脇坂安治と仙石秀久について語れ

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1人間七七四年
脇坂安治・・日本より韓国で有名な戦国武将。明智光秀に仕えて武名をあげるも秀吉に転身。
七本槍になったが、朝鮮では大勝利と大敗北を経験。関ヶ原で裏切ったが唯一加増され、大坂の陣では中立を守った

仙石秀久・・秀吉古参の家臣。織田信長からも武勇を賞された、戸次川の戦いで島津に大敗して改易。小田原戦で大名に戻った。関ヶ原以後は徳川に服従したため息子が離反。
2人間七七四年:2009/03/11(水) 16:36:48 ID:TEzyIlll
豊臣恩顧といえば加藤清正・福島正則・石田三成だが
せっかくキャラが濃いのにマイナーな脇坂や仙石の知名度をもっと上げたい
3人間七七四年:2009/03/11(水) 16:53:08 ID:QiwBj1ak
脇坂は大坂の陣で中立なのかと。
4人間七七四年:2009/03/11(水) 17:02:22 ID:frbDE6xG
センゴクは四国、九州征伐で先鋒
つまり捨て駒ww
5人間七七四年:2009/03/11(水) 17:03:21 ID:5ZyUnLw4
仙石は司馬遼が書いた戸次川のイメージが強すぎてなぁ
センゴク天正記のお陰で再評価されて本当に良かった
6人間七七四年:2009/03/11(水) 17:24:08 ID:i//nQe9i
仙石は秀吉をして天下を取る器と評されたほどだしな。
家康が最も警戒し、懐柔につとめた名将。
7人間七七四年:2009/03/11(水) 17:24:48 ID:s2tlvbR/
ところで何故この2人?
8人間七七四年:2009/03/11(水) 17:39:45 ID:TEzyIlll
>>6
最初の文の主語を今の大河ドラマの主人公に置き換えてNHKが宣伝中

>>3
脇坂は出陣を命じられながら二度とも国元から動かず
9人間七七四年:2009/03/11(水) 19:29:11 ID:APOgd7qS
>>5
後任軍監で真逆の方向でやらかした尾藤知宣や
小牧長久手でやっちゃった神子田正治ら他の所領没収組が結局殺されてる中
何だかんだで大名として復帰してるのはもっと評価されてもいいよな>仙石
10人間七七四年:2009/03/11(水) 21:42:22 ID:0Z3aoYJ2
仙石は信親殺したイメージしかないな
11人間七七四年:2009/03/11(水) 23:57:22 ID:fNqcF5kS
>>4
先鋒=捨て駒とか突っ込み所が多すぎて

まあネタなんだろうけど
12人間七七四年:2009/03/12(木) 12:26:53 ID:bXck/NRt
>>9
家康がとりなしたから

二人とも5万石の大名じゃもったいないぐらいの活躍だ
13人間七七四年:2009/03/12(木) 12:48:20 ID:yVzLqfZE
>>4
九州征伐まで仙石は秀吉の配下の出世頭だけどね
14人間七七四年:2009/03/12(木) 17:00:26 ID:TDz6lBZY
(例外として秀長を除けば)仙石って確かにありえない速度で加増されてるような。
信長直臣で寄騎なんだっけ?それとも秀吉直臣だっけ?
15人間七七四年:2009/03/12(木) 18:15:25 ID:lBLOB0eQ
信長直臣で寄騎。
だが秀吉以外には寄騎に行ってないから実質直臣みたいなもんだが。
美濃攻め以降戸次川まで20年近く仕えてんだよね。
16人間七七四年:2009/03/12(木) 18:53:45 ID:iM1Vs51c
淡路繋がりか
17人間七七四年:2009/03/12(木) 20:56:29 ID:80e6fzDp
秀吉の直参がへぼ過ぎて泣けてくる
家康に天下を取られるわけだ
18人間七七四年:2009/03/12(木) 20:59:10 ID:2L9ke30S
仙石は、武士としては優秀だが、将としては最低。上司に気に入られるのが上手い。というイメージ。

脇坂も世渡り上手か。
19人間七七四年:2009/03/12(木) 21:15:59 ID:yVzLqfZE
>>18
仙石がタイプの違う信長、秀吉、家康、秀忠4人の天下人の部下として働いてたが
4人共仙石のこと気に入ってた

上手というよりもう天才だな
20人間七七四年:2009/03/12(木) 21:37:41 ID:gsZoKAYS
これだけ実力あるのに知名度が低い&悪いのは、やっぱ戸次川が原因だよなぁ…
この一つの戦で、全てを台無しにした感がある

まぁ、それでも復帰しているから、やはり実力はあるんだよなぁ…
21人間七七四年:2009/03/12(木) 22:10:52 ID:fcXVm8Xe
秀吉が自分の一字を与えて跡継ぎに据えようとしたほどだしな。
可愛さ余って憎さ百倍というやつだろう。
22人間七七四年:2009/03/12(木) 22:14:33 ID:bXck/NRt
>跡継ぎに据えようとした

初耳で御座る
23人間七七四年:2009/03/13(金) 01:08:55 ID:3oH4c+SA
戸次川の大敗が大げさというけど実際に大敗だろ

長宗我部の嫡男が戦死して長宗我部元親は海を越えて日振島へ敗走
現職の大名の十河存保は戦死
大友の重臣・戸次も戦死
そして仙石は海を越えて領地の讃岐へ逃走
24人間七七四年:2009/03/13(金) 01:26:00 ID:GmkSbODC
毛利(森)勝信も入れてくれ
25人間七七四年:2009/03/13(金) 03:03:39 ID:SPrrzZ2q
確かに戸次川級の大敗なんてあの時代でもそうそうはないだろ。
自分の判断ミスで戦死させた長宗我部信親について元親に詫びたとか慰めたとかって話もないし、
同様に戦死させて(生駒の横槍で)断絶された十河家に何のフォローもないしな。
降格された自分の身だけは、わけのわからんスタンドプレーでカバー。
上司に気に入られるのは上手いが、同僚にはしたくないな、コイツは相手を利用することしか考えてなさそう。

脇坂は丹波の赤井さんに毛皮を譲ってもらった創作話とかあるし、数少ない水軍の将だし
当時はそれなりには注目されてたんじゃないかな。ただ同期の清正と正則の存在がでかすぎちゃうだけで。
26人間七七四年:2009/03/13(金) 03:23:29 ID:UPDd2y1q
仙石秀久が戦場で目立つ為に全身に鈴をつけて戦ったっていうエピソードは好き
27人間七七四年:2009/03/13(金) 05:32:03 ID:Vvjt0M8/
戸次川の異説を宮下英樹に期待してしまう俺ガイル
何か余程の理由があって引き上げたんではないか…と
ただヘタレで逃げられたのでは信親や十河が哀れすぎる

>>26
仙石原のエピソードですね
小田原の役は戦らしい戦が殆ど無くて、仙石と井伊直政だけが戦果を上げたんだっけな
28人間七七四年:2009/03/13(金) 08:05:45 ID:ijpmPPi4
仙石は派手な活躍はないが多くの戦を生き抜き
諜報だの城普請とか地味な仕事を地道にこなして
出世したんだよな。
便利な部下に一人いると助かるタイプだったんだろうけど
経歴として戸次川が浮いてる気がするね。
29人間七七四年:2009/03/13(金) 09:34:22 ID:L8A+IUSi
仙石は忠犬って印象
で、名犬ではく単なる猛犬。
臭いで誰が一番強いのか察知し逆らわないって意味での賢さはある
30人間七七四年:2009/03/13(金) 09:37:59 ID:SPrrzZ2q
戸次川が浮いてるわけではないでしょ。
四国の時も長宗我部相手に敗退してたはず。
更に(どこまで史実か知らんが)上田城攻めの時に力攻めを主張して真田昌幸に翻弄された逸話もあるし。

だいたいあの島津家久相手の野戦なのに、秀吉の自重しろって命令も元親の警告も無視して
たいした対策も採らずに自分の力を過信して突撃して壊滅とか、将として無能としか言いようが無い。
平時や小身の部下としてなら上司にとって使いやすいけど、一軍の将としてはダメダメなイメージ。
31人間七七四年:2009/03/13(金) 09:54:51 ID:SPrrzZ2q
>>27
井伊のはともかく、仙石のは戦果って程のものでもないような。
戦果というなら、散々城を落としまくった上杉・前田・真田の北国勢や徳川勢、
城を短期間で落としすぎて秀吉に、もうおまえのは戦功に数えねーよといわれた浅野勢とか一杯いるけど。
特に北国勢は大道寺を降して道案内にして、八王子の撫で斬り、北条氏邦の鉢形城すら陥落とエピソード一杯だけど。
32人間七七四年:2009/03/13(金) 10:35:19 ID:qkqthbRO
>>31
他の大名は支城を落としたけど、仙石は小田原の虎口を落とした
しかも領地召し上げられた浪人の身分で手勢を率いて攻め落としたから
大したことないってのはないだろう
33人間七七四年:2009/03/13(金) 11:13:45 ID:Ixb2JNp+
>>25
>詫びたとか慰めたとか
正直長宗我部厨が
前年秀吉に滅亡間近までぼこられて頭下げて必死の機嫌取りで参陣してるという事実を黙殺して
一端の恩顧大名気取りなのが解せん。
34人間七七四年:2009/03/13(金) 11:28:21 ID:51Lie2ly
>>27
無知なキミは黙ってなさい。
でなきゃ、丑三つ時に八王子城址へ行って、じっくり話し聞いて来いw

>>31
石田三成の忍城水攻め失敗も、エピソードに入れといてやれよ

>>32
仙石の小田原城虎口陥落は感状モノの武功だね。
でなきゃ帰参なんて、普通は許されないだろう。
35人間七七四年:2009/03/13(金) 12:34:19 ID:3oH4c+SA
水攻めは秀吉が直接命じたからな(三成は反対したが君命に逆らえず)

大敗したといえば脇坂も李峻臣に大敗して一族失ってるし
その後に挽回して3千石加増されたけど、「負けたけど後に復活」という意味では二人は似ている
36人間七七四年:2009/03/13(金) 13:13:54 ID:SqlyN6Ys
センゴクで権兵衛の撤退命令を聞かず信親 存保無駄死にみたいな描かれ方してたらやだなぁ…
37人間七七四年:2009/03/13(金) 13:19:20 ID:JfX5f0d0
大丈夫。史実でも長宗我部親子、存保全員討死するはずのところを
秀久の鬼神の奮闘で元親が助かってるから。
作者もそのへんはわかってると思うよ。
38人間七七四年:2009/03/13(金) 13:23:48 ID:sP3RuMNd
ツインターボのような逃げっぷりだけど
39人間七七四年:2009/03/13(金) 13:44:39 ID:YornvGCI
信長秀吉と足の早い武将の下で鍛えられたからな
40人間七七四年:2009/03/13(金) 13:53:54 ID:qxVEOtmj
逃げたわけじゃないだろ。あれは転進。
万が一の島津の侵攻に備えていち早く小倉の守備を自ら固め、海上ルートで薩摩攻撃の準備をした。
悪天候のため運悪く船が讃岐に流されてしまったが、それは結果論にすぎない。
41人間七七四年:2009/03/13(金) 14:14:44 ID:3oH4c+SA
センゴクで描かれる戸次川の妄想

仙石「ここは豊前の毛利勢と合流して・・」
長宗我部元親「毛利殿の加勢など要らぬ。一気に前進して叩き潰してしまえ」
十河存保「その通り。毛利と合流して戦っては、勝っても毛利に手柄をなさしめるだけでござる」
長宗我部信親「わしが先陣を相努めようぞ!島津ごとき我が一領具足が粉砕してくれるわ」
仙石「しかし関白殿下から勝手に戦うなとの御沙汰が・・」
長宗我部元親「戦には臨機の処置が必要で御座る。大坂は遠い。手柄をあげれば関白殿下は大いにお褒めくださろう」
大友義統「島津はまこと恐ろしいでござるよぉ」
長宗我部信親「ふんっ、そんな根性ゆえ、大友の家は滅びかけるのよ。臆病風に吹かれたうつけキリシタンめが!」
十河存保「仙石殿と大友殿はここにおられよ。我らの手で島津を成敗し、首を持参仕る!!]
長宗我部親子「おーーーーー!!」
仙石「あいや、待たれよ、待たれよーーー!!!」

長宗我部と十河は総崩れとなり、大友は戦わずに逃亡
仙石は命がけで長宗我部を救出するという奇跡を演出
そしてみずから進んで讃岐の領土を返上したのであった(味方を置いて讃岐へ逃亡した史実はスルーですが何か)



42人間七七四年:2009/03/13(金) 14:25:39 ID:4Pa4SkXX
>>41
おもろいじゃん。
讃岐へ逃亡は後世の創作だからなくて正解。
43人間七七四年:2009/03/13(金) 14:29:48 ID:lWmuvehm
仙石が讃岐まで逃げたのは、戸次川で手勢が壊滅したので、軍勢を再編成する為だったのかもしれない。
44人間七七四年:2009/03/13(金) 14:32:47 ID:XIO5NRsX
>>41
置いてって言っても大友は最初から出てこなかったし、元親も領国まで逃げ帰った
大敗したんだから、まず本国の防御を固めてから再起を図るのは割と一般的だったと思う
九州はもちろんだが、当時の四国も豊臣政権に降伏したばかりだし、仙石が信頼できる
のは手勢しかないから、もし大友や長宗我部が島津側に着いたら小倉にとどまるのは危険だろう
似たような状況で信長も金ヶ崎から一気に岐阜まで逃げ帰ったし、結果的に逃げたけど
それほど責めるべきことでもない
あえて責任を問うなら降伏したばかりの四国勢を九州征伐に使った秀吉に責任があると思う
45人間七七四年:2009/03/13(金) 14:47:28 ID:3oH4c+SA
1586年9月 仙石秀久ら四国軍が大友氏の本拠地・豊後府内上陸
 
1586年10月 毛利輝元・吉川元春・小早川隆景が豊前小倉城を落とす
         

1586年12月5日 島津家久が豊後鶴賀城を包囲

1586年12月12日 戸次川の戦い(長宗我部信親・十河存保・大友家重臣の戸次統常戦死)

1586年12月13日 島津家久が大友氏の本拠地・豊後府内を制圧

1586年12月24日 毛利軍が豊前香春岳城を落とす(高橋元種降伏)

1587年1月1日  豊臣秀吉が兵糧30万石の用意を石田三成・大谷吉継に命令

1587年3月1日  豊臣秀吉が勅使に見送られて、8万の大軍で大坂を出陣

46人間七七四年:2009/03/13(金) 14:53:23 ID:3oH4c+SA
仙石が讃岐へ逃れた後は毛利軍が島津と戦うことになった(後に宇喜多軍が加勢)
47人間七七四年:2009/03/13(金) 18:51:47 ID:Ixb2JNp+
>>45
改めて見ると12月5日の段階で
大友義統にやる気とカリスマの神様が降臨して1日で家中を糾合して戦闘態勢に入らん限り
府内まではどうやっても落ちるな。
48人間七七四年:2009/03/13(金) 23:15:54 ID:WrfhLd6r
良スレの予感

取りあえず漫画「センゴク天正記」が戸次川の合戦編になるまで、このスレが維持されるように願うw
まだ手取川の合戦編に入ったばかりだから、10年近く先の話になるけどw
49人間七七四年:2009/03/14(土) 00:44:25 ID:WMWsZ8qn
どこでセンゴクを終わらせるのか気になる
50人間七七四年:2009/03/14(土) 00:54:06 ID:4ONdKGSb
>>49
本能寺の変に決まってるでしょうが
51人間七七四年:2009/03/14(土) 00:59:35 ID:2RkCLMK5
    __ / ̄'' ̄ ̄\
   (/ ⌒    ⌒ (⌒ヽ
  / (●)  (●) ヽ_ノ  秀忠にわんわんおするまで続くお
  |    (__人__)    | 
  \__     __,,/ 
     |         ⌒ )ノシ
     (,_,_ノ―‐(,_,_ノ⌒i,,_j
52人間七七四年:2009/03/14(土) 01:24:54 ID:HKKoSxlo
>>50
天正記はそこまでだろうな。
太閤記は多分紀州攻めが終了して5万石貰って終りだろう。
53人間七七四年:2009/03/14(土) 02:00:37 ID:g9PDKD1l
もう次のタイトル太閤記に決まったのかw
センゴク好きだけどここであまり話すとセンゴクスレでやれと言われそうだし、
かと言ってセンゴクスレで戸次川や小田原を話すと戦国板いけと言われそうだし、
戦国板センゴクスレなんかがあると漫画ではこうだけど史実や逸話はこうなってるみたいな話も
歴史好きから聞けそうでいいなあと思ったけど、それはそれで過疎りそうだよな。
54人間七七四年:2009/03/14(土) 10:32:01 ID:HKKoSxlo
>>53
いや、むしろ歴史知識披露したい奴らは全部こっちでやれと言いたい
今日の朝もマジキチが現れたからな。
小田山なんて人物とか俺初めて知ったわww
55人間七七四年:2009/03/14(土) 10:48:52 ID:KV1UEfH4
>>54
いや小山田は割と…と思ったら小田山かよw
56人間七七四年:2009/03/14(土) 10:55:17 ID:NJdqvscO
小田原か小山田かどっちかはっきりせい!

…そろそろ本題に戻ろうか
57人間七七四年:2009/03/14(土) 11:40:45 ID:LoTzYwXA
w
58人間七七四年:2009/03/14(土) 12:12:55 ID:3DClVEHU
>>54
小山田を小田山と書き間違えたんだろう
武田神社の宝物殿へ行って、武田二十四将図をしっかり見て来いと小1時間…(ry
59人間七七四年:2009/03/14(土) 14:24:17 ID:WMWsZ8qn
仙石は大坂の陣で徳川と豊臣に分かれる

脇坂は大坂の陣で中立

豊臣家への忠義を忘れていない所がおもしろい
60人間七七四年:2009/03/14(土) 22:02:29 ID:WMWsZ8qn
age
61人間七七四年:2009/03/14(土) 22:42:51 ID:4LE+u/7f
いや、脇坂は中立ってより大坂にいたときに関が原起こったから
イヤイヤ西軍に入ったけど結局裏切りが起こった瞬間に便乗して
東軍についたんじゃ?
62人間七七四年:2009/03/14(土) 22:56:23 ID:LS4PiK29
お前は何が言いたい
63人間七七四年:2009/03/14(土) 23:04:27 ID:fvfKI2aB
>>61
よく読め、”大坂の陣”の話だ

>>53
まだ流石に決まってないだろ、そもそも天正記ですら始まったばかりなのに…
まぁ俺も本能寺の変辺りがポイントかと思ってる
64人間七七四年:2009/03/15(日) 03:56:16 ID:uwiauW3M
>>61
そんなスキャンダルかましときながら後世には老中まで出してるんだからたいしたもんだね。
いや別に市松さんトコがとーとか、孫六さんトコの坊ちゃんがどーとかとか、
他の七本槍(又はその跡継ぎ)が基地外ばっかとか言いたいんじゃありませんよw
65人間七七四年:2009/03/15(日) 13:01:33 ID:d9AYsIHL
元々秀吉に仕える前かられっきとした騎馬武者として槍働きしてた脇坂を小姓上がりの
他の七本槍と同一には語れないな
強いて言えば糟屋武則も帰服した播磨の土豪だから別口だが
66人間七七四年:2009/03/15(日) 13:10:40 ID:BkJdRNj+
仙石は四国攻めでも敵の奇襲にフルボッコにされたんだよな
67人間七七四年:2009/03/15(日) 13:14:09 ID:BkJdRNj+
>>59
中立ってか現役引いたからだろ
脇坂家の当主はちゃんと参陣してる
68人間七七四年:2009/03/15(日) 13:28:51 ID:ieehKvCP
豊臣滅亡後に上洛して当主を譲った
69人間七七四年:2009/03/15(日) 14:25:31 ID:+YbkS+4K
>>66
ん?仙石側が先に香川隊に奇襲成功→で押して行くが元親の行動が早くて撤退だが?
70人間七七四年:2009/03/15(日) 15:28:17 ID:+YbkS+4K
ゴンベの1回目の淡路攻めの時の相手調べてたんだけど
菅平右衛門ってどんな人?今一どんな人物か解らん。
71人間七七四年:2009/03/15(日) 15:30:40 ID:+YbkS+4K
あー間違えた、信長死後の2回目だね↑
1回目は安宅水軍って三好氏?
72人間七七四年:2009/03/15(日) 15:40:58 ID:+YbkS+4K
この人か、ここで安宅家は滅亡してしまうのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E6%B8%85%E5%BA%B7

三好の人間も戦にいるっぽいけど知名度が低いこの人が大将だと
ただのMOBになってしまうのかね。
73人間七七四年:2009/03/15(日) 16:13:12 ID:QN1w342z
>>72
は?安宅が知名度低い?
安宅(三好)冬康がMOB?

春休みは楽しいかな?
74人間七七四年:2009/03/15(日) 17:05:52 ID:HMiPKKEB
いちいち煽らないと書き込みもできない奴のほうがよっぽど子供
75人間七七四年:2009/03/15(日) 17:42:34 ID:ieehKvCP
仙石は秀吉から気に入られて大名に戻れたが、脇坂は秀吉から嫌われてたのか?
小田原攻めの後に加増がない(功績として伊豆下田城を海から攻め落とし、小田原城受取の検使にもなっている)
76人間七七四年:2009/03/15(日) 17:56:43 ID:QN1w342z
>>74
申し訳ない。

だけどね?
連レスの上、毎回ageて有名武将の扱き下ろし。
しかも、語る内容は仙石じゃなくて漫画のセンゴクの事と来た。

煽りくらいは入れたくなったんだよ。
2ちゃんのマナーとしても叩くに十分だと思ったが。
77人間七七四年:2009/03/15(日) 18:04:21 ID:bNrPWAKa
2ちゃんのマナーは煽らずスルーじゃなったカニ
対話として成り立たない書き込みはOUTなんよ
78人間七七四年:2009/03/15(日) 18:13:45 ID:HMiPKKEB
>>76
おお、まともなレスが返ってきた
てっきり、単発での挑発的な文言からカルシウムの足らない人かと。
思うところあってのところだった訳ね。スマン
確かに↑でも触れられていたけど、漫画センゴクの話は意見が別れるところだね。
可と明示するテンプレがない以上、やっぱりスレ違いかな。
79人間七七四年:2009/03/15(日) 22:21:23 ID:ieehKvCP
宇喜多秀家が八丈島から泳いで参ったが定着しているぐらいだから
漫画センゴクの話もある程度いいと思われる
80人間七七四年:2009/03/15(日) 22:58:57 ID:BYWMWAlU
大中納言様を比較対象にもってくるなw
81人間七七四年:2009/03/16(月) 00:19:17 ID:VJv1UXmp
ま、センゴク自体は多少は良いとしても、複合だとイラッとしたのがいてもしょうがなくはあるな。

チャットじゃあるまいし、短時間の連投の上、質問してすぐの自己解決もあまり褒められた行動ではないし、さらには結構な武将をMOBになりそうってレスは煽りに感じるヤツもいるだろう。

すぐ自己解決するなら、質問する前に調べろよって話だからな。
82人間七七四年:2009/03/16(月) 02:32:26 ID:FteLBMDB
語れる資料や事跡が多くないから
センゴクネタを×にすると異常に過疎る気がする

改選仙石家譜がもっと簡単に読めればなあ
83人間七七四年:2009/03/16(月) 13:19:14 ID:BBb6DZVq
このスレに限らず
戦国板は史実知識で語るやつと漫画・ドラマ・ゲーム等の知識で語るやつが
混在してるからな
そしてそのどちらも板違いでないから始末が悪い
元の三戦板からしてそうだったが
三国志の場合は「軋轢」の歴史が古いから「正史では」「演義では」と前置き
する場合が多くてまだ話が通りやすい
84人間七七四年:2009/03/16(月) 16:19:24 ID:c2eu5Vcz
小魚でもかじればいいよ
85人間七七四年:2009/03/16(月) 22:51:52 ID:LBp5g9Om
センゴクは結婚話の進捗程度でストーリーが進まなかったorz
86人間七七四年:2009/03/17(火) 00:46:14 ID:H1MdO/w2
>>85
面白かったじゃん。てか仙石秀久のスレで言う不満じゃないなw
87人間七七四年:2009/03/17(火) 00:46:34 ID:TbYS9JGx
んで、なんで脇坂と仙石がセットなんだ?
なんか共通点とかあるか?
88人間七七四年:2009/03/17(火) 00:59:13 ID:Y9TJS9Vv
秀吉配下で出世して一度失敗を経験して、最終的に5万石に収まったというのが共通点じゃない?
脇坂は仙石の後に淡路の領主になったし

マンガと話題が被るのはしょうがないが、ここでマンガの文句言うのはどうかと思う

89人間七七四年:2009/03/17(火) 01:08:59 ID:I/Plt60P
秀吉時代の大河ドラマはたくさんあるが仙石と脇坂は登場しないことが悲しい
山内一豊の時も登場せず
90人間七七四年:2009/03/17(火) 01:10:08 ID:7wVjzFNG
俺の脇坂のイメージは関ヶ原での寝返りしかなく、
仙石に至っては、漫画「センゴク」を読んでなかったら、全く知らない存在だったw

ある意味、俺には貴重なスレw
91人間七七四年:2009/03/17(火) 01:37:10 ID:I/Plt60P
今調べたが、秀久の妻の父・野々村吉安は豊臣家七手組として大坂夏の陣で討死か・・

秀久の二男秀範も豊臣軍に加わって討死したといわれる(行方不明、だが秀範の息子が戦後に徳川軍に処刑)
92人間七七四年:2009/03/17(火) 05:49:47 ID:ylhpAEKE
大坂では秀範が討死、盛親が逃亡。

戸次川因縁の両家が再び共闘して、最後も入れ代わるのも面白いな。
93人間七七四年:2009/03/17(火) 11:17:30 ID:/qJr0wEJ
戸次川の敗戦で自領に引くのは戦国武将として別におかしくない。

長曽我部勢の戦いっぷりを知ると三国一の臆病者と罵りたくなるのもわかる。
当時の戦では異常ともいえる主力の七割近い戦死者、参加した重臣が全員戦死、敵である島津勢が敬意を払うほどの徹底坑戦、豊臣秀吉が大隈一国を加増しようとした事実
十河勢にいたっては当主が死亡するほど
94人間七七四年:2009/03/17(火) 11:43:51 ID:Y9TJS9Vv
信親は奮戦したけど、元親の本隊は戦わずに退却したんじゃなかったっけ?

奮戦と言えば仙石も島津家久を追い詰めるほど奮戦したけど、他の隊との連携が悪く
押しまくる仙石隊だけ突出した形になって挟み撃ちされて敗走した
まあ、仙石が軍監であるにもかかわらず、単に一部隊長として行動して敗戦につながったから
罰を受けても仕方ない
95人間七七四年:2009/03/17(火) 12:43:11 ID:jsXMYEhl
>押しまくる仙石隊だけ突出した形になって挟み撃ちされて敗走した 
それって島津お得意の「釣り野伏せ」にハマッただけではw
96人間七七四年:2009/03/17(火) 13:54:39 ID:mkwZcQ8o
脇坂も仙石も武人としては勇猛だが、大名としては無能ってところが共通してるな
所詮は侍大将クラス
97人間七七四年:2009/03/17(火) 16:30:53 ID:/qJr0wEJ
>>94うん、元親の本隊は戦っていないよ。
戦ったのは信親率いる千名ほどの部隊だが信親についたのは長曽我部勢の中でも強い忠誠心を持った一領具足
だからこそ不利になっても信親を見捨てず文字通り壊滅するまで戦った。
戦国時代の兵士達は不利になったら自分が助かる為に逃げたりするのが常道。…………………………龍造寺隆信が不利になったら部下に見捨てられたのが良い例
98人間七七四年:2009/03/17(火) 16:32:49 ID:uIRFU5JL
>>94
仙石隊が奮戦??
島津側の資料にはないな。
単純に釣り野伏せで突出してきた仙石隊を狙ったってだけ。
仙石の方からすれば
相手が引いたのを自分達が押してるとでも錯覚したんじゃない?
それが釣り野伏せの戦法とは知らずに。

それに元親隊は闘ってないというよりも
軍艦の仙石が真っ先に戦場から逃げたため
何もできなかった、が正しい。

十河と信親隊は、仙石を逃がすためか
その場にとどまって包囲されて全滅。

元親隊が備えを動かす前に既に勝負は決まったという

仙石が長宗我部と十河を生贄にして島津の武威を世間にしらしめた
アホみたいな戦。

99人間七七四年:2009/03/17(火) 16:33:23 ID:DVyKhwE1
>所詮は侍大将クラス
さすがにそれも極端だ。
複数の大名の上に立つような数十万石クラスが分不相応なだけで
数万石の大名としては統治もそこまで酷いわけじゃないし
100人間七七四年:2009/03/17(火) 18:31:25 ID:/qJr0wEJ
ただし、領民のかなりこき使ったみたいだがな。秀久さんは

まあ、こき使ったおかげで出来上がったものは非常に役に立った訳だが
とはいえ民の為にやった訳ではなく、将軍様へのゴマスリの為にやった事は間違いない!
101人間七七四年:2009/03/17(火) 18:40:46 ID:tEidbbi6
ただゴマスリの効果が滅茶苦茶あったんだよな。
秀忠時代はかなり優遇されてた気がする。
102人間七七四年:2009/03/17(火) 19:11:49 ID:I/Plt60P
でも関ヶ原でまったく加増されないとはちょっと可哀相
きっと仙石は10万石に戻れるかもとワクワクしてただろうに
103人間七七四年:2009/03/17(火) 20:17:28 ID:gi2uQKsg
だってコイツ関ヶ原の一連の流れで
相変わらずのパフォーマンスの逸話や足を引っ張った逸話はあっても
実際は何もしてないでしょ。
まあ秀吉の政権もこの程度の小粒の奴を引き立てなきゃ人材不足でどうしょうもなかった事実が
政権が短期で滅亡した一因を如実に語ってる気がしてならない。
104人間七七四年:2009/03/17(火) 20:21:41 ID:Y9TJS9Vv
司馬史観の人多いな
105人間七七四年:2009/03/17(火) 20:42:31 ID:H1MdO/w2
>>103
ただのゴマスリだったら最初の失敗から復帰できねえよ。
尾藤や小川を見てみろ。
信長・秀吉・家康・秀忠に気に入られたのは単純に
漫画の見たいな真っ直ぐで単純愚直な性格だったからじゃないのかな。

戸次川の戦の敗因は寧ろ仙石・元親・十河のパーティ組ました秀吉だろ
寧ろ近くにおったクロカン部隊を軍監に持ってくるだろ・・・
106人間七七四年:2009/03/17(火) 22:34:13 ID:/qJr0wEJ
大友の原因でもあるんだけどな。
大友の兵力が動かなかったのはやる気がなかっただけ
しかも豊臣に援軍を求めたのは大友なのに


援軍を求めたのは親父で当主は諦めてた

そのせいで少ない兵力で戦わざるをえなかった。

だからって、そんな少ない兵力で冬の渡河作戦を反対を押して決行するのはやはり無謀だ。
107人間七七四年:2009/03/17(火) 22:36:08 ID:DVyKhwE1
>>104
連中は自分達が漫画のセンゴクで仙石持ち上げるのと五十歩百歩の根拠で
仙石こき下ろして長曽我部持ち上げてる事を理解したがらないから大嫌いだ
108人間七七四年:2009/03/17(火) 23:33:49 ID:Y9TJS9Vv
>>106
冬の強行作戦がよく批判されてるけど、>>45を見ると
仙石があの時点で戦を仕掛けず春まで待てば
島津と戦う前に鶴賀城が落城して大友逃亡
そして秀吉ブチぎれて春出陣して島津征伐が終われば
全員戦わない責任問われて減封or改易
戦って負けたら責任問われるが、待てたらもっと厳しい罰
が待ってるのだから一戦するしかない

それに、こんな状況で一番戦ってみせる必要があるは長年の部下である
仙石ではなく前年秀吉に負けて一国安堵されてる長宗我部
109106:2009/03/18(水) 00:09:40 ID:Lxm/Exfl
>>108それもそうだな。

いやしかし大友義統が逃げたのは戸次川の敗戦があって大友独力で戦わなくてはならかった為で、なおかつ与えれた命令は鶴賀城の救援じゃなくて島津勢を追い払う事だったはず
やはり強行作戦を行う必要はなかった。
つうかあるなら長曽我部も十河も反対はしないと思うのだが…むむむ
110人間七七四年:2009/03/18(水) 00:18:30 ID:4jnz2yxN
命令は島津を追い払うのならなおさらのこと
鶴賀城が落城すれば豊後が島津の手に落ちるのは必然だし大友の兵がなければ
四国勢合わせて6000人しかないから島津を追い払えるわけがない
111人間七七四年:2009/03/18(水) 00:23:14 ID:UNB0YGP1
この戸次川の敗戦もセンゴクでは「この通説には疑問が残る」
からはじまって「前にいたのでは仙石が真っ先に逃げる事ができない。
仙石勢は後陣にいたのではないだろうか。
現に島津勢に包囲され壊滅したのは長宗我部や十河の四国勢である。」
となり、「こうなると一つの結論が導き出される。
戸次川の敗戦とは戦功に焦った四国勢の暴走である!」という結論になって
四国勢の暴走に引きずられた仙石、という風に描かれるんだろうか。
112人間七七四年:2009/03/18(水) 00:29:52 ID:8QMVYXf8
つまりこう言う事か

十河・仙石・長宗我部、
待ったら味方は生きるが大友滅亡で見殺しにした所為・戦うにしても相手の戦法が解らない。
挙句の果てにお互いが犬猿の仲でしかも一刻の猶予も残されていない

仙石『任務は遂行する、、、部下も守る。
   島津ごときに両方やると言うのはそうムズかしい事・・・だよな』

かなり際どい戦だよな・・・
結果的に信親と十河が死んだけど下手したら全滅だっただろ
113人間七七四年:2009/03/18(水) 00:36:01 ID:8QMVYXf8
>>111
いや宮下氏は一部の武将を除いて名将は名将と描くから大丈夫だと思うよ。
ただ失敗と銘打ってるから何かしらやるだろうね。
ただこの戦は↑に書いたとおり仙石のみを悪者にする事で議論終了にはできんでしょ。
114人間七七四年:2009/03/18(水) 00:42:45 ID:4jnz2yxN
>>112
兵力が島津の三分の一だし、地の利もない
おまけに前年まで死闘を繰り広げた者同士の混成軍
しかし動かなければ情勢が悪くなるだけ
結果は敗戦だったが、仙石にだけ敗因を帰するのは
不公平だろう
105の言うようにその編成をした秀吉の責任が一番大きい
おそらく秀吉自身もわかってるからその後帰参を許した
115人間七七四年:2009/03/18(水) 00:42:58 ID:rCZkyzYT
大友が動くならともかく、動かない状況で開戦したんだからなあ
一体どう勝つつもりだったのか
116人間七七四年:2009/03/18(水) 00:44:46 ID:xMQJo0Xy
>>110
毛利から兵を借りて万にすべきだったな
117人間七七四年:2009/03/18(水) 00:47:54 ID:tcm7w8J3
たまにで良いので、脇坂さんのことも思い出してやってください
118人間七七四年:2009/03/18(水) 00:52:49 ID:Pdpjn5qN
>>111
武田軍の長篠での大敗を見てるとそこまで仙石をヨイショするのかな、と
作者は戦犯を描くのはあまりしないから、貶しすぎず誉めすぎず描くかな
仙石の指揮失敗+四国勢の暴走ってところか
119人間七七四年:2009/03/18(水) 01:00:48 ID:kkSYtpr6
まあ、残ってる連中も大友も放置して、軍監という身分で
逃げちゃダメだよな。小倉で踏み止まっていればまだマシだったのに。
土佐勢、讃岐勢が囲まれたのも仙石率いる淡路勢が総崩れになって逃げたせいだろうがなぁ。
最近は無理やりでもヨイショするのが流行ってるんだな。
120人間七七四年:2009/03/18(水) 01:12:13 ID:4jnz2yxN
>>119
100前後のレスをみるとどっちかというと無理に扱き下ろしてると思うが?
そもそも海の向こうまで逃げたのは長宗我部も同じだし
他の人も書いたように戦国時代では大敗したらいったん本国に引き揚げるのが普通
小倉に留まっても兵も金もないから何の意味もない

それに土佐讃岐が包囲されたのは淡路勢が総崩れだからというが
淡路勢は1000程度しかないから数倍の島津の伏兵に襲われたら
敗走するしかないだろう
もちろん軍監なのに真っ先に突進して敗因を作ったのはいけない
しいて言えば一部隊長の器にすぎない人を大将にしてしまったから負けた
121人間七七四年:2009/03/18(水) 01:19:09 ID:kkSYtpr6
>>120
で、わざわざ敗走する為に冬の川を渡ったのが仙石じゃないか。
十河も長曽我部もこれが滅亡の遠因だしな。
仙石はその辺が好きな人から嫌われて当然なんだがね。
一番悪いのは秀吉だけどな。まあ、碌な譜代が居なかったって事だろう。
秀吉も帰参までさせて息子の代には裏切られてるんだから気の毒といっちゃ気の毒。
こき下ろされてるゴマすりは事実だろう。上田まで乗っ取ってるんだから文句は言えまい。
122人間七七四年:2009/03/18(水) 01:24:42 ID:4jnz2yxN
>>121
真田ひいきか
道理で意味もなく扱き下ろしてる
上田とられたのは家康に刃向った結果であって仙石のせいではないよ
それ他のレスでも書いてあるようにあの時点で島津に仕掛ける以外の
選択肢はない
四国勢は6000だけで目の前は1万8000の島津包囲軍
待てば鶴賀城が落ちて大友リタイヤ
キミならどんな行動をとる?
123人間七七四年:2009/03/18(水) 01:33:36 ID:Lxm/Exfl
>>110鶴賀城が落城しても即負けで豊後国を全て失う訳ではないんだが
あくまでも戸次川の敗戦があったから大友義統は完全に敵前逃亡したわけで、戸次川で戦わず四国勢が残っている状況なら島津勢が府内に向かってきた状況でも敵前逃亡しないと思うが………例えば父親の大友宗麟は豊後国内の丹生島城を守りきっている。
戸次川で渡河作戦を強行せずとも、よかった訳だが………つうか何故鶴賀城が負けたら即大友滅亡なんだ?あくまでも府内城への攻撃経路の…………ふぅ…
124人間七七四年:2009/03/18(水) 01:47:04 ID:xMQJo0Xy
>>120
ウィキペディアにも書いてあったが、戸次川に淡路勢はいない
なぜなら戸次川の時の淡路の領主は脇坂安治や加藤嘉明など

仙石の領土は讃岐
125人間七七四年:2009/03/18(水) 01:48:34 ID:4jnz2yxN
>>123
豊臣の援軍が動かずに鶴賀城が落城するの見てたら大友義統が奮起すると思うのか?
むしろそうな状況になれば「豊臣も頼りになれないからもう駄目!」と真っ先に逃げたんだろう

そもそもやる気があるなら四国勢が上陸したときから合流してた
最初から自力での事態打開を考えず、豊臣に助けてもらうしか考えてないから
援軍が来てるにも関らず事態が好転しないとみるといずれ逃亡する
126人間七七四年:2009/03/18(水) 01:49:39 ID:8QMVYXf8
流れを見ると
秀吉の過ちの1つ『仙石・十河・長宗我部』を組ました事
2つ目は総勢6000の軍勢、島津を軽く見てたのかもしれんね。
秀吉にしては珍しく少数部隊だし。
↑この時点で負けフラグ

あとはそこまで無理して大友勢を助ける必要があったのか。
遠征・敵地・そして部隊6000人などから持久戦は不利
豊臣勢の意思疎通の問題・既に包囲されてる鶴ヶ城
12日に結果的に負けたら13日に即効で落城


127人間七七四年:2009/03/18(水) 01:52:33 ID:xMQJo0Xy
仙石に九州全土の平定を命じたわけじゃなくて先鋒だからな
大友への援軍のつもりだと思う
それから毛利輝元もみずから出陣しているから、何も6千の兵だけが九州に派遣されたわけではない
128人間七七四年:2009/03/18(水) 02:01:04 ID:4jnz2yxN
>>127
それで思うのだが、四国勢を出すのなら仙石ではなく同じ四国の小早川を軍監にして
その下に仙石、十河、長宗我部を配置すれば結果がもうちょっと違ってたと思う

そしたら毛利の力で九州を平定したことになるから秀吉は面白くないだろうけど
129人間七七四年:2009/03/18(水) 02:03:17 ID:pxkfH+9p
仙石に大きな手柄を立てさせてど〜んと加増してやりたかったんだよ
130人間七七四年:2009/03/18(水) 02:23:08 ID:8QMVYXf8
第2次四国征伐で元親が降伏したのが8月
で仙石が讃岐10万石を貰う電々は遅くて大体10〜11月
移動とかもあるし新年までバタバタだったろうね。

戸次川の戦がその次の年の12月だから戦の準備とかも考えて大体1ヶ月
毛利・黒田勢が9月に秀吉に命令されて10月に小倉城に攻めてるから
十河・長宗我部が下にいる仙石勢は部隊編成にも時間掛かったはず
仙石は正に三日天下だな・・・10万石大名の座を満喫する余裕は全くないなww
131人間七七四年:2009/03/18(水) 02:23:26 ID:Lxm/Exfl
後、島津の戸次川時点での戦闘可能兵力は1万から1万3千といわれているんだが

三倍の兵力とか1万8千とかどっからでできんでしょうか?
132人間七七四年:2009/03/18(水) 02:32:53 ID:8QMVYXf8
脇坂安治さんは10月には淡路洲本で3万石

仙石とは入れ替わりだからまあ元旦までには讃岐に引越しは終わっていただろうがな
133人間七七四年:2009/03/18(水) 03:35:28 ID:B6iimJjL
まあ、大友としては当然後に数万単位の援軍が来るものとして考えていただろうから、当然数千程度の先鋒ならば基本的に籠城、小競り合いを少々程度しかしたがらなかっただろう。

何しろ、名家で九州探題職を持つ宗麟が直接中央の秀吉に援軍を依頼というのは権威を認めたということでパフォーマンスとして意味がある。
更には新田肩衝を差し出しているので秀吉の威勢はいやがおうにも高まったから、当然バーターとして島津〜大友間の講和が出来なければ秀吉側もまずかったから。
何しろ地方の争いも沈静化出来ない中央政権って見られれば、舐められる。

そんな状態で、戸次川の戦いに大友が動くのはあり得ません。
時期尚早と言わざるを得ない。
134人間七七四年:2009/03/18(水) 04:34:15 ID:Lzs/aY4T
>>128
外様を軍監にはできんだろ
135人間七七四年:2009/03/18(水) 07:41:46 ID:kJPqPLPE
負けるにしたって、負け方があるからな。
せめて戦死しておけば、三国一の臆病者のレッテルを貼られることも、長宗我部ファンから恨まれることもなかったろうに。
136人間七七四年:2009/03/18(水) 07:42:36 ID:to4CJ/kC
仙石て搾取があまりに酷いため領民から嫌われてたんでしょ?
137人間七七四年:2009/03/18(水) 09:11:13 ID:lU7EcMSm
長宗我部って徳川や上杉毛利などの五大老クラスに比べて
大名(家臣)の能力落ちるからあんな大敗するんだろうな

五大老クラスならあの苦境でも長宗我部ほど被害は受けないかと

しょせん滅ぶ家なんだろ
仙石かばうわけじゃないが長宗我部オタの粘着はキモイな
138人間七七四年:2009/03/18(水) 12:04:18 ID:7dbZN7KP
長宗我部が過度に持ち上げられたから仙石がトバッチリを食らったよな
仙石の敗退だけ取り上げられてるけど、戸次川の戦いで真っ先に新納隊に押し戻されて
敗退したのは元親の本隊
元親の右翼が後退したために突出した形になった左翼の仙石が集中攻撃を浴びて壊滅
そして元親が帰った後跡継ぎ問題でお家騒動を起こして長宗我部没落する原因を作ってしまった
139人間七七四年:2009/03/18(水) 12:31:39 ID:Lxm/Exfl
>>137五大老ならあれだけの被害は受けなかっただろうね。
なぜなら立場が違うから。
長曽我部は四国征伐で降ったばかりだったから作戦にも従わざるをえなかったし、戦わざるをえなかった。
五大老クラスの奴ならそもそも仙石の作戦に従う必要もなく例え従ったとしても無理に戦わずにすます事も出来る。
140仙台藩百姓:2009/03/18(水) 12:41:55 ID:uckTZqOi
そもそも出陣したのが間違いなのだお( ^ω^)
秀吉が到着するまで大人しく守ってたら格好つかないから
出陣して手柄立てるんだと駄々こねて出ていったものの
特に何か策があったわけでもなく兵力的に圧倒していたわけでもない
それなのにいきなり皆で決戦したから一度の敗戦で霧散してしまったお┐ (´ω`) ┌
かつて長曾我部と戦って大敗した時も同じパターンなんだおね
敵情をよく把握せずに突っ込んでしまう辺りはまさに猪武者だお( ^ω^)
141人間七七四年:2009/03/18(水) 12:45:51 ID:7dbZN7KP
五大老クラスの人間はどれも天下の情勢を鋭く読み取っていいタイミングで豊臣家と和睦して
更に勢力を伸ばせた
天下の情勢が読めず、讃岐と伊予はまだまだ制圧してないのに豊臣からの土佐阿波二カ国安堵
の提案を蹴って抵抗したけど結局土佐一国だけになってしまったのが長宗我部
所詮井の中の蛙でしかない
142人間七七四年:2009/03/18(水) 12:46:14 ID:D0IC9boG
>>139
そもそも五大老クラスが仙石の指揮下にはいるわけがねぇ。
143人間七七四年:2009/03/18(水) 14:30:28 ID:8QMVYXf8
元親は信親が亡くなった事で秀吉からの大隈一国を加増する話をイラネって拒否ってるからな・・・
144人間七七四年:2009/03/18(水) 15:53:35 ID:3oQwik0v
>>123
鶴賀城は府内攻めには絶好の拠点だからここが落ちたら大友館は駄目だな。
丹生島城は1万も篭れないし下がるなら結局小倉まで退かないと。
>>127
紀州や四国とかと合わせてみると仙石に期待されてるのは
「いくら負けてもいいから本隊参戦まで裏切らず水際で踏みとどまれる先鋒の将」ポジションだったんじゃないだろうか。
だから前二者では自分で勝ちは得てないけど加増を受けて、
九州では先鋒部隊の敗退ではなく壊滅という結果が逆鱗に触れたのだと思う。
>>136
搾取と言うより労役だな。
145仙台藩百姓:2009/03/18(水) 19:00:09 ID:uckTZqOi
軍監と言うのは主君の指示を伝え、命令を破らないように監視するのが役目だお( ^ω^)
秀吉の方針としては四国勢に時間稼ぎをさせて、毛利を主力とした中国勢を九州に上陸させ
島津勢と対峙し釘付けにしておき、その間に逐次中央から兵を投入し
総勢が揃った所で一気に殲滅すると言うものであったお
だから秀吉はこの事をしつこいぐらいに何度も通達し
仙石にも、もしこれを四国勢が破って出陣するような事があれば
例え元親であっても首をはねよと厳命しているお
にも関わらず、本来なにがなんでも出陣を抑えるべき仙石自身が出陣してしまったというオチ
職務放棄&軍令違反&敗戦という一番やっちゃいけない事をしでかしてしまった
クビがとばなかったのは奇跡に近いお( ^ω^)
146人間七七四年:2009/03/18(水) 19:14:20 ID:5W+FMJ7+
奇跡を起こした武将、仙石秀久
147人間七七四年:2009/03/18(水) 20:09:35 ID:kJPqPLPE
脇坂の空気感が、豊臣恩顧の大名ながらも江戸時代を無事に乗り切れた秘訣かもしれないな。

実際は養子をもらってるからなのだろうけれど。
148人間七七四年:2009/03/18(水) 20:22:06 ID:rkElofwh
みんな、なにいってんだよ。
仙石の仕事は味方の外様と敵の外様をぶつけてすり減らすことだ。
しかも自領まで差し出して恩賞を確保してるんだぜ!
ネガティブに考えて九州征伐一の功労者なんだよ。


あそこのメンバーで大勝していた場合のことを考えてみればいい。
子飼いに恩賞をやれないし、逆に四国九州の外様は太る。島津を潰すくらいじゃ納まらない。
豊臣政権の九州政策は破綻するし四国情勢も不安定になるんだぞ。

よくよく考えてみるんだなw
149人間七七四年:2009/03/18(水) 21:10:32 ID:mN0MHOH8
>>145
あの時九州戦線が安定していれば、家康にもっと強気な対応だって取れていたかもしれないしな
150人間七七四年:2009/03/18(水) 21:17:43 ID:4jnz2yxN
対家康なら九州は関係ないよ
家康に人質を送って上洛させたのは九州が平定された後だし
小牧長久手で一回負けてる上家康が北条、伊達と手を組んでる
から九州の心配はしなくても強気に出られん
151人間七七四年:2009/03/18(水) 21:42:30 ID:xMQJo0Xy
筑前と筑後を小早川隆景に与え、
大隅を長宗我部に与えようとしたんだが(長宗我部が固辞)
152人間七七四年:2009/03/18(水) 21:42:41 ID:wjhNc8pv
>>147
初代:空気 2代目:名君 3代目:名君 4代目〜:空気
SEIZONフラグですな。

空気読むのうまかったと思う。少なくとも、他の七本槍よかは。
153人間七七四年:2009/03/18(水) 21:53:52 ID:xMQJo0Xy
脇坂は空気じゃないだろ
石高は3〜5万石の雑魚レベルだが、水軍の将として九州や小田原や朝鮮で活躍しているから結構知名度はあったんじゃないか
てんの皮のエピソードもあるし
154人間七七四年:2009/03/18(水) 22:24:40 ID:Pdpjn5qN
脇坂というと柳川や近江八幡の堀のある町づくりのイメージだな。
155人間七七四年:2009/03/18(水) 22:56:31 ID:tcm7w8J3
なんでこのスレはこんなに回転が早いのか
156人間七七四年:2009/03/18(水) 23:00:40 ID:xMQJo0Xy
>>154
それは田中吉政だよ
157人間七七四年:2009/03/18(水) 23:01:14 ID:B6iimJjL
>>151
秀吉はそういう逸話がありすぎて、それが実際行われたか疑問が残る。
日向は宗麟に大隅は元親にと言ったとなっているが、どちらも結局固辞の上に理由が近似ってのはどうも。


そもそも長宗我部に与えるには飛び地すぎないか?
158人間七七四年:2009/03/18(水) 23:17:19 ID:DpwIntJo
転封なんじゃね?
それなら固辞する理由にもなるし
159人間七七四年:2009/03/19(木) 00:25:15 ID:2ZmTwy7E
>九州移封
四国は大阪に近いから身内で固めるためかな
実現はしなかったが
160人間七七四年:2009/03/19(木) 02:08:34 ID:UmS3X2tx
信親が生きてたら関ケ原は傍観せずに戦ってたかな?
161人間七七四年:2009/03/19(木) 02:40:14 ID:wyx35Tg3
どっちかっていうと家康に近い。
162人間七七四年:2009/03/19(木) 04:02:12 ID:1TIWh+Mi
普通に家康に付いていただろうさ。
元々は状況見るの上手いわけだし。
163人間七七四年:2009/03/19(木) 05:36:54 ID:G2MMUwlG
どうでもいいけど
信親の描いた絵って上手いよな。
164人間七七四年:2009/03/19(木) 08:53:19 ID:tJQXPzcj
>>154
近江八幡は秀次タンだよ。一応田中も家老として多少やってたけど。
それで近江八幡では秀次タンが慕われてたって話聞いたことあるけど、出典とかってなんだろう。
秀吉に潰されて散々あること無いこと悪評を撒き散らされてたと思ったけど。

あと関ヶ原で長宗我部が家康に着くのはありえないだろ。
盛親にしたって家康の会津攻めについてくつもりでノコノコ東上してたら西軍に吸収されたわけで。
よっぽど上杉相手にやる気だしまくりで三成の挙兵前に東海道まで進出するとか、
大坂で西軍相手に大立ち回りするとか、強行突破して土佐に帰るとかでもしない限り無理だが
長宗我部家には(あの時点で)そこまで危険を犯してまでする動機も旨味もないだろ。
だいたい東軍が勝つ筈だから家康に着くべき、ってのは後世の人間だからいえるわけで。
165人間七七四年:2009/03/19(木) 09:17:25 ID:gR7psHt3
>>138
元親本隊は後方にいてろくに戦う間もなく敗走、だったろ。
新納と戦ったのは仙石だろ。それも最初に戦ったのは伊集院だし。
ネガキャン?
>>141
毛利は領土を本能寺時点で半分近く奪われてるけどな。
上杉も徳川もいずれももともとの本拠地を手放しての転封だから
そこまで嬉しかったかというと微妙だが。この2家は後々まで故郷に執着してるし。
宇喜田は父の代から続く流れで豊臣についてたわけだし、
そこまでいえたもんか。秀家が小さい時から服属してて秀吉が親代わりだしな。

前田はうまくやったなw

あと、元親は1584年の段階で四国を一応統一してたはずだが。
島津や北条、伊達といった連中が中々秀吉の命令に従わず、
結局領土を大きく削られたり滅亡したりしてる事から見ても
元親の選択は地方の覇者として特におかしくないと思うが。
166人間七七四年:2009/03/19(木) 13:00:54 ID:3a/DJEYm
>>137
長宗我部ヲタ以外はあのブザマな敗戦を笑わないとでもw
167人間七七四年:2009/03/19(木) 13:04:48 ID:3a/DJEYm
>>165
それら僻地の人間と違い
元親は何よりも自分自身が四国統一戦の過程では中央の覇者である織田家の動向を
きちん把握しながら戦略を進めていたから同一視できない
耄碌したのか、強大化して気がでかくなったのか
168人間七七四年:2009/03/19(木) 13:13:19 ID:V6hddk0m
ヒント:北条
169人間七七四年:2009/03/19(木) 13:18:40 ID:5QcDeETT
>>165
横からだけど
毛利も上杉も対豊臣ではよくやってると思うけど?
上杉は賤ヶ岳の時から秀吉についた、その後も一貫として秀吉支持を打ち出した
転封と言っても佐渡、庄内と越後の一部を保持してたから、家康のような国替えとは違う
毛利も本能寺の直後から秀吉と和睦して、賤ヶ岳の後は全面支持の姿勢を打ち出した
徳川も一度戦って勝った後はそれ以上の敵対行動を取らずひたすら立場の強化に努めて
最後は秀吉から人質をもらって上洛
自分を高く売りつけたおかげで外様ながら関八州256万石をもらった上秀吉死後実質の政治指導者
という地位を手に入れた

後、1584年の段階では長宗我部はまだ四国を統一してない
1584年の6月頃に十河を讃岐から追い出して、伊予の西園寺も降伏した
で、翌年の1585年になって毛利を支援を受けてた河野も人質を差し出して降伏したが
6月に四国征伐が開始
170人間七七四年:2009/03/19(木) 13:27:35 ID:3a/DJEYm
>>168
北条も武田攻めとかの時には織田家の下風に立ってるけど
一時は長男に信長からの偏諱を賜わるほど密接な関係にあった長宗我部ほどではなかろう
171人間七七四年:2009/03/19(木) 14:11:59 ID:V6hddk0m
本能寺直前には敵対してただろう

本能寺以降は小牧長久手での秀吉の外交的勝利が全てなんじゃないの
あと毛利か
172人間七七四年:2009/03/19(木) 14:18:18 ID:XLF1m492
では戸次川大勝後の西国大名配置でも考えようではないか。

まず、島津を取り潰し、薩摩が長宗我部、大隅が十河。
173人間七七四年:2009/03/19(木) 14:23:16 ID:UmS3X2tx
シッコク!シッコク!
174人間七七四年:2009/03/19(木) 14:39:18 ID:5QcDeETT
島津は和睦を申し出れば潰されないと思うけど
ただ、その場合は薩摩一国かプラス大隅半国程度で安堵
四国の外様は九州に国替え、長宗我部は微増程度の国替え
大勝したので軍監の仙石は讃岐一国に加増、尾藤は抑えとして九州へ移す
九州北部は史実通りかな
175人間七七四年:2009/03/19(木) 14:42:07 ID:zmj3MVI/
>>172
戸次川の戦い自体はそんな重要ではない気もするけどな。
勝敗がド派手についただけで。
仙石が勝っていたとしても、その後出来るのは、大友の豊前の勢力圏の回復ぐらいでしょ。
176人間七七四年:2009/03/19(木) 15:56:43 ID:5QcDeETT
>>175
戸次川の戦いの前から豊前は取られてて残りは豊後だけだったから
戸次川で勝ったとしても大友は豊後一国安堵だけだろう
実際九州征伐の後も大友は豊後一国だけだったし
177人間七七四年:2009/03/19(木) 16:42:01 ID:AFznGspM
秀吉の当初の構想(俺の妄想込)

筑前筑後 小早川隆景
豊前   黒田官兵衛
豊後日向 大友宗麟(日向は辞退)
大隅   長宗我部元親(辞退)
薩摩   島津義久
肥後   佐々成政(即時改易切腹)
肥前   有馬と鍋島(竜造寺)

178人間七七四年:2009/03/19(木) 17:43:59 ID:2ZmTwy7E
>>165
四国も地方だが
地方の覇者というには石高的にも広さにしても微妙なキガス
179人間七七四年:2009/03/20(金) 00:47:13 ID:v+UZtuIU
脇坂が大坂の陣で中立だったことについて詳細を教えてください
180人間七七四年:2009/03/20(金) 00:56:02 ID:gEDl20sd
>>177
毛利勝信は?
181奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/20(金) 01:07:40 ID:BgZQ1pMP
毛利輝元も。
182人間七七四年:2009/03/20(金) 02:27:37 ID:re6Ktk/R
>>178
だから所詮鳥無き島の蝙蝠といわれてるわけで。

元親だって信長に抗戦しようとしてて、四国に軍勢が入る直前に明智がやらかして助かったけど
あれがなきゃ信孝・信澄軍に蹴散らされて武田と同じ運命をたどってただろうね。まだ四国の統一にも程遠かったし。
元親が情勢を読める奴とかいってるの上に居るけど、限りない過大評価だと思う。
秀長に実際瞬殺されたけど、あれも秀吉だから生かしてもらえただけで、信長か家康だったら家は潰れてただろう。
ただそれに蹴散らされてる仙石はそれ以下。雑魚とは言わんが当時の名将と較べるととんでもなく見劣りする。
でも漫画は確かに面白い。
183人間七七四年:2009/03/20(金) 02:47:16 ID:Q2F3F88L
>>182
そういう言い方は公平さに欠ける
元親と対峙してた時の仙石は一小大名に過ぎん
手勢も1000人あるかないかの程度
そんな状況で四国に上陸してすぐ十河の救援に駆けつけて
香川之景を一度急襲で撃退したのだから決して無能ではない
この経験が戸次川の判断ミスにつながったのかもしれないけど
小田原で手勢を率いて戦果を上げられたのだから
もうちょっと評価してやってもいい

元親は過大評価されすぎだから修正する必要があるのは
同意だけど
184人間七七四年:2009/03/20(金) 07:51:36 ID:gCzbV0tj
>>167
途中から織田が約束反故にして領地よこせといって
攻撃してくる流れになったから敵対してるけどな。
はいそうですか、と領地出せるわけが無く敵対したのは
島津と同じだと思うが。
185人間七七四年:2009/03/20(金) 08:05:35 ID:gCzbV0tj
>>169
毛利も上杉も織田の時点で散々領土を奪われてるし、
豊臣も領土を要求してるわけでもないんだから
無理に敵対する理由はないんだが。
毛利の本願寺直後の和睦は、それ以前から交渉されていたもので、
毛利が織田に追い詰められて危機に陥ってたから領土半分を放棄するという
豪勢な条件だった。ここまでして無理に戦う理由が特にない。
毛利は織田の攻勢で国内にも謀反や裏切りが起きていたため、国内のまとめも
必要だったし。
まあそれでも毛利も柴田から誘いが来たらかなり迷ってるが。
上杉にしても自分を直接圧迫していた柴田や佐々といった連中に対抗するため
敵の敵は味方、といった感じで秀吉とつながったわけだしな。
越後の北端持ってるからって国替えじゃないってのは無理だろ。
関ヶ原のときも越後を取る事に上杉は色気を見せてるし。
元親が豊臣と敵対した理由は領土割譲を要求されたからだろう。
徳川はもろに敵対してるじゃないか。敵対したという点で長宗我部や他の地方の覇者と同じ。
屈服したのも1585年で長宗我部と同じ年。まあ戦闘で勝った点が違うが。
服従した後従順になったというなら、長宗我部も他の覇者もそう。
関東もらったのはそれまで固めてきた領国を放棄することだし
畿内からも遠ざかる事になったから秀吉としては厄介払いだったと思うが。
186人間七七四年:2009/03/20(金) 08:12:03 ID:gCzbV0tj
>>178
太閤検地は土佐の石高が異常に低く見積もられてるけど、
慶長検地なら四国も100万石越えるから
それほど悪くない気がする。
>>182
信孝・信澄軍で勝てたかは微妙な気がする。
当時でも元親は2万以上の兵を動かしてるし。

元親は途中で織田に盟約破棄されて攻撃される事になったから
敵対したわけで、それが無きゃ普通に織田に従ってたような気がする。
187人間七七四年:2009/03/20(金) 10:47:04 ID:Q2F3F88L
>>185
領土の要求はないとか意味不明なこと言ってるけど、織田も上杉や毛利に対して
「領土」の要求はしなかった
両方とも織田からではなく相手から先に戦端が開いた
で、織田家が勢力争いの内紛に入ると、周辺の大勢力に両陣営からの好条件付き
の誘いが来てるが、上杉は秀吉を支援毛利、徳川は中立、長宗我部は柴田支援
柴田も秀吉も信長の四国遠征にかかわってなかったのに、優勢の秀吉ではなく
なぜか柴田を支持

さらに、秀吉と一度敵対した徳川は小牧長久手で勝った後も信雄が降伏したの見る
とすぐ秀吉からの和睦に応じて結城秀康を人質に差し出したのに対して、長宗我部
は秀吉からの和睦提案を何度も蹴った

秀吉の提案は何も領土をよこせ、というものではなく讃岐、伊予の豪族と和睦して
土佐、阿波に軍を引き揚げろ、というものだったが、まだ十河、河野(+毛利)と
戦ってる最中なのにもかかわらず拒否
結局攻められてわずか2か月で伊予、讃岐、阿波が陥落して降伏

過大評価されて自分自身の力量を見誤って失敗した例だな
まさに鳥なき島のコウモリ
188人間七七四年:2009/03/20(金) 11:38:29 ID:gCzbV0tj
>>187
何が意味不明なのかしらんが、
毛利に関しては尼子再興軍を織田が支援してるんだから
何をいえたものかと。
上杉に関しても本願寺との和約や上杉差し置いての関東介入が問題になってたし。
豊臣と無理に争う理由はないわけで。両方とも疲れてたし。

上杉は柴田の敵だったし、毛利もかなり迷ってるけどな。
長宗我部は途中まで織田と結んでたのに、いきなり織田に余裕できたら
約束反故にされて攻められそうになったんだから中央に過敏になっておかしくないと
思うが。中央に優勢な勢力ができたら自分が危うくなると考えてもおかしくないし、
そもそも四国で元親と戦ってる三好は秀吉の庇護を受けてるので
秀吉は十分敵なんだけどな。

徳川の場合は領土削られてないからな。
長宗我部の場合領土割譲が条件だったんだから素直に聞けないのは自然だが。

>>秀吉の提案は何も領土をよこせ、というものではなく讃岐、伊予の豪族と和睦して
>>土佐、阿波に軍を引き揚げろ、というものだったが
十分割譲だと思うが。讃岐、伊予の占領地どうするんだい。

十河は本能寺以後に逃亡してたと思ったが。
まあ兵力違えば治めたばっかの領土も結構だったしな。
島津と似た感じだ。
189人間七七四年:2009/03/20(金) 12:46:24 ID:dC6+91rB
アンチ長宗我部スレになってるな。
まあ、あの漫画から入った奴は意地でもそういう
事にしておきたいのだろう。
あの程度の奴は滅びても仕方無いってな事に。
190人間七七四年:2009/03/20(金) 12:53:01 ID:0BFdVbdL
だいたい領土割譲なんて簡単に呑めるもんかね
191人間七七四年:2009/03/20(金) 12:57:59 ID:Q2F3F88L
アンチというかスレと関係ないマンセーがあるからじゃない?
長宗我部マンセーも単に小説の影響が大きいし
史実を見れば所詮四国に収まるの器でしかなく
晩年ではお家騒動を起こして家臣を粛清しまくって
家の滅亡の原因を作った程度の人間

>>188
いろいろ言いたいのはわかるが、言ってることは史実無視して
長宗我部を過大評価してるだけ
それに、長宗我部はスレ違いだからそろそろやめたら?
192人間七七四年:2009/03/20(金) 13:05:06 ID:dC6+91rB
>>191
いやいや、君のように異常に貶めるのもどうかと思うがね。
人に言う前にご自身が改めたらいかが?
193人間七七四年:2009/03/20(金) 13:06:08 ID:Q2F3F88L
>>190
条件次第で簡単に飲めるだろう
あれほど領地にこだわる北条も無理に上杉、徳川と敵対せず
手に入れた信濃をあっさり割譲したし
徳川も北条との関係を強化するのために上野での領地
を割譲しようとした
讃岐、伊予両国まだ完全に制圧されてないのに
四国は自分のものだとばかりにかたくな上方からの提案
を拒否したから四国征伐を招いたんだろう

もう長宗我部はやめよう
194人間七七四年:2009/03/20(金) 13:10:46 ID:0BFdVbdL
>>193
それらの割譲は対等な関係やん
195人間七七四年:2009/03/20(金) 13:14:07 ID:Q2F3F88L
>>192
オレのレスに異常に貶めるところはあったのか?
四国制圧するのに20年かかったのは事実だし
相続問題で息子や吉良義央などの家臣を粛清したのも事実
早い時期から信長と誼を通じて上方情勢に詳しいはずなのに
外交に失敗して四国征伐を招いたのも事実
10万の四国征伐軍に対して2か月で三ヶ国を失って降伏した
のも事実
196人間七七四年:2009/03/20(金) 13:15:32 ID:dC6+91rB
>>195
>>193で違う状況なのにいきなり貶めてるじゃない。
197人間七七四年:2009/03/20(金) 13:16:51 ID:Q2F3F88L
>>194
不対等なら尚更じゃない?
というか、長宗我部は長宗我部スレでやってくれ
198人間七七四年:2009/03/20(金) 13:19:04 ID:dC6+91rB
>>197
酷いもんだ。自分から言っておいて
突っ込まれるとそれか。
199人間七七四年:2009/03/20(金) 13:20:16 ID:ISXeHEdH
いつの間に長宗我部にスレ乗っとられてる…
200人間七七四年:2009/03/20(金) 13:22:25 ID:0BFdVbdL
>>197
上から頭抑えられて頷かされるのをそう簡単に受け入れられるのかっつー事
長宗我部の話というより君のレスに対する疑問だよ
201人間七七四年:2009/03/20(金) 13:22:32 ID:ISXeHEdH
あのさ、もういい加減長宗我部の話題やめない?
ウザイけど
202人間七七四年:2009/03/20(金) 13:26:14 ID:dC6+91rB
>>201
長宗我部の話題というよりID:Q2F3F88Lの見解について
聞いてるだけなんだが。
203人間七七四年:2009/03/20(金) 13:26:14 ID:Q2F3F88L
>>200
対等でも関係強化のために一方的な割譲するのに
力関係がはっきりしてると割譲はありえないってどういう思考回路?
意地よりも実利取ることが大事だから
戦ってた敵と和睦したりする
まあ、長宗我部はその意地で家を滅ぼしたのだからそれでいいじゃない?

もうこれ以上長宗我部の話題にレスはしないからやりたければ一人でやれ
というか長宗我部スレでやれ
204人間七七四年:2009/03/20(金) 13:26:47 ID:dC6+91rB
>>203
その時点で滅びてないじゃないかw
何を言ってるんだ。
205人間七七四年:2009/03/20(金) 13:26:59 ID:0BFdVbdL
戸次川で戦ったのがそもそも間違いじゃね?
って話してる時に五大老なら云々言い出して
長宗我部に話題スライドさせた奴が悪いよ
206人間七七四年:2009/03/20(金) 13:33:05 ID:ISXeHEdH
スレ違いなのにいきなり長宗我部の話題を持ち出したり、反論されたらさらに噛み付いて堂々巡り…
長宗我部厨恐るべし
207人間七七四年:2009/03/20(金) 13:35:54 ID:dC6+91rB
>>206
言っても無駄だろうけど、流れ読め。
208人間七七四年:2009/03/20(金) 13:37:04 ID:UFQGRECX
「仙石は四国を指して逃げにけり、三国一の臆病者」
って記述がインパクトあるからなぁ。

逃げ帰ることなく、九州にとどまって他部隊の撤退や敗残兵の救出とかに当たってたら
評価も変わったかもしれないね。
いや、指揮官なんだから生き残る事が一番の仕事なのかもしれないけどさ。

209人間七七四年:2009/03/20(金) 13:54:30 ID:gsWOCj+j
やはり「脇坂安治」や「仙石秀久」では大河ドラマは無理かねぇ…
と、今の流れに逆らってみるw
210人間七七四年:2009/03/20(金) 14:12:36 ID:42BBV8i0
大河ドラマにする上でのネックは膨大になる脚本だから
ベースとなる小説等ある程度長編のものが無いと厳しい

つうわけでセンゴクはそのうちやるかもな〜
211人間七七四年:2009/03/20(金) 14:20:09 ID:n4CFz/wZ
>>208
秀吉の命令無視してまで家久に戦ふっかけて惨敗したのは、とりあえず2536歩譲っていいとしよう。
でも名将ってのは負けるときでも被害をできるだけ抑えて、次のチャンスに備えようとするもんだ。
だが仙石はボロ負けしただけじゃなくて、勢いづいた島津を放置してさっさと逃げた。
何のために秀吉はこの先遣隊を派遣したのかと。大局が読めてりゃ違う行動に出た筈。
(そんな事もわからん位オツム弱いくせに、小田原とかでは自分のパフォーマンスには必死。)
こりゃ、それまでの功を帳消しにするくらい酷いわ。
仙石が元々仕えていた信長なら、とっくに潰してる。秀吉だからって甘えてたのかな。

>>206
長宗我部厨なんて存在するのか?地元の高知ですら山内と龍馬ばっかだと思ったが。
212人間七七四年:2009/03/20(金) 14:29:13 ID:UFQGRECX
>>211
うん、負け方が酷すぎる。
・上からの命令を無視
・下からの諫言も無視
その挙句に
・戦場に残ってる味方を放置して逃亡。
だもんなぁ…。
213人間七七四年:2009/03/20(金) 14:48:24 ID:zKknlxf+
戸次川で負けなかった。
もしくは局地的に負けても戦局を守りきった。
その働きが出来ていれば四国から九州への加増転封されて
30万から50万クラスの大名になれていただろう。

もちろん戸次川で勝っていたら五大老まで登りつめる事も可能だったかもしれん。
まあ五大老なんてのは戸次川より後年の事だが
仙石にとっちゃ豊臣四天王とか、とにかく豊臣政権の最大の功労者になるチャンスでもあった。
最大は言い過ぎかも知れんが
乾坤一擲の思いで戦に挑んだのは間違いないと思う。
214人間七七四年:2009/03/20(金) 14:55:56 ID:mrfopEan
>>213
そんなに無茶をしなくても、あの時点での羽柴の家臣の中では
充分トップクラスの位置を占めてたと思うんだけどな
五大老はともかく、後の五奉行や三中老と比較すると明らかに上
215人間七七四年:2009/03/20(金) 15:11:35 ID:j2F/vB2b
戸次川でヘマしなかったら、ただの豊臣恩顧の大名。
西につかなくてもそのうち改易だな。

物語で脇役になることはあっても
主役とか無理無理w
つくづく運のいい野郎だ
216人間七七四年:2009/03/20(金) 17:02:00 ID:gsWOCj+j
戸次川で敗退し、その後家康の支援により小田原に参陣&活躍
秀吉が死んだ後、家康側に付いたのも、この小田原の恩義があったからこそで、
もし戸次川で勝っていた場合は、秀吉の恩顧のままとなるから、
一応歴史上関ヶ原で家康が勝っている以上、そのまま関ヶ原の勝利は家康と仮定すると、
仙石家は改易の可能性は高いね(立花のような例もあるけど)

ただ…こういうキャラこそ主役にすると面白いと思うんだ
良い例が漫画「センゴク」な訳だし(反論もあるだろうけどw)
エピソードは掘り下げればいくらでも出てきそうな人物でもあるし、
三英傑+江戸幕府将軍家との繋がりもある
なので大河ドラマでも十分に対応出来る人だと思うんだけどね…
217人間七七四年:2009/03/20(金) 17:51:29 ID:BSmJzR18
仙石大河が実現しても、山内の大河みたいに功績を無理やりスライドする話になって、けちょんけちょんになりそう。
218人間七七四年:2009/03/20(金) 19:15:28 ID:onLmfyHE
今の大河制作スタッフなら100%そうなるな。
戸次川の敗退も当然責任転嫁。

ちなみに漫画のセンゴクでは仙石の責任になると思う。
その方が後の復活が盛り上がるし。
219人間七七四年:2009/03/20(金) 20:01:17 ID:MSA74fVx
なんせ売り文句が
「戦国史上最大の失敗をし、戦国史上最も挽回した男」(うろ覚え)
だからなw
220人間七七四年:2009/03/20(金) 20:44:18 ID:+xq3K1dU
>>211
そもそも信長ならあんな重要ポジションにはしないだろw
221人間七七四年:2009/03/20(金) 20:51:36 ID:v+UZtuIU
戸次川で散々な目にあった仙石・長宗我部・十河トリオ

偶然なのか大坂夏の陣では仙石秀範(秀久二男)・長宗我部盛親(元親の跡を継ぐ)・十河存英(存保の子)が揃って豊臣方として討死
222人間七七四年:2009/03/20(金) 21:47:26 ID:w5OTU/Tt
センゴクの謙信が気になる
223人間七七四年:2009/03/20(金) 22:03:11 ID:mQRdPRj1
>>218
漫画のほうは、作者が
「島津攻めの失敗は何ひとつ、ごまかさずに描きたい」
と言ってたから、変な美化はしないんだろう。

掲載は何年後になるか分からんがw
224人間七七四年:2009/03/20(金) 22:59:19 ID:Cxge4GAE
>>164
>近江八幡で慕われていた出典

文書的な出典とかじゃなくて、地元の人が自分たちの郷土に伝わる評価をもとに
今でも「秀次名君」と言って催ししたりしてるのがもとになってるんじゃね?
少なくとも観光客向けに捏造までして煽るここ十年くらいの大河とかのブームより
前から真面目にやっているから、地元人気は前々からあったんだろうし。
225人間七七四年:2009/03/20(金) 23:44:04 ID:83ER8lgE
>>221
盛親は討ち死にじゃないだろ
226人間七七四年:2009/03/21(土) 04:09:41 ID:FGXRot2p
盛親は単独逃亡。

戸次川とは逆の立場か…。
227人間七七四年:2009/03/21(土) 05:30:50 ID:AwlM/gbh
>>226
挽回できないまま捕まって切られたんだっけ?
228人間七七四年:2009/03/21(土) 10:54:40 ID:CMpiFpFa
>>226
軍監での逃亡と客将での逃亡をごっちゃにするなよ。
それも仙石の場合はバックがついててまだ有利。
盛親はもう後がない状態だしな。
229人間七七四年:2009/03/21(土) 11:40:36 ID:h9qxM5DN
盛親はどう見ても逃亡だろう
まだ兵を持ってるのに最終決戦に参加せずそのまま逃げた
仙石は島津に挑んだが軍が壊滅したため本拠地に撤退した

バックがついてるから撤退しての再起は可能だが、もう後がない
盛親が持ち場から逃げ出して一体何がしたんだろうね
230人間七七四年:2009/03/21(土) 11:45:12 ID:n04jhRkj
前田パターンでの出世を狙った
231人間七七四年:2009/03/21(土) 14:18:00 ID:GNHT/aT4
横やりだが仙石の敗戦を弁護する人が多いなw
誤解があるが信親だけでなく元親は戸次川で戦ってる 大友勢も戦ってる
232人間七七四年:2009/03/21(土) 14:45:51 ID:1UPPBKOC
>>231
声が大きいだけで多くないと思うぞw
233人間七七四年:2009/03/21(土) 14:56:08 ID:h9qxM5DN
>>231
擁護って俺のこと?
敗戦を擁護してないけど、敗戦後小倉→讃岐の行動について
壊滅した軍の立て直しとしてなら理解できると思ってるだけ

それともこのスレでは仙石を扱き下ろさなければいけない?
234人間七七四年:2009/03/21(土) 15:01:50 ID:vRtkYgWh
まぁ、秀吉の堪気をこうむったのは、逃げたからではなく、軍監なのに、自軍の役割を理解できていないかのような行動を進んで起こしたからだろうからねぇ。
235人間七七四年:2009/03/21(土) 15:03:18 ID:CMpiFpFa
>>233
無理矢理盛親の逃亡を仙石と比較してるんだから
言われても仕方ないだろ。
扱き下ろす以前に仙石の戸次川の後の行動はどうやっても
誉められたり擁護できるもんじゃない。
目糞鼻糞だよ。
236人間七七四年:2009/03/21(土) 15:12:27 ID:h9qxM5DN
>>235
えーと、比較したのはオレじゃないけど、どっか見えないヤツと戦ってないか?
長宗我部盛親のクソっぶりはスレ違いだから別にここで話すことではないが
仙石が小倉→讃岐に撤退する行動はそれほど責められるものじゃない
小倉に留まっても軍が壊滅して、十河が戦死して長宗我部が日振島に逃げたから
やれることはなく毛利に嫌がられるだけ
だから軍の建て直しのつもりなら理解できるって書いた

>>234がレスしたように仙石の最大の失敗は軍監という役割を果たせなかったこと
であって、敗戦後の撤退行動ではないから、長宗我部盛親の逃亡とはまったく別の話
237人間七七四年:2009/03/21(土) 15:23:03 ID:5rKxIOfG
>>236
>擁護って俺のこと?
ってレスをしたんだから、
>無理矢理盛親の逃亡を仙石と比較してるんだから
のヤツと思われるのも仕方ない部分があるだろう

>どっか見えないヤツと戦ってないか?
そういった事情を考えると、これは失礼極まりないと思う
238人間七七四年:2009/03/21(土) 15:25:21 ID:GNHT/aT4
戸次川で負けても豊後府内にとどまって戦えなかったんだろうか?
豊前には毛利だけでなく黒田官兵衛もいるし
239 ◆LeD1MMOS.k :2009/03/21(土) 15:29:10 ID:kKTA3kLc
脇坂の子孫、個人的に知り合いがいるよ。
240人間七七四年:2009/03/21(土) 15:32:22 ID:h9qxM5DN
>>237
>>233のレスに比較したり擁護したと思われるような文章があった?
思われても仕方ない部分はあったら教えてほしい
擁護してないと、あくまでの撤退行動は理解できると>>233で言ってるのに
>>235でいきなり「無理やり比較してる」と言われるのはなぜ?
頭の中ですでに敵ができててそれに当てはめてるとしか思えない

キミもそういう事情を理解してないでいきなり「思われても仕方ない」
と断定するのは失礼極まりないのでは?
241人間七七四年:2009/03/21(土) 15:48:29 ID:CMpiFpFa
>>240
>>229がそれに当たらないのであれば
もはや話は成り立たないな。
「どっか見えないヤツと戦ってないか?」
って時点で話せない人とは思うが。
242人間七七四年:2009/03/21(土) 15:57:16 ID:5rKxIOfG
>>240

だからさ、ID:CMpiFpFaが>>231で指してるのは君じゃないんでしょ?
それは君自身が>>236で言ってるじゃん
>えーと、比較したのはオレじゃないけど
って

比較したヤツを批判してるのに、君が
>擁護って俺のこと?
って書いたから誤解させたんじゃないの?
そう書いたらお前かって思うじゃん
243人間七七四年:2009/03/21(土) 16:26:51 ID:1UPPBKOC
双方ともにここは1対1のチャットじゃないと理解しろ
何のためにIDあると思ってるんだ
244人間七七四年:2009/03/21(土) 17:23:38 ID:AwlM/gbh
ごちゃごちゃしてきたなw


ってか脇阪さんスレで空気で涙目w


脇坂さんは尾藤糟屋とかと一緒のスレにすれば良かったのに
245人間七七四年:2009/03/21(土) 18:53:11 ID:UBfr9AKG
>>231=238
>大友勢も戦ってる
先導役程度の戦力が巻きこまれて死んだだけのような。
>豊後府内にとどまって戦えなかったんだろうか?
府内は防衛能力が低いから無理。実際戸次川の翌日には府内陥落してるし。
丹生島にある程度篭らせて残りは豊前まで退くしかないな
246人間七七四年:2009/03/21(土) 22:46:06 ID:jcHA13/3
確かに当時は府内城じゃなくて府内館だしな。城じゃなく居館、籠城には不向き

ただ府内陥落は大友義統が逃げた事が原因
まあ義統が逃げたのは戸次川で四国勢とごく少数の大友勢が敗北してしまい、大友勢の多くの兵士達の逃亡も原因のひとつだがな。

247人間七七四年:2009/03/21(土) 22:52:07 ID:KV88Lreg
大友方の国人が離れようとしている状態で、戦力的にもまだ乏しいのにも関わらずに、野戦でどうにかしようとする先鋒軍の軍鑑とかぞっとしないな。
248人間七七四年:2009/03/21(土) 23:04:13 ID:0G0hQ6rv
かといって士気が上がっていない状態で籠城しても勝ち目はまず無い
正直、どちらに転んでも負けは確実かと
だから、野戦による士気向上も狙ったんだろうけど、結局は真逆になってしまったんだろうなぁ…
249人間七七四年:2009/03/22(日) 00:46:42 ID:Hw6cgMfW
讃岐へ逃げたのはやりすぎ
九州に残って戦って多少なりとも手柄を上げればお咎めなしだったかもしれん
李舜臣に一度大敗した脇坂がそうで結局3千石加増されている
250人間七七四年:2009/03/22(日) 01:30:04 ID:Y1XSqpHQ
最初から秀吉の命令どおり守勢に徹して負けたのであればな
一度命令違反してる以上何らかの処罰は避けられまい
史実どおりの追放にはならず減転封くらいで済めば御の字
251人間七七四年:2009/03/22(日) 02:27:39 ID:rITcjnvU
凄い結果論だが改易されたからこそ江戸時代を生き抜けれ田というのは
まさに人間万事塞翁が馬だな
252人間七七四年:2009/03/22(日) 02:55:50 ID:FLbq0C0S
つまりそのままならエロゲで言う誠氏ねになっていたわけですね、わかります
253人間七七四年:2009/03/22(日) 11:54:07 ID:7Ymum0xP
>>248
だからこそ秀吉の、手を出すな、持ちこたえろって命令だったんだろ。
ましてや毛利や黒田の後詰めがそう遠くない位置に居るんだから。
大友単体でみれば後が無いけど、秀吉軍が続々と上陸・侵攻を準備してる状態で、
無理矢理にでも前に出なきゃジリ貧で後が無いのは本当は島津の方。
援軍がやってくるまで大友を持ちこたえさせるっていう大事な立場なのに、しかも軍監の立場でありながら、
先走って戦国史上稀に見る惨敗だから昔から叩かれまくってるんだと思うよ。
254人間七七四年:2009/03/22(日) 12:03:26 ID:byaC6lgV
しかし、詭弁を使ったり、都合のいい情報だけ耳に入れていったりすると、
仙石でさえ擁護できるんだな。あらためてことばや議論って怖いと思ったよ。
255人間七七四年:2009/03/22(日) 12:14:17 ID:72a4BpkB
>>254
全くだね。持ち上げる為に他者を不当に貶めたり
比較にならない比較をしたり、詐欺師の論法に近いね。
漫画の影響で無理矢理持ち上げたいのが増えたのだろうか。
256人間七七四年:2009/03/22(日) 13:23:30 ID:Y1XSqpHQ
センゴクのスレでは仙石放置されて他の武将の話題ばかりだけどなw
257人間七七四年:2009/03/22(日) 13:26:32 ID:Y1XSqpHQ
>>251
別に豊臣恩顧の大身大名だからといって取り潰されたとは限らんだろ
無論、史実よりも大身な上に秀忠の知己を得られたという史実での重要要素がない場合
取り潰された可能性は高いだろうけど
258人間七七四年:2009/03/22(日) 13:30:06 ID:g/bgm688
>>254
しかし議論する気のない相手を説き伏せる事は出来ないのが言葉の限界だと思う
259人間七七四年:2009/03/22(日) 21:17:11 ID:4JeVMw3j
>>257
限らないね
三中老も関ヶ原で東軍について、取りつぶしされてない
(生駒は真田と同じで両方について存続した)
260人間七七四年:2009/03/22(日) 23:03:17 ID:Y1XSqpHQ
三中老は江戸初期に全滅じゃないの?
261人間七七四年:2009/03/23(月) 01:27:21 ID:N7CtyAPw
豊臣恩顧の大身の大名には江戸幕府も厳しい
脇坂や仙石のような石高一桁なら比較的寛大だが
262人間七七四年:2009/03/23(月) 01:38:18 ID:Bx8dqqLa
センゴク外伝 桶狭間戦記2はとても面白かった
263人間七七四年:2009/03/23(月) 01:44:10 ID:tGAaRxuf
>>261
秀忠〜家光で取り潰しまくったもんな

豊家恩顧で10万石超えてたら取り潰したい対象だよな(豊家ではそれなりのポジションになってただろうし)
264人間七七四年:2009/03/23(月) 09:33:17 ID:tobpLBEV
>>261
脇坂家は移封の度に微増してるし(飯田→龍野は下がってるが信州から沿岸部付きの播州なら悪くない)
仙石家も自業自得の仙石騒動での半減(警戒される大身の大名なら絶好の改易材料)以外じゃ削られてないしで
積極的に苛められてる節は無いよな。
265仙台藩百姓:2009/03/23(月) 12:13:25 ID:bUmCwf6x
一桁どころか3桁のまでいるお( ^ω^)
恩顧も恩顧、元五大老で100万石超えてるのとか
豊臣の姻戚で40万石超えてるのとか
266人間七七四年:2009/03/23(月) 14:48:16 ID:K2BxILN0
元五大老で征夷大将軍ry
267人間七七四年:2009/03/23(月) 20:06:00 ID:yFIUuon0
確かに豊臣恩顧で徳川治世下の雄藩は結構あるな。

百姓が挙げてる浅野氏に前田氏以外にも、黒田氏に池田氏(織田〜豊臣ラインでの恩顧とも言えるとは思う)(まあ、徳川の外戚だが)。

恩顧ではないにしろ、丹羽氏だって西軍に付いたにも関わらず、徳川時代に最終的に十万石の大名に復帰したし。
268人間七七四年:2009/03/23(月) 22:24:54 ID:N7CtyAPw
88家を関ヶ原で改易したけどすぐに復活させる家康
取り潰しておいたままでもよかったと思うけどな
269人間七七四年:2009/03/24(火) 12:05:55 ID:HPrjt+yj
今風にいうなら「高度な政治的判断」というやつだろう
戦は敵を潰すものだが、政治は味方を増やすもの
270人間七七四年:2009/03/24(火) 13:42:08 ID:oSjQotUj
放っといたら、元大大名クラスの勢力なんかが野に放たれるから、下手したら一揆起こしたりしだすかもしれんな。
それを防ぐ為にも西軍付きだった元有力大名や有名大名の復帰を適切な時期に徐々に行って、希望を完全に捨てて暴れだしたりしないようにというガス抜きをしてたのかな?

あれだけの勢力が一時に消えたにしては、関ヶ原後の混乱や一揆とかって妙なくらいに少ないし。
271人間七七四年:2009/03/24(火) 14:19:53 ID:KaweKgFS
一揆勢の後ろ盾になるだけの組織がなかったんでないの?
浪人が数人集まって暴れたところでそう大局には障りあるまい
272人間七七四年:2009/03/24(火) 14:25:44 ID:7Q42kAju
>>270
>関ヶ原後の混乱や一揆とかって妙なくらいに少ないし。 
結果的にそうだったけど
各地の大名は支城を大急ぎで用意したりとかなりの厳戒態勢を取ってた
後に一国一条令でほとんど破却されたけど
273人間七七四年:2009/03/24(火) 14:35:54 ID:iGGUXdRh
>>270
島原の乱で2〜3万死んでるゾ
首謀者の天草四郎(益田四郎時貞)は、秀頼の息子だと言う俗説も有る
274人間七七四年:2009/03/24(火) 15:00:13 ID:5+b6WWaD
その前に大坂の陣があるじゃないか
275人間七七四年:2009/03/24(火) 15:05:49 ID:oSjQotUj
全国規模で改易があったのに、大規模一揆や討伐は島原と大坂くらいってのは規模としては少ないと思う。
島原の乱はまさに反乱だけど、関ヶ原後の混乱直後には起こらずに三十年ほど経っての内乱一揆だけと言うのは。
もうちょっと旧西軍側大名旧領での一揆の煽動はあってもおかしくなかったのでは。

不穏勢力の浪人や土着の旧国人浪人、彼らを糾合できる声望を持った優秀な武将たる改易大名は全国に幾人もいたんだから。
276人間七七四年:2009/03/24(火) 15:29:32 ID:h/hxUlVD
各大名家の集権化が進んでちっとやそっとの扇動では崩れなくなったとか
277人間七七四年:2009/03/24(火) 16:12:55 ID:pjZqWiv8
>>275
大坂の陣までは豊家がいずれ起つからその時に、って希望的観測もあったんじゃね。
でその前後で目ぼしいところは徳川家に取り立てられたか(立花、丹羽、新庄等)、大坂で討ち死にしたか。

あと秀吉政権の頃に結構膿をだしきっちゃって、
一揆起こすような土着勢力は駆逐されて中央集権化が進んでたってのもあると思う。 
278人間七七四年:2009/03/24(火) 17:27:55 ID:W/QNbpR3
さあ、そろそろスレタイを確認しようか
279人間七七四年:2009/03/24(火) 21:34:47 ID:glzntyZp
何、この流れw
264を最後に脇坂や仙石名前が出て無いんだがw
280人間七七四年:2009/03/24(火) 22:00:49 ID:4ToQ38vl
では脇坂が李舜臣に敗れた閑山島海戦でもやりますかな
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1786376
281人間七七四年:2009/03/24(火) 23:25:01 ID:/Qye8rpj
車丹波ぐらいしか思いつかないな
282人間七七四年:2009/03/26(木) 23:45:55 ID:8PdYYJUE
一気にスレが止まった
283人間七七四年:2009/03/27(金) 01:06:04 ID:OHD36LL6
だって、結局は脇坂は基本的に空気な武将(天下分け目の大戦で裏切ったのにあまり目立てず)だし。

仙石は司馬史観云々抜きにして、戸次川で最悪な大失態したのに小田原で改易から再度取り上げてもらうという恩顧を施して貰って、恩顧中の恩顧武将と言っても良いのにも関わらず裏切った糞武将だし。
284 ◆LeD1MMOS.k :2009/03/27(金) 01:09:28 ID:iJYMPu0U
でも脇坂家は老中まで出すんだよね、これが。
285人間七七四年:2009/03/27(金) 01:47:09 ID:4hq8egYG
関ヶ原寝返り組の小早川小川赤座は大谷刑部に呪われたが
脇坂は呪われなかった(所領安堵、後に加増されて子孫は老中)
不思議な家だ
286人間七七四年:2009/03/27(金) 07:14:22 ID:kmjrWFvl
んなこと言ったら小川も朽木も…まあ改易されてるが
287人間七七四年:2009/03/27(金) 07:38:10 ID:393Gzk5r
こいつらの家臣で名のある奴居るの?
288人間七七四年:2009/03/27(金) 09:42:41 ID:S3f1bcF2
>>290
かばう訳じゃないが
小田原で復帰を後援したのは徳川じゃなかったか?

正真正銘子飼いな福島正則のが裏切り者だと思う

仙石が大軍の指揮官として無能だと思うがな
289人間七七四年:2009/03/27(金) 14:28:05 ID:kxxY7dl/
大谷吉継も、脇坂は信用してたらしいよ by 池波正太郎
290人間七七四年:2009/03/27(金) 18:27:00 ID:ev0UHaG7
>>285
1、脇坂に人徳があったから
2、小早川小川赤座で満足したっちゃ
3、忘れてた


291人間七七四年:2009/03/27(金) 18:29:39 ID:9jpjc7Ip
そもそも「のろわれた」なんて根拠のない話に考察してどうすんのよw

つーか小早川は関が原当日にはもう西軍ではなく、かと言って東軍にも身を投じてない
宙ぶらりんの立場だったのが定説では
292人間七七四年:2009/03/27(金) 18:33:07 ID:9jpjc7Ip
一応脇坂は予め高虎を通じて内応の約束をしていたので所領安堵されたけど
その場の勢いで寝返った小川・赤座・朽木は改易されたはず
293人間七七四年:2009/03/27(金) 18:49:35 ID:4hq8egYG
よく大谷が脇坂の裏切りを予知していなかったというけどさ

・脇坂は秀吉死後の徳川前田抗争で徳川邸に駆けつけた
・加藤福島らが石田三成を襲撃した時は加藤福島を称賛している
・もともと七本槍だし、水軍関係で藤堂高虎や加藤嘉明と親しい

小早川以上に警戒すべき対象だろうに
294人間七七四年:2009/03/28(土) 00:38:07 ID:X3ecx+iW
予知云々よりそこで裏切られたらそれまでという開き直りじゃね?
吉継ってもともと関が原で生き残ろうとは思ってなさげだし。
295人間七七四年:2009/03/28(土) 00:45:00 ID:PpZIbMBz
病のこともあるし
前田家の封じ込みに失敗して北陸諸候同盟を崩壊させたあげく
伊勢攻略も失敗してしまった時点で死ぬつもりだったろうな
296人間七七四年:2009/03/28(土) 01:42:50 ID:V0rE5v6Q
脇坂は空気。大谷も脇坂の存在を忘れていたからこうなった。
297人間七七四年:2009/03/28(土) 07:26:52 ID:X3ecx+iW
空気と言えばそうだな。
小早川のほうが兵が全然多いし絶妙の位置に陣してるわけで、
実際に関が原の勝敗は小早川で決定されたみたいなもの。
298人間七七四年:2009/03/28(土) 09:33:26 ID:WixoVyHB
>>293

>・脇坂は秀吉死後の徳川前田抗争で徳川邸に駆けつけた

大谷もそうだな。
まあ、大谷は宇喜田の仲裁とかして微妙なバランス保っていたが。
空気武将・空気番目の寺沢なんか、もろに西軍よりだったのに最後は東軍だったし。
299人間七七四年:2009/03/28(土) 19:57:15 ID:0PZYtxD9
それをいったら三成襲撃の首謀者の一人加藤清正は東西どっちにつくか決めかねて動きが遅いし、
犬猿の仲の小西が西に着いたから結局東に着いたけど、小西次第では西に着くのも十分ありえた。
三中老の連中なんて機能的には奉行だけど、特に主張もなくただ流されて家康に吸収されただけっぽい。
他のすれでも言われてるけど、短絡的な武断派・能吏派あるいはおねと淀の対立って後世のでっち上げの部分が大きいよね。
300人間七七四年:2009/03/28(土) 20:23:14 ID:WixoVyHB
うん、だから、黒田・細川・藤堂ラインは兎も角、福島は明確に過ぎる程徳川に近づいたと言えるな。
他はその場その場で動いたという感じだな。

というか、奉行派っていってるけど、秀吉死後、奉行はおとなしいわけだが、
実質、家康対4大老で、三成はそのとばっちり受けたという印象もあるな。
実際七将の後の家康裁定は三成対する配慮があるからな。
当時の状況から、領地半減されたりとかされてもおかしかないからな。
301人間七七四年:2009/03/30(月) 10:39:27 ID:VdL8eH/q
小西はどう考えても三成つながりで西軍だから
清正は東軍につくことはおかしくない
302人間七七四年:2009/03/30(月) 11:51:03 ID:8LGGN/Sv
三成と行長は唐入りの早期収集のために結託しただけで別に親しく
ないんだけどな
商人出身で堺奉行も務めたから誤解されてるけど行長は基本的に
前線の人間だ
303人間七七四年:2009/03/30(月) 20:38:58 ID:9VW0JTFo
>>300
前田の前例を見せつけられば毛利も上杉も宇喜多も次は俺だみたいに考えるのが普通だもんな
304人間七七四年:2009/03/30(月) 22:22:15 ID:kbQYSlsL
また話が脇坂・仙石から離れてきたなw
305人間七七四年:2009/03/30(月) 23:37:47 ID:E0NcXthV
脇坂、仙石がまだ輝いてた天正年間はセンゴクの話題になりすぎるしなぁ。
306人間七七四年:2009/03/31(火) 07:37:21 ID:qPxIEIXx
ワッキーより格上の孫六のスレですら沈んでるのに
それにセンゴクの執筆以前は戸次川以外たいして話題にすら上らない仙石を足しても
たいして盛り上がらないのは仕方ないかと。だったら多少すれ違いの話題でもいいじゃない。
307人間七七四年:2009/03/31(火) 12:09:55 ID:6lv8jtyI
朝鮮出兵でなんか武功ないの?>>仙石
308人間七七四年:2009/03/31(火) 13:40:14 ID:ZsmAS0n/
そもそも渡海してない
名護屋城と伏見城の築城だけ
309人間七七四年:2009/04/01(水) 01:00:59 ID:+WOdFCeY
安治は大活躍なのにね!
310人間七七四年:2009/04/01(水) 01:15:51 ID:43e0Ti4Y
関ヶ原時清正の状況
対小西
殺したい程憎いけど宇士城の防御は中々固いぞ…攻めりゃ勝てそうだけど…
被害受けると北上する島津に勝てそうにないし…こりゃ闘わないのがベストかな

対立花
親友とのいざこざは避けたいなぁ…闘わないのがベストだな…。

対黒田
如水のおっちゃん怖いなぁ。
取り敢えず目を付けられないように国境に援軍送っとこう(ポーズだけ)

清正「別に石田もそんな嫌いじゃないし…上方に領土くれるなら西軍でもいいっすよ^^」
311人間七七四年:2009/04/01(水) 01:47:35 ID:i57uFIan
朝鮮の時はすでに死亡してたはず
312人間七七四年:2009/04/01(水) 02:05:52 ID:5QaQkxTT
誰がだよww
脇坂も仙石も清正も生きてるだろ
313人間七七四年:2009/04/01(水) 07:33:53 ID:K+z56qH1
そもそも清正が三成はもちろん行長のことも本当に憎んでいたのか疑問
図体こそでかいが大工の子なのでさして武芸は出来ず(それでもさすがに巨体生かして首も
挙げてるが)得意なのは純粋な技術である鉄砲という知将なのに、武ばった演出のおかけで
後世に豪傑として名を残したほどパフォーマンスの人生だからなぁ
314人間七七四年:2009/04/01(水) 12:03:23 ID:gHhrTCWw
大工の子なの?
足軽じゃなかったっけ
315人間七七四年:2009/04/01(水) 15:26:29 ID:hkGawfAX
あれ、残ってる清正の甲冑とかって小柄だったような
316人間七七四年:2009/04/01(水) 18:56:35 ID:5N7Ojdhp
仙石と脇坂という、一見理解不能な取り合わせでスレ立てた>1はセンスあるなw
317人間七七四年:2009/04/01(水) 19:23:30 ID:UWWgblV3
本気で三成殺すだったのは黒田と蜂須賀だからな
318人間七七四年:2009/04/01(水) 20:27:49 ID:K+z56qH1
>>315
170くらいじゃなかったっけ?
当時としては大柄の方
319人間七七四年:2009/04/01(水) 20:29:26 ID:K+z56qH1
>>314
親は足軽という説があるね
どっちにしろ子供の頃大工の修行に出されてたらしい
その縁だよりで秀吉のところに
320人間七七四年:2009/04/01(水) 20:30:21 ID:K+z56qH1
>>317
その二人は親の代の既得権を三成に奪われてるからな
321人間七七四年:2009/04/01(水) 23:57:51 ID:6vQ3apkC
大工ね。それで築城が得意だったということなのかな?
322人間七七四年:2009/04/02(木) 01:09:09 ID:L+kh2KrW
http://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/syokuho/syokuho18.htm

あまり知られてないが脇坂は小牧・長久手の合戦の際に伊賀上野城を落して
伊賀の城郭破却と検地に尽力している。
323人間七七四年:2009/04/03(金) 01:03:50 ID:v1Eh1iog
伊賀は脇坂が平定したのか
何気にすげー
324人間七七四年:2009/04/05(日) 11:08:20 ID:k5zo2vb+
戸次川で大敗したっていうけどあれは仙石の責任じゃなくて秀吉の責任
つまりあの戦で四国勢を殺してこいってこと
長曽我部だけは辛くもし損じちゃったから仙石は改易
成功してたら生駒は土佐に配置されてた
ソースは「千石おほえかき」っていうイミフな書物
325人間七七四年:2009/04/05(日) 21:26:28 ID:mb/ax9A9

338:人間七七四年 :2009/03/25(水) 18:54:22 ID:xrAs5YGp
韓国ドラマ「ホジュン」の壬辰倭乱で脇坂家の旗印が出たw
326人間七七四年:2009/04/08(水) 07:49:47 ID:y2P5iDS+

四国征伐に功績があった仙石秀久は讃岐(香川県)の高松城主になっていた。
この関係から、四国勢は仙石秀久が軍監として指揮を執り、
14歳年上で実力者の長宗我部元親はその配下となった。
元親の長男が信親で当時22歳。ほかに十河在保も従軍した。

秀吉は出兵に当たって、合戦せずに、ろう城して援軍を待て、と指示した。

四国勢が府内の港(沖の浜)に着いた10月、豊前で反大友勢力が挙兵した。
当時、府内の大友館で指揮をとったのは、宗麟の長男義統。

全く戦術の分からない人で、四国勢の到着に気を大きくしたのか、
仙石の四国勢ともども豊前へ出兵した。
島津軍はこの機会を逃さず、どっと豊後へ乱入。
大友の部将には島津軍に内応する者が多く、島津軍とまともに戦ったのは臼杵・丹生島城の宗麟、岡城の志賀親次、そして戸次の鶴賀城の利光宗魚らだった(いずれもキリシタン)。
なかでも鶴賀城の利光宗魚は手勢が少なく、農民老若男女が城にこもって石を投げたりのゲリラの必死の抵抗戦を展開した。
この間、豊前へ出兵した義統と四国勢は急きょ、府内へ引き返し、鶴賀城の救援へ。
鶴賀城のふもとの戸次川原で島津軍と対峙した。

四国勢の軍監・仙石秀久は、豊前出兵という失態を犯したため、あせっていた。
功を急ぐあまり、長宗我部親子の反対を押し切って、
戸次川を渡り、島津の大軍(島津16000人対6000人とも)に包囲されて散々に破られ、仙石は逃げた。
だが、長宗我部信親は踏みとどまって島津軍と戦った

327人間七七四年:2009/04/08(水) 10:04:07 ID:nQN+JuxB
まあそこで逃げずに踏みとどまって市ねというのは江戸時代以降の思想で、
戦国武将としては逃げっぷりのよさがほめられていい局面かもしれんw
328人間七七四年:2009/04/08(水) 17:37:05 ID:tMPY8mT0
「逃げっぷりがいい」なんていう倒錯価値観を有するのは
アンチ戦陣訓でこり固まった戦後日本人だけだろう。
329人間七七四年:2009/04/08(水) 19:02:05 ID:gpaoagun
武田氏の躑躅ヶ崎館に対する要害山城のように
中世的な大名館には大抵詰めの城があったと思うけど
府内の大友館には詰めの城はなかったの?
330人間七七四年:2009/04/08(水) 21:38:29 ID:E7wUsaTs
別に日本に限らんだろ
ただしそれは
「防御戦闘で見事な遅滞戦術を取り、敵に多大な出血を強いながら味方の損害は最小に留めた」
などという場合だ
自分から吹っかけて尻尾巻いて逃げるのはそれに当てはまらんw
331人間七七四年:2009/04/08(水) 23:33:50 ID:zoQnAm/l
金ヶ崎での信長の行動の速さは評価されてると思うが
332人間七七四年:2009/04/09(木) 00:20:26 ID:t5pO2DFj
>>331
アレが一・二戦して勝ち目がないんで逃げたとかなら評価落ちたろ
333人間七七四年:2009/04/09(木) 00:50:18 ID:mgHz2xqH
戸次川の仙石は、無謀な戦いを仕掛けて無残に敗走した失敗談。

金ヶ崎の信長は、すばやい状況判断による撤退で自軍の被害をほとんど出さずにすんで、
後の反撃で浅井・朝倉を滅亡に追い込んだ成功談。
334人間七七四年:2009/04/09(木) 02:42:49 ID:DU5/ffU4
夏草の賦を流し読みしたが仙石秀久の出番ってあんまりないのなw
335人間七七四年:2009/04/09(木) 23:09:27 ID:KT2NPldz
>>331
信長は総大将だからな
死んだらどうなるかは実証されてる

ゴンベは生きても死んでも何の影響も無い
336人間七七四年:2009/04/10(金) 07:14:03 ID:p+HEHuRo
>>330
主家の滅亡賭けた戦ならともかく、あそこで死んで何の意味があるのか、
と考えると戦国武士なら逃げていいんだよ。
まあ信長のときなら腹切らなきゃいけなかったろうけどw
337人間七七四年:2009/04/10(金) 09:15:36 ID:L6iqRgAm
いや、むしろ主家は割とどうでもいいんだが
チキンは駄目だ。
主家を踏みつけにしても、自分の武名のためなら腹を切るのが戦国武士。
338人間七七四年:2009/04/10(金) 10:58:58 ID:DB6yb9hp
そもそも待機してろといわれたのに無用の戦いを引き起こしといて逃げるのは
どう言いつくろっても評価できんよw
島津の方から攻めかかって来て応戦したならともかく
339人間七七四年:2009/04/10(金) 21:07:23 ID:0zc7cr47
神子田は切腹させておいて仙石は追放程度で済んだのは
イケメンで世渡り上手だからか
340人間七七四年:2009/04/10(金) 21:38:06 ID:+FKXkeBD
>>339
尾藤知宣も含めて、追放の処分は似たようなものだったが、
帰参しようとした時の対応で決定的な差が…。
仙石は、家康の口利きがあったのが大きかったんだろうか。

イケメンかどうかは知らぬw
341人間七七四年:2009/04/10(金) 21:39:30 ID:p+HEHuRo
秀吉も家康もそっちの気は皆無に近い男なんで顔は関係なさげ。
342人間七七四年:2009/04/10(金) 22:33:23 ID:kKzkVVkO
戸次川における仙石の罪状

秀吉の命令を無視して無謀な戦いを仕掛けたこと
その結果大敗北を喫したこと

逃げたこと自体よりこっちのほうが大きいかもしれない。
343人間七七四年:2009/04/10(金) 22:47:41 ID:0zc7cr47
信長に「ウホッいい男」って金を貰った逸話があるから
ルックスもイケメンだったんじゃないかな
344人間七七四年:2009/04/11(土) 00:31:14 ID:02Y0eAqs
イケメンってより偉丈夫だったんでね?
345人間七七四年:2009/04/11(土) 00:36:31 ID:Qm80zmRA
>>337
犬畜生と蔑まれようとも、まずは生き残ることが戦国武士の基本だろ。
346人間七七四年:2009/04/11(土) 10:47:52 ID:7sNzTUSz
誰にも雇ってもらえなくなったら武士稼業は立ち行かない。
あらかじめ枕営業で保険をかけておけば復帰できるかもしれないが。
347人間七七四年:2009/04/11(土) 13:06:46 ID:xwgFynk3
秀吉が仙石の使い方間違っただけで、侍大将レベルからなら
いくらでも仕事あるだろ。
まあもうちょっと時代が後なら大阪夏の陣で単騎突撃して
華々しく討ち死にだろうがw
348人間七七四年:2009/04/11(土) 13:35:24 ID:a3dvaGAi
>>329
丹生島があるが既に宗麟の手勢が篭っててその上数千も入れる余裕はない。
>>337
ヒント:信長は佐久間信盛に「討ち死にするか手柄をあげろ」とは言ったが腹を切れとは言ってない
349人間七七四年:2009/04/11(土) 14:02:38 ID:7sNzTUSz
命おしさに頭を丸めるなんてつわものの風上にもおけん。
という前提でハッパをかけたのに、空気読めない信盛。
だから信長は激怒して高野山からも追い出したと。
350人間七七四年:2009/04/11(土) 20:14:36 ID:vxDN0gkr
>>348
丹生島城は府内の詰の城じゃないよ。
離れすぎている。
351人間七七四年:2009/04/11(土) 22:21:15 ID:jrpEgkHh
府内の詰城は高崎城では?
義統が府内陥落の際、そこに逃げたはず。
352 ◆LeD1MMOS.k :2009/04/12(日) 12:00:56 ID:kfQBYDYw
>>348-349
信長公記の「折檻状」はこうなってる。

『一、此の上は、いづかたの敵をたいらげ、会稽を雪ぎ、一度帰参致し、又は討死する物かの事。
一、父子かしらをこそげ、高野の栖を遂げ、連々を以て、赦免然るべきやの事。』

これは
『(今回追放するが、その後)どこかの敵を討って雪辱してから帰参するか、そこで討ち死に
するかしたらよかろう。
それまで頭を丸めて高野山にでも行って謹慎しておれ。』
という意味だよね?

高野山に行ったのは命令通りだと思うんだが。これで怒るのは逆ギレでは?

で、スレ違いになるので以後はこちらで

織田家家臣団の筆頭格・佐久間信盛
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157214776/l50
353人間七七四年:2009/04/12(日) 14:51:11 ID:JtRG/Kcu
仙石は高崎城を固守すべきだった。
周囲からそそり立つ高崎山の頂に石垣も備えた城を
島津勢とて容易に落とす事は出来なかったはずだ。
354人間七七四年:2009/04/12(日) 16:21:14 ID:yBbNLKRb
>>352
信長ツンデレのちヤンデレ、信盛マンドクセの構図なんだよ。

信長 「武功を上げないと、帰参を許してあげないんだからね!……だから、が、がんばってよね……」
信盛 「もう、やってらんね」
信長 「せ、せっかくチャンスを上げたのに!もう知らない!もっと遠くへ行っちゃえー」

信盛死後、信栄赦免。

信長 「あん時のことは(オレが悪かったからさ)水に流してやるよ。せめてお前だけでも許してやっから帰ってこいよ……」
355人間七七四年:2009/04/21(火) 22:20:17 ID:BQ8SNxAU
>>351
戸次川からの撤退時追っての島津軍から吉弘統幸に救われた後、一旦高崎城に逃げたんだけど、
すぐに豊前の龍王城まで避難している。
その後3月の豊臣軍が来るまでは、岡城の志賀親次、栂牟礼城の佐伯惟定、杵築城の木付鎮直等が
奮戦して持ちこたえたため豊後を制圧できずに島津軍は日向へ撤退した。(志賀や佐伯の逆襲を受け
ながら)
356人間七七四年:2009/04/26(日) 09:52:36 ID:V8VR00wB
仙石の功績は、子孫が上田から出石に転封され、
皿そばを出石の名物にしたことぐらいだろw
357人間七七四年:2009/04/29(水) 01:11:30 ID:+2rmhmyX
上田の蕎麦は旨いから、それが出石に伝わったのか。
358人間七七四年:2009/04/29(水) 16:48:59 ID:ssVZkMir
つーか穀物系の名物って、江戸時代からの蕎麦か
戦後に進駐軍から横流しされた小麦粉が原料のうどん&ラーメンしかなくね?
359人間七七四年:2009/04/30(木) 03:31:30 ID:eMWLTJKi
ほうとう
おやき
餅、饅頭関連
360人間七七四年:2009/04/30(木) 08:12:19 ID:oHfjlAcX
>>358
全部中国から(略
361人間七七四年:2009/04/30(木) 13:37:50 ID:0yTZm5G1
>>358
親子丼
362人間七七四年:2009/05/02(土) 11:46:22 ID:aOgBg50P
>>356
売れない漫画家だった宮下英樹を出世させたくらいかな
363人間七七四年:2009/06/13(土) 18:01:42 ID:Gfq0aMsb
秀久と安治の人選が渋すぎ
364人間七七四年:2009/06/13(土) 19:28:58 ID:cjooLJMt
今日戦国時代の考察本みたいなの色々読んできたけど、元親絡みでしか名前が出てこないw
いっぱしの武将で秀吉の子飼なのに悉くスルーされてるのが悲惨すぎるw
四国征伐に至っては秀長の2次のみで引田表はスルー、紀州征伐も紀南攻めとかまず無いし。
淡路攻めに至っては秀吉が滅ぼしたとか見当違いな事書いてる奴もあったし。

仙石を主役に持ってきたセンゴクの宮下先生は目の付けどころが良いな、
調べたら結構多数の有名武将に戦も地味〜有名所までリンクしてる仙石を司馬史観で扱わなかったのは勿体無いな
365人間七七四年:2009/06/28(日) 11:11:03 ID:Tik/jTMD
>>364
脇坂についても一言。
366人間七七四年:2009/07/15(水) 10:34:15 ID:xRM38nZo
脇坂は七本槍の出世頭、長期戦で!
367人間七七四年:2009/07/23(木) 00:46:01 ID:Dh8OhN/J
>>324
イミフな本ワロタ
368人間七七四年:2009/08/26(水) 17:52:22 ID:Vm+44Fp4
宮下英樹も戸次川は散々な結果にかくと思うぞw
そのあとの復活を華々しく書くのが目的だろうから
良いとこもあったんだね!位には思われるだろうが再評価というほど好転はしないだろね

まあ秀吉の早い時期からの部下と言うことと、大失態と復活まで含めて興味深い武将だけど
大失態ばかりがクローズアップされて不憫だね、という感じはある
369人間七七四年:2009/09/06(日) 12:54:12 ID:qNfcdH7N
仙石一家は池波正太郎でもあんまり良くは書かれていないな。
真田太平記でも秀忠にとりいって上田を奪う卑怯者って感じだしな。
つーか、こんな行動した奴は好かれないだろ。指揮官が味方を見捨てて逃亡って
太平洋戦争時の富永恭次、牟田口廉也、木村兵太郎を連想させる。
マンガのセンゴクももはや主人公の立場は人形劇の三国志でいた紳助・竜介的なポジションだろ。いまのところ。
370人間七七四年:2009/09/06(日) 16:45:47 ID:pgUIBB7V
脇坂さんは日本より韓国で有名なんじゃないの? 
朝鮮役で大活躍したし、イスンシンとの直接対決あるし
371人間七七四年:2009/09/08(火) 08:39:16 ID:5q7agafh
>>364
仙石に限らず、秀吉前半の家臣はスルーされまくりだよな。
光泰、尾藤、御子田、宮部とか

弟、浅野、小六、前野、竹中あたりはたいてい出るが
372人間七七四年:2009/09/08(火) 08:59:51 ID:rQSwqvdd
>>369
真田太平記はそういう書き方されても仕方ないとしても逃亡の件は擁護のしようがないよな
373人間七七四年:2009/09/08(火) 13:01:50 ID:j1tU9IV5
前半の家臣団なんて大抵どんな武将でもスルーされまくりじゃない?
豊臣は後の大名クラスが多いから特にそう感じるだけで。
織田家臣団でも、原田、武藤、簗田、森、不破、少し下がって蜂屋、菅屋などは大概スルー。
水野など領地が広く活躍期間も長いのに、竹千代がらみでしか登場しないし。

漫画のセンゴクは、仙石家関係者以外に、堀久や野々村などが活躍して喜んでる人もいるのでは。
今後は宮部の登場と活躍に期待したいが、仙石との接点は何かあったっけ?
374人間七七四年:2009/09/08(火) 14:12:28 ID:cRzeuq+K
戸次川の敗戦は確かにカスとしか言い様もないが、それだけで他のことまで完全否定は言いがかりだろ。
元親絡みならまだ分かるけど、真田は自業自得。
あのやり方だと勝たないと負けたら何されても仕方ない、そこまでしても駄目な三成を恨むしかない。
秀忠にしても関ケ原で没落した大名を復帰させたりしてるから器が小さいわけではないし。
375人間七七四年:2009/09/08(火) 20:32:38 ID:9bCLExsB
「戦国合戦」武将たちの決断…に仙石が大将として動いた戦が2つ掲載されているけど、
両方とも負け戦w(戸次川の戦いと引田の戦い)

まぁ戦が上手とは言えないのは仕方ないかな
376人間七七四年:2009/09/25(金) 14:07:44 ID:pCvg/kYa
脇坂は赤井直正に武勇を賞されたとか、柴田勝政を討ち取ったとか、地味にすごい逸話が多い。
377人間七七四年:2009/09/25(金) 18:58:54 ID:iGMKmObA
文禄の役の海戦で率いている人数を「はるかに越える数の死者を出す」惨敗を喫した(朝鮮側記録)
のもある意味すごい逸話かなw
378人間七七四年:2009/09/25(金) 19:26:20 ID:siPm8OBT
>>377
動員定数以上の死者ってのは、現代南ウリナラ人の主張だけどな。
379人間七七四年:2009/09/26(土) 20:31:23 ID:te+MkMj0
戦果が誇張されて記録されるのは戦史の常。
問題はその誇張された戦果が現在も無批判に語られていること。
下手をすると、変な解釈で誇張記録以上に、さらに誇張されるてる事態まで存在する。
380人間七七四年:2009/10/26(月) 22:38:39 ID:W+VCefpO
久々の短パン
381人間七七四年:2009/11/30(月) 06:21:30 ID:/0e82ymr
>>369>>372
マンガでは、その逃亡に至るまでの理由付けでポイント上げるんじゃないか?
そうせざるを得なかったってことで真の戦犯を他に作るか、
そうした方が被害が少なくてすんだと踏んだ(結果読み間違いであっても)って
方向に持っていくと思うけど

だから徳川もとりなしてくれて、秀吉も許した、みたいな感じで
382人間七七四年:2009/12/03(木) 10:11:47 ID:l6WTQb1Q
>>381
格好悪く描くとは言ってるからあまり美化はしないと思うが
所謂「絶望的状況で逃げずに奮闘して死ぬことが美徳」という太平士道に対するアンチテーゼは含むんじゃないか。
負け戦では斬り死にの武功なんて糞の役にも立たねえ、みたいな。
383人間七七四年:2009/12/05(土) 14:28:08 ID:FVo2B1+9
秀久ってあちこちで負けてないか?
384人間七七四年:2009/12/05(土) 14:53:42 ID:beHgT38o
本能寺の変の直前にも、四国に渡海してぼろ負けしてる>仙石

二回も仙石に足引っ張られる十河が哀れすぎる……
385人間七七四年:2009/12/06(日) 02:09:58 ID:7OvIaMJu
仙石秀久は戸次川の神敗戦で讃岐の国衆を一掃した神武将
386人間七七四年:2009/12/17(木) 01:35:53 ID:hJiwmzEZ
仙石は、一時は讃岐18万石の国司にまでなっていたが。九州戦役のポカが原因で除封・改易。
のち家康の口ぞえで小諸3万石に没落。
一方、脇坂は、淡路洲本3万3000石→5万3000石→信州飯田5万3000石→播磨龍野5万3000石。
大出世もしなかったけど大没落もしなかった。脇坂のほうが手堅い

387人間七七四年:2009/12/18(金) 00:16:26 ID:Mi/f8UVg
チョウソカベという不良在庫を一掃しただけだろ
仙石はよくやったよ
388人間七七四年:2009/12/18(金) 04:48:00 ID:K2DbDvrm
>>387
徳川も山内も足向けて寝られないな
389人間七七四年:2009/12/18(金) 16:15:11 ID:U8KQbkX7
ネタ尽きたな
390人間七七四年:2009/12/29(火) 05:36:40 ID:RNNQpl0W
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm1786376

脇坂さん完璧に悪役ww
笑い方も、悔しがり方も一挙一動が全て典型的な悪党だw
輪違いフルボッコにされてるしw
でも、残念な事に脇坂さんを大きく扱ってくれてるのはこのドラマくらいなんだろうな…
391人間七七四年:2010/01/16(土) 01:22:00 ID:/4d+mCeW
それって「不滅の李舜臣」?
「脇坂安治は日本の英雄だ」みたいなナレーションはいってたw
はじめは志ある武将だったのにどんどん退行して、
勝てば笑うし、負ければ憤慨する極悪キャラになってった。
392人間七七四年:2010/01/16(土) 10:51:12 ID:sRkYLYMb
案外、外様の長宗我部の力を削ぐ仕込み立ったような気もする。<戸次川
あまりにもやりすぎの結果になっちゃったんで怒られて改易と。
393人間七七四年:2010/01/20(水) 02:01:04 ID:r1CA8dC0
矢面にたてて消耗させるのは計算にあっただろうけど敗北までは考えてないでしょ
394人間七七四年:2010/01/20(水) 02:10:24 ID:5fYNsdjV
>>391
日本での脇坂安治の扱いを教えてやったらどうなるんだろうw
395人間七七四年:2010/01/23(土) 22:56:26 ID:J1uwAM3o
残虐な幼児キャラに仕立てておいて、
「これが日本の英雄だ」とは恐れ入ったぜ韓流。

でも、そんな脇坂さんもかわいげあるじゃんと思ってしまう
日本人もいるのであった(ここに)
396人間七七四年:2010/01/23(土) 23:59:23 ID:hDC45Alo
>>395
だって閑山島海戦はウリナラの救国英雄たる李舜臣が、名のある日本武将相手に
明らかに勝ったと言える唯一の事例だからな〜 しかも戦力比5:1くらいで圧倒的に
優勢だったし。

ま、李舜臣を聖将と持ち上げるためには、脇坂が小者であっては断じていけないワケで。
397人間七七四年:2010/01/24(日) 00:58:30 ID:Jl8IeKJ7
>>377
巻き込まれた朝鮮農民の数も含まれているんだよ。
裏切ったものとして。
398人間七七四年:2010/01/25(月) 00:58:12 ID:BS1ydJ9X
ウィキの高取城の項目に脇坂安治が豊臣秀長の重臣だったって書いてあるけど、
大和に所領⇒大和衆の一員⇒秀長の重臣、ってことかね?
399人間七七四年:2010/01/25(月) 22:40:39 ID:pdNGMJfm
>>382

徹底的に『生きること』に執着させてるから、
アンチテーゼはあるだろうな>漫画『センゴク』

ちなみに長篠の戦いでは、相対した真田信綱に『三国一の臆病者』と言わせてる。
400人間七七四年:2010/02/08(月) 13:11:12 ID:kv9wiN20
秀長の与力と書くべきだな
401人間七七四年:2010/05/21(金) 09:52:38 ID:vF39GtgY
ところで最近戸次川周りの史料を読み漁ってみたんだが、四国勢が渡河攻撃に反対したって話はどこから来たんだろうか。

長宗我部親子反対説は土佐物語が出典で、しかもこの中では十河存保は仙石に同調した扱い。
十河存保が反対した説はどこで生えてきたのかすらわからない。

言いだしっぺorその場で発言権が最も強い仙石秀久の責任は確かに一番大きいが、
所謂四国諸将反対説って後のお家滅亡と絡めた悲運物として江戸中期以降に成立したもので
当時は誰も彼もいけいけ状態だった可能性があるんじゃないか。
402人間七七四年:2010/05/23(日) 10:41:24 ID:LZh8NFET
シズガタケの七本槍
http://www.youtube.com/watch?v=It_r7YqLYz0
403人間七七四年:2010/05/23(日) 14:48:05 ID:31kAUJG+
>>401
発言権が強いどころか、仙石は譜代として外様新参の二将を指揮監督する立場にあったのは確かだろ。
長宗我部・十河がどう主張しようが二人とは立場が違うんだから、
指揮決定権がありながら戦国時代でも稀に見る大敗を喫した責任があるのは仙石ただ一人。

しかもその後逃げ過ぎ。でその後鈴のパフォーマンス。オメデテー頭の奴だと思われても仕方ない。
404人間七七四年:2010/05/24(月) 08:34:41 ID:72sK6Y15
>>403
別に負けの責任が秀久にあるのは誰の目にも明らかだし逃げっぷりは三国一の臆病者なのも事実だが。

「作戦に反対したが聞き入れられず、勇戦討死した悲運の名将」みたいな信親の扱いはどこから来たのか、という話。
相手が家久なことを差し引いても、包囲殲滅されるまでの土佐勢自身の動向が微妙にお粗末なわけで。
「軍監の命令だから仕方なかった」みたいな言い方がよくされるが、実際淡路勢が負けるまで土佐勢はサボタージュ同然の状態で、
命令を素直に聞いてるとは言い難いし。
405人間七七四年:2010/05/24(月) 23:20:07 ID:RzS9SkyN
土佐勢は勝算ないのわかってても逃げるわけにはいかないしな、新参だし。
そんな状態じゃ士気が低いのは当たり前だろ。
ていうかそこ突っ込んじゃうと、そこのトコ管理できてない指揮官の仙石にダメだしするしかないわけだが。

勇戦討死した悲運の名将扱いした最初の人って実は当の対戦相手の島津家久じゃなかったっけ?
元親の使いが信親の亡骸を貰いに行った時随分賞賛してたよね?

あとは一時は四国制覇間近までいった長宗我部家凋落の契機であり象徴的な出来事だったからじゃないの?
まあ戦意が低いんだったらせめて逃げる準備ぐらいはしとけとは思うけど。
406人間七七四年:2010/05/24(月) 23:49:50 ID:mF3bp1BO
判官びいきって恐いよね
407人間七七四年:2010/06/07(月) 22:42:49 ID:QmyYt/LB
総大将が全力で釣られて突出して殲滅されてどうすんだ、って部分もあるからな。
どうやっても仙石は擁護出来んだろう・・・
408人間七七四年:2010/06/10(木) 20:44:00 ID:VwE0L/mF
>>402
このネタを誰か貼ってるんじゃないかと思ったらホントにあった……

歌詞の投げやりっぷりで一番不幸なのは平野か?
脇坂さんはいつでもここでもまともというか常識的な紹介すぎるでござる
409人間七七四年:2010/07/14(水) 01:43:18 ID:K5DSvjUL
test
410人間七七四年:2010/08/17(火) 16:41:28 ID:rQhq3WW9
仙石越前守は、一時は讃岐一国18万石の国司までなったが、九州戦役戸次川の戦いで大敗、秀吉の不興を買い、除封・改易。
のち家康の口添えで信濃小諸3万石に大名に復帰し、関ヶ原のち小諸58000石のち信濃上田。だが、譜代格を剥奪され、但馬出石なる山の中に敬遠され、仙石騒動により、3万石に減封。

一方、脇坂中務大輔は関ヶ原の土壇場寝返りにより、淡路洲本の本領を安堵され、信濃飯田をへて播磨龍野5万1000石。

幕政参加ぶりを見ると仙石は寺社奉行止まりだったが、脇坂は老中を二名出している
よって、脇坂が勝ち組なるは明瞭だ!
411人間七七四年:2010/08/17(火) 17:10:23 ID:l0I+5uco
仙石さんの頭の弱さをなめるな
412人間七七四年:2010/09/08(水) 23:12:41 ID:8XDr82N6
脇坂は過小評価されている
413人間七七四年:2010/09/09(木) 13:05:05 ID:pnaictiF
分家から大目付が出てるね
414人間七七四年:2010/09/10(金) 03:38:04 ID:WZvdgYuq
小川、朽木、赤座は通誼を明かにしていなかった科で、小川、朽木を減封、赤座は除封にされたが、脇坂は領地安堵、のち加封されている。
又、赤座は改易後、前田肥州利長に仕え、松任城代を務めたが、大刑少の祟りにあったのか、越中大門川の出水の検分の際、濁流を渡川中に落馬、溺死している
415人間七七四年:2010/09/10(金) 17:36:27 ID:WVIM14Lf
>大丈夫。史実でも長宗我部親子、存保全員討死するはずのところを
>秀久の鬼神の奮闘で元親が助かってるから。

>逃げたわけじゃないだろ。あれは転進。
>万が一の島津の侵攻に備えていち早く小倉の守備を自ら固め、海上ルートで薩摩攻撃の準備をした。
>悪天候のため運悪く船が讃岐に流されてしまったが、それは結果論にすぎない。


えっ何これ仙石厨なん?
416人間七七四年:2010/09/10(金) 20:53:57 ID:cmoqVBhe
>>415
歴史は見方によっては非常に美しくなったり醜くなるものもある
どう捉えるかはその人が調べた知識を吟味して判断するものだ











まあ俺の中の秀久のイメージは無能だけど
417人間七七四年:2010/09/10(金) 20:58:28 ID:B9vAEh1L
凡将を名将のように語るスレってあったよな
418人間七七四年:2010/09/11(土) 00:13:56 ID:rSLS6RMa
退却を転進とごまかすのは…
419人間七七四年:2010/09/11(土) 00:19:11 ID:4aAEagb4
塚酷く言えばどんな戦国武将でもド屑にしかならない
秀久はちょっとその印象が広まってるだけ
仮に秀久が捏造大好きな市の出だったら長宗我部十河が突撃を敢行し秀久が止めて、奮戦し元親はなんとか助けられたとかいう話になってただろう
420人間七七四年:2010/09/11(土) 01:57:27 ID:TBTM51kA
>>414
小川も改易だよ
421人間七七四年:2010/09/11(土) 03:21:56 ID:hdFYbjrQ
>>419
如何せん、伝えられる逃亡っぷりが華々しすぎる。
そっちを良く言う方が難しいだろ。
急ぎ逃亡先に行かねばならぬような
のっぴきならない理由があったとかじゃないと苦しいわ。
422人間七七四年:2010/09/11(土) 09:24:28 ID:31DRo8i7
でも、他に無茶な失敗ってないじゃないの?
423人間七七四年:2010/09/11(土) 09:33:02 ID:ElUpEAuE
>>422
過重な年貢と賦役で佐久地方は逃散者が続出。
よかったね、島原の乱みたいな大規模一揆を起こされなくて。

(注)吉沢清右衛門編「四隣譚薮・巻の一」
「里まみれに人すくなく田地すたれて荒原となる。
神社仏閣、立てながら朽て、狐ふしとを得たり。
・・・・苛政(過酷な政治)虎よりはげし(激しい)。昼はひねもす(一日中)役せられ、
寒夜といえども、千曲川の砂石をはこひて、山林こつこつたる城郭成る。・・・・」
424人間七七四年:2010/09/11(土) 09:35:17 ID:TBTM51kA
四国征伐の先陣でも讃岐で大敗して淡路に逃げ帰った件
425人間七七四年:2010/09/11(土) 11:10:13 ID:pylSF7mj
仙石は過大評価
脇坂は過小評価だな

仙石はチワワ、脇坂はジャッカル
426人間七七四年:2010/09/14(火) 17:04:20 ID:0QtMGhWx
チワワみたいに可愛いだけなら
まだマシだったんだけどな
427人間七七四年:2010/09/14(火) 21:37:24 ID:KZzosbgv
>>424
元親も伊予まで逃げている件
428人間七七四年:2010/09/26(日) 16:11:01 ID:ex+DAGFr
>>425
仙石は最古参ってのが強いよね

まぁ、古参のやつらなんか他にもいただろうし、その中で飛びぬけて出世が速いのは実力があったんだろうな
429人間七七四年:2010/09/26(日) 21:24:29 ID:MVygp40E
>>425
仙石の過大評価って、何が過大評価されてるの?
戸次川の戦いでの大敗し、その後復活したくらいしか伝わってないよね
江戸時代じゃ、仙石騒動という事もしているしw
俺なんか、漫画「センゴク」で初めて知ったくらいだw

脇坂の過小評価は同意
430人間七七四年:2010/10/19(火) 21:07:05 ID:upg4Z4xy
>>429
>仙石の過大評価
425は「三国一の」臆病者なんて過大評価だ、濃州一の臆病者が精々だと言いたいのだろう
431人間七七四年:2010/11/09(火) 21:50:15 ID:Y4NujoIS
このスレとかwikiだと仙石は戸次川の戦いの後、讃岐まで逃げてるって行ってるけど
別スレとかだと淡路まで逃げましたって言ってる人もいるよね


どっちが正しいの?
432人間七七四年:2010/11/20(土) 13:18:13 ID:dScSPFpu
戸次川で逃走ダッシュかましたのは領地の讃岐
四国で逃走かましたのは小豆島
淡路は讃岐になる前の元の領地
433人間七七四年:2011/01/25(火) 04:40:30 ID:evnCFH0s
脇坂安治さんは確かに過小評価過ぎ
434人間七七四年:2011/02/07(月) 17:12:08 ID:pwXvyUi9
頑張れ脇坂さん
435人間七七四年:2011/02/07(月) 18:39:11 ID:+bRiLKXA
脇坂さんの裏切りは仕方がない
436人間七七四年:2011/02/08(火) 20:52:21 ID:ZHJbN6rj
脇坂さん結局大坂の陣の時に動かなかったし本当は豊臣宗家に残って欲しかったのか…?
437人間七七四年:2011/02/09(水) 12:52:56 ID:OKjZXUl/
裏切り者という以外に名を残せなかった脇坂
無能者という以外に名を残せなかった仙石
438人間七七四年:2011/02/09(水) 14:50:35 ID:2lM98tgD
脇坂は元々東軍に通じてたから
裏切りじゃないです
439人間七七四年:2011/02/10(木) 00:13:19 ID:UcU5okph
少なくとも関ヶ原の時点じゃどちらも豊家を担いでいたわけだし
どちらかが裏切り者かというのはフェアじゃない気も
西軍側のクーデターってな側面もあるし
結果的に徳川による幕府が成立するなんて結末を予想出来た人はいまい
440人間七七四年:2011/02/12(土) 00:21:14 ID:xSa79kKh
脇坂さん大人気じゃん
441人間七七四年:2011/02/27(日) 13:44:44.65 ID:RBLRiTks
あまり有名でないので、スレが立っているとは思いませんでした。
意外に好評なんで脇坂の子孫の一人(らしい)として御礼申し上げます。
442人間七七四年:2011/02/27(日) 15:05:47.70 ID:0qkGCG8m
>>441
韓国では秀吉の次くらいに有名じゃないかな。
443人間七七四年:2011/03/10(木) 12:06:30.48 ID:LfOzcvTi
大名の子孫なら今でも旧臣の集まりとかに行くの?霞会館のパーティーは?
韓国に行ったことは?
444人間七七四年:2011/03/10(木) 12:08:56.35 ID:v4waINY3
脇坂子息は脇坂興産の仕事が忙しく韓国にいく余裕がありません
445人間七七四年:2011/03/12(土) 04:34:43.25 ID:nTb5t074
仙石はあの漫画がなかったらまったく知られなかったろうね
446人間七七四年:2011/03/12(土) 04:50:01.73 ID:gziXAu3K
>>445
ねーよw
 
まっさきに突撃→まっさきに逃亡は有名すぎるだろうに
447441:2011/03/15(火) 10:38:07.64 ID:10eVeG8s
>>443
うちは宗家じゃありません。「ゆかりばかりの 末の脇坂」。

なんでも江戸時代に勘当されて越中国へ行き、そこから更に他国へ…
と、うちの出自はかなり怪しいです。
勘当されたとはいえ、大名の子弟がそこまで自由の身になれるもの
なんでしょうか?
家紋が同じなのをいいことに何代か前の先祖がでっちあげたのかな
と思っています。でも、
水軍…九鬼
七本槍…清正・福島
寝返り西軍…小早川
に隠れた地味な存在を持ってきたその眼の付け所には感心しています。
448名無し募集中。。。:2011/03/16(水) 12:59:18.41 ID:8u7vpAf0
松平長七郎のように悪者退治して回ってたんだよ
449人間七七四年:2011/04/26(火) 15:07:44.64 ID:Mu4kNG84
【韓国】「最も殺したいのは李舜臣、最も茶を共にしたいのも李舜臣」…日本で軍神と崇められる李舜臣、韓国での尊敬は言葉だけ[4/25]★2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1303744470/l50

――敵国だった日本で李舜臣に対する評価が高いというが。

 「閑山大捷の敗将となった日本の脇坂安治は、“最も憎いのも李舜臣、最も好きなのも李舜臣であり、最も殺したいのも李舜臣で、
最も茶をともにしたいのも李舜臣」という言葉を残した。
450人間七七四年:2011/04/26(火) 18:53:06.78 ID:qlZ1uaHM
> 「閑山大捷の敗将となった日本の脇坂安治は、“最も憎いのも李舜臣、最も好きなのも李舜臣であり、最も殺したいのも李舜臣で、
>最も茶をともにしたいのも李舜臣」という言葉を残した。


       ウリは李舜臣博士ニダ 
<丶`∀´> ドラマでそういっていたから歴史的事実に間違いないニダ ホルホルホル
451人間七七四年:2011/05/04(水) 09:31:12.25 ID:+0XkEDJP
脇坂万歳!
452人間七七四年:2011/05/04(水) 19:11:00.86 ID:v2S1GscV
国内より斜め上で有名な脇坂
453人間七七四年:2011/05/16(月) 22:21:48.83 ID:BT8Po3oN
454人間七七四年:2011/05/19(木) 03:56:31.23 ID:lssFxVBN
hiranokohta
家久「ええええええ!沖田畷の戦いも、戸次川の戦いも無かったことにされたー!」
竜造寺「ええええええええ!」
4天王「えええええええ!」
長宗我部「えええええええええ!」
仙石秀久「 や っ た ーーーーーーーー!!!!!!!」
455人間七七四年:2011/05/19(木) 15:15:15.34 ID:jXFwUA5w
後日
ここでの知識を生かし
大一番でズッコケル奴が続出するのであった・・・
456人間七七四年:2011/05/21(土) 17:24:20.86 ID:r8HXxfiS
仙石の戸次川はアホというかテンパり過ぎだと思うが、
引田の退却は仕方ないと思うがなぁ。

その後は長宗我部封じ込めや四国征伐での働きを評価されて讃岐をもらったわけだから、
秀吉も初めから仙石の淡路軍だけで十河救援は無理と思ってたんじゃね?
457人間七七四年:2011/07/08(金) 07:20:49.47 ID:Y6JYylvj
讃岐を貰ったから最盛期は生駒親正ぐらいの石高?
458人間七七四年:2011/07/08(金) 07:48:54.01 ID:ZSz+uHPg
フロイスだっけ?
九州で一番ひどい略奪蛮行をしたのが仙石隊だったって書いたのは
459人間七七四年:2011/07/08(金) 17:20:29.65 ID:vvlZ3Y/m
豊薩軍記じゃなかったっけ?
460人間七七四年:2011/07/08(金) 18:23:31.35 ID:ZSz+uHPg
今調べたらフロイス日本史だった
 
「豊後の国に跳梁していた最悪の海賊や盗賊は、とりわけこれら仙石の家来や兵士たちにほかならなかった」
461人間七七四年:2011/09/15(木) 07:58:52.32 ID:em6HPZv7
最低武将
462人間七七四年:2011/10/10(月) 06:31:48.82 ID:ewFFE/Z+
地味だね
463人間七七四年:2011/11/16(水) 18:12:40.99 ID:M9hBJY3n
豊臣政府時代は、一時、讃岐一国を得た仙石だが、最終的に但馬出石3万石の小大名で終わる
464人間七七四年:2011/11/16(水) 20:46:48.34 ID:wYUQtPRP
戸次川の戦いに関しては、戦術家として家久が異常だっただけで、仙石が無能というわけじゃないんじゃないか?

戸次川までは出世頭だし、なんだかんだ大名に復帰したところを見ればとても無能とは思えない

沖田畷とかみても、若くして敵に大打撃を与える家久の戦術能力は天才。若くして亡くなったのがほんとに悔やまれる
相手が悪かったとしか…
465人間七七四年:2012/02/27(月) 04:45:33.81 ID:u+1zrV9D
コモロー!!
466人間七七四年:2012/02/27(月) 05:17:23.76 ID:bf5nm/T2
>>464
数で負けてるの分かってるのに突っ込ませて
自分はいち早く脱出したんだぞ
 
相手がいい悪い関係ないわw
467人間七七四年:2013/01/28(月) 22:10:02.59 ID:QQyGKaJT
【韓国映画】「李舜臣と朝鮮水軍13隻が日本船133隻を撃沈」 『鳴粱―渦巻く海』、撮影開始-実在の日本人総帥『俊沙』役は大谷亮平[01/28]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1359299876/l50
468人間七七四年:2013/02/05(火) 05:20:32.04 ID:6tYibDxN
少なくとも秀吉は相手が悪かったなんて思ってないだろ
近頃の家久は過大評価
469人間七七四年:2013/05/29(水) 03:00:28.31 ID:jsD8Qed0
実質、仙石秀久のせいで長宗我部は凋落したようなものだからな
こいつが、あの時秀吉の軍勢を待っていれば良かったものを
470人間七七四年:2013/05/30(木) 01:14:06.88 ID:vj+curA9
四国勢があそこまで弱いとは思ってなかったんだろう
471人間七七四年:2013/06/03(月) 19:59:23.51 ID:T3q/80uT
旧日本軍の指揮官みたいな奴だな
472人間七七四年:2013/10/15(火) 00:27:01.47 ID:nr1B2bY7
センゴクの仙石、孤立奮闘の中頑張ってるよなー。
なんだかんだ言って出世頭と言われるのもわかるきがするわ。
473人間七七四年:2013/11/30(土) 20:01:03.80 ID:R7YezEfZ
鉄道大臣で高知県出身の仙石貢ってひとがいるけど兄貴の子孫かな?
家紋一緒だし
仙石貢 。1857年7月22日- 1931年10月30日、 実業家、政治家。
土佐藩出身。読みは、せんごくみつぐ。鉄道技術者から始まり、
九州鉄道の経営者を経て鉄道大臣となる。大学卒業式に浴衣で登場したり、
中野から立川まで一直線の路線を「えい、やっ」と決定したなど伝説が多い。
家紋は永楽銭紋。画像は青山霊園。
474人間七七四年:2013/12/01(日) 10:46:32.40 ID:ZAHqzkFY
>>441
2年前とは言え、うちと似た経緯の遠い親戚発見
我が家の場合は孫の代に一揆で壊滅した地域に赴任だった様子
本家の方が養子で存続していたはずなので
(伝承が本当ならば)実際に血縁なのは我々野良脇坂なのかもしれませんね
475人間七七四年:2013/12/29(日) 01:22:08.09 ID:GbA904eR
>>474
信じてもらえないかもしれませんが、 >>441 です。
このスレの生存確認で久々に訪れました。
うちなんてどの代で"野良"になったのかも分からないですし、
"我々"なんて勿体ないお言葉です。
476人間七七四年:2014/01/02(木) 14:52:20.78 ID:2Sn0yaUk
なんか漫画の影響で過小さわいでるやつのスレだな
戸次川の戦いをなにがなんでもなかったことにして
過小超スーパー武将だみたに騒いでるだけ
477人間七七四年:2014/01/19(日) 23:39:42.18 ID:nSD1M1T2
実は四国征伐の先発隊としても、
仙石は出陣して負けて淡路に逃げ帰ったわけだが
478人間七七四年:2014/01/20(月) 05:16:21.38 ID:VRsFyi+l
超スーパー武将だなんて書いてる奴が
このスレのどこにいるんだよw
479人間七七四年:2014/01/20(月) 21:19:59.18 ID:lANK/e0d
戸次川がなければ肥後50万石は貰えただろうな
で、国人衆の反発喰らって切腹だったりすると
戸次川はあってよかった気がする
480人間七七四年:2014/01/25(土) 19:15:23.69 ID:qMbB35gR
なるほど

仙石は九州戦後の未来を予知して、わざと負けたわけだ
さすがですな
481人間七七四年:2014/01/25(土) 23:50:27.61 ID:5mqfASA2
馬鹿なのお前?死ねよ
482人間七七四年:2014/01/28(火) 10:08:22.80 ID:GVYIaDSk
しかし二人とも豊臣家の滅亡はみたわけだな
秀頼からの命令は来たのだろうか?
483人間七七四年:2014/02/21(金) 09:53:04.20 ID:j/1S7P/O
仙石秀久は「仙石さえいなければ長宗我部や十河は助かったかもしれないのに」
と思わせる人物だなぁ
484人間七七四年:2014/02/22(土) 00:34:26.35 ID:DFViUWa5
秀久と半兵衛や安治と高虎は織田前から知り合いだったのかな

>>482
秀久は先に死んだぞ
485人間七七四年:2014/02/22(土) 23:14:04.36 ID:UTv70sha
十河を潰したのは生駒親正だよ
486人間七七四年:2014/04/12(土) 05:19:54.22 ID:E62YuvER
十河存保が討死しなければ
そもそも生駒による後継者暗殺もなかったわけだし
どのみち仙石の責任は重いじゃん
阿波三好家がこんな屑のために滅んだなんて泣けてくる
487人間七七四年:2014/04/12(土) 22:52:08.38 ID:W8xT2Bay
まーそーだけど
生駒のやり方は汚すぎる
488人間七七四年:2014/08/03(日) 18:33:57.22 ID:dnKwZHBE
脇坂安治が参戦した鳴梁海戦のスペクタル映画

映画『鳴梁−渦巻く海』
予告編
http://youtu.be/spQtwggaCy4
0:08秒あたりに脇坂安治登場
489人間七七四年:2014/08/27(水) 17:07:52.60 ID:WzXb6ojM
韓国人の脳内では数年前のドラマのセリフが、もうきっちり史実になってるらしいw
ttp://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/40523518.html

>以下に示すのは、朝鮮時代の名将李舜臣将軍(1545〜1598)に対する
>同時代と後代の将軍たちの尊敬の言葉です。

>「私が最も恐れている人物は李舜臣であり、最も嫌いな人物も李舜臣であり、
最も好きな人物も李舜臣であり、最も尊敬する人物も李舜臣であり、
最も殺したい人物も李舜臣であり、最も茶を共にしたい人物も李舜臣である」
                                 - 日本の武将、脇坂安治
490人間七七四年:2014/12/17(水) 11:43:01.19 ID:Wvu3haoy
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491人間七七四年
やっぱり秀吉になんだかんだで気に入られてたから復帰を許されたのかね
百姓出の秀吉に初めて使えた士族だしね