885 :
神も仏も名無しさん:2009/06/22(月) 22:59:47 ID:MqTY5hPk
つまり、阿含経典でさえも、鵜呑みに信じちゃいけない、ですよね。 鵜呑みは真理に向かう道程では無いのだから。
それが仏教でしょう。
目で見て触って、それが真理だと分かるのですから、伝聞では、真理はつかめないのですから。
経典は 参考情報に過ぎない。
しかし、
>地球ができたころは、人間は空中に浮いて、自ら光っており、太陽も月も星もなかった。
地球が、太陽も無く独立して存在していた、というのは凄い説ですなあ。 キリスト教の妄言と匹敵する。
最近、ローマ阿呆王でも、進化論を認めたというのに。 まあ、そういう突飛な妄言は、「集客」には必要だからなあ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1210417061/ >一切は空であり、いまだかって何かが生じたまたは何かが滅したと言うことはない
「生滅はしている」のだが、そこに自性は無い、 というのが「空」の概念であろう。
886 :
神も仏も名無しさん:2009/06/22(月) 23:27:09 ID:jl4oVndI
数多くの面白い、人を悦ばせ満足させるだけでなく、人々に幸福と安楽をもたらす有難い物語を語るのであって、
この有難い物語によって、人々は現世において安楽となり・・・次第に仏の教えに専念するようになるのだ
(仏典)
人に説教をする場合は、相手を悦ばせ満足させるだけでなく、幸福感や心に安楽をもたらすような物語のよ
うなものも必要と考えた。説教だけで素直に聞ける人が全てでない。この世に苦悩を抱えて信仰に頼る人が、
その物語に熱中する、生活などの苦しみから逃れられたという人もいるし、この世以外の妄想を抱いて暮ら
すと、悪いことをあまりしなくなったという人もいるだろうし、それを本気にして他人に話すと、哀れな人
だと思われるだけだ。だから、これは物語であるという認識が必要なのだ。
887 :
神も仏も名無しさん:2009/06/22(月) 23:42:23 ID:MqTY5hPk
仏典て どこの仏典?
888 :
神も仏も名無しさん:2009/06/22(月) 23:54:29 ID:SHxeyQUg
>>876 不正解
原罪を犯したのはアダムとエバです
その後神は人間を救うためにイエスキリストを送りこみ
十字架に磔にして、人類の罪をなくさせる計画を成功させたのです
889 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 08:25:34 ID:QgwReZT7
いえす うぃ きゃん
890 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 18:54:59 ID:9aRMZ8wm
>>885 >>一切は空であり、いまだかって何かが生じたまたは何かが滅したと言うことはない
「生滅はしている」のだが、そこに自性は無い、 というのが「空」の概念であろう。
平安時代末期に流行。
『涅槃経(ねはんきょう)』の
「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われる。
色は匂へど 散りぬるを
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
我が世誰そ 常ならむ
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
有為の奥山 今日越えて
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
生滅滅己(しょうめつめつい)
浅き夢見じ 酔ひもせず
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
寂滅為楽(じゃくめついらく)
891 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 19:25:00 ID:9aRMZ8wm
>>890続き
>生滅滅己(しょうめつめつい)
どうして生滅滅己なのか、と言うと、諸行は縁起してるだけのもので、実体がない、からである。
この縁起の理法を理解しないならば、生滅滅己と言う理解に至らないであろう。
とすると、この涅槃経の格言は、大事な仏教を欠いているのではないだろうか?
892 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 20:03:25 ID:9aRMZ8wm
893 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 21:28:54 ID:cWWXJeUB
真理というのは、五感で感じ取ることはできず、普段意識もされない。第六の思考・意向の域を超越し、人々は
ある程度わかり、無意識に悪ではないとしているもの。
「今からは妻のある者はないもののように、泣くものは泣かないもののように、世と交渉のある者は、それに深
入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。わたしはあなたがたが、思い
煩わないようにしていてほしい。」(聖書)
過ぎ去るものは虚妄として、ああだろう、こうだろうと思い煩わない。このようなことは仏典にもあり、執着す
る拠り所から離れて、苦しみを滅する修養方法、五感と思考を抑制し、真理の希求として瞑想修行がある。
悩みのある人は、ひとり遠ざかって、静かに安らぎを楽しむなら、狂わしい悩みも和らぐ。たとえ貧しくとも、
自然の中で暮らしている人のほうが、世の中にある様々な悩みから遠ざかっている。
食べること飲むこと寝てばかりいること、私はあなたより素晴らしい持ち物を持っていると誇ること、目の欲を
満たすこと、情欲を抱いて女を見ること、それらを行っている人を見て下劣だと思う人々は多いが、優秀で素晴
らしい、或いは賢者だ、善人だという人々は少ない。
894 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 21:30:00 ID:cWWXJeUB
飲食豊かなのに、目の前の人が飢えているのを放っておくのは卑劣である、与えて自分は善人だと人に言えば偽
善者と、他人から快く思われない。
人々が幸福を得ようとあくせく働き、過労により死ぬこと、そんな道理はない。未来の幸せのためにあくせく働
き、人が死んでも仕方がないと言うなら、その人を卑劣だと思わねばならない。
贅沢を希求し、地球温暖化などの環境破壊があれば、慎ましく暮らしている人のほうが、害は少ない。
科学でも、根底には人々の幸福や安穏な暮らしや安楽な暮らしを害うように努めることを多くの人々が認めるこ
とはなく、人々の幸福や安穏な暮らしや安楽な暮らしに役立つなら、奨励される場合が多い。
母が己が独り子を命を賭けても護るように、たとえば海で溺れた他人の子を命を賭けて救おうとする人は素晴ら
しい、人によくしてやること、何も当てにしないで貸してやることは善いことではないかと感じる人。
幸せを求めながら、敵意や憎しみ、怨みを抱いて争うなら、かえって幸せから遠ざかる。
誠実に人に仕え、何ものかを与えて交友を結び、この世に益をもたらす。
肉欲を慎んで、安らぎにより人は癒され、平安により幸せを得る。
宗教は迷える人を自然な立場で調教するのが本当で、異様なことをさせてはならない。
識者は世の人々の下劣な行いを正す。
ほんとの仏教はそんな
センチメンタル・ジャーニーじゃないよ。
わかるかな・・?
896 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 22:37:51 ID:1LPMXaFj
>人類の罪をなくさせる計画を成功させたのです
んじゃもう オレらに罪は無いな。ありがとうなイエスさん。 ちなみに仏教は そんな嘘の恩は着せない。
897 :
神も仏も名無しさん:2009/06/24(水) 08:06:33 ID:MfixYHqq
天上天下唯我独尊
私以外の人間はクズなのだ。
私を敬いたまえ。
お前等わかったか?
898 :
神も仏も名無しさん:2009/06/24(水) 10:21:17 ID:AqwE6Rxm
天上天下唯我独尊
とは、自らを尊ぶ勧めなので 他を尊ばない金正日症状とは異なりますよ。
ハハハ 金生日症候群だねw
↑正
901 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 22:14:56 ID:Urdq8t9+
イエスさんも、釈迦さんも、ただ自分を尊敬させたかっただけWWW
信者は馬鹿だから、その詐欺師の教えに魅惑され、自尊心を育てられただけ。
世の中では何にも役に立たない信者が自尊心だけで生き、教えを学んでいる、
信じているボクチン(=信者)と違うことを言う教祖と争うところを見ると、
宗教をやってる奴とは結婚しないほうがいい。
世の中には可哀想な奴もいる・・
903 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 23:59:01 ID:4sAEU0pr
899-900 ハズレ。 「自らを尊ぶ」というのは、誰かに従わない、ということ。 だから、仏教は自分に従う。
キリスト教とは真逆ですねえ。
904 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 22:43:48 ID:i8LjPkc6
905 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 08:41:44 ID:LVOLrwEv
フリーセックスの新興宗教を教えてください。
ヌーディズムの新興宗教も教えてください。
教祖になりたいと思います。
906 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:10:23 ID:2zXspzkA
どういう教えを広めたいのかまず開示してください。
907 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2009/06/28(日) 11:41:51 ID:gDH6QWJh
絶対的な境地を知っているのは私しかいない。
言語ある霊(神)の言葉を聞いたのは私しかいない。
何ものかを信じる者は、今だ迷っている人類に呆れ、死も無い境地を知った唯一人の者は、論争の愚かさをよ
く知っている。
愚鈍・愚劣な者どもの中では、唯私一人しか教えられる者はいない。しかし、思慮のある人々は、わかるで
あろう。
これだという絶対的境地を知った人は、愚かにも迷い論じ合っている人々や、別の宗教形式を正しいと思い
込んでいる人々に対し、その反発で私しかいないと強く思うのである。
思慮のある人々に対しては、反発することも何も無い。しかし、思慮の無い人々に対しては、不死にも天に
も見捨てられているように、私もそのようにするのである。
次スレ イエスとブッダの共通点 善悪
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1246156633/
908 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 05:40:03 ID:K9VRo9zW
我こそが神である
909 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 08:35:41 ID:jnSmHgei
イエスと仏陀の説く真理真実とは?
天国も、極楽浄土も、自らの心の内にある。
それを詳しく解説しているのだ。
だがなかなか、最初の一歩が理解できないで居る。
910 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:08:59 ID:JfVh5rsg
911 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:43:16 ID:K9VRo9zW
我こそが神である
敬い従い給え
寄進したまえ
君の愚かさを救ってしんぜよう
912 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:54:16 ID:JfVh5rsg
と言う奴に従うな
913 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 14:59:27 ID:8iUJX/Wa
真理は心の内面に存在する。
真理を解くものは、内面の天国をとくものである。
天上に天国があると受け取るのは、心の外を見ているからである。
自らの心の内面において、神はただ一人である。
心の外面において、神は無数に存在する。
その違いを理解せねば、心理は人間にとって無用の長物である。
914 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:01:47 ID:d5X6H9cT
小林正観さんの前世って シャカの弟子らしいよ
915 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 17:37:29 ID:K9VRo9zW
>>912に天誅を
神を冒涜する愚かな民よ
覚悟しておけ
916 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 19:22:50 ID:bHdHGOfg
>>910 イエスと言うのは大乗仏教の菩薩の行いである。
917 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 19:34:05 ID:bHdHGOfg
神=万物の創造者を思うとは、仏教の一切は縁起であり、故に一切は空相であるということを思うのと同じである。
一切の被造物に囚われないと言うことと、一切は空相であるから、一切に囚われないというという事と同じである。
918 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2009/06/29(月) 21:08:29 ID:uO6Npjn9
神への信仰は非常に困難である。
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一の手紙)
―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。ただ衣食
があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ・・)
言葉を語る霊も存在し、働き・調理し、自分の気に入ったものを食べる。人の手で造られたものを欲しがり、
或いはそれらに執着心がある。現代の物質的な喜びや、生活のこころづかいさえ否定されるので、言われる
がままにしようとすると、私はもう部屋の中で静かにしていることしかできなくなってしまうのである。
TV番組や音楽を聴くことでさえ、「私の敵だ」と言われるので、何も楽しみがなくなってしまう。仕事のこ
とでパソコンを使うことでさえ否定される。
―足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、
高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない―(ブッダのことば)
釈尊も人間の肉欲を離れた世界を知り、― 一切皆苦 ―を悟り、修行僧に、離欲を達成することを説いた。
言語ある霊(神)も同様、世と世にあるものとを愛さず、五感や第六の思考を静め、部屋の中で静かにする
ことを求めてくる。
919 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/06/29(月) 21:09:01 ID:6rT6wc+7
>917
(^。^)バカかね、君は。(笑)
920 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2009/06/29(月) 21:09:56 ID:uO6Npjn9
天の存在は、地のものから離れ幸せを得ている、むしろそれら地のものを忌み嫌い、世の中に対する理想も無く、
人々のこの世の幸福を思う気持ちも否定され、どのような環境でも気がかりは無い。
信じて「私のことをよくしてくれるだろう」と思っているなら、大間違いであり、人間が思うこととはむしろ逆
で、家があれば部屋の中で、欲楽などから離れ静かにする。
言うことの聞けない地の者に対し
「地の者は愛」
神は人間思いの愛情深い方とは違い、釈尊のように、地の諸々の喜びから離れ、静かに安らいでいることを尊重
され、天(絶対的な境地)からすればそのようなことが神の愛だとわかるが、言うことを聞けない人を見捨てな
さる。しかし、地のことを捨てきれない私に対して、「地の者は愛」(を大切)にしなさいと言葉を語られた。
神は天の存在で、天のことを愛される。そして、その愛によりこの世で天のように、地上の諸々の欲望や生活の
思い煩い、世のこころづかいを捨て、静かに安らいでいることを命じられる。
そして人は地のことが捨てきれないために神に背く。地の者でも、隣人のことを思わず、自分勝手で、冷酷・無
慈悲なら、それは人間の幸せではないと説かれる。
地の者は、自分の妻や子、父母、友などに執着心あり、自分の欲望のために裏切ったりしないことが大切で、天
は天で別格として、地は地でたとい困難なことがあっても、良識を失わないように生きることが人間として大切
だということ。
921 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 13:45:06 ID:YRyyLjp1
イラネ違法基地外電気屋がこんなところにも居た
922 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 07:48:58 ID:QCDUcxxw
>>921 自分の馬鹿な放言が処罰を請けないと思っているのか?
923 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:34:23 ID:avY+v2Ru
聖☆おにいさんage
924 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:18:08 ID:Vf8lC0rb
925 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 06:09:57 ID:RCR4/Or0
誠実を尽くさない行為は、処罰されるのだ。誠実を尽くす行為とは
殺さないこと、嘘を吐かないこと、盗まないこと、邪淫しない事、これらを四重禁
と仏教では言う。これと同じ内容の教えをイエスも説いている。それはイエスのどの教えか、
誰か言えるか?
926 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:02:54 ID:fxZPaDiT
邪淫た゜けしてしまいました。お許しくだされ
927 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 19:11:47 ID:KmG3Wq+O
>>926 邪淫ってどんなことをしたと言うのでしょうか?
928 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2009/07/04(土) 00:25:09 ID:ikbHNvXN
神の怒り
神をして、物質的な幸福などを教える人々。まるで釈尊が離欲を達成せよと修行者に教えるように、イエ
スが貧しい人々に語ったように、しかし、愛より物質的な幸福から離れよと語る。
―妻のある者はないもののように、泣くものは泣かないもののように、世と交渉のある者は、それに深入
りしないようにすべきである―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出た
ものである―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―
世の多くの人々は、神に対して、からし種一粒ほどの信仰が持てないだろう
神の処罰
地上のものに引かれる全ての人々は、もう神の「左」「下界」。我々文明的な暮らしをしている者は、神
の左として既に処罰されている。この下界で、「土に帰り」地の者として生き続ける。
神からすれば、誰が偉いとか、まともだとか、悪いということはない。地上のものに心引かれる全ての人
々が悪魔の子=罪人なのである。罪人は、既に裁かれている。
多くの人々は神に愛されない者であるから、イエスは教え、釈尊は修行者と在俗信者に法を説いた。誰も行
いにより神に義とされることはない。神に代わって、この世を愛する法も説いた。
929 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 21:00:04 ID:7DHDDPFF
要するにここは幸福の科学信者のスレだったのか
納得した
930 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2009/07/04(土) 23:28:27 ID:ikbHNvXN
幸福の科学のことは知らないが、神は人格的に存在し言葉を語る。語られた言葉に変化はない。
―地上のものに心引かれるな―世と交渉のある者は深入りするな―人の手で造られたものを欲しがり、今あ
る物に対しての執着、享楽、快楽、五欲の対象を喜ぶこと、生活のこころづかいや世のこころづかい、人が
普通に行っている全てを否定されるのである。
神の怒りは神をして、物質的な世の幸福などを教える人々に変化は全くない。
宗教が人間教として、一切の悩み苦しみを取り除く神の国(天)、平安の境地を利用してつくられても、別
に人間のことだからかまわない。
たとえば、敵意や憎しみを抱いて争わないように平和を愛する、互いの悩み苦しみを取り除こうとする慈し
みやあわれみ、あくせくした生活から離れるように、信仰対象物を拝むこと。
しかし、神にとっては世との交渉に深入りせず、物欲や享楽・五欲の対象から離れ、生活のこころづかいや、
世の思い煩いから離れ、土に帰らないことがその人にとって重要なことだと言われるのだ。
世の多くの人々、死んで土に帰る人々は、神は愛さない。愛されないから信じても無駄として信じない。
信じたらそうなってはいけない、世のことに深入りせず、肉欲から離れ、土に帰らない者となりなさいと言
われるのだ。
931 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 01:16:32 ID:urT43kaS
植草先生こんばんは。
貴ブログ拝見しました。
色々言ってくれちゃってますが、盗人猛々しいとは貴方のことです。
厚顔無恥にも程がありますよ。
932 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2009/07/08(水) 23:18:14 ID:GmF8gR9C
このことは書物から得たのではなく、実際に神の言葉を聞いたから言う。
―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。ただ
衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ)
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネ)
出家修行僧のように無所有で森の中で暮らせと言われなかったが、世にある様々な欲、物質的なものへ
のこだわりを捨て去るように言われ、土に帰らない者となれと。
慈悲とかあわれみは、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りやこだわりを捨て去るよう努める人々に言うので
あって、世の欲を捨て去ることを差し引くな。人間的な幸せを求める人々に、永遠はないと言われる。
愛や寛容は肯定されるが、衣食があれば足れりとするような暮らし、肉の欲、目の欲などの人間の欲を
捨て去ろうとしないと、ただ土に帰る者となると。
人間の欲を捨て去ろうとしない者に、神への信仰はない。慈悲やあわれみ、愛をよいと思うだけでは、
神への信仰ではなく、人間の信仰で土に帰ると。
人を先生にしている人は、衣食があれば足りよ、永遠の命のため世にある人間の欲を捨て去れとは言わな
いだろうな。現代の物質文明の中で暮らしている先生は、それと正反対のことは言わないだろうな。
933 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 11:16:05 ID:5XUOm9Q8
愛するバモイドオキ神様へ
今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。
[…]公園で、一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話しかけ、
「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。
ぼくは用意していた金槌かナイフかどちらで実験するか迷いました。
最終的には金槌でやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。
ぼくは「お礼を言いたいのでこっちを向いてください」と言いました。
女の子がこちらを向いた瞬間金づちを振り下ろしました。
[…]また女の子が歩いていました。
女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。
934 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :
神の正義や善は、世のこころづかいや生活のこころづかい、肉の欲やその他人間の欲を捨て去り、土に帰ら
ない人となることで、言語があっても人の悪を止めさせることをなさらない。
世の中で善い者も悪い者もそのままにしておかれる。人は善悪のはからいを求めても無駄なのである。
もちろん、土に帰らない人々は、世の人々に無慈悲で冷酷、残忍な行いをしない人々である。
もし、人が(悪い世の中だ、なんとかしないといけない)と思ったとしても、「世のことから離れて、欲を
捨て去り、静かに暮らして土に帰らない人となれ、地の者となるな」と言われるだけで、地で生き続ける者
とならず、天に入れる者となれと言われるだけである。
そして地の者は、何も信じず自分自身や世のことに熱心である。土に帰ることを自然に認め、人が死ねば、
『もうその人と二度と会えないのだ』といって悲しむ。そして神のとおり、二度と会えない者となる。
自分に危害を加える者、親族や愛する者に危害を加える者に敵意や憎しみを抱き、『目には目を、歯には歯
を』といって、それに近い法律などをつくる。
右か左か、天に忠実か肉か、神は中途半端に生きることを嫌い、信じた者に罪意識を持たせ、人間教として、
この世の人々に、この世の善を教えるしかなかった。それがイエスの真実だろう。
神にとっては、地で生き続ける人々は、ただの苦難しかないのである。だから地の者・人間は、人間がしっ
かりしないと、生き辛くなるのである。