たてちった。
前スレ
>>999 多くの宗教者の悟りはそうなんじゃないですか?
俺の悟りは自分自身でしか到達できない気がするということです。
人の影響を受け入れるのではなく与えられてる状態には存在しないというか。
そういうところからはなれたところにいけるだけのことを世俗でする必要があるというか。
ただそれだけを目指していくものじゃないと思うんです。
俺にはそこに満足もないから。仏陀もやるだけのことをやったから行けたってみるんです。
前スレ
>>999の
>自分自身と思っているものがただの妄想観念だって知ること。
これも思うんだけど、宗教的や哲学的になると、自分を知らない知ることは出来ない。
とかってのが当たり前のように論じられてて、
確かに自分を知り尽くすことは不可能だし、思ってる自分と思われる自分には差が大きいもの。
でも、自分を一番知るものは自分しかいないわけで。
今ここでレスしてどんなイメージがつこうと、会社で自分がどう思われようと本当の自分の行動から何からを知るものは自分しかいないわけで。
真面目に思われてても、こっそりサボってる自分は自分しか知らないわけです。
遊んでると思われても、ひそかに練習してる自分も自分しか知らない。
自分自身と思うものを妄想だと思ってしまったら、誰が自分の現実の行動に責任を持つのかみたいな。
自分自身と思うものを妄想観念だけにしないために努力や意識する必要があるというだけのことじゃないかなと思います。
落ちノシ
7 :
まい:2007/03/07(水) 15:05:02 ID:Br35pidj
新スレおめ!
8 :
大王:2007/03/07(水) 21:23:15 ID:2KKdWAgo
9 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/03/07(水) 21:30:07 ID:2KKdWAgo
日蓮とかの信じる系以外の大乗仏教は、神秘において、何を求めるか、、
脳の情報処理の固定化を放棄を狙うわけで、、
仮に、仏像を拝んでも、結局、自分=仏像で、、平等なわけよ、、他人もね、、信じようと信じまいと、、
その、平等の領域に入らないと、、悟りに、、ならんわけだ、、、
脳の情報処理が、オープンに成ることは、便利な事がある訳だ、、
脳の硬直化は、ビジネスでも役立たないし、、
そうかとかは、いけだ先生の崇拝という、固定化に向かう、、日蓮もキリスト教も、信じる、信じない、地獄行きか、否かになるわけで、、
10 :
大王:2007/03/07(水) 22:00:07 ID:2KKdWAgo
南方仏教の方向性は主家だろうけど、、
信じる系以外の大乗仏教は、、、脳の情報処理の自在化を狙うのよ、、
あと、他者、自己の平等的思考、、、、ただし、固定的な、道徳的なものではない、、脳の自在な情報処理が前提、
これって、、現在人の社会生活に困るモノではないと思うのだが、、
11 :
大王:2007/03/07(水) 22:01:07 ID:2KKdWAgo
やりたい人がすればいいものであるし、、、、、、
12 :
大王:2007/03/07(水) 22:03:33 ID:2KKdWAgo
脳の情報処理の自在化と、
あと、他者、自己の平等的思考を、
絶対やりなさいと、義務化しても、、そもそも、無茶な世界志向だから、、
強制、義務化は、絶対不可だし、、
信じなさい、、とか、言うものではないでしょ、、
こんな、マニアな世界は、、、
>>3 あら、立てちゃったのねw
まぁ、仏陀もやることやって、どうにも悟れなくて、あきらめて坐ってたら悟ったみたいだし。
大死、諦念、放棄、絶望の道、死んで死にきるとか、どうにも到達するとか目指すとかというのと対極にあるようなイメージだけどね。
りょんの悟りが間違ってるというわけではないけど、言葉としてはそれを悟りというと伝わりにくいかもね。
>>5 現実の自分に責任を持つことと自分自身が妄想であると知るということは必ずしも矛盾しないと思うけどね。
「自分自身」を妄信しないと努力や責任がもてない、というのもただの関連付け。
>>7 ども。
>>9 それからすると、そーかや日蓮系、キリスト教は害がある。でいいんだね?
確かに禅宗のようなものは精神統一みたいな部分もあるし、よい面はあると思うよ。
教義のようなものはしらないけど、禅の坊さんが書いた本には面白いものはあった。
>>10 でも、自在化とは感じないね。
自在を目指すあまりなのか、自在と受け取れることにこだわるイメージはあるよ。
>>13 1000が気になってねw
宗教ごとに悟りも解脱も他にもあったりするわけでしょう。
俺にとってのそれに当たるものを想像するならってところなんで、
外れだとか言われてもしょうがないw
仏教上の悟りがそうであるとか、仏教の中の特定のものがそうであるというものではないし、
正直言って、それがこれであるなんていえる人間がいるほうが不思議だし、
完全に断言するならそれは想像を絶対化する無責任な言葉としか受け取れない。
悟った人間でもいて、その人間が言うのであればともかく。
>>14 自分自身が妄想である。
これは精神的に病んでる状態でしょう。
自分自身を完全に知ることは出来ない、自分を意外と分かっていないもの、
主観が自分にある以上は客観視は出来きらない。
だから自分に厳しく見るようにしよう。
この程度で十分だと思う。
自分が妄想だ、自分なんて分からないのだ。こんな言葉から有益なことが生まれてくるとも思えないし。
>「自分自身」を妄信しないと努力や責任がもてない、というのもただの関連付け。
努力や責任ってのはどういうことか考えると。
努力とはそのことに集中してやり遂げる、やり遂げようという姿勢。
責任を果たすとは、最大限の結果を出すように努力すること。
自信があるとはどんな状態だろう。自信がないとは。
自信がないってのは諦め混じりで開き直りとも違う、自信が本当にないなら受けるほうが相手に迷惑もあるし、
自分自身の問題でも半端な状態。
絶対ではなくても、自信があった方が責任を十分に果たせる可能性も高い、十二分の力を持った努力もしやすい。
もしも、人を導こうとするものがどこにも自信一つ持っていなかったりすれば、それは犯罪にも匹敵する。
仮に自信を持てないことに取り組むには、自分や自分達を信じるしかない。
自分を妄信って言うのはなんか違うと思いますけどね。
それなりに自分自身が力をつけて自分を信じられる根拠を積み上げていく。
そこから生まれる自信はただの妄信とは違う。
現実に生きるっていうのは、どんなに些細なことであれ、そういうことの積み重ねだと思う。
どんなに華々しいものにも、絶対に地道な部分があるものだし、
だから人間ってのはすごいと思える所以で、俺が不思議や神秘に求めるものではないと思う所以。
不思議や神秘が欲しいなら、ましてや奇跡でも欲しがるなら、祈ってりゃいいなんてふざけてると思う所以w
素人さんに勧められた本から読み取ったことは、ある程度俺が想像してた事の裏づけになった気がする。
もちろん、解釈も色々だからそれが絶対でないことは分かるけど、
宗教者にもそういう立場に立ちきれる人がいると分かっただけ進歩。
仏教も仏陀の時代の仏陀の意思を理解するものは出家でありながら現実を厳しく生きたんだと思える。
現代社会での出家とその当時のものとは同じ形をとってもまったくの別物に見える。
悟りも悟りの方法もまた然りと思える。
>>13 仏陀が諦めて悟ったんでしょうか。
俺は仏陀の悟りというものが普遍的で真理であるとかは思いません。
その時代の中にあって、その状況の中で最良と思える境地だったかもしれませんし、
それが今にも通ずる心の安寧の状態かもしれませんけど。
全ての人間が悟りの状態では社会も成り立たないですしね。
でも、少なからず仏陀はひたむきにその悟りを目指して、集中して諦めずに取り組んだから、
そこにたどり着いた、その事実(事実だとして)に意味も価値もあると思います。
仏陀が偉大であると宗教に関係なく言える理由もそこにあるんでしょう。
>>17 キリスト教だとイバラの道、十字架の道とかいったっけ。
苦しみぬいて、最後にもういいや、ってなったときに「それ」がやってくる。
禅だと仏も親も教祖も観念妄想全部捨てて捨てきったときにやってくるとか。
宗教関係無くても、にっちもさっちもいかなくなったときにソーユー体験が訪れることが多いみたい。
宗教版で語られる悟りっていえば、どっちかといえばそっちかなと。自己の放棄方面。
別に、何かを目指して達成したときに、悟った、見たいな使い方を慣用句として使う分にはそれはそれでオッケーかと。
俺も悟ってないからわからんといえばわからんのです。それに言葉の定義の問題にしか過ぎないから、議論しても不毛かなとも思う。
勉強になりました
>>18 まぁ、どこぞに、妄想でない確固たる自分、見たいなもんを見つけることが出来たらそれはそれでオッケーでは?
俺は探してみたけど、どこにもそんな奴はおらんかった、というだけ。精神的にやんでるのかもしれんw
りょんの目指す方向ってのはつまり「有能」になる、ってことかな。
俺のイメージとベクトルが違いすぎるみたいだから、話は平行線になるんじゃないかなー
>>22 俺はそれらの一つ一つが一理はあると思いますけど、
ただ、それを真理として崇めるような真似は好みません。
にっちもさっちも行かない経験の中、それを乗り越えた後、なんでもないぼんやりした時、
いつでも自分が感じることがある、その中に全て含まれてるんだと思います。
>>24 確固たる自分にこだわろうとすれば分からなくなりますし、
それでも確固たる自分はありますから、あまりこだわる必要もないんでしょうね。
自分を嫌いになることは損してもやらない、それだけですかね。
悪いことはやらないってことじゃないですよ、考えの上でやりたいならやればいい。
>>25 有能なんてのも何が有能っての、狭い範囲のことについて言うことがほとんどでしょうし。
その役割の中で最大限に力を出すことが有能であるのであれば、有能も絡むかもしれないけど、
有能なんてものは目指してもしょうがないです。
論って言葉つけるとどうかとも思うけど、
俺が思うのは論つけて言うなら、精神論と方法論なんですかね。。。
生きやすく生きるための。
28 :
大王:2007/03/09(金) 11:20:46 ID:8PCLauem
15 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/08(木) 13:40:59 ID:3EYyoHRG
>>7 ども。
>>9 それからすると、そーかや日蓮系、キリスト教は害がある。でいいんだね?
確かに禅宗のようなものは精神統一みたいな部分もあるし、よい面はあると思うよ。
教義のようなものはしらないけど、禅の坊さんが書いた本には面白いものはあった。
16 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/08(木) 13:41:44 ID:3EYyoHRG
>>10 でも、自在化とは感じないね。
自在を目指すあまりなのか、自在と受け取れることにこだわるイメージはあるよ。
ふむ、基本的に、仏教て、、求めない者以外、縁が無く、理解されない世界なのね、、
反面、禅は、日常知を重視しているから、開かれているとも言えるわな、、
禅は明治以前、武士の支持者が多い、戦国時代じゃ、茶の湯の文化を持っていた分もあるけど、、
戦争と闘いを前提とする職業の武士ににとって、、現実主義でアル分、、禅があっていたんだろうな、、
道徳を絶対化、固定化しないから、、、
神秘主義の大乗仏教は神秘的ご利益を重視し過ぎるから、、
開祖の思想とズイブン違っていたようだし、、
29 :
大王:2007/03/09(金) 11:23:47 ID:8PCLauem
21 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/08(木) 14:07:52 ID:3EYyoHRG
>>13 仏陀が諦めて悟ったんでしょうか。
俺は仏陀の悟りというものが普遍的で真理であるとかは思いません。
その時代の中にあって、その状況の中で最良と思える境地だったかもしれませんし、
りょんちゃんよ、コンブ殿から、、記号論哲学、ソシュールを教えてもらって、判断したほうが、いいね、、
知的、哲学的に、、、、御隠居論争を見ていないの???
りょんちゃん、、感想文すぎだね、、、、
30 :
大王:2007/03/09(金) 11:50:53 ID:8PCLauem
それからすると、そーかや日蓮系、キリスト教は害がある。でいいんだね?
キリスト教の歴史で、やはり、、、教義的固定、完成点がないんだな、常に新しいキリスト教解釈が出てきて、酒、タバコダメとか行ってしまう、、
神の言葉故に、、言葉に縛られるわけで、、、、
一切は空=悟り、で、実体が無い、、と言う場合、、、解釈は多様になっても、、縛るという意味に成り難い、、
真面目に空に行けば、、空=悟り、に拘れば、、外れてしまう、、すでに、大乗仏教の祖、竜樹ででた結論だから、、
これって、、何度も、同じ事を言っている、、、、
りょんちゃんの感想文的に意見につき合わされているなあ、、と思う、、
>>28 求め方でしょう。
仏教をどう求めるか、何を求めるか。
その求め方では無理っていう人もいるだろうけど、そんな求め方に興味がないなら仕方がないこと。
見つけたいものがあるのかないのか、求め方が指定されるならその先は個々人しだい。
>>29 感想文以外書ける人がいるほうがおかしいでしょ?
悟りって何?大ちゃん流には。
>>30 大ちゃんのレスに確認したまでだよ。
俺からその内容を振ってはいない。
33 :
大王:2007/03/09(金) 12:30:22 ID:8PCLauem
話、変わるけど、、御隠居、冗談抜きで、、、層化かも、
信仰スレの昨日のご隠居のカキコ、、、疑惑が、、、
そうなの?
もっともご隠居はそーかひいき気味だけどね。
ご隠居がそーかでキリスト教批判してるとしたら興ざめだね。
35 :
大王:2007/03/09(金) 12:33:25 ID:8PCLauem
悟りって何?大ちゃん流には。
物事の解釈と、判断は、自分がお思っている以上に、、
多様性が、あるなあ、、と、思い知らされる事だな、、
最近修験道の能力が開花してしまって、、ま、これも悟りの内だな、、禅的ではないが、、
自然によって、以前よりも、簡単に、心が癒されるように、なったなあ、、
そっか。
大ちゃんとかは仏教なり、そのものを知りたいとか極めたいんだよね。
俺はそういうのはないから。
自分の「もの」に参考になるものがあるかないかみたいなものだし。
37 :
大王:2007/03/09(金) 12:35:56 ID:8PCLauem
人間て、、能力の限界もある場合があるからね、、、
そう言う時に、、どうしても、、
物事の解釈と、判断は、自分がお思っている以上に、、
多様性が、あるなあ、、と、思い知らされる事だな、、
へと、行かないと、、行き詰るからな、、、
>>35 それが大ちゃんの悟り解釈。
それは違うとか言い出す宗教者も多いだろうね、
それで、そうではなくて、こうでなかったら悟りではないとか言い出す輩。
でも、その当人も悟りなんて得ちゃいないのだから笑い種なのだけどね。
自分が目指そうとする境地みたいなものでしょう、それぞれの言い分をまとめれば。
だから大ちゃんの悟り解釈も、強いては俺のだって不正解ではないのだ。
>>37 意思の限界がそのまま自分の能力なんだろうね。
だから精神部分をみんな無意識にも強くなりたいと思う。
自分自身が自分に貼ったレッテルにも依るのだろうね。
40 :
大王:2007/03/09(金) 12:39:15 ID:8PCLauem
おいらも、、禅のみならず、、修験道の、真言、天台と、、悟りの世界を覗き込むからなあ、、
それぞれ、、微妙に、意味合いが違うしね、、、
ただ、、生きていくために、、行き詰らない方向性は、見せてくれる、、、
キリスト教じゃ、、信じなさいに終始して、終わるからなあ、、近くの教会じゃ、、
自分を知るとは自分の行動の認識と、
自分の深層心理を読むことなんだろうな。
>>40 そーかも学んでごらんよw
そーかの何がネックで何が支持者がいる理由なのか。
そーかでさえ、その手法には学べるものはなくはないと思える。
ただ、宗教団体としてはあるまじき形だとも思う。
44 :
大王:2007/03/09(金) 12:42:54 ID:8PCLauem
生きていく上で、、行き詰らない方向性が、無い宗教が、日本じゃ多いのかもな、、
どしても、そうかじゃ、、生きていく上で行き詰るからなあ、、、、
層化の権力的地位の追求で、満たされるにしても、、、元からの政治的人間的才能が無いと、、
下っ端に過ぎないからなあ、、、、せいぜい、、2ちゃんで、コピペで満たすぐらいしかできなだろうしね、、
45 :
大王:2007/03/09(金) 12:44:40 ID:8PCLauem
そうかじゃ、、、政治的才能ある人はいるだろうね、、
>>44 そーかを信じきってしまった人ってのはさ、
外からはおかしく見えるし、布教するし選挙とかもすごいから滅茶苦茶迷惑だけど、
自分達だけは、信じきってることで根拠もなく満たされた気分になるんだろうね。
それはある意味宗教的な効果でもあるとは思う。
ただ、そんなところに俺は価値を感じないし欲しくもないもの。
せこく考えれば教団を安定させるための道具に過ぎないわけだし。
ただ、妄信による安定は果実でもある。自分って物はそこにあるとはとても思えないけどね。
思考性のほとんどがそそーか指導に支配されるんだからね、精神の自由は放棄した状態。
けど、その自覚さえも出来ないのだから本人達は幸せなのかもしれないとは思う。
>>45 政治面では連立前まではそんなにやってること自体に思うことはなかったけどね。
宗教団体の一部であるって事の事実を除けば。
落ちますノシ
49 :
大王:2007/03/09(金) 12:51:41 ID:8PCLauem
のしのし、、、、
22 :名無しさん@3周年:2007/03/08(木) 23:25:12 ID:mYgzQZCt
>>17 キリスト教だとイバラの道、十字架の道とかいったっけ。
苦しみぬいて、最後にもういいや、ってなったときに「それ」がやってくる。
ひ、ひらきなおり?w
諦める=欲が薄れた=拘らなくなった
もういいやって思うまでに、どれだけやったかってのが(ry
つか、そのタイミングで層化とかに嵌る事も多いね、マジデ。
藁をも掴む状態。パニック状態って、かなり無防備になってるから。
自身の自己解決能力に自信が無い、自身の能力を信用出来なくなり、酷く不安で発狂寸前とか。
わたしも、そんな状態になった事あるけどね。何回か・・・・
結局、人は自分を信じないと何も出来ない。
そのタイミングで層化とかに嵌る人は、今までの自身の自己解決能力の変わりに宗教(層化等)をすりかえて置くわけ。
失った自己への自信を、宗教へのすりかえで強化する事により、取り戻す。
それで不安を解消。苦しみから逃れる為の一つの手段。
それらは思考の基準って事ですが、それが何であれ大事なのは、それはその本人にとって「信用・信頼出来るもの」であるかどうかなんですよ。
それらは、絶対化されたものなら下手に検証なんぞすると、場合によってはまた不安定な事態になりかねないw
だが、「使えるもの」でないと意味が無い。(←実はこの部分で、かなり宗教観つか人生観出るw)
りょんさんの言う人生の黄金律って方法論だと思いますよ、前にも言ったけど。
わたしも似たような事考えた事ありますが、今は無い。
自分なりに満足出来る思考ベースが出来たんで。
わたしはまず、「不老不死」を「否定」する所からスタートしますw
本当に大事なのは性能の良い電卓を手に入れる事ではなく、どんな状態でも電卓を機敏に正確に使える事ですよ。
そして、無駄に多機能なものより、正確なものを選ぶ。正確に扱えるものを選ぶ。これがポイント!
悟りだけでいろいろ観念妄想出てくるなー
それぞれの悟りという観念に関する物語だからどうでもいいのんよ
もし語るとすればそれは観念想念の取り付くしまも無いところにあるんだろうからさ
>>27 生き易く生きるって、つまらない人生と同意語に聞こえちゃうけど。
>>50 そこでそうかにはまるんならそのレベルってだけのことでしょ。
そうかにはまらなくても、別の何かろくでもないものにはまるだけだろうし。
55 :
ご隠居はそうかだった、、大王:2007/03/10(土) 10:41:36 ID:SPZV650F
992 :そうか学会のご隠居の決定的証拠、、:2007/03/09(金) 13:06:07 ID:8PCLauem
冗談で、御隠居はそうか、予想していたのに、、、、
そのまんまとは、、、、
993 :名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 16:37:26 ID:AT+YhxF8
>>992 法華経と日蓮を批判できる創価信者がいるかな。頭冷やして考えてみてご覧。
フーテン氏は、イエス批判は絶対にできないではないかw。
日蓮の教義の要約はまだか。感情論でなく、論理では創価を批判できない
のか。
>>50 殺されそうになって、嫌だいやだと思ってたのが、いよいよ覚悟を決めて、助かったとか。
自殺で失敗した人とか、ぎりぎりに追い込まれた結果に何かを感じるってのはあるでしょうね。
ただ、その後の時間の経過とともにその時に感じたものも失せていくものなのだなあ。
そーかにはまったりする時っていうのはそういうぎりぎりよりも手前でしょうね、
ただ今悩んでますって浸っちゃってるときとか、そんなところには自分の弱さ以外にはないでしょうから、
本来物事を決めるようなときじゃないのだけど、そこを狙うのがそうかであるわけで。
良心的な人はそんなところで宗教の勧誘なんてしませんよね、冷静になってから決めたほうが良いっていうでしょう。
>>52 前スレ1000さん?
その一言でいいならそれしかないんじゃないですか?
どうせ死んじゃうと本当に思うなら何でもいいはずですよ、今死んでも同じだし。
それを心から信条にするなら別に何も会話することはないですね。
自分の目標が死にかたってんならともかく、死ぬことが目標ならそれで別にいいわけだし。
人に迷惑さえかけなかったら。
>>53 それもよく分からん。
悩みに浸るようなのに面白みを感じるんですか?
俺だったら悩みの時間はくだらない時間、何かに集中してる時間が楽しいですね。
少しでも自分が正しいと思えることをするのが大切なのだが。
この板でそういうことをいえば自分では計れないとなりがちで。
宗教とは後ろ向きに向くものなのかと思えてくる。
正と悪の考え方中心だからだろう、誠意とか良心という範疇はあまり考えないようだ。
悩みも困難も何もない状態ってのは誰にもありえないとも言える。
だからそれを乗り越えたり感じないことに熱意を持つことが日々充実していられるコツでもあると思う。
楽しようと思えば楽でなかったら苦痛になる。
仏教の人生は苦である。も、どうせ苦であるなら、苦を乗り越えることに生きがいを感じればよいとなる。
その時点で苦は苦でなくなる。
じっとしてても苦。行動するには障害が起きる。それを乗り越えることが楽しければ、
結構いろんなことが出来る。そこにはともすると苦なことも苦としては存在しない。
生きやすく生きるとはそういうことなのだけどね。
毎日楽しいよ。
いろんな困難もあるからこそやりがいもあるのだ。
あるかないかも分からない一年後を考えるとわくわくするw
どーせ死ぬなら、とことん楽しんでから死んでもいいしな。
62 :
まい:2007/03/10(土) 16:29:07 ID:ORP3cpV/
>>59 >少しでも自分が正しいと思えることをするのが大切なのだが。
>この板でそういうことをいえば自分では計れないとなりがちで。
>宗教とは後ろ向きに向くものなのかと思えてくる。
>正と悪の考え方中心だからだろう、誠意とか良心という範疇はあまり考えないようだ。
自分がどう感じるか・・という視点で話すか、人間にとってこうだ・・という視点で話すかで
違ってくるんだろうね。
一般的な、哲学書や宗教書に書いてあるような話は聞き飽きるよね。
皆さん、全面同意で異存ないのだろうか?
自分はここに違和感を感じる・・というところから、自分の確認が始まってもいいと思うんだけどね。
63 :
大王:2007/03/10(土) 16:59:54 ID:SPZV650F
正と悪の考え方中心だからだろう、誠意とか良心という範疇はあまり考えないようだ
これのりょんちゃんも、ズイブン、日蓮宗、キリスト教的だなあ、、、
>>51 観念想念の取り付くしまも無いところにあるのをどうやって語るの?w
無意識領域を意識するって言ってるのと同じ。
「どうせ死んじゃうし」で括るなら、別に層化に嵌ろうが何しようがいいじゃん。
レベルとか関係ない。「どうせ死んじゃうし」な。
支離滅裂ですな。結局何が言いたいのかワカラン。
>>56 そうそう手前。
そうかの実態はともかく、人助けなら、困ってる時に手助けってのは、タイミングとしては当然じゃない?w
わたしが言いたかった事は、人間生きてれば誰でも凹む時があり、そこをどう凌ぐかって事なんです。
人生の黄金律を語るなら、これぞメインテーマなのでは?w
>>62 この手のことを絶対的に語れるわけもないしね。
ある哲学書にあればこうある、ある宗教書によればこうある。
教義によればこうある。
それをさも万人共通の絶対的かのように語る、その見地で語るようなこと、
そこに実質的な利用価値があるものは少ないと感じる。
>>63 じゃあ、この板はそーかとクリスチャンばかりってことなのか?
つか、大ちゃんはそれにこだわりすぎでは。。。
そーかに限らず傾向が似てる人たちがいるってことじゃないのか?
俺の目には、この板は不信仰な宗教者と信仰熱心な無宗教者しかいないように見える。
・・・と、平和なスレで釣っても意味ないけどw
>>64 困ってそうな人がいると、折伏目標に入れてアプローチしますからね。
良心的な人はそんなスタンスでは行かないし、困ってることを助けたり相談に乗ればいいのであって、
折伏なんて考えませんよ、常識あったら。
良心ぶってるけど、目的は折伏にあるんですよ。
精神的に弱った女をつけ込んでやっちまう男とかはどうしようもない男扱いされますしねw
それ以下だと思いますよ、宗教じゃやられちまうより人生に影響するから。
>わたしが言いたかった事は、人間生きてれば誰でも凹む時があり、そこをどう凌ぐかって事なんです。
>人生の黄金律を語るなら、これぞメインテーマなのでは?w
まさしくそう思います。
それと世渡りのコツとかですかね、榊さんも自信ありそうだし、俺も別に困っちゃいないんですけどねw
>>69 りょんちゃんを釣るのはことごとく失敗、というか釣れすぎになるからなあ。
まあ、問答スレの流れ次第・・・と言いながら、いつも率先して荒らすの俺だけどw
>>69 |_, ,_
|゚∀゚) < 不信仰で悪かったなw
|とノ
|
|彡サッ
|
>>70 俺は釣り釣られに来てるんですから入れ食いですよw
問答スレは日蓮クラブの影響で俺は関心持てない流れだ。。。
まあ、俺がやってるのもフーテンさんには関心持てないかもしれないけどw
>>71 ようやく現れましたねw
素人さんは。。。どうなんでしょ。
熱烈な仏陀ファンということは分かる。
仏教から姿勢を学ぼうとする姿は真面目だということも分かる。
信仰深いのかどうかは分からんw
|_, ,_ヒョコッ
|゚∀゚) < 信仰深いかどうかは判らんが毛深くはあるw
|とノ
|
|彡サッ
|
>>72 流れも何も、ロボットは放置しかないでしょ。
>まあ、俺がやってるのもフーテンさんには関心持てないかもしれないけどw
俺の方が遙かに宗教アンチだからねw
ノシ
>>67 宗教者が不信仰で、無宗教者が信仰熱心な場合は、平和な状態を作れるってのは興味深いw
両者に共通してるのは、意識的・結果的であれ、適当な距離を取ってるってとこで、それが肝なんじゃないかなぁ。
>>68 そら弱ってるところを攻撃するのは常套でしょw 折伏ってのが目的なんだろうからね。
わたしは世渡り下手ですよwwwwww
あまりにも好悪で動きすぎるからね・・・・・
でも、そんな自分が好きw 結果よりも、それを選択した自分が好きなんですよねぇ〜
何を選択するかってとこに拘る。結果は結果だからグダグダ言ってもね、反省材料以上でも以下でも無いかな。
世渡りのコツって言っても、自分の見た目も含めたキャラってあるからねぇ。
女の人は、それらも含めて理解して積極的に駆使してる人多いよね、男よりw
やっぱ、化粧するからだろうなぁ・・・・・・ まぁ、社会的なものも・・・・・
細かな気使いする人は、男女問わず受け良いと思いますけどね。
何気にポイント高いw
>>74 。。。
>>75 関心の持ちどころが違うんでしょうね、きっと。
つか、フーテンさんがアンチとかよく分からないし、なんで今回は釣り失敗だなw
>>76 宗教なのに卑怯な真似は正当化されるってことですねw
法の整備を進めたほうがいいって本気で思うんですよね、宗教被害って絶えないじゃないですか、
法で布教活動の制限と登録とかさせた方がいいと真面目に思います。
宗教法人だけ特別扱いしすぎなんですよ。
世渡り上手は俺も同じかな。自分好きも同じだな。
見た目ってのは、まあ嫌われる外見でなかったら問題ないと思うし、
そうでないならそれなりの手段も知ってます。
俺も俺なりに容姿的なものとか印象的なものも利用してるほうなのかな。。。
ファッション的な色使いとかもありますしね。
リアルで見られてる自分の多くのイメージは自分で意識的に作り上げたものだったり、、、
あんまり深く考えると何が本当もなくなりますけどねw
でも
>>50にも電卓の話があったけど。
それだと思うなあ、自在に電卓を使いこなす。
電卓自体の性能なんてのはみんな大してかわらないんですよね。
デザインとかが少し違っても。
どの機能まで使いこなせるかと、どんな局面でどの機能を使うかとか。
電卓よりはPCの方が近いイメージな気もするけど。。。
インストールするソフトとかってのもあるしな。
PCの性能自体はそんなに変わらないのだけど、使い手によって
かなりの差がついたりもする。
PCってたとえに便利だなw
英語のソフトをインストールしたり、せっかくインストールしたらそれで仕事をこなしたり。
何も出来ないってことはインストールもしなければ使いこなしの練習もしないってことだ。
格差が作って事は結局はからっぽのPCで毎日を過ごすか、それなりに機能を充実させたり
活用したりするかの差だな。
空っぽのPCが好みの人は充実機能を羨んではならない。
変な宗教はウィルス感染と同じだな。。。
内部で増殖して他にまで被害を広げるとか。。。同じじゃん!w
逆に良い思想とかであれば適切に変換してくれたりするソフトのようなものか。
落ちるノシ
>>82 前に信仰問答スレでも述べたんだけど、 ウィルススキャンする場合、ウイルスの定義をどうするかが問題じゃない?
そこにその人の取捨が出る。価値観がね、出るのよ。
リスクコントロールと同義とも言えますし。それをシステマティックに行う為のフローチャートとかね、一度こさえてみるのもいいですよ。
その過程で取捨され、整理されるし、論理的考察の訓練にもなります。
出来上がったシステムは別に使わなくっていいけど(整理・訓練が目的だから)、使えるものを作るようにしないと意味は薄くなるねw
まぁ、実際は使ってみないとダメ出しは出来ないし、それをしないと只の机上の空論なんだけどね。
話変わるけど、例えば車のレースの場合、レースが始まってしまえばドライバーが出来る事は、その車の物理的な限界を引き出す事だけなんですよ。
110%は、ありえない。98%じゃ、低い。
準備してきたものを最大限に出す。入学試験等も同じでしょう。
その結果に対して格差が出来るのは至極当然、当たり前。
当たり前を否定するのもいいけど、現実逃避にしかなってないなら、意味も無いしなぁ。
レギュレーションは、作るか守るか破るかで、否定だけでは参加してる事にはならないんだよね、実際は。
つか、今、日本では競争自体を否定してるような教育してんだよね、教育機関の現場では・・・・・・
この国は、いったいどうなるんだろな。
>>57 ていうか、方向付けが強力すぎだなー
勝手に俺が「心から信条にしている」ことにして
「死ぬことが目的」だってことにして、
なんかいつもの結論出してるし。
スイッチが入ると同じパターンをたどるのよねー
そこはご隠居と同じかな。
>>58 困難で興味のあることに取り組むときってのは、
何かに集中している楽しい時間じゃないの?
>>81 人間に例えると、ソフトが自分なのか、OSが自分なのか、本体が自分なのか、データが自分なのか。
パソコンを使っている誰かさんが自分なのか。
90 :
大王:2007/03/11(日) 11:07:15 ID:5wgJ/0Jq
それをさも万人共通の絶対的かのように語る、その見地で語るようなこと
故に、、りょンチャンは、キリスト教と日蓮系が、頭から離れん、、と思う、、、
91 :
大王:2007/03/11(日) 11:20:38 ID:5wgJ/0Jq
万人共通の絶対的かのように語ると、、修行系仏教は崩壊してしまうよ、、
信じる系は、もつだろうけど、、、
92 :
まい:2007/03/11(日) 11:28:44 ID:Uim/6ULB
>>86 >当たり前を否定するのもいいけど、現実逃避にしかなってないなら、意味も無いしなぁ。
>レギュレーションは、作るか守るか破るかで、否定だけでは参加してる事にはならないんだよね、実際は。
>つか、今、日本では競争自体を否定してるような教育してんだよね、教育機関の現場では・・・・・・
同意〜。
>>90 大王さん、それはそれとして、ダカラりょんさんはどう選択して、どう私たちと関わって、
どう生きていくのかという、これからが面白いんじゃないかな。
ここでいろんな感性と触れ合って、りょんさんの幅も違ってきてると思うよ。
少なくとも、りょんさんはロボット的ではないしね。
>>82 ハードの支援無くしてウィルスはウィルスたり得ないよ。
OSのブートストラップルーチンも
自分自身を別の場所にコピーしたりして
ウィルス類似の挙動を示すし、
ウィルスって言うのはプログラムのパラダイムに近い。
94 :
まい:2007/03/11(日) 11:44:36 ID:Uim/6ULB
>>91 りょんさんは自分の感性で、修行系仏教に近づいてると思う。
修行方法は、伝統仏教とは違うものだろうケド・・。
大王さんには質問がわざと、禅問答っぽくなるのかもしれないけど・・。
95 :
大王:2007/03/11(日) 15:21:09 ID:5wgJ/0Jq
ま、、修行系仏教の視点から見ると、、
りょんちゃんは、いつも、、例えで言うと、、、
イチローが振り子打法して、成功しているガ、故に、、
野球するものは、振り子打法を打法で強制されている、、、
と言うような事をいっているんだな、、
修行というのは、明確な絶対性は、存在しえないんだけど、、、神秘主義的大乗仏教においても、、
修行と悟りとは、
イチローの振り子打法という、技術だし、、、
技術と職人芸を強制、絶対化できうるか、、、、
技術、職人芸的宗教と、日蓮とキリスト教のような、概念的に絶対信じる系と、同じ次元で語られてもな、、
といつも、りょんちゃんに対して、思うわけよ、、、
>>86 スレ的には生きやすく生きるに反するものはウィルスですねw
後ろ向きや投げやりもウィルス指定。
機会の物理的能力が100を超えることはなくても、人間の場合には感やひらめきが
集中力とともに出るとかありそう。
いずれにしても自力を最大限に生かすってことになるでしょう。
競争を否定するなんて馬鹿げてますよね、格差をなくそうとすることも同じく。
それがどういうことか分からずに理想だと思い込んでる人も多いのでしょうけどね。
>>87 >>26にたいしてのレスがどうせ死んじゃうしっていってるのだから強力でもなんでもないですよ。
87さんの本心とか日常とか知りませんしね。
どの部分に対してどうせ死んじゃうからどうってことなのかも分かりにくいけど、
どうせ死んじゃうならなんだっていいじゃないですかw
>>88 興味あることややりたいことに向かう時に、
困難「だけど」興味のあること、ってよりは、やりたくもないことが多々関わることの方が多いと思います。
その目標を果たすにはほとんどのことがやりたくないことだってないとはいえない。
結果がどんなに魅力的でも、過程は苦痛ってことはあるわけです。
そんな苦痛を苦痛と感じるのか、過程として楽しめる気構えの維持が出来るか、モチベーションとかってのは
そういう部分で高める必要が出てくる。
後ろ向きの発想ってのは癌なんですよ、会社内なんかでそういう人間が一人いると増殖する可能性もある病原体です。
社会においても本当は同じ、マスコミなんかが必要以上に悪意的な言葉を発したり、ああいうのは癌です。
ニュースス○ーションの古○とかもそうですよね、潜在意識に世の中の良くないイメージを植え付けられる、
あれの言葉を聞くと。
>>89 自分がパソコンでしょう。
つか、マトリックスでいいか。自分の体の中にソフトをインストールする、そうするとヘリを操れたりできる。
人間ってそのままあれと同じようなもんだし、あんなに楽には習得できないけど。
>>93 難しく考えてもしょうがない。
いずれにしても突き詰めてまで人間はパソコンと同じではないしw
ハードの支援が必要だろうがなんだろうが、PCウィルスは害でしかないわけです。
ワクチンになるか、ウィルスになるかは大きな違いですね。
それにするしないは自分自身の問題でもあるってだけのことでしょう。
>>94 修行ってのも、苦労あっても楽しいものだと思うんだよね。
もちろん楽しいって感じられないときもたくさんあるだろうけど、
放棄するしないも自由だし、目的に近づける喜びがあるから修行するわけで。
目標を持って生きてる人間は全てが修行してるのと同じでしょう。
どうせけっこうきつい修行をするなら楽しめるようにやろうってことだけです。
>>95 俺がここでいろんな人にどう見えるのか分からないから、大ちゃんに見られるように見られてるのかもしれないけど。
その例であるなら、イチローは振り子打法を編み出した、イチローが誰かに習ったとしても、それはイチローの専売特許。
だれが強制されてるって見るだろう。
それにイチローは常にそれを超えるものを模索してると知らずとも思える。
模索してないわけがないとも思える、それにイチローは打法だけで打ててるとも思えないし、
おそらくはその打法で打つなといわれても打てるでしょうね。
必ずしもその打法に絶対的にこだわってるとは思えないって意味だけど。
何より思うのは、俺は大ちゃんの言う宗教を否定するものではないってこと。
大ちゃんが宗教的な何かをして、そこから何かを得ようとしてるものを何も否定なんてしない。
大ちゃんから学んだことだってあるしね、マナ識一つだって役に立ってるしね。
素人さんが以前言ったツールだね、
イチローの打法もツールであって、そのツールに縛られるものではないってこと。
使いやすく自分に合ってるツールを使うのは道具を使う人間の優れたところ。
でも、イチローが監督になったとしても、全員に振り子をやれなんて間違っても言わないだろう。
王は一本足、長島は実際は何かあるのかもしれないけど、何でもあり打法。
人それぞれに適した技やツールがあるってことだね。
って、俺は別にイチローをすきでもなんでもないけどね。。。桑田と工藤が好きだなあ。
スポーツ選手を見てて思うのは、そこに目標を持って、多くのことをそれにあわせて生活するってことかな。
スポーツ選手だったらやったことっていくらでもあるだろうから、見方を変えればその生き方のために
選択するわけにいかなかった事がいくらでもあるってこと。
金の問題とか選択肢に入れようがなかったことではなく、やれるけどやらなかったことがたくさんあるということ。
目標を持つとはそういうことだと思うのだ。
何でもかんでも持ちたがる欲しがる人ほど、そういう人たちを見て「才能がある人間はいいよな」とか思ったり思想に思えるのだ。。。
行き方の軸が違うと思うんだよね、だから「安易にだとしたら」格差をなくそうなんて言うのがおかしいんだよ。
極端言えば、格差の上に行くことを選ばない人間が下にいるのは当たり前なのだ。
その選択の自由がある人間はそれを非難は本来出来ないはず。
スポーツ選手だったらやったことっていくらでもあるだろうから ×
スポーツ選手じゃなかったらやったことっていくらでもあるだろうから ○
280 名無しの心子知らず sage New! 2007/03/11(日) 17:40:33 ID:nteetlrk
_ _
( ゚∀゚ ) きょう 読売新聞を見たんじゃよ
し J 読者投稿の面にな、4歳になって卒乳した子供の
| | 記事が掲載されておった
し ⌒J
_ ∩ その子は4歳になって 自分で母さんのおっぱいに
( ゚∀゚)彡 ありがとう、さようならと言ったんじゃと
( ⊂彡 母さんの誇らしい気持ちが滲むような投稿じゃった
| | やはりおっぱいは素晴らしい! おっぱい!おっぱい!
し ⌒J
>>96 例えばHDDの中身を全消去するウイルスなんかは、それはそれで使い様もあるんですよ。普通の人でもw
取捨が、人によって、その時々によって、変わるし違ってくるしで、一概にはね。
人の本質が思念体だとしたら、肉体はハード(=道具)です。
結局人は、様々な道具を駆使して生活してるわけで、ここで言われているウイルスとはつまり
「その時マイナス要因と思われるもの」でしょう。「その時」ってとこがポイント!
だいおうの説明は、この部分が抜けてるんだよ。 絶対性を否定してるくせになw
まぁ、概存宗教ってツールなんだけど、層化を車のレースに例えると、教義はレギュレーションにあたる。
それはあくまでも、そのレース内での取り決めなんですよ。
レースに特化したルールだから、一般的な社会通念や法律と違う所もある。
でも信者は、レース用車両で、レースのレギュレーションで、普通の街中を爆走してるわけw
それで、うちのチームに入らないか?って言われても、そんないい年して珍走団臭い事してる奴らと走れないよw
恥ずいし、迷惑だし。やってる本人らは楽しいんだろうけどね。
大人ならサーキット行って走ろう。サーキットで走ろう。
日常では味わえない、「直ぐそこにある死」の感覚が味わえて、中々楽しいよw
自分のミスが、そのまま死に直結するわけだから、是非が直ぐ解るしなw
つか、何で危険な事を楽しめるのか? ちょっといい議題かもw これはレス欲しいなぁ〜>ALL
>>98 組織の発展や、社会正義の視点の一つとしてはそれでいいんじゃない?一つのスタンスとしては。
ネガとポジを分けて、ネガを切り捨てるってのは、閉鎖した組織のスタンスとしては一つの選択。
そーゆーのに飽きたてから宗教とか考えれば?
ていうか、りょんは、宗教組織の発展・社会正義の視点で見る傾向が強いんじゃない?
109 :
大王:2007/03/12(月) 10:00:34 ID:WxTJLxyY
>>107 ウィルスでも使えるウィルスと使えないものがあるんですね。
それと、ごく少数に使えるものと大衆に使い道のあるもの。大衆に使えるとウィルスとは呼ばないでしょうけどね。
ウィルスの害は相手の意思に関係なく蔓延するってところ、無自覚や偽装して入ってくる。
このことはカルト宗教にそのまま当てはまりそうだ。
役に立つと思わせておいて、困った時に売り込んで、実はひっそりと活動する種のものや。
正規のソフトはそんなことは基本的にはないし。
大人になっても首都高や峠を攻める馬鹿がここに。。。onz
サーキットも地味なところにはいったことありますけどね、ドリドリとかの練習で。
スリルは快感になる、脳から何かが出てる影響なんだろうなあ。
それ以外に何も考えない瞬間って、まさにその時だし、これで死んでもいいなって本当に思えますし。
死にぞこなったら後悔するのかもしれないけど。
>>108 俺自身は極端に社会。。。正義ってわけじゃないけど、社会のなかでどう動くか主体ですよ。
俺の役割でもあると思ってるし。
だから、その視点で考え動くものの邪魔をするものは批判したい。
俺なんかが何やってるって言ったら大したことやっちゃいないけど、大したことやってる人間の応援はしたいし、
自分なりに正しく評価したい。その評価の部分で世の中に陰湿なものや妬みをみる気がする。
邪魔するやつはどこかに住み分けしてみたらわかる、そいつらだけでは何も出来やしないのだから。
まあ、極端だけど、俺はあえて極端な考えを持って自己洗脳する。
俺の考えでもっと極端な部分を出せば、ある意味反社会的になるのだ。
社会はあくまでも自分にとっての利用価値があればいい物となる。
でも、それも誰でも同じなんじゃないかと思う。
そうは行かないからその中でどうするかと考えるわけで、出来るだけやりたいことやって。
もっともっと世の中を舐めて生きたいと思うのだ。舐めるといっても、ちょっと微妙な感覚だけど。
その感覚は俺にとっては苦労しても手に入れる価値があると思える。
つか、そう考えて生きてるだけで楽しいしな。
って、これもまた極端かもしれないけど、俺の頭の中の極端はもっとだな。。。
正義とか悪とかあるけど、どちらかを選択する時に、自分の中に善悪の基準はなく手段でしかなく。
悪と正義を天秤にかけると、実は悪の方が大変そうだから選ばなかった。
正義を選んでも日々の中では正義と悪の選択は常にあって、その都度利害を考えての選択をするだけ。
いつか悪を選ぶ可能性はなくはない。そんな感じかな、極端に簡潔に語れば。
だからまったく社会正義を正義として選ぶわけではないのだ、利点がないなら選ばない。
どんな悪も自分の中では正義にするものだしね、人はもともと。
って、あんまり極端に傾くと流れがおかしくなるかw
落ちノシ
>>108 飽きるなら違うこと考えるだろうし。
つか、宗教を考えるとはどういうことですか?
飽きてから宗教を学んだほうが得るものがあるとか?
宗教に所属。みたいな意味合いならありえないですよ、特定の宗教に入る。
って言うようなことはありえない。
ノシ
116 :
まい:2007/03/12(月) 14:26:19 ID:kzmIVoLV
117 :
名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 16:31:29 ID:kzmIVoLV
あ
>>110 ウイルスったって道具ですからね、使えるかどうかはTPOでしょう、その時の。
だから結局その時の価値観によって、何をウイルスと定義するのかが変りますから。
例えば昔は、俗に言われてるスパイウエアーはウイルス扱いされてなかったし・・・・・
二十歳過ぎても皮ツナギ着て小僧してましたしね、わたしも・・・・orz
その後オフロードに転向して、軽トラに単車乗せてモトクロス場通いしてましたが。
ロードの1/3のスピードで、5倍の恐怖を味わえるので、御勧めですよ?w
初心者なら、5分でチアノーゼになれますw 実は滅茶苦茶ハードなスポーツです。
何も考えないってか、他の事考えられないよねwちぬw
死ねたら本望と思った時期もありましたが、今は違う。
好きだからこそ、それでは嫌だな。同好者に迷惑かかるじゃない?
只でさえ2輪って風当たりキツイしね・・・・・
これでも業界人の端くれだったので、そう思うようになりました。
やっぱり怪我したら、つまらんよ。
こんな板来てると、よく「悟り」って単語を見るんだけど、彼らの解釈が解っかんないんだよね〜
なんかね、皆うれしそうに語るから、そんないいものなのかとw
彼らにとっては、それが黄金律なのだろうか・・・・・・・
何で危険な事を楽しめるのか? 自虐的な行為に、快感を覚える。一見生存本能に相反してる様に見えるよね。
ご隠居は、こういうのには答えれないんだよなw
一つは、死を免れる事の快感かな。達成感とかも付いてくるだろうし、生を生み出す快感に通じるものもありそう。
一つは、死をリアルに「意識」したいとか。
「死」をコントロールしたい場合、まず原因を特定しないと対応出来ない。
今の日本で普通に生活してると、病気でもない限り死と隣り合わせって事は無いだろうから、自分の死因が特定できませんよね、自分では。
そこで死因となりうる行為をして、且つそれをコントロールすれば、その最中は死因を特定してる事になるでしょう。
自信が危険であると同時に、その間は、死を遠ざけている事にもなっているんですねぇ、気持ちの中では。
死因を特定する事により、死というものをリアルに「意識」出来る。
何時襲って来るか解らないものを特定して浮かび上がらせれるわけですよ。ある意味、安心材料になるでしょう。
そしてそれをコントロールする。コントロールしきれば、その間は、自分は死なないっと錯覚出来るw
概存宗教も同じように、死を様々な解釈により「特定」し、死に対する感覚をコントロールしようとしてますよね?(よく知らんがw
りょんさんも、わたしも、あれな事で補充っていうか、補っているから、概存宗教に別段興味沸かないのかもねw
死んでもいいなら、スリルは楽しめないはず〜
>>119 訂正
自信が危険であると同時に x
自身が危険であると同時に o
>>111 そのスタンスで宗教板に滞在する意味がわからんというだけ。
ていうか、「宗教組織の批判」が目的ってのなら、ご隠居の目的がよくわからんのとおなじぐらいわからん。
それがりょんの社会正義の実践てこと?
だとしたら手段も対象も不適当じゃないかな。
>>115 だって、本職ならそりゃその組織の発展のためにがんばらにゃならんだろうけど、
無関係の人間がいろいろ言っても無意味だろうし。
それに、組織のなかの自分に興味があるのなら、それは宗教関係ないところで
自分の好きなところでがんばったほうがいいだろうし。
宗教組織じゃなくて、組織への興味がうせて、その教えや修行なんかに興味が移ってからかかわればいいんじゃないのって意味。
>>118 じゃあ、こうしましょう。
俺や榊さんはウィルスを調べ上げる、または研究して自在に使えるとします。
でも、ウィルスと呼ばれるくらいだから一般では認識もろくにされずに、それどころか知らずに持ってしまってます。
トロイの木馬系の物だって使い道ありますしね、スパイウェアーもウィルスとは断定されるに時間かかったけど、
でも、その機能とか作用が十分に認識されるのに時間がかかったわけで。
あるソフトにこっそりと埋め込まれてるとか、当時にはそれをどう捉えてよいかの決断が十分でなかった。
グレーゾーンです。
で、そのグレーゾーンってのは早い者勝ちで使った物がちなんですよ、現実にはウィルスではなくてもたくさんあります。
違法ではないけど、怪しい部分、それをどう捉えどう思うかはその人しだい。
こんな感じですかね。
昼間の主婦番組で取り上げればガタガタ言われるような種類でしょうw
>>118 結局はスリルは欲しいけど、バイクは危なすぎるって認識なんだな。
安定しない構造のものでは俺には楽しみきれないっていうか。。。
十代の頃は2輪でも楽しめましたけどね、楽しむのレベルが違ったかw
4輪オープンで風を感じるのもいいですよ、メットもいらないし。
最近のは性能もいいし、いじらないでも昔のスーパーカーの性能超えそう。
>>119 悟りを得た人なんていなさそうですから悟りを目指してることが楽しいんでしょうか。
目標を目指すのは楽しいことですしね。
ただ、よくあるじゃないですか、どうせ目指すならなんでもっと現実的なことしないのだろうとか、
オームなんかでも、あいつらその能力をもっといいことに使えばすごかったのにとか。
よくそういうじゃないですか、俺には悟りなんてのもそれに近いところに感じるのはあります。
宗教的なことを現実にそのまま直結させられる人って少なそう。
そもそも出家の教えみたいなものもあるし。現実逃避には興味ないどころか嫌悪感あるし。
>>190 榊さんの死をコントロールとかのレス見て思い出したことが。
俺が20までに死ぬと思わさせられてたときには、どうせ病気に命をとられるのなら、
自分の力で失ったほうがましだと思ったことあった。
今でも多少はありますけどね、喧嘩とか事故で死ぬなら本望って思った。
あれも自分の死をコントロールしたいってことだったのかな。
>>121 それは宗教板には「こういうスタンスでいるべき」に反してるってことでしょう?
俺が宗教板にいる理由は今は特別になくて、流れと馴れ合いw
宗教は、団体のあり方、そこいらに積極的に用いてる人たちの用い方には嫌悪感の方が強いのは事実。
で、俺自身の宗教観は、宗教思想としての宗教の中に、これだけ多くの人を引き込むものがあるなら、
それを知ってみたいとか、宗教を用いても自分のスタイルを持ってる人の話を聞いてみたいとかそんなところ。
社会正義じゃないって書いたけど、正義なんてものは利用価値があるかないかのみだから。
自分の良心的に楽かとかそういうのはあるけど、それが正義だからやるなんてものはない。
その場の正論の方が周りを従えやすいから使うとかそんなところ。
時には悪視されたり反対だらけでも通さないといけないこともあるでしょう。
>>122 宗教が世の中に与えてる影響ってものにも興味あるしね。
すべてのことは無関係ではないと思うほうだし。
それに俺はここで宗教にこだわってはいないのだ。。。
つっても宗教者の人たちとはあまり話しできてない気もするけどね。
あ、ここってのはこのスレではってことです。
他の宗教臭の強いスレにいくと反感が湧き起こりそうだしあまり見ないようにしつつある今日この頃。
本当はこのスレも前スレで終わりにしようかと思ったしw
119の話し面白いな。
生きてる実感のある瞬間ってのも確かだな。
これでしくじったら死ぬなとか、死ぬかと思った瞬間。
あれは至高の時ともいえるなw
>>122に再。
>組織のなかの自分に興味があるのなら、それは宗教関係ないところで
>自分の好きなところでがんばったほうがいいだろうし。
組織に自分をどう反映させるかですかね、組織として関心持つなら。
宗教の支配の形ってのも興味深いところではあります。
組織の中での自分の持ち方とか、宗教って言うのは面白い。
人間の本質の現われでもある気はします。
そこを知るのと知らないのとでは、支配しようとする時に差が出るとも思えなくはない。
あえて支配って言葉を使ってますけど、世の中は支配するほうとされるほうって分けられるのは事実ですしね、
実際には明確に分けられることは少ないですけど、上手く支配するとは支配とは思わせずに支配することでもある。
支配する側が支配の意識も持たずに甘ったれたこというのも問題ですしね。
親子関係もそうでしょう、ある程度の年齢までは親は子供を支配してるんです。組織に大小も関係ない。
132 :
大王:2007/03/13(火) 12:23:05 ID:zUt94mbo
宗教的なことを現実にそのまま直結させられる人って少なそう。
修行系、仏教は現実解釈がないと、成り立たない、、、崩壊してしまうね、、
神秘主義的大乗仏教ですら、、、
133 :
、大王:2007/03/13(火) 13:11:36 ID:zUt94mbo
明治維新以前だけど、、仏教で、奈良仏教は、ほとんど、他宗派混合でやっていたらしい、、
日蓮が偉そうに知的に語る、絶対正統にしている最澄の頃の天台宗ですら、、修行プロセス、思考、方法論は多様なんだから、、
日蓮の最澄の評価が、おもしろい、、ご本尊にある、伝教大師言う奴ね、、
最澄は、密教なんか、やらなかったのに、後の円仁、円珍は、密教を取り入れ、天台の教義を改悪した批判していると、御書でいってあるんだけど、、
実は、最澄、密教学んで、日本に持って来て、真言宗の弘法大師に弟子入りした事実がある、、
日蓮のすさまじい、仏教史捏造、、、、
134 :
まい:2007/03/13(火) 13:39:57 ID:KFx/STWA
>>119 >概存宗教も同じように、死を様々な解釈により「特定」し、死に対する感覚をコントロールしようとしてますよね?(よく知らんがw
>りょんさんも、わたしも、あれな事で補充っていうか、補っているから、概存宗教に別段興味沸かないのかもねw
>死んでもいいなら、スリルは楽しめないはず〜
・・・なるほどw
135 :
まい:2007/03/13(火) 13:46:47 ID:KFx/STWA
>>125 >そもそも出家の教えみたいなものもあるし。現実逃避には興味ないどころか嫌悪感あるし。
・・・うん、そうだよね。
136 :
まい:2007/03/13(火) 13:53:33 ID:KFx/STWA
>>132 >修行系、仏教は現実解釈がないと、成り立たない、、、崩壊してしまうね、、
>神秘主義的大乗仏教ですら、、、
結局、どんな理屈だって、自分の感覚や経験にリンクさせてみないとなんのこと言ってるのか
わからないわけだし・・。
意味はわからなくても唱行や写経をやってればいいというのは、修行放棄だよね。
その思考停止が、指導者にとっては楽なんだろうけど。
黄金律っていうのは、万人に共通する、時代に劣化しない、普遍的な生き方、ってことですよね。
138 :
まい:2007/03/13(火) 14:36:35 ID:KFx/STWA
てすとさん、ちわ!
>>132 で、現実に直結させるに優れたものだと思う?
そもそもその手の趣旨のものだと?
本来と現代で後が言ってなんだと思う?大ちゃん流には。
>>133 日蓮だけじゃないだろうけど、いずれにしたってあのあたりの連中はペテン師でしょ。
まさか今のように情報が微細に及んでばれるなんて思ってないものw
つじつま合わないなら宗教が成り立たないとすれば成り立つものの方が少ない。
信者が必死にもともとの矛盾をなくそうとするほど矛盾していく。
だからもっと柔軟に受け止めて形を変える必要があると見えるのだけどね。
日蓮系なんかでバリバリの信者の言うことってのは一々笑えるじゃん。それも心から信じてるからたまんない。
>>136 宗教以外に宗教的姿勢で挑んでたら宗教者だって気をつけろって言うはずなんだけどね。
不思議さはあるよな、人間の精神的な部分って。。。
つか、やっぱり宗教的流れになってしまうんだよなあ。
>>137 そうなんでしょうね。
でもあるとかないとかわからんし、あったところで黄金律を用いない人もいるだろうし。
自分だけの黄金律とかこの集団の中での黄金律でも良さそうだ。。。
商売のとか生活のとかw
>>126 わたしは喧嘩や事故は嫌やなぁ。痛そうやし・・・・痛いの嫌w
でも、眠るように死ねるなら、今直ぐでもOK!っと言いたいとこですが、両親を看取るまではなぁ。
これでも長男だしw
りょんさんは、死因を病死ということで特定したんですよ、その時。
で、どうしたかってとこかなぁ〜
>>137 てすとさん的には、思いつくものありますか?
俺ね、ぼっこぼこになってもその時は痛く感じないんですよ、アホだからw
俺も長男ですけどね、家族の絆っての薄いからなあ、兄弟とも会わないし滅多に話もしない。
俺が特定したんだけど、物心ついたときには親や周りから洗脳されてましたからね、
やばい宗教ってのは恐ろしいもんですよ。
でも、俺は今でもここで今死んだらいいなあとか思うときあるな。
遺書みたいのも作ってあるし、もし死んだらのことは仕事のことも自分の家のことも指示出してあるし。
本当にすぐに死ぬとは感じてるわけじゃないけど、習慣が身についてるのかも。
でも、そのお陰で時間を無駄にしたって時期はほとんどない気がする。
傍から見たら無駄に見える時期だらけかもしれんけどw
榊さんも充実した時間を過ごしてきたみたいだけど、俺もめちゃくちゃへんな時間ばかり経験してきましたよw
あまり普通にはない経験とか多いし。
>>144 わたしの場合は、親が離婚して一家離散してからですね、家族との結びつきみたいなのが強まったのは。
親子ともバカだからねw ホンマ色々あった・・・・ありすぎた。
五体満足なのは奇跡としか言い様が無いね。まぁ、命以外は殆どナクナッタチャケドネ。
でもねぇ、おかげで健康が一番と悟ったよw ほんと五体満足なのが有難い。
今でもここで今死んだらいいなあとか思うときあるのは、りょんさんが完璧主義者で充実してるからですよw
わたしも遺書は作らなあかんなぁとは思ってるんだけど・・・・・今はその気になれなくてね。
わたしは超気分屋なんで、執着心も薄いけど、いいかげんで、根気も無いw
好きな事にしか集中出来ないんだよねぇ。やってる時は、かなり集中するんだけどw
振り返ってみて、充実してるとは思えないけど、面白かった。結構、ドキドキ出来たしw
後悔とかしないほうなんだけど、しても仕方ないから。
それでもやっぱり、引っかかってる事はあるw
でも端から見たら、「何でそれなんだよwwwww もっとキツイのあるだろwwwww」って、絶対言われると思うw
釈迦がといた教えは割りと長い時間では有効ですが、全て変化するといっても短い時間では当然変化量は少ないですから、
ほとんど変化しない=変化しない、と置き換えれば日常ではあまり使えないってことになります。
が、もちろんロングスパンの思想としては秀逸だと思っています。
>>148 その時々で、後に後悔しないような選択が出来れば究極で、後悔しないようにするコツは、ある。
んで、笑って死ねれば最高かな。
やはり、ラオウの「我が生涯に一片の悔いなし」が、渋すぎる。
そう言い切ったラオウに、皆引かれるんじゃないかな・・・・・・
落ちます。オヤスミ〜ノシ
>>150 リスクヘッジだけの人生も面白みにかけますけどね。
RPG世代は冒険しないとw
152 :
大王:2007/03/14(水) 10:59:01 ID:hvafmr6X
139 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/13(火) 20:32:59 ID:mE/aW2+N
>>132 で、現実に直結させるに優れたものだと思う?
そもそもその手の趣旨のものだと?
本来と現代で後が言ってなんだと思う?大ちゃん流には。
修行系仏教の狙い目は、、概念とか、義務ではない、(奈良仏教の律宗、真言律宗は義務あるな、、)
脳のホルモン状態だからね、、苦からの回避を、脳のホルモンコントロールで解決しようとした訳、大乗仏教修行系は、、
南方仏教、原始仏教は道徳的側面が強い、、、
大乗仏教自体が、、シルクロードを通じて来た、、すなわち、交易、商業、ビジネス者の宗教ナ訳、、
故に、原始仏教の坊主はお金を今でも触れない、、、、
苦からの回避を、脳のホルモンコントロールで解決とは、、出来事の解決を概念的、道徳的解決ではなく、、ということ、、
オリンピックの選手の過剰な緊張は、、概念の働きでもなく、道徳の働きでもない、、脳のホルモンの問題、、
オリンピックの選手の過剰な緊張は概念、道徳で、解決するより、、深呼吸とか、気分転換でしょ、
それが、脳内ホルモンの問題でしょ、
修行系仏教は、神秘系も含めて、これを得意としている、、、、
153 :
まい:2007/03/14(水) 11:06:06 ID:5OkTMxa2
>>145 そんな話題を、ちょうどフット考えてた(時間的に)・・
154 :
まい:2007/03/14(水) 11:14:42 ID:5OkTMxa2
>>152 なるほど・・
現世利益なんていいますが、何がその人にとっての利益かなんて、人によって違うもんね。
健康第一ですね。体ひとつあれば、そこからひとつずつ生み出していける。
その不可思議なる体の存在に感謝・・というわけですが。
155 :
まい:2007/03/14(水) 12:00:55 ID:5OkTMxa2
ああ、そうそう。
大王さん。自分の修行による自分への影響についてはわかるのですが、
「パワー」を操って、物理的に外界に影響を与えるなんて事出来るもんでしょうか。
「護摩」とか、そんなことに利用されているようですが?
>>147 何かしらインパクトのある出来事って成長させられる気がしますよね。
俺も親の死にあって色々と変化した部分もあります。
健康には無頓着なほうだけど、今の自分の予定に色々と支障をきたすのはやっぱり病気や体が動かなくなること。
もしもそうなれば今の流れはほとんど変えざるを得ないですし。
俺て完ぺき主義なんでしょうか。。。リアルでもちょくちょく言われる。けど、本当には完ぺき主義ではないと思ってるのだけど。
ふりっていうか、スタンスのつもりなんですけどね、自分でもその違いとか本当を理解できてはないかも。
俺も超気分屋ですし、強引なほうですし、周りも良く付き合ってくれてると思うこともある。
後悔はしないけど引っかかってることはあるってのすごく分かります。
後悔する人も後悔しない人も本当は差はそんなにないと思うし。
>>148 様々な主義主張が思想的に権力を持つ限りは統一したものの「確認」が出来ないでしょうしね。
政治でもそのようなものは見受けられるし。
てすとさんのその意見にはかなり同意。一つ一つの真理は個々にこそあると思うし。
今日やらなくてはいけないくだらないことが大事である。これだって真理って言うとまたなんだけど、
間違いない事実ですよね、民衆に広く考えれば考えるほど真実だ。
>>152 大ちゃんの言ってることはなんとなく分かるよ。
ただ、俺が思うのは、医者なら医学を学んで追求して患者に適切な処置をしたりする。
俺なんかだって、専門分野を学んで資格を取ったりして顧客を満足させることに重点を置く。
では、宗教は?と考えると、宗教の思想や修行ってのも一つの職業的知識資格を得るのと同じくらいの労力と時間を要するでしょう、
他にやりたいことがあって、そんなことやってる時間は普通の人にはないですよ。
坊さんは何やってるかといえば、偉そうに悟れだ、悟りは何だと、相手はその道の人間でもなければ、
本来の立場的には顧客だ。
追求する役割を持つのは坊さんで、それを用いてサービスを与えるべき立場。
俺の味方はそういう部分にあるから、大ちゃんの意見が坊さん自信のことでない限りは食い違いが出てくるのかもしれない。
宗教に学んだものを現実に当てはめて得るものはあるけれど、宗教的なものを現実にって考えつくすのは坊さんがやること。
一般人は現実の中で学んで現実の中で行動し、得るものを得ることが勤めなんじゃないかと。
趣味にはなんとも思わないけどね、現状のままの宗教が社会的に大事だと主張するものには反論があるな。
俺が、建築には思想がある、それをまずは学んで悟りなさいって顧客に言ってみなよ。
それと同じことを坊さんはやってるだけじゃないのか?
そう考えると葬式仏教の方がよほど社会に貢献できてる現状がある気がしないでもない。
>>151 まったくですが、所詮いつも無いものねだりなんだよなw
久々にMMOでも・・・・
神を望むのは、神は居ないって言ってるのと同義なんだよねー
結果的に、状況的には、無関心な無神論者のほうが、遠ざけてない分、近い位置にいるかもなw
まぁ、世の中、そんなもん。(ニカ
>>159 ていうか、どーゆーやりとり?
りょんが反論した「宗教者のスタンスが顧客サービスとして他のサービス業の尺度で測ったら問題がある」、ということと
大王が述べている「宗教に脳内麻薬系の手法がある」ということを関連づけしているのはりょんの思考パターンだとおもうけど
反論にみえて、宗教、ということ意外関連がない。
>>160 立場が違うのでは?
坊主はそれを言える立場にいると思うけどね。
ワイドショーマスコミ的なな平等思想で世界を眺めてもしょうがないと思うけど。
>>162 いるって思いも意識もないから同じことですけどねw
>>163 ワケワカ。
大ちゃんがいうことと俺の言うことは交差しないってことなんだけど。
反論してる気もない、どうしてもVSの構図にしたいと見える。
>>164 またワケワカだ。
平等思想なんてどこに読めるのだ?
俺は平等推進者じゃないし、安易な平等なんて馬鹿にする者。
読み返してみてもやっぱりワケワカだ。
そんなところよりも前に俺がレス返したほうにレスくれたらいいのに。
仕事関係は内容をここに詳しく書けないのが残念だけど。。。
坊さんでとんでもないような話がまた新たに出来た。
金品の要求の仕方がものすごい話。
奥さんがいるだけでもどうかと思うものを奥さんまで利用して金を余分に取ろうとするとか。
相手が金持ってると思うととことんつけ込む坊主、俺はそんなのの方が見たことが多い。
>>165 神は必要としない者の近くにはいてるかもしれなくて、望む者の所には絶対訪れない。
だから、神は意識される事が無いのですw
つーか、まったく大笑いだねw
自称無宗教のほうが、物事よく見えるな、変な拘りが無い分、やっぱり。
落ちま。オヤスミ〜ノシ
>>164 職業柄いろんな人間に接するし、利権が絡むことも多い仕事だから汚いこととかたくさん見るけど。
まあ、それはそれでいいのだけどね、聖職者とか教職者とか公務員とか民間だとか、そんな部分に差はないよ。
右翼ややくざの後ろにそんなのが名を連ねてたなんてざらだしね。
立場が違うってのは誰がその立場を決めるのだろうか、その立場でそのものを言う資格とはどう決まるのだろうか。
俺には聖職なんて言葉は消えたも同然だと思うし、どこにでも立場や地位を問わずそんなのもそんなじゃないものもいる。
宗教の中にキレイな物があるなんて言うヤシがいるなら嘘だね。
坊主の仕事にも俺の仕事にも教師の仕事にもその他の仕事にもそれぞれに差はないといいたい、
むしろ平等思想と思われたっぽい部分で言いたいのはこれだね。
俺が真面目や正義だと言うのではなく、ただ単に差がないだけ、俺は別に善を選ばないし、むしろ悪よりだろうし、
利用できるなら悪いって思われるようなことでもかなり平気でやるけどね。
それでもなんら差はないヤシの方が多いと思うね。
>>170 神を意識した無神論者の方が神の近くにいるんですかねw
善を意識した悪人の方が善が見えるかもしれない?w
おやすみなさいノシ
原爆落としても正義だからね。
それもある意味正しいのだろう。
正義とは常に自分にあるのだ。
正義により悪を行う。これ正しいw
悪を行うのはいいと思うけど、あんまり素人騙さないで欲しいものだね。。。
これは俺の正義感ってなるのだろうか、あんまり騙すのは好きじゃないけど、
結果騙しになることってあると思うし、ただ、悪を行って、懺悔ってのは嫌だね。
>>166 わからん?
りょんの
>>159の「ただ、俺が思うのは」以下は、「ただし」書きの文脈にしかみえないんだけどね。
別にいいけど。
>>171 別に聖職者が腐っていないといってるわけじゃないし。
立場として言える立場に居る、ということは、その立場に居るものの人格を担保するものではないし。
>>160にもどると、「りょんが建築屋で建築思想を悟れ」といえる立場に無くても、坊主は言える立場に居る場合もある、ということ。
必ずしも、坊主がりょんより人格者であることを担保するわけではないし。
人格者たれ、といえるとはおもうけど、事実と願望は別だし。
>>175はやっぱり良く分からん。
>>176は分かろうと思えば分かる。
けど、そこから導き出したい答えは何ですか?
俺とは逆の答えを導きたいという事かな。
それとこのレスにおいての基準は俺ではない。
社会全般の中でのあり様を思うまでのことなので。
ノシ
>人格者たれ、といえるとはおもうけど、事実と願望は別だし。
これにも返しておくか。
人格者たれって言われるのは当然でしょう、そしてそれがある程度できていることは義務じゃないですか?
犯罪者よりの聖職者があってよいとでも?
事実と願望は違う。俺はこれでかまわん、が、信者にとってもそうなのかな?
ってことなんだけどね、信者を裏切るな、素人騙すよりも悪そうだな、妄信してるのだから。
1年近くで言ってる事で変わらないのはこの部分だな、宗教団体のあり方用い方に疑問があるという事。
懐かしいレス。覚えがある。
素人さんのスタンスは個人的には結構好きではある。
その貼り付けの意味は不明だけど、こんぶ殿も同じこと感じてるなら
俺の言うこともいろんな人が感じてることなのかも。
つか、宗教者には単なる宗教批判にしか思われないのだろうな、この内容じゃw
俺が本当にやってるのは自分自身の問題なんだけどな。
だから擁護すること自体に意味も価値もないことなのだ。
182 :
まい:2007/03/15(木) 14:36:43 ID:qrsOUp3T
>>171 仏教求道者と聖職者を、ごっちゃに考えるのはワケワカw
そういうの事実だと思うけど、立場を利用した偽者を基準にしてもね・・w
利益のためには、神だって信じてなくても利用する輩はいるよ。
大王さんの知った実感とは分けて考えなきゃね。
>>170 榊さんが感じてること、わかりますよ。
一体であれば、求める必要もない。
問答スレで、ご隠居さんもいいこと言ってましたよ。
183 :
まい:2007/03/15(木) 14:44:57 ID:qrsOUp3T
そもそも、聖職者なんていう職業が必要ないんじゃない?
むーたんさんが言う、無教会主義賛成!
教えも道も、尊敬する先人から学べばいいし。
反面教師も大いに結構。
葬式とか結婚式も、<神聖>というキーワードの元に我流でいいのでは?
葬式には衛生学が必要になるけどね。
神聖も、感情の一部だし。
そう人によって違いないだろうと思うけどな。
>>183 その場にいる全員が神聖な気持ちを呼び起こすのに、祭壇や聖職者はあった方が便利だと思いますよ。
想像だけでイケる人はいいですが、普通の人は恋人が必要なのです。
186 :
まい:2007/03/15(木) 15:38:17 ID:qrsOUp3T
さすが、てすとさん。
普通の人の気持ちがよくわかっていらっしゃる。
人は五感からの情報も重要ですからね。
でも、そこを利用して騙すこともまた簡単です。
被害者にはお悔やみ申し上げますw
って、てすとさんてどういう立場の人なんですか?
お寺の跡取り息子だったりして。
187 :
名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 15:41:52 ID:qrsOUp3T
あ
188 :
まい:2007/03/15(木) 15:55:33 ID:qrsOUp3T
やっぱり、普通、依存と偶像崇拝は捨てきれないんだろうな。
>>186 いえ、ただの一般人ですよ。
騙されるより、騙されない方がいいという考えは一見正しそうですが、程よく騙された方が楽だと思いますよ。
騙されまい騙されまいとするのもストレスになります。
風邪の予防は大事ですが、うがいと手洗いに1時間もかけるのもおかしいし、弱い風邪をひいておくと免疫がついて強くなります。
訓練のためにも、被害の少ない嘘にあえて騙されてみるといいのかもしれません。
>>181 深い意味は無い。
ただ、主にてすとが指摘し続ける、「生活スタイル」の制限はどこまで要求されるのか?という繋がり。
破天荒・個性・ポリシー等はどこまで許されるのか?という繋がり。
どこまで自論が行過ぎると公立の教師じゃないのか?
どこまで自論が行過ぎると私立の教師じゃないのか?
どこまで自論が行過ぎると教師じゃないのか?
どこまで勤務外の生活態度が悪くなると警官じゃないのか?
どこまで放任がなされると親じゃないのか?
どこまで過保護が過ぎると親じゃないのか?
どこまでプライベートが尊重されると公人じゃないのか?
どこまで利潤追求・貯えがなされると鐘の亡者と言われるのか?
どこまで利潤追求がなされると宗教活動じゃないのか?
救助隊は、目の前で溺れる赤の他人と自分の身内、どちらを助けるべきであろうか?
宗教者は、目の前で溺れる赤の他人と自分の身内、どちらを助けるべきであろうか?
宗教者は、暴漢に襲われた時、抵抗すべきだろうか?無抵抗であるべきだろうか?
どこまで自己が優先されると宗教者じゃないのか?
余談だが、
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173497969/426 や、
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173497969/430 >神を信じていて幼女虐待する神父より、神を信じていないけど態度が立派な神父のほうがいいと思いますけど。
は、シンプルだが巧い言い回しだw
191 :
まい:2007/03/15(木) 17:26:03 ID:g2q7z33U
>>189 免疫・・なるほど、そういう考え方もありますか。
最近、二元論に安住の地を見つけた人と話をしました。
病気・・霊のせいです。不幸・・霊のせいです。
神は信じても、頼りにはならないそうです。
霊と、戦っていく決意をしたようでした。
むーたんさんや、大王さんの感想も聞きたいな。
ヨロシク!
あ・・・・・・
§
§ |
,fニニヽ |
/:::::ヽ |
|l' ̄ _, ,_'l| |
{--( ´д`)} ____|___
|:ニ:(ノ:二:二|) @___))___)
{______________} ||
∪ω∪ ||
ではないなw
>>190
>>182 一体であれば、求める必要もない。
わたしは一体であるとは思ってないのですが・・・・そうかもしれんが、興味無いw
つか、だいたい神が本当にいてるとは思ってないんでw
でも、存在を否定はしませんよ。別にいようがいまいが、わたしには関係ないし。
>>170は、有神論者向けのカキコです。
紛らわしかったなら、すみません。
神がいるなら、求めなくてよいでしょう。いてるんだし。
求めるって事は、いてないから求めてる訳で。
だから、求める行為は、存在を否定してる事になるんですよ。
当然、自分で殺してるわけだから、神が自分の所に訪れる訳は無い。
信仰者で、こんな事も解んないで拝んでる人は、神を何でも屋か何かと、勘違いしてんじゃない?w
別段、宗教に興味無くても、論理的に考えたら解る事なんだけどな。
ご隠居とは、意見が合うところもあるんだけど、奴は子供の喧嘩みたいな幼稚な逃げ方するんだよね。
まぁ、よくいてる低悩アンチとやってる事、変らん。
>>189 それはまず、賢者にならんと無理な生き方ですよw
賢者ならば、宗教だろうが何だろうが、うまく使いこなすだろうし〜
>>194 いえ、商人トルネコです。
人生の時間と、騙されないための努力をどの程度交換すればいいのかという問題です。
全てを検証することはできないのである程度看板に頼らないと時間がいくらあっても足りません。
>>182 ごっちゃになってないでしょ。
つか、俺の文ってそんなに理解できないものなんだなw
信者についてレスしたのではなくて、運営側についてのレスなんだけどね。
それと大ちゃんあてのレスはまた別個。
>>183 聖職者なんて業種はないけど、自負する人間はいそうだね。
バチカンだとかってのあるけど、あんなのも情けない。
最近になって日本人を殉職扱いだっけ?ああいうのってどうなんだろね、
俺はああいうのが何の手段でやるのか知らんけど、何かそれに対する報酬はあったのか?
名だけで名誉を与えてやったってな感じのは好かん、それで喜んでるやつもいるのだろうけどさ。
ムータンさんのスタンスとか大ちゃんもそうだけど、全然違和感ないし、ある意味俺も同じでしょ。
細かい話になれば当然意見は分かれるけどね。
進む方向も同じじゃないし。
>>190 お久しぶりですノシ
あくまでも俺の見解。こんなものは人それぞれ、自分自身がどう考えるかの問題だと思うし。
知ってるヤシが見たらリアルばれしそうだが。。。公房のころ授業のビデオを間違えてエロビデオ流して、
公房も筆の誤りとのたまった学年主任、あれが偉くなったらしい、その後は知らんけど。
そいつは日頃からえろっぷり全開だしセクハラオヤジで、俺がそれを非難したら腹いせに赤点じじい。
でも社会的には偉い先生になったらしい。
俺の記憶に教師として信頼に値するものとして残ってるのは、泣きながらビンたくれた女の担任とか、
顔真っ赤にして涙目で怒鳴りつけてくれた男の担任とか、
厨房の頃に柔道室で投げ飛ばされた先生だな。
人間としてのぶつかり合いがなかったヤシは印象に薄いもんだし、綺麗ごとと体裁で難なく授業やってるようなのは情けなく感じた。
おっかないヤシだったのに、いざ警察に捕まったりしても毛嫌いしなかったようなヤシとか。
まあ、ガキらしい感じかただし、自分に都合の良い扱いをしてくれた教師が印象に残ってるともいえるけどw
でも、何よりも自分がその仕事を自覚して自分なりに精一杯やってるかどうかの問題じゃないんすか?
どんなにやったところで人と人は相性もあれば考え方の相違もあるんだし。
殉教者か。。。
>>191 病気・・霊のせいです。不幸・・霊のせいです。
あぁ〜これ解るわぁ〜w
わたしは高校時分に色々煮詰まった事があって、その時、俗に言う神みたいなものに苛められてるって思ったw
そのままグレたりすると俗に言う神みたいなものの思惑どうりっぽいので、グレずに乗り切って、「ざまあ見ろ。舐めんなゴゥラァ!!」っと得意満面でしたw
ちなみに今は、巡り合わせだと思ってます。この考えが合理的だと思うので。
つか、全知全能なやつがいるなら、全ては、そいつの責任だよw
全知全能ってそういう事だから、そういう意味になる。
まぁ、俗に言う神みたいなものに恋するのは、漫画のキャラに恋するのと同じだから、どう妄想しようがいいけどねw
つか、一段と俺は俺って見解しか出てこなくなってきたな。。。
つか、みんな自分は自分なんだから神なんて考えずに自分と自分の身の回りに精を出せばいいのに。
そうすりゃ巡り巡ってみんながよくなるのだから。
つか、神を中心に思う人も自分を中心に思う人も自分の身の回りを中心に考える人も結局は同じなんだろう。
身の回り中心だと面倒なことが増えるってだけで。
ぐれるとかぐれないって意識もなかったな。。。
不良になった気もなかったし。
真面目ではなかったけど、その不良だらけの中で真面目だって馬鹿にされても関係なかったな。
考えてみればみんな型にはまるのが好きなんだな。。。好きな型になるんじゃなくて型にはまる人って多いね。
俺も何かしらの型にいろいろはまってるんだろうなあ、その自覚って難しそうだ。
。。。そう考えると選択ってのも選択でもなんでもなくて型にはまってるだけなのかもしれないな。。。
型にはまるって大事です。将棋も空手も先人達の型をきちんと習得した上でオリジナルのものが生まれるのです。
ピカソも恐ろしくデッサンの基礎は出来ていた。
>>195 賢者は、善人って意味では使ってません、念のためw
上手く立ちまわれる人って事かなぁ。
バカでは、人生の時間と、騙されないための努力をどの程度交換すればいいのかという事を、そつなくこなせないでしょう。
それが出来るなら、バカでは無いw
情報の取り方、取捨のバランスのよさ、判断のタイミング等、を評価する時に、「商人」ではピンと来ないですね、わたしは。
商人でも、イケテナイのいてますしw まぁ、わたしの事ですが・・・・orz
>>205 そうなんでしょうね、俺も今そんな風な気がしてきてました。
型を破るならまずは型を知ってからってことですね。
もっともそんなに難しく考えることでもなさそうだ。
基本と言うか型と言うか、ルールと言うか法と言うか、呼び名は何通りでもあるものですし。
俺の悪人や悪も必ずしも犯罪と同義ではないですwなんて便乗してフォローでもするか。
大昔の商人ってのはすごいんですよね。。。
山賊とかに狙われるし、機に敏感じゃないといけないし、
人を見抜くことが今どころじゃなく大事だったろうし、侮れませんよw
>>204 破天荒なだけの人とは、付き合いにくいですよw
最低でも、社会通念上の道徳的な事を理解出来てないと。
理解した上でどうするか? そういう事じゃないかな。
以上、
>>205を焼きなおしして書いてみましたw
>>179 では、りょんが聖職者に「人格者たれ」と要求する根拠は何ですか?
「当然でしょう」「義務じゃないですか」という根拠はなんでしょう。
212 :
りょンチャンへ、、大王:2007/03/16(金) 10:32:37 ID:AlhPWRd7
一般人は現実の中で学んで現実の中で行動し、得るものを得ることが勤めなんじゃないかと。
趣味にはなんとも思わないけどね、現状のままの宗教が社会的に大事だと主張するものには反論があるな。
その現実とは、、宗教で無くても、、ソシュールの記号論の哲学、、脳科学、脳内ホルモンで、説明できるしね、、
現実とは、個人の感じる快感、不快であるもの、、、、つまり、脳内ホルモンの選択に過ぎない、、
現実とは、意味とは、、、文化が作り出した、快感に過ぎない、、ソシュールの記号論の哲学、、
結局、現実は、変化するし、、脳内ホルモンによっては、、解釈は全く異なる、、快楽、不快が個人によって異なる、、
すなわち、、現実の変動によっては、個人の持っている価値観が邪魔になり、、不快で、脳内ホルモン的に苦しむ、、
個人によって、脳内ホルモンによって、現実は、、
固定化した、概念が、ほとんど役立たない、、
そこで、対処法として、、瞑想がある、、脳内ホルモンと概念のセットフリー、、、
213 :
大王:2007/03/16(金) 10:56:28 ID:AlhPWRd7
日本の仏教は、寺とか、世襲制になっているからなあ、、、、
教義崩壊しているのが、、多いでしょうね、、
>>210 まあ、そうですね。
でも、その型を当然視するのではなく利用することが大事なんでしょうね。
>>211 社会的役割分担のそういう部分を担ってると考えるから。
その役割を選ぶなら当然に選ぶなりの最低限の人格は必要でしょう。
格闘家が喧嘩で暴力を振るえば凶器とみなされる、どんな業種においてもその分野の責任や
得るべき心構えの最低限はある、いくら若くても警察官がごく普通のあんちゃんでは困るのと同じ。
その責を負えないものにその役割を与えるべきではないでしょう。
社会において、活動して利益を出しても税を免除する。
それがどういうことなのかまずは考えればよい。
犯罪者でもなんでも道徳も何も、社会に必要性もないものになぜそんな特権を与えられるか。
ボランティア団体が利益を上げて、素行が悪かったらどう思う?
社会には全ての人間に役割も責任も与えられてる、それを無視する自由もあるけれど、
それを無視する事の出来ない立場ってのもある。
まあ、別にこんなものも俺の考え方でしかないけどね。
俺はこれを俺のために考え方として採用しているだけだし。
217 :
、、大王:2007/03/16(金) 11:15:37 ID:AlhPWRd7
社会的役割分担のそういう部分を担ってると考えるから。
その役割を選ぶなら当然に選ぶなりの最低限の人格は必要でしょう。
格闘家が喧嘩で暴力を振るえば凶器とみなされる、どんな業種においてもその分野の責任や
得るべき心構えの最低限はある、いくら若くても警察官がごく普通のあんちゃんでは困るのと同じ。
その責を負えないものにその役割を与えるべきではないでしょう。
問題の人格は脳内ホルモン、、、情緒不安定だなあ、、
情緒不安定、脳内ホルモンのコントロール下手ナ奴が、、成功者でも、、麻薬、アル中になるわけよ、、
榊さんが言った付き合いにくいって言葉も。
付き合いやすくある必要はないとも思うのだ。
付き合いやすく印象つけるのは自分がその場やその人に接したいからで。
榊さんもそれは共通だと思うから同意できたけど、そう思えない人が榊さんと同じこと言っても俺は
そのままは同意しないだろうし、人と人なんてそんなもんだろうな。
219 :
、、大王:2007/03/16(金) 11:16:46 ID:AlhPWRd7
問題の人格は脳内ホルモン、、、情緒不安定から、抜け出せない奴が、、凶行を為すわけだ、、
>>212 大ちゃん、だんだんさえてきてる気がw
最近調子もいいでしょうw
道が違っても目指すものなんてのもあんまりかわらないものなんでしょう。
実際には全てのものに共通性も接点も見出せる部分もあるんでしょう。
これが絶対である必要もないし、否定する必要もない。
それこそ固定化した概念ってものの必要自体がない。
けれど、その時その時に自分が用いる考えはある程度括弧たるものであるほうが生きやすいし
上手く行きやすい。
それでいて縛られてはいけないのだろうね。
瞑想や精神統一ってのは自分が何に縛られてるのかを見直せたりするかもね。
221 :
、、大王:2007/03/16(金) 11:21:09 ID:AlhPWRd7
218 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/16(金) 11:16:11 ID:P842TaRL
榊さんが言った付き合いにくいって言葉も。
過去の経験と記憶、長期記憶と、、脳内ホルモンだな、、、
今日は、科学的、、、
>>217 それだけじゃないと思うよ。
人には傾向とか趣向があるから、性的趣向も傾向も、
だから人にはその仕事につく動機が危ない場合もあると思う、
危ない環境に危ない人間を配置すればそれだけその人間が趣向により不幸になる可能性もある。
がめつい人間や金にだらしない人間に金を自由に使える環境の役割においてはいけない。
職業って言うのもそんなものではないかと。
>>221 相手を知ると同時に自分のイメージを相手に持っていくからね。
そのイメージを相手に持てば持つほど、相手がそのイメージを裏切りにくくなる傾向もあるね。
さて、落ちますノシ
ああ、それと大ちゃんがやってることも検証に過ぎないと思う、
そこから何を得て自分のものに出来るかって、
だから俺には同じことを違う方向でやってるようにも感じるのだ。
ノシ
りょんは、最初から
『これまでの経験からの基準を、確かに俺は持ってるし、
基準の吟味・整理をし続けてるし、(2chのやりとりも有意義で)今後も整理を続けるし、
そうして、(反社会にならない範囲で)さらに自分にしっくりくる基準(≒拠り所)を確立し小脇に抱えていきたいな。』
と宣言していたように思う。
そして、
『それは、そのシルエットは宗教的に見えるかもしれないけど、それならそれでいいし、
また逆に、(過去の経験の吟味・批評は行うが)反宗教的に構えるのでもなく、
ただただ上記のスタンスでいるだけ』
だと思うのだが・・・。
大王はしつこく絡んでくるな・・w
俺ってそんなスタンスだったのか!w
でも、なんか格好良くまとめてもらえてる気がw
反社会にならない範囲ってところは今のところだけど。
理由:反社会的だと今まで築いたものが台無しになる可能性があるから。かな。
社会をどこに見るかもあるんですよね。。。
>>212 結局、現実は、変化するし、、
固定化した、概念が、ほとんど役立たない、、
んな訳無い。イレギュラーな事なんて、毎日ある、普通に。
その度に瞑想なんかしてたら、普通は生活出来ないw
皆経験からの「応用」や、その時「勉強」したりしてクリアーして行ってるんだよ。
真理だ悟りだと、しょうも無い戯れ事に拘って、それを変えようとせず、破綻きたして逃げてるだけ。
リストラされたら、瞑想で解決するか?出来るか?
それに現実って自分の概念なんだから、実際変って無くても、考え様で変る。
結局、今の自分の概念を下手に絶対化して、したままにしようとして、現実逃避に逃げるんだよな〜
それが有効な時もあるかもしれんが、毎度毎度そればっかしワンパなんだよ。
何時でも何処でも何にでも効く特効薬なんぞ無い。死ぬしかw
俺も今日はすごいイレギュラーがあった。
いいほうのイレギュラー、久しぶりに新鮮で、こういうのいいなあ。
リストラっていまだに結構あるようですね。
リストラにあってその後ってのは人によってえらく差があるようだし、
その差ってのがどこから生まれてくるのか、
人の発想ってのはどこまでも差がついていくものなのだな。
瞑想してもいいけど、その先に何を見るかなんだろうな。
毎日新聞に書いてあったコラムみたいなので、
アサヒビールだったっけかな、リストラした人間を優先的に戻したとか。
そんな発想もあるし。
222に自分で書いたレスを見ても俺の固定観念ってのもやっぱりあるのだ。
面白い。人間。
人間に生まれたことなら神に感謝してもいいなw
だからと言って神に対価は払わないけどw
>>215 役割と責任の観点ならそれでいいのでは?
事実として、役割に応じた責任があり、責任に応じた罰があるというだけ。
>>234 りょんは最初からそういう意図だったと思う。
>>231 雇った社員が、事あるごとに瞑想されたんじゃ、たまんないよねw
解決の方法なんて、やはりケースバイケースで対応するしかないのにな。
リストラって本来は再構築の意味だし、その過程では今まで無かった動きがあるでしょうね。
また、無いようだとダメだと思うしw
>>232 固定観念の全く無い人は居ないでしょw 植物状態ですよ、それ・・・・・
観念を下手に絶対化するかどうかだね。
>>233 手放しで人に生まれてきた事をありがたいとは思えないなぁ。
何かを保証されている訳ではないし、死以外はw
でも、日本生まれの日本人で良かったとは思う事はあるけど。
理性的検証なんて法廷や科学の世界でしか通用しない事がわかった。
一般人の世界では自信をもって断定する奴がつよい。検証はあとまわし。
238 :
、、大王:2007/03/17(土) 10:49:28 ID:N/YiwppZ
222 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/16(金) 11:23:13 ID:P842TaRL
>>217 それだけじゃないと思うよ。
人には傾向とか趣向があるから、性的趣向も傾向も、
だから人にはその仕事につく動機が危ない場合もあると思う、
その、、人には傾向とか趣向があるから、性的趣向も傾向が、、脳内ホルモンと過去の記憶に左右される、、、
豊臣秀吉の天下統一のプロセス途上では、、情緒コントロールが上手いからだろうね、、
人の心をつかむには、、気分的なムードとか、、情緒的要素が重要だ、、
出世できるやつも、、情緒コントロールが上手い、、三国志でも、情緒コントロールできない奴は戦で滅ぼされる、、、
>>237 子供の喧嘩で、大きな声出せたほうが勝つみたいなw
嘘は、ばれなきゃ嘘でないし。
物事を成し遂げる為には、情報操作は必須でしょうね。
雰囲気作りも、情報操作w
これが上手い人といてるのは、気持ちいいからなぁ・・・・・
情報操作する為には、情報を正しく捉えて扱う必要がありますので、只今お片付けちゅ〜
いい天気だねぇ。
>>234 >人格者たれ、といえるとはおもうけど、事実と願望は別だし。
そのレスと前のレス↑とを流れとすると、
それは願望だから事実とは違って当たり前ってなるのか?
結局あなたが何を言いたいのかが分からん。
>>235 そだす。
>>236 瞑想する社員がいてもいいですけどね、仕事が上手く運ぶためにいろんなことを試す社員がいます、
それはそれで歓迎ですし、俺もやります、音楽療法や右脳を活発にするなんて見れば試したりw
ただ、それは自分自身において行うから、まずはそういうことをしようというエネルギッシュな部分が大切だと思ってます。
効果が確かにあろうがなかろうが、何に向けてそれをする気になっているのかが大事だと思うんです。
固定観念については、その観念にとらわれてる度合いでしょうかね。。。
たとえばマイナス思考はいけない。と、拒否するのか、マイナス思考を用いる人の中からも学び取るのか。
マイナス思考も事実の一面だとすればプラスに転じて現実化するヒントがそこにある場合もある。
マイナスの発想そのものは害だけど、その思考をする人の言葉も害かと言うと受け止め方にもよる。
今までは拒否の傾向が強かったけど、
ちょっと踏み込んでも自分がまかれなかったらそこには利用価値があるんじゃないかと思えてきたり。
>>237 先に断定するために経験値を高める必要もありますよね。
自信を持つにしても自分なりの根拠はないより合った方がいい。
でも、絶対的な自信なんてものには常に根拠もないも同じ。
それでも絶対的な自信を持つほうがやってしまうことも多いでしょう。
>>238 事実が分からないんだよね。
秀吉にしても三国志にしても、人物の言動の事実なんてごくわずかしか分かってないから。
だから歴史についての自分物へのイメージは小説家や評論家が抱いた理想やイメージに左右されてる。
歴史から本当に学ぼうと思うと、行った事実の分析が一番じゃないかと俺は思う。
あとはやっぱり自分で人物像を作り上げるとか好きにすればいいんだと思う、
自分の持ちたいイメージに近い小説家の物語を想像したりとか。
宗教も同じじゃないかと思うのだけどね、神だキリストだってやるとき。
>>239 そうですよね。
相手を気持ち良くさせるのか、自分が気持ち良くなりたいのかでも色々と変わってくるものですし。
言葉の用い方ってのも大事だと思います、付け加えた一言が功を奏す場合もだめにする場合もあるし。
自分物誤り、人物。
でも、大ちゃんの
>豊臣秀吉の天下統一のプロセス途上では、、情緒コントロールが上手いからだろうね、、
>人の心をつかむには、、気分的なムードとか、、情緒的要素が重要だ、、
この部分にはまったく同意。
もちろんこのことだけが一番大切だというのではなく、上手くできないと物事は中々上手に進まないってこととして。
空気を読むとか流れを読むとかねwそんなのも大事だ。
自分の見られ方とかそんなのも知らないよりは知ったほうがそのこと自体が効果として利用できるしね。
ご隠居と、低悩コピペ日蓮との違いは、「空気読むところ」かなw
ご隠居はリアルでは、それなりに立ちまわっていることだろうw
お出かけしま
しばらく、カルトシミュレーションに入ります。
カルトおもしれーーー!!。論理的思考をすっとばして断言するのって超キモチイイー!!(北島風)
はまるかもw
>>247 ご隠居はあいて見ながらやってますし。
>>248 どうやるんですか?w
外からいじくる程度にしておいてくださいねw
>素人さん
素朴な疑問として聞かせてください。
悟りとはこうとか、悟りに近づいたとか、ああいうのって、どうやって悟りとの距離を測ってるんですか?
神にしてもまあそうなんだけど、想像してるものになんとなく近づいてる気になるってのとは違うのですか?
素人さん以外のレス不要です。
あ、このレスに関してはです。
>>251 難しい事を軽く聞くねぇw (勿論、『仏教で言う』悟りだよね?)
まず大前提を一つ。
『私はおそらく悟っていない。少なくとも涅槃を見てはいない。
もしかしたら入口から中を覗き込んでいるかもしれないが、決して中にいるわけではない。』
(※「おそらく」「少なくとも」「入口」という表現を用いたのには理由があるが、それは後述(最後に補足)する。)
つまり、以下はあくまでも想像・類推であるということ。
(→類推だから意味が無いというわけではない。 興味があるなら、
「類推でも意味がある」について別途に述べることも吝かではないが・・・。)
続いて、前提(≒定義)を幾つか。(一般的仏教辞典の語義はここでは無視する。)
イ:「悟りとは何か。どういうものか。」(とりあえず原語は bodhi とする)
1.原語の「目覚めること」という意味から敷衍し「【気づき】」「自覚」とする。(英訳のenlightenmentに近い)
2.「涅槃」と同義とみる。 → (都度更新が必要な)「【境地】」。
3.「涅槃」と同義とみる。 → 一度到達すれば、以降(多少の努力は必要かもしれないがw)「退転しない【境地】」。
4.涅槃への通過点(必要絶対条件)として、「体験を通過した上での、しっかりとした頷きのある【気づき・知識】」。
5.「智慧」と同義とみる。
→(巴英辞書で knowledge, enlightenment, the knowledge possessed by a Buddha とされるように)
「(仏教という枠内での)最高・最終の智慧」。「縁起や四諦など、仏陀の説いた教えについての【知識】」。
6.特に禅の枠の中で用いられる場合の「悟り」。 →「上記全てを包含した、体験に基づく【境地】」。
(※必ずしも、知識としての側面を必要とはしない。)
7.特に禅の枠の中で用いられる場合の「悟り」。 →「釈尊の体験・頷きの【追体験】」
(※必ずしも、知識としての側面を必要とはしない。)
>>251 このように、(日本語で「悟り」と言った時には)、実に多彩な読みが可能となる。
当然、(「悟り」という日本語に於いて)どの解釈を採用するかによって、以下の問いへの答えは変わってくる。
(※余談だが、勿論、文脈によって、何について言われているかという語義が違うことは、仏典の中にも見られることだし、
何より、日本語で「悟り」(「悟った」とか「悟りを得た」とか)と訳せる部分は実はあまり多くない。
それらの多くは意訳となっていると思われる。このことの意味はかなり大きなものがあると思う。
特に、翻訳でなく解説の際、「悟った」と言われる時は、
「ある状況を把握し易く『括った謂い』『ラベルを貼った謂い』として
(殆どそのことに無自覚に)用いられている(用いてしまっている)」ことに自覚が必要だと思う。)
一応、「上記それぞれに於いてどうか?」と逐一記すつもりだが、
ちなみにりょんは、どういうイメージのもとに問いを発したか(→自分の辞書の語義がどれに当たるか)
自分で判るかい?
以下、返答予定のレス内容。
ロ:「悟り『に近づく』とはどういうことか。」
ハ:「距離を測るとはどういうことか。」
ニ:「私の場合はどうか?」
時間が掛かるかもしれないが(数日?数週間?数ヶ月?w)、
りょんLOVE&heart;なw私としては答えたいと思っているので
あまり期待せずに気長に待つ宣しw
♥だなw
出先で辞書登録されてないんで、失敗したw
>>249 カルトって、ジャイアン?w
「のび太のくせに、生意気なんだよー!!」
気持ちいいのか・・・・w
>>253 一般的物事についてなら、
「類推でも意味がある」というよりは「類推無ければ近づけないとも思うのですが、悟りに関しては分かりませんね。
>ちなみにりょんは、どういうイメージのもとに問いを発したか(→自分の辞書の語義がどれに当たるか)
>自分で判るかい?
すみません、悟りと覚りのちがいもそもそも分からない。
悟りってのも日常的に知ることと別の次元にあるのかどうか。
日常においてでも、万人や普遍じゃなくても、真理と言えるようなものならあると思います。
それを知ることが当時においては悟りとしたのではないかと思える。
それを(その時に考えうる)全ての物事に智慧を得て、そこから安寧した境地に至ることとか、
心が乱れることがなくなった状態とか、そんなものが覚りのイメージ。
覚りで俺なりに想像するなら、過程において覚りに近づいたもなにもない気がする。
覚りとはこれだと思って追及した先にあるものとも限らず、ましてやそういう追求状態の中にはないのではないかと。
覚りの状態の定義がされてるのであればそれに近づくことは可能かもしれないですけど、
そもそも史実上仏陀以外に覚りを定義できようものがいない。
仏典には仏陀の覚りの定義って無いですよね?
それと、死の恐怖の克服とも関連がされてるのは間違いなさそうなんで、死が怖い人間に覚りはないイメージ。
それともう一つ疑いがある。
全ての宗教においてそうだけど、仏陀で言うなら、
仏陀の頃に仏陀が纏め上げた哲学・思想は本当にすごいものだとは思う。
今のように情報が十分にあるわけでも、過去の人物達の行いを把握できたわけでもなく、
流れがあったとはいえ、もともとの考え方や価値観がある中で、
現代から比べれば、限りなく自分だけでいろんなことを発見して体系化することをやってのけたわけだから、
現代人がそんなのは当たり前だって思うような部分でもとてつもないことだったんだろうと思えるし、
地球が丸いと言っただけで大騒ぎとか歴史にはありますからね。
ただ、やはりその時代だからすごいのであって、それを現代では宗教的に崇めるがゆえに、
本当の事実以上のものを作り上げてしまってるんじゃないかとも思える。
仏陀やキリストとかを下げる意味ではなく、宗教の流れがそういう結果をもたらしてるんじゃないかと。
悟りがなんであろうが仏陀が偉人であることは間違いないでしょう、好き嫌いがあったり評価も色々あるとしても。
仏陀が覚っていなかったと思うものでもないです。
仏陀が自らの行いで到達した境地が覚りなんだと思うし。
ただ、覚りが安定した境地なのかどうかはやっぱり、覚りが分からない以上は分からない。
そういうところを絶対的に語る人たちがどう考えて断言できるのかが分からない。。。
>素人さん
覚りとは宗教の中にあると思いますか?
宗教じゃなくても、仏陀の教えの中だけにあると思いますか?
仏陀の覚りとか、他にも○○の覚りってのは無いと思いますか?
覚りの自覚なしに覚りの境地にいることとか。
261 :
、、大王:2007/03/18(日) 17:16:10 ID:Y3ckhl0P
まあ、、一番、読んで面白いのは、、小品般若経か、、、
まあ、厄介だ、、内容は、、、、悟りを覗く二には、論理的というか、、非論理というか、、
262 :
、、大王:2007/03/18(日) 17:16:58 ID:Y3ckhl0P
263 :
素人 1/3:2007/03/19(月) 01:20:57 ID:okBKQgYl
>>257 >類推無ければ近づけないとも
賢明だねw
(哲学や認識論的に言えば、「対象そのものを知ることは不可能」という極論も成り立つわけだしw)
>悟りと覚りのちがいも
区別されることもあるし、区別なく使われることもある。
>>254※印中の文のように、大きなラベルとして用いられる時は区別ないだろうし、
文脈上差異化を図りたい・微妙なニュアンスの違いを表したい
(→漢字が違うことの意義をきちんとしたい)等の時はこだわって使う人もいるだろう。
>>253中の区分を利用すれば、「悟り」は「1〜7」、「覚り」は「1・4・5」となろう。
少しく喩えを用いるなら、「ご飯」「ごはん」「飯(めし)」「メシ」等が解り易いかもしれない。
厳密に言えば「ご飯」は米を炊いたものであるべきだろうが、普通に「食事」や「食事をとること」も指す。
「ちょっとご飯食べてくる。一時間くらいで戻るよ」とか「よお、メシくいに行こうぜ。」とか。
この時食べるのがラーメンでもスパゲッティでもサンドイッチでも、やっぱり「ご飯」「飯(めし)」だよねw
これは、『栄養を摂取する、主要な補給物』『主食』という意味合いが拡大したものと見ていいだろう。
こだわる人は「ごはん」としたら「食事」「ご飯」としたら「米」とするかもしれない。(尤も、音では一緒なワケだがw)
こうした、語義の幅(拡大)があるという理解でいいんじゃないかな。
>日常的に知ることと別の次元にあるのかどうか ・・・・・ イメージ。
253の1で言えば、広義に於いて様々な「あ、そうかっ!」だと見做すことも勿論可能。
ただ、(古来インドに於いても)やはり宗教的領域について言われるものであろうと思われるし、
「一般的気づき」と「宗教的核(コア)との出会い」と、二通りの語義を把握していればいいんじゃないかな。
両親の想いに気付き、親孝行を決心した反抗期の青年が
「俺、親子関係について悟っちゃったかもwww」なんて会話を友人とするのもありだろ?w
(ま、もともとは、「宗教的気づき」が原点であろうが、
こうした語義の拡大は、上記「ご飯」同様、頻繁に見られることだと思う。)
264 :
素人 2/3:2007/03/19(月) 01:21:52 ID:okBKQgYl
> 覚りで俺なりに ・・・・・ ないのではないかと。
この視点は、「涅槃」という語・概念に対して採用されるべきものでしょうw
> 覚りの状態の定義がされてるのであればそれに近づくことは可能かもしれないですけど、
> そもそも史実上仏陀以外に覚りを定義できようものがいない。仏典には仏陀の覚りの定義って無いですよね?
そうでもない。記述を総合して炙り出される何物かを、手本・目指すべき所として設定することは可能だ。
当然、釈尊以外の弟子達についても同様。
りょんも、類推の意義を認めてくれたじゃないかwww
> それと、死の恐怖の克服とも関連がされてるのは間違いなさそうなんで、死が怖い人間に覚りはないイメージ。
うむ。これは正解かもw 少し掘り下げるなら、『怖いけども恐れない』でも桶なのだが・・www
>>258 > 地球が丸いと言っただけで大騒ぎ
ワロタw
> 現代では宗教的に崇めるがゆえに、本当の事実以上のものを作り上げて
確かにそういう面はあります。神格化や教義の絶対化を言っているのだと思うけれども、
(過去の美化等は)人の思いとして不可避な流れはあると思うし、
批判的に見るなら過去の思想は全てそのように見ることができる。
けれども、通用する部分が今でもある(死を避けられる人間がいたら是非会って見たいw)ならば、
美化・神格化はそれはそれとして、有効なエッセンスを抽出すれば宜しい。
てか、りょんの目指すのは、まさにそうした抽出なんじゃないかい?( ̄ー ̄)ニヤリ
(学者の(原点批判的)研究はその為の重要な仕事となっていると思う。中村元の岩波文庫版は偉大な業績だよ・・・w)
教義の絶対化は、常に注意されねばならないが・・。 他の思想との対話・協調の重要性は、
結構昔から考慮されてると思うよ。この部分の謙虚さ、懐の深さの無いものは低く見ても構わない。
> 宗教の流れがそういう結果をもたらしてるんじゃないかと。
そうですね。 だから、仏教専門の学部でも一般教養として「宗教学」は必須の授業なわけですw
265 :
素人 3/3:2007/03/19(月) 01:23:48 ID:okBKQgYl
>>259 > ただ、覚りが安定した境地なのかどうかはやっぱり、覚りが分からない以上は分からない。
ハイ。その通りです。 そして、こここそが、多くの人々が探求し続けている部分だと思います。
> そういうところを絶対的に語る人たちがどう考えて断言できるのかが分からない。。。
他人の心の中を覗けない以上、他人の経験をそっくりそのまま経験することが不可能な以上、
語られた言葉、表現された在り様(生き方)、等から類推するしかない。
そして、人によっては〈確かな実感として、頷きとして〉「これだ!」というものがあるのかもしれない。
(特に禅はそういう立場と言える。)
そして、「語られた言葉や表現された在り様(生き方)」を信じるしかないのではなかろうか・・・。
>>260 > 覚りとは宗教の中にあると思いますか?
> 宗教じゃなくても、仏陀の教えの中だけにあると思いますか?
> 仏陀の覚りとか、他にも○○の覚りってのは無いと思いますか?
>>253のような定義次第でしょw
「ご飯」を「食事」の意味で使うことを認めるか否か?みたいなw
少し改変するなら、
「ご飯」とは食事の意味として使えますか?
食事の意味じゃなくても、「お米を炊いたもの」だけを指すと思いますか?
「お米を炊いたもの」の他に、○○という「ご飯」は無いと思いますか?
と・・・w
> 覚りの自覚なしに覚りの境地にいることとか。
これも、253のような定義次第だと思うけど、ありえないことではない。
ただ、その人が、体系的にそれを語れるかどうか、また、
それが「○○」という枠の中に納まるものかどうか(→逸脱する部分がないか?)は、別問題だ。
これを無条件に認めると、「キリスト教もイスラム教も仏教も、何も違いはない」
という暴論を許すことになる。どう考えてもそれはありえないわけで・・・w
263補:
もし、「悟り(sa・to・ri)」の語義を骨格として抜き出すなら、
『核心への気づき』『核心の発見・受けとめ』ということができるかもしれない。
だから、その核心の内容を問わず、
『物事の核心に気づいた時』に、『悟った』と用いることが可能なのだと思う。
とするならば、やはり「○○の枠の中で」という条件が常に必要なのだろう。
そして、日常会話ではそれが、無意識に文脈として規定されている、と・・。
>>264中訂正
>(原点批判的)
↓
>(原典批判的)
>>263 類推無ければ人類の発展自体が無いわけですから当たり前すぎますw
そのもの事態を知ることは不可能な代りに、人は一つの物事を見て
いくつものことを知る法則を探ったりして来てます。このことに悟りにつながることもあるきがする。
覚りと悟りの区別がいらないなら仏陀の弟子達が悟ったにも頷ける。
とくに素人さんが言うような大きなラベル的悟りだったら。
でも、この板で悟り悟りって言ってるのは単なる気付きのことなんですかね、そこは疑問です。
宗教的コアとはどんなものでしょう、宗教だけに存在するものがあるとすると、俺にはそれがぴんと来ないですね。
宗教とは本来人間そのもののことじゃないのですか?
その視点からはご隠居のいうようなありもしないものを想像することから起こる脳の現象的なものが浮かぶ。
人間は強く想像することでそのものが事実であるかのように感じることが出来ます。
それによって力を引き出すとすればそれは能力にもなりえると思うのですが宗教的コアとはそういう部分のことですか?
>>264 手本とか目指すところと言うのはよく分かります。
それで自分なりにこうじゃないかと模索することには価値も見ます。
ただ、俺が感じるのはその方向性で、仏教自体がもっとごく普通の生活に当たり前に浸透する形を持って
発祥したんじゃないかと思うんです、その考えはお陰さまで一段とそう思えるようになりましたけど。
ありのままにあるなんて言葉も、本来当たり前に力を抜いた状態で問題ない気がするし、
そこからさらに進めば安寧が得られることが増えるでしょう、やっきになって求めるものを仏陀は説いてないと思います。
みな仏陀になりたいのだろうかw
なんというのか、ただ単に悟りを目的に生きてはいけないと言うのでしょうか、日々の生活の中に悟りはあるだけというか。
なんか、語られる悟りとは趣旨が違うものが元来の悟りで、宗教団体が手を加えて変な悟り解釈になってるような気がしてならないw
素人さんの言う悟りに違和感はありませんけどね。
>>265 仏陀の覚りが仏陀の教えそのものを言うなら仏陀の覚りしかないわけですか。。。
なんとなく分かった気がする。
俺はそれを境地として考えるからいろんな人間の覚りがあっても不思議ではないってなる。
境地であるなら体系的に語る必要自体がありませんからね。
だから俺が言うのは真実をみる目と涅槃の境地を得られた人間が別の
(仏教他、あるいは宗教以外でも)道にいくらいても不思議ではないってなるわけですね。
宗教も柔道や剣道のような道的に考える感じで良いのでしょうか。
俺はどの道も最終的には同じか近いところにたどり着くものと考えてます。
もちろん必ずしも同じである必要も無いし、その特性は十分にあるから発揮できる能力も違ってくる。
ただ、境地と考えるなら似た部分、考え方的には共通の要素も多いんじゃないかと。
>>266 >無意識に文脈として規定されている
これを感じられないと俺が感じる時に違和感を感じてるわけですね。
でも、規定できてない人も確実にいるとは思いますけどw
んん。。。涅槃とか悟りとか考え出すとテンションが落ち着いてしまうw
悟りって悟っていい時期とかあるものなんじゃないですか?
子供がみんな悟ったら世の中変わっちまいますよ、きっとw
よし、俺は俺の道で悟ってやるw
いってきまふ落ちノシ
ああ、分かった。
俺的には、悟りとは常に気付くことで悟った気になることじゃないから、
だから悟りに近づいたとか言うのを見ると違和感があるのだ。。。
ノシ
あ、あとも一個。
仏陀が覚りを得た後、菩提樹の下から立ち上がったこと。
これは、立ち上がらなかったらその場で死んでも同じだったからじゃないですか?
立ち上がることで現世に生きる事の意味が出来た。
この解釈はおかしいですか?と質問も残して、ほんとノシ
275 :
まい:2007/03/19(月) 13:43:14 ID:V60c7e7b
>>200 >そのままグレたりすると俗に言う神みたいなものの思惑どうりっぽいので、グレずに乗り切って、「ざまあ見ろ。舐めんなゴゥラァ!!」っと得意満面でしたw
榊さん、辺レスありがとう。
早く来たかったんだけど、パソが壊れて、やっと今日ネットカフェからロムってマス。
↑これって、ヨブの心情もそんなもんなのかもねw
神は、あえて逆境を用意しているのかもって。
276 :
まい:2007/03/19(月) 13:54:44 ID:V60c7e7b
>>247 おお、深ーい!
悟ったその後の行動のほうに意味があるんですね。
277 :
まい:2007/03/19(月) 15:16:29 ID:V60c7e7b
「方向性」ってのはキーワードかなぁ。
ある程度のパターンに当てはめる安心感てのも有りそうだし。
278 :
神も仏も名無しさん:2007/03/19(月) 15:33:41 ID:RnYJuRD8
ことさらに「悟り」を求めるのは、「悟りへの執着」。悟りを求めて
修行する宗教者の姿は浅ましい。
279 :
まい:2007/03/19(月) 15:44:39 ID:V60c7e7b
そんなに難しく考えなくても、自分はなぜ生まれ、なぜ生きていくんだろうという単純な問いでしょ。
それが人間は・・と、思考が発展していくんだろうけど、「自分=人間」だと、一括りに考えていいものかどうか、
まだワタシにはわからないな。
自分の人生しか生きてみた記憶がないからな。
280 :
てすと ◆Y5g8YZ9wkQ :2007/03/19(月) 15:49:49 ID:HwhXitiW
悟りなんて簡単ですよ。
諸行無常と諸法無我を検証して納得して、穏やかな日常を送る事です。
阿羅漢って結構ハードル低いですよ。釈迦は無茶いいませんから。
281 :
まい:2007/03/19(月) 15:50:18 ID:V60c7e7b
無駄なこととは思いつつも、悲しいかな「問い」を持つのが人間なのかな。
「問う」ことさえなくなれば、ある意味超越なのかもね。
まいさんおひさノシ
俺の言う意味の方向性ってのは、子供が将来何になろうかなあって考える方向性と同じね。
それ以上でもそれ以下でもある必要がない気がする。
どっちの方向に進むのにどの考え方が適してるかとかそんな感じかな。
>>279 なぜ生まれ→生命の営みの一環として生まれただけ。
なぜ生きていくのか→生まれたから死ぬまで生きてるだけ。
それだけが事実でしょ。
あとはそれだけだと楽しくなかったりするから意味が欲しくなるんだろうね。
意味を感じて意味を見出せたほうが生きることが楽しいのは事実だし。
神の意思だなんだの前に人間の欲求がそうさせるんだろうな。
>>280 激しく過激に生きたい人には悟りは邪魔ですねw
でも、釈迦の教えってそういうことなんでしょうね、穏やかに心静かに生きるすべと言うか。
>>281 問いを持つことがなぜ悲しいんですか?
問うことを楽しめばいいだけじゃないですかw
>>283 まぁ、せっかく人間として生まれたんだし、人間にしか出来ないことをやりましょう。
動物に出来ることは、動物に任せればいいし。
>>285 そうですよね。
これだけいろんなこと考えられる脳みそ持ってるんだから使ったほうがいいし、
これだけいろんなことが出来る時代に生まれたんだから試せることはたくさんあるし。
昆虫みたいに飛んだり体の何十倍も飛んだり出来ないんだから人間としての能力で楽しむのが一番ですよね。
体の何十倍も跳ねたりか。
>>286 そうですよー。
人間は地球上に60億いるといっても、全生命数と比較したら圧倒的に少なく、て
かなり低い確率でしか生まれないわけですからね。
宝くじに当たったら当たらなかったものの事を考えるよりも先に、銀行の窓口に行ってお金降ろさないと換金の期限が切れてしまう。
>>288 ワラタw
でも、てすとさんのそのレス、人間に生まれた確率。
その通りだと思うけど、その考え方から発展すると他のものに生まれてたらって必然的に考えますね。
そこから輪廻とかって考えが生まれることも必然なんでしょうね。
>>289 それは、他のものに生まれてから考えればいいのです。
どうせ他の生物の視点に人間は立てませんから。
魚から人間をみたら、「陸に住むなんてアホな連中だ。魚で良かった。」と思っているかもしれないし。
>>290 でも、他のものにも目を向けるから、そこから得たことも得るものもありますし、
その見方と加減によっては可能性も広がりますね。
つーか、
>魚から人間をみたら、「陸に住むなんてアホな連中だ。魚で良かった。」と思っているかもしれないし。
この視点こそがそれですねw@可能性の一歩w
>>291 >他のものにも目を向けるから
他の生物に目を向けるのは、今の人間である自分と比較するためです。
魚の魚による魚のための政治は人間には出来ません。
>293
そうですね。
比較、分析、保護とかあくまでも人間の見地に立った見方ですからね。
他の生物のことをちょっと親身に考えて外さないように考えるだけだってペットなんて飼えませんからね。
俺は親身になんて考えてないから飼ってるけどw
人間が、魚のように生きるのと、人間のように生きるのでは、人間のように生きた方が上手くいくと思いますよ。
もちろん魚からも色々学びますが、「魚ってすげー!!俺も魚になるんだ!」と言っても不幸になるだけです。
ぶっ、コーヒー吹きそうになったw
まあ、水泳の選手辺りが魚とか水生生物から学ぶこともあったりはしますけどねw
魚になるにはミミズ食わなくちゃw
>>294 まぁ、ストレスがたまると毛が抜けるらしいですから、
逃げようとしていないならお互いの利害が一致していると言うことで。
>>298 それが人間のエゴなんです。
と、言い切れるかは知らない。
言い切れるくらいならペットってものももっと悪視されるんだろうなあ。
「動物よりの見地を持っていると自負するものたち」は悪視しているでしょうけどね。
>>299 エゴは健康にいいんですけどね。カルト論法で叫ぶと気持ちいいんですよ。
アヘンかもしれませんが。
>>300げとおめノシ
エゴとエコをかけました?w
ペットにも種類もありますしね。。。
俺の場合はワイルド物を好む傾向があるからどう都合よく考えても確実にエゴでしかないな。
せいぜい虐待と言われにくい飼育しないと。
時代が変わればワイルドとか飼う事も許されないとかありそう。
ところで、カルト論法って何です?w
>>301 検証せずに断言して、他は全て間違いだと主張すること。
神は存在する!!それ以外の意見は間違い!!
>>302 あははw
でも、どんな宗教でも検証し始めたら神はいるかもしれないしいないかもしれないに行き着くのがやっとですよw
>>303 本当にいるかどうかは問題じゃないんですよ。宗教は声がでかいかどうかです。
>>304 低脳コピペ日蓮が、「一回言われたら、10回言い返す」って言ってましたよw
まさに子供のけんかw
同じこと繰り返し書けるのは、きっと念仏唱えてるからだね。
だから抵抗無いんだよ。わたしゃ無理ぽ。
只今OS入れ替えチュ ダルイな・・・・・orz
>>304 なんかわかりますw
宗教以外だったら口にしたら疑われる事も宗教であれば
超え高々に言っても通りますしw
とはいえ、口にする場所をわきまえなければやばい人になる事は変わりませんけど。
カルトってのは結構平気でどこでも声がでかいのは多いですねw
宗教に限らず、でかい声で繰り返されることは、インチキ。
ちょっとでもまともなものは、隅っこにかくれている。
探さないと見つからない。
隠れているまともなものは黙って探す。
同時に、でかい声も出す。
>>308 その定義も謎だなあ。
隠れてるというよりはそこにすでにあるとか。
見る気がなければ見れないとか。
色々ありそうだ。
宝探しは、普通はコッソリやるもんだw
この場合の宝とは何を言うのでしょうね。
>>267 > そのもの自体を知ることは不可能な代りに、人は一つの物事を見て
> いくつものことを知る法則を探ったりして来てます。このことに悟りにつながることもあるきがする。
そうですね。これが、人間の持つ大きな能力の一つだと思います。
フルに使わなきゃ損ですよねw
この世の在り様・人の生について、
観察し、経験し、実感し、分析し(微分し或いは区分の幅を広げ)、類推し、
「ああ、そうか!」「これだ!」へと向かうのが、仏教というベクトルかと思います。
> 覚りと悟りの区別がいらないなら仏陀の弟子達が悟ったにも頷ける。
これは、「悟」「覚」という字の違いの問題ではありませんw
内容をどう見るか(≒定義するか)によるということです。
菩提樹下でまず釈尊が、次いで五比丘が、ヤサが、ヤサの友人が・・と、阿羅漢は増えたわけだが、
この時点で既に、『「悟り」は釈尊にしかなかった』と見る立場の人もいるかもしれない。
(私は当然、そうは思わないがw)
参:
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1155998054/147 > とくに素人さんが言うような大きなラベル的悟りだったら。
上記のように、その内容次第ということ。
私が言う大きなラベルというのは、『(内容を問わず)その人に、ある変化・頷きがあったこと』を、
その内容や細部を描写することなく一つの単語で表したい場合のラベルということです。
(内容の違いがラベルの大小(広狭)と直結しているわけではありません。誤解の無いようにw)
次に述べる「宗教」という語もまた、似たような面を持っている。
(※仏伝を略記する場合など、細かな解説・修飾を施した冗長な文章で述べるより、
「菩提樹の下で悟りを開かれた後、五比丘の許へ向かった」と記した方がすっきりして判り易い。
内容の吟味はまた別な所でなされた方が、文の構成として美しいw)
> でも、この板で悟り悟りって言ってるのは単なる気付きのことなんですかね、そこは疑問です。
それは、それぞれ使ってる人に聞いてくれwww
>>267 > 宗教的コアとはどんなものでしょう、宗教だけに存在するものがあるとすると、俺にはそれがぴんと来ないですね。
> 宗教とは本来人間そのもののことじゃないのですか?
> その視点からはご隠居のいうようなありもしないものを想像することから起こる脳の現象的なものが浮かぶ。
> 人間は強く想像することでそのものが事実であるかのように感じることが出来ます。
> それによって力を引き出すとすればそれは能力にもなりえると思うのですが宗教的コアとはそういう部分のことですか?
フーテン氏や大王が絡みたくなるのも解る気がするな・・www
りょんは「宗教」という言葉に敏感すぎる。(勿論、りょんの過去の経験は十分承知してはいる。)
パンキョーで宗教学やったろ? その時、どういう説明がなされていた?
雑な言い方をすれば
『人の生における実存的な諸問題に対する解答或いは対処法』が宗教という分野の担っているもの、
と言えるかもしれない。その意味においての『宗教的コア』であり『宗教的領域』ということ。
だから、人間そのものという謂いは当たらずとも遠からずではあるが、
『人の精神的営みの中でも、人生の実存的問題に対してなされる営み、そしてその顕われ(=文化)』が、
「宗教」と呼ばれるのだ。 そしてそれは、当然「【後付の】ラベルである」という認識が頭の隅に必要だ。
参:
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173836805/20
>>268 > 手本とか目指すところと言うのはよく分かります。
> それで自分なりにこうじゃないかと模索することには価値も見ます。
桶。
> ただ、俺が感じるのはその方向性で、仏教自体がもっとごく普通の生活に当たり前に浸透する形を持って
> 発祥したんじゃないかと思うんです、その考えはお陰さまで一段とそう思えるようになりましたけど。
ここも誤解の無いように釘を刺しておくが、
『仏教の出発点が「世のため人のためであった」』という視線は、傲慢不遜な思想・態度を誘引するので注意が必要。
慈悲は最重要な概念の一つではあるが、あくまでも
「悟り」のあとに付随してくるニ次的要素である、という視線があってもよいと思うのだ。
(ほら、こういう時、ラベルとしての「悟り」という単語は便利でしょw)
> ありのままにあるなんて言葉も、本来当たり前に力を抜いた状態で問題ない気がするし、
> そこからさらに進めば安寧が得られることが増えるでしょう、やっきになって求めるものを仏陀は説いてないと思います。
桶。
ただし、禅的な「本来の自己」「悟了は未悟に同じ」や「本覚思想」
或いは、「あるがままの自分でいい」などが、
わがままな自己中、他者・外部を顧みない閉じた世界、
欠点・短所への無自覚や、謙虚さ・反省・努力の無視に繋がってはならない。
参:
>>280>>285
素人さん。。。8分のってw
大変な作業をさせてしまってるようで。。。m(._.)m
>>268 > みな仏陀になりたいのだろうかw
どうなんでしょう?www
> なんというのか、ただ単に悟りを目的に生きてはいけないというのでしょうか、
理屈(理論)から言えば、悟りを求めて生きれば(たとえ到達しなくても)、
付随して、社会的善人(他へ迷惑のかかることなく寧ろ益する存在)
として在ることができる筈なんですけどねw
> 日々の生活の中に悟りはあるだけというか。
っていうか、日々の生活の外に何があるのか? とも言えるわけでw
(勿論「悟り」の内容(定義)にもよるし、その生活様式の種類がすぐに問われてくるのだがw)
参:
>>280>>285 > なんか、語られる悟りとは趣旨が違うものが元来の悟りで、宗教団体が手を加えて変な悟り解釈になってるような気がしてならないw
そういう面(現実の様相)があることを否定はしません。
>>269 > 仏陀の覚りが仏陀の教えそのものを言うなら仏陀の覚りしかないわけですか。。。
そのように定義(解釈・解読)するならばそうです。
(てか、仏教徒を自任するならばそうでなくてはならない。
イエス云々とか他宗との共通項があったとしても、「同じ」と見ることはありえない。)
> 俺はそれを境地として考えるからいろんな人間の覚りがあっても不思議ではないってなる。
上の文と矛盾するようですが、そのように見ることも可能です。(私もそう思いますし。)
というか、他者との思考のシンクロが不可能な以上、
十人いたら十人の悟りがあるとしか言えないのが実際のところでしょう。
だから、定義が必要なのです。
>>253 『必要十分な条件を満たしていれば、それを「悟り」「悟った」と言う』と、
そのように見るのが、妥当な線であろう・・と。
> 境地であるなら体系的に語る必要自体がありませんからね。
そうでもないw
語られないものは伝わらないw 体系立たないものは実践できない(行じられない)w
> だから俺が言うのは真実をみる目と涅槃の境地を得られた人間が別の
> (仏教他、あるいは宗教以外でも)道にいくらいても不思議ではないってなるわけですね。
だから、それは定義次第。 (なんかフーテン氏みたいな物言いになってきたなw)
> 宗教も柔道や剣道のような道的に考える感じで良いのでしょうか。
宗教の定義によるでしょ?w
七五三や初宮参り、願掛け、地鎮祭etc.などは立派な宗教的行為ですが、
りょんはそれらを「(宗教)道」の実践と見做す立場ですか?
> 俺はどの道も最終的には同じか近いところにたどり着くものと考えてます。
> もちろん必ずしも同じである必要も無いし、その特性は十分にあるから発揮できる能力も違ってくる。
> ただ、境地と考えるなら似た部分、考え方的には共通の要素も多いんじゃないかと。
りょんのように、人生のツールとしていいとこどりをするなら、それでよいのです。
ただ、以前も述べたように「○○は、〜」と語ったり、「○○として受け止める」場合は、
ちょっと節操がないかもしれないな・・とw
参:
>>280>>285 >>270>>273 自ら規定するだけでなく、
「会話の流れ・文脈」「話者が(以前から)有する価値観・枠組み」
「話者のグループが(以前から)共通して有する価値観・枠組み」等によって、
初めから限定された意味内容になっている、ということ。
当然、無自覚であることが殆ど。
そこにズレがあれば、当然違和感となって擦れ違いを生じるでしょう。
>>274 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161605177/751 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161605177/773 > >> 752
> 一 とっつきにくい考え方ではあるが、聞く耳を持つものも居よう。(b語る喜び)
> 一 聡い者は、聞いて理解することもあろう。
> 一 聞くことにより安心(あんじん)を得る物が一人でもいれば、その人のためにもなろう。(d貢献する喜び)
> 一 もし、より多くの者が理解したならば、社会はずっと良いものになろう。(d貢献する喜び)
> 以上、慈悲の観点。
>
> 一 この考え方は、果たして普遍性を持ちうるだろうか?独りよがりなものでないだろうか?
> 誰もが理解できることであろうか?私以外理解できないのではないか?(思考内容・手法の普遍性)(d貢献する喜び)
> 一 外部へ発信することにより、内容が整理・洗練される。(多少結果論ではあるが・・)(b語る喜び)
> 以上、悟りの論理的側面。
>
> 一 自分以外の者と思考を共有することにより、孤独が緩和される。
> (勿論、お釈迦さんが寂しがったわけではないが、そうした側面も1%位はあるだろう)(a孤独の解消)
> 一 この(悟りの)喜びをわかってほしい。分かち合いたい。この(悟りの)喜びを味わって貰いたい。(c与える喜び)
> 以上、心理的側面。
>
> abcdどれも、心理的に「人間釈尊」を見た場合のもの。
> 勿論、孤独を厭うたり、喜びを求めるような、言葉通りのものではないが、
> シッダッタ本人に聞いても、そうした側面を否定はしないだろう。
> ゴータマ・シッダッタも、仏である前に人間なのだから・・・。
(※abcdそれぞれや本文について訂正したい所もあるが、面倒なので原文ママw)
>>271 > んん。。。涅槃とか悟りとか考え出すとテンションが落ち着いてしまうw
効果(「果」「業果」)の一つだと思いますよw
>>284 > 激しく過激に生きたい人には悟りは邪魔ですねw
> でも、釈迦の教えってそういうことなんでしょうね、穏やかに心静かに生きるすべと言うか。
その通り。
だから、「悟り」「涅槃」「おしえ」は「見難い」と言われるのですw
※以前「喪の途上にて」を紹介した時の
りょんのレス(モチベーションの保持)を思い出したよw※
>>271 > 悟りって悟っていい時期とかあるものなんじゃないですか?
(これも定義次第でしょうが、)どうでしょう?
自分で時期を選べるもんなんでしょうかね?( ̄ー ̄)ニヤリ
ま、また別の議論として・・先送りしましょうw
> 子供がみんな悟ったら世の中変わっちまいますよ、きっとw
ま、また別の議論として・・先送りしましょうw
>>313-315 なんか素人さんの言う意味合いが良く分かる気がします。
それでも俺には仏陀の弟子達が悟りをってのには懐疑的でもあるけど、それが重要だとも感じる立場にもないし。
俺が興味があるのはあくまでも仏陀なので、素人さんの仏陀観には違和感が無いのです。
>りょんは「宗教」という言葉に敏感すぎる。
それは自覚してるんで、ちょっとだけ神概念そのものの否定はよして考えることにし始めましたけどね。
でも、何かしらの琴線に触れればそうも行かないかもw
>バンキョーで・・・
俺は無学ですからこの板で出てくることの多くを知らないこと多いです。
たまたま知ってることが出てくることもありますけど、深くは知りません。
>『人の生における実存的な諸問題に対する解答或いは対処法』が宗教という分野の担っているもの、
>と言えるかもしれない。その意味においての『宗教的コア』であり『宗教的領域』ということ。
これにも意見は様々なんでしょうが、宗教を世に扱う側の立場として俺はこういう考え方を持ってる素人さんはいいと思います。
だから興味があることを聞く気になるし、実際に俺にとってためになってますし。
>『仏教の出発点が「世のため人のためであった」』
これは釘刺し不要ですw
仏陀はあくまでも自分の意思で探求せずにいられなかったんでしょう。と思ってます。
仏陀は悟りを開いて立ち上がるまでに何一つ世のため人のためなんて気配さえ俺は感じないw
>>318 >そうでもないw
>語られないものは伝わらないw 体系立たないものは実践できない(行じられない)w
実践する側の場合ですよ、実践する側は滅多やたらに語るべきでもないと思いますし。
>そこにズレがあれば、当然違和感となって擦れ違いを生じるでしょう。
宗教も思想であるからすれ違いの拠点になりやすい。
それを気をつける必要があるのは宗教側なのか、無宗教側なのか、それとも双方なのか。
と言えば双方に決まってることは決まってるけど、でも宗教の方が特殊なんだからそっちがって
無宗教者は自分達が正当な感覚にありがちなんですよね。
>>320のレスはいいですね。
仏陀をその解釈から見直した時に、偉人としての人物像がごく自然に現れる気がします。
仏陀という人が何をどう思い成したことが現代に伝わるのか、
お釈迦様って言うともう人間を超えて神様みたいなものが浮かぶけど、
その人物像から浮かぶお釈迦様であれば悟りを開いた智慧のある人物ってものも想像が可能になる気もします。
といっても俺に想像がつくわけもないですけどねwでもなんとなくそんな感じに思える。
あんまり人間からかけ離れたものにしてしまうから理解不能な団体・思想が出来たりします。
>>321 悟りが落ち着きをもって競争をすることも馬鹿らしくなるようなことも含むのなら、
俺は悟りに近づいてはいけない。みたいなw
使い分けでしょうけどね、一般の競争社会にやる気のある人間なら、
怒りさえも力に変えたりするし、仮想敵を作ったりってあえてやる、そこに目標なり、生きがいを求めるものが
純粋な悟りを目指そうなんて思うこと自体が矛盾がある。
だから生きかただし、領分もあるわけだし、正しいとか間違いだとかってのもいろんな見方があるわけですし。
先送りされてるけど。
子供達がみんな悟って生まれてくる世の中を想像する。
競争自体がすでに無いのだろうか。。。
でも、負けたらやり返せ、男だろ!とかって言葉も美学もそこにはないようなw
悔しさをばねになんて言葉も要らない、やられたらやり返せの精神もない。
一見乱暴そうな言葉でも使い方によっては向上の種だと思うのだけど。
そう思うような部分もある、だからバランスよく悟れればよいけど、そんな悟りはないんでしょ?w
ノシ
自レスにひとつだけつけたし。
>仏陀は悟りを開いて立ち上がるまでに何一つ世のため人のためなんて気配さえ俺は感じないw
これだから仏教が仏教たりえたとも思います。
徹底的に自分自身を見つめそこに真理を見た、これはおそらくそうなのだと思える、
もしも奥さんが、子供がなんて気にしてたらとてもなしえなかっただろうし、見えるものも違ってきたでしょうね。
マナ識じゃないけど、余計な意識はないほうが物事をやるには都合が良いのは当たり前だし。
心の在り方を説いてるのが仏教、でいいんですよね?
落ちノシ
328 :
素人:2007/03/22(木) 15:20:11 ID:EfAhMdt+
>>324 >実践する側の場合ですよ、実践する側は滅多やたらに語るべきでもないと思いますし。
実践する者・途上にいる者は語る必要が無い、とは言い切れないでしょ。
舎利弗とアッサジの出会い(この場合アッサジは悟った後と見做せるわけだが)、
或いは、「今自分が何をしているか(行じているか)、どこへ向かっているのか」を問われた時に、
維摩居士のように黙することがベストなのか?語ってはいけないのか?
よくよく考えるべきポイントだと思う。
>>325 了解。
>>326 なぜ、先送りにしたかといえば、昆布氏が再三指摘するように、
「ニート教」「社会に寄生して存在するもの」「生産性のないもの」
「一般常識・一般道徳に反している」「社会的義務の放棄」
という性格を、仏教は本質的に持っているからだ。
で、これらとの関連の話になるのでややこしい、と・・・w
>そんな悟りはないんでしょ?w
「仏教という枠の中の悟り」であるならば、勿論その通りですw
もっとも、定義の幅を広げればありえますが・・。
現に大乗仏教(特に維摩居士の逸話など)は、そうした方向性を骨子としているし、
禅坊主というスタンスは、それを最終着地点としている。
大乗の菩薩という概念は、自らの意思で仏にならずに(≒悟りを得ずに)衆生済度に奔走する、というものだしw
329 :
素人:2007/03/22(木) 15:21:10 ID:EfAhMdt+
>>327 >心の在り方を説いてるのが仏教、でいいんですよね?
そうですね。
けど、じゃあ「心の在り方」は『それのみで存在できるのか?』ということです。
そこに肉体(→実践する者、具体的生活)なしには、どんな思想も存在し得ないのです。
だから、経と律(≒戒)は併せて説かれ、学ばれるのです。
「心の在り方」が「身体の在り方」を規制・誘導し、
「身体の在り方」が「心の在り方」を規制・誘導し、
「心の在り方」が「身体の在り方」を規制・誘導し、
「身体の在り方」が「心の在り方」を規制・誘導し、
・
・
・
理と行が不可分であるということ、身口意の三業と言われる理由、
智慧が最重要視されているにもかかわらず、なぜ八正道が説かれるのか、
など仏教を巡って説かれる様々な言辞は、
こうした、両輪であるべきことを示すものであろう。
具体的在り様、具体的生き方、具体的実践があって初めて、
仏教は真にその姿を顕すことになるのです。その意味で、てすと氏の指摘は重要なのです。
と、棚上げ発言で〆るとしようw
ノシ
330 :
神も仏も名無しさん:2007/03/22(木) 16:11:28 ID:TMy9btVA
331 :
神も仏も名無しさん:2007/03/22(木) 16:38:14 ID:TMy9btVA
>>328 言い切りませんよ、滅多やたらにってことだし実践の中で必要性を持って語るとか、
求められて答えとして語るとかそんなのは別です。
目標として語るのも別にだし。
先送りでいいですよw
俺が思いついたからレスしちゃっただけなんで。
質問攻めで負担にさせるのも申し訳ないしw
>「ニート教」「社会に寄生して存在するもの」「生産性のないもの」
>「一般常識・一般道徳に反している」「社会的義務の放棄」
ニートは別として、
あえて、その形を取るのが仏教、その形をとりながら現実的存在意義をさらに出す必要性はあるとは思いますけど。
見方によってはそう取られても、現実的にはそうではない。目に見える形の生産性だけで意義は決まらないし、
非生産の商売も実際にあるし、本来的に求められる社会的義務は俺としてはもっと強くある気もしないでもない。
ましてや道徳に反して何が仏教かって感じだし、僧と言うのは代表として社会から離れてる立場とも見れるのでしょう。
そこから得ているもので何かしら世の中のためになると。
ただ単に社会的義務の放棄と見られるのであれば、実際にそういわれるような僧や団体もあるってことでしょう。
サラリーマンだって同じですよ、仕事しないで2ちゃんしながら給料とかには不平いうようなのもいるんでしょう。
カルト団体と真面目に修行するような僧侶と一緒くたにはする気はないです。
>>329 その心のあり方を見つけるために仏陀はいろんなことをやったじゃないですか。
それのみで存在するなんてことも思いません。
むしろ精神性に重点を偏らせるのが宗教ってイメージあったけど、
今でもキリスト教あたりはそんなイメージありますしね。
行動的となるとオームやそうか?wでも、キリスト教も敵視始めれ侵略的になるから言い切れないか。
>智慧が最重要視されているにもかかわらず、なぜ八正道が説かれるのか
正しい思考に基づかない行動は危険だからですよね?
危ない思考をしてたら行動なんてしてもらいたくないですし、何をもって危ないとかってのも難しいけど、
仏教においては、絶対的でもないと思うから、一応の指標は示されてるってことですよね?
でも、こうしてレスしてると見えるものがある。
俺は結局自分で選んで欲しいところを拾ってるw
後でまた読み直して吟味してみますね。
ありがとうです。
>>312 喉から手が出るほど欲しいもの。
見つけたら仕舞い込む。見せないのを推奨しますw
>>326 スタートレックのバルカン人は、そんなイメージですがw
あれって、仏教的なイメージだよね、キリスト教でなくて・・・・
見てて思うけど、やはり時代背景を踏まえて理解しないと駄目だと思うな。
だから原理主義者って解ってないと思う反面、そうでないと宗教の意味も薄らぐのかとも思う。
まぁ、宗教に対するスタンス次第ですが。
信じる系と、それ以外は、やっぱ別物として見たほうがいい気がするなぁ。
336 :
素人:2007/03/22(木) 20:53:12 ID:VnnA/Vtp
>>332 > 言い切りませんよ
了解。
(ってか、判ってはいたけど、第三者も視野に入れて敢えて記してみたw)
> 質問攻めで負担にさせるのも申し訳ないしw
かたじけないw
> あえて、その形を ・・・・・ 世の中のためになると。
そうですね。
337 :
素人:2007/03/22(木) 20:54:47 ID:VnnA/Vtp
>>333 > その心のあり方を見つけるために仏陀はいろんなことをやったじゃないですか。
> それのみで存在するなんてことも思いません。
これも、りょんが・・というのでなく、スレ的に第三者へ向けて注意を喚起しておいても良いかな・・とw
> むしろ精神性に重点を偏らせるのが宗教ってイメージあったけど、
勿論、そういう所はありますよ。
私は、『「大乗仏教の特徴」は「精神性(スピリット)の重視」「エッセンスの抽出」』だと見てますから。
当然それは、思想全てに見ることができるスタンスだと思いますが・・。
> 正しい思考に基づかない行動は危険だからですよね?
う〜ん、危険という言い方はともかくw、それはその通り。
正しい思考に基づかない行動(生活)は良いものとならない、と。
けど、この流れでは逆かな。
正しい行動(生活)に基づかない思考は正しいものとはならない、とでもいうか。
正しい行動(生活)に基づかなければ正しい思考へは辿り着けない、というか。
だから、「両輪」と いう(便利なw)言い方をするわけで・・w
「何をもって正しいと・・・」はまた別ねw
> 一応の指標は示されてるってことですよね?
そうです。
樹海を手探りするのでなく、一旦通った人達の踏み固めた道があるということです。
或いは、
先人達(経験者)が「そっちはマズイよ」「こっちが近道だよ」と示している、案内標識がある、
という感じか・・・。
338 :
素人:2007/03/22(木) 20:55:57 ID:VnnA/Vtp
>>334 私も為になってますよw
言葉を紡ぐこと、言葉を選ぶこと、といういい勉強になってます。
自分の中での整理にも一役買ってるしw
感謝 ノシ
>>335 喉から手が出るほど欲しいものと聞いて考えたけど浮かばないonz
なんか俺ってそういうの昔からあんまり無いらしい。
喉から手が出るくらい欲しい女なら過去何人かあるけどなあ。
スタートレックはあまり知らないですけど、そんな星とかありそうですねw
時代背景なしに理解も出来なければ、現代の時代背景なしに用いることも出来ないですよね、
俺もそう思います。
いくらその宗教の原点がそうであるからって現代に無理にそのままあてはめるなんて滅茶苦茶な気がする。
もっとも原理主義というのがそんなものなのかも知りませんけど。
>>3360 うん、素人さんはかなり俺のこと読んでるみたいだしw
それなりに理解してもらえてるみたいなのもあるし。
あえて、の原理主義だから現実と照らすゆとりがある。
だからこそ原点への立ち返りも自由に出来る。
そんな感じはどうですかね。って、素人さんも基本的には原理主義的ってことになるんでしょう?
悟り目標だったらなおさら現実から過去から分かる範囲の全てを受け入れた上で悟らないとなんか違う気がしますし。
>>337 >そうです。
>樹海を手探りするのでなく、一旦通った人達の踏み固めた道があるということです。
>或いは、
>先人達(経験者)が「そっちはマズイよ」「こっちが近道だよ」と示している、案内標識がある、
>という感じか・・・。
これなんですよね。。。
現代でどんなに偉そうなことをいってみたところで、どんなに知恵があると言ってみたところで、
テキストがいくらでも手に入る世の中でのことなんですよね。
自力だけでどれだけのことが理解できるようになれるのだろう、今までと違った概念をどこまで見つめることが出来るものなんだろう、そう考えると仏陀はやはりすごいとは思います。
もちろんそこまでのものもあるでしょうけど、現代とは何から何までが違いすぎる。
この先はネットも手伝って今まで以上に精神性や発想は新たなものも生まれるのかもしれないけど。
大乗系の創始者にしたって仏陀の現した体系をちょちょっといじって偉そうに教祖の座を取っただけですし。
仏教を語ることが布教に都合よかったんでしょう、大手の名を真似る企業と同じかも。
とはいえ、今までにあるものを有効に選択したり使ったりしないことには先人の行いの意味も薄れるわけですしね。
がんがろノシ
>>342 まぁ、あんまり深く考えなくても世界は勝手に動いていくし、自分の歴史も更新されていくから、助走期間は短めにしてジャンプしないと。
こんばんわノシ
あんまり深くも考えてないですけどね、なんか好きなんですよ、精神的に向上出来そうな気になることがw
てすとさんはあんまり好きなことじゃなさげだけどw
あ、でも、ここに来て結構ジャンプしまくりですよw
あまり調子に乗り過ぎないようにするべきかもう少し跳ねるべきか。
宗教は人生の中でもあんまり意味ないですからね。
俺もそう思います。
けど、宗教の教義や考え方を知ることは無駄ともいえない気もしてる。
実際に考え方的に良さそうなものもありますしね。
何よりも国の根底にその思想の影響が流れてるのならその影響が何かを知るってのも面白いものかも。
何かと発想がどこに傾きがちなものだ。とかw
材料としては面白いとは思えるようになりました、宗教と区切らないで思想として考えた場合ですけどね。
飯食い落ち、またですノシ
>>339 それは時として急所になりえますので、隠しといた方が・・・・って事w
スタートレックは、オススメw あの脚本のレベルの高さは半端無いですよ。
原理主義者の特徴は、教義が拠り所なんで、依存度も高い。(依存度高い人は、不安感も高い)
んで、自分の中でのセンターなんです。
なので、ブレちゃ困ると考える。そういう性質の人だから、絶対なほうが都合がいい。(不安感の高さから来てる)
ヒステリックなのも、不安感から。
やはり、こういう性質の人は嵌り易いと思いますね。典型的でしょう。(本来脅しとかにも、弱いタイプ・・・・)
まぁ、そういう人の為に存在している面があるのは、間違いないね。
>>348訂正
まぁ、(宗教は)そういう人の為に存在している面があるのは、間違いないね。
>>347 けど、宗教の教義や考え方を知ることは無駄ともいえない気もしてる。
教義や考え方を知ることよりも、何故そこに至ったか?を注視したほうがいんじゃない?
ラベルの見栄えだけを見比べても、どうかとw
まぁ、世の中そんなもんかも知れませんがw
わたしもよく騙されるし・・・・・
前に宗教・無宗教スレで言いましたが、子供に倫理観を教育するのに、概存宗教なんぞでなく、特定宗教関係の無い「昔話」(例え話)を使えばいいと思うんだよね〜
ノン・ブランドのが、いらん揉め事無くていいし、上質の昔話なら、ちゃんと誰にでも「プロセス」を理解させれるからベストだと思いますがね。
諺も、そうですね。
解釈の仕方に幅があり過ぎるのは、教育用には向かないでしょう。
コントロール出来ないのなんか使えないよ、道具としてね。一番最悪の不良品w 動かない方が、まだまし。
車がいきなり暴走したら怖いでしょ? でも、はなから動かなければ、困るけど怪我人は出ないで済むでしょう。
まぁ、宗教を、あーでもない、こーでもないと個人の趣味で弄るのは、いい暇潰しになるんだろうけどw
351 :
まい:2007/03/23(金) 15:47:35 ID:na8eYSN6
おひさ!
ココはゆっくりロムれるからいいね☆
>>348 およそ急所と言うものが見当たらないかも。
また違うけど、能ある鷹は爪を隠すってのもあるけど、隠すような爪も持たない強みw
言葉一つとっても、現代のと言うよりは俺なんかが育ってきた過程にも言葉の乱れとか常に口にする人はいるけど、
でも、言葉自体は進化していくものだし、急激なはやり言葉が受け入れられにくいのは仕方が無いとして、
古い言葉使いを死守する必要も無い。
ファックスなんてカタカナ言葉の名詞が動詞としてもすっかり当たり前にあるのも言語の変化だし。
あと2000年もたてば今の言語はまったく変わってるかもしれない、その時に今の言語を守るべきだと唱えてる人はおかしい人扱いされる。
時代の流れってものは避けようが無いし避ければよいものでもなければ古いものが良いわけでもない。
>>349 選択やこだわりを持つことは良いけど、当然視することが問題。
だとして、その立場もどちらにもあるわけで。。。
でも、特殊なものや特定の物事を当然視して絶対化ってのは間違いと断言できるわけで。
そこにいたったって言うのは、むしろ自分の思考プロセスの方が面白いですね。
あと、人の思考プロセスを想像することとか。わかりっこないですけどね、でも面白いです。
>>350 宗教は成人するまでは触れさせるべきじゃないと思うほうですよ。
ただ、環境によっては難しいものはあるでしょうけど。
諺も臨機応変に使わないと矛盾する、そこがまた良いわけで。
これにはこれしかないとか何にでもこれだ。とかあり得ないから。
個性一つ取ってみたって、そんなところから生じるものもあるでしょうし。
格差問題もあるけど、極端はともかく、差がつかない世の中なんて人のやる気が消える。
それにしても職業性ってでますね、やっぱりw
榊さんは機能を中心とした生産性を基準に見る傾向?
てすとさんの視点は面白いですね、ある程度生まれ持った能力を必要とする世界では精神性だけではどうしようもない。
そんな部分から生じる思考性の気がする。
俺はといえば、営業畑中心ですからね、精神性を重要視する傾向がある。
榊さんからもそうかもしれないけど、てすとさんから見たら甘ったれた発想にしか見えないかもと思う。
そこを踏まえてあえて行動するには、宗教的な教義と言うよりは、
宗教とも照らしてみることはその思考過程において無駄だとは思えないのです。
ここで話して何をどう直接的に行動するとかそんなものではないですしねw
>>352 前も言いましたが、言葉使いって大事だよ!
自分の行動のベクトルが変わる。それぐらい影響をきたすからね。
親が子の言葉使いに注意するのは、その為でしょう。
言葉に関して言えば、美しさの基準は大して変わらないと思う。
社会や組織によって、許容範囲とかが違ってくるとは思うけどね。
もちろん時代にもよる。
>>353 何故そこに至ったか=人の思考プロセスを想像すること
まぁ、流れ全体ですけどね。それをイメージする事、出来ることが大事かな。
>>354 これにはこれしかないとか何にでもこれだ。とかあり得ないから。
多くの証例から導き出される予測でしかないですからね。
職業で言えば、医者やエンジニアは、その自覚が高いと思うな、職業上。
それと、「個体差」があるのは「仕様」。よって、「違い」があるのは「仕様」です。
>>榊さんは機能を中心とした生産性を基準に見る傾向?
ものと状況によりますが、基本は「見た目重視」ですからw
市内を移動するのは軽自動車がいいけど、ダサいのは嫌って感じw
別段高性能でなくても、大きな問題無ければ、美しいものを選びますw
多少の我慢はしますw てか、その我慢も乙に感じたりね・・・・
まぁ、超気分屋ですし・・・・・
生産性の薄いものほど、お金かけてる気がする・・・・・・orz
つか、まず、「社会人」は生産性に対する意欲が無いと駄目だと思う派です。
社会に関わる形は様々ですが、「労働」と、それ以外で分ける事が多いでしょ?
それぐらい決定的に意味合いが違うと思いますよ。
てすとさんは、おそらく「自立出来てる人」にはクレーム付けないと思いますよ。
迷惑行為は言わずもがなですが。
わたしもそうです。。
改行多すぎで分けた・・・・・
>>356 俺も言葉は比較的大事にしてるほうだと思ってますけどね、
ただ目くじら立てるような人いるでしょ?言葉に限らず何かと、
ようはそういう目くじら精神を嫌うんですよね。
変化はけないこと、あれはだめこれはだめってのも自分自身に枷として持つ分には自由ですけど、
まるでそれを守らないと悪の様な構図wそんなの見かけません?w
諺もそうだけど、諺を肝に銘じて常日頃考える人はいません(いるかもだけどw
ためになる本を数冊読んだからってそのままその内容を肝に銘じて用いようとは思いません。
でも、そんなことで感じた事の積み重ねで確実にどこかしらが影響を受ける。
人間関係も同じですよね、お互いがただ接してるだけでも何かしらの影響を受けていく。
だったら少しでもそれぞれに都合の良い形であれば理想ではないですか。
って、意識しすぎればつまらなくなるし、馴れ合いだけでも楽しいですけどね。
こんな掲示板でもくだらないって目でみながら居つく輩もいますけどね、自分の行動がそういうイメージを映し出すんでしょう。
>>357 俺なんかは仕事柄相手の職業や生活に踏み込んだ接客をしてきましたから、
収入から家庭環境から根掘り葉掘り聞くことで良い営業になるって職種ですからね、
職業性ってのは結構あるものだと感じてますよ、決め付けはしませんし自分のスタイルを守ってきたけど、
でも、最近は相手に合わせてみるのもいいのかもしれないと思い始めました。
客のペースではなく自分のペースに引き込むのが営業の力って先入観があったんですよね、
プロなら聞き出した情報から相手を導いて自分のペースにって、
でも、「あえて」今までよりもしてのペースに乗ってみるとか、会社としてとことん客の言いなりを実現するにはって目で見るとか、
そのとことんの範囲によっては大したことではないけど、ここでレス読んだりしてると些細でも結構色々考えたり出来るんですよね。
自分自身○○とはこういうものだとかって先入観は多かったってことです。
>>357 仕様の違いはメリットもデメリットもあって当然ですしね。
軽の便利さ、手ごろさがメリットならダサさ、乗り心地の悪さ、性能の限界がデメリット。
両方を欲しがっても無理って物、でもメーカーはその解消にがんばってますけどね。
人間は自分本体にはあまりがんばらないってことかw
見た目の重要性はありますよね、それにみんな無意識に見た目で舐めたりしてるし。
いろんな車乗ったりいろんな格好したりしてるから面白いですよ、そういうの感じるのw
掲示板なんかでもあれでしょ?その人がどんな人かリアルを知ればイメージ全体が変わったりするんでしょうw
俺も含めてですけどね。
生産性を無視して仕事できないですから実際には意識しますけどね。
仕事的にはかなり厳しいほうだと思うし、でも、生産性だけで評価してもいけないってのはある。
生産性が高い人物が他に問題だらけ。多いですね、自信があるからそうなるのも分かる、けど、問題ではある。
実際には考えなくてはいけない問題は多いけど、悟られずに導かなくてはとか。
自分棚上げでもやらないといけないことも多いし。
てすとさんにはクレームをつけられたいんですけどね、すげー興味ある。
そうそう。
素人さんが仏教をニートだ常識外れだみたいな一面があると。
俺なんかも詐欺師だなんだの一面は無くはない。
でも、別に認めるところを認めて堂々とそれ自体を言っちまえば、、、実際には更なるペテン師へとすすむのだw
どこで割り切るかなんて、考え出したらきりが無い、だから相手が別にそれで良いと感じてるならいいじゃんと。
誠意があるとかって言葉も。誠意を相手に与えようって考えた時点で手段でありペテンのラインだ。
ノシ
>>358 一期一会とか、大事にしてる人はいると思うよ。
>>359 最近会ってないけど知り合いで、外資系の保険屋さんで、その人は「とことん客の言いなり」まではいかないだろうけど、かなり客優先でやってるみたい。
アジャスターと喧嘩するって言ってたよw
ちなみに、その人、高校のとき空手で府大会6位だったってw 見た目は、インテリっぽいんですがね。
営業成績も、中部地区6位だって言ってたな〜
>>自分自身○○とはこういうものだとかって先入観は多かったってことです。
それは、なまじ自信があったからでしょうw
今は更に色々経験して、色々知り、「無知の知」状態になれたのかもね。
もう、そうなると開き直って、落ち着いて、コツコツ出来ると思います。わたしはそうですw
>>360 いやぁ〜、最近の軽は凄いですよw 値段も凄いけどw
大阪市内をチョコマカだと、軽のメリットが高く、大型車のメリットは出にくいと思うけどね。
込んでるし、信号だらけだし、止めるとこ無いし・・・・
軽は、マジ便利! 原付スクーターは、更に便利w
わたしは、お互いの損得を、はっきりと言いますね、出来るだけ。
それをブッチャケると、短期間に信用を得られやすいです。
話も早いし。
>>361 競争とは、如何にレギュレーションに抵触しないでギリギリにいけるか?ですよw
抵触してても、ばれな(ry
実際は、やったもん勝ちでしょう。ばれないのも、テクニック。リスクと引き換えですね。
わたしは、そんな能力無いので、「直ぐ出来る事から、コツコツとw」やってますがw
ちなみに、これはトラブルシュートの定石ですね。
364 :
神も仏も名無しさん:2007/03/24(土) 05:09:23 ID:lQucTkOQ
ここか 宣言は てすとはクリスレ荒らすな
248 てすと ◆Y5g8YZ9wkQ sage 2007/03/17(土) 14:08:37 ID:atk5T2V2
しばらく、カルトシミュレーションに入ります。
182 盲目の虎 ◆Iivm6vR0.Y sage 2007/03/20(火) 22:02:39 ID:vQlH1w//
風さん、大丈夫です!!
だいぶ復活しました。
age進行でと思いましたが、
家スレが落ち着くまで下げで、
進行いたします・・・
ここまで、荒れると行く場所が無くなる方が
いますので・・・
>>362 大抵の人は大事にしようと思ってますよね、だから通じる部分もあるんだと思いますし。
俺自身も俺の会社でも一般的な会社よりは顧客寄りにあると思います、営業姿勢的に。
他で受けない無理もこなすようにはしてるし、ただ、当たり前すぎる範囲を超えてないんですよね。
だからとことんというにはどういう形かとか考えることはちょっと変わったことが思いつくかもしれない。
外資の保険は最近でこそともかく、大変ですからね、ああいうところの営業はこっちにも来ますけど、
情けや親しんだからって理由では仕事は取れない、いかにそのチャンスまでそれを続けるかみたいな。
機会があるなら確実に自分に連絡が来る、そういう地道な部分から攻めなくてはいけないでしょうね。
でも、それもみな同じ、地道な部分を無視して何も出来ないですしね。
無知だと言うことは知ってましたけどねw今でも根拠無くても自信もありますw
さらに自信が高まったとも言えるかもw
でも、純粋に知識や考え方に巾が増えた気がする、これはここの皆さんの影響が大。
それだけでも相当自分にとって大きいと思います。
367 :
りょンチャンへ、、大王:2007/03/24(土) 10:16:42 ID:qhBFNcH1
大乗系の創始者にしたって仏陀の現した体系をちょちょっといじって偉そうに教祖の座を取っただけですし。
仏教を語ることが布教に都合よかったんでしょう、大手の名を真似る企業と同じかも。
インド大乗は、哲学化、非道徳的傾向に行ったんだな、、無宗教化傾向、、
中国大乗の真言宗、天台宗になってから、、神秘主義、再宗教化した、、
禅は、そのまま、、インド的非道徳的、無宗教化した流れで、、、
>>363 最近の軽はすごいですね。。。
俺は軽って嫌いだったけど、社用車に軽を入れてみましたし。
行動では舐められますけどねwでも、軽は身分が低いのだから当たり前だとおもって。
税金も安いし価格も安いから社会貢献も低いのに威張って走ってはいけないと。
の割には普通車煽りますけどね。。。軽より遅いとは何事だ、とおもってw
俺も損得を言うというよりは、手段として理解してもらいます。
お互いに利があることが前提ですからね、社員と会社もそうだしお客と会社もそうです。
そこから枠組みを作ってるからそんなにその言葉に矛盾も無いと思ってます。
矛盾が出るならそこをいじくればいいのですし。
その損得をさらにお客に偏らせる影響を会社がどこまで抱えられるかどうかだな。
それとその役割をどの社員にやらせるかとか、一般営業ってのはとかく実入りが少ない部分で必要性を認識しにくい傾向があるし、
客を自分がとらないといけないとなると出来る営業はその会社のメリットを少なく見ますしね。
ただ、その結果は営業自体に営業力がなくても出来るくらいになれば。。。
369 :
りょンチャンへ、、大王:2007/03/24(土) 10:18:59 ID:qhBFNcH1
生産性も、情緒不安定で、キレ易い奴は、生産性は低下する、、、
道徳を子供に教えても、、真面目な奴でも、、情緒不安定で、キレ易い奴は、、犯罪する、、
あんな、真面目な子供が、、あんな真面目な人が何故、、マスコミの話題の正体だ、、、
>>363 競争は。競わずに得ることが最善。
綺麗ごとじゃ済みませんけどね、楽な道に努力したほうが努力は報われやすいし。
と、今まで思ってきてますけど、この辺も見直してみるかw
なんか数式みたいなのが出来てて、こういわれるとこう返すって図式が出来てる部分もあります。
考え方も同じで、これにはこう考えるって仕組みが、それはそれで良いのだけど、それだけでは型は破れないですね。
こつこつが最善なことは間違いないこととします。それがなくて派手なことは出来ないし、一瞬の派手さには価値を見ませんし。
>>364 栗らしい行動乙ノシ
それだから余計に荒れていくのだろうけどな、なんなら俺も(ry
>>369 生産性は時間が問題だと思ってる。
無駄な時間を減らすことが確実に人生で使える時間を増やすしね。
生産性を高めるから時間が有効に使えて、収入を増やし、
その収入でまた時間を買う、だから差は倍増していく。
金だけで時間を買うものでもないから、いろんなコツや要領や工夫で時間はただで手に入る。
生産性ってのも、事象の一つだけで考えても違う気がしてしまう、因果とかあるなら切り詰めたり
力を入れた結果が他に現れるはずだしね、だから生産性だけを考えるのは慎重にする必要はあると思ってる。
あんな子供がとかってのは知らないだけだし、親であるならよく目。
大抵はその人の持っている性分や性格の問題じゃないかと。
本当に解決できるのは自分自身だけ。マスコミなんかは問題外で、そういう言葉は聞いてもしょうがないよ。
373 :
大王:2007/03/24(土) 10:32:46 ID:qhBFNcH1
クリすれは、、慈風チャンで、荒れたからなあ、、、
思想は正確なんだけど、、言いたい事がわかるが、、、
思考、判断がオカシイ、、、、、
クリといい、、日蓮系は、真面目だからな、、相対性を受け入れができない、、、、
瞑想は、、概念と言うようり、、脳内ホルモンのある状態だから、、寝てる、飯がうまいとか、と同じだから、、
374 :
大王:2007/03/24(土) 10:34:56 ID:qhBFNcH1
性格も情緒だからなあ、、母親が子供との相性があわんと、、、
ま、、母親も情緒のコントロール、、心理学的にも言えることだよ、、仏教を排除してもね、、
375 :
大王:2007/03/24(土) 10:38:06 ID:qhBFNcH1
人間ははるかに、環境、状況の適応能力を要求される、、、
情緒のコントロール、、脳内ホルモンのバランスが崩れるだけで、、
うつ病→自殺が、あるんだから、、、、
優秀で真面目な人が、、突然昇進すると、うつ病になる、、これ、脳内ホルモン、、病気の正体、医学的に明確、、
>>373 そういうのを真面目って言うんじゃないよ。
自分が正しいから自分が何しても許されるって感じじゃんw
神様が許してくれるとか思うから他の人間がどう思うかは気にしないんでしょ。
敬虔な栗の構図じゃない?
>>374 情緒でくくる必要もないでしょう。
性格的に情緒が乱れやすいとかどっちが因でとか定まらないと思うし。
仏教を排除する必要もないでしょう、つか、仏教は落ち着きを与えるには有効な面もあるでしょ、
ただ、落ち着けばよいとも思わないけどね。
>>375 大ちゃんはその方面から探る。
俺は別の面から探るw
昇進するとうつ病になるそれは自信のなさと変化の影響かもね、
脳内ホルモンがどうかとか原因を究明すると当時に、どう対処するほうがいいかが問題だろうね。
俺なら直接的に働きかけする、楽にしてやればいいのだ。
不安になる必要はないのに漠然とした不安に取り付かれる人間も多い、出世できるくらいの人間なら
そこに気付けば他人の一言でも抜け出せるもの、それでも解決できないなら昇進が時期尚早とも言えるかも。
>>365中より抜粋。(メインは668、669、675)
671 名無しさん@3周年 sage 2007/03/17(土) 22:28:32 ID:iNQsYpS+
たとえ物のあふれた世界であったとしても唯物論的世界観が支配する社会は
人間が快適に生きられる世界なんだろうか?
674 心と宗教と名無しさん sage 2007/03/18(日) 09:51:12 ID:HF3f29XD
2chやクーラーがあって便利でも、僕ら精神的に10世紀や15世紀の人たちより精神的に圧倒的に豊かで満足かな?
そのへんが宗教がなくならず、唯物論者が一見かっこよさそうでもっと酷い宗教(共産主義やフェミとか)にはまったりする原因
なんじゃないかなと何となく思う。
昇進が目標の過程だったら、それが理由でうつになんてならないだろうね。
目標もなくなんとなく昇進とかしたら戸惑いがあったりするのかもね。
いずれにしても向かっていけるかどうかはその本人の精神性だからな。
>>378 問題は、
>人間が快適に生きられる世界なんだろうか?
どうすれば良いのか。
>2chやクーラーがあって便利でも、僕ら精神的に10世紀や15世紀の人たちより精神的に圧倒的に豊かで満足かな?
>そのへんが宗教がなくならず、唯物論者が一見かっこよさそうでもっと酷い宗教(共産主義やフェミとか)にはまったりする原因
>なんじゃないかなと何となく思う。
そこから導き出される理想は何で、その為にどうしたらよいか、でしょうね。
勉強だけして終わったんじゃその勉強には独りよがりの意味しかない。
独りよがりで良いなら勝手だけど、、、多くの人はそれだけに付き合うものではない。って感じですか。
60歳から大学にいって卒業するとかは評価されるけど、
60歳まで大学で勉強してて社会に出てなかったら。。。
>僕ら精神的に10世紀や15世紀の人たちより精神的に圧倒的に豊かで満足かな?
>そのへんが宗教がなくならず、唯物論者が一見かっこよさそうでもっと酷い宗教(共産主義やフェミとか)にはまったりする原因
>なんじゃないかなと何となく思う。
現代はゆとりがあるから精神的に情緒を得るには当時よりも難しくなってるんでしょうね。
暇に生きようと思えば生きられるし、選択の巾が増えてるから。
物質的にも時間的にも寿命も含めて増えてる、だからそれを感謝して生きるなら情緒は維持できる。
原因を自分の外で探すことも必要だけど、自分自身を見つめられなかったら人や時代のせいにするだけともいえるかも。
宗教が現代の事象を取り出して宗教を擁護してみても、そこから現代の中での指標やすべを見出せないとしたら、
むしろ混乱させるだけとも言えるかもしれないと思う。
668 名無しさん@3周年 2007/03/16(金) 01:46:09 ID:g7rV+xq5
>>660 確かにイスラームの中にも、そういう風に天というか非人格的「一者」として
絶対者を捉える思想潮流はある。
イブン=アラビーなんかがその典型。彼なんかは、「アッラー」自体が
非人格的一者(イブン=アラビー自身の言葉だと「ハック」(haqq)、
語感的には仏教の「真如」に近い)の一つの現象態だみたいなことを
言ってる。彼はそれを基礎として、「諸宗教の一致」(=「様々な宗教は皆、
一つの真理について語っているに過ぎない」ということ)ということも主張し
ている。イブン=アラビーの思想的影響はアラビア、イラン、トルコ、
東南アジア、中国にまで及んでいるし、部分的には西欧(例えばダンテなんか
にその影響が見られるって何かで読んだ気がする)にまで及ぶ訳だから、
イスラームの中からそういう「宗教的寛容」に通じるような思想が生れて来た
ということは、昨今、イスラームがしばしば狂信的な宗教だと見做されている
ことを考えれば、強調されて然るべきだと思う。
でもやっぱり、それだけがイスラームじゃない。そもそもコーランの
「アッラー」はかなり生き生きと人格的に表象されている。ハンバル派
(スンナ派四大法学派の一つ)なんかはコーランとハディースに書いてある
通りに神を表象するから、彼らの神観はとても人格的なものだと思う。
思うに、人格的一者と非人格的一者は相互にかなり流動的なんじゃないか。
本来、「ダルマ」というある種の非人格的一者を置く仏教の中からも、
「大日如来」というかたちで、けっこう生き生きとした人格的一者を置く
真言密教が現れて来る。
かなり生々しい人格的一者が描かれている旧約の中からも、
「エーン・ソーフ」という非人格的一者を置くカッバーラーみたいな思想潮流
が現れて来る。
キリスト教の中からも、確かに異端かも知れないけどエックハルトみたいに
「神性の無」として非人格的一者を置く思想家が現れて来る。
上で触れたイブン=アラビーなんかもその一例。
669 668 2007/03/16(金) 01:51:34 ID:g7rV+xq5
それと「イスラームは狂信的だ」とか「いや実はそうじゃないんだ」
みたいに、イスラームに関しての言説は一般にこのいずれかの立場に
偏ってしまう傾向にある気がする(俺はあまり新聞とかを読まないので
偉そうなことは言えないんだけど)。
というか、イスラーム以外の宗教でもそうだと思う。「キリスト教は
悪い宗教だ(この主張をする時に、偉そうにニーチェを引き合いに出して
来る輩もいると思う)」とか、「いや、キリスト教は素晴らしい宗教だ
(これに関連して、上で書き込みがあったように、「キリスト教の神だけ
が人となって…」という人もいるだろう)」みたいに。
でも、俺はこういう二分法的思考自体が間違っているような気がする。
どの宗教をとって見ても一長一短で、良いところもあれば悪いところも
あるんじゃないか。
それぞれの宗教が違っているという認識から出発して、
その差異を受け入れていくことが大事なんだと思う。
それをどうやって受け入れていくかってことが、そもそもの問題では
あるんだけど。
それと、宗教自体が悪だと言う人もいるけど、俺はそれは違うと思う。
どんなにがんばってみても生活状況とかがちっとも改善しないような
環境に生きている人たちは世界中に沢山いると思う(例えばアフガン
とか)。
そういう人たちにとって唯物論的世界は、生きていくのが余りに苦痛な
世界だと思う。
マルクスの言うように「宗教は阿片」かも知れないけど、
阿片を吸わずには生きていけない人たちも、現実には沢山いると思う。
長文雑文マジレス失礼
675 668 2007/03/18(日) 19:45:08 ID:cZYnOFJi
よかった。以外に賛同してくれる人がいてうれしい。
実際、宗教自体は個人の実存的衝動に突き動かされて信仰するものだと思う。
もちろん、親がキリスト教徒だからキリスト教徒とか、親がムスリム
(イスラーム教徒)だからムスリムって人が殆どなのかも知れないけど、
そういう人たちが実際に「信仰」を持っているかどうかは別問題。
俺は宗教学に関しての素養が無いから解らないけど、やっぱり「信仰」の
根底には個人の実存的衝動という要素が、少なくとも一要素として必要に
なってくるんじゃないかと思う。
そういう実存的衝動がある人は信仰すればいいし、無い人はする必要は無い。
だから俺たちは信仰を持つ必要は無いけど、そういう衝動に押されて信仰
している人たちを、むげに迫害するのは良くないと思う。
何しろそれは彼らの実存に関わる問題だと思うから。
確かに宗教自体の中にある種の暴力性が内在しているんだろうし、現実に
「宗教」の名の下に沢山の人たちが殺されていってる。
でも、宗教自体は「善」でもなければ「悪」でもないんじゃないか。
宗教が個人の実存に関わるものなら、それは正に実存に関わるという理由で、
良い意味でも悪い意味でも大きな力を持つものだと思う。
大きな力を持つものだからこそ、それは色々な方向から利用されてしまうんだろう。
だから極論すれば、「悪用する奴が悪い!!」
>>384 >でも、俺はこういう二分法的思考自体が間違っているような気がする。
これ以降には同意。
>>385 これにも同意。
でも、敬虔な信者はこのレスにさえどんなレスをするのかは興味ある。
運営側ではなく、一般信者が。
良いところも悪いところもあるって本当の意味で思えて分析が可能なのかとか。
>>387 大きな、そして決定的な分水嶺は、
「自身を俯瞰してみる事ができるかどうか」「自身の思想(思考)を俯瞰して見れるかどうか」
になるのだろう。
そして更には、そこで見えた「自身の様相」を受け止められるかどうか・・・。
宗教的事柄に限らず、日常の些事に於いても同じで、
これがまた難しいことなんだけどね・・・w
ノシ
>>388 常々自分を律することが出来るかどうかの問題ですね。
当然、仏教徒はそれが出来てるんでしょ?@皮肉w
榊さんじゃないけど、へたな仏教徒よりも諺を用いる一般人の方が道徳的だったり、
仏教徒的見地にも適ってたりすることがあるかもしれません。
つか、あるでしょうね。
我日に我が身を三省す。なんて言葉を常に思い行動する人と、仏教教義に長けてて、
論を用いる人とではその姿勢に雲泥の差が出ることもあるでしょうし。
何を学び何をどう用いるかだなあ、やっぱり。
落ちまふノシ
そっか。
同じ神なら神の目で我が身を律することに専念できれば神も害ではないね。
ノシ
世慣れた人々は、信仰が、人間が直面するあらゆる問題への解答だと考える。
しかし実を言うと信仰は、人間が掲示するあらゆる解答への挑戦なのである(A.J.へシェル)
引用だけで去るノシw
>>389 >それが出来てるんでしょ?
おまいはてすとかwww (爆
|, ,_
|∀゚) < 片輪走行してる私に説得力を見るかどうかは周囲次第w
|⊂ノ
| ピャッ
|彡
|
| (それができているのが仏教徒なのか、
| それができるようになろうとしている者が仏教徒なのか、
| そういうこととは無関係でも、ある条件を満たせば仏教徒なのか・・・・)
|
| ・・・・・
|
>>394 阿羅漢も達成できない人が仏教語るから怒られるんですよ。
っていうか、センスのある奴はほんのちょっと教義を聞いただけで解りますよ。
どうせなら結果出した奴に言われたいと思うのは当然。
>>378 結局最終的には、物理的な生活水準。今時は。
>>382 はげ同
結局、「バカ」なほうが、情緒は安定するって言いたいんでしょw 大王も。
まぁ、まったく外れてる訳ではないけどねw
「センサーの感度のチューニングは、その人の置かれる環境によって、成されるべき」だろうね。
チューニングを固定し、それに拘るなら、生活上の煩わしさがあるのは当然。
>>385 「宗教」は、「道具」なんだから、使う奴に責任があるのは当たり前。
包丁で、魚を料理しようが、人を刺そうが、その人の責任。
只、道具としては、性質として低級の道具なんですよ。(いいかえれば、性質として人間が低級とも言えるw)
どうあれ、「コントロール出来ないもの」であるのは確か。扱えてないし。
それは、その気になってみれば、誰でも確認出来るでしょ、するかどうかだけで。
>>393 硬直化を防ぐのを促すって事?
「宗教は阿片」は解るけど、「宗教は原発」とも、思ってるんですよね。かなり昔に宗教・無宗教スレで述べた事あるんですが。
一見、安価で効率的ですが、問題も多く、特に他の道具と比べて制御の難しさから運営上の安全性に問題があり、それの根本的な解決は、性質として難しいでしょう。
制御不能になれば、人害では最大級の被害。とても、似てると思いますが。
もっとクリーンで、安全性が高く、高効率なものの開発・実用を強く望みますね。(もちろん、両方ねw
>>397 薬というのはどんな薬も劇薬なんですよ。
その薬を飲んだこと無い人が、薬剤師を名乗るのが問題なんですね。
薬が無くても治る人は治るし、必要ないといえば必要ない。ただ求める人はまだまだ多い。
>>398 需要があるのは解るんですよ。原発も宗教も需要あってのものでしょう。
でも、両方とも、その性質に取り除けない重大な問題があることを指摘してるんです。
「同じ効果を得るのに、(それ)でなくてもいいだろう」ってことですね。
>>その薬を飲んだこと無い人が、薬剤師を名乗るのが問題なんですね。
それは、よく解ります。わたしは宗教の事は解ってないです。
それ自体には大して興味無いですから。自分には必要とも思ってないし。
いっそのこと、「理屈じゃないんだ。好きなもので逝くのが当然だろう!」ぐらい言って貰えたほうが解りやすいし、共感も持てるw
下手に理屈で来られると、それで返してしまうんですよねぇ〜 わたしの場合。(@@;
つか、湾岸ミッドナイト風に宗教を語るスレとかあったらいいのにナーw
誰かが 何かをする
すると必ず 声がする・・
WEBで 仕入れた知識や
本で拾ってきた リクツ並べて
そんなコトは知っていた・・
とっくにわかっていた・・
やらない奴は いつもそう言う
他の世界は知らねえが こと宗教の世界じゃソレは通じねえ・・
自分の手で そして自分の体で 悟った者だけが
モノを言えるわけだから
信仰の対象である神と人間である自分がキチンと噛み合うコト
本当に思いを乗せて信仰して、本当に最後まで付き合っていけるコト
そしてもし最悪の結果になった時、この神でなら・・・と思えるコト
その通りだ
大事なのはそーいうコトだろう
愚かでいて
また それでしか
証明できない
信仰
という行為でナ・・
ネタが解らない・・。イニシャルDは少し読んだ・・・。バリバリ伝説でもいいけど・・。
教義てさホント不思議なモンでナ
理論や理屈でわりきれないコト
ホントあるんだヨ
いいかげんに入った新興宗教が・・
いいかげんに働くと思えば・・
ひたすら緻密にお金と時間をかけても
そのわりにはむくわれない時もあるのヨ
どこをもって満足とするのか・・
そして何をもって終わりとするのか・・
教義という概念は不思議だ
チューニングを繰り返すたび
その生命感もまた増す気がする
それがいかに荒唐無稽なモノでも
自分の手でいじったならば
それはすべて真実だ・・
それは裏切らない・・
それは信じていける・・
>>402 あら・・・
いぁ、走り屋系と言うわけでは・・・・
バトルはろくにしないで、おっさんが、あれこれ語る漫画なんですw
最初は、そうでもなかったんですがねぇ。
文体に特徴があって、人気w 漫画なのにw
>>393 1行目は日本の感覚では当てはまりそうにないですw
2行目は。要するに難解であり、誰にでも使える物ではないってなる。
>>394 >>395でてすとさんが言ってる通りですよ。
律だ法だと口にするならその人は当然それが出来てるのだと思うでしょう、
その必要が無いというならでは何のための律や法なのかとなります。道理ですw
もちろんなろうとしている過程は仏教徒だと思いますけど、扱い方はそれなりにしないと。
教師がテストやって生徒以下だったら示しがつかないでしょう、そもそも仏教徒は教師じゃないし。
って、389では信者の仏教徒のこといってますけどね。
>>396 チューニングはその通りですね。
楽器でもチューニングが気になりだすとやたら合わせようとするけど、
そもそも素人が趣味でいじるのにそんな必要があるのかってのと、それで楽しめるのかってことがある。
細かい性格の人だったら許せないかもしれないけど、どこからどこまでが許容範囲かも人それぞれ。
趣味でストレスためたら本末転倒ですしね。
>>399 それはありますね。@下から2行。
自分が好きでやってるって言われたら基本的にとやかく言わないし思いもしない。
問題なのは、一般信者に人にとやかく言える仏教はないでしょうってところかな。
俺が絶対に受け付けないのは、なんで一般信者に布教の資格があるのかってところですね。
つか、この手の話題になると琴線に触れそうw
ガキが布教しますからね、某団体とか、仏教を語ってきますから、信じられない。
>>400 。。。それも知らないw
基本的に漫画ってあまりなんですよね。。。
>>401 それも分かります。
自分自身の問題のはずなのに、赤の他人の違う主義思想の人間にまでそれを持ってくる。
それを当然だと思ってるふしがある、それで無ければおかしいくらいに思ってるやつまでいる。
神も無い人間に神を冒涜しただみたいなのとかね、
そういうのは別のことで考えれば明らかな人格の破綻なんだけど、それに気付けない。はまっちゃうと。
>>402 バリ伝とイニシャルDは知ってますw
イニシャルDは劇場で見たしw
412 :
素人:2007/03/25(日) 00:00:56 ID:znPN9wlM
>>406 そうか。
では、私はここを去るとしよう。
私のこれまでの言葉も全て忘れてくれ。
百害あって一利無しだろ?私の言葉なぞw
他者を惑わし、詐欺師のような言葉を吐き、
身の丈も知らず傲慢に仏教を語る最低の人間、
というレッテルが私にも貼られたわけだから・・。
そんな人間の語る仏教にどれほどの意味があるか・・・www
長くもあり短くもあり、それなりの密度のある時間が過ごせて楽しかったよ。
さよなら。 りょん。
それから、噛み付いてくるなら
私の長文レスに、きっちり詳細な添削を入れてからにしてほしかったなw >>てすと
ノシ
413 :
まい:2007/03/25(日) 00:17:37 ID:urdsBVgK
>>388 >宗教的事柄に限らず、日常の些事に於いても同じで、
>これがまた難しいことなんだけどね・・・w
難しいから難しいって言った。それだけのことですよね、素人さん。
本音が言えるココでだからこそ言えたのでしょう。
皆、同じようなものだと思いますよ。
理想は語っても、理想を手に入れることが出来た人は中々居ないでしょう。
でも、理想を持ち続けて前に進むこと・・せめてそのための努力をしてみることが
人間に出来ることだといえるのではないかな。
達成しなければ何も語れないのなら、語れる人なんてどこにも居ないと思いますよ。
道の途上で出合って、情報交換しながら進んでいるってとこだと思います。
また、何か気が付いたことを語ってください。
お待ちしていますよ。
414 :
まい:2007/03/25(日) 00:30:50 ID:urdsBVgK
ひとつ付け足すと、りょんさんにとっては「師」であって欲しかったのかも知れませんね。
ワタシとしては、「当然悟っています」という素人さんでなかったことは好印象ですけどね。
どれほどの人が「当然悟っています」と言ったら、納得できるものなんだろう?
誰に会っても、納得なんて出来ないのかもしれませんよ。
釈迦やキリストには会ったことがないからわからないけどw
>>412 噛み付くも何も、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静に関して、私のほうが習得している自負があるんですけど。
釈迦の弟子が素人さんと私のどちらかといえば、私の方だと思いますよ。申し訳ないけど。
416 :
まい:2007/03/25(日) 00:41:22 ID:urdsBVgK
まあまあ、それは事実かもしれないけど、自慢とも言いますw
>>416 法に従えと釈迦が言っているのだから、そうすればいいんですよ。
経典の細かいところではなくエッセンスを体得したら自分が観察、瞑想して検証すればいいだけの話なんです。
私の次のステップは法に従いつつ、どう社会に参加するかです。
仏典の権威なんてどうでもいいんですよ。
418 :
まい:2007/03/25(日) 01:01:42 ID:urdsBVgK
口を挟んでしまってスミマセンw
>経典の細かいところではなくエッセンスを体得したら自分が観察、瞑想して検証すればいいだけの話なんです。
ワタシもこれには同意します。
280 :てすと ◆Y5g8YZ9wkQ :2007/03/19(月) 15:49:49 ID:HwhXitiW
悟りなんて簡単ですよ。
諸行無常と諸法無我を検証して納得して、穏やかな日常を送る事です。
阿羅漢って結構ハードル低いですよ。釈迦は無茶いいませんから。
この力強い言葉を読んで(今まで立場を明らかにして来なかったてすとさんが・・)、
思わず会いたくなってしまいましたよ。
仏典の知識はりょんさんに請われて披露していたのだろうと思いますよ。
いろんな立場を認め、一斉に天国行きを勧めていないのも仏教の良いところですからね。
弟子たちよ、わたしは自らこの教えをさとり、おまえたちのためにこの教えを説いた。
おまえたちはよくこれを守って、ことごとにこの教えに従って行わなければならない。
だから、この教えのとおりに行わない者は、わたしに会っていながらわたしに会わず、わたしと一緒にいながらわたしから遠く離れている。
また、この教えのとおりに行う者は、たとえわたしから遠く離れていてもわたしと一緒にいる。
この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、また、この心も経験と知識とによって育ったものである。
だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。
網の目が、互いにつながりあって網を作っているように、 すべてのものは、つながりあってできている。
一つの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば大きな誤りである。
網の目は、ほかの網の目とかかわりあって、一つの網の目といわれる。
網の目は、それぞれ、ほかの網が成り立つために役立っている。
この世のすべてのものは、みな縁によって現われたものであるから、もともとちがいはない。
ちがいを見るのは、人びとの偏見である。
大空に東西の区別がないのに、人びとは東西の区別をつけ、東だ西だと執着する。
数はもともと、一から無限の数まで、それぞれ完全な数であって、量には多少の区別はないのであるけれども、
人びとは欲の心からはからって、多少の区別をつける。
422 :
まい:2007/03/25(日) 01:15:03 ID:urdsBVgK
>網の目は、それぞれ、ほかの網が成り立つために役立っている。
どっちが釈迦に近いか・・と言う話ではないということですよね。
さとりにはきまった形やものがないから、さとることはあるがさとられるものはない。
迷いがあるからさとりというのであって、迷いがなくなればさとりもなくなる。
迷いを離れてさとりはなく、さとりを離れて迷いはない。
だから、さとりのあるのはなお障げとなる。闇があるから照らすということがあり、
闇がなくなれば照らすということ もなくなる。照らすことと照らされるものと、ともになくなってしまうのである。
まことに、道を修めるものは、さとってさとりにとどまらない。さとりのあるのはなお迷いだからである。
この境地に至れば、すべては、迷いのままにさとりであり、 闇のままに光である。
すべての煩悩がそのままさとりであるところまで、さとりきらなければならない。
424 :
まい:2007/03/25(日) 01:25:16 ID:urdsBVgK
てすとさんのいつもの癖だけど、逆の行動を宣言して釣ろうとしてるんだよね。
りょんさんが同意と言ったのは、どの言葉に対してか自覚してるの?
仏の教えは、説かなければならないことを説き、説く必要のないことを説かない。
すなわち、人に、知らなければならないことを知り、断たなければならないものを断ち、修めなければならないものを修め、さとらなければならないものをさとれと教えるのである。
だから、人はまず問題を選ばなければならない。
自分にとって何が第一の問題であるか、何が自分にもっともおし迫っているものであるかを知って、自分の心をととのえることから始めなければならない。
427 :
まい:2007/03/25(日) 01:28:30 ID:urdsBVgK
釈迦の言葉と、てすとさんの行動は「逆もまた真なり」でしょうから、
素人さん、真に受けないほうがイイってことでしょうね。
>>405 一行目は世界共通だよw
信仰が普遍的であることと、そうではないことの原因は同じ、
そこにある(否定的な意味でw
>要するに難解であり、誰にでも使える物ではないってなる。
誰にでも使えるものではないが、使うしかない…というような事柄なんだけどねw
429 :
まい:2007/03/25(日) 01:29:50 ID:urdsBVgK
>>427 私のほうが実践してるんですよ。皮肉なことに。
431 :
まい:2007/03/25(日) 01:33:21 ID:urdsBVgK
>>430 私の方って・・どうやって比べてるの?
ワタシの印象を言わせて貰うと、天邪鬼っぽいな。
>>431 素人さんならわかりますよ。スキーをやったことある同士なんで。
天邪鬼なのは、修行中の身で確認作業しているからです。
433 :
まい:2007/03/25(日) 01:45:20 ID:urdsBVgK
ああそう、お知り合いなんですか。一緒に2ちゃん出来る関係なんてうらやましいですね☆
余計な口出しスミマセンでした。
じゃあ、心配しなくても素人さんまた来ますね。
ではもう遅いのでおやすみなさいです。
>>433 スキーは比喩ですよw 同じ道を歩んだもの同士という意味です。
ちなみに私と問題意識が一番近いのが大王どん。
435 :
まい:2007/03/25(日) 02:06:36 ID:urdsBVgK
そうですか。大王さんとてすとさんが一緒になれば、↓の仏教に対する疑問もすっきりするでしょうね。
361 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/03/23(金) 22:16:03 ID:TGb3OzOR
そうそう。
素人さんが仏教をニートだ常識外れだみたいな一面があると。
俺なんかも詐欺師だなんだの一面は無くはない。
でも、別に認めるところを認めて堂々とそれ自体を言っちまえば、、、実際には更なるペテン師へとすすむのだw
どこで割り切るかなんて、考え出したらきりが無い、だから相手が別にそれで良いと感じてるならいいじゃんと。
誠意があるとかって言葉も。誠意を相手に与えようって考えた時点で手段でありペテンのラインだ。
ノシ
解答を楽しみにしています。
ではまたノ
>>435 ああ、これは結果で判定すればいいんですよ。誠意とか気持ちとかは全く関係ない。
医者じゃなくても手術成功すればOK。失敗したら嘘つき。
437 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/03/25(日) 10:16:21 ID:FpcXe90p
快感、不快感、というのも、、情緒、、、
概念も遥かに、、情緒の意味づけがある、、
需要と供給、選挙での勝利も、人間の一言、他人の一言も、、、、
情緒的要素が介入する、、
ま、言いたいことは、、そうかの、ように、概念的白黒で(りょんちゃんだって、親が白黒、そうか組織も白黒)すべては存在しないし、解決しない、、
出世しようと、しても、情緒で左右されやすいの人間の常、、、
情緒を見失えば、、新しい商品、流行も存在しない、、、経済学でも心理学要素を無視できない、、
438 :
神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 10:29:52 ID:FpcXe90p
>>412 そのジョークの捉え方がよく分かりませんけどねw
まあ、たとえるなら、俺は警察って聞くとはっきりいって嫌なイメージあるけど、
でも、実際に知る人たちはいい人も仕事熱心な人もいるし、人格者もいる。大変な職業ですよ、命がけの分野も多いし。
日常的にも職業は隠しますしね、多くの警察官は。
ただ、権力的な環境に慣れてるせいか傾向的に独特のものがある人が多い。
教師なんかもそうですね、「良くも悪くも」職業性って出ると思います。
それでも自分が選んでる道、人の評価なんかを真に受けてはいけませんよね、ましてや漠然と嫌ってるようなヤシの言葉なんて。。
かといって、まったく聞かないのも客観視から遠ざかる。漠然と嫌ってるヤシであっても、その原因ってのもあるだろうし。
警察官だって人間だから完全なわけもないし、人間としての精神的限界だって持ってる、
教師だって昨今では精神的に大変な思いをしてる、昔と比べて人物的に弱くなったと言うだけでもないでしょうし。
ただ、その職業に対して、人間だからってのを思えるのはよほどがんばってる本人とそれを見ている人たちですよね、
何かと理由に俺だって人間なんだからと言ってたのでは情けなす。
分かってるでしょうけど、素人さんのことを言うわけではないですから。
素人さんは「イメージ的に」嫌いな警察の中にも俺的には良いと思える人ってのに近いかもねw
>>414 師であって欲しいなんてないよw
ただ、仏教的観点から見る素人さんの考え方が良いと思ったから聞きたいことはきっとまだまだある。
それと仏教観自体が俺が嫌うような宗教的じゃないのもある。
仏教系の大学とかの教義を聞いてるみたいな感じだ、ってどんな教義か直接聞いたことはないけど、少し知ってる。
教義的なことから踏み込んで精神部分も話してくれる教師みたいではあるw
貴重な時間を割いて長文考えてくれて、ただで教えてもらえてるんだからありがたいよなあとも。
>>415 あははwてすとさんのそういうのがある意味素敵だw
>>427 ひょっとして素人さんのレスを真に受けてるのか。。。
目欄にもジョークってかいてあるけどね。
>>428 日本じゃあんまりぴんと来ないイメージだけど。
信仰が人間が直面するあらゆる問題への解答。って考えってありませんし。
信仰をもつ人に対してですか?
それとも信仰の定義の問題なのかな。
使うものしかないってことからも、人の信条信念とかを信仰と見てるのですね?
>>436 誠意とか気持ちがまったく関係ないってのはそうでもありそうでもないんですよね。
って、てすとさんだからそんなの分かりきって言ってるんだけど。
ただ、誠意とか気持ちがあるのだから受け入れない相手が悪いとかって傾くのは本質を誤る。
誠意とか気持ちってものも手段に過ぎないと思うんですよね、俺は。
人は常に意識無意識問わず、様々な手段を駆使してる、本当に心からの純粋な誠意なんて滅多にないか、
ともすれば存在しないかもしれない。そう思う。
自分の気持ちに偽りはない。なんて本気で思えてるときの気持ちは純粋ではありますけどね、でも無意識の手段です。
だから確実なのは結果だけなんです。かといって、手段であれ、精神性や人間性は、
最終的には必要不可欠でもあると思う。
>>437 分かるよ。
俺の場合には情緒って言葉は使わないけど。
人の心が世の中を生み出してるんだから。
全ての建造物から、物から姿形から需要から供給から法から律から何から何まで。
神仏もね。
>>445 結局、一番大事なのは「結果」だって事ですね。
すべては思う結果を出す為の修練ですから、修練そのものには意味は無いです。
浪人生って、只のプーですし。
まぁ、修練した事は、目的以外の為にもなるんで、全く無駄ってわけではないですが。
>>447 同意ですね。
精神性や人を思いやることも、苦しい修練も、なにかしらの結果に結びつかないと意味が無い。
網の目の例えは、解るのですが、わたしのイメージは違うんだよね。
わたしはピンボールなイメージ。何故か、それが浮かぶ・・・・
>>447 昔、異国の友人に「仕事忙しい?」って聞かれたから、
忙しいよって答えたんですよ。
そしたら「じゃあ儲かっていいねえ」って言われたから儲かってねーよ。
って答えたら、じゃあ働いても金にならないなら働かないほうがいいじゃん。って、
ほんと、それだけのことだと思いますw
そいつらね、あんまり働かないのにパチンコもするわ、酒も飲みに行くわ、みんなで協力して不法滞在でもこそこそせずに
力強く生きてるんですよwリスクあっても明るいw
>>448 結果が必ずしも外にあるとも限らないわけですしね、なんにも結果も生まないものに意味は見出しにくいですね。
本当の本当に何にも無いならただの無駄。結果にすることも結果を生かすことも自分であるとも言えますけど。
「ああいうのは無駄だと知った」こんな結果もあるけどw
>>450 それは無駄な事だと「確認」する為にやることもあるけどw
「あぁ〜やっぱそうかぁ〜」みたいなw
トラブルシュートの過程では、無駄と思える事も、あえてやる場合もあるからな・・・・
確認の為にね。
てすとさんが言うように、時間も予算も無ければ、そんな事してられませんがね。
>>451 よーするに、目的があることとか結果のあることかどうかだから同じことですw
それが必要なことかどうかとか。
娯楽だっていろんな「為」になってますからね。
飲み歩くにしてもそうだけど、いつの間にか習性のようになってなんとなく飲むようになってくると、
害が増えてきたりしますし。
>>452 それが「無駄な事」だと認識したうえで、意識的にやってるのかどうか。
>>451は、過程での「選択された」行為。
言いたかった事は、そゆ事w
>>453 んー、俺にはやってみないとわからない無駄なこともあると思うから微妙ですね。
必ず勝てるギャンブルはないのに勝負する人たちがいるのと同じですよ。
俺はギャンブルっていうか、ばくちはほとんどやりませんけど。
ちょっと思ったから書いてみる。
松下幸之助とか、まあ、織田信長でもいいのだけど。
人生の指標になりそうな人を見つけて研究して何かしらを感じて生きる。
おそらく幸之助あたりなんかだと立派な指標に出来る人もいそうだ。
宗教をそう使う人も本来同じことだと思うのだけど、宗教の人間って、
松下幸之助なんかじゃ幸せになれないよ。とか断言しそうなイメージ。
こういう俺の持つイメージってのは実際問題はどうなんですかね。
そういう風にいる人はいるのは間違いないんだけど、数的には俺が思うほど多くはないんだろうか。
ちなみに俺が受け取る松下幸之助の印象は仏教的思想と成功哲学的思想だと思ってるし、
それだけでいいとか思ってませんけどね。
実際には自分で作ったものを使ってる。
けど、まさかそれじゃないと幸せになれないなんて間違っても思わない、自分だけのものだし。
宗教する人はほとんどの人が自分のやってるそれだけが「誰にとっても」唯一だとか思ってるイメージなんだよね。
黄金律なんて立ててみて分かったこと。
黄金律とはその世界、または個人において存在する可能性があるって程度で十分。
それ以上を無理に探してはいけない。
思想哲学宗教も同じ。持つ持たないは自由だけど、何かしらの思想はいずれにしろ持つもの。
その人その人に適した思想が当然ある。これが一番とか基本的に無い。
この業界にはこの手の思想が合いやすいとかはあるかもしれないけど。
>>455 やってみないとわからない事は、無駄な事じゃないんですよ。
無駄ってのは結果論だから。
それを前もって予測してるのにやって、結果が予想通り駄目なら、まさに「無駄」をしてる事かと。
自分の手を刃物で刺せば、血が出て痛いよね?
確認するまでもない、しなくていい事ですw
>>456 そういう目で見れば・・・・
アカン、毒されてるかもw
>>460 絶対に損するわけにいかないのにギャンブルするやつとかいますからね、
ただの馬鹿ですし、ああいうのはw
確かにそんなような人間も世の中にいるんですよね。。。
って、俺も何かそういうようなことあるのかなあ。。。
歌詞は別に宗教臭には感じませんでしたけど。
それに、神秘的なこととか、ともすれば神概念のようなことも宗教に所有権があるわけじゃないですしねw
ところで榊さんは他の板にもいくんですか?
てすとさんとかはどうなんだろ。
>>459 りょんさんは、「真理」や「悟り」めいたものをイメージしてたんじゃない?
わたしはHow toのイメージでしたが。コツですね。
そういうのは、あるんじゃないですか?
>>463 わたしはネラーってわけじゃないし、もっぱらここと、信仰問答だけですよ。
宗教・無宗教からのコテの方達は、論理的で理性的で物知りだから好きw
他は、そうはいきませんからねぇ・・・・・
わたしは、今で十分w
つか、ラッキーだと思ってますよ、マジで。
これも人徳かw
ノシ
>>464 イメージあったかな。あったとしたら人がやりたがらないことを進んでやりなさいみたいなの?
宗教って普遍とか真理とかって言葉が付き物なイメージがあったんで使ってみたってのが一番ですけどね。
>>465 面白いもんですよね、宗教に基本的には関係ない人間が集まって宗教について来る日も来る日も話してたりw
俺は宗教自体についてはあんまり関心ないですけど、特に今は。
俺はこのスレが終わったら別の板に行こうかなあとか思ったりします。
俺は今でも宗教団体のような宗教に学ばないほうが基本的には強いと思うんですよね。
ただ、それも宗教団体の中で自分がどういう考えを持ってするのかによるんだと、前よりはそっちを思うようになったかも。
ただ、、、宗教って、やっぱり、神の名の元に忠誠を誓わせて縛るような面があると思えてならない。
そうなれば害が出てくると思わずにいられない。
だから基本的に一般信者はだめですね、難しすぎると思う。
素人さんとかフーテンさんとか見て、宗教は害が無いなんて言えないもんなw
>>464 あ、でも、俺がやりたいそのものは同じですよ、こつ。
榊さんもそうだけど、俺もすでにコツはつかめてる部分もあるし。
つか、ここや向こうの住人の人たちってみんなそんな感じだ。
470 :
まい:2007/03/25(日) 23:06:26 ID:urdsBVgK
>>468 >ただ、、、宗教って、やっぱり、神の名の元に忠誠を誓わせて縛るような面があると思えてならない。
そうですね。
>素人さんとかフーテンさんとか見て、宗教は害が無いなんて言えないもんなw
そうですか?
素直に希望を語ればいいのかもね。
471 :
まい:2007/03/26(月) 00:59:27 ID:NsGrTZnN
結局周りがどうあれ、自分が「満足満足」と納得できたらそれでいいってことですかね?
宗教でいう、「結果を得る」って。
>>471 結局周りがどうあれ、自分が「満足満足」と納得できたらそれでいいってことですかね?
宗教とか関係なく、それが世の理、真理ですよw この世は、自分の為にあるんですから・・・・
つーわけで、寝るwノシ
>>470 俺の書き方がまずかったか?
フーテンさんや素人さんを見てると宗教からも結構学べるんだなあと思ったりするけど、
でも、そこいらの信者はそうは行かないと思う。って意味。
>>471-472 自分が世の中にうまく関わっていたいとか多少なりとも評価されたいって思うなら
満足の度合いも他人が影響しますけどね。
宗教の結果を得るってのは知らないけど、
現実的な結果を得るとは目標に対する実行が十分に出来たことだろうね。
どの時点で十分かは自分が設定したものやすでに設定されてるものもあるだろうけど。
476 :
まい:2007/03/26(月) 11:31:16 ID:NsGrTZnN
てすとさんのいう、手術の成功って、どんなイリュージョンなのかと思った。
何を持って成功とするかも、人それぞれのところもあるだろうし。
例えば不老長寿を目指しているとすれば、まだ成功した人は居ないわけだし。
成功とは。
自分にあった(社会的)役割を持って充実した人生を送ること。
で十分だと思うけどね。
問題になるのは、人には能力の差があることあろうな。
どんなにやりたいことでも適性が無ければ不可能なことの方が多い。
どんな成功本やら思想やらを用いたところで人生の時間程度じゃ限界がある。
物ほどをわきまえた上で目標を立てて、必ずできると確信したことには全力で当たる。
確信できることであればがんばれば必ずできる、そう信じることで可能になる。
合理性と精神性との調和とか、そんなところではないだろうか。
それと相乗効果の本質の見極めとかかな。。。本質を知ることが重要だと思う、
その為に毎日考え続ける、時間はあまり割かずにいかに考えながら行動するかつか。
あろうな×
だろうな○w
物ほど×
身の程○
ものほどは過小してしまってはもともこうも無いけど。
過大もだめだしな。
そのためにも相乗効果や調和、協調・協力は大事になる。
上に立つならリーダーシップだろうな。
家庭の中でもリーダーシップは必要だろうな。リーダーシップの本質をどこに見るかもあろうが。
おい。。。onz
ものほど×
身の程○
この板見てて一番思うのは。
机上の空論に惑わされないことだな。
論じても自分にとって何の役に立たない部分に時間を割くのは意味なし。
釈迦は成功者だろうか。
成功者だろうとは思うけど、何をもって成功者?
今ある仏教の形は望んでたとも思えないし、
覚りを開けたことが第一段階で、教団を持って形をつけたことが第2段階かな。
第2の方では特にだけど、教義にどうあれ我が必要になってると思う。
やっぱり我ってものは重要な要素だと思える、その方向性が問題なんだと。
それと、歴史上の成功者と思われてる人物達。
秀吉は日本を統一したけど、世界統一を目指してたなら志半ばになるし。
成功を遂げた段階の維持なんてものはやっぱりないのだ。
483 :
、、大王:2007/03/26(月) 13:56:38 ID:Y29Uz3sH
釈迦は成功者だろうか。 、、
層化の判断じゃ、成功者と言うんだろうね、、いや、日蓮大聖人こそが、、、
本来は、、、
無我と言ったんだから、、何も無いのさ、、、
概念化は意味が無いと言ったんだろうね、、、
無我とは我がないって意味?
だとしたら釈迦本人は無我ではない。
無我を否定するわけでもなくて事実としてね。
仏教を知ることは力になると理解できた。
本当に現代社会で活用するには儒教やその他もろもろとあわせて知る必要があると思うけど。
キリスト教については。。。フーテンさんにはどう思われるか分からないけど、
なんでクリスチャンが変なのって見えるのかの謎が解けた気がする。
もしもバリバリ西洋的なクリスチャンであれば日本の思想的に溶け込みにくいのだ、きっと。
だから違和感を感じあって中にはおかしくなってしまうものが出る。
日本流に変化させるのがフーテンさんの使命だったりw
と、これは命題になるか?
>>474 何が欲しいかですから。
賞賛が欲しいなら、普通は周りと仲良くしないと厳しいでしょうねw
つーか、「宗教は阿片」ですが
末期癌の患者にヘロイン打つのと、意味合いは同じでしょう。
依存は推奨されないのも同じ。
処方箋もなしに、素人が使えばなおの事。
大した病気でもないのに多用して、普段からラリりまくってたら、そらおかしくもなる罠w
感覚(センサー)だって鈍くなる。それも狙った効果のうちだろうけど。
まともな精査なんぞ、出来るはずも無い。
結局、どうコントロールするか?していくか?ってとこでしょう。方法論ですね。
まず、「劇薬」だって、正しく認識することから始めないとね。
>>484 無我ってか、掴み様が無い、何ものでもないってのが、わたしの概念w
そんなものは、無いのと同じだっていってるのかもな。
「無」という単語の扱い方が、一般的な現代日本と違ってる気がする。
849 神も仏も名無しさん sage 2007/03/26(月) 21:12:44 ID:k0oATKqi
無我ということ
「アートマン」には、形而上学でいう「実我」と、普通に言う「自己」という両様の意味がある。
仏教で言うのは後者である。
実我とは常・一・主・宰の実在とされるが、仏教では、そもそも「実我が存在する・しない」
という見解には立脚していない。決着のつかない実我の有無論争という形而上学の問題には
関わらない、というスタンスだ。
(したがって、厳密に言うと、無我を「実我ではない」または「実我が存在しない」と訳すのは
適訳ではない、ということになるだろう。)
そうかと言って、自己が存在しない、と言っているわけでもない。
色(1)、受・想・行・識の個々(2)、また五蘊個々の総体(3)が、自己なのではなく、また、
それらを離れて(4)自己があるわけでもなく、(以上は、四句分別を用いて分析されている)
それら五蘊が和合して自己を成り立たせている、とする見解である。
二重の意味を兼ねる「アートマン」という語を用いた意図は、>> 686で言及された「密意」と
いうことにも関わってくるだろう。(『真理のことば 感興のことば』383ページ参照)
(この点、>> 845で触れられた仮名、施設、「世俗の言語慣習」や勝義諦などとも関連していて、
ウパニシャッドで実我概念に高められた言葉を、再び世俗の意味に引き戻した上で、真理を述べる、
という仏教での術語の用い方の一端が伺える。)
以上は根本仏教での話であり、三法印の「諸法無我」という言い方には、体系化に伴う、実我的な
ニュアンスがあるだろう。上記の点を理解した上で用いる分には、問題ないだろうが。
sabbe dhammA anattA. (ダンマパダ 279) 一切のものは実我でない。
>>486 使い方なんだと思うんですよね。
宗教してるしてないに限らず、頭おかしいヤシとかいるし。
自分の感覚だけで事象を捉えて決め付けるヤシとかw
仏教でもキリスト教でもその思想に忠実でありながら力強く生活する人もいるでしょうし、
その思想的な生き方を持って人を感動させる人もいるでしょうし。
使い方を間違えば劇薬であることは間違いないとは思いますけど、俺は毛嫌いする必要性は感じなくなってきた。
ただ、あり様によってはもちろん毛嫌いもありですけどね、俺は性格的にも温厚じゃないしな、
嫌いなものは徹底的に排除したいほうだし。
。。。つか、これが嫌いなものを排除できる方法なのか、なるほど。。。
>>486-487 無我ってのはイメージ的には俺も榊さんに近いイメージ。
487の素人さんのレスを見てもいまひとつぴんと来ないかもw
実我であろうが自己であろうが今感じている自分と言うもの、
これがあるといわれようが無いと言われようがある意味そんなことはどうでもいい。
無いと言われたこの自己が今日一日しっかり生活できればいいだけのことだから。
ただ、概念的には自己と言うものも常に変化している、その自覚をと言うなら確かにそうでもある。
まったく違うかもしれないけど、自己を抑えておとなしくしなさい的意味合いだとしたら受け付けない。かな。
つーか、今日は静かですね。
帰るノシ
では、別ネタを。(ちなみに私は回答を持っていないwww)
先日、三遊亭円楽師匠が引退を表明した。
ろれつが回らず、自分の納得のいく(理想形としての)落語ができなくなったからだと言う。
反応は様々で、町の声も「残念」「寂しい」「潔い」等、いろいろらしい。
そんな中、歌丸師匠はこう言ったそうだ。 「口惜しいって言うか、残念って言うか・・。
(たとえうまく語れなくても)後進の手本として続けてほしい。今度会ったら怒ってやります。」と。
どんなにボロボロの落語になっても、声の出る限り語り続け、最後には
高座の座布団の上で往生する、ぐらいの気概をも示していよう。(勿論、発言内容は一部意訳である)
ここに、ある一つの事象(理想的語り(落語)ができないという)に対して、二つの立場が示されている。
一つは、
『(完璧とまでは言わないまでも)【理想的な形を持った表現】ができなければ、
【理想形から遠い語りになってしまうなら】【噺家として】高座に立つわけにはいかない』というもの。
もう一つは、
『たとえ【理想的形から遠くとも】(理想へと近づける)(なるべく理想形を目指す)というような姿勢を持って、
【噺家であるなら】高座に立ち続けるべきではないか。高座に立ち続けることが使命ではないのか。』
というものだ。
前者は、『理想が実現できなければそれをする意味が無い』という意味にもなろうし、
後者は、『理想と隔たりがあっても、それへと近づける努力があれば良い。
或いは、たとえボロボロになろうとも、酷い出来であっても、
それをやりつづけるのが、中の者としての義務ではないのか』というものとなろう。
どちらにも、『【自分の納得する】』という要素が不可欠ではあるし、
『噺家【とは何か?】【どのようなものであるべきか?】』という基点も必要であろう。
さて、あなたは、
どちらが真理だと思う? どちらが正しいと思う?
どちらが優れていると思う? どちらが、人としてあるべき態度だと思う?
もし、あなたが噺家で、円楽師匠のような状況になった時、
こうした二つのアドバイスを受けた時、
どちらを選ぶ?どちらを参考にする? m9(`・ω・´)
それとも両者の間(必ずしも真ん中とは限らない?)を探す?
>>492 考え方が逆なんだよね。
あるべき姿ががあって、それに従うんじゃなくて
その時点で自分がまだやりたいかどうか。で、後付で理由をとってつけりゃいいんだよ。
>>493 >自分がまだやりたいかどうか
の時点で、
「そのための基準を人は必要とする」或いは「(無意識にでも)ある基準が参照されている」
ということだよ。
>>492 是非は無いと思うなぁ、これに関しては・・・・
わたしは、前者ですがね。
只、趣味としてやるのは、もちろんOK
プロは結果ですよ。これがわたしの信条。
まぁ、それでも需要があるならいいかもね。興業だし。
わたしは、そんな姿晒したくないので、絶対嫌だけど。
ノシ
>>491 >後進の手本として続けてほしい
これを文字通りに見れば、いう方がちょっとですよね。
手本とするなら元気なときのフィルムでも見ればいいし、教えを請うなら訪ねたらいい、
その方がある意味師匠孝行的でもあるきがする。
客があっての商売ですから、情けを相手に求めるようなものでもないし、本人も望まないでしょう。
もしもその言葉を真に受けて続けてももっと辛い形で去らなくてはいけなくなるでしょうし。
ミュージシャンなんかでも歌えない状況になれば一旦去ります。
本人が再起を望むのであれば、そこから図ったらよいと思う。
って、続けるには本当は本人の意思よりもその世界の客の大方がどう望んでるかどうかのもんでしょうけどね。
>>494 社会においては基準はあると思います。
それをあえて破ることは可能だけど、破って進める場合と破ったために落ちる場合とがある。
人が惜しむのは去るからであり、そのまま続けることになれば
今惜しんでる人たちまでもが今度は逆のことをとやかく言い出しそうだ、実際にひどい状態だし。
それにその場にいなくなってもその人が終わるわけじゃないのだから本人の苦渋の決断は評価してこそ報われる。
と思うほうだな、俺は。反対意見があるから考えられるってのもあるけど。
>>495 興業 ×
興行 ○
興行なんだから、まず客ありきでしょう。
行進のためとか、意味解らん。
客には、関係の無い話。
円楽師匠は、クリエーターとして、満足いかないものを、世に出したくなかったんでしょう。
自信の創作物に対して、自信やプライドがあるならば、当然の選択。
なんで同業者なのに、それが解らないんだろ。
それのが不思議だ。
まあ、歌丸もそういう意味でいったんじゃないでしょうけどねw
>>499 行進 ×
後進 ○
間違いすぎ・・・・
ノシ
そうそう、上のほうで、無駄に爺が居付いてるから、後進が育たないってのも、よく言われる話だけどねw
老兵は死なず、唯去るのみ ってなw
人の上に立つなら、ものを任せるっていうのも重要な仕事だし、任せれるだけのものを作るって考えなら、後進の為にするにしても、他の選択肢も浮ぶんじゃないかな。
つか、切れの悪いの見たって害にはなっても得にはならんでしょ。
変なイメージが付くから、やめたほうがいいね。
503 :
神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 10:37:21 ID:mcHZA6kN
>>502 全体を見てそのものの本当の利益を考えたら引くときは引くべきだと思いますしね。
それでもい続けるって言うのは自分の利益にしかならない。
犯罪を犯そうが、信用を失おうが往生際悪く居座ろうとするのは政治家や日銀あたりの総裁と同じでみっともないです。
国民にメディアを通していつまでも恥を晒し続けるのが平気な人間。
末代までの恥晒し。
それに比べて引き際が立派な人は惜しまれる。
506 :
、大王:2007/03/29(木) 14:37:12 ID:mcHZA6kN
大ちゃん、今更そこのリンクは要らないぞ。
508 :
1/4:2007/03/29(木) 18:14:10 ID:wUN2/dfv
どうやら大勢は(って2人しか居ないがw)前者支持のようだ。
(まったく予想通りであったが・・・w)
今回の事例(落語・円楽さん)に於いては、
「ろれつが回らない(→言語がはっきりしない)」という
万人が簡単に判別できる違いがある。
そして、一般的価値観から言えば、「質の落ちた商品(作品)の提供がなされる」
という意味になる。故に、これまでの意見はもっともなものであろう。
そこには、「商品としての質」という要素が外せないものとしてあるから。
だから
>>491後段に於いて「落語・噺家」という要素を少し削った形として提示した。
では、別のケースを想定してみよう。
509 :
2/4:2007/03/29(木) 18:14:43 ID:wUN2/dfv
一人の画家がいたとする。
シンガーソングライターでも、漫画家でも、映画監督でも、
小説家でも、舞台演出家でも何でもいいが、
(伝統工芸職人とか、中小企業とかだと前者かな・・?
【支援活動系】とか、【地域コミュニティ】とか、サークルとかだと・・・?
→榊氏(
>>495)には「趣味としてやるなら・・」という断りの一文があった。
では、宗教『関係者』は・・・?????)
とりあえず、一人の画家がいたとする。
実力も名声も高く、ファンも多かった。コンスタントに作品を発表し続け、
もう長いこと世に知られていた。
そんな彼が、ある時、作品を発表しなくなった。彼を支えるパトロンは彼の許を訪ねる。
画家は言う。「もう描けない・・・」と。
パトロンは訊ねる。「どういうことだい?」
画「【何も涌いてこない】んだ。
何をどう描いても、キャンバスの上に絵の具が乗っている、ただそれだけのものなんだ・・。」
パトロンはアトリエを見渡し、幾つものキャンバスを目にする。
描きかけのもの、明らかに塗りつぶされたもの、一見完成品のように見えるもの、
膨大な数の絵が、そこに積まれていた。
パトロンは、それらを一枚ずつゆっくりと見てまわり、言った。
パ「いいじゃないか、どれもこれも。 胸を打つものばかりだ。」
画「何言ってるんだ、お世辞はやめてくれ。それに今じゃ、手も震えがちで満足に線も引けない。
目も悪くなってきているようだ。緻密な描写はもうできない。【技術的にも】画家【失格だ】・・・。」
パ「ふむ・・・確かにw ひどいデッサンだな。まるで子供の落書きだwww
けどな、それが味となっているとも言える。昔の絵を知っている私からすれば、
【新しく】、そして心の奥を鷲掴みにされるような力強さが感じられる。
昔の繊細な美しさと違い、生命力が描かれている、と、そのように私は見るがねw」
510 :
3/4:2007/03/29(木) 18:15:38 ID:wUN2/dfv
画「【そんなことはどうでもいい】! 俺が描きたいものじゃないんだ!
というか、何を描きたいのかさえわからない。
昔夢見た、そして次から次へとイメージの涌いた画面、
そうした【理想的画面がキャンバスに表れない】んだよ!
理想とする画面、【理想とする】【画家としての存在意義】は、もう失われてしまったんだよ。
そんな自分が絵筆を握ることは許されない。何より【俺自身が納得できない】んだよ!」
パ「そうか・・。・・・言わんとするところは解る。確かに、理想を言えば、
作品とは、その作家のイメージがそのまま画面に焼き付けられたものと言えるかもしれない。
でも、画家というのは、画家の作品というのは、その時その時の、
まさに、今生きている自分自身が表現されたものではないのかい?
【生きている証】ではないのかい?
だとするならば、たとえ細密描写ができなくても、たとえデッサンが狂ってきても、
そして、昔のパトスがキャンバスに乗せられなくとも、
今ある自分のあるがままがキャンバスに乗るなら、
それは、立派に『君の作品』ではないかね?
お客さんの中には、そんな君のあるがままの苦悩に感銘を受ける人もいるかもしれない。
また昔からの君のファンは、そうした【君の変化をも、君として】(君の作品として)
受け止めるんじゃないかね・・・。」
パ「もう一つ、現実的な話をしよう。
君の作品・仕事は、もはや君だけのものではない。駆け出しの頃の君とは違う。
君の仕事は多くの人々の生活を支えている。彼らを路頭に迷わせるのか?
また、君の、ほかの誰でもない『君の』作品を待っている人々もいる。
もし君が筆を折るなら、彼らに対しきちんと釈明し、詫びるべきではないかね?
君が、画家を自任するならば、してきたのならば、
キャンバスに何かを描くことで、自分の生の証を立ててきたのならば、
最後の最後までキャンバスに筆を走らせてこそ、君の生(画家)なんじゃないかい?」
「もう暫く考えさせてくれ・・・」
画家は、そう言ってパトロンを帰した・・・。
>>508 それに日本人気質も持ってますからね。
潔さとか引き際散り際って美観も持ってるし、多少なりとも。
512 :
4/4:2007/03/29(木) 18:18:03 ID:wUN2/dfv
さて、要点を整理してみよう。
前者 :『理想が実現できなければ、理想がそこに現われなければ、それをする意味が無い』
後者a:『理想と隔たりがあっても、それへと近づく努力があれば良い』
b:『(たとえ酷い出来であっても)それを続けることが存在の証となる』
c:『理想へのアプローチ方法を変える』
d:『理想そのものの転換を図る』
e:『外へ発信される情報の質は、変容こそすれ、落ちるものではない』
f:『よほどの質の変容が無い限り、情報が発信され続けることが望まれる場合もある』
g:『情報の質の違いが、受け手にはわからない場合がある』
h:『情報の質の良し悪し(利があるか無駄か害か)が、発信者と受け手との間でズレる場合がある』
(→情報の発信者は質が落ちたと見做しても、受け取る側は上がったと見做す場合もある。)
逆も当然ありうるが・・・。
i:『外へ発信される情報がどのように利用されるかは、受け取ったものに委ねられる。』
(まず、発信されることが肝要)
この際に参照される基準、事象を構成する要素には、ざっくりと以下のようなものがあろう。
・【自分の納得する】という基準。
・【○○とは何か?】【どのようなものであるべきか?】という基準。
・【何が提供されてきたのか】という要素。
・【そもそも需要があるのかどうか】という状況観察・判断。
・【提供されてきたものは、どのように利用されてきたのか(→何が求められるのか)】という要素。
・【これまでと同じものが提供されるべきか、違うものでもよいか】という基準・判断。
・【提供され続けるべきかどうか】という基準。
・【提供され続けるべきならば、後継者が必要となる】可能性の有無。
・【○○と自分との関係】という要素。
>>512 とりあえず直感で。
納得いかないものを世に出すのは基本的にはだめでしょう(前提
ただ、価値を見るものは世の人なので、それでもいいからと言うことであればそこに価値は見ることは可能。
でも、納得いかないものを苦悩に苦悩を重ねれば後の世で価値を持つかもしれないけど、
その場で価値あるものにはなりにくい気がする。
よほどのその人を知る人がそのもがきの中に価値を見るとかであれば十分な価値だと思うけど、
パトロンがいうような形で商品として考える時点で苦悩よりは打算、その時点で価値はほとんどなくなると思える。
あとはよく考えてみる。
でも、大事なのは欺きがあるかどうかな気もする。
その本人が商売にしてもいいなら商品価値として妥当な値付けをすればいいのか。
ただ、その状態で商品としてうればその者の価値自体が下がる可能性は大。
世に出さずにおけばその姿勢こそが価値を持つものなのかも。
埋もれる可能性も大だけど、自尊心は傷つけずに済むのか。
本人次第ですね、本人が出して売れる売れないはその人の今まで次第なのかもしれないし。
職業的に捉えるか、芸術家的に捉えるか、
綺麗ごとで捉えるか、一般的に捉えるかで変わるな、これは。
>>512 後者a:『理想と隔たりがあっても、それへと近づく努力があれば良い』
「努力」は、商品じゃないでしょ。それには価値は無い。
b:『(たとえ酷い出来であっても)それを続けることが存在の証となる』
その行為は、商品価値を保障するものではない。
e:『外へ発信される情報の質は、変容こそすれ、落ちるものではない』
これは詭弁。
f:『よほどの質の変容が無い限り、情報が発信され続けることが望まれる場合もある』
天気予報じゃないんだからw
g:『情報の質の違いが、受け手にはわからない場合がある』
スランプな人が言いそうな事。
h:『情報の質の良し悪し(利があるか無駄か害か)が、発信者と受け手との間でズレる場合がある』
(→情報の発信者は質が落ちたと見做しても、受け取る側は上がったと見做す場合もある。)
逆も当然ありうるが・・・。
商品価値が認められた場合はいいけど、無い場合はgですしねぇ。
i:『外へ発信される情報がどのように利用されるかは、受け取ったものに委ねられる。』
(まず、発信されることが肝要)
本人が望むならば。
c:『理想へのアプローチ方法を変える』
d:『理想そのものの転換を図る』
これらは、問題無い。
bだけど、ありえないでしょ、プロとして。
例えば、好きな御菓子が、いきなり不味くなって売られてたら、どう思う??
信用問題だよ。
続けるだけの行為には、反対ですね。
ざっと見て、自分本位の独りよがりな感が否めませんが。
>>515 プロとアマの違いは、報酬を得るかどうかでしょ。
報酬を得たら、そこに明らかに義務が発生しますよね、普通は。
その責任を、どう果たすべきか?
何回もいいますが、わたしは何処まで行っても、商品は質の保証がされているべきで、 あくまでも、顧客本位で営業努力は行われるべきだと思いますよ。
芸術だから、どうという話ではないよ。
金取ってるんだから、商品でしょ。それ以上でも以下でもない。
それに、自分で納得いかないものを出して、クレーム来たら、自分を責めるんじゃない?
出す時点で、クオリティーに拘りがあるよね。「納得いかない」って思ってるんだから。
今回は商品の性質として、コンスタントに生産出来るものではないってとこを、見てないんじゃないかな。
>>510 君の仕事は多くの人々の生活を支えている。彼らを路頭に迷わせるのか?
不良品でも、その理屈で出すなら、不治やと一緒ジャンwwwww
食った人が死んだら、会社もヤバイよw
「君が、プロを自任するならば、してきたのならば、商品を提供する事で、自分の生の証を立ててきたのならば、最後の最後まで商売に対して誠実である事がこそ、君の生なんじゃないかい?」
まぁ、商品価値なんぞ、時と場合によって変わるんで、結局大事なのは、「提供する側の意識」だと思いますよ。
だからこそ、納得いく仕上がりを求めるんでしょう、普通はね。
寝るw
>>517 どういう性質と見るかだと思うんですよね。
危険が伴うことであれば不完全で出すことは犯罪、ただ、サービス的なものとかになると
そもそも万全とか最善と言うものすらないから受けて次第にもなりうる。
万全だなんて思ってることが自己満足だし。
車やバイクのデザイン、完全なものが出来るまでデザイナーが持ってこなかったら商品は出来なくなる。
完璧だといったからうれって言われたって、そいつのデザインが独創にあふれすぎて誰一人良いと思わないなら
1台も売れない。
この設問は巾が広すぎて絞りにくくもありますねw
>>518 ほぼ同意。
提供する側の果たすべき役割と責任。
提供する側の意識と受け取る側の意識の合致。
そんなところでしょうね。
>誰一人良いと思わないなら 1台も売れない。
自レスに。
一台も売れない。これを売るのが一流の営業と言えるだろうか。
とか、職業的なことで精神部分は基本的に答えが出にくいテーマでもあると思う。
同じ発想では商売として差が付けられないって考え方もある以上はこれが正しいってやることは負けにつながる可能性もあるし。
>>516の
>「努力」は、商品じゃないでしょ。それには価値は無い。
これは至極もっともなのですが、サービスって「思想」になると顧客が求めがちなので外せません。
手作りを好む人はおそらく機械がそれ以上の芸術性を持ったのだとしても手作りを望むでしょうし、
そこに人間同士の何かしらを感じたりしてるんだと思います。
そこにはその作者が思いをこめて丹念に仕上げたと「思うから」こそであって、
適当とか不出来と知りつつと聞いたらそれを壊したくなるかもしれませんwまあ、多少の失望はあるかもしれない。
だから顧客と提供する側の温度差があまり無い状態でありながら微妙に顧客の温度が上がってくれることが望ましいとも思える。
精神面の部分で言えばですけど。
商品が完璧でも満足するしないの差は環境や条件や価格や人間の部分にありえます。
おいしい店のおいしいものもつまらない人間と食えば美味くないし、店が騒がしかったら味わえませんし。
つまらない人間と飲んだたった一晩の酒が胃に穴を空けることもありますw
NHK 人間ドキュメント 10:00〜
のっぽさん
見てますか?
つけてみた。
この人は宗教家なんですか?
終わった、そんなに特別な事は言って無かったです。
けど、そんな事も番組にしないといけなくなってるとはいえるのか。
527 :
まい:2007/03/30(金) 22:58:30 ID:6bc6wuuO
こんばんわ☆
こんばんわ。
530 :
まい:2007/03/30(金) 23:25:33 ID:6bc6wuuO
あ、りょんさんいたんだぁ。
426 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:21:02.94 ID:hoGEnbJm
宮崎駿ものっぽさんもタバコは駄目だろ。 イメージがよぉ。
485 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:22:36.28 ID:2G6TZ3yf
>> 426
宮崎駿は煙草スパスパ吸いながらドイツ戦車の悪口を言ってるときが一番輝いている。
424 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:20:59.46 ID:odF0EVIS
ビジュアルだけでも、名脇役になったろうに。
なぜ、ドラマに出なかったんだろ
450 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:21:31.54 ID:cG8beUjk
>> 424
子供のイメージ壊したりするからじゃないの
512 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:23:56.41 ID:cG8beUjk
>> 497
案外、殺人犯役なんかも似合いそうな気がするんだけどね
まあ無理だったろうなー
22 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:42:14.60 ID:FYtZm3L0
ノッポ意外と自己主張強くて イメージ壊れた
57 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:43:08.62 ID:ewV2L4ky
いや、でもこういう人でないと二十年以上も「できるかな」は勤まらんのでは
34 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:42:28.67 ID:65bPj5bV
やはり子供向け番組を長く作ってきた人だから
子供に対してアピールできるのはどれか
が経験的にも判ってるんだろう
こういう人のノウハウは生かさないと
35 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:42:30.61 ID:2j5nRh2W
なんかノッポさんのオナニーに見えてきた・・・
これもひとえにこんなことノッポさんにやらせなきゃいけないようにさせたゆとりすとのせいだ
――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――
841 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:36:55.82 ID:J9SBBWn0
子供向けだけど大人向けより真剣に作ってるっぽいな
826 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:36:28.13 ID:RUATZPbT
こだわって物作る人同士の意見交換は激しいな
834 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:36:45.36 ID:x1jtn009
ノッポさんに逆らうなよ・・・
できるかな見て育ってないのかよコイツ;
837 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:36:49.90 ID:1TuKf4XZ
演出家の言うこと聞けよ
880 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:37:58.25 ID:Z2TUAMAv
表情をどうするなんかなんて
観念的過ぎる。
840 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:36:55.44 ID:3shrVcJR
Dが折れるしかないよ
845 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:37:01.30 ID:RUATZPbT
演出家折れたか
846 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:37:04.25 ID:t+WPM6xY
いやでもこいつの言うこともなかなか
847 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:37:05.76 ID:NCfiCR61
折れたか
848 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:37:06.75 ID:cpZZnHlY
若造折れたか
( 869 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:37:32.03 ID:ggijcPzM
にゃっきの人に向かって若造ておまいら… )
279 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:37:22.03 ID:QTyiKtsi
ちゃんと理解して折れたのならいいけど、のっぽさんを立てて折れたとかだとこの先やばそう
894 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:38:36.60 ID:MGPCWmOA
演出家っていうけど 所詮ただの人間だぜ ちょっと人より我が強いだけ
895 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:38:37.69 ID:65bPj5bV
>> 848 いや、ノッポさんの言うことのほうが理に適ってると思ったから
それは違うと思ったらどうやって説得するか頭使いますよ
993 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:41:27.09 ID:NqLnsD9B
ノッポさんで正解だったな
274 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:36:43.22 ID:QTyiKtsi
のっぽさんが全部監督もやればいいんでねーの?
865 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:37:28.48 ID:x1TfEczF
小さい頃、ブラウン管越しに見てきてた人に意見するなんて思わなかったろう本人もwwww
――――――――――――――――――――――――――――――
841 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:36:55.82 ID:J9SBBWn0
子供向けだけど大人向けより真剣に作ってるっぽいな
866 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:37:28.98 ID:cG8beUjk
できるかなのスタッフは皆すごかったみたいだもんな
今時の若い連中に言いたくなること沢山あるだろう、この人も
942 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:40:13.59 ID:i1tBatPF
まあ有壱も現代日本のトップクリエーターだけどな。
16 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:42:09.27 ID:zsYJTC/B
この作曲家はガーシュインの影響受けすぎだな
――――――――――――――――――――――――――――――
15 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:42:08.44 ID:hWipzkH9
みんなのうたなんだよね?
小芝居多すぎない?(´・ω・`)
40 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:42:40.63 ID:tK+kq6Ow
>> 15
思う
正直言ってこの寸劇が入ってると
説教くさい感じが
子どもいなきゃなあ
60 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:43:19.39 ID:Bt1ID5Bn
こどもとの共演がやはり絵になるね〜この人は。
――――――――――――――――――――――――――――――
41 公共放送名無しさん sage New! 2007/03/30(金) 22:42:41.25 ID:2Yk7fc8z
小学低学年女子の間で見知らぬ人に挨拶するブームが起きたらうれしいな(`・ω・´) シャキーン
50 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:42:58.46 ID:65bPj5bV
問題は大人のほうが
挨拶しちゃダメって言ってることだな
93 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:44:13.92 ID:59xu5MpU
これ見て、あやしい大人に挨拶する子が増えたらどうするんだ?
――――――――――――――――――――――――――――――
おまけ
★
145 公共放送名無しさん New! 2007/03/30(金) 22:47:44.93 ID:65bPj5bV
こうなったらのっぽさんを萌えキャラ化して
いやなんでもないです
★
再放送
総合テレビ:4月11日(水)午前0時10分〜(4月10日 火曜深夜)
――――――――――――――――――――――――――――――
余談:
>>525 「できるかな」の「のっぽさん」を知らないとは・・・・ orz
けど、ある意味、宗教家に近いかもしれんw (爆笑
>>526 特別なことだけが、大事であり、需要があると考えているのかい?
あの番組は(最終回だけどw)、
【特別でないこと(マイナーなこと)を取り上げる】ところに意味があったのではなかろうか?
(欠かさず見てるわけではないが・・w)
往年のNHKドキュメントは、そうしたところで本領を発揮していたようにも思うしw
536 :
まい:2007/03/30(金) 23:39:23 ID:6bc6wuuO
>>522 りょんさんの言いたい事は、「努力」でなくて「物語」でしょw
物語は、付加価値を上げる絶好のネタですからねぇ。
努力とは、ちと違います・・・・・
誰々が、あの時に使った道具とかね。
寝ます。おつっー
のっぽさんって有名人なんですか。俳優?
>>537 見せるための努力なんてものは物語ですよねw
ただ、たとえ見せるためでもある程度本当にやらないと無理なことがほとんど、
口先だけで相手に通じるなんて少ないし。
だから一生懸命やるしかないんだと思いますよ、一生懸命やるから相手に対して説得力を持ったりする。
理想主義的な話に思うかもしれないけれど、実際にこれが一番力として使える。
綺麗ごとではないですからね、影でひっそり、命いっぱい努力しても軽く見せるなんて芸当は使いません、
一生懸命やったものを一生懸命やりましたとアピールするんです、だから偽善との差がない。
こういう考え方を持っているとアピールすることもまた偽善かもしれませんね、
基本的には偽善にあふれてる姿勢が世の中に通じやすいと思ってる、劉備や劉邦に見る儒教思想じゃないけど。
もちろん努力だけでは何の売り物にもならないけど、次の売り物を期待してくれる人が増えたりするんですw
あ、ただ。
偽善にあふれる手段を使ってると思われてはいけないw
だから心底そう思ってるんだと自分が思い込むことが有効となる。と思う。
>>539 まずは、めーいっぱいやらくてはねw
どう見せるかってのが、難しい。
めーいっぱいやれば、それをアピールするかどうかの選択肢ができますが、やらなければ、それはない。
だから態度に余裕が出来るんですね。
なので、別段語らずとも、何かオーラみたいなものが、やった人からは出てると思うw
わたしは、普段は、さりげに。ここぞって時に、淡々と結果を羅列して聞かすw
でも結局は、結果があって、努力を語れるんですよ。
つまり、結果がショボイと、努力うんぬんは、只の言い訳になってしまいますからね。
だから、やっぱし大事なのは、まず結果なんですよ、全てはね。
子供を指導とかするときは、話別ですよ? 当然ですがw
542 :
神も仏も名無しさん:2007/04/01(日) 10:11:05 ID:358bP9xy
>>541 自分の意識も大事ですからね。
遊んでいようが一生懸命やっていようが意識がその時に高められればいいのですけど、
やっぱり一生懸命やって結果も出てる時にそうでない時が及ぶって難しい、
だからそれなりに一生懸命やったほうが早いんですよねw
オーラってあると思います、目の輝き、視線の位置、そんなものからでも相手の言葉が本当か嘘かは分かることもあるし。
>でも結局は、結果があって、努力を語れるんですよ。
そうですよね、過去でも何でもその人が結果を実感できたものの話しは説得力があります、
ただの想像上の話なんかよりも、そして相手にもより奮起する起爆剤になったりもする。
結果が出てないのに努力してますなんて言ってもただのいい訳ですからね。
結果が出てないときはどうすれば出るのかをひたすら試すのみですね。
その状態を自分で努力とか思ってはいけない。
どう思われるか分からないけど、間違っても言い訳でも自慢でもないです。
俺の仕事の拘束時間は15から18時間です。
もちろん自分の意思で減らせますし、その中にこういった時間もあるから目いっぱいじゃないです。
休日は少ないと月0、多くて正月とかお盆で3〜5日、あとは旅行とかいきいたい時に取るくらい。
たぶん半年休みをくれって言っても誰も文句は言わない、ずっとこれできてるし。
仕事って俺にとっては自分そのもののような面もあるし、俺が仕事だって意識もあります。
楽しいし、でもモチベーションは下がったりするから意識は常にあげる「努力」はします。
結果は上々なのかな、それなりに規模も増すし、人も従うようになってきてるし。
日常と仕事の差ってないし、あんまりつけようとも思わないです、日常の中に仕事の種もヒントもあるものだから
意識を切り替えてしまってはもったいない。
この考えや状況には異論も多いです、どうなんですかね。
異論が出るのは内部からなんですよね。。。
うちの会社って俺がこんなだから結構長い時間仕事する人間も多くて、
強制はしてないのだけど、中には基準法どおりで帰りたいのに帰りにくいって言うような意見があります。
かりにリストラって考えれば実績薄で時間きっちりで仕事するヤシになるのは当たり前って考えると、
それもいけないのか?とか、見直したほうがいいのかとか。。。とか、
労働時間や努力に差はあっても結果が同等であれば同じに扱うことを世間ではよしとするのか、
結果がむしろ若干でも基準法君に上がってれば基準法君を用いるべきなのか、姿勢とか努力をどこまでみるべきなのか。
宗教人が宗教は根拠も無く自信を持って人に勧めるのに、
仕事の営業ではなぜ自信を持てない、自信を持てるまでやらないって考えもありますね、
宗教においての努力や自信が仕事とは比例しない例ってあると思います。
でも、宗教の洗脳力って仕事に用いたら、社員一丸となって布教活動を始めるだろうかwとか考えたりするw
それをするしないは別として、そこに何かしらの要素があるかなとか。
547 :
大王:2007/04/01(日) 12:20:40 ID:0yF5BdP/
宗教の洗脳力ね、、まあ、程度はしれているだうね、、
所詮、ボロが出るさ、、、、
すべてを概念で世界を動かそう、解決できる、と言うのが、そもそも、間違い、、
物事の安定と成功は、心理的なものが、、大事さ、、
営業も心理的能力、、新商品も、心理的能力、、
反応したな、大ちゃん。
洗脳力を宗教のように使うのではなく、その過程にある要素に興味があるのは確か。
概念で動くんじゃなくて、実感で動くんだよ。
だから宗教の洗脳力は本来であればたかが知れてるのは道理だと思う、
なのに、なぜ人は宗教にはまるのか。。。
営業が心理的能力だと思ってるうちには本当に営業は上手くならないんだよね。
小手先じゃない何かが無かったら営業は安定しない。
俺は自分をある程度の営業力を持つものと自負してるけど、つか、仮に失業しても俺一人で10や20人はいつでも食わせられるね。
ただ、その営業力って言うのは自分の力ではないんだよね。
営業に力になるような実感は自分ひとりだけでは得られないんだよね。
宗教的な話でしょ?
550 :
大王:2007/04/01(日) 12:33:25 ID:0yF5BdP/
小手先じゃない何かが無かったら営業は安定しない。
同意だよん、言いたいのは、、営業の能力、人脈づくりのする以前に、、心理的能力が、出来上がっている事、器というべきかな、、
ソレが無いと、、無理と言いたいのさ、、、
概念馬鹿では、、使い物にはならんだろう、、、
おそらく俺は大ちゃんと話しは合うと思うよ。
宗教にもその中の良さってのも見つけたしね、
俺はそれをもってとまでは思うことはないけど、宗教自体に本来備わってるものには良いものも多いとみるよ。
弊害があったり使い方が悪ければというのはどんなものでも同じだしね、
ただ、現実に存在する団体の素行についてはやっぱり良いもの視は出来ない場合が多いけどね。
企業もそうでしょ、本当に良い企業がいくつあるのか。
本当に良いとはどういうものかを考えるほうが建設的だね。
やっぱ思うんだけど、「この世」の事を考えるなら、俗世で暮らさないと解らないだろう。
アメリカに住んでて、日本の事、解る?w
引篭もりニートが愚だまいても、ウザイだけだろう。
何を説いたじゃなくて、何をしてきたか?ってのが重要。
そっからの言葉だから言葉自体に力があり、人の心を打つのだろう。
同じ言葉でも、それを吐いた状況で、意味合いや重みが違ってくるからね。
例えば小説読んでて、自分が経験した事あるような事書いてたら、よりリアルに解釈出来る。
経験者じゃないと想像では絶対書けないのって、あるしね。
だから、これが書けるってのは、この人解ってるなーとか思う事もあるし。
理屈以外の流れっていうか、そういうのも、種になる経験が無いと出てこない。
なので、理屈や奇麗事だけって、何処でも失笑をかうw
リアルじゃないんだよね、結局さ。
ノシ
>>553 エマの作者はイギリス行ったことないですけどね。人間の想像力というのは、思ったより強力だと思いますよ。
リアルというのは本当にリアルじゃだめなんですよ。写真よりも絵の方が記号化され整理されてるので脳に伝えやすいんですよね。
あとは愛ですかね。メイドへの愛が強いとリアルと虚構の間の不思議な世界が生まれるのだと思います。
>>553 経験やその人となりは物をいわずとも語るってのあると思うし。
子供のころはともかく30も過ぎると人によって全然違ったものが出来上がってたりしますしね。
子供のころや若い頃の経験って大事だと思います。
もっとも、どんな経験でも今の自分に生かすことは可能なんですけどね。
小説の話も分かります。些細な部分、その人がその些細な中にこめた意味合いがきっと誰にでも分かることじゃないんだろうなあと気付くことがある。
反面、他者には感じられるものを自分が見逃してることもたくさんあるんでしょうね。
経験は過去だけのものではなく、今も築き続けているもの。しっかりと積んで行きたいですね。
>>554 人間の想像力もすごいと思います。
このことは榊さんのレスとは矛盾しないで両方ともそうなんでしょう。
絵画なんかではあまりリアルになりすぎると写真の方が美しいって状態に比較対象が出来てしまいそうに思うし。
愛なんてのも、現実的に考えたらそこいらに言う愛なんて存在しませんし。
俺なんかの仕事ではリアルの経験があるからこそ、そこからのヒントで想像もできるって部分が強いですけどね。
うん、やっぱりそうですね。
俺や榊さんの仕事でたとえると、エンジンをばらしたことがあるから組み立て方も分かるし、
いろんな事例を見てるから、この時にはこれで良いのだろうとか想像が出来る。
俺なんかでは家の状態がこうだとおそらくここがだめとか分かる。
こうすればひょっとしてって勘が働く。経験無には滅多に無いことだと思います。
趣味でも好きだから色々覚えてるからいろんな発想が浮かぶ。
そう考えると運やツキも含めて経験を積むほど色んなものがさえてくると思いたくなるな。
信じるとか望むなんてものも本来リアルjy無いけど、想像力的なものが作用して効果がでたりするのだろうな。
人間の力なんだろうな。
見ただけで違和感を感じる壁とかw
でも、そういうのが増えるほど営業的にも有利だよな。。。
>>557 0を1にする仕事と、1を100にする仕事はどっちも重要だと思うんですよ。
エンジンはあんまり詳しくないけど、ロータリーエンジン開発秘話とかそんな感じですかね。
最近、リアルと夢の間になにかがあるような気がしてw
>559
俺も夢とか好きですし面白い体験したことは何度もあります。
詳しくは分かりませんが、深層心理ってのの謎が解ければ解明される程度だとは思ってますけどね。
でも、夢に可能性があるとか言うならなんかそれこそ夢があるとも思うw
空想とか想像って人間の能力ですしね。
1を100かあ。
俺はどちらかというと0を1.5に0を1.5にってやってるとあちこちの1.5を足して100以上になる。
しかも0を1.5にしたのは50個なのに何故か100をゆうに超えたりするってイメージの方だな。
基本的に危険な橋は避けるほうだし確実で間違いないものを好む傾向あるし。
直感だけで確信持ってるときもあるから微妙ではありますが、そういうときは道理で考えてるのかなあ。
>>554 いぁ、想像物が陳腐だって言ってるわけじゃないよ、念のため。
わたしは、SFも大好きですし。
エマは作者の趣味を、まんまぶつけた作品ですからね。
実際のリアルかどうかは、問題じゃないんですよw
興行品ですからね、楽しめればそれで何の問題もないんです。
大体、その時代に生きてないから、想像でしか書けないし・・・・・
ちなみに作者の森さんは、アニメ化してから念願の英国に行かれたそうですよ。
DVDのコメンタリーで、話されてましたw
少し前に、ここで紹介した湾岸ミッドナイトの台詞って、すんごいリアルなんですよ。
んで、そのリアルさって、解る人にしか解らないリアルさなんですよ。
その世界に居て、それを体験した人でないと解りようが無いの書いてるんです、その作者。
だから、ほとんどの人は、その雰囲気を、なんとなく楽しんでるんですねぇ。
まぁこれも興行品なんで、それで受ければ何の問題もないわけです。
売れて何ぼですから。
人間が言う「リアル」とは解釈されたものですから、写真より絵のほうがってのは、そうですね。
わたしが言いたかった事は、まさにその解釈するための「経験」の事なんです。
その経験は「俗世」でするものであって、引篭もりが語っても、誰も聞かないでしょ?って事ですね。
>>リアルと虚構の間の不思議な世界
それが俗に言う「ないものねだり」の「ないもの」なんですよねぇ。
神だって、「ないもの」だから、求めるんだと思いますよ〜
だから、それが「ある」と思ってる人は、求めないんじゃないかな。
実は、無神論者が、無神論者こそが、神の存在を肯定している人に、状況として結果的に一番近いみたいなw
フーテンさんの言ってる事って、そういう事じゃないのかな?>てすとさんに聞いてみるw
つか、今解った。愛って、願望だ・・・・ そらそうか(テヘッ
>>559 最近、リアルと夢の間になにかがあるような気がしてw
それはあるのかも知れませんが、解釈出来るものでは無いのでしょう。
だから、語っても・・・・・w
でも、喧嘩しない程度に、あーでもない、こーでもないとやるのは楽しいので、いいと思うけどね。
やはり、日本人が偶像化が上手いのは、無神論・無信仰だからだろうなぁ。
>>559 ロータリーは、マツダが拘らなければ、間違いなく埋もれたであろう技術ですからねぇ。
技術は、使われないと意味無いわけですから。
「リアル」って、その人の「解釈」だから、その解釈には当然その人の「希望的観測」が入ってる。
あるのは、「リアルと夢の間」でなくて「希望的観測」の中なんじゃないかなw
>>561 0を1にってのは、無から有って事だと思うよ、大小でなく。
>>563 人間が言語で捉えて思考できるのは脳が感じるもののほんのわずかで、
ほとんどは感覚的に捉えてるそうですし、
言葉で考え、解釈してあーだこーだ言ったところでそれはコミュニケーションと訓練面での
作用の方が大きいのかもしれないです。
>>564 無から有で同じですよ。
たとえる場面は違ってるかもしれませんけど、今までなかったものを使う。
今までやってなかった事をやる。今まであったもののレベルを0と見てそこから0.5でも加えるとか。
>>565 ほとんどは感覚的に捉えてるそうですし
「解釈」って、結局「整理」ですからね。
神を語るのは、共有したいからなんでしょうねぇ。
それが意味あるのかどうか、どういう意味合いを持つのかは、神像によるんだな、これがw
つか、共有=組織 だろう。
>>無から有
てすとさんが言ってる意味は、例えば作曲行為は無から有って事で、その曲をアレンジする事は、1を100にするって事だと思うよ。
わたしも、両方大事だと思うな。
つか、今日は関西寒い・・・・ 風も強いぜっ!
目がショボショボして、つらひ・・・・・
>>566 難しいこと抜きで素でリラックスしていきますねw
感覚的な部分がほとんどで言語、思考で表現や理解可能はほんの数パーセントだとか、
俺は、それだったら言語はその感覚的なものの受け皿として思考や考えを整理する能力を持てればいいってイメージで。
直接的に思考や言語を能力と見ると違っちゃうんじゃないかとまで思うんですよ。
論理的な人からすれば論を重視したくもなるでしょうけど、俺なんかにはむしろその方が向いてるしw
無から有も分かるんですよ、テストさんは芸術的な事を言ってるし、意味合いは違う。
何もばくちの話をしてるわけではないですからね、
ただ、ここでも俺の場合にはそれが自分の場合だとどんな風になってるのかなと仕事上でイメージしてみたんです。
てすとさんの発言の多くは俺が今までに考えた事のない思考方法だったりするんで、
今後はそういう目でも見たり触れたりするかもしれませんけど、今はこんなもんw
何かしらの議論で理詰めで説得されそうになる。
どんなに考えても回りの意見が正しいと思える。
でも、自分は受け入れない。最終的に出てくる言葉は「理屈じゃない」
感覚的になればなるほどこんなのばかりになるけど。。。
そればっかりにならないための一つの指標には思考の整理が役に立つかも。
理屈じゃないってのを重視すると、宗教でも神でも仏でも何でもいいんだよなあ。。。
こうなると、自分はバランス的な部分を考えながら他人と関わってればいいのかなとw
もちろん、自分のいる環境により変えるべきバランスとして。
>>567 言語はその感覚的なものの受け皿として思考や考えを整理する能力を持てればいいってイメージで。
感覚的なものを整理する事が、解釈するって事でしょう。
また、何かしらの解釈無しに、整理を行う事は、ありえない。出来ないから。(フーテンさんは、これを言う
感覚的なものを言語化するってのも、最小構成なもの(コア・エッセンス)の解釈(=意味の固定)したものを整理 しないと出来ないですから、逆に言えば、言語化する作業の中で、漠然としていたものが、認識出来る形(意味を持つ形)となって現れるわけです。
だから、実際に言葉にしてみるって、その行為自体が実のある事だと思いますよ。(って、前も似たような事言った気がする・・・・
まぁ、この理屈でいけば、神を語る事によって、顕現させていると言えなくも無い?
認識論の違いがあるだろうけどw
「共有する為には」、語って「顕現」させる必要はあるなぁ〜
>>568 何かしらの議論で理詰めで説得されそうになる。
どんなに考えても回りの意見が正しいと思える。
でも、自分は受け入れない。最終的に出てくる言葉は「理屈じゃない」
例えば機械修理してて、理屈で考えて行動してるのに、結果が予想と違う。
それは、自分の理屈が間違ってたんですね。
機械は嘘つきませんから。
りょんさんは、ひょっとしたら、その否定している事柄に対して、整理されている訳ではないので理路整然には話せないが、何かしらの間違いを感じとっているのかもね。
まさに感覚的なもので。
特に初めての事柄なんか、結局は感覚的に処理するしかないだろうw
それと、言語化は理解の足しにはなってるけど、それが出来ないからと言って感覚(センサー)が鈍いと言うわけではないね。
結果を見て、順次修正かけて下さいw(って、やっぱ、わたしは基本が機械屋だなぁああああwww
>>569 言葉とつながるのかもしれないけど、現実的にその整理ってのが俺は苦手なんですよね。
きちんと整理する必要性そのものも人より少なかったりします。
だらしないって片付けられちゃうと自分的にはそれはもう二度と目にする事のないものになったりするしw
自分なりには整理のつもりのものが人には整理されていないと思われるようだったりするんです。
仕事的には整理が上手い人の方が仕事も出来るとかいわれてるようですが、俺はそんなことにも疑いますw
当てはまる人もいれば当てはまらない人もいるでしょう?って思うんです、でも、俺の言うことも当たり前です。
統計で俺を見るなって言いたくなるわけですね、絶対的な直す必要があれば直すつもりですけど。
で、こんな事柄もやはり感覚です。人それぞれで思うことは人それぞれ。
出来ないことの言い訳にも使えるし微妙です。語れば突っ込みどころが出来ます。
神も同じでしょうね、語らなければいいのに宗教は語らずにはいられない、だから突っ込む人は絶えない。
>>570 どうなんでしょうね、実際に俺の個人的な感情のみが理由なことも多いんでしょうねw
俗に言う理屈じゃないの一番は、特に女性的かもしれないけど、好きじゃない、虫が好かない、
気に入らないとかでしょ?
そんなもんかもしれないし、そんなものが微量でも混入されてるかもしれないし、分かり様のないことも多いです。
生理的に嫌い。なんて女は言いますし、相手はたまったもんじゃない。
けど、それも重要なことなんですよね、生理的に嫌われやすい人は、たとえば俺なんかの職業では致命的ですから
続けたかったら乗り越えるしかないんです、で、そんな滅茶苦茶のように思われることにさえ、原因はあったりもして、
直ったりもするんです。因果ってやつでしょうかね、理由はやっぱり常にある、
ただし、その理由は必ずしも正当性を有するものとは限らない、それでも解決したいなら乗り越えなくてはいけない。
昨日ムータンさんと話でたけど、パワーバランスっての。どうにかしたいほうがどうにかしないと変えようがない。
甘ったれてても誰も助けてはくれませんし。
結果を見て順次修正を必要とするのは機械やさんだけじゃありませんよ。
それが出来なかったら成長は止まりますw
鉄砲もってうとうとしてる人に「それは違法だ」なんて叫んでも
バーンで終わりだしな。。。
甘ったれてても誰も助けてくれないっての、近頃は変わってきてるんだろうな。。。
でなかったらニートなんてのが湧いてくるはずないもんな。
>>571 神も同じでしょうね、語らなければいいのに宗教は語らずにはいられない、だから突っ込む人は絶えない。
だから、共有したいからなんだってば。
んで、趣味が違うから喧嘩したりね。幼稚なんですよ・・・・・・
まぁ、わたしもですがwwww
>>572 結果を見て順次修正を必要とするのは機械やさんだけじゃありませんよ。
いぁ、固有だと言ってるわけじゃないよ。
考え方や言い様が、そうだって事を、自虐的に言ったつもりだったんだけど・・・w
>>574 ニートは、ゆとり教育の結果だと思いますよ。
無下に競争を否定した結果でしょう。
緊張や危機感が欠落してる。気づいた時は遅かったってな。
ある意味、被害者。
つか、構造的な国力の弱体化を謀ったとしか思えん。
間違いなく奴等は、売国奴ですよ。工作員でしょう。
素でやってるとしたら、どこまで頭弱いねんと言いたいね、糞役人どもには。あきれる。
まともな奴おらんのか、マジデ・・・・・・
ノシ
>>575 共有は信者同士では特にそうかもしれませんけど、語らなければ布教ができない。
宗教は信者に布教の必要性を説いたりしますから語らずにはいられないって見るんです。
この流れを宗教に当てはめるなら、宗教というのは教義に多くを見ようとすることからも
人間の思考の数パーセントを重視させる行為とも取れなくはないです。
イメージとしては宗教という箱に入れて、その中を全てとする、その中に幸せ像を見せてその外は見せなければ
それが全ての現実になります。
しかし、他の宗派の人間や無宗教と名乗るものもいるからどうしても箱の中だけとは行かないんです。
だからほどほどにしないなら逆に混乱や迷いが生じます。箱は絶対ですから。
>>575 中段は俺もそんなに深い意味もないですw
ニートはゆとり教育だけとも俺は思いませんけど、その世代を超えてまでニーとっているらしいし。
俺は過保護の賜物に風潮が手伝って助長したと思います、競争を否定的にってのもそうだと思います。
あんなものに理由付けはいらないんですよ、「だからこうなった」とかには「だからなんだ?」で十分だと思います。
被害者って見方も。本人は自分は被害者なんだなんて思うやつが出てくる、そうじゃないですよ、
生きてる事の全ては自分の勝手ですから。たとえ影響を与えられたとしてもその責任は誰も取れない。
だから自分がやるしかないんですけど、甘ったれてるうちは無理。
国や環境はそれぞれに問題を見つめなくてはいけないけど、さらに甘やかすようなものは本人達のためにもなりませんし。
ごめん、躾間違ったわ、悪いけどお前は死ぬしかないね、このままじゃ、ごめんね。
これでいいんですよ、やる気を出さないだけなんだから。外的理由がある人はまったく別物です。
ゆとり教育を悪視してる人は多いようですが、俺も反対派ですが、
その教育で育った人は別にニートに近いものでもなんでもないし、
ゆとり教育は話題になった分だけ、その中でどうすべきかを見つめた子供もいたでしょうし、
いらない心労を持った経験のある人もいるでしょうし。
ゆとり教育を当然視して甘えれば社会では通用しません、求められる方向がまったく違うんだから。
でも、そこを理解していればよほど甘えが少ない可能性もあるかも、と思います。
>>578 いぁ、免罪符を与えるつもりはないですよ。
しかし、まともな教育を受けられなかった事に関して言えば、同情します。
それは、彼らのせいではないしね。
結局、ガキの躾に関しては、大人に責があると思いますからね、わたしは。
それは大人の義務なんだから。
子供は社会の鏡ですよ。つまり、大人の仕事の結果なわけですからね。
ちゃんと大人が責任取るべきなんですが、誰も取らないでしょ。
そら、子供もしらけますよ、アホらしくってw
ノシ
580 :
、、大王:2007/04/04(水) 11:09:48 ID:o9wdUzHd
ニートは、情緒問題さ、、だんだん、親子関係が薄くなってきているからな、、
親の愛の薄い奴がストレス発散でいじめをする、、苛められた奴は、当然、、それを乗り越える物を親から教わらないし、
親も伝えない、、それと、人間関係が希薄だからね、、現在は、、、、
希薄な世界、、希薄な親、希薄な隣人、、、、
そういうところ、、
昔は、村社会だから、、人間関係は濃い、、
田舎では、邪魔くさいほど、、濃いだろうね、、
581 :
、、大王:2007/04/04(水) 11:10:52 ID:o9wdUzHd
>>579 俺自身が学が無いってこともあっての希望的観測ってやつかもしれませんけどね。
学がないとか自分で口にすると引け目を感じてるように受け取られるかもしれないけど、
俺自身の場合には自分の計画通りなんです。
結果、学がないけど別に大した支障はない、支障のない道を選んできてるし、必要な資格は取ってるし、
今後もそのつもりだし。
ゆとり教育なんてのでも一生懸命勉強した人は俺なんかは及ばないでしょうし、学校ってどこまでその
なんというか、実力を得られる場なんでしょう。ってのが俺の考え。
習慣の部分は気になりますけどね、これも俺に当てはめて考えれば、週休二日は当たり前でとかそういう発想が
仕事に本気でやるには妨げになる場合が多い。
でも、学校で夏休みが40日あったんだから社会にでてもくれとか言うアホはいませんし。
だからゆとりだろうとなんだろうと、何かと比べてって比較して想定しているだけであって、その影響に絶対的なものは感じないんです。
影響が無いって言うのでもなく、そいつ次第でしょう、その育ちだけでのレッテルは俺はあんまり貼る気はしないってことです。
>>580 それが一番大きいのかもしれないね。
親の愛ってのは必ずしも必要なのかは俺は分からないけど、
人と人の関係の希薄は大きいんだろうな。
ファミコン世代に始まって、って、俺なんかもそうだけど、家に閉じこもりたいやつは閉じこもって過ごせちゃうし。
生活だけ困らなければだけど。
親がだめでも社会の誰かや誰かたちがその代わりを果たしてくれたりってのも実際にあるものだし。
兄弟いるいないも外に出てる時間が長ければそんなには関係なくなってくるし。
素人さんがよく言ってた気付きって考え方はいいですね、
宗教的な気付きがなにかはしりませんけど、実生活に意識的に使うと結構いろんな発見があるのかも。
だから、ガキの躾に関しては、大人に責があるんですよ。
その大人がガキなんで、終わってるんでしょう。
ノシ
躾や教育は大事ですよね。
学校のせいにばかりしたり家庭のせいにしたり、押し付け合いの狭間で育つ子供なんだから
何かと大変だよな、
名誉の為に歴史を捏造する教授や視聴率のために捏造するテレ番制作会社とか、
教師や警察官の未成年犯罪とか、世の中の何を見ればいいのかわからない事例はかなり増えてるしな。
若い人たち自信ももっと怒りを持ったほうがいいね。。。って、そのうち怒りどころも分からなくなったりしてなあw
でも、逆にそうだからこそ、今後の道徳観も価値観も生まれ変わっていくんでしょうね。
今までにあった道徳観や儒教仏教的思想ももはや役には立ちにくくなる。
それを超えた新たなものが自然に発生して流れていくのではないかと。
その方向性を見極めて支援することが大人の役割なのかもね。。。
宗教には何千年もの時間を与えられてたけど、結局はその役割を担いきれなかったってことなのかも。
押し付け合いの結果訪れるのは崩壊でしょう。
今までの常識も概念も現実的には全て崩壊する。
その後に見直し、新たな指標。
そこには過去の産物や教訓も生かされ、いらないものは排除する。
いらないものを見極めるいいチャンスなのかもね、本当は。
でも、政治を用いる人たちや指導者達は古い思想に慣れ過ぎてるから、時間はかかるのかもな。
とことん乱れるまでは中々変革は難しいのかもな。
乱れも変化、進化の一つとみなせばまんざらではないことなのかも。
この乱れ自体が利用価値のあるものってことなんだろう、今生きてる人たちにとっては。
今生きる人にとっての良い時代とは自分の思ったとおりの世の中を指すのだろう。
思想を持てば、その思想にあった世の中を望み、そこから外れていくほど世の中が悪いと感じるのだろう。
この時代の中に生まれ、何もそういった思想を与えられなかったら、現実直面する問題以外に今という時代を嘆く理由も少ないのだろうな。
どんな時代でもその中でのびのびと育つ子供はいるのだろうな。
生き抜く大人がいないはずもないし。
躾は、家庭で行われるべきものです。
学校は、勉学と集団行動に慣れる場所。
だいたい、数十人のガキンチョの躾まで、学校で一人の担任が請け負えるわけないやん、常識的に考えて。
それぞれ家庭環境も違うのに。
やれるもんなら、やってみろと言いたいわ。
「ろくに小学校も出てないねん」と仰る経営者の方、ざらにいてはりますよ。
>>若い人たち自信ももっと怒りを持ったほうがいいね
日本人は、怒らな過ぎ。無関心=無責任 なんですよ。まぁ、今は、しらけてるのかもしれんが・・・・
>>587 今までにあった道徳観や儒教仏教的思想ももはや役には立ちにくくなる。
経済が成熟してくると、個人主義に走る傾向がありますからね。
日本は、走ってますね。
でも、日本は社会主義チックな資本主義ていうか、中国とアメリカの間な感じかな。
これが出来たのも、高い教育レベルがあったからなんですがね。
>>588 押し付け合いの結果訪れるのは崩壊でしょう。
今までの常識も概念も現実的には全て崩壊する。
それは恐らく、経済的な崩壊によって訪れるでしょう、そう遠くない将来に。
自浄作用が無いならIMFでも入ってもらってって、まぁ多分そうなるんだろうけどねw
ノシ
>>591 躾は家庭でに当然異議なし。
学校も塾化せざるをえなくなるかも、学校を旅行など家庭の事情で休ませるのが良いか悪いか。
どちらとも言えない。
体罰は良いか悪いか、どちらとも言えない。
けど、確実に問題になりうる。
その他もろもろの問題及び、金があっても給食費さえ払わないとか言う現実。
携帯メールに四六時中親からのくだらない相談が持ちかけられるらしいし、その対応まで問題になるらしい。
そんなものに耐えられる人間いないでしょw指標は明確に出来ず、力も持たせられす、理想だけを押し付けられて、
教師たれじゃ。家庭の責任を嘆きたくなる。
けど、押し付け合いの非がどちらにあろうと解決にならないんですよね、それはどんなことでも同じ。
会社とかはそれを確実に問題視して解決させるけど、行政がらみはいつまでもだらだらやってるから。
>>591 個人主義に走った結果を個々が見てないんですよね、
主張ばかりなんです、要望はあるけど義務は負わない。
義務の伴うものを選ぶけど、責任は取らない、取れない。
個人主義に走るのであれば、原則全ての責任は自分だけの問題なんですけどね。
594 :
まい:2007/04/06(金) 15:24:40 ID:3HEJ0PNz
りょんさんと榊さんの会話に、全面的に賛成です。
その渦中で、実際子供の10年後を見据えながら日々迷いつつもやっています。
親が放棄したら、誰しも人の子供のことなんかどうでもいいもんね。
怒ってくれる近所の頑固親父も居なくなったし、自分がその頑固親父になろうとしても
変な人として問題にされますしねw
>>594 そうなんだよね。
口煩かった近所のオヤジが、実は社会には必要な人種だって事に、こうなってみて改めて考えさせられる。
怒ったら変人扱い・・・・・ なんだかなぁ。
まわりを気にし過ぎてもいけないけど、無関心過ぎてもいけない。
てか、やっぱり近所付き合いって大事やなぁ〜
宗教より何より、それが原点な気がしてきた。遠くの親戚より、近くの他人じゃないけどねw
それに、外国人の友達が1人出来るだけで、その友達の国に対するイメージがガラッと変わったりする。
案外、そんなもんなんですよ、実際は。
ノシ
俺は機会があれば話しかけるし怒るっていうか注意もするけどね。
機会は確実に減ってると思うけど。
ひどい親とかいるし、ガキ連れてくるような店じゃないのに連れて来て、走り回ったり騒いでも文句も言わない親とか、
あんまりんひどいのには俺は文句言うこともあるけど、逆切れされたことあるよ、
子供だからしょうがないでしょ!って。子供じゃなくてお前が悪いんだろってなるけどね。
飯屋で音の出るおもちゃを与えてたりとか信じられないしね。
>>595 同意。
俺は結構いろんな国の友達とかいるんですけど、いろんな国の人を知るほどに親近感は広がっていきますよね。
海外で居候とかもしたことあるけど、働く場所なんかは出稼ぎ組みの人種入り乱れ状態だった、そこは。
そうなるとどの国がどうとか関係なくみんな仲良しだった。宗教はクリスチャンが多かったけど、無神とか言っても全然問題なかったし、
むしろこの板の宗教者の方が無神はおかしいとかガタガタ言うねw
でも、なんとなく記憶にあるのが。
神様はみんなの心の中にいますよみたいにいわれたのがあるな。
あれはなんだったんだろ、当時は神様とかをどう捉えてるとか別に気にしてなかったしな。。。
。。。あのスレのようだなw
599 :
神も仏も名無しさん:2007/04/06(金) 20:57:37 ID:pai4cxqb
神の家スレだろ
ん?神の家スレって、あのとんでもないスレじゃん、
一度見ただけでうんざりしたよ。
心の中に神がいるスレだよ。
専ブラで5、6個のスレしか表示してないからね、板の全体の動きとか全然知らん。
落ちノシ
603 :
神も仏も名無しさん:2007/04/06(金) 23:33:43 ID:pai4cxqb
心の中には神じゃなくて鬼もいるけどな
604 :
ルー:2007/04/06(金) 23:38:04 ID:ZEqnUJkv
>>597 むしろこの板の宗教者の方が無神はおかしいとかガタガタ言うねw
なにかしら根拠の無い優越感とか、あんだろうねw
それなら、ご隠居のほうが、まだマシやなw 実質的な害が無いよw
>>603 創造と破壊は対だしな。まとめて変化ともいうが。
何をどう捕らえるかは、それぞれだろう。
つか、所詮は都合だろう。
ノシ
りょん 君は女慣れしてるんだろ それって仕事の営業の腕があがってからか??w
今まで扱えなかった女ってどんなの?
女と別れると夜暇だ コアな趣味でも見つけるか じゃぁな
>>606 そんなこと言ったっけ?
でも、プライベートでは男よりも女の方が話しやすい。
男だと女よりも気を使う。特定の男友達を除いて。
あんまりコアな趣味とかは女が遠ざかりそうだw
>>603 心の中とはつまりは自分だから。
鬼でも悪魔でも神でも仏でも何でもいるんでしょう。
>>605 人が生まれて最初から持ちうる自信も優越感も容姿とか境遇以外にはありませんから、
基本的には無根拠からのものもあるとは思いますけどね、
ただ、宗教のは「支配されるために持たされた」自信や優越が多いように思えます。
カルトっぽい団体や国が宗教を推奨してる場合なんかはそうでしょうし、北朝鮮とか典型。
組織はどこでもやりますけどね、団結させるために。自由をうたっても、それも同じことでしかないのかもしれないし、
スローガンを掲げた時点で似てくるかもしれません。そのなかで何が宗教は悪いのかというと、
やっぱり他に触れたり疑うことが出来なくなる仕組みでしょうね。罰の観念まで使っての縛りなんかは最悪です。
ご隠居は無害ってことは影響力も少ないってことかもしれませんね、だから意味をあまり感じないんですよね。
影響した者勝ちでしょ?なんだかんだ言って。
疑問。
鬼とかサタンはなぜいけないのですか?
612 :
榊:2007/04/07(土) 15:03:56 ID:MPJUkAon
>>611 鬼とかサタンって、自分たちの生活を脅かすものを、そう呼称してるんでしょ。
つまり、鬼やサタンを、恐怖や障害と置き換えても問題無い、擬人化してるだけ。
全ては神の身業なら、鬼やサタンも神か、神の創造物。
結局、ご都合主義(希望的観測)なんで、どっかで破綻する。
そこを「でかい声」出して、突破するんでしょうw
でかい声は、まわりにだけでなく、同時に自分自身に対しても言ってるわけで。
やっぱ、念仏唱えるのは、基本なんやろうねぇ。
つか、語って破綻しない神像は、わざわざ語る必要の無いものなんで、結果、無神論者と大差無くなります。
フーテンさんのは、これなんじゃないかな。
ノシ
>>612 俺は魔扱いされた経験があるんですけどw
宗教における鬼とかサタンとか魔だとかってのは生活を脅かす存在もあるかもしれないけど、
信仰を妨げる存在も指すのだと思います、
宗教として信仰をもってる人は信仰に疑いを持つようなことやその勧めを行う人や言葉を魔扱いする。
だから、宗教の弊害を説かれたり矛盾を指摘されても、
その場で理解したようでも後々必ず元に戻りますし、ともすればさらに強力になります。
俺とか榊さんのような者こそ魔扱いしてみる宗教信者もいるってことです。
だからこそ、なんで鬼とかサタンがなぜいけないのだ?と問いたくなるんです。
仏陀が覚りを開く時に降魔なるものがありましたが、仏教系の信者なんかだとそれとかぶらせて自分で認めないほうに持っていくんだと思います。
よく出来てると思いますけどね、つか、よくそんなに簡単に洗脳されるとも言えるけど。。。
自分の意思で物事を考え、信念的にその考えを持っても、疑うことは別に悪いことでもありませんし見直しは率先して行うでしょう。
人はとかくその考えに不安な要素を見つけるもので、助言ともなれば特に不安な要素を持ち出すのが常です。
だから助言を聞かないこともありますが、それを撥ね退けるとしても、自分の思考、意思、経験、理想、様々な目で見直した上で決定するもので、
宗教者の「それ」は教えられたままの姿勢ですから全く異なります。
入っていくだけで広がりはもてない、後退も進みもなければ付け加えもないのがそれだと思います。
フーテンさんは指導的、支配的運用方も出来ますし目を持ってるから、
基本的に普通の信者じゃないですw
>無神論者と大差無くなります。
これに同意できるんですけど、条件はつきますよね。
学んだものを現実的な目標に向けられて、教義上の事柄を行動に対する意志に生かせた場合です。
ただ拝めばとか、そんなものじゃない。拝んでもいいけど、そこで刻み込んだ決意を現実に発揮できる場合ですよ。
なんか普通の宗教信者ほど不平不満が多い気がするとかありません?
やたらと世の中を憂うイメージが俺にはあるからな。。。
野球人とか職業を自分の人生に指標として生活もそれに合わせて何かを勝ち取ろうという人がいますけど、
物事なんてそこまでしても勝ち取れるかどうかは分からないのが常。
平々凡々と生活してただ拝んで、何でもかんでも欲しがって手に入らないから
、神がいるのかとか、ちゃんちゃらおかしな話ですね。
正しい気がするとか、なんとなく偉くなった気分が得られただけでも神仏に感謝しなくては。
ああ、そうか。
世の中を悪く見なかったら自分が良いと思えないものな。
それによって自分が正しく見えてくる効果はある。。。宗教に限らずありがちだし、使える手段ではある。のか。
618 :
まい:2007/04/07(土) 21:39:08 ID:UZfNDsEh
>やたらと世の中を憂うイメージが俺にはあるからな。。。
宗教によっては、現実は悪に支配されているから、死んでから天国に行くために・・
という思想のところもあるからね。
物質的な幸福は、キリスト教でも仏教でも、浅ましいものであって目的ではないでしょ。
619 :
まい:2007/04/07(土) 21:46:04 ID:UZfNDsEh
>俺とか榊さんのような者こそ魔扱いしてみる宗教信者もいるってことです。
>だからこそ、なんで鬼とかサタンがなぜいけないのだ?と問いたくなるんです。
そういう論法でいくと、物質的な幸福を説くのは道教儒教など、中国原産。
医術、武術としても評価されてるよね。
キリスト教、仏教からは、「現世利益」と非難される。
ってことは、「魔」結構って事ではないでしょうか。
「現実逃避」でない分、ワタシは評価してますね。
620 :
まい:2007/04/07(土) 21:54:42 ID:UZfNDsEh
>>605 >創造と破壊は対だしな。まとめて変化ともいうが。
これも中国原産(ダケジャナイケド)思想ぽい。
この思想を受け入れがたく、悪は焼き尽くされると言う思想もあるからなぁ。
宇宙全体で(法則的に?)考えるか、自分の周りの都合で考えるかで違うんだろうなぁ。
ワタシ的に言うと、視野の広さの影響なのではないかと思う。
>>608 同性に気使うのは過去何かあったのか 女がいれば十分だけどな! じゃぁな!
>>613 だから、われわれは彼らにとって障害であり、恐怖を与える存在なんだってばw
だから必死に攻撃してくるんだよ、きっとw
>>616 なんか普通の宗教信者ほど不平不満が多い気がするとかありません?
りょんさんの言う、「普通の」って、信仰を現世利益追求の為にしてる人でしょ?
そりゃそうだよwwww 不平不満解消の為にしてんだもん。
別に、現世利益追求してもいいと思うけどね。やり方によるのは当然ですがw
>>620 宇宙全体で(法則的に?)考えるか、自分の周りの都合で考えるかで違うんだろうなぁ。
そうそう、そのとおり。善だ悪だってのは、自分のその時の都合が生み出す概念ですからね。
立場が変わると考え方も変わるし、それによって善の対象も変わったりするでしょ?
創造ってのは、人間にとって都合のいいものを作る事。
例えば、未開のジャングルを「開発」するときは、そこにある自然を「破壊」するわけです。
創造があれば、必ず破壊もあるわけです。SETだから。
そして破壊とは、造形を変え、それによって価値を下げる事。
流れ的には、まず、破壊ありきなんですね。
つか、「動く」ってのは、今あるバランスを壊して、新しいバランスを作る事ですから〜
結局、現世利益追求するにもさ、視点っていうか「立ち位置」間違うと、効率悪いと思うけどねw
どーせ追求するなら、効率よいほうがいんじゃない?
ノシ
悪魔が居ないと、神の出番は無い。
犯罪がなければ、警察はいらん。
悪魔を創造してるのは(必要としてるのは)信者。
結局、「物語」なんですよ。
盛り上がらないと、誰も関心持たないしなw
マジネヨ
今ここが、過去未来全宇宙を含んでいるというのは、比喩ではなくあまりにも自明すぎる事実なんだけどな。
それは「 」書きに何かの思いを込める自分の曖昧さに対して。
>>618 うん、でもそーいう現実離れしすぎてるのは問題外だけどね。
普通にそこいらにあるような宗教とかでもそんなイメージあるでしょ、マスメディアとかだってそんな風潮なくないし。
>>619 道教をよしとすることも儒教を良しとすることもある意味は同じで。
だから何も知らない中で感じるのが一番だなあと思う今日この頃。
結局は自分の感覚だし、自分がよいと思うものが一番良いのは宗教者でも何でも同じだし。
>>622 本当であれば最大の協力者かもしれなかったり、味方、助っ人かもしれないのにw
お互いの向上に役に立つ関係を作れるかもしれないし、友人くらいにはなれるかもしれないのに、
それを恐怖の存在だとは、ほんと範囲を狭くする役割を担ってるかもしれないですねw
普通の。よくそこいらにいる、そーかもそうだし、宗教家としてテレビやラジオに出てくるようなのとかも含めて。
不平不満の解決は向上の種であるなら良いことですけど、悪しきもの的見方、現実はひどいという見方はよくないし
現実を見てない証拠。。。つか、世界観は心からなら、その心がすさんでるからろくでもない世にしか見えない可能性もあるということ、
それを当然のように威張って口にするなと。
>>624 意味不明です。
ここってどこですか?未来も含んでいるってのは可能性としてってこと?
誰でも未来を予知しながら生きてはいますけどね。
世の中が悪くしか感じられないのは自分がだめだからってのもありえるよな、絶対に。
人間関係が希薄だって感じる人は、自分が希薄な関係しか気付いてないからですよ、それも間違いないな。
それか、期待して自分の思った反応が返ってこないと文句言う性質。
でなかったら世の中が悪くしか見えないわけはないもんな。
何を期待してるんだろ、人は。干渉されない気楽を望みながら、人情とかふれあいを求める、馬鹿馬鹿しさ。
>>624 あぁ、「物語」ってのは、わたしの世界観でなく、悪魔信仰信者の信仰に対して言ったつもりだった。
「今ここが、過去未来全宇宙を含んでいるというのは、比喩ではなくあまりにも自明すぎる事実」には、同意。
え?俺はその意味が分からない。。。
今ここってどこ?俺のいるここ?このスレ?
過去は含むのは理解可能、未来はこれからなのにどういう形で含んでいるのだ?
個人のことではなく時間の流れの問題?
>>621を思い切りスルーしてたw
別に何も無いけど、同性の方が気を使うとかないですか?
女に敵視されるとかって基本的にないけど同性だとあると思うし、
考え方とか違って受け入れにくい可能性あるのも同性だし。
632 :
神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 18:12:16 ID:UkTb9U8e
633 :
まいちゃんへ、、大王:2007/04/08(日) 18:50:01 ID:UkTb9U8e
物質的な幸福は、キリスト教でも仏教でも、浅ましいものであって目的ではないでしょ。
619 :まい :2007/04/07(土) 21:46:04 ID:UZfNDsEh
>俺とか榊さんのような者こそ魔扱いしてみる宗教信者もいるってことです。
>だからこそ、なんで鬼とかサタンがなぜいけないのだ?と問いたくなるんです。
そういう論法でいくと、物質的な幸福を説くのは道教儒教など、中国原産。
医術、武術としても評価されてるよね。
キリスト教、仏教からは、「現世利益」と非難される。
日本仏教は、、半分は、、物質的幸福は否定してないと、思うよ、、
浄土宗と奈良仏教が、その範疇かもなあ、、、
現世利益否定傾向は、、禅と浄土真宗だろうね、、、
それ以外は、ご利益ある、、
あと、前の質問、ゴマは炊いていないよ、、、
禅中心だからねえ、、、、その割には、、ご利益をおねだりするか、、、
大ちゃんはこの板以外にどこ行くの?
宗教系だけ?
>>630 今ここってどこ?俺のいるここ?このスレ?
多分、どこでもw
>>過去は含むのは理解可能、未来はこれからなのにどういう形で含んでいるのだ?
過去があり、「いま」があるし、未来は「いま」の先だからって事言ってるんじゃないのかな。
掲示板で語れるのは、未来が(流れる時間が)あるからだしね。
>>635 流れる時間を指してるんですか。
あんまりぴんと来なかったです。
つっても死ぬまでは常に今と未来をつないで生きてるんですから当たり前といえば当たり前ですか。。。
でも、なんか624のレス自体がぴんと来ないのは何でだろw
言いたい内容が分かりませぬonz
榊さんは2ちゃんねるじたいしないんですもんね。。。
つか、俺もここだけだけど。
>>636 624は、多分、わたしが、この世は「物語」だと言っていると勘違いしたんじゃないかな。
「この世は物語」として逃げるのは現世否定だよ、甘いなぁ〜と、ツッコんだんじゃないかな。
そう理解したんですが、違うかもしれんw
>>637 ネラーってわけでもないですね。
好んで来てるのは、ここぐらいですよ。
MMOの合間に来てます、最近はwノシ
639 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/08(日) 19:11:46 ID:UkTb9U8e
あと、、癒しの所で、、禅でレベルの高い奴が二人いるスレで、、、
遊んでる、、おいらより、レベルは上でしょう、、、凡人のカキコになっているから、、
640 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/08(日) 19:13:26 ID:UkTb9U8e
641 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/08(日) 19:15:41 ID:UkTb9U8e
642 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/08(日) 19:20:07 ID:UkTb9U8e
>>638 ああ、そういう風にみたからなんですね、やっと通じた。
どうもですw
前からの流れだから分かりにくいかもしれないですね。
俺は、、、、、ねらーなの?どうでもいいけどw
ネットは検索とここと仕事関係のところをたまーーにみるくらいしか使ってません。
職場でしかほとんどいじらないし。
そろそろ他板に行きたいのですけど、どこかお勧めないですかね。
。。。大ちゃんは宗教系のみなのねw
つか、みんなこの板の中やんw
落ちノシ
646 :
まい:2007/04/08(日) 20:09:05 ID:7IC5HwRx
>>622>>623 さすが、榊さん。
喩えが面白いですねぇ。
キャスティングの妙がありますから、多様な出来事に多様に反応するのもまた良しですかね。
>>633 >禅中心だからねえ、、、、その割には、、ご利益をおねだりするか、、、
大王さんの正直者☆
>>626 >それを恐怖の存在だとは、ほんと範囲を狭くする役割を担ってるかもしれないですねw
りょんさん、敵のいない世の中は退屈だと言う人種もいるのでしょうね。
天国を目指すとはいいながら、各自違う天国を描いてるのかもしれませんね。
ワタシも遊びに来るのはココだけですが、ココはいいところだなぁ。
ワタシの疑問に丁寧に答えをもらえたのはココだけだよ。
大王さんお勧めのところも、素晴らしい方がおられるようですが。
信仰というのではないけれど、お天道様ってのが一番近いかな。
人間を相手にせず、天を相手に仕事せよって。西郷さんだっけ。
このスレで語られる「」書きってのは、保留のいみで共通認識で使用されているのが面白いね。
「」がきで語られる言葉については、語意以上の何かを含ませようとして使っている、それは、相手、読者にゆだねようとしている何か。
他は、あまり行かないので、お勧めとか無いですが、VIPは下らなくて好きw
平和やなぁと思う、あそこ見てるとw
>>646 >りょんさん、敵のいない世の中は退屈だと言う人種もいるのでしょうね。
>天国を目指すとはいいながら、各自違う天国を描いてるのかもしれませんね。
敵がいなければ退屈なのはみんな同じなんだろうけどね。
競争相手、ライバル、生活の質の競う相手や社会的立場、人は何かしら競ってるも同じってのがほとんど。
引退後は釣りをして過ごすなんてのも、魚という相手を作って勝った負けたってやるのと同じだし。
それを無くせば苦痛は減るかもしれないけど、生き甲斐も減る。そもそも生きるということの意味はあと付なんだから。
その生きる意味を強引に先天性のものとみなして無理やり万人に生き甲斐を与えてやろうって試みが古における宗教ではないかとも思える。
そもそもありもしない、見たものがいないものの共通認識なんてのは難しいしね。
>>647 亡くなった先祖や親、太陽や山や自然、そんなものに何かを思うのも立派な信仰だと思います。
むしろそういったものの法が自然で、自分自身のものであり、性質的な害もないと思える。
>>648 「」の中は「あえて」使う言葉が多いんですよ、強調もあるけど。
>>649 このシーンは前にもありましたね。。。デジャブ?
ビップはなあ、言葉使いが移るからなw
本当はこの板の人ともっと色んな話しがしてみたいのだけど、
この板だと宗教ばかりになるからな、当たり前だけど。
宗教はもうそろそろいらないのだ。。。宗教に基づいてるとしてももっと現実的な話がしたい。
個でありながら協調する、身勝手ではないってものは今の団体宗教があるほどに遠い存在になるとは思いませんか?
しいて言えば、素人さん的な人物が宗教団体を運営してるならそうでもないけど。
個の質を高めて、個として生き抜く力を持ち、個として個と共鳴するようなもの。
理想的だなあwそのまとまりを強めるために方便や隣人愛の思想が上手く溶け込めるなら良いではないか。。。
「八正道試してみたー?」「うん、やってみてるけど、まあまあ、もう少しアレンジしてみるよ」「キリスト教の○○と組み合わせたほうがしっくりくるみたい」とか、
こんな会話が普通に出来れば宗教も生きるのではないか?w
つーことはだ。。。大ちゃんだ、大ちゃんがんばれw
ただ、大ちゃんはもうちっと社会的な思想とかにも触れてみるといいなあ。
宗教的なものばかりになってるもんな。リアルは知らんけどさ。
フーテンさんも聖書を物語的に読めるならいいって言ってたし、
素人さんも仏教の大方の部分に触れてみてもらえればって感じがあって、
絶対的ではないんですよね。
信者ほど頑なに絶対性を持ちたがるのは不信心だからかもしれないな、自信がないから立ち位置が低いんだろう。
信仰心の履き違えかも知れないし。
かといって、フーテンさんも素人さんも絶対性をそこに見てないのとも違うはず。
そこがポイントだな。尊重するってのもそこにはあると思うし、自身のものだという自覚もあるのだろうし、
だから人が求めてくるならそれに応じるだろうし、それなりにふさわしい対応も出来るんだろう。
宗教に限らないことだよな。と。
658 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/09(月) 14:06:19 ID:i+qqLQPa
655 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/04/09(月) 11:44:25 ID:QmEO2JEO
ただ、大ちゃんはもうちっと社会的な思想とかにも触れてみるといいなあ。
心配御無用だよ、、、禅主流だから、、極めれば、平凡、社会的でしか、あり得ない、、
659 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/09(月) 14:09:32 ID:i+qqLQPa
それと、、禅への追求以前は、人文科学、哲学追求の鬼でして、、、
それでないと、、昆布殿と話が出来ないよ、、、御隠居を論破なんて、、慈風ちゃんも、、
慈風ちゃんなんか、極めて、哲学的には出来上がっているよ、、
人格的、パーソナリティはどうかと、思う面あるけど、、
>>658 禅も独特な部分もあるけどね、って、なんでもそうかもしれないけどw
哲学なんてのはちょっと俺的には発展性がないものに感じられる。
風殿の完成形ってなにか役に立つの?
人格的には大ちゃんは友好的だし温厚だよ、だいじょび。
パーソナリティは若干脆そうに感じる面有。りょん的考察によるとだからあてにはならん。
661 :
榊:2007/04/09(月) 18:22:43 ID:norJU2cx
>>658 いぁ、りょんさんは、「俗世間に生きろ」って言ってるのよ、暗にな。
意味わかる?
信仰問答でも、同じ事言われてたね。
わたしも含めて、まずおまえに言いたいのは、そこ。
りょんさんは流石によく見てる、言い方も大人。
だけど相手が相手だから伝わってないんだけど、そのまま流すのも大人な対応だね。
そこへ要らぬお節介で、わたしが解説w
つか、そんなんだから心配してくれてるんだぞ?
例えば、わたしや、りょんさんみたいな経営者目線は、だいおうには解らんやろうな。
「俗世間での実地体験でしか習得不可」だから。別に経営者になれって言ってんじゃないぞ。例えだ。
んで、宗教や学問だけで社会性を鍛えられるって、マジで思ってるところが痛い。
「虎穴にいらずんば虎子を得ず」 小学生でも知ってるだろう。
虎穴ってのは、もちろん「俗世間」な。念のために言っとくと。
つか、気になったのが、親と、まともに話ししてるか? してきたか?
生きろと言い切りはしませんけどねw
宗教的イメージになぞらえるなら、俺なんかには世俗がもっとも修業的にも向いてるし、
最も合理的でありながら本当の理想的な形も求められる場だし、自分には最適な場だということで。
思想に生きる人はそれはそれでいいと思うけど、ただ、現実、世俗を嘆くことはよしたほうがいいと思うし、
現実にもっと真剣に生きてから現実を悪く思うのなら思えって言うか。
だから大ちゃんみたいにその道で生き生き出来たり楽しめてるものを世俗に、とかは思わないかも。
でも、しいて言うなら、そんなにくっきりと世俗だ思想だと分けて生きられるわけもなく。。。
世俗を味方につけて世俗に生きて、世俗に理想を見て、世俗で充実する以上の幸福感ってあるものなのか?
とは思う。苦から逃れたいなら熱中できる時間を増やせばいいだけだし、欲しいものは普通は世俗にいくらでも転がってるものだし、
それらを手に入れたいなら世俗の手段に応じるしかないし、堂々と生きるにも世俗ですべき事をしてこそだと思うし。
んな感じ。
世俗やそれこそ大衆を味方にしてこその実行力ですしね。
経営者にはなる気があるならなったほうがいいと思いますね。
松下じゃないけど、自分の人生の経営者、そんな視点でもかなり違うんじゃないでしょうか。
自分経営をしようと思えば、根っからの神神みたいなのは存在しえなくなってくると思いますしね。
自分経営が進めば勤めることにも自分で納得がいくようになるものだと思います。
この道を選んでいるんだという自覚と誇りのようなもの、それが見出せないなら別の道の模索が始まるでしょうし、
なんとなくっていう時間はなくなると思います。
って、俺は松下信奉者ではないのであしからずです。
経営者って、俺を含めて経営が出来る人がなってるわけでもないんですよね。
はっきり言って誰でも出来るし、俺はサラリーマンが向かないからなってるだけだし、
サラリーマン的に見れば欠陥かもしれないし。
でも、視点は役に立つもの多いですよね、試行錯誤も何もかもがとりあえずは自分や自分達のためだと直結して考えられる。
泣き言も何もが全て自分にそのまま降りかかってくるし実力のなさを嘆いてるだけとなる。分かりやすいんです。
でも、本当は世の中全てそれが本当なんですよね、嘆いたり悪く言うのは自分の実行力のなさに過ぎない。
宗教を嘆くなら宗教を無くす行動に生き甲斐を見つけて成果を挙げてみろって極論と同じことw
あ、サラリーマンが向いてないからなってるだけってのは、仕方がなくではないですけどねw
やりたいからやってることには違いなし。
>榊さん
残りは世俗に生きる人生のコツをテーマにでもしましょうかw
もちろん絶対じゃないし気楽な範囲で。
それとも、宗教者に見られがちな損だと思えること。
世俗主義に見られがちな損だと思えること。
で、論を交わすか。。。w
668 :
まい:2007/04/09(月) 22:00:38 ID:5LHi+VWd
宗教って、大まかに分けて、「自分の意識を変えることによって幸福を得ようとするもの」と、
「不思議な力で幸福を得ようとするもの」にわけられないかな。
前者は、自分の受け止め方が変わるだけで物質的なものが変わるわけではないと思われ勝ちだけど、
結局自分の周りを変えるのは自分しかいないという意味では○だと思う。
後者は、「自分は何もしていないのに変わりましたよ。不思議ですね〜。」
って、いう効果を待ってる・・宗教団体に払った対価を宗教団体に返して欲しいのかなぁ。
「不思議」が欲しいと言う時点でカルトなんだろうな。
そして、そういう類の顧客は存在するから、怪しい団体も絶えないのだろう。
>宗教者に見られがちな損だと思えること。
>世俗主義に見られがちな損だと思えること。
ありがちですね。
どっちも自分なりの幸福を求めると言う意味では同じだと思うけど、求める幸福の形が違うのかな。
「誠意は金額で示せよな」とか。
「清貧の美学」とか。
宗教団体に求める幸福の形もいろいろだしなぁ。
効いた効かないとかw
>668
不思議メイン系宗教なんてのは問題外だしね、一般的宗教程度の神秘さとか不思議ならともかく。
分析は飽きてきたからちょっとすれ違わせる。
自分の意識を変えることって大事だとは思うけど、意識だけで何とかしようとするなら上手くはいかないし。
意識で行動が変わるとか成功本みたいな物には書いてあったりして、一理はあるかもしれないけど、
やっぱり行動とのミックスと具体的考えが必要。需要と供給のバランスとかね。
精神性だけで物事を促しても上手くいかないのも同じ、見返りを求めないようでも大抵は求められているもの。
それが当たり前で自然なあり方。良心と報酬ミックス、成果には報酬。
宗教も売り物は報酬、宗教は非現実的なものを報酬に与えても商売として成り立つかもしれないけど、
現実はそうはいかない、ごく普通の人間関係でも必要。
無報酬に思える関係ほど相手に感謝しなくてはいけないけれど、大抵は報酬のやり取りが上手く言ってる状態。
誰でもやった分、尽くしたぶんは報われたほうが嬉しいもの。たとえ見返りは期待もしてなくても。
それを与えるのが上手い人は何かと上手くいきやすい。
ちなみに良好な人間関係を求める人にはその良好な関係こそが報酬足りえる。
褒めたら喜ばれたいのが人情。褒めたのにぶっきらぼうな態度されるとちょっと心外だったり。
褒めた時に欲しい報酬は相手の喜びだったり。自分の与える反応、影響。
行動と一致しないようでもあるけど、報酬を与えるとは立派な行動の一つ。
これなら最も簡単だし、相互作用もあるもの。
ワケワカだな。。。落ちノシ
>>671 >褒めた時に欲しい報酬は相手の喜びだったり。
これを一番堪能できるのが、子供を褒めた時だよ。(´∀`)b
(その反応は千差万別だが・・・w)
また逆に、子供が一番満足するのは、
自分の行動が評価された時、自分の言葉が届いた時、
自分の行為が相手(先生・親・友達等)の喜び(という反応)になった時・・・
実は、異性でも一緒だと思うけどね・・
いや、大人でもおんなじか・・・ (´ー`)y━~~
673 :
まい:2007/04/09(月) 23:48:52 ID:5LHi+VWd
>それが当たり前で自然なあり方。良心と報酬ミックス、成果には報酬。
>報酬を与えるとは立派な行動の一つ。
>これなら最も簡単だし、相互作用もあるもの。
うん。わかるよ。
やった・取った。損した・得した。
計算しすぎないで、素直に感じたままに表現できたらいいのかもね。
ついつい、テレや遠慮なんかあるから。
ノシ
>>672 賢い子供は、その構造を見抜いてしまって、傷ついたりするんでしょうねー
>>674 寂しい考え方するなぁ・・・w
そうとも限らんと思うぞ。 (´ー`)y━~~
>>675 宗教板ですからねw
無私の愛、みたいな価値観を教え込まれていたら
ギブアンドテイクの評価には傷つくんじゃないかな。
無条件で受け入れて欲しいという欲求が否定されることになるし。
その否定は必要なことだろうけどね。
>>676 子供が泥団子作ってきて、
「見て見て!できた!」と言った時、
「すごいねぇ!おっきいの作ったねぇ!」と、(大人からすれば投げ槍でもいいから)反応する。
これって、すごい大事なことだと思うよ。
細かく事例を挙げていけば、幾つもパターンがあるだろうが、
(2chでも言えるかもしれんがw)、自分の行動・言葉に対してレスポンスがあるかどうかは、
心の成長において最も重要なポイントだと思う。
>無私の愛、みたいな価値観
>無条件で受け入れて欲しいという欲求
君の言辞は大人のものでしかないわけだが・・。
今日はこれで落ちるけど、これらについて、まだ続けるかい?w
ノシ
>>662 わたしが言いたいのは、「世俗の事を語るなら、世俗に生きてから言え」って事です。
まぁ、りょんさんと同じですねw
世間知らん学者が喚いて失笑かったりするじゃない? あれですよ。ハィハィみたいなw
精神年齢いくつだよーってな。
>>667 ネタふってもらえたら、何でも乗りますよw 乗れることならw
>>668 後者は、「自分は何もしていないのに変わりましたよ。不思議ですね〜。」
そうでなくて、少ない投資で多大な配当を狙ってるんだよwwww まさに「ミラクル」級のwwwww
>>「不思議」が欲しいと言う時点でカルトなんだろうな。
不思議が欲しいと、カ、カルトなの?w わたしも不思議欲しいから、カルトだwwwww
でも、わたしは概存宗教の中に不思議があるとは思ってないんだよね。
あったらいいと思うけどw
>>669 不思議メイン系宗教なんてのは問題外だしね
そう? 宗教て自己願望の投影だったりもするから、全然ありがちじゃない?w
りょんさんは宗教を、倫理観とかを教育するものだと勘違いしてるね。
宗教て「その人の信仰」でしょ。倫理観とか関係無いよ。だから色々あるんだよーw
>>677 わたしは子供居ないけど、居ても無私の愛なんぞ教える気も無いから関係無いなw
下手にそんなん言ってたら、後で修正すんの大変だろう。
それこそ賢い素直な子供は後々無駄に傷つくぞw
つか、この世は地獄だとか無償の愛だとか、言ってること支離滅裂だなぁと常々思ってたw
無条件で受け入れるんじゃなくて、「色々あるけど、やっぱ好き」って感じじゃないか、家族って。
それに、「無条件」っていう「条件」付けてる、一方的に。
そんな教育、わたしならしないねぇ。わたしは、されてないし。
別に意見や希望を言うのはいいけどね。
「条件」付けるってのは、それらと意味合いが違うから、それは教えとかないとな。
ノシ
>>672 久しぶりですね。
子供に対してが一番堪能できるのかもしれませんが落胆するときには一番落胆するのでしょうw
でも、子供に対して自分が持つ「良いと感じている」やり取りや心の状態、
それをもっと世間全体に向けて見ることが出来るなら色んな気付きもあるかもしれませんよね。
どうしても子供や家庭を持つと優先がそっちに行きがちになる、けど、その目はもっと広く持ったほうが
家庭にもいずれは帰ってくる。
因果応報を実用的に使うならそんなところじゃないでしょうか。
全ての接する人に通ずることだと思います。キリスト教的に隣人愛を考えれば万人に影響していく道理がある。
>>673 言わなくても分かるだろうとかって考え方すると女性は怒りますw
けれど、女性は自分は言わなくても分かってて欲しいと望みがちです。
性別による感覚の違い、関係による感覚の違い、そもそもの個人としての感覚の違い。
やっぱり言わない、現さないなら通じないことの方が圧倒的です。
>>674 報酬という言葉がそうイメージさせるんでしょうけど、報酬を果実に替えてもいいです。
本当に相手が望んでいる報酬、果実がなんなのかをわかって与えられるなら、相手は喜びますよ。
相手がほんとに望んでいる事を理解してあげられてるのに傷ついたりはしない。
傷つかれたのなら自分の思ったことと相手が望んだこととが違ったんでしょうね。
傷つくってことは裏切ったのかもしれない、それが本意でないならそこで相手が望む報酬とは謝罪か話し合い、
まずは誤解を解くことでしょうね。
>>676 宗教そのものが報酬を用意してるじゃないですか、報酬を与えるから信じよって。
それでいながら無私の愛だとか言うのがすでに裏切ってますよ。
無条件で受け入れてあげることが何の報酬にも果実にもあたらないということではないです。
ただ、無条件の受け入れを望みすぎるなら、得られたと思えることの方が稀でしょう。
それを望んだ結果、相手の好意を無にする可能性の方が高いかと。
>>678 表現違うけど基本的には同じですよw
たまたま気が向いたからそれ違いざまの子供に「おはよう」って声かけてみて、
相手が返さなかったからといって近頃の子供は挨拶も出来ないなんていえませんw
その子供はその大人と何度かすれ違ってて、突然教は挨拶されたって可能性もありますし。
子供の挨拶を嘆くなら大人は返事の有無に関係なく常に挨拶をするべきです。
学者とか、研究の成果ってやつは参考になるでしょうけど、その解決策までを実行に結び付けて
初めて本当の学者の権威ってものも出てくるような気はします。
やってる人も大勢いるんでしょうけど。
信仰と宗教、特に団体とを分けて考えてみてます。
信仰とか個人的な宗教は本人の問題だから別にいいんです。
UFO信じてる人がいたって全然構わないくらいだからそれこそ宗教くらい持っててもとやかく言えるようなことでもないし。
ただ、宗教の中身っていいこともたくさんあるのになんでそっちを使わずに変な部分を使いがちなんだろうとは思う。
天国地獄罰だなんだ寄りの方。覚りもそう、過程の段階を取り上げるのが先じゃないかと。
世間全般そうかもしれないけど、答えをいきなり求めようとしがちなんでしょう、だから過程が苦痛になる。
>>679 同意ですね。
綺麗よりも本質を気付かせればいいと思うし、それこそありのままのあるべき姿とか言うなら、
そういったものこそ綺麗ごとや飾られたものの中にはありませんからね。
すげー誤字とか打ちミスだけどonz
それ違い×
すれ違い○
教×
今日○
。。。他。
687 :
、大王:2007/04/10(火) 10:18:58 ID:3U6AmR3g
661 :榊 :2007/04/09(月) 18:22:43 ID:norJU2cx
>>658 いぁ、りょんさんは、「俗世間に生きろ」って言ってるのよ、暗にな。
意味わかる?
はあああ???、それはお前の概念、、、
知らないくせに、ダマットレ、、、偏見野郎、、アレルギーさ、、お前の、、、
688 :
、大王:2007/04/10(火) 10:21:30 ID:3U6AmR3g
678 :榊 ◆sakakiA55. :2007/04/10(火) 02:30:03 ID:7kav/iHD
>>662 わたしが言いたいのは、「世俗の事を語るなら、世俗に生きてから言え」って事です。
そりゃ、、榊の世俗の概念しか過ぎない、、、それが絶対なら、、榊は宗教で、神だな、、
榊はアレルギーだけで、世俗知らずだろう、、、
689 :
、大王:2007/04/10(火) 10:27:09 ID:3U6AmR3g
榊は、人間の心情に鈍すぎだ、、概念ですべて、解決できると、思っているな、、
大ちゃん、はよノシ
よーするに大ちゃんと榊さんは馬が合わんとw
ここは宗教板だから宗教だけを語ったりするけど、
現実的には宗教だけで生活してる人は皆無に近いしね。
って、素人さんとかくらいなものか、宗教で生活している人は。
692 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/10(火) 10:30:50 ID:3U6AmR3g
生きろと言い切りはしませんけどねw
宗教的イメージになぞらえるなら、俺なんかには世俗がもっとも修業的にも向いてるし、
りょんちゃんの意見には、同意、、、
故に、もっと早く禅をマスターしてたら、、世俗をもっと、楽しめたのになあ、、過去の、自分を見て思う、
りょんちゃんの世俗の概念は違和感無い、、
宗教を持ってる人同士は痴性が反発するんだろうね
694 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/10(火) 10:33:55 ID:3U6AmR3g
りょんちゃん、まじで、、禅最近レベルが上がったんで、、、
昔はりょンチャンほど世俗能力が無かったから、、、
まあ、、世俗的能力の乏しいおいらが、、人間関係の奥義的要素に行きつくと、、、
ああ、もっと、早く、、能力向上させておけばなあ、、と思うわけ、、
故に、禅を出したのさ、、、、
>>692 宗教でも宗教外でも方向性が一致するなら同じ物が見れる可能性もあると思うよ。
大ちゃんが禅に見るものを俺は他に見たりしてるってあると思うよ。
それぞれが自分が見たり知ってる中で良いと思うものを思うからね、
だから素人さんやフーテンさんがそれぞれの知ってる中にこういう良いものがあるよって言うことと、
俺が世俗にもあるよってことと、大ちゃんが禅にあるよって言うことと、基本的には違いはないのかもね。
それぞれにそれによる良さってものがあるから存続してあるんだろうね。
>>694 禅には興味なくはないって言ったと思うけど、
すぐには行かないけど、いつかは一度くらい行くかもしれない。
音響さんにもそう言ったしね、精神の集中的なものとしての感心だけどね。
神社とか(禅は寺か?w)に流れるような空気って嫌いじゃないし。
ただ、すぐには行かない。あるところまでいったら行ってみる。
697 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/10(火) 10:40:26 ID:3U6AmR3g
りょンチャンのスタンスは否定していないし、、、全て、概念で片付く、判定するのは、、如何なものだと、、
概念的宗教批判アレルギー者と、、それに対応する、概念的宗教、キリスト教、日蓮系、新興宗教が、あるから、、
まあ、同じ土俵の奴には、、飽き飽きと、、両者共にね、、、
禅て特殊だからなあ、、宗教か、疑問となるだろうね、、
禅で、、一番有能なのは世俗と区別つかづ、社会、人のために役立つ事、、
禅という自覚すら無いだろう、、、、社会的に平凡で自明な事を、わざわざ、苦労する、、
無駄な苦労せず、、社会、人のために役立つ事の苦労をしたと言う自覚無しに世俗的にこなす、、
それだけだからなあ、、
698 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/10(火) 10:41:55 ID:3U6AmR3g
ほぼ、究極的には、禅とか、悟りとか、、宗教とか、、自覚が無くなるのが良しだから、、
>>697 うん、一々幸せだとか苦痛だとか考えずに行動して成果が出て嬉しい、
成果が思うように出なくて悔しい、そこからヒントを得たり試行錯誤で何とか乗り切る。
そういうもの全てひっくるめての幸せだと思うからね。
その中で人間関係があったり、励ましあったりまあ、喧嘩もあるけど。
世俗って楽しいじゃないかとw
>>698 そうだよね、何か一点を取り上げてそれをひたすら考えるってのも意味はあるだろうけど、
そればかりしてたら大局的な物を見失いがちだと思うしね。
悟りなんてものがあるなら今をしっかり見ながら生きる過程の先にしかないのだろうね。
では落ち、またノシ
701 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/10(火) 10:51:33 ID:3U6AmR3g
まあ、、フィギアスケートの安藤美樹が、ライバルは自分で、、といっていたが、、
この、ライバルは自分と戦う手段は色々あり、、これは、世俗でしょう、、、
ま、、こういう、自分との闘いで人生は生きるわけだから、、その、戦う精神力が必要なのね、、
何もせずに、強い奴がいれば、、努力して強くなる奴もいるし、、
努力できない程弱い奴もいる訳で、、
精神力を強める方向性が、、具体的に、実際的に、、禅でもあるし、、、
歴史上、の
武士も、禅僧の精神的側面、力を期待したしね、、、
安藤美樹のコーチも、精神力的な力を与えたしね、、、
>>701 スポーツの世界は最近はメンタルのトレーニングが相当進んでるようで、
ある意味みな似たり寄ったりの言葉を言うようにもなってるよねw
安藤は強くなる意識と弱い意識の狭間の葛藤が相当ありそうにも見れるけど、
なんとか強くなろうって意識が見れて共感を生むだろうね。
自分との戦いが人に勇気を与えられたりするのだからすばらしいことだと思う。
おとたけさんもすごいなあ。人間ってすごいよなあ。
人は可能性を求めるときにはやっぱり頼るべきものを持ちたいと思うのも常だろうね、
禅がその役を買う可能性ってのは十分にあるとは思うよ。知らずにイメージで言ってるけどねw
ノシ
703 :
榊:2007/04/10(火) 11:38:49 ID:2lMY8T2g
>>684 宗教の中身っていいこともたくさんあるのになんでそっちを使わずに変な部分を使いがちなんだろうとは思う。
「組織」だから。
俗に言う宗教的な「信仰」の場合は、「神」対「自分」じゃない?
「宗教」になると、「神&自分以外」対「自分」になる。
つまり、「ある共有の?価値観&ある価値観を共有している?人達」対「自分」ですね。
「ある価値観を共有している?人達」ってのは「組織」なんです。
だから、「神」対「自分」から「組織」対「自分」になってるんです。
そして「自分」は、「組織に包括される存在」でもあるわけです。
つまり、「自分」と「対象」との「関係性」自体がまったく変わってしまってるんですねぇ。
そら、「組織」相手になれば、あれこれ違ってくるよね。
例え「神」が「自分」の中にあっても、「自分」は「神」ではないんです。
そして「自分」が「神に包括される存在」であっても、「神」は「組織」ではないし、「神」対「自分」の「関係性」は基本的に変わらないでしょう。
宗教であれ何であれ、「組織」って「相互利益を求める人達の集まり」だから、結局「現世利益追求集団」なんですよ。
皆が皆、積極的に利益追求してるんだから、衝突あるのは当たり前。
因は、もっぱらそこにあるわけで、中身がどうという話では無いよ。
結局、突き詰めて言うと「人間だから」としか言い様がない。
けど、だから何だ?それがどうした?それでも生きていくんだよ。
「そんざいする」「そんざいしている」ってのは、そういうことなんじゃないの?
「それでも、ある」って感じかな。それっぽく言えばw
704 :
榊:2007/04/10(火) 12:09:13 ID:2lMY8T2g
>>688 はぁあああああ?????・・・w
わたしの概念なんぞ関係ないだろう。
「世俗の事を語るなら、世俗に生きてから言え」って言ってるんだぞ?
相変わらず、日本語の読解に難があるままだな。
>>689 榊は、人間の心情に鈍すぎだ、、概念ですべて、解決できると、思っているな、、
「心情」って何?「概念」じゃないのか??
あぁ、概念ですべて、解決できると、思ってるよ。
だから「宗教」なんぞも効果があるのだろう。ひがな一日中やっといて、そんな事も解ってないのか?マジで、おまえはww
禅でも何でも、「道具」なんだよ。
「猟銃」持ってても、「狩場」に行かないと「もの」は得られないだろ?って事を言ってるんだよ。
これが解らないのは、おまえの今の今迄の立場・環境がそうさせているのだろう。
だから皆「狩場」に行けって言ってるわけ。
つーか、これ、わたし「だけ」が言ってるんじゃ無いぞ?w 何で「そこ」を「シカト」してんの?w
705 :
榊:2007/04/10(火) 12:21:53 ID:2lMY8T2g
「猟銃」を得たからといって「狩場」に行かず、狩の「妄想」語られても、「あーそうですか」としか言えんだろ。
おまえが犬さんにも、まともに相手されてなかったのは、そこ。
わたしは終始、これを言ってるわけ。
落ち
>>703 そう、組織だから。
でも、何で組織だとそっちを使うのだろwで、なんで信者もとかくそれにならってしまうのだろ。
組織とその組織に包括されるものの図式は見直す余地って滅茶苦茶ありそうですね。
何のための組織かを忘れてるからにほかなりませんしね。
そもそも、迫害も当然、それは正しいものだからって考え方の割には、
内部的からの迫害、非難は恐れるんでしょうね、良いと思う形が浮かんでも個人レベルで解決をそれぞれが行うことは困難。
しがらみの強く多い業界であることは確かです。自由競争的なものはありえませんしね。
相互利益を求める集団っていうのは、本来は世の中全ての手段を指すんでしょうし、
それを自分達の枠で囲ってそこの利益を求める形が強くなった最たるものが宗教団体。
だからなんだ?と言えるのは個人に近いレベル、規模であるうちのことでしょう。
税金も払わないんだし、それでちゃんと機能できないなら存在価値は0以下です。
んー。つーか、またやってるしw
あんまり大ちゃんをいじめないでw
大ちゃんが言いたいことも分かるのだ。
つか、どうした方がいいのか知ってるなら教えてあげればいいだけだし。
道具であると同時に中心に近いものであったりもするなら道具って言葉だけで片付けるのはちと危険なんだろうなあ。
傍から見てると見えるものもある。
>>692>>694のレス読み誤っちゃったなあ。
せわしない時にここで遊んでたからなw
俺に対してじゃなくて大ちゃん自身だったんね、
誰でもあの時にこの考え持ててたらとか思うものだけど、それも今があのときよりも成長してるって思えるからだよ。
その繰り返しならいい状態じゃないのかな、と。
意識の上で、あの時の方が良かったなんてんじゃしょうがないしね。
709 :
榊:2007/04/10(火) 20:47:47 ID:2lMY8T2g
>>706 でも、何で組織だとそっちを使うのだろ
りょんさんが、「組織」の事、解ってないわけないじゃんw
宗教が絡むと、そうなるんだよね・・・・・
「宗教」という「看板」を外して考えてごらんなさい。
したら、あなたなら解るはずです。
「組織」は大きくなると、より利己的になるのは常です。
アメリカを御覧なさいw
>>707 つか、どうした方がいいのか知ってるなら教えてあげればいいだけだし。
え?やってるよ?わたしなりにw 1つのことを繰り返し言ってるだけだし。
あれこれ一度に言っても仕方ないし。つーか、その「1つのこと」が出来てないから「論外」だけどw
>>道具であると同時に中心に近いものであったりもするなら道具って言葉だけで片付けるのはちと危険なんだろうなあ。
まぁ、道具でも何でも「大事なもの」ってあるよね。その「扱い」には特に注意するよね、普通は。
でも、「手段」が「目的」になっちゃ不味いでしょ。
「金儲け」が「目的」で人生やるのは違うでしょw 同じw
それに、自分の事に関しては、「片付けれる」ようにしとかないとダメじゃん?本来は。
そら、スイッチ切り替えるようには無理だけどさ。
ノシ
>>709 分かる反面分かりませんねw
会社組織でもそうなんだけど、なんでそっちを選ぶの?ってありますよ。
なぜと聞いても答えられずに「そういうもの」とか「流れ」とかってありますよね。
分かってるようで分かってないんだと思います。どっちが得なのかとか、思い込みが激しいのもあります。
榊さんもないですか?こんぶ殿得意分野の経理面でも俺には不思議でしょうがないものもありますけど、
そもそも何が不思議なのかさえよく分かってなかったりする。。。難しいものですよね。
でも、その部分には面白い発見がある気はしますけどね。
>え?やってるよ?わたしなりにw 1つのことを繰り返し言ってるだけだし。
>あれこれ一度に言っても仕方ないし。つーか、その「1つのこと」が出来てないから「論外」だけどw
口が悪いw
リアルで話してるなら感じかたちがうんでしょうけどね、文字じゃ微妙なニュアンスとか伝わらないしw
手段が目的になってはとか言いたいこととか意味分かりますけどね、俺もその通りだと思うし。
でも、ツールってのがそもそも何のためのツールであるのかを考えると、限りなく目的に近いものにもなりえるのかもしれないです。
その良し悪しがどうって話じゃないですけどね。
正論が必ずしも正等になるとは限らないとも思いますし。
ちなみに俺は金儲けが目的だって何かを目的で金儲けをするのだって似たり寄ったりの場所にたどり着く可能性を感じますけどね。
両方一緒に考えてる人もいるだろうし傾きの度合いもまちまちだし、精神性の部分にこれだってのはないと思えます。
その人に何があってるかじゃないかな。中々スイッチ切り替えのようにはいかないに同意ですw
榊さんはそういうのも結構上手そうですけどね。俺もたぶんまあまあw
>>711 >でも、ツールってのがそもそも何のためのツールであるのかを考えると、
>限りなく目的に近いものにもなりえるのかもしれないです。
曹洞宗(≒道元)の只管打坐みたいだなw
>>712 それは知らないけど。
俺なんかでも宗教者の宗教にあたる方針とか指標とかあるんですよね。
それを用いながら自分の人格、考え、とか決まっていく部分、それが俺にとっては宗教に変わる?ツールなんです。
ものとは違って範囲に明確な区切りはありませんから、ツールとして「ぽこ」っと取り外したり出来るものではないw
性格のその部分はだめだから明日から外すようにと言われても無理だし、
自分で個性としてでもツールとしてでも大事にしてる部分にはあまり文句も言われたくないものです。
助言なんかは受け入れるかどうかしっかり考えるべきと思いますけどね。
宗教は絶対性を持ちがちだとは思いますけど。選択は本人の問題ですし。
人間の目標って自己の向上とか成長ってあると思いますから、
その部分においてはツールであり、中心に近づいていくものだと思います。
そっか、だから宗教者が布教してこの宗教じゃないと救われますとかいわれると腹が立つんだな。
俺の持ってる宗教的な部分を問題外視してるか見下してるも同じだし。
この宗教じゃないと救われない。だよw
717 :
榊:2007/04/10(火) 21:29:04 ID:2lMY8T2g
あれこれパージしていって、残ったのが、自分の「拘ったもの」。
それは「道具」ではありえないんだけど、本末転倒な人も多い、何故か。
>>710 わたしは気分屋で面倒くさがりなんで、すぐにどーでもよくなりますw
この世は不思議な事だらけ。
でも本当は「不思議な事」なんてなくて、皆唯「ある」だけだし。
「雑草」なんてない!ってやつですね。
「理解できないこと」って必ずあります。それは人間の仕様です。気にしなくていいですw
それに興味があるなら、拘ってみるのもいいでしょう。楽しいかもしれません。
>>717 まあ、そうなんですけどね@本末転倒
自分自身も気をつけなくてはいけないところですよ。。。
俺も気分や。。。なのかなあ、気分野だと言われるからそうなんだろうw
関心が移り変わると今までのものには全く興味を失ってたりw
不思議なことは俺もそう思いますけど、勉強不足なものは勉強したいですよ、
それも関心がもてるならにほかなりませんがw
どうもでした、落ちますノシ
720 :
榊:2007/04/10(火) 21:45:45 ID:2lMY8T2g
>>711 ツールってのがそもそも何のためのツールであるのかを考えると、限りなく目的に近いものにもなりえるのかもしれないです。
逆でしょう。
そもそも「ツール」って「何の為にあるのか?」を考えないと。
>>ちなみに俺は金儲けが目的だって何かを目的で金儲けをするのだって似たり寄ったりの場所にたどり着く可能性を感じますけどね。
これもそうだけど、「目的」と「手段」とは、明確に分けないと。
なぜなら、「手段」の選択肢を限定してしまうし、何より「本来の目的」から外れていく可能性を高めるから。
721 :
榊:2007/04/10(火) 21:52:37 ID:2lMY8T2g
まだいたからレス。
>>720 おっしゃるとおりです。
ただ、ツールって言葉が絶対的に当てはまるかどうかってのと。
目的と手段も目的の選択が出来ていないならまずは金儲けから入るのもありでしょうとは思います。
方向性ってのはまた別問題ですけどね。
生活のためってのでも目的ですし、基本的には榊さんのレスが正しいと思います。
ただ、俺は本業を決めきるよりは金を生むことが本業だと考えてます。
金を生むためには社会に役に立つことが手っ取り早いって、簡単に言うとそういう方針。
その中で明確な目的化する部分と分けてます。って、これもワケワカだなあw
ほんと落ちノシ
>>721 くどくないしくどくてもいいですよ、ずけずけお願いしますw
ノシ
>>722 目的と手段も目的の選択が出来ていないならまずは金儲けから入るのもありでしょうとは思います。
ここのスレタイの「生きやすく生きる」ってのが「目的」だとしましょう。
例えば「金」は「生きやすく生きる」のに都合がいい「ツール」の一つです。
かなり汎用性があるので、使い勝手もよく、強力ですね。しかも「蓄え」が利きます。
この「貯蓄」が「知恵の実」を生み出した。良かったかどうかは知らんw
とりあえず「貯蓄」するのは、わたしも賛成。
学生の「勉学」も、まさにそれでしょう。
わたしが言いたいのは、「何故貯蓄するのか?」ってとこ。
自身の「立ち位置」を常に「そこ」にしないと、気づいたら思わぬところを歩んでたり・・・・・
わたしはアホタレですが、この「立ち位置」が「よく見える所」に陣どれましたので、初見では、あんまり外さない。
が、根気が無いので、「その先」がダメダメwww・・・・orz
>>682 誰もが自分の欲望に誠実であれば、たいして傷ついたりしないんだろうけどね。
>>677 問題はダブルミーニングなんですよ。
言葉のレスポンスと、本心が異なることによる態度の違い。
もともと論点がずれているから、これらについて、は続かないでしょうね。
728 :
、大王:2007/04/11(水) 10:24:22 ID:TpW+xIjV
榊もすぐ、日本語とか、自己の概念に入り込む、、
概念の入り込みの中で、判定し、すぐ切れる、、
切れやすい子供も走りかあ、、とたまに思うぜ、、
そういやあ、、クソ真面目か、キレやすい奴なのか、女子学生4人ぐらい自殺に追い込んだジュン教授がいたなあ、、
自殺するほうも、追い込むほうも、概念の塊で、、情緒コントロールが出来ないんだろうよ、、、
>>724 どもですノシw
>>725 目的ってのは基本的に常に付き物なんです。
ただ、その自覚があるかないかと、どの目的を見てるか。
この、どの目的を見てるかを考え始めると、それが正しいかとかもっと違ったものがないかとか考え出します。
考えるだけで中々動けなくなるくらいなら、目的が仮にあと付けになることも構いません。
まずはやってみろ、そんな感じです。
榊さんのそのレスは全く同意なんですよ、ただ、目的にこだわって動けなくなることがあるならそれも本末転倒なんです。
目的に手段を合わせる段階でも人は悩みがちです、だから人は中々行動できない仕様になってるんです。
目的が明確になれば具体的な手段も浮かんできますし、方向性も見えてきますから、榊さんのレスはもっとも大切な部分だと思います。
ただ、それでも常に回りも見たり自分の方向も絶対視する部分と客観してみる部分とあったほうが良いと思うんです。
>>726 欲望なんて関係ないですよ。
そう感じるのはそういうものにしか考えないからです。
傷つけたほうが悪くて傷つくものが正しいと思ったら大間違いですしね。
相手が望むものが何かを知る、そしてそれを報酬として与える、キリスト教に言うのもこれだと思うし、
仏教にもある「人のためならず」もこれだと思うし、俺にとってはこの部分はある意味真理ですよ。
経営とか営業ってのはまさにこの道理で成り立ちます。
与えたいのか、受けたいのか、両方なのか、そのバランスを見る必要はあると思います。
>>727 本心を疑うからそう見えるんでしょう。
それに偽善は悪いことではないし観念論事態も悪いことではない。
そういう相手に対する報酬は本音であり、しかも相手に確実に何かを与えること。
しかもそれが報酬としてふさわしいかどうかはその相手の受け方に委ねられる。
そんなもんに付き合いきれる人間は少ないです、その感覚を良しとするなら生きにくいでしょうね。
意味合いずれるならもう少し詳しい喩えでお願いします。
>>728 大ちゃんと榊さんのマナ識を修正したらいいんでないの?w
大ちゃんのマナ識は結構役に立ってるよ、仕事でむかついたときなんかもね。
用法間違ってるかもしれないけどさw
大ちゃんのマナ識は間違い。
大ちゃんに教えてもらっただ。
>榊さん
飯食いながら湾岸ミッドナイトあったから読んでみたけど、かなり面白いっすねw
まだ一巻しか読んでないけど。
>>728 がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!
がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!
がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!
がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!
がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!
がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!
・・・・・って、何レスにもわたって何回も連続で延々キモイカキコ張りまくってたの、どこのどいつだ??
過去レスあさったら出てくるぞ、宗教・無宗教板の。晒してやろうか????????
おまえが一番「概念に捕らわれた」、「すぐ切れる」「幼稚」で「キモイ」「ガキ」だろ。
慈風さんにも、同じ事言われてるしww
禅のレベルが上がったからとか、どんだけ幼稚やねん。みてて痛いわ。
そんだけキモイと、コンビニのネーチャンもドン引きしてるやろww
>>729 目的にこだわって動けなくなることがあるならそれも本末転倒なんです。
「目的にこだわって動けない」ってのは無いはず。
「目的にこだわった結果、動かない」っという選択をするか、しないか。
「動かない」のがまずいなら、その「目的にこだわった結果、動かない」っていう選択に問題がある。
目的に拘るっていうか、何をするにも目的あっての行動ですからね。無しは、ありえない。
りょんさんの言ってる事は、なんとなくですが推測出来ますよ。
ですが、そこから更に「分解」して、考えてみて欲しいのです。因数分解な感じでw
湾岸ミッドナイトが、本当に面白くなるのは、かなり進んでからです、実はw
30巻超えてますが、読破オススメw 絶対ハマル、りょんさんならw
もろに「こっち系」の「哲学」語ってますからねwww
ノシ
>>731 では、詳しく。
> 本心を疑うからそう見えるんでしょう。
大人が子供に対して、態度とうらはらな言葉を吐くことを問題だといっているのに「本心を疑うからそう見える」ってどういうこと?
よくわからない。
> それに偽善は悪いことではないし観念論事態も悪いことではない。
別に異論は無いけど。ていうか、偽善が悪だとか、観念論が悪いって振って沸いたような文脈に見えるんだけど、これまでのやりとりのどの部分に対する反応なのかな?
> そういう相手に対する報酬は本音であり、しかも相手に確実に何かを与えること。
意味がよくわからない。なんで、「そういう相手」に対する報酬が「本音」になるの?両者の関連性は何?
> しかもそれが報酬としてふさわしいかどうかはその相手の受け方に委ねられる。
前段で本音、が報酬になる、と決め付けておいて、其れがふさわしいかどうか、は相手にゆだねられるの?
「ふさわしい」って何?
> そんなもんに付き合いきれる人間は少ないです、その感覚を良しとするなら生きにくいでしょうね。
「そんなもん」がわからない。どの指示語?
> 意味合いずれるならもう少し詳しい喩えでお願いします。
とりあえず、りょんの解釈と欲望をしりたい。
>>736 目的の種類ですね、どこに向かうのかをいつまでも考えてるばかりで行動しないヤシ、そのイメージ。
行動しながら目的を決めるのもありと言う意味。
分解するなら、目的があってもその中での目的、目標は無数にあるから、
それぞれを思って全て決まるまで行動を起こさないとなればますます本末転倒ってことになります。
湾岸ミッドナイト、あの後4巻まで読みましたよw
ここまででも十分面白いです、男のロマンと哲学があるw
>>737 大人が子供に対してだけに限定であればその通りですね、
子供はそういうのに敏感だから子供に対しては適当ではいけない場合が多いと思います。
大人相手も含む解釈で受け取ったんで、子供限定だったら仰るとおりです。
偽善云々についても同じ、大の大人が相手の本心がどうとか言うならってことで、
子供相手に限定ならレスが噛み合ってなかったです。
次も同じ、その部分で俺の解釈が広がってるから違いますね、
大人の場合であれば、甘ったれてるってだけのことだから、そんな相手の判断に構ってられないってこと。
です。欲望ってのは?このスレのレス上についてのことですか?
>>676の無私の愛ですね。
俺が流れにキーワード的に見たもの。
無私の愛なんてものは基本的に求めるのが間違っていると思うから。
で、俺自身が常に思っている全ては自分のため。
人の為にすることでもなんでも無私は有り得なく、全ては自分のためにしてるに過ぎないって考えに行き着く。
これは以前に素人さんともやり取りしたことあるけど、自分の行動に対しての考え。
受け取るものに感謝する必要がないって意味合いではないです。
欲望ってのの意味が分からないけど、この流れを分析するならこんな感じですね。
すれ違いを感じながらレスした事はしたのだけど、失言あったんならすみませんでした。
>>739 会話を含めて、コミュニケーションをとるときに、我々は、相手の欲望・欲求を探って、其れに対しての反応をするでしょ。
この時点で既に相手と、自分と、相手の欲求と、自分の欲求と、コミュニケーション対象者が複数になってて。
通常は無意識の処理だから、どうでもいいんだけど、話の流れも在って。
本音と発言が異なるダブルミーニングの場合は、己の欲望の認識にゆがみがあるのかも。ってこれは別の話かな。
>>740 正しいも間違ってるもないと思う。ただの概念でしょ、無私の愛なんて。
無私の愛を信じるのも、間違っていると思うのも、同じベクトルに見えるけど。
>>738 どこに向かうのかをいつまでも考えてるばかりで行動しないヤシ、そのイメージ。
あぁ、そういう意味ね。それは同意だね、かなりw
>>742 確かに、是非の問題ではないかな。ウザイけどw まぁ、これはわたしの概念。
ベクトルは、立ち位置が違うから違ってくるんじゃないの? その人の概念の。
性質の事言ってるの?
744 :
、、大王:2007/04/12(木) 10:08:12 ID:S1e9LSwd
がははっつ、、榊ちゃん、おもしろいね、、
あまりにも、榊ちゃんが、キレル子供の代表で、、
キレル世俗の代表だから、、会話より、遊んでやろうと、、、、
その後、おいらじゃない、名無し相手に、夜中、燃えて、暴れている姿、、
素敵だったよう、、、
745 :
大王:2007/04/12(木) 10:25:45 ID:S1e9LSwd
榊発言の特徴は、女子学生を自殺に追い込んでいくジュン教授の発言と同じだな、、ただ、キレル、、、
746 :
神も仏も名無しさん:2007/04/12(木) 10:28:08 ID:S1e9LSwd
747 :
大王:2007/04/12(木) 10:36:23 ID:S1e9LSwd
いつも、榊が、勝手にキレテ、絡みにくるなあ、、いつもの病気だろうけど、、
おれは、まあ、榊には関心が無いが、、榊のキレル病は、遊んで欲しいと言っているようでな、、、
748 :
大王:2007/04/12(木) 10:40:57 ID:S1e9LSwd
榊の人生の喜びは、ジュン教授の喜びだろ、、キレテ発言し、至福に至る、、、
>>741 その欲望欲求が俺が言ってる報酬や果実にあたる部分ですね。
言葉はどうあれ、人はコミュニケーションに何かを期待したり意図を持つわけです。
本音と発言が異なる場合、建前的な受け答えをする場合、その場合には自分の内部的には当然に
ゆがみや我慢のようなものが生じてますよね、営業なんてやってればそんなものはしょっちゅうありますが、
俺は調子よくはあわせないほうなんで中には面白くない人もいるでしょう、営業失格かもしれないけどw
別の話じゃないと思いますよ。
友人なんか相手で本音と建前で盛り上がってもいずれそのことは付き合いだったとばれたりします。
それをどういう形で受け止めるかはその友達側ってことになります。失望するのかあわせてくれたことに感謝するのか。
それが俺が上で言った相手に委ねられるって部分と重なります。
>>742 でっかく見れば同じベクトルで問題ないと思います。
結局は自分がそれを好きか嫌いか、自分がどう思うか、それに違いませんし。
ただ、スレ的には生きやすくと考えた時に、自分としてそれは「通りにくいもの」と位置付けして見てます。
それだけと言えばそれだけのことですw
間違いとは言わないですよ、用いるひとがいるのは自由です。
ただ、俺自身に用いようかと考えるなら間違い(良くない)認定しますけどね。
>>743 うん、単純なことだったんですけど、俺の表現力不足ですね、この一連の流れは、すみませんw
>>744 大ちゃんもちつけYO!
榊さんは大ちゃんが挑発に乗るからからかってるんだよw
って、大ちゃんもこういうの好きみたいだしなw
で、戻って。
俺の欲望って言うのが、このスレで俺が何を意図してるのかってことであるなら。
コミュニケーションして遊んでるのもあるけど、自分の考えの整理と見直しメインです。
自分なりの考えはおそらくかなり広いジャンルで持ってる気がしてる。
それがどういうことでどう思われがちなことで、その実なんなのかとか。
それと俺がイメージしやすい対象は自分の仕事環境上の出来事、だからすれ違いがちになるのかもしれないけど。
歓迎会用のスピーチの文面考えてるけど、ここの影響を感じるw
説教じみたり宗教くさくなったらやばいなw
ネラー用語とか混じるよりやばくないけどな。。。
>>752 そうそう。キモオタニートからかって遊んでるんだけどねw
ニートなんだから、社会の風当たりが強いのは当たり前っしょ。
存在価値無いどころか、足引っ張ってる輩なんか、死んだほうがいいね。
そんな奴が世俗語るから、頭くる訳。
いぁまぁでも、ここで会ったも何かの縁やと思うんで、言ってる事はマジで、只の煽りではない部分もある。
わたしは、いい歳で、あれこれしてきて、まぁ基本的に世話焼きなんですよw
だいおうが自活出来てるんなら、まぁいいけどな。
夢の中に生きるのを選んだなら、それはそれだが、こちら側から見れば「裸の王様」なんだよ。
んで、わたしは、うっかり喋っちゃう子供w
「いい歳で、自活出来るのにしないやつは死ね。」
>>754 ネラー用語はヤバイから、アドリブは無しが無難ですねw
>>756 世俗ってのは基本的に最低限しか決まった形はないですからね、
だから面白いし大変なんですw
大ちゃんも世俗でもがんばってるんだと思いますよ、結構必死なのかもなあと見えてしまうから。
つーか、みんながんばってるんですけどね、試行錯誤しながら。
ただの煽りでもないことは俺は分かるんですけど、その口調では大ちゃんは反発し返すしかしないとおもw
ネラー用語は「もうだめぽ」って呟いたことが一度あるw
2chは結局センスと楽しんだものが勝ちの世界だからなぁ。
リアルでは勝ってるとか、リアルで喧嘩したら負けないぞみたいなレスも良く見るけど
せっかくだから2ch内での喧嘩を楽しみなよって思う。
>>750 なんで、「通りにくいもの」って位置づけして見てしまうの?
2ちゃんだからといって2ちゃんらしく遊ぶのがいいとは思わない俺がいるw
でも、2ちゃんはずけずけ言ってくれる人がいるのがありがたい。
>>759 無私の愛を与えようとすることには別に関係ないです。
無私の愛を望むなら、そもそも無視の愛なんてものがあるのか?と思うから。
得られないものを望むことは辛いんじゃないかと思うから。
>>761 無私の愛は関係なくて
得られないものを望むこと、が通りにくいものって思うってことですね。
得られるものを望むことも同じかも。
軽く置き換えて。
グルメ。あんまりグルメだとおいしいものが滅多に食べられないんですよね。
でも、たまーにめぐり合えたおいしいもので至福の味わいがあるのかもしれない。
カップラーメンでもおいしく食べられるし、高級料理を食っても味が分からん。ってのとか、
何でもかんでもおいしく食べられること。
おいしいものを食べた時にしか満足できないこととどれが幸せ?ってレベルかもしれないですねw
俺は何でもおいしく食べられることが幸せだと思う派でグルメ過ぎるのは幸せじゃないと思ってしまう派。
グルメックな人には余計なお世話なんでしょう。
>>762 そうですね。
得られると分かりきってるものは当たり前すぎて満足も無いかもしれないし、
当たり前すぎるものにもありがたみを感じられる人もいるし。
難しくても手に入れば喜びは倍増だし。
ただ、相手の気持ちの部分に期待が過ぎてはいけないと思うんです。
>>764 足るを知るですね。
人生の黄金律かも。
>>765 どこで足りると思うべきかってのは難しいですけどね。
日々充実して生きるには何でもありがたがれて感謝できて、多くは望まずにも
望み続けることが大事って気はしますけどw
767 :
大王:2007/04/13(金) 10:20:59 ID:bSZjKTMe
榊の世俗とは、、キレル事、、わめくこと、、
榊の躾とは、、子供にキレル事、わめくこと、、
榊の子供に薦める事、、キレル事、わめく事、、、
まあ、榊は、キレタイから、、キラシテやろうと、、親切にしてやているのさ、、
榊が、勝手にキレテ、絡んでこなけりゃ、、あえて、榊をキレサス気は無いしね、、
キレタイと望んでいるようだから、、、徹夜でキレタイのかもね、、、
768 :
大王:2007/04/13(金) 10:43:51 ID:bSZjKTMe
榊は、榊の人格を見る限り、、榊の生活周辺にいる人々は、榊のキレに迷惑しているだろうし、、
そのうち、別れた女をキレテ殺すとか、子供をキレテ虐待して殺すとか、、やりそうだから、、
ネットでは、相手を殺すことはないだろうから、、
榊の突発的に病的にキレテいる姿を自覚させてやるのも、人の道だろう、、
榊の生活の周辺の被害者が増えないうちに、、
「いい歳で、自活出来るのにしないやつは死ね。」
ちかれた。足跡だけノシ
771 :
まい:2007/04/13(金) 22:17:56 ID:3f2nXrXH
761 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/04/12(木) 21:04:23 ID:tof+7QFy
>>759 無私の愛を与えようとすることには別に関係ないです。
無私の愛を望むなら、そもそも無視の愛なんてものがあるのか?と思うから。
得られないものを望むことは辛いんじゃないかと思うから。
762 : ◆xbzMCVKEsA :2007/04/12(木) 21:07:28 ID:LUQ6WK4Q
>>761 無私の愛は関係なくて
得られないものを望むこと、が通りにくいものって思うってことですね。
得られるものを望むことも同じかも。
764 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2007/04/12(木) 21:09:57 ID:tof+7QFy
>>762 そうですね。
得られると分かりきってるものは当たり前すぎて満足も無いかもしれないし、
当たり前すぎるものにもありがたみを感じられる人もいるし。
難しくても手に入れば喜びは倍増だし。
ただ、相手の気持ちの部分に期待が過ぎてはいけないと思うんです。
このことですねw
>>764 最近は逆なんじゃまいか と思うが
子供も大人に期待なんかしとらんし 期待する奴の方が珍しい
りょんもそうだろう
俺の子供時代と今は様相が逆転してる むしろ大人が子供に期待するんだよなー
774 :
まい:2007/04/13(金) 22:25:36 ID:3f2nXrXH
自分はなぜ悲しいのだろう。
自分は何を望んでるのだろう。
そんなことを考えてみるけれど・・
望んだからって望んだ通りになるわけでもない。
人に思いを伝えて、人の思いを知ることは出来ても、
人の思いを(嗜好や癖を)変えることが出来るわけではないから。
なぜ悲しいのだろう。
その理由は相手のせいではない。
自分の自身の無さのなせる業なのだろう。
>>774 悲しいっちゅう感情は大事だと思うけど 人間だからさ
776 :
まい:2007/04/13(金) 23:10:37 ID:3f2nXrXH
>>754 りょん「おまいらようこそ。」
同僚A「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!」
同僚B「りょんタソキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!」
りょん「おまいら・・・ケコーン汁w」
りょん「そんなことより>>新人よ。ちょっと聞いてくれよ。
新人A「華麗にスルー」
新人B「あぼーん推奨」
りょん「厨坊は逝ってよし」
新人C「オマエモナー」
新人D「--------終了-------」
新人C「--------再開-------」
同僚C「それより過去うpキボン」
同僚A「りょんの過去は黒歴s(ry」
>>同僚A
∵・(Д゚ ) ―t(´ ) フッ
新人ALL「(((;゚д゚))) ガクガクブルブル」
りょん「( ̄ー ̄)ニヤリ」
新人ALL「りょんタソについていきます!(`・ω・´;)シャキーン」
りょん「歓迎会age」
同僚C「
.-、 _
ヽ、メ、〉 r〜〜ー-、__ ________________
∠イ\) ムヘ._ ノ |
⊥_ ┣=レヘ、_ 了 | えーーい、歓迎会はいいっ!
-‐''「 _  ̄`' ┐ ム _..-┴へ <
| |r、  ̄ ̄`l Uヽ レ⌒', ヽ. | りょんの過去を映せっ! りょんの過去をっ!!
(三 |`iー、 | ト、_ソ } ヽ |
| |`'ー、_ `'ー-‐' .イ `、  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | `ー、 ∠.-ヽ ', 」
りょん「ガノタイラネ( ゚д゚) 、ペッ!」
新人B「 ☆ チン
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)<スピーチまだー?
\_/⊂ ⊂_)_ \_______
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
| .|/ 」
新人C「仕事が上手くいくコツを教えて下さい」
りょん「クレクレ厨uzeeeeeeeeeeee!!」
新人C「(´・ω・`)ショボーン」
りょん「言い過ぎた・・・w イキロw
○
ノ|)
_| ̄|○ <し
とにかく、自分で考え、よりよい結果が残る様おながいします。m(_ _)m」
昆布「イタイ先輩のいる会社はここですか?」
てすと「嘘を嘘と(ry」
フーテン「りょんタソは、一途だからなぁw」
素人「りょんタソ (´Д`*)ハァハァ」
りょん「おまいら!いいかげんに汁!ヽ(`Д´)ノ 」
>>772 俺は子供のころに自分の親は一切信用してなかったけど、その代わり外で信用できる人をみつけるのは上手かったと思ってる。
今はまた違ったことも思うけれど、その時に外の大人の全てが全く信用できないと考えてたならまったく違った人生になってただろうと思う。
今の自分の性格でよかったと思っていることはもちろんw
珍しいからそれは間違いとかってことでもないし。
諦める人が増えれば急速に加速していく、仮にいずれは求めるものの性質を変えたほうが生き易くなるとしても、
俺には合わない感覚だから俺自身は受け入れないってだけです。
>>773 それはいえてると思う。
けど、常にそうだと思うけど、逆転ってよりは傾きが進んだというか、
昔も今もそんなに変わってないものも多いし、実際に昔からそういう大人もいる。
突然変異ではなくて進化、変化、後退、過去から今へ繋がりはあるもの。
情報の形でそれが今急激に増えたように感じることもあるだろうし、実際はもっとってのもあるだろうし、
ただ、思うのは「だからどうした?」かな。
ただそれを知るだけでは何の意味も持たないから、その中でどうするか、どう心がけるか、
どう生かせるか、とかそっちが重要だと思う。
一人では何が具体的に出来るかというと些細なことしかないけど、意味はあると思う。
社会に対して怒りや失望ばかりもっても自分に役に立ちませんし、本当の意味とは何かみたいな。
俺はそんな感覚で思うことが多い。
>>774 その考え方自体が悲しい事をわざわざ探してる場合もあるし。
>>779 でも、時代は変わりましたね。
昔は仕事の仕方は盗むもの、聞くんではなくて盗んで覚えろって躾けられたけど、
今はそれでは中々育ちにくい、教育される側の意識の変化がそれに向かっていかなくなってる。
その中での教育法をきちんとできれば育ち具合は過去が上だと言うことは全くない。
むしろ今の若手の方が繊細さも持ち合わせたよい仕事をこなす場合も多い。
俺なんかはある意味社会的には中堅の立場ですからね、繋ぐものとして両者の理解が可能なはず。
朝っぱらカキコ終了ノシ
786 :
大王:2007/04/14(土) 10:17:32 ID:PmSd/oFi
769 :榊 ◆sakakiA55. :2007/04/13(金) 20:09:55 ID:JusbsDCB
「いい歳で、自活出来るのにしないやつは死ね。」
あらら、、榊ちゃんて、自活できているのか、疑わしいね、、
これだけ、突発的に、一方的にキレラレルのに、自活できているんでしょうかね??
まあ、ネットで、暴れてもいいガ、、榊ちゃんの周辺で生きる方々に、キレテ迷惑かけてはいけませんよ、、
まあ、自活できてなくても、、榊ちゃんには、死ねとは、言わないし、、
周りの方達と、仲良く、生きてちょうだいね、、、
>>785 すぐに結果が出ないことには価値を見ない、意味がない、
と考える傾向はありそうだよね・・。若者に限らず時代的に・・。
何年も何年もかけて、かかって、少しずつ結果が残っていく、結果が見えてくる、
そういう流れを待てないところがあるのかも。(自分を含めて・・。)
仕事や、自分の行為と結果についてだけでなく、
周囲の在り様の変革についても、根気強く待つことは難しい。
「そうそう変わりゃしないし、膨大な作業量になるし時間もかかるし、
俺が何かしたからどうなるってわけでもなし、ま、いいか(´ー`)y━~~」と。
別に小泉支持をするわけではないし、彼の「痛み(は必須)」発言に両手で賛成はできないけれども、
方法論として、「見て分析するだけでなく、とりあえず、まず、動く。(勿論、最低限それなりの準備は必要だろうが・・)」
という構図の提示は功績の一つと見ていいのかもしれない。
少し話の中心がズレるが、
漫画版のクイーンエメラルダスを読んだことがあるかい?
主人公(?)の海野広が自作の宇宙船で色んな惑星に不時着するわけだが、
ある星で、工科大学の万年留年生ラメールと出会う。
彼は宇宙船の設計をしているのだが、まだ完ぺきな宇宙船をつくれていないという。
海野の宇宙船の不備を幾つも幾つも指摘する。こんなものでは宇宙を渡れやしない、と・・・。
今設計している船ができればどこへだって行ける、と・・・。
海野は言う。
それは、いつできるんだい?君は、いつ宇宙へ飛び出すんだい?完璧なものが設計できるまで飛び立たないのか?
おれは嫌だ。待てない。粗悪な船でもここまで飛んできた。
この身体が若いうちに、少々の傷には耐えられるうちに、宇宙を駆け回りたいんんだ。
俺には未来がある。時間がある。君のように研究室でウロウロする時間じゃない。
宇宙を駆け回る時間だ。それで死ぬなら本望だよ、と・・・。
(ラメールには、このエピソードの最初から最後まで、
致命的な不備への恐れと、そして、海野への嫉妬と羨望があるわけだが・・。)
海野が再び飛び立とうとするとき、ラメールは、エンジンの部品を海野へ渡す。
気がつけば、自分はもう宇宙を渡る体力がない。もし、もう一度出会ったら、完全な宇宙船を一隻プレゼントするよ、と・・。
行きたくても行けない、そういう男も世の中にはいっぱいいる、と・・。
人生に、たらればが効かない以上、自分にできるのはサポートであるという諦観であろうか・・・。
彼は、海野へ自分の夢を託す。
松本零士の作品は、単純なステレオタイプな物語(や登場人物)が多いので
(―それは、王道として、男の幼いロマン・願望として魅力の一つであるわけだが―)、
それほど気に入るものは多くないのだが、このエピソードは夢・願望を巡る諸相を正直に、ストレートに描写していて
結構好きだ。(自分は当然ラメール側だろうが・・・(爆
このクイーンエメラルダス自体も、結構好き。中途で終わっているのが残念だw
>>787 国に対しても早急な対応を求めるでしょう、こういうことが増えてるから見直そうと注意を喚起するより、
早急な法対策を求める、それは最も効果的で良いことでもあり、自発的な自粛、自制を考えないで済む傾向を促す。
悪いことなら法律で制限するんだから法律が出来るまではやっても良いのだ。とか。
法律守ってるんだからとりあえずは正しいのだ、正しいとまではいえなくても悪いことではない。一応の正論にもなりえる。
国や法だけでなくてもそういう傾向は広がる、法律が最後の砦的存在だと思うものの枠を広げればそういうことも含まれる。
結局最終的に求められることって個々の自立と判断、良識しかない。
それが出来ないほど法の制限は増えざるを得ず、窮屈になればゆがみは生じるかと。
素人さんたちの存在意義ってそこにある気はしますけどね。
もちろん宗教だけの問題ではないんですけどね。つか、宗教以外がそこに貢献を増していけば、
その面での宗教の存在意義は減りますよ。
>>788 エメラルダスは読んだことあるけどその話は知らないです。
でも、松本れいじの漫画には哲学や理想が強くかかれますからね、メッセージ的に。
男とはとか人生とはみたいな感じで、その内容は俺は嫌いじゃないですね。
自分はラメール側だってのは自分で決め付けるだけですね。
それが好きであればそれでいいし、それが好きじゃないなら変えればいいだけでしょう、体力があるうちにw
行動とともに応援が好きな人ってのもいるもんですし、応援が好きなら応援に価値を見ることもあり。
がむしゃらに行くだけの猪突猛進型とかスタイルは個性に応じてでいい、自然とあった者が集まりがちなものだし、
それぞれに存在意義は高められるものかと。
>>787に再度。
小さくてよいならすぐに結果って出るものなんですけどね。
ただ、小さい結果を楽しまないんですよね、もっとでかい完成を望むんでしょうね。
一攫千金って結構狙う人いるけど、本当はそれでも当たるんですよね、結構。
確立はともかく当たる道理がありますからそれに沿えば確率は高くなります、それが出来ないなら地道が一番。
とはいっても一攫千金で確立高くするにも地道が必要であるという面白さw
地道にしても、ただ地道じゃだめなんです、的外れな地道なんて苦労するだけで。
だから、一攫千金でも地道でもどういう計算がされてどういう形で実践するかが問題。
当たり前すぎる道理の中でどうやるかの方法、手段、それと人。
人を使うにしてもその道理に従わなければ上手く行きませんし。考えててもだめで動くしかない。
だから日頃から色んな角度で見れる目を育てることが大事だと思ってます。難しいことですけど。
小泉は俺は本当は好きでしたよ、最初に総裁選でだめだった頃から。
でも、その後は微妙ですね、言ってた覚悟があるなら本当にぶっ壊して欲しかった、日本が混乱するとしても。
それぐらいの覚悟を持ってると思ったけど、長いものに巻かれた感が否めませんしね。
自民党を壊すどころか再生しただけじゃないですか。別に小泉党的な自民党になったとも思えない。
小泉が総裁になったときには国民の自浄能力や再生能力にも期待したのだと思いますが、どこかで信用できなくなったのか?
実現するまでは何度でもやればいいですしね、本当に覚悟があるなら。なんか自己満足できるところで体よく逃げた感がある。
>素人さん
道理って仏教からですか?ちょっとぐぐったけど、因果の道理とかってのしかなかった。
知ってたら教えて欲しいです。
>>792 一般辞書及び広辞苑には、その由来は記されていない。
意味合い(の出自)については、漢和辞典の「道」「理」をそれぞれ調べて統合しましょう。
一般漢和辞典でなく、分冊形式の大きな漢和辞典ならば、
由来について或いは何か書かれているかもしれません。
さて、そこで「岩波仏教辞典」。P614右2行目〜。
それほどの長さではないので、少し略しながら引用しましょうか?
あ、すみません。
出典分かれば自分で見て見ますよ、有り難うございますノシ
了解。
ちなみに、
問答スレのりょんと昆布のやりとり(対立)は、
歴史を持つ宗教(的存在)の
教理・理論(理想)と現状・現実(実際的限界・制限)との相克と、相似形に見えるね。
あ、すまん。
右じゃなくて左だ。 年かな・・・・
>>795 どんなことでも通じる部分って多いですからね。
この板で遊んでるほうが仕事系の板で遊んでるよりもよっぽど仕事的にも為になりますし。
直接的会話ばかりじゃないのがまたいいんでしょうね。
798 :
りょんちゃんへ、、大王:2007/04/17(火) 10:11:48 ID:fYB3CXf0
あと、仏教認識の問題で、、仏教は、信じるとか、功徳とか、、すがる為に、本来は無いからな、、
仏教と、他宗教の違いは、、神秘主義あっても、、重視するのは、、現実、日常、現象、心理の分析、
出来事に対する、解釈上と、、
日蓮系の様なもの、キリスト教のような、奇跡とか、、別物だからね、、
コテコテの神秘好きな人達にとっては、現象、出来事論的、仏教は、つまらぬモノだよ、、
799 :
、、大王:2007/04/17(火) 11:03:45 ID:fYB3CXf0
800 :
、、大王:2007/04/17(火) 11:06:07 ID:fYB3CXf0
日蓮系のような、ヤボ仏教は別として、、、
結局、仏教て、、何か??
まあ、日常の現象を観察、分析、自己コントロールだから、、
他宗教は、奇跡、超越感覚、救われた至福感、、と、、こういう違いがあるわけよ、、
>>798 原始仏教的感覚なら信じれば救われるなんてものは見えないしね。
どこからそんな都合よく変化してしまったのか、全く別物にも思えるのあるし。
正直、よくそんなものを信じる人間が存在すると思うよ。
キリスト教系なんかの神神だと、まさに神を信じなさい、信じれば救われますみたいな事を堂々と言ってるしね。
使い方もあるのかもしれないけど、錯覚してくれたほうが組織的には扱いやすいしね。
>>800げとおめ。
日蓮系でもやっぱり使い方もあるとは思う。
内部的なものも知ってるしね、祈れば救われる的に受け止める人もいれば、
祈りは自分の信念の後押し的に使う人もいる。
どう使うかは好き好きでいいと思うけど、祈れば救われるなんて思って365日24時間祈ってだけいたら死ぬしねw
もうほんと、宗教そのもののことには関心なくなってきたよ、他人がどんな信仰してようと基本的には構わん。
組織面とかなら使えそうなことでもあるなら関心持つかもしれないけど、個人的信仰は好きでいい。
803 :
、、大王:2007/04/18(水) 10:23:22 ID:UGZ2vlRb
アメリカと中国は、原始仏教をしたら、、いいなあと、思うな、、
あまりにも、、物欲が度が過ぎているし、、環境問題意識ゼロだから、、
日本はまあ、、自己認識が増えれば、、いいいんだろうし、、
宗教を越えるには、、人間の自己認識のレベルを上げるしかないね、、
まあ、自己認識のレベルを上げれる思想は、、今の所、、伝統修行系仏教しかないだろうね、、
日蓮系の仏教は、やはり、厳密に歴史上考察すると、、神秘主義大乗の(天台、真言)呪術的側面が、強調されすぎたのだろうね、、
真言、天台の開祖は、当然、自己認識、現象、出来事分析、日常性を重要視していたんだけど、、
空海、最澄死後、100年、200年時間が過ぎていくと、、呪術的側面が突出していくんだな、、
呪術的側面のなれの果てが、、日蓮の、信じないと日本が滅ぶ、地獄行き、、、なわけで、、
>>803 俺は、宗教というよりは原始仏教を知ることはいいと思うよ。
キリスト教よりも分かりやすいし道徳的であるし。
そして、仏陀という人物も仏教の創始者として知ることが良いと思う。
キリストに偉大さってのは感じられないからその点からすれば仏陀に利があるようにも思う。
って、宗教には利とか必要ないのか。
他国が原始仏教を取り入れるとしても、宗教的にとなるならまた違ってくるような気はする。
国が宗教を使うこと自体がやはり良くないと思うからね、人材を失う元だと思うよ。
極端なこといえば、力のない組織が宗教を使うんであって、
本当に指導力や力のある組織なら組織(トップ)の言葉や指導そのものが宗教や神の存在になれる。
俺の政治においての宗教観だけど。
806 :
大王:2007/04/19(木) 10:23:43 ID:/+PJY/y6
言いたいのは、はるかに、余りにも自己認識の低い奴が多いと言う事さ、、、
自己認識の思想の決定打が欠けるのさ、、、
アメリカの銃乱射なんて、、その際たるものさ、、、
あと、真言宗の北斗の拳のラオウの葬式は笑えた、、空海も大泣きだなあ、、堕落ぶりには、、
チベット密教僧は、呆れるだろうね、、
まあ、天台、真言の神秘的大乗は、、、空海、最澄の開祖死後、、生きている間の自己認識の仏教であったものが、、
呪力要素が拡大して、、生きている間の功徳、死後の極楽浄土と、、宗教観が変貌し、、
とうとう、ラオウの葬式をするように、至った、、、
807 :
大王:2007/04/19(木) 10:33:09 ID:/+PJY/y6
まあ、宗教であるか、否であるかより、、、自己認識の富む人間が必要、、、
自己認識ができず、訳ワカラんような事をする奴が多すぎ、、、
アメリカの銃規制も叱り、、ブッシュの戦争もしかり、、、
808 :
大王:2007/04/19(木) 10:54:08 ID:/+PJY/y6
人材は宗教の有無で無く、、自己認識ができる奴か否かの問題だと思うけどね、、、
>>806 葬儀の意味自体が送る側の心の問題なんだからある意味人間でもラオウでも同じかもしれないけどね、
それを宗教側が表した事例にはなるんだろうな、力石徹の葬儀なんてのも過去には有ったらしいしw
>>807-808 宗教であるか、ないかの問題ではなく、自己認識もそうだし、
主体性のあるなし、人のせいにしがちか、自分の責任で見がちか、
宗教、宗教ではないではなく、その点がだめな人間は宗教すれば神神になるだろうって事。
どんな世界でも、だめなやつはだめなんだよね、自立しない限り。
自立しないで宗教に依存すればさらにたちが悪くなるって事。
宗教ってのは上手く用いるのは難しい部類だと思うよ、凡人がへたにはまれば神神化するか、
団体に都合よくもちいられる言いなり人間になるだけだ。
そうなりがちな要素は最初から備えてるしね。
素人さんやフーテンさん見ても自分自身の信仰をもってるし。
そういう形で確立したものであるなら宗教も非宗教もないだろうと思うよ。
もちろん、宗教となれば自由には行かない分、大変かもしれないけど、
だからこそ、非宗教者よりもともすれば上にもなりうるのではないかと。
もちろん何をもって上とするかもあるし、非宗教では宗教に勝らないということもないけど、
こんな言葉でさえ神神は否定することしか出来ないだろうと思うしね。
神神こそが絶対だって。
天とか神とか、そもそもそこにあるなら考えてもしょうがないのになんでそれが分からないのかも不思議に思えてきた。
神神こそ神が分からないのだろうなあ、だからそうなるんだろう。
812 :
大王:2007/04/20(金) 10:19:01 ID:hSKk0ip6
ま、ある意味、人間と言うのは、悲惨な目に遭うと、、どうしても、自己の思考回路の中に埋没するからな、、
解決できず、自己の思考回路の中で、ぐるぐる回る、、、
福知山線脱線事故の遺族は体調的変調をきたしてしまう訳で、、
まあ、自己の思考回路から、離れる意味では、、神とかは、有効にもなる、、
しかし、自己の思考が離れられても、、まあ、信じる系は、、宗教組織の思考の縛られる可能性が出てくる、、
自己認識を重視する仏教である限りは、その弊害は避けられるだろうけども、、
信じる系の親玉、日蓮系とかになるとねえ、、組織の意向が強くなったりと、、
>>812 列車事故のような凄惨なことに関係してしまった人の気持ちは今の自分には分かりようがない。
だからそれが宗教に救われるならそれは良いと思う。
そもそも日頃から宗教に救いを求めていることが悪いとか思わないし。
自己認識、自立もなにも自己が精神的に健康であることがまず第一にはなるからね。
ご隠居的には精神が病んだなら病院があるとかいいそうだけど、人は病院に行くことでさらに悪化させる場合ってのも
あるとは思うしね。
寝つきが悪い人が精神病院に行ったらなんかしらの病名を告げられた。
本人は病気だと思い込んでしまい、薬無しでは不安でしょうがない人になってしまった。
宗教にも似たような面もあると思う、それ以外でも人は迷信を担いだり似たり寄ったりな側面はある。
ただ、そのことがその本人にどう作用するかが問題なんだよね。
処方する人や診察する人の説明や対応も大事だろうな。
こんな俺でさえげんかつぎなんかもしないこともないし、都合よく使うだけで捉われやしないけど。
4って数字、結構嫌いだしw
でも、ここに来て4も平気になったけど、意味もなくなんか嫌だったけど。
人の精神的なものって面白いと自分でも思う。
このペンを持ってると仕事で上手く行くとか、ライターがとかスーツがとか、
でも、それで良い方に力強いうちはいいけど、それがないと不安になるとかなるとちょっと事情が違う。
だからあまり自分以外に頼るものって持たないほうがいいと俺はおもうのだ。
常に自分がいることでベストになるなら、自分自身がいくらでも力を発揮できるのだしね。
自分にはそれを解決する能力があると信じる、その信じる解決力に宗教が絡んだとしたって解決できるのであれば良いこと。
そう思うから、宗教なんかでも自分自身に不安を与えるものではなく、自分自身の力として自分に確かな何かを与えられる存在であるのなら、
それは自分自身を高めていくことに他ならないんだと思う。
神も仏も、「それ」は誰の元にもあるのだと思えば、自分の行い以外に自分の影響直接関わってくるものはないのだ。
禅も良しだし、その他の宗教も良しだし、思想も良しだし、その影響や成果がどう自分の行動に出るかだろうね。
ノシ
815 :
大王:2007/04/21(土) 10:18:16 ID:7BZahq6N
ネットて、おもしろいなあ、、結構人の深層心理がダイレクトに出てきて、、
まあ、おいらが、コンブ殿的に本格粘着するのが好きなのは、自己を神格化している人だな、
外部に開かれようとしない人、、
論争相手は多いけどね、、論争にもならないなあ、と思えたら、、教祖様とおもって、粘着してあげよう、と、、
コンブ殿は結構粘着ゲームの相手が多いなあ、、
榊さんは、、粘着対象ではないし、、ま、再び現れても、おいらから、粘着せず、いさせてあげますから、、
>>815 大ちゃん流に遊べる遊び場が減ってつまらなそうだね。
最近の俺でも分析してみてよw
817 :
、、大王:2007/04/22(日) 10:21:14 ID:2xn6viTg
りょんちゃんは、いい人ですよ、、、、、
818 :
神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 10:23:39 ID:2xn6viTg
投げやりな分析だなあ。。。w
820 :
大王:2007/04/23(月) 19:13:20 ID:1VTj6end
ま、りょんちゃんも、、柔軟性が、あるから、、評価は一定とはならないからなあ、、
本質に近いとも言えるかな、、
まあ、あとは、人間の固執する様な、病的な方々に対して、どうするかの哲学の有無だろうね、、
りょんチャンは関心の薄いテーマかもね、、
そこが、宗教の関与しうる領域でも、あるわけで、、、
今日は22時から
NHKスペシャルを見ようと思ってます。
ノシ
>>820 ありがtノシ
柔軟性は微妙なんだけどね、柔軟に見るようには努めてるけど、それでも中々難しいときもあるし。
固執する人たちに対して思うことはあるよ、つい最近の身近な話題でも身内の確執の原因は宗教だなんて話も有ったりして、そうなると宗教ってやっぱり邪魔だと思うしね。
宗教が邪魔ってわけでもないのだろうけど、宗教にこだわる人がいる限りこういう問題は起きてくるし、
こだわらずに宗教がもてるのかも謎だし。。。
で、こっちが宗教は入らないって主張にこだわれば同じになっちゃうし、難しいよ。
だからあり方、持ち方が重要だと思うって意見だけはこの一年で何にも変わらん。。。宗教や信仰にたいしてはいくらか理解できた気はするけど。
>>821 お知らせどーもですw
でも仕事が終わらないから今日は無理だなあ。。。
宗教は入らない×
宗教は要らない○
でもねえ、ほんと。宗教なんてなかったらこんなつまらない思いしないで済むのになあってのあるよ。
無宗教同士だったら必要ない意識じゃん、これだけは絶対だ。。。
無宗教的立場の俺だとどちらとも口が聞けるけど、
宗教が別々のもの同士はそれが出来なくて、
俺から見ればそれは宗教の影響そのものなのに当人達はそうではない、その他の問題だとなる。
でも、どう見ても考えてもそれは宗教の確執以外に見れない。
ふとした時に宗教的なことにも双方が触れてるの知ってるし、そもそもが宗教を片方が変えたことが原因だから。
そういうのって宗教としてはマイナスの要素しかないと思うけど、でも宗教って実際にはそういう側面の方が社会に現れてないか?
826 :
まい:2007/04/23(月) 20:56:13 ID:dAUycgiF
おひさ☆
スレ終了してなくてよかった〜w
ゆっくりロムらせて頂ま〜す。
>>825 私の近所にはそういう人居ないからなぁ・・w
たとえ確執があっても、それは、
宗教を因とするよりも、身に付いた(学習した)文化の上でのことだったり、
きっかけや争点も、俗っぽい種々の事情だったり・・・。
少なくとも、各種伝統宗教の中の人(或いは各種伝統宗教に(微かに)触れながら育った人)達の中に、
宗教的価値観を衝突させている自覚はないだろうし、また、そういう事態自体が稀有なことだと思う。
彼らが、宗教的価値観について自覚や知識があったら、
自身の争う姿を見て何も思わないってことはないんじゃないかなぁ・・とw
>>822 おもしろそうだよ。 (´∀`)b
>>826 おひさノシ
>>827 でも、ちょっとだけ思うのは、当事者達はそれぞれがお互いに宗教的なことで言われてるって知らないんですよ。
「なんであいつは○○なんだ、○○なんて宗教やってるからおかしくなるんだ」
これを双方が言ってる感じで、で、間に入ってる人間はその確執に宗教性を見る。
様々な理由を見つけては相手をけなしたり罵ってる。
もちろん俺が素人さんに聞いたものも紹介してもらって読んだ本でもその状態は本末転倒も良いところ。。。
宗教って難しいと思いますよ、本当に。
素人さんにはもちろんそういうものを感じてませんけどね、でも、他宗教のバリバリの信者にイメージしたら
俺が言うような人間の想像はつくんじゃないですか?
俺の周りには宗教的な話題や問題は意外とありますよ、家庭事情的に。とはいってもそこからは離れてるから
俺に直接ってのは今はなくなりつつありますけどね。
ノシ
あ。
面白そうといわれても。。。間に合わないだろうなあ。
ノシ
830 :
、大王:2007/04/24(火) 10:31:12 ID:RShX06CE
まあ、人間が思考の柔軟性があれば、、、宗教も要らないと断言できる、、、
しかし、余りにも、自己認識の薄い、自己認識の構築できない人間が多すぎるのだろう、、
ある意味、信じる系宗教と言うのも、、自己認識の下手な人間の為のものでもあるんだけども、、
ま、、現在ほど共同体意識が薄いじだいとなると、、、
イスラム過激派も、ある意味で、失われた共同体の復興だからね、、、、御隠居理論にある意味近づくね、、
自己認識のできる人間が居る社会が構築できないと、、やはり、宗教は残るし、その領域は残るだろうね、、
そうかが、、あれほど存在するのは、、明治維新後の人工的天皇教共同体(捕虜にならず自殺するほど)と、
人工的天皇教共同体による、猛烈な仏教破壊をしたからなあ、、現在の世界遺産になっている寺院なんか、売り飛ばされかけていたからな、
猛烈な仏教破壊の後に、力を付けてきたのは、新興宗教系神道、、そうか、日蓮正宗(明治にできた分派、教義も明治にできた)
宗教といっても、日本じゃ、天皇教の威力がすごいから、、
その中で、生まれてきた宗教が、宗教被害を生んでいるからな、、、
>>830 それは俺に対してはある程度の評価はしてもらってると思って喜んでおくねw
まだ神神(言うもの)嫌いな部分の捉え方とかは残るけど、でも、俺にとってはそれもしょうがない気もしてる。
批判というよりは俺の思い的な部分が強いし。言葉を交わせば対立的にならざるを得ないだろうけど、
本来それも宗教側に問題があるのではないかと俺は見るのだ。
宗教が残ることは決して問題だとは思わないしね、ただ、俺の言う神神になることこそが敬虔であるなら
宗教は害が多いと断言、今後は衰退するだろうしそうなったほうがいいと思う。
学びや気付きの部分において、宗教を指標として信仰に基づく落ち着きとかであるならそれは良い部分も認める。
宗教者にとっては偉そうに見えるかもしれないけど、それもお互い様。
それぞれが自分を主観で考える以上はそれも必然だろうな。。。
天皇教のような生き神様信仰も?こそ?大いに問題ありだね。。。
なんで支配されたがる人間がいるのかが不思議でならないよ。
実際に行ったことや言動から尊敬的なら分かるけど、天皇なんて何をやった、何の力がある。
自分を支配するものは自分だけ、自制も広がりを持つことも全て自分の問題だもんな。
自制の一環に先祖を敬い、霊を信じていようがいまいが思いとして思うこと。
自分自身を信じる一環として、目に見えない力量でもパワーでも感じること、
それを信じて精神的強さを身につけること、無宗教であっても信仰的な力は十分に発揮できる。
それが自分教だと俺は思う。
833 :
大王:2007/04/25(水) 10:18:45 ID:YjrBLIbd
江戸時代末期から、、国学とか、天皇教的思想と、、それに連なる新興系神道が、台頭してくるんだな、、
日本国は神の国と、、、西洋、黒船の脅威、キリスト教への対抗で、生まれてくるんだな、、
イスラム過激派も、ある意味同じ構造で、、西洋文化の恐怖から、、出ているしね、、
天皇教も、キリスト教の影響があるし、、そうかの病的なタイサク崇拝も、天皇教の影響だろうし、、、
日本の見える宗教、もしくはりょんちゃんの見える宗教は、、天皇教グループかもね、、
>>833 天皇教、そーか、神神系宗教、どれももしも俺が街角でどんなに正等であれ、過激さを持たずにでも批判を街頭し続ければ射殺でもされそうな。
そういう対抗エネルギーの凝縮された力を持つ宗教イデオロギー系とでも言うか。
宗教でありながら対抗勢力として存在する、その時点ですでに本来的宗教のあり方を超えていると思う。
そーかは典型で、右翼と似たような行動を正義のつもりで公然と行う。
大ちゃんの言う天皇教受だというくくった見方はそのままは受け止めにくいけど、大きな分類的には当てはまるかも。
受いらね。
打ちミス。
向こうも人いないし、4月はみんな忙しそうだ。
哲学と経営の板をチラ見してきたけど、どーもだめぽ。
哲学なんかは気持ち悪くなってしまったw
おひさ(^o^)/
哲学板はホント、おもしろいスレなくなったよねぇ〜
経営は、たまに書き込んで、暴れますけどねw
その業種の社長になりきるところが面白い。
>>838 どのスレですか?@経営
俺としてはやるなら大真面目なスレをやりたいんですけどね、
でも、あの板ではそんなのやること自体が板違いだと考える住人が多いでしょうしねw
哲学板は最悪ですね。。。目の前に実際にいたら殴りたくなるような人種が多そうだ。
私の書き込みするのはたまに上がる開業系のスレですね。
宗教板と違って、ほとんど、書き込みされないですからね。
おまけに、このごろは、電波そのものがいなくなりましたし・・・・・・・
景気悪いって感じ(-_-;)。。。。
841 :
大王:2007/04/27(金) 10:39:15 ID:V9IxVFWV
842 :
大王:2007/04/27(金) 11:16:00 ID:V9IxVFWV
ま、あと、そうかの、組織に従え、地獄におちるぞ、、ボウ法だ!!!
というのも、
天皇教の、、非国民と相通じるものがあるだろうね、、
843 :
神も仏も名無しさん:2007/04/27(金) 11:30:17 ID:V9IxVFWV
いいことないな。
クリスチャンに命令され
敷地内で後ろの見えない車を車庫居れしていたら
そこに仏教徒が無断駐車して
近所の寺で祈祷してもらっていて、
その車を破壊してしまった。
仏教徒なら自分で修理しろよまったく。
ご利益ばかり求める宗教なんて邪魔なだけ。根性腐った奴ばかり。
>>840 開業系ですか、覗いてみるか。。。
でも、あの板は平気で1ヶ月に1レスとか有りますからね、
チャット状態は期待できないしなw
ベンチャー板の方が遊べそうかな。
>>842 それでもそーかは最近は若干弱気になったようにも感じる。。。
洗脳状態にもほころびが出て不安になってきてる人が増えてるような。
その状態こそ害ありって気もするけど、でも、その状態から抜けない限り洗脳バリだし。
宗教を持ったが為に不安定になるなら、やっぱり己を直接磨くことが一番だよね。
>>844 クリスチャンに頼まれて車庫入れしてたらバックで仏教徒の車にぶつけて弁償させられるってことか。。。
つか、なんでクリスチャンの命令で車庫入れする状況になったんだか。
まあ、壊されたら直せというのは宗教は関係ないでしょ。
>>845 ぜんぜん、面白くないんですよ。
昔は、結構、電波がいたんですけどね・・・・・・・
お笑いがついた頃。。。。
ベンチャー板は、心魅かれない(笑
電波よりもちゃんとした経営者がきぼんなんですけどねw
電波相手にしてもえるものないしなあ。
2ちゃんのように本音もバリバリ出せてちゃんとしたところってないかな。
暇なやつしか、書き込まないですよ(笑
リアルな経営者は、内容みればすぐわかりますしね。
その辺のバランスが結構、役立ちます(笑
泣きごと言い合ってるスレも多いですしね。
否定するレスはだめだとかあったり、そんなんじゃ慰めあいしてるだけじゃんって思うスレとかありますw
852 :
大王:2007/04/28(土) 10:36:44 ID:35K5tulX
信仰スレでも、書いたけど、、爆笑問題と中沢新一の対話をテレビで見て、おもしろいなあ、と、、
中沢新一は、、概念ではなく、、直感と情緒と、、学問もお笑いも、、
おおお、おいらが、ネタにしていた、、ここの話と同じだ、、、と、、
コンブ殿と共有できうる思想家でもあるしね、、、
うん、その対話は知らないけど、概念って言うか理屈にはまると動けなくなるし逃すんだよね。
根拠がないようでも後から思えばあったりするものだし、直観力の働かない人間ってのは使えないのが多いしね。
哲学板なんか見てると弁では強そうだとしても(屁理屈にしか思えないのばかりだけど)実際の生活では
何の力もないだろうと思えるようなの多いし。
概念なんてものを下手に持つくらいなら、信念一つでひたすら進んで行く様な人の方が絶対に強いよね。
情緒というのも、一々ちょっとしたことがあるたびに不安定になるような人間は能力があったとしても生かせる時間が減ってくるから。
自分にとって万全の心構えや状態が維持できるってのはそれ自体がすごい能力だともいえると思う。
854 :
まい:2007/04/28(土) 21:12:07 ID:yWDq5B58
こんばんわデス!
こんばんわノシ
って、そろそろ落ちるけどね。
ネンチャッキーをここに呼んで一気にスレ終わらせるとかw
857 :
まい:2007/04/28(土) 21:23:17 ID:yWDq5B58
ふ〜w どうにか引越しの挨拶状のめども付いた・・。
限界に挑戦してて、パソで遊ぶ元気が残ってないw
でも、どうにか継続できていることが嬉しいです☆
一歩一歩・・。
>>857 疲れてテンション落ちてもいけないしね、
乗れてるときには無理も楽しいものだし、バランス感覚を大事にしてくださいノシ
>>858 知らないけど散々巻き込まれたしw
つか、今さらそのネタに興味なし。
出かける落ちノシ
つか、もいっこ。
人生楽しんだもんがちだよ、絶対。
で、楽しんだもん勝ちとはいえ、楽ばかり目指しても楽しめなくなるなら。
どんなことでも楽しめる癖がつけばいいだけのこと。
これって結構簡単だから。
どんな場面でも楽しく生きられるように習慣付けることが人生をいきやすく生きるコツなんだろうなあ。
ノシ
知りたきゃ、いつでも教えてあげるけど、事実なんて、関係ないんだよ、あいつらわ(笑
自分達の霊障ネタを正当化できればいいだけのことw
>>859 そか。
だったら、このスレはマターリ逝こうやw
>>859>>860 そしたら、新規のネタ振りになるかどうか判らんが
こないだのNスペ、タイトルは「トリアージ 〜救命の優先順位〜」。
重かったねぇ・・・(^^;
(少なくとも、今の)日本人には向かない制度かも・・・w
おやすに ノシ
>>861 あんまり相手しないでからかってればいいですよ、あんなの。
>>862 そろそろ引越しを考えてるんで、とっととここ埋めちゃうのもいいかなあと。
>>863 トリアージって救助時の札付けですよね。
命の優先順位、医療の現場としても混乱時にどこまで適切に出来るかとか
心情をはさまずに対応できるかとか色んな問題はあるんでしょうね。
今の日本人には向かないって思うのはなんでですか?
かりに問題はあるとしてもいくらかでも救助の可能性が高まるなら、始めていかなかったら今後につながらない。
その過程を良しとしないのであれば、完全でないならやるべきではないというのであれば
日本人の気質や考え方は発展の妨げになるとも言えるでしょうね。
医療現場が命がけでも取り組もうとするものであれば、それに対しては問題は問題と受け止めつつも
理解を示す姿勢も大事になると思います。
って、その番組自体は見てないので、どんな構成だったのかは分からないですけど、
以前にトリアージについての非難、批判的な文面を見たことがあります。
前に誰かが書いてましたけど
自分の意思で自分の命を絶つ、いわゆる自殺がいけないことだとしたら
他人の意思で他人の命を延命する、延命医療はゆるされるんだろうかと。
>>866 自殺がいけないことだとは俺は考えませんから。
どんな状況で自殺すれば誰がどういう思いをするかとか、生きてる限りの責任の放棄をすることに対しての
問題として自殺が悪いとなるのだと思います。
俺自身、自殺をする可能性ってものも全く0ではありませんし、その方が良く、問題もない状況であればすると思いますし。
ただ、大抵の人間に自殺を出来る状況ってないとは思いますけど。
他人の意思で他人の命の延命というのも、救助現場であるなら、被害者は死を望んでないでしょうし、助けることに尽くすのは当然の人道だと思います。
病気の人間であるとしたら、難しい問題ではあると思います。
>>867 自分の命って自分の意思と結構無関係なとこで動いてるように思います。
いきたくても死ぬし、死にたくても身体は嫌がって抵抗する。
ちょっとした怪我は、いつのまにか治ってるもんなw
傷口見つめて「治るな!治るな!」といくら念じてみても、
身体は勝手に治ってゆく。
人が人の・・・AA(ry
>>868 同意です。
だから命にそんなに深い意味はない、死ぬときがくれば死ぬだけ。
宗教的価値観がもしもなかったら、命自体に価値は見ないでしょう。
人として死にたくないという気持ちを持つ者の意思を尊重すればいい。
死んで欲しくないと思う人の気持ちを汲んで生きればいい。
命自体に価値があるわけではなく、自分をどう生かすかが実質的に見えてくるんじゃないでしょうか。
死もあまり怖いものではなくなるはず。生まれる前に帰るだけですから。
>>869 ずいぶん前に確か、禅の僧がラジオで言ってましたけど、
自殺した人間の体が生きようとしてもがく、これは命と意志とは別だからだと。
でも、俺はそれは懐疑的に思います。
確かに細胞は生存の為に本能かもしれないけど、対策を取るんでしょうけど、
あくまでも細胞や器官が反射とか本能的な反応を示すだけだと思うんです。
そこに意味や価値を持たせた考え方が宗教的解釈じゃないかと思います。
別にそれが悪いとも思いませんけど、その考えが絶対に正しいとは思わないです。
たとえば校舎の屋上でタバコを吸っている不良たちに、「僕もムシャクシャすることはあるし、
キミたちの気持ちはよくわかるよ。でもここで大人に反抗なんかしても何にもならないじゃないか。
さあ、一緒に教室へ戻ろうぜ!」と正論を吐いて明るく諭すのは、アナタのような妖怪です。
ヤンキー妖怪たちは普通なら「うるせえ!」と殴りかかるところですが、鬼太郎タイプの
アナタに対しては、あまりに無邪気に正しいことをスカッと言ってのけるため、抵抗する気力さえ
失ってしまいます。「なんか違うんだけど……別に大人に反抗して屋上にいるわけじゃないんだけど??
ただダルイからなんだけど……」と思いながらもアナタと一緒に教室へしぶしぶ戻っていくことでしょう。
ヤンキーさえも腰砕け。このようにアナタはかなりズレた妖怪なのですが、結果としてプラス方向に
物事が進むため、他の妖怪からは「真面目で明るい」「親孝行で立派な妖怪」という評価を得ることになるのです。
「妖怪占い」鬼太郎タイプ
873 :
大王:2007/05/01(火) 10:17:14 ID:eWpiDUqT
874 :
児風ちゃん大好きよん、、大王:2007/05/01(火) 10:27:05 ID:eWpiDUqT
875 :
、、大王:2007/05/01(火) 10:34:19 ID:eWpiDUqT
>>872 工房のころ。俺に路上でタバコを注意してきたヤシがいた。
さわやかに笑顔で寄ってきて「君!高校生だろ?タバコ吸っていいのか?」って、
だから答えた。「いいんだよ」って。
そしたらそいつは「あ、いいの?いいんだ、ごめん、いいんだね」あたふたして去っていきましたとさ。
そいつもきたろうか。。。
生まれて初めて読みかけの本をゴミ箱に捨てた。
斉藤○人っていつから教祖になったのだ?超気持ち悪い、こいつ。
あ、もっとも、ほんの作者は信者か。。。枡なんとかは○え
880 :
大王:2007/05/02(水) 21:51:57 ID:ZNliXr9A
先に生命があって、生命を有効に維持するために思考や本能があるんでしょう。
おなかすいて、パンを買いにスーパーに行くのも、発情して相手を探しに行くのも。
自分、と思っているのはもともと生命を維持するためのツールのひとつなのかも。
>>876 それって、文化対立かな。
他人に迷惑かけたらだめ(他人に迷惑かけなきゃ別にいいでしょ)文化と
法律守らなくていいの?文化。
>>881 先に生命はもちろんですけど、人間が思考力を高めたり、文明を持ってからのことは
本能の影響を受けつつ進化、発展した。
それで十分じゃないかと思います、本能に帰依しなさいとか本能に回帰しなさいといい始めると
ご隠居になるw
>>882 その青年の正義感だったんでしょうね。
高校生が学ランでタバコを吸ってる、これは大人として注意しなくては。
それだけの思い付きだったんでしょう、その後の反応が思い付きだと示してるし。
ちなみに、俺は法律なんて基本的には無視してもよいと思います。
今生きてる国民の誰が法律の作成に関与、同意したのか。
生まれたときには勝手に決まってて守る事を教えられただけ。
ただ、それでも効力はありますから、守らないと罰則を適用される。
社会的には活用も出来る、それこそ法の方がツールなんじゃないでしょうか。
守らない場合には吟味して守らないなりの理由や覚悟があるなら破ればいい。
無視しても良いが誤解を招きそうだな。。。
原則守は前提、でも絶対ではないし、基準は自分にあるほうが良い。
自分が法に添った形で法に従うのではなく法に準じられれば理想でもある。
そうでないと生き難い。
20歳までに死ぬと宣言されたとして、タバコは20歳から。では生涯吸えないw
命や権利は平等であるなら、法によって不平等になる。
レベルの低い喩えだけど、法って言うのはある程度の前提に基づいて作られてるから、
広くは絶対的なものではない。
ちなみに、俺は何がなんでも絶対に法を守る生き方をするのだ。
と、信念を持って生きるのは自由な生き方の一つ。
守りたくないけど守るしかない。これは縛られた生き方。
あんまり、「法が絶対だ」とか、「○○は絶対だ」のような人って見たことないな。
通常は立場で物言っているだけでしょう。
法は絶対だw
って、おれ、末広がりゲットジャン(笑
>>889 法とは、人が社会的に生きるうえで絶対のルールなんだよ。
守るのも法なら、破るのも法。
そういうことだとおもw
法は、破るんじゃなくて、抜け穴を探すもの(w
893 :
大王:2007/05/05(土) 00:08:12 ID:pDXjy28F
>>887 法を知らないからじゃないですか?
お母さんが子供に買い物に行かせることも法の中の行動ですけど、
その自覚がある人の方が少ないでしょうし。
>>888げとおめ。
絶対も何も、たとえ知らないで触れても罰せられたり立場は不利になるものですからね。
法も知らずに感覚で公然とものを言う人ってのもいますしね。
>>892 こっちではおひさですノシ
>>894 法律を知らなければなおさらでしょ。
知ってて初めて法律は絶対だって言えるわけで。
>>897 絶対って人がそんなにいるとは思ってませんけどね。
ただ、法律も知らないで法律行為をする人多すぎ。
その結果であーだこーだぐじぐじ言っても始まらないのにそういうのは多い。
結婚制度の内容知らずに結婚して離婚が難しいと後から知るのもいい例かと。
知ろうと知るまいと民法の中で生活をしてるともいえるわけだし。
一日の行動でどれだけの委任行為があったり代理行為があったりすることか。
だから法律とはツールとして使いこなせば便利だとも思う所以で。
フーテンさんが言うように抜け穴(実際には合法)を使うもいいし、
罰則やペナルティを知った上で破るもよし。
>>898 |
|゚) < そこで、例として結婚が出てくる辺りが・・・
|
|
|゚)
|
| < いや・・なんでもない・・・
|彡ピャッ
|
>>898 委任行為も代理行為も行為の解説に過ぎないでしょ。
民法の中で生活しているんじゃなくて、生活を民法が解釈しただけ。
そして、当事者間で紛争があったときに第三者の判断基準で法があるだけ。
我々が社会的に存在する限り、法は絶対だよ。
ここで、こうやって会話してることも法。
否定することも法。
>>902 わかっていっているとは思うけど
概念はすべて事象の解釈分類であって、事象そのものではないでしょう。
「絶対」というのが、概念についてであればそれは閉じた輪。
「法が絶対という概念の中」ではたしかに法が絶対。
> 概念はすべて事象の解釈分類であって、事象そのものではないでしょう
わかっているとは思うけど、概念がなければ、事象もない。
そういえば昔、
自分に法律は適用されないとか言い張る奴がいたのを思い出したわ。
まあ、そういうバカな存在は自由だが、そういうバカのおかげで税金が無駄に使われるのは勘弁してもらいたいと思う。
逆だろう(笑
そもそも絶対的な法律なんて、存在しないんだよ。
絶対的な自我が存在しないようにね。
って、こんな基礎がわからなければ、こんな話いくらやっても、無意味。
>>905 馬鹿に対抗する手段のひとつが法律でしょ。
そのために税金が使われるのは必ずしも無駄とはいえないのでは。
>>908 その文脈からすれば、法律がバカをつくる。
本当のバカに法律は適用されない(笑
>>904 概念がないって、具体的にどういう状態をさすんでしょうか。
>>910 > 概念はすべて事象の解釈分類であって、事象そのものではないでしょう。
これの意味は?
>>909 法律が馬鹿を作るって?概念が先にありきってこと?
>>911 バラという言葉はバラそのものではない、という程度の意味。
>>912 君が法律を知ろうと知るまいと、君が法律を犯せば、君は罰せられる。
> 馬鹿に対抗する手段のひとつが法律でしょ。
そういう意味で使ってんじゃないの?
>>913 バラではないというバラはどこにあるの?
>>915 さぁ。
その問いとバラという言葉がバラそのものではない、ということとの関連性は?
>>914 そういう意味だとすると、なんで法律が馬鹿を作ることになるんでしょうか?
「知覚認識することによって初めて、世界(対象)は(その人にとって)出現する」
>>918 「知覚認識することによって初めて、世界(対象)は(その人にとって)出現する」
→
「知覚認識することによって初めて、世界『という概念が』(対象)は(その人にとって)出現する」
>>919 鶏と卵はどっちがさきかってことでおっけーですか?
>>916 バラという言葉と、バラそのものに差異があるのは当然のこと。
その差異において、概念のバラを否定するのは無意味。
単純。
>>919 不可。
『共有できている』という幻想。
或いは、類推・想像による仮定。
なんだ。
哲学してるんじゃなかったのかw
ノシ
>>922 同意しますが、それが、あなたの発言の概念が無ければ事象もない、ということにどう関連してきますか?
>>926 あなたは、どうやって、事象を説明するの?
>>927 認識と概念が独立して存在しないことには異論はありませんよ。
事象と概念も並列に語れるのでしょうか?
>>929 説明するときに概念が必要であることを否定しているわけでありませんよ。
地球の裏側を知ることはできないのと同じように、自分の周囲も知ることはできない。
禅は、きわめて現実的だよね。
>>933 音楽を聴いて旨いものを食べてきれいなものを見て感じることは出来るかも。
>>934 どうでしょう。現代社会における現実というのは、概念の中にあるのかもしれません。
禅は、飛躍。
そういう意味。
943 :
神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 01:17:09 ID:LiDYuf1E
跳べましたか
指し示す方向に月を見出さなければ、いくら月を指し示しても、指の先しかわからない。
ということで、ノシ
>>943 跳んだら、落ちる(笑
起きたら、寝るヽ(^。^)ノ
>>945 外してはいない、とだけ言っておこうw
おやすみ ノシ
>>900げとおめ。
分かりやすいからですよ。
いくらでも例はあります。
>>901 その部分は視点と解釈によると思います。
3行目は本来的な形と言えると思います、全員が同じ事を考えてモラルが守られるなら本来は法は不要。
でも、理想論です、法がある以上はどう解釈しようと法の制限を受ける、同じ受けるなら、利用する視点を持ったほうが有利。
法解釈や概念を持って生きてれば方の中に生きてると思えてくるものかも。
宗教と同じともいえるかも知れないけど、ツールであることも。
こんぶ殿の言う「法は絶対」これも事実。
なぜなら、絶対でなかったら法は法の役割を果たせないから。
そういう意味では全く法は絶対だと思って問題ない。
守らなくてはいけないと思い込むことが問題なだけ。
絶対のものに支配されてるなら活用することや破る事を知らなかったら狭く生きるしかない。
知らずに生きてることも法を知らずに破ることになってるはず、または法に反する発想を正論のように言ってたりする。
でも、それでは最終的には勝てない、恥をかくだけのこと。
◆xbzMCVKEsA さんの言うことも分かるけど、それでは俺が言いたいことと結びつかないってことなんだよね。
法は利用するものでツールだってところにもっていきたいわけだから。
生きやすく生きるのスレ趣旨によってw
法も何でも同じだけど、理屈を振り回して現実でやったら嫌なヤシになるでしょう。
だからなんでも、知っていればそれでいいことだし、その考えで行動していればいいだけのこと。
さて。残り50。
次スレは要りませんので、と残して去るノシ
>>944 月の出た夜に手を引いて外に出て、空を眺めれば、同じつきを看れるかも。
私がりょんに言いたかったことは、
>>886に対しての
>>887かな。
ちなみに、法が絶対だと認識していることと、法を絶対的に守ることは、別の次元の話。
>>951 そこが出発点だからね。。。。。
>>952 > 法が絶対だと認識していることと、法を絶対的に守ることは、別の次元の話。
それだけのことだよねw
昨日のように議論する話ではない(笑
>>950 誰も引き取ってはくれませんので、
ここでは、このコテで漂流してますけど、違う板ではコテないですしね・・・・
癒しスレぐらいかなぁ〜
>>952 886のレスは両極を言っただけで、俺がそう思ってるわけじゃないですよ。
絶対と思って生きる人なんてそうそういないし、いても変な人になってしまうw
>>954 パターンをいっているんですけどね。
極端な原理主義者を作って、それに対してりょんが批判し、バランス論を述べる、というパターン。
ん?
俺が批判してるのは極端でもなくありがちな人たちでしょ。
それに対して極端なものをあててるかもしれないけど、
そんな半端なくらいなら極端なほうがましだとは思う、地でいく、我を出す、これ以外に
自分が最適でいられるものがあろうかと、基本はそこから始まると思うのだ。
その結果が他人に結びつくのであって、他人が先では決してない。
他人が先にたつ人を俺は信じないし、あっても一時的なものとしてのみ。
って、レスになってるのか?まあいいやw
>>953 どこか経営思想とかをとことん語ってるようなスレのある板知りませんか?
特定業種とか、なんとか哲学とかなんとか思想というよりは範囲の広いところがきぼんなんだけど、なさげ。
経営板とベンチャー板以外でどこかにないかな。
人生とは経営そのものでありツールの活用と戦略である。みたいな。
そして、宗教もツールであり、他人もツールである。みたいな。
ありとあらゆるものはこうやって使えばいい、こういう使い方がある。みたいな。
オブラートで包んだり無自覚で意識できないことを本質的に分かりやすく考えられるような。。。
宗教は正直、ぼかし過ぎな面が強い。
さて、落ちノシ
自分にとって、自分自身もツールなんだけどね。
と付けたしノシ
962 :
大王:2007/05/06(日) 21:30:43 ID:mSHRkoEd
>>957-959 そんな突っ込みどころ満載な話は、ここぐらいしかできないんじゃ?
癒し系にスレッド立てると、好きなことできるかもw
>>962 そこは遠慮しておくよw
>>963 突っ込みどころからレスがすすむからいいんですけどね。
癒し系で癒しあってもしょうがないしなあ。
965 :
神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 13:23:57 ID:TiDhof87
>>946 あっそうだw
ついでにレスしておくと、
君はなにもわかってないくせに、外してないなんて言うな(笑
経営学板に、経営哲学をまじめに考えてみようスレでも、立てて見ましょうか?
でも、オレ、そんなのまじめに考えたことないしなぁ〜
それほど、たくさんあるわけでもないし・・・・・
難しい・・・・
経営学板に行く気になれないんですよね。
まともな経営者ってあそこにはいない気がするし、
経営を仕事上の経営だけで考えるより広い範囲でやってみたいし。
って、無茶言ってるんだな、きっと。
まともな、経営者は、ネットなんかで議論しないって( ̄□ ̄;)!!
>>969 そうとも限らないんですけどね。
2ちゃんって意外と自営の人が多いし。
けっこうでかい規模で経営してる人と知り合いましたよ、しかも2の他板、全然経営に関係ない板だったけど。
今でも親交あります。
つか、こんぶ殿もちゃんとした経営者でしょ?w
帰宅落ちですノシ
>>970 私は、社員抱えているわけではないですし、自分が生きていく分ぐらいの食い扶持で充分だと思ってますから、経営思想なんてとても語れませんよ。
その意味で、私はとてもまともな経営者ではありません。
ただし、経営を客観的に判断する側にいることをいつも迫られている立場にいますから、その点で、合理的に物事をみますけどね。
経営のコアな部分とその周辺に関しては、ある程度の知識を有しているということでしょうか。。。。。
今、考えているのは、
日本の拝金主義としての経済教は、神道の派生じゃないか?
ということ。
そういうスレ立てようかと思ってます。
クリスマスもお盆も、神道的な二元論なんじゃないかと・・・・
ただ、神道がよくわかんないし、わたしが思いつく神道って、結局、本居信長の「もののあはれ」(-_-;)。。。
あえて、スレ立てのタイトルとするなら、
【日本の宗教=貨幣信仰、時々神さま】かな?
内容は、道徳としての宗教から貨幣信仰の実践としての経営思想、デイトレまで、幅広く、議論スレって感じでしょうか・・・・
悪くはないと思うんですけどね。
ある程度は、奢りだった。
ほんの少し。
>>971 それはまともな経営者だと俺は思いますけどねw
まともじゃない経営者ってのは人と一人でも使えばその責任を重く受けるべきなのに
それを感じられない経営者って俺は定義してます。
社会に看板上げて、小さくても仕事を請ければ、
それに対する責任も大きいのに、それをしっかり受けて立てない経営者とか。
>>971 拝金主義とはどういう状態かの定義が必要かもしれないですね、
手段として金を必要とするのは誰でもある程度当然ですし。
>>972 それは何に対してですか?
975 :
、大王:2007/05/09(水) 15:51:45 ID:4ABc/kpU
最近、おもろい夢を見た、太って眼鏡を掛けた御隠居を昆布殿がぶちのめしている夢を見た、、
笑えた、、、
976 :
、大王:2007/05/09(水) 16:31:02 ID:4ABc/kpU
まあ、拝金主義は、、環境破壊を平気で推し進める奴だろう、、
社会と環境破壊、、
たぶん、100年から、200年後じゃ、地球もダイブ異なっているだろう、、
我々は、、最後の平和な地球環境を生きられる世代だろうね、、
977 :
、大王:2007/05/09(水) 16:32:13 ID:4ABc/kpU
異常な地球環境の時代は、、いよいよ、宗教ばかりに、なるかもねえ、、、
>>973 まあ、まともの定義が必要なのかもしれないですけど、従業員を抱えていないと、
経営としてみたら、やっぱり私は駄目だと思うなぁ〜
好きなことやれるからなぁ〜(笑
そもそも、永続性がないでしょう。
経営自体が生き物のようにならないと。。。。
>>974 拝金主義って、私は貨幣信仰。
お金でモノを買うすべての人。
みんな当然と思ってるけど、こんな不思議なことはないですよ。
ある程度は、私の経営思想の知識についてのこと。
なんか、こんなところでやってる自分が恥ずかしくなって。。。。。
>>975 がはっwww
私は、ご隠居、嫌いじゃないからなぁ〜
でも、ホント、何人いるのか知りたいw
>>976 大ちゃんが普通に寿命くらい生きたら色んな問題が見れるんじゃないの?
>>978 従業員がいないとまともといえないって定義はまずないでしょうね。
もっともいけない経営者ってのは、従業員を1人でも使っていながら現状維持で満足する経営者でしょうね。
従業員って言うのは大手の企業であろうが数人の会社であろうが会社に求める内容も質も変わらないものです。
小さし会社に勤めたから大手の社員よりがんばっても給料が少なかったり将来性がなくても満足。
なんてありえないし。
現状でいいから一人でいるって考えはすごく責任感があるってことでもあると思います。
あ、質もないようもって言うのは、求める理想がってことです。
もしも小さい会社の経営者であるなら、その辺の不利を承知で自分の会社に力を貸してくれてる従業員に
将来的であったとしても十分に応えていく覚悟がなくてはいけないと思います。
いよいよこのスレも終わりますね。
俺はこのスレが終わったら一応この板終了にします。
って、ちょっとだけフーテンさんのところに行くかもしれないけど。
で、榊殿やテストさんもいなくなってしまったようだけど、一応有り難うでしたと。
こんぶ殿や大ちゃんをはじめ素人さんとか向こうのスレの皆さんにも@ご隠居やななしさんも含めてwぺこり
984 :
大王:2007/05/10(木) 11:05:34 ID:GaiIDLSg
宗教、無宗教スレから、楽しかったねえ、、、
りょんちゃん、ありがとう、、、
まあ、、いい世の中になってくれれば、、いいんだけども、、
孤独の強い時代、日本国だし、、中身の無いフレーズ、美しい国しかないし、、
985 :
まい:2007/05/10(木) 13:06:34 ID:NOkA/95q
このスレ楽しかったです☆
皆さんありがとうございました。
またどこかでお会いできるといいなぁ。お元気でノ
990
995 :
てすと ◆Y5g8YZ9wkQ :2007/05/10(木) 21:56:05 ID:LSPt2cJh
お、お久しぶり・・
おつです ノシ
996 :
素人:2007/05/10(木) 23:59:56 ID:mvbQo4nh
>>りょん
私も楽しかったよ。勉強にもなった。
しっかり自立できてる君に、私が掛ける言葉は殆ど残ってない。
むしろ、自身の甘さが恥ずかしいよw
その点では、上のてすと氏の方が、たぶん立派に生きているだろうと思う。
だらだらとその日暮らしな私に、随分と苛立っていたことだろうw
りょんのレーダーはかなり正確なのでw、またどこかでお会いしましょう。
お元気で。
(´;ω;`)ノ~
なんだよ、素人は最後まで、オレに喧嘩売ってヽ(`Д´)ノ
まったく、往生際の悪いやろうだヽ(^。^)ノ
ノシ