御真言集 第七

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1@坊さまじゃないよ

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

よろしゅう。
前スレ 御真言集 第六
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1074377264/
2名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/19 19:01
3真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/19 19:42
4真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/19 19:43
関連スレ@【寺院関係】
許すまじ、比叡山延暦寺!!
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/993142619/
許すまじ高野山金剛峰寺!!(葉鍵用)
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/999264771/
許すまじ高野山金剛峰寺その3
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1060790587/
東寺の正式名称は?
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/981551048/
室生寺
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/972764098/

関連スレA【各宗派】
真言宗
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1010028540/
【覚鑁】真言宗 智山派・豊山派について【新義】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1030289900/
真言宗醍醐派について
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1057769507/
許すまじ高野山の全て
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1052897647/
真言宗系の尼さん
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1026667783/
チベット仏教について語ろうPart2
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1064295228/
5真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/19 19:44
関連スレB【諸尊】
@@@軍茶利明王@@@
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1073600097/
【観音?】ハヤグリーヴァ(馬頭尊)【明王?】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1043742156/
【大憤怒】不動明王信仰【大慈悲】第2座目
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1063548978/
+烏枢沙摩明王+
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1063891652/
愛染明王の仏像
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/983553479/
虚空蔵菩薩
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1019597351/
南無大聖歓喜天【聖天信仰&天部信仰】7
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1081644523/

関連スレC【教義】
真言密教入門
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071582534/
◆真言立川流ってご存知ありませんか◆
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1007482428/
☆即身☆成仏☆
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1049879596/
結縁灌頂について…
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1028131851/
理趣経
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/977900651/
6真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/19 19:45
関連スレD【呪術】
●●密教 修験 道教 陰陽道 呪術 Part2?●●
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1082834697/
効力のあるマントラを教えて下さい
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/993979946/
◆◆−験力ある密教行者−◆◆
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1028734816/
よく効く呪術?.まじない教えて下さい
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1016874519/
陰明師真言、教えてえてけじゃれ
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1035413939/
現世利益真言vs法華
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1070796631/

関連スレE
【空海のことで何か知ってるか?】【自主的】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1081856742/
弘法大師空海について語り合うスレッド
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1066786532/
7名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/19 20:02
まったりとね
8会奉行:04/05/19 20:54
新スレおめでとうございます!!
9金剛杵:04/05/19 21:35
新スレおめでとうございます。
合掌。
10眞海:04/05/19 23:12
遅れ馳せながら。
新スレおめでとうございます。
11北海大将智:04/05/19 23:27
 新スレおめでとうございます。前スレ満行結願の後、こちらに改めて
参じるつもりです。よろしく。
12名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/20 01:04
オン アビラウンケン バザラダトバン
13ランボー:04/05/21 22:04
@坊さまじゃないよ さんご苦労様です。
新スレおめでとうございます。
13 好きな日です。ゲット
これからも、やんわりとね。
14お経好き:04/05/22 00:21
ランボー師がおられるようなので、質問させていただきます。

前スレで、ある陀羅尼を10万回唱えたら、眉間の奥が何か溶けたような感
じがしたことについて質問させていただいた者です。
また、質問があるので、よろしければお教えください。

以前、「お経の本」〔学研・刊〕を読んで、故山田恵諦師が、天台宗の小僧さ
んに「大般若理趣分経」を1000回読誦することを勧めていることを知り、
私も読んでみることにしました。
しかし、このお経は結構長く、はじめのうちは、一巻読むのに45分くらいか
かっていました。これでは、とても、1000回続ける自信がありません。
そこで、私は、お経に対して、こうお願いしました。
「仏様、なんの保証もないのに山田恵諦師の勧めに従って、1000回読むの
は正直きついです。ですから、とにかく文句を言わずにとりあえず100回読
みますから、その時点で何らかの証をみせてください」
そして、読経をして、だいたい100回目くらい(一日平均1回で3ヶ月ちょ
っとたったくらい)のときのことです。
読経中に、無性に眠くなり始めました。こんなことは、お経をあげていて初め
てのことです。
「何かの妨害か!」と思いましたが、とにかく睡魔に負けずにとりあえず、そ
の回の読経を終え、すぐに眠ってしまいました。
さて、次の日のことです。大般若理趣分経を読誦しているとき、ふいに、右の
頬の奥(下?)から、何かが浮き上がる感じがありました。
例えて言えば、水中から気泡が浮いてくる感じでしょうか?その「何か」は、右の頬の
表面に浮き上がり、頬に、ピリピリとしびれるような感じがありました。
そして、しばらくそのピリピリ感があった後、その感じは消えました・・・。

この体験はどう解釈すればよいでしょうか?
やはり、お経の、なんらかの証しと解釈してもよいでしょうか?
お答えよろしくお願いします。
15ランボー:04/05/22 08:02
>>14 前スレで、ある陀羅尼を10万回唱えたら、眉間の奥が何か溶けたような感 じがしたことについて質問させていた
だいた者です。 以前、「お経の本」〔学研・刊〕を読んで、故山田恵諦師が、天台宗の小僧さ んに「大般若理趣分経」を
1000回読誦することを勧めていることを知り、 私も読んでみることにしました。 とにかく文句を言わずにとりあえず10
0回読 みますから、その時点で何らかの証をみせてください.読経中に、無性に眠くなり始めました。こんなことは、お経
をあげていて初め てのことです。
A はじめにお断りしておきますが、ここでは正統の伝授をへて修行をすることが正道で、私のように本で護身法をマス
ターしたり、誰にでも気軽に修行の仕方を教えている事に特にアレルギーのある諸師そ揃っておるところです。
13 の数字は虚空蔵菩薩の縁日、自分も繰り返し唱えているので、貴方の現象は一部理解できます。
無性に眠くなり始めることは、供養の時にもおきます。供養が進むにつれて喪主の方々がとても眠くなるのです。
成仏出来ない状態は、暗くて 寒くて ものが食べれなくて 眠れない処にいます。それが読経のくどくによって、少し
ずつ成仏に向かい、眠れるレベルに上がってくると考えられます。その時に自分の肉体が既に無くなっているので、
生きているその場に居る人の体を借りて眠りを味わおうとします。その体を借りられた人が眠くなるのです。
回数を重ねる事により、読経の功徳が上がってきたと考えることができ、なんらかの証と言う事については分りません。

生きる活力があまり湧いてきません。
魂が痩せ細ってきているような気がします。
首から上に気がまわらないような感じです。
どんな御真言が活力を呼び戻してくれるのでしょうか?
17名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/22 21:36
諸師方、前スレ無事回向されました
18名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/22 22:10
ランボーさん。質問内容をいちいちコピーすると長文で読みづらいです。レス番号のみにして下さい。その方が読みやすい。
19北海大将智:04/05/22 22:50
前レス 一畳弛緩院師>>975 北海師 
仏母ですが、如来舌とか仏頂と同じ感じで、如来に準じて扱いませんか?

 仏眼仏母尊は如来實菩薩なので、おしゃることもっともなんですが混乱される
とおもい簡単に菩薩とカキコしてしましました。いいわけすれば仏眼仏母尊は大日如来の所変
(胎蔵曼荼羅遍知院)、釈迦の所変(胎蔵曼荼羅釈迦院)、金剛サッタの所変
(瑜祇経)がありそれぞれの位置付けがことなるのですが不空羂策経巻九には
虚空眼佛母菩薩の記述があり(胎蔵遍知院の仏母と同体であろうとおもわれる)
胎蔵遍知院に位置するとカキコすれば菩薩とカキコしてもよいだろうと思ったん
ですが、やはり突っ込まれましたか汗 さすがです笑 
 16さん まず近くに縁のあるお寺を探し、そこの散歩がてらなるたけ毎日、
参拝し、そこのご本尊の真言をおとなえしてみてはいかがでしょうか。
 ご本尊に参拝するうちにお寺の境内の草木の変化が見につくようになったり
話をする参拝客ができたりすると思います。ご本尊に真言をおとなえして心の中
のことを報告するうちになにか見つかると思いますよ。
20真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 00:16
あけてビックリ!
前スレすっかり埋まってる。
さて、どのレスに答えればいいのか……
とりあえずは越三昧耶ですか。
まずはランボーさんへ、経典じたいに疑問を持たれちゃあ、
私はもう何も言えないですね。
でも、どうなんでしょ。ランボーさんは
護身法を本から学んだそうですが、それはどういった本ですか?
その本は信じることができて、不空や善無畏の訳した経軌の記述は
信用できないのですか?ちなみに、
前に私のあげた経典は般若三蔵の訳です。
そのほかにも不空訳の経軌にも、善無畏・一行の『大日経疏』にも
越三昧耶の記述はあります。
ってことは、弘法大師はもちろん、その先師たちも
それを認めていたってことです。もうこれ以上、私が言うことはありません。
どうもランボーさんの発言って何事にも極論に過ぎるところがあるような
気がするのですが……ま、それもたまには必要ですけど。
21真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 00:17
前スレ983さん986さん
新興宗教のいう越三昧耶というのは難しいですね。
新興宗教をひとくくりに悪とみなすのは危険ですから。
まじめな教団もあるでしょうし、あるいは教祖は悪くないのだけれど、
組織が悪いというところもあるでしょう。
また教祖の中にはきちんと加行灌頂を済ました方もいるようですしねえ。
新興宗教の人間に法を授けた本山の人間が悪いといわれても、
人の将来がどのようになるかまで見極めるのは難しいです。
私は越三昧耶をすべて否定するという意見にはもちろん反対ですが、
これをむやみに強調して殊更に秘匿するというのにも反対なんです。
なぜなら強調しすぎると営利目的や権威主義に結びつきやすくなるからです。
やたらと伝授の料金を高くしたり、伝授を受けたことを鼻にかけるような人
(こういう人、実際多いです)が増えてしまいますから。
22真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 00:18
一畳弛緩院さん
やりましたねー。コテハンはいいですよ。
わたしは以前、けっこう無記名でレスしていたんですけど、
無記名だと責任がないので、かなり口調が悪くなってしまうんです。
それで、ずいぶん反省したところがあったのですが、
そのおかげで、私は呪縛の意味がちょっとわかったような気がしました。
名前ってのは結局は個性の固定化、自我の確定なんですよね。
仏教の教理でそのことは知っていたのですが、
2ちゃんねるで私はそれを実感しました。
23真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 00:24
前スレ997-1000さん
>>1坊さまじゃないよさん

前スレは回向文で終わり
新スレは開経偈で始まる、
なかなかいいですねー。
24名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/23 00:34
高度なやり取りの中、素朴な質問ですいませんが、
真言読誦中は目をつぶってはいけないと聞いた事があります。
私はよく信仰している寺院の本尊を遥拝する気持ちで、
目をつぶって本尊の姿を思い描くのですが、間違ってますか?

ちなみに勤行は御影札の前で行っています。
25名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/23 01:20
ノープロブレム
全く以て遅れ馳せ乍、新スレおめでとうございます。
>>16
普段なり、正月の初詣でお参りのお寺(浅草の観音様でも、成田の御不動様でも)
か何かありませんか? そういう有縁のお寺のご本尊の咒がよいかも。
北海師のカキコをご参照になって、近所でよいお寺を見つけられるのも善哉と。
(下に書きますが、御宗旨によっては真言陀羅尼を唱えない処もありますが)
あと毎朝、光明真言などをお唱えになるのも悪くないかと。

>>19 北海師
却って恐縮です。実際、簡単に説明のしづらい尊格、結構多いですよね。
(星供養関係の熾盛光仏頂、尊星王なんかも難しい・・・)
27一畳弛緩院:04/05/23 04:51
>>26
新スレ初のカキコなのに、うっかり。名なしになってしましました(涙)

>>21 真言坊主さま
> 新興宗教をひとくくりに悪とみなすのは危険ですから。
まじめなところもあるようですが、組織が大きくなるとどうも・・・
というか、激しく膨張する組織は問題がある場合多し。

> また教祖の中にはきちんと加行灌頂を済ました方もいるようですしねえ。
それを権威というか、衆生の無知につけ込んで、ひけらかしの道具にしている
怪しからん場合も。

> 私は越三昧耶をすべて否定するという意見にはもちろん反対ですが、
> これをむやみに強調して殊更に秘匿するというのにも反対なんです。
今更ですが、同感です。

>>22 (同じく)
なるほど。ちょっと照れますがね。↑のようなうっかりもあるし(汗)

>>24
大丈夫かと。半眼も難しいですし。
28一畳弛緩院:04/05/23 04:53
前スレ991(同・970さま)
> 密教批判の中で「釈尊は実際父母がいるけれど、大日如来には父母がいない
>(即ち、釈尊は実体のある仏だが大日如来はそうでない、故に久遠実成の釈尊に劣る)
有名な四箇格言にしてもそうですが、当時の日蓮(並びに彼の教団)の置かれた状況を
考えないと、真意が読めないような・・・オリジナリティを主張しないと埋没する訳で。
あと、これは印象ですが、日蓮の場合、厭世的な(少なくとも彼にはそう感じられた)
念仏系への批判が中心で(律や禅への批判もそこそこですが)、どうも、真言・天台
に向けた批判に切れ味が悪いような気がするのは・・・間違ってますかね?

> その割には日蓮の教義は多く密教のものを取り入れていると思うのですが。
同感です。お書きの想定もあながちあり得なくはないかと。
日蓮の言っていることは一種の原理主義ですが、彼自身は博学無比であった訳で。
当然、密教の儀軌の面白さ、世界観の巨大さを知っているし、修法の多彩さも知っていて
その「いいとこどり」をしたんでしょうかね。

原始法華経教団も、どうやら少数派で、迫害を受けていたフシがありますし。
そのあたりで、当時苦しんでいた日蓮が、さらに深く原始法華経・仏教に思いを馳せた、
というのは判りますが、排他的すぎるのは、ちょっと・・・

> 髭題目書いた笈摺着て受けに来た人見ました。あと念仏を大書した笈摺の人も。
> この人たち、自分所の教義気にならなかったんでしょうか…
そういうひと、結構いますね。
この前、目黒不動に伺ったときも、内陣に「南無妙法蓮華経」と大書きした笈摺を着て
題目を唱えている老女が・・・護摩の最中も題目三昧で、周囲の人、困惑(W
同じように、正月ですが、某台密系の天部奉安寺院での即時のご祈祷。導師の後で
唱題三昧を実践していた初老の男性が・・・
さらに。深夜の某寺(これも台密系)で、閉堂後の堂の前で、日蓮宗式の開経偈と
方便品、自我偈、神力品を繰り返し繰り返し上げている僧侶・・・
真宗系と日蓮系では、心経も真言もダメみたいですから仕方ないのかもしれませんが。
・・・
今日は諸々の支度で徹夜になってしまいました。
日曜は出突っ張りで忙しいぃぃ(涙)
29ランボー:04/05/23 06:47
>>18 出来うる限りそのように考えます。

>>16 後真言はいろいろな作法を伴って使うことが多く、もし語真言だけと言われるなら、自分の信じる尊の呪を繰り返
しあげるのも良いと思います。般若理趣経を一生懸命唱えるのも良いと思います。

>>20 まずはランボーさんへ、経典じたいに疑問を持たれちゃあ、 〜 そうですね。しかし私が遭遇する方々は今現在
途方も無く苦しんでおり、あの経典に書いてあるからどうの、この経典ではこういっているからいけないんだなんて、言
ってるひまが無く、則苦しみを修めてやら無くてはいけない状態が多いのです。
ペースメーカーの電池がもう直ぐ切れるのに、医者も居ず、時間も無く、医学を知らない人が誰も居ない病院で電池を
取り替える決心をする。医療免許がないから勉強して免許をとってからしたら、とうに電池切れで死んでしまう。
越三昧耶を議論している方々は、とりあえず自分はいま安全な環境に居て論議している。それは幸せな事です。
私にはそんな余裕は無い、目を離せば自殺するかもしれない、人を殺すかもしれない、放火をするかも知れない、
そんな緊急解決を要する時、使えるものは何でも使います。それを見て、かなりの僧階を受けているものが、越三昧耶
を問題にした。その時降りられた大日如来は、今使える手法があり、それで救う事が出来るのに、越三昧耶をふりかざ
して助けようとしない方が越三昧耶と云われました。古い経典よりも、今の大日如来をはいじめ、たくさんの尊のお話を
最優先に私は考えます。
30ランボー:04/05/23 07:10
私はかって仏教はお釈迦様がお開きになったと思っていましたが、違ってきました。それまでは、人が修行すると佛さん
になれ ると思っていました。大日如来と釈迦如来のお二人のある時のお話しを要約すると次のようになります。
 「今からおよそ二千五百年前、釈迦如来は大日如来の命を受けて、インドのシャカ王子として人間に生まれ、如来の
法力を一切使わず、人間の技量だけで、仏を認識する方法を見いだし、それを人間に広めるように。」と言う ものでした。結婚し、子供ができ、人は生・老・病・死の苦を観たり体験した後、人間ブッタのプログラムが開いた
そして使命を達成し霊界に戻ったのです。即ち人間が修行し悟りを得て釈迦如来となったのではなく、 シャカ王子にな
る前から釈迦如来だったのです。この事は以前書いた、大日如来の「相談者の先祖が仏であるならば、すでに成仏して
いるのであるから、供養の必要もないし、障りをおこすこともない。人間の霊は、仏でないのだから、そのような間違った
言葉を使わぬように。」というお言葉でもうなずけ、死んだら皆仏になるという のは大きな間違いと思える。
この事は私の今までの考えを大きく変えた。そして仏教を学者のように、難しく考えるのではなく、いかにしたら大勢の
人が救われるのか、簡潔な方法を見つけることだと考えるようになりました。そして試行錯誤をしています。
開眼した仏像の仏様は開眼した僧侶のところの仏様の分身である。そして、その僧侶が仏様を拝めば拝むほど、大き
な力をだしてくださる。
31ランボー:04/05/23 07:28
>>24 私はべつだん真言読誦中は目をつぶってはいけないとは思いません。
自分がそのような時は、半眼もおおいと思います。
眼を閉じる為に閉じるのではなく、自然に閉じてしまったというような、力まない姿がよろしいと思います。
簡単な質問でもご遠慮なく書き込んでください。
ここは、難しい学会ではありませんので。なんせ 2ch ですから。
>>16,26.29
みなさま、ありがとうございます。
観音さまにご縁を戴いているのと、
自分がいま大きな苦しみの中にあるので、
ダイヒシンダラニを読んでみようと思います。
光明真言はあまりフィットしませんでした...
理趣経や大般若経などはどこで手に入れれば
よいのかわかりません。すいません・・・

諸如来、諸菩薩、諸天の御真言も読むようにして
みようかなと思っています。

 ところで質問なんですが、御真言を唱えてから
対象の御仏にご縁を戴いた場合はやはりその御仏が祀られる
由緒あるお寺まで参拝するのが普通ですか・・・?
それとも遠くからでも感謝の気持ちを持つことが重要ですか?
33真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 12:41
>>29
なるほど、霊眼を具えているランボーさんならではのご意見ですね。
私はこのレスを読んで『白い巨塔』の財前教授を思い出しましたよ。
「死にかけている患者を見過ごせない。検査ばかりしているうちに死んでしまう」
ってやつです。ま、急務というのであれば、いたしかたないでしょう。
あとは、ランボーさんから法を受けた人たちが、慢心を起こして不当な修法や
利益を目的とした祈祷を行わないことを祈るしかないですね。
34真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 12:43
アゲちゃった。最近サゲ進行が主流ですか?
35名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/23 13:38
>32
仏様にあげるんだったら、般若心経が良いのでは?
36質問いたします。:04/05/23 17:36
諸天諸仏のご真言を書物などで拝見しますと真言には、大呪なら並びに心中呪など
と記載されていますが、この心中呪とは、声に出さず唱える真言の事(理趣経の梵字を唱える様に声を出さない)でしょうか?
それとも真理の中の真理の言葉と言う意味ですか?
37北海大将智:04/05/23 19:41
 32さんー有名ではなくとも観音様を祀っているお寺は少なくないと思います。
ご自宅で観音様を思い陀羅尼をおとなえするのも良いと思いますが、行ける時で
よいので観音様を祀っているお寺に参拝することで得られること(心を養うという意味
という意味で)多いと思うのです。
 36さんー真言には大きく三種あり大咒(根本咒・大心咒)。中咒(心咒)小咒
(心中心咒)があります。この場合の「心」は内証(各尊格の内なる悟り)
本誓(悟りを獲得する上での衆生救済への誓い)を表しています。
 『理趣経』格段の種字は格段の尊格を象徴したもので、とくに心真言といいます。
たしかこの心真言は法流によってとなえる派ととなえない派が在ったと思うのですが…
大伝法院流では「切々経」(通常でのとなえ方)「調聲」(二箇法要などの晴れの法要
でのとなえ方)ともに心真言はとなえません。
 昔、醍醐では心真言をとなえると聞いたような記憶があるのですが、諸師方ご存じ
ですか?汗
38ランボー:04/05/23 21:20
>>32理趣経や大般若経などはどこで手に入れれば よいのかわかりません。すいません・・・

他のレスに理趣経を書き込みましたら、下記のところに理趣経の音声も有ると教えてもらいました。
大般若経は????私は欲しいとは思いません。(また、苦情がくるかな?)
ttp://www1.plala.or.jp/eiji/sub3.htm
39真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 21:22
>>37
『栂尾祥雲遺稿集』(長谷宝秀講伝)にはこのような記述があります。

結印につき、中院流には十七段、段ごとに印を結び、
醍醐流には読経前にあらかじめ十七段各々の印を結び、
安流には読経前に十七段の総印を結ぶ。(中略)
次に、印は略すとも真言は略すべからず。
真言はこの経の肝心なる故なり。顕わには唱えずとも
密かには必ず唱うべきなり。しかるに、平生真言を
唱えざるははなはだ非なり。頼瑜師の『真俗雑記』に
「近来『理趣経』読誦のとき、一字の真言をも誦せず。
大なる誤りなり。すでにその名を唱えて真言を誦せず」等と言えり。
頼瑜師の頃にもすでにこのことありと見えたり。
ただし大声に唱うるも宜しからず。長く声を止め、
久しく次の頭を出さざるも宜しからず。
心中にこれを唱うべきなり。

たしかに、私が理趣経の読経を習ったときは
心中にて真言を唱うべしと教わりました。
しかし、ついつい唱え忘れてしまって、
今ではすっかり唱えなくなってしまっています。
これからは気をつけて、なるべく唱えるよう
心懸けようと思います。
40真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 21:36
>>32
『大般若経』は理趣分(理趣経の異本)の部分だけなら、
大手の仏具屋さんなら売ってると思いますよ。
ちなみに、お経本にこだわらないのでしたら、
六百巻すべてが
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/downpage/v05-08.html
でダウンロードできますよ。

>>38
またまたランボーさん、そんなすれたことを言って。
般若経に敏感な霊が出てきたらどうするんですか(笑)
いらない、なんて言わなくたっていいでしょ!
玄奘さんが泣きまっせ。
41ランボー:04/05/23 22:08
>>40
フフフ 玄奘さん泣かないよ。私の考えが分っているから。
あれー どうして玄奘さんとコンタクトとったの知ってんの?
42眞海:04/05/23 22:15
>>37北海さん。

基本的にお唱えしますよ。省かれる方も居られるようですけどね。

>>39真言坊主さん。

おっしゃる通りです。醍醐にも頼瑜記なるものが伝えられて居ます。

43北海大将智:04/05/23 22:31
39真言坊主師 たしかに、私が理趣経の読経を習ったときは
心中にて真言を唱うべしと教わりました。
 
 私は口でとなえずに心にその種字を想うようにならった記憶があります。
若い頃はよく分からなかったのですが「心中にてとなえる」ということ
だったんでしょうね。
醍醐、中院では格段の印結ぶんですか、なるほどなるほど。
口ではっきり心真言をとなえる所はないようですね。勉強になります。
44真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 22:35
>>41
あちゃっ!そうくるとは!
ところで、ランボーさん。
理趣経スレで印言は結誦しなくても効果がある、
ってなこと言われてたと思うんですけど、
ランボーさんご自身としては、どうなんですか?
印言は結誦してもしなくても浄霊などには変わりないですか?
あと、理趣法を修するのと理趣経を読経するのとでは、
その霊験としての効果に大きな違いのようなものはありますか?
こういったことはランボーさんにしか聞けませんから。
45北海大将智:04/05/23 22:39
 42 眞海師おひさしぶりです。基本的に声に出してとなえるんですか。
たしか眞海師、醍醐でしたね。
 四度加行のとき素読で『理趣経』読む時は心真言はっきりとなえましたが
それ以降はないですね。真言坊主師いわれるように忘れがちなので微声でとなえる
ようにしようかな。
46真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 22:40
>>42
たしか……頼瑜って憲深から受法してましたよね?
頼瑜記ですか。これは頼瑜の口決か何かなんですか?
はじめて聞きました。
47真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/23 22:43
>>43
いや〜ホントは結印しなきゃあならんのでしょうけど、
ほとんどの人はしてないみたいです。
している人を私は見たことがないですね。
48眞海:04/05/23 23:01
>>45北海さん。挨拶送れました。
真言坊主さんが言っていた様に読経前に微音にて唱ふべし、と習いましたが…
 
>>46真言坊主さん。
そうです。頼瑜僧正は憲深僧正からの伝授です。ちなみに覚鑁さんが求聞持を
成満する切っ掛けになったのも醍醐での受法だった様ですね。
頼瑜記は口決です。
49ランボー:04/05/23 23:10
>>44
ヤーヤー、日曜洋画劇場「ソルジャー」見て、M16カービンでコーラの缶を飛ばしていたのをおもいだしながらいたら
書き込みに私の名が出てきたので。自分的にはその改造型の銃でM4が好きなんですが。
印言は結誦しなくても効果があるよ。十分にね。数学的にはそれ以上は無いのだから、充分とも言えるのかな?
理趣法を修するのと理趣経を読経するのとでは使い道を区別しています。
理趣法は祈願に、理趣経は供養に。ともに効果絶大です。
出来るだけ簡単に修するのが好きです。心に余裕が出来るからです。
余裕が出来たら何故良いのかは、ご自分でお考え下さい。
50北海大将智:04/05/23 23:40
 48 眞海師 頼瑜僧正、新義真言宗の教学の大成者ですが法脈的には
三憲になるんですか。前から疑問に思っていたんですが謎が一つ解けました。
51お経好き:04/05/23 23:50
>ランボー様

>>14で、質問をして>>15でランボー師にお答えをいだたいた者です。
お答えありがとうございました。

ただ、>>15での回答がよくわからなかったので(汗)、ちょっと補足をお願いします。

>生きているその場に居る人の体を借りて眠りを味わおうとします。その体を借りら
>れた人が眠くなるのです。
>回数を重ねる事により、読経の功徳が上がってきたと考えることができ、なんらか
>の証と言う事については分りません。

とのことですが、要するに、「私が大般若理趣分経を100回上げた功徳が上がっ
てきて、未浄化の霊が私の身体から浮き上がってきた」の意味でしょうか?
どうも、意味がよくわからないので、補足をお願いします・・・。

52お経好き:04/05/23 23:58
ついでに、もう一つ質問させてください。

これは、まだお経とかを読み始める前のことなんですが、ある日、道を歩いて
いると、突然、額の中心が渦をまき、回転をはじめたような感じを受け
始めました。
その感じは、一日くらい続き、やがておさまりました。

そのときは、「おでこのチャクラ?か何かが開いたのか?」と、思いま
したが、特に超能力(霊能力)は付きませんでした。
これはどう考えればいいでしょうか?

なお、そのとき、別に、霊能力を付けるとか超能力をつけようとするよう
な行動、修行はいっさいしておりませんでしたし、今もしておりません。
読経をし、神社や仏閣に参拝するだけです。
53名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/24 01:53
>霊能力を付けるとか超能力をつけようとするような行動、修行はいっさいしておりませんでしたし、今もしておりません。
本当にそうかなぁ。お経好きさんは、それを望んでる様なカキコですよ。なんのためにお経をお唱えしてらしゃるのですか?
余りにも片寄り過ぎな思いがある様な気がする。ランボーさんもなんらかの証と言う事については分りませんと答えてらしゃる。
そんな事を気にしないで日々の勤行を行なえばいいのでわ。
超象現象はあるとは思うけど、なんでもかんでも超象現象にし過ぎ。
そう云う思いは、要注意がいると思うよ。
54名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/24 02:02
そもそも神秘行は良くないんでしょうか?

私は普通にある尊に勤行し、同時にチャクラ開発(性エネルギー昇華)
とアストラル・トリップの練習をしています。
自身の能力そのものも高めたいというだけのことなのですが・・・。
55名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/24 02:31
>神秘行は良くないんでしょうか?
神秘行と云う言葉が適切かどうか解らないが、自己の能力を高めたいと
云う気持ちは、解らないではないが、それには師がいる様に思う。
そのところが根本的にここで話題になりがちな伝授や越法の罪に辿り着くの
では、ないのかなぁ〜。だって自己で、その神秘体験を正しい体験か確かめられないし
もし間違ってる体験をしてもそれは、実践で得た事だから正しいと思い込むだろうからそう云う意味に
於いては、あぶなかしいと思う。
>>55に同意
57名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/24 03:38
お経好きさん、
>100回読みますから、その時点で何らかの証をみせてください
これて霊能力を付けるとか超能力をつけようとするような行動、修行じゃないの?
58ランボー:04/05/24 10:31
>>51
私が行った読経の功徳については、ごく単純な意味合いです。貴方が熱心に読経していることによるその経の功徳が
貴方に憑依していた霊にまで及んだという事もあるでしょうし、まれに憑依していた霊も貴方の姿をみて霊自信も経を
覗き込んで一緒に読経することがあります。仏様はそういった霊に功徳を与える事をしますから、憑依されている者は
軽くなるのを感じるのです。
貴方が言うなんらかの証というのは、貴方が望んでいる結果のことかもしれませんが、具体性の有る祈願では無いよう
に文面からとれます。私が(一般的にそうだと思いますが)行に入る時に、最初に表白で対象となる尊にたいして、これ
これのお参りを何座します。つきましては、このことにつきまして祈願いたしますのでかなえてください。というお願いをし
て始まります。もちろん、お参りの時間も厳守、途中下車はたとえ病気になっても、親が死んでも許されません。
そういう厳しい事をするから仏様はおききとどけ下さると思います。安易にできることでは、祈願の内容にもよりますが
どの程度聞いてくださるかわかりません。
貴方がしている行動や心のもちかたは、何方かが指摘しているように、超能力を目標にしていると言う事は、貴方の
認識が有る無しにかかわらず、言えることと思われます。一般的に超能力は霊視などを主に指すようですが、その
部分だけが伸びる事は非常に危険をともないます。それゆえ、越三昧耶などがとりざたされる故ともなるのでは。
責任は自分にきます。自分の包丁で自分の手を切る板前にならないようにご注意ください。
59真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/24 10:43
>>49
おもしろいですね。理趣法は祈願に、理趣経は供養に、ですか。
理趣法というのは理趣経の印明をもとに作られたお次第ですから、
その印明の効果といえますね。一方、理趣経の印明を除く
経文それじたいが供養に効果があるということになりますね。
理趣経には同系列の異本がいくつかあるのですが、その中には
印明ともにないもの、真言のみあるもの、などがあります。
玄奘訳の『大般若経』理趣分なんかは印明ともにない古い形態です。
ということは、『理趣分』も供養に効果があるということはないですか?

ところで、こんなことを私が質問するわけですが……
私は霊は見たことがありませんし、その存在じたいも信じていません。
でも、霊が見える、感じる、という人も多いので、そういった人たちの
感覚・経験も重視したいと考えています。
要するに、理趣経の読経には何らかの効果があるものとは思うのですが、
私はそれを確認することができないんですよ。そこで、
その道のプロフェッショナルであるランボーさんがどう思われているのか、
いささか興味本位ながらおたずねしたというわけです。
決してからかっているわけではありませんから、
あくまでも私個人の向学心・探求心のあらわれとみて、ご勘弁を。
ちなみに、仏教学という学問的観点からすると、
ランボーさんの意見は認められませんが、
真言法のなかに現世利益が説かれている以上、
加持力の効果という問題とは切れないものと思われます。
この点を知るためには、ランボーさんのような方の意見は参考になると思います。
ランボーさんがこのスレに居ていただきたいと私がいうのは、
全くそのためなんです。ですから、他の諸師のみなさんとは
意見が異なるでしょうけど、これからもぜひ仲良くしてください。
60真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/24 10:49
>>59のレスを入れたあとに
ランボーさんの>>58が入っていたのを知りました。
越三昧耶に対してこれまで否定的であったランボーさんが
肯定的に言われているところがあったので、
正直うれしかったです。
61ランボー:04/05/24 10:50
>>52
そういう事は、チャクラが動いていると考えられますが、そう簡単に希望通りにチャクラが変化しないので危険なのです。
それを気にしている貴方の行動が、霊能力を付けるとか超能力をつけようとするような行動となってしまうのです。
そして、その心にその霊感を察知した悪霊がささりこんでくるのです。
自分で払える力が無い状態で霊感だけが伸びる事は、かっての霊能力者も苦しんでいたように、死ぬまで苦しみを
味わう事となるので、かなりの覚悟が必要となります。
それを乗り越えれるのであれば、越三昧耶もよいと思います。
ちなみに、自分は乗り越えましたが、その過程はも安易に出来るものではない事をお伝えしておきます。
自分の法力を自覚するにいたってからも修行は続けています。足ふみしていると、悪いやつらに襲われるからです。
来年は6回目の虚空蔵菩薩求聞持法に入ります。冥府魔道を行く修行僧には休む事は許されません。寿命があれば
85歳まで虚空蔵菩薩求聞持法を続けることになるのです。自分の生き方をよくお考えください。
62ランボー:04/05/24 11:42
>>60
またまた うまいですね。
今日は安息日にしましたので、日中書き込みしています。
『理趣分』も供養に効果があるということを試していませんが、予測としては効果あると思います。
基本的に自分は自分の体で試し感じた結果を中心に話ししていますので、断定は出来ず、思うと言う表現でご勘弁
ください。
耳を動かせれなぃ人に、人間の耳は動かせると言っても信じられないのと似ているかもね。ただ耳に関しては、EH
エリックさんができますので、その姿を見たら納得できますが、霊視については今の浅薄な科学力では証明出来ない
ので、なかなか納得してもらうのに苦労を感じます。
証明出来なくて平和なのかもしれません。なぜなら、それが出来る次元では、法力も数値化できるはずで、功徳の無い
供養をしている僧侶は、お布施を頂けなくなるかもしれませんね。
病院の有り様も大きく変るでしょうし。
63ランボー:04/05/24 11:56
>>59
思いつきですが、理趣経の読経には何らかの効果があるものとは思うのですが、 私はそれを確認することができない
との確認のしかたの一例としてですが、もし理趣経を使う供養の時、霊感のある檀家さんの場合、終わってから体が
軽くなったとか、途中眠くてどうしょうもなかったとか、供養が終わった後のご家族の顔の相が良くなっていたり、明るく
振舞うようであれば、効果があったと言えるのではないでしょうか。
私のところでは、月参りにも理趣経を使っています。効果があれば自分も楽だからです。
夫婦でその家が成り立っているので、両家の先祖代々や水子も一緒に供養しています。
弘法大師は世界一の祈祷者と考えています。言いたい事をお察しください。
64会奉行:04/05/24 14:34
前スレもう陥落してますね。
ところで新スレはsage信仰ですか?
大般若の理趣分(第578巻)は昔、京都の清水寺にお参りした時、門前の仏具屋さんで買いました。
経本は実家に置いてあるので今は手元にありませんが、経本を開くと先ず十六善神の絵があります。
版木で印刷したもので最後に元号と発願者と思われる沙門慈海の名があったと思います。
そういえば、理趣分の経本を使って加持する「理趣分転読加持法」という法もありますね。
65名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/24 15:44
初歩的な質問をします。
願いを持って真言を唱えてる時は、一真言事に願いを思いながら唱えた方が良いのでしょうか?
それとも願いをかけてる尊のお姿(叉は、梵字)を浮かべた方が、良いのでしょうか?
66素良:04/05/24 17:05
初めて書かしてもらいます。あまり霊的さわりがなく、自分の穢れ罪をとり、潜在意識、心をきれいにし、功徳、開運につながる、真言、お経はないですか?
ただいま、マンション5Fに住んでいますが、何かでこの高さはちょうど、霊の通り道だと聞きましたが、危険はありますか?
67ランボー:04/05/24 17:54
>>65
私は、始めに祈願事項を述べて、願いをかけてる尊のお姿を感じ取るようにしてお参りします。そうすることにより、
尊との心の交流がしやすいからです。心が伝わらなくては祈願を叶えてもらえないからと考えます。

>>66
私はかって般若心経を写経しました。500巻くらいです。自分がなじめる真言やお経が良いように思います。
上記と同じ理由からですが、馴れているほうが心を運びやすいからです。
霊の通リ道は特に通りやすい空間があるようで、個別の地域であると聞いたことがありますが、5階がその高さかどうか
分りません。もし、そうだとしても引越しできるかどうかが問題です。出来ないのであれば、考えて霊に心を向けるより、
考えないようにするのが私流です。

祈願については、色々なやりかたが有ると思いますので、諸師の意見を幅広く聞いて、無理しないで自分に出来る
方法を選択するのも良いと思います。
68真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/24 19:05
>>60-61
そうですか。玄奘訳は試されたことないですか。
律の大家である道宣は、夢枕に韋駄天が立って、
玄奘は兜率天で弥勒より法を受けているから
翻訳が上手いのだ、と告げられたという話が
確か『慈恩伝』にあったと思います。もしかすると
ランボーさんなら玄奘訳を使うと感応するかもしれませんよ。
漢文の文章という点からいいますと、私の主観にすぎないのですが、
不空の訳って、ちょっとスッキリしすぎているような感じがあります。
それにくらべて、菩提流志という人の『実相般若経』というのがあって、
もちろんこれも『理趣経』の異本なんですが、
これはけっこうエキゾチックで呪術的な雰囲気がプンプンしています。
読んだときの単なる印象にすぎないんですけど。ですから、
私からすると、『理趣経』(不空訳)の読経に効果絶大と聞いて、
ちょっと、ピンとこなかったんです。

あと、私の親父なんかは、供養には『理趣経』よりも
『観音経』のほうがいい、『理趣経』は難しすぎる、
なんて勝手なことを言ってますね。
もちろん親父には霊能力なんてないのですが、
経験上そういう感覚があるようです。
69真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/24 19:14
>>64
大般若経は功徳甚大といいますよね。
経本を使ったお加持や、経箱の下をくぐって功徳を得る方法、
あるいは法要の間に堂舎を経行する方法なんかもあります。
そういえば、むかし高野山大学におられた某先生が、
魔には般若経系のものがよく効く、なんて言われてました。
>>38,40
理趣経のHPはすごく勉強になります。
後半になるとやっぱりスピードが極端に上がるのが
ちょっとアレな感じですが・・・・・・・・(´・ω・`)
仏具屋さんに行ってあさくってみます。

>弘法大師
自分は八幡様とお大師様に思いっきり悪想念をぶつけたから
嫌われてるかもしれません・・・・・・・・・・・いまは少しずつ反省できるようになってきましたが・・・・・


71素良:04/05/24 19:21
ランボーさん、さそっくのお返事ありがとうございます。写経をためしてみます。
72ランボー:04/05/24 19:31
>>68
色々とご教授有難うございます。
最近すこしマジな書き込みをしているので、反省しています。
悪役がいないと、話が盛り上がりませんので。
包丁も日本料理に適したのから、刺身や、中華料理など用に多種あるのを自分がどれを選択するか、どれが手に馴染
むか、ある意味無意識で選択することがあると思いますが、自分は無意識というか多分波動的なものだと思うのですが
今の方法を選択していました。
理趣経を使うようになったのは、はじめ般若心経と観音経偈を使って1年試したのですが、その後理趣経を使ってみた
ら、効果が目に見えて(霊界の現象ですから、表現が的確ではありませんが)上がってきたように感じたので理趣経を
使っています。普通の月参りは3段〜100字偈です。
観音経については扱いやすいのかもしれませんね。
73ランボー:04/05/24 19:39
>>71
写経は、一文字書いたら手を合わせるとか、作法が色々あるようですが、自分が宗教的に初歩の頃、単に書いただけ
で心がすっきりして吹ききれました。目的にもよるでしょうが、私はとにかく何でも簡単にしてお参りしています。
その、良し悪しは比較していないので分りません。
これからも、ご精進を。
憑依状態の時、憑依された人に向かって慈救呪や倶利加羅明王呪をあげながら大般転読の風を送ります。
そこまでしなきゃいけないのは、よほどの悪霊の時
はじめまして。書き込みから憑依されているとかはわかりますか?
以前そのように言われた事があります。
しばらくお寺に足を運んだりして落ち着いたように思えましたが、
今日は家から色々な音が聞こえて不安になっています。
こんばんは、
スレ全体いい感じで進んでいるようで吉祥です。
諸師方のこのままのご意見の交流が続きますように。

それで理趣ですが、家が真言宗でないのであまり触れることは無かったのですが
よい感じの効果がありそうですね。
ランボーさんの紹介のサイト見させていただきましたが、やはり経典をそのまま音読みで読んでしまいますね。(難しい)

>>69
真言坊主さま
能などの般若(もののけ)も般若経の読経を聞き「おそろしや般若経」といったところから般若と言われるようになったそうです。
それだけ効果があるということらしいです。
>>75です
すみません、スレ違いでした。
すぐに訂正の書き込みをしようと思ったのですが、何故か繋がらなくなり
遅くなってしまいました。すみませんでした。
78会奉行:04/05/25 00:25
>>69 真言坊主師
へ〜。経箱をくぐるのもあるんですか。
某先生はN野先生ですか w
794→2住心:04/05/25 01:13
質問です。
 ・法華経は、観自在菩薩を様々な角度から
  物語にしているのでしょうか?というか如来じゃないかと思いますが。

 ・孔雀明王のお経が欲しいのですが、手に入りませんでしょうか?

 ・また、孔雀明王の御真言を教えて下さい。
80お経好き:04/05/25 08:17
>ランボー様

質問のお答えありがとうございました。

ただ、いくつか、師も誤解をしておられるようなので、弁解?をしておくと、
私の読経の目的というのは、超能力・霊能力の取得などではなく、あくまで
も現実的な問題の対処・・・具体的には、現代医学では治療不可能な病気治
しや、家族の問題などの解決などにあり、それらは、読経を始める前に前置
き?してあります。こういうことは、特にネット上で書く必要のあることで
はないので・・・というか、何か書くと恥ずかしかった・・(w・・ため書
かなかったにすぎません。
(ちなみに、読経をはじめて以降、幸いこれらの問題は、多少なりとも解決
の方向に向かっています。)

このような目的での読経も「越三昧耶」になるのでしょうか?

そして、例えば大般若理趣分経100回読んだ時点で見せて欲しいと頼んだ
「証し」とは、とにかくお経そのものに、事態を解決する力があることを見
せてくれるなら、どんなささいなことでも良かったのですよ。
(例えば、音沙汰がなかった人から連絡が来る、とか・・・)そんなに大き
なものを望んではいませんでした。

それから、チャクラの回転の体験のことですが、これは、明記しておいたよ
うに、あくまでも読経を始める前に体験したものです。師は、こういう方面
にお詳しいようなので、質問させていただいただけです。

その点、誤解なきように、お願いします。

では。
81ランボー:04/05/25 09:11
>>75
憑依する霊に対しての対処法の一つに、それらを無視するという方法があります。
一つ一つ反応すると、霊の方でも面白くなって段々過激になります。
この人に悪戯しても面白くないと思わせることです。
部屋の隅々まで掃除機をかけて下さい。特に物陰は丁寧に。
掃除機の音は霊がいやがります。霊は物陰や部屋の隅に潜んでいる性質があります。
無視し続けることは、結構効きますよ。やるほうの忍耐もいりますが。音にもそうですよ。
>>77
スレ違いと言う事はありませんよ。そのために、真言や経の功徳を使って解決しようとするのですから。
経は11時から大元帥明王の縁日ですから、大元帥明王の調伏護摩を焚きます。その前に2chを。
82ランボー:04/05/25 09:19
>>80
そうですか。それはお困りの事ですね。
無心に仏の子になるよう、読経するのも手ですよ。たとえば、理趣経の入れ句のところに、

大日如来増法楽 一切諸尊増法楽
別(わい)ては 無病息災 家内浄化

と入れるのもよいですよ。
体に起きる超常現象からは、しばらく心を離しましょう。法力が芽生えてバランスがとれるまで。
83真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/25 10:05
>>76
その般若のはなしは何という題名なんですか?
興味があるので、もうちょっと詳細を教えていただけませんか?
84真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/25 10:26
>>80
横レス失礼します。
ランボーさんは越三昧耶を説明するのはちょっと憚られると
推察しましたので、かわりに私が代打に立ちます。
越三昧耶というのは伝授(師匠とマンツーマンでの教授)を受けないままで
密教の修法を行うこと、あるいは伝法灌頂という儀式を受けていない人に
密教の修法を教授することをいいます。
この密教の修法というのは、
印を結んだり真言を唱えたりすることによって
仏さんと感応する修行方法のことで、
たとえば護摩なんかもそれに該当します。
したがって、読経は越三昧耶に該当しません。
問題となるのは、印を結んだり、真言を唱えたりするばあいです。
ただし真言に関しては、よっぽどのものじゃないかぎり、
たいていのものは唱えてもOKだと思います。
なんだかヤバそうだなあ、聞いたことがないなあ、と思う神仏の真言は
「鬼神は敬してこれを遠ざく」「君子危うきに近寄らず」の態度で、
避けておくのが賢明でしょう。

85名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/25 10:38
こんにちは、ここの板はとても参考になります
詳しい方が多くいらっしゃるので、スレ違いかもしれませんが、お答えいただくとうれしく思います
縁日についてですが、宇賀弁財天の縁日ってあるのでしょうか?
巳の日とも言われますが、不動明王が28日のように決まった日があるのでしょうか
良ければ、宇賀弁財天と、愛染明王、そして、あまり聞かないのですが30日が縁日のご神仏はあるのでしょうか?
>>ランボーさま
>>75です
レスいただきありがとうございます。
無視するにはまだまだ未熟で毎日びくびくしてしまいますが、
少しでも早く慣れるよう頑張ります。
掃除機のお話は始めて伺いました。どのような真言を唱えるより
私には一番向いているかも知れません。
このようなご意見を伺うことができて本当に良かったと思います。
ご親切にありがとうございました。
真言坊主さま
>>83の質問ですが「葵の上」です。

 般若(はんにゃ)
 【般若は経(きょう)の名にして苦海をわたる慈航とす。
 しかるにねめたる女の鬼となりし般若面といふ事は、葵の上の謡(うたひ)に、
 六条のみやす所の音量行者の経を読誦(どくじゅ)するをきゝて、 「あらお
 そろしのはんにゃの声や」といへるより転じて、かくは称せしにや。】

 http://omt.sub.jp/yokai/emotion03.php より転載

といったところかららしいです。
私が知っているのこの説なのですが、

 そう思った能面師は、自分の名前を「般若」・・・つまり、「仏の智慧」と名乗
 って、更に、能面作りに励んだそうです。
  そうしたところ、努力の甲斐あってか、あれほど、苦しんでいた限界を超えて
 しまったのです。
 そして、今までになかったような、すばらしい、能面を作れるようになったので
 す。
 特に、その中でも、「鬼」の面は、彼の右に出る者がいないほどの、最高の傑作
 だったということです。
 やがて、何時しか、その話題が世間に広まり、「般若坊の作る{鬼}の能面はす
 ばらしい・・・。」との評判になったのです。

 http://www.medato-yo.com/hannya3.html

という説もあるそうで、二説に分かれています。
どちらかといえば、私が聞いた説の方が整合性があるように思えますが。。
88一畳弛緩院:04/05/26 10:00
繁忙+鯖堕ちで、亀レス恐縮です。既に皆様がお答えになったあとの蛇足。
(その1)
>>32 
> 観音さまにご縁を
ならば、日頃お参りのお寺なり、そこで御姿を頂くなりしても結構かと。
> ダイヒシンダラニを読んでみようと思います。
大悲心陀羅尼、悪くないかと思います。
要は千手千眼の大咒ですから、しんどいときは千手の小咒
(オンバサラダラマキリ)でも結構かと。

> 理趣経
単発の経本もありますし、真言宗系の勤行本には載っている場合が多いかと。
手許の「真言宗常用経典」(高野山専修学院の)には当然全文、
深川不動の勤行儀には初段と百字偈、流通分が載っていますね。
> 大般若経
全六百巻を本で揃えると大変なので、それはお止めになった方が(爆)
理趣分(巻五百七十八)だけなら一冊ですが。
ただ、素で読むにせよなかなか骨が折れますよ。勝手もわからず辿々しく
理趣分を読むよりは、心経を丁寧に数巻上げる方がいいかも知れませんよ。
あと、上二点の経本、>>40で真言坊主さんご指摘の通りで、
大きめの仏具屋に行くとあると思います。

> 諸如来、諸菩薩、諸天の御真言も読むようにして
> みようかなと思っています。
大変結構かと。
> その御仏が祀られる由緒あるお寺まで参拝するのが普通ですか・・・?
> それとも遠くからでも感謝の気持ちを持つことが重要ですか?
御姿・御像をお守りする場合もそうですが、できるだけ、信心なさっている
御仏様の奉安寺院(特に、御姿・御像を頂いたり、開眼して頂いた寺院)には
まめにお参りになるのが結構かと。(>>37の前段の通りです)
89一畳弛緩院:04/05/26 10:01
(その2)
>>35
無難な線だと思います。あとは普門品かな?
>>36
>>37で北海師が説かれていますが、心中心咒=無音ということではありませぬ。

>>39 他、理趣経関係
勉強になります。
やはり大般若理趣分が専らで。「降伏一切大魔最勝成就(バシ)」という塩梅。
(ランボーさんにいわせると喰い足らないのかもしれませんが(汗))
>>69 
> 経箱の下をくぐって功徳を得る方法
>>78 の会奉行さんもお書きですが、私的にも「16へぇ」ですね。 >>65
> 願いを持って真言を唱えてる時は、一真言事に願いを思いながら
ちゃんと勤行儀に従っておつとめをするのであれば、読経や
天部の場合、三昧耶戒真言のあとに願文(本職の場合、法則というか表白)
(お願いごと奏上と云った方わかりやすいか)が入る場合が多いので、
そこでしっかりお願い事をし、心中の有象無象をしっかり吐きだしてしまい、
後の読経、諸真言は無心で、というのがいいかと。

> 願いをかけてる尊のお姿(叉は、梵字)を浮かべた方が
はて、どうしたものでしょうか。
月輪に種字を想うくらいならいいのでしょうか?
(三昧耶形は拙いか?)
諸師のご意見拝聴。

>>73 (ランボー師に)
> 写経は、一文字書いたら手を合わせるとか、作法が色々あるようですが、
> 自分が宗教的に初歩の頃、単に書いただけで心がすっきりして吹ききれました。
拙者は霊覚に乏しいのでお伺いしますが、しかるべき道場で、しかるべき作法に
則ってやらないと、未成仏の霊が供養を求めて依ってくる、とも聞きましたが、
どうなんでしょう?
90一畳弛緩院:04/05/26 10:03
もひとつ。
>>79
> 法華経
の主人公は、基本的には釈尊でしょう。方便品などの迹門では一乗の教えを、
寿量品以下の本門では、久遠の釈迦を説くという感じで。諸菩薩の功徳は、
本門の後半の流通分で説いています。

> 孔雀明王のお経が欲しいのですが、手に入りませんでしょうか?
孔雀経ですか。大蔵経やデータの在処はまだしも、ピンの経本は・・・
手許の真言諸経集にも陀羅尼と偈しか載ってませんね。
> 孔雀明王の御真言
一般的には オン マユラギ ランテイ ソワカ(二句目:マユラキとも) です。

>>85
> 宇賀弁財天の縁日
宇賀神弁天に限りませんが、弁才天の縁日としては
有名な己巳の日、三日のうち一日と十五日、
あと、最勝王経では旧暦の二十四・二十六日でsるとのこと。

> 愛染明王
二十六日だそうです。

> 30日が縁日のご神仏はあるのでしょうか?
特定の尊は、ちょっと思い浮かびませんが、
月の三日(さんじつ)のうちですから、お参りになって佳いかとも。
91一畳弛緩院:04/05/26 10:05
>>89 改行のミス
--------------------------------
(略)・・・「16へぇ」ですね。

>>65
> 願いを持って真言を唱えてる時は、一真言事に願いを思いながら
ちゃんと勤行儀に従っておつとめをするのであれば・・・(略)
--------------------------------
です。不悪御寛恕。
92一畳弛緩院:04/05/26 10:16
>>91 の訂正を書いていて、欠けているところ発見(とほほ)
>>65
> 願いを持って真言を唱えてる時は、一真言事に願いを思いながら
ですが、天部の場合について書いたものの(>>89)、一般的な場合について書き忘れてました。
様々ご意見はあろうかと思いますが、極簡単に組み立てれば、
三礼などご挨拶のあと、しっかりお願い事をし、開経偈→読経・諸真言。
回向文などを読んで、また簡単に「宜しくお願いします」と最後のご挨拶。
という感じでは如何でしょう。
(要は、読経・咒のときは、さっぱりした気持ちで、という)
93ランボー:04/05/26 12:40
>>85
30日が縁日の仏様ですが、いわれはわかりませんが、釈迦如来がそうだと思います。

>>89
未成仏の霊が供養を求めて依ってくるのは、個人的にやろうが道場でやろうが来る者は来ます。
それは確実でもなく不確実でもないのです。霊の気持ちに拠るものだからです。
そういう霊が道場で寄ってきた時、そこの指導者がどれだけ守れるか、それを考えた時、何処でしても(墓場等でする人はいないでしょうが、
普通は自宅でしょう)同じようなものと私は考えます。
94一畳弛緩院:04/05/26 15:27
>>93 ランボーさま
釈尊、三十日でしたか。八日(あるいは八関係)だけだと思ってました。
あと、写経の件。究極にはそうなんでしょうが・・・
予防線を張ってからやるのか(作法に則る、道場を選ぶというのはそういう意味で)、
無防備でやるのか、という違いも、結局の処「大差ない」ということなんですかね?
95名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/26 15:40
一畳弛緩院 様 ランボー様
縁日のお答え頂き有難うございました
感謝いたします
96真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 16:32
>>87
ありがとうございます!
前から不思議に思ってたんですよ。
なんで般若の智慧が鬼になるのかなあって。
二説あげられていますが、おっしゃるとおり
前者のほうがソースがしっかりしている分、
説得力がありますね。
しかし……「人の恨みを受けて辛さに泣くことはあっても、
あなたは生きてこの世にある限り、光の君と契るのでしょう。
それに比べ、私は夢の中でさえ光の君と契ることは出来なくなってしまった」
このセリフは怖い!
97真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 16:40
>>85
宇賀弁財天の縁日は13日だそうですよ。
●●密教 修験 道教 陰陽道 呪術 Part2?●●
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1082834697/
↑このスレに書かれてました。
ここの住人の麻さんという方は、越三昧耶にどっぷりつかった、
ちょっとかわってるおもしろい女性(おそらく越三昧耶なんか
毛ほどもおそれていないツワモノ)ですが、
宇賀弁天さんを信仰されてるそうで、
この手のことはかなりくわしそうです。
いろいろおたずねになってみてはいかがですか?
98ランボー:04/05/26 16:57
>>94 来客だったので、はしょって説明してしまいました。ごめんなさい。
予防線をはってするという事について、自分の考えを述べます。先ず、自分の先祖がきちんと供養し
ておくということ。これは形だけではだめです。法力の有る者(僧侶でも法力を持っている人はまれと
おもわれます)による理趣経による供養(効率が理趣経を使うと良い)をしてあり、月参りも続けている
状態。法力のある導師による、写経者の除霊と結界、それらがきちんとなされて、はじめて予防線と
認識しています。この条件を満たす事が困難と思われますので、どちらも同じといいました。
私の場合、そのような師にめぐり合えませんでしたので、自分がその力を得る修行をするしかないと
考え、在家のまま修行の道を歩み始めました。自分の師は巷に氾濫している密教の本です。
必然的に諸師の言う越三昧耶になるのでしょうが、私の場合越三昧耶と思われる現象に一度もあい
ませんでした。また、そう言われるような事を私と縁のある人にしてもらっても、良くなる事のみで、悪
くなる事はありませんでした。越三昧耶を問題にしている諸師は何かの事例があり、ご自分の目で
確かめたのならうなずけます。しかし、このレスではそのような書き込みをされた方はないようです。
経文や先師の言ったことを例に言われているように私には感じます。
自分的には、いつ死んでも満足な人生だったと思います。暖かい仏様方の御心にふれ、ご指導いた
だき、励まされ、自分の目を治していただく為に虚空蔵菩薩が自分の目を犠牲にして助けてくれまし
た。その後大日如来のお力で虚空蔵菩薩の目はもとの様になりましたが、身に余る慈悲のなかで、
人生を送らせていただきました。家族や私を頼ってこられる方々の事が気になるだけです。
99一畳弛緩院:04/05/26 17:06
>>96 真言坊主様
宇賀神弁天の御縁日情報、勉強になります。
手許資料には宇賀神弁天について分けて論じてなかったので。

「般若の面」ですが、拙者が聞いたのは「般若坊」の方の話でした・・・
六条御息所の話(>>87 坊さまじゃないよ様)、これも勉強になりました。
生霊というもの、実際にあるような話を某所で聞いたことがありますが、
惚れた腫れたの恨みというのは、実際物凄い・・・・・
100真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 17:09
ところで、縁日についてなんですが……
何日はどこそこの仏さんの日だ、なんてのは
いったいだれが決めたんでしょう?
『故事類苑』宗教部四十一・参詣の条に
縁日の項目があって、そこには『類聚名物考』などの古辞書が引かれて
いくつかの例があげられていますが、あまりはっきりしませんねえ。
観音さんを十八日とするのは、準提観音の十八臂によるもので、
阿弥陀を十五日とするのは十仏を十斎日に配当すると十五日が
阿弥陀になるからそうです(?)。これ以外のものはよくわかりません。
お不動さんの二十八日とかはどうやって決まったんでしょ?
前スレで紹介した麻さんなんかは日の陰陽なんかと関係させて
不動と宇賀弁天との関係について述べられてましたけど、
もしかしたら陰陽道あたりが関係しているかもしれませんねえ。
聞くところによると、『中世法制史料集』巻二収録の
『蜷川文書』二十集二・追加法二百八十二のなかに
「寺社縁日参詣事」なる一文があるそうなんですが、
どなたかこの文章をご覧になった方、あるいは
ご存じの方おられます?
1014→2住心:04/05/26 17:14
>>90一畳弛緩院さん ありがとうございます。

確かに一般には釈尊と聞きます。どうも、なにか重大な訴えがある気がして
その考え方から抜け出したくて仕方ないのです。
例えば、涅槃経の釈尊の入滅に際して、号泣するアーナンダのシーンが
名前を変えて、同じような描写になっているところ
言葉に縛られる危険を訴えているのか、世俗の相似性を訴えているのか
如来と衆生のかかわりを示唆しているのか。
すいません。答えを頂いた身なのに。。。もっと考えて出直してきます。

>大蔵経やデータの在処はまだしも、ピンの経本は・・・

孔雀明王の御真言ありがとうございます。
孔雀経は単独では厳しそうですか。。。大蔵経を探すとよいのですね。
まあ、私の頭脳では現代語でないと理解できないのが癌ですが。
一畳弛緩院さん。「偈」というのは、どういった内容でしょうか?
よければ、教えて下さい。
102一畳弛緩院:04/05/26 17:15
>>98 ランボー様
ご丁寧に有り難うございます。
> 僧侶でも法力を持っている人はまれ
うむむ。そうですねぇ・・・
回向・滅罪と祈祷は表裏一体とはよく言いますが、
とかく「前のめり」になり勝ちですね。足許をちゃんとしないと。

> 経文や先師の言ったことを例に言われているように
とりあえずはそうするにしくはない訳で・・・。
また、なるべく、障碍につながるような粗相・粗略は避けたいもの、
と思っておりまして。
あと、目のお話。本郷のこんにゃく閻魔のお話とも似て、
有り難い話ですね。
103真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 17:20
>>98ランボーさん
>>99一畳弛緩院さん
いや〜このスレに来ていて、私は自分の仏教学の知識なんて
ほんとに使えないな〜って自覚させられました。
素朴な疑問に答えることのできる知識って、
仏教学のものよりも民俗学のそれのほうが有効ですね。
あと、霊魂とか物の怪とかに対しても
学問としては仏教学よりも民俗学のほうが有用ですし、
実際こういったことに悩まされている人に
なんらかのアドバイスをするならば
ランボーさんのような霊能力が必要ですね。
まあ、私は霊魂にはあまり関心はないので、
その力を身につけようとは思わないのですが、
こういった現象を学問的にどうとらえたらよいのか、
ということに対しては、深く考えさせられますね。
104一畳弛緩院:04/05/26 17:31
>>100 真言坊主様
小生も興味があるところです。>縁日
どうも、有力な奉安寺院や開祖に因むもの、あるいは儀軌等に拠るもの
(そもそも何故経典にそう書かれているのかが問題ですが)
など様々なようです。千日参りや四万六千日なんかも
(浅草寺の場合、御茶湯日という縁日(○日分の功徳日とされる)もありますが)
寺に訊くと、その謂われ(何故、この日になったか)は不明だそうです。

>>101 住心様
いえいえ。経文というのは、さまざまな解釈ができると思います。
オーソドックスな解釈を踏まえた上で、自由な思索をなさるのも宜しいかと。

> 大蔵経
目にしやすいものとしては大正蔵(大正新脩大蔵経)があります。
まず、目録でチェックしてみてください。
最近はweb上でもそれに類するものが見られるようです。

>「偈」というのは、どういった内容でしょうか?
「偈」一般のことでしょうか?
「偈」一般の説明・・・簡単に言えば、お経の内容を覚えやすくするために、
古代の詩(韻文)のかたちにして説いたお経の一節のことで、簡潔に纏まっていて
リズムがあって読みやすい部分ですよ。(例えば普門品の世尊偈とかもそう)
で、孔雀経の偈ですが、内容的にはそんな大したことを云ってなくて(経に失敬)
・・・供養と功徳について述べているという・・・あとでアップしましょうか。
(これからちょっと出かけますので、後ほど)
105一畳弛緩院:04/05/26 17:35
>>101
>>104
住心様、今、101のカキコを読み直しますと、偈そのものの質問ではなくて、
孔雀経偈の内容照会ですね。誤読−釈迦に説法状態、恐縮です。
106ランボー:04/05/26 17:51
>>103
現象を学問的にどうとらえたらよいのかと云う事は、幸せを学問的にどう捉えたら良いのかと言うよう
に私には感じられます。
本山の一部や大学では学問の分野も必要と思います。
末寺にあってはどうでしょうか。檀信徒の幸せを考えることが大切な使命の一つであると思います。
仏の慈悲の中で安心の心で生涯を送りたいと檀信徒願い信仰して寺に集まるのではないかと思い
ます。新興宗教が乱立しているのは、在来の寺が満足な宗教的仏教的なサービスを完全な形で
していないから、寺の住職の都合思想で取り仕切っている面が新興宗教に走らせる原因の大きな
理由になっているのではないでしょうか。各宗教の信者の数が人口よりはるかに多いという現象を
見るにつけ、在来の宗教を職業としてやっている者として、深く反省し今後の工夫を考えなくては
いけないと、思っています。そういう気持ちで問題を提起しようと御真言集スレに乱暴に書き込み
始めたのがきっかけでした。
貴方とは別の立場経験でレスってますが、今後も激しく意見を交えましょう。
107真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 18:08
>>106
いやいやこれはおそろしや。おてやわらかにお願いします。
まあ、末寺の気持ちはよくわかりますよ。私の実家もそうですから。
本山の気持ちは?これは私にはわかりません。組織ですからね。
個々の痛みなんか知ったこっちゃないんでしょうねえ。
まあ、いちいち個々のいうことに耳を傾けるわけに
いかないというのはわかりますが。
ところで、越三昧耶の仏罰ですが、これは個人個人の
こころの持ち方でかなりちがうでしょうねえ。
福沢諭吉が子供のころ本当に仏罰があるのか疑問に思って
夜中に風呂場へ行って神様のお札を踏みつけた、っていう
有名な話があるじゃないですか。ここまで意気込んでされちゃあ
神様だって罰のあてようがない。でも、仏罰をおそれてしまっている者がいれば、
やはり、その神仏の教えにそむくことをすれば、その罰はあたると思います。
1084→2住心:04/05/26 18:41
>>105 一畳弛緩院さん

こちらの表現が稚拙でありました。
私の方が申し訳ない気持ちです。
図々しい要望です。孔雀経偈の内容について
暇なお時間が出来たらで十分でございます。お気遣い有難うございます。
109ランボー:04/05/26 18:41
>>107
乱暴?それでランボー? いえいえ、それは違います。
スレの雰囲気が当初よそ者を受け入れない雰囲気でした。
それで、あらかじめ用意した名前が ランボー でした。

映画のランボーの始めのシーンから、とりました。
ベトナムでグリーンベレーとして活躍した男ランボーが、復員後とある町で不審者として警察から
理不尽な屈辱的な扱いを受ける。怒りを爆発させた彼は、数百人の警官を相手に死闘を繰り広
げることに。
110会奉行:04/05/26 18:55
濃いスレになってきましたね。

我々僧侶は在家者の救済を考えなくてはなりませんが、御利益信仰になったらそれは密教ではありません。
加行を終えても、仏法を説かずに法力、霊力、御利益のみに走っていたら既に道から外れています。
この辺の認識は心の何処かに持っていて欲しいなと思います。

111ランボー:04/05/26 19:17
>>110
いやー、こう書かれるとまた書きたくなるねー。
救済は衆生に利益をもたらす、すなわちご利益信仰ですが、それで仏様が話しかけて下さったり、
指導して救済して下さる。曼荼羅の仏様が勿論天部の神々も、これって密教でしょう。
法力が無くては、仏様に心が通じないよ。信者が自分の子供を救っていただこうと熱心に祈るのも
法力と同じエネルギーでしょう。通常法力というのは、そのエネルギーを長い時間かけなくとも心を
運べて短時間にそのエネルギーが出る。道から外れたら、仏様は振り向いてくれないし、法力という
仏様がお貸しくださった力も回収されてしまうよ。
越三昧耶だって、私が以前書き込んだ事を貴方は知っているはず。心無い山の僧侶が印や真言を
困窮している在家の者に教えた時、私に越三昧耶と言った。それをお聞きになっていた大日如来が
使えるものを教えないで越三昧耶と言って見捨てている者が越三昧耶と!!!!!!!。
112名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/26 19:41
衆生救済のために三昧耶戒の話からして下さい。
お願いします。
113会奉行:04/05/26 19:46
>>111 ランボーさん
金と女と権力などに溺れ道に外れながらも、霊力を発揮する教祖様、霊能者、拝み屋がいます。
仏が力を貸す筈は無いようなこれらの人にも、病気治しや霊視等の力を持つ人がいます。
何故だと思いますか?
それは仏でない、別の霊物でも御利益を顕すし、病気も治すからなんですよ。
キツネや蛇、魔物・・・・。
私は以前からこの御真言集スレでは、この手の霊的な話題はあえて一切語らず、こんなデムパな事は初めて書きますがね。
そうなんです。ホントだから仕方ない。
114真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 20:23
ちょっと温度が上がってきましたね。
議論の場としてはちょうどいいくらいでしょう。

なぜ拝むことだけではなくて学問的な研鑽も必要なのか、
それは個人の主観的な見方にかたよりすぎることを未然に防ぐためでしょう。
よかれと思ってやっていることが、いつのまにか道からそれてしまうこと
だってある。この良し悪しの方向性を指示するのが
学問、すなわち教相というやつですね。
「覚の所在(教相)と修すべき道(事相)」ですよ。
定番の説ですんまそん。
いやあ、しかし越三昧耶についてこれだけレスが多いんなら、
これはこれで別スレ立てにゃあならんですね。
115ランボー:04/05/26 20:25
>>113
人間の霊も力を貸します。お茶園(ちょっと違う名だったかな?)なんかそうですよ。
私はそのような外道を論じているのではありません。
真言やお経は霊供養にも良く使いますので、霊の話をさけて真言を語れません。
そうなんです。ホントだから仕方ない。と言われても、それを踏まえて言っているので、私の方が
そう言われても仕方が無いですよ。
だんだん話題が昔に戻ってきましたね。いい傾向です。

>>112
衆生救済のために三昧耶戒と言われても、私は否定している立場ですので、学者の意見もおあり
でしょうから、他の方に解説をお願いします。
116真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 20:38
>>115
ありゃあランボーさん、三昧耶戒まで否定しちゃあいけませんよ。
ランボーさんだって灌頂を受けたんですから
もうすでに三昧耶戒のイレズミは背中に入ってるんですよう。
それとも大日如来さんに消してもらいました?
117会奉行:04/05/26 20:49
>>115 ランボーさん
毛筋程のズレでも内道が外道になるんです。
それと私は>>111のレスの内容についてだけ書いたのであります。
あと、>>113の内容を踏まえたうえなら何も言うことはありません。
そういえば以前、審神について書きましたが、あれが自分でできることが大事です。


私はこのテの話題はスレ違いだと思いますがねえ・・・・w
118真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 21:02
>>112
三昧耶戒ってのは密教の教えに生きる行者が
護るべき戒律のことです。これは普通、
灌頂という儀式を入る前に受けるものなんです。
で、この三昧耶戒ってのはどんなものかといいますと、
簡単にいえば、
@人々に対して慈悲の心をもって対処します(行願)
A悟りとは何かを勉強します(勝義)
B悟りの境地に心をとどめます(三摩地)
という三つの菩提(ほとけ)の心をもとに作られたものなんです。
で、具体的に守るべき戒律の条目というのが
十不善業(十善戒)・四重禁戒というものでして、
十善戒はよく知られているので、説明は省きます。
四重禁戒というのは
@仏教の正しい教えを捨てません。
Aさとりを目指す心を捨てません。
B一所懸命がんばる人にはケチらずに法をさずけます。
C人々のためになる行為をすすんでします。
という四つのことです。
119ランボー:04/05/26 21:19
>>116
心無い山の僧侶が印や真言を困窮している在家の者に教えた時、私に越三昧耶と言った。その時
在家の者に教えたのが護身法でした。私は救えるものを救わないで、越三昧耶になるより、皆にど
う言われようが、弱いものを救う為に使える手段は使いますので、通常の三昧耶戒のイレズミは不
用なんです。

>>117
自分にとって大事な事は自分で選びます。人に押し付けられるものではありません。
2chの良いところは、自由に書き込めること、それを見て自分の好きな書き込みだけを選択できる
ことと思います。 護身法〜救済〜悪霊 という図式の中で、大学の論文みたいなのだけが書き込
みできるとなれば、2chの精神ではないのでは。ここは、自己責任ですよ。まあ世の中全てでしょうが。
120真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 21:24
>>117
会奉行さんはランボーさんの霊の世界を理解できるんでしたよね。
でも、ランボーさんはちょっと行き過ぎじゃないかと?
まあ、霊とか霊界の話がスレ違いだというのは
やはり頭でっかちインテリ坊主(私も含めて)の側からの意見なんでしょうねえ。
実際、このスレで意見をもとめておられる方の多くは、
ランボーさんの霊処理についての意見を期待しているのでしょう。
密教っていうものは世間一般では依然そのような見方が主流なんでしょうね。
まあ、私が見たところ空海さんの著作のなかに霊が出てくるとか
霊界がどうだとかいったことは出てきてませんが、
加持祈祷を行っていたことはまちがいないですね。
ただし、憑きもの落としや陰陽道の占術のようなものはやってないですが。
金剛智三蔵や恵果阿闍梨なんかは死者を蘇生させたりなんかしちゃってますねえ。
この呪術にたくさんあるなか、どれが良くてどれが悪いかを
区分するのはちょっと難しいです。
121真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/26 21:30
>>119
まあまあ、インテリ坊主の意見交流が大学の論文ばなしにみえて
うっとうしいのはわかりますが、そこんところは
このスレの住人には僧侶もたくさんいるということで勘弁してください。
小難しい話も霊界の話もどっちも一緒にやりましょうよ。
両方の話をちょっと読んでおたがい勉強すりゃあいいだけの話じゃないですか。
122会奉行:04/05/26 21:53
>>119 ランボーさん
私は何も押し付けていませんよ。
越三昧耶って密教独特の価値観よね?
護摩行もそうだけど、元々仏教の儀式じゃなくて、これら越三昧耶の考えや価値観や考え方って
今でもガンジス河の畔にいるようなバラモン教の呪術者の影響が過分にあるんじゃないの?
法華経にも陀羅尼品はあるけど在家は読んじゃいけないなんて決まりないし
むしろ受持 読誦 書写することを奨めてるんだけど
密教が作り上げられた時代背景的にもバラモン教の影響があるんじゃないかな
124会奉行:04/05/26 22:21
>>120 真言坊主師
行き過ぎというよりキワドイな〜と思います。
経典や大師の説を簡単に否定するところなどがなんかヒヤヒヤします w
それと、霊に関する問題は僧侶をやってると必ず尋ねられる質問なので無視できないと思います。
現場には現場の教学がありますからね。
恵果阿闍梨の死者蘇生の話は初耳です。
そういえば一行禅師は天文学者としても有名ですが、風水の大家でもあったそうで、朝鮮の地図を見て、この土地は争いが絶えない土地だと予言したそうです。
125ランボー:04/05/26 22:55
>>117 が押し付けでないのなら、それで良いと思います。
貴方の審神という言葉で思い出しました。かなり以前の事ですが、山奥のお堂でお参りしていた
先生が行半ばで 神が降りてきて、そなたはもう充分な修行をなしとげたまら、これで切り上げても
良いといわれたといってお堂を飛び出した。虚空蔵さんがそんな甘い事言うはずが無い。貴方の言う
審神の高い能力を持っていたら、このような過ちをせずに済んだ事と思います。まったくあなたの言う
通りです。私のレベルをご心配頂いたようですが、審神の技術でお分かり頂けるものと拝察いたします。
夜も更けてまいりました。心静かに石笛を吹いて あ、いや 審神の為ではありません。睡眠をさそうた
めです。私には審神の為にはまったく必要としませんので。
126北海大将智:04/05/26 23:04
 忙しくて少し見ない間にもう100あまりですね〜。よい雰囲気でもりあがって
いますね。『理趣経』や『大般若経』の話がでているのでこの辺で、『大般若経』
から『理趣経』への流れをカキコしてみましょうか。(諸師方には釈迦に説法だと
思いますが、ご存じない一般の向けにということで…)
 まず
●『大般若波羅蜜多経』第五百七十八巻 第十会般若波羅蜜多理趣分(大正蔵7、986)
 玄奘訳 660〜663年に訳出 (第一段に六十九の清浄句を説く)
 いわゆる『理趣経』の原初形態とされる。序文・本文・神咒・流通分からなる。十四段構成
●『実相般若経波羅蜜経』 一巻 (大正蔵7・776)
 菩提流志訳 693年に訳出 (第一段に十五の清浄句を説く)
 大般若理趣分とほぼ文意は同じ。序文・本文・流通分からなる。十四段構成。
神咒は欠けているが各段に心真言の種字が説かれる。
●『金剛頂瑜伽理趣般若経』一巻(大正蔵8、778)
  金剛智訳 訳出年代不詳 (第一段に十四の清浄句が説かれる)
序文・本文・神咒(25首)・流通分からなる。十四段構成、各段に
心真言が説かれる。
●『大楽不空真実三昧耶経』一巻 般若波羅蜜多理趣品(大正蔵8、784)
 不空沢 761〜771に訳出 (第一段に十七段構成がとかれる)
いわゆる理趣経。序文・本文・流通分の三部からなり、十七段からなる構成は、他の
類本には見られない構成となっている。金剛頂経十八会の第六会中の部分訳との伝承。
各段の終わりに心真言が種字として説かれる。
●『遍上般若波羅蜜経』一巻 (大正蔵8・781)
 施護訳 991年に訳出 (第一段に二十の清浄句)
全十四段で構成、内容的には理趣分とほぼ同一。
経末に二十五首の神咒がちかれるが、これは金剛頂理趣経とほぼ同一。
●『最上根本大楽金剛不空三昧大教王経』七巻 (大正蔵8、786)
 法賢訳 999に訳出 (第一段に十六の清浄句)
全二十五段からなり、第一段から第十四段までが『大楽不空真実三昧耶経』に
相当。各段には曼荼羅が描かれている。

 
127北海大将智:04/05/26 23:32
 ちんたら経典リストうってるうちに熱い議論にいつのまにかなっていますね汗
たとえば檀家さんに曼荼羅ってなんですか?って聞かれたことがあるんですが
『金剛界九会曼荼羅』と『大悲胎蔵生曼荼羅』について分かりやすく噛み砕いて
お話しました。語意、歴史、思想、たまたまご親戚が日蓮宗の方だったので髭曼荼羅
などとのことなどについて。真言学の知識は末寺でも檀家さんの知りたいことをちゃんと
こたえるという教化活動の基本で必要ですよ。自分なりの解釈をされるかたがたまに
いらっしゃいますがいかがなものかと…。(某京都の本山で案内の若い僧の方が『胎蔵曼荼羅』
の解説でお母さんが子どもをおなかの中で育てるような生き物の智慧を表しているとお話されていまし
たがいかがなものかと…)
 問題は学んだものをいかす個人の問題ではないでしょうか。「越三昧耶」にかんしてもしかり。
自らが阿闍梨から授かった法をもって利他行をなすのが本分でしょうし、一般在家の方に修法を
させなければならないほど真言法をもって衆生を利益するときの加持力は弱い者ではないのでは
ないでしょうか。それとも自分の寺の本尊の加持力に自信がない場合はその場で、安易に授ける
のでしょうか。
私は自分の寺のご本尊様をそんなに非力だとは思っていないので、心から本尊様に祈念しその
加持力をいただき御祈願するようにしています。大方の諸師方もそうなのでは?
 本山や自分の派に文句があるなら独立して単立系になればいいし、弘法大師を初めとする先徳の
残されたお言葉を時代に合わない云々いうなら、自分で教団をつくればいいのではないでしょうか。
自宗を否定しながら自宗の法を用いて口に糊するのはニヒリズム以外なにものでもなく宗教者
として空虚でしかないと思います。
 
128真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 00:05
>>124
失礼。亡者蘇生の話は金剛智で、恵果にはありませんでした。
恵果の行った阿尾捨法は蘇生ではなかったですね。
一行の朝鮮に関する話はそれこそ初耳でした。
よければソースを教えてもらえませんか?
129真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 00:14
>>127
胎蔵曼荼羅を胎児にたとえた解説はよく聞きますよ。
たしか、高野山の案内人もしていたような記憶が…
ま、具縁品疏の包胎胎蔵の譬喩はそれっぽいところもあるので
しょうがないでしょうねえ。
ただ、案内人たちの解説はどうも胎内くぐりなんかの話と
混同されているような気がしないでもないですけど…
130名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/27 00:25
すいません。審神てなんですか?
それとランボーさん質問なんですが、大日如来が
使えるものを教えないで越三昧耶と言って見捨てている者が、
越三昧耶と・・云々とおしゃったとかよく言われますが、
何故それが大日如来だと解るのですか?それを教えて貰わないと
素人には、ランボーさんのおしゃてる事が、普通の霊能者と同じだと思うのですが?
私の知ってる霊能者もランボーさんと同じ事を云います。その方は、弘法大師と話が出来、
そのお大師がおしゃるからこの供養法が、正しいと云います。ランボーさんと何処が違うのでしょうか?
ランボーさんは、この霊能者がおしゃてる事を素直にお大師様と話が出来ると認めますか?
失礼な事を質問してる事は百も承知ですが、素人の些細な疑問なので、お許し下さい。
131お経好き:04/05/27 00:50
ランボー様

>>82
>そうですか。それはお困りの事ですね。
>無心に仏の子になるよう、読経するのも手ですよ。

お気遣いありがとうございます。仏様を信じて読経に励むことにします。
ただ、
>たとえば、理趣経の入れ句のところに、
>大日如来増法楽 一切諸尊増法楽
>別(わい)ては 無病息災 家内浄化
>と入れるのもよいですよ。

とのことですが、私が読んでいる「大般若理趣分経」は「理趣経」とは、少
なくとも文章内容が大幅に違っており、どこに入れていいのかわかりません(w
また、昨日、試しに?「理趣経」の経本を読んでみましたが、(おそらく最初の章(品)
のみ掲載されているものと思われます)、やはり、どこに、師の推奨する文句を入れるの
かがわかりませんでした。

>体に起きる超常現象からは、しばらく心を離しましょう。法力が芽生えてバランスがとれる
>まで。

ご助言に従ってできるだけ気にしないようにします。
でも、だいたい、私に法力なんか付くのかな?
いつも思っているのですが、師も言われるように、日々読経を
している僧侶の方々でも法力を持っている方は希だとのこと。
うーん、気長に待つことにします(w

132名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/27 00:51
何でこんなにバトルの?権威主義のせい?
133名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/27 01:01
それはね〜。真言坊主さんがね〜面白く可笑しく煽るからだよ。
134お経好き:04/05/27 01:26
>真言坊主様 (>>84

>越三昧耶というのは伝授(師匠とマンツーマンでの教授)を受けないまま
>で密教の修法を行うこと、あるいは伝法灌頂という儀式を受けていない人
>に密教の修法を教授することをいいます。
>この密教の修法というのは、
>印を結んだり真言を唱えたりすることによって
>仏さんと感応する修行方法のことで、
>たとえば護摩なんかもそれに該当します。
>したがって、読経は越三昧耶に該当しません。

ご教示ありがとうございます。
今日たまたま大きめの図書館に行く機会があったので、「密教辞典
 全」〔佐和隆研・編〕を引いてみたところ

「おっさんまや〔越三昧耶〕〔越法(おつぼう)罪〕
三昧耶の境界を軽んずる、或いは違越する罪。・・・・三昧耶(自誓の意)を軽
んずるとは、未灌頂の者に灌頂の大事を明かし、非器(資格のない)の者に灌頂
を授け、阿じゃ梨の印可を得ずして聖教・口訣などを読み、或いは修し、悉曇の
伝授を受けずして梵時を書くなどの非法行為で・・・」

とあるので、密教経典ではない「大般若理趣分経」などはともかく、密教経典である
「理趣経」は、やばいかなとも思っていたのですが・・・。







135お経好き:04/05/27 01:27
>問題となるのは、印を結んだり、真言を唱えたりするばあいです。
>ただし真言に関しては、よっぽどのものじゃないかぎり、
>たいていのものは唱えてもOKだと思います。
>なんだかヤバそうだなあ、聞いたことがないなあ、と思う神仏の真言は
>「鬼神は敬してこれを遠ざく」「君子危うきに近寄らず」の態度で、
>避けておくのが賢明でしょう。

わかりました。経本に載っているようなものにとりあえず限定してみます。
136お経好き:04/05/27 01:30
ところで、せっかくなので、いくつか教えてくださいませんでしょうか。

例えば、「守護国界陀羅尼経」だとか、「大日経」の「普通真言」
とかに載っている真言をとなえている人っているんでしょうか?
これらの経典って結構有名だと思うのですが、読経・読誦の対象になって
いると聞い たことがないのですが。

また、「大日経」や「金剛頂経」などの密教経典は、読経されているの
でしょうか?
法華経や、薬師経とかの顕教の経典は読誦されているのですが、これらの
密教経典が読 誦されているという話は、(「理趣経」などは除いて)聞い
たことがないのですが・・・。

前から不思議に思っていたことですので、差し支えなければご教示ください。
137名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/27 01:37
いや権威とかじゃないでしょ。
ランボー師の「ええとこ取り」が???なんじゃないの?
一つの経典、一つの儀軌にしても、今までどんな思いで伝えてきたのか考えるだけで
頭の下がる思いがしますし、感動さえ覚えます。

かの三蔵法師にしても、実に17年という時間を掛けて中国へ持ち帰った訳ですし、
弘法大師にしても命懸けで唐へ渡ったんでしょう。
その法灯を消さない為の労力は計り知れないものがあります。
そのおかげで今があるんです。
経典や大師の言葉を否定するなど
よっぽどの事が無い限りあり得ませんね。
138一畳弛緩院:04/05/27 03:11
うわ。ちょっと出かけていた間にすごいことになってますね・・・

>>106 ランボー様
> 新興宗教が乱立しているのは、在来の寺が満足な宗教的仏教的な
> サービスを完全な形でしていないから
同意。何とかしないと・・・
しかし、実際さまざまな惰性の前に陥落しております(反省)

>>108 4→2住心様
件の偈ですが、
 天阿蘇羅薬叉等 来聴法者応至心 擁護仏法使長存 各各勤行世尊教
 諸有聴徒来至此 或在地上或居空 常於人世起慈心 日夜自身依法住
 願諸世界師安穏 無辺福智益群生 所有罪業並消除 遠離衆苦帰円寂
 恒用戒香塗瑩体 常持定服以資身 菩提妙華偏荘厳 随所住処常安楽
というものです。

>>130
> 審神てなんですか?
民俗学・古神道などでよく用いられる概念ですが、憑霊・神降ろしなどをした際に 、
降りてきた神霊について、術師や長老が問い質し、正邪を見極める役の事です。

>>131 お経好き様
> 私が読んでいる「大般若理趣分経」は「理趣経」とは、少なくとも
> 文章内容が大幅に違っており、どこに入れていいのかわかりません。
理趣経とは構成が違いますから(流通以降、合殺などありません)、
理趣分の読経の場合、あまり入れ句のことは気にしなくてよいかと。

> 日々読経をしている僧侶の方々でも法力を持っている方は希
それでも、如法に供養していると、験が出ると云いますから・・・
139一畳弛緩院:04/05/27 03:16
あと、常連の諸師に・・・
>>107(真言坊主様)
> 福沢諭吉が子供のころ本当に仏罰があるのか疑問に思って
> 夜中に風呂場へ行って神様のお札を踏みつけた、っていう
> 有名な話があるじゃないですか。ここまで意気込んでされちゃあ
私は、こういう福沢諭吉の即物的な、貧相な発想が大嫌いです(W
門閥を嫌いながら閨閥をつくり、人の上に人をつくる。
>>121
> おたがい勉強すりゃあいいだけの話じゃないですか。
(こそこそっと)同意。
>>128
> 阿尾捨法
誤解を恐れずに云えば、一種の霊媒術・・多くは供養や憑き物落としですね。

>>110(北海様)
> 仏法を説かずに法力、霊力、御利益のみに走っていたら
 ↑の部分が大事なことは同意。利益輪身の天部なんかの場合、
特に、布施持戒の大切さ、回向(本来の意味も含めて)の大切さを説かないと
片手落ちになりますね。
>>126
「大般若理趣分の研究」なんぞを読んでいた頃を思い出します。
>>127
蓋し正論、全く以て同感ですが、ただこのご時世、それで満足してくれるかどうか。
御本尊の妙智力を侮るとかそういうことではなく、折角、密教・仏教に興味を
持ってくれている人の関心をどう満たし、どう正しい方向に導くか・・・
修法をさせるというのは以ての外だとしても、印・真言についてや、法要の細々と
した内容について質問があった場合、どこまで説くか・・・
(内容がループしてしまうような気もしますが)
140名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/27 03:20
> かの三蔵法師にしても、実に17年という時間を掛けて中国へ持ち帰った訳ですし、
> 弘法大師にしても命懸けで唐へ渡ったんでしょう。
> その法灯を消さない為の労力は計り知れないものがあります。
> そのおかげで今があるんです。

禿げしく同意。
141一畳弛緩院:04/05/27 03:23
>>139 の訂正
また、ミスが・・・参照先訂正、以下の通りです。
弛緩しすぎ?ではなく、脳が相当疲れているという自覚症状が(涙)
-------------------------
>>110(会奉行様)
 −本文略−
>>126(北海様)
>>127
 −本文略−
-------------------------
142名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/27 07:18
審神ができるなら霊が大日如来と名乗った時点で、
ウソつけ狸。と大日如来が名前名乗っておりてくるなんておかしいと気付くはずだが。
143真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 09:33
>>134お経好きさん
理趣経の読経が越三昧耶に該当するかいなか?
ひとむかしまえは灌頂儀式を受けていない者がこのお経を読むのは
越三昧耶に該当すると考えられていましたが、
現在ではそのようなことを言う方はあまりいないと思います。
そもそもこのお経の中に「もしこの理趣を聞いて受持し
読誦し作意し思惟することあれば、(中略)すみやかに
無上正等菩提を証す」と書かれているくらいですから、
大丈夫です。ただし、印を結んだり真言のところを読むのは
避けたほうがいいと思います。
では、なぜ昔、未灌頂者がこのお経の読誦を禁止されていたか
といいますと、それは、そのさらに昔に邪教といわれた立川流という
一派がありまして、この一派の者たちがこの理趣経の教義をずいぶんと
利用したという経緯があるからなんです。
立川流というのは、密教と陰陽道とをミックスしたもので、
男女のセックスを利用した修行法を用いるんです。
これがまたエゲツない修法でして、とても社会に対応できるような
シロモノではない、危険だ、ということで真言宗の中で
弾劾されたんですね。そのときにこの危険な一派が尊重していた
理趣経にもその読経に一部限定という
暗黙の条件がつけられたというわけです。
立川流はセックスを肯定するということで、ずいぶんと
注目されたところもありますが、これについて興味本位で書かれた
悪質な本がたくさん出回っています。まちがってもそれらを読んで
実際にやってみようなんて気は起こさないことです。
というか実際にやることなんて無理です。
立川流の歴史・教義・危険性について、わかりやすくて
的確な情報を与えてくるものとしては、
京極夏彦の『狂骨の夢』があります。小説ですけど、
信用できる内容です。
それより真言貼ってください。
145真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 09:44
>>136
『守護経』や『大日経』普通真言蔵品に出ている真言を
唱えることはあるのかいなか?
『大日経』に出ている真言はもちろん唱えます。
常用経典に出ている真言の中には
ここから抽出されたものも入っています。
『守護経』に出ている真言や陀羅尼を唱えることは少ないですが、
全くないこともないです。たとえば、この第一巻に廻向陀羅尼というのが
ありますが、これなんかは伝授の最後に唱えることがあります。
146真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 09:58
>>136
『大日経』や『金剛頂経』は読経されているのかいなか?
『大日経』が読経されることはありません。
『金剛頂経』は一部読経されています。『理趣経』がそれです。
『金剛頂経』というのは、単独の経典のことではなくって、
「金剛頂」という名を冠する経典群の総称なんです。
『理趣経』はその中の一つなんですよ。
しかし『理趣経』以外の『金剛頂経』は読経しません。
なぜこれらのものが読経されないかといいますと、
これらの中には経典を読んだら功徳がありますよ、
ってことが記されていないからなんです。ただし『理趣経』に関しては
>>143にその一文をあげましたように、経典読誦の功徳が
書かれているんです。だから読経すると功徳が得られる。
これ以外の密教経典は読経して功徳を得るというタイプのものではなく、
この中に書かれている真言を読誦したり印を結んだり
作法(所作といいます)なんかを行ったりすること
(これを三密加持といいます)によって、
功徳を得るというタイプのものなんです。
法華経や華厳経なんかは理趣経と同じタイプ、
読経によって功徳を得る方法を用います。
ま、要するに読経で功徳を得るのは古い形式で、
三密加持などの所作によって功徳を得るのは新しい形式です。
読経よりも高い効果が得られると考えられたんでしょうねえ。
147真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 10:15
>>139
そうですか。弛緩院さんは諭吉っつぁんはお嫌いでしたか。
もしかして早稲田出身ですか?いや失礼、穿鑿でした。
まあ、諭吉っつぁんは急速な近代化が要求された
幕末〜維新期の人ですから、伝説や因習を極端に排除する傾向は
ありますよね。時代の人ということで、勘弁してやってください。
私はけっこう明治の人たちの書いたものって好きですね。
『福翁自伝』は単純に、読んでおもしろいです。激ワラさせられます。
148一畳弛緩院:04/05/27 13:19
真言坊主さま
>>143 
最近の本ですが、学研からでた本で「真言立川流」(藤巻一保著)なんか、なかなか
面白かったですよ。稲荷・荼天法から立川流まで、よく調べてあって。

>>147
> 早稲田出身ですか?
いえいえ。慶應に近しい故、そのグロテスクさがよくわかる訳で。
「実学」の空しさというか、無定見というか。ある意味、近代日本の病巣というか。
この前も、構内の歴史的建造物平気で破壊しましたし。要はソロバンonlyな訳です。
『福翁自伝』、面白い反面、時々、げそっとします。
勝海舟の『氷川清話』とか渋沢栄一の著作何かの方がすっとしますね。
※但し、福沢でも『文明論之概略』はいい本ですが・・・
149真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/27 17:30
>>148
藤巻氏の本、そんなに良かったですか。
真鍋氏のものよりも良いというウワサは聞いていましたが。
私も今度古本屋(古本かよっ!)で見つけたら購入してみます。

ところで、最近福沢諭吉批判って多いですよね。
安川寿之助でしたっけ?もんのすごい辛口ってゆうか悪口を
書いている人もいますね。古本屋(また古本)でその人の本を見て
びっくりしました。でも、たしかに実学偏重はまずいですよね。
そんなことわかっているのに、就職につながりやすいというだけで
最近の大学は実学を前面に出しているところが多いですねえ。
ま、就職難や大学の経営不振がそうさせているのでしょうが。

勝海舟に渋沢栄一ですか、残念ながらどちらも読んだことはありません。orz
私は子規なんかの文学系の人のほうが好きです。
150会奉行:04/05/27 19:36
>>128 真言坊主師
一行の逸話は友達から聞いた話なので、ソースを問い詰めておきました。
小一時間乃し一日ばかりお待ち下さい。
151ランボー:04/05/27 19:51
>>127  北海大将智さん、お久しぶりです。
まだまだ貴方はご理解されていないようで。いくら本尊が強大な力をお持ちでも、困窮している人に
24時間張り付いていることはできません。たとえば、歌舞伎町を歩いている人が良からぬ者にから
まれるので、警察に頼んでも、警察官と一緒のときは手出ししませんが、警察官が離れるとまた因縁
をつけてくるのとにた現象が起きます。もっとも、貴方のところは、霊魂の存在を否定して先祖供養を
しているように見受けられますので、これ以上のご理解を求める方が無理だという事を、考えなくては
ならないようです。
また、本山や自分の派に文句があるなら独立して単立系になればいいという指図は行き過ぎと思われ
ます。
これ以上は、私も超過激になってしまいますので、さやに収めることにします。なぜなら、密教は自然
の摂理を利用した技術、道徳などに関係なく効果を発揮しますから。
その良い例が、自分の国や民を守るために祈願し、敵国を滅ぼす事に象徴されています。

152ランボー:04/05/27 20:13
>>130
審神については、会奉行さんが言われた事なので、会奉行さんに解説をお願いするのが間違いが
無いと思います。
貴方のお知り合いの霊能者の方が、弘法大師と話が出来たといわれ、私が大日如来にこう言われた
というのが不思議のようですが、貴方が周りの人から話しかけられ返事をし、その事について考える
事がいちいち不思議な事だと考えて行動することではないでしょう。貴方が生まれつき目も耳も不自
由な方に、目や耳の認識を持っていず、どうして話が出来姿形が認識できるかと尋ねられるのと似て
います。見える、聞こえるとしか云いようがないのです。
仏様と、悪霊が化けて出てくるのは区別が出来ます。
その方法をここで書き込むことはしません。悪用をされないために。(教団などのレベルで)
近年、大きな密教本山等で、弘法大師の宝号をお唱えしようという運動をしています。檀家信者の
レベルでは良いと思います。同じ人間同士(仏様にたいして)であれば波動が同じようなので、修行
して仏様の波動に合わせることの様な努力なしで通じるからです。しかし、僧侶が葬式などで、本来
仏様に直接お願いしなければならない引導を、お大師さまにお願いし、仏様の真言を一度も唱えない
で終わる葬式がかなりの数ある。そうする理由は、修行が足りなくて仏様に通じないか、弘法大師のみ
を信仰の対象としているかとしか私には考えられない。私はその事に、憂いを感じる。
153ランボー:04/05/27 20:37
>>131
それは、失礼しました。
なんせ、理趣経のスレにただ 理趣は、〜 と書かれていたものですから。
また、A まず、理趣経を暗記出来る位の回数をおとなえしたらどうですか。入れ句は下記のように。
と書いて、祈願の入れ句を書いたので、間違ってとられるとは考えませんでした。時間的にも同じくら
いかかりますから、話はお互いずれたまま進行したようですね。
最初に 願わくは〜 と入れて祈願文を挿入したらいかがかと思います。
私としては、より新型のものの方を利用していましたので、何方かが良いとこ取りと言われていました
が、まさにその通りで、悪いところ取りをする必要は自分にはないと思っています。
富士山に登ったら仏様に会う事が出来たらとかりに考えた時、歩いて登る、ロープウエーで登る、ヘリ
で登る手段が現在考えられますが、私は一番早い、ヘリコプターを利用します。人生は短いのです。
別な例えをしましょう。
ここに池を掘りました。清らかな水(仏)で満たそうとしています。
しかし、掘った穴の周りや底から汚い水が湧き出てきます。汲んでも汲んでも汚い水は出てきます。
このような時、私ははなから汚い水を汲み出す事をしません。池の中央に太いホースを入れて、いっ
きに清らかな水を注ぎ、汚い水を押し出します。修行も同じと私は考えています。
お経文を研究するために、宗教(密教)があるのではなく、仏に逢うため、仏の慈悲にいだかれた
安心の心で人生を送り来世も導いていただくために宗教はあると考えます。
その手段として、真言を唱え、印を結び、仏を観念して、お経を読む。簡単に考えたら良いではないか
と思います。
すみませんちょっとお聞きますが、弁財天の造天会ってなんですか?
155北海大将智:04/05/28 00:33
129 真言坊主師 胎蔵生曼荼羅の説明で母と胎児の関係を用いるのは
よいのですが、問題はそれが比喩であり肝は菩提心(ほとけこころ)を養う
い育むことを説いていることを説明するのが抜けていたんですよ〜。
 できれば三句の法門の話もしてほしいな〜と思ったりしながら素人のフリ
して仏像みてましたけど笑
 152 ランボーさん 弘法大師も追善供養なされてますが(表白文が残っている)
霊にかんしては何もいってません。先祖供養するのに霊という言葉使うのは一般の方
向けの方便だと私は思ってます。精霊も以前カキコしたようにカルマ、もしくは
餓鬼道に落ちた亡者を指す語句と思ってます。いずれにせよ仏教は土着の宗教感と習合
してゆく宗教であり、仏教の目線から霊(霊を認める道教・神道)を見つめる視点を
わたしは保ちたいと思ってます。
空海が入定するときの遺告に
「吾閉目後は必ず兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に使え
50億余の後、必ず慈尊と共に下生せん」
って言葉があるけど真言宗では弥勒経って読経するの?
霊友会って結構古い法華教団があって弥勒経を常用教典(?)にしてて珍しいなって思ってたんだけど他にも読経する宗派や教団ってあるのかな?
法華教団で弥勒経を読経するのはこの教団だけだとおもうんだけど。
天台宗、真言宗ではどうなの?
157真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/28 06:14
>>151
>これ以上は、私も超過激になってしまいますので、
>さやに収めることにします。なぜなら、密教は自然
>の摂理を利用した技術、道徳などに関係なく効果を発揮しますから。

これは脅迫ですね。
あなたの言っていることは、もう議論ではない。
心霊を見たり、仏菩薩を感じたりすることができると自称する方が
こういうことを言うと、相手にどんな印象を与えるか。
これは越三昧耶や戒律以前の問題だと思う。
三昧耶戒や宗祖の言葉は自分には必要ないとあなたは言う。
しかし、それらを支えとして敬虔な信仰をささげている人が
たくさんいる。経典や宗祖の言葉はみなが読んで共有できるものだ。
それにくらべてあなたの感得している仏や霊はだれも共有することは
できない。それを根拠に話をしてもだれも理解できるはずはない。
自分勝手にやるぶんには問題ない。ただし、人の信仰を誹謗したり
かろんずるのはやめるべきだ。いい大人が何を言ってる。
今回のレスにはかなり頭にきた。
158ランボー:04/05/28 06:46
>>157
単率にすれば とまでいわれたのですから、貴方がわたしのそれを見て頭にきても仕方が無いと
思います。
修験の方々のように命を掛けて修行してきていない方々が多いここでは、致し方の無い事です。
私も、別に何もないのに書いたのではないので。
映画の ランボー ご覧になりましたか。
159ランボー:04/05/28 06:48
>>158
単立の変換が違ってしまいました。
160ランボー:04/05/28 07:03
>>155
仏教は土着の宗教感と習合 してゆく宗教であり、仏教の目線から霊(霊を認める道教・神道)を見つ
める視点を わたしは保つと言われる北海大将智さんの考え、同感します。
161名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 08:52
>>137
おっしゃる通り!
162名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 09:19
サニワの話が出ていますが、それが命がけで修行して感得したものであろうと、お大師さんの言われている事や経典とあまりにかけ離れている場合、気持ちは分かりますが、充分に疑ってかかってみる必要があるのではないかと私は思いますよ。
お大師さんや経典の言葉を否定してしまったら、それはもはや真言密教とは言えなくなってしまいますよね。
霊を否定し現実問題に対処出来ず、頭でっかちで頭の中は金や名誉の事だけというような僧侶が存在するのは憂うべき問題だとは思いますが、だからといって経典の否定には繋がりませんし、お大師さんがそうした問題に対処出来なかったとは私は思わないのです。
163名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 10:13
私は部外者だけど、ランボーさんはある程度「みえる」人らしいけど、
最初からの経緯を知っている者として言うと、それがどこまで
「本物」として認めていいか疑問が残ります。
ランボーさんが最初、越三昧耶批判をした時は「もっともだ」と思ったが、
その後「その時幸子は15才だった・・」式のどこかの雑誌の
読者投稿みたいな長文をだらだら書き続け、他の人が書き込めなくした時は、
やってる事は荒らしと同じだったわけで、善人なんだろうけど、
人間としてのバランスに疑問符が残るんですよね。
そういう人が「大日如来が『私は大日如来です』と言った」と言ってもね・・・
164ランボー:04/05/28 17:06
私は、真言に対しても、お経に対しても、仏様に対しても、在来の宗教のあり方に対してもよく書き込む方々とは
考え方が大きく違う事は自覚しています。宗教の事について何も知らなかった頃、苦しんでいる自分を在来の寺
院も新興宗教も救ってくれなかった。それを救ったのは、自分の信念と努力だった。
私はここで、本物か偽物かの評価をしてもらうために書き込んだのではない。まして、じかに確かめもせず、本物
か偽物かと判断するのは、その人だけの評価にとどまらず、自分のところの大日如来はじめ虚空蔵菩薩等各尊
が狐か狸の霊と言われているのと同じで直接そう決め付けるのも、どうかと思う。
よく、テレビで霊能者が霊視したりしているが、家の中の会話でも、それらの霊視が偽者などと言った事が無いの
は、現場で一緒に霊視したわけでもないし、的確な方法で確かめた事でもないからだ。
少なくとも、私が言った大日如来等仏様のことが、低級霊と言うのならば、私がした修行と同じ以上の修行をして
から言うのでなければ、私は聞く耳を持たない。ちなみに、行は虚空蔵菩薩求聞持法五座、護摩法会二千座を
云う。
165ランボー:04/05/28 17:08
もし、2chだから、否定しようが何を書いても良いというなら、私も書き込む、なんでも。
私はここで、利益や名声を得ようと思って書き込んでいるのではない。自分の経験した事が読んでいるたった
一人でも必要としているならと思い、長文でしたが書き込みをした。そこで消失したスペースをお返しする為に
御真言集第六 は自分が立てさせてもらった。立てれば良いていうもんでないと云う人がいるかもしれない。
申し訳ないが、そういう人にはスルーしてもらうしかない。2chなんだから。
本当に困窮している人が見ているかもしれない。そういう人の解決になるような書き込みは今までの流れには
見れないように思う。そう書くとランボーもそうだと言う。そういいながら、あれ書いて駄目だ、これ書いて駄目だ
と言う。頭から否定しているのだから当然だと思うが。
私が困窮している人の目線で考えている事に、疑問を呈する人には振り返って見て欲しい。以前困り果てた人
にスレで相談された時、ここの性質上連絡先を明かすわけにはいかないが、私が貴方のところに出向きます。
方法は、貴方の地域の飛行場で時間を決めてそこに行きます。というものだった。またその時の費用は考え
なくとも良いと書き込んでいる。他に、そこまで書いて困窮している人の目線で書き込んでいる人はいましたか。
言葉のうえだけなら、何でも言えますよ。それを実行することが大変なのですよ。おこなうこと、それが行。
166ランボー:04/05/28 17:22
>>161
>>137 経典や大師の言葉を否定するなどよっぽどの事が無い限りあり得ませんね。
以前、理趣経の終わりのところを変えているという書き込みをしました。

じた             てんげ
自他。法界安穏      天下。安楽興正法
ごじ             めつざい
護持。弟子除不祥       滅罪。生善成大願
ぼだい           いんどう
菩提。行願不退    引導。三有及法界
どういっしょうこにゅうあじ
同一性故入阿字

最後の部分ですが、原文は 自他法界安穏 の部分が 聖朝安穏増寳壽  とあります。
よっぽどの事があったので、変えました。理由は、希望にそった内容ではないようですので、書きません。
167名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 17:30
>>164
修行自慢か。
違うと言うだろうがそう読める。
自分は難行苦行をした。
だから偉いんだ。
自分より修行してない人間はそれ以下なんだから批判は一切許さん。
ということですね。
それは動物霊の世界だ。
強者と弱者の考え方。
そういう霊能者がいたな。
何かの書類の不実記載でこの前逮捕されたが。
ランボー氏には謙虚な姿勢を欠いた傲慢さが感じとれる。
俺が何かをしてやってるというのも傲慢だ。
168名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 17:36
一方は、経典の内容とあまりに逸脱するならそれは一考を要するという立場で、もう一方は俺はこれだけ大変な修行をしてきたのだから、俺以上の修行をした人間のいう事でないと聞かないという立場。
これはどこまでいっても平行線ですね。
ランボーさんは、修験者に多いタイプですね。
「俺はこれだけ苦行をやったんだ!」みたいな。
ランボーさんの人を救いたいという気持ちは立派だが、それと上記の事とは別だと思います。
ちなみにテレビは大抵ヤラセですよ。
169名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 17:47
>>166
137さんが言いたい事、全く理解してませんね。
確かにランボーさんは凄い行をしてるんでしょう。
今の時代なかなか出来るものではありません。
たいしたものです。

しかし「行」ひとつ取っても、大師を始め今まで
人生を懸けて「法」を伝えてきた人々と比べれば
ランボーさんは遠く及ばないでしょう。

それらの教えを自分勝手に解釈する、また否定するなどありえませんな。
170名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 17:52
>>151なんか、自分が道徳的にどうであれ、敵対者は降伏できるんだぞということを言っており脅迫だね。
こんなこと言う人に大日如来が?!
ランボーさん理趣スレ待ちが一人おられますよ
172名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 18:56
>>164
そういう考え方をこの世界では「天狗」と呼ぶのでは?
古神道の行者はよくそこのところをつっこみますな。
「天狗系」と。
173名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:05
ランボーさん霊の話が多いですが、他の利生話というのは無いでしょうか。
そちらに話の支点をもっていってみるといいかもしれませんね。
174名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:07
流れ切って失礼。
>156さん、流石に霊友会の弥勒経の件は諸師方でも対応し辛いかと
思うので横レス致します。
まずあの教団で用いる「弥勒経」は弥勒大成仏経、賢愚経、弥勒上生都卒天経の
弥勒関連の経典群の抜粋で(これらの原典は大正大蔵経にありますが、かなりの
大部なので読むのはかなり辛いです)結論から言えばこの抜粋及び原典を
読誦する宗教は霊友会ぐらいしか存在しません。
その理由はまず日本は中世以降、来世信仰が弥勒菩薩の都卒天信仰より
阿弥陀如来の浄土信仰の方が優位になったので、弥勒菩薩に対して
それほど熱烈な信仰が流行らなかった、もしくは衰えた事と
この経典群自体が>146にある大日経が読まれず、理趣経が読まれるのと
同じ理由でこの経を読んだときの功徳を説かれず、弥勒菩薩が来世に仏になる事
及び如何にして来世・未来に弥勒の出世に会うか(弥勒の成仏を信じ、善行を
積む事が要請されているだけですが)しか説いていないので余り追善供養などに
使えない事などが挙げられます。
じゃあ、なぜあそこで唱えているのかというと二代会長の小谷女史が法華経で
重要な役割をする(対向衆)未来の仏・弥勒菩薩を重視し信仰を推奨したから
などがありますが、有る説では戦前に「世の立替」と称して世直しがなされると
の信仰を広めた大本教のみろく信仰が影響しているのでは、というのがあります。
ですので、弥勒経が唱えられるのはかなり特殊な事だと考えて下さい。
175名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:14
あ、失敬。霊友会は原典までは唱えませんでした。スマソ
176ランボー:04/05/28 19:20
>>171
どうも、すみまえん。
177ランボー:04/05/28 19:23
>>173
ご助言、ありがとうございます。
178ランボー:04/05/28 19:26
>>169
何もしない言うよりは、良いと思いますよ。
それらの教えを自分勝手に解釈する、はたしてそうでしょうか。だから、そういう前にご自分で確かめる事が
必要だと思います。
179ランボー:04/05/28 19:28
>>167
修行自慢です。謙虚ではありません。
180名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:33
181名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:39
修行をやって傲慢になるのだったら、それは修行ではない。
182名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:41
>>179
天狗決定!
183北海大将智:04/05/28 19:42
160 仏教は土着の宗教感と習合 してゆく宗教であり、仏教の目線から霊(霊を認める道教・神道)を見つ
める視点を わたしは保つと言われる北海大将智さんの考え、同感します。

 おそらく私の考えでは霊は餓鬼道に輪廻した亡者、もしくは生前の業(英霊などの
語句は善業としてとらえる)、もしくは無住所涅槃の菩薩を日本的、もしくは道教
てきに混同したばし霊としてしまっているというもので、一般の人々が霊、霊といっても
仏教者はその本質を神道的な霊や道教的な霊としてではなく仏教者としての立ち場から
その本質を見極めることが人々に安心を与えることになると信じています。
 いわゆる守護霊云々は菩薩となって守って下さっている、悪霊云々は速やかにが餓鬼道に
落ちたものとして施餓鬼作法を行うようにしています。ランボーさんは三界とかの概念が
あいまいでみんな霊界の話というのでおいおいと思うことがあるんです。
 私が理屈でものを考える正確なのにたいしてランボーさんは体験をとおしてものを
考えるタイプなので、考え方が噛み合なくなるのかもしれません。しかし祖師を敬うことはが
尊格を敬うことよりまさると確かに、それは仏教ではなくその祖師の名を冠した宗教になって
しまうのかもしれません。熱心な弘法大師信者である元T大学のK藤S一先生も、「キミ、弘法大師を
通して、その後ろに釈尊や大日如来をみなきゃだめなんだっょ。」を思い出します。
しかし弘法大師を通さずに佛をみようとすると「真言宗」の思想からはみだす恐れがあるし、それが
裏付けのあるものならよいと思うのですが、個人の体験を通してのみ語ろうとすると上記のようなみなさん
のリアクションを招くと思います。
 127ー単立系うんぬんの話は自分の信念を述べただけでいかなる個人を指す語句も
はいっていません。
 
184北海大将智:04/05/28 19:44
  127ー単立系うんぬんの話は自分の信念を述べただけでいかなる個人を指す語句も
はいっていません。
 151のランボーさんのカキコを私は157真言坊主師のようにとらずに、加持力の働き
とその源が必ずしも利他行の精神から行われずとも発揮される場合があるよ。といっている
のかと思ったんですが。私を調伏するという意味だったんでしょうか汗 まあ今はなにもなく
元気なんですけど…。

 156さんー『弥勒経』をとなえるという話はあまり聞いたことがありません。しかし
一尊法(弥勒菩薩を本尊とする修法)はあります。
 174さんーなるほどです。
 

185通行人:04/05/28 19:48
なんちゃって行者きどりと
なんちゃって学僧きどりの
言い合いは実にくだらないねー
はっきり言って滑稽ですよー

まっ、2chだから仕方無いかぁー

まぁー、この辺りが真言僧侶の底辺か?
186名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:51
ランボー氏は結局修行はしても密教学を学んでないな。
仏教も学んでないだろ。
それらしい発言はないし。
語ることは霊とお告げだけだし。
187名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 19:51
>>185
それで185は何者なわけ?(w
188@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/05/28 20:38
173は、私です。
すいません他のスレも書き込んでいるので消えたままでした。

霊の話ですが確かに会奉行様のように理論的に説明される方もおられますし、ランボー様のように実体験主体の立場から発言される方もおられます。
足して2で割るような話ですが両方必要なのではないでしょうか、目の前に苦しんでいる人がいてそれを説教のみで救えるかというとそうでないでしょうし、
だからといって霊力(?)主体ですと糸のとれた凧のようにどこに飛んで行くのかわかりません。
どちらも一方の立場を強調するあまり意見が噛み合い難いのでしょう。

>>173の意見を書かせて頂いたのは、一旦霊の話は置いておいて他の利生で何故利益があるかという論法を採った方が両者の話し合いの土台があるのではないかと思ったからです。

両者の方共一意見と耳に挟んで下されば幸いです。
189名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 21:18
とにかくランボー氏は自分より修行した人でないと耳を貸さないと言ってます。
190名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 21:22
とにかくランボー氏は自分より修行した人でないと耳を貸さないと言っていることに注意
191名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 21:21
とにかくランボー氏は自分より修行した人でないと耳を貸さないと言っていることに注意
192@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/05/28 22:14
>>191
そうかもしれませんが、そのままだといつまでも平行線でしょう。
ですから一部でも話が共通出来る論点を見つけ出しそこから話を広げた方が良いと思います。

通常の真言スレと霊験談は、分けて話を進めた方が良いように思えます。
でしゃばってますが、一応考えとして。
193会奉行:04/05/28 22:58
>>128 真言坊主師
一行は唐土の緯度を計測したり、地勢から商業地、文化地、軍事地等に分けて風水的観察を行ったそうです。
玄宗皇帝の命で風水の本である『葬書』の注釈を書いたりして、後の風水に大きな影響を与えているようです。
朝鮮の話は、朝鮮から一行に風水を習いに行った実在の人物、トソンという人の伝説だそうで
一行は、朝鮮の地図を見て、この山川の形状では永遠に戦場となるが、3800箇所のある地点に寺や塔を建てれば国運を変える事ができる。とかいったみたいですよ。
詳しくは学研の赤い本『風水の本』に載っているそうです。
194金剛杵:04/05/28 22:58
ものすごいスレの速さですねw
あまりに専門的過ぎるので敷居が高い・・・
195通行人:04/05/28 23:09
>>187
何者でも無いんだが、何者か聞きたいなら自分からね。
196名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 23:18
>>195
別に通行人とやらが何者かなんてどうでもいいんだが、
そこまで他人の事をいうなら自分の事も書きなさいよという意味だよ。
わかったかな?
197名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/28 23:26
どうでもいいんかいな。
198真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 00:15
>>193
『葬書』とは、郭璞が作ったと伝えられているやつですね。
一行がその注釈書を書いていたというのも全くの初耳でした。
情報のでどころが学研の赤い本というのは
ちょっとあやしいような気がしないでもないですが、
今度私もその本を確認してみます。
199一畳弛緩院:04/05/29 01:04
半日で、また、凄いことに・・・
ランボーさんの怪気炎には圧倒されますし、越三昧耶の問題、救はで止まじの気迫には
共感もし、頭も下がりますが、霊関係、感得の話になると霊覚のない凡者としては何も言えず・・
また、ひ弱な故(汗)行もそこそこの身では、行についても何も言えず。
前スレにあった、
> 事相を知らざるの教相者、三世相続すれば断見と成る。
> 教相を知らざるの事相者、三世相続すれば常見と成る
を思い出しました。

>>156
> 弥勒経
はて。どんなお経だったか・・・未見。
コアな奉安寺院でどうやっているのかわかりませんが、
私が知っているのは、般若、法華の諸経と心経でのご供養くらいですね。

>>174
> 結論から言えばこの抜粋(略)
> 読誦する宗教は霊友会ぐらいしか存在しません。
なるほど。上の疑問、解けました。

>>183 北海師
蛇足的意見。真言宗に於ける空海・弘法大師の圧倒的な大きさ故の問題ですかね。
天台の場合、ちょっとそのあたりの祖師観が違うかも・・・
 
>>193 会奉行様
>『葬書』の注釈を書いたりして(略)
> 詳しくは学研の赤い本『風水の本』に載っているそうです。
今度読んでみますかね。
突然申し訳ありません。
自分で仏教関連の書物を漁って判らなかったんですけど

【オン トナウチ タラタ ソワカ】

この真言は、どの仏尊の真言ですか?
蔵王権現さんのような日本独自の仏尊の真言なんでしょうか?
201眞海:04/05/29 01:52
>50 :北海大将智 :04/05/23 23:40
>48 眞海師 頼瑜僧正、新義真言宗の教学の大成者ですが法脈的には
>三憲になるんですか。前から疑問に思っていたんですが謎が一つ解けました。

北海さんこんばんは。おはよう御座います。かな?って言うかもう寝てますよね。(苦笑)
だいぶ前のレスなんですが、疑問に思っていた謎とは何でしょうか?差し支え無ければ教えて
下さい。
202ランボー:04/05/29 07:13
それにしても、随分書き込みがありますね。
>>184
北海大将智さん、なにか貴方の書き込みの最後を読んだ後、正直言って力が抜けて攻撃的心が無くなってし
まったんです。
>>155
まあ今はなにもなく元気なんですけど…。と言われても、まだ何もしていません。
調伏などしませんので、不要な心配り(お世辞かもしれませんが)をさせてしまいマジ申し訳ありません。
なにか、書かれていることに上乗せして書いていったら、とうとう 2ch悪党党の党首になってしまい、ご丁寧に
天狗の称号まで頂いてしまって、困惑しています。
勝手に悪党党名乗ると、登録標章侵害で某TV局とハマコー先生から苦情言われるかもね
スポーツでは、選手がどんなトレーニングをしているとか、成績がどうかとか、ライバルのそれを励みや目標に
したりするのに、宗教界は変な世界観と思う。天狗の称号くれたから良いか。。
203名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 08:28
やはりランボー師が現れると
スレに活気が出るなー

拝み屋さん大歓迎ですね。
204真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 09:02
ランボー様
あなたは子供ですね。映画ランボーの空想の中で生きている。
もう少し話しのできる方と思っていましたが、私の見込み違いでした。
あなたにはずいぶん気を使ってレスしてきたつもりですが、
あなたを調子づけただけのようです。
修行自慢のレスを読んで愕然としました。
あなたはいったい何のために修行してるのですか?
霊能力を養うためですか?
それとも霊障に悩んでいる人を救うためだとでもいいますか?
はっきりいって、霊能力で人を救うことなんかできない。
あなたのいう救済というのは自己満足のためのものであって
本当に人のためを思ってやっていない。
私は救済とか利他行とか軽くいうのは大嫌いだ。
自分のこともきちんとできない人間が何が救済だ。
本当に困っている人を助けたいのであれば、
イラクへ行ってきてください。そこで花のように散ってきてください。
命がけで修行しているあなたなら、できるでしょう?
あなたは求聞持法で霊能力をつけるまえに自分の慢心を制御すべきだ。
求聞持や護摩を何回やってもあなたではだめだ。
求聞持法をやったことのある人間を私はたくさん知っている。
でも、そのことを自分から言う人間はすべて人格が低い。
あなたもその一人だ。ましてその回数を自慢するとは、
程度が低いにもほどがある。
求聞持をするまえに、北海さんの謙虚さを学べ。
あなたには何を言ってもムダなのはわかってる。
でも、もう我慢がならなかった。
それと、もう一点。
口数の多い霊能者にはロクなのがいない。
本当に力があるのであれば、しゃべらずとも理解されるからだ。
あなたは言い訳がすぎる。口でごまかしているのがミエミエだ。
205ランボー:04/05/29 09:22
>>204
それで、いいんですね。私もそのように対応させて頂きます。
霊視の能力はレーダーです。貴方の言う霊能力はどこまでを含むのか分りませんが、レーダーだけでは戦え
ません。
貴方が私の事を子供と言うのは結構だと思います。社会で汚れた大人の考えより、純真な子供を選択してくれ
たことに感謝します。
今のイラクへ自ら行くことは、私の価値観では、愚かな事です。
それを考える貴方に言う事はありません。
私の日々を見ることなく決め付けることは、よほど御目が高いのですね。
人格が低くて結構です。この肉体をもって、聖人として生きるなんて、しょせん無理な事です。
今のありようを素直に受け入れ、その中で自分や小さな周りの者たちと幸せを感じながら生きてゆければ良い
のです。その状態を見て、人がどう思おうと、自分の枠の中で幸せを感じていたら、それで良いのです。
貴方が、どう低級呼ばわりしようが、私たちはとても幸せに生きています。仏に遭遇して。     
                                                             合掌
206真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 09:39
人がどう思うおうと、自分が幸せであればそれでよいと?
だから、人の立場を理解できないんですね。
人の立場を理解できないから、
簡単に人助けがしたいなんてことをいえるのですね。
で、あとはお祓いをやって、正義感ぶって自己満足というわけですか。
これは笑える。
207真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 09:43
イラクへ行くのはあなたの価値観では愚かなことですか。
では、あなたの価値観って何ですか?
なんでイラクへ行くことが愚かなんですか?
あそこにはあなたの好きな困っている人がたくさんいますよ。
あなたの加持力でバンバン助けてやれば、喜ばれるじゃないですか。
208真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 09:58
私があなたのことを子供と称したのは
物事をきちんとわきまることのできない、
浅はかな人間です、という意味です。
純真な心の持ち主という意味ではありません。
それと、自分のことを純真と思っている人間、
これはタチが悪い。勘違いにもほどがある。
209金剛杵:04/05/29 11:03
折角の所なんですが
そろそろコテハン叩きは
終わりにしませんか
210真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 11:34
>>209
いや、私だってこんな荒らしのようなことはしたくない。
しかし、あまりにも目に余るものがある。
ランボー氏は自由な書き込みを推奨し、
個人の価値観の押しつけを批判する発言をしておきながら、
結局は自分の価値観に合わない人間の発言に対しては
頭ごなしに否定し、皮肉をまきちらし、
あげくのはてには脅迫めいたことまで言っている。
このままでは、このスレは霊界を認める者しか発言できなくなってしまう。
現に、理趣経スレ、虚空蔵菩薩スレがそうなってしまっている。
もうこれらのスレにはランボー信者しかいない。
しかもランボー氏には
【本で覚えた】ランボー専用スレ 【護身法】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1069292625/
↑このようなコテハンスレすら存在している。
このうえここまで自分の専用化にしようとしている。
もちろん、氏はそんなつもりはないというであろう。
しかし、氏の発言はそうなってしまうものだ。
氏は自分のやっていることを全くわかっていない。
霊障に苦しむ者を救いたいのであれば、
それ専用のスレを作ればよい。
もっとも、作らずとも、オカ板、宗教板へ行けば、
そんなものたくさんある。なにもここで除霊相談をしなくてもよい。
211名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 11:50
>210
ちょっとおかしくない?
あなたがランボー氏を気に食わぬなら、あなたが他の名無しさんの質問をスルーしてるが如くランボー氏もスルーすればいいだけじゃない。
もしくは2chルールに従いレス削除もしくはスレ削除依頼を淡々と出すか
あなたもムキになって今みたいなレスの応酬続けてるから荒れるのよ
212真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 12:04
>>211
これまで氏の気にくわない発言は
スルーしてきました。しかしながら
脅迫はスルーできない。ものには限度というものがある。
それと、私は名無しさんたちをスルーしてはいないし、
なるべく答えようとしている。
答えようとして、別の方が答えてしまって
答える必要のなくなったものもある。
あと、前にも書いたことがあるけど、ここにいる僧侶は
すべての名無しさんの質問に答えなければならない義務でもあるのですか?
別に義務だとは言ってないよ
でもここのスレタイ見てる?それに、2chのような掲示板で匿名対匿名で脅迫されたからって一体なんだって言うの?
214金剛杵:04/05/29 12:31
困りましたね
ランボーさんは俗に言う霊能力みたいなのが優れている
真言坊主さんはそれを否定してるんですよね
ランボーさんは「口で言って解からん香具師は術で調伏する」みたいな事言って
真言坊主さんは「脅迫だ」ですよね
だんだんとこのスレが修羅場と化してきてますよ
霊能力云々に関しては私にもそれなりの考え方がありますのでいずれまた
お二人の力がこのスレの現況を創り出している
これも大日如来が0と1の羅列に姿を変えて現れたものですか?
215真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 12:34
完全な匿名ではないよ。ランボー氏が脅迫したのはコテハンに対してだよ。
名無しなら無理だろうけど、コテハンだとある程度個人は特定できる。
霊能力のある人間なら、ある程度個人を特定できたら
その人を呪殺することだって可能なんでないの?
そもそも名無しだろうがコテハンだろうが関係ない。
私は脅迫そのものが悪いことだと言っている。
それとも、あなたは脅迫という行為は悪くないとでも?
イタ電や愉快犯的脅迫行為は犯罪ではないとでも?
216真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 12:40
>>214
私はランボー氏の霊能力を否定しようとしていたわけではありません。
なるべくなら、氏とは意見の交流を通じて、互いに理解しあえたらいい
と考えていました。しかし、霊魂の存在に懐疑的な人を
頭ごなしに否定して、あげくのはてにおどしまでする。
さらには開き直って謝罪の言葉ひとつない。
これはもう暴走です。相互理解などありえない。
217名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 12:51
まるで子供のケンカじゃない 何て大人気ないの?
218名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 13:50
ま、ランボー師も言いすぎたし、矛先を治めているから。
常々お持ちの仏教界に対する苛立ちが、温和な北海師に向かったのでしょう。
現実に苦しむ衆生を救うにはもっと過激に霊に立ち向かっていかなければ駄目だと。
しかしながら、霊能だけはこれは生まれつきによるところが多い気もします。
ランボー師から見れば、修行が足りないからだと見えるのでしょうが、
それぞれの気根に応じて、それぞれの気根に応じた衆生救済の道を歩んでいるわけですから、
どちらも尊いことだと思います。
相手になにか一言言いたくなるということは、それだけ互いに真剣だということで、この場を
治めてくださいな。
219元拝み屋:04/05/29 14:36
真言坊主さん
言いたい気持ちは解りますが、ちょっと抑えましょう。

良いじゃないですか脅迫まがいな事があっても
ぐっとこらえて我慢(放置)しましょうよ。

真言僧であるあなたが、拝み屋さん相手にムキになる必要はないでしょう。

ただ祈祷中心の寺の住職である私は
ランボー師の言いたい事も解ります。
「私に任せれば全て大丈夫」
「私が拝めば全てがうまく行きます」っぐらいの自信が
必要なんですよ。
その自信は日々の修行無しには養われません絶対に。
かつての私もランボー師よりの考えでした、修行自慢はしませんけど‥
220真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/29 14:45
これまで抑えていたものが
一気に噴出したってところです。
みなさんのいうとおり、ここは我慢しましょう。
221国常立 ◆R1kuniIoQ2 :04/05/29 14:53
「誠心誠意」修行したがやっぱり騙される、という事もあるにはある(笑)。
というか、それは珍しい事では無い。「善意」だけの人もコロコロ騙されるものだ。
ま、己の「善意」を改めて見つめてみよ、って事になる訳だ。それも修行(笑)。
修行したから偉い、ってもんじゃないねぇ。
知識があるから偉い、っていうものでもない。
結果どうなったか、どんな人なのか、それが常に問題になる。
222元拝み屋:04/05/29 14:54
そんな私でしたが、ある阿遮梨様との出会いにより
少し変わりました。
その師曰く
「真剣(死ぬ気で)に人々を救いたいのか?」
私「はい」
師「じぁー、まず事相、教相に精通しろ!死ぬ気があるなら出来るだろ!」
拝んでなんぼ、と思っていた私は
まさに目から鱗!
その師は毎日の修法(行法)欠かす事無く、さらに事相教相に精通してる、そして決して驕らず、
素晴らしい方です。

そんな至らない私から一言
「事相教相無しには、本当の意味で人を救う事は出来ない」
と思います。

それでは皆さん仲良くね、  合掌
223名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 14:57
たしかにランボーさんは典型的な拝み屋さんですね。
自分以上に行をした人の話しか聞かないと言っている以上、話しても無駄ですね。
しかし、「行」って単に行法を行じるだけの事を指すんでしょうかね?
「穢土の一日の修行は深山の千日の修行に勝る」といいますが、もっと大事な事があるような気がします。

行をしてる人が行にとらわれてしまったら元の木阿弥。ギャーテイギャーテイ
225会奉行:04/05/29 16:54
『随行一尊念誦供養私記』に
「玉蔵坊という人は、安芸の厳島で求聞持の法を96回行じたが、遂に山下の橋の上で天狗に捕われた。」
「また、高野山奥の院の宥運阿闍梨は、求聞持法を136回も行じたが、些かの功益も得られなかった」
(以上、ビデオ『息災護摩の意得』中のスーパーより引用)とあるそうです。
行は如法に修しても、本人の心がどこかズレてると外道になるものです。
質が大切なんだと思います。
その質を上げる為には以前にも数度書きましたが、事相と教相の双修ですよ。
226北海大将智:04/05/29 17:50
201ー眞海師
>48 眞海師 頼瑜僧正、新義真言宗の教学の大成者ですが法脈的には
>三憲になるんですか。前から疑問に思っていたんですが謎が一つ解けました。
北海さんこんばんは。おはよう御座います。かな?って言うかもう寝てますよね。(苦笑)
だいぶ前のレスなんですが、疑問に思っていた謎とは何でしょうか?差し支え無ければ教えて
下さい。

 この謎というのは頼瑜僧正が1256年に仁和寺で広沢方を1261年に三憲流の
法を受けたいるのですが、1266年には大伝法院の学頭になっている。
 では覚鑁以降の時代のなかでいつから明治までの間、新義の中で法脈としての大伝法
院流が盛んではなくなってしまっていたのかということが疑問なんです。
 覚鑁以降、伝流がお蔵入りしていた話は聞いたことがあるのですが、それがいつから
なのかというのが知りたいんですよ。私は浅学で法脈なごのこと詳しくないんですが、
大伝法院は法脈としてではなくいわゆる新義教学の流れの要素が強くて僧侶たちは各々の
阿闍梨により法脈に違いがあったのか、それとも頼瑜僧正の時代にはもの伝流がお蔵入り
状態だったのか眞海師はご存じでしょうか?
227名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 20:18
加持力=霊能力ではない。
拝み屋はそこのところをよく誤解し、外道にそれていく。
228名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 21:27
まあ所詮2chということで。
自称行の達人も出てきますよ。

実際に会う価値があるかどうかは言わない(笑)
なんとなく納まった(続いている?)ようで

霊能関係で思い出したのですが、某テレビに出ている下なんとかいう方いますね。
あの方が拝んでいるのが六字明王ですが、前に会奉行様が六字とは如意輪観音の六字のことを指すと言われていましたね。
そこで尊格についての質問なんですが、六字明王と妙見菩薩といのは造形が似てませんか。
妙見尊は、北極星を仏格化した仏様ですよね。
そして如意輪観音も北斗七星供という修法の本尊ですよね。
六字明王にも星供という修なり類するものがあるのでしょうか?

どうぞよろしければ、お教えてください。
230名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 21:47
仏教の書物では6観音の修法
六字河臨法や一部の修法の本尊にしか使われない。
6観音の合身=六字明王と思ってイイと思います。
たしかに尊星王(妙見菩薩)と似てますね
十二支を周りに配してるところや陰陽閉ばい印を踏んでいるところ
ただ六字明王は尊星王と違い青黒の肌をされてますし
天台では尊星王は大日如来の化仏とされてますね。
231ランボー:04/05/29 22:42
>>204 貴方は短時間に色々と精神的に味わいましたね。その根本がお分かりで無いようですので、不肖ランボ
ーが解説させて頂きます。貴方にとっては初めてのことで、心をセーブ出来なかった事、お察しします。
事の始まりは、貴方が私の書き込みを見て自分と生き方の違うランボーの意見に腹立たしく思った。それがだん
だん高じてとうとうランボーを恨んでしまった。貴方の心で作られた恨みの生霊はランボーへと放たれた。ランボ
ーの処に貴方の生霊が来た時、ランボーは気が付いてその生霊を配達主に返した。大般若も理趣分も理趣経
も、真言も使わずその生霊は簡単に返された。それは、ランボーにとって造作ないことだった。自然の摂理を応
用しただけだった。密教はその摂理の上にあることを忘れてはならない。ちょうどレーザー銃で撃たれたとき、鏡
で反射させて元に返せば済む事だった。当然返品された生霊は発送者の貴方に当たった。貴方は自分の放った
ランボーを呪うエネルギーの影響を不幸にも受けてしまった。いら立ちがつのり、続けさまに書き込まずに居れな
いら立ちと焦りと恐怖に見舞われた。ランボーの行を認めていない貴方が、ランボーの呪術の力を認める書き込
みをしてしまった。霊能力のある人間なら、ある程度個人を特定できたら その人を呪殺することだって可能なん
でないの? そもそも名無しだろうがコテハンだろうが関係ない。と、それは、自分が呪ったエネルギーがそれを
感じさせるものだったからに他ならない。ランボーでなかったら、何らかの被害を被っていたかもしれない。
自分の能力、法力?霊力?で処理できなくなった貴方は、人間として口にしてはならない書き込みをしてしまっ
た。
232ランボー:04/05/29 22:42
イラクへ行ってきてください。そこで花のように散ってきてください。 そう、私に死ねと。
人を呪わば穴二つ と云う言葉がある。同じレベルの者同士が呪いあったら、最初に生霊で殺され、その殺され
た死霊が生霊を放った者を憑依して殺す。墓穴は二つ出来るというものだ。また、拝み屋の末路は哀れなり、と
いう言葉がある。貴方が今回味わった悲惨な心になって衰退していく事を云っている。
貴方が、いくら念を込めても、貴方が外道という修行者ランボーを倒す事はできない。貴方は否定しても無意識
き今回してしまったようだ。人を呪う事はつまらないことです。それを知っていただきたい。
233名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 22:56

ワロタW
234名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 23:13
密教は倒すとか倒されるとか、戦いではないでしょう。
漫画の読み過ぎ。孔雀王とか(w
235@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/05/29 23:38
>>230
やはり修法自体少ない尊格なんですね。
陰陽道の影響から造形が出来ているから似てくるのでしょうね。
レスありがとうございます。

>>229 修なり類する 修正→修法なり類する
236眞海:04/05/29 23:56
>>226北海さん。
私は詳しくは在りませんし、北海さんが浅学だと仰られるのであれば、私は
無学と言うしか無くなってしまいます。(苦笑) しかし無い頭と希少な資料
の中から推察してみました。間違っていたらご勘弁願います。

根来寺開創(1140年)頃でしたか、後に秀吉の焼き討ち遭い堂塔伽藍の殆どを
焼失云々。これ以降衰退の途を辿ったのでは無いですかね?高野山が真言宗の
大本では在りますが、明治後期だったか、昭和初期までは真言宗寺院の法流は
三憲が主流だった様に聞いています。廃仏毀釈、昭和の大戦以降に格本山の特
徴を、と言う動きが在って・・・
真言律宗は我が道を行く風な感じだったようですけど。

間違っていたら本当に御免なさい。改めて謝罪します。教学は得意では無くて(苦笑)
醍醐寺伝法学院には今でも豊山派末寺からの入学者が居ます。(他派も居ます)
四国の八十八ヶ所のお寺で他派でありながらも三憲を受法して来なさい。とご子息に
言う方が多い様ですよ!
237名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/29 23:58
まあ人格欠陥の霊感者もいますよ。誰かさんみたいに。
性格の悪い医者や科学者がいるのと同じ意味で。

そういう連中とは部分的に接していればいい。
霊感の部分だけ(懐疑的な心中を秘めながら)利用して、
利用し終ったらポイすればいい。それだけのこと。
238眞海:04/05/30 00:18
ちなみに智山派の幸心方は醍醐の教学の中心であった報恩院の流儀の報恩院流・幸心方
の法脈です。今でも交流が在り(勿論他派も)行き来し研究・研鑚がされています。豊山派
の方もいらっしゃて居られるようですし、東京の護国寺さんにもお呼ばれして勉強会を
している、との話も聞いています。

上の236のカキコ。御存知の所も在ったと思われますし、私が間違って覚えている所も
在ろうかと思われます。どうかお許しを戴きまして、訂正をして下されば幸いです。
宜しくです。
239北海大将智:04/05/30 00:51
 もともと高野山にあった興教大師覚鑁の開いた大伝法院を根来の
一乗山に1288年3月に移したのが1266年から伝法院の学頭
だった頼瑜僧正なんですよ。伝法院を起こした覚鑁は1140年に
高野山との確執から根来寺に移り一乗山円明寺を建立しているんで
すが伝法院自体は移していないんです。
頼瑜僧正は1256年に広沢流、1261年に三憲流を受法し、
1276年から醍醐の中性院に住し中性院流を起こしている。
さらに頼瑜僧正は法流をうけるために京都まで出てたようなんですよ。
 根来山ではその後、室町時代末期に日秀が根来智積院に醍醐から
報恩院流を導入しする。その後日秀の弟子玄宥と小池坊頼玄の弟子
専誉が同時代に二人能化としなったところで秀吉の根来焼き討ちが
あるんです。このあと玄宥は京都に智積院を移し智山派の流れを、
専誉は奈良の長谷寺で豊山の流れを作るんですが、この時点で玄宥
は報恩院流、専誉は中性院流の法脈なんですよ。
 興教大師覚鑁が高野山伝法院を去って頼瑜僧正が広沢流を学までの
あいだは約百年そこらしかない。その間に法脈としての大伝法院流は
どうなっていたのか松長有慶博士の『密教の歴史』にも書いてないし
私の持ってる松崎恵水博士の本にも書いてないんです。会奉行師
真言坊主師あたりはご存じないですかね?
 
 236眞海師 明治以降の豊山の法脈復興運動の中で伝法院流が再興
されましたが、眞海師おっしゃるようにそれ以前は三憲流や報恩院流を
行っているところが豊山でも多かったようです。本当に戦後しばらくた
ってからなんですよ。伝法院流で統一されたのは…。
240北海大将智:04/05/30 00:51
 もともと高野山にあった興教大師覚鑁の開いた大伝法院を根来の
一乗山に1288年3月に移したのが1266年から伝法院の学頭
だった頼瑜僧正なんですよ。伝法院を起こした覚鑁は1140年に
高野山との確執から根来寺に移り一乗山円明寺を建立しているんで
すが伝法院自体は移していないんです。
頼瑜僧正は1256年に広沢流、1261年に三憲流を受法し、
1276年から醍醐の中性院に住し中性院流を起こしている。
さらに頼瑜僧正は法流をうけるために京都まで出てたようなんですよ。
 根来山ではその後、室町時代末期に日秀が根来智積院に醍醐から
報恩院流を導入しする。その後日秀の弟子玄宥と小池坊頼玄の弟子
専誉が同時代に二人能化としなったところで秀吉の根来焼き討ちが
あるんです。このあと玄宥は京都に智積院を移し智山派の流れを、
専誉は奈良の長谷寺で豊山の流れを作るんですが、この時点で玄宥
は報恩院流、専誉は中性院流の法脈なんですよ。
 興教大師覚鑁が高野山伝法院を去って頼瑜僧正が広沢流を学までの
あいだは約百年そこらしかない。その間に法脈としての大伝法院流は
どうなっていたのか松長有慶博士の『密教の歴史』にも書いてないし
私の持ってる松崎恵水博士の本にも書いてないんです。会奉行師
真言坊主師あたりはご存じないですかね?
 
 236眞海師 明治以降の豊山の法脈復興運動の中で伝法院流が再興
されましたが、眞海師おっしゃるようにそれ以前は三憲流や報恩院流を
行っているところが豊山でも多かったようです。本当に戦後しばらくた
ってからなんですよ。伝法院流で統一されたのは…。
241名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 00:56
>>236
「無学」とは仏教では、もう学ぶ事は何も無いという意味ですよ。
「浅学」と反対の意味です。
242北海大将智:04/05/30 00:57
 240 二重カキコしてしまいました汗 みなさまごめんなさい。
 238 眞海師 確かに護国寺宗務所で三憲流の講習会ありましたよ。
私はいけなかったのですがいった方に一八道の次第を少し見せて
もらいました。やはり法流が違うとかなり一八道も印象が異なりますね。
243真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 01:02
>>231-232を読んでずっこけた。
自分の行為を反省。
244名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 01:13
伝流は、長谷寺第13代能化(名前は忘れた)が御室で受法して、豊山に持ち込んだんです。
245名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 01:27
↑思い出した。長谷寺の第13代能化は、卓玄でした。
246真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 01:31
>>240
覚鑁から頼瑜までの伝法院流の法脈は
『野沢血脈集』第三(真言宗全書三十九・433頁)に
その記述がありますよ。
覚鑁・兼海・隆海・覚尋・経尋・覚禅・経瑜・頼瑜
となっています。各師の略伝も出ていますが、
くわしくは『伝燈広録』なんかを見たほうがいいかもしれません。
247真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 01:42
(続き)
新義真言宗の変遷および法脈の流れは、
松崎氏のは見たことがないのでわかりませんが、
松長氏の『密教の歴史』ではくわしくはないですね。
やはり一番詳細なのは、櫛田氏の『真言密教成立過程の研究』正続
じゃないでしょうか。正のほうは古本でびっくりするくらい高いですが…
248名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 01:59
覚鑁・兼海・俊晴・会慶・頼瑜
という伝流もあります。
249ランボー:04/05/30 06:14
>>225 会奉行さん。
貴方の話は、ほとんどが誰々がこうしたという他人ごとだ。自分が求聞持をやって、これこれの体験をしたと云う
なら分るが、他人のしたことを出してきて、自分が考えている方向に向くように評価するなら、テレビのワイドショー
と変らなくなってくる。最初に最初に結論ありきで資料をさがすのだから。
宥運阿闍梨は、求聞持法を136回も行じたが、些かの功益も得られなかったというのは、愚かな例と受け止めて
もよいのかな?弘法大師は六回されたようだが、五回では足りなかったなにかがあったと考えられる。
六回で止められたのであれば、それで目的が達成したものと考える事が自然であると思う。
しかし、貴方の提示した例はなんと136回、異常に感じれれる。私の価値観ではこの回数は愚かに思える。
こう書くと、また苦情が来るだろうが、少なくとも数回やってから苦情をいってほしい。その回数のメリット、デメ
リットを体得してからにして欲しい。それだけの数やることは、並外れた努力と忍耐力が要る事でもあり尊い事
と考える人もいるであろう。しかし、反面愚かでと思う。求聞持は100日ないし51日で修するのが普通のようだ。
初夜から始まり、後夜に終わる51日をしたと考えると、気候の条件、体力の条件を考慮すると冬は出来ないから
年間3回となる。136回を単純に3回で割ると、45年少々となる。自分の人生、寿命を考えた時、私の価値観で
は、その回数に達する前に気が付かなくてはならない。やってみないものが、いくら他人の資料を紐解いて言っ
ても、食材だけを考えて、その調理された味を云々するのと似ている。容易に判断のつくものではない。
握りずしでも言えよう。同じご飯やねたを使っても、握られたすしの味は違う。
事相と教相の双修ですよ。 とよく言うが、それで何を求めようとしているのか。宗教は学者の教材としてしている
のか?私は仏に会うためにした。それ以外、もっと深い意味合いがあるのか、ランボーには諸師の考えが理解
出来ない。あの映画を見て、ランボーが学者と言う者はいないでしょう。わたしも学者ではない。
修行をしているものを否定するなら、自分もやってみてから、その体験のうえでして頂きたい。弘法大師が繰り返
されたのだから、密教僧は修行の必要があるのではないかと思う。
250名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 09:34
>>249
弘法大師が求聞持六回やったってのは初耳だ。史実でつか?
2回やったってのは聞いたことあるが・・・
136回もやったのは鉱物なしで試したんじゃない?
252真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 10:07
>>248
俊晴・会慶といえば、平安末から鎌倉期にかけての
高野の大学者ですね。頼瑜が会慶から学んで、
それを記録しておいてくれたおかげで、
われわれはこの二人の学説を知ることができた
といっても過言ではないでしょう。
しかし、事相まで受けていたとは知りませんでした。
253真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 10:10
>>225
『随行一尊念誦供養私記』とは聞いたことのない書物ですね。
そんなに普及していないものなんじゃあないですか?
でも、内容はかなりおもしろそうですね。
254真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 10:21
>>250
史実ではありません。
空海さんが求聞持法に言及したのは、
たった一ヶ所、『三教指帰』の序文だけです(『御遺告』は除く)。
もちろん、そこにはやった回数なんか記されていません。
しかもこの序文は後世に作られたという説もあります。
255250:04/05/30 10:42
やっぱしそうですか。空海ですら六回もやってるなら密教関係の書籍にその逸話が書いてあってもよいですが、ないですよね
256ランボー:04/05/30 12:11
>>250
また、物議を    。
仏様が、教えてくださったのです。毘沙門天王は、お大師さんが求聞持中足を組み替えてリ、座ることに
工夫をしていたと教えてくれました。人間お大師さんとふかく親しみを感じました。
興味の無い人はスルーしてね。
257ランボー:04/05/30 12:33
>>203
拝み屋さん大歓迎ですね。なんて 言われちゃって、ほめられているんだか、なんかウフフ!
だけれど、指数240の小さな末寺の住職なんだけれど。
拝むといえば、何処の寺でもおがんでいますね。
258会奉行:04/05/30 13:21
>>249 ランボーさん
私の言うことは他人ごとだと言われますが、その通りですよ w
私は敢えて自分の体験は、他人には信じる信じないの話にしかならない為、極力語らないようにしてきたのです。
ですので、なるべく客観的な実在の資料を引用するなどしてきたのです。
だから大分前に霊の話題をふられてもスルーしてきました。
私が寺社板で霊の話をしたのは、以前ランボーさんに突然引用された大菩提院のスレと、不動明王の前スレの終わりに私と稲荷の対決を書いたくらいです(これはスレの終わりに際し封印する気でしたので敢えて書きました)。
259会奉行:04/05/30 13:23
また、白状すれば私は行中にも様々な体験をしています(古神道や宮地神仙道の行にも手を出しています)。
行中の体験と言えば、神秘体験と相場は決まってます。だけど、信じない人にはデムパな話にしかならないじゃないですか。
だから、体験談は自分だけのもので、他人と何処まで共有できるかは解りません。
それに、私はどちらかといえば事相家です。ですから行法を頭で批判したりしません。私の意見の裏には自分の修行体験があります。
事相と教相の双修によって何を求めるか?
それは仏に会うというのもありますが、究極は即身成仏ですよ。
260会奉行:04/05/30 13:23
宗教は学者にとっては教材でしょうね。
しかし、教相の学解も大切ですよ。なぜなら行法の一印一明には広大の義を含んでいるからです。それを教えてくれるのは教相です。

悉地成就する為に、成仏する為に、信念不動の信仰心を養う・・・・その為に有益な情報を得る。これが教相です。教相はシャバ世界の学問ではありません。世間の歴史学・哲学・宗教学ではないんです。出世間の学びです。

そして、事相を追求するのも「行」なら、教相を追求するのもまた「行」です。
私は両方とも修行中です。終わりはありません。
261会奉行:04/05/30 13:25
纏まりがないので、最後に先徳の言葉でシメときます。
「事相の行者は教相顕露の難を加え、教相の学者は事相無知の難を得たり。一方に偏するは是れ邪執なり」
興教大師『諸流通用口決』より。
262会奉行:04/05/30 13:46
>>299 @坊さまじゃないよさん
前スレで六字と如意輪の関係について解説したのは私ではなく北海師ですね。
六字明王と妙見菩薩(白狐の上に乗ってたかな?)は確かに似てますよね(なんだかアヤシゲな雰囲気も)。
>>230さんがいうように陰陽道を取り入れた六字河臨法。呪い返しの修法が有名ですね。あまりメジャーな尊ではありませんが。
私は詳しくないのでよく解らないです。
263会奉行:04/05/30 14:12
>>253 真言坊主師
原書を知らないのでなんともいえませんが、大学の寄託図書を探せばありそうですね。
六字明王については典拠もなし 平安末期に信仰を集めた仏尊で
現存例はあまり見られません。
狐に乗ってるのでは無く天狐 地狐が十二支の他に六字尊を守っているような形
尊星王は鹿を冠にしてるのではないでしょうか。
六字明王の修法は六観音の曼陀羅か六字明王を本尊に修法することになっているので
六観音=六字明王。と見ていいと思います
六観音の呪力をあえて六字明王という明王(陀羅尼の王)の形に具現化させたものだと思います。
265ランボー:04/05/30 14:53
>>260
貴方の言う事良くわかります。有益な情報を得る。これが教相てことは、初心者にとってもその入門編は
貴重な情報だと理解しています。以前からの書き込み態度も納得しました。
私にとっては、真言教主大日如来も教相です。
ご返事有難うございます。
266ランボー:04/05/30 14:55
>>259
即身成仏については、貴方と意見が分かれるところと、感じています。
それは、時期がきましたら。
267名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 18:45
>>252

覚鑁・証印・玄証・房海・覚禅・経瑜・頼瑜

又は

覚鑁・証印・玄証・房海・定意・実詮・真空・頼瑜

という流れもあるようです。
268眞海:04/05/30 20:52
>>241さん。
ご指摘痛み入ります。説明しなくも分かっていると仰るかも知れないですが、それ程
無学(学無し)なのですよ!(涙)

>>240北海さん。
すみません。お力に成れませんで・・・。
269名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 21:28
曼荼羅供養とはどのようなものでしょうか?
270@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/05/30 21:47
>>262
会奉行様 すみません。
前スレの発言者を記憶違いしておりました。
妙見菩薩は確か亀か青龍の上に乗っていたと思います。
怪しげさは陰陽道や道教の影響なのでしょうね。

>>264
六字明王とは六観音の力の象徴ですか。。
それにしても六観音の呪力がどうして調伏や呪い返しの本尊になるのでしょうか。
典拠が無いから俗習から生まれた尊なのでしょうね。
>>270
 ちょっと調べましたけど、妙見菩薩は北極星の化身ということで、
四方の守護神の中でも北を護る亀(玄武)を乗り物にするって書いてあった。
ほかにも龍を乗り物にする場合もあるらしい。
神道でも天之御中主神と関係のある菩薩さまだけに気になりますね。
ところで理趣経が見つかりません・・・・・・・・・田舎だから?
272真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 22:36
会奉行さん
例の学研の風水の本、書店で立ち読みしてきました。
ありましたねー、一行のところに。
私はあの学研のシリーズはあぶないデンパ本だとばかり
思っていたのですが、編集者・執筆者のなかには著名な学者も
いますね(実は私の知人も入っていてオドロキました)。
ただ、おもしろく書こうとしてか、ホントにそう思っているのか、
中にはちょっと……と思うものもありますね。
ま、ここのスレの方で、読まれている方がありましたら、
鵜呑みにはせずに、小説を読む程度にされるのがよいと思います。
273真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/30 22:46
>>267
覚鑁から頼瑜までの法脈もいろいろとあるもんですね。
これはひとえに頼瑜があらゆる師をたずねて、
勉強していたということのあらわれでしょうね。
ちなみに、真空というのは、木幡上人真空ですね。
この人の説も頼瑜は『大日経疏指心鈔』の中で
よく引用しているのを記憶しています。
>>261
会奉行さま、はじめまして。

よい話を聞きました。

私は修験の道を歩んでいるものですが、山を下りるときに自分の心と対話をよくします。
今日は修験と密教、どちらに重きを置くかを対話しました。そしたら、修験と密教の調和をとりなさいという答えが返ってきました。
あまりに曖昧でよくわからなかったのですが、事相教相の話を聞いてそういうことなのかなと思いました。

どうもありがとうございました。
そして、スレ違い失礼しました。
275お経好き:04/05/31 00:01
なんかもめていたようなので(w、気かひけてレスができませんでした(w

真言坊主様(>>143->>146

丁寧な解説、ありがとうございました。
「理趣経」の読誦、越三昧耶にならないとのこと。安心しました。ただ、「大般若理趣分経」を読んでいるので、
正直「理趣経」まで読んでいる余裕はないかもしれません(w
また、「大日経」「金剛頂経」などは読誦しないとのこと。よくわかりました。ただ、素人考えでは、大日如来様との縁を強く結ぶ意味で読経をしてもいいのでは、と思ってはいますが・・。
なお、大日経の住心品の経本も藤井文政堂というお経の出版社から出ているようです。但しカナなしのようですが。
また、金剛頂経が単独の経典を指すのではないことは知っていましたが、理趣経も含まれていることは知りませんでした。
少し勉強しなきゃいかんでしょうね。
更に、「守護国界主陀羅尼経」など、読誦することもあるとのことも了解しました。
機会があれば読誦してみようかなとも思っておりますが、正直、他のお経や陀羅尼で手一杯かなとも思いますが。

勉強になりました。ありがとうございました。
276お経好き:04/05/31 00:03
ランボー様(>>153

励まし、そしてご助言ありがとうございました。
より一層読経に励むことにします。

ありがとうございました。
277真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/31 00:28
>>275
あれ?お経好きさんって、もしかして
以前ここの板で「朝夕の勤行」ってスレタイで
勤行内容をカキコされていた方じゃないですか?
あのスレ、私はひそかに応援していたんですよ。
何度か無記名でカキコしたこともあります。
違っていたらごめんなさい。
で、『大日経』の読経ですが、やっても別に問題はないです。
昔のお経本には住心品が入ったものもありますから。
ただし、これは読経というよりは、勉強のために訓読(書き下し文)
を読みあげていたようです。これは講讃と言って、
仏さんの前で訓読を読みあげ、次にそれについての解説を読んで、
最後に問答(討論)する、というものです。
現在でも高野山では毎年、行事の一つとして行われています。
278名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 01:04
>>273

新たに法流を興すくらいですから、伝流一つについても、様々な伝えを諸師に学んだんでしょうね。
279名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 01:14
>>275

大日経は、住心品については読経します。

具縁品からは、修法の仕方等の作法について書いてあるので、「読経する」ということはしないですね。
280名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 01:28
279の補足

豊山派では、総本山長谷寺で毎月12日の興教大師の月命日に、大日経住心品を読みます。

次第は

先、四智梵語
次、大日経 住心品
次、不動讃
次、光明真言
次、宝号
次、廻向

です。
>270
わたしには解りませんが確か下ヨシ子さん談によれば
仏に降臨された時、自分の周りに念彼観音力の唱和と共に金色に光る六体の小さな人型のモノに取り囲まれた直後 霊能が芽生えたそうで。
金剛山で今は無き老婆の尼僧にも下さんの周りを囲む金色の六体仏が見えたそう
そこで尼僧が「仏様に名前を聞いてごらんなさい」と
下「六字明王とおっしゃてます」
尼僧「六字の陀羅尼の間違いではないですか?聞いたことがない」
こんな話だったと思います。
>271
それが台密では尊星王=大日如来 最高尊格とされるのが謎ですね
妙見菩薩は日蓮宗
>271
>271
それが台密では妙見菩薩=大日如来 最高尊格とされるのが謎ですね
妙見菩薩は日蓮宗では法華経の守護仏ともされてます。
283名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 01:35
>四智梵語
皆さんは、どうお唱えしてますか?
素直に真言読み?それともお坊さんの様な声明風?
諸師の方々質問です。在家は、どちらで唱えればいいのですか?
284名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 01:48
>>北海大将智さん

>>45あたりの理趣経の種子についてですが、亀レスですいません。

私は伝流で教わりましたが、「微音にて唱うべし」と習いました。

「諸伝有り」って事ですね。
285名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 02:00
>>283

素読でよいと思います。

声明も、高野山等の古義系と、智山・豊山の新義系を比べると、節回しが全く違います。
「これが同じ四智梵語か!?」ってくらいに違います。

唱え方が口伝の部分もあるので、素読が良いと思います。
286真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/31 10:27
>>280
おおっ!そうでしたか。
覚鑁上人の法要で『大日経』を。
知らないことはたくさんあるものですね。
ちなみに、この『大日経』の読経というのは、
もちろん訓読ではなくて、音読ですね。
密教経典の読経というのは、
高野では『理趣経』以外は全くしません。
今度、長谷寺の法要、見てみたいです。
時間などおわかりでしたら、教えていただけませんか?
2874→2住心:04/05/31 12:46
>>138
一畳弛緩院さん

物凄くうれしいです。ありがとうございました。
精進精進。
288名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 15:04
>>286
真言坊主さん

 長谷寺の興教大師の法要は、毎月12日です。
時間は午前9時から、奥の院にて。
長谷寺の奥の院は、興教大師が本尊なんですよ。
この時に導師は不動法を修します。

12月11・12日の陀羅尼会もよいですよ。
289名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 15:48
長谷寺の法要の話を一つ

長谷寺は真言寺院には珍しく、朝勤行に観音経。夕勤行に理趣経です。

朝勤行次第(通常時)
先、九條錫杖
次、般若心経
次、観音経
次、諸真言・諸宝号
次、廻向
次、御影堂・奥の院・鎮守 の遥拝

朝勤行次第(末寺団参有り)
先、四智梵語
次、願文
次、般若心経
次、観音経 次、十一面秘讃
次、諸真言・諸宝号
次、大金剛輪咒
次、一字金輪咒


 通常時の九條錫杖は、根来からの博士で唱えます。
この博士は智山には伝わっておらず、長谷寺独特の博士となっています。ノリノリなお経です。

団参時の十一面秘讃は、長谷寺の本尊が十一面観音であるため、後讃として唱えます。
『御請来目録』にある、『十一面讃 一巻』のことだと考えられます。豊山派では、長谷寺でしか唱えてません。
>>282
自分の感覚からするとそう謎でもないですよ。
密教みたいに大日如来を宇宙発祥の根源まで-高めれば
それは神道で言う最高神、天之御中主神であり、それが仮に人に見える
形で北極星(妙見菩薩)として衆生の統率と救済に当たる
って考えればじぶんとしては問題点はありませんが・・・
宗派の垣根があるから考えづらいかもしれないけど・・・・・
291真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/31 18:24
>>288>>289
興味深いお話ありがとうございます。
九条錫杖の「博士」というのは、何なのですか?
漢文学の世界では「博士訓み」という伝承の訓読があるのですが、
それと同じようなものなのでしょうか?

「十一面秘讃」ですか。これはやはり長谷寺ならではですね。
それが大師請来の「梵字十一面讃」とは!
これはとても勉強になりました。

興教大師の法要、いつか必ず参拝に行ってみたいと思います。
292男色院黄門拡張居士:04/05/31 19:07
今も女人禁制の僧院で衆道ってあるんですか?
いわば刑務所状態の僧院で同性同士の恋愛感情が起きたりしないんですか?
また理趣経的には、それも本来清浄なものなのでしょうか?
以前、真言宗の坊さんの本で同性愛を変態だの異常だの自然の摂理に背いてるだの、ケタタタマしく、なお且つ激しく中傷していまスタ。
293名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 19:35
>>真言坊主さん

博士(ハカセ)とは、経に節をつけて唱えるための、音譜のようなものです。正しくは、五音博士(ゴインバカセ)と言います。
五音博士を考案したのは、鎌倉期の高野山の僧(名前は忘れました)です。


現在、豊山の錫杖経には
○素読
○長錫杖
○三條錫杖
の3つの唱え方が伝わっています。

素読は、抑揚をつけずに読経します。

長錫杖(チョウシャクジョウ)
 その博士(節回し)の由来は、根来まで遡ります。
根来で唱えていた唱え方ですが、豊山には伝わっていて、智山には伝わっていません。
現在の豊山派で、最もよく唱えられている唱え方でもあります。
長谷寺の朝勤行での唱え方です。

 三條錫杖とは、四箇法要での唱え方です。
錫杖経の九條のうち、三條目までを唱えるので、豊山では三條錫杖と言い、智山では、長錫杖と言います。
3つの唱え方で、一番時間がかかる唱え方が三條錫杖です。約20分程かかります。

294名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/31 19:53
>>292
 高野山真別処円通寺が、女人禁制です。

あと、理趣経の真意は、そういう意味ではないっす。
295真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/31 23:27
>>293
ご教示ありがとうございました。
「博士」という言い方は、もしかしたら南山進流でも
使っていたかもしれません。昔そのようなことを
ちらっと習ったような習わなかったような…
五音博士ですか。おそらく律令官制の音博士からとったのでしょうねえ。
あと、抑揚をつけない読経のことを指して「素読」と称する言い方、
これも高野では使われない言い方です。
高野で「素読」といえば、やはり「会読」に対する言葉で、
『十巻章』などの祖典の読み方を師匠より習うことを言います。
ま、これは高野に限られず、漢文学一般にも言われていることですが。
296@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/05/31 23:28
>>271
北極星を象徴する尊ですから玄武に乗るのもなんとなく納得できますね。
明治の廃仏で妙見菩薩から天之御中主神に祭神が変った神社もあるそうです。

理趣はここにありますが 
http://www.eastvalley.or.jp/rishu/
それとも普通の教本型のでしょうか、それならネット上の仏具屋を見ればありますよ。
そこで聞けば送料をプラスすれば手に入ると思いますよ。

経本 理趣で検索したらいくらか出てきましたが。
http://store.yahoo.co.jp/kurita/b6e2cecdb9efb7d0bde8bdd0c8c7caaa-c8ccbce3c9f4.html
http://www.kyoto-wel.com/item/IS81212N01152.html

他にも検索で出てくると思いますよ。
297@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/05/31 23:28
>281
某氏の話聞いたことがありますが、なんとなく怪しい話ですね。

>尊星王=大日如来 最高尊格

これも熾盛光とかのイメージがだぶっているのでしょうか?
5/6六水院の護摩供に清水健太郎が来てミニライブしてみたいだけど
仏の威徳も中毒者には通じなんだか。
299会奉行:04/06/01 00:12
>>274
はじめまして。
私のレスが何かの参考になれば望外の喜びです。
これからもどうぞヨロシク!
300名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 00:19
300     を        ゲッツ♪
  ∧_∧   ∧_∧    ∧_∧
 ( ・∀・)  ( ・∀・)   ( ・∀・)
⊂ ⊂  )  ( U  つ  ⊂__へ つ
 < < <    ) ) )     (_)|
 (_(_)  (__)_)    彡(__)


301会奉行:04/06/01 00:21
>>真言坊主師
私も今日あの本立ち読みして来ましたよ。
日本道教学会の坂出氏が記事を寄せてましたね。
あのシリーズが電波系なのは売る為の編集者側の意向もあるんでしょうね。
一般人は学術書みたいなカタイ本より、少し不思議で秘教的な本の方が読物として楽しく読めるでしょうから。
それにしてもあの赤いシリーズの第一冊目は間違いなく酷いデムパ本でしたが w


「博士」は私が声明を習った時
「帰命声明三業の一。調子は一平双黄盤・・・・博士テン譜口伝の存す・・・・」
と唱えさせられ、一番最初に習いましたよ。
302お経好き:04/06/01 00:27
真言坊主様(>>277

>あれ?お経好きさんって、もしかして
>以前ここの板で「朝夕の勤行」ってスレタイで
>勤行内容をカキコされていた方じゃないですか?

いや、違います。そのスレは知りませんが、やはり「お経好き」のHNを使っている方がおられたのでしょうか?
だとすると、HNを変えねばならんかなー。「お経好き2号」とかに・・・(w
303お経好き:04/06/01 00:32
>>279-280

>大日経は、住心品については読経します。

そうですか。長谷寺に行けばカナ付きの住心品が入った経本が手に入るのでしょうか?
時間が出来たら行ってみようかとも思っていますが、・・
304名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 03:11
>>お経好きさん

 残念ながら、長谷寺で大日経は入手不可能です。
現在長谷寺で使っているのは、平成4年の興教大師850年御遠忌記念で、奥の院什物として特別に作ったものです。

京都・上田法衣店で、大日経住心品を扱っているようです。
『大日経住心品折本 1000円』
意外と安いんですね。
305名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 04:09
昨年の10月18日、鈴木は記者会見をして胃がんを発表した。ところ
で、建国義勇団の銃弾入り郵便が鈴木事務所に届いたのは10月20
日。つまり、この郵便は記者会見とほぼ同時に投函されている。

 また、鈴木事務所が「被害」を受けた同じ日、河野洋平議員の自宅
にも銃弾入りの封筒が届いている。外務大臣と裏の外務大臣。共通
点は有るが正反対の二人。

胃がんを捏造して国民の同情を引き、更に被害者として扱われ、病魔
と戦うクリーンなイメージを国民に与えるよう仕組んだ狂言ではないか。

同時に被害に遭った河野議員は肝臓移植を受けながらも衆院議長を
任命されるほど周囲から信頼された政治家。狡猾な鈴木が利用した
がるのも当然だ。

ハンナン浅田は日本最大闇組織の一員。付き合いの長い鈴木も秘書時
代から裏社会と密接だ。右翼まがいなど警察よりも早く目を付け、永年か
けてズブズブに癒着した医師会の黒ヒゲ医者を動かすのも雑作ないだろう。
306名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 04:52
↑のような、意味不明のレスをする305を撥遣するのは、雑作ないだろう。
307真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/01 09:29
>>302
すいません。失礼しました。はやとちりでした。
件の方はいろいろなお経や陀羅尼を毎日読経されていたので、
もしかしてお経好きさんなのかなあと思っただけです。
HNは違ったと思います。

>>304
『十一面秘讃』の収録されているお経本は
どちらで購入できますか?長谷寺ではできますか?
今度、経本を手に住心品や讃を聞きにいきたいと考えています。
308ランボー:04/06/01 10:04
>>207  真言坊主さん。失礼しました。未だイラクへ行くのはあなたの価値観について、ご返答していませんでし
たね。遅ればせながら、自分の考えをお伝えします。
加持祈祷の常識とも考えられるところですが、国家的立場に居て祈祷する時は、せかいてき、国家的、民衆的
な祈願をすることは、ご理解していただけますね。それと対照的に、個人での祈願は自分の周りのことなど、か
ぎられた範囲の祈願になる事をご理解いただけるものと思います。また、イラクの問題となりますと、貴方の教学
ではどう理解されているか分りませんが、アラーを絶対の尊格と信仰しているものに、仏教の加持力を施しても
宗教的波動が違いすぎて、法界の力の交流がなされず、救済に繋がらないということが、教学上理解頂けません
か。やはり、体験されなくては無理なのかもしれませんね。かねてから両輪がという表現が難解もありましたが、
どうも、片方の車輪が小さすぎるような気がします。
貴方のご意見では、私がオカ板、宗教板へ行けば、と言われていますが、真言の具体的な使い方や工夫を語ら
い合いたくて書き込みました。横に流れていますが。題名はお経集ではないのです。もっと大らかに考えましょう。
>>254
貴方は、弘法大師が求聞持をされた回数について、過去の記録をその根拠としている。それが、確実だという
保障は何処にもありません。まして貴方は、しかもこの序文は後世に作られたという説もありますと有る意味で
その記録に否定的と思えるような書き方をしている。私が経文のちょっとしたところを変えているのも、皆さんは
おおげさに否定していますが。
私は、経文は教材でもあり、道具でもあると思って使っています。
それを構成している材料がどうの、どこの産か、どう伝承されたかより、どう使い勝手が良いかを最大の選択肢
に考えています。しかしながら、両輪がとことんまで合理化されて研究されたなら、いずれ交わるでしょう。
309名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 11:25
>>真言坊主さん

『長谷寺勤行法則』
これは、長谷寺の本坊で頒けています。
大きさは、大般若経と同じくらいの折本。
3000円だった気がします。

『長谷寺勤行次第』
これは豊山派宗務所の「(有)豊山」にあります。大きさはちょうどA6版と同じ大きさです。値段はわかりません。


 私は前者の方がお勧めです。実際の長谷寺朝勤行に使ってる物ですからね。字も大きくて読みやすいです。

310名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 12:41
>>308

両輪の話については掲示板の性質上、どうしても事相的な話よりも教相的な話の方がしやすい傾向があります。
不特定多数の方が閲覧できる場ですので、事相の口伝などについての発言を憚られる方が多いのも事実です。

教相という語は『大日経疏』第七に、「阿字門等は、これ真言の教相なり」と説いてあるのに起因し、事相という語は『大日経疏』第八に、「およそ秘密宗の中には、みな因縁の事相に託して、もって深旨を喩う」と述べてあるのに由来します。

『塵塚』には、興教大師の訓戒として「教相の学者は、事相無智の言を吐き、事相の学徒は、教相顕露の難を為す。一辺を取って一辺を捨るは、これ偏執なり。事教の二相は、例えば鳥の羽(双)翼の如し。取意」と伝えられています。

したがって我々真言行者は、教相門を学んで智目を開き、事相門を習って行足を練ることを日常の要心とすべきでありましょう。


     シダンアラソト!
311名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 15:28
前スレのコピペですが
896 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日: 04/01/09 21:53
難陀龍王【台密】 ナマ(ク)サマンダ ギダナン メイガ シャニエイ ソワカ
八大竜王【台密】 ナマ(ク)サマンダ ボダナン メイガ アチャエイ ソワカ
312名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 17:35
普門品(観音経)は般若心経の後か前どちらがよろしいでしょうか?
また願い事はどのタイミングですればよろしいのでしょうか?
313名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 17:37
314真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/01 18:00
>>309
ありがとうございます。
今度、長谷寺へ参詣のときに購入したいと思います。
315真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/01 18:16
>>308
私は過去の記録が確実だなどと一言も言ってません。
あのレスで私が言いたかったのは、
空海さんは自己の修行内容やその回数やその中で得た体験を
語ることはない、ということです。で、その唯一の例外が
『三教指帰』の序文です。だからこの記録が後世に作られた可能性を
指摘する説があるということを紹介したのです。
自己の修行内容やその体験を語ることの無意味さは
すでに会奉行さんが説かれたとおりです。
それを他者に語るということは、自分を他者に認めさせたいからです。
真の行者というものは、そのような心を制御するために修行するものと私は思っています。
そもそも、その人が本当に良い目的で修行しているのか、
どれくらい努力をしているのか、という評価は、
人が判断するべきもので、本人が自から語るべきことではないと思います。
316ランボー:04/06/01 18:45
>>315
いやー。
そう言って、語らず、行わず、もありですね。
317名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 19:03
教相を勉強し、行法する事未だ足らず、と言う人ならば2ch遊びしててもうなずける。

しかし、修行してると自負してる人が、2ch遊びはいかがなものか。
>>317
そんな程度でどうにかなってしまうような修行というのも、
それはそれでいかがなものかと思う。

最初からしなくていいw<2chで遊んで崩れる修行
319一畳弛緩院:04/06/01 20:22
>>312
一般的に、前。
但し、天部などの場合、後もあり得る、と。
320名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 20:30
>>312

 普門品と心経、順番はお好みでどうぞ。

 真言宗豊山派総本山長谷寺の朝勤行では、心経を先に唱えます。
出開帳の時は、普門品を先に唱えました。

自分が唱えやすい順番で良いと思います。

 祈願するタイミングですが、これまたお好みで。
前に入れても、後ろに入れても、前後両方でも、やりやすい方法でどうぞ。
321名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 20:37
普門品に関しては、教本によって、
心経の後か前かいろいろですね。
でも、前の場合が多いような。
各宗派で後か前か決まりがあるのでしょうか?
また経典からの理由もあるのかな?
祈願内容は、回向の前にするのが多いのでは?
322名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 21:21
>319
>320
基本的には各人の好みということですか。
そういえば、詩のところだけでなく普門品を全部唱える場合は多いのかな?
323名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 21:22
>319
>320
基本的には各人の好みということですか。
そういえば、詩のところだけでなく普門品を全部唱える場合は多いのかな?
324真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/01 21:27
心経と観音経、いずれを先に読誦すべきか。
いろいろな意見があっておもしろいですねえ。
『檀信徒勤行次第』では一応、心経を先、観音経を後としていますが、
私の郷里ではその逆でやっています。格別きまりはないと思います。
ただ、これは私の一案なのですが、経典の解釈によって、
その前後を定めるというのも一つの方法ではないかと思います。
たとえば、心経を無相の法門(空性)、観音経を有相の法門(観音の利益)と
解して、空性を目指す自行のときは観音経を先、心経を後とし、
仏の功徳を被る追善供養等のときは心経を先、観音経を後とする方法。
あるいは、心経を弘法大師の『秘鍵』の解釈にもとづいて、
般若菩薩の三摩地法門、観音経を観自在菩薩の三摩地法門と解して、
般若菩薩と観自在菩薩との相関関係からその前後の次第を定める方法。
また、これらの考えを応用すれば、さまざまな解釈も可能ではないかと思います。
325名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 21:53
>>323

長谷寺の朝勤行では、全部唱えてます。
太鼓を叩きながら早めのスピードで読むので“流れ観音”と呼びます。
先に心経で御本尊や先祖を供養してから観音経を読誦するのがいいのでは?
なんか観音経だけ法華経の中で独立したお経になってるね
天台宗の鈴木和尚が観音経は最も功徳の高いお経だから観音経は色んな宗派で読むんだよって言ってたけど、そういう解釈でいいのかな?
先に心経で御本尊や先祖を供養してから観音経を読誦するのがいいのでは?
なんか観音経だけ法華経の中で独立したお経になってるね
天台宗の鈴木和尚が観音経は最も功徳の高いお経だから観音経は色んな宗派で読むんだよって言ってたけど、そういう解釈でいいのかな?
ごめんなさいサーバーが…書き込み完了の表示が出ないので。二重麻紀子してしまいました。
仏様(6字明王)でも念彼観音力って唱えるんですね・・・
それともその人のご先祖様が唱えていたのかな・・・・・
330真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/01 22:46
最近、この時間帯は重いですね。

ところで、観音経についてですが、
たしか、偈頌の部分は達磨笈多訳の『添品法華経』が竄入したもの、
とする説が何かの本に書かれていたのを記憶しているのですが、
このあたりのテキストの変遷についてくわしい方はおられませんか?
実際に確認してみると、偈頌ばかりか長行の部分も
ほぼ同文のものが『添品法華経』に見られます(大正蔵9、191頁b)。
羅什訳と笈多訳、いずれがオリジナルなのでしょうか?
331会奉行:04/06/01 22:57
>>325
長谷寺の太鼓はパターン奏法の内の「七五三奏法」というものだそうですね。
経頭がタクを二打の後経題を独唱。
タクと太鼓が同時に打ち始める。この時、太鼓の序は右手のバチでベタ打ちに打ち、二字目は読経のテンポ知る為打たずに飛ばす。
ベタ打ちは段々弱く打ち、頃合いをみて「七五三」のパターンに入る・・・・。
という感じで本に叩き方が書いてありました。
間奏の一字二打法は水が流れているような音に聞こえるので「流れ打ち」というそうですね。
332名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/01 23:41
曼荼羅を輪壇と云うと云う意味が、解りません。
平壇と云うならなんと無く理解出来るのですが・・。
333名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/02 00:16
>>会奉行さん

 七五三が基本で叩きますが、観音経には少し特殊な叩き方が伝わっています。

 七五三と七五三の間で「トントコスットン♪」というリズムを入れるのですが、私がいた当時は私だけしか使っていませんでした。
 このリズムは、観音経で叩く時には、どこに入れてもいいことになっています。

 長谷寺の太鼓は、昭和30年代までこのリズムを使っていたそうですが、いつしか絶えています。

 まぁ太鼓は外儀ですから、一字一拍のリズムを狂わさずに、始めと終わりさえ綺麗に叩ければOKなんですがね。



トントコスットン♪を文章で表現するのは難しい・・・
334名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/02 00:33
>>333

ハンドルつけてよ。そのほうがわかりやすい。
335承仕:04/06/02 00:53
 では承仕と名乗らせていただきます。

>>332

 曼陀羅は、本質という意味の「マンダ」に、所有を表す後接語の「ラ」を加えて“本質を有するもの”という意味です。
意訳すると、輪円具足と訳されます。

 《輪円具足》
仏のあらゆる功徳が、完全な車輪(輪円)のように少しも欠けたところがない・・・という意味。

 曼陀羅壇→完全な輪円のように万徳を具足した壇→輪壇

336一畳弛緩院:04/06/02 01:31
>>324 真言坊主様
> 心経を無相の法門(空性)、
> 観音経を有相の法門(観音の利益)と解し(後略)
>>319 で書いたのはその意味で。在纏の尊の供養の意味合いも。

>>330
> 偈頌の部分は達磨笈多訳の『添品法華経』が竄入したもの
そのようですね。世尊偈は、そもそもの羅什訳には無いようです。
羅什訳に、達磨笈多訳『添品法華経』の偈を合体させたものが現行の流布本でしょう。
羅什と達磨笈多の見た梵本(底本)がちがったんでしょうかね?
流通の後半(最後の七品)の順番も違うようですし。
※余談ですが、智者大師の時点では世尊偈はなかったらしい・・・
要は、我が国に導入された時点で、現在のようなかたちの観音経が唐土で
普及していたと云うことではないかと思いますが。どうなんでしょう?
ちなみに、日蓮宗の方のHPですが、三訳について、よくまとめられた頁が
ありますので、御参考に。 
ttp://www.kosaiji.org/hokke/translation.htm

>>323
基本的には、長行から読むのが本来でしょう。
護摩供などの際などは、偈だけという事が多いですが、
本あっての略ですから、自行としてやるときには、
長行から読むのが筋でしょう。

>>326
> 最も功徳の高いお経だから
うーむ。功徳の多寡はどうなんでしょうか・・・
法華経のなかの位置づけではあくまで本門の流通分ということですが。
(天台大師の『法華文句』によるもの)
観世音菩薩という存在の大きさ故によく読まれると云うべきでは?
337一畳弛緩院:04/06/02 01:32
>>324 真言坊主様
> 心経を無相の法門(空性)、
> 観音経を有相の法門(観音の利益)と解し(後略)
>>319 で書いたのはその意味で。在纏の尊の供養の意味合いも。

>>330
> 偈頌の部分は達磨笈多訳の『添品法華経』が竄入したもの
そのようですね。世尊偈は、そもそもの羅什訳には無いようです。
羅什訳に、達磨笈多訳『添品法華経』の偈を合体させたものが現行の流布本でしょう。
羅什と達磨笈多の見た梵本(底本)がちがったんでしょうかね?
流通の後半(最後の七品)の順番も違うようですし。
※余談ですが、智者大師の時点では世尊偈はなかったらしい・・・
要は、我が国に導入された時点で、現在のようなかたちの観音経が唐土で
普及していたと云うことではないかと思いますが。どうなんでしょう?
ちなみに、日蓮宗の方のHPですが、三訳について、よくまとめられた頁が
ありますので、御参考に。 
ttp://www.kosaiji.org/hokke/translation.htm

>>323
基本的には、長行から読むのが本来でしょう。
護摩供などの際などは、偈だけという事が多いですが、
本あっての略ですから、自行としてやるときには、
長行から読むのが筋でしょう。

>>326
> 最も功徳の高いお経だから
うーむ。功徳の多寡はどうなんでしょうか・・・
法華経のなかの位置づけではあくまで本門の流通分ということですが。
(天台大師の『法華文句』によるもの)
観世音菩薩という存在の大きさ故によく読まれると云うべきでは?
338一畳弛緩院:04/06/02 01:38
>>337
瑣末ですが書き漏らしがあったので、訂正。
(誤)三訳について
(正)六訳三存のうち、現存の三訳について
339一畳弛緩院:04/06/02 01:39
>>336
>>337
二重カキコになってますね。
エラーが出たので、書き込まれてないと思ったら・・スマソです。
340北海大将智:04/06/02 01:40
 おくればせながら真言坊主師、、頼瑜僧正までの大伝法院流の法脈
のカキコありがとうございます。
 眞海師 おきになさらずに汗
 承仕師 同じ豊山のものとしてよろしくおねがいします。私は浅学です
ので心強いです。333の「トントコスットン」はもしかして、今はK先生
ぐらいしか教えられる人がいなくなってしまったという話の長谷寺に伝わる
太鼓の叩き方というやつですか。話は聞いたことがありますよ。
331ー会奉行師 現行の『観音経』偈文の太鼓は基本的には「汝聴観音行」
の句から七・五・三に入ります。(私は偈文の太鼓しか知りません汗)
七・五・三にも『般若心経』の七・五・三と『観音行』の七・五・三は異なります。
『般若心経』
(七)♪ ♪ ♪♪ ♪♪×7(五)♪ ♪♪×5(三)♪ ♪ ♪×1
『観音経』
(七)♪ ♪ ♪ ♪♪♪♪×7(五)♪ ♪♪ ♪ ♪♪(三)♪ ♪ ♪×1 
の上記のパターンにドコドコ(♪♪♪♪)の繰り返しが合間で入ったり心経の中の
「ギャーテイ〜」は♪ ♪♪ ♪ ♪♪ ♪♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪ ♪♪
         羯 諦  羯 諦  波羅羯 諦  波羅 僧  羯 諦
♪ ♪♪   ♪  ♪♪ ♪ ♪ ♪ ♪♪
菩 提   娑 婆 訶  般 若 心 経  となります。
基本的に♪は右手で1打 ♪♪は右手左手で計二打です。♪ ♪ ♪は右手で三打
です。なんか♪が多いと意味もなく楽しそうです笑

 『大日経』住心品の読経の話がでていましたが智山でもとなえるようです。
智積院の勤行では本堂での理趣経の読経のあと、二班に分かれ護摩堂で不動
明王息災護摩を修する班と、興教大師をまつる御堂で「住心品」をおとなえする
班と別れて行われているようです。
341承仕:04/06/02 03:57
>>北海大将智さん

 トントコスットンは、そのK先生と風呂に入ってる時に教わったんです。

承仕「太鼓の叩き方のトントコスットンって、どう叩くんですか(・・?)」
先生「ん?トントコスットンだよ。」
承仕「どんなリズムなんですか(・・?)」
先生「だからトントコスットンなんだよ。」
承仕「口だけで言われてもわかりまてん(・・;)」
先生「おい、剃刀貸してくれ。頭剃るから。」
承仕「もしかして・・・遊ばれてんのか!?( ̄□ ̄;)」

風呂場で、こんなやりとりをしながら教わりました。

観音経の太鼓は、偈文も心経と同じ七五三で叩くのが、本来の長谷寺に伝わる叩き方だそうです。

342承仕:04/06/02 05:35
>>269

曼荼羅供養について

 曼荼羅供は、大曼荼羅供とも、略して曼供とも言います。
金剛界曼荼羅と胎蔵生曼荼羅の、両部曼荼羅を供養する法要です。

 弘法大師が弘仁12年(821)に修して以来、仏像の新造や曼荼羅の落慶、秘仏開扉、写経奉納、宗祖遠忌などに広く行なわれ、最高の規模の法要です。

 「衆生は曼荼羅を遥かに拝するだけで罪障が消滅するほど、功徳が大きい。」と、『大日経 秘密曼荼羅品』に曼供の功徳が説かれています。

 この法要には理趣経を唱える経立の法要と、大日如来の真言を唱える咒立の法要の、2通りのやり方があります。

343真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/02 07:46
>>336 一畳弛緩院さん
ありがとうございます。世尊偈竄入の話は
『添品』の序文によるものだったのですね。
ご教示いただいたHPはくわしく調べてあって、
勉強になりました。でも、偈頌だけでなく長行にも
同文の見られることについては記述がありませんね。
聞くところによると、後訳者は前訳をそのまま用いることが
よくあるそうなので、もしかするとそのたぐいかもしれません。

観音経については、以前、牧田諦亮氏がおもしろいことを言ってました。
敦煌文書の『法華経』を見てみると、普門品の部分だけは
手垢がびっしりついているのに、ほかの部分はまっさらの状態だった、と。
それだけ、観音経は昔から親しまれ、よく読まれていたということですね。
344真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/02 07:52
承仕さん
会奉行さん
北海大将智さん

太鼓の話が出ていますが、
真言宗、いや日本の仏教で太鼓が使われるようになった
由来のようなものはご存じですか?
仏教に太鼓、って私はちょっと違和感があるのですが、
その経緯についてもしご存じでしたら、ご教示ください。
ちなみに、高野は大師入定の地なので、鳴り物は禁止です。
鐃鈸もひかえめにします。会奉行さんはよくご存じですよね。
345承仕:04/06/02 17:05
 仏教に鳴物はつきものですね。金剛鈴・磬・法螺・鐃ハチ…。法要の上堂&還列の際に、雅楽で越天楽を奏することもありますね。

 太鼓についてですが、太鼓は大鼓とも書きます。

 古来インド等において奏楽の他に、時報・警報等に用いられました。
 中国では古くから儀式・舞楽・軍陣に使用されました。
 日本でも西大寺、観世音寺などの資財帳にも出ていて、羯鼓・鉦鼓とともに三鼓として法会に使用されました。

 インドでの「時報」としての使われ方が、日本でも広まったと考えられます。
 長谷寺では朝勤行の集会の合図として、太鼓で三通三下を打ちます。まさに時報そのままの使い方です。

 祈願の際によく太鼓を叩くことがあります。
「ドンッ!!ドッドッドンッ!!」と、経や真言に合わせて大きな重い音で太鼓を叩くと、勢いがついて、障難を退ける感じがします。
 私は、経や真言に合わせて叩く時は
○諸尊を驚覚
○如来の説法音声の慓幟
と、とらえています。法螺の意味に近い感覚ですね。

 太鼓に関することが『十誦律』巻第十九(大正蔵23・134・c)に書いてあります。
「大鼓小鼓箜篌箏笛琵琶簫瑟篳篥鐃ハチ。不鼓自鳴。」

346会奉行:04/06/02 17:18
>>344 真言坊主師
高野山内で太鼓を打つのは、熊谷寺の隣にある毘沙門堂と南院が打ちますね(他にもあるかもしれませんが)。
太鼓はサンスクリットで、dundubhiというそうで、仏教では、如来の説法を戦闘における進軍の太鼓になぞらえ法鼓という語もが使われるそうです。
雅楽の楽太鼓などは寺院の中へ自然に入ってきそうですね。
神仏習合時代は特に。
347会奉行:04/06/02 17:21
>>333>>345承士師
>>340北海師
太鼓はノリノリで良いですよね。長谷寺の太鼓はテレビで少しだけ聴いた覚えがあります。
真言宗各本山をはじめ、各宗の太鼓の奏法については、溝部国光著『念仏のリズム-太鼓の音楽』(日本楽譜出版社 刊年不記 1977年1月後記)が日本で唯一のものらしいです。
著者は元陸軍軍楽隊の作曲学の指導講師で仏教にも造詣が深い人だそうです。
今も書店にあるかは解りませんが、神田の神保町にはあるかもしれませんね。
348312:04/06/02 17:25
普門品は順序は好みに応じてということですね。
願い事はやはり回向文の前にするのでしょうか?
349真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/02 19:45
>>345 承仕さん
明快かつ詳細なるご回答ありがとうございました。
たいへん勉強になりました。
なるほど、時報として太鼓を使うこともあるのですね。
あと、『十誦律』の文、確認しました。
せっかくですので、引用しておきます。
(訓読、まちがっているかもしれません)

諸仏、常の法には、もし神通力をもって城邑・聚落に入る時、
かくのごとくの希有の事を現ず。謂く、象申鳴き、馬悲鳴し、
もろもろの牛王吼え、鵝鴈・孔雀・鸚鵡・舍利鳥・倶均羅・猩猩
もろもろの鳥、和雅の音を出だし、大鼓・小鼓・箜篌・箏笛・琵琶・
簫瑟・篳篥・鐃?、鼓(う)たずしておのずから鳴けり。

この文によれば、太鼓を打つという行為は、
仏菩薩が示現するときのシチュエーションを
再現したもののようですね。
それと、太鼓を使うことの典拠が
『十誦律』(有部律)にあるというのは、
いかにも真言宗らしいですねえ。納得!
350真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/02 20:03
>>346
そうですか。毘沙門堂と南院が…あと私ももう一件あるのを
記憶していますので(いちおう寺院名はふせておきます)、
山内で太鼓を使うのはだいたい三ヶ寺(院)のようですね。
でも、高野で太鼓を使うというのはどうやら最近になってからのようですよ。
『紀伊続風土記』巻58禁忌の条に「鉦鼓」の一項があって、

応永の頃、時宗の輩、山家にあふれ、鉦鼓を叩き、
ほとんど密教の定善門を擾乱す。(中略)
その後、元和元年、台命をこうむり、時宗の輩、
真言に帰入すれども、かの応永の旧儀をのこして、
今なお他来の廻国行者の鉦鼓をも堅く禁ず。

これによれば、高野での鉦鼓の禁止は、一遍などの
時宗の踊り念仏などを禁止するための一環として行われたようです。
ちなみに、この次に「管弦」の禁止事項がありまして、
ここには鐃鈸を禁止することが書かれているのですが、
禁止されているのは、奥の院だけのようです。
いや〜調べてみると、いろいろわかってくるもんですねえ。

溝部国光という方の書、これは貴重ですね。
古本屋でぜひさがしてみたいと思います。
351名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/02 20:05
普門品に関しては、諸氏の意見をまとめると、
観音霊場など寺院へ参拝をするとき(願掛けなど)や先祖供養では、
心経を先で普門品をあとに唱え、
日々の勤行では普門品を先で心経を唱えるということですね。

352真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/02 20:09
>>348
いや、私も断定はできないのですが、みなさんのレスをみると、
順序は随意でいいようですよ。
それと、祈願を回向の前というのは、
祈願文(至心発願、天長地久、云々)のことですね?
これは回向文の前に唱えます。あと、個人的な祈願は
回向のあとにするのがよいと思います。
353真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/02 20:14
>>351
一畳弛緩院さんと私の考えではそういうことになります。
354269:04/06/02 20:14
>承仕さん
大きな法要なんですか。
教えていただきありがとうございます。

一般の方でも参加や見学できる曼荼羅供養はあるのでしょうか?
(真言宗、天台宗にどちらにもあります?)
>>真言坊主師
個人的な祈願は、諸真言を唱える前にする次第もあるようです。
これも根拠は求められますか?
(普門品の場合と同様に)
356承仕:04/06/03 01:27
>>354

 曼供はとても大きな法要なので、月1回とか頻繁にできるわけではないんです。出仕するお坊さんも、かなーりの人数ですし。
 曼供を毎年1回行うくらいだと、「しょっちゅう行なっている」部類でしょう。

 去年、長谷寺で頼瑜僧正700年・専誉僧正400年御遠忌として、曼荼羅供が修されました。
 次に長谷寺で曼供が修されるのは、ちょうど30年後の弘法大師1200年御遠忌かと思われます。

357名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/03 01:34
>>352
>個人的な祈願は回向のあとに

ですが手持ちの勤行式では、回向文→三禮で終わってます
これはこの両者間に沈黙の時間をとって祈願すべきという事でしょうか?
(「至心発願〜」ではなく「〜をお願いします!」というもの)
358承仕:04/06/03 01:40
 曼供を行なおうと思う方がいるかどうかわかりませんが、情報を一つ。 

 庭儀に使う、筵道用の薦を作れる人は愛媛県に1人しかいないそうです。

 是非とも入手しておきたいものですね。
359真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/03 01:52
>>355
観音経と心経の順番のところで私が述べたのは
根拠じゃないですよ。解釈(理屈)です。
「こう考えたら自分自身で納得して勤行できるのじゃないかな」
という程度です。
で、祈願と諸真言の順番を密教的(あるいは仏教的)に解釈できるのか
というと、ちょっと考えにくいですね。
ただ、真言の前に祈願をするというのは、
仏さんに条件を出して、それから祈るような感じがするので、
そのばあいはあまり俗世間的(個人的利益を目的とするもの)な祈願は
できないようなきがします。五大願(衆生無辺誓願度、
福智無辺誓願集、法門無辺誓願学、如来無辺誓願事、
菩提無上誓願証)のようなスケールの大きなものでないと
仏さんに失礼なんじゃないでしょうか。
普通、寺社に参拝するとき、お願いごとを言ってから
お祈りはしないですよね?やはりお祈りをしてから
お願いごとをすると思います。
ま、これはあくまでも私の個人的意見ですから、
参考程度にしてください。
360真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/03 02:00
>>357
私がいったのはそのような意味になります。
個人的な祈願は勤行の次第の中に項目としては
入っていないと思います。
私は毎日の勤行では、回向文を唱えた後に
先祖とお世話になった故人の戒名を唱え、
その次に自分の祈願を唱えて、最後に三礼をして終わっています。
361名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/03 10:00
>>359
聖天勤行では、祈願文は最初にきますね(開経偈の前)
これは天部だからOKでしょうか?

>>360
あまり霊云々は言いたくないのですが、
よく故人は「私は○○居士」と戒名を名乗る例は皆無で、
実際には生前の名前で呼びかけたり、名乗ったりがほとんどらしいですが、
こちらが回向を振り向けたい場合は、戒名の方がいいんでしょうか?
(個人的感覚では、○○居士・・と呼びかけても、本人が気づくか・・・)
祈願文の場合は仏様の真言なりお経なり唱え仏様を召喚してからお願いするのが道理が通ってるのでは?
回向の場合私は個人の戒名を先に読んで故人の魂に呼びかけ今読む経を聞いて菩提心を起こしてもらえるように願い読経しています。
この方が亡くなった御霊も「ああ今、私の為に今、供養してくれてるんだ。」とわかってもらい易いのではないかと思っているからです。
363真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/03 10:41
>>361
なるほど、聖天さんのばあいははなから現世利益が目的だから
祈願文が冒頭にくるというわけですね?う〜ん。天部の勤行次第は
私は見たことがないので、よくわかりません。
ほかの方のご意見を仰ぐこととしましょう。

葬式が終わると、戒名が故人の名前となりますので、
本人が気づかないということはありません。ただ、遺族の心情としては
生前の思い出を故人と共有したいという想いが強いと思われますので、
勤行のあとに故人を偲んで語りあうときには、俗名で呼びかけたほうが
よいでしょうね。勤行のときに行う供養においては、
やはり戒名で「……居士の頓証菩提のために供養したてまつる」などと
いうのがよいと思います。

日本の仏葬というのは、亡くなった方に得度という僧侶になるための儀式を
授けるもので、戒名というのはつまりお坊さんとしての名前です。
(お坊さんの僧名というのは、つまり戒名なんです)
要するに、葬式というのは、生前に悟りを開くことができなかった方のために
逝去の後に僧侶になっていただいて、悟りを開いてもらう(成仏)という
内容なわけです。ですから、いちおう理論的には葬式を終えた時点で
故人は悟りを開いて仏さまになっているのですから、
俗名はいわば改名以前の名前ということになります。
364真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/03 10:52
>>362
『理趣経』を回向供養に使うときは、
冒頭の第五句「弘法大師増法楽」の文句を
「過去聖霊成正覚」か、あるいは戒名かに
変えてお唱えします。これは、戒名を先に唱えておいて、
故人の供養を行うことを表明する形式ですね。

ちなみに、この冒頭の句を「過去聖霊成正覚」、あるいは戒名に
変えてお唱えしたばあいは、末尾の回向の部分、すなわち
「我等所修、廻向、哀愍、消除、天衆、当所、
弘法、一切、(過去、般若、)聖朝、天下、護持、
滅罪、菩提、引導、同一性故入阿字」
という文句の中、(過去、般若)の句を唱えることになっています。
回向供養ではない、普段の勤行のときには、この句を抜いて唱えます。
365承仕:04/06/03 14:13
>>真言坊主さん

 高野山内、特に奧の院では、鳴物は控えるというのは、私も聞いたことがあります。

 自坊の檀家さん達と、四国遍路に行くことがあります。その後に高野山奧の院にお参りします。
 そのときに奧の院の入口で
「奧の院は、お大師さんが禅定に入っている地なので、禅定を妨げる持鈴などの音が出る物はしまって下さい。大きな声で話すのもいけません。」
と説明してます。私も錫杖は持っていきません。
 
あの奧の院の静けさ、堪りませんねぇ。
366名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/03 16:22
こちらに天台の僧の方がいらしゃったと思うのですが、
念珠についてお伺いしたいのですが、友人から頂いたのですが、繰り方と左の手に持つ際と左腕に掛ける際は、
真言と同じ作法なのでしょうか?HPで探しても天台の作法見つかりませんでした。
ヨロシクお願いします。
367真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/03 21:11
>>365 承仕さん
まったく同感です。とりわけ早朝静寂の中の奥の院は格別です。
近年高野山の伽藍でコンサートなんかが開催されることが多いようですが、
私はやはり、高野は修禅の道場、静寂の環境がしっくりするように思います。
鳴り物禁止というのは、大師を思い慕う表現の一つです。
このような心持ちをもっと大切にしたいなあと思います。

しかしなんですねぇ〜私は高野にはけっこう長い間住んでおりましたが、
あそこを離れて、改めてその良さがわかってきたような気がします。
368キキキキ#:04/06/03 21:15
qqqqqq
369承仕:04/06/03 21:22
真言坊主さん

 私も四国遍路の後で高野山に行くときは、奧の院には朝行くことにしてます。

 宿坊で勤行&朝食の後、歩いて奧の院に行きます。

 霊気漂うって感じの雰囲気に感動する檀家さんもいるくらいです。

370真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/03 21:28
>>369
そうですか。そのときは、もちろん一ノ橋からですか?(笑)
一ノ橋はちょっと遠いですよね。団参では無理ですね。

私はよく長谷寺にも参詣にまいります。
あのドでかい観音さん、ものすごい好きなんです。
371名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/03 21:34
曼荼羅供養って、年一度あるところは東寺ですよね。
高野山や比叡山ではどうなのでしょう?
372名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/03 21:52
比叡山はしらないけど
高野は4月10日に大曼荼羅供あるよ!
法華系の宗派で妙見宗?ってあるけど護摩焚きするされるんですよね?
密教系ならなんとなくわかるけど 法華系ってどんな護摩なんだろう…
木剣加持みたいに激しいんだろうか…
文献で見たけど昔の法華行者って焼身供養とかやってて、かなり激しくって絶句した。
374承仕:04/06/04 01:15
>>370

 一ノ橋からというより、宿坊から歩きですよ。バスには中ノ橋で待っててもらいます。宿坊は密厳院(苅萱堂)なので、一ノ橋にかなり近いです。

 一ノ橋から歩くと「ここから奧の院だな。」って感じが堪りません。

 長谷寺の本堂修復工事、3月末に無魔完工し、4月6日、化主猊下導師のもと完成奉告法要が修されたそうです。
 昨年3月3日の朝、倒木により本堂屋根が半壊してから1年余り・・・。
痛々しい傷が修復されて、雄大な本堂が甦りました。
375一畳弛緩院:04/06/04 05:27
>>361
手許に毘沙門天の勤行儀がありますが、これで見ても、
三帰三竟、発菩提心真言、三昧耶戒真言のあとに、願文がきていますね。

>>363 真言坊主さま
> 天部の勤行次第
手許の、毘沙門天、歓喜天の勤行儀は少なくともそうなっていますね。
弁才天の勤行儀もどっかにあったような・・・探してみます。
事例は多くあった方がいいでしょうから。

>>366
ちょっと違うかも知れません。
多くは平珠ですので、左手に持つときには、三匝にはせず二匝にし
(そもそも三匝にはしづらいですので)母珠を内側に持ちます。
繰り方ですが、薬指に掛け、親指で繰ります。
人差し指と中指は伸ばした感じで。
(わかりづらいですね・・・どこかに図版がないものか)

>>372
何かの折りに訊いてみます。

>>373
日蓮法華系の密教色については、ちょっと前にも話がありましたが、
護摩ですか・・・後学の為、見てみたいような。

>>374
屋根修復完工、誠に慶賀の至り(合掌)
376真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/04 08:59
>>375 一畳弛緩院さん
そうですか。毘沙門天の次第でも。まだ、断定はできませんが、
どうやら天部は最初に祈願をもってくるようですね。
ちなみに、参考になるかどうかわかりませんが、
印融の『行法肝要記』に祈願についての記述がありましたので、
引用しておきます(真言宗全書23・298頁)。

祈願は四恩を奉らんがためにこれを祈る。
あるいは檀那のためにその姓名を呼ぶ。
一々各別に祈願して金を打つ。諸尊の名号と呼合するなり。
次に珠を摺るとき祈願するなり。自行ならば我意趣、
もし他人のためならば他意趣を祈る。
南無大慈大悲本尊界会(随尊)信心檀那(その姓名を呼ぶなり)
息災延命なれども当病平癒なれども、あるいは所望なれども、
用ゆるに随ってこれを祈るべし。
次に本尊の悲願ならびに行業の除事を尽くすべし。
あるいは亡者のためならば、その後魂を吊い(?)奉る。
仰ぎ願わくは、本尊の慈悲方便をもって、かの悪業たちまちに消滅し、
菩提の妙果を証し、余薫法界に及ぶべし、と。観門、これを作す。
377真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/04 09:02
カキコしてから気づいたのですが、
『肝要記』の「吊い」というのは、
おそらくは「弔い」の誤写でしょうね。
>>376
その要訳はどのようになりますか?

それと、勤行儀の中にある「願文」と各々の祈願内容と別々に考えたほうがよろしいのでは?
379一畳弛緩院:04/06/04 15:52
>>376 真言坊主さま
ご祈祷の際の作法というか、心得ですね。
> 一々各別に祈願して金を打つ。諸尊の名号と呼合するなり。
興味深いですね。特に後半。

>>378
「願文」ですが、確かに一種の定型文(神道で云う祭文・祝詞のようなもの)はあります。
本職がご祈祷を上げる場合は、相応しい内容の法則なり表白なり(要するに祝詞的なもの)
を上げて、その後「行者が丹誠を哀愍納受し給いて、速やかに懇願を円満成就せしめ給え」
とか「別しては○○、謹んで祈願し奉る処は・・・」「信心の施主○○が(願旨)」などと、
願旨を述べることになりましょうが(あくまで、ごく簡易に示せばですよ)、
普通の方の場合、こういう書式というか形式に拘るよりは、
神仏にご挨拶し、至らざるを懺悔し、願いの内容を素直に申し述べる・・
という方がいいような気がします。(そちらの方が集中して拝めるのでは?)
380前スレ970:04/06/04 18:57
>373、一畳弛緩院さま
日蓮宗の祈祷法そのものには護摩の次第が存在しないから
本当は無いのだけれど、地方では「お焚き上げ」という形では
所々見られますね。
岡山の最上稲荷の「お火焚き大祭」での次第は願文、法楽加持、法華経の所々を
読誦(どこを読んでるかまでは全部見た訳でないんで判らんですが)でした。
妙見宗と言えば能勢妙見の事ですね。確かあそこは日蓮でありながら天台な
所のある宗派と聞きましたが…どうなんでしょうねぇ。
因みに日蓮で祀る妙見さんの像は圧倒的に能勢妙見型です。
やっぱり発案したというのが日蓮僧だからなんでしょうが。
381真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/04 19:00
>>374 承仕さん
密厳院で宿泊、一ノ橋から奥の院の参道を進み、
覚鑁坂を登って密厳堂を参拝、そして御廟へ……
というルートになりますね?
新義の方からすれば、一ノ橋からの廟参というのは当然かもしれません。

>>379 一畳弛緩院さん
私もその部分に興味をおぼえました。
ちなみに、鐘を打つという行為が回向供養に効果あることについては、
『付法蔵因縁伝』巻五(大正50・316c~317a)におもしろい話が出てますよ。
382真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/04 19:29
>>378
訳すると、こうなります。
ちょっと雑ですけど、ご勘弁を。

祈願とは、国王・父・母・三宝の恩恵に報いるための祈りをささげることである。
また、祈願のときに亡くなった方の供養を行うばあいは、
その人物の姓名を唱え、一人一人の名を唱えるごとに金を打つ。
そうすると諸仏菩薩の名号と呼応して、その仏菩薩の功徳が得られる。
なお、祈願は数珠を摺りながら行うべし。
自行のときは、自分の願いを祈念し、他人のためのときは
その人の願うところを祈念する。そのときには
「南無大慈大悲本尊界会(ここに本尊の名を挿入)
信心檀那(ここにその檀家の人の名を挿入)」と唱える。
息災延命や当病平癒、あるいは所願成就など、
いずれのばあいにおいてもこの文句を応用するがよい。
また、祈願のときには、本尊の悲願と修行の完成とを祈るべきである。
あるいは亡者のための祈願ならば、その亡くなった方の霊魂を弔う。
そのときには、このように唱える。
「お願いします、本尊さま。あなたさまの慈悲と方便の力でもって、
わたくしどもの悪業をすみやかにチャラにして、さとりを得させて、
その功徳をあらゆる人々全世界にゆきわたらせてください」と。
このように唱えながら、その様相をイメージしなさい。
383名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/04 19:34
>>真言坊主さん
僧の方は護摩祈祷などそのような(>>382のような)次第で行っているのでしょうか?

私のみたところ、護摩祈祷をみていると護摩に書いた祈祷内容を読み上げたあと
さまざまな御真言を唱えているのをみかけます。
384真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/04 19:50
>>383
護摩の中では祈願をするところが何ヶ所かあります。
お次第(マニュアル)に書かれた決まり文句を唱えるものと、
護摩札や添護摩に書かれた祈願の文句を唱えるところとがあります。
>>376に掲げた祈願の文句は、前者、すなわち
たくさんある決まり文句のレパートリーの中の一つです。
そのことについては、>>379
一畳弛緩院さんのレスを参考にしてください。
法華式は密教式とは違うけどお堂の中で護摩って言えるくらいのやってたよ
あと九字も 臨 兵…を
妙法蓮華経序品第一と九つを当てて密教式と同じように空に九字切ってた。
梵字九字切りはアーンクの字を密教式では切るけど
法華式は妙という字に後一文字何かつけて九画にして九字切ってた
妙見宗だったろうか
386名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/04 21:43
以前、三宝荒神スレで会奉行師が
祈願は諸真言を唱えた後(仏母真言を唱えた後)に祈願をすると
述べられていましたね。

>>384
祈願をする箇所は基本的に随意好きなところにおいてもかまわない。
何より「願いの内容を素直に申し述べる」ことが重要ということですか。
おん そじり じゅうだーそわか
おん まかしりえい ちりべいそわか

上記ご真言は何のご真言ですか?
388真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/05 02:05
>>386
いやあ、あまり煮詰めて言われると困ってしまいますね。
ちょっと、祈願の内容を整理してみます。

 @自分自身の個人的欲望を満たすための願い。
 A他者の欲望をかなえるための願い。
 B故人の回向供養を目的とする願い。
 C四恩など多くの人々の平和を願うスケールの大きな願い。

祈願を勤行のどの場所で行うか、このことについての
明確な規定はないと思います。しかし、私個人の考えでは
やはり適不適があると思います。
たとえば、@やAのような祈願を勤行の冒頭にもってくるのは、
仏様に失礼だと思います。普段の勤行ならば、最後に控えめにするのが
よいでしょう。ただし、天部の神仏のばあいは、例外が認めらることも
あるそうです。しかし、天部の勤行で冒頭に唱える祈願というのは、
@Aのようなものではなく、BCのようなものなのではないでしょうか?
一畳弛緩院さんのレスを待ってから、判断してください。
BCのばあいは勤行の冒頭、あるいは諸真言の前に唱えても問題ありません。
実際、理趣経では最初に戒名を唱える>>364のケースもありますから。

ところで、それほど祈願の順序にこだわっているというのは、
天部の神仏を信仰しているのですか?
389366です。:04/06/05 02:24
一畳弛緩院さん、お答えありがとうございます。
繰り方がイマイチ分かりずらいですね。
右手は、人差し指と親指で繰り左手は、薬指にかけると云う事ですか?
それと何かの拍子で両手が塞がり左の腕に掛ける時は、真言と同じく一匝ですか?
390366です。:04/06/05 02:38
>繰り方がイマイチ分かりずらいですね。
素で読むと答えて貰っているのに失礼なニアンスですね。
顔文字でカキコすると(^^)ヾこんな感じの真言とは違うぞと云う
ニアンスです。気分を害されたならお許しを・・。
391ABC:04/06/05 03:21
386さんへ
真言坊主氏や一畳弛緩院氏の云う祈願と386さんの云う祈願とは意味合いが若干違います。
氏達の云う祈願は、修法の次第や勤行に使う専門的使う祈願(小祈願・・晋供養摩訶毘盧遮那佛、
晋供養本尊界会・・云々など)で386さんのおしゃてる祈願は、個人の仔細な願いを表わしている祈願と
思われます。この386さんのおしゃる祈願は、願文とは別と考えて貰ってよいです。386さんの云う仔細的祈願は、
天部に関しては、散念呪(諸真言)の唱える前に念珠を摺り仔細的祈願を願いそれから散念呪(諸真言)を唱え唱え終わったら
もう一度仔細的祈願をして下さい。ただし勤行にある願文(願わくば・・云々)や叉は、祈願と記載された文はチャント唱えて下さい。
392一畳弛緩院:04/06/05 06:07
昨日は山家会で・・・疲れて、早く寝てしまいました。
>>383
補足しますと、祈祷の趣旨(大祭や何か目的がある催事などの場合はその趣旨)
を練り込み、本尊の功徳・本誓についてそれを顕揚する旨の内容や教理についての
内容も盛り、法則(表白)として読む訳ですが、これの中に、祈願の旨を盛り込んで
読むことと、あるいは、法楽・散念誦の後などの回向の段で、お願いする場合と
いろいろなので、一概にこうとは言えませんが・・・
>>386
>>388 で真言坊主師がお答えになってますので、蛇足を。
> 随意好きなところにおいてもかまわない。
↑ですが、あまりへんてこなところに願旨を挿入するのはどうでしょうかね。
とりあえず、御祈願なさっているお寺に伺うのが一番ですが。
(勤行儀に、祈願を申し上げるタイミングが書いていないものも確かに多いですが)
考えられるのは、
・お参りして直後に、一禮してすぐお願いしてしまう(その後、勤行)
・ご挨拶(三礼〜三昧耶戒真言等)のあと、法楽の前に。
・回向・結願のあたり(回向文の内容に入れ込むか、回向文の直後)
・勤行後、退座の前に祈念
ですかねぇ・・・・・なかなか一般化できませんが、こんな感じでしょうか。
読経と読経の間、諸真言と諸真言の間に願旨を申し述べるのは、如何なものかと。

>>388 真言坊主さま
> @やAのような祈願を勤行の冒頭にもってくるのは(略)
> 天部の勤行で冒頭に唱える祈願というのは、@Aのようなものではなく、
> BCのようなものなのではないでしょうか?
は、一概にそうとも言えず・・・
要は、心中の有象無象・どろどろ・もやもやを仏様にお願いして(吐きだして)しまい、
その後は、仏様にそれらの煩をお預けして、さっぱりしとした心持ちで法楽に、
というのは方便として「あり」ではないかと。
(特に御祈願を専らにするお寺のご本尊の場合は、これでもいいいのでは)
393一畳弛緩院:04/06/05 06:08
>>380
「お焚き上げ」「お火焚き大祭」ですか。
たしかに最上稲荷、不思議なポジショニングですね。

>>389 366さま
>>390 ←お気になさらず。
小生も、これではわかりづらいな、と思っていたところで。
要は、
1)ものを指し示すときのように、人差指を伸べて、そこに中指も添えて伸ばす。
2)このとき通常くっついているであろう、薬指と親指のあいだに念珠が挟まって
  親指で、手前側に繰っていく
という感じなんですが。
あと、人差指・中指は別段、力を入れてピンと伸ばしておく必要はありません。
左手も同様のかたちをとり、親指で繰る方向が逆(向こう側へ)になるわけです。
・・・やっぱり難しいですね。一度、直に訊いて、覚えてしまえば楽なんですが・・
> 何かの拍子で両手が塞がり左の腕に掛ける時は、真言と同じく一匝ですか?
通常は二匝にしておきますね。左手で持つ場合、房は内側に垂らします。

>>391
補足ありがとうございます。そのタイミング(諸真言の前)も「アリ」ですね。
> 386さんのおしゃる祈願は、願文とは別と考えて貰ってよいです。
ただ、勤行の構造というか、考え方の基本は一緒なわけで、またまた蛇足を。

まず、勤行儀に「祈願」とか「願文」とだけ書いてある場合。
通常はそこに法則や表白、祈願文は書かれていませんから、そこでどうするか
(どう考えるか)という話。これは上記の通りで、そのタイミングで、
正直な心情・お願い事を申し述べれば可かと。ABCさんのお書きなったように
規定の願文がある場合それを読み、その後、祈念でも可かと。

次に、どこでご本尊に祈願していいかがわからない勤行儀の場合。
これについては、上記の諸々の通り。
394386:04/06/05 16:45
>>388
そういうわけでもないのですが、
ただ勤行儀とかどのところで祈願をするか指定されていない場合がほとんどですので。

諸氏のレスを理解を深めようと思います。
395名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/05 17:37
濃い内容のスレ中に、低脳な質問をさせてください
八臂像は、左手には上より鉾・法輪・弓・宝珠を、右手には鑰(鍵)・宝棒
・矢・剣をもつと言われている
弁才天のことでお聞きしたいのですが、持っている道具には意味があると言われていますが
それぞれどんな意味があるのでしょう
天部のスレで聞くのが良いのでしょうが、供養系は菩薩や如来を奉ってお寺が多いですが
弁才天に水子、先祖供養するのは間違いでしょうか?
質問のお返事いただける幸いです
また、最適なスレがあれば誘導していただけるとうれしいです

396名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/05 21:56
ここは固定の馴れ合いスレだから回答を期待しない方がいいよ
397名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/05 22:08
ここは質問スレではない。
マターリ語らうスレだ。
398金剛杵:04/06/05 22:24
ある意味、事相的な内容になってきましたねw
399真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/05 23:16
>>395
辯天さんに水子供養先祖供養というのは聞いたことがありませんねえ。
辯天さんにおねがいしたい特別なわけがあるというのでなければ、
やはり水子供養ならお地蔵さんにお願いするのが
スジってものじゃあないでしょうか。
辯天さんの持物のいわれについてですが、
それについて書かれた資料を私は所持していないので、
残念ながらお答えできません。
かなり専門的ですが、『覚禅鈔』『アサバ鈔』といった書物ならば
それに関する記述があるかもしれません。
>>395
もしかして弁天宗の話ですか?
401名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/06 00:05
一般的には芸事の女神として祭られてるけど弁天様は色情因縁を断ち切るのに功徳があるよ
402名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/06 00:25
モテない女性が弁天様を信仰したらモテそうな気がする。
403承仕:04/06/06 00:55
>>395

 弁天さん等の○○天というのは仏法の守護が役目なので、先祖供養などは仏法の実践者である如来や菩薩の方が適していると考えます。

 持物について
 通常は八臂で武器を持つ姿ですが、真言宗における弁天さんの尊形は曼荼羅を元にした琵琶を持つ姿で描かれます。
 胎蔵生曼荼羅・一番外側の西側に弁天さんもいますが、左手に琵琶を持ち、右手で琵琶を弾いている形で描かれています。(御室版両部曼荼羅)

『小巻』天等部には
「白色の体、琵琶を持って、青色の衣を着て、右膝を立てている」とあります。
『別行抄』第六にも『小巻』と同じ姿で説明されています。
『傳法院流傳授私勘』巻第三の胎蔵法の箇所にも
「妙音天 即ち大辨財天なり。印相は琵琶を奏する形なり。」と書かれているだけで、八臂像についてはちょっとわかりません。

『金光明最勝王経・大辯才天女品』には
「阿修羅を破っては一切智の神、また広く一切世間の母と称せられる」と説かれているので、八臂像の元はこちらの方ではないかと思われます。

 弁天さんについては詳しくないので・・・申し訳ありません。

悪い因縁を断ち切って浄めてもらった結果、良縁に恵まれるんだろうね
でもどの諸仏諸天善神にも言えることだけど我欲信心で祈る人って仏様は嫌うね
仏様の身になったら当たり前の事だと思う
405名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/06 03:19
>我欲信心で祈る人を嫌う
・・天部は嫌うが、菩薩や如来は嫌わないよ。
菩薩や如来は、母親が子を見る様に憂いその者を見捨てない。
406一畳弛緩院:04/06/06 06:08
>>395
> 八臂像
承仕さまご指摘の通り、金光明経の弁才天品(大正蔵 16-437下段)に依るもの※
のようですね。
※弓・箭・刀・矛・斧・長杵・鉄輪・羂索(=殆ど全部武器!)を持つとされていますね。
ただ、>>395さんのお書きになったものもその例でしょうが、この他にも、
輪宝や戟を持つもの、宝珠等をもつもの、バリエーションが多いようで・・・
身辺にも弁天様の行者がいないもので、あまり詳しくありませんが・・・
で、一般論になりますが、武器系は外には仏敵を除き、内には三毒、悪心を断つ意味、
宝珠・鑰・宝棒などは、福徳(特に財福)を授けることの象徴ですよね。

> 弁才天に水子、先祖供養するのは間違いでしょうか?
真言坊主さま、承仕さまも仰ってますが、普通、天部を滅罪回向の本尊として
立てることは稀ですね。弁才天の場合、技芸上達、財福、怨敵退散ですかね・・・
また、>>400 さんの仰るように、「弁天宗」では供養をしているようですが、
どういう内証でそういうお祀りをなさっているのかは存じません。
>>401 ううむ。

>>405
> 天部は嫌うが
利益輪身ですから、御利益信心が多いのは元より承知の上かと(W
我利我欲を嫌うと云うよりは、感謝のない人、無礼不浄の人は嫌うでしょうね。
407395:04/06/06 10:47
みなさん弁天さんについて優しくお答えいただきありがとうございました
返答がもらえないかもなんて,不安に思っていました
弁天宗とかでなくて、個人的に好きなので、実家は真言宗ですが遠いため
先祖供養に参加をしていないので家にある弁天様を通して出来るかなと思ったんです
8本も腕があるから万能かも?!なんて思っていました
私の家では既に弁天さんをまつってるのですが、家で他に奉るとしたら相性の良い仏様はありますか?
自分の家でも個人的に先祖供養が出来そうな
それとも,実家が行ってるので、気持ちだけで何もしなくて良いのでしょうか?
408名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/06 12:05
>405
如来や菩薩の仏像盗みまくってた泥棒一味が次々、怪死した事件がありましたが何か?
知り合いの建築業者が家の取り壊しの時、邪魔になる地蔵尊も一緒に叩き割ってから一ヶ月、熱病に冒されて寝込んでた。
お寺さんに頼んで懺悔してもらったら病んだけど
六道を救う地蔵尊=一番最初に死んだ人=閻魔天
地蔵尊の裏の顔は閻魔天って聞いたことあるから優しいだけの菩薩ではないと思う
>405
仏の顔も三度まで。
御仏が怒ったら神様より怖いらしいぞ。
411一畳弛緩院:04/06/06 15:47
>>407 =395さま
前にも書きましたが、天部は諸々の汚れを嫌い、かつ現世利益を専らとしています
ので(というと言い過ぎか・・)滅罪回向は、菩薩・如来の位の仏様がよかろうかと。
例えば、阿弥陀様、観音様、御地蔵様・・・このあたりが無難かと。
弁天様との祀り併せの相性ですか・・本地のことを考えると、観音様が宜しいかも。
(壇は別にした方がいい、というか、供養の仏様と天部は別にしないと拙いですよ)

観音様をお祀りして(ちゃんと開眼した御像なり御姿を奉安)、華香や閼伽を手向け、
有縁の仏様の回向に心を向けるのは、非常に結構なことと思います。
(位牌をお祀りしなくても、心に想って手を合わせることでまずは結構です)

>>409
さもありなん、ですねぇ。
412会奉行:04/06/06 22:44
>>一畳弛緩院師
天台宗では平珠の念珠の他にも、丸珠の長い念珠もありますよね。
あれはどう使い分けてるのですか?
413@坊さまじゃないよ ◆fVtPY.h17Y :04/06/06 23:03
今日は,比叡山で弁天様の造天会法要ありましたね。
行きたかったなあ。

弁天様の話題が続いていたものでつい書き込んでしまいました。
414修行僧:04/06/06 23:57
一畳弛緩院師 ・・念珠作法について便乗いたします。
私も参考のためにお伺いしたいのですが、何かの拍子で両手が塞がり左の腕に掛ける時は、
通常は二匝にしておきますねとの事ですが、修法の際に都合により脇机が無い時も二匝にして
印を組みながら次第をこなすのですか?もし二匝にするならそれは教義的に意味があるのですか?
415一畳弛緩院:04/06/07 07:03
>>412 会奉行さま
装束の数珠は、丸珠・房(梵天ではなく)ということがありますね。
法式作法集なんかを見ても、その辺ははっきり書いてないですが。

>>414 修行僧さま
平玉の本連のものの場合、物理的に三匝にしがたいということが大きい
とは思いますが(やってみるとわかります)、概ねそういうことになりましょう。
置き場の無い場合の件は、ちょっと確たることを言いづらいですが、
外して措く場合、二匝で房を上、ということになります。
416名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/07 09:28
腕にかける時も、手に持す時も、置く時も
流により異なる。
417395:04/06/07 10:00
一畳弛緩院さま
回答ありがとうございます
取り合えず、手を合わせるだけで様子を見て縁があれば像を手に入れたいと思います
ありがとうございました。すっきりしました
418会奉行:04/06/07 18:57
>>415 一畳弛緩院師
そうですか。昔、今東光僧正が木製(白檀?)で丸珠の念珠を持ってて、気になってたんです。それは皆水晶と違って房が平珠と同じものでした。

419真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/07 19:10
数珠の話題が出ているので、ここで素朴な疑問を一つ。
キリスト教ではロザリオって数珠のようなものを使うじゃないですか。
あれと数珠とではどちらが歴史的に古いのでしょう?
影響関係はあるのでしょうか?
キリスト教のスレでたずねたほうがよかったかな?
420一畳弛緩院:04/06/07 21:03
>>416
そうなんですよね。故に「確たること」は言えない訳で・・・

>>417 395さま
蛇足恐縮ですが、
> 取り合えず、手を合わせるだけで様子を見て縁があれば像を手に入れたいと
とありますが、この手を合わせる対象は?(ご実家の仏壇へ?)
・天部(弁天様、大黒様、聖天様・・)  → 自分の御祈願の本尊(回向の壇とは別に)
・観音様(阿弥陀様、お地蔵様・・)など → 滅罪・回向の本尊として可
ですから、ひとつよろしく。

>>418 会奉行さま
> 皆水晶と違って房が平珠と同じもの
実際、(装束でなくて)丸珠のものを持たれる方もおいでなのですよ。
(形は、母珠一つ、十二十の天台型でしたか?)
ごくごく雑な印象ですが、ご祈祷をよくやるかたはぼぼ平珠なんですが。
> 今東光僧正
お会いになったことがおありで?
最近、師の対談集なんかを読んで、関心がありまして。

>>419 真言坊主さま
数珠スレに何かないですかね?
『数珠のはなし』という本が手許にあったはずですが、今見つからず。
421真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/07 21:31
>>420 一畳弛緩院さん
ありがとうございます。
数珠スレ見てきました。なかなかおもしろいスレですね。
ロザリオの話もちょっとだけありました。
会奉行さんもいくつかレス入れてますね。
422名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/07 23:06
ロザリオも数珠も、その起源は同じなのよ
祈りの回数を数えるためにも使うし。
知人のロザリオは不思議なロザリオで何回落としても必ず本人に戻ってくる
423名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/07 23:13
数珠が北へ伝わってロザリオになった訳だから
当然といえば当然同じ使用方やろな
424真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/07 23:40
>>422-423
数珠について
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/999964918/
の133に起源は違うって言っている方がいますが、
反論はありますか?
425423:04/06/08 01:12
私も当然その時代に生きてないので、起源が違うと言われれば無理に反論は致しませんが、
中村博士の本には、バラモンの数珠がヨーロッパへ伝わりロザリオになった書かれていました。
426修行僧:04/06/08 02:24
一畳弛緩院さん
ありがとうございました。故に「確たること」とカキコされてましたので、
事相の事なので越法の罪に関る事、故かと思っておりましたが、天台にも流派が多々あると
は思いませんでした。考えれば真言も多々あるのだから当たり前と云えば当たり前なのですが。
私はただ一母珠は、珍しく脇机がない場合天台(一畳弛緩院さん)は、どうするのか?と疑問を抱いた次第です。
ありがとうございました。
427修行僧:04/06/08 03:27
>私はただ一母珠は、珍しく脇机がない場合
真言の僧としてと云う意味です。真言宗系としてはない事もない(生駒聖天)のですが、
左に掛ける際は、真言と同じ(繰り方も同じ)なので、繰り方の違う天台は、どうするのだろうと思った次第です。
428一畳弛緩院:04/06/08 16:55
>>426 修行僧さま
>>427
生駒聖天=真言律宗と記憶していますが、珠の型はともかく、
一母珠の数珠を?それは存じませんでした。
天台の平珠は、修験の最多角の影響なんでしょうかね?
(って、他人事のようで恐縮。改めて訊いたことがなかったので)
台密にも台密十三流と称せられるように、多数の法流・伝があります。
429名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/08 17:30
よく真言宗の寺院のお堂に両部曼荼羅が祀られていますが、
唱える真言はどうすればよろしいでしょうか?
今は般若心経だけ唱えております。
430承仕:04/06/08 19:55
 最多角念珠を買ったはいいが、2回しか使ってない・・・。
良い使い道ありませんかねぇ。
431承仕:04/06/08 20:03
>>429

 「アビラウンケン バザラダドバン」
と唱えればよろしいかと。
432429:04/06/08 20:34
>承仕さん
胎蔵界、金剛界それぞれ両方の曼荼羅に唱えるのですか?
曼荼羅の見分け方どうすればよろしいでしょうか?
433一畳弛緩院:04/06/08 22:35
>>430 承仕さま
> 最多角念珠
まさに算盤珠みたいなやつですが、修験でもやらない限りなかなか・・・
修験の道場−山岳信仰の寺院に詣でるときなど、如何でしょう。
あとは厳しいご祈祷や祓いとか・・・
擦ったときの音の鳴りは、平珠よりもさらによく鳴るようですね。

>>429
>>432
両界曼陀羅の見分け方ですか・・・ものの本を見るとすぐにわかるかとも
(というより、イラストで見た方が、断然判りやすいので)思いますが、
老婆心ながら。全体が九会−四角く九分割(縦三つ、横三つ)されている中に
同じパターンの丸い円が幾つも書かれ、仏様がつぶつぶと書いてあるのが金剛界、
中央に大きな蓮華の華の形(中台八葉院)が描かれ、真ん中に大日如来がやや
大きく書かれ、蓮華の周りを幾重かの四角い区画で区切っているのが胎蔵界。

>>431 で承仕師が書かれた御真言は、金胎両部の大日如来の咒です。
別々に分けたい場合(というのが妥当かどうか(汗))、
(金)オン バサラダトバン
(胎)オン アビラウンケン
とします。御参考まで。


434承仕:04/06/08 22:55
>>432

 >>431の真言は、両部を1度で拝む時にどうぞ。

 見分け方
 胎蔵曼荼羅は、ど真ん中に大日如来がいて、大日如来のまわりに8人の仏さんが放射線状に並んでいます。
金剛界曼荼羅は、小さい曼荼羅が9つ集まって、大きな1つの曼荼羅になっています。

 胎蔵曼荼羅を拝む時は、「アビラウンケン」。
金剛界曼荼羅を拝む時は「バザラダドバン」ですね。
435承仕:04/06/08 23:13
一畳弛緩院さん

 柴燈護摩で使っていたんですが、しばらく使う予定が無いもので。

 自坊で病気平癒の祈祷をすることがあるので、その際に使うことにします。

ただの念珠コレクションにならないようにしたいものです。

436北海大将智:04/06/08 23:48
 金胎曼荼羅の話がでてますね。見分け方もみなさんカキコされてる通り
なんですが一つだけ心配なのがたまに金剛界曼荼羅が九会からなる現図曼荼羅
ではなくて成身会のみの金剛界曼荼羅があり、一般の方にはかなり胎蔵生
曼荼羅との区別がしにくいんですよね。通常、本尊に向かって右手が胎蔵生
曼荼羅、左手が金剛界曼荼羅という荘厳になっています。これも一つの目安
かと…。
 そういえば数珠の話なんですが、部派仏教時代に釈尊の教えを頌にしたのを
となえるのに決まった数の菩提樹の実を右から左にとやっていたのをバラバラに
ならないように糸で紡いだのが起源らしいですね。やはり数取りが本来の目的な
ようです、あまりすり過ぎるなとよく注意されたものです。まあ祈願の時は別
ですが…。
 そういえば承使さん I井S巳先生ぐらいの意達になると数珠をずりずりと
すっていても様になるから不思議ですよね笑 
437承仕:04/06/09 02:12
北海大将智さん

 長谷の灌頂の時に、朝勤行でI井S巳先生が勤行中に念珠を摺りながら拝む姿は、長谷の風物詩となってます。

 I井S巳先生が、事務所の廊下(しかも顔の高さ)にフンドシを干すのも、長谷の風物詩となってますw
438名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/09 16:43
素人の質問をします。確かこのスレの中に四智梵語を素読がいいのか
質問してらしゃる方がいますが、私も質問したいのですが、僧の方が
壇で行をなさってる時には、真言など聞こえませんが、本来は真言は、声に出さず
唱える方がいいのでしょうか?その方が集中出来ると言う事なのでしょうか?
もしブレスしない方が良いならコツみたいなものがあるのでしょうか?
439名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/09 17:30
声を出すべきでしょうな
440429:04/06/09 17:36
>承仕さん
>一畳弛緩院さん
>北海大将智さん
ありがとうございます。
真言宗の寺院ではお堂の両脇にそれぞれ祀られているので
お聞きしたのです。
御真言ですが、確か大日如来のものは、
胎蔵界大日如来  オン アビラウンケン ソワカ
金剛界大日如来  オン バザラダドバン
両部       オン アビラウンケンバザラダドバン
と記憶していますが、正式というか実際に僧侶の方が唱えるのものはどうなのでしょうか?
あと、般若心経を曼荼羅を拝する場合、僧侶の方でもそうでしょうか?
妙見菩薩信仰はどうなんでしょうか?どこか本尊祭ってるとこあるのでしょうか?
4424→2住心:04/06/09 18:23
声の大きさと真言の関係につて。

呼・吸の関係について、サイババという人は、
神と表現していたけど、男女の関係に似ているように・・・
これもやはり金胎の関係に思うのです。

ところで、微音ならば息を吸う際にも、真言が唱えられます。
息を吐いていようが、吸っていようが、御真言は御真言。

見かたを変えれば、人は息を吐くと共に出る御真言のように
一面しか表に出さないなと。
息を吸うときに出せる御真言は人には聞かせられない。秘密のような。

あっ。でも息を止めたら、音になりません。
心で唱えているので御真言は途切れませんが。
吸うが吐くに転じる瞬間に極意があるのでしょうか?
無呼吸のときは、口密と言えるのか?

みなさまの意見をお聞きしたいです。

呼吸があるから、音がでると飛躍をする。 五大に響き有り。
見かたを変えれば森羅万象すべて呼吸をしているハズだと思うのです。
443名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/09 19:03
千手観音の御真言は、
オン バザラダラマキリク
ですが、この「ダ」が「タ」の場合があるのですが、
どちらが常用でしょうか?
4444→2住心:04/06/09 19:32
>>443
四国に行ったら、「タ」でした。
445名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/09 21:15
曼荼羅を拝む場合、光明真言も唱えたほうがよろしいのでしょうかね?
光明真言はどこでも唱えますから。

>>433
天台宗でも真言宗のように、金剛界胎蔵界両方のものを一緒の
「アビラウンケン バザラダドバン」
と唱えるのですか?
446名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/09 22:08
自在天は、『オン マケイシバラヤ ソワカ』、でよろしいのでしょうか?
447承仕:04/06/09 22:17
>>440

 「アビラウンケン」「バザラダドバン」に“オン”や“ソワカ”をつけるかどうかですね?
ぶっちゃけ、付けたり付けなかったりです。

 お寺や宗派などによって、それぞれ変わってくるので、一概には言えないところです。

448承仕:04/06/09 22:38
>>438

 私は護摩や行法を修している際、声を出して真言を唱えてますよ。ただし、周りに聞こえるか聞こえないかの微音です。

 護摩壇などで拝む時は、周りに人が何人いようと、行者と本尊さんは1対1なんです。1対1ですから、周りに聞こえるほどの声を出さなくてもいいんです。

お経や真言の唱え方には
○ 声を大きく出して唱える。
○ 聞こえるか聞こえないかの微音。
○ 口は動いているが、声は出ていない。
○ 口は閉じて、口中で唱える。
てな感じで、いろんな唱え方があります。

449名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/09 22:47
大悲心陀羅尼って元々の言語に近いんですよね?
スヴァハー=ソモコ(大悲心陀羅尼)=ソワカって凄く違うように感じます。
でもチベットの般若心経陀羅尼は違和感ありませんでした。
ガーティ ガーティ パーラガーティ パラサンガーティ ボーディー スヴァハ。
ところで延命十句観音経は東寺で唱えられてましたが真言宗で大悲心陀羅尼を唱えられることはありますか?
450承仕:04/06/09 22:58
>>445

 光明真言は大日如来の真言ですので、大いによろしいかと。

不空訳の不空羂索毘廬遮那仏大灌頂光真言には
「この真言を聞くこと2・3・7遍すれば、一切の罪障を除滅し、この真言をもって土砂加持すること108遍、その土砂を死屍または墓地に散ずれば、たちどころに罪報を除き、西方極楽国に往き、菩提が得られる。」
とあります。
大変功徳のある真言です。
451一畳弛緩院:04/06/10 00:40
>>445
金胎両部の大日真言、天台でも読みますよ。
今日は忙しいので、極簡単で恐縮。
オオバク宗の大悲心〜は完全な中国読みだよ。見てみな。
453429:04/06/10 16:03
>承仕さん
では光明真言も唱えようと思います。
あと、唱える特別な経典、御真言はありませんか?
在家の方でも差し支えなければお教えください、すみません。



オンやソワカをつけたりつけなかったりという事に関しては、
宗派ごとに意見を伺いたいです。
454名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/10 17:01
惣禮と晋礼とどう違うのですか?
455承仕:04/06/10 17:20
>>453

 あと唱えるとすれば普廻向ですね。
「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」
「願わくばこの功徳をもって普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを。」

 “オン”や“ソワカ”をつけるか否かは、同じ宗派でも、お寺ごと、お坊さんごとに違います。私も付けたり付けなかったりです。
 大日如来咒は“オン”や“ソワカ”を付けても、付けなくても、正式な唱え方なんです。
付けたからといって間違いではないし、付けないからといって不完全な真言という訳ではありません。その時の気分や、お好みでどうぞ。
456名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/10 19:09
>>450
ありがとうございます。寺院で曼荼羅を祀っているところでは、
日頃から(または定期的に)曼荼羅をお坊さんが
拝むことはあるのでしょうか?
上のほうで曼荼羅供養はもっとも大きな法要なのであまりないとの話でしたので、
少し気になったのですが。


>>451
両部で一つという認識は真言宗だけかと思っていましたが
天台宗でもそうなんですか。ありがとうございます。
大悲心陀羅尼は真言宗の場合のものは、
真言宗の僧侶でも知らない人が多いと
過去スレで話題があがっていたような。
458承仕:04/06/10 21:35
>>456

 本来、曼荼羅などの軸装された仏画は法要の度に掛けて、法要が終わったらしまっておくものなんです。

 客殿の床の間に掛けてあるお寺もありますね。(私の自坊も客殿の床の間に掛けてます。)私は朝のお勤めの後、客殿の曼荼羅に香を供えて、両部の大日如来咒を唱えるだけです。

面倒だから壁に曼荼羅書きこんでやった
460名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 01:23
拝んでいる本尊の両脇に両界曼荼羅を並べるのはOKですか?
461承仕:04/06/11 01:43
>>460

本尊さんに向かって右側に胎蔵曼荼羅、左側に金剛界曼荼羅ならばOKです。
462承仕:04/06/11 03:18
>>454

 惣礼は総礼とも書きます。
三世十方の諸仏を総じて礼すること。近年では、法要の始めと終わりに諸衆が揃って礼することを指すことも。

 普礼は、道場で浄眼を開いて、本尊・曼荼羅の諸尊・空中に遍満する諸仏&諸菩薩を普く礼拝すること。
壇前普礼・着座普礼・本尊普礼など、行法の際の礼拝で用いられる語です。

 広い意味では、総礼も普礼も同義語です。
463名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 12:49
左右では無く、西金界東胎界にしたら?
464395:04/06/11 13:53
一畳弛緩院 さま,追加説明ありがとうございました
べんてんさまは、我が家の守りとして供養しています
手を合わして様子を見るのは,先祖供養,回向のことです
実家の仏壇やお墓まいりも行けず,気になっております

弁才天の16童子の真言はありますか?
あれば、教えてください
465429:04/06/11 16:10
>承仕さん

教えていただきありがとうございます。
御真言は以前より知っている形のものを唱えてもよいのですね。

回向文ですが、それはどんなときにも最後に唱えますよね、大抵。

承仕さんの場合の回向文を唱える節回しというか唱え方を教えてください。
僧侶の場合節をなどつけてとなえていらっしゃる場合が多いので。
466名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 16:18
節は無い
467名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 16:33
何故、御真言を唱えるのですか?
468名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 19:58
真言は不思議なり
理由など無い。
469名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 20:06
>>458
ありがとうございます。特別なとき以外は大日如来咒をとなえるだけなんですね。
470承仕:04/06/11 21:12
>>465

 私は節を付けずに「ガンニシクドク…」と唱えてます。
節の付いた廻向もあります(廻向伽陀)。
釈尊の入滅した2月14日に「常楽会」という法要を行ないます。
この時に節を付けてますが、少し特殊な節回しです。唱えるのに約5分かかります。

471名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 21:24
天部の場合、一字金輪咒を唱えない場合が多いとありましたが、
本尊が天部ではなくて、脇侍が天部である場合、
この時は一字金輪咒を唱えてもよろしいのでしょうか?
472名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 21:47
ボロ〜ン
ボロ〜ン
ボロ〜ン
473名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 22:27
東寺で延命十句観音経唱えるってカキコがあるけど、
あれって真言宗でも唱えるんもんなんですか?
474真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/11 22:31
>>468
理由はあるじゃないですか。
「観誦すれば無明を除く」って(笑

>>469
両部曼荼羅の真言っぽいのには、
「南無両部界会」というのもありますよ。
475名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 22:35
そう言えば東寺、坊さまが祈願所で普門品と十句観音経、あげてた気がする
真偽は?
476北海大将智:04/06/11 22:49
 463さん 正しくはおっしゃる通りなのですが、すべての真言宗寺院の本尊
が北に位置し南を向いているなら西金剛界、東胎蔵生でいいのですが東の方角に西向き
の薬師如来を祀っている寺院もあれば西の方角に東を向いた阿弥陀を祀っている 寺院も
あります。なかには北向き不動などもあるのでいかんともしがたいので右胎蔵生、左金剛界
をカキコしたのですよ。
 463ー395さん 弁財天の十五、もしくは十六童子は『最勝護国宇賀耶頓得陀羅尼経』
によるのですが、この経典は偽経でして私もちゃんと読んだことはないのですが、おそらくに
は真言が説かれていると思われます。ただ偽経ですのでその点だけは念頭においていただきたい。
もし395さんのお家の弁天様が十五童子と一緒のものなら私が偽経云々いっているのは気に
なされないでください。
477真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/11 22:51
延命十句観音経は真言宗でも唱えますよ。
題名は忘れましたが、一昔前によく使われていた
お経本にたしか収録されていたと思います。
私の郷里でも以前は唱えていたような記憶が…
478真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/11 22:56
承仕さん
たしか、明日は興教大師の法要の日ですね?
長谷寺で「大日経」の読経、聞きたいのですが、
どうやら行けそうにありません。残念orz
479名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 23:04
へぇ〜十句唱えるんだ
今の真言諸経本には無いね
東寺さんは昔のままやってらっしゃったんだ。
何か探してみると他にも真言宗でも普門品以外の法華経あげるとか寺によって意外な経典あげるのありそうね
480会奉行:04/06/11 23:19
延命十句観音経は白隠禅師が大いに流布したため臨済宗ではよく唱えますね。
以前、曹洞宗の総持寺へ参拝した時に買った経本にも載ってました。
詳しくは白隠禅師の『延命十句観音経霊験記』があります。
481名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 23:29
>>476
南向きであろうが、東や西向きであろうが
西金界東胎界で問題なし
>476=北海大将さん
丁度、方位の話が出てるので便乗質問
依然、天台のお坊さんに先祖を祈るとき色々家庭事情はあるだろうが、
仏壇を南に配してはダメ(北向き不動のように本尊の背が南、正面の御顔は北を向く)絶対、南だけはダメと言われたことがあります。
理由は何かを調伏する祈願をする時の方位であるかららしいのですが、やはりダメなんでしょうか?
483承仕:04/06/11 23:34
真言坊主さん

 明日ですね。私も久々に長谷の声明を聴きたいです。
484名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/11 23:36
確かに北向きはあまり見ませんね。
(何か悪いことが起こるか)あなたが試しに、北向きにしてみて下さい。
485承仕:04/06/12 00:01
>>479

 豊山派では、報恩講で如来寿量品を節付きで唱えてます。
486承仕:04/06/12 00:27
>>481

 そうですね。本尊がどちらを向いてようと、本尊を北としますよね。

 西金・東胎ですが、本来は東西と表すべきものであります。
掲示板としての性質上、質問された方以外にも、一般の檀信徒の方が曼荼羅に興味を持ってスレを覗くこともあると思い
「本来は東西と表すけど、この場合は左右と表した方が、金胎の見分け方が解りやすいかな…」
と、左右で表記しました。ご容赦下さい。
487ランボー:04/06/12 06:12
>>484
久しぶりに旅から戻ってきたら、随分進みましたね。
相変わらず自分でためさないで受け売りの書き込みが多いですね。
右胎蔵生、左金剛界となっているようですが、私のところでは左右逆におまつりしています。
たくさんご利益いただいていますよ。
疑問を持ったら試してみる、おおいに結構なことと思います。
また、一般の人の理解に苦しむ事件が世間をにぎわしているようですね。
お参り、読経、真言を通して時間が有れば書き込みしようと考えています。
絵のぼた餅だけでは、お腹が満足しないからね。
488真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/12 07:31
>>484
人に試すことをすすめるのは感心できないですね。
日々の勤行は遊びではないのですから。
489会奉行:04/06/12 10:57
マンダラの懸け方ですが、
右(東)胎蔵・左(西)金剛は「因果相対の懸け方」と言います。
右(東)金剛・左(西)胎蔵は「陰陽相対の懸け方」と言います。
どちらも間違いではありません。
しかし、最も主流は因果相対の懸け方です。
490名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/12 11:49
>>474
胎蔵界、金剛界別々に拝むときは、
「両部」のところを「胎蔵」、「金剛」と置き換えて唱えればよいでしょうか?
491名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/12 12:13
>>474
それは理由ではなく、功徳でしょうな。
492ランボー:04/06/12 12:57
>>488
ハハハ、短絡的ね。
疑問を持ったら試してみる、おおいに結構なことと思います。と言っている事は、文法的に人に試すことをすすめ
るのは 云々ではなくて、自分がやってみたこと、経験したことを言うのは良い事と言っているので、べつに無茶
な事をしなさいとは言っていないよ。
別に、呪ってみたらと言っているのではないのだから、めくじら立てることでもないでしょう。
もっとも、呪うと言っても、刑法では不能犯となり、無罪ですがね。ご承知でしたか。
493北海大将智:04/06/12 12:59
 486 承仕師と同じ意味でカキコしたんですがうまく伝わらなかったようですね汗
そもそも、金胎の曼荼羅の見分け方を聞いた入る方に東胎蔵生西金剛界とだけ
カキコしても伝わらないと思いまして、本尊を常に北と考えるので東胎蔵西金剛界
とカキコすれば私もよかったと反省。。。  
 482さん 「五種法」という方位、炉の形、時、尊格などをその修法の目的に
合わせて体系化したものがあるのですが南方の方角に北向きに荘厳するのは確かに調伏の方角
なんですよ。一番よいとされるのが南向きに北の方角ですね、これは息災の方角であり一番
オールマイティなんですよ。ちなみに西方は敬愛、東方は増益です。
494金剛杵:04/06/12 13:15
胎蔵曼荼羅を「理」
金剛界曼荼羅を「智」
と言われるようですが、「理」「智」の意味は何なのでしょうか?
495真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/12 17:26
>>490
「南無胎蔵界会」「南無金剛界会」というぐあいにですか?
ちょっと聞いたことがありませんねえ。
いちおう、真言宗では両部を一具とみて、
「南無両部界会」と唱えます。
あと、「胎蔵界」と称することを問題とみる人も多いようです。
空海さんは「胎蔵海会」とも称していますから、
両部を各別に拝むのであれば、「南無胎蔵海会」かもしれません。
496真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/12 17:30
>>491
たしかに、無明を除くのは、真言読誦の功徳です。
しかしながら今の「観誦無明除」の「観誦」は
「無明除」の条件節として訓読していますから
真言読誦の理由とみて問題ないのではないですか?
無明を除くのは即身成仏の観行を行うための目的でもありますし。
497名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/12 17:34
>>495
そうなんですか。
因みに真言坊主師のところでは、曼荼羅はどのようにまつられていますか?
498承仕:04/06/12 20:03
>>494 金剛杵さん

 あるべきものとしてみた理念の世界を象徴したのが胎蔵法曼荼羅であり、如来の理徳を示したものであるから、理曼荼羅。
 あるべきものとしてみた自覚の境地を表現したのが金剛界曼荼羅であり、如来の智徳を顕わしたものであるから、智曼荼羅です。
>>487
ランボーさんは、今度の理解に苦しむ小6事件について
霊的にどういう解釈をしておられますか?
その事件がおこった地方はこどもの事件が多発していますが、
なにか悪い因縁がありそうですね。
ちょっとスレ違い(スマソ
500真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/12 22:53
>>497
ごく一般的な右胎左金です。
会奉行さんのいわれる陰陽相対というのは、まず見られないですね。
たぶん、理論上のものじゃないかと思います。
実際にそのように懸けているところは私は見たことがありません。

>>489 会奉行さん
件の説は慈雲の『曼荼羅便覧』によるものですね?
で、あれは本円の『曼荼羅義記』からの孫引きなんですが、
慈雲はどうやら杲宝の『秘蔵記私鈔』の説と勘違いしているようです。
501承仕:04/06/12 23:20
折り返し地点ですね。
502名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/13 00:24
見たことが無いから認めないというのか?
>>496
即身成仏 てなんですか。師はそれをしているのですか。結果はどうでしたか。
初歩的な質問ですみません。
504ランボー:04/06/13 09:33
>>499  今回ばかりでなく以前も少年がバスジャックして痛ましい事件が起きましたね。
この理解に苦しむ事件の背景には霊界のストレスが大きく関係しております。
三次元的考察では正しい判断は不可能です。TVで見た限り今回の関係者の認識ではうわべの理屈つけで
終わってしまい、解決にはなりません。その根底には、在来の宗教に携わっている僧侶、神官、牧師など
霊を浄化させる職業の者の認識がないからです。自分自身の家族が成仏していないことすら感じ取っていな
いのが、実情のようです。霊魂を否定する限りまた、死んだら皆仏になるとか、簡単に阿弥陀様に救われて
極楽浄土にゆけるとか、とかく霊界の仕組み状態を知らないで勝手に解釈をしてそろばん勘定が上手な僧侶
が多すぎます。それで、日増しに霊界は汚れていくのです。そういった中で、霊的に感受性の強い人に、それら
の不成仏霊が憑依して色々な行動を起こさせるのです。以前有る機会から、札幌に在る北海道大学の医学部
のある科で多重人格の研究をしている事を知り、そこで発行している本を入手しました。ジキル博士とハイド氏
のごとく、人格が入れ替わる、中には多種の人格が入れ替わり、それらを二重人格とか多重人格とか、まこと
しやかに述べておりましたが、我々の側から見れば、単に憑依した霊が入れ替わっただけの事です。
この度の小学生に憑依して事件を起こさせた霊は、その霊が前世(死ぬ前に生きていた時)で人を切って殺し
た事がなかったのか、かなり興奮していたようで、その時小学生の魂はお腹の方に押し下げられその体は自分
の制御外になっていたのです。事件後は自分に戻っているので、精神鑑定しても無意味と思われます。
鑑定の時に、事件を起こした霊を降霊し口利きさせれば、状態が三次元んの人間にも理解できるでしょう。
基本的に、霊界では死んでいるのですから、殺す事の善悪はないようです。だから十善戒が必要なのです。
505ランボー:04/06/13 09:46
恐ろしい事件がいつ起きるか分らないご時世です。
自分や自分の家族を守らねばなりませんが、巷のお寺や神社、新興宗教(教祖の中には、高野山の専学に
入り数日後加行等の資料が配布されたのを持ってその後の行を捨て、その資料を基に沢山の本を出版し
教団を確立したつわものもいますが)が頼りにならないのが現実です。
しかし、幸いに良い教典や真言それに印を結んで仏を拝む事が出来ます。
密教はサイエンスですから、同じくすれば同じ答えがでることは、ありがたいことです。
日本は戦後平和ボケになっています。宗教的信念でも負けています。
一人一人が自覚し、有るレベルまで宗教的力量を会得しなければならない時期に来ていると思います。
時代は変化しています。
宗教に対しての考えも、それに合わせて替えていかなくてはなりません。
今日は13日 虚空蔵菩薩の護摩法会が始まりますので、また次の機会に。
506名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/13 11:01
>>503
即身成仏というのは、空海さんによって確立された
真言密教の重要な教義です。簡単にいえば、
今現在の肉体のままで仏さんの境地を体験するということです。
空海さんがこのことを主張するまでは、
何度も生まれ変わって善根功徳を積まなければ
仏さんの境地を体験できないと考えられていたのですが、
空海さんは生まれ変わらずして今の肉体のままで
体験できるということを主張したのです。
その理論については、空海さんの『即身成仏義』
という著書に書かれています。
507名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/13 11:05
ランボー必死だな
なまくさるばたたぎゃてびゃさるばもけびゃさるばせんだんまかろしゃな
けえんぎゃきぎゃきさるばびきなうんたらたかんまん

間違ってるところあるかもしれないけど
コレ何の真言だかおわかりのの方いません?
509金剛杵:04/06/13 14:18
>>508
不動明王火界呪では?
ナウマク サラバ タタギャテイビヤク
サラバ ボッケイビヤク
サラバタ タラタ センダ マカロシャダ 
ケン ギャキギャキ サラバ ビキナン
ウン タラタ カン マン
510承仕:04/06/13 14:19
>>508

不動明王火界咒ですね。

『聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経』には
「この真言を誦ずれば、大智火を出して一切の魔軍を焚焼す。三千大千世界ことごとく大威怒王の威光焚焼せられて、大火聚となる。ただ十地菩薩等の一切の佛土を除いて、諸の冥衆を焼き、後に法薬を以て安穏を得せしむ。」

「若しこの真言を持せば、無傾動を成就して、諸の往昔の罪を焼き、大魔王を降伏して、所求の一切の事持に隨って成就することを得ん。」
と説かれています。
511金剛杵:04/06/13 14:24
>>498承仕様
お答え、ありがとうございます。
>あるべきものとしてみた
とはどういう意味でしょうか。
512承仕:04/06/13 14:37
金剛杵さん

 解りづらい表現でしたね。訂正します。

如来の理念の世界を象徴したのが胎蔵法曼荼羅であり、如来の自覚の境地を表現したのが金剛界曼荼羅。

513503:04/06/13 15:48
>>506 有難うございます。
514承仕:04/06/13 16:07
即身成仏とは、ミイラになることを言うのではありませんので。念のため。
515503:04/06/13 16:17
>>514
ミイラになった僧もいましたよね。
それは、なんというのか、よろしければ教えていただけませんか。
516名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/13 16:18
>>443
ダと唱えるほうが多いのでは?
517承仕:04/06/13 17:31
>>515

なぜか即身仏と呼ばれてますね。

五穀や水を断っていって、こと切れる寸前の極限状態になった時、境地に辿り着いて、そのまま寂した・・・ってことなんですかねぇ。

修験信仰も関わっていて、私にははっきりしたことはわかりません。
お大師さんが主張するところの即身成仏とは、方向性が少し違うと考えてます。

若し人、佛慧を求めて
菩提心に通達すれば
父母所生の身に
速やかに大覚の位を證す。

518503:04/06/13 18:11
>>517
ご返答有難うございます。
ここで言う 即身成仏 は巷で亡くなった方を 仏さん というのと似ているのかも知れませんね。
519一畳弛緩院:04/06/13 20:08
>>443
「ダ」でいいと思います。>>516 さん、同意。

>>508 509で金剛杵さま、510で承仕さまが既にお答えですが、
恐らくは不動尊の火界咒(大咒)です。
>>508 には一部に欠けがありましたので、改めて示します。
(以下、天台での読み)

なま さるば たたぎゃていびゃ さるばもけいびゃ 
さるばた たらた せんだ まかろしゃな
けん ぎゃきぎゃき さるばびきなん うんたらた かんまん
520名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/13 20:20
>>519
おおーっ!天台読み!
これからもいろいろとご教示願います。
で、さっそくで申し訳ありませんが……
前にも「サルバ」と読まれていましたが、
天台では「sarva」は一貫して「サルバ」ですか?
521名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/13 21:52
>>519
千手観音の御真言は、真言宗でも天台宗でも表記も一緒ですよね。
このよく唱える御真言は、千住菩薩と同体と考えられる
金剛界の菩薩と一緒でしたよね?
522北海大将智:04/06/13 23:06
 521さん 千手千眼観自在菩薩の真言は
「オン バザラ タラマ キリク」です。
バザラ(梵vajla)は金剛、タラマ(dharma)は
法です。キリク(hrih)は蓮華部の徳である本性
清浄を表します。たしかにこの真言は金剛界三十七尊
中十六菩薩のうちの一尊で、西方阿弥陀仏の四親近の
菩薩である金剛法菩薩の真言でもあります。
 また金剛法菩薩は観自在菩薩と同体であることが
『金剛頂略出念誦経』・『金剛頂瑜伽瑜祇経』で
説かれています。
523一畳弛緩院:04/06/13 23:58
最近時間がなくて・・・簡単で恐縮ですが・・・
>>520
>「サルバ」
知る限り、そういって差し支えないと思います。

>>521
> 金剛界の菩薩と一緒
金剛法菩薩のことでしょうか?
524一畳弛緩院:04/06/14 00:00
>>523 後段の金剛法菩薩
>>522で、北海師が詳細に書かれていましたね。重複スマソです。
525北海大将智:04/06/14 00:41
 そうそう、前から疑問に思っていたことを一畳弛緩院師に
お聞きしたいのですが…。
 天台でも塗香器と洒水器を使うのは知っているのですが、
片方にちいさな扇子のようなもの、たとえ悪いですが
ハリセンそっくりのものがついていますがあれは、どのような
理由でどう使うために付いたのですか? 
 
526名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 00:46
千手観音の真言は東密・台密で違いが顕著と思うが、気のせいか?


以下、だんだん東密→台密の傾向へ・・・

オン・バザラ・ダラマ・キリク・ソワカ
オン・バサラ・ダラマ・キリク・ソワカ
オン・バザラ・ダルマ・キリク・ソワカ
オン・バサラ・ダラマ・キリク・ソワカ
オン・バザラ・ダルマ・キリ・ソワカ
オン・バザラ・ダラマ・キリク
オン・バザラ・ダラマ・キリ
・・・
527承仕:04/06/14 02:31
「vajla」も「dharma」も、日本語では非常に発音しづらいですからねぇ。
日本訛りとでも言いましょうか、独特の発音になっていますね。
528名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 02:34
大師明神と云うのは、空海の事で、
高野で云う明神と云うのは、丹生明神の事ですか?
それとも大師明神の事ですか?
大師明神の御真言てあるのですか?
529名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 16:04
色々作法は違うと思いますが皆さんの所の御本尊様には必ずお花を供えられていますか?
何かの縁日の時だけですか?やはり榊だけはいつも供えて置かないといけませんよね…
真夏なんか、すぐ枯れて傷んでしまうので仏様には失礼ですが立派なお花を切らさず買うと結構な出費になり悩んでしまいます。
なので切り花用にアスターと言う小菊を植えました
530名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 17:32
何故に榊?
樒じゃないの?
531名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 17:44
>北海師
北海師は「タ」の発音で唱えているのですか。
532名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 18:02
>>530
樒供えるって創価じゃないの?
533前スレ970:04/06/14 18:38
>532
んにゃ、ソーカでなくても樒は使う。
なんせ木ヘンに佛とかいて「しきみ」と呼ばせる所すらあるから。
別にあそこの専売特許じゃあないよ。
あと>528の大師明神は
正確には大師「&」明神という事なんです。
加行で明神に唱える文言は「南無大明神」だったような。
格別の真言は無かったかと。
とはいえ「大師供」のような次第があるものねえ。
どんなでしょうか諸師方?
534真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/14 19:07
いや〜すっかりクッキーが消去されていて、名無しでカキコしてました。
>>506>>520は私です。一畳弛緩院さん、レスありがとうございました。

>>528
「大師明神」というのは、>>533さんのいわれるとおり、
大師と明神とのことです。このばあいの明神というのは、
高野明神で、丹生明神とは別です。高野明神は男神、
丹生明神は女神です。ただし、資料によってはこの両神が
混同されてしまっているものもあります。
あと、高野明神を拝むときは>>533さんのご指摘のとおり
「南無大明神」と唱えますが、高野山の学僧が行う
「御本地供」という行法のなかでは、高野明神と
丹生明神との本地に相当する仏さんの真言を唱えます。
これ以上の詳細については、勘弁してください。
これでも私はかつて高野の学僧でしたので、
「御本地供」の内容にはふれないでおこうと思います。
535前スレ970:04/06/14 19:56
真言坊主さま
すんません、ついつい不味い事まで踏み込んでしまいました。
深く反省。
536真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/14 20:06
>>535 前スレ970さん
いえいえ、まずいことなんかありませんよ。
私の所持する「御本地供」の末尾に
「他見せしむるなかれ」という意味の文が記されているので、
内容に踏み込むのを自粛しただけです。
でも、たしかに、高野では明神さんって、
ちょっと恐れられている存在ではありますね。
537503:04/06/14 20:34
>>506  前回解説していただいた503です。
即身成仏というのは、空海さんによって確立された真言密教の重要な教義と言う事は分りましたが、どうして
今現在の肉体のままで仏さんの境地を体験する事ができるか分りません。また仏さんの境地がどう云うもの
かも 想像がつきません。密教僧は師である空海さんのその行をしていると思うのですが、真言坊主師はその
行をされて、いかがでしたか。よろしかったら、お聞かせ下さい。文字だけで考えると、即身と言うからには、行
をしなくても直ぐになれるということですか。空海さんは衆生を救うという誓願を持たれているのですね。となれば
誰にでも出来るという事ですね。もし、空海さんしか出来ないのであれば、真言坊主師にも出来ないのであれば
衆生を救う事が出来ないという矛盾に私の考えが行き着いてしまうのですが。
だんだん、分らなくなりました。ご面倒でも、素人にも分る様に教えていただけませんでしょうか。お願いします。
538名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 20:44
>>471
天部でも一字金輪咒を唱えないことはないのでは?
実際はどうなのでしょう?
539一畳弛緩院:04/06/14 20:49
>>525
洒水器の方かと。要は、散杖を安定させるもの兼つまみなんですが。
はて、名前・・・(考)ハナとか、ハリセンみたいなの、とか云ってますね(笑)
あれのやり方も、流派により、寺により、顕密により色々ですね。

>>529
常花という手もあるかと。生花は御縁日と御三日くらいで、
あとはご本尊様にお詫び・・・で、ご勘弁頂けませんかね?(笑)

>>532
>>533
樒は青蓮華の代わりとされてますよね。

>>534 真言坊主さま
いえいえ
>>536
横レス恐縮ですが、
台密の赤山明神や新羅明神(それぞれ慈覚大師、智証大師感得の護法神)
みたいな存在でしょうか?
それとも、土地神としての山王権現のような?
540一畳弛緩院:04/06/14 20:51
>>538
天部だから、と言うよりは、勤行・法会の組み立て方による、
というべきでしょうかね?
佛眼佛母と一字金輪の関係、以前話に出ましたが。
541名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/14 21:13
千手観音菩薩の真言は真言宗でも「ダ」と唱えるところが多いような。
542538:04/06/14 21:51
>一畳弛緩院さん、
いえ、脇侍が天部の場合唱えてよいのかどうかということでしたので。
>>542 538さま
そもそも論的に云ったまでで・・・
本尊(天部以外)への勤行・修法の場合、脇侍の仏様については諸真言で咒を唱える
程度でしょうから、あまり問題にならないでしょうし、
別して脇侍(天部)への勤行・修法となれば、今度は組み立てによる、と。
そういう意味です。
544真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/14 22:16
>>537 503さん
私の修行の体験ですが、これを語るのは憚られますねえ。
これまでのレスを見ていただいたらわかると思いますが、
このことを503さんに語ったところで理解されるとは思われませんし、
私自分のためにもなりません。ま、強いていえば
ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』という本がありますが、
あれを読んだときに、私は共感するところが多くありましたね。
同じような体験は、密教の修行をすれば、
多かれ少なかれ誰もが経験できると思います。
いや、「密教の修行」というのはまちがいですね。
他の修行でも同じだと思います。
即身成仏というのは、私は一種の意識の転換だと思います。
簡単にいえば、「目からウロコが落ちた」状態。
瀕死の状態からよみがえった人がよく言うじゃないですか。
今までと同じところにいるんだけど、全く別世界のような感じがする、
なにもかもがすばらしくみえる、って。これに近いと思いますよ。
この状態に至って、はじめて真の衆生救済の心が生じてくるんですよ。きっと。
自分の生命を省みるようなことはしませんからね。
ちょっとしゃべりすぎました。反省。
545真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/14 22:25
>>539 一畳弛緩院さん
すいません。天台宗の神さまについての知識を全く持ち合わせていませんので、
何とも言えません。今度暇をみて勉強しておきます。
村山修一氏の本なんかが良いですかね?何かオススメはありませんか?
高野明神と丹生明神というのは、空海さんが高野に入るときに
その土地を献上し、案内した神さまです。だとすると、土地神ということになりますかね?
546真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/14 22:33
千手観音の真言ですが、私の記憶では
「タ」も「ダ」もありますよ。私は「ダ」で唱えています。
ただし、浄三業の真言にも「dharma」の語がありますが、
これは一貫して「タ」ですね。
思うに、「タ」「ダ」の違いは前の語末の音に関係しているかもしれません。
梵字の日本語読みはサンスクリット語の連声とは無関係なので、
決まった法則というのはないようですが。
>>545 真言坊主さま
いえいえ。私も東密の神様方については殆ど知識がないもので・・・
(お名前をちょこっと耳にしたくらいで)
垂迹神関係、中世の神々は難しいですね。
天台関係でいうと、山王権現、山王曼陀羅=叡山の地主神・山王廿一社と諸仏の習合の構図ですし、
赤山明神は、円仁が入唐中感得した異神・護法の神で、一説には道教の泰山府君ともいわれるもの、
新羅明神は、同様に円珍が感得したと云われる護法神で、寺門(三井寺)の守りとされます。
摩多羅神は・・・ときりがないし、結局の処、よくわからないのですが。
最近読んだもので面白かったのが、それこそ『異神』(山本ひろ子著)ですかね。
これ、なかなか中身が濃くて、面白いですよ。

> 高野明神と丹生明神というのは、空海さんが高野に入るときに
> その土地を献上し、案内した神さまです。
> だとすると、土地神ということになりますかね?
どうもそのようですね。
真言坊主さま
もひとつ。
> 高野明神と丹生明神
昔、どこぞでみた高野四社明神というのは、この神々のことでしょうか?
そうであれば、恐らく、山王社と延暦寺の関係に近い神々=地主神なんでしょうね。
549真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/14 23:33
>>547 一畳弛緩院さん(ですよね?)
ありがとうございます。山本ひろ子『異神』、さっそくぐぐってみましたら、
ちくま学芸文庫から出てました。これのことですね?
今度、読んでみます。

>>548
四社明神というのは、高野の麓の天野大社というところにまつられているもので、
ここの一宮が丹生明神、二宮が高野明神です。
550503:04/06/15 09:39
>>544
とても煩わしい事と思いながらも、真言坊主と名乗られている唯一の身分を保証した名前で出ていられる師に
弘法大師の事をお聞きするのが的確と勝手な判断でお伺いして申し訳ありません。せっかくお答えいただいた
のですが、自分には言語明瞭意味不明で(汗)、真言坊主師の言うところの空海さんによって確立された 真言
密教の重要な教義と言う事になれば、このスレで多くの議論も全ては即身成仏を目標に研鑽しているものと考
えます。真言坊主師のされた行の細かな修法をお聞きしているのではなく、密教の行をされて即身成仏、師の
言われる仏さんの境地を体験する事ができるを体験されたのかをお聞きしたかったのです。シッダールタで言う
ところの生も死も輪廻の一部と言うことか、菩提樹の下でさとりをえた事をおっしゃりたかったのか、分りません
でした。また、師の言われるところの 私は一種の意識の転換だと思います とのご意見は素晴らしい考え方と
思います。その転換をするため、どうお参りしたらよいのか、一歩ずつ考えますので、ご教授宜しくお願いします。
551名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/15 10:46
即身成仏って仏になるんじゃなくて、
仏であることに気付くんだよ。
552名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/15 10:51
真言坊主師以外のコテハンは否定されました
>>549 真言坊主さま
>>534の真言坊主さまと一緒の状況?でHN消えてました。
>>543 >>547 >>548
は私です。四社明神のお話、なるほど。
554一畳弛緩院:04/06/15 11:39
>>553
「私」って誰ですよね。これじゃ。
肝心のHN入れ直してませんでした。スマソです(大汗)
555承仕:04/06/15 12:43
真言坊主さん

「空海と高野山展」では、束帯姿が高野明神像、
狩人姿で白犬&黒犬を連れているのが狩場明神像
として出展されていました。
高野明神=狩場明神、ということでしょうか?
556真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 18:38
>>550 530さん
>このスレで多くの議論も全ては即身成仏を目標に
>研鑽しているものと考えます

とんでもない。ここに私が顔を出しているのは、遊ぶためですよ。
2ちゃんなんかが修行になるわけないじゃないですか。
そりゃあ、たまには勉強になることも話題にのぼるので、
マジで議論することもありますが、多くはみなさんと
会話を楽しんでるだけですよ。
557真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 18:42
>>552
そりゃ違うでしょう。
530さんの質問は、おそらく釣りでしょう。
私を指名して、試してるんですよ。
本当に真摯に即身成仏について学びたいのであれば、
こんなところで軽く質問なんかしないですよ。
558真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 18:48
>>555 承仕さん
狩場明神、高野明神、丹生明神の関係は私もよくわかりません。
中世以降、いろいろな説が出てきて、ぐちゃぐちゃに
なってるんじゃないかと推察します。
『御遺告』の記述によりますと、狩場明神はまだあらわれておらず、
高野明神と丹生明神とは別個の神さまとして書かれています。
これが『金剛峯寺建立修行縁起』になると、
高野明神と丹生明神とが一緒のような書かれ方になってますし、
その後の資料になると、この二柱は親子だとか、夫婦だとか、
いろいろといわれています。
559真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 19:17
そぉーいえば!
今日はななんと降誕会の日じゃないですか!
すっかり忘れとった。
朝の勤行、もうちょっと丁寧にやっときゃよかった。

オンボキャサンボダラソワカ
南無大師遍照金剛
560承仕:04/06/15 19:19
真言坊主さん

解説ありがとうございます。
やはり色々な説がごっちゃになってるんですね。
ちなみに長谷寺の地主神は、瀧蔵三社権現と与喜天満宮です。
蔵王大権現と不動尊は本質は違うんでしょうか?
蔵王大権現は確か金色の体でサンコショ(?)を振りかざして
右足を上げてたと思うんですが・・・・・・・・・
その正体が知りたいです。ほんじも知りたいです。
良かったら教えてください。
562承仕:04/06/15 19:34
蔵王権現は、役行者が感得したという尊です。
衆生を救いたいと祈念したところ、弥勒菩薩等、色々な仏・菩薩が顕れました。
しかし役行者にとっては不満だったようで、最後に顕れた蔵王権現に満足したそうです。
蔵王権現は三体並べて祀られます。
忿怒相で怒髪天。右足・右手を上げ、右手には金剛杵。
左手は剣印で腰に。
三体ともこのような尊形です。
三体はそれぞれ過去・現在・未来の衆生を救うとも
三毒を滅するともいわれます。
563承仕:04/06/15 19:40
真言坊主さん

高野のお山では、青葉祭りで賑やかだったでしょうね

新義系の長谷寺では、明後日が興教大師の誕生された日なので
間をとって16日に「両祖大師誕生会」を行います。
564承仕:04/06/15 19:48
>>561

本地は失念しましたが、不動さんとは違います。
蔵王権現は不動さんが日本に伝わるより前に
役行者が感得された尊ですから。
565503:04/06/15 20:01
>>557
真言坊主師、ひやかしでこのような大事な事は書けませんよ。師が先に書き込んで下さったから、そして密教の
本流と私は認識している高野山(いろいろな師の書き込みからの判断)即身成仏の体験をお聞きしたかったの
です。あの、怪しげなランボーさんでさえ、お参りの次第などきちんと書いてくれたのに、顔を出しているのは、
遊ぶためですよなんて言われたら、今まで書いてくださったことが信じれなくなり、私以外にも真剣に読んでいる
人もいるのに、僧侶すら信じれなくなりますよ。ランボーさんのように何でも有りでは、真言坊主師の真言という名
にかかわりますよ。
師が話されていたように、衆生を救う根本であれば、ほんのさわりで(どうせ私たち素人には難しい事は理解でき
ませんので)よいから、お願いします。
566538:04/06/15 20:12
>一畳弛緩院さん
解説ありがとうございます。
ということは、脇侍が天部のお寺に参拝した場合、
通常普通に参拝する時は、本尊と脇侍の御真言と仏眼仏母と一字金輪の御真言を
唱えてもよいということですね。
567お遍路:04/06/15 20:12
通りすがりの者ですが、とても魅力的な事柄ばかり書かれているので、しばし足止めします。
即身成仏について議論しているのですね。弘法大師に帰依する者にとっては、究極のあこがれ
です。始めから読んだら、絵奉行さんも触れられていますね。
とても興味深いテーマで、ぜひ真言坊主さん、お願いします。
568真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 21:10
>>565
そうですか。それは失礼しました。
まあ、でもここで即身成仏に関する情報を得ようなんて気は
おこさないほうがよいでしょう。ここでいくら話し合ったところで
即身成仏を体験したり、それに対する理解が深まったり、
などということは絶対にありえませんから。
まずは『即身成仏義』をきちんと読んでみてください。
569真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 21:17
>>567 お遍路さん
すでに上に書いたことですが、
即身成仏の体験談などは、ちょっと勘弁してもらいたいです。
はっきり言って、そんなことをここにカキコするのは
驕り以外の何ものでもありませんから。
ただし、『即身成仏義』の内容や理論上の問題、
書誌に関する問題でしたら、大歓迎です。
570真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 21:24
>>565
私の名前に権威を感じるのであれば、
これは問題ですね。
私がこのコテハンをつけたのは、以前、
宗教板で真言坊主(真言宗の坊主)を
クソミソに叩いているレスがあったので、
それにあえて対抗して「真言坊主」としただけです。
これに権威を感じてしまうのであれば、
すぐにでも変えましょう。
私は別に「偽坊主」でも「糞坊主」でも何でもいいんです。
>>565
どんな理由でここにこようといいじゃないですか。
それこそ遊びでも何でも。
それに即身成仏の体験談を聞きたいなんて、ちょっと失礼だと思いますよ。
悟りの体験を語れと言っているようなもんですからねぇ。
語ったら語ったで、色々と言われる事は目に見えていますし、真言坊主師の見解は既に簡単に述べてあるわけですから。
即身成仏儀を読んで、ここが分からないとか、そういう質問にしてはどうですか?
572ランボー:04/06/15 21:43
最終で帰ってきたら、にぎやかですね。
留守の分を読むのがたいへん。
真言坊主さんの独壇場ですね。
573真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 22:36
>>563
そうですね。青葉祭りなんですねえ。なつかしー。

ところで、神祇の話が出たついでなんですが、
覚鑁さんって日本の神様について、言及されているのですか?
空海さんには『天地麗気記』などの著作が伝えられていますが、
神道関係のものはほとんどが偽作です。
もちろん、丹生明神について触れている『御遺告』も。
『性霊集』にはほんのちょっとだけ触れているところがありますが、
まずダイレクトには出てきません。
円仁や円珍なんかは勧請しているらしいのですが、
空海さんはどう思っていたのか、けっこう謎だと思います。
で、覚鑁さんはどうだったのかなあ、と。
安易な質問で申し訳ありません。
574真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/15 22:38
>>571
フォローレス、サンクスです。
まさにおっしゃるとおり、下手に書こうものなら、
何を言われたものかわかりません。
575名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/15 23:02
平安時代は、霊といった考えが
とても深く信じられていたらしいですが
そういった背景の割には、弘法大師がはっきりと言及していなく
思いますが、いろいろ考えてしまいますね。

大師は、まったく否定的なご時世であったのなら、どのような態度を
とられるのか、非常に興味深いです。
万人に共通していない五感の違いをどのように扱うか
非常に注目しております。

ただ、あるとか無いとかで揺れている内は
つまり、答えを求め、ああだこうだと考えてしてしまう内は
生死解脱はままならないんでしょうね。
576北海大将智:04/06/15 23:46
531さん 大体自分の法脈のいくつかの次第を見た限りかぎりタラクと
よみますね〜。
539ー一畳弛緩院師 ありがとうございます。散杖を洒水器の上においたり
するんですね〜。大変興味深いですね。
574ー真言坊主師 さすがにうまくかわされていますね。
禅定体験の中で体験する世界を2ちゃんねるの掲示板で言葉で表現することは
避けるべきでしょうね。。。 
 とりあえず『即身成仏義』を読むなら那須政隆博士の『即身成仏義』の解説
が多くの人に共感しやすい言葉で解説されているのでおすすめです。私も学生の
ころお世話になりました。
573ー真言坊主師 伝法堂談義の聞書に高野・金峯・熊野三山についてや金城
明神(比叡明神)等の説話が説かれたとの記述があるようです。また『上人縁起』
によれば岩手荘寄進にかんして興教大師が京東寺に滞在している時に不思議な姿の
巫女のお告げがあり、その鎮守は東寺鎮守の稲荷大明神であったとの話が残されて
います。
577名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/15 23:59
千手観音さんの御真言を教えて下さい。
578名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 00:10
ネタですか?
>>577
オン バサラ ダルマ キリク
580名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 00:50
ありがとうございます。
私の干支の御本尊様みたいです。
ちなみに、ねずみ年です。
581一畳弛緩院:04/06/16 00:59
そうか。15日は弘法大師の御誕生日でしたね。
西洋占星術で云えば双子座ですねぇ。
(伝教大師は8月18日。獅子座ですかな)
>>566
> 本尊と脇侍の御真言
は、いいのですが、
> 仏眼仏母と一字金輪の御真言
はどちらかになろうかと。お寺の勤行儀に倣ってください。
ちなみに(前にも書きましたが)
金剛界大日→胎蔵界の日輪三昧:金輪仏頂
胎蔵界大日→金剛界の月輪三昧:佛眼佛母 とみます。
コインの裏表みたいなものですが。

>>576 北海師
さらにハリセンに散杖の先を引っかけて、蓋を開けることも。
どうも名前がはっきりしませんし、作法もいろいろのようです。
582名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 01:13
考えてみると密教系(蔵王権現他)、日蓮宗その他(七面天女)には日本独自の仏がいるけど
浄土信仰にはいないんですね
583承仕:04/06/16 02:18
>>561

蔵王権現は釈迦如来の教令輪身。
胎蔵曼荼羅・虚空蔵院の金剛蔵王菩薩とは別体です。
一面三目二臂、青黒い身色で忿怒形、逆立つ髪が3部に分れる。
左手は腰で剣印を結び、右手は三鈷杵を持って高く振り上げる。
左足は磐石を踏みしめ、右足は高く空中を踏む。
金剛童子の姿に似る。

金峰山は、平安中期には末法思想により弥勒の兜率浄土の信仰が流行って
蔵王権現を弥勒の化身として信仰された時代もあったようです。
584承仕:04/06/16 02:31
>>582

浄土信仰は阿弥陀信仰とも言えますね。
他に仏さんが登場する余地がなかったのかもしれません。
浄土信仰を密教的に解釈したのが覚鑁さんですね。
585名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 02:40
金剛界の大日如来って月の中にいるのが面白いですね。
月の中に大日(太陽)がいる構造。
阿字観も月輪の中に阿字がある。阿字は胎蔵界。つまり金剛界の月輪の中に胎蔵界の大日がいる。
この関係、気になるな〜。深い意味がありそう。
586承仕:04/06/16 03:34
>>585

金剛界曼荼羅は智を象徴する月輪を主にして、蓮華がその月輪の中にあります。
胎蔵曼荼羅は理を象徴する蓮華を主にして、月輪がその蓮華の中にあります。

金胎理智は、全く不二融合の上の表裏であることを示したもので
不二が上の而二である、ということを表しています。

別々の2つのものが同一である。等しいのではなく、
本来全く1つのものを2つと見るのが「而二(にに)」。
2つと見るが、実は1つであるというのが「不二」。
「而二即不二」と言い、真言密教の根本義です。

金胎両部理智の二徳をそれぞれ説くのは而二の立場ですが、
この両部理智の徳は、実は不二一体のものであり融合している。
金剛界の智徳を離れて胎蔵法の理徳は無く、
胎蔵法の理徳を離れて金剛界の智徳は無い。
金胎理智の二徳は一法の両義、二面に過ぎないとするのが不二の意味です。

真言密教では金胎不二を説きますが、天台密教では金胎而二を説きます。
587名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 03:44
>>586
ありがとうこざいます。なるほど。勉強になります。
妙味がありますね。
588お遍路:04/06/16 06:44
ん!チョッと閉鎖的。けれど、
503さん、>>571さんの問い方も、一理ありますよ。
589真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 10:24
>>576 北海さん
そうですか。やはり院政期ともなれば、
神祇との関係が濃厚ですねえ。
ところで、覚鑁上人については、たしか
宮坂氏がペンネームで小説を書いたことがある
というウワサを聞いたことがあるのですが、
ご存じですか?もしご存じでしたら、
教えていただけませんか?そのほかにも覚鑁関係の
小説がありましたら、ぜひ教えてください。
(最近、研究書を読むのはしんどいので、
ちょっとした知識は小説で済ましちゃってます)
590真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 10:34
>>581 一畳弛緩院さん
金輪仏頂と仏眼とについて、『菩提場経』巻三、密印品に
こんな記述がありますよ。仏眼の真言が出たあとの一文です。

もし仏頂真言を修行する者、成就を得ざれば、
彼、応に此の大明妃の真言を以て、相和して
之れを称せよ。決定して大応験あり、
速疾に成就せん。(大正19、210頁下)

金輪仏頂の真言を唱えるときには、
必ず仏眼の真言を唱えることの根拠は、
両部大日に配釈するということもあるでしょうが、
おそらくはこの『菩提場経』の記述によるものでしょうねえ。
591真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 10:37
>>590
失礼。訓読ミス
×称せよ
○称すべし
592名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 12:27
悟りを開いていないのに、開いたと言うのは重罪です。
また、あたかも悟っているかのように振舞うのは、
着飾った言葉でございます。 南無南無。
592のような輩が出てくるかもしれないと思っていたら、やはり出てきましたか(笑
だから565のようなカキコは問題なんですねぇ。
言わなきゃいけないでしょう(笑
言葉の裏にプライドが見え隠れしてるなら、悲しい
経典に、何故悟っていないのに、悟りを語れるのか
という喩え話がありますね
あっ。503さんは何も悪くないですよ
>>594
何を言おうというの?
プライドを持つ事は別に悪い事ではありませんよ。
それに真言坊主師は、
> 即身成仏の体験談などは、ちょっと勘弁してもらいたいです。
と言っているのだから、悟りを語っているわけじゃないでしょうに。
596名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 17:07
蔵王権現の御真言は、知っているのでは、
オン バサラクシャアランジャウン ソワカ
なんですが。宗派によって違うのでしょうか?
確か、長谷寺にも蔵王権現祀っているところありますよね。


>>559
その御真言は何でしょうか?
597名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 17:11
弘法大師の真言(南無大師遍照金剛)→オンボキャサンボダラソワカ

598真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 18:01
>>592>>594
>>593>>595は同じ方ですか?

>>595さんフォローありがとうございます。
これだから体験談はダメだということですね。
ま、503さんはこうなることをねらったのでしょうけど。

>>592
わたしは悟ったなんて言ってませんよ。
いや、そんなこと考えてすらいない。
それほどおこがましくはないですよ。
ま、批判的な目で見ている方には
どういってもムダでしょうがね。
599真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 18:10
>>596-597
正確には

オン(帰命oM)ボキャ(空mogha)サンボダラ(海samudra)
ソワカ(成就あれsvAhA)

となります。
600名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/16 18:41
>>583
蔵王は、三仏、千手観音(キリ)釈迦如来(バ)弥勒菩薩(ユ)の合体だったのでは、なかったですか?
3仏は過去、現在、未来を現し、大峯山の蔵王も各自を示す三体だったような・・・。
よって通常の真言も オン・バキリユ・ソワカ ですね・・確か。
601 ◆fVtPY.h17Y :04/06/16 18:46
これですね。

●金峯山寺本尊●
http://www.kinpusen.or.jp/honzon.html
○金峯山寺HP○
http://www.kinpusen.or.jp/

>>600の投稿も私です。
602承仕:04/06/16 18:58
蔵王権現は三体で一揃いですね。釈迦・観音・弥勒それぞれの教令輪身ですかね。
長谷寺の柴燈で唱えている真言は、>>596の方です。
603真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 19:08
>>600-602
吉野の金峯山寺の本堂にかかげられている御真言は
たしか>>596の「オンバザラクシャアランジャウンソワカ」だったと記憶してますけど。
>>600の真言はどこで唱えるのですか?
あと、四国の石鎚山もたしか蔵王権現でしたよね。
そこではどんな真言だったか……ちょっと思い出せません。
604 ◆fVtPY.h17Y :04/06/16 19:47
>>603
すいません、通俗本から引いて来ました。
大抵の載っているのはそちらの方です。
「オンバザクシャアランジャウンソワカ」も載ってはいますが、
学研の「印と真言」の中で二つ乗っていますが、「バキリユ」の方が
通常呪とされていますので、三体の関係から一般的と推測した訳です。
少し、調べ方が足りませんでした。
蔵王権現の御真言
>>596
オン バサラ クシャ アランジャ ウン ソワカ
帰命 金剛 鉤 王尊 摧破 成就
>>600
オン バキリユ ソワカ
帰命 (三佛合成) 成就 ・・・両方ありますね。他に、

オン バサラ ゲルバヤ ソワカ ・・・なる御真言もあるようで。
帰命 金剛蔵王 成就
606538:04/06/16 20:31
>一畳弛緩院さん
真言坊主さんもおっしゃってますが、
一字金輪の御真言を唱えるときは、
仏眼仏母も唱えないといけないと聞きましたが。
607真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 21:08
>>605
その訳、違うと思いますよ。何に書いてありました?
「オンバザラクシャ」の「クシャ」は
たぶんkoSa(蔵)のことで、karSa(鉤)じゃないと思います。
でないと意味が通じない。
608一畳弛緩院:04/06/16 22:24
>>590 真言坊主さま
なるほど。勉強になります。私的には、一具の尊なのでどちらかでいいものかとも
思っていましたが(また、経験上、両方読む勤行式を見たことがないので)、
具えて読む功徳もあるわけですね。
>>606 538さま
・・・というわけで、>>581は経験上そう書いたまでで。
>>590の坊主師のカキコはわたしも勉強になりました。
(両方読まないと「いけない」かどうかは、何とも言えませんが・・・)
実際の勤行ですと、片方のみ誦することが多い訳で。
(ちょと調べてみます)

609真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 22:40
>>608 一畳弛緩院さん
東密では散念誦のときに必ず金輪と仏眼との二つをセットで
誦ずることになってるんです。
おそらく、538さんはそのことをふまえて言ったのじゃないでしょうか。
ところで、台密ではこの二つはセットでやらないのですか?
もし、そうだとすると、
これは承仕さんのいわれる而二と不二との違いでしょうかね?
610一畳弛緩院:04/06/16 22:47
>>609 真言坊主さま
> 東密では散念誦のときに必ず金輪と仏眼との二つをセットで
> 誦ずることになってるんです。
そうでしたか。
台密だと、どうも「必ず一組で」ということはありませんね。
組立の上でも、胎蔵界重視のことが多いですし。
いろいろと勉強になります。
611真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 22:48
あ、それと
>>605の「オン バザラ ゲルバヤ ソワカ」も不十分じゃないかと思いますが、
これは何に載っていたのでしょうか。
「ゲルバヤ」はたぶんgarbhAya(胎蔵、garbhaの属格?)ですから、
「蔵王」の「蔵」に該当する語でしょう。
でもgarbhaをゲルバと読む例があったかどうか?
普通はギャラバですけどねえ。
それと「蔵王」の「王」に該当する「アランジャ」の語も
ないのはおかしいです。
612一畳弛緩院:04/06/16 22:56
蔵王権現ですが、私の知っている修験色の強い寺(天台)では
オン・バキリユ・ソワカ
でやってますね。
613一畳弛緩院:04/06/16 23:12
>>600 さんの仰るように、役行者が末法相応の本尊を得ようと大峯で祈り、
感得した忿怒の尊で、釈迦、千手、弥勒の三尊が一体として現れた、とされてますね。
故に、バ・キリ・ユ と。金剛童子との関係が濃密ですね。
あと、胎蔵界の金剛蔵王菩薩とは直接関係ないようにきいてますが。
614真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 23:22
あーなるほど。
オンバザラギャラバヤソワカは
金剛蔵菩薩ですか。これなら納得です。
これは蔵王権現とは違いますよね。
全ての物事には、その姿、形があり本体があり潜在する力があり、
その力の作用があります。作用するに当たっては必ずその原因があり、条件があり、条件となる縁があり、
生み出された結果があり、その報いがあります。
最初の姿、形から最後の報いに至るまでの9項目は一貫しており等しいものであります。
このことを要約すると心と体は不二一体であり原因と結果も、また不二一体であるということなのです。

↑密教の曼陀羅もこれを顕してる気がする
天台の人はよく知ってるお経だと思うけど
616真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/16 23:28
>>615
『法華経』方便品の十如是のことですね?
たしか、空海さんには飛白体の十如是の書があったと思いますよ。
617一畳弛緩院:04/06/16 23:42
>>615
方便品の
諸法実相所謂諸法如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等
ですな。これも
諸法実相 所謂諸法 如是相 如是性・・・
諸法実相 所謂諸 法如是 相如是・・・
と、どう区切るかによって意味が違ってきたりもしますが。
>>616 真言坊主さま
弘法大師の飛白体の十如是、オリジナルは焼失したと聞きましたが、
写本とか、程度のよい写しはどこかにあるのでしょうか?
618一畳弛緩院:04/06/16 23:50
>>617 補足
あと、この十如是。羅什訳にしかなく、現在伝わる異本の梵本や、竺法護の訳には
ない模様で・・・。普門品の偈の問題(添品法華からの移入や、梵本にある阿弥陀と
観音の関係を説いた部分の漢訳での欠落など)など、漢訳仏典の問題はなかなか
難しいものがありますね(それが、教義の根本やよく親しまれている部分だと特に)
619一畳弛緩院:04/06/16 23:52
岩波文庫訳だと
 謂う所は、諸法の是くの如きの相と、是くの如きの性と、是くの如きの体と、
 是くの如きの力と、是くの如きの作と、是くの如きの因と、是くの如きの縁と、
 是くの如きの果と、是くの如きの報と、是くの如きの本末究竟等となり。
とありますね。

620真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/17 00:00
>>617
えーっと、たしか…『弘法大師真蹟集成』には載っていたような…
ちょっと自信はないです。
あの書は盗難に遇う直前に調査されていて、
そのおかげで写真に残ったそうです。

>>618
そうでしたか。十如是って羅什訳だけだったんですね。
ぜんぜん知りませんでした。
621名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/17 00:10
さすがに十如是は法華経の真髄と言われるだけに真理をついてると思う。
水蒸気が雲になり風の作用、縁で雨になり川になり…
他のあらゆる事象にあてはまる
>>595
>悟らずして、悟ったというのは、重罪です。
それは、503さんに向けての言葉です。

飾った言葉というのは、503さんの疑問を解決していない
ように思うからこそ、思った言葉です。
皆さんは、師を擁護しますが、よくよく考えるとそれですら
着飾った言葉になってしまうのが、私はとっても怖いなと思ったのです。
ここにも懺悔の気持ちを起こさなければならない必要性が。。。

>ま、503さんはこうなることをねらったのでしょうけど。

特に、この発言は、503さんが狙っていても、狙っていなくても
相手に怒りか憎しみの気持ちを起こさせるのではと、、、
私だったら、怒るか、悪い感情を抱きますから。

プライドが見え隠れとは、両者に温度差があって、交わらないから
言いました。
私の発言が戒律を犯すのなら、それはそれで指摘をして下さい。
623名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/17 14:52
>皆さんは、師を擁護しますが、よくよく考えるとそれですら
>着飾った言葉になってしまうのが、私はとっても怖いなと思ったのです。
どう云う意味?もっと誰にでも分かる言葉でカキコして。
624名無しさん@大和の国:04/06/17 14:55
それよりも、美○の○の掲示板もいいねぇ
>>623
622は意味不明だから相手にしないほうが良いと思われ・・・
師の発言を擁護はする方々は多いです。
師がとられる態度は、一見間違ってないからです。

しかし、503さんのことを思うと、それが適切な意見だったのか
疑問が残ります。
503さんの「衆生を救う」という発言には、自身も救って欲しいと
いうのが、あるかもしれません。
相手の気持ちに立つという点を考慮すると、結果的に師の発言が
飾った言葉になってしまうのでは無いかと思ったのです。

「誤って無量不善の業を犯す」
気持ちと裏腹に、過ちを犯してしまう。そうならば、怖いなと思います
つまり、僧侶の集まりゆえの、思い込みがあるのではないでしょうか?
627596:04/06/17 18:07
>真言坊主師
ということは南無大師遍照金剛というのと同じですね。
その御真言は常用でよく唱えられるものなんでしょうか?

>承仕師
師の話からすると
オン バサラクシャアランジャウン ソワカ
は真言宗で、
オン バキリユ ソワカ
は天台宗で唱えるようですね。
バサラと濁音ではないから、天台系かなと思ったりもしたのですが、違うようですね。
(ただ、金峯山寺のほうは元は天台系だったような。)

ところで、長谷寺ですが蔵王権現が祀られているところは、
回廊をのぼっていくところだったような気がしますが、
そこが柴燈というところですか。
628承仕:04/06/17 18:25
>>627

長谷寺の蔵王堂は登廊の途中、右側にあります。
柴燈は柴燈護摩のことです。
629596:04/06/17 18:55
>承仕師
柴燈護摩のことですか、失礼しました。
長谷寺の蔵王堂はやはりそこですよね。
蝋燭を買って立ててもらえるところですよね。
このスレッドが七代目となったので、
いままで出てきた御真言や勤行に関することなどを
まとめたのをつくるのはどうでしょう?
そうすれば何度も同じような質問が出てこなくてもすむし、
スレッドの進行も効率的になると思いますが。
皆さんはどう思いますか?
631北海大将智:04/06/17 19:57
 589ー真言坊主師 興教大師関連の小説としては
平成四年の850年御恩忌の記念出版として作成された
『大悲の海に、興教大師覚鑁上人伝」新潮社 根元 陽
があります。あと宮坂宥勝博士の書いた小説としては、
『月輪の聖者 興教大師伝』 成田山新勝寺
変わり種としては伝記なんですが
『即身成仏への情熱 覚鑁上人伝』ヘンデリック・ファン・
デル・ファーレ がありますよ。
 この中で個人的に思い入れがあるのは根元陽氏の小説で
興教大師の伝流の体系化の苦労を知り、四度加行のことを
思い出して伝流を授かったことのありがたさを感じました。
632538:04/06/17 20:29
>一畳弛緩院さん,真言坊主さん
となりますと、特別に天部に対して勤行するのでないかぎり、
通常は脇侍が天部のときでも、一字金輪と仏眼仏母の御真言を両方
唱えてもよいということでしょうか。
すみません、意外とこういうことは聞く機会が少ないですから。
近くのお堂に愛染明王を祀っているが、そこに書いてある真言によると
おん うんだき うんしっち そわか

オン マカラギャバゾロシュニシャバザラサトバジャクウンバンコク
真言宗ではこれ。

どうもありがとうございます。これは愛染の何呪になるのですか?
また、愛染は自宅で祭っても構いませんか?扱いが難しいとか、そういったことはないですかね?

コピペしました。教えてください。
634一畳弛緩院:04/06/17 22:56
>>633
天台の読みですと
通咒(大咒)おん まからぎゃ ばしろしゅにしゃ ばさらさたば じゃ うん ばん こ
心咒    おん うんだきうんざ うんしっち (そわか)
一字心咒  うんしっち
ですね。
個人的な感想ですが、在家でお守りする尊としてはどうなんだろう・・・
(というか、何を以て愛染明王を奉安するのか。敬愛の本尊?)
縁のあったお寺でお守りを承けてくるくらいならいいでしょうし、
まめにお参りなさるのは結構でしょうが。
>>632
東密では通常の勤行で一具(ひとそろい)の尊として誦されるようですから、
そういう点では、尊格に拘わらず大丈夫ということなんでしょうか(ね?)
天台では、勤行の組立ひとつでかわりますが。
635一畳弛緩院:04/06/17 23:00
>>634 補足
愛染明王の咒ですが、変形?があるようですね。
(ウンダキ ウンザとか)
>>634
何故か惹かれるのです。敬愛系ではなく、漠然と御威力がありそうなあの風貌に
どうしても惹かれてしまって。御祭りするのは危険なんですか?面倒を見切れないとか。
637一畳弛緩院:04/06/17 23:57
>>636
明王部でも、不動明王のような奴僕三昧の尊ではありませんから、
それなりに気は使うかと思いますが・・・どうなんでしょう。
離愛金剛、煩悩を滅する(空であることを悟らせる)智的な尊格
ですから、惹かれる気持ちもわからんではないんですが。
どなたか、実体験をお持ちの方、宜しくお願いします。
私も是非実際に在家で御祭りしている方の感想を聞きたい。

どうしてなんでしょうね、マジで惹かれてしまうんですよ。

ちょうど見つけてしまって一目惚れした愛染さん像もあるのでなおさら・・・。
639名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/18 04:28
>>636 >>638
とても、よくわかる!!
不動様ならお経も説話もいろいろあって、在家の者にも理解の手掛かりがある。
愛染様の方は、典拠が『瑜祇経』ただ一つらしい。(もちろん、私は読んだことはありません)
いわゆる「愛染王法」というものがある、ということ以外、よくわからない。
しかし、図像学的に…というと失礼かもしれませんが、とにかく、あのお姿に惹かれてしまう。

>私も是非実際に在家で御祭りしている方の感想を聞きたい。
同じく、私もぜひお聞きしたい。
640名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/18 07:52
御真言を唱えるときは、それに合った手印をしなければならないのでしょうか?

手印が分からない時は、普通に掌をあわせて唱えればいいのでしょうか?
641名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/18 07:53
御真言を唱えるときは、それに合った手印をしなければならないのでしょうか?

手印が分からない時は、普通に掌をあわせて唱えればいいのでしょうか?
642一畳弛緩院:04/06/18 09:05
>>640
印は授かったものでなければ・・・通常は合掌(虚心合掌でも金剛合掌でも)
で結構ですよ。(合掌も、立派な印ではありますが)
643503:04/06/18 20:38
>>571
有難うございます。ここが分からないとか、そういう質問にしてはどうですか? と。たしかに、私の質問は漠然と
していました。私が気になっていた言葉が思い出せなくて、葬式の時にお寺さんに書いてもらったメモを探すのに
手間取ってしまいました。
>>568  真言坊主師に質問の仕方が不適格でしたことをお詫びします。
じつは、葬式の時に、お寺さんが小耳に残る次の言葉を言われたのです。
 六大無礙常瑜伽  四種曼荼各不離
 三密加持速疾顕  重々帝網即名身
という言葉で、そのお寺さんは亡くなった人が成仏しやすいように言うのですと言われました。
真言坊主師は先に、理論的には葬式を終えた時点で故人は悟りを開いて仏さまになっているのですから、と言わ
れていますね。それで、即身成仏という言葉が師の書き込みにあったので、それと、生きている人が成仏するって
どんな事なのだろうという、初歩的な気持ちでお伺いしたのですが、なにか、大変な事を言ってしまったみたいで、
当惑しております。
上記のことで師の言われた、葬式を終えた〜 と一緒に説明いただけませんでしょうか。
644名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/18 21:39
愛染明王の小呪ですが、真言宗では、
うん しっぢ
でこのように唱えるのでしょうか?
>>634にあるように天台宗のように、
うん しっち
と実際には唱えるのでしょうか?
やはり愛染さんは自宅で祀ってはいけないのでしょうか?
御姿のあるお札くらいにしとけば?
それに自宅で祈っていいのでしょうか?って問われてもダメとも言えないしい良いとも普通答えられないんじゃない?
647真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/19 02:18
>>622
私が503さんに色よい返事をしなかったのは
単純に503さんのレスを読んで、
攻撃的な印象をうけたからです。
それと、私は僧侶ですけど、
殊勝な菩薩ではありません。
単なる一人の人間です。
私に慈悲深いレスを期待されるというのは
はっきりいってこまります。
前にも言いましたが、私が2ちゃんにカキコしているのは
単に遊んでいるだけです。
2ちゃんで利他行をやろうなんてことは
さらさら考えてはいませんし、だいいち
そんなものは利他行だなんて思ってもいません。
このことは、いくら批判されようと、
どうしようもありません。
これが私の本心ですから。
そして、こんなものが着飾った言葉と受け取られては
どうにもなりませんねえ。
648真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/19 02:25
>>627 596さん
常用では唱えませんねえ。
弘法大師法という修法の中で唱えるんですけど、
なんで普段の時にはこれを唱えないのかは
ちょっとわかりません。

>>631 北海大将智さん
ありがとうございます。
いやあ、たすかります。
意外と覚鑁さんのことを手軽に理解できる本ってないんですよね。
覚鑁さんって一般にはまだまだ知名度が低いように思います。
ところで、デルファーレ氏の著書は、たしか英文でしたよね?
日本語訳は出てますか?
649真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/19 02:38
>>632 538さん
あのあと、いろいろな資料を見ていましたら、
一字金輪に関係する経典には、たくさん
金輪の真言は仏眼の真言と共に唱えるべし、
とする記述があるのを見つけました。
それらをここであげるのは繁雑なので、ひかえますが、
おもしろいものとしては、『鵞珠鈔』という書物に

また一字頂輪王経に云わく、
「余尊の呪を説くも、一字明を念ずる時、
みなことごとく隠没す」云々
実体失わず、威勢、たとえば
日光出現するとき、衆星の光、没するがごとし。
もし一字を念ずるの後にさらに仏眼呪を念ずる時、
没するところの尊、威光、即ち以て出現し、
本のごとく成就せり、云々

という記述がありました。要するに
一字金輪の真言は威力が強すぎるために
他の仏さんの真言の効果まで消してしまう、
だから仏眼の真言でその威力を抑える、
ということだそうです。そういえば、
かつて修行中には私もそのように
阿闍梨から教わっていました。
650真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/19 02:46
>>643 503さん
その「六大無碍」云々という句が、
空海さんの『即身成仏義』の中の最も重要な部分の一節です。
私が葬式をやることによって、理論上は即身成仏していることになる、
といったのはちょっと記憶に残っていませんが、
言ったことがあるかもしれませんねえ。
真言宗の葬式というのは、亡くなった方を
得度(お坊さんになる儀式のこと)させて
あの世で成仏(解脱)してもらおう、
という内容です。だから、あの世で
本当に成仏しているのかどうかはわかりませんが、
理屈のうえでは成仏してもらっているということになっている、
という意味で言ったのだと思います。
651ランボー:04/06/19 06:50
>>644
真言宗でも、うん しっぢ  です。
>>645
別に仏像であれ、掛け軸であれ、お札でもかまわないですよ。
但し、きちんと開眼されていて、それなりの礼をつくしてなら、結構なことと思います。
真言は、出来るだけ根本呪が良いと思います。
>>651
根本呪を教えて下さい。それと愛染尊のお札をきちんと開眼した形で、さずけていただけるのは
どこでしょうか?
>>651
妙見菩薩を信仰することはどのような効果があるんですか?
654ランボー:04/06/19 13:31
>>652
愛染明王根本呪
おんまからぎゃばぞろしゅにしゃ ばざらさとば じゃく うんばんこく
五字呪
うんたきうんじゃく
申し訳ありませんが、愛染尊のお札をきちんと開眼した形で、さずけていただけるのはどこかわかりません。
高野山関係の師にお分かりの方がおられるのでは。

>>653
妙見菩薩をお参りしたことがありません。通常の仏様のご利益はあるものと思いますが経験が無いので
お答えできません。すみません。
妙見菩薩の功徳は一般には方位徐け 除災です。
656名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/19 16:23
すいません教えて頂たい真言があります。
自分なりに調べたのですが、見つかりません。
毘沙門天の御真言(これ小呪ですよね??)・・おん、べいしらまんだや、そわか
荒神の御真言(これ小呪ですよね??)・・おん、けんばやけんばや、そわか
以外の真言、一般的に云う大呪、中呪を教えて下さい。
657名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/19 17:17
>>656
毘沙門天の真言はランボーさんが詳しいでしょ。
なんといっても毘沙門天と会話ができるんですから。
658前スレ970:04/06/19 18:54
横レスながら。
毘沙門天の大呪に関しては、大正蔵密教部にある「毘沙門天王経」に
有り。但し中呪は存在しないようです。
それに大呪を実際に用いることは殆どありません。
荒神さんは本来日本で生まれた神なのでそんなに真言は存在しない
はず。恐らくは656さんの書き込まれた物位でしょう。
この真言は真言・天台・禅宗で用いています。
ただ修験道の中には別にあるかもしれませんが…
659前スレ970:04/06/19 18:59
あと愛染さんのお札というと、大阪天王寺の愛染院で
御影を授与してるけど…(札所で授与されるような小さな紙に印刷された感じ)
どんなでしょ。日々の礼拝の本尊として
使えるか否か、諸師方のご意見を待ちますかね。
660名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/19 20:09
>真言坊主師

以下の三宝荒神スレで会奉行師が愛染明王、仏眼仏母と一字金輪との関係
を解説してくださっております。

三宝荒神スレ
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/989773168/l50
愛染はんを個人で祀る功徳・・・。やはり特にそれのみのこだわる意味がないから
ここにおられる先達の皆はんは?なんじゃなかろうか。

確かにあの御尊影にはかなり惹かれるが。
662名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/20 00:39
なんかフィギュア感覚で奉りたいって臭いがプンプンするから
(゚Д゚)ノ ハァ? なんでしょ。
亡き子供の供養をしたいから地蔵尊奉りたいってのと違うもの
そう言えば、みうらじゅんって仏像ヲタいたよね? そんな感じがする
663ランボー:04/06/20 06:57
>>656
毘沙門天の御真言
のうまくさまんだぼだなん(付ける時と付けない時有り随意でしています) おん、べいしらまんだや、そわか
>>658 さんの言われたように、ように私も使っていません。>>656さんもし知りたいのでしたら>>658さんの言
われた事をご参考にして下さい。
毘沙門天王の讃と禮佛載せておきます。
讃    おんべいしらまんだまかでいばあれんじゃやのうぼうそとてい
禮佛  おんべいしらまんだまかでいばあれんじゃや
>>654
愛染明王の敬愛法を施されたと勘付いた日にゃぁ、むかっ腹立ちますけどね。
>>655
方位徐け 除災のほかにはその人の進むべき道を照らす存在ですね。
あとは正しい眼でいろんなものを見極めることから目の病気にも
霊験があるとされてます。タシカ。
激謎な存在ですが、格は非常に高いと思います。
665ランボー:04/06/20 07:58
>>656
毘沙門天呪の後に、次の尊の呪をあげるのも良いですよ。
吉祥天呪
おんまかしゅりやえいそわか
禅尼子童子
おんぜんにしえいそわか
毘沙門天王のお話では、お后さまとお子様だそうです。
>>662
そうだね。ただ仮にフィギュアとして祀った場合、性は入ってないわけだから、問題ないでしょ?
また拝んだとしても同じ。違う?
>>664
敬愛施された〜ってどういう意味?解説お願いします。
>>666
それを施したひとが、私(>>664)が近い未来に大激怒
して他の人に影響を及ぼすことを案じて敬愛法でその難を
回避しようと思ったんでしょうが、私(>>664)はマジで
ブチ切れ。しかも敬愛法使ったと感づいて更にブチ切れ。
もはやそこの神仏への信頼は薄らいでしまったのでした。(シクシク
愛染はん自身には関係ないがな・・・。
669北海大将智:04/06/20 12:51
648ー真言坊主師 木村秀明先生の訳したものが出ていますよ。
あと妙見菩薩の話が出ていますが、この菩薩は北極星の尊格化した
もので菩薩の名があるが扱いは天部として扱うみたいです、天台では
吉祥天と同体とするみたいですね。一畳弛緩院師この辺は御教授を。
 星供の護摩で本尊とし除災を祈願したりしますね。
666さんー開眼作法を行なっていなければフィギュアというか美術品と
して鑑賞するというのもありかもしれませんが、勤行を行ない諸真言を
となえることで単なる美術品としての仏像ではなくなることもありえるかも
しれません。。。(三密がそろわなければ加持力が生まれないという立ち場
を私は取りますが)
670名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/20 13:06
>>669
確か、妙見菩薩は眼病平癒の御利益があると聞きましたが本当ですか?
妙見菩薩の御真言は、
オン ソジリ シュタ ソワカ
だったと思いますが、あっていますか?
>>669
それは、真言を唱えたり、勤行をすることによって、本来の性ではない、いわゆる
邪霊的なものが像にはいりこんだりすることもあるということですか?
672真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/20 14:30
>>669 北海さん
ありがとうございます。
で、またまたしつこくおたずねして申し訳ないのですが、
その木村氏の翻訳はどこから出版されているのでしょうか?
何度もすいません。
673503:04/06/21 05:42
>>650 真言坊主師
ご返事ありがとうございます。

六大無礙常瑜伽  四種曼荼各不離
三密加持速疾顕  重々帝網即名身

『即身成仏義』の中の最も重要なことは分りましたが、何を意味しているのか分りません。
よろしかったれ、説明いただけませんか。
674真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/21 09:41
>>673
その四句は「即身」の2文字を解説する部分です。
その意味内容については『即身成仏義』の中に
詳細に書かれています。
>>671です。>>669さん、以前から気になっていたことでもあるので、是非ご指導ください。
676503:04/06/21 18:52
>>674  真言坊主師へ
分りました。
この『即身成仏義』はどこで買えるのでしょうか。素人にも売ってくれるところですか?
677真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/21 19:45
>>676
原文(漢文)ならば、ここで↓
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/downpage/t77-79.html
ダウンロードできます。ただし漢文ですから、その心得がなくては読めません。

解説書は私は最近出たものは残念ながら知りませんが、
入手しやすくて初心者向けのものとしては、

 @金岡秀友『空海即身成仏義』太陽出版、1700円

なんかがよいと思います。現代語訳では、

 A栂尾祥雲『現代語の十巻章と解説(縮刷版)』高野山出版社、3800円
 B『弘法大師空海全集』第二巻、筑摩書房、6000円

などがあります。解説書では

 C那須政隆『即身成仏義の解説』成田山仏教研究所、2000円
 D小田慈舟『十巻章講説』上巻、高野山出版社、12000円

などがあります。Dが最もくわしいものですが、
かなり専門的なので、初心者には不適切です。
そのほか、空海の著書や密教に関する書物についての情報は、

 松長有慶編『密教を知るためのブックガイド』法蔵館、3900円

を見れば、だいたいののものが紹介されていると思います。
これを一冊所持していれば、非常に便利です。
ま、とりあえずは、@を購入するか、もしくは大きな図書館で
Bの『即身成仏義』の部分をコピーするのが良いでしょう。
678名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/21 19:57
>真言坊主さん

愛染明王の功徳は敬愛と考えてもよろしいのでしょうか?
また、天台宗と御真言が違っていたりするのはなぜでしょうか?
(一字心咒と五字心咒が一緒になっていたり)
679かつらさんし:04/06/21 20:35
真言さん、いらっしゃ〜い
680639:04/06/21 20:42
愛染様のお姿に惹かれると書いた>>639ですが、どういう姿勢で、
どういう態度でお奉りしたらよいものか、いま一つわかりません。
>>636(=>>645?)さんは、どういったお考えなのでしょうか。
敬愛法を行うための仏様と考えるなら、かなりわかりやすくなりますが。
ただ、護摩壇を三角形に組み、西に配して、鵞鳥の羽を使って…
となると、とても奉りきれる気がしない。
なので、664さんに敬愛法を施した人が、どうやったのか不思議というか
興味があるし、さらに「勘付いた」というのは、どういうことでしょう。
興味がありますね。
681名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/21 21:29
惹かれるとか惹かれないとか、もう勝手に仏師にでも彫ってもらってよ しつこいよ
大事な仏様をおまつりするのに、なんでこんなとこで聞いてんのさ?おかしくない?
682639:04/06/21 21:32
私は在家の素人なのですが、
>>678
平安貴族の間では、敬愛のほかに、
息災、増益、調伏、延命とさまざまに修されており、
それに応じて、左第三手の持物が変えられていたようです。
時代が進むにつれて、恋愛の神様(?)として、
水商売の女性などに信仰が広まっていったようです。
683真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/21 22:06
>>680
三角形の護摩炉は降伏法で、敬愛法ではありません。
敬愛法は降伏法にも転用されることがないこともないですが、
基本的には異なるものですから、峻別してきただきたいものです。

>>682
愛染明王が恋愛の神様ですか?
ありえないこともないですけど、
お水のおねえちゃんたちにそんなふうに信仰されていたとは。
ちょっとオドロキです。

>>678
愛染王の功徳は敬愛でまちがいないですよ。
ただし、>>682さんの言われるとおり、
敬愛だけでなく息災、増益等の功能もあります。
ちなみに、敬愛というのにはいろいろな意味があるのですが、
大きく分けると、男女の和合を目的とする世間敬愛と、
菩提を求める菩提敬愛とがあります。
まあ、世間敬愛があるとはいえ、いちおう仏教なのですから、
あまりおかしなお願いごとは避けたいものです。

台密(天台宗)と東密(真言宗)とで真言が異なるのは、
相伝により読み方がちょっと違うだけのことであって、
梵字や真言の意味が異なるわけではありません。
真言の読み方は、真言宗の中でも異なるくらいですから。
684名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/21 22:11
愛染さんは一般で祀る人が少ないから、祀り方の注意は本や、愛染を祀る寺院に行って教えてもらうなど、自分で調べるしかありませんね。
その苦労をしないつもりなら、初めからうかつに祀らない方が良いかも?
685真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/21 22:44
今さっき久しぶりに日本史板の空海スレ↓を見てきたところ、
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1081856742/
少しばかりレスがついていた。
弘法大師についてはこっちで話し合うのがいいかも。
でも弘法大師の史伝に限定されてしまうかな。
『即身成仏義』について語るのは無理かな?
686北海大将智:04/06/21 23:33
672ー真言坊主師 いやいや本を紹介するなら出版社まで紹介するのは
常識ですね汗 すいません。ノンブル社から出ていますよ。あと同じ
ノンブル社から和訳された同氏の『五輪九字秘密釈の研究』も出ていますね。
671さんー仏像を開眼供養し御仏として衆生救済活動を行なう状態に加持
する時はいわゆる「霊的なもの」ではなく智慧の目を開くように加持するの
です(詳しくは述べられないのですが) 問題はその後、御仏となった仏像
をそれと知らずに美術品としてあつかうならまだしもお祀りしていた人の代
が変わってモノとしてあつかうような自体が生じることを危惧しているんで
すよ。お寺はお寺であるかぎりそこに祀られる開眼された御仏の像は信仰対象
として扱われ続けることを心配しないでいいわけですが。(最近は廃寺もある
もあるから一概にはいえませんが…)

687名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 01:08
北海師、671さんの質問は、開眼した仏じゃなく北海師の答えられた669の
『開眼作法を行なっていなければ・・云々・・勤行を行ない諸真言を
となえることで単なる美術品としての仏像ではなくなることもありえるかも
しれません』の箇所で、開眼されて“いない仏”が、在家の勤行&諸真言で
その真言の尊い仏になるのか?はたまたそれとも違った霊的性格としての存在になるのか?
と云う事の質問だと思います。この事に関しては、私も興味があります。
在家の信者は、開眼せず自ら仏を購入して手を合わせたがりますが、北海師は、
どう思われますか?少しオカルトぽい感じになるかもしれない不安がありますが
もう一度お答え願えればありがたい限りです。
>>671です。北海師ご指導ありがとうございます。
ただ、私の聞きたかったことは、まさに>>687さんが詳しくいってらっしゃることでして、
是非ともお聞かせ願いたいのです。
689真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/22 10:26
>>685 北海大将智さん
ありがとうございます。私も少し覚鑁さんについて勉強してみます。
690名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 14:50
では開眼とか何か?
この辺からよろしく願います。
691名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 15:38
五眼をそれぞれ開くことさ
692名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 20:45
最近、御真言に興味を持ち始めた者です。

烏す沙真明王の御真言と御利益を教えて下さい。
693503:04/06/22 20:46
>>677 真言坊主へ
『空海即身成仏義』 の解説書について、出版社まで書き込んで頂き有難うございます。
師からの直接の説明は頂けませんでしたが、『空海即身成仏義』についての資料をこれで
入手する事が出来ます。すぐにも手配しようと思います。
694名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 21:35
>>691
五眼を開くとは何か?
またいかにして五眼を開くのか。
695真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/22 21:50
>>693
どうもあなたのレスにはひっかかりますねえ。
本当に即身成仏のことを知りたくて質問してきたのですか?
それとも、私と論争したいのですか?
なんだかいつもレスの中に皮肉がこめられているように感じるのは
単なる私の思い過ごしでしょうか?
まるで某氏の文体にそっくりなんですけど。
ちょっとあなたに対しては、私は親切にはなれません。
『即身成仏義』の解説書を紹介するのが限界です。
ま、即身成仏について知りたいのであれば、私に尋ねるより以前に、
まずは『即身成仏義』を熟読するほうが先決です。
ていうか、そうするのが当たり前だと思います。
696名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 22:20
>>693
慇懃無礼なレスだな。
本座に還れ。
オンバザラボキシャボク
697北海大将智:04/06/22 22:36
 すでに真言が紹介されている仏眼仏母尊は
諸仏を生み出す母のごとく智慧を生み出す尊格です。
また諸真言をおとなえする場合最初に真言をとなえます。
 仏眼とは肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼をいいます。
肉眼は肉身の眼、天眼は色界に天人の眼、慧眼は二乗
の真空無双の智慧の眼、法眼は菩薩が衆生救済のために
一切の法門を照見する眼、仏眼はこれらすべてを具えた
理智の大空を照見する眼です。
 開眼作法ではこの仏眼仏母尊の印言が重要なんです。
これ以上は詳しくカキコできません。ただ三密加持が
重要であるとだけいいたいです。明確な観想を伴わなく
ては五眼は具足されないのです。。。
 どうしても祀りたい尊格があるなら仏壇を用意して
菩提寺の住職に開眼して下さい。天部以外は仏壇に
祀れますよ。
698名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 22:45
あんみつ加持すれば速疾にクリームあんみつ顕る。
699名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/22 23:46
その仏眼の印でしなくては入仏出来ないのですか?

あと普通にそのままお奉りする仏と、僧侶の方に開眼してもらった仏では
何がどう違うのですか?
700北海大将智:04/06/22 23:46
 697訂正 菩提寺の住職に開眼してください。→菩提寺の住職に開眼してもらって
ください。それと答えきれてないことを如何に問題なく答えるかが問題でして
汗 ご質問の核心部分が問題ないともあるとも私にはいいきれないので。
真言坊坊主師はいかがのように思われますか?非常に話にくく書いては消し
て文を直しという感じです。
 そんなに祀りたい尊格ならば仏壇を買って仏像とともに僧侶に開眼してもらい
先祖の供養をしてもらうのがよいのではないかとも思うのです。愛染明王は
煩悩即菩提の尊格であり成仏をうながす尊格ともいえるわけですし。
ただ仏壇に祀るなら先祖供養のためと肝に命じてほしいのですが。
現世利益を求めるなら祀ってある寺院は少なくないですし参拝していただきたい
ですね。
 
503=ランボー
702名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 00:21
千手観音の真言は、オン バザラ タラマ キリクとオン バサラ ダルマ キリク、どちらが良いのでしょうか?
703名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 00:36
どっちでも良い。
704真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/23 01:35
>>700 北海大将智さん
あくまでも私個人の考えですが、
在家の方が自分自身で拝んだ仏さんと
出家者が開眼作法を行った仏さんとでは、
明確な違いがあると思いますよ。
その違いというのは、ひとえに灌頂の影響があるかいなかにあります。
私はこの灌頂というのは大日如来(自己の本覚)との回線を繋ぐための
儀式と思っています。曼荼羅の諸尊と縁を結んで五智の水を受ける、
というのはそういうことになるのじゃないでしょうか。
ですから、この灌頂を受けた人間と受けていない人間とでは、
仏さんに魂を入れたときに、その仏さんが大日如来と繋がっているかいないかの
違いが出てくるのじゃないかと思うのです。仏像はあくまでも偶像ですから、
この大日如来である本覚と少しでも繋がっているということが大事だと思います。
僧侶である私がこんなことをいうと、灌頂を受けたくらいでえらそうにすんな!
と批判されそうですが、この灌頂というのは車の免許と一緒ですから。
運転がいくら下手でも免許証を持っていれば車で公道を
走ることはできます。しかしながら、いくら運転が上手くても
免許証を持っていないくては法に触れてしまいますし、
あるいは事故に遭ったときなんかは大変なことになってしまう。
これと同じことだと思います。
仏さんの魂を入れるということに関しても、
やはりいちおう免許証を持っている人にやってもらうほうが
良いのじゃないでしょうか。
そのほうがあとあとの精神的リスク(おかしな邪神が入っていないか
などという不安など)を負わずにすみますし。

>>688さん
ということで、開眼を坊さんに頼もうかどうしようか迷っているくらいであれば、
きちんと頼んで開眼してもらったほうがよいのじゃないでしょうか。
>>704
菩提寺が密教系ではないのですが、その宗派に関係のない仏尊の開眼も可能なのでしょうか?


また、>>そのほうがあとあとの精神的リスク(おかしな邪神が入っていないか
などという不安など)を負わずにすみますし。
の部分、どうしても気になります。正統に入仏開眼をしていない仏像(偶像)に真言を唱えたてまくり、祈念しまくったら、やはりこういった事象はありうるのでしょうか?邪神等が入り込むとか?
>>699
しかるべき所作に則って、修法されるならば
仏様が働きかけて下さるそうです。

木製の仏像を例に取ると、
物質をみれば、単なる木です。
形をみると、仏様の形です。
働きを考えると、どうなのでしょうか。

普通に作っただけの仏像で、安心程度になるかも知れませんが
仏の働きについては 凡夫製の仏像
つまり、凡夫が模したものに、働きがあるかは疑問視です。
仏の働きを生み出す方法が、大日如来から
教えてもらえているので、大切にされた方がよろしいと思います。

凡夫製でも働きがあるかも知れません。
在家でも所作をすれば、働きがあるかも知れません。
しかし、それは可能性の問題であって、不確かです。
707真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/23 06:56
>>705
他宗派のことはわかりませんが、推察するに、
尊像によっては開眼を拒否されるものもあるかもしれません。
たとえば、お不動さんや愛染さんを浄土系の寺院に持っていって
開眼をたのんでも断られる可能性は大だと思います。
このばあいはやはり真言宗か天台宗の寺院でお願いすべきでしょう。

在家者が真言を唱えまくって祈りまくって尊像に魂を入れたばあい、
邪神が入ってしまう可能性があるか、と問題ですが、
これに関してはその拝む人の宗教観が反映されるもの、と思われます。
たとえば、私は神仏は自己の心のあり方が具象化されたものであって
いわゆる邪神といわれているものの実体はない、と考えていますので、
このばあいは開眼作法を行わずとも邪神が入り込むことはありません。
邪神の存在じたいを否定していますから。しかし、
神仏を対象化してその実在を信じ、なおかつその神仏の世界を
二元論的に考えている方が独自に尊像を祈念したばあいは、
邪神というものが入り込んでしまう可能性があるでしょう。
要するに、705さんの思考の根底にある宗教観が大きく影響すると
いうことです。もし、705さんが仏教の哲学を信じ、
諸法皆空の理を理解しているのであれば、
邪神の存在に恐れることはないと思います。
なんか一人必死な人がいるね
こういうの2ちゃん中毒っていうんだよ
709ランボー:04/06/23 08:37
>>693  503さん、私に似ているのですか?
私は気が短いから、503さんのように、暢気にいつまでも質問していれませんよ。
例えが悪いかもしれませんが、TV映画の刑事コロンボ の性格に似ていますね。
質問が終わったのかと思ったら、間合いを置いて聞き返す。
コロンボと名乗られたれ、数字より分りやすく性格も見えやすいので、いかがですか。
霊界を推理する探偵なんて、いいなー。
どうなんだろ…坊主は免許持ってるから魂入れられるって…
プロだとは思うけど
やはりそれも人によるんじゃないかな…
いくら灌頂受けてても、その後精進なさってるかどうか
711お経好き:04/06/23 09:30
ランボー様ほか諸師の方々

ご無沙汰しております。
また、一つ質問させて下さい。

現実的な努力に怠りがなく(ないつもりで)、かつ、お経を唱えて真摯に神仏に祈願しているに
もかかわらず、ありえないミスを連発して、とんでもない、考えられな
い事態に陥ってしまいました。

こういう場合、どう考えればいいのでしょう?

実は、現実的な部分で怠りがあったと考えるべきなのか、はたまた、お経を唱えること自体で不運を呼び込むこともあると言うべきか・・・。
あまりに信じがたいミスなので、動揺してしまっています。

この点、教えていただきたいのです。

なお、当方は今、理由&解決策が知りたくて、仏壇に向かってですが、准提観音さんの真言を唱えています・・・
(なぜか准提観音さんに尋ねてみたくなって)
712名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 11:28
ランボー消えろ!!
713ランボー:04/06/23 12:47
>>712
俺は幽霊じゃない!
足が2本あるぞ。
714ランボー:04/06/23 13:09
>>711
大変お悩みのようで、現実的な努力に怠りがなく(ないつもりで)、かつ、お経を唱えて真摯に神仏に祈願している
に もかかわらず、ありえないミスを連発してしまうという事などのトラブルを避けるよう日々努力をするのは、僧侶
のがわです。お経を唱えること自体で不運を呼び込むこともあると言うべきか・・・。 と言うとんでもない結論にまで
到達するのは、悲しい事です。
現実に、巷の僧侶が一般の方々が安心して信仰できる環境になるよう拝んでいないからです。
お経を唱えること自体で不運を呼び込むなんてことは有り得ない事ですが、そのようにとられる現象になるのも
事実です。
本来、菩提寺のお寺さんが効果の有る引導供養をしていれば問題は起きないのですが、相でない場合子孫が
信仰のためにお経をあげると、先祖霊たちが霊界での苦しみを少しでも軽減してほしくて何らかのアクションを起
こし、気が付くように催促しているのです。崇高な理論や戒律も良いでしょうが、最低檀家の霊体を成仏させる力
量がなくては、僧侶とは言えないと考えます。
そのような訳で、以前理趣経などの読経の時に、その解決策の一案として、自分は仏様に自行としてお経をあげ
ますから、先祖の皆さんも一緒にどうですか、と行にさそうという提案を書き込みました。
その結果、自分には祈願ごとや運命好転などのご利益が、先祖には成仏に近ずく事ができるようになるのです。
准提観音さんは、信仰すると横車を押すものから身を守ってくださいますよ。
715ランボー:04/06/23 13:31
読経したり、真言を唱えたり、作法をしたりする時の注意事項です。 それらの事をすると、自分に関りの霊が動く
事がありそのような時は、読経の始めにそれらの霊に対して具体的に次のように声を出して言うので す。
これから仏様にお参りをするので、あなた方(霊)も一緒にお参りしませんか。
と自分の行動を伝えるのです。そして。
私には引導する力量がありませんので、あなた方も自らの行として、仏様をお参りして下さい。
と言うのです。先祖はその御褒美に成仏に近づくし、自分は仏徳や法力を頂けるのです。
理趣経の場合の注意事項 最初の入れ句と最後の入れ句で言っては駄目なものあります。

みょうびるしゃな むぜん          しょうじょう  せえせえ
帰命毘慮遮那。佛無染。無着真理趣 生生。値遇無相教世世.。持誦不忘念
いっさいしょそんぞうほうらく
一切諸尊増法楽
(こうぼうだいしぞうほうらく弘法大師増法楽)

注 (回向ノ時 かこしょうりょうじょうしょうがく過去聖霊成正覚)=絶対この句は言わない事。

たいらきんこうふこうしんじさんまやけい
大楽金剛不空真実三摩耶経
716ランボー:04/06/23 13:42
理趣経の最後のところの注意

我等所修。三昧善     廻向。最上大悉地
哀愍。摂受願海中     消除。業障證三昧
天衆。紙祇増威光     當所。権現増法楽
弘法。大師増法楽    一切。聖霊成佛道

(かこ過去。聖霊成佛道     般若。理趣能引導)=この句は言わない

自他。法界安穏       天下。安楽興正法
護持。弟子除不祥      滅罪。生善成大願
菩提。行願不退    引導。三有及法界
同一性故入阿字
717名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 14:38
ランボーはオカルト板行け。
718お遍路:04/06/23 15:51
>>717
随分程度が低いな。
もっとましな書き方ないんかな。
719名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 17:46
>真言坊主さん

やはりそのようですと、伝授のしてもらう師によっては
愛染明王の一字心咒は、「ぢ」と発音したりするのですね。
あとやはり、真言宗では根本咒から三つ全部唱えたりすることが多いのでしょうか?

男女の和合を目的とする世間敬愛に関してですが、
意外とその御利益の仏さまは聞かないのですが、
真言坊主さんは知っておられますか?
720名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 18:49
ランボー様
お願いですからもう来ないでください。
721ランボー:04/06/23 19:07
>>720
これは、何ですか?
アーーーー、ふふふーーー。
もっとましな書き方ないんかな。  てことですか。
722お経好き:04/06/23 19:32
ランボー様

レス、ありがとうございました。

実は、ある霊能者さんに言われて、失敗後、お経を読んでおりません。
「貴方は、霊を引っ張りやすい性質だ」と言われて。
このような性質ってあるんでしょうか?
また、師の言われる「これから仏様にお参りをするので、あなた方(霊)も一
緒にお参りしませんか。」との書き込みも以前から拝見していたのですが、そ
の霊能者さんから「霊は無視したほうがよい」とのアドバイスがあったので、かく
宣言することは霊の存在を認識することになると思い、しておりませんでした。


なお、、今年に入ってから、どうも運気がおかしいのです。
正月からあらぬ誤解を受け、また、空き巣にも入られました・・・。
このような運気が悪い状態を超えるために、読経以外にはどのよう
な対処を取ればいいのでしょうか?
723お経好き:04/06/23 19:37
今、精神的にもギリギリの状態になっているので、怖いからできるだけ避けよう
と思っていた聖天様に御願いに行くことを考えています。
(聖天スレで、住人の方に色々と聞いてみました)

上にも書いたように現実的な努力をして、かつ真摯に神仏に祈りを捧げてきたのにも
かかわらず、大失敗をしてしまった・・・。なぜ、神仏は助けてくださらなかったのか、
不思議で、また、悔しい気持ちで一杯です。
もう劇薬と言われる聖天様にすがるしかないと考えていますが、やはり危険でしょうか・・・?

ランボー師の聖天信仰に対するご見解をお話寝返れば、と思います。
724お経好き:04/06/23 19:42
あ、あと、准提観音様の真言を唱えているのは、今回の失敗は、私の悪しき罪障によるものかと考えたからです。
准提観音さんの真言は「10万回唱えると、悪しき罪障が消滅する」とのことですので・・・。(罪障が重すぎる
と10万回では足りないとのことですが)。

どうでしょうか?10万回唱えると、多少なりとも運気がよくなるでしょうか・・・。
>>722
霊を引っ張りやすい性質という表現もあるのでしょうが、霊界から見て霊感がありサインが通じやすい人を見分け
る事が容易にできるようです。霊の存在を認識するしないに拘らず向こうからは丸見えですから、無視できなく
なったのでしょう。
読経を止めても催促されるのであれば、霊と一緒に向上するしかないかもしれません。

>>723
聖天さん、簡単には救ってくれないかもしれません。これは仏様全般に云える事ですが、救うに足る努力をして
いるかを見据えてからお救いしてくださいますので。私は、先に救済有りで信仰していませんでしたので、ピンチ
の時は、ほとんど直ぐ救済頂いているようです。

>>724
准提観音様は御自分のお持ちの武器を駆使して助けてくださいますが、基本は同じです。
心をあれこれとむかわさず、定めて信仰することからが、第一歩と考えます。
詳しい事は、直接お聞き下さい。
726お経好き:04/06/23 20:43
>>ランボー師

お答えありがとうございました。
お言葉に甘えまして、後ほどメールさせていただきます。

おそらく、師の元にいたずらメールも来ると思いますが、こちらは、正
式なアドレスから出させていただきますので、判別に利用して下さい。

では、失礼します。
727名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/23 21:05
>>真言坊主師
世界史板に、釈迦(シッダルタ)を語るスレがありますから、
興味がありましたらきてください。
北海師たちも興味がありましたらどうぞ。


ゴータマ・シッダルタってどんな人?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1074699184/l50
>>723
神仏でも考えが合わない場合があるんだから
自分の心をを信じて生きなきゃ。
自分の命の根源を見つめなおさなきゃ。
煩悩にとらわれた考え方もかえなきゃね。
(ひとのこといえないけど。)
失敗も必要だからあったんじゃない?
(事情がわからないから他人事だけど。)
729お経好き:04/06/23 21:10
>>728

うーん、今回の失敗だけは、納得いかんのですよ。
だから、「なんで、なんで、なんで!!」と絶叫してしまっています。
自宅では・・。

正直、壊れるか壊れないか、みたいな精神状況なんで、お許し下さい。
730真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/23 23:25
>>729 お経好きさん
ちょっとキツいことをいいますが、辛抱してください。
あなたのその方法(拝み方)では現状から救われるということは
決してありえません。
身の回りにアクシデントがあっても、それを霊のせいにしてはいけません。
人間、生きていれば誰にだってアクシデントはあるものです。
それを霊のせいにしてしまうってことは現実からの逃避です。
霊の存在を信じていれば、ずーっと霊につきまとわれたまんまです。
霊からのがれることはできません。
仏教というのは霊の存在を否定する宗教です。
たくさんのアクシデントの起こるこの現実を直視して、
自己の心の持ちようを改めることによって
まわりの環境に変化をもたらしてゆく、
それが仏教の教えです。仏像に対して真言を唱えたり、
お経を唱えたりする行為、これも自己の心を清浄にして
まわりに変化をもたらして、よりよい生活へと変革させてゆくためのものです。
はっきり言います!霊なんて存在しません!
霊なんていう妄想にふりまわされてそれからの回避を考えることよりも、
まずは自己の心を見つめなおしてください。
そして、知り合いの霊能者とは距離をおくべきでしょう。
もちろんランボー氏ともです。
近くに霊の存在を主張する人がいると、その影響を受けます。
ということは、このスレからも離れるべきだということです。
ここのスレを読むことはあなたにとって良い影響をもたらしては
いないようです。霊を引っ張りやすい性質の人というのは、
この霊の考え方に簡単にとらわれてしまう人のことをいうのです。
人(霊能者)や神仏に助けてもらおうなんて考えてはだめですよ。
自分を救うのは自分しかいないんです。
731真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/23 23:26
そして、さらに良くないのは、自分は普段から神仏を信仰しているのに、
なんでこんな目にあわなきゃならんのだ、とする考え方。
この考え方、これは全くだめですね。
拝むことに見返りを期待していちゃダメですよ。
仏さんとの関係って商売じゃないんですから。
まずは自分の心を調えてください。
おれはこんなに一所懸命やってるのにー、なんて考えは捨ててください。
その一所懸命は仕事にそそいでください。
家族の愛情にそそいでください。そうすれば、
おのずと幸福がおとずれますよ。

ずいぶんと失礼なことを言ってきましたが、
お経好きさんが救われるにはこれしかないと思います。
勇気を出してください。お願いします。
>>729
インドでは創造→秩序→破壊
の真理があるそうですね。

また、なにか良い創造が生まれますように。
ぎりぎりの状態から復活した人は強いですね。

そういえば、最強の光明真言はどうですか?
733お経好き:04/06/24 00:23
>真言坊主様

レス、ありがとうございました。

ただ、いくつか反論(・・というと僭越ですが、)ありますので、聞いて下さい。

まず、「身の回りでのアクシデントを霊のせいにしている」、とのことですが、>>711
「霊のせいでしょうか」などとは書いていないように、必ずしも霊のせいにしてはいない
つもりです。(但し、可能性としてはあるかも、とは思いますが)

真言坊主様は、霊の存在を否定なさるようですが、私は、数々の体験から、「霊」の存在自体
は肯定する立場です。私には、ランボー師のように霊能力がないので、「霊」の存在を見ることはできません。
但し、お経などを唱えていると、頭から、まとわりついていたものがはずれていく感覚がよくあります。
また、寝ていると、金縛り・・・とは少し違いますが、・・・みたいなものに遭うことも偶にあります。
仮にこれらが文字通りの・・・幽霊が存在するとして、それが原因として起こす「心霊現象」ではなくても、
なんらかの意味での・・・疲労から生じるなどの・・・「心霊現象」であることは疑いがないと思います。
ですから、「霊」が、人間の死後の存在としての客観的存在としての「霊」なのか、単なる気のせいにより
、作り出してしまう妄想の類の主観的な「霊」かは別にして、少なくとも「私にとっては」何らかの意味で存
在するものだと思うのです。
そして、お経や真言がこれらに対して有効だという体験もあります。

ですから
>それが仏教の教えです。仏像に対して真言を唱えたり、
>お経を唱えたりする行為、これも自己の心を清浄にして
>まわりに変化をもたらして、よりよい生活へと変革させて
>ゆくためのものです。
と言う部分には、同意しますが、お経を読む意味はそれだけで
はないと思います。少なくとも私にとっては。

734お経好き:04/06/24 00:35
それから、

>そして、さらに良くないのは、自分は普段から神仏を信仰している
>のに、 なんでこんな目にあわなきゃならんのだ、とする考え方。
>この考え方、これは全くだめですね。
>拝むことに見返りを期待していちゃダメですよ。

とのことですが・・・・。
正直、一般人の感覚から離れていると思うのです。

人が神仏を拝むのは、大体において幸せになりたいからだと思います。守って欲しいから拝むのだと思います。
拝むために拝むのではないはずです。
勿論、信仰は神仏との契約ではないのですが、人間が誠実に努力し、そして、誠意を持って加護を願うのならば、少なく
ともそれなりの力添えが期待できる・・・少なくとも大きなトラブルには見舞われない(←小さなものは
遭うとしても)・・・と考えてしまうのです。
でも、今回、とんでもないミスをしでかしてしまった・・・、最前を尽くしていたつもりなのに・・。
だから、「なんで?なんで?」と思ってしまうのです。
加護がもらえなかったということは、努力が足りなかったのか、はたまた、お経などを読むこと自
体が間違いだったのか・・・。
そう考えてしまうのです。
735名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 00:42
とりあえずごちゃごちゃ考える前に聖天様にすがってみなよ。
数ヵ月後、必ず何かが変わっているはずです。努力さえ続ければ。
それに真剣に祈っていれば、そんなに怖い神様でもないですよ。
真剣じゃなく、適当に祈っていれば、それはぞれは怖いですけどね。
自我を中洲として、世間を歩みなさい。

犀の角のように、ただ独り歩みなさい。
737名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 00:45
●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●
0時50分に一斉に↓ここに 『女子高生のお漏らし、漏れも(;´Д`)ハァハァ 』 と書き込んでください

【トイレ】女子高生が田舎の鉄道でお漏らし【無いの】
http://hobby6.2ch.net/test/read.cgi/rail/1084103489/

20レス以上でその車両に乗ってたスレの>>1が画像をうpします(;´Д`)ハァハァ
●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●【祭】●●
738名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 00:47
霊を信じないって精霊は信じるけど霊は信じないって意味?
それとも見たことが無いから信じないってこと?
じゃあ亡き人を回向するのは、ただの儀式なのかな?
739お経好き:04/06/24 00:49
>人(霊能者)や神仏に助けてもらおうなんて考えてはだめですよ。
>自分を救うのは自分しかいないんです。

これは、半分は同意しますが、半分は同意しかねます。

努力は、とても大切だと思います。人間の努力でどうにかなるのなら、人
間の努力で解決すべきだと思います。
しかし、人間の努力だけでは、どうにもならないことがある。
あるいは、その人がどうあがいても、どうにもならないことがある。
世の中に存在する、こういう不条理を、また、そういう現実を、真言
坊主様は見てはおられないのですか?

もがいても、もがいても抜けられない苦しい現実・・・それがあるからこ
そ、人間は神仏に祈るのだと思います。
そして、そういう救いを求める人間には、神仏は助けを出してくれるのだと思っています。

なお、神仏はともかく、「霊能者」に救いを求めるというのは、私の感覚とは、ちょっと感覚に合わないのです。
いや、実際はそういう形になるのだろうけど、あくまでも、霊能者は、あくまでも人間。助言者だと思っております。
私の知り合いの霊能者にせよ、ランボー師にせよ。
感謝はすべきではあっても、信仰の対象ではないし、盲信してはいけないと思っております。

740お経好き:04/06/24 00:56
>まずは自分の心を調えてください。

すみません、その余裕がないくらい混乱し、せっぱつまっているのです。

>ずいぶんと失礼なことを言ってきましたが、
>お経好きさんが救われるにはこれしかないと思います。
>勇気を出してください。お願いします

はげまし、ありがとうございます。
ご意見は、拝聴させて頂きます。

では。
741お経好き:04/06/24 01:00
>>732

>インドでは創造→秩序→破壊
>の真理があるそうですね。

>また、なにか良い創造が生まれますように。
>ぎりぎりの状態から復活した人は強いですね。

このままでは、破壊されたままになってしまいます(泣

>そういえば、最強の光明真言はどうですか?

お経を唱えると頭から何か(=霊?)がはずれる感じがあるのですが、その感覚が一番強いのが、光明真言だと感じています。
ですから、そういう方面には効くのかもと思いますが・・・。霊能者ではない私には確実なことは言えません。


742お経好き:04/06/24 01:02
>>735

>とりあえずごちゃごちゃ考える前に聖天様にすがってみなよ。
>数ヵ月後、必ず何かが変わっているはずです。努力さえ続ければ。
>それに真剣に祈っていれば、そんなに怖い神様でもないですよ。
>真剣じゃなく、適当に祈っていれば、それはぞれは怖いですけどね。

ありがとうございます。
本当に、すがってみるかもしれません。


743名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:03
拝むこと。現世利益。これ等がなんであるかが大事ですね。
息災だ敬愛だと、色々祈ってその通りの利益はあるのか。あるとすればそれは何処からくるのか。誰が与えてくれるのか。
本人の心の持ち様でどんな理屈もつけられる問題ではありますが、この点のしっかりした信念をどのように得るか。
自分はどんな説を採用するかで、今後の信仰の態度が、方向性が決まる大事な問題です。
744名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:05
>>740
拝むってことは、仏像に手を合わせるんじゃなくて
自分の心の内の仏に手を合わせることさ
釈尊の問いかけ―スッタ・ニパータ随想
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4476010504/250-9622336-6100232
746名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:20
>>744
つまりランボーさんに話しかける仏さんは自分自身の心の声という事でOK?
747名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:24
>>711
理由:あなたが信じがたいミスを連発した
解決策:考えられない事態の責任をとって首を吊る

もう答えは出ているじゃないか。
748名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:27
>>747
それじゃあんまりだ!
749名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:36
そうだあんまりだ。
しかしこれは現実だ。

考えられない事態などという得体の知れない状態に陥っているのなら、
吊るまでは逝かなくとも辞表を出すくらいはする。

自らを灯明としない人には、自らを灯明としろとしか言いようがない。
>>749
 >>747はあんまりですが、解決策は考えないといけませんね。
怒りや悔しさにとらわれて大変だと思いますが、まず自分ができる
事をやる。そこを神仏の霊験に頼っては元の木阿弥ですが、
とにかく自分の救済に力を注いでみては?
 加害者的な立場であれば、相手に誠意を見せる。
被害者的な立場なら、、、どうすればいいんでしょうねー・・・
751名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 01:59
人間は最善の努力を続けて生きていくなんて出来ませんよ。
「最善の努力をした」と言い切れるあなたの心は、
おそらくは最善の努力を怠った後悔からではないのかな?
もちろん最善の努力なんて必要ないのですが‥
立派に生きていく必要などないのですよ。
見栄やエゴ、プライドや執着を捨てて、心を楽にしてあげなさい。
真言を唱える前に、身と口と心を楽しましょう。

さらに深く密教の法味が味わえると思いますよ。
1つだけ言えることは何をしてどういう状態になったのか具体的に書かない限り
当事者以外には解決策など見い出せない。
753名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 02:14
>>真言坊主師
> はっきり言います!霊なんて存在しません!

弘法大師は、人の病気の現因の一つに鬼をあげていますが・・。
鬼とはもちろん死者の霊の事です。
真言坊主師は妄想(?)に囚われている人の迷いを断たせる為に、あえて霊など存在しないと言っておられるのかもしれませんが。
何だと?
鬼が人の霊だって?
桃太郎もびっくりだな
>>753
真言坊主さんのいいたいことは、霊という存在に
気を取られすぎるなってことだと思いますが・・・・・・
釈迦は霊の否定も肯定もしてないわけですし、
仏教が霊の存在を否定しているという発言はアホかとおもいますが
実際、一部の宗派はそううたってますからね。
756名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 02:26
>>754
中国では鬼というと死者の霊の事をさします。
桃太郎に出てくる鬼というのは、日本で作られたイメージです。
丑寅からきているのです。
原始仏典『経集(スッタ・ニパータ)』ー釈尊の言葉

見解に固執して論争し、「これだけが真実だ」と主張する人々に言いなさい。論争が起こって
も、あなたと論争する者はここにはいません、と。(832)
ごらんなさい、神々とともに世の人々においては、無我を我と見誤って、名称
と形態とに執着しています。そして「これこそが真理だ」と思っています。
(756)

あるものを、ああだ、こうだと思っても、後にはそれは違ったものになります。
なぜなら無常なるものは虚妄ですから。故に「これこそが真理だ」とする立場
は虚妄なのです。(757)
>>757
 議論は無意味だって事でしょ?
それ理趣教にもありましたね。
人は信じることによって激流を渡り、努め励むことによって海を渡ります。
精進によって苦しみを超え、智恵によって全く清らかになります。(184)


アーナンダよ、努力して修行を完成なさい。
信じられなくなってんの!
粗野でなく、ことがらを伝える真実の言葉を語り、言葉によって人の感情を害
することのない人、彼を私は正しい人と呼びます。(632)
集会に行っても、人々のなかにいても、だれも人にも嘘をついてはなりません。
人に言わせてもなりません。凡ての不実を避けなさい。(397)
>>お経好きさん

永平寺のお坊さんが言ってたけど、背筋をまっすぐにすると
心もまっすぐになるんだって。心と体は一心同体だからだって。
ストレッチとかもいいのかも。
765名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 04:16
>>753
真言坊主さんは対機説法をしとるわけですな。
766お遍路:04/06/24 06:12
>>730
真言坊主さんよ、このカキコの反響は、お経好きさんに対してでなく、霊が無いと言う坊主のあんたに対してだ。
霊的エネルギーについて考察しないかぎり、即身成仏義の理解も(文学的にただ漢文を平易な文章にかえる
ことなら、学者に出来ようが)また入我々入も理解できるはずなしだ。ゆえに503さんに答えれなかった。
あんたにはランボーさんが書き込んだ 

ここに池を掘りました。清らかな水(仏)で満たそうとしています。
しかし、掘った穴の周りや底から汚い水が湧き出てきます。汲んでも汲んでも汚い水は出てきます。
このような時、私ははなから汚い水を汲み出す事をしません。池の中央に太いホースを入れて、いっ
きに清らかな水を注ぎ、汚い水を押し出します。修行も同じと私は考えています。

という意味を理解できんと思うけど、それは体解大道すら感じ取っていなく、仏すら否定してる。
仏も霊体、波動が違うだけ。
坊主が霊を否定し、葬式をし、供養をし、経済をまかなうことになるは、詐欺師と同じではないか。
あまつさえ、霊を否定して、苦しみを救う事ができたか、出来るか、あんたには。
767通行者:04/06/24 06:46
とりあえず証明してくれ。
霊とは何?
霊は何処に?

霊がいたとして、いったい何の救いになる?

科学で証明が出来ない現象=霊、
これならば霊の存在も認めよう。

生き物の死んだ後の姿(幽霊)=霊
これは否定します。
768真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/24 08:39
お経好きさんへ
どうやら私のレスはお経好きさんには受け入れられず
ただ反感をかっただけのようですね。
私はこれまでのお経好きさんのレスを読んできて、
とても礼儀正しく、真摯な印象がありましたので、
お経好きさんが苦しんでいるのを見て
ほっておくことができなかったのです。
怒らせようと思ってやったのではないことだけは確かです。
従来の拝み方に疑念を持たれていたようなので、
参考に仏教の無相の法門にもとづく考え方を紹介したまでです。
まあ、あのような仏教観があるということを
参考程度に思われるだけでけっこうです。
神仏に対して強い信念を持たれているようですから、
私の入り込む余地はないようです。
早くご自分の拝み方、不動の生き方を見つけ、
心の安楽を獲得してください。
心より祈っています。
769真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/24 08:44
>>766 お遍路さん
どう思われようとけっこうです。
ケンカ腰にくるような方とは議論はできません。
即身成仏のこと、仏教のことを話しする以前の問題です。
770ランボー:04/06/24 09:08
>>769
知り合いの霊能者とは距離をおくべきでしょう。
もちろんランボー氏ともです。

これは、ケンカ腰ではなく、社交的と言われるのですか。
771ランボー:04/06/24 09:19
コンピュータは膨大な情報を持つことが出来、情報の処理能力も優れている事は、云うまでも無い事だが、
本当の人間の価値は、その情報処理能力だけではない。多少処理能力が少なくても、コンピュータにはで
き得ない良さがある。
それは、それは愛を感じ恐怖を感じる事だ。
そのために、人の悩み切なさなどを共有できる事に有る。
共に熱い涙を流す事も出来る不完全な人間の思考回路があっての、宗教であり、仏教であり、密教だ。
1 or 0  的考えの人間にはなりたくないし、私はなれない。
772お経好き:04/06/24 09:23
>真言坊主様

レス、ありがとうございます。

>どうやら私のレスはお経好きさんには受け入れられず
>ただ反感をかっただけのようですね。

そんなことはありません。感謝しております。
それに、霊現象を肯定する者は、私を含めて、往々にして、それに引きずら
れて道を誤ることが多いと思っておりますので、真言坊主様のご意見はもっ
ともであり、戒めにすべきだと思っております。

773お経好き:04/06/24 09:24
>私はこれまでのお経好きさんのレスを読んできて、
>とても礼儀正しく、真摯な印象がありましたので、
>お経好きさんが苦しんでいるのを見て
>ほっておくことができなかったのです。
>怒らせようと思ってやったのではないことだけは確かです。

ありがとうございます。
十分にわかっております。

>神仏に対して強い信念を持たれているようですから、
>私の入り込む余地はないようです。
>早くご自分の拝み方、不動の生き方を見つけ、
>心の安楽を獲得してください。
>心より祈っています。

ありがとうございます。
真言坊主様も、これに懲りずにまた、教えてくださるように御願いします。
反論という僭越な形を取ったことをお許し下さい。

朝のこと故、時間がないので、これにて失礼します。
774コロンボ:04/06/24 09:33
>>767
通行者さん、なかなか良い事を言いますね。
霊の存在などを、霊感の無い人にも分る方法や装置を発明したら、ノーベル賞もの、特許ものですね。
なんらかの糸口がないかな。
けれど、これが出来たら、食えなくなる僧侶の沢山出るかもね。

ふしょう、503 名前変えました。
石や、人形に念や邪霊が入り込むことは有名な話だが、この話と、先の入仏していない仏像を拝みたおすことは同じ論理で説明できそうな気もするがいかがでしょうか?
776名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 10:43
ここまで読んでこれだけはわかった。
ここに書き込んでる連中(僧籍者除く)は
どんなことがあっても救われることはない。
永遠に地獄で苦しんでね。
ご愁傷様。
777真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/24 10:53
>>774 コロンボさん
たしかに。心霊現象が科学で証明されたら
これまで霊との仲介をしていた僧侶や拝み屋さんたちは食えなくなりますね。
なぜなら、以後は科学の領域に占有されるからです。
霊と対話できる電話のようなものが開発されたり、
霊を捉えて隔離できる装置のようなものが開発されたりする。
そうなると、もう心霊坊主や拝み屋さんは用なしですからねえ。

ところで、あなたはおかしな方ですねえ。
>>565では「あの、怪しげなランボーさんでさえ」
「ランボーさんのように何でも有りでは」などと称して
ランボー氏を否定的に評していたにもかかわらず、
すんなりランボー氏の>>709の意見を受け容れて
「コロンボ」に改名ですか。
それに、ランボー氏って、自分のことを言われると
どんなに些細なことにでも食いついてきて
皮肉の一つでも垂れていくのが常なんですが、
>>565に対しては何の受け答えもないんですよね。
不思議なこともあるもんです。
778金剛杵:04/06/24 11:24
偉そうな事を言うようで恐縮ですが
頭(脳)4で理解できる世界4と
意識で感じる世界4と
無意識層で感じる?世界4
(これ以降のレベルでは「感じる」という言葉では表現できないかもしれませんが)
総てを感じる?世界4
霊能力というのはこのどれかの次元に当たると思うのですが
779名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 11:36
アラヤ識 ユング的には集団的無意識。
霊の存在を過剰に意識し誤って信じ転倒して、怪しい拝み屋に惑わされるのは良くないが
しかし霊、魂の存在を信じ意識しているからこそ、頓成菩提の供養も、心のこもった回向ができるのではないかと。
780名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 11:52
真言坊主さん
もうここでレスするのはやめたほうがいいような気が・・・
いや、在家の我々は聞きたいことが沢山あるので、逝かないでください。
782名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 14:44
真言坊主さんへ

ある響くものがある。
それを感受する。(受)
その方法として、眼、耳、鼻、舌、身の感官がある(想)
そして、それぞれの感官で、実感が生まれる。(行)
いろんな次元(五感)で分別を伴った認識がある(識)
そんでもって、色が生じる。
識→行→想→受→色もあると思いますが。

私にも、若干霊的な体験はした事ありますが、
それは、響きのあるそれを、感受するかどうか、取捨すると思います。
何故なら、ある人は気づいて、違う人に気づかないという事が
日常生活のレベルであるからです。
例として、絶対音感をもつ一族だっているだろうし。

霊は五感のいずれかを用いた具現化だと思います。
わたしは、それが虚妄の内だと思います。
みんなが持っている五感がそもそも虚妄だし、
もとは、響きのあるそれだと思うのです。
霊は、その人の能力で生み出された具現化だから、凡人の作り物ゆえに
精神の不安から、生まれたものも混じるだろうし、
惑わされて、余計な事になるかもしれないが、
それを逆手にとって、その先に仏を見据える手立てに繋がると思います。

あなたは神通力を否定をしなくてはならない立場に思いますが
どうでしょうか?
まあ、密教の神秘体験ですら、虚妄と思っているのですが。
諸仏に逢えるからといって、悟りではないという事です。
無意識の心的作用を肯定する学派の方が沢山いらっしゃいますね
ネタだと思いたいです
784名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 19:11
>真言坊主さん

もう不毛な議論はその辺でおいて>>719>>727にレスして、
スレッドを進行していきましょう。
785真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/24 21:04
>>784
不毛な議論ではないでしょう。ただし感情論は勘弁願いたいですね。
でも、霊魂が存在することを主張しようとすれば、今のところは
経験談と信念と感情論しかないのですから、しょうがないんですけどね。
真言坊主さん
ちょっとしつこいですよ
NGワードに登録されちゃいますよ
787名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 21:10
>>783
個人の尊重だから。
肯定するけど、その肯定するもとがどうなのか
知ることこそ重要だよね。
別に霊がいないで統一してもいいだけどね。
心的作用を否定できるのは、覚者にだけ資格があると思うけど?
788名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 21:13
>>785
いやまあ、それはわかりますが、
>>719>>727の質問レスなどにも配慮して、
進行していかないと、いつになっても、
荒れたままの状態になってしまいますから。
マターリしていきましょうよ。
789ランボー:04/06/24 21:16
>>777  真言坊主さん
葬式から帰ってきたら、随分スレが進みましたね。
自分の事が書いてあるので、本人が答えるのが一番的を得ていると思うので、書きました。
僧侶や拝み屋さんたちは食えなくなりますね。 という意味合いが真言坊主さんが考えているのと少し違いますね。
法力が無く、儀式のみの僧侶などが淘汰されるという意味ですよ。
「あの、怪しげなランボーさんでさえ」は良いですね。
ダーテーハリーがめちゃくちゃとかクレジーとか言われても、それはほめ言葉だということが気が付きませんか。
ランボー黙れとか消えろ等に今までマジ切れしていないでしょう。分りませんかねー。
不思議な事と受け止めず、もう少し心理学的考察をしてみるのも良いですよ。
僧侶は人の心のお医者さんでもあるわけで、相手の深層意識をも考えて応対しなければならない時も有ります
ね。もっとも、人の心まで考えが及ばず、自分の気持ちのコントロールがつかず、昼下がり悶々としていては、
どうしょうもないですがね。
真言坊主さんはそのようなことは無いと思いますが。他スレで、空海と名乗り、ご高説を説かれているのですから。
コロンボさんにいぞぎの回答を求めても、無理かもしれませんね。それを承諾して、コロンボを名乗ったのだから。


790真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/24 21:30
ところで、私の>>730のレスにはずいぶんと憤慨された方が多いようですが、
それにはちょっと驚きでしたねえ。仏教の思想をちょっとでもかじっていれば、
そんなことはなかったのでしょうけど……
ちなみに、あれは『大日経』住心品の内容をベースに書いたものです。
791真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/06/24 21:41
>>788
荒れた状態は私がここに居座っているかぎり終息しないでしょうね。
すでに私に対してかなり反感をいだいている方もおられるようですし。
いや、いろいろと勉強させてもらいました。
しばらくロムにまわるとします。
792名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 21:44
>>791
ではその間は、日本史板の弘法大師スレや世界史板のシッダルタスレで
議論を楽しまれては?
793名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 21:46
>>790
> ちなみに、あれは『大日経』住心品の内容をベースに書いたものです。

もう少し詳しく説明してもらえるとありがたいのですが・・・。
住心品は私も読んだ事はありますが、霊の否定云々についてはよくわからなかったので。
794お遍路:04/06/24 21:55
>>790 真言坊主さん
730でお経好きさんに、人(霊能者)や神仏に助けてもらおうなんて考えてはだめですよ。と書いとるが、人はともかく
神仏に〜は、高野山奥の院で祈願の受付をしているのに、あんたの立場から、矛盾は生じんかな。
>>真言坊主さん
あなたの意見は貴重だと思います。
だから逝かないでネ!
いろんな立場、考え方をもった人の意見を聴きたいし。
796名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 22:12
まー皆さん一服して落ち着きましょう。
( ・∀・)っ旦~

この話なんだか疑問だけが残りました。うやむやに終わるんでしょうか?
双方が納得いく、スパッと切れ味の良いレスを期待!
797名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 22:50
霊が存在しないとすると、輪廻する主体もないのでしょうか?
つまり、輪廻自体が存在しない?
798名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 23:08
>>796

「この話」って、どの話?
ようわからんので、説明してよ
799796:04/06/24 23:19
>>798
霊の捉らえ方のはなしね。
800名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 23:25
800!
801名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/24 23:52
真言坊主さんは、霊を自我として捉えているのかもしれないですね。
802名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:16
まず霊を肯定してる方へ質問
霊の定義は何?


否定派の方は、定義が決まり次第反論を願います。
803名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:24
>>802
では、まず「輪廻の主体」というのは、どうでしょう?
804名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:26
霊を肯定している人でも、定義は解らないんじゃないかな?
定義なんて考えてないけど体験があるとか、そんなだろうから。
805名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:35
>>797さんが言う様に、霊がないと輪廻が成り立たないね。
葬式や死者の供養をしても、成仏するべき実体がないと意味がない。
806名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:48
>>803
仏教的にはそれが定義になりますね。
もっと他にもありそうだけど、取りあえずそれで反論を待ちますか。
807名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:49
「霊が見える人」と「霊が見えない人」

1.霊が見える人から、見えない人をみると、「なんで気づかないの???」
  と思うでしょう。 自分にとっては当然だからね。

2.見えない人に「幽霊は本当はいない」と言われると
  「この人は、知らないんだ」と思う。

3.見えないのに、霊を否定をする人は、「もし、存在するなら
  自分が見えないのはおかしい。」だから、妄想だと確信する。
  実際に、お経を読んで、霊が見えなくなったってあるからね。
  空を観察できれば、霊(妄想)がなくなるんだよ
  と確信を深める。
808名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 00:50
どれかに当てはまりますか?
さてさて、これは、見える人がそれが真実だと思うところに問題がある。
また、見えない人が見える人の見ている世界が分からないのに問題がある。

自分の立場を無視して、喧嘩してるんですよ。
普段生きている私達。この体で体験している全てが
真実ではなかったんです。
はっきり言って、すべてが霊(妄想)だったのです。
すべてが霊とは、人以外の物質まで表現が正確でないですが、
はっきり言って、幻だったんです。
くやしいけど、信じがたいけど、これでいて幻なんです。

執着を離れないと、それが分からないのです。

霊が見えない人は、見える人を、その霊は幻だと思っているように
目覚めた人が、霊の見えない人を、その世界は幻だと思っている。
>>797
妄想のもとが無くなったとき、輪廻の主体も何も存在する術が無い。
妄想のうちならば、輪廻が存在する。
809名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 01:00
釈尊は、在家の人に、葬式しちゃだめって
禁止してないの。
だって、俗世間をすてない人は、広い意味で
霊の世界に住んでいるから、>>805さんのいうとおり。
執着離れられない環境の人には、儒教の方がよいじょ。
俗世間から離れないを前提にしているから、霊を肯定した方がよいじょ。
810名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 02:30
>>808
では、今、目の前にある、このコーヒーカップが存在する程度には、
霊は存在する、ということになりますか。
811名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 05:51
神霊がいるなら霊も居る。霊が居ないなら神霊も居ないて事になる。
でも僧は神霊に対して手を合わせるから神霊は居る立場。
なら霊はいるて事になる。ただ問題は、何故霊は頻繁に見えて災いを起こすほど見やすく
神霊は、見えにくいのか?と云う事。疑問が残る。同じ霊質なら悪霊と言われる霊を見える人は、
神霊も頻繁に見えないと可笑しい。何故見れない。良く霊能者は、神霊は、レベルが違うから見えないと云う。
と云う事は、その見える人の心の問題でわ。
仏が見える人は仏の心があり悪霊を見える人は、そんな心をその人が持っている。
要はその人の心そのままが、その霊でわ?。
いるいないは別として心を何時も穏やかにする心の修行をすべきで何でも霊だと騒ぎたてる
心を捨てよと真言坊主さんは云っているのでわ?
812名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 10:15
霊を肯定してる方へ質問
自分が死んだら、どうゆう状態になると思いますか?
輪廻転生も肯定しますか?
813名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 11:49
>>812
正直こっちが教えてもらいたいくらいだよ。
814名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 12:02
ようするに、霊を肯定している方も否定している方も
「そんな事は死んでみないと解らない」
と言う事でしょうか。

お釈迦様も、この結論の出ない、無意味な論争に対して
「黙して語らず」
だったみたいですし、もうこの辺で止めときますか。
815名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 13:19
霊がいないとすると、レンタルビデオ屋にある、一般から集めた心霊動画の映像、あれに映ってるのは何?
816名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 13:27
つくりもの
817名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 13:48
試しに借りて見てみれば?つくりものなら今は画像を拡大したり、解析すれば粒子の違いでイッパツで解るよ。
818名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 14:20
>>815
タイトルは?
暇な時に調べたいので教えて下さい。
819名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 14:28
>>810
>では、今、目の前にある、このコーヒーカップが存在する程度には、
>霊は存在する、ということになりますか

人によっては、コーヒーカップを知らない人がいるんです。
もし、みんなが見えたら、「霊が存在する」って、常識になりますよね。
だって、ここにいる人は、コーヒーカップを常識として知っている。

ただ、知らない人が
割れているコーヒーカップで怪我をしないように
ある場所を避けなさいと助言することがある。

でもこれも、知らなくて避ける事ができる人がいるから
そういう人には、わざわざ知る必要はないですね。
怪我をする事がないんだから、コーヒーカップが無いと言える。
820名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 14:32
>>818
タイトル忘れたからダビングしたの探してみるよ。
今夜中に紹介するよ。
821名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 14:44
>>811
真言坊主さんの矛盾は、おそらく真言僧であること。
原始仏教なら、せめて、密教なら、問題がないのです。

私だったら、霊が見えるなら、仏が見えるようにしないのと
思っちゃいますね。
それと、真言宗で霊を前提にするのは、その先に仏の
存在を持たせるなら、よいと思うけど。
自分の根本では、霊が見えている人と対して変わらないのに
霊が見えている事のみを否定するのは、変に思います。
822名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 14:47
>>812
閻魔様に聞いて下さい。
823名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 15:24
>>817
素人にわからないように作るのがプロじゃないの?
824名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 16:14
レンタルだからプロだって見るだろ。
825名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 20:01
>>818
「ほんとにあった!呪いのビデオ」ってシリーズだったよ。
テレビで放送すると苦情が来そうな程恐い。なんてったって心霊写真とは違い、霊自体が動いてるから。
内容は、一般から投稿されたもので、例えば病院の待合室の防犯カメラや、事故多発の踏切りに設置した監視カメラなどもある。
子供の足だけが歩いてたりとか色々映ってる。ドキュメント式構成で、投稿者や関係者の顔出しのインタビューもあるから、作り物だとしたら大変なことになるよ。
とにかく暇な時に見てみてよ。自分はあれ見て確信するようになったくらいだから。
ここ御真言スレなんだが(汗
霊云々かいたあとはせめてソワカくらい付けやがれスヴァーハー
827名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 23:07
霊の話題が上がるのは信仰の一部分でもあるから仕方ない。
それだけ一般には疑問だし、解らない。密教の僧侶
に質問がぶつけられ、アドバイスを求めるのも無理は無い。
828名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 23:35
僧侶は引っ込んじゃった。



829名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 23:43
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
830名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 23:45
英知の完成は偉大な呪文である。
あらゆる苦悩を滅却するものである。
その呪文とは

到れり 到れり 彼岸に到れり 

彼岸に到着せり めでたし      (渡邊照宏訳)

831名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 23:50
霊=識ってことで問題ないんじゃ…。
832名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/25 23:52
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
霊関係のれすは終了!
釈尊は「無記」とされた問題でムキになってもしかたなし・・・などと
駄洒落を云ってる場合ではありませんで、ちと質問。

この前、三昧耶戒真言についての話になったのですが、
 オン サマヤ  サタバン
(オン サンマヤ サトバン)
 帰命 平等   入我我入
→汝は三昧耶也
   我本尊の身に入り、本尊我が身に入りて、平等無二也(=三昧・三昧耶)
となりましょうが、これが普賢菩薩咒と同じ、ということが話題になりまして。
顕教では釈迦三尊の脇、菩薩の上首、延命の本尊としますが、
密教では金剛薩[土垂](金剛手菩薩)と同体と見る、故に三昧耶の咒の本尊となる、
ということで間違いないですかね。
それにしても金剛薩[土垂]は、なかなか簡単に説きがたい尊格ですねぇ。
※[土垂]には毎度困ります。
>>830
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
_ _ _ _
gate gate paragate parasamgate bodhi svaha
.


836名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 00:15
霊問題は否定派がご機嫌斜めなので終了!
結論出ないが、ブツ切りで終わろう。
837名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 00:21
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
838名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 06:05
件の心霊ビデオは、行方不明事件のニュース映像に写ってるのもあったね。
俺は群馬県F市のやつが恐かった。
839名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 08:23
お前らみたいな馬鹿はオナニーでもしてさっさと寝てろ!
840貧乏暇なし:04/06/26 08:51
ここはいつからオカ板になったんだ?


愛染さんを信仰したければ、奈良西大寺の愛染明王も一度はどうぞ。 興正菩薩の念持仏とか元寇時の
石清水八幡宮で怨敵調伏・敬愛を数百人の真言僧と共に本尊として祈られたという秘仏と言われます。

オンマカラギヤバゾロシユニシヤバザラダトバジヤクウンバンコク
タキウンジヤク


妙見菩薩を信仰したければ、大阪能勢妙見(日蓮宗)は有名です。 昔は、真言宗のお寺だったらしいですが、
中世に領主が改宗させたみたいです。 隠れた迷所として大阪星田妙見宮(神社本庁配下別名小松神社)が
あります。 祭神は時代によってかわり創建時、弘法大師が関わった時は妙見菩薩や北辰星、中世は能勢と
同じ法華守護の北辰妙見菩薩、今は神道・道教・仏教の天御中主大神・北辰鎮宅霊符尊・三宝荒神・(妙見
大菩薩)と呼ばれ崇敬されてます。

オンソチリシユタソワカ


烏枢沙摩明王は、不浄金剛とも呼ばれ、躰の中の煩悩や慾、不浄なものを浄化してくれます。 また金剛夜叉
明王とも異名同体とも言われております。 尤も烏枢沙摩明王は心よりも物理的な穢れを浄化するともいわれ、
よくお寺の厠などに下穢真言として唱えるよう張られています。 高野山金剛峯寺の大師教会本部便所にも張
られてあります。

オンクロダノウウンジヤク
オンシユリマリママリマリシユシユリソワカ


てなかんじにスレの雰囲気戻せません?
精神論で殺伐しています。
観音様の御真言でよくキリク(キリーク)ってみかけますが、
経本みたらキリキリって書いてあります。
たぶんキリクは読み間違いだと思うんですが、それにしては
ほとんどのひとがキリクっていってますが実際どうなんでしょうか?
842貧乏暇なし:04/06/26 09:16
>上

下穢 X
解穢 ○


烏枢沙摩明王尊で解穢のほか人身和合や胎児変成の利益ありと
お聞き致しますが、ご存じの方、お教え頂けないでしょうか?
障りない程度で結構ですのでご教示のほど願い申し上げます。
843どっちも便利:04/06/26 09:31
>>841

天台宗系のお寺ではよくキリクのクを苦と掛けて読み飛ばす所を
わりと見かけます。

千手観音の真言など、
真言宗では

オンバザラダラマキリク

と表記されている所が多いのに対し

天台宗系は

オンバザラダルマキリソワカ

と表記されたり(多少の読みのゆらぎは有りますが)しています。
西国三十三カ所札所粉河寺でもそうでした。

何ででしょうね?師子相伝の際にその時々の解釈の仕方で
ゆらぎや意味づけなどが各師によって付加されてきたんでしょうね。
三宝荒神は台所に祀るんですか?それとも祭壇作って、祀るんですか?
845名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 11:41
本堂の奥とかに、僧侶の位牌で「…不生位」ってありますが、どんな意味で付いてるんでしょうか?
あと、殿様とか軍人らしき人の位牌(従○位とか、陸軍少尉とか位が書いてある)には「…○○神儀」とあり、「…○○尊儀」というのもありました。
どのような意味・違いで名付けられるんですか?

846(・∀・)コンニチハ!!:04/06/26 11:47
>844

よく台所の上に愛宕さんかどちらかのお札が張られているのを見かけるがのー
でも、清荒神などの熱心な信者さんは神棚と同様に上部にちゃんとした祭壇で祀ってるのを見かけるがのー
847名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 13:29
>>845
従○位ってのは、天皇陛下から下賜される位の事でしょ。
摂政は正一位で、関白が従一位じゃなかったっけ?詳しいことはわからんけど、
この位(くらい)ってのは今も申請すれば、頂けたと思うよ。生前に勲何等かの褒賞を
受けていれば、、、昔の軍人さんは戦死の場合は必ず頂いたんじゃね?だから位牌にも
書いてあると、、、
「不生位」ってのは文字通り「生にあらず」ってことなんじゃね?
坊さんの場合戒名ってのは名前そのものだから、「〜和尚不生」の位(くらい)についている
ってな意味だと思うけど、、
848名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 13:47
なる程。なら、戒名の末尾にある「神儀」とか「尊儀」ってなんだろ?
仏教の戒名に神儀って言葉はなんか不思議な感じ。
○○天皇尊儀などと歴代天皇陛下の位牌によく書いてある。
いい加減スレ違いやめれ
真言って誰が決めたの?
851名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 20:17
俺!
一切智
853名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 22:23
一切智智
854名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 22:24
一切智智智
855名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 22:26
一切乳


856名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 22:27
もみもみもみ
大日如来
858名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 22:34
南無妙法蓮華経
一切智々拳如来
860名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/26 22:40
一切ちんこ
>>850
無始以来の有情の業の増上力
三宝荒神は本来、家庭で祀ることまでする神なのですか?台所の神というのが有名ですが、実際はどういった神なのですか?
ケンバヤ
864名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/27 14:24
清荒神に行って聞け
865ランボー:04/06/27 17:22
>>862 三宝荒神
役行者が八面八臂の忿怒の形の大荒神王に遭遇、我を供養すれば、伽藍の安穏と人法の繁昌を守ろうと云わ
れ、行者は厚く荒神供を勤行した。
荒神は仏・法・僧の三宝の守護神とされ三宝荒神とも呼ばれる。
世になると、カマドの神とされ、各戸で台所のカマドの所で祀られるようになり、その土地について、潜在的根元
的所有権を持っているのは荒神であると云う考えが延長し、古い日本の家屋では、台所は土間であり、その土
間の隅にカマドが土で築かれていたからのようだ。日本三大荒神とは、宝塚の清荒神、高野山の立里荒神に、
勝尾寺の三宝荒神とも言われている。火は全てを焼き尽くすところから不浄をきらう荒神は竈(かまど)の神と
云われる所以のようだ。
仏教守護の功徳 不浄浄化 厄除け除災 除病 火難除去 家内安全 商売繁盛 建物守護 
お祭りする場所  ご宝前、神棚、台所
お供え物は 毎朝 ご飯 水 塩 米 餅 赤飯 野菜 酒 等精進の物
縁日 1日・15日
真言 おん けんばやけんばや そわか
御法楽に心経など随意 高野山での加行が終わると、無事終了した加護お礼に立里荒神お参りに行く習慣が
有る。
私はどうしても台所にお札以外の御尊像を祀るのは気が引ける。そのほうが不浄に思える。
867ランボー:04/06/27 18:18
>>866
分るきがします。
私が始めて高野山の宿坊に行ったとき、台所に床下から天井までの畳半分ほどの面積の祭壇?があり、
その異様な形に驚きをおぼえました。
私のところでは、縁があて護摩堂にお祀りしていますが、今でも感覚的には異様に思います。
>>865
だから、どうして荒神さんと台所が結びついたのか聞いてんだけど。
869ランボー:04/06/27 19:06
>>868
後世になると、カマドの神とされ、各戸で台所のカマドの所で祀られるようになり、その土地について、潜在的根元
的所有権を持っているのは荒神であると云う考えが延長し、古い日本の家屋では、台所は土間であり、その土
間の隅にカマドが土で築かれていたからのようだ。。火は全てを焼き尽くすところから不浄をきらう荒神は竈(かまど)
の神と 云われる所以のようだ。

と書いたんだっけれど。
それ以上のことは分らないよ。
870ランボー:04/06/27 19:14
>>868
火との関わりで台所の神様と言われるようになったのなら、今流行の兆しをみせているIHだったら、
火炎が無いので、どうなるのだろうね?
三宝荒神はダキニ天や聖天のような現世利益や、すぐ罰を与える神ではないんですよね?護法の神ということでいいんですよね?
872ランボー:04/06/27 21:44
>>871
現世利益は仏様ふくめて諸尊からいただけると思います。
ただ、神様方のほうがより礼儀に厳しいといえますから、罰については同レベルと考えたほうがよいのでは。
礼儀は、気高い方と接する時の基本ですから。
悪い事をしないのに、気分で罰を与える尊はいないと考えます。
873名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/27 22:37
なんか変わったね、このスレ。
〜天、〜神とつく神様は皆同じような御威力をお持ちと考えていいでしょうか?
ちなみに三宝荒神のご真言は?
875名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/27 23:09
>>872同意
876ランボー:04/06/27 23:09
>>874
そう考えた方が、よろしいと思われます。

真言 おん けんばやけんばや そわか

>>865  参照
>>866
不浄なのはそんな事にこだわる心
878名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 00:23
はじめまして。
比叡山の千日回峰行者、すなわち大阿闍梨様にお加持して頂くと、
いつも涙が出て止まらないのですが、これは良い状況なのでしょうか?
30代半ばのいい年をした大人が、お堂でぼろぼろ泣くのも恥ずかしいのですが。
お不動様に怒られている感じもなく、ありがたいなあと感じていると、
勝手に涙が出てしまうのです。
僧侶の方等、有識者の方、何卒ご教授下さいませ。
879名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 04:10
>>865
何ていう経典にそのように書かれてんの?
情報ソースキボンヌ
>>877
まあ、感覚的なものだから、人それぞれでしょ。貴方がよければそれで良し。私はランボーさんと同じ感覚ですから。トイレじゃないし良いと思えば良いんじゃない。
881ランボー:04/06/28 08:33
>>878
貴方に憑依している、先祖霊(他の霊の場合も有るが)が喜んで涙をながしているのではと思われます。
今現在悪い状況ではないのですが、この霊がもっと幸せ(供養)を欲してアプローチしたとき、それなりの
事が起きる可能性もあります。

>>879
経典に書かれているものではなく、宗教界での一般的事柄といえます。

30日から出張で1週間留守しますので、私への質問は遅れます。
執着=不浄
>>882
そいうこといってんじゃないとないと思うのは、漏れだけか?
884名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 12:36
>>881
ランボー様、878です。早速のレスありがとうございます。
それなりのことが起きる可能性、とはどのようなことでしょうか?
非常に不安なので、お手数をお掛けしますが、分かりやすくお教え頂けますでしょうか?
ここ数年来、涙が出て仕方が無い現象があるのですが、
今のところ、何も無い(と思っている、もしくは分かっていない)のですが。
885マカラギャ:04/06/28 14:09
確かに千日回峰行成満者などには、人並み外れた仏徳というか、
なんとも言えないオーラに包まれており、話を聞いただけで涙が流れてくる事もうなづけます。
おそらく耳で聞き、頭で理解しただけでなく、直接心に響いてきたんでしょう。
あなたは大変貴重な体験をしたと言えます。
しかし、その不思議な感情、不思議な感覚だけに執われていてはダメです。
これを機に自己を見つめ直してはどうですか?
886ランボー:04/06/28 16:26
>>884
それなりのことが起きる可能性とは、貴方の心が感応しただけならば問題は起こりません。
ただ、貴方を今の行動をさせた霊が憑いていたなら、その次の要求はそこでの供養ということになります。
詳しい事はいまの2chの状態では分りませんが、どの様な事柄にも良い面とそうでない面がありますので、
必要以上に不安になることはありませんが、信仰をするということは、供養もついてまわるので、注意して
(普通でもそうですが、事故などに)生活してくださいと言う事です。
あなた自身感覚的に涙もろいのでなければ、注意するほうがよいでしょう。
887名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 21:09
法華経などだと如是我聞(私はこのように聞いた)は阿難尊者が聞いた事になりますが
理趣経の如是我聞の句は一体誰が聞いた事になるのでしょうか?
また、修験真言宗の下ヨシ子さんに祈祷してもらうには200万らしいのですが
ここにいらっしゃる皆さんは法外な料金だと思われませんか?
困ってる方々から取る料金では無いように思います
私は聖天信者なのですが、毎日の勤行の際に、少々不思議なことが起こっています。
というのも、勤行中に異常に汗をかくのです。
読経しているときはそれほどでもないのですが、御真言を唱え始めると
周りが何か暖かいものに包まれたようになり、床に滴り落ちるほどの汗をかきます。
本来ならスレ違いかもしれませんが、これがどういったことなのか非常に気になったので
書き込んだ次第にございます。
どうか、お教えください。
889888:04/06/28 21:23
つい上げてしまいました。
申し訳ございません。
890名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 21:32
>>887
200万もの大金払いたくないなら、行かなければ良い。
申込みから支払いまで行うのは、自分の意思で決定して、自分の手で支払うんだから。
依頼しなければ良い。
>>890

それでは、本当に困っている人が救われないだろーが!
弱い者、困っている者を助ける人のすることではないと思う。

つまり、下ヨシ子さんは、正義の味方ではないということでよい?

(なお、金自体を取ってはいけないと言ってはいないので注意。適正価格ならOK!)

892名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 22:31
>>891
だからこの人に助けてもらえる人は金持ちだけなんです。
200万用意できない貧乏人は依頼できないんだから、救いの対象にならない。
適正価格って、何を基準にしたら良いのかは判らないけど?
>>892

社会常識に照らして、ってこと。
そうねぇ、上限は、1時間3万円くらいまでかな・・・。
(勿論困っている人はそこまで出せないかもしれないが・・・。)

894名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 22:44
>>893
自分ならあの人には一円も払いたくない。
価格は祈祷してくれる人の地位、有り難み。祈祷方法が門外不出の秘法を特別に…とかで適正価格は変わると考えられるな。
こちらのスレへどうぞ

 下 ヨシ子氏って・・・
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1069151073/
>>894

あ、私、下ヨシ子さんって、テレビとかに出てくる霊能者くらいにしか認識してないけど。
効果があるのなら、社会常識レベルでなら出すよ。困っていたらそんなこと言ってられ内でしょ。

あと、「門外不出の秘法かどうか」によって値段が変わるのっておかしいと思う。
助けられるのだったら、値段云々じゃなく、ありとあらゆる手段を使うべき。
そうでなければ、金が出せない為に助からないなんてことになってしまうからね。

あなたなら、それでもいいの?


つーかそんなの自分で判断しろよと…
898名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 23:03
>>896
とっておきの秘法ってあるじゃない。
寺でも普通の護摩祈祷はしてくれるけど、秘法の如意宝珠法やって下さ
いって頼んでもしてくれないと思う。もしやってくれるなら料金は5万10万じゃ無理だと思うがどうだろか?
>>898

寺の例で言うならば・・・
私は、必要があるならば、寺の方から率先して、「とっておきの秘法」とやらをやるべきだと思う。
人を救うつもりがあるならば。
要は金の問題じゃない。必要性の問題だと思う。
秘法たって単なる瞑想法・成就法なんだから頼まれてやるようなもんじゃない
一体何を期待してるだ
聖天スレのババアが出張してきてるんじゃないの?
困ってる方から二百万のお布施を貰ってブランド服買ったり高級時計買ったり
それが菩薩の道 成正覚の道なんだろうか。
904名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/28 23:49
菩薩の道 成正覚の道でなく、現実道というやつです。
前者は無力、後者は強力。
>>ランボーさん
 最近腰の辺りにある(と思っている)エネルギーが
胸の辺りまで上がっているような感じがします。
こころが落ち着かなくなったり、カーッと興奮状態になって
軽い痙攣を起こすんですが、これは精神的な病気でしょうか?
スレ汚しスマソ
>>887

理趣経の教主大日如来は金剛手菩薩(金剛薩[土垂])であり
聞き手で実践者である私たちも金剛手菩薩である。
よって、ジョシガブン=我は聞けりは、体験者=理趣経を唱えて
いるあなた自身が言っていることである。だからあなたである。


>>888

私は逆だ。

私は、夏暑い日に本堂や自宅で勤行中、無風状態の時でも何故か
涼しくなって快くなり安心して勤行を中断することなく遂行できる。
風は無いのにどこからともなく涼しく風がふいてくる感じがする。
ろうそくは揺れず。感じなのか実際ふいているのかは判らない。
しかし外は風がない。 そういう不思議な感じは何度もある。

それと、勤行時、自身の金剛合掌の手が自身の手でなくなるような
遠く感じ、感覚が薄れてくるときもある。 また、周り近くの音が総て
無くなりただ本堂横の小川の水の滴る音かもしくは、遠くの場所の
音しか聞こえなくなるときもある。 勤行終了と共にそれはなくなるが。
そういう感覚は説明しきれない。
福寿光無量って古神等系の何の真言ですか?
> 907
観音経偈の「福聚海無量」の変形と思われ。
909名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/29 12:40
>>885
>>886
マカラギャ様、ランボー様、ご指導ありがとうございます。
自己を見つめ直し、注意して生活することを心がけていきたいと思います。
910名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/29 13:27
>>907
一部の古神道は、仏教をこきおろすわりには仏教を取り入れまくってるからね(w
911ランボー:04/06/29 16:36
>>905
貴方の云うエネルギーが何なのか、気のエネルギーなのか文面では判断がつきません。
気のエネルギーであれば、こころが落ち着かなくなることは無いのではと思います。
軽い痙攣を起こすことは気では経験していますん。
通常エネルギーと表現すると熱くなると考えてしまいますが、熱くならないのであれば、他の力がそうさせて
居るのかも知れません。ただ、対面で確かめたのではないので、なんともいえませんが、痙攣を伴う時は、
蛇の霊が拘っている事があります。確かめる一つの方法として、現象が現れた時、蛇だな!と決め付けたよ
うに叫んでみるのです。その時、鳥肌がたったり、感覚で変化を感じたら、蛇でしょう。全く感じなかったら、
他の原因があると思います。
しばらく、留守にしますので、返事がかけません。
912名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/29 17:41
長谷寺の入山式あったらしいですね。
913888:04/06/29 20:02
>>906
レスありがとうございます。
私も感覚が遠くなるようなときがあります。
そのような状態になると汗も出ず、周囲と自分が
一体になったような感じがします。
ちなみに、汗が出るのは大抵の場合、朝ではなく夜のときです。
914北海大将智:04/06/30 00:34
 アクセス制限になり暫く全然カキコできませんでした。
800番での論議の中心題材となっていた「輪廻の当体」
にかんしての話を今さらですがカキコしときます。
 仏教における「輪廻の当体」はアーラヤ識に蓄積された
業であると考えられます。ここで注意しなければならない
のは前五識は人間の感覚器官でありまた第七識が、第八アー
ラヤ識を見誤り「霊魂」であるとしてしまうゆえに「輪廻の
当体」を見抜けないマナ識があるとされていることです。
 つまり「霊魂」を「輪廻の当体」であるとすることは
マナ識による汚染によるものでしかないとされていること
です。つまり「輪廻の当体」としての霊は少なくとも唯識
の流れを少なからず内包する密教の立ち場からすれば否定
されるものであるわけです。ここでの真の問題はさらに
アーラヤ識より深い第九アンマラ識が衆生の本有の自性
清浄心であり覚りの当体であることではないでしょうか。
 つまり「霊」うんぬんを語るより自身の本来有する
清浄なる心を自覚し育み養うことが大切であるということ
です。佛の加護を外に外に求めるのはきっかけではありますが
そこから自身佛(自性清浄心)を意識しないかぎり真の意味では
救えわれないと思うのです。お守りも祈願も護摩も衆生の現世利益
という欲を智慧へと変えるきっかけであり方便活動の一つなんです。
 
915金剛杵:04/06/30 00:51
北海様お久しぶりです。
>>778で勝手に4段階に分けて都合16通りにして考えたのですが
霊能力みたいなものはこういったものに当てはまるものでしょうか?
916名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 00:52
難しいな〜。唯識学の基本を知らないと理解できない。
917名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 01:22
豊山派って何て読むのですか?とざんは?ぷさんは?
918名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 01:43
「ぶざんは」だよ。
919名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 01:51
>>917
「ぶざんぱ」です。
逆に
「ちさんは」です。

世間では、いい易い

「ぶざんは」「ちざんは」となっていますが。。。
920名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 02:39
>>914 コメントありがとうございます。
>「輪廻の当体」としての霊は少なくとも唯識
>の流れを少なからず内包する密教の立ち場からすれば否定
>されるものであるわけです。

霊と霊魂は別にすべきだと思います。
ですので
密教が霊の否定というのは、適当でないと思うのです。

なぜなら、第九アンマラ識が前提の下で話が進められているからです。
つまり本質があるという立場。
「第九アンマラ識がある」というのなら、霊をみとめるというのと
対して差がなくおもってしまいます。
そもそも、大日如来自身が、究極の霊としての表現にしか思えない。

霊魂を否定ならば、同意いたします。
真っ向に霊を否定するのならば、それは機根が備わってからだと
思います。本不生ゆえに、大日如来も無いと言わねばならなく思います。
否定したところで、理解を示せない者に、
実相という概念があるのだと思いますがどうでしょうか。
密教は、成仏を除いた場合、すべて世俗諦の境地だと思います。
成仏を除いているのに、霊を否定する事はたいへんな過ちに思います。
それならば、霊を否定すべきではないと思います。
921会奉行:04/06/30 02:51
>>920
一応、仏教は(儒教も)霊魂不説の立場を取っていますので、難しい問題ですね。
宗派によっても意見が分かれていますから。
922ランボー:04/06/30 07:05
>>921
> 一応、仏教は(儒教も)霊魂不説の立場を取っていますので、難しい問題ですね。

仏教が霊魂不説の立場をとっていると伝えられても、それが正しいということは云えないでしょう。
大日如来は、我は最も崇高な霊体と述べているのですから。霊を否定すれば、仏も否定、仏教も無くなる、輪廻も無くなる。
如来さんに直接聞いたことがなければ、信じられないのかもしれませんが。
他人の書いた書物を鵜呑みすることは、時には間違いも。。。。。
923名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 07:39
>>922
他人の書いた書物を鵜呑みって…
妄想よりゃマシだろ。あんたの大日如来は妄想だよ。妄想。
真言を唱える時や、法を修するときは、やはり印を結んだほうが、唱えるだけよりかなりご威力は違ってきますか?
925ランボー:04/06/30 10:11
>>923
貴方の浅薄な知恵と修行ではお分かりいただけないのはごもっともです。
霊を否定する事によって、即身成仏義や入我々入が何を対象にか、非常に矛盾に満ちてくる。
生霊も当然否定する事となると、呪いも生霊の介在だから存在しなくなり、呪っても被害が出無いと言う事になる。
呪われて文句の言える人は、霊否定者にはいないということになり、真言坊主さんが書き込んだ呪いに対しては
彼の妄想となる。彼も否定しているのだから、すごい矛盾だけれどね。
おとととーーー時間だ。
出張で飛行場に行かねば。
まあー、しばらくいないから、頭を冷やしてかんがえることね。考えてもむだか!
926名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 18:45
やっぱり妄想だ。まちがいないw
927前スレ970:04/06/30 19:10
>907
確かに元ネタは>908氏の仰るとおり観音経世尊偈なのですが
正確に言うと「光」の方は大宮司郎という人物の説です。
これは古神道(幕末以降勃興した日本風神仙道)でいう得仙秘文
「福壽海無量」(聚が本来の経文ですが、音が同じなので中世には
壽と表記される事があり、古神道では壽の方を採用したようです。
一応、壽という言葉そのものを重視しているらしく読みも少し異なるとか)
が元なのですが、この人物は神仙界に出入した(という)
紫龍仙道人という人物の甥に当り、この紫龍仙道人の主催した団体名が
「玄光修道会」と云ったそうでそれが元ではないか、との説があります。
但し、この得仙秘文「福壽海無量」そのものは単純に仏教からのパクリで済む
ものでなく、その背景には天台宗で伝えていた周の穆王が西方に行って
霊鷲山で法華経を聴聞したという伝承、そこから生まれた「法華御即位」という
天台流即位灌頂、それらの元の話である実際に穆王が西に狩をしに行って
失踪した事件から出た「周の穆王は西の崑崙山に行き、西王母に遇った」という
漢代の説話などいろいろと複雑な事柄があるので一筋縄では行きません。
それでも、精々中世から位の歴史しかないですがね。
928会奉行:04/06/30 19:41
>>927
良くご存知ですね。
得仙秘文が含まれるから観音経は功徳があるんだという説もありますよね。そういえば昔、福寿講というのもありました。
>>927
>>928
叡山には福聚教会という、ご詠歌の講中というか、組織がありますが、
そういうことなんですかね?
930前スレ970:04/06/30 20:02
>929
それはむしろ、伝教大師の密号福聚金剛からでないかと。
霊魂不説…釈尊は霊の存在の有無について何も答えない(無記avyaakataの立場をとる)。これを霊魂不説という。
佛教では、霊の有無が問題ではなく、霊が有る、無いと執着し迷い続ける自分自身の心を問題とする。


『小マールンキャ経』
毒矢にいられ、苦しむ人を前にして、医者が、患者の身分、階級、弓の種類、矢の種類などについて知られない間は治療しないとしたら、その人は死ぬ。
世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。
932905:04/06/30 22:05
>>911 ランボーさん
偶然とは思えませんが・・・
痙攣(ひきつけ)を起こしてる場所は蛇が巻き付いてる
らしく、霊能者に怖がられたことがあります。
ただ、普通の蛇ではないはず(と思っている)なので、
もし仮に蛇の影響と考えればご神仏の怒りをかってるっちゅー
ことになるでしょうか?
ひどいときは強い恐怖心と不安感でいっぱいになって
視界が真っ白になり思考ができなくなったことがあります。
いまはなんとかギリギリ耐えています。
>>905

ランボーさん、今お休みだよー
934905:04/06/30 22:20
>>933
あうううぅぅぅぅぅ〜
935名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 22:42
>>931
知っていますよ。
そう言いながらも、世俗の生活をしてしまうと
執着してしまうのが人情。
それを言ってしまっては、諸仏などの存在は
全否定をしなくてはいけない。

あれは比丘に対して述べられた言葉でしたね。
在家の者には言っていない。
密教は、出家者だけのものではないハズ。
どうにもこうにも、毒矢が刺さっているのを認識していないのに
「矢を抜け」と一方的に言っているように思えて仕方が無い。
>仏教が霊魂不説の立場をとっていると伝えられても、それが正しいということは云えないでしょう。
>大日如来は、我は最も崇高な霊体と述べているのですから。霊を否定すれば、仏も否定、仏教も無くなる、輪廻も無くなる。

これを読んで頭が混乱したので言葉の定義を確かめるために貼ったものです。
そして諸仏などの存在は、密教を理解しているのならば、それが自心の事だと分かっているはず。
937名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 23:02
真言のスレでそんな基本的な事を書く馬鹿がいるとは思わんかった
つーかそこから???な奴はスレ違いにもほどがある
その状態で真言に興味を持つきっかけが知りたい
938名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/30 23:43
ここでは基本的なことじゃないんだな。
密教が仏教だとは思われていないからね。
仏も幽霊も一緒だもんね。
939名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 00:31
ふむ、では密教が仏教だということすら理解せずに真言スレに居る(のか?)人に対して、もう一度質問

真言に興味を持ったきっかけは何ですか?
940名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 13:24
仏と幽霊の大きな差は、
その一 我執の差    ハイ。次の人どうぞ。
941名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 13:45
ランボーに質問したい人は他スレ行けよ。
密教でも何でもない、ただのオカルトなんだからさ。
質問もオカルト、回答もオカルト。
942北海大将智:04/07/01 15:00
920さん
 大日如来の捉え方が問題になってきていますが、大日如来とは宇宙に
編満する知恵の総体が法身としての大日如来であり、曼荼羅の中央の大日
如来は報身の大日如来であることをご存じですか。尊格として姿のある大日
如来と智慧の総体としての法身大日如来を混同すると「大日如来が究極的な
霊的存在に思えてならない」という見解に陥る気がします。
 例えば川の水が流れ海に行き蒸発し雲になり雨となって地表の泥を流すと
いう背後には霊的は力が存在するのでしょうか?世俗的な眼、顕略な視点から
するとこれらは自然現象でしかないのですが密教的な視点からすれば水大の働き
であり煩悩を清浄にする智慧の働きが背後にあるとみるわけです。
 真言密教では衆生も佛も地、水、火、風、空、識の六大からなると見るわけです
がここで「世俗体」から見た場合、自然科学的な元素や現象や心作用が表面的には
感じられますが、そうでな無くこれらの現象の背後に智慧の働きがあるのであり、
五大はそれぞれ五仏に配当され五仏から五智が展開し、前五識から第九アンマラ識
にいたるまでの識大は世俗体での識大から「出世間」での智慧へと展開する世界が
三密加持により開現して初めて密教の世界になるんです。
 もはや「霊」という二元論的な存在概念は消失し『華厳経』系の教学で説かれる
事理無礙(現象と理念の無礙)も超えた不二なる世界が「阿字本不生」の世界であり
それらの世界を尊格的に捉えると法身大日如来となるんです。
 真言密教の立ち場からすれば「霊」を捉えることは十住心思想の「第三嬰童無為心」
に配当されるのではないでしょうか、則ち仏教以前の外教の住心に。
 
943名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 17:23
>>941
そういうことはランボーがいるときに言わなきゃ
意味ないだろうな。
あのおっさんには何言っても通じないけどね。
そもそも日本語が通じてないし使えない。
>>942
おっさん語りたきゃ他所逝けよ
質問したい奴も他所逝け
1000目前だし丁度いいだろ密教スレ立ててやってくれ
オカルトもオカルト板逝ってやってくれ
945金剛杵:04/07/01 19:11
>>944
ここはなんのスレですかな
御真言集
947名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 20:18
真言のカキコだけじゃもたんだろな。
948名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 20:22
>>947

だから、ランボーさんや真言坊主さんや、北海大将智さんらの書き込みは必要だよ
949名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/01 20:53
>941>944
まだお前らのようなのが居るんか?
>>949
 相手にすると付け上がるから無視しようよ。
951名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 18:48
>>942 つきあってくれてありがとうございます

>真言密教の立ち場からすれば「霊」を捉えることは十住心思想の
>「第三嬰童無為心」
>に配当されるのではないでしょうか、則ち仏教以前の外教の住心に。

もしそのとおりだとすると、霊が前提になりませんか?
とりあえず、出家者じゃ無い方が見るのですから。
それに「第4」以上に進んでいる人が、いるのか分かりません。
4は、声聞乗の境地に達した人だから、相当の執着から離れていますよね?
ここでは、霊の存在がどうのこうのは言え無そうですが、
「第六他縁大乗住心」の境地なら、唯識により、否定できると思います。

>中央の大日如来は報身の大日如来であることをご存じですか。

「釈尊が悟りを開かれたとき、尊敬するところ無く、恭敬するところなき
生活は苦しい。・・・・中略・・・・・
 この法こそ、敬い尊びて、近づき住すべきであろう」

この法を霊格化したのが、大日如来だと思います。
報身は正直意味が分からないです。

>背後には霊的は力が存在するのでしょうか?
ですので、背後の力を霊格化していると考えると
霊の存在を否定というより、意味が生まれると思います。
952名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 19:56
大日如来を始めとした尊格が、智慧や真理の象徴としたら、人格神的な心を持った仏は存在しないことにならないでしょうか?
つまり、無機質な法則や真理を仏像の形に現わして、崇めている。概念の中だけの存在になってしまうように思うのですが。
>>952
あなた御仏の性格や本質をもう少し勉強したらいいですよ。
幅広くね。
954金剛杵:04/07/02 20:11
別に密教に限った訳では無いでしょうけど
先祖の崇りとか悪霊とか・・・
どうしても切っても切れない関係でしょう
理論ももちろん必要だと思いますが、完全否定も如何なものでしょうか?
密教の修法にも(雑密?)には縁切りだとか金縛りとかあるみたいですし。
それにも理論があるはずですよ。もちろん口伝でしょうけど。
955名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 20:24
密教は他の思想文化と融合してきたのだから、霊だの祟りにもそれなりに正当な解釈はあるでしょうな。
956名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 20:54
>>952
>無機質な法則

無機質なのかは置いておいて、その法に我を作らずに則った場合
釈尊のような人格者が形成されると思います。

私の思う霊格化は、心を持った者だから起こると思います。
逆に我々からみれば、本来は
心を持ってあらゆるものが存在すると思います。

つまり、山や、風、雨など、すべて
心を持った存在と認識がありえると思います。
よく考えると、それらは我を張らずに、法に則って存在している。
のかもしれません。
法は釈尊が示してくださいましたが、大自然自体が
法を常に示されている気がしてきます。
私達は常に説法を受けている?

形に現しただけならば、偶像ですね。
本来、釈尊のような高い悟りの境地で
なければ、窺い知る事の出来ない「法」を私達にも
私達の目線でありながら、一端を知る事ができます。
957名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 21:15
>無機質な法則

賢者がいる、良き師がいる、良き友達がいる、良き親がいる
または、神様がいる。
そのように、尊び敬う人がいる生活は楽しい。

だけども、釈尊は自分の他に頼れる、また尊敬できる人が
いなくなった。
そのときに、ふと自分を観察したのだと思う。
長い間、迷っていて、他をことごとく頼ってきたけれども、
頼るものがいなくなった今、優れたるは自分しかいない。
その中、悟りし法は自分と比べると、遥かに尊いものでは無いかと!
こう考えたとき、体得した悟りし法は、釈尊の上に存在する。

私達も自覚はしてないが、その法がなによりも、尊いのだと思います。
今は、良い意味での法としか言ってないけれども、
悪い事をしたら悪循環が生まれるのだから
良い法と、悪い法に分類される。

その法とは「正しい教え」と言えると思います。
悪い法の中に、染まらずに、混ざらずに存在するから
あたかも、泥のなかから、綺麗な花を咲かす蓮華のように。
「正しい教えの白蓮華」
>>957
自分もそうじゃないかと考えていたところです。
救済を主とする神や仏といえども因縁によって人間を侮辱
し痛めつけることもありえる中で、もしそれらの尊い存在が
尊いと考えられなくなった場合にその恨みや苦しみを抜ける
方法は、もはや自分の中にしかないと感じます。
959952:04/07/02 21:44
お釈迦様は人間として生まれたから別です。
法身大日如来やその化身とされる仏様に心はあるか?ということを考えてもらいたかったんです。
大日如来に心があるなら霊的な存在、意思を持ったみえない人格的存在が実在する。といえるし、ないとするなら哲学的、概念的なもので
方程式を人の形に象徴して崇めているようで、なんだか味気ないなと思っただけです。

>>952
こころや意思がないならただの機械だよね。
大日如来=超精密機械?

ばっかじゃないの?
961名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 22:38
心と幽霊を混同するとは…
意志は…どうなんだろうね。
962名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 22:44
まっ、とりあえず
霊(幽霊)の話と諸尊の智慧や理の話は
分けて話そうよ。
963名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 22:53
>>959
>仏様に心はあるか?

無いはずがありません。自分の心と感応するのですから。
その前に、無かったら、我々の心は、法を超えた存在ではないですか?

仏様の心は大慈大悲と言われています。
大慈大悲とはどうなのか、語りつくす事が出来ないほどだといいます。
それが分かれば、悟りだと。

例えば、釈尊が法を恭敬したと言った時に
どうしても、こうだと強引に理解をしようとするものだと思います。
例えば、あなたのおっしゃる二通り。

1.完全な人格者。謂わば創造主
2.無機質で何でもない、方程式

この二つの考え方は、法を間違って理解をしてしまっていると
思います。なぜなら、
普通の頭で考えて、理解が出来たら、仏陀ですから。
宇宙の果ての外は、何があるんだと考えるようなものかも知れません。
だからこそ、最終的に釈尊の理解したようになれるように
様々な仏様、総じての大日如来と姿を現される。
964名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 22:54
どの仏から、法を理解するかは、人それぞれだと思います。
もっとも注意しなければならないのは、
釈尊が自分に法を見出したという事です。
自分を別個のままでは、法の理解から離れてしまいます。
その時点で偶像崇拝だと思います。
(例えば、創造主といって、像を崇める。自分とは完全に別)

自分と深く結びついている事を感じる必要があると思います。
逆に自分をおいて他にないものだと。
如来は、道を示してくださります。
その一つに大日如来あり、諸仏ありだと思います

>方程式を人の形に象徴して

これは、人が勝手に形にした訳ではなく、
実際に現された姿のハズです。
「きっとこうだ」と想像したのなら、偶像に他なりません。
自分でも分からないのです、そのようにお出ましになるのですから。
また、姿を取らない場合もあります。
論理的思考を超えています。
965名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/02 23:01
>>958
ニッコリ。

神をもっと手前に持ってくると
先祖であったり、両親であったり。
966金剛杵:04/07/02 23:16
例えば「薬師如来」
病から救っていただける仏様ですが
薬師様が無機質(心が無い)とすれば「救う・救おう」と思われるでしょうか?
あくまで私見ですが、自分(凡夫)が救われたいと願う心と
薬師様に限らず仏様が「救う・救おう」と願う?事は、究極的には全くの等価だと思います。
これが最初から既に救われているとか
悟りへの種は既に蔵しているとかに繋がるのではないでしょうか?
己の心と大日如来の心は等価であるのが密教の大前提ならば
仏様を無機質とみたらその前提は全く無意味になってしまうでしょう。
967名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/03 00:11
新スレ立てました。
第七を消化したら、こちらに移ってください。

御真言集 第八
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1088780814/l50
968北海大将智:04/07/03 00:20
 みなさまのいう「霊」が大分、いわゆる「幽霊」的な捉え方から
神道的な「霊」に近付いてきましたね。私が執拗なまでに「霊」という
言葉を嫌ったのは自然現象の背後にある神秘的な「力」の存在を神道
では神々として捉える場合があるようですがまだ「幽霊」的な霊とは
分けて捉えない部分があります。外教もしかりです。しかし日本人には
八百万の神々という自然観がありこれらを純粋に仏教を見つめる場合かなり
の注意が必要なんです。
 自然の背後にある力、「智慧の働き」を諸尊の加持力と捉えれば
大分、私が言いたい事と近くなります。
 我々も諸尊も「地、水、火、風、空、識」の六大という智慧の働き
からその当体がなること、これは極めて人格的な捉え方なのであり
「凡聖不二」。つまり高い人格を有する「仏陀」歴史上の釈尊しかり
あらゆる如来しかりと我々凡夫が重なる所がなくては「救い」はないと
思います。
 そして大曼荼羅、三昧耶曼荼羅、法曼荼羅、羯摩曼荼羅という四種の
曼荼羅として智慧の世界が相をなすこと、しかも羯摩曼荼羅という智慧
の働きが曼荼羅として開現していることは、この現実世界が実はその本質
が羯摩曼荼羅であることなんです。しかしこの世界=仏国土となるには
衆生がみな智慧の眼(密教眼)が開眼されなくてはなりません。
 そのためには三密行という行用が必要であり客塵煩悩により妄想に覆われ
た我々凡夫は上記の条件をこの色身で満たす具体的な実践方法がなければ
身、口、意により輪廻の因となる業を作り続けてしまうのです。一般大乗
ではこのために経を読誦し菩薩行を行ない遥か成る時間を得なければ解脱
し成仏できないと説かれているのですが、密教では三密行という覚りを
得るための具体的実践方法でありその加持力により衆生を救済するという
具体的実践方法を以って「菩提心に通達すれば父母所生の身に速やかに大覚
の位を得る。」わけなんです。ちなみに『即身成仏義』をかなりおおざっぱ
に話させていただきました。

969北海大将智:04/07/03 00:22
 956さんー法は釈尊が示してくださいましたが、大自然自体が
法を常に示されている気がしてきます。私達は常に説法を受けている?
 大日如来の説法は三世十方に常中説法 されているが衆生は煩悩を
取り除く具体的な方法として出家し三密行を行ない自らを大日如来の
聴聞者である金剛サッタであると観じてどの法を聞く事ができるように
なるというのが真言密教の立ち場であると私は思います。

957さんーその中、悟りし法は自分と比べると、遥かに尊いものでは無いかと!

 その法こそが大乗仏教が起こる時に色身の釈迦を失った仏教徒が新たなる
真理として見いだした『般若経』で説かれる所の「般若波羅蜜多」であり
『法華経』の久遠実成の釈迦牟尼仏が各時代で覚りを得られた理由となる
ものであり、大乗に於いては真理の法そのものが法身として究極の理想的な
存在であり理仏であるとされるのを真言密教では六大からなる具体的かつ人
格的な説法する法身大日如来であるとします。

966ーあくまで私見ですが、自分(凡夫)が救われたいと願う心と
薬師様に限らず仏様が「救う・救おう」と願う?事は、究極的には全
くの等価だと思います。

金剛杵さん 弘法大師の加持の概念をかなり捉えられていますよ〜。

レスが進み荒れる時もありましたがみなさまの論議の内容がすばらしく
成ってきたとおもいます。
 
970名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/03 21:07
>「幽霊」的な霊とは分けて捉えない部分があります。

逆転の発想をするのならば、無常なるものを
無常の重ねあわせ、縁をもって常見とするのが煩悩の効果ならば
その霊というものを、幽霊のように見る事が可能ではないかと
私は思います。

というのも、霊と表現しているのは、我を持った自分が
大前提になっていると確信するからです。
我執を伴った世界ゆえに、世間、俗世間だと思うのです。
世間とは、「破壊される故に世間だ」と釈尊が仰ってますが
我があるから壊れる性質があるわけで

例えば、なにか大きな力が自分に働いていると感じますが
そう感じるのは、五蘊の内にあるハズです。
つまり、我執があるという証拠。
我と思うが故に、「働いている」と表現が生まれる。
無明の根本には、全く手が届いていないのだと愕然してしまう。
〜前<<

教学に長けている真言宗智山派に『智山教化資料 第21集 霊障問題を考える』という
ものが有ります。 だれかお読みになった方おられませんか?

高野山出版社にもそういう本があったような..
972会奉行:04/07/04 00:42
>>971
高野山出版社のは、村上先生の本のことですかね?
973:04/07/04 13:46
>970
言葉遊びでは?
有るは有る。無いは無い。そのままに受け止められないところが我執。
>>973
同感w
理屈こねてみてもしょうがないものに理屈をこねてるような・・・。
ついでに言えば「神学」ってこうやって発展したんだろうな、と思うw
>>972
わすれました。すみません。

>>972,>>973
阿字本不生。それをいっちゃ〜おしめぇ〜だ!(w

総ての宗教は無から有を無理矢理作ってきたみたいに見えるし。
密教の教相・事相も各僧の独自の解釈で発展してきたため、
弘法大師が伝えたものとは似ても似つかないものまであるし...

もしかすると無じゃなく最初も有なんだろうけど、
わしら凡夫は愚かだからそれがわからん、判ったふりして
死ねばまた繰り返し。 三業六道を彷徨ってもまだ答えが出ないで
また自ら好んで輪廻の因業に絡み、釈尊のように悟ることが出来ん
ばかりか、大日如来の言葉も理解できない。

ああ、おらだめぽ。
>>972,>>973 ペケ
>>973,>>974 マル

すみません。