1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 10:19:51 ID:x1EPflHm
-----簡単ルール-----
投稿者はまず、
「肯定派」か「否定派」のどちら側であるかを明記して、それから内容に入りましょう!
近い将来、
このスレが佛教大学及び各宗派で用いられる参考資料としての扱いを受け、
日本仏教界を揺るがすほどの良スレへと成長するよう期待しますw
投稿は簡単な感想意見でも構いません。
参考文献、及び参考ウェブサイトの紹介も歓迎します!
尚、私自身は肯定派です!
3 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/08(土) 10:24:46 ID:tV1t172M
拙者は輪廻転生否定派です。
(釈尊は無記としてますが・・・)
以下、拙者が仏教質問箱に書込みしたレスをハリコします。
どうか吟味の程よろしこ。
4 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/08(土) 10:27:19 ID:tV1t172M
コピペ
_________________________________
293 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/06(木) 20:42:17 ID:3Ii/ssM2
>>290 >他の宗教の信者は死後どうなるのでしょうか?
「死後」というか・・・
それ以前の「未来」というのは、果たしてあるのか?
ってのを考えたらいいでしょう。
もし「未来」というのがあるなら・・・
それは未来ではなくなる。
この論法から言えば、
死後というのは、ないことになる。
覚者は、こういうふうに考えまふね。
5 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 11:03:12 ID:HD5yxLNL
まずはスレ主にすばらしいスレを立てていただいたことに感謝。
私も他スレにおいてこの、輪廻問題は繰り返し討論してきました。
そこで、提案なのですが、よくみられるものとして(排除すべきもの)
1. 自説を説明するとき、自己の宗派の尊奉する経中の用語をその意味の
解説もなしに使用する。
2. 過度に形而上化、観念化する。
3. そして、これは1. と同意ですが、西洋哲学などの他分野の専門用語
の解説なしの多用。
これらに留意して、できるだけ基礎知識のない方にも理解できるような
実りある議論の場になることを希望します。
また、これもよくみられますが、質問者の回答に窮して、非常に観念的な
単文のレスを返し、「これでわからなければ、お前はダメだ」
「わからないのは、お前がバカだから」 と自分の理解力のなさ、説明
能力の貧困さを隠そうとする者がいますが、これらは無視していきましょう。
この問題は釈迦以前のバラモン教に端を発し、いまだその解決がなされて
いないという仏教上の一大問題ですが、議論の過程において何ごとか
建設的なものが気付かれることを期待します。
6 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 11:32:07 ID:x1EPflHm
>>5 有難うございます。
>私も他スレにおいてこの、輪廻問題は繰り返し討論してきました。
>
はい、わかります。
どこのスレにおいても、せっかく良い議論に発展しながら
結果的に全部、途中で放置され、または議題が逸れていって中途半端に終るのです。
それで、
この問題についての専用スレの必要を以前からズーと感じていました。
真面目で熱心な良い投稿があることを期待したいと思います。
日本語の使用法の問題になるが、
「転生」、「再生」、「後生」、「後有」、「次の生」、
は同じ意味、同じことを言っていると考えてもいいのだろうか?
特に、スレタイに用いられている「転生」という語は、その一般的語義・印象として、
仏教内で用いるのにふさわしいのだろうか?(チベット密教系は一先ず措く)
個人的には、『仮に、仏教がその教義内に「来世」を想定していた(採りいれていた)としても』
それは「転生」ではないのではないか、と思ったりしている。
8 :
5:2008/11/08(土) 12:23:23 ID:HD5yxLNL
私は完全ではありませんが、否定派に分類される者だと自覚しております。
まず、この輪廻転生がどのようなものであるのか、というところから論じて
いく必要があるとおもいますが、この思想は
「死後の存在を肯定し、死後においても現在の自己となんらかの関連性を
もつ存在を認める。転生、いわゆる、生まれ変わり信じ、現世での行いが
来世へ影響をおよぼす。(業、カルマ)」
一般的な概念としては、このようなもので良いと思われます。
このような思想がいつごろ成立したかと言いますと、釈迦以前にインドの
土着思想として広く信じられていました。この思想は初めはアーリヤ文化
の担い手であるバラモン階層にあったものではなく、土着思想を非アーリヤ
民族の王族階層が取り入れ、それをバラモン教が吸収していき、(五火説、
二道説)教義としていったようです。(ウパニシャッド)
そして、そのような中で釈迦が生まれ、仏教をきづいていくわけですが、
まず認識しておかなければいけないのは、釈迦の在世当時のインドでは
この輪廻転生思想は常識、当たり前のこと、これを否定すれば会話のなり
たたない異常者とみなされてしまうくらい普遍的な思想だったということです。
時間がありませんので、この続きは次回というこで。
9 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 12:33:53 ID:x1EPflHm
>>7 スレ主です。ご意見に感謝します!
私は曖昧になることを避けたく、あえてここは「転生」と表現しました。
これは、いわゆる生まれ変わりのことであり、
死後、再び別の人格を持った肉体で出生してくることを意味しており、それ以外を含みません。
仏陀はこれについてはなんと教えたのか?
がこのスレのテーマです。
「後生」は、必ずしもそうではなく、
単純に「あの世の生まれる」、もしくは「極楽浄土に生まれる」などの意味にも使われると思います。
(原語/パーリ語からの正しい訳語で示せる方も歓迎します)
>個人的には、『仮に、仏教がその教義内に「来世」を想定していた(採りいれていた)としても』
>それは「転生」ではないのではないか、と思ったりしている。
>
輪廻はするがこの世に再び生まれては来ない、
という見解を示す仏教者もいます。
10 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 12:56:46 ID:x1EPflHm
>>8 >まず認識しておかなければいけないのは、釈迦の在世当時のインドでは
>この輪廻転生思想は常識、当たり前のこと、
>
はい、わたしもそのような理解にあります。
しかし、これについてさえも全く異なる見解もあるということを知り、
とても驚かされています。
「仏教、ジャイナ教などで見られるような輪廻転生の概念はVeda聖典の時代でなかったのです。
(Orthodox)正統派(主流)のVeda伝統(Brahmanic or Vedic tradition と言います。)と違った
(hetorodox)異統派の宗教思想のなかでのみ輪廻の思考が見えます。 仏典でも、Jaina聖典でも
ごく当たり前の思想として輪廻のことが語られています。
仏典では六師外道だと名付けられている六人の中に三人が、輪廻・業の思想に自分の解釈をし
ています。ですから輪廻の話は正統派のVeda伝統の課題ではなく異統派の宗教家の課題です。」
「文献の設立年代から考えて見ると仏教思想の後になるのです。とにかくバラモン人が輪廻転
生を信じていたと釈迦尊が知らなかったのです。バラモン教に驚くほど詳しい釈迦尊が知らなかった
ということは何を意味しますか?当時ではバラモン人の思想の中で輪廻転生なんかは発展してい
なかったということです。」
(輪廻の解釈について/輪廻の理念-日本テーラワーダ仏教協会)
http://www.j-theravada.net/qa/qahp22.html
11 :
5:2008/11/08(土) 16:47:49 ID:HD5yxLNL
>>10 上記のページ読みました。(時間がありませんので飛ばしよみですが
、夜また再読してみます。)
スマさんですね。 この人については以前その著書の中に「心の速さは
光の速さの17倍である」という記述を見て以来、単なるはったり屋なので
はと思い読んでいませんでした。(心は光よりも速い というならまだしも
なんの観察過程、検証過程についても言及することなく、17倍という数値を
あげる人の言は信用ならず と思ったからです。ちなみに、外的刺激を脳が
認識するまでの所要時間、脳内における信号伝達速度などは実験により、
わかっております。)
スマさんが「釈迦以前の輪廻思想を否定されていた」のは初めて知りました
が、この説は日本もふくめて世界の仏教界にどれほど認知されているので
しょうか? これがテラワダの、いわゆる公式見解なのですか?
「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」は、どう評価してるのでしょうかね?
そのあたり詳しい方、ご教授おねがいします。
12 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 17:56:55 ID:x1EPflHm
>>11 >
フーム。17倍ですかぁ。
どういう根拠で17倍というのか?それは訝しい印象を受けますよね。
>この説は日本もふくめて世界の仏教界にどれほど認知されているので しょうか?
>これがテラワダの、いわゆる公式見解なのですか?
>
わたしも、これはちょっと初耳な情報でした。
これが氏の個人的見解なのか、協会としての公式見解なのか?
しかし、トップの人間の発言は個人的なものでも協会を代表するものと見なされると思います。
協会公式ウェブのQ&Aでの回答なので。
>「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」は、どう評価してるのでしょうかね?
>
私も手持ちの文献で確認してみます。
13 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 18:07:02 ID:9ieiY0GU
>釈迦の在世当時のインドでは
>この輪廻転生思想は常識、当たり前のこと、これを否定すれば会話のなり
>たたない異常者とみなされてしまうくらい普遍的な思想だったということです。
この説は最近の研究で否定されております。
輪廻思想は>10の書き込みのように、当時としては目新しい思想です。
輪廻思想がインド思想史上登場するのは仏教が興る少し前からです。
ウパニシャッドの時代からですね。
ですから、一般の人はそんなの知りません。
ブラーミー以外、五火二道説ですら知らなかったようです。
何せ秘密の教えでしたから。
仏教は意図的に輪廻思想を取り入れたのであり、当時の常識に迎合したのではありません。
14 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 18:14:12 ID:9ieiY0GU
ちなみに仏教勃興期のブラーミー以外の一般人は死後をどう考えていたのか?
むしろ「死んだらおしまい。この世を楽しく過ごさなきゃ損。」
という考えが主流だったようです。
一方、ブラーミーは魂の永遠性を信じていたみたいです。
15 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 18:36:50 ID:x1EPflHm
>>13 >この説は最近の研究で否定されております。
>ですから、一般の人はそんなの知りません。
>
いきなりショッキングだなぁ。
ちょっとすぐには、まだ飲み込めません。
その新説は、学問的にはもう定説として確立したものなの?
いつ誰によって始まった学説なんですか?
その経緯を説明する何かお奨めの文献なり、サイト情報はありますか?
チベットじゃ輪廻転生は常識らしいけど
日本だって素朴に信じられてると思う
17 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 20:10:39 ID:GWq/lQbD
18 :
5:2008/11/09(日) 01:11:36 ID:FvelUyeD
さてと、やっと時間がとれました。
13,14さんの新説は今のところ、論拠不明でその是非の判断が不可能ですので
留保ということでいいですかね?
バラモン教が輪廻転生思想を積極的に吸収した理由のひとつは、当時の社会
情勢にあります。そう、カースト制ですね。下位層の不満を抑えるのに輪廻
思想は、うってつけだったわけです。「今はこのような苦しい生活をしてい
るが善行を積めば来世は、バラモン、王族などの統治階層に生まれ変われる」
このように来世への希望をもたせることによってカーストを是認させ、現世
の不満から目をそらせる役割を担ってきたというわけです。
まあ、このへんが定説とされてるところだと思うのですが。
19 :
5:2008/11/09(日) 03:16:53 ID:FvelUyeD
さて、仏教における輪廻思想の問題点をまとめておこうと思うのですが
基本的な思想として仏教には「人間は悟らなければ、何度でも生まれか
わり、生の苦しみを味わうことになる。これから抜け出すには解脱し
輪廻を断ち切るしかない」 というのがあります。また一方には「無常」
すなわち、永遠不滅のものはないという思想があり、これが輪廻思想と
矛盾してしまうのです。 というのは、輪廻転生思想というのはAという
個が消滅した後、生じるBという個との間に何らかの関連性がなければ
そもそも概念自体が崩壊します。AからBへと連鎖するもの、その名前は
何でも良いのですが、例えば霊と言おうが魂と言おうが、あるいは実体が
あろうが、なかろうが、そんなことはどっちでも良いのです。
その属性として唯一はずせないのが、他との識別可能性なわけです。
すなわちAからBへと連鎖したものが、CからDへと連鎖したものとは異
なることが、わからなければ輪廻思想の概念自体がなりたちません。
言い換えるとBには必ずAの干渉が見出されなければならないわけです。
しかし、この連鎖するものがたとえどのようなものであろうとも
個から個へと受け継がれていく限り、その継続性は「永遠不滅のものは
ない」という思想に矛盾してしまいます。この二律背反の論理的矛盾の
解消に多くの仏教家たちが挑んできましたが、現在までそれに成功した
ものは皆無です。
日本においては明治期に西洋的合理主義の洗礼をうけ、この輪廻思想を
否定する見解が一時、広まりましたが、各宗派の仏教学者たちの激しい
反発のすえ、現在ではこの問題を正面きって論じようとする動きは見られ
ないといいます。
20 :
5:2008/11/09(日) 03:23:39 ID:FvelUyeD
では、輪廻肯定論者たちは、どのように捉えてるかといいますと「いったい
何が輪廻するのか?」 と言う問いに
1.それは霊魂である
2.それは実体のないもの(あるいは、言葉では表現できないもの)
3.それは心である
のような答え方をします。
1.>これは最近の科学の進歩により、以前に比べると少なくなったと
おもいますが、まだまだ、ありますね。この回答の利点としては
霊、魂などを想定しますと前世、来世などもイメージしやすく
業、カルマなども説明しやすいということが、あげられますね。
2.>これもよくある回答です。無常思想との整合性をもたせようと
形而上化したものです。「では、それはどのようなものか?」
と、重ねて突っ込んでいきますと、必ずどこかで破綻します。
それも当たり前のことで「転生」という形而下のことを観念論
で説明しようとしても結局は信仰の領域に入ってしまいます。
3.>これは10であげられていたスマさんの説ですね。しかし、スマさん
も非常に抽象的な表現にとどめ、「記憶」の連鎖については言及さ
れていませんでした。結局、何が連鎖し、そしてその連鎖したもの
がAからCにではなくBに連鎖したのであることを何をもって識別
するのかについては、何も語っていません。
22 :
5:2008/11/09(日) 03:40:01 ID:FvelUyeD
また、輪廻否定論者の言うように「輪廻などはない」と言い切ってしまうと
別の問題が生じます。
「苦を滅する」ことが仏教の目的なわけですが、「死ねば全て終了」という
ことにしてしまいますと、現在の生における苦を死をもって終了させること
も選択肢の中に入ってきてしまいます。大変な修行をして解脱により苦をな
くすよりも、死をもって簡単に苦から逃れることが可能になるわけです。
そして、死んで全てが終わるなら、生きてるうちに楽しんだもん勝ちじゃん
という考えにつながっていきます。
さて、どのように解決しますか?
23 :
5:2008/11/09(日) 03:57:16 ID:FvelUyeD
なんか私ひとりで書きこしてて、荒らしみたいですね?
次は輪廻思想に対する釈迦の見解について論じようと思ってたのですが
止めときますね。
失礼しました。
24 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 07:53:50 ID:raOvsQt2
どーでもいいよ、おまえら
絶対解決つかないねこの論議は
くりかえすだけ
いいかげん終わりにすれば?
25 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/09(日) 08:12:56 ID:QY1sL2mB
確か、お釈迦さまは
「有る」とも説かれ「無い」とも説かれたと聞いている。
また、無記の一つにも挙げられている。
従って、
仏教徒としては
関わりを持つ必要の無い問いであると結論付けられよう。
尤も、中論では、輪廻について明確に否定されてんだがな。(笑
(^。^)リュウジュサイコ〜♪
26 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 08:21:24 ID:o4qvAQcG
科学的には輪廻転生は有り得ない。しかし、宗教は科学では無い。
善因善果、悪因悪果。これなくして、何が仏教か。
27 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 10:27:47 ID:Y9UXISQ1
バラモン教が輪廻転生思想を積極的に吸収した理由のひとつは、当時の社会
情勢にあります。そう、カースト制ですね。下位層の不満を抑えるのに輪廻
思想は、うってつけだったわけです。「今はこのよ
こういう「定説」を考え出す人間ってマルキシズムの階級闘争の理論の洗脳が解けてないんじゃないかと思うよ
輪廻転生の考え方でいくと阿保はどんな階層に生まれようと阿保なんだからさ
>>26 >科学的には輪廻転生は有り得ない。
そうなの?
科学では実証も否定もできないと思うけど
29 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 10:51:52 ID:NIUZZUSt
ここからコテハンを使用した方が、たぶん都合良いと思えるので、
スレ主であるわたしは「Sure宝珠愚者( ´Д`)」とします。
(名前には特別な意味合いはありません)
>>23 >なんか私ひとりで書きこしてて、荒らしみたいですね?
>次は輪廻思想に対する釈迦の見解について論じようと思ってたのですが
>止めときますね。
>
そんなことはありませんよ。
ちゃんと読んでますし、更に続けてください!
では、このスレ議題について発展するべく、
私のほうから5さんの問いに対する転生肯定者の一人としての返答を展開させて頂きます。
5さんと私との対話を閲覧者に読んで頂く中で、
きっと更に大勢の方からのご意見と情報があると思います。
(尚、仏典については私などよりも何倍も詳しい方が大勢おられるものと思います。
もしも補足や経典からの適切な引用を頂ける方がいましたら歓迎します。
また、明らかに単純な間違いミスに気付かれた方は是非、ご教授下さい!)
30 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 10:52:54 ID:NIUZZUSt
それではこれより、
なるべく5さんの疑問提起に添う形で話します。
>>19で述べられている矛盾点についは
私は全て矛盾はないものとして理解しています。
>また一方には「無常」 すなわち、永遠不滅のものはないという思想があり、
>
これについては広く誤解されていると私は見ています。
ここでいう諸行無常の「諸行」のところ・・つまり「一切」というものの中には、
仏教が目指す境地であるところのニルヴァーナ及び
解脱した仏陀という存在(無余涅槃)は入らないのだということです。
究極の状態である筈の仏陀存在までも
再び転落するものでしかないならば、仏教の教えは全く成立しなくなります。
永久不滅のものでなければインド思想においては「実在」とは見なしません。
つまり、仏教が目指す境地のニルヴァーナ、そこに到達した存在だけが唯一の永遠なる実在であり、
それ以外の全てが無常の中にあるのです。だからその境地だけに価値があるのです。
尚、無常がアートマン存在そのものの否定ととられがちですが、
ゴータマは、アートマンは無いなどと説いたことは全くありません。
31 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 10:53:58 ID:NIUZZUSt
>しかし、この連鎖するものがたとえどのようなものであろうとも
>個から個へと受け継がれていく限り、その継続性は「永遠不滅のものはない」
>という思想に矛盾してしまいます。
>
全く矛盾はしません。
ニルヴァーナに到達すれば転生は止むのですか、
つまり、受け継がれるその個というのは永久不滅のものではないのです。
>>では、輪廻肯定論者たちは、どのように捉えてるかといいますと
>「いったい何が輪廻するのか?」 と言う問いに
>
これに簡単に答えますと、
ゴータマは転生する実体についての解説はしなかったからです。
その実体の性質に対する関心と知識などは、
実際の現実的な仏道修行における日々の生活には全く不要なものだからです。
意識の集中が逸がれるだけの無駄な関心ごとだと見なしたからです。
また、世間においてはアートマンについて正しく理解などされていなかった。
また、言い換えるならばアートマン性質についての議論と解説は
ウパニシャッドの世界において出尽くしていました。
ことさらゴータマが新たに付け加える解説すらも不要でした。
以上のことについては、
仏典を読む中で理解することができる筈です。
取り合えず簡単な回答をしました。
32 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 11:05:37 ID:NIUZZUSt
追記
>>30で、
「尚、無常がアートマン存在そのものの否定ととられがちですが、
ゴータマは、アートマンは無いなどと説いたことは全くありません。」
といいましたが、当然これは、
「無我」とは「アートマンは無い」という意味ではない、
ということについても私はいっているのです。。
>>31訂正
×「ニルヴァーナに到達すれば転生は止むのですか、」
○「ニルヴァーナに到達すれば転生は止むのですから。」
33 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 12:42:11 ID:NIUZZUSt
紀元前800年から紀元前500年にかけて成立したとされる、
初期ウパニシャッドの「チャーンドーギア・ウパニシャッド」の記載内容によっては、
ゴータマの時代(もしくはその以前から)におけるバラモン教での
輪廻転生(思想)に対する扱いがほぼ見えるものといっていいでしょうか!?
「初期---散文のもの。その成立が、仏教の興起以前、紀元前六世紀ころまでであることは、
諸学者の一致した見解である。なかでも、『ブリハッド・アーラヌヤカ』『チャーンドーギア』の二
大雄篇は最も古く、『カウシータキ』もこの時期に属する。」(「バラモン経典原始仏典」ウパニシ
ャッドの文献-中央公論社刊)
とあり、
聖典の内容としては、
「『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』Chandogya Upaninsadには輪廻の世界としては植物に生ま
れ変わることもあるとされ、またこの世で善い行ないをなしたものは、次の世では、バラモン・王族・
商人階級の胎内に入り、悪い行ないをなしたものは犬・豚・賊人などの胎内に入るとされている。
さらにウパニシャッドでは人間が植物や動物やいろんな人間に再生するのは業によるものだと規
定している。この考え方を受け継いだ仏教では、衆生が煩悩と業とによって三界(欲界・色界・無
色界)六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の迷いの世界をさまよい続けるとしている。」
http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%CE%D8%B2%F6%BB%D7%C1%DB
34 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 12:42:43 ID:NIUZZUSt
「元来は先住民族のものであったとされる輪廻思想がバラモン教に公認されたのは、最終期の
ブラーフマナ文献文[1]ないし最初期のウパニシャッド文献[2]においてである。ここでは、「輪廻」と
いう語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。『チャーンドーギヤ』(5-3-10)と『ブリハッ
ドアーラニヤカ』(6-2)の両ウパニシャッドに記される、プラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く「五火
二道説」が著名である。
五火説とは、5つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に
吸収されて穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ
込まれて胎児となり、そして再び誕生するという考え方である。二道説とは、再生のある道(祖霊た
ちの道)と再生のない道(神々の道)の2つを指し、再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内
容を示している[3]。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB#cite_note-1 聖典からの抜粋紹介としては、以下にとどめます。
尚、サイト検索からでは簡単に見つかりませんでした。
「さて、この世のおいてその素行の好ましい人々は、好ましい母胎に、すなわち、婆羅門の母胎か、
王族の母胎か、庶民ヴイシュアの母胎にはいると期待される。しかし、この世においてその素行に汚ら
わしい人々は、汚らわしい母胎に、すなわち、犬の母胎か、豚の母胎か、賎民チャーンダーラの母胎に
はいると予測されるのである。
また、何度でも生きかえってくるこれらの下等動物たちは、二道(神の道と祖霊の道)のいずれをも
通って行かない。『生まれよ』『死ね』と(いとも簡単に)いわれる、これが第三の立場である。
こういうわけで、あの世は(死者で)一杯にはならないのである。
それゆえに、人は素行を慎むようにすべきである。」(同「バラモン経典原始仏典」チャーンドーギャ・
ウパニシャッド第5章-輪廻/第10節7-8)
35 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 13:33:31 ID:NIUZZUSt
ここで私の見解を簡単に纏めるとこんな感じになります。
諸行無常についての誤解
これはニルヴァーナに到達した存在、すなわち「仏陀」以外のすべてについてを指す
ということを仏教者は忘れている。従ってニルヴァーナ意識境は永久の世界であり、
仏陀は不滅の存在です。
諸法無我についての誤解
ゴータマは「アートマンは無い」などといわれたことはない。
「それ(五蘊/色・受・想・行・識)はアートマンでは無い」と述べただけ。
無我は誤解を生むので、「非我」(我にあらず)で統一されるべき。
無記についての誤解
「毒矢のたとえ」として知られる「無記」とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守る姿勢
であり、つまり意味がないと判断される場合には説かれなかっただけのこと。
ここでもアートマンは無いなどとは一切、述べていない。
断見と定見の誤解
転生を否定する仏教者はゴータマが戒めた唯物的な「断見」思想に陥っている恐れがある。
また、転生の主体についての仏教解説はないが、ニルヴァーナに到達すれば転生は止む
のあるから「定見」にはあたらない。
転生の誤解
転生を肯定せずして因果律は無い。前世がなければ今生の人の生まれつきの差異も説明できず、
今生における行為の結果を果報として受け取るべきステージ(それはリベンジする機会でるある)の
来世がなければ、善行善果の末にある解脱成仏も成し得ない。
ゴータマは転生の実体性質、云々については解説しなかったが、転生については明快に解説した。
(実際、転生を否定する/転生はない、などと説く教典は一つも存在していない。)
など・・
36 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 13:48:16 ID:NIUZZUSt
>>35訂正
×(それはリベンジする機会でるある)
○(それはリベンジする機会でもある)
私が述べる肯定論についての賛成同意の方で
更なる補足や詳細解説、参考となる経典引用・参考文献や参考ウェブページの紹介を歓迎します。
もちろん、否定論の立場からの反論展開もどうぞ!
37 :
5:2008/11/09(日) 13:57:00 ID:FvelUyeD
さてと、それでは再び登場させてもらいますね。
>>33 「チャーンドーギア・ウパニシャッド」には、王とアール二の会話
(五火説)、そして二道説が引き続き述べられておりますが、これらは
やはり輪廻思想のもととなった考えるのが(その内容からしても)自然なの
ではないかと思われます。
スレ主さんは、輪廻するものとして「アートマン」を挙げておられるようで
すが、この語がでますと、真我、自我、無我等の意味づけの違いから、よく
議論がすれ違い、不毛な観念論になってしまうことが多いですので、ここで
は、とりあえず単純化して「その属性のひとつとして、連鎖する継続性を有
するもの」としてよろしいですかね?
そして、この輪廻するものも、いずれは涅槃に達する可能性があり、
その時点で転生に終止符がうたれわけであるから、永遠不滅ではない。
よって、無常思想には矛盾しない。 と、このような意見だと思われ
ますが、この説では、永遠不滅ではないが肉体的な死を超えて継続する
ものを認め、それをアートマンとよぶわけですね?
38 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 14:06:14 ID:rXW9fpgq
ウパニシャッドという名称からも、それは「秘密の教え」である以上
確かにBC6C頃の「当時一般的な常識」とは言い難いでしょうね。
ギーターの最古層ではすでに輪廻思想は常識みたいに扱われているから
その成立期であるBC1〜2C頃には既に常識だったと思われる。
では、仏教成立期はどうかというと、仏典最古のひとつのスッタニパータの最古層には
輪廻思想は説かれておらず、第2層あたりから輪廻、業思想が説かれだす。
中谷さんの論文によると最古層でもBC4C頃成立が比定されるそうだから、
仏陀の生存中、輪廻は常識とは言えなかったのではないか?
さらに仏陀在世中、非バラモンであり輪廻を否定するローカーヤタがいたくらいだし。
39 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 14:22:52 ID:NIUZZUSt
>>37 >「チャーンドーギア・ウパニシャッド」には、--略--自然なのではないかと思われます。
>
同意します-特に異論ありません。
>スレ主さんは、輪廻するものとして「アートマン」を挙げておられるようですが、
>
一般的な無我の説明では、これはアートマン否定だとして受け取られることが多く、これにより仏
教者の中には輪廻する主体が無いだから転生も起きない、という理論展開まであるわけです。です
から、わたしは敢えてそのアートマンを出しており、尚且つ、その上でゴータマはアートマン存在が
ないなどとは述べてないことを主張しています。
ゴータマ自身からはアートマン解説はしていないので、転生するその何かがアートマンなのか何な
のか?は、仏教的には示せないわけです。いえるものとは「縁起」だけでしょう。更に言えば、そのア
ートマンも縁起によってその存在する必要はなくなるのです。悪業(カルマ)の一切を断てば転生は
止むので、アートマンが存在する縁起がそこでなくなります。
>「その属性のひとつとして、連鎖する継続性を有するもの」としてよろしいですかね?
>
特に異論はありません。それは前世から今生へ、そして今生の行為の結果を来世へと運ぶ何か?
であり、或いはただの作用、力といったものであるかもしれません。
>>38 情報の感謝です。
ここで所要にて暫く離れます。
40 :
5:2008/11/09(日) 14:26:45 ID:FvelUyeD
>>38 >仏典最古のひとつのスッタニパータの最古層には
輪廻思想は説かれておらず、第2層あたりから輪廻、業思想が説かれだす。
スッタニパータでは最古層とされる第4章「アッタカ・ヴッガ」
第5章「パーラーヤナ・ヴッガ」に輪廻について書かれておりますが?
41 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/09(日) 14:36:45 ID:NIUZZUSt
>>37 >この説では、永遠不滅ではないが肉体的な死を超えて継続する
>ものを認め、それをアートマンとよぶわけですね?
>
ゴータマは無用な誤解を避けるべく、
そして修行からは不要な関心ごとであるとして一切の解説をしませんでした。
アートマンが在るとも述べてはいません。
ただし、これは全くの私の個人的なものですが、
ニルヴァーナに到達するまでに繰り返し転生する何かとしてのアートマン存在を私自身は肯定しています。
尚、バラモン経典の記述、全てをそのまま真理として信用したりはしていません。
人間以外への転生も認めません。
では、暫く失礼します。
42 :
5:2008/11/09(日) 14:59:43 ID:FvelUyeD
追記ですが
>第2層あたりから輪廻、業思想が説かれだす。
この第2層というのはスッタニパータの第1章から第3章をさすものと
思われますが、この部分については同意です。
また、>最古層でもBC4C頃成立が比定されるそうだから、
ここも同意です。
しかし、ウパニシャッドが奥義であるからと、一般に広まっては
いなかったと結論づけるのどうなんでしょうか?
仏典での記述が少ないのと一般に広まってなかったのとを結びつけ
るのは無理があるとおもわれますが?
ここはやはり、バラモン、およびヒンズー、ジャイナ教に詳しい方
の解説を期待したいですね。とくに一般民衆への浸透度あたりの研究者
がおられればベストなんですが。
43 :
5:2008/11/09(日) 15:11:59 ID:FvelUyeD
>>41 なるほど。極めて明快な輪廻観をお持ちですな。
観念的な言葉あそびに走ることなく、ズバッと言い切るとこには
実に好感がもてますね。
しかし、これからビシビシと突っ込んでいきますよ(笑)
まあ、お出かけのようですので、一旦おやすみしましょう。
38さんも書き込み感謝。実りある討論をしていきましょう。
それでは。
44 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 20:51:12 ID:b9cVmgUP
まあ、文章をとりまとめた修行僧連中にも
できの悪い恣意的な奴もいっぱいいただろうからなあw
現在の日本の公務員と一緒だ。
手元にあると、つい曲げたくなるのはできの悪い奴の常さ。
ブッダは実存的経験主義者なんだから、
死後の輪廻転生とやらを言葉遊びに陥らずに検証・証明してもらいましょうかw
それにしても、生前・死後なんて誰も経験していないのに(だから無記=ナンセンス)
現在の何たるかさえ判りようがないがないではないか。
勝手な妄想=戯論はいくらでも吐けようが、妄想に対する盲目的信仰は仏教ではない。
45 :
38:2008/11/09(日) 21:09:40 ID:rXW9fpgq
たしかに、仏教だけでは輪廻思想が当時常識であったか否か判断できませんね。
ちょっとジャイナを調べてみます。
ジャイナは明確な業論を持ってますから。
あと輪廻と言う言葉、つまりサンスカーラはアッタカ・ヴッガにはまだ現れていないと
思ってました。
46 :
5:2008/11/09(日) 22:24:47 ID:FvelUyeD
>>45 サンスカーラ、これはサンサーラ(samsara)のことですよね?
浅学のものでパーリ語はよく、わかりません。
手元の資料によりますと、この語自体は、最古層仏典には見られません。
古層に7例見られます。最古層において見られる語は、輪廻をさしていると
思われる語、(apunabbhavayaなど)などが20数例見られるわけですが、文意
からすると輪廻をさしていると解釈してよろしいのでは?
確かに古層仏典における記述と比較すると、その量、表現の多様性などにおいて
飛躍的に増加するようです。このことからも、仏教が輪廻思想を積極的に取り入
れた時期がわかるように思えます。
このことを釈迦が輪廻思想を自己の教義に取り入れることにおいて消極的であり
それを積極的に進めたのは後の仏弟子たちであることの一つの傍証とすることに
対しては、どのようにお考えになりますか?
47 :
5:2008/11/10(月) 01:29:25 ID:K/7aMXnK
あとひとつ、スレ主さんに質問あげときますね。
「人間以外への転生も認めません。」 輪廻肯定論者の方の中に
しばしば見受けられる見解ですが、仏典のなかに見られる「現世に
おける悪行の因果により、人以外のものに転生する。」 これは、
比喩または方便とみなすわけですか?
48 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 03:48:03 ID:5iwUtW8D
しかしあれだねえ、ベトナム戦争以降、善行悪行や普遍的ヒューマニズムなどの
単純な価値観は完全に崩壊し混乱多様化しているというに、大昔の牧歌的単純素朴な価値観で
宗教的教説を組み立てるなんて、あまりにも時代錯誤でナイーブ過ぎやしませんか?
無記《むき》とは、判断をしないこと、答えを出さないことであります。
時にお釈迦様は、弟子たちから色々と出される質問の中で、特に形而上学的な問題については判断を示さず、答えを出さずに沈黙を守ることで、
仏教の実践から外れてしまう無用な論争の弊害を避けられることがありました。
特に十無記として、
一、世界は常住であるのか?
二、世界は非常住であるのか?
三、世界は有限であるのか?
四、世界は無限であるのか?
五、霊魂と肉体は同一のものか?
六、霊魂と肉体は別々のものか?
七、如来は死後存在するのか?
八、如来は死後存在しないのか?
九、如来は死後存在しつつ非存在であるのか?
十、如来は死後存在するものでもなく非存在でもないのか?
があります。これらの問いには、「そう」、「そうでない」の二元論でも、また「そうでもあって、そうでもない」、「そうでもなく、そうでもないものでもない」を加えた四元論でも答えることが不可能であり、
これらの問いは、現実的に実証できない空想的独断のものでしかなく、仏道の実践において何の役にも立たない問いであるとして、お釈迦様は回答を退けられたのであります。
http://oujyouin.com/hotokenomichi18.html
50 :
5:2008/11/10(月) 15:05:30 ID:K/7aMXnK
>>49 十難無記の解説ありがとうございます。
臨済系の方かな?
十難無記もいずれ、みなさまで深く検討していくことにいたしましょう。
しかし、初めから「形而上的問題を論ずる必要なし」と断じて輪廻転生
問題の検討を無意味化することが、このスレの本意ではないと思います
ので、このスレなりの見解がまとまるまで、柔軟に対応していきましょう。
51 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/10(月) 19:22:15 ID:wEzB3dLN
スレ主の私が不在でも、
大いに投稿して頂いて結構なので、どうか宜しくお願いします。
(全てに目を通し、私も必要に応じてレスします)
--注意事項--
*議論に白熱するのは歓迎ですが、相手に対する個人的な中傷や罵倒だけは止めましょう!
(基本的に喧嘩になるような議題ではない筈です-皆さん宜しくお願いします)
>>35 訂正
×定見
○常見
(漢字が完璧に間違えてますね-失礼!)
52 :
7:2008/11/10(月) 19:31:38 ID:5EY+wfEO
>>46 「サンスカーラ」はサンスクリット。パーリでは「サンカーラ」。
諸行無常の「行」。輪廻(サンサーラ)とは違う。
「サンサーラ」はパーリもサンスクリットもサンサーラ。
あまりにも無知過ぎ。
それで仏教を云々しようなど傲慢にもほどがある。
出直した方がいい。
53 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/10(月) 21:21:33 ID:wEzB3dLN
>>52 ま〜ここは学校の勉強ではないので、どうかご了承のほどを・・。
もしも単純な誤りに気付かれた際には、やんわりと教えて頂けると助かります。
(私を含め自分の知識だけでは狭くて、どうしても限界があります)
54 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/10(月) 21:25:43 ID:wEzB3dLN
>>44 >死後の輪廻転生とやらを言葉遊びに陥らずに検証・証明してもらいましょうかw
>
証明は無理でも、論証については可能だと思います。
以降、序々に皆さんにもご協力を頂きながら、その部分を示す経典からの抜粋や
適切な解説が提示されている研究文献などの引用を掲載、投稿していきたいと思います。
>それにしても、生前・死後なんて誰も経験していないのに(だから無記=ナンセンス)
>現在の何たるかさえ判りようがないがないではないか。
>勝手な妄想=戯論はいくらでも吐けようが、妄想に対する盲目的信仰は仏教ではない。
>
ゴータマは宿命智通によって輪廻と転生現象の一切を体感しました。
その超常的な経験を通した上で説法して指導してきました。
これらは空想や想像による話とは違います。
55 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/10(月) 21:29:12 ID:wEzB3dLN
>>22 異論なし。全くその通りです。
>>50 >しかし、初めから「形而上的問題を論ずる必要なし」と断じて輪廻転生
>問題の検討を無意味化することが、このスレの本意ではないと思います
>ので、このスレなりの見解がまとまるまで、柔軟に対応していきましょう。
>
ありがとうございます!
はい、このスレを立てた理由と目的は実にそこにあります。
まず、自分たちで考えてみるということは必要なことなのであり、
その姿勢そのものについては、きっとゴータマも推奨されるものと信じます。
もし、そうでなれば・・
>>19 >この二律背反の論理的矛盾の解消に多くの仏教家たちが挑んできましたが、
>現在までそれに成功したものは皆無です。
>
>日本においては明治期に西洋的合理主義の洗礼をうけ、この輪廻思想を否定する
>見解が一時、広まりましたが、各宗派の仏教学者たちの激しい反発のすえ、
>現在ではこの問題を正面きって論じようとする動きは見られないといいます。
といった状況のままこれからも平行線を辿り続けることとなります。
実際問題としてこの仏教界においてギクシャクした弊害が起こっているのです。
56 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 22:02:44 ID:b8tvKKsV
>46
すみませんおおぼけかましました。サンスカーラじゃなくてサンサーラです。
おっしゃるように釈迦よりも、その死後のほうが仏教は輪廻思想を取り入れることに
積極的だったと思います。
そしてその理由は「仏教が世俗に迎合した」のではなく、釈迦が涅槃に入ったから、
つまり死んでしまったからだと思います。
釈迦の死を「特別なもの」にするためには輪廻思想というお膳立てがやはり必要だったのだと思います。
57 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 23:37:58 ID:5iwUtW8D
>>54>>56 >ゴータマは宿命智通によって輪廻と転生現象の一切を体感しました。
勝手な妄想にしかすぎない。実証してごらん。
どんなできの悪い坊主がヒンドゥ的ゴロニャン姿勢で物語ったかもしれない文言を鵜呑みするのかい?
知りえないことについて知っているかのように語られるあらゆることばは全て物語にしか過ぎない。
物語を真実と主張するなって。
>釈迦の死
とやらを確認しましたか?
死とは何ですか?なんだか自明のように語ってますが、ほんとに自明ですか?
あなたは自分の死を経験しましたか?
で、あなたのいわゆる生とは何ですか?
あなたとは何ですか?答えてください。
>その死後のほうが仏教は輪廻思想を取り入れることに
>積極的だったと思います。
この「仏教」とやらは何ですか?その「仏」とやらはなんですか?
まったく勝義からの還滅を感じさせない迷妄言説の凡人が推定語を連発する・・
迷いの世界でいくら迷い語を連発しようとも所詮迷妄以外ではありえない。
無意味。
迷妄世界の妄想をいくら考究しようとも、迷妄以外ではありえない。
所詮、輪廻転生とは凡人の妄想「物語」でしかない。
無記=ナンセンスという姿勢が知恵(智慧ではない)というものだ。
アホですか?
58 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/11(火) 00:20:38 ID:gAD/8cwn
>>57 では、あなたから見て下記に掲載する経も
「できの悪い坊主がヒンドゥ的ゴロニャン姿勢で物語ったかもしれない文言」なのですか?
それではどうか教えて下さい!
この経は一体、何を意味するものなのかを説明して頂けますか?
解説を宜しく願いします。
『(93) また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する
知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな
わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の
生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう
であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの
年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分
はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ
れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。
(94) たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、
そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分の
村からあの村に行き、そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そのの
ち、その村からあの村へ行ったが、そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言で
いた。そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。
まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生存の
境涯を想起する知に、心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報であ
ります。』(ディーガ・ニカーヤ2:93〜94/出家の功徳「バラモン経典原始仏典」-中央公論社刊)
59 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 00:45:03 ID:9s+CQXEf
>>1 やっぱり答えは「無記」でしょ。
釈迦存命中に釈迦の言葉を逐一記録した物が無い以上、または釈迦が亡くなった今、
本人から聞くことができないのだから、いくら討論を重ねても結論はでないんだから、
時間の無駄と言えるでしょう。
60 :
5:2008/11/11(火) 00:58:35 ID:fj30PAHU
>>52 ご教授ありがとうございました。
>>56 56さんは、38さんですよね?
私も釈迦は実は輪廻思想を自己の教義に入れることにおいて消極的だったのでは
ないか?と考えております。このあたりは、おそらくスレ主さんと意見がまっこ
うから対立するところだと思うのですが、その論拠は、やはり最古層仏典におけ
る輪廻に関する記述が、あまりにも少ないこと。釈迦が輪廻思想を教義の中心に
据えるつもりであったなら、もっと積極的に言及し、詳細に述べていたのでは?
と考えるからです。
釈迦は非常に現実的な考えの持ち主で、その思考の中心は常に現世にあり、
今現在の苦を除くこと、これこそが仏教の主眼だったのでは、と考えます。
これは、一つの仮説ですが、「釈迦の教義の中心は苦を滅するために執着
をなくすこと。このことを説くために当時、普遍的な考えであった輪廻思
想を使用した。釈迦自身の輪廻思想に対する見解は、『死んでもないのに
わかるか!』または『そんなこと考えるより、今の苦を除くことの方が大
切だろ?』(毒矢のたとえ、ですね) このあたりが本当のところだっ
たのでは?」
これは、ちょっと乱暴すぎる仮説ですかね?
その論拠としては、やはり最古層仏典における記述数の少なさとその表現
についてみても、「妄執を捨て去るべき」であると説く文のなかでふれら
れているにすぎず、輪廻思想そのものを説く文がみられない。
(スッタニパータ。779、801、865、1121、1123、902、877、など)
また、最古層仏典には輪廻と業を結びつける記述が皆無である。
とまあ、こんなところですが、暴論ですかね?
61 :
38:2008/11/11(火) 11:01:25 ID:jHvvXpt+
>60
56は38です
私も現実の釈迦は現実主義者だったと思います。
孔子の「怪力乱神を語らず」というスタンスと近いものだと思います。
そう思うように至ったのは原始仏典で用いられるdhammaの意味がテキストでえらい違うな
と思うようになってからです。
日本語ですとみな「法」ですからねw
「スッタ・ニパータにおけるdhammaの意味」中谷英明を読んでからますますそう思います。
釈迦の説くdhammaとは「生き方、生活規範」がメインの意味ではなかったんじゃないかと。
現実の「生」、つまり今生を支える(√dhaa)ものがdhamma。
そういう意味で釈迦は現世にもっとも意味を持たせていたのではないかと思います。
また、そういう意味での現実主義者だったと思います。
これは、当時のバラモンからすれば異端であり、「卑しい宗教」だったと思います。
では、その仏教がなぜ輪廻思想を取り込まざるを得なかったのか?
私は、不死に至ったはずの「ブッダの死」と、現実主義であるが故の倫理上の必然があったと
思っております。まだ、たいして確証はないのですがw
イーシュヴァラなど絶対神を認めない仏教にとって
倫理の規範に輪廻思想、業報思想は当時かなり有効だったと思います。
62 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 13:16:22 ID:An3WxUg3
>>58 まさしく下半身がヒンドゥに犯された半可通坊主の妄想物語だよ。
贔屓の引き倒しもええとこやんw
ご丁寧なことに、子供向けには「ジャータカ」という後世に造られた妄想おとぎ話の物語集もある。
大人向けには「法華経」という釈迦が万能化けモノ化する自己中トンデモSF経まで創作された。
まことにインド人の妄想物語創出能力には感嘆を通り越して、ゲンナリもうお腹イパーイですYO!
63 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 13:32:46 ID:An3WxUg3
だいたい、輪廻転生論なんかで遊んでいる暇があるのなら、
PCの電源を切って、
徹底的にトイレ掃除せよ、台所を磨け、廊下をピカピカに拭け!
飯を食い終わったらグズグズせず茶碗を洗っておけ!
これで気が付かなかったら、アホそのものだぞ。
64 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/11(火) 20:15:18 ID:gAD/8cwn
>>62-63 ジャータカについては文字通りには信用しておりません(価値は薄い)。
もちろん、法華経からは真実のゴータマの姿は見えてはきません。
とにかく・・
あなたの意見には論理的な根拠が見えません。
まるで喧嘩に負けた子供の罵倒する姿にしか映りません。
そのような汚い言葉しか吐けず、まともな大人の議論ができないようであれば、
もう迷惑なので、投稿して頂かなくても結構ですから。
ご苦労さまでした。
65 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 20:27:07 ID:An3WxUg3
>>64 あんた、まともな師について修行なんかしたことがないだろう。
単なる脳内仏教迷妄趣味者のようだから、こちらからお見限りだ。
あばよ!!
66 :
65:2008/11/11(火) 23:11:00 ID:An3WxUg3
馬鹿馬鹿しいいがもう一言、
>迷妄世界の妄想をいくら考究しようとも、迷妄以外ではありえない。
>所詮、輪廻転生とは凡人の妄想「物語」でしかない。(
>>57)
上記のどこに「論理的な根拠が見えません。
>>64」なのだ?
見えないのはひとえにあなたが愚かだからだ。
二諦説を前提として、ナーガールジュナでも同じことを言うぜ。
勝義諦からの還滅なくして、世俗諦しか見えないも者が世俗「論理」とやらを振り回しても
迷妄のままだ。
>喧嘩に負けた?
俺は喧嘩なんて意識もしてないし、
ましてや勝ち「負け」だとか、「汚い」綺麗などという世俗諦的二項対立など問題にもしていない。
君がひとえに愚かとしかいいようがない。
禅師なら、 喝ぁ〜〜〜〜〜〜つ!!だなw
あばよ
67 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/11(火) 23:42:10 ID:gAD/8cwn
>>66 相手を罵倒して(自己を)誤魔化すことなく論理的に説明すべきです。
では、無記はゴータマの教えだが転生についての教典はゴータマの教えではない、
とするその根拠を説明して下さい。
人は自己の思想に合致するものごとだけを受け入れ、
自己の想いと相反する内容は---その正しさに関わらず---排除する傾向があります。
あなたの好き嫌いで勝手に経典からゴータマの説法を排除してはいませんか?
ゴータマが霊魂の存在に対し無記の姿勢を説いたからといって、
それが転生を説く筈はないことにはなりません(無記は「無い」とはいっていない)。
では、転生(次の生)を肯定せずして、我々は今生の僅かな残りの生涯だけで、
如何に解脱し仏陀に成れるというのでしょうか?
実際、残り何年の寿命を仏道にあてればそれは可能ですか?
それについての解説をゴータマの教えの中から摘出して提示してください!
それが納得いくものであれば、この私も受け入れます。
68 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/11(火) 23:48:26 ID:gAD/8cwn
繰り返しますが・・
一般的に「無我」は非常によく誤解されているのです。「アートマンは無い」などとはゴータマは
教えていない。「それらはアートマンではない」として、非我(アートマンには非ず)を説いたのです。
そして、犯されている間違いというのは、三法印の「諸行無常」も中観派の「一切は空」もそうなの
ですが、この「諸行」や「一切」にはあらゆる総てを含むものと単純に考えてしまいがちで、仏陀と
いう存在、及びニルヴァーナ境地までも無常としたり、それも空などとしてしまうと、実際、仏教は
成立できない。ということすらも気付かずに混乱を起こして分からなってしまっているのが現状です。
挙句の果てには、アートマンも勝手にこの「諸行」や「一切」の中へと放り込んでしまった・・。
しかし、仏陀が説いたのものとは、「それら(五蘊)はアートマンではない」から、アートマンではな
いものと自己を同一認してはならないという、いわゆる「非我」(説)ともいうべきもことを説いたので
した。これをアートマン存在を否定したものだと勘違いした仏教者らが「無我」といった。
永劫不滅の存在以外を「実体」(実在)とは見なさない、という古代インドの思想見解から逸脱する
ものはないのであり、仏教においては仏陀存在とニルヴァーナ境地という、これら絶対世界にあっ
て未来永劫、不滅の存在と永遠の境地であるとして目指しているのです。
つまり結果的には、これはウパニシャッドの説くアートマンとほぼ近似する意識境であるかもしれな
いのです。 「アートマンは無い」ではなく、真実の自己であるところのアートマンを求め、 真実の自己
を確立することが仏教であるという意味においてはウパニシャッドとも異なるものではないのです。
69 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/11(火) 23:49:33 ID:gAD/8cwn
『初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認し
ている。・・・更にアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥られているのであるから、
アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではないだろうか。聖典自身は明らかにこ
の立場を認めており、原始仏教においては自己を自己として追求することが正しい実践目標とし
て示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めているのである。
ところで《自己を(アートマン)を尋ね求める》ということは、実はジャイナ教においても説くところ
であり、表現の文句まで一致している。のみならず歴史的に遡って追求すると、このような思想
は、少なくとも表現の文句の表面に関する限りは、ウパニシャッドにおいて「アートマンが探求せ
らるべきなり」と説かれているのと全く軌を一にしている。「このブラフマンの都(身体)の内ある
小さい蓮華の形をなす一住居----その内部に小さな空処がある。その内にあるもの(アートマン)、
それを尋ね求むべし。実にそれを知ろうと欲すべし。」(チャーンドーギア・ウパニシャッド[.1.1)
ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そして原始仏教において
は、「自己を知る人」が尊重されているのである。
「自己の利を知って常に自己に専念せよ。たとえいかに大事であろうとも、自己ならざる他のも
のの利の故に、自己の利を捨て去ってはならぬ。」(ダンマパダ:166)
こういう表現は、古ウパニシャッドにおけるアートマン論と著しく類似している。』
(原始仏教---その思想と生活/中村 元著-NHKブックス刊)
結果的に誤って無理にアートマンを排除しようとして、後には唯識において阿頼耶識なるものまで
説かれだしました。人間の識が森羅万象を生じているなどという発想は一つの単純な真理に他なら
ない。ただし識がアートマンの筈はなく、それらを超越したものがアートマンなのであるから、識の中
に阿頼耶識なるアートマン代替が入っていることは本当は矛盾する。これもアートマンを無理に排除し
た弊害に他ならないのです。
70 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/11(火) 23:59:23 ID:gAD/8cwn
>>47 >仏典のなかに見られる「現世における悪行の因果により、人以外のものに転生する。」
>これは、比喩または方便とみなすわけですか?
>
はい、戒めるための方便や逸話だとみています。
誠にすみませんが・・
原始経典(ジャータカ以外の経典)の中からそのような事例を提示して頂けませんか?
71 :
5:2008/11/12(水) 00:56:12 ID:V6haGVpl
>>70 テーラーガーターですが
1128
まさしく、おまえを因として、〔わたしたちは〕阿修羅と成る。おまえを根元として、〔わたしたちは〕地獄にある者と成る。また、或る時は、畜生の境遇にさえ〔成り〕、あるいはまた、餓鬼たることも、まさしく、おまえに由る。
258
まさに、輪廻する者として、〔わたしは〕地獄へと赴いた。繰り返し、餓鬼の世〔界〕へと赴いた。また、諸々の苦しみのうちに、畜生の胎において、種々様々な類[たぐい]に、まさに、長きにわたり、わたしは住んだ
これらは、六道輪廻説へと発展したものと考えられます。
まだ、他にもあると思いますが浅学の者で。
すみません。
ただし、テーラーガーターは、比較的新しい部類の仏典ですので
実際の釈迦の言葉にどれほど近いものかは、疑問です。
72 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/12(水) 06:33:49 ID:IvcGMOHm
>65氏について解説しておく。
仏教とは、本来、求道者の為に説かれた方便であり、
求道と思考実験とは全く異なるものである。
従って、記述された内容から輪廻を類推するという手法自体が、既に仏教から逸脱しているという点を、
彼は指摘していた訳です。
そして、その指摘自体もまた、仏教という方便に囚われた視点である訳ですね。
因みに、スレ主は、仏教徒では無いのだから、この解説自体無駄に見えるだろうな。(笑
73 :
神も仏も名無しさん:2008/11/12(水) 09:16:21 ID:IIVcZM6W
まあでもさ、ここは輪廻議論のスレじゃん?
テーマがあって、テーマに沿ってレスし合ってるんだから、いいのでは?
般若の意味を議論するスレで、悟る手法を議論する輩ではないし、
輪廻をテーマに議論スレを立てた方に、
議論しないで掃除しろ、PC閉じよ、という2ちゃんネラーも、
ネラーである上に、スレを開いた時点でオカシイよなw
輪廻議論を続けてくださいね。
74 :
5:2008/11/12(水) 16:09:58 ID:V6haGVpl
>>61 38さん >では、その仏教がなぜ輪廻思想を取り込まざるを得なかったのか?
私は、不死に至ったはずの「ブッダの死」と、現実主義であるが故の倫理上の必然があったと
思っております。まだ、たいして確証はないのですがw
イーシュヴァラなど絶対神を認めない仏教にとって
倫理の規範に輪廻思想、業報思想は当時かなり有効だったと思います。
このあたりの説をできれば、もう少し詳細に説明していただけるとあり
がたいのですが。
それと、今のところ積極的な輪廻肯定論者はスレ主さんしか、見うけら
れませんが、他の方にもどんどん登場してもらって肯定論をのべていた
だけることを希望します。
75 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 19:49:41 ID:E01PfUfC
>>71 >
わかりました。
これは六道輪廻のことですね!
つまり、ここでいうところの「畜生」というのが
まさしく動物に転生していくという意味で語られている経だとみなしているのでしょうか?
しかし、私は全くそうは思いません。
この畜生界に生まれるというのは動物に転生することではなく、
当人の意識レベル(心の状態)、もしくは当人に与えられた境涯(カルマによる環境)を
意味するものだと理解しています。
これはもちろん今生の生存中においても当てはまるのであり、
修羅界に生きている人間、畜生界に生きる人間などというのはいます。
76 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 20:17:52 ID:E01PfUfC
----皆さんへ
何度も主張していますが、ここで再度、確認したく思います。
「転生」について否定的な見解にある方には是非ともお答え願いたいのです。
つまり、転生は無いとした場合にも、
それはゴータマが外道として戒めた「断見」に陥っていることにはならない
というのであれば、それについて説明を希望します。
また、次の生涯が無いのであれば、
一体、何歳からの仏道修行で人々はニルヴァーナに到達できるのですか?
残りの寿命が少ない人間にはあきらめを説くのですか?
実際、今生だけでニルヴァーナに到達した人いるのですか?それは誰々なのですか?
今生の行為による果報についてはどのように説明しますか?
生まれながらの人による差異(生まれつきの盲目など・・)の仏教的理解と、
極度の障害を追った人間がニルヴァーナに到達できる可能性については如何ですか?
以上、宜しくお願いします。
「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生ま
れることがないとする見解のこと。反対語は常見(じょうけん)。原始仏教、つまり釈迦が在世の
頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我の断滅を主張したものである。「見」と
は見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。人の一生・人生はこ
の世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその
果報を無視し否定する見解をいう。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
77 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 20:22:46 ID:E01PfUfC
私は西欧の合理主義の普及(氾濫)から、
仏教が唯物論へと墜落することを強く懸念します。
78 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 21:09:22 ID:E01PfUfC
もう一点、お尋ねしたい!
私はこれまでの人生で、
転生を説かない経、転生などはないとする経の存在を一切、知りません。
また、そのような解説をしている仏教書(仏教解説書)も見たことがありません。
一体、皆さんはどこでそのような見解に触れたんですか?
その転生を否定する仏教書とはどれなのか?
皆さんが読まれてきたその文献、お持ちの文献について是非、ここでご紹介願います。
79 :
卵:2008/11/12(水) 21:37:09 ID:Lx/JcFtF
--Sure宝珠愚者( ´Д`)さんへ
スレタイに惹かれて覗いて見ました。マンドクサイので、
>>1と
>>76.
>>77しか読んでいません。
無我と輪廻にかんする問題は、すでに完結しているものと思っております。
詳しくは、木村泰賢博士の論をごらんになるとよろしいでしょう。
他には、「霊魂論 全」妻木直良著・「無我輪廻の論理的構造」上野順瑛著 などよい参考書になるかと存じます。
仏教が唯物論に堕落することを心配していらっしゃいますが、心配はご無用と存じます。
唯物的仏教論を語る人は、仏教に帰依する仏教徒ではなく、唯物論に帰依する唯物教徒なのです。
よって、仏教(徒)が堕落したわけではないと考えます。(笑
輪廻抜きで仏教を語ることは、卵抜きでオムレツを作ることに等しい。
80 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 22:08:28 ID:E01PfUfC
>>76 情報に感謝します!
たぶん、以前にも卵さんとはきっと2ch内でお会いしている筈だと思います(笑)
このお奨めの文献については早速、確認したいと思います。
以前は・・体調を崩してそのままになってしまいました。
すみませんw
しかし、どうしてこうも2chには
このような仏教的唯物論が蔓延っているのでしょう??
>>1参考ウェブの浄土真宗の解説も酷いものです。
極楽浄土は説くけど転生は否定する(宗派の公式見解のようですね)。
プロの僧侶を含む伝統宗派でもこの有様とは・・信じ難い状況です。
私はこのままではいけないと考えています。
81 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 22:13:03 ID:E01PfUfC
上記は、
>>79のアンカーミスです(失礼)
きっと閲覧者の中には、
違和感を抱かれる方もいるかもしれませんので一応、一言ここで申し添えておこうと思います。
私個人は、釈尊という言い方はせず、
通常時においては敢えて「ゴータマ」(個人名)とこのように呼称しています。
これには歴史上に実在した一個性(一人の人間)であるという意味合いからです。
また、必要以上に過剰な尊崇の念を呼び起こさないようにしたいがためです。
82 :
7:2008/11/12(水) 22:35:18 ID:EHCrabZ4
>>81 そのこだわりを持っている時点でアウトw
釈尊という呼称は、普通に丁寧な尊称に過ぎない。
真に敬うなら、(仏典に倣って)世尊と呼ぶべきだろうw
文脈の中で、特にシッダッタの個人性を強調するのでなければ、釈尊という呼び方でよかろう?w
仏典に触れた者として、その教えに感銘し、共感していれば、親しみの意味も込めて釈尊と呼ぶ人は多い。
(逆に「釈迦」と言う言い方をするのは仏教外の者が多い。或いはアンチ仏教な奴とかw)
貴方のスタンスならば(主張の仕方ならば)、寧ろしっかりと敬意を表した呼称を用いるべきだ。
一歩引いて批判的に考察するスタンスだと言うのなら構わんが・・・w
83 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 23:55:15 ID:E01PfUfC
>>82 ご意見ありがとうございます。
私はゴータマを仏陀として心から尊敬しています。
がしかし、尊敬するが故に敢えて崇拝意識の排除という姿勢を摂っているのです。
尊崇の念は真実からしばしば逸脱させる力を持っています。
という意味合いからも、呼称には「尊」は附けたくないのです。
-------これはあくまでも私の個人的なものです。
84 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/12(水) 23:56:18 ID:E01PfUfC
『ブッダは反ヴェーダ的自由思想家の一人であり、正統バラモン思想の否定者と見なされるが、
必ずしも単なる否定者ではなかった。ブッダはヴェーダやウパニシャッドの宗教・哲学の陥った過
誤を正して、アーリア人の本来あるべき真面目を回復するとともに、これを新時代に適応すべく自
らの見解を開陳した。つまり、ブッダはアーリア文化の回復者であったといえよう。例えばブッダの
根本教説のひとつとされる「無我」の教えについていえば、それは無主体とか無霊魂ということで
はなかった。無我の「我」とはウパニシャッドの哲学に説く絶対原理であるアートマンのことである。
ブッダはアートマンの絶対性を自己自身のものと誤認してはならないとして、執われの自我を捨て、
我執なき本来の自己を表現すべきであると説いた。無我とは真の主体性の確立ということであった。
決して自我の否定とか主体性の放棄を意味するものではなかった。
しかしながら、ブッダは、アーリア文化の主流たるバラモン教の儀礼化、四姓制度の定着による
人間平等の軽視などの現実を見すえることによって、すすんでバラモン教の説く絶対神(世界創造
神)を否定し、だれでも真理に目ざめればゴータマと同じブッダ(覚者)に成ることができるとした。
あくまでも人間の自覚にもとずく実践を基本に、万人成仏の道を明らかにした。このことは仏教が
アーリア文化の中に生まれながらアーリア文化と本質を異にする一面でもある。』
(インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
85 :
5:2008/11/13(木) 00:28:46 ID:VNM6aC+f
一度、私の見解をまとめておきますが、「釈迦は自己の教義に輪廻思想をとり
入れることにおいて消極的であった。」 つまり、積極的な否定もしない
が、それを自己の教えの重要な部分とすることもしない。これが釈迦の輪廻思
想に対する態度だったと思います。
釈迦の教えは、あくまでも、その軸足は現世にあり、今あるこの「苦」をいか
に滅するか これが本旨だったのだと思います。
「死後のことは死んでもないのにわかるか!!」 「今は、そんなこと考え
るより、修行が大事でしょ?」 これが本当のところだったのでは?
言い換えると、「輪廻についてはどうでもよい」 当時一般的な思想だったか
ら、あえて否定はせずに、修行に対する動機づけには言及するのも良し。
確か、弟子の問いに答えて「死者のよすがは知るすべがない。」と答えたのも
その釈迦の考えをよく表してると思います。 よって無記へとつながります。
86 :
5:2008/11/13(木) 00:30:14 ID:VNM6aC+f
以下、論拠をのべますが
1.最古層仏典に輪廻に関する記述が非常に少ない
2.また、そこで見られる記述もほとんどが「妄執を捨て去れ」と説く
趣旨の文で触れられてるにすぎず、輪廻そのものを説く文が見られない
3.輪廻と業を結びつける記述も皆無。
輪廻に関する記述はその数、表現の多様性において時代が下るにつれて
増加します。これは、いわゆる結集の後、できた教団の諸事情、例えば
他宗との軋轢、教団内部での結束強化、などの必要から釈迦の死を単な
る死と捉えず、特別化神聖化する必要があったものと思われます。
釈迦自身は輪廻思想を積極的に否定する気はなかったわけですし、
当然、否定する記述が見られるはずもありません。が、しかし
それによって釈迦が輪廻思想を積極的に肯定していたことにはなり
ません。 「輪廻は、あってもなくても、どっちでもいい。」
こうだったのでは?
スレ主さんが、あげたディーガ・ニカーヤ、そして私のあげた
テーラー・ガーターなどは、残念ながら初期仏典の中では新し
いもので釈迦入滅後、数百年を経ており、それが本当に釈迦の
思想だったのかとなると、たぶんに?マークがついてしまいます。
と、まあ以上が文献的な視点からみた感想です。
87 :
5:2008/11/13(木) 02:03:31 ID:VNM6aC+f
さて次に文献的視点を離れて、
>>76のいくつかの問いに私なりの意見を
述べさせてもらうと
>また、次の生涯が無いのであれば、
一体、何歳からの仏道修行で人々はニルヴァーナに到達できるのですか?
残りの寿命が少ない人間にはあきらめを説くのですか?
これは逆に言うと最低、何年は修行しなければ解脱できないと言ってる
ことになってしまいます。解脱できるまでの最低期間の設定になってし
まいます。私は覚者ではありませんから、もちろん断言はできませんが
解脱とは、そういうものではないのでは?と思います。
できる者は一瞬で悟る者もあろうし、何千年かかってもダメな者もいるでしょう。
>実際、今生だけでニルヴァーナに到達した人いるのですか?それは誰々なのですか?
これは「解脱」とは、あくまでも内面的なものであり、その表明は自己申告です。
「あのひとは悟っているみたいだ。」と他の人間が推測することはできても、
所詮は凡夫の推測。覚者どうしは、わかるという説もありますが、その真偽は
わかりません。すなわち、「ニルヴァーナに到達した」かどうかが、本当にわか
るのは本人以外ありえないわけですから、問い自体意味をもちません。
88 :
5:2008/11/13(木) 02:07:45 ID:VNM6aC+f
>今生の行為による果報についてはどのように説明しますか?
生まれながらの人による差異(生まれつきの盲目など・・)の仏教的理解と、
極度の障害を追った人間がニルヴァーナに到達できる可能性については如何ですか?
私自身は前世での行為が現世に何らかの影響を及ぼしてる、いわゆる業ですね、
これについては完全否定派です。
生まれつき重度の障害をもって誕生してくる子がいますが、その原因を前世に
求めることは絶対に否定します。「この子が、このように生まれついたのは
この子自身の前世の悪業が原因である。」 または 「この子が、このよ
うに生まれついたのは、親であるお前たちの前世における悪業の報いである。」
このように言うことが仏教的なのでしょうか?
この世にうまれてくる人間は実に様々な条件のもとに生まれてきます。
頭の良い子、悪い子。運動の得意な子、不得意な子。金持ちの家に生まれて
くる子、貧乏な家に生まれてくる子。実に様々です。しかし、自分のうまれ
ついた境遇に不満をもらしてみても、どうにもなりません。
大切なのは、「それぞれの違いをありのまま受け入れること。」
「しょうがない」というような虚無てきな見方ではありません。
ましてや、「これは前世で悪いことしたからだ。」などと、考えることでも
ありません。「これが自分なんだ。」と積極的に是認することが大切なんだ
と思います。 確かに障害があると、生きるのに不便なことはあると思います。
しかし、それは健常者ができるだけ協力しあってカバーしていけば、良いこと。
それが、すぐに「幸せになりずらい」あるいは「解脱できない」ことに繋がって
いくとは思えません。スタートラインは皆同じ。こう考えた方が、いいのでは?
とまあ、以上が私論です。
89 :
神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 05:03:27 ID:UEIQsKRk
スマナサーラ長老の本に無常自体は一方向だけど因果法則は多次元論と書いてあった。
自分がなぜこのように生まれてきたかは説明不可能だね。
90 :
38:2008/11/13(木) 10:45:39 ID:8BsrPeoC
ちょっとジャイナの文献を調べておりました。
ただジャイナのアーガマま5c以降成立のものばかりなので
釈迦存世にまでさかのぼれるか微妙ですが・・・
ご存じのようにジャイナは実体的な霊魂(ジーヴァ)や実体的な業の存在を
みとめ、輪廻を霊魂のそれに付着する業による下降であると明確に規定しています。
そのジャイナも仏教の無記と似たようなことを説いているんですね。
「世界は存在するかしないか、世界は常住なのかそうでないのか、世界は有始なのか
無始なのか・・・この様に互いに対立し自説を主張しあっている。これは論理的ではないと
知るべきである。この様に彼らの主張は正しくない。世尊によって説かれたように答えるか、
さもなくば沈黙すべきである」『アーヤーランガ』(1.8.1)
「世尊(つまりマハーヴィーラ)の説かれたように」とはたぶん多面論のことだと思いますが、
要は修行の役に立たない議論はするなということでしょう。
釈迦の無記を輪廻説否定の根拠にしている方もいますが、仏教の場合も毒矢譬のように輪廻の否定ではなく
無駄な議論の否定こそが主眼であったと思います。
そういう意味で、釈迦は輪廻思想に関しては決して否定論者ではなかったと思います。
ただ仏教は現世における解脱こそが本来の目的ですから生前も死後問題にしていないだけの
ことだと思います。
しかし、現実には解脱できない弟子もいたわけで、そういう者たちへのフォローも
後世必要になったのだと思います。
そもそも釈迦の解脱とその死は特別なものである故、弟子がそうそう簡単にブッダになって貰っては困るわけで・・
91 :
5:2008/11/13(木) 11:15:15 ID:VNM6aC+f
>>89 スマさんの著書はあまり読んでないので、よくわからんのですが
「無常自体は一方向」 これは単にエントロピーの増大の意味なのかな?
「因果法則は多次元論と書いてあった。
自分がなぜこのように生まれてきたかは説明不可能だね。」
これは「現在の存在の全ては、時空的諸要因の干渉の結果である」 という
意味なのかな? それなら、かなり私の考えに近いのですが。
>>90 調査お疲れ様です。 ご教授感謝。
「 仏教は現世における解脱こそが本来の目的ですから生前も死後問題にしていないだけの
ことだと思います。」
まったく同意です。上にも書きましたが
釈迦自身は輪廻転生思想に対して、積極的否定論者でもなく、積極的肯定論者でもない。
これが私の見解です。
92 :
89:2008/11/13(木) 17:53:35 ID:UEIQsKRk
>>91 エントロピーの増大とかは詳しくないので分からないけど、宇宙は一方的に拡散してるから物が古くなるとか書いてありましたね。
まあ現に単線処理的に結果が出てるってことでしょうか。
>これは「現在の存在の全ては、時空的諸要因の干渉の結果である」 という
>意味なのかな? それなら、かなり私の考えに近いのですが。
おそらくそうでしょうね。対象が世界経済ともなれば10、20年先のことは予測不可能だとか。
まあ対象が大きくなればなるほど、期間が長くなればなるほど観念的な予測になってしまうってことでしょうね。
93 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/14(金) 00:20:20 ID:+zTJBeND
>>86 解答に感謝します。
5さんは自分の率直な感想と意見をあるがままに述べられており、
その点にはとても好感が持てました。
(しかし、内容にはやはり同意できない部分は大きい)
まず、第一点として、
5さんは、原始経典の中での成立の順序から、
最古層経典には輪廻に関する内容が少なく、
後代に成立した経においてそれは増えてくることを指摘しています。
その上でゴータマは事実上、実際には輪廻転生を説かなかったのだが、
経典制作の過程で後に、次第に加えられて増大していったものという主張と見受けます。
私の情報はやや古いかもしれませんが・・
しかしまだ、研究者の中では原始経典の中での成立順序についても
確定的な統一はなされていないと思います。
増谷文雄氏は相応部経典(Samyutta-nika^ya)サンユッタ・ニカーヤが最も古く、
小部経典(Khuddaka-nika^ya)クッダカ・ニカーヤが最も後代の成立だとしましたが、
中村 元氏の場合には、素朴な内容で短い経の編纂である韻文経典群、
経集(Sutta-nipa^ta)スッタニパータを最古とし、法句経(Dhammapada)ダンマ・パダ、
自説経(Uda^na)ウダーナ・ヴァルガなどがそれに次ぐものだとしました。
これらは全て増谷氏が最も後代であるとした小部経典/クッダカ・ニカーヤに分類される経群の一部です。
私個人の見解は中村氏寄りにあります。
やはり経の内容的にいってもスッタニパータなどが最も原初的だと映ります。
増谷氏は小部経典が漢訳経として成立していないのは、製作が最も後代だったからだろうとしましたが、
私は必ずそうであるとは限らないと見ています。
しばしば、最も新しいものが最も関心を集め最重要視されるといったことはインドにおいても然り。
よって、最も古い南伝の小部経典が漢訳化されずに終った可能性というのもあると思っています。
94 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/14(金) 00:21:52 ID:+zTJBeND
そもそも経典成立の結集、
その内容というのは合誦(口誦)というもの(方法)でした。
アーナンダやウパーリがリードして語った内容の正しさが確認されると、
集った比丘500人でそれを一斉に合誦していき、全員の統一した記憶として刻みつけていくわけです。
であれば、第一結集で成立した経とは短文で内容も素朴であった筈です。
中村氏の上げる小部経典中の3経はまさにコレに合致していると思います。
で、私がいいたいことは何かといいますと、
確かに1番最初の第一結集で成立した経というのはもっと少なかった筈であり、
それが後に付加されて増大されていき、結果的に経典の数量も増えていった。
それはまず間違いがない。
だからといって、
仮に後代に成立した経であるからといって、
そこに書かれた内容はゴータマが説かなかったものだ
ということにはなりません。
また、最初期の経典に記述が少ないからといって、
これもゴータマが説かなかったことを示す証拠とはなりません。
やはり、大乗経とは内容も成立年代も違い、
私は原始経典として括られている理由とはその内容にあるのだと思います。
従って、原始経典の殆どはゴータマが説いた教えであるとして見なすことは
十分にできるものと見ています。
今夜はここまでにします。
95 :
5:2008/11/14(金) 01:06:40 ID:z7IAwOK4
93と94前半の記述は、特に異論はありません。確かに学者のなかには
仏典の成立年代について特異な説を述べる人もおられますが、
最古仏典がスッタニ・パータの韻文経典であることは多くの学者の
認めるところであり、定説としてよいと思います。
それで、94の後半ですが
>仮に後代に成立した経であるからといって、
そこに書かれた内容はゴータマが説かなかったものだ
ということにはなりません。
このような主張においては、まず、時代的に最も近い資料における問題点
(86の1.2.3.)に対する合理的な説明がなされなければ、後代に成立した
記述が釈迦の思想であるという説は説得力を持ちえません。
また>最初期の経典に記述が少ないからといって、
これもゴータマが説かなかったことを示す証拠とはなりません。
この部分も輪廻肯定論とは結びつきません。
「Aという記述がないことが、Aを否定したことにはならない。」
確かにそのとおりなのですが、Aを肯定したことにもなりません。
すなわち、86の1.2.3. は釈迦が輪廻を否定した根拠としてあげて
いるわけではなく、肯定しなかった根拠としては十分に成り立ちます。
96 :
5:2008/11/14(金) 01:56:08 ID:z7IAwOK4
>私は原始経典として括られている理由とはその内容にあるのだと思います。
従って、原始経典の殆どはゴータマが説いた教えであるとして見なすことは
十分にできるものと見ています。
スレ主さんが、どこまでを原始経典としているのかは、わかりませんが
(例えば、小部経典(Khuddaka-nika^ya)クッダカ・ニカーヤには
ジャータカなども含まれますが) この場合、これは除くと64で書かれて
おられました。 これは、その内容から判断して除かれた、つまり釈迦の
教えではないとしたわけですが、そこには個人の判断が入ります。
またテーラーガーターの六道輪廻に関する記述部分においては、「あれは
文字どおり受け取らず、心のあり方を表している。」 と言っておられま
したが、これもまた、スレ主さんの個人的主観による解釈ですよね。
ここにひとつの問題点があります。多くの仏教学者たちも、そのほとんどが
いずれかの宗派にぞくしており、原始仏典を研究するおり、自派の教義に
反する部分は、「方便である」 「比喩である」 と退け、客観的な判断が
なされない場合が多くあり、それが仏典研究の大きな弊害となっていると
聞きました。
ここで誤解してもらわないでほしいのですが、「これは釈迦の教え。これは
違う。これは方便。」 と自己の判断をしていくことが悪いと言っているの
ではありません。それはそれで結構で自己の信じるとおりに進めば良いと思
います。ただ、私の言いたいことは、文献的な視野にたった場合、輪廻思想
を釈迦が積極的に支持していたとする証拠はない。
と、こういうことなんです。
97 :
5:2008/11/14(金) 02:02:39 ID:z7IAwOK4
>>92 了解です。 レスありがとうございました。
98 :
38:2008/11/14(金) 22:16:11 ID:XWUU4DGu
釈迦在世の非バラモン宗教は仏教、ジャイナ、アージーヴィカが三大勢力だったようですが
この三つの宗教の解脱論はそれぞれ違います。
ジャイナは苦行によりあらゆる業を消滅しつくし、
その結果死後に解脱が得られるとしたのに対し
アージーヴィカの宿命論では、あらゆる業は解脱のためには無意味であり、
いかなる生物も六種の有情に順次転生するうちに自動的に解脱に至ると考えました。
それに対し仏教はこの二つの極端から離れた中道を説き、今生での解脱を説きました。
つまり、アージーヴィカのように業とその果報があることは認めつつも、
業をジャイナのように実体視すれば、業の主体とその果報の享受者が同一で連続した者
でなければならず、ジーヴァやアートマンを想定しなければなりません。
後代、刹那滅が説かれるのもそのためですが、ジャイナはその刹那滅を非難します。
結局、無我論と業論を両立させるためにも明確な輪廻説は説かれなかったのではないかと
思います。
99 :
5:2008/11/15(土) 00:05:54 ID:g+MlgpGc
>>98 大筋において同意です。
刹那滅ですか。これも難解な概念ですよね。よくわからんとこがあるのですが
要は時系列的視野に立った場合、それをアナログ的に捉えるのではなく
デジタルにとらえる。 全体をその最小単位を構成要素とする総集合とみなす。
こんな感じの理解でいいんですかね? それなら確かに「業」思想とは両立し
得ないように思えますね。
100 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 00:10:02 ID:S22GjwFK
>>95 ここで5さんがいいたい意味は、もちろん判るのですが、
しかしながら、つまるところ最っとも重要なのは経における説法の中身なのではありませんか!?
5さんは、輪廻転生はゴータマのその他の教説とは矛盾する内容である、という見解ですよね?
無記とも矛盾すると・・。
これは多くの否定派の主張する部分にもなっています
(これについては、また今度の機会に)。
ですから私は、
そこには矛盾はないと主張しているわけです。
矛盾がないなら(寧ろ、理に適っています)、ゴータマの教説から排除する必然性はありせん。
>>60 >その論拠としては、やはり最古層仏典における記述数の少なさとその表現
>についてみても、「妄執を捨て去るべき」であると説く文のなかでふれら
>れているにすぎず、輪廻思想そのものを説く文がみられない。
>(スッタニパータ。779、801、865、1121、1123、902、877、など)
>
すみませんが、
第一、この「少ない」という意見が全く賛成できません。
「最古層で少なく後代で増える」というその根拠はどこですか?
どなたの説(研究)なのですか?5さん自身がそれを比較したのですか?
私は再度、スッタニパータについて来世/転生を示すものをみてみましたが、
下記のように次から次と繰り返し出てくるというのが実体なのです。
一体、どこをどう読まれて・・何がどう少ないというのでしょうか?
理解できません。
101 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 00:16:57 ID:S22GjwFK
「この世とかの世を捨てる。」1〜17
「わたくしはもはや母胎に入ることはないであろう。」29
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることがない。」82
「来世において悪いところに生まれる。」141
「これから生まれようと欲するものでも」147
「決して再び母胎に宿ることがないであろう。」152
「かれはもはや再び世に生まれるということがない。」162-163
「かれは来世に至って憂えることがない。」188
「わたしは来世の利なるものをさとり得たのですから。」190
「この世または来世におけるいかなる富であろうとも」224
「もはや再び生存を受けることがない。」273
「実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、
暗黒から暗黒へと(生まれかわる)。死後には苦しみを受ける。」278
「再び世に戻って来るな。」339
「最後の身体をたもち」478
--82繰り返し--486
「《これは最後の生存であり、もはや再び生存をうけることがない》ということを、
この世で如実に知っている人々、---かれらに時々供物をささげよ。
福徳を求めるバラモンはこれらを供養せよ。」502
「この世の再生を滅ぼしつくした人、---かれが修行僧である。」514
「あらゆる宇宙時期と輪廻と生ある者の生と死とを二つながら思惟弁別して、
塵を離れ、汚点なく、生を滅ぼしつくすに至った人、---かれを目覚めた人(仏)という。」517
「輪廻を超えて完全者となり、こだわることのない人、---かれは《バラモン》と呼ばれる。」519
--82繰り返し--547
--82繰り返し--569
103 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 00:19:48 ID:S22GjwFK
「この難路、険道、輪廻、迷妄を超えて」638
「前世の生涯を知り、また天国と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至った人、
---かれをわたしはバラモンと呼ぶ。」647
「三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることがない人は、
諸々の識者にとっては、梵天・帝釈天なのである。ヴァーセッタよ、このとおりであると知れ。」656
「死後には同じような来世をたどる(地獄に堕ちる)。」661
「来世にあってはその身に苦しみを感じる。」666
「(輪廻)の流れを断ち切った修行僧には執著が存在しない。」715
「かれらは(輪廻を)終滅せつめることができない。」725
「かれらは(輪廻を)終滅せつめることができる。---この迷いの生存に戻らないことであると。」」727
「この状態から他の状態へと、繰り返し生死輪廻を受ける人々は、その帰趣が無明にのみ存する。」729
「この無明とは大いなる迷いであり、それによってこの永い輪廻が現れたのである。
しかし明知に達した生けるものどもは再び生存を受けることがない。
《---すなわち現世における証智か、或いは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである、と。》」730
「妄執を友としている人は、この状態からかの状態へと永い間流転して、輪廻を超えることがない。」740
「それ故に諸々の賢者は執著の消滅の故に正しく知って、生まれの消滅を熟知して、
再び生存を受けることはない。--《730》繰り返し--」743
「生存に対する妄執を断ち、心の静まった修行僧は、生の輪廻を超える。
かれは再び生存を受けることがない。--《730》繰り返し--」746
「この状態かあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがない。」752
「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
止滅(ニルヴァーナ)を知らないので、再び生存にもどって来る。」754
--《730》繰り返し--733、735、737、739、741、749、751、753、755、758
104 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 00:20:26 ID:S22GjwFK
---以上、ざっと見ただけで、
5さんが上げた779前においても簡単にこれだけ摘出できました。
この傾向はスッタニパータ全体に及んでおり、
またダンマ・パダやウダーナ・ヴァルガにおいてもほぼ同様でした。
仏教のテーマは業報輪廻からの解脱にあるので探すのに苦労は無用です。
>>96 ジャータカは確かに生まれ変わりの宝庫というべき内容の経ではありますが、
これは実際、ゴータマ(転生)物語とでもいうべき文学作品です。
その他の経と比較すれば内容においてそうとして理解される筈です。
もちろん無意味なものとかいう問題ではなく、教訓となる感銘と感動を呼び起こす物語
(創作を織り交ぜた)なのです。
ときには「畜生道」「畜生界」は死後、そのままあの世の動物として生まれる意として使われたり、
来世に動物として生まれるという戒めとしての話も確かにあります。
しかし明確に、「来世で動物に生まれ変わる」と名言している部分はまず殆どありません。
多くの場合にはそのような意識状態、もしくは環境に住むことになるぞという意味です。
経典には文字通り受けていい部分と、否そうではない場合とがあります。
分りやすい例としては「悪魔」の登場であり、これは自己の迷いの意識を表す典型的表現の代表です。
---経は内容によって理解されるべきものです----
ところで5さんに質問します。
今更ですが・・
「仏陀の悟り」とは何だったと理解しますか?
ゴータマは何を悟ったと??
ではまた後ほどの投稿とします。
105 :
7:2008/11/15(土) 00:38:50 ID:Cj97H0TG
・・・・・・・・ ;´ー`)y━~~
少し横槍入れとくか・・・w
一度、文献を離れて、
自身の経験、自身の知識、自身の推測(帰納的推論)、
現時点2008年の科学的知見、一般的価値観、等をベースに考えてみたらどうだい?
また、
他の価値観・枠組み(≒他宗教)との対話が避けられないとしたら、
無記の一点張りで通用するかどうかも考えてみるといい。
また、
仏教外の人間に(≒未だ「信」の生じていない者に)語る際に、
「仏教ではこうだ!」という言い方のみで通用するかどうかも考えてみるといい。
>分りやすい例としては「悪魔」の登場であり、これは自己の迷いの意識を表す典型的表現の代表です。
なるほど、諸天善神や悪魔や天使や妖精や守護霊などの霊的存在は
仏教の論理においては存在しないということでよろしいか?
107 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 01:06:26 ID:S22GjwFK
>>107 まだ、見ていたので一言レスします。
答えは簡単です。
仏教に信を置かない一般人の見解(科学的見解を含む)は真理ではないからです。
これが仏教の立場です。
仏教が仏教たり得るのはこの仏教としての立場を保持するからであり、
当たり前のことです。
たしかに断固として認めない者や理解できない者、
また科学的思考しかできない者には説いても仕方ない、という態度もあるでしょう・・。
これは、最初から科学的手法で簡単に示すことができる話ではないからです。
仏教は個人の体験によって説かれたものであり、またそれを再び別の個人が体験するものです。
何かの事象として簡単に第三者にコレとして見せられるような物事ではありません。
誤解してはいけないのは、仏教はあくまでも宗教に分類されるカテゴリーです。
尚、ゴータマのような仏陀存在は第三者にハッキリと提示して見せることもできます。
108 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 01:11:44 ID:S22GjwFK
>>106 そういうことはいっていません。
迷いの表現としての悪魔の現れのことです。
仏教的には肉体を消滅した後の意識存在
(或いは、最初から人間としての肉体を持たない存在)を否定はしていません。
ただ、そういった詳細についての解説はしなかった・・。
理由は無記に相当します。
ただし、転生は業報の法則を示す必要上において不可欠の教えなのでこれを説かないことはない。
行為による報果を受ける必然性からみても当然のことであって、業がある限りは転生は止みません。
今生とはその業報輪廻の時間軸の中の一つの状態です。
では、また。
109 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 01:13:28 ID:S22GjwFK
110 :
7:2008/11/15(土) 01:34:11 ID:Cj97H0TG
>>107 原始佛教 その20
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1165378636/568 原始佛教 その21
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1169453597/77 77 名無しさん@3周年 sage 2007/01/25(木) 10:40:46 ID:X+yO1Fb2
>> 66
2500年に亘り生じ伝えられてきた、種々の輪廻にまつわる言説がそれでしょう。
また、(仏教系)新興宗教が用いる種々の言説もそうでしょう。
そして、21世紀を迎えた現代に於いては特に、(維摩のように黙するのでなく)、
言及を避けるのでなく、新たな語り口が模索されても良いのではないのでしょうか。
切り捨てるのは容易いでしょう。
しかし、(修行者に対してでなく)仏教の外部への言葉は用意された方が良いのではないでしょうか。
もう、10年以上経つでしょうが、「希望の扉を開く」というヨハネパウロ二世の著があります。
これが、どれくらいのキリスト教徒に読まれ、どれくらいの影響をもって受けとめられているかは知りません。
しかしながら、中で述べられる仏教への評については、断固として異を唱えねばならないでしょう。
(たとえ無記とされている事柄についてでも)、その時に用いられる手法や言辞は必要となると思います。
外教とは対話をしない、というスタンスを取るなら別ですが・・・。
111 :
7:2008/11/15(土) 01:35:34 ID:Cj97H0TG
>>107 【私】を記述してください【私の存在性】26
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1224344706/382 382 2a/10 素人 sage 2008/10/23(木) 20:46:42 0
しかし、(色即是空や無色無受想行識の濫用への憂いはともかくw)、他の価値観との対話は避けてはならないとも考えている。
原始仏教スレでも他のスレでも言及しているが(前スレ374でも触れてるなw)、
亡くなられたヨハネパウロ二世に「希望の扉を開く」という著がある。彼の仏教評はお世辞でも頷けない。
直接的に無記に関するものではないが、相手がキリスト教(カソリック)である以上、無記とされる部分にも触れてゆくことになるだろう。
(いや、この場合は「そのような事柄は涅槃に資さないので問わないのです」で済むかw 重要な彼の誤解は、きちんと回答できるものばかりだから。)
が、世間には仏教に批判的な者も多い。哲学的側面から、或いは現代の科学的知見から批判を加えてくる者もいるかもしれない。
(2chは特にその傾向が強い。)
私は、たとえ「無記」とされる領域に関わることであっても、“仏教という枠”をはみ出すことがあっても、
誠実に答える義務があると思っている。それが、現代に生きる、仏典に触れた者の義務だと思っている。
行法として、或いは修行論として、不要なものに煩わされ捉われることは避けられるべきことだ。
誠実に敬虔に仏道を行ずるなら、そうであるべきだろう。
しかしながら、誠実に、真摯に問われたなら、或いは批判されたなら、応答すべきだろうと思っている。
維摩居士のように黙することを良しとはしない。
たとえば、貴方なら>> 305後段のような評(或いは批判)に対してどのように応えますか?(「答」でなくともよいが・・。)
おやすみw ノシ
112 :
5:2008/11/15(土) 01:37:47 ID:g+MlgpGc
スレ主さんへ
少し誤解があるようですが、101,103,104であげられてる資料は全て最古層
仏典ではなく、後代のものです。ご存知のようにスッタニパータにおいても
それは同時期に成立したものではなく、そのソース年代の異なるものをまと
めているにすぎません。そして、いわゆる最古層仏典と言われるものは私が
40であげたスッタニパータの第4章、第5章であり、スレ主さんが非常にたく
さん、その例をあげてくれたのは、まさに時代が下るにつれて、その数が
増え、表現が実に多様になってくるという主張を実証してくれたことになり
ます。そして、その成立年代ですが、その確定はそこに使用されている語彙
などの精査、また表現法の差異(韻文か散文かなど)の比較など、とても私
などの手におえるものなどではなく、当然、学者の説によっております。
(荒牧典俊氏、並川孝義氏の説によります)
そして前にも書きましたとおり、最古層仏典には「これは明らかに輪廻転生
を説いている。」と思われる記述はなく、輪廻と業の関係性を説いた記述も
皆無です。(先に例示したものが、最古層仏典なのではない という論証が
なされましたら私の説は論拠を失いますが、それは現在の定説を覆すことに
なると思います。)
113 :
5:2008/11/15(土) 01:39:56 ID:g+MlgpGc
>---経は内容によって理解されるべきものです----
これはもちろん否定しません。現在も多くの宗派が、経を様々に解釈し
自派の教義としております。 前にもいいましたが、私の主張は
文献的視野にたった場合、釈迦が積極的に輪廻転生思想を肯定したと
いう証拠はない ということなんです。
>「仏陀の悟り」とは何だったと理解しますか?
ゴータマは何を悟ったと??
これに答えることは私の分を超えると思われます。
釈迦の悟りはこうであると語れるのは、まさしく釈迦の境地に達した
覚者のみでしょう。
114 :
5:2008/11/15(土) 02:15:28 ID:g+MlgpGc
スレ主さん
>仏教に信を置かない一般人の見解(科学的見解を含む)は真理ではないからです。
これは仏教徒ではない者の言は信じるにたらずと?
こういうことですか?
そして、今まではあくまでも「仏教における」輪廻思想が主題であると
思って意識的に触れないできましたが、7さんが振ってくれたので、
あえて「科学的知見」による見解を尋ねたいと思いますが
>今生とはその業報輪廻の時間軸の中の一つの状態です。
このように時間軸を意識するなら、例えば100億年前、地球はおろか
太陽系すらも存在しなかった時点における業報輪廻をどのように
捉えておられるのですか?
また、スレ主さんは「人間のみ」に輪廻を認めていましたが、これも
ご存知のように、人間とは単細胞生物から始まる進化の結果です。
どの時点をもって「人間である」と認めますか?およそ100万年前の
アウストラロピテクスをその最初とするのでしょうか?
ふっと思いつくだけでもこのような疑問がわきます。
スレ主さんは、このような問題をどのように自己解決しているわけですか?
これは形而下の問題ですので無記とはいかないと思います。
115 :
5:2008/11/15(土) 03:01:08 ID:g+MlgpGc
112の追記です。参考までに。
また『スッタニパータ』の注釈書として『ニッデーサ』(義釈)が伝えられているが、、
位置づけとしては独立した経典として伝えられ、文献学的には、
『スッタニパータ』と同時代に成立したと考えられている。
『スッタニパータ』の第4章と第5章のそれぞれに大義釈と小義釈が存在することから
この部分がもっとも古く、元は独立した経典だったと考えられている。
[編集] 参考文献
中村元訳 『ブッダのことば』 ISBN 4003330110
宮坂宥勝訳 『ブッダの教え』 ISBN 4831872350
正田大観訳 『ブッダのまなざし』 ISBN 4434012967
116 :
5:2008/11/15(土) 03:20:35 ID:g+MlgpGc
さらに追記ですが、スッタニパータも訳者によって、かなり
訳が異なりますが、わたしは主に中村元訳のを使用しております。
117 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/15(土) 06:18:52 ID:HweUKa4D
とりあえず、>7氏が維摩経読んでないのは理解できた。
(^。^;)ヨモウヨ
118 :
7:2008/11/15(土) 07:47:58 ID:Cj97H0TG
>>117 対比の構図が分からんか・・w
禅坊主が「黙」の字に何を象徴しているかを考えてみるといいw
119 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/15(土) 08:31:49 ID:HweUKa4D
>118
いや、そうじゃなくて。(笑
「維摩の一黙」の誤用は止めようって話だよ。
ビィマラキールティは雄弁なんだよ。
十大弟子も諸菩薩もケチョンケチョンに遣り込めてるから。
120 :
7:2008/11/15(土) 10:03:10 ID:Cj97H0TG
>>119 そういうことか。 理解。
けど、センセーショナルで使い易いんだよねw 「色即是空」と同じでwww
今後の課題だろうね。「維摩居士の実像」って感じでw やってみたら?w
ただ、維摩が黙した1シーンの意味自体(或いは解釈)を捨て去る必要もなかろう?
もっとも流布しているであろう経典である心経のフレーズを捨て去ることができないように・・・w
また、禅宗は一部を取り出し換骨奪胎する手法を好む傾向がある。
(私が「象徴」という言い方をした意味はここにある。)
また、「不立文字」と言いながら他宗に比べても膨大な語録が残る禅宗だが、
それと同じような形で「維摩の黙」もまた受け止められている。
勿論、本来的な意味での「不立文字」は、「文字(言葉)を残さない・使用しない」ということではなく、
それに固執し、理解の為の最上の手段としない、くらいのものではあるが、
同じように、「黙」とは「語らない」のではなく「語りきれない(或いは語れない)」
ということである点では、貴方の指摘はもっともだ。
(ま、逆説的には「“語りきれない・語れない”から“語らない”」わけでw、この構図に罪を見ることもなかろう?w)
どこまで拡大解釈を許容するか?(その拡大は不可だ)と言いたかったのだね。
110・111は、拡大解釈の一つとして
「(枠をはみ出してでも)分別して詳細に語る」ことと「(枠内で)語れないことは語らない」こととの対比のつもりだった。
それをも自重すべきというなら、一応謝罪しておこう。申し訳なかった。
が、私は「誤用」だとは思っていないことを付加しておく。
121 :
38:2008/11/15(土) 10:49:12 ID:TSBBkjuJ
私はスレ主さんの意見も5さんの意見も理解できます。
>仏教的には肉体を消滅した後の意識存在
>(或いは、最初から人間としての肉体を持たない存在)を否定はしていません。
>ただ、そういった詳細についての解説はしなかった・・。
>理由は無記に相当します。
この後段2行は皆一致する点だと思います。
釈迦は輪廻の詳細については言及しなかった。
理由はそれが「仏教における解脱」とは直接関係ないから、つまり無記だからです。
しかし、前述のジャイナ、アージーヴィカにおいては輪廻思想と彼らの解脱は直結するから
詳述せざるを得なかった。
前段の2行はアナートマンを非我と解釈した場合の理解の仕方だと思います。
もっとも「意識の集合体」と言ってもsattaと言っても五ウンの集積であり実体
のないものという理解だと思います。
しかし、アージーヴィカと違い業報思想を取り入れた仏教においても、
行為の主体と果報の享受者が同一であることは認めざるを得ません。
そうでなければあらゆる解脱のための行為は無意味となり、解脱という
果報も存在しなくなりますから。
仏教の無我論はこの点においても後代他の思想家からもさんざん論難されます。
たんなる五ウンの集合体が無自性でありながら(かつ刹那滅でありながら)
どうして自己同一性を保ち続けられるのか?
私の感想ですが、仏教はそれについてうまく回答しているようには見えません。
これが、後代仏教が輪廻思想に言及せざるを得なかった理由の一つではないかと思います。
つまり、必然的に
>ただし、転生は業報の法則を示す必要上において不可欠の教えなのでこれを説かないことはない。
>行為による報果を受ける必然性からみても当然のことであって、業がある限りは転生は止みません。
と、考えざるを得なかった。
122 :
5:2008/11/15(土) 11:23:35 ID:g+MlgpGc
>>121 これも大筋同意です。このスレの初めにも述べましたが
仏教に業報思想を取り入れた場合、必ずそこにはAからBへと連鎖するもの
なんらかの関連性、同一性確保が見られなければなりません。それは、実体
のあるなしにかかわらず、唯一の属性として保障されなければなりません。
そうでなければ、業報思想そのものの概念が崩壊します。
スレ主さんは、これをアートマンとしていました。その論拠のひとつとして
釈迦がアートマンを否定していなかったことを上げられておりましたが
否定しなかったことが、肯定したこととはなりません。(これは私が以前に
も言ったことですが)
もし釈迦が業報思想をその教説の中心におくつもりであったならば、
なぜ詳細にそれを説かなかったのでしょうか?
釈迦の教説の主眼はあくまで「認識の転換により、今ここにある苦を
滅すること」 ここにあったのでは?
釈迦自身にとって、業報思想はあえて否定する必要もなく、説く必要も
ないもの。 このようなものであったと思います。
123 :
38:2008/11/15(土) 14:35:10 ID:TSBBkjuJ
ジャイナは仏教を「楽によって楽を得る」教えであり、
ジャイナは「苦によって楽を得る」教えと考えていたようです。
この場合の楽とは身口意の三業のうち、意業を重視したという意味のようです。
仏教において、よりよい心の状態を作り出し、支えるものがダンマだったんだと
思います。
ところでジャイナにおける苦行とは、不殺生の徹底につきるみたいです。
ジャイナにとっての有情は植物、動物に加え地水火風の大まで含まれますから
究極の不殺生は一カ所に留まり動かず餓死すること。
そして、ジャイナはそのような苦行による死を特別なものとし、「賢者の死」と
「愚者の死」を明確に区別します。
ジャイナは死後に解脱がある、換言すれば死によって証明される解脱なのに対し
仏教は生きている間における解脱(心識論的解脱)を強調したように思います。
だからこそ、サンジャヤのような懐疑論者は「如来(私はこれを解脱者と解します)の死後」
について質問したのではないでしょうか?
124 :
7:2008/11/15(土) 16:44:45 ID:Cj97H0TG
探して読める人は参考にどうぞ。
論文自体への評価は別にして、大変興味深い内容(結びの文)になっていますw
|, ,_
|∀゚)
| つ「ブッダの自我と無我について」―『駒沢大学仏教学部論集』3(1972)所収(p.31〜50)
125 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 16:54:03 ID:S22GjwFK
>>112 >そして、いわゆる最古層仏典と言われるものは
>私が40であげたスッタニパータの第4章、第5章であり、
>
はい、わかりました。
続けて第4章-5章についても確認しました(以下に掲載)。
「この世とかの世」という表現は抽象的過ぎるので1〜17の紹介だけに留め、
それ以降における繰り返しについては取り上げていません。
また、「変化的生存」877、「この世において死も生も存しない者」902は、
次の生を直接には示していないので取り合えず省きました。
急いで目を通しているので漏れもあるかもしれませんが、そんなにはないと思います。
逆に、不明確過ぎる表現の場合は敢えてなるべく取り上げないようにしました(
>>101-103も同様)。
126 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 16:55:11 ID:S22GjwFK
「想いを熟知して、流れを渡れ。」779
「邪悪を掃い除いた人は虚偽と驕慢とを捨て去っているが、どうして(輪廻に)おもむくであろうか?」786
「かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世でも、来世でも、願うことがない。」801
「このような人は、彼岸に達して、もはや還って来ない。」803
「もしもあなたが、多くの王者が求めた女、このような宝、を欲しないのであれば、
あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、
またどのような生存状態に生まれ変わることを説くのですか?」836
「世間において、愛し好むものは何を縁として起こるのか。
また世間にはびこる貪りは何を縁として起こるのか。
また人が来世に関していだくその希望とその成就とは、何を縁として起こるのであるか?」864
「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは欲望を縁として起こる。
また人が来世に関していだく希望とその成就とは、それを縁として起こる。」865
「戒律を最上のものと仰いでいる人々は、《制裁によって清浄が得られる》と説き、誓戒を受けている。
《われらはこの教えで学びましょう。そうすれば清浄が得られるでしょう》といって、
真理に達した者と称する人々は、流転する迷いの生存に誘われている。」898
「前世に宿善を植えた人々である。」1009
「物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」1121
「それ故に、ピンギヤよ、汝は怠ることなく愛執を捨てて、再び生存状態に至らないようにせよ。」1123
127 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 16:56:41 ID:S22GjwFK
>まさに時代が下るにつれて、その数が増え、
>表現が実に多様になってくるという主張を実証してくれたことになります。
>
では検証します。
私が取り上げた経でみた場合は、
1-3章/765経には62経が該当しており、
4-5章/384経には11経の該当ということになります。
その比率は
1-3章は1/12で4-5章は1/35という結果でした。
つまり、1-3章は4-5章の約3倍の増加比率で輪廻転生を示す経を説いています。
1-3章が4-5章よりも後代成立の経であることが正しければ、
5さんの指摘の通りに後代のものほど輪廻転生を示す経は増える
ということを、ここでは示しているものといえます。
しかしながら、
>>94で私が
>第一結集で成立した経とは短文で内容も素朴であった筈です。
>確かに1番最初の第一結集で成立した経というのはもっと少なかった筈であり、
>それが後に付加されて増大されていき、結果的に経典の数量も増えていった。
>それはまず間違いがない。
と、述べた通りにそれについては認めます。が、
だからといって、
時間の経過と共に増加していく経典には
「輪廻転生を示す記述の比率」も同じくある(もしくは時間の経過と共に減少)すべきだ
とする根拠は見えてきません。また4-5章の経の数量そのものが圧倒的に少な過ぎるので、
その中での輪廻転生を示す記述量(比率)という比較にはあまり有効性は見えないと思います。
では同じく例えば「縁起」について、「無常」についての比率はどうなのでしょう?
(これも輪廻にも繋がることがらですが・・)
128 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/15(土) 17:16:26 ID:S22GjwFK
経というのは時代の経過で数量も増大していき、内容もより詳細で長文化します。
後代の経ほど輪廻転生を示す記述が増えて、解説も詳しくなるからといって
それがゴータマが説かなかった筈とする根拠にはならないと思います。
経は全て後の弟子たちが文章化していったものです。
その内容はゴータマが説かれた教えを文章にしたのであり、
1番、最初期は口誦した内容をそのままに文章化した。
基本のとなる経(文章)ができれは、以降の経典制作はそれを基にして
その内容を更に発展拡大していくのは当然のことです。
そして、重要視される教えほど繰り詳しい内容の経文が必要とされる筈なのです。
もし、5さんの論法でいきますと、
最初期の経は輪廻だけに限らず教えの内容は乏しいので、
実際のゴータマよりも後代の弟子たちのほうが優れているのだ、という意味になってしまうと思います。
最初期の単純な内容も後代のより発展した記述も
全てはゴータマの教えを継承した弟子たちがその内容を文章化していったものだ、
としなければ論理的説明はできないと思います。
>そして前にも書きましたとおり、最古層仏典には「これは明らかに輪廻転生
>を説いている。」と思われる記述はなく、
>
「再び生存状態に至らないようにせよ」と記述されているのに何故?
再質問
>今更ですが・・ 「仏陀の悟り」とは何だったと理解しますか? ゴータマは何を悟ったと??
7さん、38さんはどうです?
129 :
5:2008/11/15(土) 17:20:22 ID:g+MlgpGc
>>127 以下時間がないので簡略に
問題点の指摘
1、 業報思想思想の記述が最古層仏典にないことに触れておられません
2、 時代がくだるにつれてその表現が具体的になり、多様化する。
最古層では明らかに輪廻を指しているとおもわれる表現が、その
用語の用例上わずかである。
3 縁起、無常 これらは直接、業報思想とむすびつものではない
4、最古層には輪廻思想そのもを説く目的とみられる文がない。
ざっと以上ですが、詳しくは、また夜に述べます。
130 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/15(土) 17:54:50 ID:HweUKa4D
>120
そうかぁ?
禅家も分かってる奴は分かってるらしいがなぁ。
あと、彼の一黙は、マンジュシリーだからこそ黙されたのであり、それで通じている訳だな。
仮に舎利子辺りが同じ問いをしたら、ボコボコにされた筈だろ?(笑
謝罪の必要は無いが、仏家の末席を汚す者として、経は大切な。ってだけの話だよ。
131 :
7:2008/11/15(土) 22:55:28 ID:Cj97H0TG
>>128 > 再質問
> >今更ですが・・ 「仏陀の悟り」とは何だったと理解しますか? ゴータマは何を悟ったと??
> 7さん、38さんはどうです?
「心の平安は、平安を乱す要因の排除・遮断によってもたらされる」
ということじゃね?w
>>130 120の内容が今一伝わってないようだが、
ま、いいかw
乙 ノシ
132 :
5:2008/11/16(日) 01:46:05 ID:TnYcvWBe
もう一度、要点をまとめます。
1. 確かに1123が最古層仏典のなかでは最も輪廻を想定させるところですが
それもその文の趣旨はあくまで「妄執をすてよ」ということであって
輪廻思想を説くことが目的でないのは、明らかです。
2. 輪廻を表す語、サンサーラ(samsara)が最古層仏典の中には全くみられ
ない。後代の仏典には多く登場します。
3. 記述数が少ない。
4. 輪廻を想定させる記述も輪廻思想そのものを説く趣旨のものはなく
「妄執をすてよ」と説く文の中で見られるのみ。言い換えると修行
への動機づけに使用されたものと考えられる。
5. スレ主さんが101,103であげられたように後代の仏典では輪廻に対する
表現がより具体的、詳細になる。(この他にもダンマ、テーラーガーター
など同様)
6. 最古層仏典には業に関する記述は皆無である。
以上の事実を踏まえて、私の見解は
「釈迦は輪廻業報思想を自己の教説に取り入れることに積極的ではなかった。
釈迦の主眼は、あくまで認識の転換により、今ある苦を滅すること。
輪廻思想は、あえて否定することもないが、積極的に説く必要もなし。
修行の動機づけには言及する。」 このような態度であったと思われます。
以下時代が下るにつれ、他宗との軋轢、教団内部の事情(結束強化、修行
への動機づけ) 釈迦の死の特別化、神聖化の必要性の発生などの諸事情
により、輪廻思想がより精密に説かれるようになっていき、仏教がそれを
内部に取り込んでいったものと思われます。(当時の他宗との関係性は
38さんの書き込みがわかりやすいと思います。)
133 :
5:2008/11/16(日) 01:49:03 ID:TnYcvWBe
>時間の経過と共に増加していく経典には
「輪廻転生を示す記述の比率」も同じくある(もしくは時間の経過と共に減少)すべきだ
このように述べたことは一度もありません。
>後代の経ほど輪廻転生を示す記述が増えて、解説も詳しくなるからといって
それがゴータマが説かなかった筈とする根拠にはならないと思います
このようなことも一度も言っておりません。
私の言っていることは最古層仏典に見られる上記1〜6の事実から
「釈迦がその教説において積極的に輪廻業報思想を説いた」
とすることは、文献的にみて極めて不合理である。
このように言っているわけです。
また何度も指摘してきましたように「釈迦は〜を否定しなかった。」
ことが「釈迦は〜を肯定した。」とはなりません。
釈迦が輪廻業報思想を支持し、自己の教説において積極的に説いたと
する根拠を求めるならば、それは後代の仏典に求めるよりほかありません。
134 :
5:2008/11/16(日) 01:50:39 ID:TnYcvWBe
>最初期の単純な内容も後代のより発展した記述も
全てはゴータマの教えを継承した弟子たちがその内容を文章化していったものだ、
としなければ論理的説明はできないと思います。
全て釈迦の教えであるとするのは、あまりに不合理です。
当時の仏弟子たちの主観による解釈、創作はないとされるのですか?
スレ主さん自身、テーラーガーターの六道輪廻は、そのまま受け取っては
ならない比喩であると言ってました。これはスレ主さんの主観による見解
です。当時の仏弟子たちも当然、かれらなりの諸事情を考慮し、編纂して
いったものと考えるのが自然であり、全て釈迦の教えに間違いないとする
ことは、できません。
すると、当然「これは釈迦の教え。これは比喩。これは方便。」
などと自派の教義、自己の見解にあわせて取捨選択していくことになり
そこには客観的な検証などあるはずもなく、あるのはただ信仰のみです。
>もし、5さんの論法でいきますと、
最初期の経は輪廻だけに限らず教えの内容は乏しいので、
実際のゴータマよりも後代の弟子たちのほうが優れているのだ、という意味になってしまうと思います。
この部分は全く意味不明でした。
文献的な判断からすると、より時代が近い資料に信頼性をおくのは
自然であり、後代の資料に信頼性を見るならば、それなりの合理的
理由が必要です。スレ主さんは、なぜより後代の記述を信頼するのか
その理由を全く述べておられません。
135 :
5:2008/11/16(日) 02:25:01 ID:TnYcvWBe
追記ですが、スレ主さんがあげておられた836の弟子の問いにたいして
釈迦は837で輪廻について述べていません。
もし釈迦が輪廻思想を積極的に説く気であれば、まさしくここで説く
はずでは? しかし、釈迦の答えは、それには触れていません。
まさに「無記」へと繋がる返答です。「生まれかわり」に言及しま
せんでした。 このあたりにも釈迦の輪廻に対する消極性が見てとれる
とおもいます。
136 :
7:2008/11/16(日) 10:43:36 ID:i+CCHxXV
偈の体裁をとっているものは文学的表現・詩的表現であり、必ずしもその言い回し通りのことではない、
という視点を取ってる人はいないのかな?
(勿論、散文部分にも当てはまることではあるが・・。)
『直接的に術語が「ある/ない」』 だけでは決定打足り得ないと思うが?
(´・ω・)y━~~
137 :
38:2008/11/16(日) 10:47:36 ID:AeallT96
仏教が輪廻思想を受け入れていく過程で同時に「ブッダ」の神格化が起こります。
スッタニパータの最古層古層で用いられるbuddhaという言葉はウパニシャドや
ジャイナ教典で用いられるのと同様、「優れた人」くらいの意味であり普通名詞
であったと思いますが、後代ではbuddhaは特別な意味を持ち、教団の名称にまで
なります。
ブッダが特別であるためには他教団に対してその証明が必要になります。
ジャータカはその証明のための神話であり、シュルティと同じ役割を果たしたと
思います。
ジャータカは仏塔の周りのらんじゅんに彫刻されたように
決して「子供向けの話」ではなく「神話」であり、象徴的な意味として
学ばれていました。
その意味するところは輪廻と業報であることは諸説の一致するところです。
結果としてブッダの神格化に輪廻思想は大変役だったのではないでしょうか?
138 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 12:24:38 ID:MF+exR1H
>>87 >これは逆に言うと最低、何年は修行しなければ解脱できないと言ってる
>ことになってしまいます。解脱できるまでの最低期間の設定になってし
>まいます。私は覚者ではありませんから、もちろん断言はできませんが
>解脱とは、そういうものではないのでは?と思います。
>できる者は一瞬で悟る者もあろうし、何千年かかってもダメな者もいるでしょう。
>
ゴータマはこれについても明確に示しました。
仏陀は弟子たちの一人一人が後に、
あと何回の転生経験(時間)によってニルヴァーナに入ることができるのか、
つまり、弟子の修行の進歩レベルと転生の関係についてもハッキリと教えました。
(5さんの主張では、これも後代の経により疑問符?ということになるのでしょうが・・。)
四向四果(四沙門果)
・須陀桓(預流)(シュダオン・ヨル)
=三結(身見・戒取・疑)を断ずる。天上界と人間界を
七回往復する。
・斯陀含(一来)(シダゴン・イチライ)
=三結(身見・戒取・疑)を断じて、貪欲・瞋恚薄らぐ。
天上界と人間界を一回往復する。
・阿那含(不還)(アナゴン・フゲン)
=五下分結(身見・戒取、疑、貪欲、瞋恚)を断ずる。
天上界に生まれてこの世には還らない。
・阿羅漢(仏陀)(アラカン・ブッダ)
=以後、『有』を受けないと自覚できる意識境。無餘涅槃の人。
(ネット拝借-ソースについてはなくなりました)
139 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 12:26:02 ID:MF+exR1H
「アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れ
の無い『心の解脱』『智慧による解脱』をみずから知り、体得し、具現していた。したがって、この
比丘は今さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。
アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくし
たので、おのずから善き世界に化生した。この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、
再びこの世に戻ることはない。
アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪
り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者(=
一来)』となった。この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの
世界に入るであろう。
アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、『聖者の流れに踏
み入った人(=預流)』となった。この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正し
いさとりを得ることが確定している。
アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、
おのずから善き世界に化生した。この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこ
の世に戻ることはない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、トゥッタ、サン
トゥッタ、バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくし
たので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの世
界に入り、再びこの世に戻ることはない。
140 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 12:27:32 ID:MF+exR1H
アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に結びつ
ける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たち
はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼし
つくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっている
ので、『一度だけ戻ってくる者』となった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残
りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼし
つくしたから、『聖者の流れに踏み入った人(=預流)』となった。これらの信者たちは、もはや悪
しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/ナーディカ村にて)
141 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 12:33:53 ID:MF+exR1H
追記:
>できる者は一瞬で悟る者もあろうし、
>
すみませんが、これは全く間違いだと思いますよ。
仏教が目指す究極の境地、永久不滅にして不死の境地「ニルヴァーナ」とは、
何か禅の悟りか何かのように、知的理解や一瞬のひらめきや直感といった類いではありません。
仏典に頻繁に登場する「誰それは悟った」「遂に悟りに達した」といった表現の殆どは、
不死の境地「ニルヴァーナ」に到達したことではありません。
これが禅的な悟りです。
142 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 12:35:15 ID:MF+exR1H
>>114 >>仏教に信を置かない一般人の見解(科学的見解を含む)は真理ではないからです。
>これは仏教徒ではない者の言は信じるにたらずと?こういうことですか?
>
人間的に信用できないといった意味ではありません。
単に、仏教が説く内容に添わない見解は全て「外道」であると見なすからです。
逆に仏教に合致する内容であれば、それが何教であれ問題はない。
>このように時間軸を意識するなら、例えば100億年前、地球はおろか太陽系すらも
>存在しなかった時点における業報輪廻をどのように捉えておられるのですか?
>
輪廻宇宙(論)という言い方もあるかと思いますが、
つまり
>>58での経が表しているものが回答になるかと。
生存を繰り返す業報がある限りはこの先も止まないし、過去においても無始の時から永遠と続いていた・・。
宇宙は生成と壊滅とを繰り返してきており、そのときにも人間として生存していたかもしれない・・。
「また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住
通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、ひとつ
の生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯 を想起します。
そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・壊滅を含む
宇宙期を(通して)想起します。」(ディーガ・ニカーヤ2:93〜94/出家の功徳)
何もこの地球だけに人類の生存を限定する必要はなく、
科学的にもこの地球だけを唯一とするのは不自然とする見解で一致しています。
業報がある限りは、たとえこの地球に転生すべき人類の種が絶えようとも、
またそれに相応しい環境の下へと転生していくだけのこと。
仏陀というのは、
その様を如実に直智体験(神秘体験)した上で輪廻を語っているのです。
想像やただの予測理論ではありません。
ただし、それを「在り得ないナンセンスだ!」として否定するのは皆さんの自由です。
143 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 12:35:53 ID:MF+exR1H
>ご存知のように、人間とは単細胞生物から始まる進化の結果です。
>どの時点をもって「人間である」と認めますか?およそ100万年前の
>アウストラロピテクスをその最初とするのでしょうか?
>
それはもちろん分らないし、
もちろん仏典にも示されてはいない。
アウストラロピテクスとかその辺りかもしれないし、
まず、年代そのものがもっと古い可能性を私は見ています(年代定説は何度も覆されます)。
また或いは、もっと別の人類が別の場所で発生していたかもしれないし、
現在の科学的定説、それ以前にも人類はすでにいたのだが種が絶えているかもしれません。
>スレ主さんは、このような問題をどのように自己解決しているわけですか?
>これは形而下の問題ですので無記とはいかないと思います。
>
驚かれるかもしれませんが、私は自分を仏教徒であるとして自認しません。
こういうと閲覧者の中にはきっと、あれ?「我こそがホンモノの仏教徒なり!」
とくるものと思った方もいるかもしれません。
私は、仏教徒として括られることは好まないし、実際、仏教徒ではないです。
私の摂るスタンスは、ゴータマの教えは真理として受け入れていますが、
しかし、ゴータマ以外によって語られた事柄には真理がないというものでもない、
そういうことです。
私は自分なりの次元で、仏教以外の宗教や思想についても受け入れています。
特にブラヴァツキー神智学とヴェーダーンタ(ウパニシャッドの精髄といわれる)については
大いに参考にします。それとバガヴァッド・ギーターによる影響も大きい。
これらは、私自身の中では何ら矛盾しません。
また、最新科学の情報といったことも好きであり、
趣味で始めた地震予知の分野については、かなり詳しいですよ(仏典より詳しいw)。
144 :
神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 15:57:51 ID:klK2z44m
悟れば輪廻転生などは無明者の迷いにしか過ぎないとわかる。
筏についてどう論じようが勝手だが、向こう岸に飛ばないとお話にならない。
蛇が脱皮するように向こう岸に飛べば?
頭でっかちで筏に執着している以上無理ですが・・お気の毒です。
145 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/16(日) 16:10:43 ID:MF+exR1H
>>144 仏教では輪廻の原因を「無明」に拠るともいうのです。
あなたの主張は、ゴータマが外道として戒めた「断見」
>>76という考え方です。
>筏についてどう論じようが勝手だが、向こう岸に飛ばないとお話にならない。
>
飛んで見なけりゃ〜わからないというのであれば、
もう経典に何が書かれていても無意味でしょう!
お話になりません・・
以上
146 :
5:2008/11/16(日) 16:45:04 ID:TnYcvWBe
さてと、まずは38さんの137のご意見ですが、全く私の見解と同じであり
異論はありません。
そして、スレ主さんの138から140までのご意見は、やはりそれを仏弟子の
主観による解釈、もしくは創作ではなく、真実、釈迦がそれを説いたと信
じるかいなかという信仰のもんだいです。
そして、私はそれ自体を否定するものではありません。そう信じたい人は
信じればよいと思います。
また141については、以前にも書きましたが、私自身、釈迦と同じ境地に
達しているわけではありませんので、「釈迦の悟りはこのようなものである」
と語ること自体、不合理です。また、各宗派ごとに「悟り」があり、それぞれ
が、どのようなものであるか熟知しているわけでもありませんから、「悟り」
についての言及は差し控えさせていただきます。
>宇宙は生成と壊滅とを繰り返してきており、そのときにも人間として生存していたかもしれない・・。
これは現在の宇宙(およそ137億年前に生成)より以前の別の宇宙を想定し
そこに人間がいて、そこからこの地球上の人間に転生したとするわけですか?
さらに>何もこの地球だけに人類の生存を限定する必要はなく、
科学的にもこの地球だけを唯一とするのは不自然とする見解で一致しています。
業報がある限りは、たとえこの地球に転生すべき人類の種が絶えようとも、
またそれに相応しい環境の下へと転生していくだけのこと。
地球以外にも生命が存在することは、確率論てきにも多くの学者が認めるところ
です。(それが地球に来てるかどうかは、もちろん別の話ですが)
スレ主さんは、地球外生命への(または、からの)転生も認めておられるよう
ですが、すると中には、宇宙人の業を背負っている人も現在いるということに
なりますが?
147 :
5:2008/11/16(日) 16:46:14 ID:TnYcvWBe
>仏陀というのは、
その様を如実に直智体験(神秘体験)した上で輪廻を語っているのです。
想像やただの予測理論ではありません。
この部分は、繰り返し述べてきましたが、史実的根拠はなく、個人の信仰
の範疇です。
>また或いは、もっと別の人類が別の場所で発生していたかもしれないし、
現在の科学的定説、それ以前にも人類はすでにいたのだが種が絶えているかもしれません。
これは、それを裏付ける証拠、または十分、説得力のある理論が構築されない
限り、空想であるとおもわれます。
さてと、ここでいくつか疑問が生じますが、スレ主さんは、
1.なぜ、輪廻するものを人間だけと限定するのですか?
2.その場合、人間と他の生命を何をもって区別しますか?知能ですか?
これは生物学てきにも大変難しい問題なのですが。
付記 「悟り」についての情報ですが、この宗教板に「鬼和尚の悟りスレ」
といのが、あります。そこのスレ主の鬼和尚という人物は「自分は
覚者であり、前世は釈迦の弟子であった。」と公言しております。一度、訪ねて
みて、いろいろお聞きになればいいのではないかと思います。
その言の真偽は、御自分で判断するよりありませんが。
148 :
卵:2008/11/16(日) 21:01:35 ID:4H8wyeQj
Sure宝珠愚者( ´Д`)さん支援
仏教に於いて無我と輪廻と解脱は、構造上分離しえないものですので、そこのところのしくみを一度きちんと理解しておく必要があるかと存じます。
輪廻を捨てて(あるいは消極的にスルーして)解脱をたてるスレ中の他の方の説は、いわゆる六師外道の説く所の諸説の範疇にあります。
輪廻否定論者(あるいは消極的にスルー論者)が拠所の一つにしている無記説にしてもザッとノーコメント程度に解釈するのではなく無記の成立の過程と意義を細かく洗い直せば突っ込みどころ満載ですよ。
釈尊のお悟りの全体は解るべくもありませんが、永遠の生命に関する実感が大きなテーマであることは間違いありません。
ただし、仏教に於ける輪廻とは通俗的な魂論ではありえない事を再確認されると今後の議論がスリリングに楽しいものになるであろうと期待をしております。
その為には、上記にあげてあります資料は(ジカンもカネもかかりましょうが)メンドクサがらずに読んでみて下さいませ。
一つ一つ根気よくね。
仏教学の世界に蔓延する合理主義は大きなものを見落とし置き去りにしているような気がいたします。
1さんの今後に期待しておりますよ。
以上無責任な支援でした。
149 :
5:2008/11/16(日) 21:17:32 ID:TnYcvWBe
>>148 >仏教に於いて無我と輪廻と解脱は、構造上分離しえないものですので、そこのところのしくみを一度きちんと理解しておく必要があるかと存じます。
どのような仕組みですか?
>輪廻を捨てて(あるいは消極的にスルーして)解脱をたてるスレ中の他の方の説は、いわゆる六師外道の
その根拠は?
>輪廻否定論者(あるいは消極的にスルー論者)が拠所の一つにしている無記説にしてもザッとノーコメント程度に解釈するのではなく無記の成立の過程と意義を細かく洗い直せば突っ込みどころ満載ですよ。
では突っ込んでみてください。
残念ながら、個人的主観による感想を述べられてるだけのように聞こえ
説得力がないと思います。まず、その論拠を提示し、論理的に説明して
ください。
150 :
卵:2008/11/16(日) 21:38:45 ID:aip5FeKK
あくまでも1さんの成長を生暖かく見守っている個人的なファンですから、華麗にスルーしてください。
気に障ったらごめんね。
151 :
5:2008/11/16(日) 23:58:32 ID:TnYcvWBe
了解しました。どうやら、卵さんの書き込みに対する、
私の誤解があったようですね。
152 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/17(月) 11:05:49 ID:g80t+PWn
卵さん、有難うございます!
「無責任な支援」に大感謝wですが、もし良かったら更に投稿を宜しくお願いします。
153 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/17(月) 11:12:41 ID:g80t+PWn
>>105 >現時点2008年の科学的知見、一般的価値観、等をベースに考えてみたらどうだい?
>
転生が非科学的といいたいのですか?
もし、そうであれば冗談じゃない!
そもそも科学の側が遅れているのであって、ゆっくりとやっと進歩しているのが現状。
また全くアプローチの方法も異なる・・。
例えば、稀に前世の記憶を持って生まれる人の話があります。
これは科学的に追跡調査は可能でしょう。
退行催眠から得た情報を追跡調査している学者がいるという話もある。
現ダライラマ14世の前法王からの転生という話もある。
>仏教外の人間に(≒未だ「信」の生じていない者に)語る際に、
>「仏教ではこうだ!」という言い方のみで通用するかどうかも考えてみるといい。
>
私は難しい説明はしないようにしているし、
誰にでも分りやすい言葉で述べていると思います。
必要以上に仏教用語を並べ立てたりせず、またなるべく自分の言葉で話すようにしています。
ただし、仏教について語るのにその内容を捻じ曲げることはできません。
154 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/17(月) 11:13:31 ID:g80t+PWn
>>111 >私は、たとえ「無記」とされる領域に関わることであっても、“仏教という枠”をはみ出すことがあっても、
>誠実に答える義務があると思っている。それが、現代に生きる、仏典に触れた者の義務だと思っている。
>
>>143の通り、この私は仏教徒ではないので心配は無用ですw
「無記だから答えない」「仏典に書かれていないことは話さない」といったことはありません。
ただし、知らないことは知らないし分らないものは分らない。
155 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/17(月) 11:18:10 ID:g80t+PWn
>>147 >>仏陀というのは、その様を如実に直智体験(神秘体験)した上で輪廻を語っているのです。
>>想像やただの予測理論ではありません。
>
>この部分は、繰り返し述べてきましたが、史実的根拠はなく、個人の信仰の範疇です。
>
5さんがもし、仏教そのものに対する否定論者なのであれば、
それはもちろん全くご自由に!ということなのです。
誰もそれを止めません。
5さんは頭がイイものだから、私からの「仏陀の悟りとはなんだったか?」という問いには、
仏陀、本人ではないから分らないものとして、これを完全にスルーしてしまった。
それでこっちは、ちょっと当てが外れてしまいましたw
だから私から話します
--これについては、よく言われるようなものとしては、
「あらゆる事象は、縁に拠りて生じ滅するだけを繰り返す実体の無きものであるから、
それらに対する執着を離れることで人は苦しみから解放される」といったことを悟ったいい、
万物の「無常」や「無我」「縁起」といった内容であった、という説明がされたりします。
まるで仏教用語辞典を読めば理解されるような事柄です。
156 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/17(月) 11:25:35 ID:g80t+PWn
いいでしょうか?
無常とか縁起といった内容をただ知的に理解する、といったものではない。
そんな仏教書を読めば誰でも理解できるようなことなんかじゃない。
その法則の真実についてを「体験」したのです。
想像や空想や仮定による理論ではなく、実体験によってその真実を知った(これを直知体験という)。
それが宿命智通という神秘体験でした。
あらゆる過去の生涯の記憶が蘇り、というよりは、再びそれらを瞬時に再体験するという超常体験であり、
これにより森羅万象の背後にある摂理を全て見通すことができたのです。
それが“仏陀の悟り”です。
従って、そのときの状況をよく表現したこの経
>>58は、とても重要な意味を持つものです。
ゴータマはこのときの体験とその能力(神秘能力/如来の神通力)において、
「無常」や「無我」「縁起」といった内容を究極の真理(それ以外はない)として説いているのです。
どうか誤解しないように・・仏教はただの哲学ではありません。
神秘体験から始まらない宗教など一つもありません(辞書で「宗教」とは何か確認すべき)。
157 :
5:2008/11/17(月) 13:23:29 ID:bjli9/if
さてと、それでは少しだけ
>転生が非科学的といいたいのですか?
もし、そうであれば冗談じゃない!
そもそも科学の側が遅れているのであって、ゆっくりとやっと進歩しているのが現状。
ここで言う「科学的」という言葉の定義があいまいなため、なんとも言えない
ところもありますが、「現在までに実証されていないことがらは、(これは、もち
ろん十分説得力のある仮説は含まず) それを否定はしないが肯定もしない。
すなわち、別のことがらの論拠にすることはしない。
まあ、無記ですね。(将来、全く現在では想像もつかない科学の新分野におい
て霊の実在が実証されないとも限らない。可能性は非常に低いとは思いますが)
そして現時点において輪廻転生は科学の分野において実証されたことは一度も
ありません。
> また全くアプローチの方法も異なる・・。
アプローチの方法が科学と異なるのであれば、そもそも「科学」ではありません。
ここまで。 以下はまた、夜にでも、できればレスします。
158 :
卵:2008/11/18(火) 00:13:32 ID:La8o+Me6
>仏教はただの哲学ではありません。神秘体験から始まらない宗教など一つもありません。
名文ですね。イティヴッタカ詩篇43を髣髴させます。
「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「生み出されたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの」として存在し、常恒ではなく、
老と死によって形成されたもの――病の巣となり、壊れ崩れるものであり、食を導きとして生起する身体――
真の喜びを得るには、それでは不十分である。
しかしながら身体からの出離は、思考の範囲を超えた、常恒なるものとして、世に存在している。
すなわち「生ぜられたもの」でなく、「生み出されたもの」でなく、憂いなく、世俗の塵を離れた境地として、世に存在している。
苦しみの諸法の止滅、生の輪廻を施設し造作する働きの寂止は、安楽である。
唯物論的仏教理解者は、つまるところ「すっぱい葡萄」なんだろうなぁ。
159 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/18(火) 12:49:51 ID:tJdbI+Tn
“仏陀の悟り”とは、
何か仏教書の解説にあるような(読めば理解できた気分になれる)
無常についてやらを、頭脳的な知的な理論として理解したなどというものではない。
それはあらゆる過去の生涯を瞬時に再体験するという超常体験なのであり、
それを宿命智通といっています。この神秘体験をゴータマは菩提樹の下で経験したのです!
(なんで仏教者らはこんなに簡単かつ明快な事項について、スパッと言わないのか!!)
その上で、輪廻転生を現実の自然界の摂理であるとして語っているのであって、
そんな人間の倫理の都合上、有効であるとしてパラモンからそのまま取り入れて利用した、
なーんてものではありません。
それを、「そんな神秘体験などはない。輪廻転生など在る筈がない。
科学的にも証明できない-されてない!」という具合に批判しているわけです。
ここには5さんと同じような人が大勢、2chの仏教関係スレ(特に原始佛教スレなど)に集まっています(笑)
「在る筈がない。渡ってみなけりゃ〜ワカラナイ!」という人には、話してもとても理解されない・・。
だから、ゴータマはこの悟りの内容を語ることを止めようかと最初は憂慮した。
「わたしのさとり得たこの法は、深遠で、理解しがたくさとりがたい。静寂であり、卓越していて
思考の領域をこえる。微妙であってただ賢者のみよくそれを知ることができる。
そのとき、この娑婆の主プラフマー神(梵天)は世尊の心中の考えを知って、こう思った。
ああ、世は滅びる。ああ、世は滅亡する。いまやまったく、如来・阿羅漢・正覚者の心は、進んで
説法するほうにてはなく、退いて静観するほうに傾いている、と。」
(サンユッタ・ニカーヤ6:1-1/説法の要請)
しかし、この話しても分らない人たちのために、
もしかしたら話せば受け入れるかもしれない多くの人々までが
この真理を知ることなく過ぎてしまうことになる・・ゴータマは思い直し、
ついにこの悟りを人々に話すことを決意した。
160 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/18(火) 12:54:02 ID:tJdbI+Tn
5さんは、
ただ単に仏典の記述(輪廻転生)が史実ではないとする意見のみならず、
やはり、元々からして唯物主義者であるとして見なしていいのでしょうか?というわけでもない?
5さんは、科学的とか客観性などいいますが・・
量子論の世界からみれば、もう古典的な自然科学の概念などは完全に崩壊しています。
唯識論の阿頼耶識、宜しく---量子論では、「客観的な事実というものはなく、(人によって)観察
されて初めて存在の状態が決まる(観察前には何も決まっていない)」といっています。確定した事
実は何一つ存在していないのです。つまり、物質が物質たり得るのは(人の)精神に認識されて初
めて状態(物質)として存在できる。
「唯物論は、---物質から<自我の自覚>が何故に現れ出るのかということを説明し得ない。
<物質>というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからである。物質を物質として
意識し理解するところのものは、<精神>である。」(青土社刊「自己の探求」より/中村 元氏)
161 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/18(火) 12:55:53 ID:tJdbI+Tn
「唯物論は、---物質から<自我の自覚>が何故に現れ出るのかということを説明し得ない。
<物質>というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからである。物質を物質として
意識し理解するところのものは、<精神>である。」(青土社刊「自己の探求」より/中村 元氏)
量子力学では「不確定性原理」といって、物質(の正体)というのは突き詰めていくほど実に不確
かで「あやふや」な状態へと行き着きます。物質のミクロの究極では、粒子であり波であるという2
重性が唱えられ、実験では観察者の思念の影響さえ受けることが確認されています。
要するに物質の究極は確定した存在ではなく、実に不確定であいまいな状態に過ぎないというこ
と。粒子に影響を与えたということは、人間の思念とは微細な質料を持つエネルギーであり、粒子
の波に干渉する波動としての性質があるということになる。
以前、「タックル」だったかな?TV番組に出演中の大槻教授がそのことを指摘されると、「それは
量子の世界での話に過ぎないからね・・超能力は存在しない!」といったんです(笑)。しかし、量子
の世界で起きた出来事というのは、紛れも無く厳然たる物質(自然)科学の範疇なのであって、これ
は十分に人間の精神が物質に影響を及ぼすことの証明になり、超能力の存在の可能性も理論的
には否定できないことになる。
「経典に書かれている」「否、認めない」・・では、
たぶん、僅か数レスで終了することになるので、ま〜よければマッタリといきましょう!
こちらもなるべく、個々の意見に対して返答するよう努めます ヽ(´ー`)ノ
162 :
神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:50:49 ID:UfXQPZro
163 :
7:2008/11/18(火) 17:54:49 ID:NfXzpYRk
>>161 唯物論ほど仏教と親和性を持つ仮説は、そうそう無いぞw
唯物論的考察は、なんら仏教に抵触しないし、
仏教も又、唯物論を否定する切り札を持ち合わせていない。
だから、業果の相続者の問題が未解決のまま2500年経っているわけで・・・。
164 :
神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 23:55:28 ID:b+sqmtgE
阿呆陀羅經自身がパーリもサンスクリットもチベット語も知らない
ド素人なんだが(嗤笑)。
165 :
神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 01:35:25 ID:bPmCYOo3
何語でも
誤謬は誤謬
虚偽は虚偽
強請り
集りの
果ては地獄ぞ
166 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/19(水) 12:13:10 ID:5u00P/1l
>>163 >唯物論的考察は、なんら仏教に抵触しないし、
>
唯物論は外道であり、それはゴータマが強く戒めたものです。
(外道とは仏教の立場から見た呼び方で、非真理を意味します)
アジタ・ケーサカンバリン(六師外道/唯物論者)
「アジタによると、人間が死ぬと、人間を構成していた地は外界の地の集合に帰り、水は水の集合に、
風は風のの集合に帰り、もろもろの機官の能力は虚空に帰入する。人間そのものは死とともに無とな
るのであって、身体のほかに死後にも独立に存在する霊魂なるものはあり得ない。愚者も賢者も身体
が破壊されると消滅し、死後には何も残らない。したがって現世も来世も存せず、善業あるいは悪業を
なしたからとて、その果報を受けることもない(仏教ではこのような見解を『断見』すなわち断滅論とよん
でいる)。」(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)
また、輪廻否定論者の議論(無記を根拠に据えた)をみていると、どうにもこのサンジャヤ(懐疑論者)
のそれと被って見えてきます。仏陀の二大弟子ともいわれたサーリプッタとモッガラーナがサンジャヤの
弟子だったといわれています。彼らの参入は仏教(理論)が不可知論を超えていることを意味します。
そして、無記の代表的な経の中でゴータマは、「説かないことは説かないが、説くことは説く」と明言し
ています。では何を説かずまた何を説いたのでしょうか?
167 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/19(水) 12:14:21 ID:5u00P/1l
サンジャヤ・ベーラッティプッタ(六師外道/(懐疑論者)
「ともかくサンジャヤはインド思想史上に初めて懐疑論者として登場した人である。かれは、『来世は
存在するか?』とかその他『生まれかわった生きものは存在するかどうか?』『善・悪業の果報は存在
するかどうか?』『人格完成者(如来)は死後に生存するかどうか?』などというような形而上学的問題
に関して質問を受けときに、ことさらに意味の把握され得ない曖昧な答弁をして、確定的な返答を与え
なかったという。かれの立場は『鰻のようにぬらぬらして捕らえ難い議論』と呼ばれ、また形而上学的問
題に関して確定的な知識を与えなかったという点で『不可知論』と称せられる。」(同)
「『マールンキャプッタよ、ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。わたしが説くことは
説くと了解せよ。』以上のことを世尊は語られた。尊者マールンキャプッタは歓喜して世尊の教説を受
け入れた。」(マッジマ・ニカーヤ63/毒矢のたとえ)
>だから、業果の相続者の問題が未解決のまま2500年経っているわけで・・・。
>
当時から唯物論者がいたことはわかるとしても、
仮にも仏弟子の流れの中では解決のまま2500年・・ということはない筈です。
これは西洋の合理主義の氾濫と和辻哲郎氏の登場といった、
恐らくごく近年の異端ではないかと思います。
168 :
卵:2008/11/19(水) 12:41:27 ID:j+bEmL/O
>当時から唯物論者がいたことはわかるとしても、
>仮にも仏弟子の流れの中では解決のまま2500年・・ということはない筈です。
>これは西洋の合理主義の氾濫と和辻哲郎氏の登場といった、
>恐らくごく近年の異端ではないかと思います。
19世紀当時、キリスト教の荒唐無稽な神話にうんざりしていた合理主義者や実証主義者たちが
発見されたパーリ経典の合理性や整合性に飛びついて、自分たちの理解に及ばない点は除外した。
どうやらこの辺が事の起こりのようですね。本邦の仏教学の歪みはその起源の明治までさかのぼります。
ここいらに蔓延するローカーヤタたちは釈尊を凡夫の境涯までこきおろす恐ろしい悪業をなしています。
理屈では理解できなくても、無意識には罪悪感をもっていますので、その苦しみから逃れるために、
さらに人々や、釈尊をこきおろすのでしょう。これこそ迷いの生存にほかなりません。
169 :
神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 13:02:54 ID:9ySX9+RB
>165
日本語も知らないヤツが源氏物語を語り、
英語も知らないヤツがシェークスピアを語るw
語るのは自由だよ
どうぞお好きに、
嘲笑の対象にすぎんがな。
ちなみに地獄なんて信じてないからw
170 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/19(水) 13:21:43 ID:5u00P/1l
卵さん、解説に感謝です!
>>167訂正
×解決のまま2500年
○未解決のまま2500年
171 :
神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 16:02:32 ID:YLAKdz37
>>165 「誤謬は誤謬、虚偽は虚偽」はその通りなんでしょうが、輪廻が誤謬で虚偽なら
何が仏教の真実なんですか?
172 :
悪寛:2008/11/19(水) 20:32:55 ID:88GdK/xh
まあ、ここに巣くっている連中では智慧は体得できず、
ハッ!!と開眼することからは最も遠いことは断言できる。
まあ、熱いフライパンの上でおきばりやすw
173 :
神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 21:28:09 ID:9ySX9+RB
>まあ、ここに巣くっている連中では智慧は体得できず、
当然、あなたもその巣くってる連中のお一人ですよね?
174 :
卵:2008/11/21(金) 11:15:09 ID:wr0ROLmb
火が消えたようなので、薪をくべてみましょう。
十無記中の如来ついて
「如来終 如来不終 如来終不終 如来亦非終非不終 」
いまさら引用する必要もありませんが、この中で「如来」の解釈について輪廻否定派は
この如来は、仏陀と衆生のことであると強弁しております。もちろんそのような事実はありません。
「如来=衆生」このようにでも解釈しないと釈尊が輪廻転生を否定された確たる証拠が他にないからであります。
事実はむしろ逆で釈尊は、迷いの衆生は生死流転(輪廻転生)するものであるとくり返しお説きになってます。
クドイほど輪廻転生が初期経典にでてくるのであります。
かつて、ある方が重箱のすみを突付いて捏ねて穿り出した「如来=衆生」の論拠を某大学の教授にお伺いを立てて
懇切丁寧に否定された挙句に、さらに食い下がるもスルーされるということが御座いました。
傍目に見ても悲しい出来事で御座いました。 この方は、よそのサイトでも得々として「如来=衆生」説を展開していらっしゃいましたので、
かなり御辛かったのではないかと、心中察するにあまりあるものです。
丁度、本スレ
>>165に、このような不幸なことが再び起きないようにとも受け取れる警句が御座います。
見事な出来栄えですので、ここにもう一度引用させていただきます。
何語でも 誤謬は誤謬 虚偽は虚偽
強請り 集りの 果ては地獄ぞ
ありがとうございました。
*しかし、最近では輪廻転生を否定仕切れなくなったのか、輪廻を消極的に肯定、さらに曲解し、輪廻と転生を分けて考えてゆこうという苦しい立場に立たされております。
文脈は素直に受け取ればよいのにね。
175 :
卵:2008/11/21(金) 11:26:44 ID:AS/Rzfi+
小生のカキコミがお気に障りましたら、小生の不徳の致す所です。
どうか、ご寛容に。
176 :
神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 11:37:35 ID:wbjVxz/D
某大学の教授って、例のデータベース屋さんの某「大家」?
喪家風にいえば「去年の暦」のw
寝ボケたこと言ってると、カルトの広告塔に利用されるから、学者稼業も大変だなw
177 :
神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 11:59:12 ID:lZ7dzoN3
178 :
卵:2008/11/21(金) 12:52:54 ID:PROplOKo
火が点きましたか。
荒れない程度に、どんどんいきましょう。
179 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/21(金) 12:56:02 ID:Hr3d55b6
>>174 >かつて、ある方が重箱のすみを突付いて捏ねて穿り出した「如来=衆生」の論拠を某大学の教授にお伺いを立てて
>懇切丁寧に否定された挙句に、さらに食い下がるもスルーされるということが御座いました。
この、ある方というのはアホダラ氏じゃないですか?
アホダラ氏も「如来=衆生」の持論の持ち主です。
古層の仏典の解釈を、某大学の教授に求めるってのも、ある意味酷な気がしますが。
普通はスルーしますよね。
「アタリマエ」のサイトに書込みしたことがありましたけど、
これもスルーされてましたから。
アホダラ氏の特徴的なのは、
衆生にも階級がある。ってとこでしょうか?
そうすると「如来=衆生」が矛盾します。
「如来>衆生」。←これが根底になりますね。
だけど、仏教オタの執念というのか・・・
ある意味、拙者は尊敬してます。
いや、皮肉ではありません。
マジでそう思います。
180 :
神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 14:22:15 ID:wbjVxz/D
ツクエは外道確定。
つまり無縁の衆生ww
181 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/22(土) 13:03:53 ID:q/DTCmJM
---輪廻転生に対する否定的根拠---
1.仏陀は「無我」といってアートマン存在を否定した。よって輪廻転生する主体そのものが認め
られないから、輪廻転生もない。
2.仏陀は「無常」を説いているので、アートマンのような輪廻転生する永続的な実体を認めない。
3.仏陀は、形而上学的問題に対しては無益なものとして沈黙とする「無記」の姿勢をとった。
よって輪廻転生についても説くとは考えられない。
4.最古層の経典(スッタニパータ第4-5章)には輪廻転生の記述が少なく、輪廻を想定させる記述
においても輪廻転生そのものを説く趣旨のものはない。
5.最古層の経典(同)には、業に関する記述が皆無である。
6.最古層の経典(同)には、輪廻を表す語「サンサーラ(samsara)」が皆無である。
7.仏陀が初転法輪で説いたものは「四諦・八正道」であって輪廻転生ではなかった。このことから
も仏陀が輪廻転生を重視していたとは見受けられない。
182 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/22(土) 13:05:56 ID:q/DTCmJM
上記に列記したのが、
私がこれまでに出会った輪廻転生に対する否定的根拠の事例です。
(このスレで頂いた指摘も含めています)
他にもまだある、という方は是非、それを取り上げて頂きたいと思います。
(教えて下さい!)
私なりの回答としては、
ある程度はすでに述べてはきていますが、しかし、まだ十分ではありせん。
また、5.6.7についてはまだ一切、触れてはいません。
これらの問題に対して、明快な解答ができる方やご意見のある方は歓迎します。
積極的な投稿を宜しくお願い致します。
5.「業」(カルマン)の指摘については、
4章903 904 950 966 970/5章984 990 996にはある、という情報を見つけましたが、
私自身はまだ確認(作業)をしていません。
また、無記の教え、
「マッジマ・ニカーヤ63/毒矢のたとえ」の中での「如来」については、
桜部 建氏による注釈によれば、このようになっていました。
「原語tatha^gataは普通『如来』と訳される語で、仏陀の呼称として用いられるが、ここでは必ずし
も仏陀を意味するのではなく、ひろく一般的に人間を意味すると思われるので、『人』と訳した。」
(「バラモン経典原始仏典」P473-中央公論社刊)
183 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/22(土) 13:24:38 ID:q/DTCmJM
ここのところ、少し投稿が途絶えていますが、
私自身は5さんが摂る姿勢そのものについては、とても評価しています。
私もキリスト教世界のように聖書を絶対視して疑うことを許さず、
圧倒的な権力で弾圧して排除してきた姿勢には断固として反対します。
仏典だからと鵜呑みにせず、また逆に過剰な懐疑心も素直さが無くちょっとどうかと思います・・。
できれば、納得できる状況になることが最善なことはいうまでもありません。
どんな批判的な指摘があっても全てに明快に解答できることが理想です。
ご協力を宜しくお願い致します。
184 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/22(土) 15:00:55 ID:q/DTCmJM
>>168 >19世紀当時、キリスト教の荒唐無稽な神話にうんざりしていた合理主義者や実証主義者たちが
>発見されたパーリ経典の合理性や整合性に飛びついて、自分たちの理解に及ばない点は除外した。
>どうやらこの辺が事の起こりのようですね。本邦の仏教学の歪みはその起源の明治までさかのぼります。
>ここいらに蔓延するローカーヤタたちは釈尊を凡夫の境涯までこきおろす恐ろしい悪業をなしています。
>
で、卵さんによる指摘もありましたが、
もしも、
ゴータマの教説から輪廻転生についての教えを全て排除し、
また神秘な部分(神通力など)などについても、
それらは後世による附加と仏陀としての神格化に過ぎないもの、
と見なした場合にはどうなるのかというと・・
そこに残るのは、
ただの「俗人」か「道徳の人」といった存在に過ぎないだろうと思います。
哲学者という言い方は可能でしょうが、では何のために出家までして厳しい修行を積むのか?
185 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/22(土) 15:03:13 ID:q/DTCmJM
それから時折り、
中村 元氏を、仏教から神秘性を排除する輪廻転生の否定派にとっても
有利な見解を示す学者、というようなニュアンスの意見を見ます。
しかし、私の理解によれば、中村氏は原始仏典はアートマン(自己としての)を積極的に肯定する
立場をとっており、ウパニシャッドのアートマン存在についても否定していない。
仏陀は、「アートマンではないものと自己を同一視してはならない」という意味での「非我」(無我)を
説いた。原始仏典においては輪廻転生の思想を継承しており(輪廻の姿を如実に知った人が仏陀
である)、輪廻からの解脱(不死の境地)を説いたと述べています。
「解脱の境地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタニ
パータ:484)である。この究極の境地は、『不滅の領域』、『不滅の境地』といい、あるいは単に『不死』
とも称する。また単に『不老』ともいうのである。」
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)
「《これは最後の生存であり、もはや再び生を享けることはない》ということを、この世で如実に知って
いる人々、──彼らに時々供物をささげよ。福徳を求めるバラモンはかれらを供養せよ。」
(スッタニパータ502)
参考:中村 元氏について
中村 元氏(東方学院設立者)
http://www.toho.or.jp/nakamura/keireki.html 中村元先生、逝く
http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_B035.htm 現代のブッダ逝く--中村元さんを偲ぶ
http://www.st.rim.or.jp/~success/nakamura_hajime.html
186 :
卵:2008/11/22(土) 22:36:34 ID:DX9dA/3W
>4.最古層の経典(スッタニパータ第4-5章)には輪廻転生の記述が少なく、輪廻を想定させる記述
においても輪廻転生そのものを説く趣旨のものはない。
>5.最古層の経典(同)には、業に関する記述が皆無である。
>6.最古層の経典(同)には、輪廻を表す語「サンサーラ(samsara)」が皆無である
このへんの論旨は「ゴータマ・ブッダ考」並川孝儀 からの出典ですね。私は読んでおりませんが。
これについては四方山な雑談ではありますが、面白い書評がありましたので、ご参考まで。
↓■ゴータマ・ブッダ考』をめぐって
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20060402
187 :
神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 23:41:10 ID:s3d4QSSF
188 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/23(日) 00:11:21 ID:t9VfNkzo
もし諸行が輪廻するのであれば、それらは常住永遠に存するものであって、輪廻しない事になる。
また無常なるものどもは輪廻しない。
衆生に関しても、この関係は同じである。
中論16章より
189 :
卵:2008/11/23(日) 09:06:26 ID:SBqaPEe5
「ぼんさんが屁をこいた人をたしなめはった。」
という文章があるとします。
この文章から、「ぼんさんが屁をこいた」のみを抽出します。
この事実をもって「屁をこいたのは、ぼんさんである」と世間にしらしめます。
ほとんどの人がこの類の間違いをおかしているのです。
>>35 >諸行無常についての誤解
>これはニルヴァーナに到達した存在、すなわち「仏陀」以外のすべてについてを指す
>ということを仏教者は忘れている。従ってニルヴァーナ意識境は永久の世界であり、
>仏陀は不滅の存在です。
なぜ
・仏陀だけは不滅の存在
・ニルヴァーナ意識境は永久の世界
なのか納得できないから、馬鹿なオラにもわかるように説明してくれ。
191 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 11:13:52 ID:S0iAVLKS
釈尊がもし輪廻思想を明確に否定しているのなら
その点で、バラモンやジャイナから猛烈に批判されているでしょうね。
しかし、彼らの批判は「アートマンを認めないのに解脱や輪廻があるのはどういうこと?」
という点。
まあ、釈迦在世とパラレルな資料が乏しいからなんとも言えないが。
192 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 11:41:20 ID:ZgZe3k7a
隠れオウム工作員乙!
193 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/23(日) 12:15:08 ID:HMCqhK08
>>188 >>190へ---
>>185も再読して下さい!
(こんなところでいい?)
-----「無常」とは
一切は無常であるから永久不滅のものを認めないのが仏教だという人がいます。
これはとてもよく見られる話なのですが、そこだけしか見ないから人々は誤解するのです。
涅槃も仏陀も無常などと誤解してると仏教は成立しません。
「無常」とは、現象界のあらゆる存在は同一性を保持できず常に変移しているという実体を示すもの
で、その一時期の姿(状態)は縁起に拠るものだ、といっています。
仏教はそのことを知り、これらの現象に執着せずに離れ、最終的には「このような現象界からの完全
な解脱」を目標にします。従って、無常なる現象界を脱した境地であるところの「ニルヴァーナ」(涅槃)
とは、その逆の「永久不滅の状態」なのです。
よって縁起に拠る変移とは、人の場合においては流転する輪廻転生の状態を意味します。「水」「蒸
気」「氷」と変移する様は、人においては「生まれ変わり」を繰り返す衆生の姿です。縁起があるうちは
転生は止まないが、転生する縁起がなくなれば再生せず、人は生死を超越します(仏陀と呼ばれる)。
「無常説は必ずしも仏教のみの説いたところではなかった。ウパニシャッドやバガヴァッド・ギーターに
も説かれている。ただバラモン教の哲人は、世の中のものはすべて無常であるが、ブラフマンあるい
は最高の神と諸の霊魂は常住不変なものであると考えていた。ところが、仏教はそれらの説をも否認
したのである。
『諸のつくられたものは無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じては滅びる。それらの静
まることが安楽である。』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ6:10、テーラ・ガーター1159、サンユッタ・
ニカーヤ1-5etc.)」
(「原始仏教-その思想と生活/無常説」中村 元著/NHKブックス)
私の理解では、バラモン教はアートマンを永久不滅と説いたが、仏教では「ニルヴァーナ」(それらの
静まることが安楽=涅槃)がそれであるとした。尚、アートマン存在は縁起が滅して転生が止めば解消
して消滅します。
194 :
卵:2008/11/23(日) 12:45:30 ID:HAcKNbsg
「輪廻転生説こそ仏教の腫瘍でカルトの温床であるから排除するべき」とするのは、「こんにゃくゼリーこそ危険な食物であるから販売禁止」とするのと同レベルでしょう。
195 :
卵:2008/11/23(日) 13:01:37 ID:HAcKNbsg
196 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/23(日) 13:07:26 ID:HMCqhK08
>>194 だから、「輪廻転生説はカルトだ!オウムと同じだ!」って批難してるわけですね!!
187-192ってのは? あ〜おかげさまでたった今、分りました(笑)
実際、輪廻転生排除論こそ信仰宗教なんですけどね。。。
ハハハッ(笑)
こんにゃくゼリーは悪くないと思うけどね^^
アメリカの訴訟のレベルかな?それじゃー何も食べられない。
>↓■ゴータマ・ブッダ考』をめぐって
>
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20060402 >
これはとてもいい情報でした。いろいろと読ませて頂いています(大感謝 !!)
197 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 13:40:23 ID:ZgZe3k7a
198 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 14:57:08 ID:S0iAVLKS
>197
彼らが「オウムである」とあなたが信じる根拠は?
主観でかまいませんので教えて下さい。
参考にしますので、御願いします。
199 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:24:00 ID:ZgZe3k7a
>>198 例の瞑想セクト、流れ込んだオウム信者もろとも公安の監視対象なのを知らんのか?
200 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:59:02 ID:ZgZe3k7a
それに
>>195のリンク先の更にリンク先の「学者先生」は、鼻息荒く世に出したトンデモ本で笑い者になった後、
堅気の出版社から軒並み干されて、例の瞑想カルトの御用ライターに成り下がったけどね(笑)。
201 :
5:2008/11/23(日) 17:13:59 ID:bsLzV6we
さてと、暫く間が開いてしまいましたが、一つずつ、書き込みしましょう。
>>155 >5さんがもし、仏教そのものに対する否定論者なのであれば、
それはもちろん全くご自由に!ということなのです。
私は仏教否定論者であると書いたことは一度もありません。
>>160 >量子論の世界からみれば、もう古典的な自然科学の概念などは完全に崩壊しています。
これは、どういう意味で言ってるのか解かりませんが、ニュートン力学も
相対性理論も現在でも、りっぱに役にたっています。
>つまり、物質が物質たり得るのは(人の)精神に認識されて初
めて状態(物質)として存在できる。
唯識では、このように唯心論的にとらえますが、科学では勿論
これは誤りです。
>>161 >実験では観察者の思念の影響さえ受けることが確認されています。
はい、これは全くの間違いです。いったい、どこの「とんでも学者」さん
ですか?
202 :
5:2008/11/23(日) 17:15:58 ID:bsLzV6we
>粒子に影響を与えたということは、人間の思念とは微細な質料を持つエネルギーであり、粒子
の波に干渉する波動としての性質があるということになる。
現時点では、何の論拠もない妄想です。
>大槻教授がそのことを指摘されると、「それは
量子の世界での話に過ぎないからね・・超能力は存在しない!」といったんです(笑)。
何を笑われてるのか、解かりませんが、ここでの教授の発言は、おかしいもの
ではありませんよ。素粒子レベルにおいて起きる不可思議な現象(例えば局所
性問題)が、我々のレベルではなぜ起こり得ないのか?これは、世界中の学者
たちが、それぞれの立場にたち論じておりますが、少なくとも素粒子レベルで
の現象は我々のレベルでは起こらないことについては一致しております。
(もちろん、とんでも学者さんは除きますが)
203 :
5:2008/11/23(日) 17:16:33 ID:bsLzV6we
>十分に人間の精神が物質に影響を及ぼすことの証明になり、
なりません。「精神、思念」が物質に干渉した実例は皆無です。
スレ主さんは、どうしても釈迦を超能力者にしたいようですが、
科学的知見からは、それを肯定する論拠はありません。
他スレでも心霊現象、超能力肯定派の人たちと議論してきましたが
彼らに共通する属性として、しばしば量力を持ち出します。
おそらく量力の未解明部分と心霊や超能力の不可思議さがシンクロ
するのでしょうが、その言ってることは何の論理的整合性をもちません。
もう一度ドイツ鉄鋼史から、勉強しなおさなくてはいけません。
204 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 17:33:13 ID:S0iAVLKS
>200
なるほどそういういきさつがあったのですね。
205 :
卵:2008/11/23(日) 17:58:24 ID:vJJzTYiO
>>200 あらま。そりゃ失態ですね。
引用先の学者先生の胡散臭そうな顔が気に食わなかったので、どうかとは思ったのですが。
なるほど、と思われるところだけ汲み取ってくださいませ。
206 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 18:56:54 ID:ZgZe3k7a
>>205 バキュームカーじゃあるまいし…w
汲み取るとこなんか皆無なんで事実と内情を書き込んだまで。
せいぜい監視対象ライフを楽しんでくれたまえ(笑)
207 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 19:20:00 ID:Y17kqvMq
だいたい霊魂って本当にあるの〜、霊魂があったとして宇宙の意識は魂のリサイクルのような輪廻転生のような仕組み作ったんだろうか。
良いミジンコはまた人間に生まれ変わるっていうけど、誰がミジンコが良い悪い判断するわけ?不可解な疑問ばかりあるけど、
だいたい霊魂の生まれ変わりの教えの起源って古代バビロンからなんだって聞いたけど、ニムロデと息子タンムズ、太陽崇拝に母子崇拝もバビロン起源って知ってた?
偽りの宗教起源説
208 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 19:27:48 ID:Y17kqvMq
生まれ変わり前の記憶があるという変な人がたまにいるけど、大概は妄想か精神異常ですって知ってる?
だいたい生まれ変わり前の記憶が全て抹消されるってことは、過去の記憶で生きていた意味ないジャン。意味わかる?わたしの前世がケロヨンカエルだとして、良いケロヨンな私が人間に生まれ変わるって変じゃない?
それに、こんなに悪い人ばかりなのに なんで、人口が増加するの?
地球が誕生する前の霊魂って何処で何していたの 地球が滅亡したら何処で輪廻転生するの?
209 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 19:37:36 ID:Y17kqvMq
たとえば創価学会の人は天国も地獄も存在しないというけど、あの正宗から破門された在日朝鮮カルトな人々は、死んだら、即 また学会員の家庭の胎児として生まれ変わるって信じているけど、変じゃない?
池田豚作って日蓮大聖人様の生まれ変わりだと非公式に唱えているそうだけど、鯛の浦の樹齢500年程の杉の木に向かって、よっ元気か?と日蓮の生まれ変わりを演出するような詐欺行為をしたって聴いたけど、日蓮の頃はまだ小枝にもなっていなかったのにトリックを使って酷い豚作
210 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 19:50:59 ID:S0iAVLKS
宇宙の意識って何?
211 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 20:00:04 ID:Y17kqvMq
宇宙の意識
サムシング・グレイト
偉大なる何か
学会員は宇宙生命っていうけど、久遠実成の仏とかルシャナ仏 大日如来とか、聖書のエホバ ヤハウェ、イスラムのアッラー、
だと思う。
手塚治虫の火の鳥では、宇宙意思と言ってました。マサルという人間が宇宙意思を体現した 神のようなものになって進化の過程を見守り 輪廻転生を見事に現出させましたが、矛盾だらけで学問的には話にならなかった
212 :
卵:2008/11/23(日) 20:18:18 ID:87zgBZRp
ふんむ。
昭和初期には、輪廻否定・解脱(悟)否定・縁起説偏重のコンボは仏教の共産化を危惧されて批判されたものですが、当世はカルトに絡めて斜視するので無我・輪廻のデリケートな構造が理解されにくい向きがありますね。
じつは、ちょっと前から引用してみたかった文章がありまして、さっき変なとこから引用スンナって言われたところなので言われついでに(初期経典重視の本スレとは趣が違いますが)ご紹介してみたいと思います。
「釈迦は輪廻転生を肯定してる?」
http://www.geocities.jp/jfcps873/kanren2/shakarinne.html 出典が2chかよって感じですが、なかなかどうしてこのスレの「元祖よこはま」氏のレスは光ってます。
伝統的な無我輪廻の構造をよくとらえています。お口直しになればと存じます。
213 :
神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 21:20:00 ID:Y17kqvMq
バラモン教では、支配階層は来世もバラモンとして生まれ変わり 奴隷は動物や虫、奴隷階層に生まれ変わると まるで目に見えない鎖で人間の魂まで支配しようと政治的企みがある。そんな輪廻に疑問をもって出家したのが釈尊苦行の末、ボダイ樹の木下で悟りに達します
214 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/11/23(日) 22:38:14 ID:t9VfNkzo
束縛された者は解脱することが無い。
束縛されていない者も、解脱することはない。
もしも束縛された者がいま現に解脱しつつあるのであるならば、
束縛と解脱とは同時であるということになるであろう。
「私は執著の無いものとなって、ニルバーナに入るであろう。
私にはニルバーナが存するであろう」と、こういう偏見を有する人には、
執著という大きな偏見が起こる。
中論16章より。
これでも未だ判らないなら仕方ないな。(笑
(^。^;)
>185
いいかげん嘲わせていただきましたが、この段で絶句。
>しかし、私の理解によれば、中村氏は原始仏典はアートマン(自己としての)を積極的に肯定する
立場をとっており、ウパニシャッドのアートマン存在についても否定していない。
アートマンとは何か。特にウパニシャドの文脈でいうアートマンはブラフマンと対にして
考えなければ理解できません。
当然そのような意味でのアートマンを、沙門であるゴータマが認めるわけはないし、
阿含の中で彼が認めたと思しき記述にであったことも私はありません。
印哲の初歩の初歩から勉強し直したほうがよろしいのではありませんか?
216 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 00:09:49 ID:urINcd6z
本日、古代エジプト展をみてきた。
生まれかわり妄想は同じでも、
エジプト人は生まれかわりを希求し、
インド人は生まれかわりを拒否した。
正反対だ。
何故か?
エジプト人は征服した奴隷を無視して、権力階級の欲望=文化を創って生まれかわりを希求し、
(こんなエエ思いは亦もっとやりたい! プラグマチスト中国人も同じ、輪廻転生大歓迎!)
アーリア人は征服した奴隷をカースト制度で縛り上げる合理化論理として輪廻転生論を利用した。
生きることは苦しいだろう! いやだったら、もう苦しまないように(権力者に好都合なように)「正しく」生きろ!
(奴隷教化のイソップ物語と同じだ)
社会経済的構造分析抜きの、手前勝手な形式文献床屋談義には愛想が尽きる。
いずれにしてもアキメクラがつくるまったく無駄、ゴミの山、アフォの山。
217 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 00:16:50 ID:urINcd6z
しかし、ここは寺和田をはじめとするカルト丸出しがはびこってますなあwww
戯論丸出しですなあw
218 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 01:19:20 ID:w43Ul4zN
>>215 ゴータマがバラモン教を否定したとか、アートマン存在を否定したとか
そんな説明がよくなされていることは、この私も百も承知でいっているのです。
>>原始仏典はアートマン(自己としての)を積極的に肯定する立場をとっており、
>
これは、
「自己の利を知って常に自己の利に専念せよ。たとえいかに大事であろうとも、自己ならざる他のもの
の利の故に、自己の利をすて去ってはならぬ。」(ダンマパダ166)
「もしも自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(サンユッタ・ニカーヤ1-72)
「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられることなく、
賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ3-373)
「迷妄にとらわれて自己を害している人が、もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、
賢者もそうするがよかろう。」(スッタニパータ583)
などとして使われ、
このような表現の在り方はウパニシャッドにおけるものとあまりにも酷似しているということ
(というよりは、ウパニシャッドの表現をそのままに継承している)。
またインドのバラモン教、ジャイナ教、そして仏教のいずれにおいても、
「真実の自己(アートマン)の探求」こそが唯一にして同一の目標テーマとしているのです。
>>ウパニシャッドのアートマン存在についても否定していない。
>
ゴータマが説いたものとは、
「《これはわがアートマンである》と執しないならば、苦しみが現に生じつつあるときには、苦しみが生
ずると見、苦しみが現に滅しつつあるときには、苦しみが滅すると見て、惑わず、疑わず、他によること
なくして、ここの智が生ずる。これだけのことによって正しい見解が起こるのである。」
(サンユッタ・ニカーヤ2-17)
219 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 01:20:08 ID:w43Ul4zN
といったものです。
ゴータマは、「それはアートマンではない」「それは自己ではない」といい、
「アートマンではないものと自己を同一視することなかれ」としか説いていません。
これと同じ主旨の経文ならば、他にもいくらでも提示できますよ(記述が大変)。
私は、ゴータマは「アートマン存在は否定していない」といったまでのこと。
「初期仏教においては、このように《これ》として具体的に、あるいは対照的客体的に、示して見せるこ
とのできるいかなるものも、アートマン(自己)ではない。それはアートマンとは異なった他のものである。
またそれはアートマンに属するのでもない、と説いているのである。」
---さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アート
マンをアートマンと見なすことは、正しいことではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を認めてお
り、原始仏教においては自己を自己として追求することが正しい実践目標として示されている。
---かりに『無我説』と呼ぶにしても、それは決して『アートマンが存在しない』と主張したのではない。
ただ客観的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。」
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)
>印哲の初歩の初歩から勉強し直したほうがよろしいのではありませんか?
>
わたしは、確かに不勉強は認めますが、
これらはかりにも、中村氏がNHK/FM放送において原始仏教の解説をした内容ですよ。
果たして一体、どちらが「印哲の初歩の初歩から勉強し直したほうが」いいのでしょうか?
この言葉は、そっくりそのままあなたにお返しします。
>>84も再度、参照して下さい!
「例えばブッダの根本教説のひとつとされる「無我」の教えについていえば、それは無主体とか無霊魂とい
うことではなかった。無我の「我」とはウパニシャッドの哲学に説く絶対原理であるアートマンのことである。」
(インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
220 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 01:36:56 ID:063Xfqur
>>212 オカルトセクトは、デリケートもへったくれない単なる監視対象。
ここで頑張れば頑張るほど注視の度合いがキツくなる(笑)。
221 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 02:43:56 ID:RlLnKOoZ
創価学会員は死んだなら即 創価学会員の家庭の妊婦の胎児として生まれ変わり…
新たなるバラモンカースト制度の誕生です!しかも聴くところによると池田大作先生がお亡くなりになった場合即大作氏の霊魂?は学会員の男女の性交の現場で受胎し、人間として生まれ変わるという。まるで創価版ダライラマ思想だな
こんなアホなカルト集団がオーム真理よろしく浅原大作氏によって与党公明党として日本を私物化している脅威を感じるのだが…不気味なカルト集団在日朝鮮宗教創価学会
222 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 02:55:12 ID:RlLnKOoZ
友人葬…プッ(^O^)ww
vようするに日蓮正宗の坊を呼べないから方便かよ、気の毒な
成仏しないで浮遊霊となって最終的に阿修羅畜生餓鬼地獄道行きらしいよ、何が即人間に生まれ変わるだか御都合主義でとうとう錯脳したか
現証は悲惨過ぎるな、あまりに悲惨過ぎる交通事故死 定年前に病死が多く学会員の半数は未亡人ばかりとか
血脈無視して学会製偽御本尊拝んでいたんじゃ日蓮大聖人様の怒りに触れるだろうよ
南無妙法蓮華経
223 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 03:26:42 ID:w43Ul4zN
>>208 知ってるとは思いますが・・
残念ながら仏典では、そういう疑問については解答はしていません。
ただ参考程度として、神智学的理解やその他からはこういう説明は可能です。
(仏典に説かれてないことでも意見を述べて欲しい、という要望もあるのでそうします。
ただし、受け入れる必要は全くありません)。
>生まれ変わり前の記憶があるという
>
基本原則としては、誕生したら前世の記憶はなくなるようになっています。
そうでなければ人間関係がグチャグチャとなって、正常な人生の生活を過ごせません。
今生とはリベンジの機会であり、そして正しい人生経験を得るチャンスは与えられています。
ただし、前世における果報が帳消しにされているわけではなくて、
生まれと同時に与えられる環境、そして成長して人生を歩む過程において出来事として与えられます。
稀にイレギュラーで前世の記憶を持つという話はあります。
これについては科学的な追跡調査は可能でしょう
(知り得る筈のない情報を語り、それが真実であることが確認されれば
前世の記憶としての可能性を肯定することになる)。
私は読んでませんが、
ブライアン・L・ワイス博士(コロンビア大学を卒業後、エール大学医学部で医学博士号を取得。 ニュー
ヨーク大学ベルビュー医療センターでインターン、エール大学医学部の精神医学科で医学実習生となる)
の著作、「前世療法---米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘/PHP文庫刊」などは面白そうです。
224 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 03:28:46 ID:w43Ul4zN
>良いケロヨンな私が人間に生まれ変わるって変じゃない?
>
動物から人間に転生したり、その逆が起こることはないです。
再生誕とは霊的進化の法則に拠っているのであって、下等生命から人間に転生したりはしません。
>なんで、人口が増加するの?
>
魂の数は600億あり、現在はその内の約56億人だけが転生しています(他は待機中)。
>地球が誕生する前の霊魂って何処で何していたの
>地球が滅亡したら何処で輪廻転生するの?
>
この地球は太陽系の10在る進化系の一つで、一つの進化系にはそれぞれ7つの天体を抱えてい
ます(濃密物質天体、以外は通常の視力では捉えられない)。現在の地球に転生する以前には、同
進化系の他の天体において濃密物質体ではない体に転生していました。この太陽系での生命は約
20億年といわれています。地球が壊滅したり、人類が死滅しようとも、再び人類が発生する段階から
続きが始まるだけのことです。濃密物質界の外では時間は存在しないので何も問題はない。また或
いは、他の天体で発生(している)人類へと転生するかもしれません。
何れにせよ、卒業できるまでは決して転生が止むことはありません。
225 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 03:29:18 ID:RlLnKOoZ
日蓮正宗から破門された創価学会に価値無し。ただの解散勧告された在日朝鮮人幹部による洗脳集団 反社会的カルト集団 池田大作と創価学会 公明党
226 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 03:33:23 ID:w43Ul4zN
>>146-147 あわせてここで、5さんからの質問にも回答します。
>スレ主さんは、地球外生命への(または、からの)転生も認めておられるようですが、
>すると中には、宇宙人の業を背負っている人も現在いるということになりますが?
>
これも一定の法則化でなされており、地球から他の天体へと雑多に転生して行き来したりしません。
いきなり別の星に転生していくことはないので心配は無用です。
>人間と他の生命を何をもって区別しますか?知能ですか?
>これは生物学てきにも大変難しい問題なのですが。
>
生物学的(肉体的外見上)というよりは、魂の内包の有無の違いによります。
人間以外の生物には、まだ魂と呼べるレベルにある状態の生命エネルギーはないのです。
動物界においては、まだ「個」として分離してはいなくて、
各々の生命活動による経験は一つなるオーバーソウル(超魂)へと吸収、集約されます。
227 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 03:38:29 ID:RlLnKOoZ
>>224 科学的根拠は?
或いは単なる妄想か?
>良いケロヨン
悪いケロヨン 良いミジンコ 悪いミジンコ
って最終的に誰が決めるの?そもそも、600億の魂が人間として生まれ変わるって誰が決めたの?エホバ?久遠実成仏?
ちりめんじゃこ食いながら、この一匹一匹が元は人間で恵美ちゃんや政男君だったのだろうか と思うと人間性を冒とくした悪魔の教えにしか思えないんだが生まれ変わり輪廻転生って
228 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 03:57:28 ID:RlLnKOoZ
仏陀は死後の生命について何も答えていない。
自身の骨が仏シャリとして仏塔に埋葬されて世界各地で拝まれるとは。まして、仏陀自身が妙法の説く久遠実成の永遠の仏にされて、時に日蓮となって生まれ変わったり、現代は池田大作として人間界に生まれ変わって人類を導くなんて妄想に付き合う道理はない
229 :
5:2008/11/24(月) 04:37:15 ID:ZMYUCcMf
>>223 >>224 >>226 の書き込みには、本当に驚きました。
スレ主さんは、本当に以上のような説を信じているのですか?
>魂の数は600億あり、現在はその内の約56億人だけが転生しています(他は待機中)。
いったい誰が、数えたのですか?魂の数は本当は700億だったり、してませんか?
数え間違いは? 地球の人口だけでも約65億人。すると約9億人ほど魂がない
計算になりますが。
その他、まさに突っ込みどころ満載といったところなんですが、
これはもう、仏教でもなんでもありません。
本当に単なるカルト集団か、なんかの教義にしか聞こえませんよ。
初め読んだときは、オカルト板かと見間違うばかりでした。
なんと言いますか、なんの論拠もなく、妄想を書き連ねているに
すぎません。釈迦が聞いたら、腰ぬかすと思いますよ。
これがスレ主さんの輪廻業報思想を支える説であるならば
もう仏典の検証、仏教的視野にたった議論など、何の意味
も、もちません。
後はもう、223、 224、 226に書いて有ることを信じるかどうか
だけです。
230 :
卵:2008/11/24(月) 08:07:31 ID:svxRhJcB
あらら、こりゃ大変だわ。
1さんに不足していると思われる所を述べて暫し静観するとしましょう。
無我輪廻は霊魂論ではないことを勉強してた上で、伝統的な仏教の立脚点が確立されていないと難しい。
上に挙げた参考資料など足がかりに頑張ってみてください。
羹に懲りて膾を吹いている人たちの転換症状を引き起こした要因は私の引用でもあるようですので、その点について1さんにご容赦ねがいます。
>>218-219 そのような「自己」の用法と、ウパニシャドの文脈での「アートマン」の
語義とは当然のことながら区別されるべきものです。
そうしなければ言葉による表現が成り立ちませんから。
そんなことは阿毘達磨文献から最後期の論書に至るまで注意書きのように
当たり前で書いてあることですからいちいち書きませんが。
アートマンという言葉が使ってあるからといって、
ブラフマンが展開した現象存在に内在する永遠不変の実体としてのアートマン
(言い換えれば、ブラフマンのコピー)
を、ゴータマが認めていることにはなりません。そんなものを認めれば縁起なんて
成り立ちませんし、カーストの別によって解脱が異なると主張しないといけなくなるし、
阿含と抵触しまくってしまいます。
なにか等身大の釈迦から離れ、恣意的な解釈で神秘主義、現実主義な存在にされているのでは?
という感じはある。
重要なのは、当時の常識と今の常識は違うということじゃないだろうか?
当時信じられていた五火二道説をみれば、理屈として完全に間違っているとも言えない。
諸行無常は本当に真理かどうか当時の科学ではわからない。
無記のような考え方もあったわけだし、ある程度妥協し柔軟に対応しているんじゃないかなと。
233 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 09:33:23 ID:063Xfqur
>>230 焦ってトチ狂ったオカルトバカだろうがトンデモセンセーだろうが、営業戦略上庇ってやらなきゃならんし、隠れオウムもご苦労さんなこった(笑)
でも容赦なく監視され続けるんだけどね(笑)
234 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 09:41:25 ID:063Xfqur
羹に懲りて膾を吹いてるというより、今更オカルトとかトンデモの宣伝や印象操作に取り合わない
学習能力を身につけてる人が増えてるんじゃないかな。マインドハッカーは門前払いしないとね(笑)
235 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 10:47:19 ID:RlLnKOoZ
だいたい大乗仏教経典の代表 妙法蓮華経などは釈迦没後千年以上立った西暦50〜150年頃編纂成立らしいじゃないか。口伝で伝承されたと言っているが
平安時代のお坊さんの教えを21世紀になって初めて企画出版したみたいなもので、どれ程価値あるのだろうか。
本来の釈迦の素朴な教えである小乗仏教と
大乗仏教とではあまりに大きな溝があり、妙法蓮華経などは、釈尊と呼ばれる全く別人な釈迦をありがたく絶対神にしている、トンデもな教えである!
236 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 10:55:14 ID:RlLnKOoZ
237 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 11:27:01 ID:RlLnKOoZ
在日朝鮮人池田大作が民衆救済の久遠実成の生き仏で、日蓮大聖人様の生まれ変わり輪廻転生されたと妄想を信じて公明党を駆使して日本の国政を牛耳る創価学会に反対します!
238 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 11:29:50 ID:063Xfqur
現形のパーリ経典の方が漢訳の大乗経典よりも編集がずっと新しいらしいぞ。
大乗経典が釈迦の直説でないことが、パーリ経典を正当化出来る証拠には全くならないんだけど(笑)
239 :
某ピカ:2008/11/24(月) 11:45:56 ID:YPa0tWVQ
/) /)
/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | <
>>1 普段、死後の天上界・地獄界や前世の業報を説きながら、
(〇 〜 〇 | \ 「毒矢のたとえ」にみられるように
/ | わざと煙に巻いて人を振り回す奴だったのでわ。
| |_/ | 穢いカルト教祖がテキトウに説いたことを難しい顔して
まじめに取り組まないほうがいいのでわ。
240 :
某ピカ:2008/11/24(月) 11:54:59 ID:YPa0tWVQ
/) /)
/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | < 「普段、死後の天上界・地獄界や前世の業報を説いている
(〇 〜 〇 | \ じゃないですか。これは死後生・輪廻転生があるということですよね?」
/ | と問われると、「対機説法といってその当時民衆に信じられていることを
| |_/ | もとにわかりやすく説いたのだ」などと民衆のせいにするだろうピカよw
241 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 13:45:00 ID:063Xfqur
それに例の瞑想セクト、青年部のリーダーの投身自殺を箝口令を出して秘匿してるんでしょ。
カルトの腐臭がプンプンするよ。
242 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:06:00 ID:ZJYyXr/d
通りすがりの者ですが、気になったことがありましたので一言。
ブラヴァツキーとかブライアン・L・ワイスの名前が出てきた時点で、というより、それらを鵜呑みにしている時点でオカルトに興味を持つ者はドン引きしていると思います。
UFO業界にアダムスキーというコンタクティーがいますが、まともな研究者には全く相手にされていません。そして、相手にされないだけの十分な根拠があることは多くの出版物などにより公にされています。
にも拘わらず、アダムスキーを真に受けている者は少なくありません。そのような者はまともな研究書に目を通すこともなく、アダムスキーの説くことを盲信しているのです。
ブラヴァツキー夫人については多くのインチキがあったことが指摘されていますし、その説くところの誤りを指摘する者は多くおり、出版物も少なくありません。ネットでも情報は沢山転がっています。
そして、オカルト業界の中でさえ、ブラヴァツキーはインチキ、というのは大多数のコンセンサスを得ているものと理解しています。
私は、ブラヴァツキーというのは、UFO業界におけるアダムスキーのような存在であると認識しています。
(つづく)
243 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:06:38 ID:ZJYyXr/d
(つづき)
ブライアン・L・ワイスについては、皆神龍太郎をはじめとする優れたライターによる検証も行われています。
死後存続の可能性とか輪廻について興味を抱くオカルト業界の者にとっては、ブライアン・L・ワイスに対するどのような反論があるかは当然承知しているものと思っています。
ブラヴァツキーやブライアン・L・ワイスについて、どのような議論が行われ評価がなされているかを知っていれば、このように真面目に転生を検証するスレで両者に影響を受けたとして書き込むのが如何に不適当か判らないはずがありません。
仏教以上にブラヴァツキーに影響を受けたのであれば、仏教以上にブラヴァツキーに詳しいのでしょうが、ブラヴァツキーに本当に詳しいのであれば、このスレのこれまでの流れで同者を引き合いに出すのが如何に不適当か判らないはずがありません。
つまり、仏教に対する知識や理解力は、ブラヴァツキーに対する知識や理解力と同程度だろうと推測せざるを得ないのです。
そして、そのような知識や理解力であれば、5さんや38さんと議論が噛み合うはずもないでしょう、とも思います。
流れをぶった切ってすみません。私は上座部に興味を持ち、実践もしている者であり、輪廻には肯定的な立場です。
不愉快に思った方もいらっしゃるかも知れませんが、華麗にスルー願います。
244 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:10:19 ID:3zvVbfvo
>>241 それって寺和田のこと?
確かにオームの残党も流れたかも知れないけど、あそこはオームとは全然違うんじゃないの?
245 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:19:03 ID:063Xfqur
>>244 メンタリティ構造がオウムと同じだけどね。
生計と時間を搾取された揚げ句に、臭いものには蓋の体質も一緒だ。
その内情は
>>199以下に書き込んだ通り。
246 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:26:16 ID:3zvVbfvo
>>244 へー、内情に詳しそうですね。投身自殺もあったんですか。
あそこはかつて関わった人が離れていっているのが気になります。
鈴木一生さん、地橋秀雄さん、いずれも一時期はスマ師と協力関係にあったのに離れていきましたね。
どんないきさつがあるのでしょうか?
247 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:28:11 ID:063Xfqur
訂正
×搾取された揚げ句に
○搾取した揚げ句に
248 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:40:28 ID:063Xfqur
>>247 瞑想天狗同士の嫉妬や近親憎悪は醜悪この上ありませんよ。
どいつもこいつも、功名欲と売名欲の塊で餓鬼道そもそも。
249 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:43:44 ID:063Xfqur
ゴメソ
>>246 でした。
いずれにせよ、近寄らないほうがいい世界ですよ。
250 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:54:59 ID:RlLnKOoZ
原始仏教の教えでは輪廻転生は語られていたのでしょうか。少なくともキリスト誕生以前の話ですが
大乗仏教は論外
251 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 15:10:54 ID:Q81UIDiL
>>229>>243>>244 スレ主は
>>161でこんなことも言ってる。これが科学的に証明されたのなら、ノーベル財団は何やってるんでしょうかw
>実験では観察者の思念の影響さえ受けることが確認されています。
要するに物質の究極は確定した存在ではなく、実に不確定であいまいな状態に過ぎないというこ
と。粒子に影響を与えたということは、人間の思念とは微細な質料を持つエネルギーであり、粒子
の波に干渉する波動としての性質があるということになる。
>十分に人間の精神が物質に影響を及ぼすことの証明になり
スレ主さんは、と学会風に言うとガチのビリーバーと認定せざるを得ず、これ以上スレ主と議論しても何の実りもないだろうと感じました。
252 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 15:12:32 ID:RlLnKOoZ
253 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 15:24:30 ID:063Xfqur
>>252 新手のカルト宣伝工作乙!
これがこの糞スレの末路かい(笑)
>>248の訂正。
×餓鬼道そもそも
○餓鬼道そのもの
254 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 15:36:39 ID:RlLnKOoZ
血脈無視の偽御本尊拝んで錯脳している某創価学会員よりはマシですよ
法句経やスッタニパータには輪廻、来世、前世、地獄、死後、神々といったような言葉がたびたび出てくる。
2000年以上も昔の人々がこれらを信じてても不思議じゃないと思うな。
太陽や月がいったい何なのかも分からないだろうし、
宗教的な世界観を持ってないとわけ分からんでしょ。
ただ輪廻転生の仕組みなんかを積極的に説いていたようには読み取れない。
通説として当たり前だった事を、わざわざ語る必要も無かったのか、
あるいは悟りに必要としなかったのかわからないけど。
ちなみに自分は輪廻とかあの世とかオカルト的なことは一切信じてません。
256 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 19:25:15 ID:w43Ul4zN
>>229 ごめんなさい-今は約65億人でしたか?
それは訂正しておきます(失礼しました)。
600億でいいです。これは誰かが数えたんですね!(というのはジョークです)
数えなくてもわかる存在の何者かです。
>これがスレ主さんの輪廻業報思想を支える説であるならばもう仏典の検証、
>仏教的視野にたった議論など、何の意味も、もちません。
>
そんなことはない。
あくまでも「ゴータマが説いたのは何か?」
ということがテーマです。
それ以外はいいです
600億の話はただのオマケです-ここの皆さんが信じる必要はありません。
(尚、私個人はかなり信頼を寄せています-この程度で驚くのはまだ早いのですが)
257 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 19:25:47 ID:w43Ul4zN
>>230 卵さん、アドバイスに感謝します。
>羹に懲りて膾を吹いている人たちの転換症状を引き起こした要因は
>私の引用でもあるようですので、その点について1さんにご容赦ねがいます。
>
全然そんなことはないです。
気にしないで下さい--大変、ありがとうございました!
>>239-240 ゴータマはカルト教祖なんかではないです。
(当時においては新興宗教になるのかもしれませんが・・
常に伝統宗教が正しく、新しい宗教運動がカルトということはないです。そのまた逆も然り)
>>242-243 >引き合いに出すのが如何に不適当か判らないはずがありません。
>
はい、十分に承知しています。
そして、いつかは懐疑が晴れて評価が回復するのを信じています。
(ただしごめんなさい!ブライアン・L・ワイスについては読んでいません)
ご指摘には感謝します--しかしながら、
世間に溢れかえっている、「人口は増加の一途なのに転生などとは可笑しい」といった
あまりにも幼稚過ぎる懐疑的批判などに黙しているなど・・・
そんなタヌキ寝入りは到底、この私にはできません。
ただ私は、自分自身に嘘をつくのは大嫌いなのです。
258 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 19:26:39 ID:w43Ul4zN
>>231 >そのような「自己」の用法と、ウパニシャドの文脈での「アートマン」の
>語義とは当然のことながら区別されるべきものです。
>
分りました--それは了解します。
>ブラフマンが展開した現象存在に内在する永遠不変の実体としてのアートマン(言い換えれば、
>ブラフマンのコピー)を、ゴータマが認めていることにはなりません。
>
それがウパニシャドが説くところの真実の自己でしょう。
ゴータマは、「真実の自己を探求せよ」そして「アートマン(真実の自己)ではないものと
自己を同一視することなかれ」といって、「それはアートマンではない」とする
「非我」を説いたのだと理解します。
「アートマンは無い」とはいっていません。
世間ではアートマンが正しく理解されず誤って知らされていることを指摘し、
それを否定したのだと見なします。
アートマンを説くか説かないかは視点の違いであり、
そしてアプローチの方法の違いに過ぎないと思います。
>そんなものを認めれば縁起なんて成り立ちませんし、
>カーストの別によって解脱が異なると主張しないといけなくなるし、
>阿含と抵触しまくってしまいます。
>
できましたら、この部分についてわかりやすく解説を希望します。
259 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 19:34:39 ID:RlLnKOoZ
宇宙には今のところ地球以外に生命反応が認知されていません。
アーサークラークの2001年宇宙の旅では宇宙進化は当然とありましたが、現実は今のところ地球以外に生命はありません。
地球が消滅すれば物理的な生命反応はゼロです。
何処か次元の違う量子論的なパラレルワールドが存在するのでしょうか。
生まれ変わりは存在しません。人生は一度限りです。生命のリサイクル事業を神仏はしておりません。600億だろうがなんだろうが、生まれ変わりなど存在しません。
260 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 19:50:43 ID:RlLnKOoZ
地球誕生以前も輪廻転生があるのなら、いったい何処でそのような活動があったのでしょうか。また地球消滅後では輪廻転生活動は開店休業ですか。
いったい誰がこのような複雑怪奇なシステムを思いつき実行されたのでしょうか?
261 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 19:58:55 ID:RlLnKOoZ
安易な生まれ変わり信者にはっきり言いますと
イエスキリストが復活して再臨されたなら、今までの生まれ変わりの教えはすべて妄想偽りデタラメだと証明されるのが認識できますか。すべての答えは復活されたイエスキリストにあります。キリストの復活は輪廻転生が偽りだと証しします!
262 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 20:29:09 ID:w43Ul4zN
263 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 21:35:45 ID:93zNzUGc
実は、僕は仏陀なんですが、確かに輪廻転生はあります。
輪廻転生を真の意味で実感できるのは仏陀以外にいませんので、
凡夫はそれを信じることしか術はないのです。
264 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 21:46:16 ID:9h1P+LTq
なんかもう本当にむちゃくちゃになってきた。
ここは妄想スレか?
265 :
38:2008/11/24(月) 21:52:49 ID:oVqmfTYv
久々に覗いたらすごいことに。。。。
ここは輪廻が科学的に正しいか否か実証するスレ
ではなかったと存じますが。
科学云々を持ち出せば宗教研究も民俗学も神話学も
何の意味も持たなくなるでしょう。
私は人類の文化、還元すれば叡智を理解したいと思っています。
科学がすべての真実を明らかにし人類を幸福に導けるのなら
宗教はおろか音楽も芸術も必要ないでしょう。
266 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:02:19 ID:9h1P+LTq
次はイエスも登場するのか?
スレヌシが ガチのオカルトマニアならおかしいのが集まって来るのは無理もないか。
267 :
神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:13:03 ID:4hcstLTt
268 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/24(月) 23:17:37 ID:w43Ul4zN
【スレ主の反省】
すみませんでした・・全ては私のミスに拠るものです。
「ゴータマが輪廻転生を説いた」ことを論証したかったのですが、
つい脱線から〜いつの間にか「広く転生についての話題」スレへと変容してましたね。
やはり、何でも在りではマズイですよね。。。そもそも検証もできないし・・
これでは、仏典に関する投稿に意欲的だった方にまで申し訳ないことをしました。
私としてはやはり、
あくまでも「ゴータマは転生を説いたのか?」を検証するスレにしたいので、
ここでもう1度、仕切り直しさせて下さい!
**以降〜話題と意見情報は、
「仏教/ゴータマ仏陀について」--これに関してのみに限ります**
私もそれ以外は一切、語りません。
是非、「転生肯定派」及び「否定派」双方、
皆さんからの有益な投稿を宜しくお願いします。
----大変、失礼しました。
*尚、特に私に対する質問がない限り、暫くの間は投稿を自粛させて頂きます。
以上、宜しくお願い致します。
269 :
卵:2008/11/25(火) 06:27:29 ID:CfQ/eNOa
>>265 38誌に同意。
>ここでもう1度、仕切り直しさせて下さい!
生まれ変わって出てきても、無理でしょう。
お後がよろしいようで。
m(__)m
270 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/25(火) 06:34:53 ID:hy5cNNi2
>>268 >是非、「転生肯定派」及び「否定派」双方、
>皆さんからの有益な投稿を宜しくお願いします。
>----大変、失礼しました。
そうですか。
では、仕切り直しということで。
「死後」というか・・・
それ以前の「未来」というのは、果たしてあるのか?
ってのを考えたらいいでしょう。
もし「未来」というのがあるなら・・・
それは未来ではなくなる。
271 :
神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 17:05:31 ID:ZsGC8L0h
272 :
菅ちゃん ◆BDKyieznDk :2008/11/25(火) 20:09:49 ID:odDLg29R
>>270 机どのお久しぶりです(o^T^o)こんばんは
273 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/25(火) 20:30:29 ID:hy5cNNi2
>>272 こんばんは。
さて、未来なるものはありや?なきや?
答えなされまし。
では、おやすみ。
輪廻がない、論者でしかも今苦しい者(苦しみを知覚する能力が
無い者を除く)はさ、自決すれば一発解決だよ。
275 :
神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 21:14:05 ID:6Ie+fazw
141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。
(身分の高い) 生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。
276 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/25(火) 23:27:50 ID:ZLcMq1wb
皆さん、こんばんは〜
謹慎処分が解けたので、再び元気に投稿を開始します。
(時間が勿体無いでこれ以上、滅入ってる場合ではないのです)
どうか宜しくお願い致します---転生成就!
私自身はこれでも大真面目に議論しているつもりであり、
相手の主張/見解に十分納得できれば、それを素直を受け入れ、
これまでの自分自身の考えを撤回し、正しく修正する心の容易(準備)はあります。
(それとお願いですが---主張理論に対する批判は大いに結構なのですが、
暴言を吐いたり、相手の人格批判はしないようにしましょう!)
277 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/25(火) 23:29:13 ID:ZLcMq1wb
>>270>>273 「未来」とは元々、まだ来ていない先の時間における出来事〜を意味すると思いますが・・。
そのことの一体、何がどう問題なのでしょか?
では、机さんの見解では、
ゴータマは仏典の中でそれについてどう語ったと?
具体的に説明して下さい。
278 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/25(火) 23:29:50 ID:ZLcMq1wb
>>275 これは、その前からの繋がりが必要ですね。
「ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行って
いるのが見られる。」(スッタニパータ140)
そうすれば、「来世においては悪いところに生まれる。」(同141)と。
これは明らかに、今生での悪業(行為)が来世でその報果を受け、悪い境涯に生まれて苦しむことをい
っており、これ以外にはない。
その次は、経文「賤しい人」の中で繰り返し説かれている重要な決まり文句です。
「生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって
賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。」(同142)
この部分は、否定派には転生否定の根拠にもよく用いられている部分です。
「---生まれによってではなく---行為による」のだとして、前世からの報果としてのバラモン生まれを否
定できるというわけです。しかし、これは明らかにただの読み違いに過ぎません。
スッタニパータ140での「バラモン」はカースト身分の司祭階級者たちそのものを示していますが、しかし
142でいうところのバラモンとは、仏典ではしばしば使われるものなのですが、これは尊敬を受けるべき
「正しい宗教者」のこと意味しています。従って、人は行為によって正しい宗教(実践者)者となるのが真
実なのであって、バラモン階級の司祭者だからといって高貴なる宗教者(正しい宗教者)というわけでは
ない、とゴータマはいっているのです。
ただしかしながら、今生の行為の如何によっては来世で苦しい境涯に生まれ、逆に善行の報果として恵
まれた環境に生まれる(必ずしも高層階級が良いとは限らないが)ということは、ゴータマの教えには依然
としてあるのです。
279 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/25(火) 23:47:06 ID:ZLcMq1wb
私はこれまで、
輪廻転生否定者からのまともな解答を見たことがないのですが・・
つまり、輪廻転生なくして一体、凡夫は如何にして仏陀の境地に到達できるのですか?
それは、例えば何年の修行で可能なのですか?
死期が近い者にとっての修行は?
例えば、仏教のブの字も知らずに生まれてすぐ数年で死去した幼児の人生は、
仏教的理解では必然性でしたか?それとも偶然性の出来事(人生)でしたか?
因縁生起との関係では、これを如何に説明しますか?
-----否定者は経典に繰り返し書かれてあってもそれを認めず、
上記のような問いにはまともに解答しません。
如何でしょうか??
280 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/26(水) 00:48:35 ID:mESB3o1u
輪廻から解脱する(転生を止む)ためには、その流転する重要な原因については当然、教えていく
必要があります。原因を知らねば解消はできないのですから。
それは何も、転生する主体とその性質については知らなくても、解脱に向けての修行はできます。
要するに、日々の仏道修行の歩みには障害とはならないからであり、寧ろこれらの内容にこだわるこ
とは注意を散漫にしてしまうかもしれません。
ゴータマは多くの場合、直接に知覚できない形而上的存在や事象には答えない姿勢を示した。誤解
も生む可能性もあるだろうし、例えば唯物主義者の場合には、自分が直接に体験するまでは頑として
受け入れることはないからです。そのことが「無記」の姿勢でした。
だいたい・・「毒矢のたとえ」で展開されるようなゴータマへの質問というのは、信徒ではない外道によ
るものが殆どなのです。懐疑的な外道や唯物論者たちが、ゴータマの評判を聞いては何度もやって来
てきます。相手次第では具体的に述べたりなんかすると、それはただ誤解され嘲笑され、誹謗と曲解
をいいふらされるのが落ちというものです。
ゴータマというのは、あくまでも相手を見て法を説く「待機説法」の人でした。だから何故、このときは
こう答えたのだろうかを考えて理解する必要があります。
281 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/26(水) 00:49:06 ID:mESB3o1u
ただし、ゴータマは知覚できる事象については明確に返答をしています。
つまり、「五蘊はアートマンではない」といい、知覚できるそれらの全てはアートマンではない、というこ
とでした。もうひとついえることは、「永久不滅のアートマン」という概念については否定的な姿勢でした。
わかります? ゴータマは「アートマンはない」とはいっていないが、「ある」ともいってはいない。ただ、
これまでのアートマン感は正しくはなく、更には世間においてはアートマンは広く誤解されており、アート
マンそのものについては解説しないが転生という現象は現実に起こっているのだ、ということ。
再び、この苦の現象界に戻らないようにするためには、その(輪廻の)原因を教え、行為と結果の法
則とその必然性や恐ろしさについてを理解する必要性から、転生については繰り返し説いているのだ
ということです。
「毒矢のたとえ」の中でゴータマは、「わたしが説くことは説く」とも主張しました。
>>230 >無我輪廻は霊魂論ではないことを勉強してた上で、
>
はい。確かにゴータマは、
アートマン解説/霊魂論については展開しませんでした。
名前は1でいいのでは
283 :
5:2008/11/26(水) 01:01:12 ID:o17CHaiF
スレ主さん 大変残念ながら、スレ主さんの輪廻思想の背景が、先にご自身
が書かれたようなオカルト思想であると解かった以上、仏教的視野にたって
輪廻を論じていくことは難しいと思います。
例えば、こちらが文献その他の資料を基に論を展開しても
「この地球ではそうかもしれないが、ここは10ある進化系のひとつにすぎない。
別の次元では、そうではないんだ。」 このように言われてしまう可能性
があれば、真剣に論じること自体が滑稽に思われてしまいます。
また、スレ主さんの思想においては、釈迦が輪廻思想に対してどのような見解
をもっていたかを検証していくよりも 例えば、600億の魂はどこで、どのよ
うに待機しているのか? 他の惑星には、どのような法則に従って転生していく
のか? このような問題を解明していくことの方が、より重要なのではないで
しょうか?
私見ですが、私は以上のように考えてしまいます。
284 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/26(水) 01:59:05 ID:mESB3o1u
>>283 >例えば、600億の魂はどこで、どのように待機しているのか?
>他の惑星には、どのような法則に従って転生していくのか?
>このような問題を解明していくことの方が、より重要なのではないでしょうか?
>
生意気いってすみませんが、正直いって
私自身においては、すでに一般人から寄せられる程度のような疑問等については
殆ど解消済みなので別にもういいのですよ。
私自身が形而上学的な内容で困っている問題などは実際、何もないのです。
(私は直接に体験しなくても、説明に納得できれば受け入れられるので・・)
ただ私が気掛かりなの(憂いている)は、仏教界の状況についてなのです。
結果的にはスレがやや荒れ状態に展開してしまいましたが・・
私自身としては本当に誠意を持って質問に返答しようとしたまでのこと
---何も悪気はありませんでした。
ただ実際、展開がごちゃごちゃになって、
これでは肝心のスレ主題がなおざりになるということは理解しました。
失敗でした-----反省しています。
285 :
Sure宝珠愚者( ´Д`):2008/11/26(水) 02:00:02 ID:mESB3o1u
>例えば、こちらが文献その他の資料を基に論を展開しても
>「この地球ではそうかもしれないが、ここは10ある進化系のひとつにすぎない。
>別の次元では、そうではないんだ。」 このように言われてしまう可能性
>があれば、真剣に論じること自体が滑稽に思われてしまいます。
>
そんなことは云いません!
あくまでも「仏教経典においてゴータマがどう説いたのか?」
をハッキリさせたいだけです。
それについは、私個人にとっては何も簡単なことなのです。
ゴータマが輪廻転生を「否定していた」のがもしも事実ならば、私はそれを受け入れて、
私の拠り所からは、ただゴータマが消えるだけのことです。
もし、ゴータマが輪廻転生を「説かなかった」のならば、私はその事実を受け入れて、
私のゴータマに対する見方は、その程度になるだけのことです。
いや、仏典に関する意見を投稿して下さる方だけでいいです。
誰もいないのであれば、それも仕方ありません。
もう、いいです・・。
もし無理であれば・・私はまた別の道を模索するだけです。
***私は戦争(論議による)を望んでいるのです。
(ハルマゲ〜とかいわないでくださいね^^)
どうも、ご心配とご忠告に感謝します。
ありがとうございました。
286 :
神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 10:34:03 ID:t8t3aga6
ゴータマ・ブッダは貴殿のオカルト趣味を満足はさせない。
そのようなマインドコントロール我執迷妄から脱せよとは言われるだろう。
アプリオリな輪廻転生肯定論前提者はブッダから離れたほうがいい。
俺ももう相手にしない。
287 :
5:2008/11/26(水) 11:43:17 ID:o17CHaiF
>生意気いってすみませんが、正直いって
私自身においては、すでに一般人から寄せられる程度のような疑問等については
殆ど解消済みなので別にもういいのですよ。
私自身が形而上学的な内容で困っている問題などは実際、何もないのです。
このように聡明なスレ主さんであるなら、我々「一般人」と議論する必要性すら
ないのではありませんか?
>ゴータマが輪廻転生を「否定していた」のがもしも事実ならば、私はそれを受け入れて、
私の拠り所からは、ただゴータマが消えるだけのことです。
もし、ゴータマが輪廻転生を「説かなかった」のならば、私はその事実を受け入れて、
私のゴータマに対する見方は、その程度になるだけのことです。
この部分から推察しますと、スレ主さんは、釈迦を自己の輪廻システム
の補強に使用したいわけですね。言い換えれば、「箔付け」に利用したいと。
つまりスレ主さんにとって、第一義的なものは、あくまでも自己の輪廻システム
であって、それに矛盾するのであれば釈迦にも用はない と、こう言って
おられるわけですが、このような姿勢であるならば、真剣に釈迦、および仏教に
取り組んでこられた方々に対する侮辱にもあたり、真摯に論じようと考えておられた
方々を遠ざけてしまうのではありませんか?
私も暫くは静観させてもらうことにいたします。
288 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/26(水) 15:56:05 ID:aB14Wmkd
>>277 >「未来」とは元々、まだ来ていない先の時間における出来事〜を意味すると思いますが・・。
>そのことの一体、何がどう問題なのでしょか?
未来とは、まだ来てないことですから・・・永遠に来ることはないかと思いますね。
過去も同様でして、過ぎたるものは既に過ぎることもありゅらんですね。
ですから、未来とか死後生とかは・・・来ることもない。
どうか安心して下さいまし。
>>279 >例えば、仏教のブの字も知らずに生まれてすぐ数年で死去した幼児の人生は、
>仏教的理解では必然性でしたか?それとも偶然性の出来事(人生)でしたか?
>因縁生起との関係では、これを如何に説明しますか?
因縁生起で言いますと、死んだのは原因がある筈です。
病とか、あるいは故意に殺されたとか。
別に説明はいらないですね。
偶然にそうなってしまったことです。
それとも、なにか貴殿は「死んだことに意味付与」が必要なんですか?
意味などある訳はなくて、ただただ死んでしまったことです。
世間ではよくあることです。
> ただ私が気掛かりなの(憂いている)は、
> 仏教界の状況についてなのです。
中高生の書く小論文の結びみたいなこと
お書きにならないで下さい。
290 :
1:2008/11/26(水) 20:01:27 ID:mESB3o1u
>>288 >それとも、なにか貴殿は「死んだことに意味付与」が必要なんですか?
>意味などある訳はなくて、ただただ死んでしまったことです。
>世間ではよくあることです。
>
その背後にあるところの深遠な法則を説かないでどうする?
机さん・・「説明はいらない」「ただ死んでしまったこと」
「世間ではよくあること」・・これは酷いな。
これが2500年間も尊ばれ継承され続けてきたという
仏陀の悟りなのですか?
善行善果/悪業悪果といった業報を認めずして、
如何にして人は成仏できるのです?
仏教のブの字も知らずに生まれてすぐ数年で死去した幼児の人生を見て、
その人間に対する成仏の可能性との関係については、仏教者はどう説くのです?
ゴータマは自分自身の非業を周囲環境や相手のせいにすることで良いぞと教えましたか?
仏教辞典の丸暗記に過ぎないから・・そんな具合にしか解答できないのです。
291 :
1:2008/11/26(水) 20:08:56 ID:mESB3o1u
>>287 >このように聡明なスレ主さんであるなら、
>我々「一般人」と議論する必要性すらないのではありませんか?
>
私自身においては別に何も困っていません。
これは仏教界及び一部の仏教者に対する危惧心からなのです。
社会への影響があるわけだから・・私はこれで良しとはとても思えない。
>この部分から推察しますと、スレ主さんは、釈迦を自己の輪廻システムの補強に使用したい
>わけですね。言い換えれば、「箔付け」に利用したいと。つまりスレ主さんにとって、第一義的
>なものは、あくまでも自己の輪廻システムであって、それに矛盾するのであれば釈迦にも用はない
>と、こう言っておられるわけですが、
>
ちょっと違うようです!
たしかに転生の否定を説く者などは、相手が如何なる存在であろうともこの私は認めません。
ただし、それがもし本当に正しいものとしてこの私を納得させられるのであれば、
もちろん喜んで転生否定の教えを心から受け入れますよ。それだけのことです。
つまり、それほど私は
仏陀が輪廻転生を説いたであろうことに強い確信を抱いていますし、
仮にも仏教徒を自称しながらも、それを頑迷に否定する姿勢にはとても憤りを覚えます。
292 :
1:2008/11/26(水) 20:12:02 ID:mESB3o1u
この仏教界には、
経典に繰り返し書かれていても自分勝手にそれを否定し、
最古層経典にも書かれてあってでさえも、やはり結局はそれを認めない。
これでは経文にいくらどう書かれてあっても全く無意味なことです。
最初から、「そんなことがある筈がない」ものと決めかかっており、
形而上問題と転生現象も同じレベルとして扱い、ゴータマは無記の姿勢を通した筈なので、
恐らく輪廻転生を説いた部分の記述というのは全て後世の創作か
バラモン/ジャイナからの逆流入なのだろう、などと勝手に決め付けるのです。
どうやら沢山そういう輩が蔓延っているようです。
輪廻転生をゴータマの教えとして認める僧侶たちでさえも、
どこまで真剣に信じているのかは?どうにも疑わしい・・。
もし本気で信じてるのなら、どうして彼らはそれを社会に声を出して説法しないのか!!
行為による報果---この法則の延長上にあるところの転生こそが、
人々に教えなければならない最も重要が部分であるというのにです。
やはり確信が持てないのか・・きっと反発(反発されることは目に見えている)が怖いのでしょう。
--------------------------
しかし、卵さんの説明によれば、
そういう輩がいくら増えようとも、仏教界の中核ではなんら影響を受けないとし、
輪廻転生は仏陀の教説としてすでに確定している、という力強い言葉がありました。
今度はそれについて、その事実関係についてを確認するつもりでいます。
その確認が得られれば、次はこれをどうやって浸透すべきなのか?
ということになる・・。
わたくしは幾多の生涯にわたって、生死の流を無益に経巡ってきた。
家屋(この五執うんと言う身体)の作者をさがしもとめて。
あの生涯この生涯と繰り返すのは苦しい事である。
家屋の作者よ!汝の正体はみられてしまった。
汝は最早家屋を作る事はないであろう。
汝の梁(煩悩)はすべて折れ、家の屋根は(無明)は
壊れてしまった。
心は形成作用(行)を離れて、渇愛を滅ぼしつくした。
この釈尊の言葉のどこに輪廻の否定があるのか?
反論者は頭異常か?
294 :
神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 21:58:14 ID:j3U8RGQR
無理を無理、過労を過労、酷使を酷使と感じないように飼い慣らし、
思い通りに操作出来るように調教するのがカルトの洗脳テクニック。
戦争末期の特攻隊志願者募集のように、場の空気という暗黙の圧力に逆らえないようにして
無賃労働と搾取の末に死に至らしめても隠蔽しひた隠しにする。
おぞましさの極みだ。
295 :
1:2008/11/26(水) 23:15:50 ID:mESB3o1u
>>288 ごめんなさい!
どうしても、もう一言も二言も付け加えたい!!
>因縁生起で言いますと、死んだのは原因がある筈です。
>病とか、あるいは故意に殺されたとか。
>別に説明はいらないですね。
>偶然にそうなってしまったことです。
>
>それとも、なにか貴殿は「死んだことに意味付与」が必要なんですか?
>意味などある訳はなくて、ただただ死んでしまったことです。
>世間ではよくあることです。
>
病?殺害?では何故、死ぬのはBさんではなくて、それはAさんだったのか?遺伝による病気であれ
ば、どうして田中家ではなく佐藤家に生まれたのか?何故、この夫妻の子供として生を受けたのか?
どうして他の子ではなく自分だったのか??
机さんは、それをただの「偶然」にしてしまうの?それがあなたの理解する因縁生起という法則なの
ですか?
ゴータマは、総ての事象は縁起に拠るとは説かなかったか?あるときは縁起に拠り、またあるときに
は偶然なのですか??都合の悪い質問にはただ偶然とだけ答える・・
それは、仏教(仏典)を自分都合で読んでるだけであり、気に食わない部分は勝手に受け入れず、
自分に都合のいい部分だけを部分摂りする。仏陀の悟りとは、森羅万象の背後にあるあらゆる事象
についてを説明し得る絶対的な法則性への理解ではなかったのか?
とにかく、
非常にガッカリさせられる返答でした・・。
これが仏教辞典で勉強した結果なのですか?
296 :
1:2008/11/26(水) 23:18:13 ID:mESB3o1u
それに比べれば5さんは、
後代の経ほど輪廻説法が増える傾向から、
経典制作においては本来はなかった教えが後に取り込まれていき、
それを強く押し出す方策へと転換していったというものであり、
たしかに一つの推論としては成り立つものであり(その視点から見れば)、
それ自体は在り得る仮説ではありました。
また、5さんはちゃんと
>>22でも、
>「輪廻などはない」と言い切ってしまうと別の問題が生じます。
>
といい、その場合における非条理については理解しているようです。
そのことを良しと見てはいないニュアンスをこちら側に伝えています。
「さて、<永遠の哲学>の伝統の大半によれば、
魂には明確な基本的特徴が2つあるとされている。
第1に、魂は人の「徳ないし徳の欠如――すなわち、
よいカルマと悪いカルマの両方」の貯蔵庫であるということ。
第2に、魂とは自覚の「力」であり、執着や嫌悪をもたずに、
現象界を「目撃する」ことのできる能力であること
(ちなみに、この能力は「智慧」としても知られている)。
徳と智慧、この2つの蓄積が、
転生する唯一のものである魂を構成する。
(中略)
魂には無時間的な性質があり、
それが次第にまったく明白なものとなっていく。すなわち、
人は魂の不死性を実際に「味わい」、魂がある程度、
時間や歴史、生死をこえていることを直観しはじめるのだ。
こうして人は徐々に、魂が身体や心とともに死ぬものでないこと、
身体や心が存在する以前にも魂は存在していたし、
以後にも存在するだろうということを確信するようになる。」
(『死を超えて生きるもの』からDeath,Rebirth,and Meditationより。P246)
輪廻転生は、人間の魂が死後も存続して、
生死を繰り返している、という考え方だが、もっとも古いのは、
紀元前7〜8世紀ごろのインドのウパニシャッド哲学とされている。
これによると、修行によりそこから解脱できると考えられていた。
これが、ヒンドゥ教や仏教に継承されている。
紀元前5〜6世紀ごろになると、古代ギリシャでも、
オルフェウス教、ピタゴラス、プラトンなどが、
魂の存続と、生死の繰り返し、つまり輪廻転生と同じことを考えた。
他には、道教、中世キリスト教のカタリ派、
ユダヤ教神秘主義のカバラなども、同じことを考えた。
これらは、細部には相違があるが、魂が存続することと、
生死を繰り返しているという、基本的な考え方は共通している。
299 :
1:2008/11/27(木) 00:23:18 ID:jZ7IyLUb
「そういう輩がいくら増えようとも、仏教界の中核ではなんら影響を受けないとし、
輪廻転生は仏陀の教説としてすでに確定している。」
これは本当に事実なのか?
まさか・・個々の研究者によってただバラバラであり、
一切の統一性も確定(定説化)もしていない、なんてことはないでしょうね?
これはどこで確認できるのですか?
ただの一個人としての研究者見解に過ぎないものではなくて、
仏教の権威(統一的な教理の中心)はどこに置かれているのですか?
佛教大学??
本当にゴータマが輪廻転生を否定した。或いは説かなかった。
などというのが最新の研究上において最も信頼すべき見解であるとして明らかになった、
と、そんなことが本当に確認できるのかどうか?
ちょっと余談---(財)「全日本仏教会」というから、きっと正統な教理を解説しているものと淡い期待
でサイトアクセスしたところ、なーんとこんな記述によって「お釈迦様の誕生」として解説していました。
「マーヤーさまがアショーカの枝に手を伸ばした時、右の脇から王子さまが誕生されました。王子さまは、
七歩あゆまれて、右手で天を、左手で地を指さし、天上天下唯我独尊(天にも地にもただわれ独り尊し)
と言われたと伝えられています。」
http://www.jbf.ne.jp/b00/index.html 今だに、母マーヤーの右脇から産まれたとか、そして7歩いて天上天下唯我独尊と示した・・などと。こ
んなことを続けているから、仏教界は進歩が無く化石となっているのだと、私は呆れ返るばかり。
「なんでこんな史実とはいえない後世の神格化(創作)を、現在においても子供たちに教えようとするの
か?」って抗議文を送信したら、そのまま無言の返信メールで返されてしまった(目は通したらしい)。
一体、仏教界はどうなっているのか??
解脱した人が記憶喪失や痴呆症になった場合どうなんの?
解脱する以前の人格になっても解脱できてることになるの?
ニルヴァーナを永遠としちゃうと、こういう素朴な疑問が沸いてくるんだが。
>>299 無記でしょうか。頭でっかちの面倒なやつだと思われたのかも。
世の中には肩肘はって仏教学を究めようという人もいれば
学問以外の面で仏教に触れようという人もいます。
後者の人びとにとっては学問的に事実とされていることが
必ずしも必要ではないこともあります。文化の形の一つでは。
302 :
1:2008/11/27(木) 02:24:50 ID:jZ7IyLUb
>>301 >無記でしょうか。頭でっかちの面倒なやつだと思われたのかも。
>
子供たちは、「お釈迦様」などおとぎ話の世界だと思っていますよ。
学生さんですら・・「エッ!歴史上に実在したんですか?
孫悟空物語に出てくる巨大な仏像かと思ってましたよ」って、
そんなオバカを露呈するのも無理からぬことです。
実在したゴータマとして真実を語らず、または経典で説かれたことを勝手に歪曲
(後世の附加として勝手に除外する)して伝えることは、
ゴータマ仏陀に対する最大の愚弄行為です。
>文化の形の一つでは。
>
はい。その通りだと思います。
日本仏教、その伝来からすでに約1500年もの歳月と伝統、歴史の重みがあり、
これが日本文化であるというのならば、確かに立派な日本の固有文化ではあるとは思います。
しかし、一方においては「日本仏教など総て崩壊すべきだ!!」(暴力には拠らない)という
物凄く過激で激しい想いも、この私の中には確かにあるのです。
やはり、ダメなものはダメでしょう??
そう激しく思うわけです。
303 :
1:2008/11/27(木) 02:27:09 ID:jZ7IyLUb
こんなものをゴータマはいつ教えたか!?
一つの信仰形態ではあるが、やはり仏教ではないと(そのエッセンスは多少、含むが・・)
仏教は柔軟な受容性が特徴などといい、誰が勝手に教えまでも捻じ曲げてもよいとしたのか!?
これを原理主義などと批判する人もいますが、
私はいい加減なことが嫌いなので、原始仏典に即した内容で以って、
今のこの現代に適応する形態でアレンジして日本仏教を新しく再構築すべきである。
というのが持論です。
私は、釈迦佛教=出家佛教という批判は全くの的外れ(大乗からの見当違い)であるとみています。
現実に、ゴータマは大勢の在家信徒を抱えて立派に指導していたという事実があります。
時代も国も異なっており、これを現代の日本に適したものとして応用できないのか?
いつもそういうことを考えてしまいます(具体案までは出してませんが)。
まぁ..ちょっと話題にしてみました。
原始佛教 その28
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1219212323/289 289 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 10:11:38 ID:ZuTsawIV
輪廻転生から整理していかなくては駄目でしょうね。
思想的立場として大きく以下の三つに分類されます。
A.輪廻転生を肯定する
B.輪廻転生を否定する
C.肯定も否定もしない
この三者の関係を整理すると以下のようになります。( )内は否定対象となる考え方と理由を示します。
1.AはBを否定する(断見、経典に輪廻転生が解かれている)
2.AはCを否定する(断見、同上、BとCの違いを理解できていない)
3.BはAを否定する(常見、経典では輪廻転生には中心的に転生を解いていない)
4.BはCを否定する(無主張、立場が明確ではない)
5.CはAを否定する(常見、輪廻転生を客観的に確認できない限り言及不可能、前提なしでは議論できない)
6.CはBを否定する(断見、輪廻転生が存在しないことを確認できない限り、以下同上)
これらがアウトラインになりますね。
断見も常見もともに偏見であり、常見を否定されるとなぜか中観思想を持ち出して反論する詭弁が目立ちます。
また、断見を批判された場合は主にアーガマを根拠としたものになるので、思想や文献分類に偏ってしまいます。
Cを批判する場合、常見からは「断見である」という前提に立つので話しになりません。
偏見に陥っているので、二極化に脱し、自身も常見だと暗に認めてしまう。批判者は全て断見だと思い込むのでしょうね。
以上が思想的な見地からみた輪廻転生ですが、それぞれを現在の仏教の実践に適用させた場合、
如何なる様相を示すか考えてみたいですね。
原始佛教 その28
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1219212323/290 290 名前:裁定者[] 投稿日:2008/11/25(火) 11:15:15 ID:el5CJRSe
「肯定も否定もしない」という立場からは5.6は明らかに矛盾してません?
「無記=分からない」なんでしょうか???
それと「客観的に確認できない限り言及不可能」という姿勢も
毒箭喩とは異なる立場のように思います。
291 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 11:21:36 ID:ZuTsawIV
>>290 コメント有難うございます。
疑問が提示されて説明が補完できますので、有りがたいことです。
> 「肯定も否定もしない」という立場からは5.6は明らかに矛盾してません?
輪廻転生について肯定も否定もしないという立場です。
無根拠に肯定や否定をする立場を否定すると言う意味です。
否定対象が違いますね。偏見することへの否定です。
> 「無記=分からない」なんでしょうか???
無記に飛ぶのは早すぎると思いますが、議論しても答えを導き出せない且つ、確認しようも無い、
そして目的とは違う方向性を持つとして偏見を退けます。
> それと「客観的に確認できない限り言及不可能」という姿勢も
> 毒箭喩とは異なる立場のように思います。
箭喩經と異なるというのはどういう点でしょうか?
>>302 インドから北方へ伝わった仏教は、主に
上流階級の要請で輸入され彼らに保護されました。
輸出先での仏教はインドの修行者たちのそれと同一でありません。
況してや、時間的にも地理的にも乖離がある
古代インドと現代の日本については言うまでもありません。
インド仏教が日本に根付いたら良いと何となく
お思いであることは宜しいと思います。
私も自宅の庭を葡萄畑にしてドイツのワイン醸造所のような
アイスワインが作れたら良いと夢想することがあります。
宗教は文化でもあります。文化とは風土や習俗に依るのです。
307 :
1:2008/11/27(木) 03:23:38 ID:jZ7IyLUb
>>304-305 はい、裏番組はいつも見ていますよ。
>思想的立場として大きく以下の三つに分類されます。
>
整理しようという意図については理解しますが、
しかし、どれほどそれが意味があるのかは?(人によっては理解しやすいかも)。
第一、その分類についての解釈の内容自体が疑問符だし、
そうやって見てたら、やはり一部から指摘され始めました・・。
そこの阿呆陀さんとは、
確かたぶん7年前?に議論したと思います。
しかし、彼は「在るとも無いともいわず」、ただ無記の姿勢を通すのみであるとして、
それですぐに議論は終っています。議論にはならない。
彼は仏典に詳しく、またその姿勢についても一貫しているようですので、
そういう意味においては敬意を表します。
(以前はもう少し、言葉遣いも良かったように思います)
電波男さん、そしてスレの参加者たちの多くとも03年には熱く議論しました。
彼は僧籍を持つプロのようです。原始仏典は部派や大乗からの逆輸入が混在するといい、
その部分が転生の教説であって、真実とは言い難いという感じの説明ろがあったと思います。
また、仏陀は人間の死後に生命は断滅すると説く唯物主義を「断見」とし、
また、肉体消滅後にも霊魂なる永遠の生命として生きるという考えを「常見」であるとして、
この両者の見解どちらをも非真理として否定した。
如来の真義は「中道」にあるのだといい、自分はその姿勢を摂っているということでした。
しかし、私から転生を明確に解説している経を提示して、ではこれは何だったのか?
と、その解説を求めましたが、それについては否定側からは誰一人として返答がありませんでした。
他には無常なのだからニルヴァーナ(仏陀)も永遠とはいえない、
従って輪廻転生はない、といった珍解答を繰り返すだけという人もいました。
とにかく何でも在りの内容で、結果的に絶対に認めないのです。
そんな批判的見解の方ばかりが集っているようでした。
308 :
亀 ◆d3Sx8vUY5o :2008/11/27(木) 05:21:17 ID:I1dtbdo9
初めて書き込みさせていただきます。
すばらしく興味深いスレッドです。
>13 >14は衝撃的といっても良かったです。
悟り、解脱、を輪廻、特に六道輪廻と密接に関係させて想念していることに気がつきました。
菩提心や涅槃は輪廻を念頭におく必要がないものかもしれないと気がつきました。
>>307 あのスレッドには輪廻転生を否定するものは居ませんでしたよ。
肯定するものと、無記を主張するものが居るだけでした、
肯定するものは無記に対して断見であるという間違った判断を下したままでしたね。
常見・断見・無記と言う構造の中で常見側が間違った判断を下しているので、先に進むことが出来なかった。
「断見仏教」というレッテルも貼っていましたね。
輪廻転生が描かれている経典については説明がありましたよ。
いろんな視点がありましたね。その中の「御伽噺説」は面白かったですね。
カニが人語を話すので子供を教育できるのですね。
しかし、事実、カニはしゃべることが出来ません。
310 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/27(木) 10:34:21 ID:Lh5n+W4z
>>290 >善行善果/悪業悪果といった業報を認めずして、
>如何にして人は成仏できるのです?
もともと業報思想というのは、バラモン教が発端ですから、
仏教においては全く考える必要性はないですね。
考えるとしたらアビダルマあたりまでです。
というか、
常見とか断見とか無記とかが話題になってますけど、
これが先ずはじめにアリキ。
ではないですよね。
釈尊の本懐というのは四諦だけです。
これにおいて断見とか常見とか無記が導きだされる訳で、
ただただ観念論で語ちても・・・それは観念論の域を脱出できない。
拙者が書きました不去不来は、それのヒントとしての位置づけです。
業報(カルマ論)と縁起の理法は全く違いますし、
どうして違うのか?と言いますと、不去不来だからです。
311 :
1:2008/11/27(木) 22:09:21 ID:jZ7IyLUb
>>309 >あのスレッドには輪廻転生を否定するものは居ませんでしたよ。
>肯定するものと、無記を主張するものが居るだけでした、
>
何故、本当のことをいわない?
肯定者と無記を主張する者と、そして輪廻転生はない
(ゴータマの真実の教説ではない)とする人たち3者の投稿がありました。
>肯定するものは無記に対して断見であるという間違った判断を下したままでしたね。
>「断見仏教」というレッテルも貼っていましたね。
>
一部にはそういう人もいます。
しかし私は違う。 無記には「転生はない(またアートマンもない)」という意味はありません。
そして無記は断見には相当しない。何故なら、無記も断見もゴータマの説いたものだからです。
否定者が否定者でありながら無記を自己の都合よく利用してくることが多い。
>「御伽噺説」は面白かったですね。
>
どういう意味でしょう?
輪廻転生の教えは方便で倫理性のために導入したと?
ゴータマ自らが??
>>310 >釈尊の本懐というのは四諦だけです。
>
初転法輪だからですか?
ゴータマはなにも、体系的な理論を説いたわけではなかった。
1番最初にフッと語られたものが、基本的な四諦の言葉だったのでしょう。
それは誰も否定していないと思います。
それが輪廻転生を重視しなかった根拠とはみえません。
312 :
1:2008/11/27(木) 23:52:21 ID:jZ7IyLUb
>>310 >もともと業報思想というのは、バラモン教が発端ですから、
>仏教においては全く考える必要性はないですね。
>
つまりバラモン全面否定ですか!
すみませんが、原始経典(最古層とか分けることなく)からその部分を抽出ししてもらえますか?
>業報(カルマ論)と縁起の理法は全く違いますし、
>どうして違うのか?と言いますと、不去不来だからです。
>
とにかく、もっと具体的に説明してもらえませんか?
根拠を示す経文があれば、それを提示してもらえることを希望します。
140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。
141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。
142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。
やはり、釈迦は輪廻転生を説いてるんじゃないだろうか。
314 :
1:2008/11/28(金) 00:54:01 ID:r2airbxL
>>313 はい。それは
>>275>>278でも出た部分ですね。
ここだけに限らず、それ(輪廻転生)以外には解釈できない
という、明らかな経文は他にも沢山あります。
(尚、142はゴータマらしさが出ている私個人が大変、好きな経文の一つです)
しかし、否定者の中には、それは原始経典においても少し後代のもので、
最古層にはあまりないといい(それでも出てくるのですが)、
輪廻転生の教えはゴータマは説いたものではなく、
経典制作において後に附加されていって増大したものと見ているようです。
では、どのように附加されたのか?
というと、それについての具体的な説明はなく、
ただの推論の域を出てはいないのです。
そして輪廻転生抜きでは説明し得ない諸問題については無回答か、
頓珍漢な返答しか出てこないのが現状・・。
315 :
1:2008/11/28(金) 01:02:14 ID:r2airbxL
>>313 はい。それは
>>275>>278でも出た部分ですね。
ここだけに限らず、それ(輪廻転生)以外には解釈できない
という、明らかな経文は他にも沢山あります。
(尚、142はゴータマらしさが出ている私個人が大変、好きな経文の一つです)
しかし、否定者はそれは原始経典においても少し後代のもので、
最古層にはあまりないといい(それでも出てくるのですが)、
輪廻転生の教えはゴータマは説いたものではなく、
経典制作において後に附加されていって増大したものと見ているようです。
では、どのように附加されたのか?
というと、それについての具体的な説明はなく、
ただの推論の域をでていないのです。
そして輪廻転生、抜きでは説明し得ない諸問題については無回答か、
頓珍漢な返答しか出てこないのが現状・・。
そして、否定論者の中には(学者級の研究者にも実際いるのですが・・)
この142ですら、この「生まれによってバラモンとなるのではない」が、
生まれ変わりなどない根拠のなると説いているのです。
(私は呆れ返って気絶しそうになりました)
当たり前の文章読解力もなく・・
とにかく、ただただ「信じられない生まれ変わりの話」を何としても消去したいわけです。
そのことが、とてもよく現れている否定根拠です。
316 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 02:18:25 ID:+Z7XPdLV
君の前世は何だかわかる?やはり人間なのか?今度生まれ変わる時も人間なのか?
600億の人間にだけ生まれ変わる魂?がある説を唱えた奴いたけど、あれは冗談なんだろな…
それにしても無数のプランクトンも輪廻しているのだろうか?良いプランクトンはまた人間に生まれ変わるのかしら?誰が良い悪いを判断するのか。
池田大作やダライラマは死ぬと即人間に転生するのは本当だろうか
317 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 02:32:28 ID:O35CqjBz
輪廻転生があるかないかは、死んで見なくちゃ分らない。
あると信じる方は、まず死んでみたらどうですか。私は真っ平御免だがw。
318 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 09:03:29 ID:bcgU8Pah
事実(有無)と規範(希望)を混同する奴、多数。
中道にて調へるべし
319 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/28(金) 09:22:26 ID:MSjPMIxf
>>311 >ゴータマはなにも、体系的な理論を説いたわけではなかった。
そもそも中道ですから、体系的理論構築は無理です。
後に龍樹が部派仏教を批判しましたけど、
これも、ただただ部派仏教を否定することしか出来ない。
中道ベクトルだけです。
>それが輪廻転生を重視しなかった根拠とはみえません。
この件(輪廻転生)も、中道ベクトルを透過して導きだされるもの。
故に無記とか言う他に術はなし。
>つまりバラモン全面否定ですか!
釈尊在世当時は、アンチバラモンの行者が華やかし頃でしたから、
多くの独覚者がおりました。
六師外道もその仲間達です。
釈尊もアンチバラモンであったのは拙者が言う程でもないです。
320 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/28(金) 09:23:09 ID:MSjPMIxf
(つづき)
>とにかく、もっと具体的に説明してもらえませんか?
部派仏教は、我は無自性でも五蘊は自性(刹那滅)としましたが、
縁起の理法ですと生起は、そのまま生滅となりますから、
業報という概念自体が全く意味を成さなくなる訳です。
つまり自己同一性の自覚とは、めくるめく縁起。ただひとつなり。
五蘊は無自性で生起しては生滅の幻の如くなり。
>根拠を示す経文があれば、それを提示してもらえることを希望します。
はい、承知いたしました。
「色即是空 空即是色」これひとつなり。
五蘊は現象ですから「色」になります。
般若心経には「五蘊皆空」との記述あり。
どうかよく吟味くだされまし。
321 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 09:41:16 ID:+Z7XPdLV
仮に前世があるとしても、まったく記憶が削除されているなら、最初からなかったのと同じではないのか、後の転生の生命があるとしても、
太郎さんは今の太郎さんの生涯でしか生きようがない。後の生涯は同じ霊魂だとしてもミジンコかプランクトンか豚か牛か猿か
運良くまた人間として生まれ変わったとしても、その霊魂は太郎さんのほとんどまったく記憶がないでしょう、花子さんと生きるのかもしれない。
逆にミジンコ時代を記憶しているのもオゾマシイ話だが
要するに何が言いたいのかと言うと
太郎さんは今でしか太郎さんの生涯でしか生きようがないということ。輪廻転生など、あろうがなかろうが、ある意味 無意味なんだろなってことさ。
322 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 10:14:02 ID:+Z7XPdLV
君が君らしく生きるのは今の君しか出来ない。後の世があったとしても 今の君にとって今の生命生涯こそ大事であり唯一なんだ。
たった一度の人生だからこそ、かけがえのない生き方 悔いのない生き方をしなさい。
生まれ変わりや
復活があるのかは知らない。君にエールを送る。自殺は罪だ、生まれ変わりなどないも同じではないのか、今の君は今の君しか生きようがないのだから…
これが今の僕の得た結論である。以上。
323 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:21:18 ID:nJDQ73IK
輪廻転生など認めると、仏教が「カルト宗教」になってしまうよ。
カルト教祖が、「前世の業」や「転生」を信者に信じ込ませ、それを「脅迫」
の手段とすれば、信者を意のままに操ることができるようになる。
教祖自身が率先して死んで、来世を観察してくれば別だが。しかし、死ねば、
彼の感覚器官は灰になるのだから、そもそも、観察自体が不可能。
カルト教祖は賢いから、自分では、輪廻転生などないことを知っているので、
そんなヤバイことはしないw。
324 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:10:02 ID:+Z7XPdLV
デカルトだかパスカルが方法序説の中で言ってた有名な考え方がある。
仮に神がいないと考えて生きてみて、死後に実際は神がいて、天国地獄もあった場合の衝撃を考えたら
神がいると考えて生きて、現実の死後に何もないとしても、それはそれで仕方ない と諦めがつく っていうか意識自体が存在しないのだから。
前者の生き方よりは、騙されたとしても後者の生き方のほうがリスクが少ない。だからパスカルだかデカルトは神を信じる とあった。
生まれ変わりの場合は逆が成り立つのではないだろうか
325 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:18:54 ID:+Z7XPdLV
>>324 つまりこう云う案配だ、
自殺者が死に際して
どうせ死んでも生まれ変わりと云うリセットボタンがあるのだから
自殺てまた輪廻転生 人生やり直せると安直に死を選ぶという可能性
こう云う生まれ変わりを信じることで死という選択を容易に選んでしまうこと これが日本的甘えによる一家心中の悲劇に結びつくのではないだろうか。
敢えて厳しく問いたい。たった一度の人生と真剣に向きあっていただきたい。安直にリセットボタンを押してハイさようならではないのだ。
仮に死んで生まれ変わりではなく無になるか、地獄に行きっぱなしで二度と人間として地上界に戻ることはないとしたなら、投身や首吊り、一家心中を思いとどまるのではないだろうか
326 :
38:2008/11/28(金) 13:36:54 ID:tlYTOTg8
>輪廻転生など認めると、仏教が「カルト宗教」になってしまうよ。
このような短絡的な見方が世間一般にあることが学者をして輪廻思想研究に
真正面から取り組みにくくしている一因でもあります。
ではなぜこの様な短絡的発想が生じたかというと、言わずもがなオウム事件です。
「オウム事件は浅薄な日本人の宗教観にさらに輪をかけてしまった」とある宗教学者
が言っておられました。
それはさておき、私は「釈迦は輪廻思想の受容には消極的であったが、教義上また道徳上
輪廻思想を援用せざるを得なかった」と推測するものです。
もちろん、これは文献学的、また考古学的資料より得られた推測の域です。
私の関心は「輪廻が科学的に真実か否か」ではなく、仏教は輪廻思想を受容したという事実がまずあり
いかなる経緯でそうなったかという点です。
もし仏教が輪廻思想を受容した歴史を否定するなら、断見常見以前にナンセンスですが。
それでは5さんと同様また傍観させていただきます。
327 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 14:35:48 ID:KbA3F9L2
>>326 >「オウム事件は浅薄な日本人の宗教観にさらに輪をかけてしまった」とある
>宗教学者が言っておられました。
そのような考え方こそ、短絡的で浅薄。その宗教学者自身が、特定宗教(恐ら
くは、仏教系・神道系ではなくキリスト教系)の信者だからだろう。宗教学者
としての資格はない。
その原因は、日本の宗教学者を初めとする殆どの学者が、専ら、既にキリスト
教の汚染された西洋の学者の本ばかりをひたすら有難がって読み、それに依存
し切っているからである。大学の教壇から、宗教の布教をしているのである。
オウムも、宗教の全ての要素を備えている。オウム事件をきっかけに、「宗教
の病理」を追及、指摘、解明すべきだったのに、本格的に取り組んだ宗教学者
は誰もいない。常に宗教の擁護と正当化に終始している。本質的な批判をすれば、
そのまま自分の宗教に跳ね返ってくるからである。社会科学者としての宗教学
者の怠慢以外の何物でもない。
オウムの信者たちは、「宗教に嵌ったばかりに」「100%の善意」で人を殺
し、自らも死刑台に登らなければならないのである。彼らを慈しみ育ててくれ
た両親の心情は、想像を絶する。
死刑に処せられるべきは、宗教の病理の解明と指摘を怠り、宗教を放置して、
生来は善良で純粋な信者たちの一度きりの人生を奪った、宗教学者である。
なお、すべてのカルト宗教も、伝統宗教を母体として発生し、その宗教テクニ
ックを余すところ無く「利用」しているのだから、オウムの犯罪については、
伝統宗教は、宗教学者と「連帯して」責任を負うべきもの。
そもそも「日本人の浅薄な宗教観」とは何事か。共同体としての人間とその
生存を支える自然とに最大の価値を認める日本人の宗教観こそ、実は世界で
最も優れた宗教観であることは、明らかではないか。
果てしない殺し合いと争いを続ける、キリスト教を初めとする西洋一神教の宗
教観は、「短絡的で浅薄」ではないとでもいうのか。
328 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/28(金) 15:17:15 ID:MSjPMIxf
>>326 >もし仏教が輪廻思想を受容した歴史を否定するなら、断見常見以前にナンセンスですが。
お題がありましたので拙者が絡みます。
仏教が輪廻思想を受容したとしても、それは世俗諦の範囲ですね。
何故かというと、説法自体が世俗との接点がありませんと不可ですから。
対機説法というのは、世俗とどう絡めるか、という方法論です。
釈尊の本懐というのは第一義空諦(中道)ですから、
これを抜きにしては、もはや仏教にあらず。
じゃあ、第一義空諦というのはどういうもんか?
簡単に言いますと、あらゆる言語概念は無に帰します。
(仏教が無の哲学と言われる所以ですね)
言語の名称&形態は、世俗諦ですから。
輪廻転生とかの概念も、もはや用なしになってしまうのです。
ですから、輪廻思想を想起する脳の問題になってきますね。
そもそも思考システムそのものが無明なわけです。
明智になれば、全てが解き明かされるわけです。
これを仏教では「悟り」とか言ってますね。
>>328 すごい悪文で理解できない。
俺が頭バカなんだろうか?
皆はどうよ。
>328はラジニーシカブレと違うの?
第一義空諦って何処の宗派で使われてる
言葉なんですか?
330 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 22:53:23 ID:T3foDsL9
あらゆる言語概念が無に帰するんだったら、
輪廻転生だけでなく、ありとあらゆる概念が用なしになるじゃないか。
八正道や苦集滅道も悟りも用なしということになるの?
一種の詭弁としか思えないんだが。
331 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 23:37:43 ID:bcgU8Pah
>>330 その通り、だから般若心経は空をあえて言語概念で「無〜」と説く。
「無〜」は世俗諦的意味・概念・テクストの無ではなく、有無の二辺を離れた中道であることは当然だ。
不一不二
>一種の詭弁としか思えないんだが
それは「弁」が成り立つ次元の話。
そもそも「(詭)弁」・言語・概念・論理・コンセプトが成り立つ次元ではない。
ヴィレム・フルッサー的に言えば次元の異なるメタ(上位)コードと言えばいいか・・
時空が縁起(即縁滅)する〇〇と言えばいいか・・
とにかく、気が付け!としか言えないのがもどかしい。
332 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 23:38:12 ID:goGw+Y/q
>>330 言語の発生は、古代人の生存に必要な具象物を区別し、指示することであった。
言語が、具象・現実という、その本質から離れると、無意味な観念となる。
現在の金融危機も、貨幣が、生存に必要な物資やサービスの獲得(実体経済)かr
離れ、それらの裏づけの無い、貨幣の信仰という「宗教」に堕してしまったから
である。
観念語は、現実界(実在物)に還元し得てのみ、その意味を有する。
333 :
神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 23:58:51 ID:bcgU8Pah
>>332 >無意味な観念
それは違う。具体的過ぎると本質が見えない。
抽象化は知性の必然だ。
問題はその先にある。
>貨幣の信仰という「宗教」
これも違う。
およそ商品交換経済が成立したときから、
実体経済と金融経済の両輪構造で経済が成立してきたことは経済学の初歩的常識だ。
実体経済の原理は需給関係であり、
金融経済の原理は投資(投機)利回りだ。
まったく>貨幣の信仰という「宗教」 などというものは成立していない。
334 :
神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 00:14:40 ID:eBXgWidz
>>329 『勝義空性經(ParamArthaSUnyatAsUtra)』
T02n0099_p0086c20(00)║雜阿含經卷第十三
T02n0099_p0092c12(00)║ (三三五)如是我聞。 一時。
T02n0099_p0092c13(08)║佛住拘留搜調牛聚落。 爾時。世尊告諸比丘。
T02n0099_p0092c14(07)║我今當為汝等說法。初.中.後善。善義善味。純一滿淨。
T02n0099_p0092c15(03)║梵行清白。所謂第一義空經。諦聽。善思。
T02n0099_p0092c16(03)║當為汝說。 云何為第一義空經。諸比丘。
T02n0099_p0092c17(04)║眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
T02n0099_p0092c18(00)║生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
T02n0099_p0092c19(01)║異陰相續。除俗數法。耳.鼻.舌.身.
T02n0099_p0092c20(04)║意亦如是說。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。
T02n0099_p0092c21(01)║此起故彼起。如無明緣行。行緣識。
T02n0099_p0092c22(04)║廣說乃至純大苦聚集起。又復。此無故彼無。
T02n0099_p0092c23(04)║此滅故彼滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣說。
T02n0099_p0092c24(00)║乃至純大苦聚滅。比丘。
T02n0099_p0092c25(07)║是名第一義空法經。 佛說此經已。諸比丘聞佛所說。
T02n0099_p0092c26(03)║歡喜奉行。
335 :
1:2008/11/29(土) 00:38:15 ID:/u2FJMkL
>>310 >業報(カルマ論)と縁起の理法は全く違いますし、
>どうして違うのか?と言いますと、不去不来だからです。
>
>>320 >>根拠を示す経文があれば、それを提示してもらえることを希望します。
>はい、承知いたしました。
>「色即是空 空即是色」これひとつなり。
>五蘊は現象ですから「色」になります。
>般若心経には「五蘊皆空」との記述あり。
>どうかよく吟味くだされまし。
>
>>328 >じゃあ、第一義空諦というのはどういうもんか?
>簡単に言いますと、あらゆる言語概念は無に帰します。
>(仏教が無の哲学と言われる所以ですね)
>言語の名称&形態は、世俗諦ですから。
>輪廻転生とかの概念も、もはや用なしになってしまうのです。
>ですから、輪廻思想を想起する脳の問題になってきますね
>
悪いけれど-ちょっと机さんの説明は難解-もしくは意味不明な部分が多いです。
どうも、自分しか判らないような内容が多過ぎる・・。机さんのいうことからすると、全てが噛合わなくなっ
てくるように思えてきてならない。まるでサーンキャ学派か何か、またはジュニャーナ的アプローチのよう
な印象も受けます。
どうも間違ってたらスミマセンが、例えば現象界の一切はマーヤー(幻覚)に過ぎない。この肉体などは
実体ではないから「病気もない」などといい、医者にも掛からず薬も投与せず・・遂には死者まで出るカル
ト教団のような?
彼らは、病気を実在として肯定することを意味するからといい治療の一切を拒絶します。私は何か、これ
にやや似ているような印象を受けてしまいますが・・。
336 :
1:2008/11/29(土) 00:40:00 ID:/u2FJMkL
机さんの話を聞いていると、全部を「無」とか「空」とかいいそうですが、まさか仏陀も空なの??
そして、とにかく般若心経の話なわけなのですか?また、思考活動は無意味なの?クリシュナムルティー
とかそういう感じがいいたいのだろうか??
とにかくすみませんが、できれば、-----これらの主張全てを「原始経典」からその部分の経文を抽出し、
提示した上で解説をして貰えませんか?ゴータマのバラモン全否定という部分も合わせて!
自分だけではなく、皆さんにも分るような説明でお願いします。
337 :
1:2008/11/29(土) 00:41:15 ID:/u2FJMkL
>>334 解説をお願いします!
(見りゃ〜わかるだろ!ではなく、誰でも理解しやすいように、
自己主張の根拠について、経典の説明を宜しくお願いします)
338 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 09:12:00 ID:1Oj31oPi
>>335 >例えば現象界の一切はマーヤー(幻覚)に過ぎない。この肉体などは
>実体ではないから「病気もない」などといい、
あまり、実体があるとか実体がないとか、考える必要はないかと思いますね。
関係性(縁起)だけを考えれば宜しいかと思います。
関係性がなくなれば世界も自分も消滅します。
>これらの主張全てを「原始経典」からその部分の経文を抽出し、
>提示した上で解説をして貰えませんか?
スッタニパータに書かれてますね。
蛇の章だけ読めばいいかと思います。
「この世とかの世をともに捨て去る」。
このように書かれてますから、どうかよく吟味してくだいまし。
>その背後にあるところの深遠な法則を説かないでどうする?
机さん・・「説明はいらない」「ただ死んでしまったこと」
「世間ではよくあること」・・これは酷いな。
>>290 別に酷くはないですね。
>これが2500年間も尊ばれ継承され続けてきたという
>仏陀の悟りなのですか?
>>290 そうです。
深遠な法則とか、カルマ落としとかは一切ないのです。
どうか安心して下さいまし。
(かしこ)
339 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 15:58:48 ID:1Oj31oPi
>>329 >すごい悪文で理解できない。
それは申し訳ありません。
では、もっと簡単に書込みします。
例えばですが「今」といふのを考えてみませう。
今というのは、既に過ぎ去りつつあることであり、
と、同時に、来つつあることですね。
つまり相反するものが同時にありまして今であり、
また同時にないのが「今」です。
今が起点としましても、今が去りつつあることはないですね。
(去ってしまったら今ではありませんから)
同時に、
今は起点としまして来つつあることはありえないのです。
(来つつありますと今ではありませんから)
このように、言語の名称&形態は仮説(けせつ)としてあるもんです。
仮説としてあるもんを世俗諦と言います。
以上に説明した如く、
第一義諦においては言語とその概念は寂滅します。
涅槃寂静ですね。
これでお解りになれたかと、お察しいたしまふ。
<机龍之介・花押>
340 :
神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 16:55:00 ID:HCN9Z3iS
しかし本当に禅をかじってる奴って説明能力ないね。やっぱり論理的思考ができないからかね。もう少しはコミュニケーション能力高めないとリアル社会でやっていけないだろうに。自己脳内完結じゃあ、誰にも相手にされないよ。
341 :
1:2008/11/29(土) 18:32:11 ID:/u2FJMkL
>>338 >あまり、実体があるとか実体がないとか、考える必要はないかと思いますね。
>関係性(縁起)だけを考えれば宜しいかと思います。
>関係性がなくなれば世界も自分も消滅します。
>
机さん、あなたは私からの
>>例えば、仏教のブの字も知らずに生まれてすぐ数年で死去した幼児の人生は、
>>仏教的理解では必然性でしたか?それとも偶然性の出来事(人生)でしたか?
>>因縁生起との関係では、これを如何に説明しますか?
>
という問いに対して、
>>288で
>因縁生起で言いますと、死んだのは原因がある筈です。
>病とか、あるいは故意に殺されたとか。
>別に説明はいらないですね。
>偶然にそうなってしまったことです。
>
と、回答しています。
縁起だけを考えればいいといいつつも、
実際には、「仏教のブの字も知らずに生まれてすぐ数年で死去した幼児の人生」については、
理由もなし説明要らず--偶然の出来事で処理すればいい、と返答していました。
これは明らかに矛盾していますが?
342 :
1:2008/11/29(土) 18:33:10 ID:/u2FJMkL
>>もともと業報思想というのは、バラモン教が発端ですから、
>>仏教においては全く考える必要性はないですね。
>>310 >>
>つまりバラモン全面否定ですか!
>すみませんが、原始経典(最古層とか分けることなく)からその部分を抽出ししてもらえますか
>
何故、経典で説かれていることを勝手に排除するのですか?
後世の附加であるとの根拠が明確にあるのですか?
そのゴータマがバラモン全否定であったという部分を原始経典から提示して頂けますか?
とにかく宜しくお願いします!
343 :
1:2008/11/29(土) 18:35:44 ID:/u2FJMkL
>>338 >>これらの主張全てを「原始経典」からその部分の経文を抽出し、
>>提示した上で解説をして貰えませんか?
>>336 >
>スッタニパータに書かれてますね。
>蛇の章だけ読めばいいかと思います。
>「この世とかの世をともに捨て去る」。
>このように書かれてますから、どうかよく吟味してくだいまし。
>
全く同意できません!
何故、言葉のその部分のみを抽出して、自己勝手に解釈して都合良く利用するのでしょうか?
そんなことをしたら、もう何でも在りだと思いますが・・。
「この世に環り来る縁となる煩悩から生じるものをいささかも持たない修行者は、この世とかの世
を共に捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨てるようなものである。」(スッタニパータ15)
これは当たり前に普通に読めば、いささかの議論の余地もない筈です。来世で再生するような煩
悩を持たない者は、「この世」---今生---の苦からも開放され、更には「かの世」---死後の世界及
び来世---の、全ての世界における生存を受けない、といっているのです。こうして捨て去るのだと。
「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか? いかにして財を獲るのであるか? いかにして名声
を得るのであるか? いかにして交友を結ぶのであるか? どうすれば、この世からかの世に赴いた
ときに憂いがないのであろうか?」(スッタニパータ185)」
このアーラヴァカ夜叉からの言葉、「この世からかの世に赴いたとき」もそうです。今生を終えた死
後での生存(来世も含む)のことを指しており、ごく日常的な言葉です。この世の人生で困らないため、
そしてあの世(及び来世)にいっても困らないためにはどうするべきか?と、ゴータマに聞いているの
です。
また、何かまるで・・大乗理論(あらゆるものを含めて)がゴータマを上回っているかのような姿勢
には、この私は全く同意しません。
344 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 18:41:19 ID:1Oj31oPi
>>340 拙者の書込みで、誰も解らんのならこれ以上書込みはよそうかと思いましたが、
>>331氏とか
>>332氏は、もう既に解ってらっさるんです。
まあ、こういうふうに解ってる御仁がいるからこそ
拙者は書く気にもなれるんです。
345 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 19:03:29 ID:1Oj31oPi
>>341 >縁起だけを考えればいいといいつつも、
>実際には、「仏教のブの字も知らずに生まれてすぐ数年で死去した幼児の人生」については、
>理由もなし説明要らず--偶然の出来事で処理すればいい、と返答していました。
>これは明らかに矛盾していますが?
縁起というのは関係性のことですね。
人は関係性・条件において生存機能が働く(これが五蘊)
人の死とは、こういった生存機能が限界にきた場合、
もはやこれまで。と
死を迎えるのです。
こういうことで、人の死に何らかの法則なりがある訳ではない。
ただ、人類の歴史は知性の発達の歴史と逝っても過言ではない。
それに伴い、いろいろと妄想に耽るまでに到った訳です。
明あれば暗あり。
負の部分も発展して逝ったのは
拙者が言うほどのこともなかろう。
<机龍之介・花押>
346 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 19:34:29 ID:1Oj31oPi
>そのゴータマがバラモン全否定であったという部分を原始経典から提示して頂けますか?
>とにかく宜しくお願いします!
そうですか。
では、お題を頂戴いたします。
バラモンは梵我一如ですね。
仏教は、不二一元論とは違いますね。
色即是空の意味は、
不一にして不二の意ですね。
一元論とも違いますし、二元論とも違います。
>原始経典から提示して頂けますか?
原始経典なら、たしか第一義空経に書いてあったかと思います。
(検索すればヒットするんじゃないかな?)
>どうすれば、この世からかの世に赴いた
>ときに憂いがないのであろうか?」(スッタニパータ185)」
そもそも蛇の章にあるように、今生も来世も捨てるわけです。
ということは今現在もないわけですから、
これは、相反する永遠(不死)を得るわけですね。
(この説明は非常に難しいですけど・・・)
不一不二は、相反するものは必ずドッキングしてます。
そのように経典を解したら宜しいかと思います。
時系列的に、今生から→来世という意味とは違います。
ただ、世俗諦としての詩句ですから、
そこは第一義諦としての解釈は必要です。
>>345 君が俺の修行に何の役にも立たない、
と言う事がわかったよ。
自分で自分の言ってる事理解してる?
本読み過ぎて下痢してんじゃないの?
半分自分に酔ってんじゃないの。
>>346 >そもそも蛇の章にあるように、今生も来世も捨てるわけです。
ということは今現在もないわけですから、
これは、相反する永遠(不死)を得るわけですね。
(この説明は非常に難しいですけど・・・)
ここは逆によくわかるよ。
349 :
1:2008/11/29(土) 20:25:54 ID:/u2FJMkL
>>345 >縁起というのは関係性のことですね。
>人は関係性・条件において生存機能が働く(これが五蘊)
>人の死とは、こういった生存機能が限界にきた場合、
>もはやこれまで。と
>死を迎えるのです。
>
>こういうことで、人の死に何らかの法則なりがある訳ではない。
>
そういう説明しかできないのを唯物論といいます。
私は、その人間が生命を維持できなくなる状況に陥ったのはどんな因果か?
と聞いてるのです!何故、BではなくAが死んだのか?何故、田中家ではなく佐藤家だったか?
どうして自分がそこに生を受けたのか?と、聞いている。
それを偶然な説明不要として、
その程度のことも答えられないような哲学や思想なら、もう結構です。
350 :
1:2008/11/29(土) 20:27:17 ID:/u2FJMkL
>>346 >バラモンは梵我一如ですね。
>仏教は、不二一元論とは違いますね。
>色即是空の意味は、
>不一にして不二の意ですね。
>一元論とも違いますし、二元論とも違います。
>
ですから、
ゴータマが業報理論を外道(それはバラモン教だから仏教ではない)として否定したという
その原始経典を示してくれ!と、私はいってるのです。
できないならば、もう結構です。
>そもそも蛇の章にあるように、今生も来世も捨てるわけです。
>ということは今現在もないわけですから、
>
どこからそういった解釈が出てくるのか理解に苦しみます。
今現在もない、のならば何をしても無駄・・。
話になりません。
351 :
1:2008/11/29(土) 20:38:24 ID:/u2FJMkL
>>346 >不一不二は、相反するものは必ずドッキングしてます。
>そのように経典を解したら宜しいかと思います。
>時系列的に、今生から→来世という意味とは違います。
>ただ、世俗諦としての詩句ですから、
>そこは第一義諦としての解釈は必要です。
>
身勝手な解釈以外の何者でもないと思います。
であれば、原始経典に何が書かれていても無駄ですね!
残念に思います。。
352 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 20:52:12 ID:1Oj31oPi
>>350 「第一義空経」で検索しましたか?
ヒットしたとしても、解釈は非常に難解です。
まあ、明日はこの続きを書込みしますけど、
先ずは検索して調べてください。
では、お休みなさいまし。
353 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/29(土) 21:06:07 ID:1Oj31oPi
失礼しました。
>>334に貼り付けされてました。
>意亦如是。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。
この、除俗數法。がポイントです。
354 :
334:2008/11/29(土) 23:23:44 ID:eBXgWidz
>>350 眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅。
有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。除俗數法。
耳鼻舌身意。亦如是説。除俗數法。
俗數法者。謂此有故彼有。此起故彼起。
↑
ここに明白に(世俗言語論理で)書いてある。
無我且つ縁生即縁滅
輪廻転生論など入る余地がない。鎧袖一触!
速く無明を除け
355 :
1:2008/11/30(日) 02:22:14 ID:gBEneIxG
はい。机さんそして334さん。
>輪廻転生論など入る余地がない
>
勿体つける必要はありません。
何故、輪廻転生論など入る余地がないのか?
そこのところをパッチリと凡夫にも分りやすく解説のほどを、どうか宜しくお願いします。
>>1さんへ
>引用文
(行を空け)
本文
このようにカキコしてください
自分のカキコに>は不要です。
よみにくいのですみませが
お願いします。
>>353 あなたは座禅とか瞑想の実践をやっているのですか?
358 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 08:25:04 ID:d96nLjLE
>>350 >どこからそういった解釈が出てくるのか理解に苦しみます。
>今現在もない、のならば何をしても無駄・・。
>話になりません。
そもそも縁起の理法といふのは、時系列的意味連関は寂滅してしまいます。
今現在がありませんと、過去&未来もありません。
だから、なにかをすれば無駄じゃあない。とか・・・
なにかをしなければ無駄になる。とか・・・
この二項は既にないのです。
「ない」といふ否定は、これは全肯定でもあります。
今現在はありませんけど、
貴殿の頬に伝わる風の感触。
朝げの焼魚のかほり。
鳥のさえずり。
今ある自分が確かにあるのでふ。
もう思い煩うことはない。
既に不死を得たではないか。
こういうことなんですよね。
「世界は素晴らしい」。
と、釈尊は入滅前に語ちたしたそうです。
359 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 08:37:32 ID:d96nLjLE
>>355 >何故、輪廻転生論など入る余地がないのか?
>そこのところをパッチリと凡夫にも分りやすく解説のほどを、どうか宜しくお願いします。
輪廻転生論は、今の貴殿に想起(五蘊)している訳で
今現在は「輪廻の思念」がある。
というのが縁起の理法ですね。
縁起ですから、今を離れてはなにもない。
この貴殿の「輪廻の思念」は現象ですから
色即是空の「色」になります。
どうか第一義諦にて調ふてくださいまし。
>>358 スルーですかw
あなたは実践はしていませんね。
言葉をこねくり回しているだけです。
昔の私のように。
361 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 09:17:12 ID:d96nLjLE
>>360 拙者は、遠く一休の流れを汲むもんですね。
一休宗純の弟子の弟子が本家です。
そこからの流れの末席におるもんです。
362 :
1:2008/11/30(日) 09:17:17 ID:gBEneIxG
>>358-359 >もう思い煩うことはない。
>既に不死を得たではないか。
はい。そういう感覚でいいますと、
禅の達人たちは殆ど仏陀なのですね!
>この貴殿の「輪廻の思念」は現象ですから
>色即是空の「色」になります。
>どうか第一義諦にて調ふてくださいまし。
思念活動は確かに色でしょう。。
そんなことは分っています。
そんな煙に巻く話しかできないのであれば、
もうあなたは結構です。どうぞ好きにして下さい!
-----あとは334さんからの経文解説を待ちます。
363 :
334:2008/11/30(日) 09:27:11 ID:wCWSNGYt
>>335 逆に問う。
無我且つ縁生即縁滅(『生已盡滅』)からどうして輪廻転生が導き出し得るのか?
証明終わり故、スレ主がそれでも輪廻転生論にしがみつこうとするなら、
(1)スレ主の目論見通り、ブッダの教えを離れてヒンドゥ教に鞍替えするか
(2)アビダルマ部派カルト寺和田に加わるか
(3)もう一度白紙から修行して、いち早く無明を除かれるか
(4)大部分の日本人とおなじく俗習的生活で生きてゆくか
いずれかを選択されることをお奨めする。
看々蝋月尽(看よ看よ蝋月に尽く) 「ほらほらうかうかしているうちにもう12月になってしまったよ」
>>360 >昔の私のように
そんなあなたが>『もう思い煩うことはない。 既に不死を得たではないか。』 (
>>358)と言って
既に見性を得た人にスジ違いの文句を言う資格はない。
書き込みぶりを見ても、ひたすらあなたの心情が愚かなだけでしょう。
ww
禅カブレってどうしようもないねw
366 :
334:2008/11/30(日) 09:42:02 ID:wCWSNGYt
>>362 >経文解説 ???
思い上がるな!愚か者め。
書き出せば大論文を書かねばならない。
無我且つ縁生即縁滅で尽きている。
無常・無我・縁起・空
自力で調べろ。
無分別智で調うべし。
>>366 論理的に説明できないと逃げるんだよな、
禅カブレは。。
部派仏教と上座部の何処が同じなのか、
テーラワーダの何処がカルトなのか、
>>『もう思い煩うことはない。 既に不死を得たではないか。』
この手垢のついた文章でどうやってこの人間が
見性してると判断したのか・・
ご説を展開していただけますか?
それとも「喝!」で逃げますか?
テーラワーダ日本仏教教会は間違いなくカルトです。
某成年の自殺問題にスポットを当てて論じましょうか?
仏教協会ですね。
370 :
1:2008/11/30(日) 10:35:06 ID:gBEneIxG
>>366 自分から掲げた経については(お願いしても)、ろくに解説もせず、
再び禅問答ですか?禅問答ならばどこかお寺でやって下さい!
いいでしょうか?
「無我」とはいいますが、これは正しくは「anattan(アナートマン)」といって、つまり、「attan(アナッタン
=アートマン)」に打ち消し語の「a」を付け、「アナッタン=アートマン(ではない)」ということをいっています。
よってこれは「非我」と訳するのが正しく、「それらはアートマンではない」という意味なのです。それらとは
五蘊であり、つまり「色・受・想・行・識はアートマンではない」と述べています。言い換えるならば、「アートマ
ンとは五蘊ではないもの」を意味するのですが、ただ、そのアートマン解説についてはゴータマはしなかった
ということなのです。
とにかく誤解しないようにしましょう!
これは、「アートマンは存在しない」という意味ではありません。
この世の生を受けるべき縁起がある限りは転生(再生)は止まない、
と、繰り返し経の中で述べられています。
この縁が滅すれば再生は止むという簡単な話ですよ。読んだことがありませんか?
残念ながら、
仏陀の教説というものは、(1)(2)(3)(4)のいずれにも属しません。
真理そのものは言葉の表現を超えており、言葉にした瞬間にそれは真理そのものではなくなってしまう。
しかし、世俗が理解できる言葉として表現していく必要がそこにはあるという矛盾・・そういうこと位は当然、
この私も百も理解しています。更には思考によっては到達できない世界である、ということも知っています。
その点はどうぞご心配なく!
それから何か・・経典を素直に読むことなくして、勝手に中論か何かのほうが優れているかのような態度
は如何かと思います。(誤解であれば失礼..)
以上
>>368 何処の宗派でも自殺者などは必ずいます。
それをもってカルトとは行きすぎでしょう。
それにその問題は他スレでやってますから
そっちに行って下さい。
さらにあなたへの質問ではありませんし。
372 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 10:55:09 ID:PJ3RT45+
ある特定の教団を指してカルトだ何だ、というのはどうかと思う。
釈尊の初期教団だって当時から見れば十分に反社会的な訳で。
>>371 そっちへ?どういうことでしょうか?
テーラワーダネタをふってきたのはどちらさん?
輪廻転生肯定という邪見とテーラワーダ、そしてカルトとは不可分離ですよ。
鬱病患者に瞑想を勧めるのは罪です。
375 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 11:02:19 ID:PJ3RT45+
>>374 私もオウムはカルトだとは思いますが、
宗教とカルトと間には明確な線引きはない
(あっても恣意的なもの)なので
批判する時は気をつけないといけないということです。
>>373 よく見なさいよ。
おれは>366にレスしてんの。
あんたにはカキコしてないでしょ。
スマさんは輪廻について否定も肯定もしてないでしょ。
ただ肯定の方に分があると言ってるだけで。
>>375 カルトの線引きはハッキリしていますよw
>>376 はあ?
あなたには脳障害があるようですね?
変な瞑想で狂ってしまったのですか?
あなたの言論はあなたが責任を持ちなさい。
突っ込まれたくなかったら、発言しなさんな。
ストリップ劇場に常連だったスマは輪廻転生肯定派ですよw
379 :
1:2008/11/30(日) 11:20:33 ID:gBEneIxG
輪廻転生は原始仏典〜において脈々と伝えられてきた中心的な部分です。
どうしてそれが邪見でカルトと不可分離なのでしょう?
ここでちょっと余談ですが、カルトとは何か?ということで資料を提示しておきます。
参考にしてください!(深い議論は他スレでお願いします)
『何がカルトと呼ばれるか――日本の事例
統一教会の霊感商法(因縁話で高額の商品を売りつける)、団体名を知らせない伝道方法、軟禁状
態、マインドコントロール、集団結婚、教祖のセックス・スキャンダル、マインド・コントロールかでの結婚
・セックスの強要
〜日本の宗教関係被害ではもっとも目立っている。消費者問題として、弁護士が救済に熱心。海外で
もよく取りあげられる。
オウム真理教 過酷な修行、極限状況、薬物使用、神秘体験、マインド・コントロール、住民とのトラ
ブル、リンチ殺人事件、終末の自作自演、被害妄想、サリン事件
法の華三法行の足裏診断、詐欺の疑い、
自己啓発セミナーの問題。グループ・セラピー。高額であること。勧誘ノルマ。一時的でないこと。
「カルト」の特徴とされるもの
絶対的指導者崇拝、異端的教義、反社会的、破壊的、詐欺的、激しい勧誘、監禁状態、心身の操作、
教義にもとづく脅迫、自由意志を損なう、情報遮断、閉鎖集団、脱会困難、終末論など。
「カルトとは、社会から孤立した閉鎖集団で、洗脳やマインドコントロールを行い、破壊活動や、詐欺な
ど法にも触れるような事件を起こす教団のこと。とりわけ、社会に恨みをもっておりエゴイスティックなの
で、世界が滅んでも自分たちだけは救われるとする終末論的教義を強く信奉する団体が多い。そのた
め、自己防衛の名目で外部に攻撃的になる」』
http://homepage1.nifty.com/norick/seishin2001s1.html
380 :
1:2008/11/30(日) 11:21:43 ID:gBEneIxG
『カルトの見分け方
カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができ
るでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができ
ます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当ては
まるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。
1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える』
http://www7.ncv.ne.jp/~church/what'scult.htm
>>374 オームの真実を知りたいなら
リチャード・コシミズで検索してみたら。
382 :
1:2008/11/30(日) 11:23:50 ID:gBEneIxG
脳障害とか差別用語は使用しないようにお願いします!
>>378 どこの劇場ですか?
名誉毀損にもあたるんじゃないの?
でスマさんが肯定してる部分を
教えてください。
>>382 脳障害と言う言葉は別に差別ではないですよ。
私が違います、と言えば済む事です。
単純に怒りに簡単に乗っ取られてしまうだけですよ。
>378は。。
>>383 いいのか?目撃者多数だよw
名誉毀損で提訴でもしようものなら、司法によって教団が調査されちゃうよw
都合悪いんじゃないの?w
387 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 11:32:52 ID:wCWSNGYt
無我且つ縁生即縁滅
輪廻転生論など入る余地がない。
388 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 11:36:27 ID:wCWSNGYt
無我且つ縁生即縁滅 ・・此れに尽きると解説している。
輪廻転生論など入る余地がない。
最終決着がついたのは明白。
証明終り
以上
あとは雑談でもどうぞw
391 :
366:2008/11/30(日) 11:57:21 ID:wCWSNGYt
後学の修行に資するため、読み下し訳文をサービスしておく。
サービスしすぎが悪い癖w
・・・・・・・・・
是の如く我れ聞きぬ。
一時、佛、拘留搜の調牛聚落に住まりたまへり。
爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく、「我れ今汝等が爲に法を説くべし。
初・中・後・善く、善義善味、純一滿淨にして梵行清白なり。
所謂第一義空經なり。
諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
俗數法をば除く。
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く。
俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す。
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す。
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す。
比丘、是を第一義空法經と名づく」と。
佛此の經を説き已りたまひしに諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、歡喜し奉行しき。
・・・・・・・・・・・・・
言うまでもなく、前半が文字通り眼目だ。
無我且つ縁生即縁滅 。
後半は縁起法の解説。
苦には原因があるのだから、除き得る→涅槃。
392 :
1:2008/11/30(日) 12:06:00 ID:gBEneIxG
>>391 その和訳はすでに手元にあります。
それでは、その前半部分と「無我且つ縁生即縁滅」について、
自分自身の言葉で説明して下さい!
(できますか?できなければ結構です)
394 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 12:21:17 ID:PJ3RT45+
禅者の一方的勝利だね
いしいひさいちの最底人を思い出したよ
395 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 12:24:15 ID:d96nLjLE
>>370 >この世の生を受けるべき縁起がある限りは転生(再生)は止まない、
>と、繰り返し経の中で述べられています。
>この縁が滅すれば再生は止むという簡単な話ですよ。読んだことがありませんか?
「縁起がある限り」というのは論法的にありえないですね。
縁起というのは生起して、そのまま生滅の意味ですけど、
これは世俗諦の説明で、
ようするに解釈としては、生起は即生滅の意味になるんですよ。→第一義諦
つまり、時系列な「有限」とか「無限」は全く意味をもたないのが縁起。
(継続性の意味はない)
「縁が滅すれば」。←これも論法的な間違いです。
縁起とは、生滅和合にして和合にあらずの不一不二であります。
「縁起」を、貴殿のように適当に解釈されては非常に困りますね。
396 :
366:2008/11/30(日) 12:32:24 ID:wCWSNGYt
>>392 君はずいぶん傲慢な性格だね。
これでは法を観るのは無理だ。
>>378 警視庁ハイテク犯罪対策総合センターに
相談したところ、君のカキコは名誉毀損に
当たるとの事。
対策を考えます。君のカキコを印刷しました。
>>397 あ、そうですか?
本気でやりましょうか?
警視庁?お前はあほか?
だから脳障害と言うんですよ。警視庁は管轄外w
警視庁に相談したことも大嘘だとわかりますよ。
お前は恫喝するのでしょうかね?
とことんお前を潰しやあげましょうw
ついでにカルトも潰しましょうか?
399 :
卵:2008/11/30(日) 14:23:26 ID:UAqidRog
>此の陰滅し已らば異陰相續す。
輪廻しとりますがな。
400 :
1:2008/11/30(日) 14:37:06 ID:gBEneIxG
名誉毀損とかじゃ〜はなく・・
もっと仏教とかそういった内容で議論して下さい!
>あなたには脳障害があるようですね?
>変な瞑想で狂ってしまったのですか?
ただ、これは明らかに過度の暴言に当たります。
そんなことをいうほどのことは何もなかったと思いますよ。
とにかく、まずは謝るべきです。
冷静になって頭を冷やして下さい!
宜しくお願い致します。
>>399 はい。異陰(五蘊ではないもの)は相続する・・w
401 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 14:58:18 ID:d96nLjLE
>>399 世俗諦論理ですから、とにかく難解な表現になってるだけですね。
生起するも生起することはなく、生滅するも生滅することはない。
(これは生起と生滅の同時相殺の意味ですね)
この流れにおいて
>業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
ですから、
業報の陰滅す以前に、もはや異陰を相続してる。
ってことです。
つまり、
業報以前の全く異なる次元に到達してる。
ってことですから、
これが彼岸に意と解せますね。
402 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 15:09:34 ID:d96nLjLE
で、
>>1さんは、
仏法における深遠な法則を拙者と語ちりたいのですね?
わかります。
で、カルマの法則とは何か?
こういうことですね?
>>398 私が書いた警視庁の部署に電話しなさい。
私はハイテク犯罪〜と書いたのですよ。
トップは警視庁に決まっているでしょう。
警察機構に知識のない方ですね。
ま、あなたが法廷に引っ張りだされるには
2段階あってそれが全てクリアされる
事が必要ですが、確立は高いと思っています。
恫喝?とんでもない。現実です。
わかりにくかったかな・・
2ちゃんのカキコなどで名誉毀損などの
犯罪が行われた場合、本庁のハイテク犯罪対策総合センター
が受付、各所轄などの刑事部の管轄になるということですよ。
>>366 どうやってこの人間が見性してるか?
ときいているのですが・・
いい加減な事を言っただけですか?
それともスルーですか?
そもそもあなたにとって見性とはなんですか?
また逃げますか?
>>404 では徹底的にやりましょう。
捨てアド示すから、あなたの個人情報をいただけますか?
本気でテーラワーダ仏教協会も一緒に潰して差し上げましょうw
あなた頭大丈夫ですか?
なんで私が矢面に立つ必要があるのですか?
マトモな人間には見えませんね。
まあ、お互いフェアプレーでいきましょうや。
放送wなんてウソつかないでさ。
で本庁に電話して部署確認したの?
>>408 放送じゃないよw
お前が嘘吐きなのは、警視庁といった時点で判断される。
ガチでする気がないのなら、泣き言垂れるな。
>>407 >あなたの個人情報をいただけますか?
おまえwホントのばかですか?w
誰が「あなたを頃させてくれますか?」
って聞くバカがいるよ。
あきれたね。
本気で行くからな、茶用意してまってろや。
>>409 だから電話すればわかることだよ。
観てるみなさん。本庁に電話して
ハイテク犯罪対策総合センターの存否を
確認すればわかります。
ばかw放送のジョークもわからんかたこw
丁寧な言葉使ってりゃいい気にナリくさってこんガキャ・・
おのれがブルブル震えるような事が
起こる可能性が非常にたかいぞ。
法曹人が言質とられるような物言いスルかボケ。
言質って読めるか。w
敵に回してはいけない人間ってこの世にはいるんだよ・・
>>411 何一つ言質とられていませんが何か?
警察出した時点で、恫喝行為成立していることがお分かりでない?
また、「本気で行くからな?」と言う言葉が補強を続けていますね。ばーかw ←これでやりやすくなったでしょう?
脳障害の癖にして何を粋がっているのでしょうか?
名誉毀損の法的成立要件も馬鹿だから知らないのはいいとして、警視庁とは東京都警察のことだよww
目を噛んで死になさいw
>>412 ほお、ガチでやっても顔面一発でお前なんかノックアウトだとおもうよw
お前はあらゆる面で渡しに勝てないよw
遠吠えするな、腰抜けw
>>412 無収入ニート君、これでもまだ連絡付けたくないですか?
腰抜けだからですか?吼えてるからですか?脳障害だからですか?
ヴィパッサナーで脳軟化症になったからですか?
スマのキチガイ教義で脳味噌炸裂したからですか?
沢山自殺者を出してる協会だから、その実体を隠したいからですか?
>>411 十分脅迫要件が成立しました。
これでガチで出来ないとは言いませんよね?
腰抜けほど、チワワの脅迫をするw
醜い争いが続いてますねw
ブッダはこの光景を見てなんと思うのでしょうか?w
「仏教は失敗した」と言うのかもしれないw
輪廻転生は仏教の前提ですよ
418 :
1:2008/11/30(日) 17:23:08 ID:gBEneIxG
無駄にスレを消費しないで下さい!
「仏陀は転生(再生誕)を説いた!?」ということで
議論の展開を楽しまれている閲覧者の皆さんにも迷惑が掛かります。
こういうときは徹底的にスルーです。
こりゃ名誉毀損や警視庁を出したほうが人間的に終わってますなw
脅迫もしてるようだし、それが協会の標準でしょうね。
421 :
卵:2008/11/30(日) 18:29:04 ID:ZYTjbrxH
366さんにとって
>此の陰滅し已らば異陰相續す。
↑の解釈は
>>401でよろしいのですか?
>>401の解釈方法を例えるなら、釈尊は自分の実の父親のことを、「私の嫁の姑の孫の祖父」などと呼んだりする類の人のように思われます。
とても気の利いたジョークだと思い大いに笑わせていただきました。
>>416 俺が脅迫を犯すような言葉を使う人間に見えるのか?
やってみろよ。
茶用意してまってるよ。
どうやら法律に関しては俺の方が一枚上のようだな。
ま、ゆっくり待ってなさいよ。
吉報があるかもしれんぞwww
しかし口は災いの元だねえ。
>>418 釈尊ほどの知性のあるお方が
輪廻がないと悟ったら黙って自決される
でしょう。
そんな自明な事をどうのこうのやってるより
法律問題の方が面白いと思いません?
>>414 なんとかこちらを挑発して何らかの情報を
とりたいのかな?
それとも虚勢をはってるだけかな?w
こちらは冷静に、淡々とやるべき事を
やるまでです。
東京都警察と言うより首都警察と言った方がいい。
君は警察官の階級を巡査から順を追っていえないだろうが
警視総監というのが階級のトップであり地方自治体警察と
うたってはいるが本庁を頂点とするピラミッド組織なんだよ。
だから、放送界のにんげんです。なんてウソをついても
すぐばれるんだよ。卑怯者が。。
425 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 19:24:46 ID:PJ3RT45+
言い争いをするなって釈尊は言ってなかったっけ?
>>424 多分、あんたは相手をわかってないよw
警察庁ってしってる?
>>413 まあ、好きなようにやってごらんよ。
自ずから結果はでるだろうよ。
430 :
1:2008/11/30(日) 19:59:09 ID:gBEneIxG
>>395 >生起は即生滅の意味になるんですよ
わかりません!
縁起そのものには継続性の意味がないことは分っていますよ。
机さんは今、どうしてこの世に生まれ生存していますか?あなたはどうも唯物主義ぽぃから、両親
の生殖行為で生まれました、などというのかもしれませんが・・。
机さん、あなたは必然性のもとにこの世に生を受けています。他の誰かではなくて、この両親には
あなたでなければならなかったのです。その因縁が原因して誕生し、今こうして生存している。そして
生存すべき縁起が続く限りは決して死ぬことはないし、役目が終って必要な時期に達すれば死去する。
生を受けるべき作用が消えない限りは、再び次の生存も受けることになる。
そんな---勝手に止むことなどはないのです。
今、あなたは本当に生まれて(生存して)いますか?まさか今のこの生存は「空である」とかいい・・
生まれと同時に即生滅だといいつつ、ちゃんと口に水を運び食を摂って、ただ無意識に肉体を維持し
ているわけですか?
では、机さんが無関係とかいった業と縁起の関係を説いた経を提示します。つまり、これは縁起の
理法によって存し、また滅するということであり、この身は過去世の業によって造られたものであり、
これあるがゆえにこれがあり〜かくのごときが、このすべての苦の集積の滅尽である、といっている。
431 :
1:2008/11/30(日) 19:59:42 ID:gBEneIxG
「かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナー
タビンディカ(給孤独)の園にましました。その時、世尊は、比丘たちに説いて仰せられた。
《比丘たちよ、この身は汝たちのものではない。また他のものでもない。比丘たちよ、これは過去世の
業によって造られたものであり、過去世の業によって考えられたものであり、また過去世の業によって
感受せられたものであると知るがよい。比丘たちよ、だから、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たるも
のは、縁起の理法をよくよく思念するがよいのである。
それは、これあるがゆえにこれがあり、これ生ずるがゆえにこれが生ずるのであり、これなきがゆえ
にこれがないのであり、これ滅するがゆえにこれが滅するのである。すなわち、無明によって行があり、
行によって識があり、・・・かくのごときが、このすべての苦の集積の生起である。また、無明を余すとこ
ろなく滅することによって行の滅があり、行の滅によって識の滅があり、・・・かくのごときが、このすべ
ての苦の集積の滅尽である》」(サンユッタニカーヤ12-37/我がものにあらず)
>>413 >警察出した時点で、恫喝行為成立していることがお分かりでない?
六法でも読めよ。
君の場合は2ちゃんという公の場で
個人を特定して、名誉を毀損する恐れが
ある。と言うところまでいっちゃってるからねえ。
まあ判断は司法がするだろうがね。
433 :
1:2008/11/30(日) 20:01:46 ID:gBEneIxG
とにかく私は・・、
仏典(原始経典)において繰り返し説かれているこの大切な教えを
まともな道理に基づく根拠なしに邪説邪見、妄想カルトetc.
「輪廻転生論など入る余地がない」などと、
自分自身の無知蒙昧を棚に上げておきながら批難し続ける輩を
黙って放置することができない。
それは、
29歳で出家してから、35歳で正覚し80歳で道端に倒れるまでの45年という歳月を、
繰り返し繰り返しこの教えを説いてインド中を遊行されたゴータマそのものを抹殺、
殺害したにも等しい愚弄行為であると思っています。
到底、許すことができない。
個々の人たちが勝手に、
「そんなことは信じられない!」などというのは一切、関係がない。
私自身は今回、これが仏教学上において確立した事実であるかどうかを
ハッキリと確認させて頂きます。
>>426 お前面白いなw
で、サッチョウがどうしたの?
435 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 20:18:44 ID:AKPB+2NT
152 諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、
諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
>>431 貴方が蛇蝎の如く忌み嫌うわたしですが
質問させてください。
この経は岩波の文庫に入っていますか?
宜しければ。
なにこのスピリチュアルなスレw
>>426 お前もしかして俺が階級トップの警視総監って書いたから
更に上の階級を超えた長官を知らない、とでも思ったの?
失礼ぶっこいちゃうわねえ。
とまれ、
>>1さんに答えてもらいたいから
この件に関してはこれをもってレスを一切止める。
というかご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした。
輪廻の問題、語りあってください。
> ID:29tzVBzI
第一段階突破したぞ。
これからは高みの見物させてもらうよ。
俺を怒らせすぎたな。
後悔先に立たずが人生だ。
ま、いい勉強しろや。
439 :
1:2008/11/30(日) 20:49:02 ID:gBEneIxG
>>436 わたしは、否定者たちが悪意でしているわけではないことを十分、承知しています。
主張そのものは決して認めませんが、その個人を憎んだりしてるわけではありません。
私は皆さんほど仏典に詳しいわけではなく、
手元に仏教辞典すらないのですw
岩波文庫の所蔵については、すみませんがご自分で検索してみて下さい!
この経は、
「阿含経典・第1巻/増谷文雄訳著-筑摩書房刊」p160に掲載されおり、
このウェブでは、全6巻から一部をサイトアップしています。
大いに活用しましょう!
http://www.kojintekina.com/agama/agama70511.html
>>428 はあ?
俺じゃないんだけど?
結果はもう出てるよ、あんたが馬鹿で、これからテーラワーダの崩壊が始まるってことを(笑
それと、あんたが行かれてるってこともなw
>>439 ありがとうございます。
あなたの素直でそして謙虚な、また真摯な言論を
ロムさせていただいておりました。
釈尊(貴殿はゴータマとお呼びすると言っていましたね)
にたいする・・・心が私のような者にも伝わってきます。
ついでに答えてくれませんか?
釈尊ほどの人間を超えた存在が
もし輪廻がないと知ったら、死ねば
すべてが終ると悟ったなら、自決するでしょう?
他人を誘わずに・・これではだめですか?
後上の方にいた野狐禅たちは相手に
しないほうがいいです。
442 :
1:2008/11/30(日) 21:25:13 ID:gBEneIxG
>>441 はい。
業報もなく、その果を受けるべき次の生もないのならば、
ただ「苦」(ゴータマはこの世の生存は苦であると見なした)を受け続ける理由はありません。
自決が最も簡単かつ即決な手段です。
無理に頑張って延命する必要は全くどこにもありません。
それはオバカであり、もしいるとしたらマゾヒズムでしょうか?w
仏教で自殺を認めないのは、
それは、自ら果たすべく役割(前世から引き継いだ業報も含めた)を
自分勝手に途中で放棄する行為であり、
その消化されない業報は再び再開するだけでなく、
与えられた肉体生命を勝手に閉じる行為は他殺にも近い悪業であるので、
更に背負うべき悪しき業報は増すばかりだからです。
>>325のように、
輪廻転生があるなら自殺してリセットしても、また生まれるのだからいい・・
などという道理は全くありません。
従って、自殺すればもっと苦しみを受けることになることを
明確に示しているのが輪廻転生の教えなのです。
>>442 不思議なのは貴方の説を聞き入れない
人達がいることです。
特に野狐禅どもは見性した人間の見抜きかた、
またそも見性とはなんぞや?という私の二度に
わたる質問からも逃げた。
あとはお得意の野狐禅問答。
困ったもんです。
444 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/11/30(日) 21:44:54 ID:d96nLjLE
>>430 >わかりません!
いやいや、それの件については前記しましたけど。
生起というのは、つまり相反する意も含まれる。
ってことを。
一義諦では、生起というのは論法的に間違いがあるのですよ。
何において生起するのか?
ってことになりますからね。
つまり主客という対立はありませんから、
まあ、この件に関しましては、
もっと解り易いよおに、
明日にでも説明します。
では、おやすみなさいませ。
(かしこ)
>>444 いいよ、もう来なくて。
他スレでも昔から嫌いだったよ。
>>438 ヘタレがまだ吼えてらっしゃったのですか?
必ず俺にたどり着いて、ケジメを付けろよ。
社会では完全に見放された負け組み君よw
>>446 お前も協会潰せよな。
吐いた唾飲むなよぼうず。
自分が負け組みだからってひとも一緒と思うな。
自称法曹マン君wwwwwwwwwwwwwwww
(>1さんすみません。これで完全におわりです)
>>447 同じ言葉しか返せなくなったのか?ああ?
おれ、間違いなく放送なんだけど?www
早くたどり着けよな?あん?
449 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 06:38:18 ID:1hnIsZQE
>>430 >では、机さんが無関係とかいった業と縁起の関係を説いた経を提示します。つまり、これは縁起の
>理法によって存し、また滅するということであり、この身は過去世の業によって造られたものであり、
>これあるがゆえにこれがあり〜かくのごときが、このすべての苦の集積の滅尽である、といっている。
1さん、申し訳ないですが、
なんか突っ込みどころ満載で、どこから突っ込んでいいか
迷うばかりです。
まあ、とにかくですが、
昨日の続きから少しづつ書込みしていきます。
450 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 07:05:40 ID:1hnIsZQE
>>444の(つづき)
【第一義空経】
>眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
生起する。ということは、何が生起するのか?というのが疑問です。
我が生起するのか?→無自性ですから有り得ない。
対象が生起するのか?→それ自体が生起することは有り得ない。
無(または有)なるものが生起するのか?→論法的な矛盾がある。
ですから「生起する」ということが既に矛盾があります。
生起は非生起になります。→これが生滅の意です。
ようするに、生起は非生起(生滅)の意を含んでおります。
この理(ことわり)を空(第一義諦)と言います。
つまり、空は言語表記が所詮無理なのです。
なんとか世俗の論法で説明する他ないのです。
説明の仕方は、10人いれば10人の答えが全部違うかも知れません。
しかしながら月(真理)を指しているのは間違いない訳です。
(悟っていたなら、の話です)
このコンセンサスにおいて、法を語ちてるのでふ。
悪文ですが、ご理解いただけたでせうか?
451 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 11:46:35 ID:1hnIsZQE
>>430 >これあるがゆえにこれがあり〜かくのごときが
「これ(a)あるがゆえにこれ(b)があり〜かくのごときが」。としますと、
(a)→主体。(b)→客体。
aはbに依ってある。という意味です。
(世界は自分においてある。五蘊なくば世界および自己は消滅の意)
つまりaは単体では存在しえない。ってことですね。→無自性
過去世というのは、つまり魂の単体のことですから・・・
それ自体は存続しえない。
ってことの証左なんです。
(DNAの継承はあるかもしれません)
よって
>机さん、あなたは必然性のもとにこの世に生を受けています。
偶然に世界と縁がありましたが、
縁なくば、全く無に帰す。ということになる。→無自性
>生存すべき縁起が続く限りは決して死ぬことはないし、
「生存すべき縁起」といふのは、無明の最たるものでして、
この無明は容易く氷解できるもんではないですが、
第一義諦なら瞬時に氷解してしまいまふ。
また、
世俗諦でも氷解する方法もある。→逆観です。
どうか検索でもして調べてください。
452 :
1:2008/12/01(月) 15:05:36 ID:vq4wohLz
>>449-451 机さん、あなたは人柄が良さそうだし、
確かにとてもよく勉強してるようでその点については感心しています。
今朝は詳しい解説をありがとうございました。
内容はある程度は分りますが、しかし一部は理解できません。
空というよりは縁起で説明して欲しいのですが・・
起生とは「因縁起生」のこと、つまり「因縁に拠りて起生する」ということです。
机さんは業報をバラモン外道とかいいましたが、
因縁に拠りて起生し、因-縁-果-報(因)-縁-果-報(印).....と続いていく、
その展開していく作用(力)が「業」(カルマン)であり、この関係性を「業報」という。
こうして輪廻することから「業報輪廻」と呼んでいるわけです。
>aはbに依ってある。という意味です。
>つまりaは単体では存在しえない。
いいたいことは分るのですが、けれどこれはどうも逆ではないのですか?
「bはaに依ってあり、bは単体では存在しえない」と。
>DNAの継承はあるかもしれません
これは唯物論ですね!
遺伝の話はどうでもいい・・そんなことは分っています。
453 :
1:2008/12/01(月) 15:06:10 ID:vq4wohLz
>「生存すべき縁起」といふのは、無明の最たるものでして、
>この無明は容易く氷解できるもんではないですが、
>第一義諦なら瞬時に氷解してしまいまふ。
>また、
>世俗諦でも氷解する方法もある。→逆観です。
そこが問題。ただ思考によって第一義諦だ空だと理解したところでこの存在は消せません。存在を
維持しているところの縁起が在る限りは存続します。その状態が無明なのです。思考的理解で「無明
だったのか!」などと理解したところで、それで済む問題ではない。
そこのところはどのような見解にありますか?
>どうか検索でもして調べてください。
はい。縁起とは、時間的な生起関係(因果関係)ではない相依性を示すもの。そして、縁起が常に順
観と逆観のペアで語られていることについては確認しました。たしかに机さんの説明は間違ってはいま
せんでしたね。
しかしながらこの説明だけでは、縁起に時系列的な因果関係を示す限定の意味はなくても、時系列的
な因果関係として現れることはない、という証明にはならないでしょう。そこは納得がいきません。
454 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 15:55:38 ID:1hnIsZQE
>>452 >因縁に拠りて起生し、因-縁-果-報(因)-縁-果-報(印).....と続いていく、
これは全く違いまふね。
無明は貴殿のような誤った誤解をしてしまうのです。
まあ、いいお題ですから、拙者が簡単&明瞭に、誰にでも解せるよう書込みします。
因縁があったとして、
それが将来におき果報という結果が予定されるということは全くないのです。
縁起は、生起し生滅して、それで終了なのです。
例えばですが、木を燃やして灰になった場合、木が灰になる訳ではないです。
(これは道元の有名は話です)
木が燃えてる。→ってのが縁起です。
灰がある。→ってのが縁起です。
その瞬間・瞬間が縁起であって、そこに継続性はありえんのです。→生起即生滅
木がやがて灰になる。というのは、
人の経験則において、将来が予想できる。ってことだけです。
禅においては、
これを即今即所と言いますけど、
常なるものはないのです。→諸行無常
(アビダルマ哲学においても、刹那滅としている所以なのでふ)
455 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 16:09:52 ID:1hnIsZQE
>しかしながらこの説明だけでは、縁起に時系列的な因果関係を示す限定の意味はなくても、時系列的
>な因果関係として現れることはない、という証明にはならないでしょう。そこは納得がいきません。
「時系列的因果関係として現れる」んじゃなくて、
貴殿が、経験則として将来がどうなるか・・・推測がつきますし、
またそれが的中する場合が多い。
ってだけですね。
人はいつかは死ぬ。ってことは、貴殿が経験則において確信しているだけの話です。
法(ダルマ)とは、その経験則は関係ないのです。
456 :
素人A:2008/12/01(月) 16:20:10 ID:01j985P6
不老不死がだめなら輪廻転生か、不老不死いや不生不滅は仏か是で我慢する?
空気も水も見えるもの輪廻転生してるのだが、太陽も朝生まれて夕べに死す是も
輪廻転生。時間に始めと終わり有るのだろうか?
457 :
1:2008/12/01(月) 16:25:37 ID:vq4wohLz
>>454-455 >因縁があったとして、
>それが将来におき果報という結果が予定されるということは全くないのです。
>縁起は、生起し生滅して、それで終了なのです。
予定通りかもしれないし、全く予定通りではないかもしれない。
しかし、それはこの因縁があって生じる結果を示しています。
>例えばですが、木を燃やして灰になった場合、木が灰になる訳ではないです。
>(これは道元の有名は話です)
>木が燃えてる。→ってのが縁起です。
>灰がある。→ってのが縁起です。
>その瞬間・瞬間が縁起であって、そこに継続性はありえんのです。→生起即生滅
>
>木がやがて灰になる。というのは、
>人の経験則において、将来が予想できる。ってことだけです。
熱源、酸素、炭素・・・様々な因縁が在って、
その結果として木が燃えてる。勝手には燃えません。
木が燃えてる因縁に依りて、結果としてはやがて灰になるのです。
458 :
1:2008/12/01(月) 16:26:36 ID:vq4wohLz
燃える前は燃えるという予測ができ、
燃えている段階では灰になるという予測ができる。
あくまでも予測でしかありませんが、これは高確率な予測です。
人間の次の生についてもそうです。大変、高確率に推測によって
再び生まれてくるものと見なして話すことは可能です。
実際、ゴータマはこれこれだとまた再生する。
これこれだと再生せずに涅槃へ至るものとして繰り返し述べています。
>人はいつかは死ぬ。ってことは、貴殿が経験則において確信しているだけの話です。
>法(ダルマ)とは、その経験則は関係ないのです。
そう。役に立つ経験則です。
ゴータマもそのようにして教えているわけです。
では机さんも、これらの輪廻転生の教えは後代の附加増大、
つまりはゴータマの史実の教えではないという見解なのですか?
それとも、これらは世俗諦の説き方であって別に後代での勝手な附加ということではないと??
459 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 16:30:43 ID:1hnIsZQE
>>452 >「bはaに依ってあり、bは単体では存在しえない」と。
そもそも仏教においては、主客という明確な分別は不可なのです。
主客はふたつにしてひとつです。→これが無分別智
ひとつにしてふたつなのが主客。→これが分別智
色即是空 空即是色です。
つまり、主客というのは依存関係において成り立つ概念です。
相反するものは、全てが依存に依り意と形態が形成されます。
>これは唯物論ですね!
>遺伝の話はどうでもいい・・そんなことは分っています。
あえて言うなら・・・の話です。
別に他意は含まず^m^
で、そろそろ>>1さんもネタ切れしたよおですし、
いくらか明智になりましたか?
460 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 16:41:10 ID:1hnIsZQE
>熱源、酸素、炭素・・・様々な因縁が在って、
>その結果として木が燃えてる。勝手には燃えません。
>木が燃えてる因縁に依りて、結果としてはやがて灰になるのです。
つまり、依存関係が変化はしてますが、
熱源において結果は既に予定されてましたか?
予定されておらんでしょ?
よく考えてみてください。
もしかしたら、これで眼が開くかもしれん・・・。
461 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 16:52:12 ID:1hnIsZQE
>実際、ゴータマはこれこれだとまた再生する。
>これこれだと再生せずに涅槃へ至るものとして繰り返し述べています。
涅槃というのは、いろんな意味があります。
有余涅槃と無余涅槃は意味が違いますし。
(検索して調べてください)
>つまりはゴータマの史実の教えではないという見解なのですか?
輪廻転生思想というのは、そのテーマだけが一人歩きするもんじゃぁなくて、
それは四諦の論題に帰結してしまうのです。
全てが解き明かされたアカツキには、
もはや輪廻転生は問題外。となってしまいますね。
もちろん、カルトも用なしです。
462 :
卵:2008/12/01(月) 16:53:16 ID:pV/bZftV
>>459 >で、そろそろ>>1さんもネタ切れしたよおですし、いくらか明智になりましたか?
机氏のディベート展開には目を見張るものがある。
厨は厨でも只者ではない感がある。
自説を一方的に披露しつつ、言語量とレス数で相手の論旨を暈す。
そして答えるべき相手の質問は全く無視している。
この手法をもってすれば、論戦において(勝つことは無くとも)決して負けることは無かろう。
ただし、後に残るのは虚しい荒れ野と机氏自身の評価の下落であろう。
もっとも、現時点でも評判はすこぶる悪そうであるが。
464 :
1:2008/12/01(月) 17:07:45 ID:vq4wohLz
>>461 >有余涅槃と無余涅槃は意味が違いますし。
はい、知っています。
>それは四諦の論題に帰結してしまうのです。
>全てが解き明かされたアカツキには、
>もはや輪廻転生は問題外。となってしまいますね。
要するに机さんは、
バラモン思想の輪廻転生など実際にはないと理解すれば、
それが輪廻から解脱したことになる、つまり、そういう論法なのですね。
やはり結局は・・
もう、分りました。
ほぼお腹いっぱいですw
465 :
1:2008/12/01(月) 17:12:54 ID:vq4wohLz
今日の昼、
(財)「東方研究会」
http://www.toho.or.jp/index.html に私は電話しました。
仏教学における輪廻転生についての統一的見解について問い合わるためでした。
残念ながら解答としては、
未だに「統一的見解にはない」のだそうで、
この方の個人的な意見としては、輪廻転生についてはかなり否定的なものでした。
ただし、釈尊は待機説法の人なので、当時の思想を用いて(利用し?)
実際にも説いていた可能性がないとはいわない、という話はありました。
尚、この方は中観派の研究が専門でしたわw
しかし、私はこれでは納得できません。
どんなに偉い研究者が否定的であっても納得のいく説明でなければ認められません。
今、他の某所へも問い合わせ中です。
何か返答があればお知らせします!
466 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/01(月) 17:18:44 ID:1hnIsZQE
>>465 貴殿は人柄が良さそうですね。
玉石混合の2ちゃんでも、たまにキラリと光るレスがあります。
>>331は
かなり良いですよぉ〜〜〜^m^
何かの参考になれば宜しいのですが・・・。
467 :
卵:2008/12/01(月) 20:46:55 ID:PQJqeE+b
不毛な空論が続いていますが、1さんに個人的な質問です
学問上の見解ならば(統一見解など無い)それなりの機関へ問い合わせるなり研究紀要なり閲覧するだけですむことでしょう。
啓蒙活動ならば、ネット掲示板はおそらく最悪の媒体でしょう。
伝統宗門諸教団もまぁ、いわずもがなでしょう。
各方面の大体の現状はご存知のとおりでしょうが、なぜここなのですか。
>>467 >啓蒙活動ならば、ネット掲示板はおそらく最悪の媒体でしょう。
ここがよくわからん。一番お手軽で、興味ある人には効果あるし。
469 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/02(火) 07:15:02 ID:sEk3D8Rt
>>465 >しかし、私はこれでは納得できません。
そうですか。
納得するまでこれから先、人生を費やすのは深遠な法則どころか
深遠な迷いに埋没するだけですね。
非常に残念に思います。
ところで、何方でも平等に極楽浄土まで導いてくださる
有難い如来がおります。
拙者は、この如来は貴殿の機根にピッタリかと思います。
人それぞれ歩みは違えども、法を求める心こそ同一じゃあないですか。
一期一会、これも縁です。
その如来とは阿弥陀如来です。
阿弥陀仏に一心に帰依すれば、殆どの御仁が極楽まで行くことができます。
帰依するというのは、南無することです。
「南無阿弥陀仏」を唱えることです。
これは浄土真宗の門になりますけど、
どうか、その門を叩いてはどうでしょうか?
真宗系のカルトもありますから、新興教団に入るのは要注意です。
470 :
卵:2008/12/02(火) 09:02:25 ID:A23BSYD3
>>468 >>啓蒙活動ならば、ネット掲示板はおそらく最悪の媒体でしょう。
>ここがよくわからん。一番お手軽で、興味ある人には効果あるし。
文字による宗教の哲学的理解→知る喜び→理解=体得と勘違い→実践による検証はしない→我見(認知の歪み)→他者との論戦→自我防衛→我見の増強→自説に有利な情報のみ恣意的に抽出→問題解決→知る喜び→以下くり返し
風が吹いたら桶屋が儲かるような話ですが、心と宗教板に数多おられる固定の人々の存在がこれを實証しております。
それらの人々は、ながく論戦にかかわればかかわるほど、品性が下落しているのは皆さんもご存知のとおりでしょう。
そういった意味です。
471 :
1:2008/12/02(火) 09:04:47 ID:SqjMi9/n
>>467 私は元々は、葬式仏教及び大乗批判が私の心情の中心であり、アクセスの少ないところで細々
と投稿したりしてました。
質問の返答ですが、ここを選んだ理由としてはまず第一に、ネット掲示板というのは不特定多数
が自由に投稿ができ、閲覧ができるということ。投稿すればそれは記録としてズーと残るということ。
アクセスの少ない掲示板や個人的ウェブなんかですと、利用者は思想的にすでに偏っていて限定
されがちとなり、そして利用人数も圧倒的に少ない。
それに比べてここはアクセスが多いので、必然的に様々な思想に傾倒する人たちが広く閲覧する
ことになるので、つまり偏った支持者に限定されないで済むということ。確かに罵倒や冷やかし投稿
も多いのですが、それを除けば利用価値は十分に在るものと思います。
また掲示板の性質上、一つの主旨投稿があれば、それに対する賛成意見を表明するような投稿
というのは元々からして少ないものであり、その主義主張に対する反対意見が多数投稿されてくる
というのが必然であろうかと思われます。もう少し、賛成意見の投稿も欲しいところですが・・。
掲示板上の議論は投稿で直接、参加しない方にとっても双方のやり取りを見てもらえるのでアピー
ル効果は大きいでしょう。私自身も議論する相手だけではなくて、閲覧者のことを強く意識して書い
ています。もっと多くの否定派と肯定派の人たちに読んで欲しいと思っています。その効果は、必ずし
も掲示板上に投稿された主義主張のやり取りだけではないということです。いろんな人が必ず見てい
るのだということ、そこにこそ意義がある。
472 :
1:2008/12/02(火) 09:05:49 ID:SqjMi9/n
>>469 机さん、あなたはご自分お得意の分野へと私を引き込むことにはマンマと成功し、一休のトンチ宜
しく、サクサクッと張り切って投稿を続けた。しかしながら、一番肝心な私からの輪廻転生肯定論とし
てのあなたに対する問い掛けには、完全にスルーしてきてしまったのです。まっ、まともな解答ができ
る筈もないのです。誰一人としてできた者などこれまで皆無なのだから。机さんは、もういいです。
>納得するまでこれから先、人生を費やすのは深遠な法則どころか
>深遠な迷いに埋没するだけですね。非常に残念に思います。
私は相手が何者であろうと、たとえそれが道元であろうが、仏教史上最大の天才/ナーガールジュ
ナであろうが関係がない。龍樹といえども理論家/解釈家に過ぎない。史実、確認できる唯一なる仏
はゴータマただ一人。
経典にハッキリと輪廻転生が説かれている以上、正統なる根拠もなくその教えを勝手に削除するこ
とは到底できよう筈がない。
>拙者は、この如来は貴殿の機根にピッタリかと思います。
>その如来とは阿弥陀如来です。
>どうか、その門を叩いてはどうでしょうか?
なんでこの私に阿弥陀信仰が必要なの?家系の宗旨は浄土真宗(西)です-興味なし!アミターバ
なんぞ架空の仏などに興味はない。これは紀元後200年頃にゾロアスター教(開祖/紀元前630年生)
のアフラ ・マズダ神から取り入れたのがおそらくは起源とみなされています。人は行為によってバラモ
ンとなるのであり、行為によって極楽でも何処にでもいけるのです。アミターバなんぞ無用!
>人それぞれ歩みは違えども、法を求める心こそ同一じゃあないですか。
はい、この部分だけは同意します!
473 :
1:2008/12/02(火) 09:11:45 ID:SqjMi9/n
>>470 うわっ、驚いた!(笑)
おはようございます^^
はい、おっしゃる意味は理解します。
たしかに品性の低下は酷いもので・・仏教系が特に1番、酷い投稿が目立っているような印象があります。
仮にも仏教を知り、学んでいる徒でありながら、
これは何故?と疑いたいなる惨状w
474 :
1:2008/12/02(火) 10:51:51 ID:SqjMi9/n
まず、
確認しなければならない重要なこととは、
仏典(原始経典)において輪廻転生が主張されていることについては、
どこの誰がどのようにして読もうとも否定のしようはないということ。
そのことだけは間違いがない---これが事実なのです。
では、ここで問題となるのは何かというと、
これらはゴータマが実際に説いたことが経典として書かれたということなのか?
それとも、実際にはゴータマは説かなかったのだが、
後の経典制作の段階において意図的に書き込まれたか?
その二つに一つだ、ということなのです。
私たちは生前のゴータマの様子を知る術はない。
従ってまず必要なことは、輪廻転生の教えが経典に書かれてあると、
矛盾が生じるという(否定派からの)主張がされている点にあるのです。
しかし、それは本当に矛盾といえるのかどうか?
それらはただの誤解ではないのか!というのが、
この私の主張なのです。
つづく...
475 :
神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 11:27:42 ID:tgbgs6eo
少なくとも池田大作は日蓮の生まれ変わりではないな、豚かな?
ブヒブヒ(;O;),
悪魔だよ。
477 :
神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 11:47:07 ID:tgbgs6eo
ミジンコ
478 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/02(火) 12:03:03 ID:sEk3D8Rt
>>472 貴殿の論法といふのは、
小火(ボヤ)がありますと、必ず灰になる。→大火炎上は決定される。
ってことを主張しているんですよ。
熱源において関係性が変化しているに過ぎないんです。
これは誰でも経験則として知ってる訳でして、
だから燃える条件を抹消しようと消化活動に入るんじゃ〜ないですか。
人は、どういう条件なら鎮火して、どういう条件なら灰になる。
ってことを知っているのです。
これも関係性です。
つまり、複合的相依性においての状態に過ぎず、
その状態は関係性において決定される。
関係性とは常態にあらず。
これを諸行無常といふ。
ではまた、これから出掛けます。
>>478 こいつは昔からオナニストなんだよね。
禅家気取りのバカだね。
自分の言ってる事も良くわかってないんだよ。
480 :
神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:20:21 ID:tgbgs6eo
481 :
卵:2008/12/02(火) 12:40:40 ID:OZtP4Vad
スレの趣旨には沿わないが、一応豆知識としてレスしておこう。
>>469 白隠禅師が最晩年に阿弥陀仏に傾倒していったことを知るものは意外に少ない。
所謂、禅による見性の奥、真空涅槃のさらに奥にあるものを予見したものであろう。
もちろん机氏のレスはそういった事実とは全く関係のない無駄レスであろう。
>>481 見性ってどういうものなんですか?
素人にも分かり易く教えてください。
483 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/02(火) 12:59:16 ID:sEk3D8Rt
>>481 >阿弥陀仏に傾倒していったことを
それは法華経の間違いじゃ〜ないですか?(ボソ
白隠の幼少のころは法華経を習わせられていたもんですから、
大悟数回(晩年)の後に、改めて法華経の紐を解いた。
つぅのが定説になってますね。
拙者は、人間的には白隠よりも親鸞が好きですね。
484 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/02(火) 13:05:29 ID:sEk3D8Rt
>>481 >禅による見性の奥、真空涅槃のさらに奥にあるものを予見したものであろう。
そうでしたか、それは知りませんでした。
拙者にも、その奥の奥たる奥義を伝授してくださらんか?
お願いいたします。
485 :
卵:2008/12/02(火) 20:30:29 ID:oag4vaxf
>>482 無差別平等無相無色
私のようなダボに駄弁を求めるよりは、青野敬宗老師を探して御覧なさい。
>>483 >白隠の幼少のころは法華経を習わせられていたもんですから、
>大悟数回(晩年)の後に、改めて法華経の紐を解いた。
>つぅのが定説になってますね。
これは誰でも知っていること。白隠禅師と阿弥陀如来の御縁は公然と資料にあります。
しかし、意外と知られていない。
貴方に縁が無かったのか、眼が無かったのでしょう。残念なことです。
>>484 >拙者にも、その奥の奥たる奥義を伝授してくださらんか?
1さんは貴方の
>>人それぞれ歩みは違えども、法を求める心こそ同一じゃあないですか。
の問いかけに同意されましたが、私はそうは思いません。
貴方は、どんな理をもっても陳家な我欲を満たす道具に使っておられるではないですか。
そこにお気づきになるところから始められてはいかがですか?
486 :
神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 23:06:00 ID:132ZpEhJ
487 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/03(水) 07:21:16 ID:mipp96VF
>>485 阿弥陀信仰と禅は非常に類似性がありまして・・・
例えば禅では「瓦を磨いて仏になる」というのがあります。
これは殆ど無意味なことを示唆しとるんですが、
阿弥陀信仰にもこのベクトルはあるんです。
ただしこれを衆生に開陳することはありません。
禅においては教外別伝としておりまふ。
真宗系に多くの宗派に分れているのは、
この捉え方について、それぞれ考え方の違いからきておりまふ。
>>人それぞれ歩みは違えども、法を求める心こそ同一じゃあないですか。
真宗系でも禅宗系でも最終は同一地点に到達いたします。
ただ方便(方法)の違いです。
瓦を磨いて仏になることはありませんが、
じつはその無意味なことこそが、
貴殿の言ふ奥義なのであります。
>>啓蒙活動ならば、ネット掲示板はおそらく最悪の媒体でしょう。
そうそう、その最悪こそが最良であるのです。
どうかお気づきになることを祈念いたしまふ。
ヒントは既成概念の破壊です。
488 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/03(水) 07:59:06 ID:mipp96VF
>>474 >これらはゴータマが実際に説いたことが経典として書かれたということなのか?
基本的にゴータマは世俗諦でしか法を説くことはできませんから、
法を説く相手が輪廻転生を信じてるのなら、
そのベクトルで語ちる以外に方法はないのです。
故に、ゴータマは輪廻転生を語ちた可能性は充分にあるかと思いまふ。
つまり、法は方便としか説くことはできない。といふことです。
こういった経緯がありますから、
「経典に書かれていたから、これこそが法である」。
とかと解釈しては、これは法から離れてしまいますね。
ヒントは除俗數法です。
489 :
1:2008/12/03(水) 09:00:24 ID:tU6TSfgp
よく、「不毛な議論だった」といういい方があります。議論において解答に行き着かない場合や、相手
が自己の主張を最後まで認めなかった場合などによく使われるものだと思います。予め不毛な議論が
想定されるから議論はしないとか、議論は無駄なので意味がない、などといういい方がよくされます。
私は今は、たまたまこのスレを立ち上げて、こうして自己主張を投稿したり、また反論者と議論したり
していますが、これまでの私は、実はもっと全く別の分野での議論を、そう・・6年も7年もの永い間ズー
と続けてきたのです。それは同じ相手とは限らず、また数ヶ月置いては以前の相手とも再開したりしな
がら、最終的にはプロの専門家ばかりの中へと素人の私は自ら飛び込んでいきました。当然、総出で
袋叩き状態にあいながらも果敢に議論を交えてきました。現在は一端、中断していますが、しかしまだ
辞めたわけではない・・。議論というのは知識の豊富な側が必ずしも勝つというものではなく、また勝ち
負けの問題ばかりでもないのです。
つまり、何がいいたのかといいますと、私はこれまでの実際的な体験上、議論した行為そのものが無
駄だったと考えたことは1度もないのです。議論の相手が最後まで認めなかったとしてもそう。こちらの
主張と意見に相手は触れることになり、こちらも相手の意見や考え方に出くわすわけです。周囲にも人
がいれば人々はそれを見ていますし、ネット掲示板ならばもっと大勢がそれをきっと見ている(読んでい
る)でしょう。
決して直接、議論している相手だけが認める認めない、ということで終るわけではない。また議論にお
ける一つ一つの言葉のやり取りそのものに意義があるので、必ずしも一つの解答に行き着くことだけが
成果ではないのです。
ネット掲示板上での議論を我見が増すだけの諸行だ・・といわれれば、私も何も反論はできません。
ただ今回のことについては、私はどうしても黙っていることができなかったのです。一人でも聞いて欲しい!
少しでもこのことを訴えたい!そんな率直な想いからなのでした。
たとえ100対少数の孤独で厳しい戦いになっても引下るわけにはいかない・・そんな気がしたのです。
そういう時ってあると思うんですよ。
---ちょっと長くなりました。
490 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 09:13:13 ID:zEe8N0c3
test
491 :
1:2008/12/03(水) 09:23:27 ID:tU6TSfgp
>>488 つまり机さんは、
当時の思想としての輪廻転生を話していたかもしれない、その可能性があることは認めるが、
しかしそれは、全くの方便として利用しただけであって、言葉通りに受けてはいけないと。
輪廻転生はなどは在りえないのだということですね。
机さんの見解はよく分りました。
それを利用した理由としては、他にもいましたが、
確かに倫理上、これを用いると都合が良かったから・・
ということで宜しいですか?
>「経典に書かれていたから、これこそが法である」。
>とかと解釈しては、これは法から離れてしまいますね。
繰り返しになりますが、
私は、輪廻転生は現実に起こっている現象であり、
仏教としてこれについては説く必然性があって、
ゴータマは実際にこれについて語った。
そのことが繰り返し経文に記されるに至った。
そう見なします。
何故ならば、
輪廻転生を現実の出来事として森羅万象の法則として理解しなければ、
因果律ですらも存在できないからなのです。
もし因果律がないのならば、つまり何をしてもその成果に期待はできず、
よって努力は無駄に帰するのです。どんな悪業を成しても受けるべき果報すらも定まってないのならば、
人間の人生とは自己の快楽のままに任せ、
好き放題した者が勝ちだという自然法則を意味します。
因果律を認めないということはそういうことです。
492 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 09:25:10 ID:zEe8N0c3
この世界の実在さえ認めない仏陀が、あの世の実在など認めたら、全く
矛盾してしまいますよ。
輪廻転生など認めたら、キリスト教の処女懐胎、復活、再臨、贖罪など
という「荒唐無稽」を笑うこともできなくなります。
自分が、自分の苦や輪廻を逃れるために、一生懸命修行している姿は
浅ましく、まさに、餓鬼、地獄の世界ではありませんか。
仏陀は、あくまで当時の社会の、当時の人々に対して教えたのです。
仏典に何が書いてあるかというよりも、釈迦が現在に生きていたら、
何を、どう教えるかを、常に考えることが必要でしょう。
493 :
1:2008/12/03(水) 10:08:36 ID:tU6TSfgp
>>492 >この世界の実在さえ認めない仏陀が、あの世の実在など認めたら、
>全く矛盾してしまいますよ。
仏教では諸行無常などといいますが、
仏教成立以前からインドでは、永久不滅の存在以外は実在とはいわない伝統があります。
あの世の実在を完全否定する唯物思想を断滅論といい、それはゴータマが最も戒めた見解です。
>輪廻転生など認めたら、キリスト教の処女懐胎、復活、再臨、贖罪など
>という「荒唐無稽」を笑うこともできなくなります。
私は別に荒唐無稽として笑らわないが
あなたのような唯物主義者に「在りえない」などと罵倒されても別に痛くも痒くもない。
これは因果律の延長として必然のもの--輪廻転生の問題と一緒にしないように!
>釈迦が現在に生きていたら、
>何を、どう教えるかを、常に考えることが必要でしょう。
真理は不変。
現代人も転生を続けている・・それが無明の姿です。
494 :
1:2008/12/03(水) 10:19:05 ID:tU6TSfgp
>>492 >この世界の実在さえ認めない仏陀が、あの世の実在など認めたら、
>全く矛盾してしまいますよ。
この世もあの世も一時的な仮の状態なので、何も矛盾しません。
誤解しないようにしましょう!
495 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 10:30:48 ID:zEe8N0c3
>>493 バラモン教を否定したのが、仏陀ですよ。
>>494 「色」とは、「現世」のことです。
「色即是空・空即是色」(この世界は、人間の目に映じるだけの世界
だから、本当は無かもしれない。しかし、その世界こそ、人間が現に
生きている、そして生きるべき世界なのだ)。仏陀の大いなる現世の
肯定です。仏陀は、現世で生きる知恵を教えたのです。だから、神や
霊、前世や来世など、「人間が考えても無意味なことは考えるな」と
戒めたのです。仏陀の比類の無い偉大さは、この点にあることを理解
しなければなりません。
496 :
1:2008/12/03(水) 11:33:44 ID:tU6TSfgp
>>495 >バラモン教を否定したのが、仏陀ですよ。
あなたの理解では単純なバラモン全否定なのですか?
そうであれば是非、そのバラモン教を全面的否定したという原始経典を提示して見せて下さい!
しかし、私の理解ではそうではありません。
たしかに、ゴータマがバラモンの呪術的な祭祀の万能主義やその他、
実に様々な伝統の多くについてを批判した-そのことは間違いはありませんが。
(是非、これらも合わせて参照してください!)
「ウパニシャッドにおいて《アートマンが探求せらるべきなり》
と説かれているのと全く軌を一にしている。」
>>69 「ブッダは反ヴェーダ的自由思想家の一人であり、正統バラモン思想の否定者と見なされるが、
必ずしも単なる否定者ではなかった。」
>>84 「無常説は必ずしも仏教のみの説いたところではなかった。」
>>193 「かりに『無我説』と呼ぶにしても、それは決して『アートマンが存在しない』と主張したのではない。
ただ客観的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。」
>>219
497 :
1:2008/12/03(水) 11:34:26 ID:tU6TSfgp
>だから、神や霊、前世や来世など、
>「人間が考えても無意味なことは考えるな」と戒めたのです。
「比丘たちよ、この身は汝たちのものではない。また他のものでもない。比丘たちよ、これは過去世の
業によって造られたものであり、過去世の業によって考えられたものであり、また過去世の業によって
感受せられたものであると知るがよい。比丘たちよ、だから、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たるも
のは、縁起の理法をよくよく思念するがよいのである。」
>>431 「異陰相続」
>>399-400 「来世において悪いところに生まれる。」
「実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、
暗黒から暗黒へと(生まれかわる)。死後には苦しみを受ける。」
>>101 「前世の生涯を知り、また天国と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至った人、
---かれをわたしはバラモンと呼ぶ。」
「死後には同じような来世をたどる(地獄に堕ちる)。」
「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
止滅(ニルヴァーナ)を知らないので、再び生存にもどって来る。」
>>103 これらが方便ですか??
もしも、あなたのいうように「考えるな!」といいつつ、
しかも一方ではここまで語ったとするのならば、
ゴータマとは至上最悪の二重人格者ということになります。
果たして、理解できないのはどちらのせいでしょうか?
私は全く矛盾を感じないし、これらを全てを理解することができます。
理解できない人は何故でしょう?それをあなたは人(相手)のせいにしていませんか?
498 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 11:58:24 ID:zEe8N0c3
>>496 >>497 既に申し上げたように、仏陀は、時代も全く異なる2500年前の社会
において、当時の人々に対して教えを説いたのです。
「真理」とは、社会の変化にも適応できるものではなりません。
仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から
解釈しなければなりません。
時代も異なる大昔の経典の「言葉」だけにしがみつくことは、単なる
狂信であり、カルトです。
釈迦が、そんなことを望んだでしょうか。彼はそんな愚か者ではないと
信じます。
彼の偉大さは、その「無の思想(関係性の原理)」の発見により、その
後の巨大な大乗仏教の体系の確立を可能にしたことにあると思います。
さもなければ、後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったので
しょうか。
499 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/03(水) 12:12:02 ID:mipp96VF
>>491 >よって努力は無駄に帰するのです。
努力が全て結実するわけではないですね。
釈尊も努力(苦行)の末に得たものは、全てが無意味であった。
ということを悟ったんですから。
では、釈尊は無意味なことから何を悟ったのでしょう?
それは全否定(諦観)ですね。
全否定においてまた全肯定を悟ったんですね。
四諦は、般若心経においては「無苦集滅道」と記されています。
釈尊の悟りとは、無意味なのでふ。→四諦の寂滅
>どんな悪業を成しても受けるべき果報すらも定まってないのならば
果報すらない、全ては無であった。
かように悟ったわけです。
>人間の人生とは自己の快楽のままに任せ、
>好き放題した者が勝ちだという自然法則を意味します。
覚者は、そういうことは考えませんね。
「勝つ」とか「負ける」とかの二項から既に解脱しますから。
これが涅槃寂静です。
どうか彼岸まで透過されるよぉ祈念いたしまふ。
500 :
1:2008/12/03(水) 12:24:45 ID:tU6TSfgp
>>498 >仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から
>解釈しなければなりません。
真理は不変であり、いつの時代と場所においても普遍的です。
待機説法だから輪廻転生を説いたというものではない。
とにかく・・理解できない愚を人のせいにはないことです。
そんなに前世/来世が信じられないなら、
何故、物質だけで構成されている筈の我々には、
この「私という自覚」(自己意識)が生じるのかを説明して下さい。
あなた(という存在)とは何ですか?肉体があなたですか?
脳があなたなのですか?あなたとはどれですか?
信じられないと話すのは誰(肉体)なのですか?
しかし、肉体は勝手にそんなことは言いません。
>さもなければ、後代の仏教者の膨大な努力の意味は、
>一体何だったのでしょうか。
それは、
勝手な理解と勝手なことをいう後世の人間たちによる諸行の結果です。
まるで大乗がゴータマを上回ったようなことはいわないようにしましょう!
大乗とは自分らで勝手に自称したものです。
(大乗の全てがダメということではありませんが・・)
501 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 12:32:36 ID:zEe8N0c3
>>500 >何故、物質だけで構成されている筈の我々には、
>この「私という自覚」(自己意識)が生じるのかを説明して下さい。
現代の科学では、意識も、肉体の一部としての脳内の「電子」の働きによって
生じることが分かっています。脳を酷く損傷すれば、自己意識もなくなります。
大脳生理学を学んでください。
>現代の科学では、意識も、肉体の一部としての脳内の「電子」の働きによって
生じることが分かっています
これはちがいますね。
意識があるときとないときの
脳の電場の違いがあるということがわかっているだけ。
意識についても、自我についても何にもわからない。
100年後ぐらいになんかわかるかもしれない。
>脳を酷く損傷すれば、自己意識もなくなります。
確認する方法がないのに
「自己意識がなくなったかどうか」わかるわけないじゃん。
504 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/03(水) 13:07:18 ID:mipp96VF
>>500 >この「私という自覚」(自己意識)が生じるのかを説明して下さい。
>あなた(という存在)とは何ですか?肉体があなたですか?
自己同一性は、依存関係でしか自覚不可かと思います。
これは経験則でも想像はできる。
つまり、
自分以外からの刺激を受けたり、また対象化することにおいて
自分が他人ではない。という「自分」の位置を見出せるだけの話ですね。
世界が有限か?無限か?というのも、双方が論理破綻する。
これは経験則としてないから想像することすらできない。
ようするに、世界というのは人が経験則においてのみでしか、
人は認知することはできない。
ということは、現認世界が自己とは不二の関係であり、
仏教は唯物論でもなければ唯心論でもない。
貴殿の主張は唯心論であり、仏教ではない。
505 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 13:10:23 ID:zEe8N0c3
>>503 外部からの観察で容易に確認できます。脳に著しい病変や損傷があれば、
「意識不明」になります。外部からの呼びかけや刺激にも反応しません。
その極限が、「全脳機能の不可逆的停止」と定義される「死」です。
506 :
1:2008/12/03(水) 13:25:44 ID:tU6TSfgp
>>501 そんなことは百も承知-想定内の返答です。
そうではなくて何故?自我意識は生じるのか?
と私は聞いているのです。自我意識は何故、「わたしは在る」と感じるのか?
どうしてそれは、「わたしはない」とは感じないのか?
何故、物質から生命が出現し、ついには意識が生じますか?
それは何のためですか?その意味は?その先にあるものとは?
電気信号なんぞでは、全く解答にはなっていません。
これは、アートマン論展開とは結び付けなくていいです--ちょっとオマケです
「あらゆる人はアートマン(自己)の存在することを意識する。決して《われは存在しない》とは考え
ない。実に、もしもアートマン(自己)の存在が確定していないのであれば、一切の人々は《われは
存在しない》と意識するに違いない。」(シャンカラ--「ブラフマ・スートラ注解」より)
「唯物論は、---物質から<自我の自覚>が何故に現れ出るのかということを説明し得ない。
<物質>というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからである。物質を物質として
意識し理解するところのものは、<精神>である。」(「自己の探求」中村 元著/青土社刊)
507 :
素人A:2008/12/03(水) 13:31:01 ID:jklDdYN3
私が無くなっても仏や物質は残ると思う。それじゃ不満できれば私の
意識と記憶残してという願望が輪廻転生と願望と根は同じ。仏が残っ
ても私が無くなるのが不満とどうしても思う煩悩だが、死んでも有る
ものが殆どだが、死んだ先分からん、そういう法(ソフト)が有るか
どうか分からん。仏という元は有る様なきがするが、元があれば
元の気分?しだい。仏優しいから?有ると良いなと思う、仏支部の我?
508 :
1:2008/12/03(水) 13:36:01 ID:tU6TSfgp
509 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/03(水) 13:42:07 ID:mipp96VF
>>494 >この世もあの世も一時的な仮の状態なので、何も矛盾しません。
>誤解しないようにしましょう!
貴殿の書込みを見てみますと、カルトの影響がかなり強いです。
この教義はオウムですか?
どこの教団ですか?
一度洗礼を受けますと、なかなかマイコンの氷解は至難です。
>外部からの呼びかけや刺激にも反応しません。
麻酔深度が深ければ脳の損傷がなくても外部からの刺激には反応しないよ。
そういうことと「自我意識の有無」とは何の関係もない。
「自分とは何か」というのは科学的にも哲学的にも
何にも判ってない。
判ったと思ってるのはお馬鹿だけ。
>私が無くなっても仏や物質は残ると思う。
あると思っても、無いと思っても
人間としての存在の不安や恐怖というのは無くならないんだよね。
議論として無駄。これを戯論という。
「死後がない」と言っていてもはっきりわかるひとがいない
「死後はある」と言っている人もハッキリしない。
そういうはっきりしない心を無明というのだよ。
「因果応報なるが故に三世無きにあらず
諸法無我なるがゆえに常有にあらず」を諦観できないと。
っま、そういう言葉をあげても
釈迦の金口の説法ではない、というのだろうが。
第八識の阿頼耶識の問題なのに
意識の上での合点を問題にしている間は
仏教にならない。
このスレ自体が無駄な議論ということさ。
>この世もあの世も一時的な仮の状態なので
ほんとにこの事の意味が判っていってるのかなあ。
仮の状態というのは「夢の世」ということ。
いつ死ぬかもわからんし
今、持ってる仕事もお金も友人もいつ無くなっても
おかしくない。
「仮の状態」と言えるのは仮ではない「真の状態」を知っているひとだけ。
真と仮はどう違うのか。
従仮入真が仏教だが、いつ「真」に入れるのか
どうしたら入れるのか、原始仏典のどこに書いてある?
だいたいオウムは仏教じゃない。
本尊からして、ヒンズー教だろ。
513 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 16:33:19 ID:zEe8N0c3
>>510 麻酔薬は、脳の機能を抑制するのだから当たり前。
全身麻酔中は、無意識、不動化、無痛、健忘、刺激への反応の減少が
生じる。麻酔中は、自我意識は消滅し、覚醒により回復する。
デカルトがいくら「我思う、故に我有り」と言って見ても、他者が自分
の身体を知覚してくれなければ、我はない。単なる幽霊。従って、デカ
ルトのコギトの命題は誤り。西洋哲学の誤謬の根源である。
人間とは、その名が示すとおり、徹頭徹尾、関係内存在。デカルトは、
それに思い至らなかった。
正しくは、「我有り(即ち、他者が知覚できる)、故に我思う」である。
514 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 16:35:19 ID:0QfeYlJr
参考にしてね
およそあるもの(A)があるもの(B)に縁って存在しているときには、
それ(A)はそれ(B)と同一なのではない。また別異なのでもない。
それゆえ、断滅でもなく、また常住でもない。
(ナーガールジュナ、『中論』18:10、三枝訳)2
[認識方法と認識対象の]二つは自立的に存在しない。
もし認識方法とその対象との二つが本体[実体]として存在しているなら、
認識方法[がある]、認識対象[がある]などと言われることもできよう。
しかるに、[相互に]依存して存在しているということは相互に成立させあうという意味であって、
それは自立的存在[客観的実在]ではないのである。
(ナーガールジュナ、梶山訳、『ヴァイダルヤ論』、2)
515 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 17:04:30 ID:0QfeYlJr
スレ主さんは、途中でオカルト謹慎したとしても、
やっぱり鶏頭狗肉、頭かくして尻尾隠さず、ですなあw
輪廻転生論を信じて幸福気分でいられるなら、それでいいんじゃないでしょうか?
ただ輪廻転生論マンセー動機の根本は、どう取り繕うにせよ
損得勝負、取引、欲望→無明が厳然として残るんだよね。
これは一切皆苦の超克→涅槃寂静=中道というブッダの本懐からは出てきようがないんだよね。
いくら輪廻妄想三昧の相手を導く待機説法とはいえ、泥舟だったかもわからんねえ。
現に泥舟にこだわって溺れているヒンドゥ丸出しの1みたいなのが大勢いるんだからね。
1には一切快苦が続く。
516 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 17:06:07 ID:zEe8N0c3
>>514 その竜樹の「縁起・空・関係性」の思想も、仏陀の「無の思想」からの発展で
あることは明らか。
仏教の中心思想としての「永遠の真理」である。
517 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 17:17:35 ID:0QfeYlJr
やっぱり、説法されたときの具体的な状況が把握できないと、
その場でのブッダの真意はつかめんよな。
阿含経典類にはその場の雰囲気・ニュアンスを含む具体的状況など
書き込まれていない。
だから、字ずらだけで判断すると誤る可能性が高い。
「馬鹿!」と書いてあっても、愛からなのか憎しみからなのか、ホントに馬鹿なのか
判らんもんねえ。
518 :
神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 17:31:06 ID:zEe8N0c3
>>511 >第八識の阿頼耶識の問題なのに
そもそも、「無意識」を意識したら、無意識ではなくなる。フロイト先生は、
この批判にはどう答えるのかw。「阿頼耶識」についても同じ。
519 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 17:31:26 ID:0QfeYlJr
1は経典に「Aの馬鹿!」と書いてあるから、ホントにAは馬鹿だと信じて
Aは馬鹿だと主張しているわけだ。
520 :
7:2008/12/03(水) 17:44:19 ID:7wfpGQO6
そもそも経典は釈迦が書いたものではないから結論でないだろ。
522 :
卵:2008/12/03(水) 18:40:57 ID:oP42aBVw
いろいろ賢そうなこと仰るが、どれも机氏と大差なし。
523 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/03(水) 18:56:06 ID:mipp96VF
>>506 >と私は聞いているのです。自我意識は何故、「わたしは在る」と感じるのか?
>どうしてそれは、「わたしはない」とは感じないのか?
全てが理性では割り切れないのです。
しかしながら人の心の奥底では、明晰を求めて死にもの狂いの七転八倒している訳です。
自己といふのは、それ自体が矛盾を内包しております。
釈尊の本懐とは自己洞察における人間開放なのであります。
つまり、世界観崩壊こそがその本義であったわけです。
これは当時の修行者達は度肝を抜かれたですね。
(これは拙者の想像ですけど)
まさかこんな独覚者が出現するとは夢にも思ってなかったのです。
つうか・・・
釈尊も、この法たるをどう衆生に伝えたらいいか?
そのことの方が難しいと感じたらしい。
(経典を読むとそうなってまふ)
何故難しいかと言いますと、質問自体が間違ってますと、
それに答えることができないからです。
(これが第一義諦です)
間違ってたなら、間違ってたなりに世渡りするのが、
(これが世俗諦です)
この二諦にて調ふを般若(智慧)と言いますね。
524 :
7:2008/12/03(水) 19:47:52 ID:7wfpGQO6
>>522 お釈迦さんを「自分と同じ人間だった」と見れるかどうかが、
仏教に接する時の大きな分岐点なんだよ。
そして、宝珠は、人間以上と見ている。(机は忘れろw)
人は、「帰納&類推」という方法を超えることはできない。
このスタンスで仏典を読むことが最も大切なことだろう、と
私は思っている。
525 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 20:39:58 ID:0QfeYlJr
ブッダは法を観る導き手だ、祖師と同じ。
逆説的に言えば、本懐に達したら〜誤解を怖れずに言えば〜殺せばいい。
526 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 21:02:45 ID:0QfeYlJr
>>497の諸引用なんてご都合主義的概念妄想主義そのままだなw
特に「異陰相続」
>>399-400 を輪廻転生論の補強証拠とするなんて、
経典作成者さえビックリするだろう。
前段の趣旨がまったく解かっていない。
総合的かつ複合的な諸要素の集積の作用が進めば、因縁に従って
さまざまな様態の異なった作用がブロードに絶え間なく起り続ける。
→無常・無我・縁起そのままであって、輪廻転生論などまったく関係がない。
というより輪廻転生論など出てくる余地がない。
勝義空諦(無差別相)からの還滅という視点による世俗諦(差別相)での解説だ。
勝義第一義空経といわれるゆえんであり、このような空諦からの還滅という視点から理解しないと
1=スレ主のようなトンデモ誤解、ご都合主義曲解になる。
ブッダが成道の折、勝義空性を説くことを躊躇われたのは当然なのだ。
道元禅師も三時を説いている。
道元禅師と2ちゃんねらーの対決ではなあ。。。
528 :
卵:2008/12/03(水) 21:39:34 ID:uzw9KxOI
>>527 この手の論争の(輪廻・無我)本家本元は昭和初期に起こった曹洞宗の正信論争ですよ。
木村泰賢博士がご短命でなければ、今の日本の仏教学はすいぶん違ったものになっていたでしょうに。
この世のことだけでカタがつくなら、なんも竜樹までもちだして無駄な時間つかって黒豆数えなくとも義務教育だけでことたりる。
ていうかこの世のことだけでカタがつくなら
みんな安楽死でいいでしょう。
530 :
brown:2008/12/03(水) 21:53:20 ID:CGY19Dtq
輪廻というのはもちろんありますね。
正しい覚知の対象として把握できるからです。
ただ,その正確な理解は難しいですね。
「人が死んで,49日以内に生まれ変わって,生まれるとしばらく生きて
また死んで,・・・それを永劫繰り返す。」
そのとおりなんだけど,こう単純に言った場合,大抵においては,
大変大きな誤解を生じていることでしょう。
531 :
7:2008/12/03(水) 21:58:11 ID:7wfpGQO6
人口が増えている理由を説明して貰おうか・・・w
>>531 魂というのは、肉体と一対一で対応しているような、
「数えられるもの」じゃないんだよ・・・。
魂は人間の頭に入っているのではなく、
魂の一部が肉体になっている。
一つの魂が複数の魂に作用していることもある。
いわばグループソウルね。
肉体が消えてなくなっても、転生情報は魂に貯蔵される。
533 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 23:19:06 ID:0QfeYlJr
>>532 おい、ゴキブリちゃんよ。
経験主義的に証明してみなYO。
蓋し、世俗諦では経験的にしか証明しえないからだ。
類は友をよぶ。
どうもスレ主のオカルティックな魑魅魍魎ご同類が集まって来やしゃんすw
よっ! 御軽徒屋 !!
534 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/03(水) 23:42:21 ID:0QfeYlJr
>>529 >ていうかこの世のことだけでカタがつくなら
>みんな安楽死でいいでしょう。
不生不滅=涅槃の境地に達し、生死の迷いを超越できた→到彼岸なら、
なにトンチンカンなことを言ってるの?
一切皆苦だったら自殺すればいい、だの
みんな安楽死でいいでしょう、だの
到彼岸どころか迷いの此岸にへばり付いたままじゃんw
迷い妄者はやはり迷い妄言しか吐けないんだね。
狐狸庵閑話
535 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 00:56:32 ID:8NebONSR
ブッダってインド人?それともネパール人?
536 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 01:33:27 ID:VYJ7UNAT
やっぱりスピリチュアル臭せえスレになったな
オウムのようにカルマだのポアだのいって人殺ししすんなよ
>>532 まじそんなこと信じてるの?
ゲームのやりすぎ?
538 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 07:25:38 ID:4pStower
人間は人間に生まれ変わるならともかく、魚や虫に生まれ変わるんなら、矛盾だらけだろうが…過去ログ参照
とにかくだな、もし人間が鮭の卵から孵化したとしたなら、鮭の切身食えますか?石狩鍋食う時は合掌して頂きます、って食わないとバチ当たる。
539 :
卵:2008/12/04(木) 08:13:26 ID:1MT0dlCs
輪廻抜きの無常・無我・縁起だけなら、ことさらに仏教を持ち出さなくても、現代人は朝から晩まで経験則で生きている。
その手の無常・無我が知りたいならマークトゥエインでも読んだほうが、つまらん仏典よりよっぽど面白い。
その手の縁起ですむなら、自然科学や一般常識でも勉強したほうがよっぽどいい。すくなくとも言葉遣いはましになると思う。
540 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/04(木) 08:38:04 ID:xPIVNQEi
>>539 だったら、貴殿のいわゆる現代人は生死の迷い、実存苦を超克できていると主張するのかい?
答えてもらおう。
541 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 08:54:37 ID:4pStower
キエルケゴールの死にいたる病でも読んで古典実存から学んでみたら?
542 :
卵:2008/12/04(木) 08:57:28 ID:m1WpIwbl
>>540 この世だけで片付かないから輪廻実在を唱えております。
あしからず。
543 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/04(木) 09:36:22 ID:xPIVNQEi
>この世
などというセリフを出すこと自体が無明相対主義にへばりついた発想のママだな。
そういった発想を捨てないと、生死の迷いからの脱却は不可能。
仏教と非仏教の分水嶺だ。
544 :
まいど、龍樹で〜す! :2008/12/04(木) 09:43:48 ID:xPIVNQEi
>輪廻実在
「実在」ってあんたホントに仏教徒なの?
馬脚が出たね。
ヒンドゥ教徒そのままじゃんw
545 :
1:2008/12/04(木) 10:32:40 ID:z1UoUH9m
>>514-515 龍樹さんとやらへ
あなたに話したいことは今はこれだけです。
「およそあるもの(A)があるもの(B)に縁って・・・」 はい、私も昔はそういう書物、中観派だの龍樹
だのといった解説書を購入したことがありました。しかし、数ページ読んで無用だと理解し、古本屋行
きにしました。あういうのに凝るとね-行(実践)の進歩が停滞するのです。わからんでしょ?どうぞ思う
存分に仏教至上、最大の天才による文法にハマッテ下さいませ!
はい! これがあなたがた仏教徒の仮面をした唯物論者たちへのゴータマから直々の説法です。
とにかく・・どうか断滅論だけは早く抜け出しましましょうね!(禅家は口が巧みと拝しました)
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さら
にかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の
境地がある)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれる
ことがないとする見解のこと。」
>>76 「人間そのものは死とともに無となるのであって、身体のほかに死後にも独立に存在する霊魂なる
ものはあり得ない。愚者も賢者も身体が破壊されると消滅し、死後には何も残らない。したがって現
世も来世も存せず、善業あるいは悪業をなしたからとて、その果報を受けることもない(仏教ではこの
ような見解を『断見』すなわち断滅論とよんでいる)。」
>>166 ----以上
546 :
1:2008/12/04(木) 10:36:46 ID:z1UoUH9m
>>511 >第八識の阿頼耶識の問題なのに
これは「無我」だ「無記」だといいながら、
混乱した思考状態で無理に排除しようとしたものの、やはり後になって問題解決に至らず、
そのようなものを理論上必要にしだしたという、何でもありの大乗の諸行によるです。
>>512 このスレには随所に原始経典からの引用/抜粋が列記してあります。参照して下さい!
>>524 ゴータマはもちろん人間です。
しかし、その内包する意識はニルヴァーナ境に達し、
濃密物質界の諸法則からの制約を超越しています。
この超人的な境地に、人間は誰でも到達可能であると教えました。
そのような人間を「仏陀」という。
>>535 ネパール国/カピラ城の王子として城郊外のルンビニー園で生誕しました。
547 :
1:2008/12/04(木) 10:43:22 ID:z1UoUH9m
---机さんへ
>>488 >故に、ゴータマは輪廻転生を語ちた可能性は充分にあるかと思いまふ。
>つまり、法は方便としか説くことはできない。といふことです。
ゴータマの深遠な法を自己都合で勝手に方便にしてしまわないように!
あなたがたは皆んな、自分が理解できないことを全てゴータマにせいにしています。
>>499 >釈尊も努力(苦行)の末に得たものは、全てが無意味であった。
>ということを悟ったんですから。
(如何なる苦行であれ)苦行だけでは解脱できないことをゴータマは自らの体験で確認しました。
しかしながら-蛇足ですが、苦行が無意味で成果ゼロというわけではないことくらいは、インドの宗
教を勉強してるのならばしっかりと理解しておきましょう。説明しないとだめですか?
「(師は答えた)《わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。智慧がわが軛(くびき)と
鋤(すき)とである。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先と
突棒とである。」(スッタニパータ77)
「わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、わが心は諸々の欲望にひ
かれることがない。見よ、心身の清らかなことを。》」(スッタニパータ435)
>果報すらない、全ては無であった。 かように悟ったわけです。
そんな好き勝手になことをしておきながらそれで済む(無果報)なんてことが、あなたの理解する
深遠な法則なのですか?それなら、本当にメチャメチャな世界(地獄の出現)になりますよ!
「婆羅門、おん身は忍耐せねばならぬ。婆羅門、おん身は忍耐せねばならぬ。おん身が以前に為し
た行為の報いとして、幾年、幾百年、幾千年、破滅の世界に生を受けたであろう筈のその行為の報い
を、婆羅門、おん身は今現に受けているのだ。」(マッジマニカーヤ86-アングリマーラ経/盗賊の帰依)
548 :
1:2008/12/04(木) 10:46:36 ID:z1UoUH9m
>>504 >自己同一性は、依存関係でしか自覚不可かと思います。
>自分が他人ではない。という「自分」の位置を見出せるだけの話ですね。
違います。一人称、「I am」としての自覚が芽生えてから、
自我ではない第2人称、そして第3人称の認識が生じるのです。
>>509 >「この世もあの世も一時的な仮の状態なので、何も矛盾しません。」
>貴殿の書込みを見てみますと、カルトの影響がかなり強いです。
>この教義はオウムですか?どこの教団ですか?
机さんは「空」といった。この私は無常として述べているだけのことです。私たちのこの身は永久不
滅の実体ではないが、縁起に拠ってそのときそのとき一時期の形態を摂る。今は肉体として生じてい
るが、肉体を失えばまた仮りの状態として在る。
ゴータマは、あなたがたのような唯物論者に何を語っても、どうせ体験するまでは断固として認めない
我見の塊であることをよ〜く知っているから、なかなか詳細に語らなかったのです。これも無記の理由
の一つです。
この経文にも、明確に「非物質的領域に住む諸々の生存者」といっているでしょう!異陰相続、後有、
異生身、中有身・・よくよく吟味することです。カルトカルト・・って恥ずかしいから、もういい加減に辞めま
しょうね!
「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
止滅(ニルヴァーナ)を知らないので、再び生存にもどって来る。」(スッタニパータ754)
549 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 10:58:44 ID:y3+3T1Ki
>>548 そもそも、「私(我)」という言葉は、「個」と「他」とを区別する
ためのもの。「他」がなければ「個」はない。これが「関係性」である。
「身体(生物的生命)」がなければ、如何なる思考も、認識も、意見の
表明も不可能。「身体を離れた魂」など、言語矛盾である。
550 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 11:06:14 ID:8NebONSR
551 :
1:2008/12/04(木) 11:19:39 ID:z1UoUH9m
>>549 誤解しています-それは言葉遊びです。
「他」という概念は、まず先に「自己(私)」という認識がなければならないのです。
「他」とは、「これ以外(含まず)」のものを指すものです。
>「身体(生物的生命)」がなければ、
すみませんが、唯物主義者には無理でしょう。
固定概念で決め付けてしまっている・・だから体験できるまでは無理ですよ。
そういう人はもうしょうがないので、いつか体験できる時まで待つしかないでしょう!
私にはすでに唯物--を超えた体験がある。
まっ、体験前から私の場合には理論的に理解できていたし、
幼少時から、目覚めと共に物質界が生じるとか・・意識の永久性とかの思考を巡らせていた。
こればかりは皆んな全員、違うので仕方ないことです。
1番良くないことは破壊行為を成すことです。
次に良くないことは唯物思考です。
この二つをしないのならば、まだ思想/信仰が何宗教だろうといいです。
それ暗い酷いことです。
552 :
1:2008/12/04(木) 11:22:55 ID:z1UoUH9m
>>550 ということになるのかな?ネットができるのなら、
自分自身で検索して調べるようにすると自分の実になります。
>>548 まさか、異陰相続を輪廻転生の根拠にしていない?
554 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/04(木) 12:00:19 ID:y2wdf/nM
>>547 >無意味で成果ゼロというわけではないことくらいは、インドの宗
>教を勉強してるのならばしっかりと理解しておきましょう。説明しないとだめですか?
いやいや、おそれ入ります。
いろいろと御教示くださいまし。
「無意味」というのは、第一義諦と世俗諦では全く解釈は違ってまいりまふ。
拙者は前者の意にてレスポンしました。
誤解がありましたようで、申し訳ありません。
かように言語ひとつにおいても、第一義諦といふのは世俗には通じないのが常であります。
経典においても、この意とするのはどういうことなのか?
先ずはそれなりのスキルがありませんと、
経典自体の解釈も困難になります。
前記しましたけど、第一義諦は言語表記が困難なのでふ。
あえて言語表記しますと、
〇〇は☆☆ではない。→ということではない。→ということではない。
と、無限ループに陥りまふ。
ですから断定はできませんから、方便(方法)にて、
それらしく伝える他に術はないのです。
それらしく伝えたのが、あの拈華微笑ですね。
どうか、そこのとこをご理解くだされまし。
555 :
卵:2008/12/04(木) 12:00:36 ID:+iBrWpC8
仏教の教説の一つ一つを仔細にみれば、目新しくオリジナルなものは何一つない。
ヒンディーと重なるところがあろうが、実存主義的なところがあろうがさして珍らしくもない。
いわば古い皮袋に新しい酒を入れるようなもの。
中身が問題なのである。
まいど、龍樹で〜す!氏や机氏は原始経典の引用を紹介すれば教条主義だとくさし、自らは都合の良いところだけ抜き出して使うしかもアクロバチックで傾げた首が捻挫しそうなほど恣意的な解釈を押し付ける。
竜樹や禅の祖師がダブルスタンダードを説いたわけではあるまいに。
556 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/04(木) 12:01:02 ID:y2wdf/nM
>>548 >違います。一人称、「I am」としての自覚が芽生えてから、
>自我ではない第2人称、そして第3人称の認識が生じるのです。
経験則においても、そんなことは有り得ませんね。
先ず、人が誕生しますと母の影響を受けます。
最初の認識対象は母です。→これが赤ちゃんの頃。
それから母は言語による分別概念を、子供に挿入して逝きます。
次第に自・他の分別ができるようになるのです。
(ようするに自我の芽生えです)→これが幼少の頃。
異陰相続を持ち出し、輪廻転生の根拠とするのは阿含宗の特徴ですね。
雜阿含經卷第十三 宋天竺三藏求那跋陀羅譯
T02n0099_p0092c17(04)?眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
T02n0099_p0092c18(00)?生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
T02n0099_p0092c19(01)?異陰相續。除俗數法。耳.鼻.舌.身.
第一義空経
国訳一切経阿含部一
眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
----------------
眼が滅したときの異陰(蘊)とは「耳・鼻・舌・身・意」残りの四蘊であり、それが相続していく。
順次滅して行き、残りの蘊が滅してしまって滅尽してしまう。
という意味しかない。輪廻転生とはまったく関係ないと思う。
558 :
1:2008/12/04(木) 12:09:11 ID:z1UoUH9m
>>553 ん?間違いましたか?
五蘊とは異なる何かか死後も存続することではないのかな?
もし違ってたらそれは申し訳ない---では、あなたから正しい解説を宜しくお願いします。
別に大論文になっても構いません。
ただし、その場合にはご自身で別サーバーにてウェブページをアップロードし、
このスレにリンク貼りをして下さればどんな長文大論文でも結構です。
先の方で、遠慮して大論文を公開しなかった方がいましたが・・。
559 :
卵:2008/12/04(木) 12:10:51 ID:tIApk0el
>>553 異陰相続だけではない。その他の数多の引用があるでしょう。
異陰相続の後にも『俗數法をば除く』とある。
『除く』です。当たり前に文章を読解してください。
逆にあらゆる経典中に、実は輪廻は方便でうそでした。と直に書いてるのがありますか?
560 :
卵:2008/12/04(木) 12:14:40 ID:tIApk0el
>>556 ここで言う我とは、その臭い皮袋にくっついたチンケな自我じゃない。
>>559 その除くがどうかしたのですか?
当たり前に文章を読解すれば、その「除く」はどうなるのですか?
輪廻が方便で嘘でしたと経典に書いてあるとかないとか何のことを仰っているのでしょうか?
落ち着いてくださいね。
>>558 申し訳ないね、あなたの頭の上の数行で終わってますが何か?
563 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:27:17 ID:y3+3T1Ki
>>551 >1番良くないことは破壊行為を成すことです。
>次に良くないことは唯物思考です。
「破壊行為」とは、「物(実在物)」を壊すことですよ。「物としての身体」
は壊しても「心は残る」など考えるから、宗教が、良心の呵責なく生命を奪う
ことができるようになる。
人間の心を離れて、「神」や「来世」が「実在する」と考えることこそ、まさ
に「唯物思考」ではありませんか。
>>557 一行抜けていたようです。
T02n0099_p0092c20(04)?意亦如是説。除俗數法。
-----------------------
異陰について
滅する陰 相続する異陰
眼 耳・鼻・舌・身・意
耳 鼻・舌・身・意
鼻 舌・身・意
舌 身・意
身 意
意 滅尽
>>558 まず、死後相続の言葉がどこにあるのかを示してください。
雜阿含經卷第十三
T02n0099_p0092c12(00)?(三三五)如是我聞。一時。
T02n0099_p0092c13(08)?佛住拘留搜調牛聚落。爾時。世尊告諸比丘。
T02n0099_p0092c14(07)?我今當為汝等説法。初.中.後善。善義善味。純一滿淨。
T02n0099_p0092c15(03)?梵行清白。所謂第一義空經。諦聽。善思。
T02n0099_p0092c16(03)?當為汝説。云何為第一義空經。諸比丘。
T02n0099_p0092c17(04)?眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
T02n0099_p0092c18(00)?生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
T02n0099_p0092c19(01)?異陰相續。除俗數法。耳.鼻.舌.身.
T02n0099_p0092c20(04)?意亦如是説。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。
T02n0099_p0092c21(01)?此起故彼起。如無明縁行。行縁識。
T02n0099_p0092c22(04)?廣説乃至純大苦聚集起。又復。此無故彼無。
T02n0099_p0092c23(04)?此滅故彼滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。
T02n0099_p0092c24(00)?乃至純大苦聚滅。比丘。
T02n0099_p0092c25(07)?是名第一義空法經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。
T02n0099_p0092c26(03)?歡喜奉行
眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
567 :
1:2008/12/04(木) 12:56:55 ID:z1UoUH9m
>>562-564 フ〜ム、あなたは説明が上手ですね!
それは失礼しました。
では、
「非物質的領域に住む諸々の生存者」「後有」「異生身」「中有身」・・
に変更しておきます。ん?まだ間違いありましたか?
どうも・・
仏教辞典も龍樹本と一緒に古本屋へ出してここにはないのです。
教理教義&文法に凝ると(行の進歩が)停滞するからです。
あっ、今は良い辞典が一冊欲しいところですw
568 :
1:2008/12/04(木) 12:57:54 ID:z1UoUH9m
(上記、ミスW投稿)
>>562-564 フ〜ム、あなたは説明が上手ですね!
それは失礼しました。
では、
「非物質的領域に住む諸々の生存者」「後有」「異生身」「中有身」・・
に変更しておきます。ん?まだ間違いありましたか?
どうも・・
仏教辞典も龍樹本と一緒に古本屋へ出してここにはないのです。
教理教義&文法に凝ると(行の進歩が)停滞するからです。
あっ、今は良い辞典が一冊欲しいところですw
569 :
7:2008/12/04(木) 13:05:02 ID:g/mTQsmQ
>>555 >竜樹や禅の祖師がダブルスタンダードを説いたわけではあるまいに。
出家と在家の別がダブルスタンダードでなくて何だと言うのだ?w
仏教は、その最初期よりダブルスタンダードだ。
尤も、その「在り様」に於いて両者が限りなく重なり合っているのが
現代日本仏教とは言えるわけだが・・・w
;´ー`)y━~~
570 :
1:2008/12/04(木) 13:07:52 ID:z1UoUH9m
>>563 インドの伝統宗教にはアヒンサー(非暴力及び不殺生)の教えがある。
宗教を丸ごと味噌も糞も一緒に論じるのは辞めましょう!
「アヒンサー (デーヴァナーガリー: ??????; IAST ahi?s?)は 非暴力(文字通り:暴力(ヒンサー)の
忌避)を意味するサンスクリット の用語で、古代インドに起源を発した宗教(ヒンドゥー教、仏教、
特にジャイナ教)の重要な教義である。アヒンサーは生き物を殺したり害したりすることを禁止する
という行動規範で、あらゆる種類の暴力が好ましからざる業果をもたらすという信念に密接に関連
付けられる。
アヒンサーという概念の起源は不明であるが、アヒンサーに対する最も早い言及は歴史的なヴェ
ーダ教の聖典に見られ、これは紀元前8世紀のものと年代が特定されている。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
>>568 > 「非物質的領域に住む諸々の生存者」「後有」「異生身」「中有身」・・
> に変更しておきます。ん?まだ間違いありましたか?
それがどうかしましたか?意味不明なのですが?
異陰がそれであるとでも?
経典とのつながりがまったく見出せないのですよ。
異陰相続は輪廻転生の根拠にはならないという点はよろしいでしょうか?
572 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 13:52:13 ID:y3+3T1Ki
>>568 >「非物質的領域に住む諸々の生存者」
人間は、そしてすべての生きとし生けるものは、物質に100%依存しない
限り、そして物質的領域以外では、絶対に「生存」できない。
生存できなければ、宗教を初めとするいかなる「営み」も不可能。
その言葉そのものが、矛盾の塊。
>>570 言葉だけなら何でもいえる。問題は「行為」である。「愛」を唱えるキ
リスト教は、最も多くの人間を、最も残虐な方法で殺した。
ヒンドゥー教や小乗仏教も、危ない。
573 :
卵:2008/12/04(木) 13:56:33 ID:cbrwe29v
眼・色・眼識が滅した後の何を耳・鼻・舌・身・意が相続するというのか?
相続とは単に他に残ったもの程度の意味という解釈なのかしらん。
それなら他に明快な表現方法があろうに。
>>573 相続とは仏教用語です。
今のかのあり方が続いていくことを単に相続するといいます。
十八界分類の眼根・色鏡・眼識は部派仏教に入ってから出てきた概念であり、
そのときには五蘊・十二処・十八界と存在の三科を分析するようになったのです。
原始仏教の範囲は五蘊・十二処止まりですよ。
五蘊と十二処との関係は各自お勉強してください。
眼が滅した後にはその他のものが相続するのは当たり前のことで明確ですよ。
575 :
卵:2008/12/04(木) 15:01:57 ID:Dqt+J6xI
>>574 なるほど、明確なお答えです。よくわかりました。
576 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/04(木) 15:33:42 ID:y2wdf/nM
>>560 >ここで言う我とは、その臭い皮袋にくっついたチンケな自我じゃない。
貴殿がイメージしてるのは、ウパニシャト哲学における「我」のことじゃ〜ないでせうか?
この流れといふのは、
バラモン教から発展していった今のヒンドゥー教の流れですね。
仏教といふのはアンチバラモンでして、
バラモン本流からは完全に分離してます。
ヒンドゥーの一角として釈尊は「覚者」としての位置はありますが、
仏教においてはバラモンとかヒンドゥーは全く関係なし。
哲学的に言っても全く違いますから。
これをゴッチャにしているところが、
現代におけるカルトのすくつになってるんですよね。
ところで、
拙者はいつも不思議に思うのですが、
こういった教義は何処で習うのですか?
「輪廻転生」とか?
広義においては、これもカースト制におけるマイコンであるわけです。
マイコンの特徴としましては、世界観の構築です。
「(衆生は)始まりのない昔から生死を繰り返し、無明に蓋われて、愛結に繋がれ、
果てしもなく長い間、輪廻転生を繰り返し続けるだけで苦しみの根本を知らないのです。」(264頁、無知経)
578 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 16:51:30 ID:tZSjyorZ
>>577 御釈迦さんは、「人生の苦しみ」ばかり言って、「人生の喜び」は知らなかった
のかね。そうだとすれば、明らかにうつ病の症状。
一般の生活者は、「苦あれば楽あり」「楽あれば苦あり」という「真理」を
とっくに悟っていたはずだが。
その真理を悟らずに、「自分の」苦や、「自分の」輪廻転生から逃れるために
ひたすら修行を続ける宗教者の姿こそ、まさに「煩悩と執着」そのものであり、
浅ましさの限りではないか。
>>578 苦しみの原語は「ドゥッカ」といって
満足できない、不完全、苦、何かがたりない。
そういう意味です。
君は完璧な至福を味わった事がありますか?
「楽あれば苦あり」なんて水戸黄門の主題歌みたいなこと
言ってないで、自分を良く観察してから来なさい。
580 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 17:10:24 ID:tZSjyorZ
>>579 自分で自分をいくら観察してみても、結局は自分の主観。「自分探し」
は、幼稚な人間のやること。
「自分だけ」で求める至福は、結局は「自己満足」と「自己陶酔」。
社会にはくその役にも立たん。
人間は、共同体としてしか生存できない。充実した、永続的な、本当の
深い至福は、他者との係わり合いの中における日々の生活においてのみ
得られる。
釈迦は、それを悟れなかった。
>>578 現在の日本で感じる「苦」と当時のインド周辺で感じる「苦」じゃ
「苦」のレベルが違うんじゃないかとは思うけどね。
>>580 返レスする気にもなれません・・
今の貴方はそのままでいいのでしょう。
「・・・わたくしの説く法と律によってもろもろの煩悩を断じつくし、
のちの世に二度と生まれることがないと、という境地に達しています。」(157頁、出家経)
「わたくしのもろもろの弟子の中にも、私の説法の真義が理解できず、慢の我執を起こす者がいます。
・・・(中略)・・慢を断ち切ることができず、今の生が終わり、五蘊が離散しても、完全に消滅せず、
陰とともに相続して生じるのです。」(244−245頁、仙尼経)
585 :
卵:2008/12/04(木) 19:32:47 ID:h2i3hLM5
賑っていますね。
1さんには遅ればせながら、一つ謝っておかねばなりません。
>>269は、不適切で乱暴な言葉でした。ご容赦ください。
さらなる論戦の行方に期待しております。
586 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 21:45:02 ID:rtUl/as9
結局、予想どおりオカルト輪廻肯定論者たちの気持ち悪い雑談スレになるのか?
587 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 22:12:44 ID:Nt9+a9Vx
>>583 >>584 仏陀に、まだバラモン教の影響が残っていた可能性も、考慮する必要がある。
大乗仏教が、それを克服した。
鼻くそと屁理屈は何処にでもつくなあ・・
589 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 07:17:41 ID:d/NFbgsC
>>587 そうですね、それは考えられますね。
出家前は女官に嫌悪を抱くなど、デリケートな神経の持ち主だったことは想像できます。
白隠が地獄観念をなかなか克服できなかったように、
出家後も、なお軟弱な神経であったということを念頭に入れれば
(出家の動機が四苦)
当世の影響はかなりあったと拝せられる。
四苦とは、狭義においてはそもそも自己の問題でして、
これさえ解決できれば本懐であったわけです。
しかしながらこの命題を、輪廻思想にまで繋げてしまいますと
釈尊の独覚の意味あいがなくなってしまう。
つまり既存の宗教でいい訳ですから。
釈尊は非常に現実主義(主義というのもオカシイですが)
であったことは間違いない。
今現在の心のありかた。
これを究極までに洞察したのが釈尊の本懐と思ひます。
590 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 08:13:38 ID:jg2y03BB
>机さん
少しは仏教に尊敬の念を抱くなら机竜乃介なんて罰当たりな名前は止めなさい
591 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 08:21:27 ID:lChWHpq2
東南アジアの仏様は座が蛇になっておりました。と申しますか、もともとが蛇らしい。驚くのは仏様の後背の光も実は七つ頭のコブラなのだそうです。こうして考えてみますと、変節したというよりも小乗仏教では 蛇信仰竜ドラゴン信仰が起源のように思えてなりません。
蛇は抜け殻を残して永遠に再生する象徴。面白いことに蛇はキリスト圏では魔王の象徴です。
592 :
1:2008/12/05(金) 09:35:06 ID:vZq+zBjL
>>585 卵さんへ
---ありがとうございます!
ここは唯物主義者と断滅論仏教者にとっては、
恐らくはあまりにも嫌なスレに見えるかと思います。
--そんな記述と資料/経典・文献引用が満載(となる予定)ですから。
特に断滅論仏教者にとっては非常に都合の悪い内容なので・・。
この問題について、
多くの人々に考えて貰う良いキッカケとなれれば幸いです。
(そして種を蒔けば、後はもっと優秀な人材が引き継いでくれますし)
>>571 はい。まず取り合えずは、
第一義空法經についてのあなたからの解説は了解しました。
593 :
1:2008/12/05(金) 09:36:46 ID:vZq+zBjL
>>556 ---机さんへ
>最初の認識対象は母です。→これが赤ちゃんの頃。
>それから母は言語による分別概念を、子供に挿入して逝きます。
>次第に自・他の分別ができるようになるのです。
>(ようするに自我の芽生えです)→これが幼少の頃。
違います。母は第二人称の存在です。
第二人称としての母を認識できるためには、まず第一人称としての自我意識の自覚が先に必要です。
第二人称を認識するには先に自己認識が起こっていなければならない。
人にとっての多くの場合の第二人称とは、殆どが「母」ですが、
母親がいない場合には「父」が第二人称として認識されたりするわけです。
この第一人称としての自我意識の目覚めに努力などは一切、不要なのです。
これが人間の自我意識の本質(本能)です。
>>576 >ところで、 拙者はいつも不思議に思うのですが、
>こういった教義は何処で習うのですか? 「輪廻転生」とか?
それはこちらの台詞です。「仏教でいう輪廻転生とはただの方便であり、本当は唯物主義が本懐な
のです」などいう説明こそ聞いたことも見たこともありません。ですから、そのように説いてる経文、及
び仏教辞典はどれですか?と聞いているわけです。
是非、その経文名と仏教解説/注解文献の著作名を提示して頂けますか?
594 :
1:2008/12/05(金) 09:38:41 ID:vZq+zBjL
>>499 「どんな悪業を成しても受けるべき果報すらも定まってないのならば」
>果報すらない、全ては無であった。かように悟ったわけです。
机さん、仮にもあなたは仏教徒を自称し、禅定(修行)にも勤しみ教学にも長けている。人々はあなた
に敬意を持ち、あなたからの説話にもよく耳を傾ける日がくるとも限らない。
そのあなたが、行為による「受けるべき果報はない」などと語り、人は死後の消滅で終わりだ、などと
説くのならば、それがどういう意味を持っているのか分りますか?つまり、受けるべき果報がないという
ことは、「快楽を味わった者勝ちだ」ということに通じる。それはまさにこの社会が地獄のような荒地と化
すことになるのです。
ゴータマは、「来世を信じない人は必ず悪を行う」とそう説いています。よくよ〜く吟味されたし・・。
「唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界を無視している人は、どんな悪でもなさないもの
は無い。」(ダンマパタ176)
595 :
1:2008/12/05(金) 09:49:29 ID:vZq+zBjL
>>572 >言葉だけなら何でもいえる。問題は「行為」である。「愛」を唱えるキリスト教は、
>最も多くの人間を、最も残虐な方法で殺した。ヒンドゥー教や小乗仏教も、危ない。
「宗教性」と「宗教」「組織(教団)」は同じものではなりません。
魔女狩り異端尋問〜という残虐な愚弄は別にイエスの教えではない。
では、あなたにはマハトマ・ガンジーやマザーテレサのような人はどう映るのですか?
これらの行動はただの道徳基準などというものではありません。
その行動の根底には必ず揺らぐことなき宗教理念が在るのです。
全ての人間がもしも唯物主義から脱却するならば、
何もわざわざ「宗教」と呼ぶべき枠(カテゴリー)も不要となる。
596 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 10:05:09 ID:d/NFbgsC
>>593 >第二人称を認識するには先に自己認識が起こっていなければならない。
自己認識の前程となるのが言語であります。
言語とは生得的にもたらされるものではなく、生誕後に会得し、
その概念をもって自他を分別できるのであります。
(これが人間を人間たらしめる条件であります)
人間の迷いとは、じつは自我の芽生えから端を発するんであります。
まあ、それはともかく、
第二人称がない場合を考えてみてください。
宇宙の空間(全くの無の状態)にひとりポツンとして自己があった場合、
こういうことを想定しますと、
果たして「自己」といふ認識が想起するか?
「自己」というのは相対概念でして、
「他」がありませんと、そもそも「自己」といふ概念は成り立たないのでふ。
人間の誕生直近では、母と一体でありますが、
赤ちゃんは次第に母の存在を言語を通して認識しはじめるのでふ。
そこから自我の芽生えとなり。
人は無明の因を形成して逝くのでありまふ。
<机龍之介・花押>
597 :
1:2008/12/05(金) 10:07:53 ID:vZq+zBjL
>>578 579さんの言う通りです。
それらの一時的な快楽は次なる苦の種になるものだからです。
永遠なる至福こそが仏教の目指す(真実の)喜びです。
尚、誤解してはいけないのは、
普通の人間としての美しいものを美しいものとして感受する感覚がなくなるわけではありません。
「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタン
バカ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい」
「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/命を捨てる決意)
>>580 >「自分探し」は、幼稚な人間のやること。釈迦は、それを悟れなかった。
>人間は、共同体としてしか生存できない。充実した、永続的な、本当の
>深い至福は、他者との係わり合いの中における日々の生活においてのみ得られる。
自己を制(制御)する者が総てを制する、といういい方があります。
仏教においては、自ら希望する者には出家が奨励されました。
しかし、ゴータマが共同体としての人間の社会生活を否定したことはありません。
実際、実に多くの在家信者たちがゴータマから指導を受けていたのであり、
出家仏教との批判は的外れです。
私も人と人との関係、社会生活のあり方ということをとても重視します。
実際、多くの人間はこれら人生経験の向上と克服(卒業)のために再生誕(転生)してきているのです。
598 :
1:2008/12/05(金) 10:09:11 ID:vZq+zBjL
>>587 >仏陀に、まだバラモン教の影響が残っていた可能性も、考慮する必要がある。
>大乗仏教が、それを克服した。
何かゴータマに悪評をつけるようないい方ですが、
大乗の何がどう克服したのですか?随分と抽象的ないい方ですが・・
後期大乗の密教による呪術とタントリズムの世界こそ、
ヒンドゥーバラモン回帰の姿そのものでは?
>>591 仏教至上、小乗と呼ばれたグループが在ったことは事実です。
しかし、ゴータマ仏陀を小乗呼ばわりするのは御門違いもいいところ。
ゴータマを見下げて仏教は成立しません。
もしも、小乗についての話題ならば他スレへどうぞ!
599 :
法華経かじり虫:2008/12/05(金) 10:23:59 ID:81yN68lG
簡単に申しまして、道を好む傾向の日本人ならではの禅的仏教では、
今のみを切に生きることが求められるようですが、過去があって未来に
繋がる生き物全般の生についてのサイクルが抜け落ちていることは、実
に味気ない気がしています。
釈迦が最後に説いた法華経には、先の罪を懺悔せよ、宿世の一切の業等
とありますが、輪廻という言葉ではなく前世があり過去からの禍福が存
在するという真実から目を背けないことは重要かと思います。
枝葉末節な議論は好みませんが、輪廻転生がなければ、今を生きる人間が
受けている苦の存在自体につじつまが合わないと思いますね。
どうでしょうか?
600 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 10:25:29 ID:jf1mgUUr
>>594 >ゴータマは、「来世を信じない人は必ず悪を行う」とそう説いています。
それはゴータマの誤り。
自爆テロリストたちは、天国の存在を「信じ込まされて」、自他の生命を
奪い続けているではないか。
そもそも、死ねば、感覚器官も思考器官も灰になり、機能を完全に失う
のに、どうやって来世を認識するのか。来世が認識できなければ、人間
にとって来世は「存在しない」ということである。
開祖・教祖が言ったことを無批判に信じ込むことが、狂信であり、カルト
である。彼らが何を言ったとしても、常に現代人の知識と理性により、
批判し、判断することが必要。
死ねば無になるからこそ、現世が輝き、現世をよりよく生きる意欲が生じる
のである。
「一切皆苦」などという思想は、現世における苦楽の相互関係を見落とした、
病的なもの。あきらかに、釈迦のうつ病の症状。当時のすべての生活者も、
「苦あれば楽あり」という真理を、意識的・無意識的に悟っていたはず。
だからこそ、人類が今日まで存続しているのである。生存本能こそ、人間
だけでなく、すべての生きとし生けるものに共通する唯一の普遍の事実。
どんなに苦しいことがあっても、人間は、今ここに生きていることに、
実は最大の幸福を見出していることを、釈迦は悟るべきであった。いや、
むしろ悟っていたからこそ、関係性の原理の自覚による、生の苦の除去
法を教えたのではなかろうか。釈迦は、「苦を滅するためには死ね」など
とは、言っていないはずである。
すべての人間には、「他者との係わり合いの中でひたすら生きる」と
いう仏性が、生まれながらに備わっている。それにより、人間社会が
維持され、存続している。ありもしない「来世」による「脅迫」や
「甘言」や「自己欺瞞」によって、仏性が生じるのではない。
601 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 10:26:12 ID:d/NFbgsC
>>593 >そのように説いてる経文、及び仏教辞典はどれですか?と聞いているわけです。
> 是非、その経文名と仏教解説/注解文献の著作名を提示して頂けますか?
経典は般若心経です。
心経は、大般若経のエッセンスでして、短文ながら中味は濃くなってます。
基本的に禅宗系は依典は持たないのです。
自力ですから。
じゃあ、般若心経には何が書いてあるか?
と、問うなら・・・なにも書いてないのでふ。
第一義諦は書くことは至難なのです。
ギャーティー、ギャーティーというのは
「彼岸まで至れ」という応援歌になってるだけです。
どうか彼岸まで透過しなすってくださいまし。
透過のヒントといたしましては、
自己の芽生えです。
602 :
1:2008/12/05(金) 10:32:34 ID:vZq+zBjL
>>596 ま〜今は簡単には理解できないのです。
もう、仏教辞典の読み過ぎでガチガチなんですよ(その弊害が出てるw)
もう歩く仏教辞典と化してる・・。
>宇宙の空間(全くの無の状態)にひとりポツンとして自己があった場合、
>こういうことを想定しますと、果たして「自己」といふ認識が想起するか?
はい、大丈夫です。
自己を自覚するのに努力も条件も不要です。自我の目覚めこそが「意識」なんですよ。自我を自覚で
きない意識というのはないのです。その机さんが理解できないものが、この物質界から生じたのです。
ところで前にも聞きましたが、机さんの理解する成仏とは一体なんです?それは何年、掛かりますか?
私は、どうも机さんの話を聞いていますと、たぶん仏教辞典を丸暗記し、その内容もちゃんとしっかり
理解できていれば成仏したことになるかのように見受けられますが・・。仏教の話や書物に出会えない
人はどうしたらよいのですか?どうぞ答えて下さい!
603 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 10:35:56 ID:d/NFbgsC
>>594 > 「唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界を無視している人は、
>どんな悪でもなさないもの は無い。」(ダンマパタ176)
この「彼岸の世界」というのは、死後(輪廻転生)の意味ではありませんね。
俗的なこと言うなら「悟りの世界」のことです。
有余涅槃のことです。
無余涅槃ではありません。
604 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 10:40:24 ID:jg2y03BB
机竜乃介なんてハンネを付ける時点で彼が神も仏もいるものかと思っている類の人物であることは確実で、無信仰の左翼崩れが窮余の策で仏教に流れ込んで来たというだけのはなしだと思われます。
605 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 10:43:11 ID:jg2y03BB
>机さん
試しに聞いて見ようか君はいわゆる「机竜乃介」についてはどんな感想を持っている?
606 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 10:51:14 ID:jf1mgUUr
>>604 机先生は、長年にわたる、2ch切ってのカルトバスター。だから
カルトが狂気のように反発するのである。
部外者にとっては、誠に尤もな、優れた教え。
607 :
1:2008/12/05(金) 10:51:30 ID:vZq+zBjL
>>601>>603 >この「彼岸の世界」というのは、死後(輪廻転生)の意味ではありませんね。
身勝手な解釈だと思います。
「来世を信じない人は必ず悪を行う」とゴータマが説いたとして上げた経がこれであり、
その解説は中村 元氏によるものです。
般若心経も禅宗も大乗・・。
とにかく・・大乗は何でもありです。
どうぞ好き(勝手)にして下さい!
608 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 10:56:38 ID:d/NFbgsC
>>602 >ところで前にも聞きましたが、机さんの理解する成仏とは一体なんです?
仏教の基本的教義というのは四諦ですね。
苦の因の寂滅です。
12縁起でも簡単なことは書いてありますが。
(人間の誕生〜〜〜死、までのことが書かれている)
これはあくまでも世俗の論理。
この最も根本的な無明の因まで辿りつけますと、
(これが彼岸です)
あらゆる呪縛から開放され、
人は自由を獲得する。
これが釈尊の成仏やに思いまふ。
(輪廻思想というのは呪縛の最たるもんでしょ?)
609 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 11:05:13 ID:d/NFbgsC
>>604 神や仏はおりませんね。
>>605 >「机竜乃介」についてはどんな感想を持っている?
竜乃介は晩年に盲目になりますね。
拙者も未達ゆえ盲目であります。
自戒の気持ちでハンネといたしました。
610 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 11:09:51 ID:jg2y03BB
机さんとは余り呼びたくないですが竜乃介が盲目になった根本原因は単に視神経の故障という話ではありません
よくよくお考え下され
611 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 11:12:27 ID:d/NFbgsC
>>607 >「来世を信じない人は必ず悪を行う」とゴータマが説いたとして上げた経がこれであり、
>その解説は中村 元氏によるものです。
中村 元氏は、拙者の師ではありませんから、
参考にしても問題とはしないですね。
拙者は、一休宗純が心の師であります。
森女的なものはおりませんが、
その生き方には学ぶとこがございます。
(かしこ)
612 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 11:17:56 ID:jf1mgUUr
>>607 >その解説は中村 元氏によるものです。
オウムも、中村元氏の影響があったと聞いている。それこそ、悪影響を
考えない、勝手な解釈である。しかし、氏の真意は何かを、十分に極める
必要がある。
「本に書いているから正しい」と信じ込むことが、カルトの「思考停止」
の始まり。現実に立脚して、「本に書いてあることの正しさ」を、自分の
頭と社会常識で、常に検証する態度が、真理への唯一の道である。それ
により、初めて進歩と向上がある。
613 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 11:44:46 ID:8V+R0elp
>>607 「悪」とは何ですか、定義できますか?
善悪はあくまで価値判断→二項対立相対を前提としていますね(世俗諦)。
勝義=空=中道と悪との関係を述べてください。
あなたは悪とやらを犯したことがないのですか?
あなたはもちろん仏教徒ではありませんね?
614 :
1:2008/12/05(金) 12:24:28 ID:vZq+zBjL
般若心経はゴータマからではなく、
---正直に---観音さまからの教えであるとされています。
確かに、内容的には最高傑作だと思います。ただし・・
>>601 >ギャーティー、ギャーティーというのは
>「彼岸まで至れ」という応援歌になってるだけです。
>どうか彼岸まで透過しなすってくださいまし。
>>587 >仏陀に、まだバラモン教の影響が残っていた可能性も、考慮する必要がある。
>大乗仏教が、それを克服した。
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日
【羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶】 般若心経
これは、真言(陀羅尼)の念誦(法)であり、
厳密にいえばこれはマントラヨーガです。つまりバラモンへの回帰になります。
呪文の類いに対するゴータマの姿勢はこういうものでした。
「魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の
皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得る
ための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなけ
れば、その人を清めることができない。」(スッタニパータ249)
「わが徒は、アタルヴァ・ヴァーダの呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占っ
たり、懐妊術や医術を行ったりしてはならない。」(スッタニパータ927)
615 :
1:2008/12/05(金) 12:25:30 ID:vZq+zBjL
参考:
「陀羅尼 (だらに)、梵名ダーラニー (????? [dhaaraNii])とは、仏教において用いられる呪文の一種で、
比較的長いものをいう。通常は訳さず(不翻)サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱える。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「アタルヴァ・ヴェーダ(Atharva-Veda)は主にバラモン教の呪術的な儀式のしきたりが記されているも
のである。4ヴェーダ本集のひとつ。古い部分は紀元前1500年ころには成立し、時代とともに書き加えら
れていったと考えられる。古名は、アタルヴァ=アーンギラサといい、アタルヴァン族とアーンギラサ族の
知識を合わせた非アーリア系の古文書である。アタルヴァン族は主に、吉祥増益の呪文を伝え、呪詛
調伏の呪文はアーンギラサ族のものとされている。主に呪文が書かれていることが強調されているため、
密教の元となった書物として有名であるが、医学に関する記述も多い。ヴェーダの時代は、病気は悪霊
の仕業と考えられ、悪霊を退治するための呪術と医学は区別されていなかった。ただし、現代では医学
に関する部分はアーユル・ヴェーダとして抜き出され、アタルヴァ・ヴェーダよりも有名となっている。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
616 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:27:39 ID:wtEc+LTu
まあオカルト信奉者の妄想より612の言ってることの方がよっぽどまともだね。1は「輪廻はあってくれなくちゃ困る」
こういう妄執に囚われてる自分をもっとよく観察する必要がある。
617 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:06:42 ID:y0VVDVgr
ブッダがネパール人ならどうして仏教はネパールではなくてインドが発祥の地になるのでしょうか?
618 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 13:55:52 ID:d/NFbgsC
>>614 >これは、真言(陀羅尼)の念誦(法)であり、
>厳密にいえばこれはマントラヨーガです。つまりバラモンへの回帰になります。
>呪文の類いに対するゴータマの姿勢はこういうものでした。
ギャーティーは真言ですが、
そのギャーティーの前に「色即是空 空即是色」の句がありますから、
文脈からいいますと、空への透過を示唆してることは間違いありませんです。
ちなみに禅宗では、色→空→色と還滅を意味するのでありますが、
真言密教ですと、色→空→→→それよりレベルアップの色(如来蔵)の意と拝せられます。
つまり、禅宗では空が勝義諦となります。
真言密教においては、空が世俗諦となりまして、そこからの秘儀とあいなりまする。
(この秘儀・呪術こそ勝義諦としての秘密の教えとなりますね)
いずれにしてもバラモンへの回帰ではありません。
貴殿に解りやすく説明いたしますと、
「色」とは、陰陽という意味です。
「空」は一如です。
陰陽(二極)が一如であると、かように示唆しとんです。
この一如が、また分断されて陰陽(二極)とあいなります。
不一にして不二であります。
不二一如のバラモンとは論理的整合性はなんら見出すことはありゅらんのでふ。
<机龍之介・花押>
619 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:55:56 ID:8V+R0elp
1は無理してこじつけて仏教徒でいる必要はないよ。
仏教徒であることで、輪廻転生論で苦しまなくともいいよ。
基盤として人間の欲望=無明を置く輪廻転生論のヒンドゥ教に転向でいいじゃんw
堂々と妄想を語れるぞ。
インドでカースト制度を否定し仏教復興運動を行ったインド近代化の父アンベードカルと
逆コースだな。
620 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 14:14:19 ID:DEWSmZKL
192 :名無しさん@京都板じゃないよ:2008/12/02(火) 23:57:59
>>185 本当に小乗なら、
毎日食べものを供養してくれる信者達なんかいなくなるでしょう。
出家者の生活を支える在家信者がいるということは、
その在家信者は出家者を尊敬し、存在価値を見い出している証。
193 :名無しさん@京都板じゃないよ:2008/12/03(水) 01:30:12
>>192 先天思想で精神をレイプしてるからだよ。善行=供養=天界への切符
仏教でもなんでもないだろ。仏像に金箔貼れば御利益あるらしいよw
石井光太『物乞う仏陀』(文藝春秋 1571円+税)は上座部の本場、
スリランカをはじめ「仏教のアジア」で、輪廻と業の教説が撒き散らした害毒を告発する。
「この世に仏陀がいたら尋ねたい。あなたが説いた業とは、希望を捨て、
怒りを正当化するためのものなのですか、と」。
621 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 14:32:15 ID:8V+R0elp
>>620 >あなたが説いた輪廻と業
それはすかたなかんべ。
ブッダの真意は変容させられている。
ほとんどの人間はブッダほど聡明ではない。
日本は無知且つ冥土思想×地獄思想とのごちゃ混ぜで、
南伝仏教はバラモン=ヒンドゥの圧倒的影響力・圧力下で、
生きのびるために剽窃的変容を繰り返してきたのだから。
もっとも上座部(実質部派仏教)はオリジナルのままだと主張する。
だからこそ、明治時代に原始仏教ショックが日本仏教会を襲った。
もっとも、知らぬ振りで葬式仏教を続けているんだけどね。
>仏像に金箔貼れば御利益あるらしいよw
そんなこたー、金ぴか仏像をみて輪廻転生ばんざいを叫んだ
俗物プラグマチスト中国人に言えよ。
622 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 15:17:23 ID:OmcclATT
キリスト教の「罪の思想」と仏教の「輪廻転生の思想」は、人間の「生」に
とって極めて有害だから、全面的に廃止すべきもの。
623 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 16:30:42 ID:d/NFbgsC
>>599 >輪廻という言葉ではなく前世があり過去からの禍福が存
>在するという真実から目を背けないことは重要かと思います。
「過去からの禍福が存在する」ってのが分りませんね。
例えばですが、前世に野良猫好きな者がおりまして、
生類を大切にし、日頃から餌を施していて、
本人は福を積んでると自分に納得していたとする。
かたや、地域住民の幸福を願い、
猫の繁殖が地域の公衆衛生に著しく問題があるとして、
密かに猫殺しをし、
本人は福を積んでると自分では納得していたとする。
この両者の考えは対立しますが、
「福を積む」ってとこは同一です。
「福」を誰が裁定するのか?
これが非常に難しい。
福は結果的に悪になる場合もありますし、
「なにもしない」。という方法こそ・・・・
結果において最良だったりする。
この中道こそ般若(智慧)かもしれませんね。
624 :
絶対神:2008/12/05(金) 16:46:15 ID:OVIMkI6h
★★『幸福の科学』統合スレッドpart251★★ (236)
ここでまた説法し始めたよ。読んでみるといいよ。
真理が説かれているよ。
625 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 17:11:53 ID:8V+R0elp
>>622 >仏教の「輪廻転生の思想」
仏教の、じゃないよ。
ヒンドゥ教の、だよ。
明らかに抗原抗体反応を起こす異物であり、ガンだ。
輪廻転生論を信じるなら、勝手にヒンドゥ教に鞍替えすればいいのではないか。
出てゆけよ。
日本では日本国憲法によって信教の自由は保障されている。
>>623 机さんは優しいね。
善悪、福禍などの価値判断(誰の?)を伴う二項対立相対主義は
空=中道・仏説に非らず、で切り捨てれば・・と思うが、じゅんじゅんと解くね。
626 :
絶対神:2008/12/05(金) 17:16:24 ID:OVIMkI6h
>>善悪、福禍などの価値判断(誰の?)を伴う二項対立相対主義
だが、これを無視しては現実の世の中は成り立たん。
中道・仏説の方がはっきり言えば、非現実的な空論だ。
>>仏教の「輪廻転生の思想」
日本に輪廻転生の概念を持ち込み、広め、定着させたのは仏教だ。
ヒンズー教ではない。
釈迦にも仏教徒にも、この現実を無視して口元は拭わせない。
「お前たちが日本にそれを持ち込んだ犯人だ」と俺ははっきり言う。
627 :
絶対神:2008/12/05(金) 17:18:23 ID:OVIMkI6h
★★『幸福の科学』統合スレッドpart251★★ (236)
ここでまた説法し始めたよ。読んでみるといいよ。
真理が説かれているよ。
ここを読み、真理を熟考せよ。
628 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 17:31:58 ID:8V+R0elp
>>626 聖徳太子のトンチンカンぶりに文句を言えよw
日本仏教は土着の冥土思想や地獄思想などで、輪廻転生論の
抗原抗体反応は比較的少なく、なじみやすい土壌はある。
アミニズム的八百万の神とも結びついて、
先祖供養と現世利益至上主義ならなんでもありの宗教総合商社だ。
>広め、定着させたのは仏教だ。
>ヒンズー教ではない。
空海・最澄を筆頭として「仏教」名目の実質ヒンドゥ教だ。
現世利益をかなえてくれるなら、なんでもいいんだよ。
ある意味、無節操というか、宗教を手段視していてたくましいというか・・
629 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 17:42:27 ID:pksLzAkl
輪廻転生があるからこそ解脱しようという動機になるのに、
輪廻転生が無ければ、人々はただ刹那的に生きるしかない。
どうせ死ねば終わりなんだって発想になっちゃう。
630 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 17:49:50 ID:wtEc+LTu
今度は神さまの登場か?
1のオカルト臭に引き寄せられて次々とおかしいのが来るな。もうオカルト板に移動したほうが、いいんじゃないか?
631 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 17:51:20 ID:8V+R0elp
先祖供養と現世利益至上主義の大部分の日本人にとって、
釈迦仏教は???????やろなあ。
トンチンカンに輪廻転生と因果応報というルートで
釈迦仏教を誤解・曲解する土壌はある。
その意味では、葬式仏教がぴったりな殻なのかも知れん。
632 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 17:52:19 ID:OmcclATT
>>629 輪廻転生という空脅しから逃れるための解脱なら、それこそ刹那的な、
無意味な人生。釈迦は単なるアホということになる。
633 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 18:03:37 ID:wtEc+LTu
>>629 輪廻を信じてないやつは皆、刹那的に生きてるというわけか?
すごいご意見だね。
634 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 18:03:45 ID:8V+R0elp
なっ、言うた尻からこいつ
>>629がええサンプル、典型的な日本人らしい馬鹿反応や。
なんにも解かっとらんわw
そういう断滅・常住、生死などの二項対立を離れた空=中道という真相を悟り、
還滅して、生死の迷いを捨て、世間の真っ只中で超越の眼で新しく生きなおせというのがブッダの趣旨や。
ほんま、たのむわ。
635 :
釈迦:2008/12/05(金) 18:04:07 ID:IwhqyGqC
はぁ…。
どうせ私はアホですが、それがなにか?
636 :
卵:2008/12/05(金) 18:06:55 ID:Aw3emwJU
えらい繁盛していますね。結構なことです。
>>591 ヤマタノオロチみたいな大蛇は武鱗竜王(ムチャリンダ)のことですよ。
釈尊がお悟りをひらいた菩提樹に住み着いていた龍神で、解脱した釈尊が7日間の三昧にある中、釈尊を寒さや熱、蟲など苦難からお護りしたのです。
物語としても感動的な説話です。少年ケニアのダーナみたいです。
1さんの本意は輪廻を啓蒙したいってことじゃないんだと思う。
いきなり飛躍した文章を書くとまたも燃料投下になってしまうが、
輪廻の構造がそのまま涅槃になるのであって、肉体の生命上の涅槃に留まらない永遠の生命まで行き着かないと
生死解脱とはならない、だからあくまでも輪廻は譲れない。ということなんですよ。
相対主義がどうこうとかそんな次元の話ではないというわけ。
と、勝手な独り言を呟いてみる。
637 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 18:12:28 ID:OmcclATT
>>636 「死ねば無」という悟りこそ、究極の悟りだと思うが。
「永遠の生命」など求めるのは、究極の執着と煩悩。
638 :
卵:2008/12/05(金) 18:26:23 ID:bab/hfIk
>>637 ほんとだねぇ。本音を言うとね、わたしもそう思いますよ。悟り乞食は醜いってね。
なんたって無所得の行はかっこいいし、ストイックな感じがしていいよね。
そんな無所得行を死に物狂いで朝から晩まで30年も続けたら、なんともいえないしみじみとした気持ちになってくるものですよ。
道端のちっこいお花にも思わずほろりときちゃったりしてね。
あぁ、こいつが咲いているのはこいつの力じゃないんだな。
なんておもって「ハッ」としたりして。
でも良く考えるとそう自分が気がついたのも自分のせいじゃないんだな。
なんて、そんな感じが「永遠の生命の入り口」
がんばってね!!
639 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 18:28:48 ID:8V+R0elp
>>636>>637 あのな、両方とも断滅・常住の二項対立で語るな!言うてるやろ。
ブッダの教えは「いま ここ おのれ」だけが問題。
>「死ねば無」
生死の超越が悟りだから、いま が無=空なの
>輪廻の構造がそのまま涅槃になるのであって、
肉体の生命上の涅槃に留まらない永遠の生命まで行き着かないと 生死解脱とはならない
上記の単語、文章、意味内容がすべて無効→無=空なの わかる?気がつけよ!
640 :
卵:2008/12/05(金) 18:33:15 ID:B2c8PCxz
>>639 ボクもずいぶん前にそんなこと言ってた時があったよ。
641 :
卵:2008/12/05(金) 18:41:30 ID:8SNhSQ9N
問題はね、死に物狂いで自分の足跡を雑巾掛けるみたいに「空=無」を論じたりすることじゃないんだよ。
心に空という無辺の入れ物をこさえること。
できれば、そこも空っぽのまんまじゃもったいないから仏様に住んでもらおうね。
今日はめんどくさいから、こんなレスしか出来ないや(笑
ごめんね。
642 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 18:43:04 ID:8V+R0elp
>>640 かつての「ボク」などいないし、過去も未来も生死も無。
じゃあ、笑ってください。
643 :
絶対神:2008/12/05(金) 18:43:08 ID:OVIMkI6h
★★『幸福の科学』統合スレッドpart251★★ (236)
ここでの私の書き込みを熟読しろ。
少しは参考になるだろう。
644 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 18:47:12 ID:d/NFbgsC
>>636 >えらい繁盛していますね。結構なことです。
このスレが繁盛してるのは、此岸で迷ってるから・・・
何とかしたいという者がレスポンしているのですよ。
迷ってる原因というのは、
>輪廻の構造がそのまま涅槃になるのであって、肉体の生命上の涅槃に留まらない永遠の生命まで行き着かないと
>生死解脱とはならない、だからあくまでも輪廻は譲れない。ということなんですよ。
こういった世界観の構築。
仏教というのは「計らいごと」はいらないのです。
「計らいごと」を阿弥陀如来にオマカセする。
ってのが真宗の宗旨になってるんですから。
(このベクトルを参考にしてください。ようするに無心です)
一度脳に焼きついた観念というのは、そんなに簡単に消えるものではなく、
やがてその観念において自己をコントロールされてしまう。
宗教の恐ろしさとは、これに尽きますね。
645 :
某ピカ:2008/12/05(金) 18:54:43 ID:SqrMDJZt
/) /)
/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | < ゴータマ + 五比丘 ≒ 麻原 + オウム神仙の会
(〇 〜 〇 | \
/ | ああいう「カリスマリーダー+取り巻き」の小集団が
| |_/ | 人(人生)を吸収・奴隷化しながら、大きくなるピカ。
646 :
阿弥陀仏:2008/12/05(金) 19:19:13 ID:OR3bDWfD
>>644 「計らいごと」を阿弥陀如来にオマカセする?そんなもの、あたしゃ
関知しません。真宗の宗旨?そんなもんのインドにはありません。ゆえに
仏教とは無関係です。
647 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/05(金) 19:29:05 ID:d/NFbgsC
>>646 ノアの箱舟が用意されていて、それに乗船するかしないかは個人の自由ですね。
>>634 >世間の真っ只中で超越の眼で新しく生きなおせというのがブッダの趣旨や。
どうして釈尊がそんな事言うの?
死んだら全部終りなんでしょ?
新しく生きなおす目的は何?
なんで釈尊は「死んで全てが終り」なのに
かつて誰もやらなかった苦行をしたの?
釈尊はマゾか?
649 :
卵:2008/12/05(金) 19:51:50 ID:gW92g4My
遅まきながらレスしてみます。
>>595 >では、あなたにはマハトマ・ガンジーやマザーテレサのような人はどう映るのですか?
無神論者や死後断滅論からすれば天国参りの点数稼ぎとか、後生願いの往生乞食でしょうなぁ。
あな恐ろしや。
>>649 スパッとやっちゃいましたねw
テレサは「私は貧困の原因には興味はない」
と言ってのけたババアですからね。
あれ?読み違えたか・・失礼
>>558 横レスになりますが、読み下し文をはじめとして、下記の箇所が原意とは
真逆に解されているようなので書き込みます。
雑阿含経「有業報而無作者、此陰滅已、異陰相續、除俗數法」(大正2, 92c)
梵語の原文を見ると、「この諸蘊を捨てて、別の諸蘊を再生する」を先導する
関係代名詞のヤ(〜するところの…)が、カーラカス(行為者)に係っています。
つまり
「‘この諸蘊を捨てて別の諸蘊を再生する行為者’は得られない、存在しない」
という意味になります。次に掲げる真諦三蔵の訳文でも、明らかにそう解しています。
阿毘達磨倶舎釈論「有業有果報、作者不可得、由無故、故不可説、此我能捨此陰、
受彼陰、若離法假名」(大正29, 204b)
行為者は(永久に変わらぬ実体としては)存在しないのだから、「この我がこの(現在の)
諸蘊(色・受など)を捨てて、別の諸蘊を受ける」と説くことはできない。‘法の規定’は除く。
つまり、行為者は存在しないが、‘縁生法(縁起支)の規定’(縁起)は存在する。
「『倶舎論』における世親の縁起観」で筆者の楠本氏も、ここのところを
「業と業報は勝義として存在するが、ダルマに関する規定(dharmasaMketa)つまり縁起
以外には、行為者は存在しない」と書かれています。
653 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 20:45:59 ID:YXAdiPW2
>>595 >「宗教性」と「宗教」「組織(教団)」は同じものではなりません。
>魔女狩り異端尋問〜という残虐な愚弄は別にイエスの教えではない。
>では、あなたにはマハトマ・ガンジーやマザーテレサのような人はどう映る
>のですか?
あなたは、仏教徒ではなく、クリスチャンか、またはキリスト教の影響をたっぷり
と受けてますね。そうやって、イエスは絶対に批判できず、専ら、「他の人間」に
責任を押し付けるのが、キリスト教の最大の特徴です。それがまさに、キリスト教
による大虐殺の原因なのです。
ガンジーは、ヒンドゥー教徒だが、英国留学を通じてキリスト教の影響を大きく
受けていると推測されます。極めてキリスト教的です。彼の死も、インドの
宗教対立を激化させただけです。
マザーテレサは、勿論クリスチャンだが、異端でしょう。彼女は、晩年には、
神やイエスやキリスト教に疑問を抱いたと言われているが、それにより、初め
て、彼女の善行が本物になったのだと思います。宗教の「命令」によって行う
善行は、「偽善」に過ぎないからです。
あなたが輪廻転生を強く主張されるのも、キリスト教の「罪」「永遠の生命」
「最後の審判」などの概念と関係がありますね。仏教スレではなく、クリスレの
ほうが、あなたには相応しいように思われます。
他の宗教が、キリスト教の影響を受けると、必ずカルト化します。麻原も、キリ
スト教の影響さえなければ、あそこまでは決してやらなかったはずです。
「ハルマゲドン」は、黙示録の言葉です。
654 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 20:52:36 ID:8V+R0elp
>>648 『断滅・常住、生死などの二項対立を離れた空=中道という真相を悟り、
生死の迷いを捨て、還滅して、』(
>>634)と書いている。
>どうして釈尊がそんな事言うの?
『趣旨』(
>>634)、自分なりに導かれたブッダの真意と観じられるコトを書いている。
>死んだら全部終りなんでしょ?
空=中道に生死も始終という二項対立もない。不一不二。
>新しく生きなおす目的は何?
あえて世俗言語表現するなら『新しく生き直す』と表現するしかない。
目的などない、自由あるのみ:無=空⇒涅槃寂静
655 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:03:26 ID:8V+R0elp
>>652 そんなこたーその前の
>眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅
→無我且つ艶笑もとい縁生即縁滅で解かるがな。
>>636 時間と言う観念が存在したら
それは永遠ではありません。
永遠とは時間軸が消えること、
つまり「今、ここ」です。
これは瞑想しないとわかりません。
657 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:12:12 ID:YXAdiPW2
>>656 ニーチェは、瞑想しないでもわかった。「永劫回帰(永遠の反復)」。
>>654 死んだ人はみんな涅槃寂静じゃん。
馬鹿な屁理屈言っちゃいけませんよ。
貴方はただ感情的に輪廻を認めたくないだけなんですよ。
多分そういう業の元に生まれてきたんでしょう。
別に自由にも無にもならんでいいでしょう?
自殺すればいいんだから。
あるいは寿命を耐えればいいんだから。
釈尊がそんな馬鹿馬鹿しい事のために
あれだけの修行をしたというのか?
2500年以上も法が残っているのか?
片腹痛いわ。
659 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:17:47 ID:8V+R0elp
>>657 あのな、ニーチェはオナニー瞑想しすぎて、パーになってたんやで。
幸せ者よのー
>>657 ニーチェが瞑想をしってたら
悟ってたかも知れませんね。
ニーチェは「今、ここ」はわかってないでしょ。
661 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:20:24 ID:8V+R0elp
>>658 じゃあ、それで幸せなら片腹どころか大笑いしてください!
よかったね。
662 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:20:47 ID:YXAdiPW2
>>1さんが、輪廻転生を必死で擁護する理由が、ようやく分ったよ。
要するに、キリスト教の影響。即ち、カルトである。
本来の仏教とキリスト教とは、180度異質。混ぜ合わせると「化け物
宗教」が生まれる。「混ぜるな危険」である。
>>662 キリスト教って輪廻認めてるんですか?
初耳です。
665 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:29:11 ID:pksLzAkl
結局、ここには瞑想して少しでも悟った奴はいないのか?
全部、経典の恣意的な引用と自分の価値観の押し付け合いじゃないかw
輪廻転生なんて、少しでも悟ったやつならあるか分かりそうなものじゃん。
偉そうに究極レベルの<ことわり>ばかりにこだわって、
自分で一歩づつ階段を上るつもりないのか?仏教は悟ってなんぼだろ。
悟ってない奴が、究極レベルまで悟った奴の代弁をしても意味ないんだよ。
実践によって、自分の<常識>が崩れるのが怖いんだろうな・・・。
だから何もやってないのに仏陀のコピーになりきった気分で満足している。
666 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:34:26 ID:YXAdiPW2
>>660 >ニーチェは「今、ここ」はわかってないでしょ。
「永劫回帰(永遠の反復)」とは、「今、ここ」が永遠に反復するの
だから、「今、ここが、すべて」という意味だよ。
西洋哲学者は、このニーチェの言葉の解釈に四苦八苦しているが、仏教
者には一発で分ること。キリスト教を徹底的に批判したニーチェは、仏
教こそ、唯一の実証的宗教、心の衛生法として、極めて高く評価している。
彼は、事実上、仏教者であった。
彼は、西洋哲学を根底から覆したのだから、すでにキリスト教に汚染され
ている西洋哲学者たちには、彼の理解は到底不可能である。
667 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:39:46 ID:YXAdiPW2
>>664 >キリスト教って輪廻認めてるんですか?初耳です。
「永遠の生命」などという「荒唐無稽」を、信じ込まされているでは
ないか。「天国」や「地獄」もそうだ。
>>666 そうなんですか。
勉強になります。
ところで彼は脳梅?それとも発狂?
669 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 21:47:11 ID:jg2y03BB
>「死ねば無」という悟りこそ、究極の悟りだと思うが。
そんなのが究極の悟りなら釈尊などと崇められる訳ないだろよ
>>666 でもひっかかるなあ。
「今ここ」は時間軸がない、ということ。
それが永遠(時間軸)に反復する?
>>667 「永遠の生命」と「輪廻」は別物ですよ。
672 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:00:11 ID:jg2y03BB
ニーチェが仏教を理解していたらもっとマシな人生を歩んだと思うぞ
彼の苦悩というのは大半が肥大したエゴ意識の産物であり、仏教はそれを取り除くのが目的
西洋哲学者で仏教に近いのはむしろカント・ヘーゲルの系譜ですよ
ヴィトゲンシュタインが一番近かったのに
べらべら再度喋りだした。
674 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:06:43 ID:YXAdiPW2
>>670 「永遠の反復」は、「無数回の繰り返し」と解すればよい。超高速で繰り返せ
ば、時間軸は「ゼロ」である。哲学者には、そこが分っていない。「未来の話」
などと考えている。
そもそも、従来の「永劫回帰」などという、もったいぶった訳語がいけなかった。
訳者に、意味が判っていなかった証拠である。
>>671 具体的にどう違う?死後の世界を認めるのだから、同じようなもの。
ニーチェが脳梅でなく理性が破綻して発狂したなら、
彼は正しく最高の哲学者であったと思う。
知性は断崖絶壁を照らす。
そこまで凡人は行けないだけだ。
だから彼が瞑想という知性からのジャンプする
メソッドをしっていたならホントに悟っていたかも知れない。
676 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:13:27 ID:jg2y03BB
ニーチェは理性的というより感情的な哲学者ですよ
677 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:16:29 ID:jg2y03BB
今、ここが全てなら梅毒持ちのコジキ哲学者のニーチェに救いはなかったろう
>>674 たとえ超高速だろうが時間概念は関わってくるでしょう。
鈴木大拙が「1千年などまばたきの間だ」と
言っています。
時間概念がある限り「永遠」と言ったってまばたきなんです。
心理的時間の消滅が正しく「永遠」なんですよ。きっと。
679 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:18:36 ID:YXAdiPW2
>>672 >西洋哲学者で仏教に近いのはむしろカント・ヘーゲルの系譜ですよ
ある程度の影響はあったと思うが、既にキリスト教で汚染された彼らに、
仏教が本当に理解できる訳が無い。ニーチェは、カントを、「陰湿な神学者
に過ぎない」と酷評している。
キリスト教頭には、仏教の理解は絶対に無理。下手に理解されたら、
「化け物思想」が生まれる。
680 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:19:20 ID:jg2y03BB
ニーチェを礼賛するのは社会のはみ出しもの、頭の悪い中学生、精神病者、ニート、引きこもり、大量殺人鬼、変態、が多い。
類は友を呼ぶなのだろう
682 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:30:00 ID:YXAdiPW2
>>678 「まばたき」にも、時間はかかるぞw。心理的時間は、物理的時間とは
関係ない。心理現象にも、反応時間はかかる、
無限大の高速は、「ゼロ時間」だと考えてもよい。
683 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:37:59 ID:jg2y03BB
ニーチェが言う力の意志とは仏教でいう「無明」の事であり、仏教を逆さまに理解した結果、人生が悲惨になって、精神病院に直行したというのが真相なんですよ
>>682 平行線だな。
「1千年と言っても所詮瞬きをするくらいの短い時間だ」
と鈴木は言ったんですよ。
座布団が抜けるくらい座った人の話だ。
これはサマタ瞑想だが。
俺だって6時間なんてあっという間だよ。座ってると。
だから「心理的時間の消滅が永遠だ」と言っています。
高速だろうがちてんAから地点Bに移動するには
空間という概念が生まれ必然的に時間が生まれるのですよ。
685 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:41:50 ID:YXAdiPW2
ニーチェのいう「超人」とは、「キリスト教の呪縛を逃れることが出来た
普通の人」と解する。
687 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 22:53:31 ID:YXAdiPW2
>>686 君が実質クリスチャンだから、ニーチェを悪く言うだけで気に入った
だけの話。
クリスレへ行きなさい。
>>687 古いですが「ああ言えば上祐」と言う言葉を思い出しましたよw
で無限大の高速でも0時間とはみなす事はできない、
ということがご理解いただけましたか?
たしかに真理を理解しない力への意志は無明でしょう?
私がクリスチャンとはこれこそ妄想ですなw
689 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:01:25 ID:jg2y03BB
キリスト教の呪縛から逃れた結果として梅毒持ちのニート引きこもりになるんだったらキリスト教に呪縛されてた方がまだマシだったという話だろう
宗教の影響を逃れた普通の人は素晴らしいという近代人らしい無邪気な思い込みがあったんだろうが、素晴らしいどころか畜生道まっしぐらという残念な結果に終わってしまった
690 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:04:46 ID:YXAdiPW2
>>684 「あっと言う間」も時間だよw。悟ったという心理現象にも、反応時間
はかかる。
そころで「時間」とは何?定義できる?
>>690 君は微妙に論点をずらしてくるねw
上祐さんだからかな?w
時間の定義など各分野でそれぞれ違うでしょう。
ウィキでしらべなさい。
私が言っているのは物理的時間を観念して語るなら
それは「永遠」でもなんでもない。
心理的時間の消滅こそ永遠だといっているのです。
疲れたからねるよ。
あ、今日の議論は君の勝ちでいいよ。別に。
じゃね。
一言言っておくと「あっと言う間」ときづくのは
定から出てからで瞑想中は永遠だよ。
体験するものが残っているから
本物じゃないけどね。
693 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:19:53 ID:YXAdiPW2
>>689 ニーチェの脳梅は、女を買うという極めて人間的な、創造の意図に従った
結果である。創造に敵対したイエスは、女も買えなかった。
ニーチェは、明朗で暖かく、社交的な人間だった。発病後は、作品は発
表してはいない。キリスト教をあれほど激しく非難しながら、「人間と
してのイエス」は批判していない。ニーチェが、反ユダヤ主義に激しく
反対したことは周知の事実。イエスは、ニーチェの爪の垢でも煎じて飲む
べきだろう。
694 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:27:23 ID:jg2y03BB
女を買うというのは男として欠陥がある証拠で
雄としての魅力ゼロであることの証明でもあるんですよ
イエスはモテモテでマグダラのマリアみたいな追っかけも居た訳で、男性的魅力も天地の差といえる
まだ起きていて申し訳ないが、イエスはマグダラのマリアが
人々に石を投げつけられているのをかばったよね。
高利貸しにも怒りをあらわにしたよね。
人間らしいじゃないか。
ちなみにイエスはエッセネ派に属していて
仏教を学んだ形跡もあるんだよ。
これはアングラだけどね。
だから私はクリスチャンではないが
イエスは尊敬しているよ。
多分光明を得ていたんだろう。
今のキリスト教は論外だけどね。
696 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:30:55 ID:YXAdiPW2
イエスではなく、キリスト教を最も徹底的に批判し、仏教の最大の支持者で
あったニーチェを批判するとは、このスレには、案の定、仏教者を騙るクリ
スチャンが相当紛れ込んでいるな。
輪廻転生を必死で主張する、スレ主からしてそうだ。
>>694 >女を買うというのは男として欠陥がある証拠で
雄としての魅力ゼロであることの証明でもあるんですよ
飛躍しすぎ。
>>696 必死ではなく輪廻は当たり前にあるんだよ。
君が苦しいなら今自決しなさい。
全部おわるから。
しかし禅かぶれといい君といい、
煩悩、邪見が強すぎ。
あ、ホントにねるわ。
699 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:38:38 ID:jg2y03BB
ニーチェというのは女の腐ったような奴で著作の大半が他人に対する非理性的な中傷ばかりなんですよ
金の力を借りてでしか女に相手にされなかったというのが真相でしかもその金は親の年金から盗んだ金という駄目人間の典型といえる
700 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:46:37 ID:jg2y03BB
ニーチェの論文は煩悩の垂れ流しの水準を出てないし、だからこそ学界を追放された訳で、こんな外道に仏教を擁護されても迷惑な話だ。
ニーチエの人格に欠陥があるとすればそれはキリスト教の影響なのでは
702 :
神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 23:57:58 ID:YXAdiPW2
>>695 >人々に石を投げつけられているのをかばったよね
イエスは、群衆から石を投げられようとしている「罪の女」を本当に
助けたいと思ったのなら、何故、体を張って助けようとはしなかった
のか。多勢に無勢で敵わないと思ったのなら(この彼の判断は正しい。
彼は神などではなかった)、少なくとも進み出て「女が可哀想だから
助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛いだろ」の一言が、何故言
えなかったのかね。法句経の「己が身に引き比べて」である。
それをしないで、陰湿にも群衆たちに罪の意識を植え付けたことは、
石を投げるよりもはるかに大きな罪ではないか。
それに、イエスが結局は石を投げなかったのなら、彼も「罪を犯した
ことのある人」ということになる。
群衆たちは、共同体の秩序を守るために、「罪の女」を罰しようとした
のである。イエスは、すべての犯罪者を、この女と同様に助けるつもり
だったのか。その場合、共同体の秩序の維持は、どうするつもりだった
のか。それとも、この売春婦に性的魅力があったので、特に助けたのか。
それでは、イエスは、「心の中で姦淫の罪を犯した」ことになる。
イエスは、論理矛盾と我のみ良しの思い上がった独善性、人間差別だらけ
で、「人間性や人間社会の洞察、人間そのものに対する愛」は皆無で
あった。
703 :
某ピカ:2008/12/06(土) 02:50:57 ID:a8r7aVfF
/) /)
/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | < ゴータマ仏教は出家主義仏教であり、
(〇 〜 〇 | \ 万人がまねすると人間社会が成り立たない
/ | ようなシロモノであったピカ。
| |_/ |
>>702 やれやれ・・君にかかったらイエスもかたなしだな。。
705 :
卵:2008/12/06(土) 08:29:13 ID:sBk4p1kD
>>665 >結局、ここには瞑想して少しでも悟った奴はいないのか?
野暮だなぁ。
悟った人が多すぎるから、もめているんじゃないですか。
独り言いってないで、こっちおいでよ。
706 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 08:57:15 ID:Hvrk985v
>>551 >私にはすでに唯物--を超えた体験がある。
>まっ、体験前から私の場合には理論的に理解できていたし、
>幼少時から、目覚めと共に物質界が生じるとか・・意識の永久性とかの思考を巡らせていた。
>こればかりは皆んな全員、違うので仕方ないことです。
これは貴殿だけでなく、宗教とかに関わった御仁なら、ある程度は体験してますね。
修道院などでもあるそうですよ。
「神と一体になる祈り」ですね。
脳内モルヒネが抽出されて・・・見事、神と一体になるらしい。
まあ、かくいう拙者も体験してますがね。
そういうのは魔性として捨棄しなければ彼岸まで行けんのでふ。
釈尊も成道後に魔性が現れて、見事にその魔性に打ち勝っていったんでふ。
まあ、ようするに捨て切らんと駄目なんですよね。
何故なのか?
簡単にご説明致します。
つまりですね、貴殿はその体験に自らが嵌ってしまったのです。
そして
>目覚めと共に物質界が生じるとか・・意識の永久性とかの思考を巡らせていた。
かような意味付与まで脳にインプットした。
これじゃ〜、自らがマイコンに嵌ってしまったもんじゃ〜ないですか。
なかなか、こうなってしまうと、
この観念を打ち消すことは至難でありますし、
最終的には、その観念において自らが呪縛を受けてしまう。
(白隠も、地獄観念からなかなか抜け出せなくて・・晩年に法華経を紐解くんです)
707 :
1:2008/12/06(土) 09:20:47 ID:ljCQVdQq
>>706 ここでいうわたしの体験とは、ホーンティング現象(心霊存在に関係する)という【超常的な物理現象】
のことです。まっ、ポルターガイストみたいなもんですよ。勝手に錯角の類いとは一緒にしないで下さい。
・・そのような内観体験のことをいったのではありませんので!
若き日(仏教も知らない頃)の偶然の体験であり、仏教その他の宗教的な体験といったものとは違う。
勝手な決めつけは辞めて頂きたい!
708 :
1:2008/12/06(土) 09:21:35 ID:ljCQVdQq
>>606 >だからカルトが狂気のように反発するのである。
輪廻転生は仏典で繰り返し繰り返し説かれた最重要な教え。
私たちは仏典に信を置き、その教えを理解して在るがままに受け入れているだけのこと。
「そんな馬鹿なぁ〜!!」って必死になって反発しているのは一体、どちらなのでしょうか?
いいでしょうか?----仏典の記述は削除不可能なのです。
それをただ、あなた方が自分勝手にアレコレと解釈を捻くりまわしているだけのこと。
>>612 >オウムも、中村元氏の影響があったと聞いている。
ではあなたの話だと、
オウムが引用して活用したら、それは活用された側の方に諸悪の原因があると??
ダライラマに擦寄ってお友達だと主張したら、それはダライラマが悪いからなんだと。
そんな論理じゃ〜社会ではお話しなりませんね。
彼らは自分たちの正統性を主張しようとして中村氏の著作文献をその対象として選択したということでしょう。
仏教学(の成果)について知り学びたいのであれば、中村氏による著文献を無視できる筈がないでしょう。
そんなごく当たり前の話です。私は何も洗脳されたわけではありません。
709 :
1:2008/12/06(土) 09:22:58 ID:ljCQVdQq
>>613 >「悪」とは何ですか、定義できますか?
善悪といったものは相対的な基準にしか過ぎませんが、
対人関係における基本的な「悪」とは、相手に対する破壊行為。
つまり、意図的に相手の心や体へ外傷を負わす危害行為などがこれに該当します。
自分が大切ならば相手も大切にするものだとゴータマは教えました。
「心の中であらゆる方向を巡ってみても、どこでも、自己よりも愛しいものに巡り会わなかった。
それ故に自己を愛する人は他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75)
「自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。
故に自己を愛するものは他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75-ウダーナ)
「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられる
ことなく、賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ:V.373)
「もしも、自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(スッタニパータ:790)
といっているのです。
「原始仏教では自己を愛することを教えている。アートマンは愛しきものである。ある小さな神が
《子に等しい愛しいものはない。》といったのに対して、釈尊は「自己(アートマン)に等しい愛しい
ものはない。」(アングッタラ・ニカーヤ:U.21)と答えた。これは明らかに古ウパニシャッドにおいて哲人
ヤージニャヴァルキヤが・・・などと説いた教えにちょうど対応するものである。」
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)
710 :
1:2008/12/06(土) 09:35:22 ID:ljCQVdQq
>>613 >あなたは悪とやらを犯したことがないのですか?
私は悪を犯さないなどとはいいません。
ただし、「来世を信じない者は悪を行いやすい」ということは、やはりが否定できない。
何故なら、悪しき行為による果報(転生による次の生)を受けないという考えは、
この人生で「好きなことした者勝ちだ!」という快楽主義のルールを制することができない。
>>617 それは活躍した舞台がインドだったからです。
-----このような一般的な仏教関係の質疑については質問スレなど他でお願いします。
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート20
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1221194935/l50
711 :
1:2008/12/06(土) 09:38:44 ID:ljCQVdQq
>>622 >キリスト教の「罪の思想」と仏教の「輪廻転生の思想」は、人間の「生」に
>とって極めて有害だから、全面的に廃止すべきもの。
私もキリスト教の原罪思想には反対です。
ただし、仏教の「輪廻転生の思想」については、
否定派見解の方からも「人間の倫理のために役立つ」からバラモン伝統をそのまま利用して導入した、
とする意見すらもこのスレには出ています(この私は同意しませんが)。
どうこれが有害なのですか?オウムが利用したからなのですか??
712 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 09:39:15 ID:mlFdSvx2
釈尊はまったく賢者ですな。
自己を愛しいと思うものは人のみならず天使や神神も等しく愛する
悪魔ですら自己を愛してるのだから悪魔にも慈悲の目を注ぐ
だからこそ悪魔からも天使からも自己を防衛出来るのだと
713 :
1:2008/12/06(土) 09:42:17 ID:ljCQVdQq
>>653 >マザーテレサは、勿論クリスチャンだが、異端でしょう。彼女は、晩年には、神やイエスや
>キリスト教に疑問を抱いたと言われているが、それにより、初めて、彼女の善行が本物に
>なったのだと思います。宗教の「命令」によって行う善行は、「偽善」に過ぎないからです。
それは、宗教(キリスト教)の呪縛から開放されたということでしょう。
意識が霊的に高まれば、キリスト教(教会が説く教理)などはイエスの教えに逆行した程遠いもの
であることを自然と理解するでしょう。
>>662 >1さんが、輪廻転生を必死で擁護する理由が、ようやく分ったよ。
>要するに、キリスト教の影響。即ち、カルトである。
あまりにも無知です-キリスト教に生まれ変わりの思想はありません。認める者は異端であり、カタリ
派という異端派がよく知られてはいますが、普通は否定されます。(尚、愚かな教会がなんといおうとも
イエスは明確に転生を説きました)
>>696 >イエスではなく、キリスト教を最も徹底的に批判し、仏教の最大の支持者であったニーチェを批判する
>とは、このスレには、案の定、仏教者を騙るクリスチャンが相当紛れ込んでいるな。
>輪廻転生を必死で主張する、スレ主からしてそうだ。
この私はキリスト教の徹底的な批判主義者です!
714 :
1:2008/12/06(土) 09:42:52 ID:ljCQVdQq
>>702 >イエスは、群衆から石を投げられようとしている「罪の女」を本当に助けたいと思ったのなら、
>何故、体を張って助けようとはしなかったのか。
当時のユダヤ社会においては、姦淫の罪人への投石刑をもし庇うものなら同罪/処刑の対象になり
なねない。イエスはその危険を顧みず自ら女を助け出しました。(ヨハネ伝8章7〜11節)
あなたがキリスト教を忌み嫌っている様子は確かによく伝わってきます。それはよく理解できる。しかし
ながら、あなたは怒りの対象をよく知りもしないで、キリスト教やらイエスやらこの私やらを、ただ何でも
批判しています。
とにかく、まずあなたがしなければならないことは、相手を正しく知ることからです。顔を洗って勉強し直
して下さい!尚、このスレはキリスト教関連ではありません。どうしてもそういう話がしたいのであれば、
まずこれを読んでからです(レス番は私による投稿です)
「イエスと仏陀の説く真理真実とは?」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1224385381/l50 37、39-45、58-60、82-84、88-90、98-100
715 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 09:55:25 ID:mlFdSvx2
健全な男は女など買わなくても普通にセックスしているがニーチェに被れるような人物は精神も肉体も病んでいるので金がないと女にも相手にされない
以前あったニーチェやバタイユを礼賛するサイトの著者は同性愛や小児愛こそ究極の愛だとか言って自分の変態性を正当化していたが
何をどうみてもただの変態でしかない
716 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 10:20:59 ID:Hvrk985v
>>707 >若き日(仏教も知らない頃)の偶然の体験であり、仏教その他の宗教的な体験といったものとは違う。
>勝手な決めつけは辞めて頂きたい!
そおでしたか、それは申し訳ありませんでした。
で、その【超常的な物理現象】ですが、
この体験をしたけど、どう自分なりに受止めていいか?というのを引き摺っていて
その答えを仏教に求めたのですね。
まあ人間というのはそういうもんですね。→悪い意味ではない。
前にも拙者が書込みしましたが、
全てが理性で割り切れるもんじゃないけど、人は明晰を死にもの狂いで求める。
今現在の貴殿の心理は、かようなことと拝せられます。
どちらかと言うと【超常的な物理現象】 というのはオカルトのジャンルですけど、
どおして仏教と結び付けたのですか?
拙者はたまに株板を覗くんですけど、
株に負けて、ほとんど鬱な状態かとおもうと・・・
たいがいは快楽的な気分になる人が多い。
あれは、たぶん脳が疲労しきって・・・麻痺状態になってるのかと推測してます。
(心理学については詳しくありませんけど)
あと、車の運転をしていて疲労しきってくると幻覚を見ますね。
(この幻覚は生理学のジャンルなんでしょうけど)
仏教は超常的なものは全くなくて、
非常に現実的であります。
717 :
1:2008/12/06(土) 10:43:28 ID:ljCQVdQq
---机さんへ
>>618 ゴータマ仏陀に対し、
バラモン教(信奉者)などと愚弄するトンデモない輩(しかも仏教に信をおく者らしい)がいるようなので、
そんなんだったら、ではこの般若心経の陀羅尼はなんだ!といってるのですよ。
これは明らかに、般若波羅蜜多の偉大なる真言を伝授しようとする真言念誦(法)に他ならない。
「空」についての理解を説いてるとか・・そういうのはもちろん分る。
しかしながら、大乗はバラモン手法の呪文を自分らで勝手に用いておきながら、
ゴータマをバラモン教信者などと罵倒するとは、一体どんな神経の持ち主(仏教徒)なのか!
と、私はいってるのです。
それから、
これは机さんだけではありませんが、
仮にも仏教徒を自称しつつも、ゴータマを見下し愚弄する行為は恥知らず以外のなにものでもない。
自分が信奉する宗教の始祖にそんな扱いをしている宗教は仏教だけです。
>>623 >例えばですが、前世に野良猫好きな者がおりまして、
>「福」を誰が裁定するのか?これが非常に難しい。福は結果的に悪になる場合もありますし、
自然法則であるところの業報カルマの裁きは、
個々の人間の自己都合による損得を超えて作用するのであるから、
その点についての心配は全く御無用!
718 :
1:2008/12/06(土) 10:44:01 ID:ljCQVdQq
>>716 >で、その【超常的な物理現象】ですが、この体験をしたけど、どう自分なりに受止めていいか?
>というのを引き摺っていてその答えを仏教に求めたのですね。
いいえ全く関係ありません。
そんなことくらい、いちいち仏典を開かなくても何が起きたのかは私は理解します(仏教との出会いは
この出来事よりも先です)。また、幼少時の唯心論的考察や生命(意識)の不死性といった精神的思考
を廻らせたのは小学入学前のこと。また、基本的には全ての宗教に興味はゼロでした。迷信(とは誤っ
た見解)が嫌いであり、仏教については意味を知らず(興味なし)、ただ焼香臭くて陰気なものと見ていた。
まぁ、私のことなどどうでもいい・・
ではここで、机さんに重要な質問させて頂きます。
スパッ!っと、明快に回答して下さい。
1.般若心経のどこに輪廻転生が方便で本当はないと書かれてあるか?
2.仏陀という存在は空か否か?
3.仏教の話や書物に出会えない人はどうしたらよいか?(再問)
719 :
1:2008/12/06(土) 10:54:07 ID:ljCQVdQq
すみません-訂正します
>>707 × 若き日(仏教も知らない頃)の偶然の体験であり
○ 若き日の偶然の体験であり、仏教との出会いが少し先でした(とほぼ同時期でした)。
*尚、勝手に幻覚の類いしないように(といっても無理でしょうが・・)。
私はこの出来事により、濃密物質界に及ぼす心霊存在(とその作用)が実在することを確認しました。
720 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 11:22:39 ID:FGwFxPzw
東の国ケントマティーに再誕、したわけでしょ
721 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 11:34:34 ID:Hvrk985v
>>717 >自然法則であるところの業報カルマの裁きは、
>個々の人間の自己都合による損得を超えて作用するのであるから、
>その点についての心配は全く御無用!
仏教とは、ほとんど形而下の諸問題が命題となっておりまふ。
つまり五蘊ですね。
作用するもの(主体)と、作用されるもの(客体)は、
経験則における概念化は可能であります。
(主客とは何か?は別問題にしても)
この認識(いわゆるコンセンサス)においてのみしか意思疎通は困難です。
この手段がつまり言語でありますが、
貴殿が言ふ「損得を超えて作用する」の意は、
作用する主体と、作用される客体は、当然人類においては未知なるものです。
(つまり経験則として人類は未踏なのであります)
よってこれらは仏教においては戯言とか言いますね。
仏教では「自然の法則」というのはないですね。
大自然(だいじねん)とか、自然法爾(じねんほうに)とか言います。
つまり無為であります。
722 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 11:56:29 ID:Hvrk985v
>>718 1.般若心経のどこに輪廻転生が方便で本当はないと書かれてあるか?
「五蘊皆空」と書いてありますね。
妄想とか空想は五蘊です。→これが「色」
五蘊は空ですから、生起・生滅の縁起である。と
かように記してありまふ。
つまり、音とか匂いとか感触と同じもんで心作用・色作用のことです。
2.仏陀という存在は空か否か?
この宇宙が消滅しましても空であります。
空とは、そういうご理解で宜しいかと思いまふ。
(仏陀がいても、いなくても関係なく空)
3.仏教の話や書物に出会えない人はどうしたらよいか?(再問)
出会えないことはないですね。
今ここに机と出会うとりますがな。→一期一会
即今即所しかありません。
基本的に拙者は書物とかは読まないです。
どちらかというと禅師とかの生き方に学ぶ方が多い。
言語はレジタルですね。→
悟ると思考はアナログになりまふ。
723 :
5:2008/12/06(土) 12:08:04 ID:7Em3zyKY
みなさま、お久しぶりです。初期のころ、よく書きこしていたものです。
ひとつ、みなさまにお聞きしたいことがあるので再び書きこさせてもらい
ますが、 輪廻肯定派のみなさん みなさんは、ここの1さんが
書かれているような
>幼少時から、目覚めと共に物質界が生じるとか・・
>ここでいうわたしの体験とは、ホーンティング現象(心霊存在に関係する)という【超常的な物理現象】
のことです。まっ、ポルターガイストみたいなもんですよ
>私はこの出来事により、濃密物質界に及ぼす心霊存在(とその作用)が実在することを確認しました。
私がお聞きしたいのは、輪廻肯定派のみなさんというのは、やはりこのような
意見に賛同、もしくは類似した見解をもち、そのようなスタンスから輪廻を論じて
おられるのか? ということなんです。このスレには、1さん以外にも輪廻肯定派
の方々が多くおられると思われますので、よろしく回答お願いいたします。
724 :
1:2008/12/06(土) 12:27:08 ID:ljCQVdQq
>>722 1.については、後ほどタップリとやります。
2.解答して下さい。仏陀は空なのかどうか?と聞いてるのです。
3.>出会えないことはないですね。
ふざけないように!アフリカの未開の地に住民や数年で死去する幼児がいます。
あなたのいう2500年間、継承されてきたという偉大な法則で説明してください。
この人たちはどうしたらいいのか?
こちらもそれに合わせて準備があるので解答を宜しくお願いします。
725 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 12:29:13 ID:Hvrk985v
>>723 >私はこの出来事により、濃密物質界に及ぼす心霊存在(とその作用)が実在することを確認しました。
もともと物質界がある。ってとこが非常にアンバランスな状態ですよね。
なくていいもんが「物質界」として存在してるんですから。
仏教では、存在してても、してなくても「空」としたところが
拙者は偉大かと思ってます。
>濃密物質界
宇宙に何らかのアクシデントがあったのかもしれませんね。
偶然にそうなってしまったなら、
人はそのように生きれば宜しいかと思いまふ。
726 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 12:45:00 ID:Hvrk985v
>>724 >2.解答して下さい。仏陀は空なのかどうか?と聞いてるのです。
空とは形容詞ではありませんから、
ある特定された人(あるいはモノ)を指すということはありません。
(論理矛盾です)
つまり主客といふ対立のない理をいうのでふ。
>ふざけないように!アフリカの未開の地に住民や数年で死去する幼児がいます。
>あなたのいう2500年間、継承されてきたという偉大な法則で説明してください。
> この人たちはどうしたらいいのか?
拙者が説明することもなく、貴殿が既に説明しておりますね。
「死去する幼児がいる」という情報は確かに受けました。
「どうしたらいいか」
今の拙者には何もできません。
727 :
1:2008/12/06(土) 12:50:35 ID:ljCQVdQq
誤字脱字が多くて申し訳ありません。
とても大切な部分なので直します!
訂正
× アフリカの未開の地に住民や数年で死去する幼児がいます。
○ アフリカの未開の地の住民や数年で死去する幼児がいます。
>空とは形容詞ではありませんから、
>ある特定された人(あるいはモノ)を指すということはありません。
あなたの説明ならば、唯〜「空」ならfば仏陀存在も空と理解するのか?
或いは、仏陀だけは別物であるのか?
この二つに一つしかない筈です。どちらかを選択しして回答願いします。
解答できる筈です。皆さんがみています-逃げないで欲しい・・。
728 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 13:01:21 ID:Hvrk985v
>>727 >唯〜「空」ならfば仏陀存在も空と理解するのか?
存在する。語義は、そこに対立概念がありませんと言語自体の意がありません。
空とは、そもそもこの対立そのものがない無分別の相をいうのです。
ですから、
「存在」という語義そのものが寂滅してしまいます。
つまり、言語そのものの否定である。
と、かようにご理解くださいまし。
(言語は相対概念においてしか、その意をなさない)
つまり、存在とする主体と、その対象化された客体です。
空は対象化されない仏智であります。
>この二つに一つしかない筈です。どちらかを選択しして回答願いします。
そもそも仏教は二者択一ではないですね
弁証法ではないです。
>皆さんがみています-逃げないで欲しい・・。
おそれいります。
729 :
1:2008/12/06(土) 13:21:00 ID:ljCQVdQq
>>728 >「存在」という語義そのものが寂滅してしまいます。
>つまり、言語そのものの否定である。
>と、かようにご理解くださいまし。
五蘊は空と説かれてるならば、
言語で空か否か?話せます。
仏陀とは「空」か?「否(空ではない)」か?
ナーガールジュナの智恵で解答できる筈です。
誤魔化さないように!
般若心経で「空」が説かれており、
それによって総て(真理)が解明されてるのでしょう?
ならば解答して下さい。
五蘊皆空、色即是空、諸法空相というのだから、
では、仏陀はどうなんだと聞いてるのです。
般若心経が真理を解明したあらゆる叡智の集大成だというのならば、もちろん分る筈です。
「恐れ入ります」じゃなくて・・
ここが肝心な部分なので今、これで逃げられたら困ります!
そうだとこっちは詰めに入れませんので---宜しくお願いします。
730 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 13:27:09 ID:7BW20twv
>>718 >2.仏陀という存在は空か否か?
横レスだが、仏教者らしからぬ愚問ですな。仏陀自身が、色即是空と言ってる
のだから、「空」に決まってるではありませんか。同様に、前世、来世、輪廻
転生も「空」です。
すべてが「空」だといってる仏陀が、一部のものの「実在」を認めたら、仏陀
は完全な論理矛盾に陥ってしまいますよ。
空とは、「個は他との関係においてのみ存在する」という「関係性」のこと
です。死ねば、この関係性の認識も不可能になりますから、空も色もなく、
すべて完全な「無」となります。
宗教、思想をはじめ、人間のすべての営みの根源はその「生命」ですから、
生命がなくなれば、これらのいかなる営みも不可能になります。従って、
生命の消失後のことなどを論じるのは、全くの無意味で、一度きりの生の
貴重な時間の無駄であることを悟ってください。
731 :
1:2008/12/06(土) 13:32:36 ID:ljCQVdQq
すみませんが、
これは730のあなたには聞いていません。
それで・・机さんも730の見解に同意しますか?
同意ならば、それはそれでもこちらは一向に構いません。
どうか返答を願います
732 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 13:41:38 ID:Hvrk985v
>五蘊は空と説かれてるならば、
五蘊というは世俗諦の理解なら「色」なのですよ。
(色即是空の色)
色作用・心作用のことですからね。
それをあえて般若心経では「五蘊皆空」と記してあるのでふ。
>仏陀とは「空」か?「否(空ではない)」か?
この場合は仏陀が「色」であって
色即是空ですから「空」でもある。ってことでふ。
あらゆるモノ、心、世界、輪廻転生、地獄、死後の世界、仏陀、無、有・・・・
(ようするになんでもです)
これは「色」ですね。
それを全部ひっくるめて「空」なんですよ。
これでどうですか?
733 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 13:44:20 ID:7BW20twv
宗教も、開祖も、教祖も、経典も、この世界も、前世来世も、輪廻転生も、
すべて「空」です。しかし、デカルト流に言えば、空を思考している生命
だけは、空ではない。
釈迦が「自分を愛せよ」と言ってるのは、「すべての根源としての自分の
生命を愛せよ」と言っているのでしょう。
他のすべてが無くても、人間はその根源としての「生命」の指示だけに従えば
よいのです。
734 :
1:2008/12/06(土) 13:45:55 ID:ljCQVdQq
>>730 これの何が愚問ですか?とても肝心な部分なのですよ。
はい、例外なしの「仏陀」も「空」ね。輪廻転生も「空」だと。
了解しました!
では、机さんの見解と、
それとその他の否定派仏教徒の皆さんもこれに同意なのか?
同意ならば特にレス不要です。
もしも別見解がある方はその説明をお願いします。
>あらゆるモノ、心、世界、輪廻転生、地獄、死後の世界、仏陀、無、有・・・・
>(ようするになんでもです)
>これは「色」ですね。
>それを全部ひっくるめて「空」なんですよ。
はい、机さんの解答がありました。
了解しました。
735 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 13:50:40 ID:Hvrk985v
>>731 >それで・・机さんも730の見解に同意しますか?
同意ですね。
>横レスだが、仏教者らしからぬ愚問ですな。
>>730 とあるように、
やはり愚問なんですよ。
>1さん
机とか言う奴は論点ずらしの名人で
思考が凝り固まってるからマジにならん
方がいいよ。
やり取りは面白いけど。
737 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 13:55:12 ID:7BW20twv
>>734 あなたの、「輪廻転生」という「色」に対する執着は甚だしいですね。
その「色」が空であることを悟って、執着を去れ、というのが、まさに仏教の
教えのはずだが。
738 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 13:59:14 ID:7BW20twv
>>734 生命の機能に過ぎない「色」の認識を、生命の消失後について論じる
ことほどの、論理矛盾はありませんよ。
739 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 14:08:49 ID:7BW20twv
>>734 >とても肝心な部分なのですよ。
あなたは、最も肝心な部分が、お分かりになっていないようです。
740 :
1:2008/12/06(土) 14:09:25 ID:ljCQVdQq
>>736 ご忠告に大変、感謝します。
やり取りを皆さんに見てもらうことが、この場合の最大目的なのです。
>>737 >あなたの、「輪廻転生」という「色」に対する執着は甚だしいですね。
当たり前です。
仏教の真理が勝手に捻じ曲げられて(解釈されて)説かれては困ります。
----はい、仏陀も輪廻転生も空という解答がでました。
どなたか他の見解があれば宜しくお願いします。
では、これで睡眠に入ります。
741 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 14:26:22 ID:7BW20twv
>>740 >ご忠告に大変、感謝します。
>やり取りを皆さんに見てもらうことが、この場合の最大目的なのです。
「思考が凝り固まっている」というのは、むしろあなた自身に対する忠
告だと理解すべきです。
「皆さん」に頼らないで、あなた自身の「生命」に頼ってください。
「自灯明」「法灯明」です。
>>723 ここまでの議論を読んでいるうちに、釈尊は輪廻転生を
方便にしろ、どんな形であれ説いたのではないか??
と思うようになってきました。
しかし、釈尊がどうであれ、実際に輪廻転生があるかどうかは別の話です。
私自身は、輪廻転生があるかどうかは、わからないというか、否定的に近い
考えを持っています。
1さんのような神秘体験もしてませんしね。
上の方でキリスト教の話が出ていましたが、キリスト教の死後の天国や地獄
等の考えと輪廻転生と違う大きな点は、過去世があるかないか、ということでしょう。
そして、「過去世」の考え方が、「輪廻転生思想」の有害さを表しているの
だと思います。ようするに生まれつき障害がある者に向かって
今のお前があるのは過去世の罪業があるからだよ、と因果を含めて言ったり
することです。
「輪廻転生思想」がカルトであると嫌われるのは、このためです。
イエスは生まれつき目の見えない人を見て、この人は何か罪を犯したために
こうなったのかと弟子に聞かれて、「この人や家族には罪はなく、神の御業である」
と言っています。
この因果を弁えていないかに見えるイエスの見解の方が、
過去世に罪があるという輪廻転生肯定者の見解よりも倫理的に思えるのは
皮肉に思えます。
「一切の形成されたものは無常である」
形成されていないもの。
それはブッダ存在と涅槃です。
>>741 このスレではなかったかな?
「自灯明」とは「己に頼る」と言ういみではなく
自分自身が観察という修行の対象であり、
感情にまきこまれそうになったなら
自己を観察して(ヴィパサナ)それから
逃れなさい。という釈尊のお言葉です。
日本大乗教徒では理解できなくても
無理はありません。
「今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、
善悪を弁えざる邪見のともがらには群すべからず、大凡
因果の道理歴然として私なし、造悪のものは堕ち修善の者は
のぼる、ごうりもたがわざるなり、若し因果亡じて虚しからんが
如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず」
(修証義 弟4節 因果の道理)
>1さん
この道元禅師の言葉を噛み締めてください。
あなたは邪見の輩をマジメに相手にしているのですよ。
もうこのスレは腐っています。
あなたが真理を知っていれば
それでいいのです。
日本大乗にもこのような方がいらっしゃるのに
大乗教徒はわからないんですね。
746 :
5:2008/12/06(土) 16:58:25 ID:7Em3zyKY
机さん 725でのレスありがとうございます。
742さん レスありがとうございます。
>ここまでの議論を読んでいるうちに、釈尊は輪廻転生を
方便にしろ、どんな形であれ説いたのではないか??
と思うようになってきました。
そうですね。釈迦が自己の教説のなかで輪廻について言及したことはない
と考えることは無理がありますね。私は、釈迦と輪廻思想との関係につい
ては半否定派なので
>>60 >>85 >>88 のように考えます。
それと、1さんが708で
>仏教学(の成果)について知り学びたいのであれば、中村氏による著文献を無視できる筈がないでしょう。
そんなごく当たり前の話です。
のように述べられておられたので、ひとつ参考までに
中村元博士も、
「原始仏教では、在俗信者に善行をおこなわせるために、因果応報の理をもって説いた。
正しい行いををした在家の人は、天の世界に生まれる。
それに反して悪業を行った者は、地獄に堕するという。
こういう輪廻説ないし応報説が無我説と矛盾し、一致しがたいものであるということは、
しばしば学者に指摘されているが、原始仏教はかならずしも輪廻および業の観念を排斥せず
むしろ世人の宗教的通念としていちおう許容したらしい。
では、なにゆえに許容したのであるか、というと、
『来世を信じない人は、悪を行う』(Dhp.176)からである。すなわち、
世人に善を行わせるために方便の教えとして説いているのである。」
(原始仏教の思想1・663頁)
と論じています。
747 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 17:36:53 ID:tQ+cVA44
748 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 17:47:05 ID:uHwWe27D
>>742 >キリスト教の死後の天国や地獄等の考えと輪廻転生と違う大きな点は、過去
>世があるかないか、ということでしょう。
キリスト教では、過去生を認めないどころか、アダムが木の実1個食べた「原
罪」が、すべての人間に遺伝したと言っているw。
>>746 >『来世を信じない人は、悪を行う』
人間とは、1個人である宗教の開祖・教祖が、「来世の実在」を信じ込ませる
ことによる「脅迫」と「甘言」によらない限り、悪を行うとでも言うのですか。
そのような人間の軽視・否定の思想は、人間の思想として矛盾であり、人間に
対する悪そのものと言える。
すべての人間に共通する唯一の普遍の事実は、生物的生存本能(生命)であり、
人間は独りでは絶対に生存できないことを、これも本能的に知っているから、
その生存本能から、共同体形成・維持本能、自他の死への恐れ、他者への思い
やりという本能や自然の感情が派生する。これらの本能や感情は、すべての人
間の身体にビルトインされた「肉体的本能」だから、他者から教えられるいわ
れはなく、また、教えられてはならないの。教えられれば、却って変容・破壊
される。
1個人に過ぎない開祖や教祖から「来世の実在」など植えつけられれば、それ
により人間を自由に操ることができ、肝心の現世を軽視し、如何なる悪事も
良心の呵責なく行えるようになる危険性のほうが、はるかに大きいではないか。
749 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/06(土) 18:05:01 ID:Hvrk985v
>>746 >『来世を信じない人は、悪を行う』(Dhp.176)からである。すなわち、
>世人に善を行わせるために方便の教えとして説いているのである。
これはいわゆる色即是空の「色」にあたります。
いわゆる世俗で生きる為の智慧ですよね。
禅坊主でも葬式の時は「あの世」のことを語ちりますね。
それは遺族の心境を察してのこと。
本当のことは言わない。
これを教外別伝としてるわけで、
正直坊主だったら、それで世渡りは出来なくなりまふ。
(檀家が怒ってしまいますからね)
色即是空の四文字において、
そういったことが全て明かされておる訳です。
色とは世俗の智慧のことであり、
また空とは仏の智慧でありまふ。
この二諦あいまって明智でありまふ。
空はそもそも言語化は不可でありますから、
経典においては、世俗の論理において帰納法的に類推するスキルが必要とされまふ。
こういった経緯により、禅宗においては蔵書が多く残されました。
(覚者は言語概念からは、そもそも解脱はしておりますが)
ひとつのことを語ちるにも、多くの言語を必要としたからでふ。
これを不立文字と言いまふね。
>>746 ああ、私が言ったようなことは既に5さんが
>>88で言われていますね。
失礼しました。全然気がつきませんでした。
>こういう輪廻説ないし応報説が無我説と矛盾し、一致しがたいものであるということは、
>しばしば学者に指摘されているが
確かに、このようなことはあると思います。
無我説とは違いますが、スッタニパータの有名な「生まれによってバラモンになる
のではない・・・行為によってバラモンともなる」というのも、業報の肯定
にも見えますが、よく考えると生まれによる差別を否定するのだから、
過去世の業報は否定していることになります。
しかし、その後の段では例として犬殺しのマータンガが欲情を離れてブラフマンの世界
に生まれたと正真正銘の輪廻転生が記述されているので、正直いって
訳わからないな、というのが感想です。
>>748さんの考え方(生物的生存本能の優先?)は、
もし自分の属する共同体と、それに対立する共同体があって
戦争になった場合はそれを肯定することになりませんか?
752 :
神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 21:03:57 ID:FqQSGe4o
>>751 全く逆です。生存本能から生じた戦争には、また、生存本能による自動制御
が働き、適当なところで和解が可能になります。相手を皆殺しにしたら、自分
の生存にも不利が生じる、という計算が働くからです。
さらに、生存本能から生じる、自他の死への恐れや他者への憐れみも、残酷な
大虐殺行為に対し、抑止力として働きます。
生存に無関係な、宗教を原因とする戦争は、このような自動制御が働きません
から、和解は不可能で、相手を皆殺しにするまで、止める事ができません。
キリスト教による新旧両派間の血で血を洗う殺し合い、他国の侵略、原住民の強制
改宗、従わない者の大虐殺の実例を見れば、明らかでしょう。
先の大戦も、キリスト教諸国による世界宣教の一環であることは、明らかです。
753 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 00:04:48 ID:ZCUZhLUl
>>730>>735 >空とは、「個は他との関係においてのみ存在する」という「関係性」のこと
>です。死ねば、この関係性の認識も不可能になりますから、空も色もなく、
>すべて完全な「無」となります。
>宗教、思想をはじめ、人間のすべての営みの根源はその「生命」ですから、
>生命がなくなれば、これらのいかなる営みも不可能になります。従って、
>生命の消失後のことなどを論じるのは、全くの無意味で、
この論旨ってかなり変ですよ。
>>735 >>それで・・机さんも730の見解に同意しますか?
>同意ですね。
机さん、大丈夫ですか?
いま ここ じこ だけを問題にし、不一不二=中道から還滅し、
無常・無我・縁起を鑑みれば、
『死ねば』『すべて完全な「無」』『生命の消失後』ってかなりヤバイですよ。
おかあさん、ブッダの無記、中道ってなんだったんでしょうね?
754 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 00:11:38 ID:ZCUZhLUl
名称と形態および過去・未来、生死にとらわれたる者に幸あれ。
755 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 00:20:58 ID:ZCUZhLUl
>>730 >生命がなくなれば
って、どこで・いつ・だれが・確かめてきたの?
あなたはなぜ確信を持って主張できるの?
誰にも判るように答えてください。
756 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 00:52:39 ID:ZCUZhLUl
>>735 こんな俗物世俗的空論まがいを鎧袖一触できないなんて、
机龍之介もボケはじめかw
>>746 >『来世を信じない人は、悪を行う』
これをしたり顔で書いたヒンドゥ・バラモン崩れの馬鹿落第坊主をどつきあげて言ってやれ、
『おまいがゆーな、 謀略坊主は逝ってよし !!』
757 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 01:02:40 ID:hrMfpkxH
>>755 毎日、毎日、多くの人々が死に、火葬されて骨になる。
皆がそう確信しているからこそ、それが可能で、葬式仏教も存在し得る。
確信できないのなら、危なくて火葬もできないではないか。火葬の途中で、
死者が「熱い」と叫んだ例があるかね。
死の3徴とは、「呼吸停止」「心停止」「瞳孔散大」。最近では、「脳波の
停止」を加える。医学的には、「脳幹を含む全脳機能の不可逆的停止」である。
従って、宗教を含む、人間のすべての営み、即ち生命機能が停止する。
死者を放置すれば、身体が腐敗する。生者には、これが生じない。
758 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 01:29:02 ID:ZCUZhLUl
>>757 パスする。
>>753参照。
>いま ここ じこ だけを問題にし、不一不二=中道から還滅し、
>無常・無我・縁起を鑑みれば、
と書いている。
俗物常識的外形的断滅論はいいんだって。
>>730もしたり顔で書いてんだから。
ここはブッダスレ。そんなレベルの話じゃないって。
そもそも生死とはなにかが問題だ。
759 :
1:2008/12/07(日) 03:30:03 ID:j3NU/a1S
>>742 >上の方でキリスト教の話が出ていましたが、キリスト教の死後の天国や地獄
>等の考えと輪廻転生と違う大きな点は、過去世があるかないか、ということでしょう。
>そして、「過去世」の考え方が、「輪廻転生思想」の有害さを表しているの
>だと思います。ようするに生まれつき障害がある者に向かって
はい、だから僧侶も説きたがらないのです-分っています。しかしながら、今生だけで裁けないのは誰
が見ても明らかなこと。僅か数年で死去する幼児についての説明すらできない宗教哲学などゴミ同様。
>イエスは生まれつき目の見えない人を見て、この人は何か罪を犯したために
>こうなったのかと弟子に聞かれて、「この人や家族には罪はなく、神の御業である」と言っています。
はい。これがイエスによる無記でした。この場合の「この人」とは現世における今のこの人を指します。
家族とはもちろん、当人ではない他の人間であり、この「神の御業」(法則/摂理)という言葉の中に深い
意味を内包したのです。
尚、イエスは他の聖句で疑う余地無く、前世-今生の関係について明確に認めました。(マタイ伝11章
13〜17章13節)を読めば明白です。クリチャンは教会に洗脳されこの聖句が目に入らないのです。
イエスに従わず教会に従うとはこのこと。このスレに集う断滅論仏教徒たちの姿と同じです。
>ここまでの議論を読んでいるうちに、釈尊は輪廻転生を方便にしろ、
>どんな形であれ説いたのではないか?? と思うようになってきました。
それだけでも大変、大きな前進です。
一人でもそういう方が出てくるならば、私も睡眠を削ってやってても大きな喜びになります(感謝!)。
>>750 >スッタニパータの有名な「生まれによってバラモンになる
>のではない・・・行為によってバラモンともなる」というのも、
それは明らかに違うと思います。
>>278を再度、参照して下さい!
760 :
1:2008/12/07(日) 03:30:45 ID:j3NU/a1S
>>744 >もうこのスレは腐っています。あなたが真理を知っていればそれでいいのです。
>>745 >日本大乗にもこのような方がいらっしゃるのに大乗教徒はわからないんですね。
自分だけ分ってればいい、というのが「小乗」の批判的な意味だったかと思いますが、またこの私は、
「絶対に無駄ではない」という強い信念があってこれまで生きてきました。(この信念と喜びは原始経典
による仏陀の教えに出会ってからなのです。それまでの私には生きる希望はなかった・・。)
真理に到達した者は同一の理解に達します。それは大乗であれ、他の諸宗教の信奉者であれ然り。
個人においてはもちろんいるのです。それがゴータマによるこの言葉です。
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は争うことがない。」
(サンユッタ・ニカーヤ884)
761 :
1:2008/12/07(日) 03:31:32 ID:j3NU/a1S
>>746 はい、お久し振りです(感謝)!!
はい、その引用は5さんの「倫理のために方便として導入した」とする見解を支持するものです。尚、私
は中村氏の洗脳者ではありません(他の批判者にいっておきます)。
倫理説の導入は、一応の経典にある膨大な輪廻転生部分に対する説明にはなります。しかし、これで
は生まれによる境涯の差についての説明にはなりません。この私は、説明できない理屈などは真理とは
見なさないのです。
この生まれによる境涯の現実的な差異に対する唯一の説明は、輪廻転生は実際に起こっている現実
の現象だとする以外にはないのです。これが仏教の説く、「無明」「色」の状態です。
残念ながら、これに対する確認方法はないのです。ここが唯物主義者には肯定できない部分となります。
762 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 04:32:33 ID:rpLKYoSt
>>758 >俗物常識的外形的断滅論はいいんだって。
すべての人間は、その俗物的常識的外形的絶滅論によって、生かされ、
生命を維持しているのですよ。生命がなければ、宗教もなく、「生死
とは何か」など考えることも出来ません。世俗の優越性は明らかでしょう。
それを自覚することが、悟りなのです。
親鸞は、長年の修行の後に「自然法爾」を悟ったそうですが、生活者たちは、
日常生活という、より厳しい「修行」によって、意識的・無意識的にとっくに
悟っていることなのです。
イエスは、「皇帝のものは皇帝に、神の者は神に返せ」などと大見得を
切って見せたが、彼は皇帝(世俗)なしに、一体どうやって生命を維持
してゆく積りだったのでしょうか。
人間の全ての営みと根源としての「生命」の維持のための、「他者との
係わりの中での日常生活」の意味と価値を忘れた、すべての宗教とその
開祖に通じる倒錯です。
なお、生とはなにかを「考える」「瞑想する」ことは、もはや生ではあ
りません。それは、すでに「死んでいる」状態です。
763 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 04:51:30 ID:rpLKYoSt
>>759 >「この人や家族には罪はなく、神の御業である」と言っています。
極限の不幸にある人の面前で、ひとごとのように、「神の御業である」
のどというイエスに、人間に対する恐ろしい「冷酷さ」を感じますね。
手の施しようのない大きな不幸に、本当に心を痛めている人間は、「た
だ、黙って立ちすくむ」ものなのですよ。
764 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 05:08:21 ID:rpLKYoSt
>>762 「すべては人間の心理状態(空)である」という仏陀の教えを離れて、
「輪廻転生の実在」など主張するあたなこそ、「唯物主義者」ではあり
ませんか。
キリスト教の「罪の概念」と同様に人間の精神を狂わせる「輪廻転生」
の害毒を撒き散らすことはお止めください。釈迦に誤りがあったとし
たら、それを訂正してあげるのが、まさに弟子たちの義務ではありませんか。
釈迦が優れた教師なら、弟子たちが自分を超えてくれることが、最大の
喜びであるはずです。「盲信」や「狂信」を喜ぶとでも思うのですか。
765 :
1:2008/12/07(日) 05:09:09 ID:j3NU/a1S
>>744 >もうこのスレは腐っています。あなたが真理を知っていればそれでいいのです。
追記:
私は心が優しくないので、机さん他の断滅論仏教者たちがどうなろうともいいのです。人は行為によ
って、自分の好きな処へとそれぞれ向かうからです(集諦による流転)。
「悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラップダの[巨大な年数のあいだ]
また五つのアッブダの[巨大な年数のあいだ]地獄に赴く。」(スッタニパータ660)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
しかしながら、彼らの説く毒(断滅論/外道)によって、仏陀の説く深遠な教えとゴータマその人が読者
によって誤解されていくことが、もうこれ以上は見過ごせないのです。賢者らは放置と沈黙の姿勢を保つ
ようですが、私のような愚者には向いてる仕事かと思います。
>>762-763 今は、あなたのような人まで納得させようなどとは考えていません。どうぞ好きにして下さい!あなたの
ような人は何か考えを転換するような出来事を体験しない限りは無理です。
いずれは何度かの生まれ変わりの間に、きっとそういうキッカケがあるでしょう。
766 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 05:20:24 ID:rpLKYoSt
>>765 仏陀は、「輪廻転生」によって、人間を「脅迫」することを教えたのですか。
そんな教えなら、「真理」などではなく、人間にとって、無価値・有害な「犯
罪」以外の何物でもありません。
「仏性」は、すべての人間に生来的に内在するもの。「脅迫」によって生じる
ものではありません。
767 :
1:2008/12/07(日) 05:20:25 ID:j3NU/a1S
>>763 追記:
>人間に対する恐ろしい「冷酷さ」を感じますね。手の施しようのない大きな不幸に、
>本当に心を痛めている人間は、「ただ、黙って立ちすくむ」ものなのですよ。
これは何も相手に向かって直接に言え!といった話ではない。しかし、これが本当に万人に理解されれ
ば、不幸な出来事を他人にせいする慣習がなくなり、人々は自己の行為に責任を持つようになるのです。
聖者は「理」を知るからこそ、その苦しみから解放すべくこの真理を説くのです。では、彼らがしなけれ
ば誰が説くのです?あなたのような人からの謗りや罵りを受けながらもそれを果敢に続けるのです。それ
は人に対する愛情と救済に対する強い信念と強靭な心がなければ、とても続けられないことです。
とにかく・・理解できない者まで相手する力は、私にはありません。
768 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 05:24:03 ID:rpLKYoSt
>>767 あなたご自身が、「理解できない者」である可能性はないのですか。
769 :
絶対神:2008/12/07(日) 05:26:07 ID:8jkXKqY4
★★『幸福の科学』統合スレッドpart251★★
今、非常に重要な事を話しています。
興味のある人は見てみてください。
770 :
1:2008/12/07(日) 05:26:52 ID:j3NU/a1S
>>766 脅迫ではありません。その恐ろしい輪廻転生の実体、苦の世界に流転を続ける衆生を救済するのがゴータマの教えなのです。とにかくあなたは、ただ怒りに任せて何も分らずに批判しているのです。
何もあなたが理解する必要はどこにもありません。どうぞ好きにして下さい。
以降、あなたへのレスは控えたいと思います。
771 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 06:06:26 ID:lAQc5utc
>>770 明らかに脅迫ではありませんか。まず輪廻転生で脅迫しておいて、それを救って
あげるのは、まさにマッチポンプの宗教。キリスト教と同じカルトです。
原始仏教から発生したオウムの論理と、全く同じです。現代の新興宗教でどれほど
悪用されているかを、ご存知なのでしょうか。
人間の不幸をすべて前世の業や神の業のせいにしたら、他者の苦しみを助けよ
うとする意欲を否定するばかりか、むしろ、他者の不幸を祝福又は利用すると
いう倒錯に陥ってしまいます。それでは、他者の苦しみと不幸に対する理解と
共感能力の向上としての「人間の成長」は、完全に停止します。
宗教から、「脅迫」と「甘言」の要素を一切除去しない限り、それは、人間にとって
無意味・有害な営み以外の何物でもありません。
772 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 06:14:48 ID:lAQc5utc
>>767 >不幸な出来事を他人にせいする慣習がなくなり、人々は自己の行為に
>責任を持つようになるのです。
何を言ってるのですか。不幸や災難は、「自己の行為」以外から生じる
のが大半ではありませんか。不幸や災難で苦しんでいる人に対して、
「それはお前が蒔いた種だ」などという暴言を吐いて、さらに苦しめる
お積りなのですか。
そんなことを信じ込ませたら、批判力が十分でない人は、簡単に操られ、
取り返しの付かないことになりますよ。そのようなカルト被害は、すでに
多数発生しているではあるませんか。
773 :
絶対神:2008/12/07(日) 06:15:49 ID:8jkXKqY4
>>771 はっきり言いましょう。脅迫と甘言をとったら誰も宗教など信じません。
「それを信じないでも問題がないなら誰が信じるのですか」?
人間が何かを信じたり、必死で努力するのは、「それをする事によって
メリットがあり、しない事によってデメリットがある」からです。
キリスト教の天国地獄や仏教の輪廻や浄土や地獄などは、「必然的にできた
もので」。
そもそも、「カルト」を否定したら「人間社会」そのものが成り立ちません。
ある程度の、そういう「脅迫」や「甘言」めいた考えというのは。
宗教に限らず、「人間の団体、社会」には絶対に必要なのです。
繰り返します。「そもそも、それを信じないでも救われるんだったら」
いらないでしょ? そんな宗教。
逆に「宗教から還元や脅迫をとったら、まったく努力する事も学ぶ事
も、他人を助ける事もしなくなり」。
無意味、有害な営み以外の何者でもなくなります。
人間って、そう理想どおりに努力するほど、甘い存在じゃないんですよ?
私自身、「神が人を助けなかったり、自分を信じない人間を地獄に落とさなかったら」。
特に人を助けようとも、神を信じようとも思いません。
要するに、「罰則のない法律を守ったり、メリットもないのに善行をし
たりするほど、人間って甘くないんですよ」。
だから、「宗教はこういう形態になってるんです」。
でなければ、逆に「まったく別の形態になっていた事でしょう」。
774 :
絶対神:2008/12/07(日) 06:20:30 ID:8jkXKqY4
要するに、人間が他人に対する共感だけから人を助けるなんて思っている
のは、「あなたが甘っちょろいお坊ちゃん」だからです。
そもそも、人間がそんなに完璧な存在なら。
「神も仏もいらないし、従って、宗教も発生していません」。
775 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 06:22:29 ID:lAQc5utc
>>773 全くの認識不足。宗教側の「脅迫」と「甘言」によって自由意志を奪われ、
信じさせられるのです。
一旦信じさせられると、もはや自由な判断力がないのですから、それが
「脅迫」と「甘言」の結果であることに気付くことが、不可能になります。
それが、宗教の恐ろしさなのです。
776 :
絶対神:2008/12/07(日) 06:51:15 ID:8jkXKqY4
君に一つ、考えてほしいのは。
「自分の宗教を信じないと地獄に落ちる」と説いている。
キリスト教とイスラム教が、なんで、世界第一位と第二位の宗教にな
ってるんだと思う?
一見、排他的で有害に見えるその思想が。
「実は人間の行動原理、意欲、努力にもっともマッチしているから」
なんだよ。
その宗教のために必死で努力したものと、異教徒と同列に扱う「神」
なんかに、仕えようと思うかい?
少なくても、私は思わない。
「そして、私以外の多くの人類もそう思わなかった」。
その結果として、キリスト教は世界最大の宗教になったんだ。
777 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/07(日) 07:10:17 ID:JhM9j+0d
>>753 >『死ねば』『すべて完全な「無」』『生命の消失後』ってかなりヤバイですよ。
これは
>>730氏は世俗諦にて書いておるんですね。
ですからこれでいい訳なんです。→
>>758氏に同意
で、勝義諦について少々書込んでみます。
例えばですが、二次元世界の人が三次元世界を語ちるのは非常に困難ですね。
これは縦と横と高さがありますが、この高さについては説明が難しい。
これと同じように、
彼岸とういうのは、三次元世界からワープした世界なんです。
ですから縦・横・高さに「時間」の概念が当然に導入されておるんですね。
で、この時間の概念といふのは、拙者が言うまでもなく三次元空間の時間では
ありませんよぉ〜〜。
>(覚者は言語概念からは、そもそも解脱はしておりますが)→
>>749参照
道元が「木が灰になるわけではない」。の真意とは
つまり「人は生きるという経緯において結果死に至る」。
という概念そのものを否定しておると、
かように解釈して宜しいかと思いまふ。
つまり、勝義諦における無差別相といいますのは、時間においても無差別である訳です。
(けっして差別相の時間の概念ではあらざるなり)
こういうことですので、
道元は生死を超克いたしまして、もはや生物学的死をまったく意味のないものと、
かように悟ったかと拝されまふね。
778 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 07:41:00 ID:c38useiX
779 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 07:49:30 ID:c38useiX
■【宗教者の本音】 ↓ (#/_ _)/ ドテ
神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/01(月) 20:51:54 ID:fqp87tId
神様に従順なら什一献金もきちんとすべきだな。
教会にとっても奉仕してくれるよりも献金してくれる方が
ありがたいという<本音部分>をお忘れなく。
↑ やはり、《言葉は魔物》の商売、商売〜〜、全開中― (*^。^*)
780 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 07:51:11 ID:5xZn+uWZ
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
781 :
5:2008/12/07(日) 08:55:22 ID:0FYqykOL
>>761 >しかし、これで
は生まれによる境涯の差についての説明にはなりません。この私は、説明できない理屈などは真理とは
見なさないのです。
この生まれによる境涯の現実的な差異に対する唯一の説明は、輪廻転生は実際に起こっている現実
の現象だとする以外にはないのです
なぜ「生まれによる境涯の差異」に特別な意味づけを必要とするのですか?
金持ちの家に生まれる人、貧乏な家に生まれる人、背の高い人、低いひと、
それぞれの差異があるのが、当然であり、全てをそのまま受け入れる。
特別な意味づけなど不要。少なくとも、障害をもって生まれてきた子の親に
対して「この子(またはその両親)が、前世において悪行を行った報いとして
このような結果になった。」 などと言う説明は、全くいりません。
そのような説明をうけて救われる親が、いったいどれだけいるのでしょうか?
差異を含めて全てをありのままにうけいれる、これが最も大切であると考えます。
782 :
神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 09:11:53 ID:ZCUZhLUl
>>762 その論旨は仏陀中道論ではない。
ブッダ当時でいえば、アジタ・ケーサカンパラの唯物論的断滅論そのものだ。
783 :
卵:2008/12/07(日) 09:36:08 ID:Lhzaz7W0
輪廻転生論が悪をなすなどと目くじらを立てて排斥する必要はない。
なにも案しなくとも、人間社会は死後断滅を大前提に構築されているからだ。
輪廻転生が悪を成す主原因であるというのは、人間をしらない世迷言である。
宗教を否定し人間社会の実存を追求する共産主義者やアナーキストたちが何をしたのか考えてみよ。
もちろんカルトたちは何をか言わんやのコンコンチキである。
人倫を説きながら悪を成したりするぐらいのことは朝飯前である。
反対に輪廻説の立場をとりながらも、社会性を失わずまっとうな生を送る人もゴマンといるのである。
784 :
卵:2008/12/07(日) 09:47:17 ID:SdgjbUKg
>>781 人間、美味いもん食って、美人やイケメンが自由になって、
金が腐るほどあって、豪邸に住んで、
非の打ち所のない健康体にめぐまれて、頭脳明晰で、
人様からチヤホヤされて、始終鼻が高いことが人間最高ぐらいに思っているから、
チビットくらいの多い少ないが人生の最重要課題に感じるのである。
785 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/07(日) 09:51:46 ID:JhM9j+0d
>>773 >私自身、「神が人を助けなかったり、自分を信じない人間を地獄に落とさなかったら」。
>特に人を助けようとも、神を信じようとも思いません。
そうですかね?
かつて「水木しげる」が、「死んだら地獄に逝ってみたい」とか仰ってましたけど、
水木の気持ちがなんとなく分る気がしますけどね。
魅力的なのは地獄でしょ?
天国ってのは、やはり退屈なイメージしかない。
愛結ってのは地獄絵図とも言えますね。
そこに仏の境地を見出すのも、これ心ひとつなんでしょうけど。
>要するに、「罰則のない法律を守ったり、メリットもないのに善行をし
>たりするほど、人間って甘くないんですよ」。
いやぁ〜、拙者はアホですから甘いですよw
だから、「宗教はこういう形態になってるんです」。
でなければ、逆に「まったく別の形態になっていた事でしょう」。
禅宗は始祖(菩提達磨)以来、一環して「無功徳」でありますよ。
宗教は、駆け引きがないとこが魅力なんじゃないでしょうか?
786 :
1:2008/12/07(日) 09:58:24 ID:j3NU/a1S
>>781 仏陀の真理探求のキッカケは人生の「苦」です。当たり前で済むということではなくて、その原因をゴ
ータマは知ったのです。何故、そんな苦しい境涯に生まれたのか?それが過去世の業(行為)に拠るも
のであり、今こうしてその結果が現れていると。であるから人は、行為によって果報を受けるという道理
を知って、その行為を正す必要があると説いたのです。そうしなければ、永遠とこの苦の人生の輪廻を
繰り返すと。それを説いたものが経として残っているのです。
あなたが転生を信じられるかどうかは別問題です。信じられない人は無理に信じる必要はありません。
解かった者だけが自らその道を選択すればそれで良いこと。別に仏教による世界支配(強制)ではない
---まずは仏典をしっかりと読んで下さい。
5さんは、あとは現実に起こっている現象かどうか?が問題となっています。でなければ、ただの偽りか
方便という理解になるでしょう。例えば、ダライラマ14世の転生の話については何か調べてみましたか?
また或いは何か、既存の物理科学を超えた現象、物体が勝手に移動する瞬間を目撃するとか・・そう
いう体験があれば、考え方がガラリと変わるでしょう。
とにかく、ただ「ある筈がない」を繰り返し発言していても、何ら自己解決にはなりません。知りたいのな
ら、自分で確認の努力をすべきです。
787 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/07(日) 10:10:54 ID:JhM9j+0d
>>783 >輪廻転生論が悪をなすなどと目くじらを立てて排斥する必要はない。
輪廻転生論といいますのは、マインドコントロールの原型になっています。
昔はマイコンという概念はなかったかも知れませんが、
この論において人を操作する術ってのは勿論わかってました。
(背景がカースト制です)
マイコンは数千年も経て、なお現在に残存しているだけです。
(これが宗教の怖さなんです)
釈尊生前以前にもウパニシャット哲学はありましたから、
そもそも釈尊が輪廻転生を肯定したなら成道の意味がありません。
釈尊の独覚の意義というのは、拙者が言うこともなく
これらの世界観の破壊なのであります。
788 :
卵:
>>787 マインドコントロールはどんな形の中にでも組み込むことが出来る。
あるシステムに対する価値観を破壊する過程の中で仕掛け人の都合の良い言説だけをすりこむのである。
よってアンチ輪廻を説く過程の中にもマイコンを施すことも可能なのである。
釈尊は既存の論理をたんに破壊したのではない。
仏教の教説はどれも仔細に見れば、当時の論説のつぎはぎで目新しくオリジナルなものはない。
しかし、その組み合わせにおいて目指したものがその真髄なのである。
禅の名をかたって輪廻を否定するのはおかしな話である。
原田祖岳老師は仏教・非仏教の指針として挙げた五大信条・八大信条の中に輪廻転生を信ず・生命持続を説いている。
曹洞宗にもかような師家がいる。臨済宗ならば兜率三関でもすこしかじれば少しはわかろうというもの。
勝手な解釈で、禅を標榜するのはやめていただきたい。
*私信:1さんめへるください