文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】

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1日本@名無史さん
秀吉の朝鮮征伐を考察・議論するスレッドです。

関連スレッド
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7(世界史板)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204066393/
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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartY(軍事板)
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秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察(中国英雄板)
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/
2日本@名無史さん:2008/06/21(土) 14:37:53
前スレッドが抜けていた。
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮出兵スレ4 【壬辰倭乱】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/l50
3日本@名無史さん:2008/06/21(土) 15:12:44
>>1
乙。
4日本@名無史さん:2008/06/21(土) 16:15:33
    彡//:::::::::::::::::::iヾミ 、
    /:::::::::::::::::::: :::::::::::::::ヽ
  γ::::::::: ::人::::人人 :::::::::ヽ
  (:::::::::::/  \ , , /\::ヾ   あなたねえ!!
   \:/   (●)  (●) \:ノ
     |       (__人__)   |      どんだけサービス残業してると思ってるんですか!
      \      ` ⌒ ´  ,/ 
.      /⌒〜" ̄, ̄ ̄〆⌒,ニつ
      |  ,___゙___、rヾイソ⊃

「朝礼で橋下知事にかみついた女性」 まとめサイト
http://gazou61.hp.infoseek.co.jp/andou.html
5日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:20:12
>>1
乙です。
6日本@名無史さん:2008/06/22(日) 08:24:33
7日本@名無史さん:2008/06/22(日) 20:53:02
徳川家康は300人を従えて名護屋に滞在していたが、この小人数ならば、豊臣政権の後顧の憂いを絶つことは……
8日本@名無史さん:2008/06/23(月) 14:57:13
後顧じゃなくて柱石だから、家康。
9日本@名無史さん:2008/06/23(月) 21:03:18
9
10日本@名無史さん:2008/06/23(月) 22:59:40
11日本@名無史さん:2008/06/24(火) 17:55:54
>>1
乙!
12日本@名無史さん:2008/06/24(火) 20:46:03
明軍は碧蹄館と第一次蔚山と泗川でそれぞれ一万以上ずつ損失を出しているんじゃないか?
それぞれ指揮官が戦意喪失したり責任追求を受けている。
13日本@名無史さん:2008/06/24(火) 20:53:17
>>7
一番信頼できる勢力潰してどうすんだ
14日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:29:29
989 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/06/24(火) 20:15:03
日本軍は戦力の3分の1も失っていないので最後まで戦闘力を保ち、明軍を撃破し続けました。
15日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:35:37
987 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/06/24(火) 18:34:16
あれあれ?明軍はしまず(なぜかry)に惨敗して20万人殺されたんじゃなかったかー?
16日本@名無史さん:2008/06/24(火) 22:08:02
世界史版でも主張したことだが、日本の戦争目的は文禄の役(大明
征服)慶長の役(朝鮮南部の制圧)だったはずだ!
そのために文禄の役では16万〜20万人、慶長の役では14万〜18万人
の兵力を投入している。
戦争期間は文禄の役は約1年間、慶長の役は1年半程戦ったが、結局
外国に寸土もてにいれることができなかった!
やれ、朝鮮半島は寒くて凍死者が続出したとか、あるいは朝鮮半島
が貧しくて現地調達がうまくいかず餓死者がでたとか、また沿岸部
に建設した倭城は1つも落城していない、とか強がってみても、上記
目的を持って半島に侵略しながら、成果を挙げられなかったのは、
秀吉の戦争指導の不味さもあるが、日本軍が大してつよくなかった
ということだろう!
17日本@名無史さん:2008/06/24(火) 22:23:01
単に攻める相手に協力組織を作らなかったから
というより秀吉の認識では朝鮮がそうだった
18日本@名無史さん:2008/06/24(火) 23:19:00
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204066393/498

何がしたいのやら
19日本@名無史さん:2008/06/25(水) 00:56:47
>>18
侵略しようとしたが惨敗した。
20日本@名無史さん:2008/06/25(水) 10:32:33
明軍も明厨も口先だけの想定勝利。
21日本@名無史さん:2008/06/25(水) 11:18:33
豊臣秀吉太閤殿下による朝鮮征伐で、大和旧領の任那地域を奪回していたら
誰が任那の領主に成って居たのかな?
22日本@名無史さん:2008/06/25(水) 12:23:21
>>21
大和は百済奈良の植民地なわけだが。
23日本@名無史さん:2008/06/25(水) 12:30:41
>>22

根拠も無いのにほざくな。
24日本@名無史さん:2008/06/25(水) 13:53:36
>>22
まーたなんか言い出したぞ
25日本@名無史さん:2008/06/26(木) 20:38:43
征伐
26日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:21:48
>>21ほんの一時期というか名目的といおうか、南朝鮮に大名に領地を与えていなかったっけ。
27日本@名無史さん:2008/06/27(金) 00:07:22
そういえば秀吉って明から領地を与えられたよね?
日本に。
28日本@名無史さん:2008/06/27(金) 20:41:17
唐辛子を朝鮮に伝えた功績は大きい
キムチ好きなら秀吉信者だよ。。
29日本@名無史さん:2008/06/29(日) 12:06:18
>>27
誰の何を貰ったのか、言ってみろ?
30日本@名無史さん:2008/06/29(日) 12:35:20
>>29
天皇の日本を与えられた
31日本@名無史さん:2008/06/29(日) 13:11:55
平安京開いた桓武天皇って半分韓国人じゃん
韓国人に支配される倭人w
32日本@名無史さん:2008/06/29(日) 13:19:31
>>31
お国にお帰りください
33聖人哲学者:2008/06/29(日) 13:40:20
汚マエ等は何故神聖霊験をやろうとしないのだ!神を崇め仏を祀り、主の言葉を唱え、御心に祈れば救われる!
神聖霊験は素晴らしい!汚マエ等は神聖霊験の素晴らしさが分かってない!
汚マエ等に告ぐ!先ずは神聖霊験をして、自らの愚かさを認識し懺悔しろー!!そして弱者に心を寄せて弱者の声に耳を傾けろー!!直ちに汚マエ等は神聖霊験して穢れた脳を洗い浄めろ!!

34日本@名無史さん:2008/06/29(日) 20:47:52
タイトルは唐入りにすべし
35名無しさん:2008/07/02(水) 18:42:47
井沢元彦氏の「逆説の日本史」に、元々唐入り又は大明出兵と当時は呼称していた。これ本当? 明治以降、朝鮮征伐と書かれるようになったみたいだけれど?
36日本@名無史さん:2008/07/02(水) 18:57:39
【文禄の役(1592〜96)】

【慶長の役(1597〜98)】

秀吉は老体でボケ初めていたから秀吉は遠征はしてない。


遠征した武将

【加藤清正】

【小西行長】

【宇喜多秀家】

【黒田長正】

【島津義弘】

脇坂諸氏の水軍と共に行く


対する朝鮮側 【李舜巨】 唐の精鋭部隊。
37日本@名無史さん:2008/07/02(水) 20:48:20
教えてください。
秀吉って琉球を侵略なんてしてないですよね?
会社の同僚が琉球王国がなくなったのは秀吉が琉球を侵略したからだ、といって聞きません。



38日本@名無史さん:2008/07/02(水) 20:56:10
>>37
琉球侵略したのは家康。実行犯は家康の家来のしまず(なぜか変換できない)とかいう武士。
秀吉は琉球侵略はしていないが朝貢要求したり朝鮮侵略の手伝い命じたり、
家来の亀井某に「琉球守」を名乗らせたりした。
もちろん琉球側に相手にされず恥かいただけで終わった。

つまりあなたの同僚は無知。
39日本@名無史さん:2008/07/02(水) 20:59:34
>>38さん
ありがとうございます。

え?秀吉って琉球侵略なんてしてませんよ!!って言ったら、

「何言ってるの?そんなことも知らないの?秀吉のせいよ!」って返されてしまって・・・
ハハハ、無知なんですね。 ヤッター!!
40日本@名無史さん:2008/07/02(水) 21:09:08
>>39
その人は左翼の反日売国教育によって「秀吉=侵略者」と洗脳されたせいで
それも秀吉がやったことだと無意識のうちに思いこんでしまったんでしょうね
そういうかわいそうな人ですから優しくしてあげてください
41日本@名無史さん:2008/07/02(水) 22:23:52
でも現実は「秀吉=侵略者」「家康=侵略者」
倭人は非常に野蛮。これが歴史的事実。
42日本@名無史さん:2008/07/02(水) 22:56:19
> 倭人は非常に野蛮

・・・・
43日本@名無史さん:2008/07/05(土) 19:58:51
おそらく秀吉は、いやおそらくはその政治的師匠にあたる信長も、
シナの貨幣経済やスペイン・ポルトガルのアジア香辛料交易などを
支えているのは日本の金銀であるということは知っており、いずれ
九州に直轄地を持つようになればスペインやポルトガルを排斥して
直接硝石の産地であるシナと取引をしようと構想していたのでしょう。

スペインやポルトガルの征服の野心などは最初から承知で天下統一
まで利用して、もともと用済みになれば切り捨てるつもりであったの
でしょう。信長はその計画の道半ばで倒れ、その後を継いだ秀吉が
九州を平定した後、かねてからの計画通り、シナとの直接交易に
乗り出したというのが実相でありましょう。

ところがシナはその頃は明朝の末期で、朱子学の中華思想の影響で
頑迷な鎖国政策をとっていたので秀吉の交易の誘いを拒絶しました。
しかしシナの貨幣経済を維持するためには日本の金銀が不可欠
なのであり、実際、シナの密貿易商人が持ち込んだ日本の金銀を
使って明朝は貨幣を作っているわけですから、鎖国政策など建前に
過ぎず、密貿易を官憲が公然と見逃していたのが実態だったのです。

ならば密貿易商人などに恃まずに、政府が堂々と日本と交易して
硝石と引き換えに正当に金銀を得ればよいのです。秀吉や信長は
恐ろしく合理的な考え方をする経済通の武将でしたから、そのように
説いても交易に応じようとしない明朝の非合理な態度に秀吉は驚き、
怒りを感じるようになったのです。
44日本@名無史さん:2008/07/05(土) 20:04:43
信長や秀吉は経済感覚に優れ、戦争にも強い優れた武将でしたが、
あまり(古典的な意味での)教養がありませんでした。だから朱子学や
中華思想というものがシナ帝国にとってどのような存在であるのか
理解出来ず、理解不能の障害物は武力で排除するというのが戦国の
習いでありましたから、秀吉はシナ征伐に乗り出したのです。

いきなり軍事侵攻ということになるとは思っていなかったでしょうが、
信長や秀吉はおそらくは交易を開始していずれはシナやインドまでも
支配下に収めることが可能であると構想していたので、秀吉もこの
シナ征伐にもあまり失敗の不安は感じていなかったと思われます。

信長や秀吉が「唐天竺まで平定する」と大言壮語していたというのは
こういう構想があってのことでした。これは信長や秀吉の立場に立って
みれば決して誇大妄想ではありません。彼らは武力で天下を獲ったの
ではなく、むしろ経済力で天下を獲ったのであり、より具体的に言えば、
領土を得ることではなく金銀や貨幣を握ることで支配権を確立しました。

信長や秀吉の天下統一事業を見ると、敵対する大名家を滅ぼすため
の戦いはしていますが、民衆を平定するための泥沼の戦いというもの
はほとんどしていません。唯一例外といえるのが巨大経済利権団体
といえる本願寺の一揆衆との戦いであり、本願寺の一揆衆のみが信長
の天下獲りに真の意味で抵抗した唯一の民衆勢力であったといえます。

本願寺以外の民衆勢力は信長や秀吉が金銀や貨幣を握っている
ことを知れば簡単にひれ伏しました。それぐらい戦国時代の日本人
というのは、ミもフタもないくらいに経済原理に忠実に生きていたのです。
本願寺だけは一種のカルト教団であったので、経済原理を超越した
哲学があったわけです。
45日本@名無史さん:2008/07/05(土) 20:05:50
そのように経済原理に忠実な日本人ばかり見てきたために、信長や
秀吉はシナ人や朝鮮人も同じようなものだと思い込んでいたのでした。

だからシナの貨幣の原料となる金銀を日本が、つまり秀吉が握っている
以上、明朝政府を少し叩けばシナ人はみんな直ぐに秀吉にひれ伏すと
思っていたのです。朝鮮も同じようなものであり、簡単なもので、通り道
程度のものであろうと思っていました。実際、朝鮮は秀吉にへりくだった
姿勢で接していたので、秀吉はそれを早くも朝鮮がひれ伏してきたもの
だと解釈したのです。

「唐天竺まで」というのも誇大妄想ではなく、実際、日本の金銀が実質的
にインドまで広がる香辛料市場における取引の基軸通貨の役割を果た
していた以上、秀吉の経済感覚で見れば、インドまで広がるアジア多島海
の交易圏全てが秀吉にひれ伏すのが当然の摂理ということになるのです。

ただ秀吉が分かっていなかったことは、海を渡っての軍事征服の困難さ、
特に兵站の確保の困難さと、シナ人や朝鮮人が必ずしも経済原理に忠実
ではなく、まさに本願寺ばりのカルト性を発揮して非合理なまでに排他的
であること、そして特に朝鮮の場合、あまりに貧し過ぎて、朝鮮半島に
渡った日本兵の兵糧の調達すら困難であったということでした。
46日本@名無史さん:2008/07/05(土) 20:23:10
無知は罪である
47日本@名無史さん:2008/07/05(土) 22:26:39
「しまず」は変換出来無いだろうな…。
「しまづ(島津)」なんだから…。
48日本@名無史さん:2008/07/08(火) 01:34:21
このスレも参謀本部の研究結果である日本軍14万死亡説を
否定できるだけの史料or研究論文を提示できずに喚くだけのようだな。
やれやれ。
49日本@名無史さん:2008/07/08(火) 10:35:42
まあいずれにしろ侵略者の末路は悲惨だということだ。
50日本@名無史さん:2008/07/09(水) 17:52:51
age
51日本@名無史さん:2008/07/10(木) 20:03:01
>>48

そんなに戦死者が出たのなら、関が原の戦いは起こってないかと。
52日本@名無史さん:2008/07/10(木) 20:35:42
それ以前に日本は100年間内戦やったたわけだが。
追加で14万くらい死んだところでどうってことない。
53日本@名無史さん:2008/07/11(金) 06:35:54

倭人道とは死ぬことと見つけたりw
54日本@名無史さん:2008/07/12(土) 04:19:19
文禄の役の出征兵数が20万余(16万とも)、慶長の役が12万くらいか。
文禄の役と慶長の役で出征大名もかぶるから、
両戦役で14万の戦死者は無理だろうなあ。

動員人数の変遷は、
戦闘回数も多かった小西で、
文禄の役=7000→慶長の役=7000→関ヶ原=4000

宇喜多が
文禄の役=10000→慶長の役=10000→関ヶ原=17000

小早川が
文禄の役=10000(隆景)→慶長の役=10000(秀秋)→関ヶ原=15600

黒田が
文禄の役=5000→慶長の役=5000→関ヶ原=5400

浅野が
慶長の役=6000→関ヶ原=6500
55日本@名無史さん:2008/07/12(土) 07:56:58
>>54
関ヶ原の人数は参謀本部が目安として設定した数だから注意
56日本@名無史さん:2008/07/12(土) 16:27:48
日本側も倭寇を取り込んで参戦させてたら海戦で負けなかったかもね。
57日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:04:27
鳴梁大勝!! しかし李舜臣は逃亡200km
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=243882


李舜臣は日本軍の補給路を攻撃していない..
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=262274


続・李舜臣は日本軍の補給路を攻撃していない..
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=262659
58日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:24:57
遠征海路案内は

村上水軍 彼らも忘れてはならない存在です。

武将舟先頭集団は必ず村上水軍!!マジ
59日本@名無史さん:2008/07/16(水) 20:28:55
>>48
>参謀本部の研究結果である日本軍14万死亡説

うそつけ。
そんなこと日本戦史の何ページに書いてある?
60日本@名無史さん:2008/07/21(月) 11:24:48
【萬物相】朝鮮陶工の「望郷の詩」
>壬辰倭乱は日本の歴史で「陶磁器戦争」とも呼ばれている。
当時、日本の上流階級では茶の湯(茶道)がブームだった。
豊臣秀吉の命令で出陣した各地の大名たちは、
日本の陶磁器とは比べものにならないほど素晴らしい朝鮮白磁に目を付け、
先を争うように朝鮮の陶工を連れ帰った。
そうして朝鮮から近い日本の各地に、朝鮮白磁を焼く窯が作られた。
http://news.livedoor.com/article/detail/3737908/

"陶磁器戦争"でググると
・当時日本は磁器を生産できない土器を使用する水準だったが 日本人たちが「陶磁器戦争」 と称するくらい多くの韓国の陶工を日本へ連れて
・日本人たちが陶磁器戦争だと呼ぶ韓日戦争を引き起こす契約となったのであり
・日本歴史では壬辰の乱と丁酉災乱を陶磁器戦争だと呼ぶ.
・当時日本は磁器を作ることが出来ず陶器を使っていたが、日本人がこの戦争を陶磁器戦争 と呼んでいることからも分かるように、

こんなのばっかり出てくるんだが
韓国では16世紀の朝鮮出兵を「日本では陶磁器戦争と呼んでいる」ことになっているらしい

61日本@名無史さん:2008/07/21(月) 12:27:17
チョーセンジンww

わらえるww

62日本@名無史さん:2008/07/21(月) 13:13:14
>>39
その同僚は「花の慶二」の読み杉
63日本@名無史さん:2008/07/30(水) 23:25:04
「対馬は、遠い昔から韓国に朝貢を行ってきた韓国の領土だった。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した
が、決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟
碑は対馬の至るところにある。1870年代に対馬を不法占拠した日本
は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになっ
たのだから、韓国に返すべきだ」 

 1949年1月7日、大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が
初の年頭記者会見で語った発言だ。


朝鮮日報
「対馬は韓国領」説に歴史的根拠あり(上)
http://www.chosunonline.com/article/20080727000010
64日本@名無史さん:2008/07/31(木) 14:42:32
>>63
ほいほい国のトップからして脳内妄想www

永世奴隷国家ちょんは今後も捏造だけを国是として突っ走ります!
65日本@名無史さん:2008/07/31(木) 14:49:24
李承晩だからしょうがない
66日本@名無史さん:2008/07/31(木) 14:50:43
妄想が脳内だけで完結しないところがこの国の特徴
67日本@名無史さん:2008/07/31(木) 15:10:41
アメリカ合衆国では独島は従来から韓国領だとしてきたが、なぜか突然空白地扱いに・・・。

ブッシュ大統領 「独島は韓国領だ。誤った記述は元に戻せ」
米地名委員会 「(独島を韓国領から外すという)変更を正当化する根拠は現時点でない」
米高級官僚 「(独島を韓国領とする)米国の政策変更と韓国政府に受け取られたことを遺憾に思う」

米国務省(数日前) 「米政府として中立的な表記を試みる作業の一環だ」

米国政府は大統領が先頭に立って中立の立場を破棄し、独島が韓国領であるという従来の立場を宣言した。

町村 「抗議?ない。なぜ必要なのか?」

終了
68日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:39:09
ブッシュ 「アメリカは韓国の友人だ」
ヒル  「(韓国人記者に向かってにこやかに)今日は韓国外交の勝利した日だ」
イミョンバク 「ブッシュ大統領との個人的信頼関係、友人関係の結果だ」

倭人 「・・・」
69日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:43:48
つーか倭奴はいつの時代もくちさきだけの、調子こ民族だよな
なにが武士団だよ島猿がよwwwwwwwwwwwwwwwww
いつでもまた祖国は相手になってやんよ島猿!
70日本@名無史さん:2008/08/02(土) 07:30:18
朝鮮人のフリをしてレス乞食するなら東亜板あたりが良いんじゃないか?
71日本@名無史さん:2008/08/06(水) 22:15:42
Cheerok 和訳
>私の友達が甲賀流忍術を習ってて言うんだけど、
>確かに忍術テクニックはテコンドーやハプキドーに似てるんだ。
>なぜならそれらは全て同じルーツを持ってるからだ

>それから日本と韓国には深いつながりがあって実際日本の忍者が(たぶん朝鮮出兵のこと)
>軍から脱走して韓 国に居ついたんだ。かれらは名前を変えて韓国人で生徒を持って武術を教えた。
>それが君への宿題だよ。

突っ込みどころ満載です。皆さんふるってご参加くださいwww



朝鮮人の偽忍者(Fake Ninja)
http://jp.youtube.com/watch?v=_xSkhcJG_jg
72日本@名無史さん:2008/08/06(水) 22:18:42
I have to say Thank you! Or maybe you would tell North Korea
to sending a Missile to my home.
But South Korea is protecting you. And still you want to say bad things about Korea?
私が、学んだ忍術歴史についてお話したいと思います。
安土桃山時代の豊臣秀吉からになりますが、
秀吉は2度に渡り朝鮮へ出兵し、さらに刺客を送り朝鮮の重要人物の殺害を繰り返した。
秀吉の死後、時代は江戸に替わり将軍徳川となり、
殺害されることを恐れた刺客達は朝鮮で身を隠すように生活をし始めました。
やがて、彼らは家庭を持ち子供に刺客術(忍術)を教え始めたのです。
もう一つ知って頂きたいことがあります。
Finally, Soke Masaaki Hatsumi wrote in his own book that his shidoshi was
Takamatsu Sensei who went to China and Korea and learned 17 different Martial Arts and
its in Ninjutsu today! Go read a book!

[パクリ]偽朝鮮忍者が大人気[ようつべ]
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1217419421/
73日本@名無史さん:2008/08/13(水) 17:17:55
閑山島海戦に関して韓国側で偽史料が出回っている模様。
ここのwikipediaの論争ページ見てみ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Talk:Battle_of_Hansan_Island

WangKong936って韓国人が脇坂軍動員数1500人を10000人に誇張するために
「兵糧調發件記」なる史料を挙げているんだが、この史料いくら調べても出てこない。
そもそも脇坂の石高で1万人の動員なんて不可能なんだが。
74日本@名無史さん:2008/08/15(金) 18:41:55
いまさら何を・・・
朝鮮人の主張する歴史に本当のことなんか何ひとつないよ。
75日本@名無史さん:2008/08/25(月) 10:50:22
>>73存在しない資料を読むことができるのか?
76日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:24:07
日本の武士の書いた記録に、われらは鬼になった、とか赤子まで探し出して殺した、とかすさまじい虐殺が記されている。
外征なんてするもんじゃない。
77日本@名無史さん:2008/08/27(水) 03:01:24
永楽帝が義満みたいに臣下にならんなら日本侵略するよって明使の呂淵が日本を恫喝→義持「やれるもんならやれや!」
呂「せいぜい防備を固めるんだな、ぶっころすから」と捨て台詞を吐いて帰る。
このタイミングでチョンが対馬へ侵略した
応永の外寇では糠嶽合戦で大敗したアホチョン軍。
室町幕府がチョン王朝に報復してやんよと威圧した翌年に
ビビったチョン王朝は、言い訳する為に
さっそく宋希ヨンを日本へ派遣。
道中の海では中国人奴隷が助けてと頼まれたが、
宋は倭寇から米をくれるなら助けるよ→・・・やっぱいいです。と答えるケチぶりw
京都に着いたものの義持は激怒してて、全然会ってくれないどころか深修庵なる尼寺で女人のように謹慎してろよと宿泊場所を指定されるw
男→日本 出家ババア→チョン王朝
さらにタケノコ泥棒にビビりまくり、自分が暗殺されると誤解するヘタレ。
義満13回忌で日本人みんな魚食わない→チョンは関係ないのに、室町将軍の臣下のように、俺らも食うのやめて義満さまの冥福祈ろう→義持上機嫌になる。

78日本@名無史さん:2008/08/27(水) 03:21:37
秀吉は朝鮮へ出兵してない。

秀吉は老体であり、指示しただけの爺だろ。
79日本@名無史さん:2008/08/27(水) 04:27:26
>>77
Korean conquest of Tsushima (AD 1419)
http://jp.youtube.com/watch?v=9RK4bmOKHZg

韓国製 応永の外寇 ファンタジードラマ
80日本@名無史さん:2008/08/27(水) 06:56:11
>>79
1419年の船に大砲なんか積んでたの?
しかも長射程の砲を大量に。
81日本@名無史さん:2008/08/27(水) 07:07:59
>>77
君!面白い!文に崇高さがでてる!気に入ったWWWWW
82日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:17:53
>>79
史実では軍隊ではなく村民を襲撃してるんだがw

宗氏の寡兵の軍が反撃してきたらボロ負け撤退w
83日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:29:38
チョンは義満の死を知り対馬に攻めてきた卑怯者な上に惨敗と言う恥さらしw

永楽帝に対しては、義持曰わく「わが国は古の時代より他国に対して臣を称さず。父はそれを破ったので神々の怒りを買い病を得て死去した。父はそれを悔い、改めるように遺言した」
「わが国は神兵に守られているのは国史を見れば明らか。いくら恫喝されようが怯えて城壁などを高くしたりする必要はない。やってきたら道を掃いて迎え討てばよい」と再三の明使を兵庫から先に入れずに引き帰させる。
84日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:32:07
ちなみに対馬の宗氏も父が死去し幼児が跡を継いで弱体化してた。
85日本@名無史さん:2008/08/29(金) 17:07:09
補給線を伸ばし杉なんだよなぁどう見ても。
半島を「道」としか見てなかった感じで。
86日本@名無史さん:2008/08/29(金) 18:49:25
朝鮮は想像を超えて疫病だらけで悪路かつ貧困な土地柄だったからね。
日本と同レベルと想定したのが大失敗。
87日本@名無史さん:2008/08/30(土) 10:36:35
補給線なんて近代的な概念で割り切ろうという根性が間違っちょるのよ。わかって?
88日本@名無史さん:2008/09/02(火) 19:07:34

秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/l50
89日本@名無史さん:2008/09/03(水) 07:13:56
■倭乱の影響 (韓国で教えられてる教科書より)

倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量が
すぐれていたためである。つまり、官軍次元のわが国防能力は日本に劣っていたが、全国民的
次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に
満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を
撃退させることができる力になった。

一方、倭乱は国内外的に多くの変化をもたらした。まず、国内的には、長い戦争で人口が激減し、農村は
たいへん荒廃した。したがって、国家財政の窮乏と食料不足を解決するための対策として
空名帳(貧民救済のために富裕者に官位を売り、その代金の証書……訳者)が大量に発給された。
また、李夢鶴の乱のような民乱が各地で起こり、土地台帳と戸籍が多く焼失したために、租税、搖役の徴発と身分の区別が混乱した。
また、国際的には、束アジアの形勢が大きく変化した。朝鮮と明が戦争で疲弊した隙に乗じて北方の女真族が急速に成長した。
そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの
技術者と学者等を拉致していった。
これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。
90日本@名無史さん:2008/09/05(金) 17:10:09
>>63
なんで元寇の時に対馬島民を蒙古朝鮮連合軍は殺しまくったor女子供は奴隷にしたのか
って疑問はわかないんだろうなw
91日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:19:16
日本に内通した奸人だけを殺しただけで一般民は保護して食事を与え、医療を施し大変感謝された。
蒙古軍は対馬人を皆殺しにしろと言ったが朝鮮将軍が自分の命と引き換えに島民を救った美談があった。
また対馬の大半の住民が朝鮮語をつかっていた。
92日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:00:19
さすが韓国軍、文化の高い国はやっぱり違うね。
93日本@名無史さん:2008/09/06(土) 23:58:46
やっぱり対馬は韓国領の方が100倍は幸せだな。
対馬の人々も望んでるし。
94日本@名無史さん:2008/09/07(日) 15:48:26
>>93 
んなわけない。
進んで文明国から土人の国に編入されたい奴なんぞ居らん。
95日本@名無史さん:2008/09/07(日) 16:35:50
日本に密航するヤツは多いけど、
かの国に密航したり、帰化するヤツなんかいねーよ。
96日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:07:44
>>94
>91-93は中の人同じでしょ。
対馬で虐殺働いたのも朝鮮人の金方慶だし。
司馬御大も「何故、金方慶が虐殺をしたのかわからない」
みたいな事書いてなかったけ?
97日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:22:09
>>88のスレッド、議論が盛り上がっているね。
98日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:35:08
秀吉は「白村江の仕返し」と「元寇の仕返し」とも言っていた。
99日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:23:43
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartY(軍事板)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1208168005/l50
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】(戦国板)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/l50
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察(中国英雄板)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/l50
100日本@名無史さん:2008/09/09(火) 21:23:40
100
101日本@名無史さん:2008/09/13(土) 16:16:53
>>77はレポート書くときにwikiから引き写すような手合いか
102日本@名無史さん:2008/09/17(水) 14:56:31
あげ
103日本@名無史さん:2008/10/06(月) 21:42:59
age
104日本@名無史さん:2008/10/14(火) 20:09:52
朝鮮は戦争能力がいつも低いな
105日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:25:27
鳴梁大捷再現中板屋船に火災〜全焼〜 2008-10-11 22:18:45
http://www.dailian.co.kr/news/n_view.html?kind=menu_code&keys=3&id=129510
全南道(チョンナムド)が主管した鳴梁大捷祭り開幕日に板屋船が仏陀全焼する事故が発生した。
事故(思考)板屋船は鳴梁大捷祭り開幕日の11日16時頃右水営港で進度サビ陣まで運行した後ウォン・インモを火災が発生して,完全全焼された。
燃えた板屋船は海南(ヘナム)右水営港〜陣も溶けることは区間を二度運航した後右水営港で帰航していた途中機関室側から初めて火が始まったと分かっている。
板屋船に火災が発生するや板屋船に搭乗した人々は緊急待避して,人命被害はないと明らかになっている。
板屋船に火災申告で海上警察と消防署が出動して鎮火に出たが火を消すことができなくて完全全焼した。
全焼した板屋船は先月鳴梁大捷祭りに合わせて乾燥(建造)したし,祭り当たりである初めての運航した。
板屋船が燃えた姿を見守った住民たちは数千万ウォンらで製作した板屋船がハルンマンに燃えてしまったとし,一回用(使い捨て)になってしまった格好だと非難した。
また鳴梁大捷祭りハイライトの海上戦闘再現に参加する計画だったが出場もできなくて仏陀鳴梁大捷で倭船の安宅船に破った格好になってしまったとヒョルルチャッタ.
106日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:29:02
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartY
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1208168005/l50
107日本@名無史さん:2008/10/16(木) 00:47:29
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/
108日本@名無史さん:2008/10/16(木) 08:08:59
豊臣秀吉は朝鮮出兵前に朝鮮を入念にリサーチする。

「ええか、加藤に小西、朝鮮は悪政の不満が渦を巻いている。
釜山で止まれ。李朝は勝手に崩れる。」

朝鮮に出兵した加藤と小西は命令無視して、進軍する。

「げげっ!勝手に進軍しとる!」
109日本@名無史さん:2008/10/16(木) 10:02:13
朝鮮出兵には秘話があります。

豊臣軍を海に沈めた朝鮮水軍の李舜臣将軍は豊臣秀吉の
子供です。

越前の朝倉氏成敗の時に、秀吉が浮気してできた子供が朝倉氏
滅亡で若狭湾から朝鮮半島に渡りました。

歴史の教科書には出ない歴史の皮肉です。
110日本@名無史さん:2008/10/24(金) 18:00:58
また日本語Wikipediaの李舜臣の項目が韓国に攻撃されつつあるようです。
有識者ヨロ。
111日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:13:19
隆景大活躍なのに目立たない。
112日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:45:44
最近読んだ「豊臣政権の抗争」というやつで

弟の秀長と甥の秀次は金融資本に取り込まれていて
この流れがそのままいくと、恩と奉公と土地でなりたつ武家政治が
崩壊し(幕末の武家社会の困窮のようなもの)

かつての公家政治のように祭り上げられる可能性があったため
其の流れを秀吉が徹底弾圧したんだそうな。

たしかに秀次は土地の約束でなくて金銭の約束を大名とやってるんだよね
そして、その仲介役が千利休。だからあれも殺さないといけなかった

そして、朝鮮の役でやたら秀吉が土地にこだわるのも、金融に走りすぎて
崩れだした武家政治に健全性を取り戻させる目的もあったんじゃなかろうか?
これは大名などの武家、人間的な武家政治を担当していた秀吉と
それを裏から支えていた秀長の金融資本との付き合いという役目分担が秀長の死をきっかけに
相克をはじめ、秀吉が金融資本を切ったといえるのではなかろうか?

もし、それがなければ欧州のように商人が大臣として王を傀儡として政治を行うように
なっていたかもしれない。昔から封建制度と商業制度というのは反目するものだからな。

其の二つを織田信長はまとめてコントロールしていた。信長ならこの二つをうまくまとめて
海外進出できたかもな。おそらく「棍棒を片手に握手を求める」方式になったと思う。
113日本@名無史さん:2008/11/21(金) 11:19:21
>>112
そんなら勝っているうちに土地を分けてたろ?
114日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:21:27
○李舜臣 VS ●豊臣秀吉(世界人類史上最凶の蛮行)
総論である。李舜臣は戦国オールスター軍とも云えよう綺羅星の如き日本の一流の武将たちに対して堂々の勝利を挙げる。
失意の内に枯死する秀吉。
そして、豊臣悪府は斃れ、歴史からその姿を永久に消した。
李舜臣は朝鮮だけではなく、明、日本をも救ったのだ。
世界人類海戦史上空前絶後の戦績を挙げた李舜臣提督。
嗚呼、世界三大提督の筆頭よ。おお、人類の至宝よ。
115日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:02:02
わらかしや
116日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:31:32
>>114
その朝鮮の大英雄李舜臣は、彼の功を妬む朝鮮人らしい朝鮮人達によって
いびられ更迭され拷問を受け、さらに処刑寸前にまで追い込まれ、
慶長の役では罪人装束の白衣のまま前線へ送られてそこで戦死してしまったのであった。。。


117日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:53:59
「朝鮮征伐」って言っている時点で(ry
118日本@名無史さん:2008/12/31(水) 01:29:19
119日本@名無史さん:2008/12/31(水) 20:53:50
舜臣なんてどうでも良い存在。
120日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:02:14
>>119そだね
121日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:23:36
267 名前:名無しさんの野望[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 20:16:34 ID:SAI2zAvf
忍者は日本人同士の内戦ではそれなりに活躍したらしいが、対外戦争で活躍したという
話は聞かないからなあ。
忍者がそんなに有能なら朝鮮出兵での日本軍はあんな訳の分からんことはしない。
122日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:48:38
ダブルスパイを使おうとしたり、調略は多用しているよね。
123日本@名無史さん:2009/01/19(月) 19:35:28
リシュンシンて、戦略的にどうでもいい戦いをしかけて副将共々討ち死した武将でしょ?

島津7000が30里追撃しつつミンスとチョン軍80000万の死体をつくった話は凄いが
124日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:37:56
朝鮮征伐がもし成功していたら・・・・

まぁ、しないんだろうけど成功したらと思うとガクブルだぜ。
125日本@名無史さん:2009/01/31(土) 01:19:41
朝鮮出兵ってかなり日本に悪影響与えたよな
126日本@名無史さん:2009/01/31(土) 08:49:33
いつの時代も敗戦すれば悪影響が生じる。
ハクスキノエ然り秀吉の朝鮮侵略然り第2時台選然り
127日本@名無史さん:2009/02/07(土) 11:57:42
>>126
必死なチョンw
128日本@名無史さん:2009/02/09(月) 00:00:58
>>123
みんす?
129日本@名無史さん:2009/02/22(日) 13:09:19
田中優子が毎日変態新聞の書評で
小学館全集日本の歴史の朝鮮征伐の行を絶賛してるのだけど

・日本人は兵士だけでなく一般庶民を無差別に殺戮
・数万人が奴隷として日本に連行され、東南アジアやヨーロッパに奴隷として売られた

これは事実なの?
130日本@名無史さん:2009/02/22(日) 17:51:18
中国は、朝鮮半島南部については、どうでもいいと思っているフシがある。
1592年、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)を始めた際、日本の遠征軍が
漢城を落としても、当時の中国(明)は何もしなかった。が、日本軍が北上
して平壌を落とすと、中国は目の色変えて軍事介入して来た。

翌1593年、中国軍は日本軍を平壌から駆逐したものの、半島北部から
撤退した日本軍は南下して漢城で中国軍を迎え撃って返り討ちにし、
踏みとどまったため、戦線は膠着状態に陥った。ところが中国は、
半島南部を日本軍に占領されたままで(朝鮮民族の意向を無視して?)
早々と日本との講和交渉にはいってしまった。

最終的には日本軍は講和交渉決裂後、1597〜1598年の再戦(慶長の役)
を経て、豊臣秀吉の死を契機に半島全体から撤退するが、それをもって
「中国が朝鮮半島全体の確保に努力した」と解釈するのは単なる結果論
にすぎない。1597年以前の講和交渉が、中国が半島南部をいったん
「捨てた」ことを意味しているのは間違いない。

1950〜53年の朝鮮戦争の停戦交渉でも、中国は、半島南部に敵である
在韓米軍が駐留し続けることを認めたし、1992年には、在韓米軍を抱えた
ままの韓国を国家として承認し、国交を結んでいる。

これは「中国の安全保障にとって、朝鮮半島北部の確保は不可欠だが、
南部はどうでもいい」ことを意味している。
131日本@名無史さん:2009/02/22(日) 18:08:35
>>130
出鱈目。

>1592年、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)を始めた際、日本の遠征軍が
>漢城を落としても、当時の中国(明)は何もしなかった。

日本軍の進攻が速かっただけ。

>半島南部を日本軍に占領されたままで(朝鮮民族の意向を無視して?)
>早々と日本との講和交渉にはいってしまった。

講和条件は朝鮮の保全と秀吉冊封(秀吉土下座)。

>、それをもって
>「中国が朝鮮半島全体の確保に努力した」と解釈するのは単なる結果論
>にすぎない。

明軍は日本軍を半島南端の倭城に押し込んでいましたが?ずいぶん努力してるよな?

>1950〜53年の朝鮮戦争の停戦交渉でも、中国は、半島南部に敵である

たまたま現実的な妥協をしただけだが?
132日本@名無史さん:2009/02/22(日) 19:47:10
倭城に押し込んだってか、冬の寒さに日本軍が一時撤退したんだが…

まあ、押し込んだってのは間違いじゃない。
133日本@名無史さん:2009/02/22(日) 20:31:48
>>132
夏になっても出て来れず
そのまま撤退
134日本@名無史さん:2009/02/22(日) 20:39:56
>>133
この乱中雑録から抽出した一覧表と地図プロットを見れば1597年以降も日本軍は結構朝鮮の奥深くまで侵攻を繰り返しているみたいだよ?
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200805230000/
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200806010001/
135日本@名無史さん:2009/02/22(日) 20:50:54
まあ、朝鮮は全くだが明も秀吉が何をしているのか全然わからなかった
だろうな。西洋に実際に攻撃されるまで。
だからこそ支配しようとしたわけだが。
136日本@名無史さん:2009/02/22(日) 20:51:11
数十人から数百人、多い時で1000人か。
兵力的に侵攻とは言えんだろう。ただの賊か威力偵察じゃね?
137日本@名無史さん:2009/02/22(日) 20:59:04
>>124

というか結局朝鮮半島併合することになってしまったでしょ。

138日本@名無史さん:2009/02/22(日) 22:04:54
朝鮮には秀吉が攻めてくる以前から唐辛子があったという研究結果が発表されたのだが
139日本@名無史さん:2009/02/23(月) 07:18:48
別に、それならそれでいいんじゃない?
140日本@名無史さん:2009/02/23(月) 09:24:03
どう見ても山椒か胡椒の事を唐辛子だと言い張ってるだけだけどな。
あいつら漢字読めないから現代韓国語と似た発音だと文字の意味も考えず
直ぐ結びつける。
141日本@名無史さん:2009/02/23(月) 14:46:08
>>136
ならば敵は威力偵察もできずに引き籠もっていたと。
142日本@名無史さん:2009/02/23(月) 14:50:40
>>141
1598年の戦闘は城を守る豊臣軍対攻める明軍の戦いなわけだが。
じゃあ仮に明軍がどこかに引き籠もってたとして、日本は何で出撃しなかったの?
143日本@名無史さん:2009/02/23(月) 17:20:14
>>142

明軍は撃退されてから士気が低下して遠巻きに見守るぐらいになったけどね。
144日本@名無史さん:2009/02/24(火) 10:31:49
>>131
>明軍は日本軍を半島南端の倭城に押し込んでいましたが?ずいぶん努力してるよな?
これは慶長の役に入ってからでない?
押し込まれたと言うより、
講和交渉→引き上げ→決裂→再上陸→この際に朝鮮南部での拠点建設に方針転換
145日本@名無史さん:2009/02/24(火) 10:56:39
>>144
慶長の役は最初北上したんだけどその後半島南端まで撤退、
そのまま秀吉が死ぬまで籠城だよ。
146日本@名無史さん:2009/02/24(火) 15:47:59
いや、だから何度も侵攻しているんだってばよ。
レス嫁よ。
147日本@名無史さん:2009/02/24(火) 17:38:52
>>146
だからとてもじゃないけど侵攻と言えないんだってばよ。
レス嫁よ。>>136
148日本@名無史さん:2009/02/25(水) 06:37:38
>>145
講和交渉で秀吉は朝鮮南部の割譲を要求、決裂すると、前回(明討)とは異なり朝鮮南部を実力で占領しようとする。
1597年7月15日 元均水陸から挟撃され巨済島で壊滅。
1597年8月12日 宇喜多秀家以下(島津、小西、宗、伊東、藤堂、蜂須賀、毛利吉、加藤嘉、他)の左翼軍が南原城を落す
1597年8月24日 毛利秀元以下(加藤清、黒田、鍋島、池田、中川、長宗我部他)の右翼軍、全州に迫り、明朝鮮軍戦わずに逃走
1597年9月初旬 右翼軍、公州を落す。右軍の加藤清正は清州、毛利秀元、黒田長政は全議→天安を目標に別々に進軍
1597年9月7日  黒田長政、明軍と忠清南道稷山で遭遇戦、双方引き揚げる。

1597年10月初旬 慶尚、全羅、忠清の南道を席巻したが、冬の到来で日本軍は戦線の維持は無理として南下。
1597年10月10日 清正、浅井幸長ら「久留の計をなす」と決め、秀元が総奉行となり一月で蔚山城を築城、、秀元帰国する事になる
1597年10月28日 島津義弘、泗川城に入り、新城を不審。日本軍諸将は他にも慶尚南道を中心に築城
1597年12月3日  明/朝鮮軍、日本軍への攻撃を決め漢城(ソウル)に集結
1597年12月22日 明/朝鮮軍、蔚山城攻撃。不意を突かれて日本軍は混乱、西生浦の清正も蔚山城に戻る
1598年1月3日  釜山まで引き上げていた毛利秀元以下の救援軍が蔚山城南方に到着
1598年1月4日 明/朝鮮軍が最後の総攻撃を仕掛けるが落とせず撤退、日本軍の追撃を受け敗走、楊鎬罷免-戦況は膠着
           (毛利秀元、宇喜多秀家、長宗我部元親らはこの後に順次帰国?)

1598年7月    秀吉発病(全国の社寺で祈祷)
1598年8月18日 秀吉没(翌年からの再攻勢を企画していたとも)。
1598年9月    明/朝鮮軍再度の増援を得て攻勢を図る
1598年9月22日 明/朝鮮軍、蔚山城攻撃。失敗-29日に撤退。
1598年9月27日 明/朝鮮軍、泗川城攻撃。10月1日?敗退。
1598年10月1日 明/朝鮮軍、順天城攻撃。同月7日、泗川城での敗戦を知り撤退。
1598年10月15日 在朝鮮日本軍に五大老により撤退命令
1598年11月18日 露梁海戦 日本軍完全撤退
149日本@名無史さん:2009/02/25(水) 08:38:09
冬が到来したから半島南部に撤退だと言うが、
春になっても夏になっても秋になっても全然出撃できてないな。
150日本@名無史さん:2009/02/25(水) 23:04:13
日本軍が城にこもってる間に明軍は何をしていたんだ?って話だな。
城には手出しできずに押し込んだって言われても・・・
151日本@名無史さん:2009/02/25(水) 23:42:00
>>150
そもそも日本が攻め込んだんだが。
攻め込んだはずが城に引き籠もって出られないなんて・・・
152日本@名無史さん:2009/02/25(水) 23:51:35
>>151

その日本軍を何年何か月経っても追いだせないなんて…
明軍と朝鮮軍って何なの?
153日本@名無史さん:2009/02/26(木) 00:15:24
>>151
1597年末から兵力を暫時日本に戻す計画だった(秀秋には12月の初めに帰国命令)。
その隙を突かれたのが第一次蔚山城の戦い。
これで明軍が大損害を受けて撤退すると、先の方針通りに日本側も留守部隊を残して帰国した。
一方で慶尚道(一部全羅道)に恒久陣地群を形成し、兵糧その他を備蓄し、それが終わって大攻勢と言う計画だったらしい。

1598年1月17日 秀吉、明軍撤退により、毛利輝元、増田長盛らの出陣を中止
       城の防備を整えた後に残留大名以外の帰国を命令
1598年1月29日 小早川秀秋帰国
1598年3月13日 秀吉、城の強化、兵糧弾薬の備蓄も命じ、来年の大軍派遣と遼東(明)までの攻勢を通告
1598年5月   秀吉、日本へ勝手に帰国する兵の成敗を命令
       出征兵士の士気がかなり低下していたと思われる
1598年5月26日 秀吉、蔚山戦での黒田長政、蜂須賀家政らの行動を譴責、蜂須賀らは領国逼塞を命ぜられる  
       (秀秋の越前国替に伴い石田三成に筑前筑後を与えようとしたのはこの時)
154日本@名無史さん:2009/02/26(木) 00:36:48
よく分からんけど、結局攻め込んだはずが城に引き籠もってたんだろ?
何しに行ったの?茶碗泥棒?
155日本@名無史さん:2009/02/26(木) 00:39:02
>>154
これで理解出来ないなら、自分の思いと違う事を貴方が理解したくないんじゃないか?
156日本@名無史さん:2009/02/26(木) 00:49:45
思い違い?
城とっくに完成したけど出て来れなかったんだろ?
大攻勢の準備なんかいくらでも整えれたはずなのに全然駄目だったんだろ?
士気もボロボロだったんだろ?

結局ヤルヤル詐欺ジャン。
157日本@名無史さん:2009/02/26(木) 01:05:27
>>156
秀吉の個人の意志だからハッタリをかましている部分(遼東までの進出)もあるかもしれないが、
大軍の翌年の派遣は本当だと思うよ。さもなきゃ備蓄を命じない。
で、大軍が自由に行動できる兵糧弾薬を溜め込むまで攻勢に出ないというのは良くある事だと思うが?(鉄道使えた日露戦争でもあった事)

そして、仮に翌年の大軍派遣が中止になっても、朝鮮南部に日本の陣地群が維持され、そこは日本領となる。
実際に秀吉死後に残留大名だけで明軍を跳ね返してもいる。
日本側の1599年の大攻勢がなくとも、明側がどこまで朝鮮防衛のために長期に軍を送り続けられるかで、
日本と明の国力(財政)チキンレースみたいな事になり、この過程で秀吉は、再度の講和交渉で自分の要求の幾つかを明に飲ませようとしていたかもしれない。
まあ、秀吉の死で、結局日本が降りた事になったけどね。
158日本@名無史さん:2009/02/26(木) 01:18:16
大陸征服とまではいかなくても、せめて済州島と鬱陵島だけは占領しとくべきだった。
そうすれば幕末から明治にかけて半島に対する妙な興味も沸かなかったのに。
159日本@名無史さん:2009/02/26(木) 06:41:53
小西行長と宗が情報を操作し、正確に伝達しなかったので、なにをやっても無駄であったのです。
160日本@名無史さん:2009/02/26(木) 08:21:28
現地の人間が一番分かってるからね。
161日本@名無史さん:2009/02/26(木) 12:27:52

征伐だからな!

162日本@名無史さん:2009/02/26(木) 12:35:51

 倭乱でしょ?
163日本@名無史さん:2009/02/26(木) 19:09:58
>>134の資料すごいな。
どこが引き籠もっていたんだろw あ、明や朝鮮か。
164日本@名無史さん:2009/02/26(木) 20:16:16
>>156
君は戦争経済を理解しておらぬ。
165日本@名無史さん:2009/02/26(木) 21:41:20
166日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:21:37
>>163
プロフィール見たら、書いていたのは彼だったのかw
某翻訳掲示板で、この戦争語らせたら右に出るものがいない、y氏。

彼のならもう一つ、李舜臣関連で。
http://yasoshima.hp.infoseek.co.jp/

>>165
「浮浪飢餓民の襲撃や私掠行為」でない、威力偵察なら、「引き籠っている」にはならないと思うよ。
それも全羅北道、慶尚北道、忠清南北道まで進出しているなら、
慶長の役最初に進攻したあたりまで威力偵察を行っているわけだし。
167日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:33:34
>>166
わずかな偵察部隊出してるだけだから「引き籠っている」以外の何ものでもないと思うよ。
布団から指だけ出しても布団から出たことにならないでしょ。
というよりも威力偵察にしては深入りしすぎだな。ただの賊かも試練。
168日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:59:34
>>167
戦争で布団の例えは分からん。
まあ、引きこもりと言う言葉自体が煽り目的の無意味な言葉でもあるけど。
威力偵察が、敵の進攻準備、進攻そのものについての情報収集であっても、
これは取りも直さず確保した海岸部を手放さないと言う意志がある事でもあるし。
148であるように、明も蔚山攻撃を仕掛けて失敗した後に、
司令官人事も含めて増援が来るまで手出しができなかったわけで、
占めている地が大きいから「引きこもり」と言う煽り文句は使いにくいが、状況としては同じ事でしょ。

あと、奥地までの進出を記録した日本の記録ならぬ乱中雑録の趙慶男をある程度信じるのなら、
これには別の目的もあったかも。
169日本@名無史さん:2009/02/26(木) 23:21:14
よく分からんけど、城に籠もってる方と遠巻きにしてる方、
どっちが引き籠もってるかというとそりゃ城に籠もってる方だろ。
170日本@名無史さん:2009/02/27(金) 07:23:41
>>169
南原や全州に引き籠もって日本軍が来ると城を捨てたり、逃げ遅れて玉砕する朝鮮軍のことですね。わかります。

南部に引き籠もっているという評価も前線がどこにあったのか見れば理解できるのでは?
噂の李舜臣が居る水軍だって根拠地を進められずにいて攻め込まれている。
171日本@名無史さん:2009/02/27(金) 07:26:55
>>167
多少の妨害はしているが、その威力偵察さえ出来ていない明や朝鮮は?
172日本@名無史さん:2009/02/27(金) 08:37:35
>威力偵察さえ出来ていない明や朝鮮は?

ソースは?そもそも明朝鮮ははるばる威力偵察なんかする必要ないよね?
自国領なんだからw
173日本@名無史さん:2009/02/27(金) 09:19:39
>>165
>>134


お前の脳内では偵察部隊に制圧蹂躙されちゃたのは侵攻じゃないんだ?
平壌や咸鏡道まで進んだ1592年や全羅忠清慶尚道を進んだ1597年の日本の行動は侵攻じゃなかったんだ?
174日本@名無史さん:2009/02/27(金) 09:34:38
>>173
数十人数百人の「賊」が発生しただけなのに制圧蹂躙ってw
そんなんで制圧蹂躙できるんならさっさと北京まで制圧蹂躙すればいいじゃんw
175日本@名無史さん:2009/02/27(金) 15:30:35
>>172
日本の拠点から何キロも離れた地点で、やりたい放題日本の部隊に進攻されてんのになにいってんのさ?
176日本@名無史さん:2009/02/27(金) 15:33:55
>>174
戦争中でも自国領なら威力偵察が不要という考えは俺にはない斬新な考え方だな、この朝鮮頭め。
177日本@名無史さん:2009/02/27(金) 15:59:34
自領で相手がヒッキーなんだから通常の偵察でいいんじゃね?
というか偵察なんて当たり前すぎて記録にも残らんようなもんだが、
明朝鮮が偵察やらなかったってなんか根拠ある話なの?
178日本@名無史さん:2009/02/27(金) 18:24:05
自領を敵兵に闊歩されているんだが?分かる?
179日本@名無史さん:2009/02/27(金) 18:28:54
>>169
遥か離れて日本の城に近づかない明鮮軍のことか?
日本軍は年を通じて方々に出張っているのにな。
180日本@名無史さん:2009/02/27(金) 18:44:03

ageたりsageたり忙しいやつだなw
181日本@名無史さん:2009/02/27(金) 18:45:23
>>177偵察だけじゃねえだろ?漢字も地図も、年表さえ読めないのか?
182日本@名無史さん:2009/02/27(金) 19:06:43
>>180
あげ続ける奴のが忙しいとオモ
183日本@名無史さん:2009/02/27(金) 19:09:31
>>177
少なくとも日本勢に攻め込まれちゃってるの
184日本@名無史さん:2009/02/27(金) 19:09:57
むむむ・・・
185日本@名無史さん:2009/02/27(金) 19:21:59
なんだ、小西や島津だけじゃなくて水軍も踏み込んで朝鮮を悩ませていたんだ。
ヒキコモリとか願望で語ってたのは誰だよ?
186日本@名無史さん:2009/02/27(金) 21:09:03
>>134
50人100人200人で侵攻だってw
多いときでもたった1000人w

しかも捜探とか殺掠とか書いてあるし。
ようするに明軍に見つからないように
少数でコソ泥働いてたんだろw
187日本@名無史さん:2009/02/27(金) 21:16:58
鎮圧も制圧も出来ないから何度も奥地まで荒らされていたんだね。
188日本@名無史さん:2009/02/27(金) 21:46:52
見つかると恐いから小兵力でコソ泥してたんだねw
189日本@名無史さん:2009/02/27(金) 22:43:16
>>188
何か本当に難癖つけたいだけなんだな。
一応、学問板だよ。

明は増援待ち、日本は翌年の攻撃の準備。
普通は「停滞」と言うんだと思うんだがな。
そして、先に増援を受けた明が行動を開始するが、退けられたと。
その停滞中も、乱中雑録(朝鮮の記録)曰く、日本は偵察部隊を出していたのではないかと見られている。
ただそれだけの現象でしょ。

まず、軍事的な観点で君の「ひきこもり」の定義を聞かせてくれや。
双方睨み合って、その上で次の行動の為に準備をなし、偵察をしているのが「ひきこもり」と考えていいのかな?
そうなると戦史では随分と「ひきこもり」がありそうだな。
まあ、明(と言うより朝鮮か?)を恐れて日本は何も手を出せなかったと思いたいんだろうけど。
しかし、一歩も話が進まんな(明が押し込んだと言う話は撤回したのかな?だとしたら一歩前進か)。

190日本@名無史さん:2009/02/27(金) 23:14:22
>>189
いや、実際日本はコソ泥しまくって人や物掠っていったじゃん。
強盗と言って欲しいの?
>>134にも殺掠とか普通に書いてあるし。しかも動員兵力も非常に小さいし。
そのことを侵攻だとほざいてる奴についてどう思ってるのかな?
難癖とは一体何だ。自分の見たくない現実は「見えませ〜ん」かよ。

というか、日本は緒戦で攻勢に出たな?何のため?
で、突然作戦を変更して半島南端に城をつくって籠城することになったわけだ。
侵攻計画が頓挫したのかな?
なんか99年から反攻に出る予定だったとか主張してるのが居るが、
城は97年中にほとんど完成してたわけで、物資なんか九州からすぐ輸送できるわけだ。
わざわざ98年の1年間準備に費やす必要性は皆無。
ようするにただのヤルヤル詐欺。
わかる?準備などではないんだよ。無意味に籠もっていただけ。
これすなわち引き籠もり。
191日本@名無史さん:2009/02/27(金) 23:56:02
>>190
俺は彼でないけど、侵略ではないだろうね。
って、半島南部をかじり取られている時点で侵略されていないとするならその通りだが、
その資料にあるのは(侵略と言うと不正確になりそうだから)「侵攻」ではない。
朝鮮から見て捜探していたんでしょ。
で、当時の軍隊ではどこの国だあろうが、現地調達があるから、朝鮮側から見て掠も殺あったんだろうね。

>というか、日本は緒戦で攻勢に出たな?何のため?
緒戦に攻勢に出て、相手の抵抗を減じさせ、その間に足場となる拠点を作るというのも普通にあると思うが?

>なんか99年から反攻に出る予定だったとか主張してるのが居るが、
島津文書にあったと思う。

>城は97年中にほとんど完成してたわけで、物資なんか九州からすぐ輸送できるわけだ。
ゲームじゃないんだから上限があるわけでなし、月日がかかれば、それだけ城の強化は進む。
最初に蔚山城を攻撃された時に大混乱だったのが、同年秋ではそのような事がなかったのでも分るでしょ。
192日本@名無史さん:2009/02/27(金) 23:58:21
続き

>物資なんか九州からすぐ輸送できるわけだ。
どれだけの軍を動員するかはifの世界だが、食糧(コメ)は秋に収穫される。諸大名に兵糧の提供を呼び掛けても、
大軍を維持するものを即座にとはいかないでしょう(明も疲弊し始めているが、日本の大名も秀吉の道楽=淀城、伏見城、方広寺、京都大仏分の出費を含めて同じように疲弊)。
あと、これは何で読んだのか思い出せないが(学者が推測で書いたものかもしれない)、文禄の役と異なり、
明軍が意図して朝鮮南部で「一物も取らすな」と焦土作戦をやっていたとか。
これが冬だけでなく、日本軍が海岸部に退いて、拠点防御に必要と思われる以外の余分な兵力を帰国させた原因かもしれない。

あと、その資料の下の方に「慶長三年(1598)3月13日秀吉、朝鮮戦線縮小案を却下」とあるけど、
これは蔚山や順天といった突出した地点からの撤退案を却下した事だろうと思うが、
少なくとも秀吉は、ここを退かなかったと言う事で、1599年の攻撃は考えていたんじゃないかな。
逆に言えば、出征している諸将のやる気は減じていたし、この頃は秀吉の意志で引っ張られていたと言う事になるかもしれない。
諸大名を惹きつける利の部分も殆ど無いのが周知されてしまっていたし。

ただそれであっても、秀吉死後に三路南下を撃退しているのだから、大名から兵卒までの士気が崩壊していたわけではないけどね。
193日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:05:39
史実は真実にあらず
194190:2009/02/28(土) 00:16:20
御免なさい。私の言っていることは全て出鱈目です。
過ちを認めますのでもう許して下さい・・・。
195日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:25:13
蔚山城って「完成直前」に兵糧も不足の状態で大軍に攻められたから苦戦したというけど。
「完成後」も拡張繰り返してたの?

196日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:43:33
>>195
既に政治目的が重要になっている国内の城でなく、戦時中の前線の防衛拠点だから完成すると言う事自体がないんじゃない?
三木城とか高松城とか小田原城のように完全に包囲をしたのなら、(野戦陣と付城群だけど)完成したと言えるだろうけど。

蔚山城戦直後(1月)から、城の普請命令(新城の普請でなく増強)が数か月に亘って何度か秀吉から出てもいる。
あと付随して、不意を突かれた蔚山城戦の教訓から、物見を厳にせよと命令もあったから、これが上の停滞期の偵察に繋がっているんじゃないかな。
197日本@名無史さん:2009/02/28(土) 07:45:06
>>190
交渉による割地へのデモ。
また文禄の役での未制服地域へ実施力を見せて実力でも取れる所を見せた。
敵策源地の破壊と制圧による敵軍行動への掣肘と一揆分子の破壊。

1597年末の撤退も計画通りですが何か。
198日本@名無史さん:2009/02/28(土) 08:58:45
慶長の役での一時撤退は朝鮮の異常な冬の寒さを避けるためだぞ。
春になったら反転攻勢で一気に朝鮮全土を征服する予定だった。
199日本@名無史さん:2009/02/28(土) 09:07:40
1598年は秀吉が不健康で命令しなかったから攻めずに現状維持しただけ。
兵力も攻勢期から半減している。そして危機に応じて補充準備はしていた。
200日本@名無史さん:2009/02/28(土) 09:43:12
>>198
一転攻勢。アッー!
201日本@名無史さん:2009/02/28(土) 10:13:55
慶長の役の目的

1597年→制服
同年末→南部割譲
1598年→やっぱ来年から制服

目的はコロコロ変わった。
202日本@名無史さん:2009/02/28(土) 11:08:04
>>197
あっさり撤退しちゃって領土を割譲しなくても良いことを分からせてしまったわけだが。

負けたけど計画通り!キリッ!(AA略
203日本@名無史さん:2009/02/28(土) 13:35:57
どっちみちあれだけ長期間広範囲に侵入された地域は朝鮮軍の勢力範囲ではなかったと言うこと。
204日本@名無史さん:2009/02/28(土) 17:50:16
長期間って、慶長の役は冬が来るまえに即撤退で後はずっと海岸に張り付いてたんだろ?
205日本@名無史さん:2009/02/28(土) 18:04:54
よく読めよ。ここも参考になるからな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Tokugawa
206日本@名無史さん:2009/02/28(土) 18:18:40
>>204海岸から100キロ以上踏み込んでるよな?
207日本@名無史さん:2009/02/28(土) 20:16:20
>>205
なにこれ?利用者tokugawa?
208日本@名無史さん:2009/02/28(土) 20:27:28
>>203
短期間小兵力でコソコソ強盗を働いていただけじゃね?
侵入した地域が賊軍の勢力圏だったら堂々と徴発すればいいわけだが・・・。

どうみても倭の勢力圏じゃありませんでした。
209日本@名無史さん:2009/02/28(土) 20:53:21
>>202に反論が無いな
ようやく認めたか
210日本@名無史さん:2009/02/28(土) 21:03:06
>>202>>209日本は来たい時に来た、帰りたい時に帰った。朝鮮や明は?
211日本@名無史さん:2009/02/28(土) 21:14:47
日本が来たときに来た
日本を追い返して返った
212日本@名無史さん:2009/02/28(土) 21:26:10
北見たかった
213日本@名無史さん:2009/02/28(土) 22:42:10
>>208
上のyasoshima氏がまとめた資料にある、朝鮮雑録にある明と朝鮮が補足できた範囲内での、百〜千の偵察と思われる部隊の掠は、
本軍維持の為の徴発でなしに、偵察部隊の現地調達の為でしょう。

本軍維持の為の大量の徴発するには奥地に入りすぎ、奥地に入るなら人数足りなさすぎ(荷駄部隊が必要)でしょ。


214日本@名無史さん:2009/03/01(日) 12:46:22
進攻でも略奪でも偵察でも活動を許しているということにはは違いない。
215日本@名無史さん:2009/03/01(日) 19:18:26
地図見ると山岳地帯通って移動してるね。
山賊かw
216日本@名無史さん:2009/03/01(日) 19:40:41
ttp://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200805230000/

これのことか?まあ確かに山岳地帯通って移動、
平野に下りて襲撃、って感じだな。
217日本@名無史さん:2009/03/02(月) 16:16:26
>>215
本当に地図読めてるの?
基本は街道移動、小白山脈越えは要衝の峠越えをしている。

明と朝鮮は守るに易い隘路に戦線を張ることに失敗している。
218日本@名無史さん:2009/03/02(月) 18:43:05
>>217
それ賊が発見されたポイントをつなぎ合わせただけなんだが・・・。
地図読む前に本文嫁。
219日本@名無史さん:2009/03/02(月) 19:13:57
>>218なら、山岳地帯を移動したとか言っていたのを妄言だったと自白するわけだw
220日本@名無史さん:2009/03/02(月) 19:17:06
>>216>>217も両方馬鹿でいいよ。
221日本@名無史さん:2009/03/02(月) 19:28:07
>>219
え?山岳地帯の小都市で略奪働くのに山岳地帯通らずしてどこ通るんだ?
頭大丈夫?
222日本@名無史さん:2009/03/02(月) 19:48:04
>>221
道を通る。
223日本@名無史さん:2009/03/02(月) 21:06:58
間をとって山道
224日本@名無史さん:2009/03/02(月) 21:30:22
い、1日中山道?
225日本@名無史さん:2009/03/03(火) 21:20:13
まあ、ともかく自領にズカズカ上がりこまれて撃退できなかったわけで。

いくら「押し込んだ!!」「倭を撃退した!!」と言ったって
敵に拠点作られてる時点で説得力無いわ。
226日本@名無史さん:2009/03/03(火) 22:24:41
這々の体で敗走した倭人が何を言うかw
227日本@名無史さん:2009/03/03(火) 22:52:54
その倭人にあっという間に全土征服された国はどこ?
明が来るまで抵抗らしい抵抗できなかった民族はどこ?

何を言おうと実力で日本軍を追い出せなかった事実は消えないから。
228日本@名無史さん:2009/03/03(火) 22:53:50
倭人は敗北し、国も滅びた。
229日本@名無史さん:2009/03/03(火) 22:56:30
秀吉の死で撤退。
国も滅びず。

朝鮮人と同じにするな。
230日本@名無史さん:2009/03/03(火) 22:58:17
さんさんたる敗北に猿のような秀吉はショック死し、国は滅びた。
231日本@名無史さん:2009/03/03(火) 23:01:03
だから滅んでないって。

て言うかファビョるなって。
悔しいのはわかるから。
232日本@名無史さん:2009/03/04(水) 00:14:45
滅びたよ。
良心派が新政府を樹立した。
233日本@名無史さん:2009/03/04(水) 00:40:34
「明と通交する仲立ちしなきゃもっかい兵送るぞゴルァ!!」
と脅した政権が良心派?w


何を言おうと実力で日本軍を追い出せなかった事実は消えないから。
234日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:00:55
何と強弁しても倭人が族長の敗死で潰走・滅亡した事実は変わらないよ。
235日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:21:31
>潰走

何度も明軍を撃退しています。
劣弱な朝鮮軍と同じにしないで下さい。

>滅亡

国は滅びてません。
何度も王朝が交代している朝鮮と同じにしないで下さい。
236日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:41:42
>>235
>潰走
潰走して倭列島まで漂流していったではないか。

>滅亡
猿王朝は良心派勢力に滅ぼされた。
237日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:46:42
>潰走して倭列島まで漂流していったではないか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%BE%81%E4%BC%90
計画通りの撤退です。
どこも統率が乱れてません。

>猿王朝は良心派勢力に滅ぼされた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%9C%9D
秀吉は王ではありません。
中国の皇帝にすがるしか無かった朝鮮王朝と同じようにとらえないで下さい。
238日本@名無史さん:2009/03/04(水) 13:48:29
>>237
>計画通りの撤退です。
>どこも統率が乱れてません。

大敗を喫し、総大将のゴザブネまで撃沈されて逃走したのが計画通りなの?
倭人の統率ってすごいんだね。

>秀吉は王ではありません。

ゴメンゴメン。倭王の臣下だったね。倭王ってあまりにもショボ過ぎるから存在忘れてたよ。
倭王は臣下の猿吉にご飯恵んでもらって飢えをしのいでたんだっけ?
239日本@名無史さん:2009/03/04(水) 19:41:45
>大敗を喫し、総大将のゴザブネまで撃沈されて逃走したのが計画通りなの?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6
露梁海戦の事を言ってるなら、李舜臣がマヌケ面さらして殺されております。
しかも日本軍は予定通りの撤退。
アホらしww


>ゴメンゴメン。倭王の臣下だったね。

倭王なんて日本にはいません。
いるのは天皇です。
万年属国の朝鮮と同じにしないで下さいww
240日本@名無史さん:2009/03/04(水) 19:45:42
>>239
>しかも日本軍は予定通りの撤退。

ここ笑うとこ?敗走が予定どおりってw

>いるのは天皇です。

ウソつけw倭王もしくは日王だろw
241日本@名無史さん:2009/03/04(水) 19:54:56
>ここ笑うとこ?敗走が予定どおりってw

日本軍は予定通り撤退してますが何か?
明・朝鮮軍が海上封鎖できず、撤退を防げなかったじゃん。

>ウソつけw倭王もしくは日王だろw

中国皇帝に任命してもらう「王」なんかいませんよ。
朝鮮人じゃあるまいし。
242日本@名無史さん:2009/03/04(水) 19:56:54
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE

朝鮮人はいつも中国皇帝から位を任命されていました。
だから「天皇」がいる日本が憎くて「倭王」などと嫉妬丸出しでなじるのです。
243日本@名無史さん:2009/03/04(水) 20:15:08
>>241
>日本軍は予定通り撤退してますが何か?

総大将のゴザブネも撃沈される大敗北だったわけだが。
まあ予定通りの敗戦だったんだなw

>中国皇帝に任命してもらう「王」なんかいませんよ。

所詮東夷、王すらいなかったのかw
244日本@名無史さん:2009/03/04(水) 20:24:49
>総大将のゴザブネも撃沈される大敗北だったわけだが。

だから、ご自慢の李舜臣も死んでますよ?

>所詮東夷、王すらいなかったのかw

残念なことですが、あなた方朝鮮人のご主人様にとってはあなた方も東夷ですよ?
まあ、あなた方に「天皇」の概念はわからなくてもよろしい。

所詮は中国の万年属国、王止まりですもんね。
245オレオレ:2009/03/04(水) 20:27:22
茶道が流行ったのはこれ以後だって話はどうなったんだっけ。
246オレオレ:2009/03/04(水) 20:28:47
アッタコッチで忙しいもんでさ〜
247オレオレ:2009/03/04(水) 20:30:45
ノリキューが秀吉の時代だもんな。陶工拉致って来たりしてさ。
248日本@名無史さん:2009/03/05(木) 17:52:54
「再造藩邦志」
二十四日悉衆發還、提督入其城。行長已出外洋矣。捜出首級、我國(朝鮮)被據人、
散處山谷者、並被斬殺。行長所送質六人亦被斬殺、以充首級。以金字大書西路大
捷四字、飛報軍門。人皆不直之。

二十四日。衆を悉して發還し、提督其城に入る。行長已に外洋に出づ。首級を捜
出し、我國(朝鮮)の被據人、散じて山谷に處《を》る者、並に斬殺せらる。行長
の送る所の質六人も亦斬殺せられ、以て首級に充つ。金字を以て西路大捷の四字
を大書し、軍門に飛報す。人皆之を直とせず。


日本軍の勝ち取った首級を捜し出し、朝鮮人捕虜を殺し、日本軍が軍属として使
役していた朝鮮人を殺し、行長が人質として送付した六人を殺し、夫れを功績に
充当して「西路大捷」と嘯く。

朝鮮人なんて、そんな程度。

抑々露梁津海戦も小西行長が「撤退するし、武器置いていくから収めてね」と陳
・李両将と妥協が成立し、少ない食料をフル動員して歓待したというのに、撃滅
しようと待ち伏せし、行長を迎えに来た泗川から向かった島津義弘を撃った話で
あって、媾和の約束も碌に守れない土人だったという実証でしかない。
249日本@名無史さん:2009/03/05(木) 18:17:54
>>248
言い掛かりを付けて突然侵略してきた倭人が何を言うかwwwww
250日本@名無史さん:2009/03/05(木) 19:41:59
>>249

ハ?
元々日本の属国だったくせに何言ってるんだか。
生意気な属国には制裁が必要でしょ?
251日本@名無史さん:2009/03/05(木) 20:30:30
日本は韓国に3分割されて植民地統治されていたらしいぞ。
学校で習った。
252日本@名無史さん:2009/03/05(木) 21:00:37
逆逆。

日本が韓国を三分割して支配したんだって。
百済と新羅と任那って知らない?
アレ全部倭人が作ったんだよ?
253日本@名無史さん:2009/03/05(木) 21:42:51
>>251
そのまえは漢の奴隷だったらしい。
漢の倭奴国王

いちおう王号は許されていたようだがしょせん倭奴。
っていうか人じゃないからニンベン取って委奴だっけ?
254日本@名無史さん :2009/03/05(木) 21:47:24
王号すら許されずに漢の一領土になっていた朝鮮wwwwwww
255日本@名無史さん :2009/03/05(木) 21:51:21
朝鮮は中国の領土になると嬉しいんだよね

だからさもう主権を中国に献上しちゃいなよ
ハングルも捨てて国も捨ててミサイルも献上して中国朝鮮自治区になれ
256日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:15:49
倭人は中華の臣下にしてもらえなかったの?
可哀相・・・
257日本@名無史さん :2009/03/05(木) 22:21:48
中華の臣下になりたいニダwwwwwwwwwww
258日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:23:05
んー
朝鮮人は嘘を教えてられるわけだね。
恥をしれよ

恥ずかしくないの?
259日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:24:53
>倭人は中華の臣下にしてもらえなかったの?


ここに朝鮮人の世界観が現れているな。
中国を至上とするものの見方。

日本人の俺には理解できんよ。
260日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:28:37
倭人に天朝のことなど分かるわけがないw
261日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:29:38
ちょwww
今時天朝wwww

釣りもほどほどにな。
262日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:49:13
ちょwwwwwwwwwwwww
キムチくせースレ何これwwwww
バカコリアが顔真っ赤にして何言ってんだwww

263日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:50:17

レス見る限りこいつが一番必死な件
264日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:53:13

お前も必死なだなw
265日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:04:39
落ち着いて日本語入力しろw
266日本@名無史さん :2009/03/05(木) 23:10:46
ネットキムチホイホイスレ
267日本@名無史さん:2009/03/17(火) 17:18:49
268日本@名無史さん:2009/03/18(水) 15:48:25
269日本@名無史さん:2009/03/27(金) 22:21:35
なんで朝鮮征伐って矮小化した言い方するの?
これって当時は、唐陣とか、大明征伐ていってたでしょう。
そもそも、秀吉はモロコシの征服をもくろんだんだから。
後用成天皇を北京に移し奉り、八条宮を日本天皇としようとしたでしょう。
270日本@名無史さん:2009/03/27(金) 23:24:00
朝鮮半島を領有していた時期に、
朝鮮人に気を使って「朝鮮出兵」って言い方を
やわらかくしたらしい
それまでは唐入りとか朝鮮陣、
幕末から明治初期は朝鮮征伐、征韓になったとか
271日本@名無史さん:2009/03/28(土) 09:31:16
>>269
サルキチは大風呂敷広げて攻めこんたが実態はどうだったんだ?
征伐wするはずだった明軍に朝鮮であっさり押し返されたわけだが?
そんなの大明征伐wとか呼んだところで惨めなだけだろw
272日本@名無史さん:2009/03/28(土) 09:37:47
>>271
ホラを真に受けるなよ。
273日本@名無史さん:2009/03/28(土) 13:11:36
あのね、文禄の役は“唐入り”、慶長の役は“朝鮮征伐”だよ
274日本@名無史さん:2009/03/28(土) 18:49:02
>>273
両方とも倭乱だな
文禄の役は“壬申倭乱”、慶長の役は“丁酉倭乱”だよ
275日本@名無史さん:2009/03/28(土) 22:17:07
大明征伐は、真の総司令官不在で攻め込んだから、猛将がスダンドプレー
で各自かってに攻め込んだって感じじゃん。
もし、秀吉か家康が総司令官として攻め込んでたら、
歴史は変わってたかもなあ。家康に大軍をまかせるなんて、
ありえないけど。

当時の日本に10万以上の大軍を率いることができる実力者って
秀吉のほか、家康しかいないんだよな。No2の利家でもせいぜい5万。
276日本@名無史さん:2009/03/29(日) 10:46:47
何故大軍の将をお送りにならないのか?秀吉公が無理なら徳川殿はたまた私黒田官兵衛か!!!

 らしいけど朝鮮に行ってたよね?将として働かせてくれなかったの?
277日本@名無史さん:2009/03/29(日) 13:06:32
サボって囲碁で遊んでたら三成くんに怒られました
278日本@名無史さん:2009/03/29(日) 21:20:08
信長は、多方面作戦で20万
秀吉は、九州征伐で25万、小田原征伐で22万
家康は、大阪の冬の陣で30万、動かしてるね。
279日本@名無史さん:2009/04/01(水) 09:43:44
>>276
もともと黒田如水は秀吉政権内では冷遇されてる。
両者が密接だった時期は史実からは播磨攻略くらいしか見出せない。
280日本@名無史さん:2009/04/01(水) 12:57:56
黒田はかなり厚遇されてるよ。
外様の一土豪から大した功もないのに大名にまで大抜擢された。
281日本@名無史さん:2009/04/01(水) 13:10:23
出兵した大名の領国では、重税と軍役のため塗炭の苦しみに陥ったところも少なくない。
軍費のために莫大な借金こさえたりな。
徳川が出て、ほか大名と同じように疲弊していたら歴史は変わっただろうな。
本人は、箱根以降はだれが守るんだ、といって最初から出兵する気なんかなかったようだが。
282日本@名無史さん:2009/04/01(水) 14:11:01
関ヶ原の戦いの主力となった大名は少なからず朝鮮に出兵してるわけだが。
もともと日本は長年内乱やってたんだし、ちょっと朝鮮攻めたくらいでさほど疲弊しない。
283日本@名無史さん:2009/04/01(水) 15:40:51
朝鮮出兵に関しては、反省すべき対象として否定的に描くため
どこかに困窮話が転がっていたらそれが誇張される傾向にあるね。
大名の借金や庶民の困窮とかね。
でもよく考えたら大名の借金や庶民の困窮なんかは朝鮮出兵時に限ったこと
ではないし、それどころか平和な江戸時代でさえ各大名は借金まみれだった
し、庶民の困窮話も全く珍しくはなかった。

つまり朝鮮出兵の研究者の多くがやってることといえば、大名の借金や庶民
の困窮や戦場の武士の苦難話をひたすら強調して、いかに否定的印象を与え
るかの作業って感じだな。

それとは反対に日本軍が明・朝鮮軍をやっつけるシーンはひたすら隠すか矮
小化するね。
そうでないとエセ研究者たちがでっち上げようとする日本軍がコテンパンに
負けて帰ったっていうストーリーが描けなくなるから。

まあ俺も以前はエセ研究者の書いた本を読んで洗脳されてた口だけどw
284日本@名無史さん:2009/04/01(水) 16:15:35
日本人は反省するってのに酔っちゃうからな
分析は嫌い
つまり反省するフリ
285日本@名無史さん:2009/04/01(水) 16:33:09
朝鮮出兵では、武将同士が争ったり。石田三成はじめとする秀吉側近と実戦指揮官が軋轢起こしたり、その後の豊臣政権を崩壊させる伏線がいくつも発生したからね。
元々朝鮮出兵には大義も合理的理由もなかったし。
286日本@名無史さん:2009/04/01(水) 16:41:37
元々豊臣政権下自体が、旧来の時代と比べて重税だったからな。
出兵費用、その間にもやれ城が焼けたから建て直しだ、とか賦役も中断されなかったし。
国内の、領国の内外で繰り広げられたのとは負担は比較できないぐらいだろう。
農村の離散がざら、というのは戦国期でもよほど重税かけた大名にしか起こらなかった現象なのに。
287日本@名無史さん:2009/04/01(水) 16:57:29
>>281
宇喜多騒動の原因も出兵で疲弊した領国をどう立て直すか、の方針争いが理由の一つだっけか
288日本@名無史さん:2009/04/01(水) 19:50:11
当時のことだから、異国の地へいくだけでも大事だっただろうしね。
渡海のための舟を仕立てる費用とかも、ほとんど自弁でしょ。
289日本@名無史さん:2009/04/01(水) 21:00:44
>>285-286
要は石田三成が諸悪の根源だったわけだ。
豊臣政権下で無為無策の数々で暗黒時代を築き
唐入りでは利己主義な讒言で諸将の足を引っ張り唐入りが失敗する原因となった
290日本@名無史さん:2009/04/01(水) 21:52:47
>>289
全然違うだろ。元凶は攻撃したこと自体。
異国を継続して占領する負担だってバカにならん。勝ったとしてもやっかいなことになりかねない大愚策だったんだから。
291日本@名無史さん:2009/04/09(木) 18:46:53
>>290
別に異国も四国や九州レベルなら問題ないわけで、やってみないとわからんこともあるし、それから手を引けば良い。
そんで実際にそうしたわけだ。
自慢気味に君の考えたことぐらい、四百年前から考え済み。
292日本@名無史さん:2009/04/09(木) 19:57:27
>>291
いや異国を九州レベルとかいってる時点で君、いかれてるから。
293日本@名無史さん:2009/04/09(木) 21:41:21
>>290
思いますに、
イケイケどんどんで成長を続けた織豊家臣団の忠誠は、
成長を続けることで維持されてた面もあったわけで。

一度どこかで大きく失敗するまで、
現状維持・文官中心には舵を切れなかったのでは。

ライブドアとかユニクロとかでもある話でしょ。たぶん。
294日本@名無史さん:2009/04/09(木) 22:35:16
家康が武断派を冷遇して、文治派を重用した例はそういうことだろうね。
必ずしも豊臣家の失敗から教訓引き出したとも限らんけど。
295日本@名無史さん:2009/04/10(金) 03:35:22


ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」

パステルス「日本スペイン交渉史」
296日本@名無史さん:2009/04/10(金) 09:34:50
>>292
少なくとも現地の朝鮮人や中国人は日本よりレベルが上の国だと思っていたわけでしてw
まあ朝鮮が東北並みに寂れていたレベルで済んでいたら征服は成功しただろうね。
297日本@名無史さん:2009/04/10(金) 10:50:19
倭猿最弱伝説w

白村江の戦い→わずか7000の唐軍に惨敗

刀伊の入寇→撃退したと主張するも実際は掠奪、拉致を完了した女真族が帰国しただけ
(壱岐では住民が35人に激減)
一部の女真族が高麗を攻撃したが、高麗水軍に敗れ拉日致されていた日本人を解放帰国させた

文永の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
暴風雨により帰国していただく
日本側大勝利を喧伝するも海路侵攻にも関わらず敵の高級将官を一人も捕虜に出来ず

弘安の役→対馬、壱岐で惨敗たやすく制圧される
前回より兵力は多かったが、多くは武器より農具を多く持ち込んだ旧南宋の老兵
暴風雨により帰国していただく
今回も日本側大勝利を喧伝するも日本側に捕虜にされた将官は皆無

応永の外寇→いとも簡単に朝鮮軍に対馬を占領される。日本は朝鮮に朝貢すると土下座してお帰りいただく

コシャマインの乱、シャクシャインの乱→アイヌモシリ侵略しようとしたらアイヌの土人にボコられる。騙し討ちでなんとか事なきを得る

秀吉の朝鮮侵略→中国制圧という戦略目標はおろか、朝鮮制圧も達せず、長い年月と多額の費用、 多数の犠牲を出し敗北撤退 多数の犠牲を出し敗北撤退

下関戦争→わずかな水兵が上陸しただけで長州兵は恐れを成して砲も破壊せず遁走
連合軍は無傷の砲を多数捕獲

薩英戦争→英艦隊に圧倒され敗色が濃かったが、英艦隊が砲弾が少なくなったため、撤収
薩摩側は完敗を認め賠償金支払い
298日本@名無史さん:2009/04/10(金) 12:17:48
>>297 古代から日中の衝突は朝鮮を戦場にしている点で朝鮮が最弱であることが
分かる。

 現在は米中露の戦場だが。
299日本@名無史さん:2009/04/10(金) 14:14:43
戦場にされたかどうか、は地政学的な問題からだろ。なぜ学問板にまで嫌韓わ沸くんだ?
相応しい板はたくさん他にあるのにさぁ。
300日本@名無史さん:2009/04/10(金) 15:23:53
争場はそもそも大義も相無き軍事、国を離る事数千里、仮令勝利をうるといえども繁々満目皆敵ナリ。長陣寒気到来なるや、
寒気凛冽その地広大、期風天日を覆うと聞き及ぶなり。向こう所の我国の軍兵その征衣薄きなり、
万里の辺地に兵糧続かず寒死を免れずなり。おもえば空恐ろしき事に候。

関東北越の三百余万石を在国せしめ、九州、四国、中国の諸将を始め御一門衆、譜代衆の費えは
豊家衰落の禍とも成り難き軍立に候わずや

(細川幽斎)
301日本@名無史さん:2009/04/10(金) 17:04:04
>>297にも言ってやれよ
302日本@名無史さん:2009/04/10(金) 23:47:39
豊臣秀長の言うとおりにしておけば……
所領第一の大名が、馬鹿な戦辞めろ挙げる領土がいるのなら俺の土地もってけ、とまでいったのに。
303日本@名無史さん:2009/04/11(土) 08:57:35
まあスペインに好き勝手させないための脅しとしては効果てきめんだったし

むしろ明への派兵がなかったら明はどうなってたか
304日本@名無史さん:2009/04/11(土) 13:25:36
その代わり自滅に近い形で倒れたけどな。豊臣政権自体は。
明の場合、暴君が出て贅沢と出費やりまくったのが原因だから、
日本の出兵もあまり関係なさげ。
305日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:52:39
屈大均「広東新語」
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して退がらない。
こちらが何人いようと対応される。
日本列島の者だけの絶技である。
306日本@名無史さん:2009/04/14(火) 17:10:11
【神風なしでも】高麗史を読む【超楽勝】 | 伝統文化・伝統芸能

No.1594234 投稿者: jpn1rok0 作成日: 2007-03-04 19:44:32 閲覧数:5097 推薦ポイント:7 / 0

『高麗史 列伝巻十七 金方慶伝』を読む

このスレは、高麗史の記述を元にお送りします。

金方慶さん、danbokkと同じ安東金さんです。
この時点でろくなもんじゃありませんw。
その祖先は新羅敬順王の遠孫であるらしい。
ホントかどうかしらんけど。

1 頭角を現す金方慶
金方慶さん、モンゴルの手先になって済州島のゲリラ討伐なんかもやっちゃいます。
このゲリラ討伐で出世していますね。
もちろん、三別抄狩りです。
誇らしい三別抄、高麗史では「賊」です。
韓国人はモンゴルに抵抗した三別抄と高麗の日本侵攻の双方を同時に誇りますが、
三別抄を誇るなら、日本を攻撃した高麗はモンゴルの奴隷、
日本を攻撃した高麗を誇るなら、三別抄は糞ゲリラです。
僕はどっちでもいいよ。
<#`д´>かんしゃくが裂けますね!高麗は40年モンゴルに抵抗したの!
( ´H`)y-~~してません。三別抄はモンゴルじゃなくて高麗軍と戦ってます。
307日本@名無史さん:2009/04/15(水) 03:10:44
2 文永の役(第一次侵攻作戦)
この後、モンゴル皇帝フビライが高麗に日本侵攻のために船を造れと命令(命令ですよ、命令。)しますが、
費用も資材もなく、工期にも間に合いそうになく、国家の大問題となります。
それもこれも、人質だったころの忠烈王が、自分が帰国したい一心でモンゴル人のコスプレまでして
「私を帰国させてくれたら日本に聖なるモンゴルの偉さを教えてあげます〜帰国させてください〜頼みです〜」
と媚びたツケが回ってきたものです。
そんなこんなで、工費も工期も資材も半端な900隻のボロ船艦隊が完成しました。
乗り込んだのは蒙漢軍(ほとんど中国北部の中国人でモンゴル人はほとんどいない)25000名、
高麗軍8000名、水夫6700名(船大工をそのまま水夫として徴用)、
合計約40000名の安っぽい侵攻部隊のできあがりです。
308日本@名無史さん:2009/04/15(水) 03:12:51
ボロ船艦隊は合浦を出航し、対馬・壱岐を襲撃します。
壱岐・対馬では数にものを言わせて占領しますが、日本本土に到着すると状況は一変します。
武士ツヨス。
高麗軍は奮戦して、夕方には戦闘が一段落します。
というか、高麗軍は割とボロボロです。(参考:元史では「盡矢(矢が尽きた)」と表現されている。)

そこで作戦会議です。
金方慶は総司令官の忽敦と隣接部隊の司令官である洪茶丘 に「我が軍は劣勢とはいえ、
敵の領土に入ることが出来たのだから、戦うべきです。
船を焼き払い、背水の陣をしいて、もう一度戦いましょう。」と口先だけで勇ましいことを言います。
総司令官の忽敦は「あのねえ、孫子が〈小敵の堅、大敵の擒〉って言うようにね、
味方の敗残兵(原文:疲乏之兵)をかきあつめてもさ、
どんどん増強される優勢な日本軍(原文:敵日滋之衆)と戦っても勝てるわけがないでしょ。
退却するしかないよね。」
と金方慶の無謀な案を一撃で却下します。

もう一人の指揮官、復亨はその日の戦いで矢に当たって重傷を負い、
既に船に逃げ帰っていたので作戦会議には出席していないです〜。
こうして「全軍退却(原文:遂引兵還)」が決定したわけでございます。
橋頭堡も確保できずに上陸作戦失敗。
この時点で、元・高麗軍の敗北決定。
敗戦。
日本軍の勝利確定。

そうして船に逃げ込んだ日の夜、折からの暴風雨でボロ船艦隊は粉々になります。
暴風雨に遭った時点で、既に戦争に負けて逃げ帰る途中だったのだね。
309日本@名無史さん:2009/04/15(水) 14:00:48
他所の掲示板で論破されたからって、こっちにコピペして賛同者でも集めているのかw
スレタイ嫁や馬鹿が。
310日本@名無史さん:2009/04/16(木) 02:39:35
>>297に言ってるんだよね
311日本@名無史さん:2009/04/16(木) 02:51:08
>>304
まあスペインに占領されて植民地にされるよりは自滅のほうが
日本としてはマシだよね
徳川ふくめ有力大名はほかにもいる状況だったわけだし
312日本@名無史さん:2009/04/16(木) 13:01:48
>>297=>>299=>>309
コピペをコピペで返されて涙目らすい
313日本@名無史さん:2009/04/16(木) 18:52:57
で、何で李氏朝鮮には神風が吹かなかったの?
314日本@名無史さん:2009/04/16(木) 20:46:48
>>232
良心派wwwアホスwww
一度、朝鮮学校の教科書見てみたいもんだ(笑)
315日本@名無史さん:2009/04/17(金) 04:47:40
慶長の役に臼杵藩主太田飛騨守一吉の侍医として従軍した僧慶念の陣中日記
『朝鮮日々記』には、興味ぶかい記述がみられる。彼は、一五九七年六月釜
山に上陸、翌九八年二月に帰国するまでの見たまま感じたままのことを、宗
教家の良心に基づいて詳細にかいている。
316日本@名無史さん:2009/04/17(金) 05:06:49
 それによれば、日本に連行された朝鮮人には、兵隊に捕えられ
たものと、奴隷商人によって売られてきたものとがある。彼らは
日本国内で生じた労働力の不足を補充し、奴僕としてこきつかわ
れた。奴隷商人の手で捕えられた朝鮮人の多くは、ポルトガル商
人の手で南洋各地に売りとばされた。慶念は一五九七年十一月十
九日付の日記にはつぎのように述べている。
317日本@名無史さん:2009/04/17(金) 06:06:13
 「日本よりも万(よろづ)のあき人(うど)もきたりしなかに、
 人あきないせる物(者)来り、奥陣(おくぢん)よりあとつき
 歩き、男女老若(らうにやく)買い取つて、縄(なは)にて首
 をくくりあつめ、さきへおい立て歩み候はねば、あとより杖に
 て、追立て、打はしらかすの有さまは、さながらあほうらせつ
 の罪人を責(せめ)けるも、かくやと思ひ侍(はべ)る。……
 ……かくの如くに買あつめ、たとへば猿(さる)をくくりてあ
 るくごとくに、牛馬をひかせ荷物もたせなどして、せむるてい
 は、見る目もいたはしくて有(あり)つる事也」
また、他の個所ではつぎのように述べている。
318日本@名無史さん:2009/04/17(金) 08:25:54
  「皆々やきたて、人をうちきり、くさり竹の筒(つつ)にてくびをしバり、
  おやは子をなげき、子はおやをたづね、あはれなる躰(てい)、はじめてミ
  侍(はべ)る也」(八月七日)
  「高麗人(かうらいじん)〔の〕子供をバからめとり、おやをばうちきり二
  (ふた)たびとみせず、たがひのなげきハさながら獄卒(ごくそつ)のせめ
  なりと也。あはれなり、してふのわかれ、是かとよ、おや子のなげき見るに
  つけても」
 悲惨といおうか、凄絶といおうか、まさにこの世の地獄にほかならなかった。
朝鮮の民衆をこのような不幸のどん底におとしいれたのは、いうまでもなく、日
本の侵略戦争のためであった。現在にいたるまで朝鮮人が壬辰倭乱に怨念をいだ
くのも、無理ないであろう。
319日本@名無史さん:2009/04/17(金) 10:20:11

いいとこなしの朝鮮軍


倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである"武藝圖譜通志"


天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。"朝鮮王朝宣祖修正実録"

賊(武士)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。 "懲録"

320日本@名無史さん:2009/04/17(金) 10:21:15
中国側の記録「明史」の記述

 「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
 「我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった」
321日本@名無史さん:2009/04/17(金) 10:38:27
>>276
順番が来る前に秀吉が死んだから
徳川は第十六軍、実際渡航したのは第九軍まで。
つまり秀吉が生きてれば派兵していたことになる。
322日本@名無史さん:2009/04/17(金) 20:28:56
秀忠の出陣計画はあったのにねぇ。
323日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:59:06
実際渡航して戦ってる大名のメンツを見ると
九州、四国中国がメインだからね。中央集権じゃないと対外戦争ってキツイと思う

>>305
中国の沿岸部で倭寇にボコボコにされてた中国の一般兵と
西日本連合軍が半島で戦った中国軍は質が違う。

半島の救援には世界最強クラスの満州騎兵を抑え込んでた
中華最強軍が投入された。
九州出身の兵隊には倭寇してた連中もいただろうから
さぞかしその中華最強軍の強さにビビったと思う。
そりゃ戦線も膠着するわな。
324日本@名無史さん:2009/04/21(火) 09:04:00
>>323
そのご立派な明軍(朝鮮軍も付属)は碧蹄館や蔚山や泗川で大破されてシオシオプーでしたが?
325日本@名無史さん:2009/04/21(火) 10:23:35
日本軍Tueeeee!!!
326日本@名無史さん:2009/04/21(火) 10:43:34
>>323
つまりおまえはこの手の話の言い訳の定石である

「当時の平和な明軍は弱かったので武士が圧勝してても日本が強かったわけではない」

を使わないわけだね?
なかなか高尚な心がけだな
327日本@名無史さん:2009/04/21(火) 11:41:29
要するに少なくとも質では日本がアジア最強だった訳だな
328日本@名無史さん:2009/04/21(火) 12:56:45
李シュンシンには連戦連敗、平壌では潰走し、土下座して日本国王に冊封してもらい、
さらには明軍を恐れて半島南端で引き籠もってたけどな。
329日本@名無史さん:2009/04/21(火) 13:25:22
>>328
李なんとかって、戦局になんら関係ない小規模戦闘でそこそこ立ち回った猛将かね
結局陸海共同進行戦略の前に成す術なく引きこもった、ちょっと骨のある雑魚だろ?

冬を越すためと、分散戦力を集中させるために平壌を捨てたら
明軍は見事に釣られてそのまま南下して日本軍にボコボコにされ、割に合わないと明の方から秀吉に
「朝鮮の南部はやるから明の顔を立てて撤退して下さい」と泣き付き
朝鮮の深部まで日本軍が寡兵で堂々闊歩してたのに、出ていったらボロ負けするからと引き籠ってたのは明軍

日本軍は兵糧貯めてただけ。で、秀吉が死んだからそのままやる気無くして帰った

撃退など一度として出来てないんだよw明側は
330日本@名無史さん:2009/04/21(火) 17:51:20
平壌で惨めな惨敗、後詰め部隊は敵前逃亡、漢城も危うくなると
和を乞うて半島から逃亡、日本国王の座はかろうじて安堵される。
降伏の約束を反故にして再度攻め込むが、官軍が迫るとまたも逃亡w
半島南端で引き籠もりw

我々倭人は劣等だ・・・ orz
331日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:16:18
立花宗茂と小早川隆景には
朝鮮人を絶滅して欲しかったな
332日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:21:40
>>330
嘘をつくなよwww馬鹿糞白丁www
碧蹄館で粉砕された明軍www
逃げ惑い役に立たない朝鮮軍www
日本は「降伏」もしてないし
日本国王の冊封も受けてないしwww
李舜臣は途中で死ぬしwww
秀吉が死んで兵を引上げただけだわwww
家康が関ヶ原の余勢をかって半島に
攻め入ってれば
今頃確実に半島は日本領wwwwwww
333日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:30:01
戦えない朝鮮軍www
立花宗茂に粉砕されて「戦争怖いよ」と
泣いて逃げ帰ったwww李如松
朝鮮族らしいなwww

特定アジアの馬鹿どもは
今も昔も使えねぇなwwwww
334日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:43:16
しかし李如松さんは「倭人30人で女真1人と互角」と言ったとか。
335日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:08:10
>>328
もちつけ
それと漢字を憶えてから来い
336日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:32:20
明厨は世界史板、軍板と居たたまれずに今度は日本史板に逃げてきたのか?
カエレー!
337日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:54:00
だって、地続きで国土も日本より圧倒的な明軍が、海を挟んで侵攻してる日本軍にボロ負けしたなんて驚きだもの
明軍弱すぎ&日本軍強過ぎ

まあ、内乱終結直後で猛者が大量にいて、秀吉による中央集権型新体制が完全に機能してる時期だから、日本軍の質が高いのは当然かね

それにしても明軍は弱すぎたが
338日本@名無史さん:2009/04/21(火) 20:45:01
>>334
それ、李如梅だろ。w

しかし中文のWikipediaにないのに、日本語版の李如梅には書いてあったりするねぇ。
出典はナニでどういう文脈での話なのか気になる。

誰か知ってる人いるかな?
339日本@名無史さん:2009/04/21(火) 23:56:34
>>327
> 要するに少なくとも質では日本がアジア最強だった訳だな

平原で騎馬民族に襲われるとヤバイんでは。

もっとも、
内戦で鍛えられた第一級の上級・中級指揮官がそろってるし、
日本国内の動員力もとてつもないから、
2,3度負けた後には対策を編み出すとは思うが。
340日本@名無史さん:2009/04/22(水) 05:28:14
>>339
元寇のときは逆に日本が騎馬集団で圧倒した形になってたが戦国時代だと騎馬の大量導入は廃れてるから
最初は苦戦するだろうね

341日本@名無史さん:2009/04/22(水) 05:31:10
>>340
戦国時代だと鉄砲大国になっているから、何も無い平原で会戦とかしない限り、
滅多なことでは負けないのでは。
342日本@名無史さん:2009/04/22(水) 05:33:04
ただ、こんなのもあるから、戦場と作戦次第ではそんなに苦労せず対応できるかもしれんが…

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

↑騎馬軍団に徒歩で圧勝してる…
まあ刀で突撃掛ける前に鉄砲で足を止めてるんだけど
343日本@名無史さん:2009/04/22(水) 05:59:23
日本の主力兵器は槍だった、刀なんかただの飾りだった、と主張する厨がいるけど、
日本の主力兵器は日本刀だったと言うことがよく分かる記述だよね。
344日本@名無史さん:2009/04/22(水) 07:16:02
ヒント、槍襖。
何故、騎兵が廃れたか考えよう。
345日本@名無史さん:2009/04/22(水) 07:23:23
ていうか、足軽と鉄砲隊のレベルからすればちょっとしたテルシオ隊形だってやるだろう
そこに、更に強力な重・軽歩兵があり、竜騎兵のような兵科だっている。騎馬鉄砲隊な。むしろ神聖ローマのライターか
平原での騎兵が日本相手にそこまで優位に働くとも思えないな。長篠が再現されるだけという可能性もある
346日本@名無史さん:2009/04/22(水) 09:24:49
乗馬突撃も最初のうちは奇襲効果がありそうだけど、すぐに対策されそうだよね。
それに朝鮮は日本以上に山がちで平原が僅かだし。
347日本@名無史さん:2009/04/22(水) 09:46:27
もともと槍は訓練されていない足軽集団が騎馬武者に勝つために使うもんだろ?好餌。
348日本@名無史さん:2009/04/22(水) 10:07:37
西洋の鎚金床戦術と重騎兵があればまた違うかもしれんが、ただ騎兵があっても勝てないだろう

むしろ明は火器に頼るべきじゃないのか?単純保持数では最多だろ?確か
349日本@名無史さん:2009/04/22(水) 22:45:28
騎馬民族のオール騎馬弓兵ドクトリンは、独特のいやらしさがあるぞ。

長篠やアジャンクールみたいに、
柵や槍衾で固めてるところに突っ込んだりせんだろ。

遠巻きにして毒矢を射こんで、
敵が我慢できずに突っ込んできたり逃げ出したりしたら、
隊列が崩れたとこから削っていく。

敵が我慢しきって隙を見せなければ、無傷で退却してより弱い敵を捜す。
350日本@名無史さん:2009/04/22(水) 22:50:54
その前に鉄砲で散々に追い散らされる気がするのは気のせいだろうか

つーか弓騎馬は厄介っちゃ厄介だが、飛び道具の撃ち合いをやれば歩兵のが最終的には100%勝つからな

投射力の桁が違うから
351日本@名無史さん:2009/04/23(木) 05:20:44
馬鹿だな。飛び道具には射程というものがあるんだよ。
射程の長い方が勝つんだよ。
352日本@名無史さん:2009/04/23(木) 05:39:45
弓騎馬の射程が長い訳ないだろ
イニチェリじゃあるまいし
353日本@名無史さん:2009/04/23(木) 10:04:17
明軍の重火器にはかなり苦戦してたみたいだな。
354日本@名無史さん:2009/04/23(木) 16:31:26
火器があればね

>「宣祖修正実録」
>「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
>賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

ないんじゃどうしようもないねw


>戚継光 「紀効新書・長刀解」
>此は日本の武士が中国に攻めてきた時初めてわかったことである。
>彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
>日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
>我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
>これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
>こちらもただやられてばかりではない。
>武士には遠くからの鳥銃が有効である。
>だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
>兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
>その勢いを止められない
>武士の刀捌きは軽くて長く
>接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
>われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
>それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。


あれ?あってもダメなの?w
355日本@名無史さん:2009/04/23(木) 19:59:14
明の携行火器はもののけ姫に出てきたような、木の棒の先にグレネードみたいな金筒の付いた奴でしょ?
口径は大きいが、弾道が安定しないし、次弾装填にすごく時間が掛かりそう。
356日本@名無史さん:2009/04/23(木) 20:36:55
軍事技術のレベルが織田や島津の手前で止まってんのか?
組み撃ちもしてないのか
357日本@名無史さん:2009/04/23(木) 22:04:12
重火器→火器→携行火器
って、どんな流れ?
358日本@名無史さん:2009/04/24(金) 11:41:53
どのみち重火器なんて中央の臆病ものが独占してて
対日本戦でうまく機能してなかった
359日本@名無史さん:2009/04/25(土) 03:11:23
>>343
槍と刀どっちも有効利用してただけだとおもう

槍で自陣を守り
前線を押し込み
弓鉄砲で敵陣を崩し
刀をもった武士を流し込む

敵軍を一匹の動物に例えれば刀は毒薬だな
内部へ浸透し破壊する

どっちかのみ!だとか槍がメインウェポン!とかそういうことは無意味だ
360日本@名無史さん:2009/04/25(土) 09:22:25
武器がどうこうよりも社会システムから来るやる気のが問題。
361日本@名無史さん:2009/04/25(土) 09:42:18
>>351
鉄砲より弓騎馬の射程のが長いとでも言うのか?まさか。
362日本@名無史さん:2009/04/25(土) 10:55:24
>>361
反対の趣旨だろ。アンカついてないからわからんだけで。
363日本@名無史さん:2009/04/25(土) 11:53:04
>>361
射程が実戦用の矢で400m、遠矢用のものを使用した場合は600m以上という
角弓系最強といわれるトルコ弓基準で考えれば、朝鮮出兵で主用された
量産品の三匁玉程度の鉄砲より長いと言えなくもないだろうけどね。

でもまぁ、同じ角弓系でも射程は千差万別だし、有効射程はまた別物だし。
364日本@名無史さん:2009/04/25(土) 12:53:20
そもそもトルコ弓なんか明軍は使ってないしな
365日本@名無史さん:2009/04/25(土) 13:39:42
個人的には弓の話で気になってるのは、明よりも朝鮮だな。

というのも、今は亡きエンコリでは、

<丶`∀´> 倭猿の鳥銃よりウリナラの国弓の方がずっと強力だったニダ kkkk

              という朝鮮弓自慢のお子さまが腐るほど湧いてたから。w


でも、ロクに事前の兵備も無く、ゲリラだのみだった朝鮮の当時の弓は、
角弓なんぞという手間のかかる高級なモノではなく、単に竹を裂いて
曲げただけのシロモノだったんじゃないかと思ってるんだが。


366日本@名無史さん:2009/04/25(土) 19:13:14
「その遠く戦うや弓を使う。
倭の弓は竹製、長さ八尺、足を持って其端を踏んで張り、立って発す。
矢は海竹を以って幹となし鏃は鉄製長さ二寸、燕尾の形を成す。
重さ二、三両。
発するに当たらざるなし。
当たれば則ち人たちどころに倒る」
367日本@名無史さん:2009/04/25(土) 20:30:47
ロングボウやトルコ弓とタメを張るのは和弓なのにな
368日本@名無史さん:2009/04/25(土) 21:23:24
>>365
弓兵は育成に時間が掛かるんだよね。
特にロングボウは骨の形が変わるほどの毎日の訓練が必要。

数万の火縄銃に対抗しうる数が居たとは思えんな。
369日本@名無史さん:2009/04/26(日) 00:25:43
青組の良い子達は

<丶`д´>  ウリミンジョクは騎馬民族・高句麗の血をひく天性の弓兵なの!

        だからオリンピックのアーチェリーもウリミンジョクが上位独占なの!!

        アーチェリーの弓も今は全部ウリナラ製なの!!!   とか言ってたな〜w
370日本@名無史さん:2009/04/26(日) 09:02:22
一応血は引いてると思うよ
古来朝鮮人は華北の中国人と同じく蒙古人や満州人に度々強姦されまくってるからね

かつて中原から朝鮮、西日本に分布してた面長弥生系
その弥生系と縄文系のミックスが日本人
弥生系と蒙古、満州系のミックスが華北中国人or朝鮮人

なんかメチスソ(インディアンと白人の混血)が白人の血を誇るみたいな
みっともないけど
371日本@名無史さん:2009/04/26(日) 10:47:24
倭人って征服者の韓国系民族が奴隷になった原住民を強姦して出来た民族なんでしょ?
なんか韓国人とニホンザルを足して2で割ったような感じだな。
372日本@名無史さん:2009/04/26(日) 11:30:08
古代日本の支配者は稲作による権力を背景にしていたのに
米のなかった朝鮮が何で関係あるの?
373日本@名無史さん:2009/04/26(日) 12:59:53
そもそも「韓国」なんて昔はなかったろw
374日本@名無史さん:2009/04/26(日) 13:17:23


まあ371は文禄慶長の役スレでわけのわからんルーツ捏造話しかできない時点で敗北宣言なんだけどねw
375日本@名無史さん:2009/04/26(日) 15:21:02
>>369
それで思い出したが、和弓を貶す人って
やたらと現代アーチェリーと弓道を引き合いに出したがるよねw
376日本@名無史さん:2009/04/26(日) 15:47:39
アーチャリーってまだ人気あるの?
377日本@名無史さん:2009/04/26(日) 15:50:54
長江文明の伝播は
普通に考えて長江河口からより近い北九州の方が早いだろう

中国南部→<東シナ海>→北九州→<日本海>→朝鮮
378日本@名無史さん:2009/04/27(月) 23:42:32
>>375
でも、韓国のアーチェリーは他のスポーツ同様、ごく少数を選抜しての英才教育で
一般人とは無関係。朝鮮弓もやたら自慢する割に競技人口は非常に少ないようで、
ウリナラマンセーな韓国ネチズンにとって、ごく普通に高校・大学に弓道部があったりする
日本の現況は、すごく妬ましいらしいよ。(笑)

アーチェリー用具にしても、世界的に競技人口が少ないのでYAMAHAとかの日本企業が
撤退してしまったから韓国企業が近年シェアを伸ばしたということらしい。
379日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:29:53
結局日本が敷いたレールの上をこそこそ追随する韓国の図が露呈しただけに…
380日本@名無史さん:2009/04/29(水) 17:21:43
南蛮には虫を従へ、西羌には羊を従へ、北狄には犬を従へたり。
東方は君子国なりとて獣を従へず。
其上天竺・震旦・日域の中には、日本人心もたけく、弓の力餘国にすぐれたり。
故に夷の字をば名づけたる也。
夷は弓の字に大の字書入たる形なり。
されば夷の字は本朝の弓箭に携る人の眉目なるべし。
381日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:13:11
まぁ、なんだかな〜とは思うけど、いまや漢字も読めず、そのくせ東夷族という妙な民族概念が
半ば学術用語化してる現在のウリナラよりはマシだな、っと。w
382日本@名無史さん:2009/05/03(日) 22:25:18
>>338
それは司馬の女真を扱った小説だな
まあ大昔に読んだ時は日本軍100万でも勝てないみたいな描写だらけだから30人は控え目なほど
383日本@名無史さん:2009/05/03(日) 22:35:11
ちなみにその部分はうろ覚えだが
李如梅が皇帝に女真兵と日本兵はどちらが強いかと言われ
日本兵は鉄砲の扱いに優れてる確かに強いが
1対1で戦えば30人でも女真1人に勝てない、とかだった

本編はそれこそ200人でも勝てねーだろこれ、みたいな描写だらけ
384日本@名無史さん:2009/05/04(月) 08:04:13
明史の李如梅伝
http://www.xysa.net/a200/h350/24mingshi/t-238.htm
  如梅,字子清。亦由父廕,曆都指揮僉事。從兄如松征日本,卻敵先登。屢遷遼東副總兵。二十四年,炒花、蔔言兔將入犯,如梅謀先襲之。督部將方時新等出塞三百里,直搗其廬帳,斬首百餘級而還。
明年,如梅與參政楊鎬謀複從鎮西堡出塞,潛襲敵營,失利,損部將十人,士卒百六十人。如梅以血戰重創,免罪。

  日本封事敗,其年八月,進署都督僉事,充禦倭副總兵,赴朝鮮援剿,時麻貴三路進師,令如梅將左軍,與右軍共攻蔚山。如梅偕參將楊登山騎兵先進,設伏海濱,而令遊擊擺賽以輕騎誘賊,斬首四百有奇,餘賊遁歸島山。
副將陳寅冒矢石奮呼上,破柵兩重。至第三柵,垂拔,楊鎬為總理,宿與如梅昵,不欲寅功出其上,遽鳴金收軍。
翊日,如梅至,攻之,不能拔。已而賊援至,如梅軍先奔,諸軍亦相繼潰。贊畫主事丁應泰劾鎬,並劾如梅當斬者二,當罪者十,帝不納。旋用為禦倭總兵官。會其兄如松戰歿,即命如梅馳代之。
逾年,坐擁兵畏敵,劾罷。久之,起僉書左府。四十年,鎬巡撫遼東,力薦如梅為帥。不得,至以死爭。給事中麻僖、禦史楊州鶴力持不可,乃止。

  成梁諸子,如松最果敢,有父風,其次稱如梅。然躁動,非大將才,獨楊鎬深信。後複倚任其兄如柏,卒以致敗。
385日本@名無史さん:2009/05/04(月) 08:12:04
李成梁の子の中では李如松に次いで李如梅が優秀とされていたらしいが軽率で大将の器に非ずと酷評されている。
それに1597年末に蔚山で惨敗したが一番トピックになっているようだな。
386日本@名無史さん:2009/05/04(月) 12:41:06
中国人の言うことなんざアテにならん
立身出世や体面のためならいくらでも虚言を吐く集団だからな。歴史的に見ても

とりわけ明王朝はこの時代は腐りきってるんだから
387日本@名無史さん:2009/05/04(月) 16:07:41
でも逆にこれが「武士弱い」的な内容ならば
「中国の文献はあてにならん」とはいわないんだろうなw
388日本@名無史さん:2009/05/04(月) 16:10:57
ああ李如梅の話か
>>386
多少の誇張はあっても強かったのは事実だろう
あれだけ人がいるんだし多少は骨のある敵もいないと…
実際そのほかの戦いでは武士が圧倒しているのがほとんどなんだから
389日本@名無史さん:2009/05/04(月) 16:56:34
>>388何の記録を根拠に司馬は書いたんだろ?
390日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:34:18
>>387
おっと八幡愚童訓の悪口はそこまでだ
391日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:00:17
ニダーさんが暴れてると聞いて世界史板から観察にきますた
392日本@名無史さん:2009/05/05(火) 01:41:16
>>389
小説の後書きで中国に渡って何ヶ月か過ごした事が書かれてるから
現地で何かの資料でも見かけたんじゃなかろうか

描写はそれこそ女真5万と「全員が本多忠勝」の日本5万が激突しても
日本が全滅しそうなもんだから5人でも10人でなく30人は妥当
393日本@名無史さん:2009/05/05(火) 06:02:21
>>392狂ってるなw
394日本@名無史さん:2009/05/05(火) 13:32:47
あれ?確か加藤清正がオランカイの女真に勝ってなかった?
395日本@名無史さん:2009/05/05(火) 16:00:37
>>394
勝ってるが?
396日本@名無史さん:2009/05/05(火) 16:35:33
じゃあ倭人30人で女真1人ってのはちょっと無理あんじゃね?
397日本@名無史さん:2009/05/05(火) 17:26:22
まあそれぐらい言わせておいてやれという感じだな



「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
398日本@名無史さん:2009/05/05(火) 19:06:04
喪失が数十万で捕虜100万ってのがすごいわな
WW2と間違えそうだ
399日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:15:36
>>395
軍勢じゃなくてほとんど寒村みたいなものだからなそれ
400日本@名無史さん:2009/05/05(火) 21:36:00
>>397
>>398
ほとんど軍記物のノリだな
正確な数字とか当時の実情とか考慮されてないんじゃね
401まさお:2009/05/05(火) 22:51:47
いつも思うんだが、何で戦国厨て日本軍の力を過大評価するかな!
大体文禄の役からして16万人近い大軍で7千人の正規軍しかいない
朝鮮王国に攻め入っているんだから瞬く間に国内を荒らしまわれる
のは当たり前じゃん!
そのくせ朝鮮王国の占領には8ヶ月掛かってもできず、明軍4万3千人
がやってきたら半島の半分を簡単に奪い取られている!
どう考えても明軍より弱いじゃん!
へキテイかんの戦いも明軍1万7千ほどに4万1千ほでで勝負しているから
勝てただけじゃん!
402まさお:2009/05/05(火) 22:54:47
慶長の役では14万5千人もの軍勢を投入して攻め込んでいながら
南朝鮮の倭城に立てこもっての防衛戦に専念しているだけジャン!
島津などの勝利も誇張されているし、その上所詮は攻城戦の一環
なので日本軍がどれだけ強いのかはわからない!
403日本@名無史さん:2009/05/06(水) 00:39:14
まあ昔みたいに本気で40万だの20万だの軍勢が実在して
大半を討ち取ったみたいな話が激減したから進歩はあるでしょ

いまだに信じてるサイトとかも割と見つかるけど
404日本@名無史さん:2009/05/06(水) 00:42:36
おかえりw軍板や世界史板にはもう行かないの?
405日本@名無史さん:2009/05/06(水) 01:13:38
なんかしらんが人違いw
406日本@名無史さん:2009/05/06(水) 01:46:01
ああごめん、>>402の事だからw
407日本@名無史さん:2009/05/06(水) 17:33:24
日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
第十七から二十軍が秀吉の旗本と本隊の予定です。
実際に渡海したのは第九軍(大将は羽柴秀勝)までです。
ただ、第十六軍の家康軍の人数は約五千です。
当時の徳川家はその所領から換算した動員可能兵力は約七万五千人ですから、
七万の兵力を国内に残し、かつ秀吉も六万の旗本を手元に残していたわけです。

何故家康を第十六軍にわずかな兵力で配置したかというと、
秀吉自身の渡海直前の軍として兵力というより政治的な統治の要人としての渡航であったと言えるでしょう。

実際これらの兵が渡海すると、第十六軍の段階で二十五万人の兵力が渡海している計算になります。
当時の日本の動員可能数はこの倍の五十万人と計算できます。
それ故、十万量兵で防衛準備していても、明から十万の援軍が来ても、兵力数は日本軍優位の情勢。
加えて鉄砲の数量が違いますから、一大会戦のようなことになったら完全に日本軍優位です。
当時の日本軍は長い戦国時代を経て、戦術的にもまた個々の戦闘能力もずば抜けているので
平時の朝鮮・明連合軍との戦いは日本軍優位といわざるを得ません。
408日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:21:07
>>401
そんなこと言っても、中国側の資料に「日本軍は圧倒的だった」と書いてあるしな
409日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:33:51
>>401
だいたい、半島の半分ったって、そもそもその時期はまだ平壌を占領したばかりだし、兵力は分散してるし、明軍はその前に平壌奪還には小西によって阻止されてる
初めから半分程度しか支配圏に置いてなかった時期で大軍の急襲に少し戦線を下げただけだ

冬で行軍が遅れたのと、海戦で少々小賢しい将が朝鮮にいたから征服が遅れただけの話

弱いとする論拠にはならん
410日本@名無史さん:2009/05/06(水) 19:19:33
>海戦で少々小賢しい将が朝鮮にいたから征服が遅れただけの話

さらっと嘘を混ぜるなよ!
411まさお:2009/05/06(水) 20:09:22
でも日本軍は4月17日ころに釜山港に上陸してすでに8ヶ月もたっているんだよ!
兵力は日本側16万人に対し朝鮮側は7千人。
両班が各地で武装蜂起をしたとは言え日本側の優勢は変らない
412日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:18:40
>>409
ええと李舜臣が補給線を絶ったとか言うのはかなりの誇張があって

一時期李舜臣が海賊まがいの戦法で小規模な抵抗をしていたのは事実なんだが
結局和城からの砲撃とのコンボであっという間に撃退されちゃってる

全体の戦局に影響を与えるほどの打撃はもらってなさそうなんだな
413日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:21:44
>へキテイかんの戦いも明軍1万7千ほどに4万1千ほでで勝負しているから
>勝てただけじゃん!

実際は騎馬で牽引できる砲兵が途中から参加してるからもう少し多いよ
小西攻めの時点で騎兵が2万とその他2万3千
ただ日本は6万近いからやはり不利
414日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:23:37
李舜臣が主戦域に介入したのは緒戦の一度だけ
後は周辺をうろうろしていただけ

日本の海上補給路が滞ったという事実は無い
415日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:26:02
>>390
それそれ
明史もそのようなものなんではと感じる
416日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:28:54
食い物を内陸に運べなかったのが原因
後、自国の論理が外国でも通用すると考えていたのも原因
417日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:53:22
>>411
戦闘の優位と行軍速度は別だろ

>>412
あの敗戦の後、積極的な海戦を避けているから一応書いた

海路を使って多方面侵入が出来ればもっと速かっただろうからな
418日本@名無史さん:2009/05/06(水) 21:16:23
>>417
>海路を使って多方面侵入が出来ればもっと速かっただろうからな

そりゃ無理。

当時の水軍は沿岸に拠点を確保した上でのみ行動可能で、
しかも朝鮮の水路については全く不案内。
朝鮮役で唯一の海上侵攻だった右水営〜全羅道西岸進出も
陸軍との並進だしね。

419日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:41:04
>>411
蒙古襲来時にたった1日の戦闘で逃げ帰ったり
3ヶ月近く蹂躙どころか上陸すら出来ずにフルボッコにされた元&高麗軍や
一万五千近い正規軍送っといてたった数百人の
対馬の武士たちに一方的になぶり殺しにされた
応永の対馬侵略時の朝鮮軍についてはどう思われますか?
420日本@名無史さん:2009/05/07(木) 03:43:25
>>415
明史が宗教書だなんて珍説初めて聞いたよw
421日本@名無史さん:2009/05/07(木) 05:11:59
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
422まさお:2009/05/07(木) 10:34:22
「明史」は清朝が編纂した歴史書だということを忘れるな!
どこまで当時の明の本音が記載されているかわからんね!
それに秀吉が死ななければ日本には勝算があったのかよ?
あのまま戦争を戦争を続けていれば日本国内で内戦になって
いたかも知れないよ!
第一秀吉の死だって暗殺の可能性はないのかよ!
戦争をおわらせるために暗殺されたのかもしれないよ!
423日本@名無史さん:2009/05/07(木) 12:38:34
秀吉の失敗

装備を整えずに国内での装備のまま遠征した。情報収集能力の欠如。
小西や宗が正確な交渉内容を行わず捏造した情報を双方に伝えた。
文永の役の終了の交渉がはじまると、総員引き揚げをした。これでは敗北して撤退したもおなじ。普通は停戦したら講和が成立するまでその場にへばりついているものだ。
つまり、交渉能力の欠如。
撃破すべき対象をしぼらず、戦場を広範囲にひろげてしまった。ために民衆の反感をかってしまい、収拾がつかなくなった。
敵の弱点をしらべもせず、やみくもにせめいった。
いじょうかな。
424日本@名無史さん:2009/05/07(木) 13:04:45
>>423
全然ダメじゃんw

まあ、現地に総司令官を置かなかったのが全てかな。
石田光成とかにゴチャゴチャさせたらダメ。
425日本@名無史さん:2009/05/07(木) 13:20:54
明史だなんて太平記ばりの誇大報告信じてるバカがいるスレと聞いて(ry
ネトウヨのコピペに総突っ込み入れた戦国板住人のが遥かにマシだ。
426 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/07(木) 15:01:19

  ∧_∧  
 ∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン 
 ( ミつ_// LG /   バン 
  {二二} 三三} 
    ̄ ̄ ̄ ̄" 
427日本@名無史さん:2009/05/07(木) 15:24:08
>>422
まあ明史は少なくともお前の妄言よりはアテにできるよ。

>>424
小早川秀秋や宇喜多秀家みたいなヘタレに総大将させてる時点でダメだろw
428日本@名無史さん:2009/05/07(木) 15:57:59
日本の圧勝をうたってるのは明史だけじゃないんだがなぁw
明史否定したところで何も変わらんよ
429日本@名無史さん:2009/05/07(木) 17:25:41
>>422
勝算はないよ
仮に更に兵を送ったとしても膠着するだけ
ただし国内の内戦は起こらない

日本側が持久できる体制と防御の体制を整えたから
明にはどうしようもできない
かといって日本もそれ以上のことはできない
第一次大戦の状況に近いね
430日本@名無史さん:2009/05/07(木) 17:45:52
結論は>>407でしょう

431日本@名無史さん:2009/05/07(木) 18:35:14
先に日本を侵略したのは元と朝鮮ですからね、それを忘れないように
432日本@名無史さん:2009/05/07(木) 19:11:06
玄関口で武士の皆さんに叩き出されて、台風もろ直撃した後
「てめえまだいたのかよ!」と袋叩きにされましたがね。
433まさお:2009/05/08(金) 01:20:30
薩摩では伊集院が反乱起こしてるように
各大名単位でそれぞれ反乱が起こってくるだろう!
434日本@名無史さん:2009/05/08(金) 01:27:11
陝西一帯ではボバイが反乱起こしてるように
各省単位でそれぞれ反乱が起こってくるだろう!
435日本@名無史さん:2009/05/08(金) 06:52:04
朝鮮では李夢鶴が反乱起こしてるように
各餓民単位でそれぞれ反乱が起こってくるだろう!
436日本@名無史さん:2009/05/09(土) 10:56:16
ぶっちゃけ反乱は起きないな
大老の実力差は結構白昼してるし、筆頭の前田さんは忠心で、他のも秀吉の子飼いが多い
当時は家康に味方は少ないし
慶弔から帰ってきた武将が怒りをぶつけたのが、豊臣家じゃなく三成だったってだけで基盤の固さは分かるだろ
437日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:21:28
本当に三成は豊臣政権の癌細胞
438日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:54:19
みっちーを馬鹿にすんな

みっちーはなぁ!有能な官僚なんだよ!ただちょっと空気が読めないだけなんだよ!
439日本@名無史さん:2009/05/10(日) 06:04:07
三成は独断で戦線を整理して、詰問されてもオレの責任だ、と堂々と答えた剛直な人物だぜ。
戦の無謀を連署で秀吉に訴える一方、
前線に出て負傷したりしているし、がんばったよ。
あきらかにとばっちりだろ。
440日本@名無史さん:2009/05/10(日) 06:12:09
「勝利の総括的概念...死傷者の数に関する彼我の報告は、いずれも正確ではない、正直な発表は極めて稀であり、大方の場合故意に事実が歪められている。
...敵側が闘争を放棄するということだけが我が方の勝利を示す唯一の証拠なのである。」
(クラウゼヴィッツ「戦争論」)

名目はどうあれ、一方的に仕掛けてしかも闘争を放棄した日本の敗北だな。
441日本@名無史さん:2009/05/10(日) 11:37:02
>>440
それは、客観的死傷者数が不明な時点における勝利の証拠でしょ
400年経って詳細な研究が行われている現時点では、また違った物の見方ができるとは思わないのかね?
442日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:46:47
>>439
というかヘキテイカンの戦いは、戦術的な意味での功労者は
小早川隆景と立花宗茂だけど、戦略的な意味での功労者はみったんです。
何故なら「無計画に戦線拡大してんじゃねえぞ!このままじゃ食糧切れで自滅するだろバカ!」
って伸びきった戦線を立て直す為に、一旦漢城へおびき寄せ一気に叩く作戦立てたのは彼。
この作戦は最初相当の反発くらいました。
「なんで勝ちまくってんのに引かなきゃいけねえんだよ。」とか
「まさかあんな雑魚みたいな明軍にビビったのかよヘタレが」とか。
でもなんとか諸将を説得することに成功しました。

>>440
その考えでいくなら川中島の戦いの勝者は上杉謙信ってこと?
443日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:24:41
>>442
>上杉謙信ってこと?
違うでしょ。前半押しまくったけど、別働隊が戻ってからは支えきれずに引いたんだから、
上杉の負けって事でしょ。
444日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:13:07
>>439
というか、秀吉が恨まれるところを、
自分が恨まれるようにしたんじゃないの?

秀次なり秀頼なり豊臣直系の頭がしっかりしてれば、
三成がいくら恨まれても問題なかったろうが。
445日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:33:25
>>440
その論法だとヨーロッパへ遠征したバトゥ率いるモンゴル軍は
オゴデイが死んだから撤退しただけなのに敗北したことになる。
446日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:45:11
>>445

違うだろww
完膚なきまでヨーロッパ軍を叩き潰したモンゴル軍と違って、倭軍は
大朝鮮軍にフルボッコされてたろww

城にこもってでられまちぇ〜んwwwww
447日本@名無史さん:2009/05/10(日) 23:21:15
大朝鮮軍というのは、明軍を天将・天兵と呼んで
崇め仕えていた属国軍のことですか?w
448日本@名無史さん:2009/05/10(日) 23:25:45
>>446
釣りとしても低レベル。再提出。
449日本@名無史さん:2009/05/10(日) 23:34:14
>>446
明朝鮮側の記録でも主要な戦いのほとんどは
その倭軍が勝利してるよん
450日本@名無史さん:2009/05/11(月) 12:36:25
>>447
その崇めてた天兵に皆殺しにされてたけどな
恩賞目当ての偽首分捕り合戦w
451日本@名無史さん:2009/05/11(月) 14:53:40
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
452日本@名無史さん:2009/05/11(月) 14:55:44
「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。


明軍も朝鮮軍も武士にフルボッコされてまんがな
453日本@名無史さん:2009/05/11(月) 21:14:07
みなさん、何か勘違いしてませんか?
日本が戦ったのは明であって朝鮮ではありませんよ
この戦争の名称も「日明戦争」と呼ぶべきです
454まさお:2009/05/11(月) 23:01:21
大体明が送り込んだ兵力は文禄・4万3千、慶長8万〜10万
朝鮮の正規軍は7千人 各地で両班が挙兵したけど戦闘経験のない
農民ばかり!
対する日本軍は文禄15万8800人、慶長14万1千人そのほとんどが
農民といえども戦国時代120年を生き抜いた戦闘経験豊富な兵士
せれで足掛け7年間も戦闘を続けて寸土も得ることがなく逃げかえって
きているんだから日本軍の情けなさはない!

455日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:07:13
妄想ばかりで具体的な史料提示による根拠がない。
参考文献を記述して無いものはレポートとして認めません。
再提出。
456日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:49:22
その前にageんなアホ

大体兵力が多いから勝って当たり前とか言ってる馬鹿は
ドズル中将辺りにでも殴り殺されて来い。
457日本@名無史さん:2009/05/12(火) 00:25:40
アニメを引き合いに出す頭の弱い子は
来なくていいから。w
458日本@名無史さん:2009/05/12(火) 00:26:10
アウェーで戦うのも大変なんですよマジで
459日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:28:50
>>456兵力が多いから勝つのは兵法の基本です。基本的に戦場に大量の兵力を投入できるかが勝負の基本だが
名将は寡兵で戦績を上げるため歴史にその名を刻む
460日本@名無史さん:2009/05/12(火) 07:13:45
>>459
日本のカウントは半分以上が敵地で活動するための非戦闘員な件。
461日本@名無史さん:2009/05/12(火) 07:18:05
この手の人達って、日本を攻めた元軍については
殆どが非戦闘員だの何だの言う癖に、唐入りに関しては
10万だか14万だか知らないけど、全員が精鋭って事にしたがるよねw
462日本@名無史さん:2009/05/12(火) 09:26:34
>>461
どの手だよw
463日本@名無史さん:2009/05/12(火) 09:32:45
孫の手
464日本@名無史さん:2009/05/12(火) 13:46:44
つまらん。再提出。
465日本@名無史さん:2009/05/12(火) 16:15:34
いろいろ調べても分からないんですけど
明を征服したあとに立てる予定だった政権の国号は何なの?
466日本@名無史さん:2009/05/12(火) 16:32:13
467日本@名無史さん:2009/05/13(水) 00:09:45
ニッポンポン帝国
468日本@名無史さん:2009/05/13(水) 08:48:23
戦国板のスレのがレベル高い
469日本@名無史さん:2009/05/13(水) 15:05:06
荒らしか精神障害者しかしないこのスレで何を言ってるんだ君は
470日本@名無史さん:2009/05/13(水) 16:53:38
ネトウヨがいない戦国板のがレベル高い
471日本@名無史さん:2009/05/13(水) 17:57:35
まぁage厨はいないわな
472日本@名無史さん:2009/05/13(水) 18:41:45
戦死幹部にみる日本軍大敗北の証拠

日本
来島通総(伊予鹿島1.4万石、従五位下)


朝鮮
鄭撥(釜山鎮僉使従三品)、尹興信(多大浦僉使従三品)、宋象賢(東莱府使正三品)
洪允寛(助防長正三品) 、李宗張(忠州牧使正三品)、申石吉(咸鏡兵使従二品)
元豪(原州牧使正三品) 、元喜(富寧府使、正三品)、柳崇仁(慶州左兵使従二品)
金時敏(晋州牧使正三品)、沈岱(京畿観察使従二品)、崔慶会(慶尚右兵使従二品)
黄進(忠清兵使従二品)、 徐礼元(晋州牧使正三品)、元均(三道水軍統制使正三品)
李億祺(全羅道右水使正三品) 、崔湖(忠清道水使正三品)、李福男(全羅道兵使従二品)
任鉉(南原府使正三品) 、呉応鼎(順天府使正三品)、黄世得(蛇渡僉水使従三品)
李舜臣(三道水軍統制使正二品)、李英男(加星浦水僉使従三品)

明軍
載朝弁(参将)、史儒(遊撃)、廬継忠(参将)
楊万金(遊撃)、李寧(副総兵)、李寧(参将)
廬徳功(遊撃)、ケ子龍(副将)、陶明宰(中軍)

473日本@名無史さん:2009/05/13(水) 19:22:21
ククク…
来島通総など我等四天王の中でも最弱!
474日本@名無史さん:2009/05/13(水) 19:31:44
一万石なんて自己完結できる兵隊を率いる司令官じゃないやん。
サポート役
475日本@名無史さん:2009/05/13(水) 19:39:55
>>473
「さあ来い明軍ども〜。俺は実は一回刺しただけで死ぬぞ〜」
476日本@名無史さん:2009/05/13(水) 20:31:51
>>470

確かに軍板のほうがマシだなww

495 :masao:2009/05/12(火) 22:55:57 ID:NVZO34wM
>>494
文禄の役では死者7万〜8万
慶長の役では死者5万〜6万
あわせて12万〜14万も死者が出ているのに
やる気ないじゃすまないだろ!

497 :人間七七四年:2009/05/13(水) 02:18:00 ID:u01d4Pa0
>>495
それって”戦死者”じゃん。しかも数万って、逃亡や日本に送り返された傷病入ってるし…
世界中みれば一回の戦場で数万って死者が出てるのもあるし
遠征でその程度の損害は出るものじゃないかな?

つか秀吉が攻め込む前の朝鮮じゃ、飢饉で自国民100万単位で死んでるし、
引き上げた後も明に食料渡したおかげで餓死者累々じゃん。


「命令聞かなかったら領地没収死刑!」っていう秀吉が生きてる限り
海を渡らざるを得なかったんじゃないの?
だから死んだとたん、帰国命令でたし、だれも3回目の渡航なんて言い出さなかったし。
477日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:01:45
>>472
日本軍でも大名クラスでは、
中川秀政も戦死しているが。
478日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:07:19
秀吉や豊臣家世子秀勝、島津家世子久安も討ち死にしてるよ。
恥だから病死と言うことにしてるけど、こういうのはかなり多い。

あと宇喜多秀家とか大大名クラスでも負傷してるのが多い。
負傷を0.5戦死とすると、戦死した大名の数は数十にも上るのではないか。
479日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:11:23
>秀吉や豊臣家世子秀勝、島津家世子久安も討ち死にしてるよ。
> 恥だから病死と言うことにしてるけど、こういうのはかなり多い。

ハア?
480日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:14:39
<ヽ`∀´>侵略者秀吉は朝鮮王国の忍者によって暗殺されたんだニダ
481日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:16:28
>>477
戦死と偽ったため改易されそうになったよねw
482日本@名無史さん:2009/05/14(木) 05:12:00
遊んでて殺されたは、武士としちゃ恥ずかし過ぎる死に方だからなぁ・・・

ところで秀吉はどうやると日本本土で戦死できるんだ?w
いつの間にか北朝鮮の特殊部隊に潜入されたニカ?
483日本@名無史さん:2009/05/14(木) 08:53:00
チョンが書き込むとスレのレベルが低くなる
484日本@名無史さん:2009/05/14(木) 09:48:09
>>482
秀吉は本土ではなく、九州島の北端に陣を張っていたんじゃなかったっけ?
制海権は李舜臣将軍が握ってたわけだから、討ち取るのは造作もないことだろう。
485日本@名無史さん:2009/05/14(木) 11:13:42
うん、確かに↑みたいなレスが飛び交うこのスレはダメだな
486日本@名無史さん:2009/05/14(木) 15:02:02
日本海の制海権を握るのは何十万隻の軍船が要るんだろうなぁ?
487日本@名無史さん:2009/05/14(木) 18:38:59
>>486
日本海の制海権を握ることなど不可能。
なぜなら日本海などないからだ。

意味はわかるな?
488日本@名無史さん:2009/05/14(木) 20:22:22
あ、ありのまま今話してたことを話すぜ
「ちょっと迷い込んだ船に略奪しかけただけで制海権を握っていたということになっていた」
何が言いたいのかよくわからないと思うがおれも何が言いたいのかさっぱりだった
(ry
489日本@名無史さん:2009/05/14(木) 20:25:09
んな嫌韓ネタはお腹一杯だからもういいわ。
呼び方なんてどうでもいい。当時の日本は中国海と呼んでたし
このスレで馬鹿にするのは現代じゃなくて500年前の朝鮮人
490日本@名無史さん:2009/05/15(金) 04:33:42
当時はシナ海じゃないのか
491日本@名無史さん:2009/05/15(金) 05:40:41
西海じゃね?
492日本@名無史さん:2009/05/15(金) 12:29:07
まあどのみち世界的には太平洋を日本が仕切っている海ということで
日本海と呼ばれているわけで
日本人がそう呼んでいたわけじゃないが現在は「日本海」ですな

まあ戦場への通路なのでスレ違いとまでは言わんがココを広げても何にもならんと思うが
493日本@名無史さん:2009/05/16(土) 01:18:14
朝鮮征伐という名称は朝鮮の方々をいたずらに不愉快にするだけ
朝鮮征伐という名称はやめて日明戦争と呼んだ方がいいのでは?
494日本@名無史さん:2009/05/16(土) 01:58:23
朝鮮など初めから眼中にないということですね
わかります
495日本@名無史さん:2009/05/16(土) 10:03:11
>>493
普通に壬申丁酉倭乱のままでいいじゃん
496日本@名無史さん:2009/05/16(土) 10:49:19
日明戦争に一票。
日清日露も主戦場は朝鮮半島周辺だったし。
497日本@名無史さん:2009/05/16(土) 11:08:28
朝鮮はただ日本対明の試合会場を提供しただけだからw
498日本@名無史さん:2009/05/16(土) 14:27:56
文禄慶長の役でいいんじゃない?
499日本@名無史さん:2009/05/16(土) 20:45:45
朝鮮戦争も、しまいには米中戦争になったよな
かの国は戦場を提供するように宿命付けられているらしい
500日本@名無史さん:2009/05/17(日) 02:57:18
もうすぐロシア帝国と中国が半島で衝突するよ!
501日本@名無史さん:2009/05/17(日) 09:56:41
>>484
すげえ、何言っているか少しも理解できねえ・・・
502日本@名無史さん:2009/05/17(日) 12:14:31

ヴァカ降臨w
日本語勉強せろw
503日本@名無史さん:2009/05/17(日) 15:27:39
>>501
確かに>>484は何を言いたいのかわかりづらいよな(笑)
504日本@名無史さん:2009/05/17(日) 16:42:39
というか秀吉は普通に老衰やん
505日本@名無史さん:2009/05/18(月) 08:57:33
戦国板の方がレベルが高いといのうのが悲しい(´・ω・`)
506日本@名無史さん:2009/05/18(月) 17:46:58
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
507日本@名無史さん:2009/05/18(月) 21:28:34
>>505
戦国板に劣るとは屈辱だな
508日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:06:32
>>503がいなかったら、
あやうく>>501に「チョン乙」とか言うところだった
俺も同レベルだな
509日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:10:53
>>506
国民の歴史 西尾幹二著 

豊臣秀吉とスペインとの交渉は興味深い。
これは案外、知られていない。

510日本@名無史さん:2009/05/19(火) 11:27:50
戦国板の方がレベルが高いって
ここ本当に学問板か?
511日本@名無史さん:2009/05/19(火) 11:36:35
>>510
実は戦国板の方がレベルが低いんだよ
512日本@名無史さん:2009/05/19(火) 13:21:22
どこがどうレベルが高いのか言ってごらんよ
513日本@名無史さん:2009/05/19(火) 13:26:09
>>512
教えてもらわないと分からないのか?
レベル低すぎw
514日本@名無史さん:2009/05/19(火) 16:48:22
>>495
何で「倭乱」なんだよ
乱なんて起こしてないだろ
って意見があるから普通に日本式の「〜の役」でいいじゃん
515日本@名無史さん:2009/05/19(火) 20:35:43
>>514
つ国内呼称
516日本@名無史さん:2009/05/19(火) 22:29:20
日本対明なんだから日明戦争でいいだろ
517日本@名無史さん:2009/05/19(火) 23:45:35
>>513
煽るしか能が無いんなら帰れば?
518日本@名無史さん:2009/05/20(水) 00:58:41
普通に文禄慶長の役と言いなさいよ
519日本@名無史さん:2009/05/20(水) 21:44:43
520もレスが伸びてまだその水準かよ
520日本@名無史さん:2009/05/21(木) 09:59:35
文録の役を征明戦争・慶長の役を朝鮮征伐にすべき
521日本@名無史さん:2009/05/21(木) 13:20:49
いやむしろ、文録の役を朝鮮征伐・慶長の役を日明戦争にしよう
522日本@名無史さん:2009/05/21(木) 20:30:22
どっちも日明戦争では?

第一次日明戦争
第二次日明戦争

開催場所・朝鮮半島
523日本@名無史さん:2009/05/22(金) 13:46:42
1587年秀吉が九州征伐の陣中から妻に宛てた手紙
「高麗の王に早船で『日本の内裏に出仕せよ、さもなくば来年成敗するぞ』と
申し遣わした。私の命あるうちに、唐国まで手に入れる所存だ」

1592年日本軍は釜山に上陸し、わずか二十日あまりで漢城を占領した。

国民の歴史 西尾幹二著 
524日本@名無史さん:2009/05/22(金) 13:57:07
ポルトガル人やスペイン人が、日本と中国の武力征服を企てていた事実は
明らかである。ただ中国の方が征服しやすく、日本は手強いとみていた。
宣教師は熱心に中国征服の容易なる所以を本国政府に説いたが、たとえば
スペイン国王フェリペ二世は慎重策を命じた。

国民の歴史 西尾幹二著
525日本@名無史さん:2009/05/22(金) 14:13:40
秀吉が心を許していたポルトガル人は通訳のロドリゲスだった。死期が迫りつつも、
まだ昏睡状態に陥っていない秀吉は、1598年9月6日、彼に謁見を許した。秀吉
はそば近く彼を招き、毎年のように遠路を厭わず会いにきてくれた労をねぎらい、絹
の小袖と米2百石と頑丈な船を贈った。翌7日、もう一度ロドリゲスを招き、
ポルトガル船の商談を早急にまとめるように頼み、別れの挨拶をした。

この最後の会見中、ロドリゲスは秀吉の臨終が迫っていることを感じ、神による
魂の救いについて語りかけたところ、秀吉は丁寧に、しかも毅然として話題を変えた。
ロドリゲスは城を立ち去るとき、自分は七年にわたって秀吉と友誼を交わしていたにも
拘らず、個人的にキリスト教の話をする機会が一度もなかったことに気ずいてがっかりした。
              マイケル・クーパー・松本たま訳「通辞ロドリゲス」

国民の歴史 西尾幹二著
526日本@名無史さん:2009/05/22(金) 14:24:26
1588年にキリシタン禁止令を発布した豊臣秀吉が、フィリピン総督フランシスコ・テーリョに
送った書状。
「往年、バテレンが日本国に来て、異国の宗教を説き、我が国の下賤男女をひきつけ、国風を乱し、
国政を害したので、予(秀吉)は堅くそれを禁じた。しかるに貴国より来た僧侶たちは帰国せず、
各地に赴き、賤しい人々に異国の法を説いてやまぬので、予はそれを聞いて忍ぶことができず、
誅戮せしめたのである。聞くところによれば貴国は布教をもって謀略的に外国を征服しようと
欲しているということだが、もし我が国から教師や俗人が貴国に入り、神道を説いて人民を惑乱する
ことがあれば、国主たる卿は歓びはしまい。これを思え。けだし卿らは、そのような手段をもって
その地の旧主を退けて新たな君主となったように、予に背き、我が国を支配せんと企てたのであろう。」
527日本@名無史さん:2009/05/23(土) 01:00:56
ネトウヨはバカの一つ覚えみたいに都合いいコピペしか貼れないの?
528日本@名無史さん:2009/05/23(土) 08:51:56
朝鮮や明に都合の悪い資料しかないので我慢できなくなっちゃったの?
529日本@名無史さん:2009/05/23(土) 11:06:08
>>527
ソース1つ出せずに脳内妄想全開の子よりはマシ
530日本@名無史さん:2009/05/23(土) 13:31:20
>>529
だよな
531日本@名無史さん:2009/05/23(土) 14:04:57
まぁ馬鹿の一つ覚えである事は確かだけどな
つーかなんでageてる奴しか居ないのよ
532日本@名無史さん:2009/05/23(土) 15:13:17
とにかくたくさん資料を集めて検証すれば
自ずと事実は見えてくる
533日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:34:01
資料に埋もれて窒息死が関の山

ところで世界史上の人物をコーエー数値化するスレの李舜臣能力高すぎないか?
【統率】 82
【武力】 85
【知力】 72
【政治】 30
【魅力】 70

小規模戦闘して逃げただけで大勝利もしてないから統率武力共に60〜70台じゃね?
534日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:38:10
そのスレでやれよ
535日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:39:52
なんでもいいから話変えたかったんだよ!
536日本@名無史さん:2009/05/23(土) 21:19:28
アホなレーティングしているのはどのスレだよ?
むしろ同僚を誹謗中傷で追いやり、上司に取り入って過大報告をしまくる能力から政治力バリバリだろう。
537日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:00:37
豊臣秀吉の存在が、徳川政権の徳川社会を生み出す要因をなし、その外交姿勢の
骨格は秀吉によって形作られたのである。一つは徹底したキリスト教拒否の態度
である。もう一つは、中華世界の否定である。この二つの外交条件は、徳川幕府
によって継承されたが、家康の発案ではなく、秀吉の時代に開始されていたもの
であった。以降、徳川政権は北京政府とは正式な外交を結ばなかった。中国は
もはや信従するに値しない世界で、「中華の華は日本なり」の意識が率然として
沸き起こった。幕府の外交官林羅山が明宛ての書簡に、明の年号を用いずして、
意図的に外交関係を謝絶したことは前にも見ておいた。

国民の歴史 西尾幹二著
538日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:14:04
スペインは南ヨーロッパの全域をすでに手中に収め、中南米大陸を征服し、
1571年レパントの海戦でオスマン・トルコを破ってからはイスラム世界
さえも打倒した。東回りでアジアに進出したポルトガルをも併呑した関係で、
マニラを基地としたアジア経営にも怖いものなしという自由自在の絶頂期に
あった。加えて、フェリペ二世は残酷な異端審問で名を馳せた、宗教的非寛容
のカリスマである。よもや地上で自分にも歯向かうものなどいまいと信じていた
彼に、地球の裏側で一人対等の立場を要求し、威嚇に一歩もたじろがない男が
いることを知り、どう思ったであろう。

国民の歴史 西尾幹二著
539日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:20:33
秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか。すでに答えは出揃っている。朝鮮を
経由して中国を抑え、北京に天皇をおいて、自らは寧波にいて天皇より
高い地位で東アジア全域を見下ろす帝国を築くという、壮大な構想の目的
を実現するために出兵したのである。ほかにいかなる理由も考えられない。
なによりもまずこれが、日本人の「近代意識」の最初にして最大の自己実現で
あった。

国民の歴史 西尾幹二著
540日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:36:19
西尾幹二は阿呆だな。
541日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:07:21
文禄2年1594年の、マニラ総督宛ての秀吉の書状が残っている。スペイン国王
に開城するように申し渡している手紙である。

(前略)予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラを攻略に行く
許可を求めている。これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、『彼我の
地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と
言った。この道理によって予は(マニラへ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。
(中略)もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、彼らと戦うために予自ら出陣
するであろう。こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。予は我ら(日本と
フィリピン)が永久に友好を保つことを希望する。これを(カスティリャ王に)書き送られよ。
遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。

「パステルス・松田毅一訳『日本・スペイン交渉史』」
542日本@名無史さん:2009/05/24(日) 18:15:06
ひでよすぃ強気でいいね
543日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:54:14
織田信長あたりならマニラまで攻め込んでも不思議じゃないな
544日本@名無史さん:2009/05/25(月) 00:43:14
豊臣秀吉はこの挑戦に失敗して自滅への道を歩み、秀吉を倒した江戸幕府は軌道修正に
腐心することになるが、挑戦にあざやかに成功して中華を併呑したのが、女真族の後金
(後の清)であった。このようなアジアの巨大なうねりに重なるかたちで、ヨーロッパ
勢力のアジア進出、地球規模の関連性の形成も生起した。だから、アジアからの眼、
ヨーロッパからの眼の両方で見ない限り、この次期のアジアの動きのもつ世界史的意味
をとらえつくすことはできない。

村井章介「海から見た戦国日本」
545日本@名無史さん:2009/05/25(月) 06:53:34
秀吉の朝鮮出兵が、期せずしてヌルハチを助ける結果になったというのは、
案外知られていない事実である。ヌルハチは1619年にサルフの戦いで
明軍を破り、8年後に彼の軍隊が朝鮮に侵入する。ヌルハチが国号を清と
定めて、朝鮮をその属国とするのはさらにその9年後の崇徳1年(1636年)
のことである。
これがなぜ重要かというと、20世紀になって1911年の辛亥革命によって、
清朝が滅亡する明らかな原因の一つは、日清戦争の敗北であったし、また清に
代わった孫文と蒋介石の中華民国が1949年に大陸から追いやられるのは、
やはり日本との戦争での疲弊が大きな理由だったことを想起せざるを得ないから
である。つまり何らかの意味での日本の介入が、3つの中国の政権を連続して
崩壊させていることになり、未来のことは分からないとしても、こういう現象は
少なくとも秀吉以前にはなかったことである。(中略)
 いずれにせよこうした問題は、歴史上日本は中国の影響を長く受けてきたが、
その逆はなかったと思っている人がいるので、指摘しておく価値があると思う。

入江隆則「秀吉はなぜ朝鮮に出兵したか」『地球日本史@』
546日本@名無史さん:2009/05/25(月) 09:38:00
明石書店の「壬辰戦争」でも
日本をハンニバルなんかと同じように「個々の戦いにほとんど勝ったが戦争には負けた」
と評価したが、ローマと朝鮮、明の違いは朝鮮、明は敗北しなかったが明らかに勝者ではないと書いてたな。
日本は結局異民族。故に民を支配できなかったから農民反乱を防げなかった。
戦争には勝てたが土地の維持は難しい。
547日本@名無史さん:2009/05/25(月) 12:13:06
>>546
そりゃローマは最後はハンニバルに勝ったからな
明は最後まで決定的な勝利を得られなかった
548日本@名無史さん:2009/05/25(月) 14:56:46
これは勝敗が決する前に途中終了した戦争
549日本@名無史さん:2009/05/25(月) 15:09:28
秀吉長生きして家康の順番が来たら進展したかな?
550日本@名無史さん:2009/05/25(月) 20:58:07
>>546
そりゃスキピオに相当する人物がいないからなあ
551日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:41:18
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下って自覚はあったけどな。
552日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:54:23
>>551ネーよw

まぁ解釈として中華秩序の枠組みを認めた上で日本を中華にしようとした解釈もあるが。

553日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:51:42
秀吉がスペインのアジア進出をどのように感じていたかは重要な問題点だと
思う。明を征服してやろうという野心も今から考えたら大したものだ。
朝鮮出兵についてはとかく日本と朝鮮の関係だけで捉えがちだ。

地政学的に日本と中国は日本海で隔てられているので、日本は中国に対して
歴史的に物怖じしなかったといえる。

秀吉の帝国を建設するという野望は、100年前に大日本帝国という別の形で
実現したのかもしれない。
なぜ大日本帝国を日本人は作ったのだろう。それはアメリカ、イギリス、ロシア
など欧米列強のアジア進出に対する行動だった。
日本人の外からの刺激に対する敏感な反応は鋭いものがあるといえる。


554日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:39:38
秀吉の当時に打って出る意味は無いだろう
国内武将の力削るくらいじゃね?
555日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:32:27
秀吉の意図は結局不明であるな。
1590年の五大老三中老五奉行とのの会議では
秀吉は「朝鮮を完全に服属させ中国の領土の一部を切り取り家臣に与え
統治体制を日本式に改めよう」と言っとる。
しかし家臣団はなにもいえず、しばらくして家康が「お好きにどうぞ」
と答えたと『朝鮮征伐記』にあるな。
家臣団は困惑してたようだ。
封建制を中国に適用しようとしたみたいだが。
よく言う失業対策の意図があるかもしれんし。
軍人が余っていたことは確かだし(X^ω^X)
556日本@名無史さん:2009/05/26(火) 01:38:03
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。

557日本@名無史さん:2009/05/26(火) 07:52:04
>>555まだそんな制度ないよ。
558日本@名無史さん:2009/05/26(火) 09:38:08
別に秀吉だって初めから戦争する気は無かった
当時の東アジアの情勢を考えれば、明が日本の属国になるのは当然なのに、勧告しても明の皇帝が一向に平伏しないので強硬策に出た
明軍に対し、数回大勝利を得れば明は降伏するだろうと踏んでもいた。明の皇帝の馬鹿さと身の程知らずぶりが予想外だっただけだ
559日本@名無史さん:2009/05/26(火) 10:54:36
だって当時の明の皇帝が万暦帝だもん
560日本@名無史さん:2009/05/26(火) 20:00:44
>>557
秀吉の時代だって十分に封建制だ。
むしろ徳川時代のほうが、領地は借り物みたいな感じで、純粋な封建制ではない。
561日本@名無史さん:2009/05/26(火) 20:47:18
557は五大老制度とかの話かな?
562日本@名無史さん:2009/05/26(火) 20:56:05
普通に5大老3中老5奉行のことだろ。
>>560は頭大丈夫か?
563560:2009/05/26(火) 22:39:43
済みません。頭は大丈夫ですが国語力がちょっと。
564日本@名無史さん:2009/05/27(水) 02:01:32
>>555は五宿老三小宿老五奉行とか書いてあったから五大老とか書いちゃいました。
原典からの引用ではなく訳の引用なんでニュアンスは不明ですm(__)m
565日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:17:54
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下って自覚はあったけどな。
566日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:27:07
ねーよ。
567日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:18:18
日本は朝貢せずに基本的に貿易のみだったからなぁ。
朝貢したほうが、量や種類はともかく利益率高かったみたいだったのに。

ありがとう誇り高き先祖達。

568日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:37:07
>>567
朝 貢 貿 易 を 実 施し て い ま し た が 、 何 か ?
569日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:05:27
>>568
>基本的に
義満とかいわれちゃったら困ります〜
570日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:00:23
ま、義満が死んだらすぐにやめちゃったけどね。

朝鮮征伐でも明は日本を朝貢体制に組み込もうとしたが、秀吉が激怒したから敵わなかった。
571日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:06:20
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下って自覚はあったけどな。



ほかならぬ秀吉本人が提示した講和条件(小西ににぎりつぶされたやつ)に、
「勘合貿易(朝貢形式の日明貿易)の再開」をはっきり掲げてたわけだし。
あと、明の皇女の日本天皇への降嫁って条件もあったんだよな。

朝貢形式の貿易と公主降嫁で懐柔された北方民族とどこがちがうんだ?
572日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:11:08
いやいや自覚がないからその内容に激怒して
第二次朝鮮出兵を行ったわけだろ
573日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:38:05
秀吉は織田家の家臣だった時代から堺の豪商とか室町幕臣だった連中と交流があったのだから、
15世紀前半まで堺商人と細川氏、博多商人と大内氏が行っていた勘合貿易の実態についても、
怜悧な秀吉なら、当然理解していただろう。

明との講和に「勘合貿易の再開」を入れてるってことは、当然、日本国王としての冊封を受け、
明に形式的に臣従して貿易することは認めていたはず。
織田家の家臣時代から天下統一まで、戦国大名との交渉を多数経験してきたリアリストの秀吉に、
その辺のホンネとタテマエの使い分けくらい、当たり前のことだろう。
そもそも、大坂城での明使引見の際、明から下賜された冠服を嬉々として着用してたしな。

秀吉が激怒したのは、冊封(国交)のみで朝貢(交易)が許可されなかったから。
つまり、肝心要の日明貿易が拒否されたから。
574日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:44:41
>〜はず
お前の妄想はもうえーわw

秀吉の目的は貿易でなく領土であることは朝鮮征伐記から明らか

明の領土切り取るぜ!て宣言してますが何か?


妄想やめれw
575日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:44:54
貿易がしたいだけならわざわざ戦争などしない
576日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:48:27
>>570
散々揉めたんだけど、明は日本に朝貢は許していないんだよ。
許されたのは冊封だけ。日本にとって意味なしだったから慶長の役になった。
577日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:50:45
当時のタタールのアルタン・ハーンですら、明から「順義王」に冊封されることで、
武力による侵略はやめて国境での平和的交易に転じてるんだよな。

もうちょっと世界史的視野で見ろよ。秀吉は格別、誇大妄想狂だったわけではない。
勘合貿易復活を求めてるのも、明の冠服を着用して使節を迎えたのも秀吉本人。
578日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:53:59
当時の秀吉は本気で中国やインドや東南アジアまで征服する気だったからな
アルタン・ハーンとやらと比べたらあかん
579日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:59:55
じゃあ、なんで自ら勘合貿易(朝貢貿易)の復活を求めたわけ?

結局は貿易の利益が入るなら、形だけちょこっと頭下げるくらい屁のカッパでは?
草履取りから成り上がった御仁だよ。
580日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:12:00
そもそも秀吉は戦争に勝った気でいたから貿易の再開だけでなく
明皇女の天皇家への腰入れや朝鮮南部の割譲まで要求したわけだろ
581日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:19:48
秀吉は勘合貿易も朝貢でなく単なる公的貿易の意味で使っていたにすぎない
582日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:40:19
足利将軍や細川や大内が、形だけとはいえ臣下の礼をとって朝貢してたことは、
当時としては常識で、秀吉も知らなかったわけではない。
583日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:44:01
秀吉なら知らなかった可能性があるな
だから明征服までやろうとした
これまでだれも考えつかなかったことを
584日本@名無史さん:2009/05/31(日) 21:09:22
>「勘合貿易(朝貢形式の日明貿易)の再開」をはっきり掲げてたわけだし。

これは小西に握りつぶされてないし、むしろ明側にはこれを第一条件とした偽の書状が届けられている。


>朝貢形式の貿易と公主降嫁で懐柔された北方民族とどこがちがうんだ?

明が降服した証拠に降服使節を送るよう伝えたこと。

>大坂城での明使引見の際、明から下賜された冠服を嬉々

これは初耳。
ソースよろ。
585日本@名無史さん:2009/05/31(日) 21:35:46
>大坂城での明使引見の際、明から下賜された冠服を嬉々


秀吉が嬉々としてたのは明の使者が降伏しに来たとばかり思ってたからだろw
586日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:03:42
>>579
お前なんで朝鮮征伐記無視すんの?
妄想やめれ
587日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:26:18
たとえば豊臣日本軍が朝鮮全土から撤退したとき、
鬱陵島と済州島だけ確保することは可能だっただろうか?
588日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:42:38
可能だろうが意味あんのか?
持ち出しになるぞ
589日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:59:33
やはり、最低限は朝鮮南部の旧任那の奪回と
済州島及び鬱陵島の併合を成し遂げるべきだった。

済州島は対馬の宗氏、任那は加藤清正の領地とするべきだった。

奪回した旧任那には李氏朝鮮との国境に万里の長城並みの
壁を建設して鮮人の侵入を防ぎ、加藤軍以外にも
全国諸大名から精鋭部隊を駐留させて警備させると。


590日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:45:16
今の北朝鮮の核とミサイルの問題を考えると
秀吉の朝鮮征伐と大日本帝国の日韓併合の正しさが実感できる。
今日、日本が当地を支配していたならば、このような問題は起こっていなっかった。
591日本@名無史さん:2009/06/02(火) 00:02:13
半島は征服しても放置しても友好に接しても日本にとっては害にしかならない
592日本@名無史さん:2009/06/02(火) 02:28:49
>>591
しごくごもっとも
593日本@名無史さん:2009/06/02(火) 13:41:26
明軍って何であんなに弱いの?
永楽帝の頃の栄光は何処いった?
594日本@名無史さん:2009/06/02(火) 20:05:46
永楽亭ってなんかラーメン屋っぽいな
弱そう
595日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:16:28
明のでなく麺の永楽亭か。
596日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:27:43
永楽亭ワロタw
597日本@名無史さん:2009/06/02(火) 23:31:30
永楽帝も知らないのかよ
598日本@名無史さん:2009/06/02(火) 23:32:50
レベル低いな
戦国板以下だけのことはある
599日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:02:04
日本は本来ならボロ負け

392 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 15:14:34 0
日本は鉄砲を大量保有
明は大砲を大量保有

大砲VS鉄砲 どちらが勝つか?
当然大砲。

で、明は連戦連勝だったので日本を舐めて掛かり、
油断して重たい大砲を持たずに前線へ。
日本の鉄砲隊に明大敗→講和へ。
こんな流れ。 
600日本@名無史さん:2009/06/03(水) 04:56:42
>>599
明ってとっくの昔に滅ぼされたあの明?
601日本@名無史さん:2009/06/03(水) 06:06:48
>>599
じゃあ明が連戦連勝だったソース出しな
602日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:24:05
中国って異民族に連戦連敗するのが歴史だったとおもったが
603日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:49:48
火砲で重武装した固い城塞である寧遠城にヌルハチが戦いを挑んで敗北はしているが、
野戦に当時の大砲なんぞすぐにもってこれないことを忘れてる奴がいる模様。
また加藤清正が火旺山城をスルーしたように
戦国を戦い抜いた日本軍は固い城には無理攻めしないという戦国の常識があった。
だから明が強いなんてことはない。
日本は野戦しか行わないんだから。

大体逃げ帰る途中の敵軍に遭遇して大敗し、
それを隠すため自国の農民の首をはねて敵兵の首にしたカスが昇進するような軍だぜ。

604日本@名無史さん:2009/06/03(水) 09:11:39
>>603
日本は失敗する無理攻めを「繰り返さない」ようにしてただけで、
強襲自体は当たり前のようにしてたわけだが?
日本は野戦しか行わないって、どこの世界の日本の話をしておるのだ?
605日本@名無史さん:2009/06/03(水) 11:55:29
明が強いって、なに寝ぼけてるのやら
皇帝がモンゴル軍の捕虜にされたこと知らんのか
606日本@名無史さん:2009/06/03(水) 13:48:18
永楽帝の頃は強かったんだけどなー
その死後ベトナムの反乱の大軍送るも黎利にボコボコにやられ
土木の変では50万の大軍で皇帝が捕虜になるほどの大敗くらったり
本当に役立たず
607日本@名無史さん:2009/06/03(水) 15:37:57
>>599
当時の大砲は対物兵器の色合いが強いもんじゃないのかなぁ
>大砲VS鉄砲 どちらが勝つか?
>当然大砲。
つーわけでまずここが間違いだね
どっちが強いかは運用次第。用途が違うんだから。

それと少なくとも文禄慶長の役で朝鮮まで大規模な大砲の輸送ってあったの?

608日本@名無史さん:2009/06/03(水) 16:06:08
炸裂しない当時の大砲じゃ野戦の役にはたたないだろ。
攻城戦用としてもそこまで強いもんでもなし
609日本@名無史さん:2009/06/03(水) 16:10:06
まず持ち運びできるかどうかだな
同時期のヨーロッパでも大砲の輸送は河川に頼ってたと言うし
日本で大砲があまり使用されなかったのも、そういう理由からだが
610日本@名無史さん:2009/06/03(水) 17:15:19
日本の地形だと大砲が使い難いとは聞いたことある
611日本@名無史さん:2009/06/03(水) 17:59:32
山がちな日本や朝鮮で砲を使うと間接照準になるからな
近代にならないと間接照準なんて無理だし
612日本@名無史さん:2009/06/03(水) 18:05:43
>>610
そして朝鮮は日本以上の山岳率だ。
613日本@名無史さん:2009/06/03(水) 18:16:49
そういう地の利がある割りに、攻め込まれたら大抵瞬殺されてるな>半島の軍隊
614日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:52:05
朝鮮征伐→×
中国(明)征伐→〇
615日本@名無史さん:2009/06/03(水) 20:17:39
朝鮮はたまたま日本軍の明への侵入経路になってしまっただけ
616日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:34:35
日本式築城は明の大砲で大損害受けてる。
日本は馬に引かせるという技術が無かったから大砲を運用できなかった。
数頭立ての馬に引かせるという技術が無ければ大砲の運用は無理だもの。
617日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:52:28
あれ?
李如松の報告書に
「日本の城壁は低いので狙いがつけづらく、照準をつけられる距離まで行くと狙い撃ちされるからやりづらい」
みたいなこと書いてなかったっけ?
618日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:13:39
<丶`∀´> ウリナラの飛撃震天雷が大戦果を挙げたことは間違いないニダ



                                           知らんがな(´・ω・`)
619日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:17:54
>>599が真実
620日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:20:37
>>617
攻城砲の出現によりヨーロッパは低い土塁と壕による塁保式の城に移行している。
日本の城は大砲をほとんど考慮せず、石垣の上に高々と天守閣や矢倉や塀をそびえさせているね。
621日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:27:25
>>620
日本の城の石垣は中が土塁なので問題無し
塀や櫓も太鼓塀や厚い土塁と木壁で対弾性も高い

あとイタリア式築城法は地形を無視して、理論を優先させたので
費用が嵩む
622日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:30:02
>石垣の上に高々と天守閣や矢倉や塀をそびえさせているね。

その塀自体が低かったんだろう、と。
で、倭城が陥落しなかったのは何でなの?
623日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:45:01
で、倭城が明軍から大損害受けたソースは?
624日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:22:19
>>620
天守閣って飾りだぞ基本的に

しかも天守閣に弾当たってもちょっと壊れて終わり。何も問題ない。
625日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:05:07
会津の鶴ヶ城があんだけ砲撃で被弾しても崩壊しなかった訳だし。
626876:2009/06/04(木) 00:08:28
そうそう。戊辰戦争で官軍が会津に攻め寄せた時に天守閣が砲撃でボロボロに
なった写真が残ってるけど、戦闘は継続してたし。
627日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:09:32
あら、かぶった。ワリィ。>>625
628日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:11:26
629日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:39:47
まずソースの定義についてから語らなくてはならないようだ
630日本@名無史さん:2009/06/04(木) 08:56:53
>>628
つまりソースは無いということを皮肉ってるのか?
631日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:12:06
とりあえず明がぼろ負けしている資料

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった

「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
632日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:33:46
朝鮮半島沿岸に無数に築かれた和城って
どれも(城自体は)低いんだよね
ただ低いとは言ってもみんな山や丘に作るもんだし
例のごとく等高線をなぞるような石垣&堀切の配置で
ちょっとした迷路構造にしたがる傾向は本国と同じだが…


一つの城に全員がすし詰めで籠城するというより
いくつもの城で連携し合って戦うんだよね
プサンの、しかももろ海に面した城だけで20近い城がびっしり並んでる。

敵が大砲をA城に向けてえっちらおっちら据え置こうとすれば
大砲を据え置くに都合がいいところなどすでに調査済みなので
いつのまにかB城やC城から伏兵が忍び寄る

というか大砲もむしろ日本のほうが海上からの朝鮮軍撃退にうまく運用しているような…

633日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:36:44
日本軍強すぎて笑ったw
634日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:43:00
>>632
根拠のない朝鮮水軍による補給線遮断が教科書にまで載る一方で、
閑山島海戦後に秀吉がすかさず三百挺の大鉄砲を送り、要所に城砦や
鉄炮塚を築いて朝鮮水軍をブロックしたという事実は華麗にスルーされてるからね。
635日本@名無史さん:2009/06/04(木) 16:29:14
文禄・慶長の役を中立的に見た書はないのかな
日本・朝鮮、中国、何処の国にも偏らず中立的に見たヤツ
636日本@名無史さん:2009/06/04(木) 17:50:03
韓国側の研究はかなり中立的だと思う。
日本のはかなり極右的だけど。
637 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/06/04(木) 17:55:56

  ∧_∧
 <=(´∀`) 
 (  ∪ ∪
 と__)__)
638日本@名無史さん:2009/06/04(木) 18:01:22
わろた
639日本@名無史さん:2009/06/04(木) 18:13:02
外国が関わってくると、中立的な本ってあんまりないな。
北島万次とかイデオロギーに汚染されまくってるし。
北島みたいなのが、文禄・慶長の役の第一人者ってのも
なんかな…
640日本@名無史さん:2009/06/04(木) 18:18:02
なんせ向こうに学問の自由も思想の自由もないし。
特に中国には概念すらないだろ。
北朝鮮は置いておいて。
641日本@名無史さん:2009/06/04(木) 18:48:02
中国は近現代史なんかは当然アレだけど、古代・中世は
問題ないと思うけどな。どこぞの国みたいに栄光の歴史を
創造しないといけない訳じゃないし。手持ち史料は東アジア
随一だし。

むしろ、中国の古代史に古朝鮮をからめて盗もうとしている
(琵琶形銅剣やら製鉄やら)輩にかなりお冠なのではないかと。
642日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:18:45
確かに、中国は古代に関して何もしなくて良いよな。
古代は超大国、中世は先進国だったわけだし。
周辺に一定の影響を与えたのも事実だし。

捏造する意味が無い。
その必要があるのは共産党イデオロギーが絡まる近代だけ。
643日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:20:06
>>641

琵琶型銅剣は前から知っていたが、製鉄は初耳だ。
kwsk。
644日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:20:38
中国の正史も改竄されまくりでんがな
永楽帝が太祖の皇后の実子だとか
本当は太祖の庶子なのにさ
靖難の変の後、改竄されたと言われている
645日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:23:29
正史っていうのは「正しい歴史」でなく「その王朝に正しいと認められた歴史」だから
646日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:24:43
>>642
>中国は古代に関して何もしなくて良いよな
解釈の問題がある、党が農民起義は…だと言い出したら。
647日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:24:48
それどころか満州事変以前の日本の歴史に関しては
日本人以外では中国の学者が最も正確に把握してるぞ。
西洋人みたいにサムライ幻想抱いてないし、チョンみたいに捏造もしない
648日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:42:58
>>643
例によって韓国学者の主張だから、kwsk語るような中身があるわけがないって。w

とりあえず記憶にあるのはこの辺かなぁ。
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1185283923/

>鉄器文化も中国が紀元前8〜6世紀頃と推定されるのに比べて、古朝鮮の鉄器文化は紀元前12世紀と明
>らかにされたとイム教授。
649日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:51:37
ムーの記事がそのまま普通の新聞に載ってるようなレベルだからなあそこは。
やはり朝鮮人に国家運営は無理だったのではと思わざる得ない
650日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:52:02
>古朝鮮の鉄器文化

ねーよww
朝鮮の鉄器文化は、燕軍の侵入に見る向きもあるが、大方の遺跡は
楽浪群設置前後の前1・2世紀からだしなw

中国人とっとと楽浪郡復活させちまえよww
651日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:13:23
>>650
大坊の遺跡に見えた、謝罪しろ。
652日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:21:35
>>639
自虐史観も嫌だけど
極右なのも困るなしな
653日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:35:39
>>651

お前が大坊の遺跡と言い始めたせいで変な想像をしてしまった。
謝罪と賠償を要求するニダ!!
654日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:42:04
>>652
オス、オラ極右!
655日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:47:43
楽浪群には大方の遺跡が、楽浪郡には大坊の遺跡がある。
656日本@名無史さん:2009/06/04(木) 21:05:41
>>654
何言ってんだこのクズ
657日本@名無史さん:2009/06/04(木) 23:11:00
これだからユーモアに欠けた蛮族は・・・
優雅さが足りないな!
658日本@名無史さん:2009/06/04(木) 23:13:08
>>657
何言ってんだこのクズ
659日本@名無史さん:2009/06/04(木) 23:17:39
葛ウマー
660日本@名無史さん:2009/06/05(金) 02:06:52
そもそも相対的な戦争ですら無いな。
未完成の城で20倍の兵力で囲んでも陥落しないんじゃなあ・・・。
661日本@名無史さん:2009/06/05(金) 11:43:14
よくこの戦いで、明の財政は悪化したって聞くけど、明は文禄・慶長の役合わせて
どれくらいの出費があったんだ?
662日本@名無史さん:2009/06/05(金) 11:47:41
>>661
万暦帝は同時期にアレだから単独での出費でるのか?
663日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:06:02
万暦帝の放蕩で朝鮮征伐前には金庫が空っぽだったしい
張居正が貯めた莫大な貯金を惜しげもなく使ったから
664日本@名無史さん:2009/06/05(金) 14:55:35
空の金庫事情な時に10万の軍の遠征か
665日本@名無史さん:2009/06/05(金) 18:02:58
戦国版にあったけど、これの出所はどこかな。
万歴の3大征
モンゴル降将ボハイの反乱1592年
遼東の李如松が派遣され鎮圧
戦費銀180万両

壬辰倭乱1592〜98年
戦費780万両

播州土司楊応龍反乱1597〜1600年
4年間20万の官軍で鎮圧・戦費銀200万両

ウィキなんかだと、万暦帝の時代の国庫は400万両とか書いてるけど、おかしくね?
666日本@名無史さん:2009/06/05(金) 18:05:26
>>632
あっというまに漢城が落とされたのもわかる気がするな
667日本@名無史さん:2009/06/05(金) 20:53:01
>>665
おかしくないんじゃね、足りない分は増税すればいいんだし。
668日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:23:50
お前はファンタジー物の無能な王様か?w
そう簡単に増税できるかw
669日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:27:23
簡単に増税するから、民心が離反し、反乱が起こり、外患に抗せず、
ついには滅亡するんじゃね?
670日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:50:06
>>668
おいおい中国の王朝が塩税とか滅茶苦茶やってたのはファンタジーかよw
671日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:52:10
>>668
それをやっちゃうのが万暦帝
確か自分の墓作るのに800万両使ったり
672671 :2009/06/05(金) 23:56:56
朝鮮征伐の時に財政立て直すために
宦官や皇帝の取り巻を各地に派遣して
税を厳しく取り立てたりしてる

>>669
だから万暦帝の死後、明滅んだじゃん
673日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:58:09
>>668
じゃあどっから金が沸いて出て来るんだよ
674日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:53:04
借入金、資産の切り崩しetcetc

全部増税で補うと酷い事になりそうだ
675日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:59:19
資産の切り崩しどころか国家の歳入切り崩して個人資産にあててた
676日本@名無史さん:2009/06/06(土) 02:06:39
だって万暦帝だもんw
677日本@名無史さん:2009/06/06(土) 02:11:56
万暦帝にも良い所はある
678日本@名無史さん:2009/06/06(土) 02:14:56
金食うだけの駅伝廃止のリストラとか
679日本@名無史さん:2009/06/06(土) 03:45:50
それやったの崇禎帝
まあそこから李自成が出てきたんだけど
680日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:19:52
中国の塩税はえげつないですなあ
製造原価の100倍とかの税金ふっかけたらしい
貧乏人は塩のほとんど入ってない、味の薄いメシを食わざるを得なかったとか
681日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:26:14
だから裏社会ののネットワークが出来る
682日本@名無史さん:2009/06/06(土) 10:25:41
>>679
d、万暦年間だと思った。ちょっと手元に参照できるのがないから訂正できない。
まぁ考えてみると後半ずっと後宮に引きこもってたしそうなんだろうな。
廃止から大乱まで早かったな
683日本@名無史さん:2009/06/06(土) 12:08:55
金正男将軍を日本に亡命させて
金氏朝鮮を再興しようや
684日本@名無史さん:2009/06/06(土) 12:36:10
いらねーw
685日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:32:27
金氏新羅だな
朝鮮は李氏

後新羅の新首都は
大阪特別(テーハン・トクビョル)市
686日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:38:50
結局大砲があったから明が勝ってたとかいうタワゴトは論破終了でいいの?
687日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:09:30
実際明は局地戦レベルでは敗北しているというのは
日本が勝った派、日本が負けた派ともに共通意見のはず。
688日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:16:50
勇敢な韓国人がそれを巻き返した
689日本@名無史さん:2009/06/08(月) 11:18:52
>>688
朝鮮人の内政に対する悪い意味での勇敢さが貢献したのは事実だな
690日本@名無史さん:2009/06/08(月) 15:55:44
明が勝ったのって小西ぐらいだろ?
それも小西が油断したせいだし奇襲みたいなもんだろ
691日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:01:50
島津家って世子の久安と有力な世子候補だったなんとかっていう義久の娘婿も敗死にしたらしいね。
明にやられたの?それとも韓国にやられたの?
692日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:32:54
秀吉は調子に乗りすぎた奴の最期の良い例
693日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:35:47
>>692
ただの病死なのに調子も糞もないだろ
694日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:51:00
>>691
つうか、休戦中に病死した同一人物を二度戦死で殺すなよ。
695日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:54:14
戦傷や陣没で死んだならまだしも
病死を戦死扱いにするなよ
696日本@名無史さん:2009/06/08(月) 19:03:06
中国人の感覚だと唐入りは、ボッコボコにされたけど
相手が仲間割れしてくれたおかげで何とか助かりました
って感じみたいよ。ウリナラ大勝利を吹聴してるのはチョンコだけ。
697日本@名無史さん:2009/06/08(月) 20:14:37
698日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:31:26
どうして秀吉は直接、巨大鉄船で黄海を渡り北京を衝かなかったのかというのを考える必要がある。
わざわざ李朝時代の朝鮮半島を通らなくていけないのか。
明側には有利な格好だし、民衆の激しいゲリラ作戦なんかもあって結局半島から撤退だもんな。

表向きは秀吉がシナを征服するのと朝鮮半島の土地を諸大名に与える。
実は秀吉の頭の中には強大な大名の兵力を削ぐという目的があったんだろ。
毛利、島津、上杉などの大名化の財力をヘトヘトさせて同時に兵力も減らせる。
まさに一石二鳥。
これで諸大名は羽柴(豊臣)家にますます逆らえなくなるわけで。
699日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:36:27
>>698
鉄船は外洋に出たら転覆します
700日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:37:47
中世の民衆がゲリラ活動なんぞやるのか?
落ち武者狩りと略奪なら喜んでやるだろうが
されるのは明と朝鮮軍に対してだよなぁどう考えても
701日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:45:51
>>698
肝心の徳川は最初に送り込まないとダメ。
702日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:10:22



もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/

もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/





703日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:16:16
関東に転封させて、さらに朝鮮出兵で
徳川破綻
704日本@名無史さん:2009/06/09(火) 07:04:31
>>698
航海能力からして大軍で推測航法で黄海を渡れば普通に死ねる。
従前も陸伝いに勢力を延ばしてきた。
705日本@名無史さん:2009/06/10(水) 08:18:29
初歩の初歩の質問で失礼しますが
秀吉が天下統一して(? 各国の大名も揃って朝鮮出役したんですよね?

徳川軍団にも出陣命令は出さなかったのですか?
歴史の教科書を中学生時分読んだら秀吉が無謀な朝鮮出兵企てて体力すり減らしてる間に盟友徳川は着々と己の兵、土地の整備に力を入れ
淡々と政権奪回の機会を伺う、みたいな記述を読んだ記憶があります
706日本@名無史さん:2009/06/10(水) 08:24:32
家康は行きたくないって言ったの
707日本@名無史さん:2009/06/10(水) 09:06:12
>>705
秀吉は成功すると考えていたから
成功したら当然の成り行きで恩賞を与えなければならず、
そうなると徳川はさらに強大になる
708日本@名無史さん:2009/06/10(水) 09:55:18
>>706
>>707
早速のレスどもー
結果的には徳川に利して、豊臣政権の早期崩壊に繋がるような無謀な出征になってしまいましたね
709日本@名無史さん:2009/06/10(水) 10:37:56
後方任せられるほど信頼できるのは徳川しかいなかったから
710日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:30:09
徳川だー?
711日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:19:46
家康はいまでこそ冷やしたぬきそばみたいに言われてるけど
当時は律義者の代表みたいなもんだったもんね
712日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:29:26
そうでないと騙されないもんな
713日本@名無史さん:2009/06/10(水) 14:15:03
>>700
クレヴェルトの補給戦という有名な本によれば、第一次大戦以前は(普仏戦争時ですら)補給はほとんど現地調達
ましてや16世紀においては、食料は現地に頼りきりだったと考えられる
本気でゲリラ活動やられたら、完全に干上がって7年も半島にいられるわけない
714日本@名無史さん:2009/06/10(水) 14:25:53
灰色で高い本
715日本@名無史さん:2009/06/10(水) 15:51:24
孫子にも物資は現地調達すべしって書いてあるべ
716日本@名無史さん:2009/06/10(水) 17:27:37
牟田口は正しかったの?
717日本@名無史さん:2009/06/10(水) 17:37:55
だからこそ現地で調達できるか調査する必要がある
718日本@名無史さん:2009/06/10(水) 18:01:56
>>716
そんなチャンコロと一緒にスンナww
719日本@名無史さん:2009/06/10(水) 18:38:00
>>716戦場が中国だったら沢山農民が居て余剰食糧を確保できていただろうね。
そう言う意味では場所と時間を間違っていた。
720日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:58:39
牟田口はジンギスカン作戦とか言って、大量の牛馬に物資を輸送させ腹が減ったらそいつらを食うって計画
現地調達ですらない
721日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:02:49
>>720
流石脳のイカレた糞は一味違うなww
722日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:37:41
>>720
牟田口は孫子より良心的だったと言うことか!
嗚呼仁愛なる哉牟田口将軍!
723日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:42:49
>>722
戦友会や遺族の前でそういってみろ。カス!
724日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:42:57
おらおらどうしたww
何か言ってこいよww
725日本@名無史さん:2009/06/11(木) 02:30:08
牟田口は猛将
726日本@名無史さん:2009/06/11(木) 20:40:36
牟田口将軍は酷いことしたよね(´・ω・`)
大量の牛さんに酷いことしたよね(´・ω・`)
727日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:59:29
>>723
イギリスでは印パ作戦は評価されてますよ?
意表をついた突拍子もない作戦だって
728日本@名無史さん:2009/06/12(金) 00:04:14
>>727
ワロスww
やっぱ糞ゴミ牟田口は一味違うなww
729日本@名無史さん:2009/06/12(金) 03:40:24
>>727
バカスww
イギリス人一流のブラックジョークだろww

730日本@名無史さん:2009/06/12(金) 04:53:48
中国大陸では自給できたんだがな。

中国の村長や長老が日本軍に食い物や雑貨を売りにくる話とか残っとる。
一部はうまくいかなかったのかもしれんが、民衆の統治自体はそれほど悪くない。
ただゲリラには対抗不可能だったのはしょうがない。
単に兵力が足りん。

731日本@名無史さん:2009/06/12(金) 05:21:57
足りないのは兵力つーか参謀共の脳つーか
宣伝工作やってりゃそもそも関東軍100万とか要らなかっただろうに
732日本@名無史さん:2009/06/12(金) 05:30:13
>>731
まったくだぜww
流石脳のイカレた糞参謀共は一味違うなww
733日本@名無史さん:2009/06/12(金) 06:15:47
花谷正と牟田口どっちが酷い?
734日本@名無史さん:2009/06/12(金) 06:19:17
>>731
関東軍100万もいないし、ソ連がいるだろ。
735日本@名無史さん:2009/06/12(金) 06:30:10
>>733
側近になるなら牟田口の方がいいよな
736日本@名無史さん:2009/06/12(金) 06:43:23
花谷は本当に人間の屑
737日本@名無史さん:2009/06/12(金) 06:45:32
まじガイキチ
738日本@名無史さん:2009/06/12(金) 08:14:25
花谷はマジで朝鮮人だろ
739日本@名無史さん:2009/06/12(金) 12:00:47
高学歴のバカってのは花谷や牟田口みたいな奴のことを言うんだろうな。
740日本@名無史さん:2009/06/12(金) 13:25:56
>>734
100万とか喧伝してたし。
アメリカ抱き込めば中国統治も対熊防衛も楽だったろうに・・・
741日本@名無史さん:2009/06/12(金) 14:16:01
高級参謀って馬鹿ばっかり
742日本@名無史さん:2009/06/12(金) 17:29:49
>>741
それは言い杉
八原博通ってキレ者もいる
743日本@名無史さん:2009/06/12(金) 17:33:47
捕虜になるとは何事だ!
744日本@名無史さん:2009/06/12(金) 17:39:55
そのおかげで沖縄戦の実相が世に伝えられたわけだが。
745日本@名無史さん:2009/06/12(金) 17:42:50
どうも八原は自分の都合のよいことばかり言っているね。
746日本@名無史さん:2009/06/12(金) 20:26:27
禿胴。八原にはいさぎよい牟田口の爪の垢でも煎じて飲めと言ってやりたかった。
747日本@名無史さん:2009/06/12(金) 20:37:41
ここは低能粘着どもによる参謀アンチスレになりました
748日本@名無史さん:2009/06/12(金) 22:25:13
【日韓】日系米国人女性「壬辰倭乱を世界に知らせるため訪韓」〔09/06/12〕
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1244802647/

749日本@名無史さん:2009/06/13(土) 02:39:57
日系米国人女性「壬辰倭乱を世界に知らせるため訪韓」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116581&servcode=700§code=700
750日本@名無史さん:2009/06/13(土) 06:03:55
>>698
他の人が指摘してない点では天津にも守りはある。
遭難しなくてもあの距離船で移動して上陸戦するのは難しいだろう。
北京までは100km超あるし、簡単には衝けないだろう。
元々北方の守りを重視してたし天津周辺には運河があるから
半島とは比べ物にならない速度で大量の軍隊集められる。
751日本@名無史さん:2009/06/13(土) 12:53:53
>>706
行く予定にちゃんと入ってるよ

日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
752日本@名無史さん:2009/06/13(土) 13:04:28
つ 予定は未定
753日本@名無史さん:2009/06/13(土) 13:18:20
よくスペインが明を狙っているからそれを牽制する目的で朝鮮を攻めたという説
唱える奴いるけど、当時のスペインって明を倒せるほどの力なんて全くないよな。
明をアステカとかインカとかと同類に考えてるんだろうけど。
754日本@名無史さん:2009/06/13(土) 13:51:28
スペインは、日本>>>明という判定だったらしい。
中国人は臆病で、また明帝国は国家の中枢にしか軍が存在しない・・・
というのがスペイン人の分析。
だから、日本征服より、
中国征服のほうが容易と考えていたらしい

高瀬巧一郎「キリシタン時代の研究」
755日本@名無史さん:2009/06/13(土) 13:59:27
ポルトガル人やスペイン人が、日本と中国の武力征服を企てていた事実は
明らかである。
ただ中国の方が征服しやすく、日本は手強いとみていた。

国民の歴史 西尾幹二著
756日本@名無史さん:2009/06/13(土) 14:20:58
じゃあ、なんでスペインは明に攻めなかったんだろう。
ってか、スペインが大航海時代に入ったのはオスマン帝国を恐れてだろ。
なんで、明とほぼ同じ国力のオスマン帝国を恐れて明なら征服できると
考えれるんだろう。海上輸送の面でも明らかに明征服はスペインでは不可能。
757日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:14:28
その前に実行しようとしたら欧州各国の横槍が入るからどっちにしろ・・・
758日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:43:19
家康は実際に自分の番になったら、なんだかんだ理由作って行かなかったのではないか
759日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:53:15
>>751
それならますます行きたくないって言ったんじゃないの?
760日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:58:35
利家を行かしたら良かったのに
そしたら清正や小西も仲たがいせずにスムーズにやれたのに
761日本@名無史さん:2009/06/13(土) 17:17:37
小西が日本軍の癌
762日本@名無史さん:2009/06/13(土) 18:14:12
むしろサル吉が
763日本@名無史さん:2009/06/13(土) 19:06:47
緒戦でイチバン活躍したのも行長なんだけど・・・
764日本@名無史さん:2009/06/13(土) 23:45:59
清正が総大将でよくねぇ?
小西を裏方に回して
765日本@名無史さん:2009/06/15(月) 06:51:11
秀長が生きていたら・・・
766日本@名無史さん:2009/06/15(月) 17:27:57
>>754
高瀬巧一郎ってぐぐっても全然出てこないんだけど何者?
767日本@名無史さん:2009/06/15(月) 17:28:54
あ、出てきた。「高瀬弘一郎」じゃんw
768日本@名無史さん:2009/06/15(月) 19:22:46
ウィキでこんなこと書いてるんだけど、事実なのかな。
>朝鮮の弓はアジアでは最も優れている部類のものであった。朝鮮の弓の最大射程は約450メートルであり
日本の弓の300メートル余よりも長かった。

>戦争のどの時点においても朝鮮域内に60,000人以上が維持される事はなかったため、戦争の全期間で合計500,000人
 に及んだ日本側の兵力との差を埋めるには不十分であった。

>陸上部隊と異なり、朝鮮の水軍は優れていた。朝鮮の砲術と造船技術は進んでいたためである。
 朝鮮の造船技術は日本より優れていた。

>1587年には朝鮮軍の強さを測るため、秀吉は26隻からなる襲撃部隊を朝鮮南岸に派遣
 (朝鮮と交渉中じゃなかったっけ?)

>秀吉は日本を統一するずっと前から明とは友好関係を築こうとしており
769日本@名無史さん:2009/06/15(月) 19:27:24
それに、軍事力、兵力の説明のところは、朝鮮軍の説明ばっかで明軍は無視されてるし。
韓国人が編集したのかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#.E6.AD.A6.E5.99.A8
770日本@名無史さん:2009/06/15(月) 19:36:07
文章も変だな。
>1590年代までに、豊臣秀吉は日本を統一し、短期間の平和をもたらしました。秀吉が明を侵略する事を計画した理由は、
かつて仕えた織田信長の遺志を継いだとも、武士や足軽の人数が過剰になっており将来の内乱や反乱を誘発する可能性を憂慮
したためとも言われている。
771日本@名無史さん:2009/06/15(月) 22:03:57
英語版そのまんま和訳した記事あるよな?
772日本@名無史さん:2009/06/15(月) 22:48:08
朝鮮の弓なんか興味ないし、日本は明と戦ったのであって朝鮮はおまけでしかない。
773日本@名無史さん:2009/06/16(火) 05:35:24
>>771
ビンゴ。全く同じ内容の文章が英語版ウィキの唐入りの項目に書かれてた
774日本@名無史さん:2009/06/16(火) 09:24:47
英語版からの翻訳記事が乱造されてるね。

文禄・慶長の役
多大浦の戦い
玉浦の海戦
忠州の戦い
775日本@名無史さん:2009/06/16(火) 10:43:37
>>769
記事の更新履歴見ると理由がわかるよ。同じ奴がひつこく書き直してる。
776日本@名無史さん:2009/06/16(火) 18:29:49
>>775
シルバーペンギンか?
777日本@名無史さん:2009/06/16(火) 19:37:33
>>768
日本は弓が主力兵器じゃないから朝鮮弓の方が射程が長いのはあり得るが・・・
朝鮮の技術レベルでロングボウとかコンポジットボウ作れたのか?

まぁ弓の射程なんて大抵誤差だが
778日本@名無史さん:2009/06/16(火) 19:50:23
樹すらないよ
779日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:15:48
いや、思いっきり主力兵器じゃん。>弓
しかも日本のだって竹を組み合わせて、漆で強化した合成弓だし。
元軍との戦いの話題でも、この話が出てくるが
日本の弓が大陸の弓に劣ると、断言する根拠がわからない。
780日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:18:56
>>779
射程は劣るとかいう話じゃないとおもうが・・
450mの射程なんて朝鮮じゃ篭城戦でもなきゃ役にたたんだろう
781日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:20:15
てか、450mってトルコ弓並みだぞ。
というか、いつも疑問に思うが、何故朝鮮軍の兵器や武具は
殊更にその優越性やオリジナリティが強調されるのに
その史料も実物も全く残ってないの?
日本刀や和弓、中世の日本人の恐ろしさが描かれてる史料は
外国にも山ほどあるぞ。
782日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:22:36
朝鮮軍の恐ろしさを知るときは死ぬときだから
783日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:49:42
朝鮮の造船技術が日本の造船技術より上ってことはないだろ。日本の船が大陸間を往来し
果ては、東南アジアまで進出しているのに。数百人規模の安宅船のような巨船を朝鮮が果たして
造れたのか。ただ竜骨がないのは痛いな。
784日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:53:57
韓国人はアフリカやメッカまで行ったんだが。
785日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:55:15
日本の船は竜骨無いけど船底に向かって鋭くなってるから、まあ外洋航海は出来るレベル
対して、朝鮮の船は見事にまっ平ら
786日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:58:19
>まあ外洋航海は出来るレベル
本当に大丈夫なのか?
787日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:02:55
>>783

韓国人は秀吉が侵略する前に海上交易で繁栄していたんだが。
秀吉は李朝の繁栄を羨んで侵略したんだが。
788日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:10:09
789日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:13:55
バケツの見たことある、水入れてても撃ち抜くんだよね。
790日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:34:31
>>769
>一方、日本は長い内戦状態(戦国時代)にあったため、軍隊はポルトガルから持ち込まれたマスケット銃で武装するようになっていた。
このような兵器戦略の違いが、陸戦における日本優位、海戦における朝鮮優位につながった。

火縄銃は、国産化に成功していたじゃん。ポルトガルから輸入したマスケット銃で武装したってなんよ。
それに、日本軍の陸戦での優位は、応永の外寇を見る限りでは、火縄銃のみとは言えんだろ。

791日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:35:23
ダメダメ
792日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:35:49
>>786
どうせでたらめだろww
793日本@名無史さん:2009/06/17(水) 00:18:28
木材加工技術の違いで和船は、ガレー構造でも外洋航海に耐える

・・・と昔から言われてるな。今の木材細工から考えて頑丈だったのはおそらく事実だろう。
794日本@名無史さん:2009/06/17(水) 00:46:01
漕ぐ人はたまったもんじゃない
795日本@名無史さん:2009/06/17(水) 10:25:31
九鬼の鉄鋼船があれば
796日本@名無史さん:2009/06/17(水) 11:47:03
鉄甲船なんか役立たずだよ。
役に立つなら半島でつくったはず。
城が出来るくらいだから船なんか余裕で出来たはずだ。
797日本@名無史さん:2009/06/17(水) 19:53:12
つか誰も>>787には突っ込まねえのかよw
798日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:06:19
九鬼を水軍の総指揮管にしとけば
脇坂や加藤は功を焦って和を乱すし。
799日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:44:54
志摩の小豪族に過ぎない九鬼なんかに大将が務まるわけないだろjk
800日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:45:56
外洋に出られない倭船ww
801日本@名無史さん:2009/06/17(水) 21:04:13
そういや韓国海軍の船は冬の日本海に出れなかったな
802日本@名無史さん:2009/06/17(水) 22:22:36
>>799
でも脇坂や藤堂より海戦の経験あるだろ
803日本@名無史さん:2009/06/18(木) 04:40:33
>>802
じゃあ先鋒だな。
そして来島のように討ち死に。
804日本@名無史さん:2009/06/18(木) 22:31:00
唐入りのさい危機感を感じた大国ロシアはなぜ黙ってたの?
そもそも危機感感じてたの?
805日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:15:14
>>804
当時のロシアはそんな所まで勢力及ぼしてないから
というかロシアその物が存在しない
806日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:22:36
まあ日本の継続的な韓国侵略の野望が後の日露戦争に繋がるんだけど
807日本@名無史さん:2009/06/19(金) 01:29:13
ちげえよ。朝鮮半島をめぐるババ抜きで日本はババ引いちゃったんだよ。
808日本@名無史さん:2009/06/19(金) 02:46:47
ホントにひどいババ掴まされたもんだ。日露戦争は自力で独立を維持できなかった
朝鮮の不甲斐なさが全ての要因。

李氏朝鮮あらため大韓帝国が、もう少しまともな国だったら・・・って百年経った今の
南北朝鮮見ても相変わらず全くダメダメだし、それは_だよな。w
809日本@名無史さん:2009/06/19(金) 05:47:01
>>804
清の康熙帝の頃にようやく極東アジア勢力と接触を。
810日本@名無史さん:2009/06/19(金) 07:54:25
当時の韓国は日本にあれだけ独立のお膳立てしてもらっといて
三国干渉で日本がロシアの下手にでると、犬のようにロシアに
媚び出す情けない国であることは確かだな。あの根性では、日本
が併合しようがしまいが、独立を維持なんてとてもできない。
811日本@名無史さん:2009/06/19(金) 13:54:53
>>688

「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
812日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:09:28
鼻を切ったのに「耳塚」になってるのは、なぜ?
813日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:14:58
韓国人の鼻は耳を兼ねてるから
814日本@名無史さん:2009/06/19(金) 23:43:11
秀吉が渡海しちゃいなよ
815日本@名無史さん:2009/06/20(土) 05:18:20
>>803
チョンごときに敗死するとは来島兄弟は役立たず
816日本@名無史さん:2009/06/20(土) 10:19:51
秀長が生きていたらなー
秀家や秀勝じゃ頼りないし
817日本@名無史さん:2009/06/20(土) 21:00:06
秀秋がいるじゃないか。
自ら白刃振るって奮戦した猛将だぞ。
818日本@名無史さん:2009/06/20(土) 22:12:07
金吾は
まだガキにすぎない
819日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:15:04
秀勝は金吾よりはマシだったの?
820日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:22:14
地味ながら多少の実績はあった。
長生きしていれば豊臣政権でそれなりのポジションを得ていただろうね
まあ、秀次事件で連座させられたかもしれないけど。
821日本@名無史さん:2009/06/21(日) 08:51:26
>>820多少の実績?
822日本@名無史さん:2009/06/21(日) 10:12:34
十万の大軍率いいて完璧に指揮とれるは秀長くらいだろ
秀吉や家康より大軍率いるの上手いかもしれん
823日本@名無史さん:2009/06/21(日) 12:24:44
秀次を殺したのが失敗。
寺で謹慎程度で抑えておけばよかったのに。
824日本@名無史さん:2009/06/21(日) 18:25:03
秀次を殺さんと秀頼が将来どうなるか分からんかったんで、それは仕方ないだろう
だが嫁や子供の公開処刑はやり過ぎだったな
825日本@名無史さん:2009/06/22(月) 00:05:45
絶倫オットセイ関白の秀次が生きていれば
豊臣一門もはいて捨てるほど増えたのに・・・
826日本@名無史さん:2009/06/22(月) 01:06:22
>>821
ググレカス
827日本@名無史さん:2009/06/22(月) 07:08:15
>>826
ググり済みですが?
ささ、先生「ある程度の実績」に、ご解説をどうぞ。
828日本@名無史さん:2009/06/22(月) 15:05:05
於次と小吉を混同していたりして
829日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:05:50
>>827
豊臣秀勝 の検索結果
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP238JP238&q=%e8%b1%8a%e8%87%a3%e7%a7%80%e5%8b%9d
一番上に出てくる「豊臣秀勝 - Wikipedia」の経歴読んだ?
830大爆笑!:2009/06/22(月) 23:30:24
韓国人の中には、「秀吉は、明に日本国王の称号を断られて、慶長の役を行った」
という奴が増えています。
多分、このアホなドラマのせいでしょう。

http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=25348&fid=25348&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_58&number=21275
831日本@名無史さん:2009/06/23(火) 00:06:47
もう消えてるようだが。

ま、韓国人はドラマや映画を事実と思いこむという習性があるからな。
832今日は消えていない:2009/06/23(火) 08:00:05
韓国人の中には、「秀吉は、明に日本国王の称号を断られて、慶長の役を行った」
という奴が増えています。
多分、このアホなドラマのせいでしょう。

http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=25348&fid=25348&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_58&number=21275
833日本@名無史さん:2009/06/24(水) 10:14:17
文禄の役の時、和平交渉がはじまると、日本軍は全て半島から引き揚げたようですが、なぜでしょうか?
これではまけて撤兵したと同じことではないでしょうか?何故占領したままで交渉にはいらなかったのでしょうか・
834日本@名無史さん:2009/06/24(水) 12:41:16
元から勝てる訳のない戦だったからな。
倭軍は和平交渉してる隙に逃亡したんだよ。
交渉決裂したときにまだ残ってたら皆殺しにされちゃうだろ。
835日本@名無史さん:2009/06/24(水) 12:55:25
ん?釜山を中心に西は熊川から東は西生浦までの諸城に4万余の
在番将兵が駐留した状態で明との和平交渉に臨んでるが。

明軍はあっという間に退いてしまったけどなw
836日本@名無史さん:2009/06/24(水) 13:22:32
立花宗茂、島津義弘、小早川隆景秀秋親子は実に素晴らしい働きをした
837日本@名無史さん:2009/06/24(水) 13:41:22
>>835
たしか半島南部は文禄〜秀吉死亡まで、最後まで戦線維持してなかった?
しかし戦闘で明をボコボコにして、補給にもさほど困ってなかった(?)のに
明の国境付近から戦線が後退してるのは、やっぱりトータル面だと不利だったの?
838日本@名無史さん:2009/06/24(水) 13:42:05
金吾を西軍の総大将にしてたらどうなってただろう?
839日本@名無史さん:2009/06/24(水) 14:20:48
>>837
>>835のとおり釜山周辺は和平交渉の間も戦役通して終始橋頭堡として確保してるよ。

で、当時の軍は日・明ともに進軍先での現地調達が基本だから、朝鮮の貧しい生産力では、
北辺での大軍の長期作戦行動は無理。文禄の役では、戦闘自体に勝ってはいても兵員の
損耗は激しかったし、食糧事情からも早かれ遅かれ南部に戦線縮小せざるを得なかったろうね。

それにしても、停戦の駆け引きの間に龍山の兵粮が焼き払われたのはやはり痛い。それで
否応なしに漢城から撤退せざるを得なくなった。これは宋応昌の卓見だね。
840日本@名無史さん:2009/06/24(水) 14:52:21
日本国内で戦する分にはあんま兵糧調達の心配しなくて済むからな
日本軍としては補給戦を始めて経験した事例なんかね
841日本@名無史さん:2009/06/24(水) 16:52:20
>>839
なる程。
日本と朝鮮の気候風土や生産力の違いを
考慮に入れてなかったのが失敗に繋がったわけだね
842日本@名無史さん:2009/06/24(水) 23:55:26
朝鮮的には即降伏したほうがよっぽどマシという・・・
843日本@名無史さん:2009/06/25(木) 02:00:24
まあどのみち七年間も居座られていてようやく帰ってもらえたことに変わりはないけどね
七年間飯食わなかったわけじゃないし
844日本@名無史さん:2009/06/25(木) 17:04:53
>>838
そこそこ活躍したと思う
845日本@名無史さん:2009/06/25(木) 18:43:08
>>841
やつらは我慢ができないし、極端に社会構築力がないからな。
ちょっと治安が乱れると有る所や弱い所から奪いあって社会全体を台無しにさせる。
来年の収穫に必要な生産を放棄して備蓄食料を奪い合う民衆の居る半島での戦争はやりにくい。
日本軍や明軍の制圧で治安が戻った地域でも生産に服さずに反乱を起こしたり略奪を続けていた。
846日本@名無史さん:2009/06/25(木) 18:49:15
アジアのアフリカ
847日本@名無史さん:2009/06/25(木) 20:18:05
>来年の収穫に必要な生産を放棄して備蓄食料を奪い合う民衆の居る半島

まさにリアル北斗の拳
848日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:19:35
大国である日本と中国の間にあり
現在においては、それなりに経済や技術が発展してるから
にわかには信じ難いけど、事実なんだよな・・・。
849日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:22:29
>>848
北半分の事も思い出してやれよ
850日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:48:00
てか漢江の奇跡以前は、南も北と似たようなもんだった
ってこと覚えてる人はどんだけいるだろうか?
851日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:50:09
むしろ南のほうが悪かった
852日本@名無史さん:2009/06/26(金) 01:32:33
北の方が工業化進んでただろ。
無知なやつだ。
853日本@名無史さん:2009/06/26(金) 02:12:44
左巻きの連中も元々は南ではなく北をマンセーしてたしね。
北の実態が明らかになったから慌てて寒流(笑)だなんてやってるが
854日本@名無史さん:2009/06/26(金) 02:56:36
そら北は共産圏南下のための前線基地
南はただの緩衝剤だからな

855日本@名無史さん:2009/06/27(土) 08:36:09
「不滅の李舜臣」 日本が扱わない秀吉の朝鮮出兵を詳細に描いてるのは虚飾があっても画期的だな
856日本@名無史さん:2009/06/27(土) 19:12:25
ファンタジー作品の中でどれほど当時を豪勢かつ華麗に作っても中国と
見分けがつかない悲しさよ。
857日本@名無史さん:2009/06/27(土) 19:55:32
秀吉は撃退されたし撃滅されたよ
事実日本が薄汚い野望を実現したのは36年間だけだよ
日本人の憧憬は理解出きるよ
でも秀吉は撃退されたよ
日帝国軍みたいな国母を殺すなんて暴虐なぴねんしなければ
秀吉の野望は無意味だっよ
日本人なら知るべき歴史だよ
858日本@名無史さん:2009/06/27(土) 20:05:44
お宅の歴史書にも

「日本強すぎ、こええよ日本マジこわい
うちらがどれだけ束になってかかっても日本には勝ってこない
ほんとやばかった」

と書かれてるようだが
859日本@名無史さん:2009/06/27(土) 20:07:47
私しか知る韓国の歴史書には書かれてないよソース希望
860日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:52:26
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
861日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:53:23
140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 16:26:43 ID:F0mwNU0t0
>>138
戦国時代以前に日本人が着ていた木綿の衣服は誰が作っていました。
そう、朝・鮮・人です。日本人は朝鮮人が作る木綿なしでは生活できませんでした。
後陽成天皇の慶長勅板は、誰の技術の印刷術ですか?そう、朝・鮮・人です。
有田焼、薩摩焼は誰の技術で造られていましたか?そう、朝・鮮・人です。歴史の
勉強をしなおしましょうね。


141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 16:54:25 ID:YV0xl2W80
木綿布は戦国時代には朝鮮から輸入していたものの、江戸時代には生産量も品質逆転、
日本市場では粗悪な朝鮮布は見向きもされなくなった。さらに、端船でも木綿帆の日本で
筵帆の朝鮮通信使の船は日本の庶民からも笑いもの。
木活字を自慢してみても、そもそも中国の発明だし、おまけに中国でも日本でも
結局廃れて定着せず。
磁器は有田も薩摩も、景徳鎮を手本にそれに劣らぬ色絵金襴手の豪奢なものが
作り出されたが、日本に技術を伝えたはずの朝鮮では、青花、鉄砂というごく素朴・
質素なものしか作れなくて中国や日本から磁器を輸入していたと。

ま、脳内の栄光のホルホル歴史は現実とはかなり違うよね。(笑)
862日本@名無史さん:2009/06/28(日) 01:48:59
http://www.youtube.com/watch?v=oO12FiLuWR0&feature=related

朝鮮軍と明軍の区別がつかない…
863日本@名無史さん:2009/06/28(日) 01:50:00
http://www.youtube.com/watch?v=oO12FiLuWR0&feature=related

朝鮮軍と明軍の区別がつかない…
864日本@名無史さん:2009/06/28(日) 03:22:08
情報ツウは得をする!
⇒ 情報サイト http://sho-zai.com/index.html
865日本@名無史さん:2009/06/28(日) 10:39:20
>>862
実際は明軍と朝鮮軍の見栄えは雲泥の差だったろうね。
明の鎧
http://www.gaopu.com/mindai.html
朝鮮の鎧(笑)
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/img/history/12261930270050.jpg
日本・欧州・中国の鎧と城
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/img/history/12261930270023.jpg

なんで朝鮮はこんなに遅れてたんだ?
866日本@名無史さん:2009/06/28(日) 22:58:24
なんで鎧が布なんだろうね
蒙古襲来絵詞でも矢がブスブス刺さっているし
あまり防御力が高そうには見えないんだけど。
皮や鉄製の鎧はなかったのかな
867日本@名無史さん:2009/06/28(日) 23:21:24
防具が布なのは珍しくない暗黒時代のヨーロッパもそうだし
皮や鉄製の鎧は非常に高価だから経済的に豊かじゃないと用意できない
868日本@名無史さん:2009/06/29(月) 08:13:50
クロスアーマーってやつだな。
869日本@名無史さん:2009/06/29(月) 09:50:33
経済的に豊かな三沢さんだって上半身裸、下半身は布の鎧で戦闘に参加していたわけだが。
870日本@名無史さん:2009/06/29(月) 11:19:45
そうなんだ
871日本@名無史さん:2009/06/29(月) 12:40:31
>>869
三沢さんはむしろ経営危機でアップアップだったし
上半身裸に下半身布一枚なんて格好で闘ってたから死んじゃったじゃないか
872日本@名無史さん:2009/06/29(月) 12:55:03
お前ら人間のクズだな
チョソ並み
873日本@名無史さん:2009/06/30(火) 03:00:25
捕虜の末裔w
874日本@名無史さん:2009/06/30(火) 17:41:02
>>865
文禄の役において、たった二ヶ月で平壌まで落とされるだけあるわ。

鎧が布とかwww
875日本@名無史さん:2009/06/30(火) 20:03:08
自衛隊なんて鎧すら着てないじゃん。
全裸でも大差ないねwwww
倭人野蛮すぎwwwww
876日本@名無史さん:2009/06/30(火) 20:19:53
   ∩___∩         |
   | ノ\     ヽ        |
  /  ●゛  ● |        |
  | ∪  ( _●_) ミ       j
 彡、   |∪|   |        J
/     ∩ノ ⊃  ヽ     >>875
(  \ / _ノ |  |
.\ “  /__|  |
  \ /___ /
877日本@名無史さん:2009/06/30(火) 20:55:45
どこから突っ込めばいいか分からない辺りが凄いなw
878日本@名無史さん:2009/06/30(火) 21:25:23
全裸ってのは韓国軍の新兵訓練のことだろうか・・・w
879日本@名無史さん:2009/06/30(火) 21:26:02
>>875
それは自衛隊だけの問題じゃなうわ何をするやめry
880日本@名無史さん:2009/06/30(火) 22:03:24
シンゴー!シンゴー!
881日本@名無史さん:2009/06/30(火) 23:41:14
>>866
中国や朝鮮の単弓は和弓よりも張力が弱いので矢を十分な射程に飛ばす為に軽い矢を使ってた。
だから、出来損ないのキルティング見たいのでも結構防げた。それから、刀剣類の切れ味も日本刀
程良くなかった(基本を鋳物で作ってそれを叩いて脱炭して作った粗製品)から、大陸での斬撃には
それでも十分だった。日本の武士のように鍛えるとか日本の足軽のように甲冑を身に着けたまま
逃げる訓練が不十分だから、重い甲冑などまとったらそれこそ鈍重な人肉缶詰になるほかなかった。
だから、30mのところからフライパン打ち抜ける和弓で射られたら何の防御効果もなかった。甲冑が
役に立たないから盾を持っていた。
882日本@名無史さん:2009/07/01(水) 00:18:23
韓国人ってやたら自国の弓に自信をもっているみたいなんだけど
そんなもんなのか
883日本@名無史さん:2009/07/01(水) 00:22:13
遊牧民でもない上に碌な木もないのに
884日本@名無史さん:2009/07/01(水) 00:23:24
それは単なる妄想。同時代史料(懲秘録)に拠れば
朝鮮弓の飛距離は百数十メートルで日本軍の
火縄銃に完全にアウトレンジされてる。
885日本@名無史さん:2009/07/01(水) 00:34:27
わりゃ鉄砲は卑怯じゃ
886日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:32:27
>>884
チョンは自国の弓の方が和弓より射程が長い事自慢するが、ただ単に細くて軽い矢を
使っているから、張力の弱い弓で遠くまで飛ばせて当たりまえ。但し、矢が軽いから、
標的に当たった時の慣性質量が小さいから、貫通力は大したことない。
拳銃に例えれば、チョン弓は22LRの拳銃で、和弓は45ACPのコルトガバメントだな。
22LRの方が最大射程は長いが当たった時の威力はどっちが上かは簡単に分かるよね。
887日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:37:23
>>786
江戸時代になるがほぼ同じ構造の和船が荒らしで帆柱と舵をやられて漂流してアメリカ西海岸
まで漂着しているから、そこそこの外洋性はあるだろう。
888日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:38:36
しかも和弓が主に直射であることも考慮してないしな。
チョンは高校一年の物理すらわからないと見える。
889日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:41:17
飛距離=有効射程距離と思いこんでる、かわいそうな人が湧きました
890日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:45:14
>>768

> >朝鮮の弓はアジアでは最も優れている部類のものであった。朝鮮の弓の最大射程は約450メートルであり
> 日本の弓の300メートル余よりも長かった。

軽い矢を使っているから遠くまで飛んで当たり前。朝鮮弓の張力は30ポンドのアーチェリーより弱い。
重い矢を使う和弓は遠射には不利だが、射程内で当たった時の威力は桁違い。22LRと45ACPの違いの
ようなもの。弓は武器なんだから標的に当たった時に打撃力がなければ意味がないもの。飛距離は
あっても当たった時にヘロヘロでは全く意味がない。
891日本@名無史さん:2009/07/01(水) 02:17:39
李氏朝鮮軍はそんなに優秀な弓を武器にしてて
日本軍は貧弱な武器を使っていたのに
漢城や平壌を陥落されたり、王子を生け捕りにされたりした李氏朝鮮軍って
どんだけ弱いんだよと。
892884:2009/07/01(水) 02:29:00
>>889
俺宛のレスかな? 

>>884で飛距離としたのは最大射程のことだよ。懲秘録には朝鮮弓の技は百歩とあって、
当時の朝鮮の歩は約118cmなので射程は最大でも120m程度ということになる。
それどころか、同書の両軍の実際の交戦記事では、朝鮮側の矢は数十歩で墜ちたとあって、
実戦では最大射程が100mを切っている。

ま、祖国愛は麗しいが、歴史板では少しは勉強してからカキコしないと単なる道化だぞ。w
893日本@名無史さん:2009/07/01(水) 02:41:29
>>890
重い矢を使う和弓は遠射には不利、っつーのはその通りなんだけど、
それでもなお和弓の方が朝鮮弓よりは遙かに射程が長いというのは
カリフォルニア大の人類博物館所蔵の世界各地の弓の実射実験結果から
判るわけなんですな。
894日本@名無史さん:2009/07/01(水) 03:12:29
和弓がすごいのか朝鮮弓がしょぼいのか
895日本@名無史さん:2009/07/01(水) 03:15:22
>>891
日本人がどんだけ卑怯かってことだろ
896日本@名無史さん:2009/07/01(水) 05:16:38
>>895
戦争で卑怯とか言うのは負け犬の遠吠えなんですよねw
何が卑怯なのか分かりませんが
897日本@名無史さん:2009/07/01(水) 06:01:53
弱いくせに卑劣で残虐ということにしたいんですよ彼らは。
戦前の旧日本軍を語る時もそうですが。
日本軍を語る際に、その残虐さだけでなく強さも語る中国人の方が
ねつ造だらけとはいえ、まだ一応ある程度は筋が通ってる。
898日本@名無史さん:2009/07/01(水) 07:50:50
wikipediaは、大幅に書き換えねばならんな。どうも、やたらとウリナラマンセー的
な書き込みが目立ってきてる。
899日本@名無史さん:2009/07/01(水) 12:01:09
wikipediaは英語版をそのまんま翻訳した感じだな
900日本@名無史さん:2009/07/01(水) 12:38:03
ウリナラマンセーって感じでは無いが、やたら朝鮮側の内容ばかり書かれてるよな。
明なんてほとんど詳細な説明出てこないし。

軍事力とか兵力とか項目作るなら明軍と日本軍の事も書けよと。
901日本@名無史さん:2009/07/01(水) 14:27:36
朝鮮人にそんな頭はない
902日本@名無史さん:2009/07/01(水) 15:12:02
>>900
碧蹄館の戦いも明軍の兵力適当に書いてるな
903日本@名無史さん:2009/07/01(水) 18:42:46
東洋・西洋を問わず、また時代を問わず、ほとんどの弓は狩猟のための「生活必需品」であると共に、
戦闘では欠くことのできない武器だった。弓はその構造により、長い木の棒に弦を張った「単純弓」、弓の
胴に紐のようなものを巻いて抵抗力を高めた「強化弓」、木や動物の角・腱などを組み合わせ改良した
「合成弓」に分けられる。また、大きさによって長弓と短弓に、形態によって直弓と彎弓(わんきゅう)などに
区分される。

 韓国の代表的な伝統弓は「角弓」だ。角弓は水牛の角、牛の腱、クヌギの木などを利用した合成弓
で、世界的に見て最も進んだ形態の弓に挙げられる。角弓は長さ1メートル程度と小さいが、弾力性に
優れ330メートル以上の射程距離を誇る。今日使われているスポーツ用に改良された弓でも145メートル
離れた的に当てることができ、オリンピックの正式種目となっているアーチェリーが70メートル離れた的を射る
ことと比較される。楹集弓矢博物館の劉世鉉(ユ・セヒョン)副館長は、「角弓はあまり力を込めなくても
遠くまで飛ばせるのが最大の利点」と語った。

904日本@名無史さん:2009/07/01(水) 18:43:49
 弓は北東アジアで特に発達した。モンゴルの弓は射程距離150メートル程度に過ぎないものの耐久性が
抜群で、中国では満州族が使う弓が最も強力だった。一方、刀が発達した日本は、弓の性能で大きく
後れを取った。竹や杉など1種類の素材で作る日本の弓は、相手を威嚇するために長さが2メートルを
超える反面、射程距離は60−70メートルに過ぎない。

 ヨーロッパでは、イギリスの長弓がその名をとどろかせた。イギリスの長弓はイチイの木を長く削り、両端を
弓弦でつないで作った原始的な形態で、破壊力と射程距離を上げるには弓を大きくするよりほかに
なかった。イギリス軍が15世紀に導入した2メートルの長弓は、当時としては革新的な射程距離200メートル
を誇ったという。

 またの名を石弓ともいう弩(ど=大弓)も、東洋・西洋を問わず広く使われた弓の一種だった。弩は梃子
(てこ)、引き金などさまざまな原理で弦を引き、矢を発射する。狙いをつけ易く射程距離が長いが、1度
矢を射ると再装填するのに時間がかかるのが最大の弱点だった。 (朝鮮日報)
905日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:27:12
これなに?
どっかの記事?
906日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:27:58
あ、書いてあった
すまん
朝鮮日報かよ…
907日本@名無史さん:2009/07/01(水) 21:30:03
水牛の角をある程度の量、恒常的に手に入ることが可能だったのかアノ国?
908日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:00:57
Wikipediaでは、こういうヨタ記事でも出典として認められるからな〜
909日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:05:49
>>874
一応朝鮮人は、日本軍に全く歯が立たなくて、鎧の重装備化を試みたらしいけど失敗だったみたい。

「日本人はよく刀槍を用ふ、我に堅甲なきがゆえに、敵するあたわず。
 さればよろしく厚鉄を用ひ、満身の甲を作り、兵士をしてこれをつらぬき、
 敵中に入らしむべしと。これに於いて取り敢えず、これが見本を製造して、
 これを試用したが、とてもその重きに堪えずして、これを廃した」(懲秘録)
910日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:42:59
>>909
日本は足軽雑兵だってギリシアの重装歩兵よりも重い鎧を着けて戦場を駆け回ったのにね。
911日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:47:47
>>904
まったくチョンは池沼だね。60-70mってのは、和弓の競技での的までの距離で、それも直射で
的に当てる距離だよな。和弓でも競技用のやや張力弱い弓でなく実践用の弓で、遠射用の矢を
使えば300m以上飛ばせたわけだし。
912日本@名無史さん:2009/07/01(水) 23:47:11
大体が、朝鮮弓は元々モンゴル弓と同じものなのに、なんでその2倍以上も飛距離があると
信じてるのかサッパリ判らん。自慢する割に弓の競技人口なんてほとんどないし。w

日本のものを貶す見下すのはデフォとして、モンゴルでは今でも弓は国民的なスポーツで、
張力は現在の和弓や洋弓の2倍ぐらいあるものを一般人でも平気で使ってるらしい。
よくもまぁ、そういう国の弓を馬鹿にしたような記事をいけしゃあしゃあと書けるモンだと思うよ。(苦
913日本@名無史さん:2009/07/02(木) 01:29:53
>>865

遅レスだが、中国の鎧がブっ飛んでるな。
いや、無双みたいな鎧を創造してたもんだから驚いた。

どっちかって言うとヨーロッパやイスラム圏っぽい気がするのは俺だけ?
後ろの歩兵はモンゴルぽいな。
914日本@名無史さん:2009/07/02(木) 01:30:54
当時の朝鮮弓に関しては射程が100歩(日本銃は数百歩)と懲秘録に書いてあるから、
妄想など入る余地が無いんだがねえ?
なんで朝鮮人は必死なのかわからんw
915日本@名無史さん:2009/07/02(木) 04:17:26
>>914
それも原文あれば読みたい
916日本@名無史さん:2009/07/02(木) 23:41:28
>>913

> 遅レスだが、中国の鎧がブっ飛んでるな。

見かけばかりで、キルティングにところどころ鉄板を貼ったようなもので、戦国時代の
当世具足と比べたらこけおどしのコスプレ衣装の様なもの。実際、武士より練度が
低くて槍での突きで国内ならば敵を倒せなかった槍足軽に串刺しにされている。
917日本@名無史さん:2009/07/03(金) 03:23:24
数が多いからまともな鎧を調達できんのでしょ
数対数の世界だし
918日本@名無史さん:2009/07/03(金) 09:01:41
当時の武士たちの性欲処理ってやはり現地調達だったんだよね

その割には混血児とか、日本に連れ帰ってこようとした女の数とか
かなり少ないように思えるんだけど
戦闘や殺害の方を優先してたのかね
919日本@名無史さん:2009/07/03(金) 09:33:26
>>918
つ衆道
920日本@名無史さん:2009/07/03(金) 18:26:22
加藤や浅野が性病に罹ってなかった?
921日本@名無史さん:2009/07/03(金) 23:58:21
梅毒コワイ
922日本@名無史さん:2009/07/04(土) 00:24:14
現地に遊女はいたの?
923日本@名無史さん:2009/07/04(土) 00:33:55
問題!

ベッドの上ですることで、最初はちょっと怖くて刺さったら血が出ちゃうんだけど、すごく良いことなーんだ?
924日本@名無史さん:2009/07/04(土) 00:40:38
>>923
献血
925日本@名無史さん:2009/07/04(土) 03:12:51
>>922
キーセンが一緒に海に飛び込んで武将を殺した、という伝説はあるみたいだから
それ自体はあったんでしょうな、で何人か捕まってたりはしたのかもね

ただ専門の売春とかはなかったんじゃね
言葉が通じないケースが多いし
926日本@名無史さん:2009/07/04(土) 04:42:24
>>919
ある意味「現地」調達だなw
隣に居る奴とか
927日本@名無史さん:2009/07/04(土) 10:35:45
指揮官は小西と加藤だがどの程度の権限を与えられていたの?
彼らより石高・官位・実績が上の武将も多い
928日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:14:56
>>925
論介ね。
晋州城落城後に、宴会をしている日本軍に付いた妓生の論介が日本軍武将に抱きついて、
もろとも城壁から城壁下の川に飛び込み、自らの命と共に、これを殺した「美談」として彼の国で信じられている。
後日の白話(李朝時代の小説)では、加藤清正を殺したとまでなっていたりする。
現在の韓国では、論介の被害者は、浄瑠璃の主役にもなっている毛谷村六助に「されている」。
「論介は伝説じゃない!!」と言う必死な検証をしている、あちらの方が書いた本も読んだ事もあるが、
それも毛谷村六助説で、どうしても朝鮮伝説の烈女が、それなりの有名人を殺した事にしたいみたい。

妓生はこれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%93%E7%94%9F
まあ、論介の伝説は兎も角、妓生を集めるってのはあったかもね。
貨幣経済未満の当時の朝鮮では、日本軍将兵の感覚からしたら安く集められたかも。
929日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:28:06
明軍は何であんなに弱いの?
日本軍が強すぎるだけ?
930日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:11:17
931日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:20:53
日本軍は戦国を戦い抜いたプロの精鋭だからな。

932日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:03:35
>>929
軍の指揮官が大した軍歴もない文官出身だったり、兵士はろくに訓練もされてない
烏合の衆を数だけで圧倒しているようなものだからな。
933日本@名無史さん:2009/07/05(日) 23:04:09
明軍烏合の衆説はかなり疑問。 蔚山包囲戦の絵をみると、
全員が騎乗し、軍備も統一している。
現存する絵自体は当時の物の模写らしいから、かなり正確だと思われ。
やはり鉄砲の威力が段違いで、そもそも相対的な戦争じゃなかったと
考えるのが妥当。
鉄砲の優位が生かしずらい斥候小部隊同士の遭遇戦だと、
日本側はそれなりに苦戦してるが、調子に
乗った朝鮮ゲリラが追撃をしたら日本軍の本隊にコテンパンに
やられるってのは何度も何度も出てくるお決まりのパターン。(懲録)
934日本@名無史さん:2009/07/06(月) 02:59:59
万里の長城を築くぐらいですから、明の北方に配置される部隊は明軍きっての精鋭でしょう。
935日本@名無史さん:2009/07/06(月) 03:36:59
精鋭だが同時にごろつきで中央の言うこと聞かない
936日本@名無史さん:2009/07/06(月) 04:31:00
ごろつきっつーのも何だな〜

まぁ、いってみれば日中戦争の頃の軍閥みたいなもんでしょ。
937日本@名無史さん:2009/07/06(月) 04:55:26
>>932
いや文官が指揮権持つってのは正しいんだよ
明の武官には軍事戦略考えられるのなんて、ほとんどいないんだから
明の武官はいかに槍をうまく使えるか、馬をうまく乗りこなせるか、みたいな基準で選ばれる(武科挙)
まあ現場指揮官のレベル
ちょっと後の時代の話だが、戦争に負けると
腹立ちまぎれに自分の武器壊して暴れるアホな武官がいたくらいだし
938日本@名無史さん:2009/07/06(月) 05:47:05
科挙だって軍事戦略関係ないじゃん
939日本@名無史さん:2009/07/06(月) 06:00:12
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
ウィキペディアの文禄・慶長の役が韓国発祥の英訳版に大幅書き換えされてます。
940日本@名無史さん:2009/07/06(月) 06:25:27
>>938
権力者にとって将軍の持つべき資質とはまず第一に勇猛果敢ということであり、
頭脳の明晰さは二の次であった。
(中略)
劉糸廷と共に遼東で戦死した杜松は、さらに粗暴で無鉄砲であった。
かれは戦場で兵士の先に立って戦ったが、ひとたび負けるや、
自分の武器や甲冑を壊して怒りのはけ口とし、そのうえ自殺するとか出家するとか言いはるのが常で、
落ち着いた大将の風格などまるでなかった。
このため彼はヌルハチに「ばか将軍の杜」と呼ばれたこともある。
(中略)
また、この武挙では刀・槍・弓・馬などの諸芸に秀でてるか否かが重視され、
文官主宰の筆記試験もあるとは言え。識字水準が試される程度のものに過ぎず、
軍事科学についての知識にまで要求が及ぶことはなかった。
(中略)
このような方法で養成された上級将軍には、自由自在に軍略をめぐらせうる人物などほとんどいなかった。
実は、これこそ文官集団の予期した目的であった。
ほとんどの将軍が匹夫の勇しか持たない人間だとすれば、当然のこととして各級武官を指揮する
総督・巡撫には文官を任命せざるをえないからである。

黄仁宇著 万暦十五年 一五八七文明の悲劇
941日本@名無史さん:2009/07/06(月) 16:16:54
袁崇煥みたいな奴は異例なのか
942日本@名無史さん:2009/07/06(月) 16:20:42
異例だから蛮族討伐の雄として歴史に残ったんでしょ。
943日本@名無史さん:2009/07/06(月) 16:40:12
>>941
袁崇煥も文官出身
944日本@名無史さん:2009/07/06(月) 16:53:24
日清戦争の頃の清軍もひどかったらしい
粗暴な奴を集めれば軍隊になると思っていた
清国艦隊も不利になると艦長を脅迫して降伏した
945日本@名無史さん:2009/07/06(月) 17:38:21
太平洋戦争の頃の倭軍も
韓国女数十万強制的に集めてセックスばっかやってたらしい。
946日本@名無史さん:2009/07/06(月) 18:51:13
>>945
ここは学問板です
そーいう工作活動はニュー速+でどうぞ
947日本@名無史さん:2009/07/06(月) 22:37:10
壬辰倭乱において
倭軍などとは呼ばない。
倭奴・倭賊・倭寇と呼ぶべき。
948日本@名無史さん:2009/07/07(火) 17:52:34
明軍より日本人にとって大陸での戦いの最大の敵は、疫病じゃね。
文禄・慶長より医学が大きく発展した近代でさえ、日清戦争の戦死者の
大半が疫病での死者だったわけだし。繊細な体の日本人には朝鮮半島の
不潔さは耐えられなかったんだろう。毛利輝元なんて書状で朝鮮の不潔さと
自身がそれが元で体を壊して目も当てられない状態だったことを書いてる。
「蝿の多さ、大方にてなく候、地も見へぬ程にて候。(体が)いたみ申し候、
水がたたり申し候。(中略)牛共くい候故、くさく候にて、牛多候。皆々あめ牛
ばかりにて候。何方も日本にかわり不申候」(輝元書状)
大名でさえ、不潔すぎて泣きそうになってるところを見ると、下級兵士たちは
これ以上の惨状だったのは疑いないな…。
949日本@名無史さん:2009/07/07(火) 18:00:03
950日本@名無史さん:2009/07/07(火) 18:00:45
しゃべれよ
951日本@名無史さん:2009/07/08(水) 01:14:30
しかし、秀吉の朝鮮・明征服は失敗してよかったと思う。
成功して中国を手に入れていたら、今頃大和民族は満州族の様に言語的文化的に
漢族に同化しはてた少数民族になっていたかもしれない。
952日本@名無史さん:2009/07/08(水) 01:56:10
海を隔ててちゃ、征服が成功したとしても同化以前に追い出されていたんじゃないか?
ヨーロッパみたいに植民地経営のノウハウ無いんだし。

たぶん武士が中国各地に土着してそう。
953日本@名無史さん:2009/07/08(水) 07:46:09
954日本@名無史さん:2009/07/08(水) 15:54:07
>>951
それ日中戦争前にどっかの学者か何かが言ってた
中国を植民地にしたら日本人が中国化すると。
しかし食事ではラーメン餃子という形で日中戦争の名残が…
955日本@名無史さん:2009/07/08(水) 16:05:19
         ,  -─-
       , -'´       `丶、
      /            \
     /                  ヽ
    /            _     ',
   l   -‐  --──-- _     |      我ユクモ
   |  /`ヽ、    , -- 、     __,|     マタ
   |__, ===─i=r === 、_, -‐'{.トl|       コノ土地ニカヘリ来ン
  /f'il -=ユヾj  {.l にニ=‐}}    レ'´゙!
  ヽ_}ヽ '´ ̄  /  ヽ  ̄` .ノ     rj/     
   l `=='/     ヽ= '      /    日帝は、ナチスドイツと違って、     
    l     /{,. -、_, -、j\        !    民族浄化ではなく、民族同化を 
     l   /  /lllllllllll\  ヽ      l   考えていた、    
     ! { llllllllllllllllllllllllllヽ }       即ち、創氏改名で、日本風の名前に   
      ',  '´  ̄二 ̄ ̄ `   /jヽ      させて、朝鮮人を戦力に利用しようと
      \           //  l      していたんだ。
        | \____/ '´     !     丁度、将棋のルールで相手の駒を取ったら
     .__| |\ \_,. -‐'_, ‐i       }─-  即使えるようになるのと同じ
_,. -‐'"´ | |丑ュl | r‐'´  。 |    /    ナチスドイツと日本帝国
       \セヨ| | | 。 °/ /          の違いだな。
        \_| ! -‐'´ -‐'´      ところが、日帝は計画途中で、滅んでしまう
          , =、'"´          後に残された朝鮮、支那、台湾その他は
         英 霊             洗脳の途中で解放されて。。
956日本@名無史さん:2009/07/08(水) 16:45:50
中国文化の同化力は異常。
957日本@名無史さん:2009/07/08(水) 18:13:51
この戦いって結局戦略的には負けなの?
958日本@名無史さん:2009/07/08(水) 18:59:03
負け。
勝利目標を達成しなかったベトナム戦争なもの。

ただベトナムと違うのは、宗主国の援軍と国民の暴動によって滅亡を免れた点。
959日本@名無史さん:2009/07/08(水) 19:03:18
ベトナム戦争も戦闘だと米軍の圧勝だったんだけど
アメリカが勝ったイメージないな
960日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:46:27
「新史 太閤記」 by司馬遼太郎
961nomu:2009/07/08(水) 23:51:49
いつも思うんだが、明軍は文禄約5万(日本軍16万〜20万)
慶長 明軍約8万(日本軍14万〜18万)どうやった明軍は日本
に対し、人海戦術ができるんだよ!
962日本@名無史さん:2009/07/09(木) 00:24:57
>>955

うそ書くな。創氏改名は、満州国で働く朝鮮人が、いくら「ウリは日本国民ニダ」と言っても
地元の漢族や満州族やモンゴル族から高麗棒子とバカにされるから、朝鮮人側から要求
してきたんだろ。それから、陸軍士官学校や海軍兵学校は内地だろうと台湾・半島だろうと
日本国民は試験に通れば入学できたから、卒業後に士官でスタート出切る軍隊の幹部
養成学校に競って入学したんだろうが。そもそも、創設当時の韓国軍将校は全員陸士と
兵学校の卒業生だろうが。
963日本@名無史さん:2009/07/09(木) 01:51:37
>>961
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」

多分、師ってのが将兵だと思う。次の100万ってのは民か?雑兵か。
なんにしろ100万人くらい消耗して、全く勝算が無かったと明は記してるな。
で、秀吉が死んだから終わってくれたと。
964日本@名無史さん:2009/07/09(木) 02:17:10
7年朝鮮に居たが、その間、倭城は一つも落とされなかったようだ。
一方で、大陸式の城は50%ほどの可能性で日本は落とせている。

つまり、じわじわと倭城を作って前進していれば、そのうち
倭城を攻略でき無い明は滅んだだろう。

なにせ、野戦でも日本の将兵の死者はほとんど出ず
寒さと病気での死がほとんど。
野戦で日本兵を討ち取られた、討ち取ったという資料があるか?
一方で明は武将もどんどん死んで副司令官まで死亡。使者は数十万。

ただ秀吉が死んで終わったと。
965日本@名無史さん:2009/07/09(木) 02:34:49
秀吉が死んですぐ撤退するような魅力の無い土地じゃ長期戦やるだけ無駄だろうに。

966日本@名無史さん:2009/07/09(木) 02:42:27
朱元璋厨の俺から見てもこの時の明軍は情けない
967日本@名無史さん:2009/07/09(木) 02:48:02
>>962
そこ大事だろ、嘘だというならソースを示せ、ソースがあるなら
朝鮮の主張に反論できるだろ。
朝鮮の言い分はいつでも「強制させられた」なんだから、
そこを覆すのが重要だ。

【論点1】
創氏改名は、満州国で働く朝鮮人が、いくら「ウリは日本国民ニダ」と言っても
地元の漢族や満州族やモンゴル族から高麗棒子とバカにされるから、
朝鮮人側から要求

【論点2】
台湾・半島だろうと 日本国民は試験に通れば入学できたから、卒業後に士官でスタート出切る軍隊の幹部
養成学校に競って入学した

論点1,2、共に「朝鮮人が自主的に望んで、要望を上げた」という証拠を示せ、
日本側が仕組を作ってレールを敷いたならば、
自主的とは言えないかもしれない。
968日本@名無史さん:2009/07/09(木) 07:16:56
上であがってるこの数字が事実なら明は相当ヤバかったことになるけど、ソースはなんだろう?

万暦の3大征
モンゴル降将ボハイの反乱1592年
遼東の李如松が派遣され鎮圧
戦費銀180万両

壬辰倭乱1592〜98年
戦費780万両

播州土司楊応龍反乱1597〜1600年
4年間20万の官軍で鎮圧・戦費銀200万両

万暦帝の時代の国庫は400万両
969日本@名無史さん:2009/07/09(木) 07:39:28
970日本@名無史さん:2009/07/09(木) 08:57:08
>>967
朝鮮人の将軍も居たが、本名だっただろ。
強制だったら朝鮮名で日本軍の将軍になることはできないはずだ。
朝鮮名のままの将軍は10人以上居た記憶があるが、そのうちの一人

洪思翊
http://www.tamanegiya.com/kousyoubunn.html

まだ大尉であったころ、息子の洪国善が近所の悪童から
「チョーセン、チョーセン」とからかわれたとき、大英帝国に
虐げられても誇りを失わないアイルランド人の例をひき、
「どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言いなさい。
決して『朝鮮人の』を略してはいけない」と諭したという。
 そんな信念の人だったから、日本風の姓に改名などもちろんせずに
一生を終えました。
指揮官になると常に日本兵の前で、 「自分は朝鮮人の洪思翊である。
唯今より天皇陛下の御命令により、指揮をとる。異義のあるものは
申し出よ」と初訓示したそうです。

早い話が、創始改名されたと泣き喚いてる奴は、自分で改名したゴミ野郎だと
自白しているようなものだな。在日は全員だ。
971日本@名無史さん:2009/07/09(木) 10:14:43
>>963
餉数百万は兵糧だろ
972日本@名無史さん:2009/07/09(木) 10:15:22
>>963おいおいマジキチを相手にすんなよ
973日本@名無史さん:2009/07/09(木) 11:11:12
>>963
わろたw
字見りゃわかんじゃんw
民はメシかよw
974日本@名無史さん:2009/07/09(木) 17:58:51
975日本@名無史さん:2009/07/09(木) 18:21:39
しゃべれよ
976日本@名無史さん:2009/07/09(木) 19:33:38
?
977日本@名無史さん:2009/07/09(木) 19:35:59
>>973
民はメシにもなるよ
978日本@名無史さん:2009/07/09(木) 20:19:14
蔚山城って、要害?
979日本@名無史さん:2009/07/09(木) 20:53:19
?
980日本@名無史さん:2009/07/09(木) 20:54:52
980
981日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:06:31
981
982日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:10:46
982
983日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:13:03
983
984日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:16:33
984
985日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:19:07
985
986日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:23:14
986
987日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:26:45
987
988日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:30:07
988
989日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:33:18
989
990日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:35:37
990
991日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:39:22
992日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:42:39
992
993日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:44:58
993
994日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:52:10
994
995日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:53:32
995
996日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:54:53
996
997日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:56:38
997
998日本@名無史さん:2009/07/09(木) 21:57:56
999日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:00:29
1000
1000日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:00:40
>>999
プゲラw
遅すぎw
ご苦労さんw
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