>>888 このスレには張り付いていますが、リーや回復訳そのものにはあまり興味が
無いので、回復訳聖書現物は持っていませんし、彼の神学については言及で
きません。
その上で、以前このスレ(か前スレ)で、具体的に訳文が上げられていまし
たが、それを見ての感想。
ギリシャ語の単語毎に正確に日本語を対応させる(アガペーとエロスを区別
するとか)のは面白い試みだと思うけれど、結局その日本語の単語を見ても、
下のギリシャ語の単語の概念が完全に伝わるわけではないし、かえって造語
や、一般的でない用法を使うと、日本語としての意味さえ不明確になる。
結局は脚注に頼らざるを得ないので、それならば、本文自体は日本語として
スムーズに読める文章にして、脚注を充実させれば済む話。
個人的には、岩波訳やフランシスコ会訳の方が良いと思う。
簡単な注解書や聖書辞典の一冊でも手元にあればなお良い。
福音主義的かどーかは知らない。
890 :
ザンクト・ガレン:2005/07/22(金) 19:13:29 ID:WxwBoHNK
>>882さん
故押田成人師の訳を御紹介させて頂いたんです。
あなたのいう「地方教会」というのが、解せませんね。
でも説明して頂かないでも結構。
頭だけの議論は、もうたくさんです。
私は地方の小さな教会、好きですよ。(^^♪
891 :
名無しさん@3周年:2005/07/22(金) 19:21:31 ID:ByJY+dWn
「地方教会」は教会組合に属する
単立・独立のバプテスト派教会の概念でしょうか?
カトリック教会・正教会・日本基督教団は
「教区」に属する教会ですよね。
日本基督教団の聖書注解書と注釈のつくフランシスコ会訳に
聖書辞典で十分な気がします。
試験に受かる小論文がうけるように書ける智慧と
お買い得を探すために頭を働かす智慧と
借金を返済するためにどう稼ぐかの智慧とは
内容も意味も違います。
瞑想は
智慧ではなく
悪く思い浮かぶイメージとか
不愉快な心持ちが持続するとか
悪い行動をしたい衝動や発心とか動機の心を
抑える消す
(煩悩を消す・止・シャマタ)と
仏様のように人に幸せや得を与えるような
慈悲や恵みの心や行動を起こす
良い根性をイメージし持続させる
(仏の衆生を救う心に変身する・観・ビバシャナ)を
意味します。
阿弥陀様のように
この世を見て穢れず惑わされず平静な人になる
観音様や御不動様のように
人の願いをかなえられる頼れる人になる
お釈迦様のように
不幸を解決アドバイスの出来る尊敬される人になる
そばにいると安心する安堵感を与える人になる
というものです。
試験に受かるために医学用語を暗記して
当てっこゲームで正解がパーフェクト・
百点満点合格。という
智慧と違います。
>ヒンズー教や仏教における
>神<デヴァ>の定義は、ヒンズー教や仏教の伝統の中で
>「神<デヴァ>」という言葉が独自の意味を持ちます。
???
デヴァ+ダッタ?(シャカに逆らう弟子?)の事なんでしょうか。
ヴァガバッド[神の]・ギータ[歌]で、バカボンド・バカボンが神だと思うんですが。
バカボンド・ヴァガバッドは、
世に尊い[世尊]・神[天]という意味で、ヒンズー教の『クリシュナ信仰』です。
シヴァ神は『デヴァ』でしょうか。不動明王に相当するらしいそうですが
下から上位に『明王(守護)』『菩薩(大人)』『如来(仏)』だというので
仏教には『神』はいない気がします。
ヒンズー教は『(ラーマ)クリシュナ』と『シヴァ』で2大勢力で
ほかはあまり意味ない零細な信心です。
密教の加持作法とか御次第という御唱えや観想の順番があります。
マハ・ラジャー(大王・藩王・土侯国の王)の
ハーレム(後宮)で夜伽(遊び女との寝室儀式)の順番みたいな物で
まず、結界を張ります。虎ロープで立ち入り禁止って奴です。
そいつは金剛力という黒くてデカイ体の衛兵(警備員)がします。
これが、密教の最初の不動明王が仏様の内陣の周辺をボディーガードする
真言とイメージを思い浮かべる(観想)する事です。
次に天幕を張ります。
木に登って2人の世界に入っているのをノゾキをするマニアから守るためです。
これも密教の次の作法で、
明王と天女が幕を張って、覆いを張る真言を唱えイメージします。
次に大王様の好きそうなお供え物と清める作法儀式をしますが
それも密教の真言で進物のイメージの観想をし・・・
そして大王様ではなく、供養・祈願対象の神仏に願い事を申し上げて
お願いの真言を、太鼓やシンバルン(にょうはち)や鐘などで
おだて・ほめ殺し・おねだりし続けます。
後始末に、ちゃんと結界を解く、天幕やロープはずしまでするイメージ観想と真言を唱え
加持祈祷の儀式が終了という物です。
これが密教の加持作法です。
そういう事からすると、ぜんぜん、禅宗や日蓮宗や浄土真宗は
同じ仏教というのに、感覚やイメージが違うという事になります。
「入我我入」というのを
禅宗では「「入我我入」という語句の入ったお経を唱える」が
(日蓮宗の「運想」「お題目」浄土真宗の「念仏」と同じで
天台宗系はやっぱダメで)
真言宗は「入我我入」を「阿字観」という奴で観想の実践をします。
八段錦という体調をよくする柔軟体操なヨガの準備体操をして
「阿」字の掛け軸を置いて、目に脳裏に「阿」を焼きつけ思い浮かべます。
焼きついた「阿」の字をヘンゲさせるイメージ訓練をします。
阿の字の一線一線が人間の手足や胴体の曲がりくねりのように
イメージ変化させます。なんと頭の中で「阿」という自が人間に変身し
変身した人間が仏に化けてお説教を始めます。
その仏をよく見ると自分の顔でした。そうだ私は仏に成りすましたのだ。
私はブッダだ。ではブッダから阿字の人間に戻り、阿字を掛け軸に戻って頂きます。
はい。瞑想おわり。
これが『入我我入』のイメージ訓練の実際です。
○ これが仏教の信仰生活。
この「入我我入」という修行法によって、煩悩をなくし、
煩悩が出た時に
煩悩被害を償い掻き消す行動をする心構えや心の準備に使うように応用し
良き人間、行動できる人間、困難に負けない耐える希望をもつ人間に変身してく
仏に変身していくのに使うのです。
天台宗系は
端々を写経して書き写し丸暗記勉強で
仏法は盗んで身に付けて作文って根性があり
一つ一つの修行や教学と年中儀式に体系つけがなくて
枝葉末節のマニアだから困る。
看板に偽りありっていうのは、中身とか本物が判らなくては見破れない。
喝破できんじゃろう。
善悪判断として良い悪いの判別と悪い事を罰する力が無いとね。
まず入門で弟子になりたい人間の素養を判断する。人物査定します。
いわゆる人相観(にんそうみ)とか行動仕草で性格や癖の判断をします。
そういう測る秘法というか秘伝というのがあります。今は秘密でなく
結構、占い屋で断片で巷に広まり生き残っている方法があります。
おおまかに、盗んで立ち回る奴は、弟子に出来ないし、
誤魔化して弟子になっても、法脈の系譜から外され破門されるのです。
破門後の僭称や詐称は
中世の封建時代だったら死刑だから、まずは生き残らないのですが
思想信条信仰の自由をうたった政教分離の時代ですから
新興宗教として生き残れ後世に伝わってしまうのです。
悪貨は良貨を駆逐する世の中です。
日本の天台は四宗(円・密・禅・戒)融合
当時の中国仏教は華厳・天台(法華)と論理を二分する
円教 摩訶止観(円頓章・一念三千)・天台円教菩薩戒相承
法華経(良医の譬え・観世音菩薩)・無量義経・観普賢経・天台法華宗相承
密教 大日経(加持)・金剛頂経・蘇悉地羯羅経・2つの曼荼羅相承
般若思想 般若心経(空)
禅 蓮華三昧経(本覚讃)・達磨大師付法相承
浄土信仰 阿弥陀経(阿弥陀仏)・観無量寿経・無量寿経
戒律 梵網菩薩戒経(菩薩戒経偈)
法要 法華経の法華懺法・阿弥陀経の例時作法 朝題目・夕念仏 舎利礼文
帰化人・日本天台宗祖・最澄・・・江南の天台山入山許可
栃木人・日本天台4祖・円仁・・・天台山入山不許可・通訳が新羅人
入唐安全祈願・妙見尊
摩訶止観の教学を学ぶ後の禅留学につながる
現在山西の五台山で密教を学ぶ天台の密教化の走り
種々の念仏法の持ち帰りは浄土思想につながる
香川人・日本天台6祖・円珍・・・江南の天台山入山許可・論語や漢書好き
守護神・新羅明神
空海の姪が母だが真言宗に入らなかった
日本天台4祖・円仁が入唐の前に比叡山の横川で療養
滋賀人・日本天台18祖・慈恵大師 良源(0912−0983)『九品往生義』
藤原北家の藤原忠平・師輔の支援を受ける
比叡山横川で三百日護摩修法の霊験で功あり
東宮護持僧になる
比叡山横川の恵心院
恵心僧都 源信(0942−1017)『往生要集』 厭離穢土・欣求浄土
引用書:天台大師智『摩訶止観』善導『観念法門』『六時礼讃』
浄土教・浄土宗へ発展
栃木人・日本天台4祖・円仁・・・天台山入山不許可・通訳が新羅人
入唐安全祈願・妙見尊
摩訶止観の教学を学ぶ後の禅留学につながる
現在山西の五台山で密教を学ぶ天台の密教化の走り
種々の念仏法の持ち帰りは浄土思想につながる
岡山人・栄西(1141−1215)・天台密教葉上流の祖・臨済宗の祖
宋の国に2度留学する
京都に建仁寺・鎌倉に寿福寺を建立
北条政子に認められ『吾妻鏡』に記される
著作:
『興禅護国論』禅の復興で天台宗を復興し国を護持
『喫茶養生記』中国から茶苗を持ち込み宇治茶のはじめ
将軍・源実朝に睡魔を除き気分を爽快にすると説く
『未来記』これからの世は禅が流行る死後50年後からでも
門下に道元(1200−1253)『正法眼蔵随聞記』
栄西(千光法師)臨済宗黄龍派・公案
1168 天台密教・葉上流を立てる・入宋
1187−91 再入宋 天台山の臨済16世・黄龍7世の虚菴懐敞に学ぶ
1191 京都に建仁寺を建立
俊仍(しゅんじょう)臨済系の楊岐派
1211 臨済系の楊岐7世の蒙菴元聡の法を継ぎ・泉涌寺を開く
道元(承陽大師)曹洞宗・只管打坐
1223−27 入宋 長翁如淨に曹洞宗を学ぶ『宝慶記』
天童山景徳寺の如淨和尚の他僧への一喝で大悟
1227 曹洞宗開宗 京都・建仁寺『普勧坐禅儀』
1243 越前(福井)大仏寺あらため永平寺へ『正法眼蔵』
[キリスト教の一番大事なことは]愛する[こと]。[で、]
愛は[神へと人へと]2つあるが神様が先。
神様を愛する。ドウ愛する。礼拝する。神に祈る。賛美します。
人間が神様に出来るのは、賛美しかないから。
赤ん坊は父親から手を握られてくるだけ、母親からおっぱいを吸うだけ。
父親や母親に、笑顔で手振り嬉しがってほめる事しかできない。
生きていられる人間として生まれている神の恵みを賛美するだけ。
雨風に川の流れ・海の幸・山の幸・日差しなど神から頂くだけ。
隣人を愛する。ドウ愛する。お互いが生きられるように助け合う。
どういう神?父と子と聖霊が神。
隣人を愛するのに罰則はあるの。基本的に赦し合い。
戒に照らし合わせ死刑もありうる。
モーセの十戒のうち五戒とか六戒が隣人愛に対する規制。
もっと細かくは、教会令だか宗教会議の決定とか難しいの。
あと各教会の聖職者や信徒会合の判断。
イエスをキリストで神と信じる
聖職者・信徒の集会(エクレーシアスマ)が「教会(エクレーシア)」
信徒になるのに何が必要。
聖職者や信徒の合意で、信者になる儀式に預かる事。
あと集会を支える活動に参加・協力する事。聖堂・礼拝堂・信徒会館の維持も。
ポルネイア(不品行・妻以外とのセックス・ポルノ)から イエス−キリストへの
ピスティス(信仰)に
スキャンダロン(つまづく・スキャンダル・棄教−背教する)な。
わたしの今までの理解の範囲でなんですが。。。
デカルトは「われ思う。ゆえにわれあり。」しか知らなかったし
キリストの神はといえば「あってあるもの」「善い方は一人しかない」といった感じで。。。
聖書ギリシア語では人間は
霊・プネウマ[ギリシア語]・スピリット(霊感・ロゴス[神のことば]・理性・
良心の痛み[心にある神の戒め・善悪判断]・
自由意志[リンゴを食べる食べないの選択力])
魂・プシュケ[ギリシア語]・ソウル(呼吸・心・感情・魂魄)
身体・ソーマ[ギリシア語]・ボディー(血の流れる肉体・骨肉[ボーン&ミート])
で出来ていると考えていたようです。
動物と気の狂った人間には、魂と身体しかなく
それに加えて霊が人間にはあるのだそうです。それで霊長類の呼称なわけです。
西欧では宗教戦争で理性を失い人心は荒廃しました、しかし「良心の痛み」が残ったのです。
殺し合いとなると教会の権威や掟を破る踏み越えるもなく、聖書のことば[ロゴス]が不動でした。
法律や教会法を破る事と人間としての罪を犯す事とは何か考えるようになったのです。
罪はいろいろあるのですが、キリスト教の考えでは
「宗教的な罪」と「法律や掟などを破った罪」の大まかに2つあって
シン[英語]グレーフ[ロシア語](原罪)と
クライム[英語]プレストゥプレーニェ[ロシア語](犯罪)なんだそうです。
原罪のギリシア語は、的ハズレ(ハマルティオン)です。
神の望んだ善なる関係から的ハズレだからです。槍投げの標的ハズシ・やること失敗です。
人間は良心の痛みがありながら自由意志をもって的ハズレをやるというのです。
それが罪なのです。
原罪は、人類にありがちなオリジナル・エラー
(若気のいたり・誰もが一度はする失敗・
人として恥ずかしい事・良心の痛み[悪かったと思う事])
犯罪は、原罪から起こって更に失敗や間違いを続ける踏み越えた悪い行い
(遣り過ぎた失敗・ある一線から行き過ぎた間違い・
わざと(故意で)やった悪い事)だそうです。
原罪の罪を十字架にかけて
全人類が一括して神によって無条件に地獄に落とされる事を滑り止めしたのが
キリストを信じて洗礼を受ける事で罪が赦される事で
犯罪の罪は、生きている時であれ、死んだ後であれ
個人ごとに神に裁かれて償わなくてはイケナイものなんだそうです。
ただ、信仰義認とか懺悔部屋で告白する赦しの秘蹟とか
洗礼で今までの犯罪も全部チャラという教派や学説もあるのだとは思うのですが。
旧約の喩えでいえば
神は陶器師(創造主)であって人間は陶器(被造物)なので逆らえない前提で考えます。
神が出来の悪い陶器(罪深い)と思えば、陶器を砕いてしまう(地獄に落とす)のです。
全部の陶器を壊して最初から創り直す(人類に代わる生き物を創造する)のではなく
生かして使う残す陶器(出エジプトの民やロトやノアのような人間)の基準を作ったのです。
新約ですとキリストの十字架が基準です。
無教会風でインターネット派です。逐語霊感がかっている。
Q.
万人救済説は異端なのか?
ウェスレー(メソディスト)が万人救済説なのだが。
ウェスレー系、
学校で言えば、青学と関学、
教団の教会で言えば、銀座、渋谷、本多記念、あたりだが、
これらがみな異端なのか??
確かにイギリス聖公会からは破門されているけどね。
ちなみにメソディストにも、ウェスレー派の万人救済説と、対抗の予定説の2派がある。
A.
「普遍救済」と「万人救済」は人によって訳語が混乱していて、
日本語で話していると おかしなことが起こることがあるんですが。
1.予定論
人は自力で福音を選び取る能力などとっくに壊れているので、救われた者はつまり神に
えこひいきされた奴ということだ、おめでとう(=カルヴィニスト)。
2,ゼネラル(普遍救済)
神は全人類を救いたいところなんだが、人には福音を受け入れないという選択肢もがある。
でも君は正しい選択をした、えらい。(=普通のアルミニアン)
3.ユニバーサル(万人救済)
神は全人類を救うと決めたので、悪党だろうと
キリスト教徒でなかろうと救われる。万事安心なので気にするな(大抵異端視される)。
皆さんの言う万人救済って、それぞれ2と3のどっちなんですかね。
私審判: 個々人の死んだ後の裁き
福音書 (生前の報いに応じて 陰府[ハデス]と天国[パラダイス])
公審判: 世界の終わりの日の裁き
黙示録 (第二の死・携挙 地獄[ゲヘナ]・海の地獄[タルタロス]と天界[ウーラノス])
(池[リムネ・魂の死]・海[タラサ・不安]と「新しいエルサレム・新しい天地・永遠の命」)
ゾーエイ・アイオノス(永遠の命?)を新天地で ←→ ジオ・タナトス?(第二の死)を池で
新しい天地の「新しい」は
リフレッシュ?(再生・再利用品「汚れちゃったけど洗って新品に見える」)ではない。
「別物の新品」という意味でもない。
ハローロ・フレスコほか「新しい」を意味するギリシア語が複数あった気がします。
罪の無い、穢れる前の状態、「元の状態[未使用状態]の新鮮さ」のある天地。
池・海、これは創世記の水の表を神の霊が漂っていた時の新しさ。
混沌の水の下は死の世界・生命の無い世界だったんでしょう。まあ創造神話ですが。
つまり天地に分離する前の混沌の原初の状態。まったく罪が発生する前の天地。
これでは、今生きている世界ではないと通常は判断しますよね。
我々は、個々人の裁きさえ気にして身を正して、神に祈って神を賛美して
神の憐れみ恵みを求めて生きていけばいいんですよ。あと他の難しい事は考えない。
近々この世の終わり・地球破滅が起こって、最終審判が起こるとかで
近い将来に、新しい天地に・ビックバンが起こる別けでないんだし。
確率は低しですよね。なんか神の御前に、取り立てて身構えなくちゃいかんのかな。
だって、「新しい」は人類が発生する・作られる・誕生する前の新しさで
人間がいないから、罪が発生する前の新鮮な天地とか世界なんであって
人類は居ないから、居ない人類が考えようが無いじゃないですか。
人間の対応として永遠の命が与えられる
、完全な体・霊の体を着る、罪の無い魂・新しい命に生まれ変わる。
だったら創造の神様にしか[出来ない事で、それも]個々人に[しか]与えられないしね。
礼拝は神の呼吸(テオス プニューマトス?)・
生きる息(神は鼻から息を入れ人は生きる者となった[創世記] プニューマ)・
聖霊の風(聖なる霊感・ハギア プニューマトス?)で
まことの心(プシュケ?)で霊(プニューマ?)で神(テオ)に挨拶するもの。
人の知恵(ソフィア)は、詭弁家(ソフィスト)を生むが
信仰(ピスティス)による判断は、神の知恵(ピスティオンタス)を得る。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1104291346/0-17 まあ、教会の人間関係が煩わしくとも、神とは挨拶(礼拝)は出来るだろうし
生きるヒントは、聖書や説教集が与えてくれるであろう。
賛美歌の歌詞でもメロディーでも歌いながら霊感を感じ
良心の痛みを取り戻し、理性的な解決方法など思い浮かぶに、役立つと思うがね。
まず、落ち着いて考えてみるのも一つだ。
安息日(ヨム[日]はシャバド[安息の])は魂の安息の為にある。神と挨拶する為に取ってある。
日ごろ労働や勉学に心配事・悩み事で忙しく心失っている所に良心や理性を取り戻す為にある。
ヨムはシャバド・サバド[西]・金曜−夕方−夜闇〜土曜−昼光−日没まで1日
ドミンゴ[西]・日曜日−早朝−復活日、キリスト教の礼拝日で安息日
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新約 マタイ11章
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすれば たましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】
神なる父(三位一体論の神性のみ)
↓
神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手、
↓ 永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う
『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金])
↓
神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。
↓ 教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し、
↓ 血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ、
↓ 神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち、
↓ キリストの一部になる)
↓ ↓
↓ 福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる]、
↓ ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事)
↓ ↓
↓ 罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。
↓
[一人間の命の終わりの]死後の裁き(第一審判決)と
[この世の終わりの]最後の審判(最終判決)
↓
罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし、
有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された
永遠の罪を償えないので、
無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり
の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間)
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知らせ人・み使い・天使: アッゲロン・アンゲロ・エンゲル・エンジェル
良い+知らせ: エウ+アンゲリ〜オン