珠さんの場合、現象は幻、三昧が真実と取ってませんか?
それは視点の置き方と説き方でいろんないい方が可能です。
>宝珠さんは、大乗をどうも誤解されているように思います。
そうですか?
では、説明のほうを宜しくお願いします。
私の基本理解は、
大乗とはアンチゴータマを出発点にしたゴータマ思想の歪曲化です。
大乗(自称だな!)を賞賛したいとは思いません。
679 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 13:30:26 ID:Ccw319aU
>>678 学者の原始仏教解釈や部派仏教もそれぞれいろいろな立場、解釈があるように
大乗にもいろいろあります。その中で龍樹中観などは釈尊の仏教を復古したものと私は読んでいます。
日本の大乗、特に日蓮は仏教ではありません。
その他、現代の日本仏教徒は仏教と遠く離れた考えの僧が多いと思います。
ですが、根本的には正統な大乗仏教だと私は考えます。
その根拠は、縁起解釈です。中観の縁起解釈こそが釈尊の縁起を最も忠実に再現したものと考えます。
部派仏教は、実在論が混入しているので、釈尊の仏教を後退させていると思います。
もちろん、方便としてはありですが。
>大乗とはアンチゴータマを出発点にしたゴータマ思想の歪曲化です。
そんなことありませんよ。特に龍樹中観は釈尊の仏教そのものを
高い見解で再現したものと確信します。
680 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 13:30:26 ID:Ccw319aU
>>678 学者の原始仏教解釈や部派仏教もそれぞれいろいろな立場、解釈があるように
大乗にもいろいろあります。その中で龍樹中観などは釈尊の仏教を復古したものと私は読んでいます。
日本の大乗、特に日蓮は仏教ではありません。
その他、現代の日本仏教徒は仏教と遠く離れた考えの僧が多いと思います。
ですが、根本的には正統な大乗仏教だと私は考えます。
その根拠は、縁起解釈です。中観の縁起解釈こそが釈尊の縁起を最も忠実に再現したものと考えます。
部派仏教は、実在論が混入しているので、釈尊の仏教を後退させていると思います。
もちろん、方便としてはありですが。
>大乗とはアンチゴータマを出発点にしたゴータマ思想の歪曲化です。
そんなことありませんよ。特に龍樹中観は釈尊の仏教そのものを
高い見解で再現したものと確信します。
681 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 13:31:50 ID:Ccw319aU
二重投稿すまんです。
イエスも釈迦も、ローマ帝国やユダヤ教、外道やバラモン教の存在で 言いたいこといえなかったけど、本当は真理は一つだよ。 日本でも、天皇やクリスチャンとか、信仰の自由がなかったくらいだからね。 それは、察するべきだ。
683 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 15:24:30 ID:EgXH1BgT
>>667 >じゃあお前さんが生命云々といってるのは認識に基づいて書いているわけじゃなく妄想というわけかね?
>生命は認識できないんだろ?
>生命について思考することは成立しないし、ナンセンスだって?
>ナンセンスなら一体なんでこんな文章書いてんだよ。
君は、本格的に頭が悪いw。「生命そのもの」は、生命による思考・認識の対象
にはならないが、外部に現われた「生命現象」によって、「生命そのもの」の
存在が「推定」される。「推定」だから、破られることもある。例えば、「死者
の涙」「死後硬直」などの現象である。これら以外の生命現象が一切存在しなければ、
「生命の存在の推定」は、破られることになる。「脳死」の場合も、人工呼吸装置に
より心臓は動いているが、他の生命現象は現われず、程なく、本当の死に至る。
>ほほう。じゃあ、目が見えない人にとっては木星は実在しないが、目が見えるようになったら
>実在するってことになるけどw
目の見えない人でも、木星に行けば、他の五感で知覚することが出来る。
人間界は、徹頭徹尾共同体だから、あくまでその「不特定多数の成員が(必要
な場合には観測装置を使って)五感で知覚できる対象」を「実在」とする。
宗教信者や精神病者の「幻覚」「妄想」を排除するためである。例外は皆無で
ある。量子力学においても、粒子が何らかの方法で知覚でき、従って「実在」
であるからこそ、その位置や運動の不確実性を論じることが可能になるので
ある。「非実在」であれば、位置も運動もない。
>>683 > 君は、本格的に頭が悪いw。「生命そのもの」は、生命による思考・認識の対象
> にはならないが、外部に現われた「生命現象」によって、「生命そのもの」の
> 存在が「推定」される。「推定」だから、破られることもある。例えば、「死者
> の涙」「死後硬直」などの現象である。これら以外の生命現象が一切存在しなければ、
> 「生命の存在の推定」は、破られることになる。「脳死」の場合も、人工呼吸装置に
> より心臓は動いているが、他の生命現象は現われず、程なく、本当の死に至る。
だったら結局、生命についての話も生命に対する認識に基づいているのではなく
推定にすぎないわけじゃないか。
それにしては確定的に書きすぎてんだよ。
最初っから推定って書けよ。クズが。
認識もできず、推定の域を出ない以上、神と生命は似たようなもんでしかないね。
> 目の見えない人でも、木星に行けば、他の五感で知覚することが出来る。
他の五感って具体的になんだよ?
そもそも木星に行かなければ知覚できず、知覚しなければ実在しないなら
やっぱり文明度によって実在するかどうかが決まってくるだろうが。
自分のいってること、少しは考えてから書けよ。
685 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 16:12:59 ID:Ccw319aU
ま、隠居の能書きは、唯心論と、 唯物論がごっちゃになってる滅茶苦茶なものだからな。 話にならんよ。
687 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 17:30:15 ID:91gYxrO8
久しぶりに真言氏の投稿を見た。 このスレは廃墟になったのかと思っていたので、ホッとした。 現代社会に至って、伝統的仏教理解が出来る人の存在は、爪の上場に置ける土になってしまったのでしょうか。
688 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 17:58:00 ID:EgmU8wAe
幼稚園:一緒におままごとする、お嫁さんにしてと約束させられる 小学生:家にお呼ばれされ、部屋に入る。バレンタインデーでチョコ貰う 中学生:年賀状が来る。放課後二人きりで話をする 高校生:夏祭り、花火大会で浴衣姿のあの子と手をつなぐ、キスする 大学生:昼間からアパートでセックス これらの体験が全く無い奴は今後どんな人生を歩もうと 満たされる事はなく、悶々とした人生になる
689 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:22:22 ID:sN5LBEUn
>>686 >ま、隠居の能書きは、唯心論と、
>唯物論がごっちゃになってる滅茶苦茶なものだからな。
そもそも、浅はかな観念で、唯心論・唯物論に2分することと自体が誤り。
人間の心身は一体であり、そのように分裂した存在ではない。
>>684 > 認識もできず、推定の域を出ない以上、神と生命は似たようなもんでしかないね。
生命とは異なり、神には、その存在推定の根拠となる具象的現象は皆無である。
690 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:28:08 ID:emSFIusi
推定w バカばっかりだな。
691 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:33:50 ID:sN5LBEUn
>>690 五感で知覚できない対象は、推定か、空想以外にはありえない。
692 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:35:54 ID:emSFIusi
それが馬鹿なんだよ。
693 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:38:25 ID:sN5LBEUn
>>692 五感で知覚出来ない対象が「実在する」と信じ込むことを、「妄想」と
呼び、精神病の症状として、即刻治療の対象となる。
694 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:41:10 ID:emSFIusi
なるほど、 馬鹿は撤回するよ。 精神病だったか。 君たちは即刻治療してください。
695 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 18:56:34 ID:emSFIusi
仏陀は転生(再生誕)を説いてない。 以上、終了。
696 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 19:24:42 ID:UGon8DHd
>>687 >久しぶりに真言氏の投稿を見た。
フ〜ム。間違いないな!!
恥ずかしがらずに名乗ればいいのにぃ、もう^^
彼の投稿が再開されるとなれば、可笑しな輩たちは全て駆逐されるでしょう。
エッ!!! 誰だーぃ?この私も駆逐されると笑ったのは?
この私は、真実が明らかになることが喜び---本望〜^^
釈迦は転生といてるでしょ
698 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 21:07:02 ID:sN5LBEUn
>>697 転生か否かを判断する具体的方法を教えてください。
>>669 その考えは非常によく分ります。私もそれでいいと思います。
ご隠居には結構ツッコミ入れてしまいましたが、
全体に「病人、相手するべからず」のムードになってきたので、私もそれに倣おうと思います。
お騒がせしてすみませんでした。
700 :
初代スレ7 :2009/03/28(土) 22:02:41 ID:6QBYclls
701 :
大王 :2009/03/28(土) 22:03:12 ID:Id+nWPHK
ま、インキョは哀れに病人あつかいされるるんだろうなあ、 輪廻と変わらないぐらい論理飛躍が激しいからなあ、 クリスちゃん相手げ限度かもなあ。
702 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 23:07:39 ID:UGon8DHd
>>680 では細かく-私からの反応を示すと!
>日本の大乗、特に日蓮は仏教ではありません。
同意。
>その他、現代の日本仏教徒は仏教と遠く離れた考えの僧が多いと思います。
同意。
>ですが、根本的には正統な大乗仏教だと私は考えます。
どれが??上記、日蓮仏教及びその他の日本仏教のこと?
>その根拠は、縁起解釈です。中観の縁起解釈こそが釈尊の縁起を最も忠実に再現したものと考えます。
>部派仏教は、実在論が混入しているので、釈尊の仏教を後退させていると思います。
>
>もちろん、方便としてはありですが。
なるほど-納得。
703 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 23:10:05 ID:UGon8DHd
>>大乗とはアンチゴータマを出発点にしたゴータマ思想の歪曲化です。
>>678 >そんなことありませんよ。特に龍樹中観は釈尊の仏教そのものを
>高い見解で再現したものと確信します。
その辺が私にはどうもわかりません。つまるところ、日本でいう仏教者とはすべて大乗徒のこと。従っ
て、大乗に対する理解度がその人の評価になる・・。この私が大乗に拒否反応を示すのは、大乗はゴ
ータマの基本精神を捻じ曲げたからですよ。一体いつゴータマが、「ホトケの慈悲にすがれ!」などと教
えたか?
たしかに、加持祈祷にみる現世利益的な救済方法については、モッガラーナのように宗教者として自
分にできる祈りと宗教的な力の全てを駆使しようとする姿勢であるとして、この私は全面否定はしない。
寧ろある意味で、逆に好意的に見てはいます。
しかし、大乗の基本的な出発点というのは、ゴータマの教えた自己解脱の道に対するアンチではなかっ
たのか?ゴータマの説く三十七菩提分法を全面否定はしないまでも、その後、大乗独自の修行体系を
構築していったあたりの経緯に全幅の信頼が置けない感じがします。
まだ、大乗各派では原始経典を扱わないのか?それは何故か?都合は悪いからなのか?この辺り
の話は次の段階となるでしょうか??日本仏教はもう1度、ゴータマの原点を見直し、再生をはかるべき
です。でないなら、現状の日本仏教は崩壊消滅の一途ではないでしょうか?
私は皆さんから、戒名の問題やその他、仏教信仰のあり方と社会との関わり方(僧侶存在の社会的意
義を含め)についても、本当はいろいろんな意見が欲しいところです。
私には、原始仏典があれば龍樹中観の必要性はどこにあるのか?という疑問があります。これは部派
仏教の実在論の登場に対する反論として現れたものでしょう?そんなに必要なものなのか?
たしかに、「特に龍樹中観は釈尊の仏教そのものを高い見解で再現したもの」という評価があることに
ついては知っています。その辺りについては以前、あなたから奨められた石飛道子著『ブッダと龍樹の論
理学』を読めば、その疑問は解消されるということなのでしょうか?しかし、この著作もなかなかの価格で
〜まだ購入してません^^(パユットー、ダライラマ著は届いたところです)。
704 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 23:16:56 ID:Ccw319aU
>>702 >どれが??上記、日蓮仏教及びその他の日本仏教のこと?
ごめん。不明だった。その他の日本仏教の源流です。
例えば、宝珠さんは、喜ぶかもしれませんが、
高野山真言宗の明治以後は基本的にヴェーダーンタと変わらない解釈です。
真宗は、江戸時代に本末転倒した解釈になり、異安心という言葉が生まれて
排他的になってたりするし、もちろん私は細部まで正確に把握してませんよ。
言うまでもなく。
パユトー長老と石飛先生の本は読まれましたか?
705 :
宝珠愚者 :2009/03/28(土) 23:39:32 ID:UGon8DHd
>>704 >ごめん。不明だった。その他の日本仏教の源流です。
はい、了解しました!
ま〜確かに、そうでしょうね。
>パユトー長老と石飛先生の本は読まれましたか?
まだ読んでませんが、お奨めだった(合ってます?)
ポー・オー・パユットー著『仏法---テーラワーダ仏教の叡智』サンガ刊
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツオ著『智恵の眼をひらく』春秋社刊
の2冊は手元に届きました。すみません^^
石飛道子著『ブッダと龍樹の論理学』サンガ刊
は、4月に入ったらすぐに取り寄る予定でいます。
最近の私は経済的に苦境なのです^^
このままでは、ホームレスか仙人ばりの生活の日も近いかと思われる(笑)
706 :
神も仏も名無しさん :2009/03/28(土) 23:58:04 ID:Ccw319aU
>>703 たしかに大乗は菩提心に基づく動機主義、精神主義が徹底して、
菩提心に基づけば方便なんでもありで分かりにくいのは確かです。
テーラワーダや釈尊の長部経典のように単純明解でない面が多いと思います。
ダライラマ猊下の本とパユットー長老の本を比べれば分かると思いますが、
菩提心を根本とすること以外に教えの内容も修行体系も基本的に同じだと分かると思います。
>>705 >最近の私は経済的に苦境なのです^^
>このままでは、ホームレスか仙人ばりの生活の日も近いかと思われる(笑)
すいません。別に買わなくていいんですよ。図書館で借りるなりすれば。
なんとか食いつないで菩提行を実践されることを祈っております。
707 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 00:26:38 ID:seAx/w8R
>>706 >たしかに大乗は菩提心に基づく動機主義、精神主義が徹底して、
>菩提心に基づけば方便なんでもありで分かりにくいのは確かです。
>テーラワーダや釈尊の長部経典のように単純明解でない面が多いと思います。
なるほどねぇ!
>ダライラマ猊下の本とパユットー長老の本を比べれば分かると思いますが、
>菩提心を根本とすること以外に教えの内容も修行体系も基本的に同じだと分かると思います。
そうですかぁ〜??では、これは自己課題とします。もう1度、自分の決め付けを解き心を開いて確
認します。
>>705 >最近の私は経済的に苦境なのです^^
>このままでは、ホームレスか仙人ばりの生活の日も近いかと思われる(笑)
>すいません。別に買わなくていいんですよ。図書館で借りるなりすれば。
私自身が自分の中で仏教(理解)についての再確認が必要な時期だ、という想いが沸々としてきた
時期でしたので、これは手にしたいと思います。やはり、手元にないと何かのときに再び開いて確認す
る作業ができないので^^
>なんとか食いつないで菩提行を実践されることを祈っております。
はぃ、ありがとうございます!(感謝 !!)
是非、増益/鉤召法の加持祈祷を宜しくです^^ で祈祷料、お・い・く・らなの?w
708 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 01:24:28 ID:dOFiJW4L
>>700 あなたご自身の考えで時枝理論を批判し、併せて、「物が存在(実在)するとは
如何なることか」についての、あなたの理論を展開してください。
さらに、仏教ではどう考えているかにつき、説明してください。
709 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 01:36:45 ID:dOFiJW4L
>>699 >全体に「病人、相手するべからず」のムードになってきたので、私も
>それに倣おうと思います。お騒がせしてすみませんでした
「五感で知覚出来ない物が実在する」と信じ込むほうが、よほど病人だろw。
精神医学では、それを「妄想」と呼び、治療の対象とする。
710 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 01:46:05 ID:dOFiJW4L
>宝珠愚者氏へ 生まれ変わりかどうかの具体的判断も出来ないで、いい加減な「輪廻転生」 など唱えてはならない。釈迦は、どうやって判断したのかね。
711 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 03:02:28 ID:seAx/w8R
>>710 私は、できるだけ誠意を以ってあなたに答えてきたものと思いますが、これ以上の返答はできない。
以降〜については、その疑問はあなた自身で探して解決すべきことです。あなたは多くの知識を有し
ていますが、仏教的には「無知」と呼ばれます。あなたは何も“知らないで”主張している。
とにかく、自分でもっと仏典を読むこと。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-3.htm といった
情報も全て集めて読んで、確認すること。できれば直接、外気功体験や超心理学研究所などに出向い
て一緒にデータに向き合う。インドなどに神秘現象の確認の旅に出るとかして・・まずは、物質科学の
説明は不完全であり、超自然現象は在るという事実に触れることです。あなたが本当に本心から確認
したいのなら、そういった自助努力をして下さい!
それ以外には無理です
これで、私からあなたに対するレスは最後となるかもしれません
(あなたは名無しだから、失敗するかもw)。
----以上、宜しくです!!
712 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 03:04:50 ID:dOFiJW4L
713 :
一在家通りすがり :2009/03/29(日) 06:52:26 ID:LjMRcDH5
>>710 >生まれ変わりかどうかの具体的判断も出来ないで、いい加減な「輪廻転生」
>など唱えてはならない。釈迦は、どうやって判断したのかね
生まれながらに視力がある者が、見えているものを言葉にしたとして、
生まれながらに目が見えない者に理解させることはかなり難しい。
3千年前は真空であった世界を、現代では電子顕微鏡で見た実相として、
大型のテレビ画面にて万人が確認することができる。
人間の体→細胞→原子核の周りを電子が飛ぶ小宇宙→素粒子→波
長部経典の34経の半数以上の経典には修行完成者が持つ神通力と
再生に関わる説法が記載されている。
六神通の一つの宿住通では前世での因縁が苦しみの原因になっている
ことが見えるので、釈迦でなくとも当時の修行完成者ならば「輪廻転生」
は常識だったことが明記されている。
まあ、現代科学でも遺伝子に記載されている情報であれば、先祖達の
姿を再現することもある程度できるようだな。
さて、釈尊に「輪廻転生」 はどうして見えるのか?と質問できたら
どういう回答があると思うかな。
714 :
一在家通りすがり :2009/03/29(日) 06:56:07 ID:LjMRcDH5
>>711 >できれば直接、外気功体験や超心理学研究所などに出向い
>て一緒にデータに向き合う。
私は元超心理研究会とサイ科学会の会員でしたが、会費を払えず
退会しました。
715 :
一在家通りすがり :2009/03/29(日) 07:04:41 ID:LjMRcDH5
それから日本心霊科学協会の会員でもありましたが、会費が高いのと、 多くのデータでよく霊魂の実在、輪廻転生の実態は理解できたので、 これからは如何に日常生活の中で応用、実践していくかを重視して 退会した次第です。
716 :
一在家通りすがり :2009/03/29(日) 07:10:11 ID:LjMRcDH5
しかし、最近のアメリカの連続ドラマや映画のほとんどは、 霊魂の存在を前提にしてシナリオが作られております。 これは欧米人の大多数が神と悪魔と霊魂と聖霊の存在を 信じているからです。 それなのに原子仏典では度々ハッキリと記載の再生を まだ仏教徒の多くが信じていないという実態を深く悟る ことですね。 じゃあ、通りすがりですので、他の板に参ります。
717 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 08:00:51 ID:seAx/w8R
>>「一在家通りすがり」さん--- とてもよく納得のできるご意見でした。 貴重な体験などの投稿にも感謝します!
718 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:14:01 ID:seAx/w8R
*かなり長々と参考文献から引用転載しています。
どうか、こんなところで勘弁して下さいませ〜〜^^
(次の課題も抱えていますので、キリスト教問題はこの辺で終わりにさせて下さいm(__)m)
>>668 >かつての教会で、
>>627 の意味ですら「イエスを見習う」ことを悪としたという根拠はありますか。
『イエスは他の人々から「あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み」と陰口まで叩かれていた(マタイ11:
19)。これは、周囲から嫌われていた人たちとも分け隔てなくともに食事をし、断食などの宗教儀式を
外見だけ守るより聖書本来の精神を重んじたイエスに対する、他の宗教家たちからの言いがかりで
あったわけだが』
http://www.geocities.jp/cavazion/es63.html とあるように、イエスは「儀式を外見だけ守るより聖書本来の精神を重んじた」というのが重要。こう
いうのは、ゴータマが“三種の浄肉”を認めていたり、マハーカッサパの過度な頭陀行に対して諭そう
とした辺りの意識と恐らく共通するのではないでしょうか!ブラヴァツキーも葉巻煙草のベビースモー
カーで酷かったようであり、そりゃ〜吸わない方がいいだろうことは決まってる。でも、重要な本質的部
分というのはそういうところにはない、ということだと思います。
719 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:16:06 ID:seAx/w8R
>そのものずばりな『キリストにならいて』というタイトルの本では
>>627 確かに、西洋の神智学徒の中には、このトマス・ア・ケンピス著が最も崇高な良著(イエスの教えにつ
いての)として推奨する人は少なくないようです。
恐らくきっと、これは私のいい方が悪かったのだと思う。個人のクリスチャンにおいては素晴らしい人
も多く、立派にイエスの教えを実践しようとされている方もいるでしょう。
しかし、私が述べてるのは、教会の歴史的事実が示すイエスの教えの曲解とその押し付けのことです。
それはイエスの個々の言動について見習うという話ではなく、キリストとしての“神性”についてのことです。
つまり、我々もキリストのように成れる、という重要な概念を後の教会は否定して認めなかったのです。
自己の神性(キリスト意識)について主張しようものなら、それは異端者のレッテルを貼られて裁判で裁か
れて断罪(場合により火刑)させられた。それは後に魔女狩りにも繋がっていったのです。
ウ〜ム。今更、根拠や出典を要求されると、かなり困るものですね(笑)。私はこのくらいのことは世間
(クリスチャン以外)の常識の範疇かと見なしていましたから・・。
教会が「三位一体」を説くということは、イエスだけが唯一の神のひとり子としてのキリスト存在だという
こと。イエスも我々と同じ人間の一人であり、我々との違いはその神性の具現する割合の違いに過ぎな
いとか、他の者が自分のキリストの性質を自認したり、イエス以外の人間にキリスト意識の内在を肯定し
ようとすることは断じて認められなかった。これらは絶対的神(実際にはローマ皇帝)の意志である「三位
一体」説の否定となるので、そのような見解を説く者は異端の烙印を押されて、異端尋問→宗教裁判と
いう末路に遭った。
参考:
http://dic.mobatch.net/detail/%E7%95%B0%E7%AB%AF/5
720 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:19:07 ID:seAx/w8R
721 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:23:19 ID:seAx/w8R
『「キリスト」という言葉は「メシア(救世主)」を意味するギリシア語の「クリストス(Christos)」からきている ことがわかっています。このクリストスという言葉は紀元前百年頃、『七十人訳ギリシア語訳旧約聖書』が 整えられたときに他の国々に紹介されたもので、主に油を注がれた者を意味する Mashiach あるいはヤ ーウェーに油を注がれた者を意味するもっと完全な形の Meschiach という言葉を翻訳するために使用さ れたのでした。キュロスは油を注がれた者と呼ばれていましたし、また詩篇第105篇15節には、複数形の 油を注がれた者たちはヤコブの十二人の子供たちに適用されています。旧約聖書では、「油を注がれた 者」の言葉は、キュロスとヤコブの十二人の子供たちを除いては、ユダヤ人の王を意味することに限定さ れています。そしてこれらの例外は、この言葉が“多くの面で偉大であった”人をも意味するということを証 明しています。「クリストス」という言葉または尊称はそれまでの多くの<神の化身>たちの名前と尊称と して神秘学派やオリエントで使用されていたのでした。
722 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:24:55 ID:seAx/w8R
『七十人訳ギリシア語訳旧約聖書』に戻ってみると、ギリシア語の「クリストス」はもともとはあるエジプト の神の名前からきていることが判明します。斧や楯の音をたてずに神殿を建てたとされているヘルメスと いう老人がいましたが、このヘルメスという名前は「ツロのヒラム」というふうになまったり訳されたりしてい ます。この名前のラテン語形はマーキュリーで、一方、ギリシア語形がヘルメスであり、エジプト語形はタ クフット(Tachut)です。ところでヘブライ語の「タクハト(Tachath)」は時々ギリシア語で「トート(Thoth)」と 呼ばれることがありますが、その意味は「何々の下に」と「何々の下方に」です。トートは<主>または< マアーの神>すなわちエジプト語の<マアー>または<マート>で、真実という意味です。そして「真実の 言葉」を意味する<マアー・クヘル(Maa kHeru)>はギリシア語の「マーキュリー(Mercury)」の基本形な のです。 「クフ(kH)」というエジプト文字つまり二重母音は、強く息を吸い込んでHと発音しますが、ギリシア語で は常に「X」に書きかえられます。反対に、ギリシア語のXの音は常に「クフ(kH)」と書きかえられます。従 って、エジプト語の「KHeru(クエル)」は「cheru(クフル)」または「Ch-R(クヘル)」となります。この後者の 文字が有名な「XP」を形成しています。これは初期キリスト教徒の暗号であり、私個人はこの文字がロー マのカタコンベの墓地のいくつかの墓石の表面に刻まれているのをたどって見たことがあります。一般に キリスト教の全ての歴史的記録では、この「XP」はキリストを表していることが認められています。そして ギリシア語の福音書のヨハネ伝では、イエスは「ロゴス」と呼ばれており、これは同じような意味の言葉で す。従って、「キリスト」という言葉は特殊な生まれ方をした、神の使者として神格化された人に特別に適 用され、またその人が到達した称号であったことがわかるのです。』 (H・スペンサー・ルイス著『イエスの知られざる生涯』たま出版刊)
723 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 09:26:39 ID:Np1JLcSn
>>707 大乗の良書を読んでみてください。
英語や原典ならネットで手に入るんですが。
増益/鉤召法ですか。ウーム、それは大がかりだ。
祈祷料って貰ったことありませんよ。
私は乞食坊主ですから。
724 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:26:39 ID:seAx/w8R
>>670 >>処女懐胎、
>正直、奇跡を認める宝珠愚者さんがなぜこれを捏造とするのか不明です。
奇跡は殆ど何でも起こり得ると公言する私ですが、処女懐妊を否定するのは簡単な話です。処女懐妊
の必要性がそもそもないように思いますし、その実例についても知らないからです。
この処女懐妊の話も汎宗教会議で決定したものと見られます。理由は奇跡的誕生によって神格化をは
かるためです。奇跡的誕生による神格化(伝説)というのは宗教的世界ではイエスに限らず、極々、あり
ふれた話に過ぎません。
キリスト教徒ご自慢の「処女懐妊」の奇跡なるものは、何もイエスに限った専売特許ではないと、私はい
っておきます。インドの聖英クリシュナ(紀元前3000年頃)はデバキという貞淑な処女から産まれた。ゴー
タマにもマーヤーが白象に脇腹を牙で刺し込まれる夢を見て懐妊、それまでは処女だったという伝承があ
る。ペルシャのゾロアスター(ゴータマよりも170年ほど前)や王キュロス、古代ローマの救世主/クゥイリー
ヌス、アッティス(紀元前200年頃)、ギリシアの神/ディオニューソス、バビロニアの神/アドニス、ミトラ(紀
元前600年頃)もそうであり、タイや中国にも処女出産の聖者がいる。エジプト神話のホルス神は処女神イ
シスから産まれたというのも同じこと・・。
これらが意味するものは何か?ちょっと感のイイ人ならばすぐに分ることです。つまり、これらは後世の
人間(信奉者)による神格化の意図で作られた逸話であり、処女性の持つ汚れ無き神聖なイメージを結
びつけたものに過ぎないということ。
725 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:28:58 ID:seAx/w8R
『しかし新約聖書自体においては、イエスの処女降誕は「マタイによる福音書」1:18-25と「ルカによる福 音書」1:26-38の二カ所に記されているにすぎない。両福音書とも紀元80年代の著作である。この二つの 主要な資料のひとつマルコ福音書(おそらく70年代の初め)はイエスの処女降誕について語っていない。 諸福音書よりも早く、紀元50年代に書かれたパウロの手紙もそれについては沈黙している。しかもパウロ はガラテヤの信徒への手紙の中で、「しかし時が満ちると、神は御子を女から生れた者、しかも、律法の もとに生れた者として、お遣わしになった」(4:4)と述べている。キリストは「女から生れた者」と言われてい るが、ここで「女」と訳されているギリシア語「ギュネー」は婦人一般あるいは妻を指し、とくに処女を意味す るものではない。 もしイエスの処女降誕がパウロにとって重要な事柄であったならば、彼はここで不用意にギュネーという 語を用いずに、処女を意味するギリシア語パルテノスを使ったであろう。パウロがイエスの処女降誕その ものを知らなかったということも十分に考えられうる。永遠のロゴスの受肉を語り、キリストを神と告白する ヨハネ福音書(1世紀末)も処女降誕には触れていない。 以上の文献的資料の概観から、イエスの処女降誕の伝承は比較的後代に成立し、教会の最初期には まだ知られていなかったと想定することができよう。しかし、この問題との関連で、後述するように、「マリア の子」というイエスの呼び名をも考慮しなければならない。いずれにせよ、一世紀においてはイエスの処女 降誕の信仰は、二世紀におけるほど広くキリスト教徒の間に行き渡ってはいなかったようである。新約聖 書の中でイエスの処女降誕は、後の教会に見られるような大きな場を占めていない。』 (東洋英和女学院大学教授/川上 貞雄著『イエスの処女降誕は何を意味するか?』新人物往来社刊)
726 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 09:31:17 ID:seAx/w8R
>>672 >あなたは「イエスの絶対性のために」削除しなければならない理由を示せていません。
>
ローマ皇帝がキリスト教を国教として大衆のコントロール化に理由しようとする際においては、キリスト
教の揺るぎない絶対性が確保できなければ、他の宗教勢力に負けてしまうでしょう。
それがイエスの神にも等しい絶対性であり、如何なる他の追従をも許さないことでした。生まれ変わり
の概念が排除されたのもそのためでした。自己の行為が来世に課せられるということは、行為の如何に
よっては大きく前進できることを示しており、従って、究極的には誰でもキリストの如く近づける可能性が
あることを示すものになる。イエス以外にも神の子を認める概念はイエスの唯一なる絶対性とは相成れ
ないと見なしたのです。よって、万人に内在するキリスト意識の成長という概念が排除されたのもこのた
めです。
>>673 >律法を完成する、と主張する人物が、実社会では実害を与えない、
>という以上の意味での寛容を示すとは考えにくいです。
イエスの言動を見ていれば、彼が律法主義者などではないことは明白です。クリスチャンたちはイエス
の言葉を忘れ、古い律法の厳守に意識が縛られがちになっています。古いユダヤに逆行している・・。
727 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 09:32:27 ID:/bTGJOMg
衝撃的話してやろうか、全能の神ヤハウェと捧げる大祭司と、犠牲の小羊とは実は同一の神でなければ贖ないの行為は成立しえない。 すなわち小羊イエスは大祭司であると同時に神でなければならないのだよ。詳細は新約聖書のヘブライ書参照のこと。
728 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 10:02:44 ID:DRez6SOG
>>718 その人達って、教会の人達ではないですよね。
「どうせ同じような連中」→「なら、頭の中も同じ」という理屈なのかな?
>イエスは「儀式を外見だけ守るより聖書本来の精神を重んじた」というのが重要。
パウロもですね。
>>719 >キリストとしての“神性”についてのことです。
アブラハムの宗教、一神教の原則上、ごく普通の当たり前のことです。
>私はこのくらいのことは世間(クリスチャン以外)の常識の範疇かと見なしていましたから・・。
私が求めたのは
>>627 の意味ですら、教会が否定したか、という答えです。
それで、627に対し、「キリスト教徒も成長したのか」という返事をしたので、
では昔は627の意味ですら否定していたのか?と聞いたのです。
当たり前ですが、人間が神になっていけない、と教会が説くことなんていちいち聞くほどのことではありません。
>イエスも我々と同じ人間の一人であり、我々との違いはその神性の具現する割合の違いに過ぎないとか、
半分神、も一割神、もありえません。神か被造物か、これだけです。
だからこそ三位一体だのとこだわりも見せるのです。
>これらは絶対的神(実際にはローマ皇帝)の意志である「三位一体」説の否定となるので、
キリスト教では、神の前に平等です。ユダヤ人も異邦人も。
旧約聖書の書き手もいろんな立場、身分の人からなっています。
そして、歴史上明らかなように多神教時代でも皇帝は絶対とできました。
スレ違いの内容だって書いてもいいと思うけどさ、 いくらなんでも書きすぎだろ。もうちょっと細切れにやりとりするくらいにとどめようとか思わないわけ? こんなにブロックでガツンガツン入れるんだったら、スレ立てるかどっかに移動しろよ。
730 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 10:23:47 ID:DRez6SOG
>>720 > これは、本来においては霊的意識の境地を意味した称号だったという意味です。
下のwikipediaでも霊的階級を上がってなるもの、とは書いてありません。
聖書における、王や祭司というものの役割や文脈を見直してみては?
>唯一の事例。
訳文の「のゆえに」は「〜〜である」ことを指しているのか?例えば
フィリピの信徒の手紙3章7節では
>しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
とありますが、「わたし」自身をキリストと見なしたわけではない。
文脈から見てもキリストに信を置くこと、そのゆえに、という意味です。
そして当人らにしてみれば、イエスやキリストはその時代にできた教義ではありません。
創造の時から存在すらしているのです。
731 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 10:25:19 ID:NZN9f7Ei
ちんこちんこって600回ほど書いていいですか?
732 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 10:49:52 ID:DRez6SOG
>>721 >また詩篇第105篇15節には、複数形の油を注がれた者たちはヤコブの十二人の子供たちに適用されています。
聖書を開いて確認してみましたが、「私が油を注いだ人々に触れるな」とは
あっても「ヤコブの十二人の子供」への言及はないです。
>「クリストス」という言葉または尊称はそれまでの多くの<神の化身>たちの名前と尊称として神秘学派やオリエントで使用されていたのでした。
出典をお願いします。
>>722 他の言語から似た単語を探し、加工して結びつける、というのはアリなんでしょうか?
語感をそのまま移入した語ではなく、普通に意味を通った訳語であるのに?
エジプト神話のアメン神と「アーメン」を関連付けるような語呂合わせに近いものに思えるのですが。
クリストスという称号のオリエントでの扱い、もそうですが
岩波書店や大学の出版部から訳書の出るような学者の著書でも確認のできることなんでしょうか?
733 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 11:47:43 ID:DRez6SOG
>>725 「川上貞雄、新人物往来社」でぐぐってもヒットしません。
引用元は荒地出版社の「聖書の謎百科」では?
>>726 あなたは自分の仮定した教義をそのまま歴史にかぶせておられますが、
輪廻が受け入れられるにせよ、受け入れる側の宗教の特徴をまず踏まえるべきでしょう。
まず、唯一神教(他に神なるものは存在し得ない)、このようなアブラハムの宗教の
系譜をイエス自身が主張していること。イエスが完全に神であると同時に完全に人であるとされていること。
元々ある死後観を無視さえずれば、輪廻転生説自体は唯一神教やイエスの全神全人性(造語です)とは矛盾せずに適用可能です。
転生を盛り込んだ際にできる利用法や旨味の部分も以前のスレで書きました。
例えば皇帝や先祖、皇祖をイエスや聖者の生まれ変わりにすることも可能です。
神性度ならこれを利用した階級付け認定もできますし、カースト制のような利用もできるでしょう。
>大衆のコントロール化に理由しようとする際においては、キリスト教の揺るぎない絶対性が確保できなければ、
もし、本来のキリスト教教義、というものがあり、それを曲げてしまえば肝心のキリスト教徒から反発を食らいます。
歪曲に加担した人々も信頼を失い、内部分裂が起こるでしょう。
そもそもキリスト教そのものの絶対性のために、イエスに神性を持たせておく必要もありません。
イスラムを見ればわかる通りです。イエスを遣わしたとされるのは唯一絶対の神です。
> イエスの言動を見ていれば、彼が律法主義者などではないことは明白です。
私はそんなことは言ってません。むしろ逆です。
一応、福音書での彼の発言や思想を踏まえているつもりです。
>古い律法の厳守に意識が縛られがちになっています。
「クリスチャンたち」と一般化できるほどに広く見られる現象なんですか?
彼らがレビ記や申命記のアレを守りまくろうとしているのでしょうか?
734 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 12:01:12 ID:Np1JLcSn
>>732 >クリストスという称号のオリエントでの扱い、もそうですが
http://www.biblestudytools.net/Lexicons/Greek/grk.cgi?number=5547&version=kjv The KJV New Testament Greek Lexicon
khris-tos' Adjective
Definition
Christ = "anointed"
1. Christ was the Messiah, the Son of God
2. anointed
石原謙『基督教史』岩波全書、1934、25-26頁でも
メシアが「膏注がれし者」で神の祭司あるいは王を意味し、
ギリシャ語の khristos 「膏注がれし者」を意味しメシアの訳語として用いられたと書いてますよ。
これはインドのアビシェーカ、灌頂に似てますね。
オリエントの儀礼がインドでも取り入れられたのかもしれません。
キリスト教ネタは、他でやってもらえませんか?
肉の両親は、私に偽りの命を与えた。 だが、真実の父(根源)と、真の母(聖霊)は、私に真の命を与えて下さるだろう。 宝珠さん。聖書の処女受胎の話は、人の子は永遠の処女である、聖霊により身篭った という譬えとして、書かれたものなんだよ。女は男のハート。それは人(男)の心である。 彼女は、万物の母である。
736 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 12:19:17 ID:DRez6SOG
>>734 idをたどってもらえればわかって頂けると思いますが、
「油を注がれた者」(メシア、キリスト)が
ユダヤ文化で使われていることは踏まえています。これが
他のオリエント地域でも見られたのか?またそれは格式ある版元から
著書の出るような学者の本でも裏をとれるのか、というのが私の疑問の一つでした。
>キリスト教ネタは、他でやってもらえませんか?
これはそうですね。すいません。
イエスと仏陀の説く真理真実とは?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1224385381/l50 >宝珠氏
>>728-733 への反論を書く際は上のスレでお願いします。
お気に召さない場合は、別のスレを指定していただいて構いません。
仮にここで反論がなされたら私は別スレに書き、私の反論レスへのurlを貼ることにします。
737 :
亭白 :2009/03/29(日) 12:39:03 ID:gpYXBuTa
>>725 :宝珠愚者
>イエスの処女降誕の伝承は比較的後代に成立し、教会の最初期には
まだ知られていなかったと想定することができよう。
@ナザレのイエス様はじめ十二教徒の直弟子もイエスの処女降誕はなく、普通の夫婦の
営みでイエス様が生まれていることは疑う余地はありません。
ナザレのイエス様はじめ十二教徒の直弟子が亡くなられた後に孫弟子かひ孫弟子か
解らないけれど、ナザレのイエス様はじめ十二教徒の直弟子の預かり知らぬ所で
神格化するために勝手に記述を削除したり、イエスの処女降誕を追記したのは明白
です。
738 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 12:41:10 ID:DRez6SOG
739 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 13:07:17 ID:Np1JLcSn
740 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 15:39:16 ID:4NQqlgsm
イエスが、権限ある者から塗油の儀式を受けた事実は、どこにもない。従って、 イエスは、キリストではない。「ナザレ村のイエス」と呼ぶべき。 なお、イエスは当時のありふれた名前で、ナザレ村にむ複数いたはずだから、 結局、特定はできない。「ナザレ村の基地外イエス」と呼べば、特定できる だろう。 イエスが狂人であったことは、イエスを「直接によく知る」家族、教理の人々、 ユダヤ教徒たちが、聖書の中で証言している。
空気嫁よ。
742 :
宝珠愚者 :2009/03/29(日) 16:52:58 ID:seAx/w8R
エーと、投稿規制で苦しんでました(涙)
また、いつ暫く不能となるやもしれません。あしからず..
>>736 >>738 【独善主義】キリスト教の問題点【優越主義】へ投稿しました。
(なるべくなら終わりにして下さい^^)
>>735 了解です^^
>>737 はい、同意します。
>>723 >大乗の良書を読んでみてください。
>英語や原典ならネットで手に入るんですが。
良書ねぇ〜はぃ、わかりました^^
真言さん他、皆さんの推奨を参考にして少しづつトライします!
しかし、わたしは学がないから英語とか原典などは無理です。
馬鹿だから絶対に無理なの(涙)
>私は乞食坊主ですから。
うははっ(笑)
743 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 17:29:13 ID:b6xP6WMg
キリスト教とは、イエスの精神病の世界的一大集団感染という、精神医学的 現象に過ぎない。精神病は感染する(感応精神病)。 クリスチャンである医師のシュヴァイツアーでさえも、その博士論文で、イエス を統合失調症(精神分裂病)であると診断している。
>>505 >輪廻転生を、「経験による成長のチャンスを神が与えてくれたものだ」と積極的に捉えるという発想
そういう思想の系譜には、フランスのピエール・ルルー(1797-1871)という人もいました。
>人類は転生を繰り返しつつ完全なものに向かって永遠に進歩するというルルー独自の哲学と、
>一般大衆を無知から救うことが平等思想の実現につながるとする普遍主義的な人間平等をめざす
>精神は、サンドの小説「モープラ MAUPRAT」「スピリデイオンSPIRIDION」「コンシュエロ
>CONSUELO」をはじめとする様々な文学作品に多大な影響を及ぼした。
ttp://www32.ocn.ne.jp/~harukon/leroux.htm
アートマンはないでアナートマン=キリスト教の利他の思想 利自即利他、 仏教は利自が中心だから、転生輪廻も必要になるのではないか。 とくに小乗仏教あたりは。
746 :
神も仏も名無しさん :2009/03/29(日) 20:14:27 ID:ksjVAzdj
747 :
神も仏も名無しさん :2009/03/30(月) 00:37:03 ID:BNyuHi7f
>>744 既にイエス(パウロ)に汚染された人間が、何を言っても無駄。
「経験による生長」とは、あくまで現世のもの。来世とは無関係。
「完全なものに向う」「永遠の進歩」「一般大衆の無知」とは、それぞれ何?
本人は、自分は「完全」で、「無知ではない」と思い上がっているのか。それこそ
「不完全」「無知」の典型だろう。
748 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 09:07:48 ID:Hvce5mBh
---お願い--- 当スレでは今後、キリスト教問題については一切とり扱わず、そのような投稿については完全にスルー したいと思います。また、唯物論者からの真摯な質問議論については無視しないまでも(仏教者として答え る義務があると思うので)、同じことしかいわない、ただ自己の願望を連呼するだけの人も、全く無意味なの でスルーしていきます。
749 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 09:12:54 ID:Hvce5mBh
---仏教と差別問題について--- それでは、初代スレ7氏より提示して頂いたヴェブページを題材にして、仏教の説く“前世の悪しき業” による生まれについての差別という問題について、ここで皆さんと話し合いと思います。 仏教の説く業報理論(輪廻転生)に対する反対論者の意見は大きく二つです。一つはそんなものはな いという唯物論。もう一つは差別に繋がる悪法というものです。しかしながら、まず最初から前世の悪し き業というものはない、といった意見については論外です。個人が信じる信じないではなく、これは仏典 で明瞭に記述されている仏教の根本思想です。仏教徒として、これを社会的にどのように適応させ説い ていくべきなのか?という視点で、皆さんからのご意見を宜しくお願いします。 抜粋ウェブの内容を簡単に纏めて述べると、部落差別やハンセン病患、そして先天性障害者に対して 仏教徒たちは、それらは前世の悪しき業による結果であるとして彼らを偏見の目で見下して、救いの手 を差し出すどころか、逆に差別的な扱いをしてきた、というものです。
750 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 09:15:01 ID:Hvce5mBh
『仏教教団の中に、「被差別部落の者が受ける不幸を前世の業だなどと逃げた議論をしてはいけない。
現実の苦しみは、100%現世の問題である」という考え方がある。解放同盟に味方をしたい、解放運動
を助けたいという気持ちは主観的には充分に出ているが、それならば、なぜ私は知らないうちにここに
生まれてきたかという問題になる。』
(差別問題に関する提言「真宗教団に期待するもの」--部落解放運動の立場から)
http://72.14.235.132/search?q=cache:C9GkXUnKeXwJ:www.shin.gr.jp/ 『わが国のハンセン病政策の中で、近年に至るまで、我宗門では、一度として患者の側に立って、国
の「非人道的政策」に異議を唱えることはなかった。むしろ「悪しき業論」による布教によって国民の意
識の中に「偏見と差別意識を助長した」と言っても過言ではないし、慰問布教の名のもとにハンセン病
患者・元患者の方々にあきらめを説いてきた歴史的事実がある。すなわち、この病が過去世において
三宝や『法華経』などを誹謗中傷した悪業の報いであると、「悪しき業論」の典型として説明され続けて
きたのである。』
(ハンセン病患者及び元患者とその家族及び
親族に対する謝罪と人権回復のための啓発活動に尽力することの決議)
http://www.eonet.ne.jp/~libell/soutousyuu-ketugibun.htm 『これまでカンボジアの障害者観を考察してきた。国民の約9割が仏教徒であり、年間行事が仏教行事
とともに進行するカンボジアでは、仏教に基づく「障害は前世からの業罰」という因果応報思想が日常の
さまざまな場面で繰り返されている。また、カンボジアの「笑い」における障害者観では、「障害者はでき
るか、否か」という視点で、あるいは「好奇」の対象として捉えていることが明らかになった。この障害者観
も「前世からの業罰」という意識と同様に、現代社会においても深く浸透しており、障害者が社会で活動す
る上で大きな障壁となっていると言える。』
(カンボジア人の障害者観における一考察日)
http://www.asiadisability.com/~yuki/Theses14.html
前世からの問題で現在の障害が発生しているかどうかと「その事実をどう受け止めるか」は全く別だと思います。 「なぁんだ、こいつはそーゆーことした奴なんだ。ザマァ」というような考え方をする心自体が問題です。 死刑囚がいたとします。この人は殺人をした。だから死刑になる。それはそうかもしれません。 でもだからといって「ザマァミロ」の精神でその人に接することが仏教的なのか?と言われれば否なはずです。 そもそも仏教では「悪」だからといって蔑めとは教えていないはずです。自分が悪を離れ、人が悪を離れるのを助け、 ということはあっても、悪だからさっさと死ね、というような発想が本当に仏教的なのかと。 要するに法華経をバカにしたから病気になったとか、そういう事実があろうと無かろうと、 どういう心で、どういう気持ちで「そういう事を発言するのか?」ということが問われているのだと思います。 「報い」ということは事実としてはありうる場合もあるでしょうが、「これは報いだな」と言い捨てる感覚の中には 優越感と人を裁く快感のようなものがありますから、はっきりいって発言者の業の問題は残るといえるでしょう。
752 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 12:30:37 ID:Hvce5mBh
部落社会というものについて私はピンとこない。現代社会の中ではあまり関係がないように思います が・・主に昔の士農工商といった時代に生じていた差別問題なのか、と思います。生まれ先の境涯の違 いは、仏教的には間違いなく前世の業による影響の結果です。金持ちで裕福な家庭に生れるか貧困な 家庭に生れるかといったことがこれに当たります。私としてはこの場合、最も分りやすい顕著なものとし て先天性障害者に対する扱いということで話したいと思います。 現状差別の実態と現状ということで、抜粋ウェブの仏教国カンボジア(国民の9割が仏教徒)の事例で いうと、国民には広く「障害は業罰」である認識が浸透しており、大衆は障害者の真似をして馬鹿にする、 または嘲笑するという。更に、『現代ではカンボジアやタイの上座仏教の出家システムにおいて、障害者 は「純粋ではない」という理由で僧侶になれないという宗教的制約がある』という。つまり、身体障害者は 「穢れ」(けがれ)ているからだといい、なんと仏陀は、障害男子には得度することを禁じたとして、細かく 32項目(1. 腕を切断された者 2. 足を切断された者 3. 腕足、共に切断された者・・・)の該当者を掲げ ている。もしこれを守らず、『当てはまる男子が、もし頑固に出家し、未青年僧となった場合、出家させた 者は、罪障を受ける』のだという。
753 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 12:35:50 ID:Hvce5mBh
失礼!
>>752 も私です。今やっと、投稿規制が取れました。
(しかし依然、携帯からの投稿だけです。PC/ヤフーBBは大規模か規制の最中であり、
そのために他の皆さんからも投稿が激減していると思います)
------------------------
私からの意見としては簡単なものになってしまう。前世の業、自己の行為は必ず自分に(果報として)
返ってくる。それは死後においても消えることはなく、来世において課せられることになる。というこの基
本については、全く変わることがないし、この後も変更の必要はない。
この認識が社会に浸透することで、人々は自己の行為に責任を持つようになり、自主的な善行が盛
んとなり、悪い行為はしないよう努めるという自己規制が生じる。法律的規制の更なる厳罰を課すといっ
た愚行にも頼ることなく、犯罪については意図的なものについては殆ど限りなく減少する。自己の行為が
果報として帰ってくるという認識の下では当然、侵略や戦争など起こり様はなく、報復戦争、報復テロと
いった人類社会の諸悪も根絶していく・・。私は世界平和の達成はこれ以外のものによっては成され得
ないと思う。
あとは説き方と適応の問題であり、障害者を馬鹿にしたり、差別扱いするなどはとんでもないこと。仏
陀に障害者は穢れているとして得度できない、とする教えがあったかどうか?私の知る範囲ではそんな
ものはない。
まず基本的理解として、仏教には障害は前世の業を受けているのだから、このような苦しみは「受け
ていい」のだ。そのままにして放置すべきだ、といった教えは存在しない。寧ろ全く逆であって、苦しんで
いる人、困っている人を嘲笑ったり、馬鹿にしたりするなど在り得ず、それはしてはいけないことであって
(これが悪しき行為でしょう!)、慈悲の精神から積極的に救いの手を差し伸べるべきものだと教えてい
る。仏典中、仏教徒としてこの精神についての根拠を提示することは十分にできる。
---まずは、ここまで!
754 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 12:51:35 ID:OzT/gNAy
>>748 >当スレでは今後、キリスト教問題については一切とり扱わず、そのような投
>稿については完全にスルー したいと思います。
すでに見られたように、輪廻転生の肯定には、明らかにキリスト教の影響があ
る。その根源を探ることも、輪廻転生に大いに関係がある。
輪廻に関して道義的問題が生じる問題のひとつは、人間の食生活に関連することだと思います。 最近はスピリチャルブームで、「人間は人間にしか生まれ変わらない」とか言われたりしていますが、 もし動物に生まれたりもするということを人々に伝えてしまうと 「この豚肉は自分の親かもしれない」というような事態が発生してしまい、人間社会に混乱を招く。 そのために人間は人間にしか転生しない、と「今のところ」してあるという話を聞いたことがあります。 本当に輪廻するかどうかは分りませんが、輪廻を認めてしまうと社会に影響はありますね。 ただ、実際に自分の肉親が食肉になっているかどうかに関係なく、 人間は生命を屠殺して食べているという事実を背負っていかなくてはならない、とは思います。 他の動物だって心がありますし生きていますから。 ただ、普段はそこに感情的リアリティを持たず無関心に感じないようにして生きています。 そのために平然と食べることができる。 感情的リアリティを感じつづけた状態では食べることができなくなる。 屠殺ということを容認し、そこに関して無関心でいるのに、障害者に対して差別し無関心でいるな、といっても ちょっと難しいところがあるような気はします。結局のところ「心がある」のか「心がない」のかしか無いわけですから。 しかし、現状はどうあれ、いずれはこうした問題全てを人間は背負っていかなくてはならないと思います。
756 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 13:51:21 ID:Hvce5mBh
私は転生を支持するわけではありませんが、 動物にも善意はありますよ。 それに動物の方が人間より精神の領域で下等であるとは限らない。 疑義があれば「猫たちを救う犬」とか読んでみるといいかと思います。 動物に関しては「笑わない」「言語を使わない」「道具を使わない」などの理由で 人間より劣っているとされることが多いのですが、 実際、動物は笑ったりしますし、言語とはいえないものの、意志表示はしっかりします。 ダンボールで家をつくったりもします。
差別する者は、される者。 これが因果応報。仏教者なら、差別されるような 階級、生まれ持っての障害者は、その者の過去性による 業の結果だとみるが、だからといって、自分達もその者達を他の者達と 一緒のなって、差別をしてはならない。なぜなら彼らを差別をすると その業は、今度は自分が差別される側となり、返ってくるからだ。 他人にしたことは、全て自分自身にしたこと。それらの業は、必ず自分に 返ってくる。だから仏道を志すものなら、いや、真理に至る道を歩む者なら、 そのような者達を差別することなく、逆に彼らがj困っているなら、 自分のことのように思い、助けてやれ。そうすればその良き行いの業は 自分に良き報いとなり返ってくるだろう。そうはいっても、 必ず、業報輪廻の思想を盾に、そのような者達を差別する人々がいるだろう。 世の中、全ての人々が仏道、真理に至る道を選択するわけではない。 必ず、真理の言葉を受け入れず背く者達がいる。全ての者が救われるわけではない。 救われる者もいれば、滅びる者もいる。そういう者達がいるからこそ、 差別される側に生まれた者は、過去の負の業の報いを受けることになるのだし、 過去の負の業の清算を済ますことも出来るのだ。だから差別される側に生まれた者は この境遇は、自分の過去の業によるものだと知り、今生では二度と同じ過ちを犯すことなく、 徳を積むよう、生きるべきだ。そうすれば報われる。世の中には滅びる定めの人達ばかりではない。 真理に至る道を歩み、将来真理に至る人達は、あなたを暖かく迎え入れてくれるだろう。 あなたは過去に、己の無知ゆえに過ちを犯した。だから、真理を知り、受け入れるのなら、 二度と、同じ過ちを犯してはならない。自分が差別される側に生まれたからと、 世間を憎み、同じく自分より差別される側の者がいれば、日ごろの鬱憤から、彼らを 差別する者達と一緒になって差別する者。自分の負の部分を決して改めることなく、 そのままにしている者。これらの者は、さらに悪い結果となり報いられる。だから同じ罪を 犯してはならない。
真の仏教者なら、業報輪廻を
>>758 のように教えるはずだ。なぜなら、
原始経典をみれば、あきらかにゴータマは
因果応報を説き、業報輪廻を説いているからだ。それを仏教徒を自称しながら、
業報輪廻は差別を生み出すから、仏教殻排除しなければいけないなんていうのは、言語同断。
彼らは、善を成し、悪は成してはならないと説いたゴータマの仏教を何も理解していない。
ちゅうかあいつらは、唯物論という現代の宗教にどっぷり浸かっているので、
自分の価値観に合わせるためになんのかんのと、業報輪廻を否定したいがため、
仏典を読んでも曲解し、その思想いついても難癖をつけているだけなんだよね。
業報輪廻をう受け入れられないのであれば、あっさり仏教は捨てるべきだ。そうすれば
彼らの主張も理解できる。なのに唯物論者が、自分達の価値観に合うように、仏典に書かれて
いることを、曲解して、自分達の価値観に合うように、違う教えにしてしまうのは、これは
彼らのエゴだ。人はこのエゴ(自我)=エゴイズム を捨てない限り、助からない。
仏教を志す者なら、自分の不幸な生まれの境遇は、自分の過去の業によるものだと知るべし。
だからもう、同じ過ちを犯してはならない。そして真理を目指し、仏道を歩む者なら、彼らが
犯した過去の過ちを、同じく犯してはならない。むしろ彼らの中で、同じく真理に目覚める
者がいれば、共に励み、歩むべきだ。だから彼らがそのような境遇に生まれたからといって
彼らを無知な人々と同じく、差別するなんていう愚行は犯してはならない。
なんか初代スレ7ってよ、聞いてると、ゴータマの仏教というより、 仏教とはこうあるべきだという、自分の願望しか語っていないよね。 俺が、仏典を読んだ動機は、ゴータマの悟りとはなんだったのか? ゴータマの教えとはなんだったのか?を激しく知りたく、読んだんだが、 どうも日本の唯物末法断滅仏教者達は違うようだ。まず自分の価値観ありき。 ゴータマの教えより、自分達の価値観が最優先で、それに合うようにしか解釈しないし、 自分の価値観に合わないものは、排斥するようだ。彼らとって、ゴータマの教えとは なにか?ゴータマの悟りとは何か?より、自分達の価値観が最優先で そんなものは、二の次、三の次のようだな。 何度も言うが、己のエゴを捨てれない者は、助からないよ。
762 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 18:24:48 ID:36yl0Vhd
宝珠さんは唯物論者ではないですか? あなたは前世の業果が今生の境涯になると主張しています。しかし 前世の業は現実の出来事、今生の業果も現実の出来事、ということであり、 これでは唯物論者の主張とまったく変わらないですね。
763 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 18:58:45 ID:36yl0Vhd
宝珠さんの言っているアートマンとは何ですか? 前世と今生をつなぐ単なる道具ですか? あなたは転生を言う前に、霊界やアートマンを研究したらどうですか? 今のままでは、単なる唯物論者ですね。
アホウども、物とかあの世とか言う前に心を磨け。
自分の価値観も他人の価値観も無常。 以上。
766 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 19:49:19 ID:Hvce5mBh
カラスさん、
素晴らしいご意見をありがとうございました。
全く以って大賛成です!
>>762-763 業は前世と今生、そして来世へと時空を超えて作用するのであるから、そのようなことは唯物論者
にはできない思考でしょう。
私はニルヴァーナに到達した解脱者は、その気になれば大空を飛行することも、身体を掻き消すこ
とも、2つ3つの身体を同時に別の地域に出現させることも、また数百、数千、数万年その肉体を維持
することすらも可能であると見なしています。
これが唯物論者たちにできる思考ですか?
私はアストラル界の性質にも(恐らく一般人の何十倍も)詳しいし、アートマンについての概念も把握
しています。ここでは論じないだけです。
767 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 19:51:55 ID:Hvce5mBh
>>757 いいたい意味は分らなくもないのですが・・私も生き物(ペット)が大好きですし、実際に犬も何匹も
飼ってきました。確かにこれくらいの高度な生き物になると、生物学のいう本能論なんかを遙かに超
えて、もう殆ど人間に近しいレベルの感情もしっかり抱いてることを理解しています。
しかしながら、善悪の概念という意味では正直、まだまだ程遠いと思います。例えば飼育犬は、飼
い主に褒められることを自己の喜びとし、飼い主に叱られることをとても悲しみます。そのようにして
犬は飼い主との関係を築こうとしているのであって、それを「善悪」として理解するのではありせん。
犬は飼い主が喜び、自分を褒めて可愛がってくれることであれば、たとえ人間社会の犯罪にも憂慮
しません(その行為で誰かか殺害されることになろうとも)。
もっと分りやすい極論で述べると、人間が悪業により昆虫や蜘蛛にでさえも転生するものと信じたり
している仏教徒たちが世界中には沢山います。では、この蜘蛛が再び人間に転生できるようになるた
めの積徳(善行)とはなんですか?蜘蛛に善悪の概念はありますか?蜘蛛の生存している自然界の
営みそのものに善悪が存在しますか?そして蜘蛛に善悪を教えてあげることはできますか?
もし昆虫には転生しないという人がいたら、ではどの動物までなら転生し、どんな動物には転生不能
なのでしょうか?そういう主張の人がいましたら、その明確な基準を示すべきです(推定理論でもいい)。
この私は明確です。人間は人間以外の生き物には転生はしない。理由は
>>756 、及び過去スレ(スレ
7/4〜5、スレ6/628)で述べた通りです。
768 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 20:04:37 ID:36yl0Vhd
>>766 過去から未来を想像したり、解脱者の超能力を想像したりするのは
宝珠さんの自由です。自由にいくらでも空想してください。
しかし、現実の認識として、前世の業果を現実の中に見い出すのは、
唯物論者の立場でしかないということです。
>>767 善悪という「概念」で理解することにそれほど意味があるようには思えないのです。
先に出した本に出てくる犬は、猫の苦しそうな声を聞くと助けずにはいられないのです。
飼い主が褒めるかどうかなど関係ありません。むしろ飼い主は厄介事は困るのです。
海に打ち上げられたアザラシさえ助けて、家に運ぼうといってきたりする勢いだからです。
これらの行動は愛からきています。善悪の基準は結局愛とか慈悲とかいうものです。
これらの心を基準に行動するならそれが善ではないでしょうか?
ただ助けるのが善だから助ける、というよりも愛故に助ける方が善であると私は思うのです。
770 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 20:38:52 ID:36yl0Vhd
宝珠さんが、現世に業果があり来世に業果があり、と言っても、 どれが業果であるか指摘できないなら、まったくの無意味でしょう。 唯物論者と変わらないではないですか?
771 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 20:51:07 ID:pNjNVVvN
>>767 >蜘蛛に善悪の概念はありますか?蜘蛛の生存している自然界の
>営みそのものに善悪が存在しますか?そして蜘蛛に善悪を教えてあげること
>はできますか?
君は全く倒錯している。
蜘蛛に成り代わらない限り、どうやってそれに「善悪がない」などと分かるのかね。
生きとし生けるものは、すべて「助け合って」生存を続けているではないか。
人間とは違って、「架空の神」のために殺しあったりなどはしない。その意味で、
人間、特に宗教者は、「獣にも劣る存在」なのである。君も、そんなに思い上がって
いては、来世は地獄に決定しているw。
「善とは、他者の生存を助ける行為、悪とは、それを害する行為」である。
宗教者は、善悪をさかんに唱えるが、定義できた者がただの一人でもいるか。
釈迦やイエスは、定義できたか。単に、自分でも意味の判らない言葉に、自己
陶酔しているだけではないか。
宗教者の無知極まれり、である。
772 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 21:01:19 ID:Hvce5mBh
>>769 犬にも個性があり、ペット犬ならは゛より顕著かもしれません。
そのワンちゃんは猫が好きなのでしょう。
別にそのことを否定はしませんが・・。
私は転生を支持するわけではありませんが
>>757 と、あなたはいってましたが、
それでつまり、あなたの意見では人間も犬や猫に生まれ変わるものとして説くべき、
いう主張なのですか?
>>768 >>770 そう、人の批判ばかりでなく・・、
それで結局、あなたの---業報と差別問題について---
に対する意見とは一体、どのようなものですか?
773 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 21:27:30 ID:Hvce5mBh
>>771 >人間とは違って、「架空の神」のために殺しあったりなどはしない。その意味で、
>人間、特に宗教者は、「獣にも劣る存在」なのである。
>宗教者は、善悪をさかんに唱えるが、定義できた者がただの一人でもいるか。
>釈迦やイエスは、定義できたか。
だから、善悪の概念とは人間特有のものだという証拠なのです。
霊性の成長を助けるものが善、阻害するものが悪です。
尚、それは相対的なものであり、物質レベルの転生経験が終了すれば無用の概念へと帰する。
ただの宗教否定ならば、どっかへ行って下さい!
次からはスレーしますので。
774 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 21:31:07 ID:36yl0Vhd
>>772 宝珠さんは逃げないでください。
まず、業果を見分ける基準を明らかにしてください。
前世の分、今生の分、来世の分と、色分けしてください。
前世の業果を論じるのはそれからではないでしょうか?
775 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 21:37:23 ID:HEY2NT4O
776 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 21:46:52 ID:Hvce5mBh
>>774 それは、ごく最近もやりましたね!
生まれの境涯は前世の業、あとは人生の出来事の幾つかと
物事を選択する際の個人的趣向の傾向などです。
ただし、個々の出来事の一つ一つがどの善業の果報かは、
解脱者には見通すことができるが、我々のレベルでは特定できない。
そう述べた通りです。---過去レス/過去ログを読み返して下さい。
業報が理解できないのなら、すみませんがこのテーマの参加からは辞退して下さい。
参加は無理です。言っても無駄な人は残念ながら、スルーさせて頂きます。
777 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 21:52:06 ID:Hvce5mBh
>>776 訂正
×ただし、個々の出来事の一つ一つがどの善業の果報かは、
○ただし、個々の出来事の一つ一つがどの前世の業の果報かは、
778 :
初代スレ7 :2009/03/31(火) 21:57:07 ID:4ARAg2S7
| | | |゚) | | | | ( ミンナ ガンガレ w ) |゚) | | | | |彡 サッ |
779 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 21:59:02 ID:hLQ2hhXF
>>773 >霊性の成長を助けるものが善、阻害するものが悪です。
「霊性の生長」とは何かね?具体的に定義してくれ。定義の中に、更に定義を
要する言葉が含まれている場合を、「循環論法」といい、定義にはなっていない。
ある人が、前世のある人の転生であることを見分ける具体的方法はを説明して
くれ。それが出来ないのなら、転生など無責任に口にすべきではない。
1.「輪廻転生」は、現代の進歩した科学で、全く証明できない。
2.その証明不能に付け込んで信者を脅迫し、狂わせて、金を巻き上げる
宗教が蔓延している。
この二つの事実だけで、「輪廻転生」概念は、存在価値を有しない。
780 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:05:54 ID:36yl0Vhd
>>776 宝珠さん、どうしたんですか? めちゃくちゃですね。
まったくわからないことを、どうして論じられるのですか?
まず色分けしてからにしましょうよ。
論じるなら、それが出発点だと思います。
781 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:13:48 ID:hLQ2hhXF
>>776 >業報が理解できないのなら、すみませんがこのテーマの参加からは辞退して
>下さい。
業報が全く理解できていないのは君の方。業報を認識・理解するのは、生命の
機能。従って、業報とは、徹頭徹尾、生命ある現世における概念。生命による
認識・理解が不可能な前世・来世には、一切関係ない。
782 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:18:42 ID:HEY2NT4O
あんたたち、お勉強馬鹿だね。
783 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 22:19:10 ID:Hvce5mBh
>>780 >まず色分けしてからにしましょうよ。
>前世の分、今生の分、来世の分と、色分けしてください。
>>774 >>776 で、述べた通りです。「前世の分」の業の果報が、
「生まれの境涯は前世の業、あとは人生の出来事の幾つかと
物事を選択する際の個人的趣向の傾向などです。」
「今生の分」の業の果報は、今生中に現れるものと来世に持ち越されるものとがあります。
死期が近い頃の行為の業果、及び今生中に現れ切れなかった分については、
当然、死後〜来世における果報となります。
業報理論の理解できない人は参加して頂かなくてもいいです(以降〜スルーします)。
参加したいならば、仏典と過去スレを全て読んで理解力を身につけてからでお願いします。
以上
784 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:25:22 ID:HEY2NT4O
具体的に、業ってなんだよ。
785 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:37:41 ID:36yl0Vhd
>>783 宝珠さん、具体的に教えてください。
たとえば、ある人がガンで闘病生活をし、軽快して社会復帰をした。
この場合、ガンになったのはいつの業果、軽快したのはいつの業果。
786 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 22:48:58 ID:Hvce5mBh
>>785 仏教は、完全な宿業決定論ではありません。
病気も前世の業の場合もあれば、そうではない場合もあります。
尚、生まれつきの先天性については前世の業だといってもいいでしょう。
>宝珠さん、具体的に教えてください。
あなたは何も分ってないようですので・・。
すみませんが、とにかく自分で勉強して下さい!
自分で労力を使った学ぶ以外に方法はありません。
まずは当スレでも全部、読んでみたらどうですか?
数日間かければ読破できるでしょう・・・。
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
787 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:53:11 ID:36yl0Vhd
宝珠さんのやるべきことは、業果の色分けではないですか? これができればみんなを説得できる。 しかし色分けができないのに、信じない人とは議論したくないでは、 オレの話を信じろ、ということでしかない。
788 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 22:56:13 ID:hLQ2hhXF
>>783 だから、その前世の業を、君の現世の生命でどうやって確認したのか
と聞いている。それに答えられないのなら、引っ込んでろ。
前世で良いことも悪いこともやった人間(すべての人間がそうであろう)
の生まれ境涯は、一体どうなるのかねw。
789 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 23:03:40 ID:HEY2NT4O
宝珠愚者さんは、仏教お勉強するのやめたら それとも仏教がたいしたことないのか
790 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 23:10:44 ID:hLQ2hhXF
>>789 イエス(パウロ)の影響だよ。何が何でもアートマンを認めないと、
一神教の神もイエスも吹っ飛んでしまい、自分の存在も否定されるの
だから、まさに「命がけ」なのだ。
>>772 人間が牛や豚に転生する可能性の如何に関わらず、
牛や豚にも人間と同じような心がある、という前提のもとに
自分たちが食肉をしている、ということを背負っていくと言うことは
(少なくとも将来的には)必要だろうと思っています。
輪廻思想のメリットのひとつには、自分という存在をもっと長いスパンでとらえることができる、
もっと多様な存在としてとらえることができるということがあります。
人間は自分勝手なイメージで自己を規定してしまっていますが、その枠を取っ払うことを示唆できるわけです。
もし自分が犬だったら、障害者だったら、クモだったら。そのような想像を、単に空想として行うだけでなく
真剣な感情を伴ってその想像に向き合った時、そのひとの精神は博愛的な慈悲に向かうことができる可能性を持ちます。
「人間は人間」と考えるよりも、クモだった自分、動物だった自分を想像し、「自分自身のこととして」考えることが
人間という小さな枠にとらわれがちな私たちにとっては必要なのです。
輪廻思想自体は必ずしも必要なものだとは私は思っていませんが、そのための一助にはなると思っています。
その意味では、もし輪廻思想を説くのであれば犬やクモにも生まれ変わると説いた方がメリットが大きいと思います。
輪廻という現象自体が事実がどうかは知りませんが。
792 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 23:16:33 ID:36yl0Vhd
宝珠さんのアートマンは、前世・今生・来世をつなぐ 単なる道具に成り下がっている。 そうじゃなくて、アートマンを中心に理論構築すべきだろう。 いまのままだと不毛です。
793 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 23:27:17 ID:hLQ2hhXF
>>791 >人間は自分勝手なイメージで自己を規定してしまっていますが、その枠を取っ払うことを示唆できるわけです。
>もし自分が犬だったら、障害者だったら、クモだったら。そのような想像を、単に空想として行うだけでなく
>真剣な感情を伴ってその想像に向き合った時、そのひとの精神は博愛的な慈悲に向かうことができる可能性を持ちます。
それは、少なくとも宝珠愚者が主張する輪廻転生からは、全く無理。
彼は、「人間以外の下等動物には生まれ変わらない」と言ってるの
だから。「善は、人間だけにある」などという、思い上がった、ピント
外れのことを言っている。
それは、前世・来世など、全く確証できない手段ではなく、あくまで、
「現世における生命の唯一性・一回性」からこそ、アプローチすべき
事柄であろう。
宝珠愚者氏は、宗教の「病理」を、一身で体現してくれている貴重な存在w。
794 :
神も仏も名無しさん :2009/03/31(火) 23:36:39 ID:HEY2NT4O
先天性についても業? その考え方から、うさんくさい。
釈尊というと神秘的なイメージがあるんだが、なんでそこまで、神秘性を排除しようとするんだ。 仏教は神秘主義でないというのは根拠がわからないのだが。
796 :
宝珠愚者 :2009/03/31(火) 23:44:48 ID:Hvce5mBh
>>791 誤解してはいけないのは、
人間以外の動物に対しては非道であっていい、というものではありません。
動物虐待などは当然のこと、動物愛護の精神と無益な殺生に対する自戒が仏教精神です。
基本的に不殺生、及び非暴力は大切な仏教精神といって間違いない。
〜とにかく、業報輪廻の理解ある方からのお題についてのご意見を待ちます!
>>749-750 >>752 >>753 差別扱いや嘲笑など仏教徒としてもっての外です。
正しく業報を理解する者はそういうことはありません。
カラス氏の投稿をよ〜く参照願います。
>>758-760
確かにそうだよね。 アホみたいな話でも、事実は事実なんだからさ。 古代人に地球は丸くて青くて、宙に浮いてるって言っても 古代人が現代人に、天動説を主張しても馬鹿にするんだから、多数派が正統なだけ。
798 :
初代スレ7 :2009/03/31(火) 23:50:38 ID:4ARAg2S7
799 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 00:06:29 ID:zWzeccJw
>>796 馬鹿だなぁ。カラスの投稿など、あてにすんなよ。
カラスの投稿をよーく参照すると、わざわざ業などというものを持ち出す必要もないんだよ。
そもそも、差別するなんてものは空。自分が創ったもの。
空創は自分に帰るだけ。それだけのこと。
業は必ず自分に返ってくるだって?御縁があってのこと。
他人をぶんなぐる、この行為、すなわち、業。
他人からぶん殴られるかどうかは不明。御縁があればぶん殴られる。
800 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 03:42:49 ID:uBfbpV5Z
何かおかしくないか? 障害を持って生まれたものたちにどのように接するかが問題なのではなく、 それらが前世の悪行によるものだと決めつける時点でもう十分、差別だと思うがね。 業報思想の信者の思考はやはり歪んでるな
>>800 だから 糞価学会SGIみたいな日蓮系は カルト扱いされてんのね
802 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 04:05:46 ID:uBfbpV5Z
それから宝珠よ、お前は日本ではもう被差別部落問題は大したことがないと言うような発言をしていたが お前はどれだけ同和のことを知ったうえで、発言してるのか? 実際に同和指定地域の実状を調べてから言え、ボケが。 都会では考えられんような現実があるんじゃ
業というのは善い行いと悪い行いの両方であり、中立的意味なんだけど。 ただ、人間は、そうした教えがないと悪いほうへいって、カルマをつくるということ。 あと、悪しき平等思想にも問題はある。
804 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 07:13:49 ID:YunbL926
>>808 >ただ、人間は、そうした教えがないと悪いほうへいって、カルマをつくると
>いうこと。
そのような自分勝手な人間不信と、輪廻転生による「脅迫」こそが、最大の
悪業であることを知れ。
クリスチャンや輪廻転生肯定論者が言うように「人間が生来悪」なら、人類は
とっくに滅亡しているはず。人類がますます発展し、これらの宗教者以外の
人間は、生存という「唯一の善」に向って、営々と努力を続けているのは、
一体何故かね。「人間本来悪」の思想は、人間を脅迫して己の宗教に入信させる
ための、極めて悪質な「宗教勧誘手段」に過ぎない。
宗教とは、一言で言えば、「脅迫と甘言」の営み以外の何物でもない。
805 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 08:37:44 ID://jdCVIF
業報転生論者の宝珠さんはどのようにお考えですか? 1 亡くなった人は即座に転生する。 それゆえ、太古の昔から、魂の数は一定、人口の数も一定である。 2 亡くなった人はいったん霊界に行く。 いまや霊界には、数え切れない霊魂が存在し、転生を待っている。 3 前者は明らかに誤りだから、真実は後者だろうと思われる。 そうであれば、まず霊界について研究すべきではないだろうか? 4 いきなり輪廻転生を論じるのは乱暴であり、まったく不毛である。 霊界をスルーし、輪廻転生から議論する下心は何ですか?
806 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 09:23:54 ID:N4Vl1FqC
>>805 縁起を理解しない実在論的前提による誤謬です。
地獄=動物に転生 天国=肉体が無くなるだけ 悟り=地球や宇宙とひとつになる これだと、現実的になるな、ヒンズー教はこんな感じじゃないの?
808 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 12:01:44 ID:BT7c6gDg
宝珠さん、聞いてますか? 前世の大金持ちが今生の貧乏人に生まれ変わる。 悪人は善人になり、善人は悪人になる。 さまざまな経験をすることで、人間は成長していくのですね。
809 :
初代スレ7 :2009/04/01(水) 16:06:06 ID:kDx2VauW
810 :
宝珠愚者 :2009/04/01(水) 20:41:48 ID:ziIYMk6C
>>808 はーいはぃ、見てますよw
善行→善果、悪行→悪果であることは間違いない。
ただし・・そうです--いろいろな経験を積むことは必須です。
人は苦悩を通して学び、それによって成長するからです。
苦悩の生じない極楽などにただ放り込まれたら、その人は進歩しないでしょうね・・。
811 :
宝珠愚者 :2009/04/01(水) 20:47:57 ID:ziIYMk6C
>>805 これは、仏教としての内容ではありません。
あくまでも私の神智学的理解や知識による個人的なものです〜縁起してる肉体にも医学があるの
と同様です〜参考まで。
---回答---
1. 次の転生までの期間(仏教でいう「中有」)は個人によって大きく異なります。一つの傾向としては、
霊性の進化レベルの低い人ほど次の転生に入るまでの期間は短く、ある程度のレベルに達した者
の場合には転生までの期間は長い。その間はプララヤと呼ばれる至福の待機状態に置かれます。
尚、最終段階においては死後、わずか数年〜数十年という短期で転生してくるパターンもかなり見ら
れます。
魂の数というよりは、それより上位の本体(本質)であるモナッドの数としては一定であり、この太陽
系では600億個といわれています。従って、実際の転生に入っている魂(モナッドの反映)はその内の
ごく一部です。他は転生外で休息しています。
812 :
宝珠愚者 :2009/04/01(水) 20:49:32 ID:ziIYMk6C
2. 魂そのものが行くわけではなく、また神智学では「霊界」などという漠然とした見方はしません。世 間でいうところの、いわゆる心霊現象の世界というのは霊的な本質(実体)ではなくて、神智学では「ア ストラル界」と呼んでいる幻影的な次元であり、ここには7段階のレベルがあります。 人間の死の過程を説明すると、第1段階にてエーテル体(心霊写真のフィルムに感光させるエネル ギーなど)の生命力が濃密な物質肉体から撤退し、その結果として腐敗が始まってエレメンタル(不可 視の微小生命体=構成元素)がばら撒かれます。客観的な肉体としての人間は無くなり、エーテル体 として機能する。第2段階としてエーテル体から生命力が撤退し分解する。第3段階としてアストラル体、 つまり情緒/想念形態から生命力が撤退し、分解消滅する。 正常な人の場合であれば、一定期間で速やかにアストラル体は消滅して、意識の焦点がデヴァチャ ン(至福の休息期間)に入って次の転生へと魂が備えるわけですが、情緒的に異常が起こっている人 の場合にはアストラル体の存在期間は長引いてしまい、周囲にも悪影響を及ぼすことがあります。そ れが所謂、心霊存在ということになります。この世に留まっている心霊存在を神智学ではカーマローカ といいます。尚、エーテル体、アストラル体の分解時間などはすべて個人差があります。 3. 神智学ではアストラル界の性質についての膨大な知識をすでに有しています。またアストラル界 の現象については、世界中の心霊研究のグループが多くのデータを保持しています。しかしながら、神 智学の立場上からは、ここは幻惑の世界であり、必要以上に注目を注ぐことについては推奨できませ ん(この世界に関り過ぎると、結果としては霊性の進歩が阻害され、遅れることになります)。 4. 下心などというやましい意図は皆無です。作用と反作用/原因と結果の法則を仏教では業報と呼ば れます。人はこの法則の作用により転生を繰り返しています。メカニズムの詳細を論じるより、私はまず、 その基本認識が必要だといっているのです。
813 :
神も仏も名無しさん :2009/04/01(水) 22:14:24 ID:zWzeccJw
くさすぎ
814 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 12:08:11 ID:9Vp7GRoB
>>810 宝珠さんは転倒し、逆に考えている可能性があります。
苦悩を通して成長することがわかっているなら、
善行→悪果のほうがよいと思います。苦労は買ってでもしろと言います。
生まれがよく、幸運な人生を歩むものに霊的な成長はないでしょう。
霊的には不幸な人たちとしか言えません。
>>811 霊界から転生までの期間に長短がある理由はなんでしょう?
また魂の数600億個は、いったいどこのだれが数えたのですか。
肝心なことが書かれていませんが・・・
>>812 神智学はよく知らないので、ほんの少し調べてみました。
コザール体は、 アートマンであり、魂です。
メンタル体は、 アラヤ識です。
アストラル体は、マナ識です。
エーテル体は、 意識です。
神智学の区別や内容を修正する必要があると思います。
心理学の意識・無意識や、唯識の八識などと整合させてください。
まずそこら辺の研究からスタートするべきでしょう。
817 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 12:50:39 ID:9Vp7GRoB
今生の業は、霊界で報いを受け、消滅します。 ふつう転生より霊界を重視するものです。 宝珠さんのように転生を重視し、霊界を軽視する人は少ないでしょう。 転生重視に、不自然さや奇妙さを感じる人は多いと思います。
818 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 13:00:08 ID:2TTDGjqM
>>817 >ふつう転生より霊界を重視するものです。
あの、仏教では霊界は全く説かれませんけど。
ふつうってどこらへんで普通なんでしょうか?
ともかく、あまり仏教に関係ない話題を引っ張らないでいただけますか?
>>814 自分自身を成長に導くのが善行善果です。
自分自身を怠惰にし成長を停滞させるのが悪行悪果です。
金持ちになるのが善果であるかどうかは状況によると思います。
820 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 13:45:52 ID:2TTDGjqM
>>819 これまた、仏教的解釈ではありませんね。
仏教では、善とは楽受、苦とは苦受とされます。
しかも、世俗の善です。
何が楽で何が苦しいかなんて決まったものじゃないと思いますが。
822 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 15:34:06 ID:CtA4ItGP
神智学は、キリスト教起源である。 宝珠愚者は、仏教にキリスト教などを持ち込むな。
823 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 15:39:46 ID:2TTDGjqM
>>821 だから縁起なんですが、つまり諸条件に依るということ。
それでも一応、善の基本は無害(アヒンサー)です。
>>816 コーザル体がアートマンになってしまうと、
ブッディー体・アートマ体・モナド体・ロゴス体などは
何に対応するのですか?
悟ると大いなる意思と一体になるから、他人でも意識は同一らしい それを信じて補完するしかないね。 特にキリスト教とか古いのは、どうしようもない。
826 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 23:37:03 ID:QRilsFo2
悟ってるけど、聞きたい事ありますか?
827 :
宝珠愚者 :2009/04/02(木) 23:37:12 ID:8aEbpzkm
>>814 やや誤解があるようです。
「幸福」と「楽」も同義語ではないし・・
>>819 >>821 >>823 に基本的に同意します!
>>815 >霊界から転生までの期間に長短がある理由はなんでしょう?
>また魂の数600億個は、いったいどこのだれが数えたのですか。
死から次の転生までの期間です。
期間の長短を決める基本的ベースはカルマと意識の進化段階です。
モナッドの数600億個は、数えなくてもわかるレベルの存在が神智学にもたらした知識です。
>>817 >今生の業は、霊界で報いを受け、消滅します。
>ふつう転生より霊界を重視するものです。
それを心霊主義といいます。神智学は心霊主義ではありません。魂が霊界に行くのではなくて、たん
に生前のパーソナリティーにおける情緒意識が死後に一定期間、残存しているだけです。このアストラ
ル体は殆どすぐに消滅する人も大勢います。業報は生存における人生経験として課せられるのであり、
それにより人生を克服すべく学習するのです。
死後のアストラル界での出来事によって転生期間が不必要に延びたりすることを意味します(従って
進歩が遅れる)。
828 :
宝珠愚者 :2009/04/02(木) 23:43:33 ID:8aEbpzkm
>>816 >>824 >>816 の説明は全く間違っていると思います。
そもそも神智学と大乗/唯識論は全く異なる教えの体系なので、これを無理に当てはめて該当させ
ることは困難です。とはいえ、そのような試みも意義はあるかもしれません。
感じとしては多分、こんなところかな?という印象です・・が、やはり該当はちょっと困難です(これは
暫定的なものです)。
・前五識 ---肉体、エーテル体、アストラル体の活動と各反応。
・意識 ---カーマ・マナス(低級マナス)とメンタル体における低位マインドの活動。
・末那識 ---アハンカーラ(我執/我慢)/自我意識(エゴ)で本能的な潜在意識。
・阿頼耶識---コーザル体/あらゆる転生において得たすべての経験と情報が魂に伝えられ、
コーザル体という記憶装置に蓄えられます。コーザル体とは魂がコーザル界
(メンタル界にある四つの亜界の最上位)で使用する体(たい)です。
829 :
宝珠愚者 :2009/04/02(木) 23:49:11 ID:8aEbpzkm
私からは無理かもしれないので、 次のスレ建てどなたかお願いします(このスレが投稿不能になったら)。 ふたたび7氏より、何か資料が提供されてもいます。 更に、業報の教えと社会の適応の在り方について話し合いましょう!
830 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 03:41:35 ID:dIeiNziH
>>829 バラモン教の残糟に過ぎない業報などどうでもよいから、もっと仏教の中心思想
を語れ。
輪廻転生が中心思想の宗教など、現代においては、無意味で無価値。仏教の現
代的要素については、思い至れないのかね。
831 :
宝珠愚者 :2009/04/03(金) 07:05:01 ID:I+I+m2Wl
>>830 バラモン教だから、ヒンドゥー教だから全て間違い、などということはない。それぞれが真理の部分を
提示しています。仏典中、業報思想が間違いであると説かれた箇所があるというならば、その根拠を
引用して示して下さい。
>仏教の中心思想 ?
業報によって、善行善果/悪行悪果が保証され、従って、最終的に仏教が目指すところの解脱成仏も
あるのです。解脱成仏が仏道の目的であり、それ以外なし。
832 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 08:13:09 ID:9fQtKKF5
>>830 インチキ本をネタに妄想垂れ流す人よりはマシだな。
>インチキ本 あの本には、マルクスが学生時代に反宗教的な作品を書いてたり、問題行動を 起こしてたことも書いてあったな。親に宗教と決別する旨の手紙も書いている。 本の冒頭で、ダーウィンの晩年、という創造論者ですら事実ではないと考えてる ガセネタを得意げに書いてたし、あの著者に情報の真贋を選り分ける能力を期待することはできないが。
※たまにエサを与える人がいるので棲みついています。
835 :
亭白 :2009/04/03(金) 11:15:04 ID:SrMmqz0X
834 :神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 10:09:11 ID:FTo/azJU ※たまにエサを与える人がいるので棲みついています。 @書き込みアルバイトですか?
836 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 11:33:49 ID:JJTtqGlU
>>831 教祖・教典の言葉をすべて盲信するのを、逐語霊感説、原理主義、カルト
というのだよ。
その中心思想は、小乗仏教のものだろ。「縁起・空」はどうした?
日本は、大乗仏教の国だよ。君は、どこの国の人?
バラモン・ヒンドゥー教と大乗仏教との、原理的相違は何か?
縁起、空こそ釈迦および経典で説かれたものである。 なに勘違いしてるんだ?外道。
838 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 12:11:56 ID:guiddh21
>>827 宝珠愚者
>死から次の転生までの期間です。
>期間の長短を決める基本的ベースはカルマと意識の進化段階です。
そうであるから転生する前に業は消滅します。 わかりますか?
業は、霊界で報いを受け、転生するときに消滅します。
>モナッドの数600億個は、数えなくてもわかるレベルの存在が
>神智学にもたらした知識です。
神智学のファン以外、そんなことはだれも信じませんよ。
なぜそんな話を信じるのですか? 妄想ではない根拠は何ですか?
839 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 12:32:12 ID:guiddh21
>>828 宝珠愚者
>そもそも神智学と大乗/唯識論は全く異なる教えの体系なので、
>これを無理に当てはめて該当させることは困難です。
仏教もキリスト教も真理を追求しています。
教えの体系がちがう、という主張は、問答無用であり傲慢ではないですか。
>とはいえ、そのような試みも意義はあるかもしれません。
>感じとしては多分、こんなところかな?という印象です・・
>やはり該当はちょっと困難です(これは 暫定的なものです)。
なじみのないカタカナ語を持ち出すところがひどく怪しいですね。
神智学を奉じているのに、なぜ仏教を装うのでしょうか?
なぜあなたは、神智学ファンであることを看板にしないのですか?
>>839 キリスト教と仏教は実際、体系が違うようにしか見えません。
ひとつの真理を別様に記述しているだけ、という風に考えることはできるかもしれませんが、
仮にそうだとしても、記述体系は別様でしょう。
仏教では復活やイエスによる贖罪という概念は必要ないのですが、
キリスト教は復活や贖罪なしではちょっと成立しがたい印象があります。
841 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 17:29:31 ID:CsvzCYSz
>>840 神智学は別にして、ベクトルが違うのだと思います。
キリスト教・・・神 → 人
仏教・・・人 → 神
842 :
宝珠愚者 :2009/04/03(金) 19:00:42 ID:I+I+m2Wl
>>836 小乗ではなく“ゴータマの教え”です。仏教とはゴータマの思想のことであり、大乗は遙か後世の弟子
たちが説いたものです。仏教の目指す目的はあくまでの業報輪廻からの解脱であり、解脱成仏(ニル
ヴァーナに到ること)すること。それ以外なし。----これが常識中の常識ね!!!
縁起空は森羅万象の性質を説明したものであって、仏教の仏教たる“特徴”を示すものです。
バラモン・ヒンドゥー教はヴェーダ、ウパニシャッド、そしてヒンドゥー聖典に基く体系に添って輪廻から
の解脱を目指す。大乗は仏教理論を根底に据えながら、独自の修行体系で解脱を目指します。ただし、
ゴータマの説く原始佛教とは異なり、その道程は膨大な時間を要する(と思う)。
843 :
宝珠愚者 :2009/04/03(金) 19:03:34 ID:I+I+m2Wl
>>838-839 >そうであるから転生する前に業は消滅します。 わかりますか?
>業は、霊界で報いを受け、転生するときに消滅します。
消滅しません。あなたの説明によっては人の生れの違いを説明できません。あなたが勝手に何を信
じようとも自由です。どうぞ好きにして下さい。しかし、神智学のみならず、仏教においてもそんな教えは
存在しません。あなたはまず仏典を読んでからにして下さい!
>神智学のファン以外、そんなことはだれも信じませんよ。
>なぜそんな話を信じるのですか? 妄想ではない根拠は何ですか?
神智学の教えが序々に理解されるにつれ、全体的にも信頼性が増していくものと思います。少なくとも、
人口増加は魂の転生理論の否定である、といった馬鹿馬鹿しい笑い話を受け入れるよりは激しくマシで
しょうね。
>神智学を奉じているのに、なぜ仏教を装うのでしょうか?
>なぜあなたは、神智学ファンであることを看板にしないのですか?
このスレ・シリーズの過去ログを確認して下さい。私は神智学徒であることを隠すことなく、このスレ上の
古くから公言してきました。
この私がこの転生スレを起こしたのは、輪廻転生を否定する仏教徒の仮面を被った似非/自称仏教たち
が2CH掲示板上で大きくハバを効かしている信じ難い実態を見てきたからであり、もうこれ以上、放置する
べきではないと思い立ったからです。
仏教の教えから勝手に業報輪廻の教えを削除し、これが正しい仏教であるかのように説明する愚行は、
完全な社会悪です。個人が何を信じても自由ですが、仏教の内容を勝手に歪曲して伝えることは許されな
いと思います。
844 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 19:57:51 ID:CsvzCYSz
>>843 宝珠愚者
神智学徒なら、まず神智学への疑問についてお答えください。
>モナッドの数600億個は、数えなくてもわかるレベルの存在が
>神智学にもたらした知識です。
神智学のファン以外、そんなことはだれも信じませんよ。
なぜそんな話を信じるのですか? 妄想ではない根拠は何ですか?
もうひとつ、あなたの言っているアートマンはこのモナッドですか?
845 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 20:28:45 ID:clQNlW9n
>>843 似非/自称仏教とはいい表現です。宗派仏教は似非/自称仏教。特にナンマイダ
の一派は、完全なニセ仏教徒です。2ちゃんでデカイ面するな、と言いたい。
846 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 21:04:53 ID:CsvzCYSz
>>843 宝珠愚者
モナッドの数600億個、この数は神智学の基本なのでしょう?
仏教を心配するより、この数が妄想でないことを証明してください。
847 :
宝珠愚者 :2009/04/03(金) 21:32:02 ID:I+I+m2Wl
>>844 >>846 >もうひとつ、あなたの言っているアートマンはこのモナッドですか?
いいえ違います。
アートマンはモナッドの反映であり、転生の媒体です。
転生の必要が終ればコーザル体は分解し、魂はモナッドに吸収されます。
>神智学のファン以外、そんなことはだれも信じませんよ。
別に信じる必要はありません。
>この数は神智学の基本なのでしょう?この数が妄想でないことを証明してください。
>
600億でなくて、実際には500億だろうと700億だろうと別に困りません。
が、これは600億として提示されたものなのです。
>>827 >>843 で述べた通りですよ。少しクドイです。
(あなたに)興味がないのなら、ことさら唯識論に該当させようなどと私に意見するのも如何かと・・。
848 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 21:59:23 ID:eGXZGiIP
霊界で修行してきなさい。 人魂はいまでもいろいろな宗派に分かれて修行していますよ。 人魂そのものの素質気根の違いが宗派を生むのです。
849 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 22:08:10 ID:CsvzCYSz
>>847 宝珠愚者
500億個でも600億個でもいい? ずいぶんいい加減ですね。
あなたはクドイと言うけど、神智学の基本も答えられないのですか。
根拠もわからずに信じており、洗脳されているような印象を受けました。
仏教を批判するより、神智学のハエを追ってください。
>初代スレ7さん
東京国立博物館 阿修羅展にいってきました。
40分待ちもなんのその、十大弟子像、八部衆像、四天王像を
満喫してきました。一番衝撃的だったのは薬王菩薩像でした。
それはさておき八部衆のなかに五部浄天像があります。
像を見て
>>809 >
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E7%9C%BC%E7%97%87 (単眼症)
とっさにこの記事を思い出しました。像鼻。
おまけ
悟りだけでよいなら大乗の存在意義はなくなる。
>>842 もし能力により悟りにランクを設けないなら(仏と阿羅漢に質的な差異がないとすれば)
大乗教は発展的解体の道を辿ることができるかもね。日本のお坊さんにとっては福音だね。
日本の現状をみるとき、アリエナクもない道だとおもう。
現代の生活は過酷では無く、仏どころか阿羅漢も不要。カリスマのある人格者であれば充分。
要求する社会の側が詐欺師も仏も阿羅漢も違いが判らぬほど鈍化しているとなればしょうがない。
昔のお坊さんのレベルは半端じゃない、本来の大乗道は茨道。反って現代にはそぐわないかもね。
851 :
神も仏も名無しさん :2009/04/03(金) 23:20:44 ID:eGXZGiIP
>>836 大乗こそ釈迦の教えですよ。
釈迦は不死ですから、弟子を使って自分の思想を伝えてきました。
852 :
初代スレ7 :2009/04/03(金) 23:44:42 ID:4D9WbJ3G
853 :
初代スレ7 :2009/04/04(土) 01:19:33 ID:nUTushD6
あ、もう一つ。
>>850 >もし能力により悟りにランクを設けないなら(仏と阿羅漢に質的な差異がないとすれば)
〔 tena kho pana samayena cha loke arahanto honti. 〕 (律蔵大品大牛建度初誦品結び)
おやすみ zzz
※852、天が抜けてるなw(五部浄居天が正式名?)
854 :
宝珠愚者 :2009/04/04(土) 17:17:24 ID:USGvuvHs
本日、やっとネット注文しました!(新刊本です) 石飛道子著『ブッダと龍樹の論理学--縁起と中道』サンガ刊/価格(税込):3465円 この書籍(真言氏による私への推奨本ですが)も、 ほぼ在庫切れで重版予定なしとのこと。 しかし、良著ほど絶版へと到る傾向がみえますね・・。 もはや希少/付加価値を上乗せして、 Amazon.comでは中古¥6,435とはな!!
855 :
神も仏も名無しさん :2009/04/04(土) 17:30:55 ID:sLeztvri
>>854 >この書籍(真言氏による私への推奨本ですが)
君自身が、最初に推奨した本ではないかw。
超大型書店でも、見たことがない。仏教学界では、あまり評価されていない
本だと思われる。
856 :
白眠 :2009/04/04(土) 17:42:52 ID:Gfu2W2jq
ご隠居は宝珠氏を甘やかさないでください。 宝珠氏は、いい加減なモナッドを頂点に、 ゴザールとかメンタムとかアシトラレとか、妄想満開です。
857 :
白眠 :2009/04/04(土) 18:07:10 ID:Gfu2W2jq
宝珠氏によれば、魂の原物質らしいモナッドが、銀河系に600億個 あるいは500億個、あるいは700億個あるという。 そのいい加減なモナッドから、ゴザールが生まれメンタムが生まれ・・・ しているらしい。これは妄想以外の何物でもない。 宝珠氏の、あまりの妄想に悲しくなった。
858 :
神も仏も名無しさん :2009/04/04(土) 20:31:37 ID:7Ur3aDHw
>>855 >超大型書店でも、見たことがない。仏教学界では、あまり評価されていない
>本だと思われる。
優秀な学者は、注目してるぞ。村上真完とか。
それが評価できないとは情けない学力と思われる。
859 :
一在家通りすがり :2009/04/04(土) 20:49:39 ID:/yWWVgFc
>>805 >2 亡くなった人はいったん霊界に行く。
> いまや霊界には、数え切れない霊魂が存在し、転生を待っている。
横レスで済まないが、私も2.だと思います。
霊界に入って天国や地獄で修行し、数百年経って再び母胎に宿って再生
するといのが普通のパターンだと思います。
数百年の間に前世の記憶も忘れていくようです。
ただし、現世に執着が強いと、霊界に入れずに生きている人や動物に
憑依したり、事故死で頭を強打すると死んだことが悟れずその場に地縛
したりと色々なパターンがあるようですよ。
100年以上前から研究している心霊科学でもこの辺りの事例を蓄積して
今では大体の死後の実相も分かってきており、海外スーパードラマの
「スーパーナチュラル」でもこの実相をテーマにしていると思います。
その証拠に先日の「スーパーナチュラルV」でも悪魔の台詞で、
「悪魔のボスは元天使で、その他の悪魔のほとんどは元人間でした。」と。
860 :
一在家通りすがり :2009/04/04(土) 20:50:23 ID:/yWWVgFc
原始仏典のスッパニターヤでも、悪魔や精霊と釈尊が話すシーンがあり ますが、悪魔のほとんどは元人間で悪の想念と強烈な執着とにより輪廻 することもできず、人間や動物に憑依して一生を作用する存在というのが 実相のようです。 新約の中でイエスは霊視能力にて人や動物(牛他)に憑依している悪魔達に 対して度々「悪魔よ去れ」または「悪魔よ動物へ移れ」とか大声で叫ばれた という記録が残されております。 兎に角、欧米では神と霊魂の存在は常識化しており、無神(仏)論者などと 自己紹介すれば白い眼で見られるというのが21世紀の実情です。 でも日本人や仏教徒の多くは、欧米人より100年は遅れているようですが、 何かのきっかけですぐに追いつくかも知れません。
861 :
神も仏も名無しさん :2009/04/04(土) 20:56:16 ID:7Ur3aDHw
>>860 欧米は、キリスト教が根強いからね。
だから、ドーキンスとかがセンセーショナルなんです。
日本だと、創造主としての神は信じる方が少ないでしょう。
仏教では、悪魔、精霊、神々も輪廻する人だということをお忘れ無く。
そして霊界という概念はありません。
862 :
神も仏も名無しさん :2009/04/04(土) 21:08:12 ID:sLeztvri
>>850 >>860 超カルトのクリスチャンはお断り。仏教を、神の冒涜罪で処刑された
犯罪者イエスの汚れた血と狂気で、汚染してはならない。
仏教とキリスト教とは、本質的に異なる。廃棄すべき輪廻転生において
さえ、仏教は他者に対する「行為」を問題にするが、キリスト教は、
「イエスを信じること」という、他者には無関係な胡散臭い「精神性」
だけである。どちらが人間社会において有意義であるかは、自明であろう。
そこからすでに大きく異なっている。
863 :
亭白 :2009/04/04(土) 21:30:12 ID:8CocF8TN
857 :白眠:2009/04/04(土) 18:07:10 ID:Gfu2W2jq 宝珠氏によれば、魂の原物質らしいモナッドが、銀河系に600億個 あるいは500億個、あるいは700億個あるという。 そのいい加減なモナッドから、ゴザールが生まれメンタムが生まれ・・・ しているらしい。これは妄想以外の何物でもない。 宝珠氏の、あまりの妄想に悲しくなった。 ☆世界の総人口60億人とか70億人とか言われていますが正確な総人口数字は 誰も掴みえていないと思いますよ。妄想扱いは適切でないですね。
>>860 人間が悪魔になるなんてこわいですね。ヒトラーも悪魔になっているんでしょうね。
いまの日本は悪魔に支配されているのでしょうか?
聖書や仏典の過去の物語の話のようには思えないので。
865 :
神も仏も名無しさん :2009/04/04(土) 21:37:18 ID:7Ur3aDHw
>>862 つか、君自身、少しは勉強してよ。
インチキ本ばっか読んでないで。
866 :
白眠 :2009/04/04(土) 22:16:06 ID:Gfu2W2jq
>>863 600億個という数字は、神智学の賢者によるということです。
また、宝珠氏の言う500〜700億という幅は、
60〜70億とはケタが違うし、賢者の能力を疑わせるのに十分な
誤差です。そこには質的な違いがあります。
いまのところ、モナッドの数に合理的な根拠が示されていません。
その上、宝珠氏が言う、いい加減なモナッドを前提に、
ゴザール、メンタムなどと展開させるならば、
妄想を出発点にし、
妄想を拡大していくプロセスとしか思えないのです。
867 :
宝珠愚者 :
2009/04/04(土) 23:02:57 ID:USGvuvHs >>855 >君自身が、最初に推奨した本ではないかw。
なんでよ??龍樹本が必要かどうかは疑問だとする私に対して、
それは誤解だから是非に、と真言氏が奨められたのがこの著作でした。
>超大型書店でも、見たことがない。仏教学界では、あまり評価されていない本だと思われる。
あのだねぇ〜^^ 本というものは、良著になればなるほど書店の店頭には並ばなくなるのよ!わかる?
要するに、書店が店頭に並べたがるものとは売れそうな本のこと。つまり売れ筋なのよ?中身の充実
度なんかは全く関係がない。
世間一般で売れる書物というのは、軽〜くて簡単にハッピーにしてくれるお手軽な本。厚みも内容もドッ
シリとしてくるほど売れなくなる。世間のベストセラー=良著ではない。それは単に売り上げ部数(世間受
け)を示す指標に過ぎない。