>>146 >神に認められるほどの、律法的に良い行いをする者であっても、
>義とされるには、悔い改めが必要。
ヨハネ福音書にも「悔い改め」の文字も概念も殆どありませんねぇ...
強いて言えば、後代の付け足しと思える、姦通の女を助命した話に
8/10で「これからは罪を犯してはならない」と書いてあるだけ
ですね...
共観福音書で、洗礼者ヨハネが「悔い改め」の洗礼を施していたと
書かれてますが、これは嘘っぱちです。洗礼者ヨハネが施していた
洗礼は「犯した罪の赦しを得るためではなく、霊魂が正しい行いに
よって既に清められていることを神に示す、身体の清めとして
必要であった...」ヨゼフス古代誌より
「悔い改め」は、キリスト教会のあるセクトにおいて、標語の様な
ものになって、長年の伝承事になって、信仰において必須のものだ
と言われてるだけの事で、普遍的な概念では全くないと思います。