【私】を記述してください【私の存在性】26

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3822a/10 素人
しかし、(色即是空や無色無受想行識の濫用への憂いはともかくw)、他の価値観との対話は避けてはならないとも考えている。
原始仏教スレでも他のスレでも言及しているが(前スレ374でも触れてるなw)、
亡くなられたヨハネパウロ二世に「希望の扉を開く」という著がある。彼の仏教評はお世辞でも頷けない。
直接的に無記に関するものではないが、相手がキリスト教(カソリック)である以上、無記とされる部分にも触れてゆくことになるだろう。
(いや、この場合は「そのような事柄は涅槃に資さないので問わないのです」で済むかw 重要な彼の誤解は、きちんと回答できるものばかりだから。)
が、世間には仏教に批判的な者も多い。哲学的側面から、或いは現代の科学的知見から批判を加えてくる者もいるかもしれない。
(2chは特にその傾向が強い。)
私は、たとえ「無記」とされる領域に関わることであっても、“仏教という枠”をはみ出すことがあっても、
誠実に答える義務があると思っている。それが、現代に生きる、仏典に触れた者の義務だと思っている。
行法として、或いは修行論として、不要なものに煩わされ捉われることは避けられるべきことだ。
誠実に敬虔に仏道を行ずるなら、そうであるべきだろう。
しかしながら、誠実に、真摯に問われたなら、或いは批判されたなら、応答すべきだろうと思っている。
維摩居士のように黙することを良しとはしない。
たとえば、貴方なら>>305後段のような評(或いは批判)に対してどのように応えますか?(「答」でなくともよいが・・。)