聖書の聖句解釈について、クリスチャン同士で分かち合うスレです。
まだ未信者だけど興味のある方、求道者さんも歓迎致します。
一般的解釈だとこう言われてるけど納得できない…
ココとココの箇所って矛盾してない?
ココがどうしても良くわからない…とか
こんな解釈してみた!自分はこう思った!など皆で分かち合ってください。
お互いの解釈を照らし合わせつつ、議論してみてください。
新しい発見をお互い学び合えたら幸い!皆で語り尽くしましょう。
★議論のお約束★
◆他の人が読みやすいように気配りしましょう。
◆結論をはっきりさせるようにしましょう。
◆反論する場合は相手の立場で考えてみましょう。
◆議論に感情を持ち込むのはルール違反です。
◆自分の価値観や考え方をむやみに押しつけるのはやめましょう。
荒らし・煽りは放置しましょう。相手をしているとあなたも荒らしになっちゃいます!
前スレ:
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1113916080/150
2 :
姉妹スレ :2005/07/02(土) 12:14:08 ID:S4QqBQWY
3 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/02(土) 12:15:23 ID:fcJj/FhO
中々第4版が出ないので、痺れを切らして僕が起こしました。 一部の人は不愉快かも知れませんが、1−3の意思を汲み取って 活発な論議を展開したいと思います。
マタイ伝34 地上に平和をもたらすために私が来た、などと考えてはいけない。 平和ではない。私は、剣を、戦いをもたらすために来たのである。 私は、子を父と、娘を母と、嫁を姑と仲違いさせるために来たのだから。 家族が自分の敵となろう。 私よりも父や母を愛する者は、私のに適しない。 私よりも息子や娘を愛する者は、私のに適しない。 また自分の十字架を取って私の後に従わない者は、私に適しない。 命を得るものは、命を失い、私のために命を得るものは、命を得るであろう。
痺れを切らしていたのはココモ先生だけだろうね(w どうせならさ、スレタイも変えちゃえばよかったのに。 「ココモのココモによるココモのための聖書解釈スレ」はどう?
6 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 14:01:11 ID:q0Bf27kp
>>4 キリスト教のエッセンスですね。イエスは、まさに、人類及びその社会と家庭に
災いをもたらし続ける張本人。その教義を猿真似する愚か者もいるから、被害は
さらに拡大する。人間界から完全に抹殺すべきものである。
7 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 14:26:00 ID:ZzRaXd/V
ココモスキーさん、やりましたね! ここのスレ主は、あなたです。 あなたの良いところは、 教会の解釈を鵜呑みにせずに自分でじっくり考えているところです。 たとえ、ココモさんの出した答えが25点であっても、 人の答えの丸写しで、わからないまま75点を取る人よりも、僕は好きです。 聖書はじっくり読まなければわからないし、じっくり読んだとしても、 なかなか分かり難い書物です。 わたしたち異邦人が理解するのは、本当に困難なことです。 でも、不可能ではないと思って、わたしも聖書を読んでおります。
8 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/02(土) 15:32:25 ID:fcJj/FhO
>>7 ダニエルさん、1−3版お疲れ様でした。
能力的にも人格的にもダニエルさんには及ばないと
思いますし、いろいろ多分大変だろうと思いますが
4版だけ管理してみます。
ダニエルさんもこれまで以上に遠慮なくご意見を
カキコしてください。
5版はまたダニエルさんお願いしますね
>>4 >平和ではない。私は、剣を、戦いをもたらすために来たのである。
>私は、子を父と、娘を母と、嫁を姑と仲違いさせるために来たのだから。
>家族が自分の敵となろう。
イエスには何の罪もないと言った人は、この聖句を無視してるんだろね
イエスは神殿で暴れてるし、何よりもユダヤ社会を揺るがした為に
十字架にかかってるんですよね...
9 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 15:43:26 ID:q0Bf27kp
>>7 ダニエルさんは、言うことが随分と変わってきましたね。以前はプロテスタント
(カトリックではない)の原理主義者と思っていたけど。それとも別人?
それともココモ博士の脱洗脳の効果?w
ココモ先生スレ立てありがとうございます。 ダニエルさんが25点って仰った以上、ココモ先生のフォローを してくださると思っていいんですね。 エデンのところのいちじくの葉。 ザアカイか゜イエスを見ようと思い上ったいちじく桑の木。 また、ヨハネ1−48でもいちじくの木の下にいるナタナエルは、 イエスに発見されます。 いちじくは何か意味があるのですか? わたしはざくろ、ぶどうと同じように古くからの植物と思っています。 が、「隠れていてもお見通し」とも考えます。
11 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 16:24:05 ID:ZzRaXd/V
>>9 いえいえ、僕の中では首尾一貫していますよ。(^^)
つまり、僕のスタンスは、旧約と新約の聖書全編において、
そこに書かれている内容は「比喩・喩え」を含むけれども、
すべて真実であり、人が理解できる内容なのである、
ということです。
カトリック教会では、人が自由に聖書を解釈することを禁じていて、
聖書の解釈は教会関係者だけが神から解釈する権威を委ねられている、と
説くのですが、これは僕にとっては納得のいかないことです。
なぜならユダヤ人は、むかしから旧約聖書について個人個人が読み、
さまざまな観点から解釈をしていますし、そのようなことが禁じられていた
という話も聞いたことがありません。
また、そうしたユダヤ的な伝統の中からダビデやさまざまな預言者が起こってきた
と僕は考えています。
12 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 16:30:35 ID:ZzRaXd/V
>>10 ご指摘のように、「いちじくの木」は、聖書によく登場しますね。
一番有名なのは、実をつけなかったためにイエスに枯らされてしまった話でしょうか。
イエスが通りかかったのに、実をつけていなかった「いちじくの木」は
僕は、おそらくユダヤ人のことだろうな、と考えています。
13 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 16:36:24 ID:ZzRaXd/V
以下の「いちじくの木」も、おそらくユダヤ人のことでしょう。 彼らが芽を出すようになれば(イエスが主であると気づく)なら、 きっと、もう夏も近いのでしょう。 ルカ 21:29 それから一つの譬を話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。 はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。 このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
14 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 16:48:16 ID:ZzRaXd/V
>エデンのところのいちじくの葉。 興味深い話ですよね。 なぜ「無花果(いちじく)の葉」で隠したのか。 僕は、無花果の「葉」を見たことがありますが、そのときに 本当にびっくりしてしまいました。 人の手の形にそっくりだったからです。 こんな形をした葉は、あまり他の植物では見たことがないです。 そして、無花果は、その名前が示すとおりに、花が見当たりません。 花が無いのに、実がなる不思議な木なのです。 しかし、実際には、その実の中にひっそりと花が隠れているそうです。
15 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 22:11:50 ID:P31WyHvW
しもべは主の声をよく聞き分ける。 私の場合、師とする者からの教えに聞く。 聞いても、納得行くもの、いかないもの双方あるが、個人の信仰は個々の位置がある。 短絡的に決め付けず、素直に耳を傾ける姿勢が必要。 答えを求めることを諦めたら答えは得られないでしょう。 正直、信仰を感じて三位一体の教えを確信するに至るまで2年かかった。 三位一体を聖書から感じられなかった。特に三位一体を教わったわけではないが、 幾つかの説き明かしを受けるうちに、「三位一体であることが神の愛の必然」であること が理解できた。
16 :
名無しさん@3周年 :2005/07/02(土) 22:17:32 ID:P31WyHvW
三位一体論は聖書のどこそこに書いてあるものではなく、義の性質を知ることに より見出すことができる。奥義というに相応しい神の知恵。
17 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 23:36:39 ID:ZzRaXd/V
>>15 >幾つかの説き明かしを受けるうちに、「三位一体であることが神の愛の必然」であること
>が理解できた。
これでは、まるで具体的ではないです。
どのように理解したのかを書いてください。
18 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 23:39:03 ID:ZzRaXd/V
>>16 >三位一体論は聖書のどこそこに書いてあるものではなく、義の性質を知ることに
>より見出すことができる。奥義というに相応しい神の知恵。
あなたは神の「義の性質」を知ったそうなので、
それについて説明してみてください。期待しています。
19 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 23:41:16 ID:ZzRaXd/V
ここは「聖句について語り合うスレ」という表題がついているのに、 聖書に書かれていないが・・・という前置きをして、キリスト教の教義について 書いていく人がいるのですから、その神経たるや、なんとも不思議です。
20 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/02(土) 23:48:46 ID:ZzRaXd/V
>>16 >奥義というに相応しい神の知恵。
あなたは奥義というに相応しい神の知恵を理解した
らしいのですから、それについて説明してください。
とても期待しております。
21 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/03(日) 00:08:10 ID:eZY3H4Z4
三位一体について >義の性質を知ることにより見出すことができる。 義って何ですか、パウロ書簡とヤコブ書にさかんに書かれてます。 その意味は、僕の理解する所では「良心」の事だと思います。 しかし、それとイエスを神とすることは全く結びつかないんです。 >奥義というに相応しい神の知恵。 奥義の中身を書いてください。書いていただくとすぐには 理解できないかも知れませんが、僕らも時間をかけて研究 します。どこからかのコピペでも結構ですので、是非書いて 下さい。書いていただかないと、この話はいつまでたっても 平行線になります。 三位一体の教義が造られた時代経過は当然研究してます。 はじめは三位ではなく、当然イエス・キリストと神の同位性 です。それが正式な教義になったのはニーケア公布じゃないかと 思います(それより前の使徒信条と言う説もある)。三位目の 精霊様が入ったのは5世紀になってカルゲトンからだと思います。
22 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/03(日) 00:27:44 ID:eZY3H4Z4
>>15 貴方の教会は三位一体についてのドキュメントと言うのは
あるんですか?
容量が大きすぎて2cHがパンクするのであれば、自分の
web枠はまだ余力がありますので、そこの枠に入れて、
ここを閲覧される方々が何時でも見に行ける様に案内しますので、
是非ご提示いただきたいんです。
23 :
名無しさん@3周年 :2005/07/03(日) 01:12:44 ID:1x1xZjeW
人に教えるために学んだわけではないので説明の順序立てなどどうしたものか・・・ 自分が結論として見出した、個々の教えを詳細に正確に示せるか。 義(ザテーク)=救い、と約した方が良い 一般的にキリスト教会で言われる、神の知恵が最も顕された所はなにか。
24 :
名無しさん@3周年 :2005/07/03(日) 01:37:20 ID:1x1xZjeW
列王記上 3章8〜 ソロモンの知恵。政治、科学、文化、思想に大きなものを残した。 神様に「善悪をわきまえる、神様の声と他の声との聞き分ける心を与えてください」 と祈り、与えられた。 1kgs 3: 9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。 さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」 1kgs 3:10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。 1kgs 3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する 心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、 あなたのような者も起こらない。 1kgs 4:29 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。 1kgs 4:32 彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。
25 :
名無しさん@3周年 :2005/07/03(日) 02:45:35 ID:1x1xZjeW
matt 12: 6 あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。 matt 12:41 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を 罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。 しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。 matt 12:42 南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を 罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから 来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。 1cor 1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、 神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、 宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 1cor 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、 私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
26 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 03:02:09 ID:QEAZtVsF
1x1xZjeW さん、もう書かなくて結構です。 聖書の言葉を無意味に羅列されても困りますので。。。
罪人の救い 義認、聖化、栄化 パウロは、イエスキリストは神の知恵になり、その知恵は義と聖と贖い に表されたと言う。 人間は罪を犯して神の前に永久に救われない人。神自らが人となって 我々の罪を全て背負って十字架の上で神の怒りを受け、罪の贖いの一切を 成し遂げて、人類の最後の敵である死を打ち破って、復活することでしか 人は救われ、清められ、栄光の体となる救いの業が、他には無いことを 神はイエスキリストにおいて成し遂げた。 神の知恵が最も表されたところが
どうせなら引用張った方がいいかなと思うんだけど、見難い。 >22 実はその教会とは直接には関係が無い。 情報のコピーは著作権で不可。
罪の贖いの性質については レビ記の、五つの供え物で表されている。 ・・・
30 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/03(日) 11:38:24 ID:T8+cphbF
>>23 「善」と「救い」は同義ではありませんよ...
新約のいくつかの「善」は、「救い」と考えても良い使い方が
ありますが、多くの「善」は「救い」とは関係ありません....
>>24 ソロモンの知恵は、ユダヤ教では悪とされてます。
創世記の有名な「善悪の知識の木」は、この「ソロモンの知恵」
の事ではないかと言う説もあります。
>>28 三位一体の二位については、ヨハネ福音書の1章を根拠にしてる
教会が多いと思います。
”イエスは「ロゴス」であり、「ロゴス」は神である”
ちなみに三位目の聖霊は、付け足しだと思います。
実に新約だけでも膨大な聖書の中で、一行にも満たない
部分が三位一体の根拠になってます。
いくつかの教会の説明も、信者の説明も「三位一体」を
マイコンした上での、状況説明(そう信じたら、その様に
も読める)に過ぎないと思います。キリスト教徒だけに
通用する説明です。
31 :
名無しさん@3周年 :2005/07/03(日) 17:37:31 ID:nKgNXlpX
宗教学者の中沢新一は、三位一体が、神のほかにイエスと聖霊を加えたことに より、「多神教化」されたとして評価している。しかし、イエスや聖霊を実在 として加えたことにより、信者に対する精神的呪縛性が格段に強化され、離脱を 困難にし、さまざまな弊害を生じているという現実が見えないのだろうか。 また、その聖霊概念は、彼が支持する現実の自然界に基盤を置くものではなく、 もっぱら観念的なものである。 宗教学者は、宗教の病理について全くの無知であると言わざるを獲ない。現代の 宗教問題に対する責任の大半は、宗教学者にある。
>三位一体が、神のほかにイエスと聖霊を加えたことに 三位一体の理解がずれている。 >イエスや聖霊を実在として加えたことにより、 イエスの実在を信じることによって引き起こる弊害というのは何? 「多神教化」されていないユダヤ教やイスラム教などの「一神教」だって 精神的呪縛性はひどいものじゃないの?カナンの住民を虐殺したり。
33 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 20:31:18 ID:QEAZtVsF
三位一体論というのは、概念であり哲学なのです。 救いはイエス・キリストにあります。
34 :
阿頼耶識 :2005/07/03(日) 20:32:59 ID:EKrrVwyO
>三位一体論というのは、概念であり哲学なのです え?
35 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 20:40:58 ID:QEAZtVsF
>>34 「三位一体論」というのは概念であり、哲学です。
神の実体というのは「命」のことであり、神の言葉が命だと
聖書に、はっきりと書かれています。
三位一体論よりも、このヨハネ福音書の記述をじっくり吟味すべきなのです。
36 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 20:42:00 ID:QEAZtVsF
「三位一体論」を記述したアウグスチヌスは哲学者なのです。
37 :
narumi ◆4qadkgYVBo :2005/07/03(日) 20:43:12 ID:9fHFwv8k
天主は三位一体です。
38 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 20:43:46 ID:QEAZtVsF
人間の概念をあがめすぎていませんか? そんな時間があったら、旧新約全編を、じっくり読むことの 方が、自分の魂にとって益になるのです。 三位一体論を振りかざしても、他者を異端よばわりするくらいしか 役にたたないからです。
39 :
narumi ◆4qadkgYVBo :2005/07/03(日) 20:46:42 ID:9fHFwv8k
>>38 いいえ。三位一体を否定すれば、
神の聖霊によりて処女マリアが身ごもり
御子を産んだことが理解できなくなります。
三位一体はキリスト信仰の根本です。
40 :
名無しさん@3周年 :2005/07/03(日) 20:49:17 ID:E24+ZidS
三位一体の神を信じる と言う事は、 その実存を信じる と言う事ではない その実存する神と人との関係を信じる と言う事です。
41 :
名無しさん@3周年 :2005/07/03(日) 20:52:38 ID:E24+ZidS
神が実存す事は 信じることではなく あたりまえの事です。
42 :
阿頼耶識 :2005/07/03(日) 20:57:45 ID:EKrrVwyO
43 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 21:03:08 ID:QEAZtVsF
>>39 >神の聖霊によりて処女マリアが身ごもり
>御子を産んだことが理解できなくなります。
そのことを理解できる人は存在していないと思います。
もしあなたが理解していると言い張るなら、どのように
理解しているのか詳しく説明してみなさい。
44 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 21:05:07 ID:QEAZtVsF
>>40 >三位一体の神を信じる と言う事は、
>その実存を信じる と言う事ではない
何をピントのずれたことを書いているのですか。
あなたは神がわかっていないから、このように
ピントのずれたことを書いているのです。
神の実存とは何のことですか。
はっきりと説明してみてください。
45 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/03(日) 21:10:41 ID:QEAZtVsF
今後、こうした教義をここに書くのはやめてほしいと希望します。 ここは聖書の聖句についてマターリと語るスレなのですから、 どうしても、教義について自分は信仰がある、と主張したいお方は それなりのスレッドに書けばいいことです。
46 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/03(日) 21:33:18 ID:WMbez/9s
>>39 >いいえ。三位一体を否定すれば、
>神の聖霊によりて処女マリアが身ごもり
>御子を産んだことが理解できなくなります。
>三位一体はキリスト信仰の根本です。
正確には、キリスト教のある宗派の根本教義だと思います。
さらに、キリスト教と言う物が特殊な概念から成り立ってる
宗教だとすれば、それがいくら信仰の根本だと言っても、そう考えて
ない人達には全くナンセンスな事柄になります。僕はそれを
いつも尋ねてるんです。
それが真理だと言うのであれば、信じていようがいまいがその理屈は
納得できるものです。信じていないものが理解できないものはそれは
真理とは言わないんです。
質問してもよろしいでしょうか?
共観福音書にあるイエスが嵐を静めるところです。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」 マタイ8−26
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 マルコ4−40
イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか。」と言われた。 ルカ8−25
ルカの聖句の意味を教えてください。
ダニエルさんありがとうございました。
ココモ先生もぜひ教えてくださいな。
>>10 いちじく桑に登ったザアカイ、( ルカ19−14 )
いちじくの木の下にいたナタナエル。 ( ヨハネ1−48 ) 二人とも、いちじくの木にいたので
探してもらえたのでしょうか? よろしくお願いします。
48 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/03(日) 23:20:53 ID:WMbez/9s
>>47 スミマセン、週末で帰宅してまして、今日高速4時間の運転で赴任先へ
戻ったところでして、眠くてウトウトしてます。明日の夜カキコします。
聖句の解釈ではなくて申しわけないのですが、 「ノンクリ」スレで、こちらのスレでダニエルさんに聞いてみれば とアドバイスもらいました。 コピペさせてください。 使徒信条の英文を読んでいて思ったのですが、 「the holy catholic church」のところ、 なぜ「聖なるカトリック教会」ではなくて 「聖なる普遍の教会」という日本語訳になっているのでしょうか? プロテスタントでは「the holy Christian church」となっているようですし カトリックだけが「the holy catholic church」と使うのなら そのまま「カトリック教会」でいいんじゃないかなとふと思って。 「the holy catholic church」が、「教会」そのものをさすのか それともその「普遍性」に重きがあるのか その辺りの解釈と、その訳に落ち着いた経緯など知りたいと思っています。 よろしくお願いします。
50 :
49 :2005/07/04(月) 17:26:00 ID:WbppuYau
すみません。>49の質問は取り消します。 お邪魔しました。
51 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/04(月) 17:29:39 ID:gjt9bFF6
52 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/04(月) 17:41:44 ID:gjt9bFF6
53 :
49 :2005/07/04(月) 17:48:46 ID:WbppuYau
54 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/04(月) 18:11:12 ID:fCvjIFI7
>>47 嵐・湖・風...異邦人か異教徒かローマ帝国の事じゃないかと
思います。(その船がたどり着いたゲラサの町は、異教徒
が多く住む町...マルコ5章参照)
イチジクの木...当時のユダヤ地方ではポピュラーな
木だったのでいろいろな場所で引用されたのだと思います。特に
イチジクの木そのものに何かの意味があるとは言いにくい。
(使われる部位によって、使われ方が違う様です)
55 :
キュロス :2005/07/04(月) 19:49:35 ID:DgW5ROVg
>>47 なるほどね 聖書を読み込んでますね。
マタイ 信仰が薄い = 疑いが厚い
マルコ 信じない = 疑っている。
ルカ 信仰がどこにある = ???
マタイ・マルコ と ルカ の「信仰」と言う言葉の
指し示すものが やや違うような気がするね。
ルカの表現は 「おまえ等は 何を信仰しているのか?」
と言う意味に おれは感じる。
マタイ・マルコは 「お前ら まだ疑っているのか?」
という 意味に オレは感じる。
56 :
キュロス :2005/07/04(月) 20:44:55 ID:DgW5ROVg
ルカ と マルコでは、イエスは 弟子たちに言っているが マタイは ひとびと(弟子ではない)に言っているのですね。 マタイ 「ひとびとは、驚いて」 マルコ 「弟子たちは、非常に恐れて」 ルカ 「弟子たちは、恐れ驚いて」 マタイ と マルコでは 弟子の意味が違うのですね。 マタイでは イエスの復活を知り 洗礼を受けた者が弟子なんだね(マタイ28.16-) 一方マルコは いわゆる12弟子のことを指している様に見える。 それとマルコの「弟子」は 復活のイエスには合っていないのです。 (マルコ16.8)マルコ16.9以下は後世の加筆だよね。 ではマルコでは 復活したイエスに合う のは誰か? というと それは その福音書を読み(聴く)聴衆 (マルコ教会の会員)だと思うよ。 マルコは 共に歩むイエスなんだね。
57 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/04(月) 21:42:15 ID:SYBYTZeT
ココモ先生 キュロスさん ありがとうございます。 このルカのところは、むこう岸に渡ろうと仰ったイエスは、 舟のなかで寝てしまったので、弟子たちはイエスのことを 軽くみてしまったんだと思います。特に漁師の弟子は。 そして突然の嵐でイエスに信頼をおくことができなくて、 おろおろしてしまつたのだと思います。 どんな時でも信頼 することを言っているものだと思います。
58 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/04(月) 22:18:54 ID:fCvjIFI7
>>54 ちょっと補足しますね...嵐を鎮めたのは創作だと思うんですね
ペテロ兄弟とヨハネ兄弟は漁師だったんですね、それでイエスは
大工さんですね...実はガリラヤ湖の天候気象や船の安全性は
これらの弟子の方が精通してたハズなんです。
この話のソースはマルコだと思うんですが、マルコはその辺の事情を
考慮しなかったんだと思います。
それでそのマルコはパウロとヨーロッパ宣教に出た時に途中で怖気
づいて、エルサレムに帰ってしまうんです。
パウロはそれを根に持っていて、2度目のヨーロッパ宣教には、マルコ
を連れて行かなかったんです。
そういうマルコが、異教の地でも異邦人の中へも堂々と宣教していた
亡き主人(イエス)を思い描いて書いたのがこの物語じゃないかと
も思います。またエルサレムに留まってファリサイと妥協(?)しながら
宣教してるエルサレムの長老達の批判もあると思うんです。
59 :
☆林檎の目☆ :2005/07/04(月) 22:29:15 ID:TyekuQtn
>ココモスキーさん >そのマルコはパウロと〜マルコを連れて行かなかったんです。 質問なのですが、使徒15章37節の「マルコとも呼ばれるヨハネ」は、 福音書を執筆したマルコなのですか?ちょっとわからないので、もしよろしければ 教えて下さると嬉しいです。
>>58 ココモ先生
そっ そっ そうなんですよ。ココモ先生。
ガリラヤ湖の天候気象や舟の安全性に精通していた弟子たちに
「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか。」
と、言わしちゃうんですよ。イエスさまは。
61 :
キュロス :2005/07/04(月) 23:05:32 ID:q70Ih9JC
風とは 神の息の事だよ。 つまり 神さえもイエスの言うことを聞く と言う事だよ。 だから 当然、驚くよ。
62 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/04(月) 23:21:46 ID:fCvjIFI7
>>59 それを否定する資料はありません。ただ、そのヨハネ・マルコ
が書いたのは、今のマルコ福音書の中の5章位じゃないかと言う
人もいます。いくつかの写本の過程で16章8節まで書き足されて
原マルコと言われる物になったとされてます。これを全てマルコ
が行ったのか、マルコを師とした共同体の作業なのかは不明です。
16章9節から後ろは、明らかに数十年経ってから、違う共同体
の人が書いたものと言う説が有力です。
福音書にでてくる 主よ 主よ 何ぞ我を見捨て給うや キリスト教徒にとっては詩篇22ってことなんだろうけど、 十字架に貼り付けにされても一向に救いがこない そう思ったイエスの絶望的な叫びと取ったら 初めて聖書に共感できた
64 :
キュロス :2005/07/04(月) 23:30:58 ID:q70Ih9JC
>>58 >ペテロ兄弟とヨハネ兄弟は漁師だったんですね
それとさ この二組の兄弟が漁師と言う設定は マルコが原なんだよ。
それで マルコは いわゆる12弟子を徹底的に批判するんだよ。
この二組の兄弟が漁師だと言うのは 眉唾だと思うよ。
いわゆる12弟子に釣られてる人達は ダメな人達だ という事だと思うよ。
これは いわゆるエルサレム教会批判だよ。たぶん。
これは エレミヤ16.16 の漁師のことだよ、っきと
エレミヤ
16:16 見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、
と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、
すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。
16:17 わたしの目は、彼らのすべての道に注がれている。
彼らはわたしの前から身を隠すこともできず、
その悪をわたしの目から隠すこともできない。
6:18 まず、わたしは彼らの罪と悪を二倍にして報いる。
彼らがわたしの地を、憎むべきものの死体で汚し、
わたしの嗣業を忌むべきもので満たしたからだ。
性書って、『あのデタラメで嘘に溢れた』カルト書ですか? キリスト狂=歴史偽造=自己陶酔=チョン! かの国にキリスト狂信徒が多いのが解る気がする 捏造主義者!
66 :
☆林檎の目☆ :2005/07/04(月) 23:33:32 ID:TyekuQtn
>ココモさん ご教授ありがとうございます☆
67 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/04(月) 23:41:14 ID:fCvjIFI7
>>60 >>61 違うんだなぁ...イエスは嵐も鎮めたと言って
イエスは凄いんだと思うのは、当時の民衆とクリスチャン
だけなんだよ...多くの人はマルコがなんでこんな下らない
事を書いたのか首を傾げるんだよ...マルコ福音書を読んだ
当時の聖職者も何だろうと思ったんですよ...だから、マタイも
ルカもシナリオが変わってるんだな...
イエス様が「嵐を鎮めた」・「湖を歩いた」・「死者をよみが
えらせた」と言う話を聞いて、現代においてイエスを評価する
材料として意味があるのかどうか考えてほしいんだな
そんなネタをいつまでも大事に抱え込んでるからクリスチャンが
馬鹿にされるんだと思うよ!
68 :
名無しさん@3周年 :2005/07/04(月) 23:46:03 ID:hb3+2TZE
>>67 本当に馬鹿が治ってないなぁw
自分はヨセフスとか盲信するくせにw
69 :
キュロス :2005/07/04(月) 23:49:59 ID:q70Ih9JC
「湖を歩いた」と言うのは 神の霊が水の面を動いていた(創世記1.1)だよ。 「死者を蘇らせた」と言うのは、つまり 死体とは、神の息(命)が無い状態の土の塵から作った人形のことだよ それに 神の息(命)を吹きこみ命を与える、と言う事だよ。
70 :
名無しさん@3周年 :2005/07/04(月) 23:50:12 ID:oyLtYPjZ
71 :
名無しさん@3周年 :2005/07/04(月) 23:51:34 ID:oyLtYPjZ
>>23 >一般的にキリスト教会で言われる、神の知恵が最も顕された所はなにか。
Tコリント1章
21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、
神の知恵によるのです。・それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、・
・ 信じる者を救おうと定められたのです。
テース ソフィアス(知恵による) トン テオン(神の) ・・
・ ソーサイ(救おうと) ピスティオンタス(信じる者を)
Tコリント1章
24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、
キリストは神の力、神の知恵なのです。
クリストン テウー ドゥナミン カイ テウー ソフィアン
Tコリント1章
30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、
私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
ホス エゲネーセー ソフィア ヘミン アポ テウー
ディカイオスネ テ カイ ハギアスモス カイ アポルトローシス
キリストなんて2000年前には居なかったし。(考古学的に実証されて無い) 居たと仮定しても実際には1850年前らしいし。捏造。 歴史的に実在が証明されてるのは釈迦だけ。
73 :
名無しさん@3周年 :2005/07/04(月) 23:54:41 ID:oyLtYPjZ
>>71 顕著に表れるのは、キリストを「宣教する言葉」に現れるようです。
マリアを『強姦』した奴教えてくださいm(__)m 昔は、強姦されて妊娠すると神から授かったと言うと聞きました。 世間体の為? 『麻原と一緒』で神格化の為? そもそもキリストって実在したの???捏造でしょ。
キリスト狂は、『宗教では無い!』ただの空想小説と妄言集の読書倶楽部!です。 ゴメンね日本のキリスト狂徒は『白人信仰』と言う信仰心が有ったね。 でも有色人種は家畜ですから・・・残念!
オウム関係の死刑場は、数百年後に『聖〇〇〇〇殉教の地』として法王庁が出来る。麻原は、自称無実の罪で裁かれた事に成ます。 キリスト凶も最初は、カルト扱いされてたし 支持者も少なかった。 オウムは、殉教の地も殉教者も手に入れる事に成る。 麻原の血の付いた衣が在れば完璧。キリストと同じ捏造でも良いけどね。 キリスト狂=歴史捏造=自己陶酔=自慰!
77 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/05(火) 00:16:40 ID:NuUj1x1t
>>63 マルコとマタイがその詩篇の22章を書いてるんです。
ルカは詩篇の31章から持ってきてるんです。
イエスは命がけで神様に何かを期待したのでしょうが、神様
は沈黙したままだったんですね。
エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ
ヨゼフスのユダヤ戦記の最初の所に「神様が宿るとされた
エルサレムの神殿が崩壊したが、神様は沈黙したままだった」
この時にユダヤのYHWH(ヤホベ)の神は何の役にも
たたなかったんですね、人間が神様から離れたのか、神様が
既に神通力を持ってなかったのかは分かりません...その挫折
の中から出てきたのがキリスト教会なんだな
78 :
名無しさん@3周年 :2005/07/05(火) 00:21:38 ID:HI8+Olfa
ヨハネによる福音書1章 1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 コロサイの信徒への手紙1章 15 御子は、見えない神の姿であり すべてのものが造られる前に生まれた方です。 16 天にあるものも地にあるものも 見えるものも見えないものも 王座も主権も 支配も権威も 万物は御子において造られたからです。つまり 万物は御子によって 御子のために造られました。 Tコリント12章 3 ですから 私は あなたがたに次のことを教えておきます。 神の御霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ。」と言わず また 聖霊によるのでなければ だれも「イエスは主です。」と言うことはできません。 4 さて 御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが 御霊は同じ御霊です。 5 奉仕にはいろいろの種類がありますが 主は同じ主です。 6 働きにはいろいろの種類がありますが 神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。 エフェソの信徒への手紙4章 4 体は一つ 霊は一つです。それは あなたがたが 一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 5 主は一人 信仰は一つ 洗礼は一つ 6 すべてのものの父である神は唯一であって すべてのものの上にあり すべてのものを通して働き すべてのものの内におられます。 フィリピの信徒への手紙2章 11 すべての舌が 「イエス・キリストは主である」と公に宣べて 父である神をたたえるのです。 コロサイの信徒への手紙3章 16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。 知恵を尽くして互いに教え 諭し合い 詩編と賛歌と霊的な歌により 感謝して心から神をほめたたえなさい。 17 そして 何を話すにせよ 行うにせよ すべてを主イエスの名によって行い イエスによって 父である神に感謝しなさい。 フィリピの信徒への手紙3章 20 しかし わたしたちの本国は天にあります。 そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを わたしたちは待っています。
79 :
名無しさん@3周年 :2005/07/05(火) 00:28:23 ID:HI8+Olfa
80 :
名無しさん@3周年 :2005/07/05(火) 00:42:32 ID:HI8+Olfa
四福音記者・所属配下・所属教会 弟子マタイ・兄弟ヤコブの配下・エルサレム教会(監督1) 書記マルコ・弟子ペテロの書記・エジプトのアレキサンドリア教会(監督3)〜バビロニア教会 書記ルカ・使徒パウロの書記・シリアのアンテオケア教会(監督2)の医者・画家・秘書 長老ヨハネ・書記ルカの子弟・ギリシアの諸教会 三監督(3司教・3主教)により、次の監督(司教・主教)を叙任 エルサレム教会・初代監督・主の兄弟ヤコブ・城壁より突き落とされ落下地で撲殺により殉教(ユダヤ戦争前後[70年前後]) アンテオケア教会・第二代監督・イグナチオ・獣と戦う刑により殉教(AD110ごろ) スミルナ教会・監督・ポルカリュポス・生きたまま焼かれるの刑により殉教(2世紀前半)
81 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/05(火) 22:22:32 ID:IdySszK9
>>77 ココモ先生
ヨハネ福10−17 「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ
父はわたしを愛してくださる。」 イエスはよい羊飼いでしたので羊のために
十字架にかかったのですね。 絶望的な叫びのあと「父よ、わたしの霊を御手に
ゆだねます。」となり、贖いの主になったんです。ご存知のことですが。
ちょっとこのヨハネを読みすすんでいましたら、イエスの葬りのところで弟子たちは
一人もいなくて、金持ちで議員のアリマタヤのヨセフ、夜、一度だけイエスに会った
ニコデモ。 かくれているクリスチャンっているんですね。
82 :
名無しさん@3周年 :2005/07/06(水) 00:07:42 ID:/CUo+qc9
GEN02:23 人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」 神に似せて創られた人。「神と男と女」の関係は→「神とイエスキリストと教会」の関係 とも言えると思う。 互いに愛し合う内在的な愛の関係「御霊と父なる神と御子」に似せて創られた人間。 父なる神と御子の関係は「わたしの骨の骨 わたしの肉の肉」
「愛」の神秘を解く鍵は、神の似姿に創られたことにある。
2005年06月29日10時54分
前法王ヨハネ・パウロ2世を 『 聖人 』の前段階である『 福者 』にするための手続きを開始する儀式
が28日夜、 ローマの サンジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂で行われた。 福者の審査を始めるには、
通常死後5年以上を経なければならないが、カリスマ的な人気があった前法王は、現法王ベネディ
クト16世の決断で、4月2日の死去から3カ月弱での開始となった。
儀式では、審査担当者らが秘密を守り、贈答品などを受け取らないことを宣誓した。今後 前法王の
全著作や 私的文書も含めた書類などを調査し、 関係者の証言を集める。殉教者以外は 『 死後に
奇跡を起こした証明 』が必要で、列福の最終判断は現法王が下す。福者から聖人になるには さら
に別の「 奇跡 」が必要となる。
審査の最高責任者はポーランド人大司教に決まり、奇跡情報について電子メールでも募集を始めた。
『 いますぐ聖人に 』という信者らからの要望や、 奇跡に関する証言が連日世界中から 80〜100通
も届いている。「 バイク事故で危篤状態だった少年が、『 ヨハネ・パウロ2世に祈りましょう 』と神父が
呼びかけたところ、意識を回復した 」などの証言が寄せられているという。
http://www.asahi.com/international/update/0629/002.html
一人で祈ることも推奨し、共に祈る間にイエス様も共にあるという。 主の祭壇の前に立つときは、互いの蟠りをといてからともいう。 互いの愛の交わりが重要。 「三位一体の神」と「共に祈る二人とその間に立つきリスト」との交わり。 ふと、イスラエルの六房星は、三対三の交わりを表しているのかなとも思った。
86 :
名無しさん@3周年 :2005/07/06(水) 16:23:26 ID:UrdWQqgi
87 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/06(水) 19:31:59 ID:4YF/3biC
>>81 >「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ
>父はわたしを愛してくださる。」
ヨハネ教会はマタイ福音書の矛盾を気にしたんだと
思います。マタイ福音書はイエスの言葉として人の子が再臨する
ことを記述してます。そこに生きてる人(本当はマタイ教会が創造した)
が、なぜわざわざ再臨するのか疑問が生じるんですね...
>イエスはよい羊飼いでしたので羊のために十字架にかかったのですね。
>絶望的な叫びのあと「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」となり、
>贖いの主になったんです。ご存知のことですが。
キリスト教会らしい解釈です。それはルカ福音書だけを引用してる
為です。マタイ・マルコはだいぶ違います。
これはそれぞれの社会背景や時代の違いが、同じ詩篇でも違う言葉
を選ばせたんだと思います。
マルコの言葉だと、イエスの共同体が何かの企てをしていた事を
匂わしてしまい、クリスチャンが健全で温和な人たちである事を
示そうとしているルカの教会では、不適切です。
>かくれているクリスチャンっているんですね。
隠れてるわけではなくて、ヨハネ教会は共観福音書の教会と、
思想的に一定の距離をとっていた為と、ソースがだいぶ違う為だと
思います。ヨハネ福音書に出てくるイエスの使徒達の名前を
並べ比べると分かります。
>>87 >かくれているクリスチャンっているんですね。
これは あんたの事だよ。解る?
89 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/07(木) 21:48:46 ID:pnf4vAwZ
えぇーと、岩波訳のヨハネ文書によると、ヨセフとニコデモの評価は、 このようになっています。 「とはいうものの、指導者たちの中からも多くの人々が彼を信じたのであった。 しかし彼らはファリサイ派の人々のゆえに、会堂から追放されないため、 公言しようとはしなかつたのである。」 12:42 「あなたはイスラエルの教師ではないか。それなのにこれを知らないのか。」 3:10 あと、イエスのこと問われ答えられないところ 7:5 弟子達、クリスチャンからみると ゛ずるい゛ と、敵のように見ていた人が いざって時に大どんでん返しをしてしまったのです。 本当に、人の目からは、どのような人がクリスチャンか分らないなぁ。と ここの聖句を読んで考えさせられました。 わたしもどうなのかなぁ。しみじみ思いますね。
90 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 18:43:28 ID:9PaaV/Xn
メシアなる意味は「油を注がれし者」となっている 旧約聖書で有名なメシヤはサウルとダビデである イスラエルの王となる者のことである イエスが「ユダヤ人の王」という名札をつけられて十字架につけられたのは この意味である。 なら、誰がイエスに油を注いだのかそれはどういう意味があるのか
91 :
キュロス :2005/07/08(金) 19:22:06 ID:ZrQiU/H2
イエスの真の目的を理解できずに イエスを軍事的メシアだと 勘違いした人達が イエスに失望して イエスを十字架に掛け殺した。 罪状書きが「ユダヤ人の王」と言う事の意味は 「ユダヤ人の王」 (軍事的メシア)に成れなかった と言う事です。 十字架の罪状書きが「ユダヤ人の王」 と言う事は イエスは 「ユダヤ人の王」では無い という否定に成っています。
92 :
キュロス :2005/07/08(金) 19:30:34 ID:ZrQiU/H2
福音書では 逆説的な表現方法があります。 イエスは ○○ではない と言う表現とか イエスのことを 理解していない人達に イエスは○○だ と言わせる事によって その説を否定する ことで イエスとは 何者か と言う事を説明している個所があります。 特に ヨハネ文書では それを多用しているようです。
93 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/08(金) 22:36:56 ID:huLGiSBp
>>90---
>>92 イエスがユダヤの王かどうかを論議しても、意味がないんじゃ
ないですか?当時の支配体制はユダヤがローマ帝国の直轄統治
で、それ以外はヘロデ・アンティパスなんだから...
後の人が「神」と言うか、「大祭司」と言うか、「救い主」
と言うか、「ユダヤの王」と言うかは、それぞれの人の勝手
だと思いますよ
問題は、イエスが自分は「ユダヤの王である」と言ったのか
どうかだと思いますよ...もし言ってたのであれば、それは
死に値する犯罪ですし、民衆が言ってたのであれば、それは
民衆蜂起(クーデター)でしょ...
それで、聖書を読んでみると、翻訳の問題もあるんですが
イエスは「ユダヤの王である」とも言ってたし「神の子」
であるとも言ってた様ですね...
だから十字架にかかるのは当然の事で、ピラトも祭司達も
任務を遂行したに過ぎないんです。何らこれらの人たちを
非難する理由はありません...
最近ですね、ちょっと違う事を考える様になってるんですが
イエスは処刑されるのが分かっていて、ワザとこの手の
言葉を言ったのではないかと言うことなんですね。
そこで、マルコ(マタイ)とルカとヨハネで考え方が割れる
んですが...以下は省略します。
94 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 23:02:42 ID:Pvu2152O
>>93 >だから十字架にかかるのは当然の事で、ピラトも祭司達も
>任務を遂行したに過ぎないんです
世俗人であるピラトは、ユダヤ教徒達の死刑要求に対し、最後までイエスを助けよ
うとした様子が、ピラトの気持と共に生き生きと伝わってきますね。聖書の中でも
感動的な場面です。
明かに犯罪者として処刑されたイエスが、荷故に「人類の罪を贖った」ことになる
のでしょうか。理解が不可能です。
同時に処刑された二人の犯罪者も「人類の罪を贖った」ことになるのではないでしょ
うか。特にその一人は、迫りくる死を前にして、自分の罪を認め、イエスを思いやり
ました。神を恨み、神に助けた求めたイエスよりも、彼のほうがよほど立派な最後だったと
思われてなりません。
キリスト教徒が、同時に処刑されたこれら二人の犯罪者に対し、全く人間的な同情を
示さないことも、理解に苦しみます。そこに、キリスト教の病理があるのではないで
しょうか。
95 :
名無しさん@3周年 :2005/07/08(金) 23:52:51 ID:6fdoJ/Rp
隣の人がどんな立派な死に方をしようがそんなことは大したことではない。 なぜイエス様の十字架が効力があるのかを知らなければならない。 民数記の赤目牛にその証しがある。
96 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/08(金) 23:56:35 ID:bJy2BJHf
>>95 >民数記の赤目牛にその証しがある。
そうなんですか。その話は知りませんでした。
どうぞ、教えてください。
97 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/09(土) 01:15:19 ID:qJvfFCj6
>>94 >世俗人であるピラトは、ユダヤ教徒達の死刑要求に対し、最後までイエスを助けよ
>うとした様子が、ピラトの気持と共に生き生きと伝わってきますね。聖書の中でも
>感動的な場面です。
大変な誤解と偏見の理解だと思いますよ...聖書をちゃんと読んで
みて下さい。
>ユダヤ教徒達の死刑要求
ユダヤ教徒達ではなくて、ユダヤ教会の聖職者達です。当時の
社会の行政官、今で言えば警察官です。社会で死刑に値する様な
行為をした人間を、拘束し取り調べ容疑が濃くなったら、裁判に
かけて審判を仰ぐのが今も昔も、こういう人たちの任務です。
>最後までイエスを助けようとした様子
イエスを助命しようとした様に書かれてるのは、ルカ福音書だけです。
他の福音書からそれは読み取れません...
ルカ福音書にはその様に書く事情があります。これは何回も書いてる
事なので、省略します。
実際にどんなことがあったのかは、推測しにくいんですが、これもこの
webで何回か出てきたことなので省きますが、ピラトウスには
行政官としての事情があった事は言えます。いずれにしてもイエス如き
犯罪人に対して特別の配慮をしたとはとても思えません。
ルカ一流のデフォルメだと思います。
98 :
名無しさん@3周年 :2005/07/09(土) 15:28:37 ID:aIXG3Cnp
>>97 ありがとうございました。
私は聖書を詳しく読む時間も興味もありませんが、4福音書をざっと読んだ結果では、
大祭司たちに扇動されていたにせよ、「イエスを殺せ」「十字架にかけろ」と迫った
のは、群集(ユダヤ教徒たち)だったとしか、読めません。
私が言いたかったのは、ユダヤ教徒を批判することではなく、世俗人(多神教徒?)
であるピラトが、犯罪人であるイエスに対しても、最後まで人間的な思いやりを捨
てなかったことと比較して、激昂した宗教信者たちが却ってイエスの無条件な処刑
を迫った事実の中に、宗教(一神教)の病理が現れているという事実です。
ニーチェは、聖書の中で唯一価値ある言葉は、「真理」について饒舌に語るイエスに
対してピラトが発した{真理とは何か}という言葉だと言っています。
99 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/09(土) 15:54:33 ID:p/uRheC8
民数記15 : 32-36 主イエスのことを表しているのですか? 解釈をお願いします。 イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを 見つけられた。見つけた人々は、彼をモーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れてきたが、 どうすべきか、示しが与えられていなかつたので、留置しておいた。主はモーセに言われた。 「その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。」 共同体全体は、主がモーセに命じられたとおり、彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺したので 彼は死んだ。
100 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/09(土) 21:01:45 ID:XoYqaW7M
>>99 >主イエスのことを表しているのですか?
キリスト教徒には、いかなる事もイエス・キリストと関連
させる病がある様です。普通の心理状態の人は理解できない
と思います。
この部分は、モーセ一行が出エジプトして、カァナンに住み着こう
としている時期です。そこで律法を基本に神(YHWH)との契約
の民としてのユダヤ民族があります。
その中の一齣として、安息日の掟を破った男を処刑した事件です。
神との契約の掟は過酷なまでに守らないとならないと言う聖句
だと思います。
それから1000年以上後の、イエス・キリストとは何の関係も
ありません。
101 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/09(土) 21:44:31 ID:XoYqaW7M
>>100 補足...民数記の男は「自分は神だ」とも「自分はユダヤの王だ」
とも言ったわけじゃないでしょ...神との約束である「安息日の掟」
を破っていただけですよ。
掟を破って処刑された人間はどれだけいるか分かりません。聖書にも
ごまんと書かれてます。それが全部イエス・キリストだと言うのは
イエス・キリストがなぜ処刑されたのか、イエスの処刑がなんだった
のかを全く考えてないと言う事です。
ただ単に処刑された情景がイエスの受難を思い起こすだけで、それで
関連付けようとしてる発想は幼稚に尽きると思います。
102 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/09(土) 23:43:53 ID:p/uRheC8
>>101 ココモ先生
こ゛説明ありがとうございました。
もっと丁寧に聖書を読むようにします。
旧約において一番重要な礼拝が7月10日の大いなる贖い。レビ16 大祭司が年に一度だけ生贄をもって入ることができ、民の罪が赦され清められる。 この罪は個人的な人間の失敗による罪の贖いであった。 num 19: 2 「主が命じて仰せられたおしえの定めは、こうである。イスラエル人に言い、傷がなく、 まだくびきの置かれたことのない、完全な赤い雌牛をあなたのところに引いて来させよ。 赤雌牛による儀式は、もう一つの罪の汚れによる。 律法に示された汚れた物に触れたときには聖なる神の前に立つことができなかった。 この場合、聖所の犠牲により清められるのではなく、聖所の外で一匹の完全な赤雌牛 が火に焼き、その灰に生きた水を混ぜたものを振りかけることにより清められる。 赤雌牛は聖所の外で、汚れたもののように殺されて、牛のその皮、肉、血をその汚物 の全体を焼かれ、灰となり生きた水と混ぜ、清めの水となる。
104 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 00:34:40 ID:5jKnF3JS
>>103 「罪」とは、具体的には一体何ですか?
イエスは「牛」だと言うこと?
やたらに生物を殺して、生贄などにすることは、大きな罪だと思うが。
旧約の民にとっては単なる習慣でなく、神に定められた清い者であるための掟。 それなりの意味があったが、ユダヤ人も深い意味は知らなかった。 ヘブルへ人の手紙9で民数記19のことを言っている heb 9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、 それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば ヤギと子牛の血はレビ記16の供え物のこと。更に雌牛の灰がかけられ清められ・・ heb 9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになった その血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、 生ける神に仕える者とすることでしょう。 神殿で捧げられた血は、イエスキリストの余表であったと言う。 そして、十字架の死が、人類のあらゆる罪汚れた心を清める、赤雌牛の灰に勝るもの である。
106 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 01:11:41 ID:5jKnF3JS
>>105 >ユダヤ人も深い意味は知らなかった。
そんな馬鹿げた話は、ユダヤ人だけでなく、すべてのマトモな人間には理解できない
のが当たり前。
ヤギ、雄牛の血は、我々の罪の身代わりに屠られて、捧げたものが赦される。 赤雌牛は、傷のない完全であり、クビキを負わない、清めのためだけに選ばれた 牛でなければいけなかった。 これはイエスキリストの生涯を意味した。 世界の罪を負って、罪を赦し清め贖う事が出来るメシアは、自身に罪があってはならない。 ただ十字架の死に意味があるのではなくて、イエス様の御生涯のことを言っている。 なぜ十字架に効力があるかというと、イエス様の生涯に罪が無かったから。 死の価値は死に方でなく、生の価値。 「傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになった」 聖霊がお助けになってイエス様と共に清く保ち、贖いの死おも助けられた。 生涯を一つの罪もなく、罪を他にして、人と同じ一切の試練を受け、我々を思いやる ことができる方になったが罪を犯さなかった。 人の汚れた良心を清める資格があるのである
108 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/10(日) 02:02:41 ID:n5d8mk4F
heb 9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、 天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現わ れてくださるのです。 大祭司として、地上の聖所でなく、本物の天の至聖所へ年に一度でなく、永遠に 隔ての幕を取り去り、どんな人であっても、イエスキリストの贖いが自分の罪 の為であったと信じる人は、地上から天の聖所に礼拝を持つことができる、 「私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」 「仕える者」とは礼拝のこと。 イエス様が大祭司として地上に来たときに、どこであっても聖所となり、血を受けるものは 神との交わりを持つことができる。 赤雌牛の灰の清めの力の意味であり、イエスキリストの十字架により実現した。 という感じのお説教。
110 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 02:32:47 ID:hWzXKbLd
>>107 >>109 すべては、現実上の根拠は皆無な「作り話」ですね。作り話を実話だと信じて
いるのですか。
111 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/10(日) 02:44:00 ID:n5d8mk4F
>>110 >作り話を実話だと信じて
>いるのですか。
あなたは、実話を作り話だと
信じているのですか。
人には自由意志というものがありますので
信じるも信じないも本人次第なのです。
112 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 02:58:13 ID:hWzXKbLd
>>111 実話だという証明が出来ますか。人生や社会生活において、実話とフイク
ションの区別をつけることは、常に必要なのでは。
嘘でも信じるというのは、神から与えられた知性と批判力の放棄です。
113 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/10(日) 08:58:12 ID:n5d8mk4F
>>112 >実話だという証明が出来ますか。
まず、あなたが実話でないという証明をしたらよいではないですか。
114 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/10(日) 12:20:09 ID:zUvv+jTp
>>105 ユダヤ教に贖罪の日があるのはユダヤ教徒はみんな知ってますよ
キリスト教徒が勝手に考えた「深い意味」とやらは知りたくも
ないでしょうが...
>まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになった
>その血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、
>生ける神に仕える者とすることでしょう。
>神殿で捧げられた血は、イエスキリストの余表であったと言う。
>そして、十字架の死が、人類のあらゆる罪汚れた心を清める、赤雌牛の灰に勝るもの
>である。
この部分が、キリスト教徒の勝手な思い込みなんだな...
ヘブライ人の編者が勝手にそう思っただけだよ...
ヘブライ人の編者はイエスを大祭司とも言ってるでしょ
ヘブライ(4/14−5/10)
ユダヤ教の「大祭司」とキリスト教の「救い主」と言う全く
整合しない立場がごっちゃに使われてますね
マタイ福音書もさかんに「預言(予言)の成就」を使ってるでしょ
新約の編者はイエスの売り込みに必死だったということだW
ユダ家の系図・預言の成就・処女降誕・大祭司...新約の編者
は札付きのイエスを売り込むために、当時として使えるありとあらゆる
コマーシャル・メッセージを利用したと言う事だよ...
メッセージ
115 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/10(日) 12:42:07 ID:zUvv+jTp
続き...2000年前のユダヤ人にとっては、イエス・キリスト が旧約で預言されたものじゃないと、いかんのでしょうが(ユダヤ 教徒が多い)、現代人がなぜ旧約で「余表された」と言わなきゃ アカンのかねぇ... これらは全てイエスの「箔付け」に過ぎなくて、イエスの主張 とは直接関係しない事なんですがねぇ... 仏陀さんもムハンマドさんも、この手の箔付けは全くされませんよ そんな箔付けなんかセンでも、それぞれの主張はちゃんと受け入れ られるんだけどねぇ...
116 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 14:36:17 ID:BE/xhf5/
救世主は神に依って救いをもたらすのだから、その性質は預言者であり大祭司。 >115 どのようにすれば清められ、神との関係を持つことができるかが示されている。 この律法は、神と人との隔たりの大きさを表し、これを人に教えるもの。 神を的にしない事の罪を教えるもの。 律法は、人には大きな負担であり、得られる清めも限定的なもの。 十字架の清めを信じてこそ、この部分を余表であったと言える所でもあるね。
117 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/10(日) 14:58:26 ID:zUvv+jTp
>>116 >救世主は神に依って救いをもたらすのだから、その性質は預言者であり大祭司。
全く論理が成り立ってないと思いますが...
「神に依って救いをもたらす」...どういう事ですか?
「その性質」...どういう性質ですか
「預言者」...神の言葉を預かる者でしょ、神に依って救いをもたらす者
とは全く違う性質だと思いますよ
「大祭司」...ユダヤ教の聖職者、ペルシャ(後のエジプト・シリアも含む)
統治時代の実質的な総理
*ここで性質として共通するものは、神の嘱託を受けてると言う事だけで
他の要素は全く違ってる。ユダヤ教においては、あらゆる任務を遂行する
においても、神(YHWH)の嘱託を受ける(油を注がれる)
118 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 15:05:16 ID:BE/xhf5/
レビ記に示される大祭司の役割はなんだと思ってますか? 大祭司の本質はそんなものじゃない。
119 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 18:36:38 ID:NrShtbp0
なぜ 大祭司が復活したの?
120 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 19:15:57 ID:BE/xhf5/
普通の大祭司は復活しないんだ。 神様の御心に適ったイエス様だからこそ復活し、栄光の大祭司となったのです。
121 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 19:19:21 ID:NrShtbp0
ヘブル >9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。 >それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、 >キリストが死んでくださったので、召された者たちが、 >既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。 キリストの代理贖罪なんでしょ? ヘブライ書の理屈だと、なぜキリストが復活したのか解らないよ? キリストが復活していないのなら理解できる。
122 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 19:23:13 ID:NrShtbp0
>>120 復活後に大祭司に成ったのなら、
イエスの十字架上の死は、代理贖罪ではない
と言う事ですか?
123 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 19:25:37 ID:s0T8D+4L
死んだフリして生き返るって、ズルイよね。
124 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/10(日) 21:52:26 ID:Hbc5EDEE
イエスが大祭司なら、ユダヤの伝統に従ってレビの家系でなければ
アカンのよ。ところがマタイ福音書でユダ家の系図が示されてる
もんで、ヘブライの編者はこまりマスタ。
それで創世記でほんのちょっとだけ出てくるメルキゼデクを
例外措置の例として、イエスが大祭司であることを説明してるんだな
ヘブライ5章後半
>レビ記に示される大祭司の役割はなんだと思ってますか?
>>118 >大祭司の本質はそんなものじゃない。
レビ記に示されてる大祭司の役目...というより、アロン
が神から宗教的指導者としての役目をおうせつかった大祭司
と言う役目(出エジプト記)と、救い主とでどこに整合性が
あるんですか?
>>120 >普通の大祭司は復活しないんだ。
>神様の御心に適ったイエス様だからこそ復活し、栄光の大祭司となったのです。
こう言うのを矛盾の混ぜこぜって言うんだよ...
大祭司はユダヤ教においては純粋に人間(主にレビ家)が神から授かった
宗教上の職位だよ...アホなキリスト教徒がゴチャゴチャニしてるだけだよ
125 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/10(日) 21:56:30 ID:Hbc5EDEE
一連のキリスト教徒の発言を見たら、多くの常識的な人たちは そのレベルの低さ加減が分かるでしょ... ちょっと勉強した人間から見ると、如何にキリスト教徒が 幼稚にみえるか...わはははは あ!管理者がこういう発言をするのはご法度か...
126 :
名無しさん@3周年 :2005/07/10(日) 22:33:59 ID:S5P+CC11
新約聖書を一読すると、人間性の洞察の欠如、矛盾、誤り、偽善、軽薄、冷酷、 愛の欠如、不合理、脅迫、甘言、傲慢不遜、神の冒涜、などを示す個所が、たちど ころに100例は上がってきますよ。私は、片っ端からマークしてみました。 クリスチャンとは、聖書が読めない人々のことです。
127 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 01:01:44 ID:AD+cKwjV
>>126 具体的に、その聖書の個所を1〜2箇所、上げてアナタの教説を展開して下さい。
そうして頂かないと、議論ができません。
128 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 02:19:07 ID:cSfmKjrL
>>127 まず「右の頬を」。これは、人間の自己保存の本能を否定するもの。実行できる
人間は一人もいない。イエスも実行できていない。それがむしろ健全。実行すれば
人類は滅亡する。人間に実行不可能な教えなど、無意味で無価値。
「あなたの敵を愛しなさい」。「敵」という言葉に、すでに「愛」とは反対の敵意
が含まれている。殺されようとしている人の面前で、こんな言葉が吐けるか?
その他、イエスが家庭を軽視する言葉は多数。肉親間の愛着心こそ、神が人間に
与えた、種族維持のための不可欠な本能ではないか。気が狂った息子に軽視されて
も、母故にどこまでも息子に従うマリアの姿は、聖書の中でも最も感動的な場面。
129 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 02:26:32 ID:Lbn/DSla
>>128 ばかばかしくてみてらんない。
哲学版がおすすめ
130 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/11(月) 02:44:48 ID:9VsDi8/+
>>128 具体的にそれがどういう人たちに対して言われた言葉であるかを
クリスチャンは誰も説明できないから、馬鹿馬鹿しく思われる
んだと思うよ
これらの聖句がAD70年前後のユダヤ戦争のすぐ後で、多くの
ユダヤ人が祖国を追われた時の言葉だという事を...
人生の中では「右の頬を」を叩かれても、じっと耐えなければならない
事もあるし、叩かれて何かを目覚める事もあります。殴られたら殴り返
すべき状況もあるという事だと思います。
「あなたの敵を愛しなさい」の敵はエルサレムの神殿を滅ぼしたローマ軍
です。ローマ軍を敵だ敵だと言ってる人たちに対して、「ローマ軍は
本当に敵なのか」「本当の敵は誰なのか」を問いかけてる聖句だと僕は
思ってます。
家族を軽視する言葉が多いのは新約聖書の特徴ですが、個々の言葉で
事情が違います。
個別に出していただければ幸いです。全部を答えることは無理だと
思いますが、答えられる事もあるかも知れません...
クリスチャンはこの手の疑問や批判に殆ど答える能力はありません。
>>122 復活前、後では栄光の差があります。前から大祭司としての性質が示されています。
自分を贖いとすることにより、地上で祈る大祭司から、天の神の右に座す栄光の大祭司
へと変わられたのです。
>>124 このことを信じ、自らの十字架を負う者は皆、天へ直結する祭司となれるのだ。
万民祭司への道が示された。
大祭司は、神様に命じられて、誰の為に生贄を捧げ、誰の為に祈ったと思っていますか?
132 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 11:02:09 ID:/MIbGUlq
>>129 >ばかばかしくてみてらんない。哲学版がおすすめ
一般人から見れば「ばかばかしくてみてらんない」のは宗教信者であることを
認識すべし。
宗教も、哲学も、科学も、等しく現実の人間の営みに過ぎない。未開時代とは
異なり、現代社会は基本的に「合理性」「知性」に基いて成立し、機能している。
宗教だけが、その例外であってよい理由はない。ここは人間界である。宗教も
「聖域」ではない。
133 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 19:00:32 ID:MUT9Jmtr
↑スレ違い。求めるものはココには無い。
134 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 19:12:34 ID:7rFDxyOF
では、もう一つ。 「あなたの欲することを、他に施しなさい」 順序が違う。まず相手が何を欲するかを考えるのが先ではないか。自分の 欲することを相手も欲するという保証がどこにある?「あり難迷惑」「余計な お世話」という言葉もある。 侵略、強制改宗、原住民の大殺戮を含む、キリスト教の狂気の布教活動は、 すべて「自分の欲することを他に施そう」とした結果である。 東洋思想では、「己の欲せざるところを他に施すなかれ」という。イエスの 教えとは似て非なる、深い洞察と愛が含まれている。
135 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 19:41:54 ID:PjTkm6p9
>侵略、強制改宗、原住民の大殺戮を含む、キリスト教の狂気の布教活動は、 >すべて「自分の欲することを他に施そう」とした結果である。 (><)恥ずかしい!
136 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/11(月) 20:50:55 ID:9VsDi8/+
>>134 >「あなたの欲することを、他に施しなさい」
僕が個々に答えても良いですが、クリスチャンが全く勉強も考察も
しないので、また質問形式で
1..ここの「あなた」って具体的にどういう人たちですか?
2..134の方も指摘するように、現代では相手が求めてるもの
が何であるかを理解するのが先だと言うのが常識です。
でもこの当時はどうもそれほどの価値観の多様性はなかった
のかもしれません。ではあなたが欲してる物とは具体的に
何でしょう...
3..この言葉を聴いた人たちは、どの様に反応したのでしょう
*2000年前の言葉をイエスが現代の人に直接語りかけてる様に
言ってる馬鹿な教会がありますが。これも嘘800です。2000
年前の編者がある人たちをターゲットに(イエスが)語ったように書
いたものです。
137 :
キュロス :2005/07/11(月) 21:08:34 ID:arpnJYlB
>>128 >マタイ
>5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』
>と命じられている。
>5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
>だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
今の日本の大都会で この様なことを実行すれば
まず 殺されないまでも 大怪我をするよね。
これは 落語の世界を想像してみると理解できるよ。
二人の人間の一方が 殴られるだけで抵抗をしなければ
誰か第三者の世話好き(お節介)な人が 必ず仲裁に入り
仲直りの労を取ってくれる。そして その争っている二人は
決定的な対立まで至らない様にしてくれる、と言うわけだ。
今の日本にも そのような社会が まだ残っているよ。
138 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 21:30:42 ID:MUT9Jmtr
普通に考えて、神を畏れる者が「宗旨替えしなさい」と言われて、その求めを満たすことは無い。 キリストに習って自身のできることをすればいい。
139 :
キュロス :2005/07/11(月) 21:40:54 ID:arpnJYlB
>マタイ >5:44 しかし、わたしは言っておく。 >敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 ヘブライ語で 「愛」は 「憐れみ」 とか「親切さ」 なんだよ。 で 「敵」は 「憎む人」 「憎悪する人」 「嫌う人」 だよ。 そして 親切にする とは 他人に良心的に係わる と言うことだから 超意訳すれば 「アナタが 嫌う人に 良心的に係わりなさい」 という事だ、と思うよ。
140 :
キュロス :2005/07/11(月) 21:43:44 ID:arpnJYlB
>>139 >超意訳すれば 「アナタが 嫌う人に 良心的に係わりなさい」
これの 逆の場合も有り かも知れない
つまり 「アナタを嫌う人に アナタが良心的に係わりなさい」
141 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 21:46:55 ID:MUT9Jmtr
そもそも、スレ違いは正しくない。危急の求めでもない。
142 :
キュロス :2005/07/11(月) 21:47:49 ID:arpnJYlB
143 :
キュロス :2005/07/11(月) 21:52:13 ID:arpnJYlB
>>128 つまり マタイのその辺の個所は 集団内の争いを避ける方法なんだよ。
144 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/11(月) 21:55:31 ID:9VsDi8/+
ちょっと面白ネタ提供しましょう... 昨日京都から赴任先の出雲へ移動する途中での出来事... 中国道を高速で飛ばしてましたら、前方に気になる車を見つけましてね スピードを落として、その車の後を付いて走ってたんですね... 制限速度+20km位だったかな...明らかに違う車だったら さっさと追い越していくんですがね...そうしてたら、後ろから 猛然とライトバンが自分達2台を追い越していったんですね... 自分の感が的中して前方の車から赤ランプが出て、すぐさまその ライトバンが捕まりました。 そう覆面パトカーでした..僕はその横を通り過ぎて、また高速で 走り出しまして... クリスチャンはこういう話をどう考えるのでしょうね...
145 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/11(月) 22:22:14 ID:hLRjuph+
>>143 キュロスさん
わたしも同じです ♪
ここは社会あるいは個人の道徳か、又は、文字どうり
受けるか、受けないかって、以前勉強会に参加したことがあります。
結果、文字どうり受けとらず、よくよく考えてイエスの喜ばれるように
行いましょう。 と、いうことになりました。
>>144 ココモ先生
それは神さまのお目こぼしですよ。
もしくは、免停直前で注意深くなっているんですよ。
147 :
ろりぽっぷ ◆epMrs1963. :2005/07/11(月) 23:38:50 ID:Bh8ve+vb
とりあえず、来てみました。このスレ、最近、どうなんだろうね。 ダニエル氏はカトスレで叩かれているみたいやねんけど。
148 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 23:41:48 ID:5z9khuCX
>>147 あんたは、お隣の精神病院スレのほうがお似合いだよ。
149 :
ろりぽっぷ ◆epMrs1963. :2005/07/11(月) 23:43:23 ID:Bh8ve+vb
>>148 うん。精神病院スレって何スレのことか分かんないんだけど、
確かに、わたしに、このスレが似合わないことだけは、確かだ。w
150 :
名無しさん@3周年 :2005/07/11(月) 23:55:31 ID:5z9khuCX
>>149 >精神病院スレって何スレのことか分かんないんだけど
よーく判ってるくせに。クリスチャンたちが、一日中、「神様、イエス様」と
狂乱状態で書きこんでる談話室だよ。
それとも、重症で、病識がないのかな。
151 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/12(火) 00:07:39 ID:J1z6eoQ0
>>150 さん
あらら 意地悪はやめてくださいな。
ろりさんもわたしも聖書を読もうと思って
このスレに居たいのですから。
どうぞ 噛み砕いて教えてください。
152 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/12(火) 00:09:36 ID:yIYJcwUk
>>146 >もしくは、免停直前で注意深くなっているんですよ。
僕は無違反(正確には無検挙)6年目で、来年ゴールド
免許の予定です。
覆面パトはプロが見たら一目同然なんです。
1...車種がカローラかパジェロ
2...色が西日本では白が殆ど
3...必ず男が2人いる
4...県外車は100%ない...県警の管轄...何処の県を
走ってるかを認識することが必要
5...スピードが制限速度の+15から+25で走ってる
(+20までは基本的に検挙しない)
「気になる車」と言うところで、これだけの事を確認してるんですよ
実は自分は昔、宅配便の長距離トラックの運転手をしてた事がありま
して、一様プロの運転手だと思います。少し年食ってるので現役には
負けますが...
153 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/12(火) 19:25:49 ID:yIYJcwUk
>>139 >ヘブライ語で 「愛」は 「憐れみ」 とか「親切さ」 なんだよ。
>で 「敵」は 「憎む人」 「憎悪する人」 「嫌う人」 だよ。
この場合の「愛」は 「憐れみ」 とか「親切さ」で「敵」は 「憎む人」
「憎悪する人」 「嫌う人」である事は同感です、強いて言えばこの場合の
「愛」には「赦し」とか「理解」と言う意味もあると思いますが、ちゃんとそういう
事になるプロセスが全くでたらめなんで、誰も分からないんですよ...
ヘブライ語でそう言う意味だなんて言ったら、ヘブライ語を使ってる
人達は異常な人種だと言う事になるんですよ。愛は何処の国へ言っても
愛です。その愛の中身がその場面、状況によって違った物だと言う事
なんですよ。
だいいちマタイ福音書はコイネ語(ギリシャ語)で書かれてて、ヘブライ語
ではないですよ...マタイの編者が引用した旧約の聖句も、70人訳で
ギリシャ語に訳されたものですよ...
154 :
キュロス :2005/07/12(火) 19:49:33 ID:FTp+4aix
>>153 >大辞林 第二版 (三省堂)
>アガペー [ agap]
>(1)キリスト教における愛。罪深い人間に対する神の愛、
>人間どうしの兄弟愛など、自己犠牲的・非打算的な愛をいい、
>エロス的愛とは区別する。
へセド には 自己犠牲的 と言う意味があるかな?
155 :
キュロス :2005/07/12(火) 20:03:27 ID:FTp+4aix
イエスは ヘブライ語に近いアラム語で 話していたんだよ。 その アラム語のイエス語録を 福音書記者が ギリシャ語に 訳したんだよね。 たぶんガマリエル門下のパウロも ヘブライ語で物事を考えていたとおもう。 その ギリシャ語で記述された福音書を ギリシャ語で物事を考え る人達が その福音書を読んでキリスト教の教義を作った。 ルターが聖書をドイツ語に訳した その翻訳聖書で 教義(神学)を 作った人達がいる。 日本人が書いた文書を 日本人が読むことでも 誤読するのに・・・・・
156 :
キュロス :2005/07/12(火) 20:09:15 ID:FTp+4aix
>>155 >その ギリシャ語で記述された福音書を ギリシャ語で物事を考え
>る人達が その福音書を読んでキリスト教の教義を作った。
修正
その ヘブライ語で物事を考える人達が その考えをギリシャ語
に翻訳して記述した聖書を ギリシャ語で物事を考える人達が
そのギリシャ語で聖書を読んでキリスト教の教義を作った。
157 :
名無しさん@3周年 :2005/07/12(火) 20:14:03 ID:G/OGgBQ8
>>155 ローマ市民パウロはギリシャ語で考えてたんじゃないか? 書簡で引いてるの70人訳だし。
158 :
名無しさん@3周年 :2005/07/12(火) 20:14:12 ID:4qG5lCuI
>>154 アガペーとエロスとを区別するのは、キリスト教的(西洋的)誤り。相手に
対して涌き出る自然の感情を、そのように区別できるわけがない。アガペー
は愛ではない。
159 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/12(火) 21:16:50 ID:yIYJcwUk
>>155 >その ギリシャ語で記述された福音書を ギリシャ語で物事を考え
>る人達が その福音書を読んでキリスト教の教義を作った。
と言うことは、アガペーをエロスと対比させる自己犠牲的なあるいは
人類愛的な物としたキリスト教(ギリシャ)の教義(多分2世紀
以降確立した)もギリシャ語(文化)じゃないのか...アルマイ語で
喋ってたイエスの考えとは違うと言う事だよ...言葉は関係ないよ...
アルマイ語だろうがヘブライ語だろうがコイネ語だろうが、愛は愛だよ
アガペーと言うのに独自の教義を作ったのはキリスト教の勝手だよ
160 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/12(火) 23:48:21 ID:yIYJcwUk
>>154 >アガペーとエロスとを区別するのは、キリスト教的(西洋的)誤り。
誤りだとは思わないし、それはそれで評価はしますけどね...
2世紀以降下手したら中世に確立した教義で間違えなくイエスから
出たものではないし、聖書からも中々読み取れないんだよ。
キリスト教会はそれを悉くイエスから出た様に偽造してるんだw
そこに詰まらない矛盾がワンサカ湧き出てしまう様な気がするw
それと、イエスから出たものと言う偽りで、絶対的なもの・排他的なもの
にしてしまうでしょ...21世紀は多くの人がその偽りを知ってるんだな
それをキリスト教徒だけが偽りではないと信じ込んでるんだよ...
そこにこの問題の滑稽さがある様なきがするw
偽りは偽りで構わないんだな...
疑り部会な人々ですね、足踏みばかり。 おりこうな人は聖書が神の見えざる手で完成された事を自覚し、砕かれ、乾いた土の如く 御言葉を吸収します。 砕かれた者には御言葉が水になり、更に土を溶かします。砕かれるほど保水力が高まります。
162 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/13(水) 07:40:35 ID:UtSRGdyS
>>161 典型的なマイコン患者ですねぇ....
なぜ聖書の言葉が出ナインですか....
何処の御言葉ですか...
>おりこうな人は聖書が神の見えざる手で完成された事を自覚し
完璧に騙されてることを理解してない「おりこうな人」な人
なんですね
163 :
名無しさん@3周年 :2005/07/13(水) 09:05:48 ID:pl67CgO1
おりこうじゃないからここもすきいは161が聖書にもとづいた文だと気がつかナイ
164 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/13(水) 20:04:01 ID:UtSRGdyS
>>161 >>163 はどうせ、冷やかしかおちょくりだろうから
まじめには答えんでいいでしょうね...
一応管理者としてお断りしておきます。
165 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/14(木) 18:17:16 ID:vfdrG8xw
申命記 32 : 10 モーセの歌 主は荒れ野で彼を見いだし 獣のほえる不毛の地でこれを見つけ これを囲い、いたわり ご自分のひとみのように守られた。 主の守り、恵みの聖句はいくつかあり、もっと分りやすいのですが、 この、ひとみのように守られたってところは全然わかりません。 分らなくてもいいところなんでしょうか? よろしくお願いします。
166 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/14(木) 19:13:06 ID:2KKn0b+s
>>165 申命記の32/73あたりから読み出すと分かるかも知れない
特に32/8はキリスト教会では問題にされるところで、
「いと高き神が国々に嗣業の土地を分け」とあります。実は
この「いと高き神」=「至高神」はエルの神の事で(ヤホベ
ではない)、32/9で、「主(ヤホベ)に割り当てられたのはその民」
=「ヤコブの民」=「イスラエル人」の事です。
つまり、至高の神からヤホベにイスラエルが与えられ、ヤホベは
不毛の地でヤコブを見つけ、そこに自分のひとみの様に守りながら
住まわせたと言う事です。
167 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 01:35:58 ID:Rl1IAucl
>>166 そう見えるよね。素直にその通りだと思っているんだけど、
一般的にそういう教え方しないみたい。
ココモッキーがそういう見方しているのは意外だった。
168 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 02:04:55 ID:lELiaqkh
イエスの言葉「不正の富で友を作りなさい」 これってどういう意味だと思いますか?
169 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 06:30:17 ID:Z1k/GDgZ
>>168 まんま。
世の中奇麗事ではありません。
根回しは神の与えた一縷の機会です。
170 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 09:32:47 ID:Rl1IAucl
>>168 不正の富及び正当な富は、祝福の富に替えられるということ。
「祝福の富」と、「正当な富」と「不正の富」の三種類がある。
「世のなか金だ」と思うのはお金に苦心することを知っているから。
お金に苦心することを知らない人は「世のなか金だ」とは思わない。
171 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/15(金) 11:11:49 ID:k2OnVKdu
>>166 ココモ先生
ありがとうございます。
おっしゃるとおり、お説ごもっともと拝聴したいんですけど、
至高者エルは、創世記 14 : 10 にでてくるエルですよね。
わたしは神と解釈しています。
また、 ひとみのように守るというのは、神が呼んでくださった
人を、長く、大切に見守ることだと思いますよ。
172 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/15(金) 12:24:35 ID:k2OnVKdu
>>169 「 まんま 」じゃ身も蓋もありません。煎じ詰めすぎますょ。
身の程をわきまえず、わたしが引き伸ばしますね。
不正な管理人は仕事をなにがなんでも手放したくないという
切羽つまった心境だったのです。
この仕事をキリストに例えると良いと思います。信者は最後まで
あきらめずに、キリストにへばりつくよう、その姿勢を表した部分
だと思いますね。
>>172 たまさんへ
わたしは、聖書の解釈については、何も言えないのだけど、
時々、このスレ、ロムさせて頂きますね。
174 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 21:05:34 ID:+t2c65QM
>箴言 >17:8 賄賂は贈り主にとって美しい宝石。贈ればどこであろうと成功する。 これと 不正な管理人の喩えは 関係が有るのかな? 負債を減免すると言う事は 賄賂と同じ事だからね >ルカ 16:10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。 >ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 >16:11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、 >だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 >16:12 また、他人のものについて忠実でなければ、 >だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか この話が 不正な管理人の喩え に入っているから この喩え話しの 意味が 解らんのだよ。まあこの個所は 後世の加筆だと言う事は 明白なのだが。 如何なる理由で 加筆したのかも知りたいね。
175 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 22:04:10 ID:CMDAYdaI
>>168 >イエスの言葉「不正の富で友を作りなさい」
>大辞林 第二版 (三省堂)
>とみ 【富】<
>〔動詞「富む」の連用形から〕
>(1)集積した財貨。多大な財産。
イエスの時代は 「富」その物が が不正なのです。
なぜかというと当時は 農耕・牧畜しか 生産手段がないのです。
農耕・牧畜で生まれる生産物(財貨)は 毎年だいたい一定なのです。
ある特定の個人・集団に その一定の生産物(財貨)が集中して
金持ちになると 他の個人・集団は とうぜん貧乏になるのです。
つまり ある集団でクリスマスケーキを食べる時に 一人の人に大きな
ケーキが割り当てられると 他の人のケーキは小さくなると言うことです。
だから 大きなケーキを割り当てられた人は 小さなケーキを割り当てられた
人に分けて上げなさい、そうすれば友達(良い関係の人)になるよ とい事です。
ルカの他の個所にある 貧しい人に施しなさい と同じ意味です。
176 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/15(金) 22:38:33 ID:aoNH8nv8
>>175 >イエスの時代は 「富」その物が が不正なのです。
嘘付け...不正かどうかは誰かの価値観だろ...
不正だと思う人たちが、この時代にも現代にもいる
だけの事だよ
>なぜかというと当時は 農耕・牧畜しか 生産手段がないのです。
嘘付け...工業も商業もあるよ...学者もいるし、政治家も
いるし、軍人もいるし、宗教屋もいるよ...
>ある特定の個人・集団に その一定の生産物(財貨)が集中して
>金持ちになると 他の個人・集団は とうぜん貧乏になるのです。
古代ローマ帝国の経済政策を一度で良いから勉強してみてちょ...
177 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/15(金) 22:40:20 ID:k2OnVKdu
178 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/15(金) 22:59:29 ID:aoNH8nv8
>>168 不正な管理人のたとえは、牧師さんを相当悩ませてるそうです。
なぜこのオーナーは不正をした管理人を褒めたのか...
不正をされると、オーナーの利益を損じるわけですから、不正が
発覚すると、普通は責任追及されて損害賠償させらはずでしょ...
16/14を読んでください。ファリサイはこれを不正として
厳しく追及する人たちだったんですね...
ところがイエスは現実の経済取引をみてるんだな...
借金を軽減してくれた借入人は、また新たな顧客になるんだな
もしかしたら、他の人たちにもPRしてくれるかもしれない
管理人は自分の報酬から穴埋めしたんかもしれない。
金貸しも商売なんだな、借りる人間は少しでも金利の安いところ
から借りたいし、時に思わぬボーナス(棒引き)のある所から
かりるんだな。貸すほうは少しでもたくさん金利を取りたいけど
、あまり高いと借りてくれない、それとパンクのリスクもある
イエスはそれを見てるんじゃないかと思うW...
この話は「不正な富」の話じゃないよ...ファリサイの様な
頭の固い連中から見た「不正な管理人」の話ですよ...
179 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 23:00:00 ID:9rRIQV7V
>>176 >嘘付け...工業も商業もあるよ...学者もいるし、政治家も
>いるし、軍人もいるし、宗教屋もいるよ...
まず 学者 政治家 軍人 宗教家 は、物を生産しませんね。
彼らは 消費だけのように思いますが。商業も物を 生産しませんね。
どの様に想像しても 生産手段は農業中心だと思うけど。
工業は たぶん手工業だと思うけど これも1年間の生産物は
ほぼ一定です。
180 :
名無しさん@3周年 :2005/07/15(金) 23:16:13 ID:9rRIQV7V
>申命記 >15:1 七年目ごとに負債を免除しなさい。 >15:2 負債免除のしかたは次のとおりである。 >だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。 >同胞である隣人から取り立ててはならない。 >主が負債の免除の布告をされたからである。 貸し手は 7年目に負債を免除しなければ いけないのです。 だから 7年目が 近づいた返済不可能な負債は 減免したほうが良いのですよ。 だたし 貸し手は その7年目の前に 異邦人にその債権を 売る事が出来たのです。(ヒレルの解釈) ただ その債権を売るときの値段は 安かったでしょう。 だから この話しは 貸し手にとっても 借り手にとっても 良い解決 方法なんですよ。
182 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 00:08:53 ID:UR5S+6qA
>>179 >まず 学者 政治家 軍人 宗教家 は、物を生産しませんね。
>彼らは 消費だけのように思いますが。商業も物を 生産しませんね。
あのねぇ...富の源泉が「物」だけだと思ってるから、こう言う単純な
発想になるの...現実に「富」を造ってるのは、あらゆる経済活動が
富の源泉と言うのが、エジプト文明以降の人間社会です。
183 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 00:11:07 ID:qULDYbeB
175 イエス様は別に、富を得られるということは即ち神様に祝福されたと言う事であった。 マタイ伝に出てくる金持ちがそれを表す。
184 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 00:39:07 ID:UR5S+6qA
>>181 >飢餓に苦しんでる人々は、イスラム教か、そのほか部族信仰を大事にしている。
>最も神の真理に近い宗教であるキリスト教に改宗しない限り、救いはないだろう。
アホな宗教屋の典型的な発言だW
1...飢餓に苦しんでる人々とその人たちとイスラム教や他の部族宗教
との因果関係が統計的は全く曖昧であり、その理論的な因果要素
が全く説明されてない。
2...「最も神の真理に近い宗教であるキリスト教」...これは、全く
裏づけのない、信者のマイコンによる妄想に過ぎない。
真理と言うものが全く説明されてない、キリスト教というものも
全く説明されてない
3...飢餓と神の真理との因果関係が全く説明されてない...
神の真理が分かったら、どうして飢餓から救済されるのか
全く説明されてない...
*こういう発言を見るたびに、キリスト教徒の馬鹿さ加減がわかってしまうん
だW
185 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 01:35:38 ID:UR5S+6qA
宗教の近代化... 宗教の近代化において、イスラムは正直言ってキリスト教に 負けてます。聖書学をかじりだした時に率直にそう思ったんですね... ただイスラムも負けてないですよ、イスラムの国も貧乏な国ばっかり じゃないですし、イスラム法学も進んでます。だいぶ聖書学に刺激を 受けてまして、イスラムの学者もあの聖書学の凄さを高く評価してるんだW。 もう10年位したら、イスラム教徒の多い国家から経済大国が出てくるのでは ないかと思ってます。実はマレーシアなんか非常に期待して良い国 だと思います。 それで近代化したらどうなるかと言うと、今のキリスト教みたいに非キリスト 教の国にわんさかできる馬鹿キリスト教会みたいに、非イスラムの国に にわかイスラム教がわんさかできると思います。 イスラム神学も進むでしょうから、僕はその頃からイスラムを 本格的に研究したいと思ってます。
186 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 02:15:00 ID:0N/+dsRP
アメリカでのイスラム教徒率はどのくらいあるのかな?
187 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 08:33:54 ID:qULDYbeB
ココモはイスラムの歴史捏造を予言しているのか、合理的に「預言者イエス」の教えをイスラム教に導入することを予言、希望しているのだろう。
188 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 10:04:08 ID:JWT82OOg
イスラム哲学から 新約聖書を 解釈すると面白いんだけどね。
189 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/16(土) 10:10:18 ID:wLvvNqT3
>>175 >イエスの時代は 「富」その物が が不正なのです。
どうして、嘘を書いたの?
イエスの時代のユダヤでは、金持ちというのは神から祝福された者と
人々から考えられていたんですよ。
だから、イエスの教え(金持ちが天の国に入るのはらくだが・・・)は、
当時の人々にショックを与えたと聖書に書かれているのです。
これと同様な、ユダヤ人にショックを与えるイエスの教えは他にもあります。
安息日についてもそうだし、「わたしの血を飲め」の教えも同様です。
ユダヤ教では、動物の血は避けねばならないものだからです。
175 さん。お願いですから嘘は書かないでくださいね。
190 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 10:46:33 ID:JWT82OOg
> ヤコブ >5:1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。 >自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。 >5:2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、 >5:3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、 >あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。 >あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。 >5:4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、 >叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。 >5:5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、 >屠られる日に備え、自分の心を太らせ、 >5:6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。 「不正な富」とは 不在地主が得た不労所得 という理解もできるでしょう。 しかし 農耕中心の世界では やはり生産物の量は一定なのですよ。 耕作面積・家畜等は 急激に増やせないからです。 富が特定の個人・集団に集中すると 貧しい人達がでるのです。 バビロン解放直後の時代と イエスの時代の経済状況は違うと思いますよ。
191 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 13:07:35 ID:Z88VU9cL
>>190 >「不正な富」とは 不在地主が得た不労所得 という理解もできるでしょう。
不在地主が得た不労所得が「不正な富」と言うのは、そう言う価値観を
持った人の思い込みです。国や経済の成り立ちを全く理解してない
人の価値観です。
>しかし 農耕中心の世界では やはり生産物の量は一定なのですよ。
>耕作面積・家畜等は 急激に増やせないからです。
農業中心と言うのは、何の中心を示してるんですか?
>富が特定の個人・集団に集中すると 貧しい人達がでるのです。
経済格差の論議と、物の生産をごっちゃに論議してるんだよ
その国(地域)がどういう産業が発達してるかと言う事と
所得格差ができる(いつの時代にも)事をごっちゃにすると
この手の幼稚な発想が出てくるんだと思うよ...
>バビロン解放直後の時代と イエスの時代の経済状況は違うと思いますよ。
バビロン解放直後の経済なんか、全く調べようがないと思うけど
それより、イエスの時代のユダヤの経済とローマ帝国の経済の格差
を論議したほうが、聖書の理解につながると思うけど...
このルカ福音書の「不正な管理人」のイエスの言葉は背景にローマ帝国の
経済の繁栄があるんだよ...
192 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 13:13:33 ID:SYFxXSfL
>>190 >富が特定の個人・集団に集中すると 貧しい人達がでるのです。
皆が貧しかったらどうなるの?
富とは、社会への寄与の別名であることを忘れてはならない。
193 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 13:14:01 ID:Z88VU9cL
>>186 >アメリカでのイスラム教徒率はどのくらいあるのかな?
ごめん、ちょっと調べた事がないんだけど、日本よりは
ずっと比率として多いと思う。
アメリカは人種の坩堝だし、多種多様な思想の坩堝でも
あるので大いに期待したいですね...近代聖書学も
アメリカが中心だね...近代イスラム学も本家の
アラブよりもアメリカに期待したほうがいいかもしれない
194 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 13:39:45 ID:JWT82OOg
>>192 >大辞林 第二版 (三省堂)
>とみ 【富】<
>〔動詞「富む」の連用形から〕
>(1)集積した財貨。多大な財産。
195 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 13:44:47 ID:JWT82OOg
>>191 最近の聖書学は 社会科学・文化人類学的側面からの
研究成果を反映しているのです。
196 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 13:44:50 ID:SYFxXSfL
>>194 金は、働くから貰える、即ち、富はそれだけ社会に貢献したから蓄積できた
のです。但し、「架空の神」を売りつけて金を取れば「詐欺」になる。
197 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/16(土) 14:21:09 ID:MPZBXwm9
>>188 そう そう。とても参考になるね。聖書を読む幅が広がる。
特に旧約とからめると、すごく興味深い。
そのかわり、いうんだよね。ココモッキーは。 馬鹿、幼稚って。
あれって結語なのかしらん。
198 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 15:41:04 ID:drPys2K1
隣人愛が発揮されない富を持っていてもなんの益もない。 真の富は天に築く事が出来る。 また、エステル記のように、そのために用意された富もあるでしょう。
199 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 17:31:24 ID:T/Qg5klr
>>198 エステル記の何処ですか?
マタイ福音書の「天に宝を積む」話は知ってますが...
*富の扱いについて
富を追求する事に関しては、これもユダヤ系の福音書とギリシャ系
の福音書でだいぶ様子が違うんですね...
先の「不正な管理人」の話も、ルカ福音書(ギリシャ)しかないんですね
ヤコブ書(ユダヤ系..多分エルサレム原始教会の思想)1/9−11
でしょ...
*不正とユダ
不正な管理人の論議が出てて、ちょっと気になる文章が浮かびました
使徒1/17−18
ヘブライオンであるリーダのペテロの言葉として
「ユダはわたしたちの仲間での一人であり、同じ任務を割り当てられて
いました。ところでこのユダは不正を働いて得た報酬で土地を買った
のですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け
....」
一方の「不正な管理人」は褒められ、イエスの共同体の「不正な管理人」
ユダは事故か他殺か自殺か分からんけど、多分崖から転落して死んだ
と書かれてますね。それで、この話がエルサレムの人に知れ渡りとあります
ので、それなりに信憑性があるんだな...まだよく分からないですが
「不正な管理人」はユダの事を暗示してるのかもしれませんね...
経済行為のハイリスク・ハイリターン性を指摘してるのかもしれない
200 :
名無しさん@3周年 :2005/07/16(土) 23:03:40 ID:drPys2K1
エステル 4:13 モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った、「あなたは王宮にいるゆえ、 すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。 4:14 あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救が ユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。 あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。
201 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/16(土) 23:41:22 ID:B2ed+wpS
>>200 エステルの話と「富」の関係がよく分からないですが....
エステル記の大まかな内容は、ペルシャのクセルクセス王の時代に
ワシュティ王妃が王に逆らって、王妃の地位を剥奪され、ユダヤ全土
から美人が集められ、その中にモルデカイの養女エステルがいました。
(1−2章)
モルデカイ(多分下層官吏)は大臣ハマンから憎まれて、ハマンは王に
告げ口をします。(3/8−9)これが実にユダヤ人全滅計画(ホロコースト)
なんです。
事前にホロコースト計画を知ったモルデカイは、苦悩の挙句王妃エステル
に、ホロコースト計画の撤回をして貰うように依頼する。ところが、王宮で
はあまりお呼びがかからなくなっていたり、自分の出身(ユダヤ人であること)
を明かす事もあり、躊躇するんですね。
そこで出てきたのが4/13−14です、モルデカイがエステルを説得
してるんですね。できればエステルの返事15−16も読んで下さい。
それで美貌の王妃のエステルの懐柔作戦は成功して、ハマンは失脚
して処刑されます。そしてハマンの代わりにモルデカイが大臣に
任命されます。(このあたりは出来すぎでいかにも嘘っぽい)
それでモルデカイはユダヤ人の迫害に対して、報復する事を
赦す勅旨を発布します。これがアダルの14・15日で
プリム祭と呼ばれる祭りの所以です。
エステルはもしかしたら美人局と言われるのかもしれませんし。
この当時からユダヤ人は、他の民族から時に嫌われる人種だった
のかも知れません。
それで、こういう話と「富」とは、どういう関係があるのでしょう?
202 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 00:14:19 ID:SJT20ySG
>ユダヤ人全滅計画(ホロコースト) なんです。 ホロコーストとは ギリシャ語で全焼の生贄 を意味します。
203 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/17(日) 01:56:52 ID:Rg8BY/7b
ホロコースト... ユダヤ人壊滅作戦はエステル書だけではない...と言うより 殆どの人は20世紀のナチス・ドイツのホロコーストの方でしょ そちらの本を読んでたらエステル書が出てきて、自分なりに エステル書を読んだと言うのが自分を含めて正直な話です。 「戦場のピアニスト」の映画を見てましてね、とりあえずワルシャワに 残す男達を人選して一日働かしてみて、やはり残すに値しない男は うつ伏せになれと命令されて、上から後頭部にズドンでしょ...女子供 役立たずの男は貨物列車に詰め込まれてアウシュビッツだろ... 20世紀にそういう事がなぜ起こったのか未だに理解できないんだよ
204 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/17(日) 07:21:18 ID:9vRKFzXC
ココモ先生 ダニエルさん 名無しの皆さん おはようございます。
205 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 07:28:53 ID:LGXNTrmF
206 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 08:48:13 ID:oECpYHuc
欧州大戦のドイツの敗戦とロカルノ条約など・・・ 共産主義者やユダヤ人のせいで負けた。。。説で・・・ ユダヤ人の血を引くヒトラーの神がかりがソウさせた・・・ 魔女狩りや宗教戦争頃のようなプロイセンの復活を再現したい為の集団発狂??? よくわからんが「ローマ第3帝国」とか 「全権委任」者ソロンのアテネ議会の独裁強国とか なにかイワクほしさにユダヤ人をイケニエで奇跡を起こそうとか。迷信が発生など・・・
207 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 09:05:35 ID:AqPDlb+O
摂理というのは、神様を信じる者に対し備えている恵みの計画。 運命はどこへ行くか分からない盲目的なもの。神の子達には運命ではない目的 をしっかり持った神様の計画である摂理がある。 しかし神様は何でもできる、御自分の計画だからといって勝手に摂理が進むわけではない。 「摂理の構造」 選ばれた人々、選びの恵みによって摂理は実現されていく。選ばれた人の祈りに よって実現していく。 選びと祈りにより地上に、目に見えない永遠の世界にある神様の計画が歴史化されて 見える形になってくる。 これをエステル記に見ることができる。
208 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 09:16:50 ID:AqPDlb+O
エステルへの選びとは神の恵み、恩寵 全知全能の神様に選ばれるということは、生れ付きの性格、能力で選びの資格が でるわけではない。 選ばれるということは神様の全くの恵み、絶対恩寵。選ばれる資格のない人間に 恵みの業を表そうとしてその人をお選びになるという恩寵。 このことをモルデカイは4:14で述べている
209 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/17(日) 12:39:51 ID:FsYI2mnu
>>207 >>208 エステル記と言うのか聖書を全く読んでない事を暴露してしまいました。
エステル記の聖句を引用してながら、エステル記とは全く関係ない
どこかの馬鹿教団の幼稚な教義をご披露してるでしょ....
それがこう言うネットでご披露されると、読者は如何に世の中には
くだらない馬鹿教団があるのか思いしらされるんですよ...
アンタ一度でいいから、エステル記読んでみてちょ...エステル記
は何処かの教団の何の根拠もない御題目とは全く違う事が書かれてる
事が分かりますよ
210 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 13:04:30 ID:AqPDlb+O
富の源泉を
>>182 止まりでしか感じられないココモスキイ。
211 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 13:12:47 ID:AqPDlb+O
>>198 は「与えられた立場」という形の富もあるということ。
212 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 16:37:31 ID:1Obt+E7G
>>199 >ヤコブ書(ユダヤ系..多分エルサレム原始教会の思想)1/9−11でしょ...
>ヤコブ
>1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、
>心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。
>この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
ヤコブ書は 明らかに ユダヤ系ではないぞ。
エルサレム教会が 「魂の救い」 などとい言う
ギリシャ系の思想を 持っていたとは 到底考えられない。
それに 食物規定が出てこない。
ヨブを 預言者 と言っている。
>ヤコブ
>5:10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。
>5:11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。
>あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、
>主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。
>主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです
ヤコブ書の著者は 明らかに ユダヤ神殿勢力と 良好な関係を
持っていた エルサレム教会関係者ではない。
213 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 17:54:47 ID:DUa83USB
金持ちって言うけど・・・日本の1人当たりのGDPは発展途上国に比べて 約50倍だよ。つまり、聖書では日本の存在自体が悪になる。さらに言えば ソ連がアメリカに勝って、世界が共産主義に成れば良いという事になる。 もっと言えば、ニート、無職、フリーターは天国行きになる。 やはり、これではおかしいので、金持ちというのは、文字通りの意味ではな いと思う。
214 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 18:32:18 ID:1Obt+E7G
>>213 ですから 聖書時代の世界の 社会科学・文化人類学的側面
からの研究が 必要なのですよ。
215 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 18:39:51 ID:1Obt+E7G
>経済行為のハイリスク・ハイリターン性を指摘してるのかもしれない 聖書時代の世界観・人間観を 現在のそれと同じだと 誤解するから この様なトンデモない 主張がでるのです。 このような 主張は 聖書は神の言葉であり 時代性・社会性を 超越して普遍的だと考えている いわゆる福音派的な 聖書の読み方と 同じだと思いますよ。
216 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/17(日) 20:29:35 ID:E1DtXfbU
>>212 >ヤコブ書の著者は 明らかに ユダヤ神殿勢力と 良好な関係を
>持っていた エルサレム教会関係者ではない。
エルサレム教会はAD70年頃に実質崩壊して、聖職者達は
地方に散ってるでしょ(信者の多くはペラの町へ逃れたらしいが)
...その中の一人だと思うよ...
この時期には既にユダヤ神殿勢力との関係も実質なくなってるよ
217 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/17(日) 21:19:10 ID:E1DtXfbU
>>215 >聖書時代の世界観・人間観を 現在のそれと同じだと
>誤解するから この様なトンデモない 主張がでるのです。
御貴殿こそイエスの共同体における「不正な管理人」ユダの
説明をしていただきたいんですがね...
それとも、ユダは「不正な管理人」ではなくて、マタイ福音書に
おける裏切り者の「イエスが有罪になったのを聞いて後悔の念」
に陥って首吊り自殺したユダですか?
218 :
名無しさん@3周年 :2005/07/17(日) 21:52:27 ID:2AHbEqw1
>>217 >「不正な管理人」はユダの事を暗示してるのかもしれませんね...
まあ 常識的な理解として 暗示していないと思うよ。
ルカ文書のユダの話しは ルカの持っていた資料がその様に成っていたのでしょう。
ルカは 比較的(マタイに比べて) 資料(伝承)の書き換えは少ないのです。
なお ユダは 死なずに生き続けたいた とする伝承もあります。
>>216 ヤコブ書は 明らかにギリシャ的です。
ヘレニズム的と 言った方が正確かもしれませんが
いずれにしても ユダヤ系では ありません。
219 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 08:50:16 ID:+MHBSsFc
絶対に選ばれたという恵みの確信で、信仰と祈りをもって立つ時に、歴史の上に 見えざる神の計画を結実させて神の栄光を表すことができる。 この選びと信仰と祈りが、メシアの資質の内を表し、それに連なる者のあり方を 示す。エステル記は500年後のイエスキリストを予表していたのだ。 全人類が罪の為にサタンによって永遠の滅亡に行くように定められているのが聖書に おける人間の姿。 その人類が神の愛の対象になっていながら滅んでいく時に、神様は御子イエス キリストを使わした。イエスキリストは、モルデカイの心を知ったエステルのように、 父なる神様は全ての人が救われて永遠の命を持つことを願っておられることを 誰よりも深く知って、人類の為に救いの為にはどんなこともしようと、 「死ななければならないのであれば死にます」(エステル4:16)と言って死なないで 済んだのではなく、全人類の罪を引き受けて十字架の上で代価を払い死人の内から 甦られた。
神様の計画、目に見えない神の摂理を、選ばれたキリストが生涯を通じて祈りぬいた という最後の祈りの結晶がゲッセマネであり十字架であった。 エステルの生涯は五百年後に単なるユダヤ人を救おうというのではなく、 滅び行く全人類を救うことの為にお生まれくださるメシアであるイエスキリストを指して いたことを見ることができる。 「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、 神をあらわしたのである。」(ヨハネ1:18) 私たちの生涯には十字架があり、十字架には必ず復活が伴っていることを知り、 どんな中でも選ばれた私たちが神の選びを確証し、祈りをもって神様の計画に参加 していく時に、神の摂理は今日も私たちを通じて表されていくでしょう。 エステル記はこういう意味なんだ。受け売り99%ですけどね。
221 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/18(月) 11:44:56 ID:GmuHxKLw
>>219 >>220 要するにエステル記は全く読まずに、その中の数行を拾って
イエス・キリストの余表だという...イザヤ書も全く読まずに
イザヤ書から数行を拾ってイエス・キリストの四票だと言う
傍から見たら大笑い物のクリスチャンの実態だよ、わはははははは
それがそのままクリスチャンとはそういうものだと評価されてるんだよ
もしかしたら貴殿はエステルが男だと思っていませんでした、下手したら
そう思ってるクリスチャンがいるんじゃないですか...
222 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/18(月) 12:01:03 ID:GmuHxKLw
>>219 >>220 あのね...現代は旧約聖書の解説本もいっぱいあるんだよね
それで、向学心のある人は旧約聖書も読んでるんだな...
Webにもいくつもあるんだな...旧約聖書を理解してる
人がそこそこいる時代なんだよね...
そういう時代に、クリスチャンだけが数行拾ってイエス・キリスト
のよひょうだと言ってるんですよ....
いつまでもそんな事だとクリスチャンは馬鹿にされますよ、なんで
まじめに旧約聖書読まないんですか?
223 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 12:45:13 ID:oQiPJQrh
烈火のごとくココモがお怒りだ。 信仰に立って聖書を読むことを、毒舌を交え必死に全否定するココモ。 史書を超える読み方で聖書を読めることがキリスト信仰の大きな一つであり、重要な救いの要素。 学術的な議論のみしたいのであれば学術板ですればいいでしょ。
224 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 13:07:39 ID:oQiPJQrh
救いの理論に矛盾が無いから、ココモはこのように切れるしかないわけ。
226 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 17:23:22 ID:7WNqYf/q
>>222 だから イスラム哲学から旧約を読むと面白いんだよ。
旧約の各文書は ユダヤ教の文書なのよ。
その宗教的文書を 物語(歴史書)として読むから 変になるんだよ。
227 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 17:34:45 ID:7WNqYf/q
旧約聖書から キリストの予表とか言う個所を 見つけだす と言うことは ユダヤ教の人達を 排除する事になる ことを知るべきですよ。 新約に書かれている 個所以外は 予表とか言う物を 旧約から 読みこむべきではないですよ。 キリスト教の予表という考え方は ユダヤ教は 旧約聖書内のキリストの予表を 理解できない 間違った 教えだ という物なんでしょ。
228 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 18:10:00 ID:oQiPJQrh
イエスキリストはイスラエルの民を救いに来た。ユダヤを排除するためではないよ。
229 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 18:17:56 ID:oQiPJQrh
ユダヤ人はイエス様以外のまだ見ぬキリストを期待している。 イメージとしては、預言された再臨のイエスキリストの姿と重なるのではないだろうか。
230 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/18(月) 18:28:53 ID:ksxNbIac
何処かの馬鹿はエステルが神から選ばれたと言ってるでしょ... ペルシャの王宮から側室に選ばれただけなんだけどねぇ エステルはユダヤの民を救ったと言ってる、救った事は確かだけ どね、色仕掛けと女の涙で王様の意思を変えたと言う事だよ ハマンから変な民だと告げ口されたら、その民を殲滅しろと 命令し、エステルから色仕掛けに訴えられたら、その民を 滅ぼさずにハマンを処刑する。そんな無節操な王様がペルシャ を統治できるわけないだろ...この物語は、あまり教養の ない人が描いたシナリオだよ...
231 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 18:46:03 ID:7WNqYf/q
>>229 よいですか
ユダヤ人が待ち望んでいるメシアを キリスト教的考えで
ユダヤ人に押し付ける べきではないですよ。
たとえば 今のイスラエル国にしてもそうですよ。
ユダヤ教の超正統派的な サトマ−ル派ハシディ−ムは
「メシアのもとに建国され 「真の」トーラによって統治される国
のみが 預言の成就たりえるにであり 現在のイスラエル国は
その様な条件を満たしていない」
と 現在のイスラエル国を 認めていないのですよ。
それを 一部のキリスト教徒が 現在のイスラエル国を
新約の預言の成就だ と騒いでいるのは いかがな物かと思いますよ。
232 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 20:12:19 ID:oQiPJQrh
押し付けてないし。 タイトルの聖書は新約聖書を交えていることは確かな事実。
233 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 20:21:17 ID:oQiPJQrh
エステルは選びを自覚してプリムを定めた。
234 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 21:08:10 ID:LuFPLr/m
まあ エステル記から キリストの予表を強引に読みこもうとすれば 柱に掛けられて死んだ ハマン だろうね。 ハマンが 柱に掛けられて死んだ事が ユダヤ人の救いに繋がった のだから。 だから 旧約からキリスト教徒が強引に キリストの予表を 読みこむと 変な事に成るから よしたほうが良いですよ。
235 :
名無しさん@3周年 :2005/07/18(月) 21:44:48 ID:oQiPJQrh
↑ただの独自かつ強引かつ誘導的な解釈だ。 ハマンの十字架は、ハマンが神の民に挑んだ罪による。
236 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/18(月) 23:31:38 ID:ksxNbIac
>>235 >ハマンの十字架は、ハマンが神の民に挑んだ罪による。
イエスの十字架は、イエスが「自分は神の子だ」・「自分は
ユダヤの王だ」と言う非常識極まりない事を言いふらして
ユダヤの民を混乱させていたからだよ...
237 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 00:24:14 ID:GA7BldsU
↑現代において無実の罪をきせるココモ。 聖書読みの聖書知らず。
238 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 01:25:28 ID:tZr5pBrD
>>237 >現代において無実の罪をきせるココモ。
当時のほうが、死刑に値する大罪。現代では、精神病院即入院程度。
239 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 08:35:25 ID:BMIme2Vz
↑は聖書知らず
240 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 09:27:26 ID:BMIme2Vz
>>230 エステル記から富を見出す者と、
エステル記には見るべきものがないとゴミにしてしまう者。
ココモスキーはエステル記をゴミにしてしまう者。
241 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 12:09:32 ID:2eodNTn5
元クリスチャンの人妻みかるのblogです。 blog.livedoor.jp/mikaru_heart/ 不倫をきっかけにクリスチャンも辞めたそうで(笑)、さんざんキリスト教への悪態をついてます。 サタンの罠にまんまとはまって頑なになっている彼女に、みなさんのご意見を コメントしてあげて下さい。
242 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 20:01:05 ID:5pDtange
エステル記の「アガグ人ハメダタの子ハマン」 とは サムエル15.8-9 以下に出てくる 「アマレクの王アガグ」 の事かね? それとも 民数記24.7 に出てくる 「彼らの王はアガグよりも栄え」 のことですかね。 この二つは同じ集団 の事を指しているんだろうね。 まあ いずれにしても ユダヤ人とは中が悪いのだね。 それと 当時の美人は 外見だけではないのですね、 「12ヶ月の美容の期間」(2.12)と 有るから 有る程度の 立ち振る舞い 礼儀作法等 の教育があったのでしょうね。 ある程度の教養も必要だった のかもしれない。
243 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 21:08:58 ID:5pDtange
サムエル下(1.1以下)によると サウルを 殺したのが イスラエルの陣営に居た 「アマレクの者」 なんだね。 そして そのイスラエルの 陣営に居た「アマレクの者」 を ダビデが 殺すのですね。ややこしいね。 アマレク人とユダヤ人の関係を調べると 面白いかもしれない。
244 :
213 :2005/07/19(火) 21:51:03 ID:lr4t26To
聖書ではないが、コーランの解読をした。聖戦で殉教した者は天国に行ける という記述は、文字通りの意味ではなく、神を信じて、人間に対する悪魔の 誘惑と戦い続け、臨終を迎えた者は天国に行くという意味で、つまり罪を犯 すなという意味だと。表面的な意味しか理解できない者は本当に戦争する。
245 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/19(火) 22:36:55 ID:rcfTOebO
>>244 その悪魔と言うのが、いろいろなところでいろんな表現で言われてる
んですね...外的な悪魔ではなく、人の内面的な悪魔ですW
パウロも似た様な事を言ってるし、マルコ福音書にもある...
それを「聖戦」を唱えてる連中は、外的悪魔と錯覚してるW
レベルの低いキリスト教徒も言うでしょ、「悪魔サタンから
身を守る為に」って、あたかもサタンが外の世界にあるが如く
思ってるでしょ、本当は身のうちが悪魔の巣窟なんですがね...
どちらも
246 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/19(火) 22:50:32 ID:1Ekqp4vJ
>>245 >レベルの低いキリスト教徒も言うでしょ、「悪魔サタンから
>身を守る為に」って、あたかもサタンが外の世界にあるが如く
>思ってるでしょ、本当は身のうちが悪魔の巣窟なんですがね...
>どちらも
全面的に賛成です。
247 :
名無しさん@3周年 :2005/07/19(火) 23:53:36 ID:GA7BldsU
サタンはパーソナリティを持って実在する! 生き物の身体の内に外に自在に移動する。
248 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/20(水) 00:00:31 ID:n1mxaGmB
「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よあなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりに なるように。」その時、娘の病気はいやされた。 マタイ15-27;28 聖句の意味もよく分らないのですが、犬のことも分りません どこの箇所か忘れましたが、よく書いていないような。 そんな犬がペットとして、可愛がられていたんでしょうか? 夜も更けてきましたので明日以降にでも、よろしくお願いします。
249 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/20(水) 00:17:21 ID:0tx0JvqE
>>248 それは、異邦人(犬)は、ユダヤ人(主人)の食べ残しのパン(恵み)を
食べる、という信仰のことですよ。
今は、イエスを受け入れるべきユダヤ人が、かえってイエスというパンを
食べ残しているので、犬であるわたしたちが恵みに預かっています。
このことを受け入れてください。
250 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/20(水) 00:20:33 ID:0tx0JvqE
異邦人であるわたしたちは、この異邦人の女のように、 謙遜な態度で、恵みを受け入れるべきです。 わたしたちに恵みが及んだのは、ユダヤ人が神によって 不従順にされているからです。 実に、ユダヤ人の大きな犠牲の上に、わたしたちへ御国の福音が 伝えられていることをわきまえたいものです。
251 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/20(水) 00:54:17 ID:7SH2nxAX
>>240 >エステル記から富を見出す者と、
本当は何処かの教会がでっち上げたバッタ物の富を
神から与えられた富と教えられ、それを真に受けてる
信者達をキリスト教徒と言うんですか...何回も
言いますが、エステルは神から選ばれた聖なるものでは
なく、ペルシャの王宮から美貌がゆえに選ばれた側室なんですよ
それがエステルにとって富と言えるだけ価値があるかどうかは
全く不明です。そんな論議はあなた方の教会では無意味でしょうね
あなたの教会は多分本部から配布されたシナリオに「神から選ばれ
る事の富」としてエステルの話があれば、それがあなたを含めて
信者の教義になるんですね...全く違う事をいえば、それは
悪魔サタンになるだけでしょ...僕はそんな馬鹿教会をたくさん
見てますので...伝説上の美人エステルも何処かの教会へいくと
全知全能の神ヤホベから選ばれた聖人になるプロセスはよく分かりました
>エステル記には見るべきものがないとゴミにしてしまう者。
ゴミにしてしまってるのは、この手の教会だと思います。くだらない
教会のあらたな冊子のテーマに使われてるだけですので...
252 :
名無しさん@3周年 :2005/07/20(水) 00:58:39 ID:RisdPsjp
アマレク人というのは創世記のエサウの子孫であり、ユダ、イスラエルとは兄弟の ようなもの。 エサウ的性質と例えられる民族性を聖書に見ることができ、ユダイスラエルを苦しめ 神様の怒りを買った。今の中東アラブの人々がその末裔。
253 :
名無しさん@3周年 :2005/07/20(水) 01:02:54 ID:RisdPsjp
>>251 勘違い甚だしい。「神様に選ばれたから聖なるもの」って勝手に思い込まないように。
254 :
名無しさん@3周年 :2005/07/20(水) 01:13:00 ID:RisdPsjp
エステルにとって富といえるか全く不明 どう読んでそうなるのか・・・ 父の言を信じて祈り、滅亡から救われたというすごい出来事なんだけど。 ココモ説で有用な理解ができるのですか?聖書の一文をゴミのように言う >230のココモさんが?
255 :
名無しさん@3周年 :2005/07/20(水) 09:01:11 ID:RisdPsjp
>>250 ユダヤ人が滅び行く人類の中から選ばれ、救いに至る道をさまよいながら
キリストへの道標を残していってくれた。
何の試練もなくキリストの恩恵に預かれるのは、先に選ばれた民のおかげ。
この論理をユダヤの人が犠牲と感じる内は和解は難しいのが現実。
犠牲という表現が妥当かどうか微妙なんだけど、神様を信じるユダヤ人には
尊敬の念がある。正しく律法を守るユダヤ人は神の子。
256 :
名無しさん@3周年 :2005/07/20(水) 09:51:38 ID:jc6I921w
ユダヤ人は自分にも他人にも厳しいよね かたやキリシタンは自分にも他人にも甘いよね いや、自分に甘いだけかな でも正反対だ
クリスチャン=不良、アナーキー
258 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/20(水) 22:18:14 ID:7SH2nxAX
>>254 >エステルにとって富といえるか全く不明
>どう読んでそうなるのか・・・
>父の言を信じて祈り、滅亡から救われたというすごい出来事なんだけど。
凄い出来事と「神から選ばれた富」とは全く話が合わないと思いますが
選ばれたのが、神から選ばれたのではなく、ペルシャの王宮から
側室として選ばれただけです。選ばれた事そのものは、それが
エステルにとって光栄な事なのか、迷惑なことなのかが分からない
と言う事で、史実ならばその後結果としてなされた大変な功績とも
全く関係ない事です。(側室になる時に大変な任務を背負い込む
とは考えていない)
それとその後に、その側室として選ばれた女性を頼って王様を
色気と涙で懐柔する様に頼んだモルデカイがいるんです。
そんなか弱い女性に、民族の運命を託す(そうしかできなかったの
かも知れませんが)としたら、民族の運命はそんな危うい事なのか
疑問です。
もし史実ならこの女性のしたたかさは評価しますが、作り話だったら
(多分全体のシナリオは作り話)このシナリオは茶番劇です。
>ココモ説で有用な理解ができるのですか?聖書の一文をゴミのように言う
僕は説として言ってるのではなく、これも何十回も言ってることですが
例えばエステル書ならその書物のシナリオを概略理解した上で、クリスチャン
が行ってるトンチンカンを説明してるだけです。
最近のクリスチャンは自説が馬鹿にされると、「聖書の一文をゴミのように言う」
と批判するんですね、誰もゴミの様に扱った覚えはないんですがね
(昔はサタンの側の説明だと言ってたんですが、サスガに馬鹿丸出しの言葉
だと気が付いたんですか?)
259 :
名無しさん@3周年 :2005/07/20(水) 23:41:09 ID:6Kgqnxa7
ココモは個々の巻のみに焦点を当てて史的に読むが、それが聖書全体で何を意味するのかを説明できない。 信仰的な理解は新旧約の体系的な理解、救いの論理の統合性にあり、聖書全体を通して考察するものなので、個々の巻による分析は論じる対象にならない。 ココモは一方的に馬鹿馬鹿言っているに過ぎない。 ココモの自己中心の悪い言動は荒しと言える。
260 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/20(水) 23:48:40 ID:6ZLmHSck
>>250 ダニエルさん
ありがとうございました
聖霊という助け主をいただいて、静かに、聖書の示されている、
イエス キリストを、見るようにすることは 謙遜の修養になりますね。
そのように聖書を読めるようにしたいと願っています。
261 :
名無しさん@3周年 :2005/07/21(木) 00:44:16 ID:llU9nidK
ココモの馬鹿荒しに対してなら、あしらう意味でサタン引用も相当か。 大人気なくはある。
262 :
名無しさん@3周年 :2005/07/21(木) 01:31:23 ID:fpyg2SpY
ココモの主張>258に対する意見 @結果と選びの富とは全く話が合わない。 エステルが選びを自認しているのでプリムを定めた。 A「ゴミのように言う」は相当しない。 聖書は現実に、会議で選ばれた体系的にも正しい聖典。 「茶番」と言うのならば、その物語の意図するところを見るべきでしょう。 ココモスキ論は、意味(価値)を見出さずゴミにしているに過ぎない。 Bサタン側の説明 信仰に立たない理解は聖書にある救いを否定する。サタンに相当。 単にココモスキを「サタン」と罵ることは、ココモスキが「馬鹿」と言うことと同じで 「馬鹿丸出し」なことは既にココモスキから学んでいます。
263 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/21(木) 18:25:27 ID:XAX9YcTq
>>262 >エステルが選びを自認しているのでプリムを定めた。
プリム祭はシナゴークでこのエステル記が読まれるだけで、子供だけ
でなく大人も仮装をして、ドンチャン騒ぎをするプリム祭には、宗教性
が欠如してます。これは、元々プリム祭は異教の祭で、捕囚ユダヤ人の
ペルシャの新年祭へのユダヤ的適応であったらしい。
バビロニアでは、新年祭にプル、籤をひいて吉凶を占う習慣があった。
エステル記は、この明らかにバビロニアあるいはペルシャ起源のプリム祭
をユダヤ古来の祭りとして正当化する目的で書かれたという説がある
(聖書大事典190頁、教文館)。
エステル記8/11...
ユダヤ人を迫害する者を復習して良いと言う事で七万五千人殺した
と書かれてるが、いくらエステルやモルデカイがペルシャの王様
の信任を得ていたとしても非常識、その後ユダヤ人が再復讐を
受けるのは必死(報復が報復を呼ぶのは今も昔も変わらないだろ)、
ユダヤ人はシラ書13/9−13の様に慎重に生きてたハズです。
264 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/21(木) 18:26:59 ID:XAX9YcTq
>>262 >聖書は現実に、会議で選ばれた体系的にも正しい聖典。
体系というからには体系図が描けると思いますが、ご説明いただけますか?
会議はいくつもありますが、どの会議をしめしてるのでしょうか?
会議で決められる事と体系が出来る事とは全く関係ないと思います。
またその会議の目的、背景、会議体のメンバーなどを考慮しないと
それがそのまま聖書の権威を示す論拠は全くありません。
聖書をおおよそ今の形にまとめた会議について言えば、
旧約聖書...ヤムニ会議(AD90年頃)
AD70年のイスラエル戦争で実質ユダヤ教会は崩壊し、エルサレム
を追われた有力なユダヤ教会聖職者達がヤムニに集まり、ユダヤ教の
再出発(再生)を発起した会議。聖書について言えば、それまで
ひとつにまとめる概念がなかったが、数多くの巻物・外典・儀典
(今で言えば)が出回り、整理の意味を込めてまとめたもの。
新約聖書...カルタゴ会議(AD397年)
キリスト教会は2−3世紀頃にグノーシスをはじめとする異端
(キリスト教会から見て)が多く現れ、巻物についても数多くの
外典が出回り(イエスにまつわる巻物だけで20位発見されてる)
グノーシスとの確執がほとぼりを醒めた頃に、聖典とすべき(
キリスト教会にとって)物を整理したと考えられます。
いずれにしても、聖書の権威を裏付ける事とは全然関係ない
それぞれの教会の教義に基づいたもの(反しないもの)を
選んだだけです。
265 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/21(木) 21:30:46 ID:XAX9YcTq
>>264 の続き...
何処かの教会は「神の計画」などと言う何の根拠もない造語を
造ってますが、計画と言うからには、Q・C・D・Sをプロダクト
する計画のはずです。私はそんな計画書を見たことがありません
聖書にも何処にもそんな計画書はありません。
ここに大雑把な物で良いですから、神様のプロジェクト計画書を示して
てください。
266 :
名無しさん@3周年 :2005/07/21(木) 21:52:57 ID:yLSXHMP4
「全知全能の神」は誤解だよ。
全知で全能はあり得ないんだよ。
全能でありば 知ろうとしない 事もありえる。
神は顔をそむける こともできる。
>>265 神の計画 と言う考え方は 聖書に出てくるんだよ
しかし その神の計画は 人のしでかす不始末で
変更になるんだよ。
エデンからの追放が その一例よ。
267 :
名無しさん@3周年 :2005/07/21(木) 22:07:06 ID:yLSXHMP4
>創世 >32:28 (32:29)その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、 >これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 イスラエルは 神と闘うのです。 人が聖書と闘う事は 良い事だと思うぞ。
268 :
名無しさん@3周年 :2005/07/21(木) 22:12:43 ID:yLSXHMP4
>>267 >イスラエルは 神と闘うのです。
正確には
イスラエルは 人と神の間に入って闘う ってことかな
神に対しては 人の思い を代弁をして
人に対しては 神の思い をかたる。
まあ大変なことだ。
269 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/21(木) 23:45:36 ID:XAX9YcTq
>>267 >>268 イスラエル = イ(人)・サラハ(戦う)・エル(神)
エルがどう言う形で入ってるのかよく分からない...
エゼキエル = 神は強める
ダニエル = 神は裁く
だから、
イスラエル = 神は戦う じゃないのか...
固有名詞だからなぁ...それに何かの意味があると言っても
それを元にアーセイ・コーセイって言ってたら、また個人の主張
になってしまうよ...
日ノ本...太陽に出ずる国...戦前はこれを元に日本は
神国(神の国)って言ってた様な気がするW...
270 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/22(金) 00:01:48 ID:C8WOeNhe
>>269 の続き
申命記32/8−9のモーセの歌に、ヤコブの嗣業の事が歌われてる
でしょ...至高の神から与えられたと書かれてるでしょ...
イサラハエルは、ヤコブの嗣業(イスラエル)の守り神として
他の神々と戦うと言う意味じゃないかと思うけど...間違ってる
かも知れない...
271 :
名無しさん@3周年 :2005/07/22(金) 00:16:02 ID:+/lfoxeu
「神概念は、古代人が、原因の不可知な種々の自然現象を、便宜上『神々』と 呼んだことから発生した。それらは、崇拝の対象よりも、むしろ嫌悪すべき、 闘うべき対象であるものが多かった。」(趣旨)(ヒューム)
272 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 05:22:47 ID:anCju/hQ
【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ3【議論】 872 :名無しさん@3周年:2005/06/29(水) 00:11:28 ID:wglCB2PN >127 >871 つづき 学問にはルールがあります。原典を書き換え改ざんも捏造もしてはイケナイ事です。 韓国・朝鮮・在日は平気で改ざんや捏造を働きます。 日本でも同じ連中は居ます。 東日流[外]三郡史?(つがるソトさんぐんシ)の和田キハチロウなる人物と その一派の古文書捏造者たちです。つじつまが合わなくなると 辻褄を合わせた言い訳資料の古文書がドンドン発見されていくのです。 彼らは最後にいうのです。 ツガルをバカにするな。郷土を差別した奴の言う事など聞けない。 古文書が何事も語っているのだ。 韓国人や在日の言い訳を聞いているようです。 >860 ギリシアの思想が入っています。旧約には第三の天などいう概念はありません。 Uコリント12章 1 無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。 私は主の幻と啓示のことを話しましょう。 2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に―― 肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか 、それも知りません。神はご存じです。――第三の天にまで引き上げられました。 3 私はこの人が、――それが肉体のままであったか 、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。―― 4 パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない 、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。 5 このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については 、自分の弱さ以外には誇りません。
273 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 05:24:48 ID:anCju/hQ
韓国人の7割以上が人格障害
japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003021117138
研究チームは、今回の調査で、12種類に分けて人格障害の有無を測定した結果、
1種類以上の人格障害があると疑われる人が71.2%に達した、と発表した。
この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11〜18%に比べて、2.5〜4倍に達する。
研究チームによると、人格障害は自分の性格に問題があることに気づきにくく、
家庭や社会生活、対人関係に支障があり、周りの人々を苦しめるという特徴がある。
また、自分の問題を他人や社会のせいにし、極端な反応を示す。
----------------------------------------------------------------------
如何なる名乗りであらうと、朝鮮人は大暴れしました はっきり申しますが
高齢の邦人女性が朝鮮人と結婚したのは
全て強姦されたものと思って先づ間違ひ無く だから誰もなれそめなどに触れません
最も大々的に行はれた犯罪行為は、空襲で焼け野が原になった空地の不法占拠です
余りにも頻發するので、わざわざ刑法改正して「不動産侵奪罪」を新設したくらいです
現在駅前一等地で朝鮮人が営業してるパチンコ屋、焼肉屋は斯る來歴のものです
終戦後の第三國人どもは本當に酷かった軍の兵器を盗んで來たらしく
三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し 小銃には着剣して
強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗 時には殺人まで、経済犯、實力犯を中心に
あらゆる悪事を重ねてゐた
土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く
殊には、空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪された
今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐるのは
皆、あの時奪った罹災者の土地だ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=history&key=1119060431&st=301&to=302 http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1120924651/330-378
274 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 05:40:44 ID:anCju/hQ
創世記(カナン・パレスチナの創造神話・・・アダム(人類の発祥・・・)ノア(洪水物語・・・)) アブラハム(ヘブライ人の族長・その名は「多くの父・高き父・愛される父」 __↑____親戚ロトにまつわる話・ソドム−ゴモラの滅亡・・・ __↑____エルサレムの祭司メルキゼデクのパンとブドウ酒・10分の1・・・) イサク(その名は「笑い」) __↑ ヤコブ(別名:天使に勝てる者・イエスラエル) __↓ ヨセフ(入エジプト・エジプト宰相・・・) モーセ(出エジプト・モーセ五書[レビ・アロン祭司と十戒の・・・]) ヨシュア記(師士はモーセの後継者)ヤショルの書 師士記(対ペリシテ・パレスチナ)__↓ ルツ記−−−−サムエル記−−−ヤショルの書 人間としての_メシアとしての_??? ダビデの出生_ダビデの即位__??? __↓ ダビデ王(古代ヘブライ統一王国の成立)(詩篇) ソロモン王(ダビデの子孫・シバの女王)(箴言・伝道の書) 列王・歴代誌(預言者エリヤ・エレミヤ・イザヤ・・) バビロン捕囚(哀歌・ダニエル(バビロン宰相・・・)) バビロンから帰還(エズラ&ネヘミヤ(ペルシアが任命した州知事&書記)・エステル(ペルシア王妃)) __↓ 死海写本・・・ __↓ 新約聖書・パウロの手紙(教会の兄弟・長老などへの指示・諭し・・・) 新約聖書・福音書(イエスの記録)−使徒の手紙(12弟子・主の兄弟の) 新約聖書・黙示録
275 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 06:10:02 ID:LERY2jLC
@神・創造主 アダム(A人間の原罪) アブラハム(F神の約束による神の恵み・G信仰の父) モーセ(E十戒)→サムエル→エリヤ(D預言者) Bヨシュア____ダビデ(Cメシア) ↓________↓ イエス・キリスト[ギリシア語]→ヨシュア・メシア[ヘブライ語] (@神の子・D預言者・F神の約束による神の恵み・A人間の贖罪・E愛の戒・G信仰の父) ---------------------------------------------------- お釈迦の 弟子が死後に言い伝え(口伝[くでん])を「結集」し 後世に「お経」を書き残した。 天台チギ大師の 弟子が、「マカ止観」を書き残した。 ソクラテスの言葉を 弟子のプラトンが「ソクラテスの弁明」「クリトーン」のように書き残した。 キリストの言葉を 弟子のペテロの書記マルコがペテロの死後に「マルコ福音書」に書き残し 弟子のペテロに会った使徒パウロが生前に「パウロ書簡」に書き残し 使徒パウロの書記ルカが生前に「ルカ福音書」「使徒言行録」に書き残し 書記ルカと面識のあった長老ヨハネがルカの死後に「ヨハネ文書」に書き残した。 教祖自身とか、神自身が書くとか、あまり過去事例に聞かないが・・・ -------------------------------------------------------------- >バガヴァンBhagavan(世尊) 同p40 バガヴァッド(神の)・ギータ(歌) バカボン・バカボンド(日本訛りの真言宗でいう仏・釈迦(世尊[世に尊い人])・インドの神)
276 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 06:31:47 ID:PF721NGU
>>263 聖書大事典190項の明らかな仮説ですか。
○7万5千人の殺害
ただの迫害ではなく、滅亡へ至る迫害。
知識のあるペルシャの人はユダヤ人が、滅亡から勝ち残ったことの伝説を知っていた。
ペルシャの王はユダの神に恵まれた事を自覚して捕囚からの解放をさせていた。
王は大きな絶対君主で反古も意のままなことが読み取れる。
「目には目を」からも非常識な数字ではない。
>>264 体系図
それを教えるために学んでいるわけではないので、ハッキリしたものは言えないが、
それに合わせてココモスキが体系的にどこで躓いているのかを探っていたけども、
どうやら、道そのものが斜め上もしくは真逆、つまり基礎的な所から違っていることが
最近解ってきた。
会議
ヤムニア会議のこだけど。言いたいことは、「現実」的においても有意義な編纂されて
いるということ。
ココモシキは茶番とするのか、無価値なゴミとするのか、聖書全体を無価値としたいのか。
それを問うた。
>>265 散々批判していて何を今更ですが?信じる者には計画が現実のものになっているのだ。
エステル記は、来たるべきキリストを指差すストーリー。
277 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 10:52:59 ID:1gxkbH/3
>創世 >1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。 >そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 >2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、 >人がそこを耕し、守るようにされた。 >ヨハネ福 >9:3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、 >両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 全ての人は 何らかの目的・使命を 神から与えられているのです。
278 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 11:29:49 ID:y+IIbQAW
この世の全てを越える絶対者ヘの認知と服従。 人は自分が小さい者であることを自認しると、正しい者を求めるようになる。 聖書は打ち砕かれた者の光。
279 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/23(土) 14:00:04 ID:avLRqX64
>>276 >聖書大事典190項の明らかな仮説ですか。
聖書大事典は一応有力な説にもとずいて書かれてますが、部分的には
違うかもしれないと思われるところもあります。明らかかどうかは
さらに資料検討が必要ですが...
貴殿が求めてるのはそんな事じゃないと思います。貴殿が描いていた
ものと全然違うために、納得できなくて「明らか」(学説にはこういう言葉
を使わない)かどうか尋ねてるんだと思います。それは根底から
マイコンを解いていただいて、貴殿が思い描いてる事が誰かの妄想である
事を認識してから、この聖書大事典を読んでいただかないと
イカンと思います。
できなくて
>ただの迫害ではなく、滅亡へ至る迫害。
イスラエルを統治してるペルシャの王様にとっては、ユダヤ人も
その他の民族も統治民です。その中で7万5千人もの殺人事件が
あったら、大国ペルシャは威信を失います。そんな事件が起こる
前に他の民族からの要請でペルシャの正規軍が出動して治安維持する
でしょうし、もしそんな事件がおこったら、ペルシャがユダヤ人の
ホロコーストをしてたと思います(ユダヤ人は気が狂ったのかと思った
でしょう)。これは明らかにユダヤ人のあまり教養のない人が
思い描いた妄想だよ...多分BC2世紀頃のアンティオコス王朝
の抑圧統治の頃のハシディームが思い描いたんじゃないだろか...
>ヤムニア会議のこだけど。言いたいことは、「現実」的においても有意義な編纂されて
>いるということ。
現実的とはどういう意味ですか?...もっと具体的に書いていただけませんか
>それを教えるために学んでいるわけではないので、ハッキリしたものは
>言えないが、
もともとそんなものないんだよ...その時その時の思いつきの教義だ
と言う事だよ
280 :
名無しさん@3周年 :2005/07/23(土) 17:02:07 ID:PEXOs8OI
とりあえず体系的に学ぶための教材があるよ。 携帯の液晶が壊れちた。
281 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/23(土) 22:57:48 ID:avLRqX64
>>278 >この世の全てを越える絶対者ヘの認知と服従。
典型的な馬鹿教会の標語だW....わはははははは
その絶対者が何であるか?認知するとはどういう事か?
服従するとはどう言う事なのか?
一つ一つの言葉は慎重に考えないとまともな話は出来ない
と思いますがね...馬鹿教会はそんな論議は全くしないで
これを標語として信者に叩き込むんだよ...だんだんだん
マインドコントロールされていくんだよ...それで馬鹿教会の
教義以外は全部異端に見えてくるんだよ...
「この世の全てを越える絶対者」...それが何でこの世に存在
するんですか?...絶対者って何ですか?...この世の全てを
超えるとはどの様な事ですか?...超えると言うからには
何かの尺度が必要だと思いますが、どう言う尺度ですか?
こんな言葉聖書にありました?...旧約も新約もこんな馬鹿な
言葉は使ってないと思いますよ...
>人は自分が小さい者であることを自認しると、正しい者
>を求めるようになる。
そのままそっくりこの言葉を熨斗をつけてお返しします。
「人は自分の行ってる教会が馬鹿教会である事を知ると、いろいろ
分かってきますし、聖書もよく理解できるようになります」
>聖書は打ち砕かれた者の光。
あなたは既にぼろぼろに打ち砕かれたと思ってるんですか?
それなら賢明ですが....わはははははは
282 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/24(日) 18:52:44 ID:4K4530wl
>>281 ココモ先生
> あなたは既にぼろぼろに打ち砕かれたと思ってるんですか?
> それなら賢明ですが....わはははははは
ココモ先生って、牧師が話すようなこと時々言うのよね。
わたしの知っている牧師は、当時のユダヤの人の状況から( イエスの否定 )
始まり、最後は救い主イエスへと展開していった。 だからわたしも今は、
ココモッキーの解釈を糸口として丁寧に聖書読んでいますよ。
私たちは、本当に打ち砕かれたのでしょうか
本当に救い主に出会いたいと思っているのでしょうか
本当に御声に従うことをしているでしょうか 等、等、
言われましたね 随分と。
ヨハネ10;1-18 良き羊飼いにでてくる「門」。
「わたしは門である」 どのような意味ですか? 教えてください。
283 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 20:03:16 ID:eSrA+bm+
>>279 ::ペルシャの王様にとっては、ユダヤ人も その他の民族も統治民
ダブルスタンダードですか。
::現実的とはどういう意味ですか
直感的に対する意味です
>>281 ::標語だW....わはははははは
典型的にもキリスト信仰の真髄。一般的に、いきなり信じられる人はいないでしょう。
そんなのあたりまえ。
■その主張される「マイコン教義」とは如何なるものか概要を説明いただきたい。
::この世の全てを越える絶対者
■この表現のどこが聖書的に間違っているのですか。ココモスキに説明できますか?
::そのままそっくりこの言葉を
残念ながら、そのような学びは自身を大きくするのみ。知識を得て自我が大きくなる
学びであることは、ココモスキの「馬鹿丸出し発言」からも理解することができる。
::打ち砕かれたと思って
神の前に小さき者であることを理解できています。
あと、ココモスキは尊大に見える人は多いことでしょう。
284 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/24(日) 20:49:07 ID:+36BN6uR
>>282 >良き羊飼いにでてくる「門」。
>「わたしは門である」 どのような意味ですか? 教えてください。
あなたのように、細かい部分にこだわることは、とても良いことだと思います。
普通の場合、「門」ということにはこだわらずに、どうしても「よき羊飼い」の
部分ばかりに目がいってしまうものです。
門は、出入りするための要所のことです。
門が閉まると入れないし、門が開いていると、門を通ることにより中に入れます。
また、門が無いところからは、中に入ることが出来ません。
285 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/24(日) 20:51:37 ID:+36BN6uR
ここでイエスが言っている「牧草」とは、 永遠の命のことであると僕は思っています。 ヨハネ福音書10:9 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、 羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
286 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/24(日) 21:15:54 ID:Ev3o5eob
>>283 この馬鹿も人の文章を殆ど理解できないらしい...
>ダブルスタンダードですか。
ダブルどころか、大ペルシャ帝国の統治していた地域に
どれだけの民族があったか数え切れないですよ...
その中のある民族(ユダヤ人)が、他の民族を襲ったら
それを鎮圧するのが統治国の役目でしょ、...そう言う
常識が理解できないんですか?(この編者も理解できてない
見たいですが)
>直感的に対する意味です
それじゃ全然説明になってないよ...
>この表現のどこが聖書的に間違っているのですか。
>ココモスキに説明できますか?
だから聖書のどこにあるかって聞いてるんだろ
何処が聖書的なんだよ、聖書をちょい読みした妄想の激しい
人にとっての聖書的なんだよ...
これをもう一度繰り替えすんで、少しはまじめに考えてみろよ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「この世の全てを越える絶対者」...それが何でこの世に存在
するんですか?...絶対者って何ですか?...この世の全てを
超えるとはどの様な事ですか?...超えると言うからには
何かの尺度が必要だと思いますが、どう言う尺度ですか?
こんな言葉聖書にありました?...旧約も新約もこんな馬鹿な
言葉は使ってないと思いますよ...
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
287 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/24(日) 21:16:55 ID:Ev3o5eob
>>283 続き
>残念ながら、そのような学びは自身を大きくするのみ。
自信が大きくなるのではなくて、自らの教会の愚かさを
知るんです。信者はそれが怖いだけです。
僕は神を否定した事もないし、イエスを
否定した事もないんですよ...そうではなくて神の言葉
と言って、でたらめな(信者に組織への忠誠を植え付ける為の)
教義をマイコンしてる人とそれにまるまるはまってる馬鹿信者
を追求してるんだよ
「この世の全てを越える絶対者」と言う殆ど意味のない言葉は
絶対者と教会をオーバーラップさせる為の言葉なんだよ...
要するに「間違って信者になった人」に、教会の組織が絶対的
で服従させる為のマイコン用語なんだW...馬鹿な信者は
それが見抜けなくて、どんどん土坪にはまっていくんだろ
288 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 21:29:00 ID:eSrA+bm+
>>286 ::@どれだけの民族があったか数え切
では、なぜユダヤのみ警戒されるのか説明してください。
おかしな思い込みがあるのではないですか?
::それじゃ全然説明になってないよ...
なってないも何も、その意味で書き込んだのです。ココモスキは、「神の手により云々」
は論外でしょうからね。
::だから聖書のどこにあるかって聞いてるんだろ
聖書に無ければ間違いだと言うのですか?原理主義者だったとは思いの外ですが!
289 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 21:36:49 ID:eSrA+bm+
>>287 ::僕は神を否定した事もないし、イエスを 否定した事もないんですよ
はあ・・・、全く説得力のないお言葉ですが。
イエス様の何を肯定していると言うのですか?イエス様を認識する所は聖書ですか?
それ以外の何かですか?ココモスキの頭の中はトリプルスタンダードですか?
290 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/24(日) 22:50:18 ID:Ev3o5eob
>では、なぜユダヤのみ警戒されるのか説明してください。 >おかしな思い込みがあるのではないですか? それが20世紀のホロコーストも含めて、人類の謎なんですが BC2世紀のハシディームがハマンの言葉に書いてる程だから ユダヤ人も自覚してたんでしょうね...あるいは、その時代に 散々非難されてたのかもしれませんね... エステル3/8 >聖書に無ければ間違いだと言うのですか?原理主義者だったとは思いの外ですが! 間違えって誰が言いました?...「聖書的」という言葉で誤魔化されて ある人の思惑(あるいは思い込み)の主張がまかり通ると言ったんですよ 敢えて聖書的にと言うのであれば、それは旧約と新約でまるで違います。 認知とか服従と言う概念が出るのは、旧約の部族長の時代です。その時代 は神も絶対的などと言うのにはほど遠い部族神です。絶対的な物という概念 と認知・服従は整合しないんです。絶対的なものであれば、いかなる捕らえ方 しようがその物の支配下に入ります。認知・服従はあるものがあるものに 服従すると言う事で、いくつもの神が存在する中で、ヤホベと言う神に 従えと言う概念です(それでも服従とは書いてないけどね)。 この標語は前半の絶対的な神は例によってお題目で後半の認知・服従が 信者のマインドに残る事を意図した標語です。 新約の少なくとも前半のパウロの原罪とも福音書のイエスの隣人愛とも 全く整合しない、教会のご都合による標語です。
291 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/24(日) 22:57:23 ID:Ev3o5eob
>>289 何十回も言いますが、馬鹿教会の一つの手法として、教会の批判を
神やイエスの批判とすりかえるんだな...それでその術がみーーー
んなにみえみえなんだけど、相変わらず馬鹿信者は自分達が批判
されると神やイエスや聖書を批判した事にしてしまうんだよ
何十回も言うけど「馬鹿教会が神やイエスや聖書から全く逸脱した
ものだ」と言ってるんだよ!!!!
292 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 23:26:56 ID:xxWS3pUa
>>290 ::それが20世紀のホロコーストも含めて、人類の謎なんですが
都合のいい所のみ抽出ですか・・・。信実はそこではないし、理由には不十分。
ハマンには知識が無く、モルデカイへの恨みから、欲望を満たすため王を誘導している。
知識のあるものはユダヤの神を畏れる。ハマンが昇進していなければ側近の知者が
そのことを王に具申する。
そもそもバビロニアの王は、ユダヤの神によって立てられたという自覚があった。
ハマンはその民族がユダヤであることを伏せている。
293 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 23:28:09 ID:xxWS3pUa
>292バビロンではなくペルシャだった。
294 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 23:35:12 ID:xxWS3pUa
>>290 ::間違えって誰が言いました?...「聖書的」という言葉で誤魔化されて
::ある人の思惑(あるいは思い込み)の主張がまかり通ると言ったんですよ
掴みにくいですね。何が聖書の教えに適わないというのですか。
ココモスキの聖書は一体なんなんですか?イエス様の言葉を選択して
採用してるようですが、都合の悪い部分は作り話ですか?
295 :
名無しさん@3周年 :2005/07/24(日) 23:41:57 ID:xxWS3pUa
>>291 ::馬鹿教会の一つの手法として、教会の批判を 神やイエスの批判とすりかえ
ココモスキが批判しているのは実の所、教会の批判ではなくて聖書の批判ですよね?
聖書の批判を教会の批判にしてしまっているんですよね?
296 :
名無しさん@3周年 :2005/07/25(月) 00:35:49 ID:7Ac2BBkf
>>286 ::この馬鹿も人の文章を殆ど理解できないらしい...
トリプルスタンダードなら始めにそう言ってくださいね^^;
馬鹿丸出しですか?悔い改めてくださいね^^^^
297 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/25(月) 07:18:40 ID:/Hy4vm0u
これで何人かの馬鹿信者が救われたら良いんだけど
298 :
名無しさん@3周年 :2005/07/25(月) 08:13:52 ID:7Ac2BBkf
>>297 ::これで何人かの馬鹿信者が救われたら良いんだけど
そしてその言葉を吐露しましたか・・・。
■ココモスキの唱える救いとは如何なるものか。
未だ聖書に対する批判しか見たことがありません。
299 :
名無しさん@3周年 :2005/07/25(月) 08:33:37 ID:7Ac2BBkf
信じられないことはしょうがないし、ここは話し合う所なんだから 「馬鹿馬鹿」言わずに、相手を無理に退けずに、主張を通すべき。 ココモスキの「馬鹿丸出し手法」は、自分の「道」を明かさないアヤフヤな立場 だからこそ出来る、キリスト教会の陳腐化を狙う意図なんでしょ?
300 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/25(月) 23:33:22 ID:/Hy4vm0u
>>282 遅くなりまして申し訳ありません...
>ヨハネ10;1-18 良き羊飼いにでてくる「門」。
>「わたしは門である」 どのような意味ですか? 教えてください。
ヨハネ14/6に似た様な言葉があります。
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
さらにヨハネ8/12にも
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は
暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
多分みんな同じ主張の編者だと思いますが、ヨハネ福音書に特徴的な
言葉で特に「わたしは世の光である。」はグノーシス派の教義の基本に
なってます。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに...」と言う
ややもすれば排他的な表現もヨハネ福音書の特徴ですが、排他の相手は
ファリサイだと思いますので、(10/6など)当時の事情を考えれば
あまり気にする事もないと思います。
301 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 00:11:42 ID:g7PQ+f8Z
>>300 ヨハネ福音書の「わたしは門」とか
「わたしは道であり、真理であり、命である。・・・・」と
イエスの十字架および復活の関係を説明してください。
302 :
u :2005/07/26(火) 02:35:38 ID:mILylsNX
う
聖書の解釈をしてどうするの? 趣味?
304 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 03:28:00 ID:ad0pEeHZ
>>301 >イエスの十字架および復活の関係を説明してください。
ココモスキーさんへのご質問のようですが、
お答えします。
イエスの十字架は、「罪を滅ぼす」ものです。
罪の値は「死」なのです。
ですから、罪を滅ぼすと「永遠の命」ということになります。
もともと「命」というものは死なないものなのです。
「命」が死ななければならない、ということが異常事態なのです。
まるで常識的な事柄ではありませんが、「命」は本来、永遠のはずなのです。
なぜなら、命とは神の別名だからです。
305 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 03:30:08 ID:ad0pEeHZ
神とともに生きる、ということが「永遠の命」なのです。 これが、普通のクリスチャンにはまるで分かっていないのです。 神と一体になる、ということは、神が望むように生きる、ということです。 そこには、自分の好みや我欲というものが入り込むスペースがありません。 そうしたものは、十字架につけて滅ぼしたのです。 こうして、人は永遠の命に入ります。
306 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 03:33:11 ID:ad0pEeHZ
イエスは言われました。 「天の父が完璧であられるように、あなた方も完璧でありなさい」 イエスは、ものすごい事を人に命じている、と思いませんか? 人は「不完全」なものであるからです。 では、その不完全な人間が、どうして完全になれるでしょうか? それには自分を捨てるしかないのです。 これが、「自分の十字架を負って、イエスに従う」ということの 本当の意味なのです。
307 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 03:39:29 ID:ad0pEeHZ
教会に通ってさえいれば、なんとかなるさ、と考えて 呑気に過ごしているクリスチャンがあまりにも多いのです。 本当に自分が救われたいと思うのであれば、 その自分を、一切合財、捨ててしまってください。 そして、神のふところに丸裸で飛び込んでください。 それが出来なければイエスの弟子にはなれませんよ。
308 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 03:42:24 ID:9wth/NZK
↑ コテ上げて何逝ってんの? 氏ね!
309 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 03:48:37 ID:ad0pEeHZ
>>308 死にません。永遠に主とともに生きるつもりでいます。
310 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 03:51:23 ID:MIj8Gr8S
>>309 勝手にすればいいけどさぁ?
その自己顕示欲はどう処理するの?
311 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 04:00:07 ID:ad0pEeHZ
>>310 いい質問です。
僕にまだ自己顕示欲のようなものが確かにあります。
このようなものは、憎むべきものでありますから、
十字架につけてしまうべきものです。
確かに、あなたの書いたように、僕は自己顕示欲をはじめとして
他の欲望も十字架につけて殺していません。
しかし、100%神を求めたときに、気がつけば「自己顕示欲」などという
ようなものは姿を消しているのです。
けれども、またしばらくすると、そうした我欲が姿をあらわします。
これは、霊的な戦いであって、ヘブル書に書かれてあるように、そうした
自分の欲にたいして、血を流すほどの抵抗をしていないのも事実です。
しばしば、我欲に従う自分がおります。ですから、これは戦いなのです。
312 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 04:02:37 ID:MIj8Gr8S
>>311 改めて仏教徒に宗旨替えしなさい。
君はキリスト教の本質から外れます。w
313 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 04:05:01 ID:ad0pEeHZ
>>312 キリスト教の本質とは何ですか?
わたしは、キリストの教えてくれたこと以外には
興味がありません。
あなたはキリスト教の本質を愛しているかもしれませんが、
わたしは、イエス自身を愛しています。
314 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 04:08:29 ID:ad0pEeHZ
わたしは、以下のヘブル書の言葉を読むときに、 常に常に、自分の至らなさを感じるとともに また、勇気づけられる思いがします。 血を流すほどの抵抗をしてやろうじゃないか、と 思えるからです。 ヘブル 12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
>>314 君は、失礼ながら、
単なる偶像礼拝者です。
316 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 07:29:07 ID:1QNpp8R6
プリム〜もっとも暗い闇のむこうに、光がある。〜
ttp://www.bfpj.net/news_35.html#35_01 ■ユダヤ側の見方
私たちはだれかが、私たちの罪のために死ねるということ、また神にゆるされるためには
神のひとり子が死ななければならないことを信じません。
「受難」と言うこと自体信じられません。神は拷問にあって叫び声をあげたり、
痛みに苦しみながら死ぬということなど、あり得ないからです。クリスチャンだけでなく、
あまりにも多くのユダヤ人もが、私たちが神に対して持っている深い偉大な関係が、
■キリスト教の見方
キリスト教は「死」のむこうに「永遠の命」を見るからこそ、この罪の現実を直視できるのです。
私たちの信仰は「命」そのものです。「もっとも暗い闇のむこうに、光がある。」
プリムのメッセージそのものではないでしょうか。
317 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 08:07:33 ID:y/UujmC4
318 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 08:18:30 ID:gu7+x1qE
クリスチャンは聖書を物語として読む 仏教徒が聖書を読むと意味を悟る
仔猫タンはあはあ仔猫タンはあはあ仔猫タンはあはあ仔猫タンはあはあ仔猫タンたはあはあ とかなんとか
320 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 08:46:01 ID:1QNpp8R6
>>318 その悟りは人に教えられますか?
語るために来られたんでしょ?
321 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/26(火) 11:35:25 ID:YaMFKzQe
>>315 ガラテヤ書を、どうぞお読みください。
わたしたちにとって十字架とはどのようなものなのかが
はっきりと書かれています。
ガラテヤ 5:24
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。
322 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 18:01:03 ID:4Ah2qL0y
コロサイ2章
(不利な証書を十字架にかけて無効にした「すがるな。味わうな。さわるな。」
賢いように見える幼稚な教えで来るものの影で人間の戒め)
14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや
私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました
15神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし
彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました
16こういうわけですから
食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて
だれにもあなたがたを批評させてはなりません
17これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです
18あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり
御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません
彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り
19かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり
からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです
20もしあなたがたが、キリストとともに死んで
この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように
21「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか
22そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって
人間の戒めと教えによるものです
23そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに
賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=1&to=36
323 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 18:02:09 ID:4Ah2qL0y
ガラテア3章(ユダヤ人でなくとも、ユダヤの唯一神を信じてよい) 13キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、 私たちを律法の(違反に対する処罰という)のろいから贖い出してくださいました。 なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。 14このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって 異邦人(ユダヤ人以外)に及ぶためであり、その結果、 私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。 15兄弟たち。人間のばあいにたとえてみましょう。人間の契約でも、 いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。 16ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。 神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、 「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。 17私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後 四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が 無効とされたりすることがないということです。 18なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、 神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。 19では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、 違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
324 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 18:07:35 ID:4Ah2qL0y
326 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/26(火) 18:58:12 ID:32BHiTgD
>>301 >ヨハネ福音書の「わたしは門」とか
>「わたしは道であり、真理であり、命である。・・・・」と
>イエスの十字架および復活の関係を説明してください。
ヨハネ福音書の教会がイエスの受難をどう捉えていたのか
いまいちピンとこないんです。
マルコは、明らかにイザヤ書52ー53章の「苦難の僕」
と重ねてるんですが...それと、ヨハネ福音書で復活するのは
イエス一人です。他の人に関しては全く論じられてません。
僕はどうも20/24−29(トマスとの手の釘穴の話)は、イエス
が復活したと言う話にそれこそ「釘を刺してる」んじゃないかと
思います。20/29
「わたしを見たから信じるのか。見ないのに信じる者は幸いである」
ヨハネ福音書のイエスの復活は、復活したと信じてる信者があまりに
多かった為に、それに逆らえなかったのではないかと思います。
それで、逆に盛んに論じられるのが「永遠の命」です。
「永遠の命」については、全スレで詳しく説明しましたが
肉体の命(ブシュケー)ではなく精神的な命(ゾーエイ)
です。キリスト教会は絶対認めないと思いますが、ギリシャ
哲学から来た、仏教の「悟りの境地」に近いものだと思います。
ついでに、ヨハネ福音書はこの20/31で一度終わってまして
21章は2−3世紀に書き足された物です。
327 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/26(火) 19:16:47 ID:oJVdkSN8
>>284 ダニエルさん
>>300 ココモ先生
どうもありがとうございます。
ヨハネを読みつつ、漱石の「門」を読んでまして、宗助が禅門の前で
立ち止まり、入れなかったのですね。 それで「門」についてちょっと
どのような意味があるのか教えてもらいたかったのです。
328 :
名無しさん@3周年 :2005/07/26(火) 19:26:18 ID:Ixp8xxLI
永遠の命はこの世の身体に預かるものではないことが御言葉により明かされている。
329 :
キュロス :2005/07/26(火) 20:01:44 ID:FdxBHs7U
>ヨハネ福 >17:3 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、 >あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 ヨハネ福音書では 永遠の命 とは 神とイエス・キリストを知る ことだ と主張している。 問題はこの 知る 何を意味するか >ヨハネ福 >3:36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、 >命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」 >ヨハネ福 >6:47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 また 御子を信じるている人は永遠の命は得ている とも主張している。 この 信じるは 御子に従がう事を意味している様だね。 カラスの歌さん の主張がどうも的をえているように思える。 >ヨハネ福 >6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、 >わたしはその人を終わりの日に復活させる。 永遠の命と 復活は どうも同じ事では無い様だね。 永遠の命と 肉体の復活とは 同じものでは無い様だね。 このあたりは ダニエルさん ココモ博士 の主張が的を得ているようだね。
330 :
キュロス :2005/07/26(火) 20:05:51 ID:FdxBHs7U
>>329 >永遠の命と 肉体の復活とは 同じものでは無い様だね。
誤解を受ける 表現だから修正する。
永遠の命と 肉体の復活とは 同時に神から受ける物 では無いようだね。
331 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/26(火) 23:39:24 ID:32BHiTgD
>>329 >>ヨハネ福
>>3:36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、
>>命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」
>>ヨハネ福
>>6:47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。
>また 御子を信じるている人は永遠の命は得ている とも主張している。
>この 信じるは 御子に従がう事を意味している様だね。
僕はどうも人間が意地悪いのか、この部分は「永遠の命」の安売り
に見えるんだW...
332 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/27(水) 09:29:47 ID:N5Wl6tgv
>>329 >永遠の命と 肉体の復活とは 同じものでは無い様だね。
>このあたりは ダニエルさん ココモ博士 の主張が的を得ているようだね。
そのとおりです。
現在のからだに復活するのではありません。
イエス・キリストが復活したボディに変わるのです。
これは、今のからだとは次元の異なる「霊のからだ」です。
1コリント15:44
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
333 :
名無しさん@3周年 :2005/07/27(水) 10:10:19 ID:NWMeJMlx
「門」を通るための資格となる一つ マタイ10:32 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、 天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
334 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/27(水) 23:30:06 ID:Vda+Fi5B
永遠の命。 安売りとわたしも思います。多くの人を招いて下さっているのですから。 わたしは、今その予約券を手にしているつもりでいます。 ただ、予約券を配る人( 教会や牧師 )がヘンな人だったら、受け取った人は捨ててしまうかも。 牧師には大真面目に、十字架の贖いの意味、甦りの意味をしつこく、粘り強く、話してもらいたい ですね。それがきちんと分っていないと、教会生活って難しいと思う。 イエスを信じるってことは、「その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」 ヨハネ3−21なんですよね。 これは、非常に難しいです。不可能に近いことですね。困ります。
335 :
名無しさん@3周年 :2005/07/27(水) 23:46:54 ID:aDVgBC86
洗礼を受け損なった者です。 牧師さんは<「十字架と復活」これがキリスト教の全てです>と言いました。 私には皆目見当が付きませんでした。 通りすがりに見たら、驚くべき答えが書いてありましたので、カス投稿ですが書かさせて頂きました。 では。 私は目が啓かれていなかったのか。。。感謝の心がない者だから、始めから信者への道が閉ざされていたのか。。。
336 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 00:06:20 ID:h8w8fdJH
>>335 どのあたりに驚かれたのでしょうか。
洗礼は、ゆっくりと学んだ後で受けていいと思いますよ。
人それぞれの、神からあたえられたコースに感謝をし、
ともに主の道を歩んでいけたならいいですね。(^^)v
337 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 00:28:45 ID:h8w8fdJH
>>334 たまさんのご意見に、僕もまったく同意です。(^^)
338 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :2005/07/28(木) 00:50:38 ID:htJoi1Wi
洗礼なんか受けない方がいいよ。 誰かさんみたいに自分だけ救われて天国行くなんて思いこんで、 人を差別する側にまわるより、一人でも地獄に堕ちる人がいるなら、 自分もまた一緒に地獄に堕ちようと思う方が、よっぽどガリラヤに生きた イエスの生き方に近いと思う。
339 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 00:53:34 ID:NcbrW8dE
安売りどころか、超お得なタダ売りですよ。 永遠の死に至るのは、終末にキリストを拒絶する者だと理解している。
340 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 01:03:34 ID:ctxOwhPc
お前ら、神だ、イエスだ、永遠の命だ、などと騒ぐ前に、まずニーチェの 「アンチクリスト(反キリスト者)」の批判に答えてからにしてくれ。 最近、読みやすい「超訳」として、「キリスト教は邪教です!」(講談社+α 新書)が発売されている。
341 :
蓮華 :2005/07/28(木) 02:07:53 ID:1z+wN13x
>>337 カトスレでのマリア像を否定するあなたを見てましたよ。
私は仏教徒でありながら、仏像を愛すことに疑問を持ってる者です。
みなさん
スレ違いの話ごめんなさい。
342 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:08:34 ID:h8w8fdJH
>>338 人がひとり救われると、天において大きな喜びがある
と聖書に書いてあります。
どうぞ、大きな希望をもって、大胆に神を求めてください。
343 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:12:05 ID:h8w8fdJH
>>341 仏教では、般若心経を愛しています。
あの思想は、聖書に通じると思います。
また、十字架の聖ヨハネという人の思想にも
非常に近いと思います。
344 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 02:23:54 ID:1z+wN13x
>>343 >仏教では、般若心経を愛しています。
私は滅多に口に出しませんが、本心は般若心経こそが唯一の経だと思ってます。
ですが、今の私の立場を考えますと、このようなことが言えません。(もっと柔軟に・・・と)
ダニエルさんは、聖書のどこが般若心経に通じるとお考えなのでしょうか?
345 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:29:06 ID:h8w8fdJH
>>344 まず、「色即是空」ですが、これは僕の解釈ですが
【物質という存在は、空すなわち天の霊によりなりたっている】
と読めます。
また、「空即是色」は、
【天のことが、物質現象となり現れている】と解釈できます。
つまり、これは聖書に書かれている
「言葉が肉となった」という事柄を別の言い方で表現していることになります。
天と地とは、まるで別のもののようであるが、実は密接な繋がりがある、
ということになると思います。
346 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:32:04 ID:h8w8fdJH
この世の物質現象というものの本体は、天にあります。 ですから、この世の物質に執着心をおこしている状態は死人の状態なのです。 この世のすべてのものは過ぎ去るからです。 わたしたちは天に居所を求めるべきである、ということになると思います。 これを聖書では、永遠の命とよんでいます。 この世の命は永遠ではないからです。
347 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 02:32:42 ID:vPyrsX8x
>>343 神どころか、自我も、この世界の実在さえも認めない仏教と、ひたすら在外
の神にすがるキリスト教とは、一体どこが通じるのでしょうか。説明お願い
致します。
キリスト教には、「個は他との関連においてのみ存在し得る」(縁起、空)
という思想が、少しでもあるのでしょうか。
ニーチェは、「ヨーロッパは、まだまだ仏教を受け入れるまでに成熟しては
いない」と言っています。
348 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:35:26 ID:h8w8fdJH
>>347 キリスト教には、西洋の哲学的、実存的な思想が色濃く混じってしまって
いますが、本来のイエスの教えは、そのようなものではなかったと思います。
いわば、イエスの教えを、西洋人が勝手に哲学のようにしてしまった、
ということになるかと思います。
349 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 02:41:08 ID:vPyrsX8x
>>345 「空」とは、「天、そら」の意味ではなく、「くう、無」のことですよ。
350 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:43:26 ID:h8w8fdJH
>>347 >神どころか、自我も、この世界の実在さえも認めない仏教
あなたのおっしゃるように、釈尊は神を否定いたしました。
当時も今も、インドにはたくさんの神々があふれているからです。
そのようなものを、スッパリ釈尊は否定しました。
これは、聖書で言うところの「偶像」を排除するということになるだろうと
思います。
聖書でいうところの、命の本体である「神」は、人間の想像や概念では
なかなか説明が出来ない「存在者」となりますので、ヒンズーの神々など
のようなものとはまったく違うのです。
ですから、わたしは釈尊の態度は、イエスが生まれる500年も前の異邦人の態度としては
十分に評価されてしかるべきものである、と思っています。
351 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:46:12 ID:h8w8fdJH
>>349 「空」を無である、と説明する人もいます。
しかし、「空」は無ではありません。
「空」は、からっぽである、という意味であって
無である、という意味ではありません。
目には見えないもののことを「空」と便宜的に表現しています。
この「空」が物質現象となった、という不思議なことを般若心経は
説いています。
それなら、その肝心の「空」とは何か?という疑問が生じるはずなのです。
352 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:48:34 ID:h8w8fdJH
わたしは、自分の「般若心経」についての解釈を 押し付けるつもりはありませんです。 あくまでも、いちキリスト者として般若心経を読むときに 感じる事柄でありますので、一般的な解釈をしたければ 「ひろさちや」の本などを読むのがよいのだろうな、と 思います
353 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 02:51:09 ID:1z+wN13x
>>345 販売されてない仏教書から・・・。
「色即是空」・「空即是色」
色=人間の体含めて、一切の物体や存在。
空=形や実体はないが、感情や意識など・・・。
即=即ち、そうである。
是=同じである。
解説
色即ち是れ空、空即ち是れ色と、色は空に異ならず、空は色に異ならず、
と似たような表現ですが、時間的の長短を考えるとしばらくはそこに存在するのであるから、
物事は片方からのみ見るのではなく、時間的・空間的に見て、
両方から見るべきであると教えられてるようです。とあります。
つまりダニエルさんはこれ(上の文に)通じると?
354 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 02:55:59 ID:1z+wN13x
>>352 >わたしは、自分の「般若心経」についての解釈を
>押し付けるつもりはありませんです。
私もそうですよ。
あくまで私はダニエルさんの解釈で教示を聞いてる者です。
(私は分をわきまえてるつもりです。)
355 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 02:58:53 ID:h8w8fdJH
>>353 わたしは「空」が、感情や意識とイコールであるとは考えておりません。
たしかに、感情や意識も目に見えないものですが、それらが物質現象に
姿を変える道理がないからです。
「感情」というものは、むしろ五蘊に含まれるものですね。
これらは「空」から生まれてはいますが、消え去るべき現象であるはずです。
つまり、「本体」ではないもの、現象として現れているもの、といえるのでは
ないでしょうか。
それにしても観自在菩薩とは、よく言ったものですね。
さまざまな固定観念から解き放たれて、物事を自由に見れる人のことです。
わたしたちも、この「観自在菩薩」にならなければ、とわたしは思います。
356 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 03:02:31 ID:h8w8fdJH
蓮華さんは、仏教関係のお仕事をされていますか?
357 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 03:03:02 ID:vPyrsX8x
>>353 私は、「色即是空」「空即是色」は優れた存在論であり、「目に見えるこの
世界は、実は存在しないのかも知れない。しかし、その世界こそ、人間が
生きるべき世界なのだ。」と解釈しています。お釈迦さんの真意は、今では
確かめるすべはありませんが。
これは、バークリの、「実在とは知覚されることである」に通じるものです。
358 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 03:12:35 ID:h8w8fdJH
>>357 わたしは、この世界は「存在」と言い切れるようなものでもないし、かといって
「幻想」と言い切ってしまうほど無意味ではないと考えるものです。
聖書では、この「存在」ということについて「神」とよんでいます。
命と死が両方で干渉している世界、というのがこの世です。
わたしは、この無常の状態は、本来の状態ではない、と思っています。
ですから、神が直接この世に関与されて、永遠に死を滅ぼすという
聖書の預言を素直に受け入れております。
359 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 03:22:03 ID:h8w8fdJH
蓮華さん、ありがとうございました。 また、お話を聞かせてください。 おそらく、あなたの方がわたしよりも ずっと年上であると思います。 失礼な態度がありましたら、御許しください。
360 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 03:29:12 ID:vPyrsX8x
>>358 その「永遠の生命」という概念が、一神教の一番困る点です。大自然の摂理、
即ち創造主の意図にに真っ向から反します。一度きりの現世の否定に繋がり
ます。
イスラームも、キリスト教の来世概念を取り入れたため、良心の呵責なく
自他の生命を奪い続けています。
大昔の「人間」が書いた書物に過ぎない聖書を、現代人が預言などと解釈する
根拠が、一体どこにあるのでしょうか。
361 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 03:30:18 ID:1z+wN13x
>>355 >それらが物質現象に 姿を変える道理がないからです。
私もそう思いますよ。
>これらは「空」から生まれてはいますが、消え去るべき現象であるはずです。
感情は消え去るべき現象であるはず、つまり『縁起の法』(感情論)だと思います。
>さまざまな固定観念から解き放たれて、物事を自由に見れる人のことです。
私が思いますに、悟りに到達するとはここにあると思ってます。(固定観念とは煩悩)
またここに到達するためには、無駄な知識は要りません。(むしろ邪魔です)
物事を自由に見るには、人間的悪を殺した素直な感性(善的なもの)が必要だと思います。
つまりそれぞれのすべて(それぞれの宗教であれ、何であれ)の真理を受け入れられる力こそが、
私の求める真理だと思ってます。
363 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 03:43:38 ID:1z+wN13x
>>356 私は定職に就いてますが、高僧から頼まれて、葬式・法事を手伝うときがあります。
つまり中途半端ながらも僧というべきなのでしょうか・・・。
>>359 すいません。
文を考えていたら返答に時間がかかりました。
いえいえ。 こちらこそ。
それと私よりたぶんダニエルさんの方が年上の方と思いますよ。
なぜなら私はまだ22歳なのですから・・・。(まだまだ若僧ですよw)
364 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 03:46:25 ID:vPyrsX8x
>>358 「永遠の生命」などというと、一度きりの自他の生命や人生の軽視・否定
に繋がり、人間にとって極めて有害な思想です。ココモさんも言ってたよ
うに、「永遠の生命」とは現世における悟り(ニーチェのいう永劫回帰)
であることを、キリスト教はもっとはっきりとさせる必要があります。
365 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 03:46:44 ID:h8w8fdJH
366 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 03:56:26 ID:1z+wN13x
>>365 ですよねw
>つまりそれぞれのすべて(それぞれの宗教であれ、何であれ)の真理を受け入れられる力こそが、
私の求める真理だと思ってます。
私は完全にここに到達したときに、改めて聖書を読んでみたいと思ってるんです。
そうしたら、私が聖書で納得できない点・理解できない点が理解でき、
聖書の真理・真意に到達できるのではと思ってるんです。
私は早く、すべてを受け入れられる完全な柔軟な真理に到達してみたいものです。
367 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/28(木) 07:47:57 ID:RWgaugJC
>>335 さん
お気の毒でしたね。キリスト教の基本のキも理解させることが
できないのなら、話し手として ゛? ゛です。
あなたは、ちっとも悪くなんかありませんよ。
368 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 08:41:44 ID:NcbrW8dE
>>350 !! なるほど・・
似てるとは思ってたけど、仏教も神の手の中であり、イエスキリスト信仰が真理で
あるとの感が増した。
更に、「わたしはある」と称される御方がイエスキリストであるということ、聖書における、
神の性質(三位一体)の見分けが、神の実在性から論じることが出来そう・・・
聖書において、実に父なる神様による御言葉は、ほんの二言三言語られるのみ!!
369 :
世界平和 :2005/07/28(木) 13:51:56 ID:pYFkDJXx
イエスキリストの名による救われと 南無阿弥陀仏の名を唱える唱名念仏は同じことをしているのです。 道は違っても同じところへ至る。 浄土すなわち天国。 イエスキリストは天国へ至る手段、方便にすぎない。 神とは法、法則です。
370 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 14:09:39 ID:OA9kA48V
>>蓮華たん ダニエルさんについてですが、独特の解釈をなさっておいでです。 ここにあるダニエルさんの解釈はあくまでダニエルさんの解釈以上のものでも以下でもありません。 というような迂遠な言い方はやめます。はっきり申します。 ダニエル氏は浅いです。 キリスト教のスタンダードな見方ではないことは、強調してもし過ぎることはありません。
371 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 15:56:40 ID:fa1bIUBV
キリスト教は、「神」「永遠の生命」「罪」「裁き」などの概念と、「現実のすべて の人間の生命の尊厳」とを、「原理的に」どう両立させるのか。それを聞きたい。
372 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 16:16:31 ID:WAfsx+5G
↑「愛」が抜けてる。
373 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 16:42:23 ID:fa1bIUBV
>>372 キリスト教が唱える「愛」は、「現実のすべての人間の生命の尊重」とは対極的な
代物。人間はすべて「罪人」であり、イエスを信じない人間は「裁かれる」のだから。
374 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 17:03:36 ID:WAfsx+5G
愛は、神様より賜るもの。神様が愛なる方々で人は神様の似姿に創造されてぃます。
375 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 17:20:15 ID:WAfsx+5G
イエス様の購いは生々しさがあります。リアリティがあります。 後の人による救世主への悟りとは趣が違いますことでしょう。 信じられれば、これは大きな差となりえます。
376 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 18:08:59 ID:vo2H0o1c
>>375 >イエス様の購いは生々しさがあります。リアリティがあります。
人間をそのように嵌り込ませ、現実からの遊離を生じさせるのは、イエスの教えが
欠陥商品であるということ。
架空の神やイエスに最高の価値を置くことと、生命の尊厳の尊重とは、原理的に
決して両立し得ないのである。
377 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 18:58:10 ID:WAfsx+5G
現実での救われないと思う罪意識の重荷から解放されます。 あなたの罪を赦すのは誰ですか?
378 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 19:06:24 ID:JxLaxOgZ
>>370 >ダニエルさんについてですが、独特の解釈をなさっておいでです。
>ここにあるダニエルさんの解釈はあくまでダニエルさんの解釈以上のものでも以下でもありません。
>というような迂遠な言い方はやめます。はっきり申します。
それは多くの人が分かってる事です。ダニエル氏も承知の事です。
独特の解釈の何処が悪いのですか??独特ではないスタンダードな
解釈って何処の馬鹿教会も言いますが、はっきり言って下らない教会
ばかりだよ...
>ダニエル氏は浅いです。
>キリスト教のスタンダードな見方ではないことは、強調してもし過ぎることはありません。
人の説明を浅いと言う言葉をよく聞きますが、その手の発言は
それよりも遥かに浅い下らない教義を持ってる教会の信者が、自らの
思いと全く違うが為に、自己欺瞞の為に言ってる場合が殆どです。
379 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 19:16:03 ID:JxLaxOgZ
>>358 >「永遠の生命」とは現世における悟り(ニーチェのいう永劫回帰)
>であることを、キリスト教はもっとはっきりとさせる必要があります。
そうなんだけどね、3流の馬鹿教会にとっては「永遠の命」が
数少ないアピール商品なんだな...それもこのような解釈ではなくて
信者には、あいも変わらず「肉体の命が永遠生きる事」と思わせてるん
だよ...何処かの馬鹿教会で「永遠の命」「永遠の命」「永遠の命」って
言ってるんだよ、それでそれがどう言うものか全く説明しない...
馬鹿信者は「この教会にいれば、永遠に生きれるんだ」と勝手に
思い込んでるんだよ...
ダニエルさんの発言以降やたらおかしな書き込みがあるでしょ...
半分は馬鹿教会の宣伝マンじゃないかと思うよ...
380 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 19:19:29 ID:WAfsx+5G
スタンダードな解釈も悪くないよ。ココモ教教授は荒しだけど。
>>370 聖句の解釈の解釈を その「キリスト教のスタンダード」な立場
から お願いします。
382 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 19:26:21 ID:2Ph9tTRB
ココモ博士に 罵倒されながらも ここで 自分で色々調べて考えて 聖句解釈をしている人が いるけど その人は 勇気があって立派だと思うよ。
383 :
381 を修正します。 :2005/07/28(木) 19:35:53 ID:2Ph9tTRB
>>370 ごめんね。以下に修正します。
聖句の解釈を その「キリスト教のスタンダード」な立場
から お願いします。
お題は何でもよいよ。
384 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 20:19:06 ID:OA9kA48V
>>383 そもそも聖句の解釈を垂れることは、信徒としては慎むことなのです。
個人的体験なのですから…秘め事なのです。ID:2Ph9tTRBさんが教会で聖書を聞き、
それによって何かが得られるという性質のものでして、「正しい解釈」が弁証によって
得られるという性質のものではありません。
解釈は、まずはあなたのものなのです。
「我らの神よ光栄は爾に帰す」と呼びかけ、
「主、我が神よ…」と呼びかけます。
皆で祈りを捧げる方であると同時に、ID:2Ph9tTRBさん個人にも向き合われる方なのが、
至聖三者でいらっしゃるいます。ですからダニエルさんの解釈も、浅いとは申しましたが
ダニエルさん個人の現時点の解釈としては、極端に言えば「問題ありません」。しかし
それを「真理であるかのように人に教える」というのならば話は別でして、これは問題と
言えます。
差し支えの薄い一部については、既にダニエルさんに別スレで反駁を加えております。
以下、その内容です。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122102018/430-442
385 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 20:48:46 ID:JxLaxOgZ
>>384 >そもそも聖句の解釈を垂れることは、信徒としては慎むことなのです。
>それによって何かが得られるという性質のものでして、「正しい解釈」が弁証によって
>得られるという性質のものではありません。
そう言ういい加減な事を言うから、馬鹿にされるんだよ!!!
そういう考えの人間が
>ダニエルさんについてですが、独特の解釈をなさっておいでです。
>ここにあるダニエルさんの解釈はあくまでダニエルさんの解釈以上のものでも以下でもありません。
と言う様に、人の解釈を独自だとも言い浅いとも言ってるんですよ...
これがキリスト教徒の典型なんだよ、人の事を浅いと言って、それじゃ
テメエはどうかと言ったら、弁証では説明できないんだろ...
要するに論理的に何も理解してないのに、自分が今までの思いと全く
違ってたら、「それは独自だと」と言い、ともかく「アンタは浅い」
と、生理反応的に言ってるだけなんだよ...
386 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 20:50:19 ID:OA9kA48V
>>385 >弁証では説明できないんだろ...
リンク先読んだ?
「神を信じる」とはどういうことか、弁証しているけど。弁証全否定はしないよ。
ただ、弁証万能、証明万能、理性万能とは思っていないだけ。
387 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 20:56:36 ID:emaE3hJj
>>384 >解釈は、まずはあなたのものなのです。
ですから アナタの解釈を聞きたい のではなく
「キリスト教のスタンダード」な立場 からの解釈をお願いします。
>>387 基本的に、私がここで申し上げている解釈は正教会の受け売りです。正教会の受け売りを
越える部分(オリジナリティのある部分)は、具体例とか、説明の仕方という面にとどまり
ます。
389 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 21:04:46 ID:h8w8fdJH
>>387 >「キリスト教のスタンダード」な立場 からの解釈をお願いします。
それなら、それ相応の他のスレッドに行ってください。
スレッドの趣旨と異なる書き込みを、あなたは再三していますが
そうした行為は、こちらにとって迷惑なのです。
390 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 21:05:37 ID:DyHHTeVR
>>370 人間が何かを解釈するということは知識(広さ)と心(感性の豊かさ)が必要だと思います。
まず人間の知識だって、これでいいという限界はないと思います。
知れば知るほど、自分の無知を知ることになります。
心だってそうです。
人間なら人間である限り、これでいいといった心の成長・心の安定はありません。
ですから人間は日々心の成長・心の安定を求めます。
ですからダニエルさんの解釈も、一人の人間の解釈と受けとめるべきだと思います。
また私も一人の人間として今意見をしています。
少なくとも私はお互いそういったことを理解した上で、
一人の人間と、一人の人間として気持ち良く意見の交換をしていました。
そこに「浅い」といった言葉は何もありませんよ。
>>390 成る程、承りました。
但し、ダニエルさんはあくまで「ダニエルの教え」を広めようとなさっている。
このことについて憂えている人間がいることは、蓮華たんにはご記憶頂きたいと
思って書き込ませて頂きました。普段は、私はこうしたスレッドに来ません。
蓮華たんには、申し上げたく思いました。
392 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 21:11:12 ID:DyHHTeVR
>>385 余計なことかもしれませんが言わしていただきます。
ココモスキーさんもう少し言葉を選んだほうがいいですよ。
393 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 21:22:11 ID:WAfsx+5G
スタンダードな解釈を排除するって、なんかおかしい。 耳を閉ざして偏った追求をするの? ココモ=ダニエル?
394 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 21:26:38 ID:h8w8fdJH
>>393 >スタンダードな解釈を排除するって、なんかおかしい。
スタンダードだか、なんだか知りませんが、
わたしが知りたいのは、世間一般での常識的知識ではありません。
わたしが知りたいのは「真実」です。
それ以外のものは、はっきり言ってどうでもいいのです。
真実よりも、一般的な説がお好みというのなら、それが悪いとは
言いませんので、ここにきて迷惑をかけるのはやめてくださいませんか?
395 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 21:27:40 ID:JxLaxOgZ
>>375 >イエス様の購いは生々しさがあります。リアリティがあります。
>後の人による救世主への悟りとは趣が違いますことでしょう。
>信じられれば、これは大きな差となりえます。
ただ単にドラマチックなだけだと思うけど、大衆受けする事は
確かだけどねぇ...「永遠の命」・「魂の復活」・「イエスはロゴスか」
などの論議とはあまり関係ない様に思うW
>>394 なんでスタンダードが全く真理に役立たないみたいに思ってしまうのです?
普通、オリジナリティを目指す、真の美しさを目指す芸術家だって、スタンダード
は一応学ぶよ?だからって真の美から遠くなるの?芸術家は。
スタンダードに価値が無い、若しくはスタンダードを見る価値を評価しないというのは、
それも根拠の無い言説ですね。
397 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 21:36:03 ID:JxLaxOgZ
>>386 >リンク先読んだ?
>「神を信じる」とはどういうことか、弁証しているけど。弁証全否定はしないよ。
>ただ、弁証万能、証明万能、理性万能とは思っていないだけ。
ここは、今回はとりあえず僕が管理してる、聖書の聖句について
論じるスレッドで、何処かの馬鹿教会の宣伝舞台じゃないの...
リンクを紹介するのは、より詳しい解説文章だけで、何処かの
馬鹿教会の信者の個人的考えを案内するのは、それ自体キリスト
教徒くらいしか出来ない馬鹿げた行為です。
398 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 21:36:42 ID:h8w8fdJH
スタンダードであろうが、なかろうが、そのようなことは 真実とは何の関係もないことなのです。 ただ、それが真実であるならば受け入れ、 そうでなければ堂々と否定するだけのことです。 権威が太鼓判を押したものだけが正しいことだ、と 単純に考えて疑問をもたないようなことが、わたしには逆に 信じられません。
ココモさん、ダニエルさんはオリジナル解釈で・・・ XYZさんはスタンダード解釈でええやないか・・・ ♪ Å ♪ / \ ランタ タン ヽ(´Д`;)ノ ランタ タン ( へ) ランタ ランタ く タン
400 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 21:38:38 ID:OA9kA48V
>>397 >馬鹿教会の信者の個人的考えを案内
アドレスくらい確認してよ。同板内のスレッドの、ダニエルさんと私の会話だよ。
それも馬鹿げた行為なんだ?(笑
>>398 >権威が太鼓判を押したものだけが正しいことだ、
ソースは?正教会が無謬なんて思ってないよ、私は。
401 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 21:38:54 ID:h8w8fdJH
>>399 ええやないか、ええやないか♪ (/^-^)o日日o(^0^|)
402 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 21:44:17 ID:X8kxjbrp
>詩篇 62:11
>ひとつのことを神は語り
>ふたつのことをわたしは聞いた
>力は神のものであり
聖書には 統一された ただ一つの解釈などない
と この詩篇作者は 言っている ように思える。
オレも その様に思う。
>>393 それは ダニエルさんの優しさだと思うよ。
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrEさんに 逃げ道を作って
あげたのだと おもうよ。
アナタは アナタの解釈を 書けば良いと思うよ。
403 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 21:46:29 ID:OA9kA48V
>>402 >XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrEさんに 逃げ道を作って
>あげたのだと おもうよ。
?
404 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/28(木) 21:48:24 ID:5bczCZZi
>>391 ・・・
とりあえず出過ぎたマネと、無礼を許されよ。
>>401 そんなおちゃめな一面があったとは・・・
では 『十津川郷士でござる。 ダニエル竜馬〜 覚悟〜』 なんてw
405 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/28(木) 22:04:19 ID:RWgaugJC
スタンダードって難しいよ。 ウチの聖書解釈はウェストミンスターだもんね。 予定論だしたら、「そんなのスタンダードじゃない。」って 言われるね。きっと。
>>405 そう、難しくて面白いんです、スタンダードも。^^
407 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 22:07:09 ID:JxLaxOgZ
>>396 とりあえず僕が管理してる間だけでも、教会の受け売りを
そのまま出すのは禁止します。スタンダードと言っても
所詮誰かがその時の情勢にあわせて造った何処かのマイナーな
スタンダードに過ぎない物で、真理とは程遠い物だと言うのが
ここのスレの趣旨です。聖句の一つ一つを吟味して、いろいろな
立場の人が意見を出して論議する所です。それでなければイスラム
教徒の僕が管理者をやってる意味がないんです。
そこへ無節操に入り込んで来て、何処かの馬鹿教会の受け売りをして
スタンダードに真理があるなどと言う、馬鹿丸出しの書き込みを
するのは、キリスト教徒くらいしかいないんだろうと思います。
408 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 22:09:17 ID:WAfsx+5G
しかし、そんなこと言って統一とか、モルモンの独自な解釈は排除するんでしょ?
409 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 22:10:32 ID:OA9kA48V
>>407 >スタンダードに真理があるなどと言う、馬鹿丸出しの書き込みを
>するのは、キリスト教徒くらいしかいないんだろうと思います。
?読解力あります?
分かりやすく言い直しますね。
オリジナリティ全否定が愚かしいのと同様、スタンダード全否定も愚かしいの。
そういうことを言っただけ。
スタンダード全否定なんていうアホなスレだったの、ここは?
それはオリジナリティ全否定するスレと同レベルじゃない。
再考を願います。
410 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 22:18:40 ID:WAfsx+5G
独善的なのは誰よりもココモじゃない。 暴言、誘導、嘘、手段を選ばぬ強行な持論展開して。
411 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/28(木) 22:27:47 ID:JxLaxOgZ
>>409 ハイハイアンタみたいな人間が来たら困るので、あなたの
指摘をそのまま認めましょう...
ここはスタンダードは一切禁止します。アホが管理してる
アホなスレですので....わははははははは
IDはID:OA9kA48Vですか.....
412 :
名無しさん@3周年 :2005/07/28(木) 22:34:53 ID:WAfsx+5G
ムカ。もう既に参加しているので途中での仕様変更は認められないと思います。
414 :
名無しさん :2005/07/28(木) 22:40:16 ID:8VzqRpyl
新興宗教の被害者って結構多いらしいですが、自分もそのひとりです。 数年前に退会した今も嫌がらせが続いています。 体を悪くして指圧してもらったことがきっかけですが、自分が周りの人を 信じられなくなっていてそういう弱みに付け込まれたわけです。
415 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/28(木) 22:43:29 ID:RWgaugJC
ここのスレは今まで通りままで良いとわたしは思っています。 名無しさん、ダニエルさん、ココモスキーさんのそれぞれの 意見、異見を発端として聖書を読む時、幅、奥行きが広がります。 さまざまな解釈を知ることは、悪いことだとは思いません。 もちろん「聖書は聖霊の導きによって読むこと。」の、スタンスは、 絶対くずしてはいけないことは承知していますよ。
416 :
キュロス :2005/07/28(木) 22:49:46 ID:l5fqucqC
オレの スタンダードは リベラルだからね。 この立場は 変えない。 それと ややユダヤ教的かもしれない。
417 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 00:23:56 ID:4rTzxrjl
>>415 >もちろん「聖書は聖霊の導きによって読むこと。」の、スタンスは、
>絶対くずしてはいけないことは承知していますよ。
そこがまさにあなたの狂ってるところですよw。キリスト教は、聖霊など持ち出す
から、どんなカルトよりもマイコン作用が強い。なにしろ2000年間も、呪縛か
ら抜けられないのですから。史上最大の超カルトです。
418 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 05:30:20 ID:gl7vEY1q
もちろん「聖書は聖霊の導きによって読むこと。」の、スタンスは もちろん「聖書は各個人の思いつきによって読むこと。」の、スタンスは 違いを区別できますか。善悪判断の基準・良心の痛み・正しい歴史認識・・・。 聖霊とそうでない者の区別を何によってするのか。
419 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 06:24:25 ID:74zf+rx5
>>418 「聖霊」って一体何ですか。ユーレイみたいな物ですか。現実上の例を
上げて具体的に説明して下さい。
420 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 06:35:28 ID:2PgmHC7U
基準となるものはイエスキリストの生涯。 聖書の理解は、自身の努力で得られたと驕らず、「神様により賜った恵みである」 とするへりくだった理解をする立場をいう。 イエスキリストの生涯があったからこそ理解できるからです。 正しい良心はキリストの生涯を表す聖書にある。
421 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 06:59:33 ID:74zf+rx5
>>420 イエスは当時のユダヤ教社会に対する個人的不満から、それに反逆し、神殿
で真面目に日々の糧を稼いでいた商人達を「暴力」で追い出し、自らは「神
の子」だと名乗ったため、ユダヤの社会の秩序を乱し、ユダヤの神を冒涜し
た罪で、民衆の強い要望により、他の二人の犯罪人とも処刑された犯罪者に
過ぎません。また、実の母親に対し冷淡な態度をとり、家族を軽視し、彼を
良く知る郷里の人々にはキチガイ扱いされて受け入れられませんでした。
イエスの弟子たちも、彼の逮捕と処刑に際しては、彼を捨てて逃げました。
彼の生涯が、一体何故、どのような点で「良心」と関係あるのですか。
422 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 09:47:46 ID:2PgmHC7U
::個人的不満 イエスキリストの生涯は神様の言葉です。 ::神殿の追い出し 商人達は民の不義を助長させていました。神様の怒りを人の手で表されたのです。 ::神の子の名乗り 神の子を名乗ったから秩序が乱れたのではありません。 神の御手を表されたのを、「秩序を乱しに来た」と耳をふさいでいるのです。 ::冷淡な態度 冷淡な態度から郷里の人々は信じられなかったのではありません。 ::彼を捨てて逃げました 十字架の死と復活の栄光を知らなかったからでしょう。 ::どのような点で「良心」 人の贖いと清めになるため、そして希望となるため、父なる神様に従いぬかれたことです。
423 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 10:33:09 ID:2PgmHC7U
■とあるキリスト教団HPの一文 しかし、考えてみますと、そもそもイエスが逮捕されて、 ユダヤ最高法院の中でどんな会話を交わしたか、どんな受け答えをしたかなんて情報が、 イエスの弟子、すなわち後のキリスト教会の関係者に正確に伝わるはずはないのですね。 とすると、この大祭司の尋問にしろ、ピラトの尋問にしろ、かなりフィクションの部分が大きい だろうと考えざるを得ない。 そして、フィクションとして再構成するにしても、やはり普段から「こういう質問をされたときには、 イエス様はよくこんな風にお答えになっていたなぁ」という記憶があって、 再構成した可能性が高いだろうという風に考えることができるわけですね。 ■ココモスキ的だけど、これがスタンダード?正確に伝わるはずはないですか?
424 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 11:03:02 ID:Irx2pkID
>>420 たぶん新聞とか読んでも全然腹立ってこないタイプでしょ?
政治家や利権を得ようと彼らに群がるゴミのような連中に
自分が払っている税金を食い物にされているのに、なーんにも怒りを
感じないタイプでしょ(w
というか、食い物にされていることにも気づいていないかも(w
というか、税金とか払っていないのかな?(w
天下泰平でいいね(w
425 :
424 :2005/07/29(金) 13:43:54 ID:Irx2pkID
426 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 14:13:36 ID:VOowCSyT
>>422 自分勝手な解釈で、現実上の根拠が皆無。それぞれ、聖書のどこに書いてあり、
現実的にもどのような根拠がありますか。聖書には、それと矛盾する記述はあり
ませんか。言葉の間に少しでも矛盾があれば、いずれの言葉も、聖書の言葉として
は無効です。
>>424 あなたの考えは、典型的な、イエス的、サヨク的、現状不満的、ミーハー的な浅薄な
思想。政治家の労苦とその役割、人間にとって現世利益の追求は、生存のために当然
のことで、むしろ極めて人間的であることを、理解していない。本当に困っている
ときに一肌縫いでくれるのは、かえってそのような人々で、一番冷淡なのが、愛や
正義や清潔さを「唱える」キリスト教徒やサヨクです。
427 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 14:33:38 ID:xcjVP0Ka
>>426 人の投稿にケチをつけるための投稿はつつしみましょうよ。
>聖書には、それと矛盾する記述はあり
>ませんか。言葉の間に少しでも矛盾があれば、いずれの言葉も、聖書の言葉として
>は無効です。
矛盾があると思ったのなら、あなた自身がそれを提示してください。
428 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 14:37:22 ID:xcjVP0Ka
>>426 >人間にとって現世利益の追求は、生存のために当然のことで、
>むしろ極めて人間的であることを、理解していない。
「極めて人間的なこと」がよいことですか?
あなたは現世利益の追求がよいことだとお考えのようですから
そのように生きていけばよい、とわたしは思いますよ。
しかし、クリスチャンとよばれる人たちは、この世の利益よりも
もっと価値のあるものを見出した人たちなのです。
429 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 15:58:16 ID:VOowCSyT
>>428 >しかし、クリスチャンとよばれる人たちは、この世の利益よりも
>もっと価値のあるものを見出した人たちなのです。
クリスチャンたちもこの世の人間なのですから、「この世の利益よりももっと価値
あるもの」を求めるのは矛盾ではありませんか。「この世を越える価値」を、この
世の人であるイエスやクリスチャンが一体どうやって見出すのですか。そのような価値
が、この世の人間たちにとって一体どのような意味がありますか。
創造主が、心身ともに自分に似せて作ったのは、「この世でひたむきに生きる人間」
です。与えられた人間の認識能力外のこの世を越える価値など求めることは、創造主
に対する傲慢・不遜・冒涜の行為ではありませんか。
クリスチャンたちは、自分達のやっているこのと意味をよく考えてみる必要がありま
す。自分達の心の満足のためにやっているのなら、まさに「この世の価値」の追求では
ありませんか。この世を越える価値など求めることは、創造主が作ったこの世の軽視・
否定に繋がります。
430 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 16:19:58 ID:xcjVP0Ka
>>429 この世は今だ不完全なのです。
この世で完全なる満足を得たいと、もし
考えたとしても不可能です。
どんな金持ちでも、老いて、病気にかかることもあり、
そして結局、いつかは死ななくてはなりません。
これは、誰もが逃れることの出来ない決まりなのです。
この生老病死の問題について、
具体的に、根本から解決してしまったのがイエスなのです。
生老病死の原因は、現在の人間の肉体にあるのですが、
イエスは「復活」というとんでもない事柄により、この
問題に解答を出してしまったのです。
無宗教スレの奈菜氏なのに誰だかすぐ判る重鎮(笑)と、ダニエルたんの対決見もの^^
432 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 16:24:57 ID:xcjVP0Ka
イエスの復活により、「生老病死」は解決してしまいました。 そして、もし、復活に預かるなら、もはや老いることもなく、 病気もなく、そして永遠の命が約束されているのです。 この世で快適に生きることを考えるのもよいとは思いますが、 たかだか数十年でおさらばしなければならないこの世(しかも、 苦しく不自由なことが多い)この世に、執着して生きるよりも、 イエスの復活という、とんでもなく「良い知らせ」に耳をかたむけた 方が利口でしょうね。 驚天動地な事柄である「復活」という事実に、あえて目を向けずに 生きていくなんてことは、わたしにはもったいなさすぎて信じられ ません。
433 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 16:55:37 ID:VOowCSyT
>>430 >この世は今だ不完全なのです。
その完全・不完全を誰がどのようにして判断するのですか。判断するのは、結局
人間ではないですか。創造主の目からは、完全だと思いますよ。
生老病死は、大自然、即ち創造主の摂理です。それを無理に逃れようとするのは、
摂理に反すること。煩悩は、人間が生きていることの証。苦があるからこそ楽があり、
死があるからこそ、生が尊いのです。悟りの必要なのは、宗教の方々です。
悟りは、あるがままの現世の受容と身近な他者への思いから生まれます。自己中心主
義になり、逃れようとすればするほど、苦は増すものなのです。
「復活」などという「とんでもないこと」を、クリスチャンは口にすべきではありま
せん。ひたむきに現世を生き抜いた後の死こそは、充実した永遠の休息と平安。
「永遠の生命」とは、一度きりの生命の尊厳の否定であり、「永遠の地獄」の別名です。
434 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 17:11:11 ID:xcjVP0Ka
>>433 あなたが永遠の命について「いらない」と思うのは、
かまわないだろう、と僕は思います。
あなたは、よほどこの世がお好きなようですが、
聖書では、人のみならず、すべての被造物が
苦しみにうめいている、と書かれてあるのです。
罪が、この世に満ちているからです。
神は聖書において「天地を新たにする」と宣言しておられます。
わたしは、この神の約束を信じています。
そして、イエスの復活を信じております。
あなたは、この世が最高だと信じています。
それでいいじゃありませんか。
わたしはあなたの好きにすればいいと思いますよ。
ですから、あなたもわたしたちの邪魔をしないでください。
435 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 17:15:43 ID:8ZbGO2Qx
>>432 ダニエルさん、私から2つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?
436 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 17:19:23 ID:xcjVP0Ka
437 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 17:26:00 ID:8ZbGO2Qx
>>436 ダニエル御仁 ありがとうございます。
では1つ目 あなたは福音派なのでしょうか?(できればどの教派なのか教えて下さい)
2つ目 あなたにとって聖書とはなんですか?
(ここはできれば簡単な言葉と短文でお願いします)
わがまま()←の部分 をお許し下さい。
438 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 17:27:33 ID:VOowCSyT
>>434 この世が好きでも嫌いでも、それが神から与えられた人生。それをひたむきに生きる
ことこそ、神の意図にかなうものなのです。
神は、被造物を苦しませるために作ったのですか。それでは「愛」などとは正反対。
そんな神は不要です。苦しみと共に、楽しみもちゃんと与えているではないですか。
そのような異常な現世否定、不幸感、罪悪感は、鬱病の症状そのまま。精神病者は、
放置すべきでなく、保護・治療することが、大いなる「愛」ではありませんか。
まず、認識できない神が実在するという妄想を治療する必要があります。神が与えた
人間の基本的認識能力の破壊だからです。
439 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 17:47:47 ID:xcjVP0Ka
>>437 ●あなたは福音派なのでしょうか?
わたしは、プロテスタント系のホーリネス教会の
元牧師に聖書を教わりました。
そして、その後カトリック教会に導かれ、
カトリック教会で洗礼を受けています。
現在も、わたしは信者として
カトリック教会に登録されています。
わたしの考え方は、ホーリネスの元牧師からの
影響が強いですが、彼はもうだいぶ前に死んで
しまいました。
440 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 17:52:53 ID:xcjVP0Ka
●あなたにとって聖書とはなんですか? 聖書とは、「イエス・キリストを証するもの」です。 そして、神の霊により書かれた、人に益となる信頼できる書物です。 ヨハネ福5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、 この聖書は、わたしについてあかしをするものである。 2テモテ 3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、 人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
441 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/07/29(金) 18:01:56 ID:yQtFnfC/
>>429 >創造主が、心身ともに自分に似せて作ったのは
神が当初 ”自分に似せて”「人間」を創造したというのは、
文字通り、”自分に似せて”創造したんだよ。
さて神とはどういう存在か、聖書をよく読んでみよう。
少なくとも肉を持った存在ではないのは確かだね(苦笑)
ま、君に言ってもこれの意味はわからんだろうけど。
442 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 18:03:24 ID:xcjVP0Ka
>>438 >そのような異常な現世否定、不幸感、罪悪感は、鬱病の症状そのまま。
おあいにくさま。わたしは、とても幸せですよ。
不幸だと書きましたか?
443 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 18:06:45 ID:8ZbGO2Qx
>>439 >>440 ありがとうございます。
私の心の内に秘めたるものを、この(蓮華という名の)コテで話してもよろしいでしょうか?
444 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/29(金) 18:18:48 ID:xcjVP0Ka
445 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 18:29:23 ID:4ob3b5uO
>>441 >少なくとも肉を持った存在ではないのは確かだね(苦笑)
>ま、君に言ってもこれの意味はわからんだろうけど。
あなたには、どうしてその意味がわかるの?
「自分に似せて」肉体を持った人間を作ったのだから、神も肉体を持っている
のは当然でしょう。人間のソックリさんである神達が集まって、会議を開いて
いたのだよ。古代の王たちは、同時に神でもあった。
古代人における「神概念」の発生の歴史を研究されたし。
>>444 私のこのレスは、できることならあなただけに見てほしいです。(叶わぬ願い)
知っているかもしれませんが、私はキリスト教・キリスト者批判者でした。(今もかな(?))
私はキリスト者と何度か会話をしたことがあります。
そしてこの間の意見の交換においても、反論しようと思えば反論できたと思います。
だけど意見の交換の最中に反論するのは無礼と思いますから。
また無意味に喧嘩を売るのは・・・。
ですがあなたは違う。
なぜか私はあなたに意見をしたくて仕方がないのです。
何か私を突き動かせる、何かがあるのか・・・。
今、私はそれが知りたくて仕方がないのです。
無礼な発言、すいません。
447 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 18:44:25 ID:4ob3b5uO
>>443 蓮華さんは、まだ22歳だそうだが、若しそうなら、宗教などに現を抜かす
前に、まず現実の人間とその社会という一大聖典から学ぶべきでは。青年時
代は二度と帰らない。一度きりの人生を酔生夢死に送ることになる羽目にな
るよ。
448 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/29(金) 18:47:21 ID:m+0I9JrL
>>447 >まず現実の人間とその社会という一大聖典
さぁ〜、いよいよ宗教がかってまいりました、無宗教スレの重鎮さんです!^^
449 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 19:01:32 ID:4ob3b5uO
>>448 一握りの特定の精神異常の人間が書いた教典より、遥かに健全、長期的、
総合的で、叡智に満ち、信頼できるものであることは確かだろう。圧倒的に
多数の人間の智恵が結集されているのだから。
すべての宗教の教典を集めても、木の葉一枚に宿る神秘さえ解明できない。
450 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 19:12:00 ID:egjfnjhH
>>447 >まず現実の人間とその社会という一大聖典から学ぶべきでは。
それはあなたでは・・・。
まず物事には順序というべきものがあります。
このようなこと(>)を断りも無く言い、無礼な振る舞いをし、節義をわきまえないあなたの方では・・・。
それと偉大な宗教家は現実社会を知るからこそ理想の社会をを持つのです。(そんな人に憧れます)
理想がない現実主義者は無意味、また現実社会を知らぬ理想主義者は無意味なのです。
>一度きりの人生を酔生夢死に送ることになる羽目になるよ。
ですので、この言葉物事の理屈と道理を知らないあなたにお返しします。
何でしたらこの文に勝るあなたの文面を見てみたいものですね。
451 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 19:16:24 ID:egjfnjhH
>>448 >無宗教スレの重鎮さんです!^^
とうとう盲目したか・・・。
>無宗教スレの奈菜氏なのに誰だかすぐ判る重鎮(笑)
無神スレも他のスレも重鎮は本当の名無しさんです。
452 :
キュロス :2005/07/29(金) 19:18:46 ID:3oai1NiB
彼の理屈は 神人同形論的思想 に似ているのだけど 雑なんだね。もう少し丁寧にすると 面白いんだけどね。
453 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 19:21:06 ID:egjfnjhH
>>447 しかもあなた私の推測だと220さんでしょ?
ごまかすならもっとうまくごまかしなw
あなたの文面からあなたがにじみ出てますよw
454 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 19:57:03 ID:VybMUjcv
ID:4ob3b5uOよ、あんたがどう考え、なにを価値観に生きようが勝手だが、 てめえの価値観を他人に押し付けるんじゃねぇよ。 人々の争いの根本的な原因は、宗教どうこうではなく、人の心に巣食うエゴが 巻き起こすんだよ。 現世にすべての価値をみいだすおまえは、 キリスト教徒からみればおまえは可哀想な人にしかみえないし、 仏教徒からみれば、お前のような奴は、無明に囚われた哀れな凡夫としかみえない。
455 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/29(金) 19:58:52 ID:m+0I9JrL
>>451 >無神スレも他のスレも重鎮は本当の名無しさんです。
そうでつよ^^;
でも「ああ、いつものあの奈菜氏さんだなぁ」と思う、そんな人だという意味です。
456 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 20:00:42 ID:FmTqHRRR
>>454 >宗教どうこうではなく、人の心に巣食うエゴが巻き起こすんだよ。
私の身勝手ながら、ごもっとも。 そして私も同意見です。
457 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/29(金) 20:01:50 ID:m+0I9JrL
>>蓮華たん ねぇ、あの奈菜氏たん、本当に220たんなの?(驚)
458 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 20:04:33 ID:w6DRTA/v
>>450 >それと偉大な宗教家は現実社会を知るからこそ理想の社会をを持つのです。
それは事実ではない。「偉大な宗教者」は、「額に汗して」働いた生活者では
なく、また家族の生活に責任を負う家庭人でもないから、人生の真実や愛など実感
としてわかる訳がない。生活から遊離して、頭の中で考えただけ。
私は220さんではない。文体から容易に判断できる筈。
459 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/29(金) 20:07:15 ID:m+0I9JrL
>>458 修道士達は修道院で自給自足の農業を営んでいるけど、それは生活者じゃないんだ?
貴方,よっぽど高潔な生活をしているんだろうね^^
それから、一休宗純翁のことを調べた方がいいよ。
460 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 20:19:36 ID:w6DRTA/v
>>459 修道士たちは、ひたすら自分の救い、自分の満足のために自給自足の生活を
送っているのであり、外部社会への寄与はない。即ち肝心の「他者への思い」
が欠けている。衣服や電気等に、外部社会からの恩恵は享受しているはず。
社会奉仕している修道士たちもいるが、それは専ら自分の救いのため、自分の神
のために過ぎない。
461 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/29(金) 20:20:42 ID:m+0I9JrL
>>460 原発の恩恵をたっぷり受けて、化石燃料を子孫からふんだんに奪って生きていくよりは、
よっぽど他人に優しい生活だと思うけど?^^
462 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 20:20:52 ID:FmTqHRRR
>>455 ・・・。
>>457 正直、私は220さんと思いましたが、でも220さんが名を名無しさんにして書くとはどうも思えないし、
よくわからない。
それに彼は、>私は220さんではない。と言ってますし・・・。
XYZさんの推測では誰だと思いますか?
だからキリスト教徒も布教なんてすんなよな。 お仲間うちから出てこないように。笑
464 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/29(金) 20:28:52 ID:m+0I9JrL
>>462 いえね、あの人は今までHNを使ったことは無いと思います。
名づけるとすれば「現実の人間崇拝教の教祖たん」^^;
去年からずっと(他の人から言わせれば何年も前から)、主張の変わらない人です。
ついでに文体も。^^
キーワードは「現実」「人間」「架空の神」
465 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 20:31:37 ID:FmTqHRRR
>>458 私の心の定義では宗教家とは、主に宗教を論ずる者。(ですので無神論者も含まれます)
そして宗教者とは、主に宗教を信仰する者。
ですので、
>それと偉大な宗教家は現実社会を知るからこそ理想の社会をを持つのです。
それは事実ではない。「偉大な宗教者」は、「額に汗して」働いた生活者では
なく、また家族の生活に責任を負う家庭人でもないから、人生の真実や愛など実感
としてわかる訳がない。生活から遊離して、頭の中で考えただけ。
?? です。 (ここ別に反論しなくてもいいですよ)
>私は220さんではない。文体から容易に判断できる筈。
ならあなた誰ですか?
正直私にはあなたが誰なのかわかりません。
466 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/29(金) 20:37:58 ID:FmTqHRRR
>>464 >いえね、あの人は今までHNを使ったことは無いと思います。
そうなんですか。・・・
>キーワードは「現実」「人間」「架空の神」
220さんにそっくりですねw
467 :
勝者になる :2005/07/29(金) 20:41:49 ID:J83bP7qG
キリスト教にどっぷりと浸かっていた数年間。
弱者であることが尊いかのような錯覚に陥っていた。
この世での勝利、名声、権力を求めるものは悪とされ、
自己犠牲こそがイエスに従う道かのように、
耐え忍ぶ姿こそが美しいと思い込んでいた。
しかし、それこそが実は、
キリスト者が望んでやまない永遠の勝利の姿であり、
弱者の姿をしながら、この世で得られないものを
永遠の神という強者への、寄らば大樹の陰的考え方だと
思うようになった。。。
神の存在を信じて生きることは否定しない。
ただし、必要以上の罪悪感を押し付けられ、
神の罰を恐れて小さく息を潜めて生きるキリスト者は
いったい何が幸せだというのだろうか。
この世での勝利を望んで、何が悪い。
常に、戦いは自分の中の自分とである。
他者と比較するものではない。
最後の最後まで諦めない。
自分を悲劇のヒーロー・ヒロインにしない。
勝つことにこだわり続ける。
それでいいじゃない。
私はこれからそうやって生きていく。
ttp://carlton.livedoor.biz/archives/50044049.html
468 :
名無しさん@3周年 :2005/07/29(金) 21:37:28 ID:2PgmHC7U
>>429 ::創造主が、心身ともに自分に似せて作ったのは、「この世でひたむきに生きる人間」
::創造主 に対する傲慢・不遜・冒涜の行為ではありませんか
信じる創造主はどんな方ですか?
どうやって見つけましたか?
469 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 03:36:57 ID:DeY0EX3t
そういえば創世紀には、なぜか二つの 人間の創造物語があるんだよね。
470 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 05:09:38 ID:xnOP9IfP
470get
472 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 08:53:48 ID:F7Zp/bx8
創世記1-2はなぜ重奏的表現なのか。
473 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 09:42:11 ID:GMYpo2vF
>>468 宗教の方々に呼びかけるために創造主をいう言葉を使っただけで、人間がどうして
出来たかなど、作られた人間の脳味噌で何千年考えても判ることではありません。
創造主が作ったのなら、その創造主は誰が作ったかという疑問が無限に生じます。
創造主が自然に発生したのなら、人間を含みこの世界も自然に発生したと考えても
ちっともおかしくありません。
創造主=万物の不可知の発生原因、または自然の摂理、と考えればよいでしょう。
宗教の方々には、一体どうしてこの不可知な発生原因が判るのか、誠にもって不可思議
です。
>>469 創世記だけでなく、聖書には矛盾や誤りが無数に存在します。大昔の人々が書いた
のですから、当然のことです。すべて翻訳ですから、翻訳の誤りも無数にあるでしょう。
宗教の方々が、そのような聖書の一字一句を信じられるのも、また不可思議です。
474 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 11:06:10 ID:dRt/cH8P
>>469 >>472 そんなの分かり呆け分かってるよ...
2つの伝承を基にして書かれてるだけだよ....
と言うより、ユダヤの古伝承(J伝承)が書かれた
後に創世記の総合編集者達(J・P・D・E)が
その後に経験した物を基にして再認識したものを
書き足した(1−2/3)という事だよ...
聖書は神が書いたなんて言ってる馬鹿な教会はそんな事
認めたくないだろうから、いつまで経っても謎だろうけど
(謎でないと商売しにくい)、そんな事はかなり昔から
分かってる事だよ
>>473 とある改革派教会のHP一文
聖書が書かれた理由がどこにあるのか、ということを考えてみると、
それは救いに関わる信仰と人間の生き方を教えるためです。
そして、その前提として、宇宙と人間をお造りになった創造者である神が、
ご自身を天地の造り主であり支配者であると聖書の中でお語りになっていらっしゃるわけです。
このことは、科学的な探求によって間違いないとお墨付きをいただくような問題ではないはずです。
聖書が語っていることの権威は、神ご自身の権威に由来するのです。
ですから、ほんとうに神が天地の創造者であるのかどうかを、科学と対決して確認する必要もありませんし、
科学によってそれを権威付ける必要もないのです。
それに、創世記の第一章は、科学的な関心を科学的な言葉で書いているとは、どう見ても思えません。
聖書が書かれた目的が、そこにはないのですから当然と言えば当然です。創世記の第一章に記されていることは、
信仰的な関心から、神の御業を描いたものです。いかに神がこの世界を秩序立てて創造し、
恵みと慈しみの中で生き物に命を与えられたのか、そのことを信仰の目をもって読み取らなければ、
創世記が書かれた意味がなくなってしまいます。
要するに一言で言えば、聖書が書かれた目的に添って聖書を読むということ、その一言に尽きるのだと思います。
では、神が天地万物を創造されたことを信じるクリスチャンは、宇宙の生成を巡る科学的な探求に対して、 どのような態度で臨むべきなのでしょうか。その場合、神の創造を信じる信仰を一時的にストップさせて、 中立な立場で研究に望むべきなのでしょうか。 わたしは、それは良心的なクリスチャンにはできないことだろうと思います。 むしろ、神が創造主であることを固く信じながら、科学の前提と方法論で研究に励むべきでしょう。 ただ、その研究の成果によって、聖書の正しさを証明しようなどと言う邪道は慎むべきだと思うのです。 その動機は一見信仰深いように見えるのですが、結果として聖書の権威を科学のもとにおいてしまうことになるのです。 信仰とは科学の権威によって有無を言わさず信じることなのでしょうか。 神はそのような方法で人が救いにいたることを望んでいらっしゃるのでしょうか。 このことは無神論を自分の立場とする科学者にも言えることです。その研究の成果によって、神がいないこと、 聖書が間違っていることを証明しようなどと考えることは、科学の本来の目的を見失った邪道な研究に過ぎません。 先ずは学問的な前提と方法論に徹して、理論なり学説なりを組み立てるべきなのです。 そして、そのようにして出てきた結論が、人間の人生や宗教にとってどんな意義があるのかという問題は、 厳密には科学の問題でありません。それは科学的研究をしている科学者の人生観、世界観なのです。 それによって振り回される必要もないことでしょう。クリスチャンはクリスチャンとしての人生観世界観でものを考え、 無神論者は無神論者の人生観世界観でものを考えるのです。 ですから、一人の信仰者として、創世記第一章を読むときには、聖書の権威に膝をかがめて、 徹底的に神の栄光ある御業をそこに読み取ることが大切なのです。 また、科学に接する時には、科学の前提と方法論に忠実に従っているか、徹底的に検証することが大切なのです。
477 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 11:10:03 ID:dRt/cH8P
私自分の宗籍をイスラムとしてますが、もう一つ属してる教団が ありますので紹介しておきます。 私は阪神教団甲子園教会の信徒です。 聖地甲子園球場には野球の神様がいます。たびたび巡礼に参ります。 この聖地を巡礼して、賛美歌である六甲颪を歌うのが信者の勤め です。野球道最大の異端者ジャイアンツを潰し、お決まりの首の挿げ替え に追い込み、好敵手の中日様とのマッチレースで野球界を賑わせていただく 事になるでしょう....わはははははは
478 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/30(土) 11:28:01 ID:T94TO1SP
>>473 >創世記だけでなく、聖書には矛盾や誤りが無数に存在します。大昔の人々が書いた
>のですから、当然のことです。
なるほど。では、その聖書の矛盾というやつを
いくつかあげてもらえますか?
それが出来ないのであれば、あなたのご意見は無意味です。
>>473 ::創造主=万物の不可知
::創世記
神様は確かに不可知。不可知ながら万人に知覚できる存在として 「わたしはある」
とおっしゃる、受肉前の神の御子イエスキリストの聖霊が創世より関わっていると考えます。
創世記1・2の重奏的な意味も三位一体の信仰から追求できると考えてています。
480 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/30(土) 11:53:23 ID:T94TO1SP
●聖書とはイエスを証するものである ということです。 イエスとはどういう人物であるかを知るために聖書は必要です。 そして、イエスを知ることは、聖書によれば永遠の命なのです。 聖書の中に永遠の命があるわけではありませんが 永遠の命を得るために、聖書は有益です。 この「命」「神」「イエス」というものを理解するべく 聖書は存在してくれています。 しかし、すべての人が、すべての聖句を理解できるわけではありません。 神から頑なにされている人は、その意味が少しも理解できないからです。 これが、イエスを受け入れないものは、すでに裁かれている、という聖句の 意味になります。
481 :
キュロス :2005/07/30(土) 11:58:35 ID:4Z77FCo8
>>473 創世記1.1〜2.4は 安息日規定だろうね。
神が 天・地と同様に安息日を創造した と言うことだね。
この聖書の個所で面白いのは 太陽が昇るから昼に成る
のではなく 神が 「光あれ」と「言われた」から 昼になる
と言うところだね。
毎朝 神が「光あれ」と「言われ」るから 昼になるのですね。
つまり 毎朝 神の「光あれ」という「言」が地上に
響きわたっているのですよ。
たぶん ヨハネ福音書の1章を読むと面白いよ。
ヨハネ福音書の著者も この辺を狙ったのだろうね。
482 :
キュロス :2005/07/30(土) 12:18:28 ID:4Z77FCo8
創世記1.6〜1.7の 「第二の日」に創造した物は 良しとされないのですね。 なぜ良しとされないのですかね?
>>481 勿論スタンダードではないと思うけど、
「光あれ」は幾つかの根源的意味が重ねられていると考えられる。
創世記1・2の真相(・・と思っている)を説くべくキーワード。
それは「光あれ」とはイエスキリストの位格を表す。
すると482での差異も説明がつくと考える・・・
まだ追求途上だけどこの場で調べつつ展開してみようと思う。
と思ったけど時間が来たのでさようなら・・・
485 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 12:54:58 ID:dRt/cH8P
>>483 >それは「光あれ」とはイエスキリストの位格を表す。
嘘言うなよ、ヨハネ福音書は「神とともにロゴスがあった
ロゴスは神であった」とありますよ...
イエス・キリストの位格は「ロゴス」ですよ...
ヨハネ福音書の編者は、ギリシャ神話からヒントを得たんだと
思うよ。ロゴス(言葉を司る神)について調べてみなさいよ
共観福音書にそれはないよ...
だいぶ前に「光あれ」は誰に命令してるか論議したんだよ
多神的(あるいは神の多面的)概念があるんだよ、
486 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 13:12:09 ID:dRt/cH8P
ロゴス... ギリシャ哲学では、「言葉を司る神」から「理性を司る神」 と言うよりも「理性」そのものを表す言葉になってましてね 共観福音書とヨハネ福音書とでは、聖書は劇的に変質してるん だよ...それをまともに説明できる教会は残念ながら 全くありませんのでね
487 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 13:14:30 ID:9A5r2WX2
原初の神様と共にあって、光あれ、という言葉とすれば不都合は無いでしょ。
488 :
キュロス :2005/07/30(土) 13:31:32 ID:4Z77FCo8
>>486 ヨハネ福音書では イエスは成就したトーラ(モーセ五書)
なんだよ これはマタイ福音書と同じ考え方なんだね。
ヘブライ思想(神観念)的なものを ギリシャ語で表現しているだけなんだよ。
だから ギリシャ思想で ヨハネ福音書を解釈しようとする
ことは 全く無意味です。
この方法で導かれる結論は アナタが嫌いな いわゆる教会の教え
と全く 同じになると思いますよ。
489 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 14:42:55 ID:gIcCCBcl
多神か唯一の神か... キリスト教徒は生理反応的に否定するだろうけど キリスト教は多神教ですよ... 三位一体なんて言う下らない理屈で誤魔化してるけど どう見ても神とイエスと聖霊はそれぞれ全く相容れない 違う客体だろうね... 旧約(ユダヤ教)で煩く唯一なる神を主張してるのは ヤホベにはライバルがいっぱいいて、その中でユダヤ人 の守り神は唯一ヤホベだけだと言う事だとおもうよ... 創世記の「光あれ」やヨハネ福音書の「イエスはロゴスだ」 と言う聖句を考える時は、多神として捉えた方が分かりやすい と思いますね...そんな事を言ったらまた馬鹿な信者が 騒ぎ出すかも知れないけど...
490 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/30(土) 15:48:10 ID:DVB1KvDs
>>489 >キリスト教徒は生理反応的に否定するだろうけど
>キリスト教は多神教ですよ...
>三位一体なんて言う下らない理屈で誤魔化してるけど
>どう見ても神とイエスと聖霊はそれぞれ全く相容れない
>違う客体だろうね...
私もキリスト教は多神教と思ってますよ。
三位一体論
父と子と精霊という三位格による相互連関
正統派:三者は本質と働きを共有する
従属説:キリストが神より劣る
精霊異質論:精霊は神やキリストよりも劣る
様態論:名は異なるが、単一の位格
491 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 16:21:22 ID:9A5r2WX2
イエス様は「中保者」であるとして、 神様は無限の神様だから、見えない。人と交わるために「存在」(わたしはある)という位格というか、愛を用意された?みたいな?
492 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 16:44:58 ID:J/LZxBk6
>>488 >ヨハネ福音書では イエスは成就したトーラ(モーセ五書)
>なんだよ これはマタイ福音書と同じ考え方なんだね。
成就したトーラってどう言う意味ですか?...
ヨハネの何処(どう言うセクトの人が書いた)の部分ですか?
>ヘブライ思想(神観念)的なものを ギリシャ語で表現しているだけなんだよ。
>だから ギリシャ思想で ヨハネ福音書を解釈しようとする
ヘブライ思想って何ですか?
ヘブライ思想にロゴスの概念がありますか?
もちろんヨハネ福音書を書いた人達は、殆どがユダヤ人だと
思うけど、ロゴスにしてもゾーエイ・アイオノスにしても、ギリシャ
哲学で散々論議されたテーマですよ...それで、その手の概念
が旧約聖書にありますか?...って書くと、キリスト教徒は
必死になって、それに近い言葉を捜してくるんだけど...
ヘブライ思想(神観)にこんな物があるとはとても考えられませんがね
493 :
キュロス :2005/07/30(土) 17:31:30 ID:4Z77FCo8
>>492 トーラを、律法と翻訳した ことが間違いの始まりよ。
また へセド を アガベー(自己犠牲的愛) と翻訳した
ことが あの代理贖罪論の始まりよ。
だから アンタの方法は キリスト教会の方法と同じなんだよ。
494 :
キュロス :2005/07/30(土) 17:45:18 ID:4Z77FCo8
旧約聖書に無い 概念が 新約聖書にあるわけ 無いでしょ。 ヨハネ福音書の著者は ヘブライ的(旧約的)なものを ギリシャ語で その福音書で 説明しようとしてるんだよ。 言いかえれば その福音書全体から イエスとは誰か と言うことを 説明しているんだよ。 だから 「ロゴス」の意味だけを 調べても 無意味なんだよ。 その方法は あまり上等ではない教会の 説教と同じなんだよ。 先週はマタイ 今週はヨハネ 来週はマルコ なんて飛び飛び で説教されたら 折角の福音書が 台無しなんだよ。
495 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 18:25:53 ID:J/LZxBk6
>トーラを、律法と翻訳した ことが間違いの始まりよ。 何と訳すのが良いんですか? >また へセド を アガベー(自己犠牲的愛) と翻訳した >ことが あの代理贖罪論の始まりよ。 ????????...こんな話は聞いた事がないですが 代理贖罪論はパウロじゃないの.... ヨハネ福音書に代理贖罪論ありますか? >旧約聖書に無い 概念が 新約聖書にあるわけ 無いでしょ。 だから旧約聖書からロゴス論を示してくれって言ってるんだよ 旧約のどのあたりにロゴス的概念があるんだよ... >ヨハネ福音書の著者は ヘブライ的(旧約的)なものを >ギリシャ語で その福音書で 説明しようとしてるんだよ。 だから、そのヘブライ的って何だと聞いてるんだろ...? >言いかえれば その福音書全体から イエスとは誰か >と言うことを 説明しているんだよ。 何を言い換えて、イエスとは誰かを説明してるんですか? >その方法は あまり上等ではない教会の 説教と同じなんだよ。 >先週はマタイ 今週はヨハネ 来週はマルコ なんて飛び飛び 上等ではない教会は確かにその手法で行いますがね、僕は 何回もヨハネ福音書全部を読んでますよ、何回読み直しても ヘブライ的な福音書(共観福音書)とは全く異質な主張が あるんですよ、その異質さのルーツを調べていたら、まるまる ギリシャ哲学だったと言う事なんですよ... 御貴殿が感じ取られてる共観福音書とヨハネ福音書の違い をご説明いただけないでしょうか...
496 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 18:30:26 ID:9A5r2WX2
キリオの、神様が言っているから日がのぼるっていうのは、不確定性原理を神様の偏在性に当ててるのでしょ?
497 :
キュロス :2005/07/30(土) 19:06:02 ID:4Z77FCo8
まず
>>494 の下記の一行を 削除します。
>旧約聖書に無い 概念が 新約聖書にあるわけ 無いでしょ。
>>495 >何と訳すのが良いんですか?
まあ トーラは「教え」 だろうね。
トーラを70人訳で 「律法」を意味する「ノモス」に訳したのが
間違い(誤解)の始まり。
>だから、そのヘブライ的って何だと聞いてるんだろ...?
ユダヤ的なのも ギリシャ的では無いもの かな。
例えば ギリシャ神話と旧約聖書の神観念は 明かに違うと
思うよ。また 「ネフェシュ(たましい)」の考え方も 日本のそれと ちがうとおもう。
「ネフェシュ(たましい)」は 身体の一部分なんだよ。
「ネフェシュ(たましい)」と身体とは分離できないんだよ。
ネフェシュは もともと 「喉」という意味だったからね。
>何を言い換えて、イエスとは誰かを説明してるんですか?
ヨハネ福音書の著者は その福音書全体でイエスとは何者か
と言うことを説明している と言うことです。
>共観福音書とヨハネ福音書の違い
三つの共感福音書の主張は それぞれ違うと思うよ。
498 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/30(土) 20:47:27 ID:a85vCxX6
>>497 >まあ トーラは「教え」 だろうね。
キリスト教徒にとっては、「教え」レベルかもし知らんが
ユダヤ人にとっては絶対守らなければならない「掟」だよ
旧約聖書には(特にモーセ5書)には、この掟を破った者が
処刑される記事が一杯ありますよ...掟だとしたら「律法」
と訳す方が正解だと思うけどね...キリスト教ができる
時にトーラーの捉え方が変わったと言う事で、誤訳ではないW
>その福音書全体でイエスとは何者かと言うことを説明している
>と言うことです。
ヨハネ福音書に出てくるイエスは、贖罪でもなければ、救い主でも
ないよ
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
これが、ヨハネ福音書では表現を変えて何回も出てくるんだよ
この主張は共観福音書にもパウロ書簡にも、もちろん旧約にもない
(最近は、どうも「救い主」という言葉が実はこれではないかと言う
思いがあるが、まだ自信を持って言えるレベルではないので)
499 :
キュロス :2005/07/30(土) 20:51:37 ID:/MLNhw1b
>>490 >私もキリスト教は多神教と思ってますよ。
多神教だと パウロの原罪論は崩壊するんだよ。
唯一の創造主とアダム契約を アダムが破ったから
アダムの子孫は全て死ぬ者となった のです。
アダム以来 全ての人が死ぬ(聖書には一部の人の例外もあるけど)
と言うことは 唯一の創造主と全ての人とが 契約を結んだことであり
今もその契約が有効だ と言うことです。
これが 多神教だと その契約を結んでいる人と 結んでいない人が
いる可能性があります。
唯一の創造主との契約を結んでいない人がいる と言うことは
死なない人がいる と言うことです。
しかし全ての人が死ぬ と言うことは 神は唯一だと言うことです。
パウロの原罪論は 唯一神 の説明が主目的で いわゆる「人は罪人であり
堕落している」と言う主張は その派生的な物だと思います。
500 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 20:58:07 ID:9A5r2WX2
国が滅ぶころには守ってらんないよね。 箱もないんでしょ?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
差別されたと申請した選ばれた2万人に[・・・だれが選ぶのか判らんが・・・]
拳銃・スタンガン・麻酔銃などが配られ「令状」なしに「お前、差別しただろう・・・
朝鮮人て言った。障害者っていった。ソウカっていった。部落って言った。オウムと言った。
麻原ショウコウは熊本の朝鮮人で障害者でソウカと部落で繋がっていると言った。と
言いがかり」質問・逮捕監禁・攻撃(発砲・感電・麻酔かけなど)が出来ると言う。
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/mona/1116005852/800-814 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
502 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/30(土) 22:20:33 ID:T94TO1SP
>>493 >トーラを、律法と翻訳した ことが間違いの始まりよ。
>また へセド を アガベー(自己犠牲的愛) と翻訳した
>ことが あの代理贖罪論の始まりよ。
大変興味があります。
よろしければ、もっと詳しく教えてもらえますか?
503 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/30(土) 22:24:30 ID:T94TO1SP
キュロスさんは、ヘブライ語を勉強されているのですか?
504 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/30(土) 22:29:47 ID:BVifw112
>>499 少なくともイスラム信者はキリスト教を一神教とみてませんよ。
そして仏教徒でも少なくとも私はキリスト教を一神教とみてませんよ。
そしてその文の言ってる意味は理解できましても、なぜそうなるの??
ってなりますよ。
505 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 22:59:06 ID:AohwUYA8
10年も前の話だけど取引先の総務部長が 、韓国人の総会屋に一歩も引かなかったんだけど、 高校生の娘がレイプされて陥落。 ピストルをあそこに突っ込んだ写真を送ってきたらしい。 ネガは返してもらったらしいが 親にしたらたまったもんじゃないだろう。 アメリカは スポック博士の育児書で出来た様なもの 肌の露出や裸の第三者漏洩は管理しないし、 体の接触の制限や人の見抜き方に、付き合って良い悪いは教えないし レイプは多いし、言葉の教育はないし 母親は男の子の暴力制御をするような姿勢はないし、女を守る躾はしないし 違う文化の相手を理解する姿勢を教えないし、まともに男を育てられない カトリックのような悪事を定められた者に告白し 反省し償うのはどうするか決める儀式や制度がない。というより廃止した。 爵位を与えて兵権を取り上げる刀狩りのような 武器管理と平和がない 教区制異端審問や宗門改めのような 道徳管理で悪事の張本人や集団を取り締まった歴史がない。 禁酒法は、利権の制限に近いような気がする。
506 :
名無しさん@3周年 :2005/07/30(土) 23:04:16 ID:AohwUYA8
森林インディアンのイロコイ族を絶滅させた。 無理やりキリスト教会に通わせたが、逃げ出し、 白人達がカワハギを教えた方法で 探し出して白人の農場に引きずり出すのに反抗し、捕虜の白人をカワハギした。 逆上した白人達がイロコイ族の集落を襲撃し、イロコイ族の母娘をレイプし殺す。 殺された母の股は広げられて晒され、娘は農園のした働きで酷使して食べ物を与えず死なせる。 赤ん坊はその母親の乳房に吸わせた形で生首だけ置き、手足をバラバラに投げ捨ててある。 怒り狂ったイロコイ族は、白人に数十の部族で仕返しの挙に出て 捕虜の白人を松の枝にフォークのように串刺しにして回る。 森林は一面、足をバタバタさせる串刺し白人の悲鳴と血のにおい。 捕虜の中には体中を、鋭い石器(鈍い切れ味)で切れ筋だらけにされ 泥道や腐った沼の縁に転がして回って腐臭のにおいが立ち込める。 阿鼻叫喚なのに笑い声を出す。 このような惨劇を繰り返しつつ、 森林インディアンは増加する白人移民に圧倒され絶滅した。 この絶滅跡地には、インカやアステカのような カラー石と簡単な金属類の小道具や装身具が出て ラテンアメリカの黄金郷があるような錯覚で、金鉱脈探しに熱中するものが出てきた。 そのなかにモルモン教の教祖が母の借金返済で困った姿があった。 彼の頭の中には、金鉱脈の山探しのヒラメキ以上の予言が発生した。
507 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/31(日) 02:35:36 ID:3Wk73ea5
>>499 パウロの原罪論が崩壊すると言っても、僕にいわせれば
この原罪論そのものが空論なんだな..あの時期にだけ
通用した書簡の様な気がするよ
社会が安定している時には無理な理屈をこねてるような
気がするんだW
508 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/31(日) 02:58:01 ID:OREKmr+/
ココモさんはイスラーム信者の方なんですか?
509 :
220 :2005/07/31(日) 04:54:32 ID:/AWHDK0t
私が220と名乗ってから、この板で「名無しさん@3周年」で発言したことは有りませんが?
510 :
220 :2005/07/31(日) 04:58:18 ID:/AWHDK0t
それに宗教者をバカ、アホ、精神異常者と罵ったことも一度もありませんので!( ̄ー ̄) 感情論的な議論はキライですのでw
511 :
220 :2005/07/31(日) 05:07:04 ID:/AWHDK0t
XYZさん「たん」呼びは勘弁してちょうだいw
512 :
220 :2005/07/31(日) 06:21:12 ID:/AWHDK0t
私が聖書やコーランなどの経典を危険視するのは、存在しない神を妄想しているからではありません。 難解な言葉や危険な思想が書かれており、それ読む全ての者に平和的な思想だけを植え付けさせるものでは無いからです。 他の書物でこれほど宗教戦争、自爆テロ、民族浄化、政教癒着、カルトなどの問題を引き起こすものはあるのでしょうか? 次に挙げるすれば哲学書でしょうが、哲学書の内容を妄信してしまうことに危険性は感じませんか? 人間の思想による危険性は神の想像すらも超えるでしょうw
513 :
名無しさん@3周年 :2005/07/31(日) 09:28:19 ID:WB3D68nR
■宗教が世の中を悪くするのか■ 無宗教という立場は、宗教の存在を知り、相対的に論じるため本質的に無宗教 とは言えない。 真に無宗教の者というのは、宗教概念の全くの無知の者こと。 ■宗教とは何か■ 多々論じられるが、共通する俯瞰的要素として。 「ある現象に対し、ある種の執着の念を持ち続ける行為。」 @個人、特定の人、皆を救ってくれる現象を的にする執着行為 A故人、または生きている指導的な人をある種の的にする執着行為 B美しく心和らぐ現象に対する執着する行為 C自分自身が何でも出来ると感じる心を抱き、実行する行為。 ■人の知恵が起こす宗教■ 中でもC
514 :
名無しさん@3周年 :2005/07/31(日) 09:53:14 ID:WB3D68nR
@には政治、法律も含まれる。全体の為に、全体の未来の為に、 目に見えない未来の文化像がそこにはある。 Aは現象に対し畏敬、尊敬、の念を持つ。死んですら畏敬、尊敬が続く。 B個人の美的感覚に由来するが、相対的である。心和らぐ現象が、偏執的 悪人の行為と評される場合があるから。美学とは宗教とは言い切れないが 紙一重。観察者が相対的に美しくないと思う場合偏執的、宗教的に感じ、C にも通ずる。 C己大明神と評される、自身を神の如くしてしまう、自身に執着する行為。
515 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/31(日) 12:10:34 ID:3Wk73ea5
>>508 20年程前に、日本イスラム協会でアッラーフに宣誓してます。
516 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/31(日) 12:41:19 ID:3Wk73ea5
>>512 >難解な言葉や危険な思想が書かれており、それ読む全ての者に平和的な思想だけを植え付けさせるものでは無いからです。
>他の書物でこれほど宗教戦争、自爆テロ、民族浄化、政教癒着、カルトなどの問題を引き起こすものはあるのでしょうか?
どの聖句が難解な言葉や危険な思想なんでしょうか...具体的に
出していただけないでしょうか...
このwebをごらんいただいてお分かりだと思いますが、信者は
その実あまり経典を読んでないんです。
カルトやテロリストは、なおさら読んでないと思います。
経典の中からそれらしい言葉をピックアップして、全く関係ない
持論を展開してるだけなんです。その持論を展開する中で
これらの経典を錦の御旗にしてるだけなんです。
もし危険思想が書いてあるとしても、危険思想が書かれてる
文書はごまんとありますよ...問題なのは、これらの経典が
これらの行為を行う時の御旗になってしまう事じゃないですか...
それなら、「聖書の神」とか「聖書的」とか「聖書によれば」
と言って、聖書の内容とはおよそかけ離れた「教会のおっさんの思い」
を信者に植え付けてる人達の問題だと思いますよ
517 :
220 :2005/07/31(日) 13:13:40 ID:/AWHDK0t
>>516 > 危険思想が書かれてる文書はごまんとありますよ...
ごまんと有るなら例を出さなくても知っていると思いますが?
> どの聖句が難解な言葉や危険な思想なんでしょうか...具体的に出していただけないでしょうか...
コーランは詳しく知りませんが↓のような箇所です。
「信ずる人々よ、ユダヤ教徒やキリスト教徒を友としてはならない。彼らはお互い同士だけが友である。おまえたちの中で、彼らを友とする者がいれば、その者は彼らの同類である。神が無法の民を導きたもうことはない。」
> カルトやテロリストは、なおさら読んでないと思います。
過激派指導者がコーランを読んでないとする根拠は何でしょうか?
> 聖書の内容とはおよそかけ離れた「教会のおっさんの思い」を信者に植え付けてる人達の問題だと思いますよ
リベラル派の教会のおっさん(神父、牧師)ですか?
518 :
220 :2005/07/31(日) 13:55:48 ID:/AWHDK0t
>>513 > ■宗教が世の中を悪くするのか■
■無宗教とは■ の間違いですか?
> 無宗教という立場は、宗教の存在を知り、相対的に論じるため本質的に無宗教とは言えない。
> 真に無宗教の者というのは、宗教概念の全くの無知の者こと。
「無〜」は、ないこと、欠けていること、否定、禁止を現す助字です。
無責任とは責任の意味を知らないことではなく責任を持たないことです。
右翼左翼の両方の概念を知っていれば、その者はどちらに該当するのでしょうか?
無宗教という言葉の正しい解釈は、宗教の概念を知らないということでは無く、
宗教という思想を持たないと言うことでしょう。
519 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/07/31(日) 15:47:29 ID:hHKW/7iQ
ユダの裏切りについてお尋ねします。 ヨハネ13−27。 サタンがユダに入った。 ルカ22−22。 人の子は定められたとおりに、去って行く。 サタンはユダに入り、ユダは祭司長達と、銀貨30枚で話をつけますが、 ユダは何故、裏切るようになったんでしょうか? ベタニヤで香油のことを イエスに注意されますが、そんなことではないと思いますし、ましてや ユダは、イエスに選んでいただき、( ヨハネ 6-70 ) イエスの良い業を、 いろいろ、そばにいて自分の目で確かめていたのに、何故、裏切ることを したんでしょうか? 聖句の解釈お願いします。
520 :
名無しさん@3周年 :2005/07/31(日) 16:27:14 ID:C1qY4VTB
宗教の思想を観察者が自己の対象に置いた時点で何がしかの信念、属性をもってしまう。自己を認識し、他人と交わるならば、執着属性を得ていると言える。
521 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/31(日) 20:22:26 ID:swpLgxA1
>>519 >いろいろ、そばにいて自分の目で確かめていたのに、何故、裏切ることを
>したんでしょうか? 聖句の解釈お願いします。
その理由は「金」です。
ユダは、イエスを売った金で「地所」つまり、土地を買っていたことが
聖書に書いてあります。
土地を買った、ということは、放浪の生活に決着をつけて落ち着こうと
していたのでしょう。つまり、彼がイエスの弟子を辞めようと考えていたことが
このことから容易に想像できます。だから、イエスを裏切ることも出来たのでしょう。
彼が「金」について関心が深かったことは「香油のマリア」を叱った場面でも
わかりますし、12弟子の金庫番の役割を担っていたことからもわかります。
ヨハネ福13:29
ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、
「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、
貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
522 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/31(日) 20:37:43 ID:swpLgxA1
マタイ6:24 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。 一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。 あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
523 :
名無しさん@3周年 :2005/07/31(日) 21:36:38 ID:C1qY4VTB
あはは、今年もオレ流でしよ
524 :
名無しさん@3周年 :2005/07/31(日) 22:52:21 ID:hWd/+Rud
>>522 >だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
>あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
イエスの教えでは、神に仕える者は、現実の人間を大切にしてはならないどいうこと
ですか。
イエスは労働を軽視しているのですか。富は労働の結果であり、すべての人間が働か
ない限り、自己を含む共同体の生存と維持は不可能なはずですが。
525 :
名無しさん@3周年 :2005/07/31(日) 22:58:05 ID:936qCXJt
キ印ネタですいません。 自己流解釈・危険分子でスイマセン。 サタンなんて、人間を自由に動かせますよ。 ペテロさんが3回イエス様を否定し、ニワトリの泣き声と共に号泣・・・・・・。 そんなの、霊には簡単だよな。 信仰・・・・・と言う容で済まされているけど、不可能だよ。霊の強制介入の行為には。
526 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/31(日) 23:07:34 ID:swpLgxA1
>>524 現実の人間を大切にしなくてよい、などという教えは聖書にありません。
イエスも「隣人を自分のように愛せ」とはっきりと言っておられます。
あなたはどうしてそのようなおかしなことばかり書いているのですか?
もう少し真面目に聖書に取り組んでください。
他者を愛さないものは、真のキリスト者ではありません。
また、労働というものは創世記を見ればわかるように人の義務です。
528 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/31(日) 23:10:21 ID:swpLgxA1
>>524 あなたは聖書に対して、思い込みと勝手な解釈ばかりしています。
少しばかり頭を冷やして、謙虚な気持ちで聖書に学ぶような真摯な
気持ちがないのであれば、あなたはいつまでたっても、そのような
被害者意識から抜け出せませんよ。
いつまでもキリスト者につまらない難癖をつけてくる変な人物のままで
終わりたいのですか?
そうでないなら、もう少しは真剣に聖書を読むべきです。
そういう真摯な気持ちがないのなら、もうここに来なくて結構です。
529 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/31(日) 23:15:34 ID:tysqvxql
ただ『嫌い』は、『嫌い』と同じレベルです。
530 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/31(日) 23:23:40 ID:wLfxBnKY
>>517 >「信ずる人々よ、ユダヤ教徒やキリスト教徒を友としてはならない。
>彼らはお互い同士だけが友である。おまえたちの中で、彼らを友とする者
>がいれば、その者は彼らの同類である。神が無法の民を導きたもうことは
>ない。」
少なくとも聖書ではない(キリスト教徒を友とするななど言うわけがない)
でしょうから、コーランの一説だと思いますがコーランにこう言う排他的な
聖句があったかどうか疑問です。
コーランの時代はユダヤ教やキリスト教の他にも数多くの土着宗教が
あり、キリスト教そのもの(主に聖職者)には多くの批判をしてますが、
キリスト教徒を批判した文章は見たことがありません。ここに何回か
出してますが、ユダヤ教徒もキリスト教徒もザビア人もそれぞれの
神の恵みに授かると書かれてまして、ムハンマドにこういう言葉を書く
発想はないと思います。
>過激派指導者がコーランを読んでないとする根拠は何でしょうか?
彼らから経典を引用した言葉を聞いた事がありません。経典を丹念
に読んでると、その人の口からは経典の文章が頻繁に出てくるハズなんです。
イスラムの場合で彼らの声明やWebを覗いても、コーランの冒頭の言葉
だけです。これは何処のモスクでも礼拝の時に流してる言葉ですので
当たり前ですが、コーランにもいくつか有名な言葉がある様で、日頃
よく読んでる人はこれらの言葉を口にします。
>リベラル派の教会のおっさん(神父、牧師)ですか?
僕が言いたいのは伝統的な教会の神父・牧師よりも、むしろ
新興のカルト教会の宗主達です。
531 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/07/31(日) 23:49:30 ID:wLfxBnKY
>その理由は「金」です。 金に弱いユダを描いてるのは、マタイ教会だけです。 (ついでに自殺したと書かれてるのもマタイ教会だけです) >ユダは、イエスを売った金で「地所」つまり、土地を買っていたことが >聖書に書いてあります。 イエスを売った金(銀貨30枚)は、聖職者達に投げ返してます。 マタイ27/5... 土地を購入した原資は、イエスの共同体の金庫から不正を 働いて着服したものです。 使徒1/18 >土地を買った、ということは、放浪の生活に決着をつけて落ち着こうと >していたのでしょう。つまり、彼がイエスの弟子を辞めようと考えていたことが >このことから容易に想像できます。だから、イエスを裏切ることも出来たのでしょう。 ???イエスの共同体は放浪してたわけではありません。 土地の購入はおそらくイエスとの相談事だと思います。 イエスと共に何か大きなタクラミをしてたと思います。 イエスはユダが何をしようとしてたか知ってたと思います。 (ヨハネ福音書13/27) イエスはなぜ弟子達の前で「お前達の中で私を裏切ろうとする者が いる」と、ユダがいる前で言ったんでしょう... 本当に裏切り者なら、他の弟子達と協力して、ユダを取り押さえる ハズですよ... その計画を全然知らない弟子たちに、「これからユダが 我々を裏切る様な行動をするから、じっと様子を覗って おれ」と言う命令なんじゃないですか?
532 :
220 :2005/08/01(月) 00:10:19 ID:NguVqVba
>>530 > コーランにこう言う排他的な聖句があったかどうか疑問です。
5章51節のようです。
> ムハンマドにこういう言葉を書く発想はないと思います。
ムハンマドが書いたかどうかは問題ではありません。
事実このような思想が伝わってしまっていることが問題なのです。
> 彼らから経典を引用した言葉を聞いた事がありません。
どこで彼らの説教を聞いたのですか?
> 新興のカルト教会の宗主達です。
カルトなどは論外ですw
533 :
220 :2005/08/01(月) 00:16:08 ID:NguVqVba
>>530 ホントにイスラーム教徒の方ですか?
他にも下記のような箇所があります。
(雌牛の章、第190〜192説)
神の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。しかし、度を越して挑んではならない。神は度を越す者を愛したまわない。
おまえたちの出あったところで彼らを殺せ。おまえたちが追放されたところから彼らを追放せよ。迫害は殺害より悪い。
しかし、彼らがおまえたちに戦いをしかけないかぎり、聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない。
もし彼らが戦いをしかけるならば、彼らを殺せ。不審者の報いはこうなるのだ。
これこそ疑う余地なき啓典である。これには畏れかしこむ人々のためのお導きがある(2章2節)
彼を信じ、彼を尊重し、彼を助け、下された光明に彼とともに従う人々こそ、栄える者である(7章157節)
「まことに神は三者のうちの一人」などと言う人々はすでに背信者である。唯一なる神のほかにいかなる神もない。
そんなことを言うのをやめないと、信仰にそむく者どもにはかならず痛烈な懲罰がふりかかるであろう(5章73節)
イエスは、ただの僕(しもべ)の一人にすぎない。われらは、彼に恵みを垂れ、イスラエルの子らへの手本とした(43章59節)
信者というのは、神とその使徒を信じて、けっして疑念をいだかず、財産と生命をかけて神の道で戦う者のことにほかならない。こういう者こそ、誠実者である(49章15節)
534 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/01(月) 00:26:02 ID:4H90rAgy
>>533 そこはあまりにも有名なところで、誰でも知ってるところですが
何処に「ユダヤ教徒」とか「キリスト教徒」と書いてありますか?
そこの問題なんですよ...「お前達に適する者たちと戦え」
を現代の妄想家たちが、「ユダヤ教徒」や「キリスト教徒」だと
してるんですよ....僕はこれを何百回も言ってるんだよ...
535 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/01(月) 00:31:41 ID:4H90rAgy
>>533 >イエスは、ただの僕(しもべ)の一人にすぎない。われらは、彼に恵みを垂れ、イスラエルの子らへの手本とした(43章59節)
この言葉の何処がキリスト教徒の批判なんだよ!!!!
キリスト教そのものなり聖職者の批判だろが!!!!
だから何回も、ムハンマドはキリスト教そのものは批判してる
って言ってるだろが!!!!!
アンタも人の文章を理解する能力がめちゃめちゃ欠落してるんだよ!!!!
536 :
220 :2005/08/01(月) 00:31:43 ID:NguVqVba
537 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/01(月) 00:35:45 ID:FUPYFgZO
>>525 大丈夫ですよ。
悪魔に出来ることは、あなたを誘惑することだけです。
創世記のエバと蛇とのことを思い出してください。
また、ヨブを苦しみを思い出してください。
あるいは、イエスへの3つの試みを思い出してください。
直接、あなたを自由自在に動かすことなど悪魔には出来ないのです。
あなたの「自由意志」には、悪魔どころか神も手を出さないのです。
それほど、あなたという人を神は尊重しておられます。
538 :
220 :2005/08/01(月) 00:37:37 ID:NguVqVba
>>535 > この言葉の何処がキリスト教徒の批判なんだよ!!!! キリスト教そのものなり聖職者の批判だろが!!!!
どこでキリスト教徒批判をしていると書きました?
> だから何回も、ムハンマドはキリスト教そのものは批判してるって言ってるだろが!!!!!アンタも人の文章を理解する能力がめちゃめちゃ欠落してるんだよ!!!!
1例では判らないようなので他の例を出しただけですが?
539 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/01(月) 00:48:42 ID:4H90rAgy
>>533 あのなあ...雄牛の章が過激だというのであれば、先取防衛
の自衛隊も過激な組織になるだろが...人に危害を加えかねない
人間を射殺する警察も過激な組織になるんだよ...
それとこれも何十回も言ってるけど、これを100歩譲って
過激な文章だとしても、この手の文章は五万とあるんだよ
問題なのは、これらの文章そのものではなくて、それを錦の御旗に
して、「キリスト教徒は的だ」と言ってる元締めだって言ってるの
これも何百回言ったら分かるんだろ....
540 :
220 :2005/08/01(月) 02:21:53 ID:NguVqVba
>>539 > あのなあ...雄牛の章が過激だというのであれば、先取防衛
> の自衛隊も過激な組織になるだろが...人に危害を加えかねない
> 人間を射殺する警察も過激な組織になるんだよ...
テロリスト、自衛隊、警察みんな同じ理論で活動しているとでも?
> それとこれも何十回も言ってるけど、これを100歩譲って
> 過激な文章だとしても、この手の文章は五万とあるんだよ
100歩譲らなくても子供でもワカリマスけどね。
> 問題なのは、これらの文章そのものではなくて、それを錦の御旗に
> して、「キリスト教徒は的だ」と言ってる元締めだって言ってるの
>>512 は理解できてますか?
> これも何百回言ったら分かるんだろ....
何百回も言わなくてはいけないように、それらの経典が書かれているからですよ。
おそらく何百年後にも同じことを言ってる人がいるでしょう・・・
541 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 04:11:47 ID:Y3mf7a8z
533 ヘ〜そんな教えがあるのか。 聖堂での攻撃をするな、てところが、ユダヤ、キリスト教を指してるのは容易に感じられる。
542 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 12:26:47 ID:gFsMVvJG
▼創世記1章【「光あれ」 は、神の御子イエスキリスト】から導き出される真相(深相)▲ 創世記1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 一日の始まりは夕暮れ後から。即ち1章4節までは無から有へ向けた原初である。 創世記 1:1 はじめに神は天と地とを創造された。 天とは原初の神様の忌ます所であり、地とは、天の相対てき存在 創世記 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 地には意味が無く、「闇」が存在し、「水」との間に原初の神様が別け立っており、 「闇」 とは永遠の死であり黄泉である。 「水」 とは命であり聖霊を示す。
543 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 12:35:26 ID:It3LsvW5
>「闇」 とは永遠の死であり黄泉である。 >「水」 とは命であり聖霊を示す。 なぜそう解釈したんですか?
544 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 13:11:31 ID:gFsMVvJG
創世 1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 創世1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 「光」を創造し、地を意味のある存在にし、死の世界と分けた。 最初に「良し」 とされた「光」 は、意味のある「地」 に対するための「光」 神の御心に適う「光」 天に対する地に、生と死が混在する為の基礎である「光」 創世1:6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 創世 1:7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの 上の水とを分けられた。 創世 1:8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。 命である「水」を、天の水と地の水に分けた。 「大空」(私達の空ではない)を中間に定め、その上下に「水」=「命」を配置し 上を「原初の天」とは異なる新たな創造の第2の「天」を創られた。
545 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 13:33:00 ID:gFsMVvJG
>>543 まだ思考実験段階だからデータも揃えてないし、文章化するのもぶっつけ本番(爆
投稿してから思い違いに気づくかもしれない (いい加減な性格デシデ・・)
勿論「水」「闇」 は聖書に由り、聖句により示せると思っている。
「水」が「真の聖霊」でなければ、「第2の聖霊」では、と予感の段階・・・
「闇があった」 と始めから定義されており、光に対するものでなく、「水」 即ち「命」に対するもの、原初の天の御魂に相対するものではないだろうか。 水=命、と直接示されるかは定かではないけど、「清い水」にイメージされる。 闇(虚無→永遠の死→罪)に対する水(富→清いもの→永遠の命)
>545 の創世 1:8 命である「水」を、天の水と地の水に分けた。←聖句ではありません・・・甚大なミス
548 :
名無しさん@3周年 :2005/08/01(月) 15:16:53 ID:TS2PUR1+
なぁ、聖書の解釈も良いが、聖書に書いてない罪って結構ないか? 堕胎、自殺など。ユダは自殺したと書いてあるが、それが 罪だとは書いていない。しかし、明らかに自殺は罪だと思う・・・。 女を欲情してみる者は云々・・・の記述は、女に性欲がある事を無視している。 女が男を欲情して見る事もあるわけで。
549 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/01(月) 16:09:25 ID:wW31dgu1
>>521 ダニエルさん
>>531 ココモ先生
ありがとうこざいます。
ユダの裏切りは、共観福音書だと、過越の準備の前に、サタンが入り、
ヨハネだと、イエスから、パン切れを受け取った時にサタンが入るんですね。
この時間の差はちょっと考えさせられます。
▼創世記1章の【「光あれ」 は、神の御子イエスキリスト】から導き出される真相(深相)▲ 創世記 1:10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。 神は見て、良しとされた。 創世記 1:12 創世記 1:18 創世記 1:21 創世記 1:25 ・・・良しとされた。 創世記 1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 創世記 1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。 夕となり、また朝となった。第六日である。 人の創造を他にその都度「良し」とされている。単で「良し」と定義されない「人」は、総括として 創造の「全体調和の中で、はなはだ良し」とされている。 これは「人の創造の為に世界が創造された」とも言えるし、人に込められた可能性を示す。 創世記 1:26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、 空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神様の相談相手「われわれ」 原初の神様以外に示される要素を考えると、 「光」「水」に例えられる存在、と読むのが妥当だと思います。
▼創世記1章の【「光あれ」 は、神の御子イエスキリスト】から導き出される真相(深相)▲ 創世記 1:22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。 創世記 1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。 また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 共通の祝福の目的は、「生めよ、ふえよ、満ちよ」。創造の一端「生む」を行うことが 認められている。24節では人に従わせられる生き物に対しこの祝福は与えられない。 創世記 1:29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、 種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 「全地のおもて」にある実を与えられています。1章では禁忌の実はありません。 具体的には示されない「裏の地」の存在を示しています。ー2章へー
552 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 17:09:29 ID:ca10iqoE
>>526 イエスは、神(イエス自身を含む)の信仰と人間の生命との二者択一を迫られた
場合、後者を優先すべきことを教えてはいません。それが「ニ主に仕えず」の
意味でしょう。そのため、史上、キリスト教によって無数の人命が奪われたのです。
聖書には、イエスの人生経験や人間性の洞察の不足や人間に対する「愛」の欠如から
生じる、誤った、矛盾した、または浅薄・皮相的・冷酷な「教え」が多数存在します。
その一例として挙げたまでです。
非信者からすれば、「ツマラン説教の押しつけは止めれ」と言いたいところです。
「天の父」などという想像上の存在の実在を信じこみ、「イエスは偉い」という
先入観から、聖書の言葉の一字一句を有り難がっているだけではないのですか。
すべての他人の言説は、現実の人間の視点から眼光紙背に徹して読まない限り、
単なる「盲信」であり、創造主が人間に与えた知性と批判力の放棄です。
553 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/02(火) 18:07:17 ID:Okj+RAPf
>>552 >イエスは、神(イエス自身を含む)の信仰と人間の生命との二者択一を迫られた
>場合、後者を優先すべきことを教えてはいません。それが「ニ主に仕えず」の
>意味でしょう。そのため、史上、キリスト教によって無数の人命が奪われたのです。
これは、頭の悪い人には間違っていないように思える文章ですが、
実際には、間違っている内容です。
まず、人の命よりも重要なものとして「神への信仰」という言葉が漠然と
使用されていますが、これが具体的に何を指すのかが不明です。
また、「神への信仰」というものは、基本的に神がわかっていない人には
したくても出来ないことであるはずなのです。
違いますか?
クリスチャンを自称している人たちは、おおむね「神がわかっていない」人だらけなの
ですから、そうした人たちが「おれは神を信仰している」とか「おれは神を信じている」
と考えていたとしても、実際の行動は神の意図とはピントが大きくずれてしまうのです。
だから、イエスは「実で見分けなさい」
(行いでその人の信仰が正しいかどうかがわかる)と言っておられます。
554 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/02(火) 18:10:23 ID:Okj+RAPf
「神」とは、命のことであるのです。 もっと正確に記述するならば、神はあらゆる命の源です。 神ご自身が「生きている」のです。 すべての「命」は神なしには一秒たりとも生きていられません。 これが「神は唯一である」ということの本当の意味です。 このようなことを、きちんと説明できる牧師は、おそらく 世界中をさがしても、ほとんど皆無に近いだろうと思います。 「神の御名」というものが、悲しいくらい誰もわかっていないのです。
555 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/02(火) 18:21:26 ID:bnVKlGxw
>>552 >「天の父」などという想像上の存在の実在を信じこみ、「イエスは偉い」という
>先入観から、聖書の言葉の一字一句を有り難がっているだけではないのですか。
>すべての他人の言説は、現実の人間の視点から眼光紙背に徹して読まない限り、
>単なる「盲信」であり、創造主が人間に与えた知性と批判力の放棄です。
全く同感です。「イエスはなぜ偉いのですか」と尋ねて、今日的価値観で
まともに説明できる人はいないと思います。当時の価値観でとにもかくにも
何でも嘘でも本当でも何でもいいから箔をイエスに付けたのが聖書(特に
共観福音書)です。ダビデ王家の子孫であったり、処女降誕であったり、湖
を歩いたり、嵐を沈めたり...僕はイエスの今日的価値を探ろうとして
聖書研究を何十年もしてますが、残念ながら確信を持てるのは、ただの一人
のナザレの大工の倅以上のものではない事です。それでも当初は「それでも
並みの人間ではなかろう」と思って、さらにいろいろ調べてみましたが
並みの人間ではない部分は、全部それから30−100年間の沢山の人物
の論議の中で造られた人物像であることも分かってます。
ユダの話題がちょっと出てますが、裏切り者ユダについても果たして
本当に裏切り者だったかどうか分かりません。逆にイエス達がユダの
助言に逆らったのかもしれません。
ところが、キリスト教会は一度ある人物にレッテルを貼ると、それが
固定概念になる人たちの様です。これが連中の特殊性で、それを信仰
と言うのかもしれませんが、何処かで一度(イエス...神),(ユダ
...裏切り者),(神...全知全能)と言うものが、言葉だけが
固定概念として残り、日頃の会話や生活に使われるんです。固定概念
だけが彼らの人生なんです。
「ユダは自殺した」だけ残って、自殺はどうのこうのと言い出すんですね。
聖書にはどう見ても自殺とは言いにくい聖句もあるんですが、その検証は
全くせずに「ユダは自殺した」だけが彼らの頭の中に固定概念として残るん
ですね...これがキリスト教徒の特殊性なんですね...
556 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/02(火) 18:25:37 ID:qFbwhA90
>>531 ココモ先生
> (ヨハネ福音書13/27)
> イエスはなぜ弟子達の前で「お前達の中で私を裏切ろうとする者が
> いる」と、ユダがいる前で言ったんでしょう...
> 本当に裏切り者なら、他の弟子達と協力して、ユダを取り押さえる
> ハズですよ...
> その計画を全然知らない弟子たちに、「これからユダが
> 我々を裏切る様な行動をするから、じっと様子を覗って
> おれ」と言う命令なんじゃないですか?
ココモ先生、深読みです。(?) この時点では、サタンはまだ、ユダに入って
いないんです。イエスは弟子を可愛がっていたので、怪しげなユダに
真人間になってもらいたく、忠告をしているんです。だから他の弟子たちは
何も気がつかなかったんですよ。
557 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/02(火) 18:45:07 ID:Okj+RAPf
>>552 >「天の父」などという想像上の存在の実在を信じこみ、
多くのクリスチャンが拝んでいる「天の父」というのは
残念ながら、あなたが書いているように「概念」の産物であって
実際の「生ける神」ではないのです。
これは、ほとほと残念なことです。
イエスは、このように「概念を拝め」などとは一言も言っていません。
イエスが言っていないのに、神がわからないから「神という概念」をひとりひとりの
信者が、頭の中でこしらえて、こうして自家製の神を拝んでいる、というこっけいな
状態になっているのです。
こうしたことは、あなたやココモさんのような冷静な方から見れば、こっけいだと思います。
しかし、多くのクリスチャンがそのようであったとしても、イエスが教えてくださった「天の父」と
よばれる「神」は本当の存在者です。
558 :
キュロス :2005/08/02(火) 19:04:10 ID:oGrpcoVn
>創世記1.1 >始めに、神は天地を創造された。 >ヨハネ福音書 >始めに、言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は、神であった。 この創世記の 「始め」と ヨハネ福音書の 「始め」は、 同じ出来事の始め を指し示しているのですかね? 三位一体論では ヨハネの「始め」と創世記の「始め」は 同じ 出来事の始め では無いよね。 伝統的解釈だと 創世記の始めは どの出来事の始め ですかね? また ヨハネ福音書は どの出来事の始め ですかね?
559 :
キュロス :2005/08/02(火) 19:09:12 ID:oGrpcoVn
>>558 たぶん アリウスさんは 創世記の「始め」と ヨハネ福音書の「始め」
は 同じ出来事の始め だと理解したんだと思うよ。
たしかココモ博士は アリウスさんのことを 詳しかったよね。
ココモ博士は どう思う?
560 :
キュロス :2005/08/02(火) 19:19:00 ID:oGrpcoVn
>>558 ごめん またもや 修正する
>ヨハネ福音書
>始めに、言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は、神であった。
ではなく
>ヨハネ福音書
>始めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
561 :
キュロス :2005/08/02(火) 19:34:15 ID:oGrpcoVn
たぶん 創世記の「始め」は この世の始め だよね。 ヨハネ福音書では この世の始め ではないよね。 伝統的解釈だと ヨハネ福音書の始めは 「全ての時に先立って」 なのですかね。 「全ての時」という 出来事の始めですかね。 もっと 解りやすい説明(表現)」が 無いですかね? ニケヤ信条(ニケヤ・コンスタンチノポリス) より一部引用 >主は全ての時に先立って >み父から生まれ
562 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 19:35:14 ID:ca10iqoE
>>556 >この時点では、サタンはまだ、ユダに入っていないんです。
キリスト教徒は、そのような口から出任せを言ってはならない。サタンとは
何?サタンがユダに入るとは、具体的にはどう言う意味?
イエスの言動が、ユダヤの神(旧約の神)に反していることは明らかであり、
ユダは熱心に神を信じていたので、イエスにサタンが入ったと思い、我慢
できなくなって密告したのではないか。ユダこそ神に忠実だったのではない
か。神に対する裏切り者は、実はイエスではなかろうか。
遠藤周作さんは、ユダを擁護しているそうだね。すべての非信者は、ユダを
擁護し、神に背いたイエスを非難するだろう。
563 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/02(火) 19:53:59 ID:KJaWzGjR
>>557 >多くのクリスチャンが拝んでいる「天の父」というのは
>残念ながら、あなたが書いているように「概念」の産物であって
>実際の「生ける神」ではないのです。
アナタって…何様なの?カミサマ?(苦笑)
…っていう思いを禁じえないのですけど…ー_ー;
アナタから聞こえてくるメッセージはこれだけ。
「ボクには分かっている。君達の殆どは分かっていない。」
すごい自信家だね…見習いたいよ…
564 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 20:04:50 ID:ca10iqoE
イエスが有名になり、神にまでなり上がったのは、ユダの密告により処刑され たのが、唯一の原因。処刑により弟子達の精神が狂うことがなければ、イエス は単なる精神病の現状不満分子。キリスト教徒がユダを「裏切り者」呼ばわり する理由は全くないのでは。むしろ、ユダこそ、キリスト教の最大の恩人である。
565 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/02(火) 20:09:53 ID:KJaWzGjR
>>564 >神にまでなり上がったのは
元から神様だってばぁ。^^
>ユダの密告により処刑されたのが、唯一の原因。
じゃあ、密告により処刑された人はみんな神様になり上がっちゃうんだ???
>イエスは単なる精神病の現状不満分子。
どんな精神病なの?それから精神病でなくても現状に不満を持ってる人は一杯いるけど?
以上のことにより、貴方の以下の結論は根拠を失います。ハイ、オシマイ。
>キリスト教徒がユダを「裏切り者」呼ばわりする理由は全くないのでは。
566 :
キュロス :2005/08/02(火) 20:15:08 ID:oGrpcoVn
ところで ユダの話しは その ユダの土地の購入と エレミヤの土地の購入 あたりを ダブらせていると言う解釈は 強引過ぎるかな。 ユダはイエスに いわゆるイスラエルを回復するユダヤ人の王だ と期待した。 しかし イエスは そのようなユダヤ人の王では 無かった。 そして ユダは 期待を裏切られ 自らイスラエルの土地を買った(所有した)。
567 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/02(火) 20:39:04 ID:qFbwhA90
>>562 さん
> >この時点では、サタンはまだ、ユダに入っていないんです。
> キリスト教徒は、そのような口から出任せを言ってはならない。サタンとは
> 何?サタンがユダに入るとは、具体的にはどう言う意味?
ココモさんの引用がヨハネですので、13;21−30を読んでいただけると、
分ると思います。
13−21 「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを
裏切ろうとしている。」
13−27 ユダがパン切れを受けとると、サタンが彼の中に入った。
サタンとは
>>245 のココモさんの考えていることと同じです。
悪心、出来心、などです。
568 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 20:42:11 ID:pAUlPgU3
ユダには殺意は無かった。だから自殺に至った。
569 :
キュロス :2005/08/02(火) 21:09:03 ID:mGOgdDM/
ペトロの裏切りの動悸は 自己保身 なんだね。 福音書が書かれた当時は 自己保身 から イエス・キリストを知らない と公言することは その後の悔い改めで 許されたのだろうね。 まあ 凄まじい迫害が 有ったのだろうね。
570 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 21:10:14 ID:ca10iqoE
>>565 >元から神様だってばぁ。^^
根拠はゼロ。創造主は一人だけのはず。イエスの生まれたのは2000年前。天地は
何時創造されたの?ちょっと計算すればわかること。
>じゃあ、密告により処刑された人はみんな神様になり上がっちゃうんだ???
イエスが神様になったのだから、他の死刑囚も皆神様になる筈。イエスとは違って、
無実の死刑囚も居ますよ。
571 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/02(火) 21:19:08 ID:KJaWzGjR
>>570 >根拠はゼロ。創造主は一人だけのはず。
へ?創造主が「一人」っていう根拠は何?^^
>イエスの生まれたのは2000年前。天地は何時創造されたの?ちょっと計算すればわかること。
生まれられたのは約2000年前だけど、「生まれる」と「世々の前から世々の終わりまで」いらっしゃる
のとはレベルが違うよ。
ちなみに古生物学者や地質学者によれば、ティラノサウルスが地上に生きていたころは約6500万年前
だってね♪オスミウムやイリジウムといった重金属が高濃度で発見された地層(隕石の後と推測される)
も、その前後の年代だってね?
さぁ、計算してみよー^^ …で?
>イエスが神様になったのだから、
なったんじゃなくて、元から主イイススは神様だったんだってば。
>他の死刑囚も皆神様になる筈。
「神化(テオーシス)」は人間にも出来ますよ。神のエネルゲイアとの一致はね。
でも神そのものとは一致できないのですわ。
>イエスとは違って、無実の死刑囚も居ますよ。
主イイススも無実だったよ…
572 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 21:42:45 ID:ca10iqoE
>>571 >へ?創造主が「一人」っていう根拠は何?^^
イエスがユダや教徒として信じていたヤハウェは、一人じゃないのか。
>生まれられたのは約2000年前だけど、「生まれる」と「世々の前から世々の終わ
>りまで」いらっしゃるのとはレベルが違うよ。
そんな馬鹿なw。まともな人間は誰も信用しないよ。
> 主イイススも無実だったよ…
イエスはユダや社会の秩序を乱し、「私は神の子」と言って神を冒涜した犯罪者。
ユダや教徒たちが激昂して死刑を要求したのは当然。現代であれば、精神病院に
強制入院だろう。
573 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/02(火) 21:47:07 ID:KJaWzGjR
>>572 >イエスがユダや教徒として信じていたヤハウェは、一人じゃないのか。
貴方は一人?
そう。一人だねぇ^^で、貴方は普段、「我々」って名乗るんだ?
>そんな馬鹿なw。まともな人間は誰も信用しないよ。
信用しない人間がまとも ⇒ まともな人間は信用しない
貴方の論法ってこういうことでしょ?残念ながら、論証もしくは証明になってませーん
^^;
>イエスはユダや社会の秩序を乱し、「私は神の子」と言って神を冒涜した犯罪者。
実際神の子だったのに、神からの律法を用いて「冒涜」と判断して処刑した人間
の悲劇だったんだよ…。それほど単純な物語じゃないよ。
>ユダや教徒たちが激昂して死刑を要求したのは当然。現代であれば、精神病院に強制入院だろう。
こわーい。貴方みたいな人が主を磔にしたのかもね…くわばらくわばら…
574 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/02(火) 22:23:05 ID:bnVKlGxw
>>556 ヨハネ福音書13/27の
「しようとしてる事を今すぐしなさい」は、日本の聖書の特徴
なんですが、本当は「なすべきことをすぐしなさい」なんです。
(しようとしてる事をわざわざせきたてる理由はない)
>>560 >>561 アリウス云々ではなくて、ヨハネの編者が創世記を重々
意識した事は、明々白々です。
アリウスだけではなくグノーシスも散々引用してます。
ギリシャ語から持ってくるのは紙面から大変ですが...
サタンが入ったのサタンをキリスト教徒は、悪が入ってそれから
悪事に走ったと考えますが、それはキリスト教的発想です。
ここはむしろ他の弟子にもあからさまにされたので、「覚悟を
決めた」と考えるべきです。まさにイエスからパン切れを貰って
覚悟を決めたわけです。それでユダが出て行った後、他の弟子に
イエスは宣言するわけです。ヨハネ13/31−35
ここは大変ドラマチックな場面ですので、決して細切れには
読まないで下さい。
575 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/02(火) 22:24:54 ID:bnVKlGxw
>>573 >実際神の子だったのに、神からの律法を用いて「冒涜」と判断して処刑した人間
>の悲劇だったんだよ…。それほど単純な物語じゃないよ。
その事自体は、悲劇でも何でもないと思います。
律法に限らず、つい最近までの多くの国で
1...王様でもないのに、王だと言う
2...ただの田舎者の子倅が尊厳高き「神の子」と言えば
極刑を喰らったと思います。僕が疑問に思うのは、イエスは
処刑されると分かってるのに、なぜみすみす捕まって、その容疑を
あっさり認めたのかです。
逃げようと思えば逃げれたし、そもそもエルサレムなんか来る
必要もなかったはずです。
この部分も日本の聖書は新改訳を除いて、インチキな訳し方を
してます。
576 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/02(火) 22:26:53 ID:bnVKlGxw
ごめん
>>574 打ち直します。
>>556 ヨハネ福音書13/27の
「しようとしてる事を今すぐしなさい」は、日本の聖書の特徴
なんですが、本当は「なすべきことをすぐしなさい」なんです。
(しようとしてる事をわざわざせきたてる理由はない)
サタンが入ったのサタンをキリスト教徒は、悪が入ってそれから
悪事に走ったと考えますが、それはキリスト教的発想です。
ここはむしろ他の弟子にもあからさまにされたので、「覚悟を
決めた」と考えるべきです。まさにイエスからパン切れを貰って
覚悟を決めたわけです。それでユダが出て行った後、他の弟子に
イエスは宣言するわけです。ヨハネ13/31−35
ここは大変ドラマチックな場面ですので、決して細切れには
読まないで下さい。
>>560 >>561 アリウス云々ではなくて、ヨハネの編者が創世記を重々
意識した事は、明々白々です。
アリウスだけではなくグノーシスも散々引用してます。
ギリシャ語から持ってくるのは紙面から大変ですが...
577 :
キュロス :2005/08/02(火) 23:01:37 ID:RaQV/T1x
アリウスさんとは エジプトのアレキサンドリヤの教会の 主に聖書解釈をしていた 長老さん のこことだったんだよ。。。
578 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/02(火) 23:38:08 ID:qFbwhA90
>>576 ココモ先生
ほんとうにありがとうございます。
579 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/02(火) 23:42:33 ID:KJaWzGjR
>>575 >その事自体は、悲劇でも何でもないと思います。
>律法に限らず、つい最近までの多くの国で
> 1...王様でもないのに、王だと言う
> 2...ただの田舎者の子倅が尊厳高き「神の子」と言えば
>極刑を喰らったと思います。
実際に神の子だったから、悲劇だったんだよ。
>僕が疑問に思うのは、イエスは処刑されると分かってるのに、なぜみすみす
>捕まって、その容疑をあっさり認めたのかです。
捕まりに行かれたのですよ。人類の悲劇に終止符を打つために。
後20分くらいはおります。お相手して下さってありがとう。後日また参ります。
580 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/02(火) 23:43:56 ID:KJaWzGjR
>>575 あ、そうそう。主イイススは「詐称した云々」という訴えについては認めては
いらっしゃらないからね。
581 :
名無しさん@3周年 :2005/08/02(火) 23:52:51 ID:gVVeHHqu
>>579 捕まりに行かれたのですよ。人類の悲劇に終止符を打つために。
その後も人間が積もらせた罪(侵略とか)に再度終止符を打つために
未来にイエス・キリストが出現する、というのがキリスト教徒の考え
でいいっすか。
582 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/03(水) 00:00:38 ID:KJaWzGjR
>>581 悲劇は終わりました。
…いや、違うな。主イイススは今も十字架に架かられ、そして今も復活なさって
我々とともにおられます。人類の悲劇はいままさに、ID:gVVeHHquさんと私の中に
も起こり、そしてまたいままさに、悲劇は終わりつつあります。本当に終わるか
どうかは、死ぬまで判らないのですが…永眠する時まで、悲劇は終わりつつあり
ます。永眠し悲劇が終焉を迎えれば、それが「救い」です。
これが、この世の悲劇の終焉です。私と貴方の悲劇の終焉です。
…禿しく自己流解釈御免なさい^^;
つっこみどころあったら遠慮なくお願いします。
それでは私はこれにて。
583 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/03(水) 00:02:32 ID:KJaWzGjR
>>582 補足。
永眠そのものが悲劇の終焉ではありません。永眠する時まで、「救われた」とは
言い切ってはならないという教えに則った台詞でつ。
おやすみなさい>>ALL
584 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/03(水) 00:08:45 ID:dGuomcZP
>>579 >実際に神の子だったから、悲劇だったんだよ。
実際は「自分は神だ」と言ったんでしょうが、サスガに福音書の
編者もパウロもそこまでは命が惜しくて書けないだろうから
「神の子」なんさ、なにせ「神」と言う事すらご法度だし、まして
実名「ヤホベ」を言ったら殺される時代だからね....
そんな中でホンとに「神の子」と言ってるんだったら、それは
ちょっとお気の毒な御仁だろね....わははははははは
>捕まりに行かれたのですよ。人類の悲劇に終止符を打つために。
イエスが捕まったのはAD30−32頃ヤロネ....
それで、ユダヤ人にとってはとんでもない悲劇が待ち受けてるん
だな...AD70年前後のイスラエル戦争でっさ....
それで、福音書が書かれたのはその直後だよ...
人類の悲劇に終止符を打ったのではなくて、ユダヤ人の悲劇の引き金
を引いたんでしょうが....この手の聖句もいくつかあるよ...
イエスの十字架の後、ユダヤの国はまあ要するに、社会がたがたがた
がたがたがたになってしまったんだよ....収拾が付かなくなったんだよ
福音書を真面目に読んでごらんなさいな....特にマタイ福音書
なんかは、70年戦争でユダヤを追われた人たちのための福音書だよ
その後をほんのちょっとだけ調べたら
「人類の悲劇に終止符を打つために。」
なんて言う馬鹿丸出しの言葉は恥ずかしくて口に出来ないと思うよ
585 :
名無しさん@3周年 :2005/08/03(水) 00:11:03 ID:WHJG8FNE
>>583 そもそも「救われる」って具体的にはどういうこと?意味が判って言ってるの?
586 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/03(水) 00:18:12 ID:dGuomcZP
>>577 失礼しました...アリウスと言うと僕は4世紀まで
正統派に逆らっていたアリウス派だと思ってました。
587 :
名無しさん@3周年 :2005/08/03(水) 09:14:06 ID:dqv+R8h0
▼創世記1章の【「光あれ」 は、神の御子イエスキリスト】から導き出される真相(深相)▲ 創世記 2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。 創世記 2:2 神は第七日にその作業を終えられた。 すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 創世記 2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。 神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 創世記 2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、 「原初の天地」と、原初の地から創られた「第2の天」と「第2の地の、おもて」を想像された。 完成せしめた神様は原初の神様である。 しかし4節から異なる創造の御業が示される。ここに三位一体の一端が表されるのだ。 1章の「神」と、2章の「主なる神」。呼び方が差別化されており、「モーセが今をもって主と仰ぐ神」 を指しているのが2章の「主なる神」 である。 差別化されていながら同じ存在として示されていることが「主なる神が地と天とを造られた時」 から読み取る事が出来る。 注意されたいのが「第2の『地と天』」であること。地ができて、天ができた、創造の順番である。
私審判: 個々人の死んだ後の裁き 福音書 (生前の報いに応じて 陰府[ハデス]と天国[パラダイス]) 公審判: 世界の終わりの日の裁き 黙示録 (第二の死・携挙 地獄[ゲヘナ]・海の地獄[タルタロス]と天界[ウーラノス]) (池[リムネ・魂の死]・海[タラサ・不安]と「新しいエルサレム・新しい天地・永遠の命」) ゾーエイ・アイオノス(永遠の命?)を新天地で ←→ ジオ・タナトス?(第二の死)を池で 新しい天地の「新しい」は リフレッシュ?(再生・再利用品「汚れちゃったけど洗って新品に見える」)ではない。 「別物の新品」という意味でもない。 ハローロ・フレスコほか「新しい」を意味するギリシア語が複数あった気がします。 罪の無い、穢れる前の状態、「元の状態[未使用状態]の新鮮さ」のある天地。 池・海、これは創世記の水の表を神の霊が漂っていた時の新しさ。 混沌の水の下は死の世界・生命の無い世界だったんでしょう。まあ創造神話ですが。 つまり天地に分離する前の混沌の原初の状態。まったく罪が発生する前の天地。 これでは、今生きている世界ではないと通常は判断しますよね。 我々は、個々人の裁きさえ気にして身を正して、神に祈って神を賛美して 神の憐れみ恵みを求めて生きていけばいいんですよ。あと他の難しい事は考えない。 近々この世の終わり・地球破滅が起こって、最終審判が起こるとかで 近い将来に、新しい天地に・ビックバンが起こる別けでないんだし。 確率は低しですよね。なんか神の御前に、取り立てて身構えなくちゃいかんのかな。
だって、「新しい」は人類が発生する・作られる・誕生する前の新しさで
人間がいないから、罪が発生する前の新鮮な天地とか世界なんであって
人類は居ないから、居ない人類が考えようが無いじゃないですか。
人間の対応として永遠の命が与えられる
、完全な体・霊の体を着る、罪の無い魂・新しい命に生まれ変わる。
だったら創造の神様にしか[出来ない事で、それも]個々人に[しか]与えられないしね。
礼拝は神の呼吸(テオス プニューマトス?)・
生きる息(神は鼻から息を入れ人は生きる者となった[創世記] プニューマ)・
聖霊の風(聖なる霊感・ハギア プニューマトス?)で
まことの心(プシュケ?)で霊(プニューマ?)で神(テオ)に挨拶するもの。
人の知恵(ソフィア)は、詭弁家(ソフィスト)を生むが
信仰(ピスティス)による判断は、神の知恵(信仰によるモノ・ピスティオンタス)を得る。
[神の知恵 テウー ソフィアス?もあるが]
http://religion.bbs.thebbs.jp/1104291346/0-17 まあ、教会の人間関係が煩わしくとも、神とは挨拶(礼拝)は出来るだろうし
生きるヒントは、聖書や説教集が与えてくれるであろう。
賛美歌の歌詞でもメロディーでも歌いながら霊感を感じ
良心の痛みを取り戻し、理性的な解決方法など思い浮かぶに、役立つと思うがね。
まず、落ち着いて考えてみるのも一つだ。
安息日(ヨム[日]はシャバド[安息の])は魂の安息の為にある。神と挨拶する為に取ってある。
日ごろ労働や勉学に心配事・悩み事で忙しく心失っている所に良心や理性を取り戻す為にある。
ヨムはシャバド・サバド[西]・金曜−夕方−夜闇〜土曜−昼光−日没まで1日
ドミンゴ[西]・日曜日−早朝−復活日、キリスト教の礼拝日で安息日
無教会風でインターネット派です。逐語霊感がかっている。 Q.万人救済説は異端なのか? ウェスレー(メソディスト)が万人救済説なのだが。 ウェスレー系、 学校で言えば、青学と関学、 教団の教会で言えば、銀座、渋谷、本多記念、あたりだが、 これらがみな異端なのか?? 確かにイギリス聖公会からは破門されているけどね。 ちなみにメソディストにも、ウェスレー派の万人救済説と、対抗の予定説の2派がある。 A.「普遍救済」と「万人救済」は人によって訳語が混乱していて、 日本語で話していると おかしなことが起こることがあるんですが。 1.予定論 人は自力で福音を選び取る能力などとっくに壊れているので、救われた者はつまり神に えこひいきされた奴ということだ、おめでとう(=カルヴィニスト)。 2,ゼネラル(普遍救済) 神は全人類を救いたいところなんだが、人には福音を受け入れないという 選択肢もがある。でも君は正しい選択をした、えらい。(=普通のアルミニアン) 3.ユニバーサル(万人救済) 神は全人類を救うと決めたので、悪党だろうと キリスト教徒でなかろうと救われる。万事安心なので気にするな(大抵異端視される)。 皆さんの言う万人救済って、それぞれ2と3のどっちなんですかね。
591 :
名無しさん@3周年 :2005/08/04(木) 08:45:12 ID:cvRzAsAn
▼創世記1章の【「光あれ」 は、神の御子イエスキリスト】から導き出される真相(深相)▲ 創世記 2:4 これが天地創造の由来である。 1章26節での、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、」 なぜ神様はこのように人を創ろうとお考えになったのか。 その御心の内は、「全地の裏舞台」である2章4節からに示される。 創世記 2:5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。 主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。 創世記 2:6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。 主なる神様が、裏の舞台を創造された目的の一つが5節。 物理的に雨がなく乾いているが、地からは物理的に水ではない泉に例えられる富に より潤されていた。物理的でない富の存在が示される所。ここを神様と交わるべく処 として「全地の表」とは始めから別けられているのである。
592 :
XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/04(木) 13:07:45 ID:ddAYTG7n
>>584 >そんな中でホンとに「神の子」と言ってるんだったら、それは
>ちょっとお気の毒な御仁だろね....わははははははは
何がそんなにおかしいのかなあ?^^;
>イエスの十字架の後、ユダヤの国はまあ要するに、社会がたがたがた
>がたがたがたになってしまったんだよ....
なんでそれをイイススの十字架の所為にしちゃうかなぁ…?論理が飛躍しすぎ。
風が吹くのも雨が降るのも、皆あの人のせいなのよ〜♪っていう女のド演歌と
あまり違わない世界観のように思うよ?^^
593 :
名無しさん@3周年 :2005/08/04(木) 15:13:34 ID:p4olQ52R
ココモスキーの正体は黄金バット。 何を語りかけてもひたすら笑い返すゴリオシ性が似ているのだ
594 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/04(木) 18:23:13 ID:W4tiTKGB
>>592 >なんでそれをイイススの十字架の所為にしちゃうかなぁ…?論理が飛躍しすぎ。
>風が吹くのも雨が降るのも、皆あの人のせいなのよ〜♪っていう女のド演歌と
>あまり違わない世界観のように思うよ?^^
馬鹿をからかっただけだよ....わははははは
70年戦争の経緯は、無茶苦茶過去の事でよく分からないけど
ヨゼフスがユダヤ戦記として残してるので、ある程度どう言う
物であったか、推測はできる。いずれにしてもイエス如き人間
1人が神の言葉を吐こうが、気が狂ったとしてもそんな事が大
戦争に影響する事はあるまい...
僕が馬鹿にしてる事柄は、イエスの言葉を聴いたもの、あるいは
その弟子の言葉を聴いた人たちが、大変な悲劇に見舞われてる歴史の
事実に関わらず、(我々はその悲劇に見舞われた人たちが書いた聖書
によって、イエスと言う人物がいた事を知る)、殆ど根拠もなく
「人類の悲劇に終止符を打つために。」などと言う馬鹿丸出しの
言葉を言い合ってる事さ。
正確に言うのであれば 「人類の悲劇に終止符を打つために。」
イエスは十字架に掛かったけど、「その尊い死は人類に何の役にも
立っていない」と言ってくれや....わははははははははは
595 :
キュロス :2005/08/04(木) 19:16:55 ID:r/PsnYGN
>>594 >正確に言うのであれば 「人類の悲劇に終止符を打つために。」
>イエスは十字架に掛かったけど、「その尊い死は人類に何の役にも
>立っていない」と言ってくれや....わははははははははは
史的イエス系の最新の本は 読んでいないから 驚くべき新説(珍説)
が有るのかも知れないけど。
イエスは (終末論的)預言者としての自覚は 有ったかもしれんが
十字架刑で死ぬために エルサレムに行った訳ではないぞ。
596 :
キュロス :2005/08/04(木) 19:30:22 ID:r/PsnYGN
上のほうに 水と命との関係についての 書きこみが 有ったけど ヨハネ福音書のカナの婚礼で イエスが「わたしの時は まだきていません」 といって 水を葡萄酒に変える話しは 明かに 創世記の水と神の霊 との関係を 意識している話しだね。 イエスの時が来れば 水は葡萄酒に変化し イエスと婦人との関係ができる と言うことだね。
597 :
名無しさん@3周年 :2005/08/04(木) 19:45:40 ID:p4olQ52R
ココモスキーは知らない振りをして嘘をつき、馬鹿にして、釣りとする。 釣れたら更に馬鹿にする。 ココモスキーの荒らし釣り技法。
キリスト教にどっぷりと浸かっていた数年間。
弱者であることが尊いかのような錯覚に陥っていた。
この世での勝利、名声、権力を求めるものは悪とされ、
自己犠牲こそがイエスに従う道かのように、
耐え忍ぶ姿こそが美しいと思い込んでいた。
しかし、それこそが実は、
キリスト者が望んでやまない永遠の勝利の姿であり、
弱者の姿をしながら、この世で得られないものを
永遠の神という強者への、寄らば大樹の陰的考え方だと
思うようになった。。。
神の存在を信じて生きることは否定しない。
ただし、必要以上の罪悪感を押し付けられ、
神の罰を恐れて小さく息を潜めて生きるキリスト者は
いったい何が幸せだというのだろうか。
この世での勝利を望んで、何が悪い。
常に、戦いは自分の中の自分とである。
他者と比較するものではない。
最後の最後まで諦めない。
自分を悲劇のヒーロー・ヒロインにしない。
勝つことにこだわり続ける。
それでいいじゃない。
私はこれからそうやって生きていく。
ttp://carlton.livedoor.biz/archives/50044049.html
>>596 >創世記
>1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
新共同では 「神の霊が水の面を動いていた」と訳出してるけど
岩波訳では 「神の霊がその水の面に 働き かけていた」なんだね。
岩波訳創世記に ヨハネ福音書の イエスの時に水が葡萄酒に変わることを
を当てはめると 「神の霊がその葡萄酒の面に 働き かけていた」 なんだね。
70人訳創世記では 「神の霊が水の上を漂っていた」(秦 剛平訳)なんだね。
この訳を取ると 葡萄酒の上に神の霊(命)が漂う のだね。
さて ヨハネ福音書の記述者は 「神の霊が漂う」 と意図したのか
それとも 「神の霊が働く」 を意図していたか どっちだろうね。
なぜ 水と葡萄酒にこだわるのか と言うとですね 最古の福音書と言われている マルコ福音書では いわゆるパンと杯による正餐(過越しの食事の契約)を しているに ヨハネ福音書では パンと杯による正餐ではなく イエスが弟子の足を洗っているのですね。これが疑問だったのですよ。 ヨハネ福音書の教会は その福音書の成立年代から考えて パンと杯による正餐を 知っていたと思うし それを実行していた思うのですよ。 ヨハネ福音書では イエスと弟子達との過越しの食事の時点では まだ イエスの時 になっていないから イエスが弟子の足を洗うことで イエスと弟子達の関係を作っているのですね。(13.8) そして ヨハネの教会では イエスの十字架以降 パンと葡萄酒による 正餐が行われた、と想像するわけですよ。 ただし ヨハネの教会では その葡萄酒が 例の「契約の血」(マルコ14.24)ではなく 天地創造の前らか 神の霊と共に存在した 表現を変えれば 神の霊と親密な 関係にあった 水 だったのではないのか と妄想するわけですよ。
>>600 >関係にあった 水 だったのではないのか と妄想するわけですよ。
を 下記の表現に修正します
「関係にあった 水から変化した葡萄酒 だったのではないのか
と妄想するわけですよ。」
また ヨハネ福音書(19.28-30) で 「渇く」 言ったら普通は
水を飲むわけですが 水 ではなく「葡萄酒」飲んで 「成し遂げられた」 と言って
生きを引き取る わけですね。 まあ 現代日本の感覚で古代の文書を
解釈するのは 間違いとは 思うけどね。
また 別の角度から イエスの時 とは いつなのか? と言う疑問に
対する 妄想をブチマケル ことにしよう。
また カナの婚礼の話しに もどって読んで見ると
>ヨハネ福 2:4
>イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。
>わたしの時はまだ来ていません。」
わたし(イエス)の時が来れば イエスと婦人(マリア)との かかわり が出来る
と 記述してある わけですね。
と言うことは いつ いかなる状況で イエスとマリアとのかかわりが 出来たのか
を ヨハネ福音書で 探せば イエスの時 が解るわけです。
それは イエスの死 或いは 復活 ではなく
生きた状態での十字架上で かかわりが 出来るのですね。
>ヨハネ福
>19:26 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、
>「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
>19:27 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」
>そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
602 :
キュロス :2005/08/04(木) 21:38:20 ID:1Al3f0Js
以上の妄想により ヨハネ福音書でもイエスの死による代理贖罪論 (イエスが全ての人の罪に対する生贄として死んだ) は 取っていない ように思える。
603 :
..... :2005/08/04(木) 21:42:21 ID:IyQxN8X+
プロテスタント各派は、どのような聖書解釈の違いでバラバラになっているのですか? 識者の方、各派の解釈が妥当だと思われますか? 全ての教会が、異端に見えますが…
>>599 >新共同では 「神の霊が水の面を動いていた」と訳出してるけど
>岩波訳では 「神の霊がその水の面に 働き かけていた」なんだね。
>70人訳創世記では 「神の霊が水の上を漂っていた」(秦 剛平訳)なんだね。
ヘブライ語ミルトス訳「水の表を、神の霊が飛び回っていた」(鳥の群れが飛ぶの意?)
一体この差は何なんですかね。意図的な誤訳ですか???
カイザリアかハイファか地中海を望む地を見て
、カモメの群れが漂う感じなんじゃないですか???
605 :
名無しさん@3周年 :2005/08/04(木) 23:16:19 ID:2yRd5QLZ
>>604 「上を」に対応する原語は何でしょうか。英語の"on"には、位置を表す場合と、
動作の対象を表す場合とがあります。例えば、"work on the roof"は、「屋根の
上で働く」と「屋根を修理する」の両方の意味があり得ます。
606 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/04(木) 23:30:05 ID:zkwkdpU+
ほんとに、ココモッキーって憎たらしい。でも、阪神もこれから負け戦に入るからいいけど。 プロ野球ニュースで江本が「もう 死のロードじゃなく、極楽ロードなのになんで勝てないんだろう。」 って、言ってたけどね。高校野球も、毎年待ちまわりにすればいいのに。ドームなんて涼しいんだから。 ヨハネ15;1−3 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら 実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ 豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に 清くなっている。 この聖句は有名すぎて、今まで丁寧に読んでなかったんですが、今回よんで 問が三つあります。 ここの聖句は極端に言えばイエスに繋がっていればよい。教会じゃ無くてもよい。ってことでしょうか? もちろん教会は大切です。キリストのからだです。あくまで非常の場合て゜す。 又、「既に清くなっている。」ですが、他にも「地の塩である。」「この世の光である。」マタイ5;13−14 と、 イエスは言ってます。これは一体どういう意味なんでしょうか? なぜ、未熟な弟子たち( クリスチャン )に 言ってくれたのでしょう? もう一つ、「手入れをなさる。」とは試練のことでしょうか?どうかよろしくお願いします。
>>605 アル: [なにがしかの物体]の上に、[何かの条件に]付け加えて・・・ですね。
セム・ハム系ヘブライ語ですが。
上にはゲルマン語系英語で
onでしょうけれど、後者はapend?、over?でしょうか?
608 :
名無しさん@3周年 :2005/08/05(金) 01:02:17 ID:0hX+1Mo/
>>607 "over"であれば、「水面の上方に」で、水面には接せず、従って「働きかけ」
の意味は出てきませんね。
609 :
無意味に漂う分けは無いので :2005/08/05(金) 09:32:15 ID:U2s/J6sL
>>542 思い違いか、再考察【「光あれ」 は、神の御子イエスキリスト】
創世記 1:2
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
「原初の天」 に対する「原初の地」 には原型無く意味も無かった、
「原初の地」 には「水」 に例えられる存在があって、「その奥深い所の底 (表)に虚無(闇)」
があり、「原初の天」 との境である「水」 のおもてをおおう、つまり、
闇を含む原初の「水」の領域=「原初の地」に神意を顕していた。
全地には存在の意味を持つ「水」 とその相対的な虚無の意味の「闇」 があったということか。
原初の地に創造を顕すために、神霊が作用していた(おおっていた)と考えるべきか。
610 :
名無しさん@3周年 :2005/08/05(金) 10:36:34 ID:ZRpC/WwU
>>604 必ずしも誤訳とは言えないのでは?
動詞ラハフのピエル形はこの箇所以外に申32:11にしか出てこないけど、
申32:11は、鷲がひな鳥の上を羽ばたき飛び回ると訳すことができるからね。
良い訳かどうかは別だけど。
>>607 前置詞アルは「床に就く」(サム下13:5)という場合にも使われる。
そして動詞ラハフは「震える」(カル形)の意味だから、ピエル形ならば
「震わす」と訳すことができ、「働きかける」という訳も間違いとは言えない。
それにバビロニア神話が創1の背景にあると想定すれば、「働きかける」と
訳すことは、マルドゥク神が海の女神ティアマットを捕らえてこれを裂き
天と地を創造したという神話内容にも対応する
611 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/05(金) 12:44:54 ID:mIbbjzhC
>>606 >ここの聖句は極端に言えばイエスに繋がっていればよい。教会じゃ無くてもよい。ってことでしょうか?
イエスに繋がっていたとしても、それだけでは駄目で、「実」を結ばなければ、その枝は切られる、と書いてあります。
非常にきびしいです。
612 :
キュロス :2005/08/05(金) 19:30:54 ID:8T4PRA/B
>>606 >ヨハネ福
>14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、
>あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
一人だけで単独でイエスに繋がることは出来ない と思うよ。
例えば 神が弟子たちに聖霊を遣わす話しも 単数形の「あなた」ではなく
複数形の「あなたがた」になっているしね。
多分ね 聖霊はイエスを信じる個人に働くのではなく
イエスを信じる人の集まりに働くのだろうね。
ヨハネ福音書では その聖霊が働く人の集まりが
いわゆる教会なんだろうね。
613 :
名無しさん@3周年 :2005/08/05(金) 20:53:23 ID:0Vvtny9+
世に対し断食をしなきゃならない。 他者との関わりが重要。小さな者に使える。
614 :
キュロス :2005/08/05(金) 21:56:01 ID:syhaqHBf
>>606 >もう一つ、「手入れをなさる。」とは試練のことでしょうか?どうかよろしくお願いします。
聖霊により 教会全体が 間違いから 護られる ということだと思うよ。
教会全体と言うことは 空間的及び歴史的なものを含むから
やっぱりカトリックさんは 間違ってはいなかった
と言うことに成るような気がする。
615 :
キュロス :2005/08/05(金) 21:57:19 ID:syhaqHBf
ヨハネの教会は ユダヤ教の会堂から追放され おそらくヤコブ的教会(エルサレム教会の末裔)とも決別し(7章1-) また おそらく Q資料を伝えた集団 或いは トマス福音書的教会 (信者と共に歩むイエス系教会)とも決別して(12.34) グノシス的教会とも決別して 孤立化しているのだと思いますよ。 だから ヨハネ教会以外は 「父が取り除かれる」のですね そして ヨハネ教会は 「あなたがたは既に清くなっている。」 のだと 思いますよ。
616 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/05(金) 23:47:08 ID:BuVlXX5b
617 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/05(金) 23:59:13 ID:BuVlXX5b
>>606 >もちろん教会は大切です。キリストのからだです。
>あくまで非常の場合て゜す。
キリストのからだ、という記述のある教会は、一般的にいわれる
「カトリック」だとか「メソジスト」だとか「ルーテル」とかの
教会のことを言っているのではありませんよ。
ここが間違いやすいところですので、どうか気をつけてお読みください。
聖書でいう教会とは「神を愛するものの集まり」のことなのです。
618 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/06(土) 00:15:15 ID:veQPCg+Y
イエスの言葉は厳しい言葉ばかりなのです。 イエスは、救われる人は少ないことを何度か言っておられます。 また、「わたしはイスラエルの失われた羊のために遣わされた」と はっきりと断言しておられます。 しかし、不思議なことにキリスト教会は、これらのイエスの言葉をまるっきり 無視しているかのように、教会に入り、洗礼を受ければ救われる、と説くのです。 これは明らかな詐欺行為といえるのではないでしょうか。 とても残念なことですが、教会は「イエスの教え」を伝えてくれるところではありません。 教会は、その教会独自の教義を押し立て、他との優位性を説き、 教会独自のドグマによって、救われると説きます。 このようなおぞましい行為にいつまで耐えなければならないのでしょうか。 一刻も早く、こうした教会が神から裁かれることを望むものです。
619 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/06(土) 10:46:13 ID:R7OrS9Vg
>>612 キュロスさん
ありがとうございます。
そうですね。聖書の他の箇所、エヘェソ1;13−14、2−8、3−7など
あなたたちになっていますね。改めて学ばされました。
>>617 ダニエルさん
ありがとうございます。
「神を愛するものの集まり」本当にその通りなんですねぇ。
自分もその中の一員と自覚するのは大事て゜すね。
あと、このスレッドでよく使われる、
>>615 のヨハネ教会、
マタイ教会等は、第一コリント1;12 「あなたがたはめいめい、
「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」
「わたしはキリストに」などと言い合っている」に 書かれている
派閥なんでしょうか? 分りませんので教えてください。
620 :
名無しさん@3周年 :2005/08/06(土) 11:02:37 ID:fZ8Pq4ho
十字架の洗礼は、一方的に全人類に与えられる恵み。 僕は僕の役割を行う。忠実な僕は天の富の管理を任される。 僕の役割を知らない者が、天の富を任されるか否かと、救われるか否かはは別にしないといけない。
621 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/06(土) 11:32:47 ID:vahY48r3
>>619 >あと、このスレッドでよく使われる、
>>615 のヨハネ教会、
>マタイ教会等は、第一コリント1;12 「あなたがたはめいめい、
>「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」
>「わたしはキリストに」などと言い合っている」に 書かれている
>派閥なんでしょうか? 分りませんので教えてください。
関連してる部分はありますが違うものだと思います。ヨハネ教会・
マタイ教会はそれぞれヨハネ福音書・マタイ福音書を編纂した人たち
の事を言います。
これらの福音書はある一人の人が書き綴った物ではなく、複数の
人たちによる編纂と考えられる為、それぞれが共同体(教会)の
聖職者たちだろうとされるため、その共同体をヨハネ教会・マタイ教会
と読んでます。
一方コリント書簡でパウロが言ってる派閥は、
パウロ...パウロが作った異邦人の多い教会
アポロ...巡回霊能者の流れ(?)
キリスト..何処にも属さない独立派(?)
ケファ(ペテロ)..エルサレム原始教会派
パウロの時期(AD50年代)の特にコリントの様な、いろいろな
文化が入り交ざった商業都市には、これらの多様な派閥があったと
思います。パウロは嘆くわけですが、パウロ一人が嘆いてもどうしようも
ない事で、これらの多様な派閥が複雑に入り乱れ、ヨハネ教会・マタイ教会
の様な共同体になったんだと思います。
622 :
名無しさん@3周年 :2005/08/06(土) 12:28:13 ID:KFnhnLZU
>>619 Q資料を伝えた集団 とか トマス福音書の集団 とは
一定の地域に定住しない 遍歴する伝道者集団 と言う
ような意味で 使っています。
なお トマス福音書は 実際に存在しますが
Q資料は 実際に存在するわけではなく
そのような文書が 有っただろう という仮説です。
この二つの文書は 最古の文書だと言われています。
だから イエスの言葉 に最も近いのかも しれません。
トマス福音書については カラスの詩さん がお詳しいようです。
マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの教会とは その各福音書を
記述した地域教会(定住している人達の教会)と言う 意味です。
福音書は その福音書を記述した教会の 「信仰告白」
或いは 「教会の教え」だと 考えています。
ですから マタイ福音書の聖句は その福音書と旧約聖書
だけで 解釈するべきだと 思います。
同様に パウロ的教会とは パウロ書簡を大切に保存して
その書簡を 「信仰告白」或いは「教会の教え」としていた
地域教会のことを 意味しています。
まあ いつもの事だけど 思いつきで書いてるから
正確に詳しく知りたいのであれば 書籍スレ で参考図書を探してください。
良質な聖書学系の本が紹介されていると 個人的に思っています。
623 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/06(土) 15:50:29 ID:R7OrS9Vg
>>621 ココモ先生
>>622 さん
ありがとうございます。
一つ一つ丁寧な答え、ありがたく、少し恥ずかしい気もします。
荒井献のトマスは、このスレにもでていたので 買いましたが、
すぐ眠くなってしまい困ります。ですので、今後もお願いします。
624 :
名無しさん@3周年 :2005/08/06(土) 19:54:59 ID:sZ+CmwBl
>>601 義兄弟全員の母となるわけだけど、
母マリヤ自身が「水」の表象を兼ねている気がしてきた。
十字架に際して、第2のアダム=復活前の主イエス であるなら
「創世記の関係」と「紀元の関係」の相関に相似形が見られるはず。
第2のアダムに対する、「第2のエバ」と原初の要素「水」「地」 を表すものは単純ではない。
聖母現象、権威?の意味が見出せるのかもしれない。
625 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/06(土) 20:13:49 ID:Ma5McYr8
>>624 >母マリヤ自身が「水」の表象を兼ねている気がしてきた。
いいえ母マリアは「排泄物」の表象を兼ねてるんです。
>十字架に際して、第2のアダム=復活前の主イエス であるなら
いいえ復活前のイエスは第98687654897685478のアダムです。
この理屈は全然根拠がありません。....わははははははは
626 :
名無しさん@3周年 :2005/08/06(土) 23:44:51 ID:sZ+CmwBl
ココモんキーは創世記の存在意義ををどう考えているのか。 聞くまでも無いが。ゴミにする以外ないんだよね、信仰を持たないとまともに読めないから。 神を畏れぬ信者ココモんキーは創世記が悩みの種なことでしょう。 一章一節の門戸は高ぶる者には狭いのだ。 聖書を逆読みして大きくなり一章一節を通過できないココモんキー。
627 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/07(日) 00:31:14 ID:A0kU4TiT
>>626 >聞くまでも無いが。ゴミにする以外ないんだよね、
>信仰を持たないとまともに読めないから。
台本通りの負けよしみさ...自分の言った事が馬鹿にされると
人は聖書をゴミにしてると言うでしょ...自分の言ってる事が
馬鹿にされてる事を認めない....
>聖書を逆読みして大きくなり一章一節を通過できないココモんキー。
自分が正面から読んでると言う事を言いたいんだろうが、正面も何も
まともに殆ど読んでないことはみんな知ってるんだよ....
読んでる様な錯覚に陥ってるだけだと言う事もみんな知ってるんだよ
わははははははは! 筋書き通りの反発しか出来ない馬鹿信者め
628 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/07(日) 00:42:08 ID:A0kU4TiT
>>606 >既に清くなっている...
この言葉で思い出したんだけど、ヨゼフスの古代詩では
洗礼者ヨハネの洗礼は「既に清くなっている事を神に示すため」
と書かれてるんです。
ヨハネの教会には洗礼者ヨハネの弟子達がいた事が最近の
研究でわかってるんですが、この概念はそのグループの主張
かもしれないです。
前に「イエスを信じるものはすでに永遠の命を得てる」を
永遠の命の安売りだと言いましたが、もしかしたら同じ
考え方かもしれません。
ヨハネ教会に、あくまで「現世の身の清め」を主張してる
人たちがいたのではないでしょうか....
629 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 01:08:48 ID:18Z6gFJO
哲学板で次のような質問を受けました。どなたか、簡単にご教示いただければ 有り難いです。 聖書における「霊」には7〜8個の意味があるんだが、言ってみてくれ。 ダニエル書がいつ何のために書かれたのか答えてみてくれ。 それからヨブ記における主とサタンの関係を説明してみてくれ。 あと、ソロモンの神観念を解説よろ。 エレミヤにおける個の意識の発生も知ってるよな? ヨハネ福音書冒頭の「ロゴス」は、ヘブライ語だとどのような意義があるかも答えて。 イエスは「私」と言うべきところをしばしば「人の子」と言ってるんだが、これには どんな意味があるかも答えてくれ。
630 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 01:15:52 ID:wtdjfWxf
ゴミにしていないと言うのなら、それを示してください。 聖書から何を読み取れるのか。 神様とイエスキリストの何を肯定しているのですか? イエス様を認識する所は聖書ですか? ココモスキの「馬鹿丸出し手法」は、自分の「道」を明かさないアヤフヤな立場 だからこそ出来る、キリスト教会の陳腐化を狙う意図なんですよね? 救いを語るとダブルスタンダードになってしまうココモスキのジレンマがここに表出する。
631 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 01:46:07 ID:wtdjfWxf
>>627 まともに読んでないのはココモスキーですよね?
>>292 ダブルスタンダードココモスキー博士。
創世記一章はどう理解するのかな?
読めているのなら実のある回答をよろしく。ダブルスタンダードスキー博士。
632 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/07(日) 03:09:16 ID:A0kU4TiT
>>629 >聖書における「霊」には7〜8個の意味があるんだが、言ってみてくれ。
とりあえずは3つ位しか答えられない、少し時間くれ
>ダニエル書がいつ何のために書かれたのか答えてみてくれ。
BC165±2年...書いたのはユダヤ教ハシディーム派の信徒
僕の見解は
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_daniel_rev2.html 見てくれ
>それからヨブ記における主とサタンの関係を説明してみてくれ。
ヨブ記の時期は明らかに、主の部下の一人、ヨブ記1章...
新約のサタンとは全く違う...と言うより新約が特殊な時代背景
でサタンが敵であり、打ち滅ぼさなければならないと言うのはむしろ
特殊な時代の社会が破綻した時の思想で、旧約はむしろ人間自身に
内在する悪魔を一つの形に表現したもの。
> ヨハネ福音書冒頭の「ロゴス」は、ヘブライ語だとどのような意義
>があるかも答えて
僕の答えは、ヘブライ語にロゴスに相当する言葉は存在しない
>イエスは「私」と言うべきところをしばしば「人の子」と言って
>るんだが、これにはどんな意味があるかも答えてくれ。
キリスト教会は、好きなように勝手に解釈があるみたいですが
はっきり言って全部嘘...こり言葉は、旧約でもBC2−3世紀
の外典にあります。その余韻らしきものがダニエル書にもあります。
どう言う意味かはそれぞれの文章でまちまち...まともな説明は
困難です。....
僕は厄介なので全部「自分は」か「人間である自分は」に置き換えてます。
*また病人らしき人間がうろついてるみたいだけど、見てる人は
誰か病人の始末(保護)をお願いできないものか憂慮してます。
誰かいはらへんのどすか
633 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 04:21:21 ID:bbX68wT6
634 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 08:55:46 ID:wtdjfWxf
|ココモスキーはダブルスタンダード返しをくらった |________________________ ピピ たたかう : にげる |> うんこをなげながらにげる ________________________ | ココモスキーはうんこにげをじっこうした>632 | ココモスキーのダブルスタンダードポイントが1あがった
635 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 09:18:26 ID:wtdjfWxf
___ ←うんこ逃げをするココモスキー博士 ://:| (@w@) ≫ ポイポイ _∧∧ ・・・・ヤメナサイ・・・ |●●⊂彡 ミ精神病● ミ馬鹿● ∩Д`;) \⊃\_) ミ聖書嫁● ミわははは!● \⊂\ (_)
636 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 09:56:48 ID:ruAgQKga
637 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 10:00:44 ID:ruAgQKga
638 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/07(日) 15:31:17 ID:KhX8EA1q
>>629 >イエスは「私」と言うべきところをしばしば「人の子」と言ってるんだが、これには
>どんな意味があるかも答えてくれ。
「人の子」とは、イエスが持っていた自己認識、つまり、自分は
存在としての「人」である、との自己認識の宣言です。
人間は自分のことを客観的に思うときに、
「何歳、どこの出身、何の仕事をしている、趣味はこれ」というような具合に
考えてしまいやすいのです。
しかし、実際には、人という存在は、そのような「自己認識」とは、かけ離れた世界で存在しているのです。
つまり、ただ神から生かされている、というのが「人」であり「自分」の正体です。
イエスがご自分のことを「人の子」と言ったのは、まさにこの意味だと思います。
「人の子」としてのあるべき姿、生きるべき姿がイエスの自己認識そのものです。
わたしたちも、イエスと同様、自分を「人の子」だと冷静に見るべきです。
ところが、多くの人は自分を「固有名詞」をつけた状態で自己認識しているのです。
これが、概念まみれの自分への認識となっています。
創世記で、人が動物への名づけ方がうまく出来なかったという記述も
このことを指しています。
このように、名前をつける、ということはとても難しいことです。
正しい自己認識がなければ、正しい自己紹介ができないのは当然なのです。
わたしたちも、本来、「人の子」なのですから、このイエスの自己認識と同じ
見解に立つべきです。
639 :
キュロス :2005/08/07(日) 18:06:36 ID:xNsJKZT0
>>629 >聖書における「霊」には7〜8個の意味があるんだが、言ってみてくれ。
これは 「霊」の意味というより 神の属性 ことじゃないかな?
>ダニエル書がいつ何のために書かれたのか答えてみてくれ。
アンティオコス四世エピファネス王(前175-前164)によるユダヤ人迫害時
だろうと言われている。この文書は いわゆる黙示録文学であり この文学類型は
抑圧された 神の教えに忠実な人達が 根本的な世界転換への
期待を 暗号化した啓示(幻視)によって予告する文書だろうね。
>それからヨブ記における主とサタンの関係を説明してみてくれ。
旧約でのサタンの役割は 神から離れかけている人に対して
神に立ちかえる キッカケを与える存在であり
また 人を試す 存在であり、基本的に神に対立する存在ではないね。
まあ 神から人に対する 汚れ役 を引き受ける存在だろうね。
>あと、ソロモンの神観念を解説よろ。
>エレミヤにおける個の意識の発生も知ってるよな?
これは オレの知識・力量で 五〜六行にまとめるのは不可能。
「エレミヤにおける個」 とは 預言者としての認識のことかな。
>ヨハネ福音書冒頭の「ロゴス」は、ヘブライ語だとどのような意義があるかも答えて。
バーラ− だろうね 日本語訳は 神の創造 だろうね。
>イエスは「私」と言うべきところをしばしば「人の子」と言ってるんだが
この質問に ダニエル書 のことが含まれているので
ダニエル書的「人の子」 の意味の答えを期待しているようなので
それを書くと 「いと高き者の聖者」(ダニ7.9-7.14)の象徴だろうね。
マタイ25.31- では 「人の子」とは 最後の審判者 だろうね。
この質問者は いわゆる史的イエス系のネタ本で
イエスの受難を 説明しようとしているのかな?
640 :
キュロス :2005/08/07(日) 19:06:54 ID:KSLc49bq
「エレミヤにおける個」 とは 預言者としての認識のことだとすれば エレミヤ書20.7- のいわゆるエレミヤの告白 だろうね。 エレミヤは 神の人に対する思い(熱情)に 負けたと言う事かな。 >エレミヤ >20:9 主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても >主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて >火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして >わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。
641 :
キュロス :2005/08/07(日) 19:29:59 ID:KSLc49bq
ハシディーム派とは いわゆる敬虔主義者達 という意味がある。 それは 12世紀にエジプトで神秘主義運動 が元になっていると 言われている。イスラムのスーフイー運動と似ているものだと、思うよ。
642 :
キュロス :2005/08/07(日) 20:51:56 ID:Dj8pCH0/
>>639 >あと、ソロモンの神観念を解説よろ。
質問者の求める 回答は いわゆるインマムエル
「神は 我々と共におられる」 という 特定の聖所 神殿等の
中心を 持たない神から
「イスラエルのヤハウェ宗教が 特定の特定の聖所と神殿を
中心とたものに変質していく 端緒ひらくものであったろう」
と言う事かな。
643 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 22:16:48 ID:CfHzp0yr
弟子ケファ(ペテロ)・書記マルコ(アレキサンドリア教会〜ヘブライ語を喋る人の教会〜バビロニア教会) 弟子マタイ・主の兄弟ヤコブとユダ(エルサレム教会) 使徒パウロ・書記ルカ・テモテ・ステファノ(アンテオケア教会〜ギリシア語を喋る人の教会) 教師アポロ・預言者アガポ(アレキサンドリア教会・巡業説教師・巡業預言者) 長老ヨハネ(コリント〜テサロニケ〜エフェソ〜フィリピ〜コロサイ・ギリシア諸教会)
644 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 22:21:05 ID:CfHzp0yr
「ベルゼブル」は本来古いシリヤの神の名であり 「ベエル・ゼブール」すなわち「家(神殿)の主人」の意味であったがイスラエル人は これを嘲って「バール・ゼブーブ」(蝿の神)と呼び次第に悪魔を指す名として 用いられる ようになったものである。 宗教当局者はイエスをこの「ベルゼブル」すなわち悪魔に取りつかれていると判定した。 神の律法を冒涜する者が どうして神の霊を持つ者であろうか。 彼が奇跡を行うとしても それは悪霊どもの頭が行う奇跡にすぎない、という判定である。 ところがイエスは彼らが「ベルゼブル」という悪魔の名を用いたのを逆手にとって これをアラム語の「ベエル」(主)とヘブライ語の「ゼブール」(住居)とに分解し 内輪で争う家や国の譬を用いられた。
645 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 22:23:11 ID:CfHzp0yr
四福音記者・所属配下・所属教会 弟子マタイ・兄弟ヤコブの配下・エルサレム教会(監督1) 書記マルコ・弟子ペテロの書記・エジプトのアレキサンドリア教会(監督3)〜バビロニア教会 書記ルカ・使徒パウロの書記・シリアのアンテオケア教会(監督2)の医者・画家・秘書 長老ヨハネ・書記ルカの子弟・ギリシアの諸教会 三監督(3司教・3主教)により、次の監督(司教・主教)を叙任 エルサレム教会・初代監督・主の兄弟ヤコブ・城壁より突き落とされ落下地で撲殺により殉教(ユダヤ戦争前後[70年前後]) アンテオケア教会・第二代監督・イグナチオ・獣と戦う刑により殉教(AD110ごろ) スミルナ教会・監督・ポルカリュポス・生きたまま焼かれるの刑により殉教(2世紀前半)
646 :
名無しさん@3周年 :2005/08/07(日) 22:27:22 ID:CfHzp0yr
はシャマイム(天)はアレツ(地)シェオル(黄泉)カイアふぁ(大祭司カヤパ)
ヤー[ヘブライ語] 生きる。ある。存在する。BE動詞。アブラハム・イサク・ヤコブの神。
エリ+ヤー[ヘブライ語] 神は+生きておられる・旧約聖書の預言者の名前。
イサク[ヘブライ語] 笑い(母サラは90歳でイサクを生んだ。思わず笑った。奇跡だ。)ユダヤの族長。
アブ+ラハム[ヘブライ語] 父は+いと高い(父は+神に愛されている、父は+多くある)ユダヤの族長。
アブ+ネル[ヘブライ語] 父は+ともし火(父は+光)旧約聖書の人物。
オール[ヘブライ語] 光 旧約聖書の光と闇を分けた時の光を指す。
イスラ+エル[ヘブライ語] 勝った+天使に(神の使いに勝った)ヤコブの別名。族長のあだ名。
シェマ[ヘブライ語] 名前を呼ぶ・呼びかけ・聞け!聞けやの意味。
シェム+エル[ヘブライ語] 名前は+神(神を呼ぶ)サムエルという旧約聖書の預言者。ダビデに王様即位の油を注いだ。
アダム(人間)は
アダマ(土)から作った。鼻から息(ルアッハー)を入れ生きる者となった。息は命(エバ)。
高望みする人間達は、バベルの塔を作り始めた。神のようになろう。しかし神は
その人間達の言葉を、バラル(混乱)させ、塔を作るのを止めさせた。
神と共にあります(インマヌエル・エマニュエル・エマ)
私はいます(イエスース・イエホシュア・ヨシュア)
来て下さい(マラン+アファ マラナ・タ)
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=32&to=44
647 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/07(日) 22:58:48 ID:KhX8EA1q
>>644 >ところがイエスは彼らが「ベルゼブル」という悪魔の名を用いたのを逆手にとって
>これをアラム語の「ベエル」(主)とヘブライ語の「ゼブール」(住居)とに分解し
>内輪で争う家や国の譬を用いられた。
なるほど。そういうことだったんですね。
648 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/07(日) 23:43:41 ID:MgC7B+1N
>>639 >ダニエル書的「人の子」 の意味の答えを期待しているようなので
>それを書くと 「いと高き者の聖者」(ダニ7.9-7.14)の象徴だろうね。
ダニエル7/9−14は、1−6次のシリア戦争の事だよ...
10本の矢がアレクサンドロスからプトレマイオスやらアンティオコス
に至る権力の変遷を示してるんだよ...
ダニエルの「人の子」は7/13・8/17・10/16で3回出てくる
けど、どうもよく分からないW...何か天使の様な気もするし
エゼキエルなんかを読むと確実に自分(エゼキエル自身)の事だけど
ダニエルの頃には大分言葉の意味が違ったんかもしれない...
>マタイ25.31- では 「人の子」とは 最後の審判者 だろうね。
(再臨した)イエス自身でしょ...マタイは少ないけど、マルコは
さかんに人の子を遣うけど、全部イエス自身だよ...
福音書は、イエスが語ったような書き方で、その教会の希望的文章を
書いてるので、ややこしくなるけど....
649 :
名無しさん@3周年 :2005/08/08(月) 03:08:00 ID:O0gYc6AN
>マルコは さかんに人の子を遣うけど、全部イエス自身だよ... なるほど、ココモ教の希望的文章を書いてるのですか!
650 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/08(月) 21:17:57 ID:sotMD/39
マタイ24/29−30 人の子の再臨について3アイテム 1..人の子はイエス自身だと思いますが、そうするとイエスは 自分自身が天の雲に乗って再臨すると言ったわけです。 これがもし本当にイエスの言葉だとしたら、やはりお気の毒な 御仁になってしまうんですね...生きてる人にお尋ねします ね、誰かが貴方にお出ましいただきたいと求められた時に、 「はいわかりました、私が死んだ後に天の雲に乗って再び現れます」 と言う人はいないんですね...「都合が付けばすぐお伺いします」 が本当なんだよ... 2..時期を考えて見ましょう...AD70年代、第一次ユダヤ戦争 のすぐ後、民衆はメシアを求めたんですね...マタイ教会は 卓越した民衆心理の掌握者ですね...それまであまり人気の なかったイエスをこれぞ千載一遇のチャンスとばかりに「私たちの 師匠イエス様が再臨します。それがこの世の終わり(幕開け)です。 一気にイエスは人気者になります。 3..本当にそれらしき人物は再臨した??...シメオン・バル・コクバ の乱と言うのがAD130年頃ありました。説明するのも面倒 なので、ネットで勉強してちょ... h
651 :
キュロス :2005/08/08(月) 22:08:27 ID:z5gWdIxI
>ヨハネ福音書 岩波訳 >1.1 はじめに、ことばがいた。 >1.2 ことばは、神のもとにいた。 ベラシート バーラー エロヒーム ヨハネ福音書の 「ことば」は 「バーラー」に 間違いない。 解るかな?
652 :
名無しさん@3周年 :2005/08/08(月) 22:54:52 ID:ROct6pl2
言葉によって創造された意味合いの「バーラー」
653 :
キュロス :2005/08/08(月) 22:55:47 ID:V3MrbCY2
さて 聖書に対して 異常な興味を持つ我々は 聖なる聖書は アルファベットの最初の文字アレフ で始まるのではなく なぜ ベート で始まるのか? という疑問を 当然のこことして 持たなければならない。 古代のラビ達も 同様の疑問を 持ったようだ。 その中の 解釈を一つ 紹介する。 「ベートが 前方向が開き 三方向とも閉じているからである。 これは 我々に 何を教えているのだろか。 神秘主義者や グノーシス主義者がするように、物事の本性を 上から或いは下から 或いは創造の以前から探ると言うのは無駄だ と言う事だ。 私達が 捜し求めるために 開かれた道は 唯一である。 それは前方にある つまり現在から未来へ望みを見る事である。」
654 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/08(月) 23:51:27 ID:sotMD/39
>>651 べレシート バラー エロヒーム エット ハシャマイム
初めに 創造した 神々は を 天
ベエット ハアレツ
と 地
つまり、「初めに神々は天と地とを創造した。」 でいいんすか。
ロゴスとバラーじゃ、だいぶと言うよりぜんぜん違うと考えたほうが
良いよ...
ロゴスを言葉と訳してるのは、語学力の不足だな...
そもそもバラーは動詞でしょ...(ここが男動詞で単数形に
なってる事に、エロヒームの単数性を根拠付ける御仁もいるが
僕はエロヒームはやはり複数形で言うべきと思っている)...
ロゴスは名詞だよ、創造だけを考えたら、ヨハネ福音書は意味が
つかめなくなるW...やはりギリシャ哲学に言う、言葉・理性・そして
創造(構築的な)を含めていないと、(ロゴスは神であった)が
理解できないんだな...
655 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/09(火) 00:04:04 ID:HzjxKA4O
ロゴス...ギリシャ哲学の誰でもいいや、プラトン でもソクラテスでも、これも読んだら分かるなんだけど ロゴスの言葉がわんさか...ギリシャ哲学は別名ロゴス哲学 と言うべきではないかと思われるほどだW...旧約聖書から 一生懸命それらしき言葉を捜してる様を僕は滑稽に見てしまうW なにをやってるんだよ...誰でもいいから古代ギリシャ哲学 読んでみな...わははははははは
656 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/09(火) 00:11:12 ID:HzjxKA4O
べレシート...そもそも「創世記」そのものが、日本人が つけた名前で、創世記の初めには、この「べレシート」 って書かれてます。...なんだろなぁ、「序章」とでも 訳したほうがいいかも知れませんねえ...
657 :
キュロス :2005/08/09(火) 00:36:13 ID:giEx+0eT
>>654 なんで そう福音派的な 聖書の読み方をするかね。
古代のユダヤ人ラビ達は 「聖なるトーラは ヘブライ語の
アルファベットの最初の文字アレフで 始まるのではなく
なぜ ベート で始まるのか?」 と言うような事を真面目
に考える人達なんだよ。
このラビ達は ヨハネ福音書を記述した人達と 同世代なんだよ。
>>650 読んでて思った。
ココモスキーってイスラム界の恥じなんだろうな。
659 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/09(火) 07:48:15 ID:HzjxKA4O
>そう福音派的な 聖書の読み方をするかね アンタノ狢が理解できましたどす わははははははははははははははは....ちょっとしんどかったけど あの馬鹿協会のはしの棒にも引っかからない福音派を相手にしてる レベルだとその辺が限界なんでしょうね
660 :
名無しさん@3周年 :2005/08/09(火) 10:10:39 ID:O6JgNNGb
___ ←うんこ逃げをするココモスキー博士 は は (ノスス) (@w@) ≫ ポイポイ は _∧∧ ・・・・イタタタ・・・ |●●⊂彡 ミ精神病● わははははΣ∩Д`;) \⊃\_) ミ聖書嫁● ミわははは!● は \⊂\ (_) は は は は うんこ逃げの道に限界は無い。それは見えている出口に目を閉ざす永遠の袋小路。
661 :
キュロス :2005/08/09(火) 22:43:07 ID:7MI5HiCS
直感で 一気に書くのは 少々あきらめて 少し調べて見たら ロゴス ; 理性 とか コスモス ; 秩序ずけられた世界 等等 色々あるのね。 >ヨハネ福 18:38 >ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、 >ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。 問題を解く鍵は イエスと ピラトとの対話だね。 まあ 半分冗談だった ひらめきが 面白い方向へ行きそうだね。
662 :
キュロス :2005/08/09(火) 23:33:45 ID:7MI5HiCS
ロゴス(理性)は 世界理性の一部 らしいね。 コスモス(世界)は 世界理性によって 秩序づけられている らしいんですね。 岩波の広辞苑に よると ロゴスとは 「実体化されれ世界を支配する理法。」 とう意味が あるようですね。 なんとなく 世界秩序(神)と人との 立ての関係のようですね。 これと ヨハネ福音書の主張は たぶん違うと 思いますよ。 人と人との 愛による 横関係ですよ。 >ヨハネ福 15:12 >わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
663 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/09(火) 23:42:29 ID:WaPu4Y6u
なあーんか、
>>629 の質問も難しいんですけど、予備知識が
無いもんですから、キュロスさんや、ココモッキーの答えも
難しいですよ。 わたしの方に旧約の概念がフニャフニャって
こともあるんですけど。
>>628 ココモ先生
>>643 さん
ありがとうございます。
また、ヨハネです。通読中なんですいません。 ヨハネ15;18。
「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを
憎んでいたことを覚えなさい。」
世とは、異教徒の中のクリスチャン。
わたしを憎んでいたこととは、神殿を壊したり、旧約の掟破り等。
つまり、クリスチャンは世に憎まれるよう、しなくてはいけないということですね。
するとキリスト教圏ではない日本では少々難しいことです。
節分、雛祭り、日曜参加の行事等ありますね。思いや行い等もスジを通すことは
いろいろ折り合いつけるのに大変です。 世に憎まれているクリスチャン
は居るのかな?と、思いますね。
664 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/09(火) 23:44:39 ID:v/NgJsde
>>663 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを
憎んでいたことを覚えなさい。」
>世とは、異教徒の中のクリスチャン。
>わたしを憎んでいたこととは、神殿を壊したり、旧約の掟破り等。
>つまり、クリスチャンは世に憎まれるよう、しなくてはいけないということですね。
残念ながら、そうではないのです。。。
665 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/09(火) 23:45:57 ID:v/NgJsde
>>663 >「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを
>憎んでいたことを覚えなさい。」
この聖句にある「あなたがた」とは、クリスチャンのことではありません。
これは、ユダヤ人のことです。
666 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/09(火) 23:48:30 ID:v/NgJsde
イエスが「あなたがたは、わたしのためにすべての民に憎まれる」と 言っている「あなたがた」とは、ユダヤ人のことです。 イエスは、最初から最後まで異邦人の心配などしていないのです。 イエスが「あなたがたは迫害に合う」と言っている聖句の 「あなたがた」はユダヤ人のことであり、 「迫害する者」とは、異邦人のクリスチャンのことなのです。 わたしは、このことがわかった時、聖書とはどういう書であるのかが 少しづつ分かってきたのです。
667 :
キュロス :2005/08/09(火) 23:50:39 ID:7MI5HiCS
神の創造(バラ−)は 支配ではなく 自由を もたらすみたいですね。 バラ−とは 「実体化されれ世界を自由にする理法。」 ですね。 >ヨハネ福 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 >ヨハネ福 18:37 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、 >イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。 >わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。 >真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 まあ このへんが ヨハネ福音書の 技法 なんだね。 グノーシス思想的な 言葉を使って グノーシス思想的なものを否定する。 ギリシャ思想的な 言葉を使って ギリシャ思想的な ものを否定する。 他にも色々 あるんだろうね。 ロゴスで 検索するとキリスト教関係が 多いよ。
668 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/09(火) 23:51:32 ID:v/NgJsde
この「あなたがたは、わたしのためにすべての民に憎まれる」の聖句を イエスが言われたのは、クリスチャンに対してだと多くの人は勘違いして、 世の終わりには、キリスト教に対しての大迫害が起こるに違いない、と ピントのずれた解釈をしている人たちが大勢いるのです。 これは、歴史的にカトリック教会が、イスラエル=クリスチャン、として 置き換えて読ませる「置換神学」を行ってきたためです。
669 :
キュロス :2005/08/10(水) 00:00:08 ID:7MI5HiCS
>ヨハネ福音書 岩波訳 >1.1 はじめに、ことばがいた。 >1.2 ことばは、神のもとにいた。 ベラシート バラー エロヒーム というわけで ヨハネ福音書の 「ことば」は 「バーラー」なんですね。
670 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/10(水) 00:01:02 ID:btM7wb4D
神よ、 頑なな心を人びとに与え、あなたが好む人に秘密を解き明かされる神よ。 あなたを愛しています。 あなたを愛するものに与えられる恵みをわたしにもください。 あなた以外に、頼るべき存在は、わたしにはひとつもありません。
>>669 バーラーって、石を削って形を造るという意があり、神様のみ用いられる単語なんでしょ?
672 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/10(水) 08:31:36 ID:btM7wb4D
イエスは、ユダヤ人を迫害する異邦人の教会があらわれ、 そして、彼らはそのことにより神に仕えているのだと 思い違いするようになる、ということを言っておられます。 ヨハネ福16:2 人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。 更にあなたがたを殺す者がみな、それによって 自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。 彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
673 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/10(水) 08:35:02 ID:btM7wb4D
今は、聖書で言うところの「異邦人の時」です。 イエスは、やはり「あなたがた」であるユダヤ人を心配しておられます。 ヨハネ福16:4 わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、 彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、 思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、 わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
674 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/08/10(水) 16:09:59 ID:qkBn1sXJ
>>668 >これは、歴史的にカトリック教会が、イスラエル=クリスチャン、として
>置き換えて読ませる「置換神学」を行ってきたためです。
一世紀後半に「ヤノニヤ会議」によって、「キリスト教徒はユダヤ人とは違うグループだ」と
宣言したたのは、ユダヤ人の側。キリスト教徒がイスラエルのお株を奪ったというのは歴史の
勉強不足も甚だしいよ。
キリスト教徒は最初から今に至るまで、自らをイスラエルだと考えてきたんだから。
正教会もそうだよ。
キリスト教にどっぷりと浸かっていた数年間。
弱者であることが尊いかのような錯覚に陥っていた。
この世での勝利、名声、権力を求めるものは悪とされ、
自己犠牲こそがイエスに従う道かのように、
耐え忍ぶ姿こそが美しいと思い込んでいた。
しかし、それこそが実は、
キリスト者が望んでやまない永遠の勝利の姿であり、
弱者の姿をしながら、この世で得られないものを
永遠の神という強者への、寄らば大樹の陰的考え方だと
思うようになった。。。
神の存在を信じて生きることは否定しない。
ただし、必要以上の罪悪感を押し付けられ、
神の罰を恐れて小さく息を潜めて生きるキリスト者は
いったい何が幸せだというのだろうか。
この世での勝利を望んで、何が悪い。
常に、戦いは自分の中の自分とである。
他者と比較するものではない。
最後の最後まで諦めない。
自分を悲劇のヒーロー・ヒロインにしない。
勝つことにこだわり続ける。
それでいいじゃない。
私はこれからそうやって生きていく。
ttp://carlton.livedoor.biz/archives/50044049.html
676 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/10(水) 18:04:07 ID:tLW7UurF
>>662 >これと ヨハネ福音書の主張は たぶん違うと 思いますよ。
>人と人との 愛による 横関係ですよ。
>ヨハネ福 15:12
>わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
「ロゴスが世界理性だと言う事」と、「わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。」
は全く矛盾しないと思いますが、どちらであってどちらでない
と言う事柄ではありません。全く異次元の事柄だと思います。
677 :
キュロス :2005/08/10(水) 22:38:41 ID:10l30YSv
>>676 「ロゴスが世界理性だと言う事」等の 考えを
押し進めて行くと 「神は感情をもたれない」 になる。
理性 を 衝動的 欲望的 ではないもの
また 外部からの 刺激に対してどうじないもの とすると。
ロゴスとしてのキリストは 外部からの刺激に対して 衝動的な
反応はせず 怒らず笑わず悲しまず の存在になる。
なぜなら 「怒り笑い悲しみ」等は 外部からの刺激に対する反応だからね。
ロゴス・キリストは 神だから 「イエス・キリストは 感情を持たれない」 になる。
そして 「神は感情から 解放されておられる。 換言すれば
神は快楽 苦悩 といった感情に動かされない」(スピノザ)に至る。
しかし イエスは ラザロの死に対して 怒りをもって対応し
復活させた。
まあ 乱暴で 粗雑な主張だね。時間があれば 補足する。
678 :
キュロス :2005/08/10(水) 22:51:28 ID:10l30YSv
>>676 ロゴス(理性)が イエスだとすると
宮清め(ヨハネ2.13- )を プラトン的ロゴス(理性)
で説明してください。
バラーからは 預言書で説明できるよ。
679 :
キュロス :2005/08/10(水) 23:29:26 ID:10l30YSv
水が葡萄酒に変わる出来事 死人が蘇る出来事 と 世界理性 とに どの様な関係が 有るのですか はなはだ疑問ですね。 まあ 考えられる事は その様な事を書いた人が 余ほど変なのか それとも ロゴスを世界理性と誤解して 世界理性と 神の創造 及び キリスト との関係を考えている人達があれだ と言う事ですかね。
680 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/11(木) 00:26:28 ID:1G26EyiE
>>677 -
>>679 >ロゴスとしてのキリストは 外部からの刺激に対して 衝動的な
>反応はせず 怒らず笑わず悲しまず の存在になる。
>なぜなら 「怒り笑い悲しみ」等は 外部からの刺激に対する反応だからね。
全然認識違いだW...だからギリシャ哲学を読んでちょって言ってるんだW
全く話にならんよ...
681 :
名無しさん@3周年 :2005/08/11(木) 00:30:27 ID:ORG7bAmx
奇跡を信じられなければ実在の神様は信じられない。
682 :
キュロス :2005/08/11(木) 02:16:50 ID:aIaiaQ3r
>>680 だから 古代ギリシャ人の古典的理想は 個人的実存に
おける内的調和なのでしょ
そして プラトンは 魂の要素は 欲望 衝動 理性 の三つだと 言ったでしょ。
衝動や欲望は 内的調和を乱すのでしょ。
だから 内的調和をもたらす為に 理性を持って衝動や欲望を支配するのでしょ。
これを 欲望 衝動 理性を 分離できるかどうかは 知らないですよ。
しかし アナタの説では ヨハネ福音書のロゴスは 理性で
その受肉がイエスなのでしょ
だとすれば イエスには 欲望と衝動がないのでしょ
「怒り 悲しみ 笑い」 は それぞれ 「激怒 怒号 爆笑」を含むでしょ。
激怒 怒号 爆笑は 外的刺激に反応する衝動で 行動に現われるものでしょ。
ですから イエスは理性だけで 衝動がないから激怒もしないのに
どうして「宮清め」をしたのですか?
これはね 1〜2時間ぐらいで得た知識だから 間違い無い とは
言いませんよ。
しかしですよ そのイエスの「宮清め」を アナタの理解するギリシャ哲学で
説明しても 良いのじゃ有りませんか?
683 :
名無しさん@3周年 :2005/08/11(木) 10:44:31 ID:irzMHx41
n●___ ←うんこで威圧しようとするココモスキー / (ノスス) バカ ▲_▲ ( (@w@) ワハハ (・ω・ヽ) <うんこ でなく 球を なげてね。 \_ |る /V\ く く\ \ V (_) (_) ∧ ←うんこに動じずココモに迫るキュロス ノ ヽ
>>673 ダニエルさん
ありがとうございます。
そうなんですか。まだまだ、わたしには分りにくいのですが。
もう少し調べてみます。
>>661 キュロスさんのレスから
> >ヨハネ福 18:38
> >ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、
> >ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。
> 問題を解く鍵は イエスと ピラトとの対話だね。
ピラトはこの時、落ちつかなくて、イエスとじっくり話そうとする姿は見えず、「真理とは何か?」
と、尋ねながら答えを聞かず、ユダヤ人のところに行ってしまう、、、、、、、、
なぜこんな態度とったんでしょう?
真理とは何でしょう? これから起こる贖いのことでしょうか?
どうぞお願いします。
685 :
キュロス :2005/08/12(金) 15:39:42 ID:gqegFrqC
>>684 >尋ねながら答えを聞かず、ユダヤ人のところに行ってしまう、、、、、、、、
>なぜこんな態度とったんでしょう?
ユダヤ人は イエスを死刑(十字架刑)にする為に ピラトに渡すのですね(18.31-)
そして ピラトはイエスに 「おまえは ユダヤ人の王なのか」と聞くわけです。
その問いに対して イエスは 自分が「ユダヤ人の王」ではなく「真理について証を
するために生まれ そのためにこの世にきた」 と自分のことを説明するわけです。
そして ピラトは 「真理とは何か」 とイエスにたずね
急いで ユダヤ人に対して 「わたしはあの男に なんの罪もみいだせな」
というわけです。
ピラトはイエスとの対話で イエスが「ユダヤ人の王」ではないことを
知り またイエスの言う「真理」に興味を持った 或いは イエスの言葉を
信じかけた(信じつつある) 結果の問いだと妄想します。
だから ピラトはイエスを殺したがらない のだと思う。
ピラト等の当時のローマ当局の理解する「ユダヤ人の王」とは
ユダヤ人をローマ帝国の支配から 解放する軍事的メシヤ
を意味していたと思います。
当時のユダヤ地方では その様な軍事的メシヤ運動が出現するのですよ
たとえば テウダスの反乱(44年)や フェリクスがユダヤの総督(52年-60年)の時の
反乱等です。 そしてローマ当局は これらの軍事的メシヤ運動を政治的反乱とみなし
十字架の極刑で処罰したようです。
>>864 のつづき
ピラトはイエスとの対話の後 ユダヤ人に イエスが「ユダヤ人の王」
では無いことを イエスの不様な姿で説明するわけです。
そして ユダヤ人達は ピラトに対してイエスが「神の子だ」と自称したと
告げるわけです そしてピラトは ますます恐れる のですね。
なぜ ピラトは ますます恐れる のでしょか?。何を 恐れるのでしょか?
たぶん ここでピラトは イエスが神の子で 真理について証する人だ
たと言う事を 信したのだと 思いますよ。
ピラトは 神の子は、殺してはいけない 事だと思ったのですね。
この辺が 神の栄光を表す 出来事 に対する
神の思いと 人の思いの 違いなのでしょうか。
再度の ピラトとイエスの対話で イエスが
「わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」とピラトを慰めるわけです。
そして ピラトは 「イエスを釈放しようと努める」わけです。
この時点でピラトは イエスのことを 神の子 だと信じていると思いますよ。
でも 最終的には ピラトは 祭司長達のローマ皇帝への服従の主張に負けて
イエスを十字架に掛けるのですね。
この ピラトのイエスを十字架に掛ける事を決心するのは
神の意志 なのか 悲しい人の自己保身からの行動 なのですかね。
>>684 >真理とは何でしょう?
>ヨハネ福 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
真理とは 人を人が人を支配する秩序 ではなく 自由にするのもだと思いますよ。
「ユダヤ人の王」とは やはり人が人を支配することによって 生まれる秩序
ある社会を目指すものだと思いますよ。
軍事的メシヤ運動とは ローマ帝国の支配 から 「ユダヤ人の王」による支配
に移ることだと思いますよ
ですからイエスは自分が 「ユダヤ人の王」ではない
またそれが目的で来たのではない と 主張したのだと思いますよ。
>創世 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神の創造バラ−は 混沌から秩序ではなく 自由だと思いますよ。
真理の霊(14.17)とか 風の話し(6.8) とか出てくるんだよね。 この 霊とか風は ヘブライ語で ルアッハ なんだよ。 この言葉の説明が記述してある旧約の注解書を 見ると 解るのだろうけどね。 たぶん ヨハネ福音書の真理 と このルアッハは 密接に関係していると思いますよ。 創世記の神の創造の前に 神の創造(バラ−) 水 神の霊(ルアッハ) もしかすると 混沌 も含むかも知れないけど これらをヨハネ福音書の記述した人達は 利用して イエスの出来事 を説明したのですかね。 水が葡萄酒に また 混沌が自由に ですかね。 またオレは 贖い とは何を意味するかは 全然しらないよ だから 説明できない。 教理的キリスト教は あまり好きではないからね。 まあ キリスト教から教理を取ったら なにも残らないかもしれないけど。
>>ヨハネ福 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。 > 真理とは 人を人が人を支配する秩序 ではなく 自由にするのもだと思いますよ。 を 下記に修正します 思いつきで書いてるから 間違うよ >>ヨハネ福 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。 真理とは 人が人を支配する秩序 ではなく 自由にするのもだと思いますよ。
690 :
名無しさん@3周年 :2005/08/12(金) 19:46:01 ID:PKIH77xR
イエス様の行いにと妻からの伝言により、ただならぬ事態を察したピラト。 ピラトがユダヤの王なのか?と聞き、イエス様が認めた(またはピラトがそう認識した) ことにより、その血の責任を回避できると結論した。 「ユダヤ人の神」の御子であって、自分の神と区別できることが、ユダヤ人の責任で 裁くことを認めるおおきな要素と言えるのでは。
691 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/13(土) 01:21:35 ID:YH9obP/M
>>690 >「ユダヤ人の神」の御子であって、自分の神と区別できることが、ユダヤ人の責任で
>裁くことを認めるおおきな要素と言えるのでは。
「ユダヤ人の神」などと言うトンでもない言葉を吐き、社会を乱す気の
振れた男でも、軽々に裁いてしまうと後で責任事になるケースもあり
この男を裁いても大丈夫かどうか慎重になっていた...できれば
関わりたくないので、ユダヤ教会に裁いて欲しかった....わはははははは
692 :
名無しさん@3周年 :2005/08/13(土) 07:41:11 ID:A0p+zxPA
>>691 ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< よくこんなイスラムの恥みたいなレスを投稿する気になったな
UU ̄ ̄ U U \_____________
693 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/13(土) 14:50:59 ID:5a2JQ1SB
>>692 >よくこんなイスラムの恥みたいなレスを投稿する気になったな
また新しい慣用句ができたんですね...わははははははは!
ナザレから出てきた田舎者が、こんな事を言ってたら、頭が可笑しい
と思うのが常識だよ
マタイ26/63−64
私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリスト
なのか、どうか。その答えを言いなさい。」
イエスは彼に言われた。「(重要−>)あなたの言うとおりです。
なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力
ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは
見ることになります。」
694 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 00:12:17 ID:7JDWdMUx
>>693 ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< よくこんなイスラムのテロリストみたいなレスを投稿する気になったな UU ̄ ̄ U U \_____________
695 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 02:04:16 ID:7f+T7ihI
ユダヤ教の聖職者「お前は自分を神の子だと思ってるのか」 イエス「そのとおりだ、自分は神の子だ」「自分は神の 脇にいて雲に乗ってやってくるのをあなた方は見ることに なる」 わははははは! 僕が今疑問に思ってるのは、イエスがなぜ こんなに簡単に容疑を認めたかだよ...そこにかなり重要な 意味があると思うW それと、容疑を認めた事が聖書に書かれているにもかかわらず イエスは無実だと思い込んでる馬鹿なクリスチャンが何故いるのか だな...この辺がクリスチャンの特殊性だな、思い込みの激しさ が聖書に書いてある事すら無視してしまう...全くクリスチャン に聖書は「豚に真珠」だW...
696 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 02:53:55 ID:7f+T7ihI
>>695 一方的にクリスチャンを馬鹿にしてても、馬鹿なクリスチャン
からは、まともな反応はないだろうから、ここのイエス物語の
モデルであるイザヤ書52−53章の「苦難の僕」の話をしませう
その前にイエスがあっさり容疑を認めた理由の1つは弟子や信者
たちを守る為ではないかと言うのが僕の推理です。
イエスはユダの裏切りをある程度予想してて(ユダには
難しくてどうせ官憲との交渉は不調に終わるだろう)
自分がシラを切ってたら、共同体の不審な活動の捜査は
弟子にも信者にも家族にも及ぶだろうと考えたんですかね
*イエスが自分が「神の子」であり「ユダヤの王」と言う
トンでもない発言により処刑されたとしても、その人を
「救い主」と言うのは、あまりにも吹っ飛んでるんだよね
ユダヤの政治情勢は彼を「救い主」と言うのとは全く正反対
に推移してしまいましたし、彼の弟子たちが何を持って
イエスを「救い主」と言ったのかが容易に理解できない...
僕はイエスの受難の時に何らかの「事」があって、弟子たちが
彼を「救い主」と呼ぶ様になったんだと思います。それが
何であるかを調べて行きます。 わははははははは
697 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 02:56:07 ID:7f+T7ihI
>>695 一方的にクリスチャンを馬鹿にしてても、馬鹿なクリスチャン
からは、まともな反応はないだろうから、ここのイエス物語の
モデルであるイザヤ書52−53章の「苦難の僕」の話をしませう
イザヤ書の「苦難の僕」事件は、ハガイやゼカリアによるダビデ
王家再興活動がその発端です。言わば自主独立闘争です。
もちろんペルシャがそれを容認するハズがなく、ペルシャの官憲
は独立派を摘発します。このまま事態をほっといたらどうなるで
しょう。ペルシャ政府は「あいつらを国に帰したのは間違えで
あった」になるだろべ...ここで独立派から白羽の矢があたった
「苦難の僕」の自己犠牲死事件が起こりまして...独立派は
息を飲んだのでしょうね...ピタっと活動を止めまして
ペルシャの官憲もしばらく様子を見たのでしょうが、捜査を
打ち切ります。
それで、イザヤ書の54章以降はこれまでにない平和な様子が
描かれてます。
短い文章の中でイザヤ書の「苦難の僕」の話をするのは
非常に難しいんですが...
698 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 07:30:41 ID:7JDWdMUx
>>695-697 ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< よくこんなイスラムの恥みたいなレスを繰り返し投稿する気になったな
UU ̄ ̄ U U \_____________
699 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/14(日) 08:53:55 ID:sTh7rVPl
聖書、それも旧約聖書をほとんど自分で読んでいない、というのが 大方のクリスチャンの罪だと思います。 自分で読んでいないから、すぐに教会のおかしな教義を鵜呑みにして 騙されてしまうみたいです。
700 :
キュロス :2005/08/14(日) 10:01:04 ID:eO39+Fjb
イザヤの「艱難の僕」にこだわりすぎだよ。 その辺の イエスの心境を理解する鍵は エレミヤ(30.7-18) だとおもうよ。 鍵といえば イエスが ペテロに渡した鍵と ダビデの家の鍵が 有るのだが ダビデの家とは イスラエルの事でしょうね。 キリスト教会は そのダビデの家の鍵を持っているのかな。 カトリックさんの紋章には 二つの鍵が描かれているいるらしいね。
701 :
キュロス 700を修正 :2005/08/14(日) 10:04:40 ID:eO39+Fjb
>イザヤの「艱難の僕」にこだわりすぎだよ。 >その辺の イエスの心境を理解する鍵は >エレミヤ(30.7-18) だとおもうよ。 エレミヤ30.7-18 ではなく エレミヤ20.7-18 だね。 以下に修正します。 >イザヤの「艱難の僕」にこだわりすぎだよ。 >その辺の イエスの心境を理解する鍵は >エレミヤ(20.7-18) だとおもうよ。
702 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 10:14:28 ID:7JDWdMUx
新約聖書の御言葉を信じるなら、旧約聖書はイエスキリストを表している。 旧約の出来事と、イエス様の生涯と復活が重なるように感じられることは間違いない。 繰り返される旧約の予表である救いの業は、全てを解決する決定的な救世主への待望となり、 イエスキリストの降誕を予告する御言葉が預言される。 決定的な救世主の、代替として信仰(神様から逃げた)してしまったのが他の神である偶像。
703 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 11:56:35 ID:XO7bEea6
>>700 >イザヤの「艱難の僕」にこだわりすぎだよ。
>その辺の イエスの心境を理解する鍵は
>エレミヤ(20.7-18) だとおもうよ。
これがキリスト教徒の不可解な発言なんだよ...
だれも「艱難の僕」にこだわってなんかいないんだけどね
「イエスがあっさり容疑を認めた理由の1つは」と言う可能性
を論じてるに過ぎないんだけどね、それでイザヤ書のシナリオ
を説明してるだけなんだけどね...
エレミヤ書から来るならエレミヤ書のシナリオを説明して
もらえないでしょうかねぇ...
エレミヤ書に「イエスがあっさり容疑を認めた理由」の
鍵がありますか?
あるとしたら20章ではなくて7章の神殿説法(7/1−15)だと
思うけど....
704 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 12:03:46 ID:XO7bEea6
>>702 >新約聖書の御言葉を信じるなら、旧約聖書はイエスキリストを表している。
>旧約の出来事と、イエス様の生涯と復活が重なるように感じられることは間違いない。
>繰り返される旧約の予表である救いの業は、全てを解決する決定的な救世主への待望となり、
>イエスキリストの降誕を予告する御言葉が預言される。
>決定的な救世主の、代替として信仰(神様から逃げた)してしまったのが他の神である偶像。
典型的な馬鹿教会の宣言文だよ....
聖書から一言も言葉が出てこないし、旧約聖書を全く読んでない
事が明々白々だよ、こういう「馬鹿丸出し」の言葉が、世の中に
受け入れられてると言う思い込みをしてるに過ぎナインさ
自分で言ってて、自分で全く理解してない事も明々白々さ
わはははははははははははははははははははははははははは
705 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 12:29:27 ID:8L8QiaCZ
ココモ必死だな。 典型的まなにも符合することは事実。 ココモの妄想ではこれを、偶然か捏造で処理するしかない。 さらには暴言を上乗せするココモスキーだが、このことは日本のイスラム信徒の看板に泥をかける行為。
706 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 12:44:07 ID:8L8QiaCZ
他にもあったね。 ゴミにするという手法が。 ウンココモはまだ逃亡中だが、ダブルスタンダードもも極地だな。他人に読んでないなんてよく言える。
707 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 12:44:43 ID:XO7bEea6
エレミヤって言われてもチンぷんカンプンな人が殆どだと 思うので、この紙面で説明できる範囲でエレミヤのあらすじ を書きますね... 時はBC610−BC580位だろか ユダ王朝末期のイスラエルの政局は、申命記派と改革派(?)に 割れてます。 改革派でバビロン支持のヨシア王のひぞっこでがエレミヤね ヨシア王が死ぬと、となりのエジプトはイスラエルに付け入り ヨヤキムを王に立てて傀儡政権を作り申命記派(親エジプト派) が政権の中枢に置かれます。 それで親バビロン派のエレミヤは、政府を批判します。 エレミヤの1−6は政府(申命記派)を批判して、預言を するのですが、全くのスカをしてしまった状況です。 申命記18/20はこのエレミヤのスカを批判して書かれたものです 「ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手に わたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって 語るならば、その預言者は死なねばならない。」 それにも挫けずに政府批判をしたのが エレミヤ7章の神殿説法です。この説法は大変な内容ですよ エレミヤはよく殺されずに済んだものだと思いますが、 政局はエレミヤの預言通り、新興のバビロンが勢力をまして イスラエルを制圧する事になり、BC607の一次捕因 BC586の2次捕因、ゼデキア王の拘束処刑、神殿の崩壊します。 エレミヤはこの間ずっとエルサレム近くにいて、この情景を 全部見てたんだと思います。 後はエレミヤ記を読んでチョ それとエルサレムが炎上したときの光景を嘆き悲しんで詠った のが「エレミヤ哀歌」です。
708 :
キュロス :2005/08/14(日) 12:48:38 ID:eO39+Fjb
>>703 >マタイ
>27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。
>総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、
>イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
このマタイ福音書の記述は 「私は自分の事を ユダヤ人の王 だと自称していない」
と言う 意味だと思いますよ。
あとね エレミヤ(20.7-18)イエスの心理状態を説明ですよ。
福音書を書いた人達は イエスの死とイザヤの艱難の僕を結びつけると
イエスの復活が説明できないから イエスの死を 艱難の僕 を結びつける事を
微妙に避けていると思いますよ。
それと イエスの時代のユダヤ教では 代理贖罪という考え方は
ないと思いますよ。
709 :
キュロス :2005/08/14(日) 13:17:18 ID:eO39+Fjb
預言書を 歴史書として読む事が 賢い ことなら 馬鹿の方がましだね。
710 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 14:18:26 ID:8L8QiaCZ
あなたが言ったことだ あなたが、既にそう認めているのだ こう読める。福音書間の差異の説明もつくよ。
711 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 15:00:28 ID:wTTz+e8u
「お前は、神の子か」と聞かれて「あなたがそう言っている」が、図星をつかれ イエスの開き直りの言葉なら、イエスは神を冒涜したのあり、最大の犯罪人と して処刑されて当然。 「あなたが言ってるだけで、私は言っていない」の意味なら、イエスは無罪。 しかし、同時に、彼は「神の子」ではない。
>>685 キュロスさん
>>690 さん
>>691 ココモ先生
ありがとうございます。
マタイを読むとピラトは、なんとかイエスを助けたかった。と、思うんですけど
やはり、ヨハネを読むと、何故ピラトが答えを待てなかったのかなと、考えちゃう
わけですね。
ピラトが ゛神の子 ゛と思い、尋ねた時に落ち着いてイエスの返事を待つ時間を
与えてくれない何かがあると思うんですね。この場合は外にいるユダヤ人ですが。
その結果、自己保身を選んでしまうのですね。
イエスに問いかけてすぐに返事がもらえないのは、こちら側に真剣みがない、
じっと我慢して返事を待つと、いうことができてないんだろうと、わたしも妄想
してしまうのです。
713 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 17:05:15 ID:XO7bEea6
>>703 >27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。
>総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、
>イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
それは、新共同訳のインチキだよ...口語訳や新改訳読んでごらん
「あなたの言うとおりです」だよ
因みにギリシャ語や英語版も読んでごらん
ピラトの前に出てきて沈黙をしてる場面にすり替え
てるけど
マタイ26/64が
「それはあなたが言ってることです」だったら、ユダヤ教の
聖職者は「お前はそうは思ってないのか」と問い直すハズだろ
聖書はそうは書いてないよ
マタイ27/65
そこで大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。
これでもまだ証人が必要だろうか....
イエスは明らかに「あなたの言うとおりです」と言ったんだよ
714 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 17:35:21 ID:XO7bEea6
>>708 >あとね エレミヤ(20.7-18)イエスの心理状態を説明ですよ。
エレミヤ(20/7−18)の復讐告白は、バビロンに裏切られた
時の告白だろ...バビロンがイスラエルに進軍するときにエレミヤ
は協力するんだよね...エレミヤはバビロンが今の腐敗した政権を
倒してくれる神の使徒だと思ったんでしょうが...バビロンから見
たらエレミヤは都合の良い案内役に過ぎないんだよ...
それが実際の進軍で示されて、エレミヤは自分がおお馬鹿者であった事
を認識するんだな、そんな時に詠ったのが20/7−18の歌だよ...
それとイエスの受難がどの様に関係するのか説明して貰えますか...
>福音書を書いた人達は イエスの死とイザヤの艱難の僕を結びつけると
>イエスの復活が説明できないから イエスの死を 艱難の僕 を結びつける事を
>微妙に避けていると思いますよ。
なぜ復活が説明できなくなるんですか?全然違う事柄だと思いますが...
>それと イエスの時代のユダヤ教では 代理贖罪という考え方は
>ないと思いますよ。
どう見ても全く何も理解してない様に思えるけど...
そうするとメシアニックとか、パウロの贖罪論も何も殆ど
理解してないようですね
715 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 17:57:37 ID:XO7bEea6
>>712 ピラトにとっては、イエスが「神の子」と発言したかどうかは
あまり興味ない事なんですよ(ユダヤの聖職者にとっては重大
な事ですが)
ピラトはイエスが民衆を煽って騒動を起こす人間かどうかが
問題で、ここからは推測ですが、ピラトにはそんなに大物には
みえなかったんじゃないかと思います。処刑しとかなくても問題には
ならない...あるいは処刑してしまうと、民衆が騒ぐかもしれない。
洗礼者ヨハネは聖書にはドラマチックな処刑の情景が描かれてますが
ヨゼフスにはこのドラマの情景が描かれてなく、「民衆に人気があって
暴動のカリスマになりかねないので、先に拘束して様子をみて
処刑したとあります」
統治者としてのピラトが考えたのもそれに近いんじゃないかと思います。
716 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 18:14:44 ID:8L8QiaCZ
ピラトの妻の夢みの伝言の存在が、ココモ説を霞ませる。
717 :
Love Jesus ◆Fhcps.A/9I :2005/08/14(日) 18:48:16 ID:38VtCZzC
ピラトはローマから派遣されてて、無事に治めて帰ったら出世できる。 でもイエスが問題を起こしたら出世できない!だから処刑したって習ったよ。
718 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 19:08:23 ID:AAaeeKrF
>>712 >>717 あなた方は、イエスが神の子だと信じているのか、いないのか?その場合の
「聖書上の根拠」と、可能な反論に対する抗弁は何?
イエスの「自己申告」だけでは、何の根拠にもならないのだよ。
719 :
Love Jesus ◆Fhcps.A/9I :2005/08/14(日) 19:13:07 ID:38VtCZzC
HN見てもわかると思うケド、信じているよ。 「根拠」って「証拠」のことかい? 確かな「証拠」があった上で認めているのなら、「信じている」とはいわないよ。
720 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 19:26:26 ID:AAaeeKrF
>>719 それを「盲信」という。君は、神から人間に与えられた知性と批判力を使わない
のか。それでは、神に反しているのでは。
>>720 聖霊によらずして、人は主イエスを信じることは出来ない。
自分の知性や判断力、批判力は所詮は人のものであり、真理を見分けるのには不十分だと知っています。
723 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 19:46:29 ID:AAaeeKrF
>>721 聖霊って、どこに行けば見れるの?あなたは見たことがあるの?どんな形してる?
教えて。是非一度見たい。
>>722 そう判断しているあなたは、人ではないの?
724 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 19:47:36 ID:8L8QiaCZ
ピラトは責任を否定している。 ユダヤ民 が処刑したがったのでそれを許可した。保身も計算のうち。ピラトは処刑を避けようとしないイエス様に畏れを感じ、止められない流れ、必然を感じた
肉の目には見えない。霊だから。 だから人である自分は、聖霊によって信じています。 クリスチャンのことを知りたいなら教会へいってはどうです?? 百聞は一見にしかずという言葉をご存知でしょう?
726 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 19:59:16 ID:AAaeeKrF
>>725 被造物としての人間にとっては、肉の目(五感)で見えるもののみを、
実在というのです。それ以上のものを考えることは、禁止されている。
それをやるのは、人間ではなくて、神である筈。あなたは、傲慢不遜
にも、神に成り変るお積もりか。
>>726 じゃぁあなたは宗教板に来る必要ないんじゃない?
728 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 20:49:50 ID:AAaeeKrF
>>727 宗教を(自民党をではない)ぶっ潰す必要があるから来ている。
もう一度尋ねる。「あなたは、傲慢不遜にも、神に成り変るお積もりか」。
>>728 誰がそのようなことを言ったか?
宗教をぶっ潰そうという人が、クリスチャンに自分が信じるつもりのないことを聞いてどうする?
ぶっつぶそうったってあなたができるくらいなら、どうして今までキリスト教があるのさ?
ローマ皇帝ができなかったのに一個人ができると?
どちらかといえば、そっちの方が傲慢では?
別にあなたを責めているわけではないけどね。
もう少し時間の使い方を考えてください。
730 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 21:49:44 ID:XO7bEea6
>>718 >あなた方は、イエスが神の子だと信じているのか、いないのか?その場合の
>「聖書上の根拠」と、可能な反論に対する抗弁は何?
イエスが神の子かどうかの問題じゃないだろ、ピラトがイエスを
どう思ったのだろうかと言う事だよ、それこそピラトがイエスを
「神の子」と認識したというのであれば(そんな事はありえない)
その証拠を示していただきたいもんだ....わははははははは
731 :
名無しさん@3周年 :2005/08/14(日) 22:15:24 ID:8L8QiaCZ
ピラト自身が預言を見ずに、妻が見たということに、ピラトに与えられた立場の意味を理解することができそう。
732 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/14(日) 23:54:15 ID:XO7bEea6
>>731 >ピラト自身が預言を見ずに、妻が見たということに
不勉強で申し訳ないんですが、妻が預言を見たと言うのは
何処に書いてあるんですか?
733 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 00:22:02 ID:Ugjpq1x2
>>731 ごめん見つけました
マタイ27/19
一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言
があった。「あの正しい人に関係しないでください。その
人の事で、私は昨夜、夢で随分苦しめられました。」
のことですか?....
はっきり言って、マタイ教会のレベルの低い創作です。
他の福音書にはありませんよ...
「あの正しい人」と言う様に、ピラトの妻があたかもイエス
を知ってる様に書いてるが、ピラトの奥さんがイエスの共同体
と接触したとは思えないし(イエスの共同体はこの数日前に
エルサレムに来た)、イエスの噂を聞いた可能性はあるが、
それでもつて、その人を「正しい人」と言うのも奇奇怪怪な話。
たくさんの犯罪人を裁いたであろう代官の奥さんが、イエスに
だけ何等かの思いを持つ事もまず考えられない...
マタイ教会は同じフィクションを書くにしても、現実にありうる事を
書くべきだと思うよ....わははははははははは
734 :
名無しさん@3周年 :2005/08/15(月) 01:53:58 ID:BBAJqeoj
聖書に信頼して読めないココモスキーの目は曇っている。 曇った目は道に対し不信感を増す。 晴れている目のものは道を見出し、見えている道に信頼を置く。 信が信を、不信が不信を、招く。 ココモスキーは盲目に近い曇りの目を持ち、人の示す道も不信感に満たされる。 そして結論の無い∞の道を選んでしまう。 信を増していくものには終着点が見えてくるのだ。
>>734 聖書の読みかたはいろいろあります。
絶対化して押し付けるのをやめるとき、信仰書になりますが研究するのは勝手です。w
736 :
名無しさん@3周年 :2005/08/15(月) 02:19:16 ID:BBAJqeoj
>>735 ココモスキーがそのように言えればいいのだけど。
ココモスキーの発言は固いうえに排除するための見逃しがたい毒がある。
立場の違いを示していかないと混乱が生じる。
737 :
キュロス :2005/08/15(月) 12:23:50 ID:FXYpmVJS
>>713 >それは、新共同訳のインチキだよ...口語訳や新改訳読んでごらん
>「あなたの言うとおりです」だよ
マタイ福音書 27章11節
新共同
> さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」
>と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
岩波訳
>さて、イエスは総督の前に立った。そこで総督はイエスに尋ねて言った、
>「お前はユダヤ人どもの王か」。しかしイエスは言った
>「それは、あなたの言うことだ」。
フランシスコ会訳
> さて、イエズスは総督の前に連れてこられると、総督がイエズスに、
>「あなたがユダヤ人の王か」と尋ねた
>イエズスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
以上の各訳は、「ユダヤ人の王」という称号の指し示すものが
イエスとピラトでは 違う と解釈できるし
またイエスが 自分のことを「ユダヤ人の王」ではない と否定したとも解釈できる。
ピラトが イエスのことを「ユダヤ人の王」と 認めたとも解釈できる。
色々な 意味に解釈できるから その福音書の本文全体と旧約で解釈すべきですよ。
他の福音書の並行個所で解釈するべきではないですよ。
並行個所解釈は 楽だけど 各福音書のイエス理解が微妙に違うから
変な方向に行く可能性がありますよ。
738 :
キュロス :2005/08/15(月) 12:24:55 ID:FXYpmVJS
文語訳 > さて、イエスは総督のまえに立ち給(たま)ひしに。 >総督、問いて言ふ、「なんぢはユダヤ人の王なるか」 >イエス言ひ給ふ、「なんぢ言ふが如し」。 口語訳 >さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、 >「あなたがユダヤ人の王であるか」 >イエスは、「そのとうりである」と言われた。 これらの訳は イエスとピラトの意見が一致した と言う事かな? それと 史的イエスは また別の話しだと思いますよ。 クロッサンは 裁判は無かった って言ってるのでしょ。
739 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 13:06:35 ID:/c0hZVkD
>>737 >>738 何回も言ってますが
マタイの26/63−64のユダヤ教の聖職者達に対する
発言と27/11のピラトに対する発言を混同してますね
「神の子」発言は神に対しての冒涜
「ユダヤの王」発言が統治者に対しての冒涜
「神の子」発言はピラト(統治者)の前で「神の子」と言ったか
どうかは大した問題じゃないよ、26/63−64の聖職者達
(一応神を司る人達)の前で言った事が重要なんだよ...
これはすなわち、ユダヤ教会を冒涜した分けだし、ユダヤ教の聖職者
達から見たら神を冒涜した事になるんだよ....
ところで、何で著名な訳本がこぞって文章の前後が全くつながらない
翻訳をしてるんだろ....これもキリスト教の不可解なところだけどね
ピラトの前での発言は「それはあなたの言ってる事」でも通りそうだけど
ユダヤの聖職者の前での発言が「それはあなたの言ってる事」では、
その後の聖職者達の反応とまったくつながらないダロ....
キリスト教会の翻訳能力の限界を知ってしまったW
740 :
キュロス :2005/08/15(月) 13:26:22 ID:FXYpmVJS
>>739 史的イエス研究では 裁判は無かった と言う学者もいるわけですよ。
彼らによると イエスの裁判は 歴史化された預言(先見ではない) なんですよ。
マタイ福音書の裁判の記述は マタイの神学的意味から解釈するべき
だと思いますよ。マタイ福音書が記述された時代背景(経済・政治等)や
イエス時代のユダヤの状況は 重要でから それを参考にする事は
重要ですよ。
あなたの 立場がわからないのですよ。
あなたは 史的イエスを 探すのですか?
いちなみに キュロスの芸風は イエスという出来事を体験した人達が
何を思い どのような行動をしたのか を探すことです。
また 教理的キリスト教は 好きじゃ有りません。
741 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 13:28:13 ID:/c0hZVkD
>>738 >それと 史的イエスは また別の話しだと思いますよ。
>クロッサンは 裁判は無かった って言ってるのでしょ。
史的イエスで考えるのであれば、「神の子」発言がマタイ教会
の創作だと思います。(
*マルコ福音書には「神の子」発言がない...
*「神の子」と言う言葉はパウロの頃から作られた様に思う
*ユダヤ教会に対するマタイ教会(キリスト教会)の批判から
イエスの受難物語に組み込まれた
イエスはマルコ福音書にあるように、メシア(当時ではユダヤ
の王の意味)発言で処刑されたんだと思います。
742 :
キュロス :2005/08/15(月) 13:50:31 ID:FXYpmVJS
>>741 自称「神の子」は 他にもいたようですよ。
まあ 神殿勢力・パリサイ等からは 嫌われていた様ですけど。
当時 奇跡を行う者・聖者は神に向かって「アパ」(父よ)と呼びかけていた
ようですよ。彼らは 自称「神の子」ですよ。
743 :
キュロス :2005/08/15(月) 13:54:30 ID:FXYpmVJS
創世記・出エジプト等は 歴史化された預言 だと思いますよ。 そのような伝統があるのですよ。
744 :
キュロス :2005/08/15(月) 14:17:25 ID:FXYpmVJS
>ローマ >8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、 >神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、 >「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 イエス時代のパリサイ派は 神を「アッパ父よ」 と呼ぶ事は 「神の子」を自称すること と理解しているのですよ。 あま パウロは ヒレル学派だから 一般化は出来ないかも 知れないけれど 当時の気分としては そうだと思いますよ。
745 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 15:58:34 ID:ESL/UpRM
>>742 >自称「神の子」は 他にもいたようですよ。
>まあ 神殿勢力・パリサイ等からは 嫌われていた様ですけど。
>当時 奇跡を行う者・聖者は神に向かって「アパ」(父よ)と呼びかけていた
>ようですよ。彼らは 自称「神の子」ですよ。
殆ど根拠のない想像だよ、イエスの時期に「神の子」などと言うのは
トンでも発言だよ、だから「アッパ=父」と言う言葉があるんダロ
これを同じレベルで捉えるのは、よほど無神経か当時のユダヤ社会を
殆ど理解してないという事だよ....
公の場所で「神の子」と言ったら、神や神殿教会を冒涜してる言葉だよ
パウロが「神の子」と敢えて書いてるのは
1...その書簡が異邦人を主体にした教会に向けたものだから
2...ユダヤ社会が既に崩壊しかけてた
3...ユダヤ社会への批判として
だろ...
旧約にも「神の子ら」は出てくるけど、必ず複数形で多くはユダヤの民
の意味ですがね...新約で使う「神の子」とは全く意味が違うよ
神殿勢力とパリサイ派を混同されては困るんだけどねぇ...
神殿勢力は今で言う行政官ですよ、嫌われていたんじゃなくて、
官憲から要注意人物としてマークされてたんでしょ...
イエスもその中の一人と言う事か...
つまり世の中に騒ぎを冒しかねないバッドマークの人間として
746 :
キュロス :2005/08/15(月) 16:18:57 ID:7NzOhmlC
>>745 自称「神の子」は ラビ文献に出てくるらしい たとえば
アバ・ヒルキア 日雇労働者 雨乞いの祈りをしたらしい。
ラビ・ハニナ・ベン・ドーサ ラビ・ヨハナン・ベン・ザカイの息子の癒し
をしたらしい。
「円書く」・ホニ この人も雨乞いをしたらしい。
あなたは ホニさんのことは知ってるよね。
747 :
キュロス :2005/08/15(月) 16:27:47 ID:MGVbuVSX
参考文献が見つからないから 正確ではないが 自称「メシア」もいたはずだよ。 なんでも エルサレム神殿の周りを 片手を上げて何事かを叫んで ぐるぐる回っていたらしい。 なお この人は 狂人として放置されていたらしい。
748 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 16:30:01 ID:ESL/UpRM
>>740 >あなたの 立場がわからないのですよ。
>あなたは 史的イエスを 探すのですか?
聖書と言う歴史的産物を残した人たちの真意を読み取る事です。
地道にこの作業を積み重ねると、アホなキリスト教会が如何に、
根拠のない妄想・思い込み・都合のいい捏造の説法してるか
分かってきます。
特に旧約の引用は、そのでたらめさが激しく、全く旧約聖書
を理解してない事が顕著に分かります。
ところで、エレミヤが期待していたバビロンに裏切られて
(初めから利用されてた事を思い知らされて)詠んだ歌
エレミヤ(20/7−20)が、どうしてイエスの受難の
時の心境なのかご説明いただきたいんですが...
749 :
名無しさん@3周年 :2005/08/15(月) 16:52:14 ID:nkc1FBtW
ダニエル書に出てくる「神の子」は単数じゃないの? その天使は特別な表現をされるわけだけど。
750 :
キュロス :2005/08/15(月) 16:56:39 ID:MGVbuVSX
>>748 心境 と 動機 は違うと思いますよ。
イエスが エルサレムに行く 目的と
イエスを エルサレム行きに駆り立てる 情熱 は違うと思いますよ。
751 :
キュロス :2005/08/15(月) 17:08:17 ID:MGVbuVSX
>>750 いわゆる記述預言者に共通する 情熱 と史的イエス
の思いは は共通すると思いますよ。
記述預言者は いわゆる忘我状態で 預言するわけではないですよ。
身の危険を正確に判断できる正気状態で 預言するわけです。
この記述預言者の心境と イエスの心境は 同じだと思いますよ。
この辺は 信仰(キリスト教以外も含む)という わけのわからない
ものが無いと 解らないかもしれません。
少なくとも古代の文書は 現代的・近代的先入観を捨てて読む
べきだと思いますよ。
752 :
キュロス :2005/08/15(月) 17:18:53 ID:MGVbuVSX
エレミヤは 神の人に対する熱情に 共感したのですよ。 預言者は 神の言葉の拡声器では ないのですよ。 預言者は 神の書いた原稿を朗読する者 ではないのすよ。 預言者は 神の人に対する情熱を 語る だけではなく 行動 でも表すのです。 預言者は 預言者個人の全てで 神の人に対する情熱を 表すのです。
753 :
キュロス :2005/08/15(月) 18:05:53 ID:MGVbuVSX
>イザヤ 65:1 > わたしに尋ねようとしない者にも >わたしは、尋ね出される者となり >わたしを求めようとしない者にも >見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも >わたしはここにいる、ここにいると言った。 この最後の 二行は 凄いですよ。 ユダヤ人の神観念は 人が神を求めるのではなく 神の方から人に語りかけてくる 神なんですよ。 >創世記 >18:17 主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。 人が神に 将来のことを聞く のではなく 神から人に将来のことを 語りかけてくるのですよ。 このへんの 神観念が解らないと 預言者やイエスの気持ちは 解らないと思いますよ。
754 :
キュロス :2005/08/15(月) 18:24:13 ID:MGVbuVSX
ですから 罪 とは 神を無視 する事なんですよ。 神の方から人に語りかけ また神自身を人に示しているのにも かかわらず 人が神を無視 するから神は怒るのです。 しかし 人が神に立ちかえる(神の思いにこたえる)ことに よって 神は人を許すのです。
755 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 19:27:05 ID:ESL/UpRM
>>750 >イエスを エルサレム行きに駆り立てる 情熱 は違うと思いますよ。
御貴殿は受難の時の心境と書きましたよ...その引用として
エレミヤの20/7−20を出されたんですよ...どうして
エルサレムに行くときの情熱に刷り変わるんですか...
>>752 >エレミヤは 神の人に対する熱情に 共感したのですよ。
いい加減な言い逃れをするなよ!!!!
エレミヤはバビロンを「神の使い」だと思っていたら、それが
神の使いではなく、自分を便利者にしてイスラエルを征服した
んだよ...その時の復讐の言葉が20/7−20だと何べんも
言ってるだろうが....「神の人に対する熱情に 共感した」
なんて言うでたらめが通じるか、インチキ信者!
エレミヤの聖句をイエスの受難の時の心情だと思ったのは、トンでも
ない錯覚だったんダロ...正直に告白しなよ...みんな見てるよ
756 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/15(月) 19:48:03 ID:ESL/UpRM
>>749 ごめん見落とすところだった
>ダニエル書に出てくる「神の子」は単数じゃないの?
>その天使は特別な表現をされるわけだけど。
原語がないので不明だけど、新改訳は「神々の子」になってる
ダニエルは「人の子」も他の巻物と違う使い方だったので、
そういう面での扱いが難しい本ですW
実際の意味は「天使」の様だっただと思うけど...
757 :
名無しさん@3周年 :2005/08/15(月) 20:10:48 ID:nkc1FBtW
単数なのは天使の表記が他の文書と類似しないからと放置するしかないと。
758 :
キュロス :2005/08/15(月) 20:22:15 ID:eGC44t9j
>>755 >インチキ信者
やっぱり アナタは福音派でしょ。
非教理的キリスト教な事を書くと アナタは反論してくるしね。
イエスと預言者を同列に扱う事は キリストの神性の否定 なんですよね。
ロゴス=バラ−論も 三位一体の否定に繋がるしね。
正統キリスト教は ロゴス=ことば=理性(秩序)論だと思いますよ。
>>754 は代理贖罪論を微妙に否定してるしね。
>>753 は神の救済史(神の節理)の否定とも読めるしね。
759 :
名無しさん@3周年 :2005/08/15(月) 20:32:50 ID:nkc1FBtW
ココモ理論ではその差異に込められた意味を見い出せない。曇り目。 知ってて言ってる確信犯なんだろうけど。
760 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 09:35:33 ID:pDOUPKE7
>>741 >*マルコ福音書には「神の子」発言がない...
あるじゃんか
761 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/16(火) 14:11:19 ID:C1lrIpZ4
>>758 >やっぱり アナタは福音派でしょ。
>非教理的キリスト教な事を書くと アナタは反論してくるしね。
アンタの眼中には福音派しかないんか...わははははははは
キリスト教会はヤクザの島争いをしてるんか....
762 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/16(火) 14:42:04 ID:C1lrIpZ4
>>758 >やっぱり アナタは福音派でしょ。
>非教理的キリスト教な事を書くと アナタは反論してくるしね。
非教理的な事じゃないだろ、でたらめな逃げをしてその場を
誤魔化してる、多くのキリスト教徒が行う実例を示したから
追求してるんだよ....それでイエスの受難にエレミヤの聖句
を持ってきたのは間違えだったのか、的確だったのかハッキリ
させなよ....
これが、僕が何回も指摘してることなんだよ...
キリスト教徒は旧約に便利な聖句があると、イエス・キリストの
予表だとか預言だとか、クダラナイ事を言って旧約からの伝承を
強調する、ところが引用された書物では全く違う意味で書かれて
るんだな
それを旧約を読んでおおよその内容を把握してる人間が見ると
「馬鹿丸出し」に見えるんだよ...キリスト教会ってそんな
レベルなんか...それを指摘すると、とたんに異端者だサタン
だ曇り目だダブルスタンダードだ信仰がなければ聖書は理解できない
って言い出すんだよ...全く情けない連中だと思うね...
763 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 18:22:21 ID:EqF1Mac9
ココモは聖書をコマギレにして都合のよい部分だけ関連付けするのにさ、よく言えるよね。 ダブル スタンダードココモスキー。 全体から読み取って、全体の整合性をとれる研究と読み方が自然。
764 :
キュロス :2005/08/16(火) 18:42:41 ID:CFbaCmZZ
>>762 旧約聖書の 成立過程を知らないのでしょ。
旧約聖書についての教科書を 読む事を勧めるよ。
ヘブライ語聖書のエレミヤ書は 70人訳のエレミヤ書の
約三倍の分量があるんだよ。
アナタは 旧約聖書は天から降ってきたと思ってるでしょ
この聖書についての考え方が 福音派的なのよ。
旧約聖書は 天から降ってきたのじゃないのよ。
765 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 19:08:08 ID:EqF1Mac9
否定するのに都合のよい時は、普段糾弾している手法も使うというダブルスタンダードの名手。
766 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 20:13:39 ID:PUnNSAyx
聖書読んでて、出鱈目・こじつけの典型は、ヨハネではないでしょうか。「初めに 言葉があった」の「言葉(ロゴス)」がイエスで、神が自分に似せて造った人間は、 イエス一人なのだから。 言葉は、生命が発生した後に作られるのだから、順序が逆。言葉が最初なら、神は その言葉を誰から教わり、誰に対して使ったのでしょうか。「光あれ」とは、一体 何語で叫んだのでしょうか。 創世記では、神が自分に似せて造ったのは、「すべての人間(human beings)」と なっていますが。
767 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/16(火) 20:20:36 ID:a+XzY4W2
>>766 >「初めに言葉があった」の「言葉(ロゴス)」がイエスで、
>神が自分に似せて造った人間は、イエス一人なのだから。
神がご自分に似せて創られた人は、アダムです。
768 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/16(火) 20:22:23 ID:a+XzY4W2
>>766 >言葉は、生命が発生した後に作られるのだから
言葉は作られていません。
そのような記述は聖書にはありません。
言葉は、はじめから神とともにあり、創造の業に参加していました。
神は「光あれ」のように、言葉によって万物を創造されたのですから
言葉というものは、天地創造より前から存在したのです。
769 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 21:20:16 ID:BRKXojdj
似せて創られた部分 、道徳的善として良心の痛み・自然に備わる悪かったと言う気持ち (宗教改革期のカトリック教会令(南部カトリック王侯・皇帝派)に反する異端なのか 、良心の痛みに反してルーテルが自説を撤回しない(ルーテル派教会・北欧国教会)のか 、聖霊によって聖書を読む(イギリス共和国の改革派[ピューリタン(清教徒)]) (聖書によって聖書を読み解く[チェコのフス派→オックスフォード大学ウエスレ−のメソジスト])のと違った争点で 、ドイツ国会[神聖ローマ帝国会議]は信仰問答となった) 土(アダマ)から人(アダム)をつくった。人は死ぬと土に返る事となった。 男(イシュ)から女(イシャー)を創った(元は人は一つの説明) 父母を離れ男女がお互いを求める理由、元は一つで、二人は結ばれて一体となる。 息(ルアハー[H]・プネウマ[G]・命)を鼻から吹き込まれ、生きた者となった。 人は死ぬと魂(息)は息(命)を吹き込んだ神に帰る事となった。 神との約束を破って(原罪の発生・善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう) 智恵の実を食べ食べた事によって 精神的善として善悪判断が身に付く(人間の智恵→信仰の智恵)
770 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 21:22:22 ID:BRKXojdj
×、良心の痛みに反してルーテルが自説を撤回しない(ルーテル派教会・北欧国教会)のか ○、良心の痛みに反[すると]してルーテルが自説を撤回しない(ルーテル派教会・北欧国教会)のか
771 :
キュロス :2005/08/16(火) 21:29:20 ID:LzmVbuiZ
>詩篇 >33:6 (6) 御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。 息吹(ルアハー) なんだね。
772 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 21:41:20 ID:BRKXojdj
天地は混沌としていて 水の表を 神の霊(息吹・聖霊は息吹・霊感)が吹き通っていた。とも読めるのかな??? 息吹によって天地の万象が神の意思によって創られた。 神の意思・論理・言葉によって 天地が構成(論理・言葉で作り出)された。とも読めるのかな???
773 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 21:43:13 ID:BRKXojdj
774 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/16(火) 21:43:26 ID:kZmLkjxP
>男(イシュ)から女(イシャー)を創った(元は人は一つの説明)
>父母を離れ男女がお互いを求める理由、元は一つで、二人は結ばれて一体となる。
>>769 さん。なかなかいいね。
男が一人でいるとき、女は男を犯しに来る。
また女が一人でいるとき、男は女を犯しに来る。
だが男と女が一つでいるとき、誰が犯しにくると言うのか。
神がご自分に似せて創られたのは人間(男)だ。
女が男の内にあったとき死はなかった。人は罪を犯したとき、土から生まれ、
死が入り込み、男と女とを別けた。
そして土から生まれた人間(男)はアダム(アダマ=土)と名づけられた。
イエスは花婿(男)であり、魂は女である。なぜなら魂は子宮を持つからである。
救いを求め、自らを洗い清めた魂は、婚姻の部屋で、花婿と結ばれ、一つとなる。
そして、再び魂は、命を得る。
>>766 >言葉は、生命が発生した後に作られるのだから、順序が逆。言葉が最初なら、神は
>その言葉を誰から教わり、誰に対して使ったのでしょうか。「光あれ」とは、一体
>何語で叫んだのでしょうか。
おまえはアホウだね(苦笑)
775 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 21:45:11 ID:BRKXojdj
少し補正: [人が神に]似せて創られた部分 、道徳的善として良心の痛み・自然に備わる悪かったと思う気持ち (宗教改革期のカトリック教会令(南部カトリック王侯・皇帝派)に反する異端なのか 、良心の痛みに反[すると]してルーテルが自説を撤回しない(ルーテル派教会・スウェーデン国教会)のか 、聖霊によって聖書を読む(イギリス共和国の改革派[ピューリタン(清教徒・バプテスト系)]) (聖書によって聖書を読み解く[チェコのフス派→オックスフォード大学ウエスレ−のメソジスト])のと違った争点で 、ドイツ国会[神聖ローマ帝国会議]は信仰問答となった) 土(アダマ)から人(アダム)をつくった。人は死ぬと土に返る事となった。 男(イシュ)から女(イシャー)を創った(元は人は一つの説明) 父母を離れ男女がお互いを求める理由、元は一つで、二人は結ばれて一体となる。 息(ルアハー[H]・プネウマ[G]・命)を鼻から吹き込まれ、生きた者となった。 人は死ぬと魂(息)は息(命)を吹き込んだ神に帰る事となった。 神との約束を破って(原罪の発生・善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう) 智恵の実を食べ食べた事によって 精神的善として善悪判断が身に付く(人間の智恵→信仰の智恵)
776 :
220 :2005/08/16(火) 21:46:48 ID:vWErfA7O
ユダヤ教徒とキリスト教徒の旧約の解釈は同じでしょうか?んなワケなかぁ〜w
777 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 22:02:42 ID:BRKXojdj
ロスケ(ルースキー)の傲慢な理由: >・・・ビザンツ王冠とモンゴル汗の称号の「東西統合皇帝」) ハートランド(大陸の心臓部・中心に位置する)支配者。との自惚れだな。 アメリカは、それ(大陸の中心より世界の中心へ)を補正しようと イエメン(シバの女王)・イラク(バビロン)・レバノン(フェニキア)・ クルド地方(アッシリア・ユダヤ人が多い)・エジプト駐留に固執するのだな。 精神的な劣等感のなせる業だな。一神教・啓典の民の精神的支配根拠・行動の理由付け・大義名分という奴だ。 この大義名分でアラブ人虐殺やアラビア半島への米軍駐留を正当化されたのだから イスラム過激派が怒ってベトナム・インドシナ以上の粘着の『抗米戦争』だと言う事だ。 大東亜戦争や朝鮮戦争と違ってベトナム撤退と同じように アメリカはニクソンショック・米ドル下落の騒ぎのような経済が軍事を支えきれなくなるアメリカ敗戦をするだろうね。 日本はまた勝ち目のない戦争に金や今度は自衛隊の人命まで差し出してしまいましたね。 アメリカの兵補は日本の兵補をしたジャワ人のインドネシア独立につながった価値ほどはありませんよ。 日本は大東亜戦争で進駐軍を駐留軍に名称変更して軍事植民地・軍事信託統治領だから、自前で北朝鮮に戦争を吹っかけて 明治大正の頃のように朝鮮人の犯罪から日本人救出の軍隊派遣が出来ない。 在日や韓国の暗黒街や北朝鮮の強制収容所から軍隊で犯罪者を射殺砲撃し 拉致・誘拐され拷問などされた者を救出できない。嬲られっぱなしである。 現憲法9条死守は、日本人を嫌っている者に乱暴されて死にます日本人として生きる道を選びません という他人に殺させる自殺宣言のようなもの。 アルカイダの太祖ビンラディンは 母がカナン・パレスチナの地 父がシバの女王の地だから 抗米は なお更だろう。
778 :
海外アメリカ軍を生かして帰さぬ全滅させる戦争(序曲) :2005/08/16(火) 22:12:57 ID:BRKXojdj
1922年 沿海州でのロシア赤軍の攻撃から日本軍が敗戦・シベリア出兵の撤退 1923年 関東大震災・大正天皇の摂政の宮(昭和天皇)の被害視察 1924年 大本教の外蒙古侵攻失敗・「モンゴル人民共和国」成立・ラストエンペラー紫禁城追放 1925年 共産革命が流行・共和主義デモクラシー弾圧・立憲制を守る・治安維持法 1926年 大正天皇崩御で昭和時代に日帝の目標は国体(天皇の生存継承)の護持≠民族の存続 −13年間− 1939年 ノモンハン事件(人民モンゴル独立防衛戦・ハルハ河戦争) −5年間− 1945年「サハリン州」拡大「アイヌ人民共和国」にせず(講和条約にソ連に帰属とは書いてない) 「小笠原諸島」アメリカ信託統治領・アメリカ軍政 「千島諸島」民間人立ち入り禁止区域・ソ連軍の軍政(北海道を人民アイヌにしないと非難) 「(北)ベトナム人民共和国」建国宣言 1946年「フィリピン共和国」独立 −2年間− 共産軍(南の朝鮮共産党武装集団・朝鮮人ソ連軍・八路軍・ホーチミン軍)と ポツダム宣言に浴した軍(光復軍・朝鮮人保安隊・国民党軍・植民地軍)の内戦 朝鮮進駐軍(在日朝鮮人の暴動民)は、内戦相手がアメリカ進駐軍。 1948年「大韓民国」「朝鮮民主主義人民共和国」「ビルマ共和国」「マラヤ連邦」発足 「内蒙古・黒龍江省」ソ連軍撤退「イスラエル共和国」建国 1949年「中華人民共和国」建国宣言「(南)ベトナム国」「インドネシア共和国」発足 「台湾」国民党政府所在「新疆省」設置 1950年 朝鮮戦争開戦「インド共和国」成立 1951年「沖縄政府」発足(沖縄国・国家主席の国)香港は100年租借だが沖縄は25年租借に同意 1952年「日本国」独立 1953年 朝鮮戦争休戦「カンボジア王国」「ラオス王国」独立 1955年「(南)ベトナム国→(南)ベトナム共和国」改称「熱河省」「西康省」廃止 −17年間− 1972年「沖縄・小笠原」日本復帰 1975年 ベトナム戦争終結「キッシム」インドが併合 1976年「ベトナム人民共和国」統一
779 :
海外アメリカ軍を生かして帰さぬ全滅させる戦争(序曲) :2005/08/16(火) 22:23:14 ID:BRKXojdj
今のアメリカは アメリカ白人が支配しているのではなくて 昔のようなユダヤ人商人の独占場でなくなったんだよね。 ヒスパニック系のマフィアと結託しているロビーイストの商人(中南米メキシコ系) 朝鮮人系のギャングと結託しているロビーイストの商人(北朝鮮工作員・創価学会員) アラビア系の石油関係のマフィアと結託しているロビーイストの商人(サウジ王家親類・アルカイダ系) ロシア系のアラスカ・シベリアなど北極圏の流通や通信のマフィアと結託しているロビーイストの商人(KGBマフィア) かれらの ロビーイストの総合デパートが日本を食い物に演習をして来た。 自衛隊の派遣にロシア輸送機を使ってみる(冷戦時代に考えられない、中央アジア・シベリアの朝鮮人商人でないと仲介できない) イラン・パキスタン(イスラムインド)からの日本への大量出稼ぎ(野球選手のダルビシュ君まで誕生) 反日利権で日本で補助金で食っていく謝罪賠償で食べていく連中(レイプ売春で儲ける拉致報道で儲ける) ペルーの人質事件・コロンビア−マフィア−パブロ戦死に見られる中南米マカなどの精強剤の輸入(薬品会社の儲け) が多くなってきているのも、そのせいではないかと。 いま創価学会が子育てに成功し世代継承が可能となり アメリカの弁護士利権・裁判利権でアメリカを牛耳ろうとの作戦を展開しているそうだ。
780 :
海外アメリカ軍を生かして帰さぬ全滅させる戦争(序曲) :2005/08/16(火) 22:32:34 ID:BRKXojdj
ロシア・オウム真理教が、ロシアの朝鮮人と北朝鮮と在日教祖との情報交換で いきなり急発展し、未だに根絶できないでいるそうだ。教祖も死刑にはなっていない。 イギリス女性SM殺人の元在日も死刑になっていない。 女子高生コンクリート殺人の朝鮮人たちも死刑になっていない。少年法とやらで出所ぞくぞく。 サカキバラ校門生首事件の在日少年とやらも出所している。 残虐殺人、集団レイプ虐待殺人を少年だから朝鮮人だからといって「生かして娑婆に出している」 日本は憲法9条のような有って無き扱いをしながら 少年法や朝鮮人への扱いに関して有って無き扱いをしない 頭のおかしい裁判官が多い。 ロシアは共産主義独裁時代と違って、朝鮮人の個々人を監視できない。 ロシアは モスクワも中央アジアに「抑留された」朝鮮人も シベリアや沿海州に「出稼ぎの」朝鮮人も 樺太に「強制徴用で残った」朝鮮人も 日本と直に連絡を取っているのだからドウしようもない。 アメリカが入手する情報は、世界各地の朝鮮人のチゲ情報が頼みの綱である。 アメリカは独力では情報入手できない。 盗み見るとしてもパソコンのハッカー(クラッキング)ぐらいしかできない。
781 :
名無しさん@3周年 :2005/08/16(火) 22:46:22 ID:BRKXojdj
聖書的には、黙示録のあらわれとは思えないが 、並行箇所がこの世的な現象と一致が見出せない。
782 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 02:08:27 ID:FwbmwGOJ
チャブダイ返し現象?
783 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/08/17(水) 03:07:03 ID:RheGnp/d
アブラハムは、自分の子供を差し出してまで 自分の神への愛を貫きました。 「信仰」とは、こういうものです。 生半可なものではない、ということです。 神以外のものに、神に対する愛より以上の愛を注ぐことは 戒めるべき行為ということになのです。 たとえ、それが自分の愛する子供でも たとえ、それが自分の愛する両親でも たとえ、それが自分の愛する異性でも たとえ、それが自分の愛する仕事でも たええ、それが自分の愛する仲間でも それらを、神よりも大切に思ってしまったなら それは、明らかな明白な「偶像崇拝」なのです。 聖書では、旧約新約を通して「偶像崇拝」は避けるべき ものであることが書かれているのです。 もっと、この事実を真剣に受け止めるべきなのです。 少なくとも、クリスチャンを自称するのであれば。
784 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 05:00:27 ID:FwbmwGOJ
↑こううう一元的な忠告は信仰を育むうえでの本質ではありません。 無論、偶像崇拝は根絶されるべきむの。
785 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/17(水) 10:36:33 ID:UE2pemPI
「わたしはある」.... 新約と旧約で一番違うのはこの言葉だろな 旧約はもちろん出エジプト記の3章ね モーセがまだエジプトにいたときに開示された言葉 YHWH(この方の読み方は原則として聖職者の伝承事です) 馬鹿丸出しの教会は全然違う呼び方を連日連呼してマンネ... その光景を見るだけで大笑いしてしまうんだけど、そんな馬鹿な 連中は社会から除外してもらうとして 僕はユダヤ教の祭司から特別に教えてもらったので知ってるけど 殆どのキリスト教徒はいまだに知らないんだな... 出エジプト記自体はバビロンから帰還する頃に、おおむね祭司派 (P派)の聖職者が書いたものですが(J派とD派の文章もあるけど) それらが混在してるW 新約はヨハネ福音書の8章ね(13章で再現するけどあまり意味がない) 「アブラハムが生まれる前から(わたしはある)」の意味が最近わかって 来たW...もちろんロゴス論と関連するんだけどね(8/1−11を 除いて1章を書いた人が8章の編者だろね)...これがヨハネ神学の 要だと思うよ...
786 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/17(水) 10:41:52 ID:UE2pemPI
>>785 「わたしはある」をキリスト教の方は「アホベ」と読んで
ください。ユダヤ教の人はそういう意識じゃないかと思うよ
YHWHをどう発音するかを知ることは信仰を深めるのに必要では無い。
このイスラムの挌を汚す発言をするココモに教えるなんてピンキリの「キリ」な祭司なのか
適当な嘘であしらわれたんだよ。
>>786 AFO? ユダヤ人は異教徒をユダヤの神様に回心させることことが求められるのに
同じ聖書を持つものに対し神様を冒涜するそのような意識を持つわけない。
危険なくらい信仰者の恥な存在ですね。
ていうか信仰者を装うダブルスタンダースキーココモ
788 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 11:47:18 ID:vXwAJmCZ
>>783 神概念は、他ならぬ「人間」の想像が作り上げたもの。人間が神を思考する
限り、どこまで行っても人間の観念作用に過ぎない。その想像の産物を、
それを作った人間自身よりも大切にするとは、まさに「本末転倒」の極み。
キリスト教は、もうそろそろ、2000年来のマインドコントロールから
目覚めるべき時です。
__ _________ ,r',-‐ヽヽ / \ l !=、,=!:l < おいこそ無原罪 ♪ │ | |:、- ::!:l、 \ / ,┤.|:l ̄!|:| :l.、  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / .j |:、 : | |::´ヽ、 / ' |: .! : |:.l | r |: .l. , l. : l: | | .".,,' : / ! l `: l | 、|: |: ::l .! | ,:::| | ||:´: :: .'´ ::::|.| |:::| | .!:|:: : | | .l :┤ | .| .| : :: | . |:j | .|: | : ,' : ::| |: l::| | !|'´::| |:: | |: r:| ! .l: |: ::::| |::| .!::|:| | ! |:: :./ | ::.! .|: |::| | |:.!::/: .l. .l. | ||| ! : : l..|:: | 、.| ||| | :、 .|:: | ,'::.| |: l: | l .|| |:: |.|: .| |: .!::| l ||: .|:: / | | | : l::l. | :|::l:: |:::./__.|: | l: :|:::.! |l.:l.、 / :: :: :____ヽ、_L_| l '" : .マリアサマー::::::: :: :/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
790 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/17(水) 12:10:04 ID:Mbvvragt
>>764 >旧約聖書の 成立過程を知らないのでしょ。
>旧約聖書についての教科書を 読む事を勧めるよ。
ハハァ、キュロス様大変ありがたいお勧めを拝聴しました
馬鹿かお前は!!!!!キリスト教会こそマジに旧約聖書
読まんか!!!!
>ヘブライ語聖書のエレミヤ書は 70人訳のエレミヤ書の
>約三倍の分量があるんだよ。
その3倍のエレミヤ書読んだのか?3倍の分量って何が
3倍なんだ?文字数か?ページ数か?今ロシアのぺテルブルク
に保存されてるへブライ語聖書も3倍あんのか?
>アナタは 旧約聖書は天から降ってきたと思ってるでしょ
>この聖書についての考え方が 福音派的なのよ。
>旧約聖書は 天から降ってきたのじゃないのよ。
はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいははい
旧約聖書は、家で飼ってるボタンインコのピーチャンが
書いたのさ、、、、、、わはははははははははははは
こいつキリスト教徒の知的水準をさらけ出してるよ、
わはははははははは、お腹が痛い
791 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 12:16:11 ID:Dg8kKAyx
>>790 あんたをみるまでもなく、イスラム教徒の知的水準も低いよね。
792 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/17(水) 12:16:56 ID:Mbvvragt
キリスト教徒って、突っ込むとどんどん浅知恵の襤褸が 露呈する人種だろ...何よりも一番重要な聖書そのものを 殆ど読んでない事が暴露されるんさ....わはははははは
793 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 12:31:18 ID:Dg8kKAyx
ほとんどのイスラム教徒も聖書はおろか、クルアーンすらよく読んでいませんよね。 クルアーン読んだら、馬鹿馬鹿しくって、ムスリムなんてやってられませんもの。
794 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 12:50:47 ID:KTqB8g3e
読んだだけであって、読めてないのがココモスキークオリティー。
795 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 12:57:27 ID:+RgBooGr
>>793 神の聖典を否定する者は、それ以上の文を一段落でも書いてみせよ。
796 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 13:02:34 ID:Dg8kKAyx
>>795 神の聖典?あははは〜。
何処をどう読めばあれが神の聖典なわけ?
で、イスラム教徒やってると酒池肉林のパラダイスが待ってるわけだ。
おめでたいね〜。
797 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 13:10:14 ID:KqW95OTa
アッラーが喪前たちを買い取って下さったのだぞ。
798 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 13:14:49 ID:Dg8kKAyx
>>797 アッラーって、旧約の神よりエゴ丸出しだよね。
笑わせる。
799 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 13:21:09 ID:KqW95OTa
まことにアッラーは慈悲深く このような罪人にまでも慈愛を注いでおられる だがその日には覚悟するがよい
800 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 13:44:43 ID:Dg8kKAyx
知ってる?クルアーン出来上がったのも随分時間が掛かってるみたいでネ、 時代によりキリスト教は、自分達と同胞だとしてる箇所がある一方、 関係がうまくいかなくなったときは、邪教扱い。 この変わりようは読んでて笑える。 とどのつまり、クルアーンの内容など、ムハンマドという男のエゴが多く介在した 書物に過ぎない。 神の聖典などと笑わせる。
801 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 13:57:23 ID:Dg8kKAyx
>>799 イスラムの神アッラーは、自分を拝む者しか救わないだよね。
イスラム教徒は、自分達以外の改宗を許さない。
改宗しようものなら、その者は殺されてしまうそうじゃないか。
不義を犯した女は、石打で殺してしまう。
その日に、覚悟するのはお前たちなんだよ。
>>800 神は時代によって集団との関係を同じようには書かない筈だから、
よく聖書等を調べなさい
803 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 14:08:23 ID:Dg8kKAyx
クルアーン読んでると、ムハンマドという男は争いにあけくれ、 自分たちの敵、自分達を認めない者たちに対して、 >まことにアッラーは慈悲深く このような罪人にまでも慈愛を注いでおられる >だがその日には覚悟するがよい 。 と、こればかり。全体的に今に見ておれ、今はよくても裁きの鉄柱はお前たちに 下される。などと、ムハンマドの恨み節が詰まっている。 実際、よくムスリムなんてやってるよと思うよ。馬鹿馬鹿しい。
804 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 14:15:40 ID:Dg8kKAyx
>>802 >神は時代によって集団との関係を同じようには書かない筈だから、
ほう。キリスト教との関係と、他の世俗の集団との関係を同一視するのかい?
どうやらイスラム教にとっては、真理すら時代と共に変化するらしい。笑わせてくれる。
805 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 14:32:15 ID:Dg8kKAyx
旧約聖書、新約聖書、クルアーンと続くとされるが、クルアーンは別物だね。 この三つのうち、余り価値の無い書物。あれは争いしか生まない。 と、イスラム圏で発言しようものなおいらは殺されてしまうわけだ。 イスラム教の生むものなど、こんなものしかない。クルアーンなどこの程度の価値しかない。
806 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 15:33:46 ID:Dg8kKAyx
知らない人に言っておくけど、キリスト教徒の起こす争いは 彼らのエゴが勝手に起こしているもの。 彼らはキリスト教徒でありながら、イエスの教えに反している。 自分たちのエゴゆえに。 この世に生れ落ちる人間なんてそんなもの。 ところがイスラム教徒達が起こす、自爆テロ、異教徒の首掻いての殺害、 異教徒に対する身代金の要求。改宗者の殺害、 不義を犯した女の殺害、聖戦などとたわけたことをぬかしての戦争。 これらすべてはムハンマドの口を介してのアッラーの御言葉(指示)のまま彼らは 行っているのだから始末に悪い。そう、全てはクルアーンに そうしなさいと、書かれている。 はっきりいって、イエスの言う、アッパー(天なる父)と、ムハンマドの言う、アッラーは別物だね。
807 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 16:26:49 ID:FB4gvim2
キリスト教徒は神に反しているがゆえに互いに争うのだよ。
808 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 16:51:07 ID:FwbmwGOJ
ジサクジエンZ
809 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 17:01:37 ID:C2sR78vi
>>806 イエスも「私を信じない者は裁かれる」と言ってるではないか。
史上、キリスト教による殺戮のほうが、イスラームよりも遥かに多い。信者は
イエスの教えを信じているからこそ、「自分の欲することを他に施す」ために
殺す。信者が悪いのではなく、イエスの教えに問題があるということを、自覚
すべし。
いずれにせよ、一神教は、人間の自然の感情・本能から隔絶し、それらを抑制・
変容・破壊する、化け物のような宗教。人類に巣食う癌である。人類は、一神教
間の争いによって滅亡する。その兆しは、すでに明か。
いい言葉を教えてあげよう 五 十 歩 百 歩
811 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 18:22:37 ID:Dg8kKAyx
>>809 >イエスも「私を信じない者は裁かれる」と言ってるではないか。
そう?おれには、聖書を読んでみたところ、イエスの掟、神の御心に従わないのは裁かれると読み取ったけどね。
別に信じますだけで、行いを共わなかったら、その者は裁かれるし、
彼の掟を守るものは、なにも信仰告白などしなくとも、彼の兄弟である。
もちろん彼の兄弟は救われるってね。
>一神教 間の争いによって滅亡する。その兆しは、すでに明か。
逆だ。一神教間の争いの後に、人類は救われるんだよ。
今みたいに宗教はばらばら、思想もばらばらだと、真理を伝えるものがいても一つにまとまらない。
答えは2千年前にでている。今のままでは千年経っても、万年経っても変わらない
皆を救うには、今の秩序を一度リセットしなければいけない。一神教間の争いは
その為にある。イスラム教など、新約成就の為の、当て馬に過ぎない。
一神教が三つに別れたのも、全ては仕組まれたこと。
812 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 18:26:31 ID:Cfg9PpAt
西洋人には悪人が多いからキリスト教やイスラム教は必要。(必要悪)
813 :
キュロス :2005/08/17(水) 18:44:51 ID:kvyv3D1I
>出エジプト記自体はバビロンから帰還する頃に、おおむね祭司派
>>785 >(P派)の聖職者が書いたものですが(J派とD派の文章もあるけど)
>それらが混在してるW
いまどき こんな説を疑いも無く主張している事自体が
旧約聖書学を知らない証拠なんだよ .
814 :
キュロス :2005/08/17(水) 18:49:52 ID:kvyv3D1I
>>790 なぜヘブライ語聖書の各文書を固定したのかを知っていたら
こんな 頓珍漢なことは 恥ずかしくて 書けないよ。
ネット情報だけを頼ると 墓穴を掘ることの 見本みたいなものだよ
815 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 19:45:17 ID:xSdtCK/H
>>811 ヨハネをよく読んだの?イエスは、裁きまくっているではないか。
聖書を眼光紙背に徹して読めば、イエスの言動が精神病者、誇大妄想者の言動で
あることが、はっきりと判る筈。
キリスト教徒は、狂人の言うことをあり難がって信じているという自覚はあるの
ですか?
816 :
名無しさん@3周年 :2005/08/17(水) 21:04:42 ID:FwbmwGOJ
ココモ理論を形成する古い知識は史的にも無効に近い空論ということか。
817 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/18(木) 02:13:43 ID:QvLv2UJs
さて...出エジプト記の「わたしはある」とヨハネ福音書の 「わたしはある」の違いを説明するか... くだらない次元の読み方でいきまいてる奴がいるみたいだけど 馬鹿クリスチャンと馬鹿イスラムでやりやってチョ 出エジプトの「わたしはある」は、当然YHWHを開示したわけ だけど、出エジプトで定義される神は... 出3/15 神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの 人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハム の神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたち のもとに遣わされた。 注意深く読みましょうね...アブラハムの....である(主)が わたし(YHWH)をあなた達...つまり、ここで言う(主)と YHWHは別人なんですねぇ 出20/2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷 の家から導き出した神である。 *これもキリスト教会は認めないでしょうが、YHWHはユダヤ人の神様 なんだな...旧約聖書はそれをハッキリ示してるんだな... それでは、ヨハネ福音書は困るんダベ...共観福音書ではあまり ハッキリしてなかったんだけどね...ヨハネ教会は、しっかり神を 再定義してるんだよ... 「アブラハムより前からわたしはある」...つまりモーセに示された YHWHよりも前からあるんで、YHWHとは別物の神を定義してるん だな...三位一体なんて言う馬鹿な論議をするからウヤムヤになって しまうけど、ヨハネ教会はYHWHとは違う神を定義してるっという事 だよ。残念ながら、キリスト教会はこのユダヤの神様と縁が切れない 見たいで、ヨハネ教会の真意が理解できない様ですがね... 僕なりにはモヤモヤしたものが取れましたザンス...キリスト教会の 神様は「ロゴス」と呼ぶべきじゃなかろうか....わはははははは
818 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 02:28:26 ID:sfRvMfHt
>>817 キリスト教の神は三一の神です。キリスト教徒はこれが悟れるだけのお話です。
819 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/18(木) 02:39:58 ID:QvLv2UJs
コーラン研究大いにやってチョ...馬鹿が必死になって経典を 読むのは、自分の経験も含めてそんなのがきっかけだったりするW それでなきゃ、教会で説法聞いてても、自分で経典読んでも眠たく なるだけダロ...だーれも必死になって読むわけないよ... 神学部の学生ならそれでもそれなりに勉強はするんだろうが 俺の家の近くにある某有名D志社大学でも、一番成績の悪い奴が 神学コースへ行くんでね、関東のJ智大学は知らんが何か目的が ナイト経典なんかまじめに読む奴いないよ...
820 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/18(木) 03:11:03 ID:QvLv2UJs
>>817 続き
これもキリスト教会は否定するでしょうが
旧約聖書読んでると、どうしてもYHWHはローカルな神で
ところどころにその背後に、YHWHをはるかに上回る全世界的な
神がいるような気がしてならんのです(と言うよりハッキリ言って
かなり確実にそういう存在が確認できます)...断片的にはその
証拠は見つけてますが、キリスト教会にぶつけても例の調子で
ウヤムヤにされるだけなんだけどね...
新約聖書をかいた人たちも、そういう意識があったんじゃないかと
思うんですね...ヨハネ福音書とかグノーシスの聖書はそれを
ぶり返したんじゃないかと思ってます。....
821 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 09:41:40 ID:dmJ3N1d4
それを示してから言いなさい。 しかしながらダブルスタンダードな仮定を立てざるをえないであろう。 聖書の一面だけ整合させることは真理ではない。
822 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 14:05:56 ID:Nk5glmSB
よく言う奴がいるが、俗にいう宮清めなどは、単に不正を正したに過ぎず、 キリスト教の言う裁きは全く意味の違う事。アホは、揚げ足とってなんぼの粗探ししかできない。 また聖書の中のイエスの言葉や彼の興した行動は何かの例えである場合が多く、 聖書に書かれてる文言をそのまま受け取り、ピーチクパーチクほえる奴は、聖書を読み解く 力の全くない愚か者である。キリスト教の言う、救いと裁きとは、至極簡単にいえば、 終わりの時、永遠の命にあずけられるか、永遠の死に至るかであり、 そのどちらかにいくかは、誰彼が決めるわけではなく、全ては本人しだい。
823 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 14:35:12 ID:Nk5glmSB
宗教学者の唱える宗教論ほど下らないものはなく、 そんなもの読んでるくらいなら、ビジネス書でも読んでるほうがまし余程為になる。 宗教で重要なのは、”それ”が本当にあるのか無いのかであり 有るのなら、一生かけて捜し求める価値のあるものである。イエスの言うように 貴方の目が、それを得る(そこに帰る)妨げになるのなら、迷わず潰してしまいなさい。 貴方の腕が、それを得る(そこに帰る)妨げになるのなら、迷わず切り取ってしまいなさい。 それほどの価値あるものであり、それがなければ聖書、仏典など 便所紙ほどの値打ちのない物である。 それを捜す為、学者のいろんな意見、説をも参考にするというならそのアプローチは生産的 であろうが、単に、この箇所は誰々の編集、単に唯物論的アプローチで 聖書を研究するのは、あまり生産的な行動とはいえない。 そんなことにエネルギーをついやする暇が有るのなら、経済学でもやってるほうが はるかに生産的である。先にも言ったが、”それ”がないのなら、 聖書や、仏典など、便所紙ほどの値打ちもないものだし ”それ”が本当にあるのなら たいへん価値のある書物である。
824 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 15:19:04 ID:Nk5glmSB
>>815 あのさ、世に残る宗教を残した人達の言葉、教えなどは
唯物論者からみれば、狂人の戯言にしか聞けないわけよ。そこんとこわかってる?
釈迦なども、この世のあらゆる物からの執着を絶ち、それは親兄弟などの執着は
もちろんのこと、自らの生存に対する執着すら絶てと、説き、
言葉で悪をを起こさず、身体で悪を起こさず、この世を正しく生き、
迷いの生存、つまりこの世の生存を打ち切り、もはやこの世に生を受けなければ
不老の境地、不死の境地を得られ、涅槃に入る。なんてな事をいってるわけだ。
これも唯物論者からすれば、狂人の戯言にしか聞こえないよな。
が、”それ”が本当にあれば凄い事を言ってるわけだ。
それが本当にあるのなら、お前ら唯物論者は湯物論者の価値観で生きる限り、
一生を棒に振るわけだ。
ま、お前に言っても、言わんとすることはわからんだろうけど。
825 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 15:50:08 ID:Nk5glmSB
>>820 >旧約聖書読んでると、どうしてもYHWHはローカルな神で
>ところどころにその背後に、YHWHをはるかに上回る全世界的な
>神がいるような気がしてならんのです(と言うよりハッキリ言って
>かなり確実にそういう存在が確認できます)...断片的にはその
>証拠は見つけてますが
ところでココモスキー大先生。
実はおいらも旧約に出てくる神、裁きの神、俗に言われるYHWHと、イエスのいう
天なる父は全くの別物だと確信してるんですけどね。
で、ココモ大先生の断片的に見つけた 証拠ってなに?良ければ教えてくれませんか。
もちろんココモ大先生は、クルアーんに登場するアッラーとイエスの言う、天なる父とは違うのはわかっていますよね。
アッラーなどというのは、ムハンマドという男の、エゴに過ぎない。
ま、クルアーンなど聖書と違い、深くみるほどの書物ではないけどね。
イスラム教は、その役目を果たせばそれでいい。
ココモ大先生、お答えよろしく。
イエスなどムハンマドの足元にも及ばん
827 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 20:27:23 ID:N4Q3umKN
>>822 >>823 >>824 未開時代の遺物の惰性的残存に過ぎない宗教に、すっかり嵌っていますね。
まず、具合的に意味不明な言葉が沢山出てくる。「救い」「不正」「終わりの時」
「永遠の命」「永遠の死」「『それ』が本当にある」等等。あなたは、あなたが
生きている現実世界との関連で、これらの言葉の意味が判っているのですか。一体
どのような基準で判断できるのですか。その基準の妥当性の根拠は?自分でも具体
的意味の判らない言葉を、やたらと使ってはなりません。
誤りや矛盾だらけの聖書に書かれている言葉をそのまま受け取っているのは、キリ
スト教徒ではありませんか。また、「人間」がそれを解釈しなければならないのな
ら、聖書はもはや「真実の神の言葉」などではないことになる。
大昔の一握りの狂人たちの言葉を信じこみ、「現実の人間と自然」という一大教典
から学ぶことをしなければ、それこそ「一生を棒に振る」ことになります。
あなたはキリスト教と仏教とを同じレベルに並べていますが、両者の「本質的相違」
はわかっていますか。仏教は、架空の神など認めてはいません。ニーチェは、「仏
教は、歴史が私たちに示す唯一の本来的に実証主義的な宗教である。その認識論
(一つの厳密な現象主義)においてもやはりそうである。......仏教は、私の用語
で言えば、『善悪の彼岸』に立っている。」と述べています(「アンチクリスト」)。
828 :
822 :2005/08/18(木) 22:09:41 ID:bODTsMAS
至高の神とは、初めもなければ終りもない、元から在る存在であり、
神々とは「人間」が作ったものである。
>>827 で、おまえは、俺が何も知らないで語っていると、勝手に自分の主観で判断し、語っているわけだ。
本物の宗教が残した経典などを読むと、ある一貫したテーマに気付く。行き着く先は ”それ”だ。
それらを読んで ”それ”に気づかないものは、単に無能なだけだ。”それ”に気づいたものは、”それ”が
本当にあるのかないのか捜さずにはいられない。そして有能な者は、”それ”見つけ出す。
人はその名称により、自分の主観で勝手にイメージし、こうだと決め付ける。
例えば、聖書に出てくる「永遠の命」と聞けば、この世の自我、(人によっては身体も含め)、永遠に生きるものだと
勝手にイメージし、勝手に解釈する。聖書の永遠の命とは、この世の生存、生命とは
全く違うものなのに。同じく「神」と聞いて、多くの者は、自分のイメージで、勝手に世間一般がイメージする
人格紳を想像する。イエスの言う「天なる父」とは全く違うものなのに。
同じく釈迦も、当時、神というと、人々がイメージする
神と呼ばれるものがあり、当時神といえばそれが常識だったので、神を否定したに過ぎない。
神という名称などこだわる必要はないんだよ。
でだ、おまえは誰かさんの言葉を引用して、「仏教は、私の用語 で言えば、『善悪の彼岸』に立っている。」
と述べています。なんて能書き垂れてるけど、キリスト教では、人が善悪を知ったとき、死が入り込んだと教えているんだよ。
意味がわかるかい?おまえは、はっきりいって無能だね。
おっと、冒頭の部分は、旧約におけるココモ大先生いわく、ローカルな神と呼ぶYHWHと、YHWHをはるかに上回る
全世界的な 神との関係を言った。勘違いしないように。と、言っても、無能なおまえに言ってもわからんだろうがな(苦笑)
>>817 > 注意深く読みましょうね...アブラハムの....である(主)が
> わたし(YHWH)をあなた達...つまり、ここで言う(主)と
> YHWHは別人なんですねぇ
どのように読めば、このような解釈ができるのか理解に苦しむが………。
普通に読めば、
...アブラハムの....である(主)が
わたし(モーセ)をあなた達...
じゃねえのか?
「イスラエルの 人々にこう言うがよい。」
という文章を無視しているのは意図的かい?それともただの無知?
神がモーセの前に現われたときの神の宣言。
「わたしはあなたの父の神である。
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」出3ー6
モーセが、その神に名前を尋ねたときの神の返答。
「わたしはある。わたしはあるという者だ」出3ー13
どこが別々やら………?
830 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 23:24:50 ID:xyjMQysG
ココモスキーは都合よくパッチワークをするのが得意なのだ。 三位一体をココモ教で破ることは出来ない。だから詭弁を労して暴言、嘘、誘導を駆使し キリスト教の陳腐化を謀る活動する。 今は詭弁を重ねすぎたため後悔をしていることでしょう。
831 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 23:39:51 ID:N4Q3umKN
>>828 神概念は、科学について無知蒙昧だった古代人が、その生存を助け、又は
脅かす自然現象を起す不可知な力を、「便宜上」神や神々と呼び、感謝又は
畏怖したことから発生した。現代人には、もはや不要な概念。
神という名称に専ら拘り、聖書の文言から、主観で勝手にイメージしている
のがキリスト教徒。
「善悪の彼岸」とは、善悪の概念が存在しない状態。善悪の概念をでっち上げて
死を齎したのは、キリスト教。
>>829 ユダヤ教は、ユダヤの民族宗教ですよ。
832 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 23:46:44 ID:xyjMQysG
>>831 神の概念は、「自然現象を起す不可知な力」 から出たのではないでしょう。
神様の概念があって、自然の力を体験して、「今のは神様ではないのか?」 となる。
833 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 23:51:55 ID:xyjMQysG
それでは、神様の概念がどのように生成されたのか。 「奇跡や現実的な霊現象」 を除外した考察する @なぜ人は、見えない存在、霊や神を意識するのか。 意識に目覚めた人が、死んだ人の生れ変りを想像させる体験したことから、 朽ちる体に宿るパーソナリティーを伴う霊の存在と転生する概念と転生に 至るまでの場を想像させたのではないだろうか。 そして文化によりその概念を受け継ぎ、体験せずともその概念が在ることを 学ぶ。 A善悪の倫理観はなぜ生じる必要があったのか。 死んだら終わりという概念は自己の欲望を解放させる。何でも自分の思いのまま に出来るという人の破滅することのできるの知恵が、家族という自己保存の 基本原則と相対させ倫理が生まれ、文化により受け継いだ。 B超越者概念の意識への現れはなぜおきたのか。 @とAの概念の生成により、支族間を統べるべく始祖の存在を意識させ、 その根源的な原理を探求する意識を持った。
834 :
名無しさん@3周年 :2005/08/18(木) 23:56:27 ID:xyjMQysG
イエスキリストの言う、「奇跡を信じなさい」 とは神概念をタダの概念におかない 実在の神を信じなさいということを述べていたと考えられる。
835 :
名無しさん@3周年 :2005/08/19(金) 00:00:12 ID:N4Q3umKN
>>832 古代人は、日々の生存のための厳しい自然との闘いの中で、初めから神概念
を作り上げる余裕などなかった筈だよ。
宗教は、人間の本能などではない。特に、創唱宗教は、開祖によって後天的に
植えつけられたものにすぎない。
人間は、無神論の環境で育てば神など信じないし、異なる宗教の環境下で育てば、
それぞれの宗教の神を信じこまされる。
836 :
名無しさん@3周年 :2005/08/19(金) 00:17:04 ID:kpmm9Q1s
833で言いたいことは宗教は本能から起きているものがあるということ。 私論だけど 聖書にはアダムの血統と別の血統の存在が読み取れる。 アダムはエデンで神様と交流を持っていたが、他の血統の者は自然に生きていた。 ノアの洪水から生き残ったのはアダムの血統であるが、家族にはその虚像の概念が 文化として残っていたのだと考えられる。
ココモ先生 続きを早くね。 中一日あいているよ。
838 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/20(土) 01:40:34 ID:vHEQVai/
出エジプト3/15を続けて読み直すか... 「神は、更に続けてモーセに命ぜられた。 *A(「イスラエルの人々に言うがよい。*B(あなた達)の先祖の神 、アブラハムの神.....の神である*C(主)が*D(わたしを) *E(あなたたち)のもとに使わされた」) で、ABCDEが誰の事かと言う事だけど、キリスト教会から散々 騙されてきた事なので、正確に解析していきましょ... まず *Aの発言者は多分YHWHでしょう *Bはモーセ達イスラエル人ですね *Cが問題なんだな、とりあえず保留にしておきましょう *Dは明らかに発言者ですよ...つまりどう見てもYHWHだよ、それで *E(あなたたち)がモーセ達だろ... まず3/15がすべてYHWHの言葉であることを理解しないと 全く無意味だろべ....それで、なぞのイスラエルの諸部族の神で ある主(多分主なる神で、エルの神の事か別のものを想定したものと 思われる)がわたしを「あなた達=モーセ達」に使わせたと言う文章 だね.....どう見ても、YHWHと別の神様がいるよ.... 文章は正確に読みましょうね...わはははははははははははは!!!
839 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/20(土) 01:55:37 ID:vHEQVai/
>>838 出エジプトのこの部分は10年位前までは、YHWNに関する
事なのでJ資料とされていたが、最近の研究ではJのネタを
元にしたP神学によるものと言う研究成果が認知されてます。
出エジプトの資料化は僕も試みたんですが、正直言って複雑です
出エジプトを編纂する段階では、JPDAが神学的な調整をしながら
編纂されたんだろうと思います。
840 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/20(土) 02:04:36 ID:vHEQVai/
ヨハネ福音書になぜ「わたしはある」があるのか まともな意見が出てこないんだな....無理だろな ここに3回「わたしはある」...へブライ語では YHWHざんすよ....禁句になってる「Yホベ」 ですよ、ヨハネ教会がなんでわざわざギリシャ語 で「わたしはある」を使ったのか...ヨハネ教会は 重大な決意・覚悟をして書いてるんですよ.... だーーーーーーーれもそれが読めない....全く キリスト教徒と言うのは、箸にも棒にも掛からない クダラナイ人種だW
841 :
名無しさん@3周年 :2005/08/20(土) 04:56:39 ID:ejTm3B8Q
性書って、『あのデタラメで嘘に溢れた』カルト書ですか? キリスト狂=歴史偽造=自己陶酔=チョン! かの国にキリスト狂信徒が多いのが解る気がする 捏造主義者!
マリアを『強姦』した奴教えてくださいm(__)m 昔は、強姦されて妊娠すると神から授かったと言うと聞きました。 世間体の為? 『麻原と一緒』で神格化の為? そもそもキリストって実在したの???捏造でしょ。
キリストなんて2000年前には居なかったし。(考古学的に実証されて無い) 居たと仮定しても実際には1850年前らしいし。捏造。 歴史的に実在が証明されているのは釈迦だけ。
キリスト狂は、『宗教では無い!』ただの空想小説と妄言集の読書倶楽部です。 ゴメンね日本のキリスト狂徒は『白人信仰』(欧州人と同じ文化を共有したい)と言う信仰心が有ったね。 でも有色人種は家畜ですから・・・残念!
オウム関係の死刑場は、数百年後に『聖〇〇〇〇殉教の地』として法王庁が出来る。 麻原は、自称無実の罪で裁かれた事に成ます。 キリスト凶も最初は、カルト扱いされてたし 支持者も少なかった。 オウムは、殉教の地も殉教者も手に入れる事に成る。 麻原の血の付いた衣が有れば完璧。キリストと同じ捏造でも良いけどね。 キリスト狂=歴史捏造=自己陶酔=自慰!
847 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/20(土) 07:41:20 ID:vHEQVai/
>>838 の続き
わはははははは....馬鹿をからかってるんだよ....
このように書いておくと、馬鹿信者の頭には、YHWHが
ユダヤ人の神であることがさらに定着していくんさ....
創世記1/26...人は我々に似せて作られたり...
わはははは、なんで「われわれ」なんだろね...多神の神は
当たり前...その多神は全部イスラエルの諸部族の神...
これらの草案をねってるバビロンには、全く違う神々がいるんだよ
世界中にかみかみかみかみかみかみかみかみみかみかみかみかみかみみか
がいる中の、かみかみかみかみか位のかみを統合したのがYHWHだよ
それから500年位経って、イエスの時代になって、異邦人の社会に
入っていったら、YHWHはまたローカルな神になってしまうW...
848 :
名無しさん@3周年 :2005/08/20(土) 10:52:44 ID:tnbITGLb
ほとんど危ない人の文章だけど。 恥ずかしくないの?ココモスキー それで、それ何の意味が在るのかを一向に説く様子も感じられないココモ教。 単に逃げているだけ。
>>838 ここでの登場人物はエロヒーム(神)、モシェで一対一の会話
それで話題が「イスラエル人たち(複数)」に対して何を言えばよいか、と言う話
したがって・・・
>*Aの発言者は多分YHWHでしょう
ヴァオアメル ヨッド エロヒームとあるのでAの発言者はエロヒームで確定
>*Bはモーセ達イスラエル人ですね
アボテーケム(あなた方の祖父)の、複数の「あなた方」にあたるのは「イスラエル人」しかいない
>*Cが問題なんだな、とりあえず保留にしておきましょう
原文にはここの部分には「ヤーウェー」と書いてある
>*Dは明らかに発言者ですよ...つまりどう見てもYHWHだよ、それで
シェラハニーは「彼が私を遣わした」の意味。
彼は「ヤーウェー(=エロヒーム)」だから「わたしを」に該当するのはモシェしかいない
>*E(あなたたち)がモーセ達だろ...
ここは上の、シェラハニー アレーケムと続いている
つまり「彼が私をあなた方に遣わした」の意味
彼=エロヒーム、私=モシェなら、あなた方は「イスラエル人たち」しかいない
全体の直訳は
それからなおも神はモーセに対して言った。
イスラエルの人たちに対し、あなたはこのように言いなさい。
あなた方の先祖の神、アブラハムの神、イツハクの神、イァコブの神、ヤーウェーが、私をあなた方に遣わした。
この私の名前は永遠の私の呼び名である。
ちょっとすいません 横レスですが、かぎカッコをつけさせてもらいますよ それからなおも神はモーセに対して言った。 「イスラエルの人たちに対し、あなたはこのように言いなさい。 『あなた方の先祖の神、アブラハムの神、イツハクの神、イァコブの神、ヤーウェーが、私をあなた方に遣わした。』 この私の名前は永遠の私の呼び名である。」
851 :
たま。 ◆HfNWSGfVro :2005/08/20(土) 14:39:53 ID:mEvkIwsG
>>847 ココモ先生
> 創世記1/26...人は我々に似せて作られたり...
> わはははは、なんで「われわれ」なんだろね...多神の神は
知っているんでしょう? ヘブライ語だと偉大なものは、単数でも
複数で表すってこと。
暑いですね。歌を一つ プレゼント。
言うまいと 思えど 今日の 暑さかな。
この歌、詠み人知らずなんだってね。
852 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/20(土) 18:33:02 ID:vHEQVai/
キリスト教会の意に添わない説がいくらでも出てくるのは当たり前だよ... キリスト教会の教義があまりにも不自然で飛んでて妄想によるものだからね 古くは天動説にはじまって、進化論、ビッグバン、聖書学もそうだし 細かいところではJPDEもそうだし、多神論もそうだし、グノーシス もそうでしょ... そのたびにキリスト教会は、必死になって姑息な反論をするんだけど、滑稽 そのものだW... 多神論も、原始宗教は部族ごとにそれぞれがまつる神がいた...人類の歴史 を考えたら当たり前のことなんだけどね...それが、何千年か経て、民族の 神になり、民族を超えた神になった。多神の神が唯一の神として捉えられる 様になった。それが人類の歴史のプロセスだよ... それで旧約聖書には、カナン宗教や部族宗教の名残がイッパイ残ってるんだW 出エジプト3/15もそれが書かれてるんだな、アブラハムの神、イサクの神 ...それらを包括(?)する神としてYHWHが定義されてるんだな... 詩篇82章の天上の神々の会議、ヨブ記1章のサタンもまじえた御前会議も (この辺はカナン神話の名残だと思うけど)そうだろ... 申命32/8なんか明らかに、主(YHWH)とは別にそれを凌ぐ神(至高の神) が存在してるよ... こういう話をすると、とたんに何処かの教会はご都合が悪いらしくて、お得意の セリフで非難しだすんだよ...人類の歴史を考えたら当たり前の事で その教会の馬鹿が考えた妄想と合わないだけなんだけどね...YHWHも 精々ユダヤ人の守護神でしかないと言うのも、フツーに考えたら当然の事だけど ね...何処かの教会の馬鹿がくだらない事を考えるから、変な事になるんだけどね
853 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/20(土) 18:45:10 ID:vHEQVai/
>>851 >知っているんでしょう? ヘブライ語だと偉大なものは、単数でも
>複数で表すってこと。
キリスト教会の解釈として(つじつまあわせとして)そういう
説明をしてる事は、百も承知してます。それで次に続く動詞が
単数形であることも知ってますよ(キリスト教会はこれも根拠に
しているが)...ですが、それだけで神々ではないと決めるのは
困難だと思います。「神々」としても偉大なもの(威厳が損なわれる
わけではありません)、われわれはと言う様に自分達(神々から見て)
に威厳をつけるのは表現としておかしくなります。この場合威厳をつける
様な表現が難しくなりますので、編者は神様が「******」と言った
と言う文章は作らないと思います。神様は人間を神様の姿に似せて御造り
あそばされた」となると思います。なおここの創1/26に関しては
同志社大学の野本先生の論文がありますので、ご参照ください。
http://theology.doshisha.ac.jp/nomoto/ronbun/ron5.html
854 :
キュロス :2005/08/20(土) 19:38:09 ID:AtkhbPuw
>>853 その説を もう一歩突っ込むと 面白いんだけどね。
旧約時代は 確かに 拝一神教なんだよ。
(バビロン捕囚期は 唯一神教的になるけどね)
多神の中の一つの神が アブラハムを選んだのですよ。
そして アブラハムは その神を信じたのですよ。
だから アブラハムは 多神世界の 拝一神教徒なんですよ。
その拝一神教 がイエスの出来事で 唯一神教に変わって行くんだよ。
すると 神の選民は 拝一神教時代はアブラハムの子孫の意味だけど
唯一神教時代になると 全ての民 になるはずなんだよ。
すると 神は全ての民を選んだ に成るはずなんだよ。
新約は そうなっているよね。
神の選び という考え方は キリスト教的には重要なのですよ。
この辺から キリスト教を批判すると面白いんだけどね。
855 :
キュロス :2005/08/20(土) 19:54:01 ID:tA02u1g1
だから イスラエルはユダヤ人 或いは ユダヤ人と教会 なんだね。 イスラエルの 目的・使命は 全ての民を唯一の神の前に 跪けさせる ことだからね。
856 :
キュロス :2005/08/20(土) 21:23:01 ID:brFdNGnC
>ヨハネ福 >15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。 >わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、 >その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、 >わたしがあなたがたを任命したのである。 まあ このヨハネ福音書の個所から 神は全ての民を選んだ のではなく ある特定の人しか選んではいない と解釈できるのだが この「あなたがた」は いわゆる宣教者ですよ。 拡大解釈をしても 教会ですよ。 「あなたがた」を 神に特別に選ばれた全てのキリスト教徒 と解釈すると 下記の個所の「信じる人々」は キリスト教徒では 無くなってしまうよね。 ヨハネ福 >17:20 また、彼らのためだけでなく、 >彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
857 :
名無しさん@3周年 :2005/08/20(土) 21:38:11 ID:SEr0odWw
キュロスの意見はスタンダード。 ココモはただの誘導的な意見。。
858 :
キュロス :2005/08/20(土) 21:41:39 ID:HjswPaET
「わたしはある」 出来事から 神の属性の一つが明かになるんだよ。 いわゆる エジプトの奴隷状態から救出した神 という属性がね。 ヨハネの場合も 人に知られてはいない 神の属性の一つが 明かになるのだと 思いますよ。
859 :
名無しさん@3周年 :2005/08/20(土) 22:22:10 ID:SEr0odWw
属性とは?
860 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 00:04:17 ID:vHEQVai/
旧約の登場人物(神)で、キリスト教会が勝手なスケープゴートに 仕立ててるものにバアル神があるザンス... カナン神話ではバアルは勇猛な戦士であり北の王とも言われてますね 実はYHWHもバアルと呼ばれた部位があるそうです。 カナン神話では、至高の神の息子達がバアルでありYHWHなんだな YHWHについては、エジプトに近いシナイ半島の山岳部族が崇拝してた 神と言う学説もあり、必ずしもカナン神話がルーツかどうかわからない 旧約聖書では、YHWHのライバルじゃなかろうか...民数記25章 が面白い...旧約聖書では、(これも翻訳によるけど)僕が読む限り あくまで、あくまで異民族のライバルの神だW... それが新約になると、みだらな行為になり、偶像崇拝の神に転じてしまう。 これがキリスト教会のおはこの教義生成術なんだな... 自分達で悪者を生成して、これはとんでもない悪行だから こんな事をしてはいけないと言う説教事にしてしまう ユダもそうだろ、このバアルの神もそうだよ、悪魔サタンもそうだべ... それで、聖人にしたものはあくまで聖人で褒めたたえる、その人間が そうとう悪い事をしてても、一切無視する....それでとどのつまりは 「わたし達の教会は正しい」・「わたし達の言ってることは正しい」だろ こんな馬鹿げた人たちになんで...やめとこ
861 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 00:28:09 ID:FGBZZELD
もう一つどうしても言いたいことがあるんだな... どこかの馬鹿教会は、このユダヤの神であるYHWHを持ってきて 全知全能の絶対的な神だといってるんだけどね.... これって、日本の天照大神を中国か朝鮮の人が持っていって 全知全能の神と言ってるのと同じなんだな... しかも読み方を間違えて「テンテルダイジン」と言ってるんだな 「テンテルダイジンは貴方に永遠の命をもたらします」って言ってて 「テンテルダイジンは全知全能の絶対的な唯一の神です」 「日本の出雲神話はテンテルダイジンの霊感によるもので 真実です」 「聖徳太子はテンテルダイジンと3位一体です」 それでその教会がそれなりの信者をかき集めてたら、日本人は どう思うのでしょうか 日本人が聞いたら????????????????? だらけになると思うよ.... テンテルダイジンなんて言ってる馬鹿がいるか!!!! 日本は多神教だったんだぞ、他にもいっぱい神様をおったんだ 日本の神話は、古事記とか日本書紀に書かれてるけど書いた 編者もはっきりしてるし、霊感で書いたなんて誰も思ってないよ 勝手に日本ゆかりの神様の名前を使ってほしくない
862 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 00:32:07 ID:FGBZZELD
>>861 続き
ユダヤ人から見たキリスト教会ってこれなんだW、馬鹿なキリスト
教会って、人によってはそのくらい破廉恥なひとたちなんだな...
わはははははははははははははははははははははははははは
863 :
蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/08/21(日) 00:59:20 ID:7FJ/O0e9
864 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 01:52:56 ID:mzeeELEw
>>560-562 ココモスキー、それで?
いつもここで終わるわけだけど、ここで終わるということは、述べたことが結論であり、
それでは単に一面的に批判したに過ぎない。
ココモスキーは「新約聖書そのものがゴミだ」 と言っていることになるのだ。
バアルがただのライバルにしか見えないらしいが、聖書を切り貼りするのにも程がある。
そんな旧約聖書理解は筋が通らない。
865 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 02:08:28 ID:DYhucrOB
2004年現在日本の総人口の約1%弱がキリスト教徒である。 そのうちカトリックが約50万人、プロテスタントが約30万人、 プロテスタントで最も信徒数の多い日本基督教団が約10万人である。 東方正教会(日本ハリストス正教会)は約3万人。 これが正解じゃないのかいな?
866 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 02:37:16 ID:KKptZyFK
日本のキリスト教徒は人口の1%もいません。プロテスタントが63万人、カトリックが46万人で
合計109万人です。韓国では戦後みるみるうちに増えて、今では1300万人、4000万人の人口
の3分の1がキリスト教徒です。儒教の国のはずなのに、どうしてこんなにキリスト教徒が急増
したのでしょうか。中国でもプロテスタントが1000万人以上はいると推定されています。 なぜ、
日本だけが、こんなに増えないのか、著者はそれを問題としています。
日本では キリスト教徒は、農村部にはほとんどいなくて、 都市部の知識層を基盤としています。
しかも、男は信者になっても「 卒業 」していき、女性が残るという構造です。若いキリスト教信者
が減ってしまい、大学生の信者がいない教会がたくさんあるそうです。 むしろ、60歳とか70歳
の信者が増えています。 男性35%、女性65%。 したがって、日本の教会は女性役員の比重
が高いという特徴があります。
http://www.fben.jp/bookcolumn/archives/2004/10/post_499.html
867 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/21(日) 11:07:33 ID:J8Dxe1Y4
言葉は命である。人はパンのみによって生きるのではなく、神の発する一つ一つの 言葉で生きる。言葉を ”失えば”人の心も失う。神の霊なくした人間は、もはやただの獣である。 Iam That Iam 至高の神とは、私は在って在る者であり、初めであり終わりでもあり、 始めなければ終わりのない、永遠の存在であり、命そのものである。 そしてロゴスは、この神と共にあり、ロゴスは「人間」そのものであり、その「人間」は、神々を生んだ。 神々は、至高の存在、私は在って在るものの存在を知り、 神々が一人になったとき、神々は神となり、永遠に生きる。神々は、自分達に似せて我々人間を創造し、 我々人間は、善悪を知り、知恵を得た。そして命の木の実を食べることによって 神々の中の一人のように、永遠に生きる存在になったが、神々はそれを許さなかった。 善悪を知る実、知恵とは、人間を生かしもするが、殺しもする。 命の木の実をとりあげられた、我々人間は、神々に似せて創造されたはずなのに、死んだままである。 アホガまた絡んでくるといけないので言っておくけど、何も解らないで適当に書いてるわけじゃないんであしからず。 あえて直球では書かなかったけど、意味はある。
868 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/21(日) 11:15:55 ID:J8Dxe1Y4
え?イスラエルの神、ユダヤ人たちの神と新約の神、天なる父は一緒だと言ってる人いるの? どう考えたってモーセ達を介して、エジプトの民達に、色々てんごした、 イスラエルの神、ユダヤ人の神がイエスの言う、天の父と同一のわけないだろう(苦笑) 何をどう読めば同じだと読み取れるのか不思議でしょうがない。
869 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 11:27:39 ID:ig2IbGdu
神様が出世したんだよ。種族の神から、人類の神へ。
870 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/21(日) 11:28:13 ID:J8Dxe1Y4
>さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。 >神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。 >主は言われた。 「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。 >人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。 >当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが >人の娘たちのところに入って産ませた者であり、 >大昔の名高い英雄たちであった。 〜創世記6.01〜6.04 ま、命を得られず、死んだままにされた人間は肉にすぎないわけだ。 ところで、大昔の英雄達、ネフィリムの父親である神の子達って、どういう連中だったんだろうね〜
871 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 11:52:39 ID:FGBZZELD
>>864 >いつもここで終わるわけだけど、ここで終わるということは、述べたことが結論であり、
>それでは単に一面的に批判したに過ぎない。
>ココモスキーは「新約聖書そのものがゴミだ」 と言っていることになるのだ。
>バアルがただのライバルにしか見えないらしいが、聖書を切り貼りするのにも程がある。
>そんな旧約聖書理解は筋が通らない。
キリスト教会が勝手に作ったシナリオは嘘だと言ってるだけだよ
何回も言うけどバアルを悪者にして、偶像崇拝の神にして非難の
対象にしてるのは、キリスト教会の得意技の一人相撲だと言ってるの...
サタンを打ち倒さなければならない悪魔だと言ってるのもキリスト教会の
一人相撲だW...これは、書いてる人間の資質かもしれない(黙示録)
し、たまたまそういう時代だったのかも知れないけど
ユダを裏切り者で自殺した極悪人にしてるのも、キリスト教会の一人相撲
だW...イエスとユダはどちらが裏切ったのかわからないよ、自殺だと
書いてるのはマタイ教会の福音書だけだよ
ペオル事件をみだらな行為にしてるのもキリスト教会の一人相撲だよ
旧約のイベント(事象)を全部キリスト教の教義に都合よく説教話
に作り直して、それをもっともらしく説教してるだけさ....
はたから見てたら、馬鹿じゃないだろかと思うだけだけど...
872 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 13:10:13 ID:SC69ms0/
871 語れるのなら、その先のシナリオを示せ。 いつも詭弁で逃げるだけか。 君の信奉する「完全な聖書理解をする宗教」はスカスカの中身無しなのか。 やってることは自己犠牲(恥)を伴う自爆テロ(誹謗だけして終わる)という様相だ。
>>853 ココモ先生
どうもありがとうこざいました。
「聖書と聖書学」長くて、難しいのでプリントしておき、お気に入りに入れて
おいたのですが、今、開いたら、もう見ることできませんでした。
夕べのうちに、調べておいてよかったぁ。
さぁ、これから、ゆっくり読み直します。
>>854 キュロスさんのレスですけど、
> 神の選び という考え方は キリスト教的には重要なのですよ。
> この辺から キリスト教を批判すると面白いんだけどね。
わたしもこの神の選びを、みなさんが、どのように考えていらっしゃるかを
知りたいと思います。
874 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 16:21:26 ID:FGBZZELD
>>872 >君の信奉する「完全な聖書理解をする宗教」はスカスカの中身無しなのか。
馬鹿じゃないの、誰が「完全な聖書理解をする宗教」なんか提唱してるんだよ
そんなものあるわけないだろ...僕が聖書を研究してる目的は、聖書を
編じた人達の主張・考え・思想の本心を読み取る事だよ...宗教屋のアホ
な教義なんかより遥かに価値があるW...宗教なんか馬鹿らしくて全く
作る気にはならんよ...
>それで
知りたかったら、僕のweb覗いてちょ...
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus ザンス
876 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 16:51:34 ID:SC69ms0/
完全な、とはイスラムの比喩。問題発言ではないのか。
877 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 17:09:09 ID:FGBZZELD
>>854 >>873 >すると 神は全ての民を選んだ に成るはずなんだよ。
>新約は そうなっているよね。
新約と言うより、パウロの異邦人宣教からでしょ...
マタイ教会が果たして全ての民を選んでいるかどうか
疑問だけどね
福音書で言えばルカ福音書からじゃないの、それを
しっかり定義したのがヨハネ福音書だと思うよ...
「新たな「属性」が明らかになった」がいわゆるキリスト教屋さんが
使う表現なんだけど、一般的には神の「属性」が変質したと言うん
だけどね...神の「属性」はしょっちゅうコロコロ変わるヤロ...
それに「属性」が明らかになった(変質)と言うのと、新たに
神の「属性」を再定義したと言う事は同じだと思うんだけどね
>神の選び という考え方は キリスト教的には重要なのですよ。
>この辺から キリスト教を批判すると面白いんだけどね。
神が選ぶと言うのもキリスト教的表現だよ...これが2つの
意味でおかしいんだな...
1...キリスト教の神が受け皿を広げて全ての民を選ぶとしても
世界に五万といる神様の中から、人が神を選ぶ様になること
つまり神がなんぼ全ての民を選んでも、民がキリスト教の神
を選ぶとは限らない...
2...グノーシスでは「神が民を選ぶ」ではなく、人が「覚知する」
なんだな、しかもそこで「覚知する」神は、イエス・キリスト
でもYHWHでもない、「真の神」と言うものなんだな...
イエスは「真の神」を開示する「指導者」なんだな
世界のメジャーな宗教は、神が人を選ぶのではなくて、人が真の神を
知る(悟りを開く)が多いんだけどね...
878 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 17:14:17 ID:SC69ms0/
875 普通に読んでもそうとしか読めないんですが。 なぜココモかそう読みたがるのか。 主である神、と神の差異の理解ができていない人は多そう。 イエスキリストに比定できれば多くの光りを得られる基本みたいなものなのに、と理解してる。
879 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/21(日) 17:19:42 ID:FGBZZELD
>>873 >今、開いたら、もう見ることできませんでした。
同志社の他のサイトも開かないので、サーバーそのものが
停止してるんだと思います。
880 :
キュロス :2005/08/21(日) 17:22:30 ID:VDaTDiMM
>>877 >世界のメジャーな宗教は、神が人を選ぶのではなくて、人が真の神を
>知る(悟りを開く)が多いんだけどね...
旧約は 神が人を選ぶ と言うよりも 神が人に近づいてくるのよ
この辺が 聖書から読み取れてくると面白いんだよ。
881 :
キュロス :2005/08/21(日) 17:40:58 ID:VDaTDiMM
ユダヤ人には 常人の想像を絶する選民意識 が有るのよ。特にパウロの選民意識は凄いですよ。 だから基本的にパウロの異邦人宣教の 目的は ユダヤ人を救うため だと思いますよ。 全ての民を救う為に ユダヤ人がイエスを十字架に掛けた という考え方が マタイやヨハネにあるような気がする。 >マタイ教会が果たして全ての民を選んでいるかどうか >疑問だけどね マタイは完璧に 神が全ての民を選んだ ですよ。 >マタイ 28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。 >彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 」 この文言は 加筆の疑いが有るけどね
882 :
名無しさん@3周年 :2005/08/21(日) 17:42:23 ID:SC69ms0/
877の2はどちらでも同じこと。天にのぼる完成された階段はイエスキリストのこと。
883 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/21(日) 18:12:59 ID:J8Dxe1Y4
ロゴスから生じた知恵ソフィアは、アイオーンに存在し、 彼女はアルコーンを産み落とした。 アルコーンはこの世を創造し、アルコーン達の所業をみた彼女は 大いに泣いた。なんてな。今資料がないんで細かい点、間違えてるかもしれんが ま、こんなとこだろう。あくまで神話な。グノーシスの。 しかしアルコーンが、「私は在って在るもの」なんて名乗っていたら、こいつはとんだ フラグだ。おかげで大いに人は惑わされ、一つの方向に進んでいる
884 :
お知らせ。 :2005/08/21(日) 21:41:56 ID:C1/qdmR6
JESUSは引責辞任しました。再臨はありません。
885 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/22(月) 00:11:31 ID:uHG4amFT
>>875 >う〜ん、知らない人は騙せるかもしれないけど、創世記2:4には
>「神であるヤーウェーが天と地を造った」と書いてある。
>7語目から「アソート ヤーウェー エロヒーム --アレツ ヴェ・シャマイム」
アソート アドナイ エロヒーム エレツ ヴェシャマイム
そのヘブライ語ヤバイんじゃない...それはともかく、2/4は
PとJの切れ目だよ...それに、PとJと言っても、誰かがP資料
とJ資料を持ってきて、切り目をつないだのではなくて、P派の聖職者
とJ派の聖職者達が、合議しながら編集したと言う事だよ...
当然P派の人もアドナイを使うし、J派の人もエロヒームを使う
これも普通に考えたら、当たり前の事だけどね...
昨日示した論文にも書いてあるけど、Pが「YHWH」を神として
受容していたのは当然の事なんだけどね...だから、僕は旧約聖書
には、多神の神の「名残」が残ってると言ってるんだよ...
>>880 >旧約は 神が人を選ぶ と言うよりも 神が人に近づいてくるのよ
>この辺が 「聖書から読み取れてくると面白いんだよ。」
おまえなぁ...これもキリスト教徒のとんでもない悪癖なんだけどね
あたかも自分がよく理解してる様な口ぶりをするけどな...
お前の無知蒙昧は散々立証されてるんだぞ、特に旧約聖書は殆ど
読んでない事もさらけ出されてるんだよ、自分の体裁を繕う様な
口ぶりは止めな....恥さらしてるだけだよ...
886 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/22(月) 00:36:37 ID:uHG4amFT
>>883 >しかしアルコーンが、「私は在って在るもの」なんて名乗っていたら、こいつはとんだ
>フラグだ。おかげで大いに人は惑わされ、一つの方向に進んでいる
グノーシスの神話なんかに興味示すなよ...(笑)
正統派以外はみんなグノーシスだと思ってる人達がいるけど
キリスト教系グノーシスで納得できるくらいレベルが高いのは
ヘレニカ・グノーシスだけじゃないかと思うよ...
887 :
キュロス :2005/08/22(月) 01:07:17 ID:I3ygQWnh
>>885 >当然P派の人もアドナイを使うし、J派の人もエロヒームを使う
アナタの P派だとかJ派だと言う仮説が 正しいとしてだよ
アナタは P派の人とJ派の人が 何をしたかったと 考えるの?
創世記の天地創造は 何を言っているの?
それが 新約にどのような 影響を与えたの?
原罪を言っているのは パウロだけだよね
他の福音書記述者達には どのような影響を与えたの?
888 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 01:07:20 ID:JY2Ot7O1
仮説でしかない、ココモスキー。 そんな読み方は無意味に近い。モーセに相当する編者一人で綴られたと考える方が意味深い。奇跡から目を反らす必要もない。
889 :
キュロス :2005/08/22(月) 01:12:31 ID:I3ygQWnh
J資料とか P資料とかの解説は フランシスコ会訳 創世記に 記述してあるんだよね カトリックさんで 聖書に多少の興味がある人は フランシスコ会訳創世記を 買って読んでるはずなんだよ。 だから 珍しい専門的な仮説でもないのだよ。
890 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 01:42:06 ID:JY2Ot7O1
ココモのカトリックからのつまみ食いだったのか。
891 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/08/22(月) 02:50:30 ID:uHG4amFT
>>887 >創世記の天地創造は 何を言っているの?
>それが 新約にどのような 影響を与えたの?
>原罪を言っているのは パウロだけだよね
>他の福音書記述者達には どのような影響を与えたの?
新約の人間がどう考えたかなんかはっきり言って全く興味ないよ...
(いや真面目に考えた事はあるが、キリスト教会があまりも
マスタベーションしてるので、嫌気をさして新約は神棚に
置いてる....)
新約の奴らがどう考えたかではなくて、モーセ5書を書いた
人達がどのようなモチベーションで書いたかだろ....
これだけでは説明できないけどね、バビロンから帰還するときの
新たなイスラエル国家の再建と再建を担う若手の教育と
ユダヤ人に対しての民族意識の再確認だと思うよ....
わざわざ全く違う人類創造のシナリオを無批判に2つ併記してる
のは、ユダヤ(J)に伝わってた古伝承とバビロン(ユダヤよりは
遥かに進んでいた)で習得した新たなる(再構築した)人類創造
の話を書く事によって、イスラエル再建を担う若いエリート
聖職者には良い教材になると思うW
キリスト教会の連中には不可解で、詭弁で誤魔化さないといけない
厄介な事だけどね
892 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/22(月) 08:23:15 ID:t1cQkVhz
>>886 グノーシスの神話はなかなかどうして、的を得てると、おもうんだけどね〜。
ところであんたのHPからはトマスの福音を引用する時、ちょくちょく
コピペで拝借させてもらっている。
いちいち、持ってる本から引用し、一から文字を打ち込むより、大変効率的で
その点であんたには感謝している。
ところでさ、旧約にところどころ登場するユダヤ人達の神も、
ムハンマドの唱えるアッラーなども、「私は在って在るもの」、つまり唯一絶対の神
ではないんだよ。旧約に登場するイスラエルの神などは
「私は妬む神である」なんて言っちゃってるしな。アッラーなどはエゴ丸出し。
で、バッタもんの、自称唯一絶対の神が、ユダヤ人達にはあの地を約束の地とし、
アラビアの民には、異教徒は自分達の土地から追い出せなんて言ってるわけだ。
面白いよね。これはフラグだってことに気付かない?
893 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/22(月) 08:25:44 ID:t1cQkVhz
ちなみに、妬み、エゴなどは他者が存在してはじめて生ずるものであり、 「一」であれば、存在しえないものである。
894 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/22(月) 08:47:35 ID:t1cQkVhz
モーセ五書と、クルアーンなどは同じレベルの書物であり、ある意味セットのようなものだ。 価値があるのは旧約ではヨブ記から始まる知恵の文学の部分と、 イザヤ書から始まる、預言書の部分。無論新約聖書の福音、書簡の部分は大変価値ある 書物である。あ、もう一つ。大変重要な書物がある。 黙示録だ。実はこの書物は、一神教の中でも大変重要な位置をしめる。 〜黙示録22.18〜19 >この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。 >これにけ加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 >また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、 >神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。 ま、黙示録の成就、新約の成就の為とみるなら、モーセ五書も、クルアーンも、 価値ある書物といや価値ある書物なんだけどな(苦笑)
895 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/22(月) 09:09:04 ID:t1cQkVhz
先にも書いたが、黙示録の結びの部分に書かれている >この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。 >これにけ加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 >また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、 >神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。 この部分の意味を知らなければいけない。黙示録は大変重要な書物である。 さてここからは話半分に聞いてもらって結構だが、話のネタにでもして聞いてくれ。 >第六の金杯が傾けられると、 >「大河ユーフラテスの水が枯れ尽きてしまった。それは東方の諸王の道を開く為である。 >また竜の口・獣の口・ニセ予言者の口から、蛙のような三つの >”汚れた霊”が出てきた。これは悪魔が奇跡をみせて、”神が仕組んだ大戦に” >全世界の王たちを呼び集めるためだ」という” 〜黙示録 これは1904年、神戸で発行されたとされる、F・パロット師版からの抜粋。 >大河ユーフラテスの水が枯れ尽きてしまった 中東の石油に注目。 >それは東方の諸王の道を開く為である。 石油に問題に絡み、中国を代表する、アジア諸国の動きに注目。 >また竜の口・獣の口・ニセ予言者の口から、蛙のような三つの ”汚れた霊”が出てきた。 政治家、宗教家などの人間の吐く三つの言葉に注目。 そして、神が仕組んだ大戦に。という下りに注目。 これは俗に言われるハルマゲドンのくだりだが、勘違いしてる人がおおいので言っておく。 これは世の終わりの事を言っているのではなく(かなりの数の人が、この大戦で死ぬようだが)、 この神の大いなる戦いの後、神の千年王国が来るとされている。 その時代に多くのものが救われ、その後に、世の終わりが来る。
896 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 09:47:17 ID:MufEOhyQ
アソート アドナイ[主・ヤーウェー] エロヒーム[神]--エレツ[地・アレツ] ヴェ[・]シャマイム[天] 死海写本的には アドナイの部分は「楔形文字のフェニキア(レバノン)ヘブライ文字」もともと母音の記号がない。BC6世紀 ほかの聖書本文は「ペン字風のアラム(シリア)ヘブライ文字:ラシ体の文字」母音の記号がありマソラ学派風。AD4世紀 文字使用の時期に千年の開きがある。 日本人が 漢字の甲骨文と人民中国の簡体字を、平仮名と梵字に混ぜたような古文書を見る 違和感である。 口承伝承ははヘブライ語だが、記録の原本の初版はコイネーギリシア語(ヘレニズム時代)で ローマの東方征服の時期頃から(マカバイ時代からローマの属州・ヘロデ王時代)に ヘブライ語の巻物(メギラ)やパピルスの綴じ本(とじぼん・コーデックス)の 旧約聖書が記録されたのではないかと。 ギリシア語(分量少ない) ヘブライ語(並行箇所の異説があり増補によるのか分量が増えている) これは原典がギリシア語で ヘブライ語がギリシア語翻訳版 およびギリシア語と並行箇所のあるヘブライ語解説増補だという 証拠なのではないかと。
897 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 09:53:52 ID:MufEOhyQ
× 口承伝承ははヘブライ語だが、記録の原本の初版はコイネーギリシア語(ヘレニズム時代)で ○ 口承伝承はヘブライ語だが、記録の原本の初版はコイネーギリシア語(ヘレニズム時代)で
898 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 10:31:40 ID:NIBGyhF0
とあるHPから 創世記1章の冒頭部分は,中世以来今日に至るまで,語義的・文法的論議や文章論 ・文体論はもとより,宗教史的・伝承史的考察,さらに教義学的解釈までも加わって, ありとあらゆる角度から論議されてきている。 聖書は信仰で読むものであるし、創世記1を現代科学を念頭に持って理解しようとする 手法は邪道であり、聖書全体の解釈に無理が生じる。 「計算の結果、BC3760年10月7日から世界が始まったことになっている。」 狂信的に聖書の無誤謬説をとなえる人々はこのように言うが、念頭に科学が残っている が故に目が曇ってしまい時を計り、そして重箱の隅的議論に足を取られる。
1.日本の古代 最後に聖書に触れた国は、日本であろう。それほど日本は、聖書が成立した地域と隔たっている。 しかし、日本と聖書との接触はかなり古くから始まっていたかもしれない。 エフェソ公会議(431年)で異端とされたネストリウスのキリスト教は東に伝わり、ペルシアで栄え、 さらに東へと中国にまで達し、ここでは景教と呼ばれた。 景教碑文によれば、唐の長安に阿羅本をはじめ宣教師団がきて太宗に優遇され、638年に義寧坊 に大秦寺という教会を建てた。 折しもそれは日本が遣唐使を送りはじめた時期にあたり、その後日本から中国に渡った僧侶たちが 景教に接し、聖書にも触れた可能性がある。厩戸皇子(うまやどのおうじ)ともいわれる聖徳太子が、 片岡に行ったとき一人の乞食を憐れみ、衣服を与え、あとで使いにその乞食を訪ねさせると、乞食は 死んでいたが、その墓は空で、衣服が棺の上にあったという(『日本書紀』巻第22)。 これは復活したイエスの「空の墓」の記述(ヨハネ20章)を思わせる。 もしその聖徳太子伝説が福音書から発想を得ているなら、それはある種の聖書翻訳といえるかもし れない。厩戸皇子(うまやどのおうじ)という名前そのものがキリストの誕生を思わせる。
900 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 17:53:58 ID:54lTATCc
ここはムーの愛読者のためのスレで、 まともなことを書いては、いけないのだろうか・・・(-_-;)
ちなみに、使われているヘブライ語の文体から、 モーセ五書、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、詩篇の一部は イスラエル王国の第一神殿時代(紀元前1000年頃〜500年頃)、 つまりバビロン捕囚以前に編纂されたと考えられています。 モーセ五書に関しては、古代ヘブライ語が一部使われていることから 原型になった書物が、それ以前にあったものと推測できます
903 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/08/22(月) 20:12:32 ID:t1cQkVhz
>>901 ふ〜ん。ところで、新約、旧約の約ってさ、神との契約の約だよね。
旧約はメシアを使わすということだよね。キリスト教徒からみれば、
いやイスラム教徒からみてもイエスの誕生、そして彼が十字架にかけられたことにより
旧約は成就したわけだ。エゴ二凝り固まった多くのムスリム達はその点にかんして
口を閉ざすが、クルアーンにはしっかりイエスは、メシアだと書いてある。
ま、彼らは、あくまで預言者の一人にして、ムハンマドの下にイエスを置きたいんだろうけどな。
で、あんた、新約の、神との新しい契約ってなに?あんたなりの ”説”を示してくれない?
PS、
おまえ、一言多いんだよ。文句あんのか?
>>902 自分がムーの愛読者レベルのかきこなのに、なにいってんだよ喪前(W
905 :
名無しさん@3周年 :2005/08/22(月) 21:23:02 ID:NCtlnMhl
899は興味深い話だね。 もっと何かあれば是非披露してください。 ところで、ダニエルってどこいったの? ひさびさにこのスレ見たものだから。。。
>903 旧約は、陰茎包皮にしるしを刻むこと、子孫繁栄の約束。
907 :
キュロス :
2005/08/22(月) 21:49:05 ID:CpVVOUhl アドルフ・ハルナックさんも 旧約の神 が嫌いだった ようだね。 彼のマルキオン論のなかで 旧約聖書を根絶しようとした マルキオンの要求は 基本的に正しかったと 主張している。 >二世紀にカトリック教会は旧約聖書を棄去せよという誤った要求を拒否したが >それは正しかった。 >16世紀における旧約聖書の保存は宗教改革も避ける事が >できなかった宿命的遺産であった。 >19世紀以降のプロテスタンティズムにとって 旧約聖書を正典的文書 >として大切に保存する事は 宗教と教会の機能を冒す神経麻痺の結果 >であった。 >旧約聖書を 一掃して告白と教えにおいて真理を重んじる事は 今日の >プロテスタンティズムに 要求される英雄的行為である。 >だが 今からではほとんど 遅すぎるのである。