稲作と畑作の民俗誌

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135MMMM:04/01/22 22:45
えーと坪井は、「稲作の象徴である餅」といってる。

モチへの偏愛は稲作文化圏をおおうものじゃない、餅は稲作と重ならない。
劣性のモチ質を大事にしてるのは、日本を含む東アジア圏に限定されてる。
タロイモ、ヤムイモの耕作がおそらく稲作以前にあったかもしれない地域。

モチが芋の象徴であるとすれば、米粉で作る繭玉、鏡餅、
餅形状の東西分布、モチ/イモの代替性などについて説明が容易になるきがするんだけど、
どうなんでしょうね。
136天之御名無主:04/02/28 01:07
おれんどごはタノガミコサマどヤマノガミコサマいる。コウシンコどネンブツコど、あどエビスコだのオシラサマだのあんだがよ。ほがのどごでもあんだべ?
137天之御名無主:04/05/25 20:11

◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半
 
国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学
協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化
物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は
紀元前十世紀後半」と発表した。

 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め
のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。
138 :04/05/25 20:12
今回の発表によると、佐賀県の菜畑遺跡から出土した「山の寺式」土器
(早期初め)の炭化物は、前930―前800年。福岡市の板付遺跡の「夜臼1式」
(早期前半)は前900―前790年だった。その結果、早期初めは前945―前915年
と推定されるという。

 また水田稲作が各地に広がった弥生前期の始まりは、北部九州が前九世紀末
だが、高知県の居徳遺跡や高松市の東中筋遺跡などの土器の測定から、四国や
近畿は前8―7世紀ごろとみられるという。〔共同〕 (07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040524AT3K2302C23052004.html
139天之御名無主:04/05/25 20:12
弥生期の渡来人と水田稲作による弥生時代の始まりとは全くの無関係。

水田稲作は前10紀後半に北九州から始まり、前8世紀には奈良まで伝わって
いた事が分かっている。

ただし、渡来人の渡来時間が早まるという発表は一切無い。

つまり渡来人は日本の稲作とは全然関係のない人々。
140天之御名無主:04/05/26 01:30
ガ━━━━━━━━━Σ<`∀′;>━━━━━━━━━━━ンニダ!
141天之御名無主:05/01/22 21:22:25
>>96
>在来の縄文人たちが自らを自らの手で 「変革」したとする見解...
水稲以外の青銅器や鉄器や文字や機織等も同様にという見解なのですか?
水稲以外の諸文化を視野に入れれば「弥生時代を特徴づける文化的要素は縄文
人達によって日本列島にもち込まれた」にはならないが。何より現代人の血液種等の
人類学的特徴の分布地域差からして、先住民に呑み込まれない相当数の渡来者が、集中
来住したわけで、どういう来住者であれ固有の文化を持たぬ人間はありえないが。
142天之御名無主:05/01/30 16:26:30
現在NHK教育で「再検討・稲作農耕文化」放送中。
田遊びの再現など非常に興味深い。
143天之御名無主:05/02/03 03:30:06
<丶`∀´> ウリ達は騎馬民族なので関係ないニダ。
144天之御名無主:2005/05/04(水) 20:22:44
稲作だけでは、冷夏や病気や害虫で稲がアウトになったとき餓死してしまうから、
近代に入るまでは両方作るのが当たり前だったのでは?
また、主食も稲だけに限らず同じイネ科の粟や稗や黍や麦も作り、
ある作物がその年採れなくても食べていける工夫をしていた

あとは柿とか栗とかも作っていた

主食が稲だけに偏ったのは、化学肥料や農薬が発達し、また食糧輸入をすることで
不作でも餓死の危険がなくなったここ数十年じゃないでしょうか
145天之御名無主:2006/06/30(金) 20:44:28
陸穂って見ないね。つい昔は作ってたけど。
146天之御名無主:2006/07/08(土) 00:18:43
147天之御名無主:2006/07/24(月) 18:39:35
>>145
古い書き込みにレスをつけるのも変だけど、最近認識を新たにしたのでご紹介。
他の人には、そんなこと分かっているってことかも知れないが。

水稲栽培は、初期は水田、後水を抜く。これが地中の嫌気菌、好気菌の交替を
生み、連作を容易にしているという。陸稲はこの点不利。水の便が悪ければ
次善の手になるが、連作が困難な上、手間隙かかる代物のよう。

農業の生産性向上策で、田圃の規模を大きくしている一方、輸入も増えて
休耕田も多い時代。陸稲を作る必要性が減少した。陸稲でぐぐると生産して
ないことはない。
148天之御名無主:2006/08/26(土) 00:30:13
>>147
連作障害については理解できます。
生産性についてはどのくらいの差異があるのでしょうか?
(現在では水田では平均して一反につき10俵として)
また
>手間隙かかる代物のよう。
とはどのような部分ででしょうか?
水田維持(水路の整備や水抜け対策)や水田での作業手順
(田起し、水入れ、代掻き、苗取り、田植え、草取り・・)
以上のものでしょうか?
陸稲でぐぐっても断片的にしかわかりません。すみません。
当方、山間地域での山焼きと陸稲栽培を計画してる者です。
149天之御名無主:2006/08/26(土) 08:58:06
>>148
>当方、山間地域での山焼きと陸稲栽培を計画してる者です。

実利的なことでしたら、この板(民俗学・神話学)住人はほとんどが門外漢だと思うのですが。
こちらで聞かれたほうがよくはありませんか?

農業、漁業、林業@2ch掲示板
http://society3.2ch.net/agri/

農学@2ch掲示板
http://science4.2ch.net/nougaku/
150148:2006/08/26(土) 15:25:31
>>149
どうも失礼しました。

現代農業では焼畑は否定的だし、焼畑技法自体忘れられています。
聞いても今時なんでそんな馬鹿なことやるんだ?的な反応が圧倒的ですね。
この板なら様々な伝承や資料による知恵を授けていただけるのではないか
と思ってつい聞いてしまいました。

本やネットでも調べてみましたが「焼いて、蒔く」程度の記述しか見つけら
れず本当にこれで良いのか?書いてはないけど実際には多少の畑地造成や
表土流出の対策は必要ではないのか?アフリカや東南アジアの例では本当に
「焼いたら種を撒き散らして、或いは堀棒で穴掘って埋めて終わり」だそう
ですが日本でもそれでいいのか?と疑問に思ったしだいです。
まぁ昔はいざ知らず、焼いた跡を普通に畑として使えばいいだけの事ですね。
板違いすみませんでした。
151天之御名無主:2006/08/28(月) 21:45:08
>山間地域での山焼き
消防や自治体から許可が下りそうですか?
152天之御名無主:2006/09/23(土) 05:37:26
【中国】中国北部、4千年前の“小麦”伝来がきっかけで農業が発展 中華文明の形成に影響
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1158952870/l50
中国の学者たちは「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の第一段階の研究活動で、「西ア
ジアを起源とする小麦が4500年前に中国の中央部地域に伝来したたことは、中国の北部で
根本的な農業革命を引き起こすきっかけとなり、この地域がそれ以後の長い間に中国の政治、
文化ひいては経済の中心となるための確固たる基盤を打ち固めた」という結論を引き出した。

陶寺、新砦、二里頭、王城崗など4ヵ所の遺跡から発掘された数万粒の炭化したさまざまな
種類の植物のタネなど貴重な植物遺物に対する測定や数量化分析を通じて、「紀元前2500
年から紀元前1500年にかけての時期に、この地域の農耕生産はアワを主な農作物としてい
た」ことが明らかになった。つまり、中国北部では伝統的な畑作農業が行われていたというこ
とである。

紀元前2500年から紀元前2000年までの竜山時代に、この地域においてはアワの栽培だけで
なく、イネもは重要な農産物となっている。二里頭時代に、イネの作付け規模や人々の生活に
おける地位はこれまでなく重要なものとなっていた。また、西アジアを起源とする小麦がこの
地域に伝来し、中国の商代(紀元前16世紀−紀元前1066年)の初期の二里崗期において、
イネの地位はいくらか低下し、小麦の作付け規模が急きょ大幅に向上した。この地域の農業
生産における小麦の台頭は、中国北部の畑作農業の作付け制度の根本的な変革を告げる
ものと言える。
153天之御名無主:2006/09/27(水) 16:18:30
陸稲は「稲作」の内に入るけど、畑作でもあるよね。
水稲と陸稲それぞれ同じ面積の田で栽培したとき、どちらがより多く収穫を
得ることができて、どちらがより軽い労働で済むのでしょうか?素朴な疑
問です。
154天之御名無主:2006/09/27(水) 18:12:19
>>153
数字までは挙げることはできないけど、一般に
水稲のほうが収穫量も多く、労働力も掛からず、味も上で、連作障害もないというね。
155天之御名無主:2006/09/30(土) 19:22:55
>>154

返答ありがとうございます。水稲のほうが軽作業とは…逆だと思って
いたので。田植え機やコンバインなど使えば、ということでしょうか。

私は弥生時代以前(稲作が日本列島に普及する前)は、治水工事や灌漑
・排水設備のいらない、木の棒一本で土を耕せて種も蒔ける陸稲の方が
楽だから、縄文時代の気候風土にマッチした陸稲や畑作を縄文人は好ん
でいたのかなーと思っていました、カッチリした統率力もいらなそうで
牧歌的だし。
波打ち際のように常に大陸から南洋からシベリアから色んな地域から移
り住んでくる人を受け入れていた縄文文化の中で、あえて水稲よりも陸稲
を選んでいたのかなー、と。
156天之御名無主:2006/09/30(土) 20:48:34
問題は初期インフラの労働力とメンテナンスの差だろうな。利水事業
が必要かそうでないかは大きな違い。

157天之御名無主:2006/09/30(土) 22:31:45
>>155
>陸稲の方が楽だから
連作障害ひとつ考えてみても、楽なんていってられないと思う。
水田は奇跡的と言ってよいほど、連作障害がないそうです。>>147さんが触れられてますけど。
陸稲は水稲とは違って、連作障害が起こります。
作るといっても、2〜3年で耕作地を変える必要があるでしょ。しかもその2〜3年の期間も一年ごとに収穫量は
減っていくわけだし。
収穫量が減っていくというのは、土壌の特定養分の欠乏、表土流出、センチュウなどの病原微生物の増加、
土壌微生物相の変化、イネの病気にかかりやすくなる、などデメリットがあるからですよね。
土壌消毒や追肥、連作を中止して畑を休ませるといったケア面だけでも手間の掛かることだと思いますよ。
158天之御名無主:2006/10/04(水) 00:07:12
昔、陸稲見たけど畑一面じゃなくて、畑の一部に稲が交じってる感じでしたよ。
毎年場所を変えていたのかな。
159天之御名無主:2006/10/04(水) 15:10:40
>>153

[ 陸稲 ] 『読売新聞』より引用

畑で栽培する稲で、用水路などの施設が不十分な地域でも作れるが、
水稲に比べ面積当たりの収量は約半分。

昭和40年代ごろまでは、水稲の供給不足を補う役目もあったが、その後、
コメの生産自体が過剰になったため、現在では主にもち米の品種が作ら
れている。
昨年(2005年)は作付面積4000ヘクタール、収穫量1万1900トン。
ちなみに水稲は170万2000ヘクタール、906万2000トン。
160天之御名無主:2006/10/04(水) 20:37:09
>>153
>水稲と陸稲それぞれ同じ面積の田で栽培したとき、どちらがより多く収穫を
>>154
>数字までは挙げることはできないけど

平成16年度の『農林水産統計』によると、全国平均で、

  水稲の作柄は、10a当たり収量は514kg。
  陸稲の作柄は、10a当たり収量は200kg。

単年度だけで判断するのは早計ではあるけれど、参考までに。
161天之御名無主:2006/10/05(木) 19:22:39
稗とか粟、黍なんかもまだ作っている場所はあるんですか?
今、陸稲はどのような場所、地方で作られているんですか?
162天之御名無主:2006/10/05(木) 19:50:58
>本やネットでも調べてみましたが

>>161さんが>>148=150さんだとすると
どういう本を読まれて、どういう調べ方をされているのか聞いてみたいですね。
163天之御名無主:2006/10/13(金) 14:26:39
153、155です。
以前畑作や陸稲のことを調べたとき、年代は忘れましたが連作障害を防ぐ為か、
粟などのを収穫したあと一旦畑を焼いてアズキや大豆や杉、イモ類を時期を
ずらして植えていたように思います。そうやってローテーションでいくつかの
土地をぐるぐるすれば少しは連作障害を防げるのでしょうか?

水稲が国の一大事業で一人の権力者が収穫を独占したような時期では
なかった縄文時代、畑の作物は、漁労や狩猟や採集といった食料調達に
比べて二の次で、出来が60点でもいいや位だったんじゃないかと勝手
に思ったので「楽」と言ってしまいました。縄文遺跡からの出土品も動物
をかたどった物や骨も多いけれど、農業に関するものって土器や宗教的
な遺構には見られないので…。
164天之御名無主:2006/10/13(金) 14:33:15
連投してすみません。
>>157さん、158さん、159さん、160さん、
ありがとうございました。とても参考になります。
165天之御名無主:2006/10/19(木) 17:19:20
日本で今、焼き畑なんて許可が下りるのだらうか
166天之御名無主:2006/10/19(木) 19:32:55
>>165
まず無理だろうね。
例外的に認められているのは、このスレでも何度か出てきている椎葉村くらいでは。
167天之御名無主:2006/10/20(金) 00:57:27
焼畑の許可は状況によって得られますよ。禁止されているものではありません。
ttp://www.maff.go.jp/denmado/tetsuduki/forest/detail/570H301317300.html

焼畑体験者(主に古老)が監督にあたり、防火帯(火道)の整備ほか延焼対策が
なされるならば焼畑が昔には盛んに行われていた地域では許可は普通に下ります。
ただ近年は焼畑申請が無いため許可事例も無いということです。
昨年は高知県の二箇所で焼畑が行われました。
「例外的」に許される地域とかはありません。例外的というならば焼畑が一般的
ではない地域での焼畑事業とそれに対する許可行為こそが例外的なんでしょうが・・
168Bookmark:2006/10/22(日) 13:56:16
稲作と畑作の民俗誌
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1016002808/l50

赤く染める意義
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1029681217/l50

日本人の生業ってなんだ!農業?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1043174672/l50

日本はコメの国・瑞穂の国だ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1075289009/l50

和食の食材の種類の豊富さは世界一?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1080264161/l50

なぜ日本人は米、稲を祭り上げるのが好きなのか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1122550517/l50

イネ科の植物がなかったら世界はどうなっていたか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1142847035/l50

環境破壊の世界史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1116068297/l50
169天之御名無主:2006/10/26(木) 07:59:46

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1018708685/185

>185 :天之御名無主[sage] :2006/08/29(火) 13:10:11
>稲作は縄文時代に始まっている。

>日本における稲作の歴史は永きに渡って弥生時代に始まるとされてきた。
>しかし、近年になって縄文後期に属する南溝手遺跡の土器片中から
>プラント・オパールが発見されたことにより、約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による
>稲作が行われていることが判明している。
>また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、
>縄文時代前期にまで遡れるとする説もある。
>また、水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつ
>ある。
>さらに近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが、少なくとも紀元前9世紀まで
>遡る可能性が出てきたことも特筆すべきことだろう。
>朝鮮半島よりも早期に稲作が行われていたことを示すデータとして注目されている。
170天之御名無主:2006/10/29(日) 11:37:20
数ヵ月後、数年後の話のタネになるかもしれないから、転載します。


スレを立てるまでもない質問7
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1139311681/805-806

  > 805 :天之御名無主[] :2006/09/09(土) 09:17:28
  > 宮崎県椎葉村の焼畑農業って、どこが民俗学的に重要なのかわかりません。
  > 焼畑後の作物の植え方の方が民俗学的に重要だと思うんですが、どうでしょうか?
  >
  > 806 :ダンの花[] :2006/09/09(土) 12:37:13
  > 銭金をみたね。
  > 柳田の「後狩詞記」が椎葉が重視されるようになった発端じゃなかろうか。
  > 研究の積み重ねがある地ということが学問として重要ということだけで、特に椎葉が特別ってわけではないと思う。
  > 詳しいことは↓
  > ttp://www.shiiba-soed.jp/yanagita-rink.htm
171天之御名無主:2007/02/23(金) 18:13:33
陸稲作ってるけど、味はおちるよね
172天之御名無主:2007/02/24(土) 14:35:43
前の方に出てた麦の話、西日本の方のだ話だったけど東北とかはどうなんだろ
粟、稗に比べて麦は影が薄い感じする。気候から蕎麦とうどんの地域差もある?
173天之御名無主:2007/02/27(火) 19:40:08
>>172
関西っていうか大阪はうどん文化。昔、四国から大量に運ばれた麦が安かった名残。
東京はうどんじゃなく蕎麦だよね。当方関西人なので関東のことはわかりませぬ。
174天之御名無主:2007/03/16(金) 18:36:19
うわっ寒そう!宮崎ってこんな時期に田植えするんね

早乙女姿で水田へ 鵜戸神宮で御田植祭 2007年3月17日
ttp://www.the-miyanichi.co.jp/domestic/local/index.php?typekbn=1&sel_group_id=4&top_press_no=200703170204
日南市宮浦の鵜戸神宮(杉田秀清宮司)の御田植祭は15日、
鵜戸小前の同神宮御神田であった。地元住民らが古式にのっとって苗を植え、今年の五穀豊穣(ほうじょう)を祈願した。
175天之御名無主:2007/03/17(土) 12:20:16
宮崎って二期作?
176天之御名無主:2007/05/25(金) 01:49:52
以前テレビで、チベット人が「もともとは蕎麦を主食にしていたけど、中国
に編入されてからは蕎麦の栽培が制限されて小麦ばかり食べているが、全然
体力が続かずすぐ疲れる。」と言ってた。

チベットではいつから蕎麦を栽培してたんだ?そして日本人の一部はチベット
人と同じ遺伝子情報を持っているらしいから、大昔のヒマラヤから移ってきた人たちが
住んだ場所が、もしかして今の蕎麦の名産地?だったりして。東日本に多い気がします。
177天之御名無主:2007/11/03(土) 03:22:37
農具って面白いよね
八人前とか弥生時代から形状変わってないんじゃないかw
178天之御名無主:2008/02/23(土) 08:16:17
田植えは9世紀初頭には一般化していました。出典は日本後紀。
もっと古いソースがあれば、教えて!
179天之御名無主:2008/02/23(土) 20:08:43
そばのクレープおいしいよ
180大学2年生:2008/06/01(日) 02:02:54
みなさんに教えて頂きたいのですが、

昔に比べて田植えの時期が早まっている気がするのですが、
温暖化と関係が有るのでしょうか?
181天之御名無主:2008/06/02(月) 16:15:59
温暖化とは関係ない。品種改良の結果。

昔は、5月の寒さに耐えて着床する稲がなかったが、
今は、低温でも成育する稲が開発された。
182天之御名無主:2008/12/08(月) 22:48:22
陸稲って懐かしいね
昔はよく作っていたよね
183天之御名無主:2008/12/09(火) 14:52:20
田植えはなくて、直播きですか?

それと、オカボって、食べた記憶がないんだけれど、
どんな食味?
184天之御名無主
陸稲は
ボソボソしてまずいよ。