イスラム教は日本人でも信仰できるか

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668名無しさん@3周年
>>660
確かにイスラームの中にも、そういう風に天というか非人格的「一者」として
絶対者を捉える思想潮流はある。
イブン=アラビーなんかがその典型。彼なんかは、「アッラー」自体が
非人格的一者(イブン=アラビー自身の言葉だと「ハック」(haqq)、
語感的には仏教の「真如」に近い)の一つの現象態だみたいなことを
言ってる。彼はそれを基礎として、「諸宗教の一致」(=「様々な宗教は皆、
一つの真理について語っているに過ぎない」ということ)ということも主張し
ている。イブン=アラビーの思想的影響はアラビア、イラン、トルコ、
東南アジア、中国にまで及んでいるし、部分的には西欧(例えばダンテなんか
にその影響が見られるって何かで読んだ気がする)にまで及ぶ訳だから、
イスラームの中からそういう「宗教的寛容」に通じるような思想が生れて来た
ということは、昨今、イスラームがしばしば狂信的な宗教だと見做されている
ことを考えれば、強調されて然るべきだと思う。

でもやっぱり、それだけがイスラームじゃない。そもそもコーランの
「アッラー」はかなり生き生きと人格的に表象されている。ハンバル派
(スンナ派四大法学派の一つ)なんかはコーランとハディースに書いてある
通りに神を表象するから、彼らの神観はとても人格的なものだと思う。

思うに、人格的一者と非人格的一者は相互にかなり流動的なんじゃないか。
本来、「ダルマ」というある種の非人格的一者を置く仏教の中からも、
「大日如来」というかたちで、けっこう生き生きとした人格的一者を置く
真言密教が現れて来る。
かなり生々しい人格的一者が描かれている旧約の中からも、
「エーン・ソーフ」という非人格的一者を置くカッバーラーみたいな思想潮流
が現れて来る。
キリスト教の中からも、確かに異端かも知れないけどエックハルトみたいに
「神性の無」として非人格的一者を置く思想家が現れて来る。
上で触れたイブン=アラビーなんかもその一例。
669668:2007/03/16(金) 01:51:34 ID:g7rV+xq5
それと「イスラームは狂信的だ」とか「いや実はそうじゃないんだ」
みたいに、イスラームに関しての言説は一般にこのいずれかの立場に
偏ってしまう傾向にある気がする(俺はあまり新聞とかを読まないので
偉そうなことは言えないんだけど)。
というか、イスラーム以外の宗教でもそうだと思う。「キリスト教は
悪い宗教だ(この主張をする時に、偉そうにニーチェを引き合いに出して
来る輩もいると思う)」とか、「いや、キリスト教は素晴らしい宗教だ
(これに関連して、上で書き込みがあったように、「キリスト教の神だけ
が人となって…」という人もいるだろう)」みたいに。

でも、俺はこういう二分法的思考自体が間違っているような気がする。
どの宗教をとって見ても一長一短で、良いところもあれば悪いところも
あるんじゃないか。
それぞれの宗教が違っているという認識から出発して、
その差異を受け入れていくことが大事なんだと思う。
それをどうやって受け入れていくかってことが、そもそもの問題では
あるんだけど。

それと、宗教自体が悪だと言う人もいるけど、俺はそれは違うと思う。
どんなにがんばってみても生活状況とかがちっとも改善しないような
環境に生きている人たちは世界中に沢山いると思う(例えばアフガン
とか)。
そういう人たちにとって唯物論的世界は、生きていくのが余りに苦痛な
世界だと思う。
マルクスの言うように「宗教は阿片」かも知れないけど、
阿片を吸わずには生きていけない人たちも、現実には沢山いると思う。
長文雑文マジレス失礼
670名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 23:37:22 ID:MFsoMjII
考えさせられたよ。イスラム教徒じゃないけど
671名無しさん@3周年:2007/03/17(土) 22:28:32 ID:iNQsYpS+
たとえ物のあふれた世界であったとしても唯物論的世界観が支配する社会は
人間が快適に生きられる世界なんだろうか?
672名無しさん@3周年:2007/03/17(土) 23:11:41 ID:z7ZiUbTt
個人の思想や捉え方次第だと思う。
673名無しさん@3周年:2007/03/17(土) 23:57:57 ID:AJKduHuv
>>671
同意
674心と宗教と名無しさん:2007/03/18(日) 09:51:12 ID:HF3f29XD
2chやクーラーがあって便利でも、僕ら精神的に10世紀や15世紀の人たちより精神的に圧倒的に豊かで満足かな?
そのへんが宗教がなくならず、唯物論者が一見かっこよさそうでもっと酷い宗教(共産主義やフェミとか)にはまったりする原因
なんじゃないかなと何となく思う。
675668:2007/03/18(日) 19:45:08 ID:cZYnOFJi
よかった。以外に賛同してくれる人がいてうれしい。

実際、宗教自体は個人の実存的衝動に突き動かされて信仰するものだと思う。
もちろん、親がキリスト教徒だからキリスト教徒とか、親がムスリム
(イスラーム教徒)だからムスリムって人が殆どなのかも知れないけど、
そういう人たちが実際に「信仰」を持っているかどうかは別問題。
俺は宗教学に関しての素養が無いから解らないけど、やっぱり「信仰」の
根底には個人の実存的衝動という要素が、少なくとも一要素として必要に
なってくるんじゃないかと思う。
そういう実存的衝動がある人は信仰すればいいし、無い人はする必要は無い。

だから俺たちは信仰を持つ必要は無いけど、そういう衝動に押されて信仰
している人たちを、むげに迫害するのは良くないと思う。
何しろそれは彼らの実存に関わる問題だと思うから。

確かに宗教自体の中にある種の暴力性が内在しているんだろうし、現実に
「宗教」の名の下に沢山の人たちが殺されていってる。
でも、宗教自体は「善」でもなければ「悪」でもないんじゃないか。
宗教が個人の実存に関わるものなら、それは正に実存に関わるという理由で、
良い意味でも悪い意味でも大きな力を持つものだと思う。
大きな力を持つものだからこそ、それは色々な方向から利用されてしまうんだろう。

だから極論すれば、「悪用する奴が悪い!!」