■原始仏教談話室 その6■

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20名無しさん@3周年
>>19
後者も立派に宗教学の一角を担えると思うが?w

外野から見て宗教的要素が見出されるならば、
それは、「宗教」というラベルが貼られる、或いは「宗教」という枠で括られる十分な資格があると思われる。

「宗教」とは常に、
『自ら自称するものでなく、外側から(分類・分析の為に)名付けられるもの』であろう。
なぜなら、
ある幾つかの要素を内在する事象・思想・文化的様相が「宗教」と呼ばれる(定義される)のだから・・・。
自らがどんなに、宗教ではないと強弁しても、
そこに宗教的要素が内在していれば、それは「宗教」と呼ばれても仕方が無い。

私は、釈尊が伝道を開始した時点で、
(タプッサとバッリカーの二人から供養を受けた時点で、五比丘との議論がなされた時点で)、
既に「宗教」と呼ばれうるものになったと思う。

ちなみに、「仏教」という呼称もまた、上記と同じ性格を持つと考える。