原始佛教 その28

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289神も仏も名無しさん
輪廻転生から整理していかなくては駄目でしょうね。

思想的立場として大きく以下の三つに分類されます。

A.輪廻転生を肯定する
B.輪廻転生を否定する
C.肯定も否定もしない

この三者の関係を整理すると以下のようになります。( )内は否定対象となる考え方と理由を示します。

1.AはBを否定する(断見、経典に輪廻転生が解かれている)
2.AはCを否定する(断見、同上、BとCの違いを理解できていない)

3.BはAを否定する(常見、経典では輪廻転生には中心的に転生を解いていない)
4.BはCを否定する(無主張、立場が明確ではない)

5.CはAを否定する(常見、輪廻転生を客観的に確認できない限り言及不可能、前提なしでは議論できない)
6.CはBを否定する(断見、輪廻転生が存在しないことを確認できない限り、以下同上)

これらがアウトラインになりますね。
断見も常見もともに偏見であり、常見を否定されるとなぜか中観思想を持ち出して反論する詭弁が目立ちます。
また、断見を批判された場合は主にアーガマを根拠としたものになるので、思想や文献分類に偏ってしまいます。
Cを批判する場合、常見からは「断見である」という前提に立つので話しになりません。
偏見に陥っているので、二極化に脱し、自身も常見だと暗に認めてしまう。批判者は全て断見だと思い込むのでしょうね。

以上が思想的な見地からみた輪廻転生ですが、それぞれを現在の仏教の実践に適用させた場合、
如何なる様相を示すか考えてみたいですね。