1 :
1 :
2009/07/12(日) 14:05:48 ID:3ZmINQSn0
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/12(日) 20:58:57 ID:3ZmINQSn0
>解説者殿 げらげらは少なめでお願いしますw
肯定派はいくら妄想を書き込んでも否定派に瞬殺されるので、全く書き込まなくなったなw
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/16(木) 18:54:31 ID:pMJsf+C20
しかもスルーされてんのに勝利宣言とくればスレもも伸びんわw
>>5 今まで肯定派がまともに反論できずにフルボッコされているのを「自分も体験してみたい!」というなら止めないがw
そういう特殊な趣味の持ち主でないのなら、「自分は自分で貼り付けたHPの内容も確認できない無能だ!」と大声で絶叫しているようなものだなw
南京は死屍累々でした。 肯定派の屍で
まず、論破とは何かとか、共通の論議の有り様から論議しないとなあ。 スルーして勝手に勝利宣言されてお終いってのもなあ。
>>9 >まず、論破とは何かとか、共通の論議の有り様から論議しないとなあ。
その通りだなw
肯定派は自分達の主張が破綻していても絶対に認めようとせず、負け犬の遠吠えの挙句逃亡するのがパターンだからなw
例)>6
「自分達の主張の矛盾点を指摘されても、論理的に説明できず、根拠も提示できない」
それでいて回答できずに逃亡しておきながら「自分は論破されていない」と喚き散らすのが肯定派w
まあ肯定派にとっては周りからどんな風に見られようと「自分は論破されていない!」と思い込むことができれば十分なんだろうなw
結局、現実逃避して自己満足に浸ることができれば幸せなんだろうw
他人の眼から見れば不幸でしかないが(笑)
論破とは何か、共通の論議の有り様はどうあればよいか、という問題提起に対して、全く関係のないアフォな 書き込みを延々とできる熱心さ…。 しかも、また勝手な勝利宣言。
無敵クンたちがここで無敵ごっこしてる分には世の中に影響が無いんだから 無駄な時間を費やすのが馬鹿らしくなったんじゃない
>>11 >しかも、また勝手な勝利宣言。
否定派がやってるのは勝利宣言などではなく「明確な事実」だが?
>6の過去ログを見て「肯定派が論破されていない」と思い込むのは肯定派の自由w
>論破とは何か、共通の論議の有り様はどうあればよいか、
なんてものは見た人間が判断すれば言いだけ。
肯定派が「自分達の主張の矛盾点に対し、論理的に説明できない」時点で論破されていて、論議にすらならないだろうw
否定派の言ってることを勝利宣言というなら、改めて肯定派が否定派の矛盾点の指摘に対して論理的に説明してみろw
例として>5でも提示されている「第一大隊戦闘詳報」なんてどうです?
改めて矛盾点を提示してみるから論理的に説明してもらえますか?
できるものならやってみろ(嘲笑)
無敵クンは誘う踊りを踊った
>>14 負け犬の遠吠え乙w
肯定派のHPより
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/114D_2.html#10 第一大隊戦闘詳報の矛盾点
12月13日 07:00 《第一大隊戦闘詳報(七)》
12月13日 10:00 《第一大隊戦闘詳報(七)》
12月13日 11:35 南京南門奪取
@ 12月13日 12:00 《第一大隊戦闘詳報(七)》聯隊命令の要旨発令
(歩六六作命甲第八十七号受領)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12月13日 14:00 《第1大隊戦闘詳報(七)》イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
15:30 各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換
17:00 準備終り刺殺を開始
19:30 刺殺を終り連隊長に報告す
12月13日 21:00 《歩六六作命甲第八十六号》市外宿営部隊警戒
12月13日 21:00 《第一大隊戦闘詳報(七)》発令時刻、命令番号不詳「雨花台出発、南京城内入場」
@ 12月13日 23:00 《歩六六作命甲第八十七号》発令
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第一大隊戦闘詳報の矛盾点
@12月13日23:00に発令された《歩六六作命甲第八十七号》を11時間前の
12月13日12:00に受領している
日本軍がタイムマシンを実用化していたなら別ですが?
当然、合理的な説明をしていただけると信じていますw
極東板でも、世界史板でも、ゴー板でも肯定派は回答できずに逃亡しているがw
否定派のやってるのは「勝手な勝利宣言」という事らしいから、当然肯定派は「論理的に説明できる」のだろうな(嘲笑)
・・・君は言ってて恥ずかしくないのか それ
>>11 「自分達の主張の矛盾点を指摘されても、論理的に説明できず、根拠も提示できない」
肯定派の脳内妄想ではこれは論破されたことにはならないらしいw
例として挙げた>5のHPの矛盾点は>15で提示済み。
まあツッコミどころはこれだけではないので安心してくれw
今までどの肯定派もなしえなかった「論理的な説明と根拠の提示」を期待しているw
>>15 そのサイト見たけど、12月13日の12:00のトコ既に修正されているんじゃないの?
なんで、修正前のデータを出すの?
>>18 問題なのは第一大隊が12/13 12:00に《聯隊命令の要旨(T受領)》を行っていること。
12/13 12:00 歩兵第66連隊
聯隊命令の要旨(T受領)
師団は南京城内の敵を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其附近に宿営す
旅団は明十四日本日掃蕩せる区域内にて北方法院南側を東西に通する頼楼外以北の地区に宿営す
聯隊は希望街(二万五千分の一)市政府北側を東西に通する道路の以北の地に宿営せんとす
歩兵第百弐聯隊は市街以南地区に宿営す(旅司、旅団予備隊は同地に宿営す)
聯隊砲及歩兵砲中隊は明十四日午前現宿営地を進発城内に至り別に宿営する地域に移宿す
それから11時間後
12/13 23:00 歩兵第66連隊
歩六六作命甲第八十七号
歩兵第六十六聯隊命令
十二月十三日午後十一時〇分 於南京南門北方千五百聯隊本部
イ、師団は南京城内を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其の附近に宿営す
旅団は明十四日本日掃蕩せる区域内に於て地方法院南側を東西に通する道路(頼楼街)以北の地区に宿営す
ロ、聯隊は希望街(二万五千分の一地形図市政府北側を東西に通する道路)以北の地区に宿営せんとす
歩兵第百弐聯隊は該市街以南地区に宿営す(旅団司令部及旅団予備隊も同地に宿営す)
ハ、聯隊砲中隊及歩兵砲中隊は明十四日午前現宿営地を出発城内に至り別に指示する区域に移宿すへし
比べてみれば分かるがこの2つは全く同じもの。
戦闘詳報に「12/13 12:00に聯隊命令の要旨を受領した」記録が存在するにも関わらず、該当する聯隊命令が発令された記録は「12/13 23:00」しか存在しない。
以前「聯隊命令の要旨は12時に受領されたものではない!」「聯隊命令の要旨は実は聯隊命令ではない!」などと
この戦闘詳報を否定する肯定派の意見があったが同意するのかw
単純に、命令を受領した後に、実際にやった行動を列挙したんじゃないの?
>>21 戦闘詳報というものがどういうものか理解している?
理解していないなら迂闊なことは書き込まない方がいいと思うがw
自分の無知をさらして、かかなくてもいい恥をかくだけだw
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/18(土) 06:50:45 ID:VY7INtKt0
かかなくてもいい恥 いい言葉だ
否定派の根拠がラーベの日記なんだから 肯定派はどうしょうもない(藁
>>22 単純な間違いがあったとかさw そんなモンだろ。
単純な書き間違いを大喜びで取り上げるのはいいけど それで何がわかるというのだね
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/18(土) 22:45:32 ID:VY7INtKt0
>25 >単純な間違いがあったとかさw そんなモンだろ。 >26 >単純な書き間違いを大喜びで取り上げるのはいいけど >それで何がわかるというのだね 肯定派の無知の証明ゴクロウサンw >5 >涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺 >第一話・序 >「そうですね。しかし、 戦闘詳報に堂々と書いているってことは、日本軍は別に悪いことだとは思ってなかったんでしょうね。」 > >「また、。前にも一回登場した第一一四師団六六連隊第一大隊戦闘詳報のように、日本軍の公式な書類にも、虐殺の様子が書いてあるものがある。」 >第四話・南京大虐殺に証拠写真なんてあるの? >「今まで俺が読んできた南京大虐殺の本では写真を証拠として挙げているものなんて一冊も無かった。 >みな、日記や戦闘詳報や手記など、 文書による証拠に重きを置いている。 「第一大隊戦闘詳報」の問題点は>5のHPで述べられているように《戦闘詳報》という《日本軍の公式な書類》に《日本軍の命令で》《捕虜の殺害が記録されている》という一点のみ。 逆に言えば《戦闘詳報》という《日本軍の公式な書類》に《日本軍の命令で》《捕虜の殺害が記録されている》のはこの「第一大隊戦闘詳報」以外に存在しない。 この「第一大隊戦闘詳報」は「日本軍の命令による捕虜殺害」を記録した『唯一の』《日本軍の公式な書類(とされているw)》 まあ、お望みなら無知な肯定派の為に、この「第一大隊戦闘詳報」の《単純な書き間違い》で何が分かるか親切な否定派が説明してやってもいいがw
今更、板倉はねえわ
ま、間違いだってことで決着ね。
>>30 >ま、間違いだってことで決着ね。
間違っている文書を根拠にして、証拠になるとでも思っているのかw
肯定派の無能の証明乙w
戦闘詳報とは上位部隊に対する報告書。
文字どおり戦闘に関するすべての事実を詳報するもので、副官または書記が作製し、大隊長の決済を経て連隊に報告するもので、
責任者は大隊長。
責任者は連隊であれば連隊長で、旅団であれば旅団長。
つまり連隊命令発令→戦闘詳報に記録となる。
逆に言えば、戦闘詳報に記録がある=連隊命令が発令されている、という事になる。
「第一大隊戦闘詳報」には《12/13 12:00聯隊命令の要旨》が記録されている。
しかし、該当する連隊命令は《12/13 23:00歩六六作命甲第八十七号》しか存在しない。
これにより戦闘詳報に記録されている他の記録も正しいかどうか判断できない。
戦闘詳報の記録が正しいかどうかを確認するには、第一大隊に命令を発令した第六六連隊の発令記録を確認すればいい。
12/13 00:20 歩兵第66連隊 歩六六作命甲第八十四号
12/13 03:10 歩兵第66連隊 歩六六作命甲第八十五号
12/13 21:00 歩兵第66連隊 歩六六作命甲第八十六号
12/13 23:00 歩兵第66連隊 歩六六作命甲第八十七号
12月13日の第六六連隊の発令記録はこの4つ。
それぞれの命令の中身を確認してみる。
まずは第六六連隊の連隊命令 12/13 00:20 歩兵第66連隊 歩六六作命甲第八十四号 歩兵第六十六連隊命令 十二月十三日午前零時ニ十分 於南京南門東南高地 1、師団は南京入城を企図せしも城門破壊するに至らす止むなく侵入するを得す 2、連隊(第二大隊第九中隊欠独立機関銃二小隊工兵小隊を属せらる)は南門東南方高地線を占領し夜を徹せんとす ↓ 次に第一大隊戦闘詳報 12/13 01:40 歩兵第66連隊第1大隊 大隊命令「第一大隊戦闘詳報」 十二月十三日午前一時四十分 於南京東南高地大隊本部 1、師団は南京入城を企図せしも城門を破壊するに至らす止むなく進入するを得す 第六六連隊の連隊命令 12/13 03:10 歩六六作命甲第八十五号発令 十二月十三日午前三時十分 於南京南門東南方高地連隊本部 1、敵は城壁に於て頑強なる最後の抵抗を試みつつあり ↓ 第一大隊戦闘詳報 12/13 05:00 歩兵第66連隊第1大隊 大隊命令「第一大隊戦闘詳報」 十二月十三日午前五時〇分 於南京東南高地大隊本部 1、敵は城壁に於て最後の抵抗を試みつつあり旅団は本日十三日更に中華門突撃を慣行す
第六六連隊の連隊命令 12/13 21:00 歩六六作命甲第八十六号発令 ニ、南京宿営部隊は指示せし位置に下士哨を配置し尚直前に警戒兵を配置すへし市外宿営部隊は第一大隊長に於て警戒を担任すへし ↓ 第一大隊戦闘詳報 日時不詳 歩兵第66連隊第1大隊 大隊命令「第一大隊戦闘詳報」 十一、大隊は聯隊命令に依り大小行李及之れか監視の為一部を残置し雨花台露営地を徹し午後九時零分同地出発南京城内に入る 第六六連隊の連隊命令 12/13 23:00 歩六六作命甲第八十七号発令 十二月十三日午後十一時〇分 於南京南門北方千五百聯隊本部 イ、師団は南京城内を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其の附近に宿営す ↓ 次に第一大隊戦闘詳報 12/13 12:00(笑) 《聯隊命令の要旨》「第一大隊戦闘詳報」 師団は南京城内の敵を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其附近に宿営す 以上を見れば理解できるように12月13日の連隊命令八十四号〜八十七号は「全て」戦闘詳報に記録されている。 しかし、戦闘詳報に記録された14時の命令は >八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く >イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし 「旅団命令」を「連隊長から」受けているにも関わらず発令された記録が存在しない。 時間的には八五号(12/13 03:10)と八六号(12/13 21:00)の間に85,5号というべき命令が存在したことになるw
>>34 >一部書き間違っただけだろw
一部書き間違ったのなら他にも間違いがないかどうか確認するのは当たり前だと思うがねぇw
その結果、戦闘詳報に記録された『『『14時の命令だけ』』』発令された記録が存在しないんだがねぇw
しかも《日本軍の命令で》《捕虜の殺害が記録されている》のはこの「第一大隊戦闘詳報」以外に存在しないんだがねぇw
まあ以上より、この14時の命令は
>旅団命令により捕虜は全部殺すへし
とあるだけで旅団→連隊→大隊と経由した命令でありながら「旅団」にも「連隊」にも発令記録が存在せず
この戦闘詳報の中にしか存在しないという事が無能な肯定派にも理解できたと思うw
>5のHPで言及されているように肯定派が本当に
>日記や戦闘詳報や手記など、 文書による証拠に重きを置いている
のならば14時の命令に対する『文書による証拠』を持ってきてもらおうかw
しかし今まで様々な板で尋ねてきたが、この14時の命令がどこから発令されたのか答えることができた肯定派はいないw
さてこれだけでは面白くないので無能な肯定派のためにでかい釣り針をひとつw
「第一大隊戦闘詳報」に関連して秦郁彦の「南京事件」に「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)の記述がある。
一兵士の日記
午後五時、南京外廊にて敵下士官兵六名を銃剣を以て刺殺す。
亡き戦友の敵をとった。
全身返り血を浴びて奴ののど笛辺りをつきたるや、がぶ血を吐いて死ぬ。
背中と云はず腰と云はず、刺して刺して刺しまくり、死ぬるや今度は火をつけてやる。
中に、ウナリ乍ら二、三尺はい出すのがある。生温かい血が顔にはねる。
手を洗わず夕食を全く久し振りで食べる。
秦郁彦 中公新書「南京事件」p159
無能な肯定派の諸君はこれを事実だと思いますかw
>>35 まずいから削除したんじゃないの?
戦闘中の記録を全部完全にやるって、最善は尽くすだろうが無理な部分もあるだろ。
意図的になのか、やむを得ずなのか、どっちだよw あと何が「まずい」んだ?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 00:43:24 ID:j38mxLz5O
解説者の臭いがプンプンと しかしいまさら板倉説とはなあ 板倉って捏造派の典型的手法を使うんだよね 一つ間違いを見つけることで全体を無かったことにしようとすんの
>>36 戦闘詳報というものを理解している?
軍の命令系統は師団→旅団→連隊→大隊。
14時の命令は「旅団命令」。
つまり旅団と連隊と大隊に命令の記録が無ければならないが、その記録が存在するのは「第一大隊のみ」
さらに連隊命令が八十四号〜八十七号まで連番で記録されている以上、上位組織である旅団の発令記録も記録されている。
つまり八十四号〜八十七号までの連隊命令の一部を削除すると、対応する旅団命令も削除しなければならなくなる。
さらに作戦命令は連番で記録されているので、旅団命令と連隊命令も削除した命令番号以下を全て書き換えなければならなくなる。
「日本軍は一大隊の記録を削除するために旅団規模で発令記録の改竄を行った」とでも?
しかも「第一大隊戦闘詳報」に捕虜殺害が記録されているのに?
実行した部隊の記録は放置して、命令した旅団や連隊の記録だけを改竄したと?
当然、妄想や願望ではなく発令記録が改竄されたという『文書による証拠』が存在するんですよねw
>>38 >解説者の臭いがプンプンと
>しかしいまさら板倉説とはなあ
>板倉って捏造派の典型的手法を使うんだよね
>一つ間違いを見つけることで全体を無かったことにしようとすんの
素直に「まともに反論できませんので、負け犬の遠吠えの挙句逃亡します」と言えばいいのに(嘲笑)
論理的に反論すれば、負け犬の遠吠えも人格非難も勝利宣言も必要ないのになぜ肯定派は「理論的に反論できない」w
あいにくだが私は解説者氏ほど博識ではないw
唯、理論的な説明を求めているだけw
>>36 ついでに指摘しておくと
>35の「郷土部隊奮戦記」によると14時の捕虜殺害命令は秋山旅団長どころか、さらに上位の末松師団長から伝達されたことになっているw
つまり君の説だと日本軍は師団規模で発令記録の改竄を行ったことになるんだがw
当然、君の発言には
「日本軍は師団規模で発令記録を改竄したという『文書による証拠』が存在する」
と判断する何らかの根拠がありますよねw
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 04:09:03 ID:j38mxLz5O
解説者が博識…ねえ で、君は一体何が言いたいんだい? 一言で言ってくれないか
「肯定派は論理的な説明をお願いします」 こう言っているだけだがw 単なる妄想や憶測や推測で「書き間違い」なんて言っておいて根拠を全く出せないなら単なる言いがかりでしかないがねw 自分たちの主張の根拠さえ出す事ができないなら「捏造した」と言われても当然だろうw さもなければ「自分たちの主張を論理的に説明できない無能」なのかw せめて自分たちの発言の根拠ぐらい論理的に説明して見れば? できるものなら(笑)
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 13:09:32 ID:j38mxLz5O
解説者と同じで何いってんだかよくわからん とりあえず、あんたが長々と講釈たれた結果、その戦闘詳報からわかることは 一部命令の要旨と正式な発令の部分で、記載に誤りがある 捕虜を殺害した部分は、他資料(日記)でも裏付けがあり信憑性が高い 捕虜殺害命令の経路は、口頭なのか、もっと以前から発布された命令に従ってるのか他に理由があるのか不明 こんなところか で、ここから何がわかるんだい? まあ、この部隊が捕虜を殺しました、ってのは確かだわな
他の戦闘詳報って誤謬ないのか? 他の戦闘詳報に間違いが絶対無く、問題の戦闘詳報だけ間違いがあるってのなら確かに問題かもな。
>>43 >捕虜を殺害した部分は、他資料(日記)でも裏付けがあり信憑性が高い
アホ?
その日記の内容を検証すると、ますます戦闘詳報の信憑性がゼロに等しくなるんだがw
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 15:43:59 ID:GFbg5ZLaO
どうせ、またささいな違いや、問題を大げさに提示するんでしょ?
この分だと、そのうち誤字脱字を指して、幻である証拠だと言い出すんじゃないでしょうか
>>44 >他の戦闘詳報に間違いが絶対無く、問題の戦闘詳報だけ間違いがあるってのなら確かに問題かもな。
他の戦闘詳報がどうだろうと「第一大隊戦闘詳報」に間違いがあるのは確実。
間違っている部分と正確な部分を確認していくと肝心の
>八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
>イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
という命令だけがどこから出ていたのか確認できない。
戦闘詳報に間違いがあるのが問題なのではなく、命令がどこから出ていたのか確認できないのが問題。
それこそ「第一大隊が勝手に旅団命令があったと書いた」とさえ言える。
そんなものは何の証拠にもならない。
>>47 >この分だと、そのうち誤字脱字を指して、幻である証拠だと言い出すんじゃないでしょうか
「あった」と言う証拠を出さなければならないのは肯定派。
証拠に対する疑問に答えられない時点で終了w
否定派の疑問は難癖でもなんでも無く、唯の当たり前の疑問。
戦闘詳報に間違いがある→他の部分は正しいのか?→捕虜殺害の部分だけ命令が存在しない→証拠にはならない
肯定派「戦闘詳報は間違いがあるが証拠だ」(根拠は出さないw)
どっちが説得力があると思ってるんだろうw
「俺が認めない限りお前らの負け」の無敵くんか その調子で学会で一席やって欲しいもんだw
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 16:38:29 ID:EZfPrf2V0
>>46 大袈裟に提示するだけで変わる程度のものなの?ww
>>47 >幻である証拠だと言い出すんじゃないでしょうか
何を?こんなことを言うってことは「○○をマボロシと言い出すのでは?」
の○○の部分を正確に説明できるんだよね?よろしく
>>50 学会君www
結局捕虜は殺してるんだな
>>51 数学を解いているんじゃないのだから、大げさとか極一部の例外みたいなモンを極端に提示すると
明確に変わってくるな。
>>52 そうだよな。軍の命令があったかどうかはともかくね。
ちなみに捕虜殺害命令の経路については、
>>43 の候補の中では口頭のみで済ませ
た可能性が高いと思ってます
折しも南京門攻略直後の予断を許さない状況
1秒を争う戦場で、書面つくってーイロハで纏めてー連番振ってー受領者決め
てー、ハイ発布ー!なんてやってらんないっす
こんな証言からも混戦中の様子が伺えます
児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦し
ていた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。
(中略)
部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが(略)
>>54 >ちなみに捕虜殺害命令の経路については、
>>43 の候補の中では口頭のみで済ませ
>た可能性が高いと思ってます
はあ?
肯定派は
>5
>文書による証拠に重きを置いている
のではなかったのか?
口頭で、しかも唯の「可能性が高い」というだけの推測が何の根拠になると思っているんだ?
それとも文書による証拠より、何の根拠も無い口頭による可能性とやらのほうが重要だとでも?
文書もあるだろうし、考古学的な証拠もあるだろうし、証言もあるだろうし… そういうのを総合して、推理するのは問題ないだろ。
>>54 >連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、
>師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。
師団司令部と連隊本部が電話で繋がっていた。無線なら分かるが有線電話はありえん(藁
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 20:38:59 ID:EZfPrf2V0
>>53 意味不明。具体的にどういうことを大袈裟に提示すると何がどうかわるの?
>そうだよな。軍の命令があったかどうかはともかくね。
wwww
捕虜の殺害は一切なかったという否定派の主張をみたことある?w
君もうちょっとロムったら?w
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/19(日) 21:16:17 ID:DNnNEcj00
朝香宮は終戦後連合軍の尋問を受けて 南京事件について「何も知らない」と繰り返したらしいが 松井大将が泣いて部下を叱った席にもいたんだろう? 東久邇宮といい、高松宮といい、俺は断じて反皇室ではないが 口では美辞麗句を弄びながら実行では保身ばかりの皇族多いな。
>>56 >文書もあるだろうし、考古学的な証拠もあるだろうし、証言もあるだろうし…
たった70年前の出来事で当事者が存命なのに >考古学的な証拠 ねえw
>>58 >製作(製造)年等:1939
やっぱり日本軍はタイムマシンを実用化していたのかw
>>43 >捕虜を殺害した部分は、他資料(日記)でも裏付けがあり信憑性が高い
ハイ、>35のでかい釣り針に馬鹿がかかりましたw
「郷土部隊奮戦記」によると渋谷仁太第一大隊長代理は場外警備を命ぜられた後、方針を問い合わせている。
秦郁彦 中公新書「南京事件」p158
場外警備を命ぜられ、監視に当たった渋谷仁太第一大隊長代理から上部に方針を問い合わせると、返事がすぐに来ない。
「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)によると、問い合わせは山田連隊長から秋山旅団長へ、さらには
末松師団長へとリレーされたのち、十三日午後になって処分命令が届く。
大隊の戦闘詳報はその経過を次のように記す。
「八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
左記
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何」
「第一大隊戦闘詳報」によると第一大隊が南京南門確保したのは11時35分。
12/13 12:00 歩兵第66連隊 聯隊命令の要旨(T受領)
昨十三日午前十一時三十五分南門楼上に於て軍旗を捧持し聯隊将兵を代表し軍旗中隊と共に遥かに皇居に対し聖旨に答へ奉る此件も諸兵に徹底せしむへし
第66連隊が確認したもの11時35分。
12月13日 11:35 南京南門奪取《歩六六作命甲第八十六号》
捕虜殺害命令は14時。
時間的余裕は2時間25分。
それでは命令の伝達にどれ位の時間がかかるのか肯定派のHPから確認してみる。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/114D_2.html 第一大隊が所属する114師団の13日の命令。
一一四師作命甲第六十二号
第百十四師団命令 十二月十三日午前九時半 於 朱家楼子北方高地
一、城内の敵は頑強に抵抗しつつあり
国崎支隊は既に浦口に達し敵の退路を遮断しあり 集団の掃蕩地区は共和門−公園道−中正道−漢中路(含む)以南の地区とす
二、師団は攻撃を続行し城内の敵を殲滅せんとす
〜中略〜
『南京戦史資料集1』P450
この命令を受けた128旅団は12:00に旅団命令を発令している。
歩第一二八旅第六十六号
右翼隊命令
十二月十三日正午 於南京東南部七〇〇米道路上無名部落
一、城内の敵は今尚頑強に抵抗しあり
国崎支隊は既に浦口に達し敵の退路を遮断しあり
師団は攻撃を続行し城内の敵を掃蕩す
114師団には127、128旅団があり第一大隊は127旅団の66連隊の所属。
9:30に師団から命令が発せられ、128旅団が受領したのが12:00。
師団→旅団間の命令の伝達に要した時間は2時間30分。
戦闘詳報によれば12/13 00:20 歩六六作命甲第八十四号が発令され、それを受けた第一大隊が12/13 01:40大隊命令を発令している。
連隊→大隊間の命令の伝達に要した時間は1時間20分。
軍の命令系統は師団→旅団→連隊→大隊 戦闘中の命令の伝達時間は 師団→旅団間が2時間30分。 連隊→大隊間が1時間20分。 >62 >「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)によると、問い合わせは山田連隊長から秋山旅団長へ、さらには >末松師団長へとリレーされたのち、十三日午後になって処分命令が届く。 「郷土部隊奮戦記」によると、 問い合わせは渋谷仁太第一大隊長代理→山田連隊長→秋山旅団長→末松師団長 命令の伝達は末松師団長→秋山旅団長→山田連隊長→渋谷仁太第一大隊長代理 さらに渋谷仁太第一大隊長代理は南京南門から移動して場外警備を命じられている。 問い合わせは移動後。 つまり時間的余裕はさらに短くなる。 命令が66連隊から第一大隊に届き、同時に移動が1時間で完了したとしても12時35分。 つまり第一大隊は12時35分から14時までの1時間25分で 大隊→連隊→旅団→師団間の問い合わせと、師団→旅団→連隊→大隊間の命令の伝達を完了させたことになるw 第一大隊はどのような命令系統を使用したのだろうかw 妄想も推測も可能性もいらないから肯定派の諸君は「論理的に」説明できますか(笑)
>>55 > それとも文書による証拠より、何の根拠も無い口頭による可能性とやらのほうが重要だとでも?
意味不明
命令伝達をどうやったか、文書による証拠が残ってるのですか?
残ってるのに、そちらは無視して別方法(口頭伝達)を重要視したと?
あるならその文書を出してください
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 00:17:10 ID:3pJ468XO0
あいかわらず何言ってるのかさっぱりわからん文章だ
>>62 >
>>43 > >捕虜を殺害した部分は、他資料(日記)でも裏付けがあり信憑性が高い
>
> ハイ、>35のでかい釣り針に馬鹿がかかりましたw
>>64 > 第一大隊はどのような命令系統を使用したのだろうかw
最後にこう締めるのなら、
>>62 で引用するのは殺害じゃなくて、この部分であるべきじゃないのか
捕虜殺害の事実が疑問なのか、命令の流れが疑問なのか、それでは分かりづらいぞ
> 捕虜殺害命令の経路は、口頭なのか、もっと以前から発布された命令に従ってるのか他に理由があるのか不明
連絡の方法についてはどうやったかは不明だね
ただ命令については君が既に証明してみせたように、第○○号という形式での命令ではなかった事は確かなんだろう
伝達時間については状況によっても大きく変わるので、君の出した伝達時間と比較するのは無意味
例えば伝達経路の中で、伝令が直接伝える経路が含まれていたとして
砲弾飛び交う中でかいくぐりながら伝える場合と、ある程度安全が確保されてから伝えに行く場合では
当然時間も違ってくる
また通信を使用して連絡する経路が含まれていたとしても
他部隊も含め複数の応答が飛び交い混雑する状況とそうでない場合で違う
まあ、結局はわかってる事は
>>43 の通りでFAなのだよ
一部命令の要旨と正式な発令の部分で、記載に誤りがある
捕虜を殺害した部分は、他資料(日記)でも裏付けがあり信憑性が高い
捕虜殺害命令の経路は、口頭なのか、もっと以前から発布された命令に従ってる
のか他に理由があるのか不明
>>65 >命令伝達をどうやったか、文書による証拠が残ってるのですか?
日本語が理解できていないなw
命令伝達は、連隊命令発令→戦闘詳報に記録という形で文書による証拠が残っている。
しかしID:j38mxLz5Oは他の連隊命令八十四号〜八十七号の全てが記録に残っているにも関わらず、
「捕虜殺害命令『だけ』は口頭のみで済ませた可能性が高い」と主張しているw
参考までにID:j38mxLz5Oが「口頭のみで済ませた可能性が高い」と主張する14時の命令。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/114D.html#1 12/13 14:00 歩兵第66連隊
連隊命令
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし
ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
貴大隊の任務は前の通り
(歩兵第六十六聯隊第一大隊『戦闘詳報』より)
『南京戦史資料集1』P567
イ、ロ、ハ、と多岐にわたり内容も兵器の集積の仕方から監視の指示、さらに連隊の現在状況までも説明している。
これを「連隊命令でありながら記録に残さず、口頭のみで済ませた可能性が高い」とでも?
しかも「口頭のみで済ませた」根拠は一切存在しないとw
「捕虜殺害以外の命令の記録は存在するが、捕虜殺害の命令の記録は存在しない」
可能性でいいなら「南京虐殺は秘密裏に上陸した米軍が行った」とか「南京にUFOが飛んできて虐殺を行った」とかどんなことでも言えるんだがw
>>68 >まあ、結局はわかってる事は
>>43 の通りでFAなのだよ
つくづく肯定派の無知にはあきれるw
「第一大隊戦闘詳報」は存在自体が疑問なんだが?
この戦闘詳報だが原本は現存していない。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/ 歩兵第六十六聯隊第一大隊「戦闘詳報」 昭和12.12.10〜12.13 (『南京戦史資料集1』P560)
「歩兵第六十六聯隊戦闘詳報」原本 所蔵:藤沢藤一郎・第3中隊所属
※昭和61年8月台風10号で汚損・破棄(「城塁・兵士たちの南京戦史」連載19回P209-210より)
※防衛研究所戦史資料室にコピーあり(タイトル「歩兵第六十六聯隊第一大隊 南京附近戦闘詳報」)
さらに、これがいつから第一大隊のものとされたのかは不明。
「捕虜は全部殺スベシ」と明確に記録する戦闘詳報が発見された。それを初めて発掘したのは児島襄氏(日中戦争)である
1998年の東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p97
この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある旅団名もわからない。
したがって、命令自体が、旅団の独断命令であるのか、それとも、上級の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。
1984年児島襄『日中戦争 3』p194
さらに、この捕虜に関しては、南京突入前後のある部隊の戦闘詳報に次のような事実が記載されているという・ 午後二時零分、連隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク(以下略) 1985年の吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』p106 「部隊名不明」「旅団名不明」「ある部隊」「記載されているという」 しかし1986年の秦郁彦『南京事件』p156-160では、 「第一大隊の戦闘詳報によると・・・」 と第一大隊のものだと確定してるように書いてる。 さらに1989年の『南京戦史』では、「第一大隊の戦闘詳報」だという前提で書かれている(p211-215) しかし「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」「軍事的慣例と異なる記述」 「全文を通じてその表現は極めて異様」 (p317) と、疑問点があるように書かれている。 つまり秦郁彦の『南京事件』以降「第一大隊の戦闘詳報」とされているが経緯は不明。 肯定派の方はこの戦闘詳報が「第一大隊のもの」とされた経緯をご存知ですかw
東京地裁平成01年10月03日判決
〔教科書検定制度の合憲性・国賠法1条・行政裁量−教科書検定第三次訴訟第一審〕
ttp://www.hiraoka.rose.ne.jp/C/t891003tky.htm 戦史研究家児島襄の判断
戦闘詳報の中には、「午後二時零分、聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク。左記 イ、旅団
命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ。其ノ方法ハ十数名ヲ捕虜シ逐次銃殺シテハ如何。」
というものが残されているが、この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
旅団名もわからない。したがって、命令自体が、旅団の独断命令であるのか、それと
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
も、上級の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。
裁判所の判断は
「部隊名不明、旅団名も不明、命令がどこから伝達されたか不明、実行されたか不明、
命令の内容が「殺せ」か「処分(釈放含む)」か不明」
として証拠として採用されず。
原本が第一大隊のものと確認できたのなら裁判の証拠として採用されたはず。
この裁判の時点では原本が存在したにも関わらず、裁判所は証拠として採用していない。
さらにこの裁判では、秦郁彦著「南京事件」は「発行時期に照らし、昭和五八年度の学界を構成するものとしては考慮し得ない。」
とされているにも関わらず《甲第二四八号証》として証拠採用されている。
民事訴訟手続き 3.証拠調べの実際
ttp://www.e-legal-office.net/minjisosyo/koutou/koutou3.html (A)書証申し出の方式
書証の申出は、証明すべき事実を特定して文書の原本を提出して行うのが原則です(民訴法180条1項・219条、民訴規則143条)。事前に写し(相手方の分と裁判
所の分)を提出し、文書の記載から明らかな場合を除き、文書の標目、作成者および立証趣旨を明らかにした証拠説明書を同数提出します(同規則137条1項)。相手
方に送付する文書の写しおよび証拠説明書は直送できます(同条2項)。
証拠の立証責任側が文書を所持していない場合は、相手方または第三者が所持する文書であって、その提出義務を負う者については文書提出命令の申立てによら
なければなりません(民訴法219条〜221条)。所持者が任意に提出に協力する見込みのある文書については、文書送付嘱託の申立てによることができます(同法226条)。
(B)書証の証拠調べの実施(文書の成立の真否)
書証の証拠調べは文書の成立の真否を中心に行われます。書証は提出者が主張する文書作成者の思想内容を証拠資料とするものであるから、当該文書が提出者が
主張する者によって作成されたものかどうかを確認する必要があります。これが認められると文書が真正に成立したということになって、文書の形式的証拠力(証拠として
の資格)が備わり、その実質的証拠力(証明力、証拠価値)が裁判官の自由心証によって判断されることになります(民訴法247条)。
文書が提出者が主張する者によって作成されたものかどうか認められる
↓
文書の形式的証拠力(証拠としての資格)が備わる
↓
その実質的証拠力(証明力、証拠価値)が判断される
>>69 > イ、ロ、ハ、と多岐にわたり内容も兵器の集積の仕方から監視の指示、さらに連隊の現在状況までも説明している。
> これを「連隊命令でありながら記録に残さず、口頭のみで済ませた可能性が高い」とでも?
> しかも「口頭のみで済ませた」根拠は一切存在しないとw
> 「捕虜殺害以外の命令の記録は存在するが、捕虜殺害の命令の記録は存在しない」
記録は存在してますよ、この戦闘詳報という形で残してます
「如何」と口語的表現だったり、「前の通り」と命令文書にしては曖昧なことからも、
口頭による命令であろうと推測するには十分です
> 可能性でいいなら「南京虐殺は秘密裏に上陸した米軍が行った」とか「南京にUFOが飛んできて虐殺を行った」とかどんなことでも言えるんだがw
ああ、こういうわかりやすい詭弁を使い出したら、こちらももう反論しなくても誰もあなたを信用しなくなるので楽でいいですw
つまり 第一大隊戦闘詳報が提出されると 戦闘詳報が正式な作成者によって作成されたものだと認められる ↓ 文書の形式的証拠力(証拠としての資格)が備わる ↓ その実質的証拠力(証明力、証拠価値)が判断される 第一大隊戦闘詳報が正式な作成者によって作成されたものだと確認されて 初めて形式的証拠力(真か偽か判断される価値)が備わる。 それからやっと実質的証拠力(証拠価値)が判断される。 いくら提出されても 「正式な作成者によって作成されたもの」 だと認められない限り「実質的証拠力」(証明力、証拠価値)以前の問題。 この「第一大隊戦闘詳報」と証するシロモノは証拠として検討される価値すらない。 そうでなければ、発行時期が異なり「第一大隊戦闘詳報」について触れられている《秦郁彦著「南京事件」》でさえ 《甲第二四八号証》として証拠採用(形式的証拠力)されているのに、そのオリジナルである児島襄氏の発掘した 《戦闘詳報》が《甲第○○号証》として証拠採用されない理由が無い。
>>74 >記録は存在してますよ、この戦闘詳報という形で残してます
だからその戦闘詳報に記録された命令の元は?
お前さんの根拠のない妄想や推測なんかは不要だから「旅団命令」で「連隊長から」発令した側の記録は?
それが出せないなら「南京虐殺は秘密裏に上陸した米軍が行った」とか「南京にUFOが飛んできて虐殺を行った」というのと同レベルの電波でしかないがw
ついでに>70>71>72>73>75で根拠を示したようにこの「第一大隊戦闘詳報」と称するシロモノが「第一大隊のもの」とされた経緯を説明してみろ(笑)
なげえ
>>77 馬鹿にも理解できるように簡単に言うと
「この戦闘詳報がいつから第一大隊のものとされたのか不明」(原本は現存していない)
「この戦闘詳報は裁判の証拠として採用されていない」(秦郁彦著「南京事件」でさえ証拠採用された)
説明してみなw
>>67 >例えば伝達経路の中で、伝令が直接伝える経路が含まれていたとして
>砲弾飛び交う中でかいくぐりながら伝える場合と、ある程度安全が確保されてから伝えに行く場合では
>当然時間も違ってくる
12/13 12:00 歩兵第66連隊
聯隊命令の要旨(T受領)
師団は南京城内の敵を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其附近に宿営す
師団の所在地は城内。
12/13 14:00 歩兵第66連隊
連隊命令
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし
ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
連隊も城内。
第一大隊は城外。
城外から城内へ問い合わせ、城内から城外へ命令を伝達。
伝達経路は大隊→連隊→旅団→師団間と、師団→旅団→連隊→大隊間を1時間30分程度で完了w
各部隊間の伝達時間を10分程度で完了させなければ不可能w
具体的な方法はw 伝令かw 伝書鳩かw 手旗信号かw 狼煙かw いったいどんな連絡手段を使ったんだw
そもそも「大隊→連隊→旅団→師団間と、師団→旅団→連隊→大隊間」 の伝達が確かだという資料はどこにあって、どう書いてあるんだ?
>>80 過去スレぐらい目を通せ。
>62
>秦郁彦 中公新書「南京事件」p158
>場外警備を命ぜられ、監視に当たった渋谷仁太第一大隊長代理から上部に方針を問い合わせると、返事がすぐに来ない。
>「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)によると、問い合わせは山田連隊長から秋山旅団長へ、さらには
>末松師団長へとリレーされたのち、十三日午後になって処分命令が届く。
「郷土部隊奮戦記」より
渋谷仁太第一大隊長代理
↓
山田連隊長
↓
秋山旅団長
↓
末松師団長
この「郷土部隊奮戦記」が信用できないと主張するならそれはそれでかまわないがw
渋谷仁太第一大隊長代理から末松師団長に問い合わせが到着したのが何時から何時なんだ?
>>82 >渋谷仁太第一大隊長代理から末松師団長に問い合わせが到着したのが何時から何時なんだ?
それを証明するのは肯定派の仕事w
>62
>「第一大隊戦闘詳報」によると第一大隊が南京南門確保したのは11時35分。
>
>第66連隊が確認したもの11時35分。
>12月13日 11:35 南京南門奪取《歩六六作命甲第八十六号》
>
>捕虜殺害命令は14時。
「郷土部隊奮戦記」によれば第一大隊は11時35分から14時の間に
「城外に移動し、上部に方針を問い合わせ、問い合わせがリレーされ、14時に捕虜殺害命令を受けた」そうだからw
>>72 話は聞いた事があるが、これが家永裁判の判決か・・・長かった・・・
> 裁判所の判断は
> 「部隊名不明、旅団名も不明、命令がどこから伝達されたか不明、実行されたか不明、
> 命令の内容が「殺せ」か「処分(釈放含む)」か不明」
> として証拠として採用されず。
どこをどう読んでも、「裁判所の判断」ではないね、この嘘つきめw
裁判所は藤原彰と児島襄それぞれの見解を引用してるだけじゃないか
引用した部分が「裁判所の判断」になるのなら、藤原のところで引用してるこれ
「捕虜の集団虐殺は・・・軍の命令によって行われ・・・軍の正規の命令系統の下で組織的に行われた」
児島襄のところで引用してるこれ
「捕虜を虐殺するという・・・組織的に行われたと断定することはできなかった。」
両者が「裁判所の判断」になってしまう矛盾がw
同様に「部隊名不明」などの部分はあくまで児島の見解であって裁判所の判断ではなく、
また、その戦闘詳報を「証拠として採用できない」などとする裁判所の判断記述も無い
裁判所の判断はここね
「これら両説の優劣については、当裁判所のよく判断し得るところではない。」
反論したいが為に嘘までついて、情けない
>>78 > 「この戦闘詳報がいつから第一大隊のものとされたのか不明」(原本は現存していない)
確かその後発掘された日記か何かで、この戦闘詳報の内容と合致するものがあって特定できたと記憶してるが
自分もちょっとよく覚えてないです
そんなに知りたければ秦先生に聞いてみれば?
東中野でもいいけどw(第一大隊として東中野の本でも紹介されてるので)
> 「この戦闘詳報は裁判の証拠として採用されていない」(秦郁彦著「南京事件」でさえ証拠採用された)
>>84
>>81 >>83 「返事がすぐに来ない」
わざわざそんな書き方をしているくらいだから、問い合わせなんて普通はすぐに
つくものなんでしょう
別に不思議でもなんでもない
それを、3時間も4時間もかかるはずだとでも言いたげな君の根拠の方が妄想とし
か受け取れない
「連絡、指示に毎回そんな時間がかかるものなのか?」
君の「力いっぱい、大量の言葉で」脚色したうさんくさい「疑問」には
そんな素朴な疑問を逆に提示しとくだけで十分だねw
ん、まあこんだけ嘘やミスリードを指摘しとけば 後で何を書かれようが解説者モドキの言葉をそのまま信じる奴はいないだろ 3連休の最終日はもっと有意義に使わせてもらうわ そんじゃーね
>>87 負け犬の遠吠え&勝利宣言かよw
つくづく肯定派は進歩が無いw
>>85 >確かその後発掘された日記か何かで、この戦闘詳報の内容と合致するものがあって特定できたと記憶してるが
>自分もちょっとよく覚えてないです
>73
>秦郁彦著「南京事件」は「発行時期に照らし、昭和五八年度の学界を構成するものとしては考慮し得ない。」
>とされているにも関わらず《甲第二四八号証》として証拠採用されている。
>75
>そうでなければ、発行時期が異なり「第一大隊戦闘詳報」について触れられている《秦郁彦著「南京事件」》でさえ
>《甲第二四八号証》として証拠採用(形式的証拠力)されているのに、そのオリジナルである児島襄氏の発掘した
>《戦闘詳報》が《甲第○○号証》として証拠採用されない理由が無い。
「捕虜は全部殺スベシ」と明確に記録する戦闘詳報が発見されたのは1984年児島襄『日中戦争 3』
秦郁彦『南京事件』は1986年。
日記が発掘されて戦闘詳報の内容と合致して特定されたのであれば証拠採用されるのは《秦郁彦『南京事件』》
ではなくオリジナルの《児島襄『日中戦争 3』》のはず。
しかし《甲第二四八号証》として証拠採用されたのは《秦郁彦著「南京事件」》。
オリジナルが証拠採用されなかった理由は説明できないとw
>>86 >「返事がすぐに来ない」
>わざわざそんな書き方をしているくらいだから、問い合わせなんて普通はすぐに
>つくものなんでしょう
>別に不思議でもなんでもない
↑
唯の推測w
根拠は全く提示されていないw
>それを、3時間も4時間もかかるはずだとでも言いたげな君の根拠の方が妄想とし
>か受け取れない
↑
>63
>師団→旅団間の命令の伝達に要した時間は2時間30分
>連隊→大隊間の命令の伝達に要した時間は1時間20分
「推測」でも「妄想」でもない「事実」として、戦闘詳報に「記録された時間」を根拠として提示したら
>君の根拠の方が妄想としか受け取れない
戦闘詳報の記録を根拠にしたら『妄想』だそうだ(嘲笑)
>>85 >確かその後発掘された日記か何かで、この戦闘詳報の内容と合致するものがあって特定できたと記憶してるが
>自分もちょっとよく覚えてないです
【秦郁彦著「南京事件」】が合致する日記が発掘されて第一大隊のものと特定できたのに、オリジナルの【第一大隊戦闘詳報】は
合致する日記があっても特定できなかったのか?
もし特定できていればたとえ証拠として「考慮し得ない」 物であっても、秦郁彦著「南京事件」のように【甲第二四八号証】という形
で証拠採用されていなければならない。
文書自体の存在が不明だったわけで無く、判決文の中で児島襄の見解として引用されている。
だが【甲第二四八号証】として証拠採用されているのは【秦郁彦著「南京事件」】。
文書の存在が明確で、同じような記述のある【秦郁彦著「南京事件」】は証拠採用され、【第一大隊戦闘詳報】は採用されていない。
つまり少なくとも裁判所は【第一大隊戦闘詳報】は証拠としての価値が無いと判断している。
>>67 >例えば伝達経路の中で、伝令が直接伝える経路が含まれていたとして
>砲弾飛び交う中でかいくぐりながら伝える場合と、ある程度安全が確保されてから伝えに行く場合では
>当然時間も違ってくる
12/13 14:00 歩兵第66連隊
連隊命令
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし
ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
思いっっっきり戦闘中ですねw
証拠の番号がつけられてない理由は裁判では何も書いてない。
こういう理由で証拠採用されなかったんだから信じろと言われても無茶だろう。
そもそも検定が行き過ぎかどうかの判断は、
学会の状況から判断するがそれぞれの説の優劣は判断しない、
という内容になってるのだから、この判決で重要なのは歴史資料ではなくて研究成果の方なのは明白。
だから秦郁彦の方で紹介されてる別の戦闘詳報にも〜号証とついていない。
昭和55年以降刊行された本は大量に〜号証とつけて判決文に記しておきながら、
「本件検定当時の学界を構成するものとしては考慮し得ない」としていることから、
証拠として「考慮し得ない」 物であっても証拠採用されることはあるのは
>>90 に同じ。
しかし誰が書いたか特定できることが基準であるならば、
昭和55年までに刊行された本として判決文に記されている
著者が明確な「アジアの戦争」「『南京大虐殺』のまぼろし」に〜号証とふられていない説明がつかない。
そもそも司法における証拠採用の基準は、同じものでも訴状の内容により変わるものであり、 また畑違いである史学で検討、採用する基準とも全く違うものである。 従って、第一大隊戦闘詳報に〜号証とふられていない理由が判決文に無いにもかかわらず、 一方的解釈によって理由を捏造した上、畑違いの史学に捏造した理由を持ち込み主張しても それが認められる事はない。 以上述べた点からしても、ID:pRT2bi5l0及びID:0eq8upT70の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、 学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。
>>93 >従って、第一大隊戦闘詳報に〜号証とふられていない理由が判決文に無いにもかかわらず、
>一方的解釈によって理由を捏造した上、畑違いの史学に捏造した理由を持ち込み主張しても
>それが認められる事はない。
理由がどういったものかは不明だが、現実に証拠として採用されていないが?
大体この「第一大隊戦闘詳報」が第一大隊のものだと認められていれば、即証拠として認められたはず。
判決文で児島氏の見解に触れておきながら、証拠として採用せずスルーするのはあまりにも不自然。
判決文で〜号証と触れられていないなら、現実に証拠として採用されなかったという事でしかないが。
よっぽど証拠として採用するには欠陥があったんだろうなあw
>>86 >それを、3時間も4時間もかかるはずだとでも言いたげな君の根拠の方が妄想とし
>か受け取れない
戦闘終了後の部隊命令w
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/114D_2.html 第114師団 部隊命令
12/13 20:00 第114師団
一一四師作命甲第六十三号
「十二月十三日午後八時 於回家営」
「一、師団は南京城内の敵を掃蕩したる後、十四日城内東南部及その附近に宿営せんとす」
12/13 23:00 歩兵第66連隊
歩六六作命甲第八十七号
歩兵第六十六聯隊命令
十二月十三日午後十一時〇分 於南京南門北方千五百聯隊本部
イ、師団は南京城内を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其の附近に宿営す
歩兵第六十六聯隊第一大隊『戦闘詳報』より
12/13 20:00 師団命令発令、12/13 23:00連隊命令発令。
戦闘詳報の記録によると、戦闘終了後の部隊間の命令伝達にかかった時間は3時間w
これも妄想なんだろうかw
それとも肯定派は“戦闘詳報の記録をそのまま出すと妄想と受け取る”という習性でもあるのだろうかw
時間にこだわるの理由は、軍隊における時間管理は非常に厳しく、 時間の間違い=友軍へ誤爆、誤射となるため、 時間の間違いを許さない命令体系になっていたから。
>>92 >しかし誰が書いたか特定できることが基準であるならば、
>昭和55年までに刊行された本として判決文に記されている
>著者が明確な「アジアの戦争」「『南京大虐殺』のまぼろし」に〜号証とふられていない説明がつかない。
「アジアの戦争」「『南京大虐殺』のまぼろし」が〜号証として証拠採用されたとしても南京大虐殺には何の影響も無い。
しかしこの「第一大隊戦闘詳報」は違う。
この第一大隊戦闘詳報は多くの南京大虐殺に関する資料の中で『唯一』、「日本軍の命令によって捕虜が殺害された」事を記録している文書。
この文書が南京大虐殺の根拠とされるか否かというのは重要な意味を持つ。
そして裁判所はこの文書を「第一大隊のもの」として証拠採用しなかった。
この戦闘詳報が重要視されてきたのは「戦闘詳報」という日本軍の「公文書」とされていたから。
しかし実際には「日本軍の命令による捕虜の殺害」という、南京大虐殺を証明する最も重要な文書にも関わらず、
「部隊名不明、旅団名も不明、原本は存在せず、裁判の証拠としても採用されていない」。
結果として裁判所は「日本軍の命令によって捕虜が殺害された」という『唯一』の公文書は証拠に値しないと判断したことになる。
いや、だからその裁判は学説の勢力図を以って検閲の妥当性を判断していて、 南京大虐殺が証明できるかどうかにはノータッチだって判決文に書いてあるじゃない。 頭悪いなこいつ。
あと、旅団や師団の命令に時間がかかるのは、戦闘詳報にもよくかいてあったりするけど 「命令受領者を出して於くように」 「下達法 命令受領者を集め口頭筆記させる」 とあるように、各隊を集めておいてそこで伝達するから時間がかかる。 南京門を落とした後、連隊個別の事情である「捕虜どうする?これからの行動は?」て感じの問い合わせは 各隊の命令受領者を集める必要なんかない。 伝達のやり方が全然違うのに、比較したって意味無いよ。 頭悪いよね。
>>99 >南京大虐殺が証明できるかどうかにはノータッチだって判決文に書いてあるじゃない。
>頭悪いなこいつ。
何をいまさら当たり前のことを言ってるんだ?
日本語が理解できないヤツに言われてもなあw
ttp://www.hiraoka.rose.ne.jp/C/t891003tky.htm 3 南京事件に関する記述について
↓
(二)〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。
↓
(1)一橋大学教授藤原彰は、その研究に基づき、南京大虐殺は軍上層部の命令による日本軍の組織的犯行であり、
混乱の中で起きたものではないとの見解を有しているが、その見解の詳細と根拠は、以下のとおりである。
↓
(2)これに対し、戦史研究家児島襄は、昭和五五年度検定当時の南京事件に関する研究状況からみて、南京占領下
の軍政として中国の軍人と民間人を殺害するという方針が確立し、これに基づいて軍の命令による殺害が組織的に
行われたと断定することはできなかったと判断している。その見解の詳細と根拠は、以下のとおりである。
↓
これら両説の優劣については、当裁判所のよく判断し得るところではない
裁判所は〈証拠〉を総合し事実を認め、藤原教授と児島襄氏それぞれの見解と根拠を示しているだけであって「肯定説が
正しい」or「否定説が正しい」と判断したのではない。
つまり裁判所は肯定説、否定説それぞれの証拠を並べただけ。
その〈証拠〉の中にこの「第一大隊戦闘詳報」と称するシロモノは含まれていないというだけなんだがw
>>100 >南京門を落とした後、連隊個別の事情である「捕虜どうする?これからの行動は?」て感じの問い合わせは
>各隊の命令受領者を集める必要なんかない。
>
>伝達のやり方が全然違うのに、比較したって意味無いよ。
>頭悪いよね。
伝達のやり方が全然違うという根拠は?
当然「具体的にどのような伝達を行ったのか」根拠があるんだろうなw
可能性も妄想も必要ないから「具体的に」根拠を出してみろw
つまり虐殺の証拠なんてその裁判には必要無いの。 必要なのは児島襄の説の紹介だけ。 南京事件の本は、その中身が藤原彰説の紹介だけど、 第一大隊戦闘詳報をどう読んだって、小島襄説の紹介にはならない。 戦闘詳報に「午後12時 児島襄は以下の通り自説を述べた」とでも書いてあるのかい?w 頭悪いよね。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 21:59:51 ID:b7MJuXIS0
>>94 またまたぁ、いい子ちゃんぶっちゃってさ。
山形のお酒は口説き上手。君のレスは誤魔化し上手。
>現在の歴史的事実
具体的にどうぞ。・・・※
それが説明されない限り、
>正式の命令ではなくそのような命令があったと受け止められた
資料は多数残っており、 それぞれ僅かばかりの可能性を指しても、
現在受け止められている事実と同じ土俵に立つにはあまりに貧弱な
可能性ゆえ〜
は全く意味を成さない文章だよ。
君が意図してるかどうかは知らないが、話をどんどんスライドして
矮小化して結局内容が何かも定義されないまま「南京大虐殺」なるものは
とにかくあったのだという論法の一つにしか見えない。
とにかく※を答えてみて。他の都合の悪いことには答えないアホ共とは
違うと見込んで聞くよ。よろしくね。
>>102 各隊の命令伝達者を集めてから口頭筆記させるか、
個別部隊の問い合わせに直接指示するか。
あんだけ分かり易く書いても理解できないのかw
頭悪いよねえw
>>104 彼じゃないけどさ、いくら歴史改竄派が、「あったとは決まってない」と言い張ろうと、
現実ではごく一部の右翼を除いて相手にされないと思うよ。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 22:07:59 ID:b7MJuXIS0
↑ >彼じゃないけどさ >〜思うよ。 スルー要素満点なのでスルーwww
どうぞw
>>100 >南京門を落とした後、連隊個別の事情である「捕虜どうする?これからの行動は?」て感じの問い合わせは
>各隊の命令受領者を集める必要なんかない。
>
>伝達のやり方が全然違うのに、比較したって意味無いよ。
>頭悪いよね。
『山田栴二日記』
十二月十五日 晴
捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
各隊食糧なく困却す
十二月十六日 晴
相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合はせをなさしむ、捕虜の監視、誠に田山大隊大役なり、砲
台の兵器は別 とし小銃五千重機軽機其他多数を得たり
『南京戦史資料集2』
山田支隊は十二月十五日に本間少尉を南京に連絡の為派遣し、十二月十六日に再度相田中佐を派遣しているw
つまり問い合わせと確認に3、4時間どころか2日間かかっているんだがw
ちなみにこの山田日記の捕虜殺害が事実だとすると例の「栗原証言」も事実だと証明しなければならなくなるがw
どんどん肯定派のハードルが高くなっていくがw
ごめん、リアルで腹抱えて笑っちまったw
>>109 本間少尉が派遣されて、山田某が書いてるその次の行の
「皆殺せとのことなり」は、じゃあなんだってんだよwww
その日のうちに戻ってきて、上からの命令を伝えたんだろがwwww
> つまり問い合わせと確認に3、4時間どころか2日間かかっているんだがw
頭悪すぎるwwwww
いや、もうじゅうぶん馬鹿なのはわかったよw もう勘弁してくださいw俺が悪かったですwwww
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 22:53:59 ID:b7MJuXIS0
>そうぞw ってwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 君みたいなバカが肯定派は言いたいことだけ言って何も答えず 勝手に勝利宣言の象徴として(おれが気にすることではないが) 肯定派の足かせになってんだよ。カス君わかる?wwwww 初めから来んなよばかw しかし、連投しといて「スルーどうぞ」って カスどころではないねwwww
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 22:56:37 ID:b7MJuXIS0
間違えた。 >どうぞ⇒○ね ミスタイプも鬼の首とったかのように言うだろうから一応。 しかもまたレスしてるね。スルーどうぞのくせにwwww 言いたいだけ病かwww ママにそうだんしなよwwww
>>110 >その日のうちに戻ってきて、上からの命令を伝えたんだろがwwww
ここまで日本語が理解できないとはw
馬鹿の頭の中では「その日のうち」=「5〜10分」とでも脳内変換されているのか?
「その日のうち」なのだから、その理屈では命令が伝わるのに24時間かかったとさえ言えるんだがw
で?その命令を実行したのは何日なのかなw
命令=即実行とでも?
15日に「皆殺せとのことなり 」という命令を受けたのに、16日に再度確認のため相田中佐を派遣しているんだがw
命令を受けてから実行するまでにえらく時間がかかっているなw
>112
おや?
もう逃亡かw
自分が馬鹿だと自覚できたのは進歩だなw
がんばって物理法則に挑戦して>111の栗原証言を証明してみてくれw
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 23:04:41 ID:o216h8Gt0
本当に馬鹿しかいないな。 こんな奴らと一緒になって、南京の疑問点とか叫んでた過去の自分が本当に情けない。 あの頃の自分は、お前らと同レベルの馬鹿だったんだな。
今北産業
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 23:10:49 ID:b7MJuXIS0
>>117 いいから涙ふけよwwww
全く話の流れの話題が消えたねぷぷw
何一つ答えないままのカス君
ぎゃはははははははははははははwwwwwwwww
キ エ ロ
よく読んでないから分らないが、南京について語るスレってことでおk?
121 :
116だが :2009/07/20(月) 23:20:35 ID:o216h8Gt0
15日は南京で、16日は軍(上海派遣軍)だろ。 その時山田支隊の上級部隊にあたる13師団は、六合あたりからジョ県に向かう途中なんだから、 13師団司令部は南京に居ない。 何で南京から命令が下るんだ? おかしいだろ。
>>115 つまり第一大隊戦闘詳報では大隊⇔師団の伝達時間は2時間25分ですが、ID:zJjWDAhE0によると、山田日記による師団⇔旅団間の伝達時間は24時間と言う事ですねw
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/20(月) 23:27:37 ID:I47LpV7Y0
なぜ南京幻派が廃れたかよくわかるスレですね
結局、いつものように、肯定派は負け犬の遠吠えの挙句涙目で逃亡とw
なかなか笑える流れになってたんだな 昨日は
>本当に馬鹿しかいないな。 お前が言うなw
結局、肯定派は24時間以上まともな書き込みも無く逃亡とw 所詮肯定派なんてこの程度ということかw
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/22(水) 21:16:30 ID:p8lCUHLF0
いや、2ch以外の掲示板にいって勝利宣言してるよ、今頃。 「2ちゃんてバカしかいなくてさ〜」ってね
肯定派が証拠と称する、戦闘詳報や日記等に記録された時間をそのまま抜き出すと、何故か肯定派が全く答えなくなるという不思議な現象が起こりますw 南京大虐殺とは心霊現象の一種なのでしょうかw
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/22(水) 22:33:55 ID:gV14Q8/oO
馬鹿サヨがまた滅びた〜(^O^)
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/22(水) 22:35:38 ID:BXd71QKX0
劣等虐殺DNA所持民族である日本人が記載の簡単な記述誤差を認めないので呆れてるです
解説者は臭いからもっと消毒してこいよ
133 :
左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2009/07/22(水) 22:58:08 ID:9pce0cQgO
ギャッハッハッハッハッハッ! 肯定派の敗残兵諸君、こんなところでまたいつものデタラメ宣伝工作ですか? でも否定派の掃討部隊に見つかってまたいつものように呆気なく逃走ですねwww いったい何百回同じ事繰り返せば気が済むんだこの低能野郎
>>131 日本における公文書の厳格さを知らない、支那朝鮮の方ですか?(大爆笑
>>134 たぶんレポート用紙の表紙にボールペンで「第一大隊戦闘詳報」と書けば誰が書いても公文書として認められるとでも思っているんでしょうw
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/23(木) 07:56:48 ID:x0gsdw7u0
>>109 捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
おれ、まったくの素人なんだけどさ、上の文章から連絡時間が推定できるの?
本間少尉に託した南京への伝達内容が「皆殺せとのこと」ということしかわからない
と思うんだけど?
>>136 否定派は「問い合わせに1日、確認に1日かかった」と言ってるんだが、肯定派はなぜか
>110
>その日のうちに戻ってきて、上からの命令を伝えたんだろがwwww
と言っていて日本語が理解できていないw
>頭悪すぎるwwwww
全くその通りw
つくづく肯定派の頭の中ではどんな脳内変換が行われているのか理解できないw
肯定派が憎くて仕方ないんだね
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/23(木) 11:44:33 ID:yRDPbawh0
>>138 は肯定派なのか。まずは「南京大虐殺とは何なのか」の説明から頼むよ。
3歳児が天動説を信じていて「地球が回っているんじゃない!太陽が回ってるんだ!」などと言ってるのを眺めているようなものだなw 肯定派ごときに憎む価値すらないw 3歳児と異なるのは子供は根拠を説明すれば理解するが、肯定派は説明されても「そんなはずは無い!太陽が回ってるんだ!」と喚き散らして説明してくれた相手にまで当り散らすw
>>141 >山田隊のいた幕府山と南京の16師団との距離は、近くて約2Km、遠くて約6Kmといったところ
これはどのような根拠に基づいているのだろうかw
『中島今朝吾日記』
十二月十五日 一、各隊は事後処理の任務遂行に差支なき範囲に於て代表部隊を堵列せり師団司令部各部隊長培(賠)従の上午後一時三十分中山門より入城し/
国民政府庁舎を師団司令部に充当しありたれば同庁舎に入り国旗を掲揚し各部隊長及将校の参列の上大元帥陛下の万歳を三唱し……
(『南京戦史資料集1』P222)
16師団が師団司令部にしたのは国民政府庁舎。
GoogleMapで原国民政府旧址と幕府山を検索すると、戦闘中の南京城内を一直線に突破して12.4km、車で19分w
当時の南京周辺は水運主体で、道路は市街地を一歩外に出ると未舗装のデコボコだから 自動車なら想像以上に時間は掛かるよ。
幕府山から庁舎までの道は城内がほとんどのようだし 当時の写真を見る限りそれなりに舗装もされているから大丈夫だろう 馬で師団本部まで40分程度といったところか 軍の方は倍くらいの距離になるのか? 山田日記によると車で南京市内や中山陵をみてまわると書いてある この車ってどういうものなんだろう 九四式軽装甲車(時速40Km)のような車両ならそれなりの量が参加してるが あんなので見て回るものなんだろうか
>>144 肯定派の主張によると南京城内は死体と瓦礫の山になっているのでは?
死体も瓦礫も存在せず、戦闘中なのに攻撃される事も無く移動できるなんてよっぽど平和だったんだろうかw
やはり輸送用のトラックで見学して回ると考えるのが自然か
>>146 輸送用トラックは輜重隊の所属です。他の部隊が勝手に使うのは無理。
そもそも南京戦で潤沢に輸送トラックがあったのか?
考えられるのは司令部付きの公用車。
第十軍小川法務部部長は14日南京まで公用車で移動している。
日本陸軍の装備は近衛師団を別にして他の師団は、同じ装備で支給数もほぼ同じなので 第十軍の装備は、中支那方面軍とだいたい同じ。 最優先で通行できる軍司令部移設において70kmを4時間半掛かったということは 平均時速15km。当時の車の性能、路面状況ならこの程度の移動速度。
短時間で移動できても実際に命令が発令されなければ時間がかかるな。 山田日記では「捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す」ということなので、捕虜をどうするのか方針は決定されていなかったと思われる。 方針が決定されていれば、わざわざ伝令を南京に派遣して連絡する必要などない。 そうすると伝令が到着して命令が発令されるまである程度の時間はかかるな。
>>145 「拙著「南京事件」「南京難民区の100日」を読んで下されば分るように、
南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われ
ていない。集団虐殺のほとんどが場外、郊外長江岸でおこなわれたのである。」
(笠原十九司-SAPIO(98年12月23日号)
>>151 城外、郊外長江岸で虐殺が行われていたなら、そこまで城内の人を連れ出したのか?
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/24(金) 21:10:40 ID:AA1hleG90
>>151 つまり南京大虐殺はなかったんだね。
了解
>>150 山田隊としても、処分しろと言われても1万5千もの捕虜を殺すのはリスクがあるし
遺体の処分もたいへんな労力になるから、とりあえず師団でひきとって欲しかったのが
本音じゃないかなと思う
>>154 第13師団所属の山田支隊が「捕虜を殺せ」という命令を受けたのなら、なぜ全く関係ない第16師団に問い合わせるんだろう?
しかも>141によれば
>派遣軍は山田支隊を長江北岸の第13師団本隊に合流させるために(※6)、大量の捕虜を第16師団に収容させるという方針をとったにもかかわらず、
>第16師団がその命令に従わないことが判明したわけです。
という事なので、第16師団は「捕虜を収容しろ」という上海派遣軍司令部の命令に従わなかったことになる。
つまり上海派遣軍司令部は第16師団に「捕虜を収容しろ」という命令を出し、反対に第16師団は指揮下に無い山田支隊に大して「捕虜を殺せ」という
命令を出したことになる。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/24(金) 23:06:44 ID:AA1hleG90
>>155 どのへんが?
まぁ言い切り逃走のカスだろうけど。
南京虐殺=南京城内だけの虐殺だと思ってる無知なカス
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/24(金) 23:15:49 ID:AA1hleG90
答えになってねーよばかw
>>158 が地域と期間の定義をしてくれるそうですよw
>>156 「連絡す」だから、問い合わせとはニュアンスが異なるんじゃないかな
派遣軍は南京に残る16Dに山田隊の捕虜を接収させようとした
だからそれを山田隊は16Dに連絡しに行ったら拒否された
本体に合流する為捕虜を手放したいなら、殺してしまえばいいのでは、とか言われたのかも
困ったもんだから、翌日直接指令を出した派遣軍のところへわざわざ行って打ち合わせ
こんな筋書きじゃないか
>>161 だからそれだったら第16師団は上海派遣軍司令部の命令に従わなかったことになるが?
しかもそれだと山田支隊は第16師団の指揮系統から外れているので
>109
>皆殺せとのことなり
というのは命令でもなんでもないことになる。
それどころか上海派遣軍司令部の命令が「第16師団に捕虜を接収させる方針」だったのなら殺害命令などでていなかった事になる。
>>162 > だからそれだったら第16師団は上海派遣軍司令部の命令に従わなかったことになるが?
そういう事になると思います
> しかもそれだと山田支隊は第16師団の指揮系統から外れているので
> >109
> >皆殺せとのことなり
> というのは命令でもなんでもないことになる。
>
> それどころか上海派遣軍司令部の命令が「第16師団に捕虜を接収させる方針」だったのなら殺害命令などでていなかった事になる。
打ち合わせの後に殺したのですから、結論は2つしかないです
山田隊が勝手に殺したか、殺す方針に変更になったか、です
>>163 >打ち合わせの後に殺したのですから、結論は2つしかないです
>山田隊が勝手に殺したか、殺す方針に変更になったか、です
捕虜が反乱した結果射殺されたとされているが?
上海派遣軍副参謀長・上村利通大佐日記
十二月二十一日 晴
N大佐より聞くところによれは山田支隊俘虜の始末を誤り、大集団反抗し敵味方共々MGにて打ち払ひ散逸せしもの可なり有る模様。
下手なことをやったものにて遺憾千万なり。
両角手記
軽舟艇に二、三百人の俘虜を乗せて、長江の中流まで行ったところ、前岸に警備しておった支那兵が、日本軍の渡河攻撃とばかりに
発砲したので、舟の舵を預かる支那の土民、キモをつぶして江上を右往左往、次第に押し流されるという状況。ところが、北岸に集結
していた俘虜は、この銃声を、日本軍が自分たちを江上に引き出して銃殺する銃声であると即断し、静寂は破れて、たちまち混乱の
巷となったのだ。二千人ほどのものが一時に猛り立ち、死にもの狂いで逃げまどうので如何ともしがたく、我が軍もやむなく銃火をもっ
てこれが制止につとめても暗夜のこととて、大部分は陸地方面 に逃亡、一部は揚子江に飛び込み、我が銃火により倒れたる者は、
翌朝私も見たのだが、僅少の数に止まっていた。すべて、これで終わりである。
第一大隊長・田山芳雄少佐
銃声は最初の舟が出た途端に起こったんですよ。たちまち捕虜の集団が騒然となり、手がつけられなくなった。味方が何人か殺され、
ついに発砲が始まってしまったんですね。なんとか制止しようと、発砲の中止を叫んだんですが、残念ながら私の声は届かなかったんです
(阿部輝朗氏『南京の氷雨』 P103)
第13師団103旅団第65連隊第1大隊所属栗原利一伍長証言w
夕方薄暗さの中、先着した一角で捕虜が反抗して我が将校の軍刀を抜いて殺される事件が起きた(将校一、兵六)。
こうなった場合の反抗に備えた機関銃が一斉に火を吹いた。
>>165 小野賢二氏はオリジナルの日記を公開拒否しているから何とも言えません。
当時書かれた物か戦後書かれた物であるか確認が取れません。
おまけに匿名w
ここまでくると、あとは日記を捏造であると言い張るしかなくなるので話は進まなくなります これもいつものことです ところで、後学の為に確認しておきたいのですが 小野賢二氏がオリジナルの公開を拒否とありますが ソースはどこなのでしょうか いえ、ソースがあるからと言って疑うつもりも 無いからと言って真実であると主張する気も無いですが なるべく事実を知りたいので
>>170 そのページへの反論は、
>>165 に既に十二分にありますので省略します
小野賢二氏の調査は、両角手記の「自衛発砲」説が虚偽であることを示した貴重なものです
それにしても、日記の矛盾や事実との食い違いを指摘するわけでもなく
「私は、これらの「日記」「メモ」の信憑性は低いと考えています。」と言ってみたり
「最後の取るべき手段を決し、捕虜兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺」を
「最後の取るべき手段として捕虜を解放することとし、揚子江岸に連行したところ、
暴動が生じたのでこれを射殺した」と解釈できるとする苦しさ
(いくら言葉を端折るといっても、限度ってものがあるでしょう)
「下っ端の兵士が、詳細な日記を残せるとは到底思えません」
という思い込みに至っては失笑を禁じえません
そもそも両角手記は、戦後書かれ、明らかに幕府山事件を意識した手記で、
他の一次資料による裏づけも無いことから、旧陸軍軍人の親睦組織である偕行社からも
「参考資料としての価値しかない」と手厳しく評価されている代物です
そんなものを無邪気に根拠の軸にし、正規の一次資料である日記の数々を
全く信用できないと否定している時点で、相手になりません
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/25(土) 08:25:23 ID:tAPyS5qn0
横からスマンが、 君の >しにしたのであればそう日記に書くはずです >こんな書き方をされるはずがありません >何かしらかかれるはずが 思い込みもたいしたもんだよ。
>>171 >そんなものを無邪気に根拠の軸にし、正規の一次資料である日記の数々を
>全く信用できないと否定している時点で、相手になりません
>正規の一次資料
www
正確には史料。
史料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一次史料
一次史料とは、その当時の生の史料、すなわち同時代史料のこと。古文書、当事者の日記、手記、手紙など、その当時の人物が作成した文書類や収集した事物など。その時代のコインや新聞記事等も一次史料になりうる。
一次史料の意義
ただし、一次史料は必ずしも正確というわけではない。日記や手紙などは主観的で偏った記述も付き物であり、歴史知識の乏しい人間が偏向した一次史料の記述を直接読めば誤った情報を得る事になる。
その為、一次史料の読解のためには、その史料にバイアスを与える種々の性格を把握しなければならない。
* 一等史料・二等史料…
明治時代の歴史家、坪井久馬三が提唱した史料の6区分。坪井説によれば、一等=事件当時に当事者が作成したもの(日記・書簡の類)、二等=事件から少し経ってから当事者が記したもの(手記の類)、三等=一等と二等
をつなぎ合わせて作成したもの(伝記の類)、四等=信頼できる書籍や遺物(年代・作者が不明確なものも含む)、五等=信頼のおける編纂書、等外=それ以外のもので、一等から四等が根本史料である。
で?>171が主張する>正規の一次資料である日記の数々 とはどんなものw
まさか「匿名で執筆者が確認できない」とか「戦後に書かれたもの」なんて事は無いよなw
さらに、書かれている内容が事実であるかどうかとはまた別の問題だがw
最低限「執筆者」と「書かれた時期」を明確にしてもらおうかw
>>172 言葉尻だけ引用して、根拠の無い思い込みであるかのようにしたいのでしょうが
>>165 をきちんと読めば、ごく当たり前の国語の問題であると理解できます
>>173 結局最終的には「証拠が本物であるという証拠を出せ」でゴリ押し
歴史改竄派は
>>169 冒頭で既に書いた通りの行動にでるしかないわけです
結局そこに落ち着くという事は、小野賢二氏の資料が捏造でなければ困る何よりの証左です
彼の調査の信憑性については、研究者でも当事者でもない自分の言葉では担保不可能で
それは当たり前の話です
当たり前であるからこそ、証明してみせろと無茶を言って、言葉を封じようとする下衆には
これ以上何を言っても仕方ない
だから
>>169 冒頭に書いた通り、これで話は進まなくなって終わりなんです
ただ、自分の言葉や行動以外でなら、信憑性の担保を推し量る事はできます
研究者で、資料そのものに疑問を呈している人がどれ程いるか
山田隊の当事者やご遺族から抗議や事実無根の訴えがあるか
疑問であると思うなら、その事実をもってくれば良いのです
>>174 つーか>165のサイトの内容を信じれば、中島師団長は上海派遣軍司令部の命令に従わず、両角連隊長は山田旅団長の命令に従わなかった事になるんだが?
>>175 > つーか>165のサイトの内容を信じれば、中島師団長は上海派遣軍司令部の命令に従わず、
そういうことになります
> 両角連隊長は山田旅団長の命令に従わなかった事になるんだが?
違います
>>176 軍司令部の命令は〔捕虜の後送〕。
ttp://www.nextftp.com/tarari/gunmeirei.htm E.両角業作大佐の謀議
さて、山田支隊においては捕虜を引き渡す(つまり、殺してはならない)という建前の命令と、作戦に関する実質的な命令である渡河をどう調和させたのか。
山田らがそこまで死体の焼却にこだわったのは捕虜の後送が軍司令部の一貫した方針であり、捕虜の殺害は命令違反であるから、殺害の露見は絶対
避けねばならぬと覚悟していたことを示している。
両角手記では命令は〔俘虜の処置〕
「両角業作手記の検証」
ttp://www.nextftp.com/tarari/morozumi1.htm 十二月十七日は松井大将、鳩彦王各将軍の南京入場式である。万一の失態があってはいけないとういうわけで、軍からは「俘虜のものどもを”処置”す
るよう」・・・山田少将に頻繁に督促がくる。山田少将は頑としてハネつけ、軍に収容するように逆襲していた。私もまた、丸腰のものを何もそれほどまでにし
なくともよいと、大いに山田少将を力づける。処置などまっぴらご免である。
しかし、軍は強引にも命令をもって、その実施をせまったのである。ここに於いて山田少将、涙を飲んで私の隊に因果 を含めたのである。
しかし私にはどうしてもできない。
(4)いろいろ考えたあげく「こんなことは実行部隊のやり方ひとつでいかようにもなることだ、ひとつに私の胸三寸で決まることだ。よしと期して」−田山大隊
長を招き、ひそかに次の指示を与えた。
(5)「十七日に逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸に集合せしめ、夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、解放せよ。これがため付近の村落にて舟
を集め、また支那人の漕ぎ手を準備せよ」
もし、発砲事件の起こった際を考え、二個大隊分の機関銃を配属する。
>山田少将、涙を飲んで私の隊に因果 を含めたのである。(山田少将)
↓
>夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、解放せよ。(両角大佐)
命令に従ってるようには見えないな。
>>177 両角手記自体が戦後「自衛発砲説」をでっちあげる為のものであるので、
両角手記を元に考察しても意味がありません
もちろん書いてある事全てを嘘で固める事はできないので
いくらか真実が含まれているでしょうが
それには他の記録による裏づけが必要です
あなたと話しても、小野賢二が日記を発掘して以来繰り返された
歴史改竄派の過去のループ質問を繰り返すだけに終わりそうですし
あなたもそのつもりでずっと絡んできてるのでしょう
不毛なので以降ループは無視
>>178 >それには他の記録による裏づけが必要です
「山田少将、涙を飲んで私の隊に因果 を含めた」
山田支隊が捕虜を殺害するよう命じたというのはこの両角手記ぐらいしかないが?
両角手記を「でっちあげ」としておきながら「捕虜殺害命令の部分だけが正しい」と主張し、「他の記録による裏づけ」を提示せず無視ですかw
「山田少将が捕虜の殺害を命じた」という「他の記録による裏づけ」は?
根拠の無い主張は「妄想」と言いますw
>不毛なので以降ループは無視
つまり「何一つ根拠は出せないので逃亡します」という事ですねw
他の記録とは、当時の日記、戦闘詳報です
これにより自衛発砲説は偽証であることがほぼ確実視されています
当時の記録にまるでないので、仕方ありません
ところで私が肯定したのと否定したのは
>>176 です
「上の命令に従わなかった」という仮説に対して
それぞれ肯定否定しました
山田少将による命令で捕虜を処分したと考えるのが自然だと思っていますが、
私が明快に「山田少将が捕虜の殺害を命じた」と語ったのはどの部分でしょう?
語っているのであれば訂正しましょう
それとも、いつもの藁人形叩きでしょうか
「言ってもいない事をでっちあげて、否定してやろう」という性根の腐り方には毎回反吐が出ますね
ゴミがキャンキャン吼えてるなw
>>171 言葉尻だけ引用してるのはどっちなんだかw
全く反論になってないしw
あくまでも可能性として述べているだけのものを思い込みw
思い込みだけで述べているのを証拠だと言い張ってるのが「ゆう」や「たらり」なんだがなw
>>180 >他の記録とは、当時の日記、戦闘詳報です
当時の日記ねえw
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」
★【斉藤次郎】陣中日記
★【伊藤喜八】陣中日記
★【宮本省吾】陣中日記
★【柳沼和也】陣中日記
★【遠藤高明】陣中日記
★【本間正勝】戦斗日記
★【菅野嘉雄】陣中メモ
★【近藤栄四郎】出征日記
★【黒須忠信】陣中日記
★【目黒福治】陣中日記
大寺隆陣中日記
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」に収録されている19の文書のうち、
“大寺隆陣中日記”と“天野三郎軍事郵便”のみが実名
残りの陣中日記は全て匿名w
「南京戦・元兵士102人の証言」
全員仮名w
当然、>当時の日記、と言うからにはその日記は「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」や「南京戦・元兵士102人の証言」以外のもので、
執筆者や書かれた時期もはっきりしているんだよなw
小野の日記と称する物は、 1 当時リアルタイムに書かれた日記 2 戦後、記憶から書き起こした物 3 戦後、メモから書き起こした物 の判別が全く出来ない。 1であれば、携帯日記でポケットに入れていても濡れた跡があるはず。 帆布で作られた防水性のない背嚢に入れていても同じ。 濡れた跡が必ずあるはず。また当然鉛筆書き。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/25(土) 20:34:24 ID:N8PGJJfxO
南京虫
>>180 >山田少将による命令で捕虜を処分したと考えるのが自然だと思っていますが、
>私が明快に「山田少将が捕虜の殺害を命じた」と語ったのはどの部分でしょう?
これは山田少将の命令ではないとでも?
↓
>163名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2009/07/25(土) 01:14:04 ID:fJc4+V9z0
>打ち合わせの後に殺したのですから、結論は2つしかないです
>山田隊が勝手に殺したか、殺す方針に変更になったか、です
つまり ID:fJc4+V9z0が語ったのは、
山田少将は司令部の「捕虜は後送しろ」という命令を無視して勝手に捕虜殺害を命じたか、
司令部の「捕虜は殺せ」という命令を実行したかのどちらかだと言う事なんだがな。
どちらにせよ山田少将が捕虜殺害を命じた事になる。
「自分は「結論は、山田少将が勝手に殺したか、司令部の殺す方針を実行したのかの2つしかない」とは語ったが、
明快に「山田少将が捕虜の殺害を命じた」とは語っていない!」
こういう意見かw
言葉尻を捕まえた藁人形叩きはどっちだとw
>>183 おそらく戦後創業された会社のノートにボールペンで書かれていたり、ひらがなの口語体で書かれていたりするんでしょうw
結局、「日記は捏造に決まってる」というしか、ないんだよね
>>185 藁人形叩きの意味を分かってない馬鹿とは話ても無駄だな
>>187 >結局、「日記は捏造に決まってる」というしか、ないんだよね
否定派が明快に「日記は捏造に決まってる」と語ったのはどの部分でしょう?
藁人形叩きでないのならレス番号を提示できますよね?クスクスw
言っていることがだんだん… >「処刑用ガス室」からはほとんどシアン化合物が検出されなかった とか >秘密警察から直接聞いたという「暴露証言」が唯一の根拠であるが、この証言では偽造が行われたのは >1905年としており、1902年にはすでに『議定書』が公表されていた事実と矛盾する なんてのと似たような言い方になってきたような…。
>>187 >結局、「日記は捏造に決まってる」というしか、ないんだよね
>169
>名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2009/07/25(土) 03:26:07 ID:fJc4+V9z0
>ここまでくると、あとは日記を捏造であると言い張るしかなくなるので話は進まなくなります
>169で ID:fJc4+V9z0という人物が
>ここまでくると、あとは日記を捏造であると言い張るしかなくなるので話は進まなくなります
と発言しているようですw
藁人形叩きとはどういうものの事を言うのでしょうw
教えてくれませんかw
今度は言葉遊びか 失笑するしかないね 次は鸚鵡返しかな?
いや、鸚鵡返しは既にしていたかw>藁人形
一通りは終わった
後は日記が本物と疑うかどうか
>>190 ちょっとお前、一緒に小野賢二氏のところにいかないかい?
君もその目で見たほうがいいだろう
自分の目で確認するのが一番だからな
悪い話じゃないはずだ
>>191 さっさと否定派が、明快に「日記は捏造に決まってる」と語ったレスをだせよw
>>192 >後は日記が本物と疑うかどうか
>182
>「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」に収録されている19の文書のうち、
>“大寺隆陣中日記”と“天野三郎軍事郵便”のみが実名
>残りの陣中日記は全て匿名w
匿名の陣中日記をどうやったら本物と信じられるのやらw
>>193 いや、小野賢二氏が持っているのは、譲り受けたものや
現物をコピーしたものだから、名前もちゃんと入ってるだろう
何はともあれ現物をみないことには始まらない
自分が行って本物だったと言っても信用してもらえないだろうから
君にみてほしいんだよ
>>193 > さっさと否定派が、明快に「日記は捏造に決まってる」と語ったレスをだせよw
どこをどう読んでも、特定の誰かがそういったのではなく
過去の経験から「最終的にそうなる」と予見しているものだろう
そんな事より、一緒にどうだ
ふと思ったんだが、まだご存命かね?>小野賢二氏とやら
>>196 今も発掘調査中だよ
これまでに発掘した日記の中に、まだ知られていない捕虜の大量虐殺らしき記述があったとかで
(確か奈良の方の師団だと思った)そちらに遠出しつつ、当事者や遺族のところを回ってるって話
>>195 いいねえw
全く見ず知らずの赤の他人がいきなり訪ねて行って資料をホイホイ見せてくれるとは思えないが、
ID:fJc4+V9z0が小野賢二氏と特別なコネでもあって資料を実際に確認できるなら是非お願いしたいw
当然、小野賢二氏へのアポイントは可能なのだろうね?
>>198 どうなるかわからないがアポはとってみよう
とりあえずあんたと打ち合わせしたい
東京か?
本名出すと糞ウヨが脅迫してくるからな 朝生で証言してた爺さんにもチャンネル桜の糞ウヨが処刑宣告してたなw
水島は商売で右翼やってる感じだからなあw 生活かかってるぶん必死なんだろw
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/25(土) 22:51:20 ID:tAPyS5qn0
>>174 君はどんなに話しても、人の言う事は自分の主張と異なれば
思い込みで、言葉尻の言葉狩りなんだなw
君らのおもしろいところはどんどん内容がなくなっていくとこね。
例えば
>今度は言葉遊びか
失笑するしかないね
次は鸚鵡返しかな?
>>181 >>182 とかには一切答えないんだね。
で、
>>195 で
>予見しているものだろう
とまた思い込みww
なんだかよくわからんが 答えなくても問題無いようなレスは放置してるだけ もう一人の彼とは延々やりあってるので仕方なく付き合ってるが
まあ
>>182 については、一緒に現物を見に行こうと言ってるけどな
>>199 このスレでアポが取れた日時と、どうやってアポを取ることができたのか方法をあげて貰えればいいが。
正直、全く関係ない赤の他人がいきなり「資料を見せてくれ」と言って訪問したり、アポを取ろうとするのは社会人としての常識に欠ける。
そちらがどのようにアポをとろうとしたのか教えてもらえれば助言や提案も簡単だと思うが。
まずはアポをとってくれ。
それが確認できしだい回答したいが。
>>206 そうだな、だから一緒に作戦を考えよう
東京ならすぐ会える、だから東京かと聞いている
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/25(土) 23:14:35 ID:hHL89rC80
なんか永田君を思い出した。
ハッキリ言ってお互い全く信用してないだろう だから苦労してアポがとれてもドタキャンされる恐れがある せめて事前にお互いの素性と連絡先の確保くらいしないと 予定も組めないだろうが
小野が日記を出さない限り資料批判が出来ず何とも言えないから保留が正しい態度だろう。 日記を元にした「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」は96年3月発行 なんで小野は日記をデジカメで撮るなりスキャナーで複写するなりして NET上に公開しないんだ? 公開できない理由でもあるんだろうか? 核心でも出来ることが何故出来ない(大爆笑
とりあえずどんなものかは
>>166 のTVには映っている
まず真っ先に史料批判すべきは学者だろうが
特に異議を唱えている人はいないようだ
次に当事者たちだろう
内容が間違っているなら何かしらのアクションはあるはずだがそれもない
>>207 >そうだな、だから一緒に作戦を考えよう
>東京ならすぐ会える、だから東京かと聞いている
>>209 >せめて事前にお互いの素性と連絡先の確保くらいしないと
>予定も組めないだろうが
なぜ?
>小野賢二氏が持っている現物をみないことには始まらない
>自分が行って本物だったと言っても信用してもらえないだろうから
>君にみてほしいんだよ
「小野氏の持っている現物をみよう」と言ってるのはそちら。
なにやらこちらが何を見ても全く信用しないと言う前提で話しているようだが、こちらは信じるべき根拠がきちんと
証明されていればわざわざ小野氏を訪問する必要など認めていないが?
つまり、小野氏が所有する日記の執筆者と執筆時期と執筆内容の真偽が第三者が見てもちゃんと確認できるの
ならば何も問題は無い。
そちらが日記の執筆者名、執筆時期、執筆内容を確認できる写真でもUPしてくれれば問題ないがw
相手に信用されないのは唯単に情報が不足しているだけ。
「現物を見せないと信用してもらえない」などというのはそちらの一方的な思い込み。
信用に値する情報であれば信用するし、そうでなければ信用されないというだけ。
「執筆者不明、執筆時期不明、執筆内容真偽不明の日記」など信用することはできない。
相手に信用して欲しければそれだけの情報を出すべき。
>>212 いや、さすがに匿名希望条件で記載許可された内容(ということになっている)を勝手に公開するのは拙いだろw
>>212 あんたがそれをやって信用するなどという根拠はまるでない
だからできるだけ直接、あんたの目で現物をみさせたいんだよ
これ以上、どうしろと?というくらいにな
それにあんた自身本当かどうか知りたいならそれなりに行動すべきだ
これだけ積極的に南京問題にかかわるなら
受身で「信用させてみろ」と言うのではなく
自分から調べてみるべきだ
訂正 これだけ積極的に南京問題の議論にかかわるなら
>>214 >>212 の通りの公開が実現すれば、著作物の信用性が担保されるわけで、2ちゃんどころか近代史学上重要な証拠となる。
そうなると、もはや匿名掲示板で相手を信用する云々という問題ではない話になると思うが?
何故に、こんな低次元にこだわるのか理解できないな
>>214 >あんたがそれをやって信用するなどという根拠はまるでない
信用しないと言う根拠もないな。
最初からあきらめないで、そちらがこちらが納得せざるを得ないほどの資料を用意できればいいだけ。
なぜできない?
>だからできるだけ直接、あんたの目で現物をみさせたいんだよ
>これ以上、どうしろと?というくらいにな
そちらの個人的願望を一方的に押し付けられても迷惑なだけだが?
こちらがわざわざそちらの願望に答えてやらなければならない理由は無い。
>それにあんた自身本当かどうか知りたいならそれなりに行動すべきだ
それはそちらの価値観であってこちらとは異なる。
他人の価値観によって行動まで指図される理由は無い。
小野さんにとっては、当事者との約束もあるし 特に学者や当事者たちからの異論もないからそんな必要はないんだろう だから誰も専門家や当事者からの疑問が提示されない状況でも 信用できないというのであればこちらからアクションを起こす以外確認のしようが無い
>>217 おいおい、あんた「いいねえw」とのり気だったじゃないか
今更みたくないとでも言うのか
そもそも小野の日記を見た第三者はいるのか?
コピー元の当事者や遺族は、現物をまだ持ってるだろ いないならこちらがその第3者になればいい それが否定派が直接見て信用したなら尚の事信憑性は高まるというもの 違うか?
>>220 確認できるならどこに行ってもかまわないが?
ただし、「小野氏の持っている現物をみよう」と言ってるのはそちらなのだから、小野氏のアポを取ってからの話。
例えアポが取れた後こちらがドタキャンしようと、そちらが>212にあるように日記の執筆者名、執筆時期、執筆内容を確認できる写真でもUPしてくれれば問題ない。
>>218 背景に出てくる日記の本文はどうみても鉛筆書きじゃないぞ
万年筆の筆跡だ。
>>224 いいや、全く信用できない
まずは素性と連絡先の確保
そちらも歴史的資料の確認ができるんだから、それくらいの手間は負え
楽してなんでも情報をもらおうなどずうずうしいにも程がある
しかもドタキャンしても情報だけはくれとか こいつはどんだけ意地汚いんだ
>>226 はあ?
>194
>小野賢二氏が持っている現物をみないことには始まらない
「小野氏の持っている現物をみよう」と言ってるのはそちら。
こちらは「小野氏の持っている現物をみよう」と言い出したわけでも、「見るのを手伝ってくれ」と頼んだわけではない。
自分で勝手に
>214
>だからできるだけ直接、あんたの目で現物をみさせたいんだよ
自分の願望を押し付けておいて、
>226
>そちらも歴史的資料の確認ができるんだから、それくらいの手間は負え
“「相手に現物を見せたい」という自分の願望を満たすために相手に手間を負うのを要求する”というのはどういうことだ?
「常識として」言い出したほうが実行するのは当然。
それよりもどうやって小野氏にアポをとるつもりだ?
>>229 一緒に行こうといって、あんたも「いいねえw」と言っただろう
その手間すら惜しむとは
まあ、お前のような人間など最初から期待していないが
まさか「ドタキャンしても情報はくれ」と言うほどの恥知らずだとは思わなかったよ
“自分の願望を満たす為に相手に手間を負う事を要求する非常識”よりはマシですが。
フンw 言えば他人もマシだと思ってくれるとでも思ってるのか馬鹿が このヘタレ野郎の引きこもりめ
そちらがこちらが納得せざるを得ないほどの資料を用意できればいいだけ。 手始めに「執筆者、執筆時期、執筆内容の真偽が確認できる日記」を用意してもらおうか。
クレクレの恥知らずはウゼえんだよ馬鹿
>>228 防水用にゴム製の小袋はあったから別に不思議でも何でもないよ
薬とか、濡れたら困るものはその中に入れてた
>171名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2009/07/25(土) 05:41:58 ID:fJc4+V9z0 >正規の一次資料である日記の数々を全く信用できないと否定している時点で、相手になりません 「執筆者不明、執筆時期不明、執筆内容真偽不明の日記」を >正規の一次資料 などと主張している時点で論外。 極当然の事として「執筆者、執筆時期、執筆内容の真偽が確認できる日記」を要求したら逆切れw 自分の主張していることさえ証明できない肯定派というものがどれだけ無能なのかよくわかるw
士官用拳銃は国産だと、十四年式、九四式自動拳銃か二十六年式のリボルバー、
外国製はブローニング1910くらいかな。
PPKあたりも購入範囲に入っていて良さそうなのだが聞いたことがない。
後考えられるのは、国府軍将校の鹵獲品を使っていたか。
これも数が揃わないからムリポ
T・ダーディンは38式小銃と見間違える馬鹿だったか創作したかのどちらか。
ついでに南京戦での鹵獲武器は、小銃二十七万余、機関銃約壱千五百、迫撃砲壱千参百余、
軽重砲百二十門、小銃弾四十五万余、砲弾二十一万余
ttp://ww1.m78.com/topix-2/tani.html >>234 映像をよく見ましょう、映し出された日記はB5サイズ程度の大きさです。ゴム製の小袋に入りますか?
ttp://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/154.html 1941年9月の中国戦線でのある歩兵部隊の装備品の例
携行口糧 甲 4日分
携行口糧 乙 1日分
缶詰 3
食塩 1日分
干魚 1日分
梅干 1日分
被服・日用品
弾薬盒 前2、後1
弾薬実包 120発
鉄帽(ヘルメット)
防毒面
円匙(スコップ)
飯盒
水筒
地下足袋
その他に携帯天幕や外套を持つことも。
日用品は洗面具(歯ブラシ、かみそりなど)、裁縫道具、包帯包など。
>>234 >ゴム製の小袋
ソースは?
ゴム袋の正体は突撃一番ですた(大爆笑
このゴム袋の中に入る手帳があるのか?
ttp://kamome.org/heishi/war/04.html 日常不可欠な火種であるマッチは各白が平均五、六個は所持していた。そして湿気を防ぐためゴム袋に入れて携帯した。
ゴム袋は所謂衛生サックである。衛生サックは戦地用として軍の準備品だったが、ミンダナオ島上陸以来数か月で栄養不
足気味に陥った将兵の性欲は自然に減退し、無用の品となっていたのでこれを利用できたのである。衛生サックはマッチ
をはじめ薬品類の携帯に役立った。それでも突然のスコールでずぷ濡れになったような場合は、マッチが全部湿気てしま
うことが多かった。これはそのままそっと日当たりで乾燥すればもとに戻った。なおマッチの節約のために、同じ場所に滞
在する際はできるだけ火種を絶やさないよう火持ちのする薪で工夫した。
>>236 以前史料を見たことがあったんだが
大きさを確かめようにもweb上には情報が無いようだ
標準的に支給されたものではないのかもしれない
しかし兵士の携帯するものには、薬もそうだが、金銭簿やお金など
濡れたら困るようなものもあった
雨対策に天幕を(当然背負ってる鞄ごと)雨合羽のようにしてかぶりしのいでいた
冬場に服が濡れてしまうほどの状態になったら命にかかわる
だから十分雨の対策にはなっていたと考える
>>237 恥知らずのクレクレ馬鹿は消えろよ
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/26(日) 07:11:36 ID:Qo38sPFv0
>>205 非常に興味深いがかなり遠方。
しかし、散々人のは全部思い込みで自分のは学術的と突っ張ってる割には
>>214 >「信用させてみろ」と言うのではなく
>自分から調べてみるべきだ
ここはちょと納得。
必ず最後の方で「テメーが証拠出せ」の言い合いになるから。
ってか口調が昼間とまるで違うが、夜でねむかったのか?w
>>239 >恥知らずのクレクレ馬鹿は消えろよ
主張した事に対してソースを求められるのは当然。
それができなければ根拠の無い妄想を口にしたとしか思われないw
それぐらい理解できなければ唯の無能w
常識が理解できたか?妄想癖の無能w
ひでーw 単にバカにすることが目的だとしか思えない。 「当然」と言うなら、一緒に調べたらよいだろ。その態度だと、一生懸命調べてソース出しても 後で、難癖付ける場面がありありと思い浮かべられるな。 一緒に調べるなら、そんなこともできないはず。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/26(日) 11:28:56 ID:jjk02rm+0
「いいねえw」「資料を実際に確認できるなら是非お願いしたいw」 と書きながら、いざ実行の段になると気がひけて無理難題を押し付けて 逃げている、としか思えない。 >「当然」と言うなら、一緒に調べたらよいだろ。その態度だと、 >一生懸命調べてソース出しても後で、難癖付ける場面がありありと >思い浮かべられるな。 全くその通りですね。 おっと、私は単なる通りすがりの第三者だ。 話は替わるが、先日仕事関係で南京戦に参戦した元兵士(90代)の方に お会いして、少しだけ話を伺った。当人は、ほんの一部しか見ていないが 捕虜・民間人の虐殺は確かにあった、という。それが、虐殺か大虐殺か という問題は別にして。当時の日記もまだ残っているそうなので、いずれ じっくりと見せてもらうつもりだ。
>226 >いいや、全く信用できない >まずは素性と連絡先の確保 自分で相手を信用できないなんて言っておいて、相手が素性と連絡先を教えてくれるとでも思っているのかね。 >244 >>「当然」と言うなら、一緒に調べたらよいだろ。その態度だと、 >>一生懸命調べてソース出しても後で、難癖付ける場面がありありと >>思い浮かべられるな。 >全くその通りですね。 難癖つけられる程度のソースしか出してこない様子が目に浮かぶw 【主張する側がソースを出す】のは当然だろう?
>>244 >「いいねえw」「資料を実際に確認できるなら是非お願いしたいw」
>と書きながら、いざ実行の段になると気がひけて無理難題を押し付けて
>逃げている、としか思えない。
肯定派は否定派に
「一緒に確認してください」
とお願いする立場なのだから、まずアポイントをとって準備を整えてから
「一緒に行きましょう」
と言うべきだろう。
肯定派がアポイントをとるのに否定派の素性も連絡先も必要無いだろう?
アポイントをとってから否定派が「一緒に行かない」といったなら文句を言えばいい。
アポイントをとる前から否定派の素性にそこまでこだわる理由がわからない。
それとも否定派の素性を知ることに他の目的があるのか?
フリーのメールなんかを利用して捨てメールアドレスを作成し、何度か確認メールで連絡取り合ったら良いだけだろうに。 前向きな書き込みが「一切無い」ってのも、なんだかなーと思うぞ。
確かな証拠を根拠に人殺し呼ばわりするならいいけど、つっこまれてあたふたしちゃうような史料程度でなぜ信じちゃうんだろ?
あれこれ、突っ込みを入れることができない歴史事実なんて皆無だろ。 ホロコーストしかり、月着陸しかり。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/26(日) 13:54:10 ID:jjk02rm+0
>>246 肯定派も否定派も立場は対等。
本当にアポイントをとっても、ドタキャンされたら意味がない。
一緒に確認することが大切で、両派とも納得せざるを得ない。
ただ、ID:w6sHahZz0は、あれこれと屁理屈を垂れて敵前逃亡するだろうがね。
くだくだ言ってないで、早速ID:G6+jylrz0と連絡を取り合って、
君も一緒に現物を確認してきたらどうかね。
なんか別スレで核心が、小野さんは中国側に寄贈しているとか言ってるな
本当かどうかしらんが
中国は上海しか行った事ないんで、旅行がてらいつか虐殺記念館くらいは行ってこよう
>>247 トリつけて書き込み、待ち合わせ場所で会って携帯でトリ書き込みで
お互い本人と確認、みたいな方法考えてたけど、もうどうでもいいや
>>244 upしろとは言わない
拝見したら是非お話を聞かせてください
>>250 >肯定派も否定派も立場は対等。
>本当にアポイントをとっても、ドタキャンされたら意味がない。
まずアポイントをとってから言うべき。
一緒に確認しようと手配しておきながら「中国に渡してしまったので、もうありません」なんて言われたらそれこそ意味が無い。
まだ何も行動していないのに
>敵前逃亡するだろう なんて決め付ける態度は相手に失礼では?
>>252 >昨日は、小野氏の苦労を捏造まがいの扱いをされて少々頭に血が上りすぎた
議論する点は、小野氏がどれだけ苦労したか、という点では無い。
小野氏が苦労した事と、日記が事実である事とは何の関係も無い。
例え小野氏が言葉にできないような苦労をしたとしても、渡された日記が本物とは限らない。
日記を持つ遺族が本物と信じても、内容が事実とは限らない。
日記が本物で、内容が事実だとしても、匿名にされてしまえば確認できなくなる。
日記に書かれた名前の人物が、当時南京にいなかった場合、日記の信頼性は無くなる。
匿名とはそれだけの危険性がある。
匿名で発表している以上、小野氏は批判されることも、信頼性が低下することもわかっていたはず。
それを無視して「小野氏が苦労しているから本物」等というのは唯の思考停止でしかない。
>>239 自分で自分の説を否定してどうするのよ?(大爆笑
ゴム袋の存在を証明できず携帯天幕で充分と言い出したに過ぎないんだろ?
お金は貴重品袋に入れ、首から下げ腹の辺りにしまい込んでいた。
濡れると困る軍隊手帳は布で巻き込む作りになって簡易防水になっている。
軍隊手帳の収納先は貴重品袋だろう。小遣帳も多分同じ収納先。
小遣帳は万年筆で書かれる物なのか?
紙幣は濡れると使えないのか?
兵卒(除士官)が小型の手帳に万年筆の細かい字でびっしり書き込み、貴重品袋に携帯なら矛盾しない。
大判ノートに万年筆 絶対ムリポ
大判ノートに鉛筆 かなりムリポ
手帳に万年筆 可能
手帳に鉛筆 一番あり得る。
小野の日記はどの形態だったんだ?
>>254 面と向かって「まったく信用できない」なんて言ってる相手から信用してもらうために
自分から素性や連絡先を教えてやろうなんて考える物好きはいないだろう。
俺ならそんな相手に、何か自分のことをひとつでも教えてやろうなんて気にはならないね。
しかも自分から「小野氏の日記を調べに行こう」なんて言い出したわけでもないのにな。
「俺はお前を信用しないがお前は俺を信用させるために素性を教えろ」ってか。
いったい何様のつもりだ。
>>255 お前は心底馬鹿だよ
小野氏の苦労を持ち出したのは「自分が熱くなりすぎた」事の原因と反省
「小野氏が苦労しているから本物」など一言も言ってないし
もちろんそれで信用してもらえるなど思ってないからそれを担保にするつもりは無い
自分が信憑性の担保を説明したのは学者や当事者からの疑義が無いって部分だ
どうせ鸚鵡返ししてくるだろうが君のそのレスを端的に評価すると
ただの藁人形叩きだね
>>256 自説が違うと思えばそりゃ訂正するさ
君は何一つ間違わずにいられるんだろうが
どちらにせよ、鞄だとしても天幕で鞄ごと覆えば問題ないだろう
>>258 君からはあの恥知らずの臭いがするわ
>>261 兵隊さんは鞄を持っていたのですか?
是非ともソースをおながいします(大爆笑
2chは馬鹿と暇人のものとはよくいったもんだが
(付け加えるなら馬鹿と暇人と恥知らずか)
技術系のスレは話の通じる人が多いが政治的な場所ほどくだらん人間が多いわ
>>262 存在したが、web上に無いから無いってことでいいよ
ここで事実と違うことが確定しようが何の影響もないし
もう、ほんとバカバカしくなった
馬鹿とかかわると本当に人生の無駄だわ
便所の落書きでなに言ってんだこのパーフェクト馬鹿はw
写真は無いが「麻引きゴムの軍用袋、内側ゴム引きの防水仕様になっています」 ってのが出品されたことがあるようだ どちらにしろこれだけ情報が無いってことは、あまり出回ってなかったんだろう じゃあな、馬鹿と恥知らずども
>>267 九段軍人会館酒保製となっているから、士官用じゃないのか?(大爆笑
ゴム引きの防水小袋が軍装となっていたなら終戦までに少なくとも300万袋は製造されていたはずで 今でも軍装品店なり、各地の資料館にかなり残っているはずなの。
>>258 まあ、おおむね同意ですねw
自分で「やろう」と言い出しておきながら、「全く信用できない」、「まずは素性と連絡先の確保」「それくらいの手間は負え」などと言われる筋合いは無いんだがなあw
ハッキリ言えば肯定派に信用してもらう必要など無い。
信用できるのは『証拠』。
肯定派が出そうと否定派が出そうと証拠は嘘をつかない。
唯、肯定派はその証拠でさえ捻じ曲げて解釈し、ありもしない証拠を信じろと言う。
で、発言の根拠を尋ねると逆切れした挙句逃亡。
そんな連中を相手にまともに相手をするつもりは無いw
匿名の日記の問題点は>255の指摘どおり。
匿名の日記が原因でどのようなことが起こったか?
「朝日新聞」の犯罪
ttp://www.history.gr.jp/~nanking/asahi.html 匿名であるだけで信頼性ゼロという見本。
匿名同士の議論ではこれが限界か
>>272 >271
>「朝日新聞」の犯罪
>
ttp://www.history.gr.jp/~nanking/asahi.html より引用w
連隊会「新聞記事によると、その当用日記は1月1日から毎日欠かさず、12月31日まで記入されているとあるが
本当か」
支局長「そのとおりだ。表紙はボロボロとなっており、白い紙質は褐色に変じ、インクの色も変色して、昭和12年
に記載されたものに違いないと判断した」
連隊会「支局長!!それはおかしいでないか!!戦争をしている兵隊が毎日、日記がつけられると思いますか。
鉛筆書きならともかくインクで書いているとは恐れいる。現代ならいざ知らず、当時はペン書きするにはスポイト
でインク瓶からインクを補充せねばならない時代だが、戦場へインク瓶を携行するとは考えられないことだし、
またカメラを携行して虐殺現場を撮影したとあるが、農村の一兵士が当時カメラを購入することなど思いもよら
ない時代で、ましてや一兵士が戦場へカメラを持参するなどとんでもない話だ。将校でもカメラを携行した者は
一人もいない。支局長のポストに就任されるだけの学識ある支局長が、日記を毎日記入してあり、かつペン書
きとあるだけで、これはおかしいぞと思い、カメラ携行とあるだけでもこれは臭いとお考えにならなかった支局長
ご自身の方がよほどおかしいと私たちは思うのですが!!」(支局長 応答無し)
いずれ怪しいって程度。疑問があるならきちんと調査したらよいだろ。
主張にはソースが必要だというのは当たり前の事だと思っていたが。 調査も何も、最初からソースを出せば何も問題は無い。 ソースも無しにその場限りの適当なことを言うから、疑問をもたれたり調査したりしなければならなくなる。
結局、結論ありきで語っちゃってるんだな。
なんだ、結局肯定派は泣きながら逃亡したまんまかw つまんねえなw
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/29(水) 00:19:17 ID:3xOzBZL5O
根拠もなしに肯定するのは朝鮮人のみ。
ここも肯定派が死屍累々(w
同じ人が何度も死んだり生き返ってる希ガス
まあ 肯定派最後の望みである無裁判処刑が粉砕されたから肯定派は出てこられないだろう(藁
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/07/30(木) 00:12:55 ID:NLEmwc0q0
パンクしてるわけじゃないんだから誘導すなよ。。
レスが300にもならない時点で肯定派が虐殺されているのに、他へ逃げ出してどうするんだろうw
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/02(日) 01:32:59 ID:WvDAxARLO
南京虫
南京肯定派大虐殺
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/03(月) 00:29:26 ID:s2A7Vyec0
結局のところ、肯定派の主張は否定派の反論を覆せることができないということ でよろしいでしょうか?私自身は、肯定派というのはなにがなんでも「あった」という ことにしたい派としか思えません。いわゆる「南京大虐殺」という歴史上の大事件が あったならば、誰もが納得せざるを得ない明確な証拠があって当然ですよね??? 要するに「事実の有無」という論争自体が起こることがありえないはずです。 論争がありうるとしたら「正当性の可否」くらいのことでしょ?その点については 議論の余地があるかもしれませんが、教科書問題でいう『南京大虐殺』とは無抵抗な 市民虐殺のことでしかありませんから、これについては明らかなデッチアゲでしか ありませんね。 肯定派はこの点について説明したうえでなければ議論する資格がありませんね。
このスレも寂しくなっちゃったな。
小野氏が見つけたという資料について、板倉氏が問い合わせしたら 「顔も見たくない」と拒絶したというね。 見られて困るものなのかね。 秦氏も「南京事件 増補版」で「匿名なのが残念だ」と書いていたな。 検証のしようがないからね。 南京事件の代表的な研究者が検証もできないような代物であることはたしかだな
293 :
■■■■■■■■ :2009/08/04(火) 20:11:40 ID:j4gz+GVO0
さて、南京大虐殺があったかなかったかで議論が長くなっているようだが、 旧日本軍の残虐行為というのを南京だけに限定するのもナンセンスであろう。 日中戦争で皇軍が虐殺した中国人は3500万だったというのが、中国政府の主張だ。 残念ながら3500万でなければ何だと言われても、代わりの数字を出すことはできない。 代わりの数字が出せない以上は、「3500万」をとりあえず受け入れるしかない。 南京で仮に婦女子のみで30万が虐殺されたにせよ、日中戦争全体からそれば100分の1にすぎず、 従って南京大虐殺が30万だったか軍人だったか婦女子だったを論じるのは全くのナンセンスだ。 ここは南京にばかり拘らず、日中戦争全体をマクロで考察していきたい。 す ご い ぞ 9 7 式 中 戦 車 チ ハ ! いったい1944年以降、日中戦線の制空権は日本VS米中で、どっちの側にあった? 皇軍の四式戦疾風は、ドイツのME262なんてオモチャに見えるほどの活躍だった? そうでないとしたら、敵機の乱舞する戦域で地上軍が南北縦貫3000キロを突破したということで、 惨めなのは専ら中国人のほうだぞww
まあ 自分が苦労して掘り出した資料に愛着が有るのは分かる。 それそれと資料批判は別物。 資料批判をさせない小野は学究の徒ではなく単なる南京マニア。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/23(日) 00:18:35 ID:2vZR55EP0
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/23(日) 04:01:37 ID:W3WqeonR0
3500万? 自然死の年間死亡者数ってどんくらいか知ってるか? 人口の1%。 当時4億の中国は年間400万死亡。 9年分の自然死を丸々日本のせいにすると成立するが。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/08/23(日) 04:34:02 ID:jF6Uj1nq0
中国はデマばっかりいうから信用できない。
このスレの言ってること自体も信用できない。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/13(日) 09:49:47 ID:9hvcacRZ0
さ、南京スレの季節がやってきましたよ
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/13(日) 12:14:22 ID:bYdYoHfC0
正直日本軍シャブ中論が勃発したので もう日本軍を信用できない。なにやっててもおかしくない。 そろそろ肯定派に転向しようかな。
>>300 1937年に日本陸軍が覚醒剤を使用していたのか?(大爆笑
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/16(水) 01:50:42 ID:GcHcDwPXO
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/08(木) 03:10:40 ID:pO511QWd0
肯定派全滅 晒し上げ
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/23(金) 01:05:53 ID:oPSbwcd40
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/23(金) 02:31:17 ID:la4zTB5YO
日本軍が30万人も中国人を僅かな武器で、しかも移動手段が徒歩で殺せたならアメリカなんか簡単に倒せように…。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/23(金) 03:41:11 ID:nv3zC+J1O
あ、さて、あ、さて、
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/25(日) 10:25:13 ID:GCo8pLjJ0
30万人も殺されて、人口が増えたのはなんでだろ。
308 :
注目 :2009/10/28(水) 11:28:21 ID:+jUdM06b0
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/28(水) 20:57:34 ID:+Wo6klUuO
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/29(木) 10:52:42 ID:kxdncxU0O
南京虐殺を信じてる人って頭大丈夫なのか?
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/22(日) 00:43:22 ID:Na0+onEx0
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/23(月) 03:46:51 ID:CXsUtDo00
オレのばあさん南京に居たらしいんだわ 蒋介石が出て行った屋敷でお手伝いさんみたいなことしてたらしい いわゆる”南京事件”の何ヶ月か後だったはず そのときの写真見せてもらったけど 町の中国人の子供とか女の子とかと楽しそうに写真に写ってたよ 南京攻略後と言えど、少なくとも当時それほど嫌日感情があったとは思えんかった
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/27(金) 17:22:14 ID:Esx8vKIg0
>>312 おばあさんが何故南京にいて蒋介石の住んでいたところのお手伝いをしていたのか説明して貰わないと
にわかには信用できない話ですね。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/30(月) 12:43:11 ID:Lh2AxLM+O
南京虐殺30万人説を唱えた「レイプ・オブ・南京」の著者アイリス・チャンは、自説の根拠として ラーベ日記を挙げ、華々しく同時発刊パーティーを行ったが、後の調査で、 ラーベがドイツ国内で「南京虐殺5万人説」を唱えてあちこちで講演を行っていた事実がばれた。 矛盾に陥ったアイリス・チャンは、ラーベ否定に走り、事実上破綻した。 その後、否定派の質問に整合性ある回答が出来なくなった彼女は、鬱病で自殺した。 一説では、「レイプ・オブ・南京」の虚構性が白日に晒されるのを恐れた中国共産党が、 彼女の口を封じるために暗殺したとも言われるが、証拠はない。 このような事実をみても、南京虐殺が幻であって、根拠のないプロパガンダであるのは明らかと言える。
で、大体5万人程度の虐殺があったと。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/30(月) 19:33:59 ID:+7cXSHPzO
>>315 それはラーベの主張に過ぎず、事実は確認されていない。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/01(火) 11:35:46 ID:oKTKNXaJ0
>>316 そうだね。人数は不明だがラーベが記録したような大規模な虐殺があったと言うことだ。
>>317 > そうだね。人数は不明だがラーベが記録したような大規模な虐殺があったと言うことだ。
日記の何月何日に記録されているんだ?
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/01(火) 18:06:39 ID:oKTKNXaJ0
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/01(火) 20:36:01 ID:sM46qp73O
>>317 >人数は不明だがラーベが記録したような大規模な虐殺があったと言うことだ。
人数が不明→大規模な虐殺があった
これは明らかに論理矛盾。そしてこれが大虐殺肯定派の脳内パターンwww
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/01(火) 21:33:11 ID:7XDjRVsF0
ラーベの日記に「ラーベ自身が大虐殺の現場を見た」という記述は出てこない。 具体的な大虐殺の被害者の数も出てこない。 ラーベ日記を読んでも、どんな人間が何人殺されたのかさっぱり分からない。 虐殺なるものは、全て、ラーベが雇っていた中国人が一方的に言い出した こと鵜呑みにしてそのまま日記に書いているのだ。 中国人使用人の申し立てに対するラーベ自身の検証は全く無い。 ラーベ日記自体は南京大虐殺5万人説の証拠にすらなりえない。 当時は、日本軍の強姦事件、日本軍の略奪事件に関する目撃情報 が数多く日本領事館に訴えられているが、領事館職員が現場に赴いてみると、 そのような痕跡は全くなく、よくよく調べると、目撃者なる人物は 氏名年齢も明かさず、匿名の場合が殆ど全てなのである。 反日中国人や、国民党員達による反日プロパガンダ、と言うのがラーベ日記の 実態だろう。
これがラーベが実際に見た最大の死者数 南京の真実/ジョンラーベ/講談社/1997年/ページ124 12月17日 (中略)軍政部の向かいにある防空壕のそばには中国兵の死体が三十体転がっている(写真18)きのう、 即決の軍事裁判によって銃殺されたのだ。日本兵たちは、町をかたづけはじめた。(引用了 正当な裁判なので、当然ながらラーベは日本軍に対して抗議はしていません。 また日本軍は、国際委員会のメンバーに対して城内の行動制限をしていません。 支那人から通報があれば何処にでも行って撮影することが出来ます。 支那の主張の様に城内で30万人殺害されたのであれば、または肯定派の主張の様に数万単位であっても 千人単位の市民の死体の山をラーベなり他のメンバーが山を目撃していなければおかしいのですがねえ(藁
>>322 > 支那の主張の様に城内で30万人殺害されたのであれば、または肯定派の主張の様に数万単位であっても
中国の主張では、南京城内とその周辺で30万な
中国の南京大虐殺のページ行けば、被害者数の地名も載ってて
城外の地名がちゃんとあるから、城内だけって認識じゃないよ
なぜか勘違いしてる人が多いんだけど
>>323 なるほど、その中国の南京大虐殺のページでは具体的な城内、城外の死者数はどうなっているのですか?
>>324 日本の南京大虐殺のページ左に、他の言語ってあるだろ?
そこの中文ってところクリックすれば中国の南京大虐殺ページに飛ぶよ
当然、englishとかはそれぞれの国のページでそれぞれの言語圏の人たちが編集している
>>326 あ、ごめん、肝心なとこ忘れてたw
そう、wikipedia
まああれに書いてある事が事実とは言わないが
少なくとも中国語圏の人たちがどんな認識でいるのか知るには手っ取り早い
>>328 えー・・・そのページの、総合制作「南京大虐殺記念館」って文字はなんですかね
>>329 まあそれが中国側の認識なんで
日本側学者との主張にもズレがあるのは今に始まったことではないし
日本側資料は不足しているから秦先生ですら30万人を嘘とは決め付けられないとは言っている
学者ですらそう判断してるものを話にならないと切って捨てる君は何者かね
中国の認識を「支那の主張の様に城内で30万人殺害」と間違えてたところからして
あんまり詳しい人じゃななさそうだけど
>>330 >日本側資料は不足しているから秦先生ですら30万人を嘘とは決め付けられないとは言っている
秦氏がこんなこと言ってたっけ?
一番新しい本(『南京事件 増補版』)では、今ある日本側の資料と
見つかってない資料の幅を持たせた研究として
秦氏が不法殺害と認識している数字は「4万を大幅に下回る」と
書いてたはずなんだけど
ここで南京大虐殺の殺害地域や殺害人数について議論していると聞いてやってきました。 ソースに基づいた議論が行われるのか、個人の妄想が垂れ流されるだけなのか実に楽しみですw
なんだか全然議論が進んでないですねえw まあ代わりに気になった点をいくつか。 >329 >つまり中国側の主張では安全区内で5000人以上が殺害されていることになります。 > >話になりませんわw 全くですね。 紅卍字会の埋葬記録でさえ城内での埋葬数は1,795体なのに。 埋葬関係に関しては紅卍字会の埋葬記録以外に信頼できる資料は存在しないはずなんですがw 崇善堂の記録を持ち出す無能な連中も存在しましたが、自分で持ち出した資料でさえ証明できませんでしたしw 仮にも自称学問板なら多少は論理的な結論がだせるものと期待しますw
>>330 参照のURLは、neverforget.sina.com.cn
大虐殺記念館のURLは、www.nj1937.org
WHOISでドメイン名の詳細を見ると、同じ組織が取得した様には見えないのですが。
WIKIの数字はいったい何処から持ってきた数字かと言う話になり www.nj1937.org から
参照したものであるのか判らない。
www.nj1937.orgドメインから「大方巷」を検索してもそれらしき数字は見つからない。
大方巷難民収容所ばかりがHITする。
「15 大方巷 用化工厂 民收容所(1938年1月3日). 所 :汪成 孔平良 一批助手. 民人数:2800人。」
大虐殺記念館のHPは学術資料として東史郎とかレイプオブ南京を記載している おもしろすぎw
WIKIの数字は、今のところ出所不明。
>>332 秦氏が4万人説なのは知ってるけど、確か言っていたと記憶している
理由は先にも言ったように、日本側資料が乏しすぎて反論に説得力が乏しいとかなんとか
まあ自分も中国の言い分は誇大だとは思うけど、中国の主張もよく知らなかった彼が
>>329 一体どういう明確な根拠をもってそういってるのか聞き出す為の突っ込みなんで
秦氏が言ってないなら言ってないでいいんだけど
とりあえず、
>>329 は根拠を教えてよ
>>335 >
>>330 > 参照のURLは、neverforget.sina.com.cn
> 大虐殺記念館のURLは、www.nj1937.org
> WHOISでドメイン名の詳細を見ると、同じ組織が取得した様には見えないのですが。
そうは言っても、大虐殺記念館のtopからもリンク貼ってあるし、
総合製作に名前を連ねてるから関係ないわけじゃないんじゃない?
どっちにしろ、中国側の認識がどうなってるかの部分への突っ込みだから
そこに拘ってwhois持ち出す意味がよくわからん・・・
一応、魚雷営なんかはそのページに「4万人近く」と書いてあるよね
で魚雷営の碑文に「武装解除した兵を15日に9千人以上殺し、
さらに同月3万人以上の軍民を殺し・・・」てなことを書いてあるのがわかるんで
それぞれの場所に殺害人数が書いてあったり、碑文になくてもどっかに資料の看板みたいなのが設置されてて
それをまとめてんじゃないかい
それ以前に日中戦争で5000万人死んだとか宣う中国の主張に何の意味があるやら・・・ どうせ適当に言っているんだから相手にする必要ないだろ
まあこっちは、中国の主張が「城内で30万人」は間違いだよ ってのを指摘するのが目的でレスしただけなんで 別にそれ以上はわりとどうでもいい なんかやたらレスが返ってきたから少しお付き合いするはめになったけど
>>336 >30万人を嘘とは決め付けられない
のソースがほしいんだけど、どうも君も適当いってただけのようだね
人に根拠ソースはもとめるけど、自分は適当でもいいというスタンスの人のようで
>>339 判った。 あなたが言いたいのは殺害場所が城外と言いたいのねw
各々の殺害場所付近は、田園で人戸まばらなのよ。
南京は門前と下関以外は一歩城外に出ると、田園です。
付近の住人を集めて殺しても、とてもこの数字にはなりません。
城内から連行して、その場所で殺害しないと無理な数字です。
当時の地図を見ると明かでしょう。
ttp://uproda.2ch-library.com/193744gvt/lib193744.gif 燕子磯は地図の北側で切れている。
宝塔橋はもう少し上流の現在の南京長橋のあたり。
屠殺地点 所在位置 遇害人数
燕子磯 城外 50,000
草鞋峡 城外 60,000
宝塔橋 城外 30,000
魚雷営 城外 10,000
>>340 悪かった
どこで見聞きしたのか覚えてないんで辿れんのよ
なのでそれは間違いってことでいいよ
>>341 人数が正しいかどうかは知らない
たださっきの碑文などには、どうもその付近で戦っていた中国兵を武装解除して殺したとか
連行してきて殺したという感じで書いてあるから
城内以外にいて投降してきた中国兵や、城内城外に散らばる軍民を捕まえて
って認識でいいんじゃないか
いや、それが真実かどうかじゃなくて、あくまでも中国側の認識する南京大虐殺像がどんなものか、って意味でね
>>341 かといって城内から人を連行した形跡すら発見されていない
つまりその数字自体がファンタジーだと言うだけの話ですね
いや、中国の碑文を読む限り、武装解除した兵も多数含まれる 城外で戦っていた兵が投降してきたってのは日本側資料にもあるんで 城外の人間も多数含むって認識でいいだろう つか、城内の人間しか殺してないって判断はどこでしてるんだ? さっきから城内から城内からと、やたらそこに拘ってるが その判断基準を示してくれんか もちろん、城内からの連行分もあったと思うけどね 第6旅団「南京城内掃蕩要領」には、 「青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし」 とあるので、もしこれら青壮年を殺処分してしまったのなら それが城内からの連行分になるんだろう
>>344 ねえ、頭にウジ何匹湧いたら中国の言い分を信頼で得きる様になるの?
なんだこいつ、何も人の話聞いてない
>>346 「信じちゃいない」と予防線張りながら、シナの言い分の詳細をフォローしながら推測する君のスタンスって何なの?
「元々捏造なんだから整合性など有る筈がない」ってのが普通の「信じちゃ居ない」人の考えじゃないのかな?
>>344 >「青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし」
>とあるので、もしこれら青壮年を殺処分してしまったのなら
>それが城内からの連行分になるんだろう
何の根拠も無い妄想ですね。
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/9D.html#1 水谷荘一等兵 日記「戦塵」
第9師団 第6旅団 歩兵第7連隊 第1中隊
十二月十六日
目につく殆どの若者は狩り出される。
子供の電車遊びの要領で、縄の輪の中に収容し、四周を着剣した兵隊が取り巻いて連行してくる。
各中隊とも何百名も狩り出して来るが、第一中隊は目立って少ない方だった。
それでも百数十名を引き立てて来る。
その直ぐ後に続いて、家族である母や妻らしい者が大勢泣いて方面を頼みに来る。
市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃殺する。
皆必死に泣いて助命を乞うが致し方もない。
真実は判らないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだいう。
多少の犠牲者は止む得ない。
抗日分子と敗残兵は徹底的に掃討せよとの、軍司令官松井大将の命令が出ているから、掃討は厳しいものである。
>百数十名を引き立てて来る
>市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃殺する
百数十名のうち銃殺されたのはわずか36名。
ちゃんと選別が行われたことを示している。
逮捕監禁≠処分だという証拠。
私は南京大虐殺についての中国の言い分を信じていたのですが、このスレを読んで信じられなくなりました。 何だか、壮大な陰謀に善良な日本人が皆騙されていたような気がします。
南京の周辺で暴れまくってた人って、状況的に日本軍ではなくむしろ敗走中の国民党軍だと思うがな。
ところで南京大虐殺記念館は国立?市立?党立?財団法人? 入場無料の時期が有ったという話だから私企業が運営しているわけじゃないだろうなあ。 国立なら.gov.cnドメインを使うはずだし公立、財団法人なら.org.cnを使うはずで 古宮博物院は.org.cnを使っている。 なぜ.orgと.com.cnなんだ? 野良ドメインを使うことによって南京30万が中国政府の公式見解ではないと言いたいんだろうか? 野良ドメインからの発信ではいつでも切り捨てることができるが .gov.cnからの発信では中国政府の公式見解だと言質を取られるからねえ。
>>347 そりゃ言い分を正しく知らないで嘘だなんていえないでしょう
「あんたの言ってる事は知らないがとにかく嘘だ」なんて説得力無さ過ぎるじゃない
信憑性はともかく、相手の言い分は正しく認識した上で反論すればいいんじゃないでしょうか
>>351 みたいに
>>348 まあ確かに
全部殺したわけではないんでしょう
あとは殺した正確な数字がわかればいいんですけどね
21名殺した、36名殺した、1200名殺した、と続くわけで
全ての部隊の処刑した人数がわかれば、どこそこの碑文にある人数は正しくはこうだ!
と強く言えるんですがね
>>351 ていうかなぜ15万?
魚雷営の死者は4万人近く、っていうのが言い分だと思うんだけど
>>354 碑文の人数と虐殺は何の関係も無いのですが。
歩兵第7連隊が行ったのは安全区の掃討。
安全区の中から摘出されたのは便衣兵。
兵隊が死んだのが何か問題でもあるのでしょうか?
どちらにせよ虐殺と関係ないのに碑文の人数だけが確定しても意味は無いのでは?
まあ、きっと肯定派が碑文の人数と虐殺の関係を証明してくれるでしょうw
もっともいままでそれを証明できた肯定派など存在しませんがw
>>355 広い南京市城外でも4地点は隣接しているのよw
燕子磯がちょっと離れているが城壁から遠ざかる方向。
マッピングして気がついた。
屠殺地点 所在位置 遇害人数
燕子磯 城外 50,000 魚雷営から下流4km
草鞋峡 城外 60,000 魚雷営から下流400m
宝塔橋 城外 30,000 魚雷営から上流1km
魚雷営 城外 10,000
え? てことは碑文の人数に、処刑した人の数は入ってないってこと? あれは別カウント? 意味がわからない
>>358 碑文の人数は戦死、処刑、兵士、民間人一切を区別していない。
戦死した兵士の死体があるからといって「虐殺された死体」と判断しますか?
>>359 魚雷営の碑文には、「武装解除した兵を15日に9千人以上殺し、
さらに同月3万人以上の軍民を殺し・・・」なんだから、戦闘中の死者とは考えづらいと思うのですが
武装解除した兵を殺したのなら、被害側として虐殺だと主張するのも無理からぬ話と思いますよ
屠殺地点 所在位置 遇害人数 燕子磯 城外 50,000 草鞋峡 城外 60,000 宝塔橋 城外 30,000 魚雷営 城外 10,000 煤炭港 城外 5,000 龍江口 城外 700 中山碼頭 城外 10,000 下関 城外 5,500 大方巷 5,000 谷寺 城外 40,000 漢中門 3,000 江東門 城外 10,000 上新河 城外 30,000 中華門 花神 城外 30,000 雨花台 城外 10,000 其他地方 計 299,200 谷寺を調べてみた。やはり中山陵の東側で当時田園で周辺の人家はまばら。寺は今でも鬱蒼ととした森の中 寺の南を東西に走る中山路は、退却する中国軍が大混乱を起こしたところで又激烈な戦闘が行われた場所。 戦死者が多数発生してもおかしくはない。 戦死者を虐殺とするには無理があるなぁ。 この40人中に市民がいると主張するとなると城内から連行したことになる(藁
漢字が出ないね 「谷寺」 「(ヨの下に火) 谷寺」 40人->4万人
>>360 便衣兵は被害者ではなく無関係な市民を意図的に巻き込んだ加害者。
武装解除された兵士は捕虜として収容されている。
「南京戦史」329P 安全区の掃蕩より
安全区内の掃蕩を担当した歩七は、十二月十四日より二十四日に居たる間、
便衣兵(引用者註:正確には便衣隊)六、六七〇名を処分した。
また戦車第一大隊大地中隊(歩七に配属)は戦闘により
撃滅した七、八十名のほか二五〇人を捕虜として収容。
以上を含む第九師団の処分累計は約七、〇〇〇名である。
(第九師団作戦経過の概要、歩七戦闘詳報、戦車第一大隊第一中隊戦闘詳報、『伊佐(歩七聯隊長日記)』
戦車第一大隊第一中隊の敗残兵掃滅と捕虜後送
十四日、歩七に配属された戦一第一中隊は安全区周辺を掃蕩中、
我(引用者註:多分この「我」は日本軍の意)に抵抗する敗残兵七、八十名を射殺。
なおこの際投降の意思表示をした二五〇人は捕虜して収容し、後送の処置をとった。
歩七は十二月十四日より二十四日の間、六、六七〇人の敗残兵を摘出処断。
【投降の意思表示をした二五〇人は捕虜して収容し、後送の処置をとった】
つまり殺されたのは武装解除の意思を示さなかった兵士。
自分の意思で投降という選択肢を選ばなかったのだから攻撃が続行されただけ。
>>361 魚雷営の碑文には連行したものかどうか書いてないからわからないが
中山埠頭の被害者1万人は、はっきりと連行してきた青年とかいてあるみたいだから
これらは城内や周辺から連れてきたってのが中国の主張になるかな
>>363 何の話をしているのか全く理解できない
戦闘の話はしてないんだけど
武装解除した兵の人数と、それを最終的にどう処理したかが問題でしょ
なんで武装解除の意思の無い兵士の話になるの
>>364 なるほど連行に際して国際委員会は抗議しなかった訳ね。
シナが適当に作った碑文の内訳議論してどうするんだ? 元々捏造なんだから数が合う訳無いだろ
>>366 国際委員会ってラーベのこと?
なんかラーベの日記読むと、自分の身の回りの中国人や自分自身守るのに精一杯って感じで
抗議しなかったっていうか、抗議しても聞いてくれないだろうと諦めてる感じだね
「二百人ほどの中国人労働者の一団に出会った。
安全区で集められ、しばられ、連行されたのだ。我々がなにをいってもしょせんむだなのだ。
元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし五百人が連行された。
機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると、銃殺されたにちがいない。あんまりだ。恐ろしさに身がすくむ。」
>>368 不思議だね。それほど圧倒的な力がありながら、安全区には掃討作戦以外に手を出さずに
何故か安全区外や城外では殺し放題だったというのが肯定派の主張ですよね
ひょっとすると肯定派って「ラーベは嘘つきだ」ぐらいに考えているんですかね?
>>368 最高法院に中国兵を匿う事自体犯罪なんだが?
逃亡幇助でラーベ自身が罪に問われてもおかしくはない。
>>369 ????????????
全く話の内容がつかめない
なんで「何故か」なんだ??
安全区には掃討作戦以外に手を出さずに?
日記全部読んだ?
しかもいきなり「ラーベが嘘つき」??????
>>373 ラーベ行為は明らかに三条に抵触しますがなにか?
中方軍令第一号
中支那方面軍軍律左記の通定む
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根
中支那方面軍軍律
第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す
第二条 左記に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す
一、帝国軍に対する反逆行為
二、間諜行為
三、前二号の外帝国軍の安寧を害し又は其の軍事行動を妨害する行為
第三条 前条の行為の教唆若は幇助又は予備、陰謀若は未遂も又之を罰す 但し情状に因り罰を減軽又は免除することを得
第四条 前二条の行為を為し未だ発覚せざる前自首したる者は其の罰を減軽又は免除す
とりあえず日記まともに読んでないみたいだから補足するけど 収容した兵は武装解除して収容している 武器は後で日本軍に引渡し そして武装解除した兵も引渡す ラーベはこれで捕虜にしてもらえば、とりあえず危害が及ぶことはないと考えていたんだね
厳密に言えば軍律は中国治外法権下の国民には適用されない。具体的には日米英払伊の外国人には適用されない。 ラーベはドイツ人なので軍律を適用される。まあ日本軍が国際委員会のメンバーだから不問に付しただけでしょう。
>>375 ラーベに中国軍を指揮する権限は与えられていませんが?
>>365 >武装解除した兵の人数と、それを最終的にどう処理したかが問題でしょ
>なんで武装解除の意思の無い兵士の話になるの
武装解除した兵だからといって捕虜として扱われるとは限らない。
捕虜には裁判を受ける権利や戦時重罪として処罰されない権利がある。
(便衣兵〈戦時重罪〉はおおむね死刑)
しかし便衣兵にはそんなものを要求する権利は無い。
便衣兵だと判断されればその場で処刑されても当然。
海軍大臣官房 『戦時国際法規綱要』
(ハ)処罰
(1)戦時重罪は、死刑又は夫れ以下の刑を以て処断するを例とす。
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/gunjikeisatu.html 軍律制定に関する意見
参謀部第一課
意見なし
参謀部第二課
左に該当する者は厳罰に処す
一、日本軍の位置、兵種、兵力、行動等を他に漏らしたるもの
二、流言蜚語を放ち治安を妨害せるもの
三、日本軍の布告文「ポスター」等の貼付を拒否妨害、毀損したるもの
四、便衣隊、密偵、兵器等を隠匿せるもの
~~~~~~~~~~~
五、混乱の機に乗じ掠奪暴行を敢てし罪を日本軍に帰せしめたるもの
六、治安維持を拒否し又は之に当れる支那人の行動を妨害せるもの
七、兵器を所持するもの(P195)
中国治外法権下の国民??????? 具体的には日米英払伊の外国人には適用されない?????????? ラーベはドイツ人なので軍律を適用される????????
軍律によれば便衣兵は原則死刑w 軍律に規定すべき条項は其の地方の情況によりて必ずしも画一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に処するを原則とすべきである。 一、間諜を為し及びこれを幇助したる者 二、通信交通機関を破壊したる者 三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者 四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者 五、我が軍隊軍人を故意に迷導したる者 六、一定の軍服又は徽章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者 (仮令ば便衣隊の如き者) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 七、軍隊の飲料水を汚染し、又軍用の井戸水道を破壊したる者 八、我が軍人軍馬を殺傷したる者 九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若しくは隠匿したる者 十、戦場に於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者 十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又は横領したる者 而して此等の犯罪者を処罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を軽んじ、 惹いて良民に冤罪を蒙らしむることあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は 軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。 (篠田治策著『北支事変と陸戦法規』 外交時報788号掲載 外交時報84巻に収録)
>>377 なんかもう、見聞きした単語を適当に連ねてるだけみたいなんでどうでもいいです
>>378 どこをどう判断して便衣兵なの?
12月3日に逃亡した馬南京市長は市庁舎の金庫の鍵、食料ほかを委員会にあずけ市民の面倒を依頼されているから 市長の権限は移譲されていると見るのが順当だが、唐生智防衛軍司令官はそのままと逃亡して司令の権限の移譲はなかった。
>>379 事変であって戦争ではないから、こういうややこやしい法解釈になっているの
知らなかったか?(w
>>383 あなたの頭の中だけの話だろうから全くわかりようがないね
ていうか、単語のつながり方、レスが妙に噛み合わない内容
本気でやってるとしたらあんたなにかしらの精神疾患抱えてると思うよ
>>384 理解不能になってアイヤーですか?(w
日中戦争下の軍律解釈は「中公新書1218/北博昭著/日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道/中央公論社刊/1994年12月20日発行 」
があるからじっくり読みなさい。
>>385 あなたの頭でそんな本読むから、なんだかそれらしい単語は出てきても
それらを正しく繋げられず、
>>376 のような意味不明な前衛的文章が生まれるんですね
貴方と話しても人生の無駄なのでこのへんで
>>381 >どこをどう判断して便衣兵なの?
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page034.html 『南京戦史』P387
査閲の方法は、第十六師団参謀長・中沢三夫氏の『極東裁判における宣誓供述書』によれば、「日支合同の委員会を構成し日支人立会の上、一人宛審問し又は検査し、委員
が合議の上、敗残兵なりや否やを判定し、常民には居住証明書を交付し、 敗残兵と認定された者は之を上海派遣軍司令部に引き渡した」ということであるが、師団副官・宮本
四郎氏の遺稿によると、捜査にあたった司令部の大行李長・瀬戸大尉の話として「ズボンをまくりあげさせ、短ズボンを穿いていた奴は太股に日焼けの横線がある。此奴は兵隊
である。・・・・・・紛らわしいのは逃亡兵の方に入れる。それが逃亡兵でない時は、本人が言い張るばかりでなく、難民区から見に来ている男女中国人が、この男は何町の呉服屋
の店員だとか、これは私の妹の子供だと泣きすがって哀願する婆さんが現れたりして、決着がつく」と記している。
また、兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れ
ば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着
が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」
他にも銃を撃つときに出来る手の肉刺、ヘルメットの日焼けの跡、軍隊から支給された下着等。
12月の南京では半月程度の軍事訓練で手に肉刺が出来たり、ヘルメットやズボンに日焼けの跡がつくほど紫外線が強烈だったり、軍隊にしか支給されない下着を身に着けてい
たりしていたなら別ですが?
>>386 あなたが事変における占領地での法執行を知らないだけですよ(w
>>387 いや、ラーベが武装解除して元兵士として収容してる状態を
どうやって「市民に紛れて武器を手に取り攻撃する便衣兵」と解釈できるのかを聞いてるのですが
しかもそれ敗残兵の見分け方で、便衣兵とは一言も説明にないんですけど
平服を着て戦闘中降伏もせずに市民に潜伏した兵士って言えばわかるのか?
>>390 俺が聞いたのは、ラーベが武装解除して元兵士として収容してる状態を
どうやって「市民に紛れて武器を手に取り攻撃する便衣兵」と解釈できるのか
ですよ
「武器を手に取り攻撃する便衣兵」と逝っているのは6IzVy76k0だけだろw
ラーベや国際委員会のメンバーが武装解除などできる権限も 能力もないんじゃないの 大前提として武装解除にはなってない
>>389 敗残兵なら軍服を着用しているはずなのでわざわざ選別の必要さえありませんが。
たとえ一見武装解除されているように見えても武器を隠していれば反撃は可能ですが。
現に安全区から大量の武器が見つかってますが。非武装地帯の安全区になぜこれだけの武器が存在したのでしょう?
ttp://www.geocities.jp/huckbeinboxer/kokubou012.html 『南京城内掃蕩成果表』
【1、消耗弾】
小銃5000発 重機関銃2000発
【2、刺射殺数(敗残兵)】
6670
【3、鹵獲品】
15糎砲2門 同弾薬約600発
20糎級砲8門 同弾薬約1000発
小銃960挺 同実包39万発
水冷式重機関銃12挺 軽機関銃33挺
拳銃103挺 同弾薬26万1350発
高射砲1門 高射機関銃1挺
山砲6門 同弾薬82発
追撃砲10門 同弾薬57万2218発
戦車砲弾3万9000発 銃剣390挺
手榴弾5万5122発 青龍刀2020振
対戦車砲2門 戦車4台
機関砲1門 自動貨車16台
便衣服2300着 夏衣袴2万5300着
>>393 ではラーベが武装解除した、と言ってる状態はどういう状態なの?
>>394 先ほど、ラーベが武装解除した武器を日本軍に引き渡すつもりであると日記に書いてある
と言いましたが人の話聞いてますか?
>>394 ていうか「安全区」からと言ってますが、安全区は城内の一角ですよね
その表には「南京城内掃蕩成果表」って書いてありますけど
なんで安全区からの成果だと判断したんですか?
109ページ 12月13日 (略)中国軍の三部隊を見つけて武装解除し、助けることができた。 全部で六百人。武器を投げ捨てよとの命令にすぐには従おうとしない兵士もいたが、 日本軍が進入してくるのをみて決心した。我々はこれらの人々を外交部と最高法院へ収容した。 私ともう一人の仲間はそのまま車に乗っていき、鉄道部のあたりでもう一部隊、四百人の中国軍部隊 に出くわした。同じく武器を捨てるように指示した。
>>395 北のゆうこうもんでは、督戦隊が待ち構え、逃げ場もなく
混乱する中国軍が安全区内に逃げ込んだ。
その際に武器や軍服を投げ捨てた中国兵もいた。
その状況で日本軍がきて、安全区を捜索するといってきた。
ラーベが武装解除したことにして安全区に逃げ込んだ
中国兵をなんとか助けようとした こういう状態じゃないのか?
>>397 自十二月十三日 至十二月二十四日 南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
歩兵第七連隊の担当は安全区。
「歩兵第七連隊は安全区の掃討を行っていない」とでも主張するか?
>>396 武装解除した武器を日本軍に引き渡すつもりであると日記に書いてあるのは何月何日?
>>401 十二月十三日
>>400 そこがその資料からは読み取れないから、何をもって安全区からの成果物だと
貴方が言ってるのか聞いてるのですけど
特に根拠は無いけど、ラーベが武装解除した以外の分がどれ程みつかったのか教えてくれますか
>>399 全部あなたの想像じゃないですか
何かそれを裏付ける資料は?
ていうかどっちにしろ武装解除して収容してる状態じゃないですか
>>402 「それ」とはどれのこと?
権限もないし能力もないラーベが武装解除したなんて状況にはなっていないから
前提からしておかしいね
110ページ 12月13日 (略)シュペアリングは非常に厳しい固い表情で正面玄関にたち、モーゼル拳銃を手に、といっても 弾は入っていなかったが、武器をきれいに積み上げさせ、ひとつひとつ数えさせていた。 あとで日本軍に引き渡さなければならない。 武装解除を実行して武器を集めたのはシュペアリングで、それを見たラーベが感想を言ったわけだ。
大将が降伏した訳でもなく単に開城した大混乱の当日に 軍の権限など特にない部外者の外国人が武装解除ですかw
>>403 それとは、あなたの想像のことです
全部あなたの想像といいました
だからあなたのレス全部です
権限もなく能力もなければ出来ないというのはあなたの決め付けです
実際にラーベが武装解除したと日記に書いています
あなたは「前提からしておかしい」と言ってますが
その前提とやらはあなたの頭の中にしかありません
>>404 日本軍に引き渡すつもりであったことに変わりは無いでしょう
>>405 実際にできたからそう日記に書いたんでしょう
別に物理的に不可能というわけではない
できるわけがないという根拠はなんですか?
>>406 武装解除という言葉を使ったからといって武装解除したことになる
というのがものじゃないよ 君の武装解除の根拠はそれだけ
のようだけど。
>>399 は当時の実際の状況のことをかいている
テンプレ
初歩的な事項に関するソースの提示を求めてはいけません。自分で調べましょう。
>>407 安全区委員会の人数考えたら物理的に不可能じゃないのかな?
>>408 まあ、あなたの主張が想像以外何もない事にはかわりないですけどね
>>409 武装解除するかどうか決めるのは兵士です
兵士はただ突っ立ってるだけで何もしない
武器を集める事もしないのですね
>>407 >実際にできたからそう日記に書いたんでしょう
実際に出来ていないが。
ラーベ日記2月3日
チャイナプレス1月25日
中国軍の将校が隠れていた!
報道によると、高級将校が外国大使館に隠れていた。
12月28日に安全区で摘発、高級将校23名、初級将校54名、下士官、兵1498名。
南京保安隊長は難民区4区の工作を指導、八八師副師長馬宝山中将と警察局高官もいた。
馬将軍は反日感情と動乱を扇動、王新蕘保安隊長は部下3名と掠奪強姦市民に対する脅迫をしていた。
また、発見された武器は、大砲一基、チェコ製マシンガン21丁、ライフル50丁、手榴弾7000発などである。
----------------------------------
『The Good man of nanking』 172-173 ラーベ日記の英語版)
南京事件資料集・アメリカ関係資料編P444 青木書店
『ニューヨーク・タイムズ』1月24日上海発 ハレット・アベンド
「本報告の報じる南京における査問会議は、難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に中国人将校23名下士官54名、兵士1498名が隠れていた、その内の一部は掠奪の件で処刑さ
れたということを明らかにした。
これらの高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難している事が、特に強調された。
これらの平服の中国軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。
某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽砲1、機関銃34、小銃弾42.000、手榴弾7000、砲弾500、迫撃砲2.000が発見された。
>>410 それほどシナ兵士が統制が取れていたら、所謂便衣兵など発生する訳無いですねw
>>410 「大本営がこういった」ということでそれがそのまま事実にはならないよね
こちらは当時の実際の状況から中身を判断するね
○○がこういった、こう書き記しているという1次資料があったとしても、
では実際にどうだったのかということが重要なんでないの?
武装解除したはずの中国兵が安全区に潜伏し反日撹乱工作を行っているな。 これだけを見てもラーベの行動は中立とはいえない。 それどころか本当に武装解除したのかすら確認できない。 『南京虐殺の徹底検証』P275 展転社 東中野修道著 それが、1938年1月3日上海発の『ニューヨーク・タイムズ』の記事(1月4日付)である。 「元支那軍将校が避難民のなかに---大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。 ≪ 南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機 関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる 前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう≫
武装解除を第三者が確認したところで 相手側が確認しなければなんの意味もありませんが なおかつ交戦中の敵兵を「安全区」に「収容」したところで 潜伏しているだけなんですが
>>411 武装解除したのはその部隊じゃないんだけど
あんた話の論理的整合性無いのかい
>>412 逆に便衣兵って統率とれてて士気が高いからできるんだと思うけど
なんにせよ、ラーベがその日に武装解除した部隊の話をしてるんで
>>413 では実際にどうだったか、それは確かに重要だね
でもそちらは想像以外に何も根拠が無いのはつらいところだね
>>414 >>415 まあ、その部隊は知らんけど
13日に連れ去られた部隊は武装解除したって資料以外無いんで
他の部隊もってこられても困るわ
武装解除して収容した兵士の扱いについては
どう理解されるかはもう平行線だね、これは
あとは他の人がどう判断するか、だろう
日本人でも、外国人でもいいけどね
とりあえずいい加減ねるわ
>>416 便衣兵と南京で言う所謂便衣兵は別物でしょ
奴らは逃走する為に「市民を襲って衣服をはぎ取った」
只の山賊紛いですからね
コレを以て「士気が高い」とか、俺を笑わせる作戦か?
うーん
中身がないねぇw
>>363 の時点で終わってるんだよなぁw
>>416 ラーベの日記
12月13日
元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし五百人が連行された。
機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると、銃殺されたにちがいない。
あんまりだ。恐ろしさに身がすくむ。
これが何?
ラーベは最高法院から連行された中国兵がどうなったのか確認していない。
>銃殺されたにちがいない
と決め付けているだけ。
連行された人達がどうなったかというと、
>348
>市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃殺する。
市民と認められるものは帰している。
つまり連行された四百ないし五百人は銃殺されたのか、釈放されたのか一切不明。
それを無視して
>銃殺されたにちがいない
と決め付ける根拠は?
>>420 絶対にそうなった、とは言えないでしょうが、
ラーベが「射撃音が幾度も聞こえた」から「銃殺されたに違いない」と想像するのは
特に不自然でもなんでもないと思いますよ
ていうかあなた、ご自分の論理展開がおかしいことに気がつかないんですか?
>>348 の理屈を適用してしまうと不明じゃなくなってしまうのですが
>>348 は「市民を釈放」して「敗残兵は銃殺」したんです
ラーベが収容したのはどちらですか?
皆元兵士ですから、あなたの理屈で言ったら釈放すべき人はいなくなり、皆銃殺になりますよ
少し落ち着いて考えたらどうなんですか
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/05(土) 16:11:55 ID:gE09ZRf30
南京大虐殺の真実 東京裁判の検察側は肯定派で、否定派よりも多くの労力 と資金を投入して調べ、 連合国の威信をかけて調査し、かつ事件より日時の経過 が少ないのですから信憑性はたかいでしょう。 さて、にもかかわらず当時の担当判事のコメントです。 Richard H. Mynear著「勝者の判断」より 「東京裁判は、法的手順の不備と南京事件のような事実 の誤認があった。 しかし箝口令が敷かれており、裁判中は自由に発言する ができなかった。」 ベルト・ファン・A・レーリング判事(東京裁判オランダ代表 判事) またパール判決書の中で“南京大虐殺の証拠の多くは、国 民政府のプロパガンダを多く含んでいる。”といっている 反論以前の話です。 台湾で発見したとする『中央宣伝部国際宣伝処工作概 要』(1941年)を調べて下さい。(ググッテ)
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/05(土) 18:34:55 ID:mtIn9dWJ0
肯定派は決して「南京大虐殺」を定義しないのが特徴
否定派は定義しているの? つーか、延々30万人を「定義」してそれを提示しているだけでは? 文句言っても修正しないしな。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/05(土) 22:13:58 ID:wjeZ81HQ0
「南京で無抵抗の民間人を日本軍が殺しまくった数は30万人」というのは完全な嘘。 こんな根拠のない主張を垂れ流すのは中国共産党のみで、日本の肯定派の中でも こんなデタラメなプロパガンダを信じる奴は殆どいない。 だが、南京大虐殺(大屠殺)記念館から表彰されている日本人がいるんだな。 誰とは言わないが。「南京〜閉ざされた記憶をたずねて」とかいう阿羅健一も驚くような 眉唾本と絡んだ連中だったと記憶している。 阿羅はこの本に関して「軍隊経験の無い人間が書いたとしか思えない非常識な箇所がたくさんある」 東中野はこの本に関して1000箇所を越える誤記誤謬がある、と指摘している。 肯定派は中国の犬だな。アイリスチャンと同じだ。
中国の主張がどこまで少なくなるか楽しみw 屠殺地点 所在位置 遇害人数 城内 大方巷 5,000 無理 漢中門 3,000 無理 中華門 城北 燕子磯 城外 50,000 無理 草鞋峡 城外 60,000 無理 宝塔橋 城外 30,000 無理 魚雷営 城外 10,000 無理 城東 ヨ火谷寺 城外 40,000 無理 城西 江東門 城外 10,000 無理 上新河 城外 30,000 無理 城南 花神由 城外 30,000 無理 雨花台 城外 10,000 無理 下関 中山碼頭 城外 10,000 無理 下関 城外 5,500 煤炭港 城外 5,000 龍江口 城外 700 其他地方 計 299,200 1936年5月 南京人口政区分布 (南京人口志による) 戸数 戸口 家族数 第一区 27,513 154,749 5.56 第二区 18,549 95,586 5.15 第三区 17,297 98,219 5.67 第四区 27,892 148,675 5.33 第五区 31,082 155,020 4.98 第六区 14,334 78,081 5.44 第七区 19,223 95,669 4.97 第八区 8,784 35,919 4.08 城区計 164,669 861,918 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 燕子磯区 12,722 58,361 4.58 孝陵区 7,004 34,046 4.86 上新河区 13,542 64,823 4.78 郷区計 33,268 157,230 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 合計 197,937 1019,148 5.14 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>421 >絶対にそうなった、とは言えないでしょうが、
>ラーベが「射撃音が幾度も聞こえた」から「銃殺されたに違いない」と想像するのは
>特に不自然でもなんでもないと思いますよ
想像にいったい何の意味があると思ってるんだw
たとえばラーベが>348で日本兵が百数十名を連行するところを目撃していたとして「射撃音が幾度も聞こえた」ので「銃殺されたに違いない」と想像する。
しかし実際には>348では「市民と認められる者は直ぐ帰して」銃殺されたのはわずか「三六名」
この時ラーベが「日本兵が百数十名を射殺した」と主張したらそれが正しいとでも言いたいのかw
ラーベの日記から確認できる事は「最高法院の建物から、四百ないし五百人が連行された」 事と「機関銃の射撃音が幾度も聞こえた」事だけだ。
中国兵が連行された後どうなったのか見なくても確認できるのかよw
--------------------------------------------------------------------
投降兵の状況
島田勝己氏の遺稿(歩兵第三十三連隊第二機関銃中隊長)
中国兵は、小銃を捨てても、懐中に手榴弾や拳銃を隠し持っている者が、かなりいた。
紛戦状態の戦場に身を置く戦闘者の心理をふり返ってみると、「敵を殺さなければ、次の瞬間、こちらが殺される」という切実な論理に従って行動したのが偽らざる実態である。
(「証言による『南京戦史』(9) =『偕行』1984年12月号P5)
--------------------------------------------------------------------
こういう状態でラーベが「武装解除した」と言っても信用されるわけは無いな。
そしてこういう状況で武器を隠し持っていたのが発見されれば射殺されて当然だな。
だいたい兵隊が1000人程度死んだからどこが虐殺なんだとw
>>426 だいたいあんたの言う南京大虐殺の定義は?
期間は何月から何月まで?
範囲は城内?城外?
人数は30万?20万?10万?4万?
犠牲者は兵士?民間人?
肯定派によって期間も範囲も人数もバラバラ。
そんなのを一つ一つ相手にしていられないから中国の主張する「南京で無抵抗の民間人を日本軍が殺しまくった数は30万人」というのを
基準にしているだけだ。
実際、兵隊が殺された例ばっかり持ち出してきて何か意味があるのかとw
兵隊が死ぬのは当然だろうw
南京の真実/ジョンラーベ/講談社/1997年/ページ135 12月22日 軍事警察本部からだといって日本人が二人訪ねてきた。日本側でも難民委員会をつくることになった由。 従って難民は全て登録しなければならない。「悪人ども」(つまり中国人元兵士)は特別収容所に入れることになったといっている。 登録を手伝ってくれないかといわれ、ひきうけた。そのあいだも、軍の放火はやまない。 12月28日からの平民分離は憲兵隊と国際委員会の合同作業だったわけだw
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/05(土) 23:17:51 ID:dtHOp9XU0
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 00:22:03 ID:Qj5/5Khw0
即レス
>>424 も定義を問われたとたん黙るとかwwww
予言通りですかww
>>433 延々「超厳密な」定義を、何度も何度も聞いてくるバカらしい対応も、想定済みで、ワンパターン過ぎるんだよ。
ちょっとは知能を働かせろよw
>>435 だから兵隊が死んだからどうした?
南京大虐殺ってのは兵隊が死んだことなのか?
>>436 捕虜の処刑と民間人の殺害、それら大小が集まったものがあちらさんの言う南京大虐殺でしょ
中国は、まがりなりにも地域別死者数を出している。 日本の肯定派も持論の地域別死者数を出してみたら?
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 07:44:42 ID:Qj5/5Khw0
>>434 定義以外にはすぐ現れるんだなw
どーしてもいやなんだなww
30万人以上 孫宅巍 (江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館、台北市の国軍歴史文物館 十数万人以上 笠原十九司(都留文科大学教授)、洞富雄 (早稲田大学教授)、藤原彰(一橋大学教授)、吉田裕(一橋大学教授)、井上久士(駿河台大学教授)、 本多勝一(ジャーナリスト)、小野賢二(化学労働者)、渡辺春巳(弁護士) 4万人前後 秦郁彦(現代史家・元日本大学教授・法博) 数千〜2万 畝本正己(元防衛大学校教授)、板倉由明(南京戦史編集委員・南京事件研究家)、原剛(防衛研究所調査員)、中村粲(獨協大学教授) 各論の地域別死者数はどうなっているんだろうねえ まさかトップダウンで数字を決めた訳じゃないだろw
>>439 どうしても、定義問題にこだわりたいんだよなw ワンパターンすぎる。
しかも、こだわる問題点を挙げても完全無視ww
>>440 は?色々意見が違うのは当然。
国際委員会は連行についてはまったく抗議していないようですなぁ。 南京国際委員会文書一覧 文書No. 日時 概要 宛先 作成者 1 1937/12/14 一般市民の保護について 南京日本軍司令官 ラーベ 2 1937/12/15 武器を捨てた中国兵について 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 ラーベ 3 1937/12/15 南京国際赤十字社結成について 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 フォースター 4 1937/12/15 特務機関長との会見の覚え書 特務機関長 スミス 5 1937/12/16 暴行、治安対策、食料要求など 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 ラーベ 6 1937/12/17 強盗、強姦、殺人の蔓延 南京日本帝国大使館 ラーベ 7 1937/12/18 暴行、強姦、兵士の取り締まりについて 南京日本帝国大使館 ラーベ 8 1937/12/19 暴行事件報告 南京日本帝国大使館 スミス 9 1937/12/21 放火、暴行、略奪への抗議 南京日本帝国大使館 南京在住外国人一同 10 1937/12/21 南京市の放火事件にかんする判定 南京日本帝国大使館 11 1937/12/21 暴行事件抗議 南京日本帝国大使館 スミス 12 1937/12/22 憲兵司令布告 13 1937/12/26 暴行事件抗議 南京日本帝国大使館 スミス 14 1937/12/27 食料、石炭要求 南京日本帝国大使館 ラーベ 15 1937/12/27 石炭要求 南京日本帝国大使館 スミス 16 1938/01/04 暴行事件報告 南京日本帝国大使館 ラーべ 17 1938/01/07 市内の秩序について 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 ラーべ 18 1938/01/13 小麦と米の無料配布について 南京日本総領事代理・福井 フィッチ 19 1938/01/14 食料石炭の供給について 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 ラーベ 20 1938/01/15 食料品の輸送について 南京日本帝国大使館 ラーベ 21 1938/01/17 石炭食料の輸送関連 アメリカ大使館/アリソン スミス 22 1938/01/17 石炭食糧配給について 南京日本帝国大使館 ラーベ 23 1938/01/18 食糧問題 上海キリスト教総会/ボイントン フィッチ 24 1938/01/19 食糧問題 アメリカ大使館・アリソン/イギリス大使館/ドイツ大使館 ラーベ 25 1938/01/26 配給問題 アメリカ大使館・アリソン/イギリス大使館/ドイツ大使館 ラーベ 26 1938/01/28 寄付依頼 イギリス大使館・ブリュン ラーベ 27 1938/02/06 義捐金関連 アメリカ大使館・アリソン ラーベ 28 1938/01/27 食糧事情 南京日本帝国大使館 ラーベ 29 1938/01/28 食糧配給 南京自治委員会 ラーベ 30 1938/01/30 国際委員会の地位について ドイツ大使館・ローゼン博士 ラーベ 31 1938/12/03 難民収容所閉鎖問題 日本大使館・日高 ラーベ 32 1938/01/10 国際委員会の地位について アメリカ大使館・アリソン スミス 33 1938/01/10 リッグズ氏が巻き込まれた事件 アメリカ大使館・アリソン スミス 34 1938/02/19 委員会名称変更について アメリカ大使館・アリソン スミス
>>441 >色々意見が違うのは当然
その意見の違う部分を鮮明にするために地域別死者数を出すべきと言っているんだが。
マッピングは分析の基礎だぞw
>>443 今まで出ているんじゃないの?改めて出して何か変化あるか?
>>442 これを見ると安全区内の軍民分離が終わった1/8以降ぱったり事件がなくなった。
日本軍の配置は12月21日以降変わっていないにもかかわらず。
やっぱり事件の犯人は安全区に侵入した敗残兵じゃないの?
>>444 過去スレには無いよ。肯定派のHPでも地域別死者数はみたことないよw
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 10:46:47 ID:/pT8yrX+O
>>424 肯定派の主張を一つ一つ虱潰しに反論すればいいだけ。
従って、否定派の定義は不要だ。
☆宇宙人は地球に来ていない。
★ではその宇宙人を定義して見ろ!
☆来ていないものは定義できない。
★ほうれ見ろ!定義できないのだから、否定派の主張には根拠がない。
従って、宇宙人は地球に来ているのだよ!!
これと同じ。肯定派は滅茶苦茶だなwwwwww
>>446 とりあえず、秦教授のモノを支持する。
>>447 そのやり方は、正否が比較的はっきり出る理系学問の手法だろw
南京事件の問題って理系学問じゃないしな。
国際委員会に報告された事件を集計すると以下のとおり。 殺人 49件 傷害 44件 強姦 361件 連行 390件 掠奪その他 170件 連行が最多の390件、しかし国際委員会は連行を日本に対して抗議していない。 国際委員会と合同で軍民分離を行っているから日本側に抗議できるわけが無い、 委員会側の責任問題にもなるからねえW
自分で調べろよw で、それ提示したらどうなるの?
>>451 地域別死者数を聞いていたんだが?
地域別死者数を知らないのなら何のためにレスしたの?
それから秦氏の4万人説は、上限を4万人とするだけで下限については口を閉ざしているよ つまり秦説はゼロから4万の間。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 11:41:21 ID:/pT8yrX+O
>>448 >そのやり方は、正否が比較的はっきり出る理系学問の手法だろw
南京事件は文学や芸術の解釈問題とは違う。
例えば、「不確定性関係」のように曖昧なものは曖昧のまま区切って論を先に進める。
これが厳密に学問を論ずる者のやり方。
ところが肯定派は、故意に曖昧化し、論点をずらし、誤魔化そうとする。
これでは厳密な議論は不可能だ。
犠牲者の人数を算出するにあたり信頼できる資料として譚道平の『南京衛戌戦史話』 (東南文化出版社1946年)での記録がある。 譚道平は南京防衛軍総司令官であった唐生智の腹心であり、南京防衛司令長官部参謀 処第一科科長。 "参謀処第一科"とは作戦を担当する部署で、譚道平参謀は作戦科の責任者で、南京防 衛軍の戦力を知る立場にある。そういう意味では一番信頼性が高い推計であると言える。 『南京衛戌戦史話』によると南京防衛軍の兵力を「戦闘兵49,000人、雑兵32,000人、 総兵力81,000人」 と記している。注目すべきは総兵力の行方について「損失36,000人、 保存44,500人」と算出している点。 「損失36,000人」とは戦死、逃亡、行方不明など全て『兵士』の合計。 つまり南京大虐殺で殺害された兵士が「36,000人」とすると戦死者はゼロということになるw 死亡した兵士の数は0〜36,000人。 では民間人は? 肯定派が秦氏の「最大4万人」という説に従えば兵士の死者は0〜36,000人、民間人は4,000〜40,000人ということになるw 民間人の犠牲者4,000〜40,000人の証明が必要だなw できるものならやってみろw
>>453-454 と、あまりに極端なことを言うw
「厳密な論議」ってのはそもそも歴史学では不可能で、無理。そりゃ、できるだけ厳密であろうとする態度は必要だがねw
秦氏の説はなあ、この人慰安婦ではそれなりにちゃんと数字出してるんだけど
南京の殺害数4万が上限というのはさすがに・・・
何かいろいろ範囲を絞りすぎてるんじゃないか
秦氏の被害者詳細がわからないのでなんともいえないが
ちなみに日本側資料の見つかってる分だけでこれだけある
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking1 見つかった資料で処刑した記述があるもので8万
処刑した記述がないが殺された可能性があるものを含めると14万
さらに見つかってない資料があることを考えて、14万+αまで可能性はあると考える
なので、自分は笠原説にちかいかな
笠原説に近いっていうか、笠原説を支持、か
笠原でも良いのだが、ま、秦センセの調査にとりあえず賛成。 もっと詳しい調査が出てきたら、状況をみて乗り換えはするよ。そりゃ。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 18:57:38 ID:MnEBY4us0
以下引用
この本は、昭和二年八月に刊行された『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の
内容をそのまま翻刻したものである。
読んでいただければお分かりのように、『南京漢口事件真相』は昭和二年の三月から四月
にかけて、中国の南京、漢口を中心とした揚子江流域各地で起きた、中国軍兵及び中国民間人
による日本人襲撃事件の実相を証言や公文書を用いて臨場感鮮やかに再現したものである。
普通これを「南京事件」と呼んでいる。
解題と解説の引用終わり。
http://ameblo.jp/campanera/entry-10206666249.html
>>457 >ちなみに日本側資料の見つかってる分だけでこれだけある
リンク先より
日本軍が集団虐殺した中国軍民の数
出典:「南京事件」(笠原十九司 岩波新書)224〜225ページ
南京事件に関する、日本側の記録
「第一一四師団第六六連隊第一大隊 戦闘詳報」
いまどき笠原説を支持する肯定派が存在したとは(笑)
それに過去レスで肯定派が全く反論できなかった第一大隊戦闘詳報www
肯定派には学習能力が無いのかよw
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/06(日) 22:04:08 ID:Qj5/5Khw0
マッピングという手法は全体像を掴むオーソドックスな方法で否定している学者はまずいない。
死者数を算定する方法として、
1 埋葬記録を積算する。
2 証言を積算する。
3 人口動態から差を求めその差を死者数とする。
4 戦闘詳報を積算する。
2の方法は証言を証明するのは難しい。
3の方法は避難民を考慮することができないので死者数を積算するのは無理
4の方法は重複、誇大戦果を排除するのが難しい。
秦説では1の埋葬記録を死者数の積算に使用している。この場合も記録の真贋を確認する必要が有る。
>>457 戦闘詳報を元にして位置をマッピングしないのでしょうか?マッピングすると矛盾が生じるからでしょう(藁
笠原説は市民の死者はゼロということでいいのですか?
>>462 >遁走www
これで勝ったと思っているんだろうなw
>>463 >死者数を算定する方法として、
>
>4 戦闘詳報を積算する。
これは偕行社「南京戦史」が行っているな。
・偕行社「南京戦史」により抜粋
()は準拠公式史料 、「」は南京戦史において史料に挙げられているもの、『』はその他
1.雨花門外歩六六の第一大隊…約600名処断(歩六六第一大隊戦闘詳報)
2.幕府山山田支隊…約3000名処断(数は推測)(戦史叢書、郷土史証言)『栗原証言、飯沼日記、山田日記、朝日新聞、両角手記』
3.玄武湖東方―下関、太平門歩三三…約2000名処断(歩三三戦闘詳報)
4.獅子山歩三三第二大隊…約200処断(歩三三戦闘詳報)
5.難民区東方歩二〇第四中隊…328名銃殺「歩二〇第四中隊陣中日記」
6.難民区歩七(掃討)…約6500名処断(第九師団作戦記録概要、歩七戦闘詳報、戦一第一中隊戦闘詳報)
7.馬群付近歩二〇第十二中隊、第三機関銃中隊…約200名銃殺「小戦例集、牧原日記」
8.和平門東西歩三八、歩三三…約400名処断「佐々木少将私記」
9.南京近郊歩三十旅団…約2000名処断「佐々木少将私記
10.その他の諸隊(推定)約1000名処断
合計…約1万6千名
(注意:あくまで南京戦史における推計。かつ、違法かどうかには触れられてない)
「南京戦史」の数を全て合計しても1万6千人程度。
なおかつ戦闘詳報に記録されるのは「戦果」、つまり兵隊だけw
1936年の南京の人口は周辺部を含めて約100万、現在は740万。 当然周辺地域は宅地に開発されている。 建物を立てるには地面を掘る必要がある。 地面を掘れば埋葬されている人骨が出てくるはず。 1938年当時は人力で穴を掘っていたわけだから穴の深さはせいぜい1m 南京では大量の人骨が出ているのか? 国立大虐殺記念館の工事では19体人骨が出たという話だが。
さっそくグーグルマップで南京市を見ると… 高層建築は他の中国の都市みたいに多くないみたいだね。大抵が歴史が感じられる建物だ。 で、陸上競技場の近くになにかないかと、写真をクリックすると…。 「南京大屠殺五台山記念碑」ってのがある。当然ここで遺体が発見されているんじゃないの?でも、 この記念碑なぜか倒されているような気が…。なんで? んー。でもあちらこちらに高層建築や高層アパートあるなあ。
>>465 >1.雨花門外歩六六の第一大隊…約600名処断(歩六六第一大隊戦闘詳報)
↓
捏造確定済w
>2.幕府山山田支隊…約3000名処断(数は推測)(戦史叢書、郷土史証言)『栗原証言、飯沼日記、
山田日記、朝日新聞、両角手記』
↓
>111より実行不可能と証明済w
>6.難民区歩七(掃討)…約6500名処断(第九師団作戦記録概要、歩七戦闘詳報、戦一第一中隊戦闘詳報)
↓
>348>387より
選別が実行されている事を証明済w
16000人-600人-3000人-6500人=5900人www
軍人でさえ『違法かどうか不明』なのが六千人程度w
どこが『大虐殺』なんだかwww
南京で土木工事を行い人骨が発見された場合にどのような処理がされているかまったく不明。 人骨を発見した場合、公安に連絡して事件性があるかないかの確認をするはず。 複数体発見された場合は公安は現場周辺を発掘して捜索するはずなんだけどねえ。 発見現場の土をふるいにかけて遺留品を捜索し埋葬時期を推定するはず。 南京市ではそういう基本的なこともやっていないのかなあ。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/07(月) 12:52:02 ID:MA6P9cg9O
南京は大昔から何度となく戦場になっているから 人骨が出たとしても、いつの時代のものか分かるまい。 で、30万人分の人骨はでたのか?
>>470 10人でも出たら朝Pが喜んで記事にするでしょう。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/07(月) 21:54:16 ID:8jkZqqw20
下関でシナの敗残兵を3000余り、重機関銃で処刑した、という話が阿羅健一の
「日本人48人の証言」に出てくる。だが、その噂を聞いた新聞記者が現場に赴いても
死体は1体も無く、虐殺があったような痕跡は無かったという。
>>472 とすると、崇善堂の埋葬記録は嘘、と言うことになる。揚子江に流すのは埋葬ではない。
仮に埋葬扱いにしたとしても、敗残兵処理で男女半々ということはあり得ない。
しかも、崇善堂の埋葬記録は、1〜3月で7500体くらいなのが、4月だけで10.5万体
と極端に増える。埋葬場所は「城根」(城壁の際)「付近の荒れ地や菜園」などと記され
すべて、地名が特定できないのである。
崇善堂の埋葬記録が嘘であるのはもはや自明である。
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2001/12/03/post_198/
普通に南京関係の資料にあたった人なら 紅卍会や崇善堂は土に埋葬 皇軍が河川敷で処刑した分は川に流した という記述の日記や記録がたくさんでてくるのは常識
>>474 普通に南京関係の資料にあたった人なら
証言した人物が実在するかどうかも不明な匿名や仮名の証言や日記などの
記録ばかりがたくさんでてくるのは常識w
具体的に、どの証言や日記がそうなんだ?で、そういうのが「たくさん」だって根拠は?
>>476 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」…17個
「南京戦・元兵士102人の証言」…102個
合計119個w
100個以上あれば十分「たくさん」と言えるんじゃないかなあw
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」と「南京戦・元兵士102人の証言」を除けば碌なのがないしw
>182
>「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」
>★【斉藤次郎】陣中日記
>★【伊藤喜八】陣中日記
>★【宮本省吾】陣中日記
>★【柳沼和也】陣中日記
>★【遠藤高明】陣中日記
>★【本間正勝】戦斗日記
>★【菅野嘉雄】陣中メモ
>★【近藤栄四郎】出征日記
>★【黒須忠信】陣中日記
>★【目黒福治】陣中日記
>大寺隆陣中日記
>
>「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」に収録されている19の文書のうち、
>“大寺隆陣中日記”と“天野三郎軍事郵便”のみが実名
>残りの陣中日記は全て匿名w
>
>「南京戦・元兵士102人の証言」
>全員仮名w
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/08(火) 05:26:10 ID:qgbwUZZZ0
>>464 勝ちってなに?
小学生かwwwww久々に声出してワロタ
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/08(火) 08:20:28 ID:lk7bDUgsO
>>477 どちらも、肯定派が自爆したネタ本として有名だ。
真鍮製のベルトバックルとか貝ボタン、ベークライトボタン、真鍮ボタンなどに白銅製小銃弾は、 地中で百年以上はそのまま保存される。 南京の工事現場で人骨が見つかれば、人骨付近からそれらが見つかって当然。
仮名とはいえ自衛発砲説を覆すことになる「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」 自衛発砲説が真実だとして、なぜ濡れ衣をきせられる事になる本人や遺族は、何も抗議しないんだい? 仮名でも山田隊がやったとまで絞り込まれてなぜ黙ってるんだい? 実名の大寺隆の日記も、他の日記と特に矛盾するところはなく 捕虜はみんな殺したとあるが、それは都合よくスルーかい? 仮名ですら幕府山で「捕虜を逃がしてやった」という日記が出てこない否定派は哀れだねえw
>>482 >111
>
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html >第13師団103旅団第65連隊第1大隊所属栗原利一伍長証言
あたりが薄暗くなりかけたころ、田中(栗原)さんのいた位置とは反対側で、捕虜に反抗されて少尉が一人殺されたらしい。
「刀を奪われてやられた。気をつけよ」という警告が伝えられた。
田中(栗原)さんの推測では、うしろ手に縛られていたとはいえ、さらに数珠つなぎにされていたわけではないから、たとえば他の者が歯でほどくこともできる。
危険を察知して破れかぶれになり、絶望的反抗をこころみた者がいたのであろうが、うしろ手にしばられた他の大群もそれに加われるというような状況ではなかった。
一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
【「刀を奪われてやられた。気をつけよ」という警告が伝えられた】
【他の者が歯でほどくこともできる】
【絶望的反抗をこころみた者がいたのであろうが】
反抗して士官を殺したなら殺されて当然だろうw
それとも捕虜ってのは、反抗しようが、逃亡しようが、敵の仕官を殺そうが殺されないとでもw
>>482 肯定派の言う「大寺隆陣中日記」の内容はコレw
「十八日 今朝は昨日に変る寒さ、夙は吹く、小雪は降る。
整列は○八三〇。後藤大隊長、矢本中隊長の訓示の後、各分隊に分かれる。午后は皆捕虜兵の片付に行った、オレは指揮班のため行かず。
昨夜までに殺した描虜は約二万、揚子江岸二か所に山のように重なっているそうだ。
七時だがまだ片付隊は帰って来ない。
十九日 午前七時半、整列にて清掃作業に行く。揚子江岸の現場に行き、折重なる幾召の死骸に驚く。
今日の使役兵師団全部。石油をかけて焼いたため悪臭甚だし。午后二時までかかり作業を終わる」
「捕虜の死体を片付けた」と言ってるだけで、捕虜が殺害された現場を目撃しているわけでないし、捕虜が殺された理由が書いてあるわけでないし、捕虜が何故殺されたのか一切不明w
それこそ自衛発砲説のように反抗して殺された結果とも言えるんだがw
それとも肯定派は「捕虜の死体の片付け=虐殺」とでも主張したいのかw
>>483 おいおい、証言は証拠にならないとかほざくのは、否定派の専売特許じゃなかったか?
自分の言葉には責任もとうぜ
>>484 なるほど、つまり殺したのは認めるわけだ
で、自衛発砲説の当時書かれた当事者の記録は?
別に匿名でもいいんだぜ、ほらほら早くもってこいよ
それから自衛発砲説で殺したと証言したのは2000名ほどだぜ
なんでその実名日記の人数と違うんだい?
>>486 で?お前ら得意の「証言は証拠にならない!」だろ?
それ証言じゃん
お前らがそれ持ち出して、自衛発砲説主張する資格ないじゃん
>防衛庁が編纂した公刊物が信用できないとでも?
当事者による当時かかれた記録もってきなよ
「それ戦後書かれたものだろwwww」
もお前らの得意技じゃん
ほらほらどうした早くもってこいよw
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/08(火) 22:22:01 ID:542SUvQR0
捕虜の処刑自体は何らかの理由があってのこと。 それはそれで構わない。戦争中はなにが起きるか分からないのだ。 要は、民間人を巻き込まなければ良い。 捕虜の処分についても、戦闘の継続とも考えられるので、それは構わない。 食料がない、収容所がない、反乱の兆しが見える、等々、捕虜処刑の理由は いくらでもある。 2万という数は眉唾だが。南京戦史では1.6万だ。
>>485 ついでに実名での記録ねw
海派遣軍参謀副長上村利道大佐の日誌
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
十二月二十一日 晴
(前略)
N大佐より聞くところによれば、山田支隊捕虜の扱い
を誤り大集団反抗、敵味方共にMGにて撃ち払い散逸
せしものかなりある模様。
下手なことをやったものにて遺憾千万なり。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
偕行社「南京戦史II」p2689
>>488 捕虜を殺しちゃいかんって条約に加盟している以上、「それはそれでかまわない」じゃダメだろ。
>>488 そだね
あとは2万近くを処刑しても非難されなくて済むような理由がでてくるといいね
さっさと探しに行って来な
中国は無理でも欧米を納得させるだけのものもってこいよ
>>489 おいおい、「殺した現場をみていない」「死体もみていない」から信用できない
ってのは否定派の十八番じゃなかったのかよw
でさ、「捕虜の始末に誤り」って何?
>>491 >おいおい、「殺した現場をみていない」「死体もみていない」から信用できない
>ってのは否定派の十八番じゃなかったのかよw
あれ?肯定派は伝聞の証言でも認めてるんじゃなかったのかw
それを認めないというなら当然肯定派も「伝聞の証言」なんか証拠として認めないよなw
大体匿名の人物が「殺した現場を見ていた」ってのをどうやって証明する気だ?
実名であれば所属部隊がわかるし、所属部隊がわかれば行動経路も日時もわかる。
しかし匿名ではそれが一切不明。
「いつどこで誰が行った不明な証言」が有効だと考えられるのが不思議だw
>でさ、「捕虜の始末に誤り」って何?
開放、殺害、使役、等の手段で無力化すること。
別に敵対しないなら開放したってかまわないわけで。
しかし結果は
>489
>大集団反抗、敵味方共にMGにて撃ち払い
~~~~~~~~~~~~~~
はあ?お前脳みそ大丈夫か?ww 証言を収集したりしている方が、証言の有効性を認め、双方の言い分の証言を集めるなら分かる。矛盾もない。 だが、自分が不利な証言はダメと言い、有利な証言だけ採用するから叩かれるんだろうにw IQいくつ?
>>492 伝聞だけじゃダメに決まってんだろw
だから証言の場合、裏づけが必要なんだぜ
自衛発砲説じゃなければ、2万人近く処刑したっていう
当時かかれた裏づけ資料はあるんだがねえ
それも当事者が実際に2万近い死体の処理にかかわってるんだよねえ
いやあ、2000人だけ処刑できたという、自衛発砲説・・・あやしいもんだねえ
「始末」が解放ねえ・・・解放や使役の失敗を
「捕虜の始末に誤り」と表現するのが一般的かどうか・・・あやしいもんだねえw
ま、どっちにしろ随分遠いところにいる人が噂話を聞いただけなんで
信憑性は低いといわざるをえない
>>491 >中国は無理でも欧米を納得させるだけのものもってこいよ
欧米ねえw
ttp://www.amezor.to/cgi-bin/i.cgi?dir=shiso&log=051122235155&next=30&mode=fa ニューギニア戦線において捕虜となった日本兵の数がなぜ少なかったのか?
1944年(昭和十九年)六月二十一日の日記には、日本人捕虜にタバコをやり、気がゆるんだところを後ろから押さえ、のどを「真一文字にかき切っ
た」というのを、日本兵捕虜殺害の一例として教えてくれたある将軍との会話を要約している。残虐行為に対するリンドバーグの異議は、嘲笑と「あわ
れみ」をもって軽くあしらわれた。
六月二十六日の彼の日記には日本兵捕虜の虐殺、およびパラシュート降下中の日本航空兵の射殺について述べている。降伏し捕らえられた千数
百人という日本兵捕虜のうち、捕虜収容施設に引き渡されたのは僅か百人か二百人に過ぎなかった。残りの者たちは殺害されたが、事故に遭っ
たと報告された。
「仲間が降伏したにもかかわらず機関銃で撃たれたという話が日本兵に広がれば、投降しようという者などまずいなくなるだろう」とリンドバーグは
聞かされた。つまり黄色い猿に過ぎない捕虜を取り扱う、余分な手間や面倒がはぶけるという理由からであった。
七月十三日の日記では、「われわれの兵士たちは、日本人捕虜や降伏しようとする兵士を射殺することをなんとも思わない。彼等はジャップに対し
て、動物以下の関心しか示さない。こうした行為が大目にみられているのだ。」と記されていた。
八月三十日にリンドバーグは、中部太平洋ギルバート諸島にあるタラワ環礁を訪ねた。そこでは日米の激戦が行われ米軍も甚大な死傷者が出
たのだが、日記には、捕虜になった数少ない日本兵を一列に並べ、尋問に英語で答えられる者だけを残し、あとは全て殺させた海軍士官のことが
出てくる。
ある仲間のパイロットから直接聞いた話によれば、後ろ手に縛られた日本人捕虜達を輸送機に乗せて収容施設のある地域に輸送する際に、彼等を
飛行中に突き落とす行為がおこなわれた。そして報告書には捕虜全員が自分から飛び降りたと記録された。
(以上、第二次大戦日記、チャールズ・リンドバーグ著)
>>494 > 自衛発砲説じゃなければ、2万人近く処刑したっていう
> 当時かかれた裏づけ資料はあるんだがねえ
ああ、これは「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」のことね
さあさあ、全部匿名でもかまわないよ
自衛発砲説の資料もっておいで
捕虜を取らない、とは ニューギニア戦線でのオーストラリア軍やマッカサー指揮下の第四十一師団は、「捕虜を取らない」つまり武器を捨て両手を上に挙げて降伏しよ うとする日本兵や、既に降伏した日本兵を殺するので有名だった軍事歴史家デニス・ウォーナーは1982年に出版した日本の特攻隊に 関する本の中で、ブーゲンビル島での自らの体験を紹介している。そこで彼は、投降しようとした日本の負傷兵を、オーストラリア軍の司令官が 射殺するように命じるのを目撃する。 「しかし彼等は傷つき、おまけに降伏を望んでいます」と、日本軍の大規模攻撃が失敗に終わったあとの戦場で、部下の大佐が司令官に反論した。 「私の言うことが聞こえただろう」と、両手を挙げた日本兵からわすか数ヤード離れただけの少将(司令官)は答えた。「捕虜はいらない。全員射 殺してしまえ」。そして彼等は撃たれた。 日本軍も負傷兵や捕虜に対する連合国側の殺害に関する情報をつかんでいて、戦時中の日本からの対米宣伝放送(東京ローズ)では、第四十 一師団のことを「屠殺者、Slaughterer」と呼んでいた。 終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、第四十一師団、捕虜を取らずという堂々たる見出しが付けられていた。この師団が例外的に日 本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が必要な場合だけであった。 (容赦なき戦争、副題太平洋戦争における人種差別、カリフォルニア大学教授ジョン・ダワー著) まだまだありますがw
>>493 >証言を収集したりしている方が、証言の有効性を認め、双方の言い分の証言を集めるなら分かる。矛盾もない。
>だが、自分が不利な証言はダメと言い、有利な証言だけ採用するから叩かれるんだろうにw
だから肯定派が双方の言い分の証言を集めているのか?
匿名だろうと伝聞だろうと肯定派に有利な証言だけを集めて、否定派が同じように匿名や伝聞の証言を出したら叩くのが矛盾がないとでも?
言っておくが>111の『栗原利一伍長証言』は『毎日新聞』が大々的に「南京大虐殺の証拠!」として持ち出してきたものw
肯定派がこれを否定するとでもw
>>499 いつもは必死に否定するホンカツと栗原証言を必死に擁護www
あわれよのうwwwww
さ、楽しんだし寝よ
ちなみに栗原証言はどこをどうつついても、処刑した人数は2000人になりません 1万以上になります 自衛発砲説とどうやっても相容れませんw じゃね
つくづく肯定派は日本語が理解できていないというかw つーか肯定派にさえ見捨てられたホンカツ哀れw 「肯定派が匿名や伝聞の証言や証拠を認めるなら、否定派の匿名や伝聞の証言や証拠も認めろ」と言ってるだけなんだがねえw まあ、おまけで証言者が特定できない匿名や仮名ではなく、いつの事なのか確認できない伝聞でもない「本人」の証言w 第一大隊長・田山芳雄少佐 銃声は最初の舟が出た途端に起こったんですよ。たちまち捕虜の集団が騒然となり、手がつけられなくなった。味方が何人か殺され、ついに発砲が始まってしまったんですね。なんとか制止しようと、発砲の中止を叫んだんですが、残念ながら私の声は届かなかったんです (阿部輝朗氏『南京の氷雨』 P103) 連隊砲中隊・平林貞治中尉 捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。突然、どこからか、ワッとトキの声が上った。日本軍の方から、威嚇射撃をした者がいる。それを合図のようにして、あとはもう大混乱です。一挙に、われわれに向ってワッと押しよせて来た感じでした。 殺された者、逃げた者、水にとび込んだ者、舟でこぎ出す者もあったでしょう。なにしろ、真暗闇です。機銃は気狂いのようにウナリ続けました。 (鈴木明氏『南京大虐殺のまぼろし』 P199) 第一機関銃中隊・箭内享三郎准尉 集結を終え、最初の捕虜たちから縛を解き始めました。その途端、どうしたのか銃声が・・・。突然の暴走というか、暴動は、この銃声をきっかけにして始まったのです。 (阿部輝朗氏『南京の氷雨』 P101) 肯定派はこういった「本人」の証言より、いつ、どこで、誰の事なのかわからない「匿名の証言」の方が信用できるとw
否定派って皆
>>502 のように、論理性のカケラもないの?www
ホントに笑ってしまうんだけど。じゃ、オレも寝る。
市民虐殺がいつのまにか捕虜殺害に切り替わったでござるの巻
>>494 >伝聞だけじゃダメに決まってんだろw
>だから証言の場合、裏づけが必要なんだぜ
ほとんど匿名の「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」と「南京戦・元兵士102人の証言」の裏づけをどうやってするつもりだろうw
逆に言えば肯定派でさえ「裏づけの無い証言は認めない」とやっと認めたということですねw
どの程度のシロモノが出てくるのか楽しみだw
それともまさか匿名の証言の裏づけは匿名の証言で、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」の裏づけは「南京戦・元兵士102人の証言」、
「南京戦・元兵士102人の証言」の裏づけは「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」とかw
>>501 >ちなみに栗原証言はどこをどうつついても、処刑した人数は2000人になりません
>1万以上になります
>
>自衛発砲説とどうやっても相容れませんw
「捕虜が反抗したので発砲した」という説を紹介している否定派は存在しますが、
自衛発砲説=処刑人数2000人などと主張している否定派など存在しませんw
存在するならレス番をどうぞw
脳内妄想を相手に勝利宣言するのは自由ですが、藁人形たたきは楽しいですかw
>>504 所謂南京大虐殺の被害者は、スマイスの2400人以外客観的数値はないからそれで決定だろうな
まあ色々問題有るのは知っているが、それを否定する客観的証拠も無いから仕方がないな
ただ、2400人殺害の加害者が全て日本軍だとは資料から読み取れないのは事実だが
否定派はとうとう自衛発砲説も棄てたのか
>>508 肯定派の脳内にのみ存在する「自衛発砲説」になど興味はありませんね。
「捕虜が反抗したので発砲した」これが自衛ではないとでも?
あーあ、とうとう2000人が犠牲になったという自衛発砲説がなくなっちゃった チャンチャン
>>510 つうか端から「戦争で兵隊が死んだ話」等どうでも良いんだが
「南京大虐殺=兵隊が死んだ話」で世間が納得するならそれで終わりだろ
>>510 >あーあ、とうとう2000人が犠牲になったという自衛発砲説がなくなっちゃった
>チャンチャン
否定派が「2000人が犠牲=自衛発砲説」と主張しているレスを出してみろw
誰も主張していないことに対して勝利宣言すればいいんだから肯定派ってのは楽でいいなw
はたから見たら無能の証明以外の何者でもないがw
2000人ってどこからでてきたんだ?
まさか否定派が、ほとんどを逃がしてしまった自衛発砲説に引導を渡すとはね ほとんどを逃がしたと証言した人や手記を、否定派が見捨てるとはね 時代はかわったねえ あーあ
ID:eQHtZ8lT0がどんなタワゴトを言い出すかwktk www さあ、今度はどのような「否定派が誰も主張していないこと」を持ち出してくるのかなw
このまま小野賢二大勝利確定かな あーあ、否定派かわいそ
>>516 >このまま小野賢二大勝利確定かな
>494
>伝聞だけじゃダメに決まってんだろw
>だから証言の場合、裏づけが必要なんだぜ
肯定派もこう言ってるようだしw
はたしてどんな裏づけが出てくるのかな wktk www
否定論の人ってやっぱり チャンネル桜の二千人委員会とか はいってんの?
「否定派こうであるべき」ということを勝手に決めて、その脳内敵を 攻撃することを専門にしてるため、テンプレにない想定外の レスが返ってくるとファビョッてしまう人たちがいるようだ
仮に自衛発砲説が証言だけだからという理由で消滅したりすると 同様の理由で大量捕虜殺害説も消滅する つまり幕府山事件が無かったことになるだけなんだがw
あーあ、今度はさっきまで自分が主張してた妄想まで棄てちゃった 妄想無くなっちゃった あーあ
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 09:43:00 ID:mkPail18O
肯定派ってなんでそんなにムキになってんの? 笑顔で行こうぜ。笑顔で。
まあ肯定派が 「伝聞だけではダメ。証言の場合、裏づけが必要」 と言い出しただけでも大きな進歩というべきだな(笑) 自分で自分にとどめを刺した事には気付いてない様だが(笑)
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 12:46:28 ID:wef0LeFwO
師団長が「捕虜をとるな」と命令したのには理由がある。 南京のシナ軍には撤退命令が出たが、全軍に伝わらなかったため、大混乱になった。 攻撃せず撤退してくるシナ兵を見て日本軍は捕虜として捕縛しようとしたが、 捕らえようとすると、シナ兵は頑強に抵抗し日本軍に大きな被害が出た。 そのため、シナ兵に投降の意志無しと判断し、捕虜として扱うなという命令が出されたのである。 従って、捕らえられたシナ兵は捕虜ではなく、敗残兵であって、処刑されて当然なのである。 敗残兵処刑は戦闘の継続だから、南京虐殺なるものは完全な幻なのである。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 14:30:44 ID:hto5K+F8O
>>523 学術的にはそんなバカなこと言わないぜ。
たった一人の戯言に随分喜ぶんだな。
>>525 え、君ら肯定派は「証拠や裏付けが無くても、一人の証言だけで歴史として学術的に認められる」などと思っているのか?
お前のその言葉の方が戯れ言だろ
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/10(木) 08:18:12 ID:dS0c3MySO
肯定派がまた破綻した。 でも、こいつらは何度滅びても、懲りずにしゃしゃり出てくるんだよな。
改めてスマイスレポートを読むと 城内21万2千人のうち9万5千人が安全区と難民キャンプに いるというのは地図とつき合わせると十分に納得できる数字だ。
531 :
312 :2009/12/11(金) 01:43:19 ID:GWF/Ddvn0
>>313 日本軍の偉い人がその屋敷を使うようになったから
日本からメイドを30人くらい雇うことになったらしく
ばあさんは知り合いのコネで働き口としてその南京の屋敷に行くことになったらしい
…ってかこんな説明させてどうすんの?
お前の質問口調は答えありきの聞き方だよな
「中国人と日本人が仲良かったなどあり得ない。中国人は日本人を恨んでる」
って言いたいんだろ?
中国側主張をマッピング
ttp://nanking1937.web.fc2.com/map1936/MAP_C2.jpg 屠殺地点 所在位置 遇害人数
煤炭港 城外下関 5,000
龍江口 城外下関 700
下関 城外下関 5,500
中山碼頭 城外西 10,000
江東門 城外西 10,000
上新河 城外西 30,000
谷寺 城外東 40,000
花神廟 城外南 30,000
雨花台 城外南 10,000
燕子磯 城外北 50,000
草鞋峡 城外北 60,000
宝塔橋 城外北 30,000
魚雷営 城外北 10,000
中華門
大方巷 5,000
漢中門 3,000
其他地方
計 299,200
>>531 まあ、南京で虐殺があれば終戦時武装解除された日本軍は報復を受けていても不思議はありませんがw
「河村・名古屋市長:南京大虐殺「誤解ある」 議会で発言」
ttp://www.city.nagoya.jp/shikai/gikaichukei/rokuga/nagoya00028090.html 河村市長
それから、あの、南京の話ですが、調査の結果、どう結論しているかということ、それから質問主意書を受けて、教科書の記述をまあ、どうするつもりかと、
それから三つ目が記念館をどう改善するか、どうそれを提案するつもりかと、三つに分かれると思いますけれど。
これはあの、前提とすれば、本当にまあ、うちの死んだ親父が、桜の木を1000本寄付しまして、その動機というのが終戦がちょうど昭和20年ですけれど
南京で迎えたと。南京の人に本当に優しくしてもらって、ほんでその半年後にまあ名古屋へ復員すること、日本へ帰ることが出来た。そんだでみゃあさんも
生きとるんだでよ、と。南京の人のおかげだぜ、と親父もよう言っておりまして、そのまあ恩ということで桜の木を1000本、あのプレゼントしたということでございます。
>>533 ちょっと確認してみたけど、そのページにある「9月15日(火曜日)の本会議」の
東郷哲也議員(自民)
○議案外質問
3 市長の歴史に対する考え方について
の録画での答弁からだね。
しかし河村市長の答弁の後、共産議員が市長の答弁を議事録から削除するよう求めたのが笑った。
共産党というのはホント言論弾圧が好きな党なんだねえw
肯定派は全滅ですか?
肯定派はここは本来の活動の場ではないので たまに遊びに来るだけです また気が向くまで大人しく待ってなさい
また肯定派の墓標が増えたのか。
それは秘密w ここで永久に言い返してくるだけの病人相手にしても 世の中に何の影響も無いんだから、労力の無駄なんで ここは遊びにだけ使う
南京問題でのネットの肯定派の活動場所は中帰連の後継組織であり、 中国人支援グループだったりするね プロ市民団体所属
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/22(火) 21:40:48 ID:HRcWOrjSO
首都陥落して難民続出の状況で春節とか どんだけおめでたいんだよ
>難民続出 国民党軍がいなくなった南京に難民が押し寄せてくるんですね、わかります。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/22(火) 22:28:56 ID:J8ju6R6K0
肯定派が来なくなったのは、要するに否定派に論破されたということ。 便所の落書きで論破されるようじゃ、肯定派のお粗末さは知れたものw 肯定派は過去に何度も強力に押し寄せてきていたがことごとく論破された。 やはり、偕行社の「南京戦史」にある 「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3千乃至6千の存在」 が南京虐殺の真相だな。3000〜6000が捕虜の違法殺害ですと。 民間人大虐殺30万人、などというおとぎ話を本気で唱えるカルトは何者だ?
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/22(火) 22:38:51 ID:HRcWOrjSO
今日は寒いね
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/22(火) 23:30:06 ID:HRcWOrjSO
ささやかなお祝いか いじましいねえ
>>551 >首都陥落して難民続出の状況で春節とか
>どんだけおめでたいんだよ
WWW
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/23(水) 01:22:51 ID:x3AxZx6UO
0か1かしかないアホと話すと疲れるわ
日本人の感覚からすると春節がどれだけ重要かピンと来ないから、中国人に聞くと良いよw
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/23(水) 01:47:16 ID:x3AxZx6UO
お前がかわいそうな頭してるのはわかったからもういいよ
春節だからこそ、きれいにしようとしたんじゃないの?
日本の文系はイデオロギーでしか語れないバカばかりだから こういう惨状になるんだよw 処理従事者の作業着の洗濯はどうしていたんだろう? 従事者に毎日洗濯した作業着を渡さなくてはならないだろうし、 作業後に風呂に入れないと死臭が染み付くだろう。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 14:35:27 ID:HFFOUTLN0
すみません。 肯定派の皆さん。 じゃあ、日本では大戦中に竹槍訓練していましたが、 あれはアメリカ側から観れば全員便衣兵ですよね。 若し、「全員アメリカが処理しろ」と言ってたら 処理すべきなんですね。 忌憚なく、意見を述べて下さい。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 14:42:17 ID:vJgX0Uo4O
はあ? それは、否定派に聞きたいことなのだが?
>>560 実際に組織されなかったから詳細不明だが、非戦闘員と区別できる様にすれば民兵とされ
捕虜資格も与えられることになるし、
全員兵士だとしたら区別される民間人が存在しないのだから、当然捕虜資格が与えられるんじゃないかな
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 16:19:21 ID:HFFOUTLN0
>実際に組織されなかったから詳細不明 ?町内単位で組織されていたのでは? >民兵 なんで民兵なの? 民兵と便衣兵の境は? そんなの戦勝国が勝手に決めるものでしょ? 第一日本国は捕虜扱いが疎くて大量のB,C級戦犯 を現実にだしているでしょうが?
肯定派は IFの話しのみしか反応できないか(大爆笑
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 16:43:13 ID:HFFOUTLN0
>>563 だけど
町内会だけではなく、隣組だっけ
スマソ
あんた達の国際感覚があまりのも幼稚なので
書かせてもらった。
感覚がないので、自分が被害者の立場になって
考えたことがない。
答えに窮すると詭弁を使い、逃げる。
世界も日本も略奪、強姦のない戦争なんて
歴史上殆どない。
>>565 ちょっと質問
南京で、略奪強姦がなかったと言っている人ってだれ?
>>565 民兵と所謂便衣兵の違いは軍民分離が出来ているかどうかです
最終的に訓練だけで、軍事組織として組織されていない軍事教練に何期待しているの?
アレでも帽子配ってそれ被って戦闘すれば充分民兵
南京のなりすまし兵隊とは違うんだよ
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 17:27:20 ID:HFFOUTLN0
>>566 さん
略奪強姦があって、虐殺はないんですか?
ちょっと理解に苦しむ?
>>567 じゃあ、軍民分離って詳細に語ってください。
日本軍は兵站軽視主義で食糧や生活必需品を
徴発していました。
包丁や石礫で日本軍に反抗したものは
一人も殺していないのでしょうか?
何故、兵士に国際法を教えていないのに
捕虜の適切な処理ができるのでしょうか?
現実にB、C戦犯が大量にでて戦後処刑されたのに?
>>568 質問にこたえてちょうだい
南京で、略奪強姦がなかったと言っている人ってだれ?
こちらはそれしか言っていない
ID:HFFOUTLN0は、相手にする価値有りませんでしたね
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 18:07:45 ID:HFFOUTLN0
>>569 ああ、わかった謝罪する。
そっちも答えて頂戴。
>>570 、571
「机上の空論」だけで、自分の世間しらずが
露呈するのが怖いのか?
有志によるゲリラはベトナム戦争でも
現在進行形のイラクでもアフガニスタンでも
あるよ。
傭兵になって観てこい!
>>572 質問の中身に触れずに、何に対して謝罪したのかもわからない
>答えに窮すると詭弁を使い、逃げる。
とは、君が書いた言葉じゃないの
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/25(金) 19:36:06 ID:HFFOUTLN0
そうですね。 略奪、強姦していないと明記していませんね。 因みに少なくとも憲兵以上の軍組織に命令されて 竹槍訓練していたから、 「まったく、軍と拘わっていない」 と言いきれないじゃないの?
576 :
誘導 :2009/12/26(土) 12:23:13 ID:EJueKZeU0
>>574 ttp://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-480.html 「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」昭和15年(1940)陸軍省
これによると
「支那事変勃発より昭和14年末に至る間に軍法会議に於いて処刑せられし者は掠奪、
同強姦致死傷420、強姦、同致死傷312、賭博494に達しあり」
とある。
つまり
「1937年7月から1939年(昭和14)末まで」の間に『日本軍全体』で掠奪、同強姦致死傷で処刑された数は420人。
強姦、同致死傷で処刑された数は312人。
計732人(420+312)。
これにより「1937年7月から1939年(昭和14)末まで」に動員された日本軍の兵力がわかればその内の何%が犯罪を犯したのかが判明する。
1937年7月から1939年(昭和14)末までの日本軍の作戦と動員兵力 年月 作戦名 (動員兵力) 1937年7月盧溝橋事件、平津地方掃蕩作戦(20000人)、通州事件 1937年8月察哈爾作戦(20000人)、第2次上海事変(162000人) 1937年9月河北作戦(150000人) 1937年10月太原攻略作戦(60000人) 1937年12月南京攻略戦(100000人) 1938年3月台児庄の戦い(10000人) 1938年4月徐州作戦(216000人) 1938年8月武漢攻略戦(250000人) 1938年10月広東攻略戦(70000人) 1939年3月南昌攻略戦 1939年5月襄東作戦(70000人) 1939年9月?湘作戦(60000人) 1939年5月ノモンハン事件(20000人) 1939年11月南寧攻略戦(30000人)、翁英作戦(50000人) 『太平洋戦争主要戦闘辞典』(PHP文庫) 延べ総兵力約130万人 延べ総兵力約130万人の内、有罪判決を受けた将兵は732人。 わずか0.06%。 南京を例にすると10万人の0.06%=60人。 表沙汰にならなかったものを考慮して10倍としても600人。 日本軍の犯罪行為が存在しなかったとは言わないが「600人殺害=南京大虐殺」とでも主張したいのだろうか?
参考までに在日米軍の犯罪発生率w
平成10年 0.09%
平成18年 0.14%
ttp://d.hatena.ne.jp/reservoir/20080214/1202958732 A:県内刑法犯検挙人員(在沖米軍人によるもの除く)
B:沖縄県人口総数
C:人口比犯罪率
D:在沖米軍検挙人員
E:在沖米軍人総数(軍属,家族含む)
F:在沖米軍人総数比犯罪率
A B C D E F
平成10年 2282 1298139 0.18% 46 50336 0.09%
平成11年 2413 1308010 0.18% 59 48626 0.12%
平成12年 2538 1318220 0.19% 67 49502 0.14%
平成13年 3272 1326518 0.25% 72 49279 0.15%
平成14年 3734 1335871 0.28% 100 49346 0.20%
平成15年 3922 1344148 0.29% 133 50826 0.26%
平成16年 3904 1353010 0.29% 72 45354 0.16%
平成17年 4281 1361594 0.31% 65 42570 0.15%
平成18年 4125 1368137 0.30% 63 43550 0.14%
竹槍便衣兵とかワロタw もしかして軍民識別の義務は「占領を意図する交戦資格団体が接近した際の『 陸 戦 法 規 』」だということも知らんのかおい?www
当時空戦に関する法規なんてあったの? つーか、アメリカだって空軍とは言うものの、実態は陸軍航空隊、海軍航空隊だったわけで。独立してなかったんだろ? だったら、陸地で起きた戦闘の結果は、陸戦協定の法規があてはまるんじゃないの?
ID:HFFOUTLN0の主張に従って、軍の命令による竹槍訓練=便衣兵という理屈が成り立つなら現代のアメリカで 軍の射撃教官のインストラクターに指導を受ければ、便衣兵としてその場で射殺されても問題なさそうだw
今は、ゲリラの権利とかが認められているんだろ?昔と違って。
「現代」ゲリラの権利が認められている事が1937年の南京と何の関係があるんだ?
>>581 > 当時空戦に関する法規なんてあったの?
案だけあったが、条約としては成立しなかった。しかし、慣習法として認められている部分もあった。
なお、陸軍だの海軍だのという区別は各国の軍の種別に過ぎないので、
たとえば陸戦法規が海軍陸戦隊に適用されないなどということはない。
国際法が、明文化された条約法だけでなく、慣習法というものがあるのを知らない人もいるようだ。 空戦時にももちろん、軍民識別分離の原則はあり、海戦においてもである。 戦争法においては、陸海空を問わず、軍事物は軍事物として識別されねばならない。 竹槍であろうと、軍事目標を攻撃する限り、軍と同等であり、交戦力であって、 戦争法の適用を受ける・・・もっとも、竹槍ならどう考えたって公然と兵器を所持しているから、 「問題となる」便衣兵のように違法交戦者には当たらないかもしれん。
安全区である五台山に高射砲を設置し日本の空襲機に砲撃した時点で、 中国側は軍民分離を無視したことになる。
>>586 竹槍部隊が米軍と交戦していたならともかく、単なる仮定の話なんだからあまり意味は無いな。
そもそも交戦資格が問題になるのは「占領を意図する交戦資格団体が接近した際」の話。
竹槍部隊が訓練していたときに「占領を意図して接近していた米軍の部隊」が存在していたのかとw
>>585 そりゃ海軍陸戦隊(海兵)や空軍降下部隊(空挺)も陸戦を想定した戦力だから、陸戦法規が適応されるだろうにw
>>588 竹槍便衣兵は撃墜されたB29搭乗員を掃討したりしてたじゃないか。立派な戦闘行為だな。
>>590 それは単なる私刑であり犯罪の可能性が極めて大
>>590 竹槍便衣兵は機関銃でも装備していたのかw
>>590 戦闘行為というなら交戦者資格が必要だな。
ハーグ4条件
一 部下の為に責任を負う者その頭に在ること
二 遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること
三 公然兵器を携帯すること
四 その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること
竹槍便衣兵とやらがハーグ4条件を満たしていた根拠があるのか?
4条件を満たしていないなら違法交戦者だな。
それ以前に拳銃を持ったB29のパイロットに遭遇した場合、竹槍で抵抗しても単なる正当防衛だが。
そもそも南京の便衣兵は武器を隠し持っていたことが問題。
竹槍便衣兵は武器を隠し持っていたのか?
そのうち「朝のラジオ体操は軍事教練の一環だから便衣兵!」とか、家でコンニャクを作っていたら
「軍の物資を生産している軍需工場なので攻撃目標!」とでも言い出すんじゃないかw
竹槍で訓練しただけの女子供が便衣兵なんて妄想力だけは100人前と言うかw
>>591-593 だからこそ、竹槍便衣兵が違法だということだろ。違法に交戦する人たちを公然と育成してたってこったな。
>>594 意味不明
軍属でもなく、軍令もなく、陸戦も発生していない状態で民間人が何をしても個人的犯罪だけど何か?
ああ、ちなみに教えておくけど「交戦資格団体を編成する猶予もなく敵襲を受けた場合」は
交戦資格を保持しなくても良いとされてるのも当然、知ってるよね?w
勿論だけど、南京戦での所謂「便衣兵(更衣敗残兵)」は 軍属で、 軍令に従った防衛戦の最中に、 休戦も降伏も投降もせず、 交戦団体員資格を自ら放棄した状態で、 難民に紛れて害敵手段を行使していたから、 ゲリラ扱いされ問題視されてるんだよねw
>>594 現代のアメリカにも大学で一般学生に混じって授業を受けながら、同時に軍事訓練を積み軍人教育を受ける
予備役将校訓練課程というものがあるんだけど?
竹槍訓練程度で便衣兵扱いされるなら正規の軍人教育を受けてるこの人達はどうなるんだ?
湾岸戦争の時、この人達を「違法に交戦する人たちを公然と育成してた」と非難した国なんか存在しないが?
>>595 政府が先導して指導していた「個人的犯罪」だから、当然政府に責任あるなw
>>597 現在はゲリラOKなんだから大丈夫だろw
>>598 予備役将校訓練課程=ゲリラという根拠は何だ?
だいたい 竹槍便衣兵→武器を持っている事が明らか 便衣兵→武器を持っているかどうか不明 これがどうやったら両立するんだ? 竹槍便衣兵とは訓練を受けた一般人であって軍人でも軍属でもない。 実際に交戦状態にあったならともかく米軍に攻撃した竹槍部隊なんか存在しない。 現実に南京の一般人に紛れ込んだ便衣兵とは根本的に異なる。 南京の便衣兵は意図的に兵民分離義務に違反している。 それとも「軍事訓練を施せば即、便衣兵」という新手の珍説かw
いずれにせよ、両方とも違法なのは変わりない。
>>601 >いずれにせよ、両方とも違法なのは変わりない。
実際に民間人が交戦したならともかく、訓練しただけで違法なんて話は聞いた事がないが?
どういった法律に対して違法なんだ?
法律名は?
訓練してた人が実際に行動したら、責任ナイわけないわなw どっかの悪徳企業じゃあるまいしw
>>603 >602をちょっと拝借して質問w
>>601 >>いずれにせよ、両方とも違法なのは変わりない。
>実際に民間人が交戦したならともかく、訓練しただけで違法なんて話は聞いた事がないが?
>どういった法律に対して違法なんだ?
>法律名は?
どういった法律に対して違法なんだ?
法律名は?
都合の悪いのはスルーかw
>>604 じゃ、便衣兵を訓練してもOK。
で、便衣兵は勝手に中国で個人的に活動しているから、政府的には合法ということになるぞw
>>605 ハーグ条約を理解しているのか?
ハーグ陸戦法規
第二条 占領せられざる地方の人民にして、敵の接近するにあたり、第一条によりて編成を為すの暇なく、侵入軍に抗敵する為、自ら兵器
を操る者か、【公然兵器を携帯し】かつ、【戦争の法規慣例を遵守する時】は交戦者と認む。
どんな理屈をこねくり回そうが便衣兵は
《【公然兵器を携帯し】かつ、【戦争の法規慣例を遵守する時】》
という条件を満たしていない。
便衣兵という存在自体がハーグ条約違反。
>>605 ついでに指摘しておくと
ハーグ陸戦法規
第一章 交戦者の資格
第一条 戦争の法規及び権利義務は単に之を軍に適用するのみならず、左の条件を具備する民兵及び義勇兵団にもまたこれを適用す。
(1)部下の為に責任を負うもの其の頭にあること。
(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること。
(2)公然と武器を携行すること。
(4)その動作につき戦争の法規慣例遵守すること。
民兵団又は義勇兵団をもって軍の作戦全部又は一部を組織する国にありては軍の名称中に包括す。
竹槍便衣兵の場合
第一条
(1)隣組の班長等
(2)帽子、頭巾、腕章等
(2)竹槍を所持
(4)その動作につき戦争の法規慣例遵守すること
これらを遵守していれば合法。
第二条についても
《【公然兵器を携帯し】かつ、【戦争の法規慣例を遵守する時】》
と言う条件を満たしているので合法。
存在自体が違法の便衣兵とは根本的に異なる。
そもそも竹槍便衣兵という言葉自体が詭弁の証明。
>>605 >で、便衣兵は勝手に中国で個人的に活動しているから、政府的には合法ということになるぞw
軍人であれば捕虜として相手の国家から保護される対象になるが、
「便衣兵は個人的に活動した結果だ!」
という主張であれば単なる犯罪行為なので戦時重犯として即刻処刑の対象だが?
捕虜の特権として「戦時重犯として処罰されない」と言うのがあるんだが、便衣兵は自分からこれを拒否したとw
竹槍便衣兵がきちんと遠方から確認できる腕章等を必ず付けていたというソースを希望せざるをえないなw
>>609 >竹槍便衣兵がきちんと遠方から確認できる腕章等を必ず付けていたというソースを希望せざるをえないなw
それは「交戦」の場合。
まさか「脱出したパイロット」と「竹槍民間人」が「交戦」していたとでも?
拳銃を所持していたパイロットから身を守るために竹槍を持っていたら「交戦」にあたるとでも?
それとも拳銃を持った敵兵を相手に民間人は身を守ることもせずに黙って殺されろとでも?
「正当防衛」という言葉を知ってるか?
>>611 はあ?
>
ttp://pub.ne.jp/akkeychan/?daily_id=20090811 >このころ国策で組織された「愛国婦人会」などが統合されて「大日本婦人会」が組織された。この「大日本婦人会」が提唱したのが竹槍≠ナある。
>老いも若きも銃後の女たちがモンペに鉢巻き、たすきがけの姿で竹槍をかまえ、「マエ、マエ、ウシロ、ウシロ、ツケー」「ヤーッ」っと訓練するのである。
文章と写真が合っていないぞw で、とってつけたように「モンペに鉢巻き、たすきがけの姿」 かよ。しかも、下2つのリンク先の写真に「たすき」はないぞ。
おいおいwww 君には写真に映っていないたすきが見えるようだねw
B29パイロットが「交戦」した竹槍便衣兵ってのは、この鉢巻きとか必ず付けてたのか?それに、この鉢巻きって当時の労働者が気合いを入れるときに
普通に行ってたんじゃないの?何で鉢巻程度で
>(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること。
に該当するんだよw
>>612 >何で鉢巻程度で
>
>>(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること。
>
>に該当するんだよw
鉢巻どころかスカーフでもリボンでも
>>(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること。
に該当するんだがw
あまり無知をさらさないほうがいいぞw
こっちは笑いをこらえるのが大変だがw
ttp://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200401_636/063602.pdf 長年にわたる内戦において、 タリバン兵士は伝統的な暗色のターバンを着用する一方、 北部同盟の兵士は
それと区別しうるスカーフを巻き、 また互いに異なる服装を着用するなどして相互に味方を認識していたといわれる。
また、 赤十字国際委員会のコメンタリーにおいても、 「固着の特殊徴票」 の例として 「帽子、 外套、 シャツ、 胸部に
着用する標章または着色記号」 を挙げている(79)。 そこから、 タリバン兵士も暗色のターバン等によって文民との
識別義務を果たしていたと主張する者もいる
>>613 で、普段つけてた鉢巻きと何か違うのか?
それに、「交戦」したときに、必ず鉢巻きつけてったってソースないな。 見えないたすきはあるようだけどねw
ひとつだけでは不満だろうから追加w
ttp://www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/2008/bulletin_j10_3_3.pdf 防衛研究所紀要第 10 巻第 3 号(2008 年 3 月)
背信行為の例として、次の行為がある。
(a)(c)略
(b)文民又は非戦闘員の地位を装うこと。
下線に示したように、本条は、敵の殺傷または捕獲に限定があるものの、敵の信頼を誘い、
裏切る意図をもって行われた行為を背信行為として禁止する。これは、文民を最大限、攻
撃の影響から保護するために導入された文民との区別義務からくる必然的帰結である。
捕虜条約 4 条 A(2)の(b)制服または標章の着用の要件についても、この要件をそのま
ま機械的に適用すればアフガニスタン紛争ではタリバンのみならず、現地住民の服装を
した米軍の特殊部隊についても捕虜資格が否定される事態が生じる(米兵は北部同盟軍
兵士の着用するマスード・パコル(帽子)、スカーフを身につけ、あごひげをはやした)(40)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし米国は勿論のこと、過去の戦闘で同種の措置をとった国々も、そのような帰結を受け
容れたことはない。
普段身に着けているものだろうが「統一された標章」を身に着けていればOK。
まさか「帽子は普段つけるものではない」という主張かw
まさかタリバンや米軍が認めているのに
『「帽子」も「鉢巻」も「スカーフ」も(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有することに該当しない』
なんて主張はしないよなあw
>>616 >普段身に着けているものだろうが「統一された標章」を身に着けていればOK。
はああ?それだと、便衣兵と何ら変わらないだろうにw
>>617 アフガニスタンではターバンは特別なものだとでも?
>613
>また、 赤十字国際委員会のコメンタリーにおいても、 「固着の特殊徴票」 の例として 「帽子、 外套、 シャツ、 胸部に
>着用する標章または着色記号」 を挙げている(79)。
> ~~~~~~~~~~~
>そこから、 タリバン兵士も暗色のターバン等によって文民との
> ~~~~~~~~~~~~~~~~~
>識別義務を果たしていたと主張する者もいる
「固着の特殊徴票」 とは「色」も含まれるんだがw
タリバン兵士は『暗色のターバン』w
ID:RZBnR+g60の主張によれば、アフガニスタンでは普段身に着けているターバンでは「固着の特殊徴票」 にはならないはずだが?
赤十字や米軍やタリバンとは異なる意見のようだw
たすきがけしない女性もいるじゃないかw これは、「統一された標章」に全くなっていないな。早くも論理が破綻しとるぞ。
で、散々竹槍訓練の民間人を便衣兵呼ばわりしてきたわけだけどハーグ条約では ハーグ四条件 三 公然兵器を携帯すること が要求されるわけだが、 まさか「竹槍民間人は竹槍を隠し持っていて、公然と兵器を所持していなかった」なんて主張はしないよなw 少なくとも竹槍民間人はハーグ四条件のうち一つを満たしている事は間違いない。 ハーグ四条件全てを満たしていない便衣兵とはわけが違うw そして >605によれば >で、便衣兵は勝手に中国で個人的に活動しているから、政府的には合法ということになるぞw とのことなので便衣兵は「軍人」ではなく破壊活動を行う「ゲリラ」もしくは「テロリスト」という事になるw 当時の認識としては「公道での盗賊または海賊」 ▼リーバー法 『アメリカ陸戦訓令』 『国際人道法』有菱閣 藤田久一著作、P13 「パルチザンは武装し彼らの軍隊の制服を着用する兵士であるが、敵占領地域に侵入するため主要部隊から離れて行動する部隊に属する。 彼らはもし捕えられれば捕虜のすべての特権の資格を有する」(81条)としつつ、委任も受けず組織された敵軍に属さずまた戦争に継続的に 参加するのでもなくしかもさまざまの方法で敵対行為を行うものまたはその分隊は「公の敵ではなく、それゆえ捕えられれば、捕虜の特殊な 資格を有せず、公道での盗賊または海賊として即決処分されねばならない」(82条)とした。 《委任も受けず組織された敵軍に属さずまた戦争に継続的に参加するのでもなくしかもさまざまの方法で敵対行為を行うものまたはその分隊》 つまり便衣兵とはこういう存在だったとw
は?条件が「公然と武器を所持」するのと「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」などの条件があって 片方だけ成立してて、「わけがちがうw」ですかww すごい価値判断ですな。
>>623 翻って南京の更衣敗残兵はどうだったのかねぇ?w
なにやら軍服が支給されなかったという話も聞いたことがあるけど、だとすると交戦開始段階ですでに交戦資格団体としての
体を成していなかったとしか思えないけど?
それで実際に陸戦を行ったんだよねぇ南京では?
げらげらげらwww
>>623 >は?条件が「公然と武器を所持」するのと「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」などの条件があって
>片方だけ成立してて、「わけがちがうw」ですかww すごい価値判断ですな。
その条件をひとつも成立させていない便衣兵(給料をもらって人殺しをする連中&自分の意思で人殺しを選択した犯罪者)と
銃後を守ろうと竹槍訓練をしていた女性たちを同列に扱おうとする価値判断には及ばないが(嘲笑)
>>623 つーか「公然と武器を所持」する事も「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」もしないという事は
軍事目標主義によって「無差別攻撃を実行してもいい」という事になるんだがw
>623の価値判断とは
「便衣兵が助かるためなら周囲の民間人が無差別攻撃にあってどれだけ殺されようとかまわない」
というものか?
すごい価値判断だなw
無差別攻撃の例
『米軍によるマニラ攻略戦』
日本軍の戦死者約12,000人、アメリカ軍の損害は戦死者1,020人と負傷者約5,600人。
市民の犠牲者は約10万人。
つまり>623は
『米軍のマニラ攻略戦みたいに中国兵と民間人を区別しないでまとめて無差別攻撃していればよかった』
こう主張したいわけだw
軍事目標主義って別に非難を免れることができるような考えではないが 人間は戦争の為に生きているのではないので、戦争の理屈で反論したって意味がない
>>627 >人間は戦争の為に生きているのではないので、戦争の理屈で反論したって意味がない
意味不明。
人間は戦争の為に生きているのではないが、そんなことに関係なく戦争によって現実に死んでしまうが?
その戦争によって死ぬ人間を兵士に限定しようとしたのがハーグ条約という国際法。
ハーグ条約とは戦争のルールを定めたもの。
いわば戦争の理屈そのもの。
その「戦争の理屈」に意味が無いと言うなら残るのは単なる感情論でしかない。
つまり「理論も根拠も無く、単に気に入らないから間違っている!」こういうことか(嘲笑)
俺、軍事目標主義って言ったと思うんだけどこいつ馬鹿なのか?
ついでに言えば、「ナチス主義においてはユダヤ民族浄化は正しい」 と真顔で話してるに等しい ま、基本的にここにいる軍事目標主義だのハーグ条約だの言ってる奴は よく問題になる「方のー恣意的解釈」を地でいってるような人間なので 相手にしたってしょうがない それは解釈の違いでしかないので、あとはどちらが支持されるかでしかないんだよね
我ながらタイプミスが激しいなw 「法の恣意的解釈」な ま、どっちにしろ、日本政府も「数万〜20万の虐殺行為」があり 「基本的に日本に責任がある」との姿勢 別に研究がなされなかったわけじゃない それなりの年数をかけて日本側研究者達が研究して現状がある 否定派は掲示板で「無敵君」戦術を取る以外に方法が無いのが現状 いやあ年末まで否定派の低脳さには笑わせてもらえるよw
いやいや肯定派の日本語の不自由さには遠く及びませんよw
>>629 ハーグ条約も読んでいない無知?
ハーグ陸戦規則
第二五条[防守されない都市の攻撃]
防守せさる都市、村落、住宅又は建物は、如何なる手段に依るも、之を攻撃又は砲撃することを得す。
南京は防守都市。
従って無差別攻撃の対象。
うるせえw さすがに忘年会帰りでべろんべろんなもんでw そんな状態でこんなスレみるなって話だがwww 寝るわ
はいはい、お酒の所為お酒の所為www
ハーグ条約も知らないで竹槍だとか便衣兵がどうとか言ってたのかよw 恥ずかしいヤツだなw
それ、オレじゃないよw オレは正月とか慶弔とかがあるから、論議は勝手に小休止だ。すまんね。
>>633 俺、軍事目標主義って言ったんだけどバカなの?
なにがハーグ条約も読んでないのかだよ
お前らが恣意的解釈してるだけのものを偉そうにもってくんなw
あと、俺がレスしたのは
>>627 が初めてなんで
>>636
>>638 軍事目標主義とハーグ条約は不可分なんだがなw
恣意的解釈なんていちゃもん付けておきながらそれを説明できるのかよw
説明できず逃げ出すのに1ウォンw
>>638 つまり君は「否定派はハーグ条約を恣意的に解釈している」=「日本軍はハーグ条約違反である」と主張するんですね
それでは、日本軍はハーグ条約の何について違反したと言うのか、具体的に述べることが出来ますよね?
まさか「言ってみただけ」って事は無いと思うがw
>>641 君は「法の恣意的解釈」と言ったが、その法とは何ですか?
で、日本軍はその法をどう犯しているのでしょうか?
論理破綻の責任を人に押しつけることの無い様に説明して下さい
あたま悪い奴だなw もう一回言うぞ? 軍事目標主義を根拠に非難を免れない これは鉄板なんで、そんなもん相手にするかよ馬鹿w そもそも論として、お前らの勝手な解釈の土俵に載る必要は無いってこった 中国や世界がハーグ条約に違反しているから云々言ってるなら別だが それとは関係無く「多数の捕虜や民間人を殺害したり、略奪した」のが理由 条約がどうとかじゃねーんだよバーカw
>>643 で、恣意的解釈については、やはり言っただけなんですねw
君は何一つ具体的な違反事項について説明出来ないで居る
それと、日本軍が多数の民間人を殺したことは証明されていませんが何か?
「法の恣意的解釈」と言いながら、「条約がどうかじゃねー」と言うバカって・・・
馬鹿だから2回ずつ言わないと理解しないんだな お前らの勝手な解釈の土俵に載る必要は無いってこった 具体的に詰めようとすると、お前らの解釈を叫ぶ無敵くん状態になるだけだから 相手する必要なんてないんだよ >それと、日本軍が多数の民間人を殺したことは証明されていませんが何か? 何か?じゃねーよバーカw お前らの脳内事実認定なんて知るかよw まあ民間人についてだけ否定するってことは捕虜の大量殺害は認めてるようなんで お前はまだマシな方だな 来年はもう少しお利口になれよw
>>646 恣意的解釈というなら、君の解釈なら違法なんですよね
それならば具体的に何が違反しているのか示して欲しいと言っているんですがw
結局違反じゃないけど違反って事にしたいだけなんでしょ?何も言えないみたいだし
>>641 アホだろうw
そこに書いてあるのは「捕虜」についてなんだがw
捕虜になれるのは交戦資格を持っているものだけ。
まさか「捕まったらみんな捕虜」なんて思ってないだろうなw
「捕虜になることが出来る」のはハーグ4条件を満たしているものだけ。
(1)指揮官が居なくて
(2)固有の特殊標章を有していなくて
(3)公然と兵器を携行していなくて
(4)戦争の法規および慣例に従って行動してない
こういう連中が捕まってから「自分は捕虜になる。捕虜として扱え」と言ったってぶち殺されて当然w
ハーグ4条件というのは「捕虜になるためのルール」。
そのルールを破った時点で終了w
>>648 はい、これが恣意的解釈ですよー
ここから「俺の解釈が正しい」の無敵君状態になりますよー
掲示板で議論するやつって、こういう解釈の押し付け合いを延々とやってるだけだが
虚しくならんのかねw
俺はこうしてお前ら病人どもをからかうのは楽しいがなw
んじゃ、また来年
↓はい勝利宣言どうぞw
>>649 で、君の具体的な解釈は何ですか?
「コレが恣意的解釈だ」だけじゃ只の罵倒ですよ
>>649 つまり「何も説明できないけど俺様が正しい!!!」こういうことかw
これなんかずばりそのものだしなあ
↓
>643
>軍事目標主義を根拠に非難を免れない
>これは鉄板なんで、そんなもん相手にするかよ馬鹿w
>>649 >はい、これが恣意的解釈ですよー
>ここから「俺の解釈が正しい」の無敵君状態になりますよー
馬鹿の主張
「便衣兵はハーグ条約に違反しているが捕虜になる資格がある!俺様が言ってるんだから間違いない!!」
「便衣兵は文民との識別義務を果たしていない!しかし捕虜になる資格がある!!俺様が言ってるんだから間違いない!!」
「便衣兵には捕虜資格がある!理由は説明できないが俺様が言ってるんだから間違いない!!」
恣意的解釈はどっちだとw
>>649 素直に「具体的に反論できないので逃げ出します」と言えよw
否定派はからかわれてるんだよ
自説をマップピングすらできない肯定派w
反論できなくなったら「笑わせてもらえる」「寝る」「からかうのは楽しい」と言い捨てて逃亡とw 負け犬の遠吠えの見本だなあ〜w
新年あけましておめでとうございます。 中国人は春節に休まないと言ったDQNはどこに逝った?w
結局このスレでも肯定派は絶滅したようだ♪
南京には野犬がいなかったのだろうか?
ttp://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100106-OYO1T00277.htm?from=main1 丸亀の女性遺体は凍死…死後、野犬にかまれる
香川県丸亀市の造船会社駐車場で5日朝、両腕と右脚のない遺体で見つかった女性は、県警丸亀署に昨年末、
家出人捜索願が出されていた同市内の無職女性(86)とわかった。県警が同日、発表した。
解剖の結果、死因は凍死と判明。遺体には動物にかまれたような複数の跡があり、県警は、女性が死後、
野犬に腕や脚をかまれた可能性が高いとみている。県警は、死体遺棄事件の可能性もあるとみて捜査していたが、
死因は凍死で、駐車場内の防犯カメラには、倒れた女性を取り囲む複数の野犬とみられる犬が映っていたことなどから、
事件性はないとみている。
発表によると、女性は一人暮らしで、住民の話では、普段から夜間に一人で外出することがあったという。
(2010年1月6日 読売新聞)
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/18(月) 23:32:38 ID:1WgebeYU0
なるほど!肯定派的にみれば、野犬が100万匹いて30万人分の死肉を たいらげ、四散したってわけか。 まいった!
つうかさ、南京での兵士虐殺って便衣兵だからって理由で行われていたっけ? それに捕虜になる資格がないからといって 無裁判の処刑はそもそも日本の軍律にすら違反しているんだが。 リーバー法を出していい気分になっているところ悪いんだが、 この法で無裁判の処罰を許されるのは敵対行為、 つまり民間人の服を着たまま戦闘行為を行っているような連中の事で、 これを裁判にかけるために生かしたまま捕らえる義務はないよっていってるだけで、 身柄を拘束してもはや自軍に損害を与え得ない連中まで無裁判での処刑を許した訳ではない。
ま、どうやら裁判はあったようだからいいんだけどね。
・南京戦史に「摘出処断」と記されている。
・ラーベの日記にも即決の軍事裁判が行われた事が記されている。
・一般兵士ではなく、「憲兵」による調査が行われている写真が存在する。
・中支那方面軍法務部が12月14日に到着しているから、もう詰んでいるんだけどね。
・東京裁判でも「軍法会議にかけて処断したのが誤って虐殺したと伝わったのではないか」と証言されている。
・憲兵が実際に行動しているのだから、「司法」がかかわっている。
・これだけの根拠が有るにもかかわらず、「裁判がなかった」等と言うのは明らかにオカシイ。
憲兵 (日本軍)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E5%85%B5_ (%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
憲兵(けんぺい)とは、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し主として軍事警察を掌り兼て行政警察、司法警察を掌る兵科区分の一種。
中支那方面軍軍律審判規則
第九条 軍罰の執行は検察官の指揮に依り憲兵をして之を為さしむ
大虐殺肯定派は「裁判記録が無いから裁判が無かった」等とバカの一つ覚えの様に言っているが、
記録が無かったら、確かに言えることは「有ったのか無かったのかわからない」の筈である。
これがアフォの論理では「裁判記録が無いから裁判が無かった」となるのだから笑える。
ましてや特設軍法会議や軍律裁判では通常裁判記録を取らないのだから、「裁判記録が無いから裁判が無かった」
等と言うのは全くアフォの脳内でしか成立しない事であるのは言うまでも無い。
普通、ある資料が無ければ他の傍証を当たる物だが、大虐殺肯定派がそれを頑なに拒むのは
「傍証をあたれば裁判があった可能性が高いという結論になってしまう」からに他ならない。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/25(月) 19:54:06 ID:vdQfUaSt0
まだがんばってる人がいたんだね
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/28(日) 10:18:35 ID:tOdTbBYp0
数万の戦死者(大本営撤退によって混乱した兵士の、水死城門での圧死が多数) 数件の殺人事件 これだけのこと。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/27(土) 00:30:41 ID:xcnJ0Mfa0
会社の労務担当をしております。2chだけでなくC/Pをお願いします。 会社に中国人の従業員がいます。年末調整の際、本国にいる両親、 その兄弟、もちろん嫁と子供(30歳で6人) 書ききれないので扶養控除申告書をもう1枚くれと。5人も扶養対象がいれば だいたい年税額は0になるのだが、不安なのか全部書きたかったらしい。 職業には、教師、県職員など待遇のよさそうな職種が書いてある。 ただ元→円の換算で(あくまで申告上だが)大人はみんな38万円以下。 子供に至ってはいるのかどうかすらわからない。 会社の処理として間違ってはいけないとの判断から、税務署に確認したが、 「あくまで申告ですので・・」「判断は採用された会社様に任せて おりますので・・」と通すしかないと。小職、邦人なら38万以上の 親族を扶養対象としたら追徴だろうがとつっこんだが、前「」内を ひたすらループ。 つまり、子供手当(世界最狂の愚法)によって、世界中に日本人 の汗の結晶が流れることとなる。 いい加減、目さませよ、思考停止、TV利権むしゃぶりコメンテーター(笑) に洗脳されている日本国民。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/31(水) 21:00:17 ID:PP+SRqhH0
日本の記録映像から 1敵の支那軍は城門を味方によって閉ざされていた。 だから、敵軍は逃げるのが容易ではなかった。 2脱ぎ捨てられた敵軍の軍服や武器が多数残されていた。 だから、便衣に着替えて避難民に紛れた敵兵の存在が疑われた。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/22(木) 19:36:52 ID:9tS6wr8P0
remember ウルトラマンレオ
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/27(火) 01:21:47 ID:2qkuzzwo0
バカウヨの相手に丁度いいんじゃねえの
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/21(金) 19:41:21 ID:u2Bpbsez0
↑バカサヨ
これほど低レベルの煽りは見たことがないw
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/23(日) 03:18:29 ID:rliL2WO30
>>673 サヨクは、いつ、どこで、誰の証言か、一切不明なのに事実だと言い張れるのが凄いなw
証言しているのが本物の旧日本兵なのか不明。
虐殺の理由が不明。
証言が事実かどうか不明。
etc………
それを一切確認せず「虐殺の証言だ!」と大喜びしている様子が実に哀れだw
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/24(月) 21:27:20 ID:mhYuvKsr0
検索↓ zJjWDAhE0
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/26(水) 23:03:46 ID:2we9QcC20
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/04(日) 16:38:15 ID:0y1pneF40
周期的にはそろそろまたチンクとその一派が騒ぎだす季節なんだがな。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/04(日) 23:01:53 ID:1Jhis5fS0
南京虐殺は完全な幻。南京戦史にある8000人弱程度の捕虜・便衣隊処分がその実態である。 民間人虐殺など大嘘。
捕虜殺害は違法だし、便衣兵だと難癖つけて民間人を殺しまくった
>>680 拘束敵兵の殺害はどんな法律に違反するんだ?
便衣兵抽出は、国際委員会と合同で行っているんだぞw
国際委員会が難癖を付けたのか?(大爆笑
ハーグ陸戦条約。 後半はソース希望。
>>682 当時のハーグ陸戦条約には拘束敵兵の規定はないよw
ソースは12/22のラーベの日記。日本の憲兵隊がラーベの所にいき
抽出作業に国際委員会側から人を出すことになった。
なんで拘束敵兵って言い換えてるの? 捕虜は政府の管轄、現場が勝手に殺しちゃいけないのは常識 当時のハーグ陸戦条約にも書いてある ラーベの日記のどこに便衣兵摘出の場面すべてに 国際委員会が付き添ったって書いてあるの? まさか一箇所だけでやってたと思ってる? ラーベの日記がソースて墓穴掘ってねえか おもいっきり民間人殺したって日本を糾弾してんのに
ところで「捕虜にするかどうか」を現場が勝手に決められるのか? 南京での拘束敵兵を「政府が捕虜と認めた」ソースがあるなら挙げてくれ。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/06(火) 21:43:33 ID:Y1p52g+40
拘束敵兵といって、捕虜と区別してよいというソースは?
敵に捕まったら確実に捕虜として扱ってもらえるとでも勘違いしてるのかね。
で、ソースは?
やっぱり拘束敵兵と捕虜の違いを知らなかったか、 専門スレに来てこれはないわw 自分の無知を晒して恥ずかしくないか? 拘束敵兵は戦場で拘束された状態、拘束敵兵は捕虜収容所に収容されてはじめて捕虜待遇を得る。 拘束されたに関わらず、捕虜を拒否し銃殺された支那兵もいる。 まあ国民党は捕虜になった場合は処刑すると命令を出していたから しかたがないか。
定義ありがとう。だが、質問に答えていないよ。 >拘束敵兵といって、捕虜と区別してよいというソースは?
>>691 捕虜と非捕虜を区別ならまだ理解できるが
拘束敵兵と捕虜の区別は文章として成してないのだがw
日本語分かりますか?
>>692 どうでも良いが、それを書いている人に質問しているだけw
>>684 >おもいっきり民間人殺したって日本を糾弾してんのに
南京の真実(ラーベの日記)を読み返したが、日本軍を糾弾している記述はどこにある?
月日を示せ。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/10(土) 00:32:57 ID:PCHSU0oX0
でもさ南京市民を10万殺害したのなら 南京市民のほとんどが親・兄弟・祖父祖母のいずれかが 死んでるはずなんだけどそういう訴えが一件もないんだよな 本当に南京「市民」大虐殺があったら反日は こんな現在のようなレベルでは済まないだろう 結局南京「敗残兵」大規模射殺はあっても「市民」虐殺はうそだろうね
696 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 08:23:37 ID:obOgaGAr0
なんたって人口増えてるからね!
>>695 東京裁判の時あっただろ。その後は文化大革命とかあって、自分が生きるのが大変だったんじゃないの?
698 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 12:37:54 ID:PCHSU0oX0
>>697 日本軍が本当に「屠城」をやってたら
今でも日本人なんて南京市を一歩も歩けないよw
ところが南京市民が日本政府に訴訟準備してるなんていう話は
市民の相当数が「殺された」はずなのに今まで一回足りとも無い
ユダヤ人のホロコーストは犠牲者の氏名も生年月日も住所も判明していて
写真も殆どの人に残っており、犠牲者が後から生きて出てきた話も無いから
疑う人はいないがそこが南京事件と決定的に違うところ
699 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 12:43:42 ID:PCHSU0oX0
重慶爆撃 731部隊による細菌兵器・化学兵器使用・人体実験 アヘンばら撒き 偽札ばら撒き 中国人の強制連行 これは証言も書類も大量に残ってるから事実なんだろうし 訴訟が進められてる案件もある ところが南京「城内市民」30万人虐殺に限っては 証言者も書類も証拠も訴人も全く無い
夏淑琴の事例は?東中野修道の400万の賠償が法廷で確定しているよね。
>>698 原爆投下が本当にあったら、
アメリカ人は広島を一歩も歩けないよなwwwww
702 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 22:08:17 ID:hhUtKUK30
30万人説のアイリスチャンも、質問攻撃にきちんと回答できず自殺したしな。 おっと、自殺じゃなく、ボロが出るのを恐れた共産党に暗殺されたっていうのが正解かもな。
703 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 22:10:04 ID:hhUtKUK30
>>700 ああ、誰でも勇み足はあるし、そもそもこの事件は南京事件とは無関係な瑣末な事件だ。
この訴訟によって東中野教授の業績の全てが否定されるわけではないから安心しろ。
>>701 アメリカ大統領は広島を訪問したと聞いたことがないぞ。
国連事務総長もまだ訪問していない。
世界大統領は今年来るらしいが。
705 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 06:52:47 ID:NsPq3gK70
>東中野教授の業績の全てが否定されるわけではないから安心しろ。 ・・のはずなんだが、この賠償によって東中野は完全インチキ 数件の殺人事件→大虐殺確定 同じロジックです。
アカデミック的には、妙なコトした学者はよっぽどのことがない限り、復権できないのが普通ですが? 学問以外の場所で色々騒ぐのは自由だろうけどさ。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/12(月) 18:38:51 ID:TSgxtBh90
「南京大虐殺」 を学問的に説明してくれ
殺害人数には数千から数十万と論議があるが、不法に捕虜や一般人が殺された事件。
>>708 そんな事はどこの戦場でもあることだがw
何故か南京戦だけが大虐殺事件と言われてしまうw
>>708 は不法に捕虜や一般人が何人殺されたと思ってるんだ?
南京事件はやはり人数多いんだろ。俺は、数万人が不法に殺されたとする説を支持する。
>>709 具体的に、どの事件を想定しているの?
不法って、何法? 戦闘での犠牲と誰がどう区別したの? そもそも誰が誰を殺害したの?
どちて坊や
>>714 ハーグ法を相手は厳守してたのに、日本軍が一方的に守らなかったら非難されて当然だわな。
相手が厳守してたとは特に聞いたことがないが。
それから
>戦闘での犠牲と誰がどう区別したの?
>そもそも誰が誰を殺害したの?
これは?
>>715 守って無かったって具体的に何?で、その証拠つーか根拠ある?
下の方は面倒なので、本を参照してくれw
717 :
712 :2010/07/15(木) 22:31:32 ID:LpoXFAgI0
人数が多いかどうかはイメージから来る印象だね。日本の空襲なんか、 犠牲者のほとんどが無抵抗の民間人で千万単位はざらだし、その割に 歴史としての扱いは小さいよね。 国際条約は解釈の幅がえらく広いものだし、解釈権は先ずそれぞれの 国にあるわけだし、たとえそれが対立しても最終解釈権者はいないん だから、判決(結論)は存在しないと言えるね。 南京での民間人殺害は市街戦の割に少ないし、大半は戦闘に巻き込ま れたり、統制を失った国民党兵に襲われてたもので、それらを考慮すると ほとんど無くなってしまう。 捕虜の処遇については、どこからが国際法に言う捕虜なのかが明確で ないし、暴動等の不穏の動きがあれば処断するのも仕方ないね。
>>717 >統制を失った国民党兵に襲われてた
証明よろ
外国の新聞記事になってるね。アメリカとかね。 あのラーベの日記にも出てくるし、ね。 当時、支那では国民党の兵を兵匪と呼んでたくらいで、 山賊・盗賊と変わらない認識だった。
外国の新聞記事やラーベの日記の証拠能力認めたら 日本軍は相当の虐殺したことにならないか。 都合のいいときだけ証拠あつかいするんじゃねえよ。
つまり、南京大虐殺の証拠は何もないってことでいいのかな?
>>720 は何なら南京大虐殺の証拠だと認めるんだ?
>>720 まあ確かに
ラーベの日記や外国の新聞記事には中国兵の暴虐は少しだけ書いてあるけど
日本兵の暴虐の方がずっと多く書いてあるからねえ
>>723 ラーベの日記のなかから日本兵の暴虐が記述されている部分または日付を
抜き出してくれよw
12月13日 町を見まわってはじめて被害の大きさがよくわかった。百から二百メートルおきに死体が転がっている。 調べてみると、市民の死体は背中を射たれていた。多分逃げようとして後ろから射たれたのだろう。 日本軍は十人から二十人のグループで行進し、略奪を続けた。それは実際にこの目で見なかったら、 とうてい信じられないような光景だった。彼らは窓と店のドアをぶち割り、手当たり次第盗んだ。 食料が不足していたからだろう。ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。また、福昌飯店も こじ開けられた。中山路と太平路の店もほとんど全部。なかには、獲物を安全に持ち出すため、箱に入 れて引きずったり、力車を押収したりする者もいた。 我々はフォースターといっしょに太平路にある英国教会にいってみた。ここはフォースターの伝道団の 教会だ。手榴弾が二発、隣の家に命中していた。近所の家もみなこじ開けられ、略奪されていた。 フォースターは、自転車を盗まれそうになってびっくりしたが、我々を見ると日本兵はすぐに逃げ去った。 日本のパトロール隊を呼び止め、この土地はアメリカのものだといって、略奪兵を追い払うようにと頼んだが、 相手は笑うだけでとりあおうとしなかった。
12月17日 塀の裏の狭い路地に家が何軒か建っている。このなかの一軒で女性が暴行を受け、さらに銃剣で刺され、 けがをした。運良く救急車を呼ぶことができ、鼓楼病院へ運んだ。いま、庭には全部で約二百人の難民がいる。 私がそばを通ると、みなひざまづく。けれどもこちらも途方に暮れているのだ。アメリカ人のだれかがこんなことを言った。 「安全区は日本兵用の売春宿になった」 当らずといえども遠からずだ。昨晩は千人も暴行されたという。金陵女子文理学院だけでも百人以上の少女が 被害にあった。いまや耳にするのは強姦につぐ強姦。夫や兄弟が助けようとすればその場で射殺。 見るもの聞くもの、日本兵の残忍で非道な行為だけ。 仲間のハッツ(R. R.Hatz、オーストリア、安全区機械工、*)がひとりの日本兵と争いになった。 その日本兵は銃剣を抜いたが、アッパーカットを食らい、吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた。 そして完全武装した二人の仲間といっしょに逃げていった。
12月18日 最高司令官がくれば治安がよくなるかもしれない。そんな期待を抱いていたが、残念ながらはずれたようだ。 それどころか、ますます悪くなっている。塀を乗り越えてやってきた兵士たちを、朝っぱらから追っ払わなければ ならない有様だ。なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、私を見るとすぐにさやにおさめた。 私が家にいるかぎりは、問題はなかった。やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。 だが、中国人に対してはそうではなかった。兵士が押し入ってきた、といっては、絶えず本部に呼び出しがあった。 そのたびに近所の家に駆けつけた。日本兵を二人、奥の部屋から引きずり出したこともあった。 その家はすでに根こそぎ略奪されていた。日本人将校と発電所の復旧について話し合っていたとき、 目と鼻の先で車が盗まれたこともあった。何とか苦労して取り戻すことができたが。 将校の言うことになど、兵士たちはほとんど耳を貸さないのだ。 中国人が一人、本部に飛びこんできた。押し入ってきた日本兵に弟が射殺されたという。 言われたとおりシガレットケースを渡さなかったから、というだけで! 家に着くと、ちょうど日本兵が一人押し入ろうとしているところだった。すぐに彼は将校に追い払われた。 そのとき近所の中国人が駆けこんできた。妻が暴行されかかっているという。 日本兵は全部で四人だということだった。われわれはただちに駆けつけ、危ないところで取り押さえることができた。 将校はその兵に、平戸打らを食らわせ、それから放免した。
12月22日 私は日本軍に申し入れた。発電所の作業員を集めるのを手伝おう。下関には発電所の労働者が五十四人ほど 収容されているはずだから、まず最初にそこへ行くように。 ところが、なんとそのうちの四十三人が処刑されていたのだ!それは三、四日前のことで、しばられて、 河岸へ連れていかれ、機銃掃射されたという。政府の企業で働いていたからというのが処刑理由だ。 これを知らせてきたのは、おなじく処刑されるはずだったひとりの作業員だ。そばの二人が撃たれ、 その下じきになったまま河に落ちて、助かったということだった。
12月23日 今日、シンバーグが棲霞山から持ってきてくれた手紙には(彼は、江南セメントエ場〜南京間をふつう 一時間半で往復する)、棲霞山の一万七千人の難民が日本当局にあてた請願書が添えてあった。 あちらでもやはり日本兵が乱暴のかぎりを尽くしているのだ。 12月24日 ちょうどいい機会だからと、ウィルソン先生が患者を見せてくれた。顔じゅう銃剣の傷だらけの婦人は、 流産はしたものの、まあまあ元気だった。下あごに一発銃撃を受け、全身にやけどを負った男性もいた。 ガソリンをかけられて、火をつけられたのだ。この人はサンパンをいくつか持っている。 まだ二言三言口がきけるが、明日までもつまい。体の三分の二が焼けただれている。 地下の遺体安置室にも入った。昨夜運ばれたばかりの遺体がいくつかあり、それぞれ、くるんでいた 布をとってもらう。なかには、両眼が燃え尽き、頭部が完全に焼けこげた死体があった。民間人だ。 やはりガソリンをかけられたという。七歳くらいの男の子のもあった。銃剣の傷が四つ。ひとつは胃のあたりで、 指の長さくらいだった。痛みを訴える力すらなく、病院に運ばれてから二日後に死んだという。 この一週間、おびただしい数の死体を見なくてはならなかった。だから、こういうむごたらしい姿を見ても、 もはや目をそむけはしない。クリスマス気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。 いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為をこのまま闇に葬ってなるものか!
12月25日 難民は一人残らず登録して「良民証」を受けとらなければならないということだった。 しかもそれを十日間で終わらせるという。そうはいっても、二十万人もいるのだから大変だ。 早くも、悲惨な情報が次々と寄せられている。登録のとき、健康で屈強な男たちが大ぜいよりわけられた 剔出(てきしゅつ)一のだ。行き着く先は強制労働か、処刑だ。若い娘も選別された。兵隊用の大がかりな 売春宿をつくろうというのだ。そういう情け容赦ない仕打ちを聞かされると、クリスマス気分などふきとんでしまう。 12月26日 使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れていった。 トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。先生から、新しい患者を見せられた。 若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。下腹部を銃弾がかすめており、 手のひら三つぶんくらいの肉がもぎとられている。助かるかどうかわからないという話だ。 安全区本部でも登録が行われた。担当は菊池氏だ。この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。 安全区の他の区域から、何百人かずつ、追いたてられるようにして登録所へ連れてこられた。 今までにすでに二万人が連行されたという。一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。 なんというむごいことを……。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。くやしいが、しょせん無力なのだ。
12月27日 鼓楼病院に今日、男が一人、担ぎ込まれてきた。五ヵ所も銃剣で刺されている。金陵中学の難民収容所では、 およそ二百人の元兵士が選び出されたのだが、そのうちの一人だという。この元兵士たちは、射殺されたの ではなく、銃剣で突き殺されたのだ。目下この方法が取られている。さもないと、我々外国人が機関銃の音に 耳をそばだてて、なにかあったのか、とうるさいからだ。 今日、張と韓が、新街口(ポツダム広場)に日中合弁商店ができて、ありとあらゆる食料品が買えると知らせに来た。 私は韓といっしょに確かめに行った。そして――はからずも、この建物に放火する現場を目撃したのだ! 日本軍はこの街を破壊しようというのか!
12月28日 誰だか知らないが、今日が登録の最終日だといううわさを広めた人がいるらしい。 そのため何万人もの人が登録所につめかけた。安全区の道路は人で埋まり、歩くこともできない。 今日、ほうぼうから新たな報告が入った。あまりの恐ろしさに身の毛がよだつ。こうして文字にするのさえ、 ためらわれるほどだ。難民はいくつかの学校に収容されている。登録前、元兵士がまぎれていたら申し出るように、 との通告があった。保護してやるという約束だった。ただ、労働班に組み入れたいだけだ、と。 何人か進み出た。ある所では、五十人くらいだったという。彼らはただちに連れ去られた。 生きのびた人の話によると、空き家に連れていかれ、貴重品を奪われたあと素裸にされ、五人ずつ縛られた。 それから日本兵は中庭で大きな薪に火をつけ、一組ずつひきずり出して銃剣で刺したあと、生きたまま火の中に 投げこんだというのだ。そのうちの十人が逃げのびて塀を飛び越え、群衆の中にまぎれこんだ。 人々は喜んで服をくれたという。 これと同じ内容の報告が三方面からあった。もう一つの例。これはさっきのより人数が多い。 こちらは古代の墓地跡(in the graveyards in the West City)で突き殺されたらしい。 ベイツはいまこれについて詳しく調べている。ただ、いざ報告するときには、誰から聞いたか分からないよう、 よくよく気をつけなければならない。知らせてきた人にもしものことがあったら大変だ。 日本大使館の役人はわれわれの立場をもう少しましなものにしたいと思っているようだ。 だが同じ日本人同士でも、こと軍部が相手だと歯が立たないらしい。 すでに我々の耳に入っていることだが、軍部は日本人=中国人委員会( the Japanese-Chinese Committee )を 認めていない。これは、日本大使館が設けたもので、ちょうど我々の委員会のような性格のものだ。 初めてここへ来たとき、いみじくも福田氏がいっていた。「軍部は南京を踏みにじろうとしています。 けれども、我々はなんとかしてそれを防ぎたいと考えています!」 残念ながら、福田、田中、福井もだれひとり、軍部の考えを変えさせることはできなかった!
南京のことはどうか上海には黙っていてください、と福井氏から頼み込まれた。 大使館にとって具合の悪いことは知らせないでくれということなのだ。私は請け合った。 そうするほかないじゃないか? 日本大使館を通さなければ手紙が出せないのだから。 だが、いつの日かきっと、真実が白日のもとにさらされる日が来る。 このときとばかり私は福井氏に、十二月十三日に射殺された中国兵の死体をいいかげんに埋葬するよう、 軍部にかけあってくれないかと頼んでみた。福井氏は約束してくれた。 それから、今後安全区に衛兵を派遣することになったと聞かされた。 日本兵が入りこまないようするためだというのだ。あるとき私は、その衛兵とやらをじっくり観察してみた。 だれ一人呼びとめられるでもなく尋問されるでもない。それどころか、奪ったものをかかえて日本兵が出てくるのを 見て見ぬふりしていることもある。どうせそんなことだろうと思っていた。これで「保護します」とは聞いて呆れる!
1月1日 夜の九時に日本兵がトラツクに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。 見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている。私は庭の見張りをいっそう厳重にして、 不寝番に警笛を持たせた。こうしておけば、いつお越し下さってもすぐに馳せ参じられる。だが、ありがたいことに、 今晩は無事に過ぎた。 1月2日 昨夜、またしても日本兵の乱暴があいついだ。スマイスが書きとめ、いつものように抗議書として日本大使館に提出した。 我々がひそかにおそれていたことがついに起こった。中国の爆撃機がやってきたのだ。 といったからといって、けっして友人としてではない。敵としてだ!かつての日本軍のように、時間どおりに爆弾を 落としていく。だが、いままでのところ、幸いなことにたいていは同じ場所、つまり南の飛行場かその近くに限られている。 日本の防空部隊が姿を現したが、人数も少なく、いとも手薄だった。
1月3日 劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子どもがいる。夫がかけつけ、日本兵の横っ面を はって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、 台所に隠れていた劉をひきずりだした。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。 だが日本兵は聞き入れなかった。 田中氏は、ただちに軍部に報告すると約束した。私も氏が約束を果たさなかったとは思っていない。 だが結局、沙汰やみだ。兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。 それ以上こらしめたという話を聞いたことがない。 1月4日 取り締まりのため軍事警察がおかれてからは、治安は全体的にはたしかによくなったといえるだろう。 けれども警察官のなかにもいかがわしい連中がいる。そいつらは見て見ぬ振りをするだけではない。 いっしょになって悪事を働くことさえあるのだ。
1月5日 登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳のみ児をかかえて五列に並んだまま、 もう六時問も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。このきびしい寒さのなか、いったいどうやって 耐えているのかと思う。 またもや漢中門が閉まっている。きのうは開いていたのに。クレーガーの話では、門のそばの干上がった 側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。日本軍は我々外国人を 城壁の外に出したがらない。南京の実態がばらされたら困るからな。 1月7日 福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、なにがなんでも南京の秩序を即刻回復せよ、 と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーべの「市長職」も?)も我々「よそ者」ではなく、 すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。 きょう午前十時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴を あげながら私の住居へ逃げこんできた。屋根裏部屋まで追っていったところで、この日本兵は、たまたま私を 訪ねてきた通訳の日本人将校に取り押さえられ、放り出された。占領されて今日で二十六日。 南京のヨーロツパ人住宅の治安状況がどんなものか、これでもわかるだろう。
>>725 12/13
日本兵が市民を射殺したとは書いてないですなあw
12/22の日記には摘出に国際委員会から人を出すと書いてないか?
伝聞を抜いてくれよw
それで 1月7日以降には記事が有るのか? 笠原センセイによると3月28日まで虐殺が続いていたはずなんだが?
なんだそりゃw ご立派な反論ですこと
>>716 降伏せずに便衣に着替えて安全区に潜伏した敗残兵を処断するのはハーグ条約的にどうなんだ?
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/16(金) 21:19:46 ID:SzKq197L0
交戦者の資格 1条の2(だったかな) 部下の責任を負う指揮官が存在すること あった派は城内の指揮官は逃亡済みなので全ての戦闘が(日本軍にとって) 違法行為であったと主張
>>742 そんなあった派は見たことがないがw
むしろなかった派が指揮官が逃亡したので降伏を受け入れることができず、
その後の敗残兵処断は全て戦闘行為だったというのを見たことはあるな。
東中野だっけか。
>>741 摘出時に逃亡などの敵対行動をとるなら条約上は問題なし。
おとなしく摘出された場合は、日本の軍律からして裁判を受けさせてからなら問題なし。
*ただ、普通に裁判を受けるとただ逃げていただけなら捕虜扱いするだろう。
すでに身柄も確保しているんだから殺しても意味がない。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/16(金) 22:23:45 ID:bNLjQMAm0
南京虐殺肯定派が論破されるいつものパターンになってきたな。
吉本新喜劇の「今日はこれくらいにしといたるわっ」的なものか
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/17(土) 10:42:49 ID:CLmWL+XN0
東中野の功績はティンパーリ文書を暴いたところにある。 なぜ、プロパガンダ要員・工作員がそのように伝えたのか それは真実でなかったから。
なぜこの人は東中野だの名越だの 右翼にすら相手にされなくなったえせ学者が好きなんだろう?
反論できなくなるとレッテル貼り…実に予定調和だなぁ
あ、743だとちと説明不足だ。 ハーグの当該条文をみれば分かるとおり。 第一條 戰争ノ法規及權利義務ハ、單ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス、 左ノ條件ヲ具備スル民兵及義勇兵團ニモ亦之ヲ適用ス。 (1)部下ノ爲ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト (以下略) というように単に軍であるなら指揮官の存在などといった条件はあんまし関係ない。 それは民兵や義勇兵が交戦資格者とみなされる際の条件であって、 国家の軍隊はこれを厳密に規定されているわけではない。 まあ基本的には戦争の慣例によってそもそも守っているので気にしないってことなんだけどね。 特に軍において指揮官の場合は、上級指揮官がいなくなれば次席が、それもいなくなれば次がってぐあいになるので、 この時点で城内の指揮官が不在とかいうことはありえない。 司令官の唐や司令部が逃げ出したとしても各級部隊の指揮者がいれば降伏を受け入れなくともよいなどとは言えず、 (指揮官以外がみんな一兵士ってゲリラみたいな場合は指揮官がいるってことだね) そもそも部隊にはぐれた兵士の降伏を受け入れないなどという慣習は存在しない。 東中野は民兵や義勇兵における条件を、普通の軍に当てはめて交戦資格がないとしている。 はっきりいって滑稽なことをいってるなあぐらいのことなんだよ。
東中野って裁判に負けてからも元気にやってるん?
右翼の集会では元気みたいです
>>740 結局 1月7日以降の記事は出せないんだw
支那人は利害が絡むと平気で嘘をつき、その嘘を国際委員会の連中は分かって記録している。
その証拠に委員会の連中は裏付けを全く取っていない。
日本軍に特段変化が無いのになぜ1月7日以降記事が無いのだ?w
開き直りもそこまでやるとすがすがしいなw
>>755 国際委員会文書を時系列に並べてみろよw
開きなおりというより、楽して史料をださせたい乞食の可能性の方が高そうだな 下衆はほんと手段を選ばないからやーね
>>753 何が言いたいのかよく判らないのだが?
ティンパリーやラーベがその立場上、親中反日であったのは当然の帰結であり、
彼らがどのような意図で情報発信を行ったのか、熟考する必要があるだろう。
歴史研究とは、新たな資料に触れる度に見解を補強・修正していくもので、
それは古今東西のあらゆる論文にも当てはまることだよ。
>>758 おまえこそ何が言いたいのかまったくわからんわ。
そのHPではっきり書いてあるだろ。
>東中野氏は「宣伝本」=「ウソ本」といいたいのであろうが、本の内容がうそか本当かは、国民党が編集・印刷したかどうかにはまったく関係がない。
>本の内容と事実をつきあわせて事実と違うことが書いてあり、かつ、事実と異なることを知りながら編集・印刷してはじめて「ウソ本」と言える。
>東中野は本の内容が事実と異なることを証明していない。
故に、俺は東中野がなにかを暴いたとかお笑いにすぎないといったわけだ。
はっきり言えば立場がどうこうなんざこれっぽっちも関係なく、
歴史の事実としてどうなのかとう検証こそが大事なのに
奴らは○○だから偽物ニダといって喜んでいるだけで、
学者として必要な部分を完全に放置している。
だからえせ学者というほかはないといっているんだぜ。
>歴史研究とは、新たな資料に触れる度に見解を補強・修正していくもので、
>それは古今東西のあらゆる論文にも当てはまることだよ。
んで東中野がしたことは奴らは反日だから嘘書いているニダという
歴史研究とかまったく関係ないことなんでw
>>759 えーと、東中野は「宣伝本」=「ウソ本」と…言ったの?
ああ、「暴いた…」って言ったのは俺じゃないから。
>>760 元レス
東中野の功績はティンパーリ文書を暴いたところにある。
んで、やったのは上述のところで止まっているから、
”彼らがどのような意図で情報発信を行ったのか、熟考”して
いきなり結論を出しちゃったってことになる。
疑いの目で見ることは否定しないが、それをもって事実との検証を放棄するなら
学問とはなんの関係もないことだよねっつうだけのはなし。
>>761 えーと、もう一度訊くよ
東中野は「宣伝本」=「ウソ本」と…言ったの?
ああ、なるほど! つまり東中野が「宣伝本」=「ウソ本」とは明言していない、 事実の検証はナシでも嘘とはいってないから宣伝本といったにすぎないっていう理屈ですか? それ、当該書籍がプロパガンダ本にすぎないって明言しちゃうようなもんですがw
>>763 まぁ、あの爺さんのことだから言ってても驚かないけど、その辺の
記述が無くて「いいたいのだろうが」って書くのも同類じゃないの?
宣伝にしろ広報にしろ意図があって行うものだろ。意図が達せられ
る様に気を配ってることは確かだろうし、曖昧な情報を断定的に
記述したり、偏った大げさな表現も「嘘」の範疇に入るよね。
件の本は伝聞のオンパレードなんだしさ。
プロパガンダなのは間違いないだろうね。
>>765 仰ることはわからないでもない。
しかしだね、河村たかしや元レスをみるように
東中野の書き方がティンパーリは宣伝本=嘘本ととれるように書いているのは事実なんで。
まあ、最大の原因は東中野が宣伝本であるかどうかという
ぶっちゃけどうでもいいところで追求を止めて
その内容がどうであるかという検証をしてないところにあるんだが。
>件の本は伝聞のオンパレードなんだしさ。
>プロパガンダなのは間違いないだろうね。
伝聞であること=プロパガンダとはいえないのでは?
特に中国のプロパであるかどうかはまったく関係なくなる。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/18(日) 01:17:47 ID:TybTcGW00
「宣伝、プロパガンダ=嘘」ってわけでもないし、 後か先かは別にしても、中国が宣伝用に採用したのは事実でしょ で、内容を見てみれば「ほぼ伝聞」なんだから、真実性は二の次と、
ちょっと調べただけで
東中野は「宣伝本」=「ウソ本」といったのが出てきたわ。
ttp://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-125-8.htm アーチボールド・スティール氏は『シカゴ・デイリー・ニューズ』の特派員であった。十二月十五日、南京を離れるやいなや、ただちに「南京虐殺物語」を打電して、十二月十五日(日本時間十六日」付『シカゴ・デイリー・ニューズ』に掲載している。
しかしその記事はティンパーリ編『戦争とは何か』の第一章とほぼ同じであったことから、そのニュースソースは宣伝本のティンパーリ編『戦争とは何か』(第一章)の執筆者マイナー・ベイツ師であったことが判明しており、
しかも記事内容は事実と大きくかけ離れていることも検証済みである。(詳細は『南京「虐殺」研究の最前線』平成15年度版、二七五頁)
この件に関する検証へのリンクも同HPに載っている。
素人にすらわかるでたらめをさえずる自称学者をえせ学者といってもいいだろうねえ。
>>767 正気とは思えないですね。
あの〜、ティンパーリは取材という手法を使って真実性を追求したわけですが、
そんなこといったら現在のマスコミとか、真実性は二の次といえますよ。
一例を挙げるなら口蹄疫での感染頭数が8万を超えたというニュースがありますが、
これは厚生省の発表を取材した内容で、「ほぼ伝聞」といっていいことになります。
別に記者自身が数えたわけでもなく、厚生省も各農協から聞いたものを発表しただけですから。
個人の調査力には限界がありますからでっかい事件の場合、
まず間違いなく内容を見てみれば「ほぼ伝聞」なんだから、真実性は二の次なりますねw
あんたのいう真実性ってなに?
>>757 都合が悪くて委員会文書一覧を出せないだけだろ、 検索すれば簡単に見つかるのにw
南京救済委員会文書一覧
文書No. 日時 宛先 概要 作成者
1 1937/12/14 南京日本軍司令官 一般市民の保護について ラーベ
2 1937/12/15 南京日本帝国大使館員/福田篤秦 武器を捨てた中国兵について ラーベ
3 1937/12/15 南京日本帝国大使館員/福田篤秦 南京国際赤十字社結成について フォースター
4 1937/12/15 特務機関長 特務機関長との会見の覚え書 スミス
5 1937/12/16 南京日本帝国大使館員/福田篤秦 暴行、治安対策、食料要求など ラーベ
6 1937/12/17 南京日本帝国大使館 強盗、強姦、殺人の蔓延 ラーベ
7 1937/12/18 南京日本帝国大使館 暴行、強姦、兵士の取り締まりについて ラーベ
8 1937/12/19 南京日本帝国大使館 暴行事件報告 スミス
9 1937/12/21 南京日本帝国大使館 放火、暴行、略奪への抗議 南京在住外国人一同
10 1937/12/21 南京日本帝国大使館 南京市の放火事件にかんする判定
11 1937/12/21 南京日本帝国大使館 暴行事件抗議 スミス
12 1937/12/22 憲兵司令布告
13 1937/12/26 南京日本帝国大使館 暴行事件抗議 スミス
14 1937/12/27 南京日本帝国大使館 食料、石炭要求 ラーベ
15 1937/12/27 南京日本帝国大使館 石炭要求 スミス
16 1938/01/04 南京日本帝国大使館 暴行事件報告 ラーべ
17 1938/01/07 南京日本帝国大使館員/福田篤秦 市内の秩序について ラーべ
18 1938/01/13 南京日本総領事代理/福井 小麦と米の無料配布について フィッチ
19 1938/01/14 南京日本帝国大使館員/福田篤秦 食料石炭の供給について ラーベ
20 1938/01/15 南京日本帝国大使館 食料品の輸送について ラーベ
21 1938/01/17 アメリカ大使館/アリソン 石炭食料の輸送関連 スミス
22 1938/01/17 南京日本帝国大使館 石炭食糧配給について ラーベ
23 1938/01/18 上海キリスト教総会/ボイントン 食糧問題 フィッチ
24 1938/01/19 アメリカ大使館/アリソン、イギリス大使館、ドイツ大使館 食糧問題 ラーベ
25 1938/01/26 アメリカ大使館/アリソン、イギリス大使館、ドイツ大使館 配給問題 ラーベ
26 1938/01/28 イギリス大使館/ブリュン 寄付依頼 ラーベ
27 1938/02/06 アメリカ大使館/アリソン 義捐金関連 ラーベ
28 1938/01/27 南京日本帝国大使館 食糧事情 ラーベ
29 1938/01/28 南京自治委員会 食糧配給 ラーベ
30 1938/01/30 ドイツ大使館/ローゼン博士 国際委員会の地位について ラーベ
31 1938/12/03 日本大使館/日高 難民収容所閉鎖問題 ラーベ
32 1938/01/10 アメリカ大使館/アリソン 国際委員会の地位について スミス
33 1938/01/10 アメリカ大使館/アリソン リッグズ氏が巻き込まれた事件 スミス
34 1938/02/19 アメリカ大使館/アリソン 委員会名称変更について スミス
1月4日を最後に暴行事件の抗議はなくなった。
笠原によれば3月28日まで虐殺が続いていたんだろ?
虐殺を尻目に石炭と食料の要求をしていた委員会の連中は鬼畜だな(大爆笑
俺はこいつが、安全区での虐殺と困窮を証明しているようにしか見えないんだが こいつは何を反論した気になっているんだ? 頭おかしいのか?こいつは
安全区というより城内か
なんで1/4から後は暴行や虐殺の話が出てこないんだろうな?
お前が知らないだけ、調べてもいないだけ それで「無い」と言い張る奴の言ってる事は信じる馬鹿だから始末に終えない 馬鹿は死ななきゃ治らないとはよく言ったものだ 馬鹿は手の施しようがなくてうざいだけと、昔の人もよく知っていたんだろうなあ 例えばラーベの日記1月22日には 日本兵が豚を手に入れる為に中国人を使って豚を捕まえさせているが、 なかなか捕まえられない中国人を突き殺した、という話をマギーから聞いている 1月30日には日本兵に強姦されそうになった中国人の女を助ける話も書いている まあお前ら馬鹿はどうせ「他の日は何で出せないのかな?」とか言い出すんだろうけどな、馬鹿で下衆だから
ほんと、こんなゴミみたいな連中でも一時期大勢力になっちまって そのせいで中国に「日本人は南京大虐殺を否定している」といいようにプロパガンダのカウンターを食らっちまった ラーベやボートリンなどの史料や日本兵の日記、被害者加害者の証言などがあって 人数以外はどうやっても覆せない事実だから 否定しようとしたら逆に簡単にやり返されるだけ お前ら頭の構造がいかれてる否定派以外は誰も、否定論なんて信用しないんだよ そんな事もわからない馬鹿否定派のせいで、逆に日本の印象を悪くした上に 南京大虐殺の逆宣伝にも一役買ってしまうという、笑えない話になっちまってるんだよ糞否定派どもが いい加減お前らゴミは日本の足を引っ張ってるだけだと気付け ていうか絶滅しろクズが
>ていうか絶滅しろクズが 否定論を否定しきれない肯定派って言葉遣いが荒いねえw
はいはいさっさと市ね
否定派ってのはゴキブリみたいなもんで とにかく気持ち悪くてひたすら駆除するしかないんだけど 絶対絶滅しないんだよね
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/18(日) 22:28:39 ID:5rWtGjUL0
>>769 マスコミは営利事業。常識的には読者の感情を満足させるため、
スポンサーの感情を満足させるため、記者の感情を満足させる
ために演出された記事を発信する。そして当時それは現在より
もずっと、あからさまだった。
君の言葉を東中野に当てはめてみると、
「東中野教授は学術研究という手法を使って真実性を追求した」
とも言えちゃうよ。
伝聞は伝聞であって真実とは意味が異なる。大きな事件・事故が
あった場合、情報が錯綜し誤報や曖昧報道がたくさん流されるが、
後に時間をかけて事実が検証されていく。
真実性とはこういうものだよ。
だいたい「正気とは思えないですね」とは、君も相当の演出家だw
>>776 どんな事柄でも、細かい部分をあら探しすると、通説とは違う怪しいモノが絶対でてくるよ。
それを取り上げ延々論議することは、永遠に可能。
まず、その認識から始めないと。(数学の一分野を除く)
>>779 >で、内容を見てみれば「ほぼ伝聞」なんだから、真実性は二の次と、
に対してのレスなので問題ないが?
>マスコミは営利事業。
じゃあ、この時のティンパーリは関係ないですね。
『WHAT WAR MEANS』は演出された記事ではなく、
南京城内の安全区委員会のメンバーであったジョージ・アシュモア・フィッチ、マイナー・シール・ベイツからの報告や安全区委員会文書、
その他各地の日本軍の暴行に関する報告や記事などをまとめたものですから。
>伝聞は伝聞であって真実とは意味が異なる。
すまん、そんなことを言い始めると現場で体験した人間以外は全部伝聞なんで
真実なんかはその人間以外どこにもないというだけの話。
そしてその真実を他人に話した段階でそれは伝聞となる。
つまり、真実とは人類が共有し得ない概念であるという主張をしているわけで
それで正気かといったわけだ。ご理解いただけたかな。
そしてこれらの情報強度は伝聞であることだけでは
なんら低下せず(当たり前だ。体験談を取材しただけで伝聞である)
ごくごく一般的な情報であることは言うを待たない。
>君の言葉を東中野に当てはめてみると、
東中野の憶測は学術研究に値しない手法でやられてますのでw
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 01:35:37 ID:3ORxOsjA0
>>781 > この時のティンパーリは関係ないですね。
彼の意図が何処にあるかは別としても、風聞を纏めただけなら
都市伝説と大差ない。
> 現場で体験した人間以外は全部伝聞
だから裏付けが必要になる。
> 東中野の憶測は学術研究に値しない手法でやられてますので
裏取りをしない取材も…だよw
>>782 >風聞を纏めただけなら都市伝説と大差ない。
また、不思議なこと言い出したなあ。
↓
>裏取りをしない取材も…だよw
裏取りってなに? 人から聞いた話を伝聞で片付けちゃうあなたには出来ないことじゃないの?
極端な話昨日巨人が勝ったことだってドームで見ていた人間以外にとっては
伝聞に過ぎず新聞もなにもかも都市伝説にすぎない。
絶対に公正な記録を管理しているプロ野球管理機構に裏取りしなければね。
野球ならこの機構のおかげでまあ裏取りも可能と言っていいんでしょうが、
南京の裏取りってどうやるの? 加害者・被害者・目撃者に聞く以外に方法が?
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 16:30:34 ID:2WPPImcZ0
>>775 >人数以外はどうやっても覆せない事実だから
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何人なんすか?
こーゆー奴が肯定派の理屈を一気にチープ化させるw
分からんモノは分からんと素直に言うのが誠意ある対応だろ。 それを鬼の首とったかのようにw それしか突っ込みようがないのだろうが。
詳しい定義が各人によって異なる南京大虐殺もしくは南京事件そのものがよく分からん代物だな。
まあ、中国側主張によると上海からの追撃から南京陥落までの損害を加えて30万。 追撃の概念だけでかなり変わってくるしなあ。 完全に敗走中から数えるのと陣地をじりじり放棄していた時点から数えるだけで数万違ってくる。 ただひとついえるのは南京において民間人を虐殺するような軍命令は下されていなかった。 (民間人区別が厳密でなかったという批判は存在するにしても) せいぜい捕虜虐殺くらいでしょ、日本軍が非難されるべきは。 あとは軍紀弛緩による民間人被害防止義務の怠りだが、 これは犯罪だけにきちんと数字が出せない。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 21:53:21 ID:0VA5Q9Te0
>>783 > 裏取りってなに?
え〜と本気で訊いてるの? 君くらいの知性があれば当然理解して
ると思うんだけど…タメにする質問なのかな?w
> 人から聞いた話を伝聞で片付けちゃうあなた
ひとから聞いた話を日本語では「伝聞」っていうんだけど?
> 南京の裏取りってどうやるの?
泣きが入った? 裏取りする能力がないから噂話を真実ってことに
して下さいよ〜じゃ話にならないでしょ。
つまり…南京大虐殺は噂話なりけり 罵笑
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 21:59:45 ID:GVjf0sxX0
肯定派が涙目になって逃げ出しかかっているぞ。
現実で相手にされなくなり、こういう場所に逃げ込むしかなかった否定派が精一杯強がっておる
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 22:20:24 ID:2WPPImcZ0
現場、学会、アカデミック ww
>>788 いやいや、困ったことをいうものだ。
伝聞で真実性は二の次とかいうので
歴史学で裏取りという作業は何を意味するのかと聞いているのだが?
>ひとから聞いた話を日本語では「伝聞」っていうんだけど?
なら情報強度は全て同じですので伝聞だから真実性は二の次とかいうのは嘘でしょ。
特に大事件の場合、全ての現場に居合わせることは不可能だから
誰かがそれを調べるとほとんど伝聞という資料が必ずできあがる。
それが真実性を持つか否かは複数資料の付け合わせなどの手法で行われるが、
ティンパーリの場合、そもそも複数資料をまとめて紹介する著作なんで、
それが伝聞だからとか不思議きわまりない指摘なんだよね。
もしかして神のごとく全ての現場を見る視点のことを裏取りといっているの?
>裏取りする能力がないから噂話を真実ってことに
>して下さいよ〜じゃ話にならないでしょ。
う〜ん、伝聞が伝聞であることで否定してしまう君がいうところの裏取りが
全ての現場に居合わせる一人という前提なら
話にならないのはそちらさんでしかないですね。
神様の能力がでなけりゃ全部伝聞で真実性は二の次なんですからw
>つまり…南京大虐殺は噂話なりけり 罵笑
現場にいた日本人も証言してますが何か?
というか・・・ティンパーリが当時の資料をあつめて編纂したものが伝聞だと
事件がうわさ話になるのか・・・とすると阪神大震災とかも直接体験者が全部死んだらうわさ話ですねw
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 23:04:49 ID:GVjf0sxX0
ラーべ日記も噂話で満ちているしな。 そして、虐殺人数に関しては、具体的総数に関して全く触れていない。 南京虐殺は、戦後捏造されたプロパガンダに過ぎませんなw
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 23:08:08 ID:GVjf0sxX0
>>792 >現場にいた日本人も証言してますが何か?
阿羅健一の「日本人48人の証言」を読んだ限りでは、便衣兵の処分はあったものの、
罪のない民間人を虐殺した、という現場目撃証言は全くない。少なくとも、民間人
虐殺の証拠など皆無だし、あったとしても、投降兵・便衣兵の処分のみで、これは合法。
>>794 えーと、南京の現場の日本人は48人しかいなかったなら
その本を読んだ限りでなかったとかいえるかもなw
他の現場の日本人の声なんていくらでもあるが紹介して欲しいのか?
>虐殺の証拠など皆無だし、あったとしても、投降兵・便衣兵の処分のみで、これは合法。
残念ながら南京で行われたものは戦闘詳報をみるかぎり完全に違法です。
とゆうか、 秦からクロを証言する人は避け、シロと主張する人だけをまわって、全体としてシロと結論付ける戦術が丸見えといわれ、 伝聞だらけの阿羅健一の「日本人48人の証言」を出してくるとはなにかのギャグなのか?
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 23:45:18 ID:0VA5Q9Te0
石川達三はずっと南京大虐殺の一幕である捕虜の大量虐殺について「あった」と語っていた にも関わらず、阿羅健一の「日本人48人の証言」で、阿羅が石川から受け取ったという手紙には 「そんなもの無かった」と書いてあったという 阿羅が本を刊行する時には石川は既に亡くなっていた 手紙が公開されているという話は無い ずっと無かったと言っている人間の話なら理解できるが、 さすがにこの状況で、生前の発言と真逆の内容の手紙を受け取ったという阿羅の話は怪しすぎる
>>797 >伝聞だけじゃダメだってことは理解できたのかな?
全く理解できないね。
ぶっちゃけ伝聞だけでも真実性についてはまったく問題がない。
こういうことだもの。
>それが真実性を持つか否かは複数資料の付け合わせなどの手法で行われるが、
>ティンパーリの場合、そもそも複数資料をまとめて紹介する著作なんで、
>それが伝聞だからとか不思議きわまりない指摘なんだよね。
つかあんたの引用したウィキにもこうあるんだが。
例えば、事件の当事者が事件直後に書いたものと、事件から相当経過してから伝聞を元に書いたものを比較すると、一般的には時間的・空間的に近く、
また当事者に近い方が信頼性が高いと考えられる。(中略)ただし、当事者であるがゆえに、かえって自分に都合のいいように記述したり、
都合の悪い点を隠す場合も多い(公表を意図して書いたものかどうか、など史料が成立した経緯も信頼性に影響する)。
そのため、一次史料を別の立場から書かれた史料と比較検討することも必要である。
よって伝聞であるかどうかは真実性を確かめるひとつの目安となるが、
伝聞であるからといって常に真実性から遠いとかはありえない。
特に資料集として集められたティンパーリの場合。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 02:23:51 ID:1FAESHLI0
>>799 > 伝聞であるからといって常に真実性から遠いとかはありえない
「裏取り」って言ったの憶えてる?
> 特に資料集として集められたティンパーリの場合
目的が何であるかを予断で決めつけてはいけないし、風聞を集めた
だけなら検討作業以前のものであり、証拠たりえないね。
>>801 > 石川達三の南京入城は1月5日。中央公論の特派員として空路南京に入っている。
> 石川が捕虜の大量虐殺を目撃するのは不可能。
どこに石川が実際に虐殺をリアルタイムで殺したのを見たかどうかの話が書いてあるんだよ馬鹿
石川は兵士たちに取材した結果あったと言ってるわけで
その姿勢を戦後一貫して崩さなかったという話をしてるんだよ馬鹿
ていうかわかっててずれたレスしてるんだろうけど、
なんでお前らそんなに姑息なんだよ
知性か知的誠実性 あるいはその両方 に欠けるから
>>802 ということは 兵士のホラ話をそのまま小説にしたのかw
12/21に主力部隊が撤収して、以降は警備担当の第16師団歩兵第30旅団と
軍司令部関連部隊しかいない。
埋葬記録によると、1月5日は、まだ死体を片付けていないから石川は
山のような死体を見ていたおかしくないのだが
>>803 馬鹿で誠実じゃないって、救いようがないなw
>>804 あーはいはい、嘘とデマしか言わないおバカさんは早く死んでね
死ぬ以外に馬鹿は治らないんだから
>>800 >「裏取り」って言ったの憶えてる?
んで、その裏取りって何を意味するのっていったの覚えてる?
>目的が何であるかを予断で決めつけてはいけないし、風聞を集めた
>だけなら検討作業以前のものであり、証拠たりえないね。
ごめん、君が何を言っているのかわからない。
風聞を集めたものだから検証する必要もなくみないでほしいといっているようにしか聞こえないのだが。
>>801 >日?暴行的高潮从1937年12月13日攻占南京?始持?了6周,直到1938年2月南京的秩序才?始好?。
>据第二次世界大??束后??国??事法庭和南京?事法庭的有?判决,在大屠?中有20万以上至30万以上中国平民和?俘被日??害
とあるように南京周辺だけで30万という記述はどこだ?
中国語は完全にはわからんから他にあるのか?
どうも南京に関係ありそうなのはこれくらいなんだが 1937年的南京在行政上包括城?内的8个城区(城区内?有国?安全区)、近郊的6个郊区,以及?郊的8个?。 如果采用?狭?的地理??范?,就会得到?小的数字。 でもこれって日本の学者がこういった範囲をどこにとるかで被害人数が変わってくるといっており、 10-20万から4万人まで変わってくるとかいうことなんだが。、 これ以外にあるのか? また屠殺数の表というのもあるがどう計算しても30万にはならない。
どう計算しても30万にはならないならまず算数から学びなおさないといけないね
>>809 ふむ、これは失礼しました。
表の上の数字だけを調べてましたが、下の表は全然違うものだったんですね。
当方が言ったのは前に読んだ30万人説が出た頃の中国での代表的な論文の虐殺数のカウント方法についてね。
でもそのWIKIでもこういってますよ?
?于中国来?,30万?个数字的象征意?大于??意?。
30万というのは象徴的な数字だって。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 22:34:38 ID:SJhQg6pW0
安全区に避難してた民間人は20万人と、ラーべは言っているが、このシナ人を皆殺しにしても 30万人には遠く及ばない。この人口論の問題に関し、肯定派は説得力ある説明を全くできない。 30万人虐殺説を尤もらしく大宣伝したのは、アイリス・チャンである。彼女はレイプオブ南京 の中でこのような大嘘を書きたて、真実であるかの如く宣伝したが、日本を始めとした世界の 南京虐殺研究家たちからの厳しい質問や矛盾の指摘に耐えられず自殺した。 一説では、嘘がばれそうになって、中国共産党に暗殺されたという説もある。 30万人大虐殺に関しては、全く証拠はない。 中国共産党の反日プロパガンダに過ぎないのである。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 22:40:44 ID:SJhQg6pW0
そして、驚くなかれ。南京虐殺に関して、毛沢東は何一つ書簡を残していないのだ。 まるで南京虐殺など知らん、といわんばかりだ。そして、毛沢東の死からかなり経ち、 江沢民の時代になって、突然、南京大虐殺が宣伝され始める。 その数は1万人弱から始まって、江沢民が口を開くたびにどんどん増えて行き、最終的に 30万人になった。根拠はどこにもない。 言える事は、「日本に対しては外交カードとして歴史カードが使える」という恥ずべき 事実を江沢民が見出したことなのである。日本は中国に対して根拠のない罪悪感を抱いている 人が少なからずいるが、すべて妄想である。国際外交で謝罪の態度を見せれば、骨の髄まで しゃぶられる。日本人、特に左翼は馬鹿だから江沢民にたかられたのである。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 22:55:18 ID:1GnEeq7u0
>>807 > んで、その裏取りって何を意味するのっていったの覚えてる?
んで「資料批判」を教えてあげたんでしょ。
> 風聞を集めたものだから検証する必要もなくみないでほしいと
> いっているようにしか聞こえないのだが。
それは被害妄想。検証作業をしなければ証拠としての価値が無い
とは言ってるけどね。
このスレでこんな初歩的な否定派の嘘テンプレが貼られることもあるんだねえ
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 23:04:45 ID:SJhQg6pW0
肯定派は、南京の人口問題に関して、何の説明もできていない。 最近では「安全区には実は50万人いた」というトンデモを言い出す始末。 毛沢東の書簡に関しても、肯定派は沈黙するのみ。 南京虐殺など無かったと言わざるを得ない。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 23:05:41 ID:SJhQg6pW0
>>814 嘘だというなら、論破してごらんw
できもしないくせに、バーカ
20万人しかいなかった論法を見て いつも思うんだけど、 20万人の根拠ってラーベ日記なんだよな。 否定論者がラーベ日記をそんなに信用していいのか?
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/20(火) 23:21:15 ID:SJhQg6pW0
ラーべ日記を完全否定する証拠も無い。普通なら、日記に「安全区人口20万人」という 本当のことを書くだろう。ラーベも例外ではない。当時、50万人という嘘を日記に書く理由は無いのだ。 因みに、南京に進駐し、安全区の保護に当たった日本軍も、「安全区人口20万人」と カウントしている。ラーベと日本軍のカウントは一致しているのだ。
>>817 否定派はデマを流せれば何でもいいんじゃないの
だからその後のことなんて何にも考えてないんだよ
>>813 いや、だからね、もとは東中野の”資料批判”がその名に値しないだろって話をしてたわけで、
当然ティンパーリ本は元ネタとなった資料はきちんと資料批判されてるでしょ。
ぶっちゃけティンパーリの立場と「伝聞」であることは全く関係ないじゃん。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/21(水) 00:53:19 ID:DvFUFXBJ0
>>820 違うだろ。資料批判されてないティンパーリの本じゃ証拠に
ならんって話だよ。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/21(水) 01:03:30 ID:Ft1mcK6k0
>>821 肯定派のバカサヨクが、臆面もなくデマをいいふらしているのさw
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/21(水) 01:07:31 ID:Ft1mcK6k0
それにしても、人口論一つとっても、まったく論破できない肯定派は非力で無能だねw 肯定派の教祖のはずのラーベすら「デマを流すジジイ」に仕立て上げるくらいだから、 こいつらは、狂ったご都合主義者なのさ。 ラーベ日記の20万人説は、後の日本軍の調査で裏が取れてるから間違いないのさ。 馬鹿な肯定派はそれすら理解できない。
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/21(水) 01:08:18 ID:DvFUFXBJ0
肯定派って、反論者がいる所じゃ「数の問題ではない」なんて言うんだよね。 そのくせ反論者がいない所じゃ、とてーも元気がよろしくてw
また「30万じゃない=虐殺自体なかった」すり替え厨が湧いてんの?
1938年3月のスマイスの調査でも城内21万、城外1万の22万となっている。 中共主張の30万なら支那兵10万として 1937年12月初頭の段階で南京市民の 人口は40万は居ないと、計算が合わない。
>>822 >違うだろ。資料批判されてないティンパーリの本じゃ証拠に
>ならんって話だよ。
??
ティンパーリの本はフィッチやベイツの報告書、安全区委員会の文書などといった資料で構成されているので
それらの資料は資料批判されて、どこが信用できるかできないかというのは
とっくに検証済みだと思うが?
>>823 だから肯定派のバカサヨクってどいつだよw
学者じゃなくてこのスレの中でいってるってことか?
だったら、ふ〜んとしかいいようがないが。
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/22(木) 01:52:24 ID:cWPID23m0
>>829 ティンパーリがいつ資料批判したって? したのは後生の研究者だろ。
東中野もその中のひとりだな。それで、伝聞の検証はどーなった?
少なくとも俺は、事実が確認された伝聞など見たことがないけどなw
一方で中国が宣伝に使うほど、政治的に都合のよろしいことが書いて
あるというわけだ。だから疑いの目を向けられる。
ティンパーリの本のフィッチやベイツの報告書、安全区委員会の文書などの資料は 伝聞だから信用できないけどラーベの日記は信用できる資料だから引き合いに出すよ!キリッ
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/22(木) 04:30:52 ID:4P83A97JO
遺骨堀に行くべ。
>>830 >ティンパーリがいつ資料批判したって? したのは後生の研究者だろ。
なあ、なんで資料を集めた人が資料批判してないことが、
資料批判されていないティンパーリの本なんて表現になるんだ?
>少なくとも俺は、事実が確認された伝聞など見たことがないけどなw
複数の資料をつけあわされて高い真実性を持つ伝聞ならありますけど?
信長が本能寺で死んだくらいの真実性ですがねw
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/22(木) 23:03:52 ID:cWPID23m0
>>833 後生の研究者が資料批判して、伝聞の証拠価値を見いだせなかった。
それ以上でも以下でもないな。
では、高い真実性を持つ伝聞とやらをどうぞ。
「後生の研究者」て東中野?プ
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/22(木) 23:26:38 ID:cWPID23m0
>>836 具体性がまったく無いな。
逃げにはいるのは、まだ早いんじゃないのか?
>>837 前にも聞いたと思うけどお前さんのいっている具体性っていったいなに?
後生の研究者の資料批判で否定されたって
呪文のように具体性がないって唱えるだけの代物だったのかい?
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/23(金) 00:02:00 ID:cWPID23m0
>>838 逃げるなよw
事実検証され、これは真実だとされた風聞をよろしくね。
>>839 いや、あんたが真実性を求めてきたので複数資料と付け合わせた
真実性の高い部分を紹介してあげた。
そしたら真実性から逃げ出して、いきなり具体性を求めてきたんじゃないか。
>事実検証され、これは真実だとされた風聞をよろしくね。
は? おまえさん、資料批判って知ってる?
ここ歴史板だから、せいぜい真実性が高いことしか検証できないよ?
>>839 > 事実検証され、これは真実だとされた風聞をよろしくね。
南京大虐殺の事実そのものだな
人数だけは確定できないが
加害被害双方と第3国人が残した数々の史料、証言によって
相当数の捕虜や民間人の殺害、強姦、略奪があった事実は
疑いようがないと認識されている(一部の馬鹿否定派除く)
>>836 よりによって「ゆう」のページかよw
そのページでは「多数の市民の死体があった」とされているが、
それならばなぜ外国人、新聞記者は写真を撮らなかったのだ?
ラーベは30人の支那兵射殺死体を写真に残している。
マギーは夏事件の11名の死体を16mmで撮影している。
市民多数が殺害しているならなんで撮影していないのだ?
それに 日本側の証言では 多数の中国兵と言っているんだがw
ダーディンへの 1987年8月のインタビュー
この下関地区では、それこそ大勢の兵隊が邑江門から脱出しようとして、
お互いに衝突したり、踏みつけあったりしたのです。前にもお話したような
気がしますが、私たちが南京を出るときに、この門を通りましたが、車は死
体の山の上を走らねばなりませんでした。この門から脱出しようとした中国
軍の死骸です。中国軍はあちこちで城壁に攀じ登り脱出を試みました、これら
の死体の山は日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この
地域で戦闘はありませんでした。
(『南京事件資料集』アメリカ関係資料編)
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/23(金) 00:27:09 ID:DaXJuIy70
>>840 > 真実性の高い部分を紹介してあげた。
どこで?w
>>842 >そのページでは「多数の市民の死体があった」とされているが、
>それならばなぜ外国人、新聞記者は写真を撮らなかったのだ?
さあ? 他者が写真を撮っているからと言って
なぜ写真がないことが不思議なんだ?
当時のカメラはわりと専門性が高い技術なんで、
ダーディンはカメラマンを同行していなかった、その技術がなかったという以外に説明がいるのか?
>それに 日本側の証言では 多数の中国兵と言っているんだがw
それ場所が下関地区
ベイツやダーディンは市内といってるぞ。
>>843 既出
あ、ごめん、ちょっと調べたら出てきたわ。 ダーディンさん、カメラも持っていたんだけど パネー号が撃沈された時に取材道具一式なくしてるわw
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/23(金) 01:22:07 ID:DaXJuIy70
>>844 ラーベやマギーが写真のプロとでも言いたいのか?(大爆笑
南京の真実を読むとラーベは9月22日から写真を撮って
以降継続して撮影している。
支那兵の死体、鼓楼病院のけが人とラーベはいろいろ撮影している。
なんで市民の死体の山を撮影しなかったのだ?
日本軍が外国人を禁足した記録があるのか?
市民の死体を見つけたらなんで外国人は絶対に写真とってないとおかしいってことになるんだよ 外国人はべつに市民の死体記録のためにいたわけでもないのに
言い訳が苦しくなってきたな
シナ兵の死体や鼓楼病院のけが人をラーベ自身が撮影していたのか? シナ兵の死体というのは、ラーベのいた部屋から見える場所にあった死体の事か? うーん、仮にラーベがカメラを所持していて、彼自身が撮影していたものだとしても その2つの例から考えると、残っている写真は彼の近辺に限られているように見える マギーのように積極的にフィルムを撮影しようとした外国人ですら、 難民の保護や救出に忙しくて一部しか撮影できなかったと言っているくらいだから 南京のあっちこっちにカメラ持って撮影しにいく余裕なんて無いんじゃないだろうか なんにせよ、外国人はみたものを全部写真に収めていないといけないかのような物言いこそ苦しいロジックだろう
それから、民間人の死体写真だとキャプションをつけたものについては 村瀬氏のように「遺体のほとんどが民間人のようだ」とキャプションをつけた写真や マギーフィルムにある夏事件の現場に転がる遺体など 他で民間人の遺体映像は既に残っている 写真が全く無いならともかく、一部の外国人が写真を(撮影する能力と機会があったとしても)撮影しなかった事を 殊更俎上に上げなければならない意義は感じないね
>>848 スティール記者が写真を撮る機材を持っていたからと言って
ダーディンがパネー号撃沈事件で取材道具一式を失ったことになにか矛盾するのか?
>支那兵の死体の山は
支那兵の死体の山が下関地区にあったという証言は、
>市内を見まわった外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告しています。
と矛盾するのかね?
邑江門の内側とは通りにあるんだろうが、市内の通りとは邑江門の内側にしかないのか?
なんかさ、爆笑はいいんだけどロジック構成が中学生レベルにもいたってない失笑ものだよ?
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/23(金) 18:45:36 ID:LG3RvUs10
>>853 ヨコだが、いいかげん見苦しいよ。
邑江門の死体は
>>842 の人がソースを出しているように日本軍によるものではないぞ。
だいたい邑江門の警備にあたっていたシナ軍の36師は督戦隊ですよ。
それが日本軍による虐殺の証拠なの?
つーか城内のそれ、市民の死体じゃないじゃん。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/23(金) 18:54:14 ID:LG3RvUs10
>>851-852 >>836 リンク先
>ペイツ「市内を見まわった外国人はこのとき通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告…」
↓
>>842 >それならばなぜ外国人、新聞記者は写真を撮らなかったのだ?
>ラーベは30人の支那兵射殺死体を写真に残している。
>マギーは夏事件の11名の死体を16mmで撮影している。
↓
>>844 >当時のカメラはわりと専門性が高い技術なんで、
↓
>>847 >ラーベやマギーが写真のプロとでも言いたいのか?
↓
今ここだよね。
脈絡の無い文章を書いといて、お相手のロジック云々ねw
>ペイツ「市内を見まわった外国人はこのとき通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告…」
↓
>>842 >それならばなぜ外国人、新聞記者は写真を撮らなかったのだ?
>>842 の理屈が飛躍しすぎでおかしいんだが
死体を見た→写真を撮ってないとおかしいって
めちゃくちゃなこと言ってんな
なあ、まじでティンパーリの本=フィッチやベイツの報告書、安全区委員会の文書を まったく資料としての価値がないって言ってる「後世の研究者」って 東中野以外だれよ?
>>854 見苦しいも何も
>市内を見まわった外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告しています。
という文章のHPを出したら
日本軍の証言で下関地区邑江門に中国兵の死体があったことを出されて、
否定されているとか見苦しいこといったのは相手側なんだが?
だからそれは下関地区のことで、市内全部とは違うだろっていったわけなんだがな。
南京市内とは下関地区しかないなら俺が間違っているがなw
>>855 845の次にダーディンが取材機材一式を失っていたと
写真を撮れなかった理由を書いてるのに、
なおも彼とは別人のスティールが取っていたとか脈絡のないことを指摘したのがそんなにおかしいですか?
つっかさ、 1.写真をとっていた外国人がいるので 写真を撮っていないダーディンのいうことは疑わしい 2.市内の邑江門での死体が中国兵のものなので 市内に市民の死体が転がっていたのは疑わしい とかいうアホな言いがかりに対して疑問を持たず、 その反論に脈絡がないとかいわれてもこまっちゃうなw
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/24(土) 04:51:36 ID:5I75QQh70
>>860 そのチャンネル桜の水島って右翼が製作した映画もよく貼られるんだけどさ
そこに流れてる当時の記録映像って、東宝のプロパガンダ映画「南京」のものじゃん?
で、その撮影者である白井氏が、「見たもの全部を撮ったわけではない。また撮ったものも切られたものがある。」
「私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺をされるであろう人々を沢山見た」
と語ってるんだよね
ラーベの日記 12/16 下関へいく道は一面死体置き場と化し、そこらじゅうに武器の破片が散らばっていた。 交通部は中国人の手で焼き払われていた。(手偏)邑江門は銃弾で粉々になっている。 あたり一帯は文字どおり死屍累々だ。日本軍が手を貸さないので、死体がいっこうに 片づかない。 下関へ行く道も支那兵の死体がたくさんあったということ。
>>864 まず、ラーベ自身が「私が撮影しました」と記録しているのかが問題だが
そこが是非知りたい
もう一つは、仮に撮影したとしても残した写真が近辺に限られているのでは?という問いにも
回答してくれないか
ついでに、ダーディンやライフ誌の記者がいつまで南京にいたのかも答えて
外国人記者はすぐに南京を離れたんじゃなかったかな
そりゃ簡単だろ。 南京の統治者は当時日本軍だった。 ラーベでもスティールでもライフ誌でもない。
東宝のプロパガンダ映画といっても実写の記録だからな。 説得力が全然違う。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/25(日) 01:06:25 ID:gR/nIagL0
米軍が新兵教育用にハワイで撮影し、その後中共が証拠フィルムと称して ばらまいたフィクション映画とは訳が違うんですね 納得。
>>865 > まず、ラーベ自身が「私が撮影しました」と記録しているのかが問題だが
> そこが是非知りたい
>もう一つは、仮に撮影したとしても残した写真が近辺に限られているのでは?という問いにも
>回答してくれないか
>ついでに、ダーディンやライフ誌の記者がいつまで南京にいたのかも答えて
まあ 日本版の「南京の真実」読んで個別の写真を自分で判断しなさい(藁
「軍政部の横を車で通って死体を見つけた」と日記にあり、その死体の写真がある。
この場合は、ラーベ自身が撮影したとしか考えられない罠。
英語版の「THE GOOD GERMAN OF NANKING」には明らかにラーベが撮影していない
写真も掲載されている。
よく考えてみたら、ライフ誌の写真は専属カメラマンが撮影したか、通信社から買った
場合の2種類が考えられる。米AP、UP、英ロイター通信あたりから買ったかもしれない。
ライフ誌が日本の同盟通信から買うとは考えにくいなあ。
外国人記者がいつまでいたのか肯定派の学者は調べていないのか?w
ロイターの記者は12/15まで滞在していた模様。
アーネスト・フォースターもカメラを所有し南京の状況を撮影している。
写真は笠原大センセイの本を買うなり図書館で借りるなりして確認して。
まあ、その写真に民間人虐殺の証拠となるべきものがあれば大センセイが
大宣伝をしていたはずだから、あまり期待は出来ないと思うw
http://www.jca.apc.org/nmnankin/nanmin23.html 笠原十九司著『南京難民区の百日』 虐殺を見た外国人
アーネスト・フォースター
アメリカ聖公会伝道団宣教師。南京国際赤十字委員会の書記。下関にアメリカ聖公会伝道団の医療施設をつくり、
三十六年に結婚したばかりの新妻クラリッサとともに貧民の医療活動にあたっていた。
日本軍の南京占領直前に妻を漢口から、上海に避難させる。
カメラが趣味で本書に載せた写真のほとんどは彼が撮影したもの。
南京の真実 P116 12月15日の日記に添付されている文 スミス氏(ロイター通信社)講演 十二月十三日の朝、通りにはまだ日本軍の姿はありませんでした。町の南部は依然として中 国軍の支配下にあったのです。中華門のあたりでは、夜、すさまじい戦闘がくりひろげられま した。戦死した中国人は千人以上にのぽります。 十二月十三日の夜になると、中国兵や民間人が略奪を始めました。まず襲われたのは食料品 店です。一般の民家からも、兵士が食料を持って出てくる光景が見られました。しかし、中国 軍が組織的に略奪行為をもくろんだというのは正しくありません。 とくに印象的だったのは、中国人の衣料品店前の光景です。何百人もの兵士たちが店の前に おしよせ、ありとあらゆる種類の服が、飛ぶように売れていきました。有り金はたいて服を手 に入れ、その場で着替えると、兵士たちは軍服を投げ捨て、市民のなかにまぎれこんでいきま した。これら何百人もの元兵士は、そのあと士官学校や国際クラブに集まりました。昼ごろに なってはじめて、記者仲間のマクダニエル氏が、日本軍のパトロール隊を見かけました。かれ らは六人から十二人ぐらいで一団となり、メインストリートをゆっくりと注意深く進んで行き ました。ときたま銃声が鳴り響き、あちこちに市民が倒れていました。日本軍にいわせると、 逃げようとして撃たれたというのです。ただ、日本軍の姿をみると、一般市民の間にはある種 の安堵感がただよったように思えました。もし人間らしいふるまいをしてくれるなら、日本人 を受け入れよう、という気持ちがあったのです。 例の安全区でも、誤って飛んできた弾や榴弾に当たって、約百人もの中国人が死に、さらに もう百人ほど負傷しました。夜にはこの安全区にも日本軍が進入してきました。警備のため、 約七千人の中国人兵士がいましたが、すべて武装解除していました。その兵士たちは士官学校 などの建物に収容されていました。なお、町の南部から中国人警官が数百人逃げてきたため、 安全区の警察は増員されていました。 十二月十四日の朝になっても、日本兵は市民に危害を加えませんでした。しかし昼頃になる と、六人から十人ぐらいで徒党を組んだ日本兵の姿があちこちで見られるようになりました。 彼らは連隊徽章をはずしていて、家から家へと略奪をくり返しました。中国兵の略奪は主に食 料に限られていましたが、日本兵の場合は見境なしでした。彼らは組織的に、徹底的に略奪し たのです。 私は十二月十五日に南京を後にしましたが、それまでに私をはじめ、ほかのヨーロッパ人の 見たところによれば、中国人の家はすべて、ヨーロッパ人の家はその大部分が、日本兵によっ て略奪しつくされていました。屋根にはためくヨーロッパの国旗も引きずりおろされました。 日本兵の一団が家財道具を取っていく姿も見られました。とくに好まれたのは壁掛け時計だっ たようです。 まだ南京に残っていた外国の車は、徴発される前に国旗を引き裂かれました。安全区国際委 員会からも、乗用車二台とトラック数台が押収されました。カフェ・キースリングの前で、私 はたまたまラーベ氏に出会いました。氏は店主と力をあわせ、日本兵を次から次へと追い払っ ていました。かれらは店のドイツ国旗を外して食べ物を奪おうとしたのです。下関では、四、 五百人の中国人が連れ去られました。ヨーロッパ人が後を追おうとしたのですが、日本軍にお しとどめられて果たせませんでした。 十二月十五日、外国の記者団が、南京から上海に向かう日本の軍艦に乗せてもらうことにな りました。ところがそのあとで、イギリスの軍艦でいけることになり、桟橋に集合するよう指 示がありました。出発までに予想以上に時間がかかったので、偵察をかねて、あたりを少し歩 くことにしました。そこでわれわれが見たものは、広場で日本軍が中国人を縛り上げ、立たせ ている光景でした。順次、引きたてられ、銃殺されました。ひざまずいて、後頭部から銃弾を 撃ちこまれるのです。このような処刑を百例ほど見たとき、指揮をとっていた日本人将校に気 づかれ、すぐに立ち去るように命じられました。ほかの中国人がどうなったのかはわかりませ ん。 (この講演でスミス氏は、南京に残ったドイツ人の活躍、すなわち中国人難民保護につくしたラ ーベ、クレーガー、シュペアリング各氏の隣人愛と努力にたいし、最大の賛辞を寄せた) --以上-- 戦争の最中に商店が開いていたとは想像が出来なかったわw それで便衣兵が大量発生した訳だ。 支那人の商魂は逞しすぎだぞw
外国人の証言は信用できないといいつつ外国人の証言出してきたり 一環しなさすぎ
>>870 写真を撮影した記録が無いのですね
死体の写真は別人が撮影したものを後に手に入れて
後でそこに史料としておいたとも考えられる
ラーベが撮影していない写真も掲載されているなら尚の事
写真は後で手に入れて纏めたものも多いと考えられる
それとラーベはかなりの文章を残しているにもかかわらず
自分で撮影したという内容の文章が見受けられないのも
果たして本当にカメラを所持していたか疑わざるをえない
別に全部の写真についてわざわざ撮影したと書いてある必要は無いが
それにしたって自分で撮影する描写が無いという事実は重いね
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/25(日) 03:19:05 ID:gR/nIagL0
> 中国兵の略奪は主に食料に限られていましたが、 > 日本兵の場合は見境なしでした。 ちょっと気になったんだけどさ。日本兵が見境なく何でも略奪したとして、 その大量の略奪品はどこへ行ったんだろう…。 どこかに情報ない?
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/25(日) 08:15:28 ID:Xx7EjBh+0
ラーベ本だが、編集自体は帰国後だと思うが、加筆の程度を 肯定派のみなさんはどう考えているのですか? (否定派必殺の人数云々は気にしませんが)
>>874 飯沼守日記より
「強姦、傷害の外特に甚しきは横領せる自動車及「タイヤ」を通訳に売りたる一団あり。
殿下も之には呆れて何とか注意の実行を監督する手段を講せよと命ぜらる」
要するに懐に入らないようなのは売りさばくだけ。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/25(日) 15:04:32 ID:gIxCLuEVO
略奪・強姦の類はあったようだ。阿羅健一の「日本人48人の証言」にも、複数の目撃証言がある。 軍法会議で有罪となった者も百人以上いるようだ。 しかし、日本軍が逃げ惑う民間人を虐殺しまくった、などというトンデモ証言など皆無。 ラーベすら、こんな戯けたことは見ていない。 要するに、民間人大虐殺の証拠などない。 略奪・強姦は若干あったが、一部の不良分子によるものであって、日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。
>日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑) 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語 に絶するものあり」 ( 阿南惟幾 元陸軍大臣 S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ) (上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて) 「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。従って同君の意 見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し、これを 建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるも のありたり」 ( 真崎甚三郎 元陸軍教育総監 『真崎甚三郎日記』S13.1.28 ) 畑俊六大将 「支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も 少からざる様なれは、此際召集予后備役者を内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、 又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の召集者も 逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり」 「戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵 を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、 指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。 皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は一地を占領 する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、敵に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲 に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した」 ( 上砂勝七 元柳川軍憲兵隊長 『憲兵三十一年』 )
「戦場神経症並びに犯罪について」 (昭和13年4月 上海第一兵站病院 予備陸軍軍医中尉 早尾乕雄) 第三章 戦場に於ける犯罪に就て 今時の事変中将兵中に頻発せる犯罪事件は其の数極めて多く其の原因につきても種々講究 するの要を感じ命により法務部及び憲兵隊と連絡をとり調書、司法書類、被告人等につき 調査を実施せし結果により得たる所を左に記述せんと欲す。 (略)亦憲兵隊の手に触れさる犯罪者は実に枚挙に暇なし、是等を全て 中間者の行為とせんか軍隊は中間者の巣窟と言ふへきのみ、此の言や決して 適切ならす、今事変に見る犯罪の種類は悉く内地に於ては重罪のもとに処刑せらるへきものなり。 (略) 官憲の取締行き届かざりし頃は放火、掠奪、殺人、窃盗、強奪、強姦等凡ゆる重犯行為思 ふがままに行はれつつありしが取締厳となると共に放火は漸次数を滅したるを見たり。必 要上の放火よりは遊戯的放火の少からざるを見たり。殺人行為も減少せり。姦したる後に 是を殺したる例も其の目撃者より聞けり掠奪、強奪も見られたるも漸次減少しつつあり。 反之奇異なる現象は休戦期間の続くと共に戦友間の傷害が目立ちて多くなり支那人強姦例 は殆ど数を挙げ得ざるほどの多数に上り詐欺、脅迫、強奪、服飾潜用等の如き犯罪をも見 るに至れり。犯行は次第に在留邦人にも向けらるるに至れり。 就中傷害犯の多きこと而も是か皆飲酒の上に行はるる事に就ては 兵の精神教育の不徹底を疑はさるへからさる所なり。彼等は酒を 飲めは戦功を誇り高名話を競ふ傾あり。是に就きては何等怪しむに 足らさるも其の結果は必す銃剣を抜き相手を威嚇する者甚だ多し。 其の終局は傷害を来すものなり。亦徒に衆人を前にして日本刀を抜き 虚勢を示し支那人を何人切りし等高言を吐く将校も幾人か目撃せり 在留邦人は飲酒の上剣を抜き威嚇なすは軍人の常の如く考ふるに至り 陸軍軍人を猛獣の如くに怖れつつありとの文句さへ読みしことあり。 (略) 上海は実に日本軍人の犯罪都市と化したる観あり。南京亦是に次かんと する有様なり。実に日本軍人の堕落と言はさるへからす。
>>873 キチガイの戯れ言に付き合っている暇は無いんだよw
もう少しマトモな反論をしてくれよ。アホ過ぎて話にならないぞ。
極悪非道と言われている日本軍はなぜ外国人を虐殺の対象としなかったのだ?
支那人と欧米人を区別してのか?
区別しただろ、普通にw しなかったって…あの戦争論でも読んで影響を受けているのかよw
おかしな疑問を持つんだな
まあ、区別しない兵隊なら、どんなコトやらかすか分からなくて怖いよなw 少なくとも、日本兵には満州国軍という「味方」がいて、視察というコトで派遣されている可能性もあるのだから 満州国軍のエライ人を間違って殺しちゃったら大変なことになるわな。西洋人なら比較的簡単に見分けがつく だろうけど。 どの国の兵士かって学習しない兵隊なんているのかいな?
>よく考えてみたら、ライフ誌の写真は専属カメラマンが撮影したか、通信社から買った >場合の2種類が考えられる。米AP、UP、英ロイター通信あたりから買ったかもしれない。 >ライフ誌が日本の同盟通信から買うとは考えにくいなあ。 横レスで済まないけどあんましおかしな話でもない。 なにせ同盟通信は日本の内外の新聞情報の配布を管轄しているから、 日本に関して独自取材できるほどの組織力、 つまり日本で新聞社をもっているくらいの力がないと ここから記事を買わないと基本的なニュースすら手に入れることができない。 駐在員が何名かいる程度だととても足りない。 なんで普通に買っていたし、逆もありですよ。 ただまあ同盟通信が都合のいい記事しか寄越さないから プロパ組織だとかいわれるのはあったけどな。
>>879 >亦徒に衆人を前にして日本刀を抜き虚勢を示し支那人を何人切りし等高言を吐く将校も幾人か目撃せり
>在留邦人は飲酒の上剣を抜き威嚇なすは軍人の常の如く考ふるに至り陸軍軍人を猛獣の如くに怖れつ
>つありとの文句さへ読みしことあり。
ttp://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-485.html 三.前項の他、犯罪非行防遇上留意すべき主なる事項左の如し
1. 犯罪非行者の大部は事件生起当時飲酒を伴いあること
2. 悪質犯罪は招集者特に後備役、予備役の者に多きこと
3. 事変地に於ける犯罪非行は敵前の者には比較的少なきに反し警備勤務者及後方勤務者に多きこと
4. 事変地に於ける犯罪非行は戦闘直後及駐軍間に多発し移動間特に戦闘間は少なきこと
5. 事変地に於いては住民に対し徒に優越感に駆られ生起する事犯多きこと
6. 内務の実施不確実に基因する事故多きこと
7. 事変長期化に伴い
イ.犯罪、非行悪質巧妙化の傾向あること
ロ.現役者の事故漸増の傾向あること
ハ.駐留長期に及ぶや特に物欲犯増加の傾向あること
ニ.戦闘倦怠、凱旋希望、軍隊生活厭忌に関する要注意言動多きこと
8. 気候不順の地に於いては精神錯乱に基因する事故発生しあること
9. 事変地より帰還せる軍人、軍属の要注意事故少なからざること
10. 軍服を着用せる軍人軍属の自粛自戒を要する非行多きこと
11. 軍機保護、防諜観念の欠如に基づく事故多きこと
一旦は兵役を終えた予備役・後備役の人が急遽召集され、戦線に送られたようです。
通常の兵役でしっかり訓練された若い兵達に比べ、突然召集されたこれらの人達は、仕事も持ち、所帯を
持った人も多かったようですが、どうも、これらの人達が問題を起こすことが多かったことが上記の文書から見て取れます。
あと、気になるのは1.の飲酒と、5.の住民に対する優越感ですね。
〜〜〜引用終わり〜〜〜
これによると
「問題を起こしていたのは前線の兵士ではなく、警備勤務者や後方勤務者の予備役、後備役に多く、飲酒していた場合が多い」ということらしいが。
10万人の日本兵が全員飲酒して暴行を働いたわけでもないだろう。
一部の兵隊が問題を起こしていただけだなw
「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」昭和15年(1940)陸軍省
ttp://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-480.html これによると「支那事変勃発より昭和14年末に至る間に軍法会議に於いて処刑せられし者は掠奪、同強姦致死傷420、強姦、同致死傷312、賭博494に達しあり」とある。
つまり「1937年7月から1939年末までの約一年半の間に、軍法会議で掠奪、強姦致死傷の有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人(420+312)」というもの。
1937年7月から1939年(昭和14)末までの日本軍の作戦と動員兵力
年月 作戦名 (動員兵力)
1937年7月盧溝橋事件、平津地方掃蕩作戦(20000人)、通州事件
1937年8月察哈爾作戦(20000人)、第2次上海事変(162000人)
1937年9月河北作戦(150000人)
1937年10月太原攻略作戦(60000人)
1937年12月南京攻略戦(100000人)
1938年3月台児庄の戦い(10000人)
1938年4月徐州作戦(216000人)
1938年8月武漢攻略戦(250000人)
1938年10月広東攻略戦(70000人)
1939年3月南昌攻略戦
1939年5月襄東作戦(70000人)
1939年9月?湘作戦(60000人)
1939年5月ノモンハン事件(20000人)
1939年11月南寧攻略戦(30000人)、翁英作戦(50000人)
『太平洋戦争主要戦闘辞典』(PHP文庫)
延べ総兵力約130万人
延べ総兵力約130万人の内、有罪判決を受けた将兵は732人。
犯罪発生率わずか0.06%w
通常の日本軍の犯罪発生率は0.06%w 表沙汰にならなかったのを考慮して実際の犯罪発生率は3倍だったとしても0.18%w 南京攻略戦で10万人の兵士の0.18%が犯罪を犯したとしてもわずか180人w 通常の10倍の0.6%が犯罪を犯したとしてもわずか600人w 10万人の兵士の1%(1000人w)の兵士が犯罪を犯したとすれば、南京攻略戦での犯罪発生率は通常の16倍以上w 日本軍の被害者が1000人以上存在するなら、兵士が通常の16倍以上も犯罪を犯す特別な要因が南京戦には何か存在したのだろうかw
>>885 そのページ見ても「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑)」と思える
脳みそがすごいねw
>2. 悪質犯罪は招集者特に後備役、予備役の者に多きこと
中国に送られた兵士の主力はまさに現役兵ではなくその後備兵や予備兵だったんだよね
>兵士が通常の16倍以上も犯罪を犯す特別な要因が南京戦には何か存在したのだろうかw
南京攻略は事前のちゃんとした準備もない現地軍の暴走だからね
そこに質の悪い軍隊ときてる
「亦憲兵隊の手に触れさる犯罪者は実に枚挙に暇なし 」って早尾軍医も言ってるし
南京も7万の兵士に対して憲兵17人しかいないしまったく足りない
検挙されたのなんてごくごく一部に過ぎない
現地軍は暴走したが邪魔な外国人を闇討ちしなかった。 もう論旨がグダグダだなw
>>888 >そのページ見ても「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑)」と思える
>脳みそがすごいねw
「10万人の日本兵は全て飲酒した予備役だった」とでも言いたいのかw
もしかして「1人でも兵士が犯罪を犯せば日本軍全員が犯罪を犯したのと同じ!」とでも考える低脳なのかw
聖人君子の集団じゃあるまいし10万人も兵士がいれば100人や200人素行不良の兵士がいても当たり前w
それでも全体の0.1%や0.2%にしかならないがなw
ちなみに昭和47年から平成20年までの沖縄の米軍構成員等による犯罪検挙状況w
ttp://www.pref.okinawa.jp/kititaisaku/4sho.pdf 全刑法犯34万87件、米軍構成員等事件5584件、構成比1.6%w
さらに昭和40年代は300件台だった犯罪件数がここ4〜5年はほとんど年間100件以下になっているんだがw
在日米軍の兵力が約4万5千。
沖縄に限定しても在日米軍の犯罪が年間約100件。
犯罪発生率は約0.2%w
反日左翼の考える「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」とは犯罪発生率が何%以下の軍隊の事なのだろうか?
そしてそんな軍隊が地球上に存在するのだろうかw
「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑)」の夢が壊されちゃって 涙目でわけわからんこと言っとるねwプ 中央からも怒られるw 「就中、軍紀、風紀に於て忌々しき事態の発生近時漸く繁を見、之を信ぜららんと欲するも尚疑わざるべからざるものあり。 惟ふに、ー人の失態も全隊の真価を左右し、一隊の過誤も遂に全軍の聖業を傷つくるに至らん。 (中略) 然れ共、実際の不利不便愈々大なるに従て、益々以て之が克服の努力を望まざるを得ず。 或は沍寒に苦しみ、或は櫛風沐雨の天苦を嘗めて日夜健闘しある外征将士の心労を深く偲びつつも、 断じて事変の完美なる成果を期せんが為、茲に改めて軍紀風紀の振作に関して、切に要望す。 本職の真意を諒せよ。 昭和十三年一月四日 大本営陸軍部幕僚長 載仁親王 中支那方面軍司令官宛」
当時の日本軍内部の犯罪検挙率が低かっただけじゃないの
上海派遣軍が編成されるのは37年8月15日、予備役松井石根を急遽起用、 名古屋+善通寺+金沢+仙台+東京の各師団の寄せ集め。南京進軍はこれに 第10軍(柳川平助、熊本+久留米+宇都宮+広島)を加えて中支那方面軍(37年11月編成)が あたるが、指揮命令系統もすっきりせず、また中央は対ソ連を強く意識し思い切って兵を割かず 中支向の兵は予備兵再役兵が多かった;要するに寄せ集めで指導層から兵にいたるまで質は良くなく 「軍紀弛緩」「不法連発」「軍規退廃の根元は召集兵にあり」(田中新一軍事課長10月18日業務日誌)など 早くから気付かれていた。 一、予備兵のだらしなさ 1、敬礼せず 2、服装 指輪、首巻、脚絆に異様のものを巻く 3、武器被服の手入れ実施せず赤錆、泥まみれ 4、行軍 勝手に離れ民家に入る、背嚢を支那人に持たす、牛を曵く、車を出す、坐り寝る(叉銃などする者なし)、銃は天秤 5、不軍紀 放火、強姦、鳥獣を勝手に撃つ、掠奪 (歩兵第103旅団長山田少将の日記、12月24日) 畑俊六大将 「支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類の 誠に忌はしき行為も少からざる様なれは、此際召集予后備役者を内地に帰らしめ 現役兵と交代せしめ、又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、 又軍司令官、師団長等の召集者も逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり」
日本人って常に完璧を求める職人気質だよね 戦後民主主義(進歩主義)のおかげで、最近は大分壊れてきたけど…
憲兵17人しかいないからほとんど検挙されてないんだよ 強姦も親告罪だしね
>>891 >「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑)」の夢が壊されちゃって
>涙目でわけわからんこと言っとるねwプ
つ>886w
どうしても、「約一年半の間に、軍法会議で有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人しかいない」という現実が理解できないようだなw
具体的な数字を出すと途端に理解できなくなるのはサヨの特徴なのかw
憲兵足りなくて検挙なんてごく一部というのが読めんのかwプ 憲兵17人は南京城入場時で、行軍の段階でも全然憲兵足らんから検挙なんてごく一部 第十軍の憲兵だった上砂勝七氏(陸軍少将。終戦時、台湾憲兵隊司令官)「憲兵三十一年」より 右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが 何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。 補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、 各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で 目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、 一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。 この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」 が出された。 戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を 以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、 指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
>>897 「ある部隊長が憲兵に向かい、『今度附いて来た憲兵は日本軍の憲兵か支那軍の憲兵か。取締りがやかまし過ぎるぞ』と詰
問するのに、憲兵が答えて『皇軍らしさに欠けるところがなければ、日本の憲兵となり、さもなくば支那の憲兵と思われるでしょう』
といったことがある」
(上砂勝七『憲兵三十一年』ライフ社)
サヨクが大好きな曽根一夫の『私記南京虐殺』では曽根は三件の強姦殺人を告白しているが、何故殺したかというと「部隊に直訴
されて憲兵に取り調べを受け厳重に処罰される」からだ、と正直に書いているw
ちゃんと取締りが行われ、処罰もされていたようですがw
なんかもう必死やね・・・ だれも憲兵がまったくいなかったとは言ってないわけよ 「極一部」の取り締まりはあっただろうね 行軍20万に憲兵100人足らず、南京城入場兵7万に憲兵17人 これで「ちゃんと取締りがされていた」と思えるお花畑 「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑)」という幻想を どうしても守りたいらしいねw
>>899 >これで「ちゃんと取締りがされていた」と思えるお花畑
『1937南京攻略戦の真実』 東中野修道著より…「転戦実話 南京編(実名記載)」(靖国偕行文庫)より4分の1を選択して収録
陸軍刑法で処罰するぞ−歩兵第47連隊(大分)第2大隊第5中隊 Y上等兵
少佐殿が、私の手にブラ下げた鶏にチラと眼をそそがれたと思うと、われ鐘のような声で、「この封印がわからんか」
いやもう、一ぺんに足がすくんでしまいました、さっきは気もつきませんでしたが、見るとちゃんと憲兵隊の封印が貼ってある。
〜中略〜
やがて兵站につれて行かれ、所属連隊中隊から、官等級、氏名まで書きとめられ、陸軍刑法によって処罰すると言われるのです。
これにはさすがに自分も震え上がり、歓呼の声に送られて、勇んで故郷を出たのは何のためだったったかと思い、泣き縋ってあやまりました。
夜おそく中隊長殿がこられて、詫びてくださったおかげで、やっと許されましたが、あんな心配したことは、生まれて初めてでありました。
ちゃんと取締りがされていた実例だがw
「ちゃんと取締りがされていなかった実例」は?
>>899 1937年7月から1939年末までの約一年半の間でさえ、軍法会議で掠奪、強姦致死傷の有罪判決を受けた日本軍将兵は計732人しか存在しない。
1ヶ月程度の南京戦の間にそれ以上の犯罪が集中して行われたと?
つーか、南京で日本兵の犯罪が『具体的に』何件ぐらい発生したと主張したいんだ?
その根拠は?
スマイス報告でも強姦は理由をつけて調査していない。 鐘楼病院も日本兵に強姦されて性病を移されたという被害者に対して 疑問を持ち無料診療をしていない。
鐘楼病院は南京地域で唯一の民間用病院だから日本軍から暴行を受け 負傷、骨折した支那人が山ほど担ぎ込まれ治療を受けていなければならないのだがw ちなみに鐘楼病院の医療従事者は医師二名、看護婦二名のみ、 このスタッフで治療したにもかかわらずスタッフ不足が生じた期間はごくわずかw なお、ラーベの日記によると支那兵向け赤十字病院は南京市内に7ヶ所設置されていた模様。
>>902 > スマイス報告でも強姦は理由をつけて調査していない。
> 鐘楼病院も日本兵に強姦されて性病を移されたという被害者に対して
> 疑問を持ち無料診療をしていない。
>
ソースくれー
>>883 >少なくとも、日本兵には満州国軍という「味方」がいて、視察というコトで派遣されている可能性もあるのだから
>満州国軍のエライ人を間違って殺しちゃったら大変なことになるわな。
これにはソースがあるのか?
>>905 ”理由をつけて調査しない”なんて読み取れる部分はねーぞ
嘘つくんじゃねーよ
あと、鐘楼病院が疑問を持ち無料診療って部分は無視か
>>900 「ちゃんと取締りがされていなかった実例」てw
とうとう悪魔の証明まで言い出したかw
普通の知能の人なら「行軍20万に憲兵100人足らず、南京城入場兵7万に憲兵17人」では
ちゃんとした取り締まりは物理的に無理ってわかると思うけど
その程度の想像力もないみたいだね
>二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。
>僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、
これ読んで「きちんと取り締まりされてた」と思っちゃうの?
日本語読めないやつはもうどうしようもないねw
南京戦で軍規違反がひどかった理由はもういったよね
「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった。(笑)」んなら
いろんな軍幹部が「軍紀風紀漸く類廃」とか言わないよねw
軍内部の秩序が保たれていなかった=数万人虐殺 なるほど
>>909 >「ちゃんと取締りがされていなかった実例」てw
>とうとう悪魔の証明まで言い出したかw
日本兵が犯罪を犯した実例を出すだけなんだから簡単だろうw
まさか、出せないなんて事はないよなw
>普通の知能の人なら「行軍20万に憲兵100人足らず、南京城入場兵7万に憲兵17人」では
>ちゃんとした取り締まりは物理的に無理ってわかると思うけど
>その程度の想像力もないみたいだね
7万の日本兵が入城してその内0.06%が犯罪を犯しても42人にしかならないw
6週間(42日間)に渡って犯罪が行われたなら1日1人の割合にしかならないw
犯罪者1人対憲兵17人x42日w
普通の知能の持ち主なら《1人対17人》なら充分物理的に取り締まりは可能とわかると思うがなw
7万人の兵士の1%(700人w)の兵士が犯罪を犯したとすれば、1日17人x42日=714人w
南京での犯罪発生率が通常の16倍以上でも憲兵17人で充分対応可能ですがw
>これ読んで「きちんと取り締まりされてた」と思っちゃうの?
>日本語読めないやつはもうどうしようもないねw
つ>898>900w
推測や妄想や願望は不要だから、実際に日本兵が犯罪を犯した根拠を出してねw
警察機構が壊滅してて犯罪検挙率0の国では 裁判で有罪判決される人間が0人なので 犯罪発生率は0です理論
ついでに言っておくと、沖縄の在日米軍は軍人・軍属合わせて約2万5千人。 犯罪件数は平成20年度で70件。つ>890 犯罪発生率は0.28%w 南京での日本軍の犯罪発生率が、沖縄の在日米軍と同じ(通常0.06%の4.6倍w)と仮定してもわずか196人w 犯罪発生率が在日米軍と同じ割合と仮定した場合でさえ200人に満たないw 200名に満たない犯罪者を17名の憲兵が42日間で取り締まる事(1日4.6人w)が【物理的に無理】だとw もし南京での日本軍の犯罪発生率(通常0.06%)が在日米軍以上(0.28%w)だったと主張するつもりなら、 「よくわからないけどたくさんあった!」とか「とにかく多いに違いない!」等の妄想や願望は不要だから、 【具体的な数字と根拠】を出してくれw
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/30(金) 01:37:51 ID:rz47Es3C0
●百人斬り競争 陸軍もお役所であり、典型的な世界であり、いたるところで「ハンコ」が必要で 「日本軍はハンコがなければ戦争はできない」という冗談があったほどである。 また「部隊印」と「部隊長印」があり、これは今の社会で使われている あの四角い「社印」「社長印」とほぼ同じ形で、すべての書類にベタベタ押してあった。 部隊印の保管責任者は副官で、I副官は縞の布袋にこの二つの印を入れ、肌身離さずもっていた。 事実これは大切な印で、もし盗用・悪用されて、だれかに勝手に「作命」でも作られたら、 その被害は「小切手印の盗用」の比ではあるまい。 まず副官が切腹ものである。 「百人斬り」野田少尉の「○官」が「副官」だと知ったとき、 この創作の悪質さを瞬間に感じさせたのがこの「印」であった。 大隊命令に押す「印」は野田少尉が保管責任者のはずである。 おそらく彼も肌身離さずもっていたであろう。 元来「部下の兵士」といえるものがないに等しい副官が、 大隊長を放り出して、印をもったままただ一人であっちのトーチカに斬り込んだり こっちの無名集落に切り込んだりしたら一体どうなることか! 「私の中の日本軍(下)」山本七平
まあ、百人斬り競争は南京に着くまでの話なので、いわゆる『南京事件』とは何の関係もなかったりするw 関係があると思ってる連中は、『南京事件の時期と範囲は上海から南京まで』と主張している事に気付いていなかったりするw 詳しい説明を求めると大抵逃亡するしw
犯罪がおきた=取り締まりがされていなかった なるほど 世界中どこも取り締まりなどされていないってことか
それほど兵士の犯罪が多かったのなら、憲兵の記録が山のように残っているはずだよなあw なんで出てくるのはお偉いさんの訓示や意見ばっかりで、現場の憲兵の記録が残ってないんだろうw
肯定派の主張では17人の憲兵では取締が間に合わないほど兵隊の犯罪が多発したらしい。 そうすると17人の憲兵は休む間も無く毎日取締に走り回っていた事になるな。 なんでそのときの取締の記録が出てこないんだ? 理由1 憲兵は職務を放棄して取締など行っていなかった 理由2 兵隊の犯罪はほとんど発生しなかった どっちだろう?
東京裁判「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集第一巻』二三九頁。 東京裁判に弁護側証人として出廷した第九師団第三十六連隊長の脇吸次郎(陸軍大佐)は宣誓口供書をもって次のように証言している (検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。 「私の部隊が南京に入った直後、ある主計中尉が公用外出の途中、支那婦人靴が片足遺棄してあるのを発見し、その美麗な型式を友人 に見せる積もりで隊に持ち帰ったところ、これを憲兵が探知して奪掠罪の嫌疑で軍法会議に書類を送付したので、その中尉は私の面前で 涙を流して自分の無罪を主張し、私もその事実を認めて上司に伝えました。結果は微罪却下となったと記憶します。 当時、南京における日本憲兵の取締りは厳重を極め、如何に微細な犯罪も容赦しませんでした」 「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三五頁。たとえば、前述した大杉浩少尉は東京裁判において次のように証言している。 「(十三日夕刻)私は城門(中山門)から一キロくらいしか入らなかったが、その間の銀行、官庁には既に憲兵が配置されており、日本軍の 立入禁止の札が貼付されていた。(中略)十三日、湯水鎮の本隊に帰り、部隊を誘導して南京の南方土山鎮に集結したが、その時上司の 指示により、将兵の外出を一切禁止した。また公用で外出する者も、南京市内西南隅の地区は難民街として指定されているので、一切 立ち入ってはならない旨示達した。当時同僚から聞いたところによると、この難民街には敗残兵が武器を持って遁入し、便衣を着て常民 を装っているから危険であり、立ち入らせないようにしているのだ、ということであった」 憲兵による取締りはちゃんと行われていたようだw
東京裁判の証人の言うことじゃ当てにならんね そりゃ日本に都合のいいこと言うに決まってるし 外国人の証言よりバイアスかかっとるわ
>>918 >>886 の資料に載ってるのが憲兵が取り締まった記録が計上されてるんだろ
そのサイトは日本軍の軍規がひどかったという趣旨のサイトみたいだが
それをウヨが引き合いに出してるのが笑えるがw
軍規がひどかった=数万人虐殺はあった なるほど
>>920 >東京裁判の証人の言うことじゃ当てにならんね
ワロタwww
肯定派が東京裁判を否定するのかよw
>>921 >そのサイトは日本軍の軍規がひどかったという趣旨のサイトみたいだが
日本軍の軍紀がひどかった割には、軍法会議で掠奪、強姦致死傷の有罪判決を受けた日本軍将兵は732人w
1938年1月 12日の陸軍省局長会議における阿南惟幾・陸軍省人事局長の報告 (38年年頭に南京現地に不軍紀問題の調査に赴く) 「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、掠奪たえず、現に厳重に取り締まりに 努力しつつあるも部下の掌握不十分、身教育補充兵等に問題なおたえず。」 「戦場に於ける特殊現象と其対策」予備陸軍軍医中尉 早尾乕雄 「敵国婦女子の身体迄汚すとは、誠に文明人のなすべき行為とは考えられない。 東洋の礼節の国を誇る国民として慙愧にたえぬ事である。……日本の軍人は何故に 此の様に性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に直ちに痛嘆し、 戦場生活一ヵ年を通じて終始痛感した。然し、軍当局は敢て是を不思議とせず、 更に此の方面に対する訓戒は耳にした事がない」 「電信専門の(外務省)官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。敗走す る中国軍を追って南京を占領(昭和十二年十二月十三日)した日本軍が、筆舌を絶する乱暴を働いた事 実である。あまりに乱暴狼藉がひどいので、石射猪太郎東亜局長が陸軍軍務局長に軍紀の是正を求め、 広田外相も陸軍大臣に強く注意して自制を求めた。軍は参謀本部二部長・本間少将を現地に送って、 ようやく事態は沈静に向かった」 ( 法眼晋作 元外務政務次官 『外交の真髄を求めて』 )
中島今朝吾日記(第十六師団長) 一、そこに日本軍が又我先にと侵入し他の区域であろうとなかろうと御構ひなしに強奪して住く 此は地方民家屋につきては真に徹底して居る 結局ずふずふしい奴が得といふのである 其一番好適例としては 我ら占領せる国民政府の中にある 既に第十六師団は十三日兵を入れて掃蕩を始め十四日早朝より 管理部をして偵察し配宿計画を建て師団司令部と表札を掲げあるに係らず中に入りて見れば政府主席の 室から何からすつかり引かきまわして目星のつくものは陳列古物だろうと何だろうと皆持つて往く 予は十五日入城後残物を集めて一の戸棚に入れ封印してあつたが駄目である 翌々日入て見れば其内の 是はは思ふものは皆無くなりて居る 金庫の中でも入れねば駄目といふことになる 一、日本人は物好きである 国民政府といふのでわざわざ見物に来る 唯見物丈ならば可なるも 何か目につけば直にかつぱらつて行く 兵卒の監督位では何にもならぬ 堂々たる将校様の盗人だから 真に驚いたことである
「筆者は48年昔のこの事件のあった頃、陸軍大学校の学生であったが、すでに南京戦線である種の 「不法行為」の行われたことを耳にしていた。大学校の学生の耳にも洩れてくるほどこの問題は軍中 央部を悩ましたのであったのだった。従っていわゆる「南京事件」については日本軍が「シロ」であ ったとは筆者は初めから認識していない」 ( 加登川幸太郎 元陸軍参謀・軍事評論家 『偕行』掲載「証言による南京戦史」 ) 「女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった・・・・ 強姦をやらない兵隊なんかいなかった。そしてたいがいやったあとで殺しち まう。パッと放すと、ターッと駆けて行く。そいつを後ろからバーンと射つ。 殺さないとあとがうるさいからだよ。憲兵にわかると軍法会議だからね。 殺したくないけど殺した。もっとも南京には殆とんど憲兵はいなかったけど」 (読売新聞の従軍記者、小俣行男著著「侵掠」(徳間書店)百十四師団一等兵の証言
南京に入城したのは憲兵だけではなく、補助憲兵というのも入城しているそうだがw 【南京城の攻略及び入城に関する注意事項】( 「南京戦史資料集」、笠原「南京事件」p117より) 1 皇軍が外国の首都に入城するは有史以来の盛時にして、永く竹帛(ちくはく・歴史書)に垂るべき事績たりと世界のひとしく注目しある大事件なるに鑑み、 正々堂々、将来の模範たるべき心組(こころぐみ)をもって各部隊の乱入、友軍の相撃、不法行為など絶対に無からしむを要す。 2 部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし、支那軍民をして皇軍の威風に敬仰帰服せしめ、いやしくも名誉を毀損するがごとき行為の絶無を期するを要す。 3 別に示す要図に基づき、外国権益特に外交機関には絶対に接近せざるはもとより、外交団が設定を提議し我が軍に拒否せられたる中立地帯(国際安全 区のこと)には必要のほか立ち入りを禁じ、所要の地点に歩哨を配置す。 4 入城部隊は、師団長が特に選抜せるものにして、あらかじめ注意事項、特に城内外国権益の位置等を徹底せしめ、絶対に過誤なきを期し、要すれば歩哨を配置す。 5 掠奪行為を為し、また不注意といえども火を失するものは、厳罰に処す。 軍隊と同時に多数の憲兵、【補助憲兵を入城せしめ】、不法行為を摘発せしむ。
日高信六郎(外交官・元イタリア大使元日本山岳協会会長事件当時、南京駐在参事官) 「しかし、何と言っても、残虐事件の最大の原因の一つは、上層部の命令が徹底しなかったことであろう。 たとえば捕虜の処遇については、高級参謀は松井さん同様心胆を砕いていたが、実際には、入場直後でも あり、恐怖心も手伝って無闇に殺してしまったらしい。揚子江岸に捕虜たちの死骸が数珠つなぎになって 累々と打ち捨てられているさまは、いいようもないほど不愉快であった。 しかし心がけのいい軍人も少なくなかったし、憲兵もよくやっていたが、入城式の前日(十二月十七日 )憲兵隊長から聞いたところでは、隊員は十四名に過ぎず、数日中に四十名の補助憲兵が得られるという 次第であったから、兵の取り締まりに手が廻らなかったのは当然だった。 そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。 戦争がすんでホッとしたときに、食料はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める 。床をはがして燃やす前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「御苦労さん」 という代りに撃ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった」 (広田弘毅伝記刊行会編『広田弘毅』より) >憲兵隊長から聞いたところでは、隊員は十四名に過ぎず、数日中に四十名の補助憲兵が得られるという >次第であったから、兵の取り締まりに手が廻らなかったのは当然だった。
「昭和十四年二月に作成された陸軍省秘密文書第四〇四号「事変地ヨリ帰還ノ軍隊、軍人ノ状況」の一部をここに引用したい(原文は片かな)。 「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で、上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから、 思う存分掠奪するものもあった」 「ある中隊長は『余り問題が起らぬように金をやるか、又は用をすましたら後は 分からぬように殺しておくようにしろ』と暗に強姦を教えていた」 「戦争に参加した軍人をいちいち調べたら、みな殺人強盗強姦の犯罪者ばかりだろう」 中国戦線にある日本軍の軍紀のゆるみは、個人のレベルではなく、すでに集団になっていることを 、これらの言葉は示している」 (石川達三『生きている兵隊』(中公文庫1999)所載半藤一利「『生きている兵隊』の 時代解説に代えて」より) 「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。 (中略)南京虐殺があったとかなかったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っ ていたんです」 ( 徳川義寛 元侍従長 『侍従長の遺言』 )
「南京占領後における日本軍の南京市民に加へた暴行が相当にひどいものであつたことは、蔽ひ難き 事実である。当時私は北京に住んでゐたが、南京虐殺の噂があまり高いので、昭和十三年の夏、津浦線 を通つて南京に旅行した。南京市街の民家が概ね焼けてゐるので、私は日本軍の爆撃によつて焼かれ たものと考へ、空爆の威力に驚いてゐたが、よく訊いてみると、それらの民家は、いづれも南京陥落 後、日本兵の放火によつて焼かれたものであつた」 ( 滝川政次郎 法学者・東京裁判日本側弁護人 『東京裁判をさばく(下)』 ) 「谷大佐の陸戦術は、興味と教訓の多い名講義だったが、ただひとつ私の心に引っかかったのは、「勝 ち戦の後や、追撃戦のとき、略奪、強盗、強姦は かえって士気を旺盛にする、・・・・」 という所見 だった。後日、日華事変で柳川兵団(第十軍)に付属した谷師団長が、 南京残虐事件に連座されたこと は周知のことであるが、残念でならない」 ( 高木惣吉 元海軍少将 (海軍大学校時代の回顧) 実松譲 『海軍大学教育』 )
矢次一夫(国策研究会主宰) 「女房もちの多くの兵たちが、突然動員され出征させられるのだから、 中国各地で性犯罪が頻発するであろうことは自明だったのだが、これを抑制したり 取り締まったりする方法はなかったわけだ。事実当時の逓信事務次官だった小野猛は、 極秘だが、お目にかけよう、といって、数冊の分厚い写真帳を貸してくれたので、 ひらいて見たら、暴行のかぎりをつくした写真が一杯ある。血刃を指し上げている 一兵士の周囲に、数十箇の中国兵の首級が陳列されているものだとか、近衛に相似した 中国兵の首級を木の枝にひっかけ、葉巻をくわえたような形で切断した男根を 口にさしこんだものだとか、今や正にエイッと中国兵を打首にしようとしているものだとか、 筆紙につくしがたい残虐写真が満載されていた」 「私はこれをちょっと貸してくれ、と頼み、正午の国策研究会常任理事会にもちこんで、 食事が済んだら大変な資料を見せる、と言ったら、下村海南、大蔵公望、今井田清徳、 大橋八郎などの役員たちが、食事前でもよいから、見せろ、といって聞かない。 私が、食事がまずくなる、というのに、下村海南など、思わせぶりをするなよ、 早く見せろ、というので、では、といって写真帖を開いた。一同はこれを取り囲んで 一見するや否や、さすがに顔色が変わり、ううんと唸ったっきり、しばらくは一言を 発するものもない。これらの写真は、小野の説明によると、出征兵士たちが、 自己の武勇?を誇示するためかどうか、写真に撮って家郷に送ったものが、 途中検閲によって押収されたものだということだ。日本民族に潜在する残虐性が戦場という 異常状態で爆発したものであるにせよ、かつて外国人によって書かれた『泰天二十年』に 見られる日露戦争当時の、軍規整々、を謳われたものと同じ日本人、しかも私共の祖父の 時代であるだけに驚きは大きく、とくに下村海南は、日露役当時逓信省の局長として 活躍した人物だけに、痛恨の情は、ひとしおであった」 (矢次一夫『昭和動乱私史上巻』)
感情論、精神論ばっかりだな。
>>928 その笠原「南京事件」p117は「空文となった注意事項」というタイトルですね。
その「注意事項」が「守られなかった例」として載せてるわけですw
笠原「南京事件」p119
「しかし「注意事項」が空文化された根本原因は、常軌を逸した無謀な南京攻略作戦そのものにあった。
方面軍司令部は、馬の手綱にあたる法務部を備えていなかったため、「軍隊と同時に多数の憲兵、
補助憲兵を入城せしめ、不法行為を摘発せしむ。 」とあっても、それだけの憲兵部隊を
もっていなかった。12月17日の段階で、総勢7万以上の日本軍が場内に入ったにもかかわらず、
憲兵はわずか17名にすぎなかった。「掠奪行為、失火を(放火ならさらに)厳罰に処す」と禁止しておきながら、
食糧は補給せずに徴発=略奪をおこなわせたのは司令部であったし、
厳寒下に防寒・露営装備もないまま進軍を強制したために兵士の失火、放火を誘発させたのも
司令部に責任があった。」
朝香進一「初年兵日記」 「南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という 軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特 にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せる のである。その残酷さは目をおおわせるものがあった。夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣き わめきながら、「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、暗いローソクのもとで半狂乱の 姿をさらしていた。」
講談社「INPOCKET」2003年9月号より(対談保阪正康・京極夏彦) 保阪:こんなこともありました。口ではいろんなことを言うけれども心の中で、ものすごく傷ついている 人がいるんです。口では「日本軍国主義、何もそんなひどいことしてない」とか言うんですよ。だけど、 「あなたはそう言うけれども、やっぱり日本もとんでもないことしたんじゃないですか」みたいに話してたら、 そのうち「君にだけ話したい」といって、日をあらためて来いという元軍人もいました。 京極:それはどんな方ですか。 保阪:戦後はある会社の社長さんです。行ったら、ポケットから数珠を出すわけね。そして、いつも電車の 中で四、五歳の子どもを見たらこれで手を合わせているというんです。なぜかといったら、 やっぱり中国で三光作戦をやって、四、五歳の子どもを殺した体験をもっていたんですよ。 家に火をつけると子どもが逃げてくるでしょう。上官に「どうしますか」ときくと、「始末しろ」と言われた っていうんです。心の中はガタガタになっているんです。だから、逆に強く出るんです。 京極:うーん 保阪:自分は孫が抱けない、数珠を手放せない。社長さんですよ。「キミ、日本は悪くないんだ」なんて 言ってるんだけれども、ちょっと裏返しになると本当にシューンとしちゃうんですね。 彼は口ではまさに軍国主義的なことを言いますよ。だけど、そんな人間のうしろに贖罪意識が 隠されている。やっぱりそういうことをきちっと、僕は次の世代として聞いておかなければと感じるんですね。 京極:個人個人では、ものすごく贖罪の意識があるんですね。自分も傷ついてるわけですしね。 でも、それが全体として、国家として贖罪をしたかっていうことになると、これはどうもはっきり しないうちに済んだことにされている。結局、後始末が個人に押し付けられているんですね。 保阪:そうなんですよ。それでね、僕は医学システムの評論やレポートなんかも書くから医者から よく相談されるんですけど、八十代で死にそうなおじいさんがいるというんですよ。 京極:ほう 保阪:四十代の医者が僕のところへ来て、もう動けないはずの患者が、突如立ち上がって廊下を 走り出すというんですよ。そして、訳わかんないこと言って、土下座してしきりに謝ると言うんです。 そういう人たちには共通のものがある。僕はこう言うんです。「どの部隊がどこにいって戦ったかと いうのを、だいたいは僕はわかるから、患者の家族に所属部隊をきいてごらん」。みんな中国へ 行ってますよ。医者はびっくりします。 京極:ひどいことをしたのをひた隠しにして生きてこられたんですね。 保阪:それを日本はまだ解決していない。 京極:戦後、個人におっかぶさったものってすごく大きいと思うんです。 保阪:そういう意味で、日本の社会はある種の二重構造をもっているという気がする。それに気づくと、 昭和史を調べていてもしんどにですよ。僕はべつに恥部を暴くという意味でやるわけじゃないんですけど、 そういう話を聞くことが多いんです
「武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。 敵は無錫の線で破れてより、全く浮足立って戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地に たてこもるのかわからないが、全く見えない。」 牧原信夫(第16師団歩兵第19旅団歩兵第20連隊上等兵)陣中日記
「三光作戦」中国で他の軍隊をおとしめる時に使う定番のレッテル。
強姦があれば妊娠があり、殺人があれば死体が残る。
>>927 >「筆者は48年昔のこの事件のあった頃、陸軍大学校の学生であったが
本土にいた学生が戦後になって伝聞を証言したからどうした?
>>935 >「南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という
>軍命令が出された。
部隊名と命令書はどこへいった?
部隊名が分かればいつ、どこで、どんな作戦行動をとったのか確認できるんだが。
軍命令が出たなら命令はどこから出たのか、師団からか、旅団からか、連隊からか?
せめて部隊名ぐらいは確認しているんだろうな?
>>937 >「武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。
>敵は無錫の線で破れてより、全く浮足立って戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地に
>たてこもるのかわからないが、全く見えない。」
>牧原信夫(第16師団歩兵第19旅団歩兵第20連隊上等兵)陣中日記
この日記の日付は11月29日、場所は南京と上海の中間の武進。
南京事件の範囲は上海からで、始まりは11月からだという主張か?
『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 P150 藤岡信勝・東中野修道著 祥伝社 軍旗を破る不良兵士の悪行 しかしそれでも個々の悪行は起こった。 第十六師団後方参謀の木佐木少佐は強姦の現場を取り押さえ、厳罰を要求している。 一九三八年(昭和十三年)二月九日、『シカゴ・デイリーニューズ』も一〇名以上の日本軍将兵が軍規紊乱の廉で「重刑」に処せられたと伝えている。 逆に言えばこの記事は、南京の日本軍による強姦のおおよその実態を物語っているのである。 南京陥落の昭和十二年十二月から翌年八月まで南京に在勤した上海派遣軍法務部の塚本浩次部長は、東京裁判において、南京在勤中に何件 の事件を扱ったかと質問されて、「一〇件内外であった」と答えた。 そしてそれは「主として略奪・強姦」で、殺人はニ、三件であったと付言した。 処罰は余りにも厳しかったので、日本軍部隊から法務部を非難する声があがったほどであった。 この塚本法務部長の証言は、国際委員会の公式記録である『南京安全地帯の記録』が日本軍に通報された強姦を七件と記し、現場に死体のあっ た殺人を三件と伝えていることと、ぴったり対応しているのである。 こうしてみると一〇件内外の悪行はあったのである。 中国政府国際問題研究所監修『南京安全地帯の記録』(1939年5月) 2ヶ月の記録として、殺人事件26件被害者56人に対し目撃者が1件、強姦175件に対し目撃者が9件w 南京在住の外国人によると殺人・強姦は合計10件程度w
国際委員会が南京の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」。 12月13日 殺人0件、強姦1件、略奪2件、放火0件、拉致1件、障害1件、侵入0件 12月14日 殺人1件、強姦4件、略奪3件、放火0件、拉致1件、傷害0件、侵入1件 12月15日 殺人4件、強姦5件、略奪5件、放火0件、拉致1件、傷害5件、侵入2件 目撃者が判明している殺人事件はゼロ件w
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/12-2.html ●講演録●
南京大虐殺の徹底検証
20世紀最大の嘘南京大虐殺の徹底検証(前編)
(東中野教授の公演)
この「南京安全地帯の記録」すなわち「ドキュメント・オブ・ザ・ナンキン・セイフティ・ゾーン」というのは、南京市民の被害届けの総特集です。
この本の中に何件が書いてあるかと言いますと、殺人事件は26件です。
被害者は52人です。
ところがそのほとんどが伝聞、つまり他人から聞いたという噂に過ぎませんでした。
殺人の瞬間を目撃したというのは2件です。
しかも2件とも合法です。
目撃はしなかったが死体が確認されたという事件が3件で、死体は6体でした。
これが南京の市民に関する被害の全体像です。
さすがに「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった(^q^)」と主張するのは諦めたようだなw
10件程度の兵士の犯罪があっただけで軍紀が乱れていたとでも主張するつもりかw
上海〜南京間で略奪を行っていたのは支那兵w 蒋介石の日記 南京〜広州間の交通と通信は途絶。敗残兵の略奪が頻発、わが軍の死命を制するものとなっている。戦う力は甚だ弱い上、士気が振るわず、敵よりも自らに敗れている (11月22日の日記) 抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。 (中略) 敗れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦(ごうかん)など軍紀逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ (11月30日の月間総括欄)
多くの軍高官や外交官や外務大臣が軍紀の退廃を認識してたわけだしね そろいもそろって嘘情報つかまされてたなら、どんだけマヌケなんだよ日本軍や日本政府はって話だしw
>>949 ttp://www.history.gr.jp/~nanking/reason04.html 国際委員会は、これらの蝶報網によってもたらされる日本軍のあらゆる非行情報を、寧海路5番地の事務局に集めた。
委員会は即刻これをタイプして、日本大使館その他に手交した。
連日、あるいは1日に2回も文書が発刊された。
その中には、日本軍の非行告発以外に、食糧補給や治安に関する訴えや要求等もある。
かれらの数名はいつも一つ屋根の下で寝食を共にし、情報収集とともに、こうした要求その他を協議してこれをタイプした。
日本軍の非行に関しては、なんら検証することなく、すべてを事実と認定してこれを記録した。
こうした要望や告発の日本側の窓口は、当時外交官補佐の福田篤泰(ふくだとくやす)氏である。
福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、筆者ともに昵墾(じっこん)の間柄である(東京・千代田区在住)。
福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
「いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している」。
あるいは「太平路何号で日本軍が集団で押し入り物を奪っている」等々。
その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る。』と幾度も注意した。
時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうことも幾度かあった。
《ちなみに、国際委員会書記長スミス博士も、「ここに記された事件(日本軍非行425件)は検証したものではない」と述べている。》
福田篤泰証言 「残虐行為の現場は見ていないが、私はあれだけ言われる以上、残念ながら相当あったと思う。」 「ただ、各国の大使館はかなり荒らされていて、これには困った。各国外交団が南京へ戻るというので、 二日間寝ずに修復したり、盗まれたオートバイや自動車を弁償したり、えらい苦労したものだ。 軍のなかには、強姦している兵隊を見つけて、軍刀が曲がるほど殴りつけた参謀もあったというが、 「殺せ、焼け」と言った師団長がいたという話を、中国人や参謀の一人から聞きもした。」 もともと作成された報告は一七〇件あったが(引用者注 12月13日から年末まで)、 これらにしても、南京安全区国際委員会の目に留まった事件の中から選び出したものに過ぎない。 報告の大半はいずれもおそらく真実であろうが、その大部分のものは即座に証明することが できないために保留された。 「戦争とは何か」(「南京大残虐事件資料集1」P103)
南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、 続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する 掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたが ために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。一九三八(昭和一三)年一月六日の日記にいう。 上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。 嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。 南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であった。 部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとくふるまった。何か言えばすぐ銃剣を がちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。 私は三省事務局長会議でたびたび陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。 軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量の暴行なので手のつけようもなかったので あろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した 国際安全委員会なるものから日本側に提出された報告書には、昭和一三年一月末、数日間の出来事として、 七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、臨月の女も 容赦されなかったという記述は、ほとんど読むに耐えないものであった。 その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍紀粛正のため現地に派遣されたと伝えられ、 それが巧を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になっていった。 「外交官の一生」石射猪太郎外務省東亜局長
>>954 前半は「あったと思う。」 「聞きもした。」と言ってるだけ。
後半はティンパーリの「戦争とは何か」からの引用で福田証言とは関係ない。
つーか、日本兵の犯罪が700件発生しても犯罪発生率は1%にしかならないんだがw
肯定派は日本兵の個人的犯罪が30万件発生したとでも言いたいのか?
700件は数少ない取り締まられた数であって、「憲兵はいても少数で、取締りの用をなさなかった」のだから 実際はその何倍もあっただろうね。 軍紀が乱れきっていたという数々の報告や証言から目をそらすのはやめろ。
さすがにいくら否定派でもネトウヨでも「日本軍は紳士の軍隊!」とか おめでたいこと言ってるやつはさすがに少数だよ いくらがんばっても「日本軍は紳士の軍隊」ってのは 否定される材料ばかりだ あきらめな
1938.1.4 NYタイムス 元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに 南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。 彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。 この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。 1938.2.17 大阪朝日 皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る 【同盟南京二月十六日発】 皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。 右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。 この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、 暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。 一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。 これらの取り締まりの結果、被害は激減しましたw
>>957 妄想や願望は不要だから「具体的な数」を出してみろw
「よくわからないけどたくさん!」とか「実際は何倍もあった!」なんて根拠がどこにもないw
また定番の東中野ネタかw なつかしいな
>>960 おまえには最低限の想像力もないみたいだからもういいよ
そこまで「日本軍は紳士!汚れない聖なる軍隊!」ってお花畑思考だと
さすがにネトウヨにもあきれられんだろw
そのへんのネトウヨでもそこまでいわねえよ
>>962 憲兵の取り締まりが間に合わないほど日本兵の犯罪が多かったなら、取締りが間に合った日本兵の犯罪の記録はどこだ?
肯定派の主張によれば、最低でも17人の憲兵が42日間取り締まった714件の記録が存在するはずだがw
それでも犯罪発生率は1%にしかならないがなw
まずは憲兵が取り締まった714件の記録を持って来いw
さらに記録が存在したとしても日本兵の仕業とは限らない。つ>959w
まずは「日本軍の犯罪発生率が1%以上だった」事から証明してもらおうかw
話はそれからだw
714件の記録の根拠として「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」を出してきたのは 肯定派なんだけど? バカなの?
× 肯定派 ○ 否定派
否定派がバカなのは知ってますから 改めて言わなくていいよ
>>964 >714件の記録の根拠として「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」を出してきたのは
改めて肯定派が日本語を理解できないバカだというのは良く分かったw
>886「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」は「1937年7月から1939年末までの約一年半の間に、軍法会議で掠奪、強姦致死傷の有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人(420+312)」というもの。
714件の記録の根拠は「17人の憲兵が6週間(42日間)取締りを行った場合の事。
「1937年7月から1939年末までの約一年半の間に有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人」
という事と、
「17人の憲兵が6週間(42日間)取締りを行った場合714件の記録が存在する事」
を混同させて何がやりたい?
まさか、「両者の違いが理解できないほどのバカ」じゃないよなw
「17人の憲兵が6週間(42日間)取締りを行った場合714件の記録が存在する」って 否定派が言ってるのは、その732人の犯罪率が0,06%だからってのを根拠にしてんじゃん バカなの?
否定派がバカなのは知ってますから 改めて言わなくていいよ
恥ずかしいねえw 自爆乙 >延べ総兵力約130万人の内、有罪判決を受けた将兵は732人。 >犯罪発生率わずか0.06%w >7万の日本兵が入城してその内0.06%が犯罪を犯しても42人にしかならないw >6週間(42日間)に渡って犯罪が行われたなら1日1人の割合にしかならないw >犯罪者1人対憲兵17人x42日w >普通の知能の持ち主なら《1人対17人》なら充分物理的に取り締まりは可能とわかると思うがなw >7万人の兵士の1%(700人w)の兵士が犯罪を犯したとすれば、1日17人x42日=714人w
>>970 日本語が理解できていないなw
日本軍の犯罪率に関係なく
「17名の憲兵が42日間取締りを行った結果」が「714人」になるんだがw
1日17人x42日=714人
肯定派「日本軍の軍規は最低だった!憲兵は充分な取締りができなかった!」
否定派「じゃあ、充分ではなくても実際に取り締まった記録が大量にあるよね?」
肯定派「………」
肯定派「日本軍で有罪判決を受けた将兵が732人もいる!」
否定派「それは1937年7月から1939年末までの約一年半の間で、南京戦も含まれているんだけど?南京で憲兵が休む間もなく働いていれば、最低でも714件の記録があるはずなんだけど?」
肯定派「………」
それから、もし「1937年7月から1939年末までの約一年半の間で有罪になった732人」の中に「南京で取り締まられた714件」が含まれると仮定すると残りは18人w
つまり1937年7月から1939年末までの日本軍の各作戦で犯罪を犯したのは1名前後という事になるw
つくづく肯定派ってのはバカしかいないのかw
>>970 >7万の日本兵が入城してその内0.06%が犯罪を犯しても42人にしかならないw
もっと日本語を勉強しましょうw
《6週間=42日》と《7万の0.06%=42人》を混同して何が主張したかったのかは知らないがw
それとも『南京大虐殺は6週間にわたって行われた』という肯定派の主張の根本を否定するのかw
「そのような主張はしていない!」というならそれはそれでかまわないがw
その場合、改めて『南京大虐殺の期間の定義』が必要になるがなw
第十六師団第三十三連隊第大隊 井戸直次郎 だいぶたって治安がよくなるとな、部隊のみんなを並ばせて、憲兵隊が強姦された女を連れてきて、 誰がやったと調べたこともあった。平時とは違って罪にはならんかったが、「やめとけよ」と怒られる 程度じゃった。罪にも何にもならへんかったけど、叱られたくらいじゃ。(『南京戦』pp276) ちゃんと逮捕して法務官も足りない中で裁判までいって有罪判決がでるとこまで いくのは限られるからな
憲兵が裁判した記録が無いのに、現地外国人や小川法務官など 関係者が記録した軍規退廃ぶりの記録はあるんだから 軍機は乱れ、碌に取り締まりもなされてなかった が結論にしかならないな
>>973 「纏足の娘を強姦した」と言っていた仮名の男だったな。
で?
検証もできない架空戦記の登場人物の台詞がどうした?
南京市の憲兵17人はどこにソースがあるのか教えて。 兵隊を取り締まるのが憲兵だけなのか?
「最も悪性のものに限り」しか公訴提起しなかったみたいだね。 強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り公訴提起の方針を採り成べく処分は消極的なりしも 斯くの如く続々同事件頻発するに於ては多少再考せざるべからずかと思ふ(P125) ○上砂中佐事務打合せに来部 中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることと なると努力の甲斐なしと 「ある軍法務官の日記」小川関治郎陣中日記
強姦は親告罪だったから訴えるケースも少なかっただろう 昭和17年「陸軍刑法改正意見提出の件」が提出され、陸軍刑法に親告罪じゃない「強姦罪」ができる 戦地に於ける強姦は軍紀を破壊し軍の爾他の宣撫工作を一切無効ならしむ 又被害者に於て後難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多きを以て非親告罪として処分するの要あり >被害者に於て後難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多き
否定派がやたらラーベの日記を引き合いに出してきていたが ラーベの日記を読んでも「日本軍は秩序が保たれた紳士の軍隊」と思ったのか? 「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より 最高司令長官がくれば治安がよくなるのかもしれない。そんな期待を抱いていたが、 残念ながら外れたようだ。それどころか、ますます悪くなっている。塀を乗り越えてやってきた 兵士たちを、朝っぱらから追っ払わなければならない有様だ。なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、 私を見るとすぐにさやをおさめた。 私が家にいる間は問題はない。やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。 だが、中国人に対してはそうではなかった。兵士が押し入ってきた、といっては、絶えず本部に 呼び出しがある。そのたびに近所の家に駆けつけた。日本兵を二人、奥の部屋から引きずり出したことも あった。その家はすでに根こそぎ略奪されていた。 家に着くと、ちょうど日本兵が一人押し入ろうとしているところだった。 すぐに彼は将校に追い払われた。その時近所の中国人が駆け込んできた。 妻が暴行されかかっているという。日本兵は全部で4人だということだった。 我々は直ちに駆けつけ、危ないところで取り押さえる事ができた。 将校はその兵に平手打ちを食らわせ、それから放免した。 再び車で家に戻ろうとすると、韓がやってきた。私の留守に押し入られ、 物をとられたと言う。私は体中の力が抜けた。・・・・・ 次から次へと起こる不愉快な出来事に、実際に気分が悪くなってしまったのだ。 12月18日、「18時、危機一髪。日本兵が2人、塀を乗り越えて入り込んでいた。 なかの1人はすでに軍服を脱ぎ捨て、銃剣を放り出し、難民の少女に襲い掛かっていた。 私はこいつをただちにつまみ出した。」
>>976 将校は強姦みつけても平手打ちだけで放免みたいだな
>日本兵は全部で4人だということだった。
>我々は直ちに駆けつけ、危ないところで取り押さえる事ができた。
>将校はその兵に平手打ちを食らわせ、それから放免した。
「1945年 ベルリン解放の真実−戦争・強姦・子ども」ヘルケ・ザンダー、バーバラ・ヨール著によると
ソ連兵によるベルリン強姦では強姦された女性の20%が妊娠していた。そのうち90%は中絶し、10%が出産したらしいが。
ttp://www10.ocn.ne.jp/~war/rape.htm 「シャリテ病院産婦人科受診簿」によると、1945年7月23日から年内いっぱいまで受診した女性3852人のうち、「強姦のために治療を受けたことが明らかな女性の総数」は
514人、「強姦された女性の妊娠件数」は118件、そのうち中絶は37件、流産は3件です。
そして当時ベルリンには140万人の女性・少女が在住し、そのうち60万人は出産可能な年齢だったということです。
これらから「数ページが数字で埋まってしまう」推計を行なうと、「少なくとも11万人の少女・女性」が強姦され、そのうち出産可能な年齢であったのは5万7800人で、1万10
00人強は妊娠し、1100人以上の子供が生まれたことになるそうです。
この推計には議論の余地もあるかもしれませんが、ベルリンでソ連兵に強姦された女性が妊娠・出産したことは事実なのです。
日本兵が強姦後全て殺害したのなら死体の数が少なすぎるな。
南京で混血児の話が全く出てこないのはなぜだろうw
じゃあ「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった」ってのは撤回でよろしいな?w
南京における救済状況」(ベイツ) 1938.2.14 3.医療 強姦された女性に感染した性病の問題は、いまや深刻になっている。 われわれは直ちに医療サービスを広げて、それらの世話や自由な治療が できるようにしてやることが求められている。強姦された未婚の娘を連れて、 堕胎してもらいにやってくる母親の問題はさらに痛恨事である。 大学病院は現在まで、そのようなサービスは拒否せざるをえないできた。 しかしその結果、家族は若い女性の健康を取り返しのつかないものにしてしまう手段にうったえることになる。 (「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」 P181) ベイツより妻リリアへの手紙 1938.2.13 前から予見できた問題が出始めている。ある婦人がきょう大学に 娘を連れてやってきて、婚約中である娘の堕胎を哀願された。 彼女は、日本兵に強姦されて妊娠したのである。 (「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」 P333)
笠原十九司氏「南京難民区の百日」より そしてさらなる別の不幸は、長期にわたって何回も犯されたため、 妊娠してしまった女性も多かったことである。女性にとって強姦を拒否して 抵抗することは、殺されることを意味する状況下にあった。 スマイスは調査結果もふまえ南京では数万人の女性が強姦の犠牲になったとみている。 そして後日になっての観測であるが、強姦された女性のうち一〇人に一人の割合で妊娠したとみる。 母親が強姦された未婚の娘をつれて、堕胎をしてもらうために鼓楼病院にやってきたが、 それを拒否せざるをえなかった病院の側も痛恨の思いであった。しかし、その結果、 家族は無理な堕胎をこころみて娘の健康を取り返しのつかないものにしてしまう悲劇もおこった。 また、妊娠を知った未婚の女性にはショックのあまり、自殺してしまうものもでた。 さらに後日のスマイスの観察によれば、この時の妊娠で生まれた子どもは例外なく溺死や窒息死、 あるいは捨て子にされ、ハーフが育てられることはなかった。日本軍の婦女凌辱は、あとあとまでも 残酷な悲劇を残したのである。 (「南京難民区の百日」P315)
>>983 犯罪発生率が1%に満たない軍隊をそう呼びたいなら好きにすればw
ただし、そんな軍隊が日本軍の他に存在すればの話だがw
どうも肯定派の脳内妄想の中の「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」とは、犯罪を1件も犯さない聖人君子の集団みたいな連中の事らしいがw
少なくとも否定派は日本兵個人の犯罪までは否定していない。
そして公式に確認できるのは《約一年半の間で有罪になったのは732人》という事だけ。
どうも肯定派は勘違いしているようだが「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」とは他国の軍隊との比較の問題でしかない。
日本兵が犯罪を1万件起こそうが2万件起こそうが、他国の軍隊の犯罪が10万件や20万件であれば日本軍は「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」といえる。
数字で確認できる日本軍の犯罪発生率は0.06%。>886
そして沖縄の在日米軍の犯罪発生率は0.28%。>913
少なくとも在日米軍と比較すれば日本軍は「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」と言えるw
それとも「日本軍よりも総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」というものが当事存在したとでも?
具体的にどの国の軍隊の事なんでしょう?w
>>984 >南京における救済状況」(ベイツ) 1938.2.14
> ~~~~~~~~~~~~
>ベイツより妻リリアへの手紙 1938.2.13
> ~~~~~~~~~~~~~~
南京陥落は12月13日。
当時の妊娠判定方法は妊娠2ヶ月未満でも可能だったらしいなw
日本軍の犯罪発生率は0.06%ってのは、逮捕されて起訴されて有罪になったごく一部の数字だからなー 強姦なんか親告罪だからほとんど訴えないだろうし ま、常識的判断力を持った人なら、ここに貼られたさまざまな証言、報告を見れば 「日本軍は秩序ある紳士な軍隊」とは思わんわな 日本軍が通常の犯罪レベルなら、多くの軍高官や政府関係者がなぜ軍紀の乱れを嘆く? 常識で考えろ まあ、「日本軍は秩序ある紳士な軍隊」とか寝言ほざいてるのは否定派でもキミだけみたいだからいいけど まともな?否定派がかわいそう
>強姦なんか親告罪だからほとんど訴えないだろうし
そんな妄想は
>>982 や
>>987 に反論してからどうぞ
>>886 考えてみたらこれ全作戦ごとの兵士の人数足して兵力約130万人っておかしくね?
同じ部隊がいろんな作戦に参加してんだし
>>990 16回の会戦で732人だから1会戦当たり45名の犯罪が発生したことになるなw
なんだったらこっちを採用するかw
各会戦ごとに45名の犯罪が発生したとすると、犯罪発生率は最大0.45%〜最小0.018%w 南京での犯罪が45件とすると犯罪発生率は0.045%w 0.06%ではなく0.045%でいいのか?w 各会戦での犯罪発生率を0.05683%とすると、 1937年7月盧溝橋事件、平津地方掃蕩作戦(20000人)、通州事件 …11名 1937年8月察哈爾作戦(20000人)…11名 第2次上海事変(162000人)…92名 1937年9月河北作戦(150000人)…85名 1937年10月太原攻略作戦(60000人)…34名 1937年12月南京攻略戦(100000人)…57名 1938年3月台児庄の戦い(10000人)…6名 1938年4月徐州作戦(216000人)…123名 1938年8月武漢攻略戦(250000人)…142名 1938年10月広東攻略戦(70000人)…40名 1939年3月南昌攻略戦 1939年5月襄東作戦(70000人)…40名 1939年9月?湘作戦(60000人)…34名 1939年5月ノモンハン事件(20000人)…11名 1939年11月南寧攻略戦(30000人)…17名 翁英作戦(50000人)…29名 合計732名w 計算が面倒だから0.06%にしていたんだがw 正確な数字のほうが好みらしいなw
取り締まらなければ取り締まらない程、粗暴でない軍隊であると言うのなら 加害者に取ってこんな楽なものはないな
肯定派によると、南京では犯罪が山のように行われていたはずなのに憲兵は昼寝でもしていたのか?
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/08/01(日) 00:07:43 ID:wRRS7ojX0
せっかく捕まえても「最も悪性のものに限り公訴提起の方針を採り成べく処分は消極的」だったとさw 強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り公訴提起の方針を採り成べく処分は消極的なりしも 斯くの如く続々同事件頻発するに於ては多少再考せざるべからずかと思ふ(P125) ○上砂中佐事務打合せに来部 中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることと なると努力の甲斐なしと 「ある軍法務官の日記」小川関治郎陣中日記
>>994 さんざんラーベの日記を否定の根拠として出してきてたのは君じゃないの?
違う?
>>979 のラーベの日記は都合悪いから信じないのかい?
これみて「日本軍は秩序ある紳士の軍隊」って思うのは頭おかしいからなw
師団長も日記で日本兵の略奪がひどいと書いてるんだが
>>926 これみても「日本軍は秩序ある紳士の軍隊」と思っちゃうの?
単なる比較の問題。 日本軍の犯罪件数が1万件だろうが10万件だろうが100万件だろうが当時の他の軍隊よりマシだったというだけ。 聖人君子の集団が軍人をやってるとでも思っているのか?
国民党軍と比較すれば日本軍は充分「秩序ある紳士の軍隊」だなw
「日本軍は秩序ある紳士の軍隊」じゃない証拠は多くの軍高官、政府関係者、外国人、軍医、憲兵の発言や報告書などで 否定しようがないんだよね キミはひたすら根拠のない「犯罪率0,06%」を繰り返すだけ
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