430 :
XYZ(素人正教徒) ◆xbX1kRWdrE :
>>390 >カトリック信仰には、人を尊大にしたり、他者のことを裁こうとしたり
>する気持ちにさせる『何か』が確かに存在するようです。
そんなものはどこの宗教にだってあるよ。人間には傲慢という種があるんですから。
>そして、それこそが、カトリックの誤まりを「実」として明らかにしているのです。
だからどこの教派にもあるんだってば。ローマカトリックも、聖公会にも、プロテスタントにも、
無教会派にも、無論、言いたかないけど正教会にも。
>カトリック教会に所属していようが、どこに所属していようがイエスを捕まえたものが勝ちなのです。
貴方は「捕まえた」の?
「捕まえた」と思った時点で捕まえてないのよ。OK?
結局「傲慢になるな」「謙遜になれ」と言っている人間が傲慢の見本になっているという
好サンプルをダニエルさんは提示していらっしゃるように拝見します。この見解はご不満ですか?
如何です?
431 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 12:41:16 ID:jinLDgt3
>>430 >この見解はご不満ですか?
>如何です?
あなたのお好きなように受け取れば、
それでいいと思います。
あなた自身の魂については、あなたご自身で
ケアすべきです。
433 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 12:44:47 ID:OA9kA48V
>>431 >あなた自身の魂については、あなたご自身でケアすべきです。
私独りでは無理ですね。至聖三者に祈り、生神女に転達を頼み、聖人と一緒に祈り、
尊敬する主教様、神父様達と祈ります。
434 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 12:52:50 ID:OA9kA48V
>>431 ダニエルさんの誤謬が端的に表れています。
個人の力、乃至自分の力の過信です。
435 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 12:59:07 ID:jinLDgt3
>>434 あなたに自分の魂を救いたい気持ちが、もしあるのであれば
生ける神を信じることです。
それをしたくないのであれば、それもありです。
どのような生き方、考え方をするのも、あなた次第です。
神があなたにあたえてくださった「自由意志」には、神も悪魔も
手出しはできないのですから。
436 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 13:06:15 ID:OA9kA48V
>>435 >生ける神を信じることです。
???
私が信じていないと???
437 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 13:23:43 ID:jinLDgt3
>>436 それは、あなたご自身が一番知っていることだと思います。
わたしには、あなたのことはわかりません。
438 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 13:34:59 ID:OA9kA48V
>>437 私にも、分かりませんよ。不可知なのは、神様だけじゃないです。
439 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/07/28(木) 13:54:19 ID:jinLDgt3
>>438 僕が思っていたよりも、あなたは正直なお方ですね。
あなたが「自分でも分からない」と書いたのは本当のことでしょう。
なぜ、自分でも分からないのでしょうか?
その理由は、肝心の「生きる神」とは何であるのかを
あなたが知らないからなのです。
>>439 不可知論みたいなことを仰る割には、自分の判断だけは正しいと思い込んでいるんだね。
そこに貴方の大いなる矛盾があるんだよ。分かる?
>肝心の「生きる神」とは何であるのかをあなたが知らないからなのです。
「分かった」と言ったらオシマイなの。「分かりつつある」ならOK.
「救われた」と言ったらオシマイなの。「救われつつある」ならOK.
>>439 まさか"Credo""Верую"「我信ず」というのを、ただ単に「私は信じています」と言う
だけの祈りと思ってないよね?「私は信念が固いのです!」って叫びでは無いんだよ。
そこは、大丈夫ですか?
442 :
XYZ(無学正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/07/28(木) 14:18:22 ID:OA9kA48V
>>ダニエル氏
主イイススハリストスは、共に歩まれる方です。歩まれるということは、そこに留まっている
ゴールの旗とかゴールのテープといったようなものに喩えられる方では無いということです。
主は、葡萄の木です。我々は、枝です。繋がった上で、成長します。
貴方は、歩いていますか?成長していますか?
共にいるということだけで安心して余裕の体勢には入っていませんか?成長をやめていませんか?
人の生涯は、ヨルダン川を遡る魚にも喩えられます(知り合いの神父様談)。遡るのを止めれば、
ガリラヤ湖に到達するどころか、死海に流されて死にます。ですが死海のそばは栄養も豊富で、留まる
魚が多いのです。
貴方は、自分が死海の側に留まっているかもしれない危険は自覚なさっておいでですか?
皆と共に遡って泳ぐのが信仰なのではないでしょうか。
ちなみに私はまだ泳ぎも始めたばかりの初心者です。